恐れ入谷の鬼子母神

恐れ入谷の鬼子母神

年をとりました
昔 耳にした 軽口言葉
ふと 思い出しました

大昔 子供のころ 母と東京に遊びに行った
雑司ヶ谷 叔母の家

飛び飛びの記憶が繋がる
 


恐れ入谷の鬼子母神真源寺入谷鬼子母神鬼子母神法明寺法華経寺・・・
地口洒落駄洒落冗談軽口無邪気邪気無駄話邪心悪心笑い話・・・
 
 
 

 

●恐れ入谷の鬼子母神 1 
「恐れ入る」の「入る」を地名の「入谷」にかけ、同地の鬼子母神につづけた軽口。この鬼子母神は東京入谷真源寺を指します。「恐れ入りました」ということですが、軽妙にしゃれることによって、おどけや皮肉など、さまざまなニュアンスが生じます。「恐れ入谷の鬼子母神」のような洒落の効いた文章を「地口」と言うそうです。
「恐れ入る」の「入る」を地名の「入谷」にかけ、同地の鬼子母神につづけた軽口。[使用例] なんのお前様、唐人の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神[林不忘*大岡政談|1930]。この鬼子母神は東京入谷真源寺を指します。「恐れ入りました」ということですが、軽妙にしゃれることによって、おどけや皮肉など、さまざまなニュアンスが生じます。「恐れ入谷」と略すこともあります。
《「恐れ入りやした」の「いりや」を地名の「入谷」に掛け、同地にある「鬼子母神」と続けたもの》「恐れ入りました」をしゃれていう語。
恐れ入谷の鬼子母神とは、「恐れ入りました」という意味で使うしゃれ言葉。「恐れ入りやした」の「入りや」と「入谷(東京都台東区の地名)」を掛け、入谷の真源寺(台東区下谷)に祀られている「鬼子母神」を続けて言ったしゃれ。鬼子母神は出産・育児の女神で、「きしぼじん」とも読む。「恐れ」を恐怖の意味として使うのは誤り。誤用例「あの出来事は本当に恐れ入谷の鬼子母神で、死を覚悟さえしたよ」。  
●恐れ入谷の鬼子母神 2 
相手の言うことには同意するが、そのまま認めるのは癪に障るとの意で用いる地口。「おそれいる」と「入谷(江戸の地名)の真源寺に祀られる鬼子母神」を掛けたもの。
なんのお前様、唐人の化けの皮を一目で引ん剥いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷の鬼子母神……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。(林不忘 『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』)
由来​
太田蜀山人の狂歌に由来するといわれる。『放歌集』に収録されるものに「いまさらに恐れ入谷のきしも神あやうく過ぎし時を思へば」があり、また、巷間に伝わるものとして「おそれ入谷の鬼子母神 そうで有馬の水天宮 志やれの内のお祖師様」(「そうで有馬」を「どうで有馬」とするものあり)があるが詳細不詳。 
●恐れ入谷の鬼子母神 3 
「恐れ入谷の鬼子母神」とは、「恐れ入る」という意味です。相手の優れている点に感心して、まいったと思うときや、相手の好意や、自分の悪い点について恐縮するとき、ひどくあきれたときなどに冗談めかして使われる洒落言葉です。この言葉の使われ方の幅は広いため、話の雰囲気や、文の流れをしっかりと掴むことが重要です。
意味
(1)相手の優れている点に感心して、まいったと思うこと
(2)相手の好意や、自分の悪かった点について恐縮すること
(3)ひどくあきれること
「恐」や「鬼」という漢字が入っていることから、恐怖の意味として使ってしまうのは誤りなので注意が必要です。
由来
昔、「恐れ入りました」は、話し言葉で「恐れ入りやした」と言われていました。
この「入りや」は、東京都台東区の「入谷」という地名がかけられています。そして、入谷に祀られている「鬼子母神」を続けています。鬼子母神とは、元々は、凶暴で子供を食べてしまうような悪い女神でした。しかし、仏陀に懲らしめられて、出産や育児を司る女神になりました。
例文
・彼はサッカーを始めて間もないのに、試合でハットトリックを決めるなんて恐れ入谷の鬼子母神だ。
・いつもダラダラしている先輩は仕事になると何でもできて恐れ入谷の鬼子母神だ。
・地元の飲み会で遅刻してしまって、恐れ入谷の鬼子母神。
・内気で暗い性格のあの子が、カラオケになると100点を取るから恐れ入谷の鬼子母神だ。
・いつも叱られていた同級生が、今になっては大企業の社長で恐れ入谷の鬼子母神だ。
・君って、字が上手くなったね。昔は全く読めなかったのに、今はすごく読みやすい。書道を始めて、毎日たくさんの字を書いているからね。恐れ入谷の鬼子母神でしかないよ。今ではあなたより上手いわ。
類義語
「恐れ入谷の鬼子母神」と関連する言葉には「恐縮」「恐悦至極」「戦戦恐恐」「舌を巻く」「畏い」「一本取られる」などがあります。 
●恐れ入谷の鬼子母神 4 
おそれ入谷の鬼子母神(きしもじん)は、「おそれ入った」という意味をシャレにした言葉です。
仏教の神に数えられる鬼子母神は元々「他人の子供を喰らう鬼」でした。しかし、最愛の末子を釈迦に隠されて嘆き悲しみ、改心して母子の守護神となったのです。この鬼子母神像が祀られている東京都台東区の「入谷(いりや)」を、「おそれ入りやした」の語にひっかけたのがこのことわざです。
誰かが偉業を成し遂げた時や、自分を打ち負かした相手に対する賛辞として用いられ、比較的年配の方には馴染みのあることわざでしょう。エッセイストとして有名な作曲家・團伊玖磨氏は、代表著書『パイプのけむり』の中で度々この言葉を使用しています。また、「痛みいる」をモチーフとした改変型の「痛み入谷の鬼子母神」バージョンも多く登場しています。
ビジネスでは、気軽な対応の出来ない新規のビジネスパートナーなどには、用いるべきではありません。あくまでも「気心の知れた相手にこそ使える言葉」であることを心得ておいてください。
若い方には馴染みの薄い言葉ですが、台東区近辺に土地勘のある相手なら「入谷の鬼子母神をご存知ですか」など、コミュニケーションのタネになるかもしれません。
例文
・「入社したての新人が、幹部相手の初プレゼンで完璧な提案をしてみせた。彼の知識とリサーチ力はまさにおそれ入谷の鬼子母神だよ。」 誰かを褒めたい時に、サッと使える用法です。
・「御社の飽くなき探求心とお客様への対応姿勢には、私共もおそれ入谷の鬼子母神で、頭が下がる思いです。」ライバルや競争相手を認める時にも使えます。 
●恐れ入谷の鬼子母神 5 
入谷の夏の風物詩「朝顔市」。朝顔市は「入谷鬼子母神」を中心に、言問通りに100軒以上の朝顔業者と100を超える縁日が並び、毎年40万人以上の人が訪れる。
入谷鬼子母神は満治二年(1659年)静岡県沼津にある大本山光長寺の第20世高運院日融上人が、本山に勧請していた一寸八分の御木像の「鬼子母神様」を持って江戸に出て、現在の地に「真源寺」を建立したことにはじまる。
鬼子母神像は、大本山光長寺の開基である彫刻の名手・中老僧日法聖人が彫り、その師匠である日蓮聖人が開眼せられたと伝えられている。
入谷に暮らしているとご年配のかたなどから「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉を耳にすることがあるが、その由来は當山にある縁起に記されている。
「さる大名家の奥女中が腰に腫れ物ができてしまい医者に見放されてしまったが、入谷にある鬼子母神が大変御利益があると言うので、二十一日間の願をかけ毎日お参りをしていたところ、満願の日の帰りに、橋でつまづき欄干のえぼしに腰を打ち付けてしまった事で、腫れ物の口が破れて膿が出てしまい、時をへずして全治した」
これを江戸の中期に活躍した狂歌師・太田蜀山人が聞き付け、その御利益に恐れ入ったということで「恐れ入谷の鬼子母神」と言ったのが流行になり、現在までも使われているのだそう。 
●恐れ入谷の鬼子母神 6 
「恐れ入谷の鬼子母神(おそれいりやのきしもじん)」とは、「恐れ入りました」というときに使われるしゃれで、いつごろからいわれたのか、はっきりしていませんが、「恐れ入る」の「入る」を「入谷(東京都台東区の地名)」にかけたもので、入谷の真源寺(台東区下谷)に祀られている「鬼子母神」を続けて言ったしゃれです。
鬼子母神というのは、出産、育児の神様とされていますが、もともとインドの女性の神様のことで、次のような話が伝えられています。
鬼子母神は一万人の子供を生みましだか、他人の子供は手当たり次第に取って食べてしまう凶暴な神さまでした。
人々が困ってお釈迦様に訴えると、お釈迦様は懲らしめのため、彼女の末の子供を隠してしまいました。鬼子母神はたいへん悲しんで、八方手を尽くしてさがしますが、どうしても見つかりません。
探しあぐんで、お釈迦様に愛児の行方をたずねると、お釈迦様は、彼女の非行を諄々とさとした上で子供を返してやりました。さすがに鬼子母神は前非を悔い、それ以来、子供を守護する神様になったということです。 
●恐れ入谷の鬼子母神 7 
・防御やサブミッションまでが打撃系だというのだから、恐れ入谷いりやの鬼子母神きしぼじん。
・これは現在でも知られている地口の一つで、「恐れ入谷の鬼子母神」などと並んで知られている。 ...
・また、「恐れ入谷の鬼子母神」と謳われた入谷鬼子母神も旧入谷町内にある。 ...
・「びっくり下谷の広徳寺」と「恐れ入谷の鬼子母神」と並んで有名な地口になっている。 ...
・地口である「恐れ入谷の鬼子母神」と並んで知られている「びっくり下谷の広徳寺」の広徳寺は、現在の台東区役所付近にあったが、関東大震災により崩壊し、練馬区へ転出した。 ...
・鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」の地口で知られる東京都台東区入谷の真源寺、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂の鬼子母神が有名である。 ...  
 
 

 

●真源寺 東京都台東区下谷 
仏立山真源寺。東京都台東区下谷にある、法華宗本門流の寺院。山号は仏立山、大本山光長寺末。
万治2年(1659年)光長寺20世・日融が当地に法華宗本門流の寺院を開山したことによる。鬼子母神を祀っていることで、入谷鬼子母神の名称で有名な寺院である。大田南畝の狂歌「恐れ入りやの鬼子母神」という洒落も有名である。また、7月の七夕の前後に当寺院の境内で、入谷朝顔市が開かれることで、入谷の名物であることはもとより、東京下町の夏の訪れを伝える行事として、全国的にも知られている。
文化財
絹本着色朝顔・蜻蛉図(台東区指定有形文化財)
入谷朝顔市​
当寺院の名物である朝顔市で有名になったのは明治時代に入ってからで、江戸後期頃から当地で盛んだった朝顔栽培を人々に見せるために、当寺院の敷地内で栽培農家が披露したことがその起源である。明治時代を中心に、入谷界隈で朝顔作りが盛んになり数十件が軒を連ねたという。当地の朝顔は全国でも指折りの出来であったといい、朝顔のシーズンになると、入谷界隈には朝顔を見物しに、多くの人でごったがえしたという(無論、植物園などと違い、商品として栽培しているのでそのまま商売となった)。その後、宅地化の流れにより入谷界隈での栽培が難しくなり、1913年(大正2年)になって最後の栽培農家が廃業して、朝顔市は廃れてしまったが、戦後1948年(昭和23年)に、地元の有志と台東区の援助の元、再び入谷で朝顔市が復活することになり、現在では例年、七夕の前後3日間(7月6日、7日、8日)に当寺院と付近の商店街で開催され、下町の夏の風物詩としてすっかり定着している。
下谷七福神​
当寺院は、七福神の福禄寿を祀っている。
江戸の地口で知られる他の寺社​
地口である「恐れ入谷の鬼子母神」と並んで知られている「びっくり下谷の広徳寺」の広徳寺は、現在の台東区役所付近にあったが、関東大震災により崩壊し、練馬区へ転出した。他に「情け有馬の水天宮」は中央区日本橋蛎殻町にある水天宮、「なんだ神田の大明神」は千代田区外神田にある神田明神、「なにゆうてんじ、中目黒」は目黒区中目黒にある祐天寺である。 
 
 

 

●入谷鬼子母神 1 真源寺
「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)。びっくり下谷の広徳寺。そうで有馬の水天宮」というのは江戸っ子の洒落。入谷は山手線鶯谷界隈の地名。恐れ入るということを洒落て、入谷の真源寺に祀られる鬼子母神を掛けたものです。境内と門前で7月に開かれる『朝顔市』は、東京の夏の風物詩。「下谷七福神」の福禄寿を祀っています。
「恐れ入谷の鬼子母神」で有名
1659(万治2)年、駿河国沼津(現・静岡県沼津市)の光長寺20世・日融が開いた法華宗の寺で、1828(文政11)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「鬼子母神堂。中老日法の作。日蓮開眼の像也。本寺より伝来と云。世に入谷鬼子母神と称す」と記されています。
現在、鶯谷駅前一帯は入谷と通称されていますが、江戸時代の行政は坂本村。坂本の由来は、上野の寛永寺(東叡山寛永寺)を天海僧正が創建したとき、西の比叡山に対し、天台宗の東の拠点として、東叡山としました。つまり、比叡山山麓の坂本(現・大津市坂本)に対して、東叡山の坂本というわけなのです。
真源寺の寺伝によれば、とある大名の奥女中の腫れ物(おでき)が真源寺の願掛けで完治したことから、江戸でご利益が話題となり、「おそれ入谷の鬼子母神」となったとのこと。
雑司ケ谷の鬼子母神、千葉・下総中山の鬼子母神(法華経寺)と並び「江戸三大鬼子母神」に数えられています。下谷七福神の福禄寿を祀っています。
入谷鬼子母神は朝顔市でも有名
江戸時代後期から真源寺境内で、朝顔栽培農家が自慢の品を披露したことが始まり。入谷が上野山の麓で、落ち葉などが堆積して肥えた土が朝顔の栽培に適していたこと、さらには江戸の近郊に位置していて、朝顔を買いに来ることが当時(江戸時代末期)のレジャーだったというわけなのです。
有名になったのは、明治時代。往時には十数軒あったという朝顔農家は、都市化の波で大正2年にすべてが廃業しています。
朝顔市は昭和23年に復活。七夕の前後3日間(7月6日〜8日)に『入谷朝顔まつり』が行なわれています。ちなみに、販売される12万鉢の朝顔の約7割は江戸川区産なんだとか。
浮世絵に見る 入谷鬼子母神と朝顔市
『江戸の花名勝会』る 十番組 中山文五郎、入谷の鬼子母神、入谷
歌川広重(2代)、歌川豊国(3代)らが描いた『江戸の花名勝会』(えどのはなめいしょうえ)シリーズ。
立祥作『三十六花撰』東都入谷朝顔
1866(慶応2)年刊行の『三十六花撰』。「立祥」は2代歌川広重が慶応元年に改名した名前です。
月岡芳年作『東京自慢十二ヶ月』六月 入谷の朝顔
『東京自慢十二ヶ月』は明治13年の刊行。12ヶ月の花が描かれていますが、6月は入谷の朝顔です。 
●入谷鬼子母神 2 真源寺
法華宗本門流の真源寺は、仏立山と号します。真源寺は、光長寺第20世高運院日融上人が開山となり、万治2年(1659年)創建したといいます。入谷鬼子母神として有名なほか、毎年7月の七夕に朝顔市が行われます。下谷七福神のひとつ福禄寿が祀られています。雑司ヶ谷鬼子母神堂、中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めています。 山号/仏立山 ・ 寺号/真源寺 ・ 住所/台東区下谷 ・ 宗派/法華宗本門流
入谷鬼子母神真源寺の縁起
真源寺は、光長寺第20世高運院日融上人が開山となり、万治2年(1659年)創建したといいます。
新編武蔵風土記稿による真源寺の縁起
「(坂本村)真源寺 同末(法華宗駿河国岡之宮光長寺末)佛立山と号す。開山日融、萬冶2年起立し、延宝9年3月2日寂。本尊三寶。鬼子母神堂。中老日法の作。日蓮開眼の像也。本寺より伝来と云。世に入谷鬼子母神と称す。」 (新編武蔵風土記稿より)
入谷鬼子母神真源寺所蔵の文化財
絹本着色朝顔・蜻蛉図
「縦93cm、横33cmの大きさの画面に、二世歌麿が朝顔を、窪俊満が蜻蛉を、朗卿(経歴等詳細は不明)が秋草をそれぞれ淡彩で描いた掛幅装の作品です。また、特徴的なのは、図のほかに複数の人物が俳諧・狂歌の賛を寄せている点です。その名前を列挙すると、酒月米人、大田南畝、麦藁笛成、窪俊満、鹿都部真顔、石川雅望、三陀羅法師、浅草市人、山東京伝、曲亭馬琴と、文化・文政期の有名文人が勢ぞろいといった感があります。このように絵画と文章や俳諧、狂歌などで構成される形式の書画を寄合書といいます。本作品の場合、おそらく狂歌の宣伝などの配り物として作られたのでしょう。というのは、本図と同じ図柄にほぼ同じメンバー(一人入れ替わるのみ)、同じ狂歌・俳諧(窪俊満の「くれなゐのいとの遊ふとみゆるにそ日和定まる秋のかけろふ」、三陀羅法師の「せんたくの雫もかけぬ袖垣に白と浅黄をしほる朝皃」、山東京伝の「朝かほや嵐の庭のやふれ傘」)を含む作品「朝顔図」が奈良県立美術館に所蔵されているからです。寄せ書きは、普通書画会などの席上で即興に描かれたものに多いのですが、本作品に関しては、画中狂歌に、既に狂歌集に発表してあるものが何点かあり、即興の妙を楽しむ書画会などの席画ではあり得ません。
本図に「六樹園」と画賛を寄せる石川雅望は、以前は宿屋飯盛と名乗る狂歌師でしたが、寛政の改革の影響で江戸にいられなくなり、しばらく活動をストップしていました。それが許されて江戸に戻り、活動を再開した時期が「六樹園」と名乗り始める文化5年(1808)以降のことなので、本図の制作時期も当然これ以降となります。また、いつまでに作られたのかと考えれば、作者のひとり、三陀羅法師の没した、文化11年8月8日までとなります。なお、初代喜多川歌麿は文化3年に亡くなっているので、本図の歌麿とは二世歌麿を指します。
本図の制作時期、文化5年から11年という時期は、狂歌界の大御所であった大田南畝が狂歌界から遠ざかり、鹿都部真顔と石川雅望がその後の狂歌界を二分し、徐々に対立を見せていた時期に当たります。この2人は自派の構成員獲得に向け、新しい試みをしており、本図もそういった宣伝活動を含めた試みの一つと考えられます。」 
●入谷鬼子母神 3 
入谷鬼子母神は日蓮上人の尊像とともにここ眞源寺に祀られている。眞源寺は万治2年(1659)日融上人により創建された。鬼子母神は鬼神般闍迦(はんしか)の妻で、インド仏教上の女神のひとりである。性質凶暴で、子どもを奪い取っては食べてしまう悪神であった。釈迦は鬼子母神の末子を隠し、子を失う悲しみを実感させ改心させたという。以後「小児の神」として児女を守る善神となり安産・子育の守護神として信仰されるようになった。入谷鬼子母神では子育ての善神になったという由来からツノのない「鬼」の字を使っている。また七月上旬、境内及び門前の道路沿いは「朝顔市」で賑わう。入谷名物となったのは明治に入ってからで、10数軒の植木屋が朝顔を造り観賞させたのがはじまりといわれている。当時この地は入谷田圃といわれ、朝顔や蓮の栽培に適していた。 
●鬼子母神が人を食らう悪鬼から神に転じた、その訳?
安産や子育ての神として祀られることの多い鬼子母神(きしもじん)。子を見守る優しげな神かと思いきや、元は多くの子供を養うために、人を殺して食らうというおぞましい鬼であった。悪鬼が転じて神に。その経緯とは一体どのようなものだったのだろうか?
元は子育てのために人肉を食らっていたおぞましい鬼
鬼子母神といえば、子授けや安産、子育ての神としてその名を知られる歴とした神さまである。赤子を抱いた柔和な母親の姿で、優しげな眼差し…とイメージされることが多いようである。しかし、中には鬼のような形相で、口が裂けたり、ツノまで生えている像まであるというから、驚かされてしまう。そういえば、読んで字のごとく、名前の最初に「鬼」がつく。このことからわかるように、元は鬼であり、改心して神さまになったという。鬼から神へ、その経緯を探ってみることにしよう。
もともと、古代インド神話に登場する悪鬼で、元の名は可梨帝母(ハーリーティ)。王舎城(おうしゃじょう)の夜叉(やしゃ)神の娘で、八大夜叉大将の一人である散支夜叉(パンチカ)の妻であった。夜叉といえば、鬼神の総称。阿修羅と言われることもある他、金剛力士の元の姿であったということをも合わせて鑑みれば、とても恐ろしい存在であったことが想像できそうだ。
この娘がパンチカと結婚した後、五百人あるいは千人ともいわれるほど多くの子供を産んだというから恐れ入る。当然のことながら、これだけの子を自らのお乳で育てるとなると、想像を絶するほどの栄養が必要であるに違いない。ならばいっそのこと、人間を捕まえて食べるのが手っ取り早い!と思ったかどうかはともかく、多くの人を殺して食べたという、悪鬼の権現のような存在だったのだ。人々から恐れられていたことはいうまでもない。
これを危惧したのがお釈迦さまである。ここは一つ、懲らしめてやろうと、彼女の末子である嬪加羅(ピンガラ)を托鉢(たくはつ)に使う鉢の中に隠してしまったのだ。7日間にわたって世界中を探し回るも見つからず、半狂乱になってしまった彼女。頃合い良しとばかりに、お釈迦さまが優しく語りかけた。「多くの子を持ちながらも、ただ一人の子を失うだけで嘆き悲しむお前、子を失う親の苦しみをわかったであろう」と。これには流石に応えたのか、涙ながらに頷く彼女。自らの罪を悔い、三法に帰依したことで、隠していた子も無事元に戻った…という、ありがたい仏教説話なのだ。
そして、人肉を食べないことを約束する代わりとして差し出しだされたのが吉祥果(ザクロの実)であったことから、吉祥果を手にする姿が描かれるようになったともいわれている。
名前も鬼子母神と改め、仏教の守護神に転じたようである。
以降、大乗仏教の初期に成立したとされる法華経の信者の擁護や、布教を妨げる者を処罰する役割を、十柱の鬼神である十羅刹女(じゅうらせつにょ)とともに与えられたというから、優しいばかりの神様ではないのだ。「全ての人間がもれなく救済される」と言いながらも、信じるものには優しいが、そうでないものには制裁を加えるという、恐ろしい神さまでもあったのだ。
「恐れ入谷の鬼子母神」とは?
この神様が祀られているのが、大田南畝(おおたなんぽ)の「恐れ入谷の鬼子母神」の地口(じぐち。しゃれ言葉の一種で、この場合には「恐れ入りました」の意で用いられる)で知られる入谷の真源寺。万治2(1659)年に日融が法華宗本門流の寺院を開山したのが始まりで、7月の七夕の頃に催される朝顔市でも知られる名刹である。江戸時代中期のこと、とある大名家の奥女中が腫れ物で困っていたところ、入谷の鬼子母神にご利益があると聞きつけて、お参りにやってきたのだという。21日目の願掛け最後の日、どういうわけか境内でつまずいてしまった。と、その刹那、ぽろっと腫れ物が破れて膿が出て完治したのだとか。この話を聞きつけた狂歌師・大田南畝(蜀山人、御家人でもあった)が、そのご利益に恐れ入ったというところから、前述の地口が口をついで出たというのだ。
また、雑司ヶ谷(ぞうしがや)にある法明寺の鬼子母神堂(飛地境内にある)はさらに歴史が古く、永禄3(1561)年に、目白台あたりで掘り出された鬼子母神像を、星の井と呼ばれる三角井戸で清めて祀ったのが始まりとか。ここでは、鬼子母神の「鬼」の字に、ツノにあたる点が記されていないのが特徴的。「もはや鬼ではない」ことを言い表したもののようである。
さらに、千葉県市川市にある法華経寺も、江戸三大鬼子母神の一つとして知られている。こちらはもっと古く、創建は文応元(1260)年。日蓮の弟子・日常が創建したというお寺で、日蓮が記した『立正安国論』(国宝)が記された所としてもよく知られるところだ。
ともあれ、これらの由来を知ってか知らでか、祈願に訪れた人々は皆、お札をありがたく頂戴していく。信じる者に理屈など不要。鬼さえ改心すれば神となり、私たちを救ってくれるのだ…と、信じるだけでもいいのかもしれない。
●鬼子母背暗(きしもはいあん) / 窪田東堂
夜叉とか龍とか、釈尊の説法を妨げてやろうとする者も、説法を聴いているうちに、逆に仏法の護法神となる説話例は多い。
犍駄羅(がんだあら)に散脂(さんし)大將という夜叉がいた。その妻も女夜叉で、鬼子母(梵名・訶梨帝母(かりていも))といい、五百人の子をなした。彼女は前世に悪願をたてたので、人間の子供を喰う凶暴な妖怪の癖があった。彼女が王舎城に現れるようになって世の人は憂い恐れた。親たちはこの状態を釈迦に相談した。釈尊は鬼子母を教化救済する便法として、鬼子母の最愛の末子・嬪伽羅(ひんから)を隠す。鬼子母は愛子を見失って、悲嘆も半狂乱であった。そこで釈尊は喩す。「五百中の一子でもこのように悲しい。汝に喰われる子の親の胸中は如何ばかりかを知れ」と。鬼子母はその非を認め、仏教に帰依する。爾来、一転して護法の善神に変化(へんげ)する。十羅刹女(らせつにょ)の一人に加わり、法華経護持を柱とし、特に胚胎・出産・育児・養護の本願をたて、その護法神となった。
このような説話に支えられていることもあって、造像や絵画では恐怖の鬼神形になっている場合もある。今日は、改心後の天女形が圧倒的に多い。手に石榴(ざくろ)を持っているが、実の数による多産の象徴だという。夫の散脂大將も、ともに仏教に帰依した。後、四天王に従い、古代印度の宇宙説でいう中央の須弥山(しゅみせん)の北方を警護する任についた。千手観音菩薩の待者・二十八部衆の一人として参加している。
明治時代の画家・狩野芳崖の悲母観音の筆勢はまことに雅味に溢れ、あまりにも著名である。それとの双璧をなすのが富田渓仙の「訶梨帝母」である。ともに子供を扱って、まこと鬼子母の容姿は巻雲を掃くような精韻のなかに妙艶を見せる傑作である。江戸っ子の口癖「恐れ入谷の鬼子母神」といわなければなるまい。 
 
 

 

●鬼子母神 1 
仏教を守護する天部の一尊。梵名ハーリーティーを音写した訶梨帝母(かりていも)とも言う。
名前の読み
「きしぼじん」という読み方は「ぼ」が漢音表記であり、呉音を通例とする仏教用語としては一貫したものではない。東京都豊島区にある法明寺鬼子母神堂(この鬼は一画目の点が無い字が正)は「きしもじん(kishimojin)」である。ただ同堂の近くの都電荒川線停留場「鬼子母神前」は「きしぼじんまえ(Kishibojimmae)」が正式名になっている。
概説​
夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。
それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラ(Piṅgala,氷竭羅天、嬪伽羅、氷迦羅、畢哩孕迦)を乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。
そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。それなら、ただ一人の子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。」と諭し、鬼子母神が教えを請うと、「戒を受け、人々をおびやかすのをやめなさい、そうすればすぐにピンガラに会えるだろう」と言った。彼女が承諾し、三宝に帰依すると、釈迦は隠していた子を戻した。
そして五戒を守り、施食によって飢えを満たすこと等を教えた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護ともされる。
インド(ヒンドゥー教)では、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修している。
また、法華経において鬼子母神は、十羅刹女と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、2者に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。
その像は天女のような姿をし、子供を1人抱き、右手には吉祥果を持つ。なおこれをザクロで表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳された時は吉祥果の正体が分からなかったために代用表現したものである。よって仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからと言われるのは、日本で作られた俗説にすぎない。
日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなり鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。他方、関西では総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)姿である。また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている。
鬼子母神を祀る寺院​
鬼子母神は、法華経の守護神として日蓮宗・法華宗の寺院で祀られることが多く、「恐れ入谷の鬼子母神」の地口で知られる東京都台東区入谷の真源寺、東京都豊島区雑司が谷の法明寺鬼子母神堂(鬼の字には「角」が無い)、千葉県市川市の遠寿院(法華経寺塔頭)の鬼子母神が有名である(江戸三大鬼子母神)。
縁日は毎月8の付く日(8日,18日,28日)である。また、お会式に併せて大祭を行う寺もある。なお、「鬼子母神」の「鬼」の表記について、寺院によっては、第一画目の点がない字を用いる場合がある。これは、鬼子母神が釈尊に諭されて改心した結果、角が外れたためである。
西遊記​
西遊記の雑劇である元曲の『雜劇·楊景賢·西遊記·第三本』第十二折鬼母皈依、『鬼子母掲鉢記』、『西天取経』(呉昌齢)第12齣の鬼母帰依などでは愛奴児が三蔵法師を捕まえており、そこに登場した釈迦如来に帰依する。雜劇·楊景賢·西遊記·第三本では愛奴児の別称が紅孩児となっている。明以降の西遊記では紅孩児の回で観音菩薩のところで一箇所取次ぎに顔をだすのみになった。 
●鬼子母神 2 
鬼子母は夜叉神の娘で、鬼の妻となり子供をたくさん産みました。性質は荒く、小さな子供たちを食べるので、人々から恐れられていました。
お釈迦様は、これを戒めるため鬼子母の末っ子を隠し、子を失う悲しみを説きました。それいらい鬼子母は善神となりました。
鬼子母神、愛子母、歓喜母、功徳天などと呼ばれ、子授け、安産の神様です。
鬼ではなくなったので、鬼子母神の鬼の字は、鬼の角にあたる頭の点を取った字を使います。
鬼子母は法華経信者を守るという話があるので、日蓮宗の寺によく祀られています。
サンスクリット語の名前はハリティー。訶梨帝または訶梨底かりていと書きます。古代インド神話に出てくる羅刹らせつ=女の鬼です。生んだ子供は500人、千人、1万人、といろいろな説があります。 
●鬼子母神 3 
ここは法華宗(本門流)という宗派のお寺です。「吉祥寺・さどわら鬼子母神」は神社でも、神仏混合のお寺でもありません。やっぱり、「鬼子母神」って最後に“神”がつくからでしょうか。いつも、いつも、神社さんに間違われます。国道の標識にも「鬼子母神社」とあります。例えば帝釈天や梵天などという神様も、今では仏教の神様として祀られていたりします。神道の神様とはちがうんですね。「じゃあ、鬼子母神って一体なんなの?」
それはお経のなかに・・
鬼子母神様はお釈迦様のお説きになられた「法華経」というお経のなかに説かれる神様です。お名前をサンスクリット語(古代インドの言語)でハーリティー”(Hariti)といい、これを訳して“鬼子母神”または音訳して、“訶梨帝”(かりてい)などと呼ばれます。
鬼子母神様には、ひとつの伝説があります。鬼子母神は般闍迦(Pancika パーンチカ)と云う神様の妻であるとても美しい女神で、500人ものたくさんの子どもがいました。鬼子母神はこの愛する子供たちを育てるため人間の子供をさらってなんとこれを食べていたのです、人間達は子供たちをさらわれることを恐れ苦しみ、お釈迦様に相談しました。
お釈迦様は一計を案じ、鬼子母神がもっとも可愛がっていた一番下の子供の姿を神通力によって隠してしまいました。鬼子母神は嘆きそして悲しみ、必死になって世界中を気も狂わんばかりに探し回りましたが、勿論見つかるはずもなく、途方に暮れついにお釈迦様の元に行き、自分の子供が居なくなり見つからないことを話し、助けを求めました。
お釈迦様は鬼子母神に「500人の子供の内、たった1人居なくなっただけで、おまえはこのように嘆き悲しみ私に助けを求めている。たった数人しかいない子供をおまえにさらわれた人間の親の悲しみはどれほどであっただろう。その気持ちがおまえにも今わかるのではないか?」とはなし、「命の大切さと、子供が可愛いことには人間と鬼神の間にも変わりはない」とおしえられ、子供を鬼子母神の元に返しました。
鬼子母神はお釈迦様の教えを受け、改心し以後は全ての子供たちとお釈迦様の教え、またお釈迦様の教えを信じる全ての人たちを守ることを誓いました。これ以降、鬼子母神は鬼ではなく仏教・法華経と子供の守り神となりました。
「鬼」の字のお話
さて、Topページの一番下に小さく書いてあるように、 さどわら鬼子母神の“鬼”の文字は本当は、普通使わない文字を使います。なぜでしょうか?
それは上のお話のように、鬼子母神はお釈迦様とお会いになる前、まさに鬼のような事をしてきました。しかし、お釈迦様の教えを受け、改心し鬼ではなくなったのです。
そのことをあらわすため、“鬼”の字の一画めの点すなわち「ツノ」を取った字を使うのです。
鬼子母神様とざくろ
鬼子母神様は右手にざくろの枝をもち、ふところに子供を抱いています。鬼子母神様がざくろを持っていることについてよく「ざくろは人の肉の味がするから、子供を食べられなくなったかわりに食べている」といわれます。鬼子母神様は今でも昔の悪い行いを捨てられないそんな神様なのでしょうか?
そうではありません!!
ザクロの実をみると1つの実の中に又たくさんの小さな実があり、その一つひとつがそれぞれに小さな種を持っています。このことからザクロは古くから子孫繁栄をあらわす縁起のよい果物として「吉祥果」ともいわれています。鬼子母神様がこのザクロの枝を手に持つのは子供を守る神として子孫繁栄の願いが込められているのです。 
吉祥寺  宮崎市佐土原町
法華宗本門流大本山京都本能寺末寺。
子どもの神様さどわら鬼子母神きしもじんとして広く知られているが、正しくは恵日山吉祥寺と号す。(さどわら鬼子母神の「鬼」の文字は本来、一画めの点「ツノ」のない一般的には使用されない文字が使われている。その理由は、鬼子母神はお釈迦様と会う前までは鬼のような事をしてきたが、お釈迦様の教えを受け改心し鬼ではなくなったからという。)
開基は大隅国種子島慈遠寺の住僧であった宝正院日種上人。
開創年には二説あり、寺記には1578年、日向国に進攻した島津氏が佐土原入城の時、島津家久公に招かれ寺を建立したとあるが、1603年初代藩主以久公の時、寺を建立という説もある。
1615年三代藩主島津久雄公の寄進により鬼子母神堂が建立される。そして諸病平癒等の祈願所となる。島津公、秋月公の信仰を集め、当山の鬼子母神尊像はかつて島津軍の陣中における守護神であったと伝えられる。
さどわら鬼子母神大祭。
毎年3月の土・日曜日に開催され、鬼子母神尊像はこの大祭2日間にのみ御開帳される。
また境内や参道には佐土原名物「くじらようかん」や京都伏見人形の流れを汲む「さどわら人形」など郷土色豊かな露店も含め、数々の露店が並び、昔ながらの縁日の賑わいがある。 
●鬼子母神 4 
鬼子母神(きしもじん、きしぼじん)とは仏教の神(天部)の一人。
概要
歓喜母や愛子母の異名を持ち、梵名の「ハーリティー」を音訳した訶梨帝母(かりていも)の名でも呼ばれる女夜叉(ヤクシニー)。『根本説一切有部毘奈耶雑事』では「歓喜」とも表記される。
安産や育児の神。また、『法華経』護持の神ともされ、日蓮の題目曼荼羅にも名前が記されている。日蓮宗のお寺では個別に祀られているのが見られる。(後述する日蓮宗での「法華経の守護神である十羅刹女は鬼子母神の娘」と云う解釈から、鬼子母神への信仰=法華経の守護神である十羅刹女への信仰の上位互換と見做されている為)
鬼の字の上についてる「’」をとった表記を用いる所もある。更に、最初の一画目の「’」が取れた「鬼」の変形として、鬼子母神の名前を表わす際に、「鬼」の代りに「田+九+ム」の独特の文字を使う場合もあり、鬼子母神を本尊とする日蓮宗の加持祈祷では、この文字から、鬼子母神または調伏対象となる悪霊の事を「タク(田九)」の隠語で呼ぶ場合がある。
天女の姿をとり、胸に一子を抱いて左手を添え、右手には吉祥果(きちじようか)を捧げる。ときには鬼神形のものもある。
かつて毘沙門天の部下である般闍迦(パンチーカ、半支迦大将)将軍との間に数百人の子を儲け、彼らを養うために多くの人間の幼児を浚ってその肉を与え、自身も食していた。
釈迦如来は一計を案じ、彼女が最も愛した末の子を隠してしまう。
自分の末子を隠されて嘆く鬼子母神に「数百人のうちの一人子供がいなくなっただけで貴女はそれほど悲しんでいる。多く子供を持てない人間の両親にとってその悲しみはどれ程か」 と釈迦は告げ、鬼子母神は悲しむ人間の親たちの心を知り、仏教に帰依(きえ)したという。
家族関係
夫を般闍迦(パンチーカ)とする説と、八大竜王のひとり徳叉迦(タクシャカ)とする説、五道大神とする説とがある。
上記のエピソードを説く大乗経典の多くは彼女の夫を般闍迦としている。般闍迦は『雑宝蔵経』では「老鬼神王」とされ、夜叉の中でもそれなりの年代のようである。半支迦配偶者説をとる文献の一つ『根本説一切有部毘奈耶雑事』によると彼女の親は娑多薬叉神という。
『七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経』『陀羅尼雑集』において徳叉迦が夫であると語られ、唯奢叉、散脂大将(般闍迦の異称)、摩尼拔陀(マニバドラ)、耆首那拔陀という子らと功徳天(吉祥天の異称)という娘がいることが語られる。中国の文献『供諸天科儀』では『陀羅尼集』(名前のよく似た『陀羅尼集経』には散脂大将の家族関係についての記述は無い)という文献からの引用として、「鬼子母有三男。长名唯奢文。次名散脂大将。手执矛镩。三名摩尼跋陀。」という文を伝えている。大乗仏教版『涅槃経』では吉祥天の姉妹として黒闇天が挙げられるが黒闇天も鬼神母神の子かは直接的には明言されていない。
鬼子母神の子の中で個人名が判明している者としては数多の子らのうちの末っ子であり、上記のエピソードで釈迦が鉢の中に隠したとされるピンガーラ(嬪伽羅、氷羯羅天、畢哩孕迦)がいる。幼子を抱いたタイプの鬼子母神像で抱っこされている子供が彼である。
日蓮は『日女御前御返事』において鬼子母神を『法華経』に登場する護法神であるラークシャサの集団「十羅刹女」の母親としている(典拠は法華経の陀羅尼品の「十羅刹女が鬼子母及びその子・眷属らと共に仏を詣でた」と云う記述と思われる)。御書(日蓮の著作)には鬼子母神の夫および十羅刹女の父である存在についての明言はないが、日蓮宗系の鬼子母神信仰においては鬼子母神の夫を半支迦大将とするケースが多い。
日本の仏教説話集『宝物集』七巻には「鬼子母は五道大臣の妻なり」という文がある。五道大臣とは、中国の民間信仰と一部の漢訳仏典(『増一阿含経』の巻二十七「邪聚品第三十五」、『太子瑞應本起経』など)に登場する神「五道大神(五道神)」の異称である。五道とは六道のうち修羅道を除く「天道・人道・餓鬼道・畜生道・地獄道」を指す。経典では天道・人道・悪道へ通じる分岐点に立つ、武装した鬼神という。他の仏典類において閻魔の眷属として扱われる。中国の来世観において「五道大神」は冥府の東西南北と中央にある入り口を警護する五人の神々であったが、一柱の神とする解釈も広まった。五道神は日本において武塔神(牛頭天王)とも習合している。前述の鬼子母神を十羅刹女の母とする説の影響か『仏像図彙』では十羅刹女の解説の前のパートに「これ十羅刹の父乾闥婆なり」とされる「五道天」なる尊格が記されている(該当ページ)。
俗説
鬼子母神が持つ吉祥果(ざくろ)は人肉の代わりに味が似たこれを食べよ、と釈迦に言われたもの、というのは日本で生まれた俗説である。
鬼子母神の「鬼」に上の「’」が取れた「田+九+ム」を使うのは、角がとれた(悪鬼でなくなった)ため、という説があるが、こちらも俗説である。もともと中国で用いられてきた古い漢字では「鬼」という字ではなく「田+九+ム」が使われていた。清の時代、1716年に刊行された字典『康熙字典』において「鬼」の字が初登場する。『康熙字典』は日本で用いられる漢字の形にも大きな影響を与え、「おに」と読む漢字は「鬼」とされるようになった。その結果、それ以前に伝来していた古い「田+九+ム」が用いられた「田+九+ム」子母神、の字に別な意味が見出されるようなった、というわけである。
御利益
授子宝、夫婦和合、安産成就、母子守護、恋愛成就、厄病平癒……など  
●鬼子母神 5 
(Hārītī (訶梨帝)の意訳) (1) 仏教で、女神の名。経典によって多少の相違があるが、鬼子母経によれば、千人の子があり、五百は天上、五百は世間にあり、最小の子を愛奴(経によって嬪伽羅という)と名づけ憐愛した。鬼子母は性質邪悪で、常に他人の子どもを殺して食べたため、仏はこれを教化しようと愛奴を隠したので、鬼子母は探し求めることができず、悲嘆にくれた。そこで仏は、汝は千人中ただ一子を失うにさえ悲嘆懊悩するのに、汝に子を食われた親達の胸中はいかばかりか、と説いて、子を返した。以後鬼子母は、仏に帰依し、誓願を立て、産生と保育の神(ときには盗難除の守護)となる。手に吉祥果(ざくろ)を持つ天女の姿をとる。律宗、特に日蓮宗が信仰する。きしぼ。きしも。きぼ。きちもじん。きしもじん。鬼子母善神。浮世草子・新色五巻書(1698)五「不思議や鬼子母神(キシボジン)・十羅刹女、容を現わし給ひ」。(2) 転じて、子どもを多く生んだ女性。雑俳・柳多留拾遺(1801)巻一〇「せんたくに井戸をかへほす鬼子母神」。
仏教の守護神。サンスクリット語でハーリーティー Hārītīといわれる鬼女。訶梨帝母 (かりていも) ,歓喜母ともいう。仏教の伝説によると,釈尊在世の頃,この鬼女が王舎城に出現して,民衆の子供を奪い食ったが,釈尊に教導され,五戒を受け,以後王舎城の守護神となったといわれる。日本では主として,安産,保育の神として信仰され,ときに盗難よけの神ともされる。しかし仏教に取入れられる以前のインドでは生産の神として信仰されたと考えられる。単独で信仰されるほか,密教では普賢十羅刹女 (ふげんじゅうらせつにょ) 図中にも加えられる。像容は天女形と鬼神形とがある。京都醍醐寺蔵の『訶梨帝母像』は柔和でふくよかな容貌で,宋画の影響を受けた 12世紀後半の仏画の新傾向を示す遺例。彫像は滋賀園城寺,東大寺などにすぐれた遺品がある。東京の法明寺は「雑司ヶ谷の鬼子母神」として有名。
訶利帝母(かりていも)の訳。歓喜母,愛子母とも。仏教を守護する善女神の一人。多くの子をもっていたが,常に他人の子を奪って食べるので,仏が鬼子母の子を隠して,子を食う罪をさとした。以後仏教に帰依し,その守護神となったという。日本では法華経の行者を守護する善女神とされ,とくに日蓮宗の守護神として崇敬された。
《〈梵〉Hārītīの訳。音写は訶梨帝かりてい》女神の名。千人の子があったが、他人の子を取って食い殺したため、仏はその最愛の一児を隠してこれを教化し、のち仏に帰依きえして出産・育児の神となった。手にザクロの実を持ち、一児を抱く天女の姿をとる。訶梨帝母かりていも。きしも。きしぼじん。
安東能明による小説。2000年、第1回ホラーサスペンス大賞にて特別賞受賞。2001年刊行。同年、テレビ朝日系列にてドラマ化。代理ミュンヒハウゼン症候群をテーマとする。
鬼子母とは、鬼神槃闍迦(はんじやか)の妻が、1万の子(500人、1000人の子とする説もある)の母であるところの呼称。サンスクリットのハーリティー(訶梨帝)の漢訳。訶梨帝母(かりていも)ともいう。鬼子母ははじめ邪悪で 、他人の幼児を奪い食べていた。仏はこれを戒めるため鬼子母の一子を隠した。悲嘆限りない鬼子母が仏にその子を尋ねると、子を失う悲しみは、鬼子母が食べた子の母の悲しみであると 、鬼子母を責め戒めた。
別名:訶梨帝母。鬼子母神は安産や育児の神です。法華経護持の神でもあります。天女が胸に子どもを左手で抱いて、右手には吉祥果を捧げています。鬼子母神は、日本だけでなくインドでも安産、子育て、子宝に恵まれるとされています。鬼子母神はまた、『近光明最勝王経』や『孔雀王』で法華経護持の神として説かれていて、日蓮宗のお寺でも見ることができます。鬼神槃闍迦の妻で1万の子どもの母と言われている鬼子母神は、常に他人の幼児を食う悪女で、見かねた釈迦が、人間を救うと同時に、鬼子母神を救済しようと、愛奴児という鬼子母神の末子を隠してしまいました。鬼子母神は世界中を7日間探し回って、釈迦に助けを求めたところ、子を失う母親の苦しみを悟らせ、仏法に帰依させました。手に持っているざくろは、釈迦が人間の子供を食べる代わりに食べるようにと手渡したとされています。ざくろにはたくさんの種がありますから、豊穣のシンボルともされています。ざくろは魔除けの力があるとも言われています。
…当時,切花や鉢物の栽培地として知られていたが,幕末までにその中心は,西新井(足立区)や鹿骨(ししぼね)(江戸川区)へ移った。しかし明治以後開かれるようになった入谷の鬼子母神(真源寺)の朝顔市(鉢物市)は毎年7月6〜8日に行われ,地口の〈恐れ入谷の鬼子母神〉とともに知られている。現在の行政地名としての入谷は,営団地下鉄日比谷線の入谷駅北東側一帯で,商店,住宅,工場が混在しており,家具製造業が盛んである。…
…餓鬼は細いのどや膨張した腹をもつ気味悪い存在であるが,人間に悪事をふるうほどの力はない。幼児を取って食うという女神ハーリティーHāritīが鬼子母神と漢訳されている。この女神はのちに幼児の保護者となるが,改悛前の恐ろしい姿が鬼という言葉と結びつけられている。…
…また,根や樹皮はアルカロイドのペレチエリンpelletierineを含有し,駆虫薬として用いられ,また果皮は下痢止めに利用された。[民俗] 鬼子母神は子授け,安産,育児の神として,とくに日蓮宗の寺で信仰され,ザクロの絵馬を奉納して,祈願したり礼参りをする風は広い。鬼子母神はもと鬼神王の妻で,1000人の子どもを産んだが,他人の子を取って食うため,仏が最愛の末子を隠して悔い改めさせ,安産の守護神となったという伝説に基づいて,鬼子母神には人肉の味のするというザクロが奉納されるようになった。…
…そのカトリックが日本に伝来し,江戸幕府によって禁圧された際,マリア信仰は観音信仰と習合しマリア観音という特異な母子神信仰を生みだした。日本の母子神信仰では,この観音とともに鬼子母神(きしもじん)が出産・育児と結びつく代表的な崇拝対象である。なお,1970年代後半から,水子(みずこ)を抱く地蔵像が全国の祈禱寺院を中心に急速に普及しはじめた。… 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

●法明寺 東京都豊島区南池袋
威光山法明寺。当山は嵯峨天皇の代の弘仁元年(西暦810年)、真言宗の旧跡で威光寺として開創されました。『東鑑』第1巻に「武蔵国威光寺者。依為源家数代御祈祷所。院主僧増円相承之僧坊寺領。如元被奉免之」 云々とあり、その古い歴史を物語っています。
後の正和元年(1312年)、宗祖日蓮聖人のお弟子で中老僧の一人、日源上人が日蓮宗に改宗、威光山法明寺と寺号を改めました。以来、伝灯50世、約700年の歴史を刻んできました。その間、徳川3代将軍・家光公より御朱印を受け、代々将軍家の尊崇を受け、折りごとに多くの寄進を受けています。4世日宏上人の代には、内大臣西園寺公晃卿より、緋紋白袈裟と乗輿(じょうよ)等の寄進を受け、宗門弘通の道場として耳目を集めました。
近年に至り関東大震災で本堂が倒壊、46世一妙院日龍上人が昭和7年に再興しています。しかし昭和20年戦災により全山焼失、47世一味院日厚上人が昭和34年に本堂を再建、さらに昭和37年客殿庫裡を竣工しました。昭和43年48世一厚院日悠上人を中心に、鐘楼ならびに山門の復興も完了、ほぼ寺内の偉容を旧に復しました。
鬼子母神
当山におまつりする鬼子母神(きしもじん)のご尊像は室町時代の永禄4年(西暦1561年)5月16日、雑司の役にあった柳下若挟守の家臣、山村丹右衛門が清土(文京区目白台)の地の辺りより掘りだし、星の井(清土鬼子母神〈別称、お穴鬼子母神〉境内にある三角井戸)あたりでお像を清め、東陽坊(後、大行院と改称、その後法明寺に合併)という寺に納めたものです。東陽坊の一僧侶が、その霊験顕著なことを知って、ひそかにご尊像を自身の故郷に持ち帰ったところ、意に反してたちまち病気になったので、その地の人々が大いに畏れ、再び東陽坊に戻したとされています。
その後、信仰はますます盛んとなり、安土桃山時代の天正6年(1578年)『稲荷の森』と呼ばれていた当地に、村の人々が堂宇を建て今日に至っています。現在のお堂は、本殿が寛文4年(1664年)徳川4代将軍家綱の代に加賀藩主前田利常公の息女で、広島藩主浅野光晟(みつあきら)に嫁した自昌院殿英心日妙大姉の寄進により建立され、その後現在の規模に拡張されています。昭和35年に東京都有形文化財の指定を受け、昭和51年から54年にかけ、江戸時代の姿に復する解体復元の大修理が行われました。また、平成28年7月には国指定 重要文化財になりました。鬼子母神は安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっていますが、もともとの来歴には深いいわれがあります。
鬼子母神 その昔、鬼子母神はインドで訶梨帝母(カリテイモ)とよばれ、王舎城(オウシャジョウ)の夜叉神の娘で、嫁して多くの子供を産みました。しかしその性質は暴虐この上なく、近隣の幼児をとって食べるので、人々から恐れ憎まれました。
お釈迦様は、その過ちから訶梨帝母を救うことを考えられ、その末の子を隠してしまいました。その時の訶梨帝母の嘆き悲しむ様は限りなく、お釈迦様は、「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。
そこで訶梨帝母ははじめて今までの過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い、人々に尊崇されるようになったとされています。
当山の鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用い 「雑司ケ谷鬼子母神」と尊称しております。
日蓮聖人は御書のなかで「十羅刹女と申すは10人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。また十羅刹女の母なり、鬼子母神これなり」と述べられ鬼子母神を重視されています。
もともと鬼子母神信仰は平安朝の昔から一般的な信仰としてありましたが、法華信仰に生きる者、日蓮宗に属する者にとって、鬼子母神はただ単に子供を守る神であるばかりでなく、信者・宗徒の外護神として崇められています。 
●鬼子母神堂 
鬼子母神(きしもじん)は、もともと夜叉神(やしゃがみ)の娘。たいへん暴虐で子どもをつかまえて食べてしまう恐ろしい鬼女でしたが、釈迦に諭され改心してからは、安産・子育の守り神として庶民の信仰を集めました。現存する豊島区雑司が谷の鬼子母神堂には室町時代の作と伝わる鬼子母神尊像が祀られています。
安産・子育(こやす)の神様として信仰を集める
日蓮宗の法明寺の飛地境内に建つのが雑司ヶ谷鬼子母神堂。もともと鬼子母神の木像は、雑司ヶ谷エリアにある清土(せいど)で1561(永禄4)年1月16日に掘り出されたもの。 今もその地(現在の文京区目白台2丁目14番9号)には、石碑とお堂が建っており、例年10月16〜18日、盛大に行なわれる御会式(おえしき)大祭では、この清土の地が起点になっています。
1578(天正6)年に村人がお堂を建て、鬼子母神信仰の隆盛とともに1664(寛文4)年、現存するお堂が建立されています。加賀藩主前田利常の三女で、広島藩主浅野光晟の正室・満姫(自昌院)の寄進によるもので、国の重要文化財に指定。昭和54年に解体復元され、現在の姿に生まれ変わっています。
享保年間(1716年〜1736年)〜文化・文政年間(1804年〜1830年)頃には、鬼子母神を信仰する人も多く、門前には茶屋や料亭が建ち並びました。生活が安定し、物見遊山(ものみゆさん)を兼ねた参詣が増えたことが背景にはありました。
参詣の土産と名物は、すすきみみずく」と「おせん団子」
郷土玩具でもある「すすきみみずく」
参詣みやげとして名高いのが、「すすきみみずく」。その昔、貧しい娘が母親の病気平癒の願をかけると、ススキの穂でみみずくを作り、これを薬代にするようお告げがあったといわれ、以来、鬼子母神の名物となっています。
現在は「雑司が谷すすきみみずく保存会」によって手作りされ、厄除け効果もある郷土玩具として、参道沿いの「雑司が谷案内処」で販売。また毎週日曜日と縁日(8日、18日、28日)には、境内の「大黒堂」で子宝にも御利益がある「おせん団子」も味わえます。これは江戸時代、鬼子母神詣での名物を羽二重団子本舗が復活させたもの。
秋には、樹齢400年を誇る参道沿いのケヤキ並木の紅葉も素敵です。ケヤキ並木の紅葉の見頃は例年、11月中旬頃。
境内のお稲荷さんが武芳稲荷大明神
境内の大イチョウは、推定樹齢700年という巨木。境内南東には、倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀った古社、武芳稲荷大明神が鎮座しています。武芳稲荷大明神は、鬼子母神堂が建つ前からこの地に鎮座した社で、往時に「稲荷の森」と呼ばれたのはこの神社があったため。
さらに境内には「雑司が谷七福神」の大黒天を祀っています。
古来から安産、子授けの神として知られているため、境内に根を張り、立派な枝振りをみせる樹齢約600年という大イチョウも、別名「子授けイチョウ」と呼ばれています。
また境内には、江戸時代から店を構える名物の駄菓子屋「上川口屋」があり、ここの「飴」は江戸時代の名物のひとつ。1781(天明元)年創業で、駄菓子屋としては都内最古とか。
なお、雑司ヶ谷鬼子母神は「角」(つの)がないと伝えられ、正式には「鬼」の字にツノがありません。
『江戸名所図会』に見る 雑司ヶ谷鬼子母神堂
法明寺の飛地境内に建つということで、右上に法明寺が左ページに鬼子母神堂が描かれています。鬼子母神堂境内の「いなり」は、倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祀った古社、武芳稲荷。
よく見るとすすきみみずくと麦藁細工の角兵衛獅子(かくべえじし)、風車が売られています。
広重の浮世絵に見る 雑司ヶ谷鬼子母神堂門前
鬼子母神門前、大門脇にあった料亭「茗荷屋」(みょうがや)を描いたもの。左端の母子連れの子供が持っているのは、鬼子母神土産のすすきみみずくです。柳沢信鴻(やなぎさわのぶとき)の六義園で隠居生活を記した『宴遊日記』にも、そばを味わいに料亭「茗荷屋」へと通っていることが記されています。幕末に出た『江戸買物独案内』飲食の部の御料理の中に「即席御料理 雑司ヶ谷 茗荷屋沖右衛門」とあるので、注文を受けたからスピーディーに料理が出てきたのだと推測できます。
こうした料亭を舞台に、文化人が集い、大田南畝と交遊のあった俳人・金子直徳(かねこなおのり)ら、雑司ヶ谷文化を生み出したのです。有名なそば屋の「藪そば」も雑司ヶ谷にあり、大田南畝が、「見渡せば麦の青葉に藪のそば きつね、たぬきもここへ喜惣次」と森の緑が蕎麦に映ったと狂歌に詠んでだことが「藪そば」という名を生んだのです。喜惣次は、雑司ヶ谷村の戸張喜惣次で、大田南畝の友人。父が営むそば屋は継がず、俳人で細工師です。鬼子母神堂を中心にした雑司ヶ谷文化は、19世紀初めにピークとなり、やがて衰えてゆきます。 
●鬼子母神信仰について 
梵名、訶利帝(ハーリティ・かりてい)の意訳、訶梨帝、呵利底、可梨陀等の字が梵名にあてられ、その意から訶利帝母・歓喜母・愛子母・天母・大夜叉女神等ともよばれている。
鬼の王様、般闍迦(はんじやか)の妻で一万の鬼子(五百子、一千子の説もある)の母であるところから鬼子母の 名があり、その誕生の時に夜叉衆が歓喜したところから歓喜母と名づけられている。
鬼子母神の説話の中で特に有名なものを一つ、鬼子母はもとは邪神でインド の王舎城の町にきては幼児を奪いとって食い殺していた。人々がこれを憂えて釈尊に救いを求めたので、釈尊は人々の悲しみを憐れんで彼女の愛子賓伽羅(ビン ガラ・愛児と訳す)を鉢の底に隠してしまった。鬼子母は七日間世界中を探し求めたが見つからず、ついに釈尊のもとに来たって子供の行方を尋ねたのである。
釈尊はそれに答えて、おまえは万子があるのにただ一子を失って憂悲苦悩している。ところが世間の人々は一子、あるいは三子五子であるのに、しかもおまえは その子供を殺したのではないか、とその悪行を厳しく誡めた。鬼子母はやっと自らの悪事の罪をさとり、賓伽羅が戻れば二度と人の子を殺さないと悔いたのである。
そこで釈尊は鬼子母に鉢の下の賓伽羅を見せしめた。ところが鬼子母がどのような神通力を用いても子を取りだすことができない、彼女は仏にすがって賓伽 羅を得ることを願った。釈尊の教えを守り三帰五戒を持つことを命じた。鬼子母は釈尊に従い三帰五戒を受けて生涯人の命を奪わないことを誓った。
三帰とは仏の教えを仰ぎ尊ぶことを三宝に誓い、帰依の誠を表わすために唱える文である。三宝に帰依することは仏教徒としての根本であり、三宝とは、さとりを開いた人 (仏)と、その教え(法)と、それを奉ずる教団(僧)の三つをいい、帰依とは服従し、すがることをいう。五戒とは一,不殺生(生きものを殺すこと)二,不 偸盗(ものを盗むこと)三,不邪婬(妻以外の女または夫以外の男と邪な関係を持つこと)四,下妄語(嘘をつくこと)五,不飲酒(酒を飲むこと)等を禁ずる 五つの戒めから成る。こうして鬼子母は仏の弟子となったのである。
日蓮宗の鬼子母神
日蓮聖人が鬼子母神を法華経の守護神として大曼陀羅の中に勧請し、十羅刹女と共に諸天善神の中でも特に重視していたことはよく知られている。
法華経第二六番目の陀羅尼品の一説に、法華経の伝道者を悩ます者の罪と罰を言明する。仏はそれに答えて有名 な「受持法華名者、福不可量(法華のみ名を受持せん者福量るべからず)」の金文を説いて、十羅刹・鬼子母に行者擁護を命じたのである。十羅刹女と鬼子母の 神としての存在意義は、法華行者擁護の使命にあったのである。そして聖人は自らをその守護せらるべき仏の勅使―「法華経の行者」と自覚信得していたのであ る。ここに聖人と十羅刹・鬼子母神との法華経を通した絆が結ばれるのである。法華経を身に読むことによって法華経を証明せんとした聖人によって、鬼子母神 の擁護は陀羅尼品の誓いの実現という面から、また逆にまさしく聖人が「法華経の行者」であることの証しから、法華経が絶対の真実であるための証明で、迫害 に遭うたびに祈祷に熱がこもったのは当然のことであったろう。
日蓮聖人滅後の鬼子母神信仰
もともと日蓮聖人が『祈祷経』を残しており、室町から織豊期にかけて、公武の帰依や庶民の中に信徒が増大する に及び、法華信徒の現安後善を祈る本宗の祈祷が盛んになって祈祷の対象としての守護神に変化がみられるようになった。前述した鬼子母一神化がそれであり、 その結果として鬼子母神の木画像に本宗独特な様式が見え出したことである。徳川期になると、太平の庶民を導く布教の手段として、修法道が飛躍的な発展を示 した。江戸初期の最高指導者である心性日遠上人が『祈祷瓶水抄』という祈祷の解説書を著すほどであった。この本宗の祈祷の展開の中で、法華経で擁護を誓 い、大曼陀羅の中に勧請され、一切の鬼神を子とする鬼子母神が本宗祈祷の本尊と定められたのである。そしてその形像に「鬼形(きぎよう)鬼子母神」とい う、他宗ではみられぬ憤怒形の立像が安置されるようになった。関東では総髪合掌形、関西では有角抱児形が作られたが、日蓮聖人親刻とする総髪合掌の鬼子母 神を本尊とする中山流の祈祷が一世を風靡するに及び、この像が一般的となった。これに対してもとからの天女像も作られ、本宗では鬼形像は破邪調伏、天女像 は安産子育と分けて説明している。
鬼子母神を祀った有名な寺院は、現在の日蓮宗祈祷根本道場である千葉中山の法華経寺、東京雑司ケ谷の法明寺、法華宗本門流で東京入谷の真源寺などがある。  
 
