西のトランプ 東のドゥテルテ

ロドリゴ・ドゥテルテ フィリピン大統領 
暴言 極論 言い放題

振り回わされる  中国 アメリカ 日本 


 
 
 
 
 
日本は官民挙げて「おもてなし」 
米国への批判を繰り返すフィリピンのドゥテルテ大統領が25日午後、今年6月末の就任後初めて来日する。南シナ海を軍事拠点化する中国をけん制するため、米国と共にフィリピンを支持してきた日本は、中国寄りの姿勢を取る同大統領を官民挙げて迎える。岸田文雄外相は同日朝、記者団に対し、「しっかり意思疎通を図り、大統領の考えを直接聞かせてもらうことが大切と考えている」と語った。
ドゥテルテ大統領は27日までの滞在中に安倍晋三首相と会談。日本はフィリピンの海洋安全保障能力の向上支援をあらためて表明する。複数の関係者によると、両首脳は日本が9月に公表した大型巡視船2隻の供与について署名するほか、海上自衛隊が貸与する航空機のリース価格など詳細な条件を決定する見通しだ。
米国から麻薬犯罪者の取り締まりを人権侵害として批判されたドゥテルテ大統領は、オバマ政権をたびたび非難。日本に先立って訪問した中国では「軍事的にも経済的にも、米国と決別する」と発言した。その後に「関係を断絶するつもりはない」と修正し、訪日前日に応じた日本のメディアとのインタビューでも米国への態度を軟化させたものの、日本の外務省ではこの発言に激震が走ったという。
フィリピンやベトナムなど、南シナ海の領有権をめぐって中国と対立する東南アジア諸国との関係強化を図ってきた日本にとって、外交戦略を大きく狂わせかねない。
「フィリピンが中国と対話を進めるのは地域の安全保障にとって良いことだが、中国に取り込まれてしまうのは困る」と、日本の政府関係者は言う。
南シナ海問題について国際仲裁裁判所が7月に下した判決を念頭に、法の支配の順守をフィリピン側と共有したい考えだ。
日本はフィリピンに90億ドルの融資を約束した中国の動きをにらみ、官民挙げて大統領を迎える。安倍首相は26日の公式会談に加え、少人数に絞った私的な会合も開いてドゥテルテ大統領と個人的な関係を築きたい考え。25日には岸田文雄外相が大統領を夕食会に招待、27日には天皇陛下とも会見する。
また同大統領は日本貿易振興会(JETRO)などが主催する経済フォーラムにも出席し、日本企業にフィリピンへの誘致や投資を呼びかける。フィリピンにはトヨタ自動車 <7203.T>や三菱自動車工業 <7211.T>、中堅造船の常石造船(広島県福山市)などが進出している。 
 
 
 
 
 
「訪中では経済を議論、軍事や同盟関係は話さず」 
来日中のフィリピンのドゥテルテ大統領は26日、先週実施した中国訪問について、経済問題について意見交換を行ったと説明した上で、軍事問題や同盟関係については話さなかったと表明した。都内で講演した。
一方、ドゥテルテ大統領は「友人や隣国にけんかを売るつもりはないが、大統領として尊厳を持って立ち上がるべきときだと考えている」とも主張し、米国との防衛関係を見直す可能性をあらためて示唆した。
ドゥテルテ大統領は就任以来、反米発言を繰り返す一方で中国に接近する姿勢を示しており、大統領の外交政策に警戒感が広がっている。 
 
 
 
 
  
「2年以内に米軍はフィリピンからいなくなる」 
フィリピンのドゥテルテ大統領は26日、2年以内に外国の軍隊の撤退を求めると述べ、米国との軍事同盟は廃止か見直しを検討する考えをあらためて表明した。
訪日中の同大統領は都内で講演し「私は独立した外交政策を追求すると宣言した。おそらく2年以内に外国の軍隊はフィリピンからいなくなる」と述べた。
また先週の中国訪問について、安全保障ではなく経済問題に焦点を当たと強調した。
「中国訪問で焦点となったのは経済だったと強調しておきたい。兵器や同盟については協議していない」と語った。
日本は「古くからの友人で盟友」と指摘し、フィリピンは事業環境の改善に取り組んでいるとして日本企業に投資を呼び掛けた。
ヤサイ外相は記者会見で、フィリピンと米国の利益は一致すると述べ「現時点で合意を破棄する理由はない」と語った。
またドゥテルテ大統領の訪日は日本との戦略的関係の強化が狙いと説明した。 
 
 
 
 
 
「南シナ海問題、日本の側に立つ」安倍首相と会談
安倍晋三首相とフィリピンのドゥテルテ大統領は26日に会談し、中国がほぼ全域の領有権を主張する南シナ海問題について、平和的解決に向けて協力することで一致した。同大統領は、国際仲裁裁判所の判断は拘束力があるとの認識を示し、「日本の側に立つ」と語った。
南シナ海、「いずれ語る」
フィリピンは南シナ海のスカボロ―礁の領有権をめぐって中国と対立。国際仲裁裁判所が7月に中国の主張を退ける判断を下したが、ドゥテルテ大統領は日本に先立ち訪問した中国で、この問題を取り上げなかった。
首相官邸で安倍首相と会談したドゥテルテ大統領は、「いずれ語らなければならない問題だが、いまそれを語るべきときではない」と説明。中国と領有権を争う日本とフィリピンの類似点を指摘し、「ときが来たときには日本の側に立つ。安心してほしい」と語った。
これに対し安倍首相は、「日本の立場に常に寄り添うことを明言したことに感謝する」と発言。両首脳は「法の支配」の重要性を確認するとともに、南シナ海問題を国連海洋条約などにもとづいて平和的に解決することで一致した。
対米関係も意見交わす
安倍首相とドゥテルテ大統領は、ぎくしゃくしている米比関係についても意見を交わした。安倍首相は米国との同盟の重要性を説明し、ドゥテルテ大統領は「米国との外交関係を断ち切るわけではない」などと回答した。
自身が始めた麻薬犯罪取り締まりを米国から批判されている同大統領は、米オバマ政権をたびたび非難。26日午後に都内で講演した際も、「おそらく2年以内に外国の軍隊はフィリピンからいなくなる」と述べ、米国との軍事同盟解消を示唆していた。
安倍首相とドゥテルテ大統領はこの日、2度会談した。対米関係などを話した2度目の会合は出席者を絞った私的なもので、内容はつまびらかになっていない。
日本側は、フィリピンに対し213億円の円借款を決定。大型巡視船2隻を供与するほか、ミンダナオ島の農業を支援する。このほか、反政府勢力を海上で取り締まるための小型高速艇を供与することも決めた。
ドゥテルテ大統領は27日午後に天皇陛下と会見し、離日する。 
 
 
 
 
 
 
 
●フィリピンの歴史 
フィリピン共和国、通称フィリピンは、東南アジアに位置する共和制国家である。島国であり、フィリピン海を挟んで日本、ルソン海峡を挟んで台湾、スールー海を挟んでマレーシア、セレベス海を挟んでインドネシア、南シナ海を挟んで中国およびベトナムと対する。フィリピンの東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海が広がる。首都はマニラで、最大の都市はケソンである。国名のフィリピンは16世紀のスペイン皇太子フェリペからちなんでいる。 
 
