焼物 産地 近畿地方  

きゅうさいやき 【休斎焼】 【信楽焼】 陶器 滋賀県 近江国水口 信楽焼の一種。近世近江国水口の茶人、休斎が製作した焼物。休斎の銘がある。
しがらきやき 【信楽焼】  陶器 滋賀県信楽地方 起源は平安末・鎌倉初期らしいが遺物はほとんど室町以降のもの。中世、室町時代、茶の湯の流行とともに茶器、花器なども作るようになった。白い長石粒がまじり、膚が薄柿色に焼き上がった粗い風合が賞された。日本六窯。
くさつやき 【草津焼】 陶器 滋賀県草津 天明年間に始められたという。信楽土で作り、草津焼の窯印がある。
うばがもちやき 【姥ケ餅焼】 陶器 滋賀県草津市  滋賀県草津市の街道茶屋・姥ケ餅茶屋の主人が創始。茶陶と茶屋使用の雑器の二種がある。創始の年代については、元文(1736-1741)頃と宝暦(1751-1764)頃との説がある。作品のなかでとくに黒楽茶碗は楽家の左入に託して焼いたといわれる。
ことうやき 【湖東焼】 磁器 滋賀県彦根市  滋賀県彦根井伊家の藩窯とその周辺で焼かれた。藩窯は1824年の14代直通亮に起こり、染付、赤絵が中心であった。次代の直弼の死後1862年に廃窯された。天保13年(1842)〜文久2年(1862)
ぜぜやき 【膳所焼】 瀬田焼 陶器 滋賀県大津市膳所  遠州七窯。元和8年(1622)〜
ばいりんやき  【梅林焼】 膳所焼風 陶器 滋賀県中之庄村梅林山 滋賀県膳所の陶商小田原伊兵衛が中之庄村梅林山の土を用いて焼いたが1代で廃窯。その後文政年間に梅林金三郎が焼いたという。茶碗・香合・花入などがある。享保の頃〜
まきやまがま  槙山窯 滋賀県信楽 伊賀焼の古窯場
あさひやき 【朝日焼】 陶器 京都府宇治市朝日山 山城国宇治 小堀遠州の指図で茶器を焼いたが一時絶え江戸末期に再興。遠州七窯。慶長年間(1569-1615)〜
きょうやき 京焼】 清水、粟田 陶器 京都府 京焼が盛んになり各地に大きな影響を与えるようになったのは仁清が現れてから。仁清が御室に窯を拓き/正保4年(1647)色絵を大成し、更に金銀彩を施した華やかな宮廷趣味の 焼物 ヤキモノ を始めてから京焼は作風が一変した。仁清の色絵の流れを汲むのは古清水でいろいろの窯が京都一円に興きた。また仁清とともに京焼に光彩を添えたのは乾山だが、個性的な乾山より通俗的な仁清の影響を受けたものの方が多い。清水・粟田は年とともに窯数も多くなり京焼の二つの中心地となった。京都で産する陶磁器の総称。 桃山時代末〜江戸時代三百年にわたる全国の指導的地位にあった。粟田焼の陶器と清水焼の磁器に大別。
あわたやき 【粟田焼】 京焼、粟田口焼 陶器 京都府京都市東山区粟田付近 京都粟田口 近ごろ京焼では清水焼が磁器で、栗田焼は陶器を主として焼造している。古くは栗田口焼があり、岩倉山・錦光山・宝山などが著名。近世以降、京都、粟田口から産した陶器。
おしこうじやき  【押小路焼】 陶器 京都市粟田口  京都市粟田口で寛永元年(1624)に開窯した三文字屋九右衛門の子の庄左衛門と助左衛門が、同押小路東洞院東入るで創業した窯。明和(1764-1672)までつづいた。
おむろやき 【御室焼】 仁清焼、おもろやき、仁和寺焼 陶器 京都府 江戸時代初期、野々村仁清が京都御室仁和寺の門前に開窯。智や仁金森宗和の指導で好みの茶碗、茶入、茶碗などを焼いた。仁清没後も継続され永楽和全もここで焼いたという。元禄初年で絶えた。仁清焼。おもろやき。仁和寺焼。
きていやき 【亀亭焼】 京焼 磁器 京都府 京都五条坂 京焼の一種。寛延年間、陶工和気平吉(亀亭)が京都五条坂に開窯、初め土瓶、土鍋などの雑器を製したが、二代亀亭(一説に三代)に至り有田焼に技法を学び磁器を作るようになる。
きよみずやき  【清水焼】 京焼 陶磁器 京都府 京焼の一つ。慶長の頃から京都の清水坂のほとりで製せられたもの。染付けに特色がある。明治以後の京都で産する陶磁器の通称になる。
かせやまやき  【鹿背山焼】 磁器 京都府相楽郡木津町鹿背山 文政10年に創始され明治頃まで焼かれ、染付けを主とした。
みぞろやき  【御菩薩焼】 京都府 京都深泥池付近  京焼の一種。江戸時代初期に洛北深泥池の近くで開窯され、仁清に似た色絵陶器をつくった。
