「あの日」 帰ってきた小保方さん

帰ってきました 
『あの日』 
内容は 正しいのですか 本心ですか 
 
風当たりが強そうです
 


小保方殺し
 
 
 
 
過去に 杜撰なデータ扱い (博士論文、ネイチャー論文) の前歴をもつ方 
文学的な言葉や表現 編集者も頑張りましたが 
『あの日』 に疑問が残ります
  
  
小保方さん、手記『あの日』出版へ。STAP細胞論文は「一片の邪心もなかった」 
STAP細胞論文の執筆者である元理化学研究所研究員の小保方晴子さんが、手記を出版することになった。版元は講談社、早ければ1月28日にも書店に並ぶ。小保方氏がまとまった主張を公表するのは、2014年4月の会見以来初めて。産経ニュースなどが報じた。  
手記のタイトルは「あの日」。全253ページで、幼少期から、理研での研究、疑惑が浮上して論文の撤回に至る過程を詳細に綴っている。講談社のオピニオンサイト「現代ビジネス」が、内容の一部を公開した。この中で小保方さんは、STAP細胞論文を捏造・改ざんしたと理研が認定したことについて、「誰かを騙そうとして図表を作成したわけでは決してありません」「一片の邪心もありませんでした」と弁明している。  
STAP細胞の研究中は、細胞の不思議さに魅了され、自分なりに一生懸命に実験に取り組んでまいりました。そのためSTAP細胞論文の執筆過程においても、私は誰かを騙そうとして図表を作成したわけでは決してありません。一片の邪心もありませんでした。(小保方晴子の告白「あの日から、今日までのこと」 〜独占手記『あの日』より)  
STAP細胞とは?  
朝日新聞デジタルによると、STAP細胞とは、マウスの体の細胞を酸に浸すだけで、あらゆる種類の細胞に育つ能力を持つようになるとされた新型の万能細胞のこと。小保方さんら理研の研究チームが2014年1月、STAP細胞の作成に成功したとイギリスの科学誌ネイチャーで論文で発表した。  
「ノーベル賞クラスの発見」として世界的な反響を呼んだが、論文に画像の使い回しなど不審な点について指摘が相次いだことを受けて、理研の調査委員会は同年3月末、捏造と改ざんの不正を認定した。小保方さんは会見で「STAP細胞はあります」「200回以上作製に成功した」などと主張したが、その後の再実験では小保方さん自身もSTAP細胞を作成できなかった。  
同年12月、理研はSTAP細胞の実在を示す証拠とされたものは、「すべてES細胞の混入に由来する、あるいはそれで説明できる」という調査報告書を発表。STAP細胞の発見は、公式に否定された。
「自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思える」  
小保方氏が手記につづる心境  
「世紀の大発見」「ノーベル賞級」と騒がれて、テレビや新聞で大きく取り上げられた発表会見からおよそ2年。研究不正が認定された「STAP細胞論文」の筆頭著者で、元理化学研究所研究員の小保方晴子さんの手記『あの日』が1月28日、発売される。  
講談社から出版される手記は、全253ページの単行本。帯文には「真実を歪めたのは誰だ?」という言葉が書かれている。章タイトルは「ハシゴは外された」「私の心は正しくなかったのか」「業火」「閉ざされた研究者の道」などだ。  
小保方さんは手記の中で、STAP細胞の研究から、論文の撤回、早稲田大学博士号の取り消しに至るまで、本人から見た事実関係や心情などをつづっている。まえがきは、次のような印象的な文章からはじまる。  
「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます」  
「社会のバッシングに押されての結論だと思い、悲しかった」  
STAP細胞の研究論文をめぐっては、2014年1月の発表後まもなくして、相次いで疑惑が浮上した。その後、調査した理研が「ねつ造」「改ざん」を認定。このときの心境について、小保方さんは「目の前が真っ暗になった」「社会のバッシングに押されての結論だと思い、悲しかった」などと記している。  
一連の騒動を受けて、小保方さんは同年4月9日、代理人の弁護士に付き添われながら、大阪市内で釈明会見を開いた。詰めかけた数百人の報道陣の前で、「STAP細胞はあります」と堂々と話していたように見えたが・・・。  
手記によると、当時、連日連夜のようにマスコミが自宅マンションに押しかけ、小保方さんは「恐怖と絶望」で精神状態が悪くなっていたという。会見の2日前には、入院していた病院の美容室で髪を切っていたところ、「そのまま気絶」したそうだ。  
「私は業火に焼かれ続ける無機物になった」  
手記にはさらに、理化学研究所・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センター長が亡くなったときのことも記されている。「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった」  
笹井副センター長は小保方さんの上司で、英科学誌「ネイチャー」に掲載されたSTAP細胞論文の共同著者の一人だった。小保方さんが「私の先生」として尊敬する人物である。当時、STAP細胞の検証実験中だった小保方さんのところには、「お前がかわりに死ぬべきだった」「よく生きていられますね」といった匿名のメールや手紙が大量に届いたそうだ。  
検証実験再開後も、「熱く焼けた大きな石を呑み込み、内臓が焼け焦げているようだった」。水分以外摂取することが難しくなり、体重は30キロ台にまで落ち込んだ。「心のギプスを、何重にも巻き、カチカチに固め、気力だけで」実験参加していたという。  
出版社「STAP細胞をめぐる混乱の原因究明の上で意義がある」  
手記には他にも、小保方さんが研究者を目指すきっかけとなった幼少期の友人との出会いや、米ハーバード大学への留学など、「STAP細胞」騒動以外のエピソードも書かれている。小保方さんは2014年4月の記者会見以降、公の場に姿を見せていないため、今回の手記出版は大きな注目を集めることになりそうだ。  
代理人をつとめる三木秀夫弁護士は、取材に対して、「未熟であった点の反省はしているが、ここまで社会を大きく騒がせたこの出来事に対し、このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなる卑怯な逃げであると思い、自分の持つ弱さや未熟さもさらけだして、この本の中に真実を書こうと決めた、ということだ」と、小保方さんが手記を書いた動機を説明した。  
出版元の講談社広報室は、取材に「当事者の見解を公表することは、STAP細胞をめぐる混乱の原因究明の上で意義があると考えています」「読者の方には、どうか虚心坦懐に読んでいただきたいと思っています」とコメントした。一方、理化学研究所は「コメントする立場にありません」と答えた。  
小保方氏、手記出版へ 「混入犯に仕立て上げられた」 
STAP細胞論文の研究不正問題をめぐり、論文を書いた小保方晴子・元理化学研究所研究員(32)が手記を出版することが26日、わかった。小保方氏がまとまった主張を公表するのは、2014年4月の会見以降初めて。タイトルは「あの日」で、全253ページ。講談社から出版され、早ければ28日に書店に並ぶ。14年1月に論文を発表後、不正の疑惑が浮上して論文の撤回に至る詳細などを当事者の視点でつづっている。小保方氏は手記の冒頭で「世間を大きくお騒がせしたことを心よりおわび申し上げます」とした上で、幼少期から米ハーバード大留学などを経て、理研の研究員となって論文を発表するまでの経緯を説明している。
小保方さん、手記で「死にたい」「上司のわな」 
STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子氏(32)の手記が今日28日、講談社から発売される。同氏がまとまった主張をするのは、14年4月の会見以来初めて。タイトルは「あの日」で、前書きでSTAP細胞問題について「世間を大きくお騒がせしたことをおわびします」と謝罪した。自身の視点から騒動の過程を詳細に説明。重すぎる責任から自殺を考えたという。  
手記は白い表紙のハードカバーで、全253ページ。小保方氏が、幼少時から現在に至るまでを15章の構成でつづっている。前書きで「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、いつからやり直せば騒動を起こさなかったのか」と自問。書名の由来を漂わせた。  
執筆の動機を「このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなるひきょうな逃げ。真実を書く」と説明。騒動当時について「重すぎる責任に耐えかね、死んで現状から逃れられたら、と何度も思いました」と記した。  
14年3月に激しい批判報道を受け、ストレスで食べることも眠ることもできなくなったと吐露。「無意識のうちに『死にたい』と何度もつぶやくようになった。母が神戸まで迎えに来てくれ、病院に行った。睡眠薬と抗うつ剤を処方された」と振り返った。  
共著者の若山照彦・山梨大教授について「STAP細胞の作製の成功・存在の証明は、若山先生がいなければなしえないもの」と強調。論文撤回に至った過程で「若山先生が作った細胞を若山先生ご自身が『おかしい』と言っている異常事態」と指摘した。  
STAP細胞がES細胞ではないかと疑義が起きたことには「私がES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれていると感じた。私の上司たちによって仕掛けられたわなだ」と、理研への不信感も示した。  
論文執筆の指導を受けた理研の笹井芳樹氏が自殺した後、後追いを懸念されたのか、「誰かに体を押さえつけられた」と記述。連日メールや手紙が届いたという。  
STAP細胞の再現実験に失敗したことには「STAP現象は確認された。若山先生の実験で成功しなかったため、STAP細胞の存在は確認されなかったと結論づけられた」と悔しさをにじませた。  
一連の問題で取材攻勢にも苦しんだと記述している。「(ある女性記者のメールに)殺意すら感じた。不確定な情報をあえて盛り込み、『返事をしなければ、このまま報じますよ』と追い詰められた。その手段は暴力的」と厳しく批判する部分もあった。
STAPが再燃!小保方さんの“言い訳”手記に「えっ、人のせい?」  
STAP細胞論文の不正問題で世間を騒がせた小保方晴子・元理化学研究所研究員が28日に手記を出版した。  
タイトルは「あの日」(講談社)で、14年1月に発表した論文の不正疑惑が浮上してから論文撤回に至るまでの詳細をつづっている。  
前書きでは、〈ここまで社会を大きく騒がせたこの出来事に対し、このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなる卑怯な逃げであると思い、自分の持つ弱さや未熟さもさらけだして、この本の中に真実を書こうと決めました〉とつづり、小保方氏は責任を逃れるために死ぬことも考えたという。  
「手記は『混入犯に仕立てあげられた』とあるように、言い訳に終始。上司だった笹井芳樹氏がこの騒動で亡くなっていますし、遺族や関係者は気分が悪いでしょうね。そもそも、あれだけ嘘をついていた人の本に本当のことが書かれているとは誰も思わないのでは」(週刊誌記者)  
小保方氏の手記出版に対する世間の反応は実に冷ややかだ。ネット上では「えっ、人のせい? 本当に図太い女」「結局、STAP細胞はあるの? ないの?」「お金稼がないと大好きなヴィヴィアンが買えないもんね」「言い訳本は買いません」「人が一人死んでるというのに印税ガッポリ? 文春で独占告白すれば済んだ話」とブーイングの嵐だ。  
著書の前書きを〈最初から人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶだろうと思います〉と結んだ小保方氏だが、大方の反応は「頼むからやめてくれ」に違いない。
「日本の研究はこんなにいい加減だったのか」 関西のコメンテーター辛口批評続々 
小保方(おぼかた)晴子さんが著した手記「あの日」(講談社)は、他の在阪各局でも取り上げられた。「この本を読むと、STAP細胞はまだあるように感じる」「小保方さんは研究のメーンではなかったの?」「日本の研究はそんなにいい加減だったのか」−。コメンテーターからは、いまなお深いSTAP細胞への疑問や批判が相次いだ。  
「情報ライブ ミヤネ屋」(読売テレビ系、午後1時55分〜)では司会者の宮根誠司さんが「これが事実なら衝撃的な内容です」と紹介。手記は253ページにわたり、STAP細胞の研究経緯や心境がつづられていた。  
「あの日に戻れたらと 後悔は尽きません」。番組では、手記の内容とともに、小保方さんがかつて、かっぽう着姿で研究に取り組んだ様子や、疑惑発覚後の会見で涙を浮かべる姿などが放映された。  
小保方さんによるSTAP細胞の検証実験は、監視カメラのもとで行われた。「一人になれるのはトイレの個室のなかだけだった。声を殺して泣いた」などとつづった。
手記「あの日」アマゾン売れ筋ランキング1位 印税収入700万円か 
STAP細胞論文で不正が認定された理化学研究所の元研究員小保方晴子氏(32)が28日に出版した手記「あの日」(講談社)が、ネット通販大手アマゾンの「本の売れ筋ランキング」で1位に躍り出た。電子書籍「キンドル」の売れ筋ランキング(有料部門)は7位につけている(午前8時現在)。  
小保方氏は手記の前書きで「この本の中に真実を書こうと決めました」と出版の意図を説明している。初版発行部数は5万部。  
ネット上では「売れるだろう」「単なる収入獲得」「復活の日を信じている」と小保方氏の意図などをめぐって意見が相次いで寄せられている。  
事件関係者の手記では昨年6月、神戸連続児童殺傷事件の元少年Aによる「絶歌」(太田出版、税込み1620円)が昨年6月に刊行され、初版10万部が発売間もなく増刷された。  
「あの日」は税込み1512円。出版契約の内容は不明だが、印税が10%なら、本体価格1400円の1割×5万部=700万円が小保方氏に入ることになる。
手記「あの日」・・・私は業火に焼かれ続ける無機物になった  
STAP細胞騒動から2年、理化学研究所の元研究リーダー・小保方晴子氏の手記「あの日」がきょう28日(2016年1月)から書店に並んだ。講談社からの出版で、253ページ、1400円。潔白をにじませたのだろうか、白い表紙だ。「重すぎる責任から死んで逃れたかった」「一片の邪心もありませんでした」とSTAP細胞の存在は間違いないと反論している。  
理研に反論「STAP細胞は間違いなく存在」  
小保方晴子氏は「ストーリーの収束を仕組まれているように感じた」「スタッフ細胞はまちがいなく再現性は確認されていた」と書く。とくに、共同研究者の若山照彦・山梨大教授に不正がなく、小保方氏だけが「不正」とされたことに強い不信感をにじませている。もう一人の共同研究者だった理研の笹井芳樹副センター長が自殺したことについては、「 私は業火に焼かれ続ける無機物になった」と心情を語っている。  
理研は「コメントはない」、山梨大は「この件に関しては取材に応じない」としている。キャスターの菊川怜「当事者でない人は推測しかできないので、結局はうやむやでしかないですね」 司会の小倉智昭「いろいろな考え方によって評価は変わる。リケジョという言葉がありますが、若い女性研究者が出てくることをこれからも期待したいですよ」  
小保方氏が手記出版で反撃!  
