記事になぜならぬ公称800万 石を投げれば当たるはず

日本の主な宗教宗派信徒数15,365万人 
日本の人口12,000万人 
 
日本の神様八百万 
嘘も八百
 


宗教法人のモラル
  
   
日本の神様 
世界一の神様数 
神国 
神風も吹く 
御霊を預かる
   
信者 
葬式で知る仏教宗派 
お宮参り七五三で知る神社 
結婚式で知る教会
   
八百万(やおよろず) 
数の限りなく多い、多数、無数の神々と暮す国
   
著作権 
日本一の宗教団体HP 巻頭の信者数812万世帯 
文化庁届出信徒数358万人 
虚偽報告 誇大広告 嘘つき
日本一の宗教団体のHPに著作権はない 
見過ごすマスコミのHPにも著作権はない 
皆でコピーしよう 証拠に残そう 
どうせ明日には書き換えられている 
気がつけば案の定 リモデルで消ていました 
2002/4
 
政権与党の居心地よさ 
集票マシーン背に 
僅かな議員数でも 
一人前

 
2002/  
 
宗教法人のモラル 
法華経は、釈迦が説いた経典ではなく、釈迦滅後500年後頃に中央アジアの諸菩薩によって編纂された大乗経典です。諸経の王を自己主張(『薬王菩薩本事品第24』)する特異性を持つ不思議な経典です。 
この説は、天台宗や傍流の日蓮宗系によって力説されてきましたが、インドには法華経を最高とする思想はなく、法華経流布の痕跡もありません。 
伝統的な僧の指導を受けない日蓮や今日の新興宗教が天台・伝教の高名を勝手放題に便利に使いまわして、日蓮の妄説を正当化に利用してきたこは非難に値するものと考えます。 
法華信仰には特異な功徳信仰が指摘されています。 
ここでは法華経の受持が信心そのものとして語られます。巷で有名な「折伏」と「広宣流布」はここからでた日蓮宗系衆徒の精神を束縛する独特な妄説です。 
「如来寿量品第16」は釈迦の神格化を推し進めて久遠実成の仏とする観点を示し、天台宗や真言宗では、これを法身の大日如来を予言するものと考えました。 
この立場では、法華経の久遠実成の釈迦如来はあるがままに実在する宇宙の法則そのものを当体とする「大日経」「金剛頂経」の大日如来(毘盧遮那仏)と同体と解釈しています。 
日蓮は「如来寿量品第16」の文底に法華経の行者になりきった自身こそ末法の本仏であるとする妄想の根拠を見出しました。 
日蓮宗系の一部に蔓延する『法華経』の「久遠実成の仏=日蓮」(日蓮本仏論)という構図は、仏身論としては論理性に欠ける主張です。 
日蓮が如説修業によって本仏になったと主張するのであれば、釈迦仏教と異なる新たな宗教の教主であるといっていることと同じことです。 
日蓮の主張は、釈迦の仏教を足下に位置づけることになるものであるところから、もはや仏教とは言えないことは自明の理です。釈迦の仏教を否定するものは仏教を名乗る資格がありません。 
もし、日蓮が菩薩の修業を成し遂げて成仏した者と仮定したとしても、人身である日蓮は百歩譲っても応身如来でしかなく根本仏(法身如来=毘盧遮那仏=大日如来)と比肩したり同一視することは不可能であるといわなければなりません。この場合でも、釈迦仏と異なる応身物であるところから、やはり仏教とはいえません。日蓮本仏論は妄想の論理と言わなければなりません。 
法華経は二処三会といって、教主・釈尊の説法の場所を霊鷲山、虚空会、霊鷲山と移して行われました。 
インドに霊鷲山は実在していますが、この舞台は釈尊の胸中の世界を壮大なドラマ仕立てで展開するもので実在の世界のことではありません。 
このドラマでは、釈尊が久遠の世界で教化したという地涌の菩薩を地中から出現させ、その上首の上行菩薩に法華経の広布を委ねるという筋書きのドラマが展開しますが、この上行菩薩こそ末法の本仏であり、日蓮がその再誕者であるというのが日蓮正宗と創価学会の特異性のある教義です。 
