善 偽善 独善

【善】正しい道理に従い、道徳にかなうこと。よいこと。また、そのような行為、ふるまい。このましいこと。すぐれていること。 
善に従うこと流るるが如し 善とみればただちにこれに従うことが、あたかも水の流れるように少しも滞ることなく、すみやかなことをいう。 
善に強い者は悪にも強い 善を行うに熱中する人は、一旦悪に向かえば悪を行うにも熱中する。悪に強きは善にも強し。 
善の裏は悪 よいことがあれば悪いこともそれについてまわることにいう。善の反対は悪。善も一転すれば悪となること。 
善の綱(つな)(善所にみちびく綱の意) 本尊開帳、常念仏、万日供養などのとき、結縁(けちえん)のため仏像の手などにかけ、参詣者などに引かせる綱。五色の糸を用いる。善の縄。葬式のとき、棺につけてひく白布の綱。縁の綱。 
善の縄(なわ)=善の綱 
善は急げ よいことをするのに躊躇(ちゅうちょ)するな、善事はただちに実行せよの意。善事は急ぐ。 
善を責(せ)むるは朋友の道なり (「孟子‐離婁下」による)善を行うことを強くすすめるのは、友人として努めるべき道である。 
【偽善】うわべだけを飾って正しいように、あるいは善人のように見せかけること。 
【独善】(「孟子‐尽心上」による語)他人には関与しないで、自分の身だけを正しく修めること。客観性がなく自分だけが正しいと考えること。ひとりよがり。「独善的」 
嘘も方便 (「法華経‐比喩品」に見える「三車火宅」の語から)場合によってはうそも手段として必要である意。
法華七喩(ほっけしちゆ)  
法華経に説かれる7つのたとえ話のこと。また法華七譬(しちひ)ともいう。7つの物語をたとえ話として説いている。これは釈迦仏がたとえ話を用いてわかりやすく衆生を教化したスタイルに則しており、法華経の各品でもこの様式を用いてわかりやすく教えを説いたものである。  
三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)  
ある時、長者の邸宅が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中で火事に気づかず、長者が説得するも外に出ようとしなかった。そこで長者は子供たちが欲しがっていた「羊の車(ようしゃ)と鹿の車(ろくしゃ)と牛車(ごしゃ)の三車が門の外にあるぞ」といって、子供たちを導き出した。その後にさらに立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えた。この物語の長者は仏で、火宅は苦しみの多い三界、子供たちは三界にいる一切の衆生、羊車・鹿車・牛車の三車とは声聞・縁覚・菩薩(三乗)のために説いた方便の教えで、それら人々の機根(仏の教えを理解する素養や能力)を三乗の方便教で調整し、その後に大白牛車である一乗の教えを与えることを表している。なお檀一雄の「火宅の人」のタイトルは、この三車火宅を由来としている。  
長者窮子(ちょうじゃぐうじ、信解品)  
ある長者の子供が幼い時に家出した。彼は50年の間、他国を流浪して困窮したあげく、父の邸宅とは知らず門前にたどりついた。父親は偶然見たその窮子が息子だと確信し、召使いに連れてくるよう命じたが、何も知らない息子は捕まえられるのが嫌で逃げてしまう。長者は一計を案じ、召使いにみすぼらしい格好をさせて「いい仕事があるから一緒にやらないか」と誘うよう命じ、ついに邸宅に連れ戻した。そしてその窮子を掃除夫として雇い、最初に一番汚い仕事を任せた。長者自身も立派な着物を脱いで身なりを低くして窮子と共に汗を流した。窮子である息子も熱心に仕事をこなした。やがて20年経ち臨終を前にした長者は、窮子に財産の管理を任せ、実の子であることを明かした。この物語の長者とは仏で、窮子とは衆生であり、仏の様々な化導によって、一切の衆生はみな仏の子であることを自覚し、成仏することができるということを表している。なお長者窮子については釈迦仏が語るのではなく、弟子の大迦葉が理解した内容を釈迦仏に伝える形をとっている。  
三草二木(さんそうにもく、薬草喩品)  
大地に生える草木は、それぞれの種類や大小によって異なるが、大雲が起こり雨が降り注がれると、すべての草木は平等に潤う。この説話の大雲とは仏で、雨とは教え、小草とは人間や天上の神々、中草とは声聞・縁覚の二乗、上草とは二乗の教えを通過した菩薩、小樹とは大乗の教えを理解した菩薩、大樹とは大乗の教えの奥義を理解した菩薩であり、それら衆生は各自の機根に応じて一乗の教えを二にも三にも聞くが、仏は大慈悲をもって一味(一乗の異名)実相の教えを衆生に与え、利益で潤したことを例えた。  
化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品)  
宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。この物語の導師は仏で、旅をする人々は一切衆生、五百由旬の道のりは仏道修行の厳しさや困難、化城は二乗の悟り、宝処は一乗の悟りであり、仏の化導によって二乗がその悟りに満足せずに仏道修行を続けて、一乗の境界に至らしめることを説いている。法華経では、遥か昔の大通智勝仏が出世された時、仏法を信じられず信心を止めようと思った人々が、再び釈迦仏の時代に生まれて仏に見(まみ)え、四十余年の間、様々な教えを説いて仮の悟りを示し理解して、また修行により真の宝である一乗の教えに到達させることを表している。  
衣裏繋珠(えりけいじゅ、五百弟子受記品)  
