企業文化

梯子を外すホンダ流改革だるまの目入れ企業文化を大切にマーケティング優良企業現場リーダーの条件イキイキ社員をつくるフォロワー育成真の現場リーダー本物の改革リーダーの条件
【企業文化】人間の精神の働きによって創出され、企業活動を高めてゆく上の新しい価値を生み出してゆくもの。 
【企業文明】企業活動上の外面的条件や秩序を構成する物質文化。 
【民族】同じ文化を共有する企業集団。 
【民族意識】同一の企業に属しているという自覚。 
【文化遺産】前社長の時代の企業文化で現在に伝わるもの。 
【文化価値】文化面から企業をより豊かにする社史上の価値。 
【有形文化財】ヒット商品、建造物、土地、保有資産の総称。 
【無形文化財】知的財産、株主、銀行屋、株屋の総称。 
【重要文化財】会長、相談役、顧問。 
【指定文化財】天下り役員。
  
【史跡名勝天然記念物】価値を失った塩漬け資産。 
【社会主義経済】競争を排する仲良し談合体質の経済体制。 
【物質文化】金が全ての物質的なものに基づく文化的所産。 
【文化企業】企業内文化を指導理念とした企業。
  
【文化人】企業内でのみ通じる文化・教養を身につけた人。 
【礼楽】「礼」は企業の秩序を定め、「楽」は社員を企業文化で染め上げるものとして、戦後企業によって尊重された。 
【野蛮】企業内の文化を理解しないこと。 
【方言】部内課内で用いる特有のことば。 
【文武】事務的な面と営業的な面。 
【社内】会社の中。 
【外界】外の世界。社外。 
【環境】企業をとり囲んでいる事物。企業内環境と社会的環境とに大別する。
   
【臭い物に蓋をする】悪事や醜聞が外部にもれないように安易な一時しのぎの手段をとる。 
【懶い・物臭い】物事をするのがおっくうである。めんどうである。 
【邪魔臭い】邪魔に思われる。めんどうくさい。 
【水臭い】情愛が薄い。他人行儀である。よそよそしい態度。  
【腐縁】長く続いて離れようとしても離れられない悪縁。 
【古臭い】新鮮さがない。時代おくれである。古風である。 
【泥臭い】姿やふるまいがあかぬけていない。いなかくさい。やぼったい。 
【延命】寿命を延ばすこと。長生きすること。長命。延齢。 
【伽羅臭い】不相応にみえを飾って、こしゃくである。はでにふるまいすぎて生意気である。 
【時代がかる】古風で古くさい感じに見える。古めかしくて大げさな感じになる。 
【阿呆臭い】いかにもばかげている。ばかくさい。あほくさい。
   
【取巻】人にまつわりついて機嫌をとる。権勢のある人にこびへつらう。 
【雰囲気】その場所、そこにいる人たちが自然に作り出す暗黙の共通認識。ムード。 
【御太鼓】相手にへつらって、きげんをとる。とりまき。たいこもち。 
【外様・外方】直系ではなく傍系であること。 
【身内】ごく親しい血縁関係にある人。親族。一族。みより。同じ親分に属する子分。 
【味方・御方・身方】自分が属しているほう。志を同じくしたり、同一の敵にたちむかったりする仲間。 
【付合】人と交わりをもつ。交際する。行動をともにすること。 
【社交】人と人とのつきあい。社会での交際。世間のつきあい。 
【交際】人と人、また、国と国とが互いにつきあうこと。 
【交際家】 交際の広い人。社交家。 
【交際費】官庁や会社などで職務上のつきあいのために必要な費用。
  
【義理】世間的なつきあいの上で、仕方なしにする行為やことば。「義理で出席する」 
【愛敬付合】世間の義理としての通りいっぺんの交際。ひととおりのつきあい。 
【挨拶】交際を維持するための社交的儀礼。人と人との関係が親密になるようにはたらきかけること。 
【付届】交際上または義理上から贈り物をすること。賄賂(わいろ)。 
【捨台詞】別れぎわに相手をおどしたり、さげすんだりする気持でいう、悪意のあることば。 
【失礼】礼儀を欠くこと。礼儀をわきまえないさま。無作法。欠礼。失敬。 
【御愁傷様】相手の期待がはずれたことなどを軽く皮肉っていうのに用いる。お気の毒さま。 
【御苦労様】苦労が無駄に見えることを嘲笑していう語。 
【御世話様】他の人が自分のために骨を折ってくれることをいう語。
   
【有り難う】コストゼロで相手に好感情を与える言葉。 
【換言】別の言葉に言い換えて表現すること。 
【諫言】目上の人の欠点や過失を指摘して忠告すること。諫(いさ)めること。 
【甘言】相手の気分をよくさせて取り入るための甘い言葉。 
【教訓】教えさとす。いましめる。 
【赤提灯】一杯飲み屋。 
【闇夜に提灯】ひどく困まっているときに頼りになる物に巡り会う。 
【白張りの提灯】紋がないことから「文なし」にかけて金を持っていないこと。 
【吊し上げる・釣し上げる】一人を大勢の人できびしく責めなじる。 
【連む】行動をともにする。仲間になる。連れ立つ。 
【割看板】寄席でつるし行灯に、真打と準ずるもの一人をならべて書いたもの。 
【金看板】世間に誇らしげに示す主義や思想。確実なこと。信用できること。 
【一枚看板】多人数の仲間のうちで他に誇りうる中心人物。ほかに取り柄はないが、たったひとつ他に誇りうるものがあること。 
【表看板】世間に対して示す主な名目。表面だけの名目。
  
【大看板】第一流の人。 
【エース】(英ace)各種のスポーツ競技で、チームが勝つために最も大きな働きをする選手。 
【オールマイティー】(英almighty)何でも完全にできること。 
【サポート】(英support)支持すること。支援すること。また、元気づけること。 
【したり顔】うまくやったというような顔つき。得意そうな様子。自慢顔。 
【作顔】とってつけたような不自然な顔つきをすること。わざと気むずかしい顔をしたり愛想のいい顔つきをしたりするさま。 
【聞知顔】わかっているようなそぶり。ききがお。 
【梯子酒】次から次へと場所を変えて酒を飲み歩く。はしご。 
【村八分】仲間はずれにする。 
【行掛】物事の進み具合。はずみ。なりゆき。 
【 梯子を外す】〈人の〉支援を突然やめる。援助を打ち切る。
 
梯子を外す

 

「すごいねぇ。うん、すごいよ。すばらしい。がんばってね。これからも期待してるよ。」 
これでは弱すぎるかもしれない。煽て上手はもっとたくさんの言葉を使うような気がする。褒めて褒めて褒めまくって相手の鼻を高くしているだろう。煽って煽って煽りまくって相手を宙に浮かせているだろう。相手の心の中の小さな火を燃え上がる炎に変えているだろう。良い所を具体的に指摘して、一つの言葉に十の言葉で反応し、相手に謙譲の隙を与えないほど褒めまくっているだろう。幸か不幸か私にはできない。褒めることは良いことだと思う。「良い」と思ったら褒めた方が良いと思う。しかし褒めっ放しには賛成できない。褒められたために起こした相手の行動に対して、責任を持ってほしいと思っている。 
「おだてる」は「煽てる」と書く、「煽動」の「煽」である。悪いイメージが浮かんだが、「煽ぐ」という使い方もする。うちわで煽いで風を起こすのは悪いことではない。「扇」という漢字を使うことの方が多そうだが、もともとの意味は異なるのだろうか。「煽る」は「扇る」とは書かないらしい。やはり「煽」には悪いイメージがある。 
褒める行為は「評価」である。しかし褒める行為の相手に及ぼす良い影響が知られるようになって、褒める行為は「手段」になったような気がする。ほとんどの人は褒められると嬉しいだろうし、自信を持てるようになる人もいるだろう。褒めることで相手を幸せな気持ちにすることができる。だから褒められる場合は褒めた方が良い。しかし褒め過ぎると相手は自信過剰になるかもしれない。自信過剰な状態での行動は他人に迷惑をかけやすい。他人に迷惑をかけたことで評判を落とすこともある。褒められた人が自信過剰になり他人に迷惑をかけて評判を落としたとき、その人を褒めた人は責任を取る覚悟があるのだろうか。褒めた人の責任ではなく自信過剰になった人の責任かもしれないが、やはり私は気になる。相手が自信過剰にならないか心配することがある。 
「梯子を外される」の意味は、「(上で仕事をしている間に梯子を外されて、高い所に置きざりにされる意から)味方の裏切りで、ひっこみがつかず困難な立場に立たされる。」 
褒められたために起こした相手の行動に責任を持たない褒めっ放しの態度は「裏切り」とは違うかもしれない。しかし、高い所に置き去りにする可能性があるのは同じである。引っ込みがつかず困難な立場に立たせる可能性があるのは同じである。高くなった鼻を折り大怪我をさせるかもしれない。宙から落ちて大怪我をさせるかもしれない。燃え上がった炎で大火傷をさせるかもしれない。褒めるときには注意が必要だろう。「とにかく褒めれば良い」というわけではないだろう。私の心配し過ぎだろうか。 
自分の行動は必ず他人に影響を及ぼす。小さな影響に過ぎない場合が多いが、大きな影響を及ぼすことがある。普通は影響を及ぼそうと思いながら行動しているわけではない。影響された人のことを考える必要はないだろう。他人への悪影響を怖れていたら動きにくくなる。動けなくなる。しかし、相手に影響を及ぼすために褒めるなら、悪影響のことも考えながら褒める必要がある。高い所に上ってもらうために梯子を掛けるのは良いことかもしれないが、相手が上った後に梯子を外していなくなるようでは無責任である。上ってもらったのなら下りるまで見守る必要がある。自分が無理ならせめて代わりの人が必要だろう。梯子を外すのは以ての外である。梯子を外すのなら掛けない方が良いだろう。
 
ホンダ流の改革は「2階に上げてはしごを外す」

 

ホンダは12月19日、2006年の世界販売台数が過去最高を更新する見通しだと発表した。通期の業績でも連結の売上高が初めて10兆円を超える見通しと好調だ。 
「カイゼン」と聞いて、多くの読者がまず思い浮かべる企業はトヨタ自動車だろう。いまや、異業種でもトヨタ流の生産方式を取り入れる動きがあるほど、同社のカイゼンは広く知られている。もちろん、トヨタと同業種のホンダでも地道な改善に取り組んでいる。「(あるアナリストから)ホンダがイノベーションだけで改善力が足りないと言われたがとんでもない話」と社長は語気を強めていた。取材を進めるなかで、小集団活動「NH(ニュー・ホンダ)サークル」や改善提案活動など現場力を支える仕組みが、ホンダの強さを支えていることが理解できた。現場が自ら気づいて改善を続ける風土づくりを目指している点は、ホンダ流とトヨタ流の共通点である。 
「カンバン」や「JIT(ジャスト・イン・タイム)」「5S(整理・整とん・清掃・清潔・しつけ)」など、トヨタ流の改革を表現するキーワードが広く知られているのに対して、ホンダ流のキーワードはそれほど知られていない。しかし、取材を進めるなかで、経営層や管理職層、現場など様々な社員から同じフレーズを聞いた。それが「2階に上げてはしごを外す」だ。後戻りできない状況や極限の状況に追い込んで知恵を絞らせることの例えである。あえてストレッチした状況を作り出すことによって、良い知恵を生み出してもらおうという取り組みなのだ。
  
だるまの目入れの左右の順 目入れはどちらから?

