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一念発起 時宗・一遍を楽しむことにしました
みづから一念発心せんよりほかには 三世諸仏の慈悲も済ふこと能はざるものなり
火付け人は内藤です

今、NHKの大河ドラマ・天地心の本能寺の変を見ていて、幾つかの事を思い出しました。ひとつが、昔、私の父が親しくしていた福井県福井丸岡長崎にある時宗・称念寺住職から、「寺と明智光秀は懇意な関係にあり、良く寺に来ていた」という伝承を聞いたことがあることです。其の訳は、南北朝の争いで足利尊氏に敗れた新田義貞が、亡骸を時宗の僧八名に称念寺へ運ばれたことにあります。その寺は檀家を取らず、新田義貞の御廟があるだけです。寺の本尊様も新田義貞です。どう言う縁か判りませんが、新田義貞が担ぎ込まれました。数百年後に、私の父も称念寺に行く途中で亡くなり、新田義貞と同様に運び込まれました。称念寺には、ここで亡くなったとの標しの、遺志一念と書かれた物があります。太平記の末尾に新田義貞が時宗の僧に運び込まれたと書かれています。父の再起を理解しているのは私だけです。大河ドラマを見て感じた事をメールにしました。(3/10)
称念寺へは何度も行きました。新田義貞の祭りが50年に一度行われていて、私も参加した事があります。称念寺の事も今まで以上に分りました。特に新田義貞と、明智光秀の戦国時代の称念寺との関係も分りました。現在の住職と父が親しくして居た関係でよく行きました。そんな事で父は最期の旅を称念寺にしたのでしょう。称念寺も様々な歴史の有る寺です。一遍上人も父の愛した時宗の宗祖です。機会が有りましたら調べて見ませんか、時宗の素晴らしさが分ると思います。何も求めないところに時宗の良さ、一遍上人の良さが有ります。(2009/3/11)

ちょつと間があきました、元気ですか。ご報告、悪い誘いに乗ってしまいました。
「時宗・一遍 仏の世界」を調べ始めました。スタートしたことのお知らせです。とりあえず、越前・若越の信仰あたりで、雰囲気を知りました。一年がかりですね。
度々申し訳有りません、早速HPを開いて一遍上人を観ました。余計なお願いをして済みません、お陰で色々分りました。一遍上人の考えは宗教は民衆と共に有ると言う考えで、今の荒んだ世の中に合った、今の世の中に生きる考えです。大変でも宜しくお願い致します。(2009/6/6)
私も時宗・一遍を調べ始めたお陰で、大事な昔話を思い出しました。昭和35年8月内藤を訪ねて遊行寺へ遊びに行ったことです。前月の7月17日父が急死しました。翌年大学受験をひかえ、予約済だった受験講習のため東京に1ヶ月出かけました。 伯母の家に世話になり、その折、理由は忘れましたが(ごめんなさい)、内藤のところに遊びに行きました。何となく、気持ちが平らになって帰ってきたことを覚えています。また、そのとき本堂で仏様をスケッチさせてもらった絵を、 伯母に見せたら、喜んで是非にともらってくれました。伯母が、仏壇の端に絵を置いてくれたことを思い出しました。ありがとうございました 。

