学者の意気地 「安保法制は違憲」

憲法学者が生きていました 
学者の意気地を見せました 
 
一応 政治を知らない学者の意見を聞きました 
何を言われようと  目指すは「美しい国創り」 
安全あっての 「美しい国」です


  
  
  
 
言論無視 
全て私が判断します 
物差しは 「美しい国」の姿です
 
 
 
言論統制はしません 
学者の意見 言わせることに意義があります  「聞きました」 アリバイづくり 
「違憲に当たらない」 御用学者が見つからなかっただけ
 
もしかして 悪い冗談 
三人の憲法学者を選定したお役人さん 
次回の移動で 日光浴 紅葉や冬景色を楽しみたかったのでしょうか
 
もしかして 悪い冗談 
大事な安保法制なのに 盛り上がらない国会審議 
寝ている野党を叩き起こすため
  
もしかして 悪い冗談 
勉強不足 上っ面も撫でられないマスコミ・評論家 
中身に首を突っ込んでいただくため
 
安保法制、3学者全員「違憲」 憲法審査会で見解 6/5  
衆院憲法審査会で4日、自民党など各党の推薦で参考人招致された憲法学者3人が、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障関連法案について、いずれも「憲法違反」との見解を示した。国会の場で法案の根幹に疑問が突きつけられたことで、政府・与党からは、今国会中の成立をめざす法案審議に影響を及ぼしかねないと、懸念する声が上がっている。  
参考人質疑に出席したのは、自民推薦の長谷部恭男・早大教授、民主党推薦の小林節・慶大名誉教授、維新の党推薦の笹田栄司・早大教授の3人。  
憲法改正に慎重な立場の長谷部氏は、集団的自衛権の行使を認める安保関連法案について「憲法違反だ」とし、「個別的自衛権のみ許されるという(9条の)論理で、なぜ集団的自衛権が許されるのか」と批判。9条改正が持論の小林氏も「憲法9条2項で、海外で軍事活動する法的資格を与えられていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは9条違反だ」との見解を示した。 
 
憲法学者から思わぬレッドカード 安保法案審議に影響か 6/5  
「集団的自衛権の行使は違憲」。4日の衆院憲法審査会に招かれた憲法学者3人は、安全保障関連法案に「レッドカード」を突きつけた。政府・与党内には、今後の衆院特別委員会の審議に冷や水を浴びせかねないとの見方が広がり、「委員会の存立危機事態だ」との声も出た。  
この日の憲法審査会は本来、立憲主義や憲法制定過程を巡る議論について、各党推薦の専門家から意見を聴く参考人質疑だった。しかし、野党議員の質問をきっかけに議論は衆院特別委で審議中の安保法案をめぐる議論に集中していった。  
小林節・慶大名誉教授は、今の安保関連法案の本質について「国際法上の戦争に参加することになる以上は戦争法だ」と断じ、平和安全法制と名付けた安倍晋三首相や政府の姿勢を「平和だ、安全だ、レッテル貼りだ、失礼だと言う方が失礼だ」と痛烈に批判した。  
憲法や安全保障についての考え方が異なる3人の参考人だが、そろって問題視したのは、昨夏の閣議決定で認めた集団的自衛権の行使だった。集団的自衛権は「違憲」との見方を示し、憲法改正手続きを無視した形で推し進める安倍政権の手法を批判した。  
長谷部恭男・早大教授は、従来の政府解釈が個別的自衛権のみを認めてきた点を踏まえて「(閣議決定は)どこまで武力行使が許されるのかも不明確で、立憲主義にもとる」と批判した。  
笹田栄司・早大教授は、内閣の判断で憲法解釈を変えることについて、戦前のドイツでナチスの台頭を許した「ワイマール(体制)のことを思う」と言及。専門の違憲審査の問題を踏まえて、憲法解釈については「少しクールに考える場所が必要」などと指摘した。  
教授らは、新たな安保関連法案が、「戦闘現場」以外なら米軍などへの後方支援を拡充する点についても問題点を指摘した。  
長谷部氏が「(憲法9条に抵触する他国との)武力行使の一体化が生ずるおそれは極めて高くなる」と発言。小林氏は、戦争への協力を銀行強盗を手伝うことにたとえて、こう皮肉った。 「一体化そのもの。長谷部先生が銀行強盗して、僕が車で送迎すれば、一緒に強盗したことになる」 
 
憲法審査会 全参考人が「安保関連法案は違憲」  6/4 
衆議院憲法審査会で参考人質疑が行われ、安全保障関連法案について、「従来の政府見解では説明がつかない」という指摘や「憲法9条に明確に違反している」といった意見が出され、出席した3人の学識経験者全員がいずれも「憲法違反に当たる」という認識を示しました。  
衆議院憲法審査会で行われた参考人質疑では、出席した3人から、後半国会の焦点となっている安全保障関連法案について意見が出されました。  
この中で、自民党、公明党、次世代の党が推薦した、早稲田大学法学学術院教授の長谷部恭男氏は、「集団的自衛権の行使が許されることは、従来の政府見解の基本的論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがすもので憲法違反だ。自衛隊の海外での活動は、外国軍隊の武力行使と一体化するおそれも極めて強い」と述べました。  
民主党が推薦した、慶応大学名誉教授で弁護士の小林節氏は、「仲間の国を助けるため海外に戦争に行くことは、憲法9条に明確に違反している。また、外国軍隊への後方支援というのは日本の特殊概念であり、戦場に前から参戦せずに後ろから参戦するだけの話だ」と述べました。  
維新の党が推薦した、早稲田大学政治経済学術院教授の笹田栄司氏は、「内閣法制局は、自民党政権と共に安全保障法制を作成し、ガラス細工と言えなくもないが、ぎりぎりのところで保ってきていた。しかし今回の関連法案は、これまでの定義を踏み越えており、憲法違反だ」と述べました。  
 
公明・北側氏「突き詰めた議論を経て閣議決定」  6/4 
安全保障法制の整備に向けた与党協議で座長代理を務める公明党の北側副代表は衆議院憲法審査会で、「憲法9条には自衛の措置の限界は明確には書かれていない。9条は世界的には特別な条項になっているが、その下で、どこまで自衛の措置が許されるのか、相当突き詰めた議論をした。いろいろなご意見、ご批判はあるかもしれないが、そういう中で閣議決定に至ったということだ」と述べて、理解を求めました。
 