 

「願い事をするときに片目を書き入れ、願い事がかなったらもう片方の目を書き入れる」という「だるまの目入れ」は有名ですが、どちらの目から書き入れるのか、ということを気にしている人は案外多いようです。目の書き入れの左右の順は、願をかける際には「左目(むかって右の目)」、願いがかなったら「右目(むかって左の目)」という順序が一般的のようです。  
理由は諸説あります。  
例えば「陰陽五行説」では、だるまの赤は「火」を表しており、火は南の方角を表すことと、物事は東で生まれ、西で無くなる、と言われていることから、だるまを南に向けた際に東になる左目から、西になる右目という順序になったといわれています。同様の理由で、玉座は南向きで太陽は東から西に動く、ということになぞらえて、とする説もあります。どちらにせよ、「こうあらねばならない」という正式なルールはありませんし、選挙のときのだるまは最初に右目、当選して左目とするようです。  
だるまの目入れの由来  
だるまの目入れの由来は、江戸時代に流行した疱瘡(天然痘)にあるといいます。当時、疱瘡の原因は、疱瘡神によるものと信じられていて、疱瘡神は赤い色を嫌う、という言い伝えから、疱瘡患者には赤い着物を着せたり、子供のおもちゃを赤く塗ったりしていました。  
縁起物であるだるまも「赤」であることから、疱瘡除け、ひいては魔除けの玩具として使われたそうです。さらに、疱瘡にかかると、視力を失うことも頻繁にあったため、目がキレイに描かれているだるまは人気になり、目の書き方が良くないだるまは、売れないという事態が起こりました。そこでだるまを売る商人は、だるまには目を書かず、注文が成立してはじめて目を書き入れたり、目の書き入れ自体を客に任せるようになったそうです。これが「だるまの目入れ」の起源だと言われています。  
そして、だるまは有り難いものとして、仏像と同じく拝まれるものとして、目の書入れを「開眼」とも呼ぶようになりました。現代では、その目入れが変遷をとげ、何か願い事がある際に、片目を書き入れ、願いがかなったらもう片一方の目も書き入れるという儀式が行われるようになりました。なお、最近では目入れの儀式自体が障害者差別になるのではないか、という声も聞かれるようになり、昔に比べて公の場でだるまの目入れを目にする機会は減っているといわれています。 
 
なぜ優秀な会社は企業文化を大切にするのか

 

多くの優良企業で、会社全体に強く浸透している独自の文化。戦略と同等か、場合によってはそれ以上に大切な要素を、組織に根づかせ、業績につながるようにする手法とは。  
文化なき企業は、並の業績しかあげられない 
組織を一つにまとめ、社員が正しい方向にいく動機を与えるものは何だろう。多くの優良企業は、それは「企業文化」であると答える。ここでいう「文化」とは、成功につながる環境をつくる、価値観や考え方や行動方式のことだ。  
市場で勝ち抜くための企業文化の重要性は、ベイン・アンド・カンパニーによる「経営管理の手法と傾向に関する世界調査」の最新版で浮き彫りにされた。調査対象となったグローバル企業の上級幹部1200人のうち91%が「企業文化は戦略と同じくらい重要である」という意見に賛成だと答えたのである。  
ベイン社による別の調査によると、企業幹部の81%が、「文化なき企業は並の業績しかあげられない」という意見に同意した。しかし、勝ち抜くための企業文化とは、具体的にどんなことをいうのだろうか。  
まず一つは、既存の価値観や伝統に基づく企業独自の性質や精神である。例えば、トヨタの品質やコスト効率に対する姿勢と、同じようにそれらを重視するエンタープライズ・レンタカー。しかし具体的にはまったく異なる種類の姿勢である。だが、どちらの会社でもすべての社員が自社の価値観や優先課題を見分けられるような、強い環境づくりがすでにできているはずだ。  
また、そういった体質や精神を、顧客目線のアクションや収益におとしていく規範や動きも大切な文化である。そうした企業の社員は、社内政治より、顧客や競合他社を視野に入れるという健全な姿勢を保つ。会社全体の業績に対して当事者意識を持つ社員が育つのだ。  
また、官僚的な議論より、実際に動くことを重視する社員が増える。例えば9.11の直後、エンタープライズ・レンタカーの社員たちは、当時の社内ルールに反する行動を取った。ニューヨークから自宅に戻る、あるいは単にそこから離れるために片道だけレンタカーを借りたいという顧客に対し、先を争うように応じようとしたのである。  
企業に正しい文化を浸透させることは容易ではない。社員の考え方や行動習慣を根本から変える必要があるからだ。では、強い文化を築き、維持している企業は、どんな方法でそれを可能にしているのか。  
既存の伝統を把握することから  
まず、会社独特の伝統や、現在の文化の強みと弱みを理解することが大きな一歩となる。さまざまな部門の社員と一対一の議論をしてみる、もしくは、組織全体を調査しよう。そこにあるビジョンや価値観、創業者の知見などの「文化的アイコン」が、文化の一部をはっきり示していることが多い。  
オーストラリアに本店を持つセント・ジョージ銀行の元頭取、ゲイル・ケリーは、2002年の着任時に、同社には顧客を大切にする強い伝統があることに気づいた。が、同時に、管理職が責任を負う体制ができておらず、部門間の協力体制も弱く、決定が遅いという弱点も見えてきた。支店の行員たちは、長年の顧客に新商品を勧めることはもちろん、新規顧客の紹介を頼むことさえ気まずいと感じていたのだ。  
この銀行が財務実績を高めるためには、全社員が新規取引を増やし、多くの顧客獲得に責任を負う文化が必要だった。そこで、ケリーはまず、社内に新しい目標を設定した。  
「当行は、お客様の金銭的な幸福度を高める製品やサービスを提供することにより、お客様の生活に価値を加える」というものである。  
チームで目標を一致させよう  
経営チームの目標を一致させることは、最も重要なステップの一つである。この過程はまず、管理職の率直な評価から始まる。新しい文化をどれくらい体現しているか、新しい習慣を採用できる可能性はどれくらいあるかといった点を経営側が評価するのだ。そのうち、管理職の一部を入れ替えなくてはならないと気づくこともあるだろう。さらに、各管理職に正しい価値観や行動の手本になる言動をとらせるべく、評価のフィードバックを行うのだ。  
前述のケリーは、経営チームのメンバーが自分の部署に閉じこもり、互いに協力して収益を生み出すようなインセンティブはほとんどないことに気づいた。そこで、社内のリーダーが互いに協力するという目標を設定し、その文化を壊す幹部を組織から追い出した。  
新しいチームは、自分たちがこの銀行に根づかせたい文化を全員で定義した。「お客様の金銭的なニーズ全般を理解し、それを満たすことに全力を傾け、互いに協力し、率先して動く組織」。この目標は、管理職によって組織に叩き込まれた。  
変革の評価を査定にとりこめ  
文化は一つの手段であって、目的ではない。事業の戦略課題という目的をサポートできる文化を築くことが大切なのだ。まず事業目標を設定し、それを管理職に示して達成に対する責任を負わせる。そしてその成果を丁寧に評価するのだ。  
セント・ジョージ銀行では、サービスの追跡調査をはじめ、あらゆるレベルでの変革推進活動を行った。各行員の査定でも、これらの事項による評価が少なくとも15%を占めるようにしたのだ。  
さらに、組織構造、決定権、人材管理制度、評価基準、インセンティブなどの制度によっても文化は形づくられる。制度が新しい文化に一致していなければ何も変わらない。たとえば、スピード重視の文化を理想とするなら、いちいち情報をフィルターにかけるような管理職を減らさなくてはならない。職務責任を明確にすることが重要なのだ。  
変革には長い時間がかかることがある。組織が正しい道を歩むようにするためには、顧客の声に常に耳を傾ける必要がある。ケリーは、毎週十数社の顧客を訪問し、昼食をともにすること、各支店を訪問することを習慣にした。  
幹部たちもそれにならった。年に2回、トップクラスの管理職100人が顧客サービスセンターに出向いて、サービス担当者のクレーム対処の電話に耳を傾けるのだ。その結果を分析し、よりよいやり方を浸透させる努力をした。  
変革の結果に対する適切なインセンティブも重要である。たとえばケリーは顧客重視の行動に報いるため、「スター賞」と呼ばれる同僚の評価に基づく社員の表彰制度を採用した。  
これらのプロセスはどれも、すぐに変革につながるわけではない。が、セント・ジョージ銀行は明らかに新しい方向に向かっていた。4年連続で収益の二桁成長を達成したのである。この実績は、戦略のたまものであると同時に、文化によるものでもある。戦略の実行を可能にしたのは新しい文化だからだ。  
最初の調査では、経営幹部の9割が文化を戦略と同じくらい重要としていたが、メルクのCEO、リチャード・クラークのように、もう一歩先をいっている経営者もいる。「実は、文化は戦略を食ってしまう」と、彼は『ビジネスウィーク』誌に語っている。「優れた戦略があっても、それをうまく実行するための文化や制度がなければ、既存の悪しき文化が、戦略を頓挫させてしまうだろう」。 
 
