古語クロスワードパズルを楽しむ

緊王琴能音小石して三千能威儀遠忌 介る盤草來皆なひき堂る春可多あ 
( 緊王琴の音 小石堪して三千の威儀を忌けるは 草 木皆なびきたるすがたあ ) 
 
古語クロスワードパズルを楽しみました 
私に古文書(文字)は読めません 
久しぶりに 気合を入れて格闘しました
 


  
出典は 国宝/手鑑「藻塩草」縁起断簡 作者/伝一遍  
パズル出題者 もみじさん 
ヒント 
1 いろはは変体仮名です 
2 「三千」は仏語です 
3 を「堪」とすると読み不明となります 
4 「介る盤」のは不明な文字です判読してください
 
変体仮名ってなぁに 
変体仮名を調べました 
予想もつかない当て字崩し字くせ字の世界でした 
感覚で見分けるしかなさそうとあきらめました
 
「三千」が仏語なら「緊王」も仏語と検索する 
「緊那羅」王に到達 
緊那羅は音楽の神で特に歌が美しいといわれる。仏教では乾闥婆と同様に帝釈天の眷属とされる。「大樹緊那羅所問経」に、香山の大樹緊那羅が仏の前で音楽を演奏し、摩訶迦葉がその妙なる調べに本来の気性や威儀を忘れて立ち上がって踊ったと ある。  
  
緊王琴の音(きんおうがそうのね) > 緊那羅王が奏でる 瑠璃の琴の音
  
「小石」と「堪」 
小石も心を込めれば立派なお供え物となるらしい 
「堪」は「供」にも見える 
仏のありがたさを信じる ( ただし弩素人判断で今も自信はありません )
 
小石(さざれいし)供(きょう)して > 心を込め小石を供え
 
「忌けるは」 
「忌」も仏語ときめてかかり 二文字の仏語らしい古語を探す 
「忌垣」(いがき)神聖な場所の周囲にめぐらした垣が見つかる 
雰囲気的には使えそうもなんとなく「垣」に見えてくるは「小」か  
とすると「忌垣(いがき)ける小(ささ)は」となるが 意味が見えてきません
  
「緊那羅」王の段での摩訶迦葉を思い出しました 
摩訶迦葉の故事を詳しく調べると 摩訶迦葉答えて曰く「自分でもどうしようもないのだ」と我を忘れて踊り狂ったとありました 
「忌」を「忘」としたほうが故事とのバランスがとれそう ならば単純には「れ」でよい 
「忌するは」は 「忘れけるは」となる 
不思議なもので「忌」が「忘れ」に見えてきました
  
は」のにぶつかる 
文脈としては主語に当たる言葉でなければなりません 
一文字で意味をもち 「小」に似た 左右対称の画数3-4の文字 
古語辞典をにらみました ありました 「巾」(はば)です 
意味は威勢・威光 用例は「はばをきかす」 
文脈は通じました 
(本箱の隅に追いやられていた「古語辞典」が50年ぶりに日の目をみました)
  
三千は「三千世界」で広い仏教の世界観 
威儀は仏教の「戒律」 
三千の威儀を忘れける巾(はば)は > 三千世界の戒律も忘れてしまう 音の威勢は
 
「草木皆なびきたるすがた」 
草木は威勢が盛んなことを形容していうことば 
皆は「すべて」 
なびきたるすがたは 従う・同意するありさま・様子 
「緊王琴の音」の恐ろしいほどの魅力を表すものでしょう
   
草木皆なびきたるすがた > すべての草木も従うような 魅力をもっている・・・
 
緊王琴の音(きんおうがそうのね) 
小石(さざれいし)供(きょう)して三千の威儀を忘れける巾(はば)は 
草木皆なびきたるすがた 
緊那羅王が奏でる 瑠璃の琴の音に 
心を込め小石を供え 三千世界の戒律も忘れて踊りだしてしまう 音の威勢は 
すべての草木も従うような 魅力をもっている・・・ 
南無阿弥陀仏
 
書蹟文献から正しい読みを入手 
「緊王琴の音に不堪して三千の威儀を忌 給けるには草木皆なひきたるすかたあか」 
もっともらしく解釈 (7/24 暫定)  
緊王琴の音(きんおうがそうのね)に不堪(たえず)して 
三千の威儀を忌(いみ)給けるには 
草木皆なひきたるすかたあか 
緊那羅王が奏でる瑠璃の琴の音の魅力に堪えられずに(踊りだすなら) 
三千世界の仏法に 慎み精進するには 
すべての草木がなびくように ただただ信じるが良い・・・
時宗では「阿弥陀仏への信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できる」と説いている。一遍の教えのとおりなら「念仏を唱えなさい」が相応しそう。(8/24)  
緊那羅王が奏でる瑠璃の琴の音の魅力に堪えられずに(踊りだすなら) 
三千世界の仏法に 慎み精進するには 
すべての草木がなびくように ただただ念仏を唱えるが良い・・・
  
書蹟文献を知るまでの怖いもの知らずの反省 
「堪」は「供」にも見える > 書道家の方からのご意見/人偏と土偏は明らかに筆の運びが異なり人偏ではないとのことでした 従って「堪」が正解 
「忌垣」は近代の表記らしい 万葉集 に「伊垣」とある 
「に[爾]」は「小」にしか見えません 見る経験を積むしかありませんね 
「小」「巾」は創作性において素晴らしかったのですが 物を知らないの一語でした 
縁起話を前提に文章を創作しすぎてしまいました

 
2009/7-8   
    
国宝/手鑑「藻塩草」縁起断簡 作者/伝一遍