官房長官「違憲の指摘当たらない」  6/4 
菅官房長官は午後の記者会見で、「安全保障関連法案は去年7月に閣議決定した基本方針に基づいて整備を行っている。その考え方は以前の政府見解の基本的な論理の枠内で合理的に導き出すことができるものだ」と述べました。  
そのうえで、菅官房長官は「憲法解釈として法的安定性や論理的整合性は確保されている。したがって、違憲という指摘は当たらないと政府は考えている」と述べました。  
また、菅官房長官は記者団が「国会審議への影響はあるか」と質問したのに対し、「そこはないと思う」と述べました。
官房長官の言う「違憲じゃないという憲法学者」  
安保法制は憲法違反だ──。昨日4日に開かれた衆議院憲法審査会に招致された3人の憲法学者全員が、現在、国会で審議中の安保法制を「違憲」であるとし、安倍政権に牽制をかけた。  
しかも、招致されたひとりである長谷部恭男・早稲田大学法学学術院教授は自民党と公明党、次世代の党が推薦した憲法学者。しかし、長谷部氏は集団的自衛権の行使容認を「従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」「外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」と、安保法制の危険性をはっきりと指摘。憲法の専門家である学者たちにとって安保法制は現行憲法を無視したナンセンスなものであることが白日のもとにさらされた格好だ。  
だが、こうした事実を断固として拒絶したのは、もちろんこの方、菅義偉官房長官である。同日4日に行われた会見で菅官房長官は「法的安定性や論理的整合性は確保されている。まったく違憲との指摘はあたらない」「憲法前文、憲法第13条の趣旨を踏まえれば、自国の平和を維持し、その存立をまっとうするために必要な自衛措置を禁じられていない」と、国会に招致した憲法学者たちの見識を批判しはじめたのだ。……いや、誰もあなたの憲法解釈など訊いていないし、第一、彼は司法試験でも受かったことがあるのだろうか。  
しかも驚くことに、菅官房長官はこうも言い切ったのだ。  
「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」  
じゃあ、その憲法学者を呼んだらよかったじゃん!とツッコミたいところだが、しかし待て。ほんとうにそんな人物が、たくさんこの世に存在するのだろうか。  
そもそも今回の参考人選定では、自民党は長谷部氏ではなく、党とのつながりもあり憲法学の権威と称される佐藤幸治・京都大学名誉教授を呼ぶ予定だったという。しかし、その佐藤氏も、安保法制について「丁寧な審議を通じて事柄の内容と問題点を国民に明らかにしないままに突き進むとすれば、日本の議会制・立憲主義の将来にどのような結果をもたらすか大変心配している」(朝日新聞/6月1日付)と発言している。自民党は、佐藤氏の招致断念の理由を“調整がつかなかった”と説明しているが、じつのところ、佐藤氏のこうしたスタンスを知って、改憲派の長谷部氏に鞍替えしたのではないのか。  
“自分たちの味方だ”と思い込んでいた佐藤氏や長谷部氏といった保守系憲法学者からもことごとく安保法制にNOを叩きつけられる。──これが安倍政権の置かれた現状なのだが、しかし、菅官房長官は「違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と言った。では、その著名な憲法学者とやらは誰なのだろう。  
だが、いくら考えても調べても、思いつくのはせいぜい3名しかいない。それは、西修・駒澤大学名誉教授と、百地章・日本大学教授、そして八木秀次・麗澤大学教授だけだ。参考人として国会に呼ばれた憲法学者のひとりである小林節・慶應義塾大学名誉教授も、昨日の審議会後に「日本の憲法学者は何百人もいるが、(違憲ではないと言うのは)2、3人。(違憲とみるのが)学説上の常識であり、歴史的常識だ」(朝日新聞より)と語ったというが、きっと小林氏の頭のなかにもこの3名の顔が浮かんだはずだ。  
しかも、この3名は揃いも揃ってかなりのトンデモ発言を連発している面々なのである。  
まず、西氏と百地氏は、2013年に産経新聞が発表した憲法改正草案「国民の憲法」の起草委員でもあるのだが、この中身が凄まじい。「日本は立憲君主国と国柄を明記」にはじまり、「天皇は元首で国の永続性の象徴」「国の安全、独立を守る軍を保持」「家族の尊重規定を新設」「国民は国を守る義務を負う」などなど、自民党の改正草案以上の戦前回帰ぶりなのだ。この改正案からは西氏と百地氏のイデオロギーがありありとわかるが、実際、西氏は今年3月に開催された講演会でも「平和主義は日本だけのものではなく、非常事態に国民の権利を一部制限して対処することも当たり前になった」と発言。百地氏も「例えば国家そのものが存亡の危機にある場合、国益、国民全体の利益を守るためには、一時的に人権が制限される場合がありうる」(TBS『サンデーモーニング』/13年6月)と述べるなど、国家のために国民の人権も立憲主義も停止する悪名高い“緊急事態条項論”をもちだす始末。彼らの頭には“基本的人権”も“立憲主義”もない様子だ。  
さらに、八木氏については、既報の通り、「正論」(産経新聞社)14年5月号で天皇の護憲発言を取り上げ、「両陛下は安倍内閣や自民党の憲法に関する見解を誤解されている」「両陛下のご発言が、安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない」と、安倍首相の擁護のためなら天皇をも批判する、保守ならぬ“安倍主義者”というべき論を展開。また、拉致問題解決のための集会後のデモで「全ての朝鮮人を東京湾にたたき込め」というシュプレヒコールが上がったことについても、「外国勢力の関与も疑われる」(「正論」15年1月号)とヘイト丸出しの記述を行っている。  
──これがまともな憲法学者の態度なのか?と大いに疑問が湧いてくるが、一応、この3名のなかで唯一、憲法学の権威のひとりとされている西氏にしても専門は比較憲法学で、憲法の運用や条文解釈などの専門家ではない。また、西氏は安倍首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」で有識者委員を務めていることから今回の審議会に招致することはできなかったのだろう。一方、百地氏、八木氏にいたっては、「正論」や産経新聞では御用達なので保守界隈では著名なのかもしれないが、憲法学者としての知名度は低く、憲法学者というよりも政治イデオロギーを前面に押し出したタカ派論客、たんなる戦前回帰&ヘイト容認のネトウヨと同レベルの人物でしかない。結局のところ、安保法制を「合憲」と言うのはこの程度のメンツしかおらず、まともに憲法を専門にする学者ならば、とても合憲などとは言えないシロモノなのだ。  
よくもまあこんな散々たる状況で「著名な憲法学者もたくさんいる」と言ったものだが、この菅官房長官の強気な態度と同様、安倍政権は学者たちの投げかけなどは無視して安保法制を強行することは明白だ。  
ただ、今回の審議会における憲法学者3名が違憲としたように、このまま安保法制が国会を通過するようなことがあれば、違憲訴訟が起こるのは間違いないだろう。そこに一縷の望みをかける人もいるかもしれないが、残念ながら、司法はそう期待できるものではない。というのも、もし数多くの権威ある憲法学者が安保法制は違憲だと主張しても、さらには安保法制がどう転んでも「合憲」とは判断できないものだとしても、権力になびいた最高裁は「統治行為論」をもち出して司法審査の対象外として逃げ切ることが予想されるからだ。  
安倍首相はきっとそれを百も承知で、国会ですべての決着がつくと高を括っている。知の力でもこの暴走を止められないとなると、今後、日本はどうなってしまうのだろうか。 
官房長官 合憲論学者「数ではない」 6/10  
他国を武力で守る集団的自衛権の行使を柱とする安全保障関連法案に関する衆院特別委員会は十日午前、関係閣僚が出席して一般質疑を行った。菅義偉(すがよしひで)官房長官は二百人以上の憲法学者が安保法案を違憲だと批判していることについて「数(の問題)ではない」と述べ、合憲の主張が少数派であることを認めた。その上で、合憲と主張する憲法学者三人の実名を挙げた。   
三人は百地章日本大教授、長尾一紘中央大名誉教授、西修駒沢大名誉教授。菅氏は「憲法の番人は最高裁だから、その見解に基づき法案を提出した」と述べ、安保法案は合憲だと重ねて主張した。  
菅氏は、衆院憲法審査会で憲法学者三人が安保法案を「違憲」と批判したことを受け、四日の記者会見で「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいる」と反論していた。  
民主党の辻元清美氏は質問で、二百十一人の憲法学者が安保法案は違憲だとの声明を発表していると指摘し、菅氏に「違憲ではないと発言している憲法学者の名前をいっぱい挙げてください」と迫った。政府見解に沿った意見を持つ学者を示せないなら「法案は撤回した方がいい」と要求した。  
これに関連し、中谷元・防衛相は法案成立を前提に違憲訴訟で敗訴した場合には「法治国家なので最高裁判断が出た時には適切に従っていく」と述べた。  
これに先立ち、自民、公明両党の幹事長らは東京都内のホテルで会談し、今月二十四日までの国会会期内に法案を衆院通過させることは困難だとの認識で一致。大幅に会期を延長する検討に着手した。一方、民主党の安住淳国会対策委員長代理は「憲法違反の法案だから何時間審議してもダメだ」と記者団に述べた。 
憲法学者はGHQの洗脳から離脱できない 6/11  
枝野は政治学入門の講義を受け直せ  
自民党副総裁・高村正彦が「私が批判しているのは憲法学者の言うことをうのみにしている政治家だ」と民主党幹事長・枝野幸男に切り返したが、見事に急所を突いている。枝野の「谷垣氏も高村氏も40年前の憲法議論をベースにしているのではないか。40年間、どれほど憲法の勉強をしたのか。もう1回、大学の憲法の授業を聞き直せ」との批判に反論したものだ。高村発言は、憲法学者3人の安保法制違憲論が、いかに時代と安保環境にマッチしていないかだけでなく、これに踊る朝日新聞とその論調に踊らされるポピュリズム政治家・枝野、辻元清美らを諫めたものだ。憲法の授業は先に指摘したとおり、大先生たちが戦後70年同じ帳面を読み上げているものであり、聴講に全く値しない。枝野は大学の政治学入門から講義を聴き直して物を言った方がよい。集団的自衛権の限定行使論議は、最高裁の合憲判決に基づく政治マターであり、浮き世離れした学者の違憲論を根拠にする限り民主党に勝ち目はない。既に負けると予想しているから“今をときめく”辻元が憲法解釈変更について「再び民主党政権になったら元に戻した方がいい。」と発言しているではないか。「民主党政権」が未来永劫(えいごう)あり得ないとすれば、元に戻すこともあり得ないのだ。  
官房長官・菅義偉が安保法制合憲論の学者の名前を挙げた中で中央大名誉教授・長尾一紘の発言が一番問題の核心を突いている。長尾は毎日に「戦後70年、まだ米国の洗脳工作にどっぷりつかった方々が憲法を教えているのかと驚く。一般庶民の方が国家の独立とはどういうことか気づいている」と指摘した。確かに法学者は「洗脳工作」で戦争直後に作った大学講義の帳面が代々引き継がれているとしか思えない。連合国総司令部(GHQ)は戦争直後の7年間の占領期間中、国民の間に植え付けられた軍国主義の思想を徹底的に洗い直す「洗脳工作」(War Guilt Information Program)に専念した。戦争の罪悪感を日本人の心に植え付け、絶対平和主義が理想であるかのごとき思想を徹底させた。これは軍国主義の復活で日本が再びパワーを持つことを恐れたものだ。平和憲法もその流れをくむものであろう。  
この日本の牙(きば)抜き洗脳工作はその後の朝鮮戦争の勃発など環境激変で意義を薄れさせたが、極東をめぐる情勢は、天から平和が降ってくると言う思想では対処しきれなくなった。天から降ってくるのは200発のノドンであり、中国は漁船を巡視艇に衝突させて、尖閣領有の可能性を探っている。この状況変化に対応できないのが憲法学者であり、それを政治的に活用しようとするのが民主党なのだ。世論調査ではまだ反対が多いが、いざ国政選挙で安保問題がテーマとなれば、自民党は勝つのが過去の例だ。1960年11月に行われた総選挙は安保闘争直後にもかかわらず選挙への影響はほとんど無かった。逆に、社会党と民社党の分裂により、自民党が議席を増やした。沖縄返還後の総選挙も圧勝しており、安保が争点になれば自民党は負けたことがない。したがって自民党は来年夏の参院選か衆参ダブル選挙に、堂々と安保法制問題を提示すればよいことだ。  
砂川判決は唯一の最高裁による国の安全保障に対する合憲判決であり、朝日は今日(11日付)の社説で「また砂川判決とは驚きだ」と書いているが、この主張の方が驚きだ。砂川判決に準拠して安保法制を作らずに何に準拠せよというのか。59年の砂川判決は、「わが国が、その存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうることは、国家固有の権能の行使として当然のこと」と述べているのであり、あまりにも明白すぎて議論の余地がないほどだ。判決には個別的自衛権とも集団的自衛権とも書き込まれていないが、全てを包含するというのが常識だ。さらに重要なのは砂川判決の後半部分である。「日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」としている。これが物語るものは国の安全保障に関しては最高裁ではなく政治の判断に委ねるという事であろう。  
それはそうだ。裁判官が国防に口を出そうにも出しようがないのだ。国防は三権分立における政治マターの最たるものだ。ましてや憲法学者ごときが国の命運を左右する安全保障問題で反対ののろしを上げ運動をすることは、八百屋が魚河岸でマグロを選ぶのと同じだ。政府・与党は今後反転攻勢に出る構えであり、自民党副総裁・高村正彦が11日の衆院憲法審で自ら意見陳述することを決めた。公明党代表・山口那津男までが、「学識経験者にもいろいろな意見があるが、4日の審査会で発言した方々は、法案に批判的な見解を持った人ばかりだった。政府の考えは一貫しており、その対応は、いささかも揺らぐことはない」と今国会成立を明言している。自民党内はエキセントリックな元行政改革相・村上誠一郎が「憲法学者の意見を一刀両断に切り捨てることが本当に正しい姿勢か。採決に当たっては党議拘束を外してほしい」などと総務会で主張、反逆の構えを見せているが、同調者はゼロ。村上の主張の逆を選べば全ては成功する。 
  
