「国難」 本当ですか

「国難」です
バラマキ少子化対策 借金の返済棚上げ
いざとなったら 自衛隊を北朝鮮へ派兵します
認めてください  

「国難」です
借金の返済のため 消費税10%では足りません 15%にします
もう一度 北朝鮮との対話の門を開きたい
我慢辛抱 認めてください
 


「国難突破解散だ」安倍首相が解散表明
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
「国難」
「国難突破解散」 国民の信を問いたい
1 2020年度までに子育て世代への投資拡充に向けた消費税の使い道の見直し
2 北朝鮮問題への圧力対応
  
 
 
「後は野となれ山となれ」解散
安倍政権は借金を増やすだけ
誰がなっても 安倍政権の次の政権は大変 
身を切る覚悟 「財政健全化」を口にできるのでしょうか
「国難」生みの親 安倍首相 
 
「国難突破解散」の新聞報道

 

安倍晋三首相は9月25日、28日に開会する臨時国会冒頭に衆議院を解散し、10月に総選挙をする方針を明らかにした。新聞各紙は、これをどう伝えたのか。全国紙の社説を比較した。
安倍首相は、深刻化する少子高齢化に対応するために、2019年10月に10%に引き上げられる予定の消費税の増収分を教育無償化などにあてると表明。さらに、核開発や弾道ミサイルなど、北朝鮮の脅威への対応の信任も問うとし、「国難突破解散」と名付けた。
読売新聞 「問われる安倍政治の総合評価」 (政権応援新聞)
読売新聞は解散について「自らが目指す政治や政策の実現のため、最も適切な時期に総選挙を実施するのは宰相として当然だ」と理解を示し、野党の「大義がない」との批判は「筋違い」と一蹴した。
また、(1)日本経済の再生(2)社会保障制度の構築(3)北朝鮮危機への対応(4)憲法改正の4点を挙げ、解散の意義は「こうした困難な課題に取り組み、政治を前に進める」ことにあるとして、首相の判断に概ね賛同している。
一方、北朝鮮情勢については「安全保障にとって目下、最大の懸念」とし、「圧力を強めつつ、対話の糸口を探る」「危機を煽りすぎないこと」に加え、日米同盟や安全保障関連法の「意義を訴えること」が大切だ、とした。
また、「憲法改正の膠着打開を」とも記している。安倍首相は9月25日の会見で憲法改正について一切発言していないが、今回の解散が、首相の進める改正論議の「膠着状態」を「打開する狙いがある」と読んでいる。
さらにここでは、小池百合子・東京都知事が結成を表明した「希望の党」と「連携」をし、「衆院の3分の2を確保し、発議する」という展開を予想している。
森友学園や加計学園の問題については「一連の疑惑に関する首相や政府の説明責任は残る。丁寧な説明を続けることが重要である」とした。
朝日新聞 「首相の姿勢こそ争点だ」
朝日新聞は解散について、「首相にとって不都合な状況をリセットする意図は明らか」「党利党略を通り越し、首相の個利個略による解散」と強く批判。「民主主義と立憲主義を軽んじる首相の姿勢が問われている」とした。
首相が示した消費税増税分の使途変更については、「政府・与党内でまともに議論されていない」と牽制。民進党の前原誠司代表が同様の政策を主張してきたことに触れ、「争点にすると言うより、争点から外す狙いすらうかがえる」とも指摘した。
また、森友・加計学園の問題について「解散によって国会での真相究明は再び先送りされる」。安全保障関連法や共謀罪などの議論に言及しながら、「国会を軽視し、憲法をあなどる政治姿勢は、安倍政権の体質」とまで言い切った。
そのうえで、「憲法改正論議の局面」の立て直しなどの「政略が透けて見える」として、「北朝鮮の脅威などで地域情勢が緊迫化すれば、政権与党への支持が広がりやす」く、「選挙準備が整っていない野党の隙もつける」いまを選んだと読んでいる。
さらに、憲法改正については「会見で首相は、持論の憲法9条の改正に触れなかった」ものの、「選挙結果次第では実現に動き出す」と予想。
最大の争点は「少数派の声に耳を傾けず、数におごった5年間の安倍政権の政治を、このまま続けるのかどうか」にあるとした。
毎日新聞 「説得力欠ける勝手な理屈だ」
毎日新聞は解散について「疑惑隠しと言われても仕方がない」と批判。首相の「本音」が「21年秋まで首相を続け、宿願の憲法改正を実現する」ことにあり、「自らを取り巻く現状を突破する解散」とした。
消費税の使途変更については「民進党が既に打ち出している課題」と指摘。「解散して信を問うテーマと言うには説得力を欠く」「最初に解散ありきで、そのための理由を探してきたと言わざるを得ない」とした。
森友・加計学園問題については「臨時国会では質疑に応じない」のは「再び国民の関心が高まるのを恐れたから」と言及。「招いた不信を丁寧な説明によって解消すること」がまず必要、とした。
一方、北朝鮮情勢が緊迫化したなかでの解散については、「危機を利用している印象さえ受けた」としている。野党の準備不足に関しては「今なら勝てると見たのだろう」としつつ、「これも有権者次第」とした。
また、憲法改正については「今のままでは発議は難しいと考え、それを打開するために解散に打って出た」と読んだ。「改憲に前向き」な「希望の党」との協力を目論んでいるとしつつも、小池知事が解散を批判していることを引き合いに、「首相の狙い通りに進むかどうかは分からない」と牽制した。
そのうえで、「安倍1強のおごりやひずみが見えてきた中で、さらに4年続くことの是非が問われる」「改めて問われるのは『安倍政治』である」と強調した。
日経新聞 「持続可能な日本の設計図競え」
日経新聞は解散について、「なぜいま解散なのか」と疑問を呈し、野党の「森友、加計学園を巡る疑惑隠しの解散だ」との批判が「当然だろう」と指摘。「目先の損得勘定で政治をしている余裕はない」とした。
消費税の使途変更については「もろ手を挙げて賛同できる案ではない」。首相が示した子ども、子育てへの社会保障拡充には理解を示しつつも、「問題はその手法」「ゆとりのある高齢者向けの給付を減らし、その分を若年世帯支援の財源に回すのが正しい」との論を張った。
また、財政健全化目標が遠のくことを批判。「現役世代が担うべき負担を次世代に押しつける」ことになるとし、「社会保障か、財政健全化かの議論は短絡的だ」とした。
その上で、「社会保障の歳出を効率化しなければ、いくら消費増税しても穴の開いたバケツと同じ」「経済成長さえすれば財政問題を解決できるといった幻想も捨てるべき」とまで言い切った。
一方、首相が北朝鮮情勢の緊迫化を解散の理由に挙げ、「国難突破」としたことについては、「違和感がある」。ただ、安全保障関連法やミサイル防衛などのあり方は「重要な争点」である、ともした。
各党には「超高齢化社会の到来を見据えた骨太の将来ビジョンを掲げ」ることを求め、「具体策を有権者に問うことから逃げてはならない」と釘を刺した。
産経新聞 「北朝鮮危機 最大争点に」 (政権忖度新聞)
産経新聞は解散について、「少子高齢化と北朝鮮情勢を国難と規定し」たことに理解を示しつつ、「衆院選は憲法改正を進める絶好の機会」と期待している。
また、その「最大の特徴は、北朝鮮情勢が緊迫の度を増す中で行われる点」にあるとの論を展開。北朝鮮を批判しながら「国民に尽くすべき政治が脅威に鈍感であってはならない」と言及した。
首相や各党が、選挙戦で「どのようにして国民を守り抜くか」の「決意と方策を率直かつ明快に語」るべきだとし、「国民保護や敵基地攻撃能力の導入、ミサイル防衛の充実」を論じるべき課題に挙げた。
そのうえで、「自衛隊は敵基地攻撃能力すら持っていない。日本が北朝鮮危機に十分に対応できると言い切れない」。この原因は憲法にあるとし、首相が会見で「憲法改正について言及しなかったことは極めて残念」だからこそ、選挙戦では「9条論議を避けてはならない」とエールを送った。
一方、消費税の使途変更については「決断に至るまでどれほど議論を尽くしたか」と指摘。「唐突な変更という印象」があるとも述べ、「歳出拡大は約束するが、財政再建の検討は後回しというだけでは都合が良すぎる」とも批判した。
また、緊迫化したなかでの選挙については、「国家安全保障会議や自衛隊など、政府の危機対応部門の能力を低下させてはならない」と釘を刺し、「政府および国会は、緊急時の対応がいつでもとれる態勢をとって選挙戦に臨んでほしい」と求めた。 

 

