大橋巨泉の遺言

今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。
だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。
書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。
しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。
安倍晋三の野望は恐ろしいものです。
選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。
7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです。


 
マスコミに無視されました
よく言えば 過去の人の戯言
悪く言えば 安倍政権への配慮
いずれにしろ マスコミに遊び心がなくなりました
 
 
 
 
 
「安倍晋三の野望は恐ろしい」 大橋巨泉さん“遺言”の壮絶
がん闘病中の大橋巨泉(82)が、94年から続いていた週刊現代の人気コラム「今週の遺言」を今週(27日)発売号で最終回としたことが話題になっている。「これ以上の体力も気力もありません」というのが断筆の理由で、自らの深刻な病状や大量の薬で死に直面したことを告白。まさに壮絶そのものなのだが、コラムのラストの部分に記された「最後の遺言」には、読んだ誰もが胸を打たれたのではないか。少し長くなるが、その部分を転記したい。
〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉
参院選の真っただ中に迎えた最終回のコラム。安倍の恐ろしい野望とは、自公とおおさか維新、こころを合わせて3分の2の議席を獲得し、憲法改正を発議をすること。そしてその先に9条を改正し、日本を戦争のできる国につくり変えることを指しているのだろう。直近の新聞各社の情勢調査では、「改憲勢力3分の2」が現実になりつつある。巨泉は病床でジリジリとした焦りを感じながら、有権者が賢明な判断を下すのを、祈るような思いで見つめていることだろう。
法衣の下に鎧を隠している男
巨泉は安倍政権の危険性を、これまで幾度となく指摘してきていた。
かつて同コラムには、〈安倍首相を始めとする現レジームにとって、戦前のように「自由に戦争のできる国」は理想的なのだろうが、われわれ昭和ヒトケタにとっては、「平和憲法に守られたこの70年こそ理想の天国」なのである〉(15年6月13日号)と書いた。
日刊ゲンダイ本紙のインタビューでもこう言っていた。
「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。経済はムードをあおる手段に過ぎず、本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」(14年5月10日付)
安倍から発せられる戦争の臭い――。戦争経験のある戦前世代はそうしたものを、嫌でも嗅ぎ取ってしまう。それがこの政権の危険性に対する異口同音の訴えとなる。
本紙インタビューに登場した作家の瀬戸内寂聴(94)の言葉はこうだった。
「当時もね、われわれ庶民にはまさか戦争が始まるという気持ちはなかったですよ。のんきだったんです。袖を切れとか、欲しいものを我慢しろとか言われるようになって、ようやく、これは大変だと思いました。こうやって国民が知らない間に政府がどんどん、戦争に持っていく。そういうことがありうるんです」(14年4月4日付)
学徒出陣を経験した石田雄・東大名誉教授(93)も本紙インタビューでこう言っていた。
「平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に『平和』という言葉が利用されてきたのです。こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える『積極的平和主義』という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ」(14年7月3日付)
参院選の投票を目前にして、こうした先達の言葉の重みを、いま一度、噛みしめる必要がある。
「野党に投票を。最後のお願いです」
安倍政権の恐ろしさ─―。戦前世代の政治評論家・森田実氏(83)は過去の自民党政権と比較しながら、こんなふうに解説してくれた。