  

 
2015/6  
 
 
●合憲論学者
 
●百地章 日本大教授 
日本の法学者(1946年- )。専攻は憲法学。日本大学法学部教授。国士舘大学大学院客員教授。保守派の論客。  
静岡県周智郡森町出身。学生時代は民族派の運動に参加し(党派未詳)[要出典]、1969年に京都商工会議所大ホールで開催された全日本学生文化会議の第1回全国大会「日本の文化と伝統を護る学生の集い」では大会実行委員長を務めるなどした[要出典]。  
保守的な学説を展開している。特に靖国神社問題や在日外国人の参政権問題、創価学会の政治活動・選挙活動の当否について日本の国益を重視する説を唱える[要出典]。保守系政治組織日本会議の政策委員も務める[要出典]。  
皇位継承問題に関しては、男系すなわち万世一系の皇統護持を主張し、女系天皇推進派や女性宮家創設の動きを批判している[1]。  
国旗国歌問題では教職員組合の反対を“妨害活動”と批判している[2]。  
憲法改正論議においては改憲の立場をとっている。民社協会系の「創憲会議」が2005年2月14日に発表した「創憲」を考えるための提言書の内容は百地を始め加藤秀治郎、西修らの原案を元にしている。  
 
百地章・日大教授が「美しい日本の憲法を作る国民の会」の幹事長、「二十一世紀の日本と憲法有識者懇談会」の事務局長を務めているのが目を引く。日本会議がもっとも力をいれる改憲運動のための組織で要職を占めているのだからただ事ではないだろう。アカデミズムの世界で、百地章はさほど有名な学者ではない。しかし「保守論壇人」としての露出度は近年とりわけ高い。また、在特会などをはじめとする「行動する保守」を長年観察してきた人々にとっては「センター試験の出題に腹を立てて文科省に抗議した不思議なおじさん」としてマニアックな知名度を有してはいる。このように学者としてではなく特殊な知名度を持つ百地章だが、日本会議をとりまく「一群の人々」の中では重きをなす人物だ。  
百地章が静岡大学を卒業したのが1969年。ちょうど東京では、長崎大学の椛島有三(現・日本会議事務総長)を中心として『全国学協』が結成されたころだ。全国学協は「生長の家」の信者学生の運動を軸として「民族派学生の全共闘」をめざして結成されたもので、あくまでも運動目標は「左翼・セクト学生運動との闘争」にあった。そのため民族派学生運動のなかから「闘争一本やりではなく、サークル団体として学生たちに文化的な活動を通じて思想教育をする運動体が必要だ」との機運が高まる。その結果生まれたのが、『全日本学生文化会議』だ。  
この『全日本学生文化会議』も生長の家の信者学生の運動とその周辺にあつまる民族派学生の運動を母体としていた。結成大会が開かれたのは1969年11月。この結成大会の大会実行委員長を務めたのが、静岡大学を卒業し京都大学修士課程に進んだ直後の、百地章だ。筆者のインタビューに答えてくれた、生長の家学生運動の元闘士は、「当時、椛島有三さんや安東巌さんなどの、長崎大学系の人たちは武闘派や謀略家というイメージでした。しかし百地さんは、知的で物腰がやわらかくてね。それにハンサムだったし」と、当時の百地について、貴重な証言を語ってくれた。その後、『全国学協』をはじめとする民族派学生運動は、左翼学生運動の終焉にともない下火になる。だが、『全国学協』の社会人組織として椛島有三が作った『日本青年協議会』と、百地章が結成大会の実行委員長を務めた『全日本学生文化会議』はその後も運動を展開し、ついには巨大組織・日本会議の事務局を担う運動体となった。 
 