また、末法の世で法華経を受持する日蓮正宗信徒や創価学会員こそ地涌の菩薩の再誕であると主張し、折伏行為は仏意仏勅であると公言しています。 
このように、日蓮正宗と創価学会の本尊と菩薩には他宗と異なる特質があります。 
日蓮以外の諸仏のすべてを否定し、地涌の菩薩(代表は上首の上行・無辺行・淨行・安立行の四菩薩)以外の諸菩薩を否定することです。 
この教団は、特異な教義を振り回して自教団以外のすべての大乗仏教教団が謗法だとして誹謗中傷してきたので、教義的には大乗仏教の資格を喪失していると考えられます。 
上座部仏教からも大乗仏教教団からも相手にもされない教団です。 
ちなみに、この四菩薩は法華経の「従地涌出品第15」にしかでてこない無名の存在で他教団では何の対象にもされていません。 
大乗仏教の四菩薩は「観音菩薩・弥勒菩薩・普賢菩薩・文殊菩薩」が一般的です。 
特に顕教では普賢菩薩が菩薩の上首として扱われ、仏は「毘盧遮那如来・阿弥陀如来・釈迦如来・薬師如来」が有名です。 
密教では大日如来(毘盧遮那仏)を中尊にするほか顕教の諸仏も本尊とします。密教の菩薩の上首は金剛手菩薩(金剛薩埵)ですが顕教の諸菩薩も信仰の対象となります。 
この宗派と教団は、日蓮本仏論を立てたことによって、大乗仏教の特色である様々な諸仏・諸菩薩との整合性を失い、他宗派や他教団との協調性を喪失し共存することがで出来なくなりました。 
同時に特異な教理や教義を先鋭化させたことによって、互換性のない用語を多数作り、他教団と共通の仏教用語で話すことができなくなりました。 
日蓮本仏論の致命的な欠陥は仏身論の整合性を欠き、論理の普遍性が欠落したことです。 
このような偏った信仰を持つ人物が世界平和運動を提唱しても精神的には誰からも相手にされないことは自明の理と言わなければなりません。 
この教団は生き抜くために手作りの信徒を獲得して特異な教義を刷り込むほかなくなったと考えられます。 
これを折伏とか広布といい、自らの信者獲得を広宣流布と呼ぶようになりました。オカルト宗教にはこのような論理性の矛盾が顕著に表れます。 
新しく入信した信者は、他の教団との比較が自由に許されないまま、日常の活動の中で特異な法華経観が最高唯一の宗教だと刷り込まれることになります。 
このような特異性に満ちた教義を振りかざして折伏(布教活動)行為に疑問を持たない人々の精神構造は一体どうなっているのでしょうか。 
折伏の功徳が現世利益に特化されたことで折伏行為の結果が見えなくなっていると考えられます。 
法華経の開経とされた『無量義経』は、釈迦が40年余り説いた法華経以外のすべての教説は方便の教えであること。ゆえに唯一究極の真理である法華経を説く、という法華経の優位性のプロパガンダに使われましたが、中国で作られた偽経です。(後述) 
法華経の「序文」は、法華経が説かれた由来や因縁を述べる構成となっていますので「因縁文」ともいいます。 
「正宗分」はいわゆる本論にあたる文です。法華経の教義・性格が明らかにされる本文です。 
「流通文」は教義的な本論を受けて具体的な実践を説く部分です。 
法華経の全体は「迹門」と「本門」に二分されます。 
本門と迹門を比較して本門が優れているという立場が「優劣派」であり、優劣の差別をつけない立場を「一致派」といいます。 
また、「迹門」と「本門」はそれぞれが同様に「序文」「正宗分」「流通文」に仕分けされるので法華経28品は「一経三段」で構成され、本迹の区分により「二門六段」に分けられています。 
