目は口の代わりになるか

 

情のこもった目つきは口で話すのと同じ程度に気持を相手に伝える 
目は口ほどにものを言う 
目で殺す 
目で笑う
 
右を向いて視線左 
右利きのせいか 
顔の左側を好むのか

 

 
 
 
 
 
 
    
 
 
 
 
 
   
     
 
 
 
   
  
 
 
あなたの得意な目線

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
左を向いて視線右

 

 
  
 
 
 
 
 
 
 
     
 
 
 
正面を見る 
見つめる 
見据える 
上目遣い 
斜視 
見返す

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
目を避ける 
目を隠す

 

 
 
 
 
   
 
 
 
  
  
 

 


   
出典「マルチメディア統合辞典」マイクロソフト社 / 引用を最小限にするための割愛等による文責はすべて当HPにあります。  
 

 

目が合う 視線が合う。 
目が堅い 夜が更けても眠くならない。 
目が利く 鑑識力がすぐれている。鑑定がじょうずである。監督がゆきとどく。 
目が眩む あるものに心を奪われて正常な判断ができなくなる。 
目が冴える 神経がたかぶって眠れなくなる。目がはっきりとさめる。 
目が覚める 心の迷いが去って本来の姿に立ちかえる。自覚して罪や非を悔い改める。 
目が据わる じっと一点を見つめて目の玉が動かなくなる。酒に酔ったり怒ったりしたさま。 
目が高い 鑑識力がすぐれている。 
目が出る 幸運がめぐってくる。 
目が届く 注意がゆきとどく。監視がゆきわたる。 
目が飛び出る 値段が驚くほど高いこと。激しく叱られるさま。 
目がない 正しく判断したり、見きわめたりする知恵がない。物事を的確に判断できない。 
目が離せない いつも注意、監督をしていなくてはならない。常に見守っていなければならない。 
目が光る 監視がきびしくなる。 
目が回る 目がくらむ。めまいがする。非常に忙しいさまを形容する。 
目が物を言う 目つきや目くばせなどで相手に気持を伝える。 
目から鱗が落ちる 何かがきっかけとなり急に物事の事態がよく見え理解できるようになる。 
目から鼻へ抜ける 怜悧で物事の判断などの素早いさま。 
目から火が出る 顔や頭などを強くうちつけたとき一瞬光が交錯して見えること。 
目で殺す 色目をつかって相手を悩殺する。 
目で物を言う 目くばせしをて意思を通ずる。 
目と鼻 二つの間の距離のきわめて近いたとえ。 
目に余る 程度がひどすぎて黙ってみていられないほどである。「目に余る言動」 
目に一丁字(いっていじ) まったく文字が読めない。無学文盲。一丁字を知らず。 
目の中に入れても痛くない かわいくてかわいくてたまらない。盲愛するさま。 
目に浮かぶ そのときの姿やさまが目の内に再現される。 
目に掛かる (多く上に「御」を付けて)目上の人に会う。 
目に掛ける ひいきにする。特別に面倒を見る。 
目に角を立てる 怒った目付きで鋭く見る。目角を立てる。 
目に障る 目にとって毒になる。転じて、見ることによって、気にさわる。見て不愉快になる。 
目に染みる 姿、形、景色などがあざやかで印象深く思われる。 
目に立つ 注意を引く。目につく。めだつ。 
目に付く 目にとまる。目立って見える。はっきりと見える。 
目に留まる 心がひかれる。注意が引きつけられる。 
目に入る 自然に目に見える。視野にはいる。 
目に鳩が止まる 眠い眼になる。 
目には目歯には歯 自分が受けた害に対して同様な仕返しをすることのたとえ。バビロニアのハンムラビ法典にあることばで、旧約聖書にもみえ、イエス‐キリストがそれを「山上の垂訓」のなかで用いたことにより有名になった。 
目に触れる 見える。目にはいる。目につく。 
目にも留まらぬ あまりに速くてはっきりと見定めることができない。 
目に物言わす 目づかいで相手にこちらの意を知らせる。目にいわせる。 
目に物見せる 相手をぎゃふんといわせる。ひどい目にあわせる。思い知らせる。 
目の色を変える 怒りや驚き、また何かに熱中するさまの表現に用いる。 
目の上のたん瘤 自分よりも力が上で何かと目ざわり・邪魔になるもの。 
目の敵 
目の薬 目を楽しませてくれるもの。 
目のくりだま  
目の黒い内 生きているうち。存命中。目の玉の黒い内。 
目の保養/目の正月 美しい物、珍しい物を見て楽しむこと。目の保養。目正月。 
目の玉  
目の毒 見ると害になるもの。見て苦痛となるもの。見ると欲しくなるもの。 
目の前 見ている間にすぐに結果が現れるさま。時間的、空間的にごく近いさま。目前。たやすいさま。 
目の寄る所玉が寄る 同じようなもの同士が集まる意。同類相集まる。 
目は口ほどに物を言う 情のこもった目つきは口で話すのと同じ程度に気持を相手に伝える。 
目は空 その物に目を付けないで他に気を取られている状態。 
目引き袖引き 声は出さずに、目付きや袖を引っぱることによって、相手に自分の意思を伝えるさま。 
目引き鼻引き 声を出さないで目くばせしたり鼻を動かしたりして合図を送り意を通じさせる。目付きや鼻先で合図をして知らせる。目引き袖引き。 
目も当てられず あまりにもひどくて正視することができない。悲惨で見るに堪えない。 
目もあや まばゆいほど美しく立派なさまにいう。意外で驚きあきれるさま。はなはだしくひどいさま。 
目も及ばず 非常に速くてよく見えない。目にもとまらない。 
目もくれず 少しの興味・関心も示さない。見向きもしない。無視する。 
目もすまに 少しも目を離さないで。目も休めないで。 
目もなく 目がなくなるほど細くして。非常に喜んだり笑ったりするさま。 
目を入れる ひいきにする。目を掛ける。肩を入れる。 
目を奪う あまりの美しさ立派さなどで、すっかり見とれさせる。驚嘆させ夢中にさせる。 
目を起こす 賽(さい)を振ってよい目を出す。好運にめぐり会う。運がむいてくる。 
目を掛ける 注意して面倒を見る。世話をする。いたわる。ひいきにする。めがける。 
目を切る 碾臼(ひきうす)や擂鉢(すりばち)の目を刻む。 
目を極む 目で見える限りの遠方を見る。 
目を配る 目をやって合図する。目くばせする。 
目を晦ます 人に見つけられないようにする。また、ごまかして正しく見えないようにする。人の目をごまかす。 
目をくわす 目で合図して知らせる。目くばせをする。めくわす。 
目を肥やす 良いものを多く見て見識を広め高める。 
目を凝らす じっと見つめる。凝視する。 
目を覚ます 意識を正しく呼びおこす。迷っているのを正しい道にもどす。 
目を皿にする 目を大きく見開く。物を探し求めたり、驚いたりしたときなどのしぐさ。 
目を三角にする 目に角(かど)を立てこわい目つきをする。目を怒らす。 
目を忍ぶ 人目にかからないようにある事をする。目立たないように事をする。目を盗む。 
目を白黒させる びっくり仰天してあわてる。ひどく驚きまごつくさま。 
目を澄ます 落ち着いて見つめる。熟視する。 
目を注ぐ 注意して見る。注目する。 
目をそばめる 憎悪や畏怖のためにまともに見ることができないで目をわきに向ける。 
目を立てる よく気をつけて見る。注意して見る。 
目を付ける じっと様子を見る。目的物として気をつけて見る。注視する。 
目をつぶる 知っていて知らないふりをする。見て見ぬふりをして欠点などをとがめない。がまんする。あきらめる。 
目を通す ざっと見る。ひととおり見る。通覧する。 
目を留める 心をとめて見る。注目する。 
目を長くする 短気を起こさないで見る。我慢して見る。 
目を抜く 人の目をごまかす。まんまとだます。 
目を盗む 人に見つからないように、こっそりと事を行う。人目を忍ぶ。 
目を眠る 見て見ぬふりをする。死ぬ。瞑目する。 
目を光らす 眼光鋭く見る。また、あやしいとにらんで監視する。 
目を引く 人の注意を向けさせる。他人の目にとまるようにする。 
目を開く 知識を得たり、また真理を悟ったりして新しい境地を知る。 
目を振る 目をふり向けるほどの間。脇見をする間。またたくま。 
目を細める うれしさや目にするものの愛らしさなどに誘われてほほえみを浮かべる。 
目を丸くする 特に驚いて目を見張るさまにいう。 
目を回す 気絶する。忙しくてあわて惑う。ひどく驚く。 
目を見出す 目を開いてじっと見る。また、にらみつける。 
目を見張る 目を大きく見開く。怒ったり驚いたりしたときなどの様子。 
目を見る 相手の目を見る。対面する。 
目を剥く 怒ったり、驚いたりなどして目を大きく見開く。目玉を
目は口ほどに物を言う