本山に来た時の話し、私も改めて思い出しました。そんな事を思い出していたら、貴方の小学校での担任だった先生の話しを思い出しました。
先生はお父さんと二人暮らしで、私は卒業以来毎年お盆に成ると棚行で、先生の家に行っていました。先生親子は、私が行くことを心待ちにしていましたし、大事にして戴きました。常念寺が本堂の寄付を檀家にお願いしていた折りに、先生のお父さんから「寄付するからせがれをよこせ、年寄りが来ても駄目だぞと」言われ、私が行って望外の大金を戴きました。暫くして、其のお父さんが亡くなり、先生は一人暮らしに成ってしまい、教員時代の親しい数人の先生とのお付き合いだけのようでした。先生のすぐ近くに住んでいる親戚の方とは、お父さんが生前から仲が悪く、先生は本当の独りぼっちの寂しい生活をしていました。時々、寺に母と話しする事を楽しみに来ていましたが、先生は精神的に体調を崩していたようです。ある時、母に先生から電話が来て母が先生の家に行きました、其の帰り、私に「先生が何時もと一寸違うんだ」と話していました。其の日は運悪く私がルンビニー園の当直で、母に「もし先生の家が一晩中電気が点いて居る様なら、先生の所に行って欲しい」と頼みました。母は、先生の家の前に親戚が有るのに行く訳に行かないと、翌日、先生の家に行きました。既に亡くなって居ました。其の数日後、先生の親戚から電話があり、先生親子の仏様を見る人が居ないので、家に有る物を全部寺に持って行って欲しいと言ってきました。いくら生前仲が悪くも、それはないと思いましたが、家の物をみんな寺に持って来ました。先生の先祖・親子の位牌は常念寺に眠って居ます。仏壇は私が貰い、今もルンビニー園の園長室に親子の魂と一緒に大事にしてあります。先生の生涯は、小学校で担任した生徒、特に障害を持っ児童への特殊教育、父親へ捧げた心のこもった素晴らしい生涯でした。
人の生命は地球依り重いとは、何時の事なのか考えさせられる昨今ですが、先生始め、多くの人達の人生を改めて見る時、一抹の寂しさを感じます。それ故に、ニュースなどで気に成り感じた事を、関係する皆さんにメールで送って居ます。其の結果、答えの現れは分かりませんが、メールを送る事で何人かの人が目を通す事と成り、何時の日か一寸でも変わる事があれば、それで良いかと思い続けています。今は、貴方や紅葉さんのお陰で、パソコンの使い方を教えて戴き、楽しみが倍増しました。持つべき物は大切な同級生、知人、友人です。これからも宜しくお願い致します。帽子屋さんにも是非その辺の事を、機会が有りましたら話し、旅行などに誘ってやって下さい、お願いします。(2009/6/12)
  ブログの件いかがですか。その後が知りたくてメールしました。
母から聞いたことを思い出しました。私は自称「新田氏」の末裔です。実家の墓のひとつは、只上で、昔の住所では群馬県新田郡大字市場?の隣です。

何とかブログへの書き込みが出来たかな、と言うところです。ブログで読み取る事があまりに多く、上手い様に行きません。私のブログは「政治・困り事を共に考える」です。先週、公開しました。
称念寺では新田義貞の縁の有る人達を招いて、50年に一度慰霊祭を行っています。和尚さんそんな関係で、太田には知り合いも多く良く来て居ました。
紅葉さんは、最近、霊場巡りをしています、私達もそんな年に成ったんでしょう。一遍上人様に興味を持ってもらい嬉しく思っています。ディズニーさんも一遍を一生懸命読んでいます。度々何かと有難う御座います。(2009/6/21)  