先史時代
フィリピンの歴史は多様な民族によって織りなされてきた。フィリピン諸島で最も古い民族は25,000〜30,000年前に移住してきたネグリト族。次に新石器文化を持った原始マレー。この後が、棚田水田農耕を持った古マレー。
洪積世中期の遺跡として、ルソン島北部のカガヤン渓谷にあるリワン遺跡が発見されている。そこからエレファス(古代象)、ステゴドン(ステゴドン象)、ライノセラス(古代犀)などの絶滅種の動物化石が出土し、他の出土品ではチョッパー(片面礫器)、チョッピング・トゥール(両面礫器)、フレーク・トゥール(剥片石器)など多量に発見されている。カガヤン渓谷に「カガヤン原人」の骨化石を求めて発掘作業が行われている。 
 
古代
紀元前500年〜紀元13世紀の間にマレー系民族が移住してきた。900年頃の日付が記録されているラグナ銅版碑文などによれば、当時すでにカウィ文字やバイバイン文字など複数の文化を受容出来る成熟した都市国家を形成していたことが明らかにされている。 
 
イスラームの流入
14世紀後半にイスラム教が広まった。中国(明)や東南アジアとの交易で栄えたが、7,000を超える諸島である現在のフィリピンに相当する地域に統一国家は形成されていなかった。
14世紀後半には、中国〜東南アジア〜インド〜中東を繋ぐ航路上で海上交易を行っていたイスラム商人の影響でフィリピン諸島にもイスラム教が広まる。
1433年にはネグロス島の首長カランチアオが刑法を制定したとされているが、疑わしいと考える人もいる。
15世紀後半にはマラッカ王国を中心とした貿易が盛んになった。インドのマラバール、コロマンデル、グジャラートやジャワと共に、ルソンからも多数の商人がマラッカを訪れて貿易した。
16世紀のスペインが到来する直前、ルソン島はブルネイの影響にある都市が多く存在した。その首長の何人かはブルネイのスルタンの娘を妻としていた。最大都市マニラには6000人規模の集落があり、その他にも南西部沿岸に都市があった。主な交易品は、輸出品として金、蜜蝋、蜂蜜、蘇木であった。輸入品としては陶磁器、織物、金属製品、日用雑貨などだった。輸入された鉄製品は新たに鋳物として作り直された。陶磁器は宋胡禄など中国や東南アジア各地のものが確認されている。
また、フィリピンにはバランガイと呼ばれる数十戸を単位とする集落が数多くあった。バランガイの語は船を意味するマレー語に由来しており、元はマレーからの同一の漂流集団と見られている。バランガイは相互に交易も行っていたが、特定の国家に支配されているものではなかった。 
 
スペイン植民地時代
西方からやってくるヨーロッパ列強に東南アジアが次々と植民地化される中、スペイン艦隊は太平洋を横断しメキシコから到来する。1521年、セブ島にポルトガル人の航海者マガリャンイス(マゼラン)が率いるスペイン艦隊が、ヨーロッパ人として初めてフィリピンに到達した。マガリャンイスはこのとき、マクタン島の首長ラプ・ラプに攻撃され戦死した。1494年スペインとポルトガルが結んだトルデシーリャス条約でブラジルを除く新大陸(インディアス)がスペイン領有とし、1529年のサラゴサ条約でフィリピン諸島をスペイン領有とした。スペインはフィリピンをアジア進出の拠点とした。やがてスペインなどの航海者が来航するようになり、1565年にはスペイン領ヌエバ・エスパーニャ副王領(メキシコ)を出航した征服者ミゲル・ロペス・デ・レガスピ(初代総督)がセブ島を領有したのを皮切りに19世紀末までスペインのフィリピン支配が始まり、徐々に植民地の範囲を広げ、1571年にはマニラ市を植民地首府とし、フィリピン諸島の大部分が征服され、スペインの領土となった。これ以降、約250年間、マニラとアカプルコ(メキシコ)をつなぐガレオン貿易が続いた。 1762年に、一時的にマニラがイギリス軍に占領されたが、1763年にパリ条約が結ばれ再びスペインの管轄下に戻った。18世紀になってスペインは南部への侵攻を開始したが、西南ミンダナオ島、スールー諸島、南パラワン島では、スールー王国をはじめとするイスラム勢力の抵抗に遭い、最後まで征服できなかった。
スペイン統治下で、メキシコやペルー、ボリビアから輸入した銀や、東南アジア各地や中国(清)の産物をラテンアメリカに運ぶ拠点としてガレオン貿易が盛んに行われた。フィリピンではマニラ・ガレオンと呼ばれるフィリピン製の大型帆船がたくさん建造され、メキシコのアカプルコとアジアを結んでいた。
ヌエバ・エスパーニャ副王領の一部となった植民地時代に、布教を目的の一つとしていたスペイン人はローマ・カトリックの布教を進めた。スペイン人は支配下のラテンアメリカと同様にフィリピンでも輸出農産物を生産するプランテーションの開発により領民を労役に使う大地主たちが地位を確立し、民衆の多くはその労働者となった。
支配者であるスペインに対する反抗は幾度となく繰り返されたが、いずれも規模の小さな局地的なものであり容易に鎮圧されてしまった。 独立運動が本格的になるのは、19世紀末、フィリピン独立の父とされるホセ・リサールの活躍によるところが大きい。リサールは、1896年12月30日に銃殺された。1898年、米西戦争勃発により、アメリカ合衆国はエミリオ・アギナルドらの独立運動を利用するため支援(しかし、実際は後に判明するように、アメリカがスペインからフィリピンを奪って自国の植民地にすることが目的だった)した。
1899年6月12日、初代大統領エミリオ・アギナルドの下、独立宣言がなされ、フィリピン第一共和国が成立した。フィリピン革命は、普通1896年8月から1899年1月までを指す。
なお、征服者レガスピの1567年の書簡に、当時すでに日本人がミンドロ島やルソン島へ毎年交易に来ていたことが記されており、日比の交流はスペインが占領する以前からあったことがわかっている。 
 
第一共和国とアメリカ合衆国植民地時代
米西戦争の最中に独立を果たしたのもつかの間、1898年のパリ条約によりフィリピンの統治権がスペインからアメリカに譲渡された。1899年1月21日にフィリピン共和国がフィリピン人によって建国された。5月18日にサンボアンガ共和国がサンボアンゲーニョによって建国された。
フィリピン共和国の建国を認めないアメリカによる植民地化にフィリピンは猛烈に抵抗したが、米比戦争で60万人のフィリピン人がアメリカ軍により無残に虐殺され、抵抗が鎮圧される。1901年にアギナルドが米軍に逮捕されて第一共和国は崩壊し、フィリピンは旧スペイン植民地のグアム、プエルトリコと共にアメリカの主権の下に置かれ、過酷な植民地支配を受けることとなった。1903年にサンボアンガ共和国も崩壊したが、モロの反乱は1913年まで続いた。フィリピン史では、1899年2月から1902年7月までをフィリピン・アメリカ戦争期として位置づけている。
その後フィリピン議会議員マニュエル・ケソンの尽力で、アメリカ合衆国議会は1916年ジョーンズ法で自治を認めフィリピン自治領が成立。1920年代にRCAが広域無線局を設置、ここを中継地点として香港経由で中国と交信した。1934年アメリカ議会はタイディングス・マクダフィー法で10年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾、フィリピン自治領からフィリピン・コモンウェルスに移行したが、アメリカはフィリピンに膨大な利権を確保し続けた。 
 