●長尾一紘 中央大名誉教授 
日本の憲法学者(1942年- )。中央大学名誉教授。外国人参政権に関する「部分的許容説」を紹介し、のちにこの説が憲法上認められず、破綻したとして撤回したことで知られる。  
経歴  
1942年生まれの73歳です。この方は中央大学法学部法律学科を卒業した後、東京大学大学院法学政治学研究科に進学しています。そこで修士課程を終了した後で中央大学助手となり、そのまま教授になって退官するまで中央大学一筋です。  
外国人参政権部分的許容説  
長尾一紘教授の最も有名な学問的貢献としては、外国人参政権部分的許容説が挙げられます。これは日本国憲法の解釈論として、国家レベルでの参政権は認められないが、地方自治レベルであれば参政権を認めることは可能だとする説です。この部分的許容説は、戦後憲法学で大きな影響力を持っていた芦部信喜先生からの賛同を得たり、最高裁判決の傍論として触れられるなど、有力説として大きな影響力を持ちました。特に司法試験受験生からすると、地方自治を含めた全面的な禁止説、国政まで含めた全面的な要請説という従来の対立構造を折衷するものとして、試験の答案が書きやすい圧倒的なメリットが有りました。私も学生時代はこの見解で答案を書いた事があります。折衷的見解は答案構成しやすいので、本当に便利だったのです。とはいえ、答案に書く見解が必ずしも私個人の政策的信条を反映しないように、長尾先生自身も法解釈論として部分的許容説を採りながら、政策論としては禁止が良いと考えていたそうですね。解釈論と自己の政策的信念を分離して論じられるのは、学者として素晴らしいことです。しかしこのことが後に大きな問題を起こします。  
学説変更で部分的許容説を放棄  
近年、長尾一紘教授は自らが日本の憲法学に導入した上記「外国人参政権部分的許容説」を放棄しました。民主党政権において外国人参政権付与が現実化しそうになったことで、大きな危惧を持ったんですね。そして政策的信念に反するというだけでなく、そもそも憲法解釈論としても部分的許容説が成り立たないのではないかと考えるに至ったようです。長尾一紘教授は、現在の日本をとりまく国際環境の変化などが改説の理由として挙げています。つまり、現実の状況が学説を唱えた当初と異なっており、部分的許容説の前提である国政と地方選挙の分離ができていないこと。本当に外国人参政権を付与すれば日本国家が解体に向かいかねない危険性が昔よりはるかに高いこと。こうした理由から改説したというのです。自分が唱えておきながら、いざ実現しそうになると意見を翻すとはなんとも無責任に思えますが、改説理由は至極もっともですね。意固地になって不当な見解を保持するよりはよほど好感が持てます。まあ、部分的許容説の問題点として長尾先生が挙げていることは、禁止説の論者も主張してきたことのように思えます。そう考えると、そもそも当時から部分的許容説は法解釈論として不適当だったような気がします。まあ、答案を書きやすいというだけで採用していた私が言うなって話ですが。  
政治的立場はどうなのか?  
外国人参政権部分的許容説を導入した論者ということで、かつては「左」とみなされることもあったようです。また、後述するように長尾一紘先生は自衛隊を違憲だと判断していました。このことも左翼視される原因になっていたと思います。しかし上で述べたように、法解釈論として主張することと政策的信条は分けて考えるべきです。長尾先生自身も政治的信条としては外国人参政権に反対だったそうですし、自衛隊に関してもあくまで憲法解釈論として客観的に話していたように思います。むしろ改説理由に在日中国人や韓国憲法の忠実義務を持ち出すなど、現在は周辺国との関係に危機感を持っているように見受けられます。国家解体への危機感にも触れており、当然愛国心はあると思います。あるいはそのことが、今回の集団的自衛権を含めた安保関連法案に「合憲」判断を下した理由なのかもしれません。  
なぜ安保関連法案を合憲支持するのか?  
そもそも長尾一紘教授は、かつて自衛隊違憲説に立っていました。この立場からすると、今回の安保関連法案は違憲判断しないと論理的におかしいはずです。ということは、現在の長尾先生は自衛隊を合憲として捉えた上で、安保関連法案も合憲だと言っているようです。いつの間に学説変更したのかわかりませんが……あくまでも推測ですが、ここにもまた周辺諸国に対する危機感のような政治的信条が紛れ込んでいるように思います。  
まとめ  
かつて自らの政治的信条と学問としての憲法解釈論を分けられるまともな学者だった  
解釈論としては左寄りとみなされていたが、政治的信条としては違う  
現在は周辺国に危機感を持っており、それが解釈論に影響している可能性もある  
ここからはあくまでも私見ですが。長尾一紘中央大学名誉教授は、かつて影響力のある学説を提唱したこともある学者でした。自らの政治的信条と学問としての憲法解釈論を分けて考えられる方だったようです。しかし、現在の姿を見るととてもそうは思えません。たしかに周辺国への危機感は理解できますし、安保関連法案に賛成したくなる気持ちも理解可能です。  
しかし、そうした危機感は政治的信条レベルの話ですから、「安保関連法案に賛成するかどうか」と「それが合憲か否か」の憲法判断は分けて考えねばなりません。そして「合憲」判断に長尾先生の政治的信条が影響していたとすれば、それは学者として恥ずべきことです。理論的にレベルの違うことを混同しているわけですからね。日本が憲法を持つ法治国家だといえるためには、まず憲法を改正してからでなければ安保関連法案は成立させられない。だから憲法改正の是非を問う。この順序でなければならないのです。  
中央大学名誉教授にまでなった憲法学者なのですから、冷静になって信条と解釈論を分けて判断して欲しいと思います。  
外国人参政権における部分的許容説  
論文「外国人の人権−選挙権を中心として」(1988)  
1988年、長尾は論文「外国人の人権−選挙権を中心として」を発表した。この中でドイツの学説である「部分的許容説」を日本の学会で初めて唱え、日本国憲法下でも外国人に地方参政権を付与できると主張した。この論文は最高裁の平成7年(1995年)判決の「傍論」にも影響を与えた。  
禁止説・許容説・要請説 / 「部分的許容説(許容説)」が発表される以前の学会には、「要請説」と「禁止説」という正反対の学説が存在し、このうち「禁止説」が通説的見解とされた。「要請説」は、外国人参政権を認めることは憲法上の要請であり、これをしないことは憲法違反となるとする見解であり、「禁止説」は、(国政レベル・地方レベルの)参政権を法律により付与をすることが憲法違反となるとする見解である。長尾の発表した「部分的許容説」は、両者の折衷的学説であり、国政レベルは法律による付与も認められないが、地方レベルは法律による付与が憲法上許容される とする立場をとっていた。しかし、長尾自身は、法理論としては「許容説」をとりながら、政策論としての外国人参政権付与については「大反対だった」といい、当時は矛盾した考えをもっていた。  
影響  
芦部信喜『憲法学(監)』(1994) / この論文は、芦部信喜の『憲法学(監)』(1994年刊)においても引用された。芦部は、参政権は前国家的権利ではなく、したがって、外国人の国政参政権は国民主権の原理に反するため、認められないとしたが、地方自治体レベルであれば、日本国憲法下でも地方参政権を認めることは許される、という解釈も十分に成り立ちうる、と賛成論を示した。  
平成7年の最高裁判決の「傍論」 / 部分的許容説は、1995年平成7年2月の最高裁判決の傍論にも影響を与えた。最高裁は傍論部分でありながら「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではない」と、「部分的許容説」に近い立場から、判決理由を述べた。なお、当時最高裁裁判官として判決に関与した園部逸夫は、判決理由として部分的許容説を記したことに対して、「不要であった」としながら、記した動機を、特別永住者への政治的配慮があったと語っている。  
民主党政権後の改説  
論文発表から20年以上経過し、2009年に民主党政権が誕生して以降、外国人参政権付与が現実味を帯びたことで、長尾はこの動きに危機感を抱き、2009年12月に「部分的許容説は維持できない。違憲である」とした論文をChuou Online上で発表した。この中で、(1)日本の位置する国際環境の変化、(2)日本人の国家意識の欠如、を学説を変更した理由としてあげており、特に許容説は国政と地方との切り離しが可能であることが前提であるが、近年この分離ができないと現状を分析している。  
「現実の要素が法解釈に影響を与える『立法事実の原則』からも、部分的許容説はもはや誤りである」「国家解体に向かう最大限に危険な法律を制定しようというのは、単なる憲法違反では済まない」と再主張、部分的許容説を否定、撤回した。  
自身が学説を紹介したことで外国人参政権付与が勢いづいたことに関しては「私の読みが浅かった。慚愧(ざんき)に堪えない」と謝罪した。  
論文「外国人の選挙権導入は憲法に違反する」(2010年)  
2010年2月には、論文「外国人の選挙権導入は憲法に違反する」を中央大学のサイトにて発表し、「許容説」が誤りであることを認め「禁止説」に立つとした。また、学説変更について「個人的な心境の変化などではなく、日本の位置する国際環境の変化、そして日本人の国家意識の欠如の認識にもとづく」とした。同論文では、以下の論点が示された。  
二重選挙権 / 部分的許容説においては、国政選挙は許されないが、地方選挙ならば許されるとするが、その前提には、国政と地方との切り離しを可能とする見方がある。しかし、近年、この切り離しができないことが常態になっている。「2009年2月に韓国での選挙法改正により、在日韓国人は、日本にいながらにして韓国の国政選挙すなわち、大統領選挙と国会議員比例選挙の投票権をもつことが可能になった。また、韓国内で居住申告をすれば、地方選挙の選挙権、被選挙権を持てるようになった。この居住申告は、日本の住民登録を維持したまま可能であり、したがって、永住資格を失うことなく居住申告ができる(2010年現在、居住申告者数は6万人を超える)。在日韓国人が、韓国での選挙権と日本での選挙権を持つということは、二重の選挙権を持つということであり、日本の一般国民よりも政治的権利の条件において、より高い有利な地位に立つことになる。」  
韓国憲法における忠誠及び国防義務 / 韓国人は、韓国の憲法によって韓国への忠誠と国防の義務、徴兵制度が国民に課されている。従って、日韓の国益が対立する場合、韓国人は韓国憲法に従い、この忠誠義務に基づいて行動しなくてはならない。  
対馬の領有権問題 / 韓国人の半数が韓国領土と考え、また韓国の国会議員や地方自治体が領有権を主張する対馬において、有権者は約3万人であり、市議会議員の最下位は685票である。したがって、外国人地方参政権が導入されれば、対馬を韓国領土だとする議員が数名は当選することが十分に考えられる。  
在日中国人の場合  
外国人参政権を一般永住者にも拡張しようとする民主党法案においては、日中間での領有権問題が予期される。中国人永住者は、現在、約14万人おり、年間に約1万人づつ増加している。外国人参政権が導入されると、対馬と同様の問題、または比較にならないほどの深刻な問題が生じうる。  
尖閣諸島問題に関しては、日本最南端の与那国島町長選挙では、当落の票差はわずか103票ほどであり、大量に同島に在日中国人が移住すれば、容易に当選しうる。  
また沖ノ鳥島を中国は岩礁にすぎず日本の領土ではないとしているが、この島が属する小笠原村の村長選挙では、得票は713票ほどであり、これも同様、容易に当選しうる。  
長尾は「日中の間において友好関係を維持するためには、最低限度の距離をとる必要があります。過剰の優遇は、多くの場合友情を破壊するという結果をもたらします。家族会議のメンバーに友人を加えるような愚は、さけなければなりません。いたずらに対立と緊張を高めるだけのことです。外国人選挙権法案は、日本の安全を危機にさらすだけでなく、国際平和を害することになります。」と論じている。  
地方選挙と国政との関係  
地方選挙は、国政を左右するのが日本の選挙の常態である。  
沖縄の名護市の住民の意思を尊重するとする当時の鳩山総理に行動は、国政の根本問題である国防・安全保障の問題が、地方自治体選挙の結果によって左右されるということでもある。しかしこれは国政の原則上、あってはならないことである。1000名程の住民が日本の国政の基本問題を決定するという事態は、議院内閣制の原理からしても問題である。  
諸外国において明確に区別される国政固有の問題(軍事、外交、領土などの問題)と地方自治体レベルの問題が日本においては区別されずに、膠着事態が続いている。こうした日本特殊の状況において、地方選挙への外国人参加は、結果的に国政そのものに外国人または外国が重要な影響を及ぼしえ、したがって、国家主権、国民主権、民主政治の原理に反し、それらが脅かされかねない。  
このように長尾は、外国人に参政権が付与された場合、日中および日韓の外交問題(領有権問題)を深刻なものにすることが予期され、日本の安全保障上重大な問題であることを指摘している。  
外国政府への「公約」問題  
在日韓国人の組織である在日本大韓民国民団(民団)の運営費の約7割が韓国政府の補助金による。それゆえ、民団の意思と、韓国政府の意思は連動している。  
民主党の民団への公約は、外国政府への公約ということであり、韓国政府は日本の国家主権を脅かし、内政干渉を行っている。選挙公約は、通常の国では国民に対してのみ行われるが、民主党の行動は国民よりも他国を優先している。  
なお、民団は民主党内選挙運動に取り組み、国籍なしで党内で選挙できることを実現した。また、韓国では、外国人が選挙運動に参加すれば懲役3年以下の犯罪として罰せられる。  
このように長尾は、民主党の進める外国人参政権法案は国家意識を欠如させた危険なものであるとして批判している。  
EUにおける部分的許容説  
元来、「部分的許容説」は、ドイツの学会において少数説であったものを長尾教授が輸入した学説である。ドイツでは、1989年にハンブルク(8年以上滞在する「全ての外国人」に対して、7つの行政区における選挙権)とシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(5年以上滞在するデンマーク人・スウェーデン人・ノルウェー人・アイルランド人・オランダ人に対する選挙権)が、それぞれ外国人に地方参政権を付与する法改正をなし、これが憲法訴訟に発展した。ドイツ連邦憲法裁判所は1990年10月にこの法改正を違憲とする判決を出した。こうして、ドイツでは「部分的許容説」は否定された。その後、「ヨーロッパ連合条約の批准」という要請があったため、1990年に憲法を改正し、EU加盟国国民に限って地方参政権を認めた。  
部分的許容説への批判  
長尾以外にも、憲法学者の百地章は、住民権としての側面について、「憲法の名宛人は国民であるから、憲法九十三条二項の「住民」が「日本国民たる住民」を指すことは、先の最高裁判決のとおりである」と反駁し、また「国民主権の原理は、国政、地方政治を貫く大原則であって、地方自治だから国民主権の原理が侵害されても良いなどといった理由は成立しない」として、部分的許容説および参政権付与論への批判をおこなっている。  
百地は、平成7年の最高裁判決の「傍論」部分は、論理的に考えて、全面禁止説に立つ「本論」とは明らかに矛盾する。にもかかわらず、推進派は「本論」を完全に無視し、「傍論」のみを取り上げ、最高裁も「部分的許容説」を採用したと喧伝したため、推進派を勢いづかせたとして、傍論の政治的利用を批判した。  
なお、判決に加わった園部逸夫元最高裁判事も、「傍論」を重視することは、「主観的な批評に過ぎず、判例の評価という点では、法の世界から離れた俗論である」とした。 
 
