政治の出番 

コロナショック
収束 対応の旗振り 政治しかありません

右往左往 後手後手の対応
旗が見えません

中身のない  言葉遊び 
決断力のなさ 第一次安倍内閣を彷彿  ・・・
 


 
 

 

税金
何に使ったのか 効果不明のバラマキ政治
長年の景気停滞
アベノマジック 数字が踊る ・ 日本経済の問題
景気停滞に加えて 
突然の向かい風 嵐 コロナショック
政治 行政 右往左往
「ロックダウン(都市閉鎖)」 なし
急に・・・人権・・・なんちゃらの綺麗ごと 
外出自粛 「要請」「指示」どまり

 

知恵がないなら 
成功対応を真似ましょう
海外 ドイツ 近くは 中国 韓国
解釈変更 総理 お手の物
日本の 政治 たしか人命は地球より重かったはず
罰則つき 「命令」 発令
人命あっての 法律 憲法 国家です
「都市閉鎖」 します
クロナ収束まで  我慢してください 耐えてください

 

コロナショック
バラマキ政治 新たな大義名分
総理 内心 大喜び
 
 

 

●新型コロナ対応で露呈 戦後日本の成り立ちが招いた危機管理の弱さ 3/20 
新型コロナウイルスの感染が世界中に広がっている。収束の兆しは一向に見えていない。日本国内でも感染は拡大の一途で、7月下旬から始まる東京五輪開催も危ぶまれている。歴代最長の安倍晋三政権にこれまでで最も危機的な状況をもたらしている。
安倍政権の対応が後手に回るなか、国内感染者数と死者数は日に日に増え、感染者は920人を越え、死者も32人を数える(2020年3月19日午前時点)。クルーズ船の乗客乗員とチャーター便の帰国者を含めれば、感染者は1636人、死者は39人に及ぶ。クルーズ船の死者7人のうち、5人は70代と80代の日本人の高齢者だ。
「政治は結果がすべて」。安倍首相はこの言葉を好み、国会の内外でこれまでも何度も口にしてきた。今、この言葉が真綿で自らの首を絞めるかのごとく、安倍首相を追い込んでいる。
日本国民の多くは、忙しい毎日をまじめに働いて納税している。その見返りに、国家が本来、真っ先に何よりもやらなければならない役目は、国民の生命と財産を守ることのはずだ。
にもかかわらず、なぜここまで新型コロナの被害は拡大してしまったのか。
大統領・政府高官を14日間隔離下においたモンゴル
安倍政権の新型コロナウイルスへの対応がいかに場当たり的か。日本と異なり初動対応を迅速かつ大胆に実施したモンゴルと台湾を引き合いに、みていきたい。
世界を見渡せば、イタリアやイラン、韓国、日本など、中国と政治的・経済的つながりの強い国々で新型コロナウイルスの感染拡大が目立つ。そんななか、中国と5000キロ近い国境を接するモンゴルでは、3月9日に感染者1人を初めて確認し、これまでに6人のみにとどまる。北から南まで日本列島の長さは約3500キロだから、5000キロ近くも国境を接していて、感染者が6人というのは実に驚異的だ。
モンゴルがコロナウイルス対策として一体何をしてきたのか? 時系列で紹介したい。
中国湖北省武漢市は1月23日、急激な感染拡大を受け、市内全域のバスや地下鉄などの公共交通機関の運行を停止、人口約1100万人の巨大都市を事実上、封鎖した。しかし、1月24日から始まる春節(旧正月)を前に、すでに中国全体の民族大移動が起こっており、感染も広がり始めていた。
モンゴルは早速動いた。1月27日に中国との国境の道路を封鎖し、車や人を通行止めにした。さらに、同日には幼稚園から大学まで全教育機関を休校にしたほか、多数の人が集まる芸術・文化・スポーツイベントや会議の開催を禁止した。
日本が中国・韓国からの入国制限の強化を始めたのは3月9日。そして、安倍首相が小中高校の休校を要請したのは2月27日で、大規模なスポーツ・文化イベントを中止もしくは延期、または規模を縮小するよう要請したのは2月26日だ。モンゴルに比べ、何もかも1カ月以上遅い。
くわえて、モンゴルは2月1日の時点で、モンゴル国民の中国・香港への渡航を禁止したほか、中国人と中国に滞在経歴がある外国人の入国を全面禁止にした。そして、2月末には、なんと中国訪問後のモンゴルのバトトルガ大統領と外相、その他の政府高官らを、「予防的措置」として14日間の隔離下に置いた。
モンゴルは中国と経済的な結びつきが強く、友好関係にある。しかし、水際対策で中国に遠慮しがちがった日本と違い、何よりも自国の防疫を最優先し、大胆な措置に打って出たのだった。
国内感染者は108人、死者は1人の台湾
台湾の対応はどうだったのか?
台湾は中国本土との近い距離や経済的な結びつきが強いのにもかかわらず、国内感染者は108人、死者は1人にとどまっている(3月19日現在)。
台湾では、国内感染者が出る前の1月15日、先手を打って新型コロナウイルスを「法定感染症」に指定した。また、台湾の教育部(教育省)は2月2日、小中高校の冬休みの春節を2週間延長し、24日まで休校にした。最初の感染が確認されて10日以上経った1月28日に「指定感染症」をようやく閣議決定した日本政府の対応と比べると、その迅速さが際立つ。
台湾はさらに、2月7日から中国大陸在住の中国人の入国を全面的に禁止した。経済対策についても、台湾立法院(国会)が2月25日、景気対策などとして600億台湾ドル(約2200億円)を上限とする特別予算案を可決している。
さらに、38歳の台湾のデジタル担当大臣の唐鳳(オードリータン)氏の後押しで、国内の薬局にあるマスクの在庫データをインターネット上で公開するなど、ITを駆使した素早い感染対策を実施し、世界的に注目を浴びている。
クルーズ船・ダイヤモンド・プリンセス号への対応を含め、安倍政権の新型コロナウイルスの感染拡大対策に、国内外から厳しい批判の目が向けられているとは大違いだ。台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統の支持率は上昇し、多くの国民から感染対策が評価されている様子がうかがえる。
小出しで遅すぎる安倍政権の感染対策
こうしてみると、安倍政権の感染対策はあまりにも「Too little, too late(小出しで、遅すぎる)」だ。危機管理の要諦(ようてい)は「大きく構えて小さくまとめる」と言われている。つまり、被害を最小限にするためには無駄を恐れず、当初から大胆な対策をとらなくていけない。さもなければ、のちのち大きな代償を支払う羽目になるからだ。
確か水際対策に限界があるのは事実だが、全国各地で感染が日々拡大する事態を目の当たりにすると、モンゴルや台湾のような進取果敢な措置がとれなかったのかどうか、振り返えざるを得ない。そして、日本では普段から政治家や官僚が最悪の事態を想定し、危機管理を常に真剣に考えてきたかどうか、改めて考えさせられる。
国家としての日本の危機管理体制のあり方は大丈夫なのだろうか。
武漢で広がる新型コロナウイルスに対する安倍政権の脅威認識はどれほどだったのか。水際対策の失敗や遅れを見れば、新型コロナウイルスの感染拡大やその脅威への認識は、明らかに甘い。日中関係や景気、観光などへの影響により強い関心を寄せ、国民の命にかかわる防疫を最優先にする姿勢が不十分だったのは否めない。
感染症について言えば、2003年に東アジアを席巻し、多数が死亡した重症急性呼吸器症候群(SARS)や、2009年に世界的に流行し、国内だけでも死者203人を出した新型インフルエンザの教訓がはたして生かされているといえるだろうか。
ほかにも、2010年以降、お隣の韓国、中国などでは口蹄(こうてい)疫が継続的に発生してきた。高病原性鳥インフルエンザも頻繁に起きた。アフリカ豚コレラも2007年にロシアで侵入が確認され、2017年3月にはモンゴルに近いイルクーツクでも見つかった。2015年には韓国で中東呼吸器症候群(MERS)コロナウイルスが流行し、死者39人が発生した。日本政府はあらゆる病原体が東アジアで流行し、国内に侵入するリスクが増していたのに、これまで防疫意識と防疫への備えをきちんと高めていたと言えるのだろうか。
防疫意識が十分に高まり、備えも万全であれば、PCR検査の体制整備や新型インフルエンザ対策特別措置法改正案などについて、これほどまでにあたふたする必要はなかったはずだ。アメリカの感染症対策の陣頭指揮をとるCDC(疾病対策センター)の「日本版」の創設が今ごろになって叫ばれている。SARSやMERSがアジアを席巻するなか、どれほどまでに防疫体制を確立してきたのか。
危機管理の初動で過ちを繰り返す日本
日本政府が有事の際の初動対応に遅れ、あたふたしたのは、1995年の阪神大震災や2011年の東日本大震災の時も同じだった。特に戦後最大のクライシスとなった東京電力福島第一原発事故では自ら危機管理ができず、アメリカも右往左往する日本の姿に憤りを募らせた。
なぜ日本はいつまでも国家の礎となる危機管理がきちんとできないのか。どうして危機管理の初動で過ちを繰り返してばかりなのか。
軍事防衛問題を日ごろから取材する私は、この国には自国の安全は自国で守るという強い気構えと備えが政治家にも官僚にも国民にも普段から欠けていると思っている。確かに災害は多いのだが、安全保障をめぐる危機管理意識が育っていないし、危機管理体制が確立されていない。安全や危機管理はタダで得られると思い、ボーっとしている面があるのではないか。
それが、今回の新型コロナウイルスへの対応においても、緊張感を欠き、後手後手に回った背景にあるのではないかと思えてならない。
マッカーサーのレガシー
では、日本人になぜ、危機管理意識が育たなかったのか。私は歴史的に戦後日本の国の成り立ちに起因しているのではないか、と思っている。私の脳裏に渦巻くのは、マッカーサーのレガシー(遺産)である。
連合国軍最高司令官、マッカーサーは終戦直後、日本が再びアメリカと世界の脅威にならないよう、非軍事化と民主化を推進した。「無害な三等国をつくる」との発言もした。
マッカーサーは当初、日本本土での米軍基地の恒久化を考えていなかった。日本が民主化した後は撤収し、日本を非武装中立化する理想を持っていた。しかし、東西の冷戦に加えて、朝鮮戦争も始まり、アメリカは対日占領政策を転換。日米安全保障条約で在日米軍基地の恒久化を決めた。そして、当初、非武装中立を掲げた憲法9条がはらむ矛盾が後世の私たちに残された。
安保・危機管理をアメリカに依存
その結果、何が起こったか。
日本人は、憲法9条の平和主義を唱える一方で、在日米軍基地の大規模な存在や、アメリカ製兵器の大量購入に象徴されるように、自らの安全保障を引き続き、アメリカに大きく依存することになった。つまり、アメリカに安全保障や危機管理を委ね、この国の政治家も国民も危機管理意識を十分に高めてこなかった。言い方を換えれば、戦後の日本人はアメリカに安全と安心を依存することに慣れきってしまったのだ。
安全保障面から言えば、日本はいまだ、アメリカというお釈迦様の手のひらの上にいる孫悟空のようなものだ。沖縄の“軍事要塞化”に象徴されるアメリカの占領体制の下、日本国民はアメリカの掌の上にのって安全保障や危機管理をないがしろにしてきた。その結果、自らの危機管理について、一種の思考停止に陥った。
戦後日本の自民党の支配体制も、ある意味「親分」のアメリカにおんぶに抱っこで成り立ってきたと言える。
現実を踏まえない9条への固執
私は、日本の平和は、アメリカの「核の傘」を提供する日米安保と、自衛隊という世界有数の“軍隊”によって維持されてきたと考えている。一方、リベラル左派は「憲法9条が日本を平和にしてきた」と考えている。つまり、憲法9条の平和主義が平和を維持してきたと信じている。
ただ、彼らは憲法9条の平和主義は、アメリカ軍による沖縄の“軍事要塞化”という犠牲のうえに成立してきたという矛盾を看過してきた。そして、私は日本人が自立の精神や独立自尊の気概を損なってきた主な原因は、現実を踏まえない憲法9条への固執にあるのではと思っている。
今回の新型コロナウイルスの感染が、日本の危機管理体制の甘さを改めて問い直すほか、危機管理体制を確立するうえで何が阻害要因になっているのか、国民レベルで議論が巻き起こることを願ってやまない。
感染対応の医療体制確立に注力を
最後になるが、医師や看護師を筆頭に、医療の最前線で活動する人々への感染が国内各地でも相次いでいる。中国と韓国からの入国制限のレベルを引き上げたりする水際対策はもちろん重要だが、感染が国内でますます広がっている以上、安倍政権は、感染対応の医療体制の確立にこれまで以上に力を注ぐべきだ。「検査を拡大すれば、陽性患者が増えて病院の医療体制が崩壊する」との意見もあるが、必要な検査をせずに陽性患者を見逃せば、ウイルスはますます市中に拡散する。
安倍首相は14日の記者会見で、今月中には1日当たり8000件まで検査能力が増強できる見込みを示した。しかし、韓国の外交官は筆者の取材に対し、「日本は検査能力があるのに、なぜ検査件数か少ないのか」と常々疑問を募らせてきた。これは世界の多くの国々が日本の感染対策をめぐり、抱いている真っ当な疑問だろう。 