第二次世界大戦と独立
第二次世界大戦中の1941年12月に、アメリカ合衆国軍との間に開戦した大日本帝国軍が、アメリカ合衆国軍を放逐しマニラ市に上陸した。敗走を続けるアメリカ合衆国陸軍司令官のダグラス・マッカーサーはオーストラリアに逃亡し、大日本帝国陸軍は1942年の上半期中にフィリピン全土を占領した。
アメリカは1935年にはフィリピンの独立を約束していたので、大日本帝国も1943年5月に御前会議でフィリピン(フィリピン行政委員会)とビルマを独立させた。1943年10月14日、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国が成立したが、軍の統帥権は大日本帝国軍が握る傀儡政権であった。その後ラウレルは日本との協力関係を築きフィリピン政府の運営を進めた。しかし、ラウレル政権は必ずしも日本の言うことを全て聞き入れた訳ではなく、地主支配の維持を図ったために、アルテミオ・リカルテのようなフィリピン親日派からも離反が相次ぎ、新たなる親日組織マカピリが設立された。また、アメリカの援助を受けて結成された反日ゲリラ組織のユサフェ・ゲリラと共産系のフクバラハップが各地で抗日ゲリラ戦争を行った。 その後1944年末に米軍が反攻上陸すると、フィリピン・コモンウェルスが再び権力を握った。第二次世界大戦によって110万人のフィリピン人が犠牲となり、マニラに20棟あった16世紀から17世紀にかけて建立されたバロック様式の教会は、米軍の攻撃により2つを残して破壊された。 
 
再独立
1945年の日本敗戦に伴い、独立を失いアメリカの植民地に戻ることを余儀なくされることとなったが、1946年のマニラ条約で、フィリピン・コモンウェルスの組織を引き継ぎ、戦前から約束されていたフィリピン第三共和国が再独立した。
冷戦下では地主支配(アシエンダ)打倒を訴える共産系のフクバラハップが勢力を拡大し、ルソン島ではゲリラ戦争が続いたが、1950年代中に共産ゲリラはアメリカからの全面的な支援を受けたラモン・マグサイサイの手によって一度壊滅した。その後、親米政権によって農地改革が行われたものの、実効性には乏しいものとなった。 
 
マルコス独裁
1965年より反共産主義を唱えるフェルディナンド・マルコス大統領がマルコス独裁国家体制を築いた。アメリカ合衆国のからの支持を得たマルコス政権は、20年に渡る開発独裁政権となり、イメルダ・マルコス大統領夫人をはじめとする取り巻きによって、私物化され腐敗した政権に対して、中華人民共和国やソビエト連邦からの支援を受けたモロ民族解放戦線や再建共産党の新人民軍 (NPA) による武装蜂起が発生した。 
 
エドゥサ革命
1986年2月22日に起きた「エドゥサ革命」(二月革命、ピープル・パワー革命)で、民衆の不満が高まったためにマルコス政権は崩壊し、現在のフィリピン第四共和国体制が成立。この革命は同年2月22日の国軍改革派将校の決起から25日のコリーアキノ政権樹立に至る4日間の出来事であった。民主化を求める市民が、マニラ首都圏の中心部でデモや集会、座り込みを行った。その模様をリアルタイムで、多くのテレビカメラの放列が世界中に放映した。これらマスメディアの報道が心理的圧力となり、フィリピン共和国軍は銃を発砲出来無かった。
マルコスとイメルダはアメリカ合衆国のハワイ州に亡命した。新人民軍による三井物産マニラ支店長誘拐事件(1986年11月15日 - 1987年3月31日)が発生。
第二次世界大戦後の冷戦期間中のフィリピンは、同じく西側諸国に属すこととなった日本と同様に、極東アジアにおけるアメリカの重要な拠点となり、米軍に基地を提供していたが、1990年代初頭の冷戦終結を受けた米軍のアジア駐留軍縮小、およびピナトゥボ山の噴火に伴う基地機能の低下、フィリピン国内のナショナリズムの高揚、フィリピン共和国憲法改正により、在比米軍は軍備を沖縄に集約し、フィリピンから撤退した。 
 
フィリピン紛争
フィリピンの共産主義勢力フクバラハップは、第二次世界大戦中に日本軍と戦い、日本軍の撤退後もアメリカ軍と独立後のフィリピン政府軍と戦闘を続けたが、1954年までにマグサイサイ指揮下のフィリピン政府軍に制圧された。1969年、毛沢東主義による革命と体制変革をめざすフィリピン共産党 (CPP)(再建共産党)は新人民軍 (NPA New Peoples Army) を結成し、フィリピン政府軍に対する武装闘争を開始した。NPAは、ルソン島を中心にフィリピン全国に展開し、フィリピンの軍隊・警察・インフラ・企業に対する武力攻撃を繰り返し、フィリピン政府軍はNPAの武力攻撃に対して掃討戦を継続しているが、海外のテロ支援国家の支援を受けるNPAを完全制圧することは難しく、2013年現在、武力行使は継続中である。
ミンダナオ地区にイスラム教による自治区を作ることを目的としたモロ民族解放戦線 (MNLF Moro National Liberation Front) は、1970年にフィリピン政府軍に対して武装闘争を開始し、MNLFと政府軍の武力紛争は1996年まで継続した。1996年、MNLFはフィリピン政府との和平協定を締結して武装闘争を終結し、フィリピン政府はミンダナオ地区にMNLFのイスラム教による自治を受け入れ、現在はミンダナオ・イスラム自治区の与党として活動している。しかし2013年9月、後述するMILF主導の和平交渉への反発から、再び政府軍と衝突した。
モロ・イスラム解放戦線 (MILF Moro Islamic Liberation Front) は、モロ国民解放戦線 (MNLF) がフィリピン政府と和平協定を締結しようと方針転換したことに反対し、フィリピン政府軍との武力闘争を継続するために、1981年MNLFから分離独立し、フィリピン政府軍に対して武装闘争を継続した。1997年、MILFはフィリピン政府と停戦協定を締結したが、その協定は2000年にエストラーダ政権により破棄された。2003年、MILFはアロヨ政権と停戦協定を締結したが、2005年MILFは停戦協定を破棄してフィリピン政府軍に対する武力攻撃を再開。2012年10月、政府との間で和平枠組み合意に至る。
アブ・サヤフ・グループ (Abu Sayyaf Group) は、フィリピンのミンダナオ島、スールー諸島、ボルネオ島、および、インドネシア、マレーシア、タイ、ミャンマーなどの東南アジア地域にイスラム教で統治する国家の設立を目ざして、1990年にフィリピン政府に対して武装闘争を開始した。アブ・サヤフ・グループは、フィリピン政府軍および一般市民に対して爆弾攻撃、暗殺、誘拐・監禁、身代金要求を繰り返し、2000年以後は活動地域をマレーシア、インドネシアへも拡大し、2013年現在、武力闘争を継続中である。 
 
