「頭の体操」は役人の務め

役人の務めをはたしてなぜ悪い 
「頭の体操」 
事前の想定問題対策検討 
 
他省庁の範として効率を優先させています 
 


  
  
  
  
 3/14 
「小松長官更迭」でも…野党共闘ならずみんな・民主、距離置く構え  
日本維新の会は14日の衆院議院運営委員会理事会で、加藤勝信官房副長官に対し、国家安全保障基本法案の国会提出を安倍晋三首相が考えていないなどと答弁した小松一郎内閣法制局長官の更迭を要求した。  
維新の松野頼久国会議員団幹事長は党代議士会で小松氏に関し「行政官ののりをこえている。立ち居振る舞いがひどい」と強調。その松野氏ら野党各党幹部に、民主党の大畠章宏幹事長は小松氏更迭に向け共闘を呼び掛けた。来週中に野党幹事長・書記局長会談を開く方向で調整している。  
しかし、「小松氏更迭」による野党共闘は早くも崩れている。  
みんなの党の渡辺喜美代表は記者会見で「小松氏は病気になり、悲壮な決意で国会論戦に臨んでいる。更迭を求めることはない」と松野氏らと一線を画す姿勢を強調した。  
民主党内もまとまりそうにない。松原仁国対委員長は記者会見で「(首相には)任命者としての矜持(きょうじ)をもってもらいたい」と述べるにとどめ、榛葉賀津也参院国対委員長は「今辞めればいいという問題ではない」と即時更迭に距離を置く構えをみせた。  
 3/14 
松野幹事長「小松氏のクビを取る」維新からも「実際は政権の番犬」  
日本維新の会の松野頼久国会議員団幹事長は13日の国対役員会で、小松一郎内閣法制局長官について「あまりに国会をなめており、行政官としての、のりをこえている。実質的に首を取る態勢をとらなければならない」と発言した。  
小沢鋭仁国対委員長は役員会後、自民党の佐藤勉国対委員長に電話で「越権的な発言だ」と伝え、政府に注意するよう求めた。  
維新は当初、野党各党で抗議することを検討したが、民主党とみんなの党が野党国対委員長会談からの「維新外し」を画策したことなどから、野党共闘ではなく単独行動となった。  
小松氏は共産党の参院議員から「安倍晋三政権の番犬だ」と批判され、口論となったが、13日の維新の国対役員会でも「実際は政権の番犬だ」との声が出た。 
 3/14 
小松長官がおわび自民公約否定答弁、発言撤回はせず  
小松一郎・内閣法制局長官は13日の参院外交防衛委員会で、自民党が集団的自衛権の行使容認に向け公約した国家安全保障基本法制定をめぐり「安倍(晋三)首相は国会に提出する考えはない」と11日に答弁したことについて「私の言葉が足りず誤解を招いたとしたらおわび申し上げる」と述べた。ただ、答弁の撤回には応じなかった。  
小松氏は11日、安倍首相が2月20日に「国家安全保障基本法は作っていく。我々の姿勢を示して選挙戦を戦っている」などと答弁したことについて、社民党の福島瑞穂氏から見解を問われて答えた。  
小松氏は13日、民主党の福山哲郎氏から「撤回はしないか」と繰り返し問われたが、「2月20日の安倍首相の答弁は、国家安全保障基本法を国会に提出するとかしないとかいうことのお考えを述べたものではない」などと釈明。ただ、自民党は同法制定を公約しており、首相の答弁も公約堅持を強調したものだった。  
福山氏は「療養して下さい。国会に出てきて、この議論を美談にしてはいけない」と辞任を促したが、小松氏は「私が悲壮がって美談仕立てにしようとしているということはない」と反論。一方、集団的自衛権の行使容認などの憲法解釈について「(局内で)頭の体操をしている」とも答弁し、福山氏から「頭の体操をしているリストを提出してほしい」と求められ、「何を議論しているのかについて資料をお出しする用意がある」と応じた。  
小松氏の言動に対し、民主党の大畠章宏幹事長は13日の会見で「適切な対応ができる方を任命することが必要だ。安倍政権の任命責任だ。政権としてしっかり考えるべき段階に入った」と更迭を要求。菅義偉官房長官は会見で「まったく当たらない」と更迭を強く否定する一方、「しっかり謙虚に反省しながらただしてほしい」と求めた。  
 3/13 
