あ い うえ お かき く さ た な は ま や わ |
迦具土神 |
かぐつちのかみ |
香用比売 |
かぐよひめ 須佐之男命の子の大年神の妻になり、大香山戸臣神と御年神とを生む。 ●微光を発する物に依り憑く巫女。「香」は「かぐ」の音を表す。「かぐよ」は「かがよふ」(光りがうすぼんやりちらちらする)の語幹。神異の光を揺曳させる物とは、農耕祭祀のための稲魂を形象化した玉や農耕機具の光沢ある鉄をさすと考える。その物に憑依する のが巫女である。 ●大香山戸臣の神(おほかぐやまとみ) 須佐之男命の子の大年神 と香用比売との間に生れた二神中の第一子。 偉大な微光を発する山の、立派な神霊。微光を発する玉や鉄の原石を含む山が「香山」である。「戸」は呪物や呪的行為につける接尾語。「臣」は元来「おほみ」で「大霊」の意であった。それが「おみ」と短呼され、敬称ないしは人臣の意に用いられた 、ここは敬称。「戸臣」の約が「とみ」。農耕祭祀や機具の原料を採る山の神格化。 ●御年神 (みとし) 年穀(稲)の神。須佐之男命の子の大年神と香用比売との間に生れた二神中の第二子。 |
春日神 |
かすが |
家宅六神 |
かたくろくしん |
河童 |
かっぱ 農作業を手伝ったりもするイタヅラ好きな者 ●小松和彦「憑霊信仰論」の中で神と妖怪の差は、きちんと祀られているかどうかであると言う。人間に色々な害をなす霊もきちとん祀れば神になり、放置されると妖怪とな り人々にいたづらをする。「お化け」の代表ともいうべき器物の霊は付喪神(つくもがみ)と呼ばれる。そういった妖怪の中でも最も人間に馴染深く、様々な伝説を残しているのが河童と天狗である。 河童は水の精と考えられ、亀のような甲羅があり、頭の上のお皿の水がなくなると死んでしまうとされる。河童は悪戯者で子供が川で泳いでいるのを襲って尻子玉を抜いてしまうと言われ、また馬を水中に引き込んで溺れさせたりすると言われる。各地に河童と人間が相撲をとったという話があり、また水の中に引き込まれそうになって、河童の手を切り落としたという話もあり実際に「河童の手」と称するものがあちこちに保管されている。 ●河童は悪戯の一方で人間の手伝いもし、河童が田植を手伝った話、柴刈をしてくれた話などが各地に見られる。河童は秋になると山に登って山童になるという説もある。 柳田国男「河童駒引」で河童は猿と同質ではないかと述べている。河童の異名に「かわたろう」「がたろう」などとあるが、一部の地域では「えんこう」と言う。柳田は「えんこう」とは「猿猴」ではないかと考えた。中野美代子「孫悟空との対話」で、猿が馬の保護者であるという考え方が日本をはじめとして東南アジア、インドにまで分布し、馬の保護者である猿と馬に害をなす河童と対を形成している。河童の手は左右つなが り、引っ張ると抜け落ちるという俗説があるが、中国ではテナガザルについて同じ俗説があり、やはり猿と河童には密接な関係がありそうだ。 吉野裕子「陰陽五行と日本の民俗」で河童の体形は猿ではないか、顔は鼠に似て、さらに亀(龍)の甲羅とそろい、これは子・申・辰の三合水局になっていると指摘している。吉野によれば河童が馬を水の中に引きずり込むことができるのは、河童が水で馬が火なので水剋火の理であり、また夏の土用の時期に河童祭りを行なう所があるのは、これも土剋水だからではないかとしてい る。全くの偶然だが芥川龍之介の命日「河童忌」も7月24日でまさに土用の最中。 河童の話 |
金山彦神 -金山毘売神 |
かなやまひこ |
金山姫神 -金山彦神 |
かなやまひめ |
竃神 |
かまどがみ 各家庭の台所を守る神 ●ある所に東長者と西長者がいた。二人は大変仲がよく一緒に釣りに出たりしていたが、ある時潮待ちして休んでいた時、東長者は寄木を枕に眠ってしまったが、西長者が眠れないでい ると海の中から竜宮の神様が出てきた。「寄木の者、寄木の者、東長者と西長者の所に子供が生まれましたから位を付けに行きましょう」と声を掛けた。すると寄木が「私は今人間の枕にされていて行けません。私の代わりに行って来てもらえませんか」と答た。竜宮の神様はしばらくして戻り「東長者の子供は女の子で塩一升の位、西長者の子供は男の子で竹一本の位を付けて来ました」と言った。寄木が「塩一升は付けすぎではありませんか?」と言うと、竜宮の神様は「いえ。