世界動乱「序曲」 イギリスEU離脱

イギリス EU離脱決断

世界中 右往左往
世界動乱の序曲になりかねない

洋の東西 人は本音で生きたいか
 


 
 
 
 
欧州連合からのイギリス脱退 (ブレグジット・Brexit)  
時代を遡れば1975年に、欧州経済共同体(EEC。欧州連合(EU)の前身。)加盟存続の可否についてイギリスで国民投票が行われた。この時の投票では「イギリスはEECの加盟国であり続ける」が上回った。
時代が変わり、世界情勢やイギリスの状況も変わった2015年10月に政治戦略立案家のマシュー・エリオット(英語版)とドミニク・カミングス(英語版)によって党横断キャンペーンとして設立されたVote Leave はBrexitを推進する中心的組織となり、労働党および保守党のメンバーから広範囲の支持者を得た。そして2015年欧州連合国民投票法(英語版)が成立し、イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票が2016年6月23日に実施されたところ、「EU離脱」への投票数が、「EU残留」への投票数を僅差で上回った。この投票結果を見て、イギリスの政治家や国民らも、EU中枢部も、EU加盟諸国も、またイギリスに支社や工場や販売先などを持ち経済活動を行っている世界各国の企業も、Brexitが実際に行われることはほぼ間違いなくなったと理解し、本格的な分析・思案を開始し、様々な対応や対策をとることになり、EU中枢部とイギリスの間でも、またイギリス議会内でも、離脱のより具体的な形をめぐって激しい駆け引きがおこなわれており、それらは現在も進行中である。  
歴史
イギリスは、1957年にEECを創設したローマ条約の当事国ではなかった。後に、イギリスは、1963年と1967年にEEC加盟を申請したが、いずれもフランス大統領シャルル・ド・ゴールにより拒否された。ド・ゴールがフランス大統領を辞任すると、イギリスは3度目の加盟申請を行い、ようやく認められた。1973年1月1日にイギリスはEECに加盟し、広く共通市場としてイギリスを開放した。このことはエドワード・ヒースの保守党政権下で行われた。ハロルド・ウィルソン率いる野党の労働党は、EECのイギリス加盟問題を再交渉しそのままEECに残るか国民投票を行うことを公約として1974年10月イギリス総選挙に臨んだ。
1975年の国民投票
1973年のエネルギー危機(英語版)は、多くの西側諸国にとって経済問題の原因となった。
1975年にイギリスはEECに留まるべきかを問う国民投票を行った。しかし与党の労働党内部に重大な意見の相違があり、1975年4月26日一日の党大会(英語版)において脱退賛成は2:1という結果に終わった。内閣は強硬な欧州容認派の(英語版)の閣僚と強硬な欧州懐疑派の閣僚に分裂していた為、ハロルド・ウィルソンは内閣の共同責任(英語版)の憲法上の慣例(英語版)を延期し、閣僚が自己の立場を公にすることを認めた。23人いる閣僚の内7名が、EEC加盟に反対であった。
1975年6月5日、有権者は「イギリスは欧州経済共同体(共通市場)に留まるべきと考えるか」という問題に賛成か反対か投票することを求められた。シェトランド諸島とアウター・ヘブリディーズを除きイギリスの全ての行政カウンティは、「賛成」が過半数を占めた。投票結果に合わせてイギリスはEECに残留した。
更なる展開
野党の労働党は、EECから脱退する公約で1983年イギリス総選挙を戦った。マーガレット・サッチャーの保守党政権が再選されて大敗した。その後労働党は政策を変更した。
マーストリヒト条約の結果、EECは欧州連合になった。マーストリヒト条約の採択に向けて労働党議員ジェレミー・コービンはこの条約は主権国家の政権の経済政策から独立している欧州中央銀行(ECB)が加盟国の民主主義を損なうと言いながら民主的なアメリカ合衆国の方向性にEU加盟国を進めることはないと考えた。コービンはECBの最初の政策の優先順位が物価の永続性を維持しECBがユーロの創設がEU加盟国に対する「銀行家の欧州」を強制すると付け加えながら銀行家により配置されていると主張した。
国民投票党(英語版)はイギリスのEU加盟に関する国民投票を行うことを政策綱領にして1997年イギリス総選挙を戦うジェームズ・ゴールドスミスにより1994年に創立された。この選挙で547選挙区で候補者を擁立し、8708601票を獲得した。505選挙区で(ゴールドスミスが提供した)供託金を失いながら票が拡散したために小選挙区で勝つのに失敗した。
欧州懐疑主義政党イギリス独立党(UKIP)も1990年代初頭に創立された。イギリスで2004年欧州議会議員選挙で第3党に、2009年欧州議会議員選挙で第2党に、2014年欧州議会議員選挙で第1党に躍り出た。この最後の選挙は、労働党や保守党より他の政党がイギリス全土の選挙で最大の得票率を取った1910年総選挙(英語版)以来初めてであった。  
2016年国民投票へ向けた動き
2012年、イギリスのデーヴィッド・キャメロン首相は、イギリスのEU加盟問題に関する国民投票を求める声を拒否したが、公共の支援を判断する将来の国民投票の可能性を示唆した。BBCによると、
「 首相は欧州連合内のイギリスの位置を確実にする必要性に「イギリス国民の真剣な支持」があることを認めたが、国民に「戦術的かつ戦略的な忍耐」を求めた。 」
2013年1月、キャメロンは2015年に選出されれば再交渉する一括提案に関して2017年末までにEU加盟に関する国民投票を行うと発表した。
デーヴィッド・キャメロン率いる保守党は、2015年総選挙に勝利した。その後間もなくして国民投票を可能にする2015年欧州連合国民投票法(英語版)が、議会に提案された。自身は改革された欧州連合への残留を支持しながらも、キャメロンは保守党の閣僚や議員が自身の良心によりEUに留まるか脱退するかを選択して選挙に臨めると発表した。この決定は党所属の閣僚向けの良心投票(英語版)の為に増大する圧力に続いて行われた。加えて内閣共同責任(英語版)の通常の規則の例外としてキャメロンはEU脱退に向けて公然と運動することを閣僚に認めることになる。
2016年2月22日のイギリス議会下院(庶民院)での演説でキャメロン首相は「2016年6月23日付の国民投票(イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票)」を発表し「リスボン条約第50条」を引用しながら脱退する国民投票多数派となった場合に欧州連合から脱退する法的枠組みを設定した。キャメロンは脱退票に基づいて速やかに第50条の施行をする目的や脱退に向けた協定を交渉する「2年に限った活動」について語った。英国の人口の52%がEUを離れることに賛成票を投じた。  
2016年国民投票(直)前の諸意見
世論
イギリスがEUを脱退すべきか留まるべきかという公の意見は様々だが、投票は一般に僅かに残留に多数派を示していた。2015年10月の投票に関する分析は、年配の人に脱退を支援する傾向が見られるのに対して若い人はEUに留まることに賛成する傾向が見られることを示していたが、性別による差異は見られなかった。
離脱支持団体
EU脱退に賛成する公式の運動団体としてVote Leaveが活発な活動を行った。他にも離脱支持団体は多数あったが、主要なものとしてはLeave.EUやGrassroots Out、Better Off Outなどがあった。
米国大統領による要請表明
アメリカ合衆国大統領バラク・オバマはテレグラフ紙への寄稿で、EUを脱退しないようイギリス人に要請し、「イギリスがEUを脱退する為に投票するなら、イギリスはアメリカ合衆国との新たな貿易合意を結ぶために「列の後ろに」並ぶことになる」と警告した。これに対し両派それぞれの中で激しい議論が巻き起こった。  
2016年国民投票の実施と開票
イギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票は2016年6月23日に実施され、 開票の結果、残留支持が16,141,241票(約48%)、離脱支持が17,410,742票(約52%)であり、離脱支持側の僅差での勝利となった。投票率は約72%であった。  
2016年国民投票後の動き
2017年3月29日、英国首相テリーザ・メイはEUから正式に離脱するために欧州連合基本条約(TEU)第50条を発動した。これに際し英国側の全権大使がEU大統領ドナルド・トゥスクへEU離脱を告げる一通の手紙を渡した。その手紙には「英国国民の総意に従い、TEU第50条が発動された。英国は欧州連合を離脱する。」などといったことが書かれてあった。
2017年6月に行われた総選挙直前の時期には残留を支持する有権者は2割程度になった。EUからの離脱支持は45%。国民投票では残留に投票したが「政府には離脱する義務がある」と考える層が23%に上り、離脱納得が68%である。2017年の総選挙において主流な政党で唯一EU残留と2度目の国民投票実施を公約に掲げた自由民主党 (イギリス)は前回選挙の時の7.9%から7.3%に得票率が減少した。
マイケル・フィニスィーの「ピアノのための第三政治路線」はこれを批判して書かれ、残留を支持する大学の構内で初演された。  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ユーロ圏経済の現状 
ユーロは経済に大きな影響を与える通貨の一つです。
ユーロ経済圏とは欧州連合(EU)加盟国のうち、欧州統一通貨ユーロを使っている国々のことです。現在、17ヶ国(オーストリア、ベルギー、キプロス、エストニア、フィンランド、フランス、ドイツ、ギリシャ、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、マルタ、オランダ、ポルトガル、スロバキア、スロベニア、スペイン)がユーロを通貨として利用しています。
欧州連合(EU)加盟国の中でも、イギリスやスウェーデンのようにユーロを導入していない国もあります。これらの国は、非ユーロ圏と呼ばれます。
ユーロはドル、円と並ぶ国際的な通貨です。ヨーロッパ諸国では共通通貨としてユーロに統一しましたが、全ての国が恩恵を受けたわけではありません。いくつかの国が連合体で共通の通貨を使うのは、本来の自国の通貨を失うことになります。
自国の通貨を失うということは、簡単にいうとその国の国家が自国のお金の価値や、強制権を持ち発行する権限を無くすことです。国のインフレやデフレなどの経済の変動にすぐに対応できないことです。
さらに統一通貨にしたために経済格差も生まれました。景気のいい所で同じ価値の通貨を使う人が増え、景気の悪い国では使われなくなり、さらに格差が広がりました。単純に同じ価値のお金を流通したり資産運用するのなら、経済環境の良いところで運用するのは当たり前の考えです。
結果、ユーロで統合した諸国の中でドイツやフランスなどの経済が活発な国と、その他周辺諸国での経済が滞り、財政が苦しい国とに分かれる弊害が出てしまいました。通貨の統合時に財政統合も一緒に行い、各国間の公平・不公平差を正すことが必要だったといわれています。 
 