 

●欧米は私権制限 外出禁止に罰則、日本と強制力で違い 4/7
新型コロナウイルスによる感染拡大を受け、欧米ではすでに外出禁止など私権制限を伴うロックダウン(都市封鎖)に踏み切った国が多い。欧州では市民の外出を禁止し、違反には罰則を伴うなど国による厳しい私権制限が主流だ。米国は住民への行動制限を各州知事が判断する。国が非常事態宣言も発動しているが、法的根拠にはあいまいさも残る。
欧州でも厳しい外出制限を導入するのがフランスだ。必須の買い物などを除き外出は禁止。3月17日の導入から約3週間たち、感染者の伸び率(前日比)は6日に約6%と、制限開始時の20%前後と比べ改善の兆しも見えつつある。外出には自己申告の証明書の携帯が義務だ。違反すれば最大135ユーロ(約1万6千円)の罰金を科す。23日には外出禁止令を強化。30日以内に4度違反を重ねれば、3750ユーロの罰金や6カ月の禁錮刑を科す。首相に人の往来の制限や国家の物資管理の権限を与える厳しい措置の根拠が、3月24日施行の衛生緊急事態法だ。アルジェリア独立戦争の最中だった1955年成立の法律が手本で、戦時法制の色彩が濃い。ただ4日から休暇期間に入ったパリなどでは気の緩みもみえる。「ウイルスは休暇を取っていない」。フィリップ首相はテレビで外出禁止の順守を呼びかけたが、無視して地方へ出かける旅行者も。仏政府は1日、正当な理由なく外出して罰金を科した事例が約35万9千件あったと発表。強制力ある措置でも人の動きを抑えるのは難しい。
イタリアは国内で初めて感染が確認された直後の1月31日に非常事態宣言を発動に踏み切った。コンテ首相は3月10日に全土での移動制限を始め、外出時には理由を明示する証明書の携帯を求めた。英国では23日に全土での外出制限を始めた。その後、違反者に警察が罰金30ポンド(約4千円)の罰則を科すことなどを定めた「緊急事態法」も成立した。
欧州のなかでも、ドイツは国による厳しい外出制限を講じない代わりに「接触禁止」に重点を置く。(1)3人以上の集会の禁止(2)同居する家族以外との接触を最小限に、最低1・5メートル離れる(3)宅配や持ち帰りを除く飲食店、理髪店など体の接触を伴うサービス業の営業禁止――などだ。違反時の罰則の有無や程度は州により異なる。市民の外出を禁止するかどうかも議論されたが、私権制限への慎重論があり、一部の州による導入にとどまっている。ドイツの一連の措置は、2001年発効の感染保護法を根拠に、国と実施主体の州や特別市が合意して始まった。感染症の予防と拡大防止を目的に、当局はイベントや集会を禁止したり、学校や公共施設を封鎖したりできる。
連邦制の米国では私権制限の権限は州知事が握る。罰則を伴う外出制限、学校の休校、生活必需品を扱う店以外の店舗の閉鎖などを命じている。3月7日に非常事態宣言を出したニューヨーク州は、知事令で22日から原則100%の在宅勤務を義務付けた。企業が従わず、従業員に深刻な身体的危害を招く場合、最大1万ドル(約109万円)の罰金を科す。トランプ米大統領も3月13日に国家非常事態宣言を発動した。州政府や自治体のコロナ対策に連邦予算を支出できるようになったが、国民の私権の制限には踏み込むことはできない。他人と約1・8メートル以上の距離を保つ「ソーシャル・ディスタンシング」を求めた指針を発表したが、あくまでも「推奨」にとどまる。外出規制をめぐっては連邦政府の権限がどこまで及ぶかはあいまいで、強制力を伴う州間の移動制限は断念した。
世界で最初に感染が広がった中国湖北省武漢市では1月23日から都市封鎖に踏み切った。公共交通機関の運行を停止し、周囲の道路も閉鎖。居住区ごとに監視役を配し、市民の外出を禁じるなどの強硬措置を当局が一方的に導入した。中国当局は8日、2カ月半ぶりに武漢市の「都市封鎖」を解除する。徹底的な封じ込めで、感染拡大の制御にメドがついたとの判断からだが、強権的な措置でも行動制限の解除にそれだけの時間を要した。外出自粛を国民に呼びかける日本の緩い行動制限で、5月6日までに感染終息へメドをつけられるかが問われる。  

 

●政府のチグハグな対応 4/8
新型コロナウイルス感染症における対応をめぐって、日本政府のスピード感やその判断・施策などに対して違和感を抱いている人は少なくないはずだ。
たとえば4月5日に東京都の感染者数が1日当たりで過去最高の143人と発表されたが、この数字をそのまま鵜呑みにしている人がどれだけいるだろうか。
新型コロナウイルスへの感染が疑われるのに保健所や病院では取り合ってもらえず、なかなかPCR検査を受けさせてもらえなかったという具体的な話が、いくつも聞こえてきている。実際の感染者は発表されている統計よりもはるかに多いのではないか。一般の人だけでなく、専門家の中でもこうした見方をしているケースが少なくない。
政治不信に火をつけた政府の「責任回避」
日本の官僚、そしてその官僚を動かす政治家は、これまでも重大な危機に対して、積極的な対応を避け、リスクを先送りするスタイルを取り続けてきた。1990年代のバブル崩壊が典型的な例だ。結果として、1997年の山一證券破綻など金融機関の連鎖破綻を引き起こし、その後の日本経済の「失われた30年」のきっかけを作ってしまった。
今回のパンデミック(世界的な感染爆発)への対応でも、日本は最近になってやっと厚生労働省が無症状の患者を感染病棟から移すための指針を公表したものの、対応のスピードは鈍い。
日本がPCR検査を絞っているとは諸外国からも指摘されているが、日本政府は軽症の患者が医療機関に殺到することによって院内感染を引き起こすことなども含めた医療崩壊を防ぐため、というスタンスだと言われている。だが、アメリカの国務省は「日本がPCR検査をしない以上、感染の実態が不明であり、医療崩壊が起こる可能性が高い」との見解から、日本に滞在する自国民に対して帰国の準備に取り掛かるように勧めている。それほど国際的にも疑念は持たれている。
そもそも、これまでの官僚や政治家の対応を振り返ってみると、そこには常に「責任回避」の姿勢があったように思えてならない。日本のPCR検査体制の不備が指摘されると、加藤厚生労働大臣をはじめとして、官邸に近い政治評論家までもが「なぜ増えないのかわからない」と答える。感染拡大が始まって、すでに2カ月も経過している。わからなければ、調べて改善するのが政治家の仕事のはずなのに、だ。
責任をギリギリのところで回避しながら、自己保身に走る姿ばかりが見え隠れする。なぜ、日本の官僚や政治家は、こんなにも「責任回避」に走るのか……。新型コロナウイルスに対する日本政府の対応を検証しながら、その構造的な問題点を考えてみたい。
ドタバタから垣間見える日本の構造的欠陥
今回の新型コロナウイルスに対する安倍政権の対応は、行き当たりばったりで庶民感覚から離れているように見える。唐突に小中高の学校を2週間臨時休校にしたかと思えば、来月の家賃も払えないといった具合に国民生活が危機に陥っているにもかかわらず、「お肉券」や「お魚券」の構想が出てくる。
4月7日に発表された「緊急事態宣言」の自粛要請ひとつにしても、安倍首相は「欧米式のロックダウンはできないし、しない」と明言している。しかし、その根拠は説明しない。ロックダウンしなくても、感染爆発にならないというなら、その根拠を専門家会議などにエビデンスを用意させて、きちんと説明しなければ国民にはわからない。
国民の生活を救済する目的の給付金にしても、もはや財政赤字や財政破綻をどうこう言っている次元の問題ではないのだから、たとえば国民1人1人に直接30万円を一律で渡すような政策が求められているのに、小難しい制度論や法律論が先行してしまう。約5000万世帯にガーゼマスクを2枚ずつ配布するという政策にも、異論や批判の声が上がっている。
これまで何があったのか、そしてその意思決定が正しかったのか……。簡単に列記してみたい。
中国・武漢、新型コロナウイルスで都市封鎖(1月23日)
翌24日から春節休暇が始まるタイミングで発表された「武漢・都市封鎖」だったが、日本政府はそのまま春雪の観光客を日本に受け入れた。
クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」で検疫実施(2月5〜19日)
検疫という名のもとに2週間にわたって、乗客をクルーズ船に閉じ込めたまま隔離。約4000人の乗員乗客のうち約700人が感染。神戸大学の岩田健太郎教授に、感染症対策の基本ができていない、と指摘をされて政治家や感染症の専門家が揃って岩田教授を批判した。
1日当たりのPCR検査数は最大で300(2月18日)
この時点で日本のPCR検査は300件。国内外からの批判を受けて2月18日で3800件、3月30日現在で最大で1日当たり9000件を可能としているが、たとえば厚生労働省の発表によれば、4月6日12時時点でPCR検査の実施人数は空港検疫とチャーター便帰国者の分を足して4万1672件で前日からの増加分、つまり1日に実施した件数は1533件にとどまっている。日本の場合、100万人当たりの検査数はわずか117人(3月20日現在、英国オックスフォードグループより)、韓国の6148人、オーストラリア4473人、ドイツ2023人とはレベルの違う低さだ。日本は、ドイツの17分の1、韓国の52分の1でしかない。
安倍首相の独自判断で小中高の2週間休校を表明(2月27日)
安倍首相が、専門家に意見も聞かずに独断で決めたと言われる。
「お肉券」と「お魚券」がなぜ出てくる?
東京五輪の延期を発表(3月24日)
今回の新型コロナウイルスの対応で最も疑問に思われているのが、この東京五輪延期が早期に決断できなかったことだろう。世界の流れに逆らって強気の姿勢を関係者が主張し続けた。しかし、いまとなっては2021年7月の開催さえも怪しくなってきている。
生活支援にお肉券とお魚券が浮上(3月下旬)
かつて、マリー・アントワネットが飢えに苦しむ民衆を見て「パンがなければケーキを食べれば良い」と言ったのと同じようにとらえられたのが、自民党農林部会や水産部会が実現を目指していた「お肉券」と「お魚券」だ。自民党や安倍政権はコロナ対策を「政治献金の恩返しの場」と考えているのではないか……と多くの国民に思われたとしても仕方がない。
1世帯当たり2枚の布製マスクの配布(4月1日)
海外からも「エイプリルフールか」と馬鹿にされ、信じられないほどの不評が噴き出た。天下り先など関係の深い日本郵政への援助という見方すら出ている。
東京、大阪等に緊急事態宣言発令(4月7日)
イギリスの場合、緊急事態宣言を出して都市封鎖を実施してから、「2週間後」には飲食店などにポンッと約300万円が振り込まれ、従業員の給与も約8割補償されたことが報道された。日本の場合は4月7日に出された緊急事態宣言とセットで発表される生活支援のスキームも、自己申告や所得制限などと枷(かせ)をはめたうえ、受け取れるのが早くて6月と言われる。国民の生活を優先しているかというと疑問だ。
国民の生命より献金先への恩返しを優先する「永田町」
この緊急事態に、政治家の給料や公務員の給料はそのままなのだろうか。かつて東日本大震災で庶民が苦しんでいたとき、旧民主党政権は国会議員の給与を1人当たり月額50万円削減することで、総額21億円を震災の救援資金に充てた。
国会議員の給与は、月額約129万円、ボーナスも年約635万円もある。大臣や総理大臣はもっともらえる。さらに領収書不要の「文書通信交通滞在費」が月額100万円もらえて、さらに「立法事務費」も月額65万円もらえる。新幹線と飛行機の無料パスも付いている。
加えて、政党には莫大な金額の「政党交付金」が交付される。まだ議論は出ていないが、苦しむ国民のために政治家が身を切るような話が出てくることに期待したい。
「自粛要請」という言葉はあくまでも要請だから、決断したのは国民1人1人であって、政府の責任にはならない。感染症を防ぐためには本来であれば、「ロックダウン(都市封鎖)」が必要不可欠なのだが、そのためには「補償」とセットでなければ意味がない。生活が懸かっているからだ。
ただ、日本の「緊急事態宣言」は、欧米のような「ロックダウンはできないし、しない」と政治家や官僚は言い続けている。それはそれでいいが感染爆発が止まらなかったら、どうする気なのか。できないのであればできるような準備をしたほうがいいし、危機に対しては先を見て行動するのが政治家の仕事である。 

 