アジア通貨危機以降
フィリピン経済に転機が訪れたのは、1990年代後半だった。1997年にアジア通貨危機が発生すると、そのあおりを受けてペソ暴落に見舞われたが、経済がバブル状態ではなかったので、財政破綻したタイ、一時期国家崩壊の危機に陥ったインドネシア、国家破綻しかけた韓国などに比べると回復は早く、IMFの管理下になることを免れた。
フィリピンの経常収支は1000万人に及ぶ海外在住労働者の送金によって支えられており、出稼ぎ、特に看護師はフィリピンの有力な産業と言ってもよい。主要な貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は距離的にも近い中華人民共和国や中華民国(台湾)や大韓民国との貿易も増えている。
東南アジアではベトナム・インドネシアと共にNEXT11の一角にも数えられており、今後も経済発展が期待できる新興国の一つに含まれている。
また、長年の懸案であった、ミンダナオ島を活動拠点とする、南部武装ムスリム勢力(MILF・モロ・イスラム解放戦線)との和解交渉成立後、ミンダナオ島にも、アメリカなどからの直接投資も入り始めている。 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
2016/10
 
「お前を殺してやる」 ドゥテルテ大統領が恫喝した相手とは... 7/19
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が7月15日、南部ダバオの麻薬取締局で同国の麻薬王の一人と疑われる実業家のピーター・リム氏と会談した。ドゥテルテ大統領はリム氏に向かって「お前を処刑する。お前を殺してやる」と恫喝した。現地紙マニラ・ブルトゥンなどが報じた。
麻薬撲滅に注力するドゥテルテ大統領
AFP通信などによると、ドゥテルテ大統領は7日に国営テレビでの演説で「麻薬密売人のピーター・リム。彼が飛行機から出てきたら、その瞬間に命を落とす」と非難していた。
15日の面談では、ドゥテルテ大統領はリム氏に「お前を処刑する。お前を殺してやる」と、面と向かって恫喝した。
これに対しリム氏は、同名の別人だと主張。「セブにいる私の家族はいま深刻な問題を抱えています。あらゆる脅迫を受けています」と述べ、大統領の演説以来、身の危険を感じていると不安を吐露した。リム氏はフィリピン中部のセブ市で複数の事業を営んでいるという。
リム氏の反論に対し、ドゥテルテ大統領は「謝るつもりはない。お前は麻薬王だと疑われているからここにいる」と切り返した。
リム氏は会談の中で、違法薬物への関与を強く否定した。その一方で、1997年に麻薬関連の容疑で当局の捜査を受けたことは認めた。加えて、「わが国にあなたがいてとても幸運です。わが国を救うことのできる大統領はあなただけです。あなたは本気だ」と、ドゥテルテ大統領に犯罪撲滅運動への協力を誓った。
過激な発言で知られるドゥテルテ大統領とは?
ドゥテルテ大統領は検事出身。1980年代から断続的に20年以上にわたりダバオ市長をつとめた。治安対策で実績があり、自ら短銃を持ち薬物を取り締まる強硬な姿勢から、米刑事映画の主人公「ダーティハリー」にも例えられる。6月の大統領選では、強い指導者像をアピールして当選した。
現地紙マニラ・タイムズによると、フィリピンの民間調査機関ソーシャル・ウェザー・ステーションが6月30日の就任直前の24〜27日に実施した世論調査でドゥテルテ氏を支持すると答えた人は84%にも上る。
ドゥテルテ大統領は「犯罪者は射殺する」「就任したら腐敗した官僚や警察は皆殺しにする」「水上バイクで中国の人工島に行って旗を立てる」といった過激な発言でも知られ、アメリカ大統領選の共和党候補指名獲得を確実にしたドナルド・トランプ氏に重ねて「フィリピンのドナルド・トランプ」とも呼ばれる。
ドゥテルテ大統領は犯罪者に容赦しない姿勢を示している。就任直後には、警察官が麻薬密売人を見つけた場合「殺害すれば報奨金を支払う」と表明。恐れた人々が警察署などに殺到した。 
フィリピン・ドゥテルテ大統領の過激発言集!麻薬撲滅策で治安回復 9/18
今年6月30日にフィリピンの大統領に就任した。
このドゥテルテ大統領はもともとフィリピンの南部にあるダバオ市長を務めていたのですが、これまでに数々の過激発言が注目されていた人物です。ちょうどアメリカのオバマ大統領の任期満了に伴い、同じく過激発言で話題となっている共和党代表のドナルド・トランプ氏のような感じですが、この度、ドゥテルテ大統領がフィリピン国内で行なった麻薬密売業者撲滅を始めとした超法規的な治安回復策が世界中から注目されているのです。
日本の政治家が過激な発言をしても、人権やモラルを盾に批判されて終わりですが、実際にその過激な発言を有言実行したらどうなるかというモデルケースでは、今のところ、このフィリピンのドゥテルテ大統領の超法規的治安回復策以上のものはないと考えられます。
今回は、新フィリピン大統領・ロドリコ・ドゥテルテ氏について、その治安対策を元に色々な角度から見ていきましょう。
フィリピン・ドゥテルテ大統領の過激発言集
フィリピン国内のイスラム過激派について
『お前たちにはきっちりと代償を支払わせる。オレを怒らせたらオレは本気でお前たちの腹を裂いてやる』
ASEAN首脳会議についての米オバマ大統領へのコメント
『このクソッタレが。罵ってやる』
『アメリカでは黒人が無抵抗の意志を示していても撃たれているじゃないか。そんな国から人権について教わることなどない』
『フィリピンは属国じゃない。お前は何様だ?』
首都マニラで銃撃されたジャーナリスとについて
『ただジャーナリストだからと言って暗殺されないわけじゃない。(殺されたジャーナリスト)は良い人間ではなかっただけのことだ』
テロ撲滅について
『フィリピンを壊そうとする人間は覚悟しておけ。法律を盾に逮捕から逃れたり抵抗はさせない。特に暴力で挑んでこようとする奴らには「こちらから始末しろ」と命令するだけだ』
人権派の人間について
『麻薬業者や強盗をする者への人権の法則は忘れる』
『綺麗事をほざくな。犯罪者の人権を主張する人間の前で処刑する様を見せてやる』
米次期大統領候補トランプ氏について
『トランプは偏見のカタマリだ。一緒にするな』
南シナ海の領有権について
『中国が難癖に耳を貸す必要はない。私が奴らの島に直接出向いてフィリピンの国旗を打ち立てに行ってやる』
フィリピン国内の犯罪者について
『裁判など必要ない。治安を乱す犯罪者は全員マニラ湾の魚の餌にしてやる』
『私は警察に薬物乱用者への懲罰を命じたわけじゃない。私は宣戦布告を命じたのだ。本物の戦争だよ』
警官の汚職について
『警官の汚職についても同様に処刑する。但し、下級警官の給与を月額315ドルから2000ドルに引き上げてワイロなしでも生活できるようにする』

