朧げな記憶

朧げな記憶
霞がかかる 薄れる記憶

消える記憶

頭の中 真っ白け
消える
 


 
 
年寄り 寄る年波
記憶が消える 恐怖
 
 
 
消したい記憶
「飲む・打つ・買う」  悪い昔話
不思議 消えない
 
 
 
思い出 記憶
良い昔話
不思議 消える
 
 
 
良い昔話
日常 良くて当たり前 大過なくすごす
心に止まる印象 薄いのか
記憶 消えやすい 消えてゆく
 
 
 
良い昔話
仕事 頑張って当たり前 
御客に喜んでもらいたい 全国行脚
 
 
 
良い昔話
家族 一日一日を大事に でききれば楽しく 
健康第一 
猫が家族に割込む
 
 
 
良い昔話
旅行を楽しむ 日帰りドライブ ほぼ関東全域 走破
中華料理 スタートは六本木 次に都内有名ホテル 楽しむ
 
 
 
悪い昔話
辛い 悲しい きつい 寂しい 煩わしい 怒り
一時の心の負担 印象が強い
記憶に残る 
 
 
 
思い出
思い出すのは 悪い思い出ばかり
あたりまえ 
 
 
 
アイデア先行 物づくり外注任せ 大失敗
材質・部品選定 組付け 使いよさ
できることは何でもやるようになりました
 
 
 
外注任せの物づくり 小型自現
仕様上の問題品 返品 製作費の多くを外注先に押付けた
当時は販売が仕事 経理上の交渉はノータッチ
販売の責任者になってから知った
 
 
 
アイデア 思考実験
調査 必要な技術 同種の他社機器
外注と製作打合せ 仕様 コスト 販売計画
とは言え 感覚たより やはり一人で走ってしまいました
 
 
 
アイデア先行 不十分な仕様 商品化 デザインカメラ
大失敗 多額の不良在庫
仕様を煮詰め直し OEM受注で何とか帳尻合わせ
 
 
 
上司は選べません
尾っぽを振らなかった ご機嫌斜め 窓際へ移動 (1990年代前半)
転機 あり余る時間
音波 三次元座標計測 照明の自動追尾システム完成
 
 
 
今になって 自分に欠けていたもの気づく 恥ずかしい
自分は走り続け 周りが付いてきてくれました
気配り 心の部分 感謝の心
 
 
 
 
 
 
 
●嫌な記憶を忘れる術
嫌なことを忘れるのが難しい理由とは?
失恋や上司に強烈な嫌味を言われたなど、嫌なことが頭を離れないのはなぜでしょう。
そもそも、脳があることを記憶して理由は、将来に備えるためです。嫌なこと、不快なこと、すなわち悪いことを覚えておくのは、そんな目に二度と遭わないように、対策を講じる必要があるからなのです。
スズメバチに刺されたことをすぐ忘れてしまうようでは、同じ道をまた通ってしまって、また刺されてしまいます。あの時あの道を通ったばかりに、ひどい目に遭ったという記憶があれば、回避することもできます。
上司に小言を言われたとしても、そのような事態を防ぐことができれば、二度と小言を言われずにすみます。
失恋するような結果になったとしても、同じような失敗を犯さなければ、二度と失恋せずにすむかもしれません。
そのようなわけで脳は、嫌なことを極力記憶にとどめておこうとするのです。
「忘れる」というのは、緊張感がなくなること
では、どうすればそんな嫌な記憶を忘れることができるでしょうか?
「覚えている」というのは、緊張しているということなのです。スズメバチに刺されたことを覚えているというのは、それがとても嫌な体験だったという緊張感とともに、脳は経験に関する記憶を保存しているわけです。
記憶の内容はまるで氷のように、緊張感とともに固まって保存されているのです。それが溶けて水のようになれば、流れ去ってしまいます。そうすれば記憶もなくなってしまいます。
もちろん既に述べたとおり、何でもかんでも流れ去ってしまえばいい、というわけではありません。それではいつまでも経験から学ぶことができず、成長もないからです。
ただ、いつまでも古い記憶とともに緊張し続けるのも考え物です。嫌なことを覚えておけばそれだけで人生が好転するというわけではないのですから。
書くことで、「それはもう溶かしていい」と脳に伝える
忘れるということが緊張感を解きほぐすことだとすれば「もう緊張状態を解いていい」と脳に伝えてあげれば、脳は自然と忘れてくれるわけです。
そのために有効な手段の一つが「書き留める」ということです。嫌なことがあったら、書いておけばいいのです。そうすれば、「これはもう記録に残ったことだから、あえて頭で覚えておかなくても大丈夫だ」と脳が安心して、忘れることができます。
書き留める際に気を付けることは、なるべく具体的に、きちんと書くことです。「この内容だったら、読み返したら思い出せる」と感じないと、脳はなかなか記憶を手放したがらないからです。
嫌なことのタイプによらず、この「書き留める」という方法は有効ですが、ジャンルによっては異なる手段を追加するのもいいでしょう。
例えば失恋であれば、書き留めることのほかに異性の友達と飲むようにするなどという方法も有効です。というのも、脳は要するに「対応策」を欲しがっているので、「失恋のことを忘れてもすぐ新しい恋が見つかる」と状況的に信じられれば、より早く忘れてしまうことができるからです。 
 