法華経の構成内容とその思想を概観しながら、天台大師と伝教大師の法華経の解釈と「日蓮の法華経」には相容れない本質的な相違点があることを指摘したいと思います。 
同時に、日蓮の法華経がいかに大乗仏教の法華経の精神を歪めた異様な世界を作ってしまったのかを指摘したいと考えます。 
法華経28品の前半分の安楽行品第十四までを迹門といいます。 
迹門の内容は、釈尊が永遠の仏であるという実体を明らかにする(本門)以前の教えです。 
声聞、縁覚、菩薩の三つはそれぞれに異なる階梯にあるものとして三つの道が説かれていましたが、これらは方便の教えであるとして法華経では一乗であることが明かされます。これを「開三顕一」または「法華一乗」といい、法華経が全てを包摂する経典(究極の経典)であるというプロパガンダに利用されました。 
本門の内容は、仏の存在の永遠性を語り、伝道の困難に立ち向かう信仰の在り方と功徳が語られています。 
しかし、法華経は理論的に記述された経文ではなく、大乗経典に共通する経典の受持の功徳による攘災招福を強調して信仰を奨励する特徴を持っています。 
法華経の本門は従地涌出品第16〜普賢菩薩勧発品第28までを言います。その内容は、釈尊(釈迦)が、インドに生誕して修業し初めて成仏したのではなく、実は遥かな過去世で成仏した永遠の仏であり、以来この世で人々を教化し続けてきた存在である事を明かす内容です。これを「開迹顕本」または「開近顕遠」といいます) 
ここでは、法華経を受持するものは宣教の行為によって諸仏諸尊に守護され現世利益を受けられるとする功徳が語られます。 
法華経の実践部分の中核を構成す部分が『観音経』と『普賢菩薩勧発品』」です。 
法華経の菩薩の特徴は、法華経第23『薬王菩薩品』、第24『妙音菩薩品』、第25『観世音菩薩普門品』(観音経)に見て取れますが、いわゆる修行者としての菩薩ではなく、法華経信者の守護者の役割を持っていることです。 
特に、観音経の「普賢菩薩」は法華経信者の守護を釈尊に誓う菩薩ですが、観音経は懺悔、滅罪によって利益が受けられる実践的な思想内容を語るところからで法華経三部経(無量義経、法華経、観音経)全体の結経とされています。 
しかし、日蓮信者は、自らが地涌菩薩であると妄想して、観音菩薩と普賢菩薩、妙音菩薩など大乗の菩薩や両経の精神をも否認しています。 
観音菩薩と普賢菩薩を否認する日蓮信者が、何故に法華経を受持する者として、これらの菩薩から守護されなければならない必然性があるというのでしょうか。 
日蓮信者が広めているのは、紛れもない日蓮の妄想から生まれた日蓮思想であって、大乗仏教の法華経ではありません。日蓮の思想は、天台、伝教の法華経の精神や思想とは本質的に異なる無縁のものです。 
日蓮の思想が受け入れられたのは、法華経の持つ「現実肯定主義」と日蓮の持つ「現実改革の現世主義がもたらした宗教エネルギー」に対する共感にあると考えられています。しかし、これは、日蓮の表面的な評価に過ぎません。 
日蓮思想は、他宗の祖師の思想とは根本的な違いがあります。1日蓮本仏論(本尊論)、2文底下種仏法、3国家諌暁にみる政治性、4徹底した他宗排斥などに明らかに見えますが、もっとも特異なことは5布教方法と6信者の育成方法にあると考えられます。 
釈尊の真説は法華経以外にない、これが日蓮の出発点です。 
日蓮は、鎌倉幕府に国家諌暁(『立正安国論』)を敢行し、諸宗の排斥を訴えて、妥協や迎合のない姿勢をかたくなに取り続けることによって幕府権力者の弾圧と迫害を望みました。 
意図的に仕掛けて蒙った諸難でしたが、日蓮は、法華経の行者ゆえの法難と確信して、揺るぎない使命感(上行菩薩の再誕=末法の本仏)に燃えました。 
