虚像 「このハゲー!」

暇な毎日  偶然見たテレビ番組

コロナで復活 帰ってきました
コメンテーター 豊田真由子さん

昔話 思い出しました
「このハゲー」問題 あったのは事実ですが
視聴率が全て  TV  面白おかしく煽り 虚像を拡散させました
 


 
 
●豊田真由子 
(1974 - ) 日本のコメンテーター。元政治家、厚生労働官僚。学位は修士(ハーバード大学・2002年)。厚生労働官僚として、金融庁総務企画局課長補佐、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官、厚生労働省老健局課長補佐などを務めた後、政界入り。政治家としては、衆議院議員(2期)、内閣府大臣政務官・文部科学大臣政務官・復興大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)などを歴任したが、2017年8月、秘書への暴言・暴行が報道されたことを受け自由民主党を離党し、2017年10月の第48回衆議院議員総選挙に無所属で出馬したが落選。
来歴​
生い立ち​
1974年、千葉県船橋市に生まれる。血液型A型。3人姉妹の次女。船橋市立法典東小学校、桜蔭中学校・高等学校を経て、1993年に東京大学文科T類に入学。法学部第2類(公法コース)に進み、佐々木毅(2001年 - 2005年 東京大学総長)のゼミで政治学を学んだ。
官僚として​
1997年、東京大学法学部を卒業後、厚生省(現:厚生労働省)へ入省。2000年に国費留学生として ハーバード大学大学院へ入学し、パブリック・ヘルスを学ぶ。2002年に理学の修士号を取得した。
中央省庁再編により設置された厚生労働省にて、社会・援護局や健康局などで勤務。2003年からは金融庁の総務企画局保険企画室課長補佐。2007年には、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に一等書記官として赴任した。在職中、ジュネーブで長男、その後パリで長女を出産。
2011年に帰国し、厚生労働省の老健局高齢者支援課課長補佐に就任した。東日本大震災の発生により、避難先や仮設住宅等における高齢者福祉政策等を担当した。復興が一向に進まない現状から、民主党政権の国家運営の実情に対し強い疑問を抱き、政治の世界に転身する決意をする。
政治家として​
2015年10月9日、大臣政務官辞令交付後の記念撮影にて内閣総理大臣安倍晋三(左端)、内閣官房長官菅義偉(左から2人目)、外務大臣政務官山田美樹(右から2人目)と
厚生労働省を退官後、自民党埼玉県連の公募に合格。2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に埼玉県第4区から自由民主党公認で出馬し、初当選した。この時、豊田は足首を骨折していた。
自由民主党においては、厚生労働副部会長、厚生関係団体委員会・労働関係団体委員会・外国人労働者等特別委員会等にて副委員長、首都圏整備特別委員会の事務局次長、国家戦略本部の主査を務めた。派閥としては清和政策研究会に所属した。
2014年、第47回衆議院議員総選挙で他候補を大きく引き離して再選。2015年10月9日に、第3次安倍第1次改造内閣の内閣府大臣政務官(東京オリンピック・パラリンピック担当)、文部科学大臣政務官(科学技術・イノベーション、スポーツ振興担当)、復興大臣政務官に就任。
2017年6月22日、週刊新潮で秘書への暴言や暴行について報じられ、同日に自民党へ離党届を提出し、8月10日に離党が了承された(詳細は不祥事節の「秘書への暴行」を参照)。国会議員になってからの4年半で自身の秘書が100人辞めたと報道されたが、それに対して「辞めたのは15人程度」と反論した。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙に無所属で出馬したが、自民党が擁立した穂坂泰に敗れ落選。供託金没収は免れたものの、得票数は第47回総選挙の4分の1となる21,614票に減少し、立候補者5名のうち最下位であった。
政治主張​
皇室の伝統を尊重
改憲論議を推進
教育基本法の改正を含む教育改革に取り組む
安全保障体制の確立・領土問題の解決に取り組む
外国人参政権に反対
落選後​
落選後は政界から離れ、2018年1月より介護や保育を手掛ける社会福祉法人で勤務。2019年10月にはNHKから国民を守る党から参議院埼玉県選挙区補欠選挙への出馬を打診されたが、固辞した。
2020年3月9日、フジテレビ「バイキング」にゲストコメンテーターとして登場。厚労相官僚時代の2009年に新型インフルエンザの担当外交官を務めた経験から、感染症の専門家として新型コロナウイルス問題の解説を行ったが、週刊誌で報じられたような秘書への暴言での感情的なイメージから一転、知識と経験に裏打ちされた論理的な解説で、SNS上でも好評を得た。その後も、幾度か出演しているが、本人は騒動のイメージが残る中でテレビ番組に出演することに、「正直、怖くてためらった」と語っている。
人物​
国土交通省のキャリア官僚である夫との間に一男一女をもうけている。
座右の銘は「艱難汝を玉にす」、趣味は絵画鑑賞、ジョギング、料理。
厚生労働省時代に、TOEIC960点のスコアを取得。
ハーバード公衆衛生大学院時代に豊田を教えたマイケル・ライシュは、同大学院の修了生の多くが医療や途上国のフィールドでの活動を選ぶ中で、豊田は政治家となった数少ない事例であると述べている。
第18回ビートたけしのエンターテインメント賞話題賞を受賞した。
発言​
厚生労働省時代、甚大な被害を受けた東日本大震災の被災地において、避難先や仮設住宅等での高齢者福祉政策等を担当した経験から、衆議院議員となった後も、被災者の声を聞き、「決して忘れない」ことを伝えるためにも、被災地に通い続けることが大切だと述べている。
2014年の衆議院議員再選の際に、政策を立案する官僚と、現場の思いをくみ取る国会議員という、異なる立場を経験したことを生かしたいと述べている。
政治資金問題​
医療法人「徳洲会」のグループ企業(株式会社ダイエタリーケア)から豊田の後援会に、2012年に開催されたパーティー代150万円の寄付があったことが、2013年に報じられている。これについて、2013年12月2日に全額返還している。
不祥事​
園遊会でのトラブル​
2014年4月17日の春の園遊会には、豊田は夫と共に招待されていたが、夫ではなく、招待者でもない女性(豊田の母親)を同伴して入場しようとしたため、宮内庁の職員に断られ、その場で大声で抗議をした。豊田は、宮内庁職員の制止を無視し、招待者でない女性を同伴してそのまま入場した。その後、宮内庁は衆議院に対しルールの周知徹底を要請した。
秘書への暴行​
2017年6月22日発売の『週刊新潮』が、豊田が政策秘書の男性(6月22日の時点で既に退職。以下「元秘書」)に対して暴言・暴行を行っていたと報じ、元秘書が録音した音声をYouTubeの「デイリー新潮」で公表した。
6月29日発売の『週刊新潮』の報道によると、同誌が公表した音声には、「このハゲー!」「ちーがーうーだろーっ!、ちがうだろっ!」「鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!」「うん、死ねば?生きてる価値ないだろ、もうお前とか」といった元秘書への豊田の暴言、元秘書の娘が強姦通り魔に遭って殺されるというたとえ話が含まれていた。
6月22日発売の『週刊新潮』の報道によると、この暴行のきっかけとなったのは、豊田の支援者へ贈るバースデーカードの宛名を元秘書が間違えたことに、豊田が激怒したことであった。6月29日発売の『週刊新潮』の報道によると、豊田の「赤ちゃん言葉」による暴言も存在した。
6月22日、下村博文・自民党幹事長代行は、豊田が精神的に不安定となり、入院したと発表した。
6月22日、豊田の事務所は暴言・暴行の事実を認めた。豊田は元秘書に対する暴言・暴行の責任を取り、事務所を通じて自民党に離党届を提出した。
7月3日、毎日新聞は、豊田の事件が、2017年都議選(2017年7月2日)における自民党大敗の一因となったと論評した。
7月6日、元秘書は、豊田から暴力を振るわれた旨の被害届を埼玉県警察に提出した。元秘書は、豊田から被害を受けた際の音声データ、診断書も埼玉県警に提出した。
7月7日、自由民主党埼玉県連合会は、党本部が離党届を受理した時点で、地元出身者等を公募で募集して公認候補とする意向を発表し、第48回衆議院議員総選挙に穂坂泰を公認した。
豊田は9月17日放送の『Mr.サンデー』(フジテレビ系列)に出演し、謝罪した上で当時の心境を述べた。
10月27日、埼玉県警は、傷害と暴行の容疑で、豊田を書類送検した。容疑については「顔や頭を殴った」などと報道されたが、それらを否定し、「手は上げたが、頭を殴ったのではなく肩をたたいた」と説明していた。
12月27日、さいたま地方検察庁が豊田を不起訴とした。元秘書が刑事処罰を求めない旨の上申書を さいたま地検に提出したことにより(元秘書は豊田と示談していない)、豊田に傷害と暴行の嫌疑はあるものの、起訴猶予となった。
12月27日、豊田は事務所を通じて謝罪と反省を述べたコメント(直筆)を発表した。  
 