 
●嫌なことはさらりと「忘れる力」
良いことだけをいつまで覚えておきたい、とどれだけ願っても私たちの脳は不思議と、良いことよりも嫌なことを強く覚えているものではありませんか?小さい頃から教育等を通して覚えることが大切だと教え込まれるものの、それと同じくらい、もしかしたらそれ以上に大切なのが「忘れる力」ではないでしょうか。嫌なことはどんどん忘れて、気持ちよく過ごしたいですよね。忘れることがなぜ良いのか、また、忘れる力を育てるにはどうしたら良いか、その方法についてまとめました。
忘れることは大事なこと
たくさんの思い出を忘れたくない、全部覚えていられれば良いのに…、と思う方もいるでしょう。でも、脳には容量があり新しいことを覚えるためには古い記憶から忘れていく必要があるのだそう。
また、過去の記憶の全てが良いことばかり、という方はきっといませんよね。良い事もあれば悪い事もあったでしょう。それら全ての記憶をいつまでも抱えているのはしんどいことかもしれません。
嫌なことの方が強く記憶に残る理由とは?
過去の記憶を忘れることで容量を空けたいのなら、嫌な記憶だけを忘れ去り、良かったこと、嬉しかったことをずっと覚えていたいですよね。それなのになぜか嫌なことの方を強く記憶しているような気がしませんか?
強く記憶に残すためには反復が欠かせません。勉強も何度も繰り返し書いたり考えることで、しっかり定着しますよね。それと同じく、嫌なことがあった時、クヨクヨと悩んだり反省したり、後悔したりと自分の中で何度も何度も考えることで、脳に強く刻み込まれてしまうのです。
ただ、前進するために考えることは必要
では例えば仕事で失敗したとして、反省もなく無かったことにしてしまえばいいのか、というとそれはちょっと違いますよね。同じような失敗を繰り返さないためにも、何故失敗したのかについて考えることは必要です。
考えても仕方のないことについて負のループのように考え続けるのではなく、そこから前進するためにはどうすべきか考え、原因を追及し改善できれば、次は成功につなげられます。そうすれば、嫌な記憶は良い記憶へと上書きできますよね。
自分の成長のために「忘れる力」を高めよう
前進するために必要となる反復ですが、嫌な記憶の中には考えてもどうしようもないことが多いものです。時間を元に戻してやり直すことなど、もちろんできません。
そして、嫌な記憶はふとした時に蘇り私たちを苦しめます。忘れることは、私たちが前向きに生きていく上でとても大切なことです。ではどうしたら、「忘れる力」を高められるのでしょうか。
「考えないようにする」のは難しい
そもそも反復しなければ良いと思いながらも、考えないようにするのはとても難しいことです。それが自分にとって後悔を伴うことなら尚更ではないでしょうか。
嫌な記憶が頭に浮かぶ度に「もう忘れよう」と強く思うことが逆に定着につながってしまう可能性もあります。つまり、「忘れる力」を高めるとは、「無」にするのではなく違うことに集中する方が早道と言えるでしょう。
「忘れる力」を高めるために、大事にしたい3つのポイント
T:他のことに集中する
嫌な記憶で頭がいっぱいになってしまう時、それを追い出すためには他のことに集中するのが効果的です。今取り組んでいる仕事や趣味など、他のことを考える暇もないほど意識的に集中してみましょう。
U:思考を切り替えるために「コレ」というものを持つ
ふと蘇ってしまう嫌な記憶には、思考を切り替えるアイテムを上手く使いましょう。好きな音楽や単行本をいつも手元に置いて、歌詞や文字をひたすら追うことで思考が負のループに入ることを防ぎます。また、考え事をしながら体を動かすことはできません。そのため、その場でできるストレッチや筋トレ、ジョギングや水泳など、無心で体を動かすのもおすすめです。
V:自分にかける魔法のひと言を決めておく
嫌な記憶による負のループを断ち切るために、「おまじない」のような言葉を決めて用意しておくのも効果的です。「ストップ!」「心配いらないよ」「そろそろ前に進もうか」など自分を責めることなく肯定できる言葉だと良いですね。
上手に忘れて今を楽しんで
反復が記憶を作るなら、嬉しかったことや楽しかった記憶を意識的に反復するようにしましょう。記憶によって気持ちが暖かくなったり励みになるのなら、それはとても良いことですよね。
過去は変えられないけれど、“今”この瞬間からなら自分の力でいくらでも変えていけます。そのためには忘れることも必要です。「忘れる力」を高めて、今とこれからを存分に楽しみましょう。 
 
