北方四島は返しません

前のめり
足元見透かされた 安倍総理

プーチンさん  大変仲の良いお友達のようです
二島へ 日本人移民を受け入れます
いっぱい経済支援をしてください
 


北方領土問題
 
 
 

 

安倍総理 
お任せください 一国の外交 一人で左右 
外務省 蚊帳の外
 
 
 2018/12

 

プーチン氏「日本の決定権に疑問」 北方領土と米軍基地 12/21
ロシアのプーチン大統領は20日に開いた年末恒例の記者会見で、ロシアが北方領土を日本に返した場合に米軍基地が置かれる可能性について、「日本の決定権に疑問がある」と述べた。安倍晋三首相はプーチン氏に北方領土には米軍基地を置かない方針を伝えているが、プーチン氏は実効性に疑問を呈した形だ。
北方領土交渉と日米安保条約に関する共同通信記者の質問に答えた。
プーチン氏は、米軍基地問題について「日本が決められるのか、日本がこの問題でどの程度主権を持っているのか分からない」と指摘。「平和条約の締結後に何が起こるのか。この質問への答えがないと、最終的な解決を受け入れることは難しい」とし、北方領土に米軍基地が置かれる可能性を含め、日米安保体制がもたらすロシアの懸念が拭えていないとの認識を示した。
日本の決定権を疑う例として沖縄の米軍基地問題を挙げ、「知事が基地拡大に反対しているが、何もできない。人々が撤去を求めているのに、基地は強化される。みなが反対しているのに計画が進んでいる」と話した。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設をめぐる問題を指した発言だ。
菅長官「粘り強く交渉」 プーチン氏の米軍懸念発言受け 12/21
菅義偉官房長官は21日午前の記者会見で、ロシアのプーチン大統領が北方領土を日本に返還した場合に米軍基地が設置される可能性に懸念を示したことについて「ロシア側のメディアを通じた発言の一つ一つにコメントすることは控える」とした上で「政府としては領土問題を解決し平和条約を締結する基本方針の下、引き続き粘り強く交渉してきたい」との認識を重ねて示した。
今後の交渉に向けては「わが国の交渉方針や考え方について交渉の場以外で発言することは交渉に悪影響を与える恐れがあるので差し控えたい」と述べるにとどめた。
父の遺志引き継ぐ安倍首相、北方領土解決へ正念場−政権レガシーに 12/21
安倍晋三首相は1991年4月、旧ソ連の最高指導者として初来日したゴルバチョフ大統領と会談した父の晋太郎元外相に付き添った。平和条約締結を生涯の仕事と見定め、日ソ外交に奔走した父はがんに侵されており、翌5月に生涯を閉じた。
それから四半世紀。日本の首相となった晋三氏は、2021年までの任期中にロシアとの北方領土問題を解決しようと躍起になっている。日本政府は国後、択捉、歯舞、色丹の4島返還を求めてきたが、交渉は難航。9月の自民党総裁選で「戦後外交の総決算」を掲げ、3選を果たした安倍首相は歯舞、色丹の2島先行返還も視野にロシア側との一致点を探っている。
安倍首相とプーチン大統領は24回の首脳会談を重ねてきた。来年は1月に安倍首相がロシアを訪問、6月には日本で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会合に合わせ、プーチン大統領が来日する予定で、それらの機会に開く首脳会談で平和条約締結交渉について議論する見通しだ。
日ロ関係の専門家であるテンプル大学日本校のジェームズ・ブラウン氏は、「ロシアの立場に変化はない。変わったのは日本だ」と指摘。安倍首相の姿勢について「父親が終生取り組んだ仕事を完結させるとともに、未処理となったままの戦後外交の懸案の一つを最終的に解決した日本の指導者として自身のレガシー(政治的功績)の総仕上げにする決意だ」との見方を示した。
日本にとってロシアへの接近は外交上、中国や北朝鮮へのけん制になる。ロシアとしても日本と関係を深めれば国際社会での孤立を緩和できる。日本に引き渡した後も日米安全保障条約の適用外にできればなおさらだ。共同通信によると、自民党の萩生田光一幹事長代行は19日の講演で、歯舞群島と色丹島の2島先行返還が中国の覇権主義的な動きへのけん制につながるとの認識を示した。
プーチン大統領は20日の年末記者会見で、日米安保体制での懸念が解決されなければ北方領土問題で「大きな決断」はできないと述べた。
首脳会談
11月にシンガポールで行った首脳会談では、1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約交渉を加速することで合意。同宣言は条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すことが明記されたが、旧ソ連は60年の日米安保条約改定を受け、態度を硬化。その後、交渉はロシアが継承したが、歯舞、色丹の返還も実現していない。
56年宣言を基礎に対ロ交渉を加速するとの方針は日本国内では、ロシアによる国後、択捉両島の領有権を事実上認める大きな方針転換とも受け止められ、安倍首相への反発も出ている。
民主党政権で副総理や外相を務めた岡田克也氏は12月、自身のブログでシンガポールでの日ロ首脳合意は「日本の交渉の立場を弱くする不必要かつ重大な譲歩」と批判。立憲民主党の枝野幸男代表は11月29日の記者会見で、「4島とも歴史的にも法的にもわが国固有の領土であるということは明確である。この線だけは絶対に譲ってはいけない」とけん制した
共同通信が15、16両日に実施した世論調査によると、「2島を先行して返還させ、残りの2島は引き続き協議する」が53.2%と半数以上を占め、「4島すべてを一括返還させる」の28.6%を大幅に上回った。「2島だけの返還でよい」は7.3%だった。自民、公明両党は衆参両院で過半数を占め、野党が反対しても条約の批准は可能だ。
安倍首相は18日、北方領土の元島民らと会い、北方領土交渉について、「問題に終止符を打つために政府を挙げて交渉を進めていきたい」と語った。北海道根室市の石垣雅敏市長は面会後、「ここが好機と安倍首相が捉えた時の判断は、われわれ近接地域はどんな判断でも受け入れる」と述べた。
支持率
プーチン大統領にもリスクがある。14年のクリミア半島併合後に過去最高に達した支持率は低下傾向にあり、最近では年金支給開始年齢の引き上げを巡って批判を浴びた。ロシアで先月に行われた世論調査で日本に島を引き渡すことに賛成する人はわずか17%だった。
ロシア下院の共産党の一部議員らは今週、ロシアの「領土保全は交渉のテーマとすべきではない」と主張し、プーチン大統領と安倍首相の会談の詳細開示を要求した。軍の強硬派も動いており、国防省は今週、国後、択捉の新しい兵士用宿舎建設を発表し、日本政府の神経を逆なでする行動に出た。
モスクワ国際関係大学の日本専門家、アレクサンドル・ルーキン氏はこうした世論の動向は大きな障害にはならないだろうと予想する。ロシアでは「領土問題に関していかなる譲歩にも反対するナショナリストが現れるだろうが、大統領は尊敬される指導者としてこの問題を対処できる」と述べ、「一部の辺境の地は諦めてでも日本とは良好な関係を築く価値があることを人々はおおむね理解するだろう」と語った。
父のライフワーク
安倍首相は16年12月、地元の山口県長門市でプーチン大統領を招いた首脳会談を前に、晋太郎氏の墓を訪れた。
外務省によると、その後に行ったタス通信とのインタビューで、安倍首相は旧ソ連との平和条約締結は父親のライフワークだったと指摘。自らも同席した91年のゴルバチョフ氏との会談について「ちょうどその一カ月後に父は他界した。まさに命を削っても日ソのこの課題を解決させたいという執念を見ることができた」と振り返り、「その時私も政治の道に進もう、父の志を受け継ごうという決意をした」と語った。
ロシアの元外務次官で、駐日大使も務めたアレクサンドル・パノフ氏は平和条約締結は安倍首相の在任中に実現しなければ未来永劫(えいごう)できないだろうとの見方を示す。「ロシアと日本は平和条約に一段と近づいている」と述べ、「いまは歴史的な瞬間だ。このチャンスを逃してはならない」と語った。
一方、日ロ問題について安倍首相と意見を交わしている鈴木宗男元衆院議員は、来年6月のプーチン大統領訪日に合わせて「平和条約に署名するくらいの思いでやってほしい」と期待感を示した上で、今後の交渉は「スピード感を持って前進していく」との見通しを示した。  
 
 
 2018/11

 

どうなる北方領土… 11/19
首脳会談で北方領土返還交渉は新段階に
安倍首相は11月14日、外遊先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談した。プーチン大統領が今年9月に突如「前提条件なしの年内の平和条約締結」を提案して以来、初めての日露首脳会談だった。
日本政府は、「ちゃぶ台返し」とも言われたこのプーチン大統領の発言を「平和条約締結への意欲」と前向きに受け止め、交渉を一気に進展させる大きなチャンスと捉え、注目の首脳会談に臨んだ。
そして、この席で両首脳は、1956年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることで一致し、北方四島返還を巡る日露の交渉は新たな段階に入った。会談後、安倍首相は次のように述べた。
「領土問題を解決して平和条約を締結する。戦後70年以上残されてきた課題を、次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で、必ずや終止符を打つという強い意志を大統領と完全に共有した。そして、1956年共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させることでプーチン大統領と合意した」
この領土問題解決への決意を示した安倍首相の発言から、日露首脳会談の真意、今後の交渉の展開を展望していく。
安倍首相に残された時間は長いのか短いのか
まずとりあげたいのは、安倍首相が「私とプーチン大統領の手で必ずや終止符を打つ」と自身の任期中に領土問題を解決することを宣言した部分だ。安倍首相の総理大臣としての任期は、最長で自民党総裁の任期が切れる2021年9月までで、任期中に平和条約を締結するための時間は3年弱だ。この時間をどう見るか。
内容によっても異なるが、一つの外交条約を締結するには、条文の詳細な調整など、協議に年単位の時間を要するのが実情だ。
安倍首相はなんとしてでも自分の任期中に領土問題に決着をつけたい考えだが、3年弱という一見長そうに見える期間は、決して余裕のあるものではないのだ。そのため、交渉の加速は待ったなしという時間的制約が、交渉を加速させたい安倍首相の思いにつながっているとみられる。
日ソ共同宣言を「基礎として」の持つ意味
続いて、政府関係者も「最も重要なポイント」と語る、「1956年(日ソ)共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させる」という部分について考える。その日ソ共同宣言の条文の北方領土に関する最重要部分が次のくだりだ。
「日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」(日ソ共同宣言より)
このように日ソ共同宣言には、平和条約締結後の歯舞群島、色丹島の2島の引き渡しが明記されており、これを「基礎」とするという部分には、まずとにかくこの2島の返還を確実にしたいという日本政府の方針が見て取れる。
これまで政府は「4島の帰属の問題を解決し平和条約を締結する」ことを基本方針に掲げてきたため、4島返還に応じる気のないロシア側との協議は進展せず、日ソ共同宣言の内容に基づいた交渉も当然進んで来なかった。
そこで政府としては、このまま4島一括での返還を前提にすると2島の返還もおぼつかなくなるため、今回の首脳会談で、最初からの「4島一括返還」こだわらず、2島の返還を「基礎」として4島返還に近づけていくアプローチに転換した形だ。
「4島一括でなくてもいい」…今後の「2島+α」日露交渉の行方
では今後、日露交渉はどういう展開をたどるのだろうか。ある政府関係者は次のように語った。
「4島は一括して返ってこなくてもいい。最初に2島を返してもらい、残りの2島は後でとか、いろんなバリエーションがある。そういう意味で我々は4島にこだわる」
つまり、2島を得なければ4島を得ることはないという考えで、歯舞・色丹の返還を実現し、残り2島については、返還を理想としつつも、ぎりぎりの交渉の中で様々な成果を得る可能性を探る「2島先行返還+α」も含んだ方針に踏み切ったことを示唆している。
では、国後、択捉の2島の扱いについては、どのような可能性が考えられるのか。歯舞・色丹の2島の返還を実現した上で、国後・択捉については継続協議に持ち込むというのもひとつの選択肢とされる。そしてもう1つカギとなるのは、現在交渉中の、北方領土での共同経済活動だ。
国後・択捉のカギとなる?日露共同経済活動
振り返ると、北方領土をめぐる“安倍×プーチン交渉”が大きな転換点を迎えたのは、2016年12月、安倍首相の地元である山口県長門市で首脳会談が行われた時だ。安倍首相はプーチン大統領に「新たなアプローチ」を提案し、両国による北方四島での共同経済活動実施に向けた協議を行うことで合意した。
共同経済活動を通じた信頼構築により、領土交渉の進展につなげたい狙いがあったのだ。しかし、その協議は、日本側が北方4島で活動する環境としての「ロシアの法律によらない特別な制度」の内容などをめぐり難航し、思うように進んでこなかった。
そうした中で、今回、歯舞・色丹が返還された上での国後・択捉の位置づけとして、共同経済活動の実施などを通じて、将来の返還への空気が醸成されればベストだし、せめて「往来の自由」や「経済活動での特別な立場」を勝ち取り、返還に準じるような成果が得られればよしとすべきだとの声も聞こえている。
このため、共同経済活動をめぐる協議の行方は今後、領土交渉と並行しながら、密接にリンクしてくる可能性がある。
2島返還さえ楽観できず…冷水浴びせたプーチン発言
しかし、歯舞・色丹の2島返還に関してさえ、決して楽観できる状況ではない。政府関係者は次のようにも語っている。
「2島だけの返還だと、日本国内の世論が持つかどうかということもある。それも全部首脳同士の交渉次第。最初の2島も返ってくるという確約もない」
そう、私たちは「日ソ共同宣言を基礎に」という言葉で最低2島は返還されるだろうという見方をしてしまいがちだが、ロシア側の立場で見れば、島を返す場合は最大でも2島だけという意味だとの見方もできるのかもしれない。実際にプーチン大統領は日本時間の15日の記者会見で次のように語った。
「日ソ共同宣言には、どのような根拠に基づいてこれらの島(歯舞、色丹)が引き渡されるのか、どの主権下にこれらの島が置かれるのか、どのような根拠に基づいてそれが履行されるのか述べられていない。これは本格的な検討を要する」
つまり「引き渡し」と「主権」の問題は別で、仮に2島を日本に引き渡した場合でも、2島の主権をどちらの国が持つかは引き続き交渉の対象となり、主権をロシアに残す可能性さえも示唆したとも言える。この発言の背景には「領土を引き渡すべきではない」というロシア国内の世論もあるのかもしれないが、日本側に冷水を浴びせた形だ。
日露の認識の差…「矛盾しない」安倍首相の説明
このプーチン大統領の発言について菅官房長官は16日の会見で「歯舞諸島及び色丹島が返還されることになれば、当然それらに対する日本の主権も確認されることになる」と反論した。日本への引き渡し=日本の主権は当然という考えだ。
プーチン大統領、菅官房長官双方の発言一つをとっても領土を“引き渡す側”と“引き渡される側”双方の認識の違いが改めて浮き彫りになった。
日露首脳会談から2日後の16日、安倍首相は記者会見で、「日ソ共同宣言を基礎とする」とした首脳会談での合意が、「4島の帰属の問題を解決した後に平和条約を締結する」という日本政府の立場と一致していないのではと問われ、次のように説明した。
「領土問題を解決して平和条約を締結するのがわが国の一貫した立場で、この点に変更はない。平和条約交渉の対象は4島の帰属の問題であるとの立場だ。1956年宣言を基礎として平和条約交渉を加速させるとの合意は、領土問題を解決して平和条約交渉を締結する従来の方針と何ら矛盾するものではない。私とプーチン大統領との間で双方に受け入れ可能な解決策に至りたいと考えている」
また、先ほどの主権の扱いをめぐるプーチン大統領の発言については、「一つ一つのやり取りにコメントすることは差し控えたい」とかわした。
年明けには安倍首相のロシア訪問、来年6月にはプーチン大統領の訪日が予定されているなど、領土交渉が佳境を迎える中、安倍首相は歯舞・色丹2島の返還を実現できるのか、さらに国後島と択捉島についても成果を得られるのか、それとも返還を断念するのか。
「戦後外交の総決算」と位置付けられた日露の平和条約交渉で国民も納得できる結果を得るべく、安倍首相の外交手腕が問われている。 
日露首脳会談で自民「話し合いの糸口で進展」、立民は「疑問点ある」 11/18
自民党の田村憲久政調会長代理は18日のNHK番組で、1956(昭和31)年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約交渉を加速させるという日露首脳会談の合意について「4島すべてを取り戻すのが日本の方針であることに間違いない」と指摘した上で「まずは話し合いの糸口で一定の進展を見た」と評価した。
公明党の石田祝稔政調会長も「(領土交渉の)膠着(こうちゃく)状態を脱するという安倍晋三首相の決意を高く評価したい」と述べた。
立憲民主党の長妻昭政調会長は、日ソ共同宣言は歯舞(はぼまい)群島と色丹(しこたん)島の2島引き渡しを明記していることから「2島を上限とする交渉の時代に入ったのか。国後島と択捉島はロシアの領土になるのか。いろいろ疑問点はある」と述べ、首相の説明を求めた。
国民民主党の泉健太政調会長は「首相の努力には敬意を表する。2島先行(返還)も現実的に考えていかなければならない」と述べた。ただ、首相が来年6月の20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせて大筋合意を目指す意向を固めていることに対して「参院選前までに成果を出す、ということでは大きな間違いを起こしかねない」と指摘した。
共産党の笠井亮政策委員長は「2島返還での平和条約締結はあってはならない。国境線が画定され、それ以上の領土交渉の道が閉ざされる」とくぎを刺した。日本維新の会の浅田均政調会長は「現実的に交渉を進める糸口を見つけた。評価したい」と語った。 
新たに3度の射撃訓練通告 北方領土でロシア 活発な活動が鮮明化 10/17
ロシアが日本に対し、北方領土周辺の領海などで新たに3度の射撃訓練を行うと通告したことが17日、分かった。ロシアは9月の大規模演習について、日本の提案に基づき北方領土を演習地から外したと説明した直後、訓練を相次ぎ通告。不法占拠する北方四島の領有権を強調し、継続的な軍事行動を明確にしている。
政府関係者によると、ロシアは16日、軍事演習を択捉(えとろふ)島の周辺海域などで新たに行うと通告。17〜20日、21〜27日、28〜31日の3度にわたり射撃訓練を実施するとした。日本は外交ルートで抗議。北方領土での演習はロシア軍の軍備強化につながるとし、「北方四島に関するわが国の立場と相いれない」と伝えた。
北方領土をめぐっては8日、モスクワを訪れた防衛省の河野克俊統合幕僚長に対し、ロシアのショイグ国防相が、9月の大規模演習「ボストーク(東方)2018」で北方領土を演習地に含めなかったと説明。日本の要請に配慮したとすれば異例で、河野統幕長は高く評価する意向を示した。
ただ、ロシアは8日、択捉島の周辺海域などで10日から射撃訓練を行うと日本に伝えてきたほか、11日にも国後(くなしり)島で14日からミサイル射撃を行うと通告。ロシアは択捉、国後両島にミサイルを配備するなど軍備強化を進めているとされる。
菅義偉官房長官は15日の記者会見で、北方領土周辺の動向を注視していると強調し「根本的解決のため、北方領土問題それ自体の解決が必要。粘り強く交渉していきたい」と述べた。
一方、ロシア外務省は10日、「自国領土で自由な活動ができ、防衛力を高める権利を持っている。抗議は断固として退ける」と声明を発表。訓練は隣国が対象ではないと主張し、「南クリール諸島(北方領土など)での活動に対し、日本からの抗議が相次いでいる」と不快感を示していた。 
北方領土「返還後は日本の主権」菅長官 プーチン発言に反論 11/16
北方領土問題をめぐり、ロシアのプーチン大統領が、「2島を引き渡したあとも、主権の交渉が必要だ」と述べたことに対し、菅官房長官は、「返還されれば、日本の主権が確認される」と反論した。
ロシアのプーチン大統領は15日、北方領土の返還交渉をめぐり、歯舞(はぼまい)群島と色丹島(しこたんとう)を引き渡した場合も、2島の主権は、引き続き、交渉の対象になるとの認識を示した。
菅官房長官は「歯舞諸島、および色丹島が返還されることになれば、当然それらに対する日本の主権、これも確認されることになる」と述べた。
プーチン大統領の発言に対し、菅長官は、2島が返還された場合、「当然、日本の主権は確認される」と反論した。そのうえで、「これからの交渉だが、日本の主権は確認される。当然のことだ」と重ねて強調した。 
北方領土交渉 「56年宣言」基礎は危うい 四島返還の原則を揺るがすな 11/16
安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が会談し、1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約締結の交渉を加速させることで合意した。
日ソ共同宣言には、平和条約の締結後に、北方四島のうち色丹(しこたん)島と歯舞(はぼまい)群島を引き渡すと記されている。このため、安倍首相が「2島返還」を軸にした交渉に舵(かじ)を切ったとの見方が出ている。
そうだとすれば、共同宣言以降の60年余り、四島の返還を目指して日本が積み上げてきた領土交渉をないがしろにしかねない。
合意が、四島返還につながる道筋を示していないのは極めて残念だ。ロシアが、日本は四島を取り戻すという立場を後退させたとみなす恐れがある。
日本の後退とみられる
日本が忘れてはならないのは、四島はロシアに不法占拠された日本固有の領土であるという点だ。四島返還を確かなものにすることなしに平和条約を結ぶとすれば、締結の時点で約束された以外の固有の領土を、日本が事実上放棄することになりかねない。
「日ソ両国によって批准もされた共同宣言は、他の交渉文書と重みが全く異なる」
これは従来、プーチン政権が繰り返し使ってきた論法である。交渉の範囲を、色丹、歯舞に限定したい意図が透けて見える。
だが、日露両国の首脳は1993年に、択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹、歯舞の「四島の帰属」を「法と正義」の原則によって解決するとした東京宣言に署名している。
プーチン氏自身が署名した2001年のイルクーツク声明は、日ソ共同宣言が交渉の出発点を記した「基本的文書」としつつ、東京宣言に基づいて四島の帰属問題を解決するとうたっている。
今回の安倍首相とプーチン氏の合意は、共同宣言が「格上」であるというロシア側の主張に迎合したものではないのか。
不安が募るのは、安倍首相による会談後の記者団への説明で「四島返還」への言及がなかった点である。
なぜ日本が色丹、歯舞だけでなく、国後、択捉を含む四島返還を目指してきたか。それは、四島全てがそこで生まれ暮らした日本人のふるさとであるからだ。さらに、1855年の日露和親条約で国境線が択捉島と得撫(うるっぷ)島の間に定められて以降、四島が外国に帰属したことは一度もなかったからである。
先の大戦末期に、日ソ中立条約を破って参戦したソ連が、北方四島を不法占拠した。プーチン氏のロシアが行ったクリミア併合と同じ「力による現状変更」にほかならない。
安倍首相とプーチン氏は「戦後70年以上、平和条約が締結されていないのは異常な状態だ」との認識を示してきたが、それを招いたのは、ひとえに不法占拠を続けてきたロシア側なのである。
中韓の視線に注意せよ
領土は、国民や主権と並んで国の根幹をなすものだ。先祖から受け継いだ領土を守り、子孫に引き継ぐ。不法占拠されている領土は取り戻す。それが今に生きる世代がとるべき立場である。
色丹、歯舞は四島の面積のうちわずか7%にすぎない。これだけが日本の求めてきた領土返還でないのは自明であろう。
法と正義を重視して交渉を続けてきた、これまでの経緯を安倍首相は軽んじるべきでない。
共同宣言は、シベリアに不当に抑留されていた日本人の帰還や国連への加盟、漁業問題の解決という課題を抱えていた日本が、領土交渉の継続を約束させた上で署名したものだ。
「人質」をとられてソ連と交渉した当時の厳しい状況を踏まえなくてはならない。苦肉の策で結んだ共同宣言を基礎に「2島返還」だけを目指すとすれば、ロシアの思うつぼである。
日本が追求すべきは、不法占拠された四島の返還であり、空疎な「平和条約」ではない。
国内には、色丹、歯舞の引き渡しに、残る2島の自由往来や共同経済活動を組み合わせればいいという声がある。危うい考え方だと言わざるを得ない。
日本の四島返還の対応を尖閣諸島の奪取を狙う中国や、竹島を不法占拠する韓国が注視している。ロシアとの拙速な交渉は中韓両国につけいる隙を与えるという意味でも後世に禍根を残す。 
プーチン氏「2島の主権は議論必要」 北方領土交渉 日ロの思惑 11/16
動き出したかにみえる、日本とロシアの北方領土問題。
早くもプーチン大統領が、気になる発言。
14日夜、シンガポールで行われた日ロ首脳会談。
安倍首相は北方領土問題について、1956年の日ソ共同宣言に基づいて、交渉を加速させることで合意したと発表したが、プーチン大統領はこの会談について、15日夜、初めて言及。
プーチン大統領は「きのうの会談では、(安倍)首相は日本が1956年の(日ソ共同)宣言に基づいた交渉の議論に戻る必要があると述べた」と述べた。
北方領土問題のために、日ソ共同宣言に基づき、交渉を加速させると提案してきたのは、安倍首相だったと明かした。
1956年、日本と当時のソ連が署名した、日ソ共同宣言。
そこでは、両国の平和条約締結後、北方領土4島のうち、歯舞群島と色丹島の2島を日本に引き渡すと明記されている。
ところが、この引き渡しについても。
プーチン大統領は「(日ソ共同)宣言には、ソ連が2つの島(歯舞・色丹)を引き渡す用意があるということだけ述べられていて、それらがどのような根拠により、どちらの主権に基づくかなどは述べられていない。慎重な議論が必要だ」と述べた。
プーチン大統領は、引き渡しを北方領土の返還と考える日本とは異なる認識を示し、2島の主権についても、引き続き交渉が必要であるとの考えを示した。
一方、日本側は。
菅義偉官房長官は「北方4島の帰属の問題を解決し、平和条約を締結。これが、わが国の今日までの一貫した姿勢。その姿勢について、変わりはない」と述べた。
北方領土返還交渉において、あくまでも従来の基本方針である4島返還は変わらないとの認識を示した。
領土問題の解決や、平和条約締結など、日ロ間の懸案を解決する意思は確認できたとする両首脳だが、その中身については、大きな隔たりが浮き彫りとなった形に。
しかし、この隔たりについては、両首脳の思惑が透けて見えるとの見方も。
フジテレビ政治部・高田圭太デスクは、「プーチン大統領の発言は、日本側の2島返還はベースだと。そこからさらに上積みするという基本姿勢について、冷や水を浴びせた形。しかし、安倍首相とプーチン大統領は、2人だけでしっかり話し合っているので、2人の間では、ある程度の着地点が見えている可能性がある。プーチン大統領としても、ロシア(国内)向けに、『そんなに簡単に譲れない』と言わなければいけない。そして日本政府も、これまでの方針が変わっていないことを、日本国内向けにも言わなければいけない。お互いの事情が作用した結果とも言える」と話した。
安倍首相は、2019年1月にもロシアを訪問し、再びプーチン大統領と会談する予定。  

