洋食器

  
ウエッジウッド WEDGWOOD 
陶工の父ジョサイア・ウエッジウッド、1759年ストーク・オン・トレントのバースレムに開窯。初期は、ロココ趣味のクリーム色陶器の製造に代表される。1762年に工場をブリック・ハウスへ移転。彼が食器をつくるうえで何よりも大切に考えたのは、洗練された美しさと使いやすさを兼ね備えた新しい食器を生み出すことだった。研究熱心な彼は自分の妻に試作した食器の使い勝手を細かく聞いては作り直すという徹底ぶりだった。ひたむきな情熱と優れた創造力・独創性によって生み出されたのがアーザンウェア(硬質磁器)である。後にクリームウェアと呼ばれたこの器は、気品あふれる象牙色の光沢を持ち、大きな評判を得た。 
陶器を愛したジョージ3世の妃シャーロット王妃もクリームウェアにひかれ、1765年「クイーンズウェア」(女王の陶器)と命名することを許した、ウエッジウッドの名を世界に知らしめた秘話である。磁器に限りなく近い陶器の誕生で、それまで特権階級だけのものだった高品質の食器が中産階級にまで広った。ウエッジウッドの食器はイギリスだけでなく、ヨーロッパ全土の王侯貴族達の食卓を彩るようになった。彼の息子ジョサイア2世の時代、独特の白さと透明感を持つ堅くて丈夫なファインボーンチャイナが発明され、以来昔ながらの熟練した技術と時代の流行をミックスさせながら、料理がひきたつソフトな色合いの実用第一な食器を作り続けている、実用性・デザイン性の調和が人気の秘密である。 
イギリスにおける陶磁器は、ウエッジウッド、ロイヤルドルトン、ミントン、ロイヤルクラウンダービーなどの窯場が有名。それら窯場の多くは、イギリスの中央部スタッフォード州ストーク・オン・トレントにある。 近代イギリス陶工の父といわれるジョサイヤ・ウエッジウッド像が、駅前にある。彼は1759年ウエッジウッド社を創設、以来同社は数多くの陶磁器を作りつづけてきた。イギリス伝統の気品の高い陶磁器が紅茶文化に与えた影響は大きい。19世紀からの白い地肌と光沢を持った陶磁器「ファイン・ボーンチャイナ」は有名。 イギリスは現在世界有数の陶磁器の生産、消費国だが、歴史は古くない。中国、日本から17世紀陶磁器が伝わり、王侯貴族を魅了した。ヨーロッパ各地で磁器をつくる試みがなされ、イギリスでは18世紀なかばに牡牛の骨を粉末にして、陶土に混ぜて焼き上げる「ボーンチャイナ」が発明され発達した。この基を作り、技術発展の原動力ともなったのがウエッジウッド社だった。1765年シャーロット王妃からコーヒー&ティセットの注文を受けた。 
お茶が上流階級だけでなく一般階級近くまで楽しまれ、その興味がカップ、受け皿、ポット、やかん、ティーアーンと呼ばれたポットを暖めるものにもひろがっていた。日常品的になりつつあった。 
機能性を備えたデザインが要求され、時代の要請に応じて対応できたのがジョサイアであった。 
王妃からの注文に対応した、クリーム色の美しいシリーズは「クイーンズウエア」と呼ばれ、名声がヨーロッパに広がった。特に、ロシアのエカテリーナ女帝から注文を受けたディナーセットは、18世紀最高のものと評価されている。  
創業者ジョサイア・ウエッジウッドによって、1759年に創業される。その後、硬質陶器(クリームウェア)を開発、シャルロット王妃より「クィーンズウェア」の称号を贈られる。1774年には「ジャスパーウェア」を発表、ペールブルーの粗い素地の上にギリシア神話に基づく絵柄のデザインは瞬く間に有名になった。なお当時の代表作「ポーランドの壺」の意匠が現在でも同社のトレードマークとして使われている。 
2代目ジョサイア2世は牛骨灰を生地に混ぜて焼くことで、丈夫で美しい「ファイン・ボーンチャイナ」を完成させ、同社の名声を不動のものとした。以後、西欧陶磁器のトップブランドとして今日にいたる。 
代表的なカップデザインとしては上述の「ジャスパー」や「ワイルドストロベリー」などがある、ピーターラビットシリーズも有名。 
代表的なカップシェイプとしては、やや背の高いリー、背が低く開口部の大きなピオニー、寸胴型のインペリアルなどがある。同じデザインでも、リーではカップ外面にあった絵柄が、ピオニーでは内面に描かれるなど、シェイプの違いはカップ全体のイメージに大きく影響している。
   