●西修 駒沢大名誉教授 
日本の法学者(1940年- )。駒澤大学名誉教授。博士(政治学)(早稲田大学)、博士(法学)(日本大学)。専門は憲法・比較憲法学。駒澤大学法学部教授を2011年3月に退任し、現在に至る。2001年4月から2009年3月まで駒澤大学法学研究所所長を務めた。富山県出身。  
第一次憲法調査会委員であった大西邦敏の学統に属し、比較憲法の視点での研究を特色とする。特に改憲を主張する立場から、日本国憲法の制定過程の問題点を多く取り上げた著書もあり、論憲・改憲の立場に立つ「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会(通称「民間憲法臨調」)運営委員長でもある。保守陣営の知識人であるが、女性天皇を容認を含んだ皇室典範改正には賛同している。  
趣味はテニス、スキー。他に落語があり、「またもや楽大」という高座名を持つほどである。  
防衛法学会名誉理事長。比較憲法学会副理事長。国家基本問題研究所理事。  
2007年4月から、日本の集団的自衛権保持の可能性を考える、総理大臣の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」有識者委員。  
2009年7月からは内閣府「情報保全の在り方に関する有識者会議」委員で座長を務める。この委員のメンバーには北岡伸一(東京大学名誉教授)や前田雅英(首都大学東京大学院教授)、寺島実郎(多摩大学学長)、永野秀雄(法政大学教授)、春名幹男(名古屋大学教授)等がいる。 2010年7月から、公益財団法人千賀法曹育英会理事。 
「世界と比べてここがおかしい日本国憲法」“唯一の平和憲法”という誤解 2015/4/24  
“古い”日本国憲法  
1940年代までに制定された憲法と、改正された実態を調べてみると、「新憲法」と呼ばれる日本国憲法は実は古いことが分かる。そして、これまで約70年間、一度も改正されていない。「新憲法」と言っているうちに、世界でも新しい憲法と思ってしまい、さらに改正をしないことで憲法改正は大変なことだという誤解が広まっているのではないか。  
結論から言えば、世界で成文化された憲法を持つ188カ国中、日本国憲法は古い方から14番目になっている。しかも、70年間一度も改正されていないのは日本しかない。  
世界の憲法を調べる中で、ノルウェーの憲法について資料を取り寄せたが、何回改正されたか分からなかったので、大使館にメールで問い合わせた。答えは「私たちも分からない」だった。憲法改正というのは、天地がひっくり返るような出来事ではないということがよく分かる。  
新しい憲法を見ると、スイスは2000年1月に新憲法を制定したが、2014年5月までに33回も改正している。世界では、憲法は時代とともに変わっていくのが当たり前になっている。  
平和条項も当たり前  
もう一つ、日本国憲法は、「世界で唯一の平和憲法で、ノーベル平和賞に匹敵する」という議論を否定しておきたい。  
誤解を与えているのは9条だが、世界の憲法にも日本と同じように平和主義に関する条項がある。188カ国の中で、1項目でも平和に関する条項がある憲法は158カ国と、84%に上る。  
外国軍隊の通過禁止や、核兵器・生物兵器・化学兵器の禁止・排除をうたっている憲法もある。日本は良いか悪いかは別として「平和憲法」などと呼ばれているが、米軍が駐留しているし、核兵器の禁止、排除は憲法でうたっていない。そういう意味では、日本より進んだ条項を持つ憲法が世界にはかなりある。  
自衛隊は憲法違反だという人もいるが、憲法9条1項の「国際紛争を解決する手段としての戦争放棄」を比較憲法的に見るとどうか。アゼルバイジャンやエクアドルはほぼ同じ条項を持っているが、徴兵制の国だ。  
「国際紛争を解決する手段としての戦争」の紛争というのは、あくまで侵略戦争であって自衛戦争は禁じられていない。わが国の憲法学説は、「井の中の蛙」的な解釈だということが、比較の中で分かってくる。  
ベルリンの壁崩壊など、世界情勢がめまぐるしく動いた1990年以降の20年間に、102カ国が新しい憲法を制定している。  
条項を見ると、環境の権利は89%、プライバシーの権利は84%、家族の保護は85%に盛り込まれた。平和主義も2カ国を除く100カ国、98%に書かれている。  
また、国家の非常事態への対処が書かれていない憲法は皆無だった。平和条項は大切なものだが、もしその平和が侵害された場合、一時的に国民の権利を制限して対処する。これも、もう当たり前のことになっている。  
憲法は「国の形」  
憲法にはもっぱら、権力を縛るものであるという議論が良く出てくる。これを全く否定することはできないが、憲法というのは「国の形」のことだ。  
立憲主義は、ヨーロッパで絶対王政があった頃の民主化の過程の中で出てきた考え方だ。現代では、民主化も進んで「国家対国民」という対立関係ではない。そういう意味で、憲法というのは、われわれが作り上げている国家の形として、作っていかなければならない。  
日本国憲法には、文化、伝統、アイデンティティーというものがない。土台がしっかりしていない。  
土台の上に個人があり、家族があり、地域社会があり、地方自治体、国家がある。今の憲法には個人に関する記述はあるが、世界人権宣言や、国際人権規約に「家族は国家社会の基礎的単位である」と書かれている「家族」への言及がない。  
家族は国家の基礎的な単位であり、地域社会やコミュニティーというのも、憲法で示す必要がある。個人を尊重しながらも、コミュニティーがしっかりしていれば、さまざまな危険を防ぐことができる。  
次いで、地方自治体とか国家、国際社会、自然環境が来る。こうした観点に立って憲法を体系的に考える必要がある。  
憲法改正について、今の国民投票は、一つの改定に対して投票することになっているが、私は新憲法案を示して、全体についてイエスかノーかを問いかけていくべきだと考えている。  
憲法の成立過程、比較憲法から見ると、戦後70年という節目の中で、まず憲法をきちんと変えていくことが大きな目標になるだろう。 
現実離れの「ごっこ的」解釈排せ 2015/5/3  
私が大学に入ったのは、60年安保の年である。構内には、「安保反対」のデモの列が渦巻き、日米安全保障条約の改定はわが国を戦争に巻き込み、平和憲法に違反するという雰囲気がみなぎっていた。私にとって、憲法の研究へと向かう最初の契機となった。  
国の安全と秩序正面に据えず  
大学院に進み、本格的に憲法の勉学に勤しんでから半世紀になろうとしている。その間、学界の主流派になじめなかった。なぜか。当初、左翼的、観念的学説が中心だったことが影響したのは事実である。自衛隊は憲法違反であり、改憲などはもってのほかというのが、憲法学者の大勢であった。  
憲法学は本来、憲法解釈、憲法思想、憲法史、比較憲法、憲法政策などを包摂する学問であるはずだ。だが、戦後の憲法学は、憲法学イコール憲法解釈という構図を形成してきた。しかも、その解釈は、個人の人権を中心に組み立てられ、国の安全や公共の秩序を真正面に見据えたものではない。  
自分たちの世界でしか通用しない「ごっこ的」解釈が通説とされてきて、解釈が社会の現実から遊離しているとしても、それは社会がおかしいのであって、社会が憲法に合わせるべきだという憲法至上主義が支配的だったといって過言ではない。その結果、現実社会の中で解決を見いださなければならない最高裁判所の判決に、そう影響を及ぼすこともなかった。  
憲法公布50周年を記念して開かれた日本公法学会の講演で、東京大学教授から最高裁判所判事に転じた伊藤正己氏はこう語った。  
「民商法、刑事法などの領域では明治以来今日まで、学説と判例は一般的に手を携えて解釈法理を発展させてきた。ところが、憲法の領域では学説と判例の落差が相当に大きいように思われる。率直にいって、民刑事法の領域に比較して、憲法判例の場合に裁判官を指導する力に乏しい気がした」  
15年を経た今も、憲法学説と最高裁判所の判例との関係に基本的な変化が生じたとは思われない。  
文民条項の導入過程に興奮  
私が日本国憲法の成立過程と比較憲法の研究に深入りしたのは、日本国憲法の原点を探り、そこから憲法解釈の糸口を見つけることができるのではないかと思ったのと、各国憲法の現状と傾向を知り日本国憲法のありようを考える縁(よすが)にしたいと考えたからである。  
憲法の成立過程を調べていて、第66条2項(「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」)の導入過程を明確に示す2つの資料を発掘したときの興奮は、今でも忘れられない。  
1つは、英国国立公文書館で極東委員会の文書を調査中に目に飛び込んできた、いわゆる芦田修正を受けた会議の要録である。中身は、芦田修正によって自衛のためならば軍隊が保持できると解釈されるようになった→そうすれば軍人が誕生し、かつてのように軍人が大臣になって軍部支配(ミリタリー・コントロール)の恐れが生じる→そのような事態を阻止するために、国務大臣をシビリアンとする条項(文民条項)を憲法に入れるよう連合国最高司令官に勧告すべきだというものであった。  
もう1つは、アメリカのマッカーサー記念館で見つけた、陸軍次官補のピーターセンがマッカーサー宛てに送った至急電文である。それは、極東委員会の決定を受けてマッカーサーに対し、現在、審議中の議会に文民条項の導入を促すよう指示する趣旨であった。  
こうして、いわば強制的に日本国憲法に文民条項が入れられた。2つの資料を突き合わせると、芦田修正と文民条項との不可分の関係が明らかになった。そして、そのことは、第9条の解釈にあたっては、芦田修正を前提にしなければ正しい答えを導くことができないという根拠を意味していた。  
あるべき憲法像語る時がきた  
比較憲法の視点から、全世界の憲法典を対象に研究していると、日々、新たな発見に遭遇することができる。新憲法といわれている日本国憲法は今や、古い方から14番目であること、60年以上も無改正の憲法は日本国憲法以外に存在しないこと、平和主義条項を設定している憲法典は優に80%を超えること、一方で、国家緊急事態対処規定を設けている憲法もそれ以上の数に上ること、人権では環境条項やプライバシー、統治機構では政党条項の編入はほぼ共通の現象になっていること、近年の傾向として財政均衡条項導入のための改正が多くの国で見られること等々。これら各国憲法の動向は、わが国における憲法改正論議で大いに参考にすべきだと思われる。  
今の時代、憲法学者に求められているのは、存在(ザイン)を対象とする憲法解釈だけでなく、当為(ゾルレン)としての、あるべき憲法像を語ることではなかろうか。多くの憲法学者が、憲法学界を覆っている偏狭な殻を打ち破り、自らの研究成果に基づいて「国のかたち」としての憲法論を語ることを期待しているのだが。 
 
