バブル

 

大恐慌モデルは後知恵よりも多くを教える日本の大不況の真実21世紀の国富論日本のバブルバブル景気バブル崩壊バブルと経済政策1929年アメリカ大恐慌経済停滞の原因と制度次なるバブル予測原油バブルは必ず崩壊するアメリカ経済に危機は生じるか老人税まんが八百長経済大国の最期第四の国難次にくる波国家破産以後の世界国家破綻最終章歴史は繰り返す米国株価
 
知られざる常識 
金融界の失態・失敗は数年で忘れ去られる 
「金と知性は密接に結びついている」幻想が信じられている 
結構真面目な人も群集の中では馬鹿になる 
最後は誰も責任のとりようのない現実逃避で幕引きとなる
  
チューリップ 
1630年代オランダで、美しさと稀少性で価格上昇 
ついには地中の球根まで転売された 
1637年賢明な人・神経質な人が手を引くと、売りは売りを呼び終わった
  
サウスシー会社 
イギリス1720年始め政府債務の引き換えに株式発行許可を取る 
多くの貿易独占権を得る 
貴族、政府閣僚、地主たちの誇りも満たし時流の株式となる 
社内の利食い売りが暴落の引金となった
 
新世界アメリカ   
 
  
大恐慌

(1) そのころの世相  
1914年から1918年にかけて戦われた第一次世界大戦後、1920年代のアメリカは大戦への輸出によって発展した重工業の投資、第一次世界大戦帰還兵による消費の拡張、自動車工業の躍進、大戦後の疲弊により荒れ果てたヨーロッパとは対照的に、ヨーロッパなどへの輸出の増加などによって好景気に湧き返っていた。この時代、アメリカは一転して世界の債券国になったのである。自由放任主義の貴公子と称せられるクーリッジ大統領の時代、同業種企業間の水平合併が相次ぎ巨大企業の誕生、また、チェーンストアー組織も現れるようになった。1921年の不況から1929年の間に、GNPは実質45.6%の上昇、中産階級の出現、電化製品の出現による家事からの女性解放、モータリゼーションのスタートとともに社会風紀も乱れ始めていた。その頃の社会様相を表現していた文を以下に載せるが、背景こそ違うが大衆心理などには日本にも心当たりのところがある。  
[引用] 「ペッティング・パーティーや夜明け前のドライブ、女性の髪とスカート丈はだんだん短くなり、裸の足を人前に晒すようになり、まるで銀幕のスターを真似た厚化粧、デリカテッセン(サンドイッチや持ち帰り用の西洋風惣菜を売る飲食店)による家庭料理の破壊、自動車の価格下落が不義の流行をもたらし、女に教育を受けさせたら結婚を軽く考えるようになった」  
1920年代前半には既に農作物を中心に余剰が生まれていたが、ヨーロッパへの輸出に振り向けられたため問題は発生しなかった。が、農業の機械化による過剰生産とヨーロッパ農業の復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が発生する。それに加え、戦後の住宅建設大ブームが終焉し鉄道や石炭産業部門も不振になっていたにもかかわらず投機熱があおられていた。  
1929年9月3日にはダウ平均株価381ドル17セントという最高価格を記録している。また、28年中には153,000株のうち150,000株を売却していながら、デュポンとGMの重役を兼務するジョン・ラスコプは「だれもが金持ちになるべきだ」と、株買いをすすめる内容をジャーナル誌に起稿をもしている。そのような状況で迎えたのが暗黒の木曜日(Black Thursday)こと1929年10月24日である。前場中盤頃から売りが膨らみ株式市場は11時頃までに売り一色となり株価は大暴落した。12時頃に NewYorkの4大銀行を含む大物の銀行たちが集まり、数分後、市場沈静化させるために各自200万ドルをプールし買いささえを決定、効果は敵面だった。立ち合い終了後、顧客をなだめるため35社の大手証券が集まり「今が底だから株を買うように」と、ニューヨークタイムズに前面広告を出している。そのような情勢のなかで国債などの債券市場への資金の流れが加速する動きがあらわれていた。そして、10月29日、24日以上の大暴落が発生する。この日は取引開始直後から急落を起こし投資家はパニックに陥り株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めた。  
この時代の相場の様子を、「個人店経営者・運転手・労働者・パートタイム・内職に精を出すものまで相場に手をだし、なかには、カジノまがいの賭博場と化していたところもあった」という表現で説明されている。その後、株価は1930年4月を戻り天井に、どこまでも果てしなく下がりつづけ、30年夏からは銀行危機、31年からは国際通貨危機が加わり、3年後には82%の時価総額を失うまでになる。こうしたなか、フーヴァー並びにそれに続くローズヴェルト大統領は、互いに信念は違えども積極的な経済建て直しの政策を行っている。  
一方ヨーロッパ大陸では、世界恐慌の始まりとされている1931年5月11日のオーストリアの大銀行クレジットアンシュタルト(ロスチャイルド男爵により設立)の破綻、突然閉鎖が起こっていた。独オーストリア関税同盟に対抗するフランスの経済制裁によりオーストリア経済が弱体化し輸出が激減し経常収支が赤字となり、融資が焦げ付いたことから突然閉鎖された。この銀行の破綻の結果、ドイツの銀行が倒産し、東欧諸国と世界にその影響が及んでいった。1939 年、ドイツ軍のポーランド侵攻を契機に第二次世界大戦へと継っていく。そして、アメリカ経済の本格的な回復はこの第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気により回復したというのが一般論である。  
これら一連の流れを振り返ると、時代背景こそ違うが、社会の動向・大衆の心理など、日本の「土地バブル」、そして、アメリカの「金融バブル」の社会背景・大衆心理と重なり合って映るものがある。そして、大不況の後始末に関する政策の是非をめぐっての研究のみが経済学では論争になっているが、大不況を引き起こした原因の研究はそれほどでもない。研究テーマとしては乏しさに欠けるからであろうか。ちなみに、大不況になる前の措置を講じなかった大統領は自由放任主義の貴公子と称せられるクーリッジ大統領ではなかろうか。今後40-50年先の金融バブルの解説文として、ブッシュ大統領のときに発生した程度の説明で、次期アメリカ大統領の政策責任が話題に上ることになるのだろう。 
(2) 政策と金本位性  
アメリカ株式市場が暴落する以前からも、企業在庫が増え生産を控え始めており、この年の秋頃には企業は労働者を解雇し始める動きが広まっていた。そのような中、大統領フーヴァーは電力・天然ガス・電話産業への支出の増加を要請している。このような公的事業は増加をたどり、株価暴落について、この国の基本的な事業、すなわち財の生産と分配は、健全かつ繁栄の基礎の上にあると述べ、歴史的な危機が株式市場のみに現れたものと考えていた。事実、大暴落のなかでも銀行は比較的に安泰であり銀行の倒産・閉鎖件数も前年と比べても際立った変化はしていない。企業倒産件数・卸売物価なども然りであった。  
1929年6月には、後に史上最悪の立法と呼ばれるようになる「スムート・ホーリー関税法」に署名し、その結果、ヨーロッパ各国は直ちに報復関税を実施しヨーロッパ各国に投資されていた資金はアメリカ国内に向かいヨーロッパは資金不足に陥り始めたのもこの時期である。そして間もなく、中小企業の投資と住宅投資の大幅な減少が、公的事業の増加分を打ち消し始め、10月から12月にかけて農地価格と鉄道債券価格の下落により多くの銀行が倒産し始め、アメリカ経済は異常な状態になり始めていき、それ以降、株価は1930年4月を戻り天井に、どこまでも果てしなく株価が下がりつづける如き状態になる。  
[注釈: 金本位性について]...以降、金本位性について多少説明する。金本位制が確立されたのは1816年1ポンド金貨が鋳造されたことから始まる。金本位制度には、金の自由な輸出入・銀行券の金貨への兌換、そして、自由鋳造である。自由鋳造とは所有者の意思により金貨にもなり金地金に戻すこともできることである。また、平価切下げとは価格単位が含んでいる金量を減らすことであり、再建金本位制とは金地金や金量をしめす外国為替をもって兌換の対象とすることである。また、国内景気が悪化すると金本位制のもとでは通貨(金)が金地金などになり外国へ逃避し減少するという厄介な問題もそこには内在している。  
第一次世界大戦によってヨーロッパ諸国のアメリカへの債務負担をより深刻なものにさせたスムート・ホーリー関税法により、第一次大戦により工業地域を失い植民地を失い賠償の重みにも苦しめられていた再建金本位制をひくドイツが、オーストリアの大銀行クレジットアンシュタルトの突然の閉鎖により、ドイツ国内銀行が取り付け騒ぎに会い、再建金本位性の停止に追い込まれ金の流出にともない国内経済はますます苦境に立たされることになる。ちなみに、そのころのドイツの金融商はユダヤ人が多かった。その後、イギリスも再建金本位性の停止に追い込まれ、最後にフランスも再建金本位性の停止に追い込まれていく。  
アメリカ同様ヨーロッパ各国が不況色を強めていくなか、フーヴァーのあとをついだローズヴェルトは国民の1/3は失業という状態のなか、TVA(テネシー渓谷開発公社)を設立し総需要政策にのりだすが、歴史的に見て、景気の悪化を食い止める役割だけで総需要政策には役に立たなかったというのが通説である。経済の大異変時に於いて公共事業による総需要政策の有効性また大不況からの脱出の政策について議論の余地を残すものとなった。  
このアメリカのニューディール政策により膨大な財政支出がつきまとい、公債の発行がインフレの原因にもなりかねぬ恐れと、しかも、金本位制のもとではそれが困難なことにより、金本位制を停止し1933年平価を切り下げ1オンス(約31グラム)=35ドルとし外国の政府や中央銀行に対してのみ金を売る、兌換することにしたのである。それ以降、他の資本主義諸国の通過はドルとの交換を通じて間接的に金地金と結び付くことになり、金融政策を可能にさせる管理通貨制度(金利政策・公開市場操作・準備金制度)のもとでその後各国が発展していくことになる。  
国民の1/3は極貧と化したアメリカのこの大不況の状況の記述を一部引用させてもらう。 1/3の国民が困窮しているなら、2/3の国民は悪い状態に置かれていなかったことも指摘しておかねばならない。上流階級は相変わらず優雅な生活を送っていた。レストランで食事をする余裕のある者は皿の料理を幾分か残すことがエチケットとされた。(レストランの側ではそれをきれいに区分けし残飯として外に出し、赤十字などの慈善団体が毎日それを市内の所定の場所に運ぶのだった)。人間の尊厳をも否定され屈辱に耐えて救済にすがる家族もあれば、マニキュアの爪にひらひらの洋服を着て苦労を知らぬげに救済事務所で働く大学出のお嬢様もいた。 ----- 略 ----- 大不況期に子供時代を過ごした世代にとって失われたものは大きかったが、それでも悪いことばかりでは無かった。両親の苦労を見て育った子供は、早くから両親の助けになろうと一生懸命だった。家族が生きていくためには十代世代とて無為に時間を過ごす訳にはいかなかった。やがて、かれらは信頼性・自立心・秩序・他人への思いやり・金銭感覚など近代工業社会では美徳とみなされる性質を身に付けていった。  
このように世界経済の歴史を見ていくと、資産の絶対尺度として「金(ゴールド)」が浮かび上がってくる。資産家は平穏無事の時にはこのゴールドを通貨に替え投資し資産を増やし、危険を感じるとゴールドへ替えて資産の保持を企てる。それが、1971年のニクソン・ショックによりドルと金の交換が停止され、資産の尺度としてアメリカ・ドルがその地位につき、資産家はドルの為替レートと国際収支に敏感に反応するようになっていく。  
今回のアメリカ発金融危機で11月4日以降に計画されている、サッミト参加国に中国やインドなど新興国も加えた緊急首脳国会議で討論されるであろう国際通貨のあり方、EU議長国のフランス・サルコジは金融関連や格付け会社への規制強化・経営者の報酬制限などに関し「市場ルールの再構築」を表明し中国・インドにも説得工作に動いている。反面、苦境に立たされているアメリカ・ポールソンは中国の「ドルの堅持」を表明したことに絶賛を加えているが、ここにきて資源囲い込みを行っていた中国の損失が一挙に表面化してきている。  
この上、各国が保護主義に走れば第三次世界大戦の前触れである。 
(3) 国際通貨ドル  
第一次世界大戦、そして、ファシズム・国粋主義の台頭により忌まわしい弾圧・侵略などにより行われた第二次世界大戦の狭間の惨澹たる世界経済の反省から、国際通貨制度を試みたのが固定相場制のブレトンウッズ体制である。しかし、高い失業率と経常赤字とに悩まされたイギリス・フランス、逆に、貿易黒字によりドル買いを行いマネーサプライ増加によるインフレの慢性化に悩む日本・ドイツ、これらの矛盾が強まるなか、1960年頃のアメリカは不況による財政出動をおこないインフレへの方向へと進んでいき、準備通貨国(アメリカ)のそのインフレが日本・ドイツに輸出され、それらの国の経済を直撃することになる。この過程がブレトンウッズ体制の崩壊の原因にもなった。  
そのブレトンウッズ体制が1971年のニクソン・ショックによりドルと金の交換停止から始まり、1976年1月に開催されたIMF暫定委員会で変動相場制 (キングストン体制)へと移行していく。その後、アメリカの以前からのインフレ抑制のための高金利政策が世界中の資金をアメリカへ向かわせ、ドル高のなか輸出減少・輸入拡大となり、インフレによる物価高のために国際競争力を弱め膨大な貿易赤字へとつながっていく。その後のレーガン大統領の経済政策により経常赤字(貿易赤字)と財政赤字のいわゆる双子の赤字を増大させていき、クリントン政権時代にITと金融との経済戦略を取り始めるが2000年のITバブル崩壊、それを食い止めようとしたグリーンスパンの低金利政策で土地バブルが発生し、そのバブルもサブプライム問題により破裂、それを切っ掛けに資金の有効利用を主とする証券化商品とこの証券化商品の価値の尺度を決める格付け会社の尺度の異常さが表面化し、アメリカの4倍もの証券化商品に投資していたEU各国の金融市場も凍てつき始め現在に至っている。そして、軽微といわれていた日本にも世界経済の大津波が襲いかかってきた。  
以上が、第二次世界大戦から今日までのおおまかな国際通貨をめぐる流れである。  
その間に、アジア通貨危機、並びに、南米各国の通貨危機が、今回のアメリカ金融危機までにはいかないが、通貨をめぐる問題、特に、短期の資本収支として流入・流失の問題として発生しているのが特徴である。  
1997年7月よりタイを中心にして始まったアジア通貨危機、当初、IMFはマネーサプライの伸びが経常収支・為替レートの下落を招いたと報告しているが、その根本の原因は短期資本の流出からの経済悪化である。世界の投資家・私設投資信託(ヘッジファンド)はドルとの固定相場制並びに金利の高い国への投資を行うが、投資資金が増えれば貸出しを増やすのが金融機関の働きである。そして、その資金が急激に減少すれば一瞬にしてデフォルトに陥る。これらの件につき、IMFは資本を流出させないような金融セクターをも含めた構造改革と金利引き上げを主張するのが常であった。また、このようなIMFの弁明に同調するような意見が多く見られるが、その後のデフォルトに陥った国の変化を眺めると、金融グローバル化を促すために外資規制の緩和をもたらし金融機関の一時国有化、そして、国有化された金融機関を安値でアメリカ資本が買収するというのがお決まりコースである。土地バブルが崩壊したのちの日本の金融機関のアメリカ資本による買収と重ね合わせることができよう。一方、アジア通貨危機がマレーシアにも襲いかかりそれを回避するために、マハティールは短期資本の流入規制強化と固定相場制復帰で経済を回復し、現代イスラム金融の一大中心地であるマレーシアに挑んだ投機家・投資家ジョージ・ソロスなどに対し「通貨のみを対象にする取引を不見識・不道徳」と批判したのは有名である。  
アジア通貨危機の原因をもたらした背後にあるのが免税措置かつ透明性・説明責任もなくアメリカ大手金融機関傘下のSIV(投資目的に設立された特別目的会社)など経由のヘッジファンドの投機資金だ。韓国がデフォルト寸前の状況にまで追い込まれその後の危機の真相を究明する中で、これもやはり短期資本の流出が大きくクローズアップされている。失業率の大幅な増加などを伴い韓国国内を大混乱させるほどの問題では無くただ単に韓国国内の短期資本の流出の流出額を補うだけで納められたというのが後の検証結果である。その段階ではとき既に遅しである。確かに、多くの国で、政官財の癒着・乱脈融資・腐敗などが上げられるが、ヘッジファンドの短期資金の急激な流出入とアメリカ資本によるその国の金融機関の買収などを考えると、まさしく、アメリカ・クリントン時代に戦略を立てた金融戦略に合致するのである。国際通貨ドルを守るための哀れな発想をIMFを利用しアメリカは実行し続けているのである。これらアメリカの戦略をいち早く悟っていたのが南米諸国であろう。 
(4) 危機からの脱出  
1929年のアメリカの株価暴落からの世界の歴史をゴールド・通貨を主体に振り返ってきたが、世界の不穏な空気、その背後にあるのが各国の国際収支にからむ苦悩である。やさしい言葉で言い直すならば、各家庭の経済状態が、家庭間の喧嘩の元になったり仲良しになったりできる要素になりうるのである。まさしく、「たかが金、されど金」なのである。  
国際基軸通貨ドル、準備通貨国としてのアメリカその責任を放棄し世界経済大混乱に陥れ大津波が世界を襲い始め、国際決算に用いられる通貨のあり方が問われる会議が11月15日ニューヨークにおいて催されることが決定した。この席上でEUの議長国フランス・サルコジが表明しているようにIMF並びに世界銀行のあり方などが討論されることになるのか、それとも、アメリカは門前でそれを拒否するのかは判断付かないが、どちらにしても今後の世界情勢を見極める上で大切な節目になることだけは確かである。  
右図は、2007年度の中国・フランス・ドイツ・日本・アメリカの各国の輸出入とを比較したもので他国と比べアメリカのみが急激な輸出入の差を表している。また、下図はアメリカの年次毎の輸出入を表している。アメリカのITバブル・金融バブルと続いた2000年頃から輸入が増えはじめその差が年ごとに広がりを示し始めている。貿易赤字のタレ流しが出来るのは国際通貨ドルの地位なればこそであり、まさしく、ドルの印刷だけで可能なのだ。また、ポールソン財務長官・バーナンキFRB議長ではあるが、金融機関の国有化並びに公的資金投入で「マルクス・レーニン主義者」とまで揶揄され始めてはいるが、この図を見て「強いドルは国益にかなう」をいくら連発して言おうと各国とも肯けるものではなかった。また、両図とも単位は10億ドルであり青色が輸出、赤色が輸入を占めしている。  
これらを踏まえて、国際通貨が話し合われるであろう11月15日ニューヨークで行われる会議で、国際通貨の主導権を握りたいEU、明確な態度を表明しない中国、中国はポールソン財務長官のお膝元ゴールドマンサックスの緻密な調査によってドル準備金に対し通貨スワップを実行し外貨準備の増加を人為的に操作したと昨年初めに判明し非難されたこと、また、「出る釘は叩かれる」如き今はただ経済力を蓄えようとする中国の思惑とが働いているようだが、全米繊維団体協議会からの中国の為替問題についての質問で、オバマ候補は不公正な取引慣行に対して是正を強く求めていく方針を掲げ中国に対しては為替管理に厳しさが増すものと思われる。2兆ドルに迫る外貨準備高をもつ中国が一斉にドル売りをしかければアメリカも中国もノックアウトの状態になる。それ故、中国の態度も気がかりなところである。  
かたや日本、アメリカ国債所有率世界一を誇り、アメリカ国債・政府系住宅金融機関(GSE)債などで外貨を運用し、最近富に問題になっている農林中金などの公的機関のみならず民間銀行までアメリカ依存を強めているなか日本のアメリカ・ドル維持体制が国益にかなうとばかりに、是が非とも守り抜こうとする健気な支持、そして、運用も出来ない外貨準備をIMFを通じて新興国などに貸し付けようとしているが、アイスランドに見られるようにいままでのIMFのやり方に不信を抱いている国々が多く、融資をめぐりロシアとの交渉を重視する姿勢をしめしIMFの出方を牽制する狙いのようにも映る。  
このようにアメリカ金融危機の原因の一部とも思われる経常赤字に常に悩まされている基軸通貨国アメリカのドルが問われている折に、日本経団連会長が政府に円高阻止のため「為替介入」を強く要求しているが、経済大国としての責任として国際均衡をも無視する発言では世界から尊敬される大国になれはしないであろう。  
1930年代の世界大恐慌以上の出来事と危惧する意見が多いなか、多くの国の国民にアメリカ金融危機のしわ寄せが来るのはこれからが本番だ。アメリカはすでに金融機関の規制のみならず社会福祉などへの配慮などへ政策転換する赴きで動きはじめている。アイスランドを始めほどほどの経済国でも潤沢に流入していた投資資金が急激に流出し始めデフォルト状態に陥り、その国の債券への投資がゼロになり、そのリスクを保証していた CDS市場が問題を抱え始めている。信用リスク・為替リスク・金利リスク・市場リスク・保険リスクなど、リスクを回避するための金融工学が体をなさない状態が現実だ。  
そして、日本でもケインズの理論を再評価する書籍などが出回りはじめ時代の節目を感じさせる。アメリカでは経済運営の大指導者グリーンスパンの評判も地に落ちたかのような議会証言の数々、いままでの権力者も瞬く間に権力の地位から落ちはじめている。日本にも多くの経済学者がアメリカ経済学者の名を上げ金融グローバル化政策に助言などを述べていたが彼らの評価を日本で行われることがあるのだろうか。  
1930年代の世界大恐慌以上の世界経済といわれているからには、これから始まるであろう世界的な経済・生産の収縮、それを回避するためにはアメリカ貿易赤字を許し我が世の春を謳歌してきた外貨準備の多い国々が積極的に内需を盛り上げ、世界的不況を回避する以外に道はないであろう。世界を破滅に向かわせるのか、ゼロからやり直すのか、二者択一の道しか残されていないようである。  
 
1987年 大暴落 / ブラックマンデー (Black Monday)
1987年10月19日(月曜日)にニューヨーク証券取引所を発端に起こった、史上最大規模の世界的株価大暴落。暗黒の月曜日(あんこくのげつようび)ともいう。
ニューヨーク証券取引所のダウ30種平均の終値が、前週末より508ドルも下がり、この時の下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった、1929年の暗黒の木曜日(ブラック・サーズデー、下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起こした。更にヨーロッパの各市場へもつながってゆき、世界同時株安となった。日経平均株価については翌日2037.32円高(9.30%)となっている。これは上昇幅で当時の歴代1位、上昇率で当時の歴代2位の記録である。フィデリティ・インベストメンツが怒涛の売りを見せた。
時代背景
1970年代の世界的なインフレーションと1980年代初めの高金利時代において株式は割安に放置され続けていた。1980年代、インフレ抑制に成功した世界ではディスインフレーションと金融緩和が進行していた。1970年代のインフレーションによって名目の利益水準は相当膨らんでいたため、世界中の割安な株式市場に流動性が流入し活況を呈した。しかし、行き過ぎた活況は金融引き締め観測により終わりを告げた。
1985年1月、アメリカがユネスコを脱退。翌月、NY株価は過去最高の1300ドルを記録。同年12月、今度はイギリスがユネスコを脱退。翌月の1986年1月、NY株式市場は大暴落する。クリアストリームの状況からいって、銀行の資本がユネスコ脱退を合図に株価を操作していた可能性も考えられる。なお、1985年には日本航空123便墜落事故もおきている。
大暴落は1986年1月に起きていたのであるが、1986年1月というのは、チャレンジャー号爆発事故があったり、同年4月にはチェルノブイリ原子力発電所事故があったりして、普通の投資家は市況を冷静に観察できなかった。
日本の為替は1985年のプラザ合意から1986年にかけて1ドルが237円から153円になるなど深刻な円高が進んでいたが、特に1987年は、4月にJRが発足し1ドルは139円に達した。この時期は日本にアメリカの資金が押し寄せたものとみられる。9月には西ドイツがインフレ対策として金利を引き上げ、10月にはロサンゼルスで大きな地震が起きていた。
大暴落の直近の原因は、アメリカ海軍の艦船がイラン・イラク戦争において、アーネスト・ウィル作戦としてクウェートの保有するアメリカ船籍の石油タンカーの護衛についていた際、イラン側から攻撃を受け、1987年10月19日に、そのことを理由としてイランの持つ2つの油田に対し報復をしたことである (Operation Nimble Archer 作戦) 。
要因
アメリカの貿易収支の赤字幅が予想以上に膨らんでいたことや、1985年のプラザ合意以後のドル安を打開するためにドルの金利が引き上げられる観測が広がっていたこと、そしてブラックマンデーの2ヶ月前、FRB議長職がポール・ボルカーからアラン・グリーンスパンへ引き継がれていたことなどは株価下落の要因として挙げられる。
下落幅の大きさは高度な情報技術によるとみられる。マイロン・ショールズとフィッシャー・ブラックによるブラック-ショールズ方程式のように高度な金融工学の登場とコンピュータの普及とが相まって、オプション市場と先物市場は爆発的な成長を見せた。コンピュータの普及とブラック-ショールズ方程式の登場は大規模な株式ポートフォリオに保険を提供するようになっていた。このポートフォリオ・インシュランスは先物を使ったヘッジ手段である。ポートフォリオの価値が市場を大きく上回っているときには先物売りは少ないが、市場が下落しだすと売りを増やし、損失と先物売りの利益がほぼ同じようになるようにする。従って、市場が下落し始めるとコンピュータが自動的に売り注文を出すようになり、売りが売りを呼ぶ展開となった。
経過
金融緩和を続けた日本では、日経平均株価は半年後の1988年4月には下落分を回復。すでに1986年頃に始まっていたバブル景気は更なる膨張を続け、1989年12月29日には史上最高値(38,915.89円)をつけることになる。
 
投機にも群集心理がはたらく 
誰も乗り遅れまいとする、私利を追うのは人の性 
一見もっともらしい金融界の意見、世論が背中を押してくれる 
批判意見は非難され、その強さは上昇力になる 
あらゆる人にとって幸福な時期が最も騙されやすい 
右肩上がりは自身の知恵の賜物と人は信じる 
投機は渦中の人の知性をも買収してしまう
  
湾岸戦争でバブルに止め 
1980年代から土地・マンション・リゾート・右肩上がりの株価 
ノウハウなしにアメリカの不動産まで 
本業そっちのけ
  
金融操作に革新は馴染まない 
金融は預金者の現金を担保に、銀行券・証券による負債の創造である 
取りつけ騒ぎで終わる 
 
 
モデルは後知恵よりも多くのことを教えてくれる by Tim Harford

私の尊敬する同僚ギデオン・ラックマンによると、経済学者は彼らの王座を歴史学者に引きずり下ろされるべきだという。経済学者はこれまでずっと権力のレバーを強く握りすぎだったと彼は主張する。経済学者らは自分たちが科学者だと思っている。彼らは自分たちが未来を占えると思っている。彼らは間違っている: 「疑似科学者」であり「見栄えの良い確実性の売り歩き」だ、と。これまでフィナンシャル・タイムズの論説ページのようなひっそりとした場所に追いやられてきた、ギデオンやニーアル・ファーガソン教授のような歴史学者は、ついに少しの注目を浴びるべきだろう。  
どう返答するかよくよく考えているうちに、私は急性の見栄えの良い確実性の不足に陥ったようだ。ギデオンは歴史の重要性については確かに正しい。しかしながら、それが経済学となると、見栄えの良い確実性の主な原因はむしろギデオンで、彼は経済モデルが目の前をモデル歩きして来てもそれに気づかないのだ。  
私はギデオンが経済学について知っているのと同じぐらい歴史について少ししか知らないが、彼が歴史学者の重要な役割の1つは時間と場所の錯綜した特殊性、複雑な社会を正確に記述する全面的な科学的法則を作り出す難しさを強調することだと示しているのが正しいということには疑いの余地はない。経済学者、社会学者、心理学者、人類学者はこれを切実に認めるべきだろう。最良の人はそれをする。たくさんの人はそうはしないし、そして悲しいことに彼らはメディアに現れすぎている。多分、これがギデオンが経済学の課題と方法を誤解している理由なのだろう。  
彼は、経済学の建造物がいつも倒れているのに、「物理学の法則に従って建てられた建物は立っているように見える」と論じている。これは妙な言説だ。物理学の法則に従って建てられた建物は倒れる傾向がある。エンジニアでSuccess through Failure(邦題: 失敗学―デザイン工学のパラドクス)の著者であるヘンリ・ペトロスキは、構造エンジニアはこれまで以上に野心的な構造を組み立てることで学ぶ傾向があると言う。それらのうちの1つが落ちたりぐらついたりすると、エンジニアらは彼らのモデルでどこがおかしいのか考え出す。時々結果は惨憺たるものとなる: 革新的なマルパセットダム(Malpasset dam)が不十分な地質学的モデリングのおかげで決壊したとき、400近くの数の人々が死んだ。時々それらは素晴らしいものとなる: 賞を受賞したケンパー競技場が倒れたとき、誰の命も奪わず、24時間前にはアメリカ建築家協会会議が開催された。彼の川辺の高所にある家から、ギデオンはテムズ川にかかっている有名なユラユラ橋を眺めるだけならできるだろう。これは本当に物理学の法則への破滅的な批判なのだろうか?  
しかしもちろん、私たちの物理学の法則への理解は責められるものではない。面倒なのは、風雪や断層、ミスをしがちな建築業者が存在する世界の中でそれらをモデル化する難しさなのだ。要するに、経済制度のような建物が立つのは私たちの法則への理解がそれらを理解しているからではなく、複雑な世界での挑戦と失敗のプロセスを生き延びてきたからだ。  
経済制度はたいていの建物よりも複雑で特殊だ。進歩がとても難しいことは不思議ではない。しかしギデオンは「モデルと方程式」を却下するのが早すぎた。マクロ経済学のモデルがかなり使えないことを証明してきたことには同意する。経済学者の予測が、歴史学者・社会学者・政治学者・新聞のコラムニストのように、全然当たらないことにも同意する。しかし、ほとんどの理論経済学者が試みを怠っていないし、予測モデルは、経済学者が導いた小さな一切れの数学を表現しているだけなのだ。  
例えば、経済学者のスティーヴン・レヴィットと彼の共著者であるジョン・ドノヒューの有名な主張に、アメリカ合衆国での合法化された中絶は約18年後の犯罪率を下げたか、というものがある。これは歴史に関する仮説だが、審判できる程の能力を持っている歴史学者はいない。代わりに、仮説がいくつかの工夫で統計的に分析されている; 統計的モデル自体に異議が唱えられ、細部にわたって検討され、いくつかの点で欠けているところが見つかり、別のデータを使ってダブルチェックを受け、他の国での経験と突き合わせてテストされてきている。論争は続いている。この過程は「科学」なのだろうか? 私にはわからない。しかし、確かに雑談ではない。  
経済学者が歴史学者から学べることに疑いの余地はないが、経済学的秩序の探索は放棄されるべきではない。これは伝統的な経済学的アプローチの限界ではない。私たちは、コンピューター科学者のロバート・アクステル、物理学者のシーザー・ヒダルゴ、社会学者のダンカン・ワッツ、ギデオンによると実際の経済では何も起きないコントロールされた実験の類を行う経済学者のエスター・デュフロ(Esther Duflo)、心理学者のダニエル・カーネマンらの業績のおかげで、経済学についてたくさんのことを知っている。彼ら全てがあれらのやっかいな「モデルと方程式」を使っている。本流の経済学者たちはこのような侵略者を受け入れるだけの度量があるだろうか? 一流の人々にはある。多数はそうしようとしないが、それは学会についての事実であって、経済学だけに当てはまるわけではない。  
少なくともカーネマンは彼の努力が報いられてノーベル経済学賞を受賞した。(またはギデオンが言うように「偽ノーベル賞」。ダイナマイト長者が死んでからずっと後、1968年にノーベル経済学賞は創設され、ヘンリー・キッシンジャーにとても科学的なノーベル平和賞が授与されたりレフ・トルストイにとても科学的なノーベル文学賞が授与されなかったりするのとは同じではないという。)  
私の指導教官ポール・クレンペラーはおそらくギデオンが軽蔑するような経済学者だ: 数学的モデルで世界を理解しようとするゲーム理論家なのだ。なんと古風で傲慢なのか。しかし私がポールの教育ではっきりと覚えているのは、ゲーム理論の予測を覆し、モデルには何か重要なものが欠けている可能性に学生の心を開かせるように計算された一連の教室内デモストレーションだった。  
ポールはそれらのモデルをイギリス政府が225億ポンド(約2兆9000万円)を調達するオークションを設計するのを手伝うのに使い、その後イングランド銀行(イギリス中央銀行)が流動性を銀行に注入して銀行を助けるオークションを設計するのを手伝った。ポールは未来を予測することは出来ないが、他のたくさんの建物と同じように、これまでのオークションはうまくいっている。  
歴史学者は後知恵を取り扱う。それは素晴らしいものだ。しかしそれはただ1つのものではない。ニーアル・ファーガソンやヘロドトスという酒に酔っているギデオンはそれを忘れてしまっているのだろうか。 
 
日本の大不況の真実と重要性 by Adam Posen

本日LSEで行われた公開講座において、アダム・ポーゼン(金融政策外部審議委員、Peterson国際経済研究所上級研究員)は20世紀末の日本経済の経験と、その今日の先進諸国への重要性について講演しました。  
アダム・ポーゼンの議論の要点は次の通りです。  
日本の大不況はマクロ経済政策と金融規制の一連の失敗の結果だった。バブルが崩壊した後の最初のショックが過ぎた後についての低迷はほぼ回避可能であった。これは2002年から2003年にかけて政策が反転した時に見せた —過小評価されてはいるものの— 回復の強さによって示されている。  
実は日本は数多くの構造的な強さを持っていて、不況を回避することが可能であった。特に、財政政策の余地があった。デフレが持続した時に日本の金融システムと企業のガバナンスの脆弱性がこれらの余地を相殺してしまった。  
日本の不況の蛇行 —一定の回復ではなくのこぎりの刃のような動き— は成長[1] の結果ではなく、一連の政策のミスによって阻害された回復の結果として捉えるのが適切である。むしろ、回復が始まった後にも持続したマイルドなデフレの継続は驚くべきことである。これは一般に考えられているよりもずっとマクロ経済学の基礎への根源的な挑戦であり、より多くの研究が待たれるところである。  
イギリスとアメリカ経済はマクロ経済政策のミスによって再び不況に陥るという日本の轍を踏む可能性は低いが、デフレそのものが回避されたわけではない。イギリスはいくつかの点で日本と金融面[2] で類似点があるが、日本は財政政策の余地があったのに対してイギリスはあまりない。日本に比べてイギリスでは投資家はより積極的で市場は開放的であることが、この状況を挽回させることが出来るかもしれない。  
日本が直面しなかった一つの大きな問題は海外の需要に働きかけて輸出を通じての資源の再配分に期待できない点である。イギリス、アメリカ、そして多くのEU諸国が正解経済の回復のペースと分け前を制限するかもしれないものの、同時にこの問題に直面することはないだろう。  
アダム・ポーゼンは次のように言う。「私の分析の主な狙いは究極的には我々も「日本病」—一国の経済がある種の奇妙な状態に陥るという病— になる、という考えをやめさせることです。日本の大不況はほとんどが教科書的な経済学、むしろ古めかしいオールドケインジアンマクロ経済学の有効性を示しているものと考えるべきで、そのためこの不況は理解可能であるし、限界があるものの避けることが可能である、少なくとも改善することが可能なのです。」 
 
21世紀の国富論

 

著者は日本人には珍しく、ベンチャー・キャピタリストとして、多くのシリコン・ヴァレーでベンチャー企業を育成してきたことで有名だが、もともと考古学者になりたかったのでトロイを発掘したハインリッヒ・シュリーマン( 1822〜1890)のように、お金持ちになるための手段として実業家の道を選んだという変わり種である。 
そのためまず本人自体がベンチャー企業創設し、それを売却して資金を調達、次第に実績を重ねていくのだが、たとえば1980年代、脱工業化の波に乗ってアップル・マイクロソフト・インテル社などがベンチャー・キャピタルの支援を受けて急成長していったことは記憶に新しい。 
しかしながら、時代を経てベンチャー・キャピタルの性格も次第に大きく変貌していき、著者に言わせると「(アメリカにおいて)すでにベンチャー・キャピタルは死んだ!」のである。 
もともとアメリカでは、住居が動産であるのと同じように、企業すら一種の商品という発想があった。それが脱工業化社会として、「物的工業製品」から「知的工業製品」への道を歩み始めた時分から次第に強くなり、ついに企業は完全に金融商品化していったのである。 
企業経営手段としてのNBA(ビジネススクール)での技法が次第に最終目的と化し、ROE(Rules Of Engagement=株主資本利益率)」を最重視するという「株主のための会社」に変質するに従って、ベンチャー企業の持ち味である「研究費・先行投資・内部留保」などが圧迫されていったからである。 
結局アメリカにおいて、「企業は社会に貢献する」というかつての理念は空洞化し、企業の売買・乗っ取り・合併によって成長するという歪なものになり果てていく。 
そうした中アメリカでは、いわゆるCEO(Chief Executive Officer 最高経営責任者)という企業経営スタイルが定着していくのだが、彼らの中には行き詰まった企業に乗り込んでリストラを強行し、株価を低下させた後、MBO(Management Buyout=経営実績による報酬)の権利を取得し、業績改善に応じて巨利を得るという、ある意味会社を食い物にする行為が公然と横行するようにすら成り果てるのである。  
著者に謂わせれば、「知的工業製品」としてのITとは、インテルとかマイクロソフト・アップルなどであって、ヤフーやアマゾン・樂天・ソフトバンク(それにライブドアなど)は、ITを利用したサービス業として、厳然と区別すべきだという。 
そう考えると、日本のお家芸である「物的工業製品」分野の企業もITが不可欠なものとなっていることも明白である。 
著者は本著の中で、アメリカ型経営システムの破綻と併せ、すでにいまポストITとして、ソフトとハードが一体化した、PUC(pervasive ubiquitous comunications=パーペイシブ・ユビキタス・コミュニケーションズ)の時代に入ったのだと理論を展開する。 
たとえば現在のIT社会の中心であるパソコンは、電源を入れてから実際に利用できるようになるまで一定以上の時間を必要とする。他の電機製品なら決して許せぬこの状況をなぜか多くの人は当然視して、他の電機製品の場合、クレームが集中するようなケースでも、「こんなもんだ」と諦め半分自分を合わせているのが現状である。 
一方PUCとは、使っていることを感じさせずに、どこにでも存在し、コミュニケーション機能を中心とした──ソフトとハードが一体化し不可分な──次世代のコンピュータの技術形態を指す概念のことである。 
なおここで取上げられた「ユビキタス」だが、かつて万能的OSであるトロンの開発者坂村健──当時東京大学助手(現教授)──が提唱したものだが、著者は坂村説はまだソフトとハードが一体化していない理論だと、その違いを明確にする。 
そしてPUCは、「物的工業製品」で圧倒的な力を持つ日本にとって、もっとも可能性を秘めた分野だと言う。 
本著はこうした技術分野を実際に活用している実例として、バングラデッシュでは、PUCを応用して、大画面のハイビジョンによる「遠隔教育・医療支援システム」──学校あるいは病院同士をワイヤレスのブロードバンドの先端技術でつないだ──リアルタイム双方向ネットワークを紹介している。 
また今後救援が穀類というデンプン質に偏ったアフリカにおいて、有効なタンパク源を豊富に含有した藻類「スピルリナ」の、製造から製品化までの技術を提供するなど、全く新しい分野に力を注いでいる。 
ただ著者の理念として、こうした行為は決して援助としてでなく、事業として利益を上げ得る、一種のベンチャー企業あるいはベンチャー・キャピトルとして取り組むべきだということを強調している。 
著者は、昨今日本において、いまだに時代遅れのアメリカ型の経営に偏向することで、優秀な人材や資金がマネーゲームに浪費されていることにに対する警告を発すると同時に、景気後退に伴う税収の減少・財政悪化から、増税の是非が論議されている中で、日本を「先進国の中でもっとも税率の低い国にする」ことで、世界中の優良企業を日本に呼び込むことを提唱している。 
景気の後退期には、ともすれば庶民の生活や福祉の向上に、また税収の増加など後ろ向きの議論が増えるものだが、そうした中で著者の英知と幅広い視野によって、日本の将来像としての「国富」のあり方について、情熱を傾けて論じた貴重な一冊と言えるだろう。  
 