 

目は、口でしゃべるのと同じように、相手に人の気持ちを伝えるということ。
何かを感じ、心に起きた感情は、特に目の様子に現れるようで、気持ちを込めた目つきは、 口で言うのと同じくらいか、それ以上に、相手にその気持ちを伝えてしまうという意味が あるようです。また、自分の気持ちをごまかそうとしても、その目を見れば、その人の本当の気持ちが わかってしまうという意味もあるようです。口でごまかしても、目はごまかせないという ことでは、ないかと思います。
「目は口ほどに物を言う」という言葉があります。昔の表現なので若い人は知らない人が多いでしょうが。この言葉は日常の人間関係を考える上で非常に大事な意味を含んでいますので、知らない方はこの機会によく理解しておいた方がお得でしょう。
人がコミュニケーションをとる場合、普通は言葉の内容が大きな意味を持つと思われがちです。確かに、公的な会議で記録を全て取るような場合はそうでしょう。しかし、毎日の人間関係ではどうでしょうか。実際は言葉以外の「コミュニケーション」によるメッセージのやりとりが大事なのです。普通の人間関係では、言葉の内容以上に、言葉の調子、話し方、表情、態度などの方が大きな意味を持ちます。
例を挙げて具体的に考えてみたいと思います。演技の上手な俳優さんと下手な俳優さんはどこが違うのでしょうか?話している台詞(せりふ)は台本に書いてあるとおりですので同じなはずです。しかし、ドラマを見ている私たちは「この俳優さんは名優だ」とか、「この人は大根役者(演技の下手な役者に対する昔風の言い方)だ」とか評価します。
実は、我々が俳優さんを見て、この人は演技が上手だとか、この人の演技はひどいもんだなどと評価するのは、無意識のうちに、俳優さんが発信している「非言語的メッセージ」を受けとめて、それと言葉の内容が一致しているか、そのドラマの場面、話の流れと一致しているかを計算し、それが一致していると「名優だ」、ひどくはずれていると「大根だ」と評価しているのです。
普段の人間関係でも同様のことは起きています。だから、「言葉は丁寧だが嫌みな感じだ」などと思うときには、我々が無意識的に「非言語的メッセージ」を受けとめて言葉の裏に隠れた不快な意味を受けとめて、嫌な思いをしていることが多いと思います。
もっとも、この「非言語的メッセージ」、「非言語的コミュニケーション」は非常に微妙な情報伝達なので、受けとめる側の態度、特に感情状態によりその解釈が変わります。具体的に言うと、こちらがイライラしていると、相手が言った普通の言葉が何か特別の嫌がらせではないかと勘ぐってしまったりすることがあります。
また、人間関係のコミュニケーションはお互いの気持ちの交流ですから、こちらが不機嫌だとそれが相手に伝染してしまい、お互いに不機嫌となり喧嘩になったりすることもあります。(昔からの言い回しで「売り言葉に買い言葉」、「魚心(うおごころ)に水心」などという表現があります。興味がある人は調べてみて下さい。)
ですから、相手がどのような「非言語的メッセージ」を発信しているか考えてみることも意味がありますが、自分が無意識に発信した「非言語的メッセージ」が、話がこじれた原因の一つではないかと考えてみることも大事かもしれません。(話がこじれる時には両方に原因があることも多いのですが。) 
瞳で恋をつかむ