小松法制局長官を野党一斉狙い撃ち 
安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の見直しをめぐり、野党が政府のキーマンの一人である小松一郎法制局長官を狙い撃ちにしている。小松氏を追い込めば行使容認を頓挫させられると考えているからだ。小松氏は発言の一部を陳謝したが、自民党内でも行使容認慎重派がうごめき始めた。与野党の動きは後半国会の焦点となりそうだ。  
「『安倍晋三首相は国家安全保障基本法案を提出するかどうか述べていないと私は理解している』という趣旨だった。言葉足らずで、誤解を招いたとしたらおわびする」  
小松一郎内閣法制局長官は13日の参院外交防衛委員会で、こう陳謝した。  
質問した民主党の福山哲郎氏が問題視したのは、小松氏の11日の参院予算委での答弁だった。  
小松氏は、集団的自衛権の行使容認を担保するために自民党が平成24年末の衆院選と25年夏の参院選で公約に掲げた国家安全保障基本法制定について「首相は国会に提出する考えはないと思う」と答弁していた。  
首相は現在、行使容認の閣議決定を行った上で、自衛隊法改正などで対応する考えを示している。基本法への言及はなく、今月5日の参院予算委でも「自衛隊法などの自衛隊の行動に関する法律の改正が必要になる」と明言している。  
小松氏の11日の答弁は首相の考えを紹介したにすぎなかった。だが、野党勢力にとっては、安倍政権にダメージを与える格好の材料と捉えているようだ。  
特に民主党は集団的自衛権の行使容認に関する見解が定まっていない。2月27日にまとめた党見解も、容認なのか反対か判然としない。それだけに、共産党議員と“場外”で口論を繰り返す小松氏の「資質」を攻撃すれば、行使容認の是非に踏み込まずにすむ。  
福山氏は13日、小松氏が憲法解釈見直しについて政府の有識者懇談会の報告が出る前に「内々に議論している」と答弁したことも追及した。小松氏が法制局内で「頭の体操」を行うのは問題ないとの考えを示すと、こう迫った。  
「どんな頭の体操をしているのか開示してほしい」  
小松氏は「資料を出す」と応じたが、今度は「まだ懇談会で議論しているのに、政府の一部局が『事前の準備を表に出す』と発言するなんて許されるのか」。自身の最初の質問を否定するかのような批判を行った。  
民主党の大畠章宏幹事長も13日の記者会見で、小松氏について「本当に適切な人事だったのか、安倍政権として任命責任を考えるべき段階に入った」と罷免を要求した。  
これに対し、菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で「全く当たらない」と拒否。首相周辺は「小松氏の続投で微動だにしない」と明言しており、集団的自衛権をめぐり冷静な議論ができるよう沈静化を図りたい考えだ。 
 3/13 
小松発言で、政府と自民調整不足慎重派勉強会も 
集団的自衛権行使の理念を盛り込んだ「国家安全保障基本法案」をめぐる小松一郎内閣法制局長官の発言で、政府と自民党の間の調整不足があらわになっている。小松氏は基本法案の国会提出を安倍晋三首相は考えていないとしたが、基本法制定は党が公約に掲げているもの。首相が憲法解釈変更による行使容認にこだわれば、両者の整合性が問われることになりそうだ。  
小松氏は13日、自民党本部に高村正彦副総裁を訪ね「私の言葉足らずの答弁で党にも内閣にも迷惑をかけた」と深々と頭を下げた。高村氏は「これからは慎重に元気にやってくれ」と応じたが小松氏の発言は首相方針と党公約の矛盾を突く深刻なものだった。  
そもそも自民党は先の衆院選と参院選で行使容認に向けた基本法制定を公約に盛り込んだ。基本法があれば行使可能になるため、憲法解釈変更には触れていない。  
ところが、首相が今年2月の衆院予算委員会で「最終的には閣議決定する方向になる」と発言。解釈変更の閣議決定により行使容認を目指す方針を示したことから、基本法案の位置付けが曖昧になってしまった。  