安倍首相 28日解散をきょう正式表明へ 野党側は強く反発 9/25
安倍総理大臣は、子育て世代への投資などを目的に新たに2兆円規模の政策を講じるために消費税率を10%に引き上げた際の増収分の使いみちを見直すことに国民の信を問いたいなどとして、25日に記者会見し、今週28日に召集される臨時国会の冒頭に衆議院の解散に踏み切ることを正式に表明することにしています。これに対し、野党側は、国会で森友学園や加計学園をめぐる問題などを審議すべきで、冒頭での解散は国会をないがしろにするものだと強く反発しています。
安倍総理大臣は、今週28日に召集される臨時国会の冒頭に衆議院の解散に踏み切る方針を固め、25日、公明党の山口代表と会談して理解を求めるなどしたうえで、夕方、記者会見し、解散を決断した理由などを説明することにしています。
この中で、安倍総理大臣は、少子高齢化の克服に向けて「全世代型」の社会保障制度を構築するために、再来年10月に消費税率を10%に引き上げた際の増収分の使いみちを見直すことに国民の信を問いたいという考えを示す見通しです。そのうえで、安倍総理大臣は、見直しで確保する財源で幼児教育や所得が低い世帯の子どもを対象とした高等教育の無償化、さらに介護人材の処遇改善などに向け、新たに2兆円規模の政策を講じる方針を表明することにしています。そして、安倍総理大臣は、森友学園や加計学園をめぐる問題で内閣支持率が急落したことを踏まえ、国民の信任がない中で大改革を進めることはできないなどとして、改めて国民の信を得たうえで引き続き改革に取り組む決意を示す見通しです。
これを受けて、政府・与党は、28日の召集日には安倍総理大臣の所信表明演説などを行わずに解散の手続きを進め、衆議院選挙を来月10日公示、22日投票の日程で行う方向で調整を進めることにしています。
これに対し、野党側は、国会で森友学園や加計学園をめぐる問題などを審議すべきで、冒頭での解散は国会をないがしろにするものだと強く反発する一方、候補者の擁立や公約の作成など衆議院選挙に向けた準備を急いでいます。
このうち、民進党は、総理大臣の恣意的(しいてき)な衆議院の解散を防ぐため、憲法で内閣の解散権を制限することについて議論を進めるなどとした公約の素案をまとめました。前原代表は「冒頭解散で何の議論もしない。安倍政権が続くことは日本にとって不幸であり、体をていし、どんな手段をもってしてでも安倍政権を止めなければならない」と述べるなど、与党側と対じするため小選挙区の野党側の候補者一本化に努める考えです。
共産党は、全国で15の小選挙区を「必勝区」と位置づけています。志位委員長は、選挙で民進党などと連携するためには共通政策や相互推薦などが必要だとする一方、「互いに譲り合って、接戦区を中心に与党と野党が1対1の対決構図を作れる選挙区を広げる努力をしていきたい」と述べています。
日本維新の会は、馬場幹事長が「北朝鮮や社会保障などの問題で国民が大きな不安を持っており、いま解散することは理解できない」としています。選挙戦では、消費税率引き上げの凍結などを訴えて現在の15議席から上積みし、単独で衆議院に法案を提出できる21議席以上を獲得したい考えです。
自由党は、森参議院会長が「延命のための究極のわがまま解散だ」と批判したうえで、選挙に向けて民進党や社民党などとの連携を模索する考えを示しています。
社民党は、又市幹事長が「森友・加計学園問題の追及を恐れて疑惑を隠す、『究極の政治の私物化解散』と言わざるをえない」と批判しています。
一方、東京都の小池知事と近い若狭勝衆議院議員や細野元環境大臣ら7人は、24日夜、東京都内で会合を開き、新党の結成に向けて綱領や政策などの詰めの調整を行いました。若狭氏は記者団に対し、「結成時の参加者はきょうの7人のメンバー、プラスアルファとなる。衆議院選挙には、資質があって今の国政を変えなければいけないという気持ちが強い人を擁立していく」と述べました。
また、日本のこころの中山代表が24日、小池知事と会談して新党に参加したいという意向を伝えたほか、自民党の福田峰之内閣府副大臣も、新党に参加したいとして、25日に離党届を提出することにしています。さらに、民進党の松原元拉致問題担当大臣が24日夜、記者団に、新党への参加も含めて対応を検討していることを明らかにするなど、新党に参加する動きがどこまで広がるのかも焦点になっています。 
野党「森友・加計隠し」 反発強める 9/25
野党は、安倍晋三首相の衆院解散方針を学校法人「森友学園」「加計学園」の疑惑隠しが目的だと批判してきた。首相は25日の記者会見で「選挙は民主主義における最大の論戦の場」だと強調したが、臨時国会での審議を求めてきた野党は納得していない。衆院選では首相の政治姿勢が争点になりそうだ。
民進党の前原誠司代表は25日、「野党が憲法に基づいて国会開会を求めたのに無視し続け、ようやく開くと思ったら解散。まさに『敵前逃亡解散』だ」と首相を厳しく批判した。
共産党の志位和夫委員長も記者会見で「(解散の)大義はもともとない。臨時国会冒頭解散をする理由はもりかけ(森友・加計)隠し以外にない」と述べた。首相が解散の理由に消費増税分の使途変更や北朝鮮対応などを挙げたことに対しては「後で取って付けた理屈」と切り捨てた。
首相は会見で「総選挙は私自身への信任を問うことになる」と述べ、衆院選に勝つことで問題を決着させたい思いをにじませた。これに対し、自由党の小沢一郎共同代表は「問題を消し去りたいという保身のための解散ではないか」と指摘。民進、共産、自由、社民4党による選挙協力は流動的だが、森友・加計問題では足並みがそろった。
憲法53条は、衆参両院議員のどちらか4分の1以上が要求した場合、国会召集を義務付けている。野党4党は通常国会閉会直後の6月22日、森友・加計問題の真相究明のため、この規定に基づき臨時国会召集を求めたが、政府・与党は憲法に召集期限の定めがないことをたてに応じてこなかった。首相の所信表明演説も与野党の代表質問もせずに解散することに野党は一斉に反発している。
加計学園の理事長は首相の親友。同学園による国家戦略特区を利用した獣医学部新設計画に首相の意向が働いたかどうかが、問題の焦点だ。前原氏は「説明責任は果たされていない。安倍政権を続けさせないという一点で戦いたい」と述べた。
東京都の小池百合子知事も25日の会見で、加計学園の問題を念頭に、国家戦略特区のあり方を批判した。発信力のある小池氏が衆院選で政権批判を展開すれば、首相には痛手だ。
文部科学省の審議会は8月、加計学園の獣医学部新設認可を保留した。判断は衆院選後の10月下旬になる可能性があり、野党はこの点も問題視している。  
解散表明 野党「森友・加計隠し」 反発強める 9/26
野党は、安倍晋三首相の衆院解散方針を学校法人「森友学園」「加計学園」の疑惑隠しが目的だと批判してきた。首相は25日の記者会見で「選挙は民主主義における最大の論戦の場」だと強調したが、臨時国会での審議を求めてきた野党は納得していない。衆院選では首相の政治姿勢が争点になりそうだ。
民進党の前原誠司代表は25日、「野党が憲法に基づいて国会開会を求めたのに無視し続け、ようやく開くと思ったら解散。まさに『敵前逃亡解散』だ」と首相を厳しく批判した。
共産党の志位和夫委員長も記者会見で「(解散の)大義はもともとない。臨時国会冒頭解散をする理由はもりかけ(森友・加計)隠し以外にない」と述べた。首相が解散の理由に消費増税分の使途変更や北朝鮮対応などを挙げたことに対しては「後で取って付けた理屈」と切り捨てた。
首相は会見で「総選挙は私自身への信任を問うことになる」と述べ、衆院選に勝つことで問題を決着させたい思いをにじませた。これに対し、自由党の小沢一郎共同代表は「問題を消し去りたいという保身のための解散ではないか」と指摘。民進、共産、自由、社民4党による選挙協力は流動的だが、森友・加計問題では足並みがそろった。
憲法53条は、衆参両院議員のどちらか4分の1以上が要求した場合、国会召集を義務付けている。野党4党は通常国会閉会直後の6月22日、森友・加計問題の真相究明のため、この規定に基づき臨時国会召集を求めたが、政府・与党は憲法に召集期限の定めがないことをたてに応じてこなかった。首相の所信表明演説も与野党の代表質問もせずに解散することに野党は一斉に反発している。
加計学園の理事長は首相の親友。同学園による国家戦略特区を利用した獣医学部新設計画に首相の意向が働いたかどうかが、問題の焦点だ。前原氏は「説明責任は果たされていない。安倍政権を続けさせないという一点で戦いたい」と述べた。
東京都の小池百合子知事も25日の会見で、加計学園の問題を念頭に、国家戦略特区のあり方を批判した。発信力のある小池氏が衆院選で政権批判を展開すれば、首相には痛手だ。
文部科学省の審議会は8月、加計学園の獣医学部新設認可を保留した。判断は衆院選後の10月下旬になる可能性があり、野党はこの点も問題視している。 
今の野党では「大義なき解散」でも 自民党に絶対勝てない理由 9/26
ようやく遅すぎる釈明会見を開いた豊田真由子衆議院議員の暴言事件、知名度の高い今井絵理子参議院議員の不倫事件、森友・加計問題や閣僚達の一連の不祥事などで支持率を落とした自民党だが、野党に自民党を倒せるような勢いはなさそうだ。民進党は蓮舫元代表の辞任劇と山尾志桜里衆議院議員の離党事件で揺れに揺れ、日本維新の会は橋下徹元代表が去ってから党勢は衰え続け、9月24日に投開票された堺市長選でも敗北を喫した。有権者は、一体何をどう選べばよいのか。
突然の大義なき「台風解散」  野党は戦いやすいはずだが…
9月の三連休、日本列島を台風18号が縦断した。旅行予定の変更を余儀なくされた方々も多かったかもしれないが、台風のような解散風が吹き荒れ、永田町の住民たちは多くの予定変更に迫られたことだろう。
28日召集の臨時国会冒頭、衆議院を解散する――。
もし、臨時国会の冒頭で衆議院が解散されれば、10月中にも衆議院議員選挙が実施されることになる。
森友・加計問題や閣僚たちの一連の不祥事、遅すぎる釈明会見を開いた豊田真由子衆議院議員の暴言事件などで支持率を落とす自民党。野党にとっては戦いやすい状況であるはずが、臨戦態勢が整っているようには全く思えない。
民進党は蓮舫元代表の辞任劇と山尾志桜里衆議院議員の離党事件で揺れに揺れ、日本維新の会は橋下徹元代表が党役職を去ってから衰退に歯止めがかからず、先週末9月24日に投開票された堺市長選でも維新候補が敗北を喫した。衆院選を前に立ち上げられた、首都東京で注目が集まっている小池新党「希望の党」にしても、国政へ進出する大義名分が見えない。
安倍政権の「大義なき解散」においてさえ、野党第一党である民進党、大阪では今なお根強い支持を得る日本維新の会、そして注目を集める小池新党が、国政において自民党に代わり得る存在になれないのはなぜなのか。
与野党ともに「ミソギ解散」 二重国籍と不倫が致命傷な理由
9月1日、民進党の新代表には前原誠司元代表が選ばれた。
前任の蓮舫元代表が二重国籍問題で混乱し、もはや党をまとめられなくなった結果である。そして、前原新代表の船出を襲ったのが、党のエースと目されていた山尾志桜里衆議院議員の不倫騒動と離党劇だ。
しかし、彼女たちが叩かれている要因は、そういった些末なスキャンダルそれ自体ではない、ということは深く肝に銘じておかなくてはならない。蓮舫元代表について言えば、野党の役割は与党を追及するところにあるにもかかわらず、自分自身が追及された時に、説明を二転三転しているようでは、説得力を失ってしまう。つまり、その時点で野党第一党のリーダーとしての「議員活動」に支障が生じてしまうのだ。最初から情報をすべて公開し、戦うべきところは毅然とした姿勢を貫いていれば、辞任に追い込まれることはなかったと思う。
一方、山尾議員は「日本死ね」ブログを紹介したことで一躍脚光を浴びたという経緯がある。子育てに苦労する女性の声を代弁するのが彼女の仕事だし、多くの有権者はそれを期待して彼女を支持していた。しかし、その立場にありながら「不倫」にうつつを抜かしてしまうと、「子育てしながら働くのはとても大変なのだ」という意見が説得力を失い、反対派からの攻撃の隙を与えてしまう。この時点で極めて罪深く、これまた「議員活動」に支障が生じてしまうのである。なぜバッチをつけている間だけでも我慢できなかったのか、と残念でならない。
前原代表の誕生にしても、「またこの人か」という使い古された感が否めない。有権者目線で言えば、結局同じ顔ぶれがとっかえひっかえ役員をたらい回しにしているようにしか見えない。
同じようなことをグダグダと繰り返す。続々と離党者が現れ、同じような顔ぶれが看板を替えて議員を続けようとする。与党も野党もスキャンダルが起きれば適当に選挙をこなし、なんとなく「ミソギが済んだ」と勝手に都合良く解釈する。
だから、一向に支持が高まらないのである。
堺市長選と「維新潰し解散」 維新が大阪でさえジリ貧な理由
ここで目線を東京から大阪へ移そう。
9月24日、堺市長選挙が投開票された。
結果は、現職の竹山修身氏の三選が確定し、維新候補が敗北した。衆院選を目の前にした大阪第二の都市での敗北は、維新にとって痛恨の一撃だった。
2017年9月24日投開票 堺市長選挙
 ・竹山修身 16万2318票 当
 ・永藤英機 13万9301票
4年前の市長選と比較すると、投票率は50.69%から44.31%まで下がった。その中でもほとんど得票数を下げなかった維新は、さすがにいまだ支持は根強いと言える。
(参考)2013年9月29日投開票 堺市長選挙
 ・竹山修身 19万8431票 当
 ・西林克敏 14万0569票
だが、4年前と比べてまったく支持が増えていないことも事実なわけで、このままでは衆院選での議席増は望めないし、大阪都構想の実現も遠いのは明らかであり、ジリ貧感が否めない。
「維新」がジリ貧な理由は明らかだ。まず、維新の創立者でもあり、カリスマ的リーダーだった橋下徹元大阪市長・府知事が維新を去ったことが大きい。大阪都構想が住民投票で否決された後,市長の任期を終え、日本維新の会の政策顧問も今年5月に辞任。テレ朝系のバラエティー「橋下×羽鳥の番組」も9月に終わる。
党の看板政策である「大阪都構想」の実現の見通しが厳しくなったことによって、もう一つの党の看板政策であった「身を切る改革」についてもトーンが弱まっている。日本維新の会が主張していた月100万円の文書通信費の使途公開にしても、実際に党のホームページに公開された資料に目を通してみれば、多額の金額が単に「政党支部への寄附」で処理されているケースが散見され、あまり意味があるようには見えないのが実態だ。目的が失われてしまうと、何のために身を切っているのかもわからなくなってしまうということだろうか。
その結果、維新はアイデンティティを失って漂流し、「大学無償化」などという政策をいきなり打ち出し始めてしまった。本来、小さな政府を志向し、徹底的な行財政改革と合理的な是々非々の政策判断が維新のウリだったにもかかわらず、人気とりのために財政的根拠や丁寧な検証もない積極財政路線に走った。
さらに、政局的な観点では、国政において日本維新の会が自民党に寄りすぎる印象を強めてしまい、「野党」感が薄れてしまった。日本の政局は「保守と革新」などという思想的な軸は自称政治通の妄想に過ぎず、「自民党とそれ以外」という軸が最も正しい。60年以上にも渡って存在し続けたブランド政党に、次々とベンチャー野党が挑む、というのが日本の政治の構図だ。自民党以外の政党は、自民党との差別化ができなくなった瞬間に、存在意義が消滅してしまう。
一方で、立ち位置が自民党に近づいたにもかかわらず、候補者は「元民主党」が目立つ。大阪では今なお自民党と拮抗する勢力を維持しているが、隣の兵庫県に目を移すと、衆議院議員は一人もおらず、兵庫県1区の梅村聡氏(元大阪選出の民主党参議院議員)、兵庫6区の市村浩一郎氏(元民主党衆議院議員)のように、独自候補を擁立できていない。これでは、看板をすげ替えただけで維新の看板で当選しようとする「議員であり続けられたらそれでよい」政治屋なのではないか、と疑惑の目で見られても仕方ないだろう。
今回の衆院選は、正直、全国的に見ればさほど見所はないが、維新の失墜により、大阪は最も混沌とする激戦エリアとなるだろう。
「大義なき解散」でも 大義なき新党では自民党は倒せない
今回の選挙で新しい風を起こすと目されているのが、小池新党「希望の党」だ。
民進党を離党した細野豪志元環境相と、小池百合子東京都知事側近の若狭勝衆院議員が新党結成に向けて動いていたが、ついに小池百合子都知事が代表に就任することが発表された。
だが、これまた小池都知事の人気を頼りにした大義なき新党結成に見える。小池都政はまだ動き出したばかりであり、都政においても説明と実績が足りておらず、国政に出る理由があまりに乏し過ぎる。そもそも、新党と言いつつ、やっぱりどこかで見た顔の寄せ集め感が否めない。困ったら「民主党」を「民進党」に変えてみたり、「おおさか維新の会」を「日本維新の会」に変えてみたり、小池都知事の威光の陰に集まってみたり、中身を変えずに表面ばかりを繕おうとするのはいかがなものか。
皆、選挙での「生き残り対策」ばかりを考えるのではなく、本質的に大切なことを考えなくてはいけない。
まず、こんなにも衆議院が4年間の任期を全うできないようであれば、いっそ任期を短期化した上で、解散権は不信任案が可決された時(または信任決議案が否決された時)の対抗手段に限った方がよい。確かに、今の時代、4年という期間はあまりにも長すぎる。これを憲法改正の議論に加えてもらいたい。
野党側はいつも「急な解散」と批判するが、現行制度においては常在戦場が衆議院の特徴なのは周知の事実であって、言い訳は許されない。野党はもっと日頃から新人発掘に力を入れ、「看板のすげ替え」だけでない新陳代謝を図るべきだ。多くの有力議員が離党した民進党は、今回の選挙で大幅に議席を減らすだろう。"政党サーフィン"や"役員のたらい回し"をやめ、ベテランが若手に席を譲る潔さが求められている。
日本維新の会はアイデンティティクライシスを脱却し、本来の主張を取り戻す以外に生き残る道はないだろう。カリスマがいなくなった状態で、抽象的で実現不可能な案を叫ぶばかりでは、ジリ貧の状況から抜け出すことは不可能だ。橋下徹以外のリーダーを発掘・育成してこなかったことに尽きる。
野党が自民に勝てないのは 「人づくり」を怠ってきたからだ
野党が永遠に自民党に勝てない理由は、「人づくり」を怠っていたからだ。「人づくり解散」を契機に本気で人づくりに取り組んでもらいたい。
とはいえ、ここまで野党が頼りないと、正直、ほとんどの小選挙区では今から結果が見えてしまっている。本来、選挙の主役は有権者であるべきだが、やる前から結果が見えてしまうとは極めてばからしい茶番劇だ。「投票しても意味がない」という嘆きは、実は案外正しい感覚だろう。
政党はもっとまともな候補者を選び、評価し、退陣させる人事制度をつくり、新陳代謝を高めるべきだ。同じ顔ぶれが看板を変えるだけでいつまでも居座るから、人々は政党不信に陥る。
マスコミも、スキャンダルを事後的に報道するのではなく、候補者・議員を評価する仕組みを作り、投票の前に情報を得られるように努めなくてはならない。ネットメディアでは議員評価を実施するサイトもいくつか見られるが、偏っていたり閑散としていたり、あまり有益なものは見当たらない。
政治学者は、もっと「現実の政治」を分析する研究に時間を使ってほしい。巷の政治学者の論考などを筆者も時折読んでいるが、形而上学的なことばかり論ずる人が多く、何の意味も感じられず、読了後、いつも時間を無駄にした気分になる。
いっそ日本人全員が投票に行かなくなれば、それすなわち「クーデター」となり、国会を無血開城させ、新しい政府を樹立することができるかもしれない、とチラリと思ったりする。
「人づくり」を理由に、またしても安倍総理が「伝家の宝刀」を抜く。しかし、有権者に選択を願う前に、まずは政界の「人づくり」が急務だと思う。
選択肢なき選択。我々に与えられた考える猶予は、一ヵ月もない。 

 