 
日本のバブル
 

 

 
バブル経済
バブル経済(bubble economy)とは不動産や株式をはじめとした資産の価格が、投機によって説明可能な価格以上に上昇し、その上昇が魅力となってさらなる投機を呼ぶという循環が起こっている状態の経済のこと。語源は18世紀イギリスでの南海泡沫事件から。 
バブル経済は、実体経済の経済成長以上に資産価格が上昇した状態であり、本来は維持できるものではない。呼び込まれた投機によって支えられた経済活動であると言える。通常、バブル経済では、資産価格の上昇を背景にして、活発な投資・消費が行われ実体経済も活性化する。しかし、この活性化は資産価格上昇を合理化するほどの水準にはならない。 
実体経済の成長で維持できない資産価格であり「中身がない」資産上昇分はいずれ実体経済との齟齬を解消しなければならない。多くの場合、それまで投機を支えていた何らかの期待・神話の崩壊、政策対応(金利引き上げ)による合理的資産価格の低下などを引き金に、投機集中が終息し資産価格が下落することで解消される。 
もともと価格上昇を前提に形成された資産価格であるため、価格下落が始まると急速にバブル経済は収縮する。これが、バブルの崩壊である。バブルの崩壊は、不良債権問題の発生を伴う。これは、もともとバブル期の資産価格の上昇が、返済可能な水準を越えて膨張した負債を内包していたためである。バブル崩壊で資産価格が下落すると、残された負債の返済によるバランスシートの調整は投資の停滞をもたらす。こうしてバブル経済が実体経済へ好影響を与えていたのと同じく、バブル崩壊は実体経済に大きな打撃を与えることになる。米国発の世界恐慌や、1990年代の日本の失われた10年などはその典型である。 
 
バブル景気

 

バブル景気とは日本の経済史上で1980年代後半-1990年代初頭にかけてみられた好景気である。概ね1986年12月-1991年2月までの4年3か月(51ヶ月)間を指すのが通説。いざなぎ景気(1965年11月-1970年7月の4年9か月(57ヶ月)間が通説)に次ぐ戦後3番目に長い好況期間。 
過剰な投機熱による資産価格の高騰(バブル経済)によって支えられ、その崩壊(バブル崩壊)とともに急激に後退。同時に1973年より始まった安定成長期も終焉を迎え、その後の平成不況(複合不況、失われた10年)の引き金となった。平成景気とも呼ばれるが「平成景気」は広義ではその後の平成不況をも含む。 
バブル景気という言葉は1987年に命名されたとされ、元になった「バブル経済」という言葉自体は、1990年の流行語大賞の流行語部門銀賞を「受賞者/該当者なし」(誰が最初に使い流行らせたのか不明)で受賞している。しかしこの言葉が広く一般に、実感を伴って認知されたのは、投機経済が崩壊したあとである。例えば1990年末に出版された朝日現代用語/知恵蔵1991にはバブルという言葉は使用されていない。経済学者の野口悠紀雄は「私の知る限り、この時期の地価高騰をバブルと言う言葉で規定したのはこれが最初だ」としている。
要因 / バブル景気の引き金になったのは1985年のプラザ合意とされている。当時、ドル高による貿易赤字に悩むアメリカ合衆国はG5諸国と協調介入する旨の共同声明を発表した。これにより急激な円高が進行。1ドル240円前後だった為替相場が1年後に1ドル120円台まで急伸した。これにより、米国債などのドル建て資産に含み損が発生し、日系資本が為替リスクのない日本国内へ向かった。円高による打撃を受けることの予想された輸出業界を救済するため金融緩和が実施され、過剰な流動性が発生した。金融緩和(低金利)政策(当時国際公約と捉えられていた)が継続されるとの期待が強固であったこと。それまでの素地として以下の要因があるとされている。1970年代後半から優良製造業向けの融資案件が伸び悩み、銀行が不動産業や小売業、住宅への融資へ傾斜していた。1980年代に入ってからの世界的な(物価の)ディスインフレーションの中で、資産価格(株式)は上昇しやすい状況になっていた。 
展開 / これらの要因が重なって日本では投機熱が加速、特に株と土地への投機が盛んになった。なかでも「土地は必ず値上がりする」といういわゆる土地神話に支えられ、転売目的の売買が増加し地価は高騰。東京23区の地価でアメリカ全土が購入できるといわれるほどとなり、銀行はその土地を担保に貸し付けを拡大した。資産価格高騰は資産保有者に含み益をもたらし、心理的に財布のひもをゆるめる資産効果によって消費が刺激され、景気の過熱感を高める効果もあった。また、1986年から日本企業による欧米企業のM&A(企業買収)がかなり進められた。 
1987年に入ると現象は経済全体に波及し、土地に対する需要が高い限り決してこの景気は終わらないという楽観論が蔓延(まんえん)した。特に株式は1987年10月に起こった米国ブラックマンデーによる世界同時株安の影響を世界で最初に脱出し、高値を更新したことから日本株に対する信任が生じた。その後、投機が投機を呼ぶ連鎖反応が起こり、「岩戸景気」「神武景気」に続く景気の呼び名を公募する記事が、雑誌をにぎわしていた。 
一方、一部の識者からは、すでに地価や株価は合理的に説明(収益還元法)できる価格を超えて高騰しており、日本経済はいつ破裂してもおかしくないバブル経済に突入していると危惧する声もあった。そもそも日本の人口増加率が低下し、2007〜2008年には人口が減少に転じると予想されることから、土地の需要がこのまま持続・増加するはずが無いとの指摘もあったが、「世界の中心都市としての東京は今後も発展を続け、オフィス需要は拡大しつつあり、これに対して供給はまだまだ不足している」とする政府の見解をはじめとする強硬な反論が幅を利かせていた。 
もともと、地価が上昇した場合はその上で操業している賃貸の工場やビルの収益率が低下するため、土地を売却し債券などを購入することが合理的になる。この結果、高騰した土地の上で経営が成り立つ産業だけが立地することになり、やがて価格は均衡する。しかし、日本においては土地資産などの計上が簿価で行われていたため、名目的に収益率は変わらずに土地を持ち続けることが正当化された。加えて、簿価と時価の差額が含み益をもたらし、担保価値の上昇という形で資金を導入して経営を拡大する方向に動いた。いざとなれば含み益を用いて解消できるとハイリスクな事業を展開したり、放漫な経営で損失が出ても重大に受け止めないなどの例もあった。この動きの中で、日本企業は収益率を高めるのではなく総資産を増加させることを第一義的な目標とするようになった。  
地価高騰 / 大都市等の優良な土地の高騰にとどまらず、収益の見込めない遠隔地の土地もリゾート開発を名目に相当の値段で取引された。こうして得た土地を担保に、巨額の融資が行われた。土地の有効活用による収益(インカム・ゲイン)ではなく、将来地価が上昇することで得られるだろうと見込まれる値上がり益(キャピタル・ゲイン 簡単に言うと購入額と売却額の差益)を目的とすることが多かった。 土地を担保として融資を行うに際しては、通常は評価額の70%を目安に融資を行うが、将来の土地の値上がりを見越して過大に貸し付けることも珍しくなかった。破綻した北海道拓殖銀行では120%を融資した事例もある。単一の物件に複数の担保をつけることも行われた。背景には、金融機関の貸出競争が激化する中、潤沢な資金をとにかく運用する、貸付に回す、という金融機関の姿勢もあった。この融資の一部は後の地価下落(担保価値が低下)によって不良債権となった。 道路用地の取得価格も高騰し、第二東名高速道路などの建設に要する資金の増大を招いて、日本道路公団の経営圧迫の一因ともなった。高価な土地が障害となって、地方公共団体の公共事業が進められなくなる事態も生じた。  
地上げ / 潤沢な資金を背景に大都市の再開発の動きが活発になった。都心の優良地区には、地権が細分化された上に借地借家が多数混在し、権利関係が複雑に絡んでいるケースがあった。日本においては、借地借家法によって借主の権利が保護されていたため、土地をまとめて大規模開発をするプロジェクトは必然的に推進が困難となった。そのため、大都市周辺の土地取得のため、大手不動産会社を代表したり、依頼を受けた地上げ屋(主に暴力団員)の強引な手口による「地上げ」が行なわれるようになり、社会問題となった。しかし、計画を完遂できないままにプロジェクトが中止されるケースも多数生じ、バブル崩壊後には往々虫食い状態の利用しにくい空き地が残されることとなった。これらの空き地は「バブルの爪あと」などとも呼ばれる。
住宅高騰 / 地価上昇は、都市近郊に適当な戸建住宅を取得する事を困難にした。日本のような戸建主義的な都市構造において、いずれは戸建住宅を取得することが人生の夢・目標の一つであるとされ、それを動機として貯金に励む事も行われていた。しかし過度の地価上昇を見て、これ以上値上がりする前に一刻も早く住宅を取得するべきだと考える人も増え、その行動は、また、地価上昇に拍車をかけた。あまりにも住宅が高騰して、平均的な収入では最早購入するのが不可能な域に達すると、二世代ローンも登場した。本人の資力で支払きれないところを、その子の資力をもって補うものである。 地価・住宅高騰と共に相続税も無視できない額に増えた。特に、長年のローンを組んで余裕が無い状況で相続が発生すると、支払うべき相続税を用意することができずに困窮する事もある。これに対応する為に、親類縁者の若者を養子にして一人当たりの相続額を下げて相続税を節約する手法がとられたり、変額保険を利用する節税手法が利用された。しかし、バブル崩壊後は資産運用の計画が狂い、窮地に追い込まれる契約者もあった。詳細は本稿変額保険を参照のこと。 地価上昇を前提とした住宅取得のモデルも提示された。若いうちに小さいながらもマンションを取得し、それを下取りに出して順次条件の良いマンションに買い換えれば、最終的には望む戸建ての住宅を手に入れるとされ、「住宅すごろく」とも言われた。単に貯蓄をしていては住宅高騰に決して追いつけないが、マンションを資産として購入しておけば価格上昇が見込めて有利である、と説かれた。しかし、バブル崩壊後は物件を見極める目も厳しくなり、単にマンションである事では資産価値を認められなくなった。事実上資産価値の無くなったマンションに対する多額の支払いが残り、負債を抱えて身動きが取れないケースもある。 他方、あまりにも高騰した住宅の取得を早々にあきらめ、収入を貯蓄する事なく、高級車などの耐久消費財などの購入に充てる刹那(せつな)的な動きもあった。これは、さらなる消費の過熱と貯蓄率の低下につながった。 地価高騰を見て賃貸住宅の家賃も高騰し、結局都心から離れた土地へ移転を迫られ、通勤時間が長くなるという状況も生まれた。これら地価高騰と住宅問題は当時の日本政府の懸念事項であり、後の地価抑制政策につながり、信用構造を圧迫することになった。  
国鉄清算事業団 / 国鉄清算事業団は、旧国鉄から引き継いだ未利用地を販売して負債削減を図った。その中でも汐留駅跡地は都心にあるまとまった優良地として、注目を集めた。実際には地価のピークをとうに過ぎてから売却にかかり、その他の土地も国鉄清算事業団の解散を控えて全て処分する必要があることから、バブル崩壊後の地価下落とも相俟って投げ売り同然で処分せざるをえず、結局、事業団全体では負債を増やした状態で解散した。
リゾート地開発 / ほぼ同時期にリゾート法が制定(1987年)され、都市から離れた地域においても、大企業を誘致してリゾート施設を開発する動きが活発となった。それまで見向きもされなかった土地が相当な価格で取引されるなど、土地価格の上昇に拍車をかけた。またゴルフ場の会員権の価格は高騰し、それとともに次々に豪華な設備を持ったゴルフ場の開発が全国で進められた。なお、当時のゴルフ場のテレビCMでは、バブル景気崩壊後なら「○○自動車道○○インターから車で○分」などとするところを「東京ヘリポートから○○分」などと案内するほどであった。
財テクと消費の過熱 / 1987年、安田火災(当時)が約57億円で購入した絵画「ひまわり」バブル経済下では金融・資産運用で大幅な利益を上げる例が強調され、企業においても本業で細々と着実に利益(インカムゲイン)をあげるのでなく、所有する土地や金融資産を運用して大きな収益(キャピタルゲイン)を上げる「財テク(○○転がし)」に腐心する例もあった。 
潤沢な資金による買いあさりの対象は、NTT株の公開に伴う一般投資家による投資や、フェラーリやロールス・ロイス、ベントレーなどの高級輸入車、サザビーなどが開催したオークションによるゴッホやルノアールなどの絵画や骨董品、にまで及ぶなど、企業や富裕層のみならず、一般人まで巻き込んだ一大消費ブームが起きた。 
これらの背景には、中小企業主に対する融資が緩くなったことや、企業に勤めて新居購入のために貯金をしていた世帯が、土地価格の急激な上昇のため新居取得を諦め、新車購入や旅行、消費に走ったことが原因として挙げられる。
海外投資 / 潤沢な資金を得た企業が、海外の不動産や企業を買収した。著名なところでは三菱地所によるロックフェラー・センター買収(2000億円)、ソニーによるコロムビア映画買収をはじめとして、海外不動産、海外リゾートへの投資、海外企業の買収が行われた。また、企業に留まらず、土地を担保に大金を借り入れた中小企業オーナーや個人、マイホーム資金を貯蓄していた個人の中からも、海外の不動産投資を行う者が出てきた。 
買収の対象となった国からは、アメリカの心を金で買い取ったとする非難が浴びせられた。また、不動産への投資は現地の地価の高騰を招くとともに資産税を上昇させ、正常な取引を害し地元経済を混乱させたものとの非難が浴びせられた。
就職売り手市場 / 民間企業が好景気を受けた好業績を糧に、更に営業規模を拡大したり経営多角化を行うために募集人数を拡大し、学生の獲得競争が激しくなった。多く企業が学生の目をひきつけることを目的にテレビで企業広告を行い、立派な企業パンフレットを作成・配布して学生の確保に走った他、青田買いの一環として、都市部の大学生が主宰するイベント系サークルやそれらが企画するイベントへの協賛を行った。 
なお、学生の確保に成功した企業が内定者を他社に取られないようにする為、内定学生を国内旅行や海外旅行に連れ出し他社と連絡が出来ないような隔離状態に置く(携帯電話は当時殆ど普及しておらず、まともな収入がない学生が手にすることは不可能であった)、いわゆる「隔離旅行」を行った他、「人事担当者が内定を断った学生に暴行を働いた」というような都市伝説まで囁かれるようになった。 
これらの背景には急激な経済膨張・業務拡大のため夜中2時過ぎまでの残業などがざらになるなどの深刻な人手不足があり、早急に人員を確保する事が急務だった。体育会系の学生は我慢強く体力があり、先輩後輩関係で後輩学生を入社させやすいというので人気があった。特に証券等は、現場が人手不足だったので、OBを通じて学生に食事をご馳走するなどしてまで入社させた。有効求人倍率は、1991年に1.4倍を記録。リクルートの調査では、最高値の1991年卒の大卒求人倍率が2.86倍になった。この時代に大量に採用された社員を指してバブル就職世代とも言われる。社内では同世代の人数が多く、社内での競争が激しくなり、一方で、就職直後にバブル崩壊を受けて業務が削減され、それぞれの社員が切磋琢磨する機会も減った。また、以後の採用が細った事から「後輩」が居らず、長く現場の最前線に立たされ昇進もままならない者も多かった。 
民間企業の業績・給与がうなぎ上りだったことに比べ、景気の動向に左右されにくい公務員はバブル景気の恩恵をさほどには受けなかった。このため「公務員の給料は安い、良くて平均的」といった風評が大学生の間で蔓延して、「公務員はバカがなるもの(地方公務員や特殊法人などを指す。中央官庁は除く)」と下に見られがちだった。とりわけ地方公共団体には新卒が集まりにくく、各団体は公務員の堅実性のPRを積極的に行った。
文系就職 / 農林水産業や製造業などの分野と比較して、銀行や証券といった金融分野が大幅に収益を伸ばし、これらの業界は、さらに高度な金融商品の開発に充てる人材の確保を意図して、理系の学生の獲得に動いた。また、バブル景気の浮かれた雰囲気の中で、電通やサントリー、カネボウやフジテレビなどの、広告出稿量の多い、もしくはマスコミなどの華やかなイメージの企業の人気も高まり、文系学生のみならず理系の学生もがこれらの企業に殺到した。 
好業績で注目を浴び高い給料を提示する金融業や華やかな業界への就職希望が増えたのに対し、製造業では学生の確保に苦労することになった。理系の学生が、産業界以外の分野、殊に金融業やサービス業へ就職する事を指して文系就職とも言われた。これに対応するため多くの製造業が初任給を引き上げる動きに出たが、場合によっては既に在籍している社員よりも高い俸給が提示される事もあり、不公平であるとの批判も起こった。
当時の世界情勢 / 1940年代以降の冷戦下において日本を含む西側諸国と対立していたソ連は、アメリカとの軍拡競争に敗れた上に、アフガニスタン侵攻による負担の増大、東欧衛星諸国の離反が重なり崩壊の瀬戸際にあった。ヨーロッパは、深刻な高失業と東欧民主化による混乱に見舞われていた。ソ連と同じく一党独裁国家の中華人民共和国は、民主化に関連する諸問題から第一次改革開放ブームが終了しつつあり、1989年には天安門事件が発生し、民主化への道は一時的に閉ざされることとなった。 
一方でアメリカは、このころ1980年代半ばのユーフォリアを経て迷走気味になりつつあった。住宅金融に破綻の兆しが出て、信用問題に発展しつつあった。経常収支が均衡に向かう中で国内経済は低迷し、失業増大や記録的財政赤字につながりつつあった。 
こうした世界情勢の中で、政治的に安定している上に空前の好景気で、投資先として非常に大きな魅力を持つことになった日本は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(エズラ・ヴォーゲル著の同タイトルの書籍より「世界の頂点にいるも同然の日本」の意)の呼び声とともに、アメリカにおいても「日本社会に学べ」「日本に負けるな」という声が出るほど好景気を謳歌していた。三菱地所がニューヨークの象徴的な建物であるロックフェラーセンターを買収して日本脅威論が噴出したのもこの頃である。また東南アジア諸国からも「日本の成功を見習うべし」との声があがった。 
問題 / 資産を用いた経済活動によって生み出される収益ではなく、資産そのものの値上がりにより利益を得ようとする手法は、資産価格が高騰するほど困難になる。やがて資産価格が高い水準で均衡すれば、最終的な資産保有者が値上がり益を得られないだけで済む。しかし、高値を維持出来ず、価格が下落に転じると、それまでの歴代の所有者がそれぞれ利益を得たのに対して、最終的な資産保有者はその分の損をまとめて被ることになる。このように、資産価格の上昇を維持することが困難になるにつれ、資産取引は次第に「ババ抜き」の様相を見せ、ますます資産価格の維持が困難となる。
景気後退 / 絶頂期の1989年(平成元年)ごろには投資が活発となり、「平成景気」と呼ばれるこれまで類を見ない空前の超好景気となったが、実体経済の成長では到底説明できないほどの資産価格上昇を伴うバブル経済であったため、やがて縮小することとなる。すなわち、投機意欲が減退すると株や土地などの資産は下落し、一転して大きなキャピタル・ロス(含み損 売却額が購入額を下回る)をもたらし、キャピタル・ゲインを当てにして過大な投資をしていた企業や投機家がいっせいに投機縮小を開始することになる。当時の日本は資産価格上昇により、土地や株式などの収益率(値上がり益を除く)が著しく低下していたため、金融緩和の終了で持続可能性を喪失した。なおオイルショック後の1973年より約18年間続いてきた安定成長期はこのバブル崩壊で終焉を迎えた。
 
バブル崩壊

 

バブル崩壊という現象は単に景気循環における景気後退という面だけでなく、急激な信用収縮、土地や株の高値を維持してきた投機意欲の急激な減退、そして、政策の錯誤が絡んでいる。 
1990年3月に大蔵省銀行局長 土田正顕(まさあき)(1936-2004) から通達された「土地関連融資の抑制について」(総量規制)日銀による金融引き締めは完全に後手に回った上に、信用崩壊のさなかにおいても金融引き締めは続けられ、経済状況を極度に悪化させた。前年に導入された消費税も景気に悪影響を及ぼした遠因と考えられている。 
日経平均株価については、1989年の大納会(12月29日)に最高値38,915円87銭を付けたのをピークに暴落に転じ、イラクのクウェート侵攻に伴ういわゆる湾岸戦争と原油高や公定歩合引き上げが起こった後の1990年10月1日には一時20,000円割れと、わずか9ヶ月あまりの間に半値近い水準にまで暴落した。 
景気については、景気動向指数(CI)をみると、1990年10月をピークに低下傾向となり、1993年12月まで低下した。地価は、1991年秋頃(東京、大阪の大都市圏では90年秋頃から既に始まっている。)に、路線価も1992年中頃をピークに下落していった。また、1998年以降は社会全体の雇用者賃金の減少や、それ以前よりもさらに非正規雇用社員が増加していった。それまでの熱狂的な株価、地価は実体を伴わない異常な投機熱、すなわちバブルであったことが明らかになり、ふり返って「バブル景気」と呼ばれるようになった。 
「バブルの崩壊」は、あるとき一瞬にして起きた現象ではない。グラフ(各種指標)はある瞬間に最大値を取り、理論上、そこでバブル崩壊が始まったわけだが、それは単なる序章に過ぎない。バブル崩壊は、開始から数年間をかけて徐々に生じた過渡的現象である。現象の進行は地域や指標の取り方によっても異なり、例えばマンションの平均分譲価格を見ても、東京と大阪ではピークに約一年の差がある。東京でバブルの崩壊が発生し始めた時、大阪ではまたバブルが続いていた、とも言える。また北海道、東北、四国、九州など1992年から1993年頃まで地価が高騰していた地方都市もあり、俗に「バブルが弾けた」というが、あたかも風船やシャボン玉がある瞬間に破裂したかのような瞬間的な現象ではない。 
数値的に確認できる「バブルの崩壊」と、体感的な「バブルの崩壊」にも最大で数年程度のずれがある。データ上、バブルの崩壊は1991年10月ごろ始まったが、必ずしも誰もが直ちにそれを体感したわけではない。バブルの崩壊を経済学的現象ではなく深刻な社会問題ととらえるとき目安となる時期は1993年ごろであり、それまでは(事実としてバブル崩壊が始まっていたにもかかわらず)それを認識できずに楽観的でいたり、そうでなくても、まだ持ち直すかもしれないと期待していた人々がほとんどだったと見られる。ただし、経済政策の失敗によって1997年以降の景気が極端に悪化し、リストラや採用抑制が一層激しくなっているため、本格的に実害をこうむった1990年代後半〜2000年代前半を特にバブル崩壊による景気悪化と振り返って捉えている人も多い。 
しかしこのバブル景気は実際には高度経済成長後に起きた銀行融資の振替と1980年代の世界的ディスインフレが重なって発生した資産経済であり、高度経済成長によって積み重ねられたゆがみが生んだ景気である。1990年代はこのゆがみの修正に費やされ長い成長率低迷がおきることになるが、成長の時代になれた感覚はすぐには修正されなかった。 
バブル経済時代に土地を担保に行なわれた融資は、地価の下落によって担保価値が融資額を下回る担保割れの状態に陥った。また、各事業会社の収益は未曾有の不景気で大きく低下した。こうして銀行が大量に抱え込むことになった不良債権は銀行の経営を悪化させ、大きなツケとして1990年代に残された。 
さらに、バブル崩壊後の政治状況は、1992年の東京佐川急便事件に端を発した金丸信の議員辞職、経世会分裂、小沢一郎の新生党旗揚げなどの政界再編、細川政権誕生による55年体制の崩壊、政治改革、細川首相の電撃辞任、羽田孜の短期政権、さらに、自社さによる村山富市への政権交代など、大混乱の状態であり、政治はバブル崩壊後の経済状況に十分な対応ができなかった。
地価下落・住宅価格下落 / それまで土地神話のもと、決して下落する事が無い、と言われた地価が下がりはじめた。以後、2005年に至るまで、公示価格は下がり続けた。2005年以降は、一部の優良な場所の公示価格が上昇に転じている。また、バブル崩壊直前に高値で住宅を購入し、以後の価格下落で憂き目を見る例も少なくない。資産価格が下落したにもかかわらず固定資産税が高止まりしたままだったり、バブル崩壊後の低金利へローンを借り替えようとしても担保割れで果たせないなどである。高値で買った同じマンションの別室がバブル崩壊後に破格値で売り出され、資産価値下落の補償を求める訴訟も起こされたが、大半は自己責任として補償を得られずに終わっている。ベンジャミン・フルフォードは、和佐隆弘(元日経新聞論説委員)の言葉を借りて、1963年当時の自治省が地価の大幅な値上がりに対して、固定資産税の課税上昇率を抑えた為に、土地が「もっとも有利な投資対象」となってしまったことを日本の土地神話ないしバブルの遠因として挙げている。
大手金融機関の破綻 / 北海道拓殖銀行(拓銀)、日本長期信用銀行(長銀)、日本債券信用銀行(日債銀)、山一證券が、バブル崩壊後の不景気の中で、不良債権の増加や、株価低迷のあおりを受けて破綻した。政府は当初、大手金融機関は破綻させない、という方針を取っていたが、1995年頃より「市場から退場すべき企業は退場させる」という方針に転じ、不良債権の査定を厳しくして経営状態の悪い金融機関も破綻・再生する処理にかかった。拓銀は地価上昇を見越して土地評価額に対して過大な融資を行い、また、バブル期の融資に出遅れて、劣後順位での担保設定を行わざるをえなかったことから不良債権が膨らみ、1997年11月、営業継続を断念した。長銀はバブル期に不動産・リース等、新興企業に積極的な融資を行ったが、バブル崩壊後はイ・アイ・イ・インターナショナルへの多額の融資の焦げ付きを中心とする不良債権をかかえ経営不振に陥り、1998年10月に制定された金融再生法の下で破綻認定され、国有化された。日債銀はバブル崩壊で膨らんだ不良債権を飛ばしで処理していたが、1998年12月の金融調査で債務超過と認定され、国有化された。山一證券は1989年末をピークに株価が下落するのに伴い一任勘定で発生した損失を顧客に引き取らせずに、簿外損失として引き受けて、いずれ株価の上昇で損失が解消するのを待ったが、銀行からの支援を失って1997年11月に自主廃業を選択した(実際には破産宣告をうけて解散)。証券会社にバブル採用された社員たちは、入社数年で会社が倒産し再就職もままならない状態に陥ったものが多かった。
メインバンク喪失 / 銀行が破綻し、当該銀行をメインバンクとしていた企業も倒産の危機にひんする。貸出枠が縮小して行く中で、他の銀行から改めて融資を受けるのは困難であり、景気全般も悪く好業績も望めない中ではなおさら新たな融資を引き出すことは難しい。結局融資を得られず倒産に至る企業も多かった。日本長期信用銀行を再生する過程で、同銀行を買収した投資組合は、取引のあった企業を破綻に追い込んで積極的に瑕疵担保条項を活用して利益を確保する行為に出た。その結果、ライフ、そごう、第一ホテル等が破綻し、暴挙との批判を浴びた。
住専破綻 / 個人向け融資機能の弱かった金融機関が住宅資金需要に応えて設立した住宅金融専門会社(住専)であるが、バブル期前後には、金融機関自身が住宅ローン市場に参入し、住専は本来のターゲットである住宅ローン以外の不動産事業に傾斜した。優良な債権を銀行等が占有したため、住専はリスクの大きい物件に傾斜せざるを得なかったとの指摘もある。バブル崩壊後は融資先が破綻するケースに加え、担保としていた土地も値下がりして融資の回収が見込めない不良債権が増加し、住専7社のうち6社は破綻した。破綻に際しては、住専に多額の資金を融資していた農林系金融機関や銀行を保護するために公的資金が注入された。一方、案件として小粒であり従来は銀行から重視されていなかった個人相手の住宅ローンが、バブル崩壊後の不況期の中ではリスクが低いことから注目を浴び、それに注力する銀行も出てきた。
ゼネコン問題 / バブル崩壊に伴う事業の縮小、経営不振に加えて、プロジェクトにかかる代金支払いの保証をしていたことから、一気に負債額が増加し、経営悪化が表面化したゼネコンが多数あった。ゼネコンの破綻は雇用不安につながり社会の不利益となるので公的資金を投入して救済すべきとする意見が出る一方で、従前の経営の難点を指摘して市場から退場すべき企業は退場させるべしとする論調も声高になされた。また、下請けの会社が大手ゼネコンから仕事を受注するに際して、従前は手形払い等、信用を前提にした決済を行っていたものを、現金払いで決済するよう要求することもあった。
BIS規制 / 1988年に公表されたBIS規制は日本では移行措置のあと、1992年度末から本格適用されることになっていた。この規制の適用に際して、金融機関はそれまで大きく広げていた貸し出し枠を自己資本比率を満たすよう縮小する必要に迫られた。さらに、株価の低迷が追い打ちをかけた。安定株主の形成にも役だつことから、日本の銀行が取引のある会社の株を持つ事が普通に行われていた。ところがBIS規制では、所有する株も自己資本として算入されることから、バブル崩壊後の株価低迷で所有する資産が目減りし、それだけ貸出枠も縮小した。尚、国際業務を行う金融機関の自己資本比率の基準として8%が示されたが、BISそのものでは、国内業務に限った場合などの個別の規定を設けておらず、日本では国内の業務に限る金融機関は4%で良いとした。経営状況を勘案して、海外から撤退して国内に限る邦銀も現れた。
貸し剥がし・貸し渋り / 総量規制に加えて、BIS規制、株価の下落が、金融機関の貸出枠に枷をはめて、金融機関はそれまで大きく広げていた貸し出し枠を自己資本比率を満たすよう縮小する必要に迫られた。これに応じて、過剰に貸し付けていた融資を、半ば強引とも見える手法で引き上げる貸し剥がしも頻発し、景気の悪化に輪をかけた。手法としては、それまで定常的に融資を繰り返してきたものを一方的に停止するのをはじめとして、「今後も融資を継続するために」「内部処理の都合で」「新規・追加融資を纏めて一つの枠にするために」などの説明をもって融資を一旦引き上げたところで前言を翻して融資に応じない、などである。貸し剥がしにより運転資金を絶たれて倒産に追い込まれる企業も続出した。融資の約束を反故にされたとして訴訟に持ち込んでも、多くの場合は次の融資は口約束でなされるため、決定的証拠に欠け、また、銀行の融資の判断が優先される事が大半で、結局泣き寝入りするケースが多い。その他に、故なく、あるいは些細な理由をもって預金と融資を相殺して引き揚げる、など借り手側から見て強引な手法がとられることもあった。また、新規の融資にも消極的な姿勢を示し、貸し渋りとの批判もあった。
海外からの撤退 / かつて海外の不動産や資産、企業を購入して進出していた企業が、本業の業績悪化に伴い、撤退を余儀なくされた。前述の三菱地所は、ロックフェラー・センターの主要部分を、買収時価額を大幅に下回る価額で手放さざるを得ず、大きな損失を出して撤退した。
株持ち合いの解消 / 日本では企業間で株を持ち合ったり、銀行が取引のある会社の株を持って安定株主を確保する傾向が強かった。株価上昇時には、この株も含み益をもたらしたが、株価下落に伴い、逆に含み損となって企業の会計を圧迫する負担要因となる。とりわけ銀行が株を所有していたことについては、安全と堅実を旨とすべき金融機関が不安定な資産、いわば博打に資金を投じた、といった批判が寄せられた。また、各々の銀行について、どこまで日経平均が下がれば所有する株が含み益から含み損に転じるかを調査し、それによって銀行の経営の優劣や健全性を論じることも行われた。また銀行の大半が含み損に転じる日経平均指数を算出し、「そこまで下がることはない」「そこまで下がらなければアク抜けせず株価は反転しない」「そこまで下がったら日本経済は崩壊する」など、各種の意見が出された。同時に、株を売却し、相互に持ち合う関係を解消する動きも出てきた。これは安定株主の喪失を招き、後に株の買い占めによる乗っ取りなどの事例が増えることにつながった。株主が次第に存在感を増すようになり、利害関係者の対立を背景に「会社は誰のものか」という議論がなされるようになった。 
雇用の抑制 / リクルートワークス調査によれば、企業の新規採用はバブル景気崩壊の1991年(約84万人)をピークに1997年(約39万人)まで減少した。その後は増加し1999年(約68万人)にピークとなった後再び低下し、2001年(約41万人)を底にその後は増加している。終身雇用が重視されていた当時の風潮の下では社員を解雇するのが困難だったために、過剰人員を削減する手段を新規採用の抑制に求めたことがその大きな理由である。この時期は人口が多い第二次ベビーブーム世代が就職する時期に重なったために、競争が激化して就職が極めて困難になった。俗に言う就職氷河期の到来である。就職できなかった多くの若者はフリーターやニートとなり、就職氷河期世代と呼ばれ、彼らの生活・雇用の不安定さが、大きな社会問題となっている。失業率は、1998年頃からは経営の悪化からリストラを名目とした大規模な解雇も頻発するようになり、戦後最悪を記録し全国平均で5パーセントを超えるに至った。中途採用については、抑制がピークに達した1999年には有効求人倍率が0.5倍を割り込んだ。 
当時、企業の大小を問わず新規採用は軒並み「若干名」で、大手企業の「採用ゼロ」も少なくなかった。バブル崩壊以前は、一定の水準の評価を受けている大学を卒業していれば、その大学に見合った就職先が事実上保障されていたといっても過言ではなかったが、極端な採用抑制のために難関大学の卒業生でさえ非常に困難な就職活動を強いられた。また、本来であれば採用した新卒に対し、企業内で一定の期間教育を施して戦力として育て上げ、それから現場で業務に就かせることが普通であるが、業績の悪化を受けて教育の余裕もなくなり、新卒に対して「即戦力」たる能力を求める風潮もでてきた。 
この時期は公務員の人気が非常に高かった。民間企業の倒産やリストラの嵐のなか、「景気の動向に左右されにくい」という公務員の特徴がバブル期とは全く逆の捉えられ方をされ、その堅実性から公務員を希望する学生が増加した。一方で長引く不況下でも失業の心配がほとんど無く、収入減少の憂き目にも遭わず、年金や社会保険など福利厚生も充実した公務員が民間と比べて優遇されていると批判する世論も高まっていた。 
堅実な公務員職を希望する学生が増加する一方で、不況に伴う税収減少をうけた財政難から地方公共団体は新規採用を縮小したため、公務員は非常に狭き門と化した。あまりの就職難のために、大卒者がその学歴を隠し、高卒の採用枠で公務員に採用された例もあり、2000年代半ば以降神戸市や大阪市、さらには横浜市などで次々と同様の行為が発覚して問題となっている。 
2003年頃からようやく景気が回復基調に転じた頃、企業を長らく支えてきた団塊の世代の一斉退職が目前に迫っていた。本来であれば彼らの持つ経験や技術を受け継ぐべき中堅社員や若手社員の採用を抑制したことから、企業の多くで人員の年代構成が歪んでいるため継承が円滑に行なわれていない。このため企業は急いで人員の確保に走り、2005年には新卒の求人倍率はバブル景気期と同程度にまでに回復し、2007年度の新卒大学生の求人状況は、「バブル景気時以上」といわれるほどの水準に達した。 
また、企業全般では深刻な人手不足になっているが、中核となる人材を育てる投資の視点から新卒・第二新卒の獲得に走る一方で、上記の「就職氷河期世代」のフリーターやニートを改めて正社員として雇い入れるには就労期間が短く投資の面から非効率的であるとして消極的である。2006年に発足した自民党安倍政権は格差拡大の是正の一環として、再チャレンジ制度を打ち出した。 
求人が増えた一方で、肝心の新卒はその殆どが不景気の日本しか知らずに育っており、それがゆえに大企業志望で、終身雇用・年功序列を求める保守的かつ安定指向が多い。このため、大企業の競争率が非常に高い反面、中小企業はいくら求人を出そうとも新卒が中々応募してこず、厳しい局面に立たされている。
労働者派遣・アウトソーシング / 規制緩和の一環として不況下の経費削減、殊に固定費削減のため企業の業務を担う人員や、業務そのものを企業本体から切り離し外部から調達する方法も取られる様になった。人材派遣業会社から人員を調達して企業の業務に当たらせることで雇用を流動化させた。企業にとって派遣は保険や年金等の社会保障を省略できる事、また、定年までの雇用の義務が無い事から、年金に対する負担が無い事、景気に応じて雇用の調整弁として有用なこと、そして、能力に応じた賃金を支払えば良く、年功序列に応じた高賃金の支払いを免れる利点がある。材料・部材、或いは製品そのものの製造を外部に委託し、設備投資や固定費用の削減を図る。更に、サーバー管理業務、DM発送業務を委託する事例も増えた。一方で、これらの供給を行う人材派遣会社、業務請負会社等も成立し、業績を伸ばしてきた。失われた10年の就職氷河期に曲がりなりにも雇用が確保されたのは、これら非正規雇用による賃金切り下げの効果なのは疑いがない。しかし、2007年現在、非正規雇用は全就業者の1/3を占めるまで増加し、バブル期以上といわれるまでに企業が利益を出しても彼等の待遇は変わらない。何歳になっても、また何年勤めてもいつ解雇されるか判らないため、子供どころか結婚も出来ない非正規雇用の若者が増加したと言われている。
 