 
●安倍チルドレン「豊田真由子」代議士の“絶叫暴行”を秘書が告発 2017/6 
2012年の選挙で初当選し、現在2期目を務める自民党の豊田真由子代議士(42)。安倍チルドレンの1人でもある彼女は、秘書に罵声を浴びせた上に暴行を加える、前代未聞の振る舞いをしていた。
豊田代議士の暴行を告発するのは、彼女の事務所で政策秘書を務めていた男性(55)である。殴る蹴るハンガーで叩くといった暴行は断続的に行われ、男性には「顔面打撲傷」「左上腕挫傷」等の診断書が出されている。
男性は通常国会会期末の6月18日付で秘書を辞したが、
「最初に暴力を振るわれた5月19日、私は彼女から『鉄パイプでお前の頭を砕いてやろうか!』『お前の娘にも危害が及ぶ』とも告げられていました。言い知れぬ恐怖を覚え、翌日から万が一に備えて車内の様子をICレコーダーで録音することにしたのです」(秘書男性)
「週刊新潮」編集部は、その40分超の音声を入手。そこには、車を運転する男性への、豊田代議士の大絶叫と暴行の証拠が記録されていた。
〈豊田代議士:この、ハゲーーーーーっ!
豊田代議士:ちーがーう(違う)だろーーっ!
(ボコッという打撲音)
男性:すいません、ちょっ、運転中でもあるので……。
豊田代議士:違うだろーーーーーーーっ!!!〉
音声にはほかに「うん、死ねば? 生きてる価値ないだろ、もうお前とか」といった暴言、秘書の娘が強姦通り魔に遭ったらというたとえ話、さらには“ミュージカル調”で秘書を罵るという常軌を逸した様子までおさめられている。秘書男性は、警察に被害届を出すという。
取材に対し、豊田代議士の事務所は暴行について〈手をあげてしまった〉と認め、〈お見舞金〉という金銭での解決を目指しているとした上で“通り魔”等一部の録音内容については否定した。  
●「豊田真由子」代議士、ミュージカル調イジメ音声公開 2017/6 
政策秘書への「絶叫暴言」「暴行傷害」報道を受け、豊田真由子代議士(42)が自民党に離党届を提出したのは6月22日のことだった。
男性秘書が録音していた現場の音声に、
〈この、ハゲーーーーーっ!〉〈お前はどれだけあたしの心を叩いている!!〉
といった大絶叫が残されていたのは既報のとおりだが、さらに豊田氏の罵声は「即興ひとりミュージカル」とでも表現すべき、独特の節が付けられたものに変わっていく。政策秘書が「(事務所員の誰も)迷惑をかけるつもりはなかった」と釈明したことを、あげつらっていく中での一幕である。
〈♪次は民進(党)に名簿でも売るのかな〜 そんなつもりはないんです〜 そんなつもりはないんです〜〜〜 お前の娘が交通事故に遭って死んでさ、轢くつもりはなかったんですって言われたら腹立たない?〉  
●豊田議員「このハゲー!」発言が、根こそぎ吹き飛ばしてしまったもの 2017/7  
バラエティ番組の「困った時の髪@鰍ン」
自民党・豊田真由子議員が秘書(現在は退職)に向かって叫んだ「このハゲーーーー!」という暴言は、当事者のコンプレックスとそこへ向かう差別意識をリセットさせてしまった感がある。
無論、そうやって言葉で陵辱したことは問題だが、録音された音声を追えば、豊田議員が暴力を浴びせたと思しき鈍い音が記録されているし、秘書は医師から「顔面打撲傷」「左背部打撲傷」等の診断書をもらったと明らかにしており、彼女が傷害罪に問われる可能性もある以上、こちらを問題視すべき。
でも、報じる側が優先したのは「このハゲーーーー!」発言なのだった。「ハゲ」発言は問題だが、これほどまでに「ハゲ」発言を中心に紹介されていく様子もまた異様に思えた。
先日、個々人がいつまでもコンプレックスを引きずることで数多の文化が生まれた、との仮説に立ち、「天然パーマ」「背が低い」「下戸」「一重」「親が金持ち」といった10個のコンプレックスをしつこく探究した1冊『コンプレックス文化論』を刊行したのだが、その終章として取り扱ったのが、偶然にも「ハゲ」だった。
バラエティ番組では「困った時の髪@鰍ン」と言わんばかりに、笑いを生み出す永続的な源泉として「ハゲ」が頼られてきた。広いおでこをパチンと叩く、ハゲヅラをかぶって戯れる、薄毛の芸人をジェットコースターに乗せる……最低限のシチュエーションを用意すれば、ある一定の笑いが約束される。
昨年来ブレイクしているお笑い芸人・トレンディエンジェルの斎藤司は、ハゲなのに二枚目を気取っている、という前提が面白さの大半を占めているが、それってつまり「ハゲは二枚目を気取るな」との暴力的な前提を、国民の多くが無難に受け入れていることを明らかにしている。なかなか残酷である。
比較的安全な矛先…?
『コンプレックス文化論』の中では、カツラの着脱をバラエティ番組で公開して話題となった臨床心理士・矢幡洋に、ハゲについてのインタビューを試みている。矢幡はこのご時世、チビやデブやブスが言いにくくなっているのに、「『ハゲ』だけはみんな安心して言えるから、差別パワーが『ハゲ』に集中しているんじゃないですか」との見解を示す。
続けて、「相手を嘲笑したいという気持ちは、人間のかなり根本的なところにあります。その比較的安全な矛先が、身体的欠陥では『ハゲ』しか残っていない」と分析する。
番組からの要望を受ける度にカツラを着脱することについて、「私のツールであり、商売道具だと。人様の商売道具にケチつけるな」と語気鋭く言い放ったのだが、氏が言う「比較的安全な矛先が、身体的欠陥では『ハゲ』しか残っていない」との指摘は、今回の「このハゲーーーー!」が面白おかしく消費され続けている現在を言い当てている。
言うまでもないが、病気やその治療などで頭髪が抜けたり、ストレスで円形脱毛症になる人もいるのだから、本来は矛先としてデリケートなものであるはず。でもなぜか、ハゲは許される。ざっくり放任される。ハゲは、比較的安全な矛先、なのだ。
『週刊現代』(2017年8月5日号)に掲載された記事には、豊田議員の地元・埼玉にある事務所の隣人の証言として「最近は近所の子供たちが事務所の前を『このハゲー!』と叫びながら通り過ぎていきます」とある。これぞまさに「比較的安全な矛先」。豊田議員がハゲなわけではないのだが、子どもたちの手にかかれば、「ハゲ」はこうして自由気ままに増殖する。
今、漢字ドリルの例文にすべて「うんこ」を含ませる『うんこドリル』が売れに売れているが、柳の下のどじょうとして「ハゲドリル」を仕込んでいる出版社もあるのではないか。思い返せば、歴史の教科書に載っているフランシスコ・ザビエルの肖像(ハゲではなく「トンスラ」という髪型だったとの説も根強い)は、イタズラ書きの恰好の餌食だった。学期が終わるまで彼の頭部に手をつけなかった友人を探す方が難しかった。
舛添騒動を思い出しながら
ある週刊誌記者から聞いた話だが、とりわけ地方では、自民党系の議員や後援会からの、豊田に対する怒りがすさまじいのだという。
中央自民党への憤慨がいくつも重なっている状態にあるが、なかでも怒りを買っているのは、安倍でも菅でも稲田でもなく、豊田なのだという。地方に根付く自民党系議員にはハゲている議員が少なくなく、となれば、どうしても「このハゲ!」発言が有権者の頭にちらついてしまう、ということなのか。
笑い話にも聞こえるが、現場は笑えない。なぜって政治家は、イメージで空気を司るからだ。「このハゲ!」発言によってリセットされたハゲバッシングが、同じような条件≠ノある政治家を困惑させている。政治資金の私的流用問題で東京都知事を辞任した舛添要一を思い出す。
諸問題が取りざたされた時、松本人志は『ワイドナショー』で「頭とメッキがハゲてきた」と笑わせ、有吉弘行はラジオ番組で「ハゲ暴れ牛」とあだ名をつけた。舛添の私的流用と薄毛はもちろん無関係だが、こうしてハゲが援用されることを咎める声はない。
政治家とハゲの問題について、福本容子『なぜ世界でいま、「ハゲ」がクールなのか』(講談社+α新書)の中にある引用に、興味深い記述を発見した。『TIME』(2007年10月25日)に書かれた、ジャーナリストのスティーブ・ラッシンによる記事。福本の著作からの孫引きになるが、少々長めに引用する。
「もし2008年の大統領選挙が、ヒラリー・クリントン対ルドルフ・ジュリアーニになったら、アメリカ人は『ハゲの大統領』より『女性の大統領』を選ぶであろう。というのも、これまでこの国では5人以上、ハゲ頭の大統領が誕生しているが、ここ51年は例がないのである。ハゲ頭で最後に大統領選を制した人物は、再選を果たしたドワイト・アイゼンハワー氏だが、戦った相手、アドレー・スティーブンソン氏もハゲで、国家の頂点を目指したハゲ対ハゲの戦いだったのである」
このジャーナリスト自身もハゲているという。つまり、いたずらな中傷ではなく、むしろ冷静に史実と向き合ったわけだが、その冷静さが中傷を呼びこむ可能性は大いにある。
慎重な議論を吹き飛ばした「このハゲーーー!」
森正人『ハゲに悩む 劣等感の社会史』(ちくま新書)では、ハゲという私的な問題がいつから公的な問題になったかが検証されているが、大きなタイミングとして、1980年代に入り、育毛剤やカツラメーカーの広告が増えた時点をあげる。
ハゲ=放っておいちゃいけない、との風土ができあがればメーカーとしてはしてやったり。彼らの広告が浸透すればするほど、逆にそれに取り組まない人が「何かこだわりがあってそのままにしている」との見解が生まれる。
ちっとも気にもせず、そのままにしている人だって多いわけが、例えば「ハゲ散らかしている」という残忍な言葉のように、そのままにしていることに別の言葉を与えようとする。他のコンプレックスでは「○○散らかしている」の「○○」にはめこんで使うことはできない。ハゲだけが、散らかしているのだ。
自著『コンプレックス文化論』の中でも取り上げているが、須長史生『ハゲを生きる 外見と男らしさの社会学』(勁草書房)で問題視されるのが「ポジティブハゲ」問題。とりわけメディアに出る、明るい「ハゲ」の存在が、「ハゲた男性に特定のイメージの付着した男性像(明るい、精神的に強い、外見を気にしていない等々)を要請している」ことにつながっている。
豊田議員の発言を踏まえ、「ポジティブハゲ」芸能人がネタとして賑やかに消費する場面を何度か見かけたが、そういう乗り越え方をハゲ全体に強いてはいけないのだ。
豊田発言は、ハゲを、すこぶるシンプルな形で窮地に追い込んだ。ようやく、薄毛を解消する方法も増えてきた、逆に、そのままでもカッコいいという印象も浸透してきた、両軸の土台がしっかりとしてきたところで、土台を根こそぎ崩す勢いを「このハゲーーー!」が持っていた。これまでの慎重な議論を瞬時に吹き飛ばしたのだ。その罪はなかなか重い。 
●豊田真由子議員の同級生が告白「本当の姿知ってほしい」 2017/7 
これまで清楚なスタイルに身を包み、やさしい声色で理路整然と政策を語ってきた豊田真由子衆議院議員(42才)の裏の顔──。
事の発端は、運転中の政策秘書への絶叫暴力だった。証拠となった音声データには、「このハゲーーーッ!」「違うだろおーーーっ!」といった罵声が、暴行音とともに録音されていた。そこには、「そんなつもりはないんですぅ〜〜♪」といったミュージカル調のイビリのほか、「あるんでちゅかぁ」など赤ちゃん言葉によるパワハラもあり、ついつい誰かに語らずにはいられない展開となっている。
豊田議員の華麗なるキャリアもあいまって、騒動はさらに拡大中だ。中高は女子御三家の一角を占める桜蔭を卒業し、東大法学部を経て厚生労働省の官僚に。名門ハーバード大学への留学経験もある。
その後、2012年に自民党の公認を経て衆院選に出馬して当選。国交省で働く夫との間に2人の子供をもうけている──と、凡人には想像もつかない絵に描いたようなスーパーエリート街道を突き進んできた豊田議員だが、今回の騒動で自民党を離党。7月3日現在、心身症により入院中とのことだ。
ちなみに夫とは別居中だが、原因は口の悪さとのウワサ…。小学生2人の子供は、豊田議員の母親が実家で面倒を見ているという。
こんな折、豊田議員の親友と名乗りをあげたひとりの女性が注目を集めている。桜蔭・東大で豊田議員と同級生だった、田中絵里緒さんだ。2度の離婚を経た彼女は、6人の子供を育てるシングルマザーとして、『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)などに出演したことがあるものの、当然、政治家でもなければタレントでもない、ごくフツーの一般女性だ。
そんな彼女が、今“時の人”となっているのは、親友が火だるまになっているなか、自身のフェイスブックに「豊田真由子さんと私の関わり」という記事を投稿したからだ。
《男の子と集団で会うとか、合コンの人数を集めるというときに、豊田さんは、自分が負けるほどメッチャ可愛い女の子が来て、自分が添え物にされる展開を恐れ、嫌がっていました。「あの子は可愛いから私負けちゃう…。」ということをいつも気にして口にしてました》
《よく覚えているのは、豊田さんがうちの高校の文化祭の時に話していた男の子のことを、私が気に入って、紹介してほしい、と話した時のことでした。「ああ、あれでいいなら、あげるよ」。その男の子は、豊田さんのお目当ての彼氏ではなく、たくさんいる男の友達の一人だったのです》
《キレると人の迷惑だし、嫌われる…。頭のいい私達はそんなことは分かり切っています。そんな自分にも嫌気がさしていたからこそ、「男の人にモテたい」「いい成績を取ってホメられたい」という二つの願い、そこは絶対譲れないこだわりでした》
他にも、修学旅行先の京都でひと晩のアバンチュールを求め逆ナンした話などは赤裸々すぎて、豊田議員が読めば「ちぃがぁうぅだぁロォォォォ〜」と絶叫しそうな内容がてんこ盛りだ。
しかし田中さん自身は信念があって、約8000文字にもわたって思い出話をしたためたようだ。
《豊田さんをよく知らない人から「極悪モンスター」みたいに言われるのは、とても耐えがたい思いがします》《豊田真由子さんは、頭脳明晰、細やかで、才色兼備な人であり、記録された時の暴言だけをもって「極悪人」と決めつけるのはやめてほしいと私は思います》として、《この文章を、豊田さんのお子さんが数十年後に読むかもしれないことと考えて、私の確かに経験して知っている事だけを、隠さず記録しておこうと思います》
こういった田中さんの意図を理解できない人の方が多かった。バッシングの矛先は豊田議員から田中さんへも向けられた。
「いくらなんでも暴露しすぎでは。ホントに親友なの?」
「豊田さんもこんなふうにかばってもらうくらいなら放っておいてほしいはず」「これは擁護のふりをした追撃では。やっぱり女の敵は女だわ…」
果たして親友・田中さんは豊田議員の味方なのか、敵なのか。本当の狙いは──。
「炎上するかも、なんてことは百も承知です」
田中さん本人を直撃すると、サラリとそう話す。“頭のいい”田中さんには、どんな反響があるかはまるっとお見通しだったようだ。
「官公庁やマスコミに勤めている人の中には、表現に気をつけた方がよかったと言ってくれる人もいます。でも、豊田さんの助けになればと思って、夜中に一気に書き上げました。暴露ではないです。彼女の本当の姿を知ってほしかったんです」(田中さん)
豊田議員とは「親友」と言うが、田中さんの心遣いに豊田議員から感謝の言葉はあったのか聞くと「ない」とキッパリ。
「大学を出てからは会ったことがなくて、年賀状のやりとりも今はしていないです」
つまり20年近く会っていないものの、親友の大ピンチとあらば健筆をふるったというわけだ。そこには大義もある。
「ボイスレコーダーの彼女の声だけが一人歩きして、全人格を否定するような動きが広がっているので、彼女は元気でかわいい普通の人で、悪い人じゃないということを言いたかっただけなんです。『こんなに叩かれて、もう生きていられないわ』と飛び降りてしまうようなことをいちばん心配しています。これからも長い人生を、なんとか立ち直り、気を取り直して生きてほしい。そのためになるなら、こうやって書くことは私にとって当然の行動でした」
とはいえ誰にだって隠したいばかばかしい過去はある。逆ナンなど青くさい思い出の一ページは、できるなら塩漬けにしたまま二度と引っ張り出したくはないのではないか。しかし、これこそ、級友ならではの“忖度”だった。
「ありのままを書いて知ってもらえれば、怖い面にばかり焦点が当たらなくなると思うんです。自画自賛は豊田さんの公式ホームページにたくさん書いてあったので、人気者になるには自虐ネタも少しあった方がいいと思います。家のことはあまり言わない人でしたが、ポロッと漏らしたことがありますね。お父さんが高圧的で暴力的な人で、自分もそういう彼氏を選ぶ傾向があることを嫌がっていました」
現在田中さんは、弁当店で働きながら子育てに奮闘しているが、自身の仕事と豊田議員の仕事を重ねながらこう続けた。
「ミスのない仕事はありえません。お弁当屋さんでも時々大量注文の予約と同時に店頭注文が入ると、ミスが出ますから。豊田さんもそれはわかっているはず。でもいつの間にかそれを叱責する側に回ってしまった。企業でのパワハラもみんなそうですよね。完全に負のスパイラルで、不毛だなと思います。中高時代の豊田さんは、些細なミスを責めるような人ではなかったですから」  
●「このハゲーーー!」豊田真由子氏に自民「ハゲ議連」の見解 2017/7 
秘書を「このハゲーーー!」と罵倒した音声テープを暴露されて一躍「時の人」となった豊田真由子・衆院議員(42)。彼女は現在「入院中」と、スキャンダル政治家定番の雲隠れを決め込んでいるが、国会に復帰するのは勇気がいるだろう。国会にはハゲに悩むセンセイ方の“大派閥”があるからだ。
豊田氏が所属していた自民党には「日本を明るくする会」という議員連盟が存在する。毛髪の乏しい議員5人を中心に“結党”され、今や名誉総裁に菅義偉・官房長官を迎えるなど34人の一大勢力となっている。
さぞ彼らは豊田議員のハラスメント発言に怒っているに違いない。議連幹事長の宮沢博行・衆院議員に話を聞いた。
「その問題については、ちょっとお答えできないですね。会の中でも賛否両論あって見解が定まっていないですし、発言の真意も分からないので……。豊田先生については、批判することもハゲますこともできません! 私たちはハゲを誇りに思っている明るく前向きな団体です。罵られた秘書さんにもぜひ我々の“光”が届けばと思います」
いくらハゲ議連とはいえ、同僚の不祥事にはコメントしづらいということか。
せっかくだから、豊田氏をハゲましてくれそうな人を探してみた。妻・金子恵美代議士の妊娠中に「ゲス不倫騒動」を起こし、昨年2月に議員辞職した宮崎謙介氏である。
彼は豊田氏にとって「不祥事の先輩」であると同時に、悪名高き「自民党2回生」の同期でもある。今は主夫業をこなしながら実業家としても活動しているという宮崎氏。電話で直撃すると、「え、私……ちょっと回答できる立場にないので。申し訳ございません」との短いお返事。さすがに他人をハゲます余裕はまだなかったようだ。 
 
 
●豊田真由子議員の一家はあれからどうなった? 2017/8 
本人は本当に反省しています
豊田真由子議員の夫・吉村圭氏(仮名)は、「内閣官房企画官」の肩書を持つ霞が関のキャリア官僚だ。騒動以降、豊田氏の家族はどう暮らしてきたのか。夫・吉村氏が重い口を開いた。
豊田氏の元政策秘書(55歳)が録音した「絶叫暴言」のインパクトは凄まじかった。暴行をも疑わせる音も多数収録されており、元秘書は埼玉県警に被害届を提出している。豊田氏はなぜあのような暴言を吐いたのか。やはり政治家として相当なプレッシャーがあったのか。
「あの(告発した)秘書さんかどうかは分かりませんけれど、秘書さんの信じられないようなミスとかもあったようです。本人もどうしたらいいんだろう、と悩んでいるような感じはありました。そういう意味では、ちょっとストレスを抱えているなというのは感じていました。でもこういうことになるとまでは思っていなかったんで……申し訳ないです。今は子供たちをケアすること、それだけが僕の役目だと思っています。学校でいじめられたりすることだけにはならないようにしたい。騒動以降、ここ3週間くらいは子供たちにテレビも見せないようにしています。学校ではちょっと言われることはあるみたいですけど。でも『ママは一生懸命、仕事一筋でやってきた』ということは子供たちもわかっています。正直、今は妻のことまでケアする余裕はありません」
妻は僕の100倍忙しい
豊田真由子氏は、東大合格者数で全国トップの女子校・桜蔭高校から東大法学部を経て、厚生省(当時)にキャリア官僚として入省した。
一方の吉村氏は7歳年上。愛媛県の名門公立高校から同じく東大に進み、建設省(当時)に入省した。
2人の知人はこう語る。
「2人ともキャリア官僚でしたが、お互いが官庁から留学のために派遣されていたハーバード大学大学院のキャンパスで出会ったと聞きました。先に吉村さんが帰国し、豊田さんの帰国から間もなく結婚。もう十数年になるはずです」
2人の子を出産後、豊田氏は'12年に厚労省を退職し、同年に自民党公募から公認候補として埼玉4区から衆院選に出馬し当選する。文部科学大臣政務官なども務めた2回生代議士だ。
吉村氏は国土交通省で住宅局などを中心に勤務し、途中ユネスコへの派遣も経て、現在は内閣府で地方創生関連の業務に従事する企画官である。仕事柄、出張で全国を飛び回ることも多い。
――お子さんの面倒は、実家でみているのですか。
「いや、私のほうでやっています。今日はどうしても(帰宅が)遅くなってしまったのですが、いつもは自分と、ベビーシッターさんもいますので」
――これまでも、そうした環境で家事や育児をされてきたのですか。
「妻は僕の100倍、いや数字では表せないですけど、それくらい忙しい。選挙区のことを常に考えていました。家にずっといないわけではないのですが、朝早く出て夜遅く帰ってくることも多い。でもその限られた時間のなかで、娘と息子に対して最大限の愛情を注いできました。それは子供にも十分伝わっています。子供たちは、お母さんはお国のために頑張っているんだと思っています」
――豊田さんは入院しているということですが、退院時期など、目途は立っているのですか。
「それはまだありませんね。精神的につらい状況になっていると思います。すべてに対してショックを受けているでしょうし……。本人は本当に反省しています。秘書の方、選挙区の方々、支援者の方、世間の方、子供たちに対して申し訳ないと思っています。すごく反省していると、本人も言いたくてしょうがないと思います。でも今は精神的にそんな状況ではありません。もうちょっと時間がかかると思います」
選挙区の埼玉・新座市の自民党支援者は怒りをにじませながら語る。
「本当に裏切られた気持ちですよ。事件があっても地元には何の説明もない。入院している場合じゃないでしょう」
豊田氏の地元との接点はもともと薄い。埼玉県に自宅をおいているものの、あくまで選挙対策。実際の住居は冒頭の都内のタワーマンションだ。埼玉の地元事務所の隣人はこう証言する。
「最近は近所の子供たちが事務所の前を『このハゲー!』と叫びながら通り過ぎていきます」
事務所のドアには「議員辞職を求めます」と落書きされたこともあった。
今後のことはわからない
豊田氏は千葉県船橋市生まれ。学習塾を経営する両親のもと、3人姉妹の次女として生まれた。
実家を訪ねると、肩くらいまで白髪を伸ばした豊田氏の父親は、「今はそのときじゃないから。大きな流れがある。ご足労かけてすまんことだけども、もうしばらくは放っといてくれ」と答えるのみだった。
吉村氏の証言に戻ろう。
――入院しているという豊田さんの様子を教えて下さい。
「私も常に連絡を取っているわけではないので、つぶさにはわかりません。子供たちとは会わせていません。あえてそうしています。仕事のこととか、これからのことは分かりませんが、今の彼女にとっては子供が大丈夫かということと、選挙区の支持していただいていた方たちになんとお詫びしていいだろうかという気持ちでいっぱいだと思います」
――豊田さんは、自分のお子さんに対しても、厳しく躾をすることはありましたか。
「いや、そんなことはないです。愛情あふれる母親です。常に抱きしめていましたから。それが限られた時間で彼女にできる最大限ですから」
吉村氏の声は終始落ち着いていたが、最後には苦渋に満ちた表情で深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした。失礼します……」と語ると、マンションへと入っていった。
米国留学時、豊田氏の「純粋でまっすぐなところに惹かれた」という吉村氏にとっては、今も彼女は愛する妻なのだ。 
 