 
●「忘れる技術」でストレスの棚卸
みなさんは「忘れっぽい」と言われることはありますか?記憶する能力が高い方は経験からの学習効率が高く、仕事や勉学で活躍することが多いでしょう。逆に「忘れっぽい」と日常生活でも困る場面が多く、メモを取ったりと対策をされている方もいらっしゃるのではないでしょうか。現代社会ではマイナス要素にされがちな 「忘れっぽさ」 ですが、実はストレスの多い環境では「強み」にもなるのです。その「忘れっぽさ」のポジティブ面やメンタルヘルスに生かす方法をご紹介します。
忘れられる人=悩みの種を手放せる人
「忘れる」というのは「あるものを思い出せなくなる」ことです。
心理学では、「記憶」は『覚える・維持する・思い出す』の3ステップによって構成されています。この3つのステップのうちどれかにエラーが出ると「忘れる(思い出せない)」ということになります。
嫌な思い出というのはなかなか忘れられないもの、これは思い出自体が「一連の出来事」に「その時の感情」が結びついたまま記憶されてしまっているためです。「感情」に関する記憶は維持する能力との結びつきが強く忘れづらいため、「思い出すたび嫌な気持ちになる」ループに陥ってしまうのです。
これまで人類が厳しい環境で生き抜いてくるために、「避けなければならないこと」として恐怖や危機を感じた経験をより忘れにくくする能力を持ったからだという説もあります。
嫌な思い出を何度も反復するたびにストレスを重ね、逆にしっかりと覚えてしまう……「忘れる能力が強い人」はこの「嫌な思い出を手放せる人」=【理不尽なストレスに対して耐性が強い】側面を持っていることにもつながります。
心の中にたまってしまったストレスから、励みになるものを抜き出して嫌なものを「忘れる」ことでまたストレスを受け止める余裕を確保する。いつもポジティブな方は、この「心の棚卸」がうまいのかもしれません。
「忘れられる」=克服力・切り替え・効率化の向上にも。
嫌な思い出を成功体験の積み重ねに変換
忘れることは「嫌な思い出を手放せること」と前述しましたが、これは「思い出(経験)」と「感情(苦手意識)」を切り離すことにも関連します。
意識的に「忘れる」という選択ができれば、以下のような「忘れる」ことのメリットを生かすことができるでしょう。
苦手・嫌なものを忘れることで“ 克服力 ”を向上
仕事上 発表やプレゼンなど緊張するイベントは避けられないもの、以前に一度失敗したという記憶があればその緊張や恐怖感もひとしおです。
何度も緊張と失敗を繰り返すことで苦手意識が生まれ、実力を発揮できなくなってしまう。「忘れる」というのはこの【苦手意識】にも有効です。
「忘れる」ことで恐怖感や意識を分散させ、必要以上の緊張や前回の記憶を薄めることができれば普段通りの実力も発揮しやすくなるのです。
成功体験・無事に乗り換えた経験を積み重ねることによって、失敗体験を「自分はできる」という自信と「できた」という達成感を伴う経験で上書きすることができます。
必要な行動とモヤモヤを切り離して「シフトチェンジ」
プライベートでショックな出来事があったり、仕事上で大きな失敗があると「仕事が手につかない」状態になってしまった方も多いかと思います。業務上で支障が出るのはもちろん、ずっと落ち着かないというのも本人にとってつらいものでしょう。
「忘れる(思い出せない)」といってもその状態は様々、完全に「思いだせない」だけでなく「この時間・期間だけ忘れる、置いておく」という機能もあります。
一時自分の感情やモヤモヤを忘れて集中する、仕事の間は辛い状況から離れて業務に集中するという時間を設けることは「ショックからの回復」や「つらいと感じる時間から離れて、心を休める」という役割もあります。
感情に惑わされないで業務や情報の集中・効率化を
テストや締め切りが迫った仕事があるとつい部屋の掃除や遊びの予定を入れてしまう……なんて経験はありませんか。
人間の脳には「防御機構」という、つらい状況や不安から心を守ろうとする機能が生まれつき備わっています。特に事前に嫌なことが待ち構えていると業務や目的と全く関係ないことをし始めてしまう「逃避」は時間も体力もとられてしまいます。
嫌なプレゼンや会議があるとどうしてもだらだら居残ってしまう……というのは避けたいもの。このような「逃避」は最近の研究で「不安や焦りから 衝動性が強くなってしまうため、目の前のささいなことに集中してしまう」というメカニズムが解明されました。
不安や焦り・恐怖感を感じていてもいったん忘れることができれば “目的のためのTODO” に集中するをこなすハードルも下がります。
忘れるためには「覚える、の逆」をスキルとしての「忘れる力」を獲得しよう
記憶力は筋肉のように自分で意識して切り替えたり動かしたりということは難しいですが、自分の行動である程度方向性を決めることは可能です。
忘れるためには「覚える」メソッドの逆を使うこと。
覚えることと同じように徐々に、ゆっくりではありますが「意図的に忘れる」スキルを身に着けて、ストレスに対する“耐性”を培いましょう。
「繰り返さない」=思い出さない
嫌な思い出や経験が長く残ってしまうのは、ついつい思い出してしまったりと自分の中で「反復」してしまうから。
学習やトレーニングなどでも重要視されるように、【覚えるためには繰り返し反復することは重要】なのです。気になるから、思い出してしまうから……とついつい「あの時」を思い出してしまうと、そのたび嫌な感情を思い出してストレスになるとともに、脳が「この思い出は重要なんだ」と長期記憶に定着させてしまうのです。
このメソッドを逆手にとって、忘れたいことは「ノートなどに書き出し、それ以上触れない」というルールを作りましょう。
書き出す際は「あの時、これがつらかった」「自分はこうおもった」と自分の感じた内容を中心に据え、一度書いたものは同じページに書かないようにします。嫌な思い出を思い出したくなったときは、「あれはもう書いたから【すんだこと】」と思い、ほかに集中できることを始めたり休憩を挟むなど思考から気をそらしましょう。
ノートに書きだすことで、自分の体験を「他人目線」でとらえることができ、しっかり思い出さなくてはならなくなった時でも感じるストレスは少なくなります。
気をそらすことが習慣化すれば、ぱっと思いつくだけ、でとどめられるようになりそのうち短期記憶として浮かんでもすぐに忘れることができるようになるでしょう。
受け止めるダメージを軽くするワンクッション 「吐き出す」「笑う」「共有する」
繰り返さないようにしても、どうしてもショッキングな出来事は記憶に残ってしまいがち。それが予想していないタイミングであったり、初めての体験だったり、突然に起こるもの・驚きや悲しみ、怒りを感じるものであれば心の動揺は強いでしょう。
その場合、記憶の内容にとても強いショックが伴うため自分で反復して記憶したものと違い一回・一度で記憶が定着してしまうことがあります。また関連した人や場所、その出来事を連想させるものに反応して記憶が突然浮かんでくるといったことも。通勤などで事故に遭いそうになった、プレゼンで酷評された……などはかなり強いイメージをもって記憶に残りがち。それがもとで「通勤に使う道を通るとドキドキする」「プレゼンの参加者に会うと体調を崩す」と日常の行動が制限されたり思いもかけない瞬間にストレスを受けてしまうのは困りますよね。
記憶に残りやすいショックなことがあった時、ショックを和らげられると記憶の定着率や思い出した時のストレスを軽減できます。
感じたことや何が起こったのかを信頼できる人に聞いてもらうことは、出来事を自分の外側に吐き出し冷静に見ることができるきっかけになります。話を聞いてもらうことで慰めにもなり、受けたショックも和らぐことでしょう。少しレベルが上がりますが、その出来事を「書き出す」「物語や報告書にしてみる」といったことも効果的です。
また、インターネットなどで同じような体験をした方の感想やお話を調べることもいいでしょう。「みんなが経験していることだ」「自分がそう感じただけではないんだ」と思うことは自分の感情を肯定することで安心感を感じられます。
他愛ない失敗や笑い話になるような経験ほど、「忘れる」力は強く働きます。なるべく「感情はしっかり感じる、けどとらわれない」「出来事は簡単に、思い出してすぐに忘れる」ように心がけていきましょう
人事や評定でマイナスとされがちな「忘れっぽさ」は、ポジティブシンキングに通じる大事な才能でもあります。業務内容や伝え方、記憶の定着までもっていくプロセスが確立するまで時間がかかりますが、その強さはこれからの社会で求められるものかもしれません。
また逆に、プラスの評定を受けてしまいがちな方でもその「気が付く」才能のためにいろいろな辛さを背負っている場合も。
いつも悩んでいて苦しそう、ずっと失敗を気にしている方がいるなら、一緒にお話しされてみてはいかがでしょう? 
 
