死んで花実が咲くものか・ねんねねんねと・坂田山心中・よいそらよいそら・花盛り・今戸心中・百人一首・遊郭・女郎・怨歌・和歌・死のユーモア・死と落語・花華の言葉 ■死んで花実が咲くものか・緒話 |
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■死んで花実が咲くものか |
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生きていればこそ良いこともあるだろうが、死んでは再び良いことに巡り会うことも出来ない。
死んだらお終いだ。 ○ 生きていてこそいい時もあるので、死んでしまえば、万事おしまいである。死んで花実が生(な)るものか。 ○ 死んだら再びよい目にも会えない。死んでしまったらおしまいだ。 ○ 死んで花実が咲くものかとは、どんな状況にあっても、生きていればこそいつかよいこともめぐってくるものだが、死んでしまえばよいことも起こらない。どんなことがあっても生きていなければならないということ。 枯れて死んだ木に花が咲いたり、実がならないことの意味から。死を望む者に対して、むだに命を捨てるものじゃないと言い聞かせる言葉。「花実が咲く」とは、事がうまく運んで良い結果が出るという意味。「死んで花実は咲かぬ」「死んで花実がなるものか」ともいう。 [類義] 命あっての事/命あっての物種/命に過ぎたる宝なし/死ぬ者貧乏/死ねば死に損、生くれば生き得/死んだ者の因果/死んでは一文にもならぬ/死んで骨は光るまい/人の命は万宝の第一 [対義] 一番楽は棺の中/命は鴻毛より軽し/命より名を惜しむ/死ぬほど楽はない [由来] 江戸時代の浄瑠璃に頻出することばです。もともと「花実」は、そのまま「花と実」という意味で『日本書紀』にも載っています。それが江戸時代に入ってから「名誉と利益、栄華」という意味に用いられるようになり、浄瑠璃では、さかんに「花実を咲かせよう(出世しよう)」とか、「このままでは花実も咲かぬ(うだつが上がらない)」とか「死んで花実が咲くものか(死んではなんにもならない)」と言うようになりました。誰かが言い出したというより、民間で自然発生した、ことわざ、慣用句です。 ○ 死んで花実が咲くものかの「花実(はなみ)」は、植物の花と実という意味で、「花実が咲く」は、よい結果を得ること、成功することの例え。そこから「死んで花実が咲くものか」とは、死にたいという人に対して「生きていればなにかいい目にも会える、死んでしまったらこれまでの努力がムダになり、よい目にも会えない」と(いくぶん無責任ではあるものの)生きる希望を与えて死を思いとどまらせようとする感動的なことわざである。「はなみ」は、日本人の一大イベントである「花見」と音が同じなので、「死んで花実が咲くものか」を、「死んだら花見ができない」と勘違いしている人もいるが、ビルの屋上から飛び降りようとしている人に対して、「来年の花見ができなくなるから、よせ」などと思いとどまらせようとするのも、なかなか悪くない説得方法ではある。(CAS) ○ 死んだ木の花が咲いたり、実がなったりすることはない意から。死んでしまっては、どんな場合にも幸せに会えないから、命を捨ててはつまらない。死んでしまったらすべておしまいで、どんなことがあろうと生きていなければいけないということ。類語として、死んで花実がなるものか。死んで骨は光るまい。死ぬ者貧乏、死ねば死に損生くれば生き得。 ○ 生きていればこそ幸せにもなれようが、死んでしまってはすべて終わりではないか。何があろうと生きていなければならないということ。 「死」から始まる言葉死骸(シガイ) / 死灰復然(シカイフクネン) / 死角(シカク) / 死活(シカツ) / 死期 / 死去 / 死刑 / 死語 / 死後硬直 / 死屍(シシ) / 死屍に鞭打つ(シシにむちうつ) / 死屍累累(シシルイルイ) / 死児(シジ) / 死守 / 死所・死処(シショ) / 死傷(シショウ) / 死生(シセイ) / 死生命あり(シセイメイあり) / 死せる孔明、生ける仲達を走らす(シせるコウメイいけるチュウタツをはしらす) / 死線 / 死相 / 死蔵 / 死体 / 死地 / 死中に活を求める / 死出(シで) / 死闘 / 死口(しにくち) / 死装束 / 死に体 / 死に花 / 死に花を咲かす / 死に水 / 死に物狂い / 死人 / 死人に口なし / 死ぬ / 死んだ子の年を数える / 死んで花実が咲くものか / 死馬の骨を買う(シバのほねをかう) / 死物(シブツ) / 死文(シブン) / 死別 / 死没(シボツ) / 死歿(シボツ) / 死命 / 死命を制す / 死滅 / 死霊(シリョウ) / 死力 |
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■死んでの長者より生きての貧乏 死んだ後で金持ちになるよりは、貧乏でも生きている方が幸せだ。 ■死んでも命がありますように どうあっても生き延びたい。死地にあって、生への執着が非常に強い者の願い。 ■死んでも死に切れない 心残りがあって、このままでは死ぬことができない。 ■死に花 死にぎわの名誉。人にたたえられるような立派な死にざま。 死に花が咲く 立派な死に方をして死後に名が残る。 |
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■ねんねねんねと (子守歌) |
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ねんねねんねと 寝る子はかわいい 起きてなく子は つら憎い うちのこの子は 今寝るとこじゃ だれもやかまし 言うてくれな だれもやかまし 言わせんけれど 守(も)りがやかまし 言うて起こす 七つ八つから 奉公(ほうこう)に出して 親の権利(けんり)が どこにあろ 死んでしまいたや この世の中は 死んで花実が 咲くものか 死んで花実が 咲くものならば 八百屋お七は なぜ咲かぬ |
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■坂田山心中 (相州神輿甚句) |
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せぇ〜大磯〜名代〜は 春は花咲く 坂田山 秋は紅葉の その中で 聞いてくだされ 皆様よ 吾郎さんと八重子さんの 物語 東京静岡 その中は 如何にも遠い 仲なれど 汽車の線路じゃ あるまいし 恋と言う字は 墨で書く 例え両親が 許さぬも 二人の心が 清ければ 神や仏が 許すもの 死んで〜花実がェ〜咲くものか |
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「心中」考 | |
■よいそらよいそら (南那珂郡北郷町) |
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よいそらよいそら よいそらよ どうしたお前は 泣く子かえ 隣のおばさん お茶たもれ おばさんこの茶は 新茶か古(と)茶か やらんがらかよ お茶がらか おばさん死にゃっときゃ 七月死にゃれ ほたら灯あかす せみゃ経読む よいそらよいそら よいそらよいよ なんぼそなたが 泣いたとて そなたの母さん この地にゃおらん あの山越えて 海ゅ超えて 二度と帰らぬ おかあさん よいそらよいそら よいそらよ 早くねんねせにゃ 俺が噛むど |
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よいそらよいそら よいそらよ 親も親かや このよなとこにゃ 使いも便りも ないとこにゃ どういう生まれか この年までも ひとりまる寝を せにゃならぬ わしが友達ゃ 家持ち子持ち わたしゃ 流れ船 とこへつく よいそらよいそら よいそらよ |
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わしが死んだときゃ 往還(おかん)端埋(ばたい)きゃれ 通る人ごち 立ちたもれ よいそらよいそら よいそらよ わしが死んだときゃ 往還(おかん)端埋(ばたい)きゃれ 通る人ごち 立ちたもれ よいそらよいそら よいそらよ |
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よいそらよいそら よいそらよ 死んでくれるな 十二や三で 墓に線香も 立てらりょか 死んで花実が 咲きゃせんど 死んで花実が 咲くものなれば お寺処刑場は 花だらけ お山のせみが 鳴くばかり よいそらよいそら よいそらよ |
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よいそらよいそら よいそらよ どうしたあんたは じょきな子か 親はおらぬか 子は泣き死ぬる 親はおれども 極楽へ 二度と母さん 帰らない 親のおらん子は どこでもわかる たもとくわえて 門に立つ よいそらよいそら よいそらよ |
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■花盛り |
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死んで花実が咲くものならば お寺のお庭は花盛り 屍人(しびと)のお墓も花だらけ |
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■今戸心中 (広津柳浪) |
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・・・ 吉里はにやにや笑ッていて、それで笑いきれないようで、目を坐(す)えて、体をふらふらさせて、口から涎(よだれ)を垂(た)らしそうにして、手の甲でたびたび口を拭いている。
「此糸さん、早くおくれッたらよ、盃の一つや半分、私しにくれたッて、何でもありゃアしなかろうよ」 「吉里さん」と、小万は呼びかけ、「お前さんは大層お酒が上ッたようだね」 「上ッたか、下ッたか、何だか、ちッとも、知らないけれども、平右衛門(へいえもん)の台辞(せりふ)じゃアないが、酒でもちッと進(めえ)らずば……。ほほ、ほほ、ほほほほほほほ」 「飲めるのなら、いくらだッて飲んでおくれよ。久しぶりで来ておくれだッたんだから、本統に飲んでおくれ、身体(からだ)にさえ触(さわ)らなきゃ。さア私しがお酌をするよ」 吉里はうつむいて、しばらくは何とも言わなかッた。 「小万さん、私しゃ忘れやアしないよ」と、吉里はしみじみと言ッた。「平田さん……。ね、あの平田さんさ。平田さんが明日|故郷(くに)へ行くッて、その前の晩に兄(にい)、に、に、西宮さんが平田さんを連れて来て下さッたことが……。小万さん、よく私に覚えていられるじゃアないかね。忘れられないだけが不思議なもんさね。ちょうどこの座敷だッたよ、お前さんのこの座敷だッたよ。この座敷さ、あの時ゃ。私が疳癪(かんしゃく)を起して、湯呑みで酒を飲もうとしたら、毒になるから、毒になるからと言ッて、お前さんが止めておくれだッたッけねえ。私しゃ忘れやアしないよ」と、声は沈んで、頭(つむり)はだんだん下ッて来た。 「あの時のお酒が、なぜ毒にならなかッたのかねえ」と、吉里の声はいよいよ沈んで来たが、にわかにおかしそうに笑い出した。「ほほ、ほほほほほ。お酒が毒になッて、お溜(たま)り小法師(こぼし)があるもんか。ねえ此糸さん。じゃア小万さん、久しぶりでお前さんのお酌で……」 吉里は小万に酌をさせて、一息に呑むことは飲んだが、酒が口一杯になッたのを、耐忍(がまん)してやッと飲み込んだ。 「ねえ、小万さん。あの時のお酒が毒になるなら、このお酒だッて毒になるかも知れないよ。なアに、毒になるなら毒になるがいいんさ。死んじまやアそれッきりじゃアないか。名山さんと千鳥さんがあんないやな顔をしておいでだよ。大丈夫だよ、安心してえておくんなさいましだ。死んで花実が咲こかいな、苦しむも恋だって。本統にうまいことを言ッたもんさね。だもの、誰がすき好んで、死ぬ馬鹿があるもんかね。名山さん、千鳥さん、お前さんなんぞに借りてる物なんか、ふんで死ぬような吉里じゃアないからね、安心してえておくんなさいよ。死ねば頓死(とんし)さ。そうなりゃ香奠(こうでん)になるんだね。ほほほほほ。香奠なら生きてるうちのことさ。此糸さん、初紫さん、香奠なら今のうちにおくんなさいよ。ほほ、ほほほほ」 「あ、忘れていたよ。東雲(しののめ)さんとこへちょいと行くんだッけ」と、初緑が坐を立ちながら、「吉里さん、お先きに。花魁、また後で来ますよ」と、早くも小万の室を出た。此糸も立ち、初紫も立ち、千鳥も名山も出て行ッて、ついに小万と吉里と二人になッた。次の間にはお梅が火鉢に炭を加(つ)いている。 「小万さん、西宮さんは今日はおいでなさらないの」と、吉里の調子はにわかに変ッて、仔細があるらしく問い掛けた。 ・・・ |
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■百人一首パロディ |
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■本歌取り
