八百万の神 [わ] 
                      
 
  うえ かき  
  
若宇加能売神 わかうかのめのかみ 
*広瀬神社(奈良県) 
広瀬神社は大和盆地を流れるすべての河川が一点に合流し、大和川となって流れ下るその合流地点にある。地理的な条件の場所に祀られる神は川の神(水神)にほかならない。神話には登場しないが、そのルーツは伊勢の外宮の祭神であるトヨウケ神の分身であるとされる。トヨウケ神 は天照大神に捧げる食物を司る神で、ワカウカノメ神の名前の「ウカ」の語も、その意味は食物を表している。名前に「ウカ」の付いた神といえば、日本の穀霊の代表格として知られるウカノミタマ神、ウケモチ神などがいる。その共通性から、ワカウカノメ神が本来、水神でありながら、穀霊神的な性格をそなえていることがうかがえ る。 
古来、河川の流域にすむ人々は、洪水など凶暴な牙をむかないように祈ってきた。ことに河川の合流する場所や分岐する場所では、豪雨が続けばたちまち川が氾濫し、洪水が田畑を飲み込む危険があった。同時に川の氾濫は上流から泥土を運び、作物の成育をよくする肥沃な土地を生み出すという役割も持ってい た。自然は驚異と恵みの両面をどのようにもたらすか計り知れないものである。それ故、川の流域の人々は豊作を感謝し、一方で氾濫を防止したいと願い、そうした場所に水の神を祀った。川の多い日本には、そうした場所は各地にあり、古くからそこには神社が造られてきた。広瀬神社も常に洪水の危険をはらむ大和川の 力を恐れ、その霊力を畏怖して祀られた。ワカウカノメ神は大和川の神霊であり、災害の統御神(治水の神)ということになる。さらに、川のもたらす災害を防ぐことは、作物が無事に実ることを保証することでもある。ワカウカノメ神が植物神トヨウケの分身と も考えられ、朝廷から御饌都神として崇敬されたのもそうした理由からだ。広瀬神社は、朝廷から国家の重大事などの際には必ず特別に祭祀する神社に指定され、風神を祭る竜田大社と共に陰陽の神として重視された。 
古代において国家的な祭祀の対象となる偉大な神だったが、もともと大和地方の河川の神、つまり大和川の神霊だったといえる。
 
若沙那売神 わかさなめのかみ 
羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた八神の一柱。若を冠している神名は若々しく生育する意味を表している。ワカサナメ神は妹と冠するが、これは若年神の兄妹であり、同時に、夫婦であったことである。父・ハヤマト神は須佐之男命の子で、大年神の裔孫である。
 
若年神 わかとしのかみ 
羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた八神の一柱。スサノオの御子・大年神の後裔で、ハヤマト神の子。母はオオゲツヒメ神である。若を冠している神名は若々しく成長する意味を表している。年は年穀の意を表す。ワカトシ神はオオトシ神、御年神に対してのワカトシ神で、年穀を司る神の意である。次の、若沙那売神は妹と冠しているが、これはワカトシ神と兄妹であり、同時に、夫婦であったことである。
 
稚日女尊 わかひるめのみこと 
*生田神社(神戸市中央区) 
機織りをつかさどる職能神。 
日本神話では、この神が天照大神の着るものを織る機殿で仕事をしていたとき、これを見た乱暴者のスサノオ尊が、斑馬の皮を剥いで機殿の中に投げ込んだ。これに驚いたワカヒルメ神は、その拍子に機から転げ落ち、手にしていた梭(機織りの横糸を通すのに使う船形の道具)で体を傷つけ死んでしまった。神話の中で、機織りの神としてのワカヒルメ神を示す記述は、これだけである。 
もう一度この神が登場するのは「日本書紀」の神功皇后摂政前記の中である。神功皇后が、新羅遠征の事業を無事に成し遂げて凱旋し、船で大和の都へ向かおうとしてところ、神戸の沖合で船が突然くるくると回って進まなくなってしまった。そこで武庫の港(現在の兵庫県の武庫川の河口付近)によって神に占ったところ、ワカヒルメ神が現れて、「自分は生田神社にいたい」と託宣したため生田神社に祀った。その結果、海は平穏になり、無事に海を渡ることができた。神功皇后の新羅遠征に関しては、住吉神や宗像神など多くの神が、真意を発揮して海路の安全を守護している。ワカヒルメ神もそうした神霊として、風天をつかさどって神功皇后を助けた神霊である。神功皇后の凱旋に付き添って神戸の沖にさしかかったとき、ワカヒルメ神は自分は神戸に落ち着きたいと主張した。その理由は、ワカヒルメ神を祀る生田神社が神戸の氏神と言われるように、本来、神戸の地を守護する神霊だったからである。生田神社に祀られたワカヒルメ神は、そのあと、平安時代には有力な風天の神として朝廷から手厚く祀られている。それだけではない、伊勢神宮をはじめとする有力な神社と並び、疫病鎮護、年穀豊登などの守り神としても厚く崇敬され、庶民からは健康長寿、縁結びの神として信仰を集めた。機織りの神であり、祈雨の神や開発の神でもあるという複雑な性格については、一つの神霊の発展したもの、あるいはもともと別な神霊が、一つの神格になったとも考えられるがはっきりしない。 
今日のワカヒルメ神は、生田神社の祭神として健康長寿の霊験を発揮する神である。 
若御毛沼の命 わかみけぬ 
<豊御毛沼命/神倭伊波礼毘古命/狭野尊(神稲の主) 
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と玉依毘売との間に生れた四神中の第四子。 
「御饌」の名をもつ。「若」を冠しているのは穀霊の新生を予告している。後の神武天皇である。
 