「古代ギリシャの抒情詩人ピンダロスは、『戦争はその経験なき人々には甘美である。だが経験した者は戦争が近づくと心底、大いに恐れるのだ』と書きました。悲惨な戦争の体験者がこの世にいる間は止める力が働くが、未経験者だけになったら戦争を始めるという意味を含んでいて、戦争体験のない世代、中でも特に政治権力を持つ者たちにその傾向があります。歴代自民党政権でも小渕政権のころまでは、『平和のためなら体を張る』という強い意志が感じられました。しかし、森政権以降、それがボヤけてきて、小泉政権になって、何をしでかすかわからなくなった。もっとも、小泉さんは安保や軍事面には口を出しませんでした。安倍首相も小泉さん同様、何をやらかすかわからないようなムキになる性格ですが、小泉さん以上にタチが悪いのは、軍事の問題になるとがぜん、張り切ることです。そして、そんな安倍さんを支えるのが極右のグループで、そうした支援者をバックにますます張り切る。安倍さんは自らの中にブレーキを持たない人間じゃないか。だから、いざとなったら戦争に突っ走ってしまう恐ろしさがあるのです」
九州大名誉教授(憲法)の斎藤文男氏(83)の分析はこうだ。
「安倍首相の言動や己に課している使命感には、戦前回帰のにおいがプンプンします。『国威発揚のあの時代はよかった』『敗戦で米に押し付けられた憲法ではなく自前の憲法を作らないと独立国家じゃない』『国のために命を投げ打つ気概のない日本人は腰抜けだ』─―そんな考え方です。実際に著書『美しい国へ』にもそう書いてありますよね。そんな人物が自民党の中で独裁的な権力を持ち、自民党イコール安倍党の状態に陥っている。そして、第1次政権での失敗を経て、改憲願望は『経済』で隠す、世論を騙すという“戦術”を身につけた。しかし、戦時体験を持っている私たちの世代には、安倍さんがどんなに隠しても、ベールの下の素顔が見えてしまうのです。昨年、安保法制が成立した時、私は『新たな戦前が始まった』と言いました。モノも言えず、権利や自由は剥奪され、国家のために生きる。それが日本人の美学だとされる。そんな国になってしまっていいんですか。年寄りが歴史と人生を踏まえて、揃って警鐘を鳴らしているのです。冷や水などと言わないで、耳を傾けて欲しい」
「時代錯誤が」現実になる
安倍の側近たちが野党時代にまとめた自民党改憲草案に、彼らが目指すこの国の形がある。一言でいえば、明治憲法に戻ろうという時代錯誤である。
改憲草案13条は「全ての国民は、人として尊重される」とし、現行憲法の「個人」を「人」に変えてしまっている。国民を「個人」と見るのではなく、「人」という“束”で見なす考え方だ。9条の改正案では、戦力の不保持を定めた現行2項を「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と改めた。そして、「国防軍の保持」を明記した条文を追加している。
参院選で改憲勢力が3分の2を確保すれば、時代錯誤と片付けられなくなる。国民は国家のために奉仕することを義務付けられるような、とんでもない国につくり変えられる。
安倍による憲法改悪を何としても阻止しなければならない。巨泉の遺言〈野党に投票してくれ〉という叫び。民進党が嫌いでも、共産党にアレルギーがあったとしても、再び戦争をする国になることに比べたら、賢明な選択は何なのか、おのずとわかるはずだ。 
 
大橋巨泉の遺言 「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」 7/21
以前より体調の悪化を心配されていたタレント・司会者の大橋巨泉氏が、今月12日に急性呼吸不全で亡くなっていたことが明らかになった。82歳だった。
本サイトでも以前、紹介したように、巨泉氏は「週刊現代」(講談社)7月9日号掲載の連載コラム「今週の遺言」最終回で、すでに病が身体を蝕んでいることを綴っていた。だが、それでも巨泉氏は〈このままでは死んでも死にきれない〉と綴り、直後に迫った参院選について、読者にメッセージを送っていた。
〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉
まさに、このメッセージが巨泉氏にとってほんとうに最後の遺言となってしまったわけだが、しかし、ワイドショーやニュース番組はこの巨泉氏の遺言をことごとく無視。ベテラン司会者としての仕事を紹介するに留め、『報道ステーション』(テレビ朝日)でさえ最後のコラムの〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずなことが連日報道されている〉という部分までしか紹介しなかった。安倍首相について言及した部分まで報じたのは、『NEWS23』(TBS)だけだ。
たしかに、『11PM』(日本テレビ)や『クイズダービー』(TBS)、『世界まるごとHOWマッチ』(MBS)といった人気番組の司会を数々こなし、一方でお茶の間ロックやアングラ演劇などのサブカルチャーをテレビにもち込んだり、クイズバラエティを定着させたりといった巨泉氏の功績が大きいのは言うまでもないが、最後の遺言にも顕著なように、巨泉氏は自民党の強権性にNOの姿勢を貫きつづけた人であった。テレビはそこから目を逸らしたのだ。
巨泉氏といえば、民主党議員だった2001年に、アメリカの同時多発テロを非難し「アメリカを支持する」との国会決議に民主党でたった1人反対、戦争へ向かおうとする姿勢を断固拒否したエピソードが有名だが、すでにセミリタイア状態だった巨泉氏が政界へ進出しようとしたのは、そもそも当時人気絶頂だった小泉純一郎首相の進めようとする国づくりに対する危機感があった。