●世界のリーダーの支持率上昇中 なぜ安倍政権だけ下がったのか?  4/24
世界を覆うコロナ・ショックの中で、政治指導者の一挙手一投足に改めて注目が集まっている。…評価を高めた政治家、低めた政治家の命運を分けたものは何なのだろうか。
「ポピュリスト」の人気が再燃している?
コロナ・ショックを受けて、これまでポピュリスト政治家として名指しされてきた政治家の支持率が上昇しているのが目を引く。…
ボリス・ジョンソン内閣の支持率は、2019年12月時点で34%、不支持率が46%だったのが、3月末になって支持率52%、不支持率26%と逆転、記録的な上昇をみせた(YouGov調査)。この数字は首相がコロナ・ウイルスに感染したことへの同情もあることも考慮しなければならないが、一政権がここまでの高い支持率を得るのは異例のことだ。
支持理由についても、これまで首相を「無能」と判断していた有権者は少数派に転じ、2020年に入って「有能」とする割合が増えている。イギリスは、依然として感染者封じ込めに手こずっているにも関わらず、である。…
米トランプ大統領はどうだろうか。ここでもトランプ大統領を評価する有権者は49%、支持しないのが45%と支持率が上回る(米Gallup調査)。…トランプ大統領への支持率が概ね40%前後で推移してきており、これまで不支持率の方が高かったことを考えると、追い風が吹いていることは間違いない。
危機時に与党を信頼しがちな有権者たち
政治情勢を示す英語に「旗下集合効果」というものがある。これは、危機時にあって、現政権の指導者を支持する態度が有権者の間に広がる現象を指す。
国難にあっては党派を超えて政権を支えることが有権者の責務であるという意識に加え、政策に多少の不満があっても、危機管理対策では野党よりも与党に信頼が寄せられる。野党にかけるリスクよりも、現職を応援してリスクを減らし、安全を取ることが合理的だからだ。
例えば、…ジョージ・W・ブッシュ大統領は…在任期間の平均支持率は49%に過ぎなかった。しかし、2001年の9.11同時多発テロを受けた直後には86%という、米憲政史上で最高の支持率を記録している。…
だから、支持率上昇の恩恵に浴しているのはポピュリスト政治家だけではない。ドイツのメルケル首相、フランスのマクロン大統領、イタリアのコンテ首相など、それぞれの絶対的な人気の度合いは異なれども、コロナ・ショックを受けて支持率の上昇をみている。
ちなみに、メルケル首相のドイツをはじめ、台湾、ニュージーランドなど、コロナ・ウイルス封じ込めに一定程度成功していると評価されている国のリーダーは女性であることが多いことも特徴的だ。
有権者は政策で評価しない
少し前に政治学者の間で話題になった『現実主義者のための民主主義』という本がある(エイカン=バルテルズ著、2016年〔未邦訳〕)。この研究は、過去のアメリカの有権者行動を解析して、いかに有権者は時の政権の政策や業績を考慮しないで投票しているのかを実証したものだ。
自然災害やインフルエンザの感染など、政権とは関係ない出来事がその責任とされたり、直近の経済情勢だけが考慮されたりする一方、歴史的な転換となるような時の政権の政策が評価されないことが多いという。…
もちろん、これは有権者が愚かだというわけではない。全ての有権者が複雑な現象の原因と結果を政策と結びつけて理解できるわけではなく、認知上のバイアス(好ましいと思うことに引き付けて解釈すること)や党派性が投票の基準になるためだ。
こう考えると、コロナ・ウイルス対策のように、専門家の間でも場合によっては意見が分かれる政策は、有権者が冷静に判断できるものではない。
そこで政治に求められるのは、単に安心感を提供できるかどうか、なのである。
安倍政権の支持率低下 日本はなぜ例外?
そう考えると、日本の特殊さが際立つ。というのも、コロナ・パニックを受けて安倍政権の支持率は低下傾向にあるからだ。3月中は持ちこたえていたものの、直近の4月10-13日の世論調査では支持率は前月から5ポイント下がって40%、2月以来となる不支持率(43%)との逆転現象を経験している(共同通信調査)。
トランプを含めて各国指導者の支持率が上がる中、なぜわが国の総理の支持率だけが下がっているのか。確かに政府の対策に不満は寄せられてはいるが、死者数をみても、他国ほどひどい状況ではない。外出禁止措置についても、他国のように罰則があるわけではなく、市民生活を過度に逼迫させるものではない。
日本という例外を作っているのは、そこにもうひとつのポピュリズムが潜んでいるからとの仮説が成り立つ。
安倍政権とは対照的に、支持率を上昇させているのが小池東京都知事だ。東京オリンピック・パラリンピック延期を受けて支持率が下降していた都知事の起死回生のチャンスを提供したのが、今回のコロナ・パニックだった。支持率は2019年12月をボトムに上昇し、今では80%近い支持率を保っている(産経新聞FNN合同調査)。
都知事は、3月25日に「ロックダウン」や「オーバーシュート」といった強い言葉を使いながら、国に先んじていち早く外出自粛要請を都民に行い、その後、中央政府が緊急事態宣言を出す下地を作った。4月7日に緊急事態宣言が出された後には、より幅広い業種の自粛要請を政府に対して求め、事業者あたり50〜100万円の協力金を約束、国が当初模索していた世帯への最大30万円の「給付金」よりも安心感のある約束を打ち出している。
医療保健や教育行政などの規制や運営の現場は、日本では地方自治体に任されている。特措法に基づく非常事態宣言も出す主体は政府だが、指定や要請の責任主体となるのは各自治体だ。このため、身近な行政機関は、日本では強い政治不信の対象となっている中央政府よりも住民への安心を供与できる、より大きな存在なのだ。
なぜ日本の首長にポピュリストが多いのか
ポピュリズムに話を戻せば、冒頭のジョンソン首相やトランプ大統領、ブラジルのボウソナロ大統領など、諸外国では国政レベルでのポピュリズム政治家が目立つのに対して、日本のポピュリストは地方の首長であることが多い。例外は小泉純一郎元首相だが、彼を除けば、田中康夫元長野県知事、石原慎太郎元都知事、橋下徹前大阪府知事・市長、河村たかし名古屋市長など、これまでポピュリスト政治家とされてきたのは全て地方政治のプレーヤーだ。
日本でなぜ地方レベルのポピュリストが多いのかには理由がある。ひとつは日本の地方政治が「二元代表制」と呼ばれる、民意を代表する首長と議会という2つの回路を持つ制度によって運営されるためだ。定数1の選挙区を持つのは大都市のみであり、それも東京都の場合は千代田区と中央区のみだ(島部・市部除く)。その他の市町村の選挙区の定数は概ね2から6が定数と議会が比例代表制をとるのに対し、首長選挙は大きな単一の選挙区(すなわち小選挙区)で選ばれる多数代表制のもとで行われる。
こうした非対称性がある場合、議員候補者は特定業界や組織に応援されて「狭く堅い民意」を代表する傾向があるのに対し、首長は大票田の集まる都市部の無党派層からなる「広く薄い民意」を代表しなければならない。従って、首長にとっては既得権益や議会を批判して選挙戦を戦うのが合理的になる。
ポピュリズムの定義は多様で、一般的には政治・経済エリートに対して庶民と呼ばれるものたちの民意を代表する政治スタイルとされるが、日本の首長はポピュリスト政治を培養しやすい土壌にあるのだ。
さらに二元代表制のもとでは、日本の首長はアメリカの州知事と同じように、大統領的な政治を行うことが可能になる。議会解散権や条例への拒否権、独自に条例を制定することも可能だ。さらに2017年の地方自治法改正によって、福祉サービスや飲食店営業許可の事務も担うようにもなり、大きな権限を手にするようになった。
コロナ・パニックのような危機時においては、歯切れよく、毅然とした態度を示す首長の存在感が必然的に浮上することになる。そして、ポピュリズム政治がエリートに対する庶民の声を代表するものだとすれば、日本の首長は、法的権限に欠き、財政赤字に苦しんで弱い政策しか打ち出せない政権与党を仮想敵とすることで、住民の支持を集められる。
つまり、北海道の鈴木知事、大阪の吉村知事などが休校措置などを含む緊急事態宣言を独自に出し、危機事態の「競り上げ」を行っているのには政治的な理由もある。政権支持率低下と反比例するかのように、彼らの支持率もまた小池知事とともにあがり、政府は背中を押されるようにして4月16日に全国規模での非常事態宣言に踏み切らざるを得なかった。他国と違って、政権の支持率がなぜ下がっているのか、そして首長たちの支持率がなぜあがっているかのひとつの説明になるだろう。
トランプ大統領のように支持率が上昇している例でも、例えばコロナ対策の陣頭指揮に立つニューヨーク州のクオモ知事も実に87%と支持と不支持率を逆転させている(シエナ大学調査)。
毅然とした態度と無責任さは紙一重
もっとも、以上はポピュリスト政治家がコロナ・ウイルス対策で最も有効な対策を打てていると言っているわけではない。トランプ大統領も、ジョンソン首相も、当初は経済への悪影響を懸念して、集団免疫の獲得によってウイルス封じ込めを目論み、見事に失敗したことを想起すべきだ。休業要請をする日本の知事にしても、財源に欠く東京都以外は国の財政に依存しなければならない。毅然とした態度は無責任さと紙一重になり得る。
世界には、ハンガリーのオルバン首相や、イスラエルのネタニエフ首相のように、コロナ・パニックを奇貨として議会の機能までを一部停止し、それまでの強権をさらに強めようとしている指導者もいる。
ポピュリズム政治によって人々の不安感は払拭できるかもしれないが、それでもってワクチンが開発されたり、目前に迫る大不況が解決されたりするわけではない。言い換えれば、現在のポピュリズム政治を作り上げているのは、私たちの漠然とした不安感なのだ。
有権者は合理的ではないかもしれないが、歴史をみると、危機時に輝いた指導者が有権者からお払い箱になる時もある。ナチスドイツとの闘いでイギリスを勝利に導いたチャーチル首相は1950年代に二度目の首相の座を降りることになったし、フランスを解放したドゴール将軍は1960年代に自身が提案した国民投票を否決されて引退した。
平時に戻った時、有権者にどのように判断されるのか――政治指導者の真価はその時にこそ試されるべきなのだ。
●緒話
コロナ対策に関しては不満ばかり
私自身「コロナ対策に関しては不満ばかり」なので、安倍政権の支持率が下がるのは不思議と思いません。
ブログを紐解くと、1月初め、武漢で正体不明の肺炎が発生。「正月休みしている場合ではないと思います」けれど…。2月初め、高温多湿と距離政策を進める。食堂などでテーブルを話した方がよい。2月半ば、スイスロシェ社が検査キットを開発。発熱者を全員検査を…。また、お医者さんが発熱者の自宅診療を…。そして、検査が万全ではないと知る。3月、発熱ホテルをつくるべき「だるくなったら、すぐ籠る」。4月、発熱ホテルが無理でも「自宅とホテルの併用で、だるくなったらすぐ籠る」を達成して、仮に東京都でだるい人・発熱した人が50万人だったら「50万人が自宅・ホテルに籠って、残りの1350万人に自由になれるようにすべき」と主張しています。また、収入源のひとだけ30万円には賛成で、国民全員10万円には反対です。
だから、安倍政権の支持率が下がるのは不思議と思いません。けれど、不思議だったのは日本よりもひどい惨状の欧米各国で支持率が上がっていることでした。
私にはこれはさっぱりわかりませんでした。なぜだ?
当初日本と違って、「クラスター検査もせずにのんびりしていた」から感染爆発を起こしてしまった訳です。そして、いざ感染爆発が起こったら、いきなり「国民に外出するな」と呼び掛けて、経済を破綻させているのです。
感染を止めるだけなら、外出禁止が「最も簡単」な政策です。はっきり言えば、誰でもできる政策です。政治指導者は警察官らに見回りを命令するだけで、国会も閉鎖ですから野党に感染爆発させた責任を追及される事もなく、テレビに出て決然とした指導者らしく演説していれば良いわけです。
それで欧米では支持率が上がるのですから、私は「世の中狂っている」と思っていたのです。
しかし吉田 徹氏によりますと、支持率が上がっているのは、突然にあらわれたコロナウィルスによって不安に駆られた市民が「政治よって安心感を得ようとしている」からだそうです。「旗下集合効果」で政権与党を支持するのだそうです。
本文中の言葉を借りて言い換えれば、市民は複雑な現象の原因と結果を政策と結びつけて理解できるわけではなく、即ち『どうすればよいのか』自分ではさっぱりわからないから、政治指導者が決然と自信ありげに演説していると認知上のバイアス(好ましいと思うことに引き付けて解釈すること)によって、「我が国の首相は解っているに違いない。彼についていけば安心だ」などと思ってしまうので、支持率が上がるそうです。
つまり、「どうすればいいかわからないので、とりあえず政権を信じることにする」らしいです。
追伸としてつけさせてい出したコラムの中にも「日本でも、2011年の東日本大震災後、菅直人内閣の支持率は一時的に上昇している」とあります。
私は東日本大震災の時には、ここが被災地だったのでニュースなどをみている暇がなくて政権支持率が上がっていたとは気が付きませんでした。ただ、開いたアパートも空き家も山のようにある千葉県のこの市に、仮設住宅を200軒も建てるバカさ加減に呆れていただけです。「東北にもっていけばいいのに」と本当に思っていました。
