八百万の神 [おを] 
                      
 
  うえ かき  
 
大国主命 おおくにぬしのみこと 
<大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)・大穴持命(おおあなもち)・大己貴命(おほなむち) 大国主の若い頃の名前/大汝命(おほなむち)「播磨国風土記」での呼称/大名持神(おおなもち)/八千矛神(やちほこのかみ) 矛は武力の象徴で武神としての性格を表す/葦原色許男神(あしはらしこをのかみ) 「しこのを」は強い男の意で武神としての性格を表す/宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)/国作大己貴神(くにつくりおおあなむちのかみ)/葦原醜男(あしはらしこを)/八千戈神(やちほこのかみ)/大国玉神(おおくにたまのかみ) 大国を治める帝王の意、あるいは意宇国主。意宇(おう・旧出雲国東部の地名)の国の主/顕国玉神(うつしくにたまのかみ)/大物主神/八島士奴美神/清之湯山主三名狭漏彦八嶋篠/清之繋名坂軽彦八嶋手命/清之湯山主三名狭漏彦八嶋野 
/大物主神(おおものぬし)/大國魂大神(おほくにたま)/顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま) /国作大己貴命(くにつくりおほなむち)/伊和大神(いわおほかみ)伊和神社主神「播磨国風土記」での呼称/所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)出雲国風土記における尊称  
*出雲大社(島根県簸川郡)/大神神社(奈良県桜井市)/金比羅宮(香川県仲多度郡)/各地の子神社、出雲神社、甲子碑など  
国土開発の国/出雲の主宰神 
 
須佐之男神の六世の孫(旧事本紀では子供)で、出雲の主神(大国主は神格、大国主は人格として書分けられる)。 
 
大己貴命(おほなむち)には80人の兄弟がいた、ある時みんなで因幡の八上姫に求婚しようと出掛けた時、大己貴命はみんなの荷物を持つことになり、少しみんなからは遅れて行った。ここに一匹の白兎がいた、白兎は淤岐島という島にいたが本土に渡ろうと思い、海の和迩(ワニ説・鮫説あり)をだまして「自分の部族と君達の部族とどちらが人数が多いか比べてみたいから、ここから本土までずらっと並んでみてくれないか?」と言った。和迩は承知し仲間を呼んで来て並びます。白兎はその和迩たちの上を飛び歩きながら「1,2,3...」と数えていったが、もうあと1歩で本土に降りるというときに「だましたんだよー」と言ってしまった。最後の和迩が白兎を捕まえ、衣服(皮?)をはいでしまった。そこへ大己貴命の兄弟たちが通り掛かり、泣いている白兎を見て「海に使って風に当っているといいよ」と言った。白兎がそうすると、ますます傷が痛んでたまらなくなった。そこにやって来たのが大己貴命だった。大己貴命は白兎から事情を聞くと「河口に行って真水で体を洗い、蒲の花粉を撒いた上に寝転がりなさい」と教えた、兎の体は元の通りになった。(因幡の白兎)白兎は大己貴命に礼を述べるとともに「あなたの兄弟たちは八上姫の心を射落すことはできない、姫はあなたのものになります」と予言した。八上姫は予言通り、自分は大己貴命に嫁ぎたいと思うと明言した。これを面白くなく思った大己貴命の兄弟たちは大国主を殺そうとし、まずは大己貴命に「今から猪を追って行くから、そちらで待ちかまえておいて捕まえてくれ」と言い、大きな石を真っ赤に焼いて転がした。その岩に当って大己貴命はあっけなく死 ぬが、大己貴命の母が神産巣日神に願い出た結果、蚶貝姫と蛤貝姫が遣わされ、大己貴命はこの姫たちの治療で蘇生する。大己貴命が生きているのを見て驚いた兄弟たちが、次は山の中の大木に楔を打ち込み、だまして大己貴命をその中に入れ、入った所で楔を引き抜いて閉じ込めてしまった。 
   