あの子はそれほどの生まれをしています」と言った。西長者は神様たちの会話を聞き、自分の子供は竹一本にされたが、これは今の内に何とかしておかねばと思い、東長者を揺り起こした。「東の旦那。私は今夢を見ました。あなたの家でも私の家でも子供が生まれたようです。帰りましょう」そして帰る道々「ねえ、東の旦那。あなたの家に生まれた子供が女の子で私の家に生まれた子供が男の子だったら、あなたの子供をうちに嫁に下さいませんか。そしてあなたの家に生まれた子供が男の子で私の家に生まれた子供が女の子だったら私の子供をお嫁にもらって下さいよ」と相談した。東の長者も「いいですね」と二人は約束して家に帰った。家に帰 ると神様たちの言った通り、東長者の所には女の子が、西長者の所には男の子が生まれていた。 子供は大事に育てられ、18になった時約束通り結婚した。幸せに暮らしていたが五月の麦の収穫祭「あらまち」の日、妻が麦の飯を炊いて神様にも供え、夫にも「一俵の麦を一斗になるまでつき、一斗の麦は一升になるまでついた麦です。今日はあらまちの祝いですから、これを食べてくださいね」と出すと、夫は「俺は米の飯しか食ったことない。麦飯など食えるか」と言ってお膳をひっくり返した。妻は「私はここで暮らしをすることはできません。この家はあなたのお父さんが下さった家ですから、あなたの自由にして下さい。私は出て行きます」と言い、ひっくり返した茶碗を拾い、こぼれた麦飯を一粒残らず集め、家を出て行った。 家を出た所で二人の神様が話をしていた「麦の奴さえも蹴飛ばされるとはな。我々もこの家に残っていると何されるかわからん。大北の炭焼五郎は心も美しく働き者だというからそこへ行こう」と語っていたので、女はよい話を聞いたと思い、炭焼五郎を訪ねた。女が炭焼五郎の家で一晩の宿を乞うと、五郎は「ここはきたない家だから、向こうの大きな家に行った方がいいよ」と言ったが、女が「こんなに暗くなってしまってはとても歩けません。雨だれの下でもいいですから泊めてください」と言うと、五郎も女を中に入れてくれた。 家に入ると五郎は炒米のお茶を出してくれた。女は持ってきた麦飯の御飯を半分五郎にあげた。五郎も有難がって一緒に食べました、女は「どうか私を嫁にしてください」と言った。五郎はたまげ「貴女のような立派な方を嫁にしたらバチが当りますよ」と言ったが「そんなことはありません。私のかつての望みですからお願いします」と言うと五郎も承知して二人は夫婦になっ た。それから五郎が炭を焼くと、しばしば炭の中に黄金が入っていて、あっという間に長者になった。 女房に出て行かれた竹一本の男のは、貧乏になり竹細工を売り歩く身分になっていた。ある時男が炭焼長者の家を訪ねて来ると、男はもう女の顔を忘れていたが、女は覚えていて、竹細工を値段の倍で買ってやった。男は「物の値段の分からない馬鹿な女がいるな。大儲けしてやれ」と大きな竹の篭を作って持っていったが、女に別れた時の茶碗を見せられると、恥じ入り、そのまま死んでしまった。 女は哀れみ家の竃の下に埋めてやった。「お前には何もしてやれませんが麦の御飯だけはこの竃で炊いて供えてあげますから、好き嫌い言わずに食べてくださいよ」と言った。男は心を改め竃を守る神様になったという。 ●竈神は一般には男神とされる地方が多く、ひょっとこ(火男)もその一種の変形とされるが、子沢山の女神なので家庭を守ってくれるのだとする地方もある。田の神とは別神とみなされることが多いが、同じ神様だという説も一部の地方にはある。 竈神と雪隠(せっちん=便所)の神は兄弟であるとも言われる。竈神は三宝荒神(さんぽうこうじん)と同神で、三宝荒神は竈神の別名との説あり。三宝荒神は正体不明の神で、 国語辞典で「三宝荒神の三宝とは仏法僧のことである」とあるが竈神に至言はない。「三宝」は本来「三方」で、三人の神様をまとめて指している説自然である。この三神について、日蓮・御義口伝は「飢渇の神・貪欲の神・障礙の神で、三毒即ち三徳となる」としている。この口伝で三宝荒神は十羅刹女であるとしている。一方民間伝承 は、古事記の大国主神の話の記述から、三宝荒神は大年神・奥津彦神・奥津媛神の三神であるという説がある。弘法大師「三昧の風に無相法身の用を磨く」として、心いらだつ時は荒神、心静かなる時は如来 で「三」は仏教の「三昧」から来たもので、三宝荒神の本体は文殊菩薩であり大空となるとしている。三宝荒神の本地仏について、文殊菩薩説以外に不動明王説、火聖歓喜天説がある。 |