 
●豊田真由子氏記者会見 2017/9/18  
元秘書に対する「このハゲ〜〜っ!」などの暴言と暴行問題で自民党を離党した豊田真由子衆院議員(42)=埼玉4区=が18日、地元の埼玉県新座市で記者会見し、議員生活を続ける考えを表明した。騒動が発覚後約3カ月ぶりに公の場に姿をあらわした。冒頭には謝罪の言葉とともに深々と頭を下げ、立ったまま1時間40分、思いの丈を語った。しかし、自己正当化と美化、秘書の能力不足を示唆する発言もあった。次期衆院選への出馬意欲をみせたが、道のりは険しそうだ。豊田氏と記者団との主なやりとりは以下の通り。
「今日は暑いなか、長時間お待たせをしてまことに申し訳ございません。私のことでこのように大きなお騒がせをし、ご迷惑をおかけしました。本当に深くお詫び申し上げたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。(約10秒間、頭を下げる)そして、元秘書の方、ご家族にご迷惑をおかけしました。なによりもお詫び申し上げたいと思います。大変申し訳ございません。いくら言葉を尽くしても尽くせないが、申し訳ございませんでした。(約10秒間、頭を下げる)そして、本当に多くの関係者、大切な地元・埼玉4区の皆さま、ご支援を力強く続けてくださった皆さま、国民に大変不快な思いをさせてしまい、政治に対する信頼を深く傷つけたこと、関係の皆さまにこの場をお借りして、直接でなく大変恐縮ですが、お詫びをさせていただきます。重ねて本当に申し訳ございませんでした」
「早い段階で、きちんと皆さんの前でお詫び、またご説明の機会をつくろうと思ったが、予想外に入院が長引いてしまい、事件当初より体調を崩し、報道後、大変恥ずかしながら、心身かなり故障し、医師の判断により、予想外の長い入院となってしまって、こうして謝罪させていただくのが大変遅くなった。重ねてお詫び申し上げる(※泣き顔)。私の言動は、たとえどんな事情があったにせよ、決してあってはならないことであります。私も音声を聞くたびに本当に呆然とするし、どうしてこんなことを言ったんだろうと、本当にどうかしていたと、どうしたんだろうと思います。秘書の方には事務所に在籍中から一緒に食事して、お詫びを申し上げた。そのときから、そのあとも、弁護士の先生通じて、誠心誠意の対応をつづけているところです」
「また、刑事事件の関係については、現在捜査中の案件のため、検察・警察その他の関係から、細々に渡っては決して言及してはならないとなっているため、大変恐縮ながら具体的なことはこの場で申し上げることはできないということを、あらかじめお断り申したいと思います。ただ、文芸春秋などにも書かせてもらったが、報道には事実と違うところもあり、そのあたりは今後の捜査の過程で明らかにされると期待している。いずれにしても、自分の言動について責任をもち、元秘書の方に対して、しっかりと誠心誠意、対応していかなければならないと改めて申し上げたいと思います」
「先ほど、後援会の方に集まってもらい、お詫びとこれまでどう考え、どう過ごしてきたかも話をさせてもらった。その中で、大変厳しい意見ももらった。私を5年間支えた皆さんだから、その方が中心になって、豊田を頼むと、応援してくれと、いろいろな方に頭を下げてくれた方たちであります。ですから、みんなに応援してくれと頼んだお前がこうなって、自分としては残念だし、裏切られた思いだという声もあった。いろいろ事情を説明するうちに、多くの方がおっしゃってくださったのは、この5年間、落下傘できたから、血のにじむようなというと自分でいうとおかしいが、血を吐くような思いで地べたをはって1人1人と信頼関係を築いてきた。そして、地元のために、国のために、一生懸命働いてきたことは、ちゃんと分かっている。おまえくらい馬力をもって仕事をする人間は見たことない。だから、ゼロからではなくて、マイナスからの出発になる。どんなにかつらい道であろうけれども、精いっぱい自分たちも応援するからもう一回頑張れという言葉をもらった。ただ、私がひとりで決めることでもない。そのための後援会の集まりだったので、そういう厳しいご意見と、これまで必死で培ってきたこの5年間の信頼関係、絆、そして実績を無駄にすることなく頑張れというあたたかい声もいただき、そういう声があったと報告したい」
「入院していたので、こんなふうな、こういうふうにいわれている自分は、もう生きていくのも恥ずかしいというか、死んだ方がましだというふうに最初のころはずっと思っていた。(涙声で)体重も少し戻ったが、かなり私自身故障し、恥ずかしながら薬を飲んで、インタビューもした。楽な道であれば、議員を辞めた方がよほど楽なんじゃないかと思ったし、そうおっしゃる方もいた。けれど、孤独の中で、入院の中で考え抜き、楽な道に逃げるのではなく、私が一人で決めることではありません、けれど恥をさらしながら、しっかりとお怒りをいただきながら、猛省して生まれ変わって、もう一度地域と国のため身を粉にして働かせていただく。そのことで償いと責任を果たしていくこともまた大事なことなのではないかと、そういう理解をいただけたら、また頑張っていきたいなと、きょう後援会の1人1人の顔をみて声を聞いて、思ったところです」
「衆院解散・総選挙がちょうどタイミングで出たが、私はそんなことを考えて後援会の集まりをやったわけではなく、あくまでも地元でお詫びに戻ってくる第一歩というのがきょうの会だったので、何か先を見据えてどうこうという大それたことを考えているわけでは全くない。すみません、これはお願いになるが、私が表に出てこられなかったせいだが、地元の方、支援者の方を中心に、メディアの取材が多かった。昼夜、休日を問わず自宅にくるということで、皆さんつらい思いをしているという話があった。私の責任だが、これからは私と事務所で対応するから、一般の地元の方への取材はできるだけ控えていただければありがたいなと伏してお願い申し上げたい。まだ万全でなく、ろれつが回らなかったり、ふらついたりするが、みっともない姿をみせると思うが、申し訳ありません。本日はよろしくお願いします。たくさんの方にご迷惑をおかけしてしまったこと、重ねてお詫び申し上げます。本当に申し訳ございませんでした」
−−暴行や音声は事実か
「録音した音を全部聞いたわけでないが、公表されているもの、別の機会に聞いたものは、正直自分がやったとは、にわかにはびっくりしてしまうが、自分の音声だと思う。それについては申し訳ない、なんであんなこといったんだろうと、本当に申し訳ない思いでいっぱいです」
−−元秘書に手をあげたのは?
「刑事事件の捜査中のところで、警察、検察との関係もございますので、何が事実かということについて、双方意見が違っている部分もあり、この場でつまびらかに申し上げることはできないということを、大変心苦しいが申し上げさせていただかなければならない。ただ、報道にあるような、大変な乱暴を働いて大けがさせたということは決してないということは付言をさせていただければ大変ありがたい」
−−議員活動を続ける考えか? 議員辞職は考えてないのか?
「大変厳しいお叱り、ご批判がたくさんあることは重々承知している。冒頭申し上げた通り、辞めてしまった方が楽という話もあった。けれど私はここで逃げて楽な道に逃げるのではなく、この5年間、地元のために、国のために、必死に働いてきた。実際にこういうこと、ああいうことをやったと、地元の人はみてきてくださっている。それを引き続き続けていければなと。地域のため、国のため、また世界のために、働く仕事を、もし許していただけるのであれば、引き続きやらせていただきたいと。逆に、そういうふうに恥をさらして生きていくことが、また償いにも責任を負うことにもなるのではないかというふうにも、それが大事なことではないかと考えているところだ」
−−衆院解散のタイミングでの会合でないと述べたが、出馬の考えは
「正直そこまで考えていないというか、3カ月ぶりに地元に戻り、地元の後援会の方とお目にかかって、まずお詫びを直接するということだった。ここから先どうするか、具体的に何かあるわけではないというのが正直なところ。ただ、後援会の意見としては、そういう話も出ていた」
−−それはどういうやりとりか?
「きょう集まった後援会の方は、普段の私の活動を、この5年間の日常の活動を知っているので、どれだけ必死に地元と国のために働いていたかを知っていると。小さな会合にも出て、みんなの話を聞き、朝から晩まで、早朝の駅立ち、会合でお酌をするところまで、国会が始まる前、地元に戻ってきてやっていた。だから、自分たちはそれが本当の豊田真由子で、この間のパニックになった豊田真由子が本当でないことは分かっているが、一方で、一般の方は逆で、普段の頑張りの姿はほとんどご存じないから、豊田はニコニコ汗水たらしてやっていると思っていたが、本当はそういう人じゃない、裏表がある、と、一般の方が思っているのも事実だと、それを覆していくことは容易じゃないから、どういうふうにすればいいか。後援会が一緒になって説得して回ったりしても時間がない、という意見とか。あるいは、次、その次、何度でもやっていくつもりがあるなら、俺たちはずっと応援するから何度でも頑張れという話が後援会の方からあったが、私からそれについてなにかコメントはしてない状況です」
−−これからも地域・国・世界のために働きたいと述べたが、解散迫るなか次を考えてないというのは、考えにギャップがあるが
「ギャップというか、議員を続けられるように頑張ろうという結論が出たところ。出て、後援会の皆さまに相談していたが、きょう初めて平場で会おうというところだったので、昨日の夜に解散・総選挙があるといわれ、急に準備ということに頭が切り替わっていないというのが正直なところで、次の総選挙に出ませんと申し上げているわけでは全然なくてですね、議員を続けていくという思いが、自分の中でようやく支援者の方のサポートもあって固まってきた時期に、そういう情報になってしまったので、正直、戸惑っているというのが正直なところで、私の説明が分かりにくくてすみません」
−−次の衆院選に出る意欲があるか?
「議員を続けさせていただきたいということが、選挙で受からなければかなわないというのが現実でありますれば、それは必然として、衆院選には出させていただくという方向で頑張りたいというふうな図式になるのかな、というふうには思っているが、どうしても私ひとりが『出ます』ということでもないようには思っています」
−−支援者は、きょう出馬表明されたと受け止めているようだが
「いや、出馬表明ではなく、衆院解散・総選挙というふうになってしまったので、タイミング的に、できれば私は続けたいというのは、皆さんの応援なしに続けられないということは申し上げた。私が続けていくということであれば、皆さまの応援なしに、次の選挙を含めて続けていくことはできないので、そこは応援いただけるとありがたいと。ただ、そのあとに、私はは、きょうは皆さんにお詫びに初めてくる日で、たまたま解散・総選挙という日程が昨日急に来たので、私としてもどうしていいかわからないので、皆さんの考えを聞かせてくださいと申し上げたところ、先ほど申し上げた、地域の一般の方はいろいろな誤解もあるし、次やるつもりがあるかという質問が出たという流れが実際のところです」
−−衆院選に出る判断は保留か?
「保留というか、議員を続けたいということは、選挙で受からなければ議員は続けられませんので、いろいろな状況が整えば、議員を続けるということは、選挙に出させていただければありがたいということだと思います」
−−これほど長く説明責任を果たしてこなかった。それでも出馬の資格あると思うか?
「資格があるないというのは、どこでどういうふうにご判断がされるのか、ちょっと私わからない。本当に、自分の起こしたこととはいえ、心身がかなり不調で、私は出たい、行きたいと、地元に戻りたいと言っても医師に止められ、止められ、まだまだと言われていたので、状況は全く違いますけど、そういった議員の先生方は他にもいらっしゃる中で、皆さん忸怩たる思いでやっていらっしゃるのかな、と。ただ、私の場合は100%私が悪うございますので、そこは他の先生と一緒だと言っているのでは全然なくて、ただ休んでしまった、入院加療していた時間とか労力をぜひとも挽回していきたいというのが、今、切なる思いです」
−−暴言、暴行の経緯、認識は
「きょうの場は、私が自分の弁解や弁明をする場所ではなくて、あくまで謝罪をする場だと思っておりまして、それは話せばいろいろあります。経緯はたくさんございます。そのほんの一部は文芸春秋のインタビューにも書かせていただきましたが、それは理由ももちろんあったわけだが、きょうこの場で元秘書の方が、あんなこをとしました、こんなことしましたというのが適切かどうかちょっと私ははかりかねているので、事情はありましたし、昨日のミスターサンデーさんなんかでも、宮根さん、自分もこんなことがあったら、サラリーマンだったら、芸能人だったら予定の収録や生放送が間に合わないとか、大事な商談の場所に時間が違うとか場所が違うとかで終わっていたら、もう商売にもならないし、信頼も丸つぶれになっちゃうよねとコメントはいただいたりしたんですが、そういう細かなことをたくさん、きょう、こんなことがあったんですっていうことを言うつもりで、きょうこちらにはうかがっていないので、すみません」
「それと、暴行というところなんですが、具体的に何がどうあったっていうことはちょっと、これは先方がいろいろおっしゃっているのは存じ上げているが、私はそれはちょっと違いますよね、という思いは正直あるが、具体的にどうかということはちょっと繰り返しで恐縮ですが、捜査中の案件なので。私の主観ではなくて、例えば週刊新潮さんだったと思いますが、顔が腫れ上がるほど殴られたという記述がありました。それは顔が腫れ上がっていなかったことは客観的に証明されている。それは当日も翌日も、元秘書の方は普通にお仕事を私との関係だけでなくて、外回りされてますので。あるいは国会議事堂に地元の方がお越しになって国会見学のグループに随行とかもされているので、何百人の方にお会いになっている。なので、直接顔が腫れ上がったという事実は当日も翌日も、その期間を含めてなかったということを多くの方が逆に証明してくださっいて、客観として事実ではなかった。そうすると顔を腫れ上がらせるほど殴ったという事実は、私としてはなかったということは申し上げられると思うが、それ以上具体的なことはやはり捜査に差し支えるということで、私の主観に関わることは大変申し訳ないんですが、また繰り返しになりますが、ご覧の通りの、私もそんなに大柄でもない、非力な女だと思いますので、格闘技やスポーツを習っていたとかいうことでもないし、けんかをしたこともありませんので、それが大変な乱暴を働いて大けが負わせたんだという報道に対してはそれは明らかに違いますというふうには申し上げさせていただければと思います」
−−相手にとっては暴行と捉えられる行動でなかったと
「そこは主観の問題になると思うので、相手の方がどう受け止めたかということ、私がどういうふうに考えたかということが今後、捜査の課程で客観的事実が何かというところを明らかにしていただけるんじゃないかなというふうに思います」
−−暴行もなかった
「そこもちょっと差し控えさせていただかないといけないかなと。申し訳ありません」
−−国会議員に求められる資質、資格の一線があると思う。国会議員を続ける資質の一線を越える暴行ではなかった
「国会議員を続ける上で、引く一線というのは主観なり客観なりだと思うんですけど、仮定であまり話が積み上がっても論理的でなくなっちゃうのかなというふうに思うんですけど、ただ私が申し上げたいのは、報道されているようなこととは大きく事実は違います、と。その違う事実に対して、警察、検察、そして司法がどのような判断をされるのかということで、客観的に法律のこと、法律論になるとあまりあれですけど、禁錮以上の刑に処せられると被選挙権がご案内の通りなくなりますので、そこはひとつの法律的な線なんだろうと思うが、自分が禁錮以上の刑に処せらせるとは少なくとも今考えていないという。すみません、あまり答えになってませんが」
−−選挙に出て政治家を続ける資格はあると
「暴言を、例えばですね、ああいう暴言を、すみません、いくらパニックになったとはいえ、例えば体調がちょっと悪くて薬なんかも飲んでいたんですけど、薬のせいにするわけでは全然ないんですけど、私ちょっと睡眠時間いつも2時間とかで、ずっと激務でワッとやってて、あのときは本当に10日間くらいの間にすごいトラブルがいっぱい本当に生じてしまって、この5年間で、5年かけてもなかったくらいの苦情とか、おしかりとかお嘆きとか、本当に支援者の方に泣かれたとか、すごく起こっていて、ハプニングが起こっていて、それがもう私としてはショックでしたし、自分がゼロから作り上げてきたものが壊されていく恐怖みたいなもので、ちょっと混乱状態というか興奮状態になってしまったということなんですが。さはさりながら、やっぱりあんなことを言ってしまってはいけないですし、それは決してあってはならないことで、私は本当にそこは弁解の余地もないしお詫びのしようもない」
「ただ、自分であんな言葉を日常使うことは本当になくて、もちろん事務所の方にいろんな、もっとこうしたほうがいいとか、これはダメですよっていう注意をするということはもちろんあるわけだが、あの異常なテンションであの異常な言葉を使って叱責するというは本当に初めてのことで。ちょっと話がどんどん論点がずれてきていると思うんですけど、あれはダメでしょって昨日とかも言われて、それは本当にダメだと思います。だからそこを、なんて言うんですか、全部許してもらってチャラにして議員を続けますって言っているわけでは全然なくて、そういうことも含めて自分が猛省して、反省して生まれ変わって、本当に全半生を振り返って、こりゃダメなやつだという自覚のもとにもう一度しっかりやり直していきたいというつもりでおりまして、今の時点で、今これだからセーフ、オッケー、じゃあ次行きますと、そんな図々しいことを思っているわけでは決してないというか、話がまとまらなくてすみません」
−−埼玉4区、赤枝恒雄さんとか出馬の意向が。自民党が公認候補を立てたらどうするのか
「私は離党した身でございますので、党、県連、それぞれお考えがあると思いますので、それは私がどうこう申し上げる立場にはないと思いますが、無所属、出馬するとすれば無所属での出馬になるというふうに思いますけど、きょうも実は後援会の中には、自民党のコアな方も結構来てくださっておりまして、やっぱりおまえがこの5年間、必死でどれだけ地元に対して働いてきて実際成果を上げたかというのは自分たちはよく分かっているから、それは人で見るんだと言ってくださる方もいらっしゃるので、そういうことを信じてひたむきに頑張っていくしか私にはできないのかなと思います」
−−暴行を認めるのか、認めないか。程度とかではなく、運転手に手をあげたことは認めないのか
「やってないことはやってないと、私は警察でそのように申しております。何はやって何はやってないかというところは申し上げられないが、先方がおっしゃっていることの中で、私はやっていないこともありますので、具体的にどれかということですが、やってないことをやったということは私はやはり人間として、あるいは刑事事件でもありますので、ちょっと看過できないところでございます」
−−まったく指一本触れていないとか、蹴っていないではなく、一部は認めるのか
「たぶん、傷害罪とか暴行罪に該当するかとか、詳しくていらっしゃると思いますが、そういうことが今論点だと思いますので、ここまではこうでした、ここまではこうじゃありませんというのは、事実関係の積み上げを密室の中だとはいっても、やはり警察の方でございますので、大変緻密な事実関係の精査をしていただいていると思いますので、今後明らかにしていただけると思います。すみません、ちょっと耳鳴りがして…」
(豊田氏、1分ほど座り込む)
−−何にお詫びしている?
「私、(元秘書と)うなぎを一緒に食べに行ったんですね。築地に。そのときに、お互い、昨日ミスターサンデーでも出たんですけど、誤解もあって、申し訳ありませんっていったら、秘書の方も自分もミスをいっぱいしちゃって仕事ができなくてすみませんとおっしゃって、具体的に、本当にそうなんです。具体的にあのときこうでこうでこうでこうでしたよね、あのときはこうでしたよね、みたいな話がちっとも出ていなかった、2人きりで話をしているときに、本当に。録音を向こうの方が持っていらっしゃればいいですけど、もちろん私は謝りました、で、向こうの方もミスが続きましてとおっしゃっていて、うちをお辞めになるまで、具体的に何か細かい話を一切元秘書の方はされてなくて、私もワーっとなってしまったトラブルの数日間があって、そのときは本当に申し訳なかったですっていうことは言って、元秘書の方は暴行については謝ってもらっていませんって、昨日ですかね、テレビでおっしゃっていたと思うんですけど、これについてはどうだったって、具体的なディメンションで切り取った形での会話を私と元秘書の方というのは、実はお辞めに、そのあとずっと全然していないんです」
「今私がこちらでお詫びをさせていただいているというのは、もちろん一般の国民の方に対しても有権者の方に対してもですけど、元秘書の方に対しても、いろいろ双方で相違がある部分はありますけど、ご迷惑をかけたことは、暴言を吐いたことはミスでありますので、そういったことに全体としてお詫びをしている。ただ、やっていないということは私は主張をさせていただかなければ、それは私の刑事事件だとか名誉だとかいう以前、人間の尊厳の問題だというふうにちょっと思っています」
−−冒頭から声を詰まらせたり、涙を流したりしているが、この涙は、後悔なのか、反省なのか。何の涙なのか
「何の涙かと。そんなにシンプルに説明はつけられないように思うが、やはりそこは、いろいろが混ざっている。後悔、反省、申し訳ないという思い、そしてきょうは後援会と話したので、私がどれだけ、本当にゼロから、最初はどこにいっても追い返されて石を投げられて、流血とかしながら、走って、足の骨を折って、松葉づえをついて駅で立っていたころから始まって、そこから5年間の歩みを、皆さんが、どこへいっても喜んでくださることになって、そういうことを、信頼を失うのが怖くてパニックになった、結局、自分が壊してしまったことの、ご迷惑をかけたことの半端なさというか。ご案内の通り、選挙というのは私一人では戦えない。私を信頼して私を引き立ててくださる方が、周りの何十人何百人の方に、私の代わりに、とにかく豊田を頼むといってくださる。それが選挙の広がりで、その方たちの信頼を、その方たちが私を勧めてしまった、推薦したのに私がこんなになったことの申し訳なさが後援会では強く出た」
「会見にうかがってからの涙は、やはり申し訳なさだと思います。元秘書の方にもそうだし、これだけのお騒がせをして、都議選も含め、たくさんの方にご迷惑をかけた責任の重さと、生きているのも恥ずかしいような、人としてのダメさ加減と、やはり、振り返れば、自分はなんでも完璧にやらなきゃいけないとずっと思ってきて、仕事も国会でも地元でもたぶん、すごい抱えちゃっていて、地方の先生方は東京に来ると東京でお過ごしになるが、私は地元が近いので毎日戻ってくる。そして、早朝駅に立って、部会に出て、委員会に出て議連に出て、東京の会合に出て、地元の会合に行って、家に帰って、そこから資料の読み込みとか、挨拶文を書くとかやっているという一日をずっと繰り返してしまっていて。
地元の相談や、10カ所お祭りにいくとか、20カ所式典にいくとか、他の先生方に聞くと『そんなことをしていないよ』と。『5件ぐらい行って、後は代理で行かせる』とか。自分はそれができなかった。それは悪い意味でいっていて、きょうの後援会の方も、あの激しすぎるハードな仕事の仕方をこれからは変えてね、と。そうしないと、またこういうことになるよと。自分もいっぱいいっぱいになってしまうし、事務所も前を向いて一緒の志でさあいくぞといってぱっと後ろを見ると、実は付いてきていただけなかったことも、私のすごい反省。身近な一番大事なはずの事務所の秘書やスタッフに対し、一緒に頑張ろ〜だけじゃなくて、もっと感謝の気持ちとケアの心と全然、全くしていなかったわけじゃなくて、すごい不足をしていて、配慮が足りなかったことへの反省とかもありますから。自分の後半生を振り返っての全部やらせなさの気持ちの涙かな、と」