ロイヤルドルトン ROYAL DOULTON 
創業は1815年、22才のジョン・ドルトンが、ロンドン、テームズ河畔ランベスにあった小さな窯の共同経営権を手に入れたことに始る。ドイツ・ライン地方のものに似た塩釉石器を作っていたが、二代目のヘンリーの時代に大きな発展を遂げた。 
ヘンリーは産業革命による都市化にいち早く対応、自ら土管など排水設備を研究、開発した。これがロンドンの都市計画の礎となり、事業は飛躍的に拡大した。製陶メーカーとしてゆるぎない地位を築き、1877年窯業の中心地ストーク・オン・トレントに窯を移した。造形、装飾さまざまな分野から優れた職人や芸術家を集め、さらにはボーンチャイナに着手するなど、新たな歴史を開いた。 
中国宋代の秘法だった独特の赤を再現した「ドルトン・レッド」、窯変の加わった「ルージュ・フランベ」などの技法は、現在でも当時のまま製作が続けられている。 
ヘンリーは、1887年窯業関係者としてはじめてヴィクトリア女王からナイトの称号を与えられ、1901年にはエドワード七世から王室ご用達窯の栄誉を授けられた。その後、ミントン、ロイヤルクラウンダービー、ロイヤルアルバートといったイギリス屈指の名窯を次々に傘下におさめて、世界最大の陶磁器メーカーグループとしてヨーロッパの陶磁界をリードしている。 
1815年ジョン・ドルトンによって創業。ファイン・ボーンチャイナをいち早く導入することで名声を確立。1887年2代目のヘンリー・ドルトンが、陶磁器業界で初の「ナイト」称号を授与される。1901年エドワード7世から王室御用達を許され、以後、社名に「ロイヤル」の名を冠するようになる。エリザベス女王・チャールズ皇太子からも御用達を指定されている。 
代表的なデザインは、白地にグリーンの帯を描いた「ビルトモア」および、ピーコックブルーの地色に金彩で東洋の花を描いた「カーライル」などがある。「くまのプーさん」「ブランベリーヘッジ」など児童文学のキャラクターシリーズも人気がある。 
代表的なカップシェイプは「グランビルシェイプ」である。すっきりと背の高いカップは、伸びやかな曲面の美しさとあいまってコーヒーカップとしては特に人気。
   
ミントン MINTON 
創業は1793年、ロンドンやストーク・オン・トレントで活躍した彫刻家でデザイナー、トーマス・ミントンである。ヴィクトリア女王が「世界でもっとも美しいボーンチャイナ」と絶賛した。ミントンの名を広く知らしめたのは企業家として有能だった二代目ハーバードで、父が追求した芸術性を重視しながらも、工場の近代化や人材確保に努めた。この時代に大理石のような輝きを持つパリアン磁器、金を腐蝕させて文様を浮き彫りにするアシッド・ゴールド、金を立体的に盛り上げていくレイズド・ゴールドなどの技法が開発した。1851年大英博物館はじめ、内外の博覧会で高い評価を獲得した。 惜しみなく金を使い、嗜好をこらした「シュルズ・ベリー」「ダイアデム」などは貴族趣味の極致ともいえる逸品。現在でも王室や貴族、上流階級の人々の間で人気が高い。一方もう一つの顔ともいえるのが第二次大戦後間もなく発表された「ハドンホール」である。イギリス陶磁界に多くの足跡を残したジョン・ワズワースの代表作で、ダービーシャーにある壁画とタピストリーにヒントを得て、一夜にして完成させたというエピソードが残っている。 
 ビクトリア女王より「世界でもっとも美しいボーンチャイナ」と賞賛されたミントンは、1793年の創業以来、純金を陶器の上に盛り上げるレイズド・ペイスト・ゴールト技法などの、豪華絢爛な貴族趣味が看板技。1948年以来、世界中で愛されている「ハドンホール」(イギリス・ハドンホール城のタペストリーガモチーフ)に見られる花柄も女性に人気が有る。今も世界中の王室に愛され、テーブルウェアの数々は「テーブルの貴婦人」の名を誇っている。 
1793年陶磁器転写用の銅板の彫金職人であったトーマス・ミントンによって創立。一貫して芸術性・装飾性に富んだ作品に取り組む。 
2代目ハーバードの時代に、気品ある大理石のような美しさを持つ「バリアン陶器」や、金を腐食させて紋様をつくる「アシッド・ゴールド」の技法など開発し評価を高める。3代目を受継いだ甥のコリンは、ルイ・ソロンが発明した「パテ・シュール・パテ」技法(粘土の重ね塗り)や、金を盛りつけていく「レイズド・ペイスト・ゴールド」技法などを確立。ヴィクトリア女王から「世界で最も美しいボーンチャイナ」との賞賛を得る。全世界の英国大使館で現在も公式食器として使用されている。 
ハドンホール以外の代表作としては、エメラルドグリーンの地色の上に「レイズドペーストゴールド」技法で金をふんだんに盛り上げた「シュルズベリー」がある。
   