STAP細胞は若山教授が黒幕、私は捏造犯に仕立てられた、と…  
ちょうど2年前のきょう、1月28日は、あのSTAP細胞が大々的に発表された記者会見の日だが、そんな日を選んで、小保方晴子氏が反撃に出た。昨日からメディアで大きく報道されているように、手記『あの日』(講談社)を発売したのだ。本サイトはいち早く手記を入手したが、本のなかで小保方氏は、〈STAP細胞に関する論文発表後、世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます〉と謝罪しつつも、一連の「捏造」疑惑に真っ向から反論していた。  
といっても、小保方氏が今もまだ「STAP細胞はあります!」と言い続けているということではない。  
周知のように、STAP細胞は、論文の捏造、データ改ざんに端を発して、小保方氏のでっちあげではないかという疑念が向けられるようになった。さらには、STAP幹細胞への変化やキメラマウスの作製の過程で、小保方氏がES細胞を混入させたという可能性が取り沙汰され、理化学研究所の調査委員会の調査でも、小保方氏の実験室に残されていたSTAP幹細胞やキメラマウスがすべてES細胞由来であることが判明。「STAP細胞はなかった」と結論付けられた。  
しかし、小保方氏は、STAP幹細胞の培養やキメラマウス作製はすべて論文の共著者である若山照彦・山梨大学教授が主導していたと断言。にもかかわらず、途中でその若山氏に手のひらを返され、捏造の犯人に仕立てられてしまったと主張しているのだ。  
同書によれば、そもそも、小保方氏は「スフェア」と呼ばれる球状の細胞塊がストレスによってOct4陽性細胞に変化する過程に着目していただけで、万能細胞の作製に積極的だったわけではなかったという。ところが、当時、理研CDB(理化学研究所発生・再生科学総合研究センター=当時)にいた若山氏に相談したところ、「Oct4陽性細胞という多能性を示す細胞が採取できるならば、キメラマウス作製こそが最重要なデータであり、iPS細胞のような(無限増殖できる)幹細胞ができるかもしれない」と勧められた。  
だが、若山氏が実験を何度も試みてもキメラマウスはできてこなかった。この時点で小保方氏は「ES細胞から作製されるようなキメラマウスはできないというのも重要な結果の一つ」と考え、論文のテーマは細胞変化過程にしようと思っていたという。  
しかし、若山氏は諦めようとしなかった。そして、ある日、若山氏から小保方氏に驚きの知らせがもたらされる。  
〈ある日いつも通りスフェアを(若山氏に)渡すと、「これまではスフェアをバラバラの細胞にしてから初期胚に注入していたが、今日からはマイクロナイフで切って小さくした細胞塊を初期胚に注入してキメラマウスを作ることにした」とおっしゃった。それから10日後、若山先生からキメラができたと連絡を受けた。その上、残りの細胞をES細胞樹立用の培養液で培養したらES細胞の様に増えだしたと報告された。毎日、スフェア細胞を培養し観察していた私は、細胞が増える気配すら感じたことがなかったので大変驚いた。「特殊な手技を使って作製しているから、僕がいなければなかなか再現がとれないよ。世界はなかなか追いついてこられないはず」と若山先生は笑顔で話していた〉  
だが、結果は知らされても、自分の眼で確かめたわけではない。自分で確認がしたいと思った小保方氏は「培養を見せてください、手伝わせてください」と申し出たというが、若山氏には「楽しいから(一人でやる)」「ES細胞の樹立も研究者の腕が重要だから、自分で行いたい」と拒否された。  
また、キメラマウスやクローンマウス作製の技術を「教えてほしい」と申し出ると、若山氏はこんな返事を返してきたという。  
「小保方さんが自分でできるようになっちゃったら、もう僕のことを必要としてくれなくなって、どこかに行っちゃうかもしれないから、ヤダ」  
小保方氏はこうした経緯から見ても、自分が“ES細胞を混入させた”というのはありえないと主張するのだ。  
〈STAP細胞からのキメラ実験は、若山先生が作製方法をSTAP細胞塊をバラバラに注入する方法から、マイクロナイフで切って入れる方法に切り替えた時に初めて成功している。もし私がES細胞を渡していたのなら、細胞塊をバラバラにしてキメラマウスを作製していた当初からキメラマウスの作製に成功していたはずである。そうではなく、実験方法を切り替えた時にES細胞を渡していたとするなら、連日行われていたキメラマウス作製実験において、若山先生が実験方法を変えるタイミングを予期し、そのタイミングに合わせてES細胞を若山研の誰にも知られずに準備し、ES細胞研究の第一人者である若山先生にばれずに渡すことが、果たして可能であっただろうか〉  
そのうえで、小保方氏はこう書く。  
〈後にSTAP細胞と名付けられる細胞の存在の証明が、キメラマウス作製の成功、もしくは増殖する細胞であるSTAP幹細胞への変化であるなら、「STAP細胞の作製の成功・存在の証明」は常に若山先生がいなければなしえないものになっていった〉  
明言はしていないが、もしSTAP細胞が捏造とするならば、それは若山氏がやったとしか考えられないと言っているのだ。  
小保方氏はそれを裏付けるような若山氏の乱暴なやり口も次々と暴露している。まだ未申請のヒト細胞を使った実験に関して、「行ったのはその承認後だったということにすればいいのです」とメールで指示してきたことや、若山研究室ではデータの扱いが非常に恣意的だったと指摘する。  
〈若山研では、胚操作によって作製されたマウスを使った重要なデータを補佐するためのデータは「飾りのデータ」と呼ばれ、まず結論へのストーリーに合う仮のデータを「仮置き」の形で図表として用いて論文執筆を行う方法がとられていた。(中略)ストーリーに合わない、つじつまの合わない実験結果は、「このままでは使えないのでやり直すか、データとして使用しないように」と指導を受けた〉  
また、スフェア細胞からのキメラが胎児だけではなく胎盤も形成していることが発見された時についても、疑惑の目を向けている。胎盤の形成はES細胞などでは起こりえない現象で、事実なら大発見だが、若山氏は小保方氏に〈スフェアからのキメラマウスの胎盤だというもの〉を渡し、「組織学的に解析してほしい」と依頼をしてきたという。ところが、若山氏はその解析結果を待たず、2012年4月頃にはTS細胞と呼ばれる、胎盤を形成する能力のある幹細胞株を樹立する培地でスフェアを培養する実験を開始。後に「FI幹細胞」と名付けられる幹細胞株を樹立した。  
この間、小保方氏は〈若山先生が作製したキメラマウスなど論文の主題となる実験結果の補佐となる細胞の遺伝子解析などを任されていたが、解析に用いる幹細胞は培養を担当していた若山先生から受け取り実験を行うようになっていった〉〈実験に使用するマウスは若山先生から渡され、私が作製したスフェアは、若山先生が計画した他の研究員が進める実験にほぼすべて使用され、自身で解析などを進めることができない時期が続いた〉と、ほとんど蚊帳の外だったという。  
ところが、論文にデータの改ざんなどが発覚し、疑問が向けられ始めると、あんなに積極的だった若山氏の姿勢は一変する。若山氏はNHKの取材に「論文を撤回したほうがいい」と回答。さらに、キメラマウスづくりに使ったSTAP細胞が、自分が小保方氏に渡したマウスと同一のものであるか、に疑念があると考え、自分の手元に残っていたSTAP幹細胞を第三者機関に解析に出したのである。  
若山氏がそのような態度をとったことに対して、同じ論文の著者の丹羽仁史氏は小保方氏に「ハシゴを外されたんや」と述べたという。  