大己貴命の母は戻ってこないので不審に思い探し回り、この木を見つけて木を裂き息子を救出した。「このまではお前は兄弟たちに殺されてしまいます。紀の国の大家彦神の所に行って相談しなさい」と言う。 
大家彦神(=五十猛神)の所に行くと、根の国の須佐之男神の所に行けと道を教え、追ってきた兄弟神たちを弓矢で追い返してした。根の国に来た大己貴命は須佐之男神の娘の須世理姫と出会い、愛しあってしまう。須世理姫は彼を父の須佐之男神の前に連れて行き、私はこの人と結婚したいと言う。須佐之男神はそれではこの男に試練を課し、それに堪えられたら結婚を認めようと言う。大国主神はまず蛇のたくさんいる部屋に連れて行かれたが、須世理姫が秘かに1枚のヒレを渡して「蛇が来たらこのヒレを3度振りなさい」と教えたので、難を逃れた。翌日は今度はムカデと蜂のいる部屋に通されたが、また須世理姫がムカデと蜂を払うヒレを渡したので、無事に過ごした。そこで須佐之男神は矢を1本野原に放って大己貴命に取って来るように命じ、大己貴命が拾いに行った所で回りに火を付けた。火に囲まれて困っていると1匹の鼠が現れて「内はうつろで広い。外はすぼまっている」と言った。大己貴命は鼠の穴の中に隠れられることに気付き、穴を掘って下に隠れ、火が地面を通りすぎるのを待った。大己貴命が無事戻って来たのを見た須佐之男神は、家の中に連れて戻り自分の頭のシラミを取ってくれと言った。大己貴命が見ると頭にはたくさんのムカデがいた。どうしたものかと思っていると須世理姫がムクの実と赤土を渡した。大己貴命がムクの実を噛み砕き、赤土を口に含んで吐き出すと、須佐之男神はムカデを捕まえて自分の口で噛み砕いてくれたと思い、可愛い奴だなと微笑んで眠ってしまった。そこで大己貴命は須佐之男神を家の柱に縛り付け、戸口には大きな岩を置き、須世理姫を連れて根の国を逃げ出した。この時、須佐之男神が持っていた生太刀・生弓矢・天詔琴を持っていった。ある所で天詔琴が木に触れてポロンと鳴り、この音で須佐之男神は目を覚まし、家を引き倒して縄を解き、大己貴命たちを追いかけてた。そして言った「お前の持って行った生太刀・生弓矢でお前は兄弟たちを倒すんだぞ。そしてお前はこの国の主(大国主)となり、現し国魂(うつしくにのみたま)となって、須世理姫を妃にし、宇迦の山の麓に大きな宮殿を作って住むんだぞ」。根の国から帰った大己貴命は須佐之男神が言った通り兄弟を打ち負かし、追放して国作りを始めた。なお発端の八上姫のは須世理姫に遠慮して、大己貴命との間に出来た子供を木の俣にはさんで因幡に引き篭った(この子供を木俣神(=御井神/井泉の神)と言う)。  
 
大国主神は多くの姫と多くの子供(日本書紀では181柱)を作った。宗像の三女神の中の多紀理姫との間に味鋤高彦根神(賀茂大神)・高比売神(下照姫神)、神屋楯姫との間に事代主神 、鳥取姫との間に鳥鳴海神。鳥鳴海神と日名照額田毘道男伊許知邇神との間に国忍富神、国忍富神と八河江比売との間に速甕之多気佐波夜遅奴美神、この神と前玉比売との間に甕主日子神、この神と比那良志毘売との間に多比理岐志麻流美神、この神と活玉前玉比売神との間に美呂浪神、この神と青沼馬沼押比売との間に布忍富鳥鳴海神、この神と若尽女神との間に天日腹大科度美神、この神と遠津待根神との間に遠津山岬多良斯神と鳥鳴海神 の家系は続いた 。 
建御名方神の母神は沼河姫とされ、沼河姫は越の国の姫で、建御名方神は諏訪湖に鎮座され、旧事本紀では「先娶 坐宗像奥都嶋神田心姫命 生一男一女  兒味鋤高彦根神 坐倭国葛上郡高鴨社 云捨篠社  妹下照姫命 坐倭国葛上郡雲櫛社 次娶 坐邊都宮高降姫神、生一男一女  兒都味齒八重事代主神 坐倭国高市郡高市社 亦云甘奈備飛鳥社  妹高照姫大神 坐倭国葛上郡御歳神社  次娶 坐稲羽八上姫 生一兒  兒御井神 亦云木俣神 次娶 高志沼河姫 生一男  兒建御名方神 坐信濃国諏方郡諏方神社」。 
 
因幡の白兎がいた島について「隠岐」との説があるが、古事記の記述は「菟答言 僕在淤岐嶋 雖欲度此地 無度因 故 欺海和迩」。 これより「沖の島」が自然で、現在白兎海岸の沖80mほどに記述通り淤岐島という島がある。地元の伝承で、白兎は最初本土にいたが洪水で流されて淤岐島まで行ってしまった。そして帰るのに困ってワニをだましたことになる。 
大己貴命(おおなむちのみこと)は素盞鳴尊のご子孫(六代後ともいわれます)にあたる。因幡の白兎のお話でご存知の方も多いでしょう。縁結びで知られる出雲大社にお祭されている神様です。大国主命など多くの別名もお持ちで、だいこくさまなどとも呼ばれ信仰されている神様です。 
よく大己貴命は縁結びの神様として信仰されますが、それはなぜでしょうか。大己貴命はかつて天照大御神に「国譲り」をなさりました。この時に、この現世(うつしよ)の事は、天照大御神にお譲りになられて、ご自身は隠退し幽冥(かくりよ)のことをおさめることになりました。そして幽冥にお鎮まりになられたのでした。幽冥とは、神様がおさめる世界のことです。この幽冥のことをおさめるとは"縁を結ぶ"ことも含まれており、それ故、大己貴命は"ご縁を結ぶ"神様として信仰されたのです。今でも毎年旧暦の神無月には出雲で神様の会議が行われます。そしてその議題には縁結びのお話もあると昔から信じられているのです。
 
