集団的自衛権

朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス  
 
                                            裕仁


  
民を守ることが 政治の原則 
やられたらやり返す その準備です
  
政治空白で なめられました 
時間を取り戻すために 急ぎます
 
終戦の詔勅 (玉音放送) 
朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク  
朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ  
抑ゝ帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各ゝ最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ  
朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス  
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
  
  
  
  
  
  

 


 
2014/6  
 

 

集団的自衛権 
(英語: right of collective self-defense、フランス語: droit de légitime défense collective)とは、他の国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利であると日本国内の一部の法学者や多くの政治家らが主張している権利である。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある。なお、第三国が集団的自衛権を行使するには、宣戦布告を行い中立国の地位を捨てる必要があり、宣戦布告を行わないまま集団的自衛権を行使することは、戦時国際法上の中立義務違反となる。  
沿革  
集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である。憲章第51条を以下に引用する。  
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。  
上記のように国連憲章には「固有の権利」として規定されたが、個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない。  
1944年にダンバートン・オークス会議において採択され、後に国連憲章の基となったダンバートン・オークス提案には、個別的または集団的自衛に関する規定は存在しなかった。しかし後に国連憲章第8章に定められた“地域的機関”(欧州連合やアフリカ連合などの地域共同体のこと)による強制行動には、安全保障理事会による事前の許可が必要とされることとなり、常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された。このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されるに至った。  
冷戦期には集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(WTO)といった国際機関が設立され、集団的自衛を実践するための共同防衛体制が構築された。しかし冷戦が終結するとワルシャワ条約機構は解体されるなど、このような集団的自衛権に基づく共同防衛体制の必要性は低下していった。  
権利の性質  
個別的自衛権は国連憲章成立以前から認められた国家の慣習国際法上の権利であり、上記の国連憲章第51条において個別的自衛権を「固有の権利」としているのはこの点を確認したものである。  
集団的自衛権が攻撃を受けていない第三国の権利である以上、実際に集団的自衛権を行使するかどうかは各国の自由であり、通常第三国は武力攻撃を受けた国に対して援助をする義務を負うわけではない。そのため米州共同防衛条約、北大西洋条約、日米安全保障条約などのように、締約国の間で集団的自衛を権利から義務に転換する条約が結ばれることもある。国際慣習法上、相手国の攻撃が差し迫ったものであり他に選択の余地や時間がないという「必要性」と、選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという「均衡性」が、国家が合法的に個別的自衛権を行使するための条件とされる。  
1986年、国際司法裁判所はニカラグア事件判決において、集団的自衛権行使のためには上記のような個別的自衛権行使のための要件に加えて、武力攻撃を受けた国がその旨を表明することと、攻撃を受けた国が第三国に対して援助要請をすることが、国際慣習法上要件とされるとした。第三国の実体的利益に対する侵害が存在するか否かという点を要件とするかについては現在も意見の相違がある。つまり、第三国の実体的利益に対する侵害が集団的自衛権行使の要件として必要とする立場では第三国も攻撃を受けた国と同様に単独で個別的自衛権を行使できる場合にしか集団的自衛権行使は認められないとするのに対し、第三国の実体的利益に対する侵害が要件として不要とする立場では集団的自衛権は攻撃を受けた国の武力が不十分である場合に国際平和と安全のため行使される共同防衛の権利であり、第三国の実体的利益への侵害は無関係であるとする。ニカラグア事件国際司法裁判所判決もこれらのうちいずれの見解を採用したものであったのか明確ではない。  
権利の濫用  
冷戦期に、特にアメリカ合衆国とソビエト連邦はその勢力内での反体制活動を抑えるため武力行動を行い、その法的根拠として集団的自衛権を主張した。しかしこれらの武力行動は外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われたものであり、これらの武力行動を集団的自衛権として正当化することは困難である。 

 

「個別的自衛権」と「集団的自衛権」  
集団的自衛権  
憲法九条をめぐっては、自衛隊の違憲論争とは別に、もう一つの議論もあります。それが、「集団的自衛権」の問題です。一口に「自衛権」といっても、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」の二つがあります。  
個別的自衛権とは、自国が他国から攻撃されたとき、自分の国を守る権利です。  
一方、集団的自衛権は、互いに助け合うグループをつくり、その仲間が他国から攻撃されたら、自国が攻撃されたと同じと考え、仲間の国と一緒になって、攻撃してきた国と戦う権利のことです。  
たとえば、アメリカとヨーロッパ各国は、NATO(北大西洋条約機構)という組織をつくっています。もし、NATOに加盟している国がNATO以外の国から攻撃された場合、NATO加盟国は、攻撃された国を助けるために一緒に戦うことになっているのです。  
日本政府は、日本も独立国である以上、個別的自衛権も集団的自衛権も持っている、という立場です。  
ただし、憲法九条で戦争を放棄しているので、他国を応援する戦争はできないから集団的自衛権は使えない、と説明しています。  
つまり、「日本は国際法上、集団的自衛権を持ってはいるが、使えない」というわけです。  
アメリカ軍を支援できない自衛隊  
日本はアメリカと日米安保条約を結んでいます。もし、日本が他国から攻撃されたら、アメリカ軍が、日本を守るために行動することになっています。  
ところが、もしアメリカが他国から攻撃されても、日本の自衛隊はアメリカ軍と一緒に戦うことはできない、というわけです。  
日本が攻撃されると、アメリカ軍は日本を守るために駆けつけます。日本を攻撃する外国軍とアメリカ軍が戦闘になることもあるでしょう。こんなとき、日本の自衛隊はアメリカ軍を支援してはいけない、ということになるのです。非常にわかりにくい議論ですよね。  
もしこんなことになったら、日本が国際的な非難を浴びることは目に見えています。そこで、こんなおかしなことが起きるのだったら、憲法の解釈を変えて集団的自衛権の行使も認めるべきだと主張する人がいます。  
その一方で、日本は集団的自衛権を行使できないから、他国の戦争に巻き込まれる恐れがないのだ、という考えもあります。  
戦後の日本は憲法の解釈を変えることで自衛隊を大きく成長させてきましたが、限界に来ていることは間違いありません。 

 

終戦の詔勅 (玉音放送) 
私は、深く世界の大勢と日本国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた国民に申し伝える。  
私は、日本国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告するよう下命した。  
そもそも日本国民の平穏無事を図って世界繁栄の喜びを共有することは、代々天皇が伝えてきた理念であり、私が常々大切にしてきたことである。先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来日本の自立と東アジア諸国の安定とを望み願う思いから出たものであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない。  
ところが交戦はもう四年を経て、我が陸海将兵の勇敢な戦いも、我が多くの公職者の奮励努力も、我が一億国民の無私の尽力も、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。それどころか、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、しきりに無実の人々までをも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至った。  
なのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。このようなことでは、私は一体どうやって多くの愛すべき国民を守り、代々の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これこそが、私が日本国政府に対し共同宣言を受諾(無条件降伏)するよう下命するに至った理由なのである。  
私は、日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。日本国民であって前線で戦死した者、公務にて殉職した者、戦災に倒れた者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。 考えれば、今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。  
私は、ここに国としての形を維持し得れば、善良なあなたがた国民の真心を拠所として、常にあなたがた国民と共に過ごすことができる。もしだれかが感情の高ぶりからむやみやたらに事件を起したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに時勢の成り行きを混乱させ、そのために進むべき正しい道を誤って世界の国々から信頼を失うようなことは、私が最も強く警戒するところである。  
ぜひとも国を挙げて一家の子孫にまで語り伝え、誇るべき自国の不滅を確信し、責任は重くかつ復興への道のりは遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、正しい道を常に忘れずその心を堅持し、誓って国のあるべき姿の真髄を発揚し、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。  
あなたがた国民は、これら私の意をよく理解して行動せよ。 

 

集団的自衛権の行使を認めた閣議決定(全文) 7/1  
1日開かれた臨時閣議の閣議決定は次の通り。  
我が国は、戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んできた。専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持しつつ、国民の営々とした努力により経済大国として栄え、安定して豊かな国民生活を築いてきた。また、我が国は、平和国家としての立場から、国際連合憲章を遵守(じゅんしゅ)しながら、国際社会や国際連合を始めとする国際機関と連携し、それらの活動に積極的に寄与している。こうした我が国の平和国家としての歩みは、国際社会において高い評価と尊敬を勝ち得てきており、これをより確固たるものにしなければならない。  
一方、日本国憲法の施行から67年となる今日までの間に、我が国を取り巻く安全保障環境は根本的に変容するとともに、更に変化し続け、我が国は複雑かつ重大な国家安全保障上の課題に直面している。国際連合憲章が理想として掲げたいわゆる正規の「国連軍」は実現のめどが立っていないことに加え、冷戦終結後の四半世紀だけをとっても、グローバルなパワーバランスの変化、技術革新の急速な進展、大量破壊兵器や弾道ミサイルの開発及び拡散、国際テロなどの脅威により、アジア太平洋地域において問題や緊張が生み出されるとともに、脅威が世界のどの地域において発生しても、我が国の安全保障に直接的な影響を及ぼし得る状況になっている。さらに、近年では、海洋、宇宙空間、サイバー空間に対する自由なアクセス及びその活用を妨げるリスクが拡散し深刻化している。もはや、どの国も一国のみで平和を守ることはできず、国際社会もまた、我が国がその国力にふさわしい形で一層積極的な役割を果たすことを期待している。  
政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。  
さらに、我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。  
5月15日に「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」から報告書が提出され、同日に安倍内閣総理大臣が記者会見で表明した基本的方向性に基づき、これまで与党において協議を重ね、政府としても検討を進めてきた。今般、与党協議の結果に基づき、政府として、以下の基本方針に従って、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために必要な国内法制を速やかに整備することとする。  
1 武力攻撃に至らない侵害への対処  
(1)我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増していることを考慮すれば、純然たる平時でも有事でもない事態が生じやすく、これにより更に重大な事態に至りかねないリスクを有している。こうした武力攻撃に至らない侵害に際し、警察機関と自衛隊を含む関係機関が基本的な役割分担を前提として、より緊密に協力し、いかなる不法行為に対しても切れ目のない十分な対応を確保するための態勢を整備することが一層重要な課題となっている。  
(2)具体的には、こうした様々な不法行為に対処するため、警察や海上保安庁などの関係機関が、それぞれの任務と権限に応じて緊密に協力して対応するとの基本方針の下、各々(おのおの)の対応能力を向上させ、情報共有を含む連携を強化し、具体的な対応要領の検討や整備を行い、命令発出手続を迅速化するとともに、各種の演習や訓練を充実させるなど、各般の分野における必要な取組を一層強化することとする。  
(3)このうち、手続の迅速化については、離島の周辺地域等において外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合(武装集団の所持する武器等のために対応できない場合を含む。)の対応において、治安出動や海上における警備行動を発令するための関連規定の適用関係についてあらかじめ十分に検討し、関係機関において共通の認識を確立しておくとともに、手続を経ている間に、不法行為による被害が拡大することがないよう、状況に応じた早期の下令や手続の迅速化のための方策について具体的に検討することとする。  
(4)さらに、我が国の防衛に資する活動に現に従事する米軍部隊に対して攻撃が発生し、それが状況によっては武力攻撃にまで拡大していくような事態においても、自衛隊と米軍が緊密に連携して切れ目のない対応をすることが、我が国の安全の確保にとっても重要である。自衛隊と米軍部隊が連携して行う平素からの各種活動に際して、米軍部隊に対して武力攻撃に至らない侵害が発生した場合を想定し、自衛隊法第95条による武器等防護のための「武器の使用」の考え方を参考にしつつ、自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動(共同訓練を含む。)に現に従事している米軍部隊の武器等であれば、米国の要請又(また)は同意があることを前提に、当該武器等を防護するための自衛隊法第95条によるものと同様の極めて受動的かつ限定的な必要最小限の「武器の使用」を自衛隊が行うことができるよう、法整備をすることとする。  
2 国際社会の平和と安定への一層の貢献  
(1)いわゆる後方支援と「武力の行使との一体化」  
ア いわゆる後方支援と言われる支援活動それ自体は、「武力の行使」に当たらない活動である。例えば、国際の平和及び安全が脅かされ、国際社会が国際連合安全保障理事会決議に基づいて一致団結して対応するようなときに、我が国が当該決議に基づき正当な「武力の行使」を行う他国軍隊に対してこうした支援活動を行うことが必要な場合がある。一方、憲法第9条との関係で、我が国による支援活動については、他国の「武力の行使と一体化」することにより、我が国自身が憲法の下で認められない「武力の行使」を行ったとの法的評価を受けることがないよう、これまでの法律においては、活動の地域を「後方地域」や、いわゆる「非戦闘地域」に限定するなどの法律上の枠組みを設定し、「武力の行使との一体化」の問題が生じないようにしてきた。  
イ こうした法律上の枠組みの下でも、自衛隊は、各種の支援活動を着実に積み重ね、我が国に対する期待と信頼は高まっている。安全保障環境が更に大きく変化する中で、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために、自衛隊が幅広い支援活動で十分に役割を果たすことができるようにすることが必要である。また、このような活動をこれまで以上に支障なくできるようにすることは、我が国の平和及び安全の確保の観点からも極めて重要である。  
ウ 政府としては、いわゆる「武力の行使との一体化」論それ自体は前提とした上で、その議論の積み重ねを踏まえつつ、これまでの自衛隊の活動の実経験、国際連合の集団安全保障措置の実態等を勘案して、従来の「後方地域」あるいはいわゆる「非戦闘地域」といった自衛隊が活動する範囲をおよそ一体化の問題が生じない地域に一律に区切る枠組みではなく、他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの我が国の支援活動については、当該他国の「武力の行使と一体化」するものではないという認識を基本とした以下の考え方に立って、我が国の安全の確保や国際社会の平和と安定のために活動する他国軍隊に対して、必要な支援活動を実施できるようにするための法整備を進めることとする。  
(ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。  
(イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。  
(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用  
ア 我が国は、これまで必要な法整備を行い、過去20年以上にわたり、国際的な平和協力活動を実施してきた。その中で、いわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用や「任務遂行のための武器使用」については、これを「国家又は国家に準ずる組織」に対して行った場合には、憲法第9条が禁ずる「武力の行使」に該当するおそれがあることから、国際的な平和協力活動に従事する自衛官の武器使用権限はいわゆる自己保存型と武器等防護に限定してきた。  
イ 我が国としては、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の立場から、国際社会の平和と安定のために一層取り組んでいく必要があり、そのために、国際連合平和維持活動(PKO)などの国際的な平和協力活動に十分かつ積極的に参加できることが重要である。また、自国領域内に所在する外国人の保護は、国際法上、当該領域国の義務であるが、多くの日本人が海外で活躍し、テロなどの緊急事態に巻き込まれる可能性がある中で、当該領域国の受入れ同意がある場合には、武器使用を伴う在外邦人の救出についても対応できるようにする必要がある。  
ウ 以上を踏まえ、我が国として、「国家又は国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場しないことを確保した上で、国際連合平和維持活動などの「武力の行使」を伴わない国際的な平和協力活動におけるいわゆる「駆け付け警護」に伴う武器使用及び「任務遂行のための武器使用」のほか、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動ができるよう、以下の考え方を基本として、法整備を進めることとする。  
(ア)国際連合平和維持活動等については、PKO参加5原則の枠組みの下で、「当該活動が行われる地域の属する国の同意」及び「紛争当事者の当該活動が行われることについての同意」が必要とされており、受入れ同意をしている紛争当事者以外の「国家に準ずる組織」が敵対するものとして登場することは基本的にないと考えられる。このことは、過去20年以上にわたる我が国の国際連合平和維持活動等の経験からも裏付けられる。近年の国際連合平和維持活動において重要な任務と位置付けられている住民保護などの治安の維持を任務とする場合を含め、任務の遂行に際して、自己保存及び武器等防護を超える武器使用が見込まれる場合には、特に、その活動の性格上、紛争当事者の受入れ同意が安定的に維持されていることが必要である。  
(イ)自衛隊の部隊が、領域国政府の同意に基づき、当該領域国における邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的な活動を行う場合には、領域国政府の同意が及ぶ範囲、すなわち、その領域において権力が維持されている範囲で活動することは当然であり、これは、その範囲においては「国家に準ずる組織」は存在していないということを意味する。  
(ウ)受入れ同意が安定的に維持されているかや領域国政府の同意が及ぶ範囲等については、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として判断する。  
(エ)なお、これらの活動における武器使用については、警察比例の原則に類似した厳格な比例原則が働くという内在的制約がある。  
3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置  
(1)我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを守り抜くためには、これまでの憲法解釈のままでは必ずしも十分な対応ができないおそれがあることから、いかなる解釈が適切か検討してきた。その際、政府の憲法解釈には論理的整合性と法的安定性が求められる。したがって、従来の政府見解における憲法第9条の解釈の基本的な論理の枠内で、国民の命と平和な暮らしを守り抜くための論理的な帰結を導く必要がある。  
(2)憲法第9条はその文言からすると、国際関係における「武力の行使」を一切禁じているように見えるが、憲法前文で確認している「国民の平和的生存権」や憲法第13条が「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」は国政の上で最大の尊重を必要とする旨定めている趣旨を踏まえて考えると、憲法第9条が、我が国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を採ることを禁じているとは到底解されない。一方、この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容される。これが、憲法第9条の下で例外的に許容される「武力の行使」について、従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理であり、昭和47年10月14日に参議院決算委員会に対し政府から提出された資料「集団的自衛権と憲法との関係」に明確に示されているところである。  
この基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない。  
(3)これまで政府は、この基本的な論理の下、「武力の行使」が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、冒頭で述べたように、パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。  
我が国としては、紛争が生じた場合にはこれを平和的に解決するために最大限の外交努力を尽くすとともに、これまでの憲法解釈に基づいて整備されてきた既存の国内法令による対応や当該憲法解釈の枠内で可能な法整備などあらゆる必要な対応を採ることは当然であるが、それでもなお我が国の存立を全うし、国民を守るために万全を期す必要がある。  
こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った。  
(4)我が国による「武力の行使」が国際法を遵守して行われることは当然であるが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要がある。憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものである。  
(5)また、憲法上「武力の行使」が許容されるとしても、それが国民の命と平和な暮らしを守るためのものである以上、民主的統制の確保が求められることは当然である。政府としては、我が国ではなく他国に対して武力攻撃が発生した場合に、憲法上許容される「武力の行使」を行うために自衛隊に出動を命ずるに際しては、現行法令に規定する防衛出動に関する手続と同様、原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記することとする。  
4 今後の国内法整備の進め方  
これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議における審議等に基づき、内閣として決定を行うこととする。こうした手続を含めて、実際に自衛隊が活動を実施できるようにするためには、根拠となる国内法が必要となる。政府として、以上述べた基本方針の下、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために、あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする法案の作成作業を開始することとし、十分な検討を行い、準備ができ次第、国会に提出し、国会における御審議を頂くこととする。 