7社の実例にみるマーケティング優良企業の条件

 

マーケティング戦略の優れた企業に共通するキーワードは、「市場志向」だ。では、「市場志向」とは何か? 筆者は、三つのプロセスからそれを解明する。  
「あなたの会社は市場志向ですか」と聞かれると、多くの人は「もちろん」と答えるだろう。「作ったものを売るのではなく、売れるものを作る」という考え方は市場志向と呼ばれるが、多くの会社はそうした原理に従って経営していると答える。ところが、10年ほど前からアメリカのマーケティング学界において、あらためて「市場志向」の重要性が指摘されはじめた。「口では市場志向と言っていても、あなたの会社は本当に市場志向なのか?」というわけだ。そして、「本当に市場志向を実践している企業とそうではない企業との間では収益性に差がある」とも言い出し始めている。  
こうした研究の展開を受けて、「市場志向はマーケティング優良企業の条件である」ことを実証しようと、嶋口充輝教授を研究代表として研究プロジェクトを開き、最近一応の完成をみた(嶋口充輝・石井淳蔵・黒岩健一郎・水越康介『マーケティング優良企業の条件──創造的適応への挑戦』日本経済新聞出版社、2008年)。今回はその研究プロジェクトの概要を示しながら市場志向の実践の重要性を示そう。  
アメリカの学界で話題になった市場志向は、市場志向の実践、つまり市場志向のプロセスが組織に定着しているかどうかを問題にする。これまでの市場志向の議論の中にはなかった点だが、「顧客の声をしっかり聞く」「自社の都合だけで製品開発をやらない」「営業体制をしっかり整える」、あるいは「クレームに対する対応をきちんと整える」といった細かい点を扱う。その問題意識は次のようなものだ。  
・市場志向とは組織のどういう状況を指しているのか  
・市場志向である企業とそうでない企業との区別はあるか  
・あるとすれば、それらの企業間で業績に違いはあるか  
・市場志向の企業とそうでない企業に分かれるのはなぜか  
「実践的市場志向」を把握する三つのプロセス  
そうした問題意識に従って彼らはアメリカの企業の聞き取りや調査を行う。見えてきたことは「市場志向は、次の三つのプロセスとして捉えることができる」ことだった。われわれもそれにならって、以下の三つのプロセスで市場志向の実践を把握することにした。  
(1)市場情報の把握  
市場志向を実現するための最初のプロセスは市場情報把握のプロセス。つまり、市場から必要な情報を収集し、組織として使用可能な形に整えるプロセスである。市場調査やお客様相談室や営業を通じて入ってくる顧客情報は、組織としてきちんと理解され、マーケターが必要なときに必要な形で把握されていることが重要だ。  
(2)市場情報の組織内での普及  
第二は、把握された情報を組織内に適切に蓄積し普及させるプロセス。市場から収集された情報は、最初は営業や市場調査やお客様相談室に蓄積される。しかし、そこに留まっていては、本当に必要とするマーケティング部門や開発・技術者やトップ経営者には届かない。組織内に普及させてこその市場情報だ。市場から集められた情報が組織全体に行き渡っているかどうかは、市場志向の大事な指標となる。  
(3)市場情報への反応  
最後は、市場情報への反応プロセス。市場情報・顧客の声に対して迅速かつ適切に対応できているかどうかである。「顧客の声が、すぐに実践に繋がるか」「市場対応で他社に後れをとっていないか?」といった点が重視される。加えて、たとえ情報を把握し組織内で普及させていても、「市場反応の意思決定が社内の政治バランスに左右されていると元も子もなくなる」といった点も注意される。  
以上のような三つのプロセスに注目した実践的市場志向を、ここでは「プロセスとしての市場志向」と呼ぼう。プロセスで考えるという点で、これまでの「コンセプトとしての市場志向」とは違っている。市場情報の把握・普及・反応の概念を具体的な指標にしたものをまとめて次表に示しておく。  
これらの代表的な指標については、われわれも日米韓三国で企業相手の調査で用いたが、読者の皆さんも、試しにこの質問に答えてみてほしい。「わが社の市場志向の度合い」をチェックできる。ちなみに、アメリカでの研究では、こうした諸指標で測定された市場志向レベルが上がると、その事業の成果が上がることが実証されている。とくに、(a)収益性だけでなく、(b)顧客のロイヤリティ、(c)従業員のコミットメント、そして(d)持続的なイノベーションにも好影響を与えると言われている。  
プロセスとしての市場志向の重要性は、以上の枠組みと概念の下に理解できる。が、枠組みや概念だけではいわば骨と皮だけの話。問題は、こうした枠組みと概念を実際に日本企業に当てはめて、具体的なイメージや方針として理解することが重要だ。そこで、日本企業の経営トップにインタビュー調査を行い、情報把握、普及、そして反応を考えるうえでふさわしいと思われるケースを選び出し、詳しく検討することにした。いくつかのケースはすでに本連載でも触れたことがあるが、それらのさわりの部分を紹介しながら、三つのプロセスの重要性を明らかにしよう。  
 
(1)情報把握  
お客様相談室や市場調査部は情報把握の重要な窓口となる。資生堂やサントリーが試みるお客様相談室は先進的だ。お客様からのクレームや要望に対応するばかりでなく、それらの情報を資源に変えて、社内の利用に供するための積極的な試みを行っている。  
市場調査部では花王の評価が高い。同社の市場調査部は、40年にもわたって社内で独立組織として存在感を示している。調査部は、花王の社内で企画・開発・マーケティング・販売の一連のプロセスを舵取りする存在となっている。というのは、企画から販売に至る一連のプロセスにおいて「go or not go」の判断がマーケティング担当者によってなされるが、その判断を支えるのは市場調査部が集めて分析したデータであるからだ。それらのデータは、標準化され客観化された調査プロセスによって生み出される。「消費者が欲しいと思っていない商品の市場導入を防ぐ」のは、市場調査部の役割だ。  
(2)情報普及  
多様な情報が市場から組織に入ってくる。市場調査部やお客様相談室という公式組織とは別に、営業やそれ以外の部署からも入る。積水ハウスは、「納得工房」と呼ばれる技術研究所の顧客ラボを持ち、直接顧客から情報を得る。住まいづくりに関心を持つ顧客がそこにやってきて、相談を持ちかけたり、実際に工房に置いてある現物や機器を用いて確かめたり試したりする。そうして顧客情報が集まる。その情報は、技術研究所へフィードバックされる。しかしそれに留まらない。営業や開発にも利用される。顧客情報を顧客ラボという形で集積することで、顧客情報を多重利用することが可能になる。  
同じように、営業に関連して情報集積・普及の仕組みをつくったのがカルビー。同社は、沖縄に営業情報基地を設置する。そこには、日本全国160のエリアから店舗情報が毎日集まる。エリア営業担当が毎日情報を送ってくる。そうして蓄積された情報は、(a)小売本部の商談に赴く営業担当、(b)マーケティングを打ったばかりで一刻も早くその効果を知りたがっているマーケター、あるいは(c)次なる商品開発を考える開発・技術者によって使われる。  
いずれのケースでも、技術者が聞いた情報や営業が聞いた情報をそのまま使い捨てにせず、組織に情報・知識のダムのように貯水され、市場情報の組織内普及が図られている。この組織的な効果は、優秀な技術者や営業マンをいくら集めても得ることができない組織的な効果である。  
(3)情報反応  
ちょっとした市場の偶然や差異を素早くビジネスに活かす、それも、各所で細々とした対応ではなく、大きい渦をつくっていく。これが情報反応の課題だ。  
ユニ・チャームには、開発担当者、マーケター、そして調査担当者といったメンバーで構成される開発グループがある。彼らは、消費者を使用現場において観察し、消費者のその商品の使い方やその商品の生活における意味、つまりその消費者独特のその商品に対するインサイトを把握しようとする。観察結果を巡ってそのメンバー同士で議論し、商品企画・商品設計へと直接に結びつける。  
ちょっとした偶然をコマーシャル・イノベーション(市場の革新)に結びつけたのは、ネスレコンフェクショナリーのキットカット。「きっと勝つ」との語呂合わせは偶然だが、それをコマーシャル・イノベーションに結びつける。そのために、ブランド・エクイティ、観察調査法、消費者インサイト、経験価値志向、そして互恵的なコミュニケーション戦略といった新しい概念や手法や仕組みが関わる。それが組織的にうまく駆動するようになっているのが興味深い。  
市場志向に必要な「創造的適応」と「組織のリテラシー」  
市場志向は、マーケティング優良企業の条件だ。最後にまとめとして大事な点を二点指摘したい。第一に、現場での個人の臨機応変のやり方の重要性だ。そこに、マーケティングの課題たる「創造的適応」(適応すべき需要を、みずから創造する)が起こる。これまでの常識を打ち破り新しい地平を開くのは、そうした現場での個人・グループの臨機応変さだ。それが保たれていると、反応が遅れたり、ヘンな政治的なバランスが働いたりすることはない。  
だが、そのことは何も、「ビジネスは結局のところ、有能な個人に任せておけばよい」と言っているわけでは決してない。現場での個人の力と臨機応変さを支える組織的努力が不可欠だ。臨機応変さに対するマネジメントということになる。その一端として、(1)外の情報を把握し、(2)それら情報を組織の中に普及させ、そして(3)各所でそれらを活用しようとする組織の努力にある。これにより、「情報を学び、増やし、活用する力」が組織としても現場においてもついてくる。われわれは、その力を組織のリテラシーと呼んだが、それこそが、「企業が長期にわたる着実な市場適応力の増強の源泉」となる。 
 