若山昨神 わかやまくいのかみ 
羽山戸神と大気都比売神との間に生まれた神々八神の一柱。スサノオ神の裔孫であるハヤマトノ神の子で、若年神などの兄神。母はオオゲツ姫。若を冠している神名は若々しく生育する意味を表している。若山昨の名は叔父神である大山昨神に対して、小山を意味した名といえ る。
稚産霊 わくむすび 
*愛宕神山 
穀物の成育と深く関わる神。「ムスビ」は、カミムスビやタカミムスビなどの名前にも見られる、神による万物生育の力、子孫繁栄を約束する生殖力、植物を生育させる力、作物を実らせる力といった神秘的な働きを意味する。穀物に関するワクムスビという神名が表しているのは、若々しい五穀の種が夏に立派に成育し、秋になって豊かに実るという姿である。今年の秋に実った種は、冬を越えて次の年の春になると再び若い生命力を発揮して成育するという ように、明日の豊穣へとつながっていく。そういう農耕のなかで、ワクムスビ神は作物の成育を司る機能を持つものとして信仰されてきた。神話には神の体から五穀や蚕、牛馬などが発生するという話があるが、ワクムスビ神も自らの体から五穀を発生させる神である。日本書紀/イザナミ神に致命傷の大火傷を負わせて生まれた火の神カグツチが、その後、土の神はニヤマヒメを妻とし、2神の間に生まれたのがワクムスビ神であるという。そのワクムスビ神の頭頂に蚕と桑、臍の中に五穀が発生したとある。ワクムスビ神が祭神として祭られる有名な神社に京都の愛宕神社がある。この神社の若宮にはカグツチ神が祀られ、古くから火防せの神として庶民の信仰を集めている。しかし、そもそもこの愛宕神山に祀られた神については、丹波国を守護する地主神であったといわれる。地主神というのは、土地の開拓の神であり、その原初的な姿は山の神である。そうしたことからいえば、愛宕神社の本宮に祀られているワクムスビ神は、山の神から発展した農耕神ということになる。農耕生活を営む人々は、いろいろな山の神の力の中の1つとして、作物が成長するエネルギーに霊力を感じた。その霊力を神格化して信仰したのがワクムスビ神なのである。
 
綿津見の神 わたつみのかみ 
<底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神/そこつわたつみのかみ・なかつわたつみのかみ・うわつわたつみのかみ  
*綿津見神社・海神社 
海の神様 
山の神様である山祇の神と対になっている。いざなぎの神が黄泉の国から戻ってみそぎをした時に生まれた神。この時水の底の方で生まれたのが底津綿津見神・底筒之男命、中ほどに生まれたのが中津綿津見神・中筒之男命、水の表面で生まれたのが上津綿津見神・上筒之男命。この中の底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神が綿津見の神三神。一方の底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命の三神は住吉の神。 
綿津見神は阿曇連(安曇一族)の祖先神で、本拠地は志賀海神社(福岡県志賀島)。志賀島は「漢委奴国王」金印が出土したところ。安曇一族に関連のある場所に長野県・安曇野がある。元々の本拠地は九州であったが、一部の人たちがこの地に移 り、この名前を付けたか。  
「聞け、わだつみの声」という本名で有名。 
 
 
  うえ かき  
 


  
出典不明 / 引用を含む文責はすべて当HPにあります。