石の上にも三年

 

桃の伝説 
 
石の上にも三年 (冷たい石の上でも三年すわり続ければ暖まる)たとえつらくても耐えれば、やがて報われる。
辛抱していれば、やがては成功するから頑張れということを「石の上にも三年」などと言いますね。これは、何かの故事による喩えだと思うのですが、いったいどこの誰が石の上で三年頑張ったというのでしょうか。石の上で何を成し就げたというのでしょうか。今から二千年も前のお話ですが、インドにバリシバ尊者というお方がおられました。このお方は八十歳という高齢になって出家され、フダミッタ尊者の弟子となられたのでしたが、「我出家して若し三蔵を学通し、三明を得ることなくば、誓って脇を席に着けず」とばかり、大変な修行を続けられたのです。仏教の修行は、学問もさることながら、樹下石上での坐禅を大切にいたしますね。尊者は坐禅石の上で坐禅を組んだまま、三年も脇を席に看ける(横になって休む)ことはなかったということです。そのかいあって遂に無上の悟りを得、お釈迦様から数えて十代日の祖師となられました。このお祖師様は脇を席に看けて横になることがなかったことから、第十祖脇尊者という名で今日まで敬われておりますが、幼い頃、ある仙人から「此の児は凡にあらず、法器となるべし」と予見されたことがあるそうです。まさに大器晩成、齢をとっても法器となるべきは、ちゃんと法器になるんだなあと感心せざるを得ません。ところで五十四代目の祖師・瑩山禅師は、その著「伝光録」で脇尊者の話に添えて、こんなことを述べておられます。「心身徒に放捨すること勿れ、人々悉く道器なり、日々是れ好日なり、只子細に参と不参とに依って、徹人未徹人あり」人は皆、仏道を成し就げることができるもの、只やったかやらなかったかだけだ、せっかくの人生を無駄使いせず、毎日を好日とせよということでしょう。石の上にも三年、私たちもやってみようではありませんか。
雨垂れ石を穿(うが)つ 
小さな努力でも根気よく続けてやれば、最後には成功する。点滴石を穿つ。 
出典「漢書/枚乗伝」 泰山之溜穿石、単極之[糸+更]断幹。水非石之[金+占]、索非木之鋸、漸靡使之然也  
転石苔むさず / a rolling stone gathers no moss  
イギリスでは「じっくり腰を落ち着けてものごとに取り組まないと力はつかない」というやや否定的な意味合い。アメリカでは「常に変化するものは、古びることがない」という肯定的な意味。日本ではやや白い目で見られがちな転職回数の多さも、見方を変えれば、常に変化し進化する能力と変化に耐えられる耐性があると言いたい。企業でも強いのは規模の大きさではなく、常に環境の変化に対応して変化し続ける能力と言われる。 
イギリスのことわざで、日本では後で訳されてことわざになった。  
思う念力岩をも通す  
どんなことでも一心に思いを込めてことに当たれば、できないことはないということ。 
精神一倒何事かならざらん。  
石に立つ矢  
一念を込めてやれば、どんなことでもできることをいうたとえ。漢の李広が石を虎と見誤って矢を射たところ、矢が石に立ったという「史記」李広伝の故事による。  
出典「史記/李将軍列伝」 名将にも将に将たる器と、武勇に秀でた部将として知られた者とがある、漢の李広やその孫の李陵のごときは、明らかに後者に属する。天下に勇名をとどろかした将軍が続いて輩出するのも道理、隴西(甘粛)の李将軍の家は先祖代々の武人の血統を誇っていた。 ここ隴西は胡地に近い。すぐ北に接するオルドス砂漠は、匈奴の前進基地となっているし、街の周辺には六盤山脈の支脈が伸びている。国境都市らしい荒々しい雰囲気に包まれて幼少時代を送った李広は、やがて正式に武術の訓練を受けるようになると、めきめき頭角をあらわしはじめた。武将の子として恥ずかしくないだけの風格は自然と身にそなわっていたが、こと弓を執ってはめったに人におくれをとらない自信があった。文帝の十四年に匈奴が大挙粛関を侵したときは、わずかな、しかし十二分に鍛え上げた手兵を率いて、匈奴にも決して劣らないだけの見事な騎馬戦術と弓の腕前を示したのだった。数十年来匈奴から苦杯をなめさせられ続けてきた文帝は、我がことのように喜んだ。そして急に手元に置きたいと思いたたれたのであろう、侍従武官に任命したのである。虎と組み打ちして見事に仕止めたのは、文帝の狩りのお供を仰せつかった時のことだった。危うく難をまぬかれた文帝は、今さらのように驚い て、「さてさて、そなたは惜しいことをしたものだな。高祖の時代に生まれあわせていれば、どんな大大名に出世したかも知れなかったのに・・・。」「いいえ、大大名にはなりたくありません。国境の守備隊長がわたしの望みです。」 こうして李広は、かねてから望んでいた辺境の守備隊長を、またも転々とすることになったのである。この間にたてた手柄は数限りない。しかし世渡りが下手だったせいであろうか、官位は一向に進まないばかりか、時には免職にさえなりかけたほどだった。 将軍の真価を知っていたのは、かえって敵の匈奴の方だったかも知れない。漢の飛将軍の名を奉って、あえて将軍の城塞を窺おうとしなかった。右北平の匈奴が安全でなかったばかりではない。わがもの顔に山野を横行していた虎も安全ではなかった。草原のなかの石を、虎と見誤って射た時などは、矢鏃が隠れるぐらい深く石に突き刺さった。石に矢が立ったのである。近づいてみて石であることが判ってから改めて射た矢は、今度は突き刺さらなかったという話である。これが「一念巖をも通す」の故事である。  
一念天に通ず  
必ずなしとげようというかたい決意のもとにたゆまず努力すれば、必ず天の知り聞き入れるところとなって成功する。  
蟻の思いも天に昇る  
弱小な者でも、一心に願えば望みが達成されることのたとえ。無力なものでも一身に努力すれば、その願いは天に届いて希望を達成することができるということ。地をはって歩く蟻のような弱小な虫でも、努力すればその願いは天に達するとうい意から。  
三年飛ばず鳴かず 久しく隠忍して他日に期す、雄飛の機会を待って長い間雌伏する。 
三年の喪 父母の喪。 
三年米 前々年に収穫した古米。 
三年祭 神道の家で故人の死後二五か月目の忌日に行う祭式。
三年坂 ころぶと三年の内に死ぬという俗伝のある坂、江戸の芝高輪や京都の清水寺などにある。 
産寧坂(さんねいざか)は京都市にある坂。三年坂(さんねんざか)とも呼ばれる。 東山の観光地として有名である。狭義には音羽山清水寺の参道である清水坂から北へ石段で降りる坂道をいうが、公式には北に二年坂までの緩い起伏の石畳の道も含む。二年坂を介して北にある八坂神社、円山公園、高台寺、法観寺(八坂の塔)と南にある清水寺を結んでいるため、観光客が絶えない。 産寧坂で転ぶと、三年以内に死ぬという伝説がある(これが「三年坂」の語源とする説もある)。また転べば三年の寿命が縮まるという説もある。 
「三年坂」と呼ばれる理由は「三年坂で転ぶと三年で死ぬ」という、言い伝えから来ている。三年坂の下には二年坂があり、同じような言い伝えがある。三年坂は産寧坂ともいい、産寧坂のほうの由来にはさまざまな説がある。だいたいの説で共通しているのは安産を目指し、お寺参りをしたことから産寧坂と呼ばれるようになったという説。「寧」の部分は豊臣秀吉の妻「ねね」とゆかりがあるという人もいる。わたしが子どものころから聞いていたのは、三年坂の「三年坂で転ぶと三年で死ぬ」という言い伝えのほうで、ずっと三年坂は怖いところなのだと信じていた。京都で三年坂と二年坂が、怖い場所だと思っている子どもは意外と多い。二年坂と三年坂を歩きながら「絶対に転ばないように」と気合いが入っていたのを覚えている。
三年酒 前々年に醸造した酒、酒精の強い上等な酒。 
三年竹 はえてから三年たった竹、竹は三年目に切るのがよいとされ堅く丈夫で特に篠竹は征矢(そや)の堅篦(かたの)とする。 
三年塞 (さんねんふさがり)古暦にいう大将軍(八将神の一)の俗称。当分の間、開運、成功の見込みのない状態の意に用いる。大将軍は東西南北の四方に三年ずつ滞留し、その方角をふさいでいるとされるところからいう。 
三年味噌 仕込んでから三年になるみそ、熟成して味のこくなったもの、転じて金銭にけちで勘定だかいこと。 
三年三月 長い年月、久しい期間。 
三年物 魚などの生後三年たったもの、おもに鯉についていい食べ頃とされる、転じて年頃の女性・娘ざかり。 
三拝
 三度拝礼すること、何度も拝礼すること。 
三拝九拝 三拝の礼と九拝の礼、転じて何度も頭をさげて人に物事を頼むこと。 
三杯機嫌 ほろ酔いのいい機嫌。 
三杯酢 酢、醤油に酒(または砂糖)を加えたもの、生魚や野菜の味つけとして用いる。 
三杯道具 劇場で回り舞台を三分して三場面を装置する方法。 
三拍子 小鼓・大鼓・笛三種の楽器で拍子をとること、三つの必要な条件がうまく揃う時に用いて「三拍子揃う」という。 
三拍子揃う すべての条件が備わる、三つの悪癖が備わる、酒を飲むばくちを打つ女を買うの悪行が備わる。 
三白 正月の三が日に降る雪、馬の四脚のうち三脚の下部の白いもの。 
三白眼 黒目が上方にかたよって左右と下部の三方に白目のあるもの、凶相。 
三白図 南画の画題の一つ、白いもの三つを配して描く、雪・白鷺・白梅(または、水仙)、または、雪・白鷺・白鷹の類。 
三番出世 大相撲の各場所で二番出世に続いて三番目に前相撲に合格した者。
三番勝負 三回勝負して勝ち負けを決めること。 
三番太鼓 時刻を知らせて打つ太鼓、時刻は寛永末までは四つ(午後一〇時頃)宝永頃は八つ過ぎ(午前二時頃)であった。 
三番茶 二番茶を摘み取った後、新芽でつくった茶、最後の茶摘みもので味・香ともに劣る。 
三番手 戦陣で第三番目に繰り出し敵に当たる軍隊。勝負・地位を争う場合三番目にあるもの。 
三番鶏 夜明け前に二番鶏に遅れて鳴く鶏、時刻。 
三番船 江戸時代、民間から雇う御城米積船や廻米船に対し、積出港ごとに雇用順の番号をつけた、その三番目の船。 
三番目物 能楽で上演番組が五番立ての場合に第三番目に上演される曲。 
三番湯 疱瘡がはやった時はじめに治った子どもを入れる一番湯に対して、さいごにかかった子どもを入れる湯。 
三筆 書家、または画家で三人のすぐれたもの。 
  平安時代能書家 嵯峨天皇・橘逸勢(はやなり)・空海(弘法大師)。 
  世尊寺流能筆 藤原行成・藤原行能・藤原行尹(ゆきただ)。 
  近世寛永年間の能書家  
  