−−やはりパニックになったからといって、ああいう暴言を吐くのは、ご自身で振り返って、政治家として自分に資質があると思うか
「あまり、こういうことを申し上げるとおしかりを受けるかなとは思うが、私は決定的な過ちを犯しました。失敗をした。過去は変えられません。けれど、未来を変えていくことはできるのかもしれない。だから私は本当に猛省して生まれ変わる思いで、自分の内面的なことも、生き方も含めて、人生再チャレンジとかそういう話とは全然違う次元だと思うが、こういう失敗した自分が、恥をさらしてもう一回頑張っていくのもひとつ何か意味はあるのかなと。資質があるかないかと問われれば、それをやっちゃう人は決定的にダメだよというのは、いろんな方には言われる。けれど、過去は変えられないけれども、未来は変えられることを認めないと、世の中でたくさん失敗、過ちがある。私、自分がこうなって初めて分かったが、初めて分かったというか、テレビとかでこういう事件が起こりました。あ〜あ、この人はきっとすごい後悔をしていて、これからすごいものを背負っていくんだろうなっていう人の気持ちが自分のことのように分かって、そういう人達がこれからみんな『もうダメェ』と終わってしまわないように、ちゃんと頑張れるように、私も頑張らなきゃなって。都合がいいように聞こえるかもしれないが」
−−現時点では資質はない、ある
「状況にもよるのではなかったでしょうか。例えが悪いと怒られちゃうので言わないが、私が話していて」
−−自分がやったことを振り返って。いま現時点で資質があるのかないのか。行動ではなくて
「やってはいけないことであったな、とは思います」
(司会者が「こちらをもって本日の…」打ち切ろうとするが、豊田氏は「大丈夫です」)
−−1回目の選挙に深く関わった人にお話をうかがった。豊田さんはこういう人だから縁を切ったと。今回だけではなくて以前もやったという自覚は
「ここまでの異常な形で、異常なテンションで、異常な言葉を使ったということはない。事務所のスタッフを注意や叱責したことはどこの世界でもあると思います。どこのどなたかも、どれぐらい私の事務所に関わったかも分からない方が、何の裏付けもなく、裏取りもメディアの方もされずに、こうでしたああでしたそうでしたということがあまりにも多すぎるんじゃないかと。私が思ったんじゃなくて、私の事務所にいた方をよく知っている秘書の方がこうおっしゃっている。報道の方も豊田真由子関係のような、なんの裏付けもなく言われたことをそのまま書いている」
−−裏付けがないわけでもないし、きちんと確認している。豊田さんがご自身でどんなこといったか覚えていないのか
「かなり長い音声テープなので、私も興奮状態に恥ずかしながらなったので、一言一句つまびらかに覚えていない。ここまで異常な事態、状況はないと思う」
−−あれだけの暴言はなかったと
「繰り返し申し上げているが、表裏あるわけではないが、(事務所は)ひとつのチームだと思っているので、志を持って『頑張りましょう』といつも前を向いて、私は厚生労働省にいたときなんかは、わりとそう。職種はいろいろ1種2種3種あるが、それがみんなひとつのチームでワ〜っと『頑張りましょう』というのを22歳から38歳までやってきたので、それを違う世界にポンてきて、そのまま適用してしまったのが私のダメダメなところで、そういうところで生きる、仕事をするというポテンシャルの方ばかりではもちろんなくて、それぞれの方の適正とか、ポテンシャルを見極めて、もっと個人としてのプライベートとか家族のこととかも含めてケアできればよかった。ただ、皆さんご存じの通り、永田町にいくと、世襲の議員さんとか、大企業とか、大病院の皆さんとか、秘書の方の数もけたが違うとか、筋力も違うとかで、私は、あまりこの言葉好きじゃないが、永田町の格差社会の最底辺にいるもんですから、私も少ない人数でこれだけのことをやろうとすると、どうしても忙しくしているのが当たり前の事務所になってしまって、そのこと自体がすごく負荷をかけていたんだと思っていて、マネジメントとか、それぞれの方への配慮もそうだが、これだけのことを、これでやろうということの、厚労省プロジェクトアクションだったらいけたが、それは一般社会では全然できなかったんだということに気づくのが…。説明が…」
−−眉毛のカット変えたのは
「はははは、そうですね。髪もかえました」
−−おだやかに
「というか。ちょっと戻ったが、体重がすごく減ってしまって、すごくみすぼらしく見えてしまったので。そういう、私もプロじゃないから分からないですけど、眉毛をこう(釣り上げて)かくと余計みすぼらしくなった。プロじゃないので、他の人に教わりました」
−−週刊誌で報じられていることが事実じゃないとして、どうして元秘書は話したのか。恨みを買うような心当たりはありますか
「元秘書に聞いてもらわないと分かりません」
−−事実ではないことを書かれて困惑しているのか
「警察では何が事実で事実でないかはLINEやメールや第三者の証言を踏まえ証言している。事実でないところは事実ではないと。ではなぜ、そのようなことがなされたかというのは、他の秘書の方のことも含めて私には分かりかねるが、昨日も宮根さんが言っていたが、元秘書が元週刊誌記者で、何人かで仕組まれたんじゃないですかと。私は、そんなことは私は分かりかねるし、そんなことをする方ではないと信じていると答えました」
−−いま1時間話している豊田さんと、私たちが3カ月耳にした豊田さんとは想像できない。あれぐらいの声が出るのか
「16年連れ添っている、いまも仲の良い夫がいるが、夫があの音声を聞いて、びっくり仰天たまげまして、『16年一緒に生きてきて、世界でも一番お前と仲がいい人間だと思うけども、あんな声は聞いたことないよ』と。『本当にお前なのか。なんか合成されんじゃないか』と。夫がそう言うぐらい、私は普段あんなことは言わないし、出さないし、元秘書を怒ることはあるが、あのテンションであの異常事態で、例えば、最初の選挙から5年とかやってたら、とっくにやられている。私が言うことじゃないが、とっくに刺されていると思うんです。あいつは頭おかしいと」
「あれだけの異常事態を招くぐらいのことがあったと、私は詳細には言わないが申し上げたいですし、いつもあんなふうに怒っていたというのは…。怒ることはあります。だけど、あの異常事態で、異常な言葉で異常なテンションでというのはなかったですし、私が本当に悲しいのは、後援会の方も何人もの方がワンワン泣いてくれたんでが、私たちの前で5年間、朝から晩まで走り回ってニコニコがんばっていた豊田真由子さんが本当の真由子さんなのに、『あの一瞬の録られてしまった数日の真由子さんが本当の真由子さんで、頑張っている真由子さんじゃなくてこっちが本当の真由子さんだ』と言われるくらい、私たちが悔しいことはない、と。こっちの豊田真由子も本当は知っていただけたらありがたかったなぁと思います」
−−意地悪だが、話を聞いていると、私は5年間も頑張っているが、あの方のせいで台無しにされたとしか聞こえない
「台無しにしたのは私なので。事情はどうあれ、台無しにしてしまったのは私なので。私が至らなかった」
−−暴言の中に含まれる声量もさることながら、内容もとても人さまに言うような言葉ではない。ああいう言葉はその人の本質の一部という方もいる
「西川史子先生だったかと思うが、私も支援者から聞いたが、患者さんが、すごい医師に対して暴言を吐くときに、自分はそれは自分に対して言っているけれども、その人の本当の言葉ではなくて、病気が言わせているんだと思って我慢しているから、あまりこれ以上た叩くのは…というコメントをしてくださったことがあったそうで。ここにメディカルドクターがいるか分からないが、病気のせいにして、とかそういうことではないんですが、本当に当時は、婦人科系、内科系の疾患におかされていて、ものすごい体調が悪くて、薬もちょっとガボガボ飲んでいて、激務と睡眠不足で、パニックでワ〜なので、正常だったのかと問われれば、メンタルヘルスというんじゃないですけど、全く正常ではなかったので、それは、医師の方のコメントは結構、私の周りには医師会の支援者が多いので、わりと冷静な分析を皆さんして。だから、次からはもっと余裕を持って、治療はちゃんと継続的に受けて、薬もちゃんと決められたもので、ちゃんとやらなきゃだめだ、と言われます」
−−後援会会合は午後5時の開始予定だったが、3分遅刻した。絶対に遅刻できない日に遅刻した。そう見られてしまうと、資質という面で不安を与える。私がこの選挙区の住人だったら、大丈夫かと思う
「かなり早くに来て、すぐ近くの商店の駐車場にずっと止まっていたが、予想以上にメディアの方があふれてしまって。車で入って入り口で降りるという話だったが、道路でぱっと降りた方がお邪魔にならないと思って、警察もたくさんいたので、ご迷惑にならないような入り方がなかなか決まらなかったのが遅れた理由です。時間には間に合うようにすぐそこのショッピングモールに来ていたが、本当に遅刻したことは事実なので誠に申し訳ありませんでした」
−−われわれが待つのは仕事だからいいが。先に着いて支援者を出迎えることもできたのでは
「私は必ずこういう会のときは、1時間前に着いて、ふだん国政報告会ではお出迎えする。きょうは皆さま方がいる手前、セキュリティー上、そこでウロウロするリスクが高いからダメだとギリギリに入って、さっさかさっと皆さんの前から去りなさいというロジスティックな指示を受けた。私はいつも必ずおひとりおひとりお出迎えをして、おひとりおひとりの有権者を大事にしていて。ただ、きょうは皆さまのせいではないが、尋常ならざる事態で近隣にも苦情もありロジスティックスができなかった。有権者をないがしろにしているわけではありません」
−−東京都議選の自民党惨敗で、ひとつの民意が示されているが
「本当に厳しい結果を自民党が受けた。それが私のことも大きな一因というご指摘は本当にお詫びのしようもないと思う。私も選挙をやる人間なので本当に都議選に向けてどれだけ努力をされて時間をかけてと思うと本当に申し訳なく、1人1人お詫びに行きたいですが、お詫びに行く機会も…。行ってもお前なんかに来て欲しくないと言われてしまうのかな、と思いながら病院にいましたが、本当に重ねてですが本当申し訳ありませんでした」
−−自民党に対してでなく投票した方への民意に対しては? それでも続けたいのか
「そうですね…。ご不快な思いをさせた多くの方には申し訳ないと思います。ただ、それが私豊田真由子の100%、そういう全てではないことはちょっと分かっていただけたりしないかな、なんていう期待を抱いているというと怒られそうですが(笑)。それが民意だといわれれば、でも私は正直ここに戻ってくるのもお詫び行脚するのも地元を歩くのも、どんな言葉を浴びるかもわからないし、脅迫状もいただいているので刺されちゃうのかもしれないし、そういうものを覚悟して私は戻ってまいりましたし、それが民意であれば私はそれを甘受しなければならない、それが政治家としての覚悟だと思っています」
−−今もふらついているが、この状況で今も仕事ができないのに、国民の税金が使われている
「きょうをもって復帰をしたいと思っている。予想外ではあるが、こういう形で謝罪をさせていただいた。休んでいたときの分については、それを挽回していきたいが、歳費を返すというと寄付にあたるからできないとか、他にも休んでいる人がいるからダメだと言われたので、これまでの分を挽回するくらい仕事をさせていただければな、と思います」
−−あったこともない青森県板柳町の松森俊逸町議を秘書にしたのは
「奥さんが私がこんなことになっても秘書を地元で続けてくれていて、脅迫状がきたり、怖い思いをさせたりしていて、ご主人が夏の間は町議会がないので地元を回るにしても、秘書の肩書があったほうがいいだろうということで、夏の間政策秘書をしてもらったらどうかと近親者を通じて相談があった。兼職できるのか確認して、法的には問題ないし、町議会も休みなので町議としての活動はしながら政策秘書としての仕事をちゃんとやりますということだったので、であれば頑張ってくださいということで。確かにお会いをしたことも話したこともなかったので資質も見極めができたのかと問われれば、17年間政策秘書をやっていて、町議でも活躍していたということで地元をきちんと守っていただきたかったのでご了解しました」
−−ふさわしい判断だと思うか
「そのあと、いろんな批判が出たことには私が考えが及んでなかったなと思ってすぐ…。ただ、政策秘書をしてくれている間は、地元回りや事務作業の報告書を出してもらったので、仕事はしてもらった。しかし、いろんな批判が出たことは、判断ができる状況じゃなかったので、その場で考えが及ばなかった自分を恥じている」
−−公開されたICレコーダーに元秘書の身体的な特徴を揶揄する言葉があった。普段から人を見下すことがないとああいう暴言は出てこないと思うが、どういう心境だったのか
「心境というか、パニックでわれをちょっと失ってというか、自分でもどうかしていたとしか思えない。これは夫に許可をとっていないが、うちの夫はちょっとそういうところがありまして」
−−要はICレコーダーにあったような身体的特徴が
「私はそういう夫が大好き…。その夫がそうであってくれればという、治さなくていい、そのままでいい。もともと私は自分に自信がなくて、自己肯定感がめちゃめちゃ低くて、すごい頑張らないとここにいちゃいけないという思いを小さい頃から思っていて、自分が偉いとも立派だと思ったことはなくて、まだダメだと思って生きているし、仕事をしているので、人のことをばかにしているとかはない。自分はなんてダメなんだろうと思って生きている。なんで地元活動を死にもの狂いでやるかというと、選挙のことを全く考えていないわけでないが、どっちかというと集まりに行ったときに皆さん喜んでくれるんです。それがすごい嬉しくてこんな私でも必要とされている、こんな私でも歓迎してくれて地域の仲間の一員と思われているそこに居場所を作ってもらってる。レゾンデートルを一生懸命探しているので全然自分が偉いとも、思ったことはない」
−−会見中、笑顔の割合多いが笑顔に隠された豊田さんの本質は
「質問が分からない」
−−謝罪会見なのに割と笑顔…
(質問者を遮って)「今とてもしんどいので、薬を飲んでいるので、あと泣いてはいけないというカンペをいただいているので、一生懸命明るくしようと思っているんですが、それをもってお前は反省しいてないというのであれば、事実誤認だ」(泣く)
「決して楽しい気持ちでいるわけではなく、これで復活できるとも、これで許されると思っておるわけでもなく、泣くな、泣くなというスタッフの指示があるので、一生懸命明るくふるまっているのと、薬を飲んでいるので、なるべくテンションが下がらないようにしているので、もしかして今の質問がお前反省しいてないというのであればそれは違います」
−−文芸春秋、ミスターサンデー、会見の順番を選んだ経緯は
「最初にも申し上げたが、早く説明責任を果たさなくてはと、ずっと思っていて、まず文章という媒体であれば、あれ6時間と書いているが6時間モリモリ元気にやったわけでない。薬を飲みながら休み休みなので長くなった。文面だと一方的にやっていると思われていると思ったので、肉声でとなって、ミスターサンデーになって。医師からもあんた無理だからと言われたが、どの媒体を選ぶかは他意はない。他局の方は怒られるかもしれないが」
−−週刊新潮です。私たちが、お前の娘が通り魔に襲われて強姦されたらどうするのか発言した、と質問したところ最初は事実でないと否定していたが、いまは認めている。当初のわれわれの説明に嘘をついていたので、今の反論が嘘でないというのは…
(豊田氏、いらだった表情で質問を遮る)「私が申し上げたのはそういう発言をしていないと言っていたわけでなく、私が送り返した文書を読み返してほしいが、そのような趣旨で申し上げたわけではありませんと申し上げた。そのような趣旨、というのは、私はあの発言は、いろんな失敗を元秘書がされたときに必ずわざとでない、そんなつもりはありませんとおっしゃる。でも、わざとでなくてもこんなに地元の方にご迷惑をかけて、苦情が来た方もいて、わざとじゃなければ何をやってもいいんですか、という例示で、その例が非常に悪かったことはお詫びするが、例示でもし娘さんが犯罪に巻き込まれて、犯人がわざとでないと言ったら許せますかと聞いたら、運転手の方は許せませんと答えています。それは音声は消されてますが。許せませんと答えているので、私が質問した趣旨を元秘書は理解されてます。私はお嬢さんを脅迫したのでなく、言い訳すると、そういうことを分かっていただくために、そういうことを犯人がおっしゃったら許せませんよねと聞いたら、許せませんとおっしゃっていたので、ここは会話が成立しています。私はお嬢さんを脅迫したわけでなく、秘書の方に言い訳ばかりをして人に迷惑をかけていることがある、ということを申し上げました」
「私は覚えているが、週刊新潮さんに答えを返したときは、私どもの答えはそういう趣旨で言ったのでなく、こうこう趣旨で今みたいなわざとでないということを言い訳してはいけない、という趣旨で申し上げた。長い文書を書きました。うちの秘書が書きました。それを受け取っていた新潮は『そんな発言はしていない』と、こちらが出した文書の一部を新潮さんが切り取った」
−−ミスターサンデーでも同様に言っていたが、趣旨が違うとしても、例えば「死ねばいい」とか「強姦されたら」とか「このハゲ」とか身体的特徴をあげつらうことは…
(豊田氏、質問を遮る)「論点がずれているが、あなたがおっしゃったことは私が嘘を言っていると。このまま会見を終わらせるわけにはいきませんので。あなたがおっしゃっていることは、私はそういう発言をしたことを否定はしてません。ただ、あなたはそういう発言をしていませんと嘘の返しをしてきましたねとおっしゃいました。それについては、私はそんなことは言いません。認めています。認めた上で、趣旨と違うので。その部分はそういう理解でいいですか」
−−趣旨が違うなら、どんな発言をしてもいいと聞こえる
「お嬢さんを脅迫するような趣旨であったと新潮さんからの質問状だったので、いやいやそういう趣旨ではありませんよと。私が申し上げたかった趣旨はこうこういう趣旨と返したので、こういう趣旨でという質問がきたので返しただけです」
−−改めてどういう趣旨で?
(司会者「すいませんが…。このあたりで終わらせていただきます。時間はめいっぱい延長しています」)
−−やっぱりよく分からない。顔が腫れ上がるほどの大けがをさせていないのは捜査中でも言えるが、暴力をふるっていないとは言えないんですか
「顔が腫れていたかどうかは私の主観ではない。他の方が話していることで他の方が証明できるが、どういう行為が2人の間であったかは、お互いの主観ですよね。それは捜査中なので言ってはいけないことになってるようです。向こうの方は言っているが、私はルールはルールとして守っているので、警察、司法のご判断に委ねたい」
−−暴力を一切ふるっていないとは発言できない
「私がそれを申し上げると先方と相違がある。それはここで争うことでなく司法の場で争うことです」  
●新音声で検証する「豊田真由子」告白 2017/9 
政策秘書がミスを繰り返し、当初は我慢していたが、〈パニック〉になってついつい暴言暴行を行った――。「文藝春秋」誌上で豊田真由子氏(42)が告白したその中身に、ヤメ秘書たちはきっぱりと反論する。それでもジャッジに迷う方のための判断材料として、「新音声データ」を公開しよう。
まず、5月21日に政策秘書が豊田氏の指示に従わず、道を誤ったとして、彼女はこう説明している。
〈大通りを走っていて、車のナビが『300メートル先の分岐を右』と言ったのですが、その道では目的地に入れないので、私が『(ナビの言う)右じゃなくて左だよ』と言ったのにもかかわらず、彼(政策秘書)は右に進んだ〉
一方、当日の車内の様子が録音された音声データはこうなっている。
カーナビ およそ300メートル先、ななめ右方向です。
……。
………。
…………。
(約25秒間の沈黙)
カーナビ ななめ右方向です。
豊田 違うよね? 違うよね!
豊田氏が指示したと言い張る「右じゃなくて左だよ」との発言は一切ない。彼女がICレコーダーには感知できない特殊な声を発する技術の持ち主であることが証明されない限り、豊田氏の告白は都合のよい「記憶のでっち上げ」ということになる。
続いて、今回の告白記事での豊田氏の主張は、極めてミスが多かった政策秘書に耐えきれず、パニックに陥り、暴言を吐き、殴った挙句に蹴ってしまったと要約できるが、暴力が振るわれた5月20日と21日、彼女は車中でこう言い放っている。
「自分はのうのうと何百万もらっといて、松森もすごいねえ!」
「あの女も、ほんと不逞不逞(ふてぶて)しいよなあ」
「お前(政策秘書)がそのつもりかどうかを聞いてるんじゃないんだよ、事実を言ってるだけ。うん、死ねば? 生きてる価値ないだろ、もうお前とか、松森とか」
また、政策秘書とは全く無関係なミスについても……。
「お前らは白痴か!」
「痴呆症かお前らは!」
「痴呆症か! それもそれでジジイとババアで!!」
ここに登場する「松森」「あの女」「ババア」とは、豊田事務所の「新政策秘書」として一時話題になった、青森県板柳町の町議である松森俊逸氏の妻のことだ。彼女は豊田事務所で公設第一秘書を務め、その縁で夫である俊逸氏が新政策秘書に採用された(その後、8月28日付で政策秘書を辞職)。つまり、彼女は豊田氏が重用している秘書ということになる。そうでなければその夫を新政策秘書に招き入れるはずがない。
そんな「松森妻」のことを指して、豊田氏は「ほんと不逞不逞しい」「死ねば?」「痴呆症か!」とも罵っていたのである。
この事実から分かることはただひとつ。豊田氏にとっては政策秘書だろうが、重用する松森秘書だろうが、「お前ら秘書」は全員罵倒の対象であり、政策秘書のミスが特に多すぎたから暴言を吐いたという理屈は成り立ち得ないということである。嘘の理屈を並べる人が、いくら非は政策秘書にあると力説しても、それ自体がやはり嘘と思うしかない。
そんな虚言癖のある豊田氏の「心象風景」がよく分かる、あるシーンを紹介しておこう。
「豊田問題」が弾けようとしていた、6月のとある日のこと。移動中の豊田氏は豹変。突如、少女時代に戻ったかのような幼児言葉で、意味不明に脈絡なく、嗚咽を交えながらこう喚(わめ)き始めたのだった。
「怖いよおー」
「ママー、ママー」
「ママごめんなさい、ごめんなさいママ。ううう、ママーっ!」
「まゆ(豊田氏自身)が悪いの、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、うううー」
断っておくが、その場に彼女の母親はいなかった。俄(にわ)かには信じ難いかもしれないが、これは42歳の豊田氏が見せた紛れもない「等身大」の姿である……。
「突然、『ママ』などと言い出す行為を、精神医学用語では『退行』と言います。要は赤ちゃん返りで、自らに降りかかっている事態が自分では手に負えず、対処しきれないと、子どもに戻って大目に見てもらおうという心理が働くのです」
こう分析するのは、精神科医の片田珠美氏だ。
「退行を起こす人は、一般に言う現実、すなわち『客観的現実』よりも、本人が心の中でそう思い込んでいる『心的現実』を重視する傾向が強い。つまり、都合が悪く、耐え難い客観的現実を認めたくないので、自分は悪くない、被害者であるという心的現実に逃げ込むのです。現在、豊田氏は政治生命の危機に直面し、耐え難い客観的現実が迫ってきているため、心的現実に逃げ込んでいる可能性が高い。心的現実は、あくまで本人にとって都合のいい現実ですから、そんな彼女が語る言葉の信憑性には、疑問符が付くと思います」