ロイヤルクラウンダービー Royal Crown Derby 
イギリス国王ジョージ3世から「クラウン」を、ビクトリア女王から「ロイヤル」を冠された「ロイヤルクラウンダービー」。1784年の設立以来、日本の古伊万里の技法を取り入れた東洋的なデザインが特徴。
 
ロイヤルアルバート Royal Albert 
トーマスワイルドと息子トーマスクラークワイルドによって1896年に創業。1897年にはビクトリア女王の即位50周年記念式典の記念品を担当するなど次第に評判を高めた。現在は、ミントン社、ロイヤルクラウンダービー社と共に、「ロイヤルドルトングループ」の一員。1996年には創業100周年を記念し定番商品のオールドカントリーローズ&ムーンライトローズのペアマグカップセットを限定販売。
 
エインズレイ Aynsley 
炭鉱経営者ジョン・エインズレイが趣味の陶磁器作りを事業化するため、1775年ロンドンのレ−ン・エンドで誕生。イギリスで紅茶を飲む習慣が定着すると、タイミング良くティ−セットを発表したり、ボーンチャイナで成功したスポードを模倣したり、機を見るに敏な経営姿勢で人気ブランドの一つとして定着。 
代表的なカップシェイプは、コーヒーカップ風の「オーバン」と背が低くカップの開口部の大きい「アセンズ」とがある。他社のティーカップデザインに比べると「アセンズ」は直線的な印象を与える。 
エインズレイでは個々のシリーズ(図柄)にはっきりした名称がつけられていない、そのため数字や俗称で呼ばれたりすることが多い。
 
ボーンチャイナ 
陶器でも磁器でもないボーンチャイナの発祥の地はイギリス。白磁づくりに欠かせないカオリンという成分が、イギリスでは発見されなかったため、カオリンの替わりに牛の骨灰を利用して作られたのがボーンチャイナである。1750年に発明されてから、改良を重ね現在のような艶やかな地が出来上がった。また、牛の骨灰が原材料の50%以上をしめるものが、ファイン・ボーンチャイナでボーンチャイナよりもぬくもりのある白さが特徴的。
   
ロイヤル・コペンハーゲン ROYAL COPENHAGEN 
フォルムとデザインの美しさから芸術品としての価値も認められる、デンマークのブランド。ブーケを描いた「ブルーフラワー」シリーズやレース模様が美しい「ブルーフルーテッド」シリーズが有名。コバルトブルーの絵柄は、創業当時から現在に至までハンドペイントによる。
 
セーブル Manufacture Nationale de Sevres 
王室の窯「セーブル」はフランスでもっとも古い窯。1756年ルイ15世に愛されたポンパドール夫人の提案で王室御用達ヴァンセンヌ窯が、パリからベルサイユ宮殿のお膝元セーブルへ移された。1759年フランスの美と文化を伝える王立の製陶所として、ベルサイユ宮殿を飾り、時の王や王妃の日用品・贈り物に用いられ富と権力の象徴として発展した。国窯という性格から生産量は限定され、世の人々にあまり触れることなく「幻の陶磁器」と呼ばれた。現在でも年間の生産量は限定され、すべてに成型・装飾のなされた時代、職人のサインを表す“セーブルマーク”が施されている。
 
ラリック LALIQUE 
アールデコの優美さをガラスに映して、1905年誕生した「ラリック」。20世紀フランスを中心に、アールヌーボーやアールデコといった文化が花開いたなかで、一世を風靡した。1930年アールデコガラスの美術工芸家となったラリックは、日本皇族の照明器具と彫刻ガラスのドアを製作したことがあり、今でも東京都立庭園美術館(旧朝香宮廷)として現存している。培われた技術を生かし常に新しいものを目指すという精神は、孫娘のマリークロード・ラリック(3代目)に受け継がれている。
   