そして、14年3月25日、小保方氏に渡したマウスと若山氏が解析したSTAP幹細胞のマウスの系統が違うとの報道が出た。解析結果が出た6月には、若山氏が会見を開き、正式に「STAP幹細胞を第三者機関によって解析した結果、若山研にはけっして存在しなかったマウスの細胞からできていた」と発表。小保方氏がES 細胞を混入させたという見方が広がっていく。  
〈私は混入犯に仕立て上げられ、社会の大逆風の渦に巻き込まれていった。私は「若山研以外からのサンプルの入手経路はない」と事実を述べ、「実験してはっきりさせる」とコメントを出すしかなかった〉  
しかし、その後、理研の調査によって、若山氏の会見内容は間違いであることが発覚。STAP幹細胞と若山研のマウスは別物でなく、〈若山研で飼育されていたマウスに由来している〉ことがわかっている。  
つまり、小保方バッシングの材料とされた、若山氏が発信源の情報は事実ではなかったということらしい。  
他にも、小保方氏は同書の中で、若山氏の不可解な動きをいくつも指摘している。著者間で合意していた「ネイチャー」論文の撤回理由書を若山氏が勝手に書き換えてしまったこと、さらには、若山研にいた頃に作製され、大切に箱に保存していたサンプルのいくつかが、箱の中から消えていたこと……。たとえば、サンプルの消失については、こう書いている。  
〈これが解析されていれば、STAP細胞としてキメラ実験に用いられていた細胞の由来が明確にわかったはずだった。(中略)STAP細胞からのテラトーマの実験も複数回行われていたが、それらのサンプルもなくなっていた〉  
もちろん、こうした主張を全部鵜呑みにするわけにはいかないだろう。実際、TCR再構成の証明がきちんとなされていないことや、テラトーマの画像取り違えなど、十分な説明をできていないことも多い。  
しかし、一方では、このSTAP細胞問題では、理研や若山氏、亡くなった笹井芳樹氏の言動にも不審な点は多く、小保方氏が不可解に感じるのももっともな部分もある。  
あのSTAP問題をから騒ぎで終わらせないためにも、若山氏にはぜひ、反論をしてもらいたいものだ。  
「あの日」  
私は誰の期待にも応えられない自分に失望してばかりの人生を歩んできました。そのような人生の中で、初めて顕微鏡下で観察した生きた細胞は本当に美しく、顕微鏡を覗くたびにいつも何か新しいことを教えてくれ、ドキドキしたりワクワクしたりする素直な気持ちを何度でも呼び覚ましてくれました。  
それは、等身大の自分にも何かできることがあるかもしれないと努力する力と、未来への希望を与えてくれるものでした。  
STAP細胞の研究中は、細胞の不思議さに魅了され、自分なりに一生懸命に実験に取り組んでまいりました。そのためSTAP細胞論文の執筆過程においても、私は誰かを騙そうとして図表を作成したわけでは決してありません。一片の邪心もありませんでした。  
しかし、私の図表の提示方法は、常識として決められていたルールからは逸脱していると判定されてしまいました。不勉強であったことを、心から反省し恥じています。そして、そこから起こった一連の出来事の責任を、抱えきれないほどに感じ、お詫びの言葉も見つかりません。  
重すぎる責任に堪え兼ね、死んでこの現状から逃れられたら、と何度も思いました。私は重要な判断を他者に委ね、従えばいいと考えていた弱さや未熟さのある人間です。これまで、他の方に影響が及ぶことを恐れ、私からの発信を控えてきました。  
しかし、ここまで社会を大きく騒がせたこの出来事に対し、このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなる卑怯な逃げであると思い、自分の持つ弱さや未熟さもさらけだして、この本の中に真実を書こうと決めました。  
あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生まれた日さえも、呪われた日のように思えます。  
STAP細胞に関する論文発表後、世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます。このようなお詫びを申し上げる手段を見出すことができず、これまで心からの反省や謝罪を社会に向けて行えてこなかったことを、本当に情けなく申し訳なく思っております。  
重い責任が自分にあるにもかかわらず、自分でその責任を取りきることさえできず、このような自分が生きてしまっていることに苦しみながら日々を過ごしてきました。  
あの日に戻れたら、と後悔は尽きません。でも、もう一度、最初から人生をやり直すことができたとしても、私はやはり研究者の道を選ぶだろうと思います。  
「あの日」でSTAP騒動の真相が明らかに?  
STAP騒動についても、家族離散の真相についても知っているのは当事者だけです。その当事者である小保方晴子さんが、2016年1月28日に手記「あの日」と出版しました。  
「あの日に戻れるよと神様に言われたら、私は、これまでのどの日を選ぶだろうか」 冒頭がこの1文で始まる手記。この1文だけ見ると、なんだかSF小説っぽい雰囲気も・・・。  
手記の前書きには、これまでになかった謝罪の言葉も綴られています。  
STAP細胞に関する論文発表後、世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます。このようなお詫びを申し上げる手段を見出すことができず、これまで心からの反省や謝罪を社会に向けて行えてこなかったことを、本当に情けなく申し訳なく思っております。重い責任が自分にあるにもかかわらず、自分でその責任を取りきることさえできず、このような自分が生きてしまっていることに苦しみながら日々を過ごしてきました。  
手記を書いた動機として小保方さんはこう言っています。  
「このまま口をつぐみ、世間が忘れていくのを待つことは、さらなる卑怯な逃げ。真実を書く。」  
「真実を書く」という手記で書かれている内容を一部紹介すると・・・  
共著者である若山照彦(山梨大教授)がいなければSTAP細胞の作製成功、存在証明はなしえなかった。若山照彦教授が自分で作った細胞(STAP細胞)を「おかしい」というのは異常事態だと語る。  
STAP細胞がES細胞ではないかという疑いに対して 「私がES細胞を混入させたというストーリーに収束するように仕組まれていると感じた。私の上司たちによって仕掛けられた罠だ」と理研への不信感を暴露する。  
STAP細胞再現実験が失敗したことについて 「STAP現象は確認された。若山照彦教授の実験で成功しなかったため、STAP細胞の存在は確認されなかったと結論づけられた」と反論する。  
小保方晴子さんの手記「あの日」では、STAP騒動は「誰かの罠だ」というスタンスで語られています。その罠の仕掛け人として有力となるのは、共著者である「若山照彦教授」。手記の中では、若山教授の不振な行動、日ごろの研究室での様子なども書かれています。  
若山教授は、STAP細胞論文の撤回をいち早くメディアに向けて発信した人物です。しかし、STAP細胞発表時には、テレビで「細胞が光っているのを見て感動した」ともコメントしていました。実際にSTAP細胞を見たはずの人物が、論文の不正だけで「STAP細胞はなかった」というのはおかしい、とネットでも言われていたようです。  
手記を読むとSTAP騒動は実は小保方さんのせいではなかったのではないか?と思えます。ただ2年かけて「小保方さんが悪い」というイメージが固まってしまい、なかなか素直に受け取ることができないかもしれません。  
騒動の当事者が語る真実、信じるかどうかは読み手次第になりますね・・・。こんな感じの展開、ドラマではよくある気がするんですが・・・現実世界だと誰が黒幕かは全然わからないです。STAP騒動の行方が気になる方は、読んでみてはいかがでしょうか?  