 

日米安保適用が火種か 北方領土交渉 11/15
日露間の今後の北方領土交渉では、日米安全保障条約が火種となる可能性がある。ロシアが北方領土を返還すれば日米安保条約が適用されるとの警戒感があるためだ。
日本は米国との同盟関係を強化してきたが、ロシアは北東アジアでの米国の権益拡大に警戒心を解いていない。地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の日本導入にも強く反発する。米国のミサイル防衛(MD)網の強化は「ロシア封じ込め」に映るからだ。ロシアは国後、択捉両島の軍備を着々と進め、新型地対艦ミサイルを配備。択捉島には最新鋭戦闘機スホイ35も導入した。
北方四島が返還されれば、通常ならば日米安保条約の適用範囲となる。日本の施政権が及ぶ範囲での米軍の防衛義務を定めており、理論上は米軍駐留も可能になる。ロシア側がこれをのむはずがない。ロシア側は平和条約締結の条件として北方四島を日米安保条約の適用外とするよう求めてくる可能性は十分ある。
これに米側が納得するのか。トランプ大統領の反露感情が比較的薄いとはいえ、「北方領土を安保条約の適用外とするなら、尖閣諸島(沖縄県石垣市)も適用外にする」と揺さぶりをかけることも考えられる。
安倍晋三首相とプーチン露大統領が交渉の基礎とする1956(昭和31)年の日ソ共同宣言は、平和条約締結後に歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと明記している。仮に2島先行返還であったとしても状況は同じだ。 
「日露関係の進展に弾み」 菅義偉官房長官、日露首脳会談を評価 11/15
菅義偉官房長官は15日午前の記者会見で、シンガポールで14日に行われた安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領との会談について「今後の日露関係のさらなる進展に弾みを与える非常に有意義な会談だった」と評価した。
会談では1956(昭和31)年の日ソ共同宣言を基礎として平和条約締結を加速させることで合意した。菅氏はこれについても「非常に意義のあることだ」と評価した。日ソ共同宣言は平和条約締結後に北方四島のうち、歯舞群島と色丹島を日本に引き渡すと明記している。
菅氏は日本の立場について「領土問題を解決し、平和条約を締結する、その基本方針の下、引き続き粘り強く取り組んでいきたい」と強調した。政府が2島の先行返還を求める立場に転換したかどうかを問われると、「実際の返還時期と対応、条件について柔軟に対応するという方針を維持してきた」と説明。「北方四島の帰属問題を解決し平和条約を締結するというのがわが国の一貫した立場で、この点に変更はない」と語った。
また、首相の自民党総裁任期が終わるまでの今後3年以内に平和条約を締結することで合意したことについては「両首脳の手で必ずや終止符を打つ強い意志が共有されたという首相の発言だった。まさにその通りだと思う」と話した。 
北方領土問題〜なぜ4島一括ではなく2島先行返還なのか 11/15
ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(11月15日放送)にジャーナリストの鈴木哲夫が出演。日露首脳会談と北方領土問題について解説した。
日露首脳会談〜平和条約の交渉を加速させることで合意
安倍総理は昨日、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談。1956年の日ソ共同宣言を基礎に平和条約の交渉を加速させることで合意した。日ソ共同宣言には「平和条約締結後、歯舞、色丹を引き渡す」と明記されている。
飯田 / きょうの各紙1面トップはこのニュースですね。「締結後に歯舞と色丹を引き渡すという共同宣言の話があるから、2島先行か?」という話も出ています。
鈴木 / 北方領土に関して大きく動く、歴史的な大ニュースだと思います。昨日の夜から今朝にかけて、可能な限りいろいろな取材をしました。いろいろな見方が出ていますね。日本政府はとにかく「4島一括返還」と常に言って来ました。ところが、一方で現実的な対応として、「まずは2島先行でいいのでは」という意見も永田町にありました。
東方経済フォーラムでのプーチン発言によって「2島先行」が前向きに映る
鈴木 / 「この手順でいくと、残りの2島(国後島・択捉島)はどうなってしまうの?」という話について。いろいろな見方があるなかで、安倍さんの政務三役の経験者で側近の1人は「非常に難しい政治決断の階段を、一発逆転で1歩上がった」と表現していました。どういうことかと言うと、この前、ウラジオストクの東方経済フォーラムで、プーチン大統領が北方領土問題を棚上げして「平和条約だ!」みたいなことを言って、そのとき安倍さんは何も言い返しませんでしたよね。それについて取材した議員は「何で安倍さんは言い返さなかったんだろう」と悔しがっていたのですが、彼は今回「むしろ、あのときにプーチンさんが、ハードルを日本にとって高くした。そもそも、前に進めるためには2島先行という現実的な対応を日本も考えなければならなかったのだけれど、ゼロどころかマイナスくらいまで言ってくれたから、日本が4島返還までとは言わずとも、『2島から』と決着させるのは前進に見える。1度、マイナスにプーチンさんが下げてくれたから、2島先行でも前向きに映る」と言っています。
飯田 / もともとの「4島返還」からすると、2島では下がったように見えてしまうからですね。
鈴木 / だけど、ゼロに下げてくれたから、安倍さんが1歩前にガッと進める政治的な印象を作れた。安倍さんとしては、そこに着手してチャンスにした見方もある。
日本は外交で米中露の3国間に上手く取り入っている
鈴木 / それから外務省OBが言うには、産経も書いていましたが、北極海の権益を狙って中国がどんどん進出しようとしているのを、ロシアはどうにか防ぎたい。そのブロックのパートナーとして、日本と協力したいのではないかと。しかし、これはロシアだけの話ではありません。中国も、いま日本と関係が少し前進していますよね。中国は当然ロシアやアメリカが対峙する相手ですから、日本と協力したいと思う。アメリカはアメリカで、中国やロシアを相手にするときに、やはり日本と協力したいと思うでしょう。そこに、したたかに上手く日本は取り入っている。そういう評価をしていました。外交はあくまでもしたたかにやって行かなければいけない。その駆け引きで、日本は3国間に上手く入って、どことも関係を持ち、実利を全部得ていく。「これはなかなかしたたか」という評価もあります。ただ、北方領土問題としては、最初に言ったように「2島か4島か」が今後の課題になりますね。 

 

安倍首相、日露首脳会談後発言全文 11/14
 北方領土問題「必ずや終止符を打つという強い意思を完全共有」
安倍晋三首相は14日夜、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談した後、記者団に対し「平和条約交渉を加速させることでプーチン氏と合意した」と語った。発言の全文は次の通り。
「先ほどプーチン大統領と日露首脳会談を行いました。その中で通訳以外、私と大統領だけで、平和条約締結問題について相当突っ込んだ議論を行いました。2年前の(山口県)長門での日露首脳会談以降、新しいアプローチで問題を解決するとの方針の下、元島民の皆さんの航空機によるお墓参り、そして共同経済活動の実現に向けた現地調査の実施など、北方四島における日露のこれまでにない協力が実現しています」
「この信頼の積み重ねの上に、領土問題を解決をして平和条約を締結する。この戦後70年以上残されてきた課題を次の世代に先送りすることなく、私とプーチン大統領の手で終止符を打つ、必ずや終止符を打つというその強い意思を完全に大統領と完全に共有いたしました」
「そして1956(昭和31)年、(日ソ)共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる。本日そのことでプーチン大統領と合意いたしました。(大阪市で開かれる)来年(6月)のG20(=20カ国・地域首脳会議)においてプーチン大統領をお迎えいたしますが、その前に、年明けにも私がロシアを訪問して日露首脳会談を行います。今回の合意の上に私とプーチン大統領のリーダーシップの下、戦後残されてきた懸案、平和条約交渉を仕上げていく決意であります。ありがとうございました」 
 
 
 2018/10

 