近衛流の近衛信尹(のぶただ)、光悦流の本阿弥光悦、滝本流の松花堂昭乗。 
  黄檗宗の能書家 隠元・木庵・即非、黄檗の三筆。 
  幕末の能書家 市河米庵・貫名海屋(ぬきなかいおく)・巻菱湖(まきりょうこ)。 
  大和絵 土佐氏の光長・光信・光起の三人の画家。
三百 数の多いこと、安物や価値の低いもの 
三百諸侯 江戸時代、大名の数が約300あったところからすべての大名をいう
 
三百代言 詭弁をあやつること
 
三百店 安い借家
 
三百茶 安物の茶
 
三百安 祖母に甘やかされて育った者は成人しても、わがままで常の人より人格が劣る
 
三病 なおりにくい三つの病気
 
三不動 大津三井寺の黄不動、高野山の赤不動、京都青蓮院の青不動の三つの不動明王
江戸近辺の三不動明王は目黒不動・目白不動・目赤不動 
三不惑 酒と色事と金銭に溺(おぼ)れないこと
三富 江戸時代、江戸で最も盛大に興行された三か所の富くじ。谷中の感応寺、湯島の天神、目黒の滝泉寺 
三文 ごく安価なこと、また一般的に価値の低いことやもの
 
三文絵 安物の絵
 
三文オペラ 貧弱な規模の低級なオペラ
 
三文花 江戸時代一束銭三文で売られた、仏壇や墓前などに供える安価な花束
 
三文判 出来合いの安い印鑑
 
三文不通 とるに足りないこと
 
三文文士 つまらない作品しか書けない文士
 
三文奴 無能で役立たない者
 
三昧 ある事に専心、または熱中する意 。
三枚 紙、板、貨幣、敷物、魚、楯など薄くて幅の広いもの三つ 
三枚に下(お)ろす 魚を三枚下ろしにする
 
三枚袷 表と裏の間に、一枚絹布をはさみ入れて仕立てた袷
 
三枚絵 浮世絵版画などで三枚で一組となっているもの
 
三枚下 魚を料理する時上下の片身二枚と背骨の部分との三枚に切りわけること
 
三枚重・三枚襲 小袖を三枚重ねて着る。重ねて着る三枚ぞろいの小袖、三領(みつえり)
 
三枚肩 (二枚肩などに対して)一挺(ちょう)の駕籠(かご)を三人でかつぐこと
 
三枚兜 三枚下りの錏(しころ)がついている兜
 
三枚ガルタ 胴親と子の勝負で人数には制限がない、札の合計点数の末尾が九を最高点とする
 
三枚革 小札(こざね)といため革三枚とを重ねて厚く大荒目におどした鎧
 
三枚笹 笹の葉を三枚葉柄を上に集めてまとめた形を描いた紋所、三枚笹の丸
 
三枚地紙 扇の地紙三枚で円形を描いた図柄の紋所
三枚続 浮世絵版画などで三枚をつなぎ合わせて見るようにしたもの、三枚ぞろい 
三枚胴 鎧の胴の一種、胴の前と左右の両脇を三枚の板で作り蝶番でつないだもの
 
三枚並 駕籠かきは二人だが、三人でかつぐ場合と同様の速さで行く約束の駕籠
 
三枚肉 牛肉や豚肉であばら骨をつつむ肉、脂肪と肉が交互に三枚重なったようにみえる、ばら肉
 
三枚目 滑稽なことを言ったりしたりする人、滑稽な感じに見られる道化
 
三味線を弾く 相手の言うことに適当に調子を合わせ応対する、あらぬ事を言ってごまかす
 
三味線堀 江戸下谷の不忍池から東南方に流れ隅田川に合流していた忍川の一部
 
三面 一つの体で頭部に三つの顔があるもの、事物の三つの部面、社会記事をおもに載せるページ
 
三面の大黒・三面大黒天 正面に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁才天と三つの顔を身に合わせ持つ大黒天
 
三面角 三つの平面が一点に出会ったところにできる空間図形
 
三面記事 新聞の社会記事、社会の雑事・雑話を扱った記事
三面記者 三面記事を担当する新聞記者、雑報記者 
三面鏡 自分の姿を三方から見られるように鏡を取りつけた鏡台
 
三面契約 三人の立場の異なる者の間で結ばれる契約、債権者・債務者・引受人の間の債務引受契約など
 
三面図 製図で正面・平面・側面の三つの外観を示した図面
 
三面訴訟 三当事者以上が互いに対立し三つ巴になって争う訴訟
 
三面等価の原則 純国民生産を生産・分配・支出の三つの側面からとらえた場合それぞれの大きさは等しいとする原則
 
三面六臂 一人で数人分の働きをする
 
三流 二流までもいかない低い等級、きわめて質がよくない

  
出典「マルチメディア統合辞典」マイクロソフト社
 / 引用を最小限にするための割愛等による文責はすべて当HPにあります。  
出典不明 / 引用を含む文責はすべて当HPにあります。  
 
 
 