このため、首相は3月6日、高村氏や石破茂幹事長と相次いで会談し、行使容認に向けた法整備について改めて党で議論するよう指示。石破氏は翌7日に新たな議論の場を党内に設ける方針を表明した。  
そうした中で飛び出したのが、小松氏の11日の参院予算委員会での答弁だった。党内では「首相が党公約を無視するかのような発言だ」(幹部)、「公約に書いたことはやらず、書かないことをやったら民主党政権と同じだ」(中堅)など反発が強まった。  
首相は基本法案の国会提出の是非を明確にしていない。高市早苗政調会長は13日、自ら主宰する集団的自衛権に関する勉強会を、石破氏が表明した新たな議論の場と一本化する考えを示した。党内が混乱するのを避けるためだったが、岸田派は同日の派閥総会で勉強会を新たに派内に立ち上げることを確認した。同派には行使容認に否定的な発言を繰り返す古賀誠名誉会長がおり、党内議論を牽(けん)引(いん)する狙いがありそうだ。  
17日には集団的自衛権行使容認をめぐる総務懇談会が始まる。メンバーの一人は「行使容認阻止のため、勝負をかける」と息巻く。小松氏の発言は、結果的に党内の慎重派を勢いづかせてしまったようだ。 
 3/13 
「小松氏は越権」と抗議維新・小沢氏 
日本維新の会の小沢鋭仁国対委員長は13日、安倍晋三首相が集団的自衛権行使容認に関する「国家安全保障基本法案」の提出を想定していないと小松一郎内閣法制局長官が国会答弁したことに「越権的発言だ」と自民党の佐藤勉国対委員長に電話で抗議した。佐藤氏は「われわれも危惧している」と答えたという。  
民主党の松原仁国対委員長は記者会見で、小松氏について「節度ある行動が必要だ。任命権者(の首相)の責任が問われることになりかねない」と指摘した。 
 3/13 
小松長官、「言葉足らずだった」と陳謝安保基本法めぐる答弁 
小松一郎内閣法制局長官は13日の参院外交防衛委員会で、安倍晋三首相が集団的自衛権行使容認に関する「国家安全保障基本法案」の提出を想定していないとした自らの国会答弁について「言葉足らずだった。誤解を招いたとしたらおわびする」と陳謝した。  
小松氏は答弁の真意について「首相は基本法案を提出するかどうかについて考えを述べてはいないと私は理解している、という趣旨で言った」と説明した。委員会後、小松氏は、一部野党に辞任を求める声があることに「そういう考えは全くない」と述べた。 
 3/12 
小松長官、直接謝罪の場で再び口論「番犬発言」の共産・大門議員と 
小松一郎内閣法制局長官は12日、共産党の大門実紀史参院議員と国会内の廊下で口論した問題をめぐり、参院議員会館にある大門氏の事務所を訪問し「不適切だった」と直接謝罪した。ただ、その場で再び口論となり、大門氏は謝罪受け入れを拒んだ。  
大門氏によると、会談で同氏が「法制局長官を辞任し療養に専念すべきだ」と指摘したのに対し、小松氏は「そういうことは言うべきではない」と拒否。大門氏は「では謝罪は受け入れられない」と伝えた。  
小松氏は4日の参院予算委員会で、共産党の小池晃氏に「安倍政権の番犬」と批判された。5日の社民党議員に対する答弁の際に「公務員にも人権がある」などと反論したため、大門氏が7日の参院予算委終了後、廊下で「共産党に直接抗議してほしかった」と注文。これに小松氏が言い返し、異例の口論となった。小松氏は11日の参院予算委理事会で陳謝。与野党はその後の理事懇談会で、小松氏が大門氏に直接謝罪することを確認していた。 
 3/10 
集団的自衛権議論の活発化を歓迎する 
安倍晋三首相が国会で、集団的自衛権の行使容認に向けて憲法解釈の変更を閣議決定で行う考えを表明するとともに、自衛隊法改正などを通じ法的基盤を整える方針を説明している。首相の姿勢を支持する。  
これを受けて与野党の議論が活発化していることも歓迎したい。だが、閣議決定だけで変更するのは乱暴だとか、変更自体が許されないとの主張も少なくない。現実を踏まえた建設的な論戦を求めたい。  
首相も解釈変更に幅広い支持を得るため、与党と十分な連携を保ち、国民への丁寧な説明を重ねていく必要がある。  
