「税金」は差別用語か「公的資金」

住専へ公的資金  銀行へ公的資金 
勢い余って「そごう」へも  
民がうるさいから中止 
 
資本主義・市場原理は弱肉強食 
税金を投入しても原則を破るだけ 
バカなバンカーは消え行くのみ 
いい機会 バカな借り手も消えて行け 
強い企業 強い社会 秩序が自然と出来上がる 
何も知らされていない預け手だけ救済すればよい


   
平家物語 
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり  
娑羅雙樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす 
奢れる者久しからず 唯 春の夜の夢のごとし 
猛き者も遂には亡びぬ 
偏に風の前の塵に同じ・・・
   
税金 
国家の運営費 皆で負担 
法人 しっかりした社会で商売ができるショバ代を払う 
個人 皆同じに払う 
収入の多かった人は社会に感謝して多少多く払う 
間接税 皆同じに払う
  
獲り易いところから獲るのは税金と言わない 
金の稼ぎ方を知らない 
工夫がない 
税金をドブに捨てる
   
補助金 
過去の功績への感謝措置 
効率は悪いが国にないと困るものへの延命措置
 
農業は大事だが 農業の取巻きは不要 
建設は大事だが 不要不急の区別 
天下り外郭団体 不要
   
助成金 
将来の夢ビジョン達成への援助措置 
効率は悪いが国の将来に必要なもの 育てる援助措置 
天下り外郭団体 不要
  
思いやり予算 
防衛分担金 
戦略がないなら不要 
戦略が明確なら防衛費として納得 
「思いやり予算」など 胡散臭いタイトルに反対します
  
COD 
国際社会分担金 
国家の交際費
 
バラマキの極み 
赤字会社なら真っ先に削る 景気戻るまで凍結
  
公的資金 
社会安定化対策費
 
安定化して誰が喜ぶ 無責任な極一部 
負担している皆が喜ばない  
一時混乱してもよい  責任者が生首差出してからで遅くない
 
故事来歴  
協和あさひ 
さくら三井住友 
富士UFJ 
みずほ
 
故事来歴が思い出せなくなりました 
図体だけのメガバンク  
2004/s
 
ゼロ金利解除    
2006/s
 
 

 
2000/  
 
祇園精舎の鐘の声  
テーマは、平家物語の冒頭 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」という一節。中学校の時の国語の授業で暗唱させられた事が結構鮮明な記憶として残ってます。 
「祇園精舎」とは、お釈迦様がおられた今から2600年前のインドにあった今で言う「寺」の名前です。「祇樹給孤独園精舎」というのが正式な名称ですがその「祇」と「園」を取って「祇園精舎」と言われているんですね。 
これは、祇多太子という人が「樹木」を布施し給孤独長者が「土地(園)」を布施して出来た「精舎(寺)」という意味なんですね。精舎建立(しょうじゃこんりゅう)には、この2人のドラマがあったんですね。 
今から2600年前のインドのお話しです。 
すだったというお金持ち(長者)がありました。大変慈悲深い人で孤独で苦しむ人にいろいろなものを与えていた(給う)ために給孤独長者と言われ、多くの人から慕われていました。 
その給孤独長者がある時、お釈迦様と出会いその御教えのすばらしさに心を打たれました。これは自分が聞いているだけではもったいないぜひとも多くの人に聞いてもらいたいと「精舎建立」を決意したのです。 
では、その精舎をどこに立てるのか都会すぎては騒がしく田舎すぎては交通の便が悪い八方尽くして探していたところ、すべての条件が整った素晴らしい場所を見つけました。 
その場所は、祇多太子という人の所有地でした。給孤独長者は、祇多太子に土地を売ってもらいたいと申し出ますが、太子には土地を手放す気持ちはありません。 
しかし、何度断っても何度断っても給孤独長者は、あきらめません。祇多太子は、あきらめさせようと無理難題をふっかけます。「それでは、この地に金貨をしきつめよ敷き詰めた土地の分だけ、金貨と引き替えにゆずってやろう」今でいえば、金の延べ棒を敷き詰めた分だけそれと引き替えに売ってやろうといっているようなものです。 
ところが、それを聞いた給孤独長者は、喜び勇んで家に帰り、蔵という蔵を開け放ち金貨をすべて運び出し、自ら並べ始めたのです。驚いたのは祇多太子 。土地がどんどん黄金色になるのをみて、たまらず給孤独長者を止めます。 
「あなたは、なぜそこまでしてこの土地を求めようとされるのか」 
給孤独長者は、答えます。「お釈迦様という尊い方がおられて、すべての人が救われる無上の法を説かれているのです。その為の精舎を建立したいのです」喜びいっぱい話をする 。 
給孤独長者の姿に心を打たれた祇多太子は「よく分かりました。もう金貨は結構です。残りの分は私が布施をさせて頂きます」さらに樹木を布施をして、精舎建立に貢献したと言われています。 
その「祇多太子」が布施をした「樹木」と「給孤独長者」が布施をした「園」によって立てられた建物が「祇樹給孤独園精舎」略して「祇園精舎」だったんですね。 
そこでお釈迦様は沢山の説法をなされています。その説法の内容が「諸行無常」という事であったので 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と言われるようになったそうです。 
 