安倍首相が国連演説「必要なのは対話ではない」
 「対話による問題解決の試みは無に帰した」
米ニューヨークを訪問中の安倍晋三首相は20日午後(日本時間21日未明)、国連総会で16分間、一般討論演説を行った。全体の8割を北朝鮮問題に割き、「対話による問題解決の試みは無に帰した」と断言して圧力強化を訴えた。
首相は北朝鮮が繰り返す核実験とミサイル発射について「(核)不拡散体制は史上最も確信的な破壊者によって深刻な打撃を受けようとしている」と指摘。1994年の米朝枠組み合意と07年の6者協議合意が破られ、水爆と大陸間弾道ミサイル(ICBM)の開発が進められている現状に触れ、「対話とは、北朝鮮にとって我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった」と非難した。
首相は、石油の輸出制限を初めて盛り込んだ11日の安全保障理事会決議の採択後もミサイルが発射された事実を踏まえ、「決議はあくまで始まりにすぎない。必要なのは行動だ」とも強調。全ての国連加盟国に一連の制裁決議の厳格な履行を求めた。
そのうえで首相は「北朝鮮が勤勉な労働力や地下資源を活用すれば経済を飛躍的に伸ばし、民生を改善する道があり得る」と指摘。「そこにこそ北朝鮮の明るい未来はある」と結んだ。
国連総会の一般討論演説の要旨
北朝鮮の脅威はかつてなく重大で眼前に差し迫ったものだ。我々が営々続けてきた軍縮の努力を、北朝鮮は一笑に付そうとしている。不拡散体制は、史上最も確信的な破壊者によって深刻な打撃を受けようとしている。
国際社会は北朝鮮に対し、1994年から十有余年、最初は「米朝枠組み合意」、次には「6者会合」で辛抱強く対話の努力を続けた。しかし、対話とは北朝鮮にとって、我々を欺き、時間を稼ぐため、むしろ最良の手段だった。94年の北朝鮮に核兵器はなく、弾道ミサイルの技術も成熟にほど遠かった。それが今、水爆とICBM(大陸間弾道ミサイル)を手に入れようとしている。
対話による問題解決の試みは一再ならず、無に帰した。なんの成算があって我々は三度、同じ過ちを繰り返そうというのか。必要なのは対話ではなく圧力だ。
北朝鮮に厳しい制裁を科す11日の安全保障理事会決議の採択を多とする。しかし、北朝鮮は既にミサイルを発射して決議を無視してみせた。決議はあくまで始まりにすぎない。核・ミサイル開発に必要なモノ、カネ、ヒト、技術が北朝鮮に向かうのを阻む。全ての加盟国による、一連の安保理決議の厳格かつ全面的な履行を確保する。必要なのは行動で、国際社会の連帯にかかっている。
北朝鮮はアジア・太平洋の成長圏に隣接し、立地条件に恵まれている。勤勉な労働力、地下資源を活用するなら、経済を飛躍的に伸ばし、民生を改善する道があり得る。そこにこそ、北朝鮮の明るい未来はある。 
「安倍演説」 社説の比較
「必要なのは対話ではなく圧力だ」。9月21日未明、安倍晋三首相は国連総会でそう演説した。あるジャーナリストは、トランプ米大統領に寄り添うような姿に「唖然とさせられた」という。しかし産経新聞や読売新聞の社説は、この演説を「良かった」「うなずける」と評価する。社説を担当する論説委員は、何を考えているのか――。
「日米首脳の言動は冷静さを欠いている」
安倍演説を評価する産経と読売の分析は後回しにして、まずは9月23日付の朝日新聞の社説から読み解いていこう。その書き出しからトランプ氏と安倍首相の冷静さを欠いた演説を批判する。
「圧力の連呼で解決できるほど朝鮮半島問題は単純ではない。危機をあおることなく、事態を改善する外交力こそ問われているのに、日米首脳の言動は冷静さを欠いている」
「ニューヨークの国連総会での一般討論演説である。各国が北朝鮮を批判し、国際社会として懸念を共有したのは前進だ」
「当事者であるトランプ米大統領と安倍首相の強硬ぶりは突出し、平和的な解決をめざすべき国連外交の場に異様な空気をもたらした」 異様さに朝日の論説委員も気付いたのだろう。
軍事力誇示のトランプに寄り添う安倍首相
問題の安倍首相の演説の翌日には日米韓首脳会議が開かれた。
朝日社説は「安倍首相は、続く日米韓の首脳会談後も、『最大限の圧力』を記者団に強調した」と書き、「確かに今は、北朝鮮への国連制裁を各国が一致して履行すべき時である。核・ミサイルの開発を断じて許容しない警告は、発信し続ける必要がある」と警告を重視したうえで次のように主張する。
「圧力はあくまで対話に導き出すための手段にすぎない。日本を含む周辺国に甚大な影響をもたらす武力行使の選択肢はありえず、どうやって交渉での沈静化に落着させるかの道筋を練ることが必要だ」
「安倍首相からは、そのための重層的な政策がうかがえない。軍事力を誇示するトランプ氏に寄り添い、対話の扉を閉ざすような発言に終始するのは思慮に欠ける。衆院選をにらんで脅威を強調する思惑を詮索されても仕方あるまい」
まさに朝日社説の主張する内容こそ、異常な北朝鮮を真っ当な国家にするためのひとつの大きな政策だと思う。ただ気になるのは朝日社説の次の最後のくだりである。
「交渉の接点を探る知恵が求められている」
交渉の接点を探る知恵とは具体的にどのような知恵なのか。そこを分かりやすく書いてほしかったと思う。
「圧力」がすべての産経は「対話」を否定
次に産経社説(9月22日付)を取り上げよう。
「各国首脳らと相次いで会談し、協力を求めた点もよかった。国民の安全が脅かされている国のリーダーとして、当然とるべき外交努力といえる」
「国民に対しても改めて説明し、支持を得るべきである。日本が『圧力』の先頭に立つ覚悟を、実行に移すことが重要である」
「圧力の先頭に立つ覚悟」とまで書く辺りなど「日本の国民が北朝鮮に核ミサイルを打ち込まれる覚悟をすべきだ」と受け取られかねない過激な発言である。
産経は翌23日付の社説で「北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が声明を発表した。トランプ米大統領の国連総会演説を激しい言葉で非難し、『史上最高の超強硬対応措置の断行を慎重に検討する』と警告した。これを受けて国連総会に出席中の李容浩外相は『水爆実験を太平洋上で行うことではないか』と付け加えた」とトランプ氏と金委員長の売り言葉に買い言葉のどうしようもないやり取りを指摘し、こう主張する。
「仮に実行されれば論外の暴挙であり、口先だけの威嚇であっても決して容認できない」
言葉ではこう書けるが、産経は核ミサイルを撃ち込まれる覚悟がどこまでできているのか。
朝日と産経を読み比べると頭が混乱する
さらに産経社説は「対話」を否定し、こう訴える。
「首相は、北朝鮮が1994年の米朝枠組み合意や2005年の6カ国合意に基づく対話の裏をかいて、核・ミサイル開発を続けてきたことを非難した」
「北朝鮮にとって対話とは、世界を欺き、核・ミサイル開発の時間を稼ぐ手段だったのである」
「ところが、中国やロシアのほか日本国内にも『圧力よりも対話』を求める意見が存在する。いわゆる『対話のための対話』は問題解決にならない。むしろ、北朝鮮の核戦力強化に手を貸すことになりかねない」
前述した朝日の「圧力は対話を導き出すための手段にすぎない」という社説を読んだ後、この産経社説を読むと、少々頭が混乱するかもしれない。簡単にいえば、産経社説は安倍首相やトランプ氏と同じく「圧力」がすべてなのである。
読売は冷静に安倍演説を支持
9月22日付の読売社説の見出しは、「対『北』圧力で各国と連帯せよ」である。
「北朝鮮に核ミサイル開発を断念させるには、国際社会の連帯が欠かせない。日本は、その努力を倍加させるべきだ」と書き出し、「約16分間の演説時間の8割超を北朝鮮問題に費やしたのは、情勢の緊迫化への危機感からにほかなるまい」と指摘する。
その後で「国際社会の再三の警告を無視し続ける北朝鮮に政策転換を促すため、今は圧力を強化する時だ」と訴え、安倍演説を擁護する。
産経社説に比べて割と冷静だが、安倍支持のスタンスはこれまでと変わらない。読売社説はさらに産経社説と同じように「対話」を否定する主張を展開する。
「『対話は、北朝鮮にとって我々を欺き、時間を稼ぐ手段だった』との首相の主張はうなずける。こうした事実が、世界全体の共通認識になっているとは言い難い。首相の指摘は適切だった」
こう書かれると、読売という新聞がいかに安倍政権を擁護しているかがよく分かるだろう。
安倍演説は日本を攻撃する「口実」になる
最後に9月23日付の毎日新聞に掲載された作家、柳田邦男氏のコラム「深呼吸」を取り上げたい。
柳田氏は「特に安倍政権のひどさは目に余る。安倍晋三首相自身をはじめ、閣僚や官僚の国会などでの発言が『記憶にない』『記録はない』『法規にのっとって処理している』などなど、まるで壊れたレコードを延々と再生しているかのような空疎な単文で終始していることについては、この欄で何度も書いてきた通りだ。情けないことに、この国の政治家にも官僚にも、国民のための奉仕者たらんとする資質が欠落しているとしか思えない」と安倍政権の根源的な問題に言及した後、今回の安倍演説を次のように問題視する。
「この発言は『日本を米国と同列の攻撃目標にしなければならない』という口実を、改めて北朝鮮に与えたことになる。仮に米国が北朝鮮の基地を攻撃すれば、北朝鮮は核弾頭を搭載したミサイルを日本に撃ち込んでくるかもしれない。1発でもミサイルが撃ち込まれれば、その被害は計り知れないものとなるだろう。それでも安倍首相は『米国とともに』という軽率な発言を繰り返すのか」
安倍首相にはしたたかさが足りない
柳田氏も、国連での安倍首相の演説を軽はずみだととらえている。柳田氏が指摘するように、もし日本に核ミサイルが1発でも落ちれば、甚大な被害が出ることは間違いない。かつて広島や長崎が原爆で破壊されたように、いやそれ以上の被害を受けるだろう。
北朝鮮にそうさせないためにはどうすべきなのか。安倍首相がトランプ氏との距離をうまく政治的に調整する必要がある。韓国が21日、北朝鮮への800万ドル相当の人道支援を実施すると発表したのは、米国との距離を調整しようとするひとつの試みだとも受け取れる。
安倍首相に足りないのは、こうしたしたたかさではないだろうか。 
安倍首相の大嘘解散会見にだまされるな!
「この解散は『国難突破解散』です」
あまりに空疎で白々しい会見だった。本日、安倍首相は記者会見を開き、「生産性革命、人づくり革命はアベノミクス最大の勝負」「少子高齢化は最大の壁」とし、「消費税の使い道を、私は思いきって変えたい」と宣言。2019年の消費税率10%引き上げの財源を「我が国の社会保障制度を全世代型へと大きく転換する」ために使うことを表明し、「消費税の使い道を見直すので、すみやかに国民の信を問わねばならないと決心した」と述べた上で、28日の臨時国会で衆議院を解散、衆院選を10月10日公示・22日投開票の日程でおこなうことを発表した。
しかも、勝手に解散を決めたくせに「民主主義の原点でもある選挙が北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはならない」などとあたかも北朝鮮によって選挙が阻害されているかのようなことを言い出し、森友・加計学園問題についても「私自身、閉会中審査に出席するなど丁寧に説明する努力を重ねてきた」と正当化してみせた。
この解散が「森友・加計学園疑惑隠し」であることは明々白々だが、まったく何が「消費税の使い道を、私は思いきって変えたい」「国難突破解散」だ。予想されていたこととはいえ、あまりに盗人猛々しい。はっきり言って「お前が言うな」の一言である。
会見で安倍首相は、消費税の増税分の使途を借金返済から子育て支援などの社会保障に変更することを公表するなかで、増収分を借金返済に充てることは「消費税引き上げの前提で、国民のみなさまに約束していたこと」であり、それを変更するのだから「国民の信を問うことが必要」などと述べた。
しかし、安倍政権は2014年4月に消費税率が8%へ引き上げられた際、「引上げ分は全額、社会保障の充実と安定化に使う」と大々的に宣伝していたではないか。にもかかわらず、増収分8兆2000億円のうち社会保障の充実のために使われたのはたった1兆3500億円で、約8割を借金返済に充てていたのだ。 それをいまさら「社会保障に変更する」などと嘯き、挙げ句、解散の理由に仕立て上げたのだ。一体どこまで厚かましいのだろう。
選挙で公約したことは実行せず、選挙で隠した安保や共謀罪を強行
しかも、すでに方々から指摘がなされているが、消費税の財源変更については民進党代表選で前原誠司代表が訴えていたこと。姑息にも安倍首相は争点を消そうとしているのである。
だいたい、安倍政権はこれまで安保法制や共謀罪という国の根幹にかかわる重大法案を、選挙ではろくに説明もせず、騙し討ちのように強行採決で次々と成立させてきた。たしかに税金の使途変更は大きな問題だが、本気でやりたければ、国会を開いていつものように無理やりにでも議論すればいいではないか。それをこの聞こえのいい問題に限って「信を問う」などというのは、欺瞞以外の何ものでもない。
さらに、安倍首相は人づくり革命の一環として「所得の低い家庭の高等教育無償化」「3〜5歳児の幼児教育無償化および0〜2歳児も低所得世帯に限って無償化」「待機児童のために2020年度までに32万人の受け皿整備」などを打ち出したが、これも国民をバカにしているとしか思えない。
そもそも、安倍首相は総理に返り咲いた2012年の衆院選でも、幼児教育の無償化を公約に掲げていた。また、13年には「2017年度までに待機児童ゼロを目指す」と断言。つまり、幼児教育の無償化も待機児童ゼロも“公約破り”案件なのだ。その上、今年5月に「熟読しろ」と国会で言い放った読売新聞のインタビューにおいては、教育無償化を憲法改正のテーマとしてもち出していた。教育無償化に憲法改正をおこなう必要などまったくないが、それを改憲のダシに使おうとさえしていたのである。
そうやって教育無償化を改憲議論や選挙になるともち出すわりに、そうした場面以外では、教育無償化に消極的な態度、いや消極的どころか積極的に潰してきたのが当の安倍首相だ。
たとえば、民主党政権時、政府は高校授業料の無償化を実施したが、この高校無償化に猛反発していたのは、いわずもがな自民党である。事実、いまでも自民党のHPには「高校授業料無償化の問題点!」「理念なき選挙目当てのバラマキ政策には反対です」と記載されている。
高校授業料無償化も子ども手当も廃止、教育への支出を潰してきた安倍政権
そして、この「バラマキ」批判の急先鋒こそ、安倍首相その人だった。高校授業料無償化に対しては「金持ちへのバラ撒き」(「週刊ポスト」2014年10月31日号/小学館)と決め付け、無償化と同様に民主党がはじめた子ども手当については、こんなトンデモ理論で猛批判していた。
「民主党が目指しているのは財政を破綻させることだけではなく、子育てを家族から奪い取り、国家や社会が行う子育ての国家化、社会化です。これは、実際にポル・ポトやスターリンが行おうとしたことです」(「WiLL」2010年7月号/ワック)
実際、安倍首相は総理に復帰すると、子ども手当と高校授業料無償制度を廃止。他方、「保育園落ちた日本死ね」問題でも、安倍首相は国会で「匿名である以上、実際起こっているか確認しようがない」と突き放したように、大きな話題に発展するまでは子育ての厳しい現実から目を背けてきた。
もちろん、日本は先進国のなかでも圧倒的な「教育支援後進国」であり、教育への公的資金投入が急務であることは間違いない。事実、経済協力開発機構(OECD)は今月12日にGDPに占める教育の公的支出の割合を発表し、日本は比較可能な34カ国中、最低という最悪の結果を出した。だが、こうした状況はずっとつづいており、第二次安倍政権のこの5年間、教育の私費負担を減らして公的支出を増やすべきだと繰り返し指摘されてきたことだ。
しかし、そうした教育の公的支出拡大などの抜本的政策を一切とらず、一方、軍事費は2018年度概算要求で過去最大の5兆2551億円となった。
さらに、安倍首相はこの幼児教育無償化などの政策を「全世代型」社会保障制度などと呼んでいるが、その「全世代型」の内実は、高齢者の切り捨てだ。事実、今月12日に応じた日本経済新聞のインタビューでは、「社会保障の高齢者中心を是正」と語っている。
だが、そうやって切り捨てられる高齢者の貧困は、いまもっとも深刻な問題のひとつである。
選挙が終われば改憲に踏み出すのはミエミエだが、改憲について一切語らず
現に、先日、立命館大学の唐鎌直義教授が高齢世帯の貧困率を発表したが、「65歳以上の高齢者がいる世帯の貧困率は2016年時点で27.0%」「1人暮らしの女性は2人に1人が生活保護の水準を下回る収入で生活」という結果が出た(西日本新聞9月15日付)。
唐鎌教授はこの要因について、「公的年金の給付額が低下したため」とし、「子どもだけでなく高齢者の貧困も深刻。生活保護受給者は今後さらに増えるだろう。これ以上の年金引き下げはやめるべきだ」と述べている。
青天井の軍事費に対して、高齢者の貧困を増加させ、さらには実行されないままの公約破りである「幼児教育の無償化」を解散の理由にする──。森友・加計疑惑隠しの解散という本当の狙いだけでなく、こうした安倍首相が選挙のたびにもち出す「アメ」の中身も、国民をバカにしているとしか思えない。
だからこそ、覚えておかなくてはならないことがある。会見で安倍首相は「いま日本経済は11年ぶりとなる6四半期連続のプラス成長、内需主導の力強い経済成長が実現」と好景気をアピールしたが、法人税を引き下げ、その税収は2015年度から16年度で約5000億円も減った。そして、16年度の企業の「内部留保」は過去最高となる406兆2348億円にものぼった。しかし、企業が儲ける一方、利益をどれだけ人件費に配分したのかを示す労働分配率は下がりつづけ、実質賃金の水準も低い。企業が蓄えを増やすだけで人件費には回ってこず、また、生活は苦しいままだ。このまま増税に踏み切れば消費が冷え込むだけでなく、さらに格差は広がり、貧困問題は深刻さに拍車をかけるだろう。
安倍首相が選挙のたびに囁く社会保障政策は、いつまで経っても実行されない「理念なき選挙目当て」の甘言に過ぎない。そして、憲法改正を睨んだ選挙であるにもかかわらず、安倍首相はきょうの会見で改憲について一言も言及しなかった。選挙中は改憲を語らず、選挙が終わってから「国民の信任を得た」と言い出すのは安倍首相の常套手段となっているが、またも詐欺を働こうとしているのだ。しかも、今回の選挙に勝てば、安倍首相が改憲に大きく踏み出すことは間違いない。
言うなれば、今回の解散選挙は「この男に国民は見下され、騙されつづけていいのか」を問う選挙である。いや、「安倍晋三という国難を突破するための選挙」だ。 
安倍首相「衆院解散」の真意は? 9/29
 アメリカの北朝鮮への「武力行使」を見据えているのではないか
アメリカは12月か1月に武力行使に踏み切る?
いまのタイミングで衆議院を解散することについては、毎日新聞や朝日新聞が痛烈に批判している。毎日新聞は「問われる大義名分」、朝日新聞は「急転公約、大義に疑問」という見出しを掲げて、大義なき解散だと指摘している。
ここへきて急遽、解散が浮上した背景には、内閣支持率の回復がある。一時は30%を切るほどだった安倍内閣の支持率が、いまは各社の世論調査でだいたい50%くらいまで持ち直している、
一方、民進党は離党者が続出して、まとまりようがない。しかも、議員のスキャンダルが報じられて、守勢に回っている。
だから、自民党にとっては、いまこそがチャンスというわけだ。もし国会が始まると、野党から森友・加計問題を追及される。なので、「疑惑隠し選挙」という声もある。民進党の前原代表は「自己保身選挙」と言っている。国民の生命・財産そっちのけ、無責任そのものだ、と。
共産党の小池書記局長は「露骨な党利党略で、ここまで大義のない解散はかつてない」と批判する。疑惑・追及を恐れた「追い込まれ解散」である、と。共産党の志位委員長も「究極の党利党略。権力の私物化、憲法違反の暴挙である」と非難している。
新聞もテレビも厳しく批判している。たしかに、そういう部分はたくさんあると思う。しかし、安倍首相がこのタイミングで解散に踏み切ろうと考えた理由はそれだけではないかと考えている。
9月17日、米国のヘイリー国連大使が「北朝鮮に圧力をかけることには限界ある」と発言した。また、18日には、マティス国防長官が「韓国に被害を与えない形の武力行使ができる」と述べた。このような発言からすると、アメリカは本当に武力行使をするかもしれない。
安倍首相はその後、国連演説のために訪米したが、トランプ大統領と会った際に、武力行使についての真意を確認したのではないかと思う。
トランプ大統領は11月に日本・韓国に加え、中国にも行き、習近平国家首席に会うと言っている。とすれば、それまでは武力行使はないだろう。もし武力行使をやるとすれば、12月か1月ということになる。
もしアメリカが北朝鮮に対する武力行使に踏み切れば、日本は大変なことになる。だから、それまでに解散・総選挙を実施して体制を整える、ということも、安倍首相の頭の中にはあるのではないか。
総選挙については、自民党が有利と見られているが、結果は流動的な面もあると見ている。新聞、テレビ、野党が「大義がない」「疑惑隠し」「選挙の私物化」と叫んでいるので、もしかしたら国民も反発して、意外に自民党が票を減らすかもしれない。  