 
桃の伝説

「桃・栗三年、柿八年、柚は九年の花盛り」といふ諺唄がある。実(ナ)りものゝ樹としては、桃は果実を結ぶのは早い方である。 
一体、桃には、魔除け・悪気ばらひの力があるものと信ぜられて来てゐる。わが国古代にも、既に、此桃の神秘な力を利用した話がある。黄泉の国に愛妻を見棄てゝ、遁れ帰られたいざなぎの命は、後から追ひすがる黄泉醜女(ヨモツシコメ)をはらふ為に、桃の実を三つとりちぎつて、待ち受けて、投げつけた。其で、悪霊から脱れる事ができたので「今、おれを助けてくれた様に、人間たちが苦瀬(ウキセ)に墜ちて悩んだ場合にも、やはりかうして助けてやつてくれ」と、桃に言ひつけて、其名として、おほかむつみの命といふのを下されたと伝へてゐる。 
後世の学者は、桃の魔除けの力を、此神話並びに支那の雑書類に見えた桃のまぢっくの力から、説明しようとして居る。支那側の材料は別として、いざなぎの命の話が、桃に対する信仰の起原の説明にはなつて居ない。寧、当時すでに、桃のさうした偉力が認められてゐたので、其為に出来た説明神話と言ふべきものであらう。何故ならば、偶然取つて投げた木の実が、災ひを遠ざけたといふ話は、故意に、其偉力を利用してゐるからであり、魔物を却けようとする民俗と、幾足も隔つてはゐないからである。尠くとも、古事記・日本紀の原になつてゐる伝説の纏まつた時代、晩くとも奈良の都より百年二百年以前に、既に行はれてゐた民俗の起原を見せて居るに過ぎない。 
何故こんな風習があるのか訣らぬ処から、此話は出来たのである。さすれば、其風習は、何時頃、何処で生れたものであらうか。国産か、舶来か。此が問題なのである。書物ばかりに信頼することの出来る人は、支那にかうした習慣が古くからある処から、支那の知識が古く書物をとほして伝はつたもの、と説明してゐるのである。又、わが国固有の風習だと信じてゐる人もあるが、何れにしても、日支両国の古代に、同じやうな民俗があつたといふことは、興味もあり、難かしい問題でもある。此場合、正しい解釈が二とほり出来るはずである。 
桃並びに其に似た木の実の上に、かうした偉力を認めてゐる民族は尠くない。だから、支那と日本とで、何の申し合せもなく、偶然に一致したものと考へるのが一つ、其から今一つは、わが国の歴史家が想像してゐる以上に、支那からの帰化人の与へた影響が多かつたところにある。 
其は、此までの学者が書物の上の知識を、直ぐさま民間の実用に応用する事ができもし、行(ヤ)つても来たと考へてゐる学問上の迷信が、目を昏まして、真相を掴ませなかつたのであるが、たくさんの帰化人の携へて来たものは、単に、文化的な物質や有効な知識ばかりではなかつた。其故土で信じ、行ひして来た固有の風俗・習慣・信仰をも其まゝ将来して来た。彼等の帰化の為方が、個人帰化ではなく、団体帰化として、全村の民が帰化したといふ様な場合が多かつたのであるから、彼等は憚る処なく、其民俗を行ひ、信じてゐた事が考へられる。文化の進んだ帰化人の間の民俗が、はいから嗜(ズ)きの民衆の模倣を促さずに居る筈はない。 
支那並びに朝鮮に行はれてゐた道教では、桃の実を尊ぶことが非常である。知らぬ人もない西王母は道教の上の神で、彼の東方朔が盗み食ひをしたといふ三千年の桃の実を持つてゐたのである。かうした桃の神秘の力を信ずる宗教をもつ人々が、支那或は朝鮮から群をなして渡来し、其行ふところを、進歩した珍らしい風習として、まねる事が流行したとすれば、我々が考へるよりも根深く、汎(ひろ)く行はれ亘つたものと思はれる。 
古事記・日本紀にある話が、全然、神代の実録だ、といふやうなことは考へられないのであるから、此話が、人皇の代になつてから這入つて来た、舶来の民俗を説明してゐるものだ、といふことの出来ない訣はない。だから、右の神話は国産、民俗は古渡りの物というてもよろしからう。今日のところでは、此以上の説明はできないと思ふ。 
何はしかれ、千五百年、或は二千年も前から、此桃の偉力は信ぜられてゐた。桃の果実が女性の生殖器に似てゐるところから、生殖器の偉力を以て、悪魔はらひをしたのだといふ考へは、此民俗の起原を説明する重要な一个条であらう。桃に限らず、他の木の実でも、又は植物の花にすら、生殖器類似のものがあれば、それを以て魔除けに利用する例はたくさんある。あの五月の端午の菖蒲のごときも、あやめ・しやが・かきつばたなど一類の花を、女精のしむぼるとしてゐるのから見ても知れよう。 
なほ一个条を加へるならば、初めに言うた、桃の実りの速かなことも、此民俗を生み出す原因になつたであらう。 
桃といふ語は、類例から推して来ると「もも」の二番目の「も」字は、実の意味である。木の実の名称にま行の音が多く附いてゐるのは、此わけである。単に、日本の言葉ばかりから、桃の民俗を説明するならば、桃と股、桃と百などいふ類音から説明はつくであらうが、同様の民俗をもつてゐるたくさんの民族があるとすれば、同じ言語の上の事実がなければ、完全な説明とはならぬのである。我が国の桃には、実りの多い処から出たといふ「百」からする説明もあるが、此はやはり、多産力の方面から見れば、此民俗の起原の説明にはなるだらう。 
人間以外に偉力あるもの、其が人間に働きかける力が善であつても、悪であつても、人力を超越してゐる場合には、我々の祖先は、此に神と名を与へた。猛獣・毒蛇の類も、神と言ひ馴らしてゐる。山川・草木・岩石の類も亦神名を負うたものが多い。桃がおほかむつみといふ神であるのも不思議はない。神名があるからとて、神代にこの事実があつたらう、といふ様な議論は問題にならない。 
さて、桃太郎の話である。話が今の形の骨組みに纏まつたのは、恐らく、室町時代のことであらう。併し、其種は古くからあるのである。我々の神話・伝説・童話は書物から書物へ伝はつて、最後に、人の口に行はれるといふやうな考へ方は無意味である。書物は、全部のうちの一斑をも伝へて居ないのである。併しながら、古代の話は、書物から採集する他はないので、同じく書物をとり入れるにしても、其用心は必要である。 
聖徳太子と相並んで、日本の民間芸術の始めての着手者と考へられて来た秦(ハタ)ノ河勝(カハカツ)は、伝説的に潤色せられたところの多い人である。昔、三輪川を流れ下つた甕をあけてみると、中から子どもが出た。成長したのが右の河勝であると言はれてゐる。此話の種は近世のものではない。秦氏が帰化人であるごとく、話の根本も舶来種である。我々の祖先の頭には、支那も朝鮮も、口でこそもろこしと言ひ、韓(カラ)(から国は古くは、朝鮮に限つてゐた)というて区別はしてゐるけれど、海の彼方の国といふ点で、ごつちやにしてゐた跡はたくさんに見える。支那から来たものとせられてゐる秦氏に、此河勝の出生譚があるところから見ると、秦氏の故郷の考へに、一つの問題が起る。 
一体、朝鮮の神話の上の帝王の出生を説くものには、卵から出たものとする話が多い。其中には、河勝同然水に漂流した卵から生れたとするものもある。竹の節(ヨ)の中にゐた赫耶(カグヤ)姫と、朝鮮の卵から出た王達(キンタチ)とを並べて、河勝にひき較べてみると、却つて、外国の卵の話の方に近づいてゐる。此は恐らく、秦氏が伝へた混血種(アヒノコダネ)の伝説であらうが、同じく桃太郎も、赫耶姫よりは河勝に似、或点却つて卵の王に似てゐる。 
思ふに、桃太郎の話には、尚、菓物から生れた多くの類話があるに違ひない。奥州に行はれてゐる、瓜から生れた瓜子姫子などゝ、出生の手続きは似てゐる。桃太郎・瓜子姫子間に出生の後先きをつけるわけにはいかないが、話としては、瓜子姫子の方が単純である。ともかくも、甕から出た河勝と桃太郎・瓜子姫子との間には、書物だけでは訣らない、長く久しい血筋の続きあひがあるに違ひない。 
海又は川の水に漂うて神の寄り来る話は、各地の社に其創建の縁起として、数限りなく伝へられてゐる。古書類にも同型の伝説が、沢山見えてゐるのみならず、今も、祭礼の度毎に海から神の寄り来給ふ、と信じてゐる社さへある。 
遥かな水の彼方なる神の国から神が寄り来ると言ふ事を、誕生したばかりの小さな神が舟に乗つて流れつく、といふ風に考へてゐる人々もある。北欧洲の海岸の民どもが、其である。記・紀で見ても、蛭子(ヒルコ)ノ命の話は、此筋を引くものであり、同様に、すくなひこなの神も、誕生した神と云ふべきが脱して伝はつたもの、と考へる事が出来る。 
水のまにまに寄り来る物の中から、神が誕生すると言ふ形式が、我が国にも固有せられてゐて、或英雄神の出生譚となり、世降つて桃から生れた桃太郎とまでなり下りはしたが、人力を超越した鬼退治の力を持つて、生れたと言ふ処から見ても、桃太郎以前は神であつた事が知れよう。 
桃太郎が成長して、鬼个島を征伐するやうになつてからの名を、百合若大臣だといふのが、其昔、鬼个島であつた、と自認してゐる壱岐の島人の間に伝はる話である。何故、桃太郎が甕からも瓜からも、乃至は卵からも出ないで、桃から出たか。其は恐らく、だんだん語りつたへられてゐる間に、桃から生れた人とするのが一番適当だ、といふ事情に左右せられて、さうなつたものと思はれる。聯想は、無限に伝説を伸すものである。  
 