バブルと経済政策

 

バブル景気が膨張を続けて、その崩壊からの脱却に長期間を要した原因について、政府・日銀の経済政策の失敗が指摘されている。 
バブルの発生については1985年のプラザ合意による急速な円高で景気が悪化することを恐れ、財政・金融政策による景気刺激が行われたことが原因とされている。政府は、数次にわたり経済対策を策定し、1987年5月に6兆円を上回る財政措置を伴う「緊急経済対策」をしたが、景気は1986年11月を底に既に回復していたため景気を刺激し過ぎたという批判がある。 
バブルの膨張を抑止できなかった理由として、金融緩和を続け過ぎたことが指摘されている。公定歩合は1987年2月2.5%に引き下げられ、1989年5月までこの水準を維持した。この原因は1987年のブラックマンデーによる世界的な株価の下落があり、日本に金融緩和が求められたことにある。 
金融緩和が続けられた国内要因としては、第一に政府が財政再建のために赤字国債からの脱却を目指しており、金融政策による景気刺激を求める政治的な圧力があったことがある。第二には大幅な経常収支の黒字を背景とした円高圧力があったことから、金融緩和によって円高を回避しようという政府・与党などからの圧力があったことが指摘できる。急激な円高に苦しむ輸出企業の体力を強化するためにも金融政策は緩和的であるべきという認識もあった(この反省から1997年に日銀法は改正されて日本銀行の独立性が高められた)。 
バブル膨張は金融政策のみによるものではない。政府は国際化によって東京のオフィス需要が急拡大して、オフィスが不足するという試算を発表してバブル期の不動産投資をさらに過熱させた。財政面でも、国の公共投資は抑制されたが、好景気によって税収が増加した地方自治体では地方単独事業の増加が見られ、これも景気を刺激することになった。地方単独事業の増加には、国の財政赤字を抑制するために地方単独事業の増加を歓迎していたという背景もある。 
また地価の上昇局面で国鉄清算事業団の未利用地販売に際して「地価の高騰を煽る」として売却が凍結され、逆に土地の飢餓感が煽られて地価の上昇を招いた。地価の上昇によって住宅取得が困難となり国民からは政府に対する非難が高まったことが、不動産融資の総量規制に繋がり急速な地価の下落を招いたという批判がある。こうした地価に関する政策的な失敗は、マスコミや国民の感情的な批判に政府が冷静に対応できなかったという問題とみることができる。 
バブル崩壊後の対応では、初期の金融政策や財政政策による景気刺激が小規模であったことが指摘できる。公共事業による景気刺激がその後の財政赤字の拡大を招いたという批判は多いが、当初の経済対策は財政資金の投入は少なく、対策を小出しにしたことが次第に大規模な財政刺激が必要となった一因と考えられる。日銀は1991年7月に公定歩合を0.5%引き下げたが、その後の金融緩和の速度が遅かったと考えられている。これらの政策は外国から 「Too small, Too late」(政策規模が小さすぎ実行が遅すぎ効果的な政策ではない)と批判された。 
銀行など金融機関の不良債権問題が深刻となって以降は、早期に財政資金を投入して破綻した金融機関の救済を行うべきであったと考えられている。住専処理に6850億円の資金を投入するという政府の1996年度予算案に対して、マスコミなどは金融機関に失敗の責任を取らせずに救済のために税金を投入すべきではないなど強く反発することとなり、国会も混乱した。後から数十兆円の資金が投入されることになったことを考えれば、早期に公的資金の注入ができれば問題の拡大を抑制でき、結局は国民の負担も少なくて済んだのではないかという見方も多い。 
バブル崩壊後の低迷からの脱却局面で、景気の回復傾向が見られた際に、財政、金融による景気刺激的政策から景気抑制的政策への転換を早く行いすぎるという失敗を繰り返した。最初の失敗は財政政策の失敗で、1993年10月を底に景気は回復するが、政府は財政赤字の縮小を急ぎ、1997年4月消費税率を2%引上げ、2兆円の特別減税を廃止するなど、約9兆円の負担増を実施した。ところが同年にはアジア通貨危機が発生したことや、年末には金融機関の経営破綻が続いたことで、景気は極端に悪化した。二度目は金融政策の失敗である。アジア通貨危機の混乱が収まると、1999年1月を底に景気は回復しはじめ、日銀は政府の反対を押し切って2000年8月にゼロ金利政策を解除した。しかし、米国でITバブルが崩壊すると輸出の鈍化から2000年11月をピークに景気は急速に悪化し、2001年3月には再び実質的にゼロ金利政策に戻らざるを得なくなった。同時により金融緩和的な量的金融緩和政策の導入を余儀なくされた。 
 
 
1929年アメリカ大恐慌とアーサー・ミラー

 

2008年のアメリカ発金融危機との関連から 
はじめに  
本日のこの最終記念講義のタイトルですが、もちろん、昨今のアメリカにおける金融危機の状況が1929年10月に起こったアメリカ発の大恐慌とたいへん似ているので、時宜に適ったテーマであるとの思いもあって選びました。ご存知のように、今回のアメリカ発の金融危機の煽りをもろに喰らって世界中が経済不況に陥っております。29年の大恐慌の時には、アーサー・ミラーは14歳であり、父親の婦人服製造工場がこの大恐慌が直接の原因で倒産した状況を目の当たりにしました。このショッキングな体験を彼はミシガン大学在学中に懸賞応募作品として書いた『悪人ではない』(1936)という作品に描き込んだ程です。この作品は見事、賞を得て、その後これを2回書き直して応募を重ねました。これらはその主人公の名前を冠して『エイブ・サイモン家族劇三部作』として未出版ではありますが、ミラー研究家の間では知られています。それ以後、ミラーは大恐慌を直接・間接の別はありますが、諸作品で描くことになります。  
直接に描いた作品を年代別に並べると『二つの月曜日の思い出』(1955)、『代価』(1968)、『アメリカの時計』(1980)となります。大恐慌は、それまでの伝統的なアメリカのエトスである「アメリカの夢」“American Dream” に大きな揺さぶりをかけたという意味でも、大事件でした。この大恐慌と「アメリカの夢」崩壊をテーマとした作品に、ミラーの記念すべきブロードウェイ進出第一作目となった『幸運を独り占めにした男』(1944)という作品があり、これについてはお話しの後半で触れることになります。さて、この講義では、まず昨今のアメリカ発金融危機の背景、第2にそれと29年末のアメリカ大恐慌との関連性、第3にミラーの大恐慌体験、第4に大恐慌を扱った上記のミラーの作品がそれをどのように描いているか考察し、第5にそれらの作品が書かれたそれぞれの時代背景とミラーがこのテーマを扱った理由、第6に大恐慌と「アメリカの夢」崩壊との関係、そして最後に、大恐慌と「アメリカの夢」をテーマとする作品におけるミラーの警鐘ないしは警告のメッセージを読み解いてみたいと思います。 
1.2008年アメリカ発金融危機  
サブプライム・ローン問題に始まり、リーマン・ブラザーズの破綻で爆発した昨年来の世界的な金融危機が解消することもなく、世界は2009年を迎えました。昨年9月のリーマン・ショックで最大の危機に陥ったウォール街を見れば明らかなように、市場原理一辺倒の資本主義は、もはや限界に達している感があります。旧来の秩序は崩れて市場はまさにカオスと化し、日本を含む世界のあらゆる枠組みが揺らいでいます。中曽根康弘元首相も「米国の経済政策での自由放任主義は人間性が伴っていない。言い換えれば、情のない資本主義というものだった。今回の危機でこの限界がわかった」(「大波乱に立ち向かう9」、『讀賣新聞』、2009年1月11日、1ページ)と述べて、その非情さを指摘しています。当面はアメリカの経済立て直しが、バラク・オバマ、アメリカ新大統領にとっての最大の政治課題になります。  
ところで、ニュー・ヨークのウォール街のど真ん中に大きな牛の銅像があるのを皆さんはご存知でしょうか。この牛はウォール街の繁栄を願う銅像で、英語圏では「株式市場の強気」を“bull” と言います。ちなみに「弱気」は“bear” だそうです。ふだんならば株で儲けた人が、この銅像にあやかってその肩や背中をなでるのですが、2008年の秋は違いました。“Arrest Bush、” “Greed Kills、” “Bailout=Bullshit” などと書いたプラカードを持った人たちが、この牛の足元に寝そべっている姿が見られたのです。彼等は別に株で大損した人たちではなく、ウォール街の金満会社を公的資金で救う位ならば、その前に自分達の暮らしを守ってくれと訴えて、政府の金融機関救済に反対する市民たちでした。アメリカ政府が金融支援法案で想定した拠出額は7000億ドルと言われています。これをアメリカの総人口の3億で割ると一人当たり2000ドル、日本円ですと約20万円にもなる。納税者一人当たりなら、5000ドル以上の負担となります。  
多くの市民は、こうした莫大な公的資金を使った救済法に断固、プロテストしたのです。  
今回の金融危機の直接の原因ですが、これは要するに、払えない借金の証文に、「今は無理だけど、将来は払えますよ」という錯覚を顧客に起こさせてサインさせるシステムでしょう。  
「将来は、今よりも金持ちになっている」と信じ込まされた、あるいは信じることができた人間は、いきおい自分の身の丈に合わない借金をする。そもそも、サブプライム・ローンというのは、低い社会的評価しか受けていない人たちを対象に「今のあなたへの外部評価は不当に低いけれども、本当のあなたはもっと高い評価を受けて然るべきで、将来は必ずそうなりますよ」という甘い囁きをもたらすシステムだったのです。これに日本でも問題になった土地神話が絡んだ。「今あなたが所有している土地の評価は不当に低いけれども、いずれ本来の評価になるはずですよ」と。こうして、アメリカの金融業界は、このサブプライム・ローンのシステムを構築するに当たって、外部評価が低く、自己評価が高い人間こそが「アメリカの夢」を体現できるという神話を吹き込んだと言っても過言ではないでしょう。  
他人を蹴落として競争に勝って豊かになること、これが「アメリカンの夢」だと正当化する競争社会アメリカの伝統的な考え方をひとまず脇に置くとしても、今回の金融危機の最大の原因は反論を覚悟で言えば、長期にわたるブッシュ政権の規制緩和と自由放任政策にあるというのが、大方の見方です。2000年の大統領選挙で民主党候補のアル・ゴアに接戦の末、勝利を収めて大統領となったジョージ・W・ブッシュでしたが、2001年1月の就任直後から今ひとつ支持率が伸びず低迷していた時に、例の9.11同時多発テロが起きました。彼はすぐさま、姿の見えぬテロ集団に宣戦布告し、それ以来アメリカは戦闘状態にあるのは周知の事実です。ブッシュ大統領がイラクとアフガニスタンでの戦争にかまけている間に、経済は「金銭欲」“greed for money” に飢えた市場任せの状態が続き、まさに、「市場原理主義」の圧倒的支配の状態にあると言えるでしょう。  
市場原理主義は政府が過度な民間介入をせず、個人の自由と責任に基づく競争と市場原理を重視する新自由主義と相性が良いこともあり、特に歴代の共和党政権はこの市場原理を重視して来ました。こうした経緯もあってか、政府がこれといった規制もしないので、その間隙を縫って市場が企業統治の概念を持ち出して抜け道だらけの規制を設けて、金儲けに走った。その結果、デリバティブと呼ばれる各種の金融派生商品の横行を許した。住宅バブルの元凶となったサブプライム・ローンの債権を組み込んだ証券も含め、こうした金融派生商品は、すべて短期決戦型だったので、値下がり前に売り逃げするのが勝ちだという発想がまかり通ったのです。  
これは買った株を長く保有して、企業の成長とその配当を楽しみにするというこれまでの長期型の投資とは全く逆の発想なのです。ブッシュが大統領として君臨していられるのは2008年末までなので、それまでになるべく早く売り逃げすれば利益を確保できると多くの投資家は考えた。だが、あいにく半年早く破綻が訪れた。それが今回の金融危機の正体というわけです。 
2.1929年10月24日のアメリカ大恐慌  
昨今の状況についてアラン・グリーンスパン前連邦準備制度理事会議長は、「100年に一度起こるかどうかの深刻な金融危機」だと言いました。実際の話し、今回の事態は1929年10月24日にニュー・ヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを切っ掛けに生じた金融恐慌に対する金本位制であるが故のシステム的な不備と当時の各国の当事者の対応のまずさが原因で、その後33年頃まで続いた世界的経済大恐慌と同じ状況なのです。今回の事態が、「大恐慌以後の最大の危機」と呼ばれる所以です。それでは、29年以前の状況はどうだったのか。第一次世界大戦後、20年代のアメリカは、大戦への輸出によって発展した重工業への投資、帰還兵による大幅な消費の拡張、モータリゼーションによる自動車工業の躍進、ヨーロッパの疲弊に伴う対外競争力の相対的上昇と同地域への輸出の増加などによって当時の大統領フーバーが「永遠の繁栄」と呼んだ経済的好況を手に入れていたのです。  
ところが、大恐慌数年前には、既にその予兆があった。アメリカの農村部では農業恐慌が起こっていたのです。過剰生産が農産物の価格を下落させ、アメリカ国内では生産の消費力が低下していた。それでも、20年代のアメリカは、大量生産・大量消費の時代で「永遠の繁栄」を謳歌する一般民衆には、農村部の景気停滞には無関心だったのです。そして、この20年代前半における余剰農作物は、ヨーロッパに輸出として振り向けたため問題は発生しなかった。しかし、農業の機械化による過剰生産とヨーロッパの復興、相次ぐ異常気象から農業恐慌が徐々に深刻になって行ったのです。具体的には、第一次世界大戦の荒廃から回復していない各国の購買力も追いつかず、社会主義化によるソ連の世界市場からの離脱などによって、次第にアメリカ国内の他の生産も過剰になって行った。また、農業不況に加えて鉄道や石炭産業部門も不振になっていた。それにも関わらず投機熱に煽られ、時の政府も適切な抑制措置を取らなかったのです。  
こうして、アメリカの株式市場は、1924年中頃から投機を中心とした資金の流入によって長期上昇傾向に入って行った。ところが、20年代後半になるとヨーロッパの経済が上向き、また後進国における工業化の進展、ソ連経済の復興などにより、世界的な生産過剰状態が生まれ、アメリカでも見せかけの好景気が続き、国民の消費も伸びず、倉庫には売れない商品が溜まり始めていたのです。好景気によってだぶついた資金を株の儲け話しを聞いた投機筋が市場に流入し、ますます投機熱が高まり、ダウ平均株価は5年間で5倍に高騰し、29年9月3日にはダウ平均株価381ドルという最高価格を記録したのです。市場はこの時から調整局面を迎え、続く1ヶ月間で17%下落し、次の1週間で下落分の半分強ほど持ち直したものの、その直後にまた上昇分が下落するという異常な動きを見せたのです。  
このような状況下、29年10月24日午前10時25分、ゼネラルモーターズの株価が80%下落し、その直後の寄り付きは平穏だったのですが、まもなく売りが膨らみ株式市場は売り注文が押し寄せ、前例のない激しさで株価が大暴落したのです。11時には、全アメリカの株式売買の店から売り注文が続き、大パニックとなった。ウォール街周囲は不穏な空気に包まれ、警官隊が出動して警戒に当たらなければならなかったようです。午後3時に取引が終了し、その日の株式売買高は、売りを中心に1289万株という新記録だった。これが、全世界の殆どの資本主義国家を巻き込んだ世界恐慌の始まりです。投機業者で自殺した者は、この日だけでも11人に及んだと言われています。この日は木曜日だったため、後に「暗黒の木曜日」“Black Thursday” と呼ばれるようになりました。翌25日、ウォール街の大手株仲買人と銀行家たちが協議し、買い支えを行うことで合意しました。このニュースでその日の相場は平静を取り戻しましたが、効果は一時的だった。週末に全米の新聞が暴落を大々的に報じたこともあって、28日には921万2800株の出来高でダウ平均が一日で13%下がるという暴落が起こり、さらに10月29日には24日以上の大暴落が発生したのです。投資家はパニックに陥り、株の損失を埋めるため様々な地域・分野から資金を引き上げ始めた。この日は火曜日だったため、後に「悲劇の火曜日」“Tragedy Tuesday” と呼ばれるようになったのです。  
こうして、29年のウォール街の暴落は米国経済に大きな打撃を与えた。しかし、当時は今日と違って株式市場の役割が小さかったために被害の多くはアメリカ国内に留まっており、当時の米国経済は循環的不況に耐えてきた実績もあった。不況が大恐慌に繋がったのは、その後、銀行倒産の連続による金融システムの停止に、アメリカ連邦準備制度理事会の金融政策の誤りが重なったためでした。フーバー共和党アメリカ大統領は事態に楽観的態度を取り続け、経済的基礎が健全で生産活動がしっかり行われているので大丈夫と断言した程です。彼は古典的経済学の信奉者であり、ブッシュ同様、国内経済において自由放任政策を取り続け、その一方で保護貿易政策を堅持し、世界各国の恐慌を悪化させて行ったのです。失業者は30年には400万人に達し、32年には実に1250万人を数えたと言われています。32年後半から33年春にかけてが、恐慌のピークだったようで、恐慌発生直前と比べて株価は80%以上下落し、工業生産は平均で1/3以上低落し、1300万人とも言われた失業者を生み出し、失業率は25%に達したと言われています。閉鎖された銀行は1万行に及び、33年2月にはとうとう全銀行が業務を停止、革命が起こるのではないかと懸念された程です。  
こうした中、登場したのが民主党のフランクリン・D・ルーズベルト大統領でした。彼は従来の自由放任経済から、各産業や労使関係まで国家権力の干渉を加える統制経済と、大衆の購買力増進とによって景気の回復を図ろうとする修正資本主義に基づいたニュー・ディール政策を掲げて当選したのです。公約通り産業に統制を加え、価格・最低賃金・最高労働時間などを決めた全国産業復興法と、農産物の生産を制限して価格の安定を図ろうとした農業調整法、それに雇用を増やし失業者の救済を図るためのテネシー川流域開発公社を設立しました。ただ、ニュー・ディール政策は1930年代後半の景気回復を前に規模が縮小されるなどしたため、30年代後半には再び危機的な状況となったので、同政策はどれほど効果があったかについては今日でも賛否両論があるようです。結局、アメリカの不況脱出と経済の本格的な回復は、その後の第二次世界大戦による莫大な戦争特需まで待つことになったのです。つまり、大恐慌が実際に終りを告げたのは、防衛支出と戦争が経済に活気を与えた1941年に入ってからでした。 
3.アーサー・ミラーと大恐慌  
ここから私が長年、研究の対象としてきたアメリカの劇作家、アーサー・ミラーとこの大恐慌との関連に関する話です。そもそも、作家というものは、小説家、詩人、劇作家いずれであれ、その創作活動を決定的に促した何らかの人生上の体験を持っているものですが、ミラーの場合、その創作活動の原点となった体験は、まさに29年末の大恐慌でありました。彼は1915年生まれですから、当時14歳だった。彼は後年、当時を振り返って「大恐慌は私の本であった」(「神々の影像」、『アーサー・ミラー演劇論集』、177ページ)と言っています。そして、次の様に続けています。「1929年まで、私は事態はかなり堅固なものと思っていた。とくに、多くのアメリカ人の場合と同様に、誰か責任者がいるものと思っていた。正確にはわからないが、たぶん実業家だろう。・・・・ 実際に、1929年まで言われ、なされてきたことは、ことごとくまやかしであることがわかった。責任者などいなかったのだ。今にして思えば、その当時、私が得たものは目に見えない世界の感覚であった。ある実体が、その隠れた法則によってそのクライマックスを密かに用意していて、まさにその適切な時機に迷妄を破ったのだ。その意味で、1929年は我々のギリシャの年であった。神々が警告していたのだ」(「神々の影像」、176−77ページ)。  
このように、大恐慌がミラーに決定的な思想上の影響を与えたことが分かります。事実、第一次大戦後の戦争景気に酔いしれていた人々は、この大恐慌によって様々な意味で大きな打撃を受けることになる。ミラーにとって、こうした状況は何か「目に見えない世界」によってもたらされたと思えたのです。29年はミラーが経験した「目に見えない世界の感覚」や「隠れた法則」の認識とは、永遠と思われた20年代の繁栄を支えた経済システムも29年10月24日のウォール街の株価大暴落に見られるように、一夜にして崩壊するというミラー自身の発見を意味しています。それは端的に言って、その後32年までに500を数える銀行を倒産させ、1300万ともいわれる人々を失業させ、背後にあってそれまでは、はっきりと目には見えなかったシステムの存在の認識に他ならないのです。青少年期を過ごした大恐慌の時代は、劇作家としてのミラーにとって「隠れた法則」発見の原体験となり、やがて大なり小なり彼の諸作品の背景やテーマとなります。  
さらに、この時代の状況に関して、ミラーは1987年に出版した自伝で当時の人々の貧しいがより良い明日の到来を信じて精一杯生きた彼等の気概を次の様に語っています。「人生は思い通りに行かないかも知れないが、面白く刺激的だ。人々は退屈しているようには見えない。これは、いつも何となく進歩がありそうだからだが、しかし何をするにも多くの努力が必要だからだ」(『時のうねり―ある人生―』、64ページ)。また、「ことは実に単純だった―私たちは希望が持ちたかった。希望とあれば、約束さえ示してくれれば、幻想でもよかった。現実は耐えがたかった―失業者の恒常的大軍、停滞し挫折したアメリカ精神、人種差別の跳梁、すべての貴重なもの―特に若者の可能性の浪費。ルーズベルトは確かに天使の側にいたにせよ、決定的な崩壊の日を先送りするのがやっとだった」(71ページ)と述べています。このように「失業者の恒常的大軍」、「停滞し挫折したアメリカ精神」、「人種差別の跳梁」、「若者の可能性の浪費」が慢性化した時代を、希望を失わずに歯を食いしばって懸命に乗り切った当時の人々の体験を語っているのです。初期のいわゆる『エイブ・サイモン家族劇三部作』と『二つの月曜日の思い出』は、まさにここで述べられた大不況期における彼自身の実体験を直接に描いたものです。ここには、ミラーの大恐慌の体験を振り返るのではなく、そこへ常に立ち戻ってアメリカ社会が精神的危機に陥った時に、そこで学んだ経験を人々に知らしめる彼の使命感が見て取れます。 
4.大恐慌を扱ったミラー作品  
大恐慌が、アメリカ人に与えた打撃は計り知れないものがあり、アルフレッド・ケイジンによれば、それは「人生の基調が、いや、人生を支えている意識そのものが、たちまちにしてあまりにも違ったものに見えたために、すべての伝統的な価値が突然根絶され、その多くが安っぽいものに思われたくらいだった」(『現代アメリカ文学史―現代アメリカ散文文学の一解釈』、423ページ)のです。ミラーは、それを「見えざる世界の感覚」と呼んだのであり、その衝撃の凄まじさを語っていたのです。いずれにしても、30年代に入って資本主義の危機としての恐慌が、アメリカ社会に重苦しくのしかかってくると、資本主義機構そのものの中で抑圧された人間の無力感や経済的破綻から来る絶望感、虚無感が露になる。本来、極めて個人的、心理的な「疎外」という状況も、こうして社会構造的色彩を帯びるのです。このような状況が『二つの月曜日の思い出』の背景であり、まさにこうした状況にある人間の典型的な例を、特にガスという人物に見ることができるでしょう。また、ミラーは『二つの月曜日の思い出』と大恐慌との関連性に関して、この作品は30年代を写すムード劇であり、「人間性」が忘れ去られることのないように「他人への同情」と「共通の運命を分かち合う意識」の必要性を説いたものだったと述べています。また、この作品は「共同体」“community” の存在とそれを維持するために、いかに「連帯」“solidarity” が重要であるかを表明したものであると言うのです。  
さらに、ミラーは後年に自伝で、そもそも、この題材を選んだのは、彼がこの作品を書いた当時の俄か景気に湧く空虚なアメリカとは異なる、確かな現実に触れる必要があったからだと述べています。その豊かさを謳歌する逃避主義の時代にあって誰も直視しようとしない主題、すなわち「大恐慌と生存のための闘い」(『時のうねり―ある人生―』、353ページ〕に取り組んだというわけです。実際、大不況とサバイバルの関係は、経済の崩壊は個人の尊厳の感覚と自信を失わせ、社会の理想と国家の神話は解体し、唯一の至上命令は「生き残ること」であったと言えます。厳しい大不況をサバイバルするための重要なファクターが他ならぬ連帯意識であり、これが後のミラー作品で繰り返し強調されて行くことになります。  
ミラーが『二つの月曜日の思い出』で意図したテーマは、まず、大恐慌の下、助け合い、連帯し合って30年代の経済不況期を生き抜く人々のサバイバルの問題とそこに垣間見える現代社会の人間疎外の問題であり、今一つは主人公バートのイニシエーションの問題だったのです。  
大恐慌のサバイバルを巡る「連帯」の問題は先に引用したミラーの説明で、すでに十分明らかになったので、「疎外」との関連性を述べてみます。前述したミラーの見解により、彼が産業主義と物質文明に挑戦する人々の精神の願望と諦念を、この自動車部品倉庫という仕事場を舞台にして、描いたのは明白です。ところで、この自動車の部品というのは非常に象徴的な意味合いを持っていると言えるでしょう。大体、部品というものは、それ自体だけでは何の役にも立たず、また摩耗して駄目になれば新しいものと容易に交換されるのです。ここで描かれる登場人物は、そうした他との取り替えによって簡単に交換可能な部品の如き存在なのです。つまり、個性ある人間としての存在を奪われた、いわゆる「疎外」された人達の適切な比楡となっています。  
言うまでもなく「疎外」に関する概念は、マルクスを初めとする色々な思想家によって定義がなされてきましたが、要するに「人間がのけものにされている」、「人間不在の」、「人間を無視した」、「非人間的な」というような広い意味として解釈できるでしょう。かつてヤスパースは、1930年代までの社会において明らかになってきた様々な人間疎外の病理現象を分析して見せました。彼によれば、合理化と機械化を主軸とした科学技術の発達と集団の機構化に伴う人間の大衆化の結果、人間は機構の中で組織され、人間としての独自性を失い、単に数としてしか意味を持たない平々凡々たる存在、あるいは機構という機械の部品となってしまっているのです。「疎外」された人間を機械の部品と見るヤスパースの概念は、この劇で描かれる労働者の的確な比喩であり、劇全体の底流として意識されていると言えます。以上、大恐慌と疎外の問題を関連させて述べてきましたが、次に『代価』で描かれた大恐慌時代に見られた価値観の対立に触れてみたいと思います。  
ミラーは『代価』で、ヴィクター・ウォルター両兄弟それぞれの心理や道徳的価値観が社会のジレンマの真只中で対立・葛藤する様を描き、またそのような演出を望んでいます。大恐慌がもたらした愛も信頼も失った家族関係の中で、家を守ることに関してその責任の所在を巡ってヴィクターとウォルターに、それぞれの価値観を対立させたかったからです。ミラーのこのような両兄弟に対する共感の平等思想の背後には、30年代の大不況社会の中で表面化した家および家族に対するアメリカ的価値観の対立があり、それをミラーは両兄弟の対立の中に象徴的に描き込んだのです。そして、ここには彼が両方の価値観に同等の価値の重みを持たせたいとする意図が透けて見えます。  
さて、兄ウォルターに代表される家を省みない価値観は、繁栄の20年代から頭をもたげ始めた成功観と関係があります。いわゆる「成功の夢」であり物質的成功への崇拝思想です。大恐慌で顕在化した「成功の夢」の飽くなき渇望です。ウォルターはその支持者であり、他方、ヴィクターはその反対者です。こうして両者は、家族の価値観と成功の思想を巡って対立します。  
父親の破産で、それこそ捨てられた食べ物をあさって食いつないだという家族の信頼関係が、ヴィクターの自己正当化の支えになっているのです。ウォルターはそれを幻想だと決め付け、彼らの家庭には元々そんなものは存在しなかったと豪語します。子供達が世に出て成功することが、父親が望んでいた価値観であり、自分はそれに従っただけだ、とウォルターは言うのです。こうして見ると、父親の一見矛盾した言動が、両兄弟の人生に異なった選択を与えたと言えるかも知れません。  
ヴィクターは、父親が自分に望んだのは、植民地時代や西部開拓時代のアメリカ人が築いた倫理的美徳、すなわち寄る辺の無い厳しい環境の中で土地と家を守り抜こうとした自営農民的な家族意識の伝統であったと思うのです。他方、ウォルターは、家を捨て親をも否定しながら、むしろ父親からは尊敬された。それは、成功者がいかに尊ばれるかを如実に表しています。彼の成功の価値が大きいのは、不況と言うハンディをその出発点としたからです。19世紀後半の都市化と産業化の中で醸成された成功観は、ウォルターの生き方の中で、前者とは逆に自営農民的な家族意識を分裂させる個人主義の美徳を生み出しました。伝統的な家の観念が崩壊しつつあった20世紀初頭の中で、とくに30年代は当時の若者に家に対して二者択一を迫ったことでしょう。こうして、ヴィクターは古い伝統的な従来の家意識に固執したのに対して、ウォルターは新しい歴史の流れに乗じて成功したのです。こうして見ると、二人の対立が極めて象徴的であることがわかります。ヴィクターは過去の世界の価値観に積極的にコミットし、この旧家と滅びる運命にある人間像を象徴し、ウォルターは新しい時代感覚ですぐれて個人主義的な価値観に積極的にコミットした人間像を象徴するのです。これはちょうど、テネシー・ウイリアムズが『欲望という名の電車』で、新旧南部の価値観をスタンレーとブランチに象徴化したのを思い起こさせます。  
翻って考えてみますと、両兄弟の担った価値観は、アメリカ社会が生み出した二つの矛盾した主流の生き方を代表していることがわかります。そして、それらがお互い排除し合うと同時に、惹かれあってもいるのです。ようやく今になって、警察官としてコミュニティーに奉仕するヴィクターの生き方に価値を見出し、他人との連帯の中に生きる喜びを見出したのは、他ならぬウォルターです。他方、ヴィクターも、ウォルターの合理的な現実認識、自己実現を尊重する考え方や成功観を欠いていたが故に、長年の忸怩たる悔恨の生活に甘んじざるを得なかった。ウォルターの時代の先端を行く思想には、ヴィクターも少なからず、羨望の念を抱いたことは否定できないでしょう。こうした両者の考え方は相対立するものの、両者とも社会が存続するには欠かせないものであって、かくしてヴィクターとウォルターの対立が象徴的である所以です。ヴィクターが体現する愛“love” と道義“loyalty” に基づく家族の連帯の原理とウォルターが代表する成功の原理は、こうして相反するものではありますが、その対立は一般社会の厳しい現状であり、また社会が機能する上で、必要不可欠な要素でもあります。そして、両兄弟の対立の根が利他主義者と自己達成者の観念上の違いにあると見ることもできるのです。  
ところで、ミラーはその伝記の中で、60年代の戦争態勢(ベトナム戦争)、黒人の目覚め(公民権運動)、時代の疎外感の中にあって、彼は来るべき幻滅の種を見たと述べています。そして、当時50歳にして彼は、過去の聖なる戦いの残響を遮断しようとしたのだけれども不可能だと悟り、この無力感を振り払うためのいわば悪魔払いとして『代価』を書いたと次のように語っています。「『代価』はある点では、この繰り返しの無気力感を振り払う魔よけともいえる。  
二人の兄弟―ひとりは巡査、もうひとりは成功した外科医―が、長年の喧嘩別れのあと再会する。父親が死に、財産を処分することになったからである」(『時のうねり―ある人生―』、542ページ)。世の中を知り成人した両兄弟には「過去の裏切り」を水に流して新しい関係を打ち立てることが可能に思われたのだけれども、過去の思い出の品々(古家具)が、かえって以前の怒りや不満を掻き立てることとなり、再び喧嘩別れに終わるのです。しかし、世界は両者が代表する役割、すなわちヴィクターに代表される「秩序の忠実な守り手」とウォルターに代表される「野心的で利己的だが新しい治療法の発見者」をも必要としているのだ、というのがミラーの兄弟葛藤の説明です(前掲書、542ページ)。それを認識できず、相変わらず繰り返されるこの葛藤は、前述した当時のアメリカ社会に見られた新旧の異なる二つの価値観の対立を別の角度から説明したものと解釈できます。  
最後の『アメリカの時計』のテーマは、前にも述べましたように大恐慌そのものであり、極限状況にある人間が、それをどのように乗り切ってサバイバルして行くかが問題の核心です。  
このテーマは、対照的に描かれる登場人物を通して、「アメリカの夢」の崩壊とそれを克服する手段としての「アメリカ的民主主義精神」の確認による未来への希望という形で発展します。  
具体的には、投機にうつつを抜かす財界人達の末路と忍耐強く現実を生き抜くリーの母親ローズに描かれています。財界人の中には、事業に失敗して精神的に落ち込んで自殺するものが出ますが、これに対して、こうした時代の変化にするどく反応し、ただ金儲けだけではなく道義的な生き方を志向するクウィンやロバートソンのような財界人も平行して描かれています。機械的で非人間的な実業界・財界に抗して、個人としての人間性を擁護し闘いを挑むクウィンやロバートソンの姿に「個人の価値」対「法人型国家」の図式を見て取ることができるでしょう。  
このミラーお得意の倫理・道徳と正義に関する今ひとつの良い例は、農夫テイラーです。彼は競売の場面で仲間の助けを借りて自分の農場を取り戻しますが、居合わせた判事に泥棒呼ばわりされ後ろめたさと罪悪感を持ちます。しかし、法律を盾にとって正義を振りかざそうとする判事を登場させながらもテイラーをその対極に置いて、人としての本当の正義はどこにあるのだろうかと観客に問うミラーの姿がここには透けて見えます。この作品は、『二つの月曜日の思い出』のバート同様、リーのイニシエーションが描かれ、若者に大恐慌が与えたインパクトが劇化されているのです。 
5.大恐慌のテーマを扱う作品とそれらが書かれた時代背景  
『二つの月曜日の思い出』が若かりしミラーの大恐慌時代の自らの体験を織り込み、その時代の人々が困難を乗り切りサバイバルするためには、いかに連帯意識、他者との共通感覚や人間的な繋がりが重要であるかを示唆した作品であることを明らかにしましたが、これより先に未出版で処女作の『エイブ・サイモン家族劇三部作』で取り扱ったこの大恐慌というテーマは、ミラーにとって文字通り思索と創作の原点となり、以後、彼はこのテーマを直接・間接に取り上げて行くことになりました。ここで、大恐慌を扱った三つの作品とそれが書かれた年代を考察し、ミラーがなぜ大恐慌を扱った作品を書かねばならなかったのか、その必然性を見ておきます。55年の『二つの月曜日の思い出』に続いて68年の『代価』と80年の『アメリカの時計』にも、直接、大恐慌がメイン・テーマとして取り上げられています。この意味で、『二つの月曜日の思い出』は、大恐慌をテーマとする主要作品の先駆けとなったわけですが、大恐慌を扱ったこれらの作品が書かれた年、55年、68年、80年に注目すると、そこにある一つの共通項が見えて来ます。すなわち、個々の作品にそれらが書かれた時代の声が反映されているということです。それぞれの時代はアメリカがその内部に問題を抱えていた時期であり、ミラーは作品を通じてそれらを告発し、警告を発せざるを得なかった。そのたびに、彼はお互いの間に通い合う信頼の必要性とその回復を願いながら、アメリカに大きな教訓を与えてくれた大恐慌へと戻って行ったと言えるのです。  
具体的に言いますと、55年は、第2次大戦後の経済繁栄の絶頂期で、そのためかえって人々の心の内奥が見えにくくなってしまったアイゼンハワー大統領の時代です。それは株価が上がり、ドルが世界で唯一まっとうな通貨となった時代であり、金儲けに走るアメリカへの痛恨の思いが、ミラーに『二つの月曜日の思い出』を書かせたのです。ここには人間の連帯性が強調されており、彼はそのことを「このような劇は、私が感じたことなのですが、そこには表立ってはいないものの人間の連帯性が強調されていて、それは遥か過ぎ去りし時代の思い出だとしても、金儲け以外にも大事なことがあったと主張する一つの方法なのです」(『時のうねり─ある人生─』、35ページ)と述懐しています。また、55年はミラーにとって個人的につらい時期でもありました。最初の妻との離婚調停は別にしても、マッカーシズムの煽りを喰らって非米活動委員会の聴聞に呼ばれ、コミュニストの集会に同席した仲間の名前を明かすのを拒否して国会侮辱罪に問われました。こうした経験を基に個人と社会の関係性や自らの良心を基に社会を見つめ直そうとする意識が、ミラーの心に芽生え、それが『二つの月曜日の思い出』に大なり小なり反映されたのは確かだったと思います。  
次に『代価』が書かれた68年は、ベトナム戦争がいつ終わるとも知れず、戦死者の数が日々報告されるにつれて、一般の人々の間に厭戦意識が高揚したジョンソン大統領政権末期の時期でした。ミラーはこの作品執筆の意図を、当時、泥沼化したベトナム戦争と大恐慌の類似を明らかにすることにあり、その根がすでに過去にあって、過去は繰り返されるという現実、その現実に内在する過去の存在に目をつぶる人間の愚が、長引く災難の根本原因だったと述べています。大恐慌でアメリカ人が学んだはずの因果律を背景に、ミラーはこの劇にベトナム戦争の愚かさを大恐慌が原因で破産した父親の処遇を巡るウォルターとヴィクター兄弟の無意味な確執に象徴化したのです。また、戦争を巡って国内が二分する様を見て、彼は大不況時代の人々が示した助け合いの精神の尊さをとくに、ヴィクターを通して訴えたかったに違いないのです。  
最後に『アメリカの時計』ですが、この作品が発表された80年は、カーター大統領の任期3年目であった。ベトナム戦争やウォターゲイト事件を経た人々は政治に幻滅し、77年に政府と国民の疎外関係を修復すべく政権の座に着いたカーター大統領に癒しの変化を求めたのでした。だが、スタグフレーションによる経済は悪化し、失業率も上昇、エネルギー危機にも見舞われ、彼の人権外交が裏目に出て「弱いアメリカ」、「暗いアメリカ」というネガティブな評価を定着させました。こういう時期にあってミラーが大恐慌を題材とした意図は、要するに、倦怠感を引きずりながらも次第に自己中心的なミーイズムが横行しつつあった70年代の人々に「人間の統一概念」や「個人的な心理面と社会や政治との結び付き」と「社会の崩壊という客観的事実」を訴えるためであった。これこそが、この作品を書いた理由なのです。  
他方、良識のあるアメリカ人の間には、当然ながら自分自身とお互いが恩義を受けているコミュニティーへの認識が強まった時期でもあります。ミラーはビッグズビーとのインタビューで、大恐慌時代には表面が崩れ去ってもその下にはしっかりとした「人間関係の骨格」(『現代アメリカドラマ 1945-1990』、116ページ)があったのであり、これこそ自分が伝えたかったことなのだと語っています。この時代のミラーにとって書くべき主題は、またしても大不況時代を生き抜いた他者との共通の運命を分かち合う基本的なアメリカ精神の称揚であったのです。何よりも『アメリカの時計』には、市場経済よりも人間連帯の社会を希求する人々の声が反映されているのです。 
6.大恐慌と「アメリカの夢」の崩壊  
ここで、大恐慌と「アメリカの夢」の関連性に関して、そのテーマを最初に扱った『幸運を独り占めにした男』について述べてみたいと思います。前述したように、1929年10月24日のニュー・ヨーク株価大暴落は、それ以後30年代始めまでのアメリカ社会に少なからぬ変化と混乱をもたらす大恐慌の引き金となりました。大恐慌は既存の価値体系の崩壊をもたらし当時の人々の価値観に大きな影響を及ぼしましたが、他方、伝統的なアメリカのエトスである「アメリカの夢」に基づく彼らの生き方や態度を見直すきっかけを与えることにもなった。その当時まで全アメリカ人を束ねていたと考えられていた「アメリカの夢」の倫理的・道徳的な側面の再考です。ところで、「アメリカの夢」には、二つの種類があります。一つ目は国家としての夢、あるいは社会的領域における夢であり、アメリカ人全体の国民的な理想に関わるものです。  
二つ目は個人的な領域における夢であり、アメリカ人個々の欲求に関わったいわゆる経済的成功の夢です。  
個人が自らの幸福を求める権利を持つと謳った「独立宣言」の理念は、一般アメリカ人の「成功の夢」に明確な拠りどころを与え、その夢に拍車をかけました。南北戦争から金ぴか時代を経て急速に進んだ工業化と都市化の中で、物質万能、金銭崇拝の風潮が蔓延し金や富が正義や道徳を押しのけた時代の後、第一次大戦の戦争景気を経て1920年代に入ると富を求める人々の「成功の夢」は、否応なしに膨張し続けました。しかし、29年の大恐慌はその繁栄に冷水を浴びせ、それまでの楽観的な「アメリカの夢」は、こうして変貌を余儀なくされたのです。  
大恐慌は結局、共通の土壌の上に培われた重要な文化的・職業的なアメリカ的慣習、すなわち「アメリカの夢」に極めて大きな影響を及ぼしたのであり、少なからず当時の作家達もその影響を受け、この大不況に関する作品を残しています。無論、ミラーもその例外ではありません。  
事実、ミラーの最初のブロードウェイ進出作品『幸運を独り占めにした男』は、この時代を背景とした「成功の夢」のテーマを扱ったものでした。そして、彼のその後の作品の幾つかも、アメリカの「成功の夢」にとって挑戦的でしかも危機的であったこの時代の様々な問題を取り上げています。『幸運を独り占めにした男』は、まさに大恐慌と「アメリカの夢」の複雑な関係をリアリスティックに、10年にも及ぶ大不況によってもたらされた当時のアメリカ社会の無力感をよく反映した作品なのです。すなわち、この作品は、第一次大戦後の産業主義・資本主義が頂点を極めたものの大恐慌によって状況が一変し、それまでの精神性を重んじた伝統的な「アメリカの夢」が物質的・世俗的な価値観を重視することで変貌を余儀なくされた「成功の夢」という極めてリアリスティックなテーマを扱った劇と言えるのです。 
7.アメリカ社会へのミラーの警告と警鐘  
さて、最後に、これまでお話してきた大恐慌と「アメリカの夢」というミラーの二大テーマの背景とテーマ相互間の関連性をまとめ、そこに見られる彼のアメリカ社会に対する警告と警鐘を読み取ってみたいと思います。ミラーは1915年にニュー・ヨークのユダヤ人居住地区のハーレムで生まれ、恵まれた家庭に育ちましたが、14歳の時にニュー・ヨークの株価大暴落が発端となって世界的に広がった経済大恐慌の煽りを喰らって、父親の衣服工場が倒産しました。  
この体験がその後のミラーの人生観に甚大な影響を与え、彼の思索と創作活動の原点になったのです。既に述べましたが、この一家の苦々しい体験は、彼がミシガン大学在学中にホップウッド懸賞応募作品として書いた『悪人ではない』を始め、その後、書き直されて『彼らもまた立ち上がる』と『草なお茂り』となった、いわゆる『エイブ・サイモン家族劇三部作』に描き込まれ、『二つの月曜日の思い出』と『アメリカの時計』という自伝的な作品に継承されたのです。間接的には、『幸運を独り占めにした男』、『みんな我が子』、『セールスマンの死』、『転落の後に』、『代価』などの作品の背景となり、こうして大恐慌の体験は、直接・間接の違いはあるものの、彼の主要作品の一大テーマとなって発展したのです。  
アメリカは、南北戦争後、フロンティアの消滅を経て西漸運動が終結した19世紀末から20世紀初頭にかけて、巨大な産業主義の台頭を見ました。これが伝統的な「アメリカの夢」に変化を及ぼし、大恐慌後から徐々に倫理性を欠いたビジネス上の成功を最高の価値とする「成功の夢」が出現しました。それを一気に加速させたのが、大恐慌です。金持ちが一瞬にして人生のどん底に突き落とされた当時の様子を実際に見せ付けられた若かりしミラーは、従来の「アメリカの夢」の崩壊を知り、目に見えない力に操られる人間の不条理を認識したのです。こうした状況で人々を鼓舞したのが、まさにビジネスでの「成功の夢」であり、そのテーマを扱った作品が、いわゆる「成功の夢三部作」とも称せられる『幸運を独り占めにした男』、『みんな我が子』と『セールスマンの死』だったのです。  
とくに『幸運を独り占めにした男』は、「神々の影像」で述べた次のミラーの大恐慌を回想する言葉を裏書きするものです。「こうした環境によって、私は早くから無意識ながら、全過程そのものにすっかり興味を失うようになった。物事はどのように関係し合っているか、人の生来の個性はまわりの世界によってどのように変えられるか。もっと難しい問題だが、人の方が、世界をどのように変えることができるのかといったことである。これは学問的なものではなかった。最初は文学的・演劇的な問題でもなかった。人生を歩み続けるためには何を信ずるべきかという実際の問題であった。たとえば、人は成功を賞賛すべきであるのか―当時さえ、成功している人々がいたのだから。あるいは、人は常に成功を幻想に過ぎないと看破すべきであるのか。・・・ 成功は不道徳なものではなかったのか―近所のほかの人々みんなが、ビュイック自動車をもっていないばかりか、朝飯も取れないでいた時には。何を信ずべきか」(「神々の影像」、178ページ)。  
既に見たたように、ミラーは「大恐慌は私の本であった」と述べています。大恐慌は、まさにミラーの思索の原体験であり、アメリカの「成功の夢」の崩壊、サバイバル、連帯など、一連のミラー的テーマは、この思索に基づいているのです。彼の一大傑作『セールスマンの死』は、平凡な人間の夢と挫折を描き、「アメリカの夢」が「アメリカの悲劇」に転じる物語で、そこにはミラーのアメリカ社会への苦い批判精神を見ることができます。ミラーの「アメリカの夢」と「成功の夢」に対する警鐘を考えることは、今日、重要な意味を持つと思います。 
おわりに  
本日の講義を終わるに当たって、今一度、1929年の大恐慌と昨今の金融危機との関連性を振り返って見ましょう。29年10月の株価大暴落の後、1万以上の銀行が倒産し、労働者の25%が失業した経済大不況という危機的状態にあって、フランクリン・D・ルーズベルト大統領は、その33年の就任演説で変革を次の様に訴えました。「まず私の信念を述べましょう。我々が恐れるものは唯一つ、恐れそのものです。言われなく理不尽で名状しがたい恐怖です。退却から前進への切り換えが、この恐怖のため進まないのです。我々が直面している困難は、物質的なものばかりです。朽ち果てた産業の亡骸があちこちに転がり、農家は作物が売れず、何千という世帯が貯蓄を失いました。失業者の大群が生きるすべを求めてさまよい、仕事がある者も賃金は少なく仕事はきつい。この暗い現実を否定する者は、おめでたい楽天家です。ふとどきな金貸したちの行いに世論の審判が下り、人の良心に背く者だと非難された。私たちの文明の神殿から金貸したちは逃げ去った。今こそ古来の真理に基づき、神殿を建て直そう。我が国は行動を必要としている。今こそ行動のときです。銀行業や信用貸付に厳しい監視が必要だ。他人の金を使った投機には終止符を打つべきです。通貨を過不足なく安全に供給するシステムが必要です。これが今後の攻撃目標です。詳細な作戦をただちに審議するよう新議会に要請します。  
早急な支援をすべての州に要請します」と。  
このように75年前、ルーズベルトは資本主義システムが持つ危険性を訴え、当時の国民に根本的な改革を求め圧倒的な支持を得ました。これが大統領就任後100日間で次々と新しい政策を打ち出して大改革を実行できた理由だと思います。この演説は金銭欲に目がくらみ物資主義にまみれて破綻した資本主義システムへ警鐘を鳴らした立派な道徳論です。ミラーも時代が悪い方向へ向かうたびに人々にこの大恐慌の教訓を思い出させ、世直しのために警鐘を鳴らしたのであり、明らかにルーズベルトとの共通性を見出すことができます。ミラーは2005年2月に惜しくもこの世を去りましたが、今生きていれば再び大恐慌を扱った作品やカネまみれの歪んだ「アメリカの夢」に邁進する人々を批判した作品を書いて、未曽有の危機から学ぶ姿勢を指し示し、その道義的責任を新しい観点から追及したかも知れません。  
繰り返しますが、ミラーの教えは、アメリカが倫理的・道義的に危機に陥るたびに、大恐慌で露呈したアメリカ型資本主義の過ちとその結果として生じた、まさに悪夢と化した「アメリカの夢」の崩壊という負の遺産と同時に国の未来を信じてその危機を乗り切った人々の忍耐力を思い起こす必要性があるということなのです。混迷の時代をサバイバルした大恐慌時のアメリカの人々の思いや行動を自分自身の問題に引き寄せて、あるがままに辿ってみることの必要性と、当時とは別の種類の悩みを抱えたその時どきのアメリカ社会に、もう一度あの時代のこと、すなわち激動の時代に懸命に生きたアメリカの軌跡である大恐慌時代の多数の人々の夢や過ちや絶望や使命感を思い出してもらいたいとミラーはひたすら願ったと言えるのです。  
今回の金融危機に話を戻しますと、それを克服するためには我々は大恐慌から多くを学べるのであり、学ぶべきなのです。今やアメリカは、そしてその他の国々もその倫理が問われているのです。さらに、現在の危機的状況は金融面のみならず、環境、食料、エネルギー、水、生命という分野からも警鐘を突きつけられています。資本主義経済が歴史的転換点にある今、世界はこの不況から脱出し正常な社会に復帰できるのか、歴史に残る名演説をしたルーズベルト大統領と同じ「チェンジ」という変革を掲げて当選した清新なイメージを持つオバマ次期大統領が今から1週間後、就任演説でどんな対策を謳い上げるのか、大いに注目したいところであります。 
 