周知の通り、小泉首相は新自由主義的な政策を押し進め、この国は弱い者にとって非常に生きづらい国になってしまった。巨泉氏は「週刊現代」の連載コラムで小泉政権がつくったこの国の在り方をこう批判している。
〈冷戦終了以降、アメリカ型の新自由主義経済がわがもの顔の現在、それに歯止めをかける思想や組織の存在は必須なのである。でないと「負け組」や「新貧困層」が拡大し、その中からテロリズムが増殖するのである。(中略)小泉やハワードが目指しているのは、「強者の論理」でくくる社会。自由主義経済なればこそ、弱者のための政党や組合は必要なのだ。何万人とリストラする大企業に対し、個人でどう戦うのかね!?〉(「週刊現代」05年12月10日号より)
周知の通り、その後、巨泉氏は議員を辞職し、再びセミリタイア状態に戻る。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを転々とする悠々自適な生活を送るのだが、第二次安倍政権の時代に入ると再び社会的なメッセージを発信するようになっていく。それは、安倍首相は経済を最優先にすると口当たりのいいことを言っているが、その本音は憲法を変えて国民から権利を奪い、日本を再び戦争ができる国へと戻そうとしていることを見抜いていたからだ。
〈彼にとって「経済」はムードを煽る道具に過ぎず、本当の狙いは別のところにあるからだ。(中略)
安倍は先日、「国づくり」に関する有識者会議で、「ふるさと」や「愛国心」について熱弁をふるった。曰く、「日本人は生れ育った地を愛し、公共の精神や道徳心を養って来た。ふるさとをどう守ってゆくかを考えて欲しい」。見事なウソツキと言う他ない。(中略)
「公共の精神や道徳心」を強調することで、現憲法が保障してくれている、「個人の権利(人権)」に制限を加えたくて仕方がないのだ。それでなくても「知らしむべからず」なのに、もっと制限を加えて、政権の思う通りにあやつれる国民にしたいのである。そのためには現在の憲法が邪魔なので、これを改正するために、まず人気を取り、その勢いで改正してしまおうという訳だ。(中略)
そもそも憲法とは、国民が守るの変えるのという法律ではない。国家権力(時の政府)の公使を制限するためにあるものだ。軍部が暴走して、数百万人の国民の命を奪った戦前戦中のレジームへのタガとして現憲法は存在する。それを変えて戦前への回帰を計る現レジームは、禁じ手さえ使おうとしている。止めようよ、みんな〉(「週刊現代」13年5月4日号より)
巨泉氏はさらにこのようにも語っている。
〈ボクの危惧は、4月にウォール・ストリート・ジャーナルに、麻生太郎副総理が述べた言葉によって、裏うちされている。麻生は「参院選で安倍政権が信任された時、首相の関心はおそらく経済から教育改革と憲法改正に向うだろう」と言っていた。要するにボクの持論通りなのだ。“経済”とか“景気”とかいうものは、あくまで人気(支持率)を高めるための道具であり、本当の目的は教育と憲法を変えて、「強い日本」をつくる事なのである。この鎧を衣の下に隠した、安倍晋三は恐ろしい男なのだ〉(「週刊現代」13年6月22日号)
しかし、巨泉氏の警告も虚しく、「アベノミクス」を釣り餌に圧倒的な議席数を獲得した安倍政権は横暴な国会運営を開始。周知の通り、昨年はまともな議論に応じず、国民の理解を得られぬまま安保法制を強行採決させてしまった。
そんな状況下、巨泉氏は「週刊朝日」(朝日新聞出版)15年9月18日号で、自身の戦争体験を語っている。1934年生まれの彼が実際にその目で見た戦争は、人々が人間の命をなにものにも思わなくなる恐ろしいものだった。それは安倍政権や、彼らを支持する者たちが目を向けていない、戦争の真の姿である。
〈何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。
特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。
それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。
(中略)
ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」
どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである〉
しかし、立憲主義を揺るがすような国会運営をし、メディアに圧力をかけて「報道の自由度ランキング」が72位にまで下がるほどの暗澹たる状態に成り果てたのにも関わらず、先の参院選では改憲勢力が3分の2を超えれば遂に憲法改正に手がかかるという状況になった。