ジアン 
パリではジアンの食器を嫁入り道具にできれば本物のお嬢様。19世紀、世界各国の王侯貴族や富豪の紋章入りテーブルウエアを一手に引き受けていた由緒あるブランド。ジアンブルーの深みのある美しさに特長がある。淡い色調と丸みのある手触りが魅力の新シリーズ「モアゾン」は食器のサイズによって微妙にデザインが異なり、新鮮な魅力をかもし出している。
 
ロバート・アビランド 
フランスの食器通の定番になっている高級ブランド。人気は「グリーンマティニョン」のシリーズでアイビーのモチーフをひとつづつハンドプリントしたという繊細な色合いが魅力。
 
ベルナルド Baccarat 
ナポレン3世の王室御用達となったフランスのブランド。ピーチ、洋梨、サクランボが冠模様と調和し優しい印象。
   
バカラ Baccarat 
1764年ルイ15世の認可を得て、ロレーヌ地方バカラ村の地につくられたクリスタル工場がバカラの始まり。この村が選ばれた背景には、クリスタル工場に適切な自然環境と、当時増えつつあった失業者の救済があった。1823年、パリの万国博覧会で透明度の高いクリスタルに施されたカット技術に評判が集まり、金賞を受賞。これより、ルイ18世をはじめとする王侯貴族たちがバカラを求めるようになった。出荷までに40%あまりの製品が排除される厳しさで、針先の気泡・傷も許さない製品に対する真面目な態度、伝統を守るひたむきさで作られている。「王者たちのクリスタル」といわれる由縁である。
   
ジノリ Richard Ginori 
1735年イタリア・フィレンツェ、カルロ・ジノリ侯爵が自領ドッチアに創設した磁器窯からリチャード・ジノリの歴史は始まる。1730年代に至るまで、ヨーロッパでは磁器を作ることができず、中国や日本の磁器の精巧な美しさに人々は憧れていた。 
カルロ・ジノリ侯爵はトスカーナ大公国の要職にあり、時代の要求を敏感に察知する進歩的な人物で、鉱物学にも造詣深かった。自ら原料土を捜しペースト練りや発色の研究をして、イタリア発のドッチァ窯を誕生させた。開窯当初は1点制作の記念碑的作品に力が注がれてた。熟練した職人の数が少ない間は、型紙を使った一色のみの装飾であったが、間もなく多色による花房や花束、バラ模様などの見事な作品が生まれた。 
フィレンツェの田園風景にインスピレーションを得た花と果物の模様、神話をテーマにした浮き彫りなどは、この第一期(1735-1757)に始まる。 
第二期(1757-1792)ロレンツォの時代には新工場を建設し、土の改善によってさらに肌の白い磁器が出来るようになった。各国の君主、名家のための食卓セットや置物、特に小物類の種類が豊富になった。 
第三期(1792-1837)カルロ・レオポルドの時代になるとフィレンツェに最初の直営店ができ、一般の人々にも売られるようになった。ルネサンス絵画に深い関心を持ち、当時流行していたネオクラシック様式の製品にもそれが反映している。 
第四期(1837-1878)ロレンツォの時代にドッチァ窯は1300人の職工と11基の磁器窯を持つまでに成長。この産業発展の時期、ドッチァ窯は世界各地で行われた博覧会や展示会で、他のヨーロッパの名窯と優位を競い、一段と高い評価を得た。 
1896年、ドッチァ窯はミラノのリチャード社と合併。ここにリチャード・ジノリ社が誕生し、輝かしい第五期が始まる。伝統あるテーブルウェアに加えて時代の変化に伴い新しい需要が開発され、磁器製品の分野は広がった。20世紀前半のリチャード・ジノリを代表するのは、アートディレクター、ジオ・ポンティと陶工たちの共同作業によて作られた作品群である。全く他に類を見ないシンプルで洗練された美しさは、アールデコ期における万国博覧会の金賞に輝き、リチャード・ジノリのイメージを飛躍的に高めた。 
リチャード・ジノリ イタリアの人気メーカー、ワイルドストロベリーやミュージオホワイトが人気のシリーズ。最近、再び注目を集めているのが、20世紀屈指の建築家ジオ・ポンティがジノリ社のアートディレクターとして活躍した1920年代の復刻版。モダンな感覚が現代の食卓にあう。 
リチャード・ジノリ 1735年鉱物学に詳しかったカルロ・ジノリ侯爵が、独自の研究を踏まえてフィレンツェに近い自領ドッチァに窯を創設。2代目ロレンツォの時代に技術革新が進み、その白磁は「トスカーナの白い肌」と讃えられる。1896年にミラノのリチャード社と合併し、リチャード・ジノリに社名変更。1965年にはラヴェーノのイタリア陶磁器会社と合併し、イタリアの最大陶磁器メーカーになった。
   