経済停滞の原因と制度 (2007/1)

 

世の中では構造改革派とリフレ派の論争は決着がついた(後者が勝った)と思われているらしいが、それはマスコミの中だけの話。構造改革を否定して騒いでいたのは、マクロ経済学が専門でもない経済学評論家や翻訳家だけで、彼らの使っていたのは「流動性の罠」などの半世紀以上前の分析用具だ。 
90年代の日本経済について、企業データまで調べた厳密な実証分析が出てきたのは、ここ1、2年のことである。去年秋の日本経済学会のシンポジウムでは、そうした研究を踏まえて「失われた10年」をめぐる議論が行われたが、「長期不況の主要な原因はデフレギャップではなくTFP(全要素生産性)成長率の低下であり、それをもたらしたのは追い貸しによる非効率な資金供給だ」ということでおおむね意見が一致した。 
長期不況の原因は次の3つにある「生産性(TFP)の成長率の低下」「金融仲介機能の低下による投資の不振」「公共投資の非効率性」。 
15年もの長期にわたる不況は、短期のケインズモデルでは分析できない。中年世代は、マクロ経済学というとIS-LMを思い出すかもしれないが、今の大学院の教科書にはIS-LMは出てこない。学部の教科書でも、まず長期の成長理論を教え、その均衡状態からの短期的な乖離として景気循環を教えるのが今は普通だ。 
政策の優先順位も、本来はこの順序だ。長期的な成長率を最大化することが最優先の問題で、短期的な安定化政策はそれと整合的な範囲で行わなければならない。財政のバラマキや金融の超緩和で今年のGDPが1%上がっても、それによって生産性が低下して向こう10年のGDPが10%下がるようでは、こうした安定化政策の効果はマイナスになる。90年代に起こったのは、まさにそういう近視眼的マクロ政策の失敗だった。現在のGDPは、1990年を基点として2%成長が続いた場合に比べて10%も低いのである。 
経済財政諮問会議がまとめた「日本経済の進路と戦略」が「生産性倍増計画」を掲げ、「イノベーション」を強調しているのは、こうした問題意識によるものだろう。しかしマクロ政策と違って、生産性の向上について政府ができることは少ない。資本主義の本質は、非効率な企業を淘汰することによって生産性を高めるダーウィン的メカニズムである。それをマクロ政策で歪めた結果、企業の新陳代謝が阻害され、TFP成長率が低下したのだ。 
だから今後の政策で重要なのは、資本主義のメカニズムを機能させることだが、それはマクロ政策のようにだれもが喜ぶとは限らない。生産性を高めるには、効率の低い部門から高い部門へ資本と労働を移動するしかなく、そのためには財界のいやがる資本自由化と労組のいやがる労働市場の規制撤廃を徹底的に進めることが不可欠である。腰砕けの目立つ安倍政権に、それができるだろうか。
 
次なるバブル予測 (2006/1時点)

 

株式市場は今後5年間、空前の好況に沸くというのだ。一方で悪い知らせもある。2010年の後半には楽しい時間も終わり、その後は世界大恐慌以来の最悪の不況期に突入するという。エコノミストで人口学の研究者であるハリー・S・デント氏は、1992年に出版した「経済の法則―3つの波が予測する'グレート・ブームの時代'」で、1990年代後半の株式市場のバブルを予言していた。当時バブルを予想した人はほとんど誰もいなかった。2004年に出版した「次なるグレート・ブーム」(The Next Great Bubble Boom)では、これからの数年間でさらに大きなバブルが発生すると予測し、その後には何もかもが崩壊するという。
 
株式市場の見通しはどうですか / 市場は2004年の1万ドルで底を打ったと考えられる。現在は上向いており、ついに今の取引レンジを抜け出す可能性がある。恐らくいったんは下げるが、すぐに最高値に達するはずだ。だいたい2005年後半-2010年の半ばあるいは後半にかけての5年間は基本的には回復傾向が続くだろう。 
過去に予測を修正したことがありますが、その好況の時期についてどれほど確信がありますか / もし数ヵ月のうちに株価の急上昇がなければ、見通しを下方修正する可能性はある。しかし、今のところ1920年代の好況期とほぼ同じ道をたどっており、1990年代の様相ともかなり近い状態にある。原油価格が1バレル71ドルまで一気に上昇するような時期には、株価はなかなか上がらない。連邦準備制度理事会が「金利はもっともっと引き上げる。債券市場がインフレについて何を言おうと一向に構わない」と言い続けているときに、株価がそう簡単に上昇するわけがない。人々が日々不動産投資につぎ込む金額が大きくなれば、株式市場には大量の資金は流れ込まない。ところが、不動産価格は下がりつつあり、金は行き場を失っている。そこで必然的に株式市場に戻ってくるだろう。ダウ平均株価は32000-40000ドル、おそらく40000ドルに近くなると思う。ナスダックは13000ポイントあたりになるだろう。 
回復を牽引するのはハイテク株ですか / 暴落は終わったので、これからバイオテクノロジーを含む、より幅広いハイテクブームが来るだろう。企業は経費を削り、過去に行なった投資で成長力を拡大してきた。今後は遅れを取り戻し、消費者の動きについていくために再投資を行なうだろう。そして消費者は決してお金を使うのをやめない。ビジネスは最高の状態に戻り、資金はおおむね情報技術(IT)に流れていく。 
2000年にドットコムバブルが崩壊したときの記憶が、新たなハイテクバブルへの投資家の熱を冷ましてしまうことはありませんか / それはない。「悲観し、みじめな思いをし、傷ついている人がこれほどいるのに、強気相場に転じるわけなどない」と人々は言う。しかし、強気相場はありふれた投資家の間から生じるのではなく、他の物事と同じようにS字カーブを描くものだ。つまり、最初は情報通の投資家が買いはじめ、そこから市場が上昇に転じる。上向けば上向くほど、だんだんと人々が引き込まれてくる。そして誰も彼もが参加するときにバブルがはじける。つまり、最も深い傷を負い「もう株なんて買わない」「二度とハイテク株には手を出さない」などと言い出す人というのは、株価が毎年30%も40%も上昇し、多くの人が心変わりするのを黙って見ていた人だ。不動産でも同じことが言える。最初は誰もが、不動産なんてばかげている、意味がないと口にするが、一方で不動産価格はどんどん上がり続ける。すると今度は誰もがマンションを買いはじめる。皆が「なかなかいい投資だ」と考えるものだから、誰もがこぞって別荘を購入する。 
今回の株式市場のバブルは2010年後半に崩壊し、そこから長い不況に突入すると予想していますが、その不況は1970年代のような感じですか、あるいは大恐慌のような劇的な下落ですか / ちょうど中間あたりになると思う。大恐慌ほど極端なものではないが、1970年代の不況よりは厳しいものになるだろう。1990-2003年に日本が経験した不況よりも悪い状況になると思う。失業率はおそらく15%前後になるだろう。最悪なのは労働人口の縮小の影響でデフレ傾向になることだ。デフレは資産価格の敵だ。1970年代を思い出してみてほしい。戦前生まれで戦後の好景気で蓄えを作った世代では消費の減少が見られた。一方で人口の多いその次の世代が労働人口に加わったため、景気はいくらか持ち直した。これに対して現在は、史上最も人口が多い世代の後に人口の少ない世代が控えている。従って、減速傾向はより顕著になるはずだ。 
予測される市場の下落に対して何か防御策はありますか / 2010年夏ごろからの数年間で株が手放され、投資家はどんな状況でも乗り切る企業の優良な社債を買い始める。おそらく一部の短期国債も買われるだろう。そうして崩壊が明らかになる。このような低迷期は抜け出すのに普通は2-3年はかかる。ひとたび株が大暴落するや否や、アジアに移行するという手がある。医療、製薬、バイオテクノロジーに投資してもいい。それから老後のための不動産の購入だ。これから定年を迎える人は、とにかく老後に備えて年金に加入するといい。優良な債権を購入し、あとは触らずにおく方法もある。 
下落を阻止する、あるいは最小限の程度に抑えるために、政府や企業が何らかの策を講じることはできますか、何をしても無駄なのでしょうか / 企業と消費者はつまるところ手を広げすぎないのが一番だが、政府に関してはよくわからない。政府が何を言っても、誰も聞く耳を持たないからだ。例えば、アラン・グリーンスパン議長は(2000/3より前に)株式市場のことを警告していたし、今の不動産についても多くの人が警告を発してきた。それでも最終的に分別のない金が流れ込んでくる。価格が上昇しているという理由で人々は購入する。友人や隣人がもうけているし、自分のおばあさんまでもがもうけているからだ。 
不動産の短期的な見通しはどうですか、資金が株に向かうにつれて価格は下落しますか / 住宅価格は概してほぼ横ばいといったところだろう。もしかしたら多少下落するかもしれない。北東部やフロリダ南部、カリフォルニア、ラスベガスといった市場では実際に価格が下がると予想される。しかし、ほとんどの住宅市場はわずかに上下する程度か動きがないだろう。住宅市場が危機的状況に陥ることはない。 
2010年にはどうなりますか / 地価の高い都市部やその郊外に高級住宅を持っている人はとくに、家を売るべきだ。ただし、2010年ごろに出版予定の次の本では、不動産に関するリスクヘッジの方法にも触れるつもりだ。例えば、ある程度の純資産価値がある不動産を担保に資金を借り、その金でゼロクーポン債を購入するという方法がある。仮に景気が後退すると、それらは実際に価値が上がってかなりのキャピタルゲインが得られる。もちろん、われわれの予想が外れて好況期が続けば、債権は少し下がるが、不動産価格は上昇する。このように、リスクをヘッジする方法はいくつかある。 
バブルは常にどこかで起こっているものなのですか / それはどちらとも言えない。われわれはずっとバブルの時代の中にいる。バブルは1970年代の石油に始まり、金と不動産を経て、株式市場へと広がってきた。そして現在、再び石油と不動産に戻っている。20世紀の初頭を振り返ると、似たようなバブル経済にあったことがわかる。その時代の経済活動の多くが、平均をはるかに上回る生産性、あらゆる成長産業や変化との競争だった。そうした時期にはバブルが生じる。1940年代から1960年代にはバブルは見られなかった。そして、今度のバブル景気もついに、ベビーブームと最新テクノロジーの流行ともども2010年ごろに終焉を迎える。その頃には、ブロードバンド、インターネット、ワイヤレス通信、家庭用コンピューターといった新技術が米国家庭の90%に浸透している。景気の急上昇はしばらく見られなくなる。つまり、こうした技術を売る相手がいなくなるのだ。その頃にはウェストバージニア州で売るしかなくなっているだろう。
書評 
複雑に見える経済現象も、じつは極めて単純なパターンの長期的な反復と発展によって生じている。パターンを理解すれば経済の予測もかなりの精度でできるようになる。 
1 過去一万年の人類と経済の進歩に気候以外で最も大きな影響を与えた二つのトレンドは、人口の増減や高齢化による人口特性の変化と技術革新である 
2 技術革新によるバブルの多くは、新技術が急速に台頭し、はじめて主流化する頃に起こる。自動車という技術革新によるバブルが急速に成長した1920年代とインターネットが成長している今の状況はそっくりである。 
3 先進国では2010年頃、中国では2030年ごろ、世界全体でも2065年ごろには人口のピークを迎える。歴史上初めて人口のピークを迎えるわけであり、ピーク後経済に与える影響は深刻である。 
複雑な経済を人口特性と技術革新という2つの大きな切り口で大胆に予測する手法を紹介しています。アメリカではこれから数年間が歴史上最大の投資機会らしいです。 この「大きなパターンで経済を予測する」というのが面白いですね。細かいアップダウンをならしていくと80年サイクルの大きな波が出てくる。それは人間の一生とほぼ同じ。 
人は生まれた後、何年後に学校に入って何年後に就職して何年後に家を買ってというのは大体予測できますよね。経済というのはそうした人間の一生の経済行動が全体として現れているものなので、自分たちの支出の予測を考えれば経済予測もできる。 
なんとなく、天気予報みたいです。 一日一日を見ると晴れたり雨が降ったり寒かったり暑かったりですが、長期的にならしていくといつごろ暖かくなっていつ頃梅雨が始まっていつ頃真夏になってということがかなり精密に予測できますが、経済も同じらしい。 
著者は80年という周期を掲げていますが、他にも例えば約20年周期の「クズネッツの波」や50年周期の「コンドラチェフの波」なども同じ考え方。 クズネッツの波は住宅などの建て替え期間であることや生まれてから成人を迎えるまでの期間で説明され、コンドラチェフの波は技術革新で説明されていますが、それらを統合させた分析方法のようです。 
この本はアメリカ経済のことが書かれていますが、日本経済にも応用できるのかな? 
日本では、技術革新ということでいうとこれから本格的なインターネットバブルが起こりますので、それだけをみたらアメリカと同じように今後数年は最大の投資機会と言えるのかもしれませんが、日本は人口のピークを今年迎えてしまって後は人口が減少していく社会なのでもう投資機会は終わったとも言えるかも知れない。 それとも、団塊の世代の一斉退職によって新しい需要が生まれるからやはり投資機会がやってくるのか? 正直のところ分からないです。 
大切なのは、監訳者も言っていますが過去からのパターンを認識して将来を予測しようと試みることなのかもしれません。なぜなら「将来こうなると予測されるから今こうしておこう」というように、自ら考えることにつながるから。 当たる当たらないはさほど重要ではなく、自分で予測しようと試みることそのものに価値があるのではないでしょうか。
 
原油バブルは近いうちに必ず崩壊する(2008/8時点)

 

原油価格が続落している。ニューヨーク商品取引所の原油先物相場は、7月11日に史上最高値となる1バーレル(159L)=147$を記録したが、それ以後は下落を続け、8月15日には1バーレル=111$まで下落し、約4カ月ぶりの安値をつけた。  
安値といっても、昨年はじめには1バーレル=50$台だったのだから、まだ2倍以上の価格である。そういえば、原油価格が1バーレル200$に達するだろうという見通しを示す投資銀行もあった。  
果たして、このまま原油価格は下落を続けるのか、それとも下落は一時的なもので、再び高値に戻ってしまうのか。  
わたしは、近い将来、原油価格が劇的に暴落する事態が起きると考えている。なぜなら、石油価格を高騰させた最大の要因は投機だからだ。投機にもとづく価格上昇、すなわちバブルは必ずはじけるのである。  
もちろん、現在の調子でストレートに石油価格が下落トレンドに乗っていくとは限らない。おそらく、価格が乱高下を繰り返す時期がやってくるだろう。それが、原油バブル崩壊を予知するシグナルである。そして、最終的に1年以内には大暴落を起こす可能性が大きいと考える。  
1630年代に起きた世界最初のバブルといわれるオランダのチューリップ・バブル以来、人類は約70回以上の大きなバブルを経験してきたが、一つとして崩壊しなかったバブルはないのである。  
原油バブルは既に終盤に入ってきた  
原油の製造原価は、1バーレル=3$といわれている。昨年初めの価格である50$で売ったとしても、47$ものもうけが出る。それが150$近くにまで暴騰したのだから、これはバブルとしか言いようがない。  
従来は、原油価格が上昇すると、OPEC(石油輸出機構)による生産量の割り当てを超えて、こっそりと増産をする「裏切り者」の国が必ず出てきたのだが、今回は中東で戦争状態が続いているために、それがない。だから、投機筋は安心して価格をつり上げていけるのだ。  
しかし、バブルは必ずはじける。世界はこれまで70回以上の大きなバブルを経験してきたが、そのすべてが例外なく崩壊してきた。そして今回の原油バブルも、わたしは既に終盤に入っていると見ている。  
では、いつ崩壊するのか。経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスの研究結果によれば、「バブルが崩壊する時期を予測するのは不可能」とされているが、わたしはそうでもないという気がする。  
もちろん、バブル崩壊の期日を正確に予測するのは困難である。だが、わたしは、いくつかのバブルを見ていくうちに、崩壊直前に共通して三つの兆候が現れることに気づいた。それに従えば、今回の石油バブルは、まさに崩壊近しと言っていい状態なのである。  
製造原価3$の原油に150$近い値段がつく異常さ  
バブル崩壊直前に現れる第一の兆候は、一般常識と照らし合わせて明らかに異常な価格がつくことである。バブルなんだから当たり前だと言われるかもしれないが、バブルの渦中にある人間には、これに気づかないものである。  
冒頭で紹介したオランダのチューリップ・バブルもそうだった。そのピーク時には、なんと球根1個が一戸建住宅と同じ値段にまで高騰したという。  
一歩引いて頭を冷やして考えれば、そんなことがあり得るはずがない。だが、当時の人びとは、そうは思わなかった。バブルの渦中にあるときは、そんなものである。  
1980年代後半-1990年代初頭にかけての日本でも、今から思うと「こんなものに?」という品に、とんでもない値段がついていたものだった。  
日本のバブルの最盛期である1991年、前述したガルブレイスの著した『バブルの物語』の日本語版が発売されたのをご存じだろうか。日本語版の序文に、次のような趣旨のことが書かれていた。  
「わたしは、この本を日本のみなさまに紹介できるのを大変光栄に思う。なぜなら、この本を読んだ人は、いますぐ株式投資、不動産投資から手を引いて、バブル崩壊の痛手を負わずに済むからだ」  
わたしは、この本が発売されると同時に入手して読んだ。それはいいのだが、当時のわたしは未熟にもガルブレイスの言うことが信用できなかった。そこで、日経平均連動投資信託というものに投資をしたあげく、大損をしたという悲しい経験がある。  
そういうものなのだ。同様に、製造原価が3$の原油に150$近い値段がつくことも、異常事態なのである。そんなことが続くはずがない。今は、誰もがこの異常事態に慣れつつあるため、まさかこれが暴落することなど、ありえないと思っているだけなのだ。  
年金資金で先物取引というギャンブルをする米国  
崩壊直前の第二の兆候は、投機の輪が一般にまで広がっていくということだ。誰もが同じような投資を狙いはじめると、そろそろ危ないというわけである。  
こんなエピソードがある。ジョン・F・ケネディの父であるジョセフ・ケネディが、ウォール街で少年に靴を磨いてもらったときのこと。少年に「今日の相場はどうなりますかね」と話しかけられたことに驚いて、ジョセフはケネディ家の保有する株をすべて売り払ったという。  
まさに、その直後の1929年10月24日、ニューヨーク市場で「暗黒の木曜日」と呼ばれる株式大暴落が起きた。ジョセフは、こうした少年までもが、投機に興味を示していることに驚き、まもなくバブルが崩壊すると直感。ケネディ家の財産を株価の暴落から救ったのである。  
ひるがえって、現在の原油市場に何が起こっているか。  
もちろん、石油に対する投機資金というのは、以前からあった。だが今や、次々に投機の輪が広がり、米国の年金基金が大量に参入してきているのが現状だ。  
冷静に考えて、年金資金で先物取引をするのは大変危険である。外国のことだから、わたしが心配する筋合いではないのだが、年金資金というのは、老後の生活を守るための金ではないか。それをギャンブル同然の先物取引につぎ込むというのは、どう考えても異常であり、それに誰も疑問を投げかけないことは、もっと異常である。  
これを末期症状と言わずに、なんと言おう。いつの世でも、一般大衆まで投機の輪が広がったときには、もうバブル崩壊は目の前だ。  
現在の価格下落は、大暴落を前にした第一波の小暴落  
バブル崩壊の第三にして最大の前兆は、投機対象の値動きが激しくなるということだ。  
バブル絶頂期のころは、誰もが安心して参入してくるので、価格は一方調子で右肩上がりになる。だが、バブルというのは、実体のないところで値段をつり上げている。そのため、崩壊が間近になると、あまりの高値におびえて市場から逃げ出そうとする資金が出てくる。その一方で、まだまだ行けると考えて参入してくる資金がある。その両者が交錯するために、価格が不安定になるのだ。  
これは、地震のメカニズムと似ている。地震では、プレートの移動に伴う歪みが蓄積して、その歪みに耐えられなくなると、プレートが一気にずれて大地震が発生する。バブルも同じで、無理な高値に市場が耐えられなくなると、暴落が起こるのだ。  
ただ、バブルが地震と違うのは、何度か小さな相場の下落を重ねたのち、大暴落があるという点だろう。その第一波の下落が、現在の相場なのではないかと、わたしは見ている。  
今回の値下がりの直接の原因は、あまりに異常な価格急騰のため、米国の石油需要が抑えられたことによるといわれている。確かにそれは事実だろうが、そうしたことがきっかけとなって投機資金の流出が起こり、小暴落、大暴落の呼び水となるのである。  
では、大暴落はいつ起きるのか。その時期を予測することは、大地震の予知ができないのと同様にきわめて困難だが、わたしはブッシュ大統領の退任がきっかけになるのではないかと考えている。なぜなら、原油バブルをつくりだした投機資金というのは、ブッシュ政権が強化してきた金融資本主義の下で膨張したものにほかならないからだ。  
現在、我が国では、あらゆる政策が原油高を前提として成り立っている。だが、それで本当によいのか、わたしは疑問に感じている。もちろん、短期的な措置として、例えば漁業従事者に燃料費を補助するといった手当ては必要である。だが、抜本的な政策を考える際には、このあとに原油価格が大幅に下落する可能性を考慮に入れておくべきだと思うのだ。  
 
アメリカ経済に危機は生じるか / イノベーション上昇局面でのバブル

 