ヨーロッパの地域統合
ユーロの誕生によって、ユーロ加盟国内は同じ通貨を使用できる非常に便利な時代になりました。
問題が噴出のユーロ
人類が経験した2度に渡る不幸な戦争の反省から、ヨーロッパが再び戦争を起こさないように、ヨーロッパの地域統合が盛んに話し合われるようになりました。結果として、今日のヨーロッパ連合が誕生するわけですが、ヨーロッパ連合は国境をビザなしに自由に移動できるようにしていきました。
この自由な人の移動は、財やサービスの移動も活発にさせました。結果として、地域統合の象徴として通貨も統合していく必要に迫られ、ユーロが誕生することになります。
このユーロは、第二次世界大戦後直ちに始まったヨーロッパの地域統合とは違い、紆余曲折をしながら、ようやく1999年にスタートしました。ただし、これは決済用の仮想通貨です。それまではヨーロッパ各国がフランやマルク、エクイード、ドラクマなど、各国ごとに通貨を発行していました。ユーロの誕生によって、ユーロ加盟国内は同じ通貨を使用できると言う、非常に便利な時代になっていきました。
しかし現在、このユーロ、非常に多くの問題が出てきています。ヨーロッパの多くお国々は経済規模が全く違います。例えばフランスやドイツなど、経済的に豊かな国であれば対して問題になりませんが、アイルランドやスペイン、ギリシャなど、経済力の弱い国は、徐々についていけない状態になってきています。
この困難を克服してこそ、ヨーロッパは真の意味で統合されるものと考えられますが、でもその道は前途多難です。このままでいくと、もしかしたら、ユーロが無くなってしまうかもしれません。その時、日本経済にはどのような影響がでるのでしょうか。 
 