大気津姫神 おおげつひめのかみ 
<大気都比売神/大宜都比売神 
食べ物の神 
伊邪那岐神・伊邪那美神の神産みの時、最後の方で産まれた神。大年神の子の羽山戸神との間に、若山咋神、若年神、妹若沙那売神、弥豆麻岐神、夏高津日神(夏之売神)、秋毘売神、久々年神、久々紀若室葛根神といった神々がいる。一方でこの神は素戔嗚神が高天原を去る時、殺されたとも古事記に ある。その死体から五穀が発生した。 
大年神は大国主神の子で、大国主神は素戔嗚神が高天原を去ったあとに生まれた子孫で矛盾している。日本書紀の場合、月読神の所行に怒った天照大神が「お前の顔は見たくない」と言ったため、太陽と月は昼と夜に別れて輝くようになったとし、昼夜起源の話になってい る。この保食神の出自ははっきりせず、一般には大気都比売神と同じ神であろうと推定される。これらの神は同じ食物神ということで、しばしば稲荷神社の御祭神の宇迦之御魂神や、伊勢神宮外宮の神である豊受大神とも同一視される。ここには保食神の「うけ」豊受大神の「うけ・うか」宇迦之御魂神の「うか」という音の共通性 。 
大事忍男神 おおごとおしお 
<
事解之男神 
イザナギ・イザナミの二神の御子。二神は大八洲を生成して国生みを終えると、次に神々を生んだ、最初の神がオオゴトオシオ神。国生みという大事を終えた後 で、この名を付けて次の神生みを始めたものか。本居宣長・古事記伝/オオゴトオシオ神は事解之男神で、この神は伊弉諾尊の御禊の条に現れるべき神であるのを、ここに誤り入れたと解釈している。
大土神 おおつちのかみ 
<
土之御祖神 
大年神の御子で母神は天知迦流美豆比売。田地を守護する神。古事記/大年神とあめしるかるみづひめ神が婚姻して10人の御子が生まれ、その中の一柱 。 
大年神 おおとしがみ 
*各地の大歳神社/飛騨一宮水無神社 
年を司る神 
年末に子供の御年神(おとしがみ)と共に各家庭を訪れ、祝福をもたらすとされ、性格から穀神とも考えられる。大年神は素戔嗚神と神大市姫神(大山祇神の娘)との間の子で、稲荷神社の御祭神である宇迦之御魂神の兄に当たる。 
伊怒比売(神活須毘神の娘)との間に大国御魂神、韓神、曾富理神、白日神、聖神。香用比売との間に大香山戸臣神、御年神。天知迦流美豆比売との間に奥津日子神、奥津比売神(大戸比売神)大山咋神(山末之大主神)、庭津日神、阿須波神、波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津神、大土神(土之御祖神)。この羽山戸神と大気都姫の間に若山咋神、若年神、妹若沙那売神、弥豆麻岐神 、夏高津日神(夏之売神)、秋毘売神、久々年神、久々紀若室葛根神。 
古事記に「こは諸人のもち拝く竃の神なり」とあり、奥津比売神が竃の神であるように読めるが、一般には大年神・奥津日子神・奥津比売神の3柱の神が竃の神(三宝荒神)であるされる。大山咋神(おおやまくいのかみ)について古事記に「この神は近つ淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神なり」とあり、比叡山(日吉神社/比枝神社/山王神社)と松尾神社の神である。 
「咋」は「杭」と同じで「ここは誰それが管理する場所である」という標識を建てたものをいう。三島の溝杭一族などというのもあるが、山咋もやはり山の管理者ということ。大山咋神は大山祇神(おおやまずみのかみ)とも深い関係がある。
 