 


 
2017/9-10
 
 
「国難突破解散だ」 安倍首相が解散を表明 9/25 

 

安倍晋三首相は9月25日に首相官邸で会見し、28日の臨時国会の冒頭に衆議院の解散に踏み切ることを正式に表明した。会見の中で安倍首相は「この解散は『国難突破解散』だ」と述べた。
解散の理由について、安倍首相は「2020年度までに3〜5歳の幼稚園・保育園費用の無償化」など、子育て世代への投資拡充に向けた消費税の使い道の見直しについて「国民の信を問いたい」と述べた。
北朝鮮をめぐる緊張が続く中、野党などからは「なぜこの時期に選挙なのか」という批判の声が出ているが、安倍首相は「むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、北朝鮮問題への対応について国民に問いたい」と語った。
冒頭発言後、報道陣から総選挙の勝敗ラインについて問われた安倍首相は「衆議院選挙は政権選択の選挙。自公政権を選んでいただけるのか、野党政権を選ぶのかを決めるもの」とした上で「目標は与党で過半数。233議席以上」とした。 
[解散表明全文] 
「アベノミクス最大の勝負は、生産性革命と人づくり革命」
5年前、国民の皆様のお力を得て、政権を奪還しました。当時、私たちが公約に掲げた大胆な金融政策には、大変に批判がありました。
しかし、総選挙で勝利したからこそ実行に移すことができた。アベノミクス3本の矢を放つことで、日本経済の停滞を打破し、マイナスからプラス成長へと大きく転換することができました。
今、日本経済は11年ぶりとなる、6四半期連続のプラス成長。内需主導の力強い経済成長が実現しています。雇用は200万人近く増加し、この春、大学を卒業した皆さんの就職率は過去最高です。
この2年間で正規雇用は79万人増え、正社員の有効求人倍率は調査開始以来初めて1倍を超えました。正社員になりたい人がいれば、かならず1つ以上の正社員の仕事がある。
この5年近く、アベノミクス改革の矢を放ち続け、ようやくここまで来ることができました。いまこそ、最大の壁にチャレンジするときです。
急速に少子高齢化が進むこの国が、これからも本当に成長していけるのか、この漠然とした不安にしっかりと答えを出してまいります。
それは生産性革命、そして人づくり革命であります。この2つの大改革は、アベノミクス最大の勝負です。国民の皆様の支持をいただき、新しい経済政策パッケージを年内に取りまとめる考えであります。4年連続の賃金アップの流れを更に力強く持続的なものとする。
そのためには生産性を高めて行くことが必要です。ロボット、IoT、人工知能、生産性を劇的に押し上げる最先端のイノベーションが世界を一変させようとしています。
この生産性革命を我が国がリードすることこそ、次なる成長戦略の最大の柱であります。2020年度までの3年間を「生産性革命集中投資期間」と位置づけ、中小、小規模事業も含め、企業による設備や人材への投資を力強く促します。大胆な税制、予算、規制改革、生産性革命の実現に向かってあらゆる施策を総動員してまいります。
生産性を押し上げ、今年より来年、来年より再来年と、皆さんの所得を大きく増やしていく。デフレ脱却へのスピードを最大限まで加速してまいります。 
2020年度までに、3〜5歳の幼稚園・保育園費用を無償化
もう一つの最大の柱は「人づくり革命」です。子供達には無限の可能性が眠っています。どんなに貧しい家庭に育っても、意欲さえあれば専修学校、大学に進学できる社会へと改革する。所得が低い家庭の子供達、真に必要な子供達に限って、高等教育の無償化を必ず実現する決意です。
授業料の減免措置の拡充とあわせ、必要な生活費をすべて賄えるよう、今月から始まった給付型奨学金の支給額を大幅に増やします。いくつになっても誰にでも学び直しと新しいチャレンジの機会を確保する、人生100年次代を見据え、その鍵であるリカレント教育を抜本的に拡充します。
こうしたニーズに応えられるよう、大学改革も強力に進めていかなければなりません。幼児教育の無償化も一気に進みます。2020年度までに、3歳から5歳まで、全ての子供達の幼稚園や保育園の費用を無償化します。ゼロ歳から2歳児も、所得の低い世帯では全面的に無償化します。
待機児童解消を目指す安倍内閣の決意は揺らぎません。本年6月に策定した子育て安心プランを前倒しし、2020年度までに32万人分の受け皿整備を進めます。
2020年代初頭までに、50万人分の介護の受け皿を整備する。
最大の課題は介護人材の確保です。これまで自公政権で月額4万7000円の改善を実現してきましたが、他の産業との賃金格差をなくしていくため、さらなる処遇改善を進めます。
子育て、介護、現役世代が直面するこの2つの大きな不安の解消に、大胆に政策資源を投入することで、我が国の社会補償制度を全世代型へと大きく転換します。
急速に少子高齢化が進む中、国民の皆様の支持を得て、いま実行しなければならない。そう決意しました。 
消費税の使いみちを変えるため、国民の信を問う
2兆円規模の新たな政策を実施することで、この大改革を成し遂げてまいります。しかしそのツケを未来の世代に回すようなことがあってはならない。
人づくり革命を進めていくためには、その安定財源として、再来年10月に予定される消費税率10%への引き上げによる財源を活用しなければならないと、私は判断いたしました。
2%の引き上げにより、5兆円強の税収となります。現在の予定では、この税収の5分の1だけを社会保障の充実に使い、残りの5分の4である4兆円あまりは借金の返済に使うこととなっています。
この考え方は、消費税を5%から10%へと引き上げる際の前提であり、国民の皆様にお約束していたことであります。
この消費税の使いみちを、私は思い切って変えたい。子育て世代への投資と、社会保障の安定化にバランスよく充当し、あわせて財政再建を確実に実現する。そうした道を追求してまいります。
増税分を借金の返済ばかりでなく、少子化対策などの歳出により多く回すことで、3年前の8%に引き上げたときのような景気への悪影響も軽減できます。
他方で、2020年度のプライマリーバランス、黒字化目標の達成は困難となります。
しかし、安倍政権は財政再建の旗を下ろすことはありません。プライマリーバランスの黒字化を目指すという目標自体はしっかりと堅持します。引き続き、歳出歳入両面からの改革を続け、今後達成に向けた具体的な計画を策定いたします。
少子高齢化という最大の課題を克服するため、我が国の経済社会システムの大改革に挑戦する。私はそう決断いたしました。そして、子育て世代への投資を拡充するため、これまでお約束していた消費税の使い道を見直すことを本日決断いたしました。
国民の皆様とのお約束を変更し、国民生活に関わる重い決断を行う以上、速やかに国民の信を問わねばならない、そう決心いたしました。
28日に衆議院を解散いたします。 
北朝鮮情勢について 「こういう時期にこそ選挙を」
国民の皆様は、北朝鮮の度重なる挑発に関しまして大きな不安を持っておられることと思います。
政府として、いついかなるときであろうとも、危機管理に全力を尽くし、国民の生命と財産を守り抜く。もとより、当然のことであります。
他方、民主主義の原点でもある選挙が、北朝鮮の脅かしによって左右されるようなことがあってはなりません。
むしろ私は、こういう時期にこそ選挙を行うことによって、この北朝鮮問題への対応によって、国民の皆さんに問いたいと思います。
我が国を飛び越える弾道ミサイルの相次ぐ発射、核実験の強行、北朝鮮による挑発はどんどんエスカレートし、その脅威はまさに現実のものとなっています。
こうしたなかで私は、国際社会の連帯をより強固なものにするため、米国、韓国はもちろんのこと、中国、ロシア、インド、欧州、中東、アジアの首脳たちと対話や協議を重ねてきました。
そして先般、国連安保理が原油や石油製品の輸出制限を含む厳格な制裁措置を全会一致で決定いたしました。まずこれを完全に実行する。さらに、北朝鮮が変更しないのであれば、国際社会とともに一層圧力を強化してまいります。
北朝鮮には勤勉な労働力があり、資源も豊富です。北朝鮮が正しい道を歩めば、経済も飛躍的に伸ばすことができる。しかし、拉致・核兵器・ミサイル問題の解決なくして、北朝鮮に明るい未来などありえません。北朝鮮に、その政策を変えさせなければならない。そのための圧力であります。
「圧力の強化は北朝鮮を暴発させる危険があり、方針転換して対話をすべきではないか」という意見があります。
世界中の誰も、紛争など望んではいません。しかし、ただ対話のための対話には意味がありません。
この20年間、我が国をはじめ国際社会は、6カ国協議など、平和のための対話を重ねてきました。その中で北朝鮮は2度にわたり、核兵器・ミサイルの放棄を約束しましたが、結果としてそれらはことごとく裏切られ、かつ核兵器・ミサイル開発が継続されていた。
対話の努力は時間稼ぎに利用されました。北朝鮮に全ての核兵器・弾道ミサイル計画を完全な検証可能、かつ不可逆的な方法で放棄させなければならない。そのことを北朝鮮が受け入れない限り、今後ともあらゆる手段による圧力を、最大限まで高めていくほかに道はない。私はそう確信しています。
そして、拉致問題の解決に向けて、国際社会でリーダーシップを発揮し、全力を尽くしてまいります。
北朝鮮が意図的に緊張を煽っている今だからこそ、私たちはぶれてはならない。北朝鮮の脅かしに屈するようなことがあってはなりません。
私はこの選挙で、国民の皆様から信任を得て、力強い外交を進めていく。北朝鮮に対して、国際社会とともに、毅然とした対応をとる考えであります。 
「この解散は『国難突破解散』だ」
先の国会では、森友学園への国有地売却の件、加計学園による獣医学部の新設などが議論となり、国民の皆様から大きな不信を招きました。私自身、閉会中審査に出席するなど、丁寧に説明する努力を重ねてまいりました。今後とも、その考えに変わりはありません。
この選挙戦でも、野党の皆さんの批判はここに集中するかもしれない。こうした中での選挙は、厳しい、本当に厳しい選挙となる。そのことはもとより覚悟しています。
しかし、国民の信任なくして、国論を二分するような大改革を前に進めていくことはできない。我が国の国益を守るため、毅然とした外交を推し進めることはできません。国民の皆様の信任を得てこの国を守り抜く決意であります。
少子高齢化、緊迫する北朝鮮情勢。まさに国難とも呼ぶべき事態に、強いリーダーシップを発揮する。自らが先頭に立って、国難に立ち向かっていく。これがトップである私の責任であり、総理大臣としての私の使命であります。
苦しい選挙戦になろうとも、国民の皆様とともに、この国難を乗り越えるため、どうしても今、国民の声を聞かなければならない。そう判断いたしました。
この解散は「国難突破解散」であります。急速に進む少子高齢化を克服し、我が国の未来を開く。北朝鮮の脅威に対して国民の命と平和な暮らしを守り抜く。
この国難とも呼ぶべき問題を、私は全身全霊を傾け、国民の皆様とともに突破していく決意であります。
私からは以上であります。 

 

 
 
 

 