4月に予定される政府の有識者懇談会の報告書提出を受け、安倍内閣は行使容認へ具体的に動き出す考えだ。日本の平和と安全を守るため、集団的自衛権の行使を容認して日米共同の抑止力を高めることは待ったなしの課題だ。  
首相は憲法解釈変更をめぐり、「政府の答弁については私が責任を持つ」と述べた。これに対し民主党や他の反対政党は、長年の内閣法制局の見解を一方的に覆すものだとして、「立憲主義を崩す」「力を伴わないクーデターに等しい」などと強く批判している。  
時々の内閣が憲法に基づいて国政を担うのは言うまでもないが、世界情勢など内外の状況に即して国のかじ取りをしていかなければならない。憲法解釈も、必要に応じて新たな判断が求められる。内閣の最高責任者である首相が主導するのは当然だ。これを認めないというのは、議院内閣制を理解しない議論ではないか。  
しかも、集団的自衛権の憲法解釈は変更された前例がある。  
昭和35年3月、岸信介首相が参院予算委員会で「集団的自衛権は、他国に行ってこれを守ることに尽きるものではない。その意味において一切の集団的自衛権を憲法上持たないということは言い過ぎだ」と述べた。これは「保有するが行使できない」という現行の解釈とは異なり、限定的な行使容認だった。その後に憲法解釈の変更が行われたのは明らかだ。  
公明党幹部が、安倍内閣は集団的自衛権の国民的議論を避けていると批判している。だが、国会内外ですでに議論が始まり、山口那津男代表も見解を述べている。解釈変更が唐突に行われるとの指摘は当たらないが、首相は粘り強く公明党の同意を求めるべきだ。  
 3/8 
小松法制局長官共産議員と口論「番犬」批判めぐり 
小松一郎内閣法制局長官が7日の参院予算委員会終了後、国会内の廊下で共産党の大門実紀史参院議員と顔を近づけて激しく口論する場面があった。4日の参院予算委で同党議員に「政権の番犬」と批判されたことが尾を引いた形で、官僚が衆人環視の場で国会議員と口論するのは異例だ。  
大門氏によると、予算委後に廊下で小松氏に「番犬」の表現は不適切だったと伝えるとともに、小松氏が5日に社民党議員への答弁で反論した経緯について「共産党に直接抗議してほしかった」と指摘。大門氏が「あなたはそんなに偉いのか」とただすと、小松氏は「偉くはないが基本的人権はある」と言い返した。最後は民主党議員にいさめられ、場はおさまった。 
 3/3 
集団的自衛権―解釈で9条を変えるな 
集団的自衛権とは何か。  
日本に関係のある国が攻撃されたとき、自衛隊が反撃に加勢する権利である。  
この権利を使うことは、何を意味するのか。  
日本が直接攻撃されたわけではないのに、交戦国になるということだ。  
日本国憲法のもと、この権利は認められるのか。  
歴代内閣はこう答えてきた。「国際法では認められているが、憲法はこの権利を使うことを許してはいない」  
これに対し、こんな批判もある。「持っているけど使えない。そんなおかしな議論をしているのは日本だけだ」  
確かに日本だけの議論かもしれない。でもそれは、戦後日本が憲法9条による平和主義を厳しく守ってきたからこそだ。おかしいことではない。  
安倍首相はいまの国会のうちに、集団的自衛権を使えるようにするつもりだ。  
しかし、憲法改正の手続きはとらない。9条の解釈を改め、閣議決定するのだという。  
憲法の精神に照らして、それは許されることではない。  
「国民の手に憲法を取り戻す」。首相が繰り返すこの主張にも矛盾する。  
米国と憲法との間で  
国民の安全を確実に守るにはどうしたらいいのか。自衛隊が世界の平和に貢献する道はどうあるべきか。  
政府や国会がこうした議論をするのは当然のことだ。  
冷戦は終わったが、テロや地域紛争が増えた。中国の台頭と北朝鮮の核開発で、東アジアの緊張は高まっている。安全保障環境は大きく変わった。  
これにあわせ、政府は米国からの要請と9条との折り合いに四苦八苦しながら、自衛隊の活動範囲を広げてきた。  
内閣法制局が集団的自衛権の行使を認めず、海外での武力行使はできないとしながらも、苦しい辻褄(つじつま)あわせを重ねてきたのも事実だ。イラクで自衛隊が活動できるとした「非戦闘地域」という考えはその典型だ。  