主観的な妄想に過ぎない法難を法悦と捉えることは、客観的に観れば、幕府、権力者、諸宗の宗教的権威に宣戦布告し、自ら様々な反撃や攻撃を受けて、自ら傷つく宿命を背負う行為であったといわなければなりません。 
諸宗から見れば、正気の沙汰とは思えない日蓮思想でも、日蓮の著作を学ぶ日蓮信者に強い共感を与えました。 
日蓮が絞り出した言葉には、信者自らが日蓮に同意しないではいられない力があります。 
日蓮の言葉(その実体は毒にまみれた呪文)を反芻し続けることで日蓮の言葉に憑依された信者は、自らを小日蓮に駆り立てる衝動にとらわれていきます。 
初めは、日蓮思想を刷り込まれたうぶな日蓮信者は、自ら日蓮思想を学び続けることで小日蓮に憧れ、心の内なる正常な精神は日蓮思想に塗り換えられることで憑依のプロセスが完成します。 
また、法華経は「法華文学」ともいわれ文学性の高い教典であるという人がいます。これにはしばしば「法華七譬」といわれる譬喩が挙げられています。 
いわゆる1「三車火宅の譬(比喩品第三)」、2「長者窮子の譬(信解品第四)」、3「三草二木の譬(薬草喩品第五)」、4「化城宝処の譬(化城喩品第七)」、5「衣裏繋珠の譬(五百弟子授記品第八)」、6「髻中明珠の譬(安楽行品第十四)、7「良医治子の譬(如来寿量品第16)」がこれです。 
これらの譬えが真に優れた文学性といえるのでしょうか。これらの譬えは現代的にいえばとてもリアリティがない譬え話でしかありません。 
法華経の解説書は、法華経はありがたいものだという立場から無批判に書かれたものが多く、ここでは無前提に素晴らしい説話であると絶賛することが通例ですが、この評価は最高、唯一を主張する法華経の自画自賛の立場を容認するものではありません。 
この譬え話は、法華経の素晴らしさを身近な題材に置き換えて人々に理解させるための寓話や神話で語る手法です。 
寓話や神話は抽象的な事物の表現形式であり、これ自体が絶対的な評価基準を示すものではありません。これらは法華経が用いた単なる自画自賛の譬え話に過ぎません。
創価学会はなぜ社会から嫌われるのか 2016/4
  戦後社会が育てた巨大教団 
「創価学会はなぜ嫌われるのか」というのが、本稿のタイトルである。そこでは、創価学会が嫌われているということが前提になっている。確かに、世の中には創価学会のことを嫌う人たちがいる。忌み嫌い、創価学会などなくなってしまえばいいと考えている人がいることは事実だ。しかし、そうした創価学会に対する嫌悪感は、昔に比べればはるかに弱くなっているようにも思われる。3年ほど前の秋のことである。私は講演をするために、広島県の三次(みよし)市を訪れた。そのときは、最近の葬儀のあり方について地元の浄土真宗の人たちに話をしたのだが、送り迎えをしてくれた僧侶の人から興味深い話を聞いた。昔は、創価学会といえば、地元で嫌われる存在だった。ところが最近では、学会の会員たちをいい人たちと言う人が増えているというのである。浄土真宗の場合、日本の仏教宗派の中でも信仰に対して特に自覚的で、しかも、社会の支配階層ではなく、一般民衆に基盤を置いているため、創価学会とは対立する関係になり、創価学会批判にも積極的だった。
攻撃的でなくなった創価学会の勧誘
ところが最近の創価学会の会員は、昔とは異なり、地域に溶け込もうとして、ほかの人たちが嫌がるPTAや町内会の役員などを積極的に引き受けてくれる。しかも、地域のために活動する代わりに布教活動をやったりはしない。だから地域の人たちも、創価学会の会員たちはいい人たちだと認識するようになってきているというのである。
広島は、「安芸門徒」という言葉があるように、伝統的に浄土真宗の信仰が強い地域である。にもかかわらず、住民の間で、創価学会に対する好き嫌いの気持ちが変わったことは大きい。おそらくそれはほかの地域でも起こっていることだろう。その点では、創価学会は嫌われなくなった。あるいは、正確にいえば昔ほど嫌われなくなっているのである。