このようなドゥテルテ大統領の過激発言は大統領就任前からのおなじみで、20年間ダバオ市長を務めていた時からそのスタンスは変わらないとのこと。そして、ドゥテルテ大統領のその有言実行が長きに渡ってフィリピン国民の心を掴み、とうとうフィリピンの超法規的治安回復の舵を切るリーダーとなったのです。
ドゥテルテ大統領は就任後、『フィリピン国民の信託を得て大きな責任を任された。私は起きている間だけでなく、寝ている間も全力を尽くす』と、国民の強い願いを謙虚に受け止めていると答えたそうですが、犯罪・テロ組織の壊滅だけでなく、中国への牽制も含めてかなり国民からの期待が込められていると言えそうです。
フィリピン・ドゥテルテ大統領は治安回復はどう?
フィリピン・ドゥテルテ大統領が就任してから約2ヶ月が経ち、実際にフィリピン国内は治安回復したのかどうか?フィリピン国内の警察当局によると、警察の超法規的な摘発に世ある麻薬関連の死者は、なんとこの2ヶ月の間に1100人を超えており、警察の摘発作戦以外のものを含めると、その数は3000人超にも上ると言います。超法規的というのは、要するに裁判の手続きを取っ払った現場判断による警察官の裁量に任すということですが、実際には警察以外の自警団なども暗躍しているそうです。ドゥテルテ氏がフィリピンの大統領に就任してから、自首する麻薬業者も非常に多く、先月の時点で53万人が警察に出頭してきたというニュースが報じられていました。
ドゥテルテ大統領がフィリピンの治安回復に対して、超法規的処罰を公に解禁してから6ヶ月の間に治安回復をすると名言し、まだその1/3程度の期間でこれほどの成果を出していることはすごいことだと思います。実際に現在のフィリピンでの治安はどうなのか外務省の海外安全ホームページで調べてみると、今回の県に関して、私たち日本人などの海外渡航者にとっての治安問題としては特に問題がないようです。もともとフィリピンでは、麻薬や誘拐などの温床となる地域があり、治安状態は決して良いとは言えませんでした。もちろん、このまま反政府対立組織などがテロを行う可能性は否めませんが、この先、小さな犯罪などは減少の一途をたどるだろうと言われています。フィリピン国内でのドゥテルテ大統領の支持の高さを反映しているのか、はたまた恐怖のあまりなのかはわかりませんが、現在、このような超法規的治安回復策に対して国民からの反発の声はほとんど上がっておらず、ロイター通信記者によると、国民の多くはドゥテルテ大統領の治安回復強行策について協力的だそうです。
ドゥテルテ大統領の麻薬撲滅治安回復策に賛否両論
フィリピン国内でこれだけの麻薬業者一掃撲滅政策を取っていたら、さすがに治安回復は待ったなしなのでしょうが、案の定、発砲事件が増えたことで、5歳の子供に流れ弾に当たるなどする事故(事件?)もあるようです。このようなドゥテルテ大統領の治安回復策は、近来稀に見る荒療治だけに弊害は避けられないのですが、このように血なまぐさい方法で本当に治安が回復するのかどうか、世界中から非常に大きな注目が集まっていると同時に、やはりこういった独裁的で前時代的な政策に対して非難の声があることも確かです。
先ほども言ったとおり、フィリピン国内でのドゥテルテ大統領の支持が非常に高く、人権派の調査団体に対して国民は非協力的といった現状なのだそうです。『フィリピン国民が良いって言ってるんだからそれでイイんじゃないの?』と言えばそれで良いのかもしれませんが、いままで人権というブレーキで止まっていたことをドゥテルテ大統領が外して一定の成果を上げれば、その影響が世界中に飛び火するという懸念が広がっています。現在、アメリカで行われている大統領選ではドナルド・トランプ氏が同じように犯罪撲滅を訴えていたり、少し前の東京都知事選では同じように桜井誠氏が東京の犯罪組織を一掃すると公言して盛り上がっていました。ヨーロッパでは移民による犯罪で頭を悩ませ、とうとうイギリスは国民投票でEU離脱を採択することとなり、いま世界中で自国の安全を第一としたナショナリズムが台頭してきているところです。実際に先陣を切ったのがフィリピンのドゥテルテ大統領であり、日本でもこの超法規的政策に対して賛同の声も多いのは確かです。しかし、『なぜ裁判制度があるのか?』という基本的なことを考えれば、公平性を欠いたこの政策がどの国でも通じるものではないことは言うまでもありません。
フィリピンでドゥテルテ大統領の支持が高いのは、それだけフィリピン国内が麻薬を始めとした犯罪に汚染されていたことが理由として挙げられるからですが、当然、国内にも警察による市民の殺害への非難の声もあります。もともと、このような超法規的な警察による一方的な発泡は、国際法や国際基準に反しているからです。国際的な考え方として、警察官は市民の安全を守るのが前提で、命を奪うのが目的になってしまってはいけないという決まりがあるからです。
産経ニュースではこのようなことが報じられていました。
「フィリピン議会で15日、南部ダバオ市で薬物犯罪関係者らを殺害していた自警団元団員を自称する男性(57)が証言した。ドゥテルテ大統領が、同市長時代に1000人以上の“処刑”を指示し、直接殺害にも加わったと述べた。〜中略〜 ドゥテルテ氏が1988年の市長就任後、警察官や元共産党戦闘員で構成する「ダバオ暗殺団」に加わり、殺害も指示していたと証言。ドゥテルテ氏批判を繰り返す人物や、対立候補の関係者の暗殺も含まれていたと述べた。また、2007年に法務省捜査員と銃撃戦となった際、ドゥテルテ氏自らが2丁のマシンガンで「とどめを刺した」とした。男性は「麻薬密売人、強姦犯、誘拐犯などを殺すのが仕事だった」と、約50人の殺害を告白。遺体は仲間の警察官が所有する採石所に遺棄したほか、生きたままワニの餌にしたという。」
本当かどうかはわかりませんが、証言通りなら自身の発言通りの人物象とも言えるでしょう。
まぁ、色々と見てきましたが、現在でもドゥテルテ大統領がフィリピンで過激な発言をし、麻薬密売を始めとする犯罪組織に対して一歩も退かない姿勢を取っているので、何だかんだこのままフィリピンの治安は劇的に改善・回復することになるでしょう。
ただ、独裁的とも言えるドゥテルテ大統領に手放しで賛辞を贈れるかと言えば、やはり少し首を傾げるところもあるのが正直なところです。ただ、フィリピンではカトリック教徒が多いと言われているので、ドゥテルテ大統領自身が地獄に落ちることを引き換えに、この治安回復の舵を切っているのかもしれませんが…。 
「祖父は華人、フィリピンを助けてくれるのは中国だけ」とアピールするも中国人は真に受けず
2016年10月18〜21日に訪中するフィリピンのドゥテルテ大統領は、新華社通信の取材に対し今回の訪中で中国との友好関係強化と中国への理解を深めたいと語っている。
南シナ海問題についてドゥテルテ大統領は、「他国の干渉は望まない。戦争で問題は解決できず、話し合いを通じて解決したい。中国と共同で同海域の開発を望む」と述べ、経済協力については「フィリピンには豊富な観光資源と鉱物、農業製品がある。中国の市場は巨大で、両国はこれらの分野において潜在的な協力の可能性を秘めている」と語った。
さらに、中国との友好関係については、「両国は伝統的に友好関係を築いており、現在フィリピンには約200万人の華人・華僑が暮らしている。私の母方の祖父は華人で、フィリピンを助けてくれるのは中国だけだ」と語ったという。同記事は中国ネットでも注目を集め、数千件のコメントが寄せられているが、「政治家の発言は信用できない」と懐疑的な反応が目立った。