そんななか、巨泉氏の体調は悪化。3月半ばごろから体力の落ち込みがひどく、4月には意識不明の状態に陥り2週間ほど意識が戻らなくなったことで、5月からは集中治療室に入っていた。そして、前述した「週刊現代」の連載も、4月9日号を最後に休載となっていたのだが、家族の助けを受けて何とか書き上げたのが、7月9月号掲載の最終回。ここで巨泉氏は本稿冒頭で挙げた〈安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉という「最後のお願い」を読者に投げかけたのだ。
だが、残念なことに改憲勢力が3分の2を越え、現在政権は選挙中に争点隠しをつづけていたのが嘘のように、したたかに憲法改正への動きを進めようとしている。最後の最後まで、平和を希求するメッセージを投げかけつづけた巨泉氏の思いを無駄にしないためにも、我々は政権の悪辣なやり方に断固としてNOを突きつけつづけなくてはならない。
〈「戦争とは、爺さんが始めておっさんが命令し、若者たちが死んでゆくもの」。これは大林素子さんの力作「MOTHER 特攻の母 鳥濱トメ物語」の中で、特攻隊長が、出撃してゆく隊員に、「戦争とは何か」を告げるセリフであった。
現在にたとえれば、「爺さん」は、尖閣諸島の国有化のタネをまいた石原慎太郎維新の会共同代表だろう。「おっさん」は当然、“国防軍”を平気で口にする安倍晋三首相である。彼らはおそらく死なない筈だ。扇動したり、命令したりするだけで、自分達は安全なところに居る。前の戦争の時もそうだった。そして実際に死んでゆくのは、罪もない若者なのだ。それを知っていたからこそ、9条改正に6割以上の若者が反対しているのである。おそらく前の戦争のことは、学校で教わったに違いない。安倍政権は、この“教育”さえも改悪しようとしている。怖ろしい企みである〉(「週刊現代」13年5月11日・18日合併号より)  
 
小倉智昭に“大橋巨泉の弟子”を名乗る資格なし! 7/22
 『とくダネ!』では巨泉の遺言を封殺
やっぱりこの男は裏切り者だ──。大物司会者・大橋巨泉の死を報じるテレビ各局のワイドショーをチェックしていて、そう確信した。この男というのは、巨泉と40年にわたって師弟関係にあり、自ら巨泉を「師匠であり恩人」と公言していたフジテレビ『とくダネ!』の司会者・小倉智昭のことだ。
もちろん表向き、小倉は身内のように巨泉の死を悼んでいた。巨泉の死を最初に伝えた7月20日の『とくダネ!』では、小倉は開口一番、「巨泉さんがいなかったら、今こうやって『とくダネ!』の司会をやってるということはなかった」と発言。自分を抜擢してくれた巨泉への感謝の思いをとうとうと述べていた。そして、間近で見た巨泉の人柄、テレビ界に果たした役割、夫人から聞いた闘病の様子などを涙ながらに話した。
小倉は同日の『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)にも生出演し、ここでも涙を流しながら、巨泉の思い出話を語った。さらに、翌21日の『とくダネ!』では、自分の結婚式の写真を紹介しながら、巨泉に仲人をしてもらったエピソードを公開。千葉の家までテレビの配線をしに出かけたこと、大量のレコードを譲り受けていたことなども明かし、いかに自分が巨泉と身内同然の関係にあったかを強調した。
しかし、小倉はその一方で、巨泉が最後に一番伝えたかったメッセージを完全に黙殺してしまったのだ。
周知のように、巨泉は晩年、病床から憲法をないがしろにする安倍政権の危険性を必死で訴えていた。そして、直前の「週刊現代」(講談社)7月9日号の連載コラム「今週の遺言」最終回では、「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」「このままでは死んでも死にきれない」と、まさに遺言ともとれる壮絶な安倍批判の言葉を残していた。だが、小倉は巨泉のこうした政権批判について一秒たりとも触れなかったのだ。
もちろん、巨泉の安倍批判を無視したのは、小倉だけではない。とくに「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」という遺言については、『NEWS23』(TBS)以外、どのテレビ番組も取り上げなかった。
しかし、小倉は自他共に認める「巨泉の弟子」である。師匠が「このままでは死んでも死にきれない」と言いながら発したメッセージは、体を張ってでも伝えるのがスジではないか。
しかも、小倉の態度は他の番組MCよりもっと悪質だった。実は、7月20日の『とくダネ!』では、コメンテーターの深澤真紀氏が「週刊現代」のコラムのことを取り上げようとしていたのだが、小倉がそれを封じ込めていたのだ。
「(「週刊現代」の連載で)世界情勢だったり、日本の政権だったりということにずっと問題意識をもって、ずっと怒ってらっしゃっていて、俺はこのままでいいのか、日本は……っていうことを最後まで書いてらっしゃった」
こう話を切り出した深澤。ところが、小倉氏はこれを完全にスルー。菊川怜に向かって「実は巨泉さんはこの番組を見てくれていて、最近の怜ちゃんの仕事を褒めていた」と全く関係のない話を始めた。