「沈滞チーム」を救う現場リーダーの条件

 

今、多くの企業で社員の価値観や個性まで含んだ人材把握を行い、活用する能力が減退しているという。これが原因となり社員のさまざまな不満を招いているなか、現場リーダーの果たすべき役割とは。  
個人情報保護がもたらす意思決定の制限  
今、日本の企業では人材に関する情報が減少または劣化しているように思う。そのことに経営者はどれだけ気がついているだろうか。  
企業内での人のマネジメントとは、基本的に、多様な人材情報に基づく意思決定の連続である。働く人一人ひとりについて可能な限り詳しい情報を集め、それを活用して意思決定をする。その繰り返しが人材活用の基本だ。  
ただ、そこで使われる情報は成果や能力などの職務遂行に関連した情報だけではない。個性や人間性、好み、家族背景などに関する質的な判断が必要な情報を含めて、総合的な人に関する情報が真の意味の人事には必要になる。その意味でよい人材マネジメントは働く人に関する情報の濃密さの上に成り立つのである。  
前回も少し書いたが、考えてみると、これまでの日本の雇用の仕組みは、働く人に関する総合的な情報獲得に適合的だった。例えば、長期雇用は、単に成果や職務遂行能力だけではなく、その人のもつ価値観や個性などまで含んだ深いレベルでの人材把握を可能にしてきた。もう一つ例を挙げれば、定期的なローテーションは、評価者と被評価者の組み合わせが何通りもできることで、多様な場面での情報収集を可能にしてきたのである。  
こうした仕組みのおかげもあり、過去日本企業は集めた人材情報を有効に活用して、丁寧な人材活用を行ってきた。仕事の割り振り、プロジェクトリーダーの選抜、昇進など多様な意思決定を、個人の価値観、好き、嫌い、家族状況までを含んだ総合的な観点から行ってきたのである。  
だが、そうした情報が失われている。または劣化している。大きく分けて四つの要因が考えられる。要因の一つは、人事制度自体の変革によって、人材把握基準が、大きく成果や能力などに集中されてきたことである。人材評価基準の成果へのシフトについては賛否両方から多くの議論がなされているが、案外、気づかれていないのは、潜在的能力を把握し、それを組織として蓄積する仕掛けが失われてきたことである。まず潜在能力そのものにあまり関心を払わなくなってきた。  
第二の要因が、企業の分断である。事業部制の強化やプロフィットセンター化などは、当該部門が、人材を外に出すことを拒むだけではなく、人材に関する情報を(ややきつい言い方だが)秘匿するインセンティブを与える。下手に情報を公開して、部門内の優秀な人材が、全社規模で育成する人材に選ばれたら、その代わりを見つけるのが大変だ、ということである。また、育成も現場への委譲が強まるなかで、人材情報が部門間の壁を越えにくくなる。  
分断化はさらに、現場からの人材情報流出を停滞させるとともに、人材一人ひとりについての時間をかけての多面的観察を難しくした。一つの部門内だけでキャリアを展開する可能性が高くなり、多様な視点からの情報が集まりにくくなる。また、種類の違う仕事への異動が難しくなるので、仕事内容が変化しにくく、いったんその人についての評価や見方が決まると、それを覆しにくくなる。  
第三に人材情報を集め、蓄積する部署としての人事部が弱体化した。まず、人員削減などにより人事部による情報収集が難しくなった。また、もっと重要なのは現場が人事部門を受け入れなくなってきた。ややきつい言い方をすれば、人事部が煙たがられる存在になってきたのである。  
もちろん、正確に言うと、一部の業種を除いて、昔も一人ひとりの能力や個性に関する情報を蓄積することに長けてはいなかったのかもしれない。単に、社員の名前を言えば経歴や家族構成、酒の好みまで諳んじることのできる名物人事部長がいただけなのかもしれない。でも、多くの企業で、(それなりの意味があるのだが)人事部門以外からの人事部長抜擢が増えてきた。  
さらに、最後の要因が、個人情報保護の観点だ。もちろん、個人情報保護については好ましい側面もあるが、人事部が収集した情報を企業内で活用することが難しくなってきた。人事部門が個人に関する深い情報をもっていても、それを企業内での意思決定に使ううえで制限が出てきたのである。  
求められる「人材情報濃密企業」への再生  
人材のマネジメントには、能力や成果の評価などの職務と関わる側面だけではなく、人としての側面までも含んだ情報が必要なのである。以前はこうした人材情報が比較的濃密だったように思う。もちろん、働く人から見ると、意思決定プロセスや情報自体が開示されてこなかった点で、疑心暗鬼に陥ったり、決定プロセスへの参画感が生まれなかったりすることに対して不満をもつ場合もあった。しかし、丁寧にやれば、こうした意思決定は、組織と人がともに幸せになる異動、昇進、昇給などにつながっていた。今、多くの企業でこうした濃密な情報を収集し、活用する組織能力が減退しているように思うのは私だけだろうか。  
また、人材情報劣化のなかで逆にこれまで企業があまり関心をもってこなかった人材情報に対するニーズも増加している。例えば、一人ひとりがもつキャリアについての計画。キャリア自律が進んだ現在、その人がもつキャリア目標や価値観、プライドの源泉なども重要な情報となる。いわゆるキャリアアンカー(働く人が自らのキャリアを選択する際に大切にする価値観や欲求のこと。碇のようなもの)を従業員本人に確認させる努力をするケースは多いが、企業として把握することも大切になってきた。ようやく働く人の間にも、キャリア開発を自分の手で、という自律的な考え方が浸透し、望むものが与えられないと他の企業に移る傾向も増えてきたからだ。  
例えば、(独)労働政策研究・研修機構が1999年から4000人以上を対象に継続的に行っているアンケートによると、雇用慣行の見直しの方向として、能力開発を企業に任せるのではなく、自己啓発型で行うことへの賛成の割合は70%以上であり、99年からほぼずっと上昇している。  
また最近では本人が望むワークライフバランスに関する情報も大切だ。現在ワークライフバランスへの関心が高まるなかで、結構企業は、従業員一人ひとりのワークとライフのバランスに関する考え方や、計画を知ろうとしない。個人情報だからという言い訳も成り立つだろうが、多くの企業で従業員がワークライフバランスに関わる選択をするまでわからないことが多い。例えば、次期は管理職へ昇進させようと思っていた女性人材が、妊娠し、「突然」長期の育児休暇を申請するというとき、本人にとっては全く突然ではないかもしれないのである。  
働く人の趣味やそれによって必要になる休暇などについても、モチベーション管理上、知っておくことは有益かもしれない。昔のように仕事が趣味ではないのである。何がその人の喜びの源泉となるかは聞いてみないとわからない。例えば、「釣りバカ日誌」のハマちゃんのマネジメントには、趣味の情報が不可欠だ。もちろん、現場では必要性からこうした情報をすでに収集しているケースも多いのだろうが、経営としてそうした情報をシステマティックに収集する企業は少ない。現在、個人に関する情報が集まりにくくなってくるなかで、新たな種類の人材情報に関する必要性が高まっているのである。  
人を中核とした経営では、やや聞こえは悪いが、丁寧な人間観察とそれに基づく人材情報の蓄積はより効果的な人材経営のために必要なのである。言い方を変えれば、「人材情報貧困」企業から、「人材情報濃密」企業への再生が求められている。  
戦略的であると誤解されている「人的資源」管理論  
そして、この連鎖のなかで、最も重要な役割を演じるのが、現場のリーダーである。もちろん、いつの時代でもこうした個人に関する情報は現場の管理者が最も多く集めていたいし、集まっていたのである。現場のリーダーは、人材観察をする最も有利な立場にいたし、集めた質的情報が公式情報を補ってきた。  
だが、それがいろんな理由で難しくなった。人事部の支援はなくなり、成果に追われて、部下の話を聞く余裕もなくなった。ノミニケーションは嫌われる。でも、それが現場における人のマネジメントの基本であることは今も変わらない。  
さらに大変なのは、新たに必要になってきた情報は、基本的には、働く人が自らボランタリーに提供しなくてはならない性質のものであることだ。女性従業員に出産計画を聞いて、公式人事情報として集めるわけにはいかない。  
そのため、リーダーに求められるのは、働く人が、キャリアプランやワークライフバランスに関する価値観、人生で大切にしているものなどを安心して上司とすり合わせできるような信頼関係と場づくりである。このとき、働く人の人生計画や家族状況は時間とともに変わることも考慮しなくてはならない。前はそんなこと言っていなかったじゃないか、ではだめなのである。  
もちろん、キャリアカウンセリングなどを通じて、企業として従業員と企業との意識のすり合わせをする定期的な場も必要であるし、従業員が安心して情報開示ができる体制をつくることも必要だ。現場リーダーに期待をするなら、相応の支援をすることも大切であり、すべてを現場リーダーに押し付けるのも大きな問題だ。  
今回も忙しい現場リーダーへのお願いになってしまい申し訳ないが、人材情報収集の端末は、現場リーダーなのである。その意味で、現場のリーダーには、仕事のエキスパートであると同時に、人のエキスパートであることが求められる。それは単に人事考課をうまく行うとか、目標が設定できるという人事的な側面だけではなく、人間観察力と、信頼構築力が土台である。  
ここしばらく、企業では、働く人を職務能力の塊として見たり、成果を出す資源だと考えたりする「人的資源」管理論が盛んだった。効率を重んじる方向で人事制度が改革されたこともあり、働く人を、人として総合的に見る傾向が弱まったように思う。それを戦略的な人材マネジメントだと誤解していたのである。  
いつの時代でも働く人についての丁寧な把握は、人材活用の出発点である。濃密な情報の獲得は、人材が多面性のある総合的な存在だという認識への回帰から始まる。 
 
イキイキ社員をつくる「個別人事」のススメ

 