 
 

 

●正中山法華経寺 千葉県市川市中山
縁起
當山は、鎌倉時代に日蓮大聖人が最初に開かれた五勝具足の霊場です。
大聖人のご生涯には四度の大きな法難があり、文応元年(1260)松葉ヶ谷の焼き討ちの折、大檀越であった下総若宮の領主富木常忍公と、中山の領主太田乗明公が、当地に大聖人をお迎えして御弘通をお願いされました。大聖人自ら立像釈迦牟尼佛を安置され、法華堂開堂供養会を営み、百日百座の説法をなされたことに始まります。
文永元年(1264)11月11日、大聖人は房州小松原において法難に遭われ、眉間に疵を負う危急の折、鬼子母神さまが出現され、大聖人の一命を救われました。中山に避難された大聖人は鬼子母神さまの霊験を深く感じ、その尊像を御親刻開眼されました。
爾来、「中山の鬼子母神」は法華経行者擁護の守護神として、さらに天下泰平、万民快楽、所願成就、子育ての神様として全国のご信者の皆様によって篤く信仰されています。
弘安五年(1282)に日蓮大聖人がご入滅されると、富木常忍公は出家して、名を日常と改め館を「法華寺」に改めて住持となり、大聖人の御真蹟遺文を恪護されました。その後、若宮法華寺と中山本妙寺を合わせて、現在の正中山法華経寺となりました。
日蓮宗大荒行堂
當山では毎年11月1日から翌年2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂が開設されます。この修行には全国から約100名の僧侶が挑戦します。全ての日蓮宗の僧侶に課せられる修行ではなく、秘法を身につけたいと自らが志して挑むものです。この修行を終えた僧侶だけが、日蓮宗の御祈祷を行うことができます。
荒行堂では、毎朝2時に起床、寒水に身を清める水行を1日7回行い、お堂の中でひたすらお経の読誦と写経を続けます。
麻の清浄衣(死に装束)を着用し、足袋をはくことは許されず、常に素足で修行します。食事は朝夕2度の白がゆ、家族や友人と連絡を取ることも許されず、もちろん、テレビや新聞から情報を得ることもできません。
寒さと飢えと睡魔に耐えながら、外界から完全に遮断された環境で、ひたすら修行を続けることによって、力を習得するのです。
12月6日からは、一般の方も荒行僧から御祈祷を受けることができるようになります。詳しくは荒行堂事務所までお問い合わせ下さい。

江戸三大鬼子母神として数えられていた中山法華経寺の鬼子母神。江戸時代からの人気で、江戸名所図会や十返舎一九にも紹介されています。また、幸田露伴の名作「五重塔」の中にも、「中山の鬼子母神様の御利益で満足には育ちましたが・・・」という一節があります。
中山法華経寺境内の一番奥、北側に建つ大きな建物が太客殿(本殿)です。大きな玄関ホールの右側には寺務所があり、お守りや御朱印もこちらで受け付けています。
鬼子母神堂は本殿正面から延びる廊下の奥にあります。廊下の両側は中庭があり、向かって右は枯山水、左は季節感ある木々が植えられた庭があります。また、本堂のエントランスホールには木製の多宝塔、酉の市の熊手、そして油絵が飾られています。
春、雛祭には、この廊下にお雛様が並びます。
鬼子母神堂には日蓮聖人御真刻の鬼子母神様の像があります。
●千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」
古より「天下泰平・祈願成就・子育て」の神様として広く信仰を集めている、千葉中山の鬼子母神「法華経寺」。江戸三大鬼子母神の一神としてその霊験あらたかさも名高く、また「比叡山・千日回峰行」「インドのヨーガ」とともに、世界三大荒行の一つに数えられる荒行修行道場でもあります。
五重塔や重要文化財の堂宇のたちならぶ境内は、日蓮聖人の霊跡の残る名刹。心願祈願と古刹巡拝に千葉・下総中山にでかけてみませんか。
江戸っ子にも超人気の霊験あらたかスポット
江戸の三大鬼子母神といえば、雑司ヶ谷鬼子母神「法明寺」、びっくり下谷の鬼子母神「真源寺」、そして日蓮宗祈祷根本道場、荒行で知られる、千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」というのが通説です。江戸府内から少し離れてはいるものの、江戸っ子にも超人気だった鬼子母神様なのです。
鬼子母神は、もともとはインド夜叉神の娘で邪神でありました。たくさんの子を産みましたが、性格は凶暴、人間の子供を捕まえては食べてしまうので、人々に大変恐れられていました。お釈迦様は彼女の過ちを正そうと、最も愛していた末の子を隠し、その悲しみと嘆きから鬼子母を諭しました。鬼子母神は過ちを深く悟って仏教に帰依、仏法を護り、子供や女性を護る神となりました。結果、鬼の字の「角」のとれた鬼子母神となったといわれています。
日蓮聖人生涯4度の法難のうち、「文永元年(1264)の房州の法難」では眉間に大きな疵をおわれたといいます。まさに危急の時、鬼子母神が現れ、聖人の一命を救ったというのです。日蓮聖人はその霊験を深く感じ、その尊像を親刻・開眼されたといいます。
千葉・下総中山法華経寺での鬼子母神祈祷は、御宝前で木剣加持祈祷して、祈祷札を授与してくれるというもの。この祈祷は、荒行修行を終えた祈祷僧によってのみ行われます。
荒行修行は、比叡山の「千日回峰行」とともに世界三大荒行の一つ
この荒行、「死と蘇生」を体験するというのですから凄まじい。そもそも荒行修行のお坊さんが着る白い袈裟や着物は、「清浄衣(しょうじょうえ)」といって、お坊さんにとっての死に装束…修行中いつ死んでもいいようにあの装束を着るということなのだとか。決死の覚悟が要求されます。
「大荒行堂常修殿」で荒行修行が行われますが、この大荒行は、極寒の11月1日に始まり2月10日まで100日におよぶ荒行で、この荒行修行を終えた僧のみに「祈祷」の秘法が相伝されます。法華経寺の護符は、こうした荒行に耐え、祈祷の秘法を相伝された僧によって作り上られた護符。心血のそそがれた「護符=祈祷秘妙苻」なのだといわれています。
これが、千葉・下総中山鬼子母神「法華経寺」が霊験あらたかスポットとして名を馳せた由縁です。
日蓮聖人の霊跡残る大本山
千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」は日蓮聖人ゆかりの「五勝具足」の霊跡寺院。五勝具足とは「授法の発初」「精舎の最初」「寺号の発軫(発心)」「本尊仏像造立の最初」「説法権与の最初」の5つの優れた縁起を供えた寺院ということだそうです(冊子法華経寺より)。
文応元年(1260)、日蓮聖人に深く帰依した法華経寺開基の日常聖人は、自邸に法華堂を建て日蓮聖人に提供されました。法難の続いた日蓮聖人にとって、この地は安息の地に。日蓮聖人は、日常聖人にすべての祈祷秘法を相伝、それが荒行を通じ、荒行に耐えた僧だけに伝承されていくこととなりました。
故に、法華経寺には、「立正安国論」や「歓心本尊抄」など、日蓮聖人真蹟という国宝の書や文書が多数残されているんですね
俗界と霊界の結界「荒行堂瑞門」
日蓮聖人の真蹟、国宝の「観心本尊抄」や「立正安国論」は、聖教殿というインド風の大宝蔵に納められています。その横にしめ縄のはられた門があり、「瑞門」とよばれていますが、ここが荒行修行僧が潜る霊界への入り口。いったん入ると修行が完遂するまで開きません。この門は、俗界と霊界を分ける結界といえます。
11月1日から100日間、修行僧は朝2時に起き、1日7回寒水に身を清める「水行」と、「万巻の読経」、「木剣相承」、相伝書の「書写行」を続けます。この修行を終えた者のみに「祈祷」の秘法が相伝されます。
厳しい修行にたえた者だけに許される祈祷…千葉・下総中山鬼子母神「法華経寺」には、子育て安産だけでなく、病気平癒、社運隆盛の祈願に多くの人々が訪れます。
荒行修行で、神聖な「霊験あらたか」を鍛えぬく!
数々の重要文化財の伽藍が残る名刹
千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」には、「五重塔」をはじめ、日蓮聖人を祀る大堂「祖師堂」、鎌倉時代後期の創建といわれる「法華堂」「四足門」、十羅刹女を祀る「刹堂」など古い由緒ある伽藍が立ち並びます。鬼子母神尊神への祈願が済んだら、境内を歩いてみてください。静かに佇む堂宇は、きっと心の安らぎを与えてくれます
開かれたお寺、千葉・下総中山鬼子母神「法華経寺」
千葉・下総中山の鬼子母神「法華経寺」の山門は重層な巨大な山門(仁王門)ですが扉がありません。いつでも誰にでも開かれているといいます。
参道両側にはいくつかの塔頭寺院があり、参道の奥に明治創業というレトロな茶店があります。法華経寺参詣の後はこちらの茶店で一服されてはいかがでしょう。
時間がおありになれば、境内から少し離れていますが、奥の院にも詣でられることをお勧めします。
鬼子母神尊神を詣で心願祈願。厳かな境内を散策し、参道を出る前にちょっと休憩、日頃の慌ただしさを忘れ、清浄な心に浸れる1日になります。 
 
 

 

●地口 
[じぐち] 言葉遊びの一種で「洒落」とほぼ同じ意味を持つ。
語呂合わせと同様に扱われるが、例えば円周率のπを「産医師異国に向こう」と憶えるような側面はこの地口にはなく、意味する範囲は語呂合わせより狭い。
落語においてもくすぐりとしてしばしば使われる。また、下げに持ってきて地口で話を締めることを地口落ちという。これは、話の最後の方で登場人物が何か言った言葉に駄洒落を返して終わるものである。どんな話にもつなげられる利便性があるが、反面安易であって取って付けたような終わり方になりやすいため、落ちの格としては低いものと見なされる。
初午祭に、行灯に地口とそれに合わせた絵を描いた「地口行灯」を飾る稲荷神社もある。
地口の例​
もじり​
名な文句をもじったもの。
「舌切り雀」をもじって「着たきり娘」
「いずこも同じ秋の夕暮れ」をもじって「水汲む親父秋の夕暮れ」
「お前百までわしゃ九十九まで」をもじって「お前掃くまでわしゃ屑熊手」
「しづ心無く花の散るらむ」をもじって「しづ心無く髪の散るらむ」
「沖の暗いのに白帆が見える」をもじって「年の若いのに白髪が見える」
韻​
韻を踏むことによってリズムをつけるだけで、特に意味のないもの。
美味かった(馬勝った)、牛負けた
美味しかった(大石勝った)、吉良負けた
驚き、桃の木、山椒の木、狸に電気に蓄音機
おっかさんの落下傘
いないないばあさん
結構毛だらけ猫灰だらけ、けつのまわりは糞だらけ
何か用か(七日八日)九日十日
言わぬが花の吉野山
アイムソーリー、ヒゲソーリー、髭を剃るならカミソーリー
何のこっちゃ、抹茶に紅茶
願ったり叶ったり、晴れたり曇ったり
しまった、しまった、島倉千代子
こまった、こまった、こまどり姉妹
あたりき車力 - 「あたりき」とは「当たり前」のぞんざい語。さらに後ろに以下のように続けたりもする。
   あたりき車力、車引き
   あたりき車力、けつの穴馬力
   あたりき車力、洗濯機
   あたりき車力、洗面器
   あたりき車力のこんこんちき
が鯛(ありがたい)なら芋虫ゃ(いもむしゃ)鯨
蟻が十(とう)ならみみずが二十(はたち)、蛇は二十五で嫁に行く
掛詞​
法を使い、後に意味のない言葉をつなげたもの(国語学では「むだ口」という)。
すみま千円 - 「すみません」と「千円」
あたり前田のクラッカー - 「当たり前だ」と「前田のクラッカー」
そうはいかのキンタマ - 「そうは行かない」と「烏賊の金玉」
その手は桑名の焼き蛤 - 「その手は喰わない」と「桑名名物の焼き蛤」
恐れ入谷の鬼子母神 - 「恐れ入りました」と「入谷の鬼子母神」
びっくり下谷の広徳寺 - 「びっくりした」と「下谷の広徳寺」
嘘を築地の御門跡 - 「うそをつく」と「築地門跡 」
志やれの内のお祖師様(おそっさま) - 「洒落(志やれ)」と「堀之内のお祖師様(妙法寺の日蓮の意)」
情け有馬の水天宮 - 「情けあり」と「(久留米藩主有馬家の藩邸内にあったことから)有馬の水天宮」
いやじゃ有馬の水天宮 - 「いやじゃありませんか」と「有馬の水天宮」
どうぞかなえて暮の鐘 - 「どうぞかなえてくれ」と「暮の鐘」
申し訳有馬温泉 - 「申し訳ありません」と「有馬温泉」
田へしたもんだ蛙のしょんべん - 「大したもんだ」と「田へしたもんだ」(皮肉として、蛙のしょんべん程度の価値だ) 
●地口 1
 [じぐち]
1 ふつう世間に行なわれている成語に語呂を合わせたことばのしゃれ。「柿本人麻呂」にかけて「垣の外(そと)の四斗樽(しとだる)」、「春眠暁をおぼえず」にかけて「遊人盃を押えず」という類。くちあい。じぐり。随筆・独寝(1724頃)上「じぐちをいふ事、ひところめったにはやりけれど」。雑俳・柳多留‐三(1768)「よしの山人のよくいふ地口也」。
2 「じぐちあんどん(地口行灯)」の略。歌舞伎・宇都宮紅葉釣衾(宇都宮釣天井)(1874)序幕「地口やまたぎ、作り庭立花も大層綺麗なと最前小使ひの話し」。
3 道路面に沿った敷地の長さ、また、家屋の間口をいう。
4 「じぐちせん(地口銭)」の略。康富記‐応永八年(1401)五月九日「今年洛中地口ニテ神輿造替也」。
[補注](1について) 「土地の口合(くちあい)」を意味し、京坂で行なわれた「口合」に対し、享保(一七一六‐三六)の頃江戸で流行ったものを指すとされる。一説には「似口(じぐち)」で、似通った言葉の意ともされる。
じぐる
(「じぐち(地口)」の動詞化) 地口を言う。しゃれを言う。洒落本・一目土堤(1788)一目堤弁呑屋鋪の宴「アア、ぢぐり出してはむつかしひ」。西洋道中膝栗毛(1870‐76)〈仮名垣魯文〉初「二人りの禿(がき)はよく柿を喰がきだ、と地(ヂ)ぐりてへ」。
じぐり
(動詞「じぐる(地口)」の連用形の名詞化) =じぐち(地口)。洒落本・大通契語(1800)「『此間はおせ話に奈良の都』『きついおじぐりだねへ』」。
●地口 2
江戸の言語遊戯の一種。庶民の口頭戯としての秀句の一種で、上方(かみがた)でいう「口合(くちあ)い」と同じである。享保(きょうほう)(1716〜36)の中ごろから流行した。初めは文句中の二重語義化をねらった素朴単純なものであったが、のちには語呂(ごろ)合せと同じく、一つの文句が語勢で他の文句と通い合うものをもいった。「両替屋」という題に「一分(いちぶ)(秩父(ちちぶ))の庄司重忠」とつけるような地口付けに始まり、「九月朔日(ついたち)命はおしし(ふぐは食いたし命は惜しし)」「いなかざむらい茶みせにあぐら(死なざ止むまい三味線まくら)」のように、一文句全体として一貫した意味のある語句が、他の意義の文句の口吻(こうふん)にそのまま似ているものに変化した。地口遊戯の流行は、絵と関連させた絵地口や謎(なぞ)地口の流行を生み、明治まで及んだ。
●地口 3
諺(ことわざ)や俗語などに同音または発音の似た語を当て,意味の違った文句を作るしゃれ。たとえば〈舌切り雀〉を〈着た切り雀〉というようなもの。江戸時代の享保年間に流行。掛行灯(あんどん)に地口の文句を記し,戯画を描き加えたものを地口行灯といい,神社の祭礼の際などに参道に掛け並べられた。
●地口 4
しゃれの一種で語呂 (ごろ) 合せのこと。1つの語句に2つ以上の意味をもたせたり,同一または類似の音の語句を用いて違った意味を表わしたりする言葉の遊び。「舌切り雀」を「着た切り雀」といったり,「案ずるより産むがやすし」を「杏より梅が安し」といったようなもので,江戸時代中期から発生した。
●地口 5
1 世間でよく使われることわざや成句などに発音の似通った語句を当てて作りかえる言語遊戯。「下戸げこに御飯」(猫に小判)などの類。上方では口合いという。2 道路に沿った敷地の長さ。また、家屋の間口。
じぐり
地口じぐちを言うこと。「そこで一つ—をお肴」〈洒・辰巳婦言〉
●地口 6
成語に語呂を合わせたことばのしゃれ。京坂では口合(くちあい)といった。〈一富士二鷹三茄子(なすび)〉の諺をもじって,〈雪見に出たか三谷(さんや)舟〉という類。享保期(1716‐36)の江戸で流行,のちには尻取式に受け渡す遊びが酒席で行われた。地口を取り入れた狂歌〈地口歌〉,落語のさげの一つ〈地口落〉,地口による上の句に戯画を添えて下の句とした前句付(まえくづけ)の一種〈地口付〉などがある。
●地口 7
地口とは駄洒落の一種と捉えることのできる言葉遊びのことである。発音が似た単語を使用するためにその地口を作成することは比較的容易である。
落語においてもしばしば使われることがある。話の終わりを地口で締めるのを地口落ちという。これは、話の終末部分で登場人物が言った言葉に対してだじゃれを返して終わるものである。どんな話にも取り入れることができ、利便性はあるが、その反面安易であって取って付けたような終わり方になりやすいため、オチの種類としては低いものと見なされる。例 ・・・
・「しづ心無く花の散るらむ」をもじって「しづ心無く髪の散るらむ」
・美味かった(馬勝った)、牛負けた
・美味しかった(大石勝った)、吉良負けた
・あたり前田のクラッカー
●地口 8
駄洒落の一種と見なすことができる言葉遊び 。発音が似た単語を用いるため、駄洒落よりも創造性に富み、作成するのも比較的容易。語呂合わせと同様に扱われるが、円周率のπを「産医師異国に向こう」と憶えるような側面はこの地口にはない。
有名な文句をもじったもの
・舌切雀→着たきり娘
・「しづ心無く花の散るらむ」→「しづ心無く髪の散るらむ」
・「沖の暗いのに白帆が見える」→「年の若いのに白髪が見える」
韻を踏むことによってリズムをつけるだけで特に意味は無いもの
・美味かった(馬勝った)、牛負けた
・美味しかった(大石勝った)、吉良負けた
・驚き、桃の木、山椒の木
・結構毛だらけ猫灰だらけ
・見上げたもんだよ屋根屋のふんどし
・何のこっちゃ、抹茶に紅茶
・ごめん、ラーメン、チャーシューメン
・ラーメン、つけ麺、僕イケメン
掛詞の技法を使い、後に意味のない言葉をつなげたもの
・恐れ入谷の鬼子母神
・びっくり下谷の広徳寺
・情け有馬の水天宮
・なんだ神田の大明神
・そうはいかないイカの金玉
・あたり前田のクラッカー
・その手は桑名の焼き蛤
・申し訳有馬温泉
地口の代表的な歌詞
・時勢はどうでも 世間はなんでも 踊りこ踊たんせ 日本開びゃく 天の岩戸も 踊りで夜が明けた
・踊りの上手も 見目のよいのも 土地柄血すじ柄 なんでもかんでも 嫁コを欲しなら ここから貰たんせ
・踊るて跳ねるて 若いうちだよ おらよに年いけば なんぼ上手に 踊ってみせだて 誰もみる人ねぇ
・おら家(え)のお多福ぁ めったにない事 びん取って髪結った お寺さ行ぐどって そば屋さ引っかがて みんなに笑われた
・稲作不作は どこの話だ 西馬音内(にしもにゃ)豊作だ それもそのはず 百姓の神様 信淵誕生地
・西馬音内女(おなご)は どこさえたたて 目に立つはずだんす 手つき見てたんせ 足つき見てたんせ 腰つき見てたんせ
・名物踊りは 数ある中にも 西馬音内(にしもにゃ)一番だ 嫁こも踊るし 姑も踊る 息子はなお踊る
・隣の娘さ 踊りこ教ぇだば ふんどし礼にもらた さっそく持て来て 嬶(かが)どさ見せだば横面なぐられた
・一杯気嫌で 踊りこ踊たば みんなに褒められた いい気になりゃがて 頬かむりとたれば 息子におごられだ
●地口行灯 1
(「じぐちあんどう」とも) 地口を書いた行灯。多く戯画を添えて描き、祭礼の折などに路傍や軒先などに掛けられた。地口。雑俳・柳多留‐二八(1799)「雨こんこんと地口行燈仕舞」。歌行燈(1910)〈泉鏡花〉二「柱の黒い家の状(さま)、恰も獺が祭礼(まつり)をして、白張の地口行燈(ヂグチアンドン)を掛連ねた、鉄橋を渡るやうである」。
●地口行灯 2
江戸中期ごろから流行した、地口を書いた行灯。多くは戯画を描き添え、祭礼の折などに路傍に立てたり軒先に掛けたりした。
●地口行灯 3
…いずれも紙ばりで,看板,広告のために,これに絵や字を書いている。掛行灯には,座敷や廊下などの柱に掛けて照明に使用するもの,玄関,店先,屋台などに掛けて看板,広告に用いるもの,社寺の参道,境内などに掛けて灯籠がわりに用いる地口(じぐち)行灯などがある。掛行灯には形態の変わったものや,絵画,文字を書いたものが多い。…
●笑って開運!浅草・伝法院通りの江戸ダジャレ「地口」の行灯
露店や土産物店が連なる伝法院通り。店で売っている雑貨などに目がいきがちですが、ふと上を見ると、街灯代わりのダジャレの行灯があるじゃないですか。調べると、江戸から明治にかけて流行した言葉遊び「地口」を行灯にしたものらしい。伝法院通りの老舗天ぷら屋「大黒家」主人の丸山眞司さんが詳しいと教わり、お話を聞いてきました。
庶民のうっぷんは洒落で解決!?
「大黒家」は伝法院通りに立派な看板を掲げ、ごま油のいい香りを漂わせます。博識な丸山眞司さんがお話を聞かせてくださいました。さっそく地口行灯の話を聞くはずが、
「台東区のお寺に、どれぐらいのお骨が埋まってると思う?」と、不意打ちクイズ。そんなのわかりません!
丸山さん / 台東区内には、上野の寛永寺、浅草の浅草寺をはじめ、たくさんのお寺があります。1つのお寺にあるお墓の数と、1つのお墓に入っているお骨の数を想定して計算すると、全部で70万ほど。台東区の人口が約20万として、お骨が70万。私は冗談で「幽霊人口」なんて言ってるけど、台東区は生きてる人間より死んでる幽霊人口のほうが多いの。だから、東京中に「おじいさんのお墓が上野や浅草にある」という人がたくさんいるわけ。
――つまり、浅草はお正月だけにぎわう街でなく、多くの東京人にとっての墓のある街。すごい数の人が命日や法要などのためにやってくるというわけですね。
丸山さん / 台東区は23区で一番狭い区ながら、すごい数の人が法事などで訪れる街なの。歴史をさかのぼると、江戸の町の7割以上が武家地、寺社地で、その間に人口の7割を超える庶民が住んでいました。火事が多い江戸では、延焼を防ぐために壊しやすい簡単な造りの長屋がほとんど。そんな暮らしで生まれた暮らしや政治に対する皮肉や風刺を、誰ともなく洒落や言葉遊びに込めるようになり、地口行灯が生まれたとされています。江戸っ子は突っ張るからね!
――伝法院通りの地口行灯は、いつごろ設置されたんですか?
丸山さん / 今から約30年前ぐらいでしょうか。文章は、昔から言い慣わされたものです。荒川区の泪橋に、「大嶋屋」というちょうちん屋があって、そこをたずねると詳しいことがわかると思うよ。
地口の語源は似口(にぐち)がなまったもの
取材の数日後、丸山さんから地口行灯についての資料が送られてきました。それには、
「地口行灯のルーツは、享保年間(1716〜36)までさかのぼる。地口という洒落や言葉遊びが流行し、それに合わせた滑稽な絵を描いて箱型の行灯に仕立てたものが「地口行灯」として作られるようになった。地口とは、似口(にぐち)がなまったものとされている」
「旧暦で新年に当たる2月の最初の午の日は、稲荷神社の縁日で初午と呼ばれる。江戸では初午の祭礼のときに、参道の両側に地口行灯を吊るし、人々を楽しませていた」
といったことが記されていました。ところで、なんで初午と地口行灯が結びつくのでしょうか。泪橋の大嶋屋へ行って、聞いてみましょう。
祭りの行灯にダジャレを入れたのがはじまり?
荒川区・南千住。泪橋と呼ばれる一角に、「泪橋大嶋屋」は位置しています。創業は、大正2年(1913)年で、現在の頭首・村田修一氏は三代目。年末は酉の市、年始は初午と、ちょうちん店は年末年始が繁忙期なので、さくっとお話を聞きました。
――浅草の地口行灯は、村田さんが手がけられたのですか?
村田さん / 十数年前に、依頼を受けて制作しました。地口の絵紙は退色しやすいので、描き替えの依頼がありましたがタイミングが合わず、別の職人が描き直したと聞いています。地口の絵紙には通常、和紙を使いますが、街灯用なので、ガラス繊維を配合した用紙に描きました。文章や絵柄は昔から続くものです。
――ずいぶんお上手ですが、厳しい修業をなさったのですか?
村田さん / 大嶋屋はちょうちん製作が中心で、地口絵なども手がけています。ちょうちん屋は、字は書いても絵は描けないので、凧絵師の今井鉄蔵さんに3年ほど教わり地口絵を習得しました。ちょうちんの字や家紋、地口の絵は決まったものを数十枚、何百枚と描くので、誰でもできるようになると思いますよ(笑)。
――ところで、なんで稲荷神社の祭礼である初午祭に地口行灯を飾るようになったのでしょうか。お稲荷さん、お狐さんをダジャレで笑わすとご利益があるとか……!?
村田さん / 江戸の町には町会ごとに祀っているほどに、稲荷神社が多くあり、お稲荷さんの縁日である初午祭も活発でした。祭りの日は夜道を照らすために行灯を掲げ、それだけじゃつまらないとダジャレを描き、字だけじゃ殺風景と絵も添え、町会ごとにどこがおもしろいかを競ったそうです。日本人は言葉遊びが好きですからね。
伝法院通りの地口行灯
ちょうちん店の村田さんは、「バカバカしいほどおもしろい」と言いますが、本当にその通り。次に浅草に出かけたときは、クスっとおかしい地口行灯を探して歩いてくださいね。
・大かぶ 小かぶ 山から 小僧が ぬいてきた(大寒小寒山から小僧が泣いて来た)
・はだかで 田つぽれ(裸でかっぽれ)
・玉から 小僧が ないて 出た(山から小僧が泣いて来た)
・たらいに 見かわす かおと かお(互いに見交わす顔と顔)
・板きり むすめ(舌切り雀)
・わらう顔には ふぐ きたる(笑う門には福来る)
・あとの 号外 先に たたず(後の後悔先にたたず)
・おやおや うず ばっかり(おやおやうそばかり)
・ねた もの ふうふ(にたもの夫婦)
・恵びす だいこ くう(恵比寿大黒)
・目刺は 物を おこらざりけり(昔はものをおもわざりけり)
・狸へ かえす 観音経(魂返す、反魂香) ※反魂香(はんごんこう)は焚くと煙の中に死者が現れるお香
・大竹 のみ(大酒飲み)
・えんま したの 力持(縁の下の力持)
・本より 上うご(論より証拠) ※「上うご」は「じょうご」と読む。液体などを移し替える円錐状器具
・はけに つづみ(竹に雀)
・おかめ はちまき(傍目八目)
・はねが はたきの 世の中じゃ(金がかたきの世の中)
・大かめ もちだ(大金持ちだ)
・はんぺん もらって たばこにしょ(三遍回って煙草にしょ)
・とんで ゆに入る 夏の ぶし(飛んで火に入る夏の虫)
・唐人に つりがね(提灯につり鐘)
・ひまの 大工に 五十両(縞の財布に五十両)
・井戸の 渕には 戸は 立られぬ(人の口には戸は立てられぬ)
・ほうずきの こうべに かにやどる(正直の頭に神宿る)  
 
 

 

●洒落 1
[しゃれ] 
・気質や言動があか抜けていて、物事にこだわらないこと。当世風で粋なこと。気のきいていること。洒落(しゃらく・別表記:灑落)。洒脱(しゃだつ)。
・華やかに装うこと。また、派手な服装。粋な身なり。
・その場に興を添えるために言う滑稽な文句。ある文句をもじって言う地口。警句。冗談。
・戯れてする事。冗談事。遊び。
・遊郭などでの遊び。また、それになれていること。
・(得意になれるような)見ばえのよい物事。
を表す用語。語源は、一説には、「曝れる(しゃれる)」、つまり「曝される(さらされる)」の意味で、曝されて余分なものがなくなったということからという。
洒落に関する言葉​
・お洒落(おしゃれ) - 特に、服装や髪型、身なり、また空気感や雰囲気が洒落ていることを言う。
・オサレ - 「お洒落」の俗語で、揶揄的なニュアンスを含んだ表現とされる。
・駄洒落(だじゃれ) - 出来の悪い洒落。ここでは地口のこと。
・洒落女(しゃれおんな) - 遊女のこと。
・洒落本(しゃれぼん) - 主に遊廓をテーマにした江戸中期の大衆文学。
・洒落風(しゃれふう) - 芭蕉の弟子其角が興した俳諧の一派。
・洒落味(しゃらあじ、しゃれあじ) - 工芸(着物、漆)のデザインの用語。
・お洒落番長(おしゃればんちょう)- グループの中でもファッションリーダーのこと。または、ファッションに強いこだわりを持った格段にオシャレな人物に与えられる称号のこと。
●洒落 2
洒落 (しゃれ 「洒落」は当て字)
1 当世風でいきなこと。気のきいていること。さっぱりしてものにこだわらないこと。洒脱(しゃだつ)。俳諧・田舎の句合(1680)序「東坡が風情、杜子がしゃれ、山谷が気色より初て」。談義本・当風辻談義(1753)一「物堅ひを古風といやしめ、今やうの晒落(シャレ)をしらぬかと」。
2 はなやかによそおうこと。また、はでな服装。いきな身なり。おしゃれ。俳諧・本朝文選(1706)三・譜類・百花譜〈許六〉「しゃれを尽し、一向(ひたすら)遊女の立振舞に似たれば」。
3 その場に興を添えるために言う滑稽な文句。ある文句をもじって言う地口(じぐち)。だじゃれ。警句。冗談。洒落本・遊子方言(1770)「こっちへ木のめ田楽木のめ田楽と、しゃれをいふ」。俳諧・おらが春(1819)「此の一巻や、しなのの俳諧寺一茶なるものの草稿にして、風調洒々落々と杜をなす。こや寸毫も洒落にあらず」。
4 たわむれてする事。冗談事。遊び。滑稽本・人間万事虚誕計‐前(1813)「近所まで来たから、ちょっと寄りやした。あっちへ知らせずに、ここぎりのしゃれとしやせう」。魔都(1937‐38)〈久生十蘭〉二二「この密告が洒落(シャレ)でも冗談でもないことは」。
5 遊里などでの遊び。また、それになれていること。黄表紙・四天王大通仕立(1782)「江戸へズイ行(ゆ)きの北国(ほくこく)洒落(ジャレ)がよう御座えやせう」。
6 「しゃれおんな(洒落女)」の略。浮世草子・傾城禁短気(1711)三「是正真の悪晒(わるしゃれ)といふしゃれにて、歴々人の持て遊びに成物にあらず」。
7 (得意になれるような)見ばえのよい物事。浮雲(1887‐89)〈二葉亭四迷〉一「親から仕送りなどといふ洒落(シャレ)はないから」。
[語誌]
(1)語源は、「ざれ(戯)」「され(晒・曝)」などに求められるが、この両語がどのような過程で後世の「しゃれ」に派生していったかは明らかではない。(2)「洒落」の漢字を当てるようになったのは、室町時代以降「され」が「しゃれ」に拗音化してからのことで、江戸時代の儒学者、藤原惺窩によるといわれる。漢語としての「洒落(しゃらく)」は、心がさっぱりしていて、わだかまりがないことという意味で、「しゃれ」と類似した語義を有するところから当てられるようになったものか。
洒落 (しゃれる)
1 服装・動作・言語などすべてが当世ふうで気がきく。あかぬけしたふるまいをする。もまれて洗練される。評判記・野郎虫(1660)竹中小太夫「しゃれたる所は、雪のうちのもうそうのおもひ入あり」。談義本・興談浮世袋(1770)一「しゃれるもあれバやぼなも有り」。
2 習熟する。その道のことによく通じる。浮世草子・西鶴織留(1694)三「太夫職になしみて此道にしゃれるほど」。
3 なまいきなまねをする。きいたふうなことをする。仁説問答師説(1688‐1710)宝永三年講「小子のしゃれすぎ、こましゃくれたが」。
4 変わった物事を好んで、粋(いき)がる。浮世草子・好色一代男(1682)六「女郎も衣つきしゃれて、墨絵に源氏、紋所もちいさくならべて袖口も黒く」。
5 はなやかに着飾る。おめかしをする。おしゃれをする。俳諧・本朝文選(1706)三・譜類・百花譜〈許六〉「冬牡丹のしゃれ過たる」。
6 語呂合わせなどの滑稽な冗談を言う。秀句・地口(じぐち)を言う。洒落本・田舎芝居(1787)序「哂落本の哂落を見て哂落る哂落は哂落た所が哂落にもならねば」。
7 色気づく。浮世草子・魂胆色遊懐男(1712)一「夜も父母の真中に寝て、心はしゃれてありながら」。
8 たわむれる。ふざける。人情本・春色辰巳園(1833‐35)初「ナニやかましいと〈略〉あんまりしゃれるなヨ」。
9 遊里で遊ぶ。遊興する。歌舞伎・富岡恋山開(1798)三幕「山へ往って洒落(シャレ)て来よう」。
10 情景などにふつうとはちょっと違った面白み、新しさなどが感じられる。得意になれるような見栄えのよいさまである。趣味の遺伝(1906)〈夏目漱石〉三「軒下から丸い手水桶を鉄の鎖で釣るしたのは洒落れて居るが」。
洒落 [しゃら]
1 しゃれたさま。しゃらく。いき。仮名草子・可笑記(1642)三「薄化粧に花車(きゃしゃ)めかして、しゃらなる風情をおもてにし」。
2 しゃらくさいさま。生意気。出すぎ。仮名草子・竹斎(1621‐23)下「かく歌の事申出し。しゃらや、けちやうや、推参や。似合はぬ事にてましませども」。浄瑠璃・曾根崎心中(1703)「ヤアしゃらな丁稚上りめ」。
3 遊女の異称。しゃらこう。浮世草子・好色三代男(1686)三「此所に名高きしゃらには、〈略〉万作などと、指折て語るを聞けば」。
洒落 [しゃらく]
1 物事に深く執着しないで、気質やふるまいがさっぱりしていること。わだかまりがなく、あっさりしていること。また、そのさま。しゃら。中華若木詩抄(1520頃)中「三四の句、まことに、等閑もなき、洒落なる体也」。人情本・春色梅美婦禰(1841‐42頃)初「洒落(シャラク)に杉田の遠路を好むもあれば」。
2 =しゃれ(洒落)〔音訓新聞字引(1876)〕
●洒落 3
一般的には、気のきいたようすや服装、身なりをいうが、文学上では、広義に、「笑いの文学」に一貫する頓知(とんち)、滑稽(こっけい)、風刺などの文学精神、とくに江戸中期以降の江戸で栄えた粋(すい)や通(つう)という生活美学と密着したそれをいう。狭義には、言語表現の技術において、一語が音通などによって二義を表す懸詞(かけことば)、秀句、地口(じぐち)などと同性質のもの、および思考上の洒落ともいうべき詭弁(きべん)、曲解、皮肉などをいうが、これらが通意識の実践と密接に関係していたことは注目すべきであろう。
洒落の特徴は人工的なものである点にあり、知性や洗練さを要求されるとともに、そのよき理解者たる相手を必要とする。ひとりよがりの洒落では、洒落にならないのである。こうした洒落がもっとも盛行したのはいわゆる天明(てんめい)期(18世紀後半)で、この時代には、その名を冠した洒落本を初め、滑稽本、黄表紙(きびょうし)、噺本(はなしぼん)、狂歌、狂詩、狂文、雑俳(ざっぱい)、川柳(せんりゅう)などの笑いを生命とする文学、すなわち戯作(げさく)が栄えた。しかし洒落が、修辞的に縁語や畳語、枕詞(まくらことば)などと類縁関係にあることを考えると、これらの要素を多分にもつ『竹取物語』などの古小説や連歌(れんが)、俳諧(はいかい)などにも、洒落の精神は内在していたものといってよいだろう。
●洒落 4
しゃれ
《動詞「しゃれる」の連用形から。「洒落」は当て字》
1 その場に興を添えるために言う、気のきいた文句。ある文句をもじったり、同音や似た音の言葉に掛けて言ったりする。地口じぐち・警句の類。「洒落を飛ばす」「洒落が通じる」「駄洒落」
2 戯れにすること。冗談事。「こんないたずらは洒落にならない」
3 (多く「お洒落」の形で用いる)気のきいた身なりをすること。華やかに装うこと。「お洒落をして出かける」「洒落者」→おしゃれ
4 今風で、あかぬけていること。「風雅でもなく、—でなく」〈浄・忠臣蔵〉。
しゃら
1 物事にこだわらず、さっぱりしているさま。しゃれているさま。いき。「傾城といへるものは…—なる風情をおもてにし」〈仮・可笑記・三〉。
2 しゃらくさいさま。生意気。「—な丁稚でっち上がりめ」〈浄・曽根崎〉。
3 遊女。近世、越前でいう。「此所に名高き—には」〈浮・三代男・三〉 。
しゃらく
物事にこだわらず、さっぱりしていること。また、そのさま。洒々落々。「—な人柄」。「—でありながら神経質に生れ付いた彼の気合を」〈漱石・明暗〉。
●洒落 5
〈しゃれ〉のもつ意味内容については,時代によって若干の違いが生じていることもあって定説がないが,滑稽性,物事にこだわらぬ自由な精神,極度に洗練された感性のそれぞれを重視する三つの立場にほぼ分けられよう。近世初期においては,滑稽性よりも精神性に重点がおかれ,遊興理念を表現する言葉として用いられるのが一般であったが,中期以降はしだいに滑稽性および感性の洗練度を示すものにその中心が移り,文芸面においては特に言語遊戯に関する機知,滑稽を表す言葉となった。
●洒落 6
さっぱりしている。〔寓圃雑記、上〕李、字は中、人と爲り襟度洒、詞(かんし)にす。作るれば、人爭うて之れを傳ふ。
●洒落 7
「言語遊戯」より …〈humanité〉(人間性)と〈animalité〉(獣性)を合成した〈humanimalité〉(獣人性)というフランス製のカバン語もある。地口 〈秀句〉〈口合(くちあい)〉〈洒落(しやれ)〉ともいい,〈言いかけ〉〈掠(かす)り〉〈捩(もじ)り〉なども同様の技巧をさす。英語のパンpunにあたる。… 
●洒落 8
洒落とは、語呂合わせなどで、人を笑わせる気の利いた言葉。戯れにすること。冗談事。垢抜けていること。おしゃれ。
洒落は、「たわむれ」を意味する「戯れ(され)」、長い間、風雨や日光に当たり、白っぽくなる「晒れ(され)」が転じた語といわれる。このうち、「戯れ(され)」が転じて「しゃれ」になったとするのが有力である。
実直に対して、風流で遊び心のある態度や行動を「しゃれ」と言うようになり、洗練されていることや、おしゃれなども意味するようになったと考えられる。
「洒落が通じない」や「洒落にならない」など、「笑い」よりも「気の利いた」の意味に重点を置いた使われ方をするのも、この由来に通じるものがある。
「され」が「しゃれ」となったのは、室町時代以降である。
漢字で「洒落」と書くのは、心がさっぱりして物事にこだわらないさまを意味する漢語「洒落(しゃらく)」に由来し、意味の上でも音の上でも似ているため、江戸時代の前期頃から、当て字として使われるようになった。「酒落」と誤表記されることが多いが、「洒落」は「酒」ではない。「洒」の旁は「酉」ではなく、一本少ない「西」である。
●洒落 9
着ているものや身につけているもの、またはスタイルなどが垢抜けている人を「オシャレ」と呼びますよね。この言葉を漢字で書くと、「お洒落」となります。同じ漢字を使った「洒落」には、人を笑わせるという意味もあります。どちらも「洒」と「落」から成り立つ単語ですが、どうしてこの言葉が「垢抜けている人」や「人を笑わせる」という意味を持つようになったのでしょうか。
洒落という言葉は、長い間日光にさらされて白っぽくなるという意味を持つ「晒る(さる)」と、たわむれるという意味を持つ「戯る(さる)」、この同じ読み方をする二つの言葉が語源だといわれています。そして「晒る」の意味が転じて、「洗練された」「趣や風情がある」という意味を持つようになったのだとか。
「晒る」の読み方が「しゃれ」になったのは、室町時代以降だといわれています。そして、「洒落」という漢字が当てられた理由としては、心がさっぱりとしていて物事にこだわらないという意味を持つ漢語「洒落(しゃらく)」と、意味と音が似ていたからという説があります。この漢字が使われるようになったのは江戸時代前期以降で、洒落に接頭語の「お」が付いた「お洒落」が使われるようになったのは、江戸時代後期頃だと伝えられています。
人を笑わせたり、気が利くという意味も持つことから、言葉遊びの一種である「ダジャレ」も、漢字で書くと「駄洒落」となり、同じ「洒」「落」という言葉が使われています。
また、ふざけてたわむれることを「じゃれる」といいますよね。この言葉の由来も、実は洒落と同じ「戯る」が語源で、平安時代から使われている言葉なのだそうです。
●洒落 10
1.洒落の正しい読み方は「しゃれ」「しゅらく」?
では洒落の正しい読み方は、「しゃれ」「しゅらく」どちらなのかを見ていきましょう。結論から言ってしまうと、洒落の正しい読み方は「しゃれ」「しゃら」「しゃらく」になります。洒落の”洒”は「さけ」「しゅ」、”落”は「お(ちる)」「らく」と読むことができますが、洒落を「しゅらく」と読むのは間違いです。
一般的には洒落は「しゃれ」と読むことがほとんどです。ただ洒落は「しゃれ」「しゃら」「しゃらく」のどれで読むかによって、意味が異なるので注意が必要です。(次の章でそれぞれの意味について解説していきます)
また洒落を「しゃれ」「しゃら」「しゃらく」と読むのは”熟字訓(じゅくじくん)”と言われる読み方で、熟字訓とは漢字1字に読み方をあてるのではなく、熟字(2字以上の漢字の組み合わせ)に訓読みをあてた読み方のことです。熟字(2字以上の漢字の組み合わせ)に訓読みをあてた読み方だから、熟字訓(じゅくじくん)です。”訓読みは漢字の持つ意味を日本語に翻訳したところから生まれた読み方”のことで、”音読みは中国語としての漢字の発音に基づく読み方”のことです。
なので”草”の訓読みは「くさ」で聞いただけで意味を理解できますが、音読みは「そう」でこれだけでは意味が分からないですよね。訓読みはそれだけで意味が分かる読み方のものが多く、音読みはそれだけでは意味が分からないものが多いです。
そして熟字訓は熟字(2字以上の漢字の組み合わせ)に読み方があてられているため、漢字単体に読み方が振り分けられているわけではありません。例えば「洒落(しゃれ、しゃら、しゃらく)」に用いられている”酒”は単体で「しゃ」と読むことはできず、”落”は単体で「らく」と読むことはできますが、「れ」「ら」と読むことはできません。
ですので漢字1字の訓読み(草:くさ)のように、その熟字だけで意味が伝わるように読み方があてられているものが熟字訓というわけなんですね。熟字訓と言われる読み方は特殊で、あらかじめその言葉の読み方を知っていなければ、読み方が分からないものがほとんどです。
2.洒落の意味と類義語について
では洒落の意味と類義語について見ていきましょう。まず洒落(しゃれ)は「粋(いき)で気の利(き)いていること/(”お洒落”の形で)気の利いた身なりをすること/その場に興(きょう)を添えるために言う、気の利いた文句のこと/本気でないこと。冗談」の意味として用いられています。
洒落を「しゃれ」と読むと上記のような意味になりますが、「しゃら」「しゃらく」と読むとそれぞれ下記のような意味となります。洒落を「しゃら」と読むと「物事に拘(こだわ)らず、さっぱりしているさま/しゃらくさいこと。生意気/遊女」の意味で、「しゃらく」と読むと「物事に拘らず、さっぱりしているさま」の意味となります。このように洒落は「しゃれ」「しゃら」「しゃらく」のどれで読むかによって、意味が異なるので覚えておきましょう。
洒落を用いた例文としては、「彼の格好はいつもお洒落だ」や、「洒落が通じない人だ」のような使い方で用いられています。前者の例文は「気の利いた身なりをすること」の意味で、後者の例文は「本気でないこと。冗談」の意味で使用しています。
また洒落(しゃれ)の類義語としては、「冗句(じょうく)・戯言(ぎげん)・ギャグ・ボケ」などの言葉が挙げられます。どの言葉についても洒落と意味は似ていますが、まったく同じ意味ではないので注意してください。
3.まとめ
これまで説明したことをまとめますと、
・洒落の正しい読み方は「しゃれ」「しゃら」「しゃらく」で、「しゅらく」は間違い。
・洒落(しゃれ)は「粋で気の利いていること/(”お洒落”の形で)気の利いた身なりをすること/その場に興を添えるために言う、気の利いた文句のこと/本気でないこと。冗談」の意味。
・洒落(しゃら)は「物事に拘らず、さっぱりしているさま/しゃらくさいこと。生意気/遊女のこと」の意味。
・洒落(しゃらく)は「物事に拘らず、さっぱりしているさま」の意味。
・洒落(しゃれ)の類義語には、「冗句・戯言・ギャグ・ボケ」などがある。
●おしゃれ・だじゃれ・しゃらくさい
おしゃれを漢字で書くと「お洒落」、だじゃれを漢字で書くと「駄洒落」、しゃらくさいを漢字でかくと「洒落臭い」、よく間違えるのが「洒落」の「洒」と「酒」の漢字です。お洒落、駄洒落、洒落臭い、の「洒」は、氵(さんずい)に「西」、氵に「酉」と書く「酒」ではありません。「洒」は、音読みで「サイ」・「シャ」、訓読みで「そそぐ」と読みます。お洒落・駄洒落・洒落臭いの「洒落」の意味とは?なぜ「洒」で「酒」は間違いなのか?わかりやすく解説します。
洒落の3つの読み方とそれぞれの意味
洒落の読み方は、「しゃら」・「しゃらく」「しゃれ」、読み方によってそれぞれ意味が違います。
しゃらと読む洒落の意味
1:しゃれていること。しゃれているさま。粋(いき)
2:しゃらくさいこと。しゃらくさいさま。生意気なさま。小癪(こしゃく)。
3:遊女
1の意味で「しゃらな風情」、2の意味で「しゃらなヤツ」、というような使い方をします。
洒落臭い
2の意味を用いた言葉が「洒落臭しゃらくさい」。洒落臭いは、「生意気である」「分をこえてしゃれたまねをする」という意味。「洒落臭せぇこと言ってんじゃねぇよ」というような使い方をします。
しゃらくと読む洒落の意味
物事にこだわらず、さっぱりしていること。わだかまりがなく、あっさりしているさま。「しゃらくな人」、「しゃらくな人柄」、というような使い方をします。
しゃれと読む洒落の意味
1:その場に「おもしろみ」をそえる、気のきいた文句。地口(舌切り雀を、着たきり雀と言ったりすること)。
2:たわむれに軽くふざけてすること。冗談ごと。
3:服装や化粧に気を配って身をかざること。華やかによそおうこと。
4:気のきいたさま。粋。
1の意味で「しゃれが通じない」、2の意味で「しゃれにならない」、3の意味で「しゃれこんで出かける」、4の意味で「しゃれた風情」、というような使い方をします。
駄洒落
1の意味を用いた言葉が「駄洒落だじゃれ」。駄洒落は、「つまらないしゃれ・へたなしゃれ」という意味です。「猫が寝こんだ」・「屋根がない、ヤーネー」・「布団がふっとんだ」みたいのが駄洒落です、ちょっと笑えますよね。
お洒落
3の意味を用いた言葉が「お洒落しゃれ」。お洒落は、「服装や化粧に気を配った装い・華やかな装い」という意味です。「ずいぶんとお洒落してるじゃねぇか、デートか?」というような使い方をします。
洒落は「洒」、「酒」は間違いです
戯れ(ざれ)は「ざれること」で、「たわむれる」「ふざける」「しゃれる」「気がきいている」「趣がある」という意味。ざれは古くは「され」と発音されていて、それが、やがて音変化して「しゃれ」となり、江戸時代に「しゃれ」に「洒落」という漢字が当てられました。
洒落(しゃれ)は、もともと漢語の洒落(しゃらく)で、「さっぱりとして心にわだかまりがない」「木の葉やちりなどがさっと落ちる」という意味。発音が似ていて、なんとなく意味も似ているので「しゃれ」に「洒落」という漢字が当てられたとする説が一般的です。「戯れ(され)」→「しゃれ」→「洒落」 「しゃれ」の当て字は、もともと漢語の「洒落」なので、しゃれの漢字に「酒」を用いるのは間違いです。
洒を用いたおもな言葉
・洒洒(しゃあしゃあ)意味:あつかましくて、恥を恥とも思わないさま 「いけ洒洒」
・瀟洒(しょうしゃ) 意味:上品であかぬけている 「瀟洒な装い」
・洒脱(しゃだつ)  意味:俗気を脱してさっぱりとしていること 「洒脱な人」
・洒落声(しゃらごえ)意味:はしゃいでわめく声 「女学生の洒落声」 
・洒洒落落(しゃしゃらくらく)意味:性質・言動などがさっぱりとして、こだわるところのないさま 「洒洒落落な生き方」
まとめ
よく間違えるのが、洒落の「洒」と「酒」。洒落の語源は「戯れ(され)」で、「され」が音変化して「しゃれ」となって、しゃれに漢語の「洒落(しゃらく)」という漢字を当てた語が「洒落」です。もともとが漢語の「洒落」なので、洒落は「洒」で「酒」は間違いです。恥ずかしい話ですが、友人に「お洒落」の「洒」の漢字が「酒」でないと聞くまで、ずーっと「酒」だと思っていました。勘違いではなく、なんの疑いもなく、50年ちかい間。「洒」という漢字を知りませんでしたし、お洒落という漢字をみても、酒落と思い込んでいたので、よく字を見ることもありませんでした。
●「洒脱」と「洒落」
「洒脱」とは?
「洒脱」は「しゃだつ」という読み方になる言葉です。この「洒脱」は、「俗っぽい感じがなくて派手な感じが抜けてアッサリとした雰囲気を持っていること」、あるいは「垢抜けしていて都会的な感じがしていること」、もしくは「サッパリしていて嫌みが全くないこと」という意味を持っています。
「洒落」とは?
「洒落」は「しゃらく」という読み方になります。この「洒落」は「心やふるまいなどがさっぱりしていて深く執着しないさま」ということを意味している言葉です。
「洒脱」と「洒落」の違い
どのような違いがあるのでしょうか? 前述の通り、「洒脱」「世間の俗っぽい感じを全く感じさせないくらいにサッパリした雰囲気があること」や「垢抜けて田舎臭い雰囲気を感じさせないこと」「さっぱりしていて嫌味たらしい点がみられないこと」という意味で、一言で言うなら、「スマートだ」と表現することができるでしょう。一方の「洒落」は「言動やふるまいなどがさっぱりしていて物事に深く執着しない」ということで、「アッサリした性格」と言えるかもしれません。
「洒脱」の例文
では、ここで「洒脱」の例文を見てみることにしましょう。どのような文章が考えられるでしょうか?
・『ナント洒脱な雰囲気のお店なんだ。決して派手な空間じゃないんだけど、このシンプルな感じがいいだよね。まさに都会的で洗練された印象を覚えるよ。これなら色々なお客さんに喜ばれるんじゃないかな』
・『あの人はとても人生経験が豊富で洒脱な感じだよ。まさに風格を身につけているって人だね。普通の人ならあそこまでにはなれないんじゃないかな。だから女性だけでなく、男性からも慕われるんだと思う。僕にはとうてい真似することなんてできないね』
「洒落」の例文
次に「洒落」の例文について見ていきしょう。具体的には以下のような例文が考えられます。
・『なんて洒落な人なんだ。僕の好みにピッタリだよ。今じゃケバケバした人が多くなっているけど、あんなリラックスしている人ってめったにお目にかかれないな。まさに彼の持って生まれた天性が光ってるって感じだ』
・『本当に彼って洒落なんだよね。全く物事に執着することがないし、細かいことに文句を言うこともないしね。それでいて本筋はブレないでポイントをしっかりと抑えているから、ますますすごい人なんだって思えるんだ』
まとめ
ここまで「洒脱」と「洒落」の意味とその違いを説明してきました。一見「酒」と見間違いそうになる漢字ですが、「洒」に「脱」「落」が組み合わさった言葉です。普段の会話の中ではあまり耳にすることがないかもしれませんが、例文で見るような使い方ができる便利なものでしょう。知っておいて決して損することはありませんし、さりげなく使えるようになると、まさに「洒脱な人」や「洒落な人」に見られるかもしれません。
●「洒落」と「駄洒落」
洒落は「その場に合った気の利いた言葉のこと」「エスプリ」と言い換えると分かりやすい。駄洒落は「言葉の語句をとらえて別の言葉に引掛ける言葉遊びのこと」。「言葉遊び」と言うと分かりやすい。洒落は本来気の利いた言葉から気の利いた場所・もの・人などにも使われるようになりました。駄洒落はおやじギャグと揶揄されるものです。
「洒落」はエスプリ
「洒落」はエスプリの様な気の利いた垢ぬけた振る舞い・言葉などのことを言います。「スマート・かっこよい・こだわらない・さっぱりした」などの意味に使います。「洒落た感じの店ね」「洒落た洋服を着てみる」「洒落が分かる人だ」「これじゃ洒落にならない」「洒落た言葉の一つも言ってみたい」「今日はデートなのでお洒落をする」などと使います。
「駄洒落」は言葉遊び
「駄洒落」はある言葉から別の意味にする言葉遊びのことです。「おやじギャグだ」「寒い!」などと言われ、洒落とは格が違うので「駄」が付きます。同じ読み・似たよう言葉・外来語を日本語とする・言葉もじり・地名もじり・人名もじりなどがあり、落語の小噺・落ち・コミックソング・何々づくしなど引掛けることが出来るものはすべて駄洒落になります。
「洒落」はサッパリしたもの、「駄洒落」はもじったもの
「洒落」はスマート・サッパリ・洒脱・小気味良いなどのイメージがあるものです。「駄洒落」は言葉をもじることで生まれるユーモア・笑いのことです。洒落は「人目を引くように工夫していること・ゴタゴタしていないこと」などの意味もあります。「駄洒落」は子供のなぞなぞから大人のプロまで使う言葉遊びですが、受けないと「おやじギャグだ、寒い!」となります。
「洒落」と「駄洒落」とは
「洒落」は英語のエスプリの様に気の利いた振る舞いや言葉のことです。「スマート・洗練された・端正な・綺麗な・工夫された・スッキリした」などのイメージの言葉です。「駄洒落」は言葉遊びですが、いろいろな方法があります。「駄洒落」になっていることが「洒落た」ことになることもあります。すぐに分かるおやじギャグ的なものではなく、うまく引掛けている工夫の感じられる駄洒落は掛詞と言うもので良いものです。 
 
 

 