今後も国会議員を続けていこうとあがき、苦しんでいる様子の豊田氏だが、ある元秘書は彼女に次の言葉をプレゼントしたいと言う。
「まゆの自業自得なんですう! すっ、すっ、す」 
●謝罪・豊田議員、VS新潮記者で見せた「本性」 2017/9  
元政策秘書への暴言・暴行騒動で自民党を離党した豊田真由子衆院議員(42)が、2017年9月18日夜に開いた謝罪会見の中で、一連の問題を報じた「週刊新潮」記者の質問に対し、苛立った様子で声を荒らげる場面があった。
約1時間30分に及んだ会見の終了間際。質疑応答の最後の一人として指名を受けた女性記者が、「すいません。週刊新潮です」と名乗り出たその瞬間に、これまで謝罪と反省の言葉を繰り返してきた豊田氏の態度が「一変」したのだ。
会見冒頭では、涙を浮かべて謝罪していたが...
豊田氏は9月18日、選挙区の埼玉県新座市で支援者らと会合を開き、騒動の発覚後初めて公の場に姿を見せた。その後、報道陣を集めて開いた記者会見では、涙を浮かべときおり嗚咽を漏らしながら一連の騒動を謝罪した。
元秘書の男性が豊田氏から暴行を受けたとして埼玉県警に被害届を出したことについては、捜査中のため詳細は説明できないとしつつも、「(元秘書に)大けがさせたことは決してありません」と主張。ただ、車中で浴びせたとされる暴言については事実だと認め、「例えどんな事情があったとしても決してあってはならない発言で、音声のテープを聞くたびに本当に呆然としてしまいます。どうしてこんなことを言ってしまったんだろうと、本当に(私は)どうかしていたんだろうと思います」 と反省の言葉を口にしていた。
その後の質疑応答でも、豊田氏はときおり記者からの質問に笑みを浮かべつつ、終始落ち着いた様子で丁寧に対応し続け、謝罪と反省の言葉を繰り返し述べていた。
だが、会見が始まって約1時間20分後、暴言の音声データをウェブで公開するなど一連の問題を報じ続けてきた「週刊新潮」の記者との質疑応答が始まると、これまでの豊田氏の雰囲気が一変することに。
「すいません。週刊新潮です」――。司会者からの指名を受けた女性記者がこう名乗った直後から、豊田氏は何かを堪えるかのように下唇をギュッと噛み始めたのだ。
豊田氏、新潮記事に「非常に残念でした」
週刊新潮の記者は、豊田氏は当初、録音データの存在について「事実ではありません」と同誌の取材に否定していたなどとして、「(豊田氏は)我々の質問に対してウソをついていた」と指摘。続けて、「いま(会見で)なさっている反論というのが、どうしてウソではないと言えるのか...」 と記者が問い始めた場面で、豊田氏は質問を途中で遮って「私は、よく覚えていますけれども」と苛立った口調で話し始めた。
質問を遮った豊田氏は、新潮記者が「ウソをついていた」とした点について、「私が申し上げたのはそういう発言をしていないと言っていたわけでなく、私どもの事務所が(編注・新潮編集部に)お送りした文書をもう1度読み返して頂きたいと思いますが、私は『そのような趣旨で申し上げたのではありません』と書きました」 とまくし立てるように反論した。
また、新潮側が公開した音声データの中に「お前の娘が通り魔に強姦されて死んだらどうする?」という趣旨の暴言があったことについては、元秘書の男性がミスをした際に「わざとではない」と言い訳することが多かったとして、「わざとじゃなければ何をしてもいいという訳ではないということを例示するためだった」 と質問の趣旨を釈明。元秘書は豊田氏の意図を理解したような返答をしていたというが、新潮側が公開した音声データではその部分が消されていた、とも訴えた。
その上で豊田氏は、週刊新潮の取材には長文で回答したが、実際の記事では「そんな発言はしていない」という部分だけが掲載されたとして、「それこそ私は、こちらが出した文面を新潮さんが一部を切り取って違う風に書かれて、あれは非常に残念でした」 と不満もぶつけた。
質疑応答は途中で打ち切りに
こうした豊田氏の発言に対し、新潮記者は「趣旨が違うのであれば、『死ねばいいのに』『強姦されたら』との例えや、『このハゲ』とか身体的特徴をあげつらうような発言をしてもいいのか」と再び問いかけたが、これに豊田氏は、「今、論点をズラしてらっしゃると思いますけれども...!」 と声を荒らげてまたもや質問を遮った。
続けて、「あなたは私がウソの発言をしたとおっしゃいましたよね?」と苛ついた様子で記者に逆質問した豊田氏は、「私もこの場でウソつきと呼ばれたまま引き下がっ...、この会見を終わらすことはできませんので。私はそういう発言をしたことは一度も否定はしていません。あなたはウソの返しをしてきたとおっしゃいましたが、それについては、そんなことはありません。そういう理解でよろしいですか?」 と早口でまくし立てた。
その後も新潮記者と豊田氏の応酬は続いたが、「どういう趣旨で強姦という発言をしたのか?」と記者が質問したところで、司会者が「時間が押している」などとして質疑応答は途中で打ち切りに。2人の主張は平行線のまま会見は終了となり、豊田氏はそのまま会場を後にした。
坂上忍「コイツ変わんねぇよ、一生」
こうした豊田氏と新潮記者のやり取りについて、ツイッターやネット掲示板では、「新潮の記者とのやり取りあのまま続けてたら確実にキレてたね 沸騰寸前だった」 「新潮の女性記者にキレだした時、本性が見えた」 「本当に反省をしたの?と疑わざるを得ない終盤だった」 「これが謝罪会見なんですか?」 といった否定的な意見が相次いでいる。
実際、9月19日放送の情報番組「バイキング」(フジテレビ系)では、豊田氏の新潮記者に対する態度について、番組司会をつとめる坂上忍さん(50)が、「ボロが出るなら新潮さんとのやり取りではないかと思って見ていたんですが...。豊田さん自身が猛省して、生まれ変わって議員を続けたいと仰っているにも関わらず、最後の最後でコレやっちゃったら、コイツ変わんねぇよ一生、って思われても仕方がないでしょ」 と苦言。また、コメンテーターとして出演していたタレントのヒロミさん(52)も、「あのまま行ってたら、『違うだろ〜!』ってなっていた。もうちょっと引っ張って欲しかった」と皮肉気にコメントしていた。
そのほか、同日放送の「直撃LIVE グッディ!」(フジ系)でも、お笑いコンビ「サバンナ」の高橋茂雄さん(41)が、「(会見終盤は)お湯が沸きかけてる感じがした。結局、あれが本質なんじゃないか」と指摘。その上で、「本質は絶対あの人、ブチギレモンスターだと思う。それが会見で出てしまっていた」 と話していた。  
●豊田真由子議員、謝罪会見で「夫と仲良し」発言の意味 2017/9 
人気商売の人が行う謝罪会見とは、「自分の気持ちを話すこと」ではなく、「見ている人の気が済むように謝ること」が目的だと私は思っている。そういう意味でいえば、豊田真由子議員の会見は大失敗だったのではないだろうか。元秘書への暴言や暴行を「週刊新潮」(新潮社)に暴露された豊田議員。世間が期待するのは、元秘書への全面謝罪だろうが、豊田議員の釈明を一言でまとめると、“自分は頑張ってきたアピール”である。
今回のケースは、相手が国会議員という公人であること、元秘書が音声などの証拠をそろえていたことから週刊誌が食いついた。しかし一般社会では、訴えることはしないまでも、“とよまゆ的”なパワハラ被害に遭ったことがある人は多いのではないだろうか。
個人的な話で恐縮だが、会社員時代、私の隣の席の女性(以下、Aさん)が、豊田議員と同じく東大法学部卒だった。彼女はちょっとしたことで激高しやすく、気に入らないことがあると豊田議員の「このハゲーっ!」と同じ調子で怒鳴る性質を持っていた。基本的にAさんはいつも怒鳴っていたものの、誰にでも怒鳴るわけではなく、ちゃんと人を見ていた。対象は、自分より若く、学歴が低く、権力がない人。けれど、自分と同じくらいの年齢の女性社員や、押し出しが強かったり、オラオラ系の男子社員には、たとえ学歴が低くても、敬意を持って接していた。
豊田議員は、後援会の人には非常に評判がいいという記事を目にしたことがあるが、Aさんと同じく、上下関係で完全に態度を変えていたのだろう。それはオトナとして当然の処世術だが、豊田議員が間違ったのは、秘書を怒らせるデメリットを理解していなかったことだ。自分が雇用しているという意味では、秘書は下の存在だが、“自分の秘密を知っていること”、またスマホさえあれば音声の録音や動画を撮れるので、“その秘密をマスコミに持ち込めること”を考えると、秘書は後援者や有権者と同じように、ある程度は敬うメリットのある存在なのだ。
終始、「あの恫喝はたまたまであって、日常的ではない」ことを繰り返した豊田議員だが、会見の最後に、「新潮」の記者から質問を受けると、これまでの殊勝な態度は消え失せた。あごを上げ、敵意を表した薄目で攻撃的に話す様子は、真偽は別として、激高しやすく、パワハラが日常化していた印象を与えて本人に損だろう。しかし、そういう計算ができないくらい、良くも悪くも豊田議員は裏表のない人と見ることもできる。
政治家であれ、芸能人であれ、人気商売をする人にとって、尋常じゃないヒステリーな人、パワハラをする人というレッテルを貼られるのは、まぎれもなく損である。その“疑い”を晴らすため、“容疑者たち”が取る行動の1つが「夫(妻)と仲良しアピール」である。
例えば、豊田議員は会見の服装を見てみよう。黒いスーツにピアスもネックレスもない神妙ないでたちだが、よく見ると左手の薬指に二種類の指輪をしていることに気付く。立爪系のダイヤとシンプルなプラチナ系のリングは、婚約指輪と結婚指輪と推察することができる(ちなみに、この組み合わせは、夫婦仲良し売りをする君島十和子もよくしている)。
指輪が本当に婚約指輪と結婚指輪の組み合せだったと仮定すると、これらは「結婚している」「婚約指輪を大事にするくらい、夫を大事にしている」というメッセージであると見ることもできるだろう。実際、豊田議員は、会見の際に夫とのエピソードを披露し、「16年連れ添っている、今も仲の良い夫がいるんですけれど、『あんな声聞いたことがないぞ、合成されたんじゃないか?』(と言っていた)」というふうに、夫の発言を借りて証言してみせた。
夫や子どもには温厚でも、部下にパワハラする人はいるわけで、夫の“証言”はあてにならない。そんな理屈を天下の東大法学部出の豊田議員がわからないはずもない。豊田議員は、夫の存在を明らかにすることで、「夫に愛されているのは、性格がいい証拠」と訴えたかったのではないだろうか。豊田議員は、結婚を「人格に難がない証明書」と捉えているように、私には感じられるのである。
ちなみに豊田議員は、2014年に園遊会に夫と共に招待されたが、当日は母親を伴って姿を現したと「産経新聞」が報じた。夫婦仲が良いのなら、なぜ一緒に参加しないのだろうか。こういった公式行事の時は、仲が良い悪いは別として、行動を共にするのが一般的ではないだろうか。園遊会事件には続きがある。宮内庁は母親の参加を拒否したものの、豊田議員は「母親が配偶者である」と強弁したそうだ。この言い訳もさることながら、宮内庁に断られてもそこに居座る母親も、かなり常識はずれではないだろうか。
結婚すること、母親になることを神聖視し、“人格者の証拠”と見る傾向が日本には強い気がする。その考え方は、「結婚し、母親になった女性が上」という序列づけにつながっていく。豊田議員が明らかにしたのは、特定の秘書へのパワハラではなく、女性全体が受けているうっすらとしたハラスメントのように思えてならない。  
●豊田真由子氏の政策秘書問題  
青森の現職町議が豊田議員の秘書になっていた! 2017/8/7
「このハゲー」「ちがうだろう」の暴言を男性秘書に浴びせたことが報じられてから雲隠れしている自民党の豊田真由子衆院議員に新しい秘書ができたらしい。
キャスターの真矢ミキ「情報を取材すると、秘書はなんと青森にいました」
騒動から46日、豊田議員は数々の暴言が暴露されて以来「入院」と称して、公の場に姿を見せていない。自民党に離党届を提出しただけで、今も議員辞職せずに歳費をもらいながら国会に出席もせず、申し開きの記者会見も開かない状態だ。
一方で、地元の埼玉県朝霞市や新座市では女性秘書が有力者に名刺を配って回り、選挙準備のおわび行脚とも受けとられる動きをし始めた。豊田議員が毎年参加していた朝霞市の祭がおととい5日(2017年8月)にあったが、姿はなかった。地元住民は「年中うろうろしているよ、きょうはきてないね」「来られないだろう、逃げているんだもの」と話していた。その中で「6月30日に新しい秘書がついた」という新証言が得られた。
国会には6月30日(2017年)付で秘書として松森俊逸氏が登録されていた。この人、豊田事務所のある新座市から550キロ離れた青森県板柳町の現職町会議員だった。
自宅を直撃すると、多忙を理由にカメラはNG。インタビューには答えて「妻にたのまれた」と話した。妻はおわび行脚をした女性秘書だという。同僚町議の話では、ハゲではない。
司会の国分太一「町会議員が秘書をできるんですね。周辺の動きが分からなくなってきました」
公の場に出ず国会にも行かない議員が、選挙の立候補の準備を始めたとすれば、常識を疑われてもしかたがない。 
「豊田真由子氏とまだ会っていない」 政策秘書就任の青森の町議 2017/8/9
元政策秘書への暴言や暴行で自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員(42)=埼玉4区=の新たな政策秘書に青森県板柳町の松森俊逸町議(61)が就任した問題で、松森氏が9日、記者会見し、「町議との兼職は法的にも道義的にも問題ない」と主張した。
松森氏の妻は豊田氏の公設第1秘書を務めている。松森氏によると、問題の発覚後、豊田氏の秘書が続々と辞職。過去に国会議員秘書を務めた経験があり、「豊田氏への誤解を解きたい」として6月30日に就任した。本人とはまだ会っておらず、主に国会の事務所に詰めているという。
町内では現職町議が政策秘書を兼務することに対して問題視する声が出ており、町議会は15日、協議会で対応を話し合う予定だ。
松森氏は平成14年の青森県議補選で無投票当選。その後、落選し、26年2月から板柳町の町議となっている。
国会議員秘書給与法では政策秘書などの兼職は原則禁止だが、職務遂行に支障がないと議員が許可した場合は例外的に認められる。兼職届は6月30日付で衆院事務局に提出されている。 
豊田真由子氏の新たな政策秘書を青森の町議が兼務 2017/8/9
元政策秘書への暴言や暴行問題で自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員(42)=埼玉4区=の新たな政策秘書に青森県板柳町の松森俊逸町議(61)が就任していたことが分かった。現職町議が政策秘書を兼務することに対し問題視する声が出ており、同町議会は15日、協議会で対応を話し合う予定。県内の国会議員をめぐる騒動が遠く青森県の町に飛び火した格好だ。
松森氏の妻は豊田氏の公設第一秘書。松森氏は産経新聞の取材に応じ「妻に頼まれて政策秘書になった」と話した。
松森氏は平成14年の青森県議補選で無投票当選。その後、落選し、26年2月から板柳町の町議となっている。
町議会事務局によると、松森氏の兼職に抗議する電話が相次いでいる。町議が政策秘書として報酬を得ることが問題視されているという。
国会議員秘書給与法では政策秘書などの兼職は原則禁止だが、職務遂行に支障がないと議員が許可した場合は例外的に認められる。兼職届は6月30日付で衆院事務局に提出されている。
また、政策秘書としての勤務実態がないと一部で報道されたことについて、松森氏は「現在は国会事務所で電話番をしている」と説明した。 
豊田議員に新秘書「兼務問題ない」松森俊逸町議就任 2017/8/10
元秘書の男性への暴言、暴行が問題となり、自民党に離党届を提出した豊田真由子衆院議員(42)の政策秘書に、青森県板柳町の松森俊逸(しゅんいつ)町議(61)が就任し9日、板柳町で会見した。「(豊田氏への)誤報が多く、僕みたいに対応できる人材が必要だ」と話したが、地元では町議との兼業に疑問の声も上がる。一方、豊田氏は騒動後は雲隠れ状態。選挙区(衆院埼玉4区)ではポスターが減っているが、支援者の間では、出直し選挙へ向けた準備が進んでいる。
6月22日の「このハゲーー」報道から1カ月半。豊田氏の周辺が出直しへ向けた動きを見せ始めた。埼玉県新座市の地元事務所から560キロ離れた板柳町で会見した新政策秘書の松森氏は「豊田氏への誤解を解きたい」として、6月30日付で就任した。公設秘書の1つである政策秘書は国会議員秘書を10年以上務めるなどの要件があるが、過去に17年間の秘書経験があるという。
松森氏は、就任の経緯として「(妻から)大変だからパパ助けてよ」と言われたと説明。松森氏の妻(60)は、豊田氏が「女性秘書1人だけしか信用できない」と深い信頼を置いている公設第1秘書。松森氏は政策秘書だが、今後の仕事について「はがされたポスターを張り直す。豊田事務所からの発信も必要だ」と話した。豊田氏とは会っていないが「入院加療中と聞いている」とした。ちなみに、松森氏の髪の毛はふさふさのようだ。
衆院事務局によると、国費で給与が支払われる政策秘書は兼職が原則禁止だが、議員が許可すれば認められるという。ただ、板柳町議会は年間に3、6、9、12月の4回の議会が行われる。国会の会期と重複するが松森氏は「町議との兼職は法的にも道義的にも問題ない。(中央での)秘書の仕事は町議にも有益」と主張。だが、地元では町議の仕事がおろそかになるとの声が上がり、町議会は15日に議員全員による全員協議会を開き、対応を検討する。
豊田氏をめぐっては、被害を訴えた元秘書の男性が埼玉県警に被害届を提出。豊田氏の離党届については自民党本部が処分の結論を出していない。自民党埼玉県連も「党本部の結論が出なければ、次の埼玉4区の支部長も選べない」としている。
豊田氏の選挙区の和光、朝霞、新座、志木の4市では、豊田氏のピンク色のポスターが次々となくなっている。しかし、すでに松森氏の妻が、おわびの名刺を持って回っているといい、地元支援者は「豊田氏はとにかく、どぶ板で支援者を必死に回った代議士。支援者の多くは見捨てていない。公認は難しいが、4市の支援者幹部も次(の選挙)もやると言っている」と明かした。本人の支援者へのおわびとあいさつ回りの準備も徐々に進められているという。 
豊田真由子 「秘書が事務所を乗っ取り」計画 2017/9/23
あの豊田真由子議員が職場復帰に動きだした。“パワハラ騒動”の事情聴取では被害届の内容を一部否定、月刊誌では告白記事で沈黙を破った。一方、主が不在の間に話題になったのは、政策秘書に就いた青森町議。「カツラ疑惑」に目を奪われる裏で、事務所“乗っ取り”を計画していたという。その真相を現役国会議員秘書が特別寄稿する!
「このハゲーーっ!」
政策秘書への暴言・暴行が「週刊新潮」で報じられてから、3カ月が経とうとしています。豊田真由子衆院議員(42)自身は、「週刊新潮」の発売日である6月22日に自民党に離党届を出したが、認められたのはそれから2カ月後の8月に入ってのことです。
それだけでもおかしな話ですが、9月中には公の場に姿を現し、記者会見を開いて議員活動を続ける意向を表明するとも伝えられ、呆れるしかありません。
現役の国会議員政策秘書として20年以上働いている私のところにも、パワハラ騒動が起きる以前から、豊田事務所は「秘書の墓場」だという悪評は届いていました。告発した元政策秘書のA氏だけではなく、豊田氏は、これまで在籍していた秘書たちに、「こんなバカなお前を育てた両親はろくでもない」「だからお前は結婚できないんだ」 などと、聞くに堪えない暴言を吐いて辞めさせています。永田町で秘書に暴言を吐く議員はいくらでもいますが、身内や結婚などを引き合いに出して罵倒するのは、豊田議員くらいのものだと思います。
そうした中、主のいない豊田事務所では「乗っ取り」とも言える出来事が起きていました。それが他ならぬ青森県板柳町の町議会議員・松森俊逸氏(61)の政策秘書への就任を巡る一件です。
8月9日、松森氏は板柳町役場で会見を開き、豊田氏の公設第1秘書を務めるB氏から頼まれ、6月30日付で政策秘書に就任したことを明らかにしています。この松森氏は、不自然なボリュームの髪型だけではなく、板柳町から豊田氏の事務所がある埼玉県新座市までは約550キロも離れていて、「兼職」ができるのか、物議を醸してきました。
板柳町議会では「辞職勧告」まで話し合われましたが、松森氏は勧告が出される寸前に政策秘書を辞職、町議の椅子はなんとか守りました。
とはいえ「解職届」は8月28日付で、9月1日に衆院事務局に提出したため、6月から9月までの4カ月分の給与を受け取るつもりかと問題になりましたね。
この一連の「兼業騒動」の背景には、B氏の存在が大きく影響していますが、実は、このB氏とは松森氏の妻なのです。
松森夫人は、第1秘書の立場を悪用して、豊田議員にも事務所のスタッフにも無断で夫を政策秘書にし、辞職させたのです。
このことは、豊田事務所のスタッフも認めている事実です。
豊田議員と連絡が取れない状態でなぜ松森氏が政策秘書になれたのか、豊田事務所のスタッフが議員課に確認したら、「公設秘書が書類を揃えて持ってきたら、議員課としては議員の了承のもとに提出されたと受け止めるので受理する」と説明されたそうです。
松森夫人が豊田議員の知らぬ間に無断で政策秘書の採用届に署名・捺印していれば、公文書偽造の犯罪となります。ただし、親告罪なので「被害者」である豊田氏が告訴しないと罪に問えません。そもそも松森夫人が豊田事務所に勤務しだしたのは半年ほど前からで、もちろん事務所の「慢性秘書不足」がきっかけでした。派遣会社からも断られ、家政婦を斡旋する会社にまでお願いする異常事態だったと聞いています。そこで、豊田議員が地元の新座市役所関係者に頼んだところ、市役所の臨時職員だった松森夫人がアルバイトとして入ったそうです。
つまりアルバイトで入ったのに、わりとすぐに公設第1秘書になっているんです。「事務所の事情」を松森夫人が利用したからです。
実は、松森夫人の雇い入れの直後に第1秘書が辞めています。このこと自体は偶然だと思いますが、後任候補だった若い男性スタッフも辞めました。松森夫人が男性スタッフの悪口を豊田議員に吹き込んだからだと言われています。
国会議員の3人の公設秘書(政策、第1、第2)には税金でお給料が払われますが、私設秘書やアルバイトのお給料は議員のお財布から払わなくてはなりませんから、豊田議員はそれがイヤで入ったばかりの松森夫人を5月から第1秘書として登録したのです。
アルバイトだった松森夫人に公設秘書の役割が務まるわけがありません。
元政策秘書のA氏が暴言・暴行を受ける原因となったバースデーカードの宛名ミスですが、豊田氏は9月8日に発売された「文藝春秋」(10月号)のインタビューで、〈Aさんがラベル貼りのバイトの女性にきちんと指示を出さなかったため、間違いが起こったとのことでした〉と語っていますが、バースデーカードの宛名と封筒の確認作業を間違えたのは松森夫人だと聞いています。
長い間、この作業を担当していたスタッフは、豊田議員から突然クビになっても丁寧に引き継ぎ書を作っていたそうです。
でも、松森夫人はそれをきちんと読まずに投函して、すべてA氏のせいにしたのです。
そして、「このハゲー」騒動にまぎれてA氏の後任として夫を政策秘書にするわけですが、「兼職」がマスコミに知れると、松森夫人は「漏洩元」を現在も第2秘書を務めるC氏だと決めつけ、「情報をリークしたのはお前だろう。責任を取って辞めろ!」などと何度も罵倒したそうです。そして、C氏を追い出したら松森夫妻の息子を後任にするつもりだったのです。今となってはムリでしょうけどね。
松森ファミリーに公設秘書給与を食い荒らされようとしていたことは、豊田議員もまだ気づいていないと思います。議員活動を続ける会見を開く前に、またも明らかになった「秘書問題」を解決するほうが先決ですよ。雇用者責任は豊田議員にあるのですから。 
 