ようするに、自分が巨泉の安倍政権批判を口にしなかっただけでなく、師匠の“遺言”を番組が取り上げること自体を許さなかったのだ。これが「裏切り」でなくて、なんだというのか。
いや、そもそも、小倉の巨泉への裏切りは今回の“遺言封殺”という問題だけでない。「愛弟子」「恩人」などといいながら、小倉はとっくに、巨泉を切り捨てていたという見方がテレビ業界では根強い。
小倉はテレビ東京のアナウンサー時代、上層部と対立して進退きわまった際、大橋巨泉に拾われて1976年に「大橋巨泉事務所」(現オーケープロダクション)入りした。当時小倉には多額の借金があり、しかも仕事も鳴かず飛ばず。そんな中、『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)に小倉を起用し、『世界まるごとHOWマッチ』でブレイクさせたのが巨泉だった。
その後、小倉は巨泉を師匠として仰ぐようになり、まさに『とくダネ!』で語ったような身内同然の関係になるのだが、しかし、その関係は実際には09年頃から大きく変化していた。
原因は、巨泉が「オーケープロダクション」の株式を売却、同社が大手テレビ制作会社「イースト・グループ・ホールディングス」の完全子会社になったことだった。当初は、それでも、オーケープロダクションの社長だった巨泉の実弟が引き続き社長を務めたのだが、しかしほどなくして社長の椅子を追われ、そのため巨泉と「オーケープロダクション」の縁が切れてしまう。
このとき、多くのテレビ関係者は、小倉も巨泉の弟と一緒に事務所を出るのだろうと思ったようだが、小倉のとった行動は逆だった。小倉はもともと同社の株式を持ち取締役に就任していたが、そのまま居残っただけでなく、イーストと蜜月関係を築き、一気に経営への関与を強めていった。そして、「オーケープロダクションの事実上の経営者」と呼ばれるくらいに大きな影響力を持って君臨するようになる。
「この小倉さんの変わり身に、古くから巨泉さんを知る局員の中には『裏切り者』呼ばわりする人もいたようです。実際、その後、小倉さんは巨泉さんと疎遠になり、あまり会っていないという話もある。今回の『とくダネ!』でも小倉さんは巨泉の病床の様子を話していたが、全部、夫人からのまた聞きで、直接、見舞いにいっている感じはしませんでしたからね」(テレビ局関係者)
そして、小倉のスタンスが変わっていったのも、この頃からだった。権力に迎合するような姿勢が目立ち始め、巨泉との師弟関係があった頃には絶対にしなかったような発言を口にするようになった。
その典型がかつてオーケープロダクションに所属していた俳優・萩原流行のバイク事故死についてのコメントだった。昨年4月23日放映の『とくダネ!』で、小倉は萩原が事務所が反対する中国の“反日映画”に出演したことが原因で事務所を辞めたなどと、事実無根のレッテルを張り、萩原を貶めるような発言をした。萩原への「反日」攻撃は明らかに濡れ衣なのにもかかわらずだ。その後、萩原の未亡人が警察による事故隠蔽を告発して大きな話題となったが、しかし小倉氏は未亡人を擁護することはなく、切り捨てた。
政治的にも、自民党や安倍政権に擦り寄るような発言をしきりに始め、14年12月に起こった韓国のいわゆる「ナッツリターン」事件では、「韓国の人は自分の責任は認めないで他人の責任にするのか」「韓国人は日本人を見習わないと追いつけない」といった上から目線のヘイト発言をして大きな批判を浴びた。
「小倉さんが変わったというより、本音を出せるようになったということじゃないですか。それまでは巨泉さんの手前、リベラルなふりをしていたけど、巨泉さんがいなくなったことでタガが外れ、もとから持っていた本性があらわになったんじゃないですかね」(前出・テレビ局関係者)
そう考えると、今回、小倉が大橋巨泉の安倍批判を封殺したのも当然というべきだろう。安倍政権のPR放送局の情報番組キャスターという地位に大満足しているこの男はおそらく端から、利用価値がなくなった“元師匠”の遺言など歯牙にもかけるつもりはなかったのだ。
7月20日の『直撃LIVE グッディ!』に生出演し、司会の安藤優子から「巨泉の後継者」などと持ち上げられた小倉はまんざらでもないという様子で「継げないでしょうね、大きすぎて」などと発言した。
しかし、小倉が巨泉の後継者になれないのは、大きさの問題ではない。最後まで権力に対峙し、命を削りながら憲法を守るために発言を続けた昭和の名司会者と、世間の空気に迎合し無自覚な差別意識を垂れ流す電波芸者とでは、志が決定的に違うのだ。 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
2016/7
 
小倉智昭が週刊文春の庄司哲郎への資金援助に反論 9/1
 「ガン発覚の時より悲しかった」
今年の8月25日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で現行犯逮捕された庄司哲郎(49)という俳優(画家)をご存知でしょうか。9月1日発売の週刊文春によりますと、この庄司哲郎容疑者にとって覚せい剤の資金源だったのが『とくダネ!』(フジテレビ系)のキャスターである小倉智昭氏(69)だったと報じられています。そして、同じく9月1日放送の『とくダネ!』で、この週刊文春の報道について小倉智昭氏自らがこの報道について言及し、反論しています。詳細をご覧下さい。