プーチンが密かに狙う北方領土「1島返還」 10/24
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は10月18日、世界のロシア専門家を集めて毎年行うバルダイ会議で、北方領土問題について、前提条件なしに年内に日露平和条約を締結するとの9月の提案に対し、安倍晋三首相が直後の非公式協議で、「日本はそのようなアプローチは容認できない。先に領土問題を解決すべきだ」と述べて、提案を拒否したことを明らかにした。大統領は「それでもいいが、われわれは70年間足踏みをしている。出口が見えてこない」と述べ、日本の立場に不満を示した。
島の質問「面白くない」
大統領は発言前、日本人からの質問と知ると、「島の質問か。面白くないな」と軽くいなし、「日本がたえず提起する領土問題は、われわれは存在しないとみなしているが、にもかかわらず、対話を拒否していない」と述べ、領土問題は存在しないとの認識を示した。また、「われわれは安倍首相の要請を受け、元島民の墓参要件を緩和するなど、信頼に必要な条件を作り出してきた。しかし、日本はわれわれに制裁を科している。シリアやクリミアはどこにあるのか。なぜ制裁を科したのか。それが信頼を高めることになるのか。それでも、われわれは対話を継続する用意があり、接触を避けていない」とクリミア併合後に日本が欧米に追随して発動した制裁を改めて批判した。
さらに、「われわれは中国と40年間領土問題を交渉し、先に善隣友好協力条約を締結した後、領土問題を決着した。友好関係を構築し、領土問題を解決する条件を整え、妥協的な解決策を見出した。安倍首相にも、先に平和条約を結んでも領土を棚上げするわけではないことを話した。中国との関係を前例にしようというのが私の提案だった」と述べ、現状では袋小路が続くとの認識を示した。
安倍首相は「次の首脳会談が重要になる」とし、11、12月の国際会議で2度行う予定の日露首脳会談に意欲を見せるが、大統領の後ろ向き発言を見る限り、進展はありそうもない。
米中貿易戦争で中国寄り
プーチン大統領は米中貿易戦争に関する質問にも答え、「状況を悪化させるような事態に過敏に反応する必要はないが、国益を守ることは疑いなく重要だ。中国とロシアは常にそうしてきた」と述べ、中露の一体感を強調。「(米中の)貿易戦争も(ロシアへの)制裁も、米国の内政と結びついている。中間選挙や大統領選挙を前に、経済の方向性を維持する必要があるということだ。短・中期的には一定の効果があっても、長期的には否定的な影響が出てくる。世界経済に打撃を与え、それが米国を直撃するだろう」とし、米中貿易戦争はドナルド・トランプ政権の内政的要請との見方を示した。
また、「中国人には忍耐力がある。中国の経済力なら、貿易戦争に耐えることができる。中国の経済規模は人口を勘案すれば米国をしのぐ勢いだ。経済政策を修正したとはいえ、成長率は依然高い。世界も世界経済もいずれ変化していく」などと語った。米中貿易戦争で中国に加担する発言であり、近年の中国傾斜外交を見せ付けた。本音では、ロシアは米中が貿易戦争でともに消耗することを望んでいるかもしれない。
中露の蜜月は、9月にロシア極東一帯で行われた大型軍事演習「ボストーク2018」に中国軍約3200人が参加したことにも見られた。中露の合同演習は陸海でこれまで計15回程度行われており、珍しくはないが、米国を仮想的に仕立てた過去最大規模のロシア軍の演習に中国軍が参加したことはやはり意味がある。ロシアの安保政策を担うニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記は、「ロシアは中国のような非欧米の新興大国と同盟を構築していく必要がある」と述べており、政権内で中露同盟論が議論されている模様だ。米国の対中、対露政策が、中露をますます接近させている。
日本人の質問に「面白くない」と投げやりだった大統領は、中国人の質問には、「尊敬する友人であり仲間」と敬意を表しており、中国志向、日本離れを態度で示していた。
2島返還なら「1本勝ち」
「前提条件なしに年内に平和条約を」といった最近の大統領の対日発言を見ると、領土問題でのロシアの落としどころは歯舞諸島だけの「1島返還」ではないかと思えてくる。
国後、択捉について大統領は「1956年の日ソ共同宣言にはひと言も書かれていない」などと帰属協議を一貫して拒否している。歯舞、色丹の引き渡しをうたった56年宣言についても、「2島の主権がどちらに属するかなど引き渡し条件は何も書かれていない」とし、無条件で返すわけではないと強調している。
外交筋によれば、2015年11月のトルコでの首脳会談で、安倍首相が56年宣言が2島引き渡しを明記していることを指摘すると、プーチン大統領は「それでは日本の1本勝ちじゃないか」と反発したという。大統領の落としどころは柔道用語の「引き分け」であり、2島が交渉対象になる場合、「引き分け」とは歯舞、色丹の分割となる。
色丹島にはロシア人が3000人近く居住し、千島社会経済発展計画に沿ってインフラ整備も強化している。返還の場合、補償や手続きが面倒なのに対し、歯舞には国境警備隊が駐留するだけで、引き渡しは容易だ。先に平和条約を結ぶと、56年宣言に沿って2島引き渡し交渉が行われるが、2島が丸ごと戻ってくるわけではなさそうだ。歯舞だけなら4島全体の面積の2%にすぎず、日本の外交は完敗となってしまう。
千載一遇のチャンスをふいに
愛国主義や大国主義の風潮に乗るロシアの日本専門家の大半はプーチン提案に好意的だが、唯一批判的だったのが、ボリス・エリツィン政権初期の外務次官として対日外交を担当したゲオルギー・クナーゼ氏だった。
クナーゼ氏はラジオ局『モスクワのこだま』で、「前提条件なしの平和条約締結」提案について、「全く実現の見込みはない。一種のトロール網のようなものだ。プーチン自身も期待はしていないだろう。日本にとっては、ロシアが問題の解決を望んでいないことを新たに示しただけだ。安倍にとって、この提案を受け入れることは政治的自殺行為になる」とコメントした。
同氏はウクライナ紙とのインタビューでは、「これほど侮辱的な提案は、ソ連のレオニード・ブレジネフ時代ですら日本に行わなかった」と酷評した。クナーゼ氏は在任中、早期平和条約締結というエリツィン路線に沿って、戦勝国の論理を否定する新たな対日外交を推進した。「法と正義」による領土問題解決を主張し、日本の立場も理解していただけに、過去の日露交渉の歩みを否定するようなプーチン提案は衝撃だったようだ。
クナーゼ氏と言えば、ソ連崩壊直後の1992年3月、国後、択捉の帰属協議と歯舞、色丹の返還協議を同時並行で進め、合意したら平和条約を締結するとの秘密提案を日本側に打診したことがある。しかし、4島返還を当然視した日本政府・外務省はクナーゼ提案を時間稼ぎとみなして無視した。クナーゼ提案を基に本格交渉を行っていれば、当時の日露の圧倒的な国力格差から見て、歯舞、色丹は確実に日本領となり、国後、択捉は結局は分割され、「3島プラスアルファ」のような解決策が有力だっただろう。
2001年のイルクーツク会談では、今度は森喜朗首相がクナーゼ提案と瓜二つの並行協議案をプーチン大統領に提案したが、ロシアが無視した。
1992年のクナーゼ提案は、一握りの外務省幹部が拒否を決め、官邸にもほとんど報告していなかったと言われる。ソ連崩壊から27年も経て、北方領土問題がますます後退している責任は、92年に千載一遇の機会をみすみす座視した当時の外務省幹部にある。失敗を繰り返さないためにも、外務省は文書公開を通じて当時の責任の所在を明確にしておくべきだろう。  

 

ロシアが北方領土周辺海域でミサイル演習通告 10/12
 「日本に配慮」の説明直後に相次ぎ
ロシア政府が日本政府に対し、北方領土周辺の領海などでミサイルの射撃訓練を行うと通告したことが12日、分かった。8日に伝えてきた射撃訓練に続く新たな通告で、日本政府は外交ルートで抗議。ロシアは今月、日本の提案に基づき、9月の大規模演習で北方領土を演習地から外したと説明していたが、日本側はその直後に相次いで訓練を通告される形となった。
複数の政府関係者によると、ロシア側は11日、国後(くなしり)島の周辺海域などで14日から21日にミサイルの射撃を行うと伝えてきた。ロシアは8日にも、10日から13日に択捉(えとろふ)島の周辺海域などで射撃訓練を行うと通告してきており、活発な活動が浮き彫りになった。
新たな演習通告を受け、日本政府は11日、外交ルートを通じ「北方四島に関するわが国の立場と相いれない」などと抗議を伝えた。
ロシアのショイグ国防相は8日、モスクワを訪れた防衛省の河野克俊統合幕僚長に対し、9月の大規模演習「ボストーク(東方)2018」で日本の提案に基づき、北方領土などでの演習を見合わせたと説明。日本の要請に配慮したとすれば異例で、河野氏は高く評価する意向を示していた。 
ロシア、日本の抗議退ける 北方領土周辺での射撃訓練 10/10
ロシア政府が北方領土周辺での射撃訓練を日本政府に通告し、日本側が抗議した問題で、露外務省は10日、「ロシアは、自国領土で自由な活動ができ、防衛力を高める権利を持っている。日本の抗議は断固として退ける」などとする声明を発表した。インタファクス通信が10日伝えた。
声明はまた「いかなる訓練であれ、隣国を対象としたものではない」とし、「最近、南クリール諸島(北方領土など)でのロシアの活動に対し、日本からの抗議が相次いでいる」などと日本側に不快感も示した。 
共同経済活動の北方領土調査団が根室出発 10/2
北方領土での日露共同経済活動の実現可能性を探る官民の調査団(団長・長谷川栄一首相補佐官)が2日、現地へ向けて北海道・根室港をチャーター船で出発した。外務省によると、5日までの日程で、国後、択捉、色丹の3島を訪れる予定。調査団派遣は、昨年10月に続き3回目。
共同経済活動への参加を見込む民間人や政府関係者ら計49人が参加。ウニ養殖やイチゴ温室栽培の候補地などを視察する。当初は1日に出発予定だったが、台風による悪天候で延期していた。 
 
 
 2018/ 9

 

「プーチン氏発言のけぞった」総裁選、北方領土でも応酬 9/17
自民党総裁選に立候補した安倍晋三首相と石破茂・元幹事長は17日、ロシアのプーチン大統領が「前提条件なし」での平和条約の年内締結を提案して北方領土交渉を先送りする考えを示唆したことをめぐって、フジテレビのニュース番組で応酬を繰り広げた。
石破氏は「(プーチン氏の発言に)のけぞって驚いた。(交渉が)振り出しに戻ったという見方ができる。2島はおろか、全く返ってこないが平和条約は結ぼうね、ということだ」と指摘。「(プーチン氏が)思い付きで言うはずがない。肝胆相照らす仲で、そんなことがあるはずがない」とも述べ、首相とプーチン氏との個人的関係にも疑問を投げかけた。
これに対して、首相は「(ロシア側は)いろんな変化球を投げてくるが、ただ恐れていてはダメだ」「外相会談だって、かつてはできなかった。それが今は(首脳会談も)非常に頻繁にできるようになった。そう簡単ではないなかで、全力を尽くしていきたい」と強調。北方四島での共同経済活動を領土交渉の進展につなげる考えを改めて示した。
北方領土を軍事拠点化するロシアの動きについて、石破氏は「ロシアにとって、いかに北方領土が軍事的に大事か。(日本が)自衛隊や米軍を置かないと言ったら主権の放棄だ。そこでロシアとぶつかる」と語り、安全保障上の課題を解決する必要があるとした。首相は「一番のハードコアで、議論しなければならない。我々はそこに入ってきているが、つまびらかに申し上げるわけにはいかない」と答えた。 
安倍晋三首相「11〜12月の日露首脳会談が重要」 平和条約締結に意欲 9/14
安倍晋三首相は14日、ロシアのプーチン大統領が領土問題などの「前提条件」抜きでの日露平和条約締結を提案したことに関し「(プーチン氏が)平和条約が必要だという意欲を示したのは間違いない。11月、12月の首脳会談は重要な会談になっていく」と述べた。
自民党総裁選に関する日本記者クラブ主催の討論会で語った。11〜12月に予定されているアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議や20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせた会談が念頭にあるとみられる。
首相は「プーチン氏のさまざまな言葉からサインを受け取らなければならない。『とにかく平和条約ちゃんとやろうよ』と言ったことは事実だ」と述べた。同時に「日本は領土問題を解決をして平和条約を締結するという立場だ」と強調した。
首相は「『私の時代にやる』と言ったから前に進んでいく」とも語り、通算22回の日露首脳会談の成果について言及。総裁選で連続3選を果たせば次の任期中に平和条約締結を目指す考えを重ねて示した。 
プーチンの罠にはまり…北方領土を売った“外交の安倍”の嘘 9/14
安倍首相が繰り返してきた「われわれの世代で解決する」というのは、こういう意味だったのか。ロシア極東のウラジオストクで開かれた東方経済フォーラムの全体会合で12日、プーチン大統領が「ここで思いついたんだが、年末までに無条件で平和条約を締結しよう」「冗談で言ったのではない」と言い出し、大騒ぎになっている。つまり、安倍首相が意気込んできた北方領土返還は棚上げになるからだ。
プーチンの発言が飛び出したのは、全体会合で各国首脳が演説を終えた直後。安倍は演説で北方領土問題の解決を訴え、4島を物流拠点として「日ロ協力の象徴」に転化しようと提案。「今やらないで、いつやるのか。われわれがやらないで、ほかの誰がやるのか」と畳み掛けていた。それを受ける形で司会者から質問に応じたプーチンは、こう言い放った。
「シンゾウはアプローチを変えようと言った。そこで今、思いついた。一切の前提条件を抜きにして、年末までに平和条約を結ぼう。平和条約に基づき、すべての係争中の問題を話し合おう」
プーチンの発言は4島返還交渉を進めてきたつもりの日本からすれば、ちゃぶ台返しもいいところ。ところが、壇上でプーチンと横並びに座った安倍は「うん、うん、うん」とばかりに何度も首を縦に振り、深くうなずいていた。一体どういうことなのか。筑波大教授の中村逸郎氏(ロシア政治)はこう言う。
「そもそも、プーチン大統領には北方領土を返還する考えはありません。北方領土を含む極東の軍事強化を進め、ソ連崩壊後、最大規模の軍事演習を極東で実施していることからも明らかです。17日までの演習には中国軍とモンゴル軍が初参加して、周辺国との連携も強めている。安倍首相と首脳会談を重ねているのは、ポーズに過ぎない。領土交渉に応じているフリをすれば、共同経済協力の名の下、日本から資金や技術が転がり込んでくるからです」
日本政府は一貫して「4島返還」を求めてきたが、プーチンは従来の「2島引き渡し」以上の譲歩を示したことがない。そこで安倍は第2次政権発足4カ月後の2013年4月、プーチンとモスクワで首脳会談。領土交渉再開で合意したが、膠着状態から脱せず、16年5月にソチで行われた首脳会談で安倍はプーチンに「新たなアプローチ」を持ちかけた。その年末にプーチンが来日し、安倍は共同経済活動を申し出たのがこれまでの経緯だ。
プーチンの発言を巡り、官邸は大慌て。菅官房長官は記者会見で「意図についてコメントすることは控えたい」と逃げ、10日の日ロ首脳会談で「無条件」との発言はなかったと釈明。「北方4島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する基本方針の下、引き続き粘り強く交渉する」と火消しに躍起だ。
「日本は来年6月にG20大阪サミットを控えています。自民党総裁選で3選すれば、安倍首相がホストを務める。国際社会に成功をアピールするには、すべての加盟国首脳の出席は必須です。中国の習近平国家主席の首根っこをつかんでいるプーチン大統領は、その足元を見て“不参加”をにおわせ、領土交渉の棚上げを安倍首相にのませていたのではないか。日ロ両政府の説明はこれまでもたびたび食い違いを見せています」(中村逸郎氏=前出)
それなら、安倍のうなずきも納得だが、このタイミングでプーチンに暴露されたのは大誤算だったのか。総裁選も災害対応もほったらかしで向かった外遊先でコケにされ、これでまた“外交の安倍”の嘘っぱちがハッキリした。 
安倍晋三首相、12日に東方経済フォーラムで演説 9/12
 北方領土問題決着に決意表明へ
ロシア極東ウラジオストクを訪問中の安倍晋三首相は12日午後(日本時間同)、ロシア政府主催の「東方経済フォーラム」で演説する。日露関係について、首相はプーチン大統領との信頼醸成をテコに北方領土問題を決着させ、両首脳間で平和条約の締結を目指すことを重ねて強調する。
北朝鮮問題では、6月の米朝首脳会談を拉致、核・ミサイル問題の解決の一歩として支持した上で、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との会談に改めて意欲を示す。
フォーラムにはプーチン氏のほか、中国の習近平国家主席、韓国の李洛淵(イ・ナギョン)首相、モンゴルのバトトルガ大統領も出席する。
安倍首相は極東の可能性をテーマに演説し、サイバーや液化天然ガス(LNG)、港湾などロシア国内での日露の官民による事業が150以上にのぼるとして、経済協力が着実に進展していることを強調。医療や中小企業の効率化、都市整備を通し、ロシア人の生活の質の向上に日本が貢献していることを訴える。
北朝鮮情勢では中国やロシアも含めた国際社会が結束し、北朝鮮に対し非核化に向けた具体的な行動を促すことを語りかける。18日から平壌で開かれる南北首脳会談への期待も示す。
日中関係については、今年が日中平和友好条約40周年であることを踏まえ、関係改善の流れを加速させる決意を表明する。今年中の安倍首相の訪中に続く習氏の訪日に期待を表明する。 
安倍晋三首相 北方領土問題解決へ「私たちの歩み支援してほしい」 9/12
ロシアの極東ウラジオストクを訪問中の安倍晋三首相は12日午後(日本時間同)、ロシア政府主催の「第4回東方経済フォーラム」で演説した。首相はロシアのプーチン大統領と通算22回目の会談で北方領土問題を協議してきたことを踏まえ「機会をとらえては幾度なく会談を続ける。私たちの歩みを支援してほしい」と述べ、両首脳間で領土問題を解決し、日露平和条約を締結する決意を改めて示した。
日露の経済協力について、液化天然ガス(LNG)や港湾など150以上の事業を念頭に「ウラジオストクをはじめ、極東各地は日露の協力によって人、モノ、資金が集まるゲートウェイになる」と述べ、日本が極東地域の発展に貢献する意志を示した。
北朝鮮情勢については「朝鮮半島の完全な非核化を何としても実現させなければならない」と強調。中国やロシアを含め国際社会が結束し、北朝鮮に対し非核化に向けた行動を促す必要性を訴えた。
日朝首脳会談に関しては「相互不信の殻を破り、最後は金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長と向き合わないといけない」とした上で「これを行う以上は拉致問題の解決に資する会談としなければならない」とも述べた。
日中関係をめぐっては、10月の自らの訪中に続いて来年の習近平国家主席の訪日に期待を示し、「首脳同士の相互訪問を通じ、日中関係を新たな段階に引き上げていきたい」と語った。 
安倍首相がプーチンに会っても「北方領土返せ」と言わない深い理由 9/12
9月10日に日ロ首脳会談が行われましたが、北方領土問題にさしたる進展がなかったこともあり、否定的に報じるメディアも少なくありません。しかし、国際関係ジャーナリストの北野幸伯さんは自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、「中国との尖閣有事の際に日本を擁護してくれるような日ロ、日米の関係作り」が必須とする安倍首相の政治姿勢と、その実現に向け日頃から奔走する首相の外交政策を高く評価すると記しています。
日ロ首脳会談の結果
安倍総理は9月10日、ロシア極東ウラジオストックを訪問。プーチンと共に、マツダの工場を視察しました。
「安倍晋三首相とプーチン大統領、マツダ・露自動車大手合弁会社の工場視察 経済協力の主力事業 産経新聞 9/10(月)20:18配信
安倍晋三首相は10日夜(日本時間同)、訪問中のロシア極東ウラジオストクで、プーチン大統領とともに、マツダとロシアの自動車大手ソレルスとの合弁会社が設立したエンジン工場を視察した。両首脳が極東での日本企業のプロジェクトを視察するのは異例。ウラジオストクでのエンジン生産は両国の極東における経済協力の主力事業と位置付けられている。」
ロシアのメディアは、安倍さんについてとても肯定的です。ロシアは、14年3月のクリミア併合で、孤立しました。アメリカは対ロ制裁を主導し、日本も参加した。しかし、日ロ関係は2016年12月のプーチン訪日で劇的に改善された。
今年3月、イギリスで、ロシア人ダブルスパイ・スクリパリさん暗殺未遂事件が起こりました。イギリスは、即座に「ロシアの仕業だ!」と断定。アメリカとEUを巻き込んで、ロシアに制裁を科しました。日本は、この動きに同調しなかったので、日ロ関係はさらによくなった。
そして、安倍さんとプーチンは、首脳会談に臨みます。何が話し合われたのでしょうか?
「<日露首脳会談>共同経済活動実現へ工程表 領土進展なし 毎日新聞 9/10(月)23:31配信
安倍晋三首相は10日夜(日本時間同)、訪問先のロシア極東ウラジオストクでプーチン大統領と約2時間半、会談した。両首脳は、北方領土での共同経済活動で対象となる5項目を具体化するためのロードマップ(工程表)で合意。だが、領土問題については目立った進展はなかった模様だ。」
主なテーマは、共同経済活動と平和条約(=北方領土問題)。まず、共同経済活動から。
「5項目は、海産物の養殖▽風力発電▽ゴミ減容化▽温室野菜栽培▽観光――で昨年9月のウラジオストクで両首脳が合意。工程表では、養殖の魚種や野菜栽培の場所などを決める日程のめどや手順などが示された。(同上)」
では、領土問題は?
「首相は共同記者発表で共同経済活動に関し「(北方領土)4島の未来像を描く作業の道筋がはっきりと見えてきた」と成果を強調。作業の調整のため民間調査団を10月初旬に派遣すると発表した。首相は日露平和条約が締結されていないことについて「異常な戦後がそのままになっている。私とプーチン大統領の間で終わらせる」と強調した。プーチン氏は「長年議論が続いている領土問題を一朝一夕で解決できないことはわかっている」と指摘したうえで「両国国民に受け入れ可能な解決方法を探すという意味で共同経済活動に着手した」と語った。」
プーチンがいうに、「とりあえず、共同経済活動をして、領土問題はその後考えよう」と。
領土問題、正直、厳しい状況です。ロシア側は、「島を返還すれば、そこに米軍が来るのではないか?」と恐れている。ロシアから西を見ると、29カ国からなる「巨大反ロシア軍事ブロック」NATOが拡大をつづけている(アメリカは、旧ソ連のウクライナやグルジアをNATOにいれたがっている)。東をみると、「緩衝国家」北朝鮮がアメリカと対立し、消えてしまうかもしれない(だから、プーチンは、習近平と組んで北を守っている)。それで、ロシアは、「北方領土に米軍が来ることは許せない!」と考えているのです。ロシア側からみると当然です。
というわけで、
• 共同経済活動は、進展したが
• 領土問題は、進展なし
ということで、「ロシアばかり得して、日本にはなんのメリットもないのでは???」と考える人がでるのは当然でしょう。しかし…。
ちなみにロシアは、アメリカと並ぶ超核大国、世界有数の石油ガス大国である。さらに、この国は、世界有数の「親日国家」です。上の人達は、親日になったり反日になったりする。それでも、国民は、一貫して親日。私は28年モスクワに住んでいますが、「反日ロシア人」にあったことが一度もありません。
ところで、韓国は、世界有数の「反日国家」ですね。日本政府高官は、韓国の政治家にあって一言目に「竹島返せ!」とはいいません。その一方で、日本政府高官は、親日国家ロシアの政治家にあうと、一言目に「北方4島返せ!」といっていた。安倍総理は、賢明にも、そういう状況を変えました。
もちろん、「北方領土問題」は、超重要です。しかし、日本最大の問題は現在、「中国が、アメリカ、ロシア、韓国を巻き込んで『反日統一共同戦線』をつくり、日本を破滅させようとしていること」なのです。全国民必読、完全証拠はこちら。
反日統一共同戦線を呼びかける中国
原文を読んでいただければわかりますが、この戦略の骨子は、
• 日米分断
• 日ロ分断
• 日韓分断
です。日米同盟を破壊し、尖閣有事の際に、アメリカが日本を助けない状況をつくりだす。日ロを分断し、尖閣有事の際、ロシアが中国側について戦うようしむける。
皆さんどうですか? アメリカからの支援がアテにできない状況で、日本は、中国、ロシア連合軍と戦って勝てると思います????? 冷静に考えれば絶対無理です。ですから日本は、戦争(戦闘)がはじまる前、あるいは、戦闘がはじまらないようにするために、
• 日米関係を、ますます強固にしていく
• 日ロ関係を、ますます強固にしていく
ことが必須なのです。そうなれば、
• 尖閣有事の際には、アメリカが日本側について戦う
• ロシアは、中立
こういう展望が見えていれば、中国も手出しできません。仮に尖閣を奪いに来ても、日本は必ず勝てます。というわけで、北方領土問題が前進しなくても、ロシアとは仲よくした方がいいのです。
日ロ関係が劇的に改善されたこと。これは、安倍総理の大きな実績の一つです。安倍さんが総理になる直前の状況を思いだしてください。メドベージェフが北方領土に行き、日ロ関係は最悪でした。民主党政権は、たった3年で
• 日米関係、日ロ関係、日韓関係、日中関係
をすべて最悪にした。それを安倍総理が、丁寧に修復してきたので、日本は比較的穏やかにしていられる。というわけで、一日本国民として、安倍総理には心から感謝しています。 

