私の思い
  
内藤の世を思う気持ち

時宗・一遍 仏の世界   

 
いじめと学校へ通う生徒の自殺

文部科学大臣 平野様  
厚生労働大臣 小宮山様  
今日のお願いは、今、世間で問題になってます。いじめといじめに伴って起てる学校へ通う生徒の自殺を防ぐ為の対策のお願いです。人が生きる為に必要とされて生まれた事業=教育=福祉=医療此の三つ事業は昔は聖職と言われた事業所でした。聖職から下ろされたのにはそれなりの訳があっての事です「いまここで精一杯生きるー過去でも未来でもなくーー小さな善悪も軽視しない、水滴もやがて、水瓶を一杯に満たすから」。それぞれ役割がありますし大切な事業です、  
教育=人が当たり前に生きる事が出来る様(他人に迷惑掛け無い教え)に生き方を教える義務教育を施す努めを持ってます。  
福祉=日本は最低生活を保証してます。国民が安心して暮らせる様に最低生活が出来る様に支える。見守る努めが国にあります。  
医療=病に掛かった人達、不慮出来事で怪我をした人達が治癒する様に治療を施す努めがあります。医は仁術と言う様に何れの事業も心で施す事業です。其の様な事業に関わる教育委員会、学校が起こした出来事(いじめと生徒の自殺)です。  
大津市のいじめといじめに伴って起きた生徒の自殺を防ぐ為には亡くなった生徒の遺族と教育に携わる教育委員会と学校が裁判で争う事は避けて共に考える事がいじめと生徒の自殺を無くす道だと思いますので文部科学省と厚生労働省、両大臣へのお願いですので理解の上宜しくお願い致します。  
何故此の様な出来事が繰り返されるのか。出来事の根源は「原因、要因は身辺な指導、教える立場の人達が普段、心から関わる、触れ合い、支え合う、助け合う」全ての出来事が同じ根源で起きてる出来事です。出来事を防ぐ事はそんなに難しい事ではありませんが国、関係ある省庁、機関、自治体が言い逃れと責任逃れをする為に難しくしてます。其の様な事で出来事が起きた経緯を見据える事で必ず自殺をした生徒に非があって起きた出来事では無い事が分かります。今度の出来事の責任は当然教育に携わってる教育委員会、学校に非がありますが間違った判断をした裁判所にも非があります。其の責任まで自殺で亡くなった生徒に負わせる様では亡くなった生徒と両親が救われません。  
其の様な折り三重県津市では、いじめの対応中に学校の校長先生が自殺をすると言う事態です。大阪府では携帯のネットを利用して、いじめが謳歌して当局、教育委員会、学校(機関、警察)が困惑させてます。此の様な事態にしても尚根源に気が付かないでいじめと伴う生徒の自殺か後絶たないのです、人には完全な人はない様に教育委員会、学校、企業、事業所等も完全な企業、事業所かありません。其の為に不祥事が後を絶たないのです其の為に幾ら年取って偉くなっても指導、教える立場の人達が必要になります。今の大津市のいじめといじめに伴って起きた生徒の自殺は例外ではありません。大津市の教育委員会と学校が記者会見で美辞麗句を並べて言い訳をしてましたが教育委員会、学校はいじめに伴って自殺をした生徒と遺族に対して戒めの言葉と姿勢を表す事が今必要で望まれます。  
此の文章は大津市で起きたいじめといじめに伴って自殺した生徒の出来事のニュースの抜粋です。  
大津市いじめ自殺 警察が担任や生徒から聴取へ(07/11 11:48)  
滋賀県大津市で中学生が自殺した問題で、滋賀県警は、特別捜査班を置いて本格的な捜査に乗り出す方針を固めました。  
去年10月、大津市の公立中学校に通っていた当時中学2年の男子生徒が飛び降り自殺しました。市の教育委員会は全校生徒を対象にしたアンケートの結果などから、いじめがあったことを認めています。滋賀県警は、中学校でのいじめが常態化していた可能性があるとみて、特別捜査班を25人態勢で設置し、捜査に乗り出す方針を固めました。11日以降、学校や教育委員会の関係者から事情を聴き始め、必要があると判断すれば、いじめをしたとされる生徒からも話を聞く方針です。自殺した生徒の父親は、去年10月から3回、滋賀県警に被害届を提出しようとしたものの受理されなかったため、今月中に告訴状を提出する方針です。 此のニュースを読んで如何にいい加減な教育を施して来たかが分かります。人が生きる為に必要な義務教育を施す務めを持った教育委員会と学校が与えられた務めを果たしてれば大津市の様ないじめといじめに伴う生徒の自殺は起きなくて済んだ筈です。又いじめと生徒の自殺か結ばれ無いと(因果関係が無い)無関係の様な考えをしてますが義務教育で学校に通う範囲であれば教育を受ける生徒が家を出て授業が終わって無事に家に帰る事を見届ける務めが学校にあります。 
 
東日本大震災から一年

東日本大震災から昨日で一年が経ち、一日中テレビで東日本大震災一年の追悼式の様子が放送されていました。その光景を見て被災地の支援、復興はまだこれからだと思いました。特に国、政府、関係ある機関、自治体の支援が遅れている様に感じられました。特に、政府の復興は口先、見せ掛けでの復興で、真剣み、説得力が足らない事から、ガレキの整理も自治体の協力も得られずいっこうに前に進まず、復興の在り方が問われています。  
東日本大震災のような出来事の復興は、国を挙げて行う復興であり、多額の費用、形や大きさに拘る必要はなく、いかに被害地と被害者が参加して、成し遂げ、喜ぶような都市造りが出来たかによる復興が必要だと思います。  
大震災被災地の様子を見ると、地震で亡くなった人達は全くの天災の被害者です。しかし、地震の後、押し寄せて来る津浪により亡くなった人達は、津浪を避けられる状況に有りながら人為的ミスて被害に合ったようなもので、同じ大震災で亡くなったと言っても救える命と思うと悔やまれてなりません。  
三陸方面は過去に起きたチリー沖の地震の時の津浪で、大変な被害者を出した事があった。自治体が何事も他人事の様考え、捉えている事から見過ごして、その出来事を活かす事が出来なかった。自治体が大きな間違いを犯して多くの被害者を出した事、東日本大震災での津浪で亡くなった人達の大半は、全くの人為的ミスが基で亡くなった人達と悔やまれて成りません。  
国や学識経験の浅知恵に頼るよりも、経験の深い先人達の知恵を借りて行う復興が良い復興です。  
先人とは江戸時代の安政東海大震災の地震の後から、押し寄せて来る津浪に気が付いた、当時、湯浅広村の庄屋さん濱口悟陵(儀兵衛)が語った「稲村の火」話です。高台に有った刈ったばかり稲に火を点けて村人を救いました。二宮尊徳(二宮金次郎)、上杉鷹山(成せば成る何事も成さぬは人が成さぬ成りけり)等が復興に必要な先人です。今の政治家、企業の事業者には身を捨て、財を捨てて復興をする様な人は右を見ても左を見ても見当たりません。それが今の政治家、事業者のあるがままの姿です。  
先日の東日本大震災の一年目の日を、懐かしい気持ちと愁い気持ちと複雑な気持ちで迎えました。追悼式出席して居る天皇陛下皇后陛下の姿は、日本人には心癒せるより嬉しい姿でした。そんな気持ちで東日本大震災の一年目の今日を迎えました。
参考 / 山村武彦の津波・洪水 防災三か条  
1 「グラッときたら、津波警報!津波・洪水逃げるが勝ち!」  
地震の揺れを感じたとき、緊急地震速報を見たり聞いたりしたとき、海岸周辺や海岸近くの河川周辺にいたら、津波警報と思って1秒でも早く、1mでも高い高台に避難することです。誰かに言われて避難するのではなく、防災訓練と思って自分が最初の逃げる人になるつもりで避難を開始してください。  
津波や洪水は「早期避難に勝る対策無し」「津波や洪水は逃げるが勝ち」です。小さな揺れだからといって油断せず、ラジオやテレビで情報を確認してください。明治三陸地震津波のときは「震度3」の小さな揺れでしたが、その30分後に大津波が襲ってきて2万人以上が犠牲になりました。地震後、大声で「津波が来るぞー、早く逃げろー」と大声を上げながら駆け足で逃げてください。人は誰かが逃げるとつられて逃げるものです。あなたの声が「津波警報なのです」  
2 「俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ」  
津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「ここは過去津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。防災訓練と思って声を上げながら、駆け足で避難してください。  
3 「健常者は車は使わず・遠くより、高く、一度避難したら戻らない」  
「津波は高台へ逃げるが勝ち」、しかし海岸付近にいて、高台まで避難できそうもないときは、ビルの4階以上に避難させてもらうことです。地域によっては海岸線にあるビルの協力を得て津波避難ビルとしたり、津波シェルターを設置しています。車で避難するのは条件付きで危険です。北海道南西沖地震(1993年)のとき、奥尻島では車で避難しようとした人たちが続出し、狭い道路が渋滞しているときに津波に襲われ、車ごと津波に飲み込まれ多くの犠牲者を出しました。(しかし、高齢者や障害者は短時間に高台に避難するには車しかありません。ですから健常者は極力駆け足で避難して要援護者の車が渋滞しないように心掛けてほしいと思います)。いったん避難したら、第1波が小さかったからといって自宅へ戻ったりしないことです。津波は繰り返し襲ってきます。警報が解除されるまでは「念のため避難」を続けましょう。 
 
不慮の出来事への対策

他市での餓死とみられる、度重なる悲惨な事件、心が痛みます。内藤様がご心配されるのもごもっともだと思います。  
さて、本市におきましては、ひとり暮らし高齢者、及び居宅要介護者、障がい者の「災害時要援護者名簿」を作成し、この名簿をもとに民生委員・児童委員は要援護者を把握・支援し、安否の確認・見守り活動を担っています。2月の民生委員児童委員連合会理事会においても、この事件について話し合い、見守り活動の重要性を再認識したところです。  
また、地区社会福祉協議会では福祉委員を選出し、民生委員とともに手厚い見守り活動を実践しているところが増えています。  
さらに、ひとりぐらしの高齢者の安否確認・孤独感の解消を目的に乳酸菌飲料を声をかけながら毎日(土日祝日及び年末年始を除く)配達する「愛のひと声事業」を実施しておりますが、特に長い間連絡がとれない高齢者においては、地域包括支援センターと連携し安否確認を行い、対応しております。  
なお、福祉施設通所者においては、各福祉施設で通所者の健康状態や出欠を把握していますので、孤立は防げるのではないかと思われます。  
今回の悲惨な事件を繰り返さないためには、やはり見守り活動が重要であると考えます。行政のみの対応には限界がありますので、警察署、消防署、自治会、民生委員児童委員、近所の人たちなど地域の皆さんと連携し見守っていくネットワークをすすめる必要があると思います。平成23年度はひとり暮らし高齢者の「災害時要援護者名簿」を、平成24年度には居宅要介護者、障がい者の名簿を改定しますので、この名簿を手がかりに、広く関連機関に連携強化を呼びかけ「安心して住みやすい地域」づくりを目指していく所存ですので、ご理解いただきたいと存じます。  
足利市長 大豆生田 実 (2012/3)
「佐野さん姉妹の不慮の出来事についてのお願い」ということでございますが、内藤様からのメールの末尾に「此の様な出来事が繰り返す事の無い様に市長さんの理解を宜しくお願い致します」とのご意見をいただきました。  
札幌市の事件は、障がいをお持ちの妹さん(40)を支えていたお姉さま(42)が脳内血腫で急死され、妹さんは連絡ができず凍死されたということでした。  
お二人の方が亡くなられたことについて、様々な意見の中に、関連機関、地域社会の助けがあれば救うことができたのではないかとの見方がございました。  
内藤様からご指摘いただいた「福祉、教育、医療も携わる(担当者)皆さん大切な事は身辺な身の回りに気配り、目配り、関わり合い触れ合い心からの支え助け合い」はまさに地域社会、地域社会の助け合いということだと思います。  
今回のような事件を未然に防ぐため、行政の様々な部門が連携することはもちろんですが、地域の方々と行政や警察をはじめとした関係機関との更なる連携の強化が大事であると考えております。  
今回は貴重なご意見をいただきありがとうございました。また、お気づきのことがありましたらご意見賜りますようお願いいたします。  
足利市長 大豆生田 実 (2012/2)
 