●駄洒落 1
下手な洒落。
同じ或いは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び。
へたなしゃれ。くだらないしゃれ。「駄洒落を飛ばす」。[類語] 軽口・冗談・ジョーク・洒落・諧謔。
つまらない語呂合わせをする。まずいしゃれことばを作る。三人妻(1892)〈尾崎紅葉〉前「人に金もらひ、好いた男を手に入れ、女は大〆と秘密を知れものの駄洒落(ダジャレ)けり」。
つまらないしゃれ。まずいしゃれ。へたな地口(じぐち)。滑稽本・七偏人(1857‐63)五「相もかはらぬ下洒落(ダジャレ)の舌戦」。
●駄洒落 2
同じ或いは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊び。
雑俳の1つとしての『洒落』は言葉の一部分を母音とイントネーションが同じ語、母音が同じ語、同音異義語などを当てはめるものである。例「蝶々一本さらしに巻いて(包丁一本サラシに巻いて)」。言葉遊びの『洒落』は本来知識と教養を示す気の利いたものであったが、これに価値を認めることのないカウンターカルチャーから揶揄を込めて『駄』の文字を冠された。洒落の文化が失われるにつれ、それを文化として持たない若者からはオヤジギャグと称されるようにもなる。古くは地口とも。
判りやすい遊びの一種であるため、様々な語彙を使用してこの駄洒落が利用される。
駄洒落の典型的な形態​
同じ読みを持つ語を用いたもの
・トイレにいっといれ
似たような音を持つ語を用いたもの
・こうちょうは今日もぜっこうちょう
・布団が吹っ飛んだ
・アルミ缶の上にあるミカン
二つの語を融合したもの
・「布団がお山の方まで吹っ飛んだ!」「おやまぁ」
同じ意味を持つ別の文章に置き換えた物
・落とし穴が完成(陥穽)した
複数の意味を持つ1つの文章、または似た様な文章
・倒産か、辛かったな(父さん、カツラ買ったな)
日本語を外国語に置き換えたもの(またはその逆)
・本がブックブックと沈む(副詞『ぶくぶく』と、本を英語にした「ブック」(book)を掛けている)
ある単語に似た別の単語を無理やり当てはめたもの / この場合、言葉の意味は無視し、音の響き、そのナンセンスを楽しむ。
・センタッキー・フライドチキン (『ケンタッキー・フライドチキン』のケンタッキーと洗濯機の響きを掛けている)
・ヒノノニトン (日野・デュトロのCM。2人の料理人の会話中の「ヒノノニトン(『日野の2tトラック』の意)」を客が新種の豚肉と勘違いする、と言うもの)
・おっさんディーゼル - ディーゼル家のおじさんと日産ディーゼルの響きを掛けている
・ダブル(double)とダブリュー(W)
単語の音を並べ替えたもの
・コモドドラゴン → コドモドラゴン(子どもドラゴン)
地名などを用いたもの
・八街でやっちまった(千葉県八街市の地名にかけている)
・成増になります(READY TO KISSの4thシングル)
駄洒落による芸​
小咄
いわゆる二言小咄というのは、ある一言に返事をつけるだけの簡単なもので、多くが駄洒落である。たとえばもっとも有名なものに次のようなものがある。噺家の修行で最初に指導されるのがこれ。
・「隣の空き地に塀が出来たんだってねぇ」「へー」(塀に掛けてある)
次の二言小咄を続けることもある。
・「隣の空き地に囲いが出来たんだってねぇ」「かっこいい」(囲いに掛けてある)
コミックソング
清水國明と原田伸郎によるあのねのねが1970年代に現在で言うおやじギャグを使ったコミックソングを量産し、一世を風靡した。
・魚屋のオッサンの歌(1973年3月10日)
・土建屋のオッサンの歌
・でんでん虫の唄(1974年6月10日)
・大きな栗とリスの歌
○○づくし
ある分野の様々なものを駄洒落の形で取り込みながら、ひとつながりの歌や口上を述べるもので、古典的な漫才などに見られる。たとえば、柳亭痴楽の「痴楽綴方狂室」がある。これを歌謡曲に仕立てたものに、たとえば「自動車ショー歌」がある。
人物​
・多治家礼(たじやれい) - 駄洒落研究家を自称、ハルキブックスより『ダジャレ練習帳』『これをダジャレで言えますか?』『このダジャレで生きのびろ!』などの駄洒落を主題とした著作を出版。名前そのものも駄洒落にかけた駄洒落。
・鈴木ひでちか - 日本だじゃれ活用協会の代表理事。自由国民社より会社を強くする「だじゃれ」仕事術『爆笑する組織』を出版している。
・中島ピロタカ - ダジャレ界の異端児。『だじゃれの日』の発案や銚子電気鉄道(千葉県銚子市)とコラボしたタイなのにヒラメいちゃいました?貸切列車『鯛パニック号』などをプロデュースした事で有名。TED (カンファレンス)のスピーカーとしても登壇している。
・高信太郎 - 漫画家で、漫画作品のほとんどのオチが駄洒落。単行本の名にも『漫画日本むつかし話(まんが日本昔ばなし)』『起承転外(起承転結と奇想天外)』など駄洒落によるものが多々ある。
駄洒落を用いたペンネームなど
上記と異なり作風自体に駄洒落要素の少ないものも含まれる。
・二葉亭四迷(ふたばていしめい) - 明治時代の作家。「くたばってしまえ」から。
・阿佐田哲也(あさだてつや) - 雀士、小説家。麻雀で徹夜を繰り返し「朝だ、徹夜!」と言ったことから。
・かとう唯(かとうゆい) - 駄洒落が大好きなミュージカル女優で、ダジャレントとして活動している。自己紹介ソング 『ありかとうゆいたくて』 や、69個の 「だじゃれ」 で構成された『ダジャロック!』などの作詞も手掛け、ゆいチューブ(YouTube)などで公開している。
だじゃれの日​
一般社団法人日本だじゃれ活用協会が制定した記念日で、日付は9月1日。「ク(9)リエイティブかつイ(1)ンパクト」があるだじゃれは、人と人とのコミュニケーションをより豊かなものにしてくれる「無形文化遊具」であり、だじゃれが秘める無限の「吸(9)引(1)力」を活かし、生活に彩りと潤いをもたらすことで世の中に「救(9)い(1)」を届けたいとの願いが込められている 。
●駄洒落 3
1 息してるのに遺棄してる!?
2 解き放たれた時鼻たれた
3 改訂内容がどこにも書いていないようだ。
4 食いにくい肉、胃に来る。
5 隠し事を各誌ごとに書く仕事
6 ホラ吹く上司が…ほら、腹上死
7 よくできた内容ですが、欲で汚いようです。
8 佐賀市に有るか無いか? 捜しに歩かないか?
9 有名クラブで、You make love.
10 マジかわいいけど、間近はいい
11 こっから近いし、国家拉致開始
12 南海放送って…何か違法そう
13 お正月行ったと和尚がツイッター
14 織田急旋回したの、小田急線かい?
15 かなりヤバい客がカナリヤ売却
16 密会情事したら3日以上痔
17 フロアが利用中だから風呂上がり要注意!
18 猛吹雪になる日は毛布、武器になる
19 入退院を繰り返すニュー隊員、送り返す
20 「えー、ご覧くだされ。」とA5ランク出され。
21 「イワシ・タイ・ナマズ」って言わしたいな、まず。
22 「都会って汚ねえ。」とか言ってきたねぇ。
23 モノが勃ってるのを、物語ってる。
24 自慰三回し、爺さん怪死。
25 ギフト券貸したことで、義父と喧嘩した。
26 足湯で疲れを吹っ飛ばす
27 星野リゾートから、干し海苔贈答
28 私はスレた中年だから、渡し忘れたっちゅうねん!
29 ねっとり容赦なくてネット利用者泣く
30 カナダ1の、静かな大地
31 恋も身近な、濃い紅葉かな
32 ISSA息しないのを一切気にしない
33 要精密検査でも陽性見つけんさ
34 ですます口調で済ます区長。
35 秋刀魚三万匹をさんまさん万引き
36 メグ・ライアンに似てるの、目ぐらいやん。
37 上方の噺家の髪型の話か
38 産科医浴場で三回欲情
39 お天気相談所で、汚点競う男女
40 松島移転を待つ姉妹店。
41 ゲートウェイでゲイと「ウェーイ」
42 教室来いよって 今日しつこいよ!
43 四日間の催し、寄っかかんのも良〜し
44 もう6時、自慰するもうろくジジイ
45 初乗船でも発情せんよ
46 「お浣腸沁みる?」と、おかん調子見る。
47 あなた毛布取らないで!お前ももう太らないで!!
48 密会上達すると3日以上勃つ
49 つまらんニュースに、妻乱入っす!
50 カナリヤ少ないけど、かなり安くない?
51 酔うと歯科医Nは「よう!」としか言えぬ。
52 都バスで生死かけ、飛ばすで精子
53 新弟子埋葬したら死んでしまいそう
54 アラブ総選挙で、あら武装占拠?
55 また偽医師が、股に精子
56 重病誤診だ、10秒後死んだ
57 上手に言えないが、ジョーズに家ない
58 傷んだ廊下にいたんだろうか?
59 アレクサ、異様にあれ臭いよう!
60 長官にキスと 朝刊に記す
61 供給に期待し、今日急に来た医師。
62 時価2億を直に置く。
63 いいヅラ買ったこと、言いづらかった…
64 地元区長は痔も特徴
65 ウクライナ人だっていうくらい馴染んだって
66 斉藤慶子がサイとお稽古
67 精子飲んだ女性偲んだ
68 カジノでケンカ 売り言葉に買い言葉 売り子とバニー解雇、賭場
69 明菜、ストーカーに秋茄子投下
70 珍コスプレイヤーのちんこスプレーや!
71 豪華果物食べて、合格だもの
72 稽古内容では圭、来ないよ
73 死後まん延化したので4,5万円貸した。
74 至福の一時は私服の人と来
75 推し紹介するのは、お師匠かい?
76 チューバッカいるの宇宙ばっか
77 小池知事の、濃い毛縮れた。
78 今日しもやけになった教師もヤケになった
79 常駐外科医も、上・中・下かい?
80 あのANAホテルで、あの穴・火照る!
81 (廃刀令で) 武器見ない明治は 不気味なイメージ
82 伊藤内科の注射は、痛とう無いか?
83 新成人の会でシンセいじんのかい?
84 心肺停止が心配って医師が。
85 深夜魔の手伸びる新山手のビル
86 「ジュースうめぇ」と言う十数名
87 チョウザメ超うざめ
88 エキゾチックに、駅増築。
89 シルバー人口構成を知るバージン高校生
90 徹夜カラオケ…鉄矢からOK!!
91 私達から、渡した力。
92 弱い菅、野田では世はいかんのだ。
93 妖怪なら下で、よう飼い慣らしたで
94 閉会式で陛下意識
95 お毛々痛いから置け携帯!
96 神の啓示で髪の毛維持
97 アニソンショーで兄、損傷
98 多機能トイレに滝の音入れ。
99 ジョブズ氏成仏死
100 妄想男子TERUにもう相談してる
101 常識に欠ける上司気にかける
102 1つ聞いてもいい?ひと月居てもいい?
103 「これ、汁モンですか?」「知るもんですかっ!」
104 寄ってたかって「酔ってたか」って?
105 習志野と奈良市の菜らしいの
106 教育委員会に胸囲クィーンかい!
107 寄ってたかって酔ってたかって?
108 意識飛んで、医師来とんで
109 対等に欲しいか、鯛とウニ干しイカ!
110 「余命わずか」と嫁言わずか
111 いつの間に、it's no money
112 ちぢれ毛な知事レゲエ
113 恐妻なら、今日サイナラ
114 今日慕ってた教師勃ってた
115 チューとか嫌で、中途解約
116 想定外に沿う手がいい
117 9点差から急転さ!
118 麻生自体、総辞退
119 「11時2分がいい!」と獣医、知事に憤慨
120 検疫体制は県へ期待せい!
121 急性胃炎の佳奈は旧姓言えんのかな?
122 あるキス魔が歩きスマホ
123 定食煮付け食ったらさっさと定職に就け!
124 これも上手く言えないが、網膜癒えない
125 スラム街すら、無害。
126 死んじゃいそうな信者、移送。
127 でかいケツで解決!!
128 今日登校日なのに、教頭交尾
129 二宮金次郎に飲み屋、禁じろぉ!
130 時たま悟空溶き卵食う
131 10位以内に獣医いない・・・
132 「途中解任』と仲介人
133 今日志望校へ教師暴行に行きます!
134 名誉挽回に姪呼ばんかい?
135 乱交時、LAN工事
136 「都会って苦しい。」とか言ってくるしぃ。
137 乳揉む理想は父も無理そう
138 猛暑が無い都市に来ているのは、もう、しょうがない歳にきているから。
139 歯科医師大会で、司会したいかい?
140 アナゴ3万匹を、穴子さん万引き。
141 ドナルド知ろうと、怒鳴るド素人
142 秋の味覚人気商品は 安芸の未確認希少品!?
143 青姦してたら「あ、オカン」
144 3歳が理解し、山菜狩り開始
145 「包茎!死ね!」は、法軽視ね。
146 お金落としてすマネー
147 太くて致すは不特定多数
148 「もう結ばれた?」とモー娘。バレた
149 減給でも元気言う
150 「呑んで代行かい?」頼んで大後悔
151 贅沢さんから税、沢山
152 令和、平成が過ぎても麗は平静
153 PUNK異教僧とパン食い競争
154 木の葉飛ばす、このはとバス
155 口臭え奴は駆逐せえ
156 投票所で問う表情
157 龍泉閣に行く、理由・1000書く!
158 眉毛から、ま〜! 湯気
159 容姿奇抜ですが 洋式バツです
160 「家無いよ」って、言えないよ・・・
161 カネボウ化粧品の金儲け商品
162 ONE NIGHT LOVEが終わんないトラブル。
163 立ち退き料を払う、舘の器量
164 タイ、マカオで大麻買お。
165 深海調査船に乗った新会長左遷
166 月曜日がはじマンデー
167 DONビキニ姿にドン引きに
168 「校庭一周!」を皇帝一蹴
169 十何日間柔軟に痴漢。
170 I need you.と会いに移住
171 「清く生きたい」キヨ、悔い期待
172 無愛想旦那と歩合相談な
173 水際対策8県で水着話題作発見!
174 オバQ観んと、叔母・休眠!
175 夜も更けましたが 余も老けました
176 今日勝っても反省する京香って模範生。
177 馬場アナへ桝「ババア萎えます」
178 マニアウヨウヨいるけど間に合う様よ
179 師弟対決 していたい
180 なんなんだ モネもねーのか この画廊
181 可も無く不可も無く、カモ鳴くフカも鳴く。
182 大正デモクラシーは大将でも苦らしい
183 二階堂ふみが二回胴踏み
184 アナル攻めるとああなる。
185 早乙女太一が、竿止めた位置。
186 迷信自体を姪信じたい
187 「ふんどし匂うダチ!」と憤怒し仁王立ち
188 疲れた身体は、突かれたからだ!
189 性トーク解禁で生徒多く皆勤
190 調査官、夜のお勤め超盛ん
191 猛打線はもう出せんわ
192 またも京香が、股も強化‼
193 作詞に凝る、策士ニコル
194 TRUMP氏、城下町でトランプし、JOKER待ち
195 「原辰徳か?」と、腹立つ紀香
196 新妻抱きたいニーズ、まだ期待。
197 京都市より北に、今日年寄り来た。
198 異臭がするというissue(問題点)
199 副操縦士は服装重視。
200 父が好いた医師の乳が衰退し!
●おやじギャグ
1 トマトを食べるの ちょっと待っとって
2 お金を取られた おっかねー
3 スイカを積んだ せんすいかん
4 トイレでバッタが ふんばった
5 このアジ とっても味がある
6 鯛の刺身が 食べたいな
7 ニジマス 食べます いただきます
8 ふとんが吹かれて 吹っ飛んだ
9 この海にイルカは いるか
10 この焼き肉は 焼きにくい
11 この鶏肉は 取りにくい
12 早くトイレに 行っトイレ
13 電話が鳴ってるのに 誰も出んわ
14 なすがママなら パパ パパイヤ
15 ぼた餅 落として ボタッ もち
16 Bowling is boring.
17 I screem Icecream.
18 The Bear is bare.
19 雷はもう たくサンダー
20 帽子を忘れて ハットした
21 時計の色を クロック塗った
22 地図を切ったら まっぷたつ
23 鏡が割れてミラーれない
24 あしたの天気は雪でスノー
25 電車が来るまでまっトレイン
26 日本人はお米がライスきです
27 険しい山は迫力マウンテン
28 お医者が居なくて気のドクター
29 王様が靴下履いてる Stocking
30 王様が歩いてる Walking
31 王様が料理をしている クッキング
32 王様が話してる トーキング
33 王様がいっぱい食べてる バイキング
34 王様が遠足に行った ハイキング
35 王様が山歩きしてる トレッキング
36 王様が考えてる シンキング
37 王様が煙草を吸ってる スモーキング 
38 相撲のチャンピオンはスモーキング
39 王様がびっくりしてる ショッキング
40 王様が見ている ルッキング
41 王様がくっついた ドッキング
42 王様が順番に並んでる ランキング
43 ライオンの王様は ライオンキング(そのままやんか)
44 裸の王様は ストリーキング
45 何も欲しがらない国 イラン
46 ジュースの好きな国 チューごっくん
47 お風呂好きの街 ニューヨーク
48 せんべい好きの街 パリパリ
49 昼でも暗い国は ウクライナ
50 一日中夜の国は ヨルダン
51 虫歯のない島 ハワイ
52 漢字のない国 カナダ
53 何でも自分のものにしたがる国 オランダ
54 中国土産を くだチャイナ
55 中国のハエは ちゅごくはえー
56 中国人がジュースを飲んでる チューゴックン
57 インドのカレーはかれいんど
58 ウクライナは もう暗いな
59 校長先生 絶好調
60 先生 怒って 先制攻撃
61 生徒も負けずに 正当防衛
62 コンニャク いつ食べるの コンニャ喰う
63 お茶を飲んでるのは おっちゃん
64 女神の目はいくつ 目が三つ
65 日本海に飛び込んだ ジャパン
66 白鳥が風邪引いた ハクチョーン
67 男の子が池にはまった ボッチャン
68 これからマスカラを ぬりますから
69 アルミ缶の上にあるミカン
70 アナコンダの穴 混んだ
71 リモコンを取りに 一人も来ん
72 委員会に行かなくて いいんかい
73 汚れたステテコを 捨ててこよう
74 壊れたバインダーは どうすればイインダー
75 隊長が風邪引いて 体調が悪い
76 竹刀を持ってるけど なにもしない
77 問題解いて どんなもんだい
78 腐ったホットケーキは ほっとけい
79 壊れた時計は ほっとけい
80 マラソン大会に 出たいかい
81 ニラがこっちを にらんだ
82 百円食べたけど ひゃーくえん
83 レフェリーは君だ ボクサーは僕さ
84 抹茶がたくさん あまっちゃった
85 お椀が泣いてる おわんおわん
86 このツクネ ちょっと あつくねー
87 モグラの歯は モーグラグラ
88 サラダを盛るから 皿出して
89 バスガイドは居ないけど バスが移動
90 朝食こぼして チョーショック
91 モナカを買いに行ったら もーなかった
92 豪華な服を脱ごうかな
93 パジャマを着ているパパ 邪魔だ
94 アジサイ食べたら 味最高
95 つくし とても 美しい
96 ルパンの好きな ロールパン
97 熊本県の問題は 熊も解けん
98 パパイヤ食べてる パパいやだ
99 納豆食べて 納得したよ なっとうくう 
100 運動場 使っていい? うん、どうじょ。
101 キムチを食べたらキモチいい
102 ミッキーマウスを 見に イッキーマウス
103 ちゃんと野菜を 食べやさい
104 ゴミを捨てて ごみんなさい
105 そのチョコレート ちょこっと頂戴
106 コーディネートは こーでねーと
107 素敵なワイシャツね わーいーシャツ
108 ジョニーは向かった 便所にー。
109 おでんの予約はお電話で
110 急いでいるから廊下を走ろうか
111 ミミズが砂漠で叫んだ み、みずー
112 コアラが怒った コアラー
113 コアラの好きな飲み物は コーラ
114 パンダの好きな物は パンだ(笹だ)
115 猫が寝込んだ サルが去る
116 熊がくまった サルが去る
117 動物 ワニが輪になる サルが去る
118 動物 亀に文句を言った もっとかめ
119 動物 鳩が飛んできて はっとした
120 お墓参りに ボチボチ 行こか
121 風呂場で興奮してるよ 欲情(浴場)
122 どきどきしながら 歌うよ 動揺(童謡)
123 虫が転んでるよ テントウ虫(転倒)
124 近くで話しても トーク
125 煎餅食べて 納得したよ そうか(草加)
126 静かに食べても 焼き飯(やかましー)
127 遠くで食べても そば 近くで食べても とおふ
128 神奈川県では魚が輪になって泳ぐ→さかながわ
129 結婚決まって食べたい物は コンニャク
130 トンネルで豚が寝てるよ 豚寝る
131 犬小屋で犬が寝てるよ ケンネル(kenel)
132 猿が踊る サル・ウイ・ダンス
133 先生が花火をしてる 線香花火
●部長、駄洒落をやめていただいてよろしいですか
ご相談
4月の異動でやってきた上司が、駄洒落を連発する人で困っています。とても忙しい中、どうしようもなくつまらない駄洒落に、いちいちリアクションしなければならないストレスで、会社に行くのが苦痛です。面倒なので聞こえないふりをしていると、「あれ、すべっちゃったな〜」と、懲りもせずにリアクションを強要してきます。最悪です。先日の職場の飲み会で「駄洒落は職場の潤滑油だからね〜」などと言っているのを聞き、これからもこの環境が続くのかと考えただけで、体調が悪くなりました。「たかが駄洒落」にこんな反応をする私がおかしいのでしょうか…。(20代女性)
遙から
駄洒落好きの男性はどこにでもいる。芸能界にも普通にいる。この迷惑さについて書いてみようと思う。駄洒落自体が迷惑というより、それを誰がどういう目的で使うかをひも解いていくと、その奥にある精神性に対して私は嫌悪がある。ただしすべての駄洒落に対してではない。それを売りにするプロの芸人さんの芸は別だ。駄洒落が見事だったり、可愛げに映ることもある。駄洒落などやりそうにない社長さんとかが、たった一回出す駄洒落だったらその意外性から好感度アップということもあるだろう。
デーブさんは別として
例えばデーブ・スペクターさんの場合なら、彼はまず外国人で、その外国人が言葉遊びを出来るほど日本語能力に長けていることを前提として駄洒落がある。その能力に対して素直に拍手できる。デーブさんの駄洒落は、それを連発することによって、小憎らしさという付録のようなキャラクターの幅が生まれる。知的外国人タレントさんだが、小憎らしいほど日本語を巧みに操ることができる才能を楽しむ人は少なくないはずだ。
だが、これが他の男性ならどうだろう。
視聴率が伸び悩んでいるという番組に私の知人男性タレントが出演しており、観てみた。
すると、男性が駄洒落を何度も飛ばし得意げになっている姿が印象に残った。
「これだ…」と、視聴率と関係するあくまで一要因を発見した気分だった。視聴者はその番組では圧倒的に主婦層。なら、女性に嫌われる行為を連発していては数字獲得も難しかろう。
大きなお世話なのは分かっている。だが駄洒落好きの男性たちのいったい何人が、女性たちに決して喜ばれてはいないことを知っているだろうか。
私自身、駄洒落を連発して得意げになっている天気予報士のお天気コーナーが始まったら、チャンネルを変える。
天気は知りたいが、それを超えるほどの嫌悪が、"男性が得意げになって言う駄洒落と、それを笑顔で迎える女性陣"という構図に湧き上がって仕方がないのだ。
キャーと言ってもらいたい症候群
デーブさんのそれと違い、いわゆる駄洒落連発男性の精神性には、"女性を喜ばせたい""拍手をしてほしい"など、その対象が女性にあることが多いと思われる。
居酒屋を見回して男性だけの宴席で駄洒落連発というのを見た覚えがないし、番組では駄洒落の後に女性の「今日は決まりましたねー」やら「今日はちょっと惜しいですねー」やらの反応が入る。
駄洒落の発信者が欲してやまないのは「俺って女性を喜ばせられる」という快楽に過ぎないのではないか。番組の構成上、女性陣がそこに乗っかって喜んで見せるしかない構図の痛々しさに、予報を捨ててでも駄洒落を聞きたくない気持ちに私はなる。
実際、女子会で女性から駄洒落が連発されることは私自身、経験がない。女性同士の会話で、駄洒落男を指して、ウザイ、という感想は普通にある。それでも仕事場で駄洒落を言われると無視しきれない現場の空気というものもある。駄洒落を言われたが最後、キャーと、ちょっと笑って付き合わざるを得ないのだ。
素人の駄洒落とはつまり、女性にキャーと言ってもらいたい症候群といおうか。とにかく迷惑なのだ。
私はさっそく、視聴率が取れない番組でいまだ駄洒落を連発している男性に心から忠告しようと思った。
朝、その男性とメイク室で会った。単刀直入に言った。
「おはようございます。番組見ました。駄洒落ダメです。女性は駄洒落嫌いです」と。
男性は、一瞬憮然とした表情になり、私を疑う目で見て反論した。
「そんなことを言われたのは、生まれて初めてだ」と。あきらかに憤慨している。
意外だ、信じられない。君だけの感性ではないか? なぜなら今までひと言だってそんなことを注意されたことがないから。が、彼の言い分だった。
私は説明した。
「女性は本当のことを言わないんです。あなたは本当のことを言わない女性に今まで騙されて知らないで来ただけ。女性たちは駄洒落が嫌いなんです。だから言っちゃダメ」
男性を被害者に見立てた説得アプローチを試みた。だが彼はまだ釈然としていない。
メークさんに聞きました
そこで横を通りがかった若いメイクの女性を捕まえた。初対面の女性だったが、その駄洒落男性の前で聞いてみた。
「あなた、男性の言う駄洒落、好き?」
一か八かの勝負だった。タレントを前にしてメイクさんが果たして本当の事を言うだろうか。
まだ20代くらいの若手女性だ。女性は慎重に発言した。
「駄洒落を言われると…笑います。でも、好きか嫌いかと聞かれたら…」
私も男性も息をのんで回答を待った。
「…嫌いです」
そう言い残してメイクさんは去った。リップサービスは一切なし。正直に答えてくれてありがとう。
私が男性に「ほらね。誰に聞いても、現実はこうなの。女性が本心を語らなかっただけ」
それでも男性は釈然としていない。
そこで聞いてみた。
「どうしても駄洒落が言いたいの?」「言いたい…」「じゃあ、一回だけ。連発しちゃダメ。女性は嫌いだからね」「…わかった」・・・
最後まで駄洒落を言う権利を手放さなかった男性の執着はいったいどこにあるのだろう。
私は、それは、自信のなさ、だと考えている。
目の前の女性たちの笑顔や拍手を得ることで、一瞬、自分の存在に手応えを感じることができるのではないか。それは新地や銀座のホステスさん達がもたらした罪であり、その感触を職場に持ち込んだ男性の世間知らずでもある。
手品もね…
似た症例に、やたらと人前で手品をやりたがる、というケースがある。動機も目的も、駄洒落好きと似ている。
ほしいのは笑顔と喝采であり、受け手側の本音の「めんどくさっ」という感情は配慮の名のもとに封殺される。
素人の駄洒落好きと素人の手品好きの男性に通じるところは、どちらも相手が男性の場合にはそれを繰り出さないこと。男性が男性に対して、満面の笑顔で「ほーら、僕の手元を見てごらん」と、手品でコミュニケーションを図ろうとしている光景を見たことがない。あるのかもしれないが、私は幸いにも見たことがない。駄洒落好きも手品好きも女性の「すっごーい」をもらうことをその目的としている。その線は極めて濃厚と考えるが、いかがだろう。
駄洒落に対し、「もう、いい加減にしてください」と女性から言ってもらえるデーブさんのそれとは雲泥の差がある。デーブさんの駄洒落には日本語習得への驚きと敬意があり、同時に、その愛されキャラから女性は本音を言うことを許される。つまり、プロ、だ。
デーブさんには怒れても、一般男性に対しては叱ることができない息詰まりな面倒さをもたらすのが駄洒落だ。
先の駄洒落男性は、私が「駄洒落はダメ」と言えるくらいに親しく、なにしろ良い人柄だから、私のおせっかいな意見を耳に届けることができた。好きか嫌いか問われれば、好きな男性の部類なのだ。
だから、他の女性タレントにも、「彼はとてもいい人だ」と本人のいない場所では私はその駄洒落男性のことを誉めてきた。
…が、女性タレントの反応は違った。
初対面の時、その駄洒落男性は、いきなり、ポケットに手をつっこみ、こう言ったそうだ。
「あれ?こんなところに、折り紙が…」
そして、やにわにその紙で女性の前で手品を始めたという。
女性の感想は、「遙さんは、いい人だって言うけど、フツーのおやじだったわよ」
手品を始められた女性は、その役割として「すっごーい」と言わざるを得ない構図の中で、大人の反応をしてあげたそうだ。その面倒臭さが、「フツーのおやじ」という表現になった。かなり手加減した表現であることがうかがえる。
つまりは、駄洒落好きで手品好きという、二つもの症状が備わっている深刻な"いい人"なのだった。
女性たちに目の前で「キャー」と言われたい、その感情が職場でも銀座でも同じステージのように実現できてしまう。
女性の「キャー」には、嘘が多い、と、教えてあげても信用しない。
目の前で若い女性に「嫌いです」と教えてもらっても、信用したくない。
そこまで執着するほど、駄洒落を手放したくない。その頑なさの裏にあるものは何か。やはり私には、自信のなさしか思い浮かばないのだ。
とりあえず連発禁止で
女性が本音を言ったら、おそらく、企業も社会も夫婦も成り立たなくなるのではないか。「生まれて初めて言われた」という男性は、つまりは妻にも言われたことがないということだ。私にはかなり深刻だと思えてならない。
「たかが駄洒落じゃないか。好きに言わせてくれよ」。もちろん、取り締まる法律もないし、表現の自由は侵されてはならない。あなたには駄洒落を行使する権利がある。しかし、それがあなたにとってプラスなのかは冷静に考えた方がよいですよと、やるならプロはだしの技が欲しいですねと、まことに余計なお世話ながら申し上げておく。
私はそれが自分の役割だと思って、職場で駄洒落を連発されても表情を一ミリも変えないが、世の多くの女性たちは面と向かって心情を吐露することが難しいと考えると、ここは直接、重症患者の方々に目を覚ましていただくしかないのかもしれない。あなた、嫌われてますよ。
●駄洒落の法則
先日、本屋の文学コーナーをウロウロしていたところ、唐突に「我が肺は2個である。生レバーではない」という駄洒落を思いついてしまいました。
デザイナーという職業柄のせいで、このようなしょうもないことを常に考えながら生きているのですが、ここまでの駄洒落はそうそう滅多に思い浮かびません。これに手応えを感じた私は、本のタイトルが目に入るたびに「木の先に手」「蚊に好戦」「犬がミケの一族」など、一人勝手に思いついてはニヤニヤしておりました。
そうやっていくつかの駄洒落を生み出すうちに、文学作品のタイトルを駄洒落化するための法則が30個ほどあることに気づいたので、今日はこの場を借りて詳しく解説してみたいと思います。 会社のスタッフブログにこんなふざけたことを書いても良いのか迷いましたが、当社の今年度のスローガンは「チャレンジ」です。やらない後悔より、やって後悔だ。
【法則その1】元ネタが有名な本で、かつ5文字以上のタイトルである
駄洒落というものは、そもそも元となる言葉を聞き手側が知っている必要があります。 文学作品を駄洒落にする際には、ぱっと聞いただけで、元ネタのタイトルを相手に思い浮かべてもらわねばなりません。つまり、広く世に知られている本であるほど、駄洒落にしやすいのです。また、5文字以下のタイトルだと、駄洒落にしたときに原題が分からなくなってしまい、何のこっちゃわけが分からなくなります。原題のニュアンスを残すためにはそれなりの言葉の長さが必要で、さらに伝わるかどうかのギリギリのラインを攻めてこそ、初めて駄洒落として成立するわけですね。
思わず力説してしまいましたが、皆さんついて来れてますか。大丈夫ですか。いやむしろ私の方が大丈夫でしょうか。
【法則その2】原題とギャップがあるほど趣深くなる
小林多喜二の『蟹工船』は、いわばプロレタリア文学の代表作とも言われている、当時の時代性や社会性を映し出した傑作です。これが「蚊に好戦」になってしまうと、非常に卑近でレベルの低い話になってしまいます。しかし、そのギャップこそが、却ってある種の趣深さを生んでいるのです。誇張もしくは矮小化することによって面白味を出すのは、古くからある笑いのテクニックの一つですが、これは駄洒落にも有用なようです。
ちなみにこの『蟹工船』から「果肉汚染」という駄洒落も思いつきました。食品偽装や不適切な農薬の不法利用など、まさに現代社会における大きな問題を映し出した傑作になりそうな予感がするのですが、私は大丈夫でしょうか。
【法則その3】英語を混ぜると何となくオリジナル感が出てくる
誰もが簡単に思いつきそうな駄洒落は、誰からも見向きもされません。失笑されて終わりです。自分なりのオリジナリティを出すためには、それなりの工夫が必要です。試えば…
「良い頭脳not利口」というのはどうでしょうか。 元ネタは、そうです、『伊豆の踊り子』です。 駄洒落としてはちょっと苦しいですが、英語を混ぜるだけで俄然オリジナリティが出てきました。無論、オリジナリティを出したところで、結局は失笑されて終わる点については注意が必要です。
それから、オリジナリティを証明するために、一度グーグルで検索してみることもオススメします。試しに「良い頭脳not利口」でググってみても、同様の駄洒落を書いているサイトは1件もヒットしませんでした。なぜか「知能の高い犬種ベスト5 - NAVER まとめ」がヒットしました。グーグルさん、いったいどういうことですか。しかもこの例文、改めて読んでみると「良い頭脳を持っているからといって、利口とは限らない」みたいな格言っぽさが出ていて、高尚さすら感じられる作品に思えてきたので、どうやら私は大丈夫じゃないようです。駄洒落を作品とか言い出しているあたりが非常にやばい。
【法則その4】駄洒落についてまじめに解説すると心が折れる
思いついた法則はあと300億個ほどあるのですが、これを読んでくださっている方々の冷えきった目を想像した瞬間、激しく心が折れました。正直ちょっともうこれ以上続けて書く気になれません。人生、やって後悔するより、やらないで後悔しないのが一番だということが良く分かりました。もう無理、「No way, もう無理」です。
いよいよシャレにならなくなってきたので、この辺で終わりにします。どうもすみませんでした。
いや待てよ、これって映画やドラマのタイトルでもイケるな……。「羊たちの親睦」とか、「スター・魚座」とか、「煮汁は無事だが早く煮立つ」とか…… 
 
 

 

●冗談
相手を笑わせるための、ふざけた内容の話。ふざけてする物事。無駄話。
遊びでいう言葉。ふざけた内容の話。「―を交わす」「―を真に受ける」。たわむれにすること。また、そのさま。いたずら。「―が過ぎる」。「―な女どもだ。みんな着物をかぶってくるは」〈滑・膝栗毛・六〉。
冗談とは、ふざけて言う話。たわむれに言う話。[語源・由来] 冗談の語源は、二通りの説がある。ひとつは、ありふれた話を意味する「常談(じょうだん)」が転じて無駄話の意味となり、無駄であるという意味の漢字「冗」が当てられ「冗談」になったとする説。もうひとつは、笑いながら楽しそうに話す意味の「笑談(しょうだん)」が転じたとする説である。江戸中期の浮世草子『世間手代気質』では、「冗談」を「串戯(じゃうだん)」と書き、無駄話をしてサボる意味として使われた例があり、昔はやや広い意味や用法で使われていたと考えられる。
冗談とは、たわむれに言う言葉、ふざけてする行為などを意味する。「たわむれに言う言葉」は、英語のjoke(ジョーク)にあたるかと思われるが、ジョークのように「気の利いたことを言わねば(と思いつつ、結局スベってしまうというような)」という「しばり」はなく、いたずら、悪ふざけ、ウソなどの言葉や行為も含まれる。冗談は、相手と伝え方をよく考えて使う必要があり、センスのない人がむやみに使うと、相手のお怒りを買ってとりかえしのつかないことになる場合も多い。漢字の「冗」は無駄な、余計な、という意味で、「冗談」はすなわち「ムダ話」である。「冗」は、もとは宀(うかんむり)に几(つくえ)で構成され、家の中に人が座っている姿を表す。一説には、宮廷の宿直当番を表すといわれ、宮廷の実務以外の余計な仕事というところからきているという。決して宿直当番が冗談みたいにラクで退屈な仕事だといいたいわけではないらしい(多分にその傾向はあるものの……)。(CAS)
チェコの作家クンデラの長編小説。)967年刊。学生時代、女友達への葉書に書いた冗談(楽天主義は人類のアヘンだ! 健全な精神なんてあほくさい。トロツキー万歳!)がもとで党を追放され「黒い懲罰隊」で苦労したヤーンは、十数年後、彼の追放劇に主役を演じた旧友に対し、その妻である放送記者を誘惑して復讐(ふくしゅう)を遂げようとする。自分の生まれ故郷での祭りに乗じてその意図は成功したかに思われたが、旧友夫妻の仲はすでに終わっていたことを知り、やりきれぬむなしさのみが残る。非人間的な体制への無力な人間の抵抗が、黒いユーモアに満ちた文体で語られており、いくつもの外国語に翻訳されて評判をよんだ。
[曲名] 《原題、〈ドイツ〉Der Scherz》ハイドンの弦楽四重奏曲第38番変ホ長調の通称。)78)年作曲。ロシア四重奏曲の第2番。全4楽章。通称は最終楽章におけるユーモアに満ちた終端部に由来する。
オーストリアの作曲家ヨーゼフ・ハイドンの弦楽四重奏曲第38番()78))。原題《Der Scherz》。ロシア四重奏曲の第2番。名称は最終楽章の終端部がユーモアに満ちたものであることに由来する。
・・・実際の親密度とはかかわりなく,互いに相手をからかい中傷することや通常なら無礼と非難される行為が許され,時にそうすることが期待されるような関係を社会制度としてもつ場合,その関係を冗談関係という。許される行為は,軽い冗談から,相手の物を盗んだり相手を呪ったり,さらに猥褻(わいせつ)なあるいは侮辱的な行動をとり言葉を浴びせるなど,場合によりさまざまだが,こうした行為がかえって相手に幸福をもたらすとされたりする。・・・
●「何気ない冗談」に潜む落とし穴
きょうのひとことは、「楽しくない冗談は言わないほうがいい」。
ふだんの生活で、冗談めかして、ぜんぜん楽しくないこと言ってくる人はいませんか?
それがなぜ楽しくないのかというと、冗談めかして言ってはいるものの、冗談の形をした相手の本音だからです。
自分の本音を遠回しに言っているだけだったりするのです。
本音をそのまま言うとバツが悪かったり、「なんだ、この人」と思われたくない心理が働いたりして、ちょっと冗談めかして言ってしまう。
冗談めかしているのに楽しくないなと思ったら、この点を冷静に考えてみてください。
「冗談っぽいところを取り除いたら、どんなことが残るんだろう」と。
そうすると、相手の本音が見えてきます。
たとえば、なにかあったときに「それ、私にもちょうだ〜い」と冗談めかして言ってくる人。
ここから冗談っぽいところを取り除いたら、真顔で「私にちょうだい」と言われているようなもので、ちょっと浅ましい感じがします。
ストレートにいうと恥ずかしいから、本音をオブラートに包むがごとく、冗談めかして要求しているんですね。
だから、冗談めかして言われても、ぜんぜん楽しくないし、どうやって対処すればいいか戸惑ってしまうんですね。
こうした表現方法がクセになっていると、「この人、めんどくさいな」と思われて、人が離れてしまいます。
あなた自身も何か言いにくいことがあったとき、無意識のうちに冗談めかして言って、相手に楽しくないと思われているかもしれません。
そういう表現の仕方は、ちょっと卑怯な印象も持たれてしまいます。
本来は正直に言うべきことを冗談めかして、「いや冗談なんだけどね」と遠回しでありながら、何かを要求する。
これは相手に対して、ちょっと不誠実とも言えます。
冗談めかして言うことによって相手が楽しくなってくれればいいのですが、そうでなければ言うべきではありません。
単純に相手がどう思うかを考えられていないだけなのです。
あくまで冗談は相手を喜ばせて、コミュニケーションを円滑にするためのサービスだと思います。
自分の本音を言いにくいから、言い逃れをしたいがために、冗談めかす。
そんなことをしないほうが相手の印象はよくなるし、相手と向き合わなくてはいけないときに、ちゃんと向き合えるようになると思います。
●「冗談」と「失礼」の境目は?
「彼氏ができない」と悩んでいる女友達がいたので、誕生日プレゼントに恋愛指南本を渡しました。するととても嫌な顔をされました。どうやら私は彼女に失礼なことをしてしまったようです。半分冗談のノリで渡したのですが。「親しき仲にも礼儀あり」を犯してしまった気がして落ち込みます。「冗談」と「失礼」の見分け方は何かあるのでしょうか。

相手のことをじっくり、立体的に考えてみることが大切です。
「冗談」と「失礼」の境目ですか。とても難しいけど楽しいコミュニケーションのためには大事なお話だと思います。
まず、その境目がどこにあるかというと、それは相手の心の中にあります。相手に対して起こした行動の評価は、それを受けた相手にしか判断できません。これが大前提です。
では、相手に対して行動を起こす時、どのように考えてその行動を選択するのでしょうか。それは「○○という行動を起こしたら、相手は△△という反応をするだろう」という予測のもとに行われます。例えば、ある人が相手を喜ばせたい場合はまず、「○○という行動を起こしたら、相手は喜びの反応をするだろう」となります。それから○○を考え、この人が「服装を褒める」ことを選択したとすると、「服装を褒めたら、相手は喜びの反応をするだろう」という方程式が出来上がります。大抵はこの段階で実際行動してみて、効果を期待しますね。
でも、「この服、全然気に入ってないんだけど」と言う人もいます。喜んでくれると思いきや、がっかりされるという、まさかの失敗の可能性もあるわけです。この失敗の可能性をなるべく小さくするにはどうしたら良いのでしょうか。それは、出来上がった方程式に、今一度疑問符をつけてみることです。出来たてホヤホヤの方程式は、まだまだ、ひとりよがりな可能性もあるので、見直しをしてみるのです。
「服装を褒めたら、相手は喜びの反応をするだろうか?」
これに対して、自信を持って「Yes!」と答えるためには、改めて相手の性格、考え方、気分などをよく検討してみる必要があります。最初にお話ししたように、行動の評価は相手が判断するわけですから、相手がどのような状態か、じっくり立体的に考えてみて行動を決定することが大事だと思います。これは、円滑なコミュニケーションのコツの一つであるとも言えます。
今回の相談者さまの場合、「彼氏ができない」と悩んでいるお友達に、恋愛指南本を渡して「今さらベタすぎるわ!」といった感じのユーモアを提供しようと考えていたのだと思います。
これは、勝手知ったる親しい仲でしか成立しない、「冗談」を使った「攻めた優しさ」とも言え、個人的には素敵な気遣いだと思います。でも、お友達にはとても嫌な顔をされてしまった、つまり予測が外れてしまいました。これは恐らく、相談者さまの予想以上に、「彼氏ができない」ことがお友達にとって繊細な問題だったからではないでしょうか。少なくともその時は、その問題を「冗談」にする気分ではなかったのでしょう。
人は、性格も、考え方も皆違うし、気分に至っては常に変化しています。そして、「冗談」というのは何かを茶化している場合が多く、今回はそれが相手の方だったのです。茶化す相手に、茶化される準備や余裕がないと、それは「失礼」だと判断されてしまいます。いつもは「冗談」と受け取れる人でも、そういう気分でなければ評価は変わってしまうのです。
ですので、「冗談」と「失礼」の見分け方があるとすれば、相手の性格、考え方、そしてその時の気分をなるべく詳細に、相手に半分憑依してみるくらいの感じで想像してみるしかないと思います。
もしも、プレゼントを買ってしまっていても、いざ渡す時に場違いだと判断したら、とっさに「ごめん、これ渡すの今じゃないかもしれないんだけど」など、前置きをすることで気遣い自体は相手に伝わります。それだけでも「失礼」の成分は結構少なくなるかもしれません。
コミュニケーションって、難しいですね。
●冗談に対応する方法
誰でも面白い冗談は楽しめますが、自分自身がネタにされた場合、その場の雰囲気を壊さずにどう対処すべきか悩むところです。まずは落ち着いて、その冗談の意図を汲み取りましょう。悪気がないと分かれば不快に思う必要はありません。周囲の笑い声は止められなくても、受け取り方は自分次第で変えられます。そうすれば、気にしないで済みます。
1 冗談の意図を汲み取る
1 常によい方向に考えるようにしましょう。
冗談を言う人にはたいてい悪気がなく、楽しませようとしているだけです。しかし、安易に笑いを求めて時に人を傷つけてしまうこともあります。その標的になってしまった場合は、「この人はただ面白い話をしようとしてるだけなんだ」と考えて、気にしないようにしましょう。実際は、あなたがどうというより、冗談を言っている方に問題がある場合がほとんどです。
・悪気があるのではなく、言葉の選び方が適切でないのかもしれません。または、言ってはいけないことかどうかの判断を誤っている場合もあります。
・不適切であっても、良かれと思って言っていたり、場の雰囲気を和まそうとしているのかもしれません。
2 その場の状況や雰囲気に気を配りましょう。
誰かを傷つけるような悪気がない冗談であれば、言われた方も同じように悪気なく返せばいいのです。その話の流れで逆に相手を少しからかってみたり、笑顔でやりすごしましょう。
・冗談を言い返す場合は明るく言い返します。先に冗談を言ってきた方もあなたと面白おかしく会話がしたいだけだということを覚えておきましょう。
・相手に悪意を感じたら、返し方に気を付けましょう。
3 相手の人柄を考慮しましょう。
単に無神経な人や悪意はなくとも言葉の選び方が下手な人もいるでしょう。その場合は放っておく方が得策かもしれません。世の中には毒舌家と言われるもいます。ただ、やはり多くは悪気なく言っているものと認識しましょう。
・世の中に完璧な人間はいないということを認識しましょう。毒舌家も皮肉屋も根本的に変わる可能性は少ないため、ムキになって相手との人間関係にまでヒビを入れてしまうことにメリットはありません。
2 争いごとを避ける
1 少しくらいバカにされても許してあげましょう。
つい言い過ぎてしまうことは誰にでもあります。多少であれば寛大な心で対処しましょう。相手も少し言い過ぎてしまったと反省しているかもしれません。もしそうであれば、今後はきっと良い関係を築けるはずです。
・悪意のある言い方が続くようなら、思い切って相手と話し合うことも対処のひとつです。
2 悪戯をしかけられたり、からかわれても、笑顔で対処しましょう。
例えば学校であなたのことをよく知らずにからかってきたり、あなたが嫌がっていることに気付かない場合などでこの対処法が使えます。その時に笑顔で明るく振る舞うと、相手も「こいつはちょっと違うぞ」と思うはずです。そして、それを逆に新しい友達を作る機会に変えてしまいましょう。
・例えば、誰かに突然水をかけられて「プールにでも入ったの?」とからかわれたら、「家にタオル忘れてきてさ(違うわ!)」などとノリツッコミなどで返してみましょう。
3 趣味の悪い冗談は無視しましょう。
残酷なことに、身体的特徴や、その時々の感情や状況などの全てが冗談のネタになる可能性があります。あなたにとってはちっとも面白くないことでも、他人はそう思わないことがあるということを覚えておく必要があります。
・不要な争いを避けつつも相手にその冗談が面白くないと伝えるには、無視をする(取り合わない)のが最も手っ取り早い方法です。
3 失敗談を笑い話に変える
1 失敗談があってもそう深刻に考えないことです。
人間なら誰しも一つや二つは失敗談があり、人から見れば可笑しく思えることもあります。失敗した張本人もそれを冗談にできれば、恥ずかしく思う必要もなくなります。
・失敗談を笑い話に変えることが難しいと感じるときは、そのことを他人の目線から客観視するといいかもしれません。見知らぬ人の出来事に置き換えてみると、面白く感じて、冗談にしやすくなるかもしれません。
2 常に先手を打つことを心がけましょう。
誰かがあなたの過去の失敗をからかい始めたら、そのときは黙りこまず、話に割り込んで、自分からより詳しく話したりしながら会話を続けましょう。やはり聞き手は当事者から話を聞きたいと思うのが当然で、注目も集められるでしょう。
・恥ずかしい話は笑い話にしてしまえば、恥ずかしさも軽減します。今までの悲観的な感情から抜け出すよい機会と捉えて、思い切って自分から話してみましょう。
3 常に相手より優位に立ちましょう。
人があなたの失敗談を話し始めても動じることなく、その人よりも面白く自分から話し始めてしまえばいいのです。自虐的な冗談には、知らない人と打ち解けられるという効果があります。自分のことで笑っているあなたをみて、きっと相手も緊張を解いてくれるでしょう。
・そうすると、あなたに注目が移り、その場の主導権を握りやすくなります。
・話しを始めるきっかけとしては「それよりもっと悲惨なことがあってさ・・・」などといった具合に相手の話を自分の失敗談につなげるのが簡単かもしれません。
4 境界線を引く
1 不適切な冗談によってあなたが傷ついているということを落ち着いて相手に伝えるのもひとつの手段です。
他人にはあなたのことをからかう自由がありますが、あなたにもそれに "NO" を突きつける自由があります。伝える前には深呼吸をして、別室で気持ちを落ち着かせるのもいいかもしれません。
・不適切な冗談を言う相手には「あまり触れられてほしくないことだから、できれば冗談にするのはやめてほしい」といった感じで伝えましょう。
2 悪意のあるからかい方は相手にしないのが得策です。
その時のあなたの反応が相手に誤解を与える可能性もあるため、エスカレートしないように十分注意しましょう。他の人が手本にできるような態度を示すことも大切です。
・聞き手の気分を害さずに冗談を言う方法が分からなければ、自分自身の笑い話をするように心がけましょう。自虐的な冗談は緊張をほぐし、他人との間の壁を崩す手助けになります。
3 話し合いを持つ機会を作りましょう。
万一、会話の熱が上がって攻撃的な言葉が飛び交うようになってしまったら、一旦会話を止めましょう。意図した方向とは逆に向かっていることを伝え、言っていいことと悪いことのルールを提案するなどして軌道修正を図りましょう。ルールを守れないことで生じる影響を伝えるのもいいかもしれません。
・会話のルールを作ることで話し合いをスムーズに進めることができます。
ポイント
・(冗談や悪戯に反応する際)笑顔を浮かべて怒った "ふり" をするのはよい防御策になります。
・よく言われる冗談のパターンを覚えておきましょう。いざからかわれても、動じないでいられます。
注意事項
・あなたをバカにしたり社会的地位を下げる悪意を感じたら、それは冗談ではなくいじめの可能性があります。その場合は信頼できる人に相談しましょう。
・反応せずにその場から立ち去るのが最善策である場合もあります。相手がいじめの常習犯である場合には、立ち向かっていくと、残念なことに、あなたがより大きな標的になる可能性もあります。
●冗談・例文
・・・「まさかほんとうに飛び下りはしまいな?」 からかうようにこういったのは、木村という電気会社の技師長だった。「冗談いっちゃいけない。哲学は哲学、人生は人生さ。――所がそんな事を考えている内に、三度目になったと思い給え。その時ふと気・・・ 芥川竜之介「一夕話」
・・・「御冗談で。」「なに、これで善い運が授かるとなれば、私だって、信心をするよ。日参をしたって、参籠をしたって、そうとすれば、安いものだからね。つまり、神仏を相手に、一商売をするようなものさ。」 青侍は、年相応な上調子なもの言いをし・・・ 芥川竜之介「運」
・・・こちらから快活に持ちかけて、冗談話か何かで先方の気分をやわらがせるというようなタクトは彼には微塵もなかった。親しい間のものが気まずくなったほど気まずいものはない。彼はほとんど悒鬱といってもいいような不愉快な気持ちに沈んで行った。おまけに二人・・・ 有島武郎「親子」
・・・「あら、それは冗談にいったんだわ」「冗談だっていけないよ」「それでポチがいなくなったんじゃないことよ」「そうだい……そうだい。それじゃなぜいなくなったんだか知ってるかい……そうれ見ろ」「あっちに行けっていったって、ポチは・・・ 有島武郎「火事とポチ」
・・・田所さんは仏家の出で、永年育児事業をやっている眉毛の長い人で、冗談を言ってはひょいと舌を出す癖のあるおもしろい人でした。田所さんのお嬢さんは舞をならっているそうです。 新聞にはその日のうちに西と東に別れたように書いていたけれど、秋山さん・・・ 織田作之助「アド・バルーン」
・・・彼等は教師の洒落や冗談までノートに取り、しかもその洒落や冗談を記憶して置く必要があるかどうか、即ちそれが試験に出るかどうかと質問したりした。彼等の関心は試験に良い点を取ることであり、東京帝国大学の法科を良い成績で出ることであり、昭和何年組の・・・ 織田作之助「髪」
・・・私たちはまだこんな冗談など言い合ったりしていたが、やがて時間が来て青森を発車すると同時に、私たちの気持もだんだん引緊ってきた。一昨日は落合の火葬場の帰り、戸山ヶ原で私は打倒れそうになったが、今朝は気分もはっきりしていた。三つ目のN駅は・・・ 葛西善蔵「父の葬式」
・・・これはまったくの冗談のつもりから、言ったのではないのだ。事実は、私が妻子たちを養うことができないため、妻の兄の好意で、妻子たちを田舎へ伴れて行ってくれたのだ。しかし私としては、どこまでも妻子たちとは離れたくなかったのだ。私はむりに伴れ・・・ 葛西善蔵「遁走」
・・・はっとして吉田がその女の顔を見ると、それはその病舎の患者の付添いに雇われている付添婦の一人で、勿論そんな付添婦の顔触れにも毎日のように変化はあったが、その女はその頃露悪的な冗談を言っては食堂へ集まって来る他の付添婦たちを牛耳っていた中婆さん・・・ 梶井基次郎「のんきな患者」
・・・「栗島。お前本当に偽札をこしらえたんか?」 松本がきいた。「冗談を云っちゃ困るよ。」彼は笑った。「憲兵がこしらえたらしいと云いよったぞ。」「おどかすのは、えゝかげんにしてくれ。」 彼の寝台の上には、手帳や、本や、絵葉・・・ 黒島伝治「穴」
・・・他の労働者達は焚き火にあたりながら冗談を云ったり、悪戯をしたりして、笑いころげていたが、京一だけは彼等の群から離れて、埃や、醤油粕の腐れなどを積上げた片隅でボンヤリ時間を過した。そのあたりからは、植物性の物質が腐敗して発する吐き出したいよう・・・ 黒島伝治「まかないの棒」
・・・君兪は金で面を撲るような九如を余り好みもせず、かつ自分の家柄からして下眼に視たことででもあろう、ウン御覧に入れましょうといって半分冗談に、真鼎は深蔵したまま、彼の周丹泉が倣造した副の方の贋鼎を出して視せた。贋鼎だって、最初真鼎の持主の凝菴が・・・ 幸田露伴「骨董」
・・・「強盗と出かけるんだ。「智慧が無いねエ、ホホホホ。詰らない洒落ばかり云わずと真実にサ。「真実に遣付けようかと思ってるんだ。オイ、三年の恋も醒めるかナッ、ハハハ。「冗談を云わずと真誠に、これから前をどうするんだか談して安心さし・・・ 幸田露伴「貧乏」
・・・なれてくると、俺もそんな冗談を云うようになった。「共産党がそんなことを云うと、品なしだぜ。」 とエンコに出ている不良がひやかした。 よく小説にあるように、俺たちは何時でもむずかしい、深刻な面をして、此処に坐ってばかりいるわ・・・ 小林多喜二「独房」
・・・を突いて言うを、ええその口がと畳叩いて小露をどうなさるとそもやわたしが馴れそめの始終を冒頭に置いての責道具ハテわけもない濡衣椀の白魚もむしって食うそれがし鰈たりとも骨湯は頂かぬと往時権現様得意の逃支度冗談ではござりませぬとその夜冬吉が金輪奈・・・ 斎藤緑雨「かくれんぼ」
・・・「あれで、冗談ですぜ」 と学士もそこへ来て言って、高瀬に笑って見せた。 荒い人達のすることは高瀬を呆れさせた。しかしその野蛮な戯れは都会の退屈な饒舌にも勝って彼を悦ばせた。彼はしばらくこの地方に足を留め、心易い先生方の中で働いて・・・ 島崎藤村「岩石の間」
・・・北村君は思い詰めているような人ではあったが、一方には又磊落な、飄逸な処があって、皮肉も云えば、冗談も云って、友達を笑わすような、面白い処もあった。前に出版した透谷集の方には写真を出し、後に出した透谷全集には弟の丸山君の書いた肖像画を出したの・・・ 島崎藤村「北村透谷の短き一生」
・・・「小母さんも青木さんはあたしの内証の子なんだかもしれないなんて冗談をおっしゃるんですよ」「あ、いつか小母さんが指へ傷をしたというのはもう直ったのですか」「ええただナイフでちょっと切ったばかりなんですから」 二人はこのような話・・・ 鈴木三重吉「千鳥」
・・・いつか鳩に就いての随筆を、地方の新聞に発表して、それに次兄の近影も掲載されて在りましたがその時、どうだ、この写真で見ると、おれも、ちょっとした文士だね、吉井勇に似ているね、と冗談に威張って見せました。顔も、左団次みたいな、立派な顔をしていま・・・ 太宰治「兄たち」
・・・こんな男を、いつまでも、ごろごろさせて置いては、もったいない、と冗談でなく、思いはじめた。生れて、はじめて、自愛という言葉の真意を知った。エゴイズムは、雲散霧消している。 やさしさだけが残った。このやさしさは、ただものでない。ばか正直だ・・・ 太宰治「一日の労苦」
・・・冗談はさておいて、この池が、これまでに、いろいろのまじめな研究の材料を供給している事も、数え上げれば、少なくないようである。 池中に棲息するある生物の研究を、学位論文の題目とした先輩が、少なくも二人はあるそうである。 田中館先・・・ 寺田寅彦「池」
・・・というようなことを冗談半分に云われたことがある。なんでも昔寄宿舎で浜口雄幸、溝淵進馬、大原貞馬という三人の土佐人と同室だか隣室だかに居たことがある、そのときこの三人が途方もない大きな声で一晩中議論ばかりしてうるさくて困ったというのである。・・・ 寺田寅彦「埋もれた漱石伝記資料」
・・・朝寝が好きで、髪を直すに時間を惜しまず、男を相手に卑陋な冗談をいって夜ふかしをするのが好きであるが、その割には世帯持がよく、借金のいい訳がなかなか巧い。年は二十五、六、この社会の女にしか見られないその浅黒い顔の色の、妙に滑っこく磨き込まれて・・・ 永井荷風「妾宅」
・・・其様子から物言いまで曾てカッフェーにいた時分、壁や窓に倚りかかって、其の辺に置いてある植木の葉をむしり取って、噛んでは吐きだしながら冗談を言っていた時とは、まるで別の人になっている。僕はさてこそと、変化の正体を見届けたような心持で、覚えず其・・・ 永井荷風「申訳」
・・・これはもとより冗談であるが、先生の頭の奥に、区々たる場所を超越した世界的の観念が潜んでいればこそ、こんな挨拶もできるのだろう。またこんな挨拶ができればこそ、たいした興味もない日本に二十年もながくいて、不平らしい顔を見せる必要もなかったのだろ・・・ 夏目漱石「ケーベル先生の告別」
・・・をしなければならないのを、なろう事ならしないで用を足してそうして満足に生きていたいというわがままな了簡、と申しましょうかまたはそうそう身を粉にしてまで働いて生きているんじゃ割に合わない、馬鹿にするない冗談じゃねえという発憤の結果が怪物のよう・・・ 夏目漱石「現代日本の開化」
・・・運転手と火夫とが、船頭に何か冗談を云って、朗かに笑った。 私は静に立ち上った。 そして橋の手すりに肘をついて浚渫船をボンヤリ眺めた。 夜明け方の風がうすら寒く、爽かに吹いて来た。潮の匂いが清々しかった。次には、浚渫船で蒸汽を上げ・・・ 葉山嘉樹「浚渫船」
・・・よそうよ。冗談じゃない。よそう。あ痛っ。あぁあ、とうとう穴があいちゃった。」「どうだ。この空気のうまいこと。」「おい。帰ろうよ。ひっぱらないで呉れよ。」「実にいい景色だねえ。」「放して呉れ。放して呉れ。放せったら。畜生。」・・・ 宮沢賢治「蛙のゴム靴」 ・・・仙二は、苦笑しながら半分冗談、半分本気で云った。「あげえ業の深けえ婆、世話でも仕ずに死なしたら、忘れっこねえ、きっと化けて出よるぜ」 沢や婆は、幸死なずに治れた。が、すっかり衰えた。憎たらしい、横柄な口も利かなくなった。いずれにせよ・・・ 宮本百合子「秋の反射」
・・・とナポレオンは片手を上げて冗談を示すと、階段の方へ歩き出した。 ネーは彼の後から、いつもと違ったナポレオンの狂った青い肩の均衡を見詰めていた。「ネー、今夜はモロッコの燕の巣をお前にやろう。ダントンがそれを食いたさに、椅子から転がり落・・・ 横光利一「ナポレオンと田虫」 

 
 

 