2016年10月20日、中国を訪問しているフィリピンのドゥテルテ大統領は同日北京市で開かれたビジネスフォーラムで演説し、米国と決別すると発言した。環球網が伝えた。
フィリピンメディアによると、演説でドゥテルテ大統領は、「経済や軍事において、米国と決別する」と米国と距離を置くと述べたほか、「今後の長い期間、中国が頼りになる。もちろん中国にとってもメリットはある」と語った。ドゥテルテ大統領は今回の訪中で厚遇を受け、中比は観光や貿易など多くの分野での協力を強化している。中比関係についてドゥテルテ大統領は、「中比関係は春のごとく温かい」と表現している。 
アメリカに一度は言ってみたい「ドゥテルテ語録」
この6月からフィリピンの大統領になったロドリゴ・ドゥテルテ氏は、親共産主義者で、前職のダバオ市長時代には治安の改善に剛腕を振るい、なかなかの人気者らしい。母方に中国系の血を引いて、親中国の姿勢を見せており、一連の大胆発言でアメリカを困惑させているようだ。
「私にとっての主人はフィリピン人だけだ。敬意を忘れるな」
「アメリカと一緒にいる限り平和は訪れない」
「CIAを使って私を追放したいのか? やれるもんならやってみろ」
「アメリカがわが国(フィリピン)にいたのも自分の利益のためだった。友よ、さよならを言う時が来た」
「アメリカとは別れました。軍事的に、経済面でもです」
これらの発言は中国訪問中のものだが、アメリカはさっそく反応して、大統領報道官が「フィリピンは70年にわたるアメリカとの同盟と友好により、計り知れない利益を得ている」と指摘し、アメリカの同盟国のトップとして「自分の発言が引き起こす事態を自覚する重い責任がある」と強調したということだ。安易にアメリカを軽視する発言をしていると、ひどい目に会うぞと、暗に脅している。
だがこの語録の「フィリピン」を「日本」に置き換えてみると、積年の留飲を下げるような爽快感がある。「私にとっての主人は日本人だけだ、敬意を忘れるな」と、アメリカとの交渉で言い切った政治家が、今までに一人でもいただろうか。民主党政権でさえ、アメリカとの同盟は尊重するとの立場でしか行動しなかった。まして今の政権に「主人は日本人」という認識が毛の先ほどでもあったら、高江のヘリパッドに抗議する住民を、力づくで抑圧して「土人」とののしるような政策は、あり得ないだろう。
戦争に負けてアメリカ軍に占領されたのは事実だが、70年たっても事実上の占領状態を容認し、アメリカとの癒着を国内政治を支配する道具として使っているのが自民党政権である。この政権の支配から脱出しない限りは、私たちは自立した日本国の国民になることができない。だからこそ、たまに出会った「ドゥテルテ語録」が痛快で、一度はこんなことを言ってやりたいと思うのだ。 
「米国にさよなら」 フィリピン大統領、中国への傾斜鮮明に 10/20
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領は19日、訪問先の北京(Beijing)で行ったスピーチで、同盟国である米国に「さよならを言う時が来た」と述べた。大統領はフィリピンの同盟関係の再構築に乗り出している。
ドゥテルテ大統領は4日間の日程で中国を訪問しており、米国から中国の勢力圏に傾斜する同氏の立場が裏付けられるとみられている。20日には中国の習近平(Xi Jinping)国家主席と会談する予定だ。
ドゥテルテ大統領は北京在住のフィリピン人らを前にスピーチを行い、米国とは長い間同盟を組んできたが得るものはほとんどなかったと主張。「お前らは自分の利益のためにフィリピンにいる。友人よ、さよならを言う時が来た」とまるで米国に向けて演説するように語った。
さらにバラク・オバマ(Barack Obama)米大統領のことを再び「売春婦の息子」呼ばわりした上、「私が今後、米国を訪問することはない。侮辱されるだけだからだ」と続けた。
6月末に就任したドゥテルテ大統領は、フィリピンの外交政策が西側諸国の意図に翻弄(ほんろう)されていることにうんざりしているとも発言。「中国と距離を置く状況を招いたのはフィリピン自身ではない。新たな方向に進む」と宣言した。 
混乱するフィリピン外交、ドゥテルテ大統領の「決別」発言で 10/21
フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ(Rodrigo Duterte)大統領が米国に対して衝撃的な「決別」宣言をしたことを受け、フィリピン外交が混乱している──米国からも困惑の声が上がっている他、ドゥテルテ大統領の一部側近の間でも見解が食い違っている。
ドゥテルテ大統領はこれまでも連日のように米国を罵倒または侮辱するような発言をしてきたが、中国訪問中の今回の発言は、ドゥテルテ大統領が70年間に及ぶ同盟関係を壊し、中国とロシアに接近したいと考えていることをこれまでになく強く示唆するものとなった。
ドゥテルテ大統領は20日、中国人実業家ら数百人を前に演説し拍手を受けたが、その際、「私は米国との決別を表明する」と語り、「私は、あなたたちのイデオロギー的な流れに自分の身を置き直した。場合によってはロシアへも行き、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)大統領と話し合い、世界に立ち向かっているのはわれわれ三者──中国、フィリピン、ロシア──だと彼(プーチン氏)に伝えるだろう。これしか道はない」と述べた。
ドゥテルテ大統領の反米演説は米政府に混乱をもたらしており、米政府高官らは、フィリピン政府はドゥテルテ大統領のこれらの発言を公式な方針としていないことを繰り返し指摘している。
米国務省のジョン・カービー(John Kirby)報道官は20日、「(ドゥテルテ大統領の)発言をわれわれが承知していることはまず指摘しておきたい」と語り、「その上でなお、そうした発言が、われわれとフィリピン国民や政府との間の、安全保障の観点に限らないさまざまな異なったレベルにおける非常に親密な関係と、不可解なまでに食い違っているとの見解をわれわれは持っている」と述べた。
カービー報道官は、「決別」発言について米政府は説明を求める方針だと語った。 
南シナ海巡る中国との紛争、「棚上げ」し、2国間で平和的に解決する=米比合同軍事演習、必要ない―フィリピン外相が会見  10/26
2016年10月26日、フィリピンのドゥテルテ大統領に同行して来日中のヤサイ同国外相が日本記者クラブで会見した。南シナ海での中国との紛争について、「国連海洋法は領土をめぐる紛争は、当事国2国間の協議により平和的に解決するよう求めており、常設仲裁裁判所の評決はこの問題とは直接関係ない」と指摘。当事国のフィリピン・中国双方が平和的に話し合えばいいとの判断を示した。
その上で、「米比軍事同盟は領土紛争と関係はない。また中国の公船の攻撃を受けているわけでもないので、同盟は意味を持たず、米比合同演習も打ち切る」と強調した。
さらにドゥテルテ大統領の先の訪中について「中国側と両国間の諸問題を平和的に解決し、経済協力を推進していくことで合意した」と説明、「南シナ海の争いは横に置いて時期が来たときに2国間で協議することになった。我々の権利を損なうものでもない」と一時棚上げする方針を明らかにした。
また「大統領の訪中のもう一つの目的は中国との間で信頼醸成を図り、良好な関係をつくることだった」とし、「比中合同演習は中国側の疑念を高め、比中間の平和的協議の妨げになる」と表明した。 
日本の側に立つ=ドゥテルテ大統領が南シナ海問題に言及、中国外交部は「全体的に訪中時と一致」と発言  10/27
2016年10月26日、安倍首相と会談したフィリピンのドゥテルテ大統領は、南シナ海問題について言及し、「法の支配に基づき平和的に解決したい」と語り、「常に日本の側に立つ」と述べた。南シナ海に関して日本は、中国の主権主張を否定した仲裁裁判所の判断を尊重すべきとの姿勢を見せており、中国側の反応に注目が集まる中、中国外交部公式サイトは同日の定例記者会見での同部陸慷(ルー・カン)報道官の発言を掲載した。
陸報道官は、「ドゥテルテ大統領が日本訪問中に行った関連の発言は、訪中時の姿勢と全体的に一致する。つまり、中比は協力関係に重きを置き、南シナ海問題においてすぐに解決できない問題は棚上げする」と説明した。