交通事故防止の対策

埼玉県知事 上田 清司 様  
何時もお世話になります。突然メールでのお願いに恐縮致します。  
先ほどのニュースで伝えられた、埼玉県が事故の多発全国ワーストワンで、埼玉県警察に事故を減らすため、警備の強化を指示した様ですが、警備の強化では事故を減らす事は出来ません。何の解決に成りません。  
事故を減らす為の在り方は、警備の強化ではなく、埼玉県を挙げて(地域で指導的立場に在る人達「教育、福祉、医療、自治会、小中学校のPTA、身辺宗教等に携わる皆さん」)、県民の心に事故を起こさない様に伝える訴える事です。「県民に伝える訴える事は、警察官ではなく、県民に直に伝えられ訴える」ことです。其の手立ては、安易な運転をしない事であり、「運転する人は体調を整える、急がない慌てない事、事前に行き先を確かめる、危険ヶ所のチェック」です。  
県民の為によろしくお願い致します。  
 
私あてにメールをお寄せいただきありがとうございました。  
県を挙げて交通事故防止の対策を講じてほしいとの意見は分かりました。  
ご存じのとおり、今年になって県内の交通事故で死亡した人が全国で最も多くなっていることから、埼玉県警察本部では1月30日から主要道路の交差点で取締りの強化を開始しました。  
県としても、特に高齢者や自転車による事故が多いことから、民生委員と交通安全母の会に協力をいただき、高齢者の世帯を訪問して交通安全等に対する意識の高揚を図る「高齢者世帯訪問」を実施しています。また、昨年9月には民間の方々で組織する「自転車マナーアップ等指導啓発隊」を創設しました。110人の隊員の方々が大きな交差点や通学路を中心に自転車に対する街頭指導活動を精力的に実施しています。  
この他、自転車の運転マナーの向上を図る新たな交通事故防止対策として、自転車の安全な利用を促進する条例を制定し、本年4月から施行します。この条例の制定を契機に自転車安全利用の県民ムーブメントを巻き起こしたいと考えています。  
安心で安全な社会の実現は、私たち県民すべての願いです。今後も自転車利用者のマナー向上にも積極的に取り組み、県民の皆さん一人一人に交通ルールの遵守と正しい交通マナーの実践など交通安全意識の普及・浸透に努めます。  
平成24年2月1日 埼玉県知事 上田 清司 (2012/2)
 
自殺対策へのお願い

先日、富山県射水市で中学2年の男子生徒が自殺をした出来事など様々な間違いを繰り返さない為のお願いです。  
今の世の中、様々な出来事が後を絶たない訳は、それぞれの出来事を他人任せにして活かさない事が大きな過ちを起こします。何事も大切な事は、それぞれの出来事を自分の事として考え捉える事で、出来事と全てがどうして起きたのか分かる様に成ります。生徒の自殺も教育を施す筈の学校、教育委員会が他人任せから生徒の自殺の兆候を見誤って起きた出来事です。  
此のニュースの記事を読んで学校、校長先生始め教師、教育委員会が幾つもの間違いを犯して居る事が分かります。只学校、校長先生、教師(以後、学校、校長先生始め教師は=学校と簡単に書かせて頂きます)の皆さんと、教育委員会がそれぞれ間違いに気が付かない事から大きな間違いを犯して居ます。何れの出来事も教育委員会、学校の皆さんが与えられ務めを果たす事で、それぞれの出来事を防ぐ事が出来た筈です。教育委員会、学校の皆さんが生徒の自殺に付いて無理解と、間違えた考え捉え方をして居る事から生徒の自殺が繰り返されたのです。  
特に過去に起きた生徒の自殺は、大半が学校校長先生始め教師の皆さんが、生徒の自殺に対する認識、理解不足から、生徒の自殺の兆候を見過ごしての生徒の自殺です。学校、校長先生、教師の皆さん教育委員会は、他人事の様に考え捉えている事で、生徒の自殺の兆候「生徒がいじめや嫌がらせを受けて自殺をする心境に成るまでは何日も何日も悩んで、悩みが募っての出来事です。其の兆候を見過ごした。学校がいじめや嫌がらせに付いての調査をした時、生徒が担当の教師にいじめや嫌がらせを受けて居ると訴え時」を見過ごして、生徒を自殺から救う事が出来なかったのです。学校、教育委員会は大きな間違いを犯して居るのです。其の為に全校集会で先立って、校長先生始め教師の皆さんは、生徒と保護者に謝罪をする事が必要に成ります。教育委員会、学校校長先生始め教師の皆さんが教育の在り方「教育者は正直で在る姿を身を以て示す必要が在る」を、全国の義務教育者に身を以て示す事で、義務教育に携わる皆さんが理解する事で、生徒の自殺をなくす事に成ります。謝罪をする事なく言い逃れと責任逃れをして居ては、また生徒の自殺が繰り返される事に成ります。学校、教師の皆さん教育委員会は、生徒の自殺を自分の事として考え捉えて、生徒の自殺が繰り返されない様にこれからも宜しくお願い致します。  
富山県射水市で26日、中学2年の男子生徒が自宅で首を吊って自殺をし、生徒が通っていた学校では28日朝、全校集会が開かれました。集会では全員で黙とうをした後、校長が「命を大切にして、悩んでいるときには周りの人に相談してほしい」と訴えたということです。  
全校集会の在り方、意義。  
学校は集会に先立って校長先生始め教師の皆さんが生徒の自殺に付いて教育者として、いじめに対する理解と力不足から起きた生徒の自殺に対する謝罪を保護者、生徒の皆さんに行う。学校、校長先生始め教師の皆さんが言い逃れ、責任逃れをして居ると、生徒の自殺を防ぐ事も出来ないだけでなく生徒の自殺を繰り返します。  
教師に出来ない生徒の自殺の兆しに気が付かない様な事を、生徒に求める事から間違った無理なお願いです。  
集会のあと、全校生徒を対象に個別面談が行われたということです。学校、校長先生始め教師の皆さんが間違ったままの考え捉え方で、全校の生徒に面談しても言い逃れと責任逃れの話しで済まされます。学校によりますと、自殺をした生徒は今年の6月、学校が調査をした際、いじめやいやがらせを受けていたと担任の教師に相談し、担当の教師は生徒の自殺の兆しを見誤った事が、生徒の自殺を防ぐ事が出来ずに生徒は自ら尊い命を捨てる様な自殺をする事に成った。担任教師は数人の生徒とその保護者に注意したということです。学校、校長先生は教師に教育者として注意する事は有っても、教師は教育を施す、教え指導をする立場に在る人は、保護者や生徒に教える指導をする事は有っても注意をする事は間違いです。しかし、今月24日にも、この男子生徒から同じような相談があった、教師は一度注意をして、いじめ、嫌がらせが収まると考え捉えた事が教師の大きな間違いを犯して居る証しです。  
そのため学校側ではどのように対応するか検討していたということです。生徒の自殺や虐待の様な瞬時を争う出来事は、一度注意して収まる事はなく長くは生涯に掛けて見定める事が必要に成ります、それが学校校長先生始め、教師の務めです。学校によりますと、男子生徒は、成績が上がらないことも気にしていたということです。学校、校長先生始め教師の皆さん教育委員会の、言い逃れと責任逃れの何ものでも有りません。  
学校や市の教育委員会では、いじめが自殺の原因の一つとみて調べています。学校、校長先生始め教師の皆さん、教育委員会が素晴らしい義務教育を施して居る様な学校では、いじめや嫌がらせは起きない筈です。  
学校は「生徒が人として生きる為に必要な教え義務教育を施す場」、校長先生は「教師に間違いのない適切な教育を施して居るか見定める務めが在る」時には教師に教え、指導、注意する。  
担任の教師は「生徒に人が人らしく生きる為に必要な教えを施す人です」時には生徒、保護者に教え、指導する。  
教育委員会は「管内の学校への指導を施す務めが教育委員会に有ります」、それぞれ眼に見えない間違いを犯して生徒の自殺が繰り返されたのです。  
必要な事は、学校校長先生始め、教師の皆さんが、生徒と共に関わり触れ合い心からの支え助け合う事から生徒の自殺を防ぐ事に成ります。そうする事が学校校長先生始め、教師の皆さんの務めです。其の務めを怠った事から生徒の自殺が起きたのです。  
調査は寝て居る生徒を起こす様な事ですから、学校、校長先生、教師の皆さんは今まで以上に生徒に気配り、目配り気遣いが必要です、校長先生、教師の務めです。担任の教師は、生徒の自殺の兆候に気が付かないで見過ごして間違いを犯した。一寸間違うと生徒が自ら尊い命を捨てる様な自殺をする事に成ります。  
教師の皆さんに、自殺に付いて生徒の自殺兆しが見極める様な事の出来る教師を育む必要が、学校、校長先生、教育委員会の務めです。それぞれ務めを怠った事から生徒の自殺です。  
自殺を防ぐ有効な対策とは。  
国と関係機関、自治体と地域で人生の指導的立場に在る人達(教育、福祉、医療、自治会、小中学校PTA等に携わる皆さんと宗教、宗教を志す皆さん)の関わり、触れ合い、心からの支え助け合い連携が不可欠ですが、それが叶わない事から。13年続けて自殺をする人が三万人を越えたのです。13年続いて異常な状況と(隣りの国、韓国では急成長の犠牲者が、日本以上に若者の自殺が深刻です。中国、インドも、急成長の犠牲者は人口の数から日本、韓国以上に多い筈ですが中国もインドも犠牲者の数を示しません。それが中国の人を人と思わない在り方です)、今に成ってたまげるよりも、国民の幸せでの対策とは一寸遅きに失した感がある様な気が致します。国も自治体も、人の生命をどれだけ尊いと考えて居るのか、計り知れない気持ちで一杯です。此の様な国、自治体の考えから、日々痛ましい出来事が絶えないのです。それぞれの出来事も、起きる主因はみんな同じ様に家庭、職場、地域からの関わり、触れ合い、心からの支えに欠けて居る事から、それぞれの分野で悩み不満が募って、思いが叶わない事から起きた出来事です。特に自殺は瞬時を争う事から、日々の関わり、触れ合い心からの支えが大切であり必要な事です。何事も他人の事と考え捉える事で、見過ごして様々な出来事を繰り返えさせてしまいます、常に自分の事として取り組み考える事で、貴重な経験と教訓を得る事に成り、大勢の人達が救われ助かります。国、関係機関、自治体、地域で人生の指導的立場に在る皆さんに、自殺を始め様々な出来事を減らし無くす為に、警備、防犯装置に頼る事でなく、皆さんが身を以て示して戴くために、更なる理解と協力をお願い致します。合掌 (2011/12)
 