東北のように被災した方が沢山いる所では当然アパートと中古住宅ではたりませんので、仮設住宅を建てる必要があります。
しかし、被害状況が全く違うこの市では、別の対応もできて、はるかに短時間でしかも安い費用で人々に避難所をでて仮の宿を提供する事が出来たのです。それなのに「家が津波で攫われた人がいる→仮設住宅を建てる」という解決策しか思いつかない短絡思考で、数倍の費用をかけて人々に余分な期間の避難所生活を強いたのです。
本当に、アパートの家賃月5万円、中古住宅が500万ら円から1千万のこの市で、2年たったら壊すのに1軒5百万もする仮設住宅を建てる価値がどこにあるのか、私にはさっぱりわかりませんでした。
アパートの家賃だったら120万円で済んで、しかもすぐ入居できます。家族が多い人には中古住宅を国家が買ったり借りて入ってもらえば良いわけで、わざわざ仮設住宅を建てる必要性は、この市にはありませんでした。
私は「家が津波で攫われ→仮設住宅を建てる」と同じ短絡思考が「感染症が発生した→外出制限→失業しても命が助かればよい」だと思います。
たしかに中世のヨーロッパに発生した黒死病のような感染症であれば「失業しても命が助かればよい」です。実際黒死病の時には人口が半減したので、感染症が鎮まった後には猛烈な人手不足になりました。
しかし、私は今回の新型コロナウィルス感染症と黒死病は別物だと思います。東日本大震災の時の、私の住む街と東北3県のように違うと思います。
ですから東日本大震災後、菅直人内閣の支持率は一時的に上昇しても後に急落したように、今支持率が上がっている欧米諸国の支持率は経済が破綻した後で急落すると思います。
そこで日本の安倍政権ですが、2月から必死になってクラスターを探し続けた努力の成果もあり欧米各国よりは感染を広げなくて済みました。
けれど、今は世論に煽られて小池百合子東京都知事の路線に引きずられているように感じます。(収入源の人30万円が全員に10万円になったように…)
そこで私は、「直接国民に向けて、丁寧に何度も何度も説明するべきだ」と思います。2月〜3月にかけて、テレビでは連日「検査・検査・検査」と、日本政府は検査をしないと騒いでいました。ですから国民は、検査をせずに感染者数をごまかしたいのかと誤解しました。検査を増やさない理由が解らなかったからです。
しかし中には真実をネットなどで発言する医師などもいて、「検査」とは何かが次第に知れ渡るようになりました。
つまり「検査」は感染直後にはウィルス量が少なくて、感染していても「陰性」にでる、しかも的中率が70%程度だということです。ですから重症化して肺炎治療をするときには必要になっても、検査官の感染の危険を加味すれば「検査に血道をあげるのは、愚かしい」という事が一部には知れ渡るようになりました。
この間2ケ月程度だと思います。
しかし、政府が最初から丁寧に直接国民に説明して「余分な検査は、却って害悪だ」と国民が理解していれば、国民は「国家に見捨てられている」と不安になる事はなかったのです。
つまり国民は「発熱しても、国は検査してくれない」事から、「発熱して不安だから検査して欲しいのに、国は陽性判定が出て感染者数が増えるのが嫌で検査してくれない」「陽性なら早く知りたい。そして薬が無くても治療して欲しい。それなのに検査してくれない」と誤解して、不安に駆られていたのです。
もともと安倍政権は「安倍政権を許さない」というマスコミ世論の中で、それでも真剣に政治を動かしていけば「解ってくれる人は、解ってくれる」というスタンスでした。
しかしコロナ問題に呈しては、何分にも新型ウイルスなので「解っている人はいない」ので、「解ってくれる人は、解ってくれる」という状態にはならないのです。
つまり、現在の安倍政権は、国民が不安に思っているのに「安心感を提供できていない」のです。
私は、短絡的に外出を禁止して経済破綻させる政権よりは、安倍政権ははるかにましだと思っています。今小池さんとか枝野さんとかが総理大臣だったら大変でした。ヒーロー気取りでロックダウンロックダウンでと連呼して、半年後には大恐慌だったでしょう。ですから「歴史的な転換となるような時の政権の政策が評価されない」傾向があるそうなので、もしかしたら安倍政権は数十年後には「ましだった」と評価されるかもしれません。おじい様の岸元首相の「安保改定」が後の世に評価されたように…。
しかし、私は経済再始動の時には「経済を破綻させるわけにはいかない」と、国民に丁寧に説明してマスコミ世論の集中砲火を浴びても説明して・説明して・説明して、毎日毎日記者会見を開いて説明しつくして頂きたいと思います。(10万円のようにおしきられるのではなく)
なぜならば、後の世だけでなく今の世にも評価され支持を集めた方が、より多くの力強い対策を繰り出すことができるからです。
私は、本当に心から安倍総理を応援しています。安倍政権のコロナ対策には不満爆発ですが、それでも小池百合子東京都知事に出しゃばられて、豊洲の二の舞になったら大変なので、「コロナ死の涙と失業者の涙との間で、揺れ動いてしまう」安倍総理はを応援しています。
このような時にはよく言われることですが、安倍総理には「一晩ゆっくりとお休みになって、落ち着いてじっくりと構えて頂きたい」と思います。
日本の安倍政権だけが「コロナ危機で支持率低下」
危機の時、政府の支持率は上がるというのが政治学の常識だ。実際、コロナ危機で主要国の支持率はどこも上がっている。しかし例外がある。日本の安倍政権だけは支持率を下げているのだ。コミュニケーションストラテジストの岡本純子氏は「そんな国はほかにない。あまりに残念だ」という――。
コロナ禍の世界の中で「政権支持率」が異様に低い日本
新型コロナウイルスによる感染拡大に全く収束の兆しが見えない。安倍晋三首相率いる政府の対策は後手に回ってばかりだ。4月14日発表のNHK世論調査(*)では、内閣に対する支持率は前月より4ポイント下がって39%と、ここ数年で最も低い水準となった。
*4月10日から3日間、RDD方式で全国18歳以上の男女が対象。調査対象2085人のうち60%の1253人から回答を得た。支持率39%というのはそれほど低くはないように思われるかもしれないが、世界に目を向けると、異様な数字であることがわかる。次のリストをみてほしい(支持率出典は文末に掲載)。
【新型コロナ感染拡大後の直近の支持率(増減)】(支持率の高い順に)
〇 アンゲラ・メルケル首相(ドイツ):79%(11UP)
〇 メッテ・フレデリクセン首相(デンマーク):79%(40UP)
〇 マルク・ルッテ首相(オランダ):75%(30UP)
〇 ジュゼッペ・コンテ首相(イタリア):71%(27UP)
〇 スコット・モリソン首相(オーストラリア):59%(18UP)
〇 文在寅(ムン・ジェイン)大統領(韓国):56%(17UP)
〇 ボリス・ジョンソン首相(イギリス):55%(22UP)
〇 エマニュエル・マクロン大統領(フランス):51%(15UP)
〇 ドナルド・トランプ大統領(アメリカ):49%(5UP)
〇 安倍晋三首相(日本):39%(4DOWN)
〇 ジャイール・ボルソナル大統領(ブラジル):33%(2DOWN)
これは筆者が、欧米の主要国のリーダーに対する直近の支持率をまとめたものだ。右端の数字は新型コロナウイルスの感染拡大前との変化である。これをみると、どのリーダーも支持率を大きく上げているのがわかる。主要国で支持率が下がっているのは、わが国と、「どうせ誰かがいつかは死ぬ」「ちょっとした風邪」と一切の対策を拒否しているブラジルのジャイール・ボルソラノ大統領だけだ。
こちらの棒グラフはニュージーランドの調査会社(4月8日発表)がまとめたものだが、政府の新型コロナ対応に対して、支持すると答えた人の数はニュージーランドで84%と最も高かった。G7のどの国も50%以上が支持している一方で、日本ではわずか35%に過ぎない。お隣の韓国も、3月27日に世論調査会社「韓国ギャラップ」が同国政権の支持率は55%と発表し、1年4カ月ぶりに55%を回復したとしている(翌週に支持率56%に上昇)。
死者数が桁違いに多いイタリアやイギリス、アメリカでも支持率上昇
こうして見ると、支持率が高いのは、コロナ感染拡大を止めた国ばかりではないことがわかる。死者数が桁違いに多いイタリアやイギリス、アメリカでも、リーダーへの支持率は上がっている。イギリスのボリス・ジョンソン首相は、当初、対応が大幅に遅れ、感染者を激増させてしまった。しかし、その結果、自らも感染。退院後に医療従事者への感謝の言葉を動画で発信し、国民から共感を集めた。
こうした支持率上昇の背景には「ラリー・ザ・フラッグ効果」(Rally 'round the flag effect)がある。これは1970年に政治科学者のジョン・ミューラーが提唱した理論だ。アメリカの歴史において、深刻な危機のたびに政権の支持率が急上昇してきたことから、「国難においては、人々が国旗の下に集結するように、リーダーへの支持が高まる」という結論を導き出した。
例えば、湾岸戦争(1991年)の時にはブッシュ大統領(父)の支持率は59%→89%に、9.11(2001年)時のブッシュ大統領(息子)の支持率は50%→90%へと急騰した。日本でも、2011年の東日本大震災後、菅直人内閣の支持率は一時的に上昇している。
こうした現象は、(1)危機的状況において、国民は極度の不安に陥り→(2)リーダーや政権に自分たちを守ってくれる存在として役割を期待する→(3)愛国的感情が高まる→(4)団結や連帯のシンボルとしてのリーダーの存在感が高まる、といったプロセスをたどる。
たとえばトランプ大統領は、就任以来、「移民」「民主党」「中国」「世界保健機関(WHO)」と次々に仮想敵を作り、支持を集めてきた。「戦い」を演出する方法は、人心を弄する古典的な手法だ。古今東西の指導者たちは、人々の不安や怒り、恐怖を自分の求心力に結びつけてきた。
安倍政権は「究極のKY」だから支持率低下する
実は「非常時」を強調し、支持を呼びかけるレトリックは安倍首相が得意としてきた論法でもある。北朝鮮のミサイル問題や少子化などを「国難」と呼び、野党を「国民と与党の共通の敵」と印象付けることで、自身のリーダーシップをアピールしてきた。
そして今、人類共通の敵に立ち向かうという、真の「国難」にあって、まさにその指導力が問われているが、どういうわけか急速に求心力を失っている。誠に残念なことである。狡猾な指導者であれば、この危機を支持率上昇の機会として存分に活用し、人心操作にも成功しているだろうが、現政権があえてそうしないのは、ただ単に「できない」からなのだろうか。
第3次世界大戦に匹敵するともいう危機的な状況で、国民は船長不在の航海を余儀なくされている。今回の危機の難しさは、敵であるウイルスは目に見えず、むしろ人々の恐怖や不安という感情との戦いとなっている点にある。
つまり、威嚇や脅しや経済制裁などの「力」が全く役に立たず、これまでのやり方は全く歯が立たないのだ。求められるのは、きめ細かでスピーディーな対策、そして人々の心に寄り添うコミュニケーション力である。
ところが、安倍首相はこれらがからっきし苦手だ。心に寄り添うコミュニケーションができない。英語では空気が読めないことをTone deaf(音痴)、Out of touch(音信不通)と表現するが、寄り添うどころか、逆に神経を逆なでする施策や言動に、国民はあきれ果てている。「なんでわかってくれないの」「これじゃない」。その悲鳴が連日、国中でこだましているように感じられる。
本当の「国難」に置き去りにされる国民は哀れ
日本の政治家なんてしょせん、その程度のもの。国民は、政治などに期待せずに、自らの責任を果たせ。そんな声もある。しかし、平常時ならともかく、この本当の「国難」に、置き去りにされる国民は哀れだ。
だから、筆者は安倍首相にこれまで下記のような点を何度もお願いしてきた。
〇 揺るぎのない強さとやさしさを持って、正面から国民に向き合ってほしい。
〇 原稿など読まずに、前を向いて、自分の言葉で話してほしい。
〇 迅速に決断をし、徹底した情報開示をしてほしい。
〇 国民の不安、恐怖、怒り、心配に自分ごとのように心の底から共感し、寄り添う姿勢を見せてほしい。
〇 間違いがあれば、素直に認めて、謝ってほしい。
〇 責任は自分にあることを明確に示してほしい。
〇 国民のために身をていして、この困難を乗り越えるべく粉骨砕身、取り組む姿を見せてほしい。
〇 具体的な展望を示し、未来に希望の灯をともしてほしい。
日本国民は危機を解決してくれる「ヒーロー」を求めている
世界のリーダーは上記のポイントをしっかり実行している。だから、彼らの言葉に多くの人が勇気づけられ、励まされ、涙を流す。そして「この人ならかじ取りを任せられる」と思えるのだ。だから支持率が上がる。
安倍首相やそのブレーンの中に、「メディアや国民が、こうした危機にわれわれをスケープゴートにして批判するのはおかしい」という気持ちが少しでもあるなら、日本はもうダメだ。
国民は、こんな時だからこそ、はせ参じるべき「御旗」や、危機を解決してくれる「ヒーロー」を必死に探している。その役目を果たせるかどうか。安倍首相は正念場を迎えている。  