お正月ですから、百人一首を用いたことば遊びを扱うことにします。初めにおわび。元になる百人一首の歌を引用しないと分かりにくいのですが、叙述が繁雑になるのを嫌って、省いたところがあります。ご了承ください。ことば遊びの傾向が強い初期の俳諧に、古歌の一部を取り入れて詠んだ句があります。万治三年(1660)に出た松江重頼編の句集『懐子』は、そういう句を集めているので、この本から百人一首を踏まえる句を引きます。 春過ぎて棗(なつめ)に入れし新茶かな 貞徳 棗は抹茶の入れ物 春過ぎて夏来に芥子(けし)の花見かな 慶友 春過ぎて懐(なつ)きにけらし雀の子 (無記名) 春鋤(す)きて夏着にけらし田植笠 貞伸 以上、「春過ぎて夏来にけらし白妙の衣干すてふ天の香具山」による。 ちぎりきな互(かたみ)に搗きし蓬餅 之政 ちぎりきな筐(かたみ)に袖に小姫瓜 (無記名) 筐は籠(かご) 踊り浴衣互に袖や絞り染 玖也 以上、「契りきな互に袖を絞りつつ末の松山波越さじとは」による。ちなみに、江戸後期の俳人大江丸に、 ちぎりきなかたみに渋き柿二つ (はいかい袋) という有名な句がありますが、すでに上の二句で「契り」を「千切り」にしています。 立ち別れ稲葉に来るな虫送り 重安 虫送りは田畑の害虫を村外に送出す行事 立ち別れ稲葉のやんま返せ野馬 弘永 因幡の住人に 立ち別れ往(い)なせぬ雪や峰に松 貞徳 松海苔や今帰り来む浦の波 茂下 松海苔は海藻の名 以上、「立ち別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かば今帰り来む」による。 夜をこめて立つやは空音酉の年 重長 息をこめて鳥の空音や雲雀笛 定時 雲雀笛はヒバリを捕るのに吹く笛 夜をこめて鴟(とび)の空音や神楽笛 忠由 神楽の笛がトビの鳴き声に似る 以上、「夜をこめて鳥の空音ははかるとも世に逢坂の関は許さじ」による。 三笠山に出でし月かも奈良団扇(うちは) 重方 とっくりを振り酒見れば霰かな 可休 麹が浮いている霰酒は奈良特産 以上、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」による。 今来んと言ひしは雁(かり)の料理かな 一幽 「今来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」の「ばかりに」を「は雁の」と清音に変えた。作者は談林派の総帥の西山宗因。 このたびはぬたに取り和(あ)へよ紅葉鮒 (無記名) 「このたびは幣(ぬさ)も取り敢へず手向山紅葉の錦神のまにまに」のぬさをぬた(酢味噌和え)に、紅葉を紅葉鮒に変えた。作者は編者の重頼〈しげより〉。 芭蕉のまだ独自の風を確立しない貞門風の時代の句にも、 うかれける人や初瀬の山桜 (続山の井) という、「憂かりける人を初瀬の山颪〈おろし〉激しかれとは祈らぬものを」を踏まえた句があります。 古歌の語句を取り入れて歌を詠むことを本歌取りと言います(これまでの俳諧の例も本歌取りです)。一部を取り入れることで古歌の全体を匂わせ、歌の内容を複雑にする技巧です。 契りきなかたみに袖を絞りつつ末の松山波越さじとは ( 約束したね、互いに袖を絞るほど涙を流しながら、末の松山を波が越さないだろうと。) この歌は、 君をおきてあだし心を我が持たば末の松山波も越えなむ (続山の井)(古今集・東歌・一〇九三) あなたを差し置いて浮気心をわたくしがもし持ったら、末の松山を波が越えるというあり得ないことが起こってしまうだろう。 を本歌に取ったものです。本歌では、末の松山を波が越さないとは、浮気心を持たないことになります。それを踏まえて詠んだ「契りきな」は、堅く約束したのに、あなたは…、と心変わりした恋人を恨む歌です。 連歌での本歌取りも歌の場合と同じです。 波越さぬ契りや幾代天の川 宗祇(下草) 「契りきな」の歌を踏まえて、牽牛と織女の永遠の愛を詠んでいます。 俳諧は滑稽を意図するものですから、本歌取りは、本歌を意識させながらできるだけ離れ、懸詞で王朝の雅びを卑俗な庶民生活に転じ、その落差から生ずる笑いをねらいます。 狂歌でも同じことが言えます。近世初期のものを引きます。 今はただ重湯も食べぬとばかりをお目にかかりて言ふよしもがな 重頼(古今夷歌集・恋) 春過ぎて夏来にけらし綿抜きの衣干すてふ汗のかきそめ 喜雲(後撰夷歌集・夏) 百首全部にわたってもじった狂歌も、 あきれたのかれこれ囲碁の友を集め我がだまし手はつひに知れつつを 鈍智てんほう(作者名) を初めとする、寛文九年(1669)刊の『犬百人一首』など、いろいろあります。 享保(1716−36)ころの上方狂歌を代表する油煙斎貞柳にも、『犬百人一首』があり(元文五年刊『狂歌活玉集』所収)があり、天明の江戸狂歌の第一人者である太田南畝にも『狂歌百人一首』(天保十四年刊)があります。 同じ歌を踏まえて双方とも面白そうな例を引きます。 たれをかも知る人にせん死出の山鬼も昔の友ならなくに (貞柳) たれをかも仲人にして高砂の尉(じょう)と姥(うば)とは仲良かるらん (南畝) |
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■小倉付け
雑俳に、百人一首の歌の初五を題として、それに七五を付ける小倉付けというのがあります。元禄十五年(1702)刊の『もみぢ笠』からいくつか例を引きます。 春過ぎて 呼び声涼しさらし売り ( 晒しの布の売り声で感じる初夏のさわやかさ ) ながらへば また来年も鰒(ふぐ)食はん ( もし生きながらえたらまた来年も懲りずにフグを食おう。) 明けぬれば 床離れ憂し忍び逢ひ 明けぬれば 塗り箸休む雑煮餅 ( わたくしの家でも、昭和十年代まで、新年にはふだん使う塗り箸に換えて雑煮用の白木の太箸を使っていました。) 秋の田の 案山子(かがし)にょっきり寝ずの番 大江山 鬼の手鞠か丹波栗 ( 丹波国の大江山は鬼の住むところ、栗は丹波の名産。) 長からむ 髪をいとしや若比丘尼 もろともに 胸がどきつく新枕 今はただ 人がらよりは稼ぎがら ( 世知辛い今は、人柄よりもどれだけ稼げるかが人の評価の第一条件。) 後には、中七に歌の一句を入れるもの(区別するため小倉中付けとも言う)も行われました。 子に離れ わきて流るる 乳(ち)の涙 (合鏡・寛延二年) たたかずは 関は許さじ 金剛杖 (和歌夷・宝暦三年) ( 安宅の関で弁慶が義経を金剛杖でたたいたので関守の富樫が許した故事。) 軒下に つれなく見えし 雨宿り(春漲江・宝暦四年) 酔ひ醒めて つれなく見えし 花戻り 白山の 峰より落つる 雷の鳥 (雲鼓三十回忌集・宝暦五年) ( 富山県白山のライチョウ ) 撞く鐘の 峰より落つる 比叡颪(ひえおろし) 人々の 恋ぞ積もりて 建つ廓(くるわ) 小倉付けが本歌取りと違うところは、五文字あるいは七文字を取り入れるだけで済んでいることです。本歌取りでは、「春過ぎて」とあるだけでは、本歌取りなのかどうか分かりません。ところが、初めから小倉付けと規定してあれば、作者も読者も「春過ぎて」だけで元の歌の全体を思い浮かべることができますから、それだけ元の歌から離れられます。しかし、離れ過ぎると元の歌をどこまでパロディにしたかというおもしろさは薄れます。小倉付けの場合はパロディではなく、単なる題と考えるのだと良いのかもしれません。 かつて友人のM君が屁を主題にして小倉付けで百句全部を作ったことがあります。傑作が埋もれてしまうのは惜しいので、一部を紹介します。 天の原尻上にして宇宙船 ちはや振るわけは竜田の屁の臭さ ( 落語を踏まえています ) 吹くからに草木萎るる邪悪の屁 恋すてふ我が名立ちしはひらぬせゐ 八重むぐら茂れる宿の孤独の屁 かぐとだに蚤虱死ぬ衛生屁 春の夜の屁の夢覚めて糞も漏れ ほととぎす血を流しつつ痔の屁かな 村雨の露ともなふは下痢近し きりぎりすこれは屁をひる虫でなし |
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■珍解釈
天明七年(1787)正月に、江戸の書店から『百人一首和歌始衣抄(はついしょう)』という本が出版されました。著者は山東京伝。内容は、古典文学の注釈書の形式をとって、百人一首の歌十八首に珍解釈を施したものです。十八首は、珍解釈を付けやすいものを選んだようです。一例を引きます。 ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは 在原業平 この歌はあまねく人の知るところなれども、その過ちを正し、口伝を記す。 ちはやふる / ちはやといふ女郎ありけるが、ある角力取、その女郎をあげて遊びけるに、この女郎、よく客を振る癖ありて、かの角力取を、その夜さんざんに振りける。 神代もきかず / かの角力取はちはやに振られて、寂しく独り寝してゐるゆゑ、妹女郎の神代といふを口説いてみたれど、神代も聞き入れぬなり。 竜田川 / かの角力取の名を竜田川といふ。その後、角力取をやめ、豆腐屋を始め、渡世をいたしける。 からくれなゐに / ちはやはあまりに客を振り振りして、年明け(契約期限の終わり)の時分も、世話にならうといふ客もなく、…今はその日を暮らしかね、朝夕の食事にも糅飯(かてめし。雑穀まじりの飯)を食ふやうなことにて、竜田川が内とも知らず、かの豆腐屋へ豆腐の殻を貰ひに行きしが、竜田川は昔の意趣があるゆゑ、殻をくれぬなり。その心をからくれないとは詠めり。 水くくる / ちはやは、所詮餓(かつ)ゑて死なんよりは、いっそ身を投げんと、烏川へ身を投げける。その心を水くぐると詠めり。 とは / とはとは、ちはやが幼名(をさなな)なり。 (関係ないことをいろいろこじつけた珍妙な作者系図と頭注が付いていますが、省略しました。) お読みになれば分かるように、落語「千早ふる」の原話です。もっともこれは京伝の独創ではありません。京伝自らが初めに、「この歌はあまねく人の知るところなれども…」と記しているとおり、先行文献によっています(以下はなるべく要約して記します)。 安永五年(1776)に出た笑話集『鳥の町』の「講釈」という笑話は、京伝のものとほとんど同じです。ただしこの「ちはやふる」の話だけです。 安永四年に出た翆幹子という著者の『百人一首虚(うそ)講釈』は、百人一首を最初から十八首目まで扱っています。巻末の広告には、五篇までに百首全部を扱うと記してありますが、二篇以下は出なかったようです。 この本では、「ちはやふる」は、次のような話になっています。業平が関東に下り、吉原の遊郭へ通って遊女のちはやに会うが、ちはやは初会から振って一度も会わない。太鼓持の紙屋与兵衛に頼んで間を取り持たせるが応じない。業平は、水に紅葉を散らして竜田川と染めた暖簾を掛けた豆腐屋になり繁盛する。ちはやは契約期限が終わったが、だれも引き取ってくれず、乞食になる。ある時、竜田川の豆腐屋へ来て、きらず(豆腐のから)を所望するが、亭主の業平は怒ってくれない。ちはやは赤面して近くの大川橋で身を投げる。 『されば、いにしへ、ちはやが振りたることを「ちはやふる」と詠みたまひ、「かみよもきかず」とは、紙屋与兵衛を頼み口説かせても聞かざりしかば、紙与も聞かずとなり。「竜田川」は今業平の家名ゆゑ。「からくれなゐ」は、我おかべ(豆腐)のからを遣わさぬゆゑ、からくれないといふ心。「水くぐる」は、身を投げしといふ心。「とは」とは、つはやが幼名ゆゑかく詠みたまふとなり。』とまとめています。 比べると『虚講釈』のほうは、文も長いし話もくだくだしい。『鳥の町』では枝葉を刈り込み、『始衣抄』では注釈書のパロディというスマートな形にしたのです。 ちなみに、今日では注釈書でもカルタでも「ちはやぶる…水くくるとは」となっていますが、江戸時代には「ちはやふる…水くぐるとは」と読んでいました。だからこの珍解が成立するのです。 『虚講釈』『始衣抄』の両方に出ている歌を、もう一つ見ましょう。 筑波根の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて渕となりぬる 陽成院 [虚講釈] みなの川という力士が、大関になるところを筑波根岑右衛門(みねえもん)という力士に負けたので昇進できず、それを悔やんで病気になり、医師から鯉を食うように言われ、毎日用いたので、魚屋に借金ができ、快癒した後も借金の渕にはまって嘆いたことを詠んだもの。筑波根岑右衛門のために落とされたから「筑波根の岑(右衛門を略した)より落つるみなの川」、鯉のためにできた借金の渕を略して、「鯉ぞ積もりて渕となりぬる」。 [始衣抄] 武蔵国葛西郡の孫右衛門という百姓に二人の娘があった。 つくはねの / 正月に姉妹が羽子をついて遊んだ。 峰よりおつる / 姉の峰より妹のおつるが美しかった。 みなの川 / 葛西とはみな野と川ばかり。峰がつく羽子は川へ落ち、おつるの羽子は野へ落ちた。峰は裾をからげて川へ落ちた羽子を取ったが、おつるは配慮して取らない。通りかかった地頭が、おつるの気性をほめ、妾にする。 こいぞつもりて / 孫右衛門は家中の肥(江戸訛りでコイ)を取ることになり、葛西中の百姓に売って大金持ちになる。 ふちとなりぬる / おつるはお世継ぎを宿したので、御祝儀として孫右衛門は五十人扶持を与えられた。 平戸藩主の松浦静山の随筆『甲子夜話』(続三六)に載っている笑話は、また違っています。田舎の和歌を講ずる者の解釈では、つく羽根は日光山から出る木の実、それが木から落ちてみなの川に流れると、鯉も多く浮かび出て、つく羽根も鯉も多いので、川も斑(ぶち)になって見える、というのです。 『陽成院』という落語は今日あまり演じませんが、以前は「千早ふる」の前段として語ることがありました。力士の筑波根がみなの川を山のかなたに投げ飛ばし、見物があげた声(江戸訛りでコイ)が天皇の耳に入り、筑波根は扶持を賜った、最後の「ぬる」は、扶持をもらった筑波根が買ってきたおしろいを妻や娘が塗ったのだ、というのです。下の句を、美男の筑波根は多くの女性から恋され、有名になって大名から扶持を受けるようになった、とすることもあります。力士の話であることは『虚講釈』のものと、渕を扶持とすることは『始衣抄』のものと同じです。業平の歌とは違って、解釈が固定しなかったようです。 |
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■遊郭 |