ユーロ圏経済 / ギリシャ編
ギリシャはヨーロッパ文明の発祥の地と言われています。
ギリシャの国家債務の隠ぺい
最近ワイドショーで話題になる、ユーロ圏の話と言えば、ギリシャの話ではないでしょうか。ギリシャはヨーロッパ文明の発祥の地と言っても過言ではありません。ポリス(都市国家)の連合体であったギリシャは、その後マケドニア王国に征服されるまで、統一国家を形成することはありませんでしたが、さらにその後、ローマ帝国に支配されていきます。結果としてローマ、この場合、東ローマですが、東ローマの公用語がギリシャ語になるくらい、文化の中心であったことは間違いありません。
このギリシャですが、今日、さまざまな問題を抱えています。これは豊を享受し続けたが故の悩みなのでしょうか。わたしたちがギリシャと言えば、観光が有名であると思います。パルテノン神殿などは世界遺産に登録され、毎年多くの観光客が訪れます。世界的に見て、中東など、天然資源が豊富でない国が収入を得るための資源を獲得するのは非常にうらやましいと言えます。これは観光資源になりますが、観光資源で食べていけるのはギリシャ以外、エジプトや中国などではないでしょうか。
このように恵まれた国ですが、公務員の比率が高く、新民主主義党が行ってきた国家債務の隠ぺいが、全ギリシャ社会主義運動のゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ新政権に2009年10月に政権交代してから発覚しました。
このことによって、ユーロ加盟の条件がクリアできなくなる可能性が出てきてしまい、日本のワイドショーをにぎわせる大きなトピックになっていくことになるのです。 
 
ユーロ圏経済 / フランス、ドイツ編
ヨーロッパにはフランスやドイツなど、経済力の強い国々が存在します。
ドイツとフランスの経済問題
ギリシャが大変な事態に陥っている中で、以前から問題となっていたアイルランド、そして、スペインやイタリアまで、もしかするとユーロ圏を離脱しなければならないほどの大変な問題を抱えているのではないかという報道がなされるようになりました。
ヨーロッパと言えば、経済力が強い国々が軒を連ねています。例えばドイツ、世界第4位です。次いでフランス、第5位です。さらにイギリスが7位で8位がイタリア、少し順位が落ちますが、12位がスペインです。アジアの経済力を見てみると、中国と日本が2位と3位を保持していますが、他のアジアの国はインドが11位にランキングされているくらいで、これほど多くの国がランクインしている地域は少ないのではないかと思います。ちなみに、北米はすべての国がランクインしています。アメリカ1位、カナダ10位ですね。
今回はユーロ圏の話です。そうすると、意外と勘違いする人が多いですが、イギリスはユーロ圏ではありませんので、この話から外れてしまいます。ドイツとフランスの対応が、ユーロ圏の維持には非常に重要となってくるのです。
このドイツとフランス、お互いに色々な経済問題を抱えています。ドイツは特に、構造上の問題が大きいとされています。労働市場の柔軟性の無さ、持続的に続く失業率の高さ、硬直的になってしまう、官僚的な法令、これは新規にビジネスを始めようとしている企業の重荷になってしまっています。
一方フランスは、混合経済体制の影響が色濃く残っており、主だった企業、つまり、ルノーやフランス電力公社、フランスガス公社などが該当しますが、主要株主がフランス国家というものになっています。これは、株式市場の活性化の妨げになっていると言われています。 
 
拡大し続けるユーロ圏
ヨーロッパには、経済大国の国もあれば、そうではない国も存在します。
ユーロの厳格な基準
ユーロ圏はもともと、ヨーロッパ連合の中で、地域を自由に行き来した時に困らないように、通貨も統合しようという発想から生まれたとも言われています。ただ、前にも書いた通り、ヨーロッパは経済大国の国もあれば、そうではない国も存在します。
突然経済規模の違う国が一緒になってしまったら、経済力の強い国に経済力の弱い国が呑み込まれてしまう危険性があります。また、経済力の強い国にとって、経済力の弱い国を吸収してしまうということは、国内経済の混乱を招き、自国経済を失速させてしまう結果ともなりかねません。
このようなことから、ユーロを使用する場合、各国に厳格な基準を設けて参加する仕組みを作っていくことになりました。どのような基準かというと、インフレーション率、政府財政水準、為替相場の状況、長期金利などの収斂基準がこれに該当します。また、ユーロ導入前には、物価の安定性、政府の財務状態、為替相場の状況、長期金利の水準などをきちんとしておく必要もでています。
このように厳格な基準が設けられてはいますが、ヨーロッパを一つの市場とし、その地域統合に協力した方が、自国にとってメリットが大きいと考えるヨーロッパの国々は非常に多いと言えます。1998年に導入、正式にスタートしたのが1999年になりますが、加盟国は11か国でした。それが次第に増えていき、現在では17か国、人口3億2600万人を擁する経済圏となっていったのです。今後もどんどん拡大がみこまれています。 
 
ユーロに加盟しない国、イギリス
イギリスはEUには加盟していますが、ユーロには加盟していません。
貨幣にはエリザベス女王の肖像
先ほど多少書きましたが、ユーロに加盟していない国に、イギリスがあります。ただイギリスはヨーロッパ連合であるEUには加盟しています。どうしてこのような現象が起こるのでしょうか。そこには複雑なヨーロッパの歴史があります。
第2次世界大戦で、国家社会主義労働党、いわゆるナチスドイツと勇猛に戦ったイギリスですが、その前にも、フランスやスペインなどとの戦いでも、イギリスがいただいていたのはロイヤルの王冠でした。いまでもそれは変わりません。産業革命発祥の地と言われ、その工業力によって、スペインの無敵の艦隊を破り、7つの海を支配したイギリスでは、名誉革命という形で、王制を残していきました。王制を倒したフランスとは大違いですね。
このイギリスの王様、皆さんもご存知、エリザベス女王ですが、英連邦の国の国家元首になっています。英連邦って皆さん聞いたことありますでしょうか。例えばカナダ、オーストラリア、ニュージーランド、現在、約54か国が加盟しています。こうした国々の国家元首、例えばオーストラリアの国家元首はエリザベス女王だったりします。現在でも使用している貨幣にエリザベス女王の肖像画描かれていたりしている英連邦の国もあります。イギリスでは当たり前のように貨幣にエリザベス女王の肖像が描かれています。
これだけ有名で思い入れのあるエリザベス女王の肖像が、もし、ユーロに加盟してしまうと無くなってしまいます。イギリス国民はこのようなことを受け入れること、できなかったのではないでしょうか。ということで、イギリスはユーロに加盟していないのです。 
 