 

●3月鉱工業生産、7年ぶり低水準=新型コロナ響く、基調判断を下方修正 4/30 
経済産業省が30日発表した3月の鉱工業生産指数速報値(2015年=100、季節調整済み)は前月比3.7%低下の95.8となった。2カ月連続で低下し、13年1月の94.8以来7年2カ月ぶりの低水準。新型コロナウイルス感染拡大に伴う工場停止で部品調達が滞った影響が大きかった。生産の基調判断を「一進一退ながら弱含んでいる」から「低下している」へ下方修正した。
下げ幅は4.0%低下した昨年10月以来5カ月ぶりの大きさ。業種別では全15業種のうち13業種が前月を下回った。自動車工業は5.1%減で、半導体製造装置など生産用機械工業は10.2%減。航空用ジェット燃料油などの石油・石炭製品工業も1.3%減った。一方、トイレットペーパーや紙おむつなどパルプ・紙・紙加工品工業は1.0%のプラスだった。
出荷は5.0%低下し、輸送機械工業(自動車工業を除く)以外の14業種で前月を下回った。在庫は1.9%の上昇だった。
生産予測は4月が1.4%上昇、5月は1.4%低下を見込む。ただ、4月上旬までの調査のため、緊急事態宣言後の全国的な外出自粛など直近の動きは反映されていない。経産省は「企業からは先が読めないとの声が多い。予測より下振れする可能性がある」とみている。 

 

●日本のアパレルの半数が消滅!?支離滅裂な政治 5/5 
本稿は2020年4月末日に書いた。この3〜4月に本連載で掲載されたものはすべて2月に書いたもので、まさかコロナがここまで猛威を振るい、日本人を恐怖のどん底に陥れるとは思いもしていなかった。
このままでは、アフターコロナの日本、特にアパレル業界は第二次世界大戦の大空襲の後のような焼け野原となるだろう。金融機関は、クライアントから預かった大事なお金を投資に回すことを止め、リスクマネーは産業界に流れていかない状況になっている。銀行は支払い猶予を伸ばす、あるいは、債権放棄を行うという話も舞い込んできている。このままでは、アパレル業界は、秋には産業崩壊を迎えてしまう。以下にその論拠を示そう。
産業破壊!日本アパレル企業の半数が秋までになくなる
誰もが将来に不安を抱く昨今、日銭を稼ぐリテーラーたちは止めどなく流出する現金を目の前にして、「会社がいつまで持つのか」を計算し始めている。
アパレル企業の原価率はおおよそ50%で、利益率は一ケタ台だ。となると販管費が推定できるわけだが、それらのほとんどは固定費である。
つまり、年商100億円の企業であれば、3~40億円程度の固定費がのしかかり、これを12で割れば月間3億円。これだけの金額が毎月失われていることになる。役人や政治家は「自宅に巣篭もりせよ、何か欲しければECで買え」などと、全く的はずれな発言をしているが、日本の衣料品のEC化率など10%にも満たないし、百貨店にいたっては5%以下だ。全体の売上を下支えすることはとてもできない。EC売上を差し引いても、年商100億円規模のアパレル企業は毎月2〜2.5億円程度の現金が減少しているのである。おそらくみなさんもたくさんのメールを受け取っているので気づいていると思うが、アパレル企業は今必死に在庫の「叩き売り」を行っている。中には、70〜80%オフというものまである。それでも、政府とメディアが国民を脅した結果、国民は「こんなときに着飾っている場合ではない」と考え、たとえ、二束三文の値段でも服など買う気になっていないのだ。日本のアパレル市場は約9兆円。その半分をトップ10が占めており、残りの50%に中小弱小企業含めて2万社ものアパレルが存在する。そして、それらのほとんどが日々の日銭でやりくりしており、私の感覚だと経済活動が再開されなければ、秋頃には半分の企業が持たないだろう。
こうした状況下、通販企業に神風が吹いていることは意外に知られていない。国民のほとんどは巣ごもり状態で、やることといえばNetflixやHuluなどで映画を見るか、それ以外は通販で買い物をするぐらいだからだ(「自宅フィットネス」「セルフカット」など新たな購買需要を伴う生活行動も当然でてきている)。それでも「日本中が大変だ。みなで手を合わせて乗り切ろう」というメッセージでなければ国民の共感は得られない。「実は、とても儲かっている」などとは、口が裂けてもいえないのである。
的外れで弱腰な政策は日本のお家芸
このように、年商100億円の企業でひと月に3億円。10億円の企業でも3000万円である。某県では3000万円の無利子融資を実施しているが、それさえ、ストレートにいわせてもられば「ケタが違う」のである。ましてや政府の行う「一律10万円支給」や「布マスクの配布」など、まさに冗談の世界だ。このままでは、コロナに殺される前に経済に殺される日が来るだろう。
日本の政策はいつも対応が遅く、玉虫色で強制力を発揮しない。海外を見れば、ドバイなどではクルマに二人で乗っていれば罰金をとられるというほど強烈に国民の動きを制御している。日本は、未だにパチンコ屋が空いており、未だに会社に通っている人もいる。なぜ、もっと強い強制力とペナルティをださないのか。
論理的に考えて、国民を全員強制隔離し、全く動かない状況をつくって、二週間経てば感染者と非感染者が明確になる。そして、感染者のみを対象に医療政策を行えば治まるだけの話だ。それを、不急不要の、とか、自粛を、など、いわゆる玉虫色の言葉を使い、ロックダウンを避けている結果がこのザマだ。ウイルスは見えないまま、夜遊びを繰り返す人、なんの責任感ももたずにパチンコ屋に集まる人などを伝ってどんどん感染し、また、彼らが街を闊歩することでさらに広がってゆく。
流通業界は、日本の総雇用の16%を占める重要産業である。このままでは、コロナに殺される前に政策に殺されるだろう。政府は海外のように強烈なペナルティを化す政策を速やかに実施し、国民を2−3週間、絶対に動かさないようにし、早急に経済活動を再開できるような政策をとるべきだろう。
現在の政策は、日本の中でたった10%しかないECでものを買えといっているわけだから、90%の人に対して「死になさい」と言っているのと同じだ。例えば、専門店と呼ばれる店舗には、例えば、専門店と呼ばれる店舗には、お店と自宅が同じ家屋にあるところ、自 転車で通勤できる店舗は山のようにある。政府は、「日本人は全員、半蔵門線に乗って通勤している」とでも思っているのだろうか?社数でいえば99.7%は中小、零細企業なのだ。従順な日本人を対象に、こんな大企業前提の政策を続けていては、笑うのはAmazonだけだ。同社は米国では人が足りないほど商売繁盛で、他産業から人員をレンタルしているほどだ。日本の血税は、全てAmazonなどの海外企業に流れるだろう。
このままでは、コロナに殺される前にアパレル業界は医療崩壊でなく、産業崩壊を起こすだろう。政府は至急、(見識のある)有識者を集め産業別の対応策を検討すべきである。私も、何度か呼ばれるが、表にでてくる人間はいつも同じで老人ばかりである。聞けば「彼らを前にださないといろいろあるのだ」という。私はやる気を失い、お手伝いを辞めたこともある。しかし、もう一度呼ばれれば、企業再建の裏側をみてきて、誰にも負けないノウハウと情報をもった私は協力を惜しまないつもりだ。 

EC(electronic commerce) / 電子商取引と訳され、インターネット上でモノやサービスを売買すること全般を指す。 「インターネット通販」「ネットショップ」といったごく普通に使われている言葉の総称。

 

●EC / ネット通販
大手EC&ネット通販売上高ランキング
ランキングの1位〜20位となるとEC売上高は1兆5,350億円〜630億円というレンジになります。
当然1位はアマゾンで、2018年12月期の売上高は138億2,900万ドル、日本円換算で前年比15%増となる、1兆5,350億1,900万円となっています。
2位はオフィス用品を法人取引(BtoB)展開するアスクルで、前年比6.8%増加の3,533億円で、3位も同じく法人取引(BtoB)となるミスミが、前年比18.3%増加の1,951億円というEC売上高になっています。
注目すべきは前年比26%増で846億円という売上高を誇る「モノタロウ」ですね。「モノタロウ」はCMでもおなじみの、工具などの工業用商品を事業者向けに通販している法人取引(BtoB)を中心としたECサイトです。
ちなみに経済産業省が発表したデータによると、昨年のBtoB-EC市場規模は344兆2,300億円で、前年比8.2%となっています。
消費者向け(BtoC)で注目なのは、前年比を大きく上回っているユニクロです。ユニクロのEコマースでも売上高は630億円を突破しており、前年比29.4%増加となっています。理由としてはアプリ会員の増加によって、リピーターが拡大したことや、業界では「BOPIS」や「BORIS」と呼ばれている、「店舗受取サービス」を利用者が増えたことが売上増加の理由です。店舗受取サービスはECサイトの注文の約1/3を締めていて、送料無料で購入ができることから、全国展開している実店舗を活かしたサービスが好評です。
ECサイトの売上高ランキング 2020/3
国内ECモール売上ランキングTOP3
モール型とは、多数の店舗が1つのサイトに集まり、ショッピングモールのような形態で販売を行う手法です。楽天やAmazonなどをイメージすると分かりやすいのではないでしょうか。豊富な種類の商品を取り扱うことから、ユーザーにとっても利便性が高く、「ネットショッピング=モール」を連想するケースも多いでしょう。
1位.楽天:3兆4,310億円
国内のモール型ECの1位は楽天(楽天市場)です。売上高は3兆4,310億円と、国内では圧倒的な数字をほこっています。モール型ならではの豊富な品揃えはもちろん、キャンペーンやポイント還元セールを頻繁に行うのも楽天の魅力。とくに楽天ポイントはユーザー人気が高く、ポイント目当てで楽天でショッピングをするというユーザーも少なくありません。楽天グループの他サービスとの連携にも優れており、多様なサービスを利用できるのも人気を集める秘密でしょう。
2位.Amazonジャパン:1兆5,280億円
モール型ECのランキング2位は、Amazonジャパン。売上高は1兆5,280億円と、こちらも1兆越えとなっています。通販と言えばAmazonを連想してしまうほどその知名度は抜群なものがあり、サイト内で多数の店舗が営業するのではなく、商品単位でサイトに表示されるのも特徴の1つ。いわゆるマーケットプレイス型と呼ばれるこの形態は、Amazonというブランド価値を高めると言う意味でも、大きな意味を持っています。
3位.Yahoo!ショッピング:7,314億円
国内3位は、Yahoo!ショッピング。売上高は7,314億円と、上位2社からはやや離されています。この状況に大きな変化が起きそうなのが、2019年のソフトバンクグループの動きです。まず、2019年9月に大手ファッションECのZOZOの買収を発表。さらに年末には、LINEとの経営統合を発表するなど、社会をアッと驚かせるニュースが立て続けに飛び込んでいます。Yahoo!ショッピングとしては、長く国内モール3番手の地位に甘んじている状況を脱却し、一気に国内ECの覇権を握りたい構え。今後売上高がどう推移していくのか、注目が集まるところです。
海外ECモールの状況は?
さて、補足として海外ECモール2社の売上高を見ておきましょう。まず、EC業界の絶対王者Amazon(アメリカ)。売上は25兆4,863億円と、驚くべき数字です。世界規模で拡大を続ける「巨人」の勢いは留まることを知りません。着実に存在感を高めているのが、中国のアリババでしょう。売上高は5兆6,250億円で、国内モールトップの楽天に大きな差をつけています。アリババグループは2019年以降も売上像を見込んでおり、Amazonにどこまで肉薄できるのかはEC関係者ならずとも気になるトピックスです。
国内大手ECサイト売上ランキングTOP5
1位.Amazonジャパン:1億5,280億円
第1位はAmazonジャパンで1億5,280億円。モール型でもご紹介したAmazonジャパンですが、マーケットプレイス型というビジネス形態から、単体のECサイトとして認識されることも少なくありません。サイト単位で1億超という数字は驚愕で、「Amazonここにあり」といったところでしょうか。
2位.ヨドバシカメラ:1,212億円
国内ECの売上第2位は、ヨドバシカメラで1,212億円。家電製品はECとの相性が良い商品として知られていますが、ヨドバシでも豊富な品揃えでその利点をしっかり活用し、大きな成功を収めています。
3位.ZOZO:1,184億円
3位に輝いたのがファッションECのZOZO。社会のトレンドとしてランクインすることも多いほど、その知名度は一気に高まりを見せ、国内トップクラスのECサイトへの成長を遂げました。国内3位にECサイトが買収されたと考えると、あらためてその衝撃度を実感できます。
4位.ビックカメラ:860億円
ヨドバシと同じく、家電業界からランクインしたのがビックカメラです。家電×ECの相性の良さはもちろんですが、ポイント還元や商品単価の高さも売上増の一因と考えられます。
5位.ユニクロ:630億円
第五位にランクインしたのがユニクロです。実店舗の存在感も抜きん出たものがありますが、近年はECでの売上も増加傾向。これは、実店舗とオンラインを絡めたオムニチャネル化が成功要因と言え、ユーザーに高い利便性を提供しています。同じファッション系でも、自社ブランドでシェアを拡大してきたという点はユニクロの強みと言えそうです。
まとめ
今回は、国内ECモールや大手サイトの売上高をランキング形式でご紹介しました。年々市場規模が拡大しているEC業界ですが、その影響を受けて国内ECの売上高も増加傾向にあります。モール型では1兆円越えが1つのポイントになっており、2019年以降はZOZOの買収を受けてYahoo!もここに食い込めるかが気になるところです。売上に繋がるECサイトの構築には、頼りになるカートサービスが必要不可欠です。PRECSのレンタルカートサービス「リピスト」、豊富な機能と高い利便性で自社サイトの売上アップに貢献します。
2019年 国内ECサイト売上高ランキング
国内における2019年1月1日に日本流通産業新聞で発表されたECサイト売上高ランキングです。
1位 アマゾン(日本事業) / 8,500億円 / 総合(ネット)
2位 アスクル / 3,533億円 / オフィス用品(BtoB)
3位 ミスミ / 1,951億円 / 金属部品(BtoB)
4位 ジャパネットたかた / 1,929億円 / 家電
5位 ジュピターショップチャンネル / 1,630億円 / 総合(テレビ)
6位 大塚商会 / 1,550億円 / オフィス用品(BtoB)
7位 ヨドバシカメラ / 1,140億円 / 家電(ネット)
8位 ディノス・セシール / 1,138億円 / 総合
9位 ディーエイチシ― / 1,082億円 / 化粧品・健康食品
10位 ベルーナ / 1,080億円 / 総合
ネットショップ改善策
1.画像中心にする
画像をメインにしてみましょう。バナー画像にすると、クリックするだけで、お買い物かごのある商品ページに飛べるので、購入率が上がりそうです。
2.商品画像を工夫する
商品画像を工夫しましょう。アパレルであれば、様々な角度から写真を撮るなど、お客様が商品を着たイメージができるような画像を用意しましょう。
3.ナビゲーションを工夫する
ナビゲーションを工夫しましょう。レフトナビなどのメニューはもちろん、カテゴリーなども分かりやすく、バナー画像を並べるのが、おすすめです。
4.レビューを載せる
商品のレビューを載せましょう。評価の低いレビューは、載せたくない!ということもあるかもしれませんが、お客様のためには、リアルなお客様の声を載せることが大事だと思います。
5.回遊性を上げる
回遊性を上げましょう。お客様が探索しやすい、ページ作りをしましょう。目的の商品以外にも、お客様が興味を持ってもらえるように、ページを作ることで、売上がアップします。  
 