安保理、北朝鮮への石油禁輸で攻防 日米「強力制裁を」 2017/9/5
国連安全保障理事会(国連安保理)は4日午前(日本時間同日深夜)、北朝鮮の6回目の核実験を受け、日米韓英仏の5カ国の要請で緊急会合を公開で開いた。日米両国は北朝鮮の封じ込めに「最大限の圧力が必要」と強調。中国とロシアが供給しているとされる石油禁輸を含む新たな追加制裁決議を求めていく方針だ。
緊急会合で米国のヘイリー国連大使は、過去の安保理決議が北朝鮮の暴走を止められなかったとし「取り得る最強の制裁措置が必要だ」と訴えた。具体的な内容には触れなかったが、新制裁決議案を各国に提示のうえ11日の採決を目指したいと語った。
日本の別所浩郎国連大使は「脅威は新たな段階にある」と強調し、北朝鮮の政策を変えるために「さらに強力な制裁決議を迅速に採択しなければならない」と主張した。
一方、中国の劉結一国連大使は核実験を「強く非難する」としながら、「問題は平和的に解決されなければならない」として「対話による解決」を訴えた。ロシアのネベンジャ国連大使は「軍事的な解決はあり得ない」と米国をけん制のうえ、「関係国は即座に対話と交渉に戻るように」と主張した。
安保理は今後、米中両国を中心に新たな対北朝鮮制裁の内容を協議する。最大の焦点は日米がめざす石油の輸出制限だ。韓国の情報として中国の北朝鮮への石油の年間輸出量は50万トン以上とされ、禁輸措置が北朝鮮経済に与える影響は甚大だ。中国やロシアの反発が予想されるものの、日米があえて石油禁輸をめざすのは「仮に中ロが受け入れなくても両国が国際社会から孤立する構図をつくる」(日本政府関係者)狙いがある。
世界各国が北朝鮮を強く非難する中、中ロが制裁強化に二の足を踏めば国際社会から厳しい視線を浴びるのは必至だ。「中ロが北朝鮮をかばうという悪い印象をもたれれば耐えられなくなる」(同)とみて両国が制裁強化に傾くのを期待する。
北朝鮮による繊維製品輸出の禁止や北朝鮮からの出稼ぎ労働者受け入れの規制強化など、外貨収入源の締め付けを図ることも検討する。受け入れ制限は「核・ミサイル開発の資金源を絞る有力な手段になる」(外務省筋)として、各国に協力を呼び掛ける。
中国外務省の耿爽副報道局長は4日の記者会見で、日米が求める石油禁輸について「国連安保理で決めることだ。中国は常任理事国として責任のある建設的な立場で議論に参加する」と述べるにとどめた。北朝鮮との貿易停止を求めた3日のトランプ米大統領の発言に関しては「核問題の解決に苦しい努力をしているのに自らの利益が損なわれるのは断固受け入れられない」と反発した。
安倍晋三首相はロシアの極東ウラジオストクを6日に訪問し、7日にプーチン大統領と直接会談する。北朝鮮問題を巡り、自らプーチン氏に働き掛ける意向だ。対話解決を重視し、融和姿勢を示してきたロシアに対し、北朝鮮への石油の輸出禁止・制限に協力を要請する。 
北朝鮮、国連がすったもんだする「三つの理由」 9/12
北朝鮮の核・ミサイル問題への対応で、国際連合の安全保障理事会が注目を集めています。とても強い権限があるのですが、これまで9本を数える制裁決議の効果は定かでありません。そもそもどういう組織で、なぜなかなかまとまれないのでしょう? すったもんだが続く理由を三つにまとめてみました。
そもそも「5常任理事国」って何?
アメリカのニューヨークに本部がある国際連合は、20世紀の二度の世界大戦の反省をふまえ1945年に誕生しました。いま北朝鮮を含む193カ国が加盟しています。注目を集めている安全保障理事会は、国連の中にあります。国連憲章で「国際の平和及び安全の維持に関する主要な責任」を負わされています。安保理は15理事国からなります。改選されない常任理事国が5カ国で、第2次世界大戦の戦勝国である米英中仏ロ。2年ごとに地域別の枠で改選される非常任理事国は10カ国で、日本はこれまで加盟国中最多の11回も当選しています。
「制裁」ってどれだけ強いの?
安保理は国連憲章によって強い権限を与えられています。国際紛争などがあれば「平和に対する脅威」について決定し、その脅威をもたらす国に経済制裁を科すことができます。それでもだめなら、武力行使のために国連軍を組織したり、多国籍軍の攻撃にお墨付きを与えたりしたこともあります。こうした経済制裁や武力行使に国連加盟国は協力することになっていますが、その根拠として決議が必要なのです。安保理の意思決定の形式で一番重いもので、15理事国のうち5常任理事国を含む9カ国の賛成が必要です。つまり5常任理事国には1カ国の反対で決議案を否決する権限があり、これを「拒否権」といいます。
すったもんだの理由1 / 安保理の国同士が対立している
北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射をした時の制裁をめぐって安保理がよくもめるのは、拒否権を持つ5常任理事国が牽制し合ってまとまれないからです。その姿勢は大きく「圧力」と「対話」に分けられます。「圧力」陣営は、アメリカ、イギリス、フランスです。北朝鮮から挑発の矛先を向けられるアメリカや、冷戦期にともに西側陣営にいて立場の近いイギリス、フランスは「圧力」を重視します。ここへ非常任理事国から日本が率先して加わります。「対話」陣営は、中国、ロシアです。圧力に北朝鮮が反発して朝鮮半島が不安定になることを嫌う隣国の中国は「対話」を唱えます。ロシアは基本的に中国に同調します。
なんで対立するの?
世界中の問題に対処を迫られる5常任理事国の間には様々な駆け引きがあります。北朝鮮問題では中国をロシアが支え、ロシアに近いイランの核開発疑惑ではロシアを中国が支えるなど、安保理で中ロは連携してきました。ロシアは最近は対米関係の悪化から、北朝鮮に対するアメリカの圧力に反発するという姿勢も見せています。なので、北朝鮮が問題を起こすたびに、制裁をめぐって特にアメリカと中ロが対立しがちです。核実験だとさすがにひどいということで制裁決議へ足並みがそろいますが、内容をどこまで厳しくするかの詰めは大変です。アメリカが決議案を日韓と調整してたたき台を作り、中国と交渉するというパターンですが、2016年9月の5度目の核実験に対する決議には2カ月半以上かかりました。
実はそんなに関心が高くない?弾道ミサイル
弾道ミサイル発射の場合はさらに厄介です。発射を規制する国際的なルールはありません。北朝鮮が非難されるのは、核開発との結びつきを懸念して北朝鮮だけに発射を認めない安保理決議が根拠です。核実験の場合は、常に安保理で対北朝鮮制裁決議が採択されます。しかし、弾道ミサイル発射に対する国際社会の関心は、核実験ほど大きくないのです。発射が射程の長い長距離弾道ミサイルであっても、安保理の対応はこれまで様々でした。06年や13年のように日米主導で決議が出たこともあれば、2009年のように米中が妥協して決議より一段下の議長声明になったこともあります。北朝鮮が核実験をする前の1998年には、「衛星打ち上げ」との北朝鮮の主張に中国などが理解を示し、数段下の報道向け談話に終わりました。
経済制裁でカギを握る中国
しかし06年以降、核実験と弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮のエスカレーションは止まらず、5常任理事国は妥協しながら9本の制裁決議を採択してきました。「対話に向かわせるための圧力」というわけですが、北朝鮮は対話どころか今月3日に6度目の核実験をしました。そもそも制裁の効果はあるのでしょうか。カギを握るのは、北朝鮮の貿易の9割を占める中国です。北朝鮮からは主要産品の石炭を輸入し、逆に北朝鮮へは石油を輸出しています。国連加盟国に対し、石炭は8月の8本目の決議で輸入が禁じられました。石油は9本目の決議案でアメリカは最初は輸出禁止を主張していました。中国は、石炭輸入を制限した16年の決議をめぐるアメリカなどとの交渉では、北朝鮮に圧力をかけすぎることへの懸念に加え、北朝鮮と取引する中国企業への影響や、広大な中国のすべての港で輸入制限を監視する難しさに触れています。9本目の決議でも、米中交渉の結果、石油輸出について禁止ではなく年間の上限を設けることで折り合いました。
制裁に協力しなくても罰則ない
決議の効果という意味では、すべての国連加盟国を縛ると言っても罰則があるわけでもなく、必ず実施されるわけではないという弱みもあります。決議実施に関する加盟国から安保理への報告は、アジアから遠い中東やアフリカなどの途上国で芳しくありません。日本は他国で経済制裁の態勢が整うよう、東南アジアで税関などの「能力構築支援」をしています。
すったもんだの理由2 / 「圧力」だけかけても…
制裁決議を主導するアメリカは「対話に向かわせるための圧力」を国際社会に呼びかけますが、その対話の場がないまま圧力が強まっています。そのため、制裁をすることが北朝鮮に「アメリカ主導の圧力から自衛するために核・ミサイル開発を開発する」という口実を与えている面もあります。北朝鮮の核問題に関する米中ロ日韓との6者協議は08年から、米朝の直接対話は「戦略的忍耐」のオバマ政権当時の12年から動いていません。金一族が世襲する体制を守ろうとすでに核保有を宣言した北朝鮮と、非核化へ具体的に動かない限り対話に応じないという今の日米の間には溝があります。ただ、過去の決議では、数十の項目が並ぶ制裁による圧力だけではなく、「6者協議の再開を」と対話も求めています。4月に安保理の閣僚級会合が開かれた際、中国の王毅外相は「対話がある時は朝鮮半島は安定していた。すべての関係国は決議に従い、対話へさらに努力をしてほしい」と訴えました。
すったもんだの理由3 / 核兵器を持っている国に言われても…
安保理という組織が核問題に対応する限界として、国連で指摘されてきた「そもそも論」があります。安保理の決定を左右する5常任理事国が、核不拡散禁止条約(NPT)で「核兵器国」として認められた5カ国と重なることです。核兵器を持つ5大国が軍縮の努力を尽くさずに、他国の核開発に安保理決議で制裁を科すというのはご都合主義ではないかという趣旨です。
「核兵器禁止条約」日本もアメリカも不参加
「核なき世界」を掲げた前米大統領のオバマ氏は国際政治の舞台を去りました。そんな世界はNPTの下ではいつまで経っても実現しないということで、国連での交渉会議を経て、7月に核兵器禁止条約が122カ国の賛成を経て採択されました。人道的見地から核兵器の存在を否定するなど踏み込んだ内容で、「核兵器国」や、アメリカの核の傘の下にある日本は参加しませんでした。
悪循環から抜けるには?
この核兵器禁止条約は、NPTの「核兵器国」=常任理事国である安保理に核問題を解決できるのか、という国際社会からの挑戦状と言えます。安保理がいくら制裁決議を重ねても北朝鮮の核・ミサイル開発を止められない悪循環から、どうすれば抜け出せるのでしょうか。スウェーデンにあるストックホルム国際平和研究所は今年の報告書で、世界中にある約1万5千の核兵器のうち92%をロシアとアメリカが持ち、英仏中を入れた上位5カ国では97%を占めると推定しています。これと重なる常任理事国が核軍縮をさらに進め、安保理が担う「国際の平和及び安全の維持」を、核の力に頼らずに実現するよう努めることが必要ではないでしょうか。常任理事国がそうした姿勢で率先すれば、多くの国が共感し、安保理による制裁決議への協力も進むでしょう。それこそが北朝鮮に対する「対話に向かわせるための圧力」になると思います。 
国連「制裁決議」は北朝鮮に効くのか? 9/19
北朝鮮の5回目の核実験を受けて、にわかに国連安保理制裁の強化が議論されている。1月の4回目の核実験の後、新たな制裁決議である安保理決議2270号を採択するまで2カ月以上かかったが、今回は、既に中国が新たな決議に賛意を示しているとの報道もあり、かなり早い時期に新たな制裁決議が採択されることが見込まれている 。
中国は韓国に配備されるTHAAD(終末高高度防衛ミサイル)に対して神経質になっており、新たな制裁決議と引き換えにTHAADの撤去を求めるという観測もあったが、どうやら制裁決議とTHAADの問題は切り離して対応するということになりそうだ。
新たな制裁決議の方向性
2016年3月に採択された安保理決議2270号はこれまででもっとも厳しい制裁決議と言われており、これ以上の制裁を常任理事国、とりわけ中国が合意するのは難しいのではないかと見られていた。しかし、新たな制裁決議に中国が賛意を示したということは、3月の時点よりも踏み込んだ制裁の可能性を示唆している。では、どのような制裁決議になるのであろうか。
まず、これまで安保理決議2270号の「抜け穴」と見られていた「もっぱら民生目的で核・ミサイル開発の資金調達と関連していない」石炭や鉄鉱石などの輸出を制限することが考えられる。中国は安保理決議を履行する姿勢は見せているが、現実にはこうした「抜け穴」を通じて取引が活発に行われていると報じられている 。
こうした「抜け穴」をふさぐこと、つまり例外事項を設けず、「あらゆる」石炭や鉄鉱石の取引を禁じるということで、北朝鮮の核・ミサイル開発の資金源を絞るのは1つの方法であろう。しかし、これだけでは既に核開発の完成度を高め、ミサイルも連続して発射に成功している状況を変えることは難しい。
また、核・ミサイル開発に関連する企業や軍の高官など、まだ制裁指定を受けていない個人や企業を追加で制裁指定することも考えられる。
さらに金融制裁の強化も考えられるが、その効果も限られている。既に今年の1月に書いたように 、北朝鮮は資金の流れを複雑化させ、金融制裁を受けにくい体質となっている。金正恩体制は核開発と経済発展を同時に行う「並進路線」を取っており、対外的な金融決済が制限されることは、一定の制裁効果を期待できるが、アメリカが金融制裁を強化しても、核・ミサイル開発には変化がないどころか、さらに加速している。
やはり中国がカギを握る
こうした状況の中で、安保理決議としては極めて異例で、現実味はないが、北朝鮮に対して最も効果的な制裁は、北朝鮮の企業や個人の制裁を強化するのではなく、彼らと取引をした外国企業、とりわけ中国企業を制裁対象とするという方法である。これを実現するには、まず中国の企業を制裁指定することを安保理で合意する必要があり、さらには、北朝鮮と取引のある中国企業を中国政府が取り締まり、罰するということが求められる。
しかし、中国がそうした決議に合意することも、それを履行することもおおよそ想定しにくい。また、中国が早期に新たな安保理決議に賛意を示したということは、そうした中国に不利益となるような決議にはならない、という想定があるからであろう(もし不利益になるのなら相当な国内の反発があり、それを調整するのにかなりの時間がかかるはず)。
そのため、安保理決議を通じた制裁では中国企業を制裁指定することは事実上不可能であるが、もしアメリカや日本、欧州などが安保理決議とは別に独自制裁の対象として北朝鮮との取引をする企業を制裁するのであれば、一定の効果を生む可能性はある。こうした企業は北朝鮮との取引だけでなく、日米欧諸国とも取引している場合もあり、彼らが日米欧市場に参入できないようになるのであれば、北朝鮮との取引を差し控える可能性もある。
しかし、それも効果は限られるであろう。北朝鮮との取引を行う企業は他の事業から切り離され、制裁指定されても困らないような手立てを使ってくるからである。そのため、現実に効果を生み出すには、北朝鮮と取引している企業を中国が自国の措置として取り締まるしかない。それが本当に実行できれば、北朝鮮制裁はより効果的なものになるが、そうした措置を中国がとる可能性は極めて低い。
北朝鮮制裁の実態
また、中国がいかに新たな安保理制裁に積極的だとしても、北朝鮮にはまだ多くの抜け穴がある。最近まで国連の北朝鮮制裁専門家パネルのメンバーで、筆者がイラン制裁の専門家パネルに務めていた時期に共に制裁の実務に携わっていた古川勝久氏が、北朝鮮に対する国連制裁の実情についていくつかの媒体で公表し始めている。
フォーブズの記事では国連加盟国が制裁に対して必ずしも高いプライオリティを置いていないこと、いくつかの加盟国では国連安保理決議に対する知識を全く持ち合わせていないこと、アメリカの独自制裁も必ずしも十分効果を上げているわけではないことなどが語られている 。
また、朝日新聞のインタビューでは、北朝鮮と軍事的、経済的な結びつきを強く持つ国もあり、それらの国々は制裁の履行に消極的で、直接、核・ミサイル開発に関与していなくても、闇の取引の通過点にはなりうること、また、北朝鮮は制裁を受けていても、汎用品など制裁対象にならない物品を調達し、それらをつなぎ合わせることで核・ミサイル開発を進めるスキルを身に着けていることなども紹介されている 。
イラン制裁との比較
筆者が勤務していたイラン制裁の専門家パネルでも全く同じような経験をしており、その苦労も身に染みて良くわかるのだが、それでもイランの場合、制裁が効果を挙げ、北朝鮮ではその効果が限られている。そこには、国連制裁そのものの問題というよりも、核開発に対する決意やコミットメントも大きくかかわっていると思われる。
すなわち、イランでは秘密裏に核開発を進めていたとはいえ、必ずしも核開発のみが国防の手段だとは考えられてはいなかったこと、またイラン・イラク戦争時にイラクの化学兵器によって多数の死傷者を出し、大量破壊兵器に対するネガティブなイメージも強かったことも交渉による核開発の断念につながったと思われる。
それに対し、北朝鮮は米国の脅威に対する対抗措置として核を持つことが唯一の選択肢だと考えており、核兵器に対する忌避感どころか、むしろ核兵器を持つことによって得られる大国としての地位を追求する姿勢を見せている。こうした中で、核開発を止めさせるような認識の変化を、制裁だけで実現することは極めて困難であろう。
また、イランと北朝鮮の違いとして、イランはこれから核兵器を開発しようとする国であり、その意味では核開発に必要な技術や物資を制裁によって止めることは一定の効果があった。しかし、北朝鮮は既に核開発に成功しており、実際に核爆弾を複数保有していると思われる。また運搬手段としてのミサイルも何度も発射に成功している。そうなると、制裁によって核弾頭やミサイル製造の物資を止めることは核弾頭やミサイルの数が増えることを阻止するためには多少の効果はあっても、彼らが核とミサイルを放棄すると決断するほどの効果は得られない。
さらに、古川氏が指摘しているように、イランは市民社会が発達し、グローバルに開放された経済を持ち、曲がりなりにも民主的な方法で市民が異議申し立てをすることが出来る仕組みがあることで、制裁の効果に対する世論の圧力が政策の変更をもたらす結果となった。しかし、北朝鮮は極めて閉鎖的な経済システムを採用し、国民が声を上げることは即座に死を意味するような、苛烈な独裁体制の下にある。そうした中で制裁が効果を上げることを期待することは難しい。
交渉か軍事的圧力か
制裁によって北朝鮮が核を放棄することが期待できない以上、核を放棄させる方法として考えられるのは、交渉を通じて北朝鮮に何らかの利益を与え、それと取引する形で核を放棄させるか、さもなくば軍事的な措置によって北朝鮮の行動を変えさせるような圧力をかけるという方法しかないだろう。
交渉によって北朝鮮が利益を得ることは、北朝鮮を増長させ、さらなる核・ミサイル開発へと邁進する可能性もあるため、なかなか選択肢としては取りにくい。また、北朝鮮が核開発に強くコミットしている以上、彼らにとって利益と思えるものが相当大きくなければ納得はしないであろう。そうした大きな利益を提供できるような環境が整っているとも思えない。
そうなると軍事的な手段によって圧力を増加させ、その圧力に耐えられない状況となって、北朝鮮が音を上げ、最終的に交渉のテーブルについて核を放棄するという状況に持ち込むしかなくなるだろう。しかし、既に北朝鮮には多大な圧力がかけられており、そうしたことに屈することは弱腰と国内外から見られることとなるため、金正恩体制を維持しようとする北朝鮮にとっては絶対に受け入れられないものであろう。また過度に軍事的圧力をかけることは、一触即発の事態を招くこととなり、実際に軍事的な衝突が起きれば、核兵器が使われる可能性もあり、それは日米韓にとって最も避けたい事態でもある。そうしたことから軍事的圧力を高めることも最適な選択肢とは言えない。
こうした八方ふさがりな状況を打破する都合の良い解決策はもはや存在しない。故に現在取りうる選択肢は制裁の強化しかなく、それによって北朝鮮が核を放棄する可能性が低いとしても、それ以外の手段のリスクが高すぎるため、僅かな可能性に賭けるしかない状況なのである。 
「完全な履行」安倍首相、国連外交に着手 9/19
安倍晋三首相は18日午後(日本時間19日未明)に米ニューヨークに到着し、北朝鮮の核・ミサイル問題に関する国連安全保障理事会決議の「完全な履行」を呼びかける国連外交に着手した。安保理の非常任理事国などを務めるアフリカ諸国の首脳らと国連本部で会談し、決議履行を目指すことで一致した。
アフリカ側は、今年から非常任理事国を務めるエチオピアや、セネガルなどの首脳ら5人が出席。安倍首相は北朝鮮問題について「これまでにない重大かつ差し迫った脅威だ。従来にない新たな段階の圧力をかける必要がある」と述べ、石油輸出量の上限設定を含む新決議などの履行が重要との認識を改めて強調した。アフリカ側は「核実験は国際社会への正面からの挑戦だ。決議の完全な実施を含め日本の立場を強く支持する」と応じた。安倍首相は北朝鮮との軍事協力の断絶、輸出入規制の強化なども要請した。
安倍首相はこの後、イスラエルのネタニヤフ首相とも会談し、圧力強化で連携する考えで一致した。安倍首相は「決議は完全に履行されて初めて真価を発揮する」と訴えた。ネタニヤフ首相も北朝鮮の脅威の深刻さに同意した。
安倍首相は20日午後(同21日午前)に国連総会での一般討論演説に臨む。また、トランプ米大統領との首脳会談、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領も含めた日米韓首脳会談、フランスのマクロン大統領との会談なども行い、北朝鮮問題を中心に協議する。  
 
 

 

 
 
 
 
  
「国難」の歴史諸話

 

国難
国家の危難、災難。国家が抱える危機的状況。多くの国民の命に関わるような、あるいは国家の存亡に関わるような災難。
鎮護国家
仏法によって国家の安泰を念願すること。国難に際しては、敵を滅ぼすために修法すること。特に密教では奈良時代から平安時代に盛んに行われた。天変地異や内乱、外敵の侵入にあたって、仏教経典を講読祈願したり、真言密教による秘法を行って国家を守護することをいい、広く仏法によって国家を護(まも)る意味に使用される。鎮国ともいう。多くの仏典のなかにあって護国思想の顕著な《仁王般若(にんのうはんにや)経》《金光明(こんこうみよう)最勝王経》《法華経》の護国三部経のほかに、《大般若経》などが用いられた。もともと出世間の教えを説く仏教が、中国に伝来し教団勢力が形成されると、国家権力によって保護され統制され、利用されるようになる。  
 