 

「目は口ほどにものを言う」という言葉がある通り、目は自分が思っている以上に気持ちを表しているものです。そのため、相手の目線を見ることで口には出さない本性を読むことができて、逆に効果的に使うことで相手に好印象を与えることもできます。そこで今日はメンタリストとして活動されているDAIGOさんによる『メンタリズムー恋愛の絶対法則ー』より「目でわかる!できる!知っておきたい恋愛テクニック」についてご紹介します。
1.好き嫌いの感情を読む
「「富士山って何回行ったことある?」と聞いたとき、聞かれた人は必ず「えーと」とどこかを見るでしょう。まるでそこに答えが書かれているかのように。そうなのです。その人にとっては、その位置が答えの探し場所であり、その目線の動きは、個人によってある程度決まっているのです。(中略) 簡単に使うなら、相手に「いい思いで」もしくは「最悪の過去」を聞いてください。(中略) 思い出そうとするとき、相手の「目がどの方向に向くのか」をチェックしておいてください。そして、あなたが「青山に新しくできたお店に一緒に行きましょう」などと誘ったときに、相手が見る方向と照合するのです。」
あなたが彼を誘った時に相手が「良い思い出を思い出そうとした時の目の動き」と「悪い思い出を思い出そうとした時の目の動き」のどちらを向くかを調べるという方法です。
口では「いいね」と言っていても、嫌な思い出を話している時の目線と同じ方向に動いている場合には、あまり良く思っていない可能性も高いので彼の本心を見破るのに役立ちそう。
2.その気にさせる目の合わせ方
「「回数」を増やすことで、相手に自分を効果的に印象付けられます。相手の「気になる」存在になるのが目的です。気になる存在になり、相手に興味をもたせるのです。「印象に残らない」「スルーされる」よりもましだと思いませんか?」
じっと目を見つづけるのが苦手な人もいますよね。そんな時には見続ける代わりに回数を稼ぐのが「相手をその気にさせる目の合わせ方」なんだそう。
確かに、一度目が合っただけでは「偶然かな?」と思いますが、何度も目が合うことが続けば「見られているのかな?」と気になりますよね。相手に自分を意識させるのに、ぜひ使ってみてください。
3.その気にさせる目のそらせ方
「タイミングよく目線を合わせるのが難しいなら、相手があなたを見ていないときに相手を見ていればよいのです。あなたがジッと視線を送っていれば、相手はいつかその視線に気がつきます。「ガン見されていた」と感じるのはあまり心地いいものではないので、相手が顔をあげたときに自然に視線をずらすのがコツです。特にあなたが女性なら、効果的。パッと視線をそらすことで恥じらいのあるイメージを演出できます。」
視線というのは交われば良いというものでもありません。何か視線を感じてふっと顔を向けた時に、あまりにガン見されていると「えっ…なんで見られてるの?」と思いますよね?
だからこそ相手が見ていない時に見つめておいて、相手と目が合いそうになったらパッと視線をそらすことがポイント。
4.アイコンタクトが「ひと目惚れ」をつくる
「ひと目惚れという現象を科学的に分析すると、ひと目惚れをしたほうは、無意識のうちに相手の目を5秒から7秒間見つめてしまっているのだそうです。人間のアイコンタクトの長さは、通常1〜1.5秒程度。試してみれば、たとえ3秒間でも他人と目を合わせ続けることの難しさがわかるでしょう。」
5秒以上というと長いですが、この「5秒以上見つめる」ができるようになれば、相手から特別な感情を引き出すことが可能になるということ。
通常5秒間見つめるというのは難しいですが、とっておきの技として「人相診断ができる」「目の充血具合で健康状態がわかる」など、何かしらの理由をつけて見つめ合う環境を作るのはいつでも使えて相手をドキドキさせることができるのでオススメです。 
視線でわかる男性心理

 

「目は口ほどにものを言う」ということわざがありますよね。たとえ口数が少ない男性でも目を見れば、相手が本当にデートを楽しんでいるのか。はたまたイライラしているのか。態度に加えて、その感情がありありとわかるなんてことは多いものです。時折、男性の考えていることがわからない。男女は結局、脳みそが違うんだからすれ違って当たり前という声を耳にしますが、彼がちょっとした隙に見せる視線に着目してみると、意外とシグナルを発信していることは多いもの。今回は、そんな相手の視線からわかる彼の本音についてご紹介します。
視線からわかることは多い!? 着目したい彼の目線の動き
アメリカのリチャード・バンドラー、ジョン・グリンダー両博士によって開発された「神経言語プログラミング」という研究によれば、人間の目の動きと思考には深い関係があることがわかっているのだそう。具体的にどんな視線をしたときに、どんなことがわかるのか。以下にそれらのポイントをいくつか挙げてみましたので、さっそく覗いていきましょう。
○目が左上を向いている(あなたから見て右上)
過去に体験したことを思い出しているとき。たとえば1週間前になにを食べたのか思い出すときは、この目の動きをするようです。
○目が右上を向いている
こちらは反対に、未来の出来事を想像しているとき。記憶をつかさどるのが左脳なら、想像や思考をつかさどるのは右脳という関係なのかも。実際、ウソをついているときも、同様の動きをするのだとか。
○目が真上に向いている
話の途中、自分の考えをまとめているときに、視線を上向きにする人っていますよね。ですが、必ずしも相手と話し合っていることについて、考えているとは限らないようです。
○上目遣いに見てくる
自信がなく戸惑っている状態で、相手を頼りたいと思っているよう。ただし、視線が強いときは、相手に反感や怒りを感じている場合も。
ウソも見抜けちゃう!? 視線から学びたい彼の本音とは
上記は目の向きでしたが、なかには視線を合わせようとしなかったり、わざと視線をそらすなんて人もいますよね。そういったときは、相手はどんな心情なのでしょうか? 引き続き、見ていきましょう。
○視線を合わせてくる
これは自分に対して感心が強い証しのようです。相手の話に興味があれば、おのずと視線を合わせるのは当然ですもんね。
○わざと視線をそらす
目が合いそうになると視線をそらされてしまうのは、早く会話が終わって欲しいと思っているのだとか。
○視線を合わしてくれない
見るからに相手を嫌っているように感じられますが、まさにビンゴ。ほかにも誰にでも視線を合わせない人は、人から批判されることを恐れている表れでもあるそう。
○まばたきを頻繁にする
緊張や不安を抱えている状態。ウソをついている可能性が高い、という見方も考えられるようです。