 

行使容認 閣議決定の内容 7/1  
集団的自衛権の行使容認について閣議決定した「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」は、武力攻撃に至らない侵害、いわゆるグレーゾーン事態への対処、国連決議に基づく多国籍軍への後方支援や国連PKOなどの国際貢献、集団的自衛権への対応、今後の法整備の進め方という章立てになっています。  
このうち、▽グレーゾーン事態への対処については、離島の周辺などで外部からの侵害が起きた際、警察機関が直ちに対応できない場合に、自衛隊が出動の手続きをしている間に被害が拡大することがないよう、手続きを迅速化するための具体的な検討を行うとしています。  
▽国連決議に基づく多国籍軍などへの後方支援については、活動地域を「後方地域」や「非戦闘地域」に限定する今の考え方を見直し、支援する他国が戦闘行為を行っている場所では支援活動を行わないことや、自衛隊が活動している場所で戦闘行為が起きた場合は活動を中断するという考え方で法整備を進めるとしています。  
また、PKO活動に参加する国連職員などが攻撃を受けた場合に自衛隊が武器を使って救援する、いわゆる「駆け付け警護」を可能とするほか、海外での緊急事態の際に、その国の同意があれば、自衛隊が日本人の救出活動に当たることができるよう法整備を進めるとしています。  
▽集団的自衛権への対応については、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによって日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、必要最小限度の実力を行使するのは、自衛の措置として憲法上許容されるとの判断に至った」として、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認するとしています。  
また、「民主的統制の確保が求められるのは当然で、自衛隊に出動を命じる際には原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する」としています。  
そして、▽最後に、今後の法整備の進め方については、実際に自衛隊が活動を実施するには根拠となる国内法が必要だとして、法案の作成作業を開始し、準備ができしだい国会に提出するとしています。 

 

集団的自衛権行使へ閣議決定 新聞各社ネット配信 7/1 
朝日 / 政府、集団的自衛権行使へ閣議決定 憲法解釈を変更 7/1 17:33  
安倍内閣は1日夕、臨時閣議を開いて、憲法解釈を変えて集団的自衛権を使えるようにするための閣議決定をした。安倍晋三首相が記者会見し、行使を認める理由などを説明する。日本が直接攻撃を受けない場合も、密接な関係にある他国が攻撃された場合に武力を使って反撃できるようになる。「専守防衛」に徹してきた戦後日本の安全保障政策の大転換となる。  
これに先立ち、同日朝の自公両党による「安全保障法制整備に関する与党協議」で、集団的自衛権の行使を認める政府の閣議決定案が異論なく了承された。  
与党協議後に自民党が開いた総務会では、村上誠一郎元行革担当相が「憲法解釈の変更は認められない」と反対したが、閣議決定案は了承された。同日午後には、自民党総裁の安倍首相と公明党の山口那津男代表ら与党幹部が会談し、合意内容を確認した。  
日本はこれまで、政府見解などで自衛権発動の3要件を挙げて個別的自衛権の行使のみを認め、集団的自衛権での武力行使は禁じてきた。閣議決定案では、日本が武力を行使する前提条件となる「新3要件」に基づき、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」した際、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」などの条件を満たせば、「自衛の措置」として武力行使ができるとした。  
ただ、新3要件には抽象的な文言が多く、行使に具体的な歯止めをかける規定はない。集団的自衛権だけでなく、国連決議に基づいて侵略国などを制裁する集団安全保障でも、「自衛の措置」として武力を使える可能性がある内容となった。  
政府は今後、集団的自衛権の行使を前提に、年末をめどに日米安全保障条約に基づいて双方の役割分担を決める「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の改定に臨む。また、自衛隊法など関連法制の改正や整備を進めていく方針だ。  
毎日 / 集団的自衛権:行使容認を閣議決定 7/1 17:29  
政府は1日午後、首相官邸で臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈変更を決定した。  
読売 / 集団自衛権行使、新たな憲法解釈を閣議決定 7/1 17:33  
政府は1日夕、臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を限定的に容認する新たな憲法解釈を決定した。  
産経 / 安倍内閣、集団的自衛権の行使容認閣議決定 戦後の安全保障政策大転換 7/1 17:25  
政府は1日夕の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定した。これに先立ち、安倍晋三首相(自民党総裁)は公明党の山口那津男代表と与党党首会談を開き、限定容認を確認した。集団的自衛権の行使を否定してきた戦後日本の安全保障政策が大きく転換されることになった。  
閣議決定は、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛権発動を認める要件として、わが国や「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生し、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」がある場合、必要最小限度の武力を行使することは「自衛のための措置として憲法上許容される」とした。日本を取り巻く安全保障環境が変容し、他国に対する武力攻撃でもわが国の存立を脅かし得るとも指摘した。  
そのほかにも、国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊が離れた場所の他国部隊や国連職員を助ける「駆け付け警護」を可能とするため武器使用基準を緩和する方向性を示した。  
首相は党首会談で「自民党と公明党は長年の風雪に耐え、意見の異なる課題でも国家、国民のため大きな結果を残してきた。与党とともに法整備していきたい」と述べた。政府は、自衛隊法や武力攻撃事態法などの改正を秋の臨時国会以降に進める方針で、引き続き日本への攻撃に対する抑止力強化の必要性を訴え、国民に理解を求める。 

 

集団的自衛権行使容認 閣議決定 7/1 
政府は臨時閣議を開き、これまでの憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定し、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えました。  
安倍総理大臣は記者会見し、行使容認は限定的だと強調し、抑止力によって日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていくと説明しました。  
安倍総理大臣は、自民・公明両党の最終的な了承が得られたことを受けて、公明党の山口代表、それに与党協議のメンバーらと総理大臣官邸で会談し、合意を正式に確認しました。  
そして、午後5時前から臨時閣議を開き、憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認することを閣議決定しました。  
閣議決定の表題は、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」とされています。  
この中では、「これまで政府は、武力の行使が許容されるのは、日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、日本を取り巻く安全保障環境が変化し続けている状況を踏まえれば、今後、他国に対する武力攻撃であっても、その目的や規模、態様などによっては、日本の存立を脅かすことも現実に起こり得る」としています。  
そのうえで、武力行使の新たな3要件に基づき、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、必要最小限度の実力を行使するのは自衛の措置として憲法上許容されると判断するに至った」として、従来の憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認するとしています。  
また、「民主的統制の確保が求められるのは当然で、自衛隊に出動を命じる際には原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する」としています。  
歴代政権は、憲法の下で許される武力行使は、自分の国が攻撃された場合に反撃する個別的自衛権に限られ、自分の国が攻撃されていなくても同盟国などに対する攻撃を武力を使って阻止する集団的自衛権の行使は許されないという立場をとってきました。  
集団的自衛権の行使容認によって、今後、法整備などが図られれば、自衛隊とアメリカ軍などの連携強化が進み、海外での自衛隊の活動は拡大していくものとみられ、戦後日本の安全保障政策は大きな転換点を迎えました。 

 

安倍内閣、集団的自衛権の行使容認閣議決定 7/1 
戦後の安全保障政策大転換  
政府は1日夕の臨時閣議で、従来の憲法解釈を変更して限定的に集団的自衛権の行使を容認することを決定した。これに先立ち、安倍晋三首相(自民党総裁)は公明党の山口那津男代表と与党党首会談を開き、限定容認を確認した。集団的自衛権の行使を否定してきた戦後日本の安全保障政策が大きく転換されることになった。  
閣議決定は、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛権発動を認める要件として、わが国や「わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃」が発生し、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険」がある場合、必要最小限度の武力を行使することは「自衛のための措置として憲法上許容される」とした。日本を取り巻く安全保障環境が変容し、他国に対する武力攻撃でもわが国の存立を脅かし得るとも指摘した。  
そのほかにも、国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊が離れた場所の他国部隊や国連職員を助ける「駆け付け警護」を可能とするため武器使用基準を緩和する方向性を示した。  
首相は党首会談で「自民党と公明党は長年の風雪に耐え、意見の異なる課題でも国家、国民のため大きな結果を残してきた。与党とともに法整備していきたい」と述べた。政府は、自衛隊法や武力攻撃事態法などの改正を秋の臨時国会以降に進める方針で、引き続き日本への攻撃に対する抑止力強化の必要性を訴え、国民に理解を求める。 

 