通貨統合は地域経済活性化のカギ!?
観光など、地域統合は様々なメリットをもたらしました。
ヨーロッパは小国が乱立
ヨーロッパ連合は、不幸な2度に渡る戦争を乗り越えて、ヨーロッパが一つになりたいという人々の願いを込めてヨーロッパ石炭鉄鋼共同体からスタートしました。そしてマーストリヒト条約が1993年に発効し、今日のヨーロッパ連合の形になり、人やモノの移動が自由にできるようになると、今まで国単位で様々な政策を行ってきましたが、企業が産業などの政策を国をまたいで簡単に実施することができるようになりました。また、人々も自由に各国を行き来することができるようになりました。
例えば、夏にはスペイン、イタリアに観光するなどというものも、とても楽になりました。このようなことからも分かるように地域統合は様々なメリットをもたらしました。もちろん、デメリットもあります。
こうしたメリットをより享受するためには、一つ、ボトルネックになっていることがあります。これも以前指摘しました。それが通貨です。ヨーロッパは小国が乱立しています。このため、鉄道で1時間も行けばほかの国ということも珍しくありません。つまり、目的地に行くまで、数か国を経ることになります。すると、途中下車などした場合、多くの国のお金を持ち歩かなければいけません。すると、おのずと、途中下車などはしないで、目的地まで乗車していくということになります。これは通過されてしまう国から言えば、非常にもったいないと言わざるを得ません。
もし、通貨が統合されていれば、このようなことは起こらないのかもしれません。地域通貨統合は地域経済活性化のカギとなるのです。 
 
世界を地域統合の観点で考える
地域統合として、北米自由貿易協定(NAFTA)やASEAN(東南アジア諸国連合)もあげられます。
北東アジア共同体構想
この地域統合、ヨーロッパで様々な試行が行われていますが、決してヨーロッパだけで行われているわけではありません。先ほども書いたように、地域通貨統合のメリットは非常に大きく、地域通貨統合をするための前提として、地域統合が必要になります。この統合、ヨーロッパ連合のように徹底的に行うことは、非常に難しいのですが、経済連携ということで、多くの組織が存在します。
どのような組織が存在するのかと言えば、例えば北米自由貿易協定(NAFTA)が有名で、アメリカ、カナダ、メキシコが署名し、1994年に発効しました。また、身近なところで言えば、ASEAN(東南アジア諸国連合)が有名です。これはヨーロッパ連合に近いものと言えるかもしれません。加盟国はインドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジアなどです。オブザーバーにはパプアニューギニア、東ティモールなどがあげられます。
実は、日本も、今、地域統合をしようという議論が沸き起こっています。これが北東アジア共同体構想です。日本のアジア侵略という負の歴史を乗り越えて、地域の安定的発展のために統合しようという発想です。しかし、実現までにはその道のりが非常に遠いと言われています。なぜかと言えば、東西冷戦下で対立していた人々が手を組むからです。
いずれにせよ、多かれ少なかれ、世界的に地域統合を行うことによって、スケールメリットを生かし、安定的な発展をしようとする地域間連携の流れが非常に多くなってきています。
究極的には、世界は一つ、そんな日が来てしまうかもしれません。 
 
円元圏構想
アジアは今、世界の成長センターです。
日本経済と中国経済
アジアは今、世界の成長センターであり、中国経済の成長は著しいと言えます。この中国の貿易のウェイトが高い国が日本です。
昔のような輸出と違い、自国メーカーが相手国に輸出をして利益をむさぼるという構図から、最も安く生産できる場所で生産を行う、つまり、生産の一部を外国で行うという手法が主流となってきました。このため、日本からの輸出は部材が多く、中国から輸出されるものは完成品が多いという現象が生まれます。この完成品は、日本だけではなくてアメリカやヨーロッパにも輸出されます。結果として、中国の輸出量が増えれば増えるほど、日本が儲かるという仕組みが出来上がってきました。
政治と経済は別物です。様々な政治宣伝が行われていますが、実際、中国の国家経済に対する貿易依存度は高く、日本なしではこの貿易モデルは完成し得なくなってきています。従来、日本の経済力によって自国が支配されるのを嫌った中国は、円をアジアの基軸通貨とすることに反対してきました。しかし、現実的に日本経済と中国経済が緊密となると、自国の通貨と円をリンクさせた方がより得だと考えるようになってきています。
結果として、円元構想という通貨統合構想が生まれていくことになります。 
 
ユーロが解体したら世界はどうなるか
ヨーロッパの地域統合で、経済状態が悪化した加盟国が出始めています。
ヨーロッパ経済の危機
ヨーロッパの地域統合、ヨーロッパ市民の悲願だったということは先ほども書きました。この地域統合、実は今、危機に瀕しています。どのような危機に瀕しているのかというと、経済状態が悪化した加盟国が出てきているからです。
この加盟国がそのまま経済破綻してしまい、地域統合でリンクしているヨーロッパ連合の国々、特にユーロでつながる国々への影響は非常に大きいと言えます。なぜなら、ドルや円とユーロは外国為替市場で取引が行われているため、ユーロの価値が、ユーロ加盟国の破たんによって、極端に下がり、結果としてユーロ加盟国である、他の経済力のあるドイツやフランスなどに影響を与え、ヨーロッパ経済が危機を迎える可能性があるからです。
この危機は対岸の火事ではありません。日本については後ほど書きますが、アメリカもそうですし、ヨーロッパが上顧客の中国、資源を供給している中東、様々な国に影響を与えます。つまり、アメリカを発端として以前起こった、世界恐慌のようなものが起こる可能性を示します。これは皆さんがご存知の通り、その後、世界を保護貿易主義にはしらせ、植民地の少なかったドイツ、イタリア、日本はアメリカやイギリス、フランスを相手に戦争をしかける、つまり、世界大戦になってしまう可能性をはらんでいます。
なんとしても、この事態だけは避けたいものと、世界銀行をはじめ、多くの国々がユーロ解体を望まず、ユーロ圏を維持できるようにしたいと望んでいるのです。 
 