 
 
 
 
 2020
●「このハゲーーーッ!」豊田真由子元議員 イメチェン復活の裏 3/11 
元秘書に対する「このハゲーーーッ!」の暴言で知られる元衆院議員、豊田真由子氏(45)が、コロナ禍の真っ最中に意外な形で、お茶の間に帰ってきた。9日にゲスト出演したトークバラエティー番組で“専門家”として新型コロナウイルス対策について語った。暴言騒動からやがて3年。表舞台から消えていた豊田氏のサプライズ登場は復活へののろしなのか――。
豊田氏がその姿を見せたのは9日の「バイキング」(フジテレビ系)だった。新型コロナウイルスによる肺炎の感染拡大などについて取りあげたコーナーに、公衆衛生の仕事に関わった経歴のあるコメンテーターとして堂々と登場した。
議員時代に印象的だったつり上がった眉毛は消え、この日はピンク色の服で、髪を伸ばし前髪を作り、かつてのキツい印象を払拭。2017年6月以降の暴言騒動時とは似ても似つかないイメチェンした姿に、永田町やネットは騒然となった。
番組冒頭、柔和な表情の豊田氏は「その節は皆さん、申し訳ありませんでした」とあいさつ。東大法学部卒、ハーバード大学大学院修了で、厚生労働省の官僚時代は09年の新型インフルエンザ発生時に世界保健機関(WHO)とのやりとりを担当した経歴がある。番組内では上品な口調で、検査数が少ないと国が批判されているPCR検査などについて解説してみせた。
豊田氏は1997年に厚労省入省後、ハーバード大に留学。「T.H.チャン スクール」の名で知られる公衆衛生大学院を02年に修了した。本紙は2月26日発行紙面で、米国の疫学専門家が米メディアの取材に「世界の人口の4〜7割が新型コロナウイルスに感染するだろう」と答えたことを取り上げたが、その専門家が在籍するのが同大学院。14年には同院のウェブサイトで豊田氏が「公衆衛生の政治家」と紹介された。議員時代には厚労委員会で新型インフル関連の質問に立ったことも。
12年に政界入りを果たすも、元秘書への暴言などの騒ぎにより17年に自民党を離党。同年の衆院選で無所属での出馬も無残に散った豊田氏は、公の場から完全に姿を消していた。今回、かつての経歴が注目される形となり、ネット上では「しっかりした発言」などと評価する反応も一部でみられる。
ただ、昨年の参院選埼玉補選ではNHKから国民を守る党からのオファーを「家庭の事情」を理由に断っていた。今回の表舞台への“復帰”は、どういう風の吹き回しなのか? 
自民党関係者は「最近、ワイドショーやバラエティーに引っ張りだこになっている元衆院議員の金子恵美氏に触発されたのでは? 2人は自民党の当選同期ですが、キャリアとしては豊田氏が断然上。金子氏が活躍できるなら自分でもできる!と火がついたのかも」と指摘する。
「このハゲーーーッ!」騒動ではワイドショーで連日、豊田氏の映像が流れていただけに「バイキング」は“復帰初戦”としては格好の場だったのか。東国原英夫氏とブラックマヨネーズの小杉竜一との絡みもあり、「ハゲネタ」にも動じた様子はなく、NGではなかった。
ただ、表舞台で本格活動する場合は心配もなくはない。豊田氏の支援者は「(豊田氏が手伝っていた事業の)福祉の現場でキレてしまったことがある。いつものキレ癖がテレビで出なければいいのですが…」。活動再開はうまくいくのか!? 
●豊田真由子「バイキング」で見せた可愛いキャラは「本物か偽りか」大論争 3/12 
3月9日、「バイキング」(フジテレビ系)に、「このハゲーーっ!」「ちーがーうーだーろー!」などの秘書に対する暴言をきっかけに政界を追われた、元衆議院議員で厚労省の官僚でもあった豊田真由子氏が、突如の出演。ネット上がかなりのザワつきを見せた。
「新型コロナウイルスのPCR検査について詳しいとのことでの出演でしたが、いきなりの登場に視聴者もビックリだったようです。それでも、あの暴言騒動があまりにインパクトが強かったことから、『なんで出てるの?』『フジは何でもありか』『他に専門家はいなかったの?』といった疑問の声も上がっていました。ただ、それより話題になったのは、彼女の容姿。まったくの“別人”のようになっていましたからね」(女性誌ライター)
画面に映った豊田氏は、明るめの色の髪を長く伸ばして額を前髪で隠し、フルモデルチェンジ。それに加え、しゃべり方もあの暴言イメージからは程遠い丁寧でおだやかな口調で、東国原英夫氏やブラマヨ小杉の“ハゲ”ネタにもニコニコと対応し、45歳のオンナに変貌を遂げていたのである。
「そんな彼女に、『本当はこういう人なの?』『憑きものが落ちたみたいにおだやか』『年齢のわりに可愛くてビックリした』などとした良い意味での仰天の声の一方、『完全に裏表のある人としか思えない』『どっちも本物なら今日の笑顔のほうが逆に怖い』と信じられないという指摘まで、様々な声が上がりました。ただし言えることは、人はそんな簡単に性格を変えられるものではないということ。あの若返った可愛らしい感じで、むしろもう一度暴言を吐く姿を見てみたいものです」(週刊誌記者)
もしくは、議員を辞めて本当に憑き物が落ちたか? 
●豊田真由子さん「コメンテーター転身」をネット民歓迎の理由 3/31  
新型コロナウイルスが日本中の関心事となって1か月以上が経つ。テレビの情報番組もコロナウルス情報を連日、取り上げている。そのときに欠かせないのが適切な解説やコメントをしてくれる「有識者」の存在だ。東京歯科大学教授で呼吸器内科部長の寺島毅さんや、元国立感染症研究所ウイルス第三部研究員で白鴎大学教授の岡田晴恵さんなど、様々な立場や経歴の専門家が登場しているが、最近、やさしく分かりやすい語り口で評判が高まっているのが元衆議院議員の豊田真由子さんだ。
豊田さんといえば、2017年に報じられた秘書への暴言「このハゲーーー!」で日本中の人に激しい怒りで叫んでいる印象がついていた。しかし『バイキング!』(フジテレビ系)に初めてゲストコメンテーターとして登場した姿はそれと大きく異なり、おろした前髪に肩までのふんわりヘア、淑やかなメイクで穏やかに語っていた。ネットでも「イメチェン!」「キレイだし、やさしそう」「雰囲気かわっていい感じ」と歓迎され、その後、出演するたびに「豊田真由子」や新たに呼ばれるようになった愛称「まゆゆ」がTwitterのトレンドワード入りするほどの注目ぶりだ。
2017年の騒動当時、ネット、とくにSNSでは豊田さんの話題には罵詈雑言がつきまとっていた。だが、今回の大歓迎ぶりはどうしたことか。たった3年で、これほど評価が変わるものなのか。ネットニュース編集者で豊田さんを当時から追い続けていた中川淳一郎氏によれば「まゆちゃんはもともと、そんなに嫌われていなかったんですよ」と断言する。3年前からそのかわいらしさに注目していたネット民にとって彼女は「まゆちゃん」と呼ばれる存在だったという。
「騒動時から『まゆちゃんをいじめるな』と主張しているネット民は少なくなかった。確かに暴言でしたが、そこまで追い詰めるような内容かということです。それに、あの騒動のあと、政党の応援もないなか必死に選挙活動する姿が報じられていましたよね。そして落選したから、地獄をみて苦労したんだろうなということを皆が知っている。女性の国会議員はこうあるべきという型にはめられていたのが、今回のテレビ出演で本来の頭の良さやおだやかで優しそうな感じが分かりやすく伝わったのだと思います。そして、司会の坂上忍さんがひな壇に座る髪が薄いことをネタにしているそのまんま東さんなどを差して『ハゲ用意しておきました』と言い、ハゲをネタにしてもらえたことで許された雰囲気になった影響も大きいです」
さらに、意外なイメージチェンジととられている豊田さんの見た目や言葉づかいの変化は、変わったのではなく、あれこそ本来の姿だ、と元同級生が語る。
「学生時代はいつも淡いピンクや白などの可愛らしい服装でした。逆に、国会議員になったときのシャープなスーツ姿や髪型、メイクのほうに違和感がありました。穏やかな口調も、同じ教室で勉強していた頃のまま。大声で怒鳴ったり、叫んだりするところなんて見たことがなかった。公衆衛生の専門家として落ち着いて語る様子も、勉強熱心だった豊田さんのままです」
東京大学法学部を卒業後、厚生省(現・厚生労働省)へ入省した豊田さんはハーバード大学へ留学、公衆衛生学で修士号を得ている。さらに2009年の新型インフルエンザ流行時には、厚生労働省の調整実務担当者だったので、未知の感染症に社会はどのように向き合っていくのか、という難題への取り組みを紹介できるのも納得だ。
とはいえ、専門領域に詳しくても人に説明するのが上手とは限らない。どのテレビ局も、人に伝える技術も持ち合わせた専門家探しに苦労している。そんななか豊田さんが”発見”されたのは、友人宛のアドバイスが偶然、番組関係者の目に触れたためだった。
「新型コロナウイルスについて不安を抱える友人に送った、見解とアドバイスのメールが『バイキング!』(フジテレビ系)の番組プロデューサーの目に留まったことがきっかけでした。医療に詳しくない、つまり一般の人に向けて分かりやすく解説されていて、不安を与えないように配慮が行き届いたアドバイスだったんです。テレビで話してもらうのにぴったりだとお願いしました」(番組関係者)
出演を依頼した番組は生放送だということもあり、それを理由に及び腰になる人も少なくない。だが豊田さんは「役に立てることがあるのならやらせていただきたい、と快諾いただきました」(前述の番組関係者)という。
その後、豊田さんは複数回、番組に出演しているが、そのたびにネットでは評価が高まっている。内容をみると、冒頭で記した見た目や語り口だけでなく「持ち込み資料すごい」「ものすごい分量の資料」と、机の上に分厚いファイルを置く姿も強く印象づけられているようだ。この「分厚い資料」には、出演者として豊田さんを迎えた番組関係者も驚いている。
「毎回、間違いないように、分かりやすく伝わるように、徹夜で準備してくださっているそうです。スタジオにまで持ち込む大量の資料には赤ペンでびっしり書き込みがある。過去の資料もたくさん用意してくださって、生放送だと間際にお願いすることも多いのですが、どうやったら一番簡潔に説明できるかを直前まで練っていただいています。想定外の質問にも備えるべく、電話帳くらいの資料をいつもそのときの状況に合わせて新しく揃えて、読み込んでいる。本当にありがたいことです」
2017年10月の衆議院議員選挙落選後、豊田さんは公の場から一切、姿を消していた。それから今回の番組出演で再び登場するまで、どのような生活を送っていたのか。「少し前には家族で笑顔で出かける様子も見られたので、元気になってよかったと思っていたんです」と地元の支援者が語る。
「あの事件のあとは、人前から隠れるように暮らしていました。体調を崩して入院していましたが、退院後は福祉法人に勤めていました。家族にも悲しい思いをさせてしまった、と必死で向き合ってきたそうです」
家族も落ち着き、テレビ出演によって好感度も上がる一方だ。となれば政治の世界へ復帰することやタレント転身への誘いもありそうだが、本人にはそんなつもりはまったくないそうだ。
「役に立てることがあるのならやらせていただきたいとだけ言っているそうです。この3年間、本当に笑ったことがなかったけれど、こうやって人前に出たことで笑っている自分に気づけた。出演のきっかけをつくってくれた人たちに感謝しているとも話しているそうです」
ネット、とくにTwitterで大評判の豊田さんだが、2017年の騒動以来、Twitterは怖くてまったく見ていないという。まゆゆへのエールを直接、届けられないのは寂しいかもしれないが、少しはにかんだ笑顔が似合う今の彼女にとって、Twitterを見ないぐらいが応援してくれる人とのちょうどよい距離感なのかもしれない。 
 