アメリカ経済は1990 年代に入って戦後最長の成長を続けてきた。しかしその半面で資産効果による過大な国内需要とその結果としての不均衡―内外における資金バランスの悪化と債務の増大が現れている。このことからアメリカ経済はすぐにも深刻な危機に陥るだろうと言われてきた。筆者はアメリカ経済が不況を永遠に克服したという極端なニューエコノミー論に与するつもりはまったくないが、それでも次ぎのような新しい基本条件の変化がアメリカ経済に生まれており、そのため不況は緩和され、短期化されると見ている。  
1.アメリカ経済は情報技術を中心とする長期的な技術革命の波の中にあり、投資の増大と生産性の上昇は当分続く。アメリカにおいてこの長期波動はまだそのピークにはきていず、依然上昇局面にある。  
2.アメリカの経常収支赤字の拡大と外国資金の流入増加は旺盛な国内における投資活動の結果である。つまり現在の状況はアメリカに引きつけられた外国からの投資がアメリカの対外経常赤字の拡大を生み出している投資先導型の赤字である。投資は将来生産力に転じる。  
3.ユーロの発足によって世界の通貨体制はユーロ圏(ヨーロッパ、東ヨーロッパが中心)とドル圏(アメリカを中心に南北アメリカ、アジア太平洋のほとんど)に2分された。各通貨圏内部での貿易・生産関係は統合を強め、各通貨圏内の各国通貨はドル・ユーロを中心に変動する傾向を強めている。このためドル・ユーロ間の為替レートに大きな変化があっても、各通貨圏内の実体経済関係に及ぼす影響は小さい。かつてのような規模のドル危機に発展する可能性は小さくなっている。  
4.冷戦の終結によって、アメリカの相対的軍事負担は大きく減少した。そのGDPに占める比重はピーク時の3分の1程度である。こうした状況は当分は続くと見られ、技術革命に対する資金的・物的資源、わけても人材資源の供給に重要な余力が生まれている。  
こうした好条件は、だからと言ってアメリカ経済が途切れなく繁栄し、永遠に世界の技術発展のリーダーでありつづけるという事を意味するものでない。第1に、激しい技術革新の時代においては新しいギャップ―技術に対する過大な期待の高まりと、期待の実現との間のずれが生み出される。そこからバブルとその破綻が生じ、時には厳しい調整に至るかもしれない。  
第2に、アメリカのイノベーションもいつかピークに来て下降局面に入る。さらにいつかアメリカの先行性が脅かされるときがやってくるかもしれない。ヨーロッパや日本だけでなく、新興市場諸国・地域、わけても中国、インド、ロシアなどの潜在的超大国は情報革命を開始するのはアメリカよりも難しいが、それから受ける恩恵ははるかに大きい。しかもこれらの諸国の人材面での潜在性は巨大である。今後10 ― 15 年後に、こうした潜在的技術大国が表舞台に登場してくる可能性がある。 
1 高蓄積、追いつかない貯蓄  
1990 年代、とくに1994 年以降のアメリカの好景気は戦後かつてない高蓄積によって特徴付けられる。(表1参照)。とりわけ企業の設備投資は新しい情報技術の開発と応用によって目覚しい勢いで増加した。しかもコンピューター・半導体、その周辺機器の急速な低廉化と改良は投資額以上に実質的な設備の増強をもたらした。その結果1992 ― 98 年の企業の実質設備投資の伸びは平均して年間11.2 %に達し、戦後のどの7年間よりも高い年間伸び率になったとみられる1)。  
米連邦準備理事会(FRB)の2000 年夏の議会金融政策報告はアメリカの現在の好況局面について次ぎのように特徴付けている:  
「持続的高率の投資支出は現在の好況の最も重要な特徴の一つである。新しい設備、ソフトへの企業支出はコンピューターと情報技術が企業活動のますます広い範囲に応用されるつれて大きく促進されてきた......。これらの高技術製品がますます効率的に生産されるようになっているので、それらの価格は引き続き急速に低下し、急速な投資に新たな刺激を与えてきた。その結果企業によって使用されている資本ストックは著しく上昇し、より進んだ世代の設備が古い設備と交替するにつれて、これらの資本からのサービスの量は加速度的に増加してきた。長い期間にわたって企業がその工場設備の質を向上させてきた報酬はアメリカ経済の生産性実績の改善においてますます示されている2)」。  
こうした高水準の設備投資の資金はどのようにして賄われてきたのだろうか。(表2参照)。大きく分ければ、国内の貯蓄、減価償却、外国からの投資がその資金源である。論述を容易にするために、これらを次ぎのように定義する。国内貯蓄とは(1)家計の可処分所得から消費を差し引いた残り(2)企業の取得した利潤、(3)政府の歳入・歳出の差額の3項目を合計したものである。この国内貯蓄と減価償却費を合わせたものが粗貯蓄であり、国内固定投資の主たる源泉になるが、それでも足りない分が外国からの投資によって埋め合わされる(投資には在庫投資があるが、ここでは無視する)。粗貯蓄から国内固定投資を引いた差額を資金バランスと呼び、とくに政府勘定を除いたバランスを民間資金バランスとする。注意しなければならないのは貯蓄と資金バランスを混同しないことである。貯蓄と貯蓄率は1990 年代初めに低い水準に落ちたが、その後急速の増加、1960年代の水準近くまで回復している。  
この数年来、国際的に最も注目され、懸念されてきたのものの一つは、外国からの投資、つまりアメリカの対外債務が急速に増大してきたことである。アメリカ国民は消費に浮かれて貯蓄を怠り、借金で経済を賄っており、いつか借金の返済に窮することになるというのである。  
とりわけ家計部門の貯蓄が1930 年代の大恐慌以来、はじめてゼロに落ち込んだことはその印象を強くしている。  
しかしこうした見方は結果としての数字を見ただけのもので、その内部に立ち入ったものでなく、正しいとは言えない。なぜなら、外国に対する債務は国内貯蓄が減っているから増加しているのでなく(ここでは貯蓄と資金バランスを混同しないことが重要)、国内貯蓄が増えているにもかかわらず、対外債務が増えているというのが事実だからである。これは、全体の貯蓄は増えているが、それを上回って投資が旺盛で、国内貯蓄だけではますます賄えなくなっているからである。確かに、10 年代ごとに見たアメリカの家計・企業・政府3 部門の綜合国内貯蓄(対GDP比、年間平均)は1960 年代の10.7 %、1970 年代の8.6 %、1980 年代の7.6 %へと減少し、1990 ― 98 年はさらに6.2 %に低下している。しかしこの数年間は急速に改善して1998 年は9.1 %に達し、1960 年代の水準に近いところまで回復している3)。投資が増えて拡大した生産力でもって債務を返済できる将来的可能性がある限り、個々の企業の場合と同じく、それは決して不健全なものでなく、むしろ経済の活力を証明するものである。 
2.高まる債務危機論  
ここでアメリカの債務増に対する危機感を強くあらわしている代表的な見方の一つを紹介しておこう。英エコノミスト誌(November 6、 1999)が紹介したイギリスのゴドレイとマーチンの2 人のエコノミストの研究がそれである。彼らの研究によると、アメリカの民間部門の資金バランスは従来のアメリカの国民経済計算による数値ではGDPのマイナス5.5 %という記録的な低水準の落ち込んでいる(新しく修正された統計数値でもGDPのマイナス4%)。そして民間資金バランスの激減はアメリカの対外経常収支赤字の拡大として反映されている。  
1980 年代後半のイギリス、スウェーデン、日本などにおいても見られたことだが、資産価格(株価や地価)のバブルを経験したときには資金バランスの大幅な落ち込みが生じた。これら諸国はあとで資産価格が下落して貯蓄が回復してそれまでの過剰借入れが修正されるようになると、ひどい不況に陥った。イギリスの場合、民間資金バランスは1989 年から1994 年の間に、GDPのマイナス6%からプラス6%に変動した。ゴドレイ=マーチンの研究はアメリカの経済拡大がいかに終焉するかを調べるために、民間資金バランスの変化について3つのケースを検討している。第1は民間資金バランスが現在の水準の近いところにとどまっている場合であり、第2はそれが徐々に改善して5年間で長期的平均(従来の計算法でGDPの1%)に回復する場合であり、第3は民間資金バランスがが急激にリバウンドして歴史的平均を上回って2004年にGDPの4%に達する場合である。  
第3の場合が最も厳しいハードランディングになると両氏は指摘する。すなわち、GDPは次ぎの5年間にわたって年率平均でで0.3 %づつ低下し、失業率は11 %に上昇する。また第2のケースのように資金バランスが歴史的な平均水準に戻る場合も、経済は5年間事実上停滞し、そのあとの5年間も年間平均成長率は0.4 %にとどまる。第1のケースの場合にのみ、経済は拡大を続ける(年率1.8 %で)が、両氏はそれは最もありそうにないことだ見ている。というのは、債務総額の比率が今日の1.5 倍から2004 年の2倍に急増するからである。以下ではこの問題を検討してみることにする。 
3.資産バブルが家計支出を刺激  
資金バランス悪化の中で最も懸念されているのは、1998 年下期に事実上ゼロまでに低下し、1999 年にはマイナスになった家計貯蓄率の落ち込みである。家計貯蓄とは可処分所得から消費を差し引いたものものであるが、それがマイナスになったのは1993 年の大恐慌期以来のことである。しかし、ゴドレイ=マーチンが主張するように、消費者が支出余力を使い尽くしてしまって節約へ向かうのではないか、という懸念が妥当かどうかを検討する前に、現在のアメリカの公式の家計統計の処理では家計貯蓄率が低めに出ることを指摘しておかなければならない。それは次の理由からである。  
(1) 株式などのキャピタルゲインの扱い。キャピタルゲインは実現されたもの(売却されたもの)、実現されなかったもの(非売却のもの)を含めて、家計所得から除外されている。ところが、実現されたキャピタルゲインに対する税は所得から差し引かれている。  
(2) 「他の労働所得」の最近の変化。企業負担の年金・失業保険納付金などの労働者に対する付加給付のことだが、この納付金は最近の株価の高騰で年金基金の保有する資産価値が上昇したため納入する必要が減っている。この減少は統計上、家計所得の減少になる。  
とはいえ、これらのことを考慮しても、家計貯蓄率が1990 年代の始め以来急速に低下してきていることに変わりはない。それは家計消費が大幅に増加している結果であるが、この増加の最大の理由はなんといっても株価の高騰による資産効果である。アメリカの家計は1990 年代になってから可処分所得から消費を差し引いた経常収支が赤字になるまで減少した一方で、バランスシート(資産勘定)はかえって大幅な黒字になっているのである。  
以下ではアメリカの家計の資産勘定がどう変化したか、リチャード・D・リッペ氏の分析を見てみよう4)。  
株式の総市場価値(ウイルシア5000)は1989 年末の3.4 兆ドルから1998 年末の11.3 兆ドルへ233.7 %増加した。その他の家計資産も入れて計算すると、家計の総資産は1987 年末の21.5 兆ドルから1998 年末の43.0 兆ドルにちょうど倍増した。他方負債は同期間に3.1 兆ドルから6.2兆ドルへの増加で、やはり倍増している。この結果アメリカの家計の純資産は1988 年末から1998 年末までに18.4 兆ドルから36.8 兆ドルへ倍増したことになる。これは年率にして平均7.2 %の高い増加率であり、アメリカ国民1 人当たりでは7 万5000 ドルから13 万6000 ドルへ81.4 %の増加、年率にして1 人当たり6.1 %の増加であった。物価上昇を差し引いた実質平均上昇率は3.1 %であった。  
これらの資産増加のほとんどは株式相場の上昇と株式への資金の新たな配分によるものであった。すなわち、1988 ― 1998 年の主な資産項目別の上昇率を見ると、不動産が52.0 %であったのに対し、企業株が287.9 %、投資信託が519.4 %、年金基金準備金が218.9 %、個人の銀行信託保有が174.5 %のそれぞれ上昇であった。この後者の部分を合計すると、金融資産増大分の80 %を占めた。他方預金は34.0 %の増加に過ぎず、資産増が株価の上昇に圧倒的に依存していたことが分かる。リッペ氏は「経常的所得からの貯蓄は各種の有形・無形の資産項目に流入することによって資産を増加させたが、資産の増加は(実収入)よりもはるかに大きく、それは資産価格が変化したことを反映している」と結論付けている。  
リッペ氏を含めてかなり多くのアメリカのエコノミストたちは、アメリカの家計において負債に較べて資産が大きく黒字になっていることを指摘して、アメリカの家計には貯蓄危機はないと主張している。例えば、リチャード・ピーチ、チャールズ・スタインデルの両氏は「(実現された)キャピタルゲインを個人所得に含めると、1999 年の個人貯蓄率は公表のものよりも7.25 パーセントポイント底上げされ、1999 年代にはほとんど低下しなかったことになる。現実化・非現実化のキャピタルゲインを含めた資産変化を貯蓄の変化として捉えるならば、貯蓄率は大幅に上昇したことになる」5)と強調する。  
この主張には当然反論がある。英エコノミスト誌(September 25、 1999)はこうした見方の危険を次ぎのように指摘する:「株価は下落することがありうるが、負債は価格が固定されたままである。そして所得だけが負債の元利払いをできる。金融資産はそれを売却しない限り利子の支払いに当てられない。もし誰かが売却しなければならなくなると、株価はいっそう急落する。借金漬けのアメリカの家計と企業はそれゆえ金利の上昇と景気の後退に脆弱になっている」。 
4.日本のバブルとは根本的に異なる  
もしアメリカの株価がゴドレイ=マーチンの仮定するように資産価格(株価)が大幅に、しかも1990 年代の日本のように何年にも亘って下落した場合、エコノミスト誌の指摘する危険は否定することはできない。しかし、今日のアメリカのバブルと1980 年代後半にわれわれ日本人が経験したバブルを同じ範疇でみることはできない。なぜなら、アメリカのバブルはイノベーションの上昇過程の中で生じていると思われるのに対して、日本のバブルは1950 年代後半からの高度経済成長の中で完成されていった、いわば日本型イノベーションが完全に終わった段階で生じたものであったからである。アメリカの現在の旺盛な投資は新しい生産技術への投資であって、それは生産力の拡大と生産性の上昇をもたらし、新しい市場と企業の実力を増大させている。株価の高騰はおそらくバブル現象であろうが、そうだとしても、それは基本的には生産的投資活動を反映したものであって、家計の増大した金融資産はより拡大した実物の企業資産という裏づけをそれなりに持っているのである。言いかえれば、それは新しく増殖された価値によって支えられているのである。したがって、アメリカの場合においてもバブルの調整がなされ、株価の下落(オーバーシュートを伴って)があるだろうが、しかし株価の上昇分は恒常的にゼロに戻るのでなく、大部分はアメリカ経済の現実の拡大を反映したものとしてその後に引き継がれて行くのである。  
対照的に、1980 年代後半の日本のバブルを主導したのは生産技術革命への投資ではなく(それは高度成長期とともに基本的に終わった)、生産力や生産性の増大とは無関係の土地や株式への金融的投資であった。日本の場合も、土地や株は2倍に値上がりしたが―日本全国の地価は1200 兆円から2400 兆円へ上昇したといわれる―その値上がりは生産力の上昇によっては裏づけされていず、たんに金融的に作り出された純然たるバブルであった。生産力の裏づけのない土地や株の上昇分はバブルがはじければ、その間にインフレで貨幣価値が下落していなければ、ゼロに戻るしかなかった。  
日本のバブルが銀行において最も典型的に現れたのは偶然でなかった。高度成長期、つまりイノベーションの上昇期において、製造業企業は設備投資資金に決定的に不足し、それを外部、とりわけ銀行に依存した。だが高度成長期の時代が終わるとともに、主要企業は次第に十分な蓄積能力をもつに至り、全体的にいって、設備投資資金はほぼ内部資金でまかなえるようになり、銀行融資への資金依存は大きく減少した。例えば、1976 ― 80 年度において、主要製造企業は年平均で総額2兆9000 億円の粗設備投資を行ったが、これらの企業は内部留保8100 億円、減価償却2 兆3500 億円、合計3兆1600 億円の内部資金を保有していて、粗設備投資額を上回っていた。  
しかも日本の系列生産方式は国際競争を形骸化してしまった。系列の中にはメインバンクを先頭に、中間財生産者から最終製品メーカー、さらには輸出入を引き受ける大商社に至るまでフルセットの内部金融・生産・流通システムができあがっていて、調達は内部で行われ、例えば商社が系列内企業と競合する中間・完成製品を、そのほうが自分に有利だからという理由で競って外国から輸入するようなことはなかった。国際競争がなければ、比較優位説に基づく、国内の相対的に遅れた、効率性の相対的に低い産業や企業の縮小・淘汰も満足になされることはなく、収益性の低い産業が存続しつづけた。これは戦後早くから基本的に自国企業を国際競争にさらしてきたアメリカやヨーロッパ(とくにドイツ)などとの著しい対照をなすものであった。しかしこれは銀行にとって厄介な問題を提起した。収益性の高い優良企業が銀行離れをする一方で、収益性の低い企業がますます銀行に依存するようになってきたからである。銀行の収益性は悪化していった。  
上述のような国内経済環境を背景にして、1985 年からプラザ合意後の野放図な金融緩和と、それと並行しての金融自由化が進展し、銀行は有り余る流動性をもつに至り、安全確実という銀行の本分を忘れて、担保さえあればという口実でもって建設不動産業やリスクの大きい事業への融資を急速に拡大していった。この結果土地が急騰し、資産価格上昇によるカラ景気が発生し、バブルが本格化していった。こうした状況は下に示めした1980 年以降の銀行の総貸出し残高に占める建設不動産業のシェアによく反映されている。  
表3から明らかなように、銀行の製造業向け融資残高のシェアが大きく落ち込んでいるのに対して、建設不動産業への融資残高は1980 ― 90 年の10 年間、5年ごとに倍増して10 年間で4倍以上に増加し、両者のシェアは1990 年に遂に逆転した。しかしこれらの建設不動産業に対する銀行の投資はほとんどが投機的投資であり、生産力拡大の裏づけのないものであった。 
5.本当にイノベーションの時代か  
新しい技術がつぎつぎ開発・応用されているアメリカ経済の現状が、上に述べた日本の1980年代後半のバブルと異なることは直感的には十分判断できることだが、だからと言ってアメリカが本物のイノベーション、すなわち「新結合」とか「新機軸」とか「革新」とか呼ばれる時代にあるのかについての客観的な判断は簡単でない。ここで「新結合」という言葉を始めて使用したシュムペーターの定義を簡単に振り返っておこう。彼によれば、生産するということは人間の利用しうるいろいろの物や力を結合することであり、成長はこうした結合の仕方を変更することによって生じる。こうした変更は連続的な場合と非連続的な場合があるが、「新結合」とはこの後者の場合、つまり飛躍的な発展がある場合である。シュムペーターは「新結合」の概念には次ぎのような場合が含まれると指摘している6)。  
(1)新しい財貨、すなわち消費者の間でまだ知られていない財貨の生産。  
(2)新しい生産方法、すなわち当該産業において実際未知な生産方法の導入。  
(3)新しい販路の開拓  
(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得。  
(5)新しい組織の実現、すなわち独占的地位の形成あるいは独占の打破。  
注目されるのは、アメリカの当局者、とくにグリーンスパン議長とFRBの彼の同僚たちは、アメリカ経済が現在まさしく、シュムペーターの規定したようなイノベーションの時代にあると確信していることである。グリーンスパン氏は2000 年6月13 日のニューヨーク・ビジネス・エコノミックス協会での講演で始めてこの確信を強い言葉で述べた。  
「1991 年不況からまる2年経た1993 年にハイテク装備に対する新規受注の盛上がりが思いがけなく発生したとき、すでに何か異常なことが生じているという徴候がはっきりと現れていた。  
「今から振り返ると、われわれが新技術の大規模な拡大と普及の初期的局面にあったことは明らかであった。こうした状況は企業が激しい競争圧力に直面しながらも単位コストの縮減を通じて収入を増大させることを可能にした。さらにハイテク設備の供給が膨大に増大したにもかかわらず、より新しい技術の予想収益率が著しく減少していることを証拠立てるものはほとんど現れていない。わが国の歴史においてこの時期を他の時期と区別するのは情報・通信技術によって演じられている異常な役割である。これらの技術の効果はアメリカの南北戦争の前やその直後において電信が及ぼした影響に匹敵しうるし、またおそらくはそれを上回ってさえいる」。  
同氏はつづけて情報革命が何をもたらしているかを次ぎのように指摘した。  
「ますます精巧になるレーザー、コンピューター、人工衛星技術、および光ファイバーの革新は商品・サービスの生産方法を大きく変化させ、われわれが稀少な労働・資本資源を配分、利用する綜合的効果を向上させた。  
「最も基礎的なレベルでの情報革新の最大の貢献は国民生産の所与の水準を生産するのに必要とされる労働時間数を削減していることである。しかも今期の生産性の急速な増大に伴って生じてきた活気のある経済的状況においては、技術的前進によって解放された労働資源(注:職を失った人々)は他のところにおいて準備された機会を見つけ出している」。  
グリーンスパン氏は2ヶ月後の8月の講演でもこの問題に触れ、アメリカ経済が依然としてイノベーションの上昇局面にあることを指摘した。  
「技術革新の最近の波動はアメリカにおいてハイテク投資の収益率に明らかな上昇をもたらしてきた。それによって資本の深化と生産性上昇の増大がもたらされてきた。事実構造的生産性伸び率の上昇が停止したという信頼すべき証拠をアメリカで見出すのはいまだに困難である」7)。  
グリーンスパン氏のこうした確信に対して重要な裏づけを与えたのはスティーブン・オリナーとダン・シーケルの両氏による分析であった8)ことはよく知られている(グリーンスパン氏は6月の講演で直接彼らの分析結果に言及している)。  
オリナー、シーケルの両氏は1994 年にもコンピューターとソフトウエアの生産性への寄与について計算したが、そのときは両者の寄与はほとんどなかったという結論に達していた。今回も同じ計算方式(1957 年にロバート・ソローによって開発されたもの方法)を用いて計算したが、両氏は1990 年代上半期については前回と同じくコンピューターとソフトウエアの寄与度はほとんどなかったという結論を得たが、それはこの段階では情報技術設備が企業設備全体に占める比率がまだ小さく、従ってたとえこれらの情報設備の投資コストが大きく引き下げられても、設備全体のコスト節約への効果は取るに足りないものであったからである。しかし、両氏は1990 年代後半期については、1990 年代前半期に較べての生産性上昇の加速化―1.61 %から2.66 %へ1 パーセントポイントの上昇―があったことを確認し、その3分の2はコンピューターを含む情報技術によるものだったという結論に到達した。こうした情報技術の生産性上昇への寄与は第1にこの時期に至って生産設備全体に占める情報技術の比重が大きく増大したこと、第2にコンピューターおよび半導体の製造技術が急速に向上したことによるものであった。しかし両氏は、この時期においても、情報技術のより高度な応用であるインターネットの普及による生産性上昇への寄与は取るに足りなかったと見ている。  
この結論を得たあと、両氏は企業によるインターネット利用(Eコマース;企業間BtoB と企業・消費者間BtoC の双方を含む)の効果について言及し、1990 年代においてはそれの生産性向上への貢献はあまりなかったが、「あらゆる徴候から見て、Eコマースは今後急速に拡大し、将来はより実質的な効率性向上の可能性を生じさせることになろう」と指摘した。 
6.技術期待バブル  
オリナー=シーケル分析で指摘されたEコマースの効果を予想するために、それの企業への利用によってどうした変化が生じうるかを具体的に見ることにしよう。  
例えば、銀行口座振替の場合のコストは銀行員が行うと1ドル27 セント、現金処理機だと27 セントかかるが、インターネットを使うとたった1セントですむという。インターネットの応用で、今後一番拡大が期待されるのはなんといっても企業と企業の間の取引、すなわちBtoBである。ある予測ではアメリカにおけるBtoBネット市場は2003 年には4兆ドルに達するという。これに対して企業と消費者の間のサービスは480 億ドル足らずにとどまる。  
BtoB ネット市場の開発で近い将来、もっとも大規模で画期的なものになると期待されているのは在来の巨大企業による、特に部品調達のためのオンライン市場である。2000 年始めにそうしたネット市場開設の計画が、自動車、化学、流通産業などで相次いで発表されたが、最も注目されたのはGM、 フォード、ダイムラー・クライスラーのビッグスリーによる共同の自動車部品調達のオンライン市場創設の計画であった。これが実現すると、3社の部品調達額を合計して2700 億ドル(30 兆円近い)のBtoB市場が出現する。自動車企業にとってのこうした市場の直接的メリットはおよそ次ぎの2つである。  
(イ)最も安い供給者を探し出し、 取引処理コストを削減し、 調達コストをへらす。  
(ロ)サプライチェーンの管理を厳格化し、厳密な在庫管理を可能にし、その結果企業は在庫を減らすか、まったくなくすことができるようになる。  
自動車会社は部品業者とオンライン取引をすることによって、自動車の製造コストを14 %減少できると予想されている。  
インターネットはさらにメーカーの生産のやり方を変えることができる。例えば、すでに実行されているGE(ゼネラル・エレクトリック社)のパワーシステムズの場合を例に挙げてみよう9)。これは発電所建設のためのオンライン・システムで、顧客と設計者(GE)がオンラインでもって発電所建設の基礎から協力できるようにしたものである。すなわち、生産者と顧客はこのシステムを通じて、青写真をリアルタイムで交換・操作しながらのバーチャル会議を持つことができる。顧客はタービンが生産ラインを移動しているときにオンラインで世界のどこからでも見守ることができ、必要なときには最後の修正を命ずることができる。タービンは一基が平均3500 万ドル、約1 万3000 の部品からなるので、早めに修正をキャッチすることが重要である。このシステムによってGEはタービン建造時間を20 ― 30 %短縮し、一基当たりの年間発電量を1 − 2 %向上させたといわれる。  
インターネットのこうした応用は自動車生産の場合、これと比較がならないくらい大規模になる(またそれだけに克服すべき障害もはるかに多い)。ネットと顧客を直接に接続することによって、顧客からの注文に応じた車を、しかも短期間に配送できる(いわゆるファイブデー・カー)体制の構想が練られている。現在は注文から入手までに60 日ないしそれ以上の日時がかかっている。これは例えば、顧客がフォードのマスタンクをオンラインで注文するとき、大量の情報をディーラー、金融保険会社、組立て工場、部品供給業者、フォードの設計担当者に直接送り込むことによってなされる。これが実現すると、自動車会社は現在コストが600 億ドルかかっている完成車在庫の期間を大幅に短縮できるようになり、コストは大幅に削減されるようになるといわれる。  
逆に部品供給業者は厳しい競争にさらされることになる。なぜならインターネット市場はあらゆる情報を公開させることによって部品供給業者を裸にしてしまい(いわゆるヌード・エコノミー)、そうすることで教科書にある完全競争モデルに近い状態を作り出すことになるからである。売り手側の価格や製品の性能などはあらわになり、また新しい競争企業に対する参入障壁は低くなる。この結果部品業者のあるものは淘汰されるだろう。しかし、逆に部品業者からの反撃も喚起される―互いの情報を知ることによって互いの強みを知ることになり、提携の動きが強まる。英エコノミスト誌はこうしたことの結果、自動車の生産工程のほとんどは部品供給業者によって製造されるようになり、自動車会社は、例えばベンツなどの自動車のブランドのオーナーだけの存在になることもありうると指摘している。また自動車のEネット市場には、自動車製造に関連する他の巨大企業―鉄鋼やガラスやゴムなど―が参入してきて、さらに巨大なオンライン市場に発展し、企業のさらなる大規模な淘汰と提携が生まれることになるかもしれない。  
こうした将来におけるインターネット利用の可能性を考慮すると、コンピューターから始まった情報革命のイノベーションは、グリーンスパン議長が指摘するように、アメリカにおいてもまだ頂上に達しておらず、まだ発展の余地があると判断せざるを得ないように思える。  
しかしこのことは、極端な「ニューエコノミー」論者が主張するように、資本主義経済から景気変動の循環が消滅したことを意味するものでない。むしろ新しい形での循環、すなわち技術に対する行き過ぎの期待とそれから生じるバブル、そしてその調整を繰り返す技術期待バブルとでも呼ぶべきものが生じてきているのではないだろうか。現に今、インターネット利用の巨大な応用が現実化するかどうかまだ確定していない段階で、情報革命の多くのプロジェクトへの巨大な期待が作り出され、それが株価を非常な高さまで高騰させてきた。技術開発への期待の大きさと、予想を下回ったり、遅れたり、現実化できなかったりした場合の失望の大きさの間のギャップの中に危険が潜んでいる。プロジェクトが革新的で大規模であればあるほど、期待は大きくなる半面、技術的、制度的、企業文化的な障害は大きくなリ、実現は困難となる。  
そうした例の一つとして、AOLとタイム・ワーナーの合併発表後のプロジェクトを例に取り上げてみよう。(両社の合併は2000 年12 月になってようやく米連邦取引委員会FTCによって承認された。)  
AOLは世界最大のインターネット会社であり、タイム・ワーナーは出版、映画からケーブルTVを含む教養、娯楽産業を抱える世界最大のエンタテーメント会社である。AOLは2000 年1月、タイム・ワーナーを数十億ドルで買収することを発表、インターネットとエンタテーメントの統合に対して大きな期待が寄せられた。インターネットによる娯楽サービスで最大の収入源になるはずなのは各家庭へのビデオの配信である。しかしインターネットは文書や音楽の配信には極めて優れているが、ビデオ(動画)の配信のためには、光ケーブルか衛星を使ったブロードバンド(高速大容量送信)の普及が必要である。ところが、このブロードバンドの普及が思ったように進んでいない。1999 年末現在で、アメリカの家庭の1.5 %に当る150 万の家庭にしかブロードバンド・インターネットは利用されていないかった。一つにはケーブル会社がネットワークのブローバンド化をなかなか進めてこなかった事によるもので、ケーブルを使っている顧客の3 分の1 しかブロードバンドを利用していないという。しかもブロードバンドが利用できる顧客でも6 %しか、インターネットによるコンテント・サービスを受けるための契約をしていないといわれる。  
このようなインターネット・プロジェクトの遅れや思惑違いがある一方で、インターネットは技術への期待によるバブルを生み出す。英エコノミスト誌はこうしたバブルが生じうる経過を指摘している。  
(1)技術革命が生じて生産性が上昇し生産コストが低下すると、価格も低下することが可能になる。ところが、価格の下落が生産性の伸びよりも遅れて生じるならば、企業の側に過剰利潤の取得が生じる。株価は間違った期待で上昇し、過大な投資が引き起こされる。  
このことは中央銀行は従来よりも低めのインフレ率を目指すべきことを示唆している。  
(2)投資家は将来の収益に対して拡張された期待をもつに至る。しかし高成長と低コストは株価の急騰を自動的に正当化するものでない。確かに大きなコスト節約はあるだろうが、インターネットが参入障壁を低くし競争を高め、その結果企業の利潤幅は狭まることになるからだ10)。  
株価の上昇は、一般化している株式供与による新興ハイテク企業買収によっても加速化されている。その1例を挙げれば、2000 年4月にマイクロソフトを抜いて世界一の株式時価総額(5000 億ドル)をもつに至ったシスコシステムズの場合である。同社はインターネットの交通警官の役割を果たすルーターを独占する強力なハイテク企業であるが、同社をインターネット時代のIBM、マイクロソフトと言われるまでにしたのはその買収戦略であった。同社は新興ハイテク企業を買収することで常に新しい技術を手に入れており、1993 年から2000 年始めまでに240 億ドル以上の総コストをかけて55 の企業を買収した。1999 年8月には高速度光ネットワーク変換装置を製造しているセレントを69 億ドルという巨額のコストで買収した。同社は買収専門の66 人からなるスタッフをもち、一貫して株式供与を新技術獲得の買収資金に利用してきたのである。  
シスコは買収によって成功した典型的な例であるが、すべての企業がそうだという訳でない。  
例えばインターネット株式取引のインキュベーターであるCMGIは1998 年にたった1億ドル弱の収入しかなかったのに130 億ドルの買収工作を開始したが、それはほとんどが株式供与によってなされた。ところが1999 年に同社はたった8 億9800 万ドルの収入しかなかったのに、22億ドルの損失を出し、株価は2000 年10 月までに90 %下落、その間に株数は2000 万株から3 億株に増加していた。  
インターネットによる現実の生産性引き上げと将来における収益増への期待がうまく回転して株価を押し上げているときは、企業側のコスト削減による収益増と消費者側の資産効果による消費増で、経済は急速に成長する。ところがいったん将来における利益増の期待がなんらかの理由で期待以下であったり、失望に終わったときには逆回転を始める。株価が下落し始めると家計資産は目減りして消費が減退するばかりか、株式による企業買収は困難になり、買収されることを当てにして起業された新興のハイテク企業は行き場を失う。多くの企業が倒産する。  
こうして、確かに最初に紹介したゴドレイ=マーチンの分析した債務デフレが現実化して、成長は停止するか、後退する。しかし、イノベーションの上昇局面にあるときには、おそらく両氏の言うようには、こうした停滞や後退は長続きせず(つまり5年も10 年も続くことはなく)、やがて調整が済むと、技術的な突破口も見出され、あるいは他の諸国にも技術革命と投資ブームが拡大して、再び力強く経済は成長を開始することになろう。これは、こうした突破口が見出されないできた1990 年代の日本の長期不況と異なるところであり、むしろ、アメリカに不況が生じた場合それは日本経済が高度成長期の最中の1965 年に経験した不況―1年くらいのかなり厳しい不況のあとで再び強力に成長を開始した―に近いものになると思われる。 
終章 / 情報革命を可能にしたのはなにか  
最後にアメリカの情報革命はなぜこの時期に出現したかを考えてみたい。アメリカの技術的潜在力を現実へ転化するうえで重要な役割を果たしたのは米ソ冷戦の終結とそれによる軍事負担の縮小だったと思われる。情報技術の急速な拡大と設備投資のブームは1990 年のソ連崩壊後しばらくして始まった。もし米ソの緊張関係が1980 年代の状態で続いていたならば、アメリカにおいていまの情報革命はなかったであろう。それは2つの面、つまり資金的・物質的面と、人材面から言えることである。  
軍事予算は1989 年に3、035 億ドルのピークに達したあと、冷戦終結で漸減してゆき1998 年には2、684 億ドルまでに減少、GDPに占めるその比率は3.1 %に低下した。GDPに占める比率が最も高かったのは1960 年代後半で、8%から10 %近くまでに達していた。1980 年代にも、米ソと国際関係全般の緊張で、軍事予算は6 − 7 %の水準にあった。もし1980 年代のこの比率が1990 年代に入っても続いていたならば、2、500 億ドル前後の財政支出増になっていたであろう。この金額は1998 年のアメリカの総貯蓄額5、600 億ドルの45 %を占め、アメリカの対外経常収支赤字にほぼ相当し、企業の設備投資や新企業の起業に回る資金は逼迫していたであろう。  
さらに、軍事関連の需要が作り出すインフレ刺激も考慮しなければならない。資料はいささか古いが、軍関係従業者の総数は1969 年第1―3・4半期において約830 万人であった――兵員として350 万人、国防省職員130 万人、軍に購入される製品の生産・移動に携わっていたもの350 万人11)。兵員、国防省職員、軍需産業の従業員のいずれにせよ、これらの従業員は国民の欲求を満足させるための商品・サービスをなんら提供することなしに、もっぱら他の国民の生産した商品・サービスを消費する。もし今日もそれだけの軍事関係の従業員を抱えていたならば、それだけでもインフレ要因になるが、それらが生み出す乗数効果を考慮するならば、それは膨大な規模の需要を生み出すことになり、それによって発生したインフレはアメリカ経済を苦しめることになっていたであろう。国際競争力は低下し、ドルは動揺し、外国の資金は流入どころか流出することにもなりかねなかったであろう。  
冷戦終結と情報革命の関係でより決定的な意味を持つと思われるのは人的資源の問題である。兵器開発と民間による情報革命は人材の面でも競合する。ともに膨大な数の科学者、技術者、熟練労働者を要求するからである。メルマン教授によると、1970 年代始め、約2万の企業ないし企業の一部分が軍需産業に携わっていて約200 万人から300 万人の男女が国防省のために資材・サービスの研究・設計・生産・配達に従事していた。教授によると、アメリカの研究開発の技師・科学者の半分以上が国防省とその関連機関のために直接・間接に働いていたという12)。  
これらの膨大な数と割合の貴重な頭脳が今日どれくらいの数・割合で民間に放出されたか―新卒者が軍によって奪われなかったという意味も含めて―の資料は残念ながらもち合わせていないが、別の資料でもっておおよその推測はできるかもしれない。それは使途別設備の生産に関する資料である。  
表からわかるように、1990 年から1999 年までに、兵器宇宙向け設備生産は約5 分の3 に激減している。対照的に、企業向けは70 %あまりの増加である。この変化に多かれ少なかれ呼応して、研究開発のための科学者・技師の配分にも変化が生じているのは確実だと思われる。  
兵器や軍事システムの研究・開発は科学の発展と民間の生産にも大きな貢献をするという意見がある。だが、1990 年代に入ってからの情報技術の飛躍的な発展と応用の広がりを見ると、科学・技術の発展は自由で、開放的な競争の環境の中でこそ最も急速に進歩するものだという確信を与える。もし兵器や軍事システムの研究・開発が民間による民需のための研究・開発以上の、あるいは少なくともそれと同程度の貢献をするというのであれば、アメリカと同じくらいの資金と人的資源を軍事に投じたロシア(旧ソ連)は今ごろアメリカに匹敵するコンピューター技術と情報産業を持っているはずである。  
軍需産業はアメリカにおいても、閉鎖的で、競争制限的である。第1 に購入者が国防省であって買い手独占になっており、生産物の種類、質、価格、流通配布、生産の方法など、ほとんどの点で企業は自主性を制限されている。一方売り手側においても、兵器生産の特殊性から寡占状態が作り出される。W.アダムスとW.J.アダムスは売り手企業も独占的であると論じている13)。  
なぜなら、売り手企業間の公然・非公然の結託、特定企業への軍事注文の集中、高い参入障壁、高度の製品差別、兵器開発の長いリードタイムなどから、国防省の企業選択は大きく限定されるからである。  
結論的に言えば、1990 年代、つまり冷戦終結後におけるアメリカの情報技術の研究・開発・応用での飛躍的な発展は偶然によるものでなく、アメリカ経済が資金浪費的、インフレ誘発的、人材多用の軍事部門の過大な負担から開放されたことによって可能になったものだといえる。  
人材の利用方法でも、閉鎖的な部門から開放的で競争的な部門への科学者・技術者の大量移動が大きな効果を生み出したといえよう。これらのことは技術革新そのものとともに、アメリカ経済の長中期的な展望をするうえでも重要な要素である。 
注  
1)Stacey Tevlin & Karl Whelan; 'Explaining the Investment Boom of the 1990s'; Federal Reserve Bureau Finance and Economic Discussion Series、 March 7、 2000  
2)Moneary Policy Report to the Congress、 July 2000; Federal Reserve Bulletin、 August 2000  
3)Richard D. Rippe、 'No Saving Crisis in the United States'; Business Economics、 July 1999  
5)Richard Peach & Charles Steindel、 'A Nation of Spendthrifts? An Analysis of Trends in Personal and Gross Saving'; Current Issues、 Federal Reserve Bank of New York、 September 2000  
6)シュムペーター「経済発展の理論」、岩波、P.180-183  
7)グリーンスパン、カンザスシティ連銀主催のグローバル経済統合に関するシンポジューム、2000年8月24 − 26 日  
8)Stephen D. Oliner & Daniel E. Sichel、 'The Resurgence of Growth in the Late 1990s; Is Information Technology the Story?'; Federal Reserve Bank of San Francisco、 February 2000  
9)Business Week、 February 14、 2000  
10)The Economist、 April 1、 2000  
11)Harry Magdoff、 'Militarism and Imperialism'; American Economic Review、 May 1970  
12)Seymour Melman、 'Ten Propositions on the War Economy'; American Economic Review、 May 1972  
13)Walter Adams & William James Adams、 'The Military-Industrial Complex: A Market Structure Analysis'; American Economic Review、 May 1972 Is U.S. Economy Faced with Crisis?  
 