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先に引いた貞柳の『犬百人一首』の中に、遊郭を詠んだものがあります。
振られつつひとり寝る夜の明くる間はいかに久しき島原の門 夕されば門立ちをいさ三筋町内の妹(いも)には秋風ぞ吹く 貞柳は京都の人ですから、京都の遊郭である島原(三筋町は島原の異称)を詠んでいます。 江戸での最初の狂歌選集である天明三年(1783)刊の『万載狂歌集』にも、 そしてまたお前いつ来なさるの尻暁ばかり憂きものはなし 平秩東作 (「来なさる−猿の尻赤−暁」と続けた) という狂歌があります。 川柳にも百人一首を踏まえて遊郭のことを詠んだものがあります。 吉原は紅葉踏み分け行く所 (柳多留・七) 途中の正灯寺は紅葉の名所 もてぬやつつれなく見えし別れなり (同・一八) もてぬ夜はなほ恨めしき朝ぼらけ (同・三一) いかに久しきものと知る上草履 (同・四四) 上草履を鳴らして来る遊女を待つ客 揚げ干しは傾くまでの月を見る (柳多留拾遺・四) 揚げ干しは遊女と約束した客が来ないこと こちらは、江戸吉原の遊郭です。 宝暦七年(1757)に『異素六帖』という本が出ました。著者は漢学者で書家の沢田東江。書名は中国の『義楚六帖』のもじり、「異素」は素(しろ)を異にするので色、色の道についての本ということです。 内容は、『百人一首』と『唐詩選』の文句を、江戸吉原の遊郭にちなむ題に引き合わせたもの、『唐詩選』のほうには、こじつけの説明が付いています。 分かりやすそうなものの百人一首のほうだけを引くことにします。 女郎の夜着の内 けふ九重に匂ひぬるかな 年明き(契約期限)の近い女郎 いかに久しきものとかはしる はやる女郎 人こそ知らね乾く間もなし 心中したる女郎 名こそ流れてなほ聞こえけれ 心中をいやがる女郎 人の命の惜しくもあるかな (金の)工面のできぬ女郎 ものや思ふと人の問ふまで 売られて来る女郎 憂しと見し世ぞ今は恋しき 親のために勤めする女郎 憂きに堪へぬは涙なりけり お茶挽き(客を取れなかった)女郎 ながながし夜を一人かも寝ん 振られし客 傾くまでの月を見しかな 旅へ立つ客 今ひとたびの会ふこともがな 早く帰らねばならぬ客 暁ばかり憂きものはなし 夜道を恐がる客 有明の月を待ち出でつるかな 勤めの身は 知るも知らぬも逢坂の関 おもしろく会ふ夜 なほ恨めしき朝ぼらけかな |
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■女郎 |
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寛政三年(1791)刊の山東京伝の洒落本(遊郭を舞台とする小説)『錦之裏』に、客と遊女が会話をしているところへ、隣室で新造(若い遊女)たちが歌カルタを取る声が聞こえてくるところがあります。
(遊女)人目があるから人並みに笑ひ顔もしてゐんすが、お前さんのことを思ひ出しんすと、いっそ死にたくなりいす。 心にもあらで憂き世に永らへば恋しかるべき夜半の月かな あらざらむこの世の外の思ひ出でに (客)今ひとたびの勘当の詫びも済み、この二階へも晴れて来て、会はるるやうになりたいものぢゃ。 (遊女)ホンニ毎晩会はれんした時は、たくさんさうに(粗末に)思ひしたが、日ごろはこのやうなはかないことさへ、たいていの心遣ひぢゃおざんせん。 (客)さうさなう。 憂しと見し世ぞ今は恋しき 君がため惜しからざりし命さへ (遊女)思ひ直して、たまさかにお目にかかりいすを楽しみに永らへてをりんす。 (客)ハテ、死んで花実が、 (遊女)咲きもしんすめえ。 (客)命あっての物種サ。 長くもがなと思ひけるかな (遊女)とは思ひすが、まだまるで(遊女としての拘束期限が)八年といふ年(ねん)なれば。 いかに久しきものとかは知る (遊女)もしそれまでに、ひょっとマア。 忘らるる身をば思はず誓ひてし (遊女)それを思ふと、しんに悲しくなりんす。 (客)ハテ、たとへこの上どのやうに。 身をつくしても会はむとぞ思ふ (遊女)そりゃほんでおざんすかえ。 (客)これさ、声が。 高師の浜のあだ波は掛けじや袖の濡れもこそすれ 会話と歌カルタとを融合させて心情を描いているので、ことば遊びではありませんが、この百人一首の使い方は、『異素六帖』を受け継ぐものと言えましょう。 |
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■怨歌 / 王昭君 |
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王昭君は烏孫公主同様、漢の政略結婚によって匈奴の王に嫁がされた薄幸の女性である。運命の過酷さから、中国人の間ではもとより、日本人にとっても同情の対象となってきた。古来能をはじめさまざまな分野でとりあげられてきたことからも、その同情の深さが察せられる。
王昭君は烏孫公主より一世代後、元帝の時代に生きた。父によって皇帝の後宮に捧げだされたが、その寵愛を得ることはなかった。 漢が匈奴との親睦のために、女性を妃として差し出すことになったとき、後宮から誰を送るのが相応しいか選考が行われた。この際、皇室は一番醜い女を選ぶつもりだといううわさが流れた。匈奴に行かされることを恐れた後宮の女性たちはみな、絵師に賄賂を送って自分を美しく描いてもらったが、王昭君のみは家貧しくして賄賂を贈ることができなかったため、醜く描かれてしまった。 いざ、昭君が匈奴に向かって送り出されようというとき、元帝は昭君をはじめてみてその美しさに感嘆し、深く悔いたといわれる。だがもとより後の祭で、昭君は泣く泣く匈奴に嫁いだのである。 これが王昭君にまつわる伝説の前半である。 後半では、老いた匈奴の単于が死に、王昭君は匈奴の風習に従って息子の嫁にさせられる。烏孫公主も同様の目にあってはいたが、何せ漢の風習からすれば人倫に違うこと甚だしいことである。王昭君は深い嘆きとともに恥の感情にもさいなまれたのであった。 そんな王昭君の恥と怨みの情を述べた詩が残されている。「昭君怨歌」と題されるものである。 昭君怨歌 秋木萋萋 秋木 萋萋として 其葉萎黄 其の葉萎黄す 有鳥處山 鳥あり 山におり 集于苞桑 苞桑に集ふ 養育毛秩@ 毛窒養育して 形容生光 形容 光を生ず 既得升雲 既に雲に升るを得て 上遊曲房 上のかた曲房に遊ぶ 秋の間葉が茂っていた木も、すっかり色あせて落ちようとしています、山にいる鳥は桑の根本に巣をつくり、羽を養いながら成長して立派な鳥に育ちます、わたくしもそのようにして成長し、雲の上に舞い上がり、天子様の宮殿に仕える身とはなったのでした、(萋萋:草木の茂るさま、曲房:曲線を描いて作られた宮殿) 離宮絶曠 離宮 絶だ曠くして 身體摧藏 身體 摧藏し 志念抑沈 志念 抑沈して 不得頡頏 頡頏するを得ず 雖得委食 委食を得ると雖も 心有徊徨 心に徊徨するあり 我獨伊何 我獨り伊れ何ぞ 來往變常 來往 常を變ず でも離宮は広すぎて、私は天子様の目にはとまりません、身も思いもふさぎ込んで、自由に飛び回ることができず、養ってはいただきましたが、心はゆれるばかりでした、そんな折にどうしたことでしょう、新たな生き方を選んで匈奴に嫁ぐことを決心してしまったのでした、(頡頏:頡は上にまい飛ぶこと、頏は飛び下ること、) 翩翩之燕 翩翩たる燕 遠集西羌 遠く西羌に集ふ 高山峨峨 高山 峨峨たり 河水泱泱 河水 泱泱たり 父兮母兮 父や 母や 道里悠長 道里 悠長たり 嗚呼哀哉 嗚呼 哀しいかな 憂心惻傷 憂心 惻傷す 翩翩たる燕のように、わたしはこうして西の方羌の地にやってきました、故郷との間には高山が聳えはだかり、河水が横たわっています、お父様、お母様、道の隔たることがあまりに遠いので、私は悲しみのあまりに、胸の破れる思いがいたします。 なお、能は「昭君」と題して、今でも各流派において時折演ぜられている。もともと金春流の古い能であったものを、世阿弥が前後二段の複式夢幻能に仕立て直したとされる。昭君が嫁ぐときに実家の庭に植えておいた木が枯れるのを見て、両親は娘の死を予感する。そして嘆き悲しむ両親のもとに昭君の亡霊が現れて慰めるという設定になっている。能の作者はおそらく、この詩から直接のインスピレーションを得て、そのような筋書きを立てたのだとも思われるのである。 |
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■和歌 |
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花になくうぐひす水にすむかはづのこゑをきけば いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける 紀貫之 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける 紀貫之 こえぬ間は 吉野の山のさくら花 人ずてにのみ ききわたるかな 紀貫之 ■ 色見えでうつろうものは世の中の 人の心の花ぞありける 古今和歌集 難波津に咲くやこの花冬ごもり 今は春べと咲くやこの花 古今和歌集 沙羅双樹之花之色、盛者必衰之理を顕す 平家物語 花は盛りに月は隈なきをのみ見るものかは 徒然草 吉野山陵ちかくなりぬらん ちりゆく花もうちしめりたる 昭憲皇太后 花は桜木人は武士 柱は檜魚は鯛 小袖はもみぢ花はみよしの 仮名手本忠臣蔵 女郎花咲きたる野辺を行きめぐり 君を思い出徘徊(たもとほ)り来ぬ 大伴池主 高円の野辺の容花おもかげに 見えつつ妹は忘れかねつも 大伴家持 こち吹かば想いおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ 菅原道真 永らへばまたこの頃やしのばれむ 憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき 藤原清輔 新古今集 君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな 藤原義孝 後拾遺集 ■ たぐひなき花のすがたを女郎花 池の鏡にうつしてぞ見る 西行 春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり 西行 よしの山こぞのしをりの道かへて まだ見ぬかたの花をたづねん 西行 願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 西行 吉野山こずえの花を見し日より 心は身にもそはずなりにき 西行 吉野山雲と見えつる花なれば 散るも雪にはまがふなりけり 西行 浮世には留め置おかじと春風の 散らすは花を惜しむなりけり 西行 仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば 西行 ■ 見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮 藤原定家 花の色はうつりにけりないたづらに わが身よにふるながめせしまに 小野小町 心當てに折らばや折らむ初霜の おきまどはせる白菊の花 凡河内躬恒 久方の光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則 みよしのの山辺に咲けるさくら花 雪かとのぞみあやまたれける 紀友則 いにしへの奈良の都の八重櫻 けふ九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔 もろともにあはれと思へ山櫻 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣 花にねてよしのや吉野の吉水の 枕の下に石走る音 後醍醐天皇 吉野山梢の花の色々に おどろかれぬる雪のあけぼの 秀吉 咲く花をちらさじと思うみ吉野は 心あるべき春の山嵐 徳川家康 花咲くと心にかけず吉野山 またこむ春を 思いやるにも 前田利家 夏の日はなつかしきかなこころよく 梔子の花汗もちてちる 北原白秋 ■ まだ咲かぬ 花のあかりや 蔵王堂 芭蕉 古寺に 誰が植え捨てし 花一本 芭蕉 花ざかり 山は日比の 朝ぼらけ 芭蕉 日に花に 暮れて淋しや 明日檜 芭蕉 妹が垣根 三味線草の 花咲きぬ 蕪村 花いばら 故郷の路に 似たるかな 蕪村 夕風や 白薔薇の花 みな動く 子規 孤独地蔵 花ちりぬるを 手に受けず 川上三太郎 よき友は 心の花の 添え木かな 高田好胤 そのくせに 花はくれない 人は武士 古川柳 人の行く 裏に道あり 花の山 (株式投資格言) |
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■死のユーモア |
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■大山詣り