第2次安倍自公連立内閣、集団的自衛権の行使可能な憲法解釈を閣議決定へ 自衛隊法改正案など提出へ 7/1 
朱に交われば公明党。  
自民党と公明党が連立する第2次安倍晋三内閣は2014年7月1日(火)「ファースト・オブ・ジュライ」、集団的自衛権の行使解禁を臨時閣議で決定へ。  
閣議決定を前に、公明党前代表の太田昭宏大臣のまぐまぐ社の「太田昭宏メールマガジン」がきょうから休刊。ただたんに忙殺されて半年間発行できなかったようですが、退路を断ったようにも感じとれます。  
交戦中に、同盟国アメリカの艦船を日本の自衛隊が援護したり、アメリカに向かう弾道ミサイルを日本が迎撃できるとする内容になるようです。  
これらは、すべて自衛隊法改正法案や周辺事態法改正法案などに書き込んで、国会に提出する必要があり、成立し、施行するとしても、早くても2016年夏前後になる見通し。  
ただ、法案執筆のプログラムとなるので、歴史的転換点になります。  
日本国憲法第9条には「国の交戦権はこれを認めない」との規定があります。自民党憲法改正草案でもこれは削除することになっています。  
しかし、憲法を改正しないと、朝鮮半島から出てすぐのところで、中国や北朝鮮、あるいは国に準じるテロ組織から攻撃された場合、交戦できないと考えられます。アメリカに向かう弾道ミサイル、北朝鮮のテポドンだとしても、法律を動かすためには、「アメリカに向かっている」と情報を確定する必要があり、仮にノドンで、日本列島に落ちてくればこれは、個別的自衛権での対応になります。ホルムズ海峡で機雷除去中に攻撃を受けても「交戦」できません。グレーゾーン事態とされる尖閣諸島沖のわが国領海内を中国艦船がうろうろしていても、武力で領海外に出せば国際問題になります。停戦後の国連平和維持活動PKOについても、かけつけ警護ができても1993年になくなった国連ボランティア・中田厚仁さんは守れないし、独立前ならば警察権を使えず、独立宣言後でも停戦が崩れて交戦状態になったら慌てて帰らなければなりません。  
日米安全保障条約第3条の「締約国は(略)武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」。きょうは自衛隊が創設60周年、還暦だそうですが、「自衛隊の練度を挙げ、装備を備え、育て、防衛力を涵養する」私の観点から、第3条が気になります。  
まあいずれにせよ、法案が国会に出てくるのは、秋の臨時国会以降。施行は2016年夏前後以降。出てきてから、十分に吟味すべきでしょう。  
ところで、日本を独立させ、自衛隊を発足させた、吉田茂が国会で「集団的自衛権」という言葉を使ったことがあるか、調べてみました。 第7回通常国会の衆議院予算委員会で1度だけ使ったことがあります。このときの衆議院は吉田率いる民主自由党が270議席を持ち、最大野党の民主党はわずか70議席。そして、民主党は連立派20人が分離して政権に参加しました。このため、芦田均内閣などで与党を経験しながら、下野した当選2回生、31歳に出番が回ってきたようで、その質問に吉田茂は答えています。次のやりとりです。  
「総理大臣は外交の堪能者でありまして、私はしろうとでありますから、総理大臣の御意見をお教え願いたいと思うのでありますが、日本に自衛権がありと総理大臣は演説でおつしやいました。われわれも同感であります。あなたが御存じのように、国際連合憲章によると、51条に集団的自衛権ということが認められている。これは第二次世界大戦後初めて認められた言葉であります。かくのごとき集団的自衛権というものを総理大臣はお認めになりますか」  
「当局者としては、集団的自衛権の実際的な形を見た上でなければお答えができません」  
「国際連合に表明されているような、つまり連合憲章51条が示しているような集団的自衛権を認めるか、こういう意味であります」  
「これは現にこういう自衛権を認めるか認めないかと言つて、連合国政府から交渉を受けたときには、政府としては見解を発表しますが、お話のような問題に対しては、すなわち仮設の問題に対してはお答えいたしません」  
「仮設の問題とおつしやいますけれども、私は外交界の先輩に対して、国際法上の解釈を教えていただきたいと申し上げているのであります。先ほども申したように、国際連合憲章51条には集団的自衛権というものがちやんと書いてある。われわれも独立国になれば当然こういう問題の渦中に入る。従つて講和條約に専心してもつぱら御研究なさつている総理大臣のことでございますから、私は当然御研究もあるだろうし、御見解もあるだろうと思います。この集団的自衛権という問題は、日本の独立後私はおそらく一番重大な問題になつて来る問題だろう。そういうところから私はお尋ねしているのであります」  
この「集団的自衛権は、日本の独立後一番重大な問題になってくるだろう」と質疑した野党・民主党の2期生は、中曽根康弘衆議院議員です。彼はこの32年後に総理大臣になります。国会議事録でも、中曽根さんが次に「集団的自衛権」というキーワードを残すのは、首相になる32年後までブランクがあきます。  
議事録は、1950年昭和25年2月3日(金)第7回国会衆議院予算委員会、本予算審議、第7号。  
そして吉田茂が語った「実際的な形」は、ベトナム戦争として現実化しました。アメリカ大統領、ジョン・ケネディによる、「ベトナムが社会主義化(赤化)すると、ドミノ倒しののようにアジア各国が赤化するという」ドミノ理論。しかし、西洋文明と違い、東洋文明とくにアジアは、統一的な宗教基盤もなく、文化も民族もモザイクであり、ベトナムが赤化しても、タイ王国が社会主義化するとはとうてい思えません。もちろん日本国、日本列島も。  
この我々アジアの民族、国民事情のパラダイムを間違えたドミノ理論は、やがて、ベトナム民主主義共和国(ベトナム社会主義共和国に改称)のホーチミン国家主席により、「インドシナ支配をしたフランス人と同じ瞳同じ肌をもつ兄弟のアメリカ人が、傀儡国家「南ベトナム共和国(1975年、地上から消滅)」を使ってベトナム全土を侵略しようとしている」として「資本主義を守る戦争」から「ベトナム民族解放および南北ベトナム統一戦争」へと画期的パラダイムチェンジをしました。さらに、南ベトナム共和国内で活動する民族解放組織について、アメリカは「北ベトナム・ホーチミンに指導された国に殉じる組織」との決定的情報をつかめず情報戦で敗北。かつてベトナム王国が衛星国支配した隣国に兵站補給路(ホーチミンルート)があることに、(おそらく)半年前後気づかず『孫子の兵法」にも失敗。アメリカ軍兵士は、「What for? 何のために?」という自問自答の中で、狂っていきました。  
このような戦争に日本が参加することになる。例えば、爆弾テロで夫を失い、子どもとともに組織に衣食住を提供され生活しながら洗脳教育と爆弾テロ訓練を受けてきた、女性の自爆テロ犯を鉄砲で殺さなければならないことになります。自衛官は、その自爆テロ女性の最期の表情を一生脳裏から離れないまま生き続けなければならず、酒でなぐさめても、忘れらず、狂って自殺するでしょう。  
集団的自衛権の行使には反対です。  
たびたび引用されるところですが、吉田茂が防衛大学校第1回卒業式で語ったとされる言葉。実際には卒業記念の冊子に寄せた言葉だそうですが、どうしても引用したくなります。至言です。  
●「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。  
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい。しっかり頼むよ」

 

集団的自衛権行使容認で自公が合意、閣議決定へ 7/1 
[ロイター] - 自民党と公明党は1日、これまでの憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認することで合意した。日本への直接的な攻撃に対して最小限の武力行使しか許されなかった自衛隊は、親密な他国が攻撃を受けた場合も反撃が可能になる。  
中国の軍事力増強など安全保障の環境が変化する中、日本の防衛戦略の幅が広がる一方、武力行使の範囲が際限なく拡大する恐れがある。  
1日午後に政府が閣議決定した上で、行使容認に意欲を強く示してきた安倍晋三首相が会見する。  
歴代政権は集団的自衛権について、国連憲章で権利を認められてはいるものの、憲法が制約する必要最小限の武力行使に含まれないとの立場を取ってきた。しかし今回、地政学的な変化や技術革新の加速など日本を取り巻く安全保障の環境が変わったとして、必要最小限の範囲に集団的自衛権が含まれるよう憲法解釈を変更する。 

 

毎日新聞 / 集団的自衛権 閣議決定に反対する 7/1 
安倍政権は1日、集団的自衛権の行使容認を柱とする憲法解釈変更を閣議決定する。  
憲法は、アジアや日本でおびただしい数の犠牲者を出した戦争の反省から、9条で海外での武力行使を禁じてきた。閣議決定は、その憲法9条を根幹から変え、「自衛の措置」の名のもと自衛隊の海外での武力行使を認めることを意味する。国のかたちまで変えてしまいかねない、戦後の安全保障政策の大転換だ。  
これは解釈変更による憲法9条の改正だ。このような解釈改憲は認められない。私たちは閣議決定に反対する。  
解釈改憲は認められぬ  
安倍政権がこれほどの転換をするのなら、一内閣の判断でできる閣議決定ではなく、憲法9条改正を国民に問うべきだ。  
そもそも、なぜいま集団的自衛権の行使容認が必要なのか。自衛隊員はじめ国民の命に関わる問題であり、安倍政権にはまずしっかりした理由の説明が求められたはずだ。  
だが、安倍晋三首相は、安全保障環境の変化で国民の命と暮らしを守るため、集団的自衛権の行使容認が必要としか言ってこなかった。  
なぜその方法が集団的自衛権でなければならないのか。現在の憲法解釈のもと、個別的自衛権の範囲内で安保法制を整備するだけでは足りないのか。そういう疑問への納得できる説明はいまだにない。  
政府が与党協議で、集団的自衛権の行使が必要として示した、米艦防護や機雷掃海など8事例の検討は、その答えになるはずだった。  
ところが、個別的自衛権や警察権で対応可能という公明党と政府・自民党との溝が埋まらなかったため、与党協議は、事例の検討を途中放棄し、閣議決定になだれ込んだ。性急な議論の背景には、自公両党とも大型選挙のない今のうちに決めたいという党利党略があったとみられる。  
沖縄県の尖閣諸島に武装集団が上陸した場合を想定した「グレーゾーン事態」への対応の議論はあっという間に終わった。国連決議にもとづく多国籍軍などへの後方支援の拡大、国連平和維持活動(PKO)参加中の駆けつけ警護の議論も生煮えのまま、閣議決定に盛り込まれる。  
安倍政権がやりたかったのは結局、安全保障論議を尽くして地道に政策を積み上げることよりも、首相の持論である「戦後レジーム(体制)からの脱却」を実現するため、集団的自衛権の行使容認という実績を作ることだったのではないか。  
昨年末の特定秘密保護法の制定、今春の武器輸出三原則の緩和と合わせて、日米の軍事的一体化を進める狙いもあったとみられる。  
これほど重要な問題なのに結論ありきで議論が深まらず、残念だ。 

 

集団的自衛権行使を限定容認――閣議決定 政治・外交 7/1  
戦後の安保・外交政策の大転換に  
従来の内閣法制局の解釈では全面禁止とされていたため、今回の決定は戦後のわが国の安全保障・外交政策上、極めて大きな転換となる。閣議決定の内容は、新たな憲法解釈により限定的な集団的自衛権の行使を容認するもので、自民・公明両党による与党協議を経て、正式合意した。  
今回の解釈変更は、安全保障環境の激変など厳しさを増す日本周辺の情勢を踏まえたものだ。政府は今後、集団的自衛権の行使を前提にした「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)の改定を視野に入れながら、自衛隊法、周辺事態法改正など国内の関連法整備に取り組む。  
閣議決定によると、集団的自衛権の行使については、1密接な関係にある他国が武力攻撃をうけ、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある、2国民を守るために他に適当な手段がない、3必要最小限度の実力の行使――の3要件に該当する場合に限り、自衛の措置として憲法上許容されるとした。日本が攻撃されていなくても、密接な関係にある他国が攻撃された場合に、自衛隊が他国の軍隊と一緒に反撃できるようになる。  
平和国家・日本の歩みは今後も変わらない  
安倍晋三首相は臨時閣議後の記者会見で、集団的自衛権行使容認の意義や必要性を国民に説明した。この中で、「外国を防衛するための武力行使は今後もない。強化された日米関係が抑止力としてこの地域の平和に貢献していく。平和国家としての日本の歩みは今後も変わらない」と強調した。  
憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認については、国会、地方議会、メディア、学識経験者の間でも国論を二分する争点となった。反対派が主張するのは、これほど重要な問題を憲法9条改正手続きを経て国民に問うことをせず、一内閣による憲法解釈の変更で行使容認に転換するのは認められない――というものだ。また、日本が堅持してきた「専守防衛」の基本方針を変えることに対して、「戦争ができる国になるのではないか」などの懸念も根強い。  
安倍首相はこうした疑念についても「外国を守るための武力行使は今後ともない。日本が外国の戦争に巻き込まれる可能性は断じてない」と述べた。  
閣議決定された「安全保障法制に関する新たな政府見解」のポイント  
密接な関係にある他国が武力攻撃を受け、国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、必要最小限度の実力を行使することは憲法上許容される。  
国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある。  
日本防衛に当たる米軍部隊の武器等を自衛隊が防護できるよう法整備。  
他国軍軍隊が、戦闘行為を行っている現場以外では、自衛隊による後方支援が可能。 

 

反対デモに約4万人参加 7/1  
官邸前の集団的自衛権反対デモに合計で約4万人が参加!報道ステーションが取り上げる!ただし、NHK等はほぼ無視!  
6月30日に首相官邸前で行われた集団的自衛権反対デモに、合計で4万人もの方が参加したことが判明しました。大手マスコミは報道ステーション等が大々的に取り上げてくれましたが、逆にNHKのような安倍政権と上層部の関係が深いメディアは殆ど報道はしていません。  
集団的自衛権は日本の戦後史を大きく変えるような問題であり、これをあまり触れようとしないNHK等の報道局は「マスコミとしての機能を放棄した」と言えます。  
7月1日には安倍政権が集団的自衛権を閣議決定する方針で、同時に首相官邸前では抗議デモが行われる予定とのことです。時間のある方は興味本位でも良いので、デモの現場を見てみてください。デモだけでは政府を動かすことは厳しいですが、「国民が反対した」という記録を残しておくことに価値があると私は思います。それこそ、誰も反対運動をしなければ、それを口実に安倍政権は民意を無視した政策を実行することになるでしょう。  
7月1日に閣議決定される集団的自衛権の行使容認をめぐり、憲法解釈の変更に反対を訴えるデモが総理官邸前で行われています。30日夜、総理官邸前。集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更に反対を訴えるデモが行われました。「総理官邸の前の通りなんですけれども、ずらっと長い列が100m以上にもわたってできています。これだけ大規模な集会が開かれるのはここ最近では非常に珍しい光景と言えるのではないでしょうか」  
集団的自衛権行使を容認する憲法解釈変更の閣議決定が迫る中、反対する市民らが30日夕、東京・永田町の首相官邸前に集まり「解釈改憲、絶対反対!」「集団的自衛権はいらない」とシュプレヒコールを繰り返した。官邸前の歩道は、集まった市民で身動きができないほどだった。市民らはプラカードやのぼりを手に、太鼓を打ち鳴らしながら抗議の意思を表明。「与党だけで閣議決定するのは憲法の破壊行為だ」と叫んだ。  
NHKも集団的自衛権の閣議決定について放送したが、官邸前デモに関してはテレビ朝日やTBSの報道とかなり印象が異なる。6月30日放送の「NHKニュース7」「ニュースウォッチ9」で取り上げられたのは、主催者発表で200人以上が集まったという長崎県の小規模な抗議集会だけだった。同日の「News Web」では首相官邸前のデモが映ったが、時間は1分にも満たず扱いはそれほど大きくなかった。ツイッターの一部では、「官邸前の集団的自衛権反対デモに合計で約4万人が参加!報道ステーションが取り上げる!ただし、NHK等はほぼ無視!」などと騒ぐユーザーも現れた。7月1日になって「NHKニュース7」「ニュースウォッチ9」でも、時間は短いながらも官邸前デモが映り、「若い人が声をあげないとだめだと思った」「内閣の閣議決定で変えるのは非常によくない」と話す参加者の声が放送された。

 