「介護報酬、都市部に重点的配分へ」について

国は都市部で介護職員の人材不足が深刻になっている事から、事業者に支払わらる介護報酬を、都市部に重点的に配分する方針を決めました。 
全国を五つの区分に分けて、事業者に支払わらる基本報酬に15%から5%上乗せして、都市部では4年後、東京の高齢者人口が300万人を超えるなど高齢化が急速に進む一方で、他の産業と比較して給与が低いことから、介護職員の人材不足が深刻に成っている。この為に全国を新たに7つの区分に分けて、都市部により重点的に介護報酬を配分する方針を決めました。東京23区に ついて上乗せ率を3%上げて18%に、東京・武蔵野市など13自治体は5%上げて15%、名古屋市など16の自治体は2%上げて12%にするなど、試算して介護報酬の改定は3年ごとに行われていますが、来年4月には診療報酬と同時に改定されることに なっています。 今回の配分によって、地域ごとの人件費の格差を是正したいと国は考えています。 
介護報酬の上乗せは、介護に携わる皆さんに取って嬉しい事ですが、介護職員の人材不足は給与が安いだけでは ありません。人が生きて行く為に必要とされる事から生まれた、福祉的な職業だからです(人の為の事業者は利益を求める事はありません)。 
介護事業所の中には利益の為に起業した事業者が大半です。其の様な事業者は介護に付いて何も知らず、ただ介護事業を行っていれば良いと介護の在り方を熟知していません。志しを持って介護職に ついた若い職員の皆さんは、創意の心を持たない事業者よりも一生懸命素晴らしい介護を施しています。 
其の様な職員も、介護に付いて一通り行い身について、何時かは困る悩む時が来ます。  
其の様な時に教える、指導する、導く事の出来る指導的立場在る人達(企業、事業所の経営者)が見当たりません。職員は困り悩み事が募り其の結果、介護職を辞する人が後を絶たないのです。  
以前にも、介護職員の為の報酬の上乗せをし、給与の上乗せをした時がありました。利益に計上した事業所の経営者が大半が、職員の給与に上乗せをしていません。  
介護事業者は介護職員の給与が安いと言われていた時にも、利益を大変上げていました。決して国の言う程、事業者に与えられた費用報酬が安い訳ではなく、費用が適切に使われて いないか確かめる必要があります。  
今回の上乗せの措置も、介護事業者の経営者は利益に計上して、職員の為の上乗せをしないでしょう。国、厚生労働省は、介護事業者の経営者が、職員の給与の上乗せを行ったかどうか確かめる必要が あるように思います。国、厚生労働省が介護職員の上乗せを行ったかどうか確かめないと、今回も大変な無駄使いに終わります。 (2011/10)
介護制度
日本の介護制度は、介護を必要とする人達の為に作った制度ではなく、素人が国の言い逃れと責任逃れに作った制度です。其の為に不可解な決まりがあります。介護を受ける人達はヘルパーさんに何から何までお願いしたいと思っている訳ではなく、介護は本人と家族に出来ないような事を補う事です。 
国の言う不可解な決まりは、家族が同居していると介護は受けられない、家族に出来る事はしてはいけない、医療行為はヘルパーさんはしてはいけない等です。 
禁止事項は医療行為、爪を切る、髭を剃る、頭を刈る、耳掻きをする、簡易な治療(傷に薬を塗る)、カットバンを貼る、包帯を巻く等と、子供でも出来る様な事まで禁止しています。国は何か出来事が起こる度、責任逃れの為に指示事項をそれぞれの事業所に送って来ます。介護を受ける人達、家族はたまったものではありません。 
五木寛之さんの(21世紀仏教への旅)で「幸せの王国をめざして」ブータンの仏教を取り上げていました。五木さんのブータンの人達への「幸せですか?」問い掛けに対して、ブータンの人達は即座に異口同音に、幸せですと答えていました。又「何か欲しい物が有ります?」と聞きました、ブータンの人達は「何も欲しい物はありません」と答えて「欲しい物があっては切りがありませんから要りません」と答えていました。ブータンの仏教の教えは、この様な事から日本の様な出来事、争いごとは無いのです。 
五木さんがブータンの高僧に「日本では自殺をする人が後を絶たちません。人の生命の尊い事をどの様に教えていますか」と問い掛けました。ブータンでは、人は死後生まれ変わると「輪廻転生」を信じています。何にに生まれ変わるかは誰にも分かりません。この様な事からブータンでは生き物を大切にしていますと話していました。 
日本仏教は生と死についての考え方が宗派に依って異なります。「どう生きるべきか、どう死するべきか」真言宗等の宗派は生きながら成仏すると教え、浄土宗等の宗派は死後浄土に生きると教えています。 
日本では指導的立場にある人達が、物事に対する言い逃れ、責任逃れをして、自信を持った教える事が出来無い事から痛ましい事件が後を絶たないのです(その責任は国、関係在る省庁、機関、自治体、国民一人一人に在ります)。 (2011/10)
 
光明庵

私の夢は無住職の寺に入る事でした。昨夜の夢は私の夢を町内の友人に話し友人が指差して、此処に寺が有ったと話し、其の指先に石の仏様を思わせる物が在りました。寺に付いて早速地主に其の場所の借用をお願い致しましたが断れました。其処で目が覚め考えた事は一遍上人様の教え、形や大きさにとらわれる事無く教えの場は畳一畳有れば良いと言う教えでした。 
寺、庵に付いては心から人の生き方を教え心が和らぐ、癒やされる場が庵です。 
以下の著者の皆さんは著書を通じて思いを伝え時には訴える事もあります。私には伝える術がありません。其の為に新聞、テレビ等のニュースを見て感じ気になった事を、関係ある国は総理府、関係ある省庁、厚生労働省、科学文部省等、宗教は全日本仏教会、各宗派、報道に携わる各放送局にメールを送り続けています。 
小池龍照さん「坊主失格著者」の月続寺、瀬戸内寂聴さん「わくわくどきどきの著者」の寂庵の在り方をきっかけに、日本で一番小さいと思われる庵を自宅自室に開庵しました。庵には光明庵と記し、其の側には一遍上人様の身姿、時宗と書いて在ります。此が私の「光明庵」です。 
宗教は人の生き方を示す「道標」が必要になり、教えの場「寺」案内する人「和尚さん」が必要になります。強い人は苦難を何とかして乗り越える事が出来ます。弱い人が思い余って様々な出来事を起こし、たった一度しか無い大切な人生を一度の過ちで無駄にしています。此の様な人達の為に宗教が必要です。これからも此の様な人達の為に皆さんの理解と協力を宜しくお願い致します。 (2011/7)
 
心内に有らば色外に現る

今の政府は政権を欲しさから生まれ政府です。そのために、はっきりした政策、目的を持たずに、思い付きで政治を行っています。総理大臣がその様な状況ですから、閣内、党内でも分からない様な思い付きの政策、人事が行なわれています。 
思い付き人事で選ばれたのが松本復興相です。"思い付き"とは、良く考える事も無く決める政策、人事です。松本復興相も、良く考える事も無く、其の場限りの思い付きに話した「心内に有らば色外に現る」が、閣内、党内、野党、国民、心無い報道に携わる皆さんの批判の矢表に立たされて、復興相を辞任する事になったのです。 
松本復興相は復興大臣に選ばれ、其の職に就き偉く成った気持ち「有頂天」が言わせた言葉が命取りなりました。いくら隠しても隠し切る事は出来ません。 
「出る釘は打たれる」と言う諺の見本です。  
 
私も愚か者の代表です?小さい間違いも間違いに変わりがありません?間違いを見過ごした者は同罪です。私はテレビや新聞を見て感じ気になった事を、只見過ごして同罪になりたくありませんから、関係在る所へメールを送り続けています。 
権力を手に入れた者の在り方、思いは昔も今も変わりません?知恵、力の在る者が怖いのです?其の様な者に対して必ず影で糸を引く者が居るものです? 
頼朝が義経を恐れ追討した時のように、そのような時には身内の話しも聞けなくなっています。 秀吉、千利休の関係も(糸引きは石田三成)例外ではありません。秀吉も糸に引かれ、多勢の身内の者まで処罰殺害しています。秀次の秀吉への最期の言葉は「甘い話しをする者 より苦言を言う人を信ぜよ」でした。 
信長、秀吉、家康の三人の気質、人、物事の見極めを表す句 
信長 「鳴かぬなら殺してしまえ不如帰」、信長が思いを伝える時には、身を以て示す事が必要でした。信長が自分の力を過信して、明智光秀の人としての見極めを間違えた事から、志し半ばで生涯を終える事になったのです。 
秀吉 「鳴かせてみよう不如帰」、秀吉は見せ掛けは生涯を全うした様に見えても、最期の一言「秀頼に天下を頼む」との家康への願い事が、子供の秀頼に家督を頼む事は頷ける事でも、天下を家康に頼んだ事が大きな間違いで、豊臣家が滅亡する事になったのです。 
家康 「鳴くまで待とう不如帰」、秀吉は信長を本能寺で失い、天下を執るために従わない者(柴田勝家)は攻め滅ぼし、家康始め周りの大名は、大変な思い我慢を虐げられた後の天下です。天下を手にすると何をしても良いかの様に勝手に振る舞い、秀吉も信長以上に身勝手な大変な暴君でした。秀吉の育ちから家族への愛着はより強く、子供には溺愛の姿が周りに示される程でした。 
「名君敵を創らず」家康は天下を執る機会を待って居ました。其の様な時に秀吉が天下を秀頼に頼むと言われても、簡単に受ける訳には行かなかったでしょう。秀吉が本当に立派な人だとしたら、子供に天下を頼む事も無く、初めから家康に天下を頼み家督を秀頼に頼んで居れば、関ケ原の合戦、大阪の陣もなく豊臣家の崩壊もなく天下が安泰でした。豊臣秀吉も愚か者の代表です? 
信長、秀吉、家康は、三人三様に句に表れたような生涯を送りました。 
千利休は天下の茶人として命を掛けて居ました。今の政府、菅総理大臣は気質を問われ、「もう駄目」と何度も言われて総理大臣の職にぶら下がっています。千利休の命の掛け方と、自分の気質、力量の出来ない事を問われている事に気づかないような菅総理大臣の職にぶら下がって居る事とは、同じ天下でも「天と地」の大変な違いです。今の政府民主党は愚か者の集まりですか、同じ日本人として情けなさを覚えます。 (2011/7)
 