ある貧乏な男が金持ちの親友の家で酒に酔い眠ってしまった。親友は遠方の急な知らせから外出することになり、眠っている男を起こそうとしたが起きなかった。そこで彼の衣服の裏に高価で貴重な宝珠を縫い込んで出かけた。男はそれとは知らずに起き上がると、友人がいないことから、また元の貧乏な生活に戻り他国を流浪し、少しの収入で満足していた。時を経て再び親友と出会うと、親友から宝珠のことを聞かされ、はじめてそれに気づいた男は、ようやく宝珠を得ることができた。この物語の金持ちである親友とは仏で、貧乏な男は声聞であり、二乗の教えで悟ったと満足している声聞が、再び仏に見え、宝珠である真実一乗の教えをはじめて知ったことを表している。  
髻中明珠(けいちゅうみょうしゅ、安楽行品)  
転輪聖王(武力でなく仏法によって世界を治める理想の王)は、兵士に対してその手柄に従って城や衣服、財宝などを与えていた。しかし髻(まげ、もとどり)の中にある宝珠だけは、みだりに与えると諸人が驚き怪しむので容易に人に授与しなかった。この物語の転輪聖王とは仏で、兵士たちは弟子、種々の手柄により与えられた宝とは爾前経(にぜんきょう=法華経以前の様々な教え)、髻中の明珠とは法華経であることを表している。  
良医病子(ろういびょうし、如来寿量品)  
ある所に腕の立つ良医がおり、彼には百人余りの子供がいた。ある時、良医の留守中に子供たちが毒薬を飲んで苦しんでいた。そこへ帰った良医は薬を調合して子供たちに与えたが、半数の子供たちは毒気が軽減だったのか父親の薬を素直に飲んで本心を取り戻した。しかし残りの子供たちはそれも毒だと思い飲もうとしなかった。そこで良医は一計を案じ、いったん外出して使いの者を出し、父親が出先で死んだと告げさせた。父の死を聞いた子供たちは毒気も忘れ嘆き悲しみ、大いに憂いて、父親が残してくれた良薬を飲んで病を治すことができた。この物語の良医は仏で、病で苦しむ子供たちを衆生、良医が帰宅し病の子らを救う姿は仏が一切衆生を救う姿、良医が死んだというのは方便で涅槃したことを表している。 
 
【善見】 「ぜんけんてん(善見天)」の略。 
【善見城】(「ぜんげんじょう」とも)=喜見城 
【善見山】(「ぜんげんせん」とも)須弥山の頂の山の名。その山頂に善見城がある。 
【善見天】仏語。色界十七天の一つ。色界第四禅天にある、八天中の第六。定中の障礙(しょうがい)が漸(ようや)く微(すくな)く、明らかに十方世界を見ることができる。 
【至善】この上もない善。最高の善。哲学で、人間生活の最高理想。完全に道徳を実現していることと、完全に幸福であることを、同時に含む状態。最高善。至高善。 
【善悪】(連声で「ぜんなく」「ぜんまく」とも発音される)よいこととわるいこと。よしあし。邪正。また、善人と悪人。 
善悪の生(しょう)を引(ひ)く 過去世または現世における善悪の行為によって、現世また未来世に善悪の生を受ける。 
善悪の彼岸 人間的な善悪の区別、対立を超越した境地。 
善悪の報いは影の形に随(したが)うが如し 善悪の行いに対する報いは、影の形に従うようにのがれることができず、必ずあるものだ。 
【善悪不二】仏語。善も悪も二つのものではなく、仏法の平常無差別の一理に帰着するということ。 
【善悪無記】仏語。すべてのものを分けて、善と悪と、善でも悪でもないものとの三つとしたもの。これを三性という。 
【善根】(「ぜんこん」とも)仏語。諸善を生み出す根本となるもの。無貪・無瞋・無痴をいい、これを三善根という。また、善い果報を招くであろう善の業因をいう。「善根を積む」 
【善根者】善根の所行をなした人。善根の行為を積んだ人。 
【善根宿】諸国行脚の修行者、遍路、または行き暮れた旅行者などを無料で宿泊させる宿屋。 
【最高善】この上ない善。人間生活の最も高い道徳的理想。物事の善悪を判断する上で、究極標準となる最高目的。至善。至高善。 
【善所・善処】仏語。六道(六趣)の中で、衆生(しゅじょう)が善業の因によって行く人間、天上の二趣。天上の神と人間の世界。また、諸仏の浄土。 
【寸善】少しの善。わずかばかりの善事や善行。ささやかな幸運。 
【寸善尺魔】(一寸の善と一尺の魔の意)世の中は、いいことが少なくて、悪いことばかり多いこと、善事が少しぐらいあっても、かならず悪事が起こって邪魔をすることのたとえ。 
【性善】人の本性はもともと善であること。 
【性善説】人間の本性は生まれながらにして善であり、悪い行為は、物欲の心がこの性をおおうことによって生ずる後天的なものであると主張する説。中国の孟子が首唱したもの。 
【善化】よい方に導き感化すること。 
【善現】「ぜんげんてん(善現天)」の略。 
 
【善現天】仏語。色界十七天の一つ。色界第四禅天にある、八天中の第七。形、色ともにすぐれて、よく変現する。 
【善業】仏語。よい果報を招くもととなる十善などの身口意の行為。 
【善者】よい人。善人。 
【善玉】(「玉」は「魂」の意。また、江戸の遊里で女の意。転じて広く人をいう)江戸時代、草双紙などのさし絵で、善人または悪人であることを明示するため、人の顔を丸く書いて、その中に善、または悪の字を記したが、その「善」の字のあるもの。山東京伝の黄表紙「心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)」(寛政二年刊)に始まるという。転じて、善人のこと。 
【後生善・後生好】来世の安楽がまちがいないこと。慈悲善根を積んで来世の果報は疑いないこと。また、その人。果報者。 
天の配剤(天の行う薬の調合の意から)天は、善には善果、悪には天罰をというように、それぞれにかなったものを配するということ。 
【十八天】 仏語。三界諸天の中、色界にあるという一八の天。初禅天に梵衆天、梵輔天、大梵天の三天、第二禅天に少光天、無量光天、極光浄天の三天、第三禅天に少浄天、無量浄天、遍浄天の三天、第四禅天に無雲天、福生天、広果天、無想天、無煩天、無熱天、善現天、善見天、色究竟天(有頂天ともいう)の九天を数える。 