●軽口 1
即興的なしゃれ。軽妙なおしゃべり。また、出まかせ。
主に2人組で披露される話芸の一種。別称は「掛合噺」「掛合茶番」等。
笑って済ませる滑稽な話のこと。口が軽く何でもしゃべってしまうこと。上手い洒落のこと。
調子が軽くておもしろい言葉・話。たわいないが、気がきいていて滑稽みのある言葉・話。「―をたたく」。軽妙なしゃれ。江戸時代に流行した地口 (じぐち) ・秀句 (しゅうく) の類。口が軽くてよくしゃべること。また、そのさまや、そのような人。「―を慎む」「―な人」。「軽口話 (かるくちばなし) 」の略。淡白な味。「―の酒」。
「軽口」は、「軽口話」という落語の言葉からきたと言われているようです。「軽口話」とは、「語り口が軽妙、滑稽で、結びを秀句や洒落でしめくくる話しであり、落語の名称」という意味があります。そこから、「軽口」という言葉だけが残ったようです。そして、むやみに述べ立てるという意味もある「叩く」と組み合わさることで、「軽口を叩く」という言葉が出来たと考えられます。
口が軽く、軽率に何でもしゃべってしまうこと。また、そのさま。おしゃべり。語調が軽快で、滑稽めいて面白みのあること。また、そうしたことばや話。評判記・吉原讚嘲記時之大鞁(1667か)ときのたいこ「竹こまのかる口たたけど」。秀句、地口、口合(くちあい)の類。軽妙なしゃれ。軽口咄(かるくちばなし)。咄本・百物語(1659)上「入口のがくにあげし語、おどけたるかる口なりければ、書とめかへりし」。役者の声色や身振りをまね、滑稽な話をして人々を笑わせること。また、それを業とする大道芸人。豆蔵。かるくちものまね。淡泊な味。口あたりのよい味。咄本・口拍子(1773)かの子餠「買て味わふて見た処が、しごく軽口(カルクチ)さ」。
調子が軽くておもしろい言葉・話。たわいないが、気がきいていて滑稽みのある言葉・話。「軽口をたたく」。軽妙なしゃれ。江戸時代に流行した地口じぐち・秀句しゅうくの類。口が軽くてよくしゃべること。また、そのさまや、そのような人。「軽口を慎む」「軽口な人」。「軽口話かるくちばなし」の略。淡白な味。「軽口の酒」。[類語] 冗談・ジョーク・洒落・駄洒落・諧謔 / 口軽い・口が軽い・饒舌・口まめ・多弁・おしゃべり・多言・口が滑る・口を滑らす・口を衝いて出る・口から先に生まれる・口から出まかせを言う・口数が多い。
俳諧用語。原義は口の軽いさま。転じて秀句,地口(じぐち),口合(くちあい)の類をいうようになり,さらに転じて西山宗因や井原西鶴ら談林俳諧の風調を指すに至った。その特質は,即興性,速吟性,放笑性などであり,貞門から軽率・放埒な風体として攻撃を受けた。しかし西鶴らは,これこそ俳諧の原質であると信じて推し進めた結果,ことばの無尽蔵を誇りとする〈矢数(やかず)俳諧〉へと発展した。
・・・談林とはもと僧侶の学寮をいい,初めに江戸の松意(しようい)一派がそれを名のったが,のちに宗因をいただく諸派の俳諧の総称となった。談林はまた,貞門が乗り越えるべく努めた《守武千句(もりたけせんく)》などの猥雑な俳風を復活させたために〈守武流〉,滑稽をこととする軽妙洒脱な詠み口から〈軽口(かるくち)〉,付合(つけあい)の連想飛躍を喜ぶところから〈飛躰(とびてい)〉,旧来の価値観を転倒させた異端性から〈阿蘭陀(オランダ)流〉とも呼ばれた。談林の時代は大体,寛文年間(1661‐73)の台頭期,延宝年間(1673‐81)の最盛期,天和年間(1681‐84)の衰退期の3期に分けられる。・・・
・・・幕末には大坂に俄席と呼ばれる専門劇場もできた。 大阪俄は景物を見立てておとす〈見立俄〉(配り物俄),地口の面白さをねらう〈もじり俄〉(口合俄),歌舞伎種の〈物まね俄〉,行違いの面白さをねらった〈拍子違い俄〉,スカタン(出まかせ,脱線)の〈出たらめ俄〉に大別され,これを一人でコント風に演じる〈一口俄〉,2人以上で落語の仕方噺風に演じる〈軽口〉や〈俄芝居〉のいずれかで演じる。俄芝居では舞台を本舞台を思わせるように飾り,衣装も本衣装を用いたが,鬘(かつら)はボテ鬘を使い,たとえ女方でも化粧をしないのがしきたりである。・・・
・・・演出法は,落語家が扇子と手ぬぐいを小道具に使用し,講談や浪曲(浪花節)のような叙述のことばを省略して,会話と動作によってはなしを展開する。はじめは,単に〈はなし〉といわれ,この言いかたは,現在も〈はなしを聴きに行く〉とか,〈はなし家〉とかいうように残っているが,天和・貞享(1681‐88)以後は,上方を中心に,〈軽口(かるくち)〉〈軽口ばなし〉などと呼ばれ,この上方的呼称である〈軽口〉時代が,上方文学の衰退期である明和・安永(1764‐81)ごろで終わり,文学の中心が主として江戸に移って,江戸小咄時代になると,もっぱら〈落(おと)し咄〉というようになった。〈落語〉という字が使用されはじめたのは,天明(1781‐89)からだが,〈らくご〉とは読まず,〈おとしばなし〉と呼んでいた。・・・
・・・――松村さん、木戸まで急用―― いけ年を仕った、学芸記者が馴れない軽口の逃口上で、帽子を引浚うと、すっとは出られぬ、ぎっしり詰合って飲んでいる、めいめいが席を開き、座を立って退口を譲って通した。――「さ、出よう、遅い遅い。」悪くす・・・ 泉鏡花
・・・こういう瞬間が最もたわいのない軽口とそれに対する爆笑を誘発するに適当なものではないか。とにかく、これも未来の生理学的心理学者の研究題目の一つにはなりそうだと思われた。 そのうちうなぎどんぶりが三人の前に運ばれて食事が始まると同時に今まで・・・ 寺田寅彦
・・・跋を見れば、きょうの著者の日々は官舎に暮す小柄な軽口をいう無邪気な若い主婦の暮しである。 あの八月九日の夜、新京から真先に遁走を開始した関東軍とその家族とは、三人の子をつれて徒歩でステーションに向う著者にトラックの砂塵をあびせ、列・・・ 宮本百合子
・・・何か軽口にじょうだんを云って、「ハハハハハハ」と鼻の先でヘラヘラ笑いをする「きよ」の顔を見ると千世子は、「ヘッ、」と云ってやりたい様に思った。 咲は毎日毎日の事をほんとうに念入りに清に教えて居た。「西洋洗濯から・・・ 宮本百合子
●軽口 2
上方落語の古い別称。
主に2人組で披露される話芸の一種。別称は「掛合噺」「掛合茶番」等 漫才や喜劇の源流といわれる。
江戸時代末期に京都四条河原町、大坂天満宮の神社の境内に舞台を設けひとりでに歌舞伎、芝居の物真似演じられた起源。その後舞台芸になり寄席で俄の開幕(前座)として演じられた。2人が正座し簡単な小道具、衣装を身に付け謎かけ問答や知恵比べ問答、歌舞伎、芝居の物真似で人気を取っていた。後に芸として俄から独立。1892年8月に桂梅團治・桂篤團治のコンビが「軽口」の看板を上げ、落語の演目を演じ分けるなど人気を博す。東京には豊年斎梅坊主がおり、音源が残されている。その後も桂次郎坊・太郎坊、秋の家稲子・稲八、鶴家團七・團鶴等が人気を博した。また落語家が余芸で演じることもあった。その後、音曲万歳、しゃべくり漫才の登場で人気も落ちる。なお東京では三遊亭歌輔・歌之輔、橘家圓五郎・圓十郎等が活躍した。
戦後では完全に漫才が主流になり演じ手はいなかったが芦乃家雁玉・林田十郎、松葉家奴・松葉家喜久奴、松鶴家光晴・浮世亭夢若、一輪亭花蝶・松原勝美、浮世亭歌楽・ミナミサザエ、西都ハロー・ジロー等は軽口に近い芸風であった。
現在は軽口を継承している芸人はいないが、林家染丸一門や露の五郎兵衛一門が余芸で寄席などで度々披露される。東京の内海桂子は弟子の笑組、ナイツと舞台に上がる時、軽口の演目であった『名鳥名木』を演じる。
●悪気はないんだけど・・・つい軽口をたたく人の特徴
あなたの周りには、お話をしていて、「ちょっとこの人キツイなぁ」と感じる友人はいませんか?もしくは、あなた自身が無意識のうちに、友達を傷つけたりしてはいないでしょうか。今回は、ついつい軽口をたたいてしまう人についてご紹介していきますね。
口は災いのもと!
「口は災いのもと」という言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあることわざでしょう。その意味は、「不用意な発言は自分自身に災いをもたらすことがあるため、不用意な発言は控えた方がいい」という意味です。何か言葉を発する時は、注意を払う必要があるということですね。
軽口をたたく人の特徴とは?
では、軽口をたたく人ってどういう特徴を持っているのでしょうか?軽口をたたく人の特徴6つ、説明していきますね。
1.真剣な話をする・聞くのが苦手
2.人を笑わせるのが好き
3.おしゃべりで、話好き
4.後先を考えずに行動する
5.想像力が足りない
6.悪気はない
7.一度立ち止まって考える
8.人の気持ちに立って考えることを心掛ける
9.TPOをわきまえる
   真剣な話をする・聞くのが苦手
まず、軽口をたたく人の特徴として挙げられるのが、真剣な話や聞くことが苦手ということ。身近にも時々いるのではないでしょうか。真剣な話し合いをしているのにも関わらず、なぜかその空気を壊すような発言をして、話の腰を折ってしまうような人・・・。嫌なムードを断ち切ってくれる、というような場合は良い事ですが、大事な事柄をみんなが集中して話し合っている時にそんな事をされたら、ちょっとカチンときちゃいますよね。恐らくその人は、そういう真剣なムードがずっと続いたり、聞き役ばかりになるのが苦手で、そのムードを早く終わらせようと軽口をたたいている可能性があります。
   人を笑わせるのが好き
また、軽口をたたく人は、人を笑わせることが好きな、明るい方が多いです。ですので、その人にとって軽口は、人を笑わせる手段として、ついつい言ってしまっているかもしれませんね。その人がいると、常に笑わせてくれるので、その場の空気が明るくなるという点では素敵な一面だと言えるでしょう。
   おしゃべりで、話好き
軽口をたたく人って、たいていおしゃべりで、話好きの人が多いですよね。ですので、友人関係の中では、ムードメーカーである確率も高いです。その場の会話の主導権を握ることも多いので、その場の流れで、ついつい軽口をたたいてしまっている可能性があります。
   後先を考えずに行動する
また、軽口をたたく人は、”これを言ってしまえばどうなるか?”という先の事を考えることができていない場合があります。普段の生活の中でも後先を考えずに行動に移してしまう人が多く、それが失敗に終わった場合には、ちょくちょくトラブルとなってしまっているのではないでしょうか。
   想像力が足りない
軽口をたたく人の欠点としては、圧倒的に想像力が足りないことが挙げられます。普通は、会話の中で”これを言ったら、相手はどう思うだろう?”とか”これを言ったら傷つけてしまうだろうから、言わないでおこう”という風に、自分の発する言葉が、相手をどんな気持ちにさせるのか?という事を全く考えずに発している可能性があります。ですので、軽口をたたいた後に、相手が傷つくような表情をしたり、その場の空気が凍ってしまった時に初めて「あっ!しまった!これは言ってはいけなかった、言い過ぎた」などと、後から後悔することも多いのです。
   悪気はない
上記の想像力が足りないの所で説明した通りに、軽口をたたく人は「これを言ったら相手はどう思うか?」という想像力が足りていない所があります。ですので、「相手を傷つけてやろう!」と思って言っているのではなく、本当に頭で思ったことを、何も考えずに口に出している場合が多いです。悪気はないのですが、軽口をたたかれて、傷ついてしまっている相手がいるということには自覚を持った方がよいですね。
軽口をたたかないようにするために気を付けること
ついつい無意識のうちに言ってしまう”軽口”。言った後で「やってしまった〜!」ということにならないように、軽口をたたかないように気を付けるポイント3つありますので、ご紹介していきますね。
   一度立ち止まって考える
軽口をたたく人は、頭で思ったことをそのまま言葉として口から出してしまっている人が多いです。なので、何かを話すときには、一度立ち止まて、一呼吸おいてから話すような意識つけをした方がよいでしょう。また、言葉を発する場面だけではなく、普段の行動についても突っ走ってしまっている面があることも。何事に対しても、一度立ち止まって考えるという意識づけをすれば、”つい言ってしまった”という事も減ってきます。
   人の気持ちに立って考えることを心掛ける
軽口をたたく人の特徴で、「悪気はない」「想像力が足りない」という事をあげました。とはいえ、たとえ軽口をたたく人が相手を攻撃するような意図が無かったとしても、相手が傷ついているということは多いもの。悪気はなかったといっても、それを理解してくれる人ばかりではありません。相手にはいい迷惑ですし、人から敬遠さえれてしまうこともあるでしょう。そんなことにならないために、人の気持ちに立って考えることを心掛けてみましょう。例えば、今言おうとしていることを自分が言われたらどうだろう?と発言する前に相手の気持ちになって考えてみるか、それが難しければ、過去の自分の発言を振り返り、あんなことを自分が言われていたら?と相手の気持ちを想像してみるんです。そうすることで、言って良いこと、悪いことの判断が付きやすくなってくるでしょう。
   TPOをわきまえる
軽口を絶対に言ってはいけない!というわけではなく、TPOをわきまえて使えるようになるといいですね。例えば、飲み会の席のようなラフな場であれば、時には軽口を言い合って話が盛り上がることも。その場も楽しい雰囲気になりますよね。しかし、とてもまじめな性格な相手に対してや、真剣だったり深刻な話をしている場面で軽口をたたいてしまえば、「真剣に話をしているのに!」と相手の怒りを買ってしまうかもしれませんよね。軽口をたたくときは、その時々の状況や、相手の性格なども考慮することを心掛ければ、誰かを傷つけることもなく、その場を明るくすることができますね。
おわりに
軽口をたたく人は、相手の気持ちを少し考えるという努力さえすれば、ムードメーカー的な存在で、本当の意味で人気者になれる人です。ただ、あまりにも配慮を欠いた発言や空気を読まない発言をしてしまうと、周りからの印象を悪くするだけです。楽しい冗談で軽口をたたける場面なのか、思慮深く周りに配慮した発言をするべきなのかを見極められるようになれば、よりよい人間関係を築くことができそうです。
●「軽口」と「冗談」の違い
「軽口」とは?
「軽口」には、多くの意味があり主に5つの意味を持つ言葉となります。
1つ目は調子が軽くおもしろい話や言葉。気が利いていて滑稽な話や言葉。
2つ目は軽妙なしゃれ。
3つ目は口が軽くよくしゃべることやそのような人、様子。
4つ目は軽口話の略。
5つ目は淡白な味となります。
5つの異なる意味を持つ言葉だけに使い方が難しく、使い方を間違えることで相手に不快感を与えてしまう、そんな事態も起こりかねない言葉となります。
「軽口」の使い方
「軽口」の使い方は、それぞれの意味によって異なります。1つ目の意味の場合、「軽口をたたく」などとなり、3つ目の意味の場合、「軽口な人」、「狩る口を叩く」などといった使い方となります。
「冗談」とは?
ふざけた内容の話、遊びでいう言葉、たわむれにすること、また、その様子、いたずらといった意味を持つ「冗談」。同じような意味の言葉には「ジョーク」があります。「冗談」は、周りを和ませることができ、「冗談」によって笑いが起き、楽しい時間を過ごすことができる、そんなものとなります。
「冗談」の使い方
「冗談」には、単に「冗談を言う」といった使い方だけではなく、「冗談を交わす」、「冗談が過ぎる」、「冗談半分」、「冗談抜きに」、「冗談にすぎない」、「冗談が通じる。通じない」などがあります。
「軽口」と「冗談」の違い
その場を和ませるといった意味では同じような意味を持つ「軽口」と「冗談」ですが、その中身は少し異なります。「軽口」の場合、同じ楽しい話でも、その裏に相手を馬鹿にしている、軽視している、見下している、といったニュアンスが含まれることが多く、「冗談」の場合は、そのようなニュアンスは一切なく、単純におもしろい、楽しい、といったものとなります。
「軽口」には、その裏に何か思惑が隠れている場合が多く、あまり、良い意味で用いられることが少ない言葉となります。 
 
 

 

●無邪気
素直で悪気がなくかわいらしいさま。偽りやたくらみがなく心が綺麗なさま。
素直でなんの悪気もないこと。世俗にそまっていない、汚れやわだかまり、飾り気のない素直な気持ちを表わす。
邪(よこしま)な気持ちを一切持たずに、人や物に接することができる性格を持つ人を表す言葉です。純粋な気持ちを持っている方を表す言葉として用いられるのが基本で、長所やポジティブさの意味を多く含む言葉です。
邪心のないこと。わるぎのないこと。深い考えのないこと。考えの単純なこと。あどけなく、かわいらしいこと。このように、「無邪気」とは基本的に邪心や悪気がない素直な様子や、あどけないこどもの様子を表現したい時に良い意味で使う言葉です。一方で、「深い考えがなく、浅はかで単純である」という意味もあり、こちらはネガティブなニュアンスで使われます。
気性などに、ねじけたところのなく、すなおでなんの悪気もないこと。また、そのさま。将来之日本(1886)〈徳富蘇峰〉一三「彼の無邪気にして質朴なる農夫等は」。別れ霜(1892)〈樋口一葉〉七「苦労の色を隠して朋輩の無邪気(ムジャキ)の物語りを笑うて聞く胸ぐるしき思ひに」。あどけなく、かわいいこと。また、そのさま。小公子(1890‐92)〈若松賤子訳〉前編「決して、出過ぎといふではなく、ただ無邪気(ムジャキ)に、人懐こいので」。深い考えのないこと。考えの単純なこと。また、そのさま。落梅集(1901)〈島崎藤村〉雲「われは越しかたの無邪気を記すに躊躇せざるべし」。
素直で悪気がないこと。いつわりや作為がないこと。また、そのさま。「無邪気ないたずら」「質問に無邪気に答える」。あどけなくかわいらしいこと。また、そのさま。「赤ん坊の無邪気な笑顔」。思慮に欠けること。また、そのさま。「両親や教師は—にもこの事実を忘れている」〈芥川・侏儒の言葉〉。
「無邪気」とは、「あどけなく素直であること」を意味します。主に子供や若者に対して好意的な意味で使われ、行動や考えなどに捻じれた感情や気持ちがなく、率直で悪気のないさまを表します。また「無邪気」には、あどけないさま、可愛らしいさまという意味もあります。赤ちゃんの屈託のない笑顔や、子供が無心に何かに取り組む姿など、大人から見てあどけなく、何とも可愛らしい様子に対して使われます。「無邪気」は、まだ世慣れをしてない純粋な様子や、世俗的ではないことを意味し、心が清く素朴であり、経験がまだまだ少ない人に対して用います。しかし、行動と考えが良い意味で単純であり、物事を信じやすいというニュアンスも含まれます。「無邪気」には「行動や考えが浅はかなこと」という意味も持ち併せています。深く物事を考えず、思慮に欠けることを意味します。この場合、主にしっかりとした考えや行動を持つべき大人に対して、言動に慎重さがない、また物事への見解や解釈に深みがないという、ややネガティブなニュアンスで使われます。前述の意味とは異なり、「無邪気」には、成人が上滑りで表面的な考えを持つこと、薄っぺらで上っ調子であること、という意味もあります。つまり、人に対して使う時は、ちょっと間が抜けていて、おめでたい人というニュアンスがあります。
・・・この眼の奥に閃いているのは、無邪気な童女の心ばかりではない。「流人となれるえわの子供」、あらゆる人間の心である。「お父様! いんへるのへ参りましょう。お母様も、わたしも、あちらのお父様やお母様も、――みんな悪魔にさらわれましょう。」・・・ 芥川竜之介「おぎん」
・・・お蓮は犬を板の間へ下すと、無邪気な笑顔を見せながら、もう肴でも探してやる気か、台所の戸棚に手をかけていた。 その翌日から妾宅には、赤い頸環に飾られた犬が、畳の上にいるようになった。 綺麗好きな婆さんは、勿論この変化を悦ばなかっ・・・ 芥川竜之介「奇怪な再会」
・・・彼れはその珍らしい無邪気な微笑をほほえんでいた。一同は彼れのにこやかな顔を見ると、吸い寄せられるようになって、いう事をきかないではいられなかった。蓆が持ち出された。四人は車座になった。一人は気軽く若い者の机の上から湯呑茶碗を持って来た。もう・・・ 有島武郎「カインの末裔」
・・・クララを姉とも親とも慕う無邪気な、素直な、天使のように浄らかなアグネス。クララがこの二、三日ややともすると眼に涙をためているのを見て、自分も一緒に涙ぐんでいたアグネス。……そのアグネスの睫毛はいつでも涙で洗ったように美しかった。殊に色白なそ・・・ 有島武郎「クララの出家」
・・・予はそのあまりの無邪気さに、覚えず森寒を禁じ得ざりき。おそらく今日の切開術は、眼を開きてこれを見るものあらじとぞ思えるをや。 看護婦はまた謂えり。「それは夫人、いくらなんでもちっとはお痛みあそばしましょうから、爪をお取りあそば・・・ 泉鏡花「外科室」
・・・お蔦 (無邪気に莞爾々々いいもの、……でも、お前さんには気に入らないもの、それでも、気に入らせないじゃおかないもの、嬉しいもの、憎いもの、ちょっと極りの悪いもの。早瀬 何だよ、何だよ。お蔦 ああ、悪かった。……坊やはお土産を待っ・・・ 泉鏡花「湯島の境内」
・・・月待草に朝露しとど湿った、浜の芝原を無邪気な子どもを相手に遊んでおれば、人生のことも思う機会がない。 あってみない前の思いほどでなく、お光さんもただ懇切な身内の人で予も平気なればお光さんも平気であったに、ただ一日お光さんは夫の許しを得て・・・ 伊藤左千夫「紅黄録」
・・・省作にからかわれるのがどうやらうれしいようにも見えるけれど、さあ仕事となれば一生懸命に省作を負かそうとするなどははなはだ無邪気でよい。 清さんと清さんのお袋といっしょにおとよさんは少しあとになってくる。おとよさんは決して清さんといっしょ・・・ 伊藤左千夫「隣の嫁」
・・・正ちゃんは無邪気なもので、「どうせ習らっても、馬鹿だから、分るもんか?」「なぜ?」「こないだも大ざらいがあって、義太夫を語ったら、熊谷の次郎直実というのを熊谷の太郎と言うて笑われたんだ――あ、あれがうちの芸著です、寝坊の親玉」・・・ 岩野泡鳴「耽溺」
・・・ところが社員は恐る恐る刺を通じて早速部屋に通され、粛々如として恭やしく控えてると、やがてチョコチョコと現われたは少くも口髯ぐらい生やしてる相当年配の紳士と思いの外なる極めて無邪気な紅顔の美少年で、「私が森です」と挨拶された時は読売記者は呆気・・・ 内田魯庵「鴎外博士の追憶」
・・・そのことが、頭にあるとみえて、いま大きな犬に追いかけられた夢を見てしくしくと泣いていました。無邪気なほおの上に涙が流れて、うす暗い燈火の光が、それを照らしています。」と、やさしい星は答えました。 すると、いままで黙っていた、遠方にあった・・・ 小川未明「ある夜の星たちの話」
・・・どいつもこいつも無邪気さを装って観衆の拍手を必要としているのだ。けれども、そう思う豹一にももともとそれが必要だったのだ。記念祭の夜応援団の者に撲られたことを機縁として、五月二日、五月三日、五月四日と記念祭あけの三日間、同じ円山公園の桜の木の・・・ 織田作之助「雨」
・・・おしげはともかく、六蔵のほうは子供だけに無邪気なところがありますから、私は一倍哀れに感じ、人の力でできることならば、どうにかして少しでもその知能の働きを増してやりたいと思うようになりました。 すると田口の主人と話してから二週間もた・・・ 国木田独歩「春の鳥」
・・・内地で、兵卒同志で、殴りあいをしたり寝台の下の早馳けなどは、あとから思い出すとむしろ無邪気で、ほゝえましくなる。だが、本当に誰れかの手先に使われて、寒い冬を過したシベリアのことは、いまだに憤りを覚えずにはいられない。 若し、も一度・・・ 黒島伝治「入営前後」
・・・桑の葉越に紅いや青い色をちらつかせながら余念も無しに葉を摘むと見えて、しばしは静であったが、また前の二人とは違った声で、桑は摘みたし梢は高し、と唄い出したが、この声は前のように無邪気に美しいのでは無かった。そうすると・・・ 幸田露伴「雁坂越」
・・・無邪気な三郎の顔をながめていると、私はそう思った。どれほどの冷たい風が毎日この子の通う研究所あたりまでも吹き回している事かと。私はまた、そう思った。あの米騒動以来、だれしもの心を揺り動かさずには置かないような時代の焦躁が、右も左もまだ・・・ 島崎藤村「嵐」
・・・しかしてヒヤシンスのように青いこの子の目で見やられると、母の美しい顔は、子どもと同じな心置きのない無邪気さに返って、まるで太陽の下に置かれた幼児のように見えました。「ここで私は天国の事などは歌うまい。しかしできるなら何かこの二人の役にた・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎「真夏の夢」
・・・兄は、いつでも、無邪気に人を、かつぎます。まったく油断が、できないのです。ミステフィカシオンが、フランスのプレッシュウたちの、お道楽の一つであったそうですから、兄にも、やっぱり、この神秘捏造の悪癖が、争われなかったのであろうと思います。・・・ 太宰治「兄たち」
・・・うぶで、無邪気で、何事に逢っても挫折しない元気を持っている。物に拘泥しない、思索ということをしない、純血な人間に出来るだけの受用をする。いつも何か事あれかしと、居合腰をしているのである。 それだから金のいること夥だしい。定額では所詮足ら・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外「世界漫遊」
・・・しかしこの人の剽軽で学者らしく無邪気な、そしてどこか親切な態度に馴れた私はその時でも少しも悪い心持は起らなかった。そして遠い世界の果ての生れ故郷をなつかしがる人の心持も決して悪くは思えなかった。 それにしても主婦の容貌があまり日本人によ・・・ 寺田寅彦「異郷」
・・・滋養に富んだ牛肉とお行儀のいい鯛の塩焼を美味のかぎりと思っている健全な朴訥な無邪気な人たちは幸福だ。自分も最う一度そういう程度まで立戻る事が出来たとしたら、どんなに万々歳なお目出度かりける次第であろう……。惆悵として盃を傾くる事二度び三度び・・・ 永井荷風「妾宅」
・・・と露子は無邪気に聞く。「ええ、少しその、用があって近所まで来たのですから」とようやく一方に活路を開く。随分苦しい開き方だと一人で肚の中で考える。「それでは、私に御用じゃないの」と御母さんは少々不審な顔つきである。「ええ」「も・・・ 夏目漱石「琴のそら音」
・・・今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深く之を心に蔵めて随時に活用し、一挙一動一言一話活溌と共に野・・・ 福沢諭吉「女大学評論」
・・・その小さな奴を膝の上にも置かないでやはり上向けて大熊手持ったようにさしあげて居たのもおかしい。その無邪気な間の抜けた顔は慥かに無慾という事を現して居るので、こいつには大に福を与えてやりたかった。自分が福の神であったら今宵この婆さんの内に往て・・・ 正岡子規「熊手と提灯」
・・・けれどもいかにも無邪気な子供らしい声が、呼んだり答えたり、勝手にひとり叫んだり、わあと笑ったり、その間には太い底力のある大人の声もまじって聞えて来たのです。いかにも何か面白そうなのです。たまらなくなって、私はそっちへ走りました。さるとりいば・・・ 宮沢賢治「茨海小学校」
・・・ひところは本当にひどくて、女の独断がそのまま色彩のとりあわせや帽子の形やにあらわれているようで、そういう人たちがいわば無邪気であればあるほどこちらで何となし顔のあからむような思いもないことはなかった。たとえば帽子の型のある奇抜な面白味・・・ 宮本百合子「新しい美をつくる心」
・・・博士は再び無邪気らしい、短い笑声を洩して語り続けた。「あればかりではないよ。己の処へは己の思付を貰いに来る奴が沢山あるのだ。むつかしく云えば落想とでも云うのかなあ。独逸語なら Einfaelle とでも云うのだろう。しかし己は嘘は言わな・・・ 森鴎外「里芋の芽と不動の目」
・・・一つはあなたがいかにも無邪気に、初心らしくおっしゃったので、「おや、この方はどんな途方もない事をおっしゃるのだか、御自身ではお分かりにならないのだな」と存じましたの。それから今一つはまあ、なんと申しましょうか。わたくしあなたに八分通り迷って・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外「辻馬車」
・・・この少年が博士になったとは、どう思ってみても梶には頷けないことだったが、笑顔に顕れてかき消える瞬間の美しさは、その他の疑いなどどうでも良くなる、真似手のない無邪気な笑顔だった。梶は学問上の彼の苦しみや発明の辛苦の工程など、栖方から訊き出す気・・・ 横光利一「微笑」
・・・それに加えておのれの生家のいろいろな不幸をも早くから経験しなくてはならなかった。無邪気な少年の心に、わがままを抑えるとか、他人の気を兼ねるとかの必要が、冷厳な現実としてのしかかってくる。これは一人の人の生涯にとっては非常に大きい事件だと言わ・・・ 和辻哲郎「藤村の個性」
●無邪気の類語
素直な無邪気
邪気がない/罪がない/悪気がない/悪意がない/イノセンス/イノセント/無心/天真/無私/無我/虚心/思い邪なし/天真爛漫/天衣無縫/ナイーブ/純真無垢/ピュア/純粋/純真/純情/無垢/清い/清らか/素朴/純朴/純/純潔/清純/素直/うぶ/おぼこ/児嬉/世間擦れしていない/擦れてない/人擦れしていない/汚れていない/汚れていない/天使のよう/子供らしい/子供のよう/虚心坦懐
あどけない無邪気
あどけない/あどない/いたいけ/いとけない/いたいけない/可愛らしい/愛らしい/天真爛漫/茶目/お茶目/頑是無い/初々しい/おぼこい/ベビードール/子供らしい/子供のよう
思慮に欠ける無邪気
単純/短絡的/短絡/単細胞/浅はか/浅慮/浅薄/短慮/底が浅い/浅膚/膚浅/浅近/浅々しい/無心/心無い/心が軽い/心少なし/心幼し/心浅し/考え無し/無分別/無思慮/不心得/不所存/奥無し
●無邪気な人
無邪気といえば、人なつっこく、人見知りをほとんどしない社交的で接しやすいという印象をもたれがちです。ポジティブな意味合いで用いられることが多く、「無邪気」と表現された方も、あまり悪い気はしない場合が多いです。しかし、実際、無邪気な性格とはどういったものなのか、言葉の意味や由来、混同されがちな「あどけない」や「素直」などとの違いや性格の特徴について解説します。
無邪気の意味
「無邪気」とは、読んで字のごとく、邪(よこしま)な気持ちを一切持たずに、人や物に接することができる性格を持つ人を表す言葉です。純粋な気持ちを持っている方を表す言葉として用いられるのが基本で、長所やポジティブさの意味を多く含む言葉です。
無邪気の語源
無邪気という言葉のそもそもの語源には諸説ありますが、中でも人間の性格に脚光を宛てた考え方として定説なのが、仏教用語に由来しているという考えです。仏教において、人間はそもそも本能的に人を害したり傷つける「邪気」を有した存在であり、邪気をいかに押さえ込めるかが、人としての理性を保てるかどうかを左右することが大切だと考えられています。一方で、幼少期の人間は、他人に対して害意を示そうとはせず、邪気を持たない状態にあるとされ、子供の頃のような邪気を持たない状態を指す言葉として「無邪気」という単語が誕生したといわれています。
無邪気な性格
「無邪気」と似た意味を持つ類語として、「邪気がない」「ナイーブ」「世間知らず」「くちばしが黄色い」「青い」といったものが代表的です。上記はいずれも、一般的な常識や大人の世界ならではの厳しさや過酷さを知らない経験不足な人を表す言葉でしょう。ここでは「無邪気」と似た性格の違いを解説します。
「無邪気」と「あどけない」の違い
「無邪気」は精神的な子供らしさをあらわす言葉であるのに対し、「あどけない」は、表情や姿形など外見に由来する部分に対して用いられる言葉です。明らかに大人の外見を持つ人に対して、外見の子供らしさや、かわいらしさを表現する「あどけない」という言葉は、正しい用法ではない点に注意が必要です。
無邪気な人の特徴1:屈託のない素直な笑顔が表現できる
笑顔を自然体で表現できる人は、他人に対して良好な印象を与えるだけでなく、自身に向けられた敵意や警戒心さえ解きほぐすことができるため、ビジネスでも非常に有効な武器です。「無邪気」な性格を有している人は、男女を問わず、よい意味で場の空気を読まず素直な行動をすることができるため、笑顔も自然に出せる人が多いです。よく、笑顔が素敵な女性や屈託のない笑顔が表現できる男性は、異性同性を問わず幅広い人に愛され守ってもらえる存在になりやすいでしょう。無邪気さによって生み出される笑顔には、ビジネスシーンだけでなく、人間同士の感情の結びつきとなる友情や、恋愛関係でも強力な武器としての力があります。
無邪気な人の特徴2:本音を携えた意見や発言が多い
無邪気な性格の人は、結果の良し悪しを問わず、場の空気を読まず自分の本音に従って行動しがちです。常に心を解放し、自分が本当に望みたい行動を実践することができるため、伝えたい気持ちを言葉に乗せて表現することが出来ます。ひたむきなまでに素直でまっすぐな凜とした性格は、それと接する他人に対し警戒心や不安を与えない存在でしょう。猜疑心や腹の探り合いが多くなりがちなビジネスシーンにおいて、無邪気な人は不信感を与えず交渉を進められることが多いでしょう。
無邪気な人の特徴3:行動やリアクションが素直で正直
無邪気な人のリアクションは、素直であり正直なものがおおいです。特に、性格的に開放感に包まれた無邪気な人は、周りの視線やその場の空気を読むことなく行動することができるため、ほぼすべての行動が自分中心になりやすいです。状況によっては悪い結果を招く可能性も考えられますが、性別や年齢差を気にすることなく実直に振る舞える姿は、多くの方に安心感を与えることが出来るでしょう。しかし、無邪気な人は一匹狼のように、一人で物事を考えたり決断を下すシーンでは意外な弱さを見せることがあるため、状況に応じて適切な指示を与えるなどの周りによるサポートも欠かせません。
無邪気な人の特徴4:物事に対してハキハキとしている
無邪気な人の素直さや正直さに由来する特徴が、どんな物事に対して裏表を好まず自分の感情や考えを表に出せる点です。ビジネスの場面では、相手との腹の探り合いが基本となりやすく、また自分の中にある本音を押し殺してでも、接する相手の気分を害しないように印象を悪くしないように行動するのが基本的な考えでしょう。しかし、無邪気な人はビジネスのしがらみを気にすることなく自分の本音を素直に表に出すことができるため、無邪気な性格が思いもよらない結果を招いてくれるケースも少なくありません。
無邪気な人の特徴5:うっかり失言しやすい
ビジネスシーンにおける無邪気な性格の人の扱いで最も慎重さが求められるのが、失言しやすいというポイントです。純粋に素直に自分の本音を表に出して表現できるということは、逆に考えれば周りや場の空気を一切読むことができないという結果になりえるため、交渉相手やお客様に対し失言ともとれる失敗を犯してしまうケースも珍しくありません。
無邪気な人との付き合い方
   相手の言葉を100%真に受けない
無邪気な性格の人は、一見して不躾ともいえるような発言や行動をしがちであるため、相手の言葉をすべて真に受けないようにすることが大切でしょう。大切な繋がりをキープする必要がある方であるほど、あらかじめ相手の言葉に左右されないよう覚悟を決めておく必要があります。
   信頼しすぎないように注意をする
無邪気な笑顔や行動を示すことができる人は、見る側にとって心地よい存在となりやすく、必要以上に信頼感を抱いてしまう人も多いです。しかし、好感を抱いた側とは違い、無邪気な人は無意識のうちで普段通りの事として実践しているため、相手の気持ちと差が生まれてしまうケースも少なくありません。
   本音をさらけ出さないこと
無邪気な人に対して、人間は思わず自分の弱さや本音を打ち明けて共有してもらいたくなるものでしょう。しかし、自分の本音や弱さをさらけ出しすぎてしまうと、今度は無邪気な人経由で他人に知れ渡ってしまう危険性も考えられます。無邪気な人にとって、他人への気遣いよりも自分が思った本音をさらけ出す事を優先しがちであるため、仲良くなった場合も注意が必要です。
●無邪気な不倫 「デザートを楽しむ」気分だった女が失ったものは…
既婚者が不倫に走る原因として一般的には「配偶者への不満」が多いようだ。けれども、そんなわかり易い動機ばかりではない。「最高のパートナー」がいながら、魅力的な異性と出会い、恋をして、不倫へと足を踏み入れてしまう場合も実は少なくない。楽しんだ後にどんな代償を払うことになるのか、想像すらせずに……。

舞(仮名)もそうだった。夫とは稀にみる仲の良いカップルだと自分でも思っていた。二人は小・中学校の同級生で背伸びする必要がなく、自然体で過ごせて楽。さらに多くの思い出を共有していることもあり会話も尽きることがなかった。
お互いの母親は元ママ友。親戚になれたことを喜び、両親を交えて出掛けることも多かった。二人ともいずれ子どもが欲しいと考えていたが、しばらくはこの生活を楽しんでいたかった。
そう、不満など何もなかったのだ。
結婚後は派遣社員として働いていた。労働環境が良く、社員との壁を感じずにすぐに同僚と仲良くなれた。月に何度か食事や飲みに行くうちにプライベートな会話も増えて行き、益々充実した日々を送っていた。
そんなある日、同僚と食事をしていると他部署の男性グループと偶然居合わせ意気投合。その中に亮(仮名)はいた。イケメンなうえ、仕事もできる亮は若手の中ではスター的な存在だった。接点のなかった舞でさえ名前をフルネームで言える。そんな亮との同席に独身の同僚たちは色めき立った。
盛り上がった勢いでLINEグループまで作り、月に二、三度のペースで一緒に飲むように。仲間が増えると職場はグッと楽しくなる。勉強が仕事に変わっただけで学生さながらの毎日。夫もそんな舞に文句を言うどころか喜んでくれた。
そんな満たされた毎日を過ごしていたある日、亮から突然個別でメッセージがきた。
「好きになってしまいました。どうしたら良いですか?」
4歳年下の彼を可愛いと思っていたし、顔を見ればときめいてもいた。慕われているのもわかっていたが、まさかこんなメッセージが来るとは思ってもいなかった。どこかつかみどころがなく、軽やかに立ち回る彼のことだ、派遣で既婚者の自分は、遊ぶには都合の良い相手と思ったのだろうか?
そうであっても人気者の彼から好きだと言われて嬉しくないはずはない。
「美しさと可愛さを兼ね備えたこの年下の男はベッドではどんな顔をするのだろう……」
夫への罪悪感よりも、彼への興味の方が勝った。
●「無一物の師、無邪気の弟子」
標記の言葉は、大谷大学初代学長清沢満之が雑誌『無尽灯(むじんとう)』に掲載した「ソクラテスに就(つ)きて」という文章の一節です。清沢は、終生、ソクラテスを深く尊敬していましたが、特にその教育方法に共感を懐き、青年教育を行う際、彼の問答法を模範としたと言われています。清沢はこの文章の中で本当に実りのある学びを実現する教育とはどのようなものかを述べています。
無一物の師、無邪気の弟子、問難往復以て事理を討究する、是れ開発的教育に至当の方法たらずや。(教師と生徒の徹底した対話によってものごとの道理を明らかにしていく、それが、開発的教育に最も適切な方法です。)
「無一物の師」とは何一つもたない教師という意味ですが、それは何も知らなくてよいということではありません。ここでは、教師が自らの立場や持論に固執することのないあり方を指します。「無邪気の弟子」とは、議論に勝つことや教師に認められることを学びの目的とするような、邪(よこしま)なこころのない生徒を意味します。
清沢は、生徒に既成の知識を教え込む注入式の教育ではなく、対話と思索を大切にする開発的教育を重視しました。その対話の際、教師は無一物、つまり対等の立場で生徒に接することが必要であると言います。そうでなければ、結局は自らの知識や持論を生徒に押し付ける注入式の教育に陥るからです。生徒は知識を憶えること、教師と同じ考えをもつことを求められ、苦痛を感じ、学ぶ意欲を失っていく。それは物知りではあっても自ら思索する力をもたない生き字引を生み出すだけで、本当に実りある学びを実現することにはならない、と言います。
清沢は各自の関心に応じて対話を重ね、その人格を掘り起こすことで、生徒が自ら思索し、ものごとの道理を問い続けていく力を培う学びを大切にしました。そのような営みによって獲得された知識、智慧こそ、本当に身についた実りある学びの成果であると言います。清沢は自由な思索と闊達な議論を中心とする学びを実践しました。清沢が教え子たちと共同生活を送った浩々洞(こうこうどう)は議論と大笑いの場であったと伝えられます。
今年も、新たな学友を迎える季節となりました。清沢を初代学長にもつ大谷大学には、知識や技能を習得するだけではない確かな学びを大切にする伝統があります。本当に実りある確かな学びとは何か。この問いに対して、清沢の言葉は大切な示唆を与えているように思われます。
●『無邪気』 男ウケの良い無邪気な仕草
無邪気で可愛い女子になりたいあなたに必見!無邪気の意味や類語、無邪気な人の特徴やモテる仕草など「無邪気」に関係することを載せています。「無邪気」の意味を知って、ぎゅっと抱きしめたくなるような、笑顔の可愛い素敵女子になってみませんか?
『無邪気』の意味
無邪気の意味には、おもに3つの意味があります。
・あどけなくて、素直なこと。また、そのさま。
・悪気やねじけた気持ちのないこと。また、そのさま。
・深い考えのないこと。また、そのさま。
いい意味にも悪い意味にも使える言葉だといえますが、どちらかといえばいい意味で使うことが多いといえるでしょう。
『無邪気』の類語
「世慣れしていない、または世俗的ではない」の意味なら、「たわいない」「うぶ」「純真」「初々しい」などの類語があります。
「機微さおよび洞察力が欠如しているさま」の意味の場合は、「単純」「めでたい」という類語があります。「悪または罪とは無縁の」という意味なら、「天真爛漫」「罪のない」「無実の」などの類語があります。
このように、「無邪気」にはいろんな類語があります。それらを見ても、まっすぐな素直さを表わしているような意味合いが強いことが分かりますね。
無邪気な人に共通する特徴5選!
無邪気だといわれるような人は、どのような特徴があるのでしょうか。無邪気な人に共通する特徴を5つ紹介します。
   感情表現が豊か
人間の感情には、喜怒哀楽さまざまな感情があります。無邪気な人は、それらの感情をはっきり出すことができる特徴があります。嬉しいときにはめいっぱい喜び、悲しいときには思いっきり泣き、楽しいときは100パーセントの笑顔で楽しい気持ちを表現します。
   リアクションが大きい
リアクションが大きいのも無邪気な人の特徴です。たとえば驚いたときには、「えっビックリした」程度ではなく、「えーーーーー!?びっくりしたあ!」なんて具合です。声や顔の表情や身振り手振り、仕草のすべてが少し大げさなんじゃないと思えるくらい大きいのが無邪気な人の特徴です。
   冗談や嫌味が通じない
冗談や嫌味が通じないと、えっ?となりますよね。無邪気な人はとても素直です。ストレートに感情表出するので、まわりくどい感情の表し方は苦手。「あの人には冗談や嫌味が通じない。天然だなあ」なんて思える人は、無邪気な人である可能性が高いです。
   人見知りしない
人見知りしないのも無邪気な人の特徴です。人見知りせず、最初からフレンドリー。ですので無邪気な人は、初対面の人ともすぐ仲良くなれたりします。人見知りするタイプの人も、無邪気な人には心を開くことが多いでしょう。人見知りしないだけでなく、誰にでも何にでも興味を持つことが多いです。人に対して壁を作りません。誰にでも明るく笑顔で接することが出来ます。
   空気が読めないことがある
良くも悪くも直球ストレートなタイプである無邪気な人は、ときに空気が読めないことも。静かにおとなしくした方がいい場面でも、友達に話しかけてしまった、なんてことがあるでしょう。そんなときに感情表現が豊かでリアクションも大きいため、人一倍目立ってしまいます。
無邪気な人は好かれる!その理由とは?
無邪気な人は好かれることが多いといえます。その代表的な理由を3つ紹介します。
   笑顔でいることが多い
いつもニコニコと笑顔でいる人のそばにいると、思わずこちらも笑顔になるものですよね。無邪気な人はもともと素直で明るい性格をしているので、笑顔でいることが多いです。仏頂面や陰険な表情をしていることが少ないでしょう。
   場の空気が明るくなる
無邪気な人の底抜けな明るさに接すると、周りの人もつられて笑顔になり、場の空気が明るくなります。もしギスギスした空気が漂っていても、無邪気な人が現われたり・無邪気な人のちょっとした一言で、雰囲気がよくなることもあるといえます。
   裏表がなく付き合いやすい
無邪気な人は裏表がないです。嘘をついたり人を騙したりすることがないので、周りの人も安心して付き合うことが出来ます。悪意や意地悪さとは無縁なのが無邪気な人であったりします。
無邪気な人はときに嫌われる?その理由とは?
一方で、無邪気な人は空気が読めず、嫌われてしまうこともあります。ときに嫌われたり敬遠される理由を具体的に3つ紹介します。
   自由奔放で我慢が苦手
マイペースや天然であること自体は悪くないですが、その無邪気さが仇となることも。自由奔放で我慢が苦手なため、じっと待つことが出来ないときもあります。無邪気な人は、その場その場で我慢すべきときは我慢するのが必要となります。
   悪気はないが失言が多い
悪気はなくても、ときに人を傷つけてしまうことはあるものです。無邪気な人が素直に思ったまま言った言葉が、失言となることも。周りの人のヒンシュクを買うこともあるでしょう。ときには臨機応変に出来たらいいですね。
   人懐こいがゆえに距離感がわからない
人見知りしない、人懐こい性格だからこそ、いろんな人と仲良くすることが出来ます。ですが裏を返せば、距離感が分からないともいえます。相手が話したくないと思っていても、無邪 気な人はその思いを察知できずに、ぐいぐい話しかけてしまうこともあるのです。
無邪気な女子はモテる!その理由とは?
気配り上手な女子だけがモテるとは限りません。無邪気な女子は男子にモテます。その理由を4つ紹介しますが、共通していえるのは「素直さ」。素直な女子は、男子に可愛い女子のイメージを植えつけます。天然なところがあっても、多少のことは許せちゃうんです。
   可愛らしい性格に癒される
無邪気な女子は、男子が思う「可愛い」のツボを押さえています。まっすぐで素直な明るい性格というのは、とくに男子には可愛らしく映るもの。小動物を愛でるような可愛らしさを感じ、癒されます。
   誰にでも同じ態度で接するところに好感がもてる
無邪気な女子は人によって態度を変えずに、誰にでも同じ態度で接します。みんなに平等な人って、好感がもてますよね。女子だけでなく、男子も案外そういうところをよく見てチェックしていますよ。
   計算がなく本能のままに動く
損するか得するかを計算して動いていると、人によって態度が変わったり、細かいところまで気にするようになります。無邪気な女子は計算がなく、基本的に本能のおもむくままに動きます。だから裏表がないのです。だいたいの男子は、計算高い女子のことを嫌がります。自由でマイペースな、計算高くない、無邪気な女子を好きになることが多いです。
   リアクションが大きいから一緒にいて楽しい
同じ話を話すなら、リアクションが小さいより大きい方が、楽しい気分になりますよね。男子はけっこう単純なので、女子以上にそう思う節があります。リアクションが大きい無邪気な女子といると「楽しいな」という気持ちになり、いつの間にか「好きだな」と思われることもあるかもしれませんね。
無邪気でモテる女子の特徴7選!
じゃあどうやったらそんな無邪気な女子になれるのか?無邪気でモテる女子の特徴を7つ紹介します。参考にしてみてくださいね。
   笑顔が可愛い!
笑顔は女子の最大にして最高の武器。笑顔が可愛い特徴をもつ女子は、それだけでモテます。友達とのおしゃべりや、お笑い芸人の漫才を見たり、なんでもいいです。日々たくさん笑って楽しく過ごしていたら、モテるだけでなく元気にもなれますよ。
   リアクションが大きい
リアクションが大きいのも、無邪気でモテる女子の特徴です。普段リアクションが小さいなと自分で思う人は、リアクションを大きくしてみてください。ちょっとくらい大げさでもいいじゃないですか。思ったことを思ったままに表わすと、気持ちもすっきりします。
   素直な性格
無邪気でモテる女子の最大の特徴といえるのが、素直な性格です。素直な性格をもつ女子は、思っている以上にモテます。女性は頭が良くて、細やかな気配りが出来て、といった女子に憧れがちですが、男子の心をわしずかみにするのは素直な性格の女子です。むしろ素直すぎてバカなくらいの方が、男子には可愛いと思えるのです。
   人目を気にせずはしゃぐ
いつも人目を気にして空気を読んでいたら、疲れませんか?無邪気な女子は、そんなことはしません。だから邪気がないのです。その場を楽しむということを本能で知っています。人目を気にせずはしゃぐのも、無邪気でモテる女子の特徴です。
   天然が入ってる
無邪気な女子の特徴に、天然が入っていることも挙げられます。いわゆる「天然記念物」な、空気が読めないのを個性として認められている女子のことです。ボケとツッコミなら、いつもボケを担当しているような天然な女子を、男子は微笑ましく思うことが多いでしょう。
   いろんなことに興味がある
いろんなことに興味があるのも無邪気な女子の特徴です。自由で好奇心の強い性格なので、冒険心も旺盛。興味をもつ範囲が広く、1つのことに興味の対象がとどまっていないのだといえます。
   子供や動物好き
子供や動物を可愛く思えるという、母性愛の強さだけではありません。子供や動物は本能の強い生き物です。自由奔放で無邪気な女子には、どこか惹かれあうところがあるのでしょう。無邪気でモテる女子は、子供や動物好きでもあります。
男ウケの良い無邪気な仕草10選!
男ウケの良い無邪気な仕草を10個紹介します。少女漫画に出てくるような、可愛い仕草がたくさんありますよ。
   可愛いものを見たとき、うれしいときにはしゃぐ
「わー!可愛い!」なんて嬉しそうにはしゃぐ姿は、可愛い無邪気な仕草そのもの。その様子を見た男子も、思わずほっこりすることでしょう。
   食べ物を美味しそうに食べる
食べ物を美味しそうに食べる姿は、微笑ましいものですよね。見ているほうも食欲をそそられます。食べ物を美味しそうに食べるのも、男ウケの良い仕草といえます。
   すねて頬をふくらませる
やきもちをやくなどして、「プンプン!」なんてすねて頬をふくらませることも、男ウケが良いです。可愛らしい、無邪気な仕草ですね。
   ぼんやりしながらの頬杖をつく
無邪気な女子は、親しみやすい雰囲気があるもの。ぼんやりしながらの頬杖をつくその無防備な仕草に、男子は胸キュンすることでしょう。
   驚きで油断したポカンとした素の表情
驚いたときのポカンとした素の表情も、男子にはグッときます。天然女子ならではの、素直でそのままの表情がツボにはまっちゃうんです。
   謝るときの拝みポーズ
「ごめん!」なんて言って、拝みポーズで謝るのもモテる仕草の一つ。少女漫画やドラマに出てくるシーンで、無邪気な女子がこの仕草をして、男子がつい許していたりしますよね。
   お願いするときの上目遣い
お願いするときの上目遣いも有効。無邪気な女子に、小動物のようなうるんだ瞳で見上げられてお願いされたら、男子はがっちりとハートをつかまれてしまいます。
   遠くを見るときの背伸び
これは、背の低い女子がとくに使える、無邪気な技です。遠くを見るときの一生懸命背伸びする姿に、「守ってあげたい」と男心をくすぐられる男子がいるかもしれませんね。
   待ち合わせで駆け寄ってくる
待ち合わせで駆け寄ってくるのも、男ウケする無邪気な女子の仕草です。「なんだよ。びっくりした」「ごめんね。あまりにも嬉しくて、つい」「もう、しょうがないなあ」なんていうラブラブな会話が後に続きそうな、可愛い仕草ですね。
   涙を我慢する
涙を我慢する仕草も、男ウケがいい無邪気な女子の姿。涙をこらえて、頬を伝わないように限界まで我慢する。でも明らかに泣いていて、目はうるうる。その仕草を見た男子は、無邪気な女子への愛しさがもうどうにも止まらなくなってしまいます。
無邪気さを演出しようとすると見抜かれる?
計算ずくな無邪気さの演出は、見抜かれることが多いもの。とくに同じ女子には「この子、計算してやってる」とすぐ見抜かれて、ヒンシュクを買うかもしれません。リアクションが大きいなど、計算して行うと不自然になってしまう言動が多いからです。普段とキャラが違うと、余計にバレてしまいがち。あくまで自然体で無邪気な姿だからこそ「可愛い」と思ってもらえます。
無邪気な仕草で男性をキュンとさせよう!
いかがでしたか?無邪気な人は、人見知りしない、むしろ人見知りと逆にとても人懐こい・純粋なタイプであることが分かっていただけたかなと思います。「こんな風にはなれない」と思った方ももしかしたらいるかもしれません。ですが、素直さや自分の心に正直に生きる姿勢をすこし取りいれてみたら、また違った発見があるかもしれませんよ。ぜひ無邪気な仕草で男性をキュンキュンさせてみてくださいね。 
 
 

 