集団的自衛権に自民党で一人反対、村上誠一郎議員が会見 6/30 
6月27日、自民党の村上誠一郎衆議院議員が外国特派員協会で会見を行った。村上氏は、集団的自衛権の行使容認に向け公明党との協議を続ける自民党内にあって、一人、異議を唱え続けているほか、特定秘密保護法にも反対していたことで知られる。  
村上氏は与党協議について「重箱の隅をつつくような話で調整し、同意できたところから突破しようとしている」と指摘、「『自分の国が攻められていないのに、なぜ戦争をするのか』という命題に正々堂々と、正面から国民に答えるべきだ」とし、邦人を米艦に載せるというような"レアケース"を出してきて行使の必要性を説明するのは詭弁だと批判した。  
さらに、「先人たちが築いてきた、"日本型ブランド"の平和主義を180度転換する意味があるのか。吉田茂さんや岸信介さんは、経済再生のため、日米安全保障条約と憲法9条によってできるだけ防衛費をかけなくて済むようレトリックとして使ってきた。残念ながら、お二人のお孫さんたちは、そのお爺さんたちの気持ちを斟酌できていないのではないか」と、皮肉めいた発言も。  
村上氏によれば、多くの議員や官僚たちも自らと同じ考えだが、「内閣改造を示唆されていて、人事をちらつかせられたら何も言えない。」「官僚の600の幹部ポストは内閣人事局に握られることになった。官僚は一度左遷されれば戻ってくることはできない」などの理由から反対の声が上げられない状況にあることを示唆した。  
村上氏の冒頭発言  
私は(浅田)真央さんと(羽生)弓弦くんが呼ばれたこの場所に呼ばれたことを非常に嬉しく思います。ただ、今回扱う問題はこの日本にとって、今まで70年間やってきたことからの大きな方向転換であり、非常に重要な問題であります。  
30年近く国会議員をやらせて頂いていますが、今回の問題はどうしても単純に認めるわけにはいかないので、特に憲法、法律の関係についてご説明いたします。まずこの解釈変更による集団的自衛権行使容認の問題点は、三権分立と立憲主義に違反するのではないかということであります。  
安倍さんは予算委員会で"私は内閣の最高責任者である、だから内閣の一部局である内閣法制局長官の憲法の解釈についても、自分が責任を持つ。だから内閣法制局による憲法の解釈の変更によってできるんだ」という意見を言っておりました。  
残念ながら、それは私は間違いだと思います。  
憲法解釈の責任の所在、法解釈の権限は裁判所、すなわち司法、最終的には最高裁判所にあります。立法府=diet、行政府=governmentがやることは、最高裁に違憲だと判断されないような法律をつくり、そしてまた解釈し、運用することであります。閣議決定で解釈を変えて。それに基づいて自衛隊法などを改正するということは、下位の法律によって上位の憲法の解釈を変えるという禁じ手、やってはいけないことだと私は思っています。  
そして、内閣の一部局である内閣法制局は、そもそも内閣の法律顧問として、行政内部から政策を法的にささえ、憲法の番人として一貫した法解釈を示し、歴代政権も、その見識を重んじてきました。本来内閣法制局は法律的良心に従うべきで、何が政権にとって好都合かという姿勢で、その場しのぎの無節操な態度を取るべきであはりません。  
そもそも今回のこの議論が混乱した原因は、亡くなられた小松前内閣法制局長官が、本来ならば法律顧問として止める立場にあったのにも関わらず…ちょっと例がいいかどうかはわかりませんが、相撲の行司役の人が、自ら回しをつけて土俵に上がってしまった、ということから始まったと思っています。その証拠に、阪田雅裕氏、その前の秋山收氏など、歴代の法制局長官は今のやり方について異議を唱えています。ですから、そもそも安倍さんがインティメイト・フレンドの小松氏を法制局長官に据えた時から、この問題が起きてきたんだと私は考えています。  
それからもう一つ。立憲主義とは国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考えで、日本国憲法の基本原理だと考えています。1930年代にドイツにおいてナチスが全権委任法を議会で通すことによって民主的なワイマール憲法を自主的に葬り去った歴史があります。  
安倍さんは憲法は不磨の大典だとおっしゃっていますが、私は主権在民、平和主義、基本的人権の尊重は変えてはならないものだと考えています。もしこのような方法で突破することがされたとすれば、いつか主権在民や基本的人権の尊重まで侵される危険があると心配しています。このように憲法の基本原則が機能しなくなり、憲法が有名無実化されたら、私は立憲主義が崩壊する危険性があると心配しております。  
みなさんご高承のように、内閣はいくらでも変わるものであります。  
内閣が変わるたびに憲法の解釈が変わり、法律が変わることになれば、法の安定は根本から覆され、法治国家としての体をなさなくなると考えております。例えば、共産党さんや社会党さんになれば全部ひっくり返すでしょうし、同じ保守党の中でも、総理が変わればひっくり返る可能性があります。  
集団的自衛権とは、自分の国が攻撃されていないのにも関わらず同盟国や近い国が攻撃されたら戦争するということであります。  
憲法9条は戦争放棄と戦力不保持を定めていて、自衛権の発動による武力行使は、我が国への武力攻撃があったとき、他に適当な手段がない場合に必要最小限度で認められていることであります。その必要最小限度をいくら緩めたところで、我が国への直接攻撃が無ければは、武力攻撃はできないと私は考えております。  
ですから憲法に書いていないことを行わなければならない、集団的自衛権の行使がどうしても必要というのであれば、正々堂々と憲法改正を主張し、徹底的に国民に説明をし、議論をし、憲法の改正するかどうかは最終的に国民の判断に委ねるしかないと考えています。  
私はそれが民主主義だと思っております。  
良く最近言われるのは、日本がアメリカに見捨てられるから、日本国民の若者の血を流さなければいけないとか、国際情勢の変化だから必要だという意見があります。それは私は間違いだと考えております。日本がアメリカに出している思いやり予算は、はじめ60億円程度でしたが、今は2,000億円近くになっています。  
それから安倍さんのお爺さんであった岸信介さんが言っていたのは、日米安全保障条約は片務条約であるけれども、これだけアメリカに基地を提供しているということは、双務条約に等しい、と。要するにアメリカの最終ラインがきちっと出来ているわけです。これを全部はずして一からやり直すということは、アメリカにとっても大変な経費がかかるわけです。 だから、日本とアメリカと今以上の緊密な仲になるのであって、日本が見捨てられるとは考えていません。  
それからもう一点、尖閣諸島が緊迫した情勢になった理由は二つあると思っておいます。  
一つは、石原慎太郎氏が14億円を集めて、野田首相に国有化しないのは君たちの責任だと煽り立てて、最終的に野田さんが着地点も考えずにやってしまったこと。  
もう一つは、安倍さんが、アメリカのバイデン副大統領や皆から中国や韓国と上手くやってくれと頼まれているにも関わらず、靖国神社に行ってしまったこと。  
私は石原さんや安倍さんがやったことに対しても、やはりきちっと反省すべき点があるんではないかと思います。  
実は私も、母親の兄貴がビルマで戦死して、靖国に祀られています。私も他国から言われるのは嫌です。しかし、公の立場に立った人間は、自分の感情だけで、物事を判断してはならないと考えています。以上です。  
小選挙区制で政治がだめになった  
"小選挙区制導入の議論の際、日本の政治がだめになると最後まで反対した"という村上氏。秘密保護法や集団的自衛権の問題など、本来国会議員が人一倍神経を使わなければいけない問題に対する認識、注意がだんだん弱くなっていることを憂いているという。  
報道機関に対しては、秘密保護法の問題について、もっと早くから気づき、報道すべきだったが、マスコミは脳天気だったと指摘。今回こそしっかり報道し、国民の議論を喚起する役割を果たしてほしいと訴えた。  
「日本のお寺には大きな釣り鐘があり、指で一度押しただけでは動かない。しかし10回、20回、100回、200回、300回と揺らすと動き出しす。それが私は政治だと考えている。民主主義の歩みというものは非常にのろいものかもしれないが、それを信じてやることが民主主義だと考えている」と、今後の議論の盛り上がりに期待を寄せた。 

 

集団的自衛権、安倍流「普通の国」とは、どんな国か 6/30  
日本の若者の血が流れても厭わない  
安倍晋三首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」が集団的自衛権の行使容認を求める報告書を提出、これを受けて安倍首相は5月15日に記者会見し、「国民の命と暮らしを守るための法整備が、これまでの憲法解釈のままで十分にできるのか、さらなる検討が必要」と集団的自衛権の行使容認に向けた検討をさらに進める姿勢を強調した。与党にも協議を呼びかけ、必要があれば閣議決定で憲法解釈を変更する考えを示した。  
もともと安倍首相は憲法改正によって集団的自衛権の行使容認を実現しようと目論んでいて、そのための地ならしが国民投票法だった。しかしながら、安倍首相は、国民投票法案を通す過程で改憲の厳しさを痛感したため、路線を切り替えて、憲法解釈によって集団的自衛権の行使容認を目指したのである。  
ちなみに安保法制懇は第一次安倍政権時代の2007年に首相の肝煎りで設置された機関で、座長の柳井俊二元外務事務次官以下、メンバー全員が集団的自衛権の行使容認派だ。つまり、今回提出された安保法制懇の報告書というのは安倍首相の思想を慮って作り込まれたものであって、安保法制懇の提言自体には何の哲学もない。現行の憲法九条の下でも集団的自衛権の行使は許される、という首相の“御意”に沿った結論を出したものに過ぎないのだ。  
安保法制懇の報告書を「政府の考え方とまったくイコールではない」と安倍首相は弁明しているが、そのあたりは阿吽の呼吸で、要するに子飼いの安保法制懇の提言を梃子に、集団的自衛権の行使容認に向けた議論を前に進める腹づもりだろう。しかも憲法解釈を変更する必要があれば閣議決定で行えばいいという、これまた姑息なやり方だ。  
憲法解釈の変更だけで集団的自衛権の行使を容認してよいのかどうか、連立を組む公明党のみならず、自民党の中にも反対意見が存在する。本来なら、国会の場で与野党交えて議論を尽くすべき重要なテーマだ。それをたまたま安倍首相に任命された閣僚だけで決定していいものか。閣議決定となれば、自民党内の反対派も手が出せない。  
尖閣諸島の帰属をめぐって揉めることになった理由の一つは、日清戦争の最中の1895年に尖閣諸島を閣議決定で日本に編入したことにある。しかし、日本の閣議で決まったことなど世界の国々は知らない。本来、議会で決議するなり、国際法に照らして法律を整備するなり、きちんとした議論の場を経て日本国の総意として、世界に発信する形を取るべきものなのだ。  
防衛費を1%以内で経済成長に特化  
憲法解釈の変更によって日本の集団的自衛権が解禁されることに対して、アメリカのへーゲル国防長官は歓迎の意を表明した。キャロライン・ケネディ駐日大使も憲法解釈の見直しを評価し、来日したオバマ大統領も安倍政権の取り組みを支持すると明言した。  
当然だろう。集団的自衛権の行使容認は、もともとアメリカが軍事負担の軽減を求めて、日本に応分の負担をしてほしい、と強く要請してきたことである。安倍首相はそれをハッキリと言えばいいのだ。  
戦後日本の安全保障はアメリカに大変お世話になってきた。アメリカのおかげで防衛費をGDPの1%以内に抑えることができ、経済成長に特化できた。冷戦を首尾よく切り抜け、台頭する中国と張り合っていられるのもアメリカのおかげ。しかし、そのアメリカもだんだん国力が弱まって、国防予算をかけられなくなってきた。従って今後は日本も応分の負担をしていく。在日米軍に対する思いやり予算のような形ではなく、もっと積極的に、と。  
金銭的負担ばかりではなく、「boots on the ground(地上のブーツ:比喩で派兵)」で人的な貢献もしていく。時に日本の若者の血が流れることがあるかもしれないが、それも厭わない。我々はそういう決断をしなければならない――と。  
集団的自衛権の議論が迷走しているのは、「アメリカの負担を減らすための集団的自衛権を今年中に日米ガイドライン見直しに盛り込みたい」という本音を政府が押し隠して、「普通の国になるための集団的自衛権」という建前に終始しているからである。アメリカからどういう要望がくるかわからないので、いろいろなケースを想定しているうちに、「地球の裏側までいくのか」「グレーゾーンはどうする?」などとわかりにくい抽象論にはまり込んで、議論が空転してしまっているのだ。  
「アメリカの負担を減らすための集団的自衛権」という前提なら、アメリカの具体的な要望に沿って集団的自衛権を行使できるかどうかをその都度議会で議論すればいいのだ。安倍首相がそう腹を決めれば、いま15ものケースを並べ立てるなど無駄な議論をしなくて済む。  
しかし、安倍首相としてはそれはやりたくない。なぜなら、「それならば湾岸戦争のときに、集団的自衛権の行使容認を閣議決定していたら、あなたは自衛隊を派遣したんですか?」と問われるからだ。「集団的自衛権が行使できるとしたら、イラク戦争やアフガン戦争に自衛隊を出したのか?」と具体的に聞かれたら安倍首相は答えに窮してしまうだろう。  
野党にIQがあれば、そういう質問をしているはずだ。イラク戦争もアフガン戦争も何の大義名分もない戦争だった。あんな無意味な戦争でも、アメリカに頼まれたら自衛隊を出すのか――。安倍首相としては過去の事例を引き合いに出されて、集団的自衛権の定義を迫られるのが一番困ることだからだ。  
韓国はベトナム戦争で犠牲者5000人  
続いて議論しなければいけないのは、国連の平和維持活動(PKO)との兼ね合いである。現行のPKO協力法では自衛隊に許されるのは後方支援だけで、武力行使はできないことになっている。集団的自衛権が解禁された場合、自衛隊はどこまでPKOに従事できるのか。  
これも過去の事例からエグザンプルを挙げて問い詰めるのが効果的。私ならこのように質問する。  
「安倍さんが頭の中に描いている普通の国とは、どこの国ですか? 韓国ですか?」  
過去10年のPKOを振り返っただけでもソマリア、アンゴラ、西サハラ、東ティモール、レバノン、ハイチ、アフガニスタンなど10回以上実施されているが、アジア太平洋地域でPKOに積極的なのが韓国とオーストラリアだ。韓国は現国連事務総長を出していることもあって熱心だが、東ティモールでは5人、アフガンでは3人の死者を出している。もっと言えば、韓国はベトナム戦争に最大5万人派遣して約5000人(10%)の犠牲者を出しているのだ。  
「5000人の犠牲者を出すのが普通の国か?」と安倍首相を攻めれば、「いやいや、韓国は特殊な国だ」と絶対に言い始めるはずだ。  
ではオーストラリアはどうか。オーストラリアはほとんどのPKOに派遣しているし、多国籍軍にも率先して参加している。オーストラリアのジョン・ハワード元首相とイギリスのトニー・ブレア元首相は「ブッシュのポチ」と呼び称されたほどだ。  
恐らく安倍首相は「オーストラリアも違う」と言うだろう。同様にPKOに積極的に参加しているイギリス、フランス、ポーランドなども決して、「普通の国」などではない。同じ敗戦国のドイツにしてもアフガンで54人の犠牲者を出している。実際、アメリカに要請されてアフガニスタンに派兵した国は14カ国になるが全ての国が2桁以上の戦死者を出している(表参照)。日本が「普通の国」ではなかったことの幸せをこの表を見ながら感じてもらいたい。  
エグザンプルを挙げていくと、結局、安倍首相は答えられなくなる。最終的には「普通の国ではあるが過去に事例はない」と認めざるをえなくなるのだ。つまり、安倍首相の言う普通の国とは「安倍首相の御意のままにアメリカ軍に協力する“特殊な国”」ということになるだろう。  
国民の目の前できちんと議論せよ  
東ティモールのPKOは東ティモールの独立を阻止しようとするインドネシアを抑える目的でスタートした。もし日本が東ティモールに自衛隊を派遣していたら、ASEANの盟主にして日本の最大の友人であるインドネシアと戦うことになったのだ。東ティモールのPKOはアメリカではなく、インドネシアと仲の悪いオーストラリアの要請によるものだった。集団的自衛権に基づいて国連PKOに参加しようというのなら、アメリカではない盟友に協力する、というケースもありうる。  
一方でベトナムと中国の関係がキナ臭い。ベトナムには多くの日本企業が進出しているし、そこで働く邦人も多い。日本の国益そのものだ。ベトナムと中国の間で戦争が起こり、友好国ベトナムから要請があった場合、日本は自衛隊を派遣するのか。  
憲法解釈の変更で認められる集団的自衛権とはどこまでを言うのか。閣議決定で押し通そうというのなら、安倍首相はこれを定義する義務があるだろう。私自身は集団的自衛権の行使容認に反対でも賛成でもない。どちらでもいいが、ここで一度決着をつけるべきだと思っている。  
大事なのは国民の目の前できちんと議論をすること。野党や反対派は私が上記に提起したような論法で安倍首相を攻め、政府が目指している「普通の国」を定義させるべきだろう。  
ありもしない事態を想定して、「そのケースは含まれる」「含まれない」などと政治家と役人が決めていくことではない。これまで、世界の国々がどれだけ多くの血と汗を流して「普通の国」をつくり上げてきたか。この議論を通じて、過去50年の諸外国の経験を学んでほしい。  
朝日新聞的な戦後民主主義というものが、いかに日本人の目を現実から逸らしてきたか。そのことに少しでも早く気付いて、世界にキャッチアップしてもらいたい。 