解体を阻止しようとするユーロ加盟国
ユーロ圏の解体は、世界経済が大混乱を招く恐れがあります。
支援方法を巡っての温度差
先ほど書いたことからも分かるように、ユーロ圏の解体は、世界経済が大混乱を招く恐れがあります。このため、世界的な要請もあり、また、ユーロ圏の域内からの要請もあり、ユーロ加盟国はユーロ圏解体を阻止しようと懸命になっています。ただ、この解体阻止という点では共通しているものの、その阻止の方法、つまり、経済破綻寸前の国への支援方法を巡っては温度差が生じています。
例えばギリシャの例でいうと、ユーロ圏の財務相会合で、ヨーロッパ連合と国際通貨基金によるギリシャへの追加支援1300億ユーロの実施が決まりました。これは今年の話です。これでギリシャ国債のデフォルト、つまり、債務不履行は回避できましたが、ギリシャに対して厳しい緊縮財政を求めるものでした。例えば公務員削減など、公務員比率の高いギリシャでは相当反発がありました。
こうした状況を見てか見なくてかドイツでは湯水のごとく自国の資金が使われるのを阻止するため、ギリシャに財政政策を巡る決定権委譲を要求したり、積極的に支援しようとするフランスがいたり、支援は各国によってその温度差があります。
ユーロ解体阻止で一致するユーロ加盟国ですが、その支援を巡って、自国民への支持取り付けのために、様々な妥協案を模索しているようです。このような模索の結果、ユーロ圏が解体しないようにしていこうと、各国は必死にもがいているというのが現状ではないでしょうか。
いずれにしても、良い結果が出ることが世界からも望まれています。 
 
ユーロがなくなった場合の日本経済への影響
突然ユーロが消滅してしまったらどうなるでしょうか?
世界の基軸通貨は今でもドル
先ほども書いたように、ユーロは外国為替市場で日本円との取引が行われています。もし、突然共通通貨であるユーロが無くなった場合、これはいくつかのシナリオが考えられると思いますが、大変なことになります。考えられるシナリオとしては、ユーロが突然消滅してしまうと考えるもの、ユーロが解体して以前のように各国が独自通貨を持つというシナリオ、ユーロが経済力のあるドルに吸収されてしまうというシナリオが考えられます。
まず、突然ユーロが消滅してしまったらどうなるでしょうか。今までヨーロッパと貿易がある国、日本は、突然持っている貨幣が紙くず同然になってしまいます。すると、財政が今まで以上に加速度的に悪化してしまうことも考えられます。ただ、このシナリオは現実的にはあまり考えにくいシナリオになります。次に、ユーロが解体して元の通貨を各国が使うようになった場合どうなるでしょうか。日本の外国為替市場が混乱します。と言いますか、10年以上、カムバックしてしまう感じになるのでしょうか。
そして最後に、ドルに吸収されてしまうというシナリオですが、これは実現すると、結構日本によって良い影響が生まれるかもしれません。
世界の基軸通貨は今でもドルです。このドルをヨーロッパも使えば、日本にとって、貿易は非常にしやすくなると考えられます。ある意味でこの発想は地域統合の拡大版で、良い結果を生むかもしれません。ただ、反対する国も多いかもしれませんが。そして、その延長線上に日本も通貨統合してしまうなんていうシナリオがあります。ユーロが無くなることが、日本経済にとってプラスになる場合もありますので、このような場合には政治家にきちんとした対応を望みたいものです。 
 
金融の国イギリス 
イギリスは金融立国として日本政府もお手本にしています。
イギリスといえば社会の教科書にも産業革命発祥の地と紹介されています。1666年にはロンドンで金の先物市場を設立するなど、金融についても最先端を行ってました。19世紀には世界の覇権を握る国家でした。
しかし、第二次大戦後は、充実した社会保障制度(大きな政府)にあぐらをかき、国家レベルで衰退し英国病といわれるほどの経済停滞を招きます。
そして、1976年には、遂に政府が財政破綻し、IMFから融資を受けるまでに陥りました。その後、先ほど亡くなられた、鉄の女、マーガレット・サッチャー首相による新自由主義政策(小さな政府への変更)が行われ、イギリス経済は活力を取り戻し始めました。
サッチャーがイギリス初の女性首相に就任したのが1979年です。イギリス病と呼ばれるほど疲弊していた、経済の立て直しを行いました。国の富を生むのは政府ではなく、企業や個人の自由な活動であるべきだと小さな政府を目指し、新自由主義を掲げて徹底した市場経済への転換を図りました。
手厚い社会保障を廃止し、財政支出をカットします。規制緩和を進めると共に、労働組合の強い反対を押し切って、国有企業を次々と民営化しました。
また、2014年から本格的に始動したNISA(ニーサ)のお手本となっているのが英国のISA(Individual Savings Account=個人貯蓄口座)という制度です。1999年4月から導入されて、個人の資産形成を促す制度として定着しています。
イギリスではISAの対象となる商品が日本より幅広いのが特徴です。株式型ISA(株式、公社債、投資信託、保険など)と預金型ISA(預金やMMFなど)の2種類があります。
日本の経済や金融のお手本とされているイギリスの金融政策です。数年後には、ニーサの取り扱い商品もイギリス並になっているかもしれません。 
 
イギリスの銀行
ロンドンのシティは、世界で一番競争力の高い金融街です。
イギリスの4大商業銀行
世界の主要金融街と言えば、誰もがロンドンのシティ、ニューヨークのウォール街、東京の兜町と答えるだろう。そのなかでも、ロンドンのシティは世界で一番競争力の高い金融街である。
そんなシティの中で、中心的役割を果たしているのがイギリスの4大商業銀行といわれる。HSBC、バークレーズ、ロイヤルバンク・オブ・スコットランド、ロイズTSBである。
そもそも、銀行の発祥は1694年大英帝国が軍事資金を調達する為に、シティに設立したイングランド銀行(Bank of England)であるとされている。勿論、銀行の原型の原型ともいえるものは。既に紀元前から存在したと言われており古代エジププトやメソポタミアのバビロニアの遺跡からも見つかっており、日本でも室町時代には両替商の原型的なものがあったようだ。ここで言うのは、あくまで今日私たちが利用している近代銀行の発祥という意味である。
ここまでの社会科のお勉強のような内容を読んで頂くと、イギリスの銀行ってもの凄いんだなと思われることだろう。実際にもの凄いんだろう、きっと・・・。しかしこんなに偉そうぶって熱弁しておきながら今更言うのは気が引けるが、上記の知識は全て文献などを調べて得たものであって、実は私は経済に詳しいわけでもなければ、投資に興味があるわけでもない。正直なところ、世界の金融市場においてイギリスの銀行がどのような役割を果たしているかなど全く知らないのである。
しかし、イギリスに数年住み、日常的にイギリスの銀行を利用している者としての知識は多分に持ち合わせている。そんな私のマメ知識を、これからイギリスの銀行に口座を開設される方や単にイギリスの銀行って日本の銀行とどう違うんだろうと興味をお持ちの方に共有してして頂ければと思い、ご紹介したいと思う。 
 