歴史の名著に学ぶ「国難と日本人」
大東亜戦争が終結して65年余りが経過し、日本人のあいだでも戦争の記憶は風化しつつあるといわれる。しかしその一方で、毎年夏がくれば、あの戦争をテーマにした評論や評伝、戦記などが出版され、書店店頭を賑わす。こうした現状をみれば、大東亜戦争に対する日本人の関心は、近年むしろ高まっているともいえる。周辺諸国との相次ぐ外交問題の勃発は、かえって敗戦で失われたナショナル・アイデンティティーを喚起しているかのようだ。まず、この総論部分では、前の戦争の「歴史観」を形づくるうえで、参考になる書を挙げる。
今回の震災で戦後日本は最大の危機を迎えたとされるが、国民が一丸となって復旧・復興を成し遂げることが重要だ。いまこそ日本人は長い眠りから覚め、この危機に対していかに戦い、乗り越えていくかを世界に示さなければならない。こうした感情にストレートに訴え、現在ベストセラーになっているのが、藤原正彦著『日本人の誇り』である。
著者は定年前の十数年間、勤務先のお茶の水女子大学の新入生を対象に「日本はどういう国か」と尋ねていた。すると多くが「恥ずかしい国」「胸を張って語れない歴史をもつ国」といった否定的な答えを述べたという。戦前の日本は帝国主義、軍国主義、植民地主義にひた走り、アジア各国を侵略した恥ずべき国と学校教育のなかで教わってきたからだ。その結果、祖国への誇りをもてないでいる。
その主要因を著者は、敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)すなわちアメリカが行なった「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP=戦争についての罪の意識を日本人に植えつける宣伝計画)」に求める。それは、日本の歴史を全否定することで、日本人の魂の空洞化を狙ったものであった。そして、その隙間に歴史への贖罪意識を植え付けようとした。いわゆる自虐史観といわれるものが、それであろう。
だが、著者はいう。ペリー来航の1853年からサンフランシスコ講和条約が発効する1952年までの「100年戦争」で日本は多くの間違いを犯したが、日本が「100年戦争」をしなければ、世界はいまも白人支配のままであった、と。胸を張ってそういえるようになることが、日本人としての「誇り」をもつ、ということなのであろう。
関岡英之著『帝国陸軍見果てぬ「防共回廊」』は、帝国陸軍が推進した「防共回廊構想」の実像に迫った労作。「防共回廊構想」とは、戦前日本のユーラシア戦略を指す。1932年の満洲国建国に続き、内モンゴル、寧夏・甘粛・東トルキスタン(新疆)の独立運動を支援、反共親日国家群を樹立してソ連の南下を防ぎ、また中国共産党への補給を遮断し、東アジアの赤化を阻止するという、地政学に基づく壮大な戦略論であった。
この構想は、「多民族国家」中ソの国家解体を誘発しかねない、あまりに正鵠を射たものだった。それゆえに戦後、徹底したタブーとして抹殺され、歴史の闇に封印されてきたという。それをいま解くことは、日本人が世界に向けて歴史の正当性を訴えていくことにもつながる。
戦争中、空爆を行なったB29搭乗員の処刑を命令した容疑で、B級戦犯として起訴された第13方面軍司令官兼東海軍管区司令官・岡田資中将。大岡昇平著『ながい旅』は、米軍の無差別爆撃を立証しようと法廷で戦った岡田の姿を描いたノンフィクションである。
東京裁判に代表される戦後の戦争裁判は、戦勝国による一方的な裁きといわれることがある。それは、しょせん勝者の復讐劇であり、茶番にすぎない。しかし岡田は、この戦争裁判を本土決戦の象徴として捉え、法廷で徹底的に戦おうとした。もっとも、岡田の目的は無罪を勝ち取り、自分が生きることではなかった。岡田の主眼は、自分一人が責任を被り、部下たちの命を救うことにあった。さらに、「世界民族の為」として無差別爆撃を憂え、現国際法の修正を訴えたのである。岡田は熱心な日蓮宗信者であり、平和を希求する気持ちが非常に強かったという。
だが結局、岡田は法廷で死刑判決を受けることになった。このとき、傍聴席にいた妻に対して、ただひと言「本望である」と語ったという。立派な人がいたとの感慨を抱く。われわれ日本人は岡田の義憤を公憤に変え、その思いを幾世代にも受け継いでいくべきであろう。
リーダーシップ
戦争という究極の非常時において、不確定な情報に基づき、冷静な判断を迅速に下せるリーダーのことを、人は「名将」と呼ぶ。とくに大東亜戦争という未曾有の国難において、そうした名将たちの姿に学ぶことは、本来あるべきリーダーシップを知るための、最良の“疑似体験”となりうるかもしれない。
松田十刻著『山口多聞』は、大東亜戦争時の日本海軍きっての名将、また闘将として、アメリカの歴史家からも評価の高い軍人の生涯をまとめた評伝である。1942年6月5〜7日、大東亜戦争の転機となったミッドウェー海戦。日本海軍は真珠湾攻撃のあと南方で華々しい戦績を残しながら、結果的には油断や怠慢、驕慢といったことが重なり、圧倒的に有利と思われていたこの作戦でアメリカ軍に惨敗を喫する。このとき、味方空母3隻が一瞬の虚を突かれ、敵機の攻撃で被弾炎上するなか、残る1隻を率いて乾坤一擲の精神で反撃を開始したのが、山口多聞である。
不屈の闘将の指揮により、わずかな日本攻撃隊は犠牲を顧みずに米空母1隻に連続攻撃せしめ、ついに航行不能に陥れるが、山口座乗の空母も敵機の攻撃で炎上した。しかし、山口は艦からの脱出を潔しとせず、艦と運命を共にしたのである。言行一致。危機に臨んで率先してわが身を捧げる覚悟があるリーダーは、日本人が描く名将像の一つにほかならない。
岩本徹三著『零戦撃墜王』は、日本海軍戦闘機隊のトップ・エースとして活躍した撃墜王が残した空戦記。日中戦争から敗戦までのじつに8年間、第一線で戦いつづけたエースは、まず岩本以外に存在しない。
岩本の信条は、「空の勝敗は、指揮官の判断一つで決まる」であった。岩本自身は単機の格闘戦に絶対的な自信をもっていたが、中隊長として編隊を率いた場合、部下たちにはけっして無理をさせず、優位からの一斉攻撃を心がけていた。一方、未熟なパイロットが特攻機で突っ込んでいく様子を目の当たりにして、「髪の毛の逆立つ思いであった」と心情を吐露している。
大東亜戦争時、連合国を畏怖させた岩本のような有能な戦闘機隊長の多くが、まだ20代の若者であったことには驚く。今回の震災対応では、日本は再びこうした若者の正義感、行動力といったものに復興を託すしかないのではないか。60歳以上の老人たちが国を危うくする様子をいつまでもみせられるのは、もう御免である。
工藤美代子著『大東亜戦争の指揮官たち』は、軍人のみならず、皇族、政治家、外交官にも視野を広げ、リーダーのあり方を論じた本。売れ筋の昭和人物伝には当時の指導者層を断罪するものが多いが、東京裁判史観からの決別を訴える本書は、その点、異色な存在である。
インテリジェンス
2007年、小谷賢著『日本軍のインテリジェンス』の出版は歴史界の話題をさらった。戦前の日本がどのような情報活動を行なってきたのか、体系的に論じた研究書がそれまでほとんどなかったからだ。なお、インテリジェンスとは、情報、諜報、情報機関などを含む広い概念であり、秘密工作や暗号解読などもそこに含まれる。
戦前の暗号戦については、日本は連合軍に完敗したという印象だけが根付いている。しかし、本書が明らかにするのは、日本陸軍が暗号戦においてけっして米英に引けをとらない戦いをしていた事実だ。1941年を通じて行なわれた日米交渉の折に、日本側の外交電報が米側に筒抜けになっていたことはよく知られている。だが、日本側も米軍の外交暗号を解読していた。その能力の高さは、米暗号専門家の陸軍士官が、敗戦後、占領軍の尋問中に米軍の暗号を実際に解読してみせ、相手を驚愕させたことでも証明されたという。
問題の本質は、情報がなかったことではなく、活かされなかったことにある。本書は戦前の教訓を踏まえたうえで、現在の日本のインテリジェンスをみた場合、情報部の地位の低さや防諜(カウンター・インテリジェンス)の不徹底、情報集約機関の不在、セクショナリズムといった問題点を挙げている。
近年、新史料の発見や公開に基づき、戦前の日本が対中国戦略を誤った原因として、モスクワからの指令に基づくコミンテルンの謀略(陰謀)が指摘されるようになった。とくに1928年の張作霖爆殺事件に、コミンテルン(正確にはソ連軍諜報部)が関与していたかどうかという論争が、ここ数年、論壇誌を中心に巻き起こった。
改めてこのテーマを徹底検証したのが、加藤康男著『謎解き「張作霖爆殺事件」』である。本書は、これまで昭和史研究家が扱ってこなかった意外な盲点を見事に突いている。従来、同事件の爆心は河本大作大佐が指揮する関東軍の一部が仕掛けた「線路脇」とされてきたが、著者は一次史料を再検討した結果、爆心がじつは「客車内」にあった可能性を指摘する。かくて「河本首謀説」は矛盾にさらされることになるのだが、事件の真相は? 本書は同事件にコミンテルンと、さらに張作霖の実子・張学良が関与していた可能性を指摘。昭和史がもたらす深い闇に、思わず目まいを覚える。
有馬哲夫著『大本営参謀は戦後何と戦ったのか』は、CIAファイルから読み解く戦後裏面史。敗戦とともに大本営参謀の一部は地下に潜り、GHQに対して面従腹背を貫きつつ、国内の治安維持や防共活動、インテリジェンス機関の整備に動いた。日本を再び強い国にするためであった。戦前と戦後の歴史の連続性を強く感じさせる内容だ。 
 
元寇において日本の国難を救ったのは「神風」ではなかった
「承久の乱」の結果、天皇の皇位継承までが武家に左右されるということになると、当時の歴史観としては「もう世も末だ」という考え方も現れる。そんな時に蒙古が襲来する。いわゆる「元寇」である。
文永5年(1268)、ジンギスカンの孫の世祖(せいそ)クビライ・カンが朝鮮(高麗(こうらい))を通じて日本に国書を送ってきた。クビライはすぐに返事がくるものだと思っていたが、当時17歳の執権北条時宗(ときむね)は、返書を送ろうとする朝廷の意向を拒絶し、朝鮮の使者を追い返してしまった。内容が無礼かつ脅迫的だったからである。
時宗が使者を追い返したことによって、クビライは日本攻撃の命令を出した。かくして文永11年(1274)、「文永の役」が始まる。元(げん=蒙古)軍はおよそ4万人、そのうち8千人は高麗兵である。対馬・壱岐を侵し、島民を惨殺した元軍は10月20日に博多湾から箱崎附近に上陸した。これを迎え撃つ鎮西(ちんぜい=九州)の日本軍およそ5千と激烈な戦いが始まった。
宋や朝鮮では向かうところ敵なしで、日本もすぐに屈服するものと考えていた元軍は、日本軍の強い抵抗にあって驚いたが、数百数千の兵が集団戦法で攻めてくる元軍に、初めて外国との戦いを経験する日本軍も困惑した。日没近くになって日本軍は水城(みずき)方面に退却を始める。このとき博多正面の指揮官であった少弐資能(しょうにすけよし)の息子景資(かげすけ)が追撃する敵将劉復享(りゅうふくこう)を矢で馬から射落とした。これで元軍も追撃をあきらめて船に引き揚げる。
優勢だった元軍がなぜ引き上げたのか、日本軍はわからなかった。敵将を射たことに気づかなかったのである。しかもその夜、嵐があって多くの船が沈んでしまったこともあって、元軍は風雨のなかを撤退していく。
当時の人々が、これを「神風」と呼んだのは、まさに実感であったろう。
元が再び攻めて来ることはわかっていたから、時宗は、鎮西(九州)の御家人だけでなく、全国の御家人に呼びかけて博多の守りを固めた。文永の役の戦訓をふまえ、御家人の持っている土地1反につき石1つという割り当てで海岸に石垣を築かせ、防塁をつくった。
クビライ・カンは数年間の準備期間を置き、弘安4年(1281)、今度は十数万の大軍を博多湾に派遣した。これが「弘安の役」である。
2カ月にわたって沿岸各地で激しい戦いが展開されたが、堅固な海岸防備と、敵船に切り込むなどの日本軍の果敢な攻撃によって、元軍は優勢を保ちながらも海上に長期間の停泊を余儀なくされた。やがて閏(うるう)7月、大暴風雨があって海上の元軍は全滅した。十数万の元軍のうち、帰国できたのは2割にも満たなかった。再び「神風」が吹いたのである。
蒙古襲来に対して、朝廷では諸社寺に国難打開の祈祷を命じ、亀山上皇自身も伊勢神宮に参拝して、「国難に身を以て代わらん。この命を召されるとも敵を滅ぼしたまえ」と奏上(そうじょう)した。だから「神風」が吹いたのだと朝廷は思いこんだ。夏から秋にかけてずっと博多湾あたりにいれば、一度くらい台風に襲われるのは当然だろうが、そうは考えない。元寇の勝利は、一生懸命お祈りしたり、護摩(ごま)を焚(た)いたりしたご利益(りやく)だというわけである。
「神風」ばかりが強調され、蒙古軍が内陸に入ってくるのを阻止するため戦った武士のことはすっかり忘れられている。その証拠に、時宗の功績に対する朝廷の評価もきわめて低く、従五位上(じゅごいじょう)から正五位下(しょうごいげ)に位が一級上がっただけであった。
武士たちにしてみれば、自分たちが働いたという意識があるから、恩賞を求める。ところが、倒した敵の土地を奪って手柄を立てた者に分けることができたこれまでの国内戦争とは違い、今回はこれだけ戦いながら、何も得たものがない。
さらに、蒙古襲来に幕府が対応できたのは、義時(よしとき)以来、北条家が倹約につとめて財を蓄(たくわ)え、贅沢をせず、備えを怠らなかったからであった。ところが、その富も今回の戦いで使い果たしてしまった。こうして北条幕府の根底が揺らいできたのとともに、時宗が34歳(満32歳)の若さで病死する。まことに元寇から国を守るために生まれてきたような武将であった。 
「蒙古軍終焉の地」神風は偶然ではなく必然だった!!
日本の最初の国難を救った鎌倉武士は本当に天晴れでした。2回の神風が強調されがちですが、実際は鎌倉武士の奮戦が勝利の最大の要因でした。彼らのお蔭で私たち日本人は今も平和に暮らしていけることに感謝したいと思います。
日本史の教科書で元寇(げんこう)は習いましたよね。鎌倉時代に2回蒙古襲来があり、神風が二度吹いて日本は勝ったという感じで記憶している方が殆どではないでしょうか?
玄界灘のひなびた観光に伊万里(焼)、呼子の朝市(特に新鮮なイカ料理で有名)など通好みの地域があります。その伊万里湾入り口に鷹島(たかしま)という周囲40kmほどののどかな島があります。ところが、この鷹島には、首除(くびのき)、首崎(くびさき)、血崎(ちざき)、血浦(ちのうら)、死浦、地獄谷、前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利(祈り)の浜などの恐ろしい地名が残っています。なぜなのでしょう?
実はこの島が弘安の役(第二回蒙古襲来)での蒙古軍4万人の将兵の首が切られた蒙古軍終焉の地であることを知る人はあまりいません。当時の武士の戦としてもこれほど多くの兵士の首を跳ねた戦はないのです。
何故鎌倉武士はこのような殲滅戦(敵を全滅させるまで行う戦い)を展開したのでしょうか?本日は教科書に出てこないこのあたりの背景を私なりに書きたいと思います。
モンゴル帝国の初代皇帝ジンギス・ハーンの遺志を継いだ孫の第5代皇帝フビライ・ハーンの時、モンゴルは東ヨーロッパからアジアに至る史上最大の領土を支配します。西ヨーロッパではローマ教皇がイスラム教駆逐のため第9回目の十字軍遠征を展開した頃です。
更なる勢力拡大の野望を持つフビライは日本の支配を図ろうと再三日本にモンゴル(元)の属国になるよう使者を送りました。それに対して日本の政権を握る鎌倉幕府(北条時宗)は、当然のことながら断固拒否し続けます。外交交渉による支配が無理と判断したフビライは武力による侵攻に切り替えます。こうして第一回襲来の文永の役(1274年の11月11日から11月26日)と第二回襲来の弘安の役(1281年5月から8月上旬)が発生しました。正に日本が初めて遭遇する国難だったと言えます。
因みに第二は日露戦争、第三は太平洋戦争、そして現在は安全保障の観点で第4の国難の時期ではないでしょうか。(多くのマスコミがSMAPの解散問題の方を一面に報じたりするのは実に嘆かわしいè少しは安全保障について真面目に報道してほしいものです)
文永の役で元の属国となっていた高麗兵を主力とした蒙古軍の対馬、壱岐そして平戸で行った行為が弘安の役の鷹島掃討戦に影響します。それは高麗軍によって対馬を守備していた宗一族(80名足らず)は全滅し、島民の男性は惨殺され、女性は凌辱されました。また生き残った女性も手のひらに穴を開けられ紐を通された後、蒙古軍の船壁に立たされたと記録が残っています。壱岐と平戸でも同様でした。それは博多侵攻時に日本軍から弓矢の攻撃を回避させる人質の盾としての意味もあったようです。また日本古来の「我こそは…」と氏を名乗って戦う一騎打ちの慣習を「取り囲み、笑いて毒矢を射たり」、「騎馬武者の馬脚を切りたり」とあるように高麗軍の戦い方は日本の武士にとっては全て愚劣極まりないものだったのです。戦闘当初は蒙古軍の思わぬ攻撃方法に戸惑っていた日本軍は甚大な被害を出しつつも武士の勇猛果敢な奮戦によって高麗軍の長期の博多上陸を阻止したのです。結局、日本軍の予想以上の強さに蒙古軍は結局本国に撤退します。その帰途に時化に合い壊滅的な被害を被ったというのが文永の役の結末でした。蒙古軍は4万人中13500人の犠牲者を出しましたので蒙古軍の大敗と言えます。一方、この戦いで蒙古軍の卑劣な戦術を知った日本の武士には蒙古軍(高麗軍)に対する異常な憎悪が宿ったと考えるのが自然ではないでしょうか。
7年後の弘安の役では、南宋を滅亡させたフビライは文永の役とは異なり史上最大の遠征軍を編成します。合浦(釜山の近く)から出撃させる高麗兵を主力とした東路軍4万人と上海付近から出撃させる隷属した南宋を中心とした江南軍10万人です。弘安の役の日本軍大勝利の要因は第一に日本軍の万全の防衛体制(防塁や全国からの兵士動員)が挙げられます。そして運命を変えたのが二手に分かれた東路軍(1281年5月3日出撃)と江南軍(1281年6月18日以降順次出撃)の合流時期が計画より1か月以上も後ろにずれたことです。原因は南宋軍の船の建造と指揮系統の統一が遅れたことと言われています。これが結果的に玄海灘を通過する台風(世に言う神風)の時期と蒙古軍の遭遇を偶然から必然に変えたのです。記録によると、博多湾の20kmに及ぶ強大な防塁と鎌倉武士の頑強な抵抗により、先に到着していた東路軍は単独攻撃では博多に上陸すらできませんでした。このため東路軍は一旦、安全な壱岐まで撤退し江南軍の到着を待ちます。ところが、1か月の待機中に船内で疫病が発生したり、7月上旬には日本軍の奇襲による猛攻を繰り返し受けたこともあり、更に平戸まで撤退します。7月に全軍が合流した蒙古軍は平戸から17km程北東の内海にある鷹島を主力部隊の拠点とします。綱で船を繋ぎ合わせて砦を構築しましたが、これが逆に最悪の結果を招きました。7月30日に折からの台風(この時は南風の強風)が鷹島を襲います。地元漁師によると鷹島で強い南風が吹く時は船は湾外に船を退避させるそうです。結局、身動きの取れない蒙古軍船はぶつかり合い鷹島の南岸に叩きつけられ沈没し、また多数の蒙古軍兵士が溺死しました。生き残った上級諸将は頑丈な船を選び、兵卒を船から無理矢理下ろすと、乗船して兵卒を見捨て逃走したとあります。(『元史』相威伝より) 鷹島に補給もなく取り残された4万の蒙古軍は船を建造して撤退することになります。ところが鷹島に追撃する日本軍が到着し、この時とばかりに蒙古軍の殲滅戦を展開します。武器・食糧の補給のない蒙古軍は抵抗するも敗北します。蒙古軍捕虜は出身地を調べられ、鎌倉幕府と交易のあった南宋出身者ならば日本で奴隷になるか農民として助命されましたが、高麗人とモンゴル人は即刻斬首されました。恨み骨髄に染むとはこのことでしょう。鎌倉武士は捕虜の高麗人とモンゴル人を決して許さなかったのです。これが鷹島での蒙古兵殲滅の背景ではないでしょうか。因みに「むごい」という言葉は「モンゴル」の音から来ているという説もあります。 
 