あくまでも参考程度ではありますが、彼の仕草や癖を見逃さないように心がけることは、結果的に男性の気持ちを理解することにも繋がりそうです。彼のウソを見抜くための手段として、はたまた男性の本音に悩まされている女性は、この機会に彼の目線に注目してみてはいかがでしょうか。もしかしたら今までは気づかなかった、彼の新たな一面を垣間見られるかもしれませんよ。 
男心を暴く

 

「この人、私の事好きなの?それとも体目当て?」
まだお付き合いが始まっていない彼に対して、そんな風に思った経験はありませんか?本人に聞いたって「体目当てだよ!」なんて正直に言う人はいないだろうし、かといって知らずにのめりこんでしまうのも嫌。
実はこの「好きかやりたいだけか」の違いを科学的に検証したシカゴ大学による調査結果があるのです。
この調査は、被験者である学生にカップルや異性の写真を複数見せ、それに対して被験者が「この写真はロマンスを表している」のか「この写真は性欲を表している」のかを瞬時に答えさせます。
その際の目の動きも併せて調査し、それぞれの判断をくだす際に、被験者が写真に写された人間のどの部分を見ているかを判断するのです。
そこで今回はこの調査結果をもとに、どのように彼の気持ちを見分けたら良いかをご紹介します。
1 被験者に様々な人物の写真を見せた結果、被験者の目の動きに明らかな特徴が!
被験者が写真に対し「ロマンスを表している」と答えるときには、写真に写る人物の”顔”を中心に見ていることがわかりました。
逆に「性欲を表している」と答えるときには、顔以外の”体のパーツ”を中心に見ていることがわかったのです。
つまり、彼があなたの顔をよく見ているようなら、彼はあなたの対しロマンティックな感情を持っている可能性が高いです。逆に体ばかり見ているようなら、残念ながらあなたの体が目当てで近寄って来ているのかもしれません。
2 逆に、はじめから「ロマンス」とラベルがつけられた写真を見た場合、被験者はその写真に写る人の顔に注目していた!
そもそも写真に「ロマンス」というラベルがつけられた写真を見た被験者は、写真に写る人の顔に注目したという結果が。言い換えると、「ロマンス」と認識したなら、彼はあなたの顔に注目するようになるという事。
この結果は、たとえ今までは彼があなたの体中心に目線を送っていたとしても、それを変えられる可能性があるという事を示しています。
もしあなたが彼への愛を伝え続けながらも、体を許さずにいたら?それは立派な”ロマンスのラベル”と言えませんか?
その”ロマンスのラベル”を付けたのち、彼の目線があなたの体から顔に移ったら、彼の方もあなたとの関係を「ロマンス」と認識したと言えそうです。

いかがでしたか?”目は口ほどにものをいう”とはまさにその通りですね。
いや、口下手あるいは嘘つきな男性に限って言えば、口よりもよっぽど真実を伝えてくれているということになりますね。
彼の本心に迷ったときは、まず彼の目を見て見てください。今まで気づかなかった情報がたくさん得られるかもしれません。 
目は口ほどに物を言い・・・

 