人至って=賢(かしこ)ければ[=善なれば内に]友なし (「孔子家語‐入官」から)あまり賢明であると、他人から敬遠される。水清ければ魚棲まず。 
【白業】仏語。よい果報をもたらす善の行為。善業(ぜんごう)。はくぎょう。 
【豹変】(「易経‐革卦」の「上六、君子豹変、小人革レ面」による。豹の毛が季節によって抜け変わり、斑文も美しくなるように、君子は時代に適応して自己を変革する、また一説に、善人は過ちを改め善にうつる、という意から)性行や態度・意見などが、がらりと変わること。元来は善い方に変わる意であるが、悪い方に変わる場合、無節操な態度などにも用いられる。 
【沙門】(梵Tramanュの音訳。「勤息」と訳す。善をすすめ悪をやめる意)出家の総称。髪をそり、悪を止め、善を勤める修行者。僧侶。出家。法師。さもん。 
【浄居天】仏語。不還果(ふげんか)を証した聖者が凡夫と一緒にいることを嫌って法楽に住する天。色界第四禅天の八天のうち、無煩天・無熱天・善現天・善見天・色究竟天の五つの称。 
【献替】(「国語‐晋語・九」の「夫事レ君者、諫レ過而賞レ善、薦レ可以替レ不、献レ能而進レ賢」による)主君をたすけて、善をすすめ悪を捨てさせること。物事の可否を言上すること。けんてい。 
【善様・好様】よいさま。よいふう。*源氏‐葵「人の御ためにはよさまの事をしもいひ出でぬ世なれば」 
【黎元】(「黎」は黒、「元」は首の意で、冠をかぶらないので黒髪を出している者の意から。一説に、「黎」はもろもろ、「元」は善の意で、人はみな善であるとする考えから)人民。万民。たみ。黎民。 
【滅罪生善】仏語。罪を滅して善を生ずること。現世の罪障を消滅させ、後世のよい果報を生じさせること。 
無作の大善(だいぜん) はからいを離れた偉大な善。 
 
【無記】仏語。善とも悪とも記すことができないもの。事物の中性的な性質。 
水は方円(ほうえん)の器(うつわ)に従う (水は容器の形によってどんな形にでもなるところから)人は、交友や環境しだいで善にも悪にも感化されるというたとえ。水は入れ物に従う。 
【正目・正眼】じかに正しく見る目。まのあたり。眼前。*仏足石歌「善き人の麻佐米(マサメ)に見けむ御足跡すらを」 
【風化】人を教え導き、善に感化させること。風教。 
朱に交われば赤くなる 人はその環境によって善にも悪にもなるというたとえ。交際する仲間によって人は感化されるものであるということ。水は方円の器にしたがう。 
思い立つ日を吉日 (「思い立ったが吉日」とも)何事かをしようという考えが起きたら迷わず、ただちに着手するがよい。暦を見て吉日を選ぶまでもなく、思い立った日を吉日として、ことを行なえ。善は急げ。 
【八元】(「元」は善の意)中国古代、帝嗟(こく)高辛氏の八人の才子、すなわち、伯奮・仲堪・叔献・季仲・伯虎・仲熊・叔豹・季貍をいう。 
【八凱・八m】(「凱」は和の意)中国古代、帝(せんぎょく)高陽氏の八人の才子。すなわち蒼舒・徑凾(たいがい)・檮擔(とういん)・大臨・厖降(ぼうこう)・庭堅・仲容・叔達をいう。 
【人天教】 仏語。五戒を守って人間に生まれ、十善を守って天上に生まれることを説く教え。世俗の善を説くに止まっている教えで、大乗に導き入れるための方便の教え。 
【二十四輩】浄土真宗の開祖親鸞の高弟二四人をえらんだもの。性信・真仏・順信・乗然・信楽・成然・西念・証性・善性・是信・無為信・善念・信願・定信・道円・入信(穴沢)・念信・入信(八田)・明法・慈善・唯仏・唯信(戸森)・唯信(畠谷)・唯円の二四人。また、この二四人の遺跡やその遺跡を巡拝すること。巡拝する人。 
【二元論】一般に、全く性質の異なる二つの原理で、事物を説明する考え方。互いに対立する二つの原理、たとえば、精神と物質、悟性と感性、本体と現象などで、あらゆる事象を説明しようとする立場。たとえばデカルト、カントなどの立場。宗教で、善と悪、創造者と被造物などの対立する原理で、事物を説明する立場。 
情けは人の為(ため)ならず 情を人にかけておけば、それがめぐりめぐってまた自分にも善い報いが来る。 
【内証善】暮らしむきのよいこと。見た目よりも生活が豊かなこと。また、その人。内福。 
【道徳法則】道徳的行為の規準となる法則。自然法則と違い、道徳的にこうすべきだという命令の形をとる法則。法則を、平和・幸福などの理想実現のための手段としてみなす立場と、法則そのものを絶対的規範とし、それに服従することが善で、反するものが悪だとする立場がある。道徳法。道徳律。 
【天趣】仏語。六趣(六道)の一つ。衆生の作った善業によって生まれる天上界。天道。 
【懲治】こらしめて悪い癖を治すこと。こらしめ改めさせて、善にかえらせること。 
【超越】(ドイツTranszendenzの訳語)哲学で、一般に制限や不完全さ、理解や自然などからはるかにぬきんでていること。スコラ哲学で、アリストテレスの範疇にはいらない存在、善、神といった概念のあり方。カント哲学で、超感性的なものがわれわれの経験から独立であること。実存哲学で、無自覚な日常的存在の立場から哲学的自覚の立場へ越えて進むこと。超絶。 
【無記】仏語。善とも悪とも記すことができないもの。事物の中性的な性質。 
水は方円(ほうえん)の器に従う (水は容器の形によってどんな形にでもなるところから)人は、交友や環境しだいで善にも悪にも感化されるというたとえ。水は入れ物に従う。 
【正目・正眼】じかに正しく見る目。まのあたり。眼前。*仏足石歌「善き人の麻佐米(マサメ)に見けむ御足跡すらを」 
【風化】人を教え導き、善に感化させること。風教。 
