親は親

かっこいい親 
みすぼらしい親 
恋人みたいな親 
友達みたいな親 
他人みたいな親 
老眼 
白髪 
短気 
狭くなる歩幅 
早起きになる 
病気と付き合う 
老いる 
子供に返る 
ボケる 
先に死ぬ 
でも死ぬまで親は親
 


  
嘘 
前年の夏7月17日突然父死ぬ 
そばの二期国立に受かり1週間在籍 
でも東京に出たかった 
国立夜間短大を受けなおす 
千葉の国立に行くと母に伝えた 
すぐバレた 
なにも夜間短大などと怒った 
半年口を訊いてくれなかった
  
遺産相続 
東京に出してもらったから権利放棄 
棺桶に近い順 
先に死ぬものに従うと上の兄に言う 
母怒る 
調停委員顔を見合わせ終わる 
母の考え通りになる 
しばらく口を訊いてくれなかった
  
下の兄が母を引き取る
  
看病 
春 
だめかな喪服抱えて帰った 
持病を抱えて義姉も疲れていた 
一晩代わった下の世話もした 
違和感はなかった 
母も気づかなかった 
山は越えた
  
虫の知らせ 
秋 
三日前佐野へ仕事で行った 
何とはなしに母に会いたくなった 
山前で降りた 
一緒に「峠の茶屋」でほうとうを食べる めずらしく母は残さなかった 
1986/10/28
  
(1939/10/29 四歳で逝った英夫の命日を後で知る)
  
十三回忌 
親父の三十三回母の十三回忌いっしょ 
始めてちょっと陽気な法要になった 
兄も姉さんも一仕事済ませた 
ご苦労様 1998
  
三十五歳 
母が死ぬまで三十五歳は縮まらなかった 
明治41年(1908)生まれ  
5人兄弟の末山田只刈・・・ 
二十歳代に東京へ奉公に出されたらしい 
勝気だった 
父と5人の職人の世話をした 
昭和30年代前半で染物は下り坂
  
父は上の兄に仕事を任せてすぐ老けた  
玄関の火鉢の前でキセルをくわえていた 
死んだ (1960/07/17) 
母の近所の遊び仲間が 皆先に死んだ  
母は 気弱になって老けた  
病気と付き合いきれなくなった
 
今度生まれ変れたら「ちょうちょ」にでも
  
導師 
死んだら戒名は要らない 
導師は内藤に頼む 
下手な読経を我慢する 
 
内藤が二度目の脳溢血で倒れたとのこと 
先日の同窓会で足利に遊びに来いよと言ってくれたのが耳に残る 
励ましになるか行く 
導師に先に逝かれては困るとでも言うか 2005/11/25
  
兄弟げんか 
皆大好きけんちん汁 
兄鶏肉をさらう 
他愛無いなつかしい
 
上の兄死ぬ  
小さな顔になっていた 00/11/22
  
「お兄さんが倒れた」留守電 
02/05/03 とりあえず足利に車を走らせる 
腎臓病の姉さんを大事にしていた  頑固慎重居士、恐かったのか自分の体は後回し 
脳溢血とのこと(5/1)安静が第一 顔を見ずに帰る 
02/05/11 日赤に見舞う、言葉もままならず妄想の世界 
02/06/14 伊勢崎美原記念病院に娘と見舞う、正気にもどる、真剣にリハビリに取組む 
  
 2003
  
腎臓の癌で入院とのこと見舞う 
歳か生き仏の練習をするように励ます 
2008/5/24

 
2000-2008/