日本企業では個別人事が中心であったが、労働環境の変化でその有り様も変遷を辿っている。企業構造の細分化や成果主義、ダイバーシティなどの観点から現在、考えられる理想の人事を、筆者が検証する。  
人事部の真骨頂は異動の場面における判断だった  
人材マネジメントの理想形は、個別人事である。つまり、一人ひとりの個性や適性、能力、希望などに合った人事を行う。それが最も望ましい。そんなことはとても無理だという声も聞こえよう。でも、実際、多くの企業で、経営に近い上層人材や、企業にとって絶対必要な専門性やスキルをもった人材については、個別人事を行っている。経営層、組織にとって最も重要な人材群については、これまでも個別人事だったのである。また、規模の小さい中堅・中小企業では、人材マネジメントは個別人事中心だった。  
もちろん、上層人材や中小企業に限らず、これまで多くの人にとっても、人事の個別性が最も如実に表れたのが、異動や配置転換の場面だった。一人ひとりをどこに動かすか、何が強みで、何が弱みか、また異動にともないどういう配慮をしておかないといけないか。人材を新しい仕事に配置する際には、与える仕事のチャレンジ度と、失敗のリスクの程度の判断が重要であり、それによって働く人の意欲のレベルや、部門の成果が大きく影響される。年一回異動の時期に、胃を壊す人事部長が多いのも、そうした緻密な配慮が要求されるからであろう。今、真っ只中にいる企業も多いかもしれない。人事部長殿、ご自愛のほどを。  
実は多くの企業で、異動の時期には、丁寧な、個に関する意思決定が繰り返されてきた。前にもこのコラムで書いたが、日本の人事部の真骨頂は、異動の場面における判断だったと言ってもよいだろう。多くの人事部門は、仕事の割り振り、プロジェクトリーダーの選抜、昇進など多様な意思決定を、個人の価値観、好き、嫌い、家族状況までを含んだ総合的な観点から行ってきたのである。丁寧な人材活用の仕組みが出来上がっていた。  
だが、こうした個別の人材マネジメントが行き届く範囲が現在狭まっているのも事実である。まず、環境要因として、事業部制やカンパニー制などによる企業構造の細分化は、社内での個別人材に関する情報の流通を妨げ、事業部門や現場には、社員についての情報を秘匿するインセンティブが出てきた。  
優秀な人材が人事部に知られると選抜によって、異動させられてしまうかもしれない。できる人は、できるだけ自分のところに置いておきたい。人材に関する情報は以前に比べて、質、量ともに格段に劣化した企業が多く、そのため個別的な判断がだんだん難しくなってきた。  
成果主義の一つの帰結は“分別人事”の進展  
またもう一つの影響は「成果主義」である。ただし、私は、「成果主義」という言葉を、人事用語としては用いていない。人事における評価・処遇制度の変化は確かに日本の人材マネジメントにおける大きな変化ではあったが、実は制度の変化としては中途半端である。むしろ、重要なのは、成果主義の影響が、単に制度の変更にとどまらなかった点だろう。いうなれば、経営の中における人材の位置づけや、人のマネジメントの仕方に関して、ある一定の変化を及ぼしたのである。  
そして、私は、成果主義の及ぼした変化として、「個別人事の進展」があったというのは正しくないと思っている。いわゆる人事用語としての成果主義という考え方は、一般的には人材の個別管理の推進であるように言われることが多い。一人ひとりの成果や企業への貢献を評価して、それに合わせた人材マネジメントを行う。それが成果主義だと言われてきた。  
実際に進んだのは、人材の“分別管理”である。つまり、選抜型の人事やリーダー層への傾斜投資など、“できる人”に多くの関心を払い、それ以外の人たちにはできるだけ効率的に行う人材マネジメントなのである。経営が意図的に、個別人事を行う範囲を狭めてきたともいえる。ハイパフォーマーについては多くの個別配慮を与え、それ以外の人材についてはマス管理をする。いわゆる成果主義の導入にともなって、タレント(優秀人材)とそうでない人の区別を明確にし、前者については個別人事、後者については集団的な管理を進めた企業が多いのではないだろうか。成果主義の一つの帰結は、“分別人事”の進展だったのである。  
ただ、同時期に、働くほうにも変化があった。いわゆるダイバーシティの増大である。また、それにともなって、「ダイバーシティ意識」と呼ぶものも台頭した。前者は、いうまでもなく人材多様性の増大であり、後者は、個性を大切にする人材マネジメントを企業に期待する意識の台頭である。  
もちろん、ダイバーシティの増大それ自体は悪いことではない。というか、ある意味では、必然である。無理やり人材の多様性を高めなくても、性別や年齢、国籍などではなく、その人のもつ能力や潜在可能性、あげてきた成果などに基づいて人材マネジメントを行えば自然と多様性は増大する。また、企業買収・経営統合、グローバル化も人材ダイバーシティを高める。  
ただ、ダイバーシティの増大によって個別人事が難しくなったのも事実である。個別人事というのは、一人ひとりの能力、適性、キャリアなどに合わせて行う人事である。当然だが、多様性が高まると、人事に関する意思決定で考慮すべき要素が幾何級数的に増加する。  
さらに、わが国の場合、ダイバーシティ増大は、外から見える多様性(いわゆる表層的ダイバーシティ)よりも、そこにコミュニケーションが介在しないと把握しにくい個人の仕事観やライフプランなどに関する多様性(深いダイバーシティ)である場合が多いため、さらに難しくなる。例えば、その人がもつキャリア目標や仕事についての考え方、プライドの源泉などの要素である。また最近では、キャリアだけではなく、ワークライフバランスに関する情報も大切になってきた。  
こうしたことは表面からはわからない。深い対話を通して、初めてわかる種類のダイバーシティである。しかし、ワークライフバランスへの関心が高まる中で、私が見る限り、多くの企業は驚くほど、従業員一人ひとりのワークとライフのバランスに関する考え方や、人生設計についての計画を把握していない。さらに、同時にダイバーシティが尊重されるべきだという意識(ダイバーシティ意識)も高くなってきた。こういう状況の中で、企業の中での人材に関する情報の流通はか細く途切れそうになっている。いうなれば個別人事への期待と必要性が高まる中で、働く人と経営の変化が、個別人事を難しくしているのである。  
ただ、ここでもう少し働く人について考えてみると、個別人事を通して、会社が自分のために人事を考えてくれているという感覚を働く人にもってもらうことができるとしたら、それはとても貴重なものである。自分は単なる数字ではない、一個の人材として会社や人事が考えてくれている。こうした感覚は、働く人を勇気づけ、働く意欲を高める。「人事や会社から見守られている」という感覚は、働く人の勇気の源泉になるだろう。  
企業においては個人的な喜びの確保も大切である  
私は今の人材マネジメントに必要なのは、個別人事を通して、働く人に、見守られているという感覚を呼び起こすことではないかと思っている。  
多くの人は、会社とは会社のロジックを追求する生き物であることは理解している。それでも経営が、成果や能力評価だけで人を判断するのではなく、自分の希望や適性をどこまで考慮しようとしてくれているか。その努力の姿勢があることで、見守られている感覚をもつのである。こういう人事を受けた人は、それが長期的な意欲の源泉となる可能性が高い。  
強調するが、このことは、働く人のことだけを考える、ということではない。働く人を大切にするということは、あくまでも企業経営の中で、人材として大切にするということであり、その人材を経営の中でどう効果的に活用するかという視点が不可欠なのである。 また、育成という視点で言えば、基本は、企業のためにその人をどう育てるかを常に考えつつ、同時にその人が望む成長やキャリアプランに対して一定の尊敬の念をもつことなのである。こうした考え方が個別人事の中核である。両者がないと、個別人事ではあっても、経営機能として成立しない。多くの企業がかつて行っていたこうした個別人事の努力が、衰退したり、一部の人に限定され始めたように思う。  
ポイントは、選抜された少数だけに限り、それ以外の人と境界線を引き、少数の人材について、個別人事を行うのではなく、どれだけ多くの人材について、個別人事を行い、見守られているという感覚を与えるかなのである。働く人の活性化のために求められるのは、個別人事の発想からの人材マネジメントだといえよう。そしてこうした作業の根底には、人材としての尊重がある。英語で言えば、リスペクトだから、敬意といってもいいかもしれない。  
言葉は難しいが、内容はシンプルである。なぜならば、人材には、経営のために存在する側面と、働く人のために存在する側面が、ともにあることを認識し、それに基づいて人材マネジメントを行うことが、人材の尊重だからだ。別の言い方をすれば、一人ひとりを単なる人的資源として活用しつつも、人として敬意を払い、そこを出発点として、企業の業績や成長と、その人の意欲や成長をどう両立させていけるかを考える姿勢が人材の尊重である。  
もちろん、経営体として働く人の視点と経営の方針がバランスしない場面も皆無ではないだろう。しかし、そうした状況は極限的である。また働く人の多くは、そうした状況があることも理解している。とはいえ平時であれば、また戦時であっても、多くの場面で、働く人の喜びと経営目標の達成を両方追求することが可能なのである。  
多くの人にとって、企業というのは、人生の多くの時間を過ごす場である。したがって、確かに経営に貢献することも大切だが、達成感、成長、満足感など、個人的な喜びを確保することも大切である。また、ワークとライフがバランスすることも大切だ。  
可能な限り、人の視点と経営の視点をバランスさせ、そのうえで人材マネジメントを行う。これがあって初めて人材マネジメントは、働く人を勇気づける個別人事になる。個別人事の基盤は、あくまでも人材の尊重なのである。今、働きがいやワークライフバランスなどが頻繁に話題にのぼる根底には、多くの企業での、こうした努力の衰退や、選抜された一部の人材への限定が見られる気がしてならない。  
あなたが働く企業はどうだろうか。 
 
成果主義の時代こそ「フォロワー育成」が必要な理由

 