首相はこんな安全保障政策の綱渡りを、一気に解消したいのだろう。ならばなおさら、正面からの議論が必要だ。  
首相の手法は、意に沿う有識者懇談会に解釈変更を求める報告を出させ、それを追認しようというものだ。  
首相に近い高官は、新しい解釈が成り立つならば、政府が状況の変化に応じて解釈を変更しても構わないという。  
そうだろうか。  
立憲政治から外れる  
日本は、自国を守るための必要最小限の実力しか持たない。海外で戦争はしない。  
それは戦争の反省からうまれた平和主義であり、憲法の基本原理の一つだ。この原理は、自衛隊がPKOや人道復興支援で海外に出て行くようになっても変わっていない。  
集団的自衛権をめぐる解釈は、国会での長年の議論を通じて定着した、いわば政府と国民との間の合意だ。  
時の首相の一存で改められれば、民主国家がよってたつ立憲主義は壊れてしまう。  
集団的自衛権の容認が意味するのは9条の死文化だ。平和主義の根幹が変わる。自衛隊員が他国民を殺し、他国民に殺される可能性が格段に高まる。  
それでも日本が国際社会に生きるために必要だというなら、国会での論戦に臨み、憲法96条が定めた改正手続きに沿って進めるのが筋道だ。  
米軍が攻撃されたときに、自衛隊が集団的自衛権を行使して反撃する。これが懇談会の主な想定だ。だが、日本周辺で、米軍だけが自衛隊より先に攻撃を受けるという事態に、どれほどの現実味があるのか。  
「普通の軍」ありきか  
いつでも集団的自衛権を使えるようにして、自衛隊を「普通の軍」にしたい。そんな理念が先走っていないか。それにこだわるあまり、領土を守ったり、PKOにもっと積極的に参加したりするにはどんな法制が必要かという、目の前にある課題の議論を妨げていないか。  
日本が安全保障政策を改めるにあたっては、近隣諸国の理解を得るのが望ましいことはもちろんだ。  
私たち日本人は、自衛隊が海外に出かけても、かつての日本軍のような暴走は決してしないと信じている。その信頼を、旧日本軍の被害にあった国々とも共有できるようにするのは、日本政府の責任である。  
安倍政権は、その要請には全くこたえていない。  
「侵略の定義は定まっていない」と語り、A級戦犯がまつられる靖国神社に参拝する。不信と反感をあおるばかりだ。  
そんな政権が安保政策の大転換に突き進めば、中国は一層の軍拡の口実にするし、欧米諸国も不安を抱くに違いない。  
それは、日本国民の利益と安全の確保、そして地域の平和と安定にも反する。 
 2/27 
小松長官「憲法解釈変更局内で検討」  
小松一郎内閣法制局長官は26日の衆院予算委員会分科会で、集団的自衛権の行使容認に向けた憲法解釈の変更について「局内で内々に検討も議論もやっている」と述べ、内閣法制局内で検討作業に着手していることを強調した。国会答弁は検査入院からの復帰後初めて。民主党の辻元清美氏の質問に答えた。辻元氏からは事前通告なしに日本の法令数を問われる“挑発”質問も受けたが、小松氏は「憲法の解釈をするのに法令の数を知っている必要はない」と反論した。  
 2/26 
憲法解釈見直しで公明幹部が首相批判「誤解ある」と菅長官反論  
菅義偉官房長官は26日の記者会見で、公明党の漆原良夫国対委員長が、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の見直しをめぐり、閣議決定で行う安倍晋三首相の方針を批判したことについて、「具体的なことが明らかにならない中での誤解があるのだろう。首相は25日に山口那津男公明党代表との会談で、与党と相談の上、対応を検討していくことを確認している」と語った。  
漆原氏は25日付の自身のメールマガジンで「首相の考えは『国民の声を聴く』という一番大切な部分が欠落し、私は到底賛成できません」と批判していた。  
25日の与党党首会談では、閣議決定の前に自民、公明両党による協議を行うことで一致していた。  
 2/15  
「かなりおかしい」安倍首相、63年も「集団的自衛権行使なし」できたのに?  