 
東北関東大震災への思い

11日14時46分、突然、日本では例を見ないような、凄い長い揺れ振れ地震(マグニチュード9、0)が発生しました。それが今、日本を巻き込み、瞬時に大勢の人の生命を奪い、東日本の都市を壊滅状態にしました。問題の東北、関東大震災、地震と津波です。東北と関東に大変な被害をもたらし、まるで悪夢を見てるような光景です。 
此の地球上に天災(自然現象)と言われるような事が幾つも在ります。地震、台風、豪雨、竜巻、雷、大雪がもたらす雪崩、其の天災も来るまでは天災ですが、来て(起きる)からは被害に合わないように見極める事が、被害を減らす事になります。見極めを間違える事で被害を大きくする事は、天災ではなく人災です。突然起き避ける事の出来ない地震のように、一時的な不可抗力で起きた被害は天災です。二次的に避ける事の出来るような(津波)事で起きた被害は人災です。世界では天災、人災が数え切れない程起きています。 
日本では奥尻島の津波被害、チリ地震に依る津波被害に合った三陸方面の都市、近くはインド洋での津波、ハイチ、ニュージーランドで起きた震災等を、教訓に活かす事が出来なかった国、自治体、学識経験者、国民に対して、地震、津波で大勢の人を亡くし、大変な被害を受けた事が悔やまれて成りません。何処の国も自治体、国民も、他人事のように考え、捉え、見過ごしてる事から、同じような出来事が繰り返されてしまいました。 
地震が例外ではなく、世の中で起きている様々な出来事も、基を正せば何事も他人事のように見過ごされてきた事から起きた出来事(児童の虐待、子供の自殺、暴力、諸々自殺、事件、事故)です。地震と津波も其の被害です。 
此の度の東北関東大震災も、思い掛け無いほど大変な被害をもたらしました。突然起きた地震で、瞬時に家屋が倒壊して、亡くなった人は、全く天災で亡くなった人達です。国民一人一人が見極める事から、被害を最小限度で済むようにする事が出来ます。 
テレビを見ていると、心無い有識者や報道に携わる人達は、何か起きる度に闇雲に原因や責任を追求して身勝手に話しています。見せ掛けは何でも分かってるような人達です。其のような人達ほど、何も分から無い人達です。 
原子力発電所の事故が起き続けてる事で騒いでますが、今になって危険だからと原子力発電所の是非を問う人達が決して少なくありません。国が原子力発電所を造らなければならなくなってしまったのは、国民が今のような生活を求め、それが叶うようにする為に、国は仕方無く原子力発電所を造りました。其の責任は国、自治体、国民に、それぞれ相応しい責任が在るように思います。 
騒ぐ前に国、自治体、国民に、今、何が出来るのか、 
「見守り、支え、現場で救助活動、作業や原子力発電所で被害を少しでも減らしたいと取り組んでる人達(原子力発電所の従事者、自衛隊、消防署、警察)が、安心して救助活動に励める取り組む事が出来るようにする事が、国、自治体、国民の務めです」 
務めを果たすことが、国、自治体、国民にも必要で大切な事です。 
地震が起きる度に思い出す事は、小泉八雲の話し「稲村の火」です。「ある村の庄屋さんが津波の来る事を知り、村人を助けたいと、刈ったばかりの稲を干して有った稲に火を付けて村人を集めて助けた」と言う話しです。此のような話しが小学校の教科書に書かれてあり、子供ながらに感動した事から、今でも地震がある度に教訓として思い出すのです。 
国、自治体、国民は、此の度の東北関東大震災を天災と決めつけ不可抗力と、教訓にする見極めを間違えると、次に起きる地震の時にも大変な被害をもたらす事になります。突然発生した海底で起きた大地震は天災でも、地震に伴って起きた津波は正しい見極め、「人の生命は何よりも尊い掛け替えの無い大切なものである事から、何をおいても先ず避難する事が、津波での被害を出さないための在り方で大切な事」とする事で、被害を最小化できたかもしれません。 
被災地の避難を余儀なくされてる人達の状況と、厳しさの悲惨な状態は、目を背けたくなるほど酷い光景です。此のような事が繰り返す事の無い為に、国、自治体、国民が、他人事で無く自分の事として後世に語り継ぐ事が、繰り返させない在り方、手立てです。 (2011/3)
 
大相撲についての思い

日本大相撲協会が八百長相撲で騒がれていますが、ただ利益のために生まれた事業ではなく、奈良時代から長い間、国民の心に育まれ、多くの力士、其の家族、関係在る人々の血と汗が流れて、「国技大相撲は国の宝、国宝に等しい事業です」。相撲の心が受け継がれ今の大相撲があること、大相撲の出来た経緯、歴史を良く考え捉えて、他人事のような心無い報道や学識経験者に惑わされることなく、国技を良く考えて判断することが、国技大相撲を大切にし必要とし愛している皆さんから望まれている気持ちです。 
文部科学省には、利益のために生まれた企業、事業者と同じように考えるのでなく、大相撲協会、大相撲を良くするための勧告はあっても、大相撲の歴史(長い歴史から生まれ、お金で買うことのできない大切な文化です)を良く考え、簡単に廃止させることのないようお願いいたします。国民、大相撲のためを思った判断をすることを、国民の一人として心からお願いいたします。 (2011/2)
 
自殺を防ぐ対策 2  

残念な事には国が掲げている教育の理念を、現場を預かる教育委員会、学校の皆さんが熟知していない事から、先日の桐生市での子供の自殺が起きて僅か数日後に、子供の自殺が繰り返されました。 
子供が当たり前に生きて行く為に必要な義務教育です。その教えの場、小中学校で子供が自ら尊い生命を捨てる様な悲惨な出来事が何故繰り返されるのか、教育に関係する皆さんに良く考えて戴きたいと思います。何か事ある度に、教育委員会、学校の皆さんは、これからの子供にアンケート等で安易に答えを求めていますが、本当に子供の自殺が繰り返される事を知る為には、先生自ら自分の眼で確かめる事です。そ のためには、先生が常に子供の中にいて、身近な身の回りに気配り目配りをし、生徒、子供との関わり触れ合いをしながら、つぶさに自ら確認する事です。今の教育、世の中にそれが欠けている事から、子供の自殺の様な出来事が繰り返されるのです。何れの出来事も 、教育委員会、学校が言い逃れをしている事から、子供の自殺が繰り返されるのです。子供の自殺をなくす為に、子供自ら身を以て(自殺そのもの)示しているのです。その事を教育委員会、学校は、 ただ気がつかないだけです。 
群馬県桐生市で10月23日、小学六年生上村明子さん(12)が首を吊って自殺しました。その時の教育委員会、学校の自殺に対する在り方、記者会見での報告、答弁では日々繰り返されている出来事をどのように見て活かしているのか、教育委員会、学校、先生の皆さんに疑問を覚えました。一度失った生命は取り戻す事の出来ない事を、教育委員会、学校の皆さんに、肝に据えて考えて欲しいと思います。 
相変わらずのその場しのぎの言い逃れの報告、答弁です(警察も例外ではありません)。此の様な教育委員会、学校の考え方在り方から、子供の自殺の様な出来事が繰り返されるのです。人生の指導的立場にある教育委員会、学校が隠し事を止め、ありのままに話す事が、同じ様な出来事を防ぎ減らしなくす為に、与えられた使命と義務があるのではないでしょうか。 
学校は8日全校児童の保護者会を開き、冒頭、校長が、いじめがあったことを認め謝罪をしました、「今後このようなことがないように、職員一同出直し、保護者の信用を取り戻すよう頑張ります」、いじめと自殺の関連に付いては説明がなかったようです。大切ないじめに付いて説明が出来なかった学校は、どうして保護者の信用を取り戻すのか、初めから疑問を投げつけ大きな間違いをしています。此では謝罪は、見せ掛けの謝罪でしかありません。保護者から「学校だけで問題を抱え込まず、保護者としても協力したい」と意見が出された、「学校の指導力不足により、つらい思いをさせてしまった」と謝罪しました。「学校生活で死を感じさせることはなかった」と、いじめと自殺の関連に付いては、直接結び付く原因が特定できなかったとしました。学校が長い間兆候をを見落とし、突発的に起きる事は稀に有っても、小さい悩みが積み重ねられて大きな悩みに成り、自殺となります。 その兆候、信号は事前に何度も発せられます、教育委員会、学校も真実を隠し言い逃れの為に、いじめと自殺が直接結び付く原因が特定出来なかったと言いましたが、いじめと自殺の関係を思わせる事は、記者会見の報告と答弁に充分ありました。教育委員会、学校の生徒、生命に対する認識の甘さから、出来事の兆しを見逃して起きた自殺なのです。 
校長によりますと、六年生になりクラス内で「ウザイ」とが「キモイ」など、乱暴な言葉が飛び交うようになるなかで、自殺をした女の子にも心ない言葉がかけられた。担任はクラスを落ち着かせようと9月に席替えをしましたが、クラスでは逆にこれをきっかけに、好きなグループで給食を食べるようになり、女の子は独りで給食を食べるようになってしまいました。特定出来なかったとする皆さんには、此らの事でいじめと自殺が結びつき、生徒の生命の尊さが理解出来ていなかったのでしょう。全ての教育や教え事は「心」で行う事で、此の事が欠け忘れられた事から、世の中で絶える事なく様々な出来事が繰り返し起きているのです。人生の在り方、特に人が当たり前に生きて行く為に必要な義務教育、 その在り方を見直して戴きたいと思います。 
担任の指導力が不足していたと認識を示しました、正に他人事の様な、おざなりな、いい加減な言い逃れの様な報告、答弁でした。学校、先生だけの指導力不足ではなく、子供の自殺、暴力が繰り返されている事から、「生徒の中に教師の姿が見えない」事から、生徒の様子行い心境を見極める事が出来ない、指導的立場にある教育委員会、学校、先生に問題があると思います。此では亡くなった生徒が浮かばれないばかりか、家族も納得しないでしょう。 
市川市で14日に起きた中学校に通う二年生の男子生徒(14)が自宅で首をつって死亡しているのか見つかり、遺書はありませんが、状況から自殺と見られました。男子生徒は学校が6月1日に行ったアンケートで、「悪口を言われる」「訳もなく叩かれる」などのいじめを受けていると答えていました。担任の先生が男子生徒から話しを聞いたところ、いじめ側として別のクラスの生徒の名前があげられたとのこと。学校は指導をせず、担任の先生と連携を取る事もなかったようです。何の目的でアンケートを取ったのか疑問に思います。目的があるとすれば、目的に沿った適切な対応が必要です。安易な何もしないアンケートは、何も知らない生徒に火を点けて見ている様な、大きな間違いを犯しています。与えられた使命を果たさせなかった先生に問題があります。学校も先生も、生徒の生命、自殺に対する認識を疑います。学校も先生も何もしないで見ているだけでは、学校は何をする場所か、先生は何をする為にいるのか分からないでしょう。9月には「物を隠された」相談していたところです。男子生徒の保護者も、学校に対し「学校に行きたがらないので注意して見て欲しい」と連絡していました。教育の理念が子供の自殺、暴力等を防ぎ減らしなくす為に活かされていない様に思いました。 
桐生市で起きた出来事と、この子供の自殺、暴力を良く比べて下さい、教育委員会、学校が同じ間違いをしている事が分かります。先日、或る放送局で、相談所と警察の連携で虐待から子供を守る「警察のノウハウを相談所へ」を見ました。 そこで、何故、児童の虐待、子供の自殺、暴力が繰り返されるのか考えさせられました。子供にまつわる出来事が相次いでいる今、児童子供に付いて専門の職業にある児童相談所が、今になって警察のノウハウを頼り、必要とする在り方に疑問を覚えます。児童相談所と警察が連携を取り合い、それぞれのノウハウを持ち寄り、虐待、自殺、暴力等を防ぐ、減らす、なくす事はあっても、警察のノウハウに頼る児童相談所は始めから間違っている様に思います。 
本来であれば児童、子供に付いて教える立場にある、児童相談所、関係ある機関、自治体が、それぞれの経験、認識不足から、「日々絶える事なく繰り返されている出来事を、他人事の様に考え捉え」、与えられた使命を怠ったきたのではないでしょうか。警察のノウハウに頼る様では、児童の虐待、子供の自殺、暴力もなくす事が出来ないでしょう。今までに起きた出来事を活かす事も出来ず、児童相談所は何をし、何を見ていたのか疑問で不思議な気持ちに成りました。これでは児童の虐待、子供の自殺、暴力をなくす事は出来ないだけでなく、繰り返される事に成ります。 
過去の、大阪高槻市で起きた子供の自殺、東京昭島市マンションで起きた子供の飛び降り自殺なども、同様の背景からでしょう。 
何れの出来事も、学校の先生が子供の中にいない事から、子供の様子姿を見極める事が出来ず、子供の兆しを見逃していたのでしょう。此れでは自殺を減らす事も、なくす事も出来ないと思います。 その訳は、自治体、関係機関、警察が出来事が起きた後の記者会見などでの答弁、話しを聞くときです、決まってその場しのぎの言い逃れの様な内容です。此の人達が、人の生命を預かる大切な任務に着いている人達かと疑問に思いました。何れの出来事も、一度間違えて失った生命は帰らず、「人の生命に及ぼす大切な事への取り組みは、常に真剣に行う事が望まれます」のような、おざなりな対応在り方はない筈で、失敗は赦されません。 
松下幸之助さんの言に、「私は失敗した事はありません、出来ない事は出来るまで五年でも十年でも出来るまでやります。決して諦める事はしません。私は分からない事は分かるまで考え、出来ない事は出来るまでやり、出来てから他人に伝え一緒に行います。」。 
子供の自殺、暴力などその対応について、学校、教育委員会、警察それぞれ関係ある皆さんの在るべき姿行いが、出来事の現場から見え伝わって来ません。各放送局の現場取材を見る限り、関係ある機関、児童相談所、福祉事務所、学校、教育委員会、警察の皆さんは精一杯、一生懸命やっている積もりでいるようです。しかしながら、児童、子供の生命を、自分達でどんな事があっても守る、助けると言う考えや熱意が捉えられませんし、伝わってきませんでした。子供の自殺、暴力を防ぐ事も減らす事も出来ずに、繰り返される事に成ります。子供について専門的立場にあるべき皆さんが、此の様な状況では、子供達は救われる事がないでしょう。 
そこで地域で人生の指導的立場にある人達、小学校区を一つのエリアにして、教育、福祉、医療、自治会、小中学校PTA等に携わる皆さん、身近な宗教、宗教を志す皆さんが必要になります。もちろん、これらの皆さんにも多くの経験が必要です。国、厚生労働省、自治体、関係機関、報道に携わる皆さん、市川市長様、教育委員会、学校長始め先生皆さんの、改めて子供の為に理解と御一考を宜しくお願い致します。 (2010/11)
 
