飛ぶ鳥跡を濁す

後は野となれ山となれ 
誰も気にしていません 
自分のことだけを考えましょう 
 
ベンチャー 
一度くらいは旗を振りたいものです 
勝てば官軍 
日本では常に賊軍扱い 
跡をかき回しましょう
 


   
踏み台 
終身雇用はなくなりました 
互いに利用しましょう 
用済みでさようなら
   
貰い得 
頭の中は貰い得 
身に付けたものは返せません
   
ついでにお客までは野暮です 
せいぜい許されるのは飲み屋の世界くらい
   
フィフティーフィフティー 
社会勉強は半端ではありません 
時間は24時間 
切り捨てることもしごと 
見返りなしの仕事もしごと
   
会社のお金でお勉強 
商品知識 
客の開拓 
管理に経営 
旗の振り方 
業界付き合い 
クラブにゴルフ
   
留まってください 
その前にそれなりの扱いがあるはず 
「退職願」は儀式
 
飛ぶ鳥跡を濁さず
飛ぶ鳥跡を濁さずとは、立ち去る者は、自分のいた場所を汚れたままにせず、きれいにしてから行くものだといういましめ。また、引き際はきれいであるべきということ。
自分が立ち去ったあとが見苦しくないように、きれいにしてから出立しなくてはならない、という意味です。また、引き際が潔く清らかであることの例えとしても使われます。「飛ぶ鳥」というのは、飛んでいる鳥ではなく、飛び立つ鳥、飛び去る鳥という意味です。水鳥が飛び去ったときの水辺は濁ることなく澄んでいる、ということから、人間も同じように去っていく者は元いた場所をきれいに整えて去るべきだ、ということです。
「立ち去るときは後始末をしっかり」の 後始末は、清掃や整理整頓、元通りにすることを指しています。また、「引き際は潔く」の 潔く(いさぎよく)は、基本的にはスッパリ・キッパリ・勢いよくといった意味です。ただし、 潔い引き際の背景には、 未練なく ・ 迷いなく ・ 尾を引かずといった本人の気持ちや、 人や場所などへの感謝といった日本的な美意識も働いています。
立つ鳥跡を濁さず
鳥は「水鳥」のことを指しています。水鳥は池や湖に飛来し、一定期間を過ごすと次の場所へ羽ばたく習性がありますが、水鳥が去った後、草花やエサなどが散乱した形跡もなく、水辺の様子が何とも美しいかったそうです。水鳥が水辺を綺麗なままにして飛び立ったことから「ある期間を過ごした場所、また立ち寄った場所は、綺麗に残したまま去ろう」です。水鳥の秩序溢れる行動こそが、ことわざの由来そのものとなっています。
その場を立ち去るときは、あとが見苦しくないようにきれいに始末をせよという戒め。また、引き際のさっぱりと潔いたとえ。水鳥が飛び去ったあとの水辺の水は、濁ることなく澄んでいるといわれることから。「立つ鳥」は「飛ぶ鳥」ともいう。反対語「後は野となれ山となれ」。
「跡始末は見苦しくないようにきちんとすべきである」です。「立つ鳥」は、「飛び立つ鳥」を指していて、「立ち去る者」を意味しています。「跡始末」とは、「事が済んだあと、その処理をすること・事後処理」の事です。この言葉は、その場所に戻ってこない場合に使用します。新たな出発に向けて、あとが見苦しくないように元居た場所を綺麗にすることを「立つ鳥跡を濁さず」といいます。つまり、「きっばりと潔い引き際であるということ」です。
飛び去る鳥は痕跡を残さないという意味だが、そこから、職などを去る者はきちんと後始末をすべきだ、または引き際はきれいにせよ、という教えを伝えることわざ。突然左遷を言い渡された者が、くやしまぎれに業務の引き継ぎもせず、データも散乱したままで立ち去るなどというのは、その正反対で、こういう無責任な人物(気持ちはよくわかるが)をいさめるためにこのことわざがある。ところで、飛び去る鳥が跡を濁さないというこの句だが、ハトなどは止まり木の下をうんこだらけにして飛び去る傾向にあり、とても跡を濁さずとは言えない。しかしどうやら、このことわざで取り上げられている「鳥」は水鳥のことのようで(だから水が汚れるという意味の「濁さず」と言うのだ)、確かに水鳥なら、飛び去った後水面には何も残らずきれいである(そこでどんなにうんこをしていたとしても、である)。
「飛ぶ鳥跡を濁さず」と「立つ鳥跡を濁さず」
「飛ぶ鳥跡を濁さず」には、似た形のことわざ「立つ鳥跡を濁さず」があります。両者の意味や使い方に違いはあるのでしょうか。
安土桃山時代
安土桃山時代のことわざ集『北条氏直時分諺留』(16C末〜17C初)には、以下のように記されています。
「鷺はたちての跡濁さぬ」 鷺(さぎ)とは、コウノトリ目サギ科の鳥の総称です。細くて長い首、くちばし、脚を持ち、水辺で生活する水鳥です。
「飛ぶ鳥跡を濁さず」や「立つ鳥跡を濁さず」だけでは、どんな鳥か分かりにくいですが、こうした一文を見るとイメージしやすくなりますね。また、この文献では「飛ぶ」ではなく「立つ」という動詞が使われていたことが分かります。
江戸時代以降
江戸時代以降のことわざ集も見てみましょう。少しずつ表現が変わっているようです。
「立つ鳥も後を濁さず」(『日葡辞書』1603〜04)
「たつとりあとをにごさぬ」(『俳諧・毛吹草』1638)
「立鳥跡をけがさす」(『諺草』1699)
「たつとりあとをにごさず」(『和漢古諺』1706)
「とぶ鳥もあとをにこさず」(『諺苑』1797)
「飛ぶ鳥も後を濁さず」(『日本俚諺大全』1906〜1908)
「飛ぶ鳥跡を濁さず」も少数ではありますが、記載があります。しかし、江戸時代には「立つ鳥跡を濁さず」が主流であったと言われています。
現代の辞書
さらに現代の辞書を見てみると、色々な説があるようです。例えば『広辞苑』の第七版には、「立つ鳥跡を濁さず」の項の中に『「飛ぶ鳥跡を濁さず」とも』と記載されており、両者が同様に使われると解釈できます。
一方『名鏡ことわざ成句使い方辞典』では、「立つ鳥跡を濁さず」の項の中に『「飛ぶ鳥跡を濁さず」とするのは避けたい』と記されています。
以上の背景から、諸説あることを頭において「立つ鳥跡を濁さず」が本来の形であると覚えておき、自分が使用する際は「立つ鳥跡を濁さず」を選んだ方が無難かもしれません。 

 
2004/