 

安倍首相「異常な戦後を終わらせる」 9/11
 プーチン大統領「双方受け入れ可能な解決策を」
安倍晋三首相とプーチン露大統領の10日の会談と共同記者発表の要旨は次の通り。
○共同経済活動
両首脳 海産物養殖や風力発電、観光など5項目を対象とする北方四島での活動実現に向けたロードマップ(行程表)で合意。
プーチン氏 近隣地域の住民の自由な交流も話し合った。
首相 現地調査団を10月初めに派遣する。元島民の思いをかなえるための協力も一層進める。
○日露平和条約交渉
首相 平和条約が締結されていない異常な戦後を私と大統領の手で終わらせる。
プーチン氏 一朝一夕で解決できないことは分かっているが、双方が受け入れ可能な解決策を探る。
○北朝鮮情勢
首相 拉致・核・ミサイル問題を包括的に解決し、国交正常化が実現すれば経済協力も実施しうるとの立場を説明。拉致問題解決への理解と協力を得た。
プーチン氏 南北対話を支持すると確認した。
両首脳 北朝鮮に完全な非核化を促すため、国際社会の国連安全保障理事会決議の完全履行が不可欠だとの認識で一致。
○防衛当局交流など
首相 防衛当局間、国境警備当局間の交流は重要だ。10月に河野克俊統合幕僚長が訪露する。
両首脳 来年6月の大阪での20カ国・地域(G20)首脳会議の際に日露首脳会談を行うことを確認。 

 

共同経済活動の進展確認 北朝鮮情勢で意見交換 9/10
安倍晋三首相は10日夜(日本時間同)、訪問先のロシア極東ウラジオストクでプーチン大統領と会談した。北方四島での共同経済活動について、温室野菜栽培や観光、風力発電など5項目の実施に向けた作業の進め方で合意。日本が現地調査団を10月初めに派遣することを確認した。また、北朝鮮の非核化を促すため、国連安全保障理事会の制裁決議を着実に履行していく必要性で一致した。
両首脳の会談は5月のモスクワ以来で、通算22回目。首相は会談後の共同記者発表で、日露平和条約締結交渉について「双方の法的立場を害さず、できることから実現する。こうした変化を積み重ねた先に目指す平和条約がある」と述べた。プーチン氏は「短期間で解決できると考えるのは稚拙だが、双方が受け入れ可能な解決策を模索する用意がある」と語った。
北朝鮮情勢をめぐっては、首相は会談で、拉致・核・ミサイル問題を解決し国交正常化を実現した後に経済支援を行う用意があることを伝え、拉致問題解決に向けた協力を求めた。プーチン氏は理解を示した。また、両首脳は日露防衛当局間の関係を強化することで一致。来年6月に大阪で開かれる20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせて会談することも確認した。  
北方領土墓参の中止 菅義偉官房長官「きわめて残念」 9/5
菅義偉官房長官は5日午前の記者会見で、10日から北方領土の択捉島で予定されていた元島民らによる「北方領土墓参」が中止になったことについて「元島民の方の思いを鑑みれば、きわめて残念だ」と述べた。
菅氏は7月下旬にロシア側から墓地訪問の調整ができていないとの連絡があり、日本政府として実施するよう働きかけていたことを明らかにした。そのうえで「引き続き元島民の方のご希望に沿うことができるようしっかり対応していきたい」と述べた。 
北方領土の露軍強化「日本の立場と相いれず抗議」 菅長官 9/3
菅義偉官房長官は3日午前の記者会見で、ロシアが2日に北方領土などで第2次大戦で日本に勝利したことを祝う式典を開催し、軍事活動を強化する姿勢を鮮明にしていることに対し、「北方四島におけるロシア軍の軍備強化はわが国の立場と相いれず、さまざまな機会で抗議をしている」と述べた。
菅氏は「問題の根本的な解決のためには、北方領土問題自体の解決が必要だ」とし、「日露がともに北方四島の未来像を描き、相互が受け入れ可能な解決策を見いだしていくという未来志向の発想で北方領土問題の解決、平和条約の締結を目指していきたい」と語った。
また、11日からロシアのウラジオストクで開かれる「東方経済フォーラム」に安倍晋三首相が出席する予定であることを明らかにし、「日露首脳会談を行うべく調整をしている」と話した。 
 
 
 2018/ 8

 

ロシアが北方領土調査団の根室市長参加容認 8/16
外務省は16日、北方領土での日露共同経済活動の実現可能性を探る第3回調査団(団長・長谷川栄一首相補佐官)に、ロシア側の意向でこれまでメンバーから外されていた長谷川俊輔・北海道根室市長が参加することを明らかにした。ロシアが受け入れ方針に転じたためとみられる。根室港から同日夕、チャーター船で現地に向かう予定だった調査団は、悪天候のため出発を見合わせた。
長谷川市長が過去2回の調査に参加できなかった理由に関し、日露両政府は明確な説明を避けている。複数の日本政府関係者によると、ロシアは日本の対露制裁に対する報復措置の一環として、市長の受け入れを拒んでいたという。日本はロシアによるウクライナ南部クリミア編入を理由に、欧米諸国と足並みをそろえる形で対ロ制裁を実施している。 
北方領土返還早期解決求め、大会宣言 山形 8/1
北方四島の早期返還に取り組む「山形県北方領土返還促進協議会」の第37回北方領土返還要求県民大会が1日、山形市の山形国際ホテルで開かれ、「北方領土の返還実現を目指し、より一層の世論の集結に努め、粘り強い北方領土返還要求運動を推し進める」とする大会宣言を採択した。採択を受け協議会は、山形市、上山市など3市2町に北方領土返還を求め啓発活動をするキャラバン隊を出す。
大会では、協議会会長の志田英紀県議会議長が「北方領土返還に向け、政府、外務省を後押しできるよう県民世論の高揚をはかりたい」とあいさつ。北方領土返還運動を続ける「山形北方領土倶楽部」の榎本幸一郎代表理事に感謝状を贈った。
続いて日露関係に詳しい筑波大学の中村逸郎教授が「北方領土問題解決に向けた今後の日露関係について」と記念講演。北方領土返還について中村教授は「北方領土返還に向けてすごいいいチャンスが来ている。世界が動いている」と述べ、9月3日に北東ロシアのウラジオストクで開かれる国際経済フォーラムを上げ、「ここには、ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、ほとんど間違いなく北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長、韓国の文在寅大統領、そして安倍総理も参加される予定です。そしてトランプ米大統領も出席すると英国BBCが伝えている」と、この国際経済フォーラムの重要性を指摘。
その上で「この時代、この瞬間に世界情勢が大きく変わる時代にわれわれは生きている。北方領土にも変化がきている」と強調した。
さらに北方領土に関わる国際情勢の変化を指摘した上で、1988年から1991年の3年間でヨーロッパは変わった。ユーゴスラビア、チェコスロバキアがつぶれ、(東西)ドイツが統合された。この9月から何かが起こる。起こるとすれば3年間です」と述べ、「9月からの北東アジアの動きに注目してほしい」と強調した。
その上で、「9月以降、アジアは激動の時代を迎える。この激動の中で、日本政府は(北方領土の)返還に結びつけていくのか。ヨーロッパでみた現実を踏まえ、人の流れをつくる、世界を変えていく流れをつくることが大切」と訴えた。
参加した山形市の横尾峰子さん(62)は「私たちは大きな時代のうねりの中で生きていると実感した。(行政は)北方領土に関して情報発信をしてほしいし、北方領土ツアーがあればすぐにでも行きたい」と話した。 
 
 
 2018/ 7

 

8月に北方領土へ調査団、安倍晋三首相が表明 日露共同経済活動で 7/26
安倍晋三首相は26日、鈴木宗男元衆院議員と官邸で会い、北方領土の共同経済活動をめぐり8月に調査団を派遣すると表明した。会談後、鈴木氏が記者団に語った。
鈴木氏によると、首相は日露が合意した海産物養殖など5項目の実現に向けて「何をやるか(調査団に)きちんと見てもらう。しっかり取り組むよう指示している」と説明。9月にロシア極東ウラジオストクで開かれる東方経済フォーラムに合わせたプーチン大統領との首脳会談で、事業化への協議を進展させたい意向を示した。
日露両政府は5月の首脳会談で、夏に民間調査団を派遣する方針で合意していた。 
北方領土空路墓参で衛星携帯没収 7/23
 菅義偉官房長官「わが国の法的立場から受け入れられず」 抗議し返却要求
菅義偉(すがよしひで)官房長官は23日午前の記者会見で、北方領土の元島民らが22日に航空機で墓参りに現地を訪れた際、ロシア当局が同行した日本政府関係者や報道関係者の衛星携帯電話を没収したため、政府として抗議したことを明らかにした。菅氏は「わが国の法的立場にかんがみて受け入れられず、遺憾であると抗議するとともに早期返却を求めていく」と述べた。
抗議は22日に在露日本大使館から露外務省に対して行った。菅氏は過去にもイリジウム携帯などの電子機器が没収されたケースがあったとしたうえで、「当然その際も抗議を行っている」と述べた。
空路墓参は従来の船便に比べて移動時間を短縮できるため、高齢化が進む元島民の負担軽減につながるとして昨年から実施。今年は22、23日の日程で航空機で国後島、択捉島に渡り、墓参りを行う予定だった。 
野上官房副長官「日露間交渉に直接関わらない」 7/20
 改正北方領土問題解決促進特措法へのロシア反発に
野上浩太郎官房副長官は20日の記者会見で、18日に成立した改正北方領土問題解決促進特別措置法について、ロシア外務省が、日露両国が北方領土で計画している共同経済活動を進める上で「重大な障害」になるとの声明を出したことについて「共同経済活動の日露間の交渉に直接関わるものではない」と述べた。
法改正は共同経済活動の実施に向け、基金の取り崩しで財源確保を図るために行われたもの。ロシアは同法が北方領土を日本固有の領土として「早期返還」を訴えていることを問題視している。
野上氏は「法改正の目的や内容はロシア側にもしっかりと説明していきたい。共同経済活動のプロジェクトを早期に実施すべく、さまざまなレベルで、ロシア側との協議を精力的に行っていく」と語った。 
 
 
 2018/ 6

 

 
 
 
 2018/ 5

 

 
 
 
 2018/ 4

 

 
 
 
 2018/ 3

 

 
 
 
 2018/ 2

 

 
 
 
 2018/ 1

 