 
●嫌な記憶はどうすれば消える? 
忘却と精神的健康の関わり
21世紀の現在、とどまるところを知らない科学の進歩にITの発達も相まって、われわれの周囲には、とても処理しきれない量の情報があふれかえっている。われわれは、日々その中から必要な情報を取捨選択し、それを活用して生活しているわけだが、あまりの情報量に頭がいっぱいになることも少なくない。そして、そうなると、実際に必要な情報を取り入れることもできなくなってしまう。このような状況は、記憶力を高めることで解決できるのだろうか?
一方、近年は社会が複雑化し、時代が流動化しているために、以前であればめったに経験しなかったようなストレスやトラウマに悩まされることも増えている。そして、そのような経験は、望まない記憶としてわれわれの中に残ることで、無用な不安や落ち込みの原因になっていることも少なくなく、うつ病や不安障害などの精神疾患の増加をもたらしている可能性がある。ここで問題になっているのは、不要な記憶を忘れることができないことである。
記憶には、その内容を言葉にして説明できる「宣言的記憶」と、体で覚えるタイプの「非宣言的記憶」がある。前者はさらに、個人的な思い出である「エピソード記憶」と、物事に関する知識である「意味記憶」に分かれる。一方、後者には、技能や癖に関わる「手続き記憶」、ある状況で現れる特定の感情や身体変化の記憶に関わる「レスポンデント条件づけ」などが含まれる。
これらの記憶は脳内のどこに存在しているのだろうか。答えとしては、記憶の内容と関連している「脳のいたるところ」というのが正解であるが、それぞれこの部位がないと記憶自体が成立しないという必須部位がある。それは、宣言的記憶では海馬、手続き記憶では線条体、レスポンデント条件づけでは扁桃体といった場所である。
一般的に記憶というと、宣言的記憶の方を思い浮かべることが多いと思われる。しかし、上記のようにストレスを経験した結果、われわれの中に残ってしまい、場合によっては精神疾患まで引き起こしてしまうのは、手続き記憶やレスポンデント条件づけなどの非宣言的記憶の方である。そこで、心身の健康を保つためには、これらの記憶がどのようにして生じて、どのように変化していくのか、そしてどうすれば「忘れる」ことができるのかを理解することが重要になってくる。
近年、この分野は基礎研究が随分と進んできており、宣言的記憶の改善にもつながる脳の変化と、不要な非宣言的記憶を忘却することの間に、非常に興味深い関係があることも分かってきている。
嫌な記憶の忘れ方
ここでは、われわれの不安や落ち込みなどの感情と深く関わり、豊富な基礎研究が積み重ねられてきたレスポンデント条件づけについて、その成立と忘却のメカニズムについて解説してみよう。
レスポンデント条件づけとは、パブロフの犬の実験でよく知られている身体や感情の変化に関わる学習形式である。パブロフの犬の実験では、肉(無条件刺激)を与えて唾液を出す(無条件反応)という操作の直前に、音(中性刺激)を聞かせるということを繰り返すことで、音(条件刺激)を聞いただけで唾液が出る(条件反応)ようになる。この学習は、例えば高所恐怖症などでも起こっている。たまたま体調が良くない時に高所に行って、ひどく気持ちが悪くなるという体験をすると、高い所に行っただけで気持ちが悪くなるのである。
それでは、この「記憶」は、どのようにして忘れることが可能なのであろうか。レスポンデント学習の忘却には、消去と再固定化という2つの現象が関わっている。
その一つは、無条件刺激なしに条件刺激のみを繰り返し提示することによって引き起こされる「消去」である。パブロフの犬であれば、音だけを聞かせて肉を与えないことを繰り返せば、そのうち唾液は出なくなる。しかし、その際に脳内で何が起こっているかの詳細については最近まで分かっていなかった。近年、一度形成された無条件刺激と条件刺激の結びつき(連合)は消えるのではなく、条件刺激と「無条件刺激の無い状態」との間の結びつきが新たに形成されて、古い学習が表に出なくなるということが、それに寄与する脳部位(前頭葉内側部)とともに明らかにされた。つまり、忘れたのではなく、何も起こらないという新たな経験によって上書きされたのであり、したがって、きちんと「忘れる」ためには、さまざまな状況で何度も上書き学習をすることが必要ということになる。高所恐怖症であれば、さまざまな場所に行って、ある程度は怖くなったりドキドキしたりするが、最初のようには気持ちが悪くならないという経験を繰り返すことが役に立つのである。
もう一つは、再固定化と呼ばれ、いったん記憶したものを思い出すと、その記憶のみが不安定化し、思い出すのを止めることで、もう一度記憶され直す(再固定化される)という興味深い現象との関わりである。驚くべきことに、再固定化の際にタンパク質の合成を阻害する薬を扁桃体に注射すると、想起された記憶(ここでは特定の恐怖反応)のみが消えてしまう。人間の場合は、当然脳内への薬の注射はできないが、例えば、高所を思い浮かべて強い恐怖を体験している時に、交感神経の働きを抑えるプロプラノロールという薬を静脈注射すると、再固定化が抑えられる可能性が示されている。
これは、不安・緊張が強い状態で苦手な場面に行き、早々にそこから逃げ出すと、なお恐怖症状が強くなるという現象の裏返しと考えられる。つまり、恐怖反応という記憶がいったん不安定化した後に、交感神経が高まった状態で再固定化されると、恐怖反応は強められてしまうのだが、その逆に十分にリラックスした状態で同じ状況を体験できれば、プロプラノロールのように再固定化を抑制できる可能性がある。消去は比較的長い時間(20分以上)が必要であるが、再固定化は数分間で起きる。そのため、苦手な場面に挑戦する際には、短時間であれば十分にリラックスした状態でその場に臨むのが良く、長時間とどまることができれば、そこで生じる感情や身体感覚をなるべくそのまま感じ取り、結果的に当初経験したような嫌悪的な事態は起こらないということを身をもって理解できれば良いということになる。
最後に、さらに驚くべき海馬の働きと恐怖記憶の忘却との関連について紹介しておきたい。海馬は先にも述べたように、宣言的記憶をはじめ多くの記憶の獲得に関わっている。つまり、海馬の働きをよくできれば、さまざまな記憶力をアップできると予想されるのだが、近年、海馬の活性化が果たす新たな役割が分かってきた。実は、その活性化が恐怖記憶の解消にも関わっていたのである。
海馬はさまざまな記憶を一時的に貯蔵する部位でもあり、海馬に記憶が存在するときには十分に固定化されておらず、不安定化しやすいことが知られている。上記で述べた恐怖記憶の固定化は、細胞レベルのものであり、学習後数時間から2〜3日で完了する。ただ、脳全体のレベルでの固定化では、記憶を担う脳領域が時間経過とともに変化し、ラットなどでは完了までに数週間、人間では2〜3年かかる。つまり、人間の場合は、学習後、通常2〜3年は記憶が海馬に存在し、その間は不安定化と再固定化が起きやすい。それがトラウマ記憶を中途半端に思い出すことによってその嫌悪度が増していくことなどとも関係している。そこで海馬にとどまる期間を短くできれば、それだけ早く大脳皮質の安定した記憶(想い出)に移行させられるのであるが、実は、海馬で新たな細胞が生まれ、古い記憶を担っている神経細胞が死ぬことによって、その過程が促進されることが分かってきたのである。
つまり海馬の神経新生を高める方法、それはDHA やEPA などのω3脂肪酸を含む青魚を食べ、定期的に運動をして、自然の中のような豊かな環境で暮らすことなどであるが、われわれはそういった方法によって嫌悪的な記憶を忘却し、頭の中をリフレッシュできるのである。 
 