 

集団的自衛権の行使はなぜいけないのか 6/29 
〜村上誠一郎衆議院議員が外国人記者クラブで会見〜  
久々に政治家らしい信念と迫力のこもった話を聞きました。内閣改造を前に安倍政権に対して物が言えない自民党議員の中で、ただ1人公然と集団的自衛権の解釈変更に異論を唱える村上議員は自民党の良心だと思います。カメラはたくさんありましたが、海外メディアはともかくとして、日本のマスコミはなぜ村上議員が解釈変更に反対するのか、何が問題の本質なのか、会見の中身をまともに伝えないでしょう。日本のメディアの罪は、誰が造反するだとか表面的なことだけセンセーショナルに騒いで内容についてはほとんど書かないので、いつまでも問題の本質が国民に伝わらないことだと思います。その結果、世論調査で「よくわからない。」、「どちらとも言えない。」という回答が増え、国民が理解しないうちに政府がするすると大事なことを決めてしまうケースが常態化しています。  
私はこの欄で「安倍政権の大暴走」と題して憲法の解釈変更に対する反論を書きました。村上議員の説明は30年にわたる国政経験に裏打ちされたベテランらしい見識に溢れていて、私の説明より遥かに説得力があるので、ここでは村上議員の会見を忠実に再現したいと思います。以下の通りまとめてみました。  
1.憲法の解釈変更はなぜいけないのか。  
日本の国の形である三権分立(司法・行政・立法)を覆す行為である。安倍総理は自分は行政の長だから憲法解釈は自分が責任を持って変えればよいと言っているが、これは間違い。憲法解釈の最終判断は司法(最高裁判所)が行い、行政は最高裁に違憲と言われないように内閣法制局のアドバイスを得ながら法律をつくるのが仕事。その際、内閣法制局には一貫した解釈が求められる。なぜなら政権はコロコロと変わるものなので、内閣が変わるごとに憲法解釈が変わり法律が変わるようでは法治国家でなくなってしまう。歴代の法制局長官は皆、安倍政権の手法に異議を唱えている。  
安倍政権は閣議決定で憲法解釈を変え、それに基づいて法律を作ろうとしているが、これは下位の法律によって上位の憲法を変える禁じ手であり、権力者が暴走しないように憲法によって権力を拘束するという立憲主義に反している。つまり安倍政権の手法は憲法違反である。  
似たような例として1930年代、ヒトラーが全権委任法を可決させ、ワイマール憲法が効力を失ったことが挙げられる。憲法が有名無実化した時、立憲主義は終わる。私は主権在民、基本的人権の尊重、平和主義の三原則はどんなことをしてでも守らなければならないと思っている。  
2.集団的自衛権の行使になぜ反対するのか。  
集団的自衛権とは同盟国や関係の深い国が攻撃を受けた時は戦争をするという意味であり、限定的容認などというものはない。安倍政権は重箱の隅をつつくような、あり得ない事例を挙げて、それに対応できないから集団的自衛権を行使するのだと言っている。例えば子供を抱えた母親が第三国から逃げ遅れ、米軍の艦船に乗って帰国するという事例は、外務省が機能せず第三国で避難情報も出せず、母子が逃げ遅れてアメリカの船に乗るということだが、そんなことはまずあり得ない。  
集団的自衛権の行使は国の根本的なあり方を変える行為だから、もし本当に安倍総理が日本の為に集団的自衛権が必要だと考えるのなら、正面から国民に説明して覚悟を問い、憲法改正をしなければならない。日本が攻撃された場合に反撃する専守防衛が憲法9条で読めるギリギリのラインであり、日本が攻撃されていないのに武力行使をする、つまり他国と戦争を始めることは憲法9条ではどうやっても読めない。故に集団的自衛権は行使できない。  
集団的自衛権を行使する場合、国民に対して次のような覚悟を問わなければならない。まず徴兵制も視野に入れなければならなくなる。地元の自衛隊に事情を聞いたところ、今でさえ自衛隊員の確保に苦労しているとのことだった。集団的自衛権を行使すれば、日本を守る為ではなく外国を守る為に地球の裏側まで命を捨てる覚悟で出向くことになる。その覚悟が自衛隊員にあるだろうか。自衛隊員が集まらなければ、必然的に徴兵制の話につながっていく。  
集団的自衛権を行使するかどうかの判断はどうやって行うのか。日本版NSCは作ったが、日本にはCIAもMI6もない。あのパウエル長官でさえCIAに騙されてイラク戦争に踏み切った。だが大量破壊兵器はなかった。アメリカはイラク戦争で80兆円使って4,489人の兵士が亡くなった。イギリスは4兆3,000億円使って179人の兵士が亡くなった。そして何より15万人のイラク国民が亡くなった。この責任は誰がとるのか。日本には戦争する金もなければ判断する体制もない。  
3.「アメリカに見捨てられる。」、「国際情勢が変化している。」から集団的自衛権を認めざるを得ないという声への反論  
アメリカに対する思いやり予算ははじめ60億円だったが2,000億円にまで膨らんだ。つまり日本はアメリカに基地を提供し費用を負担することで日米安保条約における義務を果たしている。これをもしアメリカが一から作り上げるとしたらどれだけ大変なことか。日本国内に米軍基地が点在していることは、つまり米軍の防衛ラインがどこであるかということを明確に示している。安倍総理の祖父である岸信介元総理は、日米安保条約は片務条約ではあるが、基地提供によって双務条約に等しいと言った。安倍総理はそのことを理解していない。  
また近隣諸国との緊張は日本が悪化させたものだ。2つの要素があった。1つ目は石原慎太郎元都知事が14億円を集め、本来は国が尖閣諸島を買うべきだと迫ったこと。野田佳彦元総理は着地点も展望もないまま尖閣諸島を買ってしまった。2つ目はバイデン米副大統領に中国とうまくやってくれ、事を荒立てないでくれと頼まれていたにも関わらず安倍総理が靖国参拝を行ったこと。安倍外交は中国、韓国、北朝鮮、台湾、そのどちらを向いてもうまくいっていない。  
私は安全保障(Security)と防衛(Defense)は違うと思っている。安全保障とは日本の敵を(外交努力によって)減らすこと、防衛とは武装して国を守ることである。ヨーロッパでは現在、ロシアより西では戦争は起きないとの予測からNATO全体で2,600億円の防衛予算しか持っていない。対して日本は一国で600億円を持っている。  
日本は憲法9条の平和主義の下で経済発展を優先させた。軍備に金を使わずに済んだ。財政の専門家としてもはっきり言える。日本に集団的自衛権を行使し戦争をする金はない。  
日本は外交によって仮想敵国を減らす努力をすべきであり、特にはじめから敵であると決めつけることはよくない。武士道の究極の目的は平和であるという教えを私は信じているし、その精神を日本が発信すべく外交努力を重ねるべきである。  
以上の通りであり、ものすごく説得力がありました。私が村上議員の話で再確認できたことは、やはりヒトラーと同じだという感じ方をしているのだなということ。そして去年麻生太郎副総理が「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。あの手口学んだらどうかね。」と発言したことを思い出しました。安倍総理は本当にヒトラーから学んでしまったのではないでしょうか。安倍総理と麻生副総理は確信犯ではないか、よく理解した上で戦後積み上げてきた民主主義、憲法に制約された統治体制を壊そうとしているのではないかと思います。それが第一次安倍政権の時から公言している究極の目的「戦後レジームからの脱却」なのでしょう。アベノミクスは順序からすれば二の次、経済の話は国民受けがいいから選挙の時に前面に出しただけなのです。  
もう一つ、徴兵制を覚悟しなければならないという指摘は、「集団的自衛権を積極的に行使するようになれば、必然的に徴兵制にいかざるを得ないと思う。」という民主党枝野幸男議員の指摘と重なります。これもその通りだと納得できました。  
とにかくこれだけ国の形を大きく変えるような話なのですから、到底憲法解釈の変更で変えられるような問題ではないのです。私のような考え方を共産党みたいだと非難する人もいるでしょうが、私は共産主義者でも社会主義者でもありません。戦後、自民党が作り上げて来た民主主義は村上誠一郎議員が示している路線です。私から見れば村上氏が保守本流、安倍総理は保守傍流です。安倍総理は保守というより石原慎太郎衆議院議員が掲げる新保守と同じだと思います。  
集団的自衛権の行使には憲法改正が必要であり、私達はその覚悟があるのか自問しなければなりません。これは国民が決めることです。自分自身は絶対に戦場に行かない長老議員や学者たちが安全なところから「集団的自衛権を行使すべきだ。」と決めることではありません。これからまだ生きていく世代が、日本以外の国を守る為に自分や家族の命を捧げる覚悟があるか、そのために税金を負担する覚悟があるかということです。  
それにしても平和を捨てた公明党はどこにいくのでしょうか。「修正で一定の歯止めがかかった。」などと言うのは自分達にしか通用しない慰めです。まるで政権にしがみついて壊れていった国民新党を見ているようです。 

 

集団的自衛権 閣議決定最終案の要旨 6/28 
集団的自衛権行使を可能とする憲法解釈変更の閣議決定最終案の要旨は次の通り。  
はじめに  
わが国は戦後一貫して日本国憲法の下で平和国家として歩んだ。専守防衛に徹し、軍事大国とはならず、非核三原則を守るとの基本方針を堅持し、安定して豊かな国民生活を築いてきた。一方、わが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている。日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、脅威を防止することが必要不可欠だ。「積極的平和主義」の下、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。  
武力攻撃に至らない侵害への対処  
離島の周辺地域などで外部から武力攻撃に至らない侵害が発生し、近傍に警察力が存在しない場合や警察機関が直ちに対応できない場合、手続きの迅速化のための方策を具体的に検討する。  
国際社会の平和と安定への一層の貢献  
(1)後方支援と「武力の行使との一体化」  
他国が「現に戦闘行為を行っている現場」ではない場所で実施する補給、輸送などの支援活動は、武力行使と一体化するものではないとの認識の下、他国軍隊に必要な支援活動を実施できるよう法整備を進める。  
(2)国際的な平和協力活動に伴う武器使用  
国連平和維持活動(PKO)での「駆け付け警護」に伴う武器使用や、領域国の同意に基づく邦人救出などの「武力の行使」を伴わない警察的活動ができるよう法整備を進める。  
憲法9条の下で許容される自衛の措置  
安保環境の変化を踏まえれば、他国への武力攻撃であっても、目的・規模・態様によっては、わが国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。わが国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、わが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として憲法上許容される。わが国による「武力の行使」が国際法を順守して行われることは当然だが、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する。憲法上許容される「武力の行使」は国際法上、集団的自衛権が根拠となる場合がある。  
今後の国内法整備の進め方  
これらの活動を自衛隊が実施するに当たっては、国家安全保障会議(NSC)の審議などに基づき内閣として決定する。あらゆる事態に切れ目ない対応を可能とする法案の作成作業を開始する。 

 