●邪気
悪意。病気を起こす悪い気。
人に害を与えようとする心。悪意。「―のない人」「無―」。病気を起こす悪い気。悪気 (あっき) 。「―を払う」。物の怪 (け) 。じゃけ。「はじめ歩み来たりつる物は―なり」〈著聞集・一〉。
病気などを起こす悪い気。悪気。太平記(14C後)二三「俄かに邪気(ジャキ)に侵され、身心悩乱して、五体逼迫しければ」〔礼記‐楽記〕。物の怪(け)。ざけ。権記‐長徳四年(998)三月三日「左丞俄有二煩給一、〈略〉示云、腰病、邪気所為也云々」。古今著聞集(1254)一「先度、汝大般若の御読経つかうまつりしに験ありき。はじめあゆみ来たりつる物は邪気なり」。かぜ。風邪。感冒。文机談(1283頃)一「冷泉院の御邪気の時」。ねじけた気風。悪意。許六宛去来書簡‐元祿八年(1695)正月二九日「凡兆この比、古翁の其角を御引被レ成候とて邪気をさしはさみ居候故」。
もののけ。また、病気。じゃき。ざけ。源氏(1001‐14頃)浮舟「例の御しゃけの、久しく起こらせ給はざりつるを。恐ろしきわざなりや」。人をだましたり、傷つけたりしようとする気持。悪気(わるぎ)。甲陽軍鑑(17C初)品八「内典外典ともに、たづさはり、邪気(ジャケ)、聊もなければ」。ざけ【邪気】(「ざ」は「じゃ」の直音表記。「け」は「気」の呉音) もののけ。たたり。じゃき。宇津保(970‐999頃)国譲中「これかれに物問はせ侍ればざけなど申す。作善(さぜん)など行(おこな)はせ侍れど、なほ心もとなきを」。
人に害を与えようとする心。悪意。「邪気のない人」「無邪気」。病気を起こす悪い気。悪気あっき。「邪気を払う」。物の怪け。じゃけ。「はじめ歩み来たりつる物は—なり」〈著聞集・一〉。[類語]悪意・悪気・意趣・悪感情・悪心・邪心・出来心。じゃけ【邪気】物の怪け。また、病気。じゃき。「御—の久しくおこらせ給はざりつるを」〈源・浮舟〉。ざけ【邪気】「じゃけ」の直音表記。「—なんどの、人の心たぶらかして」〈源・柏木〉。
悪心。〔管子、形勢〕(あした)に其の事をるれば、夕に其の功を失ふ。氣に入れば、正氣乃ちふ。
・・・世の中は2通りの人間にわかれます。それは邪気を祓える人と、邪気を祓えずとりつかれてしまう人。運が強そうに見える人や、いつも幸せそうに過ごしている人は、意識的にしろ、無意識的にしろ、 日常生活の中で上手に邪気祓いができている人です。「邪気」は、悪い気、ネガティブな気。 家にたまったり、心の中にも宿るもの。・素直じゃない、ひねくれている ・自分を大切にできない ・ひとつの考えに執着している ・何でも人のせいにしがち そんな心こそ邪気そのもの。心にある邪気の波動(エネルギー、気)が大きくなれば、さらに邪気を引き寄せてしまいます。自分が望んでいない状況ばかり起こるという人はもしかしたら邪気寄せ≠しているのかもしれません。邪気を祓うことは、生活環境を整え、自分自身を変えることでもあります。邪気は気づいた瞬間から祓うことができるもの。邪気祓いで、人生は必ずうまくいきます。さあ始めましょう!・・・
・・・日本では古来より「邪気」といえば物の怪(け)、病気、人に害を与えようとする心(悪意)をさすことが多く、東洋医学で使う「邪気」の意味をご存じの方は少ないようです。また、「邪気」と言えば神社仏閣での「お祓い」のイメージがあり、「邪気払い」とも言われるように、自分自身を清め神仏に祈ることで病気や災害を起こす悪い気を払おうとする行為は日本人にとってごく自然な習慣でしょう。このような「邪気」の解釈は日本独特のものであり、東洋医学的な「邪気」の意味とは全く異なります。中国古代医書の「黄帝内経」によると、自然界には「六気」と言われる6種類のエネルギー(風・寒・暑・湿・燥・火)がいたるところにあります。それらは自然と人体に入り体を動かすエネルギーとなります。どのエネルギーも人間にとって必要なものですが、増えすぎた特定のエネルギーは「淫気」となります(「淫」とは必要以上に増えすぎたものという意味です)。体内の風・寒・暑・湿・燥・火のエネルギーのバランスが崩れたとき、増えすぎた特定のエネルギー「淫気」は「邪気」となります。「邪気」とは東洋医学による寒気、湿気、火気など経絡を流れる気を滞らせるものの総称です。「邪気」は増えすぎたため正常な働きを邪魔するもの、乱すものとなっているだけで、本来悪いものではありません。体にとって「邪気」は戦う相手ではなく調和するものです。王気功では「邪気」は体の弱い部分に留まり疾患の主な原因となると考えています。「邪気」を取りだし、不足した気を注入することで痛みを取り除き疾患を改善していきます。・・・
●「気」と「邪気」について
「気」について
「気」とは「万物を構成する連続的な流体であり、生命エネルギー」です。
中国哲学では一般に手でつかめない流動的なものを「気」、手でつかめる形のあるものを「質」と呼びます。「気」は常に動き、形を変えています。すると、物事や物質も「気」の動きとともに、様々に変化します。自然現象は、「気」の変化によって起こります。
人間の身体の中でも同じことが起こっています。「気」は人が生きようとする力であり本能を生み、経絡を通じて五臓六腑を機能させます。「気」の変化が人の健康状態を左右するのです。
東洋医学に於ける「気」は“体感”するものであり、人が人に のみ触れ合った時のなかで始めて生じる現象と考えられます。人が人を真摯に治療する姿勢、構えの中で生じる現象なのです。
「邪気」について
東洋医学に於いての邪気とは、病因である「素質・内因・外因」のうちの外因(風邪・暑邪・湿邪・燥邪・寒邪・火邪、飲食労倦)などと考えます。この邪気は、病因を受けやすい体質と内因(怒・喜・思・悲・憂・恐・驚の七情)の個人の状態が合わさることにより、身体を侵し、病を引き起こします。
わかり易く言うと、自分の体と心に良くない「気」です。
例えば、古くからある病院や、精神科の病院へ行くと、冷たく重い感じを受け、「気」を吸い取られるように感じた事があるかと思います。
邪気は、周りにたくさんあります。邪気は、自分の「気」が弱い時に入り込んできます。
経絡治療では、正気が虚している経絡を補い、実している経絡から邪気を取り去ります。
余談になりますが、今でも神社やお寺では「憑き物落とし」というお祓いが行われています。今日のように医学が進歩していない時代(奈良〜平安時代)、病気になったのは、霊や狐のような何かに取り憑かれてしまったからとか、呪いをかけられたからだと信じられていて、それが今に繋がっています。
よく知られているのは、東洋医学の世界観である陰陽論・五行論に通ずる「陰陽道」という技術の体系です。
これを基に「陰陽寮」という知識の宝庫である国の機関が作られ、そこで働く「陰陽師」は、天文学の知識を持ち、暦を作り、占術を行い、医学、兵法、そして呪術を行いました。
今もお祓いをする風習が残っているのは、現代に於いても自分の中にこれを否定できない現象や感覚があるのだからだと思います。
これだけ、医学や科学が進歩した現代でも、治せない病気はまだまだあります。「気」や「経絡」のように目に見えないものや説明のつかない現象も多々あります。
病気を治すためには、固定観念にとらわれず、可能性がある限り諦めてはいけないと思います。
●節分 (2月3日) − 豆まきで邪気払い ―
2月3日は節分ですね。皆さんのご自宅では豆まきをしますか? 節分になぜ豆まきをするのか、そもそも節分っていったい何なのか、今一度思い出してみませんか?
節分って何?
節分は本来、各季節の始まりの日(立春・立夏・立秋・立冬)の前日を指していました。「季節を分ける」こという意味もあります。江戸時代以降、特に立春(毎年2月4日ごろ)の前日を指すようになったそうです。
節分には何をするの?
この日は皆さんもご存じの通り、豆まきをします。邪気を追い出し、幸福がやって来ることを願い、「鬼は外、福は内!」と言いながら炒った大豆を撒く光景は馴染み深いものです。昔から季節の変わり目には邪気(鬼、悪い気)が生じると考えられていて、その邪気を払うための年中行事が節分です。じゃあなぜ豆をまくかというと、これには諸説ありますが、宇多天皇の時代に鬼が出て都を荒らすのを、炒り豆(大豆)で鬼の目をつぶして鬼を退治したという故事からだという説が有力です。 また、炒った豆を使うのは、旧年の厄災を負って捨てられるものなので芽が出ると不吉だからだそうです。
豆まきで鬼は誰がする?
ところで、豆まきで鬼の役をお父さんがしているのを見かけますが、本来は家長であるお父さん、あるいは年男が豆を撒き鬼を追い払う役目を担っていたのです。お父さんは鬼役から外した方がいいのかもしれませんね。また、邪気を追い出すわけですから、家の奥の方から始めて玄関に向けて豆をまくのがよいようです。豆まきの後は年の数 (実際は数え年の数なので、年の数+1) だけ豆を食べると体が丈夫になり風邪をひかないと言われています。うちでも毎年、年の数食べるようにしていますが、数が増え過ぎ年々ハードルが高くなっています。
大豆派? 落花生派?
「節分には炒った大豆」と書きましたが、実は私の実家ではずっと落花生を殻付きのまま撒いていました。実家は大隅半島です。実際に節分のころスーパーに行くと、鹿児島市周辺でも売り場で目立つのは落花生ではないでしょうか?全国落花生協会によると、北海道、東北、新潟、長野などは豆まきに落花生を使う割合が高いのだそうです。北海道での落花生の生産が拡大した昭和30年〜40年代ごろから豆まきに落花生を使うようになったのではないかと言われているそうです。スーパー等の売り場から察するに鹿児島、宮崎でも落花生を撒く家庭は意外に多いのではないでしょうか?この落花生、私の実家では撒いたあと拾って食べていました。皆さんのご家庭ではいかがでしょうか?
豆以外に食べるもの?
この時期になると、スーパーでもコンビニでも「恵方巻き」の広告が目に付きます。もともとは大阪地方で節分に太巻きを食べると縁起が良いと言われていたようですが、発祥については定かではないようです。これを全国に広めたのは、セブン・イレブン。「恵方巻き」という名も1998年(平成10年)にセブン・イレブンが全国発売にあたり命名したようです。それ以前は単に「巻き寿司」や「丸かぶり寿司」と呼ばれていたとか。ちなみに私が子どものころには鹿児島では恵方巻きなんて見たことも聞いたこともありませんでした。さて、この恵方巻き、節分の夜にその年の恵方に向かって無言で、願い事を思い浮かべながら丸かぶりするのが習わしだそうです。太巻きには7種類の具材を使うようで、この7という数字は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので福を巻き込むという意味があると聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。また、恵方巻きを切らずに1本丸ごと食べるのには「縁を切らない」という意味があるそうです。とは言え、毎年恵方巻の廃棄が問題視されています。それを受けて小さめのサイズの恵方巻の販売や予約販売に力を入れるなど対策を講じていますが、大切なのは「恵方巻きは予約購入するもの」など私たち消費者の意識ではないでしょうか?
2022年の恵方は北北西よりわずかに北
「恵方」とは、歳徳神(としとくじん)という神様がいらっしゃる方角で、その方角に向かって事を行えば、万事に吉になるとか。この歳徳神はその年の福徳を司どっているそうです。別名「歳神様」「正月さま」。今年一年の無病息災と幸福を願いながらお寿司を丸かぶり。うまく商業広告に載せられている感はあるものの、やはり縁起物。ついつい毎年買ってしまいます。
この日飾るものって?
地域によっては鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の枝に刺したものを玄関に飾るところもあるそうです。鰯を焼くと出る激しい煙と臭いで邪気を追い払い、さらに柊の針で鬼の眼を刺すという魔よけの意味があるのだとか。こうしてみると、昔から季節の変わり目、特に春分の前日の邪気払いというのはいろいろな地方で盛んに行われてきたことが分かります。日本の年中行事、次の世代にも伝えたいですね。
●節分
2月の日本の行事としてよく知られている「節分」。"鬼は外!福は内!"の掛け声をかけながら豆をまき、鬼を追い払います。他にも、焼いたイワシの頭を飾り付けたり、豆や恵方巻きを食べたりしますが、その理由は意外と知られていないものです。そこで今回は、節分について詳しくお話したいと思います。
1. 節分のはじまり
2021年の節分は2月2日です。節分はいつかと聞かれたら、2月3日だと答える人が多いでしょう。しかしこの日付は固定ではなく、「立春」の日付によって変動します。節分が2月2日になるのは、明治30年以来124年ぶりのことです。節分とは本来、"季節の分かれ目"という意味の言葉で、立春・立夏・立秋・立冬の前日を指すため、4回あります。旧暦では春が1年の始まりであったため、その中でも「立春の前日の節分」が最も大切にされていました。その名残で節分は、立春の前日を指すことが多くなったようです。季節の分かれ目には邪気がでるとされ、邪気払いをするようになったのが節分という行事のはじまりだといわれています。
2. 節分は何をする日?
昔から病気や災害など、人の力を超えた恐ろしい災難は鬼の仕業とされてきました。「鬼(おに)」は邪気を意味する「陰(おん)」に由来するともいわれています。そのため、毎年節分には様々な方法で邪気の象徴とされる鬼を追い払います。
   豆まき
豆まきのはじまり / 豆まきはもともと中国の風習で、日本に伝わったのは室町時代です。中国で年越しに行われていた、疾病や災害などをもたらす悪い鬼を追い払う「追儺(ついな)の儀式」が伝わったものとされています。
豆をまく理由 / 豆をまくようになったのは、「魔滅(まめ)」に由来すると考えられています。鬼の目である「魔目(まめ)」を滅ぼすことを「魔滅」といい、「豆」につながったといわれています。炒った豆をまくことで、「魔物の目(魔目)を射る」ことができると考えられていました。また、昔は穀物には生命力や魔除けの力があると考えられていました。五穀の1つである豆は、霊力が宿り、邪気を払うことができる、欠かせないものであったのも由来であるといわれています。
豆まきの作法 / 豆まきは地域によって作法が異なります。基本的には、炒った豆を、鬼がやってくる夜に窓や扉を開けて奥の部屋からまきます。"鬼は外!"と掛け声をかけながら豆を2回まき、鬼が戻ってこないようすばやく窓や扉を閉めます。次は、家の中に向かって"福は内!"の掛け声とともに2回まきます。すべての部屋で豆をまいたら、最後に玄関でまいて終了です。豆まきが終わったら、豆を食べましょう。「年とり豆」といい、自分の年齢の数だけ豆を食べ、無病息災を願います。地域によっては、より体が丈夫になるように自分の年齢にひとつ加えた数を食べるところもあります。食べきれない場合は、豆、塩昆布、梅干しを入れて飲む「福茶」という縁起の良いお茶にして飲むと同じ御利益があるとされています。
【地域ごとの掛け声】
群馬県鬼石地域 鬼は内福は内 鬼石の地名にちなみ、追い出された鬼を呼び入れるとされているため
千葉県成田山新勝寺 福は内 本尊の不動明王は鬼すらも改心させるとして「鬼は外」とはいわない
東京都浅草寺 千秋万歳(せんしゅうばんぜい)福は内 観音さまの前に鬼はいないとされているため
埼玉県鬼鎮神社 福は内鬼は内悪魔外 鬼は神の使者とされ、悪魔を追い払うとされているため
京都府大原神社 鬼は内福は外 鬼を神社に迎え、改心させて外へはなすため
神奈川県千蔵寺 福は外鬼は内 鬼を招き入れ、改心させてから外に送り出すとされているため
   焼い嗅がし
「焼い嗅がし(やいかがし)」は「柊鰯(ひいらぎいわし)」ともいい、魔除けとして使われます。鬼はイワシが苦手とされており、焼いたイワシの頭を柊にさして玄関にかざると鬼が入ってこれなくなるといわれています。柊のトゲが鬼の目をさし、イワシのにおいが鬼を追い払うからです。
   恵方巻
節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじりし、無言で食べきると願いが叶うといわれている「恵方巻」。起源は関西です。恵方は縁起の良い方角とされ、年神様のいる場所だといわれており、その年によって変わります。2021年の節分の恵方は、南南東です。無言で食べるのは、食べ終わる前に喋ると福が逃げるとされているからです。具材はこれといった決まりはありませんが、縁起の良い七福神にちなんで7種類の具を入れるのが一般的です。
3. まとめ
今回は節分についてご紹介してきました。節分の歴史や豆のまき方はご存知でしたか?由来は諸説あり、豆まきの掛け声やまく物も地域によって様々ですが、邪気を払い新たな季節へ無病息災を願う前向きな伝統行事であることには違いありません。毎年豆まきを行うご家庭も多いと思いますが、今年はお子様やご家族と節分の歴史や意味を考えながら、楽しい節分をお過ごし下さい。
●身を守る邪気を払う方法
邪気を払う方法は7つ
邪気を払う方法は、以下の7つです。
石・香・植物・食べ物・待ち受け・音楽・花。
結局、どのような方法がよいの?と思うかもしれません。無理せず、気分が良くなる方法を選ぶのがベストです。理由は、日常生活で自然と邪気の影響は受けるからです。一度、邪気を払っても、また気をもらってしまう事はあります。ですので、習慣として続けることができる方法が最適。生活に合う、邪気払いを取り入れると良いです。えっ、習慣として続けなければいけないの… 正直、面倒くさい…と思った方は、水晶を身に付ければOKです。
邪気を払う石
邪気を払う石は「水晶系の石」です。具体的な石をいうと、水晶、アメジスト、黒水晶がよいです。水晶を玄関に飾ったり、身に付けることで邪気を払う効果があります。古来、神社では水晶を埋め、邪気を鎮めるために使用していました。一番簡単で、誰にでもできる邪気を払う方法です。水晶なら手入れも簡単で、手ごろな価格で買うことができます。
   拾った石は邪気を払う?
結論、拾った石は飾らないでください。邪気を払うことはありません。理由は、パワーストーンとは違い、拾った石はその土地に棲む霊が憑いてくることがあります。もし持ち帰っているなら、元の場所に戻すか自然に返すのが一番です。パワースポットや神社の石も同様、違法になることもあります。邪気を払うどころか、邪気の原因にもなりますので、絶対にしないでください。
邪気を払う香
邪気を払う香は「大地が育んだ香」です。具体的には、ホワイトセージ、パロサント、白檀など。大地が育んだ香は、天然の空気清浄機です。邪気を払い、意欲も高まり、心身ともに癒されます。
   邪気を払わない香
人工的な香料は邪気払いを期待できません。イメージ的には、黒色(邪気)に白色(香料)を塗っている、この様な感覚です。ですので、人工香料では、邪気の根本の改善ができません。浄化作用のある天然の香りが、運気アップの秘訣です。
   消臭で邪気払いできる?
消臭で邪気払いの効果はあります。消臭の方法は、換気をしつつ炭や消臭剤を使うのがベスト。石鹸の香やアロマで、消臭するのもよい方法です。ですが、消臭だけでは、マイナスのエネルギーを排除するだけです。邪気を払うことができても、運気アップには繋がりにくいです。なので、消臭し、天然の良い香りを取り入れるのが最高です。
※邪気を払う香は、大地が育んだ自然素材の香ならすべて当てはまります。
邪気を払う植物
結論、植物すべて邪気を払います。ですが、植物によって邪気を払う効果の度合いが違ってきます。邪気を払うのによい植物は下記の2つ。
・生き生きした植物1
・葉が大きい植物2
   生き生きした植物
当たり前ですが、植物が生き生きし、健康なほど邪気を払う効果があります。逆に、枯れそう、よわよわしい植物は邪気の発生源となります。植物を置けば良い!といったことではないので、注意。植物を育てることができる人なら、おすすめです。
   葉が大きい植物
植物の葉っぱが大きく元気だと、生気が生まれ、邪気を払います。大きな葉の植物でおすすめは、モンステラ、オーガスタ、パキラです。部屋やご自宅の環境に合ったものを置いて下さい。
邪気を払う食べ物
邪気を払う食べ物は「酒料理」と「塩をかけた食材」です。
・酒料理
塩をかけた食材
   酒料理
邪気を払う酒料理とは、日本酒を使った料理のことです。古来より日本酒はお清めの儀式に使われる神聖なものです。日本酒を入れた料理なら、煮物、煮付け、汁物、どのような料理でもOK。「日本酒 料理 レシピ」で検索すると様々な料理がでてきますよ。
※もちろん、日本酒を飲むのも、邪気払いの意味がありますよ。
   粗塩をかけた食材
粗塩をかけた食材とは、枝豆、塩のおむすび、スイカなどです。粗塩はお清めを意味し、邪気を払います。粗塩は、海水を濃縮して作る天然塩。ですので、精製されたお塩より清浄効果が高いのが特徴です。
※塩分の摂りすぎには注意してください
邪気を払う待ち受け
邪気を払う待ち受けは「龍」と「自分が大好きな画像」です。
・龍
・自分が大好きな画像
   
風水で龍は気の氣源と考えます。つまり、気をコントロールすることができる聖獣です。邪気を跳ね返したり、よい気にもしてしまう効果があります。龍が好き、龍に惹かれる方は、待ち受けを龍にするのがベストです。
   自分が大好きな画像
簡潔にいえば、心から気分が良くなる画像を待ち受けにするのが正解です。なぜなら、ウキウキする、気分が良くなることで、邪気を払うことができるからです。パッと華やかな画像も、邪気払いの効果があります。
※注意。龍の画像を無理に待ち受けにする必要はありません。気分が落ち込むなら、元も子もありません。龍はあまり好みではないな…、気が向かないな…という方は待ち受けにしないでくださいね。また、好みの画像でも、不気味なおどろおどろしものはNGです。
邪気を払う音楽
邪気を払う音楽は、クラシックです。クラシックは、邪気を払う心が洗われる代表的な音楽です。お休みの朝に、好きなクラシックをながし、部屋を換気し、太陽の光を部屋に入れる。良質な音と新鮮な空気と太陽の光は、運を上げる基本行動。最高な空間にしてくれます。ちなみに、好きなクラシックがないよ!という方には「カノン」がおすすめです。曲を聴きながら、目をつぶって、背中を伸ばし、深呼吸すると、気がスゥ〜と落ち着きますよ。
   邪気を溜める音楽
簡潔にいうと、汚い言葉を使っている音楽はNGです。マイナスのパワーが蓄積されます。英語などで、言葉を理解していないとしても×。
邪気を払う花
邪気を払う花とは、「すべての花に邪気を払う効果があります」。ですので、自分が好きな花を飾るのがベストです。邪気を払う+気を高め、運気も強くなります。また、強いておすすめの花をいうなら、ゆりが良いです。
   運気が上がる、邪気を払う花とは
前述した通り、どんな花でも運気が上がる、邪気を払う効果があります。理由は、花は自然の美しさ、生命の凝縮されたものだからです。つまり、「花を飾ることで、生気に満ちる場所となり、邪気を払い運気が上がる」と考えます。美しい、美しくないは人間の主観ですので、花の色、姿、形は関係ありません。強いて言えば、旬の花を飾るのが良いですね。ですので、気分が良くなる、好きな花を飾って邪気を払ってください。好きな花を飾ってと言われても… どの花を飾ればよいの… と迷う方もいらっしゃると思います。ですので、下記で効果が高い、厳選した7つの花を解説します。
   運気が上がる、邪気を払う花7選
結論からいうと、運気が上がる、邪気を払う花なら「ゆり」をおすすめします。運気が上がる、邪気を払う花は下記の7つ。
・胡蝶蘭(コチョウラン)
・シンビジウム 蘭系
・バラ
・チューリップ
・ガーベラ
・カサブランカ
・ゆり
「胡蝶蘭、シンビジウム」の2つは値段が高いので頻繁に飾るには難しいかもしれません。ですが、カサブランカとゆりなら、比較的手ごろな価格なので、飾るのに最適です。
   胡蝶蘭(コチョウラン)
運気が上がる、邪気を払う花は、胡蝶蘭(コチョウラン)が最強です。オフィスや家の風水環境を良くしてくれます。詳しく言うと、「陽の気に属し、家やオフィスに溜まった陰の気と邪気を効果的に払います」。その事から、華やかオフィスや自宅にするには、これ以上ない最強の花です。
   シンビジウム
シンビジウムは蘭の一種ですので、邪気を払うのにとても良いです。また、花の華やかさから、「運気が上がる、豊かさの象徴」と考えます。ですので、気持ちが落ち込んでいる、不運が重なっている時に飾るとよい花です。
   バラ
バラには邪気を跳ね返す、強い効果があります。理由は、バラの刺が、邪気を跳ね返すのに強力な役割り果たすからです。また、バラには、活気と金運の意味があり、「家を元気に明るくし、運気を上げる」効果があります。金運なら黄色とオレンジ、活気なら赤色、恋愛ならピンクのバラを飾るのが良いです。
   チューリップ
風水でチューリップは、幸運を引き寄せる花として有名です。なぜなら「邪気を浄化する花」として考えられているからです。つまり、邪気を取り除き、気を浄化するのに役立ちます。チューリップの色は、好きな色を飾ればOKです。
   ガーベラ
ガーベラは邪気を払う以外にも、恋愛運の効果がある花です。特に女性の恋愛をサポートしてくれます。恋愛運アップしたいな… よい恋愛ができないな… 不運な恋愛が続いている… そんな悪運を払い、運気を上げるのに最適な花です。
   カサブランカ
カサブランカは「オーラを浄化し癒す」効果です。「純粋無垢、祝福」と「幸運」をもたらす意味があり、非常に縁起が良い花です。詳しくいうと、心を穏やかにさせる、心身にプラスな波動を取り入れることができます。つまり、部屋をポジティブな波動で満たしてくれる花です。
   ゆり
ゆりは、「邪気を払うのにとても強い効果を発揮してくる花」です。理由は、生命力が強い花だからです。「生命力が強いと、生気の力も強い」ですので、邪気を払う力が強く、運気が上がる花だと考えます。更に、上品で香りも強いので、香りでの邪気を払う効果も◎。コストパフォーマンスを考えると、ゆりを飾るのが一番いいと思います。
ちなみに、私がよく飾るのは「カサブランカ」と「ゆり」です。なぜなら「華やかで、日持ちし、値段もリーズナブルだからです」。花風水、初心者から上級者までおすすめの花です。更に、お花にこだわりがなければ、数百円で束で売られている花でもOKです。
   運気が上がる、邪気を払う花を飾る場所
運気が上がる、邪気を払う花を飾るなら、玄関がベストです。その他の場所なら、リビング、トイレ、寝室がおすすめ。
   玄関
前述しましたが、邪気を払うなら、気の入り口の玄関に花を飾りましょう。「邪気を払い、よい気が家に巡る最高の場所」生命力にあふれ、気もリフレッシュできます。空気が明るくなるのを感じることができる、効果的な花風水です。
   リビング
リビングに置くことで、家族の笑顔が増える効果があります。夫婦、家族仲が良くないなら、特におすすめの場所です。家の居心地が良くなります。
   トイレ
トイレは邪気が発生しやすく、特に健康運に直結する場所。ですので、花を飾るのはとても良いです。香りが強く、華やかな花なら最高です。健康運に不安がある方には、最適な場所です。
   寝室
邪気を払う効果を最もピンポンで得る事ができる場所です。なぜなら、「就眠で寝室にいる時間が長い」+「寝ているとき効果を得やすい」からです。ですので、一人暮らしや自分だけ邪気を払い運気を上げたい方におすすめの場所です。
注意、寝室に香りが強い花を飾るのはおすすめできません。具体的にいうと、ジャスミンやローズマリーは注意。理由は、爽やかな香りを嗅ぐと寝つきが悪くなることがあるからです。香りがある花でも、「身体的にもリラックスできる、安らぐ香りならOKです」。
   邪気を払う花は枯れる
私の体験談なのですが、花がネガティブな気(邪気)を吸収すると枯れやすいです。疲れやすいな、心が疲れているかな…と、ネガティブな感情が多いと花が枯れやすく感じます。邪気を吸収し、サポートしてくれるイメージです。「邪気を払ってくれてありがとう」と、感謝の気持ちを込めて、切り花のお水を替えます。そうすると、花も少し元気になり、長持ちする感覚です。
●菖蒲酒 邪気を払い延命を祈念する、端午の節句のしきたり
端午(たんご)の節句の風物詩「菖蒲酒」(しょうぶざけ)と「菖蒲湯」は、若葉の香りをはこぶ薫風(くんぷう)のようにさわやかな香りがただよう。菖蒲酒のような麗しい風習を、現在の生活の中にも取り入れていきたい。
現代に受け継がれる「菖蒲酒」と「菖蒲湯」
菖蒲(しょうぶ)を徳利や銚子に入れて酒にひたす「菖蒲酒」、風呂に入れてわかす「菖蒲湯」は、まるで若葉の香りをはこぶ薫風(くんぷう、初夏の南風)のようにさわやかな香りがただよう。
「菖蒲の節句」とも言われる端午(たんご)の節句。古来、午月(うまづき)にあたる五月は凶の月とされ、忌みつつしむべきとされていた。月はじめの午の日である「端午」には、「菖蒲酒」を飲み、「菖蒲湯」につかり、粽(ちまき)を食べれば、邪気が払われ、疫病が除かれるといわれていた。また、菖蒲を屋根にかけ、蓬(よもぎ)でつくった人形(ひとがた)を門戸に飾るという中国伝来のしきたりも日本には古くから普及していた。
菖蒲と薬玉で邪気を払う、宮中におけるならわし
一方、貴族たちはこの日、内裏(だいり、天皇の住居としての御殿)に青々とした菖蒲を飾り立て、「菖蒲鬘(あやめのかつら)」を冠にかけた天皇と群臣が武徳殿(平安京大内裏の御殿のひとつで、騎射―うまゆみ、くらべ馬などを天覧する場所)に集った。菖蒲と蓬を盛った輿(こし)が献上され、菖蒲と薬玉(くすだま)が群臣へ与えられた。薬玉は、麝香(じゃこう)、丁子(ちょうじ)などの香料を薬として袋に入れ、菖蒲や蓬を結び付け、五色の糸を長く垂らした飾り玉で、邪気を払い、寿命を延ばす効果があるとされていた。ついで節会(せちえ)の宴や「騎射」の行事が催された。これは古代中国で「薬狩」(くすりがり)と称し、山野で薬草を採取したり、鳥獣を猟したりした慣わしに由来するもので、「騎射の節」ともいわれるようになった。宴の席では、菖蒲酒がふるまわれたことであろう。
「菖蒲」を「尚武」に、武家におけるならわし
鎌倉時代には「菖蒲」が「尚武」に通じるということから、武士の間でも、走る馬の上から鏑矢(かぶらや)で的を射る「流鏑馬(やぶさめ)」の競技が行われるようになった。菖蒲はその葉形が刀剣を想わせることから、妖魔を斬り払う力を持つとされ、後にはこれを「菖蒲刀」として子供たちが地面を打ち合う「菖蒲打」(しょうぶうち)を行なうようになっていった。
室町時代には「兜人形」(かぶとにんぎょう)がつくられ、江戸時代になると、立身出世のシンボルとして「滝登り」をする鯉を布でつくり、その「鯉のぼり」を庭に立て、子供の健康と出世を祈る祭りへと変身していった。 今は見かけることも少なくなってしまったが、五月晴れの青空に、悠然とはためく鯉のぼりを見ながら酌む「菖蒲酒」は、なかなかおつなものである。
●「邪気払い」
邪気の意味とは
邪気とは「素直でない」「ねじけた気持ち」「性質」「わるぎ」それから、「気」の一種で、良い感情の時に流れる良い気と、そうでない時に流れる悪い気があります。病は邪気によって起こるとも言われています。つまり、邪気とは、あまり良いものではないということなのですね。「無邪気」と、よく子どもに使う言葉でありますが、無邪気とは、邪気がない様子のことなので、純粋で、無垢だとも言えますね。
では、邪気とは、どのようなことが原因なのか、きっかけは何なのか、人の感情は、シンプルであればよいのですが、複雑なこともあり、ねじれた考えをするものです。そこから生まれるのが邪気ということなのです。
邪気を確認するチェックリスト6つ
以前の自分はとても良かった、と思うところはありますか。良い方向に自分が流れている感じがしない。他人を見て羨んでばかりいたり、自分の人生が充実しているように感じないなど。
他者とばかり比べていることはありませんか。あなたに邪気があるかどうかをチェックしてみてくださいね。
1. 常にイライラして不満が多い
「余裕がある」ということは何においても必要であると言えます。余裕は、お金の事だけでなく、時間の余裕さも日常生活にとって必要不可欠です。しかし、仕事の他にも日常生活の中で時間に追われていると、余裕がなく自分勝手な行動をとってしまう人も居ますよね。そして、感情的になり、後で考えたら、そこまで言わなくても良かったのにと思う経験があるとしたら、あなたの中に「余裕」がないことで邪気に振り回されていることが原因かもしれません。
2. 何をやっても上手くいかない
集中力が途切れて、何をしても上手く行かない状況が続いている時も、邪気が原因であると言えます。何をやっても上手く行かないときは誰にでもありますが、誰かに操られているのではないかと思う程、運が悪いと思う事があるようであれば、邪気が原因であると思います。嵐の中を走るなんて自殺行為ですよね。そんな時は、邪気を払ってクリアにすることをお勧めします。
3. 肩こりや腰痛が続く
邪気には体調不良があることが考えられています。その中でも肩こりや腰痛が酷くなることがあり、それが続くようでしたら、体に溜まった毒を吐きだす作業が必要だと言えますね。2つの植物があって、ひとつの植物には愛情や感謝を伝えて育てて、もう一方の植物には暴言を吐いて育てた植物の成長の差があるのをご存知ですか。
邪気のない人は、周囲からも大切にされています。周囲に大切にされていないのであれば、体の不調があるという説があるのです。自分自身が大切にしないことも原因なので、肩こりや腰痛が酷いようなら、邪気払いをすることをお勧めします。
4. 吐き気が収まらない
食欲はあるけど、吐き気が収まらない状況が続くようでしたら、邪気が原因であると考えられます。また、吐き気はあるけど、オエッとするけど、吐けない症状がある場合は、邪気が溜まりすぎていることで、体内の毒素を自分で吐きだそうとしているとも言えます。同じ言葉を用いても、捉える人によって、捉え方はさまざまなのですよね。
悪気がない言葉を言われたことでも、根に持ったり、ねじれた考えをもったり、ひねくれた考えを持ってしまう事で、吐き気という症状を引き起こすとも言われています。吐き気が収まらないようでしたら、邪気払いをすることをお勧めします。
5. 毎日ダルくてやる気が起きない
何をやっていてもダルいと感じたり、面倒だと感じることが続くようでしたら、邪気払いを試みてくださいね。年齢を重ねると体力が落ちてくることはあります。「気力」というのは、皆さんも知っている「気合いを入れる」ということと同じで、気合いを入れることができない状況になると、邪気を疑うといいですね。
自分の中にある邪念が、あなたの行動を邪魔しようとすることでもあるのです。そんな時は、腹の底から「エーイッ!」と、腹の中に入った邪気を切るように気合いを入れてください。叫ぶのとは異なり、しっかりしろ!自分という気持ちを込めて、邪気に負けないようにしてくださいね。
6. 観葉植物や花が枯れやすい
花や植物は、無条件の愛を与えてくれると言われています。あなたの部屋に育てられている花や観葉植物が枯れやすいという人は、邪気を吸ってくれているから枯れやすいということになります。水をやっても、太陽光に充てるなど、きちんと育てているのに、観葉植物も花もすぐに枯れてしまうようであれば、邪気払いをするといいですね。
また、神棚などを祀っている人で、榊を神棚にあげている場合も、1日と15日に榊を変えるのですが、15日間を待たずに、榊が枯れやすいというのも、邪気をその分吸ってくれているということなのですよ。
邪気退散!悪い気を浄化する邪気払いの方法14選
日常生活の中で、疲れたことから邪気を生んでしまう事もあります。何のメリットにもならない邪気は日頃からない状態であることが望ましいので、邪気をどのように退散するのかをまとめてみました。何かひとつでもトライできそうなものがあったら、ぜひ日常生活に取り入れてみてくださいいね。
1. 粗塩で邪気払い
粗塩もピンからキリまでありますが、値段は安くても高くても粗塩であれば、効力は同じだと考えてくださいね。粗塩は、お通夜やお葬式に参列すると、肩のあたりから振りかけますよね。塩を用いて祓うという行為は日本だけでなく、ヨーロッパでも魔除けとして使われてきました。
邪気があると自身で気づいたときは、肩から粗塩を振りかけたり、入浴の際に粗塩を湯船に入れるか、体にもみ込ませる方法があります。ダイエットで塩をもみ込ませる方法もありますが、邪気払いとしても有効なのです。入浴の際に粗塩を使えない人は、小皿に盛り塩を作って玄関や水回りなどに置くことで邪気が払われると言われています。
2. 真言という呪文を使って邪気払い
生まれ年の干支から、ご自身の守り本尊の真言を唱えると邪気が払われる方法があります。
・子(ね)年の守り本尊は「千手観音菩薩」
真言:オン、バ、ザラ、ダ、ラマ、キリーク、ソワカ
・丑(うし)・寅(とら)年の守り本尊は「虚空蔵菩薩」
真言:オン、バ、ザラ、アラ、タンノー、オン、タラーク、ソワカ
・卯(う)年の守り本尊は「文殊菩薩」
真言:オン、ア、ラ、ハ、シャノー
・辰(たつ)・巳(み)年の守り本尊は「普賢菩薩」
真言:オン、サンマ、カ、サト、バン
・午(うま)年の守り本尊は「勢至菩薩」
真言:オン、サンザン、ザンサク、ソワカ
・申(さる)・未(ひつじ)年守り本尊は「大日如来」
真言:オン、バ、ザラ、ダ、ト、バン
・酉(とり)年の守り本尊は「不動明王」
真言:ナウ、マク、サ、マンダ、バ、ザラ、ダン、カン
・亥(い)・戌(いぬ)年の守り本尊「阿弥陀如来」
真言:オン、ア、ミリ、タ、テイ、ゼイ、カ、ラ、ウン
困ったとき、辛いとき、自分の中にある邪気を感じた時、守り本尊の真言を唱えることで、スッキリしますよ。
3. アロマオイルを用いた邪気払い
リラックスすることで、自身の中にある邪気を取り除く方法ですが、最も効果的な香りがあります。中でも、ホワイトセージなどの自然の香りを使うと、スーッと何かが取れていくような感覚になります。他にもラベンダーやローズマリー、ペパーミント、ペニーロイヤルなども邪気払いに役立ちますし、予防として、ユーカリーやカンファ、バードックなども活用して、邪気とは無縁の空間で過ごしたいですよね。オイルを焚いてもいいし、空気清浄機のようなものとして使用しても構いません。また、ボディーに塗ってもいいですよ。
4. 食べ物からの邪気払い
邪気を取り入れやすい人は、共通として、生活習慣が良くないことも挙げられています。その中でも食事というのは、直接体内に入り体を作ることから、ジャンクフードのものばかりを食べたり、脂っこいものや、糖分ばかりを摂取していると、体にとっても良くないのです。何事にもバランスが必要なのです。野菜には、体の中を掃除してくれるものが沢山あります。また、胃もたれなどもなく体に負担のない食事になるのです。
体内に入れるものを厳選してあげることや、取りすぎた不要なものは、一度リセットするために断食をする人も多いのです。それだけ、食べ物というのは邪気を溜め込む体にするのか、クリアにする体にするのか左右されることもあるということですね。
5. 植物を取り入れた邪気払い
観葉植物は育てていますか。お花や緑の植物をご自宅で育てているだけでも効力があります。植物から出される酸素と私たちが当たり前に行う二酸化炭素を排出する仕組みは、植物があることでより良い循環がされるのです。この自然のしくみの関係が、現代社会に薄れてきていることで、息苦しさを感じたり、呼吸に関係する精神疾患なども発病されていますよね。
また、パソコンやスマホなどで疲れている目を優しく包み込むのもグリーンの効果なのです。ストレスが溜まると自然を観に行ったりしませんか。例えば海や山などの自然に触れたくなりますよね。そんな自然に囲まれたところへすぐに行けない人は、自宅で観葉植物を育てるだけでも、邪気払いの効果が期待できます。
6. 色を用いた邪気払い
癒しの色として使用されるのが、パープルーや冷静にさせてくれるブルーなどを身近に置くことで、心の平穏を保ってくれるでしょう。色には不思議な力があります。例えば黒い服。これは冠婚葬祭というイメージがありますが、冠婚に黒の服を用いるのは主役より目立たないことで、葬祭で黒い服を用いるのは、悲しみを表しているという説があります。
黒い服を普段から身につけると、目立たなくて、暗い印象を与えます。普段から明るい色を取り入れて邪気を取り払いましょう。
7. おまじないで邪気払い
「たまのをを むすびかためて よろずよも みむすびのかみ みたまふゆらし」こちらは、古事道の古くから伝わるおまじないで、何度も繰り返して唱えることで、あなたの歩く道は、光が差すという意味もあります。言葉には不思議な力があり、それを信じることで、更に効果があると言われてきました。
おなじないには、魔力があると言われており、人を不幸にするものもあれば、人を幸福にさせるおまじないも沢山あるのです。あなた自身の邪気を払う為に、古くから伝わるおまじないと唱えてみませんか。
8. パワーストーンで邪気払い
浄化のパワーストーンといえば、もちろん水晶です。水晶には浄化の作用があるのと同時に持つ人を選ばない性質があります。天然石には相性があり、相性の悪い産地のパワーストーンを身につけていると、運気が上がるどころか下がります。また、天然石同士も喧嘩するので、無難な水晶のパワーストーンをお身につけておくことで邪気を払うことができます。
水晶のパワーストーンも日頃から浄化することで、より効力が上がります。浄化の仕方は、天然の水で洗浄するか、満月に、さざれ石の上にのせて月光浴をさせてくださいね。
9. 言霊で邪気払い
言霊とは、発すると言葉に魂が宿ると言われています。キレイな言葉を使っていると、聞きやすいですよね。「バカ」「死ね」「てめぇー」などの言葉より「嬉しい」「ありがとう」「感謝します」などのように、優しく美しい言葉をかけてもらうと嬉しいのと同時に、自分が発する言葉は自分に帰ってくる言葉でもあるのです。
そこで、言葉の使い方を常に意識して、自分が言われて嬉しい言葉の使い方をすることで、内側からきれいになるのです。邪気が溜まると、体の内側は汚くなります。邪気が入る隙を与えない行動は、とても重要だと言えます。
10. イメージングで邪気払い
イメージするということは、実は一番効果が期待できるのです。あなたが思い描く理想のビジョンを持っていることで、周囲に惑わされずに、ブレナイ自分を保つことが可能になります。ネガティブな連想やイメージをすると、実際にそのようになることもあります。光をイメージするというのはとても大切なことです。
邪気を表すと暗闇です。光を常に意識するか、光モノを身につけるだけでも邪気が払われます。キラキラしたアイテムを持ち、光に包まれているイメージを常に持ってください。あなたを守るご先祖様たちは光であなたを包んでいます。
11. 滝行をする邪気払い
人には、言えない過去や言いたくない過去というのは、誰にでもありますよね。できれば、過去に戻ってやり直したいと思う事もあるでしょう。または、フラッシュバックしてくることで苦しめられることもあるでしょう。または、頭痛(後頭部)が酷くなることもあるのです。誰にでも消せない過去はあり、過ちをしてもやり直すことはできるのです。いつまでも同じステージには居ないで、新しいステージに行く必要があります。
そんな時、気持ちを入れ替え邪気と過ごすのではなく、新しいエネルギーを入れる時も必要なのです。そこで、おすすめなのが、滝行なのです。滝から自然の良いエネルギーを貰い、邪気払いしてみてくださいね。
12. 音楽を用いた邪気払い
音楽は人に癒しをもたらすものでもありますが、邪気を払う方法としても知られています。邪気は基本的に人が不快と感じるものを好む傾向にあります。ですから美しいものや癒しをもたらすものは好みません。音楽を用いると邪気が遠ざけられ、運勢が向上するはずです。しかし、癒しと言っても人それぞれで、ハードロックに癒される人もいれば、バラードに癒される人もいます。
この邪気払いに使用する音楽のジャンルは、ポップスやロックよりも、クラシックのようなタイプの音楽が効果的とされています。また日本古来の尺八や三味線などを使った音楽も良いようです。これらの音楽を部屋中に流すことで、邪気払いができますのでやってみてくださいね。
13. 洗濯による邪気払い
部屋などをきれいにすると邪気が払われますが、洗濯をすることでも邪気を払うことができます。邪気にまとわりつかれていると、いろいろな運気が低迷することになります。汚れのついた汚い服は邪気のたまり場となり、次々と邪気を呼び寄せることもあります。
この邪気は、その人が着ている服、使用しているシーツなどの寝具を洗濯することで、取り払うことができます。特に枕カバーやシーツに邪気が溜まっていることが多いので、洗濯がより効果的とされています。比較的手軽な洗濯によって邪気が払えるので、頻繁に洗濯をしていれば、幸運を呼び込みやすくなりますよ。
14. 待ち受け画像による邪気払い
現代的で一風変わったものに、待ち受け画像による邪気払いがあります。いろいろなパワーを秘めた写真を待ち受け画像として使用することで邪気が払えます。パワースポットで撮影した写真、ネット上で見つけたパワーがあるとされている写真などを待ち受け画像にすると効果が期待できるとされています。できれば自分で撮影したものが望ましいでしょう。
効果が期待できるものとしては、毘沙門天や鍾馗様、ヴィシュヌ神などを象った像や絵などがあります。また五芒星や六芒星、ファティマの手、植物ではアジサイやサボテン、柊やゼラニウムなども邪気払いに効果的とされていますよ。
幸運を引き寄せる!良い気を呼び込む習慣7つ
全てが上手く行くように見えている人には、幸運を引き寄せる習慣があるのです。そんな良い気を呼び込む生活習慣をあなたも取り入れて、幸運な人になりませんか。キラキラしている人というのは、良い気が流れています。早速チェックしてトライしてみてくださいね。
1. 規則正しい生活習慣から幸運を拭き寄せる
睡眠時間が少ないだけでなく、夜と昼が逆転した生活も幸運を引き寄せることから遠ざかるのです。人は、太陽の光を浴びることで、光のパワーを浴びることで幸運を引き寄せると言われています。規則正しいのは、食事の習慣についても同じことです。動物性の食事や、油ものの食事や、ジャンクフードばかりの食事を続けていると、幸運からも遠ざかります。
野菜中心の食事や、糖分を控えた食事を心がけて規則正しい生活をして体の内側からきれいになることで、幸運を引き寄せることができます。
2. 1日に一度は瞑想をする
1日の間には色々なことがありますよね。興奮した時間があったり、悲しい時間があったり、今日1日あったことを包み込み、今日頑張った自分を褒めてくださいね。そして、また明日も色々な事があっても、乗り越えられることを信じて、頑張った自分の体にも感謝をしてくださいね。そして、ごちゃごちゃした感情や思考をクリアにする作業はとても大切なのです。その作業が瞑想という時間であり、「無」になることに意識するのです。
色々な感情を無くすことは、自身のエゴを無くしていくことにも繋がります。全てを吐き出して、良い気を引き寄せるために、寝る前にぜひトライしてみてくださいね。
3. 部屋をキレイにして幸運を引き寄せる
部屋にも気が流れています。この気の流れが良いと、運気は上がります。逆に部屋が汚い状況が続くようでしたら、運気は下がるだけでなく、邪気が溜まりやすいと言えます。空気の入れ替えもとても重要です。日本は古来より、物にも神様が宿ると言われてきました。家も生きていると考えている人は、ひとつひとつの物を大切にしてきました。
大切に使用することで、何十年も使えるように私たちをサポートしてくれます。感謝の気持ちを込めて部屋をキレイにするように心がけましょうね。
4. 笑う門に福来る
昔から言われてきことで、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。生きていれば、辛いこともあります。歯を食いしばるような出来事も、悲しいことが続いたり、それでも、私たちはこの世で学ぶべきことを、学ぶために生まれてきました。なので、どんなに辛くても逃げるという選択はできないのです。辛いのは、あなただけではないことを、頭の隅に置いておきましょう。そして、どんなに辛くても笑顔でいることを心がけましょう。
近年、辛いというのを全面に出して、心配をしてもらう人が増えましたよね。本当に辛い人ほど、努力し他者に心配をかけないのです。それは、笑っていれば、福が来ると信じているからなのです。「笑う門に福来る」で幸運を引き寄せましょう。
5. 人の悪口を言わないこと
誰にでも、人の粗は気になります。そして、その粗に腹を立てたり、苛立ちを覚えることもあります。しかし、そんな感情と一緒に、自分が汚れてはいけません。人は人、自分は自分。他者の粗を気にして、人の悪口を言っていれば、あなたは救われません。人の悪口を言ったり、いじわるをする人は、身体の中から黒くなっていきますよ。そして、その黒さは病気の原因になる場合も考えられます。
また、人の悪口や陰口を聞いてもそれにのらないことです。同じ部類の人間になってはいけません。類は友を呼びますからね。悪口を言う人は、昨日まで友人だった人のことも悪口を言います。言われて嫌な事、されて嫌なことはしないことです。
6. 失敗は成功のもと精神
「七転び八起き」という素晴らしい言葉が日本にはあります。何をもって失敗なのか。それは受け取り方次第なのです。人生には、良いときと悪い時が必ずあります。1度の失敗で、もうダメだと自分に諦めるなんてもったいない事なのです。失敗したというのは、経験できたこと。
経験が財産であり、全て良い結果を残すためのものだということを忘れてはいけませんよ。自分のモチベーションを保つことはとても大変なことでもありますが、またトライしようと思う挑戦を挑むときは、必ず「良い気」幸運のエネルギーが存在していることを忘れないことですね。
7. 「ラッキー」を口癖にする
アンラッキーなことは誰もが覚えていますが、ラッキーだったと思える思考の持ち主は、幸運を引き寄せることができるのです。これは、自分だけが辛い、大変だったのではなく、自分が動いたことで、誰かが動いてくれたことに対して感謝を持って言える言葉でもあるのです。生まれてきた事、ご飯を食べられること、歩けること、何でもいいのです。
当たり前を当たり前だと思わず、何かトラブルが起きた時、これで済んで良かった。「私は、ラッキーだった」と自分にいう癖をつけてくださいね。ポジティブにいることは、必ず幸運が舞い込んできます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。邪気は幸運から遠いものだということがお解り頂けたと思います。邪気払いをして、あなたも幸運を引き寄せて過ごしてみませんか。幸運の引き寄せ方で、ひとつでもあなたの心に留まれば嬉しい限りです。あなたにとって、ステキな時間が流れますように。
●風水で運気上げる新法則5
家族みんなで家にいる時間が増えると、なんだか疲れる…。それって実は、家の“悪い気”が原因かも…。風水を取り入れて家庭内トラブルを回避する策を、風水師で占術研究家の青龍さんがズバリ。玄関、キッチン、風呂など場所別に、コロナ時代における風水による邪気の払い方を教えてもらった。
家でイライラするのは悪い気=邪気の影響
家で過ごす時間が増えたことで、ストレスやもめ事が表面化している家庭も多いが、「一日の中で、いちばん長く過ごす場所の運気の流れが重要です。自粛生活で家に長くいるようになったことで、居心地が悪く、イライラする場合は、家の中の悪い気である“邪気(じゃき)”を受けているのかもしれません」 そう語るのは、風水師で占術研究家の青龍さん。
コロナの邪気に…南に何色の花を飾る?
「中国の五行思想※でいうと、新型コロナ感染症などのウイルスは『木』にあたり、『火』を投じることで弱くなります。そこでコロナの対策には『火』の色である赤系のモノを取り入れるのが◎。 部屋には赤系の色の花を花瓶やコップに挿し、南側に飾るとより効果的です」(青龍さん)※古代中国の自然哲学の思想。万物は火・水・木・金・土の5種類の元素からなるという説。5つの元素は一定の法則で互いに影響を与え合いながら変化し、また循環しているという思想。
2020年版風水で運気を高める法則5
   1.玄関:靴箱は”青龍”(左側)に配置
「家も呼吸をしていると考えると、玄関は気(エネルギー)の入ってくる大事な場所(気口)です。よい『気』も悪い『気』も玄関を通って入ってくるので、日頃から、常にいい気が入ってくる状態にしておきましょう」(青龍さん・以下同) そこで重要になるのが、靴箱の配置だ。
「家の中から玄関を見て左側は、安定やコミュニケーションの調和、穏やかな関係をつかさどる『青龍※』の位置。反対に右側は、けんかや争いをつかさどる『白虎※』の位置となります。靴箱を含め背の高い棚や傘立てなどを左側に持ってくることが、青龍の力を高め、家庭内の口げんかやもめ事を避け円満な関係を作ることにつながるでしょう。靴箱を左側の位置に動かすことが難しい場合の対処法は、鏡を設置すること。左側に鏡を設置すれば、右側に置いた靴箱が鏡に映り、擬似空間ではありますが、青龍側に靴箱があるように見せることができます。そのため、設置する鏡は大きければ大きいほど効果的です」反対に、青龍の位置に靴箱のある家は、右側の壁に鏡を設置してしまうと、白虎の空間に背の高いものが映ってしまうので風水的にはNG。なお、壁に埋め込まれた天井まであるような靴箱は壁と同化するため、右側にあっても問題はない。また、玄関を見て正面にある靴箱も問題ない。
※青龍と白虎は、東西南北の方位の象徴である四神獣。東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北野玄武からなる。方位以外にも色や四季などの象徴でもある。
   2.キッチン:包丁などとがった先から邪気が…
包丁やフォークなど鋭利なものは、とがった先から「邪気」といわれる、人が不快と感じる気を出している。「そのため、見える場所に出しっぱなしにせず、棚や引き出しにしまっておきましょう。また、水まわりに不浄なものをためておくことも邪気につながります。食器の洗い物をためていたり、ゴミを長くキッチンの見えるところに置いておくのもよくありません」 汚れたものはできるだけこまめに片づけることが、イライラやトラブルを防ぐことになる。
   3.風呂・洗面所:邪気の出口”排水口”に向けて叫ぶ
家の中で水まわりとなる風呂や洗面所、キッチン、トイレは、排水口から悪い気を流し、家から出す『去水』を行う大切な場所だ。「同じ空間に家族でずっといることなどでストレスを感じたときは、その気持ちを風呂場や洗面所で吐き出しましょう。水を流しながら、排水口に向け、『ワー!』と大きな声を出し、汚れた気を一気に吐き出して流してしまいましょう。思った以上にスッキリ効果が得られるので、おすすめです」
   4.トイレ:清潔に保ち盛り塩で邪気を避ける
本来は汚れたものを流してくれる運気アップの場所であるトイレ。きれいに保つことが大前提だ。「家族がみんな家にいて使用頻度も高くなっているときこそ、常に掃除を怠らず、きれいに保つよう心がけてください。さらに、盛り塩を置くことで、邪気を吸い取ってくれます。盛り塩は安い粗塩で構いません。しょうゆ皿程度の小皿に三角になるよう塩をのせ、邪気が沈殿するいちばん低い位置である床に置きます」 邪気を含むと塩がドロドロに溶けるため、取り替えること。また、溶けていなくてもほこりをかぶったかなと感じたら、取り替えた方がいいそうだ。
   5.リビング:物やオモチャには赤系の布を
モノには「残留思念」と呼ばれる思念が宿っている場合が多く、いい思いも悪い思いも詰まっている。「なかでも、子供のおもちゃは特に残留思念が強いといわれています。リビングに悪い気=邪気を残さないためには、大人も子供も使ったものを出しっぱなしにせず、必ず片づけるようにしましょう。ふたのない箱に片づける場合は、赤系(ピンク・オレンジ)の布をかぶせることで悪い気をリセットできます。部屋にある梁(はり)の角は、とがっていて邪気を放つので、梁の角の対角線上に長時間いるとその邪気を浴び続けることになり、ストレスやイライラの原因に。家でくつろぐ時間がそれほど長くなければ問題ありませんが、自粛生活などで長く過ごす場合は、避けた方がいいでしょう」 座る場所をずらすか、梁の角の前に観葉植物を置くことで、邪気を逃すことが可能。特に植物はストレスを吸い取り、いい気に変えて放出し、体を癒すパワーが強いのでおすすめだ。葉っぱはとがった形ではなく、丸みのあるものを選ぼう。 
 
 

 