朱に交われば赤くなる 人はその環境によって善にも悪にもなるというたとえ。交際する仲間によって人は感化されるものであるということ。水は方円の器にしたがう。 
思い立つ日を吉日(「思い立ったが吉日」とも)何事かをしようという考えが起きたら迷わず、ただちに着手するがよい。暦を見て吉日を選ぶまでもなく、思い立った日を吉日として、ことを行なえ。善は急げ。 
【八元】(「元」は善の意)中国古代、帝嗟(こく)高辛氏の八人の才子、すなわち、伯奮・仲堪・叔献・季仲・伯虎・仲熊・叔豹・季貍をいう。 
【八凱・八m】(「凱」は和の意)中国古代、帝(せんぎょく)高陽氏の八人の才子。すなわち蒼舒・徑凾(たいがい)・檮擔(とういん)・大臨・厖降(ぼうこう)・庭堅・仲容・叔達をいう。 
【人天教】 仏語。五戒を守って人間に生まれ、十善を守って天上に生まれることを説く教え。世俗の善を説くに止まっている教えで、大乗に導き入れるための方便の教え。 
【二十四輩】浄土真宗の開祖親鸞の高弟二四人をえらんだもの。性信・真仏・順信・乗然・信楽・成然・西念・証性・善性・是信・無為信・善念・信願・定信・道円・入信(穴沢)・念信・入信(八田)・明法・慈善・唯仏・唯信(戸森)・唯信(畠谷)・唯円の二四人。また、この二四人の遺跡やその遺跡を巡拝すること。巡拝する人。 
【二元論】一般に、全く性質の異なる二つの原理で、事物を説明する考え方。互いに対立する二つの原理、たとえば、精神と物質、悟性と感性、本体と現象などで、あらゆる事象を説明しようとする立場。たとえばデカルト、カントなどの立場。宗教で、善と悪、創造者と被造物などの対立する原理で、事物を説明する立場。 
情けは人の為(ため)ならず 情を人にかけておけば、それがめぐりめぐってまた自分にも善い報いが来る。 
【内証善】暮らしむきのよいこと。見た目よりも生活が豊かなこと。また、その人。内福。 
【道徳法則】道徳的行為の規準となる法則。自然法則と違い、道徳的にこうすべきだという命令の形をとる法則。法則を、平和・幸福などの理想実現のための手段としてみなす立場と、法則そのものを絶対的規範とし、それに服従することが善で、反するものが悪だとする立場がある。道徳法。道徳律。 
【天趣】仏語。六趣(六道)の一つ。衆生の作った善業によって生まれる天上界。天道。 
【懲治】こらしめて悪い癖を治すこと。こらしめ改めさせて、善にかえらせること。 
【超越】(ドイツTranszendenzの訳語)哲学で、一般に制限や不完全さ、理解や自然などからはるかにぬきんでていること。スコラ哲学で、アリストテレスの範疇にはいらない存在、善、神といった概念のあり方。カント哲学で、超感性的なものがわれわれの経験から独立であること。実存哲学で、無自覚な日常的存在の立場から哲学的自覚の立場へ越えて進むこと。超絶。
 
【耽美主義】(英aestheticism フランスesthéti-cisme ドイツÄsthetizismusの訳語)一九世紀末、フランスおよびイギリスを中心に起こった芸術思潮。美を最高の価値と考え、その創造を人生の唯一の目的とする態度。美を真、善の上に置き、時には悪にも美を認め既成道徳を無視し、反俗的態度に終始した。唯美主義。 
【断悪修善】(連声で「だんなくしゅぜん」「だんまくしゅぜん」とも)仏語。悪業を断ち、善業をおさめること。不善の行いをしないようにし、十善等を修めるよう努めること。止悪修善ともいう。 
【立役】歌舞伎で、舞台にすわっている囃子(はやし)方に対し、立って演技する役。立方(たちかた)。女歌舞伎廃止以後、女形(おんながた)・子役以外の男役の総称。歌舞伎で、男の善人の役。また、敵役に対して善の側の人物の総称として用いる。歌舞伎で、実事師など、劇中の善人の主役。また、多く一座の幹部が演じるところから、幹部俳優をさしていう。たて役者。 
【散供】米、金銭などをまき散らして、神仏に供えること。特に米についていう。散米。米、金銭などをまき散らして、悪、けがれ、災厄等を祓い、善、浄、吉祥等をあがなおうとすること。また、そのもの。散米。うちまき。はなしね。 
【胎生】仏語。四生の一つ。母胎から生まれること。また、そのもの。人間や獣の類。真宗で、自力の善を回向して往生するもの。またその人の生まれ方。方便化土の往生の相とし、真実報土の往生である化生(けしょう)と区別する。 
【臧否】(「臧」は善の意)よいことと悪いこと。よしあし。また、よしあしを判ずること。 
【雑行】(「ぞう」「ぎょう」はそれぞれ「雑」「行」の呉音)仏語。阿弥陀仏以外の仏菩薩の名を称えるなど、正行(しょうぎょう)以外の諸善。また、それらを修めること。正行に五つを数えるようにこれにも五つを数える。 
【善本】内容のよい本。校訂などがよくゆきとどいている本。欠脱などのない完全な本。校注などの精密な本。書誌学で、保存がよく、本文のすぐれた本。古写本、古版本。仏語。さとりの果を得るための因としての善根功徳。また、いっさいの善の根本。真宗では、弥陀の名号をさす。 
【勧懲】「かんぜんちょうあく(勧善懲悪)」の略。 
【勧懲小説】善人と悪人を登場させ、種々の事件を通じて、結局は善は栄え、悪は滅びるという内容の小説。 
【善逝】(「ぜんせい」とも)(梵Sugata善く逝った者の意)仏語。如来十号の一つ。迷いの世界を去って、悟りの彼岸におもむき、ふたたび迷いの生死海にはもどってこないもの。 
【換骨】人が邪悪なものから、善い、徳のあるものにすっかりかわること。 
【換骨羽化】道家で、人間が俗骨を仙骨に換えて、人体に羽が生えることをいう。仙人になること。 
【換骨奪胎】(骨を取りかえ、胎(子の宿る所)を自分のものとする意)先人の詩文などの、発想や表現法などを取り入れて、しかも、独自の作品を作りあげる技法。誤用されて、他の作品の焼き直しの意にいうことがある。換骨。 