英ポンド大研究
イギリス人は、英ポンドに強い誇りをもっています。
イギリス人が愛して止まない英ポンド
USドルとユーロを指して、世界の二大通貨と呼ぶそうです。しかし、英ポンドに異常なまでの誇りと執着を持っているイギリス人達は、そんなことは認めてはいません。
ユーロなどは、英ポンドにとって替わることなど出来るはずもないとの考えから、EU加盟国でありながらその導入を見送った通貨です。要するに導入の段階から英ポンドと同じ価値になれるはずもないと考え受け入れられなかった通貨なのです。そして、導入からわずか十年余りで、すでに崩壊の危機に見舞われている通貨なのです。世界2大通貨などとイギリス人が認めるわけがありません。
USドルに関しては、世界の基軸通貨であることは明らかで、イギリス人達も表面上は認めています。しかし、心の奥底では、決して認めてはいません。イギリスが世界を支配した大英帝国の時代、明らかに世界の基軸通貨は英ポンドでした。それが、第二次世界大戦後に米ドルにとって替わられてしまったのですが、イギリス人の心情としては英ポンドが基軸通貨であるのが本来の姿であるのにも関わらず、成金ものにその座を奪われたような気分なのです。また、米ドルと英ポンドの換算レートは2012年11月のレートで1ドルが約0.65ポンド(65ペンス)です。イギリス人から見ると、米ドルは1ポンドにも満たない通貨、1ポンドの価値もない通貨なのです。
今回は、そんなイギリス人が愛して止まない英ポンドについて、色々とお話をしてみたいと思います。 
 
イギリスvs日本の物価対決
日本とイギリスでは、一体どちらが物価が高いのでしょうか?
衣・食・住・遊で比較
「物価の高い国」と聞かれれば、あなたはどう答えますか?世界中でこの質問をぶつけると「日本」「イギリス」を答えとしてあげる人がかなり多いのではないでしょうか。では、実際に日本の物価はそれほど高いのでしょうか。イギリスはどうなのでしょう。
日本に実際に住んでいるあなたはどう思いますか。私は日本を離れ生活をするようになりかなり経ちますが定期的に日本に帰って買いもをしたりする経験からいうと、日本の物価がそれほど高いとは思いません。むしろ、安いと思うこともよくあります。また、イギリスでは実際に日々の生活を送っているわけですが、イギリスの物価が高いかと聞かれれば「・・・高いような気もするし・・・でも、安いような気もするし・・・。」という曖昧な答えになってしまします。
では、その日本とイギリスは一体どちらが物価が高いのでしょう。人が生活するために不可欠な「衣・食・住」に、ストレスの多い現代社会を生き抜く為には、息抜きも衣食住と同等に重要になりつつあるのではないかと思いますので、「遊(遊び・レジャー)」をプラスして四つのことに関して、日本とイギリスの物価を比べてみたいと思います。
また、少しだけ他の国とも比較して、実際に日本、イギリスの物価は世界標準からして高いのかどうかも検証していきたいと思います。ただし、その他の国に関しては、旅行で行った程度であったり、人から聞いた程度の知識ですので異論のある方もいるかと思いますが、一つのものの見方ということでご了承いただければと思います。 
 
イギリスの税金と社会保障
イギリスの社会保福祉制度は、かなり手厚いです。
ゆりかごから墓場まで
第二次世界大戦後のイギリスでは、労働党(Labour Party)が「ゆりかごから墓場まで」(from the cradle to the grave)のスローガンを掲げ社会福祉制度の充実を図りました。そして、国民全員が無料で医療サービスを受けられるNHS(National Heakth Service)やその他色々な福祉制度が誕生しました。しかし、充実した社会福祉制度が、国家財政を逼迫させ為、何度となく見直しが行われました。それでも、いまだにイギリスの社会保福祉制度は他国に比べてかなり手厚いものとなっています。
その社会保障制度の財源はと言うと、大半は税金(TAX)と国民保険(NI=National Insurance)の掛け金です。では、イギリスの税制は一体どのようになっているのでしょうか。それ程の社会福祉制度を維持する為の税金の税率は一体どれくらいなのでしょうか。気になるところではないでしょうか。
イギリスでもやはり日本と同じように、色々な種類の税金があります。法人税、所得税、地方税、消費税、相続税、自動車税などなどです。
今回はそのなかでも、一般の人の生活と特に深くかかわりのある所得税、地方税、消費税の3つの税金と、健康保険制度であるNHS、NI、そしてBenefitと呼ばれている給付金や補助金に関して、お話ししてみたいと思います。
日本でも、消費税率の見直しをはじめ税制の改革が検討されています。これから私がお話するイギリスの状況が、日本の税制改革に関するあなたの考えの参考になれば幸いです。 
 
イギリスの失業者事情
2013年7月の総務省の労働力調査によると、日本の完全失業率は3.9%、年齢別にみると、15歳から24歳までが6.0%となっています。
しかし、世界に目を向けてみると、日本の失業率はかなりの低水準です。財政破たんによりユーロ存続の危機さえもたらしたギリシャなどは、失業率は27%、15歳から24歳までの若年層の失業率に至っては、なんと65%と言う信じられない数字となっています。
同じように、財政破たん寸前とまで言われているスペインに於いても、失業率が27%、15歳から24歳までの若年層の失業率は57%という数字です。
ではイギリスの状況はと言うと、失業率4.3%、15歳から24歳までの若年層の失業率は20%です。他の欧州の水準からいけば、かなり低い数字ではあるものの、日本に比べると高い数字です。特に若年層の失業率に関しては、全年齢層の平均の失業率と比較すれば特出した数字です。
そもそも失業者とは、仕事をする能力があり、本人も就労する意思を持っているにも関わらず、仕事につけない状態の人と定義されています。それ故、仕事をする能力があるにも関わらず、就労する意思のない人の数は含まれていません。
社会保障制度の充実したイギリスに於いては、就労可能であるにも関わらず、就労困難であるかのように装い社会保障をあてに生きている人も多くいます。そのような人まで含めた、就労適齢期(子供や高齢者でない人)であるにも関わらす、就労していない隠れ失業者とでも言う人までも含めると、かなりの数字になるのではないかと言われています。また、それ以外にも多くイギリスならではの問題も抱えています。しかし、それは決して他人事ではなく、近い将来日本でも起こり得るかもしれない問題でもあります。 
 