●無駄話・徒話
役に立たないおしゃべり。雑談。
何の役にもたたないおしゃべり。つまらないおしゃべり。雑談。
役に立たないおしゃべり。雑談。[類語] おしゃべり、雑談、よもやま話、世間話。[関連語] 駄弁、放談、余談。
役に立たないおしゃべり。雑談。[類語] おしゃべり、雑談、よもやま話、世間話、駄弁、放談、余談、無駄口、長話、閑談、閑話、閑語、井戸端会議。
・・・雑談とは、様々な話を気楽に話している状況である。無駄話とは、役に立たない無駄な話。もしくは、その状況で必要ない無駄な話である。雑談とは、様々な分野の話を、気楽に話している状況である。これといってテーマを決めているわけではなく、自由に話しているため、テーマがころころと変わることもある。一般的には「ざつだん」と読むことが多いが、古い読み方で「ぞうだん」とも読むことができる。雑談の雑という字は、いろいろなものが入り混じっている。多くのものが整理されず集まっているという意味があり、そのようにまとまりのない様々な話をしている様子と言える。仕事中などにすると無駄話とみなされることもある。無駄話とは、話しても役に立たない無駄な話す価値のない話である。また、別の場面では無駄ではない話題であったとしても、その時、その状況では、話す必要のない無駄な話である。もっときつい言い方で「無駄口」と言われることもある。・・・
・・・Kはあんな無駄話をしてどこが面白いというのです。私はただ笑っていました。しかし心の中うちでは、Kがそのために私を軽蔑していることがよく解わかりました。・・・夏目漱石
・・・みや子さんも、一週間に一度ぐらい訪ねて、無駄話をしました。しかし、ここからも何も引き出せません。・・・江戸川乱歩
●無駄話・おしゃべり・雑談・よもやま話・世間話
共通する意味
これといって決まった話題のない、とりとめない話。
使い方
・無駄話 ▽無駄話をして過ごす ▽無駄話をしている暇はない
・おしゃべり ▽おしゃべりをやめなさい ▽おしゃべりを楽しむ
・雑談する ▽雑談しながら歩いた ▽雑談の仲間に入る
・よもやま話 ▽よもやま話に興ずる
・世間話 ▽ほんの世間話ぐらいしかしなかった
使い分け
1「無駄話」は、時間の浪費となるようなつまらない話という悪い意で使われることが多い。
2「おしゃべり」「雑談」「よもやま話」「世間話」は、楽しみや、社交のための話をいうことが多い。
3「おしゃべり」は、よくしゃべることの意でも使う。「お喋り」とも書く。
4「よもやま話」は、「四方山話」と当てる。
関連語
・駄弁 なんの役にも立たない無駄話。「駄弁を弄(ろう)する」
・放談する 地位や立場にとらわれずに、思ったままを自由勝手に話すこと。また、その話。「テレビ放談」
・余談 本筋からはずれた、ほかの話。「余談ですが…」
おしゃべりの類語
・考えを言い合う; 話すの意 対談 / 対語 / 話す / 談話 / 対話 / くっちゃべる / お喋り / 御喋り
・多すぎる情報を交換し合うことなく、社会的に話すの意 閑談 / 談笑 / 語らう / 駄弁る / 雑談 / 歓談 / 雑話 / 囀る / 語りあう/ 語う/ くっちゃべる / お喋り / 御喋り / 歓語 / 閑話 / だべる / 語り合う
・気軽な会話 の意 喋り / チャット
・騒々しい会話 の意 ヤク
・議論 の意 談 / トーク / 話し/ 会話 / 喋り / 噺 / 話 / 御饒舌 / 談話 / 話談/ お喋り / 御喋り / 語らい
雑談の類語
・多すぎる情報を交換し合うことなく、社会的に話す の意 閑談 / 談笑 / 語らう / 駄弁る / 歓談 / 雑話 / 囀る / 語りあう / 語う / くっちゃべる / お喋り / 御喋り / 歓語 / おしゃべり / 閑話 / だべる / 語り合う
・社交の場での軽い気軽な会話 の意 ゴシップ / 世間話 / お喋り
世間話 の類語
・社交の場での軽い気軽な会話 の意 ゴシップ / 雑談 / お喋り
●「無駄話」を嫌うと人間関係はギスギスする
これまでに多くの人たちを見てきたが、男性は、目的のある会話、結論のある会話を求めたがる。目的のない会話には、すぐに倦きる。とりとめのない会話が始まるとすぐに苛立つ。
職場では特にそうだ。無駄話をしている同僚を見ると、怠けているようにしか思えない。プライベートでも同じく、「呑んで呑まれて、呑まれて呑んで」と酔っ払っているとき以外は、無駄話、雑談に花を咲かせることを好まない。
とりとめもない話が始まると、すぐにイライラしだす。「結論→理由」の順番で話すように促す。すぐに相手の話を遮断して話の内容を要約・整理しようとする。結論なく話が続くと、下手に結論を促すような相づちを打って、余計にお互いにイライラして、不愉快な気持ちになったりする。
定年退職して職場を離れたような男性にも、そういうイライラする人がいかに多いことか。男性というものは、「結論のない話」を嫌うようにできているのかもしれない。
無駄の効用
しかし、そういう結論を急ぐ話し方ばかりしていて、人生を面白くすることができるかと言えば、そうではない。喫茶店などで周辺の女性たちを見てみるがいい。一見無駄話に思えても、楽しい花を咲かせている女性たちの様子を見れば、それは確かだ。
それに、「無駄の効用」というか、「無意味の必要性」というものもあることも知っておくべきである。
車のハンドルにも「遊び」がある。遊びがあるからこそ、安全運転が可能になる。道や橋なども同じこと。論理的に考えれば、渡る人の足の広さ、場所だけあればいいのかもしれない。しかし、そうではなく、道や橋には、余裕がある。随分と無駄なスペースがある。しかし、だからこそ人は、安心して渡ることができるのである。
なにより、無駄話ができる、雑談ができるということは、それだけの話題を持っていること、知識を持っていること、人生の経験をしていることの証拠でもある。
例えば相手を訪問する直前に、交通事故を見たとする。「見ましたよ」と言うだけでは雑談にならない。それから、自動車の安全性について、あるいは、無人自動車の現状について、さらには人工知能やロボットの話、加えて、技術の将来性などについて、どんどん脱線して話をすれば、どれだけ楽しいことか。
あるいは、仕事の話から、「日本経済が低迷したのは、アメリカ式経営を安易に取り入れたからではないか。日本人の強さは昔から、外国から文化を取り入れても、必ず日本化してきたのに最近はそれができていない」など、得々と持論を展開していってもいいだろう。
そのような雑談、無駄話をするためには、相当な知識の蓄積がなければならない。雑談や無駄話は蓄積がある証拠でもあると言える。
無駄話によって相手と気持ちが通じ合う
雑談、無駄話ができる人は、実は「話の達人」「話の巧者」「場を楽しくする名人」。実際のところ、無駄話、雑談のほうが、本筋、本論よりも相手の心を伸びやかにし、本当の姿、本当の心、本当の思いを出させやすくする。その無駄話によって、相手と気持ちが通じ合う。意気投合する。議論が弾み、お互いの心が豊かになる。
孫子の兵法ではないが、やはり、「彼を知り、己を知れば、百戦して殆(あや)うからず」。雑談しながら、相手を知って距離感を縮めることが、ことを成就させる近道。雑談やら、無駄話があるから、それで、本題の議論が進む。それで、議論が踊る。そして、それで本題がまとまる。雑談も無駄話も、決して雑でも無駄でもないということ。
ところで、雑談や無駄話ができないような人は、家庭や仲間うちでは、とくに気をつけたほうがいい。結論ありきの話し方を避け、家庭を、仲間を和ませることに努めるべし。会話の「過程」を楽しむのだ。
家庭や仲間の集まりは、ある意味「楽屋」であって「舞台」ではない。いまや舞台でも、適当なアドリブ、いわば、臨機応変の無駄話や雑談が求められる時代だというのに、ましてや楽屋で決まりきった話をするのはいただけない。無駄話、雑談で周囲を和ませたり盛り上げたりできないなら、もう、「楽屋」にはいられなくなる。
雑談力、無駄話力を身につけること。これは年齢を重ねるごとに心掛けなければなるまいと感じている。無駄話、雑談こそ、人生の後半を充実させる「秘密兵器」だと思う。とくに50歳を過ぎた人たちは、今からその力をつけていこうではないだろうか。
●無駄話は無駄にあらず 日々の対話通し悩みごと解決
公務員として働いた15年間を振り返ると、仕事もさることながら職場での何気ないコミュニケーションが懐かしい。もちろん、なかには苦手な人もいたし、できれば顔を会わせたくないとさえ思う人もいた。そのようなときはむしろ、自分が率先してムードメーカーになり、みんなをうまく巻き込み仕事が円滑に進むよう努力した。
とにもかくにも毎日、同じ空間で顔を突き合わせる人々だからこそ、ストレスをためこまないように試行錯誤し、コミュニケーションのすべを学んだともいえる。また同僚や先輩職員との日々のインフォーマルな対話を通し、仕事の方向性や時にはさまざまな悩みごとを相談、解決していた。それぞれが抱く職業意識、人生観を共有し、互いに影響を及ぼし合った部分も大きかったように思う。
特に思い出深いのは、ある先輩職員と同じ係だった日々のこと。常に冗談と笑顔を絶やさず話し好きで、残業時間なども「おい、少しは楽しいことでも話そうよ」と声をかけてくれる。楽しい雑談の花が咲き、作業効率を落とす側面もあったかもしれない。ただ、得てしてそのような会話からかしこまった会議では出てこない新しい企画案が飛び出したり、忙しさでちぐはぐだったメンバー同士の意思疎通が図れたりしたものだ。
大きな仕事が一段落すると飲みに行くぞ!と気勢を上げ、意見の相違から反論することがあっても「かぶちゃんって本当に頑固だよなぁ。いい加減折れろよ」と酒席で言われると不思議と納得してしまう。常に人生そのものを滑稽な物語のようにとらえていて、上司にも部下にもフラットな目線で接していた。「職場の緊張感を崩す」と一部の職員からは煙たがられたけれど、そんな彼のおかげで係のメンバーは同じ方向を向いて、ストレスを抱える業務を乗り切れた。
その後、私はプロのトレイルランナーとして独立。基本的に全て単身での仕事となり、職場内でのコミュニケーションとは無縁となった。独り思い悩むこともあり、そうなると気ままに話せたかつての職場が懐かしく思えてくる。家族でもなく友人でもない、職場だからこその人間関係の大切さを今さらながら身に染みて感じる。
コロナ禍で人によってはリモートでの仕事が増え、通勤、休憩時間など一見無駄な時間が減り、家族と過ごす時間や余暇に費やす時間が増えたという。そのこと自体は望ましいけれど、職場での何ということのないコミュニケーションのすべてを、過去の遺物と切り捨ててよいものなのだろうか。
少なくとも私の15年間の公務員生活でそのような時間こそが心を整えてモチベーションを高め、時にアイデアの源泉となったのは確か。これからリモートでの業務形態を進めるとしても、この視点をお座なりにしていてはいつか必ず職業意識の低下を招き、マイナス面が浮き彫りになると心配でならない。
さまざまな能力を持っている人間を四角い画面のなかに押し込めれば、効率は上がるかもしれないけれど、重要な力の一端を減じかねない。無駄だらけの人同士の付き合いのなかに潜むリアル。それをすくい取る仕組みが必要だろう。
●雑談とムダ話の違い!
よく、雑談とムダ話を一緒にする人がいる。雑談が必要ないと思っているのだろう。しかしながら、雑談から思わぬ大きな商談につながったり、びっくりするような人とのつながりに結びついたりすることがある。これは、事業を経営している人ならわかることだろうが、まじめまじめに物事を考えていては、決して理解できないことである。
ある人が次のように語っていた。
三流は、出会った瞬間に悪印象を与える。
二流は、記憶や印象に残らない。
一流は、最初の一分間で、「忘れられない人」になる。
なるほど、なるほど・・・
まじめそうに見える人が、実は、軽い人であったり、軽そうに見える人が、実はまじめであったりする。悪いギャップ、良いギャップ、それぞれあるものだが、最初よりも後からの評価が上がるほうが絶対いい!
人を引き寄せる話が出来るかどうかが、雑談の時に大切なことだ。ムダ話は、決して人を引き寄せるものではない。しかし、人を引き寄せて、その人が魅力ある人に映るなら、雑談は成功しているといえる。
「オノマトペ」と言う言葉は、聞きなれない言葉である。この言葉は、フランス語で、音や感情の様子を表す擬声語のことだそうだ。「ギャー」とか「わー」とか、「ザー」とか、その時の様子を伝える言葉だ。こうした擬声語を使うことも人を引き付ける話をする技術だと言われている。よく、芸能人が行っている話し方だ。
また、言葉を長文にするのではなく、短文に区切って話をした方が、相手に伝わることも覚えておきたいことだ。難しいことを長々と話されては、たまったものではない。しかし、難しいことも、短文に区切って話されると、受け入れやすいものになるのだ。
こうしたことを心がけながら、雑談をすると、とても楽しい雰囲気になり、あなたの魅力が引き立ってくるのである。
会議の最初の部分とか、司会者は、上手に雑談を取り入れることによって、会議が堅苦しくない、リラックスした雰囲気で始められることだろう。また、会議の休憩時間などに、リラックスして雑談することによって、参加者が居眠りなどをしないで済むだろう・・・
●無駄話が多い人への対処法
無駄話の多い人とのやりとりは時には面倒であったり延々と聞いているのが辛い時があったり疲れたりするものです。その時の自分の気持ちに余裕がなかったりすると聞きたくないのに聞かされストレスにもなりかねません。そんな時にうまく切り抜ける対処法をご紹介します。
内容はさておきとりあえず相づち
相手の話を聞くのに疲れてしまったら、とりあえず話の中身をその都度理解しようとする努力はせずに「そうなんだ」「うんうん」などと話が途切れた時に相づちを打っておきます。相手はとにかく話したいのです。ですから聞いている、という事を相づちでアピールしておきましょう。否定をしたり強制的に終了するには相手の事を考える理性があって伝えるのにはなかなかのエネルギーが要るものです。もしその時のご自分の状態がまあまあ聞いて聞き流せないでもないという位の余裕があれば、相づちしながら我慢して付き合ってあげるのが無難でしょう。
さりげなく携帯電話を利用する
たいていの方は携帯電話をお持ちです。ポケットやバッグなど、手の届く範囲に常に身に着けている方も多いのではないでしょうか。もう話を切り上げたいと思った時は、メールや不在着信が入っているフリをして「ごめんね、ちょっと連絡してくる」と急ぎの用事を装いその場を離れましょう。音が鳴った時ばかりが着信ではありません。職場にいる時や場合によってはマナーモードになっている事もあるかと思いますし、会話の途中で着信が入ったことにしてしまえば良いでしょう。
他の人にも同意を求めフェードアウトする
その時周りに友人や仲間がいた場合に有効です。そもそも無駄話をしたい人の心理としては自己アピールをしたいという表れですので、誰かに自分の事をもっと知ってもらいたいという気持ちから話をしたがるのです。無駄話ですから誰を相手にしてもいい内容の場合がほとんどですので、その場合は近くにいる友人などに助け船を出してもらうと良いでしょう。ただし助け船はこちらから引き寄せます。うまく話が乗ったところで「へぇ、そうなんだって」などと話を持っていくと「何?」と聞いてくると思うのでそこから聞いてくれる人の数を増やしたところでうまくいけば話から外れる事もできます。
冷静さを取り戻させる
特に自慢話ばかりする人は、自分の中で満たされきれない気持ちをごまかすための心理が働いて表面的な部分を繕おうとする傾向があるようです。話を聞いてあげることで相手の気持ちが満たされるのであればそのまま頷いていてあげるのもまた優しさです。ですが、時には気付きのきっかけを作ってあげるのも相手の為になることもあります。自慢話ばかりでうんざりしてしまった時には「ところで一番大事なものは見つかったの?」などと話に沿った内容に対して原点に返るような質問を逆にぶつけてみましょう。まくし立てて話していた事から時には我に返る瞬間もあるかも知れません。
自分から全く別の話題を持ちかける
延々と続く話に余裕がなくなってしまったら、全く違う話題にすりかえてしまいましょう。何でもいいです。続いていた話と同等の話題ですとまた話が戻ってしまう可能性があるので、同じ路線の話ではなく、思いきり違った話がベストでしょう。途中で話を持っていかれることで相手は少し拍子抜けするでしょう。話を戻すほどでもない無駄話ならそのまま終わる可能性大ですからどうしようと困った時に試してみると良いでしょう。もしシチュエーションとして学校や職場、習い事などの時間の制限がある場でしたら「そろそろ戻りましょう、また後で」と時計を認識させるきっかけを作るのもオススメです。
一線をあらかじめ引いておく
相手も人を選びます。聞いてくれるから話すのですから、この人にはこんな話をしても会話が弾まない、とか雑談は不向き、くらいに思わせるように普段からその相手との距離を決めて接しておきます。よっぽど気付かない人でなければ間に一線が出来ていれば何となく近寄り難いとか、無駄な話はしないでおこうと自然に距離をおくでしょう。気をつけなければならないのは嫌われている、とまでにキッパリとした態度は控える事です。関わりを持っていかなければならない相手なら、今後の付き合いに支障をきたすまでにしてしまうのは避けたいものです。
無駄話ばかりする人に上手に対処しよう
無駄に思う話ばかりをする相手、本当ならはっきり言ってしまいたいところですがなかなかそうもいかないのが人間関係です。相手を傷つけずに対処できそうなものばかりを並べてみましたが、時には逃げてばかりでは解決にならない場合もあるかも知れません。受け流すばかりでなく、時にはその話の根っこにどんな思いがあり相手がどんな言葉を望んでいるのか、欲しかった言葉を投げかけてあげる事ができたら、無駄話そのものを減らす事もできるのかも知れませんね。
●話が長い人は仕事ができない(無駄話の3つの悪影響)
今回は「話が長い人は仕事ができない」というテーマで話をします。仕事中の会話で同じような話を毎回繰り返す人、たいして進捗もないのに打ち合わせばかりを招集する人、毎日の朝礼で30分~1時間以上時間を浪費する人、一日の大半を打ち合わせで使う人。私が見てきた限り、こういう人は仕事ができない人です。幸いにも私はそういう無駄な集まりを可能な限り避けてきました。打ち合わせの本来の目的は情報共有、あるいは承認決済であって、打ち合わせという行為自体には価値がないと思っています。
話が長い人の特徴
   話が長い理由1 話す内容がまとまっていない
例えば、効率的な打ち合わせの場合を考えます。最初に情報を簡潔に述べて、他人の意見を聞く、あるいは決済をする、というのが本来の流れです。ところが、情報も正確でない。最終的な会議の目的地が見えていない。そういった主催者が大勢います。
「私の場合、エンジニアをしていたので、他人を説得するためにはデータをもとに話をするわけですが、人によっては会議までにデータがそろっていない。だから話に説得力がない。といった具合で、わざわざ人を招集しておいても、話が進展しません。打ち合わせの後、次の打ち合わせが必要になるのです。」
こういう場合、本人も話す内容を整理できていません。普通に考えれば、情報が不足しているということは事前に理解できそうですが、その認識がありません。他人に指摘されるまで情報が不足しているということに気付かいない人が多いのです。何のために大勢の人間を集めて打ち合わせをしているのかわかりません。
打ち合わせ前に、説明資料を事前配布しない人達も仕事ができない人達です。恥ずかしいのか、隠したいのか理由は不明ですが、参加者にしてみれば時間的なロスを生む可能性が高い打ち合わせになります。必要な情報を事前に調べることもできません。その案件の直接の関係者でなければ、意見を述べたり、その場で判断するということは難しくなります。打ち合わせの目的(情報の共有や承認決済)からすれば逆効果です。
   話が長い理由2 その人がただ話したいだけ
年配の人やマネージメント層に多いパターンです。自己主張したいのか、仕事をサボりたいのか、コミュニケーションのつもりなのかよくわかりませんが、とにかく話が長い。ちょっとしたことを質問しただけ、あるいは質問されただけで、3分もあれば終わる事柄でも、話が脱線して30分程話をしていたというような場合です。付き合わされる方は、迷惑なだけです。
形式的な受け答えだけを推奨しているわけではありません。形式的な対応だけではかえって失礼になります。 良識の範囲内で話題作りをして会話を弾ませます。ところが、そういった会話のレベルをはるかに通り過ぎて、相手に苦痛しか与えない場合をよく見かけます。話をしていることで、何かが解決されて仕事の負荷を減らせるのであればよいのですが、そうはなりません。 無駄話をしても、話し手本人の短期的な欲求不満以外は何も解決されません。
本人が気づかない無駄話の悪影響
は気付いていないと思いますが、無駄に長い話をすることで失っているものがあります。3つ悪影響を紹介します。
   無駄話の悪影響1 相手の時間を奪っている
1番の悪影響は他人の時間を奪っているということです。 特に大勢が集まる打ち合わせなどは、人数×時間で計算すると、かなりの人件費の無駄だということに気付きます。普通の会社員であれば、1時間5千円のチャージです。5名が1時間参加する無駄な会議を開催しただけで、2万5千円の無駄になります。
暇な会社であれば、そういうことをして時間をつぶすのもありかもしれません。ところが、例えば、休日出勤したり、仕事が終わらず毎日残業しているような人からすれば、貴重な時間をしょうもない無駄話で浪費したくないわけです。
こんな事例もありました。
「しょうもない打ち合わせにばかり参加している管理職の人間の話です。彼は当時の私の上司でした。会議で発言するわけでもなく、会議をリードするわけでもなく、ただ本人の情報収集目的と暇つぶし(仕事をしているふり)で頻繁に会議に参加していました。決済しないといけない仕事を止めておいて、「忙しいからできていない」というのです。「だったら、無駄な打ち合わせ参加をキャンセルしてでも時間を作ってくれよ」といいたいのですが、そういう人に限って無駄に打ち合わせが多いのです。ただの言い訳です。」
   無駄話の悪影響2 相手に暇だと思われる
上司と部下の関係でよく見かける光景ですが、上司が延々と話(説明や説教)をする事例です。
役員会のプレゼンではそういった話し方をしないくせに、部下の前ではワンマンショーさながらのように無駄話をします。そういう無駄話や打ち合わせに付き合わされると、相手は「この人は暇なんだろうな・・・」と思います。特にマネージメント層が同じような話を延々と繰り替えしている姿を見ると、そう感じます。
相手が話に興味を持っているのかどうかは相手の反応を見ればわかります。一方的にしょうもない話に相手を付き合わせることは、程度の低いパワハラのような気がします。そんな無駄話に付き合うのは時間の無駄なので、以前の私はうまく遮っていました。
   無駄話の悪影響3 時間管理ができていないという証明
ビジネス業界ではよくQCDという表現が使われます。Quality(品質)、Cost(価格)、Delivery(納期)ですね。この3つをバランスよく達成することが仕事の判断指標です。
日常業務にあてはめると、Qは仕事の出来栄え品質、Cは投入工数や投資金額、Dは仕事の納期ですね。無駄話が長い人は、Cの投入工数を増やす行為とDの仕事納期(無駄話がなければ完了できた他の業務)を伸ばす行為をしています。 つまり、ビジネス業界の原則を逆行していることになります。これでは生産性も上がりませんし、不要な残業もなくなりません。
まとめ
社内のコミュニケーションが大切であることは事実です。ところが、勘違いしている人(特に上司)は大勢います。話をすることが目的なのではなく、情報を共有すること、伝達すること、ミスを防ぐこと、精神的なストレスを和らげること、正しい道に進むこと、これらが本来のコミュニケーションの目的です。
コミュニケーションのつもりが、本人の自己満足になっていないか注意してもらいたいものです。本人が意図していなくても、相手はネガティブな印象しか持ちません。特に、本来は忙しいはずのマネージャーがうまく時間管理できておらず、他人の時間を奪っているという認識も持てないということは、「この人は仕事ができない」というわけです。
●無駄話は無駄じゃない
今日はできる人ほど無駄話をするということについてお話します。仕事を始めたばかりの新社会人、仕事を始めて2~3年経つが何故か仕事が頭打ちになり将来が不安で伸び悩んでいる人に読んでほしいと思います。僕もまだ仕事始めて5年目のペーペーなので、社会人の先輩方にアドバイスなど恐れ多いですが、もし「無駄話なんかするな!」とか思ってしまっている人は読んでみてください。
例えば仕事をするにあたってみなさん労働時間があると思います。役所であれば9時〜17時。(もちろん準備や片づけでサビ残もあるかと思います。)その仕事の中でできる仕事量には限界があるかと思いますか?実はあるようで無いんです。たとえ8時間の労働でも、その中には無限に仕事が詰め込めます。そう僕は信じてます。無限に仕事をするような生き方は辛いので、時間で区切って避けてますが・・・
仕事を無限に詰め込む方法のひとつが、無駄話だと僕は思います。例えば僕はタバコを吸いますが、吸いながら喫煙所にいる人に
・相手の近況を聞く
・最近の自分の近況を話す。
・世間話をする。
・仕事の悩みを聞いてもらうあたりの話をします。たまーに
・仕事の話を進める。(これはおまけ。仕事の話はタバコじゃなくてもできるので)です。
近況を聞けば、その人が何をしているか情報が得られ、近況を話せば自分の仕事を知ってもらえる。世間話をすれば、それについて知らなかった情報を得られるし、仕事の悩みは言わずもがなアドバイスを貰えますね。
これってつまり、自分の中に他人の知識を吸収し、他人の中に自分の分身を作る行為だと思います。
無駄話をせず黙々と仕事に打ち込む姿勢は、仕事とプライベート分けたいとか言って、人と全くなじまないのはぶっちゃけ愚かです。自分の器(キャパ)が大きくならない。だから決められた時間の中ではできる仕事が限られているように思ってしまう。
人生の先輩方は、僕らが散々悩んできたことを、5年前、10年前、20年前にとっくに通過してきた人です。そんな人達の知恵を入れておけば、君が悩んでる1時間を1分で解決できますよ。まじで。
自分の中に他人の20年を入れてください。そうして短縮された時間には、充実を感じれると思います。まさにゆとりができる。って感じですね。
他人の中に自分のコピーを作る行為、実はそのコピーが仕事をしてくれるんです。
例えば自分が好きな俳優の話を、先輩としたとします。・・・先輩がある時本屋でその俳優の出ている雑誌を見かけて先輩は思い出します。「(そういえばあいつこの俳優好きだったな。)」思い出した先輩は雑誌をパラパラとめくってなんとなくその俳優の情報を仕入れる。そして翌日の喫煙所で僕は言われるんです。「君の好きなあの俳優って今度〇〇の映画に出るんだね」
どうでしょう。他人の中にいる自分が、何もせずとも好きな俳優の情報を仕入れてきました。もちろんゆくゆくは自分で得られた情報かもしれませんが、そこまでの時間を短縮してます。
都合よくたとえ話にしましたが、実際の無駄話の中で仕事に得になる情報は、意外と多いです。ですのでぜひ、煙草休憩するやつうざいとか、あいつは世間話ばっかして仕事してないとか思わず10分でも良いから無駄話してみてください。
その無駄話がガチで、3日分の仕事を短縮することもありますので。と、今日それをリアルに体験したのでリマインドまでに書き記しておきます。 
 
 

 

●邪心 
よこしまな心。悪心。
よこしまな心。ねじけた心。
自分の欲望に負けて、よくないことをしようとする心。不正な心。本朝文粋(1060頃)一四・宇多院為河原左大臣没後修諷誦文〈紀在昌〉「揔為二侍臣一、不レ挙二悪眼一。况於二宝体一。豈有二邪心一乎」。今昔(1120頃か)三「邪心を捨て善道に趣(おもむき)にけり」 〔史記‐汲黯伝〕。
他人を陥れたり、自分だけが利益を得ようとしたりする悪い心。邪悪な心。
よこしまな心。悪心。[類語] 悪意・悪気・意趣・悪感情・悪心・邪気・邪念・出来心。
邪悪な心。〔韓非子、解老〕欲ること甚だしければ、則ち心つ。心つときは則ち事經す。事經するときは、則ち生ず。
自分の欲望に負けて、よくないことをしようとする心。不正な心。「邪心がない」は「よこしまなことを全く考えていない」という意味。
・・・悪念、邪心に、肝も魂も飛上って……あら神様で、祟の鋭い、明神様に、一昨日と、昨日、今日……」 ――誓ただひとりこの御堂に――「独り居れば、ひとり居るほど、血が動き、肉が震えて、つきます息も、千本の針で身体中さすようです。――前刻も前・・・ 泉鏡花
・・・と、ばけものは、人の慾に憑いて邪心を追って来たので、優い婦は幻影ばかり。道具屋は、稚いのを憐れがって、嘘で庇ってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。 ――おなじ思が胸を打った。同時であった、――人気勢が・・・ 泉鏡花
・・・相手が金持ちであるとか権力家であるとかということだけでそれに近づくのを回避するのは、まだこちらに邪心のある証拠である。ためにする気持ちが全然なければ、相手が金持ちであろうと貧乏人であろうと、大臣であろうと小使であろうと、少しも変わりはない。・・・ 和辻哲郎
・・・彼の名誉のために付け加えておくと、この時の啓太に邪心は一切なかった。・・・ 有沢まみず
・・・そんなことを思いつつも、別な部分では、これは自分の邪心だともわかっていた。・・・ 熊谷達也
・・・何の邪心も感じられない、十二、三の少年のような、愛らしい姿であった。・・・ 高木彬光
・・・相手側に特に邪心はなく、単に話の流れから、そういう質問が出たのだろうと思う。・・・ 乾くるみ
・・・ああ、わが父は、利口で邪心のある婦人のあざむくがままにさせておいたのです。・・・フーリック
・・・ぶつかってくれよう!)わたくしの邪心は・・・ 海野十三 「第四次元の男」
・・・全く邪心を去って来れば好い・・・ 江見水蔭 「死剣と生縄」
・・・学生ばかりでなく仙台市民こぞって邪心なく子供のように騒ぎまわっていた・・・ 太宰治 「惜別」
・・・風邪心地、早寝する・・・ 種田山頭火 「其中日記」
・・・邪心(じゃしん)を抱く者共は彼の住居の十町四方は避(さ)けて廻(まわ)り道をし・・・ 中島敦 「名人伝」
・・・「この方は邪心のあられた性格とみえまして・・・ 久生十蘭 「雲の小径」
・・・そのほかにはこれッぽっちも邪心はなかったので……それは相模さんも気の毒は気の毒ですけれども・・・ 山本周五郎 「思い違い物語」
・・・邪心のない者は人を疑わない・・・ 吉川英治 「江戸三国志」
・・・未熟煩悩迷妄邪心あらゆる痴人のもち前の短所と・・・ 吉川英治 「剣の四君子」
・・・邪心の濁(にご)りから澄みきれない・・・ 吉川英治 「剣の四君子」
・・・さながら邪心のない嬰児(あかご)のように・・・ 吉川英治 「三国志」
・・・邪心があれば二の足を踏んで来ないだろう」なお・・・ 吉川英治 「三国志」
・・・――本来は、邪心もなく、生れついたままの性(さが)をただ振舞っているだけにすぎない者を――しいて執権の座にあがめて、あらゆる悪政は、みなその暗君のせいかのように、罪を高時ひとりにかぶせている中央や幕府のむごい機構が真に憎かった・・・ 吉川英治 「私本太平記」
・・・すこし風邪心地(かぜごこち)らしく・・・ 吉川英治 「新書太閤記」
・・・風邪心地の肌を寒気立(さむけだ)てる・・・ 吉川英治 「親鸞」
・・・邪心を退けようとして・・・ 吉川英治 「親鸞」
・・・きッと邪心を起こさぬことだぞ」「あ・・・ 吉川英治 「鳴門秘帖」
・・・その顔にはまたなんの邪心もみえない・・・ 吉川英治 「梅里先生行状記」
類語 ・僻心(ひがごころ):ひねくれた考え方。ねじけた心。・悪心(あくしん):恨みを抱き、悪事をしようとするよこしまな心。・獣心(じゅうしん):獣のように、道理をわきまえない残忍卑劣な心。・盗心(とうしん):他人の物をぬすもうと思うこころ。また、盗賊のような悪心。・下心(したごころ):心に隠しているたくらみごと。 
●邪心を払う
邪心というのは、人に対する憎しみや妬み嫉み、あの野郎この野郎、死んでしまえ…などといった心のことです。又、人によっては、人からいじめられてつらい思いをした記憶などにしょっちゅうさいなまれている人もおられるでしょう。寝覚めなどに、つらく苦しい思いをした記憶が夢になって出てきて、いやな思いをしながら目を覚ますとか、要するに寝覚めが悪いという状態のことです。
そういうことがずっと続いていると、いつも暗い気持ちで、人にかかわりたくないとか、引きこもってしまうとか、あるいは、心を病んでしまってうつ病の危険すら出てくるでしょう。
その一方である人は、いつも鼻歌を歌いながら楽しそうに生活している人もおられるでしょう。この差はなんで生まれてくるのかを考察しますと、前者の方は自分の心の状態が、いつも暗い邪心に覆われた状態なのかもしれません。
一方、いつも鼻歌を歌っている人は、こころの状態のベースがうきうきした楽しい記憶などに覆われている人だと思われます。こんな人は、まわりにも良くいますよね。いつも楽しそうにしていて、笑うことが多くて、幸せな人です。かといって、このような人たちも予期せぬ不幸なことに出会ったりすると、さすがにしばらくの間は暗く沈むこともありますが、いつの間にかもとの楽しい自分に戻っています。これはやはり、こころのベースが楽しいことばかりを好んでいるためなのでしょう。
さて、今日お話しするのは、いつも心が穏やかで、至福に包まれている状態を心のベースにする方法について私見を書いてみます。
やり方は大きく二つあります。
一つには、これまで書いてきたとおり、本当の自分を知って、それを自分のベースにしてしまうことです。でも、これは本当の自分を知るという、結構難しい方法かもしれません。知ってしまうととても簡単なのですけどね。
もう一つのやり方は、ご自分のハートセンターを使うやり方です。ハートセンターというのは、ご自分の七つのチャクラに存在しているエネルギーセンターのことで、ハートセンターは下から四番目の、ちょうどご自分の胸の中心の少し上の方に存在しております。心臓の少し上の方ですね。
七つのチャクラは、それぞれに色があります。ハートセンターの色は、ピンクまたは緑色をしています。どちらでもよいです。ハートセンターを使う最も良い方法は、オリンさんが教えてくれている三つのハートセンターを覚醒させる方法があります。
三つのハートセンターとは、第3チャクラ(太陽神経叢のあたり)と第4チャクラ(ハートセンター)、そして第七チャクラ(ヘッドセンター)の間で、エネルギーの流れを作って、次第に第4チャクラのエネルギーセンターを拡大させていき、地球全体あるいは宇宙全体を包み込むまでに大きく拡大させるやり方です。
宇宙を超えて拡大させ続けると、これは本当の自分と同じことになります。本当の自分とは、時間が止まった無限の存在のことですから、ハートセンターを宇宙を超えて広げ続ければ、本当の自分になってしまうということですね。
三つのハートセンターを覚醒させる方法は、詳しくはサネヤ・ロウマン著「魂の愛」に詳しく書いてありますので、ご興味のある方はそちらをご参照ください。
さて、今回お話するのは、エネルギーワークが苦手な人のための簡略化したやり方をご紹介します。これは私がOrinさんの方法を簡略化した方法で、とても簡単で安全です。
まず、太陽神経叢のセンターから光がハートセンタに上がってきて、そこから光がヘッドセンターに上がります。そのヘッドセンターから光が太陽神経叢のセンターに下りてきて、上記と同じことがずっと繰り返されます。これが高速で行われると、まるで、三つのセンターが光でつながっているように見えます。不思議な音色が聞こえるかもしれません。
それがイメージできたら、ハートセンターのエネルギーが徐々に膨らみ始めて、自分の体をすっぽり覆うほどの球体にまで拡大させます。まずここまでで良いと思います。
余裕のある方はそれを家をすっぽり覆うくらいの大きさまで、もっと余裕のある方は日本全体まで拡大させるとよいでしょう。この時この球体の色ですが、ピンクが好きな方はピンク色の球体として、緑が好きな人は緑色の球体としてイメージすればよいでしょう。(もちろん、もっと余裕のある人は地球をすっぽり覆うくらいの大きさまで、さらに余裕のある方は宇宙全体を覆う大きさまで拡大させるとよいでしょう。宇宙を超えて拡大してもよいですが、ここまでくるともう無限の域に入っておりますので、ハートは「本当の自分」と同じになっています。)
さて、次のやり方ですが、上の方法がめんどくさくいという方のために、さらに簡略化したやり方なのですが、三つのハートセンタが光でつながっていて循環していると簡単に考えて、ハートセンタがどんどん大きくなってご自分の体をすっぽり覆うとイメージしてください。これでおしまいです。
自分はいついかななるときも、このハートセンターのピンクあるいは緑の球体に包まれているんだとしつこく考えつづけてください。忘れ去っても構いません。でも、忘れたことに気が付いたら、すかさず球体に包まれてください。そういう遊びだと思って行うと長続きするでしょう。
遊んでいるとき、仕事をしているとき、あるいは眠りに落ちる直前、この球体に包まれているとイメージします。
これら二つの遊びを効果的にやる方法があります。
それは、ご自分が一番リラックスできるときに、このイメージを行うと、ハートの球体のエネルギーが格段に強くなります。そして、そのまま仕事なり家事なりに戻ってください。そして夜寝る直前にもイメージすると、眠っている間中球体の中に包まれてぐっすりと眠ることが出来るでしょう。
いかがでしょうか?簡単でしょう?
もっと簡単な方が良いと言われる方は、自分のハートセンターを中心とした球体にいつも包まれていると考えればよいです。色は好みで、ピンクでも緑でもよいでしょう。
まあ、これ以上簡単にはできませんね。
このワークを続けていくと、1週間たち、一か月立つ頃には、邪心や嫌な思い出を見ることが格段に減っているご自分に気が付くでしょう。
そう感じられたら、さらに、一日の中でリラックスできる時間を増やして、このイメージを行う回数を増やして行くと、ハートのエネルギーの作用は目に見えて強くなってゆきます。
すると、邪心や嫌な記憶を見ることはさらにさらに減ってゆきます。
かといって、必要な思考は純粋な思考としてどんどん湧いてきますので、仕事や作業の効率もよくなってくるでしょう。
でも、思考を見ることが終わったら、不思議なことに、リラックスして邪心のない自分に戻ることが出来ますので、長く続けて行けば行くほど、一日中、楽しく鼻歌を歌いながら生活できるようになるかもしれません。
まあ、こういう遊びですが、良かったら遊んでみてください。
●邪心をはらう儀式「三三九手挟式」奉納
伊豆山神社の例大祭・本祭があった4月15日、神事の後、境内裏で鎌倉時代から受け継がれる弓馬術礼法小笠原教場の弓の儀式「三三九手挟式(さんさんくてばさみしき)」が古式にのっとり行われた。毎年、この神賑奉納行事を楽しみにしている市民は多い。
小笠原流は、初代長清が源頼朝の弓馬術礼法の師範となり、子孫らも江戸時代まで師範として将軍家に仕えた。静岡県弓道連盟が仕切って行われ、熱海市の室伏勲さんをはじめ、介添え役も含めて群馬、神奈川、静岡などから28人の参加した。
武者姿の人物が「始めませえ」と宣言し、三三九手挟式がスタート。今年も武士の礼服「直垂(ひたたれ)」などを着た10人の射手が、細かく定めた所作をこなして9間(約16メートル)先にある直径約30センチの的を正確に射、五穀豊穣(ほうじょう)や厄よけなどを祈った。伊豆山神社は鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝と、妻である北条政子が結ばれた歴史ある神社。その時代の空気が体感できる。一度、この臨場感を味わってほしい。
●邪心払う荒行に挑戦 出羽三山神社 女性だけの「神子修行」
出羽三山神社(緒方久信宮司)が行う女性だけの山伏修行「神子(みこ)修行」が6日に始まった。全国各地から参加した女性たちが9日までの3泊4日の日程で、南蛮いぶしや禊(みそぎ)などの荒行に挑んでいる。
神子修行は1993年、出羽三山の開山1400年を記念し、それまで同神社では男性にしか許していなかった山伏修行を女性に開放する形で始まった。今年は北海道から佐賀県までの各地から21―75歳の67人が参加。1回目から連続17回参加している女性も5人ほどいるという。
初日の6日は、頭に白い布の宝冠を巻き、紅花染めのそろいの装束に身を包んだ参加者たちが、同神社社務所そばの随神門前に集合。神事の後、正午前にほら貝の合図とともに入山。羽黒山の石段を登り、修行に入った。
入山前、長野県諏訪市から参加した看護師の岡田千夏さん(30)は「8月に30歳になったばかり。節目の年齢で、これまでの人生を振り返り見つめ直してみたいと参加した。修行でいろいろな邪心と欲をそぎ落とすことができれば」と話し、札幌市から参加した看護師の澤田由佳さん(27)は「自分を試してみたくて参加した。一汁一菜というストイックな修行に耐えて心を強くし、物事に動じない精神力を身につけたい」と意気込みを語った。
参加者たちは初日から羽黒山頂近くのお堂にこもり、水に入る行の禊や南蛮いぶし、三山の拝所を巡る山駆けなどさまざまな修行を積む。
●何げない日常に潜む日本の文化 〜ほうき〜
年末が近づくにつれ、「そろそろ大掃除をしなくては」と思う方も多いのではないでしょうか。部屋中を勝手に動き回り綺麗にしてくれるステキな掃除道具がありますが、掃除のお供として欠かせない道具と言えば「ほうき」。掃除機の陰に身を潜めていた「ほうき」ですが、掃除機では届かない隅のホコリ取りに重宝するうえ、音が小さいので夜間の掃除に便利、さらには電源を使わないので経済的だと見直され、最近、需要が高まっているそうです。「ほうき」は日本特有のものだそうで、もともとは掃除をする道具ではなかったようです。その語源とは? いつごろから掃除道具として使われるようになったのでしょうか。
「ほうき」の語源と意味
「ほうき」は「箒」と書き、古くは「ははき」と言ったそうです。日本最古の歴史書『古事記』や『万葉集』にも「帚持(ははきもち)」「玉箒(たまははき・たまばはき)」という名で登場します。
『古事記』では、葦原中国(あしはらなかつくに)の平定に乗り出した天照大神が第二の使者として派遣した天若日子(あめのわかひこ)が、大国主神に国譲りを迫るために地上に降り立ちますが、大国主神の娘・下照比売(したてるひめ)と恋に落ち、結婚をしてしまいます。なかなか戻ってこない天若日子にしびれをきらした天照大神が、キジの鳴女(なきめ)を送り込みますが、天若日子はそのキジを射殺。それを知った天照大神が「もし天若日子に邪心があれば、当たれ」とその矢を突き返したところ、天若日子の胸を貫き死んでしまいます。「帚持」は、この天若日子のお葬式の場面で「鷺(さぎ)を帚持と為」(鷺がほうきを持つ役目として)と出てきます。
また、『万葉集』では“初春の 初子(はつね)の今日(けふ)の玉箒 手に取るからに 揺らぐ玉の緒”〜大伴家持『万葉集 巻二十』〜とあり、初春の今日、玉飾りをしたほうきを手に取ると玉飾りが揺れて、よろこばしく音をたてるという内容の歌に「玉箒」があります。758(天平宝字2)年正月3日の初子の儀式に、孝謙天皇が侍従・竪子・王臣たちを召して、内裏の東屋の垣の下に伺候させ、「玉箒」をさずけて宴を催した際の大伴家持の歌です。「玉箒」は本来養蚕の床を掃く道具だそうですが、ここで詠まれている「玉箒」は、儀式用のものだそうです。「玉箒」を揺らすと玉(魂)が活発になり邪気を払うと考えられていたと言います。
正倉院には、まさに758(天平宝字2)年正月初子の日の儀式で用いた「子日目利箒(ねのひのめとぎほうき)」という「ほうき」が残っています。古代中国の制にならい、蚕室を掃き清め蚕神を祀ったそうです。古代では、“はらいきよめる”ということに使用され、掃除道具というより祭祀の道具としての意味が強かったようですね。
実は「ほうき」は縁起物
また「ほうき」には、箒神(ははきがみ)という神様が宿るとされ、妊婦のおなかをなでたり、産室に逆さに立てておくと安産になり、また、玄関に飾ると幸せをかき入れるとも言われています。「掃き出す」「払う」という行いが、出産や邪気払いに結び付いたそうです。ちなみに「ほうき」の相棒、「ちりとり」の原型で「はりみ」も「実が入る」ということを連想するため、縁起物として昔から親しまれています。
そういえば、長居するお客を早く帰すために、「ほうき」を逆さに立てておく、おまじないのようなものがありますね。これも「掃き出す」「払う」という意味からでしょうか。筆者は小学生のころ、玄関先にほうきを逆さに立て、本当に長居するお客が早く帰るのか実験をしたことがあります。実家は客商売を営んでいたということもあり、母親に怒られ、残念ながら実験は失敗に終わっています。
「ほうき」が掃除道具となったのは平安時代
儀式的な要素が強かった「ほうき」も実用的な掃除道具として歴史上に登場するのは、平安時代。年神様を迎えるために宮中で年末に“すす払い”の道具として使われたのが掃除道具としてのデビューだそうです。
また、年末の大掃除もこれに由来するとか。その後、室町時代には、ほうき売りが登場し、生活に欠かせない掃除道具となっていったそうです。
掃除道具の一つとして何げに使っている「ほうき」が、昔はとても神聖な存在だったんですね。さらに「掃く」という行為は、神聖、かつ精神面を高める行為とされています。神社や寺院が竹ぼうきで美しく掃き清められているのも理解できるのではないでしょうか。
筆者は、毎朝4時に愛犬に起こされてしまうので、彼女(愛犬は女の子です)のお世話が終わると、玄関周りを「ほうき」で掃くことが日課となっています。「掃く」という行為は、邪気を払うと言いますから、玄関周りが綺麗になると、確かに心もスッキリします。
昔から神聖なものとして扱われてきた「ほうき」をまたぐと罰が当たると言われているので気を付けましょう。ちなみに筆者は「酒は憂いの玉箒」ということわざが大好きです。

酒は憂(うれ)いの玉箒(たまははき・たまぼうき)。(「蘇軾‐洞庭春色詩」の「応レ呼釣詩鉤、亦号掃愁帚」による) 酒は心の憂いを掃き去る道具である。酒を飲めば憂さを忘れることをいう。浄瑠璃・津国女夫池(1721)千畳敷「酒はうれいの玉ははき、千金春宵一こく飲(の)み、御酒のきげんも義輝公」。
●破魔弓
男の子の初正月祝として贈られる破魔弓。破魔弓は読んで字のごとく、魔除け、厄払いの意味があり、邪心や邪気、邪道など邪(よこしま)なもの全てを払うお守りです。
起源
宮中で男の子が生まれるときに行われた、「鳴弦の儀(めいげんのぎ)」が起源とされています。鳴弦の儀は鬼を退ける儀式で、矢を使わずに弓の弦を引いた時の音を四方へ発するのが特徴的です。弦を弾く音は鬼が嫌う音とされており、鬼が起こす魔気や邪気を祓うとして、鳴弦の儀は行われてきました。鳴弦の儀は、現在でも皇室では儀式のひとつとして受け継がれています。これが破魔弓の起源とされています。
鬼門と弓
「鬼門」という言葉を聞いたことはありませんか?良くない結果が起こりやすいときを鬼門といいます。日本では旧暦の12月から1月の間は十二支による暦の上で「丑・寅」にあたり、これが鬼門に当たる時期とされています。ちなみに鬼は、牛の角が生えていて、虎柄のパンツを履いている印象ってありませんか?このイメージは、「丑・寅」の鬼門から想像されています。12月から1月になるとき、つまり年越しの瞬間に鬼がやってくると信じられていました。鬼から身を守るため、鳴弦の儀が年越しの時期に行われる年中行事として変化していきました。よく、「年を越せない」というフレーズを使いますが、ここに語源はあったのですね。やがて鳴弦の儀は、弓矢の贈答品として、民衆の間で広く伝わるようになりました。そして年の暮れに鬼から身を守るため破魔弓を飾る、現在の形になったとも言われています(諸説あり)。男の子は破魔弓、女の子は羽子板、といった風習がありますが、もともとはどちらも破魔弓でした。しかし、弓矢という武具を女の子にはいかがなものか、といった理由もあり、その代わりとして羽子板を贈るようになりました。
破魔弓を飾る時期
12月中旬頃 ~ 1月15日頃に飾るのが良いでしょう。「鬼門と弓」でも触れたように、鬼から見を守るために破魔弓を飾ります。「無事に年を越せますように」という意味合いで、年末に飾っておくのが良いとされています。1月15日はちょうどお正月飾りを焼く、左義長(どんど焼き)の行事が行われることから、この日まで飾っておくのが良いでしょう。もちろん現代の破魔弓は工芸品としても美しいので、年中飾ってあっても良いでしょう。
節分と鬼
「鬼は外」という言葉をみなさんも口にしたことがあるのではないでしょうか? 実は現代の節分は、旧暦の年末にあたります。
新暦 旧暦
12月31日 2月3日(節分)
1月1日 2月4日(立春)
旧暦では年の暮に鬼がやってくるので、「鬼は外」であることがわかる行事ですね。節分はもともと年末行事であったことがわかります。
まとめ
破魔弓は、12月から1月にやってくるとされている鬼から身を守るためのお守りや魔除けの意味があります。生まれたお子さんに対して、「無事に年を越せますように」と願いを込めて贈った破魔弓。破魔弓の起源や意味合いを理解し、年末を過ごしてみてはいかがでしょうか?
●断捨離〜邪心を捨てる
1つ前に「しがらみを捨てる」と言う事をちょこっと書きました。
その中で「気がついたら 望んでも居ない交流や環境 と言うものも出来上がっていたんです。」なんて事を書いているのですが、それは本当に望んでも居ない事だったのか?本気で望んでいない事なら、そんなものは本来出来上がらないんです。メンタルな断捨離の中ではこの事実と向かい合って受け止めるのは辛いものがありました。
望んでも居ないモノが出来上がってるって言うのは、何かと言うと…結局は自分の心なんです。自分が何だかんだと望んだ結果のものなんですよね。そしてその望んだ原点は何かというと、邪心なんです。これは本当に受け入れるのに本気で躊躇う事でした。
「いや、私はそんな事はない」とか「よかれと思って」とか「勉強になるから」とかね。どこかで、精一杯の言い訳を他者にしているんです。そりゃもうそこまで精一杯言い訳しなくてもいいだろうって程に、これは良い事だからと言い聞かせ、説得し…みたいなね。でも、見る人が見たら透けて見えちゃうものがあるんです。邪心ってそういうもの。
例えばね、この会に出ておけば、何かチャンスがあるかもしれないとか。別にそう思って出席する事が悪い事じゃないし、着実にビジネスに結びつけてちゃんと仕事にする人も大勢居て、むしろそれで世の中成り立ってる様な気さえします。だから私も、ビジネスだから…と自分に「言い聞かせ」て無理してた所が沢山あったかもしれません。だた、本当にビジネスだったら、こんなに気持ちの無理がなかったはず。それが悪いとは思いません。
けれど、詮索され続けたり人の悪口や噂話ばかり聞かされたり、腹の探り合いや牽制しあっている人達を見て、それに一種の恐怖を覚えたりストレスを抱えてまで関わっている自分に疲れてしまって…。ビジネスだから、と言い聞かせてきた私でしたが、このドロドロした場から何かビジネスになった事があった?良い縁があった?ううん、何もなかった。なのに私は「いつか何かあるかもしれないから」と、どこか期待してたんですよね。
人を疑う事しか出来なくなった時、もう要らないものは捨ててしまおう。と言う気持ちに。それが邪心の断捨離でした。
服でもそうなんだけど、20代の時に似合ってたものを今の年齢で似合うかと言うと無理な話。「いつか着るかもしれないから」と、取っておくその気持ちは、どこから来るのだろう?その「いつか」は20代の時の様にちやほやされる時が来るかもしれない、と心の片隅で過去の栄光を追っていないだろうか?別にそれが100%悪いとは想わない。けれど、今の年齢には今の年齢なりのものがあって、20代にしがみつく必要はこれっぽっちも無い訳で。これと同じ様に…会への参加…もどこか邪な気持ちがあったら、それは既にストレートに楽しんでいるものではなくなっていて。改めて自分の交流を書き出してみると、実に実に…自分がどれだけ無意味なものに首を突っ込んでいたのかがよく分かりました。
これを他者から指摘されたら受け入れるのにはさらに時間を要したかもしれないけれど、自分で向き合って受け入れる準備をし始めると意外とストンといけたりしたりね(私の場合)。そんな邪心を捨ててみたら、自分が作り出した関係性やしがらみが、ススス〜〜〜っと消えていった訳です。ああ、なんてクリアな世界。
けどね、これって結構難しい事で、
   ・まず自分の負の部分を知る
   ・次にそれがどんなものか向き合う
   ・それを受け入れて認める
   ・最後に手放す
といった流れを自分なりに作ったのですが、とにかく最初の自分のドロドロした部分を知って受け入れると言う段階が辛い。自分はかくあるべき!と生きてきたならなおさら辛い。とは言え、今の私から邪心が100%無くなっているかというと、そんな事はない訳で。やはり生きていく為には「邪心」も時には必要。ただ、無意味な事に囲まれていたら生きづらくなっちゃうよね。・・・って言うお話。
やらなくて良い事なら、それが許される状況や強行突破出来るものなら、思い切って捨ててみるのもアリだなとね。捨ててみて分かった、あれやこれや。なのでした。多分、邪心が100%無くなったら、それは「悟りを開く」と言う、別の世界のお話な気がするのでそこまでストイックにはいきません(笑)。
気軽に気楽ににね、楽しく生きていくための、そんな私の断捨離なのでした。
●「山の神」 みなまたの民話
昔から水俣辺りでは、山の神はオコゼ(虎魚)が好きだといわれているが、その故事は次のようである。
大昔、山の神に一人の娘神がいた。この娘神は年頃になって、どうしたことか急に部屋にこもって食事にも出てこなくなった。
母神が心配して、娘神にその訳を尋ねてみると、娘は「谷川に下った時、ふと澄み切った谷川の水に自分の顔が写ったのを見て、そのあまりにも醜い自分の顔に驚き、悲観して死んでしまいたくなり、食事も喉を通りません」と言った。
それを聞いた母神は、「なんだ、そんなことだったのか、この世の中にはまだまだお前よりも醜いものがいる。ひとつも心配することはない」と慰めた。
すると娘神は「それなら、そんな醜いものは何でしょう?私に是非見せて下さい」と母神にせがんだ。それならと、母神は若者を海に走らせ、オコゼを捕ってこさせて娘神に見せた。
それを見た娘神は「ハッハッハー、これは本当に醜い顔をしている」と、大声を出して笑い出したが、それから機嫌をよくした山の神は、オコゼをいつも自分の側に置いて居たとかで、それから「山の神はオコゼが好き」と言われるようになったそうである。
こうした故事に習ってか、昔の狩人たちはオコゼを求めて百枚の和紙に包み、お神酒と一緒に山の神にお供えして山の神を喜ばせ、山での安全と豊猟を願った。そして、狩りで山に入る時には必ず山の神にお参りして、オコゼを包んだ和紙を一枚頂き、それを身につけてお守りとした。その紙がなくなると、また新しいオコゼを求めて同じ様に和紙にくるんで奉納した。
山の神に供えたオコゼは、山の獣たちに失敬されずにミイラになっても残っているが、それはオコゼの背びれに毒針があることを狐や狸どもが知っていたからかも知れない。また、腐らないでミイラ化するまでに残っているのは、昔の和紙が蝿などの産卵を防ぐ役目を果たしていたからではなかろうか。
さらに、山の神がオコゼを好まれることについては、次のような話もある。
オコゼは「顔は一番醜い魚だが、腹の中はどんな魚よりもきれいである」( オコゼの内臓は非常に美味しい)したがって、山の神が顔のきれいな者よりも邪心のない腹(心)のきれいな人を好かれるということは、邪心は災禍を招き、正心は難を逃れるの道理を教えているものであろうと。
また昔は、女房のことを山の神といったが、これは女房が一般の家庭では苦しい家計を束ねる唯一その家の守り神的な存在であったからであろう。
そして山の神が自分より醜いオコゼが好きだということは、女性の嫉妬心の強さを物語っているのかも知れない。 
 
 

 

●悪心 [あくしん] 
悪事をしようとする心。他人に害を与えようとする心。また、人をのろう心。悪念。大鏡(12C前)三「悪心おこしてうせ給ひにしありさまは、いとあさましかりしことぞかし」 〔国語‐魯語・下〕。仏道に進むのをさまたげる心。平家(13C前)一〇「身をたすからんと思ふ悪心のみ遮(さへぎり)て、善心はかって発(おこ)らず」。 胸が気持わるくなること。病論俗解集(1639)「悪心(アクシン) 心中兀々然、無レ奈。欲レ吐不レ吐、欲レ呕不レ呕。此為二悪心一。むねあしく」。
恨みを抱き、悪事をしようとするよこしまな心。[類語] 悪意、悪気、意趣、悪感情、邪気、邪心、出来心。
悪事をたくらむような心。[国語、魯語下] 夫れ民は、〜思ふときは則ち善心生ず。〜善をるるときは、則ち惡心生ず。[おしん] 吐き気。
[わるごころ] =わるぎ(悪気)。評判記・吉原呼子鳥(1668)ゑもん「わる心といふ事は、はつか鼠のあと足にてつかみたる程もなし」。
[1] 悪事をしようとする心。/ 女房は亭主の留守に平吉(へいきち)から七十五両の金をあずけられて、俄かに悪心を起してその金をわが物にしようと巧たくんだ(岡本綺堂『放し鰻』)。 [2] 語義1より転じて、他人に祟りをなそうとする心。他人を憎む心。/ 男君、太郎は左衛門督と聞えさせし、悪心起おこしてうせたまひにし有様は、いとあさましかりしことぞかし(『大鏡』中・太政大臣為光)。(藤原為光の)御子息のうち、御長男は左衛門督(さえもんのかみ)という方で、悪心を起こして亡くなられましたが、その有り様は実に見るに堪えないなものでした。 [3] 悟りへと至る道を進む上で妨げとなる心。/ 運つき世乱れてより以来は、ここにたたかひかしこにあらそひ、人をほろぼし身をたすからんと思ふ悪心のみ遮さへぎって、善心はかつて発おこらず(『平家物語』10・戒文)。運が尽き世が乱れた後は、ここで戦いあそこで争い、他人を滅ぼし我が身は助かろうと思う悪心だけが邪魔をして、善心はついに生じることがない。/ 向後浮世の姿をやめて、惜しきとおもふ黒髪を切り、出家となり、二人別々わかれわかれに住みて、悪心さって菩提の道に入らば、人も命をたすくべし(井原西鶴『好色五人女』巻3・4「小判しらぬ休み茶屋 都に見し土人形あり」)。今後は俗人の姿でいるのをやめ、惜しいと思う黒髪を切り、出家の身となって、二人別々に暮らし、悪心を取り去って悟りへと至る道に入れば、(不義密通の罪を犯したお前たち二人といえども)世人も命だけは助けてくれるであろう。 
●むかつく学生
疫学の講義で見せたビデオに出てきた字幕に「悪心」とあった。コメント書かせているときに「悪い心ってあったんですけど、どういう意味ですか?」と尋ねてきた学生がいた。...あ、そうかあ、悪い心、だもんなあ。たしかに、知らなければなんだか別のことを想像しそうだ。「悪心がとまらない」とかなっていたら、なんだか邪悪な存在の悪意がとまらない、かのように感じてしまうのかもしれない。どうしたって「心」に反応してしまうのか。まだ「こころの時代」は終わっていないようだ。
悪心を「あくしん」と読めば、そちら方面の意味もなくはないようだが、病気方面では「おしん」と読み、要するに、吐き気のことだ。つまり、「むかむかする」。
それで思い出したのだが、「むかむかする」あるいは「むかつく」の意味が、今どきの学生では違うねえ、という昼時の雑談。もう30年近く前の話である。古い人たちにとって、それは吐き気のことであり、まあ、「むかつく」のほうは多少派生的な意味として「(人に対して)気に入らない」といったニュアンスで使われることもあっただろうか。それが(当時の)学生たちにとっては、元の意味は失われ、後者の意味でしか使われなくなった、という話だった。ま、言葉は生き物であるし、とくに若者たちにとっては、なにか悪いものを食べて吐き気がすることより、周りの人に対して気に入らない状況のほうが圧倒的に頻度が高くなったことの表れだったかもしれない。
昔も今も学生たちはムカツいているものだろう。学生運動と呼ばれたような、集団でムカツキの声を結集させるような動きは、今はほとんど影も形もないように見えるが、現実の学生たちは昔と変わらず大いにムカツイている。表に出てくる形がちがうだけだろう。
けれど、そのムカツキには、しょーもないムカツキと、まっとうなムカツキがありそうだ。おそらく日本人なら一度はその漫画を目にしたことがあるであろう、いしいひさいちという天才がいる。彼の描く『バイトくん』に代表されるような学生群像にも、目じりが上がった三日月形の目になって、ムカツイている姿はしょっちゅうでてくる。漫画とはいえ、一見するといかにもくだらないことに、思わず反射的に出た怒りみたいな形で。ま、これは、ありがちな、しょーもないムカツキを描くことで、それを第三者の視点から笑うことに妙味があるのだろう。
今の学生たちも、ムカツク対象者が目の前にいないときは、けっこうアケスケにそのムカツキを口にする。まあ、今の研究室が、いささか「ホーム」になっているから、ふつうは教員には見せない姿を見せているのかもしれない。私だって、「公共の場」では言わないような、ムカツキというか愚痴っぽいことを言ってしまっているかもしれない。そうした「ガス抜き」は、生きていくのに、まあ、必要だろうと思うし、品格という点ではどうかなと思うが、仕方のない面もあるだろう。
しかし、まっとうなムカツキまで、家庭内でのガス抜きまでで終わっていないだろうか。当の相手を前に、あるいは公共の前で、そのムカツキを言葉や態度に出すのはエネルギーがいるし、平和主義者の私も概して躊躇することのほうが多い。だから、言葉をのみこんだり、ある種の泣き寝入りになることを積極的に選ぶこともある。でも本当にまっとうなムカツキだったら、そこにエネルギーをつぎこんででも表現しないと、社会は変わらないだろう。それをしないということは、たとえばこんなにひどい社会だと言いながらも、じつはそこが安住できる社会だと肯定している深層心理が横たわっているのかもしれない。
たしかに今の日本は、未来の歴史家がふりかえったとき、世界史史上に類例のない平和な社会だった、と見なされる確率のほうが高いような気もする。
●悪心は降る雨
悪心というものはいくら取り除いても空から雨が降るように次から次へと降ってわくものだという事。恨みや悪知恵は絶えることがないものだという事。悪心とは恨みを抱いて悪事を行おうとする心。
●法華経のこころ
人間の生き方の究極の境地が示された法華三部経――。経典に記された一節を挙げ、記者の心に思い浮かんだ自らの体験、気づき、また社会事象などを紹介する。今回は、「無量義経徳行品」と「譬諭品」から。
能(よ)く諸(もろもろ)の勤め難きを勤めたまえるに帰依(きえ)したてまつる(無量義経徳行品)
「仏さまの、すべてを成就された相(すがた)だけを賛歎(さんたん)するのでなく、その境地に達せられるまでの努力に、心から帰依申し上げます」。“結果”だけにとらわれがちな私たちに、それまでの“経過”が、いかに大切かを教えてくれる一節。
4月、さまざまな人々が新しい人生のスタートをきった。入学、就職……新品の制服やスーツに身を包んだ若者は、街中でも、ひときわ輝いて見える。あれもしよう、これもしよう、という意欲と期待の大きさが、こちらにも伝わってくるようだ。
だが、一方で、新しい生活には、不安がつきもの。中には、入学や入社早々にして、挫折感を味わう人も少なくない。
確かに現実は、私たちの予想以上に厳しいかもしれない。評価、人間関係など、カベにぶつかることもあるだろう。しかし、それは、すべて、“当たり前の修行”と受けとめたい。一歩一歩、地道に努力し続ける――結果は二の次とまで言わないが、真剣に努力している姿ほど、人をひきつけ、自らの糧となるものはない。
「能く諸の勤め難きを勤めたまえるに帰依したてまつる」。この一節を、新しい人生を歩み始めたすべての人に贈りたい。
之を食(じき)して既に飽きぬれば 悪心(あくしん)転(うた)た熾(さか)んにして(譬諭品)
「動物は腹いっぱい食べると、おとなしくなって、仲間と争うようなこともなくなる。しかし、人間は金持ちになり、なんでもできるような身分になってからも貪欲(とんよく)はますます強くなりやすい。人間のあさましさを戒めた句だ。」
昭和50年代に、上京して4畳半の下宿暮らし。就職して、6畳と台所のあるアパートに移った。支局時代はそこにフロが付き、世帯を持って2DKフロ付きの生活。これ以下の生活には戻りたくない。
生活環境の変化に伴い、体重も増え続けた。タンスに掛かっている洋服は、体に合わなくなっていく。ベルトの穴も一つずれ、二つずれ……。それでも、おいしいものが並ぶと、つい手が伸びてしまう。
それだけではない。こと子供に関しては煩悩まる出し。生まれる時は「五体満足であってくれ」と願い、生まれたら「立て」「歩け」と、子に対する欲目が頭をもたげる。
それらの欲や煩悩は、無意識のうちにエスカレートするものである。世俗の生活者なんだから当然のことだ、と思えば済むことかもしれない。
しかし一方で、意識的に、例えば開発途上国の飢えや貧困について記事を書く自分がいる。冷静にその二つの自分の姿を比べ、自己矛盾と自己嫌悪に陥る。所詮、矛盾の連続が人間存在の姿なのかもしれない。
人間のあさましさの芽は、ひょっとして、当然と思える欲や煩悩の中に潜んでいるのでは……。
●「法然上人御法語後編第二十四」
滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん)
「五逆罪(ごぎゃくざい)と申(もう)して、現身(げんしん)に父を殺し、母を殺し、悪心(あくしん)をもて仏身(ぶっしん)を損(そこ)ない、諸宗(しょしゅう)を破(やぶ)り、かくの如(ごと)く重き罪を造(つく)りて、一念懺悔(いちねんさんげ)の心(こころ)もなからん、その罪によりて、無間地獄(むけんじごく)に堕(お)ちて、多くの劫(こう)を送りて苦(く)を受(う)くべからん者(もの)、終(おわ)りの時(とき)に、善知識(ぜんちしき)の勧めによりて、南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)と十声(とこえ)称(とな)うるに、一声(いっしょう)に各々(おのおの)、八十億劫(はちじゅうおっこう)が間(あいだ)、生死(しょうじ)にめぐるべき罪を滅(めっ)して往生す」と説かれて候(そうろ)うめれば、「さほどの罪人(ざいにん)だにただ十声(とこえ)一声(ひとこえ)の念仏にて往生は、し候(そうら)え。まことに、仏(ほとけ)の本願(ほんがん)ならでは、いかでかさる事(こと)候(そうろ)うべき」と覚(おぼ)え候(そうろう)。
【御句の説明】
滅罪増上縁(めつざいぞうじょうえん) / 極楽浄土へ往生を願う念仏者が、阿弥陀仏の本願力によってこうむる勝れた功徳に五つ数えられる。その第一がこの滅罪増上縁で、現世、この身で犯してしまった重い罪が、念仏を称えることによって滅する力強い因縁のこと。『観無量寿経』に説かれる。
五逆罪(ごぎゃくざい) / 母を殺すこと、父を殺すこと、阿羅漢(覚りを開いた聖者)を殺すこと、仏の身体を傷つけて出血させること、修行僧の和合を乱し分裂させること、この五種の重罪を指す。
無間地獄(むけんじごく) / 悪趣の中で最も恵まれない境遇である地獄界に八つを数え、その中で最下層に位置する地獄のこと。八つは、等活(とうかつ)、黒縄(こくじょう)、衆合(しゅごう)、叫喚(きょうかん)、大叫喚、焦熱(しょうねつ)、大焦熱、そして無間となる。”無間”とは地獄の責め苦が絶え間ないことを意味し、五逆罪および仏の教えを誹謗した罪を犯した者が必ず赴く世界であるとされていた。
善知識(ぜんちしき) / 利益をもたらす善き友人、特に仏法への善きいざない手のことで、浄土教では往生浄土と念仏の導き手を指している。
【本文の意味】
「五逆罪と呼ばれる、父を殺し、母を殺め、悪意をもって仏の身体を傷つけ、諸々の仏教の教えを謗って和合を乱したり、このような重罪をこの生涯において犯しながらも、微塵も懺悔する心なく、間違いなくその罪過によって無間地獄へと堕ちて、まことに長い日々を、地獄の責め苦に苛まれるはずの者が、臨終の際に、善き導き手の勧めによって、南無阿弥陀佛と十回声に出して称えれば、その一声ごとに、通常であれば八十億劫もの長き間に迷いの生死を繰り返さざるを得ない罪さえも消滅して、ついに往生が叶う」、このように経に説かれているようでありますから、「それほどの重罪人でさえ、ただ十回一声のお念仏で往生することができる。まこと、阿弥陀仏の本願の力によるのでなければ、どうしてこのようなことがあり得ようか」と思う次第であります。
この身で確かに重い罪を犯してしまった者、かつて恐ろしい殺人鬼として恐れられたアングリマーラは、修行の末、遂に覚りを開いてこのように詠んだと伝えられています。
”以前には悪しき行いをした者であっても、のちに善によってそれを償うならば、その者はこの世の中を照らすだろう――”
諸縁和合すれば、我知らずに罪を犯してしまうのが偽らざる私たちの姿だとすれば、その罪業を滅し、浄らかなる仏国土へと導いてくださる仏の慈悲のありがたさが、そしてお念仏の尊さが改めて心に染みわたるような気がいたします。 
 