2016年10月25日、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が訪日した。同大統領は18〜21日の日程で中国を訪問したが、中国メディア・観察者網は安倍政権が中国を追いかけるように「ばらまき外交」をすると報じた。
BBCは日本メディアの報道を引用し、日本とフィリピン両国の消息筋から安倍首相が会談で巨額の援助を宣言することが明らかになったと報じている。農業開発支援に50億円(約5000万ドル)の借款供与を伝えるという。また、中国との関係など、フィリピンの新たな外交政策について、安倍首相は説明を求めるとみられている。
しかし、経済援助額においては、中国は日本を圧倒している。BBCによると、フィリピンのラモン・ロペス貿易産業相は21日、中国から240億ドル(2兆5000億円)相当の投資と借款が得られる見通しを明らかにした。それに先立ち、ロペス大臣は20日、総額135億ドル(1兆4000億円)相当の合意に署名できそうだと明かしているとロイターが報じていた。
ドゥテルテ大統領はかねてよりフィリピン初の高速鉄道事業への援助を中国に求めており、この合意にはそれに関する中国国家発展改革委員会とフィリピン交通省などによる備忘録も含まれるとみられる。今年8月にフィリピンの新規鉄道事業に24億ドル(約2500億円)を借款すると発表したばかりの日本にとって、こうした中国の高額援助は脅威となっている。
なお、ミンダナオ島はドゥテルテ大統領の地元で、同島の最大都市・ダバオ市長を長年勤めていた。大統領就任後もたびたびダバオを訪れており、地元には強い思い入れがあるという。 
 
 
 
 
 