大戸日別神 おおとひわけのかみ 
いわゆる家宅を表す六神の一柱で、家宅の守護神。建物の主たる基礎材料や主要部分を表す六神を、イザナギ・イザナミの二神が産んだ。この神の性別はわからないが、神名の意味は大戸すなわち門戸・出入口のことをさしている。本居宣長 ・古事記伝/大直日神と混同した神であると説明され、神名考には戸の字に注目して門神の一つとされる。
大戸惑子神 
 -大戸惑女神
おおとまといこのかみ 
大山津見・鹿屋野比売の間に生まれた八神の一柱で、谷および山の傾斜面を守護する神。大戸惑女神の対偶神。オオヤマヅミ・カヤヌヒメの夫婦神から最後に生まれたのがオオトマトイコ神とオオトマトイメ神である。この二神だけが彦・媛と男女の神名がつい ているが、他の六神の天之・国之の語も男女を表したものといえる。 
戸惑のトマトはタヲマリドの詰まったもので、山のたわんだ低い所をさすので、この神は山のたわんだ所、傾斜面に居る神といえる。一説に谷に流れ落ちる水をまとめて用水とし、また海にも運ぶのを司る神ともされた。
大戸惑女神 
 -大戸惑子神
おおとまといめのかみ 
大山津見(山の神)・鹿屋野比売(野の神)の間に生まれた八神の一柱で、谷および山の傾斜面を守護する神。大戸惑子神の対愚神。 
大伴佐弖比古命 おおとものさでひこのみこと 
<大伴佐弖比古命/狭手彦命 
道臣命の世の孫にあたる大伴金村の子。金村は武烈・継体・安閑・宣化・欽明天皇の5代に仕えた大連で、継体天皇の御即位を実現させた忠臣として知られる。日本書紀/宣化天皇2年(537)新羅の任那侵略をうけて大伴金村の子磐と狭手彦命に任那救助の勅命が下される。磐は三韓防衛のため筑紫にとどまり、狭手彦命が任那を鎮め、また百済を救済 した。さらに欽明天皇23年(562)大将軍として数万人の軍を率いて高麗を討ち、多くの宝物を天皇に献上した。社の言い伝えでは、これらの武功により岡の里を賜ったとされる。肥前風土記や万葉集に、狭手彦命の悲恋が伝えられている。狭手彦命は高麗出兵の前にとどまった松浦郡鏡の渡(現在の唐津市鏡)で、篠原村の美女オトヒメ(万葉集では松浦サヨヒメ)と結婚する。高麗出兵のための別れにさいし、狭手彦命は餞別として鏡を贈る。しかしオトヒメは悲しみに耐えられず、岬の先で狭手彦命の船にむかって手を振り続けた。このときに餞別の鏡が落ちたという。このことから、その岬を袖振の峰、鏡の落ちた地名を鏡と呼ぶようになったという。この悲恋は人々の琴線に触れ、万葉集に以下の和歌が伝えられる。 
遠つ人松浦佐用比賣夫恋に領巾振りしより負へる山の名 
山の名と言ひ継げとかも佐用比賣がこの山の上に領巾振りけむ 
萬代に語り継げとしこの嶽に領巾振りけらし松浦佐用比賣 
海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用比賣 
行く船を振り留めかね如何ばかり恋しくありけむ松浦佐用比賣 
大直毘神

おおなおび/なおびのかみ/なほびのかみ 
<大直日神 
*伊蘇乃佐只神社(鳥取県八頭郡)  
大直毘神は、神直毘神と共に禍をなおす神 
神道の神。日本神話の神産みにおいて黄泉から帰ったイザナギが禊を行って黄泉の穢れを祓ったとき、その穢れから禍津日神が生まれた。この禍津日神がもたらす禍を直すために生まれたのが直毘神である。 
古事記/八十禍津日神・大禍津日神が成った後に神直毘神(かみなほびのかみ)、大直毘神(おほなほびのかみ)と伊豆能売の三柱が成った。日本書紀/八十枉津日神が成った後に神直日神(かみなほひのかみ)大直日神(おほなほひのかみ)の二柱の神が成った。 またイザナギが禊の際に大直日神を生み、その後に大綾津日神(大禍津日神と同一神格)を生んだともしている。 
ナホは禍を直す意味で、ビは神霊を意味するクシビのビとも、「直ぶ」の名詞形「直び」であるともいう。直毘神は凶事を吉事に直す神で、ナホ(直)はマガ(禍、曲)と対になる言葉である 。

 
大禍津日神 おおまがつひ 
死者の世界の穢れの神格化であり、人間の生活に災いをもたらす凶事をつかさどる神。神社の祭神として厄除けの守護神として信仰される。 
黄泉の国からこの世に戻ってきたイザナギ神が、筑紫国日向の橋の小門の阿波岐原で、黄泉の国の穢れを洗い落とすために禊をする。その際、水中に洗い落とされた穢れから生まれたのがオオマガツヒ神。黄泉の国、死者の国から持ち帰った穢れから疫神が発生するという神話は、汚穢を洗い流す禊祓の儀式の由来を説明するものと解釈される。人間が不幸に見回れたり、寿命を持たずに病気で不意 に死ぬのは、黄泉の国の穢に起源するという信仰を表したものである。日本の神の多くは自然神であるが、別に、産霊(生命力)、言霊(言葉)、知恵、力といった観念や神の動きなどを神格化した神がいる、オオマガツヒ神はそうした神である。 
「マガツ」とは吉凶の凶の観念を表すもので、世の中に凶事をもたらす原因となる穢れを支配する神ということになる。吉を表すのはナオヒで、イザナギ神が禊をして八十禍津日神とともにオオマガツヒ神が生まれ、その禍を正すために汚れの落ちた 体からカムナオヒノ神とオオナムヒノ神の2神が生まれている。禊祓の儀式が待つ「浄の観念」「不浄の観念」の両面を表したものと解釈できる。吉であるカムナオヒ神とオオナオヒ神が、善、正義、清浄、平安を象徴するのに対し、凶であるオオマガツヒ神は、悪、不正、汚穢、災厄を象徴する存在であると考え られる。もともとこの神は、単なる厄疫病ではなく、祝詞などの呪いの言葉と関係する神で、神祭りのとき神に対して間違った言葉を奉じると災厄をもたらす一種の言霊的な神霊だったという。正しく祀れば凶事の災厄から守護する力を発揮する ことになる。 
大宮能売神 おおみやのめのかみ 
百貨店の神、市場の産業に繁栄をもたらす市神。 
京都の伏見稲荷大社に、主祭神ウカノミタマ神に付き従い祀られている。もともとはウカノミタマ神(稲荷神)を祀る巫女だったが、後に神格化されオオミヤノメ神と呼ばれる神になり、市の守り神として信仰されるようになった。穀物神に使える巫女から発展し、朝廷祭祀と深く関係し、朝廷の中に祀られる八神殿に食物神のミケツ神と並んで祀られた。その役割は、天皇が神に仕える神饌 、天照大神への供え物である。オオミヤノメ神は、天照大神に仕えて人間との間を取り持つ神の役割も持つとの説がある。さらに市神として広く信仰されるようになった のは、世の中の商売の発展との関わりである。食物を中心に扱う市で守護神として祀られたのが、市神としての始まり。オオミヤノメ神と並び市神として知られるカミオオイチヒメ神がいる、カミオオイチヒメ神は、平安京の官営の市場の守護神として祀られた神である(一説には祀られた神はオオミヤノメ神だったとも)。伏見稲荷大社は、平安遷都のと き空海が王城鎮護のために建設し、鎮守神として崇められた。その人々の食物を賄う市の守り神として祀られても不思議ではない。稲荷神は商業の発展とともに商売繁盛の神として、広く信仰を集めた。その商業神としての発展を支えたのが、市の神、商売の神として神威を発揮したオオミヤノメ神なの だ。オオミヤノメ神には、開業式神、開店式神と言う肩書きがある、商売福徳守護、要するに七福神の大黒様や福助人形、招き猫と同じようなものか。
 