昔の創価学会は、現在とは比べられないほど攻撃的な姿勢を示していた。布教活動は「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれ、相手を論破して、無理やり信仰を押し付けるというやり方が取られた。 家に地域の創価学会の会員が幾人も押しかけてきて、延々と折伏が続くようなこともあった。
それは、家庭だけではなく、ほかの宗教や宗派の宗教施設にも及んだ。キリスト教の教会に学会員がやってきて、イエス・キリストが復活するなど非科学的で、キリスト教の信仰は間違っていると議論を吹っかけてきたのである。
それまでの日本の新宗教(明治以後に成立した宗教)は、人が何か不幸や悩みに直面したとき、当人が自分の考え方を変えて、それを介して相手の気持ちも変えようというやり方を取っていた。
ところが創価学会には、そうした面はまったく見られなかった。何か問題が起きても、その解決策は相手を折伏することにあり、自分を反省する様子などみじんも見せなかった。
子どもたちの場合にも、当時の創価学会が密接な関係を持っていた日蓮宗の一派・日蓮正宗が、ほかの宗教や宗派の信仰をいっさい認めないという姿勢を取ったため、創価学会の家庭の子女は、修学旅行に行っても、神社の鳥居さえくぐらなかった。いくら言っても、それは「謗法(ほうぼう)」(間違った信仰)だと言って取り合わない。そうした信仰上のかたくなさも、創価学会が嫌われる原因だった。
もっともそこには、日本人一般の宗教観も影響していた。日本人は、多くが自分は無宗教だと考えているが、神社に行けば鳥居をくぐって参拝し、死ねば仏教式で葬儀を挙げる。そうしたやり方をするのが世間の常識だと考えていて、それに抵抗する人間は偏屈で間違っていると考え、時にはそれを攻撃する。
無宗教を標榜する一般の日本人と創価学会の会員との対立も、その点では、異なる宗教観に基づくものであり、そこでは小さな「宗教戦争」が起こっていたと見ることができる。創価学会の会員が嫌われるような態度を取ったということもあるが、一般の日本人が、一定の信仰を持ちつつ、それに無自覚だったことも、対立を激化することに結び付いた。
増幅された池田氏の悪のイメージ
創価学会が激しい嫌悪の対象になっていた時代において、池田大作という存在は極めて大きかった。 池田氏は、創価学会の第3代会長であり、会長を退いてからは名誉会長の地位にある。池田氏が創価学会の会長に就任したのは、わずか32歳だった。60年安保の年のことである。
なぜそれほどの若さで、すでに巨大教団に発展していた創価学会の会長に就任できたのか。部外者には不思議に思えるかもしれないが、確かに池田氏には集団を率いるリーダーとしての素質が備わっていた。
「創価学会恐るべし」という印象の背景
それは、創価学会が参議院に初めて立候補者を立てた大阪での選挙の際にも表れていた。彼は、ずっと大阪に泊まり込んで、陣頭指揮に当たった。選挙で多くの票を獲得することは、会員を増やすということでもあり、池田氏は大阪で創価学会の基盤を確立するのに大きく貢献した。その後も、池田氏の大阪訪問は250回以上に及び、絶大な影響力を持ってきた。
創価学会が政界に進出する直前の1955年、北海道の小樽で行われた創価学会と日蓮宗との間の法論では、池田氏が創価学会側の司会を務めた。その法論では判定を下す第三者が不在だったにもかかわらず、池田氏は、最後に司会者の特権として創価学会が勝利したと言い放ったため、創価学会が法論に勝ったというイメージが作り上げられた。それは、「創価学会恐るべし」という印象を日蓮宗のみならず、宗教界全体に与えたのだった。