 

 

●笑い話 1 
互いに笑いながら話すこと。また、そのような気軽な話。「今思えば―だ」。こっけいな内容の短い話。笑話 (しょうわ) 。「気のきいた―」。昔話の一部門。愚か者やあわて者が失敗するおかしさや、はなはだしい誇張や空想を主題とするものなどがある。
聞き手を笑わせることを主眼とする話。動物昔話、本格昔話とともに昔話の1ジャンルとされる。法外に大きく誇張した空想を語る大話、吉四六(きっちょむ)や彦市話などの狡猾(こうかつ)者談、愚か村や愚か婿の失敗談など。愚か村は英国ゴータムが有名。日本では祖谷山(いややま)、五家荘など山奥の村を笑う話になる。笑い話は中世のお伽噺(とぎばなし)、近世の小咄を経て落語の世界に多量に流れこんでいる。
互いに笑いながら話すこと。また、そのような気軽な話。「今思えば笑い話だ」。こっけいな内容の短い話。笑話しょうわ。「気のきいた笑い話」。昔話の一部門。愚か者やあわて者が失敗するおかしさや、はなはだしい誇張や空想を主題とするものなどがある。[類語] 小話、一口話、落とし話、落語、お笑い。
笑いを目的にする話。本格昔話、動物昔話とともに昔話の一ジャンルをなす。本格昔話や動物昔話は、そこに展開される筋や内容自体に目的があり、かつ存在理由がある。これに対し笑い話は笑いそのものに最終目標がある。笑いを得られない笑い話はすでに笑い話としては成立しない。ここに他の昔話に比較して、笑い話の特性が認められる。結果からして、笑い話はつねに内容と目的と機能とが一致していると称してよい。こうしたありようからしても、いったいに笑い話は信仰にかかわらない。
・・・土着の〈世間話〉とでも称せようか。それとともに、土地によっては新しい事物との遭遇、邂逅によって生じた〈笑い話〉もしばしば〈世間話〉としてとりざたされていた。電灯にはじめて接した村人が、これを吹き消そうとして汗を流したり、セッケンを知らずに食べて口から泡を吹いたり、電柱に登って頼信紙を結び付けた、といった類の話は文化の落差から広くに生じた一群の〈世間話〉であった。・・・
・・・民間説話、あるいは口承文芸の一類。[日本の昔話] 冒頭に〈むかし〉とか〈むかしむかし〉という句を置いて語りはじめる口頭の伝承で、土地によってはムカシあるいはムカシコと称される。[昔話の概念] 昔話は伝説や世間話とともに民間に行われる代表的な口頭伝承の一つである。これを始めるに際しては、必ず〈むかし〉とか〈むかしむかし〉の発語があり、またこれの完結に当たっては〈どっとはらい〉とか〈いっちご・さっけ〉あるいは〈しゃみしゃっきり〉といった類の特定の結語を置いた。・・・
笑いを目的とした単純な散文形態の昔話・伝承のこと。広義における「昔話」には本格昔話・動物昔話・笑話の3種類で構成され、更に笑話の中も更に細分化することが可能となる。柳田國男は最初に本格昔話が誕生し、そこから派生する形で動物昔話と笑話が成立したと説く。だが、主人公の半生を扱う英雄譚仕立てになっている本格童話と身近な世界にいる現実的な存在の人々の失敗譚とその背景にある人間社会の理不尽さや矛盾、混乱などを描いている笑話とのモチーフの違いは大きく、また歴史的にも古代よりこうした話が伝えられており、全ての笑話を本格童話からの派生と見るのは無理とする見方もある。笑話は目的のために細かい形式には拘らず、自由に話され内容も単純である。しかし、1人の聞き手に対して同じ話を繰り返し聞かせても面白みは薄れてしまう。そこで大量の笑話が生み出されて消えていったと考えられている。その中で現在まで伝えられた笑話の多くは、幅広い層の人々から受け入れやすい要素を持っていた普遍性を有した作品であったと考えられている。笑話を分析して更に細かく分類する考え方もある。柳田國男は『日本昔話名彙』において「大話」・「真似そこない」・「愚か村話」の3つに分けている。関敬吾は『日本昔話大成』において全367類型を「愚人譚」(愚か村・愚か婿・愚か嫁・愚かな男)・「誇張譚」・「巧智譚」(業較べ・和尚と小僧)・「狡猾者譚」(おどけ者・狡猾者)・「形式譚」の5つとこれらに含まれない「新話型」に分けている。稲田浩二・小澤俊夫は『日本昔話通観』において全613類型を「賢者と愚者」・「おどけ・狡猾」・「くらべ話」・「愚か者」・「愚か婿」・「愚か嫁」・「愚か村」・「誇張」・「言葉遊び」の9つとこれらに含まれない「形式型」に分けている。笑話は主に口承による「口承笑話」の形式で伝えられてきたが、後世に伝えるのに重要な役割を果たしてきた「記載笑話」の存在も重要である。口承笑話を書き起こしたとみられる説話は鎌倉時代には見られるが、中国のような笑話集の編纂は江戸時代初期の『きのうはけふの物語』・『醒睡笑』にまで下る。江戸時代には軽口本・噺本などが出されたほか、大名の御伽衆から噺家が出現して口演が行われ、口承笑話と記載笑話が交錯しながら書物や旅人などの口伝を通じて村々にまで広がった。物語としての笑話の形式は近代以後に衰退したとされているが、落語・漫才、その他各種お笑いにその要素が引き継がれ、寄席やラジオ・テレビなどを通じて今日も新たな笑いを生み出している。
笑いをおこさせることを目的とした主題で構成されている説話の総称。本格昔話(狭義の昔話)や動物昔話とともに、昔話の三大分類の一つとされる。単純で思い付き的な洒落(しゃれ)も笑いを求める趣向であるが、それ自体は談話であり、説話ではない。その場面を第三者として報告すると説話になる。「一口話」あるいは「軽口話」がそれである。「笑い話」は、笑いの場面に発端と結末をつけて、説話の形態に整えている。「笑い話」の笑いの趣向は、登場人物の能力や性格の特徴から生まれる。それは人間だれでもがもっている一面を大きく誇張拡大したもので、多くの人の共感をよぶ。「笑い話」に登場するのは、どこにでもいそうでありながら、現実にはいないという、抽象化された人物像である。「笑い話」の笑いの明るさの本質はそこにある。「笑い話」の主題は、主人公の人物像の特徴から分類できる。第一に、知恵の特別な働きにより成功する利口者の話がある。その一つは、「見透(みとお)しの六平(ろくべい)」のように、積極的に他人をだまして利益を得る、ずる賢い人の話である。全体に類話が外国にもある類型が多い。馬の尻(しり)に金貨・銀貨を入れておき、金銀を生む馬だといって高く売る「金ひり馬」も、古くは『醒睡笑(せいすいしょう)』(1623)にみえ、朝鮮、中国、インドネシア、インドから、西アジアを経てヨーロッパに広く知られている。また、知恵を武器として相手をやりこめる頓智(とんち)話も多い。「金の茄子(なす)」や「和尚(おしょう)と小僧」はその典型である。この中間に、相手をだましてやりこめる、おどけ者話がある。薪(たきぎ)を買うといって狭い門を通らせ、折れて落ちた薪を集めて使う「薪を買う」など、ささやかな策略を主題にした笑い話で、この種の類話も、朝鮮、中国をはじめ、アジア、ヨーロッパにもある。ずる賢い人が失敗する話もある。また性的な話題を主題にした話も、おどけ者話の範疇(はんちゅう)に属するものが少なくない。
第二に、愚か者が失敗する馬鹿(ばか)者話がある。その一つが、「馬鹿聟(むこ)」のような判断力の欠如による失敗である。動くもの、なくなるものを目印にする「犬の目印」「唾(つば)の目印」は、落語の「いらちの愛宕参(あたごまい)り」のほか、『醒睡笑』以下の江戸時代の咄本(はなしぼん)などにあり、中国では『呂氏(りょし)春秋』(前3世紀)に、船から川に剣を落とした人が船べりに印をつける話としてみえ、インドでは『カター・サリット・サーガラ』にある。類話はインド、インドネシアにあり、ヨーロッパにも多い。「旅学問」のような知識の欠如も、馬鹿者話の特色である。新製品に対する無知も、世界的にこの類型群の主題になっているが、古風なものには、鯛(たい)を畑に埋め、ウジがわくと芽が出たといって喜ぶ「鯛の芽」のように、物の本質に対する無知を笑う話がある。これも類話はアジア、ヨーロッパにある。性格的な欠陥も笑いの対象になる。「粗相惣兵衛(そそうそうべえ)」など、あわて者話は落語にも多い。怠け者話では「2人の不精者(ぶしょうもの)」がある。極端な不精者の話で、『鳥の町』(1776)などの咄本や落語の「不精の代参」があり、類話はやはりアジア、ヨーロッパに多い。
第三に、空想的な誇張話がある。誇張のおもしろさを主題にしたのが「大話(おおばなし)」である。「源五郎の天昇り」や「鴨取権兵衛(かもとりごんべえ)」がその典型で、類話はアジア、ヨーロッパにある。ビュルガーによって文学的に完成された『ほらふき男爵の冒険』も、この種の「大話」に多くの素材を得ている。「鼠経(ねずみきょう)」などは偶然のおもしろさをねらっている。「笑い話」は「化け物話」とともに、「世間話」化しやすい。一群の馬鹿者話が実在の村の人の実話として語られる「愚か村話」は、日本には多い。ほぼ県に一か所程度のわりで分布する。東京都には「檜原者(ひのはらもん)話」がある。その伝統は古く、古代中国では、宋(そう)の人が馬鹿者として語られた。宋の人が、苗が早く伸びるように、苗を引っ張ったため枯れたという『孟子(もうし)』の話は、その一例である。ヨーロッパでもイギリスの「ゴーサムの人々」、デンマークの「モルボの馬鹿」などが知られている。また、利口者と馬鹿者を兼ねたおどけ者の話が、実在の人物の事跡として語られている例も多い。神奈川県の「七沢久助(ならさわきゅうすけ)」のように主人公が奉公人である場合と、沖縄県の「渡嘉敷親雲上(とかしきペークー)」のように殿様に仕える御伽(おとぎ)衆の類の人物である場合とに大別できる。神奈川県の「須賀(すか)の素頓狂(すっとんきょう)」は、「一口話」が日常生活に生きている珍しい「おどけ村話」の例である。文学では、個人を主人公にしたおどけ者話は、古くは平貞文(さだふみ)を描く『平中(へいちゅう)物語』(900年代後半)があり、本格的には、『一休咄(ばなし)』(1668)などの一休宗純の話や『曽呂利(そろり)狂歌咄』などの曽呂利新左衛門の話がある。似た例は朝鮮や中国にもあるが、とくにトルコの「ナスレッティン・ホジャ物語」は著名である。
本格昔話にも笑いの要素は含まれている。「隣の爺(じじ)」型や「継子(ままこ)話」で悪い爺や実の娘がまねをして失敗するのは、馬鹿者話の型である。「一寸法師」の末尾が「隣の爺」型に変化している例があるように、本格昔話が「笑い話」化する傾向もある。しかし、日本の「笑い話」の諸類型の類話の展開からもわかるように、「笑い話」には独自の歴史があり、世界の諸民族に分布していて、古い人類文化の一つと考えられる。日本の文学でも笑いの要素は古い。平安初期の『土佐日記』『伊勢(いせ)物語』など物語文学にも、笑いを誘う描写が付加されている。平安後期の『今昔物語集』には、おかしみを主題にした説話がはっきりと現れ、それは後続の説話集に引き継がれている。口承の「笑い話」と同質の説話がまとまって登場するのは、無住(むじゅう)法師の『沙石(しゃせき)集』や『雑談(ぞうたん)集』あたりからである。このころ寺僧の説経の素材に用いられた「笑い話」などの昔話は、そのまま後世まで続いているものが多い。能狂言には、「笑い話」を対話劇として演出した形のものが少なくない。室町時代、貴人の話相手をする御伽衆などの職が栄え、広義の「笑い話」を多く含んだ咄の文学の発達を促した。『醒睡笑』をはじめ、江戸時代を通じて多数の咄本が生まれた背後には、咄を語ることを職業とする咄家の活動があった。後世の落語家はその末流である。また「平曲」を表芸とした琵琶(びわ)法師(通称座頭(ざとう))も、「笑い話」の語り手であった。昔話に座頭が登場するのは、座頭がその話の管理者であったからである。こうした職業的な語り手は、自ら笑われる立場になって、笑いを演じることも多かった。 
●笑い話 2
「楽観的細胞を持つLL型は、日本に3%しかいない」 5年前に聴いた講座「成功している人の習慣」での中野信子(脳科学者)の言葉を思い出した。
最近あった恥ずかしい出来事を友人に話していたときのことだ。「私は、ある場所で、ある男性のスニーカーを履き間違えて帰宅した。そして、すっかりと家でくつろいでいるときに、男性が困っていると連絡を受けた。自宅の玄関を見ると、サイズも形も違うスニーカーが脱いである。心細そうに。その男性に謝ると、その場所にあったサンダルを履いて帰るから大丈夫という。え?あの、サザエさんに出てくるような、真っ赤なビニールのサンダルを履いて、バスと電車を乗り継いで帰宅??とても紳士的で穏やかな清潔感のある男性がそのサンダルを…汗」友人曰く「信じられない!!私があなたの立場なら確実にうつ状態になる。信じられない」。なるほど、そんな見方もあるのか。と納得。
中野氏によると「遺伝子ゲノムは、SとLの組み合わせで、SS、S、SL、L、LLの5種類。20世代(約400年)の調査によると、日本人の81%がSS型かS型で不安症が多い。理由としては、災害が多く、小さな島国で逃げ場がないことや300年も鎖国がつづいたからではないかと推測される。悲観的で慎重、保守的な性格は、みんなで協力し合い、ルールを守るという点で農業や縦社会に向いている。
一方、LL型はアメリカに57%おり、日本でも北海道に多く存在するらしい。つまり、日本社会では、LL型はスタンドプレータイプとみなされ、村八分になりやすい。」
若いころ、盲腸の手術でわき腹から腸が出るのを抑えながら体育の授業をしていた父親と、「ヤク、ヤク」と叫びながら外食先でインシュリン注射を打つ母親から生まれた北海道出身の私はLL型なのか・・・
そして、恥ずかしい出来事を決して笑い話にしてはいけないと思っている矢先に届いたLINE「今回の件は、笑い話にします」という赤いサンダルの男性こそが、本物のLL型ではないのか?
●戦時中に起こった面白い話 3
紹介するのは戦時中に起こった笑い話や面白い話について。戦時中は数多くの悲惨な出来事が起きていますが、一方で中にはちょっとしたミスや判断の誤りが原因でとんでもないことが起きて、後世に笑い話として伝わっている話も多々あります。当時では笑えないけれど、今では笑い話として伝わっている戦争に関する面白い話をご紹介します。
パラシュート無しで飛び降りた空挺部隊が全滅?
時は1942年。ソ連軍は飛行機をつかって兵士達をモスクワの南西付近に輸送していました。そして無事に目的地上空に到達したのですが、兵士達を投下する予定の場所は湿地帯だった上、雪も積もっていたため大隊隊長のヘルムート・ガウディヒ大尉は低空飛行ならパラシュート無しでも降下可能と判断。そして1000人近い兵士をパラシュート無しで降下させたところ半数以上もの兵士が骨折。そのまま作戦は失敗におわりました。
要塞が無駄になったフランス軍
第一次世界大戦で大打撃を受けたフランスは敵国ドイツに備え、国境にマジノ線と呼ばれる長大な複合要塞を建築することとなります。この複合要塞には約160億フランもの総工費が投入され、同等額の維持費も投入されることとなりますが、マジノ線のおかげでフランスは戦闘員の不足を補えると考えていました。そして第二次世界大戦が勃発し、マジノ線の効果を発揮する時かと思いきや、ドイツはマジノ線が建設されていなかったアルデンヌよりフランス国内に侵入。その後フランスはドイツにあっさり敗北した上にマジノ線はドイツ軍の防衛拠点として使われる羽目になってしまったのです。
第二次世界大戦中にレナーナの初登頂に成功したイタリア兵
世の中は第二次世界大戦真っただ中。そんな時、3人のイタリア兵がアフリカで2番目に高いケニア山のレナーナ(4,985m)に挑み初登頂に成功します。「すごいぞ! イタリア兵!」と思いきや、実は登頂は軍務でもなんでもなく3人のイタリア兵はただのイギリス兵の捕虜。ただ山に登りたくなったというだけの理由で半年間かけて捕虜収容所で食糧と物資をちょろまかし脱走した挙句、80qもの道のり踏破して登頂を成功させたのだとか。ちなみに登頂後は捕虜収容所に堂々と帰ってきて、イギリス軍兵士に呆れられながら禁固刑をくらったそうな……。
不在の日本軍とたたかったアメリカ軍
第二次世界大戦の真っただ中。日本は北部太平洋アリューシャン列島にあるキスカ島とアッツ島を占領していましたが、米軍の反攻によりアッツ島の日本兵は玉砕してしまいます。一方でキスカ島の日本兵も玉砕か降伏かの二択を迫られていましたが、天候が日本軍に味方し、濃霧に紛れることで撤退に大成功。日本軍は一人の死傷者も出すこと無く無事にキスカ島を脱出できたのです。一方でアメリカ軍は約100隻もの戦艦を動員し誰もいないキスカ島に向かって36センチ砲弾118発、20センチ砲弾487発を使用。さらにその後に34,000名の兵士が上陸。そして何故か日本兵がいないキスカ島で戦闘が行われ100人もの死者をだしてしまいます。また、ようやくの思いで何とか日本軍の本拠地として使っていた観測所にたどり着いたアメリカ軍が見たものはペットとして飼われていた2匹の犬でした……。さらに日本の軍医が撤退の際にいたずら心で「ペスト患者収容所」と書いた看板を残していたせいで再びアメリカ軍は大パニックとなったそうです。
漁船に負けたアルキメーデ級の潜水艦「ガリレオ・ガリレイ」
時は1940年。スペイン内戦に参加していたイタリア海軍の潜水艦「ガリレオ・ガリレイ」はイギリス軍の武装トロール船(トロール網を使用する漁船)「ムーンストーン」と遭遇。ガリレオ・ガリレイは水上航行に変更し砲戦を挑むが砲手が体調不良に陥っており全然当たらないどころか逆にムーンストーンから砲弾を食らい機長を含む士官が戦死。ガリレオ・ガリレイの乗組員は即座に艦橋上でシーツを振り回し漁船に降伏。そして当分の間は「潜水艦を打ち負かした漁船」と「漁船に負けた潜水艦」として話題となったそうな……。
コカ・コーラを飲みたくてファンタを開発したドイツ
第二次世界大戦がはじまり、コカ・コーラ社から原液を輸入できなくなってしまったドイツ。しかしコカ・コーラの味が忘れられないということでリンゴジャムとチーズの製造工程中に生じる副産物にリンゴの搾りかすを投入。その結果、今でも愛されるファンタが誕生した。
ネズミに負けたドイツの機甲連隊
第二次世界大戦中、ソ連はスターリングラード攻囲中のドイツ第6軍を包囲し反攻にでます。一方でソ連を迎え打つドイツは保有していた100両もの戦車の導入を決意。しかし、いざ戦闘になるとまともに動いた戦車はたった20両程度でした。その理由はなんと「ネズミ」。カモフラージュのために戦車にかぶせておいた藁を目当てにネズミが寄ってきて、藁と一緒に戦車の配線を次々と噛み千切ってしまっていたのです。その後はネズミに負けた機甲連隊として少し有名になったそうな……。
●面白い話 4
大学の頃、友達とドライブしてて、昼時でご飯食べるとこを探していた。餃子の王将があったので、「餃子の王将は?」と言おうとしたら「オウザのギョウショウ」と口走ってしまい、「何?オウザのギョウショウって(笑)」とツッコミまくられた。
義理のお母さんがしゃぶしゃぶ食べ放題の看板を見て「へぇー!食べ食べしゃぶ放題なんだー!」と無意味に逆に言ってて笑いこらえるのに必死だった
会社の上司が「破竹の勢い」を「家畜の勢い」と勘違いして覚えていた。取引先で何回も使うので、最初は恥ずかしいなと思ってたんだけど、自信満々で言う上司の「家畜の勢い」はなんとなく突進力ありそうだし、牙的な雰囲気もあるので、何回も聞いているうちに家畜の方が正しいんじゃないかとさえ思えてきた。
プロレスの選手を生で見た女子が「見て見て、すっごいウドがふてい」っと友達に言ってた。「なんやろウドが不貞って?でっかくてやんちゃな感じのこと言ってんのかな?」と思ってて、しばらく考えてから、「あぁ、腕が太いね」とわかった。
動物園で「あのタピオカ、本当に全然動かんね〜」とお母さんが言っていた。「タピオカじゃないよ、カピバラだよ」と子供が食い気味でツッコんでいた。
引越しをすることになって、不動産屋さんに行って部屋を何件か見せてもらう時に、営業の人が「こちらの方が部屋が広いですね〜」というところを「こちらの方が広が部屋いですね〜」と何回も言ってくるので、「なんとなくはわかるんですけど、広が部屋いって部屋が広いってことですか?」と聞くと爆笑してた。
ガソリンスタンドで「ガソリン満タンで」というところを「マソリンガンタンで」と言ってしまった。
高校一年の頃、日本史の授業で、先生が入ってきて、その日の日直が「起立!礼、着席」というところを「起立!礼、着陸」と言って教室が爆笑に包まれた。
ラーメン屋でラーメン注文した 店員「ラーメンのトッピングはどうしますか?」俺「じゃあ、ネギ、もやし、コーンで」店員「ネギ、こやし、モーン!」
3歳の娘の目にゴミが入って痛がっていたので目薬をさしてやった。「はい、パチパチして」と言ったところ、娘が目をつむったまま、手をパチパチしはじめた。
コンビニで弁当を買った。店員さんが「温めますか?」というところを、「温めますな」と言ってきたので、「ヘイ!」と勢いよく答えると店員さん爆笑してた。
コンビニでおにぎりを選んでいると、バックヤードで店長がバイト君に「お前、来月からバイト君からキロバイト君だな」と言っているのが聞こえてきた。
実家に帰った時、ばあちゃんがパンプキン詐欺、パンプキン詐欺と騒いでいて、どんな詐欺やろと思っていたら、還付金詐欺のことだった。
年度始めの挨拶で、社長が「社員が一丸となって、一糸乱れずに」というところを「社員が一丸となって、一糸まとわずに」と言っていた。
ドアに貼り紙がされていて、PUSHと書くはずなのに、何を間違ったかPUSUと書かれておりプスゥ〜と言いながらドアを押してみた。特に何もなかった。
ポストに不動産のチラシが入っていて、「店長オススメ物件!築5年、徒歩3分」のはずが、「店長オススメ物件!築5分、徒歩3年」となっていた。
中学生の頃、普段ナメられている国語の先生がいたんだけど、その日は生徒たちがうるさくて急に激キレした。先生「ちょっとあなたたち、うるさいわよ、静かにしなさいよ!」生徒「・・・」(シーン)先生「怒らないということ聞けないわけ?!」生徒「・・・」(シーン)先生「なんなのあんた達!、、、ウンとかスンとか言いなさいよ!」すこし間があって、いつもふざける生徒が「、、、スン」って言って、数秒後、皆我慢できずに教室が爆笑に包まれる。
中学校の頃、私はバスケ部だった。練習試合で82対38と不甲斐ない負け方をしてしまい、試合後に鬼監督に呼はれみんなガーーーっと叱られる。
激怒している先生がテンションマックスで最高潮に達し「お前ら!ちっとも進歩しとらんじゃないか!」というところを「お前ら!しっともちんぽしとらんじゃないか!」と檄を飛ばしてしまった。
少したって、何人かが下を向き肩がプルプル震えていた。長い説教がやっと終わって、部室に入った瞬間みんな大爆笑。
テレビを見ていて、小学6年生と3年生の姉妹が街頭でインタビューされてて、インタビュアーがお姉ちゃんに「今年のムカついたことは?」って質問したら、お姉ちゃん「妹にブスって言われた〜」インタビュアー「え〜、ひどいね〜」今度、インタビュアーが妹に「え〜?お姉ちゃんにブスって言ったの?」って聞いたら、妹「うん、言った〜」インタビュアーが妹に「え〜、ひどい〜、そっくりだよ〜、顔」
小学校の卒業文集でクラスのヒロイン的な女子が好きな食べ物「ウニ」って書いてたけど、印刷が擦れてて「ワニ」になっててわろた
ジムに通い始め筋肉をつけるためにプロテインばかり飲んでいたら、妻に「いつもいつもプロテインばかり飲んで!今日は何テイン飲むんだよ?」と小馬鹿にしてきたので、「聞きテイン?」と返すとスルーされた
「古参社員」というワードを使って話してたが、嫁が「?」のリアクションをしていたので、「こさんしゃいん」何だと思ってるの?と聞くと小サンシャインで何か輝き系なものだと思っていた
小田急線の電車の中でケータイなったおっさんが「今電話の中だから電車切るよ」って言ってケータイ閉じてからのひとこと「…逆だ」流石に吹いた
昔、どこかのコンビニの前で、見た目ヤクザのような人が舎弟のヤンキーみたいな人に怒ってて、その内容が「日清さんが!日清さんがここまでお湯を入れてくださいって導いてくれとんのに完全に上回っとるやないかい!」って舎弟がカップ麺のお湯を入れすぎたことに怒号していた光景がいまだに忘れられない
同僚が在宅勤務に関して、「社畜から家畜へ」っていってきてさすがに笑った
今朝電車内で隣の席だったJK2人組が『それな』のノリで『おっしゃるストリート』って単語を使いまくってて、その時は単に響きがいいから使ってるのかなと思ってたんだけど、今になって『おっしゃる通り』だと気付いて死ぬほどじわじわ来てる助けてくれ
間が悪い人のことを間がわルイ14世って呼ぶと場が和むんじゃないかなって思ったんですが、どうでしょうか?
「これって何色?」「リオデジャネイロ」
「そのネタ、〇〇のパクリじゃん」「はい、天然資源の有効活用です」
「シャウエッセン」ってどこまでが「シャウ」でどこまでが「エッセン」なんだろ?
オクラホマミキサーは本当はミキサーじゃないことを知ってちょっとショック
「HTMLソースって何からできたソースなんだろうね、温ったかいミルク的なものっぽいけど」
ジェノベーゼとモッツァレラのパスタに入っているモッツァレラの数が経費削減で3個から1個に減っていて、友人が「モッツァレラめっちゃ減ってる、モッツァしかない、レラ部がなくなってる」と騒いでるw
ランチ後にツイッターみながら特に話題も見つからなかったので、Twitterで「おはりん、今日も頑張りましょー」とか呟いてる奴ってしんどくないですか?って上司に言ったら、めっちゃ顔がひきつらせながら「そうだね」って返ってきた(この人やってるやんw)
改札でチャージ足りなくてピンポーンってなってゲート締まったけど、一緒にいた友達が「ACジャパンではこの活動を支援しています」とツッコミ入れてワロタ
すごい会話ネタ700とか読んでも全く会話に役立たないよと10年前の自分に言いたい。そういう本5冊くらい持ってるけど1つのネタも覚えてない。っていうネタが1つできたくらい
親しい友人に相談していたら、「親しい友人に相談してみたら?」って言われた。結構な衝撃。
なぜ今それする?ってありますよね 空いてる電車。向かいに座っているおじさん。鞄からオロナミンCを取り出そうとするもゴトッと床に落ちた。 なのにすぐに蓋開けて飲もうとするもんだからブシューてオロC吹いてる。おじさん口で受け止めようとするけど全然受け止めきれてない笑 なぜ今蓋開けた?
幅広く雑誌を読む部長が、自虐的なキャッチコピーを作っては真剣な顔して「俺はハゲじゃなくて、ゆるふわ系だよ」「ある意味ツーブロック男子だな」「薄くナチュラルに仕上げてるから」と言いハゲを前向きにアプローチするから反応に困るんだけど、新作「あえて抜け感を意識してる」には思わず笑った。
自分が終わってるな、と思うとき。サラリーマンのおっさんのシャツから透けてる乳首にいちいち目移りするとき。
ついてねーなと思うとき、雨の日に電線の雨の雫がピンポイントで顔にかかったとき
新型コロナの感染者が増えてきたときに、会社でコロナ検査を受ける人が出て、結果報告をメールで共有したんですけど「〇〇さん妖精でした」ってフェアリーの方になってて「〇〇さん妖精だったんだ」「そっちの方が怖い」など返信メールのツッコミが凄かったです。
自己紹介で「自分は足が遅くて、、、」っていってる男子がいて「100mのタイムは一泊二日です」といっててめっちゃ笑った。
メールで「私をCCに入れていただけますと幸甚です」と送ったつもりが「私をCCガールズに入れていただけますと幸甚です」と自動変換されて送ってしまい、先方に「そんな権限ないです」と爆笑されたことがあります。
会社の飲み会で若干セクハラチックな流れになり、胸のサイズを何カップか聞かれた女子の返しが秀逸でした。男性社員「茂木さんは、何カップなんですか?」茂木さん「茂木カップです!」(即レスで周り爆笑)さらに、部長に旅行に行こうと冗談っぽく言われた時も 部長「茂木ちゃん、今度一緒に旅行に行こうよ」茂木さん「部長、プロセスってものがありますから」(周り爆笑)
友人と帰宅途中、友人のチャリのサドルが盗まれてた時のひとこと「、、、FBIの仕業か?」
カフェにて、隣の20代半ばの女子二人組が「どんな時に歳とったと思う?」っていう話をしてて、仕事の電話で「はい」じゃなくて「ええ」と応えてる時「自分歳とったなぁと思う」って言ってて上手いこと言うなって思いながら聞いてた。
電車の吊り革につかまっていたら、隣の女の人に強めに「チョイ!」って言われたので、「え!!」っと思ってみたら、クシャミだった。
最近、最も悔しい思いをしたのはエコバック持って行こうと固く誓ったのに、レジで「はっ!忘れた」ってなった時です。
昔、会社に虫歯を放置し放題の上司がいて「さっき歯医者で抜歯してきた、今月だけで歯を2本も抜いたんだよ〜」と言ってきたので、「えー!2本も!?大変じゃないですかー!」って返したそばから、キットカットをバリバリ食ってて、こいつマジか?と思った。
これ、知り合いのお母さんの話なんですが、綿菓子だべてて、味がしないなーって思ってたらティッシュ食べてたっていうのが最高に笑った話です。水に溶けるタイプだったから、、、って言い訳してたのが余計面白かったです。
●実話で爆笑 「笑える・面白い話」 5
消臭スプレー
息子と出掛けたとき、お腹が痛いからトイレに行くという息子に消臭スプレーを渡した。「後の人のために終わったらこれを使うんだぞ」「うん、わかった!」数分後、息子が入ったトイレの中から叫び声がした。「うひょおう!」「どうした、大丈夫か?」「うん。スプレーがすごく冷たかったんだ」「おまえ、どこにスプレーをかけたんだ?」
いつやるの?
同僚が仕事をミスして納期を遅らせてしまった。当然上司に怒られていたのだが、そのうち他の社員にも八つ当たりをしだした。「おい、どうするんだこれ。一体誰がやるんだ?お前らだろ。いつやるんだ?一体いつになったらまともに仕事をしてくれるんだよ、おまえらは!」ここで同僚が「今でしょ!」と口を挟み、上司に百倍キレられていた。
クレジットカード
ある男が社会人になってから、始めてキャッシュカードを持った。ある時、母親に通帳を見せながら、相談をした。「毎月、“としこ”って人から、お金が振り込まれてるんだ。何か気味悪くてさ」すると、母親は呆れた顔をして言った。「あのねえ、これは『利子(りし)』って読むんだよ」
遅刻
あゆみは会社に遅刻しそうになったため、あらかじめ、三つの言い分けを考えた。一つ目。友人と朝まで酒を飲んでいた。二つ目。夜遅くまでゲームをしていた。三つ目。母親が具合が悪くなったため、朝まで看病していた。あゆみは、三つ目に決めた。会社に遅れて着くと、上司に怒られた。「何で遅刻したんだ!」あゆみは自信満々に言った。「三つ目です!」
虫の鳴き声
田舎に帰省したとき、虫の鳴き声が綺麗だったので録音してきた。都会に戻り、録音した虫の鳴き声を聞きながら寝ようとした。母親が洗い物をする音や父親のくしゃみなどが入っていて、全然眠れない。
クリニック
あゆみがクリニックに訪れて、医者に言った。「身体中、あちこち押すと痛いんです」医者はそれを聞いて、あちこち押すよう指示を出した。「いたた、膝も押すと痛いし、おでこも押すと痛いです。お腹だって押すと痛い」医者はすべてを理解し、診断を下した。「わかりました。指の骨折です」
不採用
もうすぐ大学を卒業する桜と夕紀子は、就職活動について話をしながら、ショッピングセンターの中を見て回っていた。由美「ねえ、聞いた? 私が落ちた会社に美里のやつ、受かったそうよ」夕紀子「美里ってあなたと成績も同じくらいだし、持っている資格も同じよね」由美「そうなのよ。なのに美里が受かって、私が不採用だなんて理解出来ないわ」そんな話をしているうちに、お目当ての携帯ショップにたどり着いた。夕紀子「ねえねえ、こっちの携帯と向こうの携帯、値段も機能も同じみたい。どっちにする?」由美「ほとんど同じなら、見た目がかわいい方に決まってるじゃない!」
ATM
昔のATMの笑い話。当時のATMは音声データの容量が小さかったから、短いフレーズを切り貼りして、応答メッセージを作っていた。「カードを」「お入れ」「下さい」。「暗証番号を」「お押し」「下さい」。「現金を」「お取り」「下さい」。で、ある時、ATMが故障して、「下さい」だけ無音になる故障が起きた。「カードを」「お入れ」。「暗証番号を」「お押し」。「現金を」「お取り」。女王様ATM誕生の瞬間だった。
トイレ
先日、ブックオフに行った時、急に催したのでトイレに行こうとした。するとドアに、『店員に一声おかけください』と書いてある。こんなときに面倒だなと思いつつ、近くにいた眼鏡の女性に声をかけたら、店員じゃなくて、きょとんとされた。まったくの赤の他人にトイレ使っていいかどうか、聞いてしまって恥ずかしかった。
パン
メロンパンとウグイスパンとかっぱ巻きは、食べ物として存在する。しかし、その材料としては、メロンもウグイスもかっぱも使われていない。しかし、メロンもウグイスも存在する。ゆえに、かっぱも存在する。
王様ゲーム
この前、初めて合コンに参加したら、王様ゲームしようぜ、という展開になった。そして、とても可愛い女の子が王様になった。もしかしたら、俺とキス、なんて展開があるかもと期待してたら、王様が俺に言った。「おまえは帰れ!」
電話
ある貧乏な若者が思い切って会社を設立した。ある時、オフィスに男がやって来るのが見えた若者は、その直前、受話器を取り上げて、自分の会社がとても繁盛しているように振る舞った。「ああ、その件は100億円で頼む。なに、ほんのはした金さ。ありがとう」そして、受話器を置いて、訪問者に尋ねた。「いや、すみません。それでご用はなんでしょう?」「はい、電話線を繋ぎにまいりました」
試験合格
ある大学の教授の部屋を、うら若き女子学生が尋ねて、こんなお願いをした。「先生、お願いです。今度の試験でどうか私を合格させてください。私、そのためだったら何でもします……」女子学生は髪をかき上げ、潤んだ熱っぽい瞳で、教授を見つめた。「な、何でもしてくれるのかね……。なるほど。それなら絶対に合格できるだろうね、君は」その言葉を聞いた女子学生が嬉しそうに言った。「はい、それで何をすればいいんですか」すると教授は、女子学生を睨んで言った。「勉強に決まっとるだろ、馬鹿者が!」
おじちゃん・・・?
買い物に出かけた時、狭い路地を通ろうとしたら、小さな兄弟が座り込んで遊んでいた。私に気づいたお兄ちゃんの方が弟に、「おばちゃんが通るから、どけ。邪魔だろ」と言ってくれたのだが、私は苦笑いした。「本当は、おばちゃんじゃないんだぞー」すると、お兄ちゃんは驚いた顔をして、「え、おじちゃん……?」それを聞いて、私は真っ白に固まった。
レストラン
今日久しぶりに行ってきたレストランで隣にカップルが座っていた。ウェーターが料理を持ってきて「鈴木でございます」と言うと、カップルの男性が「高田でございます」、女性が「田辺でございます」と言った。ウェーターは、背中が小刻みに震えながら「本日のお勧めの魚のスズキでございます」と料理の説明をしていた。トイレに入ったら隣の個室から「こんにちは!」と声をかけられた。とまどいながらも「こんにちは。」と返事をすると「最近調子どう?」だって。迷ったけど「まあ、ぼちぼちです。」と返事をすると隣の声がいきなり小声になった。「ごめん。後でかけ直す。隣から変な人が返事してくるの。」
若者と老人
老人「最近の若いのは、道具で火を起こしたりする経験をしてない。私達の時代は…」若者「皆さんはスマホを使いますか?」老人「使うわけがない。そんなもの私達には必要ない」若者「それと同じです。私達には道具で火を起こしたりする必要はないんです」老人「…」って論破されている老人を以前テレビで見た。
悩み
貴司があまり話にのってこない。えり「どうしたの?何か悩みでもあるの?」 貴司「ちょっとな。でも言いたくないから聞かないでくれ」えり「そっか。わかった。ところで最近、髪薄くなった?」 貴司「聞くなって言っただろ!」
プリン
俺は小学生の頃、ジャンケンで「グー」しか出さなかった。みんなに「なんで?」と不思議そうだったが、グーしか出さなかった。もうずっとグー。グーしか出さなかった。ジャンケン馬鹿とまで言われたが、それでもチョキやパーには浮気しなかった。とある日、給食でプリンが余った。小学生の憧れのデザート「プリン」。欲しくない奴などいるわけが無い。プリンを賭けて勝負する事になった。ジャンケンで。皆、俺の方を見てニヤニヤしている。ガリ勉の委員長が合図をかける。「最初はグー!ジャンケン ポン!」その時俺は、初めて封印されしパーを使った。
ウォーターベッド
腰を痛めて病院に行ったら、ウォーターベッドみたいなのに寝かされた。振動で腰を治すらしい。強さは「強」「中」「弱」の三種類。「弱」から始めたが、全然振動が伝わってこない。看護師さんに「あの、何も感じないんですけど」と言ったら、「じゃあ「中」にしますね。何かあったらナースコールで呼んでください」と言ってどこかに行った。しばらく待ったけど何も変わらない。それで看護師さんを呼んだら、「じゃあ「強」にします」と切り替えた。それでも全然動かなくて、おかしいなあと思いつつ、ふと横を見たら、隣のベッドのよぼよぼの爺さんが、ガタガタガタガタ猛烈に振動していた。
タイムマシン
タイムマシンの研究をしている夫が妻に言った。「上手くいったようだ」妻は半信半疑ながら喜んで言う。「まあ」「今日、人事課長に呼ばれたんだけど」「昇進の話なの!?」「いや、一年前になってたんだよ、給与の金額が…」
信号待ち
信号待ちが長いと余計なものが目にはいる。隣に来た車から視線を感じたから見たら、助手席の子供がこっちをやたら凝視しているのだった。笑顔白目で振り向いて黒目戻してやる。怖いだろー!? そこにいたのは子供の親だった。思いきりあれを見られた。もうお嫁に行けない。
算数
算数の授業中。先生が田中くんに指名して質問した。「君のお母さんが800円持っています。君が200円ちょうだいと言ったとする。お母さんが持っているのはいくらですか?」田中くんがすぐ答えた。「800円です」先生がウーンと唸る。「実はこれ引き算ってことなんだがね」田中くんが答えた。「だけど、これ僕のお母さんってことなんでしょ!?」
ギックリ腰
ギックリ腰で病院にいった。すごい音がしたので、レントゲンで骨に異常がないか確認すると背骨の回りに不穏な影があった。医者のかおが濁る。覚悟を決めて尋ねた。「先生!どうなんですか?」医者が答える「便秘ですね」
ステーキ
今日家に帰ると成績が落ちたことで母に叱られた。「お前は、頭の悪い友達と遊んでるから成績がひきづられて落ちるの。友達を選んで頭のいい子と付き合いなさい。」言われた通り僕は頭のいい友達を作った。母はただしかった。その友達の成績が落ちた。男がどうにもお腹がすいたため、目についたステーキハウスに入ってみた。メニューを確認すると、並と特上の2つのメニューがある。どちらを頼むか考えていると、隣の席に並のステーキが運ばれてきた。様子を見ていると、みるからに硬そうでなかなか切るのにも苦労している。「これだけ硬そうなステーキなら、選ぶ余地もないな。」そう判断した男は、すぐさまステーキの特上を注文しました。しばらく待つと、隣の並のステーキと同じように硬そうな肉が運ばれてきた。男は腹が立ち、ウェイターを呼びつけた。「特上を頼んだのだが、あそこの並と同じようなステーキじゃないか。」「並と特上もないではないか。」ウェイターはすました顔でこう答えました。「そんなことはございません。」「特上を頼まれた場合、どんなに硬い肉でも切れる特上のナイフをお付けしております。」
教授と助手
とある教授とその助手が飛行機に乗っている。教授が助手に退屈しのぎに提案をした。「交互に質問を出して、答えられなければ罰金を支払う。そうだな。君の罰金は500円。ハンデとして私は5000円でどうだ。」「はい。受けて立ちましょう。先生からどうぞ」「それでは、地球から太陽までの距離はわかるかな」助手は黙って500円を教授に手渡した。「だめだな。全然勉強が足りんじゃないか。1天文単位あるいは約1億5000万Kmだ。」「では、私からの質問です。丘に登るときは3本脚、降りるときは4本脚のものはなんだかご存知ですか。」教授は必死に考えるものの、とうとうわからず、目的についてしまったたため、5000円を助手に渡してこう言った。「わからん。答えを教えてくれ。」助手は黙って500円を教授に手渡した。
超能力者
とある著名な超能力者が自分を真似したキャラクターが登場するゲーム会社を訴えた。肖像権の侵害をしているというのだ。法廷でゲーム会社側の弁護士が告げる。「あなたは、このゲームに自分に似ているキャラクターが登場するとおっしゃっている。このキャラクターは超能力を使います。あなたと似ているというのであれば、この場でその超能力を使って見せていただきたい。」超能力者はすぐさま訴えを取り下げた。
アヒル
あるところにおしゃべりなアヒルがいた。アヒルはコンビニに行って、店員に尋ねた。「川魚ある?」「申し訳ございません。当店には置いてありません」アヒルは帰っていった。しかし、すぐに戻ってきてまた尋ねた。「川魚ある?」「ですから先ほども申しましたとおり、当店にはありません」アヒルは帰っていった。しかし、すぐに戻ってきてまた尋ねた。「川魚ある?」店員は頭に来て、言った。「だから、ないって言ってるだろ! 次に来たらおまえの水掻きを釘で地面に打ち付けるからな!」アヒルは帰っていった。しかし、すぐに戻ってきてまた尋ねた。「釘ある?」「ねえよ!」「川魚ある?」
マヌケ
ある息子と父親の会話。「パパ、まぬけって何?」「まぬけって言うのはだな、自分の考えをわけの分からない長ったらしい方法で伝えようとするもんだから、話を聞いてる相手に自分のことを全く理解してもらえない人のことだよ。わかったか?」「分からない」
しりとり
カップル(酔っ払い)が電車でしりとりを始めた 男「りんご」女「ゴリラ」男「ラッパ」女「パンダ」男「大好き」家に帰ってやれ
無人島
面接官「無人島に1つだけ好きなものを持っていけるなら、何を持って行きますか?」学生「御社・・・ですかね(ニヤッ」面接官「やめてください(真剣」
ジェットコースター
ジェットコースターの順番待ちしてたら、後ろに並んでいたおっさんがが、神妙な声で、「こりゃ混んでるから、座れないかもしれんな。」って言ってた。
後悔
面接官「学生時代で後悔してることは?」俺「女性関係ですね」面接官「何があったのですか?」俺「何もありませんでした」俺は共感を得て、面接に落ちた。
自販機
今朝、自販機で缶コーヒー買ったら、「おはようございます。お仕事頑張ってください!」って言われた。ハローワークの前で言われるなんて、まじ鬼畜。
公園のベンチ
天気が良くて気持ちがよかったので、公園のベンチでのんびり日向ぼっこをしていた。制服姿の女子中学生達がやってきて、目の前の遊具で遊びはじめたんだ。その瞬間からオレは「公園で休む人」から「遊んでいる女子中学生を見つめる不審者」になってしまった。オレはベンチで休んでいただけなのに。すごすごとその場を退散したよ・・・。
テレビ
「おい、テレビばかり見てないで外に出ろ! 最近の子供たちはメディアの影響を受け過ぎているからおかしくなるんだ。外へ出て実体験をしてこい!」「うるさいなあ。父さん、そんなこと、どこで聞いたんだよ?」「テレビに決まってるだろう!」
●笑える面白い話 6
私が、霊能者に前世を見てもらった話をして以来、「前世予想」が旦那のマイブーム。「俺、前世ワカメだったと思う・・・きっといいことして徳を積んだから、人間になれたんだよ」て真顔で言う。ワカメがどんないいことしたと言うんだ。
ご存知ですか?昔、うつみ宮土理さんがやっていた子供向け番組。かなり有名な話なのですが、番組中、うつみさんが子供達に『き。の付くものを言ってくださいね』 と、お題を出した所、一人の男の子が『きん○ま!』と、言い、みどりさんが『そういうのではなくもっと綺麗なものを、言いましょう』と、言い直したら、またまた、その男の子が『綺麗なきん○ま!』と、言い、直後、画面が『しばらくお待ちください』の画面になり、数分してから、番組が映ったら、男の子が座ってた椅子だけが置いてあり彼は退散させられた様子でした。何十年も経ってから、みどりさんがテレビで話しており、当時のVTRも流れたのですが笑えました。椅子も片付けようよ…(笑)
じいさん「肉まんください」女店員「おいくつですか?」じいさん「いくつに見えますか?」女店員「・・いくつでしょうかね・・?」じいさん「もう80なんですよ」女店員「肉まん80個で7392円になります」じいさん「いや・・そうじゃなくて」女店員「7392円になります」じいさん「・・・」
昼飯食って会社に戻ったら、今年入った新人が机に3台の電卓並べてキーを叩いてた。何してるのかとそっと後ろから覗いたら「すげ〜3台とも同じ答えだぁ」とひとりごといってた。怖くなった・・。それよりこんなの入れて大丈夫か人事課よ!
酔っぱらいも遠くで見てるぶんには面白いのもいるんだけどね。駅のトイレで用を足そうとしてた酔っぱらいのオッサン。チャックを開けてゴソゴソしながら「アレェ!?ねぇぞォ?」そんなはずあるか。よく探せ。
オレの友達は、遥か海の向こうの国々に夢とロマンを求めて、手紙をビンに詰めて投げたが、ビンはテトラポットにあたって粉々に砕け散ってしまった。
今日松屋行ったんだけど、すげーデブの客からチケット渡された店員が奥に向かって「ブタ一丁」と叫んだ時、店内客全員が笑いをグッとこらえる重苦しい雰囲気に包まれたのを感じて、口の中の牛めしを吹き出しそうになってしまった。
俺身長150体重120のチビデブなんだけど、サラダ油買いにコンビニに行ったら「ストローつけますか」と言われた
オレが高校生の頃、一人で王将でメシ食ってたら、横で明らかに障害者と思われる者がメシ食っていた。そいつは、手をブラブラしながら、「ウーウー」言いながら食っていた。あまりに特徴があったので、おれはその障害者の真似をして食うことにした。真似をして、手をぶらぶらしながら「ウーウー」言いながら食っていた。すると突然、後ろのテーブルから正義感の強そうなおっさんが現れて「障害者の人を馬鹿にするな!!!!!」って叫びながら、障害者の方を殴った。
高速道路を北に向かって走っていた私は、トイレに行きたくなったのでサービスエリアに立ち寄りました。手前の個室はふさがっていたので、その隣に入りました。便器に腰を下ろそうとしたその時、 隣から「やあ、元気?」と声がしたのです。男は皆そうですが、トイレで見知らぬ人と話をすることはありません。どうしていいかわからなかったので、 ためらいがちに「まあまあだよ」と答えました。すると隣人は「そうか……それで、今何してるの?」と言うのです。妙だなと思いましたが、私はバカみたいにこう答えました。「君と同じだよ。ウンコしようとしてるんだ。」やがて隣の男は、声をひそめてこう言ったのです。「おい、あとでかけ直すよ。隣の個室に、俺の話にいちいち答えるアホがいるんだ」
今、外で誰もいないと思って「ふぁー」って声出して、背伸びしたら 屁が「ブッ」って出てしまったんだが、ちょうどそこにどっかのオッサンがチャリで通ってたみたいで、しかも屁を聞かれてしまったらしく、オッサンが「プッwグッヘヘヘヘww」 って笑いながら、川にチャリごとダイブしていった
さっきコンビに行ったら、ガキがうまい棒のチョコ味を1本ポケットに入れて店を出て行った。俺もそのまま追いかける形で店出たら、そのガキが5〜6軒先の本屋の前で立ち止まって、 本を見始めたんで声をかけたのよ。「さっきの店から持って来たモン、俺が謝って返しといてやるから。もうやるな」って。そのガキ、しばらく唇噛みながら俺をじっと見つめてたんだが、だんだん目に涙が浮かんで来て「ごめんなさい」って言いながらポケットから菓子出して俺に渡した。色々有ると思うけど、男はどんな時でも間違った事だけはしちゃいけねえよみたいな事を軽く説教してやった。ガキはずっと黙ってたが、俺がじゃあなって行こうとしたら、後ろから袖を引っ張って、俺の目を 真っ直ぐ見つめながら「もう絶対しない・・・男だから」って強い口調で言った。ガキはきっといい男になる・・・上機嫌になった俺はその菓子を食いながら家に帰った。
なんか、今日の朝っぱらに自転車こいでたら酔っぱらいの爺が「ぎぃんぎらぎぃんにさりげなくぅぅぅぅっ!!!」って言いながら前から自転車乗ってやってきてすれ違ったあとに、なんやあいつと思った途端にUターンしてきて「そいつがおぉれのやりかたぁぁぁぁ!!!」って言いながら追いかけられて泣きそうになったの思い出した
腰痛めて病院いったらウォーターベッドみたいなんに寝かされた。振動で腰を直すやつな。振動の強さが「強」「中」「弱」の三種類あって、 最初に「弱」で始まったんだけど、全然振動が伝わってこない。看護婦さんに「あの、全然感じないんですけど」って言ったら「じゃあ「中」にしときますね。何かあったらナースコール使って呼んでください。」って言われて「中」に切り替えて看護婦さんどっか行った。しばらく待ったけど全然振動しなくって ナースコールで看護婦さん呼んだら「じゃあ、「強」にします。」って言われて「強」に切り替えた。それでも全然動かなくておかしいなあとか思いつつふっと横を見たら、隣に寝てたよぼよぼの爺さんがガタガタガタガタ猛烈に振動してた
ある日、上司が髪の毛を短く切ってきました。それを見た同僚のS君が、自分の頭を指さして「頭、行ったの?」を上司用に尊敬語に変換して言いました。「あたまいかれたんですか?」 笑い死ぬかと思いました。
隣でカットしていた小学生が「もみあげはどうしますか?」と美容師に訊かれたが「もみあげ」の意味がわからなかったらしく「とりあえず揉んどいて下さい」 と言った。私は爆笑してコーヒーを鏡に向かって吹き出した
その日車検のため代車に乗っていた。燃料なかったから、スタンドで給油したんだ。店員「すみません、給油口逆なんですけど」おれ「あ、はいすみません」と言って車をまわす、店員「給油口開けてください」おれ「はーい、これかな…」と言ってトランク開ける、店員「閉めておきますね」と苦笑い、おれ「すみません、慣れないもので…これだな…」と言ってボンネットオープン! 店員「シートの近くにないですか?」と言って笑いこらえるの必死の様子、おれ「ホントにすみません、あ、きっとこれだ…」と言ってレバー引くおれのシート、おもいっきりリクライニング! 店員ついに爆笑、恥ずかしくてもうあのスタンドには行けん
面接でずっと「御社」を言い間違えて「おぬし」って言ってた (;一_一) 集団面接終わったあとに同じグループのやつに言われて気付いた。面接官「当社を希望した理由をお聞かせください」 私「はい、おぬしを希望したのは自由で革新的なおぬしの社風に魅力を感じたからです。」
歴史の授業中に17条憲法の話になって先生がうとうと寝ていた生徒に「おい 田中!この憲法を作ったのは誰だ!」と聞いた時彼は寝てるのは誰だと言ったものだと思い「お、お、俺じゃねえよ!!」
今日電車に乗っていたら、小学生くらいの男の子がアントニオ猪木のモノマネをしてて「便器があればう○こができる!!!」 思わず噴いてしまった
スーパーでガリガリ君を買って「あ、袋入りませんから」って言ったら、不思議そうな顔をして包装をさいてくれた。そうじゃねえよ。
パチンコ屋でエヴァ打ってて、大当たりするかも知れないリーチがきた、すると、隣のしらないじいちゃんが「おっこれは当たるやろ」って言ってきて、俺は、「いやたぶん無理ですよ?」って言ったら「うわっ君口臭いなぁー!!」って言われたんだが、何これ死にたい
質問者 「シュークリーム食うと必ずお尻のほうからクリームがはみ出るんだが、これ何とかならね?」 回答 「どんな体してんだお前」
じいちゃんが犬を捨てに行った。先に犬が帰ってきた。
質問者 犬なんですが、オススメの動物病院がありましたら教えてください。 回答 賢い犬だなあ。
じーさんの葬式の時なんだけど。俺もあんま知らない親戚の子供(4〜5歳)が葬儀中に騒いでいた。んで、あんまり酷かったので親戚のおっちゃんが「うるせーぞこのクソ坊主!!」と怒鳴りつけた瞬間、お坊さんの読経がピタっと止んだ。10秒くらいしてから子供のことだと気付いた坊さんが、読経再開したが、その場にいたほとんど全員の肩が震えていた。
友人は入社試験の面接で、あまりに緊張してしまい「家業は何ですか」 との質問に「かきくけこ!」と答えてしまい、家に帰るまで、何で「カ行」を尋ねられたか分からなかったそうだ。
うちの4歳になる息子が最近テレビから仕入れた情報は「整形すると美人になる」というものだった。それ以来、電車の中で知らない女の子に「なんで整形しないの?」と大声で聞く。
幼いころ食べた後すぐに寝転がると牛になると言われていました。しかし私の母の実家には、農耕用の牛が一匹いました。母の里帰りについていくたびにこの牛は誰だろうと思い「おまえは誰だ」と必死で牛に話しかけていました。
ディズニーランドで、母が「写真を一緒に撮ろう!」とミッキーに話しかけ、ミッキーが無言でうなずくと「あ〜ゴメンね、あんたアメリカの人だから日本語が話せないのね〜」と言った。3人で肩組んで撮影したが、ミッキーは肩を小刻みに震わせ、必死に笑いをこらえていた。
電車で女子高生がクラブの先輩の悪口を言っていた。大声で「あの人絶対ズレてるよぉ!」と言うと、同じ車両にいた乗客の『該当』する数名がアタマをおさえ気にしていた。
これは幼く無知な頃の私(ユウちゃん)とその母洋子の物語です。国道沿いのマンションに住んでいた彼は、道ゆく車を眺めるのが日課になっていました ある日ベランダのユウちゃんが「お母さんきれいな車だ!僕は将来お母さんをアレに乗せてあげるよ〓」すると洋子は冷めたリアクションで「そうね、きっと乗せてもらえるわね」と一言だけ。可哀相なユウちゃん。しかし彼が目を輝かせて指した先には…霊棺車 確かにゴージャス
社会人なって、初めてキャッシュカードをもったある男の話。6月くらいに恐そうな顔で通帳を見ながらお母さんに『毎月’としこ’って人からお金が振り込まれるんだけど、ちょー恐い』とかいって、お母さんに通帳を見せました。すると、お母さんは呆れた顔して『これは利子(りし)って読むんだよ』って言ってました。
ばあちゃんがルンバに餌やってた、小さく切ってあげたら食べれるんだよって
盲腸の患者が手術をする直前に走って逃げました。つかまえて、理由を聞くとその患者は「看護婦さんが、盲腸は簡単な手術ですから心配しないで頑張ってください。って言ってたんですよ。」と言って泣き出しそうになっていました。なんでそう言われて逃げ出してきたんですかと聞くと、患者はこう答えました。「だって、手術を担当する先生に言ってたんです!!」
おばあちゃんが入れ歯をはずしてゆすぐのを見た歯磨き嫌いの5歳の娘が「私も入れ歯にする」と言い出した
土手沿いを散歩してたら急に便意に襲われたので、繁みで野糞をしていた。そこへ犬の散歩をしているおばさんが接近してくるのに気づいて、ウンコを置き去りにしたまま慌てて繁みに隠れた。ご近所さんと会ったのか俺のすぐそばで2,3世間話する傍ら、犬が俺のウンコ付近で立ち止まった。話が終わったおばさん、「あら、○○ちゃん、すごいのしたわね。トウモロコシなんて食べたかしら」とか言いながら俺のウンコ持って行った。
質問 さかなくんに寄生されている下の人ってもう助からないのでしょうか?彼も元は僕等と同じ人間だったはずなんですが、頭部が変な魚に寄生されてからおかしくなったように思えます。上のさかなくんを無理に引き剥がしたりすると危険ですか?どうすれば下の人を助けれるでしょうか? 回答 残念ですがもう無理です。さかなくんの登場した頃を覚えているでしょうか。あのころの彼の口癖は「ややーっ!?」でした。しかし今の彼を見てください。口癖は完全に「ギョギョーっ!?」です。魚魚ーっ!?です。寄生が完全に完了した結果のできごとです。もう諦めるしかありません
質問 筋肉痛だったのでNEWアンメルツヨコヨコを買ってきたけど・・・タテに塗っちゃった!タテタテに塗っちゃった!(´_`。)グスンきっと効きませんよね。 回答 タテで効かねきゃヨコでも無理だ心配するな
質問 ホットケーキが冷めたら、ホットケーキじゃなくなりますか? 回答 ほっといた結果のことなのでホットケーキです
質問 僕には不思議な友達がいます。ツチノコ君といいます。彼は、ツチノコが進化して人間並みの知能と行動性があります。普通に人間の友達と同じ扱いをしてます。最近、懸賞を見て、ツチノコを捕獲したら大金がもらえると知りました。どうにかして、売り飛ばした方がいいですか?それとも、友情をとるべきですか? 回答 堂々とはっきりと「友達」と呼べるような相手はなかなかできないので自分は売り飛ばしません友情をとります
質問 全国で一泊2食付き1000円の格安宿はないでしょうか・ 回答 うちでよかったら、、、、。2食付きで1000円で結構です。庭の犬小屋で寝てください。
質問 中学生で握力70は平均ですか? 回答 ゴリラの話をしているのですか?
日本史教師「はいっ最近ちょっと進みが遅れてしまったからね! 今日は室町幕府45分で滅亡させますー!」 教師に言われた衝撃的な言葉
おじいちゃんに囲碁の本が欲しいって言われたからアマゾンで買うねって言ったら「そんな遠くまで行かなくていい」って引き止められた
校長先生「皆さんが静かになるまで18分かかりました。先生はとても悲し\パァン/ウッ……」 教頭先生「……校長先生が静かになるまで4秒かかりました。」
結婚式に参列していた小さな男の子が母親に訪ねた。「ママ。あの女の人ドレスはどうして白いの?」「白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。人生で一番幸せな日に着るのよ」「フーン」男の子はしばらく考えて,また聞いた。「じゃ、ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの?」