 
 
 
桃栗三年柿八年   

 

桃と栗は芽生えてから三年、柿は八年で実を結ぶ。また、何事にも成就するまでに相応の年数がかかることのたとえ。[使用例] 桃栗三年柿八年というような、言い古した言葉の中にも、ものを育てる人のあせりのない気持ちや自信が、何気なく籠められているように、私には思われるのである。[解説] この後に「梅は酸いとて十三年」「柚ゆずは九年の花盛り」「枇び杷わは九年でなりかねる」などと続けることもあります。尺八の「首振り三年ころ八年」や絵画の「ぽつぽつ三年波八年」は、この表現を応用し、比較的短い年数で技能を習得できるものを三年、長くかかるものを八年としたものと思われます。中国にも古くから「桃三杏四梅十二」などの表現があり、異形も多くあります。
桃と栗は芽生えてから三年、柿は芽生えてから八年で実を結ぶということ。この下に「梅は酸い酸い十三年」「柚(ゆず)は九年の花盛り」「枇杷(びわ)は九年でなりかねる」「枇杷は九年で登りかねる梅は酸い酸い十三年」などの句をつけたりする。評判記・役者評判蚰蜒(1674)秋田彦三郎「桃栗(モモクリ)三年柿(カキ)八年人の命は五十年夢の浮世にささのであそべ」。
桃と栗とは、芽生えのときから3年、柿は8年たてば実を結ぶということ。  
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 1  

 

ことわざは人生訓として今も生き続けています。その背景には、先人たちの数多くの失敗が蓄積されているのではないでしょうか。「転ばぬ先の杖」ではありませんが、昔のことわざは現在に活かしてこそ価値があると思います。
そんなことわざの一つとして、「桃栗三年柿八年」があげられます。意味は、植えてから実がなるまで(収穫まで)に何年かかるかを並べたものです。もちろん比喩的に、物事は一朝一夕にできるものではない、それ相応に時間がかかるものだという教えが含まれているようです。
このことわざは「桃・栗・柿」という馴染みのある3つの果物で短くまとめられています。そこで質問です。これに続くフレーズがあることをご存じでしょうか。もちろん順番ですから、年数はもっと長くなります。そこに地域差というか、場所によって取り上げられる果物に違いが出ているようです。
よく口にされるのは「柚子の大馬鹿十八年」でしょうか。植えてから実がなるまで十八年もかかっては、生産者もたまったものではありません。だから「大馬鹿」なのでしょう。この言い回しを積極的に色紙に書いたのが、あの『二十四の瞳』の作者坪井栄でした。それもあって小豆島にはこの石碑が建立されています。
それとは別に、原田知世主演の角川映画「時をかける少女」もあげられます。1983年に上演されて大ヒットしましたが、その映画の一シーン(授業風景)で、このことわざが登場していました。確か保健体育の先生がこのことわざをあげ、その続きとして「柚子は九年でなりさがる」を紹介した後、さらにその続きとして主役の原田知世が「梨の馬鹿めが十八年」といって大笑いされる場面です。また映画の挿入歌「愛のためいき」の歌詞にもなっていました。
ところで「柚子は九年でなりさがる」に違和感はありませんか。もともと前述の「柚子の大馬鹿十八年」は長すぎます。柚子が実をつけるのに十八年もかかりません。それもあって十八年を半分にして、「柚子は九年で花盛り」とか、「柚子は九年でなりさかる」ともいわれているのです。映画ではこれを「なり下がる」(濁音)としていますが、むしろ「成り盛る」(清音)の方が正解ではないでしょうか。
次に長いフレーズを探してみたところ、「桃栗三年柿八年、梅は酸い酸い十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年、蜜柑のまぬけは二十年」というのがありました。また「桃栗三年柿八年、梅はすいすい十三年、柚子の大馬鹿十八年、林檎にこにこ二十五年、銀杏のきちがい三十年、女房の不作は六十年、亭主の不作はこれまた一生」というバージョンも見つかりました。
この中の「梅」に代わって「枇杷は早くて十三年」というのもあるし、蜜柑に代わって「胡桃の大馬鹿二十年」というのもありました。かなり応用(入れ替え)が利くようです。また「林檎にこにこ二十五年」は長すぎると思われたのか十年短縮して「林檎にこにこ十五年」というバージョンも見つかりました。
これらは原則として実のなる果樹ですが、ことわざですからここから転じて人事に展開することもあります。「女房の不作は六十年」「亭主の不作はこれまた一生」などがそれです。反対に「桃栗三年後家一年」というパロディもありました。これは亭主を亡くした未亡人が一年で再婚してしまうという皮肉が込められているようです。
このことわざの出典は明らかにされていませんが、古いところでは江戸時代の『役者評判蚰蜒(げじげじ)』(1674年刊)という本に、「桃栗三年柿八年、人の命は五十年、夢の浮世にささので遊べ」という歌謡が載っていました。「ささ」は酒のことですから、酒を飲んで楽しく遊べという享楽的なものです。こういった面白さやおかしさも、庶民のことわざには大事な要素です。また松葉軒東井編の『譬喩尽(たとへづくし)』(1786年序)には、「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年」と出ているので、この頃にはことわざとして確立していたことがわかります。
結構有名なことわざなので、いろはかるたに採用されてもおかしくないのですが、京いろはは「餅は餅屋」だし、江戸いろはは「門前の小僧習はぬ経を読む」が定番です。幕末頃の「尾張いろは」や「大新板以呂波教訓譬艸」にようやく見られる程度なので、いろはかるたでは案外不人気だったことがわかりました。 
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 2  

 