大物主神 おおものぬしのかみ 
*大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県) 
三輪山の神/大国主神の奇魂幸魂 
偉大な、精霊の主。神の観念における「物」とは、畏怖すべき対象(鬼・魔物・怨霊・精霊など)を一般的・抽象的に表現する語。それらの「物」の主たる神を讃えて「大」を冠する。「美和の大物主の神」とあるから、奈良県桜井市三輪町の大神神社の祭神である。「大神」を「おほみや」と訓むのは、「神」と言えば三輪の神をさすほど、神のなかの神であったことに基づく。 
古来より「三輪の大物主神」として畏れ敬われて来た。大国主神は海からやってきた小さな神様少彦名神といっしょに国造りをしたが、その半ばで少彦名神は粟島(あわしま)から常世の国に去った。残された仕事に困っていた時、海の向こうからやってくる別の神を見た。尋ねるとその神は「自分はあなた自身の幸魂奇魂(さきみたま・くしみたま)である」と答え、国作りの協力を申し出た。この神が後に奈良の三輪山に鎮座、大物主神と呼ばれるようになった。この大物主神を祭る大神神社は、古式を守 り本殿を持たない数少ない神社のひとつで、三輪山そのものが御神体としている。 
大物主神の祭祀は、崇神天皇の時代に始まったと考えられる。大田田根子というものに大物主神を祀らせるよう託宣があり、探し当てたところ、自分は大物主神の子供といって次のような物語を語ったため、天皇が祭祀を任せたという記事が、日本書紀・古事記にあ る。 
活玉依姫の所に毎夜通ってくる姿、装いが素晴らしい男があり、やがて姫は妊娠した。両親が姫に父親は誰かと問いただす。姫は夫はたいへん立派な人だが名前や素性は知らないという。両親が通ってきた男の衣服の裾に糸を結びつけ、朝、男が帰ってから糸をたどったところ、神の社のところで止まっていた。そこで、活玉依姫の夫はこの山の神であることが分かった。この時、糸巻きの糸が3回転分だけ残っていたので、この神を「三輪の神」と呼ぶことになった。大田田根子はこの時に産まれた子である。 この大田田根子は鴨の君の先祖となる。 
 
出雲の大国主神の国作りの終わりごろ、協力者の少名毘古名神が常世の国に渡っていったので、独力では国作りが完成できないと慨いていたところへ、海を照らして依り来る神があって、その神が大国主神に対して、「自分の御魂を御諸山(三輪山)に祀れ」と言ったとある。これによって、大国主神が三輪の神の祭祀を約束させられたことは明らかである。 
その三輪の神が、大物主神というわけである。このように、記では、大国主神と大物主神とを、深い関係にあるとはしているものの、別神として扱っている。上巻では大国主神に五つの名があるとしているが、そこには大物主神の名はない。中巻では大物主神は、雷蛇神の神格で丹塗矢と化り勢夜陀多良比売と結婚し、富登多多良伊須須岐比売(比売多多良伊須気余理比売)を生む。この比売が神武天皇の皇后となる。 
大物主神と大国主神とは別個の神格であり、この両神を「亦の名」で結びつけていない。ところが、「出雲国造神賀詞」では、大穴持命(大国主神の別名)が「自分の和魂を鏡につけて、倭の大物主櫛ミカ玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)と名を称えて、三輪山に鎮めよ」とあり、天武朝にはこの神賀詞の骨子はできていたと考えられる。ここには大穴持命(偉大な、精霊の主で、神秘的な厳しい神霊)だとする思想があるが、記ではこれを資料としなかった 。 
神代紀上では大国主神の「亦の名」として、大物主神と大国玉神の名を掲げるが、これは神賀詞と同種の資料に拠っているわけである。崇神紀では大物主大神を祭るに大田田根子命をもってし、倭の大国魂神を祭るに市磯長尾市(いちしのながおち)をもってしている。前者は大物主神の子孫であり、後者は神武前紀に見える椎根津彦(大和国造の祖)の子孫 。大物主神は祟り神であること(崇神紀七年二月条)、倭迹々日百襲姫命と通じ蛇体を示したこと(崇神紀十年九月条)、三諸岳の神、大物主神が大蛇(正体は雷)であること(雄略紀七年七月条)などの記事は、記と同 じであるが、造酒の神であること(崇神紀八年十二月条)が付加されている(記では少名毘古名神が造酒の神となっている)。
 