【善処】事に応じて、適切に処置すること。うまく処理すること。「善処してください」 
【善趣】仏語。この世で善い行いをした人が死後におもむく世界。天・人・阿修羅の三つを三善趣という。地獄・餓鬼・畜生などの悪趣に対していう。 
【勧戒・勧誡】善を勧め、悪を戒めること。よくなるように忠告すること。
 
【黒白】(「びゃく」は「白」の呉音)善と悪。是と非。正と邪。転じて、ものごとの道理。明と暗。生と死。 
黒白が摺(す)れる あべこべになる。くい違う。 
黒白の=違(ちが)い[=差(さ)] 正反対であること。ひどくかけへだたっていること。 
黒白を=明(あき)らかにする[=付(つ)ける] 正邪、曲直、善悪など、ものごとの道理をはっきりとさせる。 
黒白を争う どちらがよいか、正しいかをはっきりとさせる。 
黒白を弁(わきま)う ものごとの正邪善悪を識別する。道理を弁える。 
【黒白衣】僧侶の墨染(すみぞめ)の衣と、俗人の平常の服。転じて、僧侶と俗人。 
【穀旦】(「穀」は善い、幸いの意。「旦」は日の意)よい日。吉日。佳辰。吉旦。 
【禍福】わざわいとさいわい。不幸と幸福。 
禍福は糾(あざな)える縄の如し (「史記‐南越伝」の「因レ禍為レ福、成敗之転、譬若二糾乢一」から)わざわいが福になり、福がわざわいのもとになったりして、この世の幸不幸はなわをより合わせたように表裏をなすものだの意。 
禍福門なしただ人の招く所 禍福がはいってくる門は前々から定まっているわけではない。悪を行なえばわざわいが来、善を行なえば福が来るのであって、結局は人が招くものだの意。 
禍福をほしいままにす 権威を濫用して、賞罰を勝手にしたり、また、退けたり引き上げたりする。 
【業力】仏語。果報を引き起こす業の力。善業には善果を、悪業には悪果を生ずるはたらきがある。 
【善縁】仏語。良い因縁。善いことや仏道の縁となるもの。 
【性悪】人間の持って生まれた性は、悪であるということ。 
【性悪説】 (「荀子‐性悪」の「人之性悪、其善者偽也」による)中国の荀子が首唱したもので、人間のうまれつきは悪であって、善なる行為は教育、学問、修養など後天的な作為によって生ずると主張する説。 
【随喜】仏語。他人のなす善を見て、これにしたがい、喜びの心を生ずること。転じて、大喜びをすること。 
随喜の涙 随喜のあまりにこぼす涙。心からありがたく思って流す涙。ありがたなみだ。 
【真善美】認識上の真と、倫理上の善と、審美上の美。理想を実現した最高の状態をいう。真善美は、それぞれ論理学・倫理学・美学という独立の学の主題とみられる場合もあり、価値論で、相互に関連し合った統一的な価値とみられることもある。 
【深心】仏語。ひたすら真実の理法を求める心。また、深くすべての善を身につけようとする心。真心。三心の一つ。阿弥陀仏の本願の救いを深く信じて疑わない心。 
【化転】(「けでん」とも)仏語。人を教化して悪を善に転じさせること。 
【心中善】義理がたいこと。心意気のよいこと。 
【順天】(「易経‐大有・卦」に「君子以遏レ悪揚レ善、順二天休命一」とあるのによる)天道に従ってそむかないこと。
 
【戒体】(「戒」の実体の意)戒を受けることによって得られる、悪を防ぎとめ善を行なうある種の力。 
【薫蕕】よい匂いと悪い匂い。君子と小人。また、善行と悪行。 
薫蕕器(うつわ)を同じゅうせず 君子と小人、または善者と悪者とは同じ場所にいることができないことをいうたとえ。 
【戒定慧】仏語。仏道修行の三つの要目。「戒」は、善を修め悪を防ぐこと、「定」は、心身の乱れを静めること、「慧」は、真理を証得すること。三学と総称する。 
【摂受】仏語。衆生を導くために、衆生の善を受け入れ、収めとること。心をひろくして他人の行為や心を受け入れること。 
【諸行】仏語。因縁の和合によって造られたいっさいのもの。この世のいっさいの現象。万有。万物。いっさいの善の行為。悟りに至るためのすべての善行。 
【戒勧】悪や欠点をいましめ、善やよい点をすすめること。 
君子は豹変(ひょうへん)す (「易経‐革卦」による)君子はあやまちを改めて善に移るのがきわめてはっきりしている。君子はすぐにあやまちを改める。 
【巡化】僧侶が民衆を教化して善に導くため方方を巡回すること。 
【修善】仏後。善を行うこと。善行を積むこと。正しい行いをすること。 
【宿執開発】仏語。前世での善の性質が現世で実を結ぶこと。 
【終末論】世界および人類が最後には破滅を迎える運命にあると説く宗教上の思想。特にユダヤ教、キリスト教などでは、天変地異によってこの世が終わり、最後の審判で神の善が永遠の勝利を得るとする。終末観。 
【九山八海】仏語。仏教の世界観で考える、須弥山を中心とし、鉄囲山を外囲とする、一小世界。山、海の総称。中央の須弥山と外囲の鉄囲山と、その間にある持双山、持軸山、担木山、善見山、馬耳山、象鼻山、持辺山の七金山を数えて九山とし、九山の間にそれぞれ大海があるとする。海は七海が内海、八功徳水をたたえ、第八海が外海で鹹水海とする。 
【十善】仏語。十悪を犯さないこと。不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不貪欲・不瞋恚(しんい)・不邪見の一〇種の善をいう。十善戒。(前世に1を行った果報によって、この世で天子の位を受けるとする仏教思想による)天皇、天子のこと。十善の君。また、天子の位。 
十善の君[=主(あるじ)・王(おう)・天子(てんし)] 天皇、天子のこと。十善帝王。 
十善の位[=王位(おうい)・帝位(ていい)・天位(てんい)] 天皇、また天子の位。 
【十善戒】=じゅうぜん(十善) 
【十善帝王】=じゅうぜん(十善)の君 
【十善万乗】(十善の徳と万乗の富を兼ね備えている意)天皇の位。転じて、天皇。 