なぜだか分からないが、今朝目覚めた時に、「いろんな目にお目にかかった」ものだとふと感じた。同時に目は、すなわち意志であり、将来の姿であり、心の窓だとつくづく思う。
人間が受ける印象は「目」だけと言っても言い過ぎではない。多少、髪が薄くとも、背丈が大きいか小さいかなど、そのようなことは大した話ではない。多少造作がおかしくても、それは個性であり、見方によっては愛嬌にもなる場合だってある。
造作の構成部品である目について、もう少し言えば、目つきという表現は何ともしっくりこない。やはり「目」だ。目そのものが面白い。自分が目フェチだということは最近気がついた。
白目と黒目の分量比、タレ目かツリ目か、一重、奥二重、二重なのか、モンゴロイドの特性である厚ぼったいまぶたなのか、それともあっさり目か、はたまた縄文的なくどいが情熱的な目、可愛らしい目もあれば、どうみても憎たらしい目など、目の形も観察すれば本当に面白い。目の位置というのもある。顔の中央に近い場合もあれば、遠い場合もある。前者が鳥に近い印象で、後者が爬虫類に近い印象だ。
ところがこれだけある目の形而上的特徴が、同じ人間でも状況、心情などで鬼にもなれば女神にもなるところが目の面白さだ。それを目つきという言葉で片付けるのはあまりにももったいない。
単純な目の表情は、キレイな目、楽しげな目、怪しげな目、悲しげな目、怒り目、呆れ目、怯えた目、流し目など、ダイレクトな表情だ。しかし、人間の心はそれほど単純ではない。その単純ではない証拠に、目は時として意志や下心というものを映す鏡にも窓にもなる。
今までの会社人生でお目にかかった目、例えば、狡猾な目、ぼんやりとした目、精気に満ち溢れた目、やる気のない目、一攫千金を狙う目、隙あらば騙してやろうという目、裏切りの目、遠慮がちな目など。一瞬の表情を切り取ってみると、本当に表情豊かであり、口ほどにモノを言う。おまけにこの目が変化するから、これまた面白い。この目の表情変化は対人関係の状況変化をそのまま映しだす。
過去の思い出を振り返るときに、目と事象のセットで記憶していることがたくさんある。ものすごく出来の良い部下を持ったものの、十分にうまく使えなかったことがある。残念な記憶だ。結局、その人は私が勤務先を辞めた直後に退職して、今では世界的に有名な大手企業の副社長をしている。この人の目ほど強い目は、今の今までお目にかかったことがない。まだ十分に若いので、きっとトップまで上り詰めていくのだろう。
この時のこの人の目に近い強い目を見ると、その昔の残念な記憶が昨日の出来事のように鮮明に蘇る。
既に枯れてしまった今の自分には全く関係ないが、若い頃、盛りがついていた時代もまた、女性のどこを見ていたかといえば、やはり目。男をもてあそぶ目、媚びる目、小馬鹿にする目、無視する目、たかりの目、哀願する目など。
今の奥さん(後にも先にも今の奥さんが最初で最後だと思うが)に出会う前には、あまり「良い目」の記憶がない。こと女性に関して思い出が希薄なのは目の記憶がないからかもしれないし、ろくな出来事がなかったので、目の記憶をするまでもなかったのかもしれない。もしかすると無意識に目の記憶を消し去ったのかもしれない。
目というものが記憶のタグになる程の存在価値があるのも凄い話だが、目のタグの優れているところは、その時の状況も含めて、単なる「ある時点の出来不出来」以外の周辺情報、例えば、その時の人間関係、事象の動き、置かれていた状況などが重層的に束ねられている。言い換えれば、目にはそれだけの情報力があるということだ。
今はコンサルタントという職業なので、互いに値踏みをするフェーズが仕事の最初のフェーズで必ずある。一種の儀式みたいなものだが、値踏みをする上で、相手様がこちらを見る目はかなりリッチな情報を含んでいる。
私は、基本的に人と付き合うことにストレスを感じるタイプではあるが、コンサルタントは一種の客商売だ。客商売であるからには、お客様という存在と自分がど ういう関係であるべきかを最初に決めないといけない。そこでは、相手様が私に何を望んでいるか、自分という人間をどう値付するつもりか、どう扱うつもりかなどを予め知る必要がある。
いろんな会話を通じた値踏みも悪くはないのだが、相手様もヒマじゃないだろうから、海のものとも山のものともよく分からない人間と接する時間など短いに越したことはない。
そこで最近、相手様の面談時に見せた目とその後の結果の関係を分析するようになった。その結果、やはり最初の5分間の目の表情変化が、その後の結果をうまく表していることに気がついた。
ダメな場合、つまり仕事にならなかった場合は、最初からこちらを見る目に真剣味がない。最近の表現であれば眼力が全然ない。また話をしている最中に目がぼんやりしてくる場合もある。人間は興味を持ったものに対する目は、針のごとく鋭くなるが、そうではないものに対しては、豆腐のような脆い目になる。豆腐の角に頭をぶつけるまでもなく、目が砕けている。
こういう目に出会った場合は、早々に退散することにしている。お互いのためだ。しかし、エージェント経由の場合は、「あの目はチャンスなし」と宣言することも出来ないので、こちらは目を下げ加減にして応対することにしている。相手様の目がいくら砕けていても、こちらの目が濁っていては申し訳ない。
こちらが変な目をしていることで、悪い印象が相手に付いてしまってはよろしくない。世界は狭く、また業界はもっと狭い。いつ何時、互いに世話になるか分からないので、ダメな場合は「なるべく目の印象を残さない」ようにする。
最近は目を覆いたくなるような悲しい出来事、残念な出来事が多い。駅で遭遇する勤め人の目もどことなく虚ろだ。日本人の目に優しさが溢れていた時代はもう来ないのかもしれないが、斜陽な我が国日本であっても、せめて目だけは希望を持ち続ける強いものでありたい。 
起承転結

 