大屋都比賣神 おおやつひめ 
国土に樹木の種を植え、緑豊かな国にした神が4神登場する。そのうちの3神はスサノオ尊の子供で、兄神イソタケル、妹神のオオヤツヒメ神、ツマツヒメ神(爪都姫神)。オオヤツヒメ神の木種の神としての性格はイソタケル神と同じ。神話にあるオオヤツヒメ神とその兄妹の3神は、父神スサノオ尊につれられて新羅から紀伊国にわたり、そこから全国各地へ出かけて種樹の事業を行い、それが終わると紀伊国に戻 り住んだという。 
「屋」は屋根のことで、古代では宮殿を指していた。ツマツヒメ神の「抓」は屋舎を造る製材した木材の意。樹木が、宮殿、船、家財などの構築物を生み出す神格である。やがて木を材料として造られる一切のものを司る神様になった。オオヤツヒメ神は日本の文化を祖神と も言える。 
大屋毘古神 おおやびこ 
<
大綾津日神 
家宅を表す六神の一柱。イザナギ、イザナミの二神の御子。 
大禍の意味の大綾の阿を省いて大屋といい、津は助字なのでこれを省き、その下に古をつけて大屋毘古神といった。この神は禍をなす大枉津日神と同神である。建物の主たる基礎材料や主要部分を表す六神を、イザナギ・イザナミの二神が産んだことになっている。石土毘古神は基礎材料の石と壁土を表 す神で、毘古(彦)は男性を表す。石巣比売がそれに続くが、石巣は石砂であり、比売(姫)は前神が比古であったために女性神を持ってきたのか。次に大戸日別神が生まれ 、性別はわからないが、大戸すなわち門戸・出入り口のことである。次に天之吹男神が生まれ、男性の名が付き、吹は葺に等しく屋根を葺く神。そしてオオヤビコ神が生まれる 、男性神で大屋毘古の由来は前神のアマノフキオ神が葺いた屋根を表す神名である。風木津別之忍男神が最後に生まれる。これも男性神で風害を防ぐ神と思われる。諏訪信仰の風祝や風切鎌の民俗信仰が現存 し、暴風より家を守ること第一で、家宅の守護を司る六神のうち最後の締めくくりの神として出現しているとみてよい。 
大山咋神 おおやまくいのかみ 
<山末之大主神 
*全国の松尾神社/全国の日吉神社・日枝神社・山王神社 
咋・杭と同義で、山に杭(くい)を打って「ここは私の所有地」とする意、この神が山の所有者ということか。大年神(おおとしがみ)と天知迦流美豆比売(あめちかるみづひめ)の子で、素戔嗚神の孫、大山祇神の曾孫に当たる。稲荷神社の祭神である宇迦之御魂神の甥、竃の神である奥津日子神、奥津比売神の弟に当たる。 
古事記に「この神は近つ淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神なり」とあり、比叡山の山麓の大津市・日吉大社と、京都の松尾大社に鎮座。全国の日吉神社・日枝神社・山王神社、松尾神社に勧請されている。日枝と比叡は字を変えて書いたもので、もともと比叡山はこの神の土地である。比叡山に延暦寺が入って天台宗が興きてからは、その守護神にもなった。山王とは比叡山の王という意味で、天台宗をもとする山王神道・山王一実神道も興った。日光に家康を山王一実神道で祭る東照宮を作った天海上人は 、比叡山をまるごと日光に勧請して江戸の守護とした。山王或いは比叡の神という場合、大比叡・小比叡という区別がされ、小比叡が元からここにいた大山咋神で、大比叡は後に勧請した三輪の大物主神である。日吉大社の場合、東本宮に大山咋神、西本宮に大物主神が鎮座 。
 