集団的自衛権の行使容認 公明賛成すれば“バーター”成立? 6/26  
集団的自衛権の行使容認に向け、自民、公明両党の協議が大詰めを迎えている。防戦一方で、「平和の党」の矜持(きょうじ)を見せられない公明。支持母体の創価学会も揺れに揺れている。安倍晋三首相(59)の高笑いだけが響く向暑となってしまうのか。  
1964年に結党した公明党は「福祉と平和」を最重要政策に掲げてきた。支持母体の創価学会は持ち前の集票力で自民党議員の当選を“アシスト”している。  
本来なら自民に強気の交渉を挑むはずなのだが、公明党に覇気は感じられない。その背景をジャーナリストの乙骨正生氏が解説する。  
「第1の理由は、公明党と創価学会が自民党に急所を握られてしまっていることが挙げられます」  
その代表例は憲法が宗教の権力行使を禁じる「政教分離」だ。今月10日、飯島勲・内閣官房参与がワシントンで行った講演は大きな話題を呼んだ。従来の政府見解は公明党と創価学会の「政教分離」を認めているのだが、それを見直して「政教一致」とする可能性に言及したのだ。  
「講演に先立つ5月16日、創価学会は朝日新聞の取材に対して『集団的自衛権の行使容認は憲法改正の手続きを経るべきだ』との見解を示しました。飯島氏は学会と公明の関係が違憲状態だと指摘し、釘を刺そうとしたのは明らかです」  
乙骨氏が第2の理由に挙げるのは「公明が与党のうまみを知ったこと」だ。  
93年、非自民の細川護熙内閣で公明党は初めて与党入りを果たした。翌年には下野するものの、99年に自民、自由、公明の第2次小渕恵三内閣で返り咲く。  
「与党なら様々な政策を実行できます。小渕内閣の地域振興券は記憶に新しいでしょう。2000年からの森喜朗、小泉純一郎内閣では坂口力・厚生労働大臣が就任。公明党の重点分野である医療・福祉政策のトップを担いました。うまみを知った以上、与党から離れるのは難しいでしょう」  
集団的自衛権の行使容認に賛成すれば、安倍政権と様々な“バーター(取引)”をするとの見方もささやかれる。ある自民党関係者は「大臣枠を2人にしたいのではないか」と推測するが、乙骨氏は「公明党がより切望しているのは軽減税率でしょう」と言う。  
「公明は消費税率が8%に引き上げられる際にも軽減税率を主張しました。集団的自衛権とは異なり、消費増税は学会員の生活に直結します。実現できれば成果をアピールできます」  
だが、学会幹部は公明党の安易な妥協に批判的だ。支持母体とはいえ見解が相違することもある。以前もPKO協力法などで党と学会の主張が対立した。  
「創価学会の中には『日本が他国の戦争に巻き込まれる』などと集団的自衛権の行使容認に不安を抱く人は多い。なぜ公明党が賛成なのか納得のいく説明を行わなければ、党や学会に批判が殺到するかもしれません。軽減税率を交換条件にするなど論外です。裏取引と非難されるのは必定でしょう」(学会幹部)  
一方、安倍自民党は攻勢を緩めない。6月20日には国連決議に基づく集団安全保障でも自衛隊の武力行使を認めるべきだとの提案を畳みかけた。平和主義は、公明党と創価学会の存在理由だ。それを自分で壊せば、見返りとしてポスト増や政策実行を勝ち取ったとしても割に合わない。  
「下駄(げた)の雪」とも呼ばれる公明党。山口代表が「下駄の鼻緒だ」と顔を真っ赤にして反論したこともある。鼻緒が切れれば歩けないとの主張だ。  
下駄の雪か、鼻緒か。答えはまもなく明らかになる。 

 

創価学会が安倍政権に送ったシグナルとは? 6/26  
集団的自衛権問題で粘り腰の公明党  
第196通常国会会期中(参議院は6月21日、衆議院は同22日に終了)に、安倍政権は、憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認に踏み切る閣議決定を採択することができなかった。公明党が、粘り腰で、頑張ったからだ。  
公明党の平和主義は建前に過ぎず、「下駄の雪」のように自民党に飲み込まれるという見方をする政治部記者や評論家が多かったが、その見方は外れた。今回、公明党は本気で抵抗している。  
もっとも公明党も連立離脱をするつもりはないから、いずれかの時点で自民党と妥協することになる。  
新聞報道から判断する限り、閣議決定の内容は「集団的自衛権」という名前がついても、実質的には個別的自衛権の解釈を若干拡大した程度の内容になる。政策論争の観点からすると、公明党が優勢だ。自民党がかなり公明党に歩み寄ることになるだろう。  
自民党と比較して、公明党は国際情勢の現実をよく理解している。自民党の印象論、心情論に対して、公明党は、事実と論理を重視している。  
例えば、6月20日、自民党が国連決議に基づく集団安全保障の際に自衛隊が武力行使をできるとの案を唐突に提出したことに対する公明党の猛反発だ。同日の「朝日新聞デジタル」の記事がよくまとまっているので引用しておく。  
自民、集団安保で武力行使を提案 公明は猛反発  
自民党は20日、集団的自衛権をめぐる公明党との協議で、国連の決議に基づいて侵略行為などをした国を制裁する集団安全保障の際、自衛隊が武力行使できるようにする案を公明党に示した。だが、公明党は自衛隊による海外での武力行使が際限なく広がるとして強く反発。大詰めを迎えた協議の最大の論点となっている。  
与党協議で自民側は、集団的自衛権を含む自衛権発動の前提として示した「3要件」に、集団安全保障での武力行使も認めるよう提案した。空爆など前線での戦闘行為は認めないが、海にまかれた機雷を爆発させて除去するなどの行為は許されるとの考えだ。  
安倍晋三首相は、集団的自衛権の必要性を説明する際、自衛隊の活動範囲を地理的に縛らないとの考え方から、中東ペルシャ湾のホルムズ海峡など海上交通路(シーレーン)での機雷除去を例に挙げてきた。ただ、集団的自衛権を使って機雷除去にあたる途中で、国連安全保障理事会の決議で事態が「集団安全保障」に変わると、憲法9条を踏まえて自衛隊は活動を中止しなくてはならない可能性があり、政府・自民は支障が出るとみている。また最初から国連決議で多国籍軍が結成された場合、機雷除去などにまったく参加できなくなるとの懸念もある。  
しかし、公明党はこうした方針が急浮上したことに猛反発している。与党協議で北側一雄副代表は「いままで(集団的)自衛権の要件を議論していた。いきなり集団安全保障と言われても、党内をまとめられない」と反論。引き続き調整することになった。  
一方、この日の与党協議では、政府から憲法解釈を変更して集団的自衛権を使えるようにするための閣議決定案の概要も示された。集団的自衛権を使うための要件に「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるおそれがあること」を挙げた。ただ、公明党は「党内の議論が終わっていない」として、具体的な協議は行わなかった。>  
集団的自衛権や集団安全保障をめぐる国会審議やマスメディアの報道を見て、筆者は強い違和感を覚えている。大多数の人たちが、現実に集団的自衛権を行使し、自衛隊の海外派兵が行われる可能性は、それほどないと認識しているからだ。  
論壇では、圧倒的な少数意見だが、筆者は、日本政府が集団的自衛権の行使に踏み切るか否かの判断を求められる状況が、近未来に生じうるのではないかと危惧している。  
それは、イラク情勢が急速に悪化しているからだ。これはシリア情勢とも密接に関係している。  
6月に入って、イラクでアルカイダ系過激派「イラクとシリアのイスラーム国(ISIS)」が攻勢を強めている。6月3日、シリアで大統領選挙が行われ、バッシャール・アサド大統領が再選された。  
もちろんこの選挙は、国際基準での自由で民主的な選挙ではなかった。従って、欧米諸国や日本は、この選挙結果を認めない。ただし、アサド政権が首都ダマスカスからシリア北西部を実効支配していることが可視化されたので、近未来にアサド政権が崩壊する可能性は低いという認識が関係者の間で共有されるようになった。  
そこでISISが、矛先をイラクに向けた。ISISがイラクの油田地帯を実効支配することになれば、それはアルカイダ系組織の重要な資金源になる。米国のオバマ政権は、そのような状況を看過しない。  
アルカイダ系のISISに対しては、国連常任理事国の米露英仏中のいずれも強い警戒感をもっているので、決議が採択され集団安全保障に基づき加盟国に軍事貢献が求められるかもしれいない。国連での合意が得られない場合でも、米国と西欧の死活的利益に関わるという観点から、米国が武力介入に踏み切り、同盟国に派兵を要求してくる可能性は十分にある。  
集団的自衛権、集団安全保障に関する議論では、「近未来に自衛隊がイラクに派遣される可能性がある」ということを念頭に置いた上で、議論を積み重ねる必要がある。公明党が、自民党が集団安全保障を唐突に持ち出してきたことに激しく反発したのは、イラク情勢の緊迫化を公明党が正確に認識しているからである。  
自民党は野党の声には耳を傾けない。そもそも民主党も集団的自衛権について、党としての立場をまとめ切れない状態だ。この状況で、安倍政権の、国際社会の現実から遊離した観念論に対抗する力を持っているのは、公明党だけだ。  
ここで重要なのは、公明党の支持母体である創価学会の意向だ。 

 

集団的自衛権問題 安倍首相の一喝で公明“腰砕け”? 6/25  
「世界の平和と安定のため、より積極的な役割を果たしていく」  
今年1月、安倍首相は通常国会の施政方針演説でこう語り、集団的自衛権の行使容認に意欲を見せた。第2次安倍内閣が発足してから、集団的自衛権に踏み込んだのは初めて。それだけに並々ならぬ決意をうかがわせた。  
首相と親しいベテラン議員はこう分析する。  
「安倍首相の祖父の岸信介氏は1960年に安保改定を果たしています。首相が集団的自衛権の行使容認によって日米関係の双務性を完全なものにし、祖父の残した宿題を完遂させたいと思っているのは間違いない。本当は昨年秋に手を付けたかったが、消費増税8%への判断や、平和を掲げる創価学会の総本部ビルの完成式典と重なるため、しぶしぶ見送った。だから余計に、今国会でとの思いが強かったのでしょう」  
そんな前のめりな首相のブレーキ役として期待される公明党。だが、山口那津男代表(61)は「長年、政府は集団的自衛権の行使を認めていない」と牽制(けんせい)しながらも、1月末には「(連立)離脱は到底考えられない」と明言。いずれ歩み寄ってくるとの見方が、官邸内に広まった。  
首相は念には念をと、公明党の一部議員を接待して取り込むとともに、2014年度予算が成立した2週間後の4月3日には、集団的自衛権の行使容認について公明党との与党協議をスタートさせた。  
5月15日には首相の私的諮問機関である「安保法制懇」が報告書を提出。首相は記者会見で「国民の命と暮らしを守るために、国内法制を整備します」と高らかに宣言した。  
完全に安倍自民党のペースで進んだ自公協議だが、5月下旬になると雲行きが怪しくなる。  
「これまでの平和主義を方向転換するわけだから、きちんと憲法改正の手続きを取るべきだ」(山口代表 同月24日)  
「集団的自衛権は第一義的には同盟国の安全を援助をするもの。(安倍首相の言う)『日本国民の命を守るための集団的自衛権』というのは違うのかなあという印象をもっている」(漆原良夫・公明党国対委員長 同月29日)  
公明党幹部が相次いで首相の強引な手法や見解を批判したのだ。同党中堅議員が2人のホンネを代弁する。  
「朝鮮半島有事など限定的な集団的自衛権の行使なら、われわれも歩み寄れなくはないが、政府が示した15事例には地理的な範囲の制限がなく、自衛隊の活動領域を大幅に広げようとする意図が見えた。さすがにそれには合意できない。とにかく議論を引き延ばして、時間切れを狙おうとなった」  
安倍首相はこうした姿勢に激怒。6月5日に外遊先のブリュッセルでの記者会見で、「与党協議を集中的、徹底的に進めて頂きたい」と通常国会内の合意を公明党に強く迫った。さらに「みんなの党や維新の会などは理解を示している」と話し、牛歩戦術を取る同党を牽制した。  
「首相は、年末の日米防衛協力のための指針(ガイドライン)の見直しに、米国が望む集団的自衛権の行使容認を盛り込みたいと強く願っていた。スケジュールはぎりぎりで、それでぶち切れた」(首相と親しい政治ジャーナリスト)という。  
アベノミクスならぬ「アベノ一喝(イッカツ)」で、公明党には弱気ムードが広がっている。ある衆院議員が打ち明ける。  
「山口代表が連立離脱しないと明言している以上、最後は政府・自民党案に合意せざるを得ません。地元の支援者に『安倍首相の暴走に歯止めをかけた』や『拡大解釈を阻止した』といった説得材料がほしい」  
別の参院議員は「自公の政治決着は首相の外遊前の7月1日か2日」と予測するが、その理由が興味深い。  
「少なくとも翌月まで粘らないと、とことん議論しました、公明党は頑張りましたという雰囲気にはなりません。自公決着後は安倍首相に『公明党の指摘で直すところは直した』と言ってもらいたいですね」 
集団的自衛権反対に創価学会を利用する朝日の「政教不分離」 6/22 
ワールドカップで日本中が過熱している今週、『週刊文春』(6月26日号)のトップのタイトルが秀逸。  
「中国がほくそ笑む公明・朝日売国オウンゴール」  
サブタイトルに「尖閣危機をよそに『集団的自衛権NO』で共闘」とあるが、創価学会のケツを叩(たた)いて、なんとか集団的自衛権を阻止しようという朝日の姿勢は露骨だった。  
5月17日付朝刊1面で「行使『改憲経るべきだ』」「公明支持母体 創価学会見解」、4面では「自公協議に影響必至 創価学会、強い懸念」と報じた。  
〈「昨年末、安倍首相の靖国参拝直後の社説では、朝日は政教分離の視点からも参拝を批判していた。ところがこの記事は、創価学会の見解を大きく報道することで、公明党の支持母体が強く反対しているとして、政治に影響を及ぼす狙いが見え見えです。それなのに、政教分離の問題点については一切触れていません」〉  
「媚中派」「売国奴」とまで言われた丹羽宇一郎前駐中国大使(元伊藤忠商事社長)が『週刊現代』(6・28)で「敢(あ)えて苦言を呈」して「『中国よ、日本をなめない方がいい』」。かつて「日本は中国の属国になればいい」とまで言った人が、どの面さげて転向!?  
〈(習近平は)比較的、親日派でフェアな人物〉  
〈中国に進出している日本企業は約2万2000社です。そして、現地の中国人を約1000万人雇用しています。日本の貿易総額の2割が中国との貿易なのですから、中国は日本が大切なビジネス・パートナーであることを忘れてはなりません〉  
やっぱり商売の話か。 

 