自殺を防ぐ対策 1 

児童の虐待が相次いで起きている時に、子供の自殺が先日、大阪の高槻市立小学校で起きました。自殺の起きた経緯を校長先生が記者会見で話していました。その会見の話しを聞くと、学校の自殺に対する在り方は此で良いのかと思わせる様な話しでした (校長先生の話しは自殺が起きてその場が無事に過ぎる事だけの学校の為の話しです) 。 
そこで児童の虐待や子供の自殺に対する在り方は、当事者 (家庭〜家族、学校〜教育委員会) は勿論の事、国は関係省庁、機関、地方は県始め各市町村の自治体、地域では人生の指導的立場在る人達、小学校区を一つのエリアとして教育、福祉、医療、自治会、小中学校PTAなどに携わる皆さん、身辺な宗教を志す皆さんの様な人達が 、連携を取り合い、ごく自然に身辺な身の回りに気配り、目配り、会話、触れ合いからの心の支えが必要になります。 
学校も、人の生命の尊さを知る事が必要です (地球上に生物が住むようになって以来、絶える事無く生き続け今日が有る事) 。人が人らしい心、姿を取り戻し、国、地方、地域が関係する自殺防止センター、命の電話、警察など関係機関とが連携を密にする制度を、確かな物にする事が急務であり不可欠でしよう。 
子供の自殺をどう防ぐか。子供も大人も自殺する人の思いは、日々続いている悩に思い詰めた時に、自殺をする事になってしまいます。突発的な自殺は希に在っても、長い間、発し続けた信号を 、周りの身近な指導的立場 (学校) にある人が見過ごした事から、自殺を防ぐ事が出来なかったのです。関係ある人達は、責任を問われると、自殺の経緯を在るが儘に話す人 (学校、教育委員会、職場) がいなく、 その為に自殺の経緯が分からずに同じ様な自殺を繰り返して います。 
先日起きた、17日大阪高槻市の府営住宅の6階で、小学三年生の八歳の女の子が首をつって自殺しているのを家族が見つけました。女の子が通っていた、高槻市立の小学校によりますと、女の子は今年1月に転校してきましたが (学校は転校して来た経緯を知る事と 、学校を休んだ時など、子供に普段と些細な違いがあった時には子供を見守る事が必要です) 、2月には教科書や問題集に名前とともに、「しね」などと2月1日と15日落書きされていた (母親から連絡があり学校が筆跡など調べたが誰が書いたか特定出来なかった、此の事も家族からの子供 の信号を伝えて来たので、学校は筆跡を調べるだけ終わらすのではなく、自殺の気持ちを癒やすような対応をする事が必要です) ほか、学校で泣いているところを目撃されていたということです。女の子が「鉛筆を折られた」などと話し、短い鉛筆を数多く持っていたことが同じ学校の児童への取材で分かりました。 
これに付いて、学校側は「学校は幾つもの子供の信号を、学校の無知、無関心から見過ごしてしまいました」。把握はしていない学校のミス、怠慢 (学校は落書き「しね」鉛筆を折られた、泣いた、鉛筆を折られたと訴え学校を15日から24日まで休んだ) 、4月以降登校していた。子供の自殺、児童の虐待は、一時的に収まった様であっても、 その処から指導的立場に在る人が見守り続ける事が必要で大切です。子供から自殺の兆候、信号を何度も発した、学校はその都度自殺に対する認識が薄く、適切な対応が出来なかったとしています。 
小学校では、女の子が落書きされたと訴えて学校を休んだ際に、いじめの疑いがあるとみて調べましたが、誰が落書きしたかわからなかったとしています。誰が落書きをしたかよりも、本人が落書きされた事への思い、学校は何度も発した信号を、その都度受けとめ、発した子供の状況を確認する事が大切です。此の時も、学校は自殺に対する認識不足、対応が甘かった此の子供にかぎらずどの子供に対しても状況に応じた対応をして行かなければ同じ様な出来事を繰り返すでしょう。此の学校だけでなく、学校は日々起きて いる出来事を教訓にして行かなければ、自殺に限らず様々な出来事を起こす事になります。 
その後4月からは、女の子はほとんど休まずに登校していることなどから、いじめを受けていた事実は確認できていないとしています。 
学校はいじめの兆しを確認する事も大切ですが、いじめのない学校にするあり方は、普段から学校は校長先生始め教師全員が心がけている必要があります。残念ですが、此の学校には子供に対する配慮に欠けいた事から 、今回の出来事が起きました。学校は、今回の子供の自殺について、母親から落書きの事で連絡を貰いながら筆跡を調べただけで何もしていませんでした。 
「学校は何をする所ですか、小中学校は義務教育をする所と言う事は、人が人らしい人に育てる所でしょう、そこに通って来る大切な子供を自殺に追い込んだ学校には、何も責任が無いと言うのですか、少なくとも学校の先生は子育ての専門家でしょう。 その専門家が 、子供を自殺で亡くし何にも思う事が無いようでは、校長先生始め、教師の皆さんは子育ての専門家として失格でしょう」 (校長先生の記者会見の話しで汲み取りました) 。 
女の子が「鉛筆が折られた」ことは分かりました。学校は事実関係を調べることにしています。学校内で自殺に結びつく要因がなかったか調べるとのことでした。子供が自殺して亡くなった今に なって、学校内で自殺に結びつく要因を調べてどうになると学校は考えているのでしょう、学校は人の生命を大切にする事を知る対応が必要でしょう。いじめがあったかどうか、持ち物に落書きが あったことについての質問に、落書きと女の子の関係は分からないと説明しています。自殺が起きた今 、落書きと女の子の関係は分からないと言う話しは、校長先生始め学校は責任逃れとしか思えません。出来た事は在るがまま話しをしないと間違いを繰り返します。 
大阪で起きている児童の虐待死などを考えますと、学校の対応には責任逃れのようで疑問を感じます。児童の虐待死などの教訓が活かされていない出来事がある度に、関係機関は言い逃れに 、出来事の把握は無理なような報告をしてい ます。校長先生の会見の話しからは、学校は最近大阪で起きた児童の虐待事件を他人事のように考え捉え、子供の自殺の教訓になりませんでした。学校の対応は自殺に至る経緯を見誤 ったことが、自殺を防ぐ事が出来なかった要因です、校長先生は学校の責任者として認識不足から、任務に付いての使命を怠ったと言えます。二人の子供遺体遺棄事件では、通報を受けて家を訪問をしながら相談センターの認識不足から 、警察への連絡を怠った事で二人の子供救う事が出来なかった。 
関係機関 (自治体、教育委員会等) は何か事がある度に、都合良い言い逃れのような事を言いますが、在るがまま話しをしなければ、間違いを繰り返します。そのような事から世の中で痛ましい、悲惨な出来事 (自殺、事件、事故) が絶えないのです。 このような学校のミス、自殺に対する在り方、考えでは亡くなった子供は浮かばれないでしょう。 (2010/8)
 