国難を機に連合政権を構想 阿部正弘
ペリーに対する阿部の対応
挿絵=大和坂 和可  嘉永六(一八五三)年六月三日の夕刻に、江戸湾の入り口である浦賀(神奈川県横須賀市)沖に、四隻の黒船があらわれた。まるで黒い山が海にそそり立つような威圧感を見る者に与えた。落首(世情諷刺の歌)が詠まれた。
「太平の眠りをさます蒸気船 たった四杯で夜も眠れず」
というものだった。当時上喜撰という銘茶があった。四杯も飲むと興奮して眠れないので、この銘茶と黒船とに引っかけたのである。黒船を率いて来たのは、アメリカ東インド艦隊司令長官のペリーだった。フィルモア大統領の特使として日本にやって来た。この時のアメリカは、イギリスに次いで産業革命に成功し、その市場を清(当時の中国の国名)に求めていた。そして、太平洋に定期航路を設定したいと考えていた。ところが太平洋は広い。清に着くまでにどうしても燃料・食料などの中継地が必要だった。物色した挙句、
「それはジャパンだ」
と決定したのである。ペリーがやって来たのは、そのための中継地として日本の港を開いてもらいたい、という大統領の希望だった。
日本側の最高責任者は幕府老中筆頭の阿部正弘である。備後(広島県)福山十万石の殿様だった。若い時から賢明の噂が高く、二十代ですでに老中(閣僚)に列していた。ペリーが来たときは三十五歳である。この国難に際し、阿部は思い切った決断をした。それは、
・日本政府の外交責任者である徳川幕府の大改造を行う
・それにはまず老中の構成を、従来の譜代大名の他に外様大名も加える
・加える外様大名は、大洋に面して領地を持つ大名とする。たとえば、太平洋でいえば薩摩藩の島津家・伊予(愛媛県)宇和島の伊達家・伊達家の本家である仙台の伊達家・玄界灘に面する佐賀の鍋島家・日本海の中央に面する越前福井の松平家などである。
・幕府内部の改革を行う。外交と海防の専管セクションである「海防掛」を中心に、外国事情を情報としてもっと収集するような機能を強化する
・そのために、身分を問わず有能な人間を抜擢する。これは、外様大名の家臣であろうと、あるいは町人の身分であろうと問わない
そして何よりも阿部が、
「その前提として、この国難を日本国民全部に周知しよう」と考えたのが、ペリーが持って来たフィルモア大統領の国書だった。阿部はこれを日本語に訳させた。そして譜代・外様・直参・陪臣の別なく、全武士に配った。さらに、一般にもこれを撒いて、
「意見を述べてほしい」
と告知した。今でいえば、
「情報公開と国政への国民の参加を求めた」
ということである。
惜しかった阿部の急死
しかしその反応は鈍かった。特に二百五十年の泰平に慣れた大名たちはそれどころではなかった。泰平ではあったが、足元の領地で農民が長年の負担に耐えかねて一揆を盛んに起していたからである。したがって阿部への返書はほとんどが投げやりだった。身に染みたものは少なかった。大名は譜代・外様を問わず、
「返答を延ばして、時間稼ぎをすべきだ。そのうちにアメリカが諦めるだろう」
といういい加減なものばかりだった。中でわずかに、幕臣の勝麟太郎あたりが、真剣に国防論や人材登用を具申して来た。勝はこの意見書によって海防掛に登用される。真っ向から阿部のやり方に反対する者もいた。江戸城溜間詰めの譜代大名たちである。先頭に立っていたのが彦根藩主井伊直弼だった。井伊はこう言った。
「今までの幕府は、国民に対し"よらしむべし・しらしむべからず"の方針で臨んで来た。これは武士が政治に責任を持って、国民を頼らせるということだ。今の武士がそれを果たしているかどうかは別にして、阿部のようなことをすればその国是が壊れ、国民は却って混乱してしまう。情報公開などもってのほかだ」と、真っ向から反論を唱えた。阿部は、自分が言い出しっぺではあったが、この改革が容易に実現できないことを知った。改革にはすべて、
「物理的な壁・制度的な壁・意識的な壁の三つの壁」を打ち壊すことにある。特に最後の意識的な壁の破壊(意識改革)は容易なことではない。そのことを阿部はつくづくと感じた。しかしかれは怯まなかった。
「どんなに壁が厚かろうと、今これを行わなければ日本は国として存続できない」
という悲壮な決意を固めていたからである。
さすがにペリーは即答を求めなかった。
「来年にもう一度来る。その時までに返事を用意しておいてもらいたい」といって、この時はそのまま去って行った。したがって阿部の決断は、来年ペリーが再来するまでに実行されていなければならなかった。かれは次々と手を打った。四隻の黒船を見た時に、阿部は、
「外国船打払令の実行はもう無理だ。また、アメリカに漂流したことのある土佐の漁民中浜万次郎の情報によれば、国際語はすでにオランダ語から英語になり、物による交易がどこでも盛んに行われている。このまま、日本が世界から置き忘れられた国として存続することは得策ではない」と考えていた。開国を決断していたのである。そのためには、何といっても幕府の組織を整え、同時に幕府役人の意識をその方向に向けなければならない。今でいえば、
「ナショナリズムからグローバルリズムに切り換える」ということである。しかしこんなことが阿部一人でできるわけがない。彼の集めた海防掛の連中は、たしかに当時の幕臣としては有能であり、また開明的な考えを持っていたが何といっても少数だ。それに身分の低い者が沢山いる。この時はすでに勝麟太郎や中浜万次郎まで阿部は手元に加えていた。しかし、身分制によって終始して来た幕臣たちにすれば、こういう成り上がり者が自分たちの仲間になることは好まない。特に阿部が主唱する、
「外様大名も幕閣に加える」
などという思い切った決断は、到底受け入れかねる。阿部は孤立無援の状態になった。反対の声に囲まれて、かれはついに夜も眠れなくなった。黒船四隻よりも、むしろ江戸城内の敵に囲まれてノイローゼになってしまった。結果として彼の構想が実現を見ないまま彼は若死にしてしまう。安政四年六月に三十九歳で彼は急死する。同じ頃に、彼が幕閣に招いて保革連合政権を作ろうと考えていた最初の一人薩摩藩主島津斉彬も急死してしまう。もし阿部の構想が実現されていれば、後の公武合体策は勿論のこと、鳥羽伏見の戦いも、江戸城攻撃あるいは会津藩をはじめとする東北諸藩への新政府軍の攻撃などは、一切なかったはずだ。つまり、
「武力行使による国内変革」は実現しなかったはずである。しかし開明的な阿部にしてもついに、
「譜代大名の古い意識の壁」は、叩き壊すことができなかったのである。 
 
英雄の迷いと決断 東郷平八郎
日露戦争で国難を救った東郷平八郎の苦悩について書きたいと思います。ビジネスの世界でも会社の命運を別けるような大きな判断を求められる時、経営者が迷い苦しむのに通じますので大変参考になるのではないでしょうか。
日露戦争は1904年2月8日から1905年9月5日まで日本とロシアで行われた戦争です。
日露戦争が第二の国難の理由と考えられるのは、この戦争に負ければ日本が南下政策を繰り広げるロシアの属国または植民地になり兼ねない戦いだったからです。
当時の日本とロシアの国力から判断して世界のどの国も日本の勝利を予想しておらず、無謀な戦いだと捉えていたのではないでしょうか?そのため外債発行による戦費調達(最終的に13億円)を担当した高橋是清は大変苦労しました。どの国も負けるであろうと判断している日本の外貨建て国債を買ってくれなかったのです。
ヨーロッパでロシアに敵対し日英同盟を結んでいた英国(ユダヤ系金融機関)が7%という高い金利で初めて資金援助してくれました。ところが満州で日本軍の奮戦ぶりが英国によってプロパガンダされると高い金利の日本国債は大人気になったと言います。
結局日本の当時の国家予算(歳入2億円)の9倍の18億円の戦費がかかる戦争となりました。因みに借金の返済は第一次世界大戦後までかかったと言います。
日露戦争の勝利を決定づけたのが1905年5月27日(現在海軍記念日)の日本海海戦ですが、その指揮を執ったのが連合艦隊司令長官の東郷平八郎でした。主戦場が満州でしたので物資補給の観点から日本海の制海権確保が勝利の必須条件となりました。
陸軍(第三軍乃木大将)によって完全にロシア旅順艦隊は殲滅した後、連合艦隊にとってはいよいよバルチック艦隊との艦隊決戦を迎えます。日本海海戦に至る経緯は下表の通りですが、連合艦隊参謀たちの中でバルチック艦隊の経路を巡って意見が別れ紛糾します。
バルチック艦隊の動向はフィリピンを通過した以降その消息が途絶えます。5月24日前後に対馬沖に到着すると想定した連合艦隊でしたが、九州近海で一向にバルチック艦隊が発見されなかったため、敵が太平洋に出て津軽海峡に迂回したのではないかという意見が徐々に支配的になったのです。
さしもの東郷も悩みました。
5月25日の紛糾する会議では一人自室に戻り熟慮したと昭和54年に発見された極秘明治37-8年海戦史に記録されています。結局津軽海峡への移動はもう一日待つという東郷の英断で会議は収まりました。
するとどうでしょう、26日になって「バルチック艦隊らしき船団が対馬方面に向かっている」という情報が入ります。正にこの1日が日本の運命を別けました。
27日の早暁に信濃丸が「五島列島北西海域でバルチック艦隊を発見」の報を発します。鎮海湾に待機していた連合艦隊は大本営にかの有名な「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ波高シ。」と打電し全艦急行します。
電報の文面に東郷の興奮にも近い熱い思いが感じられます。そして13:55に旗艦三笠にZ旗が掲げられ「皇国ノ興廃コノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ」と将兵を鼓舞します。
結果は前年の黄海海戦で参謀の秋山真之が考案した丁字戦法失敗の教訓から日本海海戦では敵艦からの射程距離の8kmというぎりぎりポイントで左150度転回(世に言う東郷ターン)を実施し、また危うく取り逃がしそうになった敵艦を個別判断で独自に追撃した第二戦隊の活躍もあり、連合艦隊が海戦史上類のない一方的な勝利を収めました。
ビジネスの世界でも経営者の覚悟を決めた英断と幸運というものが社運を大きく分けるのかもしれませんね。  
 