らくやき 【楽焼】 陶器 京都府 初代長次郎に始まる京都の楽家代々の作(本窯)とその系譜を引く一族や弟子の作(脇窯)の総称。安土・桃山時代に帰化人・阿米夜が創始したとされる。千利休の創意を受けてつくられた茶碗など、茶の湯に大きな役割を果たした。茶碗は赤楽と黒楽が中心。
なるたきがま 鳴滝窯 京都市右京区鳴滝付近
いがやき 【伊賀焼】 陶器 三重県伊賀上野市付近 伊賀国阿山郡丸柱村 同地を領有した大名の名にちなみ筒井伊賀、藤堂伊賀、高魏(たかさと)伊賀などと呼ぶ。また、茶人小堀遠州の示教を受けたといわれるものを遠州伊賀という。天平年間(729-49)〜
ばんこやき 【万古焼】 古万古、弄山万古、江戸万古 陶器 三重県三重郡朝日町小向 伊勢国桑名 江戸中期元文年間、人沼浪弄山の創製した陶器。赤絵には独特の作風がある。元文(1736-41)の頃〜
しんばんこ 【新万古】 焼物 三重県四日市 明治以後発達した焼物。
こばんこ 【古万古】 陶器 三重県中部 伊勢国小向村 江戸時代元文頃、豪商沼波弄山が伊勢国小向村で焼いた陶器。
あこぎやき 【阿漕焼】 再興安東焼、安東焼 陶器 三重県津市阿漕ケ浦 三重県津市の阿漕ケ浦付近に産した陶器。再興安東。文久年間(1861-4)〜
あんとうやき 【安東焼】 古安東、万古焼風 陶器 三重県津市 安永・天明(1772-1789)ごろ津の藩主藤堂高豊侯が、万古焼の沼波弄山(ぬなみろうざん)の陶工・瑞牙を招いて安東村で焼かせたのがはじまり。作調は古万古風の色絵を主とするが、なかには焼締め無釉の素地に色絵付したものもあり、古安東の特色の一つになっている。安永・天明年間(1772-89)〜
あかはだやき  【赤膚焼】 常滑風、京焼風 陶器 奈良県大和郡山市、奈良市五条町付近 大和国五条村 室町時代に土風炉などが焼造され天正年間(1573-1592)に郡山の城主が常滑の陶工与九郎を招いて開窯。しかし江戸中期頃までは不明。天明年間(1781-1789)に京都の陶工治兵衛らが五条山で開窯。まもなく柳沢堯山侯の後援を得て盛業が続いた。奥田木白が名工として著名。京焼風の茶器などの陶器。遠州七窯。天正年間(1573-92)〜
ぎょうざんやき 【尭山焼】 赤膚焼 焼物 奈良県北西部 大和郡山 近世大和郡山城主、柳沢尭山が陶工に命じて庭園で焼かせた焼物。赤膚焼(あかはだやき)。
おとこやまやき  【男山焼】 磁器 和歌山県有田郡広川町 和歌山県有田郡広川町の辺りで文政10年から崎山利兵衛が焼いた磁器。文政(1818-30)の頃〜明治11年(1878)
ずいしやき  【瑞芝焼】 鈴丸焼、滅法谷焼、名草焼、紀城焼 磁器 和歌山市鈴丸丁  和歌山市鈴丸丁で焼かれた焼物で鈴丸焼、滅法谷焼、名草焼、紀城焼などとも呼ばれた。豪商阪上重次郎が享和元年(1801)に開窯、明治のはじめに廃窯となった。藩主治宝侯から瑞芝堂の書額を与えられたという。藩の保護厚く、木米もおとずれており影響を受けて青磁器にすぐれた製品を出した。享和元年(1801)〜明治初め
なにわやき 【難波焼】 高津焼、なんばやき 陶器 大阪市天王寺区高津 大坂高津 延宝の頃から焼き始めた陶器。雑器や茶器を焼く。なんばやき。
たかはらやき 【高原焼】 江戸高原焼 大阪市天王寺区小橋町付近 摂津地方にあった小窯の1つ。慶長年間17世紀初め、肥後熊本の人、高原藤兵衛が今の大阪市天王寺区小橋町付近で焼き始めた茶器で高麗写しが多い。2代目高原平三郎は片桐石州の推挙をうけて徳川将軍家の茶碗師となった。これを江戸高原焼という。慶長年間〜
おとわやき 【音羽焼】 京焼 陶器 大阪府貝塚市堀新町 京焼の一つでその源流にあたる。寛文年間の創始といわれる。享保頃京都五条坂に移された窯が五条清水焼であるとされ、初期の音羽焼は無印で古音羽という。寛永四年酒井庄太郎の創始により、大阪府貝塚市堀新町あたりで産した陶器。京音羽焼の分派とみられる。
こそべやき 【古曾部焼】 京焼系 陶器 大阪府高槻市古曾部 安土桃山末期から江戸初期に開窯。遠州七窯。京焼や絵唐津、高取焼などに似たものもあり赤絵に特色がある。寛政2年(1790)〜明治末