【修身】自分の行いを正し修めること。身を修めて、善を行うよう努めること。 
【十地】仏語。仏のさとりを得るまでの修行段階を一〇に整理したもの。これに数種がある。乾慧地・性地・八人地・見地・薄地・離欲地・已作地・辟支仏地・菩薩地・仏地の一〇種や歓喜地・離垢地・発光地・姨慧地・難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地の一〇種などのほかに、声聞の十地、縁覚の十地があり、また仏の十地として仏の徳を一〇の面から数えたものがある。菩薩のこと。 
十地の菩薩 菩薩の修行階位五二位のうち、第四一位から第五〇位までの菩薩をいう。これを十聖といい、これ以前を地前といって区別する。無漏智を得て、衆生をまもりそだてることができるようになった位。
 
【十地経】華厳経十地品の別本で、うてん(于ォ)のシーラダルマ(尸羅達摩)の訳。九巻。菩薩の修行の階位を一〇の段階に分けて説く。成立は一〜二世紀。十地。 
【尺魔】(「寸善尺魔」の略)わずかの善にくらべて多くの悪。 
【匡励】悪をただし、善をはげますこと。 
【次善】最善についで二番目の善。また二番目によいこと。「次善の策」 
【強禦】善をしりぞけ、わる強いこと。また、その者。武勇にすぐれることにもいう。 
縁の綱(つな) 寺の開帳や、供養などの時に、内陣から堂前の供養塔に張った白木綿の綱。葬式の時に、棺の前か後につける白布の綱。善の綱。 
【教誨】教えさとすこと。あやまちを悔い改め、善にかえらせるために、教誨師が囚人を教えさとすこと。 
【三性】仏語。人の性の三種。善性、悪性、無記性(非善非悪、すなわち中性)をいう。いっさいの存在の本性や状態のありかたを、有無仮実などの上で、遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)、依他起性(えたきしょう)、円成実性(えんじょうじっしょう)の三種に分けたもの。 
【三聚】(「聚」はあつまりの意)仏語。いっさいの衆生を三種類に分けたもの。種々の分け方があり、たとえば、仏の悟りを約束された正定聚、とうてい悟りの境地にはいることのできない邪定聚、この両者の中間にあって、縁がなければ悟ることのできない不定聚の三つなど。 
【三聚浄戒】仏語。菩薩戒の性格を三種に分類したもの。仏のさだめたいましめを守り、いっさいの悪を防ぐ摂律儀戒、進んで善を行う摂善法戒、いっさいの衆生を教化し利益をほどこすようつとめる摂衆生戒の三つ。 
【喜見城】(梵SudarTanaの訳語)帝釈天(たいしゃくてん)の居城。須弥山(しゅみせん)の頂上にあるY利天(とうりてん)の中央に位置し、城の四門に四大庭園があって諸天人が遊楽する。喜見。喜見宮。善見城。喜見城宮。 
【人心】人間がふつうに持っている、人間としての心。また、世の中の人々の考えや気持。人の、本善の性ではない、私欲におおわれた心。 
人心の同じからざるその面(おもて)の如し 人の心は、その顔つきがめいめい違っているように、それぞれ違っている。 
【勧進】勧め、さそうこと。とくに、人々に勧めて仏道に導き、善に向かわせること。勧化(かんげ)。 
【五悔】仏語。五つの悔過の意。天台宗で、滅罪のため序次に従って修する五種の行。すなわち、罪を悔い、許しを乞う懺悔、教えを説いて自他を利益するよう仏に乞う勧請(かんじょう)、他人の善を見て喜び称賛する随喜、いっさいの善根をさとりのためにふりむける回向、さとりに向かう心をおこす発願(ほつがん)の五つ。 
【巧言】ことばを飾って、巧みに言うこと。ことばが巧みで実意のないこと。口先だけがうまいこと。また、そのことば。佞弁(ねいべん)。 
【巧言令色】(「令色」の「令」は「善」の意、「色」は顔の色の意で、顔色をよくすること)ことばを飾り顔色をとりつくろうこと。転じて、他の歓心を買うさま、こびへつらうさま。*太平記‐一二「巧言令色(カウゲンレイショク)君の心を悦ばしめしかば」 
巧言令色鮮(すくな)し仁(じん) (「論語‐学而」にみえる孔子の説いたことば)ことば巧みで表情をとりつくろっている人は、かえって仁の心が欠けているものだの意。
 
【陰徳】人に知られない善行。ひそかに施す恩徳。陰S(いんしつ)。地の徳。転じて女性の守るべき道徳。婦徳。陰陽道で十干の内、乙・丁・己・辛・癸の五をいう。陽徳の五干(甲・丙・戊・庚・壬)に配されて、始めて徳を現わすとする。九星で陰徳の神がつかさどる日。この日に善行を行なうとよい報いがあるという。正月、七月は酉、二月、八月は未、三月、九月は巳、四月、一〇月は卯、五月、一一月は丑、六月、一二月は亥、の日。 
陰徳あれば陽報あり (「淮南子‐人間訓」の「夫有二陰徳一者、必有二陽報一。有二陰行一者、必有二昭名一」による)ひそかに善い事を行なえば、後日必ずよい報いを受ける。陰徳の陽報。 
【元亨利貞】易経で乾(けん)卦(け)を説明する言葉。「元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利あり」とよむのが通例。乾(天)の四徳。「元」は万物の始め、最高の善、「亨」は万物を生育し通達させる働き、「利」は万物の生育を遂げさせ、各々そのよろしきを得させる働き、「貞」は万物の生育を成就充足させる働き。四徳は、春夏秋冬、仁義礼智などに配当される。 
【功徳】仏語。現在、また未来に幸福をもたらすよい行ない。神仏の果報をうけられるような善行。すぐれた果を招く力を徳としてもっている善の行為。断食、祈祷、喜捨、造仏、写経の類。神仏のめぐみ、ごりやく。善行をつんだ報い。*性霊集‐一「業障重功徳軽」 