死刑の是非

先の大戦の終戦日を迎えて、私の思いです。 
神の国と言われ続けて来た日本も、此の宇宙に地球が生まれ、共に地球上に生物が生き続けて住むようになり、今ある事で生物の生命が尊いのです。その尊い生命を、世界の国々がそうであったように、人間が持って生まれた欲望を満たす事から、争いが絶えた時代はなく、幾多の苦難な時代 (蘇我、物部「大化の改新」源平「南北朝、戦国時代」権力での領地の奪い合いから徳川時代) を経て「明治維新」明治、大正、昭和と他国と争い、戦争をして勝って当たり前と世界の国々に戦争を仕掛け、大変な国民を犠牲にして、敗戦を味わいました。此のような敗戦で、人の死を痛いほど経験した国民がいて、今があります。 
近年、様々な出来事が起きています。家庭、職場の悩み、不満募っての自殺願望を抱いての通り魔事件、秋葉原、八王子、土浦、ビデオ店放火殺人等です。結果での判断でなく、事件の起きた経緯を見ると、事件を起こした人だけが悪い訳でない事が分かります。人が生きる為に必要な、各分野に指導的立場にある人達がいません。人は一人生きる事が出来ない事から、指導者が必要です。 その事が欠けている事から、様々な出来事が起きています。 
敗戦で、人の死を痛いほど経験した日本人が、世の中で思いが叶わずに間違いを起こした人達に、死を求める事は、同じ日本人としてあってはならない事で情けない限りです。 
警察、検察の犯罪者をどうしても見つけたいとの一念から無理な捜索、不当な取り調べから (先日の裁判で検察の供述調書が証拠に認められないなど、足利事件が示しています) 、冤罪が絶えない事を考える時、死刑か無罪を争うような裁判では、死刑が必ずしも良いと言えないような事が多々ある事と、若者が思いが叶わずに一時的な事で起こす出来事で、重罰は若者が起こした間違いに相応しい罪と言えないでしょう。 
世界には人を人と思わない国 (北朝鮮、イラン、中国、ロシア、紛争の絶えない中東諸国、軍政、独裁を敷いている国々・ミャンマー等) が幾つもありますが、日本はそのような国にはなりたくありません。 
証拠がないか少ない事件で、状況証拠で死刑、無罪を争う裁判 (「疑わしきは罰せず」とは言いながら、和歌山の毒カレー事件・林真須美被告や、通り魔的事件のビデオ店放火殺人事件は一貫して無罪を主張して来ましたが死刑が確定) では、死刑で是非を決める事は出来ないでしょう (一度失った生命は帰る事は出来ません) 。 
死刑を廃止すると (遺族、親族の思いが叶わないと言う考えは同じ人間、日本として人の生命を尊いと思う時、間違いであると伝えたい気持ちです) 、大きな犯罪が増えると言う人達がいますが (車に依る轢き逃げ事故は飲酒運転は別にして、起こす積もりで起こした事故は一つもありません、事故を起こしてあまりにも大変な事になったとたまげて逃げる事から轢き逃げ事件になってしまいます) 、決して そのような事はありません。 
事件を起こした人達は大変な事をしたと思っている人達です。不慮の出来事で亡くなった人が償いを死で求めていると思いますか、人が人らしい心根のある優しい人であれば償いを死で求めるような事をしないでしょう、加害者に更正の気持ちがあれば生涯を掛けて償う事が亡くなった人への償いになります。 
死刑廃止を求めている千葉法務大臣が、死刑を執行して処刑所を公開すると話していますが、私には千葉法務大臣の思いは分かります。処刑を執行された現場を公開する事で、死刑を求めている人達に処刑をあるが儘見る事で人の死、死刑、処刑の残酷な事を理解して貰う事です。以前、アメリカのオバマ大統領が刑務所を公開すると話していた事を、突然中止にしました。 その思いは、刑務所のあるべき姿がオバマ大統領が思っていた以上に悪い状態だったので、国民に見せるような事が出来なかったのでしょう。日本の死刑を求めている人達は、千葉法務大臣の思い、死刑のあるが儘の状態 (自分を処刑の場に置き換えて首にロープを掛けて考えて下さい、 その場に立ってどのような気持ちになるでしょう) を見てそれでも当たり前と思うようであれば事件を起こした人達以上に酷い残酷な人達でしょう。 
日本人はあの大戦で破れ、大勢の人達の死を目の当たりしていながら、まだ人の死を望みますか、そのような人達は見掛けは普通の日本人であっても、実際は人を人と思わない国、国民と変わらない人達です。 そのような人達を育てない為に、指導者が必要になります。戦後65年経つた今、全国各地で行われている追悼の催しを (先の大戦の光景をテレビの報道を通じあるが儘に) 見て、戦争の悲惨さ、酷さを目の当たりにしてを日本の皆さんは戦争への思い (沖縄、広島、長崎県民の皆さんがそうであったように、大勢の国民の犠牲者の上に今の日本がある事を) を新たにしています。国、法務省、各省庁、関係機関、宗教、各宗派、報道に携わる皆さんの理解をお願い致します。 (2010/8)
 
無縁社会ニッポン

各放送局のニュース、報道番組や、今NHKで取り上げている無縁社会ニッポンなど、報じられている出来事を見るに付けても、そこに映し出された光景を見て、地域で指導的立場にある皆さん (各宗教、宗教を志す人達、地域で指導的立場にある人達) 多くの人が、身の回りの人達に対して一寸したお互いに気遣いをする事で、世の中の多くの人達が間違いを起こす事もなく、救われ助かり、罪人をつくる事もなくすむと信じています。 
先の鳩山総理の資金問題、小沢幹事長の献金問題、何れの出来事も責任者である鳩山総理、小沢幹事長は、長いあいだ秘書を信じて任せてきて知らなかっと言い、全面的に間違いを秘書に負わせてしまいました。長い間任せて知らなかったと言う行為は、間違いなく二人の怠慢であり、過失でしょう。過失に大きい小さいの違いはあっても、鳩山総理も小沢幹事長も間違いを犯したのです。気遣いする事を忘れたのです。 
今NHKで取り上げている無縁社会も、一見どうにもならないようなこと出来事も、一人では何も出来ないことであっても、一寸目配り気遣いをする事で、身辺な人で身寄りのない縁の少ない人を見掛け見届けた時、その時は大変でしょうが、そのような人の今まで生きて来た生活歴、経緯を確認する事で、その人がどう言う人なのか分かるでしょう。 
地域で縁の少ない人、一人暮らしの人、老人ホームで身寄りない人などの生活歴、経緯の確認は自治体、ホームの使命ですが、現状は自治体、ホームの怠慢です。事が起きてからでは時間が限られ、自治体、老人ホームが慌てて探しても、おざなりな、いい加減な対応をする事になり、尊い筈の人の死を軽率に扱い、心ない直葬、遺体献体等になるのでしょう。 
シリーズで取り上げていた、故郷から墓が消えるその背景は、故郷、家族、親族、親しい友人、知人から離れて長い間生活して来た事からです。共同の墓 (大きな慰霊碑のような物)は、縁の少ない縁のない人になり、 そのような人達が集まって新しい縁を創った事から、集い関わり合い、触れ合い、一緒に遊び生活して、人生の締めくくりは同じ墓に入るということなのでしょう。 
そのような人達にも、私達、宗教を志す人、地域で指導的立場にある人達が、人生のあり方、そのすべを共に語り合う事が必要と思い、関係ある人達、機関にメールを送らせて戴いているのです。私が父親から話された「お前にしか出来ない事をしなさい」、私は生涯をかけて、人が必要とする事を諦める事なく続けているのです。こうする事が私に与えられた使命と考えたからです。これからも総理府の皆さん、各宗教、宗教を志す皆さんのご理解、協力の程、宜しく御願い致します。合掌 (2010/6)
 