江戸の衆、18人が大山詣りに行った。「道中で酒を飲んで暴れたりした者は坊主にしてしまう」という約束が決められた。約束どおり山の方は大変おとなしくすみましたが、帰りの神奈川宿で熊公が酔っぱらって大暴れ。そこで熊公が2階でいびきをかいて寝ている間に、皆して坊主にしてしまった。翌朝、一行はまだ眠っている熊を置いて出発した。目をさました熊は気がつくと自分が丸坊主になっている。驚いた彼は、他の者たちよりも先に籠に乗って江戸に帰り着いた。そして一同のおかみさんを集めて言った。「われわれ一行は帰りに船に乗ったが、ひっくり帰り、全員溺れて死んだ。自分だけ助かったので、皆の菩堤を弔うために坊主になった」と自分の坊主頭を皆に見せた。おかみさんたちは大いに鷲き悲しんで、同じ様に全員が坊主になった。そこに一行が帰ってきて、皆怒り出す。すると一人の老人が、「こんなめでたいことはない」といった。「なにがめでてえんだ」「お山は晴天で、うちに帰えりやみんな、お毛が(怪我)なくておめでたい」 ■ラクダ 「ラクダ」というあだなの男の所に、兄弟分が訪ねてくると、ラクダは、昨夜食べたふぐにあたって死んでいた。そこへ質屋が通りかかったので、彼は弔いの費用を作るために、屑屋を呼んで家にあるものを買えという。屑屋は買うものがないので「心ばかり」といっていくらか差し出す。続いて月番のところに言って、香典を集めてこいといわれ、やむなく月番のところに行く。月番は、「いやなラクダが死んだから、赤飯を炊くと思って香典を出してくれと頼んでみよう」という。次に、「大家のところに行き、お通夜の真似くらいしてやりたいから、酒と煮しめを持ってくるように言え。くれなかったらラクダの死骸をお届けして、死人にカンカン踊りを踊らせると言え」と言いつけられる。屑屋は仕方なく大家に伝えると、大家は家貸も入れない者に、酒や煮しめが出せるかと言って断わる。そこでラクダの兄弟分は、屑星に死骸を背負わせて大家の家に乗り込み、いやがる屑屋にカンカン踊りを歌わせる。びっくりした大家は酒と肴を約束する。香典、酒が届いたのでラクダの兄弟分は、屑屋に酒を飲ませる。酒がまわった屑屋は、剃刀でラクダの髪を剃り、樽に死骸を納めて焼場までかついで行く。途中で転んだとき、樽の底が抜けたのも知らず焼場に着いて気づき、拾いに戻る。ちょうどそのあたりで酔っ払って寝ていた坊主を詰め込んでくる。坊主は目を覚まし、「ここは一体どこだ」「火屋だ」「ああ冷酒(ひや)でもいいからもう一杯」 ■お見立て おいらんの喜瀬川の所によく通った田舎の金持ちの杢兵衛が久し振りにやって来た。しかし喜瀬川は、若い衆の喜助に、「あいつは虫が好かないから病気だといって断わってくれ」という。杢兵衛は、「わしが長く顔を見せなかったから病気になったんだろう。わしの顔を見れば治るだろうから案内しろ」というので、喜助がその旨を伝えると、喜瀬川は「死んでしまった」と言えという。鷲き悲しんだ杢兵衛は、喜助に墓へ案内しろという。やむなく喜助は、杢兵衛を連れて山谷の寺に行く。適当な寺に入り、何回も間違った墓に案内する。そこで杢兵衛は怒り、「どれが本当の喜瀬川の墓だ」「ずらり並んでおりますので、どうぞよろしいのをお見立て願います」 ■3年目? 大恋愛のすえ結婚したが、亭主の熱心ある看護の甲斐もなく女房は死んでしまった。死ぬ前に亭主が、「もし私が後妻を持つようなことがあったら、婚礼の晩に幽霊になって出ておいて。そうすれば、どうしても私は独身で暮らさなきやならなくなる」と約束する。泣く泣く野辺の送りをすませ、中陰もすみ、百ケ日たたないうちに、親戚のものから再婚をすすめられる。はじめは断わっていたが、とうとう後妻をむかえることになる。婚礼の晩に幽霊が出るはずだったが、ついに出なかった。そのうちに子供も生れ、三局忌の法事をつとめることになった。その晩、八つの鐘がなる頃先妻が幽霊になってあらわれた。黒髪をおどろに乱し、恨めしそうに枕元に座って恨みごとを言う。「なぜもっと早く出ない」「私が死んだとき、ご親戚で坊さんにしたでしょう」「そりや、親戚中集まって、一剃刀ずつ当てて、お前を棺に納めた」「坊さんでは愛想をつかされるから、毛の伸びるまで待ってました」 ■反魂香(はんごうこう) 同じ長屋に住む浪人が毎晩カンカンと鉦をたたく。熊さんはうるさくて寝られない。文句を言って行くと、「拙者は鳥取の藩士で島田重三郎と申すもの。先頃仙台侯に三股川でお手打になった吉原の高尾大夫と二世の契りを交わした者でござる。今、高尾の菩堤のために、鉦を叩き南無阿弥陀仏と回向をいたしておる次第。鉦を叩き、高尾と取り交わした反魂香を火中にくべると、煙のなかからあらわれる」という。熊さんが、やってみろというので、重三郎が実演する。すると全盛時代の高尾大夫があらわれる。「お前は島田、重三さん…取り交わせし反魂香…」熊さんは心から感心する。そして自分も3年前に女房と死に別れ、やもめ暮らしをしているので、どうかその反魂香を少しほしいと頼んだが、重三郎は断わった。やむなく熊さんは薬屋へ香を買いに行ったが、香の名前を忘れた。間違えて反魂丹をくべたが、なかなか女房のお梅が出てこない。そこで火鉢へごっそりとくべて、煙にむせていると戸をたたいて何か言う女の声がする。「そちや女房のお梅じゃないか」「あたしや隣のお竹だよ。きな臭いが火事じやないかい」 ■片棒 赤西屋けち兵衛は一代で金を儲け、もう先が見えてきたので、3人の息子のうち誰に財産を譲ろうかと考えた。そこで、「わしが死んだらどんな葬式にしてくれるか」と3人に尋ねた。すると長男は、「お通夜を二晩行い、仮葬、本葬と豪華な葬式をしたい」という。次男は、「葬式の当日に未曾有の儀式をしたい」という。けち兵衛は二人の意見にあきれかえり、三男に聞く。三男は兄二人と違い、このうえなく質素にやりたいという。「会葬者に菓子などを出すのは無駄だから、葬式は発表した時間より2時間前に出してしまう。棺桶も葬儀屋に頼むとお金がかかるし、新しいのを焼いてしまうのももったいないから、物置にある漬物の樽を使おうと思う。人夫を頼むとお金がかかるから、片棒は私がかついで参りますが、あとの片棒に困ってるのです」というと、「なに、心配しなさんな、おれが出てかつぐ」 ■位牌屋 ずいぶんとけちな人物がいたものである。番頭が、「旦那さま、まことにおめでとうございます」と子供さんの誕生を祝うと、子供ができると金がかかるからめでたくないという。八百屋が菜を売りに来ると、むしろに菜を全部あけさして、からかったあげく買わない。怒った八百屋が行ってしまたあとで、むしろにこばれている菜を拾う。次に芋屋が来ると、「いい芋だ。むかし琉球人が薩摩さまに献上した芋はこういうものだろうなあ、形がいい、これをまけとけ」などと言って芋をたくさん取ってしまう。ある日定吉に「今手が空いているから、仏師屋に行って、注文してある位牌を取ってこい」という。そこで定吉は仏師屋に行き、且那の会話をまねて言う。「いい位牌だ、むかし琉球人が薩摩さまに献上したという位牌はこういうのだろうなあ、一つまけときなさい」といって、出来損ないの小さな子供の位牌を余分にもらって帰ってくる。「馬鹿、何だ、もらうにこと欠いて、子供の位牌なんぞなんにするんだ」「ゆうべ生れた赤ちやんのになさいまし」 ■死ぬなら今 あるけちな金持が息子を呼んで、「私は一代でこの身代をこしらえたが、ずいぶん人様に迷惑をかけたしひどいこともした。多分地獄に行くことになるので、私が死んだら頭陀袋に小判を3百両入れてもらいたい。地獄の沙汰も金次第というから、お金の威光で極楽へ行けるかもしれない」といい、息子の返事を聞いてそのまま死んでしまった。親の遺言通り3百両入れようとすると、親戚の者が、「天下のご通用金を土葬にしてしまうのはもったいない」といい、芝居に使う小道具を扱う店に行って小判を3百両分買ってきて、これを頭陀袋に入れた。それとも知らない且那さまはあの世に行くと、まず閻魔の庁に呼び出された。罪業の数々が鏡に映る。当然、地獄に行かされそうになる。そこで小判を百両だけ閻魔の懐に入れた。閻魔はそれで極楽にまわそうとしたが、周囲の牛頭馬頭や冥官たちがおさまらないので、そちらにも小判をまきちらし、うまく極楽に行ってしまった。地獄の閻魔大王以下みな大金をつかんだので遊びに行ってしまう。そのうちにこの小判が極楽にまわってきて、偽物であることがわかる。そこで閻魔大王以下地獄の一同は、残らず牢屋に入れられてしまった。地獄には誰もいないので…死ぬなら今。 ■無常は碁の生き死に ある所に碁の好きな友二人、昼夜を打ち続けているうちに、両人ともやつれ果て、とうとう冥土に旅立ってしまった。閻魔王が現われて、「お前ら裟婆にても後世のいとなみもせず、朝暮碁に熱中した罪、五逆にもまさっておる。地獄行きに価する」といえば一人が答えて、「私は碁にて生死の無常を観じました」「それは何と観じた」「電光朝露石の火と観じました」という。さてもう一人は、「私は世の中を『手見せ禁』(碁用語)と観じました」といえば、閻魔王、「これ罪人至極なり。沙婆の業にまかせて、八大地獄の石積めにせよ」といい、まず、一人を召し出し、「汝ばかりにも無常を観じたれば極楽へつかわす」といえば、かの者答えて、「願わくは一つ地獄にまいりたい」「それはどうしたわけだ」「沙婆から勝負がつきませんので、もう一番打ちたい」 ■涙にぬるむ酒の燗 左衛門という男、浮世を酒に暮して楽しんでいたが、ついに病気になってしまった。末期にのぞんで息子に遺言して言う。「わしがこの病いで死ぬことは一生の本望なり。しかれば酒桶を棺にし、酒の粕でよくよくつめ、花水には酒を手向けてくれ。またかねて読んだ辞世の句があるが、そのように葬ってくれ」という。 われ死なば酒屋の蔵の桶の下破れてしずくの漏りやせんもし これを最後の言葉として死んだ。それから七七目の追善を営み、人々を集め、故人の好物なり酒を呑んでいると、にわかに涙ぐみはじめた。人々これをみて、悲しみはもっともなれど、故人もよいお歳であったと慰める。息子それに答えて、「おやじ末期の遺言に『そちが酒を飲むときはわれに会うと思え。われの魂は酒じゃ』といわれた。ご存知のとおりおやじははっきりした人であったが、どうしたこと只今飲んだおやじの燗が、どんなふうになったかと考えると、あの世のことが思いに上がって悲しゅうござる」 ■葬礼を奉行と見る 葬礼の来るのを見て、番の者どもは夜回りの奉行衆と思い、下にいてお辞儀をすれば、葬礼の共、さてもそそっかしい者だなといって笑う。するとその番の者、腹を立てて言うには、「やい、そこな葬礼。どこへ持っていく」と咎めれば、「これは火屋へ焼きに行きます」と答える。重ねて番の者、「火葬ならば、火の用心をよくせい」 ■残り多い妻の別れ ある老妻に先立たれて独りさみしく暮していますと、友人から気分転換にと酒が送られてきた。幸い心安い人が居合わせたので、ではといって酒樽の栓を開けたが、なかなか出てこない。一人が、「風穴がないからじゃ。樽のうえに錐で穴をあけられよ」と言い、穴をあけてみると、どくどくと出た。時に亭主、樽に抱きついてほろほろと涙を流す。他の人、どうしたことと驚いていると、亭主涙を押えて、「さても心残りでござる。御存じのとおり、女房のやつ、産後に小便が通しなくて死にました。このような療法が前もってわかっておれば、女房の頭にも錐もみし、うまく小便が通じたことでしょう」 ■病論はいいがち さる所に出来庵という文盲で才能のある医者がいた。変わった名字であるためその訳を尋ねると、近所のあだなであるという。この医者、どんな病気をみても痰の治療ばかりするので、ある人出来庵に尋ねて、「あなたの治療はいつも痰の薬ばかりつかうが、それでよいものか」「どんな病気にしても人間は疾で死ぬものという。」「しからば、浮気者が大酒を飲んで死ぬのも痰か」「いかにもひょうたんという痰なり」「あるいは盗人に襲われて死ぬのも痰か」「それは大胆という痰なり」「では川に身を投げ、首を括って死ぬのも痰か」「いかにも短気という痰なり」「では幼児が川などで水に溺れて死ぬのも痰か」「それこそ冗談という痰じや」「しからば、夜道山道、辻切追いはぎにあって死ぬのも痰か」「いかにも、誰しもよく慎むべき油断という痰じゃ」 ■山水の掛け物 よそにもてなしがあり、腰元の須磨が給仕していると、床の間に掛っている雪洲の山水の掛け物を見て、涙をはらはらとこぼす。客それを見て、「どうして嘆きなさる」ととえば、「私のおやじもかかれましたが、山道をかくときに死なれました」という。「そなたの親は絵描きか」といえば、「いや、籠かきでござりました」 ■落ち目を見るが男 その頃御印文(護符)を頂いた男が、世を去り西方十万億を向いて旅立った。途中六道の辻の方から、誰かが呼んでいるのでそちらを見ると、かって長崎で知りあった友達であった。その男は、「私は沙婆では極楽往生を願わず、ことに遠国なれば御印文ももうけずに、極楽に行くあてがござらん。見れば、そなたの額には、御印文がござる。羨ましいことでござる。どうぞお共させてはいただけないだろうか」という。それはならぬと言おうと思ったが、人は落ち目を見るが男だと思い、やがて額と額とをあわせて、連れだって極楽の東門に行った。そこで仁王殿が出てきて吟味がおこなわれた。「いや、あれは私の連れでございます」といえば、「その方は間違いないからつつと通れ。あとの者はにせに決まった。」「なぜでございます」「証拠には、御印文の字が裏になっている」と追い返された。 ■極楽の客人 にわか雨のあとの夕方。路地でひょっこりと知った人と出会った。「さてさてこの頃は、ごぶさた申しました。」「手前も昼夜客人があって、忙しさにお見舞いも出来ません」といえば、「それはどうして」「庭前の泉水に、今年は蓮の花が大分咲いたゆえに、昼は方々から見物においでになる」「それはもっともでござるが、しからば夕方にはおいでなされては」といえば、「されば夜分は、極楽から仏様達が遊びにござるゆえに、夜の間も寝ません」 ■幼き一休の引導 一休が十歳ばかりのとき、住職が田舎に行って留守の間に、旦那があい果てた。そこで人々は引導を頼むために、遺体を運んできた。一休は住職が留守であることを告げたが、それでは、代わりに弟子たちにお願いしたいという。あいにく弟子たちも留守をしていたので、一休は心得ましたと言って、さもおごそかに準備を済ませ、死人の入った棺にむかった。まず死人に指差し、次に自分に指差し、最後に両手を広げて「喝」と言った。この間に住職が帰ってきて、一休の次第を物かげから見ていた。終ってからどのような引導をしたのかと一休にたずねると、一休はそれに答えて、「死人に指を指したのは、汝が死んだことを申し。自分に指差したのは、この小僧に申し。両手を広げたのは、大きな恥をかいたということを申したのです」 ■どなりこむ 病家、医者を呼んで診せると、医者、「私があずかったからにはご心配いりませぬ」と請け合った。