「安倍vsプーチン 北方領土をめぐる密室会談の中身を語ろう」 2018/1/5
プーチン大統領が会見で言及した「ダレスの恫喝」
2016年12月に来日したロシアのプーチン大統領と安倍晋三首相の首脳会談。会談の成果について安倍首相は「北方四島で日露が共同経済活動をするための『特別な制度』について、交渉を開始することで合意した」と説明して「共同経済活動の協議開始が平和条約締結に向けた重要な一歩になりうる」と述べた。
これまでに日本政府が平和条約締結の前提条件としてきたのは北方領土問題である。こちらについては表立った成果はなく、日本の新聞メディアは「領土問題に具体的な進展なし」と期待外れ、との論調が目立った。
しかし、私に言わせれば、今回ほど北方領土問題に対するロシア側のスタンスが明確に示された首脳会談はない。
それが端的に表れていたのが、首脳会談後の共同記者会見。記者からの質問に応じるかたちでプーチン大統領は次のように語った。
「1956年にソ連と日本は56年宣言(日ソ共同宣言)を調印し、批准した。この歴史的事実は皆が知っていることだが、このとき、この地域に関心を持つアメリカの当時のダレス国務長官が日本を脅迫した。
もし日本がアメリカの利益を損なうようなことをすれば沖縄は完全にアメリカの一部になるという趣旨のことを言った」
詳しくは後述するが、これは「ダレスの恫喝」と呼ばれる歴史的事実であり、この楔が打ち込まれたがゆえに、日露間の領土問題は一歩も動かなくなってしまった。
アメリカの同盟国である日本のトップとの首脳会談、その後の公式会見の席で「ダレスの恫喝」を持ち出すということは、プーチン大統領と安倍首相との間で相当に踏み込んだ議論が交わされて、領土問題についての歴史認識が共有されたことを意味する。
北方領土問題は単に日本とロシアの問題ではなく、日本とアメリカの問題でもあるという歴史的因果を、プーチン大統領は安倍首相と会談を重ねる中で言い聞かせてきたのだと思う。
北方領土に対する日本とロシアの考え方には大きな齟齬がある。
日本の外務省が国民に説明してきたのは、「日ソ中立条約がまだ有効だったにもかかわらず、ソ連はこれを一方的に破棄して日本に宣戦布告、日本がポツダム宣言を受諾した後もソ連軍は侵攻を続けて北方領土を不法に占拠、以来実効支配を続けている」というものだ。
対して北方領土の領有は第2次世界大戦の結果、戦勝国のソ連(当時)が獲得した正当な権利であるというのがロシア側の主張であり、従って「日露間に領土問題は存在しない」としてきた。
どちらの主張に理があるのか――。
史実に照らせば、これはロシア側が正しい。カイロ会談、ヤルタ会談など、戦後処理の話し合いの流れを精査すると、北方領土はソ連が勝ち取った「戦利品」なのである。
当時、スターリンはドイツのベルリンのように北海道を南北に分割して北半分をソ連が占領することを要求した。病死したアメリカのルーズベルト大統領に代わってトルーマン大統領が北海道分割案を拒否、戦勝権益として代わりに南樺太の返還と南クリル(北方四島)を含めた千島列島の領有を提案した。
つまり、「北方領土を持っていけ」と言ったのはアメリカなのだ。
日ソ中立条約の破棄と対日参戦もルーズベルト大統領の要請によるものだし、北方領土へ兵を進めたのは米戦艦ミズーリ号の甲板上で日本が降伏文書にサインした9月2日以前。
つまり日本とソ連はまだ戦争状態にあったのだから、北方領土の占領は不法ではない。
しかも島民を1人も殺さずに送還してやったのにどこに文句があるというのがロシア側の言い分だ(以上のことは2008年刊行の拙著『ロシア・ショック』でも言及している)。
これは日本の外務省、日本の教科書が国民に説明してきたことと100%異なる。そもそも「北方領土は我が国固有の領土」というスローガンからして大嘘で、強いて言えばアイヌ固有の土地かもしれないが、日本固有の領土と証明されたことは一度もない。
世界のルールでは、領土は戦争で取った者勝ちである。納得できなければ、武力で取り返すしかない。北方領土に関しては先の大戦でロシアの領有がアメリカ以下の連合国から承認された。
「日本固有の領土」と主張するのは、日本が第2次大戦の結果を受け入れていないことになる。だからロシアの政治家やラブロフのような政府高官から「第2次大戦の結果を受け入れていない状態では、(平和条約締結や領土返還の)交渉に応じることはできない」という発言が頻繁に出てくるわけだ。
プーチン大統領も「第2次大戦の結果を受け入れるのが話し合いの原点」と繰り返してきたが、今回はさらに踏み込んで、冒頭のように「ダレスの恫喝」に言及した。
「ダレスの恫喝」とは1956年8月に日本の重光葵(まもる)外相とジョン・フォスター・ダレス米国務長官がロンドンで会談した際の出来事。ダレスが沖縄返還の条件として、北方四島の「一括返還」をソ連に求めるよう重光に迫ったのである。
サンフランシスコ講和条約にソ連は署名しなかったため、日ソの国交正常化は1956年10月の日ソ共同宣言でなされる。このとき平和条約締結後に歯舞、色丹の2島を日本に引き渡す二島返還論で両国の交渉は妥結寸前まで進んでいた。
そこにアメリカの横槍が入る。「ダレスの恫喝」である。
東西冷戦が過熱する状況下で、領土交渉が進展して日ソ関係が修復されることをアメリカは強く警戒していた。二島返還はそもそも日本政府が拒否していたという見方もあるが、いずれにせよ、日本が国後、択捉を含む四島返還を要求するようになった背景には「ダレスの恫喝」、すなわちアメリカの圧力があったことをプーチン大統領はズバリ指摘したのだ。
結果、日ソの交渉は折り合わず、日ソ共同宣言では領土問題は積み残されて、平和条約も結ばれなかった。
北方領土返還の条件に出された大胆不敵な提案
5月ソチ、9月ウラジオストク、11月リマ(ペルー)、そして12月と、2016年だけで安倍首相とプーチン大統領は通訳だけを同席させた首脳会談を4回行っている。
ウラジオストクの会談後は「領土交渉の道筋が見えた」と上機嫌で手応えを口にしていた安倍首相が、リマの会談後は顔色が変わっていたという。
このときプーチン大統領から何を言われたのか。推測するにこういうことではないか。
「北方領土(少なくとも2島)は返してやってもいい。しかし、主権が移って日本の領土になるということは日米安全保障条約の対象になるということか? もしアメリカが北方領土にミサイル基地を造るとでも言い出したら、お前は断れるのか?」
ロシアとしてはせっかく返した北方領土に米軍基地を造られたら堪らない。しかし、(日本の領土という大義名分で)尖閣まで守ってほしいと懇願している日本政府が、アメリカに対して「北方領土だけは安保対象から外してくれ」などと言えるわけがない。その意味で、「日本が“独立した国”として自分で意思決定できるまで、領土交渉は進まない」というロシアのラブロフ外相の発言は間違っていない。
返答に窮した安倍首相にプーチン大統領は、ぶっちゃけ、こう持ちかけたのではないか。
「無理だよな。そもそも沖縄返還を秤にかけて、二島返還と平和条約の締結を邪魔したのはアメリカだ。日本はそれを受け入れて、お前の大叔父の佐藤栄作は沖縄を返してもらった。ならば北方領土も同じ条件でどうだ?」
沖縄返還に際して、「ダレスの恫喝」以外に、もう一つ大きな付帯条件があった。
外務省はひた隠しにしているが「沖縄の民政は返還しても軍政は返さない」、ということである。オスプレイが沖縄に配備されても、事故を起こしても政府が文句一つ言えないのは、軍政に関しては日本の主権が及ばないからだ。この一部は日本でも「日米地位協定」といういい加減な取り決めで知られている。しかし軍政の主権が返還されてないことを、日本政府は今日まで国民に説明してこなかった。
プーチン大統領から北方領土問題の歴史的な因果を含められ、大胆不敵な提案(民政は返してやるが軍政は安保の対象になるのを避けるためロシアが当面は担当する)を受けた安倍首相はさぞかし呻吟し、領土問題の根深さ、難しさを思い知ったに違いない。
「私の世代で北方領土問題に終止符を打つ」と決意した安倍首相は、一人悶々と解決策を考えて、次のステップに踏み出さなければならない。誰かに相談したら、潰されるリスクが高くなるからだ(現に外務省の谷内正太郎元事務次官はロシアの高官に、北方領土が返還されれば日米安保の対象になりうる、と答えたと言われている)。
1人で交渉に当たっただけに深い谷底を覗いた安倍首相の孤独な心情は察するに余りある。
2016年12月の首脳会談では「特別な制度の下での共同経済活動」という方向性が示された。「特別な制度」とは、主権を分けて経済活動を優先させる沖縄返還方式を意味している、という見方もできる。
当面はアメリカの干渉を招く領土問題を棚上げして、「平和条約」でエネルギーや観光交流など日本にもメリットのある作業に集中することだ。
結論
沖縄返還に際して、大きな付帯条件があった。「沖縄の民政は返還しても軍政は返さない」ということである。
2016年12月の日ロ首脳会談では、「特別な制度の下での共同経済活動」という方向性が示された。これは沖縄返還方式を意味している、という見方もできる。 
 
 
 〜2017

 

 
  
 

 



2018/11
 
 
 