「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」  
安倍晋三首相が2月12日の衆院予算委員会で、憲法改正ではなく解釈変更により集団的自衛権の行使を容認できるか問われて、こうと答弁した。この答弁をめぐって、2月13日の自民党総務会で異論が相次いだ。  
マスメディアのなかでは、「政高党低」と言われて首相官邸主導で政治が行われて、自民党の力が低くなっていることへの党内からの批判であるとか、内閣改造を行わない安倍晋三首相に対する不満が爆発したとか、下世話なコメントを付け加えている報道が目立っている。だが、今回の安倍晋三首相の発言をそのようなレベルでとらえていいものか、大いに疑問である。というより、情けなくなる。  
大勲位・中曽根康弘元首相が1月4日午前9時30分から放送された日本テレビ番組「激論!なかそね荘」で読売新聞グループの渡辺恒雄本社代表取締役会長・主筆(株式会社読売巨人軍取締役会長)とともに出演、このなかで安倍晋三首相が集団的自衛権行使容認を実現するため憲法解釈を変更しようとしている件について、「必要がなければ簡単に手をかける問題ではなく、いまの情勢では必要が出てくるとは思わない。注意深く慎重にやらないといけない」と語っている。  
中曽根康弘元首相は2004年11月11日、衆議院憲法調査会の公聴会に公述人として出席し、次のように発言していた。  
「集団的自衛権の問題ですが、私は、もう6、7年前から、現憲法においても集団的自衛権を行使できる、それは解釈の問題であるから、総理大臣が公式にそれを言明すれば、一時はいろいろ騒ぎもあるかもしれぬが、そのままそれは通用していくはずである、そういうことも言ってきたもので、集団的自衛権の行使は現憲法でもできる」  
中曽根康弘元首相は1955年11月15日、自民党結党の際、「副幹事長」として参加していた。自民党は、「日本国憲法改正」を目標に結党されたもので、中曽根康弘元首相は、熱烈な「憲法改正論者」として知られてきた。歴代法制局長官が、「集団的自衛権とその行使」ついて、否定的解釈を示してきたのに対して、中曽根康弘元首相は、「憲法解釈の変更は首相の一方的言明で足りる」という持論を述べてきた。  
この発言は、安倍晋三首相が「(憲法解釈の)最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と言ったのと、よく似ている。それだけに、振り返ってみると、中曽根康弘元首相が、ここにきて「いまの情勢では必要が出てくるとは思わない」と「慎重論」を述べたのは、大変な驚きであった。  
中曽根康弘元首相が「集団的自衛権行使容認」に「慎重論」を述べた背景には、「極東アジアの軍事情勢」が、「必要性に迫られるほど緊迫していない」という客観情勢があるのも確かである。米国国防総省(ペンタゴン)を後ろ盾にしていると言われている自民党の石破茂幹事長が「米軍が攻撃されているときに、自衛隊はこれを見過ごしていていいのだろうか」などと盛んに「頭の体操」を繰り返して、「集団的自衛権行使容認」に憲法解釈を変更しようと懸命になっているのに対して、中曽根康弘元首相は、「頭の体操」を否定しないものの、「いまの情勢では必要が出てくるとは思わない」という軍事情勢判断を示しているのだ。  
いまや「金欠病」で戦争どころではない米国は、仮想敵国・中国に接近して、「大国どうしの関係」を築こうとしている。万が一、「日中戦争」が勃発した場合、一体どっちの味方をするか疑わしくなってきている。陸海空3自衛隊が、米軍と共同作戦を行うために「集団的自衛権行使容認」を急ぐ必要がなくなってきているとも言える。「第2の日本」である北朝鮮が日本を攻める可能性は、極めて小さい。日本国憲法が厳然としてある以上、どこかと戦争をするために陸海空3自衛隊を海外派兵することは、禁じられているから、集団的自衛権行使の場面は起こり得ない。  
原点に立って、米国はいまでも、本当に陸海空3自衛隊による共同作戦を行うために「集団的自衛権行使容認」を急いでいるのであろうか。オバマ大統領が、「ハード・パワー」から「スマート・パワー」という外交力に重点を置く戦略に大転換しているいま、「集団的自衛権行使容認」にこだわっているとは考えられない。サンフランシスコ講和条約・日米安保条約が1951年9月8日に締結されてから63年目に入っていて、この間、「集団的自衛権行使」をしないでやってきた。にもかかわらず、なぜ安倍晋三首相や自民党の石破茂幹事長は、気が狂ったように「集団的自衛権行使容認」「憲法改正」を実現させようとしているのか、このあたりからじっくり再検討する必要がある。  
同時に、安倍晋三首相が2月3日の衆議院予算員会の質疑で、「国家権力を縛るものだ、という考え方は絶対王権時代の主流的な考え方だ。憲法は日本という国の形・理想と未来を語るものではないか」などと「独自の憲法観」を展開したことについても、しっかりチェックしなくてはならない。  
安倍晋三首相の出身大学である成蹊大学法学部は、本当に「憲法は日本という国の形・理想と未来を語るもの」と教えているのであろうか。だれから「変な憲法観を吹き込まれたのか」という興味もそそられる。  
近代国家の憲法は、基本的人権の法理と民主政治の法理を規定していて、国家権力(権力の本質=逮捕権と徴税権)から基本的人権を守るための最高法規であり、国民の不断の努力によってより高めていくべきものであるはずである。  

 
2014/3