 
ドゥテルテ大統領、虚偽の数字でフィリピン「麻薬戦争」先導か 10/28
フィリピンのドゥテルテ大統領は、先日マニラで行った演説を、いまやお馴染みの主張で締めくくった。それは、この国から麻薬一掃するための激しい戦いで「毎日2人の警官が命を落としている」というものだ。
だが、警察統計によれば、この数字は誇張されている。ドゥテルテ大統領が「麻薬戦争」を開始した7月1日から、演説を行った10月12日までに殺害された警官は13人。8日に1人のペースだ。
血なまぐさい麻薬撲滅作戦を正当化するために同大統領が根拠薄弱な主張を繰り広げる例は、これに留まらないことが、ロイターによる政府公式データの検証と、ドゥテルテ政権の麻薬対策担当の高官に対する取材で明らかとなった。
ロイターが取材した担当者らによれば、麻薬使用者の総数、治療を必要とする使用者数、使われている麻薬の種類、麻薬関連犯罪の蔓延といったデータには誇張やねつ造が見られ、もしくはデータがそもそも存在していないという。
だが、統計に問題があることは重大ではないと彼らは主張する。今回の麻薬撲滅作戦は、フィリピンにおいて長年放置されていた危機に関心を集めるものだからだ。
「問題だとは思っていない」と、フィリピン麻薬取締庁(PDEA)でマニラ首都圏地域担当ディレクターを務めるウィルキンス・ビラヌエバ氏は語る。「かつては、危険な薬物に対するわれわれの戦いは孤立していた。今では、皆が助けてくれる。地域社会の協力が得られる」
フィリピン警察によれば、ドゥテルテ大統領が就任した6月30日以降、警察による摘発のなかで、あるいは自警団と見られる者によって殺害された人々は2300人近くに達している。当初3600人が死亡とされていたが、今月に入り数値は下方修正された。
ロイターの問い合わせに対し、マーティン・アンダナル大統領広報官は、報道は「悪意に満ちて」いるとして、フィリピン国家警察に問い合わせるよう促した。
麻薬撲滅作戦は海外では批判を浴びているものの、フィリピン国内では幅広い支持を獲得。ドゥテルテ大統領によれば、フィリピンは「麻薬の脅威」に対処しなければ崩壊の危機にひんしていたという。
現実世界への脅威
大統領就任後、最初に行った7月25日の一般教書演説において、ドゥテルテ氏は、フィリピン国内には370万人の「麻薬中毒者」がいると断言した。
「息をのむような、恐ろしい数字だ」と大統領は語った。「私の国を破壊しつつある、こうした愚か者を抹殺しなければならない」
だが、麻薬に関する政策・調査を主管する大統領府危険薬物委員会(DDB)が行った2015年の調査によれば、フィリピンの麻薬使用者数はその半分にも満たなかった。
また、ドゥテルテ大統領はすべての麻薬使用者を「中毒者」と呼ぶが、DDBの調査で確認された180万人の利用者のうち約3分の1は、過去13カ月に1度しか麻薬を使っていなかった。
また、犯罪率の高さなどの社会問題の原因として当局者が挙げることの多い、習慣性の高い覚醒剤である結晶メタンフェタミン、いわゆる「シャブ」を使った者は、そのうち半分以下の86万人であり、大半はマリファナ利用者だった。
PDEAのビラヌエバ氏は、麻薬に対する人々の問題意識を高めている以上、もしドゥテルテ大統領が麻薬使用者の数を「過大評価」しているとしても気にしない、と語っている。
ロイターが取材した大統領広報室の担当者は、政府によるもう1つの主張、「フィリピンにおける重大犯罪の75%は麻薬絡み」を裏付けるデータの出所を明らかにできなかった。
警察や政府上層部はこうした論法を駆使して、麻薬使用者や密売人に対する厳しい措置を正当化している。彼らは、麻薬撲滅作戦が開始されて以来犯罪が減少していることが、こうした措置の正しさを裏付けていると主張する。
虚偽の数値は、現実の世界ではもう1つの意味を持つ。たとえば、「フィリピンにおける麻薬需要を根絶するためにこれだけの人間を摘発の対象とすべきである」と政府が発表する人数は、この数字によって決定される。
これが、警察による「容疑者リスト」の作成につながる。このリストには麻薬関連容疑者の氏名が記されており、そのうち何百人もが、警察による摘発作戦のなかで、あるいは正体不明の暗殺者によって射殺されている。
数字を楯に取ったドゥテルテ大統領の主張は、今も政策を動かしている。
9月、同大統領は月末までに「中毒者」数は400万人に増えるだろうと述べ、「麻薬戦争」をさらに6カ月、つまり2017年6月まで延長すると宣言。この声明に続いて、9月30日には自らをヒトラーになぞらえるかのように、300万人の麻薬中毒者を「抹殺できれば幸せ」と発言している。
数字のプレッシャー
フィリピン法執行機関のある幹部は、ドゥテルテ氏の「恣意的な」数字のために警察や政府当局者はプレッシャーを感じているという。
匿名を条件に取材に応じたこの幹部は、「問題は、大統領が何か言うたびに、それがすでに何らかの政策表明になってしまっているという点だ」と言う。「とはいえ、われわれはそれに従わなければならない」
この高官が一例として指摘するのは、いわゆる「自首」手続きを通じて当局に麻薬使用者や密売人として登録された、過去3カ月で70万人以上に及ぶ人々だ。だが、DDB報告書に記載された麻薬使用者数に合わせるために、少なくとも180万人の「自首者」リストを作成することが当局に期待されているという。
「われわれが、いま大変な思いをしている理由はそこにある。(それだけのリストを)作らなければならない」と彼は言う。「しかし、どれだけ頑張っても、180万人には到底届かない」
PDEAのビラヌエバ氏は、麻薬問題に対する大統領の評価は妥当であり、彼自身は何のプレッシャーも感じていないという。
ドゥテルテ大統領は「非常に大きな問題なのだと国民に知らせるために誇張しているだけだ」と同氏は言う。「その趣旨は、問題を解決するためにそして、気まぐれな麻薬使用者が慢性的な麻薬使用者になっていかないよう、懸命に努力しなければならない、ということだ」
薬物中毒治療の専門家によれば、ドゥテルテ大統領や当局者の発言は、麻薬使用者と重度の麻薬常用者を区別していないだけでなく、「シャブ」使用者とマリファナ使用者の区別もないと指摘する。
シャブは、攻撃性や精神疾患を含む副作用の強い、習慣性の高い覚醒剤だ。
「リスク特性や有害性という点で、シャブとマリファナはまったく異なる物質だ」と語るのは、アデレード大学薬物アルコール治療研究センターのロバート・アリ所長。「シャブのほうが中毒になるリスクが高いし、より広範囲の身体的・精神的なダメージと関連している」と世界保健機構にも協力している同所長は説明する。
アリ所長によれば、フィリピンでは実際に麻薬乱用が問題になっているとはいえ、虚偽データに基づいて実効性ある国家的な対応策を考案することは難しい。「糖尿病であれ麻薬であれ、公衆衛生において、手持ちのリソースをうまく使うには、それがもたらす損害による負担を把握する必要がある」
米コロンビア大学・メイルマン公衆衛生学部で保健・人権の専門家であるジョアンヌ・セテ氏は、「現麻薬使用者」という言葉は、通常、過去1カ月に麻薬を使用した人を指すと言う。だがDDBの調査では、過去13カ月に麻薬を使用した人をすべてカウントしており、これでは使用者数が膨れあがってしまうと同氏は指摘する。
「つまり、大統領は好きなようにどんな数字でも使えることになる。調査が『現使用者』を適切に推定していないのだから」とセテ氏は言う。
データなき主張
フィリピンにおける「凶悪犯罪」の75%が麻薬絡みであるという主張は、「麻薬戦争の第1段階に勝利する」と題された公式パンフレットに登場する。このパンフレットは、9月にラオスで開催されたASEAN関連首脳会議の場で、ドゥテルテ大統領の広報担当チームが配布したものだ。
このパンフレットによれば、「凶悪犯罪」には、殺人、強姦、誘拐及び国家への反逆が含まれる。
大統領の広報担当チームがどこからこの75%という数値を得たのかは不明である。同パンフレットでは、数値の出所はフィリピン国家警察捜査局(DIDM)とされている。だがこのパンフレットの担当部署及びDIDM職員6人に取材したところ、具体的な調査を指摘することも数値の算出方法を説明することもできなかった。
DIDMで凶悪犯罪事件の監視を担当しているニムファ・リロック氏は、DIDMはそうしたデータや分析を発表したことはなく、その数値がどこから出てきたのか分からないと話している。リロック氏によれば、凶悪犯罪のうち麻薬関連は15%であるという。
DDB委員長を務めるベンジャミン・レイエス氏は、麻薬の影響下で行われた犯罪については「実際に何のデータもない」と話している。
国連薬物犯罪事務所(UNODC)によれば、世界全体では、既決囚の推定18%が麻薬関連の犯罪で収監されているという。
司法手続を経ない殺害に関して10月5日に行われた上院公聴会で提示された警察統計によれば、フィリピンにおける重大犯罪は、今年1月から8月にかけて、前年同時期に比べて31%減少した。
PDEAのビラヌエバ氏は、「これを勝利と呼ばずして、何と呼ぶのか」と語る。
だが同じ警察統計からは、ドゥテルテ氏の前任者、アキノ前大統領政権時から、麻薬撲滅作戦は行われていなかったものの、すでに重大犯罪は減少していたことが分かる。
実際には、2016年の統計が対象としている時期の大半に、大統領の座にあったのはアキノ氏である。警察データからは、2015年1月から8月にかけて、重大犯罪は前年同時期に比べて22%減少した。2014年には26%減少している。
犯罪発生率はここ数年にわたって低下してきたが、ドゥテルテ政権下では、麻薬撲滅作戦の開始以来、殺人の発生率が上昇している。ドゥテルテ政権になってから最初の3カ月で、警察は3760件の殺人事件を記録しており、前年同期の2359件に比べ59%も増加している。
フィリピン国家警察のディオナルド・カルロス広報官は、「昨年に比べれば今年の方がいい」と話している。「被害者の多くは麻薬使用者だ」
ドゥテルテ大統領が22年間にわたって市長を務めたダバオ市でも、やはり同じように凄惨な麻薬取り締まりを主導。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチによる2009年の報告書では、ダバオ市では数百人もの麻薬密売の容疑者、軽犯罪者、ストリートチルドレンが暗殺部隊によって殺害されたという。ドゥテルテ大統領は、これらの殺害のいずれについても関与を否定している。
だがこうした取り締まりにもかかわらず、2010年から2015年の警察犯罪データによれば、ダバオ市は依然として、フィリピン15都市のなかで殺人事件の件数で1位、強姦事件の件数では2位にランクされている。
シャブとマリファナの違い
さらに、フィリピンの麻薬対策当局の上層部は、重度の麻薬常用者の数や彼らが使用している薬物、そして必要とされる治療を特定する際にも、矛盾する、あるいは不完全なデータを頼りにしている。
DDB調査ではシャブ使用者を約86万人としているのに対し、PDEAのビラヌエバ氏は140万人という数字を挙げている。ビラヌエバ氏は、彼自身の方法で確認した140万人のシャブ使用者のうち、約70万人は麻薬使用者や密売人としてすでに「自首」したと言う。
「すでに需要の半分は排除した」と同氏は語る。
だが、麻薬中毒治療の専門家はこれに異議を唱える。「自首」した人々の麻薬使用の深刻度が不明だからだ。フィリピン保健省の広報担当者は、「自首者」のうちどれくらいが医学的な診察を受けたのかは分からないという。
これは問題だ、とアデレード大学の治療専門家であるアリ氏は言う。なぜなら、「麻薬使用は必ずしも麻薬依存ではない」からである。アリ氏によれば、「シャブ」使用者のうち施設での治療が必要なのは約10─15%にすぎない。この試算はアリ氏自身の臨床体験と、英国における治療機関の経験に基づくものだという。
DDB調査は、麻薬使用者と重度の常用者を区別していない。
DDBのレイエス委員長は、DDBでは重度の常用者の数を計算するうえでUNODCによる世界的な試算値を用いていると話す。それによれば、麻薬使用者の0.6%が重度の常用者で、治療を必要としているという。
同氏は、この数字を1%に切り上げてフィリピンの麻薬使用者180万人に適用し、フィリピンには治療を必要とする麻薬使用者が最大で1万8000人いると結論づけている。
「たいした人数ではない」と同氏は言う。
だがレイエス氏によれば、仮にフィリピン国内の麻薬使用者がドゥテルテ氏の主張よりも大幅に少ないことが広く知られたとしても、麻薬戦争に対する国内の支持が変わることはないだろうとも指摘する。「この問題に断固たる手法が必要との認識に変わりはない」