 
●「飲む・打つ・買う」
「飲む・打つ・買う」の言葉の意味ですが、「飲む」はお酒を中心とした飲食業、「打つ」は公営ギャンブルとそれに隣接したパチンコ等のギャンブル的娯楽、そして「買う」は性風俗産業とします。しかし、いずれも昭和の頃のような隆盛はもはやないようです。
「打つ」つまり公営ギャンブルやこれに準じたパチンコ等の娯楽はおおむね市場規模が縮小しているといわれます。JRAとそれ以外の公営ギャンブル(競艇、オートレース、競輪、地方競馬)の合計が割と近いようですが、JRAはピーク時から40%以上規模が縮小しているそうです。経済産業省の資料をみても、競輪とオートレースの市場規模はこの10年で縮小しています。パチンコについてもピーク時の3分の2くらいには減少しているようで、検索すると倒産のニュースばかりがヒットします。
「飲む」については一般社団法人日本フードサービス協会の資料で居酒屋、バー、料亭等の規模を見る限り、やはりピーク時から20%くらい下がっているようです。
「買う」についてはその性格上、市場規模推移のデータがなかなか見当たらないのですが、これが拡大していると裏付けるデータもまた見当たらない感じです。
いずれも戦後から昭和年間を通じ「男の娯楽」として大きな産業でしたが、今では若い世代の歓心を買うものとはいえません。競馬もパチンコもユーザーの減少と高齢化が指摘されています。
でも、なぜそうなってしまったのか考えてみると「コスパ」や「将来の不安」、「将来に向けた備え」という意識はそれなりに影響を及ぼしているものと思います。  
「コスパ」が著しく低下した昭和型娯楽産業
「景気の低迷」「インターネット(特にブロードバンド)の普及に伴う娯楽の多様化」と「上司が部下と連れ立っていき酒をおごるような関係性の消失」があげられていたのですが、これについては私も同意です。
特に、「娯楽の多様化」については「趣味の低コスト化」と言い換えることもできると思います。ネットの普及により、時間をつぶしたり娯楽を消費する費用は大きく下がりました。
平日は毎日居酒屋で3000円飲んでいると、月6万円は飲み代にかかります(平日が月20日とする)。ギャンブルに月8日(週末土日が4回とする)通い毎日1万円落とせば月8万円、毎日2万円使えば月16万円です。風俗産業にいくら落とすかは難しいところですが、月に一度、たった数時間のために数万円は消えていくことになるでしょう。結構大きな金額です。
そう考えると「SNSやネットウォッチだけなら基本的に無料(通信費のみ)」ですし「スマホゲームのガチャに月3万円」もこれに比べれば実は大きな費用ではありません。
昭和型娯楽産業ともいえる「飲む・打つ・買う」は、マネープラン目線で言い換えると「高コストな娯楽」であったわけです(本人たちは安い娯楽と思っていたかもしれないが)。
一時期ネットでキャバクラが流行らないというニュースがネタになりましたが、話が合うとも限らない女性を隣に座らせてお酒を飲み、自分のペースでカラオケも歌えない数時間は、若者にとってはコスパすら存在していない消費ともいえます。
そしてその割高感が明らかになると自ずとその利用が減少していくことになる、といえるのかもしれません。  
「家庭」と「女性が働く」は男性的娯楽産業を衰退させる一因にもなっている
もうひとつ私が感じたのは、女性が共働きをする、つまり家計の担い手として男性に近い「稼ぐ力」を身につけるようになった時代の変化と、イクメンに代表される男性も家事育児を担う時代の変化が「男性的娯楽産業」にはダメージを与えたのであろうということです。
まず、「夫が全部の稼ぎを握っている」という専業主婦世帯の時代には、「生活費を妻に渡す」ということで夫は好きに自由な予算を設定し遊興消費を行うことが可能でした。
主たる稼ぎ手は家庭内で強い発言権を持てるので、文句を言われても「うるさい!黙ってついてこい!」のような言説が成り立ちます。
しかし、今や共働き世帯が専業主婦世帯の2倍存在する時代です。夫婦がそれぞれ「給与」をもらう時代には男性はむしろ女性に家計を支配されがちです(日常生活費をもっぱら支払うほうが家計の主導権を握りやすい)。かくて自由な予算は男性の懐から消えていきます。
また、共働きで女性も働くということは、男性も家事や育児を相応のシェアをしなければいけないということでもあります。イクメンというのはそういう時代の趨勢であり、これは不可避でしょう。
男性が「帰宅時間は連絡なしが当然」「終電で帰りたければ帰ればいい」とやっていた時代には男性的娯楽産業に、その日のノリや流れで適当にカネを落として時間を費やしてもいいわけですが、「今週は○曜日はオレがワンオペ担当」とか「帰宅したら夫は必ず皿洗い」というような時代には気まぐれの出費があまり成り立たなくなってきます。
男性と女性が同格となって働き、また家事育児に携わる時代に「飲む・打つ・買う」が衰退(特に「買う」は、性を産業化している問題もあるので衰退は避けようがない)していくことは当然の成り行きなのでしょう。  
「未来の不安」「将来への計画」があるほど、人は刹那的消費から遠ざかっていく
そして最後にもうひとつ、マネープラン的に考えると大きな時代の変化があるように思います。それは、「宵越しの銭は持たない」という感覚に違和感を感じる人が増え、「飲む・打つ・買う」からは自然に遠ざかっていくことになった、というものです。
「飲む・打つ・買う」は江戸っ子的感覚と親和性が高く、財布にたくさんあればたくさん使ってしまえばいい、という形で遊興消費が行われがちです。今月の遊興費は3万4000円以内、と決めて遊ぶ人はあまりいないはずです。
しかし、少しでもお金の計画を立てた場合、それは「宵越しの銭は持たない」ではなく、「今のお金をちょっと先のために残しておく」ということを意味します。
引っ越し資金、結婚資金、車の購入資金、住宅購入資金、子どもの学費など、全額をローンにすると苦労するので、できるだけ「貯金をして購入予算とする」ことが重要です。
郵便貯金の始まりと貯蓄奨励の国策は明治初期にさかのぼりますから、ここで述べてきた「昭和と平成」の消費ギャップとは無関係ですが、ここ10年ほど顕著になった国民の老後不安の高まりなどは「宵越しの銭は持たない」から「将来に向けて備える」方向にシフトさせ、また「飲む・打つ・買う」に代表される刹那的消費行動から人を遠ざけることになってしまったのかもしれません。
まあ、「打つ」については経済合理的にはまったく効率的ではありません(胴元が取る寺銭がもっとも儲かり、利用者全体の平均利回りはかならずマイナスになる。自分を過信することでしか、その儲けの可能性を正当化できない)。これもまた消費者が賢くなれば衰微するのも当然ということになります。  
「昭和」のおもかげは「平成10年」をピークに消えていった
「昭和」とここまで繰り返してきましたが、実際には男性的娯楽産業のピークは1998年(平成10年)くらいのようです。JRAの売り上げのピークは1997年で、他の産業の推移もこの前後から下降傾向になるようです。先に紹介したバーや居酒屋の売り上げ規模も1992年がピークですが1998年あたりから一気に失速します。
これは共働き夫婦と専業主婦世帯の逆転ともほぼ一致します。平成に入って共働きと専業主婦世帯はほぼ同率になりましたが、1997年以降、明らかに共働きの夫婦のほうが多くなりました。
また、バブルの崩壊を社会が認めた時期とも一致するようです(就職氷河期はおおむね1994年ないし1995年から始まる)。考えてみると、パソコンとインターネットが家庭においても実用的になったのは、Windows98前後ですから、娯楽の多様化、低価格化という流れにもまた符合します。
昭和的産業は平成に入って10年ほど最後の「華」を咲かせ、ゆっくりと衰退していったといえそうです。もちろん、昭和の残滓は今でも残っています。廃業されて今は風情だけを残すかつての遊郭の建物、歴史のある居酒屋に今もたたずむ名物親父、公営ギャンブル場内外の雑然とした雰囲気などは、まちあるきの楽しみの一部として今では男女ともに楽しめるものとなっています。しかし、時代の変化とともにいずれは消えていくことになるでしょう。
私もまちあるき大好き人間なので、こういう「昭和レトロ」の雰囲気を楽しみ、歴史に思い巡らせることは楽しみのひとつです。平成が終わろうとしている今、あなたも昭和の残像をたどってみてはどうでしょうか。
そして、無計画なお金の感覚(と男女差別的価値観)についてはそこから学んではいけない、ということは、心の中で感じてみてほしいと思います。あなたがまともな人生を歩んでいきたいのであれば、平成の時代に「宵越しの銭は持たない」というわけにはいかないのです。  
 