 

●「要請」「指示」と「命令」「罰則」 
自粛要請の意味が分からなくて困惑
辞典によると「自粛」とは「自分から進んで、行いや態度を慎む」ことです。つまり「人からではなく、自らの意思で行動を慎む」と言うこになります。人に言われたから、周りがそうしているから、ではなく自分が主体的に「慎む」「辞める」という意志が大前提です。
次に「要請」とは必要であることが前提として「強く願い求める」ことです。要請は、人から強く求めるという意味です。
「自粛」と「要請」をつなぎあわせた「自粛要請」は「自ら進んで行動を慎む」ことに対して「他人に依頼」される、と言うことになり日本語特有の矛盾が見え隠れする曖昧な意味になってしまい結果「どうせぇっちゅうねん!?」標準語では「どうすればいいのですか?」ということになります。
「自粛要請」よりも「自粛」だけの方が
「自粛」を「要請」するよりも「自粛」だけの方がいいのではないでしょうか?新型コロナウイルス感染拡大を防ぐために「不要不急の外出の自粛を要請」します。「不要不急の外出を自分から進んで慎む」ことを「強く願い求めます」よりも 新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための方法は「不要不急の外出の自粛」です。「不要不急の外出を自分から進んで慎む」ことですの方が、意味としては強いものを感じるのは私だけでしょうか?!
以前「K1イベントを主催者が強行開催」と報道がありましたが自粛要請なら「強行」よりも「K1イベントの主催者は開催しないことを慎みませんでした」の方がしっくりくるのですが・・・・。
「要請」と「指示」とは
「要請」は「お願い」のワンランク強い意味で「強く願い求める」。「指示」は「要請」のワンランク強い意味で「〜しなさい」になります。ただ、この「緊急事態宣言」が発令された今でも「要請」や「指示」に反しても罰則はありません。
実際に安倍総理が一斉休校を「要請」したときは、法的根拠や罰則が無くても大半の学校が従っていたことを考えると法的根拠を持った「緊急事態宣言」下では、たとえ「要請」であっても「〜しなさい」の意味合いが強くなるように思えます。
「禁止」「強制」「命令」と「罰則」
では「禁止」「強制」「命令」という強制力を持って「罰則」をもうけることはできないのでしょうか。そうなると日本では、民主主義の定義が失われ人権を無視することになるので、できないのです。災害時でさえも「避難勧告」や「避難指示」はありますが日本には「避難命令」は存在しません。
つまり、日本では強制されることはないことと、罰則がないことを認識して「自分から進んで、行いや態度を慎む」ことしかない、と言うことです。うがった言い方をすれば「空気を読んで行動する」にもなりかねません。この曖昧さが混乱を招いているのも事実だと思います。そして、この曖昧さで混乱が大きくならないことを祈るだけです。  
 
 
 
 
 
 

 



2020/5
 
 
 

 

●日本政府は「テロに屈しない決意」を示せ 2013/1
アルジェリア東部で天然ガスの関連施設がイスラム武装勢力によって襲撃され、日本のプラント建設大手の「日揮」の日本人関係者を含む外国人が拘束された事件で、17日からアルジェリア軍が人質の救出作戦に乗り出しました。
情報が錯綜していますが、最新情報では、アルジェリア軍はこれまでに人質となっていた外国人132人のうち100人近くとアルジェリア人573人を解放したということです。
しかしなお、施設の一部には武装勢力が立てこもり、依然として日本人1人を含む7人が人質に取られているとも報じられています。
こうした事態に際し、安倍首相は18日未明、アルジェリアのセラル首相と電話会談し、アルジェリア政府による軍事作戦について、「人質の生命を危険にさらす行動を強く懸念しており、厳に控えていただきたい」として軍事作戦の即時中止を要請しました。
今回の邦人を含む人質事件は、新生安倍政権にとって初めての「有事」ですが、その対応は「タカ派」と呼ばれている安倍首相にして、従来の自民党政権と変わらず、国際的には顰蹙を買いかねない言動です。
安倍首相の人命尊重の立場については理解できますが、世界のリーダー国家・日本の宰相として、国際社会の平和・安全のために「テロの拡散を防ぐ」という視点が欠けていることは大きな問題です。
欧米では「テロに屈しない」「テロリストの要求は絶対に飲まない」「『人命優先』でテロの要求を飲めば、更なるテロ被害を誘発する」というのが常識であり、「テロの人質になったら、死ぬ覚悟を持て」と教育している国さえあります。
テロ行為は単なる「犯罪行為」ではなく、「戦争行為」です。日本はこうしたテロ行為に対して、国家として「善悪正邪の判断」を明確に示すべきです。
こうした単純な善悪正邪について、勇気を持って毅然たる判断ができないのであれば、中国や北朝鮮が侵略して来た際、安倍首相は果たして毅然たる正義の判断ができるのか疑問です。
国民やマスコミからの非難を怖れて、あいまいな言動をすることを「政治」と考える平和ボケの政治家達はもはや去るべきです。
1977年に発生した日本赤軍によるダッカ日航機ハイジャック事件において、当時の福田赳夫首相は「人命は地球より重い」として、犯人に譲歩。「超法規的措置」で過激派メンバーを釈放、多額の身代金を支払い、日本は欧米各国から猛烈な批判を受けました。
今回の安倍首相の対応は「古い自民党的思考」「戦後レジーム」「一国平和主義」から一歩も抜け出していません。
今回の日本政府のテロに対する弱腰姿勢を見て、世界のテロ組織が「日本人は脅せば屈する」と考えたならば、今後、さらなる日本人のテロ被害を招くばかりか、テロ組織を勢いづかせるだけです。
テロ行為が世界で横行する中、日本政府も、海外に赴く日本人も、国内の日本人も「侍の精神」を持って「テロに屈しない決意」と覚悟を持ち、日本は世界のリーダー国家として、世界に「正義の秩序」を打ち立てるべきです。 

 

●人命は地球より重いのか 2013/2
第2次安倍内閣発足以降、初の首相外遊となった1月の東南アジア諸国歴訪は、さまざまな意味で因縁めいたものであった。
安倍晋三首相の祖父、岸信介が首相として初の訪問先に選んだのも東南アジア諸国だった。その後訪米したのも同じだ。東南アジア外交の基本原則として「福田ドクトリン」を掲げた福田赳夫は、岸側近中の側近だった。岸派の分裂を受けて福田が設立した派閥「清和会」(現清和政策研究会)は首相の出身派閥だ。戦後日本の東南アジア外交を担ったのは清和会である、と言ったら乱暴だろうか。
「ご列席のみなさんは、わたくしの国が、この『福田ドクトリン』を忠実に信奉し、今日まできたことを誰よりもよくご存じです」
1月18日、首相はインドネシアで予定していた外交演説で、こう述べるはずだった。しかし、アルジェリア人質事件を受け、首相は急遽帰国し、「開かれた、海の恵み」と題された演説原稿は幻に終わってしまう。実は、このアルジェリアも“清和会外交”との因縁がある。
昭和52年9月、パリ発東京行き日航機をハイジャックした日本赤軍に対し、当時首相だった福田は「人命は地球より重い」と述べ、過激派服役囚を超法規的措置で釈放した上、身代金600万ドルを支払った。ダッカ日航機ハイジャック事件である。ハイジャック機は最終的にアルジェリアの空港に着陸し、犯行グループは投降した。
アルジェリア人質事件から1カ月以上が過ぎた今なお、アルジェリア政府への評価は分かれる。事件発生翌日に実施されたアルジェリア軍の作戦で死亡した人質は日本人10人を含む23人と伝えられている。
「このような人質の生命を危険にさらす行動を強く懸念しており、厳に控えていただきたい」
作戦開始直後、タイを訪問中だった安倍首相はセラル首相と電話会談し、厳しい口調で迫った。作戦では英国などの協力を断っており、アルジェリア軍単独での行動が犠牲者を増やしたという疑念は払拭できない。だからといって、アルジェリア政府がテロリストと妥協すればよかったわけでも勿論ない。「責任は事件を起こしたイスラム過激派にある」(キャメロン英首相)のだ。テロリストへの妥協はさらなるテロを生む可能性がある。
その意味で、福田の「人命」発言は、今なお日本人に重くのしかかる。後に大平正芳や中曽根康弘のブレーンを務めた政治学者、佐藤誠三郎は生前、講義の中で「へえ、人命は地球より重いんですか。そんなこと物理的にありえません。地球がつぶれてしまいます」と揶揄していた。当然のことながら、佐藤が問題にしたのは物理的な問題ではない。政治的な問題だ。「人命」発言は今、美談としてよりもむしろ、負の教訓として引用されることが多い。
だが、当の福田はあっさりしていた。晩年に執筆した回想録『回顧九十年』では、ハイジャック事件に関する記述はわずか2ページ半。超法規的措置を「万やむを得ざる処置」と述べ、「私がこの不愉快な事件で得た教訓は『最高の危機管理の方策の一つは、各国との不断の友好関係だ』ということである」と振り返っている。福田自身によって総括されなかった「人命」発言は、依然として我が国社会に浮遊しているようにも思える。
無論、内閣発足に当たり危機管理に全力を挙げるよう全閣僚に指示した首相にとって、テロリストへの妥協も超法規的措置も想像の埒外であろう。しかし、首相は1月17日にバンコクで行われた記者団との懇談で、なぜ「テロに屈しないと言わないのか」と問われ、「実行犯のグループがどういう目的を持ったかということについて、今ここで正確に申し上げることはできない。憶測に基づいて我々の方針は申し上げられない」と言葉を濁した。
首相が「テロリストには屈しない」と発言し始めたのはこの後だ。犠牲者とその遺族に思いをいたせば、人命が重いことは誰にも否定できない。だが、テロとの戦いを貫徹すれば、人命を失うこともある。首相の胸中に福田の「人命」発言はどう響いているのであろうか。 