●北方領土問題
北海道根室半島の沖合にあり、現在ロシア連邦が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の島々、すなわち北方領土に対して、日本が返還を求めている領土問題である。
日本国政府は、ロシア連邦が自国領土だとして占領・実効支配している北方領土について、返還を求めている。1945年(昭和20年)8月14日に日本がポツダム宣言の受諾を決定した後、1945年8月28日から9月5日にかけて赤軍(ソ連軍)は米国の協力により艦船・武器の提供、上陸訓練などの指導を受け、北方領土に上陸し占領した。北方領土は現在に至るまでソビエト社会主義共和国連邦および、それを継承したロシア連邦が実効支配を継続している。日本国政府は北方領土は日本固有の領土だとして領有権を主張しているものの、一切の施政権は及んでおらず、日本はその返還を求めている。
千島列島の呼称について、日本国政府は「サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも(国後択捉)両島は含まれない」、色丹島および歯舞諸島は北海道の一部を構成する(属島)とする。ソビエト連邦あるいは現ロシア連邦はサンフランシスコ平和条約に調印していない。
ソビエト連邦(現ロシア連邦)では、色丹・歯舞を合わせて小クリル列島、占守島から国後島までを大クリル列島、小クリル列島と大クリル列島を合わせてクリル列島と呼んでいる。
 北方領土関係史
日本国政府は「日本はロシアより早くから北方領土の統治を行っており、ロシアが得撫島より南を支配したことは、太平洋戦争以前は一度もない」と主張している。1644年に江戸幕府が作成した『正保御国絵図』には、松前藩が支配している蝦夷地として北海道本島、樺太、千島列島が記されている。国後島や択捉島も記載されている。
この地図は、松前藩が江戸幕府に提出したものを基礎としており、提出された原本は残っていないが、松前藩は1635年に樺太調査を行っており、地図はそれに基づいて作られたものと言われている。択捉島についていえば、アイヌが先住していて、1661年に伊勢国の七郎兵衛らの船が漂流している。1760年代にロシア人のイワン・チョールヌイが、択捉島でアイヌからサヤーク(毛皮税)を取り立てたという記録が残されている。また、最上徳内が徳川幕府の派遣した探検家として最初に択捉島を訪れた1780年代には、択捉島には3名のロシア人が居住し、アイヌの中に正教を信仰する者がいたことが知られており、同時期、既にロシア人の足跡があったことも知られている(ただし正教はロシア人・ロシア国民以外にも信仰されているものであり〈例:ギリシャ正教会、ブルガリア正教会、日本正教会〉正教徒であることイコールロシア人ではない)。
1854年
(嘉永7年)千島列島、全樺太島やカムチャッカ半島までも明記した「改正蝦夷全図」なる(加陽・豊島 毅作)。
1855年
日本とロシア帝国は日露和親条約(下田条約)を結び、択捉島と得撫島の間を国境線とした。
1869年
蝦夷地を北海道と改称。このとき国後島・択捉島の行政区分をあわせて「千島国」とし五郡を置いた。
1875年
日本とロシアは樺太・千島交換条約を結び、「クリル群島(le groupe des îles dites Kouriles)」を日本領、日本とロシアの共同統治としながらも、両国民の紛争の絶えなかった樺太をロシア領とした。この条約はフランス語が正文であり、これに基づいて日本語訳が作られたが、この翻訳は不正確なものだった。不正確な日本語訳に基づいて、得撫島以北が千島列島であるとの解釈がなされたことがある。
条約締結後、当時の行政区分で「千島国」と定められていた国後島・択捉島に、得撫島以北を編入し、国後島から占守島までが千島国になった。
(1904年-1905年 日露戦争。ポーツマス条約により南樺太が日本に割譲された)
(1917年-1918年 ロシア革命)
(1918年-1922年 シベリア出兵)
(1931年 満州事変勃発)
(1937年 日中戦争勃発)
1940年
11月25日、モロトフが駐ソ連ドイツ大使を呼び出し、ドイツ外相フォン・リッベントロップの提案に従って、日独伊三国同盟を「日独伊ソ四国同盟」とする事にソ連政府として同意した。締結にあたって解決すべき条件があり、その中に北サハリンにおける日本の石炭・石油採掘権の放棄という項目があった。この同盟案はドイツがソ連に奇襲攻撃をかけたため消滅してしまった。
1941年 日米開戦
開戦前、アメリカ大統領ルーズベルトはヨシフ・スターリンに、日本軍がソ連沿海州を攻撃するという情報を届けた。これに関連し、ソ連極東地域にアメリカ空軍基地建設許可、アラスカ経由での航空機輸送を提案した。だがゾルゲなどの諜報機関から日本が対米開戦ハワイ奇襲を決意したことを知るスターリンは相手にせず、米軍爆撃機基地建設を拒絶した。
1942年
6月17日、新任アメリカ大使スタンリー将軍がルーズベルトの親書をスターリンに手渡した。ルーズベルトは再び日本軍のソ連侵攻に言及し、極東に米軍基地建設を求めた。スターリンは、独ソ戦の激戦が続く間、日本との関係を悪化させないと特命全権大使に言明した。
1943年
10月、モスクワにおいて米・英・ソ三国外相会談が開かれる(モスクワ会談)。スターリンの通訳によれば、10月30日に開催されたクレムリンのエカテリーナ広間晩餐会で、スターリンは隣に座るハル国務長官に対し、ドイツ戦終了と同時に対日参戦することをソ連の意思として伝えた。ただし、耳打ちという形で告げられ、当分の間秘密とされた。続いて11月末、イランのテヘランにおいて、米・英・ソ首脳会談が開かれる(テヘラン会談)。この会談でルーズベルトとチャーチルは、1944年の5月までにヨーロッパで第二次戦線を開くことを約束した。その見返りにスターリンは、ドイツ敗戦の後に対日戦争に参加することをはっきり約束し、そのためにいかなる「要望」を提出するかは、後で明らかにすると言明した。
テヘラン会談の直前、カイロで米・英・中三国による首脳会談が開催される。米・英・中三大同盟国は日本国の侵略を制止し、罰するために戦争をしていること、日本の無条件降伏を目指すことが宣言された(カイロ宣言)。カイロ宣言では、第一次世界大戦以後に日本が諸外国より奪取した太平洋諸島の領土を剥奪すること、台湾・満州の中国への返還、日本が暴力・貪欲により略取した地域からの駆逐が定められている。南樺太や千島列島については触れられていない。
1944年
12月14日、スターリンはアメリカの駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンに対して南樺太や千島列島などの領有を要求する。これがのちにヤルタ協定に盛り込まれることとなる。
1945年2月
ソ連のヤルタで米・英・ソ首脳が会談(ヤルタ会談)。ここで、戦勝国間で、いずれ敗戦する戦勝権益の世界分割が話し合われた。大日本帝国を早期に敗北に追い込むため、ナチス・ドイツ降伏(ヨーロッパ戦勝記念日)の3ヶ月後に、ソ連対日参戦する見返りとして、日本の降伏後、南樺太をソ連に返還し、千島列島をソ連に引き渡すべきとした極東密約を結んだ(ヤルタ協定)。
1945年4月5日
ソビエト社会主義共和国連邦が日ソ中立条約を破棄通告。日ソ中立条約は、規約により締約更新の1年前に通告しなければ、自動更新されることになっており、このソビエトの通告により、1946年4月25日に失効することになった。
1945年8月〜9月
8月9日、ヤルタ協定通り、ソ連は日ソ中立条約を破棄し、大日本帝国に宣戦布告。8月14日、御前会議にて、米・英・中・ソの共同宣言(ポツダム宣言)の受諾を決定、連合国にポツダム宣言受諾を通告。 
8月28日から9月1日までに、ソ連軍は北方領土の択捉・国後・色丹島を占領した。
9月2日、日本は連合国が作成した降伏文書(ソ連も当然、当事国として署名した)に調印した(対日戦勝記念日)。同時に一般命令第一号、千島諸島の日本軍は「ソヴィエト」極東軍最高司令官に降伏すべきこととした。
9月3日から5日にかけてソ連軍は歯舞群島を占領した。
1946年〜1949年
1946年1月29日、GHQ指令第677号により、千島列島・歯舞・色丹などの地域に対する日本の行政権が一時的に停止され、千島はソビエトの行政管轄区域となった。
1946年2月2日、ソ連邦最高会議が、千島列島(クリル諸島)の領域を1945年9月20日にさかのぼり国有化宣言する(ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)。
1946年2月11日、ヤルタ会談における極東密約(ヤルタ協定)が公開された。
北方領土には日本国民は約1万7千人住んでいたが、占領当初は、日本国民の本国帰還は認められなかった。1946年12月、GHQとソ連との間で日本国民全員の引き上げが合意されると、1949年7月までにほぼ全員の日本国民が帰国した。しかし、朝鮮人はその後も帰還することができず、多くはサハリン(樺太)に移住して在樺コリアンとなった。
1951年
サンフランシスコ講和条約で、日本は南樺太と千島列島を放棄する。平和条約国会で、政府はヤルタ協定のいう千島列島の範囲に、国後島・択捉島が含まれると説明している 。この説明は1956年2月に取り消された 。
1956年
日ソ共同宣言(昭和31年条約第20号) / 日ソ交渉に先立って、サンフランシスコ条約起草国である米国や、英国、フランスに対して、同条約中、放棄した千島の範囲について問い合わせをした。米国は北方領土は常に日本の領土であったので、日本に主権があることは正当として認められなければならないと国務省の覚書として明文化された公式見解を示し、日本の立場を支持している。しかし、英・仏からは日本に好意的な回答は得られなかった。フランスからは、サンフランシスコ会議議事録において日本代表が国後、択捉を南千島として言及しているところに注意を喚起するとの回答があった。平和条約の締結交渉は、北方領土の全面返還を求める日本と、平和条約締結後の二島の「譲渡」で決着させようとするソ連の妥協点が見出せないまま、結局日ソ平和条約は締結されず、締結後に歯舞群島・色丹島をソ連が日本に引き渡すと記載された条文を盛り込んだ共同宣言で決着した。日ソ共同宣言で日ソ間の外交関係が回復。日本とソ連は1956年12月7日、日ソ共同宣言の批准書を交換し、日ソ共同宣言は同日発効した。
1957年
ソ連国境警備隊が貝殻島に上陸。日本は日米安保条約下にあったが、このとき米軍は一切出動しなかった。
1960年
岸信介内閣が日米安全保障条約改定を行ったことに対してソビエトが反発。ソ連は、歯舞群島と色丹島の引き渡しは「両国間の友好関係に基づいた、本来ソビエト領である同地域の引き渡し」とし、引き渡しに条件(外国軍隊の日本からの撤退)を付けることを主張する。日本政府は、共同宣言調印時には既に日米安保があったとして反論。
1962年3月9日
日本の衆議院本会議において沖縄・小笠原施政権回復決議とともに、北方領土回復決議が採択される。
1964年7月10日
毛沢東中国共産党主席が中国を訪問していた日本社会党訪中団に対し、ソビエト連邦について「とにかく自分の領内に入れることのできるところは、残らず自分の領内に入れようというのです。」などとしたうえで、「われわれはまだ彼らとの間に、決算が終つて(原文ママ)いないのです。ところで、皆さんの千島列島についてですが、われわれにとって、それは別に問題ではありません。皆さんに返還すべきだと思います。」と述べ、北方領土問題に関し日本を支持する考えを示す。
1970年11月11日
オコニシニコフ在日ソ連臨時代理大使が日本の森外務事務次官に対し、北方領土に関する対日口頭声明を行う。これに対し同年11月17日に、日本の森外務事務次官がオコニシニコフ在日ソ連臨時代理大使に対し、先の声明に対する回答を口頭で行う(対ソ回答)。
1972年
大平正芳外相が北方領土問題の国際司法裁判所への付託を提案したが、ソ連のアンドレイ・グロムイコ外相が拒否する。
1973年
田中・ブレジネフ会談。第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決した後、平和条約を締結することが合意された。(日ソ共同声明)
1981年
北方領土の日設定。毎年2月7日を北方領土の日とする。
1991年
ソビエト連邦は解体、ロシア連邦として独立し、領土問題を引き継ぐ。
1993年
10月 細川護煕首相とエリツィン大統領が会談し、北方四島の島名を列挙した上で北方領土問題をその帰属に関する問題を解決した上で平和条約を早期に締結するとして日露共同文書が発表された。(東京宣言)
2010年
7月 中国共産党胡錦濤総書記の働きかけもあり、ロシアは日本が第二次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を「終戦記念日」に制定した。
11月1日 ドミートリー・メドヴェージェフ大統領は、北方領土の国後島を訪問。「ロシアの領土を訪問」したとしている。
11月1日 アメリカのフィリップ・クローリー国務次官補は記者会見の席上で、ロシアのドミートリー・メドヴェージェフ大統領が国後島を訪問したことに関し「北方領土に関して、アメリカは日本を支持している」と述べる。
11月2日 アメリカのフィリップ・クローリー国務次官補は記者会見の席上で、「アメリカは北方領土に対する日本の主権を認めている」としたうえで、北方領土に日米安全保障条約が適用されるかについて、「現在は日本の施政下にないため、第5条は適用されない」と述べる。
2011年
2月11日 ロシアのラブロフ外相は日露外相会談を受けた記者会見で、北方領土の開発に「中国や韓国など(第三国)の投資を歓迎する」と述べる。
5月24日 竹島の領有権確保を目指す「独島領土守護対策特別委員会」の韓国議員3人が国後島を訪問。この訪問予定を知った日本政府は遺憾の意を示していたが、「韓国国会議員の行動にあれこれと言ってくるのは失礼な態度だ」とし、訪問目的を「日本との領有権問題がある地域の支配・管理状況の視察」とした。
 解説
1945年9月2日、日本は降伏文書に調印した。この時、南樺太・千島の日本軍は赤軍極東戦線に降伏することが命令され、南樺太・千島はソ連の占領地区となった。1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄した。この条約にソ連は調印していないため、ソ連との国交回復は、1956年日ソ共同宣言により行われた。この時、日ソ間で領土の帰属に関して合意が得られなかった。その後、日ソ・日ロ間には、幾つかの共同声明や共同コミュニケがあるが、平和条約締結や領土問題での合意に至っていない。
1941年4月、日ソ間で、日ソ中立条約が締結された。その2ヵ月後、ドイツが突如ソ連に侵攻し、独ソ戦が勃発。日本政府は、御前会議において、情勢ノ推移ニ伴フ帝国国策要綱を策定、独ソ戦が日本に有利に働いたときはソ連に侵攻することを決めた。さらに、日本軍は関東軍特種演習(関特演)を実施、ソ連侵攻の準備を整えた。しかし、日本政府の思惑とは異なって、独ソ戦は膠着し、日本のソ連侵攻の機会は得られなかった。
ソ連はスターリングラード攻防戦・クルスク戦車戦以降、独ソ戦を有利に展開するようになる。こうした中、1943年11月、テヘラン会談が米・英・ソ三国首脳により開かれ、当面の戦争、戦勝権益の連合国間での分割、連合国の覇権に置かれる戦後世界の戦略に関して幅広い協議が行われた。このときの合意は、1945年2月のヤルタ協定に引き継がれた。
当時アメリカは米国人の戦争犠牲をなるべく少なくすることを狙っており、そのためには、ソ連の対日参戦が必要だった。独ソ戦で大きな被害を受けていたソ連国民には、更なる戦争への参加をためらう気持ちも強かったが、戦後世界の勢力バランスを考慮したスターリンは米国の参戦要求を了承した。当初ポツダム宣言への連名は、日本と交戦状態に無いソ連は除外されていたが、ソ連は参戦後、ポツダム宣言に参加した。その後、アメリカ主導で作成されたサンフランシスコ講和条約においても、既にソ連が占領している南樺太や千島をヤルタ会談での取り決め通り日本に放棄させる内容となっている。
1945年ドイツ敗北の3ヵ月後、ソ連は米・英との合意にしたがって対日宣戦布告。翌日、ソ・満国境を越えて満州に進攻、8月14日に締結されたソ華友好同盟条約に基づいて、満州を日本軍から奪取した。満州の日本軍は、蒋介石の国民党軍ではなく、赤軍に対し降伏すると取り決められていた。翌年3月12日、蒋介石の駐留要請を断って、赤軍は、瀋陽から撤退を開始し、5月3日には旅順・大連に一部を残し、完全に撤退した。一方、南樺太では、8月11日、中立条約を侵犯し、日本に侵攻した赤軍は8月25日までに南樺太全土を占領した。樺太占領軍の一部は、26日に樺太・大泊港を出航し、28日択捉島に上陸、9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領した。歯舞群島は9月3日から5日にかけて占領されている。
1945年9月2日、日本は降伏文書に調印し、連合国の占領下に入った。千島・南樺太はソ連の占領地区とされた。1946年1月29日、GHQ指令第677号により、南樺太・千島列島・歯舞・色丹などの地域に対する日本の行政権が一時的に停止され、同2月2日に併合措置(ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)。サハリン島南部及びクリル諸島の領域を1945年9月20日にさかのぼり国有化宣言。これはヤルタ協定に基づくものの条約によらない一方的行政行為(一方的宣言)であり当該領域についての最終帰属に関する問題が発生する。1946年2月11日に米国とともにヤルタ密約の存在について公表。
1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが、同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄した。条約締結に先立つ1946年末から、日本は米国に対して36冊に及ぶ資料を提出、日本の立場を説明している。この中の2冊は千島に関する事項であることが知られている。このような経緯があって、千島列島の範囲が、日本に不利なように定義されなかったが、同時に、日本に有利なように定められることもなかった。
1952年3月20日にアメリカ合衆国上院は、「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞群島及びその他の領土、権利、権益をソビエト連邦の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権限及び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」とする決議を行った。この米上院の決議の趣旨は、サンフランシスコ講和条約第25条として明示的に盛り込まれている。米国上院のこの決議はサンフランシスコ条約批准にさいする解釈宣言であり有効である。但し外交交渉そのものの権限は大統領府にあり議会にあるわけでは無いので、当条約を批准した以降に大統領府がおこなう別の外交交渉を直接拘束する訳ではない。また他の参加・批准国を直接拘束するものではない(他の批准国はサンフランシスコ講和条約により直接的に拘束されている)。
サンフランシスコ講和条約をソ連は調印しておらず、ソ連とは、1956年日ソ共同宣言によって、国交が回復した。このとき、日ソ間では歯舞群島・色丹島の「譲渡」で合意しようとする機運が生まれたが、日本側が択捉島・国後島を含む返還を主張したため交渉は頓挫した。結果、現在もロシアとの平和条約締結に向けて交渉が行われているが、領土問題に関する具体的な成果は得られていない。
日本政府は1997年に在ハバロフスク総領事館サハリン出張駐在官事務所を開所し、2001年にはサハリン州ユジノサハリンスクに総領事館を設置した。総領事館の設置に際してはロシア政府と交換公文や往復書簡を交わしロシアの同意を得ており、総領事の配置にもアグレマンを得ているが、日本政府としては南樺太の最終的な帰属先は未定であるとの立場であり、仮に将来において何らかの国際的解決手段により南樺太の帰属が決定される場合にはその内容に応じて必要な措置を取るとしている。鈴木宗男は南樺太についての政府解釈は難しいだろうと指摘したうえで北方領土の帰属は日本であると確認をしている。近藤昭一は総領事館設置を既成事実として南樺太の帰属問題を解釈する危うさを指摘し、日本がロシアに対して依然南樺太の領有権を主張しうるとする説や、日本が領有権を主張し得ないと同様に対日平和条約の当事国でないソ連もこの条約に基づいて南樺太・千島列島の領有権を主張できないとする説に言及する。
カイロ宣言
和訳原文(抜粋)
「三大同盟國ハ日本國ノ侵掠ヲ制止シ且之ヲ罰スル爲今次ノ戰爭ヲ爲シツツアルモノナリ右同盟國ハ自國ノ爲ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス
右同盟國ノ目的ハ日本國ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カC國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ」
現代文
「三大同盟国(米・英・中)は、日本の侵略を制止し、日本を罰するために戦争をしている。右の同盟国は、自国のために何の利益も要求するものではない。また、領土拡張の考えがあるわけではない
右同盟国の目的は、日本国より1914年の第一次世界大戦の開始以後において、日本国が奪取し又は占領した太平洋における一切の島嶼を剥奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖諸島のような日本国が清国民より盗取した一切の地域を中華民国に返還することにある 」
1943年、太平洋戦争中に米・英・中がカイロで首脳会談をおこなった。この時のカイロ宣言では、日本の侵略を制止し、日本を罰し、1914年の第一次世界大戦以後日本が奪取した太平洋上の領土を奪還することや、満州・台湾を中国に返還することを目的としている。また、米・英・中には領土拡張の考えがないとしている。カイロ宣言は、米・英・中の宣言であるため、ソ連と関係した南樺太や千島列島は、同宣言の奪還の直接対象とはなっていない。
ポツダム宣言
和訳原文(抜粋)
「ポツダム宣言 八 「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」
現代文
「「カイロ」宣言の条項は履行されなければならず、また、日本国の主権は本州、北海道、九州、および四国ならびにわれらの決定する諸小島に限られなければならない」
ポツダム宣言ではカイロ宣言を履行されなければならないとしている。カイロ宣言では南樺太・千島には言及されておらず、ポツダム宣言でも千島列島・南樺太に関する言及は無い。ただし、四国よりも大きい樺太が諸小島に含まれるとも解釈できない。宣言ではソ連への千島・南樺太の譲与にも言及がない。
ソ連の対日参戦
8月 8日 ソ連、対日宣戦布告
8月10日 ポツダム宣言の受諾を連合国へ伝達
8月11日 ソ連、中立条約を侵犯し南樺太に侵攻
8月14日 ポツダム宣言の受諾を決定。在スイス加瀬公使、在スウェーデン岡本公使を通じ、米・英・ソ・中に、ポツダム宣言の無条件受諾を通告する。
8月15日 日本国民に向けて玉音放送
8月18日〜8月31日 ソ連、カムチャツカ半島方面から千島列島に侵入する(占守島の戦い)。以後、得撫島以北の北千島を占領。
8月25日 南樺太を占領
8月28日〜9月 1日 択捉・国後・色丹島を占領
9月 2日 日本、連合国への降伏文書に調印(一般命令第一号発令。本命令により、南樺太と千島列島の日本軍は赤軍極東戦線最高司令官に降伏することが義務付けられた)。
9月 3日〜9月 5日 赤軍が歯舞群島を占領
南樺太と千島列島のソ連軍占領は連合軍「一般命令第一号(陸、海軍)」にしたがって行われた。トルーマンの「一般命令第一号」原案では、千島列島の日本軍がソ連に降伏すると記載されてなかったため、スターリンは、ヤルタ協定に基づき、赤軍に対し降伏させるようトルーマンに要求。トルーマンはスターリンの要求を受け入れた。しかし、同時にスターリンが要求した、北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。他方、米国側はソ連に対し、千島列島中部の一島に米軍基地を設置させるよう要求したが、スターリンに拒否された。