週刊文春が報じる小倉智昭と庄司哲郎の接点とは
週刊文春によりますと、小倉智昭氏と庄司哲郎容疑者は15年来のお付き合いで、過去には小倉智昭氏と同じオーケープロダクションに在籍していたこともあったそうです。とにかく小倉智昭氏が庄司哲郎容疑者の俳優としてではなく”画家”としての才能を高く評価していたようで、3年前に庄司哲郎容疑者が事務所を辞めてからもお付き合いは続いていたそうです。
「小倉さんは、庄司が描いた自身の肖像画に感激。その後も『庄司の絵には不思議な力がある』と絶賛し、CDのジャケットの絵を依頼したり、活動の幅が広がるよう各方面に熱心に売り込んでいました」(週刊文春 2016年9月8日号)
庄司哲郎の人物像
庄司哲郎容疑者は今から15年ほど前、小倉智昭氏とおなじオーケープロダクションに所属します。前事務所では俳優としての活動がメインで、映画『BE-BOP-HIGHSCHOOL』に出演したり、Vシネマで共演したあの高知東生とは親しい間柄だったらしく、高島礼子さんとの結婚式にも出席したそうです。しかしながら俳優としてはなかなかうまくいかず、2000年に肖像画家だった父の影響を受け、画家の道に進みます。父譲りなのか特に肖像画の才能は周りの評価も非常に高かったようで、コンクールでの受賞歴もあるとか。かつて羽賀研二に頼まれて梅宮アンナの肖像画を描き、それを羽賀研二が自分で描いたとウソをついて梅宮アンナに復縁を迫ったというエピソードもあります。しかし、今回の覚せい剤による逮捕で庄司哲郎容疑者をよく知る芸能関係者は以下のように語っています。
「昔から変わったヤツで、地震を予知できるとか、宇宙と交信できるとか、オカルトめいたことをよく言っていました。今にして思えば薬物による幻聴や幻覚があったのかもしれない。覚せい剤に手を出したのは5年以上前。それより前は大麻もやっていたと聞きます。小倉さんは、あいつのおかしな言動に気づかなかったのでしょうか…」(週刊文春 2016年9月8日号)
ここ最近は役者の仕事は皆無で、画家としてもここ半年近くは一枚も売れていないらいしく、仕事といえば超常現象の体験者として雑誌『ムー』の取材をうけるなどの活動くらいだったようです。
小倉智昭は庄司哲郎とって”金づる”だった
ではなぜ、今回小倉智昭氏が取り沙汰されたのかというと、庄司哲郎容疑者が逮捕された当日、最後に会っていた人物が小倉智昭氏だったというのです。庄司哲郎容疑者のFacebookにも「今日はこれからお台場で久し振りに小倉さんに逢いに行って来ます」と書かれてあります。実際、お台場で『とくダネ!』の放送を終えた小倉さんと食事をし、誕生日プレゼントを渡したのだそうです。ところが、小倉智昭氏の誕生日は5月25日。なぜ3ヶ月も遅れてわざわざ渡す必要があったのでしょうか。それについて週刊文春は庄司哲郎容疑者の知人の証言を引用し、「誕生日プレゼントは会うための口実で、本当の目的はお金を無心するため」と報じています。先ほども触れましたが、今年に入ってから庄司哲郎容疑者の生活は困窮していたようで、電話やメールで頻繁に小倉智昭氏と連絡をとっていたようです。その時の様子を知人が以下のように語っています。
「小倉さんに向けて『俺に頼れるのは兄貴しかいないんです』『絵描きとしてひと旗あげるために力を貸してください』という文面のメールを送っていました。要は金をせびっていたわけです。小倉さんも相手にしないだろうと思ったら、『自由になるお金なんてそんなにないんだよ。だから、50万円でいいか?』と返信がきたそうでビックリしました」(週刊文春 2016年9月8日号)
庄司哲郎容疑者は日頃から周囲には「小倉さんは俺のパトロン」と吹聴していたそうです。小倉さんもとんでもない人に引っかかってしまいましたね…。
週刊文春の報道に対して小倉智昭が反論
週刊文春の発売当日の9月1日放送の『とくダネ!』で、この週刊文春の報道に小倉智昭氏自らが反論しています。文字起こしです。ご覧下さい。
「あまりにも問い合わせが多くて、ネットなどにも書かれておりますので、事実関係説明させて頂きます。庄司哲郎容疑者の絵の才能を高く評価してこれまで彼の絵を買うなどして応援してきました。なんでかと言うと、15年前に知り合って私と一緒の事務所に10年間いたんですね。ただ、絵を描くって結構苦しいことで、相当辛い思いもしてたようなんで、なんとか彼の”絵”ね、あのー、肖像画で古典技法で油絵で描ける人って今少ないんですよ。で、世界美術評価連盟の会長賞を受賞するなど、大きな実績のある彼なんで、なんとか応援してあげたいなと思っておりました。で、記事にありました、先週の木曜日8月25日、彼が逮捕された日の昼間に、私はお台場でマネージャーら友人四人と一緒に会って、食事をしました。