ところが、莫大なお金を使ったのに、とうとう死んだ。病家ではひどく腹を立て、下僕にいいつけ、医者のところにどなり込ませた。しばらくして帰ってきたので、「悪口ついてきたか」「いいえ」「どうしてつかぬ」「なにしろ悪口つく者があまり大勢で、どうしても割り込めません」 ■葬式を請け合う 小児科の医者、人の小児を薬で盛り殺したので、小児の家ではこれをさんざんあざけった末、「お前がこの子の葬式を立派に出してくれれば、わしらは何も言うまい」といった。医者は連れ帰って葬式をすることを承知し、遺体を薬箱にしまった。ところが、途中、ほかの病家に迎えられ、箱をあけて薬を取り出そうとしたとき、あやまって子供の遺体が見えてしまった。病家では驚いてわけをたずねた。そこで「これは連れ帰って生かすのを請け合ったのでござる」 ■法律 亡くなった夫のため法事をするのに、僧が、「銀三銭くれたら、必ず西方浄土に行けるようにお経を上げる」という。ところが死者の妻が悪質の銀をくれたので僧は東方に行く経をよんだ。妻は満足せず、良質の銀を換算して不足分を足し、あらためて西方に行くお経をよんでもらった。そして妻は泣いていった。「かわいそうに、たった幾分かの銀子のために、あなたを東に行ったり西に行ったりさせたわね。わたしほんとに辛いわ」 ■死体を扇ぐ 亭主に死なれたばかりの女のところに親戚の者がお悔やみに行った。するとその女房が夫の遺体をうちわで扇いでいるので、わけをたずねると、「やれ悲しや。あの人は、いまわの際に、『再婚するのは、わしの身体が冷え切ってからにせよ』といいつけましたので」 ■精進をまもる ある将校がいつも念仏を唱えていたので、司令官が「戦さに臨んで人を殺さねばならないのに、何で一日中念仏を唱えているのじゃ」というと、「わたしは口で念仏を唱えていますが、腹のなかでは人を殺す気持で一杯です」と答えた。 ■陰陽生 二人一緒に船に乗っていくうち、死骸が一つ流れてきた。「男の死骸だろうか、女のだろうか」と一人がいうと、もう一人が、「うつぶしているなら男で、仰向けなら女だ」ところが、その死骸は横を向いて流れてきた。「これはどうじや」「これは陰陽生だ」 ■葬式を請け合う 人の小児を盛り殺した医者、その葬式を請け合い、遺体を袖に入れて帰る。その家ではひょっとしてだまされてはと思い、下僕に後をつけさせた。ところが橋の中ほどに来たとき、その医者が突然死んだ子供を取り出して川のなかに投げ込んだ。それをみた下僕は怒って、「とうしてうちの坊ちやんを捨てた」 とつめ寄ると、医者「ちがうちがう」といいつつ、左の袖をあげて、「お前の家の分はちやんとここにある」 ■何処に平和が ある亡者、人間に生まれ変るとき、閻魔王が金持にしてやろうと申しわたした。亡者が、「富は望みません。せめて一生衣食住に不自由せず、平凡に毎日を過ごすことが出来ましたら、満足でございます」というと、閻魔王、座を下りてきて、「そのように安楽なところがあったら、どうかわしも一緒に連れていってくれないか」といった。 ■賠償 ある医者、さじ加減を間違えて人の息子を死なせ、その代償に自分の息子をさし出した。次にある人の下僕を死なせてしまい、その償いに自分のところにいた下僕を提供した。ある晩、医者の門を叩く者がいた。「うちの奥様が、産後の病いで、苦しんでおられます。どうぞすぐに来てください」という。医者、そっと妻にむかって、「こんどはお前に惚れた人が現われた」 ■顔回上下 ある勉強嫌いの書生は、読む書物が多いのを恨んでいた。『論語』を読んで顔回の死ぬところに来ると、しきりに誉めたたえて、「よく死んだ、よく死んだ」と喜んだ。ある人が来て、なぜだと聞くと、「あの人がもし死ななかったら、『顔回上』『顔回下』を書いて、読むのが大変だろう。」 ■閻魔王、名医を探す 閻魔王は地獄の鬼卒に、沙婆へ行って名医を探してくるように命じ、「門前に恨めしそうな幽霊がいない医者が名医だ」と教えた。鬼卒、沙婆に行き、医者の門前を通るが、どこに行っても幽霊がたむろしている。ところが最後にたずねた医者の門前には、幽霊がただ一人しかいない。これこそ名医に違いないと思い切って聞いてみると、昨日店を開いたばかりの医者であった。 |
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■死と落語 |
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■お血脈(免罪符のお話し)
日本も時代が移り変わって来て、三つの法でやっとのこと治まるようになった。三つの法とは、仏法に鉄砲に女房。ところが日本に色々な事件があって困りましたとき、本多善光という人が、善光寺を建てました。彼があるとき難波ケ池の淵を歩いていると、池のなかに捨てられていた仏様が手招きしています。そしてこの仏様が「信州へ行きたい」とおっしゃった。そこで彼は昼夜の別なくこれを背負って信州まで運び、これが善光寺の縁起となる。 この善光寺で、お血脈の御印をいただくと、誰でも極楽へ行けるというので、大変なにぎわい。おかげで地獄に行く者もいない。地獄の入り口で待つ閻魔大王は会議を開き、対応策を求めた。 「恐れながら申し上げます。承れば善光寺でお血脈の御印をいただくと、罪が残らず消滅して誰でも極楽へ行けるとか。そこでお血脈の御印を盗みだしたら、極楽へ行く奴も地獄に来るだろうと思います。」 そこで閻魔大王、石川五右衛門を善光寺につかわして、お血脈の御印を盗みだしてくるように命じる。洒落た泥棒があるもので、昼間はお参りをするように見せて入り込み、夜に入り、忍術をもって奥殿に忍び込み、お血脈の御印をを見つけだした。これを持ったらサッサと地獄に行けばよいのに、 「これさえあれば大願成就、かたじけない」 と頂いて、そのまま極楽へ行ってしまった。 ■後生うなぎ(生類憐れみのお話) 信心に凝った大家のご隠居が、ある日うなぎ屋の前を通りかかると、店の主人がうなぎにキリをさそうとしている。これを見たご隠居さん 「うなぎは、虚空蔵菩薩様のお使いだ。助けるから売っとくれ」 と、買ったうなぎを前の川にもって行き、 「決して人に捕まるんじゃないぞ。南無阿弥陀仏」 と投げ込んだ。あくる日も、そのあくる日も同じことを繰り返してうなぎ屋を儲けさせていたが、 「生き物が殺されるの所に通りかかるのは、これも何かの因縁」 と、しばらくうなぎ屋の前を通るのを避けていた。ところがある日、用事があってうなぎ屋の前を通りかかった。これを見た店の主人、たまたまうなぎがきれていたので、なんでもそのへんにある生き物と、赤ん坊をまな板にのせた。驚いた隠居、この赤ん坊を買い取ると、 「こういう家には決して生まれてくるんじゃないよ。南無阿弥陀仏」 と、前の川へドボーン。 ■近日息子(忌中の貼り紙) 芝居の初日がいつだったか、小屋に行って見てくれと親に頼まれた息子、小屋に来てみると看板に「近日初日」としてあった。家に帰って初日は明日だが「近日初日」と看板には書いてあったという。これを聞いた父親は、 「近日とは近いうちということだ。なんでも気をきかして、言われる前に先に先にしなければ駄目だ。本当にこごとを言ってると具合が悪くなちゃう」 とこぼす。これを聞いた息子、気を気かしたつもりで、医者を連れてきて診断してもらう一方、葬儀屋を頼んで、長屋の連中に親が死んだと伝えて歩く。 そうこうするうちに長屋の連中が悔やみに来るので、父親はびっくりし、どうなってるかときくと、表に「忌中」と貼り紙があるという。これを聞いた父親、息子をしかりつけると息子は、 「長屋の人もあまり利口じゃないな」 「何が利口じゃねぇ?」 「よおく見ろい、忌中のそばに近日と書いてある」 ■主従の粗忽(死亡通知) 粗忽な殿様、庭の松を移させた植木屋の仕事振りが気に入って、植木屋たちと酒宴を始める。その時、一緒にいた家臣の三太夫に迎えが来て急遽帰宅すると、国元からの書面で「殿様姉上様死去」の知らせが入っている。殿は植木屋とご機嫌よく酒宴を開いているのに、申し上げねばならんと覚悟を決め、殿様に伝えると、殿様は驚いて、 「姉上はいつ逝去に」。 そこまで書面を読んでいなかった三太夫が、またまた引き返して書面を探すとどこにもない。 「あ、あったった、手前の懐にはいっておる。これでは探してもないはずだ、手前どもは粗忽だな」 というわけで書面を見ると「貴殿姉上様死去」とある。 「これは大変だ、殿様ではない。貴殿というのを殿様と読んでとんでもない間違いをした」 大失態を演じた三太夫はその旨申し述べると、殿様は立腹され 「手打ちには致さん。切腹申しつけたぞ」 「ありがたきしあわせ、早速に小屋に立ち返って切腹つかまつります」 「ああ、待て三太夫、切腹するには及ばん。よくよく考えたら余に姉はなかった」 ■三人無筆(葬儀の受付) 隠居の葬儀に記帳役をたのまれた熊さん、自分が字が書けないので、女房に「記帳は源兵衛さんにたのみ、お前さんは雑用を手伝いな」と言われて寺に来てみる。困ったことに、あてにしていた源兵衛も字が書けないという。しかたがないので、「隠居の遺言で、記帳は各自銘々に」と苦肉の策を考える。会葬者も一段落したところで、遅れてやって来た辰公が、「すまねえ、字がかけないので書いてくれ」と頼み込んだ。二人は隠居の遺言でなんとかこの場をきりぬけた話しをすると、 「なるほど、それだけの知恵があるんだったら、俺のことも考えてくれ」 「いい考えがある」 「どんな考えだ」 「だから、お前がここに来なかったことにしておこう」 ■蘇生 学校の生徒がいやがる仲間を誘って、品川沖に釣りに行き二人で小舟を浮かべていると、俄に真黒な雲が出てきて、ポツリポツリと雨が降り初めた。そのうち風が激しくなって大きな山のような波がまいります。むりやり連れてこられた学生は、だからいわんことじゃないと、盛んに愚痴をこぼしていますが、その内に船が大波の上で、クルクルと2、3回まわったかと思うと、下へ下がって、頭から波がドブンとまともにかぶってとても助かる理由はございません。 しばらくすると、耳元で「オーイ、しっかりしな」という声がします。この声に学生は気づいたようでございます。 「おかげさまで助かりました。うかがいますが、ここはどこですか」 「心配せんでも、ここは神奈川だよ」 「わたしどもは品川沖へ参りまして、釣りを致しておりました。すると先刻の暴風で、ご当地に吹き流され、あなた方のおかげで、命が助かりまして、誠にありがとうございます。」 「うん、そりゃまあ運のいいこったねェ、品川沖から神奈川まで流されてきて、命の助かる理由はないが、学校の生徒だけに、再び書生(蘇生)したんだろう」 ■多勢に無勢(遺体確認) 世の中にはそそっかしい人がいくらでもあるもんで。古着を扱う太兵衛さんと、同居人の武兵衛さんというそそっかしい二人がいました。ある日のこと武兵衛さんは両国の川開きに出かけて行きました。両国はたいした人出でございます。昼のうちからスポンスポンと花火の音。武兵衛、花火の音を聞いていい心もちになっていますと、橋の向こうから一人駆けだして来た奴がある。武兵衛さんの胸のところへ、頭をストーンとぶつけました。 「オヽ痛へ、畜生、気をつけやァがれ」と懐に手を入れますると、財布がない。金を取られた武兵衛さん、詰まらないから帰ろうとしますと、そこに友人の柴田さんがあらわれる。 「どうしやした、武兵衛さん」 「どうしたもこうしたも、今スリに財布を取られ、一文なしになりました。花火を見に来て、見ずに帰るんで」 「そりゃぁお気の毒だ。マア、家へお寄んなさい」 ということで、柴田さんの家に行って、お酒を御馳走になり、大層よい心持ちになりまして、8時まわったろうと思う時分に、往来で恐ろしい人声。何かの間違いだろうと、女中に聞いてみますと、今両国の橋の欄干が落ち、大層人が死んだという。武兵衛も実に驚いて 「ありがたいありがたい。スリに財布をとられなきゃ、おらァ橋の上で、今時分花火を見ているんだ。きっと欄干が取れて、俺も落っこちて死ぬにちげえねぇ。かえって泥棒に合ったほうが、運がいいぐれいなもんだ」 お話しが変わり、太兵衛は武兵衛が帰って来ないので、一日中まんじりもしないでいました。翌朝起きて朝飯を食べ、両国へ探しに行こうと思うところへ 「警察から参りました」 という 「何でございます」 「お前さんの家に、武兵衛という同居人があるそうだネ」 「ヘェ、ございます」 「それがねえ、昨夜両国の橋から欄干が取れて、落ちて死亡したという警察からの通知でした。この召喚状をもって、死骸を引き取りに久松町警察まで、早速出頭なさい」 これは大変と大急ぎで仕度をして路地を出て、しばらくすると向こうから死んだはずの武兵衛がいい心もちで帰ってまいりました。 「おい、太兵衛じゃないか」 「オイ、武兵衛さんじゃないか。言わねえこっちゃねぇ。人ごみに行くてえと、間違いがあるからとあれほど止めたのを、きかなくって出かけるから。お前が死んだって、警察から死骸を引き取りに来いという、この通り召喚状がついている。」 「エッ、こりゃ大変だ。私が死にましたぇ」 「そうよ。サ、おれと一緒に、お前の死骸を引き取りに行くんだ。一緒に行きなせぇ」 という訳で二人は、久松町の警察まで参りました。 「私は下谷町の吉田太兵衛と申します。お呼び出しで、同居人の死骸を引き取りに出ました」 「オーそうか。少々控えておいで。オイオイ向こうに武兵衛の死骸があるから、一寸行って見てきなさい」 「かしこまりました。」 と言うわけで、巡査の案内で遺体とご対面することになる。太兵衛が 「サア、開けるからよく見ねえというと、武兵衛は 「コリゃ私じゃありませんぜ」 「馬鹿を言いねぇ、それだからお前はそそっかしいんだ。自分の死骸を見て、俺じゃねえとは何だ」 こうして、二人は言い合いになりまして、太兵衛が思わず、武兵衛をコツンとやってしまいした。そこで巡査が飛んできまして、二人に事情をききました。 