「あの日」書評  
小保方晴子さんの「あの日」を読んだ。誤解して欲しくないのだが、僕が、この小保方晴子さんのセンセーショナルな手記を手に取ったのは好奇心からではない。ゲスい野次馬根性からである。告白しよう。小保方晴子さんの名前をググることは毎朝の僕のルーティーンであった。  
なぜ、彼女がこれほど僕の心を惹きつけ続けるのか、その理由を知りたい。それがこの手記を手に取った理由である。今、読み終えて放心しているところである。内容の詳細については各々読んでいただかなくてもいいとして、これだけは言っておく。衝撃の手記という宣伝文句は本当であった。事件については報道でなされている以上のいわば秘密の暴露はまったくないし、著者が関与したとされる疑惑は華麗にスルーされているので、なぜSTAPの騒動が起こったのかまったくわからないからだ。一方、宴席で泥酔しているうちにアメリカへの留学が決まったワンダーな経緯や、執拗に繰り返される共同研究者の若山氏が嫌なヤツであるかのような描写などどうでもいいところへの注力は白眉と言えるだろう。  
「なぜ研究者になろうとしたのか」から「研究者としての道を絶たれるまで」を時系列に沿って構成されている本書だが、STAPの発表前後から「死にたい」「涙があふれた」というメンヘラーな描写が増えていく。同時に、淡々とした文章の中に(文章は上手いです)突然メルヘンチックな描写が挿入され、この人大丈夫なのかと不安を煽られる。  
たとえば、自分の研究を指した「乾燥した大地の上に、無限の石の塔がある。空気は暑く乾燥していて、空は青く高い。あるところには丸い石の土台に細長い石が乗り不安定に空高くそびえたっている。小石がいびつな形で寄り集まって小山になっているものもある。しっかりした四角いレンガが低く積み重なったものもある。いびつながらも固い石が高く積み重なっているものもある。先端が風化して土台だけを残し、砂の残骸になっているものもたくさん見える。崩れた石の塔もたくさん見える。この世界を思い浮かべるたび、科学の女神の神殿を永遠に造り続ける作業のように思えた。(136頁)」という表現や共同研究者が亡くなったときの「笹井先生がお隠れになった。8月5日の朝だった。金星が消えた。私は業火に焼かれ続ける無機物になった。」という表現である。陶酔していてよくわからない。感受性が豊かすぎるのだろう。  
繰り返しになるが、後半は泣いてばかりで、なぜ事件が起こったのかまったく解明されていないので、端的にいえば不出来なミステリーである。「言い訳言い訳きっつー涙言い訳言い訳言い訳きっつー涙笹井先生頑張ります若山のヤロー許せない」にすぎない文章である。  
真っ先に連想したのは太宰の「人間失格」だ。太宰の「人間失格」を僕は言い訳文学と捉えているのだけど「あの日」も言い訳文学のスタンダードになりうると思う。そういう文学を目指す人が皆無だから。厳しいことを言わせてもらったけれども、世間を騒がせた当事者の独りよがりな心の叫びなので、一読の価値はあると思う。貴重な時間を費やして僕だけが読んだなんて嫌だよ。今朝。書店がオープンしたと同時にこの本を手に取りレジに向かった僕にヤバい人を見るような目をした可愛らしい店員さんを忘れることができない。こうして今日という日は僕にとっての「あの日」として、忌まわしい記憶のひとつに加えられたのである。  
「あの日」書評  
2014年1月28日、覚えている方も多いだろう。  
世間向けに「STAP細胞」が発表された日であり、大規模な記者会見が開かれた日である。理化学研究所研究員の小保方晴子氏。割烹着姿の実験風景、ハーバード帰りの若き才女による歴史的な発見ということでおおいに注目を集めた。しかしその注目も束の間、しばらくしてすぐに不正研究が疑われた。小保方氏はマスコミから大バッシングを受けた。数々の検証実験も虚しくその論文は否定されることとなった。  
「STAP細胞はありまぁす」 2014年4月に再び、彼女及び理化学研究所は釈明会見を行うことになった。渦中に小保方氏の上司のような存在、責任者である笹井芳樹氏も自殺を図るという最悪の事態となった。STAP細胞はなかった―――小保方氏の研究室に残るSTAP細胞の痕跡はES細胞由来であると結論づけられた。  
はや2年、これまで沈黙を貫いてきた小保方氏による手記が出版されることとなった。手記のタイトルは「あの日」である。本問題に関してマスコミの情報で伺い知れることの概要は上記の通りである。  
本件は様々な問題を提起してくれた。  
小保方さん個人の問題  
理化学研究所の組織としての問題  
メディア・スクラムの問題  
「レイヤーを分けて語るべき」問題が沢山提示された。  
本手記を読む前の個人的な態度としては「叩かれすぎ」という印象が大きい。たとえ小保方さんがどのような人物であろうと、あそこまで叩かれる必要はないのではないか?とも思う。ただそれは彼女が意図してか意図せずか注目を集めてのし上がった(割烹着とか見てるとね・・・)手法の裏返しとも言えるが・・・粛々と処分すれば良いだけ。それを許さない一般企業と異なる科学者・研究者故の責任があるのだろう。理研の発表通りならば、そんなやり方がまかり通ってしまう組織構造と風土は改めて欲しいとしか言いようがない。  
 
今回の手記で知りたいのは「小保方さんの故意」が一つ。もう一つは世間を騒がせたとかはどうでも良くて「人が亡くなっていることへの呵責」と人間としての再生である。これは私のゲスい勝手な期待だ。これもメディア・スクラムの一端とは分かっているので申し訳ないが・・・  
研究者として稚拙だったで済ますのか?  
悪意(故意)があったのか?  
今更STAP細胞の存在を肯定するのか?  
自分は陥れられたと釈明を続けるのか?  
また重度の虚言癖なのか? だとしたらそれを抜ける術はあるのか? 興味は付きない。  
あの日 / 小保方晴子 / 1月28日に発売。出版社は大手の講談社だ。  
STAP騒動の真相、生命科学界の内幕、業火に焼かれる人間の内面を綴った衝撃の手記。1研究者への夢 2ボストンのポプラ並木 3スフェア細胞 4アニマル カルス 5思いとかけ離れていく研究 6論文著者間の衝突 7想像をはるかに超える反響 8ハシゴは外された 9私の心は正しくなかったのか 10メディアスクラム 11論文撤回 12仕組まれたES細胞混入ストーリー 13業火etc.  
上記の目次に従って書かれている。「業火」という強いワードが目を引く。  
感想 
彼女の主張がいくつかある。  
一つ、ES細胞は彼女の意志になく混入。それは「論文共著者の若山照彦・山梨大学教授によるもの」とのこと。罠にはめられたという主張だ。  
二つ、STAP細胞はあるのではないか?と見ている。実験で否定はされたが、まだ存在については可能性はあるとしている。  
三つ目、メディアバッシング。メディアの報道被害者としての視点。  
さらにもう一度人生をやり直すとしたら「研究者」の道を選ぶ、ということが述べられていた。  
新しいことは分からない、彼女が虚言癖のように見える印象も覆すことは出来なかった。もっともそれはこれまでの報道があるからで真実は分からない。情報がまったくのゼロの状態から本書を見れば彼女に理があるようにも読めてしまう。(ゲス読みすれば「こう上手く主張されては騙される人出てくるよな、この能力高すぎ!」という驚き・・・)  
時々彼女のポエミーな文学的表現が過剰すぎるきらいがある。そこが「見どころ」と言えなくもない。  
本書の内容を見ると理研との対決姿勢をより明確にした形である。  
不正が彼女個人の問題ではなく理研という組織の問題であると考えた時に、彼女は理研という組織の中でトカゲの尻尾切りにされた。若いゆえに権力の闘争に敗れたというのは事実だろう。  
「怒りの手記出版」小保方氏の“暴走素顔”  
科学界から退場の危機にある小保方晴子氏(32)が反撃のノロシを上げた。28日に出版された手記「あの日」(講談社)でSTAP細胞をめぐる騒動で改めて謝罪しているが、その狙いは汚名返上にほかならない。新型万能細胞・STAP細胞の作成を発表するも、研究不正が認定された小保方氏。理化学研究所を追われ、母校で取得した博士号は取り消し。不正の過程でES細胞を盗んだとの疑いも浮上した。事態の進展に不満を募らせた末、ついに大爆発!「体調不良」と伝わるなか、本紙だけが知る“暴走素顔”とは――。  
「小保方さんが話したがっているそうだ」  
昨夏、そんな情報がマスコミ業界を駆け巡った――。  
当時、小保方氏は「わが子」とも呼ぶSTAP細胞の存在を完全否定され、科学者としての地位も名誉も失っていた。理研の調査委員会は前年、小保方氏の論文データに改ざんや捏造があったと認定。疑惑は出身の早稲田大学大学院に提出した博士論文などにも及び、博士号の取り消しが決定的に。ショックのあまり小保方氏は体調を崩し、通院や自宅静養を余儀なくされたと伝えられた。  