若者が起こす間違い

人生これからの若者が起こす間違い、出来事を減らしなくす為のお願いです。 
今の日本を思う時、これで良いのかと思うような事が幾つもあります。 
そこで各宗派の皆さんにお願い出来ればと思いメールを送らせて戴きました。 
今の政権にある民主党を始め各政党、議員の皆さんが政権欲しさと国会での議事を思うが儘に通す為に争い、競い合って日々選挙運動に明け暮れています。此れでは国民の人生に於ける見本にならないばかりか、国内で起きている、若者が思いが叶わない事から起こしている、様々な間違い出来事と何ら変わりがありません。 
大阪、池田市の大阪教育大学附属池田小学校で起きた、通り魔的児童殺傷事件 (8人死亡、15人怪我) 、6月8日で9年が経ち児童を代表して「1日1日を大切にしながら命の尊さ、仲間の大切さ、助け合うことの素晴らしさを改めて心に刻み、私達が伝えていきます」と思いを述べていました、あの秋葉原の通り魔事件は二年が過ぎました (此の事件を契機に通り魔事件が相次いで起き、あらゆる事件で刃物を使われるようになってしまいました) 。それぞれ事件に思いのある人達が現場を訪れ「元気な秋葉原に戻れるように地域全体で取り組んで行きたい、歩行者天国の再会に向けて話しを進めています。見守って下さい」と犠牲者の方々にお祈りしました「事件を風化させないように活動しています」と述べながら献花をしていました。 
遺族、被害者の皆さんは此のような痛ましい、悲惨な出来事を二度と繰り返して欲しくないと重罰を求めていますが、本当に痛ましい、悲惨な間違い、出来事を減らしなくす為には、重罰を求める事や警備の強化、警報装置の増設ではなく、遺族や被害者、身近な人達、地域で人生の指導的立場にある皆さんが身を以て示す事です。 
日々起きている出来事 (自殺は十二年続けて年間三万人を超える人が自らの尊い生命を捨てています、家庭、職場、借財、病への悩み、不満が募っての出来事、事件は家庭、職場への悩み、不満に加えて男女関係「自分さえ良ければ良いと言う互いに身勝手な事」のもつれからの妬み、恨み合いなど) の大半は、人が生きて行く為に必要な各分野に指導的立場にある人がいない事で、人との関わり、触れ合い、心から支えに欠けている事から人生のあり方を見失った、良し悪しの判断の出来ない状況にある人達、若者が起こしている間違い、出来事です (各宗派、末寺の皆さんの理解と協力を得て、今の世の中の若者と極、当たり前に関わり触れ合い心からの支えをする事で多くの人達が救われ助かります) 。 
此のような人達、若者に対して、結果を見て酷い、凄い、悪い人と遺族、被害者は、まだ若いこれからの若者に対して重罰 (死刑) を求めています。「罪を憎んで人を憎まず」人には本当に酷い、凄い、悪い人はいないと信じていますが、誰でも罪人にはなりたくありません (正直者が馬鹿を見る世の中にしてしまった事からjR福知山線脱線事故報告書漏洩、轢き逃げ事故、医師に依る誤診) 真実は本人が知っている事です、馬鹿を見ない為に黙視をしたり嘘を言ったりする事になります。特に医師は自分のした事は分かっている筈です。北欧の福祉の先進国と日本などの民主主義の国との違いは、国を始め自治体、企業、国民が民主主義の自由を履き違えて、国は国益、企業は利益、国民は収入をそれぞれ求め争い競う事から、何をしても良いとの間違った考えから、思いが叶わない事で様々な間違い、出来事が起きています。 
例えば二年前に秋葉原で起きたあの通り魔事件は、家庭、職場への悩み不満が募り自殺願望を抱き、誰でも良いと関係のない人達を巻き添えにした出来事 (八王子の事件は強固な犯意に基づき悪質と無期懲役、土浦の事件はまれに見る凶悪な事件と死刑が言い渡されました。ビデオ店放火殺人事件は死刑の判決に対して一貫して無罪を主張、岡山ホームから突き落とした事件、パチンコ店放火殺人事件) から結果、七人が死亡、十数名が大怪我をすると言う大きな事件になってしまいました。事件の結果が大きい事から被害者、遺族の皆さんは、先に行われた裁判の公判で証言に立った証人は、重罰を求め死刑 (世界には人を人と思わない国が幾つもあり、どの国も見せ掛けは素晴らしい国であっても、死刑等を抑止力、見せ掛けで執行している国、中国、北朝鮮、イラン、ロシア、紛争の絶えない中東諸国、アフリカ諸国、軍政、独裁政を敷いているいる国々、それ等の国のようにはなりたくありません) を求めています。 
大きな間違い、出来事の償いは本当に死刑なのでしょうか、償いは加害者が心を込めて日々亡くなっ皆さん被害者の皆さんに更生の心、姿を示しながら行う事で、死刑は加害者から償いの機会を奪う事で被害者、遺族に対しての償いにはなりません。加害者だけが本当に悪いのかを考えると事件の起きるまでの経緯を辿って見ると決して加害者だけの問題ではない事が分かります。自殺、事件を起こす人が本当に死、間違いを好んでしていると思いますか、自殺をする人も事件を起こす人もそうしなければならない胸中に追い詰められて自殺をした人、事件を起こした人達です。特に自殺願望を抱いて起こした通り魔事件は死を覚悟の上で起こした事件である事から遺族や被害者に詫びの言葉、姿を示す事が出来ません、 その事から酷い、凄い悪い人になってしまいます。福祉の先進国と言われる北欧の諸国では人は生まれながらにして福祉のあり方、心を当たり前に身に着けている事から (両親、家族からの教え) 、日本で日々起きているような痛ましい悲惨な出来事はありません。 
日本では介護を家族が何事もやって当たり前という考えから、国は禁止事項を設けていますが (福祉の先進国では自治体、国民に出来る事はやって欲しいと言う事はあっても、してはいけないと言う事はない筈です、日本では同じ費用を掛けながら禁止事項がある事から国に無駄な費用を使わさせる他に利用者に必要以上の負担を強いています。現場を預かる皆さん (看護士、介護士、ヘルパーさん) 達が家族の出来る事はしてはいけない、などから困っています (子供、若者のへの家庭教育、福祉のあり方心を施す事は出来ません) 。北欧の諸国では家族ではなく周りの人達が当たり前に関わり、触れ合い支え合う事から、家族が必要以上の負担を強いられる事はありません (人の自然にする行いは嬉しいものですが、強いられての行いは嬉しい事はありません、何もする事がなくても自然に出る笑顔、姿はあり難いものヘルパーさん、嫁が心から造る物はどんな物でもあり難い、嬉しいものです。それは与えられ、無理にする事ではありません) 。 その事から、自殺、事件を起こす人が少なく、いなくて済んでいます、日本では福祉のあり方、心が国民に根付いていません。それ故に様々な間違い、出来事を繰り返しています。 
自殺、事件など何か出来事が起きる度に個々の対策を講じ考え、国、自治体、警察は、警備の強化や、防犯装置の増設をしています。本当に必要な事は、人が人らしい心と姿を取り戻し、周りの人達と当たり前な関わり、触れ合い支え合う事です。そうする事が当たり前な国では (福祉の先進国) 、何事も慌てる事もありません。日々起きているような出来事、間違いを減らしなくす為に今の日本に必要な事は、地域で人生の指導的立場にある人達 (小学校区を一つのエリアとして教育、福祉、医療、自治会、小中学校PTAなどに携わる皆さん、宗教、身辺な宗教を志す) 皆さんに、福祉の心を育てて戴き理解と協力を得て、身辺な身の回りに気配り、目配り、関わり触れ合い心からの支えが必要になります。 その事が人の心、姿を取り戻し人の生命の尊い事を教え、日々起きている間違い出来事を減らし、なくす事を信じ、何があろうとも尊い若者、間違いを起こすような人達の生命を大事にする事を希望します。 
日本は、福祉の日本に相応しい、福祉を必要とする人達が喜べるような福祉のあり方、心を生まれながらに身に着けているような日本、国民、日本であって欲しいと思います。これからも国民、福祉を必要とする皆さんの為に、全国仏教会、各宗教、宗派、末寺の皆さんの理解と協力を宜しくお願い致します。(2010/6)
 
直葬に付いて

先日NHKで直葬を取り上げていました。そのあり方を見て感じ気になった事は、今行われている直葬は身寄りのない老人ホーム、家庭での一人暮らしで亡くなった人達への葬儀を自治体がやむを得ずに行う、おざなりな葬儀、故人の意志、知人、友人のお付き合いが少ない事からの直葬です。特に自治体のする、おざなりの直葬では故人は浮かばれないばかりか喜ばないでしょう。残念な事に老人ホームや身寄りのない人の多くが、老人ホーム、自治体の心ない直葬 (自治体が故人に相応しい各宗教宗派、寺にお願いして最後の弔いをして戴く事が必要) であり、人生の締めくくりの葬儀としては情けない限りです。普段の世間での付き合いの少ない人、身内の人の少ない人が行う葬儀はおざなりな事でなく、心がこもっている弔いを伴う葬儀 (故人に相応しい方の弔い説教して戴ければ幸いです) であれば、故人の意志を大切にしての直葬もやむを得ないでしょう。只お金が惜しいと言う事からの葬儀の簡素化の為の直葬は、人の死を尊いと考える上からあってはならない考えあり方でしょう。 その為に市町村の宗教会、仏教会、浄土宗、末寺の皆さんの理解協力を得て、仮に金銭が伴わなくとも、心ある弔いを、身寄りのない困っている人達への心ある弔いをして戴きたくお願い致します。 
私は福祉施設の関わりで様々な葬儀 (老人ホームで亡くなった人へのホームの対応、身寄りのない人への自治体の対応、何れも人の人生の締めくくりには程遠い対応に一抹の寂しさ情けなさを覚えました) に出会い、その都度考えた事は、葬儀のあり方と寺と檀家の普段からのあり方関わり方でした、直葬が寺の和尚さんの弔いが伴う尊い葬儀であれば取り留めて変わった葬儀のあり方としては、場合によってはやむを得ない葬儀のあり方でしょう。自治体が火葬場に斎場を設けるようになってから、葬儀のあり方が楽で便利で良いと、自宅の葬儀から斎場へ、斎場から葬儀屋さんが設けた斎場セレモニーホールへと変わり、費用が掛かり過ぎる (戒名、お布施も無駄に思えるようになり) 事から直葬へと戻って来たのです。施主の考えから全く簡素化し身内だけでの火葬、埋葬をするような葬儀、余計な費用は掛けたくないと言う人もいて、より簡素化されるようになると、尊い筈の人の生死を依り粗末に扱う事から今の世に起きているような様々な痛ましい悲惨な出来事が依り当たり前に起きるようになってしまうように思われてなりません。人の人生の締めくくりは、寺の和尚さんの尊い弔い読経でしたいと考えますし、人の生命の尊さ、人が生きる為には宗教が必要である事を、身を持って宗教に関わる和尚が示す事が必要であり大切な事でしょう。その為には檀家さんが寺に相談する事もなく、葬儀屋さんが寺より先に入る事から、必要以上の費用が掛かるようになってしまった事で、(身内だけのような場合や参列者の少ない事が考えられる時には、故人、施主に相応しい葬儀が望まれます) そうならないようにする為にも、普段の寺と檀家さんとのあり方が大切になるのです。戒名、お布施も施主の経済力を知った上で、必要以上の負担にならないような葬儀のあり方は、寺が事が起きてからではなく、普段の触れ合い関わりから自然に生まれて来るものと考えます。人が生きていながらにして、希薄な時代になった今、寺は檀家さんから相談されるような関係が必要でしょう。それには、寺は施主、檀家、信徒との間に普段何事に対しても相談、触れ合う関係にある事が大切です。 
そこから極自然な施主に相応しい葬儀が出来るようになるでしょう、そうする事がこれからの葬儀のあり方、寺の使命でしょう。世の中、生死を利益の具にする事がそもそも間違いで、その事からも人生の指導的立場にある宗教を志す人が必要でしょう。素晴らしい宗教、宗派、寺には人は集まり寄って来るものです、そうありたいものと考えます。これからの宗教のあり方、葬儀のあり方、人が生きる そのすべも、これから宗教のあり方に大いに大切であり必要になります。その為に宗教の世の中での役割、使命がどうあるべきか、全国に末寺をお持ちの浄土宗の皆さん各末寺の皆さんの理解と協力、ご一考を宜しくお願い致します。(2010/1)
 