安保法制を考えるヒント / 日米安全保障条約に書いてある本当のこと
安保法制、政府は平和安全法制と改称しているが、5月26日に衆議院で審議入りして以降、連日のように与野党間で激しい論戦が繰り広げられている。  
10本以上の法律を改正するか新たに制定することを内容とするものであるので、論点は多岐にわたり、当然質疑も拡散、答弁する政府側も整理できずに野党側からの質問と議論が噛み合わず、審議が紛糾したり、はては総理が「はや区質問しろ」とヤジを飛ばしたりと、国会議員以上に有権者からは非常に分かりにくくなっているように思われる。  
安保法制については、これが国際紛争の抑止力になるとの見解が政府により示されてきている。衆議院本会議での稲田朋美自民党政調会長からの質問に対して、安倍総理が、「日本が攻撃を受ければ米軍は日本を防衛するために地下えらを尽くしてくれる」とか「日本が危険にさらされたときは日米同盟が完全に機能するということを世界に発信することによって、紛争を未然に防止する力、すなわち抑止力はさらに高まり〜」とか答弁していたことに端的に表れているが、その日米同盟がよりよく機能するようにするために、今回の安保法制があるということのようである。  
これまでは日本が直接攻撃を受けなければ、日本のために任務に当たる米軍が攻撃を受けても自衛隊は何もすることができなかったが、今回の安保法制で米軍を警護することができるようになり、米軍からの信頼も高まるので日米同盟がより強固になり、抑止力も高まる、簡単に言えばそういう論理で、政府側の対応が進められている。  
この前提となっているのが、日米同盟、すなわち日米安全保障条約第5条である。昨年のオバマ米国大統領の訪日に当たっては、尖閣諸島がこの第5条の適用範囲に含まれるということをオバマ大統領が明言したことが話題となったが、そもそも第5条には何と書かれているのか。今回は、その意図するところを読み解き、今後の安保法制の議論を考えるヒントを提供したい。  
日本国外務省のサイトには、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」いわゆる日米安保条約第5条は以下のとおり掲載されている。  
第五条 / 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。前記の武力攻撃及びその結果として執つたすべての措置は、国際連合憲章第五十一条の規定に従つて直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を回復し及び維持するために必要な措置を執つたときは、終止しなければならない。  
これが日本が武力攻撃を受けた場合に、アメリカが日本を守ってくれるとされる根拠と言われている条文である。この条文中、@「日本国の施政の下にある領域」とA「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」が第5条を正しく読み解くためのポイントとなる。  
まず、@「日本国の施政の下にある領域」、一見すると日本が統治している日本の領土と読み流してしまうそうであるが、そんな単純なものではない。「執政下」とはすなわち実行支配をしているということであり、その領域が固有の領土であるか否かは問わない。(そもそも「固有の領土」とは?ということにもつながるが、ここではそれ以上立ち入らない。)このことは、逆に言えば、日本の実行支配から離れてしまえば、もう「執政下にある領域」とは言えないということなる。  
したがって、例えば、中国が攻め入ってきて尖閣諸島を占領したとしよう。その時、尖閣諸島は我が国実行支配から離れてしまっているので、日本国の執政下にある領域ではなくなる。要するに日米安全保障条約の対象からは外れるということである。  
だからこそ日米同盟を強化して中国が攻め入ってこられないようにしよう、攻められる前に米軍と共に行動するということを示せばせめて来ない、といった主張が聞こえてきそうであるが、話はそう簡単ではない。  
それが次のA「自国の憲法上の規定及び手続に従つて」をしっかり読めば分かる。「共通の危険に対処するように行動する」ためには、日本であれば日本国憲法に規定や手続に従った上で、アメリカであれば合衆国憲法の規定及び手続に従った上で、「対処するよう行動する」のであるから、憲法の縛りがキツければ、憲法に基づく個別の法令の縛りがキツければ、軍事行動を採ることが出来ない場合も出て来る。  
米国の場合、米国議会には、戦争に関しては、宣戦布告権、編成権、予算権等があり、大統領は軍の最高司令官と言っても、戦争権限法という仕組が存在する。(もちろん過去に同法の手続を事実上無視して派兵した事例はあるが、事後的な手続は踏んでいるようである。)  
つまり、仮に軍事行動を採ろうと大統領が考えたとしても、自動的にそこに至ることができるとは限らないのである。  
加えて、米国の政治状況や社会的な心理状況を考えた時に、イラク、アフガニスタンと来て国民や議員、更には軍内部にまで厭戦ムードが蔓延していると聞く。そんな中で日本のために米軍を派遣することに、国民が、その信任を受けた議員達が賛成する可能性は極めて低いと考えざるをえない。  
報道によれば、昨年のオバマ大統領の来日の際、まさに尖閣諸島が日米安保条約第5条の適用範囲であると明言した、あの来日の際の記者会見で、CNNの記者からの中国に対する軍事行動に関する質問に対し、「日米安保条約は私が生まれる前からあり、これは私が引いたレッドラインではない」、「日本の施政下にある領土がすべて安保条約の適用範囲に含まれているというこの標準的な解釈は、いくつもの政権が行ってきた。この立場に変化はない。そして、レッドラインは引かれていない。私たちはただ単に条約を適用している」と答えたそうだ。  
ちなみに英語では以下のとおりとのこと。  
“The treaty between the United States and Japan preceded my birth, so obviously this isn't a red line that I'm drawing. It is the standard interpretation over multiple administrations of the terms of the alliance, which is that territories under the administration of Japan are covered under the treaty. There's no shift in position. There's no red line that's been drawn. We're simply applying the treaty.”  
レッドラインとは超えてはいけない一線という意味で、それが引かれていないということは、中国が日本に対して軍事行動を起こしたら直ちに、アメリカ軍が軍事行動を起こすというわけではないということである。安倍総理がなんと言おうと、これがアメリカ合衆国大統領の考え方、現実なのである。(この辺りの解説は、元外務省の孫崎享氏や軍事専門家の方々、リアリズムの国際政治学者の方々などが詳細に解説されているので、そちらもご参照いただきたい。私の意図は、あくまでも、安保法制を巡る議論をより良く理解していただくためのヒントを提示することなので。)  
これによって今回の安保法制の前提や趣旨目的が全て崩れることにならないか?  
そもそも論から言ってしまえば、自国の防衛や安全保障を考える際に、他国に守ってもらおうなどと考えることからして間違っている。他国は他国の利益、国内世論に従って動く。条約があるからといって、そのとおりになるとは限らない。そのために日米安保条約第5条のような曖昧な表現にしてあるのである。  
これが国際政治の現実である。本来、自衛権を集団的か個別的かと分けて考えるということ自体がナンセンスではないか。中国の台頭、北朝鮮の動き、ロシアの動向のみならず、米国の一国覇権主義の幻想の破綻といったことまで含めて、我が国を取り巻く国際環境の大きな変化を踏まえれば、今我が国が考えなければいけないのは、自主防衛力の強化であり、我が国固有の自衛権、今の論争の言葉を使えば個別的自衛権の在り方であるはずだ。  
存立危機事態云々といった新しい概念を次々と作り、目くらましで机上の空論で国会審議の時間を浪費するのではなく、現実主義に立脚した、我が国の領土、領海、領空、そして何よりも我々国民の生活を守るための国防・安全保障を論じてもらいたいものである。その際に、現在国会で審議中の安保法制は、検討の対象となる法案としては不適切と言わざるをえないだろう。  
政府は、今回の国会での議論や野党からの提案、もしかしたら与党内からも提案はでるかもしれないが、そうしたものを踏まえて、再検討の上、新たな法案を作成して提出し直してはどうか?  
 