  
バブル 諸説

 

 
老人税
 
ロックフェラーといえばアメリカを支配する黒幕と言われていますが、ヨーロッパを支配しているのはロスチャイルド一族で、両者は対立・競争関係にあるという人がいます。また「陰の世界政府」と呼ばれ、世界を陰で動かしている勢力はロスチャイルドやロックフェラーをも操ることのできる大きな力をもつ組織だという説もあります。世界はそのような見えない力によって支配されているようです。政治も経済も食糧も宗教も、すべてそのような組織のコントロール下にあるのだとか。夢のない話ですが、現実にロックフェラー一族はアメリカでは強大な力を持っています。ロックフェラー一族を徹底的に批判し、糾弾していたマクドナルドという上院議員が、旧ソ連によって爆破された大韓航空機に乗っていたのは偶然とは言えません。アメリカではロックフェラー一族を批判することはタブーなのです。  
2005年春、世界経済の変動が始まる  
日米の国債暴落、そしてドルの大暴落  
なぜFRBはFFレートを引き上げたのか  
アメリカの実質的な公定歩合(政策金利)であるFFレートが上げに転じた。2004年7月1日に年率1.25%に引き上げられた。FRB(連邦準備制度理事会)のアラン・グリーンスパン議長が、いやいやながら金利を引き上げ始めた。(中略)アメリカが金利を引き上げ始めたということは、金融が引き締められるということである。アメリカは明らかに、金融引き締めの舵を取った。これでアメリカの土地・住宅バブルがもうすぐはじけ飛ぶ。アメリカはいま土地・住宅価格急騰の最後の場面にある。日本の1988〜1989年の狂乱地価と同じだ。  
もしアメリカの財務省やFRBの、景気と金融の舵取りが失敗したら、そのときアメリカは激しい経済変動に見舞われる。それは、ハイパー・インフレーションがアメリカに襲いかかるということである。その下地として、単年度で年間5000億ドルに達しようとする財政赤字と、同じく年間5000億ドルを超えた貿易赤字の2つがある。アメリカにやがて信用不安が起きる。この信用不安によって、アメリカの連邦政府が発行している米国債が下落することが予想される。このときアメリカには激しいインフレが起きる。それが日本に波及して、日本の国債も厳しい局面を迎えるだろう。  
長期金利上昇が意味するもの  
長期金利は短期金利とは違って、日銀や財務省が政策的に誘導したり、人為的に操作することはできない。長期金利は1929年のニューヨーク発の世界大恐慌の時に生まれた。30年ものの米国債もあるが、指標となるのは10年ものの国債である。  
現在の日本の10年もの国債は、クーポンが年率1.6%と付いている。10年もので毎年1.6%の金利が付くわけである。この金利が、アメリカの長期金利の上昇の影響を受けて、日本でも長期金利を上昇させつつある。そのため、もしさらに1%金利が上昇すると、10年ものの日本国債の価格は8円下落する。額面100円と決まっている国債が92円に下落するのである。日本の7月時点での長期金利は1.9%まで上がってきた。  
この長期金利が上がりだして、やがて2%を突破し、2.5%、3%という事態になることが予想される。(中略)国債の暴落という、私たちがいちばん恐れていることが、そのうち起きるのである。日本政府もアメリカ政府も、それぞれの国債の暴落ということをものすごく心配しているのである。  
日本の「狂乱地価時代」とそっくりな現在のアメリカ  
グリーンスパン議長としては、本当は利上げはしたくなかったのである。今アメリカ政府が金利を上げていくと、景気が後退するという問題が本当に深刻なのである。しかし、上げざるを得ない。この短期金利の操作による誘導金利という考え方は、インフレを警戒してのものである。今、アメリカがインフレとデフレのどちらをより警戒しているかと言えば、インフレである。デフレ(不況)も怖い。それでも背に腹は代えられないので、デフレ(景気の後退、不景気のさらなる深化)よりも、インフレ、とりわけハイパー・インフレーションが襲いかかってくるのが怖いのである。だから金融引き締めの利上げを決断した。  
米大統領は2期目に入るとスキャンダルが起きる  
私は、今度の米大統領選挙はブッシュが勝って再選されると見ている。11月2日の選挙日にはプッシュが勝つだろう。すべては世界中の石油・軍需産業や資源・農業ビジネスまでを牛耳り、ニューヨークの金融財界をも主導しているロックフェラー財閥によって仕組まれている。ブッシュは、チェイニー副大統領とポール・ヴォルカー前FRB議長から顎で使われている。だから、この2人の“大親分”であるデイヴィッド・ロックフェラーの哀れな「操り人形」の大統領である。  
誰も書けない、ロックフェラー家内部の跡目争い  
米国、そして世界の政財界を裏側から支配しているデイヴィッド・ロックフェラーは90歳の高齢であり、余命がそれほどない。そこでその後継者として、現在ウエスト・ヴァージニア州選出の上院議員であるジェイ・ロックフェラーがロックフェラー家の次の当主として、ニューヨークに移り住む準備をしている。この人物は、創業者のロックフェラー1世の正当な嫡男の4代目である。父親のジョン・ダヴィッドソン3世が死去した後、ロックフェラー家の当主は唯一の共和党員だったネルソン、そして現当主のデイヴィッドと、それぞれ子息ではなく弟たちが継いできた。ここらで党首の地位が本家に戻りそうである。今年で62歳になるジェイも、本当は大統領になることを欲していたのだが、1992年の大統領選の民主党予備選で、クリントンに負けてしまった。自分の叔父であるデイヴィッド・ロックフェラーがクリントンの方に肩入れしたからだ。このようにロックフェラー家内部で、跡目相続をめぐる本家と分家との争いがある。ニューヨークの金融財界を、これからジェイ・ロックフェラーが掌握しようと動いている。それに伴い、前大統領クリントンとの間で「遺恨試合」のようなものが繰り広げられようとしている。ここに、来年から起こるであろう世界最大の権力者の「代替わり」に伴う激動が待ち構えている。7月にジョン・エドワーズが、ウエスト・ヴァージニア州に遊説に入っている。エドワーズは民主党の副大統領候補となって、ジョン・ケリー候補のランニング・メイトである。エドワーズはジェイ・ロックフェラーの後押しを受けることになった模様だ。2人で「反クリントン、反デイヴィッド」の誓いのようなものを結んだのだろう。エドワーズは、ジョン・ケリーが11月に負けても、その次に自分の番が来るように動いている。ということは、民主党内でヒラリー・クリントンとぶつかることになる。  
クリントン前大統領の出生の秘密  
そもそも、どうして民主党の上層部は、ジョン・ケリー上院議員のような、本人が勝つ気迫を示さないおかしな人物を候補者に選ばざるを得ないように仕組まれたのか。その「張本人」はビル・クリントン前大統領である。クリントンは、4年後の大統領選で、自分の夫人のヒラリー・ロダム・クリントン上院議員を大統領にして、ホワイトハウスに「夫婦そろって」返り咲こうとしている。そのため今回は民主党からは大統領が出ないように、初めから負けるように仕組んだのである。なぜクリントン前大統領にこれほどの政治的実力があるのか。私はズバリと真実を書く。ビル・クリントンは、ウィンスロップ・ロックフェラーというロックフェラー一族の人物の「隠し子」だからである。(中略)この事実を、私はこの春に実際テキサス州に行って確認してきた。クリントンが高校生の時に、ジョン・F・ケネディ大統領と握手したことは有名だ。そのセレモニーの主催者が、他ならぬアーカンソー州知事だった実父のウィンスロップ・ロックフェラーである。米国のメディアはその映像をよく流したが、どういうわけかそばにいた実父の姿は削除されている。だから、前大統領が後年、アーカンソー州知事になれたのも、またその後、大統領選に出馬することができたのも、ロックフェラー家と関係の深いハリマン家の援助によるものだ。  
世界経済の激変は、2005年の春から始まる  
グリーンスパン議長が、アメリカの公定歩合に似たFFレートを上げると決めたもう一つの理由は、ヨーロッパの、ヘッジファンドと呼ばれている国際投機筋が、盛んにユーロ建てで金をテコにして米ドルを先物で売り続けているからである。ヨーロッパはドル暴落を狙っている。これに対して反撃を食らわし、ドルの値段を支えるために、グリーンスパン率いるFRBが金利を上げることに決めたのである。(中略)ヨーロッパのヘッジファンドは一定の打撃を受けて、現在低迷している。ドルの暴落を仕組んでいたのに、まんまとその動きをグリーンスパンに阻止された。欧州ヘッジファンドは7月から再反撃に出て、ニューヨーク株を売り原油を買うという投機をやっている。原油は1バレル45ドルまで上げた。  
私の予測では、2005年の春ぐらいから米経済は怪しくなっていくと思う。アメリカは不況に突入していくと思われる。同時に、米ドル札と米国債の刷りすぎという問題があるので、ハイパー・インフレにもなるだろう。2005年は、太平洋戦争の終結から60年目である。世界は60年周期で動くのである。これを景気循環の「コンドラチェフの波」という。2005年を皮切りに、この数年で世界経済は大きく変わっていくのである。  
新ドル切り替えでアメリカの預金封鎖が起きる  
今アメリカ合衆国で、20ドルや50ドル紙幣をどんどん新札に切り替えている。やがて100ドル札も、2005年から切り替わる。日本も示し合わせたように同じことをやっている。日本の場合も、偽札の防止のために新札切り替えをやるという嘘みたいなことを平気で言っている。そんなことは日本の場合はほとんどない。アメリカの場合は、北朝鮮とか南米で造られた100ドル紙幣の偽札が流れまくっていて、本当は1割ぐらいが偽札ではないかと言われている。(中略)新ドル切り替えで、アメリカでこそ預金封鎖が日本よりも先に起きる。これは私が書いてきたとおりだ。アメリカは巨大な財政赤字と貿易・国際収支赤字を抱えているから、ドーッと崩れるときにはハイパー・インフレーションが襲いかかる。日本の場合はこの先もデフレのままである。  
大きく変わる世界の通貨体制  
新ドル切り替えが行なわれたあとで、預金封鎖が起きる可能性が高い。そのとき旧札が使えないようにされてしまう。そうやって、今の世界通貨体制である修正IMF体制がいったん崩壊し、別の通貨体制へと移行していく。それは「コモディティ・バスケット」と呼ばれる通貨体制である。(中略)そのとき、対円でのドルの暴落と、対ユーロでのドルの暴落という事態が想定される。そのとき1ドルは40円ぐらいまで暴落する可能性がある。  
「日本は今後も米国の影響下で生きていけばいい」と言っている人々にはっきり言っておく。経済・金融場面でこの10年、どれほど酷い状況に追い詰められてきたか。すでに政府部門と大企業と金持ちと機関投資部門(生保、証券、銀行)を通じて、400兆円ものお金がアメリカに流れ出している。アメリカの国家財政赤字の半分ぐらいを、日本国民の財産がファイナンスしている。ほとんどはアメリカの国債を買っているから、対外債権を持っているのと同じことである。この400兆円が半額になって日本に戻ってくるだろう。数年後にアメリカ経済が恐慌入りをして、その時に1ドル=40円とかの「ドル暴落」が起こる可能性が高い。
 
まんが八百長経済大国の最期

 

著者は、米経済誌「フォーブス」アジア太平洋支局長。1961年カナダ生まれで、日本で約20年間ジャーナリスト活動を続けている人物です。前著の『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』は衝撃的な内容でした。それは、この国を動かしている権力(政・官・業)がヤクザと癒着していることを告発する内容だったのです。だから、不良債権の処理も進まないし、国の財政再建は期待できないというものでした。その情報収集力は独特のものがあり、分析にも大変説得力があります。前著では、日本がアルゼンチンのように国家破産をして、国民が大変悲惨な状態になることを懸念し、警告を発していましたが、今回はついにそのことを確信する内容に変わっています。普通に読むと悲観的になる内容ですが、これがわが国の現実であるということを直視することが大切だと思います。そうすることで、これから起こる事態に大きく動揺することなく、日本再生のための産みの苦しみであると考えて、冷静に対処していかなければなりません。  
国家破産が迫っているのに首相は知らん顔  
あなたは、日本をどんな国だと考えているだろうか?こう聞けば、日本人なら誰もが「経済大国」と答えるだろう。しかし、それは本当だろうか?たしかにいまのところ、日本経済の規模はアメリカに次いで世界第2位であり、「経済大国」と呼ぶのにふさわしい。しかし、その内実は、本当に「経済大国」と呼ぶのにふさわしいだろうか?あるいは、「資本主義国家」、「自由主義経済国家」と呼ぶにふさわしいだろうか?さらに、日本人自身が信じているような「民主主義国家」と呼ぶのにふさわしいだろうか?私には、絶対にそうは思えない。では、いったい、日本はどんな国家なのか?それは「インチキ資本主義」に基づいて、「八百長経済」をやっている「八百長経済大国」=「泥棒国家」なのだ。このことはこの本のなかで順次説明していくので、とりあえずここでは、この国家のリーダー・小泉純一郎首相から話を進めていきたい。  
2001年、「改革なくして成長なし」という絶叫とともに小泉純一郎が日本の首相になったとき、日本国民の多くが「これで本当の改革が行われる」「日本は生まれ変わる」と信じたに違いない。当時の彼の内閣の支持率が80%以上あったことを思えば、日本国民なら、まず間違いなくそう信じたはずである。(中略)残念ながら私は、小泉が就任した当時から、彼を改革者だとは信じてこなかった。改革者というより、むしろ改革を逆行させる男だと断じてきた。私はある時から、この国を「政・官・業・ヤクザ」の「鉄の4角形」が支配する国だと確信し、「失われた10年」は「ヤクザ・リセッション」だと言ってきたが、小泉はこの頂点に立ち、このシステムを温存するために首相になっただけの人物だと思ってきた。それは、小泉の言う「改革」がニセモノであること、また、その「改革」が進むごとに、日本の衰退がどんどん加速されてしまうからである。そればかりか、「政・官・業・ヤクザ」の支配はますます強まり、日本の破産はもう目前に迫っている。つまり、日本がアルゼンチンのようにデフォルト(国家破産)し、私の最初の著書『日本がアルゼンチンタンゴを踊る日』が現実になってしまう日が近づいている。  
2004年7月に参議院選挙があったが、その争点は「年金改革」と「イラクの多国籍軍参加問題」だと、この国の大メディアは規定した。しかし、そんなことが、いまの日本が直面している大問題なのだろうか?どうか本当に冷静になって、考えてみてほしい。年金改革も多国籍軍参加問題も、国家の破産が目前に迫っている状況を前にして、大問題であろうはずがない。それは、むしろミクロの問題であり、日本はマクロがどうしようもなく病んでいる。このマクロを解決しないで、ミクロが解決できるわけがないのは、誰にでもわかるだろう。現在、日本の破産に関しては多くの本が書かれているし、内外のエコノミストやメディアも警告をたびたび発している。しかし、不思議なことに、日本人自身にその自覚がない。そして、小泉は知らん顔を決め込んでいる。国家財政が事実上破綻しているのに、それを選挙の争点としない政治家が本当の改革者かどうかは、言うまでもないだろう。日本の財政制度はそもそもがインチキ  
国家財政が破滅的な赤字だというのに、なぜ日本ではムダな公共工事が続けられるのだろうか?その答えは、この国の財政が根底からインチキだからである。一般的に国家の財政というのは、単年度の予算(一般会計)を見れば、ある程度わかるものである。しかし、日本ではこの常識がまったく通用しない。それは、この国には「一般会計」とは別に「特別会計」があるからだ。この「特別会計」は、驚いたことに議会の審議なしに国家が勝手に予算を組めて使えるということになっている。私がなぜ「日本は民主主義ではない」と言い続けているか、これでわかってもらえると思う。「特別会計」をわかりやすく言えば、一般企業の「裏帳簿」であり、つまり、これがあるおかげで、日本政府はいくらでも借金を隠せるし、不良債権を飛ばすこともできるようになっている。しかも、この「特別会計」は「一般会計」より、その予算規模が大きい。2004年度の政府の「一般会計予算」の総額は約82兆円だが、「特別会計」は正確な数字が発表されないものの、規模としては約330兆円あるとされている。そして、この「特別会計」には「財政投融資」という制度があって、これによって政府は勝手に国民のお金を公共工事につぎ込めるようになっている。もちろん、「一般会計」であろうと「特別会計」であろうと、その財源は国民の税金である。つまり、政府は年金や郵便貯金などの国民のお金を「特別会計」に入れ、議会の干渉を受けることなく、「財政投融資」という名目で使いまくってきたのである。議会などといっても、そこにいるのは官僚と結託した族議員だから、ここでも「民主主義」は機能せず、まじめに働いている国民は、いりもしない公共施設、道路、ダムのために際限もなくお金を巻き上げられてきたのだ。  
ここで話を戻して、「一般会計」についてもう一度ふれると、2004年度の総額は82兆円である。これに対して、国民からの税収は約42兆円だから、引き算をしてみれば、ここですでに40兆円足りないことがわかる。これが家計ならこんな予算は成り立たないだろう。収入の倍のお金を使うことなど、それに見合う貯蓄がなければできないからである。しかし、国家というものは貯蓄がなくてもお金を使うことができるようになっている。それが、国債という国家の借金で、これは簡単に言うと「国が発行する借用証」だ。ただし、これには利回りがあるので、購入してくれる投資家や金融機関があるかぎり、発行することができる。2004年度予算の国債(新規国債)発行額は、36兆5900億である。日本政府はこのように、毎年新規国債を発行しては、現在にいたるまでムダ使いを続けてきた。では、これまで日本政府は、いったいどれくらいの国債を発行してきたのだろうか?財務省が発表しているところによると、日本の国債の発行残高の予測は、2004年度予算に計上された分を含めると483兆円である。つまり、2005年3月時点で、日本政府は483兆円にものぼる借金を持つということになる。なんと、この額は日本の1年間のGDP(国内総生産)に匹敵する。(中略)  
日本のこの公的債務の大きさは、世界の主要国に比べると、本当に異常である。483兆円という額は、「一般会計」税収のおよそ12年分に相当する規模だから、国民1人当たりの借金に置き換えると378万円になる。しかも、日本という国家の借金はこれだけではない。なぜなら、地方も地方債という債権を発行しては借金を重ねてきたからだ。それで、この地方債も含めると、借金は719兆円まで膨らんでしまう。経済協力開発機構(OECD)の調べでは、対国内総生産(GDP)比で161.2%。主要先進国で最悪の水準である。  
日本(161.2%)イタリア(116.7%)カナダ(73.6%)フランス(72.0%)ドイツ(66.7%)アメリカ(66.0%)イギリス(55.0%)  
「国のバランスシート」は債務超過  
さらに、日本政府の借金物語は続く。  
前記したように国債残高は483兆円とされているが、実はまだ政府が借金できる財政投融資に使う「財投債」というものがある。これは、政府が公共事業のために使うお金を調達する目的で発行される。それでこの「財投債」まで含めると、政府部門だけでも、その借金は600兆円を超えてしまうのだ。しかも、これを単年度でみると、2004年度だけで、国債の総額はなんと162兆円にまで達してしまう。これは、誰が考えても狂気の沙汰だ。「一般会計」の税収の総額が42兆円しかないのに、その4倍もの借金をかかえ、しかも、毎年新しい借金をし続けているのだから、これを返せると考えられる人などいないだろう。ただし、どんなに借金を重ねても、それに見合う資産さえあれば、その借金は正常債権ということができる。資産を換金すれば、借金は返せるからだ。そこで重要になってくるのがバランスシート(貸借対照表)だ。(中略)日本はこれまで「国のバランスシート」をいっさい公開してこなかったのである。(中略)当然、日本政府に対する批判は強まり、ついに2003年になって、日本政府は「国のバランスシート」をはじめて公開することになった。このバランスシートを見て、海外の投資家は驚いた。なぜなら、それまで経済大国だから相当の資産を貯め込んでいるだろうという予想が、完全に裏切られたからだ。  
日本の「国のバランスシート」は病んでいた。とんでもない債務超過だった。なんと、その超過額は約885兆円である。日本政府の持っている「資産の方」は、現金、預金、有価証券、固定資産などを総計して約822兆円だが、これに対して「負債の方」は、合計して1707兆円もあった。「負債の方」とされるのは、民間保有の国債、公債、地方債などのほかに、郵便貯金や簡易保険料などが含まれる。では、債務超過ということはなにを意味するのだろうか?それは、民間企業なら即倒産ということである。つまり、日本はもう事実上倒産しているのである。だから、「構造改革」というのは、この事実をごまかすために行われている「先送り」にすぎないのだ。  
国債が日本の「国家破産」の引き金を引く  
ウソにウソを重ねてすべてを「先送り」してきた結果が、天文学的な大借金と債務超過である。つまり、この先、日本は景気のちょっとした変動で「破産宣告」しなければならない事態に追い込まれると考えていいだろう。2008年の北京オリンピックのとき、日本はどうなっているだろうか。それは、この年に国債を大量に償還しなければいけないからである。これは、直接的には1998年に小渕内閣が景気対策で大量の国債を発行したツケであり、そのために今後は約135兆円もの国債(借換債)の発行が必要になるからだ。が、はたして、こんな異常なことが平然と続けられるものであろうか?結論から言えば、続けられるわけがない。それは、発行量が増えすぎて、やがて引き受け先がなくなること。さらに、利回りの上昇(つまり国債の暴落)で、日本のすべての金融機能がマヒしてしまうからだ。つまり、国債が日本の「国家破産」の引き金を引くときが必ずやってくる。2004年度に市中で消化される国債は約118兆円である。これは、前年度より5兆円増えるだけだが、2005年度には130兆円台、4年後の2008年度には170兆円台まで膨らむと予想されている。これまで国債を積極的に購入し、政府のインチキ資本主義につきあってきたのは、国内の金融機関だった。低迷する貸し出しの代わりに、日本の銀行は国債を大量に買い続けてきた。そして、その国債保有額は、いまやトータルで約90兆円に達し、5年前の約3倍に増えている。もはや、これ以上買うのは無理だと誰もが思い始めている。  
国債発行額がこれほどまでに大きくなると、必然的にやってくるだろうリスクがある。それは、国債発行額の増大によって生じる長期金利の上昇である。景気情勢や買い手の動向次第で相場が不安定になり、長期金利はいつ上昇してもおかしくないのだ。こうなると、政府はその利払いに追われ、金融機関は含み損を抱えて、軒並み倒産することになる。日本の長期金利は2004年に入ってから、じわじわと上昇している。これがいつ急上昇するかは誰にもわからない。  
泥棒たちは本当にあなたにお金を返してれるのか?  
英語に「ラスト・リゾート」という言葉がある。これは、そのまま「最後の楽園」という意味だが、経済用語として使うと「最後の貸し手」という意味になる。つまり、この「ラスト・リゾート」がなくなれば、「インチキ資本主義国家・日本」は倒産することになる。もうおわかりだろうが、この「ラスト・リゾート」というのは日本国民であるあなた自身のことである。なぜなら、日本国債というのは、その96%が日本国内で消化されているからだ。日本国民であるあなたが金融機関に預けたお金は、そのほとんどが国債を買うために使われている。いまでは、郵便局から、メガバンク、地方銀行にいたるまで、ほとんどの金融機関は国債漬けである。その額は、銀行保有分だけで2004年度には92兆円に達し、この5年間で3倍に増えている。つまり、あなたは国債を個人的に購入しようとしまいと、「最後の貸し手」なのである。なぜなら、こんな借金まみれの国の国債を買う海外の投資家などいないからだ。  
あなたが国債を買っているとしたら、あなたが買ったのは不動産や金などの目に見える資産ではないことを、改めて認識すべきである。それは、ただ単に国が発行した「借用証」という紙切れにすぎないのだ。その紙切れをいずれ政府が買い戻してくれる約束になっているが、本当に日本政府にそんな力があるのだろうかと‥‥。  
金利上昇で国債償還ができなくなる日がくる  
不思議なことに、国の財政が破綻しているも同然なのに、日本の金利はいまだに上昇しない。しかも、インフレもまだやってこない。それは、日本がいま国家総がかりで国債の暴落を防いでいるからだ。国が発行する国債をほぼすべて国内市場で賄って、国家統制のもとに金利を抑え込んでいるからである。しかし、これもやがて限界にくる。国内金融機関が永遠に国債を買い続けるなどということが、できるわけがないからだ。すると、金利は上昇し、すさまじいインフレがやってくるかもしれない。「ハイパーインフレになる」とか「預金封鎖」などと言われているのは、けっして絵空事ではない。財政赤字が膨らむと金利が上昇するのは、経済学では初歩的な話である。国債は財政赤字の穴埋めで発行されるのだから、発行量が増えれば、価格は当然下がる。国債が値下がりすれば金利が上昇する仕組みは、以下のような話で説明できる。ここに、発行価格が100円の国債があったとする。この国債は1年後に105円で国が買い戻す(償還する)ことになっている。つまり利回りは5%である。しかし、国債は次々に発行されるので、だぶついて100円では取引されなくなる。すると、価格は下がる。それで、90円ということになると、利回り(金利)は15%ということになってしまう。つまり、金利は上昇する。  
いまのところ、長期金利はなんとか2%以下に保たれているが、1%上昇するだけで、約1兆2000億円のお金が国の金庫から消えていく。つまり、これもあなたの税金である。国債の金利が跳ね上がり、ついには償還不能で、財政破綻する日がいつくるかは誰もわからない。現在、不思議な均衡状態が続いているから、日本人全体がまだピンときていない。そのため、いくら心あるメディアや専門家、そして一部の政治家が訴えても、小泉改革のペテンは続き、「泥棒国家」の怠慢を許している。財政赤字がいかに怖いか、改革が遅れるといかにひどい目にあうか、想像できないのである。1980年代にイギリスが、1990年代にアメリカが財政改革をやれたのは、いずれも金利が上昇し、国民生活を直撃したからである。高金利でローンが払えなくなれば、国民は目を覚ます。そして、国家の野放図なお金の使い方に口を出す。それが、民主主義の国のパワーの源泉でもある。しかし、いまの日本は腐敗した泥棒紳士たちが支配する国だから、もはや手遅れとしか言いようがない。  
「日が昇らないこともある」と知るべきだ  
結局、日本は戦後の一世代だけの繁栄で終わる、というのが私の結論だ。いや、もう終わっているかも知れない。その一世代とは、つまり「団塊の世代」である。彼らだけが繁栄を享受し、後始末せずに幕を閉じるのではないだろうか。1960年代から1980年代の終わりまで、四半世紀だけの繁栄国家で終わるのだ。戦後の生き残り世代の技術者たち、松下幸之助、井深大、本田宗一郎などが必死で築いた資産を、その後の「団塊の世代」が食い尽くし、アルゼンチンのような終局を迎えるしかないのではないだろうか?これはなにも私だけの意見ではない。ソニーの大賀典雄・前会長をはじめ、多くの政府に頼らない日本企業の経営者が言っていることだ。そして、世界の多くのメディアも、これまでずっと警告してきたことである。(中略)  
日本には美しい四季がある。だから、人々は冬が終われば必ず春が来ると信じている。同じように、夜はやがて明け、日は必ず昇ると信じている。しかし、本当にそうだろうか?歴史をひもとけば、国家はいくつも滅亡し、衰退を防ぎきれなかった国家のほうがはるかに多い。日が昇った国はいったいどれくらいあるだろうか?  
つまり、「日は再び昇らない」こともありえる。 
 
ついに、来た第四の国難

 

著者は現在の日本が直面している危機を「第四の国難」と表現しています。わが国はいま、蒙古襲来、明治維新、敗戦に匹敵する危急存亡の時を迎えているという認識です。私も共感するところ大ですが、このような意見を堂々と述べられる人は大変少なくなっています。大新聞を軸としたマスコミの偏向報道と、教育の現場における誤った指導が、いま日本社会の崩壊に拍車をかけています。しかしながら、その中にいる私たちに危機の認識はあまりないようです(そのことが真の危機なのです)。それは、あたかも法華経に出てくる「火宅の人」にも似ています。家の周りが火に囲まれているのに、遊びに夢中になっていてそれに気がつかないのです。その遊びとは、お金持ちになるゲーム、有名人になるゲームといったところでしょう。  
亡国の足音  
今、みなさんの多くが底知れぬ不安感やえもいわれぬ焦燥感を抱いているのではあるまいか。私の周囲でも「もう日本はだめかもしれない」とため息をつく人が増えている。不気味で異常な大閉塞感が日本を覆っている。  
船が沈没する前に、ネズミが逃げるという話は有名だ。ネズミは、自分の身に迫る危機を本能的に感じて回避しようとする。日本人が今感じている大閉塞感も、国が崩壊していく予兆を私たちの体や心が本能的に察知しているからだ、と私は思っている。足もとがガラガラと崩れ落ちていく不安といおうか。だが、私たちはネズミと違って、国からは逃げ出すことはできない。  
しかも戦後の日本人は、一度も国家を真正面から見据えて来なかったために、国家観や国家としての目標を持ちえていないので、自分たちの不安の正体もわからない。どのようにすればこの不安感を取り除けるのか、皆目検討がつかない。ゆえに本能的に察知している国家の危機は、曖昧模糊とした不気味な閉塞感となって私たちを襲っている。  
下げ止まりのない景気後退、約5%の失業率、バブル前の水準まで下落した株価、連日のように報道される凄惨な事件、荒れる青年、母親と子供たち‥‥これらは亡国現象の一面に過ぎない。なぜ、このような現象がドミノ倒しのように起きているのか。私たちはその本質をしっかり見つめる必要がある。  
アメリカ金融勢力に乗っ取られた日本経済  
アメリカ追随政治、アメリカ制定憲法によって、今や日本経済はアメリカ金融勢力に半分乗っ取られている。  
国際未来科学研究所の浜田和幸さんの調べでは、「2001年年頭の時点で、日本企業を買収対象とするファンドや金融機関は25を超えている」、「日本市場に上場され株式公開されている企業のうち、外国人の持ち株比率が25%を超える企業は100社近くあり、その数は年々増えている。東京市場では、売買高の50%以上を外国人投資家が占めているありさまで、まさしく、外国人投資家に生殺与奪の権を握られている日本企業が多くなっている」(『乗っ取られる大国・日本』)  
道義が地に堕ちたニッポンの惨状  
フリーターが激増している。(中略)フリーターにははっきりした定義はないが、労働白書では「パートでアルバイトをする学生ではない人々、女性は未婚」といった条件をつけている。その数はこの17年間で実に3倍に膨れあがり、1997年の時点で155万人に達し、現在は200万人に迫っており、将来も増え続けていくだろうと分析されている。  
なぜフリーターがこれほどものすごい勢いで増え続けているのか。若者に蔓延している無気力、無目的の人生行き当たりばったりの人生観のせいである。  
働くことに意義を見出せず、いったい何のために生きているのかもわからない。かといって、戦後豊かになった日本の家庭で育った彼らは、物質的には学生の頃から恵まれていて、せっぱ詰まった生活環境にはない。だったら、その日さえしのいで、楽しく暮らせればいいではないか、と考える若者が増えている。  
では、どうしてこのような働く意欲もなく人生の目的も持ちえない若者が量産されているのかといえば、戦後の日本社会に原因があると指摘する識者が少なくない。  
戦後の進歩派と称する知識人や文化人は、自立した人間を育成するのだと主張し、国の意識や国としての独立、尊厳を顧みず、ひたすら個人の権利を尊重する方向に突き進んできた。その結果、わがままで他人への依存心が強い若者が続々と生まれ、皮肉なことに、自立どころか生きる気力すら持てない屍のような若者が街にあふれている。  
戦後の官僚政治家たちが、GHQの占領政策に身をゆだね、教育制度も日本人の精神のあり方もアメリカに言われるままに作り直してきた結果、日本と日本人の自立が損なわれ、甘えと欺瞞を助長してきた。  
かくして、かつて日本人の美風であった礼節、勤勉性、忍耐心、公徳心、名誉を守る信条、勇気といった固有の心と魂が雲散霧消してしまった。かわって、今の若者たちも大人たちも持っているのは、自分さえよければそれでいいという私利私欲主義、目前の損得主義である。  
と同時に、国家観を失った日本人にとって、社会の夢と自分たちの夢が乖離し、日本人としての生きる目的を社会の中には見出せなくなった。個々で夢を探せといっても、夢は本来、社会との関係性の中にある。結局、行き着く先は自分がよければとなってしまい、これがまた利己的な行動に結びついていく。  
不登校の児童、生徒が増加しているのも根は同じである。自国の歴史と自分たちの祖先にプライドも尊敬の念も持てない親たちに育てられた子供たちが、まともに勉強し、周囲の人々と交わりたいと思うはずがない。  
今日、日本で毎日のように繰り広げられている惨劇は目を覆うばかりである。酒鬼薔薇事件が起こり、われわれを震撼させたのはわずか6年ほど前だ。以来、新聞を開ければ連日のように、少年や両親による殺伐とした事件が報道されている。親殺し、子殺し、通り魔殺人事件、幼児虐待‥‥。病院では何の罪もない患者が、腹いせのために殺害され、道を歩いている無関係の人まで、むしゃくしゃしたというだけの理由で巻き添えになる。  
日本人の道義は地に堕ち、今や凄惨な事件にもわれわれは不感症にすらなりつつある。動物でさえ、親子の愛情は山よりも高く海よりも深い。現在の日本人は畜生以下である。私の知る限り、過去に日本民族の精神がここまで破壊されたという歴史はない。  
無日日本人の登場  
日教組による、過去の日本を卑しめる偏向教育は戦後生まれの人々を反日日本人に仕立て上げた。国家に反逆するのが当たり前で、悪である国は何が何でも潰さなければならないという誤った価値観で、30数年ほど前、全共闘による学生運動が盛り上がった。  
その反日日本人が今は親の世代である。彼らが子供たちに、国を大切にしろ、公のルールは守れと教えるだろうか。教えないに決まっている。  
今の40代前半あたりまでの世代は、学校でも家庭でも、過去の日本人は極悪非道の国で、自分たちの先祖はアジアの国々の人々に残虐行為を行った野蛮人だったと教え込まれ続けてきた。自分たちの育つ祖国や先祖を否定する。これはとりもなおさず、自分という存在を否定していることにほかならない。しかし、人間は自己否定では生きられない。子供たちは自己防衛の手段として、国を考えることをやめた。そして、自虐史観が深まった反作用として生まれたのが、国籍だけは日本だが、日本人ではない「無日日本人」である。  
日本人と無日日本人の違いは何か。私は日本の歴史と文化を尊重するかしないかで一線が引かれると考えている。無日日本人の「無日」とは、すなわち日本がない、日本の国民としてのアイデンティティを持たない人間を私流に定義した言葉である。  
わかりやすく言えば、国に無関心、政治に無関心、周囲の人間の気持ちに無関心な人々で、国家観や民族を軸とするアイデンティティがないので、自分が何者かもわからない。だから生き甲斐もなければ、何のために生きているのかさえもわかっていないし、そもそも国や自分や社会が何かを考えてみたこともない。そこにあるのは動物的な本能と欲望だけである。  
今60代以上の人々の親は、戦前・戦中を体験している。昭和45(1970)年以前は、学校でいくら反日思想を吹き込まれても、家庭にはまだ日本のよき伝統、よき価値観が残っていた。だからこそ、全共闘世代はそれを打ち破るために反日になりえた。ところが、反日日本人の家庭で育った30代以下の人々は反日日本人にさえなれず、自分たちを無日日本人にすることによって、自己否定という道から逃れた。  
私は現在、この無日日本人は数千万人の規模に膨れあがっているとみている。わずかに私学に通う一部の子供たちを除けば、10代以下は常識的な家庭に育っている子も含めて、ほとんど無日日本人だ。その数は既に国民の3分の1近くに達しているというのが私の実感だ。  
無日日本人はそもそも国という概念は自分たちの考えにないのだから、政治には関心がない。だから、選挙は棄権する。当然、故郷を愛する気持ちもない。親も認めないし、親孝行も認めない。公の秩序など考えたこともない。自分の欲望だけが価値基準である。日本の戦後の病理はここまで進んでしまったのか、と私はため息をつく。戦後のつけがこのような形で現れようとは。  
世の政治家や識者は、無日日本人に寛容で日本の将来を楽観視しているが、私には由々しき一大事が進行しているとしか思えない。  
17歳の少年犯罪が大きな社会問題となったが、無日日本人という視点に立てば、不思議でも何でもない。その日暮らしのフリーターや暴走族が激増しているのも、親殺し、子殺し、幼児虐待、保険金殺人、バラバラ死体殺人事件といった、一昔前までは考えられなかった凄惨な事件が日々起きているのも、無日日本人があふれているからである。  
今社会問題となっている暴走族や、社会に順応できず家庭から出られない「引きこもり青年」の増加も、典型的な無日化現象の一つだと私は見ている。「引きこもり」は、すでに80万人にも達しているというが、今後も増えることはあっても減ることはないだろう。  
戦後教育を受けた50代以下の人々の大半がすでに反日、無日とすれば、有権者の7割近くが無日日本人であり、反日日本人になっている計算になる。反日日本人が社会のトップに立ち、無日日本人が社会の中堅になってきた。かつて私の知る日本民族は2割ほどしかいないように感じている。民族意識のない、世界でも類例のない民族になってしまった。私は日本の将来が空恐ろしい。  
現世利益に終始した戦後の日本社会  
今、政界、官界は数々の汚職事件に象徴されるように、腐敗にまみれている。  
甚だしきは官僚である。汚職はしないにしても、組織ぐるみで甘い汁を吸い続けている。民間は不景気に苦しんでいるというのに、5百万人近くの役人たちは、70歳まで最低3カ所に天下りを繰り返し、1億円を超える退職金を手にしているだけでも告発に値する。(中略)  
さらに許し難いことに、日本を脱出しようと計画している官僚OBがたくさんいる。「日本はもうダメだ。国として立ちゆかない」とわかっているからである。では、そんな日本にしたのは誰か。ほかならぬ彼らではないか。  
日本の秀才が集まる官僚組織である。もちろん、彼らは現役時代から、将来日本は行き詰まるであろうことは予測がついていた。しかし、身の保全を図り、分不相応な退職金をもらわんがために、それを国民には隠し、今、リタイアの生活を楽しんでいる。そして、いよいよ日本が危ないとなると、今度はお先に海外脱出なのである。国賊と言ってもいい彼らの私利私欲主義に、私ははらわたが煮えくり返る。  
遊ぶ金ほしさに通りがかりの人間を襲う若者、売春をする女子高生、親は保険金目当てで子供を殺し、むしゃくしゃするだけで何の関係もない他人を殺す者もいる。  
本来、人の心を救わねばならない宗教も現世利益を優先し、詐欺まがいで問題になる新興宗教も後を絶たない。来世利益はどこかに置き忘れられている。  
これが戦後60年、日本が培ってきた民主主義の哀れな末路である。戦後の民主主義は、歴史や伝統、先祖、社会の成り立ちといった「縦軸」を無視し、個人の権利ばかりを主張する「横軸」に終始してきた。  
この横軸民主主義が欲望だけを膨らます人間を育て、現在のような殺伐とした社会を醸成してしまった。金のためなら何でもやる。他人への思いやりや、やさしさのかけらもない、金の亡者が巷にはあふれている。  
われわれの先人たちが血と汗と涙で築き上げ、継承してきた礼節を知る心、勤勉性、忍耐心、公徳心といった日本人の心と魂は、戦後60年日本を支配してきた文明、欲望横軸民主主義、悪平等無責任主義、問題先送り主義などによってすっかり排除されてしまった。  
誤れる戦後文明病からの脱却  
国難突破、日本の甦りの大きな鍵は、誤れる戦後文明病からの脱却である。  
今、日本を覆う閉塞感は、経済不況のせいといった生やさしいものではない。戦後文明の限界がここに来て噴出し、戦後文明の瓦解に差し掛かっていることへの不安がこの閉塞感を生んでいる。  
GHQが作り上げた戦後文明は、経済成長こそもたらしたが、それは単に日本という国の崩壊への一里塚でしかなかった。戦後60年近く経って、今、日本は断末魔のうめき声をあげている。  
京都大学の中西輝政教授は、戦後文明病の病巣を「バランス」という観点から捉えて次の3つに分析している。  
ひとつは「心」と「物」のバランス。日本は驚異的な経済成長を遂げたが、国民の中から「心」、人間本来の魂が欠落した。80年代になると、日本の物質文明は世界一になり、これ以上の豊かさがはたして必要かといったところまで来たが、その後も拝金主義は改まるどころか、すべて金で解決しようという風潮がさらに進んだ。「心と物のバランスを失うと、必ず人間は滅びていく」と中西教授は語っている。  
2つ目のバランス崩壊は「伝統」と「進歩」。本来、この2つは人間社会に必要なものだが、戦後社会は進歩だけをありがたがって、伝統はなおざりにしてきた。これについては、何度も指摘してきた通り、「日本の伝統は悪」という占領政策に起因している。  
3つ目は「個人」と「共同体」。共同体は国家や社会という言葉に置き換えられるだろう。戦後、日本的な集団は全部悪い、個人を抑圧するという理由で国家や社会は敵対するものという考え方が根付いている。だが、中西教授によれば、「しかし、個人を幸せにするのも、人と人との絆なんです。あるいは共同体に所属していることの喜び、その中でしか人間は真の自由を享受できないのに、全部断ち切って裸の個人になった砂漠の自由、そんなものはだれも求める自由ではありません」。  
個のみを尊重し、国家や社会を顧みない戦後文明は、拝金主義、横軸欲望民主主義を生み出し、ついには無日日本人を作り上げてしまった。この戦後文明病をどう治療していくか。原点に戻って考え、パラダイムを一から作り直し、まったく新しい文明にシフトしていくしか方法はないのでは、と私は考えている。  
今の文明を一部手直しして、ソフトランディングで国の基軸を修正するという小手先の対策では、手遅れになってしまう。過激なようだが、今の文明を肯定して滅びを待つのか、それとも否定して新しく文明を作るのか、この二者択一でどちらかの運命を選ぶしか道はない。  
2015年、日本消滅説の中国・李鵬前首相  
まだ日本の経済が今ほど落ち込んでいない9年ほど前、日本滅亡を示唆した大予言者がいる。中国の李鵬前首相である。当時、首相だった李鵬氏は、1995年、豪州を訪問したおり、ハワード豪首相に、「日本など20年も経ったら、この地球上から消えてなくなる」との発言をし、物議を醸した。オーストラリアのハワード政権は社会党左派政権で、たぶん、身内意識もあって思わずポロリと本音が出てしまったのだろう。  
日本の識者は、この李鵬発言に、失礼千万と騒いだが、今となっては彼の見通しの方が確かだったと言わねばならない。李鵬前首相が、日本が地球上から消滅するとして予想したのは2015年である。  
日本の現状を見ていると、はたしてあと10年持つかどうか。李鵬予言さえ、まだ甘かったような気がしてくる。  
おそらく、李鵬前首相は、アメリカ一辺倒で骨の髄まで改造されつつある日本人の精神構造、伝統文化の喪失と国家・国益観を失った日本人全体を指して、もってせいぜい20年と述べたのではないか。日本の凋落の予兆を日本人の精神腐敗に見て、ああいう発言をしたのではあるまいか。  
李鵬氏の真意は今となってはわからないが、彼の予言通り、日本が国家滅亡に向かって加速度を増しているのは事実である。  
後生に光り輝く日本を  
日本が亡国の危機に直面していると言っても、大半の人が信じないのではないかという危惧を感じながら、今、筆を執っている。実は、それがもっとも大きな危機であるとも言える。  
危機が迫っているのに、危機を感じない。京大教授・中西輝政氏は、その原因を見事に喝破している。  
「危機感がない」原因として考えられるのは、戦後の日本人の中に占領政策といいますか、このままアメリカがあつらえた憲法とか教育理念を後生大事に続けていれば、いずれ日本国・日本国民の精神はなくなってしまうという危機意識をもっている人たちが多くいるにもかかわらず、前に立ちはだかる「タブー」の大きさに怯えてしまっていること。戦後日本の特殊な政治、社会、経済の価値観について民族としての自覚をもって危機を唱えられない、子孫に伝えられないということがあります。  
日教組の誤った教育をセーブできず、無日日本人のあふれる日本にしてしまったわれわれの世代の責任は大きい。今の50代以下の人々や孫の世代から「こんな日本にして」と責められても仕方がないと思っている。  
無日日本人にしてしまった若い人々にも、謝罪しなければならないと思っている。日本の精神が土台から腐るまで放置しておいた責任を今、私はヒシヒシと感じている。  
日本という国家の崩壊は、止めようのない激しい濁流となって日本民族を飲み込もうとしている。民族の融解は、もはや完遂段階まで来ているのかもしれない。日本は明らかに亡国の道を走り出している。ここでわれわれがいくら意を決したところで、徒労に終わる可能性も高い。  
なら、そんな無駄なことをせず、左うちわで残り少ない余生を謳歌したほうがずっと利口ではないか、という忠告が私の周囲からも聞こえてくる。しかし、この先、我が祖国が、我が日本民族が消滅しようとも、生きている限りせめて真実の声は残しておかねばならないと思っている。  
亡国の足音はひたひたと押し寄せている。日本崩壊の地鳴りが聞こえる。民族の滅亡の危機が、「第四の国難」の危機がすぐそこまで迫っている。 
 