事情を知る人物は「確かに体調は悪かったが、なぜ自分だけが…という思いと、ハメられたという陰謀論が脳内を駆け巡り、爆発寸前になっていた。それでマスコミに現在の心境を洗いざらいブチまけるという情報が流れたのだと思う」と振り返る。  
現状への不満の一端が表れたのが昨年11月、再提出の論文が認められず博士号が取り消しとなった時だ。小保方氏は書面で「当初から不合格を前提とした手続き」「指導過程、審査過程の正当性・公平性について大きな疑問があります」と大学側を猛批判。これは小保方氏が代理人の三木秀夫弁護士に連絡し、出させたものだった。  
この間、科学界や世間の批判に落ち込む一方、心の奥底に噴火目前の火山のごとく怒りのマグマをため込んでいたのだ。  
こうして出版されたのが今回の手記。前書きで「世間を大きくお騒がせしたことを心よりお詫び申し上げます」と謝罪するも、撤回したSTAP論文の執筆には「一片の邪心もありませんでした」。このまま口をつぐむことは「さらなる卑怯な逃げ」と考え、本を書く決意をした。「死にたい」とつぶやくほど、一時は苦しんだという。  
初版は5万部で、講談社関係者によると「昨年夏ごろから極秘に進めていました」。三木氏も手記出版に触れ「本人が体調の悪いなかであった事実を書いた本です。ぜひお読みください」と猛プッシュしている。  
「ここ半年は三木氏の手にも余るようになっていた。弁護士費用の支払いが滞っているという情報もあり、三木氏としては『割に合わない』というのが本音だろう。今後、彼女の窓口は講談社も担当することになる。三木氏も安堵する部分はあるのでは?」  
暴走気味の小保方氏が怒り心頭なのが“窃盗犯扱い”だ。理研は検証実験でSTAP細胞を作成できなかったことから2014年12月、同細胞は胚性幹細胞(ES細胞)が混入したものである可能性が高いとの調査結果を発表した。15年1月、理研OBの石川智久氏が「当時理研に在籍していた若山照彦氏(STAP論文共同執筆者の一人、現山梨大教授)の研究室に保管されていたES細胞を小保方氏が盗み出し、STAP細胞と偽装していた可能性が高まった」と週刊誌上で告発。窃盗容疑で兵庫県警に告発状を提出し受理されたが、内容は「被疑者不詳」となっていた。  
「彼女は『私を悪者に仕立てようとしている!』と激怒し、背後に若山教授がいると直感した。今回の手記出版は若山教授への反撃の意味も込められている」  
フリージャーナリストの津田哲也氏は「彼女にはファンクラブのような熱烈な支持者が数多くいます。フェイスブック上にはコミュニティーも存在します。石川氏の元には支持者から『虚偽の内容での告発は許さない!』と抗議があり、直前で被疑者不詳に変えました。今回の手記もファンの後押しを受け、本人もソノ気になったのでしょう。とはいえ、自らSTAP問題を蒸し返すとは…。理解に苦しみますね」と指摘する。  
27日、千葉県内にある小保方氏の実家はひっそりと静まり返っていた。白い外壁のしょうしゃな戸建てには、自家用車が止まっているものの、2年前から人の気配はないという。近所の住民は「騒動後はご両親をずっとお見かけしていませんね。雨戸も閉め切って、もうずっとそのままですよ」と話す。  
253ページ、15章からなる「あの日」。汚名返上のつもりで、さらなる痛手を負わなければいいが――。  

 
2016/1/27-29  
 
 
「小保方殺し」 2015/3
理研最終報告の疑問  
昨年12月26日、理研は一連のSTAP細胞問題について、ひとつの「結論」を出した。要約すれば、数カ月間の検証実験の結果、小保方晴子さんらが『Nature』誌に発表した論文で報告したような現象全体を再現することはできなかった。  
そして、STAP細胞として小保方晴子さんや若山照彦教授らが報告した細胞はES細胞であった可能性が極めて高く、それも故意にES細胞を混入してSTAP細胞なる細胞を捏造した疑いが濃厚である、というのが、その要旨である。  
この発表を受けて、新聞、テレビは「STAP細胞はES細胞を使って捏造された物である」という見方をほぼ確実な結論であるかのように報じた。一方、小保方晴子さんは、筆者がこの原稿を書いている2015年1月15日の段階では、沈黙を続けている。  
小保方さんが理研を退職し、理研の処分に対して異議を唱えていないことから、「小保方さんは捏造を認めた」と受け止める人々も多い。だが、待ってほしい。これが「結論」なのだろうか?  
私は昨年4月、『WiLL』に寄稿した記事で二つのことを指摘した。  
(1)STAP細胞が存在するかどうかは分からない。  
(2)小保方晴子さんがSTAP細胞の存在を捏造した証拠は示されていない。  
この(1)(2)は、挙証責任の所在が違うのに挙証責任が混同され、(2)についてまで小保方さんに挙証責任が求められていることの誤りを指摘した。そして、小保方晴子さんを犯罪者のように扱うマスコミの報道は魔女狩りのようだ、と批判した。  
それから時間が経ち、12月26日の発表となった。  
では、現在はどうか? この間に、笹井芳樹氏の自死という悲劇と、監視カメラ下での検証実験の終了という大きな二つの出来事があった。そしてさらに、マスコミやインターネット上で様々な議論が重ねられた。当然、当時と状況は違う。  
しかし、この二つの異なる問題、  
(1)STAP細胞は存在するか?  
(2)小保方晴子さんは、存在しないSTAP細胞を不正な方法によって捏造したのか?  
に対する私の判断は、いまも同じである。即ち、どちらについても挙証責任は果たされていない、と私は考える。その理由は以下の本文で述べるが、私が述べるのはあくまでも「疑問」だけである。  
私は、STAP細胞が存在するかしないかというような高度に専門的な科学上の問題については、昨年の本誌6月号の記事と同様、いまも判断を下すことはできない。これは科学の問題であり、研究者たちが実験を繰り返すことによってしか検証し得ない問題だからである。  
これから述べるのは、「小保方晴子さんがES細胞を使ってSTAP細胞なる物を捏造した」とする見方に対する私の疑問である。
疑問1 ES細胞でSTAP細胞を捏造できるのか?  
疑問の第一は、ES細胞を使ってSTAP細胞を捏造することがそもそも可能なのか? という疑問である。  
復習すると、ES細胞は受精した受精卵が細胞分裂を行い、増えた細胞のなかから得られる細胞である。それは、受精卵の細胞分裂で生じた初期胚の一部である。それ(ES細胞)を他の個体の受精卵に混入すると、その受精卵の細胞と混在する形で、胎児の体を形成する過程に加わることが起こりえる。  
しかしES細胞は、胎児と母体を繋ぐ胎盤の形成には加わらない。ES細胞は、他の受精卵から生じた胎児の体の一部になっていくことはあっても、胎盤の一部にはならないのである。  
これは、発生生物学の常識である。この「常識」に異論を唱える専門家は事実上、いない。ところが、小保方さんや若山教授が『Nature』に発表した論文によれば、小保方さんがマウスから得てSTAP細胞と呼んだ細胞は、若山教授による処理を経てマウスの受精卵から生じた初期胚にそれを注入したところ、マウスの胎児のみならず、その胎児と母体を繋ぐ胎盤をも形成したとされた。  
これが本当ならば、小保方さんが作製したSTAP細胞から若山教授が作製した細胞を、小保方さんや若山教授がES細胞ではない別の新しい万能細胞(多能性幹細胞)だと考えるのは当然だろう。だからこそ、当初、小保方さんや若山教授は「胎盤が光った」と言って喜んだのである。  
しかし、今回の理研の発表は、その「胎盤」に見えた細胞の塊は実は胎盤ではなかったのだろう、と述べている。小保方さんがSTAP細胞と呼んだ細胞は、当初発表されたように胎盤を形成してはおらず、胎盤でない細胞塊を若山教授を含む著者たちが胎盤と見誤ったものだというのが、理研の「結論」である。  
しかし、理研のこの「結論」には根拠がない。たしかに、若山教授らが胎盤でない細胞塊を胎盤と見誤った可能性はあり得るが、若山教授が実際にそうした見誤りをしたことの証明は、理研の発表のなかにはない。  
この分野の世界的権威である若山教授がそのような見間違いをしたとする理研側の主張には、何も根拠がないのである。  
したがって、若山教授らが見た細胞塊が、真実、胎盤であった可能性は依然、否定されていない。  
これは科学上の問題である。したがって、他の自然科学の問題と同様、多くの違う研究者が同じ実験を繰り返して胎盤が形成されるかどうかを観察する以外に結論の出しようがない問題なのである。  
それなのに、今回の発表をもって「あれは胎盤ではなかった」と結論づけることは、およそ科学の姿勢ではない。仮に、小保方さんや若山教授がマウスの胎盤だと判断した細胞塊が胎盤であったのなら、STAP細胞はES細胞ではない。胎盤の問題は、それほど決定的な論点である。  
それにもかかわらず、根拠を示さないまま「あれは胎盤ではなかった」と理研が主張する理由を私は理解できない。
疑問2 小保方さんは、胎盤形成を予想したのか?  