諸行無常とは、諸行とは、すべてのものということ。無常とは、常が無いという事です。常が無いとは、ずっと続く、変わらないものはないという事です。 
たとえば、今こうしてメルマガを書いているパソコンもずっと元気に動き続けるわけではないです。デスクトップパソコンの寿命は5年 、ノートパソコンの寿命は3年といわれるように、やがて壊れていくということがあります。 
住んでいる家も、何十年もすれば、古くなって住めなくなります。この地球さえも、あと60億年後には無くなってしまうと言われています。 
では、人間の心はどうでしょうか。サラリーマン川柳13回、最優秀作品に「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」とありますが、「離れたくない!」が「話したくない!」と変わるように、心も、大きく変わってしまうんですね。 
あまりに「コロコロ」変わるので、ロを一つ取って「ココロ」というようになったとも言われるほどです。 
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変わらないものは何一つないと聞いて、「そんなこと無い!」と思う人はないと思いますが、自分の周りにあるもの、自分が持っているものは、「例外」という心があります。 
自転車を盗まれたという話はよく聞きますが、「自分の停めた自転車は、ちゃんとあるはず」と思います。パソコンがウィルスにやられて壊れたという話を聞いても「自分のパソコンは大丈夫!」とウィルス対策ソフトを入れなかったりバックアップを取らなかったりしますよね。 
ところが、大丈夫と思っているものにも無常がやってきます。「これも例外じゃなかったのか」と知らされた時に、「こんなはずじゃなかった」と後悔する事になるんですね。 
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そんな事、聞いたら暗くなっちゃうという声が聞こえて来そうですが、無常である事を見つめる事が本当の幸せの第一歩であると教えられているんですね。 
身近な事で言うと、無常だと思うからこそ大事にするようになります。 
荷物でも、「ワレモノ注意」とあると慎重に扱いますよね。人間関係でも、この人との関係は大丈夫だと思うからこそついつい粗雑になって 、手でしなければならない事を、足でする。足でしなければならない事を、尻でするようになる。尻でしていた事をしなくなります。 
それによって、気付かないうちにだんだん関係が悪化していって、気付いた時には修復不能になっていくものです。無常だと思うからこそ、努力が生まれてくるんですね。 
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仏教では「無常を観ずるは菩提心の一(はじめ)なり」と言われます。 
無常である事を見つめると、代わり通しのこの世界で変わらない、崩れない本当の幸福を知りたいという気持ちが起きるという事であり、無常を見つめる事が、本当の幸福の第一歩であるという事なんですね。それが、祇園精舎でなされていたお釈迦様のご説法だったので「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」と言われるんですね。