4行から成る漢詩(近体詩)の絶句の構成を指す。1行目から順に起句、承句、転句、結句と呼ぶ。もとの中国語(漢文)では、起承転合である。日本においては、本来の意味から転じて、文章やストーリーを4つに分けたときの構成、または各部の呼称としても使われる。
起承転結による文章は論理的ではないと指摘されている。文章やストーリーの構成としての起承転結は、国際的には一般的ではない。国際的には、英語の一般的な文章ではパラグラフ・ライティング (主張→根拠→主張' )、学術論文ではIMRAD、および映画などの脚本では三幕構成が主に用いられている。
構成
元の楊載 (1271-1323) の著した『詩法家数』は、「起承転結」説を唱えた文献のうち、最古のものであると主張される場合がある。楊載の「起承転結」説は、主に以下のようなものである。
○起 / 歴史や人事を題材とし、比喩や連想から詠み始めることにより、様々な展開が出来るとする。
○承 / 「穏健」に作るべきであるとし、突飛、露骨な句であったり、反対に平板であったりすることは避けるように主張している。
○転 / 読み手を驚かす変化を入れるよう求めている。ただし、「転」の句は、「承」のそれと表裏一体であり、別物であってはならず、互いに応じ、互いに避けるという一貫性がなければならないとする。
○結 / 「言に尽くる有りて意に窮まる無し」とし、適宜にフェードアウトすることにより、「含蓄」という詩作の目的の一つを達成できるとしている。
唐の詩人、杜甫の詠んだ次の五言絶句の詩が、「起承転結」の例である。
    原文     書き下し文 / 現代語訳
  江碧鳥逾白  江碧(みどり)にして 鳥逾(いよ)いよ白く
            / 川の水は深緑で鳥はますます白く見え
  山青花欲燃  山青くして 花燃えんと欲す
            / 山は新緑で花は燃えさからんばかりに赤く見える
  今春看又過  今春 看(みす)みす又た過ぐ
            / 今年の春も見ているうちにまたもや過ぎ去ろうとしている
  何日是帰年  何れの日か 是れ帰年ならん
            / 一体いつになれば故郷に帰れる年がくるというのか
また、頼山陽 (1780-1832) の作と伝えられる以下の俗謡も、起承転結の例として認知されている (これには多様なバリエーションがあり、その一つを挙げる)。
○起 / 大阪本町 糸屋の娘
○承 / 姉は十六 妹が十四
○転 / 諸国大名は 弓矢で殺す
○結 / 糸屋の娘は 目で殺す
頼は、漢詩の起承転結を弟子に理解させるために、この俗謡を用いていたと伝承されている。
漢詩以外への転用
国語学者で、武庫川女子大学・言語文化研究所長および同大教授 (当時) の佐竹秀雄は、起承転結による文章の構成について、以下のように定義している (佐竹は必ずしも起承転結の文章構成を支持していない点に注意)。
○起 / 事実や出来事を述べる。
○承 / 『起』で述べたことに関することを述べる。解説したり、それによって起こる問題点を述べたり、感想、意見を述べたりする。
○転 / 『起承』とは関係のない別のことがらを持ち出す。
○結 / 全体を関連づけてしめくくる。
黒澤明監督作品の脚本を複数担当した脚本家の小国英雄は、ストーリーの構成における起承転結を、以下のように解釈している。
○起 / 主人公の置かれている状態、劇の説明
○承 / 主人公の置かれている状態にある事件が起こり、これから段々劇が展開して行く過程
○転 / 一つの劇のヤマ場で結果に赴く為の転化
○結 / 承、即ち事件とそれによって起こった転化によって出された結果
そのようなストーリー構成の典型的な例として、4コマ漫画が引用される場合がある。
批判
日本においては、中等教育の段階までに学習する文章のスタイルは、「起承転結」が一般的である。このため、生徒は「日本語の文章は必ず起承転結で書く」という認識を持って卒業している場合が多い。一方で、起承転結は、漢詩の構成にすぎず、論理的な文章を書ける構成ではないとして、以下のように指摘されている。
日本語学が専門で高崎経済大学助教授 (当時。後に教授) の高松正毅は、起承転結について、「こと説得を目的とする文章を作成するにあたっては極めて不適切で、ほとんど使いものにならない」と主張しており、「『起承転結』では、文章は書けない」と述べている。「起」「承」「転」「結」のそれぞれの機能の定義が明確でなく、各部分に含まれるべき文が曖昧であることを、高松は問題視する。
高松はまた、起承転結が真に問題であるのは、それが「役に立たない」からではなく、思考に大きな影響を与えるためであるとする。すなわち、文章の論旨とは無関係のように見えることを「転」で突然言い出したり、論旨を「結」に書くために、可能な限り後のほうに記述しようとしたり、文章の構成として絶対に認められない思考様式を定着させると、高松は主張している。
日本語教育が専門で千葉大学国際教育センター准教授の佐藤尚子らは、論理的な文章は論理の一貫性が必要であり、「転」の部分が論理の一貫性に反すると批判している。言語文化学会東北支部長 (当時) で論文指導者の横尾清志もまた、「転」の部分が論理的な展開から逸脱している点が論理的でないとする。横尾は、起承転結は文学的な文章展開であり、論理性や客観的視点が無いため、論証や議論には適さないとしている。「たとえ中学生の作文指導であったとしても、起承転結などで書くことを意識させてはなりません」と横尾は述べている。
ベイン・アンド・カンパニーの日本支社長を務めた経営コンサルタントの後正武は、起承転結は修辞の技法 (レトリック) であり、論理的な正しさとは関係が無く、むしろ修辞に影響されることにより論理的思考の障害になるとしている。
ブーズ・アレン・ハミルトンで主任コンサルタントを務め、バーバラ・ミントの著作を翻訳した山崎(やまさき)康司は、ビジネス文書では、まず結論から書くことが原則であり、その理由の一つは、読む側が多忙であるためとしている。山崎は、結論を最後に書く起承転結について、レポート・ライティングのスタイルではないと主張している。
心理学者でお茶の水女子大学の学長を務めた波多野完治、および歴史学者の沢田昭夫らも、文章技法としての起承転結に対して、このような批判と同様の主張を行っている。
脚本の構成
映画などの脚本においては、次のように指摘される。すなわち、アメリカの著名なスクリプト・ドクター(英語版)であるリンダ・シーガー(英語版)によれば、最初の転換点までの時間配分が長すぎる (全体の1/4より大幅に多い) 場合、観客の関心を得られないとしている。なぜならば、そのような構成では、三幕構成で言うところの第一幕 (設定) が間延びして退屈なものとなる。反対に、最初の転換点に続く第二幕 (対立) は、短すぎて呆気(あっけ)なくなるためであるという。
最初の転換点とミッドポイント (中間点) を混同する脚本家はアメリカでも多く、そのため、第二幕が映画の中間から始まるという破綻した構成の脚本が出来上がるのだと、シーガーは述べている。
比較
英語圏では、「パラグラフ・ライティング」が文章一般に用いられている。また、学術論文では「IMRAD形式」が主流である。起承転結は、ストーリーの構成としても必ずしも評価されておらず、例えば、映画などの脚本においては、国際的に支持されていない。通常、映画などの脚本は「三幕構成」に基づいて作成される。なお、日本の伝統芸能における脚本構成も、序破急、すなわち三幕構成である。
パラグラフ・ライティング