日本には数々のことわざがありますが、知っているつもりでも、実は全体の一部でしかないこともあります。『桃栗三年柿八年』も、実はさまざまな続きがあります。改めて意味を理解するとともに、続きについての諸説も紹介しましょう。
「桃栗三年柿八年」とは?
『桃栗三年柿八年』ということわざを耳にしたことがあるでしょう。日本のことわざの中でもよく使われるものなので、なじみのある人も多いのではないでしょうか。しかし、改めて意味を問われると、自信を持って答えられないかもしれません。まずはことわざの意味を再確認することから始めましょう。
言葉の意味 / 『桃栗三年柿八年』は単に実を付ける年月を表すものではなく、『人が技術や知恵を身に付けようとしても一朝一夕に実現できるものではなく、長い年月をかけることが必要だ』という意味を持っています。そのため目標に対して努力しているとき、すぐに目に見える結果が出ないからと諦めそうになった人を励ます意味合いで使われることもあります。
「桃栗三年柿八年」の由来 / このことわざが広まったのは江戸時代の『尾張(大阪)いろはかるた』の『も』に登場したのがきっかけといわれています。『桃栗三年柿八年』は、『桃や栗は植えてから3年たたないと実を結ばず、柿にいたっては8年もの歳月が必要になるのだ』ということを表しており、これが転じて『簡単には一人前になれず、ひとかどの人物になるには努力が必要だ』という意味合いで使われるようになりました。
「桃栗三年柿八年」には続きがあった?
『桃栗三年柿八年』が、このことわざの全文だと思っている人はたくさんいるのではないでしょうか。しかし、実は続きが存在するのです。語り継がれている代表的なものを紹介しましょう。
地域などによって続きはいろいろ / 『桃栗三年柿八年』の続きは、時代によって変化してきており、地域によっても違う形で語り継がれてきたようです。そのため、『桃栗三年柿八年』という出だしは有名であり、かつ共通していますが、続きにはさまざまな文言があります。代表的なものをいくつか紹介しましょう。
•桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十八年
•桃栗三年柿八年 梨の馬鹿目が十八年
•桃栗三年柿八年 梅は酸い酸い十三年 梨はゆるゆる十五年 柚子の大馬鹿十八年 みかんのマヌケは二十年
これらを見ると、後に続く植物ほど果実の収穫に時間がかかるものとなっています。そして、なかなか実を付けないことに厳しい表現が用いられているのです。そのほかに、次のようなものもあります。
•桃栗三年柿八年 枇杷(びわ)は早くて十三年
•桃栗三年柿八年 梅は酸いとて十三年 柚子は九年花盛り 枇杷は九年でなりかねる
これらには辛辣な表現は見られません。植えてから収穫までの期間について、誰にでも分かりやすく伝えるために作られています。
果物の収穫時期は正しくないものも
『桃栗三年柿八年』は、収穫までの時期がある程度正しく描写されています。しかし、数ある続きの中には、時期が正しいとはいえないものも盛り込まれているようです。柚子や梅に関しては、地域によってはことわざで伝えられるよりも早く収穫できる場合もあります。地域差があったり、言い伝えであったりという性質のことわざなので、このような差異が生じたと考えられています。
続きには果物以外も出てくる / 続きには果物の登場が多かったのですが、食べ物以外のものも登場します。例えば、夫婦について語るユニークなものもあります。
•桃栗三年柿八年 女房の不作は六十年 亭主の不作はこれまた一生
あるいは、『亭主を亡くした女性が悲しみに暮れているのはほんのわずかな期間で、すぐにまた新しい亭主を見つけるものだ』ということを揶揄する、次のような言葉もあります。
•桃栗三年後家一年
「桃栗三年柿八年」はどう使う?
ことわざとしては有名でも、実際の暮らしでどのように使うかイメージが湧かない人もいるでしょう。そこで、実生活における活用法を紹介します。
主な使い方 / 例えば、合格率が低く難易度の高い資格試験は、何年もかけて勉強するものです。『根気がなにより大事だ』ということを伝えて励ます場合などに、『桃栗三年柿八年』は有効なことわざだといえます。仕事がなかなか身に付かず、技術の向上が見られずに焦っている部下や後輩を勇気づける言葉としても打ってつけです。職人や技術者を目指して、厳しい世界に飛び込む人もいるでしょう。じっくりと頑張れと激励する際にも、適していることわざです。
具体的な会話例 / 「また今年の資格試験も不合格だったよ。能力不足なのかな?」「弱気になる必要はないよ。桃栗三年柿八年っていうし、また次に向かって頑張りなよ」「まだあの工程がうまくできないんです。みんなはもっと早くマスターしているのでしょうね」「焦ってはダメだよ。技術はすぐ身に付かないし、桃栗三年柿八年と肝に銘じて辛抱すれば大丈夫」「卒業したら、伝統工芸の職人を目指して弟子入りすることにしました」「それは素晴らしい。桃栗三年柿八年というくらい、よい成果を上げるにはそれなりの時間が必要だから、根気よく頑張ってね」 
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 3 

 

桃栗三年柿八年といいますが……
「桃栗三年柿八年」ということわざはテンポもよく、覚えやすいですよね。でも実はここで終わりではなく、つづきがあるってご存知ですか?諸説ありますが、柚子や梅等のさまざまな野菜や果物がこのつづきに登場しますよ。はたしてどんな食べ物が登場するのでしょうか。いろいろな続きをご紹介します。
桃栗三年柿八年の意味
このことわざは、果樹を植えたら、食べられる実がなるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるということをあらわしています。ほかにも努力することの大切さを表した、勤勉に働いた人は三年で一人前、少しだけ努力した人は八年で一人前、普通の人は九年で一人前、努力しない人は十八年かかっても一人前になれないという意味もあるそうです。すぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切であると言い聞かせる場合などに使われます。つまり、来週海外旅行に行くからといって、今日参考書を買って英語の勉強を始めたからといって、すぐに明日話せるようになるわけではないということですね。
桃栗三年柿八年の語源 / 江戸時代後期に作られたという『尾張(大阪)いろはかるた』のことわざの中に、「桃栗三年柿八年」という言葉が登場しています。ちなみにいろいろなかるたの「も」のことわざは、江戸のいろはかるたでは「門前の小僧習わぬ経を読む」、京都のいろはかるたでは「餅は餅屋」となっています。見比べてみると、「桃栗三年柿八年」という言葉はコツコツと地道に商売をする大阪人らしいですね。かるたに使われているということは古くから桃、栗、柿という季節の食べ物が生活に馴染んでいたというのがよくわかります。
桃栗三年柿八年の続きは ?
どんどん出てくるいろんな食べ物! / 続きには地域などによって、さまざまなパターンがあります。その一例としては、「梨の馬鹿目が十八年」「柚子は大馬鹿十八年」「林檎にこにこ二十五年」 「梅は酸い酸い十三年」など。ほかには銀杏やみかんが登場するものもありますよ。同じ果物でも違う表現もあり、柚子は「柚子は大馬鹿十八年」のほかにも「柚子は九年の花盛り」や、「柚子は九年でなりさがる」のようにとてもバリエーション豊かですね。さらに、果物ではない表現が続くパターンもあるそうで、「女房の不作は六十年」「亭主の不作はこれまた一生 」というものもあります。人間が一人前になるまでを表しているそうで、女房は60年でやっと一人前になり、亭主は一生成長途中だなんてなんとも考えさせられますね。
収穫時期は本当だった! / 桃栗柿の年月は適当な数字があてはめられているのではなく、正確な収穫時期になっています。何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかるというというのが本来の意味ですが、家庭菜園や農業初心者が、収穫時期の目安として覚えているそうです。しかし、桃栗柿のあとに出てくる、梨や柚子等はその年月よりももっと早くに実をつけるようです。
『時をかける少女』にも出てきます
1983年大林宣彦監督作品、原田知世主演の映画「時をかける少女」にもこの「桃栗三年柿八年」が挿入歌の歌詞として登場します。「愛のため息」という短い歌で、歌詞は「桃栗三年、柿八年、ゆずは九年でなりさがる、梨のバカめが十八年」、さらにこの歌には2番があり「 愛の実りは、海の底 空のため息星屑がヒトデと出会って億万年」とつづきます。この短い歌のなかに映画の世界観がぎゅっと詰まっていて、頭について離れなくなる方も多いそうです。
武者小路実篤『達磨は九年で俺は一生』とは
武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ)とは明治18年に生まれ、小説家・詩人・劇作家・画家として活躍された方です。著書『武者小路実篤詩集』の中にある詩のなかで「桃栗三年柿八年、達磨は九年で俺は一生」と表現しました。後半の「達磨は九年で俺は一生」は彼の創作になります。なぜこのように表現したのでしょうか。達磨(だるま)大師が、中国の嵩山の少林寺で壁に向かって座禅を9年組むことで悟りを開いたという故事が由来となり、「面壁(めんぺき)九年」という言葉ができました。 劇作家の武者小路実篤はそれに続けて「俺は一生」と表現し、自分自身が実るには一生かかり、生涯修行だということを表現したのです。
人生の教訓になりそうなことわざ
いかがでしたか?「桃栗三年柿八年」というだけで長く時間がかかる印象ですが、つづきは気が遠くなるような長い年月の話でしたね。資格を取りたくても、始めた翌日からよい点数は出ませんし、子育ても3年たって3歳になってもまだまだその先には長い人生が待っています。何事もすぐには成果が出ないのだから辛抱強くならなければならないということですね。このことわざはいろんなことに当てはめることができそうです。先はとても長い道のりになるかもしれませんが、まずは種をまくところから始めませんか?コツコツとつづければきっと素敵な実がなりますよ。 
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 4  

 