それは、彼が誕生日プレゼントを持ってきてくれるということだったんです。週刊文春には5月が誕生日なのに遅いじゃないかと、小遣いの無心に来たのではないかというふうに書いてありましたけど、ご存知のようにボク、膀胱がんの手術をしてそれから毎週毎週点滴をしたり病院に通っております。オリンピックにも行きました。本当に会う時間がなかったんですね。だからオリンピックが終わるまで待ってくれっていう話をしていて、ようやく会いました。で、プレゼントと同時に、前から兄貴の病気が治るように30号の龍の絵を描いたからって言うんで、その時彼は持ってきてくれて駐車場で受け渡ししたんですね。それで、その気持がすごく嬉しかったし、彼は号4万円位の画家ですから、通常だったら100万円以上するんでしょうが、あのーそこまで出せませんので、30万だけあげて、『ありがとう』って言って別れました。
その日の夜に逮捕されたんです。ですから、ボクは本当に彼の絵を世に出したいっていう思いで彼をずっと応援してきたんですが、それが、”覚せい剤の資金源”って言われてしまって、すごく辛いです。彼のやったことに対しては本当に怒りを覚えています。15年間、俺は何をやってたんだろう。ボクが甘すぎたのかなと思ってます。ただ!週刊文春の記事を読んだ時、自分のガンを知らされた時よりも、悲しかったです。資金源と書かれるのだけは納得行きませんでした!すみません。自分のことで。」
この話題の裏側を考える
かつて高知東生容疑者が覚せい剤で逮捕された時、『とくダネ!』の番組で小倉智昭氏は「覚せい剤を買うお金だって、どっから出てるんだって思うと、悲しくなるよねえ」とコメントしていました。もし、今回の庄司哲郎容疑者と全く接点がなかったら同じことを言っていたかもしれません。しかし、今朝の『とくダネ!』では、最後は涙をこらえて必死に週刊文春の報道に対して反論していました。
長いこと芸能界にいて、ある程度の地位を築いて、もうお金や仕事の心配がなくなると、才能があるにも関わらず売れないでくすぶっている人をみると、ついつい手助けや援助をしたくなるのもわかります。そして、このような報道のMCをやっているといろんな事件に対して、ある程度厳しい言葉を言わなければならない場面もあるかと思います。週刊文春も話を大きくしたり、見出しをキャッチーな感じにしたりと必死でしょうから、今回の事件と小倉智昭氏の関わりは仕方ないことだったと思います。
ただ、小倉智昭氏はそんなつもりが毛頭なかったとはいえ、結果的に小倉智昭氏の計らいで覚せい剤を入手したのもまた事実だと思います。もらい事故のような感じで可哀想ですが、でもちょっと支援の額が多すぎた気がしますね。それと、誕生日プレゼントのお礼にいくらなんでも30万円を渡すのは一般常識からしたら無理があると思います。小倉さんの言葉を信じれば、100万円以上も価値のある物をプレゼントするほうもするほうだと思いますし、だからといって誕生日プレゼントのお返しに現金はないですよね。その辺が小倉さんの言っている”甘さ”だったと思います。 
小倉智昭の逮捕俳優へのメールを週刊文春!作り話ととくダネ!で否定 9/8
9月1日発売の週刊文春で報じられた「覚せい剤逮捕俳優は小倉智昭が資金源だった」という記事に対して、当日の『とくダネ!』(フジテレビ系)で涙目になりながら「資金源と書かれるのは納得いかない」と述べた小倉智昭氏(69)。それから一週間後の今日、またしても週刊文春が今度は第2弾として資金源となった証拠メールを掲載していたのです。まるでベッキーとゲス川谷のLINEを思い出しますが、それに対して本日の『とくダネ!』で小倉智昭氏は「作り話だった」と説明しています。一体どういうことなのか、証拠メールの全文と共に詳細をご覧下さい。
週刊文春が掲載した小倉智昭が逮捕の庄司哲郎へ送った証拠メール全文
小倉智昭氏の主張としては逮捕された庄司哲郎容疑者へのお金はあくまで庄司哲郎容疑者が描いた「絵」に対する対価。しかし、9月8日発売の週刊文春を読んでみると覚せい剤で逮捕に至った庄司哲郎容疑者への”お金”は、日常的な生活費としての”送金”だったように思えます。以下、小倉智昭氏が2013年2月頃に庄司哲郎容疑者へ送ったとされるメールをご覧下さい。かなり生々しいメールですが、今日のとくダネ!で小倉さんが喋った内容と併せて読むと、徐々に事の真相が見えてきます。
「ところで相談です。昨年11月に国税の査察が入りました。前回の練馬税務署の時よりかなり厳しく、逃げられなくなりました。問題はあなたを始め、事務所のB、姉、プロゴルファー、スタジオの手伝いなど、月々の送金が槍玉にあがりました。最近は通帳に送金先が記入されるため、言い訳ができませんでした。とくにあなたへの送金が長く、額も相当になるため、あなたの所得にする、との見解でした。そうなると、過去の所得税、地方税、重加算税、延納税など、多額の請求があなたに行きます。そこで、国税に務める知人に間に入ってもらい、あなたの窮状を訴え、あなたへの請求が及ばぬよう、贈与税で私の負担にしてくれと申し入れをしていました。その結果、あなたへの分を含め、およそ一億の納付請求の通知が届きました」(週刊文春 2016年9月15日号)