 
●朧月 (おぼろづき)
霧や靄 (もや) などに包まれて、柔らかくほのかにかすんで見える春の夜の月。《季 春》「大原や蝶 (てふ) の出て舞ふ朧月/丈草」
・・・ 夢中でぽかんとしているから、もう、とっぷり日が暮れて塀越の花の梢に、朧月のやや斜なのが、湯上りのように、薄くほんのりとして覗くのも、そいつは知らないらしい。 ちょうど吹倒れた雨戸を一枚、拾って立掛けたような破れた木戸が、裂めだらけ・・・ 泉鏡花「絵本の春」
・・・始めての他郷の空で、某病院の二階のゴワゴワする寝台に寝ながら窓の桜の朧月を見た時はさすがに心細いと思った。ちょうど二学期の試験のすぐ前であったが、忙しい中から同郷の友達等が入り代り見舞に来てくれ、みんな足しない身銭を切って菓子だの果物だのと・・・ 寺田寅彦「枯菊の影」
・・・例えば伽羅くさき人の仮寝や朧月女倶して内裏拝まん朧月薬盗む女やはある朧月河内路や東風吹き送る巫が袖片町にさらさ染るや春の風春水や四条五条の橋の下梅散るや螺鈿こぼるゝ卓の上玉人の座右に開く椿かな梨の花月・・・ 正岡子規「俳人蕪村」
●朧月夜 (おぼろづくよ)
源氏物語の中の「花の宴」「賢木 (さかき) 」の巻に登場する人物。二条太政大臣の娘で、弘徽殿 (こきでん) 太后の妹。朱雀院の御匣殿 (みくしげどの) 。のち、尚侍 (ないしのかみ) 。
・・・ 欲いのは――もしか出来たら――偐紫の源氏雛、姿も国貞の錦絵ぐらいな、花桐を第一に、藤の方、紫、黄昏、桂木、桂木は人も知った朧月夜の事である。   照りもせず、くもりも果てぬ春の夜の…… この辺は些と酔ってるでしょう。・・・ 泉鏡花「雛がたり」
・・・途に一騎の驕将を懲らすといふ一段を五行或は四行の大字にものしぬるに字行もシドロモドロにて且墨の続かぬ処ありて読み難しと云へば其を宅眷に補はせなどしぬるほどに十一月に至りては宛がら雲霧の中に在る如く、又朧月夜に立つに似て一字も書く事得ならずな・・・ 内田魯庵「八犬伝談余」
・・・「波さえ音もなき朧月夜に、ふと影がさしたと思えばいつの間にか動き出す。長く連なる廻廊を飛ぶにもあらず、踏むにもあらず、ただ影のままにて動く」「顔は」と髯なしが尋ねる時、再び東隣りの合奏が聞え出す。一曲は疾くにやんで新たなる一曲を始め・・・ 夏目漱石「一夜」
●月朧 (つきおぼろ)
朧にかすんだ春の月のこと。
 