写真の情報ありがとうございました。昔のアルバムを開き、専門であるのに忘れていました、時間がたてば写真が変色することを。すっかり、変色が始まり、今回の件がなかったら、画像が消えていたでしょう。あわてて、スキャナーで複写しました。きっかけの大事さを再確認しました。四人の写真の左端は「小林さん」との事、私の記憶は「豆腐屋」で消えていました。( 訂正 2010/5/22 同窓会2010でこの話題となり、「こんにゃく屋」とのこと、私の思い込みが判明しました。)
一遍書蹟の件、好意的な励ましのお言葉に感謝します。何でも、チャレンジと楽しみました、怖いもの知らずも、知れば知るほど楽しいものでした。
悪い虫の続編、中断していたテーマが完成しました。何か「時宗・一遍仏の世界」の延長のようなもので「辞世の句」です。句は調べてあったのですが、作者の履歴が手付かずになっていました。入り口は異なりますが、仏に近いテーマで何かの縁ですね。(8/2)  
27.28日久しぶりで鎌倉に娘その孫で泊まり、遊行寺、母校の藤澤高校に、当時の先生と友人に誘われて行って来ました。遊行寺では本堂へ修行生、先生、友人に手を引かれ身体を支えて戴き、久々に御本尊、一遍上人様、二祖上人信教上人様、呑海上人様それぞれの厨子を拝んで来ました。先生と友人とは高校卒業以来、五十年振りの再会でお互いに良い思い出に成りました。特に先生は多くの教え子の有る中、私の様な特徴の無い生徒を覚えていた事に感謝して居ます。遊行寺も藤澤高校も、これが最後に成るでしょう。友人とは此の三年メールのやり取りをして居ます。それが縁で今回の再会に成りました。やっぱり持つべきものは大切な恩師、同級生ですね。(2009/8/30)  
お礼のメール(抜粋)
先日、元藤澤高校の教師、中野清彦先生に誘われて、突然本山に寄る事に成りました。当たり前ならば先生に誘われるまでも無く、藤澤に来て寄る事が当たり前の事ですが、十一年前に脳血栓を患い、多少の後遺症が残り、三年前に脳梗塞を再発し現在は歩行がまま成らない上に、聴力を失って 、本山に行っても本堂まで歩いて行く自信も無く諦めて居たところ、中野先生、友人が連れて行くと言われて、突然寄る事に成りました。
本山には五十年前に番寮で三年間お世話に成り、私に取っては掛け替えの無い大切な師匠で有る、隆宝上人様の葬儀に来た他に、何度か施設の利用者、父兄と来ましたが、その後はご無沙汰して居りました。先日は役僧の皆さん留守の中に、三之間の修行生の皆さんが心良く対応して戴き、身体の不自由な私を事務所の玄関から五番方、大書院、百間廊下、太鼓堂を経て本堂へ、本堂では久々に一遍上人様の御厨子、呑海上人様の御厨子、御本尊様、二祖上人の信教上人様の御厨子、それぞれ久々にお目にかかり、隆宝上人様の在りし日の姿を思い浮かべながら拝ませて戴きました。私に体力と余裕があれば、もっとゆっくりしたいところ、玄関から本堂を往復するだけで精一杯でした。
本堂から帰って近侍司の隣りの客間でお茶を戴き、一寸話しを修行生としました。一言「私が本山にいた五十年前の私達依りも皆さんは立派です」と声を掛けました。此の間、修行生の方は極自然に笑顔で私の手を引き、身体を支えてくれました、本山への私のおそらく最後のお参りに成るでしょう。その私に取って大切な日に、本山の三之間の修行生の皆さんの心暖まる素晴らしい対応、その姿、笑顔は本当に有り難く頭の下がる嬉しい思いをさせて戴きました。此の事を、三之間の修行生の皆さん始め、高木先生、役僧の皆さんに宜しくお伝え戴ければ幸いです。此の度は本当にお世話に成り有難う御座いました。修行生の更なる精進を、心依りお祈り致しております。(2009/9/1)
皆に迷惑をかけても、また行くぞ、くらいの気合で毎日を楽しみましょう。
迷惑なご案内 / 調べていたとき、盆踊りのところで「鈴木主水」を見つけました。昔、栄町のお稲荷様のお祭りの舞台で、「鈴木主水という侍は・・・」のフレーズを何度か聞きました。たぶん、八木節だったか定かではありませんが、今でも耳に残っているフレーズです。
歌詞が判りました、興味がありましたら、暇つぶしにご覧下さい。(
2009/11/1)
  ご無沙汰です、元気にしていますか。やっぱり、1年かかってしまいました。
鎌倉時代、なぜ庶民が信仰をもつようになったかが、私の興味になってしまいました。政情不安、飢饉、それらを示す物語、など面白いものですね。「雑学の世界・補考」が、その裏づけに集めた資料です、何となく 書棚になってしまいました。
気分転換に目を通していただければ。(2010/5/16)  
宗教、宗派を開宗、開派された御上人様、聖人様は時の権力の争いに巻き込まれた荒んだ人々、民衆の様子姿を見て、居ても立っても居られずに生涯を掛けて歩き回り、教え、説き、諭し苦難の末に立宗、立派したのでしょう。宗教は決して金銭を求める様な事はしなかったでしょう。それを身を以て示して居るのが本山、末寺にお出での一遍上人様です。あのお姿で一遍上人様の教えは何を教え様として居るのか分かります。それ故に一遍上人は素晴らしい、立派な御上人様です 。(2010/5/17)  
  今日は父親の25回の命日で実家の常念寺に行きました。ついでに貴方の小学校での担任だった先生の命日を聞きました。先生の命日は平成元年6月4日です。今まで 先生親子に、まつわる事は、何もして来なかった様です。これからは命日に親子の塔婆を挙げ様と思います。 (2010/12/19) 
   下手な読経を我慢して
   導師をお願いしたかったのに
   先立たれてしまった
   残念だよ
   まあ ちょっと遅れるだけだよ
   川の向こうで待っていて
   いっしょに踊念仏でも習って楽しもう   (2014/12/17)
 


  最終校正 2018/12/05
 
● 時宗・一遍について、独断と偏見で色々調べました。
  興味関心が湧いたら、本体・周辺・関連・故事来歴を調べ、読んで楽しみ、ファイルして忘れます。
  忘備録・資料のファイルロッカー部は、興味趣味で収集した情報です、多くが未整理です。
[一遍1.2.3...] と項目に数字がある場合は、主題が同じでも、出典が異なることを表しています。
  重複した内容ですが、論点や情報密度が異なるので、載せています(折をみて整理します)。
内容の正否・適否・著作権等の検証はしていません、引用・転用には不適なものです。
宗教信仰・学芸に関る情報は、宗派・流派により解釈の異なる内容が混在しています。
しおり代わりの写真は本文のイメージ化のためで多くが無関係です。
 
「一遍上人/旅の思索者」(新潮社・昭和52年) ディズニー蔵書 
「明解古語辞典」(三省堂・昭和33年) 電児蔵書