しかし池田氏の果たした役割は、創価学会の会員ではない一般の人間は知らない。そのため、池田氏は巨大教団に君臨する独裁者であるかのようにとらえられてしまう。
実際、それを裏づけるような報道が、週刊誌などを中心に集中的に行われたことがあった。それは、創価学会と公明党が、自分たちを批判した書物に対してその出版を妨害しようとする「言論出版妨害事件」が起こってからである。この事件は、69年から70年にかけての出来事だった。創価学会が、公明党を組織して政界に進出していなければ、こうした報道もそれほど盛んには行われなかったであろう。
それに関連してもう一つ重要な点は、創価学会を辞めた人間たちの存在である。宗教教団を辞めた人間は、その組織に対して不満を持ったからそうした行動に出たわけで、辞めた教団に対しては批判的である。
さらに、創価学会の元会員には、多額の寄進をしていた人間たちが少なくなかった。創価学会は、日蓮正宗の総本山・大石寺に正本堂という建物を建てるために寄進を募るなど、会員から多くの金集めを行ってきた。機関紙である聖教新聞を何部も購読し、それを会員以外に届けていた会員もいた。私の知り合いでも、創価学会に数千万円を寄進したという元会員がいる。
金(かね)にまつわる恨みほど恐ろしいものはないともいえるが、さらに彼らは、辞めるときに強い引き留め工作を受けたり、辞めてからかつての仲間に誹謗中傷されたりすることもあった。そのため、恨みはさらに増し、内情を暴露したり、池田氏を激しく批判したりして、そうした声が週刊誌に掲載されたりした。
世の中に伝えられる創価学会のイメージは、相当に恐ろしい教団というものであった。そうした時代がかなり長く続くことで、創価学会を嫌う人間が増えていった。
逆に、一般の人間にとって創価学会が存在するメリットは少ない。ただ、会員でなくても選挙の際には公明党に投票する「フレンド票」となれば、友好的に接してくれるし、何か困ったことがあれば公明党の地方議員が相談に乗ってくれたりする。
そうした手段を利用する非会員もいたが、その恩恵にあずからない人間からすれば、それもまた創価学会を嫌う理由になった。外側からは、自分たちの利益だけを追求する極めて利己的な集団に見えたのである。
ただ、こうしたことは、ほとんどが過去のことになった。創価学会が伸びている時代には、多額の金を布教活動に費やす人間が出たが、今はそうした雰囲気はない。多くは、生まれたときから会員になっている信仰2世や3世である。
連立政権入りで安定性が強化された
折伏は影を潜め、新しく会員になるのは、会員の家の赤ん坊ばかりである。聖教新聞には、かつては敵対する勢力や裏切り者を罵倒する言葉があふれていたが、今はそれもない。
公明党が自民党と連立政権を組んでいることも大きい。創価学会は、それを通して、日本社会に安定した地位を築いた。ことさら社会と対立するような状況ではなくなったのである。
週刊誌などが、創価学会にまつわるスキャンダルを暴くこともほとんどなくなった。池田氏も高齢で、その言動が世間をにぎわすこともない。
現在では、一般の日本人が創価学会を嫌わなければならない理由はなくなった。だからこそ、冒頭で述べたように、創価学会の人たちはいい人たちだという声が上がるのである。
しかし、世間から嫌われなくなった創価学会は、宗教教団としての活力を失ったともいえる。会員の伸びは止まり、公明党の得票数も選挙をやるたびに減りつつある。週刊誌が取り上げないのも、記事にしても読者の関心を呼ばないからだ。
はたしてそれが創価学会にとって好ましいことなのか。今、学会の組織はそうしたジレンマに直面している。嫌われてこそ、本来の創価学会なのかもしれないのである。