翌1946年1月、連合軍最高司令官訓令SCAPIN第677号により、日本政府は、琉球・千島・歯舞群島・色丹島・南樺太などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国の領土に編入している。サンフランシスコ平和条約に調印していないソ連が占領した島々を、ロシアが現在も実効支配している。
サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)
「第二章 領域 第二条(c) (和訳原文)
日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」
日本はこの条約でソ連の調印のないまま千島列島を放棄する。条約では千島列島の範囲は明確になっていないが、アメリカ全権のダレスは歯舞群島は千島に含まないとするのが合衆国の見解とし、連合国内で合意をみない旧日本領土の最終処分については22条に基づいて国際司法裁判所に付託することができるとした。日本全権の吉田は、南樺太および千島列島は日本が侵略によって奪取したとのソ連全権の主張は承諾できない、としたうえでソ連による北方占領地の収容を非難する根拠として日露和親条約や千島樺太交換条約での平和的な国境の画定を指摘し、南樺太と千島列島のソビエトによる収容が一方的であると非難し、かつ歯舞・色丹については「日本の本土たる北海道の一部を構成する」と、国後・択捉については「日本領であることについて、帝政ロシアも何ら異議をはさまなかった」とそれぞれ説明している。
国内では、サンフランシスコ講和条約締結前の1950年3月8日の衆議院外務委員会にて島津久大政務局長が、同条約締結直後の1951年10月19日の衆院特別委員会にて西村熊雄条約局長が、同年11月6日の参院特別委員会に草葉隆圓外務政務次官が、それぞれ「南千島は千島に含まれている」と答弁している(但し、西村・草葉は歯舞・色丹に関しては千島列島ではないと答弁した)。この答弁がされていた当時は条約を成立させて主権を回復することが最優先課題であり、占領下にあって実際上政府に答弁の自由が制限されていた。この説明は国内的に1956年2月に森下國雄外務政務次官によって正式に取り消され、その後、日本は「北方領土は日本固有の領土であるので、日本が放棄した千島には含まれていない」としており、1956年頃から国後・択捉を指すものとして使われてきた「南千島」という用語が使われなくなり、その代わりに「北方領土」という用語が使われ始めた。日本政府は1964年に国後・択捉に対する「南千島」という旧来の呼称に代え、四島を返還要求地域として一括する「北方領土」という用語を使用するよう指示した。
この条約では日本が放棄した旧領土の帰属先については意図的に除外されており、ソビエト全権のグロムイコはこの英米案からなる講和条約案を非難している。これはすでに朝鮮半島で始まっていた東西陣営による角逐(朝鮮戦争、あるいは封じ込め政策)の緊張のなかで、北方占領地や台湾・沖縄・小笠原などが焦点となったためで、ソビエトは米国による西南諸島・台湾・小笠原諸島の国連信託統治の形での実効支配についても非難している。
また、第二条(c)のほかに、北方領土問題に関する条文として、第二十五条と第二十六条が存在する。 現在、サンフランシスコ講和条約においては以下の条文を適用することによりロシア(旧ソ連)による南樺太・千島列島・色丹島・歯舞群島の領有は否定されているというのが、この条約を批准した日本など46カ国の立場である。
「第七章 最終条項 第二十五条 (和訳原文)
この条約の適用上、連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう。但し、各場合に当該国がこの条約に署名し且つこれを批准したことを条件とする。第二十一条の規定を留保して、この条約は、ここに定義された連合国の一国でないいずれの国に対しても、いかなる権利、権原又は利益も与えるものではない。また、日本国のいかなる権利、権原又は利益も、この条約のいかなる規定によつても前記のとおり定義された連合国の一国でない国のために減損され、又は害されるものとみなしてはならない。」
つまり、ロシア(旧ソ連)はサンフランシスコ講和条約に調印・批准していないのでこの条約上の連合国には該当せず、当該条約はそのような国に対していかなる権利、権原又は利益も与えられてはおらず、すなわち、日本が放棄した千島列島や南樺太をロシアが領有することは認めないということである。
さらに、日本がこの条約に違反した場合の罰則も規定されている。
「第二十六条 (和訳原文)
日本国は、千九百四十二年一月一日の連合国宣言に署名し若しくは加入しており且つ日本国に対して戦争状態にある国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする。但し、この日本国の義務は、この条約の最初の効力発生の後三年で満了する。日本国が、いずれかの国との間で、この条約で定めるところよりも大きな利益をその国に与える平和処理又は戦争請求権処理を行つたときは、これと同一の利益は、この条約の当事国にも及ぼさなければならない。」
アメリカは、日本がソ連との間で色丹・歯舞の二島「譲渡」で妥協しようとした際、上記の条文を根拠として、沖縄の返還に難色を示した。
日ソ平和条約交渉と日ソ共同宣言
「日ソ共同宣言(昭和三十一年条約第二十一号) 9
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、両国間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続することに同意する。ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。」
1955年6月、松本俊一を全権代表として、ロンドンで、日ソ平和条約交渉が始まった。当初、ソ連は一島も渡さないと主張していたが、8月9日、態度を軟化させ、歯舞・色丹を日本領とすることに同意した。松本はこれで、平和条約交渉は妥結すると安堵したが、日本政府は、国後・択捉も含めた北方四島全てが日本領であるとの意向を示したため、交渉は行き詰まった。
1956年7月、重光葵外相を主席全権、松本を全権として、モスクワで、日ソ平和条約交渉が再開された。当初、重光は四島返還を主張したが、ソ連の態度が硬いと見るや、8月12日、歯舞・色丹二島返還で交渉を妥結することを決心し、本国へ打診。しかし、当時、保守合同直後の与党には、派閥間の思惑もあり、重光提案を拒否、日ソ平和条約交渉は膠着した。さらに、8月19日に重光外相はロンドンで行ったアメリカのダレス国務長官との会談の席上、ダレスに択捉島、国後島の領有権をソ連に対し主張するよう強く要求される。この中でダレスは「もし日本が国後、択捉をソ連に帰属せしめたなら、沖縄をアメリカの領土とする」と述べたとされる。なお、この会談の記録は外務省に保管されており、鈴木宗男が2006年2月に、松本の書籍の内容が事実であるかどうかを政府に質問したが、政府は今後の交渉に支障を来たす恐れがあるとして、明確な回答を一切避けた。
保守党内部の反鳩山勢力の思惑や米ソ冷戦下の米国の干渉などにより、平和条約交渉は完全に行き詰まった。
1956年、かねて日ソ関係正常化を政策目標に掲げていた鳩山一郎首相は局面を打開すべく自ら訪ソしようと考えた。領土問題を棚上げにして戦争状態の終了と、いわゆるシベリア抑留未帰還者問題を解決する国交回復方式(アデナウアー方式)に倣うものとし、この場合、国交回復後も領土問題に関する交渉を継続する旨の約束をソ連から取り付けることが重要だった。鳩山訪ソに先立ち松本俊一が訪ソし1956年9月29日グロムイコ第一外務次官との間で「領土問題をも含む平和条約締結交渉」の継続を合意する書簡を取り交わした。
同10月12日に鳩山首相が訪ソ、ブルガーニン首相らと会談。実質的交渉は河野一郎農相とフルシチョフ党第一書記との間で行われた。日本側は歯舞色丹の「譲渡」と国後択捉の継続協議を共同宣言に盛り込むよう主張したが、フルシチョフは歯舞色丹は書いてよいが、その場合は平和条約交渉で領土問題を扱うことはない、歯舞色丹で領土問題は解決する旨主張した。18日午後の会談で、河野が提示した案文に対しフルシチョフは平和条約締結交渉の継続を意味する「領土問題を含む」との字句を削除したいと述べ、河野はソ連側からの案文をそのまま採用したものだとして抗弁、河野は総理と相談するとして辞し、同日中にフルシチョフを再訪し字句削除の受け入れを伝えた。ただし日本側は「松本・グロムイコ書簡」を公表することで説明をつける考えであり、ソ連側の了解を得て公表された。
 領土問題の交渉過程
1956年日ソ共同宣言では歯舞、色丹を平和条約締結後に日本に引き渡す取り決めを結ぶ。日ソ共同宣言の締約によりソ連の賛同を得て日本は国際連合に加盟を果たすことになるが、平和条約交渉における領土問題の取り扱いについて日ソ間で直ちに認識の違いが露呈してくることとなる。1960年、日米安全保障条約の改正によりソ連は領土問題の解決交渉を打ち切り、領土問題は日本側の捏造でしかなく、当初から領土問題が存在しないことを表明(日本政府ならびに外務省は、ソ連は領土問題は解決済みと捉えている、としている)。日本もソ連との間では、まず北方領土問題が解決しなければ何もしないとの立場をとった。
1973年10月に田中角栄首相とブレジネフ共産党書記長との会談を経て、「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して、平和条約を締結する」との日ソ共同声明が出された。日本政府はこの共同声明において田中・ブレジネフ会談においてブレジネフ共産党書記長から領土問題が未解決であることの言質を得たと認識しているが、日ソの共同文書には領土問題は明記されなかった。
1991年4月にゴルバチョフ大統領が来日し、領土問題の存在を公式に認めた。1992年3月に東京の外相会談で、ロシア側が北方領土問題において歯舞・色丹を引き渡す交渉と国後・択捉の地位に関する交渉を同時並行で行った上で平和条約を締結することを含めた秘密提案を行ったものの、四島返還の保証はなかったことで日本側は同意しなかった。1993年10月、日露首脳が会談をし、日露首脳は北方四島の帰属問題について両国間で作成された文書や法と正義の原則に基づき解決することで平和条約を早期に締結するよう交渉を続けることを日露共同文書で明記した東京宣言が発表された。1997年11月のクラスノヤルスク合意では、東京宣言に基づいて2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすことで日露首脳が合意した。
1998年4月、日露首脳会談で日本側は「択捉島とウルップ島の間に、国境線を引くことを平和条約で合意し、政府間合意までの間はロシアの四島施政権を合法と認める案」を非公式に提案(川奈提案)。1998年11月、日露首脳会談でロシア側は「国境線確定を先送りして平和友好協力条約を先に結び、別途条約で国境線に関する条約を結ぶ案」が非公式に提案された(モスクワ提案)。2001年3月、日露首脳会談で日ソ共同宣言が平和条約交渉の基本となる法的文書であることを確認し、1993年の東京宣言に基づいて北方四島の帰属問題の解決に向けた交渉を促進することを明記した文書に両首脳が合意した(イルクーツク声明)。
日本側は四島返還が大前提であるが、ロシア側は歯舞・色丹の引き渡し以上の妥協はするつもりがなく、それ以上の交渉は進展していない。
2005年11月21日の未明に、訪日したプーチン大統領と小泉純一郎首相(当時)の間で日露首脳会談が行われた。これによって領土問題の解決を期待する声もあったが、領土問題の交渉と解決への努力の継続を確認する旨を発表したのみに留まり、具体的な進展は何も得られなかった。また、ロシア側も、原油価格の高騰による成長で、ソビエト崩壊直後のような経済支援や投資促進のカードを必要としなくなりつつあり、またラトビア、エストニアなどソ連併合時に国境を変更させられた両国との国境問題とも絡み合い、北方領土問題の解決を複雑にしている。
2009年2月18日サハリンでロシアのメドヴェージェフ大統領と日本の麻生太郎総理大臣が会談し、領土問題を「新たな、独創的で、型にはまらないアプローチ」の下、我々の世代で帰属の問題の最終的な解決につながるよう作業を加速すべく追加的な指示を出すことで一致した。
近年、ロシアはクリミア半島を独断で編入したことにより、現在でも欧米諸国からの経済的制裁を受け、さらに原油価格の大幅な下落により、国力が徐々に低下しつつある。それによりロシア側としても領土問題を解決しようという姿勢が再び活発化している。
 領土に関する日露の枠組み
戦後になると、北方領土を実効支配したソ連が、周辺海域で操業する日本の漁船を領海侵犯等の理由で取り締まるようになった。
日本政府は上述のトラブルを避けて、北方四島の海域で日本の漁船が操業できるようにするための協定が日ロ(日ソ)の間で締結されるようになった。
1963年に発効した「日ソ貝殻島昆布採取協定」(日ロ貝殻島昆布採取協定)は民間協定という形で、歯舞群島の貝殻島付近において、日本の漁業者が昆布漁をできるようにする取り決めで、北海道水産会という民間団体とソ連(ロシア)の関係当局とが毎年話し合って収穫できる昆布の量を決め、採取権料をソ連(ロシア)側に支払って漁を行う内容になっている。
日ソが200海里漁業水域を設定したことに伴い、それぞれ相手国200海里水域内で行う漁業についての交渉が行われ、1978年に日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定が同年12月に締結され、発効された。
1985年に発効した日ソ地先沖合漁業協定(日本国政府とソヴィエト社会主義共和国連邦政府との間の両国の地先沖合における漁業の分野の相互の関係に関する協定)は、日ソ漁業暫定協定とソ日漁業暫定協定の一本化し、両国政府が自国の二百海里水域における他方の国の漁船による漁獲を許可することのほか、相手国の漁船のための漁獲割り当て量等の操業条件の決定の方法、許可証の発給、漁船の取り締まり、漁業委員会の設置等について規定されている。有効期間は3年間とし、その後はいずれか一方が終了通告を行わない限り、1年ずつ自動的に延長される。日本側は水域の資源管理という名目で、協力費をソ連(ロシア)側に支払っている。
これらの協定は、1991年12月以降、国家としてソ連を引き継いだロシア連邦との間で引き続き有効である。
1998年には、北方四島の12海里水域(領海)における日本漁船の安全操業の枠組みを定める「日本国政府とロシア連邦政府との間の海洋生物資源についての操業の分野における協力の若干の事項に関する協定」(北方四島周辺水域における日本漁船の操業枠組み協定)が発効された。北方4島周辺の12海里水域(領海)で日本の漁業者が漁をできるようにする取り決めであり、毎年協議が行われ、操業条件が話し合われる。この協定には違法操業に対する取締りの規定はない。有効期間は3年間とし、その後はいずれか一方が終了通告を行わない限り、1年ずつ自動的に延長される。日本側は水域の資源管理という名目で、協力費をロシア側に支払っている。
2015年6月にロシアで排他的経済水域内でのサケ・マスの流し網漁を全面的に禁止する法案を可決し、2016年から施行されたが、北方領土におけるロシアの排他的経済水域内の漁業において流し網漁に依存する日本漁船に大きな影響が出ると見られている。
日本国民の北方領土関係者およびロシア人北方領土居住者に対するビザなし渡航が1991年の日ソ首脳会談で提案され、1992年4月から実施されている。
1991年12月のソ連崩壊に伴って、ロシアを含む旧ソ連諸国と日本とで1993年に「支援委員会の設置に関する協定」が締結・発効された。支援委員会は旧ソ連諸国の市場経済への移行を促進するメカニズムとして設置され、ロシアが実効支配する北方四島においては市場経済への移行を促進するためとして北方四島の診療所や発電所や緊急避難所兼宿泊施設に支出された。2002年の鈴木宗男事件発覚により、支援委員会の不透明さが問題視されて廃止された。
また、日本政府は北方四島の地区病院への医療器具や薬品の提供、北方四島の医師・看護師等の研修受け入れ、北方四島の患者の北海道の病院受け入れという形で北方四島へ医療支援をしている。
 北方領土の現状
日本の行政区分下の北方領土
北方領土四島には色丹村・泊村・留夜別村・留別村・紗那村・蘂取村・歯舞村の7村が地方自治体として存在していた。1959年に歯舞村が根室市と合併したため、歯舞村であった地域は現在、根室市に属している。
1983年4月1日では「北方領土問題等の解決の促進のための特別措置に関する法律」(昭和57年8月)第11条により日本国民の誰でも本籍を置くことが可能となっている。これは上記6村が元来北海道根室支庁に属する自治体であったため、各村自治体が実効的な存在を喪失して以降も上位の地方自治組織が機能しているためである。現在この手続きは根室市役所が行っている。なお、樺太や北千島に関しては、すでに樺太庁や北千島関連役所が消滅していることに加え、帰属が未確定であることを日本政府及び外務省が公認しているため、このような措置は行われていない。1982年3月31日までは、歯舞村を除く6村については本籍を置くことができなかった。
周辺海域 / 海上保安庁が開示している「日本の領海等概念図」では、北方領土四島全てが領海に含まれている。日本小型船舶検査機構が提供する航行区域の水域図では北方領土四島周辺にも、小型漁船であれば船舶検査が不要となる12海里のラインが示されており、東沸湖などの湖には二級小型船舶操縦士を取得すれば航行可能な平水区域の設定も確認できる。
ロシアの行政区分下の北方領土
現在、ロシアの施政権が行使されている状態にある北方四島は、ロシアの行政区分ではサハリン州に属している。国後、択捉、色丹島の現人口は合計約1万7000人で、これはソ連侵攻時に住んでいた日本人とほぼ同規模という。歯舞群島にはロシア国境警備隊のみが駐屯している。
ロシアは2014年択捉島にイトゥルップ空港を整備、2017年色丹島に経済特区を設置するなど、実効支配を強めている。
サハリン州は開発が遅れたために、カニやウニなどの魚介類を始め、ラッコやシマフクロウなど、北海道本島を始めとした周辺地域では絶滅あるいはその危険性が高い生物の一種の「聖域」状態となっている。ロシア政府は北方領土を含む千島一帯をクリリスキー自然保護区に指定して、禁猟区・禁漁区を設定するなど、日本の環境保護行政以上の規制措置が取られている。だが、ソ連崩壊後には密猟などが後を絶たず、一部の海産物は日本国内に密輸で流れているという説もある。
現在、一部の環境保護団体の間には北方領土を含む千島一帯の世界遺産登録を求める主張があり、また日本の環境保護行政は水産関係団体や開発業者に対して甘すぎるため、領土返還後には貴重な生態系が破壊される恐れがあるとして返還を危惧する人達もいる。一方、日本国内にも領土問題とは一線を画して、北方領土の対岸で先に世界遺産に登録されている知床とともに、日露両国が共同で一つの世界遺産地域を作っていくべきである、という声もある。だが、世界遺産に登録された状態の北方領土が返還された場合、旧島民の持つ土地所有権や漁業権をどうするのかについて不透明であるために、何らかの特別法制定が必要となる可能性がある。
北方四島交流事業を除くと、日本人が北方四島を問題なく訪問するには、ロシアの査証を取得して訪問しなければならない。ロシアの査証取得後、稚内港または新千歳空港、あるいは函館空港からサハリンに渡り、ユジノサハリンスクで北方四島への入境許可証を取得し、空路または海路でアクセスすることになる。
この方法はロシアの行政権に服する行為であり、ロシアの北方四島領有を認めるとして、日本国政府が1989年(平成元年)以来自粛を要請している。しかし自粛要請に法的強制力は存在しないため、北方四島のロシア企業との取引・技術支援や開発のため、多くの日本人ビジネスマンや技術者がロシアの査証を取得し、北方四島に渡航している。日本国政府としては、この方法での北方四島への渡航者に対して特別な対応や懲罰はしていない。
ロシアの北方領土の意義
ロシア側が北方領土を固有の領土とし、領土問題を否定する理由については、以下の要因があげられる。
日本政府ならびに外務省は、ロシア連邦国内の一般国民レベルでは、北方領土問題の存在自体があまり知られておらず、これを踏まえてロシア政府ならびに識者が、ロシアの北方四島領有は国民によって支持されていると主張している、と述べている。だが、実際にはロシア国内の学校では、ロシアの北方四島領有は第二次世界大戦の結果承認された正当な物であり、北方四島はロシア固有の領土であると教えている。このため、ロシア国内にて、北方領土問題は日本政府の一方的な主張に過ぎず、正当性の無い物である、という認識が一般化している。
またオホーツク海には潜水艦発射弾道ミサイル搭載型潜水艦(SSBN)が配備されており、ロシアの核抑止力維持のため戦略的に重要な位置づけにある。地政学的または軍事的見解に因れば、宗谷海峡(ラペルーズ海峡)、根室海峡(クナシルスキー海峡)をふくめ、ロシアは旧ソ連時代にオホーツク海への出入り口をすべて監視下に置いており、事実上そこからアメリカ軍を締め出すことに成功しているが、国後・択捉両島を返還してしまえば、国後・択捉間の国後水道(エカチェリーナ海峡)の統括権を失い、オホーツク海にアメリカ海軍を自由に出入りさせられるようになってしまう。国後水道は、ロシア海軍が冬季に安全に太平洋に出る上での極めて重要なルートでもあり、これが米国(の同盟国である日本)の影響下に入ることは安全保障上の大きな損失となる。ロシア連邦運輸省のエゴーロフは連邦最高総局のレポートのなかで、南クリル諸島の海域が凍結しない海峡として太平洋への自由航行のために重要であると報告している。
北方領土には、石油に換算しておよそ3億6千万トンと推定される石油や天然ガス、世界の年間産出量の半分近い量の生産が見込まれるレニウムなど手付かずの豊富な地下資源が眠っており、水産資源においても世界3大漁場の内の1つに上げられるほど豊富である。ロシアの天然資源・環境省によると、これら北方領土周辺の資源価値は2兆5000億ドルに上ると推計されており、これらの資源を巡る問題もまた北方領土の日本への返還を困難なものとしている。
サンフランシスコ講和条約に対しても、ロシア側の主張は日本側のものとはかなり食い違っている。当時のソ連側から見れば、大戦当時ソ連・アメリカ・イギリス・中華民国は連合国であり、日本・ドイツ・イタリアの枢軸国とは敵対していた。枢軸国のイタリアやドイツが降伏した後、ソ連は連合国の求めに応じて対日参戦した。ヤルタ会談で千島・南樺太の割譲は米英ソの三者で合意されているし、ソ連も参加しているポツダム宣言を日本は無条件で受け入れ、1945年9月2日に降伏文書にも調印した。日本が降伏文書に調印する9月2日までは日本とソ連の間でまだ戦争は続いていたというのがロシアの立場であり、降伏文書調印以前の占領は合法であるという立場である。日露の間は平和条約の締結こそしていないがロシアは占領地区を既に自国へ編入している。さらに、サンフランシスコ条約で日本はクリル列島を放棄しており、クリル列島には、択捉島・国後島が含まれているのはもちろんのこと、色丹島・歯舞群島のいわゆる小クリル列島もまた含まれるとしている。そして、敗戦国である日本が領有権を主張している北方四島は第二次世界大戦の結果、戦勝国であるソ連が獲得した正当な領土であるため、日露間に領土問題は存在しないとしている。
ロシアはかねてから、日露平和条約締結により、北方二島「譲渡」に応じる、としている。が、日露平和条約締結には、日米安全保障条約の破棄ならびに米軍を始めとする全外国軍隊の日本からの撤退が第一条件となっており、二島「譲渡」は平和条約締結後、順を追って行うとしている。これは暗黙の了解ではなく、ソ連時代に度々公言されていたことである。そして日米安保問題に抵触していることから、アメリカが日露間に領土問題は存在する、として返還を要求するようになっている。