安倍政権の大暴走 6/20  
安倍政権の暴走が止まりません。総理が御用学者を集めて私的諮問機関(安保法制懇)を作り、その国民の信託を得ていない学者達が作成した総理好みの報告書を閣議決定するだけで憲法9条が変わるとしたら、それはもはや国民主権ではなく民主主義の破壊です。憲法は国の最高法規であり、主権者は国民なので、改正する場合はまず国民の代表である国会議員の3分の2以上が発議すると定められており、これは法律を作る立法府、つまり国会の仕事です。三権分立は司法、立法、行政の3つであり、行政府の長である総理が閣議決定で憲法の解釈を変えることはそもそも越権行為なのです。どう考えても最高権力者である総理が憲法9条を好きなように解釈し、それによって自衛隊の運用が変わり、その根拠が特定機密保護法で秘密にされるということは、権力が暴走した戦前に戻りつつあるとしか思えません。  
安倍総理が憲法9条改正論者であることは周知の事実であり、そういう考え方があっても構いませんが、問題は進め方です。総理は昨年、憲法96条を改正することで憲法を変えやすくしようと試みました。この時点では少なくとも憲法改正によって9条を変えよう、憲法に定められたプロセスに従おうという姿勢が総理自身に見られました。ところが中身も決めずにただ憲法を変えやすくしようというのは如何なものか、と国民の反発が強かった…。すると一足飛びに憲法なんて無視してしまえ、改正しないで好きに解釈すればいいんだと開き直ってしまったわけで、これはもう独裁者の思考パターンです。恐らく総理は「目的の為には手段を選ばず」−自分は正しいことをしているんだから、いずれ後世の人間が判断してくれるだろうと思っているのでしょう。けれども独裁者というのは勝手に自分が正しいと思って強引に進める人、ルールやプロセスを無視する人のことを言うのであり、対して民主主義というのはプロセスがすべてです。時間はかかるけれども丁寧に議論して合意を積み重ねる、そのプロセスを経て結論に達するのが民主主義であり、安倍総理は物腰はソフトだけれど、やり方は独裁者そのものです。ドイツ国民はヒットラーの演説に高揚してリーダーに選んだ結果、大失敗しました。日本国民も「好景気」というムードに高揚して安倍政権を勝たせてしまいましたが、9条改正論者も反対論者もまずは民主主義を守ることで結束しないとドイツの二の舞になりかねません。平和ボケをすると誰がやっても政治は変わらない、何が起きてもとりあえず自由と平和だけは続くだろうと錯覚しがちですが、世界の歴史を見れば1人の独裁者がほんの数年で国を混乱させてしまう例はいくらでもあるのです。  
さてこの局面で公明党の役割は非常に大事です。私は公明党でも創価学会でもないけれど、集団的自衛権に関する山口那津男代表の発言は極めて良識的です。ご本人が法律家(弁護士)ですから理路整然としていて、これまでの政府見解、プロセスの積み重ねを重視した発言に徹しています。公明党が筋を通して毅然としていればよいのですが、私は国民新党の分裂というかクーデターを経験しましたから、政権与党への執着心、特に大臣、副大臣、政務官に就いている人間の異常なまでのポストへの執着心が公明党にも出てくるのではないかと懸念しています。でもそこで主義主張を曲げることは政党としての自殺行為であり、ただ与党でいることだけが目的の集団になってしまうと右往左往して結局は転落するでしょう。  
国民新党の場合は消費増税の閣議決定が分裂の始まりでした。閣議決定を前に当時の亀井静香代表が連立離脱を発表しましたが、私を除いて全員が政権に執着し、遂には代表を追い出すというクーデターに発展しました。何が起きたかというと、党本部を占拠した議員達が金庫を勝手に開けて政党印を押印し、代表差し替えの書類を総務省に提出したのです。役所というのは形式主義ですから、登録印が押されていれば、それが盗まれた印鑑であっても書類としては受理します。亀井静香代表は弁護士を立てて争うようなことはせず、「代表のまま離党する。」と言い残して国民新党を去りました。私も一緒に離党したのはご承知の通りです。その後、国民新党は総選挙による政権交代で野党に転落し、権力を失った途端に数ヶ月で崩壊(解散)してしまいました。  
「集団的自衛権の問題で連立離脱することはない。」との声が公明党内にあると報道で目にしましたが、それではなりふり構わず政権にしがみつきますと言っているようなもので、今後「平和の党」などと声高に主張しても完全にしらけてしまうでしょう。執着心というのは醜いだけで何も生み出しません。公明党がどういう対応をするか、果たして所属議員が結束していられるのか、私は注目しています。そして自民党は与党として政府の暴走を止めること、安倍総理を党首に選んだのは自民党員ですから、彼らにまず一義的な責任があるわけで、政府を止めるなり党首を解任するなり行動すべきでしょう。郵政民営化の時、政府に待ったをかけたように自民党内に反対勢力が生まれるか、それとも単なる大政翼賛党になり下がってしまったのか、ここは正念場です。1強と言われる自民党が大政翼賛党であるとしたら戦前と同じであり、国民にとっては絶望的、まさに戦後最大の危機だと思います。 

 

集団的自衛権、議論大詰め 6/17  
急がず国民の覚悟問え  
集団的自衛権を巡る議論が大詰めを迎えている。行使が認められれば、日本が直接攻撃されていなくても外国同士が行う戦争に参戦し、武力を使えるようになる。政府・与党は「国民の権利が根底から覆される事態」に限り行使を認めるなどの「限定容認論」を展開する。この問題では同僚の間でも意見が違う。例えば、山田孝男政治部特別編集委員は本紙コラム「風知草」で、提唱者の一人、高村正彦自民党副総裁を「アッタリマエのバランス」の持ち主と紹介する一方、限定容認論への元防衛官僚の批判を「のみ込めない」と退け、政権に理解を示している。  
しかし、私は疑問に思う。限定容認論の本質や集団的自衛権の行使が何を意味するのか、議論が尽くされたとは思えないからだ。「限定容認論ならOK」と唱える前に、いま一度立ち止まって考える必要があるのではないか。  
戦争参加の代償、払うのは私たち  
現在の憲法解釈は、日本による武力行使を、日本が直接攻撃を受けた時に限って認めている。憲法9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」により、「今の憲法では日本が直接侵略を受けた時に、それをパッと振り払う程度の武力行使を認めるのが精いっぱい」(内閣法制局幹部)とされてきたからだ。  
この解釈を変更するため、政府・与党が持ち出してきたのが限定容認論だ。「日本が直接攻撃されていなくても、国民の権利が根底から覆される事態はあり得る。そうした事態であれば、武力行使を認めてもいいのではないか」というのがその骨格だ。一見すると、武力行使を厳しく制限する従来の憲法解釈の延長線上にあるようにも思える。  
だが、本当にそうか。現在の憲法解釈は「日本への侵略があれば武力行使を認め、侵略がなければ認めない」という単純明快なものだ。迷ったり、間違ったりすることは考えにくい。一方、集団的自衛権行使の場合、政府と国会が「国民の権利が覆される」などと判断すれば武力を使える。限定容認でも、全面容認でも、裁量の余地が生じるのは同じだ。迷うかもしれないし、その決断が後に間違いだったと言われる可能性も十分にある。  
集団的自衛権の行使容認とはとどのつまり、国民が「戦争への参加」という重大な判断を政府・国会に委ねるということだ。安倍晋三首相は11日の党首討論で「私は最高指揮官として自衛隊と共に日本を守っていく責任を負っている」と強調した。しかし、首相が責任を取るとしても、自衛官や相手国の兵士、両国の国民がその代償を払うことには変わりがない。「限定容認論」をアピールして行使容認への理解を得ようとする前に、国民にその覚悟があるかをまず問うべきではないだろうか。  
戦場の実態に目をそらさず  
さらに、「集団的自衛権の行使は、戦争への参加を意味している」という事実について、もっと慎重に考える必要がある。戦争は、一度始まれば講和条約を結ぶまで終わらない。終結後も、何世代にもわたりぎくしゃくした関係を続けなければいけないかもしれない。何よりも、戦場では敵を見つけた瞬間に殺さなければいけない。敵も、こちらを見つけた瞬間に殺そうとしてくる。他国領域に入らなければ安全だ、とは言えないし、機雷除去だから安全だ、とも言えない。ミサイルやテロの脅威は国境を容易に飛び越えてくる。日本にいるから安全だという保証もない。  
2001年に米同時多発テロが起きた時、私は米国に滞在していた。現場からは遠く離れていたが、あの時感じた「いつ、どこで自分が殺されるか分からない」という恐怖は忘れることができない。将来、戦場に派遣された自衛官の恐怖はどれほどのものだろう。恐怖から目を背け、逃げるべきだと言っているのではない。「戦争とは何か」について、もっと思考を巡らす必要があるということだ。  
集団的自衛権の行使が容認されれば、東アジアの国々と安全保障の結びつきを強め、防衛装備品を売り、共同訓練を行い、軍拡を続ける特定国に対し包囲網を築く、という構想が描けるかもしれない。軍事力を背景に経済や外交の交渉を優位に進めることも、できるかもしれない。それらの「メリット」についても、大いに議論すべきだと思う。  
しかし、限定容認論をことさらに持ち上げたり、戦争の現実を直視せずに議論を進めたりすることは、見せたいものだけを見せて、見せたくないものは見せない行為にほかならない。日本のメディアは先の大戦中、真実を伝えず、都合のよい情報だけを流して世論を誤らせ、軍部とともに国を壊滅へと導いた。同じ轍(てつ)を踏むことは、決してあってはならないと思っている。 

 

安倍首相が集団的自衛権行使容認を急ぐ本当の理由 6/13  
今国会で憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使容認に躍起になっている安倍晋三首相。行使容認が緊急性を要しているとは思えないジャーナリストの田原総一朗氏は、本当の理由は他にあるのではないか、といぶかしむ。  
6月11日、今国会初の党首討論が行われた。中でも注目されたのは、民主党の海江田万里代表と安倍晋三首相の討論であった。日本維新の会の石原慎太郎共同代表、浅尾慶一郎みんなの党代表は、いずれも政府の解釈改憲による集団的自衛権行使に賛成しているからである。また、民主党内の海江田代表おろしの声を抑え込むために、海江田代表としては安倍首相から「得点した」と判断できる打撃を与えなければならないと意気込んでいたはずだからである。  
海江田代表は、まず「長年の憲法解釈を正面から否定して、行使一般を容認する変更は許されない」とぶち上げた。公明党の山口那津男代表も同じ意見を表明していて、これは正論だ。ただ、主張をさらに深めるのかと思いきや、「この20日にも閣議決定するという情報が流れています。(中略)まさに拙速であります」と、国会審議の短さに論点がすべった。それで、安倍首相に「閣議決定したら直ちに自衛権が行使できるわけではない。法改正が必要だ。その際には当然、国会で審議いただく」と弁明する機会を与えてしまった。  
さらに海江田代表は、ホルムズ海峡の機雷除去を例に、「首相は油のために自衛隊員に命を捨てろというのか」と、まるで安倍首相をまねるかのように感情的になり、安倍首相に「確かに危険な任務だが、日本は責任を果たさなくていいのか。(中略)批判はあっても現実と向き合うのが政治家の責任だ」と、余裕のある答弁をさせてしまった。  
何よりも迫力を欠いたのは、民主党はいったい、集団的自衛権の行使自体に反対なのか、それとも時間をかけて審議すれば合意するのか、姿勢をはっきり示さなかった、あるいは示せなかったことだ。  
だが私はここで、海江田代表の討論が迫力を欠いたと批判して、ことが済んだと考えているのではない。  
甘い質問で救われた形になったが、自民党の歴代首相は集団的自衛権の行使を認めてこなかった。日本は自国の平和と安全を日米安保条約第5条にゆだねており、なぜここにきて集団的自衛権行使に踏み切らざるを得ないのか理解できないのである。  
安倍首相は海江田代表にも、「近隣諸国でもし紛争が起こり、逃れようとする邦人を輸送する米国の船が襲われたときに、その船を守れなくていいのか」と、得意のせりふで反論した。だが、米軍は、こうした船には必ず護衛艦をつけていて、安倍首相が心配するような事態は現実には起き得ない。それは安倍首相自身、よく知っているはずである。  
政府が、集団的自衛権が必要なケースとして具体的な事例をあげればあげるほど、矛盾に満ちてしまう。そして、ほとんどのケースは周辺事態法で対応できるはずなのだ。  
官邸や自民党の要人たちを取材しても、集団的自衛権行使になぜ今、これほど熱をあげなくてはならないのか理解できない。行使が必要な緊急事態だとは思えないのである。  
現在の日米安保条約は、日本が危機に襲われたときは、米国の集団的自衛権を行使することになっている。ただし、米国が危機に襲われても、日本の自衛隊は動かない。片務条約である。いつまでも片務条約のままでは独立国として誇りが持てないから、双務条約にすべきだ。あるいは、世界の警察をやめたと公言している米国に参戦の念押しをするため、というのが安倍首相の本意ではないだろうか。 

 