このメールの内容は週刊文春ではガラケーの画面のスクリーンショットも掲載されていましたので、おそらく本物のメールだと思われます(後に小倉智昭氏本人もとくダネ!で認めてました)。このメールの内容を見て、弁護士で税理士でもある長谷川裕雅氏によりますと、メールに書かれている「1億円」の追加超税額から逆算するに、逮捕された庄司哲郎容疑者への送金総額は2億5,000万円以上だった可能性があるとのことです。さらに国税庁関係者の話ですと、そもそも国税庁の調査が入ったということは、それなりに大きな額の脱税疑惑をもたれたという証拠であり、庄司哲郎容疑者への送金額は年間にすると1,000万円〜2,000万円の可能性もあるそうなのです。これが本当ならとんでもない額を送金していた事になりますね…(汗)。さらにメールは続きます。
「恥ずかしい話、私の個人預金は少ししかありません。皆への送金は大盤振る舞いの私の悪い癖で、○○(※小倉の妻の実名)も全く知らないことです。もし相談すれば、離婚になりかねません。家が差し押さえになれば、路頭に迷ってしまいます。勿論、時計や絵を売るつもりですが、森本さん(※洋画家・森本草介のことか)の絵を売買した時の経緯から、かなり不足だと思います。最悪の場合あなたから預かった絵で助けてもらうことは可能でしょうか?鑑定書もありませんし、どれくらいの評価になるかわかりません。当然、持ち主はあなたですから、査定ができたら相談します」(週刊文春 2016年9月15日号)
小倉智昭氏の知人の話によりますと、当時小倉氏は資金援助の担保として画家だった庄司哲郎氏の父親が持っていた「梅原龍三郎」や「棟方志功」の絵を預かっていたそうです。普通は数千万円もの価値があるそうです。しかし、事務所の資金繰りが厳しくなった時にそれらの絵を鑑定に出した所、すべて贋作だと分かり相当ショックを受けていたそうです。この事については、最後に触れますが、9月8日の『とくダネ!』でも小倉智昭氏本人が同じような内容を語っていました。絵が贋作だった事もあり、庄司哲郎容疑者との関係を修復するために今後は送金をやめるとメールを送ったそうです。そして、そのメールは以下のように締めくくられています。
「最近、とくダネ!の視聴率が悪く、番組も先が見えてきました。私の支援もいつまでやれるかわかりませんが、あなたには頑張ってもらい、独り立ちしてほしいです。本当にみっともなく、恥ずかしいお願いです。考えてみてください。先週末は弾丸ツアーでチェコのプラハに行き、今週末は大阪でライブの司会。老骨に鞭打って頑張ってます。」(週刊文春 2016年9月15日号)
週刊文春の取材に小倉智昭が対応
先週は週刊文春の取材に対して対応しなかった小倉智昭氏ですが、今回は自宅のインターホン越しに週刊文春の取材に応じたそうです。月50万円の仕送りを長期間続けていたことが庄司哲郎容疑者が逮捕された覚せい剤の資金源になったのではないかという問いかけに対し、以下のように答えていました。
「僕のほうには、しっかりしたデータも残ってますし。彼のほうの、それ(送金)に対する絵とかもたくさんあるんです。ですから、それを分割で支払ってたんです。そういう形になってるんですけど。絵に対して対価を支払ってたんですよ、僕。すみませんけど、事務所を通じて聞いてください。フジテレビとか事務所の意向で、これ以上お答えできない。お引き取り願えますか?これだけきちっと対応しているんで」(週刊文春 2016年9月15日号)
その後、週刊文春は事務所を通じて小倉智昭氏に取材を申し込んだそうですが、期限を過ぎても連絡はなかったそうです。本人も言っているように事務所やテレビ局の意向もあるでしょうから、この件についてはこれで終わりかな…と思っていた矢先、本日9月8日の『とくダネ!』でまたしてもこの件について小倉智昭氏自らが言及したのです。そして出てきた言葉が「すべて作り話です」だったのです…。
この話題の裏側を考える
小倉さんの言い分としては、今回のメールは、庄司哲郎容疑者に独り立ちしてしっかりして欲しかったという気持ちを込めた作り話だと言うのです。税務署が来たとか追徴課税の話はでっち上げだそうです。小倉さん自身も週刊文春の記事を見るたびに「ひでぇヤツだな」と思ったそうですから…。
芸能界ですから、勿論すべて本当の事を正直に言っているとは思えませんが、小倉さんが庄司容疑者の絵の才能を認めて、援助してあげたいと思い、手厚いフォローをしていたというのは間違いなさそうですね。そして、まさかその人が覚せい剤に手を出して逮捕されるなんて夢にも思わないでしょうし…。変化に気づかなかったのが悪いとか、援助し過ぎ!という声が上がるのも分かります。いくら名画の担保があったとはいえ月50万円の送金ははちょっと多すぎですね…。ま、これで小倉さんも懲りたことでしょう(笑)。今回の件でとくダネ!降板とかならないことを祈ってます。