近年でこそ、ロシア社会において日本に対する認知度は高まってきているものの、いずれも文化的なものや経済的なものであり、その認識にしてもそれほど深いものではない。サハリン州では、当然日本に対する関心が深いが、現状の国境を承認することを前提として交流を深めようとするものである。
以前の日本側には「ロシアは経済的に困窮している。よってそのうちロシア側が経済的困窮に耐えられず日本側に譲歩し、北方領土を引き渡すであろう」という目論見があり、鈴木宗男失脚以後の日本の外務省の基本戦略は、北方諸島への援助を打ち切って困窮させるという、返還の世論を引き出そうとする「北風政策」であるが、問題は経済的に困窮しているかどうかといったレベルの事項ではない。事実、プーチン大統領就任以降驚異的な経済的発展を遂げたロシアは、2015年を目標年次とする「クリル開発計画」を策定し、国後、択捉、色丹島に大規模なインフラ整備を行う方針を打ち出した。結果、二島にあたる色丹島・歯舞群島はかつては無人島になっていたが、近年になって移住者及び定住者の存在が確認されており、ロシア側の主張する二島「譲渡」論も困難な状況となっていった。
現在ではロシア政府は、北方領土という領土問題自体が存在しない、といういわゆる領土問題非存在論にシフトしつつあり、2010年11月には二島「譲渡」論ならびにその根拠となっている日ソ共同宣言を疑問視する見解が外相から出されている。2014年のクリミア侵攻以降は、欧米各国から制裁を受けるようになり、本格的に経済的な困窮するようになり、ロシア側としても日本との国交正常化を促進しようとする姿勢が活発化している。だが、いずれも領土問題が切り離されているため、交渉は一向に進んでいないのが現状である。2016年、日本はロシアとの交渉にあたって、四島一括返還を前提にした領土問題の解決を図る事を明らかにしているが、ロシアがこれに応じる事は無いといった、悲観的な意見も少なくない。
日本の北方領土の意義
"北方四島は外国の領土になったことがない日本固有の領土であり、ソ連の対日参戦により占領され不法占拠が続けられている状態であり、この問題が存在するため戦後60年以上を経たにもかかわらず日露間で平和条約が締結されていない"、とするのが日本政府の見解である。内閣府では「固有の領土である北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわる重大な課題」としている。根室・釧路の漁民はソビエト・ロシアの一方的主張にもとづく海域警備行動により銃撃を受け死傷者を出している。
北方領土問題についてのロシアの姿勢
2000年以降のロシアの北方領土問題への対応について列記する。
2006年8月16日 - 第31吉進丸事件。
2010年2月9日 - ロシア外務省が「北方領土返還大会」に不快感を表明。
2010年7月 - ロシア軍の択捉島における大規模軍事演習。
2010年7月 - ロシア議会でロシア対日戦勝記念日法案の成立。
2010年11月1日 - ロシアの大統領ドミトリー・メドベージェフが、国家元首として初めて国後島訪問。
2011年5月 - 副首相 セルゲイ・イワノフが択捉島を訪問。
2011年5月 - 3人の韓国国会議員の国後島訪問。
2011年9月11日 - 安全保障会議書記ニコライ・パトルシェフが、国後島と歯舞群島の水晶島を訪問。
2012年1月26日 - 外相セルゲイ・ラブロフ、インタビューで「"北方領土は第二次大戦の結果、法的根拠に基づきロシア領となった"という現実を認めるよう日本に要求する」と発言し、強硬な態度を示した。2016年5月31日にも同様の発言をした。
2016年11月22日 - 日露首脳会談に先立ち新型対艦ミサイルを配備。
2016年12月15日 - 安倍晋三首相とウラジーミル・プーチン大統領が長門市で会談し北方領土での共同経済活動に向けた協議の開始を合意。
2017年2月8日 - ロシアのメドベージェフ首相が2017年2月8日に署名した政府令によれば、歯舞群島の秋勇留島近くと色丹島近くの5つ島には、第2次大戦の日本の降伏文書にソ連代表として署名したデレビヤンコ将軍、旧日本軍との戦いで知られるソ連のグネチコ将軍、ロシアサハリン州元知事ファルフトジノフ氏、ソ連の外交官グロムイコ氏、ソ連艦隊の女性船長シェチニナ氏の名前がつけられた。
2017年2月22日 - 年内に5000人規模の新師団をクリル諸島に配備する計画を発表。
択捉島のロシア空港建設
2014年、択捉島の中央部に民間空港としてヤースヌイ空港が開港した。滑走路の全長は約2,300メートルで、サハリン・ユジノサハリンスクとの間で定期便が運航されている。一方空軍は旧日本軍が建設した空港を使用している。
2018年1月30日、メドベージェフ首相は、ロシア空軍がヤースヌイ空港を基地としても使用する軍民共用化を許可する政令に署名した。
国後島、択捉島におけるロシアによるミサイル及び師団の配備
2016年11月22日、ロシア海軍太平洋艦隊機関紙『ヴォエバヤ・ヴァーフタ』は、択捉島に3K96 リドゥートに代わる対艦ミサイルP-800地上発射型「バスチオン」を配備したこと、及び従来対艦ミサイル配備のなかった国後島にKh-35地対艦ミサイル型3K60バルの移送がなされたことを明らかにした。
2017年2月22日には、セルゲイ・ショイグ国防相により、クリル諸島に同年内に5000人規模の師団が新たに配備される計画になっていることが明らかにされ、日本政府側から懸念が出された。
 解決策
当事国が領土の帰属問題について合意することが困難な際、国連機関である国際司法裁判所を利用することができる。しかし国際司法裁判所の制度によれば、付託するためには紛争当事国両国の同意が必要であり、仮に日本が提訴した場合、ロシアが国際司法裁判所への付託に同意しない限り審議は開始されない。過去の北方領土問題関連の国際司法裁判所をめぐる外相間交渉については上記「北方領土関係史」の1972年の箇所を参照のこと。 個別交渉の場合、ソビエト・ロシアはサンフランシスコ講和条約に参加していないため、北方領土問題解決には、ロシアの同意が不可欠となっている。これに対して下記各項目のような提案や交渉が行われてきた。
四島返還論
日本の政府が公式に主張する解決策である。「サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも(国後択捉)両島は含まれないというのが政府の見解」である。日露和親条約から樺太・千島交換条約を経過して、ソビエトによる軍事占領に至るまでは北方四島は一度も外国の領土となったことはなく、日露間の平和的な外交交渉により締約された国境線である。
カイロ宣言の趣旨においてこの四島を「占領」状態ではなく「併合」宣言したことは信義に対する著しい不誠実であり、ポツダム宣言に明示されている放棄すべき領域がカイロ宣言を指定している以上、「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始」以前からの領土である千島列島、あるいは少なくともソビエトの署名がないサンフランシスコ講和条約に立脚したとしても「一度も外国の領土になったことのない」日本固有の領土である北方四島をソビエトが併合宣言したことは承認できない、とする。
連合国は、第二次大戦の処理方針として大西洋憲章やカイロ宣言で領土不拡大の原則を宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれている。この原則に照らすならば、日本固有の領土である北方領土の放棄を求められる筋合いはなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しない。
日本は「北方四島に対する我が国の主権が確認されることを条件として、実際の返還の時期、態様については、柔軟に対応する」「北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分に尊重していく」とする四島返還論を主張している。
二島譲渡論
日ソ共同宣言に基づき、宣言通りに平和条約を締結後に歯舞群島・色丹島を「引き渡す」ことによって、領土問題を終結するとするのが「唯一の法的根拠がある」解決策だとする。ロシア側は、"この解決策は「返還」にはあたらず、「善意に基づく譲渡」に該当する"との立場を取っている。
ロシア側の根拠は、"日本は既にサンフランシスコ講和条約によって、北方四島を含む千島列島の領有権を放棄しているため、旧ソビエトの領有宣言により、北方領土の領土権はすでにロシアにある"というものである。サンフランシスコ講和条約の第2条(c)で日本は千島列島を放棄している。ロシア側はこの千島列島の定義には北方四島が含まれるとする。その根拠として日本が署名した樺太・千島交換条約のフランス語の原文が示される。この認識の上で、"両国の平和条約締結および、ロシアの千島列島に対する領土権を国際法上で明確に確立するという国益のためならば、平和条約を締結後に歯舞・色丹の二島を日本側に「引き渡し」てもよい"とするのがロシア側の立場である。また"この立場は日ソ共同宣言で日ロの両国が確認しているので、これから遊離することはあり得ないだけでなく、四島「返還」を求める日本は不誠実である"とロシア側は主張している。
実際に当時の全権委員の松本俊一の回想録『モスクワにかける虹』や、原貴美恵による研究においても、日ソ共同宣言がこの解決策を意識したものであったと述べられている。しかし領土に関する国会の情勢は、GHQによる占領下の国会論議においてすでに、沖縄や小笠原などを含め、のちの民社党議員を中心とした日本社会党や日本共産党などの野党議員がこの問題を軸に、現実的外交を標榜し右顧左眄する吉田内閣から以降の政権党(自由党)を糾弾する構図であり、左派・右派議員あるいは朝野(与野党)を問わない活動家による四島返還を主張する機運が高まり、四島返還要求が日本の国策になった。
またアメリカ側は、国務長官ダレスがロンドンにおける重光外相との会談のなかで国後択捉に関して忠告を与え、仮に残り二島の返還を放棄するなら米国としても沖縄を米国領として併合することになるとの主旨のメッセージを日本側に伝え二島譲渡を念頭にした鳩山外交は内外からの圧力により挫折することになり、日ソ共同宣言と引き換えに承認された国際連合への加盟を花道に鳩山内閣は総辞職となった。
なお、旧ソビエトはサンフランシスコ講和条約に署名しておらず、同条約からの利益をえることは25条により拒否されている(先述)。結果として、日本はロシアとは未だに平和条約を締結していない。さらに、サンフランシスコ講和条約ならびに日ソ共同宣言では日本が放棄した千島列島および南樺太がどの国に帰属するのかは明記されておらず、不明のままである。これに対してロシアはサハリン州を設置し、千島列島および南樺太の領有を主張しているが、国際法上は法的根拠が無いとされている。
ロシア側は、"日本の領有権そのものがすでに消滅しており、両国の平和条約の締結における条件は日ソ共同宣言で確認済みであり、この合意を破棄した日本に問題の根源がある"と見なしており、現在では後述の日本の領土返還主張全面放棄がよりよい解決策であるとの見解を示すようになっている。これに対して、日本側は"北方領土の全ての「領有権」を主張する立場"を取っており、両国の交渉は平行線をたどる状況にある。
四島内を対象にした議論・言及
ロシア側は日本がすでに北方領土の領有権を放棄していると見なしており、平和条約締結後にその見返りとしてロシア領である二島を「引き渡す」という案以外を認めていない。よってこれらの妥協案は、基本的に日本が国際法上未だに領有権を保持しているという前提に立った上で日本国内で議論されている論である。以下はその主なものである。
二島先行(段階的)返還 / 日ソ共同宣言に基づき、歯舞群島・色丹島を「譲渡」することによって平和条約を締結するが、さらに日本側はその後に残りの二島の返還の交渉を続けるとするもの。ロシア側は、日本の領土権はサンフランシスコ条約によって破棄されているとみなしており、二島は返還でなく平和条約の締結の見返りとしての「譲渡」とみなしている点が問題である。
三島返還論 / 国後島を日本領、択捉島をロシア領とすることで双方が妥協
共同統治論 / 択捉・国後の両島を日露で共同統治
面積2等分論 / 歯舞、色丹、国後の3島に加え、択捉の25%を日本に返還させ、択捉の75%をロシア側に譲渡
平和条約を締結した後に歯舞・色丹の両島を日本に「譲渡」することはロシアと日本の両国が認めている。ただし、ロシア側は既に領土問題は国際法上では解決済みとの立場をとる。日本側は平和条約締結後も残りの領土返還を要求すると主張しているので、これに対して、ロシア側にどれだけの譲歩を引き出すか、あるいは引き出すこと自体が可能なのかが、ほかの案での問題となる。つまり、残りの択捉・国後の両島への対応が争点となる一方で、両国の国際法上の認識そのものが争点となっている。
○二島返還論
日本側においては主に「二島先行返還論」または「2+2方式」と称される案を指す。これは、日ソ共同宣言で日本への引き渡しが確認されている歯舞・色丹の二島を、ひとまず日本側に返還させ、残った択捉・国後の両島については、両国の継続協議とする案である。「二島先行返還論」の支持者としては政治家の鈴木宗男や外交官の東郷和彦がいる。一方ロシア側における二島「譲渡」論とはこれとは異なり、主に歯舞・色丹の「譲渡」のみでこの問題を幕引きさせようとする案のことであり、現在のロシア政府の公式見解である。
○三島返還論
別名を「フィフティ・フィフティ」と言い、中国とロシアが係争地の解決に用いた方式である。この方式では、領土紛争における過去の経緯は全く無視し、問題となっている領域を当事国で半分ずつ分割する。これを北方領土に形式的に当てはめると、国後島が日本領、択捉島上に国境線が引かれる、三島返還論に近い状態になる。岩下明裕(政治学者)はこの案を称揚しているが、もともとこの方式は、戦争により獲得した領土ではなく、単に国境をはさんだ2国のフロンティアがぶつかって明確な国境線が決め難かったケースに用いられたもので、北方領土問題には適用し難く、四島返還論に比べ実現する可能性が高いかどうかは不明瞭である。三島返還論に言及した政治家には、鳩山由紀夫、河野太郎、森喜朗らがいる。鳩山の「三島返還論」は、2007年2月にロシアのミハイル・フラトコフ首相(当時)が訪日した際、音羽御殿での雑談の中で飛び出したものである。しかし鳩山は、2009年2月の日露首脳会談で、麻生太郎首相が「面積二等分論」に言及したことに、「国是である4島返還論からの逸脱」と激しく批判しており、主張を変えている。
○共同統治論
「コンドミニウム」とも呼ばれ、近現代史上にいくつかの例がある。成功例として代表的なものにはアンドラがあり、失敗例には樺太やニューヘブリディーズ諸島(現バヌアツ)がある。具体案としては、例えば、かつてのアンドラのように、日露両国に択捉・国後の両島への潜在主権を認めながらも、住民に広い自治権を与えることで自治地域とすることが考えられる。もし日露両政府が島の施政権を直に行使すれば、日露の公権力の混在から、樺太雑居地(1867-1875)のような混乱を招く可能性が指摘されている。このため、住民に自治権を認め、両政府が施政権を任せることで、そうした混乱を防ぐことが必要になる。また、両島を国際連合の信託統治地域とし、日露両国が施政権者となる方法も可能である。この場合は施政権の分担が問題となる。共同統治論の日本側にとってのメリットとしては、難解な択捉・国後の領有問題を棚上げすることで、日本の漁民が両島の周辺で漁業を営めるようになることや、ロシア政府にも行政コストの負担を求められることなどが挙げられる。ロシア側にとってのメリットは、日本から官民を問わず投資や援助が期待でき、また、この地域における貿易の拡大も望めることである。共同統治論には、エリツィンや鳩山由紀夫、プリマコフ、ロシュコフ駐日ロシア大使(当時)、富田武(政治学者)らが言及している。法律的見地からも、日本国憲法前文2項、ロシア連邦憲法9条2項に合致する。
○面積2等分論
「歯舞群島、色丹島、国後島のすべてを足しても、鳥取県と同等の面積を持つ択捉島の半分に満たないこと」から浮上した案。国後など3島に択捉の西部の旧留別村を加えれば半分の面積になる。麻生太郎外務大臣が2006年12月13日の衆議院外務委員会での前原誠司・民主党前代表の質問で明らかにしている。麻生はその前年の2005年に解決を見た中露国境紛争を念頭に解決策として述べているが、中露間の国境問題はウスリー川をはさんだ中州の帰属をめぐる論争であること、同問題は中国側の人口増加に危機感を持ったロシア側が大きく譲歩した側面を持つこと、北方領土問題が旧ソ連側の日ソ中立条約の一方的蹂躙である経緯を度外視した発言であり、前原とのやり取りでは中露国境問題で最終争点となっていた大ウスリー島と、既に解決が成されているダマンスキー島を取り違え答弁している。麻生は安倍内閣発足直後の報道各社のインタビューに「2島でも、4島でもない道を日露トップが決断すべき」と発言しており、この発言は世論の反応を見定めるアドバルーン発言の可能性が強い。現実にその直後、外務省との関係が深い福田康夫元官房長官が麻生案を激しく批判しており、この案が外務省主導ではなく、官邸も一部容認であることを窺わせる。福田は2006年7月に自民党総裁選から撤退して以降、公の場ではほとんど発言していない。2007年8月に外務大臣に再登板した町村信孝は麻生案を「論外だ!」と激しく批判。同領土問題の原則を、従来通り「4島返還」での問題の解決に当たることを強調した。麻生は2009年2月に樺太で行われた日露首脳会談でもこの案を遠まわしに示している。更に同年4月17日、谷内正太郎・元外務事務次官が麻生を後押しするかのように毎日新聞の取材で同案に言及。だが、世論の反発が強まると谷内は一転して発言を否定。翌・5月21日の参議院・予算委員会の参考人質疑においても自身の発言について否定している。一方、二島先行返還が持論の佐藤優は、谷内の面積二等分案には返還後の同領土について日米安保の不適用条項が盛り込まれている点に着目、同案に一定の理解を示している。
千島列島全島返還論
"北千島を含めた千島列島全体が日本固有の領土であり、日本に返還されるべき"と主張する者たちもいる。日本共産党は、"千島・樺太交換条約は平和裏に締約されており、この樺太・千島交換条約を根拠に得撫島以北を含めた全千島の返還を要求できる"という千島列島全島返還の立場をとっている。
「スターリン時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。ヤルタ協定の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります。(2005年2月7日 日本共産党委員長 志位和夫)
日露領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時におけるスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にある。スターリンは、ヤルタ会談(1945年2月)でソ連の対日参戦の条件として千島列島の「引き渡し」を要求し、米英もそれを認め、この秘密の取り決めを根拠に、日本の歴史的領土である千島列島(国後、択捉(えとろふ)から、占守(しゅむしゅ)までの全千島列島)を併合した。これは「カイロ宣言」(1943年11月)などに明記され、自らも認めた「領土不拡大」という戦後処理の大原則を蹂躙(じゅうりん)するものだった。しかもソ連は、千島列島には含まれない北海道の一部である歯舞群島と色丹島まで占領した。第2次世界大戦終結時に強行された、「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正を正すことこそ、日ロ領土問題解決の根本にすえられなければならない。(2010年11月9日 日本共産党委員長 志位和夫)」
民間では、千島及び歯舞諸島返還懇請同盟(現在の北方領土返還要求運動都道府県民会議)が千島全島および歯舞群島の返還を求めていたが、後に国後、択捉、色丹及び歯舞群島のみの返還に主張が変化した。
日本の全面放棄論
四島に対する日本の領土返還主張を日本政府が全面放棄し、ロシアの支配及び領有を、現実としてだけでなく、法的にも正当なものとして承認し、その上で四島に対して日本が経済開発などで進出していく解決法で、交渉が進展しない中日本側からも全面放棄論が出てきている。領土問題は存在しないとするロシアの立場とも一致する。一方、1956年の日ソ共同宣言の「平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」「日ソ間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続する」とする条文を完全に否定するものである。
ロシア側からの返還論
ロシア側にもごく少数ながら、北方領土を返還するべきだと主張する者がいる。
グローバリゼーション問題研究所のミハイル・デリャーギンは、ロシア側が北方領土を返還した場合について言及したことがある。
ノーベル文学賞作家であるアレクサンドル・ソルジェニーツィンは著書『廃墟のなかのロシア』の中で、「ロシア人のものである何十という広大な州を(ソ連崩壊時に)ウクライナやカザフスタンに惜しげもなく譲渡」する一方で「エセ愛国主義」から日本に領土を返還する事を拒んでいるロシア連邦政府を批判し、これらの島がロシアに帰属していた事は一度も無かった事を指摘、さらに日露戦争やシベリア出兵という日本側からの「侮辱」への報復といった予想されるロシア人からの反論に対しては、ソ連が5年期限の日ソ中立条約を一方的に破棄した事が「いっさい(日本に対する)侮辱には当たらないとでもいうのだろうか」と述べ、「国土の狭い日本が領土の返還要求を行っているのは日本にとり国家の威信をかけた大問題だからである」として日本側の主張を擁護。「21世紀においてロシアが西にも南にも友人を見つけられないとすれば、日露の善隣関係・友好関係は充分に実現可能である」とし、日本への北方領土返還を主張した。
2010年11月15日、ロシアのベドモスチ紙は、台頭する中国に日本と協力して対抗するための第一歩として、歯舞群島・色丹島の引き渡しあるいは共同統治が必要であるとした。なお、ソ連崩壊後の日露両国は、日ソ共同宣言に明記されている「平和条約締結後の歯舞群島・色丹島の日本への引き渡し」を再確認しており、国後・択捉両島の取り扱いが領土問題における焦点となっている。
 返還に関する西欧の提言
ヨーロッパ議会は北方領土は日本に返還されるべきとの提言を出した。2005年7月7日づけの「EUと中国、台湾関係と極東における安全保障」と題された決議文の中で、ヨーロッパ議会は「極東の関係諸国が未解決の領土問題を解決する2国間協定の締結を目指すことを求める」とし、さらに日本韓国間の竹島問題や日本台湾間の尖閣諸島問題と併記して「第二次世界大戦終結時にソ連により占領され、現在ロシアに占領されている、北方領土の日本への返還」を求めている。ロシア外務省はこの決議に対し、日ロ二国間の問題解決に第三者の仲介は不要とコメントしている。なお、ロシア議会では議論になったこの決議文は日本の議会では取り上げられなかった。
ソ連で第4代最高指導者を務めたニキータ・フルシチョフは、晩年に記した回想記の中で、平和条約締結後とはいえ歯舞・色丹の引渡しに合意したのは、漁民と軍人しか利用していない島で防衛的、経済的に価値が無く、これらを引き換えに日本から得られる友好関係は極めて大きいと考えており、「ソ連がサンフランシスコ講和条約に調印しなかったことは大きな失策だった」、「たとえ北方領土問題で譲歩してでも日本との関係改善に努めるべきであった」と後悔の念を述べ、「日本との平和条約締結に失敗したのは、スターリンのプライドとモロトフの頑迷さにあった」と指摘した。この文章はフルシチョフ本人の政治的配慮によって回想記からは削除されていたが、ゴルバチョフ政権下のグラスノスチによって、1989年になってはじめてその内容が公開された。