「お前は何という」 「へえ、私は武兵衛と申します」 「ふうん、してこの死骸はなんてんだ」 「これが、私のところの同居人の武兵衛の死骸でございます」 「おかしいではないか、じゃあ武兵衛は二人いるのか」 「いえ、一人でございます」 「だってこの死骸が武兵衛で、引き取りに来たのが武兵衛とはおかしいではないか」 というわけで、巡査が二人を連れて 「これに見覚えがないか」 「えー、そりゃ私の財布で、それが昨夜掏摸に取られたものでございます。それをもっていたからにゃ、あなた泥棒か」 「馬鹿言え、してみるとその死骸は武兵衛ではない。お前の財布をすった賊が橋から落ちて死んだんだろう。」 こうして事がはっきりして、二人を帰そうとしますと、武兵衛は巡査に太兵衛に叩かれた件はどうなるかと、くいつきます。 「さあ、白黒つけて下さいよ」 「いくら言ってもお前は勝てんよ。太兵衛(多勢)に武兵衛(無勢)は勝てぬわい」 ■不忍の早桶(埋葬) 大家が長屋の与太郎に、お前の世話をよくしてくれた親分さんが死んだから、葬式の準備をしろという。 「ともかくもそのほとけを北枕にして逆さ屏風を立って、線香でもあげておかなきゃ、人が悔やみに来ても、ばつが悪い」 「縁起が悪いなぁ」 「何が縁起が悪い」 「北枕にして、逆さ屏風を立てちゃあ」 「馬鹿なことをいうな、ほとけになったらそうするんだ」 と言うわけで線香を買いに行かせようとしますが、金がない。 「銭がない、呆れ返った野郎だ、線香を買う銭もなくって、とむらいを出せるもんじゃねぇ。どうするつもりだ」 「出さねえつもりだ」 「ほとけをどうする」 「寝かしておく。そのうちに固まってしまうだろう」 「馬鹿いえ、そんなまねをすればほとけが迷わぁ」というわけで与太郎は井戸端に落ちていた早桶を拾ってくる。こんなものは使えないというわけで、大家さん長屋の皆さんから香奠をもらってくるという。しかしそんなことで、しょせん足りるものではないので、余計に銭をもらってくるという。 「長屋のつきあいで、今夜通夜をしてまた明日とむらいに行くとなると、一日暇をつぶさなけりゃならねぇ。それではすいませんから、お通夜もとむらいもお断り申します。そのかわりどうぞ明日休むところを稼いで、その半分でも恵んでやってくれいといやぁ、いやという者もなかろう」 早速金が集まり早桶を買ったが、ほとけ様を一晩でもよけいにおけば金がかかるというわけで、今夜のうちに葬儀をすませたほうがよいという。 「与太郎、寺の方へはなんとか知らせたか」 「何ともいわねえ」 「それはしょうがねえ。しかしだしぬけに担いていってもいいだろう」 というわけで家主が提灯を持ち、与太郎が早桶の後を担ぎ、甚兵衛が前を担いで出かけることになりました。真夜中に3人が、霜のなかをざくざくと踏みしめていくと、自分の足音が、まるであとから何かついてくるような気がします。すばらくして、桶を担いでいる方の肩が痛くなってまいりましたので、与太郎が肩を替えようと力任せに、頭越しに肩を替えたとたん、早桶を吊るしていた縄が切れ、桶が横になって、ほとけ様がにゅうと出た。家主は驚いて与太郎をしかったが、桶の底が抜けてはどうしようもない。与太郎はおぶって行けばいいといいますが、そうもできず家主は与太郎に遺体の番をさせて、甚兵衛と再び早桶を買いに出かけます。 二人が早桶を買って戻って来ますと、与太郎一人で、ほとけの姿がない。家主が理由を問いただすと、 「あんまり二人の帰りが遅いから、一足先に行くといって先行った」 「馬鹿いえ、てめぇ何していた」 「退屈だからほとけ様と話しをしていた」 「嘘をつけ、死んだ者と話しをするやつがあるか」 「嘘じゃねえ、そのうちなんだかしらねぇが、ひょこひょこ動きだした」 「それからどうした」 「だんだん上へあがって森のなかへはいっちまった」 ほとけなくしちゃあ、しょうがねえというんで、甚兵衛さんを見るとじっと黙っている。 「すましていないで、なんとかいったらどうだ」 「すましているわけじゃありません。抜けちまったんです」 「おやおやまた桶の底がぬけたか」 「なに、今度は腰が抜けました」 ■黄金餅(火葬場) 下谷山崎町に住む西念という坊主、毎日市中を回ってお経を読み、その家の宗旨が法華だというと「南無妙法蓮華経」と唱え、門徒だと「南無阿弥陀仏」と唱えて小金を蓄えていましたが、ある日風邪をこじらせて寝込んでしまう。このとなりに、金山寺味噌を売る金兵衛さんが住んでいまして、坊主の様子が変なので見舞にやってきます。金兵衛さんが坊主に医者にかかれと言っても、薬代を取られると言っていうことを聞きません。水を飲んで治そうとしています。そこで何か食べたいものがあるかと聞きますと、あんころ餅が食べたいという。お安い御用だというわけで、金兵衛あんころ餅をもって帰ってくる。 「さあ、食べよ」 と差し出すと 「私は人前では食べられません」 という。金兵衛しかたなく、自分の家に帰ってみるが、隣の様子が気にかかる。そこで、壁の穴から西念さんの部屋をのぞいてみる。 するとこの坊主、胴巻きから二分金など取り混ぜて6、70両を取り出し、次に頂いた餅を手で延ばして、ありったけの金をその中に包んで、食べはじめた。 「この坊主、一生懸命貯めた金が気にかかって死ぬことが出来ねえんだ。世界の通用金をあの世へ持って行く了見だな。さあ大変だ、目を白黒している。胸へつかえたな」 さあ大変とばかり、金兵衛さんは急いで坊さんの部屋に飛び込んできて、背中をさすったが、ウーンと言ったきりこの世の別れ。こうなると金兵衛さんは、金が入った遺骸が気にかかる。 「今食ったばかりだから、口から出す工夫はないかな。ウンいいことがある、焼き場で取ってやろう。そうすると片付けるのは一人でやらなけりゃいけねえ」 金兵衛さんは遺骸を菜漬けの樽に押し込んで、大家さんの所に出かけて行った。 「坊さんが死ぬ前にいうには、私は土葬が嫌いですから火葬にしてくれといって死んでいきました」 金兵衛がそうするつもりですと言ったら、大家も感激して遺骸の様子を見に来た。そして長屋の杢兵衛さんに 「うちの婆さんに2貫ばかりもらって、樒(しきみ)を1本に線香を1束、土器を1枚と白団子を買ってきて、それから茶碗へ飯を山盛りに盛って、箸を2本差して持ってきてくんなさい」 とことづける。そのうち長屋の連中が集まり始め、その日の夜に皆で遺骸をお寺に運んだ。 お寺で無事お経を上げてもらって、長屋の連中も帰ってしまう。あとに残った金兵衛さん、和尚から焼場の鑑札をもらって、早桶に一人で背負うために連雀をつけ、腰に手拭いに包んだ包丁を差して桐ケ谷の焼場にまいりました。 「おい御坊さん、確かに仏だ、すぐに焼いてくれ」 「並焼きか何だえ」 「値にゃ構はねぇ、安く焼いてくれ」 「おいてきなせぇ」 「すぐに焼いてくれ」 「置いてきなせえ、よく焼いとくから」 「よく焼いちゃあいけねえ。仏の遺言だ、腹は生焼にしてくれ、あんまり良く焼いて後で使えねえと困る」 「何が」 「ナニこっちのこと」 「明日早く骨上げにきなせえ」 焼場を出た金兵衛、一旦新橋まで出たがまた引き返してきて 「おい焼けてるかい」 と聞く。 「何だ、まるで焼芋でも買いに来たようだな」 「仏はどうだ」 「何か入れ物があるか、なければ壷を売ろうか」 「ナニ胴巻きがある」 「何言ってるんだ、骨だよ」 「アゝ骨か、骨は袂に入れる」 「馬鹿ァいつちぁいけねぇ、骨を懐に入れる奴があるか」 金兵衛、骨はどこかと聞くと、火屋にあるので取ってくるという。r>「いや仏の遺言だ、他人が手をつけるべからず」 金兵衛は火屋に入って、遺骸のおなかのあたりを、だんだんと竹の箸でかき回すと、なにやら固まりがある。そこで用意した包丁でついてみると、山吹色の金がバラバラと出た。金兵衛その金を袂に入れ、夢中になって薮のなかに飛び込んだ。この金で目黒に餅屋を出し、繁盛したという黄金餅の由来という一席。 ■地獄八景亡者戯(死後の世界) 伊勢屋のご隠居さんが鯖にあたって冥土をさまよっていますと、喜ィさんがやってくる。喜ィさんはご隠居の葬式を手伝に来て、自分も鯖にあたって死んでしまった。 「えらい災難やったな」 「しかし死んでみるといろいろ心残りがおまんな」 ご隠居が何だと尋ねると、 「同じ死ぬんやったら、戸棚へ戻した片身の鯖。あれみな食うて死んだらよかったと思うて、それが残念で」 「そんな阿呆なこと。ここへ来る人は、みなもっと大きな心残りを持ってくるのや」 「さよかな。地獄ちゅうたら、どこにおまんのやろ」 「まあ、極楽の近所にあるんやろかい」 「極楽はどこにおます」 「地獄の隣か、なんかやろな」 「ほなその地獄は」 「極楽の隣」 「わからんがな、それでは」 二人は、しゃべりながら歩いていくと、遊び人風の一団が三途の川に来て、係りの者に何かを尋ねている。 「あのう、これが三途の川ですか」 「これが有名な三途の川でございます」 「ヘェー私も裟婆で地獄極楽の絵を見たことがおまんねぇ。それで見ると陰気な川やけど、なかなかきれいでええ川でんな」 「はあ、まあ景色のええ所でございましてな、昔はもっときれいな水が流れていましたんやけど、このごろ、ずっと上手に工場が出来て、ちょっと水が濁りました」 「はあ、こっちも公害問題が起こってまんねんな」 終戦からこっち地獄も変わり、ここで、亡者の着物を剥ぐというしょう塚のお婆さんも、当座は失業保険をもらってましたが、今では閻魔の2号さんをやっている。 いよいよ皆が三途川の渡し場にやってくると、鬼の船頭がいて渡し銭を要求する。この渡し船の料金は死に方と病名によって違うので、亡者もビックリ。 腎臓で死んだ者は160円。腎臓は小便が出んようになる病気だから、シシの160円。 鬼「お前は何じゃ」 「私は肺ガンでな」 「おう肺ガンでたばこ吸うたか」 そうだと答えると、 「640円出せ」 「何でだんねん」 「ハッパ64やろ」 「おい、そこの女子、お前は何で死んだ」 「鬼さん、わたし、お産が悪うて死にました」 「では120円じゃ」 「120円、何でだんねん」 「産で死んださかい、サンシの12や」 「心中は二人で死んださかい、ニシが8。ふぐにあたって死んだ者は四苦八苦の苦しみで、シク36とハック72で、合わせて108、1,080円。」 いよいよ閻魔の前で裁きが始まるが、この日は、何か芸が出来たものは特別に極楽へ行くことできる。しかし医者と山伏と軽業師と歯抜き師の4人は運悪く、地獄に落とされる。 ところが最初の釜ゆでの湯では、山伏が術で湯をぬるくして助かり、針の山では、軽業師が3人を背負って駆け上がって助かった。そこで閻魔は人を呑む鬼に電話をかけ、助けをかりた。この巨大な人呑鬼に合って、歯抜き師がそのデッカイ歯を虫歯だと偽ってみんな抜いてしまい、そのまま4人は一緒に鬼の腹の中に入った。しかし臓器に詳しい医者が腹の中をひっかりまわすので、鬼はなんとかして4人を出そうとするのだが、4人は中で踏ん張って出ない。鬼は閻魔に 「このうえは、あんたを呑まなしょうがない」 「わしを呑んでどうするのじゃ」 「大王(大黄)呑んで、下してしまうのや」 |
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■花華の言葉 |
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華は自分のもの |
上がり花 | 煎じたばかりのお茶。寿司屋の「あがり」の語源。 |
■上がり/あがり (お茶) あがりとは、すし屋などの料理屋で、煎じたばかりのお茶。また、一般にお茶。出花。 ■語源・由来1 / あがりは「上がり花(あがりばな)」の略で、元は遊郭の言葉。「お茶を挽く(お茶挽き)」という言葉は、客のつかいない遊女や芸者が暇を持て余していることを意味するため、遊郭では「お茶」を忌み嫌う。そのため、「客があがる」という縁起を担いで、「お茶」を「あがり」と言うようになった。あがり花の「花」は「最初」のこと。「出たばかり」という意味の「出端」と「花」を掛けた、「出花(でばな)」と同様である。最初のお茶を「出花」、最後に出すお茶を「あがり花」と言っていたとする説があるが、「出花」も「あがり花」も最初に出すお茶のことで、あがりの意味が変わった訳ではない。この説は、すごろくなどで「ゴール」を表す「あがり」と同義と捉えたことから、「あがり花」を最後と勘違いされたものであろう。 ■語源・由来2 / 入れたてのお茶を「上がり花(あがりばな)」といい「上がり」はこの略。お茶を挽くことが、芸娼妓に客がなくて暇であることを意味していたため、「茶」を嫌い、客が上がる(登楼する)ように縁起を担いで「上がり」としたとされています。「上がり花」の「花」は、入れたての煎茶を意味する「出端(でばな)」の「端」を「花」に変えたとする説や、線香を意味する「花」が由来とする説があります。現在では、「上がり」は寿司屋などで客が食べ終わったのを見計らって出されるため、「終わり」の意も含まれると考えられています。 |
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■上がり花 (あがりばな) ■遊里、料理屋などの用語で、入れたての煎茶のこと。また、一般に茶をいう。でばな。あがり。芸者・遊女などが客がなくて暇であることをいう「茶を引く」の茶を忌み、客が「あがる」(登楼する)ようにと縁起を祝って言いはじめた語。 ■(「花」は「端」(はな)」の当て字。もと、遊里や料理屋での言葉)煎じたばかりの茶。でばな。あがり。また、一般に茶をいう。 ■〔古風な言い方で〕入れたての煎茶(せんちゃ)。また、一般にお茶。もと、遊里や料理屋でいった。今は「あがり」が一般的。 |
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朝顔の花一時 | 朝早く咲き昼には萎んでしまう朝顔の花のように、物事の盛りの時期は短くはかないものであること。 |
秋しくの花 | 「あきしべ」の誤りで、菊の異称。 |