日本における成果主義は「後工程」だけの改革に終わっている、と筆者は指摘する。つまり、出た成果を評価し処遇に結びつけることばかりが、重視されているのだ。人材がきちんと成果を出すためには、どうすればよいのか。  
「前工程」が欠落した成果主義の問題  
成果主義という言葉を初めて聞いて、もう15年以上がたつ。にもかかわらず、周りを見わたして、「大成功!」という事例は寡聞にして聞かない。逆に成果主義の失敗事例報告や成果主義バッシングが盛んだ。比較的初期に成果主義的な人事制度を取り入れた企業の「失敗談」を書いた本がベストセラーになり、また、働く人からの反発も大きい。  
働く人の反発は、当然のことだろう。なぜならば、成果主義的な評価・処遇制度の変化というのは、懐に直接響く可能性がある変化で、働く人は不安になるからだ。また、重要だがよく見落とされることに、いわゆる「成果主義的」な人事改革は、基本給決定式において年齢や勤続に連動した部分を廃止・縮小する施策が含まれることが多い。そのため、賃金のうち、確実に上がっていく部分が削減され、さらに働く人の不安をあおることになる。  
もちろん、今まで、評価・処遇制度の大きな変革の時期には、いつでもそれなりの不安があり、反発もあった。きつい言い方をすれば、従業員が不満なく受け入れることのできる施策を導入するだけでは、企業の変革には繋がらない。人事改革とは、それだけの努力と体力の要る作業なのである。  
さらに、導入過程での問題もあった。多くの企業で、成果主義制度が、バブル経済崩壊以降の業績悪化に対応した緊急避難的な施策として導入され、丁寧で充分な説明と、従業員の納得を得る時間的余裕のないまま、企業主導の形で、制度が導入されたというプロセスが、問題を大きくしているケースも多い。  
人事部は、こうした不安を払拭するために新しい評価基準、評価方法についての情報開示を行い、くどいほど説明するべきだったし、制度導入にあたって準備期間を充分取り、制度への理解を促進し、さらに不利益を被るグループに対する経過措置を考えることが必要だった。  
こうした導入時の納得感の欠如や余裕のなさが、不安や不満となっており、業績が少し回復してきた多くの企業で噴出しているのであろう。私の最近の研究によると、業績の上がっている企業ほど、成果主義に関する納得感の低下や、評価・処遇についての苦情が多くなっていることがわかっている。多くの企業で、これからの業績回復期にこそ、成果主義の取り扱いには注意を要する。  
だが、私は、現在実施されている成果主義には、導入プロセスの問題にとどまらない、もっと構造的な欠陥があり、そのために、多くの企業で、成果主義が、働く人から反発をくらっていると考える。また、成功の実感がつかめないなかで、従業員からの反発を心配した経営者が不安になり始めているケースも見られる。  
その構造的な問題とは、単純に言えば、今の成果主義が「後工程」だけの改革に終わっているということである。後工程とはなにか。私は、人材マネジメントには、「成果」を境にして、前工程と後工程の二つがあると考えている。前工程とは人材が成果を出すまでのプロセスであり、後工程とは、出た成果を評価し、処遇に結びつける段階である。  
もう少し詳しく見てみよう。極めて単純化して考えると、人材マネジメントの基本プロセスは、図に示されたような流れになる。つまり人材マネジメントは、四つの基本ステップからなっているのである。人材の能力を高め、能力の高まった人材に仕事を割り振り、仕事の成果を評価し、さらに評価結果を賃金やポストなど処遇と結びつける。このサイクルを回すことが、人材のマネジメントの基本動作だといっても過言ではない。  
普及の後押しとなった「人件費削減」の思惑  
これまでの成果主義的な改革は、後工程、つまり成果の評価とそれを処遇に結びつける仕組みの変化であった。評価基準における成果のウエートを高め、成果評価の結果を、賃金や賞与などの処遇と結びつける仕組みの導入や改革が成果主義と呼ばれてきた内容である。  
周知のように、この部分の改革は企業の人件費削減の思惑もあって、急速に普及した。企業業績の低迷や、従業員の高齢化のなかで多くの企業が、新しいやり方の持つ人件費削減の可能性に目をつけ、成果主義普及の後押しをした。  
だが、成果主義には前工程がある。人材が成果を出すまでのプロセスである。成果主義とは、本来なら前工程まで含めての変化であるにもかかわらず、今回の成果主義導入は、評価賃金制度の変化にとどまってきたのである。具体的には前工程に関わる三つの要因が軽視されてきたように思う。三つの要因とは、能力、チャンス(仕事)、そしてこの二つの組み合わせによって高まるモチベーションである。  
まず、人は能力を磨かないと、成果が上がらないし、成果が出ないときに、能力を高める道筋がわからないと、永遠に成果には結びつかない。したがって、高い成果を出すという目的を設定した場合、能力開発は不可欠の経営機能である。にもかかわらず、評価・処遇制度の成果主義的な改革と連動して、能力開発を同時に強化する企業は少なかった。  
そしてさらに悪いことには、多くの企業で、選抜教育の名の下に、一部のリーダー候補に教育投資を集中してきたのである。確かに、戦略を構築できるリーダーの獲得は、急務であり、私もその重要性を充分承知している。だが、同時にリーダー層がどんなにうまい戦略を立てたとしても、それを実行するフォロワー層が腐っていては、何も達成されないのである。リーダー育成は、フォロワー育成とあいまって初めて本来の効果を発揮する。  
成果主義の時代だからこそ、人材育成、それも選抜された人材だけに限定されない人材育成が重要なのである。やや文学的な表現を許していただければ、働く人の「夢」を維持するために、人材育成は重要なのである。働く人にとっては、自分の能力を高めて、成果を出し、それが評価されることがモチベーションに繋がる。人材育成は、単に能力を高めるための施策としてだけではなく、働く人のモチベーションの源泉となる経営機能なのである。  
次がチャンスというか仕事である。どんなに能力が高くても、意欲に燃えていても、成果を出せるような仕事に就けないと、チャンスが与えられないと、成果は出せない。したがって、高い評価には結びつかない。能力の高まった人材に、獲得した能力を発揮できる仕事を割り振っていく仕組みが次に重要になる。  
ちなみに、成果主義以前の能力主義(特に、その制度的枠組みとしての職能資格制度)というのは、能力に基づいて人を評価し、ポストを付与していく制度であり、能力のある人にチャンスを与えるという意味では優れた考え方である。ただ、成果が出ないときに、能力と処遇との乖離を解消するための仕組みが整っていなかったために、人件費の高騰を招いてしまった。それ以来、多くの企業で、ポテンシャルのある人材にチャンスを割り振っていくための仕組みを構築できていない。  
多くの企業で進められる「難しい実験」  
人は、自分の能力を活かせる仕事が与えられたときに最も意欲が湧く。能力の活かせる仕事ならば、それは自分にとって面白く、それ自体がモチベーションになるだけでなく、成果を出せる確率も高まって、高い報酬への可能性が見えてくる。当然のことだが、モチベーションが高いか、低いかは、成果を出すための大きな要素であり、成果主義がモチベーションを下げてしまっては、元も子もない。  
成果主義の前工程とは、働く人の能力を高め、能力を高めた人にそれを活かせる仕事を提供し、モチベーションを高く維持することを目的とした人事の仕組みなのである。通常の用語を使えば、人材育成・能力開発、配置、働きがいの提供ということになろうか。そこまで含めて、成果主義は初めて、働く人が継続的に成果を出すための人事施策になる。そうでないと、単なる成果を測るためのマネジメントになってしまう。  
そして前工程は、人材マネジメントが現在進んでいる方向を考えるとさらに重要だ。なぜならば、あまり気がつかれていないが、多くの企業で、難しい実験が始まっていると考えられるからである。具体的には、多くの企業で、コア従業員に関して長期雇用と、成果主義を組み合わせた人事管理の仕組みを導入しようとしているからである。  
例えば、独立行政法人労働政策研究・研修機構で、私たちのグループが行った研究によれば、従業員200人クラスまでを含んだ比較的代表性のあるサンプルを取った場合、40%程度の企業が、コア従業員に関する長期雇用と成果主義を組み合わせた人材マネジメントを行っていくと答えている。  
だが、本来「成果主義的」な人事管理のあり方は、究極的には、敗者が企業のなかにとどまって競争を続けるのではなく、自分の価値をより高く認めてくれる他の企業へ転出することを前提としたシステムである。退出によって、不満を解決する方策が残されていてこそ、初めて信賞必罰の人事制度は機能する。  
これに対して、多くの企業が実施しようと考えている長期雇用と成果主義の組み合わせは、基本的には、明日から敗者がもう一回同じ企業で競争に参加するという仕組みである。したがって、敗者にとって、将来は成果を挙げられると思うための仕掛け(例えば、人材育成)が重要になる。  
また、本稿では紙幅の関係で論じることのできなかった評価・処遇制度の納得性の問題が大きくクローズアップされてくる。退出によって不満を解決できない場合、評価・処遇制度への納得性や信頼がないと、不満を「我慢」したままの従業員を多く抱えてしまうことになるからである。逆に、こうした補完的な施策をきちんと揃えないと、成果主義の制度自体が曖昧にされてしまう。  
一部の企業では、すでに成果主義と長期雇用の両方のメリットを活用するため、人材マネジメントの本格的な改革を行っている。例えば、キヤノンの「実力主義による終身雇用」の考え方である。そのポイントは、まさに評価制度の納得性を高めるための膨大な量の研修と、成果主義と連動した人材育成である。  
こうした努力は決して簡単なものではない。多くの投資も必要だ。でも、このような努力から、次の人材マネジメントのあり方が見えてくるように思う。成果主義だけに頼っていては日本の人材マネジメントの将来像は描けないのである。 
 
真の「現場リーダー」が育つ土壌づくりとは

 