次にくる波

 

2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる  
このコーナーでいろいろと紹介してきた『国家破産』関連書籍の最新刊ということで、特に目新しい情報が盛り込まれているわけではありません。混乱のスタートが2007年だろうということも、それほど説得力があるとは思いません。ただ、国家破産によってどんなことが起こるのかと言う部分は、読んでおく価値があると思います。  
日本国のタイムスケジュール  
惨劇は突然やって来た。  
2004年12月26日、東経95度47分、北緯3度18分で発生した巨大地震はたちまち海底に信じがたい規模の衝撃波となって伝わり、やがてインド洋全域へと広がっていった。そして津波など見たことも聞いたこともない人々を一瞬にして巻き込み、のみ込んでいった。平和な南国のビーチが修羅場と化した。しかし、それは他人事ではない。いまから2年ないし3年後に、この日本にも“巨大津波”が襲ってくることだろう。  
そろそろ覚悟を決めよ  
次にくる時代を一言で表現すると、「二極分化の時代」ということになる。つまり、「勝ち組」と「負け組」にますます分かれていく時代なのだ。かつての日本の良き時代において一億総中流と言われたように、日本は先進国でももっとも貧富の差の小さい国だった。ところが、バブルの膨張と崩壊によって、このパラダイムはもろくも崩れ去った。特にバブル崩壊後のこの15年の間に、中産階級から多くの人が脱落していった。  
いま誰が立ち上がっても、国家の破産は不可避である。なぜなら、一般国民に危機意識と世の中を変えようという志がないからだ。だからせめて自分だけでも助かることを考えるべきである。日本人のメンタリティーとして、苦しみもがく同胞を尻目に自分だけ助かるというのは気が引けるかもしれない。しかし、「全員勝ち組」、「全員が平等」というようなことは、事態がここまで来ると、もはやあり得ない。日本人全員が助かる道はもはやないのだ。「次にくる波」は、そんな生易しいものではない。  
平穏な日常の陰で進行する恐ろしい事態  
日本号という名の飛行機は、すでに借金の重みに耐えかねて墜落に向かってまっしぐらに進んでいる。どううまく着陸できるかを考える時期はとうに過ぎ、いま考えるべきは、どううまく不時着するかなのである。なるべく被害を少なくして、どれだけ生存者を残せるかを考える段階だというわけだ。それにしては、私たちの日常はいたって平穏だ。一時期よりは株価も持ち直し、2004年末現在で、日経平均は1万1000円台まで持ち直している。リストラが一巡した企業は経営状態が改善し、設備投資も徐々に盛り返し、2004年夏はアテネオリンピックでの日本選手の活躍に世間は沸き、デジタル家電が売れに売れた。景況感も持ち直し、市民生活に安堵感が生まれている。これなら危機意識がわかないのも無理はないかもしれない。しかし、そうした表面上の出来事の裏で、不気味な事態が進行している。  
後戻りできないところまで来てしまった  
私は、90年代から日本の財政を徹底的に研究して、著書や講演などで、「このままでは日本国政府は破産する」と言い続けてきた。しかし、残念ながらほとんどの日本人は耳を貸さなかった。いよいよ財務省の幹部でさえ「破局に向かっているのかもしれない」と告白せざるを得ないところまできてしまった。ついに抜本的な改革が実行されることなく、日本は後戻り不可能な一線を越えてしまったのだ。2004年秋時点で、国と地方自治体に財投を合わせた公的債務全体で1100兆円を超えてしまっている。税収が多少増えても44兆円しかない国で、これを返済するのはとうてい不可能である。  
すでにいつ国家破産を迎えても不思議ではない状態で、それでもまだ日本が辛くも破産をまぬがれているのは、世界一の規模を誇る膨大な個人金融資産の存在、そしてトヨタグループなどを中心とした一部の企業が、国際的な優良企業として頑張っているため、海外から資金が日本に流入し、なんとかキャッシュフローが回っているからである。  
もはや破産は回避できない  
破滅的な財政状態をなんとか綱渡りでもたせているだけであって、そのうち快方に向かうわけではない。政府は問題を先送りして一般国民には見せないようにしているだけなのだ。結論から言うと、日本国の破産はすでに不可避といってよい。ただし、それがいつ目に見える形で私たちの生活に襲いかかってくるのか、その正確な時期はわからない。これからの政策や社会情勢によっていくらかのタイムラグがあったとしても、そう遠くない将来、日本国政府そのものが国家経済に対して壊滅的なダメージを与える時代が来ることは間違いない。いま現在、そのことを切実に認識している政治家はほとんどいない。薄々はわかっていても、破産後の日本をどうやって導いていくか、その構想を持っていない。現在のような先送りの政策を続ければ続けるほど、地殻に溜まった地震エネルギーのように、はじけたときの揺り戻しは大きくなり、その衝撃は想像を絶する規模に達することになる。  
国家が破産すれば、これまでの歴史を見てもわかるとおり、国内にすさまじいハイパーインフレの嵐が吹き荒れ、大増税や徳政令など、政府は国民の資産を奪い続けるような政策をとらざるを得なくなる。ハイパーインフレになれば、銀行預金はあっという間に目減りし、徳政令が発令されれば国民は全財産を失う。庶民の生活基盤はあっさり崩れ去り、自殺者が多発し、治安も地に堕ちる。実際に、かつてのトルコやアルゼンチン、ロシアではそのようなことが起こった。同様の災禍が、おそらく数年後からこの日本で始まる。ただし、いまのあなたには事の重大さが想像できないかもれしない。しかし、これは単なる絵空事ではない。それほどの借金をすでにこの国はしてしまったのである。  
いまが準備が間に合うギリギリのタイミング  
私はなにも、「日本はつぶれる」と言っていたずらに不安を煽っているわけではない。私が本当に言いたいことは「現実をしっかり見据える勇気を持て!」ということだ。しかし、この1、2年はむしろチャンスの時期かもしれない。なぜなら、いまなら私たちは国家を襲う未曾有の大激震に備えることができるからだ。もし地震を事前に予知することができたなら、その衝撃はまぬがれ得なくても、本当に大切なものだけは失わないですむ。事前の準備ができたなら、被災から立ち上がって復活する道筋を歩むことができるのだ。日本国政府が本当に破産するまで、あと、1、2年!――その準備が可能なギリギリのタイミングに、いまさしかかっている。  
政治家には道理が通じない  
何度も言うが、政治家はあてにならない。日本国政府の借金は、毎年60兆円増え続けている。それなのに政治家は、景気が良くなって税収が増えたと聞けば、早速利権あさりを始めている。国家の収入ともいうべき税収はもともと42兆円しかない。それに対して増加している借金は毎年60兆円である。どう考えたっていま歳出を増やしている場合ではないのに、利権に目がくらむ政治家には通じないのだ。  
維持費が国家をつぶす  
いまの国家財政を一般のサラリーマン家庭で言えば、420万円の年収の人が、毎年600万円の借金を増やしている状態だ。借金の返済のために借金を重ねるサラ金地獄そのものである。本人だけでなく、子どもや孫まで父親の信用を借りて借金をしているのだから、誰も止める者がいない。あげくの果てに、一族で借りまくった借金の残高がついに1億1000万円に達してしまった。収入は420万円なのに、1億円を超える借金を返せるはずがない。つまり、国家が行なっているいまの財政は、持続可能なシステムではない。そんな危ない船に、私たち国民は乗り込んでいるのである。これから新しい借金を重ねなかったとしても、いままで作ってきた公共物が負の遺産となっていつまでも残るのだ。道路や橋は一度作ってしまえばそれで終わりというわけにはいかない。整備新幹線でも高速道路でも、建設費に加えて莫大な維持費が毎年かかる。「維持費が国家をつぶす」というテーマで1冊の本が書けるぐらいだ。  
日本が高度成長期に作りまくった新幹線や道路はそろそろ耐用年数の限界に近づいている。コンクリートの寿命は30年から40年ほどであるから、高度経済成長当時に全国で建設した施設をそろそろリフォームしなくてはならない時期に来ている。それらの費用にいったいいくらかかるのか。またそれとは別に、毎年の維持費自体も馬鹿にならない。例えばあの巨大な東京都庁舎の維持費は年間60億円である。作る資金はなんとか捻出できても、政治家は維持費までは考えない。整備新幹線もまだ作るつもりだし、神戸にも静岡にも空港を作る計画である。静岡の空港などは新幹線の駅の真上に滑走路を作るらしいが、そこまでしてなぜ空港が必要なのか。まともなコスト計算をしているとはとても思えない。税金食いの代名詞である高速道路はというと、いますでに第2東名を作っている。ドイツのアウトバーンを越えるような道路で、速度制限140キロの道路になるそうだ。それらにかかる莫大な維持費が、私たちの子どもや孫世代にのしかかる。財政が破綻している上に、大飯ぐらいの居候が居座ってしまうのだからたまったものではない。どう考えても破綻寸前の国家がやることではない。  
Xデイは2007年  
この「大日本借金帝国」もいよいよ破綻の瞬間を迎えようとしている。では、あといったい何年持つのか。その予測は難しいが、ざっと計算してみるとこうなる。公的部門全体の借金は1100兆円だと前述したが、なぜ1100兆円もの借金がありながら破産しないのかというと、最大のポイントは、日本人一人ひとりが持つ世界最大の規模の個人金融資産の存在である。(中略)担保資産のある本当の個人資産は1150兆円ということになる。ここから国の借金総額を引くと、残りは50兆円だ。ほかに企業や国の持つ資産を合わせて100兆円程度あると見ていい。こうして計算すると、日本国全体が持っている資産の余力は150兆円となる。いま、政府の借金は毎年60兆円規模で増えているわけであるから、150兆円を60兆円で割れば、3年弱で底をつくということになる。その時期はいまから2年後の2007年だと私は思っている。  
まず猛烈なインフレが襲ってくる  
それでは、2007年にいったい何が起きるのか。まず起こることは、国家信用の喪失を原因とするインフレである。国の借金をチャラにする一番安易な方法はそれである。インフレが起きてお金の価値が下落すれば、借金はチャラになる。当然、借金だけではなく資産も同時に目減りし、国民の虎の子も同時にチャラになってしまう。それと同時に国債も暴落する。いったん崩れ始めた金融市場の暴落は、もう誰にも止められない。  
実際にそうなれば、国民の資産は紙くずになり、生活設計は一瞬にして破壊される。お年寄りは生活の糧を失い、企業経営が悪化し勤労世帯においても失職する人が続出する。生きるために必死にならざるを得ない人々は、他人のことにかまっていられなくなり、殺伐とした世相が日本を覆う。生きる糧を求めて裏社会に身をやつす人も増えるだろうし、ちょっとした諍いが暴動にまで発展する可能性もあり、治安の悪化もまぬがれない。阿鼻叫喚の地獄絵図という表現が大げさではなくなる。その中でどうやって家族を守っていくのか。そのすべをあなたはしっかり用意しているだろうか。  
いま何も備えていない人にとっては、「日本にいなかったほうがよかった。どこか海外に移住してしまえばよかった。なんであのとき財産を保全しておかなかったのだろう」と悔やむ時代が必ずやってくる。国家破産でもっとも影響を受けるのは、いつの時代も決まって中産階級である。富裕層は資産を海外に移すなどの処置をとることができるし、一般的に人脈があって情報も入りやすいから、いざというときにはいち早く手を打つことができる。しかし、富裕層でもなく、何の備えもしていない多くの人々は、国と一緒に沈んでしまうことになる。  
本当に不思議なもので、人間は自分の身に実際に降りかかるまでは、「まさか自分には」と思うものらしい。まして、国家破産などという異常な事態はなかなか信じられることではない。太平の世を謳歌していた江戸時代の人々が、まさか幕府がひっくり返るなどとは想像しなかったように、私たちが国家破産の危機を実感できないのは無理のないことかもしれない。しかし、これは決して絵空事の憶測ではない。きちんとデータを分析し、理論的に結論を導き出せば、いやでも答えはそうなる。私は90年当時、まだ新聞社に勤めていた頃、「日本にデフレが来る。銀行もつぶれる」と予測した。それは新聞や雑誌、テレビから得られる最新のナマの情報に注目し、それに歴史のパターン性を加味して導き出した予測であった。その当時、同僚の経済部の記者でさえ私の説を「そんなことあるもんか」と鼻で笑ったものだ。しかし、デフレはやはりやって来た。銀行もつぶれた。固定観念を捨て、データをそろえて検証すると、未来に起こることはちゃんと予測できるのである。  
国家破産を迎えたとき、歴史上、3つの大きなことが起こっている。まず1つ目はハイパーインフレである。ハイパーインフレとは文字どおり極度のインフレである。私たちが誰も体験したことのないようなインフレが起こり、物の値段はたちまち急騰する。いったい何パーセントぐらいのインフレがくるのかは、私にもわからない。1つ例で言うと、かつてのドイツでは1年半で1兆パーセントという途方もないレベルのハイパーインフレが襲っている。倍率で言うと1年半で100億倍になったということだ。ここまで極端なインフレになることは想像しがたいにしても、年率100%程度のインフレは考えられる。1年で物の値段が2倍になるということだ。1年だけならなんとか耐えられるかもしれないが、それが毎年積み重なっていくと大変なことになる。年率100%のインフレが5年続けば、物の値段は5年後には32倍に上がっているのである。それぐらいのインフレは十分ありえる。  
国家破産で起こることの2つ目は大増税である。増税は国民の反発が強いので、よほど状況が悪化しないかぎり断行できないが、国家破産が本格化すればそんなことも言ってはいられない。なりふりかまわぬ大増税が始まることになる。この場合、所得税よりも消費税が上がる確率が高い。比較的税の負担感を感じにくい消費税などの間接税を大幅に上げるしかないのだ。直接的な税金だけでなく、例えば年金の支給額を減らすというのも、一種の増税である。年金の支給開始時期を現行より遅らせ、受給額を減らし、加入者への徴収額を増額せざるを得なくなるだろう。  
破産後にくる波の3つ目は、一番怖いと言われる徳政令である。徳政令の中身は2つあり、デノミと預金封鎖に分かれる。デノミとは、インフレで物の値段がどんどん上がり、ゼロが増えすぎて計算が面倒になるので、通貨単位を切り落とすことだ。(中略)最近のデノミの例としては、1989年のブラジル、1993年のメキシコのケースがある。インフレを抑えるためにデノミを実施し、両国とも新旧通貨の交換比率は1対1000であった。実際に実施されるとこの水準の交換率になることが多いようだ。そして最後の局面になると預金封鎖という事態が待ち受ける。金融機関に預けている国民のお金を政府が取り上げてしまうということだ。ここまできたらもう何が起こってもおかしくない。  
国家破産を政府レベルで言えば徳政令がトドメというわけだが、その実像はもう少し複雑で、社会的な側面が別にある。1つ目は金融不安である。国の借金のメインは国債であり、一種の約束手形を発行して借金している。国が破産すると、国債を返済できなくなる。あるいは国債の価値が暴落してしまう。当然ながら国債を持っている人は大損をこうむる。では、国債をたくさん持っているのは誰だろう。最大の保有機関は日銀である。そして民間銀行、生保その他金融機関、郵貯と続く。これら金融機関がおかしくなると、その次には金融不安が巻き起こる。  
社会的な側面の最後が社会不安である。これが一番恐ろしいことかもしれない。経済が破綻しても、人間生きていればなんとかなるが、その命さえ危うい事態が起こりうる。日々食うこともままならない人が増えて人心が荒廃し、治安が悪化する。苛烈なリストラなどで企業と労働者の関係が険悪になり、お金の貸し借りのトラブルも頻発する。預金封鎖などが発動されれば動乱が起きる可能性もあり、こんなひどい時代を招いた政治を憎むようになる。革命が起きるかもしれない。  
将来の日本はIMFの管理下に  
もしハイパーインフレになって経済が混乱すれば、IMFが日本に介入し、日本はその管理下に置かれるという事態も考えられる。IMFが世界の金融の番人とは名ばかりで、その実態はアメリカ政府の代理人と考えた方がいい。つまり、IMFが日本に介入するということは、戦後にGHQやマッカーサーが日本に敷いた政策と同じようなことを今度は経済的に行なうということだ。アメリカにすれば、追いつめられた日本が米国債を売るのを阻止するため、IMFを通じて「そうはさせじ」と動くだろう。こうして日本の中枢はIMFやアメリカのコントロール下に置かれることになる。これはもう敗戦と同じことだと言ってよい。  
破産の兆候は随所に現れている  
国家破産というと暗い大変動の時代というイメージを抱く方が多いだろう。しかし、こうした激動の時代というのは大きなチャンスの時代でもある。暗いことばかりではなく、ほんの一部の目端が利く人、新しい時代のトレンドを捉えた人にとっては、最大のチャンスとなる。  
みなさんは映画『タイタニック』を見たことがあるだろうか。映画に描かれていたように、船は沈んでしまっても、ボートで逃れて助かる人はたくさんいるのだ。しかし、この事故で象徴的なのは、「タイタニックは沈まない」と過信した船会社が救命ボートを乗客全員分用意していなかったということだ。日本国も同様で、政府は「日本がつぶれるはずがない」と過信しているから、国民全員を救う手だては用意していない。ところが私たちは、日本国が沈没してしまうことを知ってしまった。そこで、乗客である私たち自身が事前の備えを怠らず、おのおのが自分専用のボートを用意する。余裕のある人はクルーザーでも用意しておけば、船が沈没しても何も慌てることはない。つまり、企業単位や仲間内で協力して自分たちの財産を守る術を用意できれば、国家が破産してしまっても何の心配もいらないということなのだ。  
タイタニックの逸話は、私には国家破産と二重写しになって見える。映画の中で面白かったのは、氷山には正面衝突したのではなく、かすったということだ。衝突の瞬間、乗客は「ちょっと揺れたな」と感じた程度で、事態の深刻さにはほとんどの人が気づいていない。グラスからシャンパンが少しこぼれるぐらいの振動しかなかったのだ。船が浸水をはじめても、多くの人にとっては何が起こったのかさえわからないままだった。それと同じで、日本の国家破産もその兆候はもう随所に現れている。タイタニックならさしずめ、氷山に向かって一直線に突き進み、いままさに横腹をえぐられている段階だ。わずかな人だけがいち早く危機を察知している状況で、緊急回避をしようとして船は揺れ、甲板に出ていた人は目の前に迫る氷山を目撃して悲鳴を上げる。そうした兆候が出ているが、多くの人々はまだ気づいていない。  
衝突から間もなく、徐々に浸水が始まる。タイタニックには船を設計した責任者が乗っていたが、さすがに彼は「これだけ浸水したら、もうあとは沈むしかない」といち早く気づいた。急いで船長のもとに駆けつけ、「数時間しかもたない」と報告する。船長は真っ青になって天を仰ぐ。最初は徐々に沈み始めていた船が急に傾き始め、誰の目にも事の深刻さがわかってくる。慌てて救命ボートに殺到する人々で船内はパニック。そして、最後はどうなっただろう。真っ二つに折れた船体の一方が垂直になり、次の瞬間にあっという間に沈んでいったのだ。まさに轟沈である。国家破産においてもそれとまったく同じことが起きる。最初はゆっくり、ある時点から急速に瓦解し始め、最後は一瞬で沈んでいく。でも、そのときに自分専用の救命ボート、できたら潜水艦かジェット推進のクルーザーでも持っていれば、悠々と回避できるし、加えて逃げ損なった人を助けることもできる。そして、人々を率いて新しい地平を目指し、新しいパラダイムを創造できるのである。  
考えようによっては新しい日本を築く好機かもしれない。 
 
「国家破産」以後の世界

 

この本では、破産処理後の日本がどうなるかについて3つのシナリオをあげています。1つは、「アメリカの経済植民地」になるケース。これがもっとも可能性が高いと見ています。その場合、破産処理の過程で、日本の優良企業はほとんどアメリカのビッグビジネスに買収されると予測しています。2つ目のシナリオは、「中国の属国」になるという見方です。日本の外務省やマスコミの一部には、中国びいき(中国かぶれ)の人間がけっこうたくさんいるので、この可能性も十分考えられるようです。この場合は、政治的にも完全に中国の植民地になるだろうと言っています。少なくとも、今のような言論の自由はなくなることでしょう。普通の人が政治犯として弾圧を受けることも十分考えられます。3つ目のシナリオは、「アジアの小国」になるというものです。かつては世界を分け合うまでに巨大化していたスペインやポルトガルが、いまではヨーロッパの小国になってしまったように、アジアの片隅の国としてほそぼそと生きていくことになるというものです。いずれにせよ、大半の日本人にとっては大変悲惨な将来が待ち受けているのがわかります。なんとも夢のない話ではありますが、著者は、これがわたしたちの直面している現実だと言うのです。  
国家破産とはなにか 
まず「国家破産」について確認しておくと、それはわれわれの暮らしが貧しくなることである。  
それは借金が払いきれなくなって破産した人を見れば、容易に想像がつくだろう。  
つまり、もう海外旅行などには行けるはずもなく、贅沢品を買うなど論外で、毎日がその日暮らしになるということだ。それでも、職がある人はまだいい。おそらく、国家破産以後は失業率が20%を超えるから、街にはホームレスがあふれ、失業者はお腹をすかして道をさすらうだろう。当然、犯罪は増え、街は荒廃する。まさに、第2次大戦後にあった復興期の街の光景がよみがえるのだ。  
国家破産は、日本人が国家に対する愛国心を失った結果であるが、それ以上に、日本がこれまで哲学なき資本主義をやり続け、すべてを先送りし、問題を解決せず、場当たりで対応してきた結果でもある。  
じつは2001年の時点で、すでに欧米のメディアは「なぜ日本は自滅の道を歩もうとしているのか」と、警告を発していた。小泉首相が登場して始まった「構造改革」が、まったく根拠なきものと知った彼らは、日本の行く末を本当に心配していた。  
『フィナンシャル・タイムズ』(2001.12.31)は、「東京に流れる危ないタンゴ」という記事を掲載し、その記事の最初の一節に、次のように書いた。  
その気味の悪い冗談は、経済界のなかをかけめぐっている。アルゼンチンと日本の違いは何か?5年間。  
おそらくこの国の運営者である官僚の一部は、経済の本当の姿を知っていただろう。そして、彼らは日本が破産することもわかっていただろう。しかし、あまりにも政治家がバカなので、真剣に伝えようとはしなかったのではないか?バブル崩壊以後、「改革!改革!」と叫んで登場した改革者は、すべてが愛国心もサイエンスもないニセ改革者であった。  
ひるがえって、われわれ自身もたいした危機感をもたずに毎日の生活に追われた。  
これでは、国家破産が回避できるわけがない。  
アメリカではすでに、「やがて日本が迎えるであろう国家破産」に関してのレポートがいくつもつくられている。デイビッド・アッシャーの「日本経済再建計画」、そして通称「ネバダ・レポート」と言われるIMF(国際通貨基金)の破産処理計画などだ。  
ここで言っておきたいのは、アメリカ側が、「日本は、世界でも倫理と秩序がとくに強い国だから、少々のことでは暴動は起きない」と考えていることだ。  
つまり、国家破産以後の日本では、思い切った荒療治が行なわれる。これは小泉首相が口先だけで「痛み」と形容したものだが、それが本当はどんなものであるのか、ついにわれわれは知ることになる。  
当然、公務員は特権的地位を失い、大幅にリストラされる。国民は財産の一部を没収され、年金もカットされる。また、日本を破産に追い込んだ政治家や官僚などの旧指導層は追放されるだろう。  
このときは、日本の全産業はほぼ「アメリカの下請け」となり、国家自身も「下請け国家」となるわけだ。自分たちで改革ができずに沈没したのだから、こういう事態を逃れることはできない。韓国がかつてIMFの支援を受けたように、わが国もまた、IMFの経済占領を受け入れるしかない。そして、彼らの処方箋にそって国家再建をするしかないのだ。  
ここで誤解している人もいると思うので、はっきりさせておくが、「国家破産」は「破滅」ではない。また「予想」でもない。筆者が読者のみなさんに提示するのは、予見できるうちのもっともありうる「未来」である。そして、それはもう目前に迫っているという事実だ。  
「国家破産はいつ?」という心理ゲーム  
筆者が「国家破産」を話題にすると、たいていの人間はいやな顔をする。つまり、たとえ事実であれ、そんな話は聞きたくないという反応が必ず返ってくる。これは、たとえばあの第2次大戦のときに、「日本は負けている」という事実を言うだけで、非国民扱いをされたことと同じ反応である。  
つまり、いやなことは聞きたくない。できれば聞かないですませたい。聞かなければ、なかったことにできる――というような、きわめて幼稚な心理ではなかろうか。  
しかし、聞かなかったからといって、事実は消えない。  
もう1つ、「国家破産」を話題にしたときに返ってくる反応に、「それはいったい、なに?」というものがある。  
失礼ながら、こういう反応をするのは女性が多いが、この人たちに共通しているのは、目の前のことしか見えていないことである。毎日の暮らしで、いま自分が見聞きすることがすべてで、それ以外の話は「自分とは関係ない」と考えられるという、貴重なメンタリティの持ち主である。  
「えっ、国の借金?それがそんなにあるの?でも、だからって私が借金したわけではないし‥‥」と言い切れるのだから、筆者がいくら説明しようとムダである。  
借金は国であろうと、会社であろうと、個人であろうと、返さなければならないのがルールだ。そして、ここで言う個人とは、日本国民を指す。つまりこの国に生きているわれわれ自身のことである。とすれば、国の借金はあなたの借金であり、国家破産はあなたの問題でもあるのだ。  
「心理ゲーム」というのは、「まだ大丈夫」「いやもうダメだ」という心理のせめぎ合いということである。国家破産が避けられないとしても、それがいつになるかは、今のところ誰にもわからない。なにしろ、現在の日本国の財政事情は人類史上例がないものなので、たとえば累積債務が1000兆円なら大丈夫なのか、1100兆円になったらどうなのかという質問に、誰も答えられないのだ。しかも、実際の借金の額さえ、完全には公表されていないからである。  
ただ、ここにきて、この心理ゲームが崩れかかっているのではないかと思える出来事が続いて起こるようになった。  
※ 心理ゲームが崩れかかっている兆候として、著者は「新札が登場したこと(その背景と意図)」「マスコミで国家破産を取り上げるようになったこと」「国民の間に不安感が広がりだしたこと」の3点をあげています。  
日本人自身の手では敗戦処理はできない 
それでは、本当に「心理ゲーム」の均衡が崩れ、国民のパーセプションが変わるときがやって来るのだろうか。  
とりあえず言えることは、その引き金は、われわれ自身が引かないということである。日本内部から「心理ゲーム」は崩壊しないということだ。  
つまり、このまま「不安感」は増大していく。しかし、誰もそれを口に出さないし、まして、政府は本当のことを言わない。となると、結局、外国からの指摘や強制的な処置が行なわれて、初めてパーセプションが変わると考えられるのである。  
ともかく、政府は、あの第2次大戦のときのように、最後まで「大丈夫」と言い続けるだろう。国民はそれを信じないだろうが、政治家も官僚もマスコミも大きくは動かないので、結局はお手上げの状態が続いていく。  
倒産処理も敗戦処理も同じである。早くすれば早くするに越したことはなく、被害は少なくてすむ。しかし、それをしようとすると、この国では信じられない抵抗にあうのだ。  
結局、今回もまた原爆が落ちるところまでいってしまうのではないか、と筆者は考えている。そこで、今回の敗戦(=国家破産)における原爆とはなにかと考えると、それは国債の利回り(長期金利)の急騰による国家財政の資金ショートである。  
たとえば、長期金利の上昇局面で、海外のメディアが「日本はもうダメだ」と書く。そして、ヘッジファンドなどの投機筋が日本からいっせいに資金を引き揚げれば、原爆が落ちるのと同じことになるだろう。このとき、もちろん投機筋は日本の国債や株式のカラ売りを仕掛けて巨額の利益を上げるのである。こうなると、国内の金融機関も国民も国債を売りはじめ、株価も急落し、政府はにっちもさっちもいかなくなる。  
残念な話だが、これは日本人自身で敗戦処理ができないということである。だから、予想される過程では、日本の敗戦処理をするのはIMF(国際通貨基金)ということになるだろう。IMFはすでに、日本の財政危機に対する勧告を何度も出しているし、監査の要求までしている。日本はいまやIMFの監視対象国なのである。  
日本政府の財政運営は、すでに国際的にはまったく信用を失っており、いざ「国家破産」となれば、彼らが乗り込んでくるのは間違いない。“金融占領軍”の登場である。  
もはや日本社会全体が死の病にかかっている  
日本国が確実に国家破産、つまり「死」に向かっていることは、なにも経済ばかりに限った話ではない。「死に至る病」は、いまや日本社会全体に及んでいる。  
これは、年間自殺者の増加とか、凶悪犯罪の増加、フリーターの増加という数字に端的に表れているが、その向こう側には、日本人そのものの劣化があると、筆者は最近つくづく思うのである。つまり、社会全体のモラルの低下である。  
たとえば、2004年をざっとふり返っただけでも、日本社会から「人間はまじめに生きれば必ず報われる」という当たり前の考え方が失われている。  
まず、政治家だが、これは日歯連のヤミ献金疑惑が象徴している。橋本龍太郎元首相が1億円の小切手を受け取り、これが迂回献金だとされた事件だが、これだけでも日本の政治がいまだに旧来の金権談合政治であることがわかる。しかも、小泉首相は口では「モラルが問われている」と言いながら、政治献金改革法案など見向きもしなかった。小泉政権が改革政権でないのは明らかだろう。  
そして、この政権のかなりの数の与党政治家が、年金保険料を払っていなかったということだ。与党ばかりか、野党の政治家までもそうだったのだから、もはや政治家の病気にはつける薬がない。  
次は企業。これも西部グループの堤義明会長の辞任劇に見られるように、もはやモラルなきビジネスを平気で行なっている状態だ。有価証券報告書をごまかしたうえに、それがバレる前にインサイダー取引疑惑というのだから、手がつけられない。そして、ダイエーは、死にものぐるいのバトルのあげくに産業再生機構入りしたが、そのダイエーを追い込んだUFJ銀行は粉飾決算を隠すための検査忌避で金融庁の刑事告発を受けた。ここまでくると、もう日本中が漫画と言うしかないではないか。  
相次ぐリコール隠しをやった三菱自動車、雪印や日本ハムによる牛肉偽装事件なども、みな同じようにモラルなき経営者が引き起こしている。これは大企業ばかりではなく、入浴剤でニセ温泉をつくった白骨温泉の旅館経営者もいっしょだ。いまや上から下まで、日本の企業社会は病んでいると言っても過言ではない。  
政治も企業も病んでいるなら、その下にいる庶民も病む。  
最近では学校でも家庭でも殺人事件が絶えない。さらに、若者は働く意欲を失い、「楽してカネさえ儲かればいい」と、「オレオレ詐欺」の片棒を平気で担ぐ。このオレオレ詐欺の被害総額が、2004年1月〜8月でなんと100億円を超えたというのだから、あきれるばかりである。  
厚生労働省の発表によると、2003年度の15歳〜34歳のフリーターは、前年度比8万人増の217万人。さらに、「引きこもり」人口は約160万人と言われ、NEET族と言われる教育も受けておらず働いてもいない無業者は前年比4万人増の52万人である。彼らは、税金や年金をほとんど払っていない層だから、国家破産を助長している人間たちと言えるかもしれない。しかし、その一方で老人たちは手厚い年金をもらい、海外ロングステイなどを楽しんでいるが、それもいつまで続くことか。  
おそらく、この本を読まれているのは、30〜50代のビジネスマンの方が多いと思う。そういう方々の多くは、いま、モラルが崩壊した会社のなかで、バブル期を謳歌したうえで能力もないのに出世した団塊の世代の上司のもとで働いているに違いない。とすれば、上を見ても下を見ても、いかに日本が病んでいるかを痛感しているのではないだろうか?  
しかし、追い打ちをかけるようで申し訳ないが、国家破産が起こると、もっとも損をするのはあなた方なのだ。つまり、あなたが最大の犠牲者になる。これは歴史を見れば明らかで、国家が経済的な大混乱に陥ったときは、必ず中産階級が没落している。  
会社勤めで家族を抱え、住宅ローンを持っている一般ビジネスマンは、すべてを失い、中流から下流に転落してしまうのだ。なぜなら、この層はこれまで、選挙では棄権する人が多く、会社では上司に逆らってまで改革をしようとせず、家庭では子供の教育とお金の管理を妻に任せきりにしてきたからだ。どうかみなさん、胸に手を当てて考えていただきたい。  
世界から信用されなくなった日本の財政政策  
さて、前出の「ネバダ・レポート」というのは、アメリカの金融専門家たちが執筆し、一部の金融関係者や大手マスコミの上層部、政府機関などに定期的に配信している経済金融レポートである。それが、日本がIMFの管理下に置かれたときの予測を書いてしまったのだから、驚かない関係者はいなかった。  
IMFが乗り込んでくるのは、その国が財政的に立ちゆかなくなったときである。IMFというのは、とりあえず緊急融資はする。しかし、こんな事態を招いたのは放漫経営を続けてきた自分が悪いのだから、破産国には非常に厳しい耐乏政策を要求する。たとえば消費税20%ということは、もう政府の諮問委員会が言い始めている。  
8項目にわたる日本の破産処理  
では、アメリカは日本をどうしようというのだろうか?「ネバダ・レポート」の要点は8つあった。  
1 公務員の総数の30%カットおよび給料の30%カット。ボーナスはすべてカット。  
2 公務員の退職金は100%すべてカット。  
3 年金は一律30%カット。  
4 国債の利払いは5〜10年間停止=事実上紙くずに。  
5 消費税を15%引き上げて20%へ。  
6 課税最低限を年収100万円まで引き下げ。  
7 資産税を導入し、不動産に対しては公示価格の5%を課税。債券・社債については5〜15%の課税。株式は取得金額の1%を課税。  
8 預金は一律、ペイオフを実施するとともに、第2段階として預金額を30〜40%カットする(財産税として没収)。  
もちろん、このすべての項目はまだ実行されているわけではない。なぜなら、まだ日本が破産していないからである。しかし、事実上破産しているのだから、日本政府は、とくに12から始めていなければおかしいのである。それが構造改革というものだろう。そうしてはじめて国民への負担増も訴えられる。  
最後にあなたを救うのは資産や財産ではない  
国家破産という大変動で、最後にあなたを救うのはいったいなにか、ということになる。財産を守りたい。少しでもお金があれば助かる。あなたがそう考えるなら、筆者はなにも言うことはないが、はたして、それであなたは本当に幸せであろうか?  
国家破産ではほとんどの国民が大損害を被る。おそらく、いまから確実に計算し、資産を守り抜いた資産家だけがその被害を免れる。また、戦後の復興期の日本でもそうであったように、抜け目なく稼いで財をなす人間も出現する。旧日本軍の資産を横流ししたり、進駐軍の物資を横領して儲けたり、あるいは闇取引で儲けたりというようなことと同じことが起こるだろう。  
しかし、それでうまくいったとして、あなたは、多くの国民が苦しんでいるのを見て幸せだろうか?自分だけは助かったと、笑っていられるだろうか?  
前出のロシアのことを思い出してほしい。ロシア人たちは、どうしてあの厳しい冬の寒さを乗り越え、餓死することなく生きてきたのか?それは、国家官僚を信じず、家族や親戚、友人同士で助け合ったからである。子供は親の面倒をみて、家族同士は助け合って働いた。ルーブルは紙くずになったが、彼らは物々交換で日常生活の物資を融通しあった。  
つまり、いくらお金や資産を持っていようと、あなたを支えてくれる周囲の人間がいなければ、あなたは助からないのだ。もちろん、お金や資産があれば助かるが、それだけであなたは幸せにはなれない。筆者はこれまで「国家破産本」を批判してきたが、それはこうした考えに基づいている。  
最後にあなたを救うのは、守り抜いた財産や資産ではけっしてないのだ。あなたを救うのは「誠」の精神であり、あなたの信用である。それによって築かれた人と人の絆であり、もっと言えば「愛国心」であろう。 
 
2005年あなたの預金と借金がゼロになる / 国家破綻最終章

 