 
●豊田真由子さん、暴言騒動からイメージ一新 どん底で学んだ希望 4/18 
男性秘書への暴言問題で表舞台から姿を消していた豊田真由子元衆院議員(45)が3月からフジテレビ系「バイキング」(月〜金曜前11・55)にゲストコメンテーターで出演し、話題だ。厚労省官僚時代に感染症対策などを担当しており、新型コロナウイルスの分かりやすい解説でイメージを一新。スポーツ紙のインタビューに初めて応じた豊田さんは、暴言の影響で落選した2017年の衆院選など失意の3年を踏まえ、「希望は必ずある。大変な時期でも生きていくしかない」と力説した。
豊田さんは取材場所のテーブルに新型コロナに関する見解をまとめた資料を十数個のクリアファイルにまとめて用意。前日の深夜に作成したといい、「とにかくちゃんと準備しないと気が済まない性格でして」と笑顔で明かした。
3月9日から出演する「バイキング」でも入念な準備は同じ。コメンテーターは初挑戦で「(文字換算で)100行調べた中の3行をお話するイメージ」と奮闘。「生放送なので、口ごもると(司会の)坂上(忍)さんに突っ込まれます」と苦笑した。
厚労省時代の2000年、米ハーバード大大学院で公衆衛生学を学び、07年にはスイス・ジュネーブに赴任。政府とWHOの調整役を務め、09年に新型インフルエンザ対策を担当した。
「バイキング」では、中学1年の長男と小学5年の長女を育てる母親としての視点も意識しており、「きちんとしたファクト(事実)に基づきながら地に足をつけて、みんなで何をすべきかを伝えたい」と強調。全国に拡大された政府の緊急事態宣言は「不要不急の外出自粛や手洗いの徹底など、国民が生活の習慣を変える時期」ととらえ、新型コロナ終息に向けた重要な1カ月になると指摘した。
衆院議員時代の17年6月に、「このハゲ〜!」「ち〜が〜う〜だろ〜っ!」といった秘書への暴言や暴行が報じられ、自民党を離党。同年10月の衆院選では騒動の逆風で落選した。騒動を振り返り「反省という言葉では語り尽くせません」と神妙に謝罪。落選後は支援者の大多数が離れ、精神的疲労などで入院したという。
当時、テレビやネット上で自身のことを報じられるたびに「人生の全てが崩れたし、死のうと思った」と追い込まれ、「体重は12キロやせて30キロ台になった」と告白。それでも、見舞いに訪れる家族に励まされ、「私のせいでいじめられて、つらい思いをしている子供を残して死んだら、子供に(苦痛を)一生背負わせてしまう」と母としての責任感が命の支えになった。
騒動をめぐっては17年10月に傷害と暴行の疑いで書類送検され、同年12月に不起訴処分。その後、支援者の紹介などもあり、18年1月から社会福祉法人で介護や保育関連の仕事をしている。
「バイキング」出演のきっかけは、新型コロナ感染に不安を覚える同僚らのために対策などをまとめた資料。これがテレビ関係者の目に留まり「分かりやすくて説得力がある」と評価された。
オファーを受けた際は「平穏な生活になりつつある中、メディアに出るのは正直、怖くてためらった」と吐露。ただ、ちょうどその時期、落選後も温かく見守ってくれた支援者が亡くなった。葬儀に参列したかったが「迷惑がかかる」と配慮。葬儀前にひっそりと訪れ、最後の別れをした。
「大切な人の葬式に行けない自分とは何だろう…」と自問自答した時期でもあり、結果として「自分が世の中に出るというより、仕事をして役に立つのが自分の生きがい」と出演を決断。その上で「最近は復活したとか言われますが、自分では全くそう思っていない」と断言。政界復帰も否定し「仕事も人生も、とにかく地道に」と繰り返した。
「今でも人から『ハゲって言ってみて』と言われて少し絶望したり」と苦悩は続く。国内にも閉塞感が漂うが、「人類の歴史は感染症との戦いでもあるし、新型コロナも必ず乗り越えることができる」と力説。
「自分は無事でも周囲が感染したら脅威は続く。だから今回は利己主義ではない連帯の社会システムを構築する機会」と前を向き、最後は「人間は苦しくても結局、希望を持って生きていくしかない」と自身の境遇に重ねるように訴えた。
新型コロナの影響で自宅で過ごす日々が多くなった豊田さん。厚労省、衆院議員時代は多忙で「家にはお母さんがいない家庭だった」と振り返った。
最近は中1の長男と小5の長女とのコミュニケーションが増え、「勉強の進み具合を見ています」と母の顔。自身は東大法学卒だが「昔から『何でも知りたい』という気持ちが強くて、3度の飯より勉強が好きでした」。東大では奨学金とアルバイトで家計を助けていたという。豊田真由子事務局への問い合わせは、info.toyota.press@gmail.com。  
 
 
●容姿も物言いも激変……コロナ禍で復活「豊田真由子氏」 5/15 
今やコロナ対策の専門家として、「バイキング」(フジテレビ)の準レギュラーコメンテーターを務める、元衆議院議員の豊田真由子氏(45)。代議士時代の暴言ぶりはどこへやら、女性らしいソフトな語り口は当初、好印象で受け止められた。ところが、出演を重ねるごとに、無難な受け答えしかしない彼女に、ネット上では、“ちーがーうーだろーーーーーっ!!”の声が出始めている。
「このハゲーーッ!」
「ちーがーうーだろーーーーーっ!!」
「うん、死ねば? 生きてる価値ないだろ、もうお前とか」
政策秘書の男性への数々の暴言を「週刊新潮」が報じたのは、17年6月のこと。当時、罵詈雑言の音声データは、テレビでも毎日のように流され、新語・流行語大賞にもノミネートされたほどだった。彼女の知名度はこの上なく上がったが、同年10月の総選挙ではあえなく落選することに。
あれから3年、元厚生労働省もキャリア官僚でもある彼女は新型コロナウィルス問題の専門家となって帰ってきた。「バイキング」に初登場したのは3月9日だった。MCの坂上忍が紹介する。
坂上:皆さん、なんで?って思われるかもしれないけど、豊田さんはハーバード(大学)の公衆衛生学をお勉強なられてですね、厚労省にいたときには、2009年の大阪での新型インフルエンザの時に、担当外交官としてWHOを相手に調整をされていた方。だからもう、超専門家! でもね、色々あったから、ちょっと今日は緊張気味ですよね。
豊田:(蚊の鳴くような声で)はい。その節はいろいろ、皆さんお世話になりました。
――画面に映った豊田氏の変貌ぶりに驚いた視聴者は少なくなかった。ピンクのブラウスを纏った彼女は、前髪を下ろし肩まで伸ばした髪にはふんわりパーマ。何より表情が穏やかで、これがあの豊田女史か?と思うほど。もっとも、ここで坂上にイジりたい衝動がうずき出す。
坂上:ただね、こういった番組なので不手際があるかもしれないですけど、その時にはハゲ2人をご用意しておりますので……。
――そこには東国原英夫とブラックマヨネーズの小杉竜一がいた。
番組はここまで準備していたにもかかわらず、その後のコロナ問題では、彼女のソフトな語り口は変わることなく、おしとやかといっていいほど丁寧な受け答えだった。民放ディレクターが語る。
「『バイキング』が彼女を引っ張り出すことに成功したのは見事だと思います。言われてみれば、コロナを語れるいいキャリアを持っていますからね。番組としてはその経歴を活かした専門的な発言はもちろん、もう一つ、スター・コメンテーターになり得る存在として白羽の矢を立てたはずです。そこは今のところ、当てが外れたという感じかもしれません」
豊田氏の出演はその後も続き、4月に入ってからは毎週木曜に出演する準レギュラーとなっている。だが、相変わらず発言は大人しい。たまに自虐的と思われる発言もあるにはあったが、キレがないのだ。
4月16日の放送では、自粛期間中のセクキャバ来店が明らかになった立憲民主党の高井崇志議員についてコメントを求められると、
豊田:そうですねえ、このケースはまあ本当に「違うでしょ」ということだと思うんですけれども……。
5月7日の放送では、西村康稔経済再生相と大阪の吉村洋文知事の休業要請の解除についての応酬を尋ねられて、
豊田:やっぱり仲良くやっていただかないと……。
「惜しいですね。だからSNSでも物足りないという声が出ているのでしょう。彼女は最初は、コロナ問題だけならと思って出演しているのだろうと思ってましたが、最近は服装も段々鮮やかになってきた。パンツルックばかりだった彼女も、5月7日には真っ黄色のワンピースまで着るようになりましたからね。もし今後もコメンテーターとしてやっていくつもりなら、少しはウケも狙ったほうがいいでしょう」(同)
「バイキング」は、これまでも元政治家をコメンテーターとして起用してきた。“不倫専門家”として宮崎謙介氏を出演させたこともある。
「妻の金子恵美さんも出演していますね。夫婦揃ってすっかりタレント化していますが、宮崎さんはいまだ不倫キャラが強すぎますし、喋りもあまり上手くない。金子さんが一緒でないと輝きません。むしろ金子さんは才色兼備で、視聴者にも受け入れられています。彼女が目指しているのは、一足先にコメンテーターとして活躍している杉村太蔵でしょう。ご存知のように杉村さんは、国会議員としてはたった1期しか務めていませんが、元国会議員の肩書きを最大限に利用しつつ、『サンデージャポン』(TBS)でイジられ、けなされ、叩かれてもへこたれない。むしろ笑いになるキャラを確立して、現在は『ワイドスクランブル』(テレビ朝日)のレギュラーです」(同)
やはりキャラが重要なのだろうか。
「そうですね。ただし、キャラの立ちすぎも問題です。バラエティやワイドショーが飛びついた元日本維新の会の上西小百合氏は、ヒールキャラがウケていました。ただし、物言いに品がなく、言動に不快感をもたれて、アンチが増えすぎてしまった。本気で嫌われたためにテレビでは使いづらくなった例もあります」(同)
なぜ元国会議員は重宝されるのか。
「やはり政治に対して強く物申せるのが強みです。豊田さんは、今のところいい人キャラに徹して解説していますが、彼女がもっと辛口のことを言ったらウケると思いますし、視聴者もそこに期待しているのだと思います。そろそろ本当のキャラを出していい時期でしょう。時には、暴言を吐くような物言いをすれば、絶対人気が出ますよ。東大法学部卒で頭脳には文句なし、官僚の世界も知っているし、国会議員としては2期務めていますからね。プライドも高そうですが、そこを抑えてイジられることに耐え、本気でコメンテーターを目指したら、杉村太蔵を超える存在になるかもしれません」(同)
果たして第2のキャラ変はあるのか。 
●「違うだろ!!」豊田真由子“復活劇”の舞台裏「上場PR会社の強力援護で…」 5/19 
「やはり“このハゲー”が強烈すぎましたからね。とくに髪の薄いスタッフは戦々恐々としていたようですが、実際に会ってみると、とても腰が低くて物腰もやわらかい。『本当にあんな発言したの?』とみんな首をかしげていましたよ。3月にお昼の番組に出演した際、坂上忍さんがブラマヨの小杉さんとそのまんま東さんを指して『ハゲ2人用意しています』と言ったのがよかった。収録にはすっかりリラックスして臨んでいますよ」
フジテレビ関係者が明かすのは、豊田真由子さんが舞台裏で見せた意外な“素顔”だ。豊田さんといえば、「東大卒」「厚生省(現・厚生労働省)のエリート」「ハーバード大留学」といった華麗なキャリアを引っさげて2012年に衆院選で初当選。さまざまな要職に就いて、「さあこれから!」というタイミングの2017年、男性秘書への「このハゲー!」「違うだろ!!」という暴言がクローズアップされ、暴行と傷害の容疑で書類送検されてしまう(のちに不起訴)。
「2018年の選挙には無所属で出馬するも落選。選挙事務所で、敗戦の弁を求められた豊田氏が、カメラの前で『本当に一生懸命、私なんかのために…』と涙ながらに支援者への感謝を口にしていたのが印象的でしたね。じつは以前から、豊田氏が男性秘書に詰め寄った際の言葉とされる『あるんでちゅか〜!』という赤ちゃん言葉が、一部のネット民の心に刺さったらしく『まゆちゃんをいじめるな』『まゆゆがんばれ』といった励ましの声も見られていました。3月から出ている番組では、ピンクや赤の女性らしい衣装で、フワッとしたヘアスタイルもさわやかな印象を与えています。『イメチェンしてかわいくなった』という声が聞かれ、何より官僚時代、新型インフルエンザ対策に関わったという経験を生かしたコメントが『わかりやすくていい!』と評判になりました。今回の“復活劇”を多くの視聴者が温かい目で受け止めているのも理解できます」(ネットウォッチャー)
そんな豊田さんは5月17日付の「スポーツ報知」に登場。インタビュー記事で、2017年の「このハゲ〜!」騒動についてこう振り返っている。
「あれは確かに私の声なんですが…。あんなふうになったのは人生一度きり。何を言っても遅いのですが、ただただ猛省しています」
さらに議員時代は睡眠時間が2〜3時間だったことや、騒動の後は体重が30キロ台にまで落ち込んだ“ドン底エピソード”を告白。3月9日に番組出演した際はかつての支援者から「泣きながら見たよ」と連絡が入ったことを明かしている。実際の紙面には見出しの上に「違うだろ!!」という爆弾風のフキダシがいくつもあって、今ではすっかりあの騒動と向き合っているような印象すら受ける。一応のミソギを済ませ、今後はコメンテーターとしてテレビにバンバン出そう…との憶測を寄せるのは、前出のフジテレビ関係者だ。
「じつは豊田さんには強力な支援者がついています。一部上場もしているPR会社の社長で、その会社は元日本代表のサッカー選手もマネジメントしています。その会社の名物社長が、昔から豊田さんと知り合いらしく、収録に付き添うこともあるそうです。仕事の関係というより、女同士の友情みたいな感じですかね。コメンテーターとして慣れない生放送の収録に挑む豊田さんにとっても大きな心の支えになっていると思いますよ」
その名物社長と思しき人物は3月にツイッター上で《彼女は毎回スタジオには大量資料を持ち込む。資料にはぎっしり赤ペン。本当の努力家だ。頑張れ!》(原文ママ)とつぶやいていた。
緊急事態宣言の解除によって、全国各地では「気のゆるみ」からくるコロナ拡大の第2波が懸念されている。今こそ豊田さんの「気のゆるみ、違うだろ〜!!」という力強いコメントが聞きたいものだ。 
 