疑問1は科学上の疑問であるが、これに加えて、「小保方さんがES細胞をSTAP細胞と偽って渡し、マウスの初期胚に混入させた」という仮説には不合理がある。  
先ず先述したように、「ES細胞は胎盤を作らない」というのは発生生物学の常識である。当然、小保方さんも若山教授もその認識は共有していたはずである。それを前提に考えると、次のような疑問が生じる。  
仮に、小保方さんがES細胞をSTAP細胞だと偽って若山研究室に渡したとする。その場合、小保方さんは、渡したES細胞がマウスの受精卵に注入されたあと、その細胞はES細胞なのだから、胎盤は形成しないことを予想しているはずである。  
しかし事実として、若山教授は小保方さんから受け取った細胞を処理してマウスの受精卵に注入したあと、小保方さんから渡された細胞が胎盤を形成したと判断した。この意味を考えてほしい。  
小保方さんが、ES細胞をSTAP細胞と偽って若山教授に渡したのであれば、小保方さんは渡した細胞が胎盤を形成するとは予想していなかったはずである。しかし、若山教授は胎盤が形成されたと判断した。その結果、小保方さんがマウスから作製し、若山教授に渡した細胞は胎盤をも形成する新しい万能細胞だと判断されたのである。  
小保方さんが期待もしなかったことが若山教授の研究室で起こり、その結果、小保方さんは偶然(!)、胎盤をも形成する新しい万能細胞を作製したという名誉を得たことになる。こんな「成功」が偶然に起きたのだろうか?
疑問3 小保方さんはES細胞を混入する必要があったか?  
疑問2に対して予想される反論はこうだ。 「小保方さんは、胎盤形成までは狙っていなかった。仮に胎盤形成は起こらず、胎児の形成だけが起こっても、遺伝子操作をせずに、酸処理だけでES細胞のような万能細胞を作るのに成功したことを若山教授に認めさせることができれば、それだけで大きな栄誉と地位を得られる研究成果になった。だから、若山教授が胎盤でない細胞塊を胎盤と見誤ったのは単なる幸運だった」  
とする仮説である。  
しかし、これもおかしい。なぜならこの仮説は、小保方さんがSTAP細胞が存在しないと思っていることを前提にしているからである。  
考えても見てほしい。STAP細胞が本当に存在するかしないかは別として、小保方さんはSTAP細胞が存在すると思ったから実験に取り組んできたのではないだろうか? 科学上の真実が何であるかはともかくとして、小保方さんはそう信じてきたのではないだろうか?  
小保方さんは、マウスの脾臓から得た細胞を酸で処理すると、細胞の初期化が起こった際に活性化し、細胞を緑色に発光させるOct4─GFPという遺伝子が活性化し、細胞が緑色に発光するのを確認した(彼女が記者会見で言った「STAP細胞作製に200回ほど成功している」という発言は、この細胞の発光を200回確認した、という意味であろうと私は推察する)。  
この標識遺伝子によって細胞が緑色に発光したからといって、必ずしも細胞が初期化されているわけではない。細胞が死んでいく際にもこの発光現象は起きることがある。酸処理で死んでいく細胞を見ただけかもしれないことは、STAP細胞の発表直後から散々指摘されてきたとおりである。  
そうした緑色に発行した細胞が初期化された細胞、つまり万能細胞なのか、それとも単なる死んでいく細胞なのかは、最終的にはその細胞を他のマウスの初期胚に注入してどうなるかを見なければ分からないのである。だからこそ、緑色に発光したそれらの細胞を一定の処理のあと、他のマウスの受精卵に注入する実験を小保方さんは若山教授に託したのである。  
注入された細胞がマウスの胎児や胎盤を作り上げればそれは万能細胞だし、作り上げなければ万能細胞ではないことになる。そのプロセスは高度の技術を求めるので、この分野の権威である若山教授が小保方さんの要請を受けた形で、それを試したのである。  
すると、小保方さんが若山教授に渡したそれらの細胞は、別のマウスの受精卵の細胞と混じり合って増殖し、その受精卵を胎児に成長させた(これがキメラである)。それどころか、その混じり合った細胞の集まりはマウスの胎盤まで形成した、と若山教授は判断した。  
このプロセスがES細胞を使った捏造だというのであれば、小保方さんの行動は全く不合理なものとなる。小保方さんは、自らがマウスから得たあの緑色に光る細胞をSTAP細胞だと思ったのではないだろうか?   
それならば、そう思っているのに彼女がその細胞ではなく(!)、あえてES細胞か、あるいはES細胞を混入した細胞を若山教授に渡した理由は一体、何なのだろうか?  
不眠不休の実験を重ねながら、自分が得た細胞はSTAP細胞などというものではないと思ったのだろうか? 自分が作製した細胞はSTAP細胞などではないと認識したから小保方さんはES細胞を渡したか、あるいはES細胞を混入した細胞を若山教授に渡した、というのだろうか?  
一体なぜ、やってみなければわからないキメラ形成の実験において、初めからSTAPが存在しないと思っているのでなければ意味を持たないES細胞混入をする必要があったのだろうか?  
私のこの問いに対して、「何度やってもうまくいかなかったが、論文発表の期限が迫っていた。それでES細胞を混入させたのだろう」という仮説を言った人がいる。  
しかし、昨年春の騒動のなかで論文撤回に最後まで抵抗し、理研上層部に従おうとしなかった小保方さんのその後の行動を思い出すと、彼女がそのような組織の要請に応じて自分の実験を放棄するとは考えにくい。
疑問4 FACSは役に立たなかったのか?  
これは非常に専門的な問題である。小保方さんが、Oct4─GFP陽性細胞というあの緑に光る細胞を作製した際、亡くなった笹井氏が記者会見で強調したように、理研の研究者たちはもちろん、それを直ちにSTAP細胞という万能細胞であるとは認識しなかった。死んでいく細胞も同じように緑色に発光することがあるからである。  
そこで、理研の研究者たちがその点を確かめるために行った実験の一つが、FACSと呼ばれる実験である。これは、浮遊した細胞を機械で識別する光学的な装置で、こうした細胞を鑑別する際、広く利用される方法である。  
笹井氏はこのFACSを使って、小保方さんが作製した緑色に光る細胞が「死んでいく細胞ではないと確認した」と述べていた。笹井氏のこの指摘は間違っていたのだろうか? FACSは死んでいく細胞と万能細胞を見分けるうえで、そんなに無力だったのだろうか? 「捏造」を唱える専門家のなかにも、FACSの信頼性そのものを疑う人は、私がいままで議論した人々のなかにはいなかった。
疑問5 ES細胞を若山教授の培養条件で生存させることができたのか?  