●「おぼろ月夜」
凍るような空気が溶け、春霞の頃となりました。「霞(かすみ)」は気象用語にはなく、「霧」の一種なのだそうです。朝、夕、そして夜。霞は時間や形状によって名を変えながら、春をベールで包んでいきます。日本人の中に時を超えて根付いている、童謡『朧月夜(おぼろづきよ)』にうたわれた風景の秘密とは? ところで、不老不死で知られる仙人は、本当にこの霞を食べて生きているのでしょうか。
やさしい時間が流れる、春は夕暮れ。
   『朧月夜』 作詞/高野辰之・作曲/岡野貞一
   菜の花畠(ばたけ)に 入り日薄れ、
   見わたす山の端(は) 霞(かすみ)ふかし。
   春風そよふく 空を見れば、
   夕月(ゆうづき)かかりて にほひ淡(あわ)し。
      里わの火影(ほかげ)も、 森の色も、
      田中の小路(こみち)を たどる人も、
      蛙(かわず)のなくねも、 かねの音も、
      さながら霞(かす)める 朧(おぼろ)月夜。
小学生時代を日本で過ごした方なら、一度はうたったことのある曲ではないでしょうか。春、菜の花畑では夕日の光がうすくなり、山の麓あたりには霞が濃くたなびいています。春風がそよ吹き、夕方の月が出てきました。黄色い菜の花をほんのりと照らす空。村里の灯りも、森の色も、田んぼの小路を歩いてゆく人も、カエルが鳴く声も、鐘の音も。なにもかもが、ぼんやりとかすんでみえる春の月夜です。
これは、どこにある菜の花畑でしょうか。作詞者・高野辰之が当時住んでいた 東京代々木周辺(いまは想像できませんが、昔は菜の花畑はどこにでもあったそうです)とも、故郷である長野県の情景ともいわれています。
日本の美しい国土を子どもたちに伝えるべく、この歌が『尋常小学唱歌 第六学年用』に初めて掲載されたのは 1914(大正3)年のこと。当時と現代とでは生活風景がぜんぜん違うはずなのに…この歌を口ずさめば、若い人でさえ「いつかどこかで見た事があるような」菜の花畑が、心の中に広がってゆくといいます。この曲は、平成以降も小学校六年生の音楽教科書に掲載され歌い継がれています。現在も「大人になっても好きな歌」としてあげる人が多いのだそうです。日本人が共通に持っている感性のようなものが確かに存在していて、「春はこんなふうにやさしくかすんでいるのが好きだな」と、心にささやくのかもしれません。
朝に夕に、日本の春には霞がかかっています。『枕草子』の冒頭で「春はあけぼの」がよいと語られていることは、よく知られていますね。そのおすすめポイントは「朝日が昇るにつれて、だんだん白くなっていく山際あたりが少し明るくなり、紫がかった雲がほそくたなびいている」ところ。清少納言もまた、「霞んでたなびく情景こそ日本の春にふさわしい」 と感じていたようです。
霞(かすみ)は、夜になると「朧(おぼろ)」と呼び名が変わります。1番の「かすみ」から 2番の「おぼろ」へ、風景は夕闇に包まれていきます。この歌は、夜へと流れる時間がうたわれているのです。「にほひ」は、古くは視覚を表現する言葉で「色合い」という意味でした。耳でとらえた音さえ淡くかすんでしまうような春の宵。どんな「朧月」が出ていたのでしょうか?
「朧月夜」の月は、三日月だった!?
「月夜」といわれたら、普通は満月をイメージしませんか? 歌絵本の挿絵などにも円い月が描かれていたりしますよね。けれども、『朧月夜』の月は「三日月と考えるほうが自然」という説があるのをご存じでしょうか。歌詞から推測する太陽と月の位置関係や、「夕月」という言葉が三日月の意味を含む場合があることなどがその理由だそうです。菜の花畑に三日月の朧月。ちょっと意外ですが、趣き深い絵になりそう…。
月は、太陽と違って、春と秋とで通り道が異なります。傾きが変わると、三日月の形も変化するのですね。春の三日月は横に寝ころんでいます。地面に対して垂直に近い角度で沈んでいくため、沈む太陽に月の下側が照らされて、まるで小舟かお椀のよう(一方、秋は地面に対して水平に近い角度で沈んでいくために、月の横側が照らされて、三日月は立った形に見えます)。
昔の人は、盃にたとえて「春の三日月はお酒がよく入る」といいつつ月見酒を楽しんだといいます。西洋では「春は三日月のくぼみに水が溜まる。だから霞がかかって、朧月夜になるのだ」と言い伝えられてきたとか(ちなみに秋の三日月は「立っていて水が溜まらないから澄んで見える」のだそうです)。また、二十六夜月とか二十七夜月と呼ばれる「有明の月」は、三日月とは逆に、春には立っていて秋には寝ころんでいます。興味のある方は明け方の空もチェックしてみてくださいね。
「朧(おぼろ)」とは、つかみどころなくぼんやりと霞んではっきりしない様子。「朦朧(もうろう)」という熟語は、どちらも月へんですね。月はいつでもミステリアス。さらに、隣に寄り添う「龍」の字には「得体の知れない (空想上の生き物ですし)」という意味も含まれているそうです。
仙人はどんな霞を食べているの?
仙人(せんにん)とは「中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人」。白いヒゲのおじいさんばかりかと思っていたら、女性もいるようです。経済活動のストレスとは無縁の生活で、超能力をもち不老不死。憧れちゃいますね。仙人といえば、霞を食べて生きる人として有名です。一般人も霞を食べれば、仙人に近づけるのでしょうか。たしかにお金はかからなそうですが、そのお味と成分が気になります。
気象上「霧」の一種だとすると、「霞」はいわば水蒸気。なのでたぶんおそらく、水の味です。そしてその成分は…ななんと、実際の霞とは、水蒸気というより、おもに「黄砂」!? 中国大陸の内陸部にある砂漠の砂塵が、砂嵐によって上空に巻き上げられ、偏西風に乗って日本に飛来。車や洗濯物を台無しにする、お困りのアレです。さらには、近年黄砂よりもっと厄介とされる「スギ花粉」も混入。現在、日本に住む人の5人に1人が花粉症ともいわれています。この浮遊する砂塵や花粉が、春の霞の正体だったなんて。これを食べて生きるなんて。
さて、花粉のほうはもしかしたら栄養があるかもしれませんが、トリでもないのに砂を食べるとは、仙人の健康状態が心配です。ところが、「霞」にはもうひとつの意味があったのです。それは「朝日と夕日」。仙人は、昇ったり沈んだりする太陽の「気」を体内にとり入れて、エネルギーをチャージしているようです。仙人的食生活の詳細は不明ですが、少なくとも「お腹いっぱい食べたい」などという世俗スタンスで生きていらっしゃらないことは確か。山でとれるわずかな自然食とともに(イメージです)「霞を食べて」元気をもらい、身も心も軽く長生き(不死?)するのでしょうか。気の技を学ぶ「気功」は、一般にも広くおこなわれていますね。修行をしていない身でも、春に目覚めたばかりの自然に気のパワーが満ち満ちていることは、はっきりと感じられます。
高野辰之・岡野貞一ペアは、他にも『ふるさと』『春が来た』『春の小川』『紅葉』『日の丸の旗』など、珠玉の童謡を数多く生んだゴールデン・コンビ。作曲者・岡野貞一はクリスチャンで、教会のオルガニストや聖歌隊の指導もしていたといいます。日本の美を視覚的に切り取った歌詞だけでなく、人の心に深く届く賛美歌のような旋律もまた、これらの歌が長く愛されている理由かもしれませんね。 
 