「業務が多忙である」「給料がそれほど高くない」……。リーダーシップ論が盛んな一方、リーダーになりたくない若者が増えている。筆者は、リーダー個人へ期待しすぎないほうが組織は強くなると主張する。  
管理職とは魅力のないポストである  
企業がリーダーシップに恋をしはじめたようだ。この頃、組織のなかの人材に求められる能力や資質として、リーダーシップが強調されることが多い。そのための育成プログラムも盛んである。多くの日本企業で、強いリーダーをつくることで、企業の再生、業績向上などを狙っているように見える。  
果たしてこうした動きは、喜ばしいことなのだろうか。有能なリーダーに期待することが、組織の競争力に繋がるのだろうか。組織論の観点から見ると、実はリーダー個人には、そんなに期待しないほうが、組織は強くなるのかもしれないのである。  
愛知県経営者協会が行った調査(愛知県経営者協会『甦れ、現場力―現場力向上と現場リーダーの育成』2006年5月)によると、調査に回答した192名のうち、約4分の1の人が、現場リーダーのポストに就きたくないと答えている。特に、192名のなかには、すでに現場リーダーになっている人もおり、そのなかでも約22%が、現場リーダーにはなりたくなかった、と答えている。  
だが、この調査でさらに面白いのは、その理由である。なかでもすでに現場のリーダーになっている回答者と、そうでない若者たち(一般社員)との違いが興味深い。「なりたくない」理由として、現場のリーダーたちも、一般社員も「業務が多忙である」をトップにあげることは変わりないのだが(現リーダー約80%、一般社員約60%)、一般社員はこれに続いて「給料がそれほど高くない」「責任が重い」と労働条件面での魅力のなさをあげている。  
いまだリーダーポストに就いていない若者にしてみれば、あんなに責任が重く、長時間労働しても、安い給料しかもらえないという意識のようである。若者のリーダーになりたくない現象は、案外合理的な計算の結果なのかもしれない。彼らにとって、管理職とは魅力のないポストなのである。  
だが、現場のリーダーたちは、「多忙」の次に、「会社の支援・育成が十分でない」(約47%)、「仕事で人をまとめる自信がない」(約33%)と、仕事を十分に執行できない点を強調している。「責任が重い」も同様に約3分の1があげている。そのせいかどうか、この調査では、「会社人である以上、上のポストを目指すのは当然だ」という文に同意する割合が、一般社員で約52%であるのに対し、現場リーダーでは、約36%と、16ポイントも下がっているのである。  
さらに、現場リーダーが会社に要望する項目についても同様の結果が出ており、複数選択を許した質問で、上位5位が、「業務量を減らしてほしい」(41%)、「部下を増やしてほしい」(26・9%)、「必要なスキルを修得する研修・教育を行ってほしい」(24・4%)、「業務に見合うだけ給料を上げてほしい」(23・1%)、「リーダーを増やし、現在の業務を分担してほしい」(21・8%)だった。ここでも仕事を十分にこなす資源や教育が与えられていないと感じているリーダーの姿が浮かんでくるのである。  
業績不振時に問われるリーダーの資質  
では、こうしたデータをどう解釈すればよいのだろうか。私の脳裏にはこうしたデータを読むときに、かつて米国で盛んに議論された「リーダーシップへのロマンス」という考え方が浮かんでくる。リーダーたちの恋物語ではない。  
これは、米国で1980年代の中期頃に盛んに議論された考え方で、組織というのは、変革の時期や、業績が悪い状態では、リーダーに期待する傾向が高まり、企業業績や状況のよし悪しが、たとえリーダーの行動や資質によるものではないとしても、リーダーにその原因を求める傾向が高いという議論である。  
なぜならば、そのほうが内部の人間にとっては安心できるし、結果がなぜ出てきたかについて、難しい謎解きもしないですむ。それよりも何よりも、責任の所在が明確になるので、対応策(と考えられるもの)をとりやすい。リーダーのせいならば、リーダーを代えればよいのだから。逆に、環境要因やみんなの協力によって幸運にも成果が出てしまったリーダーは、成功に対する高い報酬を受けることもあるが、どちらかといえば、業績の悪いときにリーダーの能力、資質、行動などのせいにされることが多い。  
さらに、この議論の主張者たちは、米国の文化では、特にこの傾向が強く、リーダーによって結果が引き起こされた(よい結果でも、悪い結果でも)ということを信じたがると主張した。いわば、社会全体がリーダーシップというものに恋をしている、とでもいうのだろうか。  
確かに、人材の育成や報酬構造なども、「リーダーが違いをもたらす」ことを前提としてつくられている。また、本心では多くの人がリーダーのせいではないとわかっていても、リーダーをほめる(叱る)ことが一種の社会規範になっているので、その秩序にはあらがえない。米国では、リーダーは、よくても、悪くても、結果の責任者だという認識を持ちたがる傾向があるというのである。  
上記のようなデータを読むときに、私は日本でもこうしたことが起こっていないか、心配になってしまうのである。今の日本に欠けているのは、強いリーダーであり、また今のリーダーの能力は足りていない。したがって、優秀なリーダーを育てることが急務だとよく議論される。  
確かに、そうした面がないわけではない。トップマネジメントのリーダーシップの欠如がわが国の企業における意思決定能力や、ひいては競争力を奪っている可能性は高い。その意味で、多くの企業が行っている、選抜型の早期リーダー育成プログラムは、間違った施策ではないだろう。  
だが、それだけでよいのか。やたらとリーダー育成がもてはやされる背景には、私たちがリーダーシップに恋をしはじめ、リーダーという存在に期待しすぎている可能性も否定できないのではないだろうか。  
もし日本の企業がリーダーシップに恋をしはじめているとしたら、そのことの弊害に注意することが必要だと思う。なかでも私が心配しているのは、リーダーというポストに課せられる期待が大きすぎるのではないかという点なのである。  
リーダーシップというのは、スキルや資質、能力の面もあるが、同時に意欲とか、かっこいい言葉でいえば、志の部分が多い。能力や資質がどんなに備わっていても、リーダーになりたくない人はリーダーには向かないのである。  
そして、このことは組織における経営リーダーの獲得に関する最近の研究を見ると、さらに難しい。というのは、トップの育成には、単に資質や能力だけではなく、さらに長い間のキャリアを通じた経験の積み重ねが必要だという極めて当たり前のことが、最近の研究で裏付けられてきたからである。  
そうなると、トップマネジメントリーダーの候補者には、高い志や意欲を長期にわたって、継続的に持ってもらわないとならない。そうでないと、必要な経験の蓄積が起こらない。気のすすまない人をリーダーに選ぶと、そのリーダーはきちんとした業績を挙げることができず、失敗する可能性が高くなる。そして、ますます将来リーダーになりたい人が少なくなる。  
上記のデータにあるような実態がこうした悪循環の兆しだとすると、昇進することが魅力的でなくなり、それでも誰かを昇進させなくてはならないので、あまり乗り気ではないリーダーが数多く抜擢されたり、また昇進した後で、そのあまりのつらさに意欲が減退して、リーダーとしての役割を十分果たせない人が多くなるのではないだろうか。  
現場のリーダーに期待しすぎてはいないか  
重要なのは、多くの人にリーダーになってもらいたいと思ってもらうことである。そのためには、逆説的だが、あまりリーダーだけに期待せずに、十分な支援を提供して、リーダーの仕事を今より楽にしてあげないといけないだろう。端的にいえば、リーダーポスト、特に現場リーダーのポストを魅力的にする必要がある。  
リーダーのポストを魅力的にする大きな要素のひとつはおそらくカネである。今、多くの企業で、成果主義の影響もあって、賃金カーブをフラットにし、成果給で格差をつける傾向がある。  
だが、当然だが、成果給は不安定である。したがって、リスクに対して挑戦的な人でないと、それを魅力的だと感じない。人は、すべてリスクテーカーであるべき、というのは正論だが、多くの人はリスク回避的なのが現実である。やはり、現場リーダーになったら、リーダーになることに意味があると感じられる昇給があってもよいだろう。  
でも、金銭面での魅力よりも、もっと重要なのは、上記のデータを読む限り、支援を提供してリーダーの仕事を楽にしてあげることである。仕事を減らすことではない。時にはそれも必要だが、支援の内容はリーダーがきちんと仕事ができるように、資源を提供することである。  
リーダーシップ論に「リーダーシップの代替物」という考え方がある。これによると、組織や現場において、リーダーシップを代替する資源として以下のようなものがあるといわれている。  
部下要因:(1)部下の知識、経験、(2)部下のプロフェッショナリズム(自律的に行動できる部下)  
タスクの特性:(3)作業の構造化の程度、(4)仕事自体の面白さ  
組織要因:(5)トップによる戦略やビジョンの明示、(6)組織としてのまとまり(例えば、価値観や文化の共有度)  
たしかに、こうした要因がきちんと揃っているとき、現場のリーダーは仕事がしやすいと直感的にも理解できる。だが、多くの企業では、ここにあげた要因の欠如を、現場のリーダーの能力と頑張りで補うことを期待してはいないか。  
さらに、現場のリーダーを支援するための、研修や教育も必要だろう。リーダーシップはある程度は資質だが、初期の段階で多くはスキルなのである。  
今、日本の企業はリーダーシップに恋をしはじめ、有能なリーダーを育成し、大きな成果を期待しはじめているようにも思える。もちろん、非常時にはリーダーの決断力が大切だ。  
でも、通常は、リーダーたちにあまりに厳しいメッセージを伝えるだけではなく、リーダーのポストを魅力的にし、きちんと処遇をし、リーダーたちの仕事を楽にしてあげる工夫も同時にしないと、リーダーポストへのなり手がなくなる(図参照)。その結果、長期的にはリーダーの再生産が難しくなり、組織が弱くなる。  
リーダーとは組織の一員なのである。個人プレーヤーではない。リーダーのためにも、組織のためにも、リーダーへの組織としての支援を忘れてはいけない。 
 
「本物の改革リーダー」6つの条件

 

