つがるやき |
【津軽焼】 |
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陶器 |
青森県弘前市 |
津軽地方 |
文化年間〜 |
しろいわやき |
【白岩焼】 |
相馬藩大堀窯風 |
陶磁器
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秋田県仙北郡角館町白岩 |
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相馬藩大堀窯の陶工・松本運七が開窯。明和8年(1771)〜明治33年 |
げんばやき |
【玄馬焼】 |
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陶器 |
宮城県 |
仙台堤町 |
幕末、仙台堤町で佐藤玄馬が焼いた茶碗。 |
つつみやき |
【堤焼】 |
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陶器 |
宮城県
仙台市堤町 |
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江戸の陶工上村万右衛門がはじめたという。特に「堤人形」が有名。元禄頃〜明治以降は主として日用品を焼く。 |
きりこみやき |
【切込焼】 |
伊万里風 |
陶器 |
宮城県仙台市北三番丁 |
陸前国 |
伊達政宗のとき今の仙台市北三番丁で鎌田某が創始したと伝えられ御用達もあった。伊万里の陶工を招き加美郡切込村(宮崎町切込)にも開窯。嘉永・安政年間(1848-60)が最盛〜明治廃藩まで |
あいづやき |
【会津焼】 |
本郷焼、若松焼 |
磁器 |
福島県会津若松市 |
会津地方 |
正保年間に始まり、のち白磁染付けなども産したが日用品が多い。本郷焼。若松焼。正保4年(1647)〜 |
ほんごうやき |
【本郷焼】 |
【会津焼】 |
磁器 |
福島県大沼郡本郷町 |
会津地方 |
17世紀半ばに会津藩主・保科正之の命で、美濃の陶工・水野源左衛門を招き、瓦とともに茶陶をつくらせたのが始まり。磁器は18世紀末よりつくり始めた。 |
わかまつやき |
【若松焼】 |
【会津焼】 |
磁器 |
福島県 |
会津地方 |
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そうまやき |
【相馬焼】 |
駒焼、相馬駒焼、京焼仁清風、磐城焼 |
陶器 |
福島県相馬市中村 |
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砂質の生地に青磁色の釉を掛けてひび焼にしたもので楽焼に類し、相馬にちなんで走る馬の絵を金色に描いたもの。慶安年間、仁清に学んだ田代清治右衛門の創始とされる。元禄年間開窯のものもある。1648年〜 |
こまやき |
【駒焼】 |
【相馬焼】 |
陶器 |
福島県相馬地方 |
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多く走る馬を描くところからいう。相馬焼。 |
かさまやき |
【笠間焼】 |
相馬焼風 |
陶器 |
茨城県笠間市付近 |
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安永年間(1772-1781)、久野半右衛門が信楽の陶工、長右衛門を招いて開窯した。後に、藩窯となった。土瓶や甕、壷などの日常雑器が主である。 |
こすなやき |
【小砂焼】 |
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陶器 |
栃木県 |
下野国那須郡小砂村 |
江戸時代、安政年間に下野国那須郡小砂村で、藤田半兵衛が藩主の命令を受けて焼いた楽焼に似た陶器。おもてに「小砂」の文字を刻んだところからいう。 |
ましこやき |
【益子焼】 |
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陶器 |
栃木県芳賀郡益子
町
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嘉永6年(1853)大塚啓三郎が同地の陶土を発見して創始。京焼系の相馬焼の流れをくみ、水がめ・土瓶・火鉢など日用雑器を作った。近年は壺・茶碗・茶器などの民芸陶器によって知られる。 |
あいかわやき |
【相川焼】 |
金太郎焼、無名異焼 |
陶器 |
新潟県佐渡相川 |
佐渡国相川 |
佐渡相川鉱山の土を原料にした陶器。日用粗陶製品が多い。金太郎焼。無名異焼。 |
むみょういやき |
【無名異焼】 |
【相川焼】、楽焼風 |
陶器 |
新潟県佐渡相川 |
佐渡国相川 |
相川焼の一つ。弘化年間(1840年代)に佐渡金山の酸化鉄を含んだ無名異土を原料として伊藤甚平が楽焼風の朱泥焼をはじめた。明治になって三浦常山がこれを改良した。 |
きんたろうやき |
【金太郎焼】 |
【相川焼】 |
陶器 |
新潟県佐渡相川 |
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寛永12年に黒沢金太郎が開窯した。土質は堅く釉はねずみ色を呈する。相川焼。 |
しばたやき |
【新発田焼】 |
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陶器 |
新潟県新発田市 |
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黒色の光沢のある陶器。 |
かいすいえんやき |
【魁翠園焼】 |
楽焼風 |
陶器 |
東京都
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江戸郊外角筈 |
御庭焼。美濃国高須城主松平氏が、江戸郊外角筈にあった下屋敷で、嘉永年間、瀬戸の陶工を招いて焼成させた楽焼風の陶器。「魁翠園製」の印を押してある。 |
こうらくえんやき |
【後楽園焼】 |
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陶器 |
東京都
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御庭焼。水戸徳川家の江戸中屋敷にある後楽園で焼成された陶器。宝暦年間に創始され、高台に後楽園製または後楽の円印が押してある。江戸時代 |
いまどやき |
【今戸焼】 |
楽焼風 |
陶器 |
東京今戸町(浅草付近) |
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天正年間(1573-1592)頃、千葉家の一族が現在の東京都台東区に開窯し瓦や土器をつくった。後に今戸焼人形といわれる塑像が知られる。貞享年間(1684-8)〜 |
すみだがわやき |
【隅田川焼】 |
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陶器 |
東京都墨田区向島百花園 |
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佐原菊塢が墨田区向島百花園内に起こした楽陶。隅田川中州の土で、多く都鳥の絵の器や都鳥の香合をつくり、当時の名物としてもてはやされた。桜花内に「隅田川」と銘のあるのは、13代将軍家定のお成りの際、2代菊塢がつくったもので、「百花園」の銘は明治以降の製にある。文政2年(1819)〜 |
さんらくえんやき |
【三楽園焼】 |
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焼物 |
東京都
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江戸牛込原町 |
御庭焼。江戸時代嘉永年間に新宮藩主水野土佐守が
自
邸の窯で焼かせた焼物。器底に「三楽園」の印。 |
けんややき |
【乾也焼】 |
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陶器 |
東京
都
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向島長命寺 |
三浦乾也が明治8年東京向島長命寺に開窯して焼いた陶器。 |
いりやけんざん |
【入谷乾山】 |
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陶器 |
東京都台東区 |
江戸入谷村 |
尾形乾山作の陶器で江戸入谷村で作成されたものの称。 |
おおたやき |
【太田焼】 |
薩摩錦手
風
、真葛焼 |
磁器 |
神奈川県
横浜市中区南太田町 |
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明治4年鈴木佐兵衛が京都清水、真葛原の陶工を招き、鹿児島から土を取り寄せて焼いた。薩摩錦手に似る。真葛焼。 |