【鬼神】(「きしん」とも)(「鬼」は死者の霊魂、「神」は天地の神霊の意)天地万物の霊魂。また、神々。仏語。超人間的な威力や能力をもったもの。仏法護持の、梵天、帝釈などの天や竜王、および夜叉、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、摩c羅伽(まごらか)の八部などを善鬼神、羅刹などを悪鬼神とする。変化(へんげ)。鬼。恐ろしい神。 
鬼神に横道(おうどう)[=邪(よこしま)]無し 鬼神1は正道にはずれたことをしないの意。 
【令辰】(「令」は善の意。「辰」は時の意)めでたい時。すべて物事を行うのによい日。吉辰。 
【価値】物事のもっている値うち。あたい。かちょく。人間の基本的な欲求、意志、関心の対象となる性質。真、善、美、聖など。ある目的に有用な事物の性質。使用の目的に有用なものを使用価値、交換の目的に有用なものを交換価値という。 
【浄業】仏語。清浄(しょうじょう)な行業。善業(ぜんごう)。浄土往生の正業。すなわち、念仏をさす。 
【雅】(形動)正しく善いこと。きちんとして上品なこと。(形動)みやびやかなこと。おくゆかしいこと。風流。「詩経」の六義(りくぎ)の一つで、風、頌とともに内容上の分類の一つ。周の王室のことをうたったもので、大雅と小雅に分かれる。 
【令色】(「令」は善の意、「色」は顔色の意)人に気に入られるように、顔色をつくろい飾ること。容儀を正した顔つき。 
【水火】水と火。五行思想でいう万物組成の元素の中の二つの水と火。水に溺れ火に焼かれる苦痛。また、そのようなひどい苦しみ。互いに相いれないもの。相反すること。非常に仲が悪いことのたとえ。氷炭。日常生活に一日も欠かせない、この上なく必要なもののたとえ。洪水と火災。また、そのように勢いの激しいことのたとえ。 
水火器物(うつわもの)を一つにせず 性質の違うものは調和しないことのたとえ。善と悪とを同じ所に置くことはできないことともいう。 
水火の責(せ)め 水と火によって相手に苦痛を与えること。@水と火をまったく使わせないようにする刑罰。A水責めと火責め。 
水火も辞(じ)せず[=辞さない] 水に溺れ、火に焼かれるほどのひどい苦痛や危険をものともせず、力を尽くして物事をする。 
水火を踏(ふ)む 非常に苦しい境涯に落ちる。また、危険をおかす。
 
【精進根】仏語。五根の一つ。悟りを求めてひたすら善をつとめ励むこと。 
【楽天】自分の運命や境遇を、天から与えられたものとして受け入れ、物事にあくせくしないこと。人生を楽観すること。のんきなこと。「ひばり(雲雀)」の異名。 
【楽天家】楽天的な人。のんきな人。 
【楽天観】人生の暗い面を認めるが、けっきょくこの世はすべて善であり、人生は楽しいものであるとする考え方・立場。楽天主義。オプチミズム。物事をくよくよしないで、楽天的に考える精神の傾向。 
【月徳】月の徳。また、皇后の徳。古暦で、吉日の一つ。月徳日のこと。月徳とはその月の徳(善)神の意で、その神のいる日。正・五・九月に丙の日、二・六・一〇月は甲の日、三・七・一一月は壬の日、四・八・一二月は庚の日。がっとく。 
【懈怠】(中世・近世は「けだい」だが、現代では「けたい」がふつう)仏語。善を修する積極性がなく、また、悪は進んで行なう心の状態。精進に対していう。なまけること。おこたること。怠慢。 
【理想】哲学で、人間の理性と感情を十分に満足させる最も完全な状態。現実の状態の発展の究極として考えられた最高の形態。実現可能な相対的な究極状態と、実現不可能だがそれでも行為を促す絶対的な状態(神、最高善、永遠)の二つに分かれる。将来はこうありたい、また、当然そうあるべきだと思いえがく姿。思いえがく、望ましい完全な状態での姿。「理想の女性」「理想像」
  
「神」  
最も恐れられた自然現象  
中国の古代社会では神様へのお祭りがとても大事なことでした。ですから前回は「祭」という字について説明しました。今回は「神」という字について紹介(しょうかい)しましょう。  
「神」を説明するには、まず「申」という字について話さなくてなりません。なぜなら「申」がもともとの「かみ」の意味の字だったのです。  
古代文字やイラストを見るとわかりますが、「申」は稲妻(いなずま)のことです。稲妻が屈折(くっせつ)しながら走る姿を書いたものです。  
雷(かみなり)や稲妻は古代中国では最も恐(おそ)れられた自然現象でした。神様が現れる現象と考えられていたのです。  
ですから「申」が神様を表す漢字なのですが、その「申」が次第に「もうす」などの意味に使われ出したので、「申」の偏(へん)に「示」が加えられて「神(ネ)」という字が作られたのです。  
「示」は「祭」の字のところでも紹介しましたが、神様への供物を載(の)せるテーブルです。この神を祭る際のテーブルの形「示」が、神様をあらわす記号となりました。「示」偏は現在「ネ」と書きますが、この「ネ(示)」偏がついた漢字は、みな神様と関係のある文字なのです。  
「申」は稲妻の形、電光の形。その稲妻は縮んだり、伸(の)びたりしながら空を走ります。それゆえに、屈伸(くっしん)する意味や、伸びる意味があります。  
その「申」に人偏を加えた「伸」は人間が屈伸する意味の字。後にすべての伸びるものに使われるようになりました。  
「電」も「申」の関係字です。古代文字を見てもらうとわかりますが、「電」は「雨」と「申」が合わさった文字です。  
「電」の「申」は電光のしっぽの部分が右に屈折した形ですね。「雨」は「あめ」ばかりでなく、気象現象をあらわす字形です。「雨」と「申」を合わせて、稲妻の意味になりました。また稲妻のように速いことを意味します。
「善」  
神へ羊差し出す原告と被告  
「善」という漢字、「義」という漢字、「美」という漢字。これらにみな「羊」の字形が入っています。わかりますか?  