シティー・オブ・ロンドン 
日本人がイギリスと呼ぶ国は正式には、The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(UK)です。日本語に訳すとグレートブリティン及び北部アイルランド連合王国と言う、イングランド、ウエルズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国から成り立っています。
その中でも、面積、人口をはじめあらゆる面で最大であるのがイングランドなのです。行政上ではイングランドは、リージョンと呼ばれる9の地方に分割されています。Greater London(大ロンドン)は、その9つのリージョンの一つです。そのリージョンの中は、更に日本で言うならば市町村にでもあたるような地方自治体に別れています。
9つのリージョンは全て同格であるとされています。しかし、大ロンドンは面積では他のリージョンに比べ極端に小さいのですが、市長は公選で選ばれ、Greater London Authorit というものが存在し、実質上では地方分権が行われ、その影響力は他のリージョンとはくらべものにならない程大きい特別なリージョンなのです。
大ロンドンは32のロンドン特別区とシティー・オブ・ロンドンから成り立っています。このシティー・オブ・ロンドンは大ロンドンのなかでも他32の特別区とは異なる、特別の特別とでもいうべきエリアです。
そのシティー・オブ・ロンドンが、なぜ特別なのかをお話しします。 
 
現在のシティー・オブ・ロンドン
ローマ人が紀元50年頃にテムズ川北岸に築いた居留地。それを囲む市外壁の内部が現在のシティー・オブ・ロンドンです。
インナー・ロンドン(Inner London)
紀元43年頃にローマ人による、グレートブリティン島侵略が始まったと言われています。そのローマ人達が海から船でのアクセスが容易であるテムズ川に目をつけて、紀元50年頃にテムズ川北岸に居留地を築いたそうです。そして、その地が商業地区として次第と発展していったのが、現在のロンドンの起源と言われています。
中世ごろにはそのエリアは市外壁によって囲まれます。その市街壁内部の街こそが現在のシティー・オブ・ロンドンなのです。街はこの市街部を中心に市街壁外にも、どんどんと広がっていきました。その広がった街が、大ロンドンなのです。その中でも、シティー・オブ・ロンドンを取り囲む12の特別区はインナー・ロンドン(Inner London)と呼ばれています。行政上の区切りと異なり、人々はインナー・ロンドンまでがロンドンでそれより外はロンドン近郊ととらえていることが多いようです。
話をシティー・オブ・ロンドンに戻しますが、前述の市街壁の内部の大きさは、凡そ1マイル四方である為シティー・オブ・ロンドンはスクエアー・マイルと呼ばれることもあります。また、そのたった約1マイル四方のシティー・オブ・ロンドンにイングランド銀行をはじめロンドン証券取引所、ロイズ銀行本店をはじめ世界の主要銀行のロンドン支店もおかれており、金融の街ロンドンの中心をなしていることから、スクエアー・マイルは金融業界を指す言葉として使われることもあります。 
 
なぜシティーは特別なのか?
シティーは、イギリスの中にある独立国家という雰囲気すらあり、とにかく独特です。
City of London Corporation
前述の通り、シティー・オブ・ロンドンは大ロンドン内の1つの行政区です。しかし、他のどこの行政区とも異なった独特のエリアで、まるでイギリスの中にある独立国家と言うか、あるいは、地方自治体でありながらイギリス中央政権すら牛耳る存在と言うか、とにかく独特なのです。では、何がそれほど独特であるかを見ていきます。
シティー・オブ・ロンドンの地方自治は City of London Corporation が執行しています。この City of London Corporation の長は Lord Mayor of the City of London であり、任期は1年。毎年9月にロンドン市庁舎ギルドホールの大広間にて長老参事会員で、かつシェリフ(Sheriffs of the City of London)という役職を経験している人の中から、住民とビジネス・ボートと呼ばれる企業投票により決められます。
シティの昼間人口は31万5千人程もあるのに対し、実際にこの地に居住している人は僅か1万人強にすぎないので、ビジネス・ボートにより Lord Mayor of the City of London が決められているようなものです。
そして、City of London Corporation は地方自治体でありながらその権限や所有権がシティー・オブ・ロンドン以外の部分にまで及んでいます。例えば、近隣する特別区にあるオールド・スピタルフィールズ・マーケットを所有しているのは City of London Corporation です。また、ロンドン・ヒースロー国際空港での輸入貨物のハンドリングなども City of London Corporation の管轄なのです。
警察も他の大ロンドンの特別区は The Metropolitan Police Service が全てカバーしているのに、シティー・オブ・ロンドンはたった、1マイル四方の小さいエリアでありながら The City of London police と言う独自の警察を持っています。 
 
スペインの経済危機 
スペイン経済危機は、欧州債務危機の一つです。2012年にユーロ圏のスペインが直面した金融・財政危機を指します。財政を粉飾したギリシャ危機とは異なり、1990年代に日本が直面した不動産バブル崩壊による危機と似ているといわれています。
スペインはユーロを導入した2002年以後、不動産バブルに沸きました。多くのビルや高層マンションの建築が進み景気も拡大します。同じスペイン語圏であるラテンアメリカからの移民が多く働きに来て、人口も増え続けました。
しかし、2008年頃から不動産価格が伸び悩み、これまで行われてきた不動産建設ラッシュが停滞します。銀行などの金融機関は、不動産建設のために行った融資が回収不能になり、日本の90年代のように多額の不良債権を抱え込んでしまいました。
バブル崩壊に留まらず、2007年にはサブプライムローン問題が表面化し、それがきっかけとなり2008年にはリーマンショックが発生します。世界中が大不況に襲われ、スペインも例外ではありませんでした。
そういう状況の中、2010年にギリシャ危機が発生し、ギリシャの財政赤字が問題とされる中、スペインにもその危機の目が向けられました。金融市場も、敏感に反応し、国債の格付けが2012年に3段階引き下げられ、10年国債流通利回りが7%を超える事態に陥りました。7%で借金をしたら雪だるま式に借金は膨らみます。一般的には国債利回りが7%を越えた国は将来返せなくなるという意味で、危険水準と呼ばれています。スペインの危機はそういった所からも明るみになっています。
スペインは、単に欧州中央銀行を中心とした、ユーロ圏内での支援を行えばよいという状況ではなく、抜本的な経済の立て直しが求められ、失業率の改善も急務となっています。ユーロの危機はギリシャではなくスペインだと言われている由縁です。 
 