パラグラフ・ライティングは、英語の文章の一般的なスタイルである。パラグラフ・ライティングは、序論 (Introduction)、本論 (Body)、結論 (Conclusion) の三部構成から成り立っている。パラグラフ・ライティングでは、結論にあたる主張が、文章全体の最初のパラグラフ (段落) に書かれる。続いて、その根拠が1つ以上のパラグラフによって示される。そして、最後のパラグラフでは、それまでのパラグラフが要約され、また、結論にあたる主張が表現を替えて繰り返される。
序論では、論旨 (thesis statement)、すなわち文章全体で一番言いたいことが示される (論旨は序論の終わりに述べられる)。本論は、その論旨の根拠を書くところである。本論は1つ以上のパラグラフ (段落) から成る。本論のパラグラフは、主題文 (topic sentence) とそれに続く支持文 (supporting sentences) から出来ている。主題文は、そのパラグラフで言いたいことを述べた文であり、支持文はその根拠となる文である。 支持文は5つ以上であることが望ましい。そのようにして本論のパラグラフは成り立つ。結論は、全体のまとめである。ここでは、本論での論証に基づきながら、序論で述べた論旨が言い換えられ、改めて主張される。
パラグラフ・ライティングでは、 "One paragraph, one topic" が原則である。新たなトピック (主題) を述べるときには、段落を分ける。また、トピックや論旨と無関係な文 (irrelevant sentences) は書いてはならない。起承転結の「転」のような論述は、論理の飛躍 (logical leap) であるとして認められない。
IMRAD形式
IMRAD形式は、学術論文の典型的な構成である。IMRAD形式は、導入 (Introduction)、方法 (Methods)、結果 (Results)、および考察 (Discussion) から成る。派生的な形式も含めれば、学術論文の構成はIMRAD形式が主流となっている。分野別では、生物科学を始め、化学、および医学などの自然科学において比較的多く用いられている。
三幕構成
三幕構成は、映画などの脚本における一般的な構成である。三幕構成では、ストーリーの序盤、中盤、終盤が、それぞれ設定 (Set-up)、対立 (Confrontation)、解決 (Resolution) の役割を持つ3つの幕となり、3つの幕の比は1:2:1である。幕と幕は転換点 (プロットポイント) でつながっている。プロットポイントは、主人公に行動を起こさせ、ストーリーを異なる方向へ転換させる出来事である。
NHKエンタープライズのエグゼクティブ・プロデューサー (当時) である浜野高宏は、「日本と海外では、ストーリーの組み立て方がかなり異なる。例えば、日本では『起承転結』の概念を知らないプロデューサーはいないだろうが、外国人で知っている人は稀だ。海外では『序破急』の概念に近い『3幕構成』が主流であり、これは外国人ならほとんどの人が知っている。そのため、ピッチ〔編者注: 企画の売り込み〕を受けた外国人がストーリー構成を聞くときは、この3幕構成に沿った説明を求めていることがほとんどだ。それをすぐに答えられない場合は、基本的なことすら考えていない企画以前の段階なのだ、と思われてしまう。」と述べている。
日本における受容
起承転合 (起承転結) の語は、16世紀半ばの国語辞典である『運歩色葉集』に、日本における早い使用例が見られる。その後の日本においては、ある時点から、起承転結の構成は、漢詩以外の文章にも転用されるようになった。
1802年には、十返舎一九による『起承転合』と題した洒落本が刊行されている。このときの題名も『起承転合』であり、「起承転結」ではなかった。中国においては、文学者の魯迅が、1928年に出版された『而已集』の「通信」の中で、既に起承転結 (起承転合) の転用を行っている。
夏目漱石および寺田寅彦は「漢詩の構成」という本来の意味で「起承転結」の語を用いているが、寺田は比喩としても使用しており、1931年の『連句雑俎』では四部構成を漢詩のみでなく「戯曲にも小説にも用いられる必然的な構成法」としている。また同じころ、詩人の横山青娥は『新らしい詩の作り方(1931年)』において、自由詩に拡張した起承転結の必要性を主張している。
遅くとも1940年代には「文章や物事の構成」という意味での「起承転結」の転用を一般化した例がみられる(筈見恒夫『映画五十年史』)。
1961年に出版された『作文の授業入門』(今井誉次郎著) は、「起承転結」について、「これはいうまでもなく、漢詩の句の排列の名称です」としながら、作文の表現として取り上げている。「これを子どもたちにもよくわかるようにいいあらわすと、『はじめ』『つづき』『かわり』『むすび』ということになるでしょうか」と、今井は述べている。今井は「日本作文の会」の委員長を務めた。日本作文の会によれば、日本の国語教育で「書くこと」が重視されるようになったのは、戦後のことであるという。
小国英雄は、1970年前後またはそれ以前に、「中国に、"起承転結"という言葉がある。この言葉は作劇上の構成をうまく表現した言葉で、これからシナリオを書く人はこの順序に従って劇を作って行くと便利ではないかと思われる。」と、語の紹介から始めている。また、この文章の掲載された『シナリオ作法考』(1969年または1971年に出版) は、起承転結のみでなく、アリストテレスの3部分説からフライタークの5段階説に至る「近代作劇術の基礎」を解説している。
1980年に出版された『NHK新アナウンス読本』(日本放送出版協会) では、NHK (日本放送協会) のニュースの原稿は、起承転結によって構成されているとしている。「起承転結は、文章でも音楽でも、あらゆる構成の基本型です」と同書は記している。
国会での用例
日本の国会においては、第1回 (1947年) 以降、「起承転結」の語を最初に用いたのは、第16回 (1953年) 6月30日の衆議院文部委員会における世耕弘一の質問である。世耕の発言は、起承転結の本来の意味、すなわち漢詩の構成という意味に基づいて、かつての教育勅語の詩吟としての芸術性を主張するものであった。世耕はまず、起承転結の語を紹介することから始めている。
「詩に起承転結という法則がございます。詩吟するときにその転の部分を一きわ声を張り上げるようになつております。教育勅語にも芸術性がございまして、君に忠に親に孝にと、まことに朗吟に適し、…… 」 世耕弘一、第16回国会・衆議院文部委員会5号、1953年6月30日。
これ以降、「起承転結」の語が国会において用いられることは17年間にわたって無く、1970年代に入り、突然、「文章や物事の構成」という意味での転用が3例、1980年代には8例現れる。国会において最初にそのような転用を行ったのは、外務大臣 (当時) の愛知揆一である。1970年3月31日に発生した赤軍派のよど号ハイジャック事件の時期と重なったため、ソビエト連邦との外交交渉の顛末(てんまつ)が不明瞭となったことを、愛知は同年4月14日に述べている。
「ただいまもお話がございましたように、これはハイジャック事件の突発によりましてこの問題の起承転結が少しぼやけている傾きがございます。政府とこの問題についてのソ連側との交渉、それからその終末でございますけれども、……これが終結するに至りますまでの正式の交渉のてんまつでございます。」 愛知揆一・外務大臣 (当時)、第63回国会・参議院外務委員会7号、1970年4月14日。
1970年代の国会における他の用例としては、上田哲による1973年の第71回国会・参議院内閣委員会での発言、および丸谷金保による1979年の第87回国会・参議院農林水産委員会での発言がある。 
「糸屋の娘は目で殺す」考