神活須毘神 |
かみいくすびのかみ ●大年神の妃神である伊怒比売神の父神。「古事記」には、カミイクスビ神の娘・イヌヒメ神はオオトシ神と婚姻したとある。カミイクスビ神の活須毘は産霊と同じ意味なので、神産巣日神と同神とも考えられる。娘の神名の伊怒は、「出雲風土記」に出雲群伊怒郷とあるので、地名ではないかと思われる。須沼毘神ともいう。本居宣長は「古事記伝」で、須沼毘の沼はあとで誤り入れられたのであろうと推論している。ちなみに、イヌヒメ神とオオトシ神との間にできた御子神は、大国御魂神・韓神・曾富理神・日向神・聖神である、と「古事記」に記されている。 |
神大市姫神 |
かみおおいちひめのかみ <大市比売神 *市比売神社/大内神社 市場の神、五穀神 ●大山祗神の娘。素盞鳴尊と結婚し大年神、宇迦之御魂神を生む。 古来、道と道とが交差する場所をマチタ(衢、巷、街)といった。チマタに人が集まり、ものが集散し市が形成された。全国に大市の名が付く地名が残っているが、古く に市があったことと関係する。そうした場所に当然、市の繁栄を支配する心霊が発生した、それがカミオオイチヒメ神である。「神大市」の意は、「神々しい、立派な市」ということである。父に山の神の総元締オオヤマヅミ神、子に穀物神の代表格をカノミタマ神(稲荷神)持つことから 、カミオオイチヒメ神の源像は、山の神や穀物を斉き祀る巫女的な存在と考えられる、また市の神は本来食物神(穀物神)であった。市という商業の発展により商業の神としての機能を強め、市場の繁栄を守る神へと変化した。もともと市は、山の神の恵みを里のものと交換する場であった 、市で交換される食物や物資は、いずれも神の恵みであり、巫女はその神を祀り、市が繁栄することを神に祈った。古くは、巫女が神の神託によって交換する諸物価なども決めていたともいわれる。 土地によって市神の名前は違っていることもある。古くから市神として祀られていたのが厳島神社の祭神のイチキシマヒメ神である。京都市下京区にある市比売神神社は、カミオオイチヒメ神とともにイチキシマヒメ神を祀っている。この神社は元は平安京の市場の守護神を祀った物である。ほかに大国主神や大黒天、あるいは恵比寿であったり、ときにはウカノミタマ神であったりすることもある。このように神名は異なっても、その機能は基本的に同じである。ただし、ほかの神様は、その本性として直接的に市に関わる神ではない。その点、山の神や穀物神と深く関係するカミオオイチヒメ神は、 名の通り「市」の繁栄を司る神として発生し、古くから市の神として祀られてきた神霊である。市の守り神としては、今宮戒神社(祭神はコトシロヌシ神)も有名である。 |
神直毘神 |
かみなおび |
神産巣日神 |
かみむすびのかみ <神皇産霊神 *安達太良神社(福島県) 出雲系の根本神 ●古事記で天御中主神の次に、対になる高御神産巣日神とともに出てくる神様。一般に神様の系統は高天原系(天神系)と出雲系(地祇系)に分かれ、高御産巣日神は高天原系の祖神、神産巣日神は出雲系の祖神と考えられる。神産巣日神は後に、大穴牟遅神(大国主神)が兄神たちに迫害された時、それを助ける役割を果たした。 |
神大市比売神 |
かむおおいちひめのかみ ●大山祇神(おおやまずみのかみ)の娘で、素戔嗚神(すさのおのかみ)の妃神のひとりで、稲荷の神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)や年末に家庭を訪問する大年神(おおとしがみ)の母にあたる。富士山の神である木花咲耶姫神(このはなさくやひめのかみ)とは姉妹になる。 |
神倭伊波礼毘古の命 | かむやまといはれびこ ●神聖な大和国の磐余の男性。「伊波礼」は奈良県桜井市西部から橿原市東南部にかけての地域。「石寸・いはれ」は「石村」の古字で「村」の古語を「ふれ」という。神武前紀に「邑(むら)に君有り、村(ふれ)に長(ひとごのかみ)有りて」、神功前紀に「荷持田村・のとりたのふれ」に例がある。 したがって「石村」は「いはれ」と訓む。 「磐余」は「いはあれ」の約で「いはれ」と訓む、この地名は「堅固な村」の意。 |