会社の帰り、自宅最寄り駅の商店街を歩いていたら、果物屋で柿を売っていた。秋の味覚の一つだ。そこでふと浮かんだのが「桃栗三年、柿八年」ということわざ。以前、この続きのフレーズがあるという話を聞いたが、どんな内容だったか。そもそも桃や栗は3年で実を結ぶものなのか、疑問がわいてきた。
ユズ・ウメ・ナシ・ビワ…いろいろな果物が登場
「桃栗三年、柿八年」を辞書で引いてみると、「芽生えの時から、桃と栗とは三年、柿は八年たてば実を結ぶ意。どんなものにも相応の年数があるということ」(広辞苑第6版)とあった。何かに取り組んだとき、すぐに結果を求めたがる人に対して、まずは地道な努力が大切と、言い聞かせる場合に使われることが多い。この言葉に続くフレーズがあるということを以前聞いた覚えがあるのだが、辞書には載っていなかった。そこで何冊かのことわざ辞典やインターネットで調べてみると、確かにあった。だが果物はいろいろ、年数もまちまちだった。
まずはユズだ。「ユズは9年でなりさがる」「ユズは遅くて13年」「ユズの馬鹿めは18年」――などがあった。なりさがるの部分には「なり盛る」や「なりかかる」など複数の表現があった。次いでウメ。「ウメは酸いとて13年」「ウメはすいすい16年」など。そしてナシ。「ナシの大馬鹿13年」「ナシの馬鹿めは18年」。このほかビワもあった。「ビワは9年でなりかかる」などだ。
果物の組み合わせとしては、ユズとウメの「ユズは9年でなりさがる。ウメは酸いとて13年」というものと、ユズの部分をビワに置き換えた「ビワは9年でなりさがる。ウメは……」というのが目立った。さらに最後に、ナシをもってくるケースも多い。
最大公約数的にまとめてみると、「桃栗三年、柿八年。ユズは9年でなりさがる。(ウメは酸いとて13年。)ナシの大馬鹿18年」というフレーズになろうか。
「時をかける少女」ではウメがない
登場する果物や年数の違いはおそらく地域によるのだろう。また、ウメの部分をカッコでくくったのは、それがないフレーズも多かったからだ。これは、映画の挿入歌の影響が大きそうだ。1983年公開の映画「時をかける少女」(原田知世主演)の挿入歌に、桃栗三年、柿八年に続けて、「ユズは9年でなりさがる、ナシの馬鹿めが18年」という歌詞があるのだ。ネットで調べた時、これを紹介しているケースがかなりあった。いずれにしても、桃栗三年、柿八年に続くフレーズが、果物や年数の違いはあるにせよ、広く伝えられていることが分かった。
桃栗三年、柿八年に続く主なフレーズ / 「ユズは9年でなりかねる」「ユズは9年でなりさがる ナシの馬鹿めは18年」「ユズは9年の花盛り」「ユズは9年の花盛り ウメは酸いとて13年」「ユズは遅くて13年」「ユズの大馬鹿18年」「ウメは酸いとて13年」「ウメは酸い酸い13年(18年)」「ウメは酸い酸い13年 ユズは大馬鹿18年」「ウメは酸い酸い13年 ナシはゆるゆる15年」「ビワは9年でなりかねる」「ビワは9年でなりかねる ウメは酸い酸い13年」「ビワは9年でなりかかる ユズの大馬鹿18年」「ナシの馬鹿めは18年」「リンゴにこにこ25年」
江戸時代にことわざとして普及?
では、このことわざはいつごろからあるのだろうか。調べてみると、江戸時代後期の随筆家(雑学者)の山崎美成が書いた随筆「三養雑記」の中に、「桃栗三年、柿八年」という一節があった。それによると、「ことわざに桃栗三年、柿八年。柚は九年になりかかるという」とあり、当時の人は「桃三、栗四、柑六、橘七、柚八」と言っていて、これは「為憲の口遊(くちずさみ)」からきているとあった。為憲というのは、平安時代中期の文学者で美濃守や遠江守なども歴任した源為憲のこと。「口遊」は彼が貴族のために著した教養書で、ほかにも「世俗諺文」という教養書を編んでいる。また、1670年ごろの歌舞伎役者を紹介した本には「桃栗三年、柿八年。人の命は五十年。夢の浮世にささのであそべ(酒飲んで遊べ)」とあるという。ここから推測するに、桃や栗が3年で、柿は8年で実を結ぶということは古くから知られており、そこから、何事も成就するには相応の時間がかかるということわざが生まれ、江戸時代までには一般に広まっていた、といえるのではないか。小説「二十四の瞳」で知られる作家の壺井栄は、色紙にサインを求められると、「桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿十八年」という言葉を好んで書いていた。小豆島(香川県)にある壺井栄文学碑にはこの言葉が刻まれている。ユズの大馬鹿とあるが、これは辛抱強く年月を重ねて実を結ぶユズの実直さをめでる言葉なのだという。
収穫時期は本当だった
最後に、桃栗三年、柿八年というが、本当に3年あるいは8年かければ果物として収穫できるのだろうか。これについては、JAグループ福岡のホームページに答えがあった。それによると、実がなるまでに桃や栗は約3年かかり、柿は6〜7年だから、ことわざはほぼ合っているという。もっともユズやウメはいわれているほど長くはかからないそうだ。実際に家庭で食べた柿や栗の種を庭に埋めて育てても、同じものが収穫できるとは限らない。販売されている品種を作るには、挿し木や接ぎ木をして育てていく必要があるという。 
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 5  

 

桃栗3年、柿8年に続きがあると聞きました。ちょっと調べてみることに。 すると、ありますねー。いろいろと。
 桃栗3年柿8年 柚子は9年
 桃栗3年柿8年 柚子は9年でなりかねる
 桃栗3年柿8年 柚子は9年でなりさがる 梨のバカめは18年
 桃栗3年柿8年 柚子は9年の花盛り
 桃栗3年柿8年 柚子は9年の花盛り 梅は酸いとて13年
 桃栗3年柿8年 柚子は10年花盛り
 桃栗3年柿8年 柚子は遅くて13年
 桃栗3年柿8年 柚子の阿呆は13年
 桃栗3年柿8年 阿呆の柚子は13年
 桃栗3年柿8年 柚子の大馬鹿18年
 桃栗3年柿8年 柚子の大馬鹿18年 銀杏の気違い30年
 桃栗3年柿8年 柚子の馬鹿めは18年
 桃栗3年柿8年 梅の13年待遠い
 桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年
 桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年 柚子は大バカ18年 林檎ニコニコ25年 女房の不作は60年 亭主の不作はこれまた一生 あーこりゃこりゃ
 桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い13年 梨はゆるゆる15年 柚の大バカ18年 ミカンのマヌケは20年
 桃栗3年柿8年 梅は酸い酸い18年
 桃栗3年柿8年 枇杷は9年でなりかねる
 桃栗3年柿8年 枇杷は9年で登りかねる
 桃栗3年柿8年 枇杷は9年で登りかね 梅は酸い酸い13年
 桃栗3年柿8年 枇杷は9年でなりかかり 柚子の大馬鹿18年
 桃栗3年柿8年 梨の馬鹿めが18年
 桃栗3年柿8年 梨のつぶては18年
 桃栗3年柿8年 のろまな梨は70年
 桃栗3年柿8年 胡桃の大馬鹿20年
 桃栗3年柿8年 林檎ニコニコ25年
 桃栗3年柿8年 銀杏のばかやろ30年
 桃栗3年柿8年 後家一年
 桃栗3年柿8年 人の命は50年 夢の浮世にさ丶のであそべ
 桃栗3年柿8年 9年面壁10年の苦界 有情非情のもの 苦かたる蛇のなきはなし
そもそも、「桃栗3年、柿8年」の意味は、物事を成し遂げるにはそれ相応の時間がかかる。だから頑張れ!ってこと。実際に桃や栗を種から育てると、実がなるまでに約3年、柿は6,7年 かかるらしい(アキバ博士の食農教室「食の知恵と文化」)から前半部分はだいたい合っているみたい。が、後半部分が種類多すぎ。
柚やナシは”あほ”とか”大馬鹿”とか”のろま”とか言われてるし、ミカンも”まぬけ”とも、銀杏は”ばかやろう”って・・・・。
果物で統一されているものもあれば、「女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生」というのもあり。面白い。これって、男の人の方がたちが悪いってことでしょう。まぁ、女も60年かかるっ相当ですけど。
桃栗3年柿8年の続きがこんなに沢山あるってことは、「物事成し遂げるには、そう簡単にできない」ってことを面白おかしく言い伝えたかったんでしょうね。 
 
 
 
  
「桃栗三年柿八年」の続き 6  

 