改革をやり遂げるリーダーには、通常業務のリーダーとは違う資質が必要である。「本物の改革リーダー」はどのようにして選定すればよいのだろうか。また、資質が備わっているか否かを判断するメルクマールは何だろうか。  
変革に必要な能力と日常業務の能力とは全く異なる  
企業の現場は、日々、経営課題を解決すべく奮闘しているのだが、そのプロセスでさまざまな壁が立ちはだかり、壁を乗り越えることができないままに終わってしまうのは残念である。解決完了の日まで関係者をコミットさせ、最後までやり抜くにはどんな条件がそろえばよいのだろうか。  
経営課題の解決を成功させる第一のポイントは、課題解決のために責任を明確化した体制・組織を編成することである。特に、いままで経験したことのないスピードで組織の方向性を変えなければならないような場合、既存の人事の枠組みによる体制で解決することはむずかしい。また、変革を最後までやり遂げられるリーダーの資質を見抜くことも、従来の評価の枠組みではむずかしい。そこで、課題解決という明確な目標を持った組織編成の仕方と、それを率いるリーダーの資質の見極め方について、ケースをもとにしながら考えてみよう。  
ある輸送機器関連の部品メーカーでは、「製品開発の業務効率を30%引き上げる」という目標を掲げ、それを達成するために開発と初期生産の各プロセスで解決すべき課題を特定した後、課題解決のためのプロジェクトチームを既存の組織とは別に、最大3年の時限性を伴って置いた。  
プロジェクトチームの編成は、個別課題を最終的に解決する結果責任を負っている「オーナー」(多くの場合、部門長、部長クラス)、オーナーに対して問題やその原因の詳細を分析し、解決策の選択肢に関する提言を行う「問題解決提言チーム」、およびそのチームをリードする役割の「プロジェクトリーダー」、プロジェクトリーダーの下でデータ収集や個々の分析を担当する「メンバー」で構成される。  
チームづくりでは、まず特定の人間をその課題を解決させる最終責任者(オーナー)と決める。オーナーの資質は重要だ。経営的視点を持ち合わせていることはもちろん、何を自分で決めて何を経営判断にかけるべきなのかを瞬時かつ正確に判断する力、他の組織や役員を巻き込む思考力や行動力が求められる。さらに、チームをより広い視点や思考面からリードする見識の深さや、前例のない検討を強いられるチームを鼓舞し続けられる人間的リーダーシップが必要になる。  
オーナーとしてのこうしたすべての資質を備えるには長い年月をかけて計画的に育成しなければならないにもかかわらず、多くの企業ではそうした考えが一般的ではない。特定の業務領域に秀でているという能力と、変革を起こす素養とは全く別である。変革を起こす際に必要とされる資質が具体的にどれほど異なるのかに気付かず、担当業務の延長線上にあるチャレンジにすぎないと軽く考える結果、多くの企業がこのギャップに苦しむことになる。  
次にこのオーナーに対して解決策を上申する「問題解決提言チーム」を構成するスタッフの人選を行う。このチームは、具体的な複数の解決策をロジカルに、もれなくだぶりなく練ったうえでオーナーに提示し、決断を迫るという役割を負う。たとえば、先の輸送機器関連部品メーカーの例では、「解決策その一」として、「A型とB型の統合費用はいくら必要。それによるコスト削減はいくらで、それによって効率は何%向上する」と算定した。また「解決策その二」として、「A型、B型、C型3種の統合費用はいくら必要。それによるコスト削減はいくらで、効率向上は何%」と算定。そのうえでオーナーに対して、「以上の解決案のうちどれをとりますか」と問題解決提言チームが決断を迫るのである。  
こうした「問題解決提言チーム」のリーダーをどんな視点で選定するかも問題解決の成功のカギを握る。当該チームのリーダーには大きく分けて2種類のスキルが求められる。一つは、問題点や原因を把握して解決策を組み立てる際に必要な思考スキル、分析スキル、統合スキル。もう一つはチームをマネージするスキルである。  
前者を推測するメルクマールとして、例えば、論理性、データ志向性、既存の枠組みにとらわれない発想の広さ、マネジメントの視点。また性格的には、過去にとらわれず、組織の権力に物怖じしない、などが挙げられる。後者を推測するメルクマールとしては、メンバーの能力や性格を勘案した采配の巧みさ、アウトプットを創出するためにメンバーには厳しく筋を通しつつも、人間的な魅力に基づくナチュラル・リーダーシップの強さ等である。  
問題解決提言チームのリーダーは現場業務から離れ、勤務時間のすべてをこの問題に費やす立場にあることが望ましい。このためラインから引き抜いて期間限定の専属スタッフとして任命すべきである。その最大の理由は、組織のしがらみから独立させることにある。業務を兼任していれば、その業務を当面回さなくてはいけない、という当たり前の「しがらみ」にとらわれ、大胆な発想には結びつきにくい。その立場に独立性を与えることで提案の客観性は飛躍的に高まる。  
問題解決提言チームのリーダーは現業から独立させてほしいが、経験的にはこうした人材は社内で引く手あまたで、重要な現業を担当しているケースが多い。だからといって、社内の重要変革プロジェクトに閑職の社員をアサインしてはいけない。問題解決提言チームのリーダーの人選は、社内の経営問題の優先順位付けから考えるべきなのである。  
加えて人材育成の観点からもこれは意義のあることである。問題解決提言チームのリーダーは、「経営課題の解決策を考える」「プロジェクトのためにチームを組織する」「上の人間に意思決定を迫る」といった修羅場経験を積むことになるため、当人の大きな成長を促すものとなる。  
経営課題の解決を成功させる第二のポイントは、課題解決のためのプロセスにおいて、いかに幅広く社内の関係者を巻き込んでいくかにある。  
解決の仕方がわかっているのに、解決の努力が続かないという例は珍しくない。これは社員が、経営上の課題を自分の課題と認識していないために起こる。人は、自分のオーナーシップの届く範囲内にないことだと感じると、頭では理解できていても行動を起こさなくなってしまうのである。  
「問題なのはわかっていたけど、自分たち内部の人間の口からそこまではっきり言えなかった」とか、あるいは「問題があるのはわかっていたけれど、そこまで明確に理解していなかった」というのが典型的な反応である。  
これを正すためには、問題解決プロジェクトメンバーが、経営陣および関係部署の担当者たちを交えて議論を繰り返すことが必要となる。とりわけ課題と関わりの深い人たちとはできるだけ頻繁に意味のあるミーティングを行うようにする。意味のあるミーティングとは、データ収集、根本原因の特定、解決策選択肢の特定、解決策の決定、解決策の試行、修正等、実際の問題解決ステップに沿った形で目的に応じてミーティングを行うということである。これによって、解決すべき課題についての理解を深めてもらうのと同時に、それがどういう根拠や対策で解決に向かってゆくのかというカラクリを関係当事者間で共有すれば、実行プロセスにおける推進力を高めることにつながるからである。  
このように関係者を巻き込み議論を繰り返してゆくうえでのさらなるコツは、(1)推進してゆくステップ、当事者、それらの役割分担を事前に明確にしてそれらを公にすること、(2)推進ステップの具体的な活動を明確なアウトプット志向で行うこと、の2点である。  
自分がやらなくても何とかなるという「慢心」を消すには  
前者は、プロジェクトの目的である最終ゴールに到達するためには、何を、どの順番で、いつまでに、どのように、誰がやるのが適切か、そのためにはどの(量と質の)リソースが必要か、という視点で綿密な事前計画をつくって合意することにほかならない。なるべく具体的に作成するのがポイントであるが、当初からすべてを細かく計画に落とし込むのに無理があるケースでは、少なくとも全体の大まかなステップ、ステップごとの期限、ステップごとのアウトプットのほか、最初のアウトプットを創出するために当面必要な1〜2カ月の細かいアクションをまず決め、その先は進捗状況に合わせて順次決めていくということでも構わない。  
また、「公にする」とは、関係者全員に周知徹底することはもちろん、経営陣によるレビューの対象になるようにして、経営のコミットがとれた計画にすること、および当事者同士のみの「密室」のアクション計画にならないようにするという意味である。  
(2)の「明確なアウトプット志向で行うこと」とは、例えば、ミーティングの都度目的を明確にし、アウトプットを創出するために誰が何を何時までに行うのか、そのためにはどの程度の時間とリソースが必要か、ということを明確にすると同時に、ミーティングの結果どうなったのか、および次の具体的なアクションと期限と担当者は誰か、というプロセス・マネジメントを繰り返してゆくことにほかならない。これによって、やり忘れや他業務に忙殺されてできなかったといった言いわけを回避することができる。本当に努力してもできなかったのであれば、何が原因で今度はどうすればできるのかという問題解決型の議論になりやすい。  
計画自体はしっかりしていたのにプロジェクトが進まない原因の多くは、出すべきアウトプットが期限内に出ないことであり、さらにその原因の大半は自分がやらなくても何とかなるであろう、という慢心(人間の心の弱さ)に起因しているのを多くのクライアントで観察してきた。したがってこのようなプロセス・マネジメントの成果が大きいと考えている。  
自分からは動こうとしなかった人たちでも、プロジェクトチームのメンバーから指摘されて、「たぶん、そうなんだろうな」という反応がある場合は、比較的実行プロセスが進めやすい。ところが、問題があるのは確かなのだが、内部の人たちがそれに慣れてしまっていて、なぜ問題なのか理解してくれないケースも多々ある。そのような場合、従来からの慣行を変えようとすることに対して非常な抵抗をみせる。  
抵抗勢力という壁にぶつかったときは、ファクトで迫るのがよい。ファクトとは、同業他社とのベンチマーク比較や、「他業種のA社がこの問題を解決して、このくらい業績がアップした」といった実績を示して目を開いてもらうことである。「解決前・解決後」の違いに驚いて、「じゃ、われわれの場合はどうやったらそれを採り入れられるのか?」などと考えが進むようになると展開が早くなる。  
企業が抱えている課題は、経営陣、管理職、従業員にいたるまで、その企業を構成する構成員すべてを動かせなければ解決できない。  
本稿では社内を少しでも動かしやすくする技術のいくつかを紹介した。しかし、言うまでもないことだが、こうした技術は経営者の改革に対する意思や姿勢を代替するものではない。すべての改革のドライバーはトップであり、トップが強い意志を見せ、トップから権限を委譲されることで、問題解決に関わる責任者やスタッフは最大限の力を発揮する。  
いかなる場合であれ、経営課題を解決するのは、課題を抱えている企業自身であり、トップのコミットメントと構成員全員の強い意志にかかっているのである。  
 

 


  
出典「思案パロディー」と「マルチメディア統合辞典」マイクロソフト社 / 引用を最小限にするための割愛等による文責はすべて当HPにあります。  
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