大津絵

大津絵の筆の始めは何仏 
1691年(元禄4年)正月、義仲寺に隠遁していた芭蕉が詠んだ。
  
江戸初期、大津逢坂の関のあたりに無名の画工が軒を並べ、東海道を往来する旅の客に信仰の対象として仏画を描き売ったのがその始まり。大胆豪快な線は棟方志功の版画を思わせる。
仏画は以降、時代の変遷とともに諷刺、人物風俗、和歌等を添えた世俗絵にと移り定型化した。素朴で力強い線と単調な色彩、洒脱な描法が古典的な味わいを醸し出す。大津絵の画題は百数十種あるといわれているが、最も広く親しまれたものを「大津絵十種」と呼ぶ。「鬼の念仏」は大津絵の代表的な図柄で、鬼のような心を持っていながら口先だけで念仏をとなえて奉加帳を捧げて喜捨を乞う偽善者の姿を描いたもの。
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鬼の念仏と藤娘は大津絵の代表
 
 
 
 
 
 
   
   
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
  
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  
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2006/9 大津絵を見に行く、描く人の技量を知る。