「桃栗三年柿八年」の意味と由来とは?
意味は「何事も何かを成し遂げるために、時間がかかる」 / 「桃栗三年柿八年」の意味は、「何事も何かを成し遂げるためには、時間がかかる」です。一人前になる、何かのプロフェッショナルには努力が必要で、それなりの年月がかかるという教訓を伝えています。
桃や栗は3年、柿なら8年実がなるまでにかかるということが由来 / 桃、栗、柿は植えてから実がなるまでには時間のかかる植物で、桃や栗は3年、柿なら8年かかります。そのことが「桃栗三年柿八年」の由来となっています。また江戸時代に生まれた大阪いろはかるたの「も」には、この「桃栗三年柿八年」が使われました。
「桃栗三年柿八年」の使い方と例文とは?
時間がかかることを相手に伝えたい時に使われる / 「桃栗三年柿八年」は会話の中で使われることの多いことわざで、使い方は時間がかかることを相手に伝えたい時に、例えとしてこのことわざを用います。ビジネスシーンでも使用可能です。
「桃栗三年柿八年」を使った例文 / 「新人で最初から結果を出そうというのが無理というもの。桃栗三年柿八年とも言うし、地道に頑張っていこう」「何事もあせらないのが大切です。桃栗三年柿八年と言いますから、まずは基本を身に着けてそのあと応用を学びましょう」「部長の昇進は、桃栗三年柿八年、長年の努力が実った結果だ」
「桃栗三年柿八年」の続き:食べ物編
「桃栗三年柿八年」はこれで終わるのではなくて、いろんなパターンの続きがあります。ほかにもたくさんの果物や食べ物が出てくるのですが、そのパターンの種類は多く、調べれば調べるほどに様々なバリエーションが出てきます。その中の一部をご紹介します。
みかんやりんごも!「桃栗三年柿八年」の色々な続き / 「桃栗三年柿八年 枇杷(びわ)は早くて13年」「桃栗三年柿八年 柚子(ゆず)は9年で成り下がり 梨のバカめは十八年」「桃栗三年柿八年 梅は酸いとて13年 柚子は9年花盛り 枇杷は9年でなりかねる」「桃栗三年柿八年 柚子の大バカ18年」「桃栗三年柿八年 胡桃(くるみ)の大バカ20年」「桃栗三年柿八年 りんごニコニコ25年」「桃栗三年柿八年 銀杏(ぎんなん)のバカヤロ30年」「桃栗三年柿八年 梅は酸い酸い13年 梨はゆるゆる15年 柚子の大バカ18年 みかんのマヌケは20年」
「続き」に出てくる収穫時期には間違いも / 「桃栗三年柿八年」の年数は、収穫時期のことを指しています。しかもこの収穫時期は、実際の収穫時期と同じです。ことわざによっては事実とは違うことが詠われることがたまにありますが、「桃栗三年柿八年」は事実に基づいています。しかし「桃栗三年柿八年」の後に続く枇杷や梨の収穫時期は、実際とは異なるため、「桃栗三年柿八年」の続きをそのまま鵜呑みにしないように注意しましょう。
「桃栗三年柿八年」食べ物以外の続き
「桃栗三年…」の続きには女房や亭主も出てくる / 「桃栗三年柿八年」の続きには、果物ではないものが登場することもあります。例えば、「後家1年」や「女房の不作は60年」、「亭主の不作はこれまた一生」です。「後家」は後家になるのにそれほど時間はかからないとたとえているのに対して、「女房」や「亭主」についてはかなりひどい言われようです。
「桃栗三年柿八年 だるま9年 俺は一生」は武者小路実篤の言葉 / また小説家として知られる武者小路実篤は「桃栗三年柿八年 だるま9年 俺は一生」と語っています。元来美術に興味のあった武者小路実篤は40歳のころ絵筆を持つのですが、ゴッホやスザンヌを尊敬しても真似はしたくないと、自分なりに画風を固めていきます。その時の志として、「達磨大使が悟りを開くのに9年も座禅を組んだのだから、自分は絵画の道では一生かけよう」という強い思いから「だるま9年 俺は一生」と詠んだようです。 
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 7 

 

「桃栗三年 柿八年」この言葉をご存知でしょうか。なんとも言いやすい語呂合わせの言葉。全国共通に使われているのは、この始めの言葉のみ。しかしこれには続きがあって、地方でさまざまな言葉に変容しているのです。そして桃、栗や柿のみならず、他の果実についても語られています。もちろん、梅についても。
言葉の意味
「桃栗三年 柿八年」この言葉は果物が種から発芽し、育って実がなるまでの年数を数えたものだといいます。文面通りに捉えると、桃と栗は3年かかり、柿は8年かかるもの。果物の実がなるまでにはこれほどの時間がかかるのだということ。転じて、物事を成すためにはそれなりの時間がかかるもの。物事は何事もすぐには結果がでないもの。一朝一夕に物事を成し遂げることはできないのだということ。そういった教えを含んだことわざです。ちなみに果物が成るまでの年数というのは、必ずしも正しくはないようです。種から植えればそのくらいの年数がかかるということ。接ぎ木などの手を加えればいくらか期間が短くなるものもあるようで、果物によって違います。期間の長いものでは「蜜柑の間抜けは二十年」「林檎ニコニコ二十五年」という節もあります。実際にこれだけの時間を要するというのなら、これでは農家さんは大変ですよね。
いつから言われていたのか
ことわざは古くから使われていた言葉。昔の人の知識や知恵だったり、教訓や戒めといったものを簡潔に表したもの。ことわざは、すでに平安時代にはあったと言われています。昔からの言葉が人の口から口へと伝えられ、今現代にことわざとして残されているのです。すごいことですよね。「桃栗三年柿八年」これについて、いつごろ発生したものなのかというのは定かではないようですが、少なくとも江戸時代には使われていたのです。
江戸時代にはあった
「桃栗三年柿八年」という言葉が、文字として残されているのは江戸時代の書。
役者の評判記 / 『役者評判蚰蜒(げじげじ)』1674年。歌舞伎役者を紹介する評判記。この本には次のような歌が掲載されています。「桃栗三年柿八年 人の命は五十年 夢の浮世にささので遊べ」「ささので遊べ」とは、「酒を飲んで遊べ」ということです。
ことわざ集 / 『譬喩尽(たとえづくし)』松葉軒東井(しょうようけんとうせい)編。1787年。ことわざ集。「桃栗三年柿八年 枇杷は九年で登(なり)兼(かね)る 梅は酸い酸い十三年」この本にはことわざだけでなく、和歌や童謡、流行語なども入っている。
随筆 / 『三養雑記』随筆家・山崎美成(やまざきよししげ)著。江戸時代後記。第4巻の目録に「桃栗三年柿八年」の項目がある。「諺に桃栗三年柿八年になりかかるといふ」と書かれていた。また「桃三栗四柑六橘七柚八」(タウサンリツシカンリクキツシチユハチ)と、口ずさみに言っていたようです。そのあとに、以下のような記述も。「桃三李四梅子十二」(タウサンリシバイシジフニ)えと…全体で何が書いてあるのかまではわかりかねます。
いろはかるた / 江戸時代後記に作られた「いろはかるた」に「桃栗三年柿八年」が使われていたようです。ちなみに、かるたで遊んだ経験のある年代ってどの辺までなのでしょう…。よもや「カルタってなに?」ということはないのでしょうけど。かるたなので「も」が付く言葉は一つ。この言葉選びは地域で違いがあるために、当時「桃栗三年柿八年」が使われていたのは尾張(名古屋)のいろはかるただけだったようです。ちなみに江戸のいろはかるたでは「も」…「門前の小僧習わぬ経を読む」京都のいろはかるたでは「も」…「餅は餅屋」
地方での変化
桃栗三年柿八年。先程の江戸時代の書にも出ていましたが、この後にもまだ言葉が続いています。そのなかにはもちろん、当サイトのテーマである「梅」も入っています。
地方での言い回し / 「桃栗三年柿八年」ここまでは全国で同じ。ですが続く言葉はさまざまなのです。口伝なのだから仕方がないですよね。伝言ゲームのようなものなのですから。それにしてもいろいろ。言葉の一部が違ったり、年数や果物が違ったり。ちなみに例として一つを挙げると、「桃栗三年 柿八年 柚子は九年の花盛り」このように組み合わされて伝わっています。あまりにパターンがいろいろだったので、各地での違いを年数毎にまとめてみます。桃栗三年柿八年…
九年 / 柚子は九年の花盛り / 柚子は九年で花盛り / 柚子は九年でなりかねる / 柚子は九年でなりさがる / 枇杷は九年でなりかねる / 枇杷は九年でなりさがり
十三年 / 梅は酸いとて十三年 / 梅は酸い酸い十三年 / 柚子は遅くて十三年
十五年 / 梨はゆるゆる十五年
十八年 梅は酸い酸い十八年 / 柚子の大馬鹿十八年 / 柚子は大馬鹿十八年 / 柚子の馬鹿めは十八年 / 梨の馬鹿めは十八年 / 梨の馬鹿めが十八年
二十年 / 蜜柑の間抜けは二十年 / 銀杏のバカタレ二十年
二十五年 / 林檎ニコニコ二十五年
三十年 / 銀杏粘りの三十年 / 銀杏のきちがい三十年
長い年月のかかるものはすごいですね。しかしこの顔ぶれは愛情の裏返し、というところでしょうか。それと銀杏は30年かかるというのはあながち冗談でもないようですよ。
その他の言い回し / その他にも、以下のような言葉があります。「桃栗三年、後家一年」桃と栗は実がなるまでに三年がかかるが、主人を亡くした女は一年しかもたない。…未亡人の節操のなさをしゃれていうのだそうです。
「桃栗三年柿八年 梅は酸い酸い十三年 柚子の大馬鹿十八年 林檎にこにこ二十五年 女房の不作は六十年 亭主の不作はこれまた一生 あ〜こりゃこりゃ」
すごいですねぇ。これもまたしゃれ、ユーモアでしょうか。ちなみに、こんなことわざもあるようです。「女房の悪いは六十年の不作」「悪妻は百年の不作」これまたすごい言葉…。しかし夫婦になって60年というと、現代では二十歳で結婚したとしても80歳…これまたほぼ一生ということですね。
近年使われた言葉
桃栗三年、柿八年… この言葉はことわざですから、多くの人が使っています。
武者小路実篤 / 武者小路実篤(1885年5月12日-1976年4月9日)日本の作家。「桃栗三年柿八年 だるまは九年 俺は一生」達磨大師が壁に向かい、9年間に渡り座禅を続けて悟りを開いた という故事から、「面壁九年」という言葉がある。【面壁九年(めんぺきくねん)】長い間忍耐強く一つのことに専念し、やり遂げること。だるまは九年かかったが、自分は一生をかけてものごとを成す。そういった意味でしょうか。何かを成そうとするならば、それだけの気概で取り組まねばならないということなのですね。現代は何でもお手軽にできちゃう時代。何かと簡単に済ませたいと思ってしまうものですが、そんな時代であるからこそ、しっかりと心に留めておきたいものです。
時をかける少女 / 『時をかける少女』1983年公開の映画。原作:筒井康隆 監督:大林宣彦。あまりに有名な映画ですが、劇中歌として「桃栗三年柿八年」の言葉が使われている。題名:愛のためいき 作詞:平田穂生。“桃栗三年柿八年 柚子は九年で成り下がる 梨の馬鹿めが十八年”“愛の実りは海の底 空のため息 星屑が 海星(ひとで)と出会って億万年”1番はことわざから。2番は創作ですね。曲は大林監督のオリジナルだそうです。
後記
何事を成すにも、それなりの年月がかかる。物事を成し結果を出すためには、それだけの労力を惜しんではならない。何かを成し遂げる人は、毎日コツコツとそこへ向かって歩み続けているのです。私も何かを成し遂げる人でありたい。そう思うのは簡単ですが、これはなかなか出来そうでできないこと。しかしこれを実行し、続けていかなければ何も変わらないですよね。ではさいごに、武者小路実篤の言葉を。「桃栗三年柿八年 だるまは九年 俺は一生」
 