集団的自衛権の意味するもの 5/16  
5月3日が憲法記念日だからというわけではないが、今回は、憲法第9条にかかわる集団的自衛権について異端的に考えてみたい。  
就任以来、なにがなんでも集団的自衛権行使の容認へとひた走る安倍首相のおかげで、憲法への関心が高まり、憲法関連の書籍の売り上げが伸び、人々の間で憲法が話題に上るケースが多くなったという。憲法のことを正面からとらえることのない日本人にとって、今回の安倍首相の無理繰りにも、思わぬ副次効果があるわけである。  
ここで、もう一度、日本国憲法の第9条の原文を読んでいただきたい。  
第9条 [戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認]   
1 日本国民は、正義と秩序(ちつじょ)を基調とする国際平和を誠実に希求(ききゅう)し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇(いかく)又は武力の行使は、国際紛争(こくさいふんそう)を解決する手段としては、永久にこれを放棄(ほうき)する。  
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
これを、読者諸兄はどう読まれるであろうか。主権国家の3要件の主権・領土・国民のうちの主権を暗黙前提に置かないで、国語的に解釈すると自衛権の行使さえも放棄しているように読めないであろうか。それ故に、1959年の砂川事件判決で最高裁の大法廷は、「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の(個別的)自衛権を否定しない」という見解をあえて示したわけである。主権国家の専権性が前提とされている国際社会における、この第9条の特異性ゆえに、奥平東大名誉教授の「憲法第9条を可能とする国際環境の実現のために、その存在意義がある」という趣旨の発言やノーベル平和賞候補としてノーベル委員会が推薦を受理したという事実が意味をもつわけである。  
高尚な議論はひとまずおいて、集団的自衛権行使の容認について、論理的かつ現実的に考えてみたい。安倍首相は、「必要最小限度の範囲」で自衛権を行使できるという1972年の政府見解である「集団的自衛権と憲法との関係」を根拠に、この「必要最小限度の範囲」の解釈を拡大して、内閣の判断による事実上の第9条に関する憲法解釈の大きな変更を強行するようである。安倍首相の方便は、現在、核兵器や弾道ミサイルを周辺国が保有していることに加え、国際テロが増加するなど安全保障環境が大きく変化しているので、「必要最小限度の範囲」に個別的自衛権に加えて、集団的自衛権も加えるべきであるということになるのであろう。  
しかし、その集団的自衛権行使の先例をみると、ベトナム戦争、2011年の911テロに端を発するアフガニスタン攻撃や2003年のイラク戦争などが該当すると考えられている。さて、これらを歴史的に振り返って、読者諸兄は集団的自衛権の行使の正当性と正統性をどうお考えになるであろうか。また、政府の言うように、歯止めが利くと思えるであろうか。  
安倍首相が、如何に自己正当化しようとも、海外では今回の拙速な動きを危惧している。事実、5月8日のニューヨーク・タイムズ電子版は、「日本の平和主義憲法」と題した社説で、今回の内閣による憲法解釈の変更による集団的自衛権行使の容認を民主主義の手続きを損なうものであると批判している。そして、最後に、憲法は政府の気まぐれで変更できるようなものではなく、今回の件は、まさに日本における民主主義の真価が試されていると述べている。まったく正論である。  
実際、憲法解釈の大きな変更を時の内閣で行えるのであれば、内閣ごとに憲法の解釈が変えられるわけで、法治国家を自任するのであれば、かなり前代未聞の出来事であろう。安倍首相が私の全責任(どうやって責任をとるのか聞いてみたいところである)で変えるなどとのたまいて、独裁者気取りをやっている場合ではないのではないか。  
ここで、集団的自衛権の歴史を見てみたい。集団的自衛権とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で、攻撃国に対する防衛を行うことを国家に認めた国際法上の権利である。その歴史は、1945年に署名・発効した国際連合憲章第51条に遡る。国際連合の設立にあたって、常任理事国の拒否権を認めたことで、国連憲章で定められた欧州連合などの地域的機関が安全保障理事会の許可のもとでは、迅速な共同強制行動がとれなくなるおそれが高まり、安全保障理事会の許可なく行われる地域的機関の共同防衛に法的根拠を与えるために集団的自衛権が国連憲章に明記された経緯がある。北大西洋条約機構(NATO)などは、この集団的自衛権を強化・具体化するために創設された地域的機関と言える。しかし、1990年の冷戦終結後、このような集団的自衛権に基づく共同防衛体制の必要性は急速に低下していったといえる。問題は、今後再び共同防衛体制の必要性が高まるかであろう。  
長くなったが、ここまでが憲法第9条と集団的自衛権の背景説明である。以下にICT(情報通信技術)の発展と絡み合った不可逆なグローバル化の進展という現在の大きな潮流の変化を前提に、現実的に集団的自衛権行使を容認する意味合いをどのように考えるかを論じてみたい。  
1990年の冷戦終了後、事実上アメリカのヘゲモニーが確立し、企業と人が国境を越えて自由に行き来をすることで経済活動が活発化し、国家を超えて地球規模で、経済的、社会的、文化的、政治的側面での結びつきと相互依存がこれまでになく強化され、ICTの指数関数的発展によって、時間と空間が圧縮され、地球規模での物理的・論理的ネットワークが高密度に張り巡らされたと言える。ゆえに、国家を前提とする国際化という表現の代わりに、国家を念頭に置かず、地球規模と言う意味でのグローバル化という表現を使うわけである。多くの日本人は、この違いを理解して使っていないのではないか。  
この大きな流れの中で、Naisbittがいう「The bigger and more Integrated the world economies become, the more powerful Its smallest players become.」というグローバルパラドクスが引き起こされ、国民国家は、上方統合(グローバル規模のことに対処するには小さすぎる)と下方分散(ローカルなことに対処するには大きすぎる)の圧力にさらされ、主権国家すら企業や個人に選ばれる存在となりつつあり、主権国家のもつ専権性は漸次低下しつつあるのが現状である。  
この状況を見て取ったハーバードのジョセフ ナイ教授は、軍事力や経済力と言ったハードパワーから信条や文化といったソフトパワーが重要になるといっている。米国が中国と模索するジョイントヘゲモニー(ここでは、ナイは、両者を賢く使うスマートパワーといっているが、基本、軍事力の力は落ちている)とは、これまで考えていたヘゲモニーというものの意味の弱体化であろう。  
事実、国家の専権性の低下によって、一国で判断・行動することが難しくなってきている。企業主導の国境を越えた経済活動の結合に対して、国家の経済政策は、現状の追認しかできていないのが現状であろう。法人税ひとつとっても、これは国家間の競争なので自国で勝手に高い税率を決めても不利になるだけである。軍事行動においても、シリアに対する米国やイギリスの制裁行動発動の失速、クリミア併合(ロシアの歴史をみれば理解できるが、大きな意味では勇み足である)後のウクライナに対する資源輸出に大きく依存するロシア(プーチン)のクリミアとは大きく異なる慎重な対応、紛争を二国間問題としか認識しないあの中国ですら、アメリカとの関係を考慮し(クリミアの独立・併合を認めると中国もチベットなどの爆弾を抱えることになる)、クリミア併合の件でロシアと一緒に拒否権を発動することはしなかった。つまり、主権だといって、一国で大きな単独行動を起こすことは難しくなってきているのである。  
なぜならば、相互依存し、強固に結合してしまった経済・社会関係を犠牲にして軍事行動を起こすことは、失うものが多すぎるのであり、中国と米国は、かつてのソ連とアメリカの冷戦構造になることはあり得ないであろう。だれも得をしないので、大規模戦争の可能性は低いといえる。おもうに、テロリスト国家でもない限り、集団的自衛権を具体的に行使することはなさそうである。  
国家を積極的に必要としない国民が増える一方で、主権の低下に悩み 領土のみしか残らない主権国家(これに手をつけたプーチンは一線を越えてしまったかもしれない)が、状況を受け入れられず、変わりたくないといっているのが現状であり、問題の本質は主権国家の専権性の低下であって、個別的自衛権が機能せず、行使をする可能性の低い集団的自衛権に安全を担保すると考えることもできるが、集団的自衛権行使を容認することが問題の本質ではない。  
巨大な権益分配装置と化した国家はその権益を手放したくはないかもしれないが、国家の機能は縮小していかざるを得ないであろう。加速化する不可逆なグローバル化のなかで、変わりたくないとごねる国家、変わらざるを得ない企業、変わらなければならない個人(国民)という状況は、安倍内閣の閣僚が強要する国家・企業・国民の三位一体もはや機能しない状態にあることを理解する必要があろう。  
実際、中国を念頭におく日本の集団的自衛権行使の容認であるが、もし、日米安保条約での集団的自衛権の行使を明記すれば、事実上、憲法第9条を放棄したと中国は言うであろう。そうすることによって中国は周辺的な活動をより硬化するであろう。彼らに、行動の硬化を正当化する理由を与えることになるのである。一方で、現状を維持して、集団的自衛権の行使を容認しないとすれば、今と同じような小競り合いが続くであろうが、中国が行動を硬化させる口実は与えることはない。どちらが、リスクが高いかは、明白ではないだろうか。米国とて、しばらくは中国とのジョイントヘゲモニーを想定しているのであり、積極的に軍事介入をする意図はあるまい。米国のグローバル秩序の維持にとって重要なのが、日本ではなく、中国であることは明白である。  
それでは、なぜ、わざわざリスクの高い選択を安倍首相はしたがるのかである。安倍首相が集団的自衛権行使の容認を叫ぶには理由がある。祖父の岸信介が目指した革新官僚の夢である家父長的強権国家の建設は安倍首相のアジェンダであろう。しかし、現状は、その反対で、家父長的性格の国民国家は弱体化してきている。内政事情で強硬路線に走る中国を使い、中国を標的にした古典的なハードライン(強硬な)外交手法を用いて、強権的な国家主義の強化を試みているのが安倍政権の本質と言える。このような安倍首相が、国家主義の発揚のために、中国と一戦を交えることを辞さないと思うのも岸信介の不肖の孫としては理解できよう。しかし、中国と一戦を交えるには、アメリカの軍事的援助が必要であり、現行の日米安全保障条約では心もとなく、アメリカに頼るのであれば、アメリカが双務的な意味で集団的自衛権行使を容認しろと言うのは筋が通っている。アメリカが「この期に及んで、日米安保条約にまだ、ただ乗りするのか、いい加減にしろ」と言うのは当然であろう。  
しかし、読者諸兄には、偉大な祖父を持った、時代錯誤の国家主義信奉者である安倍首相の火遊びにつきあって、火傷を負う気はおありだろうか。  
もし、憲法を変えるのであれば、社会の要請を考えると、第9条ではなく、  
第24条 [家庭生活における個人の尊厳と両性の平等]  
1 婚姻(こんいん)は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持(いじ)されなければならない。
 
の改正がさきなのではなかろうか。 

 

安倍帝国vs.宗教 創価学会票が離反 4/3  
集団的自衛権の行使容認、靖国神社参拝、憲法改正、原発再稼働など重要案件を抱える安倍政権にとって宗教界との関係は、今後の選挙で死活問題になる。ところが、ここにきて今まで自民党に友好的だった多くの宗教団体が、安倍晋三首相(59)の“右傾化する政権運営”に懸念を示し、その関係がギクシャクし始めた。  
連立与党の公明党、山口那津男代表は3月25日の会見で、安倍首相側近、萩生田光一総裁特別補佐の言動に対し、語気を強めた。  
「与党の一員として、ひいきの引き倒しのような言動は厳に慎むべき」  
慰安婦問題をめぐる、河野洋平官房長官談話の検証を受け、「新事実が見つかれば、新たな談話を検討すべき」との考えを示した萩生田氏に猛省を迫ったのだ。  
一方、懸案だった日米韓の首脳会談を無事、終えた安倍首相は「与党と相談の上、閣議決定し、国会で議論を行いたい」と集団的自衛権の行使容認に強い意欲を燃やす。  
首相の私的諮問機関は4月にも行使容認を求める報告書を首相に提出する予定で、6月には政府案がまとまり、国会会期末(6月22日)までに憲法解釈の変更を閣議決定する予定だ。  
だが、公明党の山口代表はここでもくぎを刺した。  
「国民生活に関わりが深い、優先すべき課題がある」  
これには前段がある。  
公明党の漆原良夫国会対策委員長が自身のメールマガジン“うるマガ”で与党幹部としては異例の首相批判を展開したのだ。  
「総理のこの考えは、『国民の声を聴く』という一番大切な部分が欠落しており、私は、到底賛成できません」  
公明党の反発の背景には公明党の支持母体である創価学会の意向がうかがえる。  
「昨年末の靖国参拝以降、安倍さんの右傾化に歯止めが利かなくなっている感じですね。集団的自衛権、憲法改正をにらみ、安倍さんは『自分に従うか、与党を去るか』と公明党に踏み絵を踏ませようとしている」(創価学会幹部)  
とはいえ来春の統一地方選を控え、公明党との選挙協力は欠かせない。  
創価学会票を当てにする自民党は公明党の意向を無視できないのが現実だ。  
「政権離脱するのは簡単だが、政治は右に行くだけ。わが党が牽制役になることで、安倍政権が突っ走るのを抑えられる。どちらが日本のためになるかと考えたら、妥協をしても、政権に残るほうが影響を及ぼせる」(公明党幹部) 

 

「日本は、助けない」韓国高官は凍り付いた 3/18 
安倍晋三首相が意欲を示している集団的自衛権行使の容認に関連して、日韓両政府の協議で緊迫したやりとりがかわされていたことはあまり知られていない。日本政府関係者が放った一言に韓国の政府関係者は凍り付き、言葉を失ったという。  
「日本は韓国を助けない」  
「朝鮮半島で再び戦火が起きて、北朝鮮が韓国に侵攻しても日本は韓国を助けることにはならないかもしれない」  
昨年、開かれた日韓両政府の非公式協議で、日本側の出席者の一人がつぶやいた。協議は、日韓の外交・安全保障問題をテーマに北朝鮮情勢や集団的自衛権の行使容認などについて意見交換するために開かれた。  
発言の意味は慰安婦をめぐる歴史問題や竹島(島根県隠岐の島町)の不法占拠などで、韓国に対する感情が最低レベルに落ち込んだことを受けて、朝鮮半島有事になっても日本は韓国支援に動けない可能性があるということを示したものだった。  
ただ、その意味の重みを韓国側の出席者はとっさには理解できなかったようだ。日本はすでに周辺事態法を平成11(1999)年に制定している。この法律は、朝鮮半島で有事が起きた場合、韓国軍とともに北朝鮮軍と戦う米軍を支援することを主な目的としている。  
「自分たちで朝鮮半島有事が起きたことを想定した法律を作っておきながら、今さら何を言うのか?」。当初、韓国側の出席者にはあきれかえったような雰囲気が漂ったという」。  
韓国側出席者のそうした表情を見て取った日本側出席者は今度はゆっくりとかみ砕くような口調で説明した。  
「日本は米国との事前協議において、米軍が日本国内の基地を使うことを認めないこともあり得るかもしれないということだ」  
ここに至って、ようやく韓国側の出席者も日本側出席者の発言の意味を飲み込んだようだった。  
「ノー」と言える日本  
日米安保条約に基づいて、米国は日本防衛の義務を負っている。その米軍のために国内の基地を提供し、その使用を認めている。ただし、これはあくまでも日本の防衛が目的だ。  
米軍が日本国外で軍事行動するために国内の基地から航空機などが発進する場合には日米両政府の事前協議が必要となる。日本側出席者の発言は、この事前協議において、国内から米軍が韓国来援に向おうとしても日本側は「ノー」ということもあり得るということを示したものだ。  
実は日米両政府間で事前協議が行われたことは一度もない。ベトナム戦争や湾岸戦争でも、日本政府は、「米軍は移動している最中に命令を受けたのであって、ベトナムやイラクに直接、向うために国内の基地を発進したわけではない」という論理で、米軍の作戦行動を担保してきた。  
だが、朝鮮半島有事が起きた場合、これまで通りの論理で米軍の作戦行動を日本は裏打ちすることができるのか。国内の嫌韓感情がさらに高まれば、韓国支援に対する拒否感情も当然、強まる。政府がどんなに韓国支援に動こうとしても世論の強い支持がなければ、全面的な支援は難しくなる。  
対北の国防策を無視する「反日」国家・韓国  
韓国の国防政策にとって、米軍の来援は死活的な意味を持つ。米軍の来援があるからこそ、韓国は北朝鮮と対峙(たいじ)することができる。その米軍は沖縄や岩国など日本国内の基地を使って、韓国軍と一緒になって武力攻撃を仕掛けてくる北朝鮮と戦うことになっている。在韓米軍はいるが、韓国にとって日本の国内基地から米軍が来援することが自国の安全保障の大前提となっている。だが、その前提が崩れるかもしれないとしたら…。  
もちろん、日本政府が事前協議を米国に求めて、その場で「ノー」を言う可能性は限りなくゼロに近い。だが、これまで一切タブー視されてきた日米両政府の事前協議に日本側が触れたことの意味はあまりにも大きい。果たして韓国はどう受け止めるのか。