「最善」「正義」「優美」などの熟語を並べてみれば、「羊」を含(ふく)んだ漢字には特別な価値観が潜(ひそ)んでいることが理解できると思います。  
それは羊が神への生けにえとして最高のものであり、古代中国ではこの羊を神に提出して争い事を裁く「羊神判」というものが行われるほどの動物だったからなのです。  
それゆえに「羊」の字形を含んだ漢字はたくさんあります。何回かにわたって羊の関連文字を紹介(しょうかい)しましょう。  
その羊神判の様子をそのまま表している漢字が「善」です。これは「善」の元の字形「譱」を見ればよくわかります。  
「譱」は「羊」をはさんで左右に「言」の文字が並んでいます。これは争い事の当事者である原告と被告(ひこく)の双方(そうほう)が「羊」を神の前に差し出して、それぞれの主張を述べている文字なのです。  
このように行われる羊神判で、神の意思にかなうことが「善」となり「ただしい」「よい」の意味となったのです。  
この羊神判の際には、原告・被告の主張する言葉を詳(くわ)しく調べました。そこから生まれた漢字が「詳(しょう)」で、「くわしい」の意味となりました。  
「祥(しょう)」という字は、その羊神判の吉凶(きっきょう)の予兆のことです。「さいわい」など、よい吉祥の意味で使われることが多いのですが、わるい妖祥(ようしょう)の意味にも使われました。  
最後にもう一つ。羊の字形を含んでいませんが、羊神判関係の文字に「慶(けい)」があります。これは「廌(たい)」という字に「心」を加えた文字です。  
「廌」は羊に似た伝説上の動物です。悪者に触(ふ)れて、悪いことを正す力があったようです。この廌を神の前に差し出して神判を受け、勝訴(しょうそ)した者は廌に「心」の字形の文身(ぶんしん)(入れ墨(ずみ))を加えて、慶(よろこ)んだので「よろこび」の意味となったのです。
「悪」  
不吉な凶事に関する心情  
米国の大統領(だいとうりょう)府ホワイトハウスを漢字で「白堊館(はくあかん)」と書きます。白い建物は「白堊(白亜(はくあ))の殿堂(でんどう)」と呼(よ)ばれます。その「白堊」「白亜」の「堊」「亜」と何なのか。これを紹介(しょうかい)しましょう。  
まず「亜」の旧字(きゅうじ)「亞」と、その古代文字を見てください。四隅(よすみ)がない四角形の形です。これは古代中国の王や貴族(きぞく)を埋葬(まいそう)した地下の墓室(ぼしつ)の平面形。四隅がないのはそこに邪悪(じゃあく)な悪い霊(れい)がひそむ恐(おそ)れがあるので事前にくりとってあるのです。  
古代中国では「亜」という職(しょく)についている人がいて、それは神に仕える人でした。その職は族長(ぞくちょう)に次ぐ2番目の人でした。そこから「亜」は「つぐ、第2」の意味に使われるようになりました。  
「白堊館」「白堊の殿堂」の「堊」は白い土のことです。古代中国では王や貴族の墓(はか)の棺(ひつぎ)を納(おさ)める部屋の天上や壁(かべ)を白土で塗(ぬ)ったことからできた字です。白堊の殿堂という名前はかっこいいですが、実は人の遺体(いたい)が入った棺を安置する部屋の白さのことでした。何か不吉(ふきつ)な感じもありますね。  
そんな意味を受けついでいる文字が「悪」です。その「悪」の旧字「惡」は「亞」「心」を合わせた文字です。「亞」は王族の死体を安置する部屋の象形文字ゆえに凶事(きょうじ)の意味があり、この心情(しんじょう)を「悪」と言います。  
これに関連して覚えてほしい文字があります。それは「醜悪(しゅうあく)」の「醜」です。イラスト欄(らん)にあるのは古代の文字ではなく古代の「マーク」です。  
現在(げんざい)の「醜」の「鬼(おに)」の部分は「鬼」ではなく、3筋(すじ)にたばねた髪(かみ)を大きく強調している人の形をしています。左は神を祭る酒で、それを汲(く)んでいる姿です。何かにたたりがあると考えられた時に「醜」の儀式(ぎしき)が行われたようです。普通(ふつう)の時の姿(すがた)とたいへん異(こと)なるものなので「みにくい」意味となったようです。  
これが「亞」に囲まれていますので、それはお墓の中での儀式であったと思われます。 

  
出典「マルチメディア統合辞典」マイクロソフト社 / 引用を最小限にするための割愛等による文責はすべて当HPにあります。  
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