大山祇神 おおやまずみのかみ 
<大山津見神/大山積神 
*大山祇神社(愛媛県)/三嶋大社(静岡県) 
日本全国の山の総管理者 
娘に富士山の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)神とその対神ともいわれる木花知流比売(このはなちるひめ)神、浅間山の神の岩長姫(いわながひめ)神、稲荷神や大年神の母である神大市比売(かみおおいちひめ)神などがいる。伊邪那岐神・伊邪那美神が神産みをした時の子で、 妻の野の神・鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)もその時いっしょに生まれた。 
全国約1万社との山祇神社に祭られ、その中心は瀬戸内海の大三島に鎮座する大山祇神社である。一説に仁徳天皇の時代に創建された古い神社である。中世には瀬戸内海の水軍に篤く信仰され、武神とみなされ 、神社には多数の鎧・兜が納められた。 
三嶋大社は、一説に平安時代に大山祇神社の御祭神を勧請して創建された。その地は木花咲耶姫が管理する富士山のそばで、ひじょうにふさわしい地であることになる。全国の三嶋神社の総本社になり、鎌倉幕府・江戸幕府に保護されて東国の武士たちに武神として信仰された。 
木花咲耶姫が邇邇芸命と結婚し子供が生まれた時、狭奈田の茂穂で天甜酒を作り神々に振る舞ったという話があり、そこから大山祇神を酒解神、木花咲耶姫を酒解子神として、酒造りの人たちの間で祭られている。この系列には京都の「日本第一酒造祖神」梅宮大社がある。 
大山祇神の主な子は、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)富士山の神、邇邇芸命の妃/石長姫(いわながひめ)浅間山の神、木花知流姫(このはなちるひめ)、素戔嗚神の子の八島士奴美神の妃/足名椎命・手名椎命、櫛名田姫の両親、天之狭土神・国之狭土神、天之狭霧神・国之狭霧神、天之闇戸神・国之闇戸神、大戸惑子神・大戸惑女神など、古事記の伊邪那岐神・伊邪那美神の神産みの所に記述される。 
大綿津見神 おおわたつみ 
イザナギ・イザナミ二神の御子。海を司る神、海洋の支配神(海の神三神)の一柱。家宅の守護神に次いで海の神三神が生まれる。はじめに生まれるのが大綿津見神で 、綿は海、津見は司るの古語で、大海を司る神を意味する。次が水戸の神で、速秋津日子神、その妹(妻神)の速秋津比売神という。水戸は水の出入りする門口、港を意味する。昔、海を渡る船の止まるところは多くは河口で、湾が利用され たのは後世であった。速秋津の意味は、水の流れで禊を祓ったもので、流れのはさも意味するが、河口は湖の千満の速さに左右されるところから出た神名と思われる。比古は彦で男性、比売は姫で女性、妹は妹子で妻の意味 。 
淤加美神

おかみのかみ 
<闇淤加美神(くらおかみのかみ)/高淤加美神(たかおかみのかみ) 
*貴船神社(京都)/丹生川上神社(奈良県、淤加美神と罔象女神をお祭り)/室生龍穴神社(奈良県)/全国の意加美(おかみ)神社 
祈雨、止雨、灌漑の神 
日本神話の神。罔象女神とともに日本における代表的な水の神。娘に日河比売、その子に深淵之水夜礼花神がいて、この神の孫が大国主神になることが古事記に ある。「おかみ」は龍の古語で、龍は水や雨を司る神として信仰されていた。「闇」は谷間を、「高」は山の上を指す言葉。 
日本神話では、神産みにおいて伊邪那岐神が迦具土神を斬り殺した際に生まれたとしている。剣の柄に溜つた血から闇御津羽神(くらみつは)とともに闇淤加美神(くらおかみ。日本書紀では闇 おかみ神)が生まれ、日本書紀では迦具土神を斬って生じた三柱の神のうちの一柱が高おかみ神(たかおかみ)であるとしている。 
闇おかみ神・高おかみ神は同一の神または対の神とされ、その総称が淤加美神(おかみ神)であるとされる。古事記では淤加美神の娘に日河比売(ヒカハヒメ)がおり、スサノオの孫の布波能母遅久奴須奴神(フハノモヂクヌスヌ)と日河比売との間に深淵之水夜礼花神(フカフチノミヅヤレハナ)が生まれ、この神の孫が大国主神であるとしている。