マイセン Meissen 
15-16世紀、ヨーロッパで透けるような白さの東洋の磁器は王侯貴族たちの憧れとなり、こぞって収集するようになった。ドイツの王ザクセン候アウグストは磁器への愛着が深く、東洋の磁器に匹敵するような白磁を発明するよう練金工ベットガーに命じた、1709年待望の磁器を創り出し「マイセン」が誕生した。マイセンの双剣のマークには秘法が外へ漏れないよう守る意味がこめられていた。  
マイセン、小さな街有名になったのは今から約280年前だ。東インド会社が持ち込んだ東洋磁器は王侯貴族らに熱狂的に迎えられ、各国は競って磁器の研究に取り組み始めた。そして1709年、アウグストス2世の庇護のもと、ヨハン・フリードリヒ・ベッドガーが真正磁器の焼成に成功した。翌1710年、マイセン地方アルブレヒッブルク城内に硬質磁器製作所が誕生した。磁器焼成の秘法は「マイセン」からヨーロッパ中に広がり洋食器の歴史が始まった。 
マイセンの窯印 コバルトブルーのマイセンの窯印の双剣は1722年に採用された。窯印はシュヴェルトラーとよばれる窯印を描くことを専門とする絵付師によって一点一点手描きされる。アウグスト強王の紋章である剣の描き方は、歳月とともに微妙に変化があり、当初は剣が真っすぐで、鍔の部分はわずかに曲がり、柄頭も表されていたが、時代が下がると、よりサーベルに似た形となり、刃は優雅に湾曲し、鍔は真っすぐになり、柄頭は示されなくなった。また、刃の交差する位置もしばしば上下に移動、さらに、星型や点、弓形などのマークを双剣に書き添えられたものも現れた。こうした窯印の変遷は作品の制作年代決定の手段の一つとなっている。また、マイセン磁器製作所の商標として1875年以後、国内外に登録され、かつ法的に保護されている。 
マイセンの製造工程 
・素地造り ドイツ最小鉱山から採掘したカオリン粗原料を6-8週間寝かせ懸濁素地液を調合、加工に合わせ24-28%迄脱水し、棒状の素地を造り、最低3ヶ月間寝かせる。 
・成型 密度の高い素地とする為に今日でも足で回すろくろを使用している。鈴型を造り、石膏型に押し込んで成型、950度で地焼きを施す。 
・接合 彫刻家等の間で使用されるこの言葉は、像形磁器の個々を接合し全体像に仕上げる事を言い、その際に失われた表面の修復まで完全に行う為に用いられる芸術的表現。最も芸術的要素が必要で、工芸能力が求められる。 
・地塗り絵付け 地焼きの後、絵付けがされ、後に1400度の高温で2度目の焼きがあり耐えうる絵の具が必要。1739年から続く「ブルーオニオン」はクレッチマーによりコバルトに特殊な素地液を混ぜる事で完成された。絵付け後釉薬をかけて2度目の焼きが入る。 
・上塗り絵付け 2度焼きされた白磁の上に絵付けがされ900度で3度目の焼きに入る。1万色以上ある金属酸化絵の具により、鳥・花・果実などの着色・描写がされ、金彩加工後に3度目の焼成を行う。
   
フィッツェン・ロイター 
ドイツ・バイエルン州のゼルプで、カルル・マクダス・Fによって1814年に開業される。ロココ調を得意とし欧米では絶大な人気を得る。現在、欧州最大の生産量を誇る陶磁器メーカーに成長した。日本国内での知名度は低かったが、近年低価格なホームウェアの販売をはじめ徐々に認知度を高めている。
   
ヘレンド Herend 
ハンガリーのアボニー子爵がヘレンドに作らせたディナーセット「アボニー」シリーズが世界的に有名。きゃしゃで繊細なフォルムに加え、資料室から見つかった古いデザイン画を再現した「アピシウスのハーブ」が注目。真っ白な陶器に美しいハーブの絵柄が魅力。
 
  
  

  
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