スペインの不況と物価
今スペインは、大不況の真っ只中にあります。
仕事があるだけまし
ニュースでも報道されている通り、現在スペインは大不況の大嵐にのまれています。実際4人に一人が失業している、つまり失業率25%という信じられない統計も出ています。何気なく旅行に来ただけではあまり感じないかもしれませんが、確かに中心部を少し外れて街を歩けば、物乞いビジネスが組織だって行われており、自主的な廃品回収を生業にしている人も大勢います。
そんな中、現地の人はどのように感じているのでしょうか。大学の卒業を来年に控えて仕事を探しているというジョシュア君(21)に話をきくと、「僕も含めてスペインの若者はスペインに見切りをつけて、ヨーロッパの中の別のところに行った方がいいかなって考えてる。なにせ仕事がないんだ。都会ならまだしも田舎になると、本当に仕事がない。今のスペインで良いのは食事だけだよ。ほんとに」と言っています。そのほか数人に話を聞きましたが、多くの若者がおおよそジョシュアと同じ意見のようです。
そもそも最低賃金から見てみても、2012年度のスペインの最低賃金が748.30ユーロですので、日本の半分近い金額です。夫が薬剤師として働くノエミさん(30)曰く、「専門職の薬剤師として週5日働いていても、手取りなんて18万円以下です。でも仕事があるだけましなんです。」とのこと。
このような状況のスペインにおいて、人々の生活に影響を与える物価はどうなっているのでしょう。5つの観点から見てみましょう。 
 
スペインの失業事情
スペインに生活をしていると、不況の影響をひしひしと感じます。
急激な経済成長を遂げた後の不況
毎日不景気な話題がつづく今日この頃、スペイン滞在中の筆者の耳には経済不況の足音がより大きく響いてきてなりません。以前遊びに来たときには不況と言ってもそこまで感じませんでしたが、スペインに住んで生活をしていると不況の影響をひしひしと感じます。例えば毎日ニュースを見ていると、住宅ローンの支払いができず銀行から住宅を追われる人や、追われたことにショックを受けて自ら命を絶つ人、不法占拠していた建物から強制的に立ち退かされるオクパ(使われなくなった建物に住みつく人々のこと)と呼ばれる人々など、不況に関連したニュースばかりが目立ちます。そしてもちろん失業問題についても様々な人が議論しています。度重なるストやデモの影響もあります。
日本も決して対岸の火とは言えないのではないでしょうか。日本の失業率もだんだんと悪化していますし、不況から抜ける景気回復の見通しは全く立っていません。迫る選挙戦も景気回復のための政策は当然争点になるでしょう。実はスペインと日本の状況には共通していることが多くあるとする専門家もいます。急激な経済成長を遂げたのちに激しく長い不況に陥るといった状態も共通点の一つです。
そこで気になるのは、スペインはどうしてこんなにも不況のどん底状態にあるのかということです。スペインやヨーロッパを取り囲む経済的な問題の背景にある事柄、今後の見通しなどについて考えてみましょう。 
 
スペインの移民問題
スペインでは、移民が大きな問題になっています。
問題の原因となる移民
日本には基本的に日本人が住んでいます。確かに近年外国の人が増えてきましたが、それでも、周りを見渡せばほとんどの人が日本人でしょう。見た目も大抵が黒髪にくらい色の瞳に黄色めの肌の色です。これは日本が島国であることも関係しているのでしょう。しかし、一歩日本の外に出れば事情はまったく違います。
筆者は高校生の頃マレーシアに短期留学に行きました。そこで見たのは全く違う人種の人たちが構成する多民族国家でした。時に文化がまじりあい、時にまったく違う文化のコントラストを見せてくれるその国に魅了されたのを覚えています。20代の初めごろ住んでいたニューヨークもまさに人種のるつぼ、人種のサラダボウルと言われるだけあって、多種多様な民族、人種の人が住んでいました。そういった場所ではいろんなことが一概には言えず、どんな場合にも例外があり、興味深い経験をしたものです。
国によって様々な民族、人種がまじりあって住んでいる国があるのはどうしてでしょうか。歴史的な背景ももちろんありますが、理由の一つに挙げられるのが「移民」という理由です。アメリカには様々な国から移民という形で移り住んだ人が大勢います。前述のマレーシアもそうですね。近隣の国である中国やインドなどからの移民が大きなグループを構成しています。しかし、移民は新たな文化を創り出すだけでなく問題の原因となる場合も多々あります。
筆者の住む、ここスペインも例外ではありません。スペインでは今「移民」が大きな問題となっています。もちろん大きな意味でいえばスペインに住むスペイン人ではない外国人の筆者も移民の一人です。どんな問題が起きているのか探ってみましょう。 
 
ユーロと日本の関係
海外の政治や経済の状況は、日本にも強く影響を及ぼします。
海外の政治経済の状況
休暇シーズンになると海外に出かける方も多いのではないでしょうか。そうなってくると、海外の為替の状況や経済の状況などが気になってきますよね。これから出かける先の通貨は何かご存知ですか?米ドル?豪ドル?ポンド?ペセタ?それともユーロ?行き先の通貨がわかると、日々の為替ニュースなんかも聞き流していたのを注意してみるようになったりしますね。
日本の経済状況や政治状況がめまぐるしく変わると同時に、海外の政治経済も変化していきます。日本の政治経済は国内だけでなく、海外にも影響を及ぼすことがあります。また、海外の政治経済の状況も同様です。2008年のリーマンショックが記憶に新しい方もいらっしゃるでしょう。リーマン・ブラザーズはアメリカの投資銀行でしたが、リーマン・ブラザーズが破たんしたことが世界的な金融危機の引き金となり、日本も例外なく巻き込まれました。あのときには日本でも多くの会社が経営破たんしたり、苦しいかじ取りを強いられたりしました。
このような例からもわかるように、海外の政治経済の状況は決して対岸の火ではなく、日本にも強く影響を及ぼします。この機会に少し海外の金融状況を知っておくと、海外に行くときにも役立ちますし、海外の通貨に両替する際にもいろいろと便利です。 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
  
 
 
  

 
2016/6