 
●朧げ (おぼろげ)
《「げ」は接尾語》はっきりしないさま。不確かなさま。「朧げな記憶」/ [補説]「おぼろけ」が、月などについて「おぼろ(朧)」と掛け詞に用いられ、両者混同して生じた語。
ぼんやりとかすんでいるさま。はっきりしないさま。「朧な月影」「朧に見える」《季 春》「辛崎 (からさき) の松は花より―にて/芭蕉」。不確かなさま。「朧な記憶」。
月が雲や霞にさえぎられて、ぼんやりとしているさま。物事がはっきりしないさま。ぼうっとしているさま。
ボーっとしてはっきりしない。不確かなさま。
朧(おぼろ)[名]タイ・ヒラメ・エビなどの肉をすりつぶして味を付け、いり煮にした食品。そぼろ。「朧昆布」「朧豆腐」「朧饅頭 (まんじゅう) 」などの略。
おぼろげな誇りを感じる
頭の中に一つの風景がおぼろげに浮かび上がる
音のあいまいな霧がひろがるように、遠い汽笛がおぼろげに伝わってくる / 三島由紀夫 / 午後の曳航
夢の中にでもいるように、雪明かりが物の形を朧げに浮かび上がらせる / 福永武彦 / 風のかたみ 
遠い昔の記憶のように朧げにしかわからない / 芥川竜之介 / 袈裟と盛遠
水刷毛(みずはけ)でさっと撫でたようにおぼろげに霞んで見えない / 山本周五郎 / 髪かざり
吉祥寺が賑わうのはいつものことだったが、気温の変化が鼓膜にも変化をもたらすのか、街の喧騒さえもどこかラジオのスピーカーから聞こえるような朧げな響きがあった。/ 又吉直樹 / 火花
私の目の前の生活の道にはおぼろげながら気味悪い不幸の雲がおおいかかろうとしていた。 / 有島武郎 / 生まれいずる悩み
遠い昔の記憶のように朧おぼろげ / 芥川龍之介 / 袈裟と盛遠
月はまだ上らない。見渡す限り、重苦しいやみの中に、声もなく眠っている京きょうの町は、加茂川の水面みのもがかすかな星の光をうけて、ほのかに白く光っているばかり、大路小路の辻々つじつじにも、今はようやく灯影ほかげが絶えて、内裏だいりといい、すすき原といい、町家まちやといい、ことごとく、静かな夜空の下に、色も形もおぼろげな、ただ広い平面を、ただ、際限もなく広げている。 / 芥川龍之介 / 偸盗
京の町も、わずかの間まに、つめたい光の鍍金めっきをかけられて、今では、越こしの国の人が見るという蜃気楼かいやぐらのように、塔の九輪や伽藍がらんの屋根を、おぼつかなく光らせながら、ほのかな明るみと影との中に、あらゆる物象を、ぼんやりとつつんでいる。町をめぐる山々も、日中のほとぼりを返しているのであろう、おのずから頂きをおぼろげな月明かりにぼかしながら、どの峰も、じっと物を思ってでもいるように、うすい靄もやの上から、静かに荒廃した町を見おろしている / 芥川龍之介 / 偸盗 
朧朧 (ろうろう)
おぼろにかすんださま。うすあかるいさま。「朧朧たる月」
朧朧 (おぼろおぼろ)
ぼうっとかすんでいるさま。ぼんやり。「過ぎ去ッた事は山媛(やまひめ)の霞に籠(こも)ッて朧朧、とんと判らぬ事而已(のみ)」〈二葉亭・浮雲〉 
 
 

 
2021/4