人の本性モーゼの心配どおり

この世相 人間の本性は悪か 
何も変わらぬ 
せめて自分だけは悔い改めよう 
今からでも悔い改めよう 
バカな親になるまい


  
   
一人で大きくなる 
育ててくれた人 
支えてくれた人 
機会を作ってくれた人を忘れる
 
   
自分だけよければよい 
自分のものは自分のもの 
他人のものも自分のもの 
悪いのは社会 
悪いのは周囲
   
女が欲しい男が欲しい 
本性 
都合のよい女が欲しい 
都合のよい男が欲しい 
一度くらい試してみたい結婚生活
   
だまって貰う 
見られていない 
知られない 
気づかれない 
天を忘れて 
手にする割り込む既得権
   
自分のために嘘をつく 
逃げる 
責任回避 
他人へ振る 
自分だけよければよい 
自分が可愛い
  
なんとかなるさ
   
他人に寄りかかる 
楽ちん 
よいしょ媚び売る尻尾振る 
責任なし 
大樹 
乗り換える
  
御身大事サラリーマン評論家

 
2002/

 
十戒
あなたはわたしのほかに、何ものも神としてはならない。 
あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。 
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。 
安息日を覚えて、これを聖とせよ。主は六日のうちに天と地と海とその中のすべてのものを造って七日目に休まれたからである。 
あなたの父と母を敬え。 
あなたは殺してはならない。 
あなたは姦淫してはならない。 
あなたは盗んではならない。 
あなたは隣人について、偽証してはならない。 
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。
 
少年法「改正」を超える子ども施策を求めて 「子どもの人権連」
子どもの参画により大人と子どもの不信の悪循環を断ちきろう 
日教組も団体会員である子どもの人権連では、少年法の厳罰主義化を超える子ども施策の提言を作成中です。8月早々にもパンフレット化の予定ですが、この提言作成のための論点整理をお届けします。また、このホームページでは今後、各種統計資料等も載せながら、随時、少年犯罪の状況や、少年施策のあり方について掲載いたします。  
少年法改正論は、一つには神戸以降の凶悪少年犯罪に強く動機づけられたものであろう。 
凶悪な少年犯罪がそれら報道により、急速に増大しているかにいわれるが、これは第1の誤解であることは各種統計に明らかである。改正論者は、教育・福祉的対応を否定し、処罰の強化による初犯および再犯防止を言うが、少年司法による処遇と一般刑罰を経た後の再犯率という統計的見地からいえば、改正論者の選択は逆効果である。それでもなお、凶悪少年犯への因果応報的発想での刑罰強化を選択したいということになれば、少年犯罪全体のごく少数の殺人事件に感情的に反応するあまり、再犯率を高める方向をあえて選択することにもつながり、社会防衛的見地からも疑問である。 
神戸以来の凶悪少年犯罪は、かつての貧困等バックボーンのはっきりした犯罪に比べて動機が見えにくいことから、これらの犯罪をもって凶悪化が進行したかのように理屈付けるのは、おとな社会の側の根拠なき気休めでしかない。
もっとも重要なのは、子どもがこの社会において、自己の精神的安定を得られる生活世界を大人社会の側の在り方も含めて検討し、具体的な生活圏からのとりくみを始めることである。 
子どもが他者と競争的に比べられる毎日、子どもたちどうしの居場所がなく、おとなからの監視の視線から逃れられない毎日、他者を尊重する基盤である自己尊重の感覚を育てる社会的参画の機会の欠如−こうしろああしろ、これをするな、あれを止めろ、と命令にさらされる毎日。これら、子どもを取り巻く環境因子は、子どものアイデンティティの安定を危機にさらしつづけている。少年非行防止のための国連ガイドライン(リャドガイドライン)は、さまざまな国情の違いを超えて、国連の場で採択された、今日、各国が取り組むべきメニューを網羅している。国連・子どもの権利委員会でも、これに沿った少年犯罪への対応を求める「総括所見・勧告」が98年に日本政府に出されていることも重視すべきである。ちなみに、犯罪被害者への対応は、別途、十分に施策化すべきであることは言うまでもないが、それは殺人事件に限って言えば、被害者親族の事件直後の応報感情におもねることではない。被害者親族は加害者への極刑を望むことも多いが、これに議論全体が影響されると、より冷静で、効果的な施策の論議が進みにくくなることが懸念される。 
上記に述べたように、子どもの自己育成能力を引き出す参加の保障による地域、学校、社会の形成(少年犯罪の起こりにくい状況づくりへの社会資源の重点的配分)、犯罪を犯した少年への教育・福祉的対応への社会資源の重点的配分による大人と子どもの世代間不信の軽減、そして、これらのための社会の各方面の人的、物的資源の活動調整を国、地方自治体など各級レベルで行うことこそが重要である。
なお、すべて上記については、子どもの具体的参画が必須条件である。なぜなら、教育ばかりでなく、大人の側の一方的な「対策」付与が、今日の子どもにとって、一般に、考慮に値しない「陳腐さ」として映り、いわば子どもたちに響いていない、という状況はすでに明らかだからである(旧来型青少年健全育成策の今日的な限界性)。大人社会に蔓延するさまざまな不正、不正義や、すぐに陳腐化する知識という今日的状況の中では、当事者である子どもの参画は、重要な資源として有効活用すべきである。あてがわれる規範の厚みを厚くしても、北風と太陽の寓話を再現するだけであろう。子どもはその壁をすり抜ける方途を開発する。子どもたちの参画により、子どもたち自身に近い視線からの施策の切り口をあらゆるところで盛り込むことは有効であろう。このことは子どもたちにおもねることでも、甘やかしでもない。逆に、子どもたちを市民として社会に参画させることであり、そこでは、いちいち具体的に自覚と責任が、他の大人や同世代との間で問われつづけることになるのである。
無責任、社会性の欠如、他者への無関心、自己信頼感の希薄さ、これら子どもについていわれるもろもろは、たまたま備わるのではなく、責任、社会性、他者の尊重、自己信頼感を実践的に築く機会の欠如の帰結であろう。その機会の再構築こそ、今、大人社会全体が問われているのではないか。もちろん、悪質・重大な犯罪への緊急対応は不可欠である。このことは厳罰化ではなく、教育的アプローチを軸に行われるべきであるのは、前述のリャド・ガイドラインに明らかである。ちなみにこれは、さまざまな犯罪を抱える国際社会のコモンセンスとして形作られたものであることを考慮すべきであろう。日本の状況は別だ、という日本特殊論は言い訳に過ぎない。ガイドラインから日本の少年犯罪をめぐる論議を振り返るならば、国会等での動きは、見事なまでにこれと反対の方向を指向していることが分かる。