アザミの花も一盛り | アザミは華やかさに乏しいが、それなりに花を咲かせ美しい時期もある。少女の頃は魅力が乏しいと感じても年頃になれば美しく変わる時期もある。「鬼も十八番茶も出花」も、同じ。 |
徒花(あだばな)に実は生(な)らぬ | 徒花は花は咲いても実がならないので、表面だけきれいでも中身が伴わなければ成果は期待できないという意味。 |
いずれアヤメ(菖蒲)かカキツバタ(杜若) | どちらもよく似ていて甲乙を付けがたい。 |
一葉落ちて天下の秋を知る | 物事のちょっとした前触れから、その後の大勢をいち早く察知すること。 |
一花(いっか) | しばらく、かりそめ、「一過」から転じたとの説がある。 |
石に花 | あり得ないことのたとえで、「石に花咲く」とか、岩に花とか言います。 |
弥初花 | (いやはつはな)最も早く咲く花。 |
言わぬが花 | 差し障りのあることは言わないほうが奥ゆかしいのでは。言わない方がすてきに感じます。 |
雨後の筍(うごのたけのこ) | 雨の後筍が続々と生えてくるように次々と物事が現れる様子。 |
独活(うど)の大木 | 体が大きいだけで能力も体力もなく役に立たない人をあざける言葉。 |
梅に鶯 | 取り合わせの良い、似合っている様子。 |
埋もれ木に花が咲く | 世間に忘れられていた不遇の人が、一躍脚光をあび、世に出る様子。 |
卯の花 | ウツギの花のことですが、豆腐の絞りかすである「おから」のことでもあります。 |
売り物には花を飾れ | 売りたい品物は美しく飾れと言うこと。婚期にある娘さんに対して言うこともある。 |
会に合わぬ花 | 葬儀など大事な行事に飾るべき花が間に合わないとき、役に立たないところから、時期遅れで役に立たないことを言う。 |
老い木に花 | もう花も咲かないだろうと思われる老木に花が咲くことから、衰えたものが再び栄え盛り返すこと。「枯れ木に花」も同じような意味ですね。 |
雄花 | 雄しべだけがあって、雌しべのない花(ゆうか) |
尾花粥 | 宮中で8月朔日に疫病を除くとして用いた粥を云う。 |
男やもめにウジがわき、女寡(やもめ)に花が咲く | 妻を亡くした男は世話をしてくれる人がいなくなって、家の中や身の回りが汚くなり、一方夫を亡くした女は、自分のことに時間をかけられるようになるため、身ぎれいになってきて、男達からもてはやされるようになる。花が咲いたように華やかになること。 |
解語の花 | 人間の言葉がわかる花という意味で、美人のことを称しています。玄宗皇帝が楊貴妃をさして言った故事による。 |
花押 | 中世以降身分ある者が自身の署名の下に押した判。 |
容花(かおばな) | 美しい花の意。万葉集に「ひるがお」をこう詠んでいる。 |
懸花 | 花鳥を組み合わせ薬球に似せて作った座敷の飾り。 |
風花(かぜはな) | 初冬に風が立ちちらほら雪が舞うこと。また、晴れた日にどこからか風に送られた雪が舞い降りてくること。 |
菫花一日の栄(きんかいちじつのえい) | 菫花とは「むくげ」の花。この世の栄華は、朝咲いて夕方には萎んでしまうむくげの花のようにはかないものであること。 |
昨日の花は今日の夢 | 「昨日の襤褸(ランル)、今日の錦」と同じ意味。昨日までは麗しき花のごとくであったものが、今日になってはそれも夢のごときもの。昨日ボロ布をまとっていたものが今日は錦の着物を着ている様を見ると栄枯盛衰は移りやすいものであることをおもわせる。 |
錦上花を添える | 錦の上に美しい花を添えておくように、立派なことを重ねること。 |
草の花 | 千草の花ともいわれ大変種類が多く、また、小さくて可憐な花が多い。 |
花籠(けこ) | 仏具の一つで竹で編んだ花籠、最近は金属製。 |
喧嘩に花が咲く | 喧嘩がいっそう激しくなる様子。 |
黄金花咲く | 万葉集「すろめきの御代栄えむと東なるみちのくの山に黄金花咲く」。黄金の産出を花が咲くのに喩えて言う。 |
言葉に花が咲く | 話がはずむこと。話がはずみすぎて喧嘩になることもある。 |
心の花 | 美しい心、風流を慈しむ心、晴れやかな気持ちなどを花にたとえて言う言葉。同時に花の散りやすいところから、変わりやすい人の心を洗わす意味にも使われる。 |
催花雨 | 花木の開花を促す春雨。 |
桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿 | 樹木の生育をよくする方法を説いたことわざ。 |
三十九じゃもの花じゃもの | 「四十、四十と人は言う、けれど三十九じゃもの花じゃもの。」という俗謡からきたことわざ。まだまだ30代だからこれから人生の花を咲かせましょう。 |
死に花を咲かせる | 立派に死んで死後に誉れを残すこと。死ぬ直後に晴れがましいことがあること。 |
死んで花実が咲くものか | 人間死んでしまってはおしまい。どんなにつらくても生きていさえすればいつかは良いこともあると言うこと。 |
蕎麦の花も一盛り | 蕎麦の花は地味で目立たないけれども、時期が来れば精一杯に咲いて美しく見えることから、娘は誰でも年頃になると、それなりに魅力が出てきて美しく見えること。 |
霜の花 | 庭に降りた霜が美しく絵模様を飾るときがある。そんな状態を示した言葉。 |
末摘花(すえつむはな) | 「くれなゐの末摘花の色に出ずとも」と万葉集に詠われます。べにばなの別称です。紅を作るときに紅花の茎の末の花を摘み取ることから末摘花となった。源氏物語の巻名。 |
すべ(め)らぎ(皇)の花 | 牡丹の花のこと。 |
蓼食う虫も好きずき | 蓼の葉は辛いのだがその葉を好んで食う虫もある。どうも不似合いなカップルとは思っても、人それぞれ好みは人によって違うのですよ。 |
高嶺の花 | 唯見ているばかりで手に取ることの出来ないたとえ。 |
薪に花(たきぎにはな) | 賤しい姿で粗野であっても、どこかゆかしくて優しい風情のある様子。 |
立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花 | 美人の姿を形容する言葉。 |
棚から牡丹餅 | 思いがけない幸運が巡ってくること。 |
他人は時の花 | 他人は一時の花のように季節が過ぎれば散ってしまうもので、いつもいつも頼みになるというわけではない。 |
虫媒花 | サクラ・ユリのように昆虫により受粉する花。水媒花。 |
蝶よ花よ | 娘を慈しみ愛する様子。 |
辻が花 | 縫い締め絞りによる絵模様染めのこと。室町から江戸時代にかけて流行したという。女性や子どもの麻布の単衣物に草花模様を紅色に染めたもの。 |
月に叢雲(むらくも)花に風 | お〜名月じゃワイと見上げれば、雲がかかってしまい、桜の花をと思えば風が吹いている。なんとも思うに任せない様子。 |
天花粉 | 木烏瓜から採った白色の粉、幼児のアセモにつけた。 |
天道花 | 4月8日の節日に竹竿の先につける花(高花とも云う)。 |
手活けの花 | 昔芸娼妓を身請けして妻妾とするとき、「手活けの花」という。 |
隣の花は赤い | 同じ赤い花でも隣の花は自分の家の花よりも赤くきれいに見えることから、同じものであっても他人が持っているものの方が良いもののような気がする例え。 |
十返りの花 | 百年に一度花が咲くという伝説から松の花のこと。祝賀の意に用いられた。 |
時の花 | その時節に咲く花。「時の花をかざす」時勢に乗って華やかに栄えること。 |
常初花(とこはつはな) | いつも初めて咲く花のように新しく清楚に感じられる様子。 |
床花(とこはな) | 遊女と馴染みになってから床の中で与える祝儀の金のこと。 |
常花(とこはな) | 永久に咲いている花。 |
菜の花 | アブラナの花のこと。 |
波の花 | 食塩の別称。女房詞。 |
匂いの花 | 俳諧で名残の折に詠み込む花。名残の花とも。 |
主ある花 | 決まった男のある若い女性のこと。 |
寝て花やろ | 麹を室の中に寝かしておくと麹黴(こうじかび)が咲くことから、寝て待っていれば良いことがある、「寝て楽しむ」「楽しい夢を見る」という意味になる。 |
萩の花摺(はなずり) | 萩の花を布帛に摺り込んで染める事、又染まった衣。 |
花明かり | 満開の桜で闇の中でも辺りがほの明るい事。 |
花筏 | 水面に散って流れる花を筏に見立てた言葉。 |
花一匁 | 子供の遊びのひとつだが最近は見かけない。 |
花一時 人一盛り(はないっとき ひとひとさかり) | 花が美しく咲き栄えるのも僅かに数日間のこと、人も栄えるのは僅かな時期にすぎないということ。 |
花独活(はなうど) | ウドに似るがセリ科の多年草。若葉は食用風邪薬となる。 |
花漆 | 油分を含んだ上塗りの漆。 |
花篝(はなかがり) | 夜桜を見るための篝火。 |
花香 | 匂い、色、又、お茶の香気。 |
花鰹 | 鰹節をこまかく薄く削ったもの。 |
花簪(はなかんざし) | 花枝または造花を簪にしたもの。祗園の舞妓が使う。 |
花言葉 | 花詞とも、種々な花に象徴的な意味を含ませた言葉。 |
花相撲 | 本場所以外の地方興行の相撲のこと。 |
花代 | 芸者さんなどに渡す揚げ代やチップ。 |
花妻 | 新婚の妻。 |
花机 | 経文、仏具などを載せて仏前に供える机。 |
花つ月(はなつづき) | 陰暦3月の別の呼び名。 |
花電車 | 記念行事などで花で飾り立てた電車。 ストリップなどで行われる女性器を使ったパフォーマンス。花芸とも言う。語源は、路面電車の花電車。花電車は装飾をして走るだけで「客を乗せない」ものであったため、「客を乗せない」が「売春行為は行わない」と共通するとして、もっぱら見せるだけの風俗芸を花電車と呼ぶようになったという。 |
花時計 | 花を植え込んで、大きな時計に見込んだもの。 |
花に嵐 | 花が咲くと激しい嵐が吹いて花を散らしてしまうことから、良いことにはとかく邪魔が入りがちであること。 |
花盗人(はなぬすびと)は風流のうち | 花の美しさに惹かれて、つい花の枝を折ってしまうことがあるが、花の美しさに惹かれたあまりのことであるので、風流心の表れであるから、あまりとがめ立てをしないということ。花盗人のいいわけだ。 |
花塗 | 上塗漆を塗り放したもの。 |
花盗人 | 花泥棒。 |
花は折りたし梢は高し | ほしいけれども手に入れる方法が見つからないこと。 |
花は桜木 人は武士 | 花では桜が、人では武士が最も優れていると言うこと。 |
花は根に 鳥は古巣に | 経過はいろいろあっても、最後は元に返ると言うこと。 |
花も実もある | 木や枝には、美しい花だけではなく実を付けることから、外見だけではなく中身も充実していること。また、道理も人情もわきまえた処理の仕方を言う。 |
花も恥じらう | 花さえも引け目を感じるほど若い女性のみずみずしい美しさの様子を表す。花も恥じらう17歳。 |
花より団子 | 風流なことより実益を、外観よりは内容を重視する例え。 |
花を持たせる | 相手を立てる。相手に名誉や栄光を譲る。 |
初花 | 17、8歳くらいの女の子。または、その季節になって初めて咲く花を言う。 |
一花咲かす | 一時的でもいいから栄華を得、賞賛を得ること。 |
不香の花(ふきょうのはな) | すなわちニオイのしない花、雪のことである。 |
風姿花伝 | 世阿弥の最初の能楽の書名。 |
坊主の花簪(はなかんざし) | 髪のない坊主に花簪は必要がないことから、似つかわしくないものの例え。持っていても役に立たないことの例え。 |
盆花 | 盂蘭盆の時、精霊棚に飾る花。 |
増花(ますはな) | 前の女よりも愛せる女。失恋した男に「また増花もあるから」と慰めるとき。よりすぐれた花、転じて前の女より良い女のこと。 |
待つうちが花 | 物事は、結果はどうなるだろうと待っている間が楽しいということ。 |
水の花 | 池や沼の表面に植物プランクトンが大量に発生して水面に浮く現象。 |
見ぬが花 | 物事は実際に見ないであれこれ想像しているのが楽しい。 |
御法の花(みのりのはな) | 天台宗では法華経のことをこう呼ぶ。 |
六日の菖蒲 十日の菊 | 5月6日の菖蒲では5月5日の端午の節句に間に合わず、9月10日の菊では、9月9日の重陽(ちょうよう)の節句に遅れてしまい役に立たないことから、時期に遅れてしまうと、役に立たないつまらないものになってしまう例え。 |
六つの花(むつのはな) | 六角形の結晶である雪のことを指す。 |
物言う花 | 美女のこと。 |
物言わぬ花 | 自然の普通の花 |
やはり野におけ蓮華草 | 蓮華草は野原に咲いているときが一番美しいのであって、摘んでしまえば意味がない。物事には相等しい場所や時があるのであって人にもその人にあった環境が一番よろしいと言うこと。 |
闇に咲く花(闇の花) | 夜街角に立つ女。街娼 |
木綿花(ゆうはな) | 木綿で作った白い造花のこと。昔女性の髪飾りとなった。 |
雪の花 | 雪が降るのを花が散ることにたとえられた。 |
湯の花 | 温泉の中から生じてくる沈殿物を言う。 |
宿花(よみはな) | 返り咲きの花。一度咲いた後、二度咲きする花。 |
落花流水の情 | 落ちる花は流れる水に身を任せ、また、流れる水は落ちた花をいつまでも浮かべたまま流れてゆきたいという気持ちから、男女が自然に身を寄せ合うようになることの例え。 |
六花(りっか) | 六角に結晶することから雪の別称。 |
両手に花 | 二つの良いもの、美しいものを一人で持ってしまうこと。 |
忘れ花 | 時季を過ぎてから咲く花。 |
■「死んで花実が咲くものか」 緒話 |
■「恋空」 |
自ら死を目指す人が増えています。