 

●安倍首相「テロに屈しない」、イスラム国人質事件で関係閣僚会議 2015/1
中東から帰国した安倍晋三首相は21日夜、イスラム国とみられる過激派組織に日本人男性2人が拘束された事件をめぐり、官邸で関係閣僚会議を開いた。
安倍首相は、厳しい時間との闘いの中で政府として総力を挙げると表明するとともに「決してテロに屈することはない」と強調した。
イスラム国とみられる過激派組織は20日、2億ドルの身代金を支払わなければ拘束した日本人男性2人を殺害するとの警告ビデオをインターネット上に投稿。政府は日本時間の同日午後2時50分ごろに動画を確認した。犯行グループが72時間の期限を設定していることから、政府は23日の同時刻がタイムリミットとの認識を示している。
拘束されている2人は、いずれも昨年シリアで行方不明になっていた湯川遥菜さんと後藤健二さんで、政府は引き続き2人の早期解放を求めていく考えだ。安倍首相は会議後、記者団に対し「卑劣なテロとの戦いに万全を期す」と述べ、テロには屈しないとの姿勢をあらためて強調した。  
 

 

 
 

 

●コロナ禍の米国で政治の機能不全危機 4/17 
米国で迫る首都機能の停止? 対策が急務なのに集まれない議会
米国では、新型コロナウイルスの感染拡大が、首都ワシントンD.C.周辺でも目立ってきた。近隣のバージニア州、メリーランド州を加えた地域では、4月14日に死者の数が500人を超えている。ワシントンD.C.のバウザー市長は、ソーシャル・ディスタンスなどの対応が徹底されるという前提でも、感染のピークは5月末頃になるとの見通しを示している。
政治の中心であるワシントンD.C.周辺で感染拡大が深刻化すれば、今後の経済対策などを決める政治の機能が危うくなる。これまで米国は、矢継ぎ早に大型の経済対策を打ち出してきた。厳しい党派対立のなかでは異例といえるスピード感だが、これで十分というわけではない。
景気の悪化が長引けば、これまでの対策の延長や拡大は不可避だろう。まして、感染が落ち着いた後の経済復興まで見据えれば、政治が動かなければならない局面はしばらく続く。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大は、容赦なく政治の中枢に迫る。イースターの休会に入っていた米議会は、すでに4月20日に予定していた審議の再開を5月4日に延期している。必要があれば休会中でも議員をワシントンに呼び戻す構えだが、感染状況が深刻化しているなかでは、全ての議員が集まるのは現実的ではない。
こうした状況は、今後の対策の実施を難しくする。米議会の手続きでは、たとえ圧倒的な多数の議員が賛成していたとしても、たった1人の議員が異議を申したてただけで、全会一致とみなして形式的に審議を進めることはできなくなり、定足数を満たすために半数以上の議員がワシントンに戻らない限り、法律は可決できなくなる。実際に、3月27日に成立した各家庭への現金給付などを含む第三弾の対策(CARES法)では、1人の下院議員の要求によって、各地から必要最低限の議員がワシントンに駆けつける事態となった。
政治が機能不全に陥るリスクが現実味を増すなかで、議員が地元からオンラインで投票できる仕組みを模索する動きが加速している。ただ、憲法上の規定との整合性が確保し切れていないなど、実現へのハードルは残る。
経済状況に連動する議会不要の経済対策とは
こうしたなかで、一部の議員が提案しているのが、再び議員が集まらなくても、状況の進展に合わせて、経済対策の内容が自動的に調整される仕組みの導入である。一定の条件を満たした場合に、対策の延長などが実施される条項を埋め込んでしまい、これから状況が悪化した場合でも、議会による新たな立法を不要にしようというわけだ。
CARES法で決められた各家庭への現金給付であれば、非常事態宣言が一定期日以降まで解除されなかった場合や、失業率が一定水準以上に上昇した場合に、追加的な給付が実施されるように、予め規定する。
また、同じくCARES法で定められた一時的な失業保険給付の増額などについても、失業率の水準などを基準として、自動的に期間の延長などが実行されるよう定めておけば、立法時の想定以上に雇用環境の悪化が長引いた場合でも、議会が新たな立法措置を行う必要は生じない。
CARES法の目玉ともいえる、中小企業による雇用の維持を狙った仕組みに関しても、自動的な調整の仕組みが提案されている。CARES法では、中小企業が賃金の支払いなどに使える政府保証ローンを用意し、従業員の雇用維持を条件に、その返済を免除する仕組み(PPP)を導入している。
中小企業からの応募が殺到しているが、返済免除となる賃金は8週分に限られる。そのため、PPPを非常事態宣言が解除されてから一定期間後まで継続される仕組みとし、宣言が長期化した場合には融資の再申請を認める提案がある。
もともと財政には、景気の変動に自動的に反応し、好不況の波を小さくする仕組みが埋め込まれている。いわゆる「自動安定化」(ビルト・イン・スタビライザー)機能である。景気が悪くなれば、個人の所得や企業の収益が低下し、それに応じて税収が減少する。その一方で、失業保険給付や食費支援など、弱者向けのセーフティーネットの受給基準を満たす家計が増加し、それらに関する歳出が増加する。
いうまでもなく、景気が好調に転ずれば、これとは逆の現象が生ずる。こうした調整は、わざわざ議会などが法改正を行わなくても、景気の変動に応じて自動的に行われる。
財政を通じた景気減速への対応は、こうした自動安定化機能と、その時々の立法で決める景気対策などの裁量的政策の2本立てで行われる。先進国で比較すると、米国は自動安定化機能の比重が低く、裁量的な政策に頼る側面が強い。
2005年にOECDが発表した報告によれば、米国の自動安定化機能は、OECD加盟国のなかで韓国、日本に次いで弱かった。深刻な景気後退となったリーマンショック時の対応を振り返ると、裁量的政策による景気の押し上げが国内総生産(GDP)比で2%程度だったのに対し、自動安定化機能による効果は1%台前半だったといわれる。
かねてからの課題だった財政の自動安定化機能の強化
自動安定化機能の強化は、新型コロナウイルスの感染拡大が発生する前から、米国の課題として指摘されてきた。裁量的政策には、景気の変動に対応し切れない面がある。政治の対立が厳しければ、景気の変調に出遅れるリスクがある。また、景気の回復期には、財政再建を急ぐあまり、拙速に対策を打ち切ってしまいがちになる。
リーマンショックの際には、裁量的政策が急速に縮小したため、まだ雇用環境の回復が万全ではなかった2011年頃から、財政が景気の足かせになった。バラク・オバマ政権で経済諮問委員会の委員長を務めたハーバード大学のジェイソン・ファーマン教授によれば、景気の落ち込みが長期化するほど、裁量的政策の効き目に対する疑念が強くなり、結果的に対策の継続が難しくなったという。
自動安定化機能には、裁量的政策の欠点を補う特性がある。景気の変動に応じて自動的に発動されるため、タイミングや規模の調整が政治的な要因で妨害されにくい。同時に、景気が回復してきた局面では、自動的に対策の規模が縮小するため、適切な速度で財政再建を進める助けにもなる。拙速な打ち切りを抑止するだけでなく、財政赤字の高止まりを回避する役割が期待できるわけだ。
リーマンショック時の経験などから、ファーマン教授は自動安定化機能を強化する必要性を、かねてから指摘していた。近年でも、新型コロナウイルスの感染拡大に先立つ2019年に、ブルッキングス研究所が、自動安定化機能の強化を呼びかける報告書を発表している。
低所得者向けの医療保険に見る地方を支える必要性
米国には、自動安定化機能に気を配らなければならない固有の事情がある。州政府の財政によって、連邦財政による自動安定化機能が損なわれる傾向があることだ。
米国の場合、多くの州政府が州憲法で均衡財政を義務づけており、景気が悪化した場合でも財政赤字を拡大させにくい。むしろ、景気悪化による税収減に対応し、裁量的に歳出を削減してしまう傾向がある。
こうした州政府の傾向は、連邦財政による自動安定化機能の発揮を阻害する。たとえば、医療保険である。低所得者向けの公的医療保険であるメディケイドは、連邦政府と州政府が共同で運営している。景気が減速すれば、所得の低下に応じて加入資格を満たす国民は増えるが、財政負担を増やせない州政府が制度を変更すれば、新たな有資格者による利用は難しくなる。結果的に、メディケイドを通じた自動安定化機能は損なわれてしまう。
特に現在の景気の悪化は、新型コロナウイルスの感染が理由であるだけに、メディケイドの問題は深刻だ。医療費を介した家計の補助というだけでなく、被害の拡大を阻止するために、医療サービスの利用を妨げないという点で、失業者の医療保険への加入維持が重要だからである。
米国は国民皆保険制ではなく、現役世代は勤務先の企業を通じて民間の医療保険に加入する割合が高い。職を失った場合には無保険者となるリスクがあり、それを救うセーフティーネットの役割が、メディケイドには期待されている。
こうしたメディケイドの論点に対しても、自動安定化機能の発想を持った対応が考えられる。現在米国政府は、一連の新型コロナウイルス対策法のなかで、メディケイドにおける連邦政府の財政負担割合を一時的に引き上げている。そこで、今後の負担割合についても、非常事態宣言の長さなどに連動させ、自動的に高い水準が適用される期間を延長させる工夫があり得よう。
インフラ投資にも必要となる自動調整の視点
景気対策の典型ともいえるインフラ政策に関しても、自動安定化機能を考慮した対応が提案されている。米国の場合、インフラ投資は景気が悪いときに落ち込み、景気が良いときに増加する傾向がある。景気対策の典型と言われるわりには、むしろ景気循環による振れ幅を大きくしているわけだ。
その背景には、やはり連邦財政と地方財政の関連がある。米国のインフラ投資は、連邦政府の補助を受けて、州政府が主導となって実施する場合が多い。ところが、連邦政府の補助はガソリン税を財源としており、景気が減速してガソリンの利用が減ると、自動的に州政府への補助金が減ってしまう。これも自動安定化機能の結果だが、財政制約がある州政府は、景気の観点で最も必要とされているときに、インフラ投資を絞りがちになってしまう。
もちろん、裁量的政策として、連邦政府がインフラ投資に対する財政支援を増額することは可能である。リーマンショック時の景気対策でも、当時のオバマ政権はインフラ投資に多くの予算を割き、「すぐに始められる(ショベル・レディ)」工事を進めるとした。
問題は、オバマ大統領が後に振り返っているように、それほど多くの「ショベル・レディ」な案件が存在しなかったことだ。立案や現場の調整などを含めると、インフラ投資の実行には相応の時間がかかる。たとえ財源の問題が解決されたとしても、景気の変動にタイミングを合わせるのは難しい。
ブルッキングス研究所では、こうした問題を回避するために、インフラ投資にも自動安定化機能の視点を加えるべきだと提案する。具体的には、州政府が案件ごとに補助を申請する仕組みを増強し、常に早期に開始できるインフラ投資案件をリスト化しておく。そのうえで、こうした仕組みを通じて配布される補助金の総額を、景気の減速に応じて自動的に増額される仕組みとすれば、的確なタイミングでインフラ投資を支えられるようになるという。
共和党と民主党、 「コロナ後」にらみ交錯する思惑
自動安定化機能の強化には反論もある。政治家にとっては、毎年度の予算を審議すること自体が、権力の源泉である。特に、予算の編成を担当する委員会に所属する議員は、自動的に予算額が調整される仕組みの導入に否定的だ。
より大きな断層は、政府のあり方を巡る考え方の違いにある。自動安定化機能の強化は、セーフティーネットの強化と同じ文脈で語られやすい。米国でいえば、「大きな政府」を好む民主党には賛同者が多い一方で、「小さな政府」を志向する共和党は冷淡である。
新型コロナウイルスの感染拡大がもたらした未曽有の景気後退によって、米国は政策対応力の限界を試されている。第二波、第三波の感染拡大すら懸念される状況では、自動安定化機能の有用性は説得力を増していきそうだ。やがてくる「コロナ後」の世界において、政府の役割がどう変わっていくのか。自動安定化機能の強化は、その行方を左右する重要な論点となる。 

 

 
 

 