きっこうやき 【吉向焼】 亀甲焼 大阪市十三  吉向治兵衛が大阪の十三に開いた窯。通称亀次に因んで亀甲焼といったが大阪寺社奉行水野侯から「吉向」を拝領した。陶技・意匠にすぐれ近世屈指の名工に数えられ、後に江戸に移って文久元年(1861年)に没した。五代目のとき二家に分かれ、東大阪市日下町の十三軒、杖方市の松月軒がそれである。亀甲焼。文久元年(1861)〜
みなとやき  【湊焼】 大阪府堺市  創始は天正とも延宝ともいうが起源は室町以来の泉州で焼かれた素焼の湊焼の塩壷にはじまる。堺市西湊の産。一説に楽三代道入の弟、吉右衛門が明暦2年(1656)に堺にきて楽を焼いたという。赤楽が多く、左海焼の箱書きがある。その後「本湊焼」「湊焼」「泉州堺本湊焼吉右衛門」の印を用いている。室町以来
すえむらこよう 陶邑古窯 須恵器 大阪府南部丘陵 五世紀から平安時代
あかしやき 【明石焼】 陶器 兵庫県 明石 播州明石地方 幕末、播州明石地方産の陶器。元和年間(1615-24)〜大正年間
まいこやき  【舞子焼】 仁清風 兵庫県明石市大蔵谷  文化7年(1810)兵庫県明石市大蔵谷で三国久八が焼いたもの。寛政年間に衣笠宗兵衛創始という異説もある。作風は仁清風である。文化7年(1810)〜
あこうやき 【赤穂焼】 雲華焼、江戸今戸焼風 陶器 兵庫県赤穂市 兵庫県赤穂市の焼き物。幕末大島宗舟が江戸今戸焼に陶法をならい開窯。雲華焼を主としたが、楽焼、交趾写しなども作っている。幕末〜
こたんば 【古丹波】 【丹波焼】 陶器 兵庫県多紀郡今田町 丹波焼のうち桃山時代以前のもの。兵庫県多紀郡今田町付近の山間で焼かれ、大がめ、壺などがある。
たんばやき 【丹波焼】 【古丹波】 陶器 兵庫県多紀郡今田町 丹波国多紀郡今田(こんだ)村 常滑焼の影響を受け中世に始まり焼締の壷・甕・すり鉢をつくった。ビードロ色と呼ぶ苔生したような凄みのある深い緑の自然釉のかかる作品が特色。奈良・平安時代の須恵器の流れをくみ窯跡が残っている。鎌倉時代に中世陶器(焼締め陶)に転化し丹波焼がはじまったと推定される。日常雑器を焼いたが、桃山から江戸時代には茶陶にみるべきものを残した。
いずしやき 【出石焼】 伊万里風 磁器 兵庫県出石町 創始は明和元年(1764)長谷治郎兵衛と伊豆屋弥左衛門が出石町細見で開窯した土焼窯であるが、のち享和元年(1801)出石町谷山に移窯して、伊万里風の磁器を焼き盛業をみた。明和元年(1764)〜
あわじやき 【淡路焼】 陶器 兵庫県三原郡南淡町付近 伊賀村 文政2年伊賀村の賀集娶平(かしおみんぺい)の創始。黄色の釉を用いる。文政年間(1818-20)〜
しではらやき 【志手原焼】 陶器 兵庫県三田市志手原 江戸時代、宝暦・明和期に小西金兵衛の創業。中国風の青磁、染付、呉須赤絵、色絵などの陶磁器を焼いた。現在は日用雑器だけを産出。
ささやまやき  【篠山焼】 篠山青磁 磁器 兵庫県多紀郡篠山町 江戸後期、篠山城主の御用窯として開窯。当初は青磁を特色としたが、現在は染付、赤絵も焼く。篠山青磁。
おうじやまやき 【王地山焼】 磁器 兵庫県多紀郡篠山町 青磁が優秀である、ほかに染付・赤絵もある。文政(1818-20)初年〜明治
たちくいがま 立杭窯 【丹波焼】 陶器 兵庫県多紀郡今田町 兵庫県多紀郡今田町上立杭・下立杭付近の古くからの窯場。
おとこやまやき  【男山焼】 陶器 兵庫県姫路 明治10年兵庫県姫路で士族への授産を目的に男山で焼いた陶器。4〜5年で廃された。
とうざんやき 【東山焼】 磁器 兵庫県姫路市東山 東山に文政年間(1818-1830)開窯、のち酒井家の御用窯となり、天保2年(1831)には男山に移窯。作品は染付や青磁で男山藩窯の時代が特にすぐれている。明治9年(1876)旧藩士を集めて授産のため大蔵前に永世舎が設けられ、男山窯の陶工もここに移ったが、同15年ごろにはこれも廃窯となった。文政年間(1818-30)〜明治15年
さんだやき  【三田焼】 磁器 兵庫県三田市三田 摂津国 寛政年間(1789-1801)〜大正時代

   
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