親戚の子供がヤクザ映画にハマってるのか、「奥歯ガタガタ言わしたろか!」とか変な言葉を覚えだして、夕食時、俺が誤ってお茶をこぼしたら「どう責任取るんじゃワレ!小指出せや!」と言ってきたので小指出したら、子供その後どうしたらいいのか分からず、俺の小指にとんがりコーンをそっとはめてきた
ウチの嫁がイタリアで実際にされたナンパ / 男「(空を見上げながら)今ごろ天国は大騒ぎだろうな…」 嫁「え?」 男「だって天使が1人、地上に逃げ出してボクの所に来ちゃったみたいだからさ…(嫁をバキューンと指差しながら)」めっちゃ笑ったって。
広島原爆関連のコメントで面白かったのは「原爆ドームに原爆が落ちるってスゴイ偶然だよな」でした。
マクドナルドで3歳くらいの子供がお父さんの職業(薬剤師)を皆に自慢しようとしてたんだけど上手く言えなくて「ボクのパパ、ヤクザ。お薬売る仕事だよ」と言い回ってってアイスコーヒー吹いた
「お皿を洗うのに、何を使ってる?」「いろいろ試したけど、夫がいちばんね。」
ドラッグストアで7〜8歳ぐらいの女の子が『10歳若返ります』と謳っている婦人用の化粧品を見て、お母さんに「これほしいー」と言っていて、お母さんが「死ぬわよ!」って注意してたのを聞いて飲んでたドモホルンリンクル吹いた
●面白い話 7
エブリデイ / 友人宅でマンガを読んでいると、お母さんがやってきて、母「いつもマンガばかり読んで、毎日エブリデイだねぇ〜」とぼやいていた。何が言いたいのか、よくわからなかった。
娘の顔 / 彼にフラれた娘を慰めようとした父。「おまえ、人間は顔じゃないからな」と慰めようとしたのを、父「おまえの顔は人間じゃないからな」と言ってしまった。
ホームステイ / わたしのむすこは、とても勉強がよくできる。大学生になって、息子がイギリスに留学する時に、親戚に自慢気に、母「うちの息子が、イギリスでホームレスやるんですよ〜」と言いふらしていた。
妻の誕生日 / 妻の誕生日に、夫からプレゼント。夫「今日はお前のたんじょうびだろ?プレゼントは何がいい?」妻「あまり行ったところがないところに、行ってみたいな♪」そういうと、夫は、妻をキッチンへ連れて行った。
どっちにする? / お腹を空かして、会社から、帰宅した時のこと。オレ「ただいまー!」 妻「お風呂にする? それともシャワーにする? 入浴にする?」オレ「けっきょく、飯はまだなんだね・・・」
右折左折 / 教習所での、教官の面白いセリフ。オレが通っている、教習所の教官はとにかく活舌が悪い。教官「ウホッ、ウホッ」オレ「何いってんだ、ゴリラのマネか?」と思って無視していた。教官「サホッ、サホッ」オレ「意味が分かんねーよ」と思っていたら、「右方(うほう)、左方(さほう)」と言っていたことが分かって、少し申し訳なく思った。
コンビニ / コンビニでお弁当を買った時のこと。店員「あたためるますな?」と言ってきたので、かなり戸惑ったが、オレ「さようでござる」と答えてやった。
内定 / 先日内定をもらった会社の面接での出来事。面接官「学生の時にやり残したことはありますか?」オレ「情勢関係ですね」 面接官「何かあったんですか?」オレ「いや、何もなかったんです」すぐに内定をもらったが、入社後、その会社が社内恋愛禁止だということをはじめて知った。
LINE / 誤字をしてしまった彼女からのLINE。彼女「本当にあなたには、ゴッコりしたわ」「ガ」を「ゴ」、「カ」を「コ」と間違えてしまったらしい。
勘違い / 幻聴が聞こえるという友人から、こんな相談を受けた。友人「おれさ、毎日幻聴が聞こえるんだ」オレ「えぅ、どんな?」 友人「まわりで、オレの悪口を言っているのが聞こえてくるんだ」オレ「・・・、転校したほうがいいよ」
夫 / パソコンに詳しい夫から操作方法を教わっていた時のこと。私「もっとわかりやすく教えて、3歳児でもわかるように」 夫「ここはでちゅね、これをクリックするんでちゅよ」 私「口調は普通でいいから・・・」
ラーメン / 替え玉が無料で有名なラーメン店でのこと。オレ「ここ、スープもうまいんだな」と思った俺は、替え玉を頼むのも忘れて、スープを飲み干してしまった。
自動販売機 / 高速道路SAの自動販売機での出来事。100円入れて、1分待って、カップを取ったら中にコーヒーが入っていなかった。仕方なく、また、100円入れて今度はじっと見ていると、カップが置かれるよりも先に液体が出て、そのあと虚しくカップが出てきた。とうぜん、何も注がれなかった。
扶養家族 / 「扶養家族」を「不要家族」だと思っていた俺の勘違い。父が市役所に行った時のこと。 役所「妻以外の扶養家族は何人ですか?」 父「扶養家族は二人です」そんな父を見て、ショックを受けた俺だった。
妻 / 妻とママ友との会話。ママ友「皿洗いするのに何を使ってるの?」 妻「たくさん試した結果、夫が最高ね!」
妻 / 暑い夏の夫婦の会話。 夫「何か冷たいものくれよ!」 妻「私の視線だけじゃ、物足りない?」
招待状 / 仲が悪かった奴からの、結婚式の招待状。「やっと、あいつも大人になったか」と思って内心うれしかったが、はがきをよく見ると、出席しない・欠席するの二択だった。あんにゃろう〜。
オペレーター / インターネットのつなぎ方がわからない母が、サポートセンターに電話した時のこと。オペレーター「〇〇さまの、環境を教えて頂けますか?」 母「環境ね、そうねぇ〜、4LDKのマンションで、日当たりがいいです」オペレーター「・・・、いえ、場所ではなくて、、、」
自販機 / ハローワークに職を探しに行って、自販機でコーヒーを買った時のこと。自販機「今日もお仕事頑張ってくださいね!」オレ「無職だよ!」と自販機をけりそうになった俺。
状況 / あせっているらしい友人が、俺にLINEしてきた。オレ「状況が読めん」 友人「じょうきょう」オレ「・・・、そういうことじゃない」
教習所 / 人の話を何でも鵜呑みにしてしまう友人の教習所での話。 教官「次の赤信号を右折して」 友人「はい、赤信号を右折ですね」そういって、赤信号のまま、右折してしまった友人。
体重 / デブの母ちゃんがお腹を引っ込めながら体重計に乗っていた。オレ「お腹引っ込めても、体重減らないよ」 母「引っ込めないと、メモリが見えないの」オレ「・・・」
体重2 / その母ちゃんが、スポーツクラブに入った時のこと。申込用紙に、今まで最低体重を記入する欄があった。そこに、「3500g」と書いた母ちゃん・・・。店員さんに、書き直しさせられていた。
老朽化 / 会社の上司から、古くなったものを買い替えるから、なにが必要か聞かれた時のこと。オレ「女子社員」と答えたら、本気で上司に怒られた。
コピー / オレ「これ、B3でコピーしてきて」 後輩「はい、わかりました」なかなか後輩が帰ってこなかったので、携帯に電話すると、地下3Fでコピー機を探していた。。。
フェニックス / Fラン大学出身の新人が自慢げに話していた話。新人「FランFはフェニックスのF、不死鳥のごとく羽ばたいて見せます」オレ「フェニックスは、Phoenixだよ」
ポラギノール / オレ「今日のばんめし何?」 母「ポラギノールよ」カルボナーラとポラギノールを間違えた母であった。
たこ焼き / オレ「このたこ焼き、タコがないってないよ」たこ焼き屋「タイヤキに鯛は入ってないだろ?それと同じだよ!」と言われて、少し納得してしまった。
ホッケ / ホッケが好きな俺に、後輩が言った一言。後輩「先輩、鳥っすか?」
美容院 / 洗髪中に父がいつも言うセリフ、美容師「どこかかゆいところはありませんか?」 父「足の裏がかゆいです」
デブ / デブの友人が言った一言。「デブをネタに出来ねぇ奴は、生きる価値がねえ」ちょっとかっこいいと思った。
ババア / ババア同士のどうでもいい会話。ババアA「ババアって言われるうちは、まだまだ若いね」ババアB「そうそう、若いですねって言われて、一人前のババアだね」
ハイテンション / あるフライト中のこと。CA「ハイテンション、プリーズ」 乗客「おおおおおお!!!」
持病 / 上司「お前、どうして昨日休んだんだ!」オレ「持病の仮病が悪化しまして」 上司「おう、そうか! えっ、えっ!?」
美容室 / カットし終えた、友人が言った一言。 友人「俺かっこよくなりましたか?」 美容師「手は尽くしたんですが」
インストール / PCにアプリをインストールする仕事を依頼した時のこと。 新入社員「先輩、出来ました!」オレ「あれ?入ってないよ」マニュアルには、アンインストール方法も書いてあった。。。
目立った屁 / 友人「屁がしたくなった、どうしよう」 俺「叫んでごまかしたらどう?」 友人は、思いっきり叫んだ後、思いっきり屁をこいた。注目を集めて、屁をこいただけだった。
ニート / 母 パート 兄 デート オレ ニート
回送電車 / 超急いでいる女性が階段を上がってきて、一目散に乗り込んだのは、回送電車だった。電車が動き出して、わたしと目が合った時、超不安そうにしていた顔は忘れられない。
英語 / 「オールマイティ」を日本語に訳せ、という問題にオレの友人が答えた回答。友人「すべてわたしのお茶です」
歯医者 / 初めて行った歯医者さんでの出来事。歯科医が「口紅をふいてください」と言っているのを、「口笛を吹いてください」と勘違いして、おかしいと思いながらも、ヒューヒューと口笛を吹いてしまった私。
おばまちゃん / おばあちゃん子の友人から、メールが届いた。 友人「昨日、おばまちゃんが、亡くなった。悲しい。」オレ「それより、おばまちゃんって誰だよ」って思った。
副作用 / 昨日、かゆみ止めの塗り薬を買ってきた時のこと、副作用を読むと「かゆみ」と書かれてあった。一瞬、使うかどうか迷ってしまった。
スターバックス / 母「ねえ、オートバックスのコーヒー買ってきて」オレ「何オイルがいい?」
グーグル / 母「ゴーグルって便利だね〜、なんでも教えてくれるね〜」オレ「グーグルや!」
母ちゃんからのメール / 母「イケメンの美容師から、新垣結衣に煮てるって言われた♪」オレ「新垣結衣を煮た感じってどんなの?」
牛乳 / 母「スーパーで、乳牛買ってきて」オレ「牧場の間違いじゃない?」
ヤフー / 母「ねえ、ヤッホーンで検索できないんだけど」オレ「ヤフーやろ」
お祝い / 母「お隣さん、赤ちゃん産まれたんだって、岩送っておくよ」オレ「デカいの頼むね」
携帯 / 母「あんた、携帯家に忘れてるよ!」と、携帯を持っていない娘にメールしていた。
ツイッター / 母「わたしも、ツィッターしたいんだけど、どこに売ってるか教えて?」オレ「コンビニに売ってるよ」
ドンキーコング / 母「ドンキーコングのハンバーグ美味しかったね〜」オレ「びっくりドンキーやろ」
WiFi / 母「カフェでウィーフィーが使えるんだってね〜」オレ「ワイファイって読むんや!」
無色 / 事件を起こした男を「無職の男」とよく言うが、オレは「無職」を「無色」だと思っていた。
台風一過 / 「台風一過」って、「台風一家」のことじゃないんだぜぇ〜って、小学生の時、自慢げに話していたことが合ったオレ。
出汁 / オレは最近まで、「出汁(だし)」のことを「でじる」と呼んでいた。
ノンストップバス / 
母「ねえねえ、ノンストップバスだって!止まらないバスなのかな?」オレ「そんなバスあるかぁ!ノンステップバスや」
王将 / 母「駅前に、おいしそうな餃子屋さんができたのよ、大将っていうお店」オレ「王将やろ!」
岡三証券 / 母「お母さん證券って、お母さんに親切なのかしら?」オレ「岡三証券のことや、音三証券もあるんかいな
お持ちですか? / レジでよく聞かれる「ポイントカードはお持ちですか?」を「ポンとカードはお餅ですか?」と勘違いしていた俺。
誤って転落 / 山から「誤って転落」とよく聞くが、「誤って」を「謝って」と勘違いしていた俺は、子供ながらに、「どうして謝って転落するのだろう?」と不思議に思っていた。
ご声援 / 選挙カーで「ご声援ありがとうございます」と言っているが、オレは「5000円ありがとうございます!」と言っているのだと思っていた。
計画的に / サラ金を利用する時、「ご利用は計画的に」とよく言うが、サラ金を利用している時点で、計画的ではない。
物件 / 駅前の不動産屋に、興味津々のチラシが貼ってあった。「駅から5年、築5分」
エレベーター / 同じエレベーターに社長が乗って緊張していた俺の失敗。社長が出ようとしたので、「開」ボタンを押そうと思ったら、「閉」ボタンを押してしまい、両ドアに社長が挟まれてしまった。「開」を押しなおそうかと思ったが、間違えてさらに「閉」を連打してしまって、社長が何度も挟まってしまった。
取引先 / 取引先からの電話を取った後輩の話。取引先「鈴木課長をお願いします?」 後輩「鈴木さんですね、少々お待ちください」 取引先に言う場合は、「鈴木」と呼び捨てにするもんだよ。と、教えたところ、後日。 取引先「鈴木課長をお願いします」 後輩「鈴木ですね。少々お待ちください」よしよし、とオレは思ったが、次の瞬間、 後輩「おーい、鈴木、取引先から電話です」ぜんぜん伝わっていないと思った俺。
電話 / 新入社員のAさんは、電話応対が全くできていない。先日も「どちら様でしょうか?」というところを、「何様ですか?」と言って、クレームが入った。2泊3日のマナー研修をうけさせることになった。その翌日、変わったかどうか楽しみにしていたが、「貴様(きさま)のお名前を教えて頂けますか?」と言っていた。どうやら、貴方様(あなたさま)というのを、省略して貴様(きさま)といったらしい。。。
エクセル / 定年間近の部長が、いつまでたっても、「エクセル」を「エグザイル」と言っている。
じいちゃん / じいちゃんが犬を捨てに隣町まで行ったけど、犬の方が先に帰ってきた。
ドリンクバー / 真夏の夕方のこと、おじさんが公園のベンチで寝ていたら、蚊がたくさん寄ってきて、ドリンクバーと化していた。
駐車場 / 近所のコンビニの「お客さまの声」に「駐車場を増やしてほしい」と書いた。1週間後、そのコンビニは駐車場に変わった。
Unkown / バカな友人が、Unkownを「うんこなう」って呼んだので、本当のバカだと思った。
流さないでください / トイレの張り紙に、「紙以外は流さないでください」と書いてあった。その下に、「えっ、ウンチも?」と書いていて、笑った。
司法解剖 / 遺族「死因は何ですか?」 医者「司法解剖です」
髪の毛 / オレの髪の毛が、どんどんソロデビューして、頭皮が寂しくなっていく。
不幸 / バイトに行きたくない時、「身内の不幸」のせいにしていた僕は、親戚が10人以上無くなっている。バイト仲間から呪われた一族と思われているようだ。
アイスクリーム / アイスクリームを運んでいて1個落ちた時、 娘「あっ、パパのが落ちたよ!」俺だけ食べられなかった・・・
ひったくり / 犬のフンを拾ってビニール袋に入れたら、バイクに乗ったひったくりがビニール袋を盗んでいった。
ほしいモノ / わたしの誕生日に、父からのプレゼント。 父「何か欲しいものはあるか?なんでも買ってやるぞ!」わたし「じゃあ、GLAYのセーターが欲しい」といって、父が買ってきたのは灰色のセーターだった。。。
ほしいモノ2 / わたしの誕生日に、じいじからのプレゼント。じいじ「何か食べたいものはあるか?なんでもごちそうしてやるぞ!」わたし「じゃあ、お寿司が食べたい」というと、じいじは割り箸を持ってきて、「これで好きなモノ、なんでも食べなさい」と言って去って行った。
おつかれ / RPGの主人公の名前を「おつかれ」にしてみた時のこと。 王様「おお、まっておったぞ、おつかれ!」 主人公とずいぶんなれなれしい間柄の王様。お姫様「助けて下さって、どうもありがとうございます。おつかれ」 主人公にまったく興味がないお姫様。
外国人1 / 次の日本語を使って文章を作りなさい。問題 あたかも、回答 タンスの中に財布があたかもしれない
外国人2 / 次の日本語を使って文章を作りなさい。問題 もし××なら、回答 もしもし、奈良県は好きですか?
外国人3 / 次の日本語を使って文章を作りなさい。問題 どんより、回答 わたしは、うどんよりも、そばが好きですね。
外国人4 / 次の日本語を使って文章を作りなさい。 問題 うってかわって、回答 友人は、変な注射をうってかわってしまった。
松岡修造 / 今日の目覚めの夢。「ハンドルだけ持った松岡修造が高速道路を走っている」夢だった。
武井壮 / 次の日見た夢。「ハンドルだけ持った武井壮が、後ろから猛スピードで追いかけてきて、松岡修造度と、デットヒートを繰り広げている」夢だった。
逆走 / ニュースで、高速道路を逆走している車を見たお母さんが、じいちゃんに電話した。 母「今、高速道路を逆走している車があるらしいから、気をつけてね」じいちゃん「しかも、1台じゃないぞ、たくさん逆走してるぞ!」 母「えっ!?、もしかしてじいちゃんが逆走してる?」
ガソリンスタンド / 「ハイオク」のことを「満タン」と勘違いしていた俺が、ガソリンスタンドの店員に、いったセリフ。オレ「レギュラー、ハイオクで」 店員「・・・」その時、間違いだったことに気が付いた。
御中 / 新入社員に取引先へのはがきを書いてもらった時のこと。オレ「御中って書いておいてくれよ」ところが、取引先の会社から、はがきが返送されてきて、クレームが入った。
そのはがきには、「Want you」ときれいな筆記体で書かれていた。。。
店員 / コンビニにでの話。 客「おい!店長呼んで来い!」オレ「はっ?」 客「店長だよ、早く呼べ!」しぶしぶ、店長を呼んできた俺。 客「おい、コイツ態度悪いぞ!」オレ「えっえっ!」 店長「あの、この人も、お客さんですけど」 客「えっ!」
フィレオフィッシュ3個 / ハンバーガー屋での話。オレ「フィレオフィッシュ3個」 店員「は?」オレ「フィレオフィッシュ3個」 店員「セットですか?」オレ「フィレオフィッシュ3個」 店員「ご一緒に、ポテトもおすすめですがいかがですか?」オレ「フィレオフィッシュ3個」 店員「ご一緒に、飲み物はいかがですか?」オレ「フィレオフィッシュ3個」 店員「フィレオフィッシュ、合計18個で1800円になります」オレ「えっ!?」
電話 / 社外から会社に電話した時のこと。美人のAさんが出たので、オレ「Bさん(オレのこと)はいますか?」とイタズラっぽく言うと、Aさん「Bさんは、イタズラ電話中です」と返事をした。そして、Aさん「Bさんは、アイスクリームを買ってくるそうです」と言われて、アイスを買わされたが、オレはAさんのことを素敵だと思った!
バカモノ / 隣の家から、お父さんが子どもをっしかる声が聞こえてきた。「バカモノ」と言いたかったのだろう。 父「バケモノ!」 子供「ははは!バケモノだって!」 父「・・・」そのあと、父の声は聞こえなかった。
姉と柿 / 柿が好きな俺のために、同僚がおいしそうな写真を撮ってきてくれた。 同僚「実家の姉の写真です。おいしそうでしょ」と書いていたので、ドキドキしながら写真を見ると柿の写真だった。
トイレ / しつけが厳しい母親と、その娘の話。 娘「トイレ行ってくるよ」 母「女の子なんだから、お、を付けなさい」 娘「トイレ行ってくるよお」 母「い、いや」
もみあげ / 小学生の息子を一緒に散髪屋さんに行った時のこと。「もみあげ」が何かわからず、苦し紛れに言った息子の一言。 店員「もみあげはどうしますか?」 息子「・・・、揉んでおいてください」
ブヒ / デブの部員が俺に近寄ってきて、「ブヒ、ブヒ」っていうから、からかってんのかと思って無視していたら、「部費、部費」って言っているのがわかって、申し訳なく思った。
正露丸 / 息子「おーいえー、正露丸おーいえー!」と5歳の息子が機嫌よく騒いでいた。よく聞くと、正露丸糖衣Aのことのようだった。
兄弟 / 一人っ子の息子からの質問。 息子「どうして僕は一人っ子なの?兄弟が欲しいよ」オレ「お前が、毎日夜遅くまで起きているからだよ」
リンゴ / 算数の授業の時の、娘と先生の会話。 先生「あなたは、今5個のリンゴを持っていま。先生が2個ください、と言ったら、何個のこるかな?」 娘「5個です」 先生「・・・」
おかわり / 夕食中のテレビから「お分かりいただけただろうか?」というアナウンスが聞こえてきたときの、オレの兄貴が言ったセリフ。テレビ「お分かりいただけただろうか?もう一度ご覧頂こう」 兄貴「おかわりいただけるだろうか?もう一杯頂こう」
名前 / 6人兄弟の末っ子の、オレの名前は「成行(なりゆき)」。物心ついてから、名前の由来は自分でもわかるようになったから、親に聞かないようにしている。
マリオカート / 一直線の高速道路を、後ろから猛スピードで抜かしていった一台の車。聞こえてきた音楽は、「チャチャチャ、チャチャチャチャラー♪」マリオアートの無敵の音楽だった。
一糸乱れず / 息子の運動会で、PTA会長が最後の締めの言葉を言った時のこと。 会長「6年生が一丸となって、一糸まとわずおどったダンス!」オレ「裸で踊ってねーぞ!」
ジェットコースター / 遊園地に一緒に行ったおじいちゃんが心配そうに言ったセリフ。 私「ジェットコースター込んでるね〜」じいじ「そうじゃな、混んでるから座れないかもしれないよ」 私「いや、絶対座れるから!」
バカ高校 / 高校入試の問題で本当にあった回答。問題 1sは「〇〇〇〇g」、回答 1sは「いちきろg」
お医者さん / 病院に行った時のこと。 息子「頭に誰のCDつけてるの?」
喪中だよ / 中学生のオレが、他中のヤンキーに絡まれた時のこと。ヤンキー「おめえ、どこ中だ?」オレ「喪中や」
歯医者さんの指 / 治療が終わった後、なんとなく口の中でしこりがあったので、ぺろぺろなめていた。 歯医者「それ、先生の指だよ」 俺「すみません・・・」  
●「金メダル、笑い話ではない」 藤沢らとの一問一答〔五輪・カーリング〕
カーリング女子決勝で敗れて銀メダルとなった日本の藤沢五月、吉田知那美、鈴木夕湖、吉田夕梨花との主なやりとりは次の通り。
―前回よりいい色のメダル。
藤沢 決勝は自分たちの納得のいく試合ではなかったので、こんなに悔しい表彰台はあるのかと感じた。(最後の一投は)私の五輪で最後のショットになるんだなと思いながら、ちょっと寂しさがあった。うれしさ半分、悔しさ半分。
吉田知 ゴールは達成できなかったが、過ごしてきた時間は間違っていなかったと、このメダルに言ってもらっている気持ち。
―どこがうまくいかなかったか。
藤沢 (スキップの)私のところで決め切れなくて追い付くことができず、相手に重圧をかけられなかった。
―右手に書かれていた文字は。
藤沢 (リンド)コーチに書いてもらった「自分を信じて」。
―チームメートへの思いは。
吉田夕 夕湖さんと20年以上、家族以上に同じ時間を過ごしてきた。隣にいてくれて、本当にありがとう。
鈴木 カーリングをやめたいと思ったことは100回以上あるが、いつも夕梨花がつらい時に支えてくれた。
―今後について。
藤沢 (日本勢が)メダルを取るのは難しいと思われた中、決勝に立てた。金メダルはもう笑い話でも夢でもなく、実際に起こりうる目標になったことは日本カーリング界にとって大きい。
吉田知 日々の目標を達成した先にこのメダルがあった。それを続けていけば、また4年後、ここに戻ってきているのかなという感じもする。
鈴木 私さえうまくなれば、絶対に強くなると思ってやってきた。4年前に比べると成長を感じるし、まだまだ成長できる。
●「温めますか?」
急に寒くなって、ホカロンと仲良くならざるを得ない日が多くなった。
先日も朝から北風が吹いて関東も雪はまだ降らないにしても、身をきるような冷たい日、駅に行く途中のコンビニで靴の中に入れるホカロンを買う。
レジに持っていくと、若いアルバイトらしき女の子が、ホカロンを受け取ると「温めますか?」と聞いてきた。わたしも咄嗟に「はい 温めます」と言ってしまった。
直ぐに二人とも間違った会話を交わしていることに気が付いて、一瞬二人とも無言。女の子の方は、丁度お昼時で、続けざまにお弁当を「あたためますか?」という会話をお客様と交わしていたのだろうか、その流れで、ついついそんな言葉が出てしまったようだ。
わたしの方は、物が「ホカロン」だったので。相手の質問に思わず言ってしまったようだ。
その後、女の子は済まなそうに「すみません」と苦笑い。
わたしは、こらえ切れない笑いをホカロンと一緒に抱えてお店を出た。
あの後、女の子がどうしたかわからないが、わたしのほうは電車に乗ってもマスクの中で笑いをこらえていた。
●「カップラーメン」
カップラーメンが、無性に食べたくなって買う。
何にしようかと、スーパーで物色していると、なんと、あのチャルメラおじさんの絵が描いてあるカップラーメンがラッパを吹いて棚に並んでいた。
迷わず、一つ買ってお昼に食べよう!と、お肉や野菜と一緒に籠に入れて帰ってきた。
三分待って胡椒を振って上下良く混ぜて食べる。小さな焼き豚、小さな鳴門、全てが小さくて箸で摘むのに苦労する。食べ進むうち、びっくり、びっくりカップの中にもあのおじさんがいるではないか。五枚程入った小さな鳴門を見ると、おじさんの顔がプリントされているのがある。
これはファンタジーに近いよー、などと一人感動して、おじさんを食べる。
最近、どうでもいいようなおかしなことに妙に感動する。
●キリスト教の笑い話
日本のクリスマス
ある日本人がクリスマスの時期に教会の前を通りかかった。教会の門のわきにクリスマス礼拝の案内が出ているのを見て、言った。「へー、最近じゃあ教会でもクリスマスをやるのか」
日本の正月
元旦礼拝を終えた信徒が、急いだようすで牧師にあいさつした。「先生、きょうはこれから初詣にいきますのでこれで失礼します。」
説教中の居眠り その1
礼拝の説教中、居眠りをしている人がいた。その人は手に持っていた聖書を床に落としてしまった。その瞬間、バタン!と大きな音が説教中の礼拝堂に響いた。礼拝が終わった後、役員がその人にそっと告げた。「聖書を持ったまま居眠りをしてはいけません。周りの人が起きてしまうから」。
説教中の居眠り その2
ある宮廷牧師が説教をしていた。礼拝に出席していた皇帝も伯爵もいびきをかいて居眠りをはじめた。そこで、牧師は大声で叫んだ。「伯爵!」 伯爵が目を覚ますと、牧師は丁寧に言った。「伯爵は皇帝陛下のお休みを妨げております」
説教中の居眠り その3
不眠症で悩む信者が、よい解決策を見つけたとばかり、牧師のところへやってきて言った。「先生、会堂の椅子を譲ってください。」
天国の入り口
妻の尻に敷かれている夫が多くなったと嘆いていた天国の門番が、その実態調査に乗り出した。天国の入り口のうち、既婚男性専用の門を「妻の尻に敷かれた人」用と「妻の尻に敷かれなかった人」用に分けたのだ。すると、嘆かわしいことに、「妻の尻に敷かれた人」用の門の前には長蛇の列ができ、もう一方の門の方にはだれもいなかった。すると、ひとりの男が「妻の尻に敷かれなかった人」用の門に向かって歩いてきた。「門番は、ようやくひとり来たか」と思い、喜んでその人に話しかけた。「こちらの門に来る人はあなたが初めてですよ」。すると、男は申し訳なさそうに言った。「妻に、こっちの門へ行けと言われたもので・・・。」
再会
ある方が、有名な神学者に天国のことについて尋ねた。「先生、私たちは、愛する人たちみんなと、ほんとうに天国で再会できるのですか?」 尋ねられた神学者は、力を込めて言った。「ええ、確かです。・・・だが、他の人々とも再会しますよ。」
地獄 その1−−天地創造
ある人が神学者を困らせようとして聞いた。「神さまは、天地を創造される前には何をしておられたのだろうか?」 神学者は答えた。「そのような質問をする人のために地獄をつくっておられたのだ。」
地獄 その2−−ここはどこ?
ある人が死んだ。死後に行った所は、好きなものを食べて好きなときに眠れるすばらしいところだった。最初のうちは楽しかったが、次第にそんな生活に飽き飽きしてきた。それどころか、いつしか吐き気を覚えるほどになっていた。その人は言った「これなら地獄に行った方がまだましだった」。すると、つかいの者が言った「あなたはどこにいると思っていたのですか」。
地獄 その3−−魚にのまれたヨナ
「先生、ヨナが巨大な魚の腹の中から生還できたのは、いったい、どのようにしてでしょうか」「それは私もわかりません。しかし、私が天国へ行ったときに、ヨナに聞いてみましょう」「しかし、もしヨナが天国にいなかったらどうしましょう」「そのときは、あなたが直接ヨナに尋ねることができるでしょう」
地獄 その4−−身をもって知る
有名な神学者カール・バルトは、地獄の存在を完全に無視しているとして、周囲から批判された。すると、彼は言った。「皆さんはいずれいつかびっくりなさることでしょう、地獄がいかに空っぽであるかを身をもって知って。」
地獄 その5−−見ないで信じる者は幸いである
嫁いだ娘が泣きながら母親に言った。「ママ、彼ったら、地獄があることを信じていないのよ。」母は薄笑みを浮かべて、言った。「じゃあ、地獄を見せてあげましょう。」
地獄 その6−−信じない者ではなく、信じる者になりなさい
ついこの前結婚したばかりの男が、牧師を訪ねてきた。「先生、結婚してはじめてわかりました、地獄が存在するってことを。」
うそをついてはいけない
礼拝が終わった後、会衆に向かって牧師が言った。「来週は『うそをついてはいけない』という説教をします。その準備のためにみなさまは前もってマタイによる福音書の第29章を読んでおいてください。」そして、次の日曜日が来た。牧師は会衆に尋ねた。「私が先週言った聖書箇所をお読みになってきたでしょうか」・・・敬虔そうな信徒が何人か手を挙げた。牧師は言った。「きょうはあなた達のためにお話ししましょう。マタイによる福音書には第28章までしかありません。」
神さまの時間
ある人が神に尋ねた「神さま、あなたにとって100万年とはどれほどの長さですか」。神は答えた「わずか1分だ」。「では1000万ドルとは、どれくらいですか。」「たったの1セントだ。」そこでその人は神に願った「では、神さま、私に1セントください」。神は答えた「ほんの1分間待っていなさい」。
ピアニスト
ある二人がコンサートへ行ったが、ピアノの演奏が気に入らなかった。「このピアニスト、まことに、キリスト教的慈愛に満ちた演奏をするわね。」「どうして?」「彼の右手は、左手がしていることを知らないのよ。」
アダムの浮気?(1)
アダム:「ぼくは君だけを愛するよ」エバ:「ほかに誰がいるっていうの?」
アダムの浮気?(2)
アダム:「どうして君は毎晩、ぼくの肋骨を数えるんだ?」エバ:「だって、浮気してるんじゃないかと心配で・・・。」
アダムの浮気?(3)
エバ:「あなた、まさか、浮気してるんじゃないでしょうね?」アダム:「浮気なんかできるわけないだろ。ここには君しかいないんだぜ。」エバ:「じゃあ、浮気してないって証拠があるの?」アダム:「オレの肋骨を数えてみろよ。」
次の大洪水
司祭と異端者が論争していた。司祭が言った。「あなたのような人がいるから、神はもう一度大洪水を起こされることでしょう。」「いや、それはありえないでしょう。」「どうしてですか?」「だって、最初のが何も効果がなかったようですからね。」
神学者の教え
ドイツでフランス語を長く教えてきたドイツ人教師が、初めてパリに来た。彼は自分が教えていたフランス語がまったく役に立たず、愕然としていた。それを知った友人が彼を慰めて、言った。「大丈夫さ。多くの神学者たちも、天国で同じことを経験するよ」
神学者の役割
神学者アルトハウスが暗い階段で電気をつけようとしたとき、電気のスイッチの代わりに呼び鈴を押してしまった。すかさず、一緒にいた友人が言った。「神学者は光を灯すべきなのに、いつもただ騒音を出すばかりだ」
優秀な神学者
著名な神学者カール・バルトが亡くなり、天国の門をたたいた。門番のペテロは、いつものように、天国に入れるかどうかの信仰と生活についての質問を、バルトにもした。するとバルトは、質問に意欲的に取り組み、反問し、議論を始めた。ペテロはバルトを扱いあぐねて、天使長ミカエルに頼んで、バルトを聖霊のところへ連れて行った。長い時間がたった。ペテロは、雲の背後でますます激しくなって行く声を聞いた。突然、天使長ミカエルが飛び出してきた。ペテロは驚いて尋ねた。「どうしたのですか。まさか、バルトが試験に落ちたのでは?」ミカエルは答えた。「いや、彼ではない。聖霊の方が落ちたのだ。」
感動させる説教者
ある司教が有名な俳優に尋ねた。「我々説教者は人間に本当に必要なことを説いてもなかなか理解してもらえないのに、あなたがた役者さんたちは舞台上の作り事で人々を深く感動させることができるのはどうしてだろうか」 俳優は答えた。「わたしたちは架空のことを本当のことのように語っていますが、聖職者のみなさんは、本当のことを架空のことのようにお話しなさってるからですよ」
秩序を取り戻す説教者
かつて名説教家ブールダルーが説教をしていた教会に、あまりうだつの上がらない牧師が着任した。彼は挨拶して、言った。「かつて、ブールダルーが説教をしていた頃、日曜日には町じゅうのあらゆる人が教会へ押しかけました。職人は仕事場を離れ、医者は患者を放りっぱなしで。それで、町全体が大混乱してしまいました。」その後に彼は付け加えた。「わたしがすべてを秩序あるものに戻します。」
赤ちゃんと説教者
説教中に乳児が泣き出したので、母親が乳児を抱いて礼拝堂の外へ出ようとしたところ、牧師が呼び止めていった。「だいじょうぶですよ、赤ちゃんが泣いても私は気にしませんから」すると、母親は答えた。「先生が気にしなくても、この子は気にするんです」
神のような聖職者
「あなたの教会の司教はどのような方ですか?」と尋ねられたある信者は、こう答えた。「神さまのようです。日曜日には理解しがたく、平日には姿が見えません。」
修道士 その1 停電
ある晩、修養室で、ベネディクト会士、ドミニコ会士、フランシスコ会士、イエズス会士の四人が、一緒に日課祈祷書で祈っていたとき、突然電灯が消えた。ベネディクト会士は何事も起こっていないかのように祈り続けていた。彼は日課祈祷書を暗記していたからである。ドミニコ会士は、精神と人間の敬虔さに対する光の意味について、深遠な考察を試みていた。フランシスコ会士はうたた寝をしていた。・・・っとそのとき、電灯が再びともった。イエズス会士が出ていってヒューズを取り替えたからである。
修道士 その2 沈黙
中世の修道院での話である。三人の修道士が一週間の沈黙の行に入った。 三日ったとき、一人の修道士が、つぶやいた。「ああ、三日目になった。」するともう一人が、「おっ、おまえ、しゃべったぞ」と指摘した。二人ともそこで失格者となった。それを聞いた最後の修道士は自慢げに言った。「これで、しゃべらないのはおれだけだな。」
愚かだった使徒たち
ある司教が「ペテロとパウロは愚かであった」と言った。他の司教たちはそれを聞いていぶかしがった。その司教は次のように説明した。「司教たちは、立派な家に住み、贅沢な食事をし、高価な服を着て、さらに、すべての罪や肉欲までも持ったままで、天国に入れると信じている。そんなに簡単に天国に行けるのに、パウロやペテロは貧困や空腹や寒さに堪え忍んだのですから。」
プロテスタント神学者と教皇無謬説
教皇ピウス12世が、ある時こう尋ねられた。「現代のプロテスタントの神学者の中で、誰が一番偉大だと思いますか?」教皇は答えた。「それはカール・バルトだよ」さて、バルトがこの話を聞いた。「・・・おっと、もう少しで教皇無謬説を信じてしまうところだった。」
プロテスタントとカトリック その1 どちらが正しい?
プロテスタントの牧師とイエズス会士が、互いの宗教の優劣について論争していた。しかし結論が出ないので、最後にイエズス会士が友好的な提案を行った。「この実りない口論をやめましょう。結局わたしたちは二人とも、一人の同じ主にお仕えしているのです。あなたはあなたのやり方で、わたしは主のやり方で。」
プロテスタントとカトリック その2 スピード違反
一人のカトリック司祭がスピードの出しすぎで捕まった。その車を止めさせた警官もカトリックであった。警官は、運転手がカトリックの司祭であることをその服装から知ると、こう言った。「司祭様。お気をつけください。次のところにいる警官はプロテスタントです。」
プロテスタントとカトリック その3 葬式の理由
プロテスタントの牧師が、カトリック教徒の葬式を教会で行った。すると教区から、なぜカトリック教徒の葬式をしたのか問いつめられた。その牧師は答えた。「なぜなら、彼は死んでいたからです。」
キリスト教徒とユダヤ人(安息日)
あるユダヤ人が土曜日に穴の中に落ちた。一人のキリスト教徒が彼を助けようとしたが、ユダヤ人は穴の中から叫んだ。「わたしを引き上げないでくれ。安息日は汚されてはならない。」翌日、そのキリスト教徒が再びやってきた。ユダヤ人は穴の中から自分を引き上げてくれと頼んだ。しかし、キリスト教徒は言った。「わたしもわたしの安息日を汚すことはできません。」
洗礼、浸礼、割礼
三人の聖職者が同時に新車を買った。一人はカトリックの神父、一人はバプテストの牧師、もう一人はユダヤ教のラビであった。神父は、車を走らせる前に、水を持ってきて車の上に注ぎ、十字を切ってから出ていった。バプテストの牧師は、車に乗り込むとわざわざ川の中を通っていった。ユダヤ教のラビは、車の後部にしゃがみ込んで何かをはじめた。彼は何をし始めたのだろうか。彼はのこぎりでマフラーの先端を切っていた。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
ユダヤ教の信者が祈った。「神さま、お救い下さい。2人の息子が、長男はキリスト教徒に次男はイスラム教徒になりたい、と言っています。どうしたら思いとどまらせることができますか?」ユダヤ教の神は答えた。「男よ。諦めなさい。わしの長男もキリスト教徒に、次男はイスラム教徒になったのだ。」
献金 その1
ある牧師が、自分の帽子を献金袋として、千円札を入れてから会衆に回した。帽子が戻ってくると、献金で一杯になっているどころか、自分が入れた千円札さえもなくなって、空っぽだった。しかし、牧師は献金の感謝の祈りを献げた。「神さま、わたしの帽子が無事に帰ってきて、感謝いたします。」
献金 その2
ある牧師が自分の帽子を献金袋として、千円札を入れてから会衆に回した。帽子が戻ってくると、帽子の中がまったく空になっているだけでなく、自分の帽子ではないくたびれて薄汚れた帽子に替えられていた。しかし、牧師は感謝の祈りを献げた。「神さま、献げるとはどういうことかを学ばせていただき、ありがとうございます。」
献金 その3
ある礼拝の時牧師が言った。「きょうは音のしない献金を献げましょう。」献金の盆が回っていくうち、会衆の中の一人が、失神して倒れてしまった。すると、その両側にいた二人がその人をいそいそと担いで、教会の外へ運び出した。
スピード違反
ある牧師が、集会に遅れそうになって制限速度を超えて車を運転していると、警官に止められた。牧師は賢明に事情を説明したが、警官はまったく聞く耳を持たない。「牧師さん、きょうはひとつわたしがあなたにお説教いたしましょうか。」すると牧師は言った。「いや、説教はいいから、早く献金を集めてくれ。」
食前の祈り その1
「君は食前の祈りをちゃんとしているかい?」と友人が尋ねた。「いや、してないよ。ぼくのママは料理が上手だからね。」
食前の祈り その2
ある人が森の中でクマと出会ってしまった。こんな場合クマから目を離してはいけないと思い、その人はクマをじっと見つめていた。ところが、クマはうつむいて、目をつむった。その人が驚いて様子を見ていると、クマは再び頭を上げて言った。「最期の祈りは済んだかい?こっちの食前の祈りは終わったよ。」
緊急時の祈り
嵐の中、ついに船が沈みそうになった。船長が叫んだ。「誰かお祈りのできるヤツはいないのか。」 一人の男が名乗りを上げると、船長は言った。「よし、それではおまえが祈っていてくれ。さあ、残りの者は急いで救命ボートに脱出しろ!」
雨乞いの祈り
干ばつが続いているため、人々が教会に集まって、雨乞いの祈りをすることになった。しかし、集まった人たちを見て、牧師は言った。「みなさんは、神が本当に雨を降らせてくださると信じていない。なぜなら、傘を持ってきた人はたったひとりしかいないではないですか。」
礼拝前の祈り
礼拝のために会堂に入ったとき、着席する前に立ったまま短く個人的に祈ることが習慣になっている教会がある。初めて礼拝に出席した男が、礼拝が終わった後、一人の貴族に尋ねた。「あなたは、礼拝堂で腰掛ける前に、立ちながら何をしていたのですか?」 貴族は答えた。「私は30まで数えます。ほかの人たちは15までしか数えてないようですけど。」
とりなしの祈り
皇帝の側室が、政治を私利私欲のために利用していて、民衆の恨みと非難を浴びていた。彼女は、領土内の全教会で日曜ごとに自分のために祈ることを強要しようとしていた。この不当な要求に宗務局が困惑していると、ある牧師が言った。「そのご希望なら既にやっていますよ。主の祈りの中で『我らを悪より救い出したまえ』とね。」
聖書解釈
学校の校長と農夫が言い合っていた。その農夫は校長に日頃から不満をつのらせていたのだ。「校長先生、あなたは、子供たちに、『もし誰かが右の頬を打ったら、左の頬をも差し出しなさい』と教えていらっしゃいますよねえ」 校長は言った。「そのとおりですよ。」すると、農夫は校長の一方の頬に平手打ちを食らわせ、さらに反対の頬をも殴った。ちょうどそのとき、少し離れたところを、ある貴族とその従者が通りかかった。貴族は従者に言った。「ヨセフ、あそこで二人が何を言い争っているのか見てきなさい」 ヨセフが近づいてみると、今度は校長の方が、農夫の両頬に平手打ちを食らわせながら、言った。「聖書にはこうも書いてある。自分が量るはかりで自分もまた量られる。あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる」そうして校長はさらに五、六発、農夫のふところにこぶしを入れた。 ヨセフは主人のところへ戻ってこう伝えた。「別に何でもありません。彼らは互いに聖書を解釈しあっているだけです。」
讃美
ある牧師が、讃美歌を大きな声で歌うことを勧めるためにこう言った。「神さまからよい声を恵まれた人は、その賜物を生かして声高らかに感謝いたしましょう。そうでない人は、大きな声をあげて神さまに仕返ししましょう。」
公(おおやけ)の礼拝
礼拝に出席する人が少ないのを見て、ある人が牧師をからかって言った。「先生、きょうの礼拝に集まった人は少なかったですね」 牧師は答えた。「なに、礼拝にはいつも何億人、何万人もいるよ」
一番長持ちするもの
この世で一番長く続くものは何か?と尋ねられた高名なラビは答えた。「それは、誠実と信心だ」 質問した男は意外な答えに驚き、「その二つの徳はこのごろめったに見られないが」と言った。すると、ラビは答えた。「そのとおり。一番使われないものが一番長持ちするのだから」
礼拝の効用
養鶏業を営む男がいた。彼は、毎週の礼拝は欠かさなかったが、その町では彼の悪い行動について噂がたっていた。そんなうわさを耳にしたある人が言った「彼は毎日自分の養鶏場に行くけど、だからって、彼がニワトリになるわけはないのと同じだよ」
日曜日のゴルフ
もう礼拝がとっくに始まっている時間に、ある牧師が教会へと急いでいた。ゴルフ場を通りかかったとき、誰もいなかったので、その牧師は、一打だけ打ってみた。すると、なんと、ホールインワンを決めてしまった。それを知った天使長は文句を言った。「礼拝をさぼっているようなヤツにホールインワンを与えたのは誰だ?」 一人の天使が答えて言った。「これは、私が彼に与えた罰です。なぜなら、彼はこのことを誰にも言えないのですから」
怪力の男に勝る男
怪力を誇る大男が、レモンを握りしめ、もう1滴も汁が出なくなるまで握りつぶして、言った。「このレモンをさらに握りつぶして1滴たりとも汁を出せるヤツはおるまい。」ところが、ひとりのやせぎすの男が、「私がやってみましょう」と言ってその男の前に出た。大男が握りしめた後のしなび切ったレモンを手に取ると、その男は顔を紅潮させ前身を震わせて、渾身の力を込めてぎゅーっと握りしめた。すると、小さな一滴がポタっと落ちた。大男はびっくりして尋ねた。「おっ、おまえは何者だ?」やせた男は答えた。「教会の会計係です。」
それはたいへん
ある教会が、牧師がいないので新しい牧師を送ってくれるよう教区に要請した。ところが、いつまでたってもいっこうに新しい牧師はやってこない。業を煮やした教会の役員が、もう一度教区に手紙を出した。「新しい牧師はもういりません。のんびりと気楽な日曜日を過ごしておりますので。」するとさっそく新しい牧師が紹介されてきた。
試験
ある神学生が、試験のとき答案がまったく書けず困り果て、結局あきらめて次の言葉を書いて答案を提出した。「憐れみ深い人たちは幸いである。」その答案が返却されたとき、そこには教授の字で次のように書いてあった。「悲しんでいる人たちは幸いである。」
使徒3:6
トマス・アクイナスが教皇イノセント二世を訪ねた。その時教皇は、莫大な金額のお金を勘定していた。教皇は言った。「どうだい、トマス博士、これでもう、教会は『金銀は私にはない』とは言わなくなるだろう。」トマスはこう返した。「はい、教皇様。そして、教会はもう、『イエス・キリストの名によって立ち上げり、歩きなさい』と言うこともできないでしょう。」
心から祈る
ある騎士が、一人の農夫に向かって言った。「おまえがまったく心を散らすことなく主の祈りを1回でも唱えることができたなら、私の馬をおまえにやろう。」 農夫は、これはしめたと思って、こうべを垂れて祈り始めた。ところが、祈り終わる前に、農夫は頭を上げて、騎士に言った。「ところで、その馬には鞍(くら)がついていますか?」
最も信仰のあついのは誰?
神学者シュライエルマッヘルは、信仰をこう定義した。「信仰とは、絶対的な服従の気持ちである。」それを聞いた哲学者ヘーゲルは言った。「それなら、もっとも信仰的なのは犬だな。」
不幸な結婚
「先生、13日の金曜日に結婚すると不幸になるというのは本当ですか?」「勿論です。どうしてその日だけが例外であり得ましょう。」
死刑囚の付添人
死刑囚の絞首台は、道の悪い山の中にあった。ある修道会士が、ひどく雨の降る日に、死刑囚を絞首台へ連れて行った。その囚人は途中、こんなに悪い天候の日にこんなに辛い道を行かねばならないなんてと、嘆いた。修道会士は彼を慰めて、言った。「そんなに文句を言うもんじゃない。君は行くだけでよい。わたしは同じ道をもう一度通って帰らねばならないのだ。」(解説:処刑場からの帰り道は、良い天気の時にすらいかにわびしいものであるか。)
新興宗教をはじめるには
ある人が、新興宗教をはじめようと思い立ち、すでに有名になっている新興宗教の教祖を訪ねた。「新しい宗教をはじめる秘訣を教えてください。」すると、その教祖は答えた。「それなら確実に成功する方法をお教えしましょう。あなたはこれから、『私はこれから十字架にかかって死ぬ。そして三日後に復活する』と人々に語ってまわりなさい。」その人は、そんなことなら簡単だと乗り気になった。しかし教祖は続けた。「そして、その通り実行しなさい。」
教会は暴力容認?
リベラルな社会運動家が言った。「わたしは、少数意見を尊重し、偏見や差別と戦い、あらゆる立場を切り捨てないことを主義としているんだ。」そこである人が尋ねた。「でも、そのようなあなたの考え方に反対する人がいたらどうしますか?」 彼は答えた。「私の意見を守るために暴力を行使するという立場も容認されるだろう。」
救われるための条件
どうすれば救われるかという問いに対して、根本主義者は答えた。「改訂標準訳(RSV)聖書を使わないことです。」
なぜ牧師には常識はずれの人が多いか
牧師には常識をはずれた人が多いと日頃から思っていた信徒が、思い切って、ある牧師にたずねてみた。「先生、どうして牧師には常識はずれの人が多いのですか?」その牧師は答えた。「牧師になる前は皆、信徒だったんですから。」
なぜ人間は罪深いのか
信徒が牧師にたずねた。「どうして人間は神さまに造られたのに、罪を犯す存在なのですか?」牧師は答えた。「神さまはきっとお疲れだったんだろう。」
創造の秘密
ひねくれた信徒が、牧師を困らせてやろうとして言った。「先生、カインの妻はどこから来たんですか?」牧師は答えた。「人の奥さんを詮索してはいけないよ。」
子供の叱り方
牧師は、いつも伝道のために駆け回っている人ばかりではなく、いつ来るかわからない相談の来客や信者の入院や死亡など緊急の連絡に備えて、なるべく牧師館にいるようにしている牧師もいる。ある日、牧師館の隣の家から、子どもを叱りつけている親の声が聞こえた。「そんなに家の中でごろごろしてばっかりいると、牧師にしかなれないぞ」。
こわれ物
ある夫人が、親元を離れて大学に通っている息子に聖書を送ろうと決めた。聖書をしっかり梱包して郵便局へ持って行くと、窓口でたずねられた。「中身はこわれ物ですか?」 夫人は答えた。「ええ、十戒が入っています。」
務めに忠実な牧師
船が暴風雨に襲われた。船に乗っていた人が総出で、積み荷を海に捨て、さらには船具まで捨て去った。なすべきことはすべてなし、助かる望みが全く消え失せようとしていた。船長は言った。「もうあとは祈るしかありません。」すると、ちょうど乗り合わせていた牧師が出てきて言った。「ついに私の出番が来たようだ。」
何でも知っている牧師
祈祷が終わったとき、一人の信徒が牧師に言われた。「あなたはなぜ、お祈りの時目を開けていたのですか?」その信徒は答えた。「どうしてご存じなのですか。」
ざんげ
信徒A:「実はここだけの話ですど、教会のトイレに落書きがありますよね。あれを書いたの、実はボクなんです。どうか、牧師には内緒にしておいてください。」信徒B:「ああ、あれは君がやったのか。君がそう言うなら、オレも告白するけど、教会の門を壊したのはオレなんだ。車をぶつけちゃってさあ。どうか、誰にも言わないでくれよな。奥さんにも隠しているような罪があるでしょう?」牧師夫人:「私には、隠さなきゃいけないような罪なんてありません・・・・・でも、そう言われてみれば、一つだけ悪い癖があるわ。私は、聞いた話は内緒にしておいてくれと言われても、全部、夫にしゃべっちゃうのよ。」
献金が少ない
牧師:「最近、献金が少ないようです。みなさん、もっと献げましょう。」 信徒:「先生、それならもっと献げたくなるような説教をしてください。」
取れたてのぶどう
ある修道士がブドウをいただいた。しかし、他者に分け与える精神に生きていたその修道士は、隣の修道士にそのブドウをあげた。ブドウを受け取った修道士もまた、自分が食べようとは思わず、隣の修道士に渡した。ブドウは修道士の手から手へと渡り続けた。そのブドウは最後に修練長の手元に届いた。彼はそれを食すると、ノートにこう記録した。「寄進物:干しぶどうひとふさ」
信仰は自然とにじみ出るもの
ある神学者が路傍説教を聞いていると、パンフレットを配りながらやってきた女性に尋ねられた。「あなたは、救われていますか」。神学者は答えた。「そのつもりですが」。女性は問い返した。「あら、そのお顔で?」
●悩みは、笑い話の前振りです
ロックバンド・クリープハイプのボーカル、尾崎世界観さんに悩みとの向き合い方をお聞きしました。
噛み続けたら味のなくなるガムのように、悩みも、そのうち色あせていきます。
「悩みがなくなれば心が軽くなる」というほど、簡単なものではないと思います。第一、悩みはなくならない。僕自身のことを振り返っても悩みがなかったことなどありません。
子ども時代は、大人に対して子どもっぽくふるまっている自分が気持ち悪くて悩み、大人になったら、アルバイト先の人間関係や、仕事ができないことが悩みになり、音楽で生活できるようになると、今度は自分の想いに共感してもらえないことが悩みになる。
悩みはいつも、影のようにそこにあるのがあたりまえで、解決することはありません。
ただ、悩みの質が変わっていくのは確かです。あることをずっと悩んでいても、気がつくと別の悩みが大きくなっていて、前の悩みは薄れている。悩みはガムなんだな、と思います。いつもずっと噛んでいて、噛んでいる間に味がなくなっている。
どんなに悩んでいたってそのうち色あせていくのだから、無理して解決しよう、悩みをなくして心を軽くしようなどと考えなくてもいいんじゃないかと思います。
むしろ、今の僕にとって悩みは必要なものです。なぜなら、悩みを通して、人とのズレを確認できるから。悩みを相談した際にまったく見当外れの答えが返ってきたり、まるで理解されなかったりしたとき、人と自分との距離感、自分の立ち位置がわかります。
時間がたったら馬鹿らしくなる
とはいえ、悩みの渦中にあるときは、やっぱり苦しい。音楽活動でも結果が出ない時代が続いたので、死ぬほど悩みました。
バンドのメンバーから突然やめると言われ、今まで築き上げたものが一気に空中分解してしまう。それでもライブで演奏しなければならない日の朝の重苦しさや、終わったあとの虚しさを味わったり。
金銭的にもせっぱつまっていて、ガスや水道が止まったり、家賃を滞納したり。駅前の不動産屋の前を、中にいる社員さんに見つからないように、腰をかがめて"ほふく前進"するみたいに通過していました(笑)。
一番の危機は声が出なくなったことです。30歳を超えたころ、レコード会社の移籍など、いろいろあって精神的に追い詰められていました。ミュージシャンにとって、声が出なくなるのは致命的です。
タイミングが悪いことに、大きな音楽フェスのメインステージで演奏することが決まっていました。また声が出なくてそのステージで恥をかくのかと思ったら腹が立ってきて、自分の首を思い切りなぐりまくったんです。「くそーっ、くそーっ」と泣きながら。でも、翌朝起きてみたら、首がむちうちみたいに痛くなっている。それが無性におかしくて(笑)。
自分にとってはドラマチックな事件が起きても、翌日、何事もなかったかのように日常が続いていく。生活するってこういうことなんだなと、しみじみ思いました。
結局、どんなに苦しいことがあっても、時間がたったら馬鹿らしくなって笑いになる。悩みは、笑い話の前振りなんだと思います。
悩みを言語化してみる
声はいまだに完全には戻りませんが、そのことが小説を書くきっかけにもなりました。悩みが連れてくるのは、悪いことばかりじゃないんですよね。
そうしていつも身近にある悩みですが、深刻になりすぎると、悩みにやられてしまいます。
なので、僕は"捨て悩み"というのをつくっています。シャープペンシルの芯がいつもすぐに折れるとか、どうでもいい悩みをつくっておく。そんなことを考えながら悩みの面積を軽い悩みで埋めていきます。
それから、悩みを意識して言語化するようにしています。悩みは、原因となる本質以外に、もやもやするイヤな気分やネガティブな感情をまとっています。そしてその部分こそが、余計な重りになっているはずです。
だから人にしゃべったり、本を読んで文字を追いかけたりして、自分の悩みにぴったりの言葉を探してみる。それが見つかったとき、悩みの周辺にあるもやもやした重りが、スーッと軽くなる気がします。
悩むのはつらい。でも、なくても困る。悩みって愛しいと、僕は思います。
●ちゃぶ台返し [ちゃぶ台がえし、卓袱台返し] 
ちゃぶ台をひっくり返す行為、またはその行為より転じた慣用表現である。  
(腹を立てた者が、食事の途中で)ちゃぶ台をひっくり返すこと。準備の整った、また、順調に進行している物事に介入して、振り出しに戻してしまうこと。
気に入らないことがあって権力者が激昂するなどして下の者の「お膳立て」を台無しにする、このまま円満に運ぶかと思われた事柄を権力者や上長の独断で御破算にする、といった意味合いで用いられることのある言い回し。「ちゃぶ台」は大正・昭和の頃に普及した和室向けの食卓(食事用の座卓)である。ちゃぶ台を出す場面といえば食事を用意して家族で食事を取る場面であり、すなわち家族団らんのひとときである。そのような場面で、親父が何かにカチンときた場合、怒りに任せて、ちゃぶ台を食事ごとひっくり返す、という状況が「ちゃぶ台返し」と呼ばれる。ちゃぶ台がひっくり返れば並べられていた料理もすべて散乱して台無しになる。料理に費やした手間が徒労に帰すだけでなく、散らかった食べ物を片付ける面倒があらたに生じる。場合によっては料理を作り直すことにもなりかねない。この手の「ちゃぶ台返し」は、創作物語における演出として再現される場合がある。特にマンガ・アニメ作品「巨人の星」において主人公の父親(星一徹)がちゃぶ台返しを繰り出すシーンは、ちゃぶ台返しの典型的な場面として半ば定着している。最近では家具としてのちゃぶ台は半ば廃れ、一般家庭で用いられることは稀となったが、ちゃぶ台返しになぞらえて「ほぼ完成しつつあった物事を上長の意向でなかったことにする、最初からやりなおすことにする」という意味合いで用いられる場合がある。
ちゃぶ台をひっくり返す行為、またはその行為より転じた慣用表現である。たいていの場合、両手の手のひらを上に向け卓の端を掴み、そのまま真上に放り投げるようにして行われる。このために、卓上にある食器その他は派手に宙を舞うものの、空中で半回転して裏向きになったちゃぶ台の下敷きになるように押しつぶされ、あまり遠くに飛ばないことが多い。転じて、この「ちゃぶ台返し」が理不尽な様子から、トップが強権を使い、企画・仕様などをご破算にしてやり直させることを「ちゃぶ台返し」と称することがある。例えば任天堂のゲームクリエイター・宮本茂はゲーム作りへのこだわりから、ほぼできあがったものを大幅にやり直させることがしばしばあり、自らそれを「ちゃぶ台返し」と呼んでいる。また橋下徹は大阪府知事選挙時、府庁改革に対して「府庁解体」を行うとして「ちゃぶ台をひっくり返す」と発言した。2012年11月には、文部科学大臣の田中真紀子が、2013年春に新規開校予定であった大学3校に対して、省内の認可手続き完了の直前に独断で不認可の意向を示した際、様々なメディアから「ちゃぶ台返し」と揶揄された。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 



2022/4