言論統制
政治権力が報道・出版・その他の言論に対して行う規制である。規制の対象や方法は様々である。マスメディアが対象となることが多いが、集会、デモ行進、個人の会話まで規制されることもある。政治権力とは別に、個人もしくは団体による、個人もしくは団体に対してのTwitterやFacebookの使用制限(ブロック)などに対して「言論弾圧」という語を使用する例があるが、政治権力としての「言論統制」とは違うものである。  
言論統制は主に対内的に流布する利敵情報、例えば国家政策への批判、治安・風紀を乱す主義思想、国家的に重大な機密、暴動・国内的混乱の扇動など、が出版・報道・流布されないように調査や検閲を行い、必要に応じてこれらの情報を操作・管理・防止することである。テレビ、新聞、ラジオ、映画、学校教育などが情報統制、世論操作に使われているが、近年ではさらにインターネットを通じてもおこなわれている。  
日本  
江戸時代の日本では出版には届け出が必要であり、これを犯したものは罰せられた。例えば1855年に仮名垣魯文の『安政見聞誌』を出した版元と共著者の一筆庵英寿は手鎖となった(ただし、魯文は無署名であったため筆禍を免れた)。  
明治以降の日本では出版法、新聞紙法などにより検閲が行われた。共産主義・無政府主義の宣伝・煽動、皇室批判、日本の植民地(朝鮮・台湾など)独立運動の煽動、人工妊娠中絶の方法の紹介などは禁止された。要塞地帯や軍港などの地理記述、写真なども発行禁止の対象となった。戦時体制下の日本では、出版法、新聞紙法、国家総動員法などをよりどころにした言論統制が情報局や特別高等警察を中心に行われた(安寧秩序紊乱に関わる発禁命令権者は内務大臣)。  
戦後は日本国憲法に言論の自由を保障すると明記されたが、プレスコードなどGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)による言論統制・弾圧は占領解除まで行われた。  
現在、日本では憲法上、言論の自由が保障されているが、菊タブーや鶴タブーなど言論の禁忌(報道できないこと)が少なからず存在している(これらは報道機関の自主規制とされている)。  
公安警察や公安調査庁は、憲法違反・違法な情報収集活動を行っているとして、その廃止を求める政党や個人もある。  
最近では人権擁護法案が言論統制につながる可能性があるとして議論を呼んでいる。また、児童ポルノ法の改正案に盛り込まれていた、実写を伴わない創作物の規制、及び児童ポルノの単純所有の処罰についても、現行法での取締りが可能であり、「人権の侵害や表現の自由の萎縮につながりかねず」、「捜査当局の恣意的な捜査を招く危険がある」として日本共産党等は「慎重であるべき」としている。  
また、特定秘密保護法などが言論統制になるという声もあるが、これに関しては「国益を損ねる情報は守るべき」などと、推進している声もあれば、「国民の知る権利が損なわれる」などと、賛否両論である。  
世界の状況  
現在でも中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、イスラム諸国、一部のアフリカ諸国などや軍事政権下では日常的に言論統制が行われており、国営放送など政府系の報道機関を通じて虚偽の情報を流すこと(情報操作)によって自国内の結束が維持されている。  
民主主義国家とされる国でも、国家による言論統制が行われている、ないしは行われることがある。国家が言論統制に直接関与しなくても、与党の有力政治家が個人的に多くのメディア企業の経営権を掌握し、あるいはメディア経営者と結びつき、言論への影響力を及ぼしている場合がある。ドイツではヒトラーを礼讃したり、ナチスの意匠や出版物を流布すると民衆扇動罪(ドイツ刑法第130条)で違法とされている。これは「戦う民主主義」(民主主義を否定することを認めない民主主義)と呼ばれている。  
韓国では国家保安法により共産主義の宣伝や共産主義運動を支持する言論は禁止されている。韓国で戦前の日本の植民地支配を肯定するなどの発言をすると、国家侮辱罪で取り締まりの対象となることがある。  
中国  
中国においては言論の自由は存在せず、反政府言論は厳しく取り締まられている。  
外国メディアに対する抑圧もあり、1964年(昭和39年)に「日中記者交換協定」が締結され、1968年(昭和43年)に「日中関係の政治三原則」が確認された。「日中関係の政治三原則」とは、「1.中国を敵視しない、2.二つの中国の立場に立たない、3.日中国交正常化を妨げない」であり、日中記者が記者交換するにあたって守るべき原則とされた。当時北京に常駐記者をおいていた朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、NHKなどはこの文書を承認した。産経新聞はこの協定に反発し、傘下のフジテレビを含めて特派員をすべて引き上げた。 その後、「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」は日中国交正常化後の1973年に廃止され、その後に結ばれた「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」は報道を規制するような条項は含まれていない。そのため、この公文を以って報道機関の国外退去を求めることはできない。  
そもそも「日中双方の新聞記者交換に関するメモ」およびその後の「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」は国家間での取りきめであり特定社が協定を結んだり結ばなかったりできるものではなく、実際に先述の産経新聞社も「日中両国政府間の記者交換に関する交換公文」に基づいて1998年に北京に中国総局を開設している。ちなみに(諜報活動等の明確な敵対行為の発覚以外で はほとんど実行されたことは無いが)、協定の有無に限らず全ての主権国家は記者の滞在許可を取り消し国外に追放することが可能である。 文化大革命の時期には外国メディアが次々と中国から追放され、日本の報道機関も朝日新聞をのぞいてすべて追放された。その後、他の日本の報道各社も中国への再入国を許された。  
ネット検閲も激しく、googleはこれに反発し、中国から撤収した。  
2011年1月に中国記者協会の党組書記は、中国で最近、経済や人々の生活に関連した虚偽報道が多すぎると指摘した。  
アメリカ  
アメリカはアメリカ合衆国憲法修正条項第1条に検閲の禁止を掲げている。これは議会も大統領も遵守しなければならない。ただし、公式には認めていないが、アメリカ国家安全保障局が「エシュロン」を用いて、全世界の電気通信の内容を傍受(=盗聴)しているといわれている。2013年にはエドワード・スノーデンの暴露によりPRISM (監視プログラム)の存在が明らかになった。  
アメリカには上からの検閲はないがコード(code)と呼ばれる報道の自主規制がある。アメリカでは、強制的な方法でなく、大衆の意識に直接訴える「誘導型」の方法がとられている。  
これらの規制が、特定の宗教観や倫理観などを前提としていることが指摘されている(例えば人工妊娠中絶反対など)。大手のマスメディアが独占資本であることや、常に名誉毀損などの訴訟を起こされる危険を抱えているという事情もある。  
また、情報の受け手のメディア・リテラシー(情報を評価・識別する能力)の問題もある。  
韓国  
韓国のインターネットでは親日的な書き込みに対してネット検閲が行われている。大統領直属機関である大韓民国放送通信委員会が、親日的な発言をするウェブサイトとブログを強制的に削除やアクセス禁止をし、言論統制を行っている。更に、反復して同じ文章を掲載したユーザには、強制的な利用解約措置を取るなど、親日的な言論を発言するユーザには大変厳しい言論統制を行っている。 
 