浄瑠璃で「死んで花実が咲くものか…」がよく使われたことで、このセリフは年配者が、死を望む若者に対して説得するシーンによく登場します。この意味は「死んだ木に、花が咲いたり、実が実らないように、死んでしまっては、今まで生きて来た努力の先にある成功も夢も実らないから、命を捨ててはいけない」と伝えたいようです。 でも、今の時代に死にたいと思っている人に「では生きていたら花実が咲くのですか?」「その保証はどこにあるのですか?」と次つぎに反論されるのではないでしょうか。僕でもそう反論したくなります。生きていても花実が咲く保証がないではないか!と… 先日、テレビで終戦後すぐの銀座の焼け野原と十数年後の銀座の街に日本の国産車が走っているシーンが映し出されていました。銀座の真ん中に路面電車が走っていたのですね。 さらに、数年後の60年代に銀座のビルにネオン管の看板がキラキラと輝いているシーンが映し出されていました。 すごいスピードで日本は復興したことが見てとれました。現代の銀座よりも未来都市のようです。当時の日本の人々の高揚感のせいでしょうか? その銀座のビル群に看板を作っていた会社の社員へのインタビューシーンがありました。高齢になられた彼らが「あの頃は生活が厳しかった(裕福ではなかった)。でもね明日は、今日よりも、きっと素敵な日になると誰もが信じていた時代だったから、楽しかった時代ですね」と思い出をたどるように笑顔で語っていました。続けて「その当時の社長がね『日本人は戦争に負けたけど、いつまでも下を見ていてはダメだ。誰もが上の看板を見て人々が歩いてほしい!俺たちの会社は、日本人に上を向かせる仕事なんだ!』と言った。その社長の言葉にシビれてね。当時は誰もが夢を持って仕事をしていましたね。本当に楽しかった時代ですよ!」 「そうだろうなぁ」と羨ましく僕はテレビを見ていました。 今の若い世代は失われた30年と言われる時代に生きています。世界にはいつも戦争の火種があり、日本だけに目を向けても、平成元年には世界トップ上位20社のうち日本企業が13社も入っていた。でも平成31年には、上位20社に日本企業は1社も存在せず、日本のトップ企業のトヨタ自動車ですら43位という状況です。日本は世界から年々、大きく溝をあけられてゆく状態が続いています。 コロナ禍においても、政府の政策のまずさや、目先だけの判断に舵をきり、その場しのぎに変わる方針を見ていても、日本はこれから失われた40年になることは必定です。 もう、未来に花実も感じない時代かもしれません。だったら「もう生きるのを辞めたい」という人の気持ちも分からなくもありません。 徳川家康が言った「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」と…未来が見えない時代です。 まさに、生きていたら花実が咲くのですか?と言われらたら、返す言葉が見つからないなぁと自殺した俳優のありし日の、まぶしい笑顔がテレビに映し出されるたびに、やるせない気持ちに心理カウンセラーの僕はなっていました。 そう誰もが人生で一度も死を考えたことのない人はいないのかもしれません。自分も追い込まれたらそうなるのかなぁとも思ったり…なぜなら、自分のことも、未来のことも、誰にも先のことはわからないから…一寸先は闇の時代です。 そんな気持ちで僕は窓から外を眺めていた… この梅雨の曇り空の中に、少し青空がのぞいた、その瞬間に「やっぱり青空はいいなぁ」と心に感じる感覚…たしかに生きていたら花実「夢」や「将来の成功」はあるのか?ないのか?は、未来のことは誰にもわからない。でも命を失った彼には、これから幾たびか「青空っていいなぁ」と感じるシンプルな感覚までも自殺によって捨ててしまったんだなぁと思うと「花実ってなんだ」と僕は考えました。そう頭で考えると禅問答の答えが見えなくなる! 現代は思考の時代です。頭で考える「成功」や永続的な「幸せ」はまさに見えない時代に生きているのかもしれません。 でも五感に感じる一瞬の「青空っていいなぁ」とか、誰かと重なりあう呼吸や、誰かの笑顔の心地よさや、木漏れ日を肌で感じる刺激だとか、草むらを通り抜けて来る柔らかい風の感覚といった、五感で未来に彼が味わうかもしれない感覚をも捨ててしまった自死は、彼が意図した落とし物だとしても大きな代価だと思う。人の生死を部外者が、あれこれと口にするのは好きではないけど「誰かの笑顔」や「青空」に恋する感覚まで滅ぼす権利は「理屈」とか「思考」には存在しない。 禅のいう「まぁ、お茶でも飲みませんか(喫茶去)」は、趙州禅師が「悟らねば(修行の成功)」と真面目に考え過ぎる、若い修行僧に「頭で考えないで、感じる感覚のほうが、人生では上位なんだよ」と、「本当の悟りは、頭ではなく心で感じるものだ」と禅師は若者に教えたかったのではないかと思う。 そう美味い茶を味わった瞬間を思い出せ!それは未来にもあると… 真面目に未来の幸せを頭で考え過ぎると、人生は重荷になってしまう。ただ徳川家康は「遠き道をゆくがごとし」の言葉の後に「急ぐべからず。不自由を常に思へば不足なし」と続けました。 人生は不自由なんだよ。思うようにならないことが常(普通)だと思えば人は重荷から自由になり心が楽になる。そうすると不自由の中にも、光を感じられ、大空を感じる瞬間がきっと見つかる…その時に心に自由な感覚だけがよみがえる。それさえあれば人間は不足なしと… 今は誰もがコロナで不自由です。それぞれに人生に課題が山積みになっています。でも、誰にも空を恋しいという感覚を楽しむ心の自由は未来のシーンにも必ずあるのです。 「恋空」というステキな映画で、日本アカデミー新人俳優賞を取った経歴の彼が、死を考えた時に「空」を愛おしく感じる感覚を思い出していればと思うとさらに無念でなりません。そう映画「恋空」は、僕の故郷の大分がロケ地でした… そして、誰かが亡くなると要らぬ詮索だけが巷を飛び交います。 親に彼が俳優を辞めたいと相談した時に、お母さんに頑張りなさいと言われたとか… 何よりも子どもが先だったご両親の心が、世界中の誰よりも一番傷ついている。意味のない外野の詮索が、さらに誰かを傷つけないことを僕は切に願います。 早く梅雨が明ければよいですね。 なんだか空が恋しいです! |
■自分のことを考えた方が身のためだ 死んで花実が咲くものか |
嫌な渡世だ。気に障るニュースばっかり。すべて、世界中の独裁者どものせいだ。プーチンもまだ「独裁病」が治らない。メチャクチャしている。訓練もしないまま戦場に駆り出されたロシアの新兵たちもすぐ死んでるとか。刑務所にいた犯罪者も徴兵され、すぐに戦場で500人以上死んだとか。死刑にしたぐらいにしか思っていない。独裁者につける薬はない。早くくたばりやがれ、だ。寒くて暗いモスクワ空港の店で味噌ラーメンを食ったのを思い出す。まだソ連が崩壊する前だが、こんなに愚かな時代が来るとは思わなかった。
ウクライナの最前線では動員兵士らが戦闘を拒否したら、上官が「撃つぞ」と脅してる。逃亡兵を監視する督戦隊も脅しじゃなく殺してる。人権も何もメチャクチャだ。ロシアの若者も国に見切りをつけて国外に逃げている。逃げて当然だ。動員されたら死ぬからな。戦場に行くこと自体が間違いだ。ついでに(前も書いたが)、日本の自衛隊の若者も考えといた方がいいな。そのうち、我々が守り通してきた反軍国の精神を捨て、政府は憲法を変え「自衛軍」と書き込むんだ。 集団自衛の解釈を覆した法律まで作らせて死んだアベの悲願だし。それで9条は「戦争の歯止め」がなくなり、米軍の犬になってあちこち連れ回されるんだ。だが、予算を倍増してミサイルを何百発買って配置したところで、真っ先に自爆ドローンに襲撃されて兵士は巻き添えだ。国の防衛など親の家訓でもあるまいし、自分のことを考えた方が身のためだ。ロシアの動員兵も同じ、死んで花実が咲くものか、ってことだ。岸田首相にも「反軍思想」は全くない。主権在民、我々が雇い主なのにアメリカの使用人になって何でも言いなり。だから、中国にも小バカにされてるんだろう。 イーロン・マスクという怪しい富豪の若造が、独裁者や差別者も利用しているツイッターを買収した。あんな気なぐさめの玩具でつぶやくくらいなら、駅前でアジるかデモをする方がずっと意気も上がると思うが。しかし、買収して社員を大量にクビにしたんじゃ、きっと誰かに恨まれて仕返しされるぞ。ヤツも、世の中、カネで買えないものはないと大勘違いしてる一人だろう。トランプのアカウント凍結は「道徳的に間違いで愚かなことだ」と擁護してたヤツだけに、あの永久出入り禁止だった差別主義者トランプに凍結を解いてやるかもしれない。トランプはファシストの白人たちの暴力をあおるだろう。分断社会がさらに分断してメチャクチャになりそうだ。マスクは広告収入が増えるだろうが。資産数千億ドル、それならツイッターなんか放っといて、世界中の貧しい子たちにチョコレートやジュースを配ってやってくれ。 東京ディズニーランドじゃ、クリスマス祭りだ。世情など知ったことかとイタい女子の入場客が「クリスマスツリーに感動です」とテレビに映されて喜んでた。この島国は幼い国だ。また嫌な冬の到来だ。ここは耐えるしかないか。独裁者どもよ、消え失せろ。 |
■死んで花実が咲くものか |
生きていればこそよいこともあるだろうが、死んでしまえばすべておしまいである。
どんな状況にあっても、生きていればこそいつかよいこともめぐってくるものだが、死んでしまえばよいことも起こらない。どんなことがあっても生きていなければならないということ。 人間はいつかは死ぬ。不老不死の薬はない。 長いか、短いかはあるが、いつかは死を迎える。 誰しも、死にたくはない。 でも、死は等しく、訪れるものである。 泰然自若に、死を迎えたい。 死に急ぐことなど、もってのほか。 寿命を待つことだ。 死んで天国に行ける? 生まれ変わると、幸せになれる? それらは、すべて嘘である。 生きている、今この瞬間を大切に生きるべき、生きることを大切にしないといけない。 |
■「死んで花実が咲くものか」 死んだ後のことはどうでもいい |
日本のことわざで、「死んで花実が咲くものか」というものがあります。これは、「死んだ者には花も咲かないし実も成らないぞ」という意味です。確かに枯れて完全に死んでしまった植物には花は咲かないし実も成らないんですが…。
この言葉を言うシチュエーションってなんだろうって考えた時、まず浮かぶのは死んでしまおうと思っている人を思いとどまらせる時ですよね。なんていうかね、「これ生きてても花も実も咲かないわこれ。来世に期待」ってなってるから死んでしまいたいわけで…。トンチンカンな声掛けに思えちゃいます! 他にも、「いのちをだいじに」系のことわざはたくさんあり、「命あっての物種だ」とかも言いますね。命だけあってもな…という感じなんですが、命がなければまず幸せも感じることが出来ない、といいたいわけですね。そりゃそうだ。 しかし、逆もまた然り、という理屈を唱える主義があります。その名も「反出生主義」…。 えっっっっ みたいな名前ですよね、このまま人類は滅びろって?!みたいな感じに思えるんですが、1人1人の幸福に関しては別になってきちゃいます。反出生主義は… 生まれたくて生まれてるわけじゃない。自分の意思で生まれたわけじゃない。なのに、生まれてきたら、多かれ少なかれ必ず「いやなこと」を体験するハメになる。人生は終始幸せなことだけってことはあり得ない。勝手に生まれることにされ、不幸を味わい、最後には必ず「死」を体験しなければならない、「生」って本当に勝手なもんじゃな!!だから、これ以上不幸な人を増やすのはどうかと思います。という主張をしている、と私は思っています。うん。 これに対して反論するとすれば、「でも子供を作らなかったら、不幸があったとしても、素晴らしい幸せな経験が出来るという機会を奪うことになる」という感じ? では一方そもそも生まれたかった人の立場になると…。(生まれなかった人って何だろうって感じだけど、概念的存在かな?厳密には生まれていなくても、もう胎児になっちゃった時点で「死ぬのが嫌」だと本能的には感じているので、胎児もこの主義で言えば生きているようなもんかと思います) 生まれていないというかこの世に存在していないのだから、「幸せを感じたい」という欲求もないから「幸せを感じる機会を奪った」というのがそもそも的外れだ、生まれた人の考えでしかないんだってことみたいですね。 これ、論破ができないと一部で有名な主義なのです「反出生主義」…。私もこういわれると…。生まれてない時には意識もないし存在すらないので、幸せを感じたいなぁ!と思うわけもないのはまぁねって思います。あと、生まれたらどんなに幸せ一辺倒で暮らしたとしても、死ぬことからは逃れられないので多かれ少なかれ死の恐怖との戦いだけは約束されています。こんなに死ぬのが怖いのに、無理にこの世に人間を生まれさせるのがそもそも残酷なんだよ!っていう主張もまぁ確かに、死ぬってことを受け入れ、「幸せだったよ…ガクッ」てなるまでの間に、相当苦しむかもしれない。あれもしたかったのに、これもしたかったのに。人生まだやり残しばっかりなのに。とか…。 だが…人類がこれからも生き残っていくためにはこれはもう生まれてもらうしかない。他の生物だって、そうして生存競争してきたんだから、個人の幸せは種の繁栄と天秤にかけることはできない。だから産めよ増やせよっていうのを人類全体としては言うしかないっていう感じです。死んで花実が咲くものかー!などと言ってみて、人類からドロップアウトしようとする人を止めなけりゃならない。ってことかなーって思います。まあ人類の数はずっと増え続けているし、反出生主義が幅を利かせたほうが良いかもしれないくらいの増えっぷりなんですけどね。反出生主義は生物の本能としての「子孫を残したいよー」という気持ちには勝てていないのが現状なのかな?それに自分の人生の主役は自分だし。生まれてくる奴のことはともかくとして自分が産みたきゃ産むし。 理屈ではあってるように思うけど、生物の本能とは真っ向から対立してしまうので、従いがたいのが「反出生主義」なのかな…。 |