これも、高度に専門的な論点である。正直に言って、私の能力を超えた問題である。だが、これも重要な論点なので、疑問の存在だけは指摘しておく。  
小保方さんがマウスから得た細胞はSTAP細胞と名付けられはしたが、小保方さんがマウスから得た段階では増殖能力をもたない細胞であった。それを培養して増殖能力のある細胞に誘導したのは、若山教授とその研究室スタッフである。  
仮に、小保方さんが若山研究室に渡した細胞がES細胞であったとすると、若山研究室はそのことを知らずに、つまり受け取った細胞の正体がES細胞であるとは知らずにその細胞を培養したことになる。  
ところがその際、若山研究室で培養に用いられた培養液ではES細胞は死滅してしまうという指摘が、理研幹部の一人、丹羽氏から出されている。  
つまり、仮に小保方さんが若山教授に渡した細胞がES細胞であったのなら、若山教授はそれらの細胞を培養すること自体ができなかったはずだ、ということになる。  
しかし、若山教授は小保方さんから渡された細胞を培養することに成功した。そして、それらの培養した細胞からマウスの胎児を形成することに成功している。  
ということは、小保方さんが若山研究室に渡した細胞は、少なくともES細胞ではなかったのではないか? ということになる。  
これは、STAP細胞がES細胞だとする主張に対する決定的な反駁のようにも思われる。ただし、この培養液の問題については、ES細胞を問題の培養液で培養することは不可能ではないとする主張もあり、現時点では私の能力を超えた論点である。しかし結論は出されていないので、これも検証されるべき疑問の一つである。
疑問6 小保方さんはどのようにしてES細胞を入手したのか?  
次に、仮に小保方さんがES細胞を使ってSTAP細胞を捏造したというのであれば、小保方さんはどこからどうやって、そのES細胞を入手したのだろうか。  
そのES細胞は若山研究室で管理されていた。ところが、それが小保方さんの研究室の冷蔵庫にあった、とNHKスペシャル(7月27日放送)は伝えた。NHKスペシャルでは、若山研究室にいたことのある元留学生を匿名で電話に登場させ、その留学生に「なぜ、あの細胞がそこ(小保方さんの研究室)にあるのか分からない」という趣旨の発言をさせている。  
NHKのこの番組を見た人たちの多くは、この留学生への電話取材を見て、小保方さんが捏造目的でES細胞を若山研究室から持ち出したような印象を持ったのではないだろうか。  
ES細胞は若山研究室の厳重な管理下にあったはずであるのに、それを小保方さんが持ち出すことができたのか?   
このことについては逆に、報道する側に何らかの作為があったのではないか? つまり、「捏造」を捏造したのではないか、という可能性を指摘する声がインターネット上で見られる。「小保方さんがES細胞を使ってSTAP細胞を捏造した」という主張に対する大きな疑問点となっている。
疑問7 「遺伝子解析」は妥当だったのか?  
昨年の「捏造」疑惑報道のなかでたびたび」登場した言葉の一つは、「遺伝子解析」であった。そして若山教授の側から、「STAP細胞とされた細胞は、若山研究室から小保方さんに渡したマウスとは遺伝子が異なる」という指摘がなされた時には、私自身、「もしかすると、小保方さんは本当に捏造をしたのか?」と疑ったことを告白する。  
ところが昨年7月上旬、小保方さんが『Nature』論文の撤回に同意した直後の報道に私は驚かされた。その「遺伝子解析」は「間違いだったかもしれない」と、若山教授の側が前言を撤回したからである。  
小保方さんが論文撤回に同意したら、「偽造の証拠」(?)として持ちだされた「遺伝子解析」は「間違いだったかもしれない」と話が変わったのである。一体、この「遺伝子解析」は何だったのだろうか?  
これだけではない。「STAP細胞には、ES細胞に多くみられるトリソミーが見られる」という指摘も、いつの間にか曖昧にされている。このように、小保方さんが捏造をしたと主張する側の主張は、特に「遺伝子解析」を巡ってくるくる変わっているのである。  
このように主張が二転三転したことをまずかったと思ったのだろうか。12月26日の理研の発表では、もう少し踏み込んだ「遺伝子解析」が発表された。要約すると、STAP細胞とされた細胞は、細胞の遺伝子であるDNAを比較、検討した結果、保存されていたES細胞とDNAが酷似しており、ES細胞そのものであろうと判断される、という「解析」である。  
一見、決定的な証拠のように思う人もいるだろう。しかし、この「遺伝子解析」には落とし穴がある。そのSTAP細胞とされた細胞も、保存されていたES細胞も、元をただせばともにマウスから得られた細胞である。その元のマウスが血統上、極めて近いマウスであったとしたら、DNAが似ているのは当たり前である。この点について、12月26日の理研の発表は十分な説明を加えていない。  
したがって、「遺伝子解析でSTAP細胞はES細胞であることが判明した」とは言えないのである。この点について、理研はどう説明するのだろうか?
疑問8 検証実験は本当に失敗したのか?  
8番目の疑問は、今回の検証実験が本当に全面的な失敗だったのか?という疑問である。  
新聞やテレビの報道だけに接していると、一般の人々は今回の検証実験は失敗だった、と思って疑わないだろう。  
しかし今回の理研の発表によれば、たしかにキメラの作製には成功しなかったが、小保方さんがスクリーンの前で指さして見せたあの緑色に発光した細胞(Oct4─GFP陽性細胞)自体は、45回試みたうち40回、作製に成功しているというのである。  
その先のキメラ形成に成功しなければ、当初、小保方さんらが『Nature』で発表した実験結果の完全な再現にはならないことはいうまでもない。だが、『Nature』の論文で小保方さんが担当したのは、基本的にはマウスから得た細胞を酸処理したところ、Oct4─GFPが活性化し、緑色に光る細胞が見られたという実験の前半部分である。その後のキメラ形成は、若山教授らが分担した実験である。  
つまり、小保方さんは自分が担当した部分については、45回中40回、再現することに成功しているのである。それにもかかわらず、彼女が『Nature』で発表した実験結果が何一つ再現できなかったようなイメージが形成されているのは、あまりにも公平を欠いていないだろうか?
疑問9 TCR再構成に関するゲルの加工は小保方さんの意向だったのか?  
私は、小保方さんとその共著者らに、何も批判されるべき点がないと言っているわけではない。すでに昨年の月刊『WiLL』6月号でも批判しているが、リンパ球の遺伝子(DNA)とSTAP細胞とされる細胞の遺伝子(DNA)を比較するために行った電気泳動の画像処理は強く批判されて当然の加工であり、この点に限って言えば「不正」と言われても仕方がない。  
この電気泳動の結果は、STAP細胞とされた細胞が、一旦成熟したリンパ球に分化の逆行を起こさせたことを示す証拠として『Nature』の論文に掲載されたものであったが、その重要な個所でゲルの加工があったことは、最大級の批判を受けても仕方がない。  
しかしこのゲルの加工は一体、誰の意向で行われたものだったのだろうか?  
また、このリンパ球の遺伝子とSTAP細胞とされる細胞の遺伝子を比較したこの部分(TCR再構成という現象の有無を確認した作業)にこうした加工があった以上、STAP細胞とされた細胞が、リンパ球を初期化(逆分化)させた細胞である証拠はないことになる。それは指摘、批判されているとおりであり、私もその指摘に異論はない。  
しかしそれでも、たとえリンパ球由来である証拠はなかったとしても、小保方さんがマウスの脾臓から得た細胞のなかに、何らかの新しい万能細胞(多機能性幹細胞)が存在した可能性は依然残る。  
TCR再構成を巡る小保方さんらの失態をもってSTAP細胞が存在する可能性そのものを全否定することは正しくない、と私は考える。