 
●豊田真由子氏が「このハゲ」騒動を猛省 報道で体重が12キロ減る 6/1 
2017年、週刊誌の報道で秘書への暴言が明るみに出て、世間から大バッシングを受けた豊田真由子さん。順風満帆だった人生が一変しました。当時のことは「パニック状態で記憶が定かではない」というものの、沈黙を貫いてきた3年をどう過ごしてきたのでしょうか。
情報番組の出演依頼を受けた理由
現在、新型コロナウイルスにどう立ち向かうか、テレビで解説する機会をいただいていますが、出演オファーをお引き受けするまでは、ずいぶん悩みました。「あいつの顔など見たくない」といった視聴者からの抗議が殺到したらどうしようと、不安だったからです。
最初の出演は3月9日。当日の放送までどなたにも言っていませんでしたが、ずっと支え続けてくださった方々から、「うれしくて泣きながら観たよ!」というメッセージをいただきました。また一般の方々からも、思いがけず好意的なお言葉をたくさんいただき、少しホッとしたところです。一方で、私の出演を疑問視する声も聞こえてきます。当然ですよね。たとえどんな事情があろうと、私は決してしてはならない言動をしてしまいました。申し訳なく、いたたまれない思いは、今もずっと続いています。
あの騒動以降、私は人目を避け、隠れるように暮らしてきました。いろいろなメディアからのオファーも頑なにお断りしてきたのに、なぜ今回はお受けすることにしたのか。話は、新型コロナウイルスに関する第一報が流れた1月初旬に遡ります。
「中国の武漢で原因不明のウイルス性肺炎が流行」と報じられた頃はまだ、おそらく多くの方が対岸の火事を眺めるような気持ちでいらしたのではないでしょうか。でも私はすぐに、「これはマズいことになりそうだ」と察しました。「かなり情報統制をしている中国で、これだけ情報が出てくるということは、実際はもっと被害が出ているはず。日本も、適切な対応を取らなければ大変なことになる」と考えたのは、過去の経験によるものです。
私は、厚生省(現・厚生労働省)に在職中の2000年に国費留学生として、ハーバード大学大学院で公衆衛生学を学びました。そして、WHOからパンデミック宣言が出された09年の新型インフルエンザの世界的流行の折には、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部で、外交官としてWHOや各国代表とともに最前線で対処にあたりましたので、感染症対策への知見と経験があったのです。
とはいえ、もはや官僚でも政治家でもない私にはできることがありません。せめて現在の職場である社会福祉法人では、新型コロナウイルスに関する正しい知識を持ったうえで高齢者や園児に接してもらいたいと考え、職員向けに対処法を書きました。
同じものを、親しい友人が経営する会社内でも使ってもらえたらと思いメールで送ったところ、「これ、わかりやすい!」と周囲の方に広めてくれて、それがたまたま情報番組のプロデューサーの目に留まり、番組からの出演依頼となったのです。
戸惑う私の背中を押してくれたのは、「多くの人の命がかかっているときよ。不安な気持ちはわかるけど、あなたの知識をもっと広く伝えるべきだと思う」という友人の言葉でした。
大切な人の葬儀に出ることもできず
もう一つ、番組出演を決意した理由があります。テレビの依頼を受ける少し前のこと。議員になる前からずっと応援してくださっていた地元の方が亡くなられました。騒動を機に、私の周りからは多くの人が離れていきましたが、その方は私を見捨てることなく、「異国の丘」という歌の歌詞と「人生はいろいろなことがあるが、必ず朝がきます」と綴ったお手紙をくださいました。以来、心が折れそうなとき、何度も何度も読み返しています。その言葉にどれほど救われたかしれません。
訃報を聞き、すぐに駆けつけたい思いでしたが、私が伺うと、きっとご迷惑をかけることになる。ご家族は気にすることはないと言ってくださいましたが、どうしてもそうは思えず……。結局、ご家族のご厚意でお通夜の始まる前に、ひっそりと、最後のお別れに伺いました。そのとき痛感したのです。大事な方の葬儀に出ることすらできなくなった自分の人生って何なのだろう? 故人のご恩に報いるために、自分にできることはあるだろうか、と。
その結果、一人でも多くの方に、新型コロナウイルスの何がこわいのか、どうすれば感染を防ぐことができるのか、この先、世界はどうなっていくのかといったことについて、「できるだけ正確な知識をもとに、前向きに正しく恐れましょう」とお伝えすることが、自分の役割なのではないかと思うに至ったのです。
行ったこともなく、知り合いもいない選挙区で
私は、子どもの頃から自己肯定感が低く、それもあって人の役に立つ仕事に就きたいと思い続けてきました。学生時代に、児童養護施設や障がいのある子どもが通うデイサービスのボランティアをしたことで、より具体的に、医療や福祉、介護などの社会保障を良くするために働きたいと思うようになり、厚生省に入省したのです。
世間では、官僚は利権に汲々としていると思われているかもしれませんが、それは大きな誤解です。ほとんどの職員は、ただただ国民の役に立つことができればと、精一杯働いています。私もそうした思いで、入省後は懸命に働きました。
28歳で結婚し、07年に在ジュネーブ国際機関日本政府代表部に赴任。続いて、夫もパリ赴任となったので、2人の子どもは海外で出産することになりました。ところが、11年に帰国し厚労省に戻ったとき、雰囲気がずいぶん変わっていることに大きな衝撃を受けたのです。
というのも、09年の政権交代から省内では物事がうまく回っていなかった。東日本大震災の後、私は高齢者福祉を担当する部局におり、被災地の高齢者の姿に焦る日々でしたが、そうした危機的状況においても、政治が行政を信用せず復興が進まない。
だったら、私が政治側に行って、問題を解決します! と思ったのです。厚労省の仕事はやりがいも、同僚との絆も深かったので、辞めたいと思ったことは一度もありません。けれど、「なんとかしなくちゃ」という一心で、政治の世界へ飛び込みました。
一念発起し、たまたま自民党のHPで見つけた埼玉第4区の公募に応募。けれど、住んだこともなく、知り合いもいない選挙区だったうえに、長年、自民党が非常に弱く、それゆえ候補者が決まっていない地域だったのです。とにかく、地域の方を訪ね、直接会ってお話を伺い、自分は何ができるかを考える。その積み重ねで、だんだんと応援してくださる方が増えていきました。
議員となって以降も、早朝の駅に立ってから、電車に乗って国会へ。国会で質問をして、党の政策会合で議論を重ね、夜は毎日地元に戻る。いくつも会合を掛け持ちして、出席者全員にお酌をして回り、じっくりお話を伺いました。夜中に家に帰って、翌日の資料を読み込む。毎日2、3時間の睡眠でしたが、自分はそうやって認めていってもらうしかないのだと、思っていました。
ただ、今思うと当時は身体も心も疲弊し、もはや限界だったのだろうと思います。とことんまでやり遂げないと気が済まない、少しも手を抜くことができない私の未熟さが、自分も周りの人たちをも追い詰めることになっていたのかもしれません。
意識のあるときは、死ぬことばかり考えていた
17年6月、元秘書が豊田さんを週刊誌で告発し、「このハゲ〜!」という衝撃的な音声が連日テレビで放送された。豊田さんはその後、唯一答えた雑誌のインタビューで、事件当時は、数日の間に秘書が次々と「ミス」を重ねたために、地元支援者の信頼を損なう事態が相次いだと告白している。
必死で積み重ねてきた地元の方々との信頼関係がことごとく壊されていくという恐怖から、パニック状態に陥っていたのだと思います。報道された録音を聞くと確かに自分の声なのですが、あんなことを言ってしまっていたとは……。何を言っても遅いのですが、本当に申し訳ないことをしたと、ただ猛省しています。
最初の報道で私はショックを受け、精神科に入院。体重は12キロ減って、意識のあるときは、ずっと死ぬことばかり考えていました。なんとか踏みとどまれたのは、子どもたちに「自分の存在が、母を生につなぎとめるほどの価値を持たなかったのだ」という痛みを一生抱えさせるわけにはいかない、その一心からだったと思います。
ありがたかったのは、それでも応援してくださる方々がいたこと。友人たちが励まし続けてくれたこと。両親が私を信じ、そっとしておいてくれたこと。そして何より、家族が味方でいてくれたことです。夫にはたくさん迷惑をかけましたが、それでも私に寄り添い続けてくれました。別居したと報じられたこともありましたが、そんな事実はありません。
ただ私のせいで、何よりも大切で守ってやらねばならないはずの子どもたちをひどく傷つけてしまった。それは申し訳ないとか、可哀想なことをしたといった言葉では片付けられないことでした。
それでも子どもたちは、私の入院先に面会に来ては明るく振る舞い、つらい思いをしていることは、おくびにも出しませんでした。当時の記憶はあまりないのですが、なぜだか病室に家族が集まってピザを食べたこと、窓から遠くに小さく見える打ち上げ花火を子どもをひざに抱っこして観たことは覚えています。
騒動後も変わらず応援してくださった支援者の方々に報いたくて選挙に出ましたが、及びませんでした。その後は何をする気力もなく、子どもたちを学校に送り出した後は、ほぼ臥せっている生活。気持ちの整理がつかず、後悔や絶望で死にたいという思いにとらわれていました。もう顔を上げて歩けない、これまでの人生は全部壊れ、自分にはもう何もできることがないと、毎日悲嘆に暮れていたのです。子どもたちの授業参観にも行けず、運動会は変装してこっそり観に行き、人との付き合いもほとんどしない状態で……。
そうしたなか、ある支援者の方に「行政と政治の世界で仕事をしてきた経験があるのだから、これからは福祉の現場を知りなさい。そして、皆さんの役に立ちなさい」と声を掛けていただき、介護と保育を手掛ける社会福祉法人で仕事をするようになりました。今は、高齢者や園児のみなさんに接し、現場の職員さんたちの苦労や熱い思いにふれ、多くのことを学んでいます。
政界に戻る気などまったくありません
今でもインターホンが鳴ると、連日メディアにマンションを取り囲まれた恐怖がフラッシュバックし、家族一同、一瞬ビクッと固まってしまうのですが、事件当時に比べれば、平穏な暮らしを取り戻しつつあります。
議員だった頃は国会と地元に張り付いていて、子どもたちとふれ合える時間が本当に限られていました。今はとにかく子どもの話をゆっくり聞き、たくさんスキンシップをして、ようやく母親らしいことができるようになったと実感しています。最近はママ友ともよくお話しできるようになり、先日娘の友達を家にお招きできました。
復活を目指していると囁かれることもあるようなのですが、私にはもはや何の欲もないですし、もちろん政界に戻る気などまったくありません。
なんとか人の役に立ちたいと、小さい頃から走り続けてきましたが、結果として、大事なことをなおざりにしていたことにも気づかされました。地元でずっと「お母さん」と呼んでお慕いしている方が、「あなたは今も生かされています。これからは、ご家族のため、歯を食いしばって強く生きてください。料理洗濯掃除など、つまらないように見えてもとても大事なことです。心を込めて打ち込んでください」とメッセージをくださいました。今は、その意味がよくわかります。
私の母は、どんなことがあっても、どれほど体がつらくても、一日も欠かさず、朝早く起きてお弁当を作ってくれました。愛情表現が下手な母ですが、私たち姉妹は母の愛を疑ったことがありません。父はすごく厳しい人で、話をするときは今も緊張しますが、寝相のわるい私を心配して、いつも夜中に布団をかけ直しにきてくれていたことを、子どもの私はちゃんと知っていて、うれしかったものです。
自分の子どもには、「努力は報われる」と伝えたかったのですが、私は日本中から全否定された人間です。「たとえ一所懸命頑張ったところで、こんなふうに全部崩れてしまうのだったら、努力する意味なんてないじゃないか」と、子どもは心のどこかで思っているのではないか、と悩んでいました。
それが今回、大きな失敗をしてどん底でとことん反省し、自らを見直したうえで、新型コロナウイルス対策について発信する役割をいただいたことで、「努力は無駄にならないから、頑張ろうね」と、今一度、子どもに言える気がします。
私は、3年前、多くのものを失いました。けれど、私という人間と付き合ってくれていた人たちは、決して失いませんでした。そうした人たちに励まされて、どん底の日々を、どうにか生きてこられました。だから私も、必要とされ役に立つ存在でありたいと強く願っています。 
●豊田真由子氏、復活ーー「努力は報われる」と語る彼女に助言したいこと 6/4 
「自分の子どもには、『努力は報われる』と伝えたかった」豊田真由子
めぐり合わせが良いというか、それとも「持ってる」というべきかーー。
元厚生労働省官僚で元衆議院議員・豊田真由子氏が『バイキング』(フジテレビ系)に新型コロナウィルスに関して解説を行うコメンテーターとして出演したときは、一瞬目を疑ったが、豊田氏、実は米ハーバード大学大学院で公衆衛生学を学んだ感染症対策の専門家だという。ヘアスタイルを変えたせいかに若返ったように感じたし、コメントもわかりやすかった。
今から4年前の2016年、衆議院議員であった豊田氏は、秘書の男性に対する暴言や暴行を「週刊新潮」(新潮社)に報じられた。「このハゲ〜!」という豊田氏の怒声が、YouTubeチャンネル「デイリー新潮」で公開されると、パワハラの動かぬ証拠としてあっという間に拡散された。豊田氏はバッシングされ、自民党から離党。衆議院議員選挙に無所属で出馬するが、イメージダウンは避けられなかったようで、落選している。
以来、マスコミの前から姿を消していた豊田氏だが、新型コロナ関連のコメンテーター業が高評価だったからだろうか、「婦人公論」6月9日号(中央公論新社)で現在の心境を語っている。進学校として名高い名門女子校から東大法学部に進み、官僚に。言うまでもなくスーパーエリートであるが、その一方で気弱な素顔が見え隠れする。政治家に転身してからは、早朝に駅の前に立ち、そこから国会へ。その後は、党の政策会合、その後は地元に戻る。夜は会合で出席者全員にお酌をして回り、話を聞く。夜中に帰宅して資料を読み込むので睡眠時間は2〜3時間。二人のお子さんを持つ豊田氏は、これらに加えてお子さんと時間をもうけなくてはならなかったそうで、肉体的にも精神的にもギリギリの生活を送っていたと言っていいだろう。
こんな時、凡人や要領のいい甘え上手であれば、会合に優先順位をつけるとか、嘘をついて出席しないなどのズルをするのだろうが、豊田氏は自身のことを「少しも手を抜くことができない」と言っていた。「やれることは全てやっておきたいし、最善を尽くしたい(そして、能力が高いので、こなせてしまう)」という完ぺき主義者なのかもしれないが、存在するタスクを全てこなさないと前に進めないという意味では「タスクの奴隷」と見ることができるのではないか。 
●豊田真由子氏の官僚夫がSNSで悪罵連発 〈秘書たちは被害者面して…〉 6/18  
“このハゲーっ!”騒動からはや3年。近頃は新型コロナウイルスの解説役として引っ張りだこで、新境地を開拓したかにも見える豊田真由子元代議士(45)だが、
〈反省したからって許される話じゃない〉
など、ネット上は今も荒れ模様である。しかし、「実は最近、彼女の旦那さんが、ネット上の豊田さんへの批判に一つ一つ猛反論しているみたいなんです」と、永田町関係者。
あの妻を擁護するご亭主とは、一体いかなる人物か。
「国土交通省住宅局で室長を務める50代のキャリア官僚。出会いは、豊田さんが厚労官僚だったころ、お互い公費留学していたハーバード大学の大学院で知り合ったのがきっかけだったとか。夫婦の間に子供は2人。あれだけの騒動が起こっても家庭が崩壊しなかったのは、ひとえに旦那さんのお陰だったはずですが……」
この関係者が言葉を濁す通り、ご亭主のツイッターアカウントを覗いてみれば、豊田氏に抗議の書き込みをする人々に対して、
〈洗脳されてる残念な人〉〈お前最低〉〈それデマだから〉
高級官僚とは思えない悪罵を連投。さらに、
〈秘書たちは被害者面して集団リンチを楽しんでただけ。ヤクザよりたちが悪い〉
元秘書たちを反社呼ばわりする始末なのである。
先の関係者は嘆息する。
「しかも、投稿されているのは、平日の真っ昼間。室長がツイッターに興じていても仕事は回るのだから、奥様と違ってさぞ部下には慕われているんでしょう」
ご亭主に見解を尋ねると、「確かに僕のアカウントっぽいですけどね。(投稿したかどうか)覚えていないです。(私が投稿したのかどうかも含めて)調べてみます」と、完璧な霞が関文法で言い逃れ。メディアでは殊勝ぶる豊田氏も、元秘書たちに直接の謝罪はないという。図らずも夫が妻の無反省ぶりを暴露した格好だ。  
 
 
 
 

 
2020/7