日本政府がNHKの海外向け報道で言論統制か? 英タイムズが暴露 2014/10
イギリスの高級紙タイムズが、NHK(日本放送協会)が日本政府によって南京虐殺や従軍慰安婦、領土問題などに関する国際報道について指導を受けたとする機密文書を入手したと報道。波紋が広がっています。  
英タイムズ紙が安倍政権によるNHKへの言論統制を暴露  
日本政府がNHKの海外報道に対して指導をしていたと暴露する英タイムズ(Times)の記事。  
日本の公共放送であるNHKが、日本政府によって、「レイプオブ南京」や、戦時中の性奴隷の利用、中国との領土問題などへの言及を禁止されていたことが分かりました  
『タイムズ』が入手した機密の内部文書では、NHKの英語報道の記者は日本政治においてもっとも論争的なトピックのいくつかを報道するにあたっては正確な言葉遣いを用いるように指導されている  
安倍政権側はNHKに強く日本の保守的な民族主義と政府の立場を反映するように命令し、NHKもそれに従っていたと報じられています  
政府による言論統制であるとの批判が  
日本政府によるNHKへの南京大虐殺の言及禁止。これは「メディアの独立性」において降伏を意味します  
専門家からは、報道の自由の放棄だとみられています  
このルールは、保守的な愛国者である安倍晋三首相内閣の立ち位置を反映したものだ  
Timesは「イギリスでは話題になっている情報も取り上げられない」と述べ、安倍政権とNHKが癒着していることの問題性を指摘しました  
NHK会長・籾井氏の今年1月の発言にも関連?  
NHKの籾井勝人会長は会長就任の記者会見で「尖閣や竹島という領土問題は、明確に日本の立場を主張するのは当然のことだ」と述べ、外国人向け国際放送で領土問題を取り上げることを最重要課題とする考えを示した。  
籾井会長は「政府が『右』と言っているものを、われわれが『左』と言うわけにはいかない。国際放送にはそういうニュアンスがある」と説明した。  
個人的な意見だとしたうえで「慰安婦はどこにでもあった」と発言­、直ちに取り消しましたが波紋が広がりました。