著者は経済アナリストですが、この本は経済書というより予言書とでもいうべき内容となっています。著者の『国家破綻』シリーズの最終章ということです。はたして2005年のわが国経済が著者の予測するとおりの展開になるかどうかについては、私もまだ半信半疑のところはありますが、このとおりの展開にならなかったとしても、近未来に間違いなく起こると思われる内容が含まれています。  
はじめに  
2005年は第二の敗戦 バブル崩壊から15年、太平洋戦争の敗戦から60年!  
2005年、日本国は破綻する。  
予兆はすでに現れている。経済、財政、年金、安全保障‥‥あらゆる問題で日本は行き詰まりを見せている。不良債権処理はいよいよ大口債権の処理が本格化し、これに伴う金融機関が続々破綻する可能性は高い。財政を見ても、国債発行額は600兆円を超え、とても返済できない状態にあることは誰の目にも明らかである。2005年はいよいよペイオフが始まり、これが個人の貯金はもちろん、金融機関にも大打撃を与える可能性は高い。超高齢社会が進むなか、年金システムの崩壊ははっきりしてきたし、イラク問題もいっこうに解決を見ない。加えて中国をはじめ東南アジア諸国に対する戦争責任も、いよいよ決着をつけなければならない気配が濃厚である。いずれも国家の存亡を左右する大問題だが、2005年はこれらの問題が一気に噴き出してくるのである。  
国家が崩壊すれば、個人の生活も崩壊する。年金に頼る老後はもはや不可能になるし、せっかく貯めた預金も、ハイパーインフレによって紙くず同然になる。なかでも危ないのが公務員や大企業のサラリーマンで、親方日の丸のもとで安閑と過ごしてきた彼らは、国家の保護がなければ生きていけない。もっとも安定していたはずの彼らが、職を失い、路頭に迷う。そんな時代が始まるのである。  
時代の変わり目には、不思議なほど天変地異が続く。昭和20年の敗戦前後には、昭和19年の東南海、20年の三河、21年の南海道、23年の福井と大地震が相次いで起こった。米軍がイラク攻撃を始めた2003年には、5月に宮城県沖、7月に宮城県北部、9月に十勝沖、12月にイランの大地震と、やはり大地震が続いた。人々の気持ちの乱れが、天変地異を起こすという人もいる。2004年9月に浅間山が噴火し、10月には新潟中越地震が起こった。また2004年の台風の本州上陸数は過去最高を数えた。これらの災害は、翌年の日本の崩壊を暗示するシグナルと考えていい。2005年は日本が太平洋戦争に負けて、ちょうど60年になる。一説に「60年周期説」というものがあり、大きな事件は60年ごとにやってくるという。敗戦後、日本は戦時国債がパーになり、ハイパーインフレに苦しんだ。60年後の2005年も、日本はハイパーインフレで苦しむことになるだろう。  
また、幕末のペリー来航から明治維新までは15年である。日中戦争開始から敗戦までも15年。何か大きな事件が起こったとき、解決にたどり着くまでには15年の歳月が必要なのである。バブルが崩壊したのは90年だが、「失われた10年」を経てなお不良債権問題は解決しない。これも15年目になる2005年に、大きな区切りとなる出来事が起こる可能性は高い。たとえばハイパーインフレが起これば物価はいまの何倍にもなる。不良債権の価値は何分の一に減り、これでカタがつくことも考えられる。国家が崩壊するときとは、人々の心がガクンと下を向くときである。1945年8月15日の敗戦の日、日本人の心はガクンと下を向いた。地震や水害にやられたときとはまったく違う、心が折れるような衝撃である。あのとき日本人の心に大きな変化が起こった。それまでの日本が終わった瞬間である。2001年の9・11テロも、アメリカ人の心がガクンと下を向いた瞬間だった。それは奇しくも、1941年の真珠湾攻撃から丁度60年目にあたる年だった。アメリカではこの時に何かが終わった。それが現在のイラクの混迷を招いたと言っていい。  
2005年にもそんな出来事が起こる。それは年金問題か、財政問題か、安全保障問題か、ハイパーインフレか‥‥いずれにせよ心の中が真っ白になるような出来事が起こり、日本はとてつもない危機を迎える。このとき日本を救えるリーダーはいない。いま小泉首相や日銀総裁の顔を並べて、「彼らの言うことを信用しますか」と聞いたとき、「信用する」と答える人は誰もいない。彼らはもうリーダーではない。混乱が起きたとき、収拾をつけられる人はいないのである。国家の崩壊は、ある日突然来る。戦後のハイパーインフレでも、1年で物価は何倍にもはね上がった。いまはたいしたことはないと油断していると、突然やって来た津波に飲み込まれることになるだろう。この10数年、日本は不良債権問題の処理に追われ、日本人は危機疲れといった状態にある。だが今度こそ、本当の危機がやって来る。いまからその危機に備えておくことである。泣いても笑っても、もう1年しかない。2005年にさまざまな問題がピークを迎え、日本はクラッシュする。そのとき、あなたは生き残れるかどうか。それを決めるのは、この1年のあなたの生き方次第である。  
UFJ問題から飛び火して金融危機が再燃  
もはや、来るべき時が来たと言わなければならないだろう。とうとう国家破綻へのカウントダウンが始まった。破綻までの時間はあと1年。この1年の間に、いたるところで隠されてきた膿や病巣が噴出し、日本の社会は大混乱に陥るだろう。残念ながら、もうそれを避けることはできない。  
口火を切るのは、金融崩壊だ。  
3月期決算で780億円の連結黒字を予想していたUFJグループは、結局4000億円の赤字決算になり、寺西頭取以下トップが退陣することになった。金融庁は、UFJの二重帳簿や検査忌避に対して、刑事告発という厳しい対応に踏み切った。それだけUFJが行なったことが悪質だということだが、もしこれが立件されれば、銀行業界には激震が走るだろう。UFJを実質的に買収した東京三菱FGも、無傷ではすまされない。  
まさに1年前、監査法人がこんな粉飾決算は認められないということで、りそなが潰れたわけだが、当時はUFJも「うちは大丈夫」と大きな顔をしていた。それから1年で急激に情勢が悪くなったわけではない。要するに問題を隠して黒字で切り抜けようとした企みが露顕しただけだ。  
そもそもバブルがはじけて14年、抜本的な不良債権の整理をしてこなかった大銀行に二重帳簿、粉飾決算がないはずがない。不良債権を処理したというのは、すべて処理できる範囲内のことであり、処理できない問題はすべて隠し飛ばしているはずだ。(中略)  
こうして遅れに遅れた金融大整理は、2005年4月のペイオフ解禁をにらんで大きな山場を迎えることになるだろう。  
銀行以上に危ない生保の実態  
生保は、バブル崩壊後、まったく何もできなかった業界である。不良債権処理や再編など、銀行のほうがまだやることをやっていたし、証券も外国資本と手を組むなど生き残りのために必死に手を尽くしてきた。しかし、生保は弱いところが潰れただけで、結局バブル崩壊で毀損した資産はそのまま損失となっている。新規契約は減少し、既存契約も続々と解約されている状況で、生保の破綻はもう避けられない。これはバブル崩壊による天災ではない。何もしようとしない生保の体質そのものが、崩壊の原因なのだ。  
金融システムのパニック、そしてハイパーインフレへ  
メガバンクばかりでなく、地銀以下の地方金融機関の整理も問題だ。かねてから話が進んでいた北海道銀行と北陸銀行の統合が行なわれただけで、とくに第二地銀、信金、信組など、破綻しても国有化されそうもない銀行の整理統合はまったく進んでいない。  
それでも小泉首相は、予定通り2005年4月からペイオフの完全解禁に踏み切ると明言している。中小金融機関が破綻し、そこで初のペイオフ発動が行なわれる可能性は高い。  
もしそうなれば、人々は我先に銀行に駆け込み、取付騒ぎが起こるだろう。じつは、もっとも恐ろしいのが、こうした金融パニックなのである。  
特に資産を持っている人は、もう日銀総裁や小泉首相の言うことを信用していない。そのため政府日銀が何を言っても騒ぎが収まらず、大混乱の状況になるであろう。  
こうなると、政府が選択できる手はひとつしかない。輪転機を回してお金を刷るのである。それを銀行に殺到した人に渡すしか、金融パニックを収拾する方法はないのだ。  
その結果、どうなるか。世の中にはお金がジャブジャブあふれ出すことになる。そして始まるのがハイパーインフレである。  
もはや崖っぷちに追いつめられた日本  
すでにハイパーインフレの兆候は、至るところに現れている。そのひとつが、長期金利の上昇だ。  
長期金利と国債価格は連動しており、長期金利が上昇すると国債の価格は下落する。国債の値下がりは、国債を大量に保有する銀行や生保に膨大な損失を与えることになり、金融システムの崩壊につながりかねない。  
ゆがんだ大陸プレートがその加重に耐えきれなくなって大地震を引き起こすように、これから日本では、金融機関と不良債権化した企業がバタバタと倒産していくであろう。その処理のために、数百兆円にも及ぶ公的資金が注ぎ込まれることになる。そして、それに耐えきれなくなって財政が破綻するという最悪のスパイラルに入っていく。  
そこに待ちかまえているのが、狂乱物価のハイパーインフレである。失業者が街にあふれ、ものの値段があっという間に数十倍、数百倍に値上がりする‥‥日本は大パニックに陥り、経済も行政も機能停止の状態になるにちがいない。  
明日の食べ物を求めて、人々が街をさまよい、イラクのバグダッド解放後のように、市民が公舎や商店からものを略奪するようになるかもしれない。  
この大争乱を生き残っていけるのは、このパニックの到来を予測し、備えをし、明日のビジョンを明確に見定めた人間だけだ。あなたはどうだろうか?  
断末魔の20世紀の秩序  
事態は混沌としている。つくづく感じるのは倫理観の低下、モラルハザードだ。  
銀行員や官僚ばかりではない。われわれ一般の人間も、倫理観を失っているように思える。象徴的なのが、最近多発する集団自殺事件である。インターネットの自殺掲示板で応募者を募り、見ず知らずの人間が集まって集団で自殺する。そこまでしてこの世におさらばしたいのかと思うと、非常にむなしい気持ちになってくる。  
学校における学級崩壊、援助交際、出会い系サイト、親による子供の虐待、逆ギレ殺人‥‥目を覆いたくなるような事件が相次いでいる。どれも本質的には倫理観の欠如が原因だ。  
私は、これから始まる日本崩壊は、ある意味で倫理観を失ったわれわれに対する、天からの戒めだと思っている。人のことを考えず、自分さえよければそれでいいという身勝手な考えを持つようになった私たちを神が怒っているのだ。  
考え方を変えれば、これはいい機会かもしれない。われわれが自らの生き方を問い直し、本当の豊かさや幸せとは何かを考え直すきっかけとなるかもしれないのだ。  
私たちは変わらなければならない。変われない人は、このままどこまでも沈み込んでいくしかない。  
財政破綻は目前、もうハイパーインフレで借金を帳消しにするしかない  
日本の国家財政の破綻は、誰の目にも明らかだ。財政赤字は700兆円を超え、これに財投の赤字や地方の赤字を加えると、軽く1000兆円を超える。もうこれほどの借金を返済することは不可能だ。日本は自己破産をするしかない状況である。  
あきれてものも言えないが、とにもかくにも最終段階まできてしまったことは確かである。  
財政破綻して日本が破産するのを回避するためには、2つの方法しかない。預金封鎖をして個人の金融資産を横取りし、国の借金を穴埋めするか、ハイパーインフレにしてお金の価値を暴落させ、実質的に国の借金を帳消しにするかのどちらかである。  
預金封鎖を行なって財産税などをかけ、財政赤字を穴埋めする方法は、国民の大反対にあうであろう。暴動さえも起きかねない。官僚や政治家は、自分が責任をとるのをもっとも嫌う人種である。自分に汚点を残すような政策をとるとは思えない。  
そうなると、残された道はハイパーインフレしかない。ハイパーインフレなら経済的要因なので、責任を問われることもない。それで国の借金を帳消しにできれば、万々歳である。彼らは、ハイパーインフレによって国民の預金がゼロになり、財産を失うことなど何とも思っていない。自分の資産さえ守れれば、国民の痛みなどどうでもいいのだ。  
泣いても笑ってもあと1年、あなたはどうする?  
もはや、どちらを向いても経済破綻、そしてハイパーインフレは不可避の状況になってきた。泣いても笑っても、タイムリミットはあと1年である。  
残された1年をあなたはどうやって過ごすだろうか?  
なんとかなるさとたかをくくって、何もせずに安閑と過ごすか。それとも、来るべき再生のときに向けて、いまから準備を始めるか。それによって、あなたの未来が決まるといっても過言ではない。  
大きな変革の意味が理解できる人だけが、新しい未来を築くことができる。大きな変革が起きるということは、既得権益を握っていた守旧勢力が駆逐され、新しい勢力が新しい社会をつくるということである。  
この大きな流れのなかで生き残るためには、変わらなければならない。古い価値観に縛られて何も変わることができない人は、守旧勢力とともに時代の流れに押し流されてしまうだけだ。  
あなたにとって、一番大切なものは何か。お金か、地位か、名誉か、それとも家族か、友人か‥‥真剣に考えてみていただきたい。そして、あなたの一番大切なものを守るためには、どうすればいいか考えてほしい。  
すべてはあなたの考え方ひとつにかかっている。この大混乱、大変革の時代を受難のときととらえるか、新しいよりよい社会を築くために必要な破壊であるととらえるか。あなた自身の生き方、信念が問われる時代がいままさに訪れようとしている。  
金利の上昇によって生活が破綻する人たち  
物価の上昇は、やがて金利の上昇へとつながっていく。これまで「ゼロ金利」「史上最低の金利」などと言われてきた日本の金利だが、りそな銀行が破綻した直後の2003年6月を底に、ゆっくりと上昇を始めている。金利の上昇は、その国の経済や社会にただならぬ影響を与える。(中略)  
金利が上がると大変なのは、国や自治体も同じである。すでに国も自治体も借金漬けで四苦八苦の状態だが、金利が上がるとさらに大変なことになる。  
国や自治体は国債や地方債を発行し、これを民間に買ってもらって資金を調達しているが、新規に発行される国債や地方債の利回りは金利に影響される。金利が上がったときは国債や地方債の利回りも上げなければ、誰にも買ってもらえない。資金を調達するには利回りを上げざるをえず、その結果、返すべき借金はさらに膨れあがってしまうのである。  
加えて国債については、危ない動きが始まっている。国債の引き受け手は本来、大企業である。ところが金利が上昇すると、ほとんどの大企業は経営が苦しくなる。とても国債を引き受けている余裕などない。新規に発行しても引き受け手がいないのでは、財政が回らなくなってしまう。  
そこで国が新しく売り出したのが「個人向け国債」である。個人でも購入しやすいよう購入最低額を従来の5万円から1万円に下げ、さらに固定金利から半年ごとの変動金利に変えて、利回りも従来より高く設定した。企業がだめなら個人、それも条件をよくして何とか買ってもらおうというのである。  
これはお金に困った人が「金利はいくらでも払いますから、お金を貸してください」と言っているようなものである。借金をしている人がこんなことを言い出したら要注意である。  
誰しもお金を借りるときの金利は、低ければ低いほどいい。金利が上がってきたら、できるだけ借金を控えるものである。ところが国の場合、金利が上がってきているのに、なおかつ借金を増やそうとしている。もはや常識など言っている場合ではなく、とにかくお金を借りようとやっきになっているのである。  
石油の値上がりがもたらすドルの大暴落  
イラク戦争に端を発する石油の値上がりは、為替にも大きな影響を与える。なかでも影響を受けるのがアメリカのドルで、おそらくドルはこれから大暴落するだろう。石油の値上がりによって、アメリカの経済は非常に疲弊している。輸入額はますます増加しているのに、輸出するものがない。貿易収支の赤字が拡大する一方なのである。もちろん財政赤字もいっそう悪くなる。  
アメリカの証券会社ゴールドマンサックスによると、アメリカの経常収支の赤字を支えるにはドルが3割下がる必要があると言う。たとえば、いま1ドル=110円として、3割下がると約70円である。すなわち1ドル=70円にしたいのがアメリカの本音で、アメリカはこれから激しいドル安・円高攻勢に打って出るはずである。  
アメリカの財政は火だるま状態  
アメリカ経済の失墜は、60年代半ばごろに、工業、家電、自動車など古き良きアメリカを代表していた産業すべてが衰退していったことから始まる。そして現在は壊滅といっていい状態で、輸出するものが何も見当たらない。  
輸出が翳る一方で、生活を維持するために輸入を重ねた。その結果、無理な借金を続けたため膨大な貿易赤字が積み重なり、まさに国家全体が火の車という状態になった。  
たまりにたまった赤字。こうなるとアメリカの打つべき手は一つしかない。不況から脱出するため自国の通貨を暴落させようとすることである。これは国家が経済に行き詰まったときに使う常套手段である。アメリカは起死回生の一打として、究極のドル安政策を行なうのである。(中略)  
日本は約80兆円ものアメリカ国債を持っているが、アメリカが最終的な手段に出れば、これらはすべて失われるだろう。  
世界各地の異常気象が意味するもの  
2004年、日本は数々の異常気象に見舞われた。春の気温は過去最高の水準、夏になると真夏日の日数が多くの地域で過去最高を数えた。本土を直撃する台風も過去最高となり、あいつぐ水害により農作物の値段は急騰した。野生生物も食糧に困り、クマが人里に出没する件数が激増した。さらに10月には新潟中越地震が起こり、特別災害対策予算が組まれた。  
こうした天変地異が起きているのは、日本だけに限らない。たとえば、アメリカでも中西部が400年ぶりの激しい旱魃や水不足に遭遇し、農業はもちろんのこと、一般の人々の生活にも大きな影響が出た。さらには大型ハリケーンも数多く襲来し、フロリダなどの地域に甚大な被害をもたらした。  
こうした現象を目の当たりにすると、明らかに世界中で異常気象が増えていることがわかる。異常気象についてはいろいろな考え方があると思うが、これまでのような自然の循環が狂ってきていることは確かである。  
異常気象の多発は、すでに20世紀の考え方や価値観が限界に達したことを示している。20世紀、世界は石油を燃やし、エネルギーを得ることに成功した。また、森林を伐採し灌漑することで、耕作地に変えていった。そうしたやり方に、地球が悲鳴を上げているのだ。  
いま以上にエネルギーを得ようと石油を燃やせば、より多くの二酸化炭素が出る。二酸化炭素が増えれば、地球は温暖化する。  
地球温暖化の問題で、いまもっとも懸念されているのが、中国とインドの経済発展だ。中国の人口が14億人、インドが10億人、合わせれば24億人である。経済発展のなかで、この24億の人間がエネルギーを消費し、自動車を使うようになったらどうなるか。二酸化炭素の排出量は莫大なものになり、有害物質も大量にまき散らされることになるだろう。(中略)  
異常気象はいま以上に増加し、それは食糧生産にも甚大な影響を与えるに違いない。食糧生産の不安定化によって、深刻な食糧不足に直面することになるだろう。  
農作物の不足を補うため、農耕地を増やせばいいというものではない。地下水をくみ上げる灌漑農業を展開していけば、やがて地下水脈は枯れてしまう。大地は塩を噴いて、農作は不可能となる。さらに山は乾燥して、樹木は枯れてしまう。  
もう20世紀のやり方では、巨大に膨れあがる世界人口を養えない。異常気象は「早く新しいやり方に切り換えろ」という、天からの啓示ではないのか。特にエネルギーと食糧について、われわれは早急に新しいやり方を模索する必要がある。  
預金も借金もすべてがゼロになる 
これから、日本はどうなるのか。  
その答えは簡単明瞭である。金融危機、財政危機が表面化し、ロシア危機のような強烈な経済破綻が起こる。経済破綻が起きるとどうなるか。これも答えははっきりしている。とにかく、紙幣を刷って刷って刷りまくる。それしかない。(中略)その結果、何が起きるかは明らかだ。猛烈なハイパーインフレが日本を襲うのである。預金、年金、保険金、財政、企業救済、個人の生活の救済など、このとき政府が支出しなければならない金額は、数百兆から1000兆円を超える可能性がある。  
政府がそれほどの借金を背負うということは、後の世代に相当な痛みを残すのではないかという意見もあるが、そうはならない。ハイパーインフレになれば、預金の価値も減少するが借金の重みも減少する。1000兆円の借金を背負っても、100倍のインフレになれば、実質的には10兆円しか借金が増えていないことと同じになる。中途半端な借金では後の世代の重石となってしまうが、新札を刷って莫大な借金をすればハイパーインフレを引き起こし、実質的に借金を目減りさせられる。そうなれば借金をリセットして、まっさらなものを後の世代に引き継ぐことができるのである。  
しかし、国民の生活には重大な影響を及ぼす。ハイパーインフレになればなるほど、借金は限りなくゼロに近づくが、同時に預金も限りなくゼロに近づいていくのである。キャッシュを稼げる仕事に就いている人はいいが、もし失業でもすると大変なことになる。なにしろ、モノの値段が一晩で何倍にも跳ね上がってしまうのである。明日の米にさえ事欠くようになるだろう。ロシアの経済危機では、多く人が食べ物を求めて街をさまよっていた。日本でもそのような光景が随所に見られるだろう。  
公務員と大企業のサラリーマンに訪れる地獄  
これから経済破綻を迎える日本では、いくつもの企業が倒産することになるだろう。大企業も例外ではない。そのような時代は、会社の人脈よりも、会社の外側で築いた横のネットワークのほうが重要になってくる。ところが、「親方日の丸」のもとで安閑と暮らしてきた大企業のサラリーマンや公務員は、そのことがわからない。会社以外にネットワークを持っていないので、いざ会社や国が破綻してしまうと、頼れるものが何もなくなってしまう。ハイパーインフレでいちばんひどい目にあうのは、こういう人たちだ。また、年金生活者にとっても厳しい時代がやってくることは確実だ。ハイパーインフレになれば、年金だけでは暮らせなくなる。そのときに備えておく必要がある。「年金生活に入ったからもう引退だ」と思っていたら大変な目にあう。「老後はのんびり過ごしたい」と思っていた人にはつらい話だが、これが現実なのである。  
「学の時代」に何を学ぶべきか  
では、個人の資産防衛はどうすればいいのか。おそらく、そんな疑問をお持ちの方も多いのではないだろうか。  
これまでの私の主張を真摯に受け止めてくれた方には、答えはおのずとわかっているであろう。資産を増やす、あるいは資産を防衛するという発想自体が、もう過去のものなのである。  
これから始まる大変革は、既成の勢力が瓦解し、新しい理想的な世界をつくるために必要な崩壊である。古い金融システムは崩れ、まったく新しい形のシステムが構築される。そんなときに、古い金融システムのお金を死守することがそんなに大事なことであろうか。  
質問に答えるとすれば、資産を守る方法などどこにもないと答えざるをえない。では、このまま円が紙くずになっていくのを黙って見ているしかないのか。いや、それは違う。金を増やそう、金を守ろうという発想から脱却すれば、どうすればいいかが見えてくる。  
新しい時代に必要なのは、金ではない。個人の志と新しい社会を建設するときに必要となる能力である。そうであるならば、いま持っている資産を死守しようとするのではなく、自分自身の能力を見つけるため、開発するため、磨くために使うべきであろう。それは混乱の時代を生き残る、あなたの力強い武器になってくれるはずである。  
ただし、ここでいう「学」とは、既存の学問を学ぶことではない。現代はもはや「西洋の学問を学べば成功する」という時代ではない。権威を得るための勉強など、何の意味も持たない。必要なのは、その人の実力。真の実力を身につけるためには、自分がいいと思うこと、おもしろいと思うことを学ぶことである。  
時代を先取りして、ひとつ付け加えるなら、それが世の中のためになることであれば、なおいい。2005年から始まる大崩壊の後、新しい国づくりに向かって社会が動き出す。そのときに、個人や特定の組織の利益ではなく、社会全体の利益から物事を考えられる人は、必ず社会から求められる。  
いずれにしても、ここまできたら泣いても笑っても、古い時代はあと1年で終わる。それまでに、どれだけ能力を身につけ、再生の時代のために準備をしておくか。明暗はそこで分かれるだろう。  
おわりに  
注目の米大統領選挙は、今回も大接戦の末に現職のブッシュ大統領が勝利を収めました。(中略)  
もしここでケリーが当選していたら、確かにブッシュ陣営は悔しさの中で退陣したでしょうが、歴史を潰した張本人として後生に語り継がれる汚名は着なくてすんだはずです。でも神はその選択肢を選ばれなかったのです。なぜなのでしょうか(中略)  
神は、いまものすごい勢いで最後の振り分け、最後の審判を行なっておられます。ますます凶暴性と貪欲さを丸出しにしたリーダーが活躍すればするほど、そういう精神的傾向をもった全世界の人々の遺伝子にスイッチが入り、そういう人々が声を上げて彼らに声援を送り、彼らを支持し始めます。ここで声を上げて彼らを支持し、彼らについていく人こそ、神が淘汰されようとしている人なのです。  
これから先の時代に神が許さない気質を持った人たちを次々にハーメルンの笛吹き男が群集の中から引っ張り出して、永遠にどこかに連れ去っていってしまう、それが今まさにここで起きていることなのです。すべては他人事ではありません。すべては一人ひとりにとって極めて現実感の高い神劇なのです。  
この神劇を見て、あなたはどう思いますか、あなたはどうしますか、ということがいちばん大事なことであって、ニュースに乗るようなすさまじい悪をなす人も、反対に素晴らしい善をなす人も、彼らは単に神劇の俳優です。この名優たちの演技をみてあなたはどう思いますか、どう行動しますかということを、神は一人ひとりチェックされて、いまだ本心が現れなければもう少しきつい神劇を突きつけて、思いと行動をチェックされているのです。  
そして次々と神劇を繰り出す中で、神は人々に改心を迫ります。くどいくらい何度も何度も改心を迫ります。改心ができればそれでOK、しかしできなければある日突然、ハーメルンの笛吹き男がやってきて、永遠に帰ってこれない旅に出てしまうのです。  
これからの時代、愛なること、善なることを求め、愛と善に基づいて行動している人にはまさに輝かしい希望の時代の到来です。人類、地球そして宇宙全体の黄金時代の到来だと言っても良いと思います。そしてそれに反対している人には徒労と悲劇的な結末が待っているだけです。  
もうすでに最終地点での世の中の決着はついています。たとえ今のあなたがどんな悪人でも、心改めて愛と善の道に進むことで、希望に満ちた素晴らしい世の中を生きていくことができるのです。すべてはあなたの選択ひとつなのです。どうぞこの混乱の時代の本質を決して間違わないように注意されて、素晴らしい未来を手にしていただきたいと思います。 
 
歴史は繰り返す!米国の株価下落局面を全比較 2015/9 

 

今後の世界経済の動向はやはり米国次第  
中国株ショックから約1カ月が経過し、市場は多少落ち着きを取り戻しつつある。だが、今後の株式市場がどう推移するのか予断を許さない状況が続いており、楽観論と悲観論が入り交じった状態にある。  
今回の株価下落は、中国経済の減速に端を発しているが、世界全体を見渡した場合、経済の牽引役となっているのは米国である。日本の輸出産業の多くが米国市場に依存しているだけでなく、中国向け輸出の一定の割合が、最終製品として米国に再輸出されているからである。最終的な世界経済の動向を決めるのは、中国ではなく米国であり、今後の日本株の動きも、やはり米国株次第ということになる。  
今回の米国株の調整は果たして一時的なものにとどまるのか、過去の米国株の急落とそこからの反転を振り返り、今回の局面との比較を行った。  
世界恐慌前は空前の上昇相場だった  
歴史的に見て、米国の株価は堅調であり、百数十年の間で大暴落といってよい局面は世界恐慌とリーマン・ショックの2つしかない。もう少し規模の小さい下落ということになると、1970年代のスタグフレーションにおける株価下落、87年のブラックマンデー、2000年のITバブル崩壊といった例がある。まずは最大の株価下落であった世界恐慌とリーマン・ショック時の値動きについて検証してみる。  
世界恐慌発生までの15年間、米国は空前の好景気に沸いていた。第1次大戦中は戦争特需が発生し、戦争終結後は生産力が大幅に減少した欧州に代わって、世界最大の工業国としての地位を揺るぎないものとした。貿易赤字に悩む欧州各国を尻目に、製品を大量に輸出し、莫大な額の資本を蓄積していったのである。  
当時の米国企業はM&Aなどで巨大化を進めており、現代につながる合理的な経営手法が次々に導入されていった。複数の自動車メーカーの集合体だったGM(ゼネラルモーターズ)が、名経営者アルフレッド・スローンの手によってフォードを抜き去り、最大の自動車メーカーに成長したのもこの時代である。  
急速に蓄積された資本は、やがて国内の土地や株式に殺到し、米国の株式市場は長期の上昇相場を演じた。1921年に60ドル台だったダウ平均株価は、株価がピークとなる1929年には400ドル近くまで上昇している。  
だが「暗黒の木曜日」を迎えて株価は暴落。1933年にはダウ平均が50ドル台を付けてようやく反転した。株価の下落率は80%以上、株価がピークを付けてから反転するまでには約35カ月を要している。  
当時の米国は世界の工場として生産能力を次々に拡大させていたので、需要がピークを過ぎると結果的に設備過剰の状況に陥った。また株価や不動産価格の上昇で、負債が増加しており、株価下落後はこれが不良債権となった。  
リーマン・ショックは世界恐慌の半分の規模  
一方、リーマン・ショックは世界恐慌とは異なり、経済のファンダメンタルが悪くない状況で発生している。サブプライムと呼ばれる不動産担保ローンが過剰な水準となり、不良債権を大量に生み出したという点では、世界恐慌と似ている。だが最大の違いは、大きな経済失速にはつながらず、金融パニックだけが発生したという点である。  
世界恐慌は、過剰な設備投資を原因とする需給ギャップと金融パニックが同時に発生したため、その影響は極めて大きなものとなった。だがリーマン・ショックは金融パニックのみにとどまっており、不況が長引くことはなかった。ちなみに、今回の中国株下落は、過剰なインフラ投資が原因で発生したものであり、経済危機ということになるが、今のところ金融パニックは発生していない。  
図1は、世界恐慌時とリーマン・ショック時の株価の推移を示したものである。横軸は株価がピークを付けた月を0とした月数を示しており、縦軸はピーク時を100とした株価の相対値を示している。  
   図1 世界恐慌とリーマン・ショックにおける株価急落  
先ほど述べたように、世界恐慌の際には、株価は6分の1近くまで下落し、反転するまでに約35カ月かかっている。これに対してリーマン・ショックは、ピークからの下落が約半分にとどまっており、株価も約16カ月で反転している。世界恐慌と比較して半分の規模で済んでいるのは、経済危機が発生しなかったことと、量的緩和策という新しい経済政策によるところが大きい。  
金融危機だけであれば、中央銀行や政府が無制限に流動性を供給することで、当面のパニックは回避できる。落ち着いて相互の与信を検証していけば、経済全体として処理しなければならない不良債権の額はそれほどの額にはならないからである。  
しかし金融危機と経済危機が同時に発生した場合、短期的にパニックを回避できたとしても、そこから回復するための道筋を付けるのは難しい。不良債権を処理する最大の特効薬は経済成長なのだが、それが見込めないということになると、不良債権の処理は長期化することになる。  
1970年代に発生した比較的大きな株価下落  
中国については、今後、経済危機に陥る可能性があるが、米国経済については、今のところその懸念はない。しかも過剰融資が行われているわけではないので、当然、金融パニックは起きようもない。普通に考えれば、世界恐慌やリーマン・ショックのような事態は発生しないということになる。ただ不思議なことに株価下落のペースはリーマン・ショック時とよく似ている。どのあたりで反転できるのかによって、見方は大きく変わってくるかもしれない。  
では、それ以外の株価急落局面と比較した場合、どう解釈することができるのだろうか。図2は、70年代スタグフレーションの株価下落、ブラックマンデーによる株価下落、ITバブル崩壊による株価下落と今回の下落を比較したものである。図1と同様、横軸はピーク時を0とした月数。縦軸はピークの株価を100とする相対値である。  
   図2 ブラックマンデー、ITバブル崩壊などにおける株価急落  
1970年代の米国は低成長とインフレに悩まされており、この時、初めてスタグフレーションという言葉が使われた。米国がスタグフレーションに陥ったきっかけは、ベトナム戦争による財政危機、製造業の競争力低下、そしてオイルショックによる石油価格の上昇である。  
60年代までは圧倒的な競争力を誇っていた米国の製造業だが、70年代に入ると日本メーカーの追い上げなどによって、次第に国際競争力を失っていく。それに伴って米国経済の成長も鈍化が著しくなってきた。ベトナム戦争の泥沼化で財政危機が表面化し、ニクソン政権はドルと金の兌換を停止してしまう。いわゆるニクソン・ショックである。  
ドルの減価に加え、オイルショックによる原油価格の高騰がインフレに拍車をかけた。1970年から1980年の10年間に米国の消費者物価は約2倍に上昇している。年率に換算すると7.5%だが、同じ期間における名目GDPの成長率は約10%となっている。実質GDP成長率は平均3.1%であり、今の感覚からするとそれほど悪い数字ではない。だが高度成長が続いていた米国にとって、これは大きな試練となった。  
今でも原因がよく分からないブラックマンデー  
1970年に800ドル前後だったダウ平均株価はインフレを反映して一時1000ドルを突破するが、今度はインフレによる企業業績への影響が懸念され、株価は下落に転じてしまう。600ドル程度まで下落が続き、ようやく株価は反転している。株価の下落率は40%、株価反転までの期間は約25カ月である。  
70年代の株価下落は、スタグフレーションというマクロ的な要因だが、2000年のITバブル崩壊は、産業セクターに対する過剰期待が消滅するというミクロ的な要因で発生している。だが株価の下落パターンには大きな違いは見られない。1999年の年末には1万1500ドルだったダウ平均株価は、ここをピークに下落に転じ、2002年9月には7000ドル近くまで下がってようやく反転した。株価の下落率は35%、反転までの期間は35カ月である。  
ではブラックマンデーはどうだろうか。80年代初頭、高金利政策でインフレの抑制に成功した米国経済は、レーガン大統領による規制緩和策の進展で基本的には好調に推移していた(レーガノミクス)。双子の赤字(貿易赤字と財政赤字)が問題視されていたが、経済危機が発生する状況ではなかった。85年にはプラザ合意によってドル安が進んだが、米国の輸出企業にとっては恩恵となったはずである。  
結局のところ、なぜブラックマンデーが発生したのか、いまだに分からずじまいだ。一説には、金融工学の発達でデリバティブ市場が急成長し、これが市場の混乱をもたらしたという話があるが、明確な証拠があるわけではない。2700ドルを突破していたダウ平均株価は2カ月で1700ドル近くまで下落したが、その後、株価は回復し、90年代のインフレなき経済成長という絶頂期を迎えることになる。ブラックマンデーにおける株価の下落率は約35%、反転までの期間は3カ月だが、これは例外的な出来事と考えてよいだろう。  
最悪シナリオはダウ1万2000ドル  
以上をまとめると、世界恐慌とリーマン・ショックといった大規模な下落になると、株価の下落率は50%から80%になり、回復までの期間は最大35カ月を要することになる。一方、そこまでの下落ではない場合には、株価の下落率は35%から40%、回復までの期間は25カ月から35カ月ということになる(ブラックマンデーを除く)。  
ITバブル崩壊はミクロ要因であり、今回の株価下落には当てはまらない。中国の経済危機が、じわじわと米経済を蝕むというリスク・シナリオを考えると、70年代のスタグフレーションにおける値動きがもっとも参考になるかもしれない。  
筆者は基本的に米国経済の先行きについて楽観視しているが、もし、最悪のシナリオを意識するということであれば、ここから先、1〜2年程度は株価が低調に推移する可能性を考えておいた方がよいだろう。ピークから35%程度の下落があると仮定すると、ダウ平均株価は1万2000ドル程度まで値を下げる計算となる。 
 

 


   
出典不明 / 引用を含む文責はすべて当HPにあります。  
 

 

A SHORT HISTORY OF FINANCIAL EUPHORIAA 
「バブルの物語」ジョン・K・ガルブレイス著 ダイヤモンド社 
EUPHORIA = 陶酔的熱狂(かなり不消化な意訳) 
引用を含む文責はすべて当HPにあります。
【陶酔】 うっとりとしてその気分にひたる。うっとりするほど心を奪われる。 
【耽美】 美を最高の価値として美の世界にひたり楽しむ。美にふけり陶酔する。唯美。 
【法悦】 仏法を聞き味わってよろこぶ。法喜。うっとりするような悦び。陶酔。 
【麻酔・麻睡・魔睡・魔酔】 一事に熱中し酔う。惑わせ陶酔させる。 
【浮かれる】 興に乗った状態。 
【燥ぐ】はしゃぐ 浮かれてしゃべりたてる。調子に乗ってさわぐ。浮かれてさわぐ。 
【投機】 偶然の利益・幸運をねらう行為。市価の変動によって生じる差額を利益として得るために行う商取引。相場。 
【一山】 一回の投機、冒険。一つの困難。 
一山当てる (「山」は鉱山の意)万に一つをねらっておおもうけする。投機によってひともうけする。 
一山百文 数多くあって価値の低いもの。二束三文。 
【山】 (鉱脈を探し当てることが投機的な仕事であるところから)思いがけない幸運をあてにする。投機的な仕事。確かな根拠がなく偶然の的中をあてにしてする予想。 
【思わく・思惑】 心の中で考えている事柄。思うところ。こうなるだろうという予想。見込み。相場の変動を予想すること。 
【山師・山仕】 (鉱山の採掘事業がきわめて射倖的、場あたり的であるところから転じて)投機的な事業をして金もうけをたくらむ人。山をはる人。やまこかし。他人を欺いて利益を得ようと図る人。詐欺師。ぺてん師。 
【ユートピア】(原題・Utopia) 社会啓蒙書、トマス=モーア著、1516年刊。ヒスロディという人物が体験した架空の理想国についての見聞を記し、その自由の天地を描くことによって、絶対王制や封建社会から資本主義社会へ移行する混乱期の現実のイギリス社会を批判した。転じて、想像し得る限りでの最上の住みよい世界。完全で理想的な所。理想郷。語源 ギリシャ語ou(ない)+topos(場所)+-ia(名詞語尾)=どこにもない場所 
【ナルシシズム】(narcissism)自己陶酔症。自分自身を愛の対象とする。ギリシア神話のナルキッソスにちなんで、精神分析学でつくり出した概念。 
【ディオニソス】(Dionysos)ギリシア神話の豊穣と酒の神。その祭儀は、神との合一を求める陶酔状態をともなうもので、ギリシア演劇の起源とされる。ローマ神話のバッカス。 
【ディオニソス的】 ニーチェが「悲劇の誕生」のなかで唱えた芸術の類型づけの一つ。アポロ的に対し、動的・激情的・陶酔的・狂熱的などの特色をもつもの。抒情詩・悲劇熱情的な音楽などがこれに属する。 
【サイケデリック】(psychedelic) 幻覚剤によっておこる、幻覚と陶酔の状態に似ているさま。たとえば、そのような状態を再現しようとした、蛍光塗料による縞目がうねうねと描かれた絵画、ポスター、洋服のデザイン、強烈なエレキの音楽、閃光が絶えず多彩に点滅する映像などにいう。サイケ。
  
euphoria 強い幸福[高揚]感 
fever 発熱、熱、高熱、極度の興奮、熱狂、フィーバー 
financial 財務の、財政上の、会計の 
frolic お祭り騒ぎ、陽気な騒ぎ、はしゃぐ、浮かれ騒ぐ 
merry 陽気な、快活な、笑い楽しむ、お祭り気分の、浮かれた 
make merry 浮かれ騒ぐ
 
bubble 泡、あぶく、気泡、シャボン玉。泡のように確実性のないもの。幻想、妄想。いんちき事業[投機]。詐欺。〔証券〕バブル。