●新型コロナウイルス後の世界を予想 
現在生きている人たちにとって、新型コロナウイルス(COVID-19)は、いまだかつてない経験です。たしかに、私たちはSARS、MERS、エボラ、ジカ、HIVなど、他にも感染症の流行を見てきました。しかし、それらの感染症は、主に特定の集団や地域において限定的に発生しました。新型コロナウイルスは違います。たった数か月のうちに、コロナウイルスの脅威は世界中の全ての人たちに対して社会的、政治的および経済的に甚大な影響を及ぼしました。新型コロナウイルスと、世界全体に影響するような他の課題との違いは、もたらされる変化のスケールとスピードにあります。
グレタ・トゥーンベリのような環境活動家が気候変動について発言すれば、彼女の感動的なスピーチはソーシャルメディアで拡散されて、人々は彼女を称賛します。しかし、気候変動の影響は徐々にしか感じられないため、彼女の言葉はどうしても忘れられがちで、つい普段通りに毎日を過ごしてしまいます。一方で、都市がまるごと閉鎖され、国境が閉ざされ、何百万もの人たちが職を失い、知っている人がわずか数か月のうちにたくさん亡くなってしまうような状況は、人々の心に大きな打撃を与えます。
かつて、ロシアの革命家のウラジーミル・イリイチ・レーニンはこう言いました。「何十年もなにも起こらないことがあるが、数週間のうちに数十年分が起きることもある」。未来に投資する投資家としての私の仕事は、どのように社会が進化するのか、そして有意義な変化をもたらせるような起業機会がどこにあるのかをつきとめることです。最終的には、未来をどのように作っていくかは勇気ある創業者たちの行動次第です。私たちは大きな「波」がどこにあるのかを探しますが、実際に波に乗るのはサーファーである創業者たち自身です。
以上を踏まえた上で、日々状況が変化するパンデミックの最中ではありますが、新型コロナウイルス後の世界、つまり「ポスト・コロナ時代」に来る可能性のある波について考察するシリーズを、これから数週間にわたって書きたいと思います。
ポスト・コロナ時代の逆都市化
何世紀にもわたって、都市化は世界中でかなり一貫したトレンドとして進んできました。距離によって発生するコストを減らそうとした結果、人口密度は上がりました。同じ場所で生活し、働き、買い物をし、遊ぶことは、実用的かつ経済的だからです。
しかし、ここ数十年においては、テクノロジーの進化によって距離のコストは減少傾向にあります。リモートで働き、ネットで商品を注文し、ネットで医師の診察を受け、ネットでエンターテイメントを楽しむことができるなら、大都市に住むメリットは減ります。
どこに住むかを決めるときの基準として、もっともよくあげられるのが職場との距離です。ほとんどの仕事がリモートでできるなら、職場との距離はそこまで気になりません。しかし、毎日通勤しなければならない場合、職場の近さはかなり重要です。では、もし週に一回しか職場に行かなくて良いとしたら?それでもあなたは同じ場所に住み続けるでしょうか。
もしかしたら、今より遠くて、安くて、自然が多い場所に住むことを選ぶかもしれません。ほとんどのコミュニケーションはチャットやメールで済ませられますし、大事なディスカッションはビデオ会議で行えます。これまでのように「これをオンラインで行う必要はありますか?」とたずねるかわりに、「これを実際に会って行う必要はありますか?」とたずねるようになるかもしれません。
もちろん、インターネットを活用したこれらのソリューションは、何年も前から存在しています。それでも、大都市は変わらず魅力的に感じられ、ほとんどの人たちはストレスフルな通勤を続けています。なぜなら、社会システムに対する「ショック」でも起きない限り、古くからの習慣や社会的構造はゆっくりとしか変化しないからです。
新型コロナウイルスがまさにそのショックです。コロナウイルスの強制力によって、日々の生活をなんとか続けていくために、何十億もの人たちがテクノロジーを使うことを余儀なくされています。こうしたテクノロジーを使うことは、もはやオプションではなく必須です。数週間前の記事で書きましたが、新型コロナウイルスはリモートワークを主流にするきっかけになるかもしれません。もしそうなった場合、人々の住む場所の決め方にも大きく影響し、今後10年に及ぶ逆都市化トレンドの引き金になるかもしれません。
逆都市化によって、現在使われているインターネット・サービスの多くが活性化するでしょう。それだけではなく、新たな分野でのテクノロジーの開発や法整備も加速するでしょう。遠隔医療に対する法的ハードルが下げられるかもしれませんし、バーチャル・リアリティもやっと誇大広告から実用化へと進むかもしれません。
新型コロナウイルスは、これまでの習慣や社会常識を根本から見直すことを私たちに迫っています。これはただのショックではなく、まるで壮大な規模の実験です。この困難な時期を乗り越えれば、私たちは新しい考え方や生き方を実現できるかもしれません。そして、逆都市化はその結果の1つかもしれません。
コロナウイルスによって世界は閉ざされるか、開かれるか 
世界はいま複雑に繋がり、影響し合っています。新型コロナウイルスが唐突なかたちで教えてくれたように、武漢で起きたことはたった数か月で世界中の人々に影響を与える可能性があります。その原因は、第二次世界大戦後にはじまり、冷戦終結後の90年代に加速したグローバル化です。
多くの点で、グローバル化はポジティブな推進力として働いてきました。グローバル時代が到来して以来、何十億もの人々が極度の貧困から救われ、世界中がより裕福になりました。また、グローバル規模の貿易や政治的な同盟によって、以前と比べて国と国の間の依存関係が深まり、お互いに大きな紛争を回避するようになりました。経済も各国間で極めて密接に連動するようになり、コスト面において戦争はリスクが高すぎるものになりました。このような相互依存が、世界平和に最も貢献している要因であると言えるでしょう。
しかし、新型コロナウイルスによって、多くの国境は完全に閉ざされました。日本では、世界のおよそ3分の1に相当する73か国からの入国を拒否しています。このような極端な措置は一時的なものではありますが、今後起こり得ることの象徴として見ることもできます。新型コロナウイルス後の世界では、私たちはグローバル化についてどう考えるようになるでしょうか?輸入が世界的な出来事にどれほど影響を受けるのかを見た後、サプライチェーンについてどう考えるようになるでしょうか?中国の一都市からはじまったウイルスが、世界中に急速に広がるのを見て、国境の管理についてどう考えるようになるでしょうか?
ベルリンの壁の崩壊やリーマンショックがそうであったように、このパンデミックは社会システムに対する「ショック」であり、広範囲にわたり影響を及ぼす可能性があります。問題は、この新型コロナウイルスによって世界が閉鎖的で保護主義的な方向へ進むのか、それとも以前に増してオープンで協力的になるのかということです。
グローバル化のおかげで、企業は製造を世界各国へ委託できるようになり、商品を世界中から調達できるようになりました。そして、必要なときに必要なだけの製品を、より低価格で提供できるようになりました。このようなシステムは世界が安定しているときには上手く機能しますが、新型コロナウイルスの件でわかったように、余剰のないシステムは非常時においてリスクをもたらします。
現在の危機的状況から回復する段階になったとき、グローバル化に対する人々の見方が変わる可能性があります。企業は、支出が多くなるとしても、より強靭かつ国内のウェイトが大きいサプライチェーンを選ぶようになるかもしれません。もしかしたら政府さえも介入し、重要であると判断した産業に対して国内のバックアップ・プランや備蓄を作るように命令するかもしれません。利益は犠牲になるかもしれませんが、安定感が得られるでしょう。
このようなトレンドによって、国内の製造およびサプライチェーンのインフラに関連するテクノロジーが大きく発展する可能性があります。サプライチェーンを国内へシフトするために企業が奔走し、対費用効果の高い方法を探す中で、ロボット、オートメーション、3Dプリンティングなどが今よりはるかに多くの企業に採用されるようになるかもしれません。これまで変化を拒んできたようなレガシー業界も、デジタル・トランスフォーメーションの波に乗るほかなくなるかもしれません。リーマンショックの後、新しい規制により銀行は今までより多くの資本バッファーを備えておくことを求められるようになりましたが、今後は医薬品や医療機器、主食となる作物を供給する企業も似たような規制の対象になるかもしれません。そして、危機的状況に備えて重要な物資を備蓄するための、革新的な保管システムの需要が高まる可能性があります。
また、国境管理の強化を求める声も高まるかもしれません。9・11テロの後、世界の焦点はテロリズムとの戦いでした。新型コロナウイルスの後は、おそらく危険な病原体との戦いが焦点になるでしょう。空港で広く導入されている発熱検査はそのまま残るでしょうし、ここ最近の飛行機や空港での厳格な消毒作業も引き続き行われる可能性が高いです。乗客全員にヘッドホンが配られているように、今後は全員にマスクが配られるようになるかもしれません。コロナウイルスから社会が回復する中、より強固な検知システムや封じ込めシステムに対する需要がいまだかつてないほど高まるでしょう。
一方で、もう1つの考え方として、新型コロナウイルスを私たちの共通の敵として見ることもできます。民族や国籍に関係なく人々を襲うコロナウイルスを経験することで、私たちは自分たちが人類という1つの集団であることを認識しました。そして、病原体、テクノロジー、気候変動などのシステミック・リスクの多くは、全人類に影響を及ぼすということを学びました。もしかしたら、私たちが早い段階でもっと協力して動くことができていれば、コロナウイルスの脅威をずっと早く封じ込めることができたかもしれません。
もし世界中で規制、検知システム、情報やコンティンジェンシー・プランを共有することができていれば、失われた命や経済的ダメージも今より少なくて済んだはずです。ある意味、新型コロナウイルスは私たち人類に対して、ともに助け合い、より効率的に協力し合えるようなイノベーションを探すようにと、警鐘を鳴らしているのかもしれません。
21世紀における危機は、その広がりだけでなく、影響においてもグローバルです。詩人のジョン・ダンが言ったように、「人は孤島のようには生きられない」のです。例え地理的に海に囲まれていたとしても、国だって同じです。共通の敵を通して、私たちはコンティンジェンシー・プランの重要性を再認識できたかもしれませんが、それに留まらず、ともに協力してグローバル危機に立ち向かうことは、お互いの主義主張などよりも大事であるということを学べたのではないかと、私は期待しています。
ついにオンライン化する教育 
新型コロナウイルスのパンデミックにより、世界では85%以上の国々が全てもしくは一部の学校を対象とした休校措置を迫られ、16億人以上の学生や子どもたちが学校へ通えなくなっています(2020年4月10日時点)。その結果、教育現場では実験的な取り組みを巨大なスケールで行わざるを得ない状況になり、EdTech(エドテック)業界にとっていまだかつてないほどの追い風となっています。
これまで、教育分野におけるテクノロジーの浸透は嘆かわしいほど遅く、もはや滑稽なくらいでした。行政機構や前例主義、予算不足が妨げとなり、教育業界はカタツムリのような速さでしか進展してきませんでした。このような状況のため、販売サイクルが耐えがたいほど長く、ベンチャーキャピタリストたちからは投資の難しい分野として認識されていました。たとえ様々な複雑な問題を乗り越えられたとしても、その年度のIT関連予算の申請が通らなければ、多くの場合、次は1年後まで待たなければなりません。つまり、優れた製品を作ることよりも、それを売り込み、ビジネスとして展開することの方がよほど難しい状況だったのです。
しかし、新型コロナウイルスによってこれらの障壁の多くが取り除かれ、本来なら何年もかかるはずだったテクノロジーの導入がほんの数週間で押し進められるようになりました。これまでの記事ではコロナウイルスによってもたらされる「変化」に注目しましたが、教育の場合、変化というよりは「加速化」の方が顕著です。オンライン教育ツールは何年も前からありますし、デジタル化が進むのは必然の流れでしたが、今回の危機によってそれに立ちはだかっていた障壁がいくつも打ち破られることとなりました。教育分野で働く人たちも、他に選択肢がないので、様々な新しいテクノロジーを試しています。流れを止められなくなった今、教育分野においてもテクノロジーによる変化が受け入れられていくのではないでしょうか。
起業家たちにとって今回の追い風は、日本の教育システムに向けた有意義で新しいビジネスを立ち上げ、大きく展開するチャンスです。実際にどのような起業機会が期待できるかというと、興味深い例として中国があげられます。中国には2億5000万人の子どもがおり、インターネットの普及率は60%以上です。子どもたちは毎日、合計で2億8000万時間近くを画面の前で過ごしますが、そのうち45%または1億2000万時間近くを学習のために使っています。テクノロジーの導入が加速的に進むに伴い、投資額も増えました。HolonIQの報告によると、2014〜2018年の中国のEdTech企業への投資額は、米国・EU・インドを合わせた額の1.5倍以上でした。ちなみに、日本の投資額は比較する必要もないほど小さいと推測されます。
新型コロナウイルス後の日本の教育は、中国のそれに近づき、 たとえばオンライン授業にログインすることが増える一方で、鉛筆で解答を書き込むことが減るようになるかもしれません。そして教育分野のデジタル・トランスフォメーションによって、より多くの生徒がより多くの教育へアクセスできるようになり、もっと個人に合わせた教育が可能になり、教師と生徒の間のフィードバック・ループも今までよりスピーディーになるでしょう。現在、日本で最も注目されているスタートアップはおそらくAtama+ですが、なにしろ規模が大きく重要な業界ですから、他のスタートアップもこれから浮上してくるでしょう。そして、今回の不運な事態によって変化が加速したことで、私を含めて多くのベンチャーキャピタリストたちが投資に前向きになる可能性が高いです。