 
 
 
「桃栗三年柿八年」の続き 8  

 

「桃栗三年柿八年」ということわざ、テンポもよくて覚えやすいですよね。さて唐突ですが、この「桃栗三年柿八年」。このフレーズで終わりではなく、続きがあるってご存知ですか?モモやカキだけでなく、いろんな野菜や果物が、この続きに登場するんですよ〜 なかなか興味深いこのことわざの続きを、今日はご紹介していきます!
「桃栗三年柿八年」の意味とは!
ストレートに訳すと、種から芽が出て実がなるまで、桃と栗は3年かかり、柿は8年かかると言う意味ですね。
果樹を植えてから食べられる実がなるまでには、相応の歳月を待たねばならない…ということから、
・何事も成就するまでには相応の年月がかかる
・何事もしんぼう強く、長く続けなければ実を結ばない
ということを表しています。
「〜柿八年」…に続くフレーズ
さて、本題です。このことわざには続きがあるのです〜!続くフレーズは、地域によっても結構違いがあるのですが、どうやらいちばん多い(よく知られている)のは 「桃栗三年、柿八年、柚子は9年でなりさがる、(梅は酸いとて13年)梨の大馬鹿18年」 というフレーズみたいですネ。
カッコの中の【梅の部分がないバージョン】で覚えている人も多いよう。これは、1983年公開の映画『時をかける少女』の挿入歌の影響が大きそうです。
「愛のため息」という短い歌なのですが、「桃栗三年、柿八年、柚子は9年でなりさがる、梨の馬鹿めが18年」 という歌詞があるんです。この歌詞、「時をかける少女」の世界観がぎゅっと詰まっていて、頭から離れなくなる方がとっても多いみたい!
その他には、
•ユズは9年でなりかねる
•ユズは9年でなりさがる、ナシの馬鹿めは18年
•ユズは9年の花盛り、ウメは酸いとて13年
•ユズは遅くて13年
•ウメは酸いとて13年
•ウメは酸い酸い18年
•ウメは酸い酸い13年、ナシはゆるゆる15年
•ビワは9年でなりかねる
•りんごニコニコ25年
•銀杏の気違い30年 
…などなど。登場する果物や年数の違いは、地域によるところが大きいのでしょう。
また、ちょっと豆知識ですが、小説『二十四の瞳』で知られる作家の壺井栄氏は、色紙にサインを求められると、「桃栗三年 柿八年 柚の大馬鹿十八年」という言葉を一緒に書くことが多かったそうです。香川県の小豆島にある壺井栄文学碑にも、この言葉が刻まれています。“ユズの大馬鹿”と言っても、本当にバカにしているわけではなく、辛抱強く年月を重ねて実を結ぶ、ユズの実直さを愛しく思う言葉なんですよ。
語源は「大阪」説vs「臨済宗」説
時代をぐーんと遡って、江戸時代後期。このころに作られた『尾張(大阪)いろはかるた』のことわざの中に、「桃栗三年柿八年」という言葉が登場しています。確かに「桃栗三年柿八年」という言葉は、コツコツと地道に商売をする根っからの商人である大阪人らしい言葉!もうひとつ!臨済宗の教えがいちばん古い語源ではないか、という説もあります。
臨済宗では、「桃栗3年柿8年、梅はスイスイ13年 梨はゆるゆる15年、柚子の大バカ18年 ミカンの間抜けは20年」と説いているのですが、これもモチロン、単純に果物の悪口を言っているのではありませんよ!
「人生で一つのことをやり遂げるのに、努力した人は3年、努力を怠った人は20年かかる」つまり努力することが大切だという教えなんです。
実になる年数は本当?
ことわざの言葉どおり、およそ桃と栗は3年で、柿は8年で、実が収穫できる頃合いになります。じゃあ、梅は13年か?…というとそうでもなく、5・6年ほどで実がなるようです。ユズも実際はもう少々早く、10年ほどで実をつけはじめる木も! ただしこれは、庭などにタネを植えて、木が成長して〜という行程での期間。農業などでは、接ぎ木苗を植えるという方法をとりますので、もっと早く収穫ができるんですヨ。
歌の中では、2番も存在した!
「時をかける少女」の挿入歌「愛のためいき」の歌詞では、“ナシの馬鹿めが18年”〜で終わりではなく、2番もあったんです。
「愛の実りは、海の底 空のため息、星くずが ヒトデと出会って、億万年」
なんとも神秘的で、ちょっぴりの切なさも感じる歌詞ですよね。
まとめ
1.桃栗三年柿八年とは「何事も成就するまでには相応の年月がかかる」という意味
2.続きは「桃栗三年柿八年。ユズは9年でなりさがる、ナシの大馬鹿18年」が多く知られる
3.1983年公開の映画「時をかける少女」の挿入歌の歌詞に、このフレーズが使われている
4.語源は「大阪」説と「臨済宗」説がある
5.ことわざどおり、桃と栗は3年、柿は8年で実が収穫できる頃合いになる
6.「時をかける少女」の挿入歌の歌詞では、続きのフレーズだけでなく2番の歌詞もあった
モモクリサンネンカキハチネン!という、この口の中で転がるような語感の良さ。私は(自分が大阪人だから〜というのもありますが)、この商売の心得っぽさといい、語呂の感じといい、語源は大阪の商人なんじゃないかな〜!と「大阪説」オシをしたくなっちゃいますね。「桃栗3年」「柿8年」・「石の上にも3年」… こういうことわざは、とくに私みたいな三日坊主人は、しかと心に刻んでおきたい言葉です。