賀茂建角身神 | かもたけつぬみのかみ *下鴨神社 五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除 ●神産巣日神の子、上賀茂神社の賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)は孫。「賀茂大神」と混同するが賀茂大神(味鋤高彦根神)とは無関係。 ●賀茂始祖伝/元々一族は宮崎の高千穂に住んでいたが、建角身命の代に神武天皇の東征の際、日向の山中で日の神からの天啓を受け、長髄彦との戦いで苦戦していた神武天皇の元に赴いて、紀州熊野から大和へ至る道を先導した。これにより天皇より八咫烏(やたがらす)の称号を頂 いた。これは後の錦冠位のようなものである。神武天皇在位中は葛城にいて天皇を補佐し、天皇が亡くなられた後は岡田の賀茂に閑居したが、神武天皇の子の綏靖天皇が再びお召しになりそれを助けた。奥様は神伊可古夜日女(かむいかこやひめ)で、氷上町の神野社に祭られてい る。その間に生まれた玉依姫は建角身命とともに京都下鴨神社に、玉依姫の子の賀茂別雷神は京都上賀茂神社に祀られた。 ●山城国風土記逸文(釈日本紀)/賀茂建角身命は大倭の葛木山の峰に宿り、そこから次第に移動し、山代の国の岡田の賀茂に至り、山代河にしたがって下り、葛野河と賀茂河とが合流する所に 行き、賀茂の川を見渡し「この川は狭く小さくはあるけども石川の清川ではあるよ」と言った。そこから石川の瀬見の小川という。その川から上り、久我の国の北の山の麓に住居を定めた。 賀茂氏は実際に雄略天皇の頃に葛城山の勢力を倒し、代わりに入ったものとされる。後に大和朝廷が奈良盆地の北の方へ勢力を広げ始めると、交通の要所である岡田に展開したよう だ。葛城の下鴨神社に事代主神が祭られ、岡田の鴨神社には賀茂建角身命が祭られている。事代主神は木津川・淀川を通って、三島の溝咋姫のところ(現・三島鴨神社と溝咋神社)へ通ったといわれ、上記山城国風土記の建角身命と同様に木津川・淀川を使用してい る。 事代主神が木津川と桂川の合流点から南下して淀川方面に行った(淀川河口の近くには事代主神を祭る今宮戎神社や事代主の降臨の場所とされる石津神社がある)のに対して、建角身命は北上して京都方面に展開し、鴨川上流の賀茂神社に落着かれた 。 ●賀茂神社・縁起譚/神武天皇の東威遠征の際に大烏(八咫烏)となって道案内したとされる。上賀茂神社に祭られる賀茂別雷神は孫に当たる。京都は鴨川を中心に町づくりがなされ、鴨川の下流に 祭られるお社から「下鴨(しもがも)さん」「下鴨神社(しもがも)」と親しくよばれる。正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、賀茂建角身命/西殿、玉依媛命/東殿。 ●古代の京都をひらいた神さま。山城の国一宮として京都の守護神として祭られている。平安京が造営される 際、当神社に成功のご祈願が行われた。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められた。山城国・風土記/玉依媛命が鴨川で禊をされているときに、上流より流れ来た丹塗の矢を拾われて床におかれたところ、矢は美しい男神になられ結婚された 、お子をお生みになったとの神話が伝えられ、古くから縁結、子育ての神さまとして信仰されてきた。 古事記、日本書紀に、賀茂建角身命を金鵄八咫烏(きんしやたからす)として表わす功績が伝えられ、導びきの神として方除、厄除け、入学、就職の試験などの合格、交通、旅行、操業の安全等多方面に神徳を顕わして いる。 ●三輪山伝説(みわやまでんせつ) 苧環(おだまき)型説話ともいう、神婚説話であり、記紀をはじめ中世を経て近代に至るまで、形を変えながらも伝えられて来た説話の形式。 その要素は女の許に名前もわからない男が通い、子をみごもり、男の素姓を知ろうとした女は衣に糸をつけ、糸を辿ると男は神であったことを知る説話である。最も古い古事記の説話は、活玉依毘売(いくたまよりびめ)の許へ大物主神が毎夜通い、みごもったのにも関わらず名もわからないので、親の教えにしたがい、男の衣の裾に糸を刺しておしたところ、糸は三勾(みわ/三輪の地名のいわれ)しか残らず、糸の通り尋ねて行くと三輪山に至り、神の社まで続いていたというもの。これに対し、逆に女性が神で、男性が人である説話を羽衣(はごろも)伝説という。 ●赤幣(あかへい) 三輪明神は古来から「方除(ほうよけ)」「厄除(やくよけ)」の神として信仰が篤い。三輪が舞台となる神話に関わる色は赤である。古事記/大物主神が化けたのは丹塗(にぬり)の矢(赤く塗った矢、雷神の象徴ともいう)であり、三輪山伝説/活玉依毘売(いくたまよりびめ)が名もわからぬ男の裾に糸をさす前に、播き散らしたのは赤土(はに)であった。丹塗の「丹」は水銀のことで、古代ではよく古墳の埋葬部に邪鬼(じゃき)除けとして真赤に塗られ た。 三輪山伝説の赤土もやはり悪霊をはらい、その場を清める意味で使われた。「赤」は陽/火/血などの連想から神聖な色とされ、古来魔除けのみならず、神話とも深く結びついている。大神神社では開運厄除・方除の御幣として「赤御幣」(赤幣)を授与している 、玄関の外にまつり、家に邪悪な霊が入って来るのを防ぐ。 ●丹塗矢(にぬりや) 神武天皇の皇后となった比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)の話。 大物主神は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)があまりに美しいので見添めた。そこで丹塗矢に化けて溝より流れ下り、その美人が川を跨いだとたん下腹部を突いた。比売は走り出し、あわてふためき、その矢を持って来て床の辺に置いたところ、姿麗しい実男が現れた。それが大物主神であった、その間に生まれたのが比売多多良伊須気余理比売 だ。 山城国風土記逸文/賀茂建角身命は丹波の伊賀古屋日売(いがこやひめ)を娶って玉依日子(たまよりひこ)、玉依日売(ひめ)を産んだ。玉依日売が川遊びしている時、丹塗矢が川上より流れ下って来たので持ち帰り、床の辺に挿し置くと孕んで賀茂別雷命を産んだ。 |
賀茂玉依姫 |
かものたまよりひめ *下鴨神社(京都) ●賀茂建角身神の娘で、川遊びをしていた時に拾った丹塗りの矢(火雷神)に感じて賀茂別雷神を生んだ。賀茂別雷神の父を求め、黄色い船に乗り川を遡ったという説話もあり、このことから貴船の名前が生まれた 。 玉依姫という名前はあちこちにあるが、基本的には神の依代となる巫女に付けられた名前。 |
賀茂別雷神 |
かもわけいかづちのかみ *上賀茂神社(京都) ●山城国風土記逸文(釈日本紀)/賀茂建角身命の娘の玉依日売(たまよりひめ)が石川の瀬見の小川で川遊びをしていたとき、丹塗りの矢が川上から流れて来た。それを持ち帰 り寝床の近くに挿しておいたところ、身籠もって男の子が生まれたいう。この子が賀茂別雷神である。成人する時に祖父がお祝いに八尋の家を造り、八戸を堅く固めて、八腹に酒を醸造し、人々を集め七日七晩の宴会をしてから、その子に「お前のお父さんにもこの酒をあげなさい」と言ったところ、その子はお酒を持って屋根を突き抜け、天まで昇っていった。そこで、この子の父は神様であることが分かった。お祖父の賀茂建角身命と母の玉依姫は京都下鴨神社に祭られ、お祖母の神伊可古夜日女(かむいかこやひめ)は氷上町の神野社に祭られている。別雷神の父の火雷命(ほいかづちのみこと)は長岡町の乙訓神社に祭られている。また別雷神/玉依姫/賀茂建角身命は三井の社(現下鴨神社内三所神社)にも祭られている。 |
鹿屋野比売神 -大山津見神 |
かやのひめ |
香山戸臣神 |
かやまとおみのかみ ●大年神と天知迦流美豆比売神との間に10人の子が産まれ、七番目の子。 ●天知迦流美豆比売(あめのちかるみづひめ)との間の子 奥津日子神(おきつひこ) 奥津比売命(おきつひめ) - 別名 奥津比売命神(おほへひめ)。竈(かまど)の女神 大山咋神(おほやまくひ) - 別名 山末之大主神(やますゑのおほぬし)。比叡山の山の神で日吉神社の祭神 庭津日神(にはつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神 阿須波神(あすは) - 屋敷の神 波比岐神(はひき) 香山戸臣神(かぐやまとみ) 羽山戸神(はやまと) - 山の麓を司る神 庭高津日神(にはたかつひ) - 庭を照らす日の意。屋敷の神 大土神(おほつち) - 別名 土之御祖神(つちのみおやのかみ)。土の神 |
木俣神 |
きのまた |
吉備津彦 |
きびつひこ |
あ い うえ お かき く さ た な は ま や わ |