 
奥津甲斐弁羅神 おきつかいべらのかみ 
黄泉の国から帰ったイザナグ神が禊祓をし、投げたものから化生した神々の一柱。イザナギ神が橘小門で禊祓のとき、左の手纒に成りませる神。火の神を産んだものがもとで死んだ妹・イザナミ神を黄泉国(死の国)へ追っていた背君・イザナギ神はその死体を見て驚き、恐れをなして逃げ帰ってきた。そして「穢い国(死の国)に行ってきたので、身を清めるため禊をしよう」と、筑紫日向(筑紫は九州の総称。日向は日に向かう意味)の橘小門の阿波岐原で禊祓を行った。禊のために、身につけているものを脱ぎ投げ出すと、それから十二の神々が化生した。その九番目に奥津甲斐弁羅神が生まれる。 
甲斐は山の峡と同義語で、渚と沖との間にことをいい、弁は辺である。
奥津那芸佐毘古神 おきつなぎさあひこのかみ 
黄泉国から帰ったイザナギ神が禊祓をしたおりに、投げたものから化生した神々の一柱。十二神の八番目に産まれた神。 
那芸佐のナギサは渚で、渚に打ち寄せる波を表したもの。ヒコは比古(彦)で男性の呼称。 
奥津日子神 
 -奥津比売神
おきつひこのかみ 
<
奥津日子 
竈の守護神 
大年神の御子、母は天知迦流美豆比売。 
古事記/オオトシ神とアメシルカミルミヅヒメ神が婚姻して十柱の神が生まれた。オキツヒコ神・奥津比売命・大山咋神・庭津日神・阿須波神・波比岐神・香山戸臣神・羽山戸神・庭高津日神・大土神。オキツヒコとオキツヒメの二神は 今も人々が崇める竈の神である。奥津はカマドの下の余燼をオキまたはオキ火というところから生まれたと思われる。大戸の戸は、竈をヘッツイともいうが、そのへであろう。かまど神を祀るる風習は庶民の間に根強く、仏神 の三宝荒神に置き換えられている地方も多い。 
奥津比売神 
 -奥津日子神
おきちひめのかみ 
<
大戸比売神 
大年神の御子、母は天知迦流美豆比売。奥津日子神とともに竈の守護神とされる。 
古事記伝/「されここに竈ノ神というのは、比古神、比売神二柱をさすか、はた比売神一柱か定かならず。旧事記/この二神者とあれど、よりがたし。若し二柱をさしていわば、この二柱の神者とあるべき例なり。且大戸という名も、比売神にのみあれば、竈の神はこの一神をのみというのか、されどなお定めがたくぞおぼゆる」とある。
息長足姫尊 おきながたらしひめのみこと 
*日牟禮八幡宮 
應神天皇の御母君、攝政の宮として統治された神功皇后の御神霊。  
御年神 おとしがみ 
年穀を司る神 
大年神の御子。古事記/オオトシ神と香用比売神が婚姻されて、大香山戸臣神とオトシ神の二柱の御子神をもうけたとある。オトシ神は父神のオオトシ神を受けての神名で、年穀を司る神である。大も御も同義語 。
 
思兼神 おもいかねのかみ 
<思金神(命)/常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)/思兼神/八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)/八意思金神/天思兼神 
*秩父神社(埼玉県秩父市)/戸隠神社(長野県長野市)/阿智神社(長野県阿智村)/静神社(茨城県那珂郡)/地主神社(京都市東山区)  
記紀/高御産巣日神の子。思兼とは数多くの人々の知恵と思慮を一人で兼ね持つ知謀にたけた神。 
須佐之男命の乱行に怒った天照大御神が天岩屋に身を隠し世の中が暗闇となったとき、八百万神がこの思金神に何か知恵を出してくれるよう頼んでいる。これに答え天宇受売命に天岩屋の前で踊らせ、それを周りで囃し立てて天照大御神が不思議に思い顔をのぞかせた瞬間に、天岩屋の脇に控えてい た天手力男神が天照大御神の手を取って引き出すという策を授けてた。 
天孫降臨の際、高御産巣日神と天照大御神に葦原中津国の平定に誰を使わしたらよいか問われ、始めに天之菩卑能命を、その後報告がなかったので天若日子を、これもまた報告がなかったので様子を見させに鳴女という雉を推挙した。そして最後に建御雷之男神を推挙し遣わされて平定がなされ国譲りが成し遂げられた。 
いざ邇邇芸命が天降る際には、天照大御神から「思金神は私の意を体して祭祀をとりまとめ、政を行うように」と言われ同行している。 
 
先代旧事本紀/思金神は信濃国に天降り、阿智祝部(あちのはぶりべ)らの祖となったと伝えられ、知々夫国造の祖神ともされる。 
思金神は建前と関係のある手斧初の儀式の主神である。大工が建前にかかる初日に、正面を南向きにして頭柱を立て、柱の正面に天思兼命と書き、右側に手置帆之神、左側に彦狭命と記し、さらに裏面に年月日、建主名を墨書きするものである。思兼の「カネ」はカネジャクの「カネ」に通じ、これは曲尺、短尺のことである。この曲尺は直角に曲がった物差しで大工金とも呼ばれる大工道具の中では一番大切な物である。このことから思兼命が手斧初の主神となった 。 
日本の神々の大多数をしめる自然神とは異質な性格を持つ。自然神と区別する場合、オモイカネ神のような存在は観念神といわれ、文字通り、人間の観念や霊の動き、その力といったものを神格化した神である。 
本居宣長・古事記伝/「数人の思慮る智を一の心に兼持る意なり」と説明している。数多くの人間の知恵を一身に結晶させているのがオモイカネ神である。古代社会では自然の摂理をよくわきまえ経験を積んだ長老の知恵こそが平和な生活を維持するための大事な要素だった。人々はその知恵に畏敬の観念を持ち、長老が持つ知恵を集積した霊的存在を一つの理想像と した。叡智を極めた姿を神格化したのがオモイカネ神なのである。 
 
 
  うえ かき  
 


  
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