10万将兵を救った「徳」の人 今村均
太平洋戦争時、孤立無援となったニューブリテン島ラバウルで、10万人の将兵を正しく導いてその命を守り、戦後は自ら望んで部下たちのいる収容所に入り、その後も自ら築いた「謹慎所」で生活して、戦死者の冥福を祈り続けた軍人がいました。陸軍大将今村均です。
今回は人徳の将、今村均の人柄を示すエピソードをいくつかご紹介してみます。
「日本は今、一時的に戦力を失っているに過ぎない。必ず反攻してくる。日本軍が反撃してくるまで、ラバウルで生き延びて戦おう」。ラバウルの防衛を担う第八方面軍司令官今村均が、部下の将兵にそう呼びかけたのは、昭和19年(1944)春のことでした。
かつて最強「ラバウル航空隊」の根拠地として敵から恐れられたラバウルも、すでに満足な飛行機も艦船もなく、一方で連合軍の空爆は連日続けられ、10万の将兵はなす術もなく、普通であれば士気を喪失しても不思議ではありませんでした。
しかし今村は将兵たちを励まし、総員を戦力化する軍事訓練と、島全体を要塞化するための地下工事を推し進め、地下要塞の全長は実に370km、東京から岐阜県大垣間の距離に匹敵する規模に及ぶのです。
さらに今村は、糧食を枯渇させないための「現地自活」も具体的に進めます。「畑は一人200坪耕しなさい。鶏も一人10羽ずつ飼いなさい」。そう命じた結果、ラバウルに7000町歩にも及ぶ広大な耕地が生まれるに至りました。
「これならやれる。100年戦争をしてやろう。食糧が豊かで軍備の充実した『今村王国』をつくって、100年間頑張ろうじゃないか。最後まで意気軒昂を保ち、友軍の反攻を待つのだ」。将兵たちはそれを合言葉に、一致団結していくのです。
実際、日を追うごとに要塞として防備が整っていくラバウルに対し、連合軍側も無理攻めしては大けがしかねないと判断、周辺を固めつつも、ラバウル攻略はあきらめました。
今村はラバウルで階級を越えて部下たちに気さくに声をかけ、それが多くの将兵に親近感を抱かせ、「この人のためならば」という気持ちを起こさせたといいます。
そんな今村の人柄は、ラバウルに赴任する前の、ジャワ方面の第十六軍司令官時代にも見出せます。昭和17年(1942)、今村は僅か4ヵ月で全蘭印軍を降伏させ、ジャワ(現在のインドネシア)を占領しました。ところが武力を誇示する入城式も行なわず、降伏したオランダ軍将校がサーベルを帯びることを認めます。
また政治犯として刑務所にいたスカルノに対し、「日本軍に協力しなくても結構。あなたの政治的信念に従って行動してください」と言って、出獄させました。さらに全軍に、次のような布告を出しています。
「被占領民の矜持を奪うようなことは、絶対にしてはならない」。矜持を失った民族には滅亡しかない。我々は確かに今、ジャワを占領している。しかし、そこに住む人たちの誇りまでも奪うことは、断じてやってはならない。それが今村の信念であったのです。
こうした今村の方針は、現地の人々からは歓迎され支持されましたが、一方で陸軍中央の不興を買います。陸軍の中には「占領地に武威を示すべき」と考える者も少なからずおり、現地視察も行なわれますが、今村の統治に瑕瑾を見出すことができません。そのため、ジャワからラバウルへの異動は、(嫌がらせ的な)左遷ではないかともいわれました。
今村のラバウル生活は3年半に及びます。その間、将兵たちを一つにまとめあげますが、終戦の詔勅が知らされた夜、事件が起こりました。青年将校らが「本国が降伏した以上、我々は『今村王国』を建設して戦うべきだ。武装解除すべきでない」と決起を図ったのです。
これに対して今村はなだめます。「君たちは、ラバウルに難攻不落の要塞を見事に築き上げた。そんな優秀な人材たちが、ここであたら命を失っては、日本の再起は覚束ないじゃないか。ラバウルで活躍した君たちのエネルギーを、帰国して国の復興にこそ役立ててほしい」。
そして今村は武装解除後、オーストラリア軍のキャンプに押し込められると、豪軍に交渉して、復員後の将兵たちの知識となるよう技術や経済の講座を開き、学べるようにしました。
今村はその後、戦犯として軍法会議にかけられ、オーストラリア軍の裁判で死刑にされかけますが、現地の人々の証言などもあり、禁固10年で昭和24年(1949)に巣鴨プリズンに収容されます。しかし、部下たちが劣悪な環境のニューギニアのマヌス島刑務所にいることを知ると、翌年、自ら望んでマヌス島に移りました。
それを聞いたGHQ司令官のマッカーサーは、「日本に来て以来、初めて真の武士道に触れた思いだった」と語ったといいます。
昭和28年(1953)、マヌス島刑務所閉鎖に伴い、再び巣鴨プリズンに移った今村が、刑期を終えて出所したのは、翌昭和29年(1954)11月のことでした。
ところが今村は、経堂の自宅の庭に3畳半ほどの謹慎室を建て、没するまでの十数年間のほとんどをそこで過ごし、命を落とした将兵たちの冥福を祈り続けるのです。
リーダーとはどうあるべきか、その責任の取り方とは。今村の人生はそのことを雄弁に伝えているように感じられます。 
 
「国難」の今だから知りたい、破滅へ進んでいった「豊かな戦前の日本社会」
今、学ぶべきは昭和の戦前ではないか
9.11同時多発テロを受け、アフガニスタン、そしてイラクに戦争をしかけた米ブッシュ政権内部では、ローマ帝国史の勉強会が開かれていた。目的は、大国をどう維持、拡大し、衰退を食い止めるのか――。
こんな話を聞いたことがあります。本当かどうか、確かめるすべはないけれど、冷戦を乗り越えて生き残った「超大国アメリカ」の自信と不安を感じさせるエピソードです。
あのローマ帝国でさえ崩壊したのに、なぜアメリカは崩壊しないのか。今は安泰に見えても、実はローマのように、だんだんと破滅が迫ってきているのではないか。
このような問いを立てることこそ、「歴史から学ぶ」という行為ではないでしょうか。
ヒトラーの野望をぎりぎりで食い止めた英国の指導者、チャーチルの愛読書は、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」でした。今でも、多くの経営者が塩野七生氏の「ローマ人の物語」や戦国武将の逸話を、組織が生き残るためのヒントとして読んでいます。
では、東日本大震災後の「国難」と呼ばれる現在のような状況では、日本人は、どんな歴史から学ぶべきなのでしょうか。
昭和史、特にあまり知られていない戦前から開戦までではないか、という思いが、この本を読んで強くなりました。
アメリカ化、格差社会、大衆民主主義という3つの流れ
昭和史は、よく「軍国主義の戦前」と「自由で民主的な戦後」、「焼け野原から経済大国へ」というイメージで語られることが多いものの、それは一面でしかありません。
「戦前の昭和」を拡大してみれば、1926年(昭和元年)〜1945年(昭和20年)の20年足らずです。そのうち、物資が不足したりした「戦時体制」の期間は、国家総動員法の発令から敗戦まで(1938年〜1945年)の8年間。それより前の13年間は、恐慌に苦しみ、外交も綱渡りが続いていたものの、都市部では、家電を使い、週末はデパートに行くような豊かな生活が実現していました。
この本は、そんな戦前、特に開戦前の明るかった日本社会を1冊で語っています。
「本書の目的は、当時の日常生活の再現をとおして、〈戦前日本〉の社会をよみがえらせることである。なぜ探索するのか? 戦前昭和の社会の歴史を手がかりとして、今の日本社会を考えるためである。」
と言いながら戦前のエピソードを発掘していく筆者は、ひとつの見立てを披露します。それは、
豊かな現代日本の
「・格差が拡大
 ・格差を是正するはずの政治が迷走
 閉塞感から、心のよりどころを求める動き(スピリチュアルなど)が流行」
という状況と、
豊かな都市生活が実現した戦前日本の
「・プロレタリア文学に見られるような「貧富の差」が問題化
 ・政党政治が機能不全になり、カリスマ的指導者を求める雰囲気が蔓延
 ・社会改革が進まない閉塞感から、新興宗教や「エロ・グロ・ナンセンス」が流行 」
という状況との類似です。この3点の共通点にクローズアップするため、アメリカ化、格差社会、大衆民主主義という3つの流れをテーマ史で追っています。
読者の考える力が問われる
少し乱暴ですが、ざっと流れをまとめると、次のようになります。
戦前の日本では、ハリウッド映画を観たりデパートに買い物に行くようなアメリカ的ライフスタイルが生まれた一方で、農村や都市の貧乏な人は取り残された。そんな不公平をただすため、左翼運動や農村運動、新興宗教が起こるが、それも行き詰まる。閉塞感が広がる中、新しいメディアであるラジオでの演説が得意なカリスマ的人気者、近衛文麿首相が誕生。開戦後は物資不足もあって格差は解消されていくが、国家は破局へと突き進む。
本書は、蟹工船ブームやパワースポットめぐりなど、近年の流行を強く意識して書かれているので、中には「戦前の格差社会」といった現代に引き寄せすぎた表現も出てきます。
力を入れているのは「あまり知られてない戦前社会の事実」の発掘であって、著者の考察は少ない。一読しただけでは、だから何? となるような本かもしれません。しかし、だからこそ「そこから現代のどんなことを想起できるか」、読者の考える力が問われるでしょう。
現在は「どん底」か「非常時小康」か
僕は、震災後の「非常事態の日本」という視点で読みました。すると、今のテーマにつながっていることがかなりあることに気がつきます。
まず、アメリカ的な大量消費生活を送る人々が住む「同潤会アパート」は、1923年(大正12年)の関東大震災の復興のために建てられたもので、今、創設が検討されている「復興院(庁)」の産物です。復興院の都市再建はこれから始まる復興のモデルになりそうです。
また、恐慌下の生活難から進んだ女性の社会運動を先導し、「同一労働=同一賃金」を主張した市川房枝。この人は、戦後、若き日の菅直人首相が選挙事務所代表を務めた「師匠」です。弟子は師の考えをどんなふうに引き継いでいるのか。
現代に目を移すと、政治が迷走を極めていた中で大震災が起き、有名な経営者は、億単位の寄付をしました。非常時ゆえの富の再配分と言える「復興税」もあるかもしれません。新聞やテレビには、戦時中以来の、「国民がひとつになって難局に立ち向かえ」というメッセージがあふれています。
「新しい状況が生まれていた。新聞はそれを「非常時小康」と名づけた。世界恐慌と満州事変以来の危機、「非常時」はつづいているものの、一九三三(昭和八)年を境として「小康」状況が訪れていたからである。日中停戦協定後、対外危機は沈静化に向かう。経済危機も高橋蔵相の積極財政が功を奏し、日本は主要国のなかで最初に恐慌から脱出する。」
戦前の日本は、この「非常時小康」の後、中国、アメリカとの開戦へと追いつめられ、破滅しました。
さて、今の日本は、どうでしょうか。「どん底」か「非常時小康」か。余裕のあるうちに、戦前の歴史をどう今の糧にするのか。考えなければなりません。  
 
「国難の正体-日本が生き残るための『世界史』」
フリーメーソン、イルミナティなど陰謀論が盛んですが、本当かどうか正体がつかめないところで動いています。信じる他ない、と言うべきでしょうか。勿論荒唐無稽であると言うのが、多くの人々の信じる所です。そのなかで、この本は、世界を支配する勢力が実在するという主張をなるほどと思わせる希有の著作です。もと外交官が、自分の職業体験と、公にされた、ソ連のグロムイコ外相、アメリカのロックフェラー、マッカーサー、トルーマン大統領などの回顧録などを読み解く内に、当時のソ連とアメリカ、共産主義中国などが、つながっていることを発見しました。 この本によると、グローバリズムやニューワールドオーダーを目論む人々は、ロックフェラー家、ロスチャイルド家などの国際金融資本達です。彼らは、ソ連や共産主義中国を陰で支援しながら、アメリカも含め戦争を演出しながら国家の弱体化を図り、世界政府を樹立して支配層となり、世界中の多くの人々を奴隷化することを、国家を越えた自由競争をスローガンに目論んでいるということです。このことを著者は、外交官を退任して防衛大学校の教授につかれて、教授資料を集め、講義内容を思索する中で気がつきました。このグローバリズム、ニューワールドオーダー、ワンワールドなどの言葉に隠された世界共産化運動をわかりやすく具体的に示しています。少し長いですが「はじめに」の一部を引用します。

「今、世界にはグローバリズムという妖怪が徘徊しています。今から一六〇年以上も前にカール・マルクスが、共産主義という妖怪の徘徊を宣言して以来、世界の歴史はこの妖怪に翻弄されてきました。東西冷戦が自由主義陣営の勝利で終了し、やっと共産主義の脅威が消滅し世界は平和になったと信じられていましたが、今またグローバリズムという新たな妖怪に世界が翻弄されているのです。
ところが、このグローバリズムと共産主義は根が一つなのです。グローバリズムは、物、金、人の国境を越えた自由な移動を実現することによって、世界を自由市場経済で統一しようとする運動です。共産主義とは、世界各国に私有財産を否定する共産主義独裁政権を樹立することによって、世界を共産主義で統一しようとするイデオロギーです。一見するところ、グローバリズムと共産主義は正反対のイデオロギーのように感じられます。
グローバリズムの主役は、民間の国際銀行家やこれと結びついたグローバル企業であり、彼らは政府の規制を排して自由に経済活動を行うことを求めています。他方、共産主義は、労働者の前衛を自称する共産党が、国家の上にあって国家や人民を独裁的に支配する体制です。このように、双方とも国家や政府の規制の及ばない独占的権力を保持している点で、類似性があります。
また、この二つのイデオロギーは国民国家を越えた世界全体を対象としていること、すなわち国際性を有していることに共通性があります。共産主義者もグロー針ストも国際主義者なのです。加えて、共産主義者もグローバリストも唯物思想の権化です。唯物思想で世界を解釈しているため、市場競争であれ、権力闘争であれ、勝ったものが正義であり、すべてに君臨するという結論に行き着きます。私有財産は大富豪は所有できますが、貧困大衆は自らの自由になる私有財産を事実上所有していないのと同じです。共産主義体制の下では、特権的政治エリートは国富の形式的な所有権を保持していなくても、無制限的な使用権を持っていますが、被支配階級は冨の使用権を持っていません。一握りの特権階級(富豪)と膨大な貧困大衆の二極に分裂した社会は、共産主義社会であれグローバル資本主義社会であれ、本質的に同じ支配構造にあるといえます。
このように、共産主義もグローバリズムも、特権エリート階級と貧困大衆という超格差社会を生み出す点でおなじものなのです。この超格差社会化が今世界的規模で進行しています。世界がグローバル経済化するということの究極的意味は、特権的民間資本による世界政府が樹立されるという想像を絶する世界の出現です。
現在、日本は国際銀行家たちが推進しているグローバルの攻撃の矢面にたっています。私たちが直面している国難の正体は、このグローバリズムです。今、日本は岐路にあるのです。日本がグローバル経済に飲み込まれるのを阻止し、世界のグローバル化を防ぐということが、日本の生き残る唯一の道であるというのが私の結論です。そして日本にはその力があります。
本書では日本の生き残る方法を具体的に論じますが、読者の皆様にはきっと賛同していただけるものと信じています。なぜなら、皆さんが日本を救う主役だからです。それに気づいていただけるだけで、確実に日本は変わります。私は皆様の力を信じます。」

グローバリズムに対抗するために、日本の伝統文化を大切にし、民族としてのIDを確立する必要があります。「己をしり彼をしれば百戦危うからず」は孫子の兵法です。橋本徹の日本維新の会やみんなの党を支持する前に、そのグローバリズムに協力している本質を見抜いていただきたいと思っています。
また、たった1国で、白人の世界支配に対抗した東亜百年戦争(ペリー来航からサンフランシスコ講和条約まで)の歴史を振り返りることも必要ではないかと思います。 
 
どんな国難も“日本人”がいる限り日本は不死鳥のように蘇る
日本の歴史を振り返ると、国が滅びても不思議ではないような危機に何度も直面してきたが、そのたびに日本人は逆境を跳ね返し、さらに強靱な国へと発展してきた。まるでダメージを負った筋肉が、以前より強く、しなやかに「超回復」するように。白洲次郎や福沢諭吉などの評伝で知られる作家の北康利氏は「どんな困難も、勤勉で気骨のある日本人がいる限り、必ず乗り越えられる」と激励する。

気骨ある日本人のうちの一人が、吉田茂の側近だった白洲次郎である。
白洲は終戦連絡中央事務局参与(後に次長)として占領軍に対し、言うべきことは言う、という姿勢を貫き、彼らから“従順ならざる唯一の日本人”と呼ばれた。
そして白洲は吉田とともに、商工省と外務省の一部を改組統合して通商産業省(現在の経済産業省)を設立する。
それは、荒廃の極みにあったわが国を何とか復興させようとする彼らが、知恵を絞った末に到達した秘策であった。この国には輸出できるような天然資源などない。戦争に敗れ最貧国になってしまった状態では、内需拡大による産業振興も望み薄だ。
何もかも失ってしまったわけだが、それでもまだ一つ残っているものがあった。それは、ほかならぬ“日本人”だった。匠の伝統を受け継いだ、手先が器用で我慢強く、向上心旺盛な、世界有数の勤勉な国民である。
通産省は、原料を輸入して加工を加え輸出するという、いわゆる加工貿易による経済復興の旗振り役となった。それはやがて世界中を瞠目させ、戦勝国を歯軋りさせる奇跡の復興へとつながっていく。
ギリシャ神話では、パンドラの箱が開いた時、最後に残ったのが“希望”だったというが、戦後日本がすべてを失った時に残ったのは、まさに匠の伝統を受け継いだ“日本人”だったのだ。
その後、通産省の成功を見習って、いくつもの国が類似の役所を作り、貿易振興策を打った。ところがそれらの国では、日本のような奇跡的な経済成長は見られなかった。
それは何故か? 答えは簡単だ。その国には“日本人”がいなかったからである。
欧米特権階級の中には“ノブレス・オブリージュ(位高き者、務め重し)”という考え方があるが、この日本というモラル高い国には、特権など享受しておらずとも“人としてどう行動するべきか”というプリンシプル(生き方の美学)を持つ人間が大勢いる。
津波の迫る中、最後の瞬間まで落ち着いた声で避難を呼びかけるアナウンスをして濁流にのみ込まれた南三陸町の女性職員・遠藤未希さん(25)の悲話を耳にした時、私はまだこの国には“日本人”がいると確信した。そして、まさにこの国の未来に希望の光を見せてくれた“未希”という彼女の名前に思わず涙した。
今この国が直面している困難な局面でもなお、“やむにやまれぬ大和魂”をもって立ち上がる彼女のような気骨ある日本人がいる限り、どんな国難が訪れようと、さらに強い国となって何度でも不死鳥のように蘇ることができる。
今回の未曾有の危機もまた、そうであるに違いない。
柳ならぬ……竹に雪折れなし
日本人の強さを世界に示す時は今、である。