現代版 「村八分」

過疎地で起きた殺人事件 
「村八分」にあった と思い込んだ加害者 
結果的に「村八分」にしてしまった と認識のない被害者 
 
コミュニケーションの下手な世代が増殖中 
会社の中の一部署  
都会の地域社会の一グループ 
大型マンションの一フロアー 
「村八分」今なら「いじめ」「シカト」か 人間関係の悪化を危惧する
 


  
会社の中の一部署  
まともに 口のきけない人はいませんか
  
都会の地域社会の一グループ 
顔を合わせて挨拶のできない人はいませんか
  
大型マンションの一フロアー 
何人の方の顔を知っていますか
  
山口の連続殺人・放火事件、保見容疑者を送検  
送検のため周南警察署を出る保見容疑者(27日午前、山口県周南市で)=浦上太介撮影 山口県周南市金峰(みたけ)で5人の遺体が見つかった連続殺人・放火事件で、県警は27日午前、同じ集落に住む無職保見(ほみ)光成(こうせい)容疑者(63)を被害者1人に対する殺人と非現住建造物等放火容疑で山口地検に送検した。県警によると、保見容疑者は21日夕方から午後9時頃までの間、自宅隣の山本ミヤ子さん(79)方に侵入し、山本さんの頭部を鈍器のようなもので殴って殺害、放火した疑い。保見容疑者は、山本さんを含む5人の殺人と2件の放火について、「私がやりました」と供述している。保見容疑者は、最初の放火事件が発生した21日以降、行方が分からなくなっていたが、26日朝、5日ぶりに集落から約1キロ北に入った山中で発見された。 
  
つけびして 煙り喜ぶ 田舎者 
  
「真実を話して」容疑者逮捕に住民ら複雑  
山口県周南市金峰の連続殺人・放火事件で保見光成容疑者が逮捕され、住民たちは胸をなでおろした。金峰地区近くの周南市鹿野上に住む自営業女性(55)は「こんな近くに潜んでいたなんて」と驚いた様子。「近所の子どもたちは外出を控えていて、かわいそうだった。私たちもやっとぐっすり眠れる」と話していた。この日は、殺害された山本ミヤ子さん(79)と河村聡子さん(73)の告別式が市内の斎場でそれぞれ営まれた。2人の式に参列した金峰地区の男性(82)は「逮捕と聞いてほっとしたが、うれしくはない。2人が亡くなった実感がわかず、まるで夢を見ているようだ」と複雑な気持ちをにじませた。金峰地区の女性(70歳代)は「(保見容疑者が)犯行に至るまでに周囲に心を開き、相談していてくれれば……」と悔やむ。保見容疑者の幼なじみという同市鹿野中の男性(63)は「残念だ。罪の重さを受け止め、真実を話してほしい」と語った。 
  
限界集落  
過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になっている集落を指す、日本における概念。  
中山間地域(都市や平地以外の、中間農業地域と山間農業地域の総称)や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」にはもはや就学児童など未成年者の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く病身者も少なくないという。 
  
限界集団 
ゆとり教育などで、集団の50%以上の人が「まともな」コミュニケーション・口のきけない人たちのとき、その集団を指す。 
簡単な測定方法、他人と顔を合わせた時に、いち早く自分から挨拶ができる[+1]かどうかで測定します。相手の挨拶への返答挨拶[0]。相手の挨拶へ返答なし[-1]。100人を調査して、[+50]未満なら限界集団です。
  
  
  
 
八つ墓村 
横溝正史著による長編推理小説。『本陣殺人事件』(1946)『獄門島』(1947)『夜歩く』(1948)に続く名探偵金田一耕助シリーズ長編第4作。『八つ墓村』は1949-1950年まで雑誌『新青年』で連載、1950-1951年まで雑誌『宝石』で『八つ墓村 続編』として連載された。  
作者は、戦時下に疎開した岡山県での風土体験を元に、同県を舞台にした幾つかの作品を発表しており、研究者の間で「岡山編」と呼ばれることもある。本作は『獄門島』や『本陣殺人事件』と並び称される「岡山編」の代表作である。また、山村の因習や祟りなどの要素を含んだスタイルは、後世のミステリー作品に多大な影響を与えた。  
物語は、冒頭部分を作者が自述、それ以降を主人公の回想手記の形式で進行する。冒頭に登場する「村人32人殺し」は、岡山県で実際に起こった津山事件がモデル。村の名前も実在した近隣の地名、真庭郡八束村(現在の真庭市蒜山)が元。犯人が猟銃と日本刀で殺戮の限りを尽くすシーンは衝撃的かつ印象的で、センセーショナルな殺害シーンの多い横溝作品の中でも特に際立っている。登場人物が非常に多く、人物相関が入り組んでいる上、トリックが複雑で巧妙なことから、映像化作品はいずれも大幅な改編省略を余儀なくされており、特に里村典子(さとむら のりこ)は、事実上のヒロインであるにもかかわらず、1951年の松田定次監督作と1996年の市川崑監督作の各映画版と2008年の関智一演出の舞台版に登場する他は削除されている。  
1977年の映画化の際、テレビCMなどで頻繁に流された「祟りじゃ〜っ!」というセリフ=キャッチコピーは流行語にもなった。  
 
戦国時代(永禄9年=1566年)のとある小村に、尼子氏の家臣だった8人の落武者たちが財宝とともに逃げ延びてくる。最初は歓迎していた村人たちだったが、やがて毛利氏による捜索が厳しくなるにつれ災いの種になることを恐れ、また財宝と褒賞に目がくらみ、武者達を皆殺しにしてしまう。武者大将は死に際に「この村を呪ってやる! 末代までも祟ってやる!」と呪詛の言葉を残す。その後、村では奇妙な出来事が相次ぎ、祟りを恐れた村人たちは野ざらしになっていた武者達の遺体を手厚く葬るとともに、村の守り神とした。これが「八つ墓明神」となり、いつの頃からか村は「八つ墓村」と呼ばれるようになった。  
大正時代、村の旧家「田治見家」の当主・要蔵が発狂し、村人32人を惨殺するという事件が起こる。要蔵は、その昔、落武者達を皆殺しにした際の首謀者・田治見庄左衛門の子孫であった。  
そして20数年後の昭和23年、またもやこの村で謎の連続殺人事件が発生することとなる。物語は、寺田辰也の身辺をかぎ回る不審人物の出現から始まる。彼は母一人子一人の暮らしで、戦争から戻ってくると天涯孤独の身となっていた。そして復員後2年近く過ぎたある日、彼の行方をラジオで捜していた老人と、諏訪弁護士の仲介のもと自宅で面会する。ところが、二人きりになったとたん、老人は血を吐いて死ぬ。 
 
津山事件・津山三十人殺し  
1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両集落で発生した大量殺人事件。犯人の姓名を取って都井睦雄事件ともいう。2時間足らずで30名(自殺した犯人を含めると31名)が死亡し、3名が重軽傷を負うという、日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件であった。 

 
2013/7