 

起承転結の例として挙げられる
   ○○○○糸屋の娘
   姉は十六妹は十四
   諸国(諸)大名は弓矢で殺す
   糸屋の娘は眼で殺す
というのがありますが、これは、頼山陽が説明したと言われることがよくあります。
近藤春雄『中国学芸大事典』の「起承転結」では頼山陽のみを載せますが、同氏『日本漢学大事典』の「京都三条糸屋の娘」の項では、頼山陽と梁川星巌をあげ、星巌は「京都三条糸屋の娘」、山陽は「大阪本町糸屋の娘」と言ったとしています。参考文献として簡野道明『唐詩選詳説』・塩谷温『唐詩三百首新釈』を挙げていますから、どちらかが星巌で、どちらかが山陽なのでしょう。
この伝説を記録したものは、かなり多く、web上にも見られます。書籍上でもそうですが、頼山陽は、作ったことになっていたり、例として引いたことになっていたり、さまざまですし、詩句にも小異があり、「伝説」にふさわしいものです。
辞典類では上記の他に、皓星社『隠語大辞典』の「眼で殺す」の項によって、『かくし言葉の字引』に、
「 めでころす【眼で殺す】 美女が色眼をつかつて男子を悩殺することをいふ。頼山陽が門弟に詩句の起承転結の作法を教ゆる為めに作つたと伝へられて居る文句に、「大阪本町糸屋の娘、姉は二十一妹は二十歳、諸国大名は刀で殺す、娘二人は眼で殺す」といふのがある。〔情事語〕」 
とあることが分かります。
松下大三郎『標準日本口語法』に、
「 諸國諸大名は刀で殺す絲屋娘は目で殺す、どうも此の結句が巧いて。」
という例があることをついでに書いておきます。文末の「て」の例です。
加藤咄堂「青年指導と雄弁」(文部省社会教育局『話法と朗読法』)には、
「 この起承転結を或詩人が
京の三條の絲屋の娘、姉は十八妹は十五
諸国大名は刀で殺す、絲屋娘は目で殺す
初めの「京の三條の絲屋の娘」これが起で、それを承けて「姉は十八妹は十五」パツと転じて「諸国大名は刀で殺す」これがどう結ばれるかと思ふと「絲屋娘は目で殺す」かういふのが起承転結であります。」
とあります。
宮崎来城『漢詩自在/作詩術』には、次のようにあります。
「 頼山陽は初学の徒に結句法を示すに今様を以てしたことが有るさうな
大阪本町の絲屋の娘
絲屋の娘で筆を起した、此れ起句、
姉が十六妹は十四
而かも其娘は姉妹で有る、齡は十六と十四で有るといふことを述べて上句を承けた、此れ承句、
諸国諸大名は刀で斬るが
絲屋の娘に何の関係もない諸侯のことを出した、此れ転句、
いと屋の娘は目で殺す
絲屋の娘はの五字を出して、起句、承句を顧み、目で殺すに四字を出して転句を顧み、以て全編を収束した、此れ結句。
彼の読孟甞君伝といひ、此今様といひ、ともに絶句の起承転結法を学ぶの捷逕としては殊に宜しい。」
乗附春海『古今各体/作詩軌範終』には、次のように。
「 起句 君をはじめて見る時は
承句 千代も経ぬべし姫小松
転句 御前のいけのかめ岡に
結句 鶴社群れ居て遊ぶめれ
(中略)
又頼山陽翁か初学者に絶句法を示すには此の今様を以てすと云ふ
起句 大坂本町糸屋のむすめ
承句 姉は十六いもとは十四
転句 諸国諸大名は刀で斬るが
絶句 いと屋の娘は眼で殺す
是れ絶句作法の捷徑ならん。第三句に実事を述ぶべきは前に載する古人の論を見て悟るべし。」
ちなみに、この前にある
「 赤蜻蜒羽を切ったら唐辛
是れ其殺風景にして味無し。之を前後して
唐辛羽を着けたら赤蜻蜒
と云へば雅味自ら存せり。故に意を取捨し言を前後するに因て雅俗も亦自ら分る者なり。又連歌師流の言に「山畠助兵衛」と云へば尋常農人の如く聞ゆ。之を顛倒して「畠山兵衞助」と云へば舘持の一人の名の如し。」
とあるのも面白いところです。三十年ほど前に、あのねのねが歌った「赤とんぼ」で、「赤とんぼ羽を取ったらあぶらむし」というのがありましたが、「羽を取ったら唐辛子」だろう、と思った記憶(理屈ではなく言葉として)があります。
さて、この伝説は頼山陽に近づくことが出来るのでしょうか。
中央公論社の『随筆百花苑』「在臆話記」に、
「 山陽後兵児の詩の、眉斧開剖壮士腸。此語は、南品の流行俚歌にて、薩士は刀で殺し、吾妻女は目で殺すと唄ひたる也。」
と見えます。
「在臆話記」は、江戸時代のことについて書いていますが、明治40年頃の筆のようです。
さて、この「後兵児の詩」は「後兵児謡」で、
「 蕉杉如雪不愛塵 長袖緩帯学都人
怪来健児語言好 一操南音官長嗔
蜂黄落 蝶粉褪 倡優巧 鉄剣鈍
以馬換妾髀生肉 眉斧開剖壮士腸 」
というものです(岩波文庫『頼山陽詩抄』)。
美人の眉が壮士の腸を開剖する、というのですね。薩摩の俚謡「吾妻女は目で殺す」を頼山陽が翻案して漢訳したらこれになった、というのでしょうか。
この伝説と山陽とが、すこし違う方面で関わりを持っている記録でした。なお、「南音」と、薩摩言葉について触れているのも、興味を引きます。