日本外交のあり方とリーダー

日本のリーダー的存在にある人達が、自分達さえ良ければ良いと、自分達の間違いに気がつかずにいるようでは、今の若い人達が間違いをしても攻められないでしょう。ただ若い人達が起こす間違いが、取り返しのつかない事だけに、同じ人間として見ていられずに社会へメールを送り続けています。耳が聞こえない事から、特に答えは見えて来ませんが、メールを送る事で一人でも多くの人達の目に止まればと思います。 
政権が変わり疑問に思う事が多々あります。何処の国でも国民の支持を受けて大統領 (日本は総理大臣) になり、支持率も高く暫くすると何処の国でも支持が下がり、色々批判されるようになります。どうしてなのか良く考えてみると、国の平和、国民の幸せ、 それらのあり方に間違いがあるように思えてならないのです。 
例えば政党、政治家は支持を得る為に、国民が只喜び、関心のある事を並べて訴えています。国民は国に何でもやって貰えると、自分達の都合で人を選んでいます。これでは国民の代表に相応しい人が選ばれる事はないばかりか、本当の国の平和、国民の幸せは考えられないでしょう。国の主権は議員、政治家にある訳ではなく、国民です。 それ故、国民の代表に相応しい人を選ぶ必要があります。主権とは好き勝手な事をして良いと言う事ではありません。国を支える義務があると言う事で、政権にある皆さんと共に、ゆとり余裕のある人達は、国と国民と支え、国の支えを必要とする人達を、国と共に支える事です。その為に企業、事業者は利益を只求めるのではなく、多くの従事者を雇い入れ、従事者が余裕を持って家族を養い、国を支える事の出来るゆとりを持たせるだけの義務が企業、事業者にはあります。国はその為に、安定した経済力を保てるような施策、対策を講じる事が課せられ使命、義務でしょう。 
今の政党、議員は、選挙が終わり翌日から次の選挙を考えて行動しています、四六時中選挙の事を考えている議員の皆さんは、何時議員の役割、使命を果たすのでしょう。議員の使命は国会に提出された議事政策、議案を話し合い、 そこで必要とされる政策、議案を多数決で決め正しく実行されているか見守る事、与えられた役割を果たす事も大切な使命です。選挙運動は日頃の国会での活躍、地域での議員としての活動そのあり方を評価した結果が、選挙の答えになって表れるので、長い期間を掛けて必要以上の費用を使う必要は要らないでしょう。先の総選挙のあり方、政党の名ばかりの候補で当選した議員を、後日、政党が為の研修をしなければならないようでは、自殺願望の誰でも良かったと間違いを起こした人と同じで、何党でも良かったと党を決め議員になってしまった議員でしょう。これでは国民の代表に相応しい人は選ばれないでしょう。 
政治政策(*)は、政権を維持する為のようなものであってならないでしょう。今の鳩山総理大臣、小沢幹事長は、政権につく前から既に間違いを起こしています。どんな小さな間違いも大きな間違いもあってはならない間違いです。間違い事への認識のあり方に間違い、政権、議事を思うがままに通す為に無理な連立を組んでいます。本当に国民に支持されている政権であれば、正々堂々と国会で話し合い、議論、するべきでしょう。鳩山総理の言う思いやり、友愛とはどう言う事を言うのか理解に苦しみます。総理大臣ともあろう人が、資金問題で年老いた母親を検察の調査を受けさせ (親不幸の何ものでもない事) 、今まで鳩山総理大臣を支えて来た大切な秘書の間違いを、長い間自分自身の怠慢から捜査、起訴をさせられ、知らなかったで済むようでは、何が為の思いやり、友愛なのでしょう。しかも国を代表する総理大臣と、党の幹事長など国の要職にある人が、これで良いのでしょうか。今の世の中僅かなお金欲しさから、大事な人生を台なしにしている人の事を考えると、このようなあり方で良いのかと考えてしまいます。 
政権が為に作ったマニフェストは、国民の支持を得るが為に作った見せ掛けの思いやり、友愛を掲げたマニフェストです。その中に、アメリカとの対等を求めていますが、アメリカは既に対等とオバマ大統領は述べています。自ずからアメリカの言う対等日本の言う、対等のあり方を違います。 その違いを等しいものにするには、自ら言う事ではなく、互いの信頼関係の積み重ね、日本を取り巻く国々が認め決める事でしょう。普天間基地の問題も県民、国民の支持を得る為にマニフェストに書き込んで、あたかもすぐに思うようになるかのように県民に話し、そのため県知事、市長、県民それぞれが実現に騒ぎを大きくして収まらないようにしてしまいました。連立を組んでいる社民党は、独自で行動し騒ぎをより大きくしています。それに加えて、最近は鳩山総理大臣自身が他国の軍隊の常駐を要らないかのような発言をしています。アメリカへの依存は (依存は支えて貰う事を言うので、そうだとすると大変失礼な考えでしょう) 、日本が依存しなければならない状況にあり、必要であればこそアメリカを頼り今の日本がこうしてある事を、鳩山総理大臣始め閣僚、与党の皆さんは知らなければならないでしょう。アメリカ始め同盟国が、何故必要以上にイラン、北朝鮮に対する核兵器の所持を認めないのか、良く考えて下さい。アメリカが先の大戦で、ドイツ・ヒットラーより先に原子爆弾を作らなければならない状況 (当時のヒットラーは争いに勝為には手段を選ばないユダヤ人虐殺が如し、今のイラン、北朝鮮、イスラム過激派諸国、テロを支持するような中東諸国) にあった事と同じ状況をもたらされない為に反対しているのです。世界の国々が、見せかけの平和が為に軍備をしていない国は一つもありません。北朝鮮、イラン、イスラムの過激派諸国は、それぞれ思うようにならない時には、最後の一人まで戦うと言うような、当たり前ならば分かるような事が分からない国々だから、アメリカは今大変我慢 (アメリカは基地問題では大変我慢しています) をして、北朝鮮と核兵器を諦めさせる為に6ヶ国協議再開に向けて話し合いをしています。日本はそれが為に何をしていますか、本来ならばアメリカ始め同盟国を支える義務があります。アメリカと対等、基地問題を引き合いに出して足を引っ張っています。世界の国々の中には、人を人と思わない国が幾つもあります。それが為にアメリカが日本に基地が必要なのです。以前、報道番組の中で或る人が、アメリカは日本にもしもの事が起きた時に本当に助けに来ますかと質問していました。今の日本のアメリカに対する考え、対応を考えると、大統領は良くてもアメリカ国民が納得しないでしょう。今の日本政府への国民の支持、無理な連立が為に自国に気を取られ、大事なアメリカ始め同盟国とのあり方を見失い、自国だけ良い国になっています。此では大切な国民を、危険な戦地に、他国の為に送り出す事は出来ないでしょう。必要な事は、アメリカ始め同盟国との関係が真に信頼出来る関係、国際的に認められる貢献のあり方も大切でしょう。アメリカの基地が日本になくなれば、それに見合った軍備、兵隊を育てなければならず、何処の国てもある徴兵制度を考える事が必要になります。与党の皆さんは、沖縄の県民、国民は基地がなくなった時の事を考えて反対しているのでしょうか。日本は今以上に大変な状態になるでしょう、今の国民は自分の国の看護、介護をする人が忙しい、大変、賃金が安いと雇用難のなか看護、介護の仕事が出来ない状況にあり、自分勝手な自分さえ良ければ良いと言う我が儘な国民になってしまいました。それが為に日々痛ましい、悲惨な出来事が絶える事なく繰り返し起きているのです。此ような状況にあり、他国に看護、介護を依頼するようでは、国を守る事が出来ると思いますか。与党の皆さんが軽々しく基地、軍隊の常駐を必要ないなど口に出していますが、沖縄の基地問題以上に大変な問題になるでしょう。日本のリーダー鳩山総理大臣は、自信、過信で無理な連立の相手にてこづつているようでは、世界のリーダーにはほど遠い存在でしょう。温暖化防止の為のCO2削減に向けて、25%削減をあたかも素晴らしい案と幾つもの国は賛同しましたが、少なくともアメリカ始め同盟国と下話をしての提案でしょうか。何事もリーダーになるには、自ら手を挙げるのでなく、周りの国々から押されてなる事が大切な事でしょう。日本の国民も、日本さえ良ければ良いと言うような自分勝手な国の考えあり方は止めて、真に世界の平和、国民の幸せを考え、行動する事で世界の国々に頼られる素晴らしい国、国民になっていくでしょう。報道に携わる皆さん真の国の平和、国民の幸せはどうあるべきか考えて欲しく思います。(2009/12) 
( * 国民が必要以上に国に頼り、何事も他人任せのやる気のない無気力な国民を育てるような政策マニフェストは、見直しが必要であり、そんな物にこだわり過ぎると間違いを犯すことになります)
 
通り魔事件の判決

先日、土浦で起きた通り魔事件の裁判があり、判決が言い渡されました。殺害の罪に問われ、まれにみる凶悪な事件と死刑が言い渡されました。 
通り魔事件のような出来事の主因は、いずれも共通した家庭のあり方、職場のあり方、地域のあり方がどうあるべきかを知らしめる役割にある、指導的立場の人達がいないが為に起きている出来事で、家庭、職場への不満悩みが募り自殺願望を抱いての事件です。此のような通り魔事件を起こした人達の、事件を起こした経緯を見て良く考えると、いずれの通り魔事件も、家庭ではより多くの収入を得る為に忙しい日々、職場でも必要以上の利益を求める事から触れ合い、話し合う事もなく、家庭、職場への悩み、不満が募って自殺願望を抱くことになったのでしょう。 
人生における指導的立場の人達(*)に依る目配り、気配り、関わり合い、触れ合いによる心からの支えが必要だったのでしょう。この事から起きている出来事のように思えてなりません。一人でも多くの人達の目に止まり、一つでも世の中の様々な間違い出来事を減らす事になればと思っています。 
裁判官の言う容疑者の凶悪と言う判断は、もう少し事件の経緯を考えて欲しく思います。二十歳台の若者が本当に死を望んでいるとは思えません。いずれの自殺、自殺願望を抱いた出来事も、不満から悩みへ追い詰められての出来事で、一人で死ぬ事が出来ない人が、家庭、職場を困らせたいと、誰でも良かったと関係のない人を巻き添えにして起こすより大きな出来事、通り魔事件です。 
一見強そうに見える人達ですが、精神的に弱い人達です。そのような人達は死を承知しての出来事を起こしている事から、被害者、遺族、関係する人達に詫びの心、言葉、姿、態度は示される事はないでしょう。それが為に凶悪な人にされてしまいます。 
自殺、事件、様々な出来事に欠けている、人と人との触れ合いを、地域の人生の指導的立場にある皆さんの知恵、理解、協力を得て、今の世の中に必要な触れ合い心からの支えをする事で、悲惨な痛ましい出来事を減らし、なくす事が出来ると信じます。 
全てとは言いませんが、お金があれば何でも出来ると言うような、間違えた世の中にした投資家や企業、事業者、裕福な生活をしている人達の犠牲者のように思えてなりません。特に大きな間違いを起こし、多勢の人達に囲まれ連れられて行く姿、重い罪を犯し死刑の判決を言い渡された時の姿は、同じ人間として大変たまらない気持ちを覚えます。 
真に悪い人のいない事を信じ、これからも多くの世の中で悩んでいる人達、困っている人達の為に宜しく御願い致します。(2009/12) 
( * 家庭では両親、職場では経営者上司、地域では小学校区を一つのエリアとしての教育、福祉、医療、自治会、小中学校のPTAなどに携わっている皆さん、身辺な宗教を志している皆さん)
 
重い罰を与える

日々繰り返し起きている様々な出来事、自殺、事件、事故を減らし、なくす為の手立てを考える時、何れの出来事も、起こる主因は世に共通した人が生きる為にどうしても必要な、指導的立場にある人が見当たらず、人生に於ける生きるあり方を見失って起こしている大きな間違いです。 
此のような出来事を減らしなくし防止する為に、国では総理府、厚生労働省始め各省庁、地方では県始め市町村の自治体、地域では人生の指導的立場にある皆さん、家庭では両親、地域では小学校区を一つのエリアとして教育、福祉、医療、自治会、小中学校のPTAなどに携わっている人達、身辺な宗教を志している皆さんの理解、知恵、力を借りて、常に身辺な、身の回りの人達へ極自然に目配り、気配り、関わり合い、触れ合いに依る、心からの支えをする事で、世間に欠けている人らしい心、姿を取り戻す事から、日々起きているような出来事を減らしなくす事になるように思います。 
様々な出来事を起こした人達に対して、警備、捜査、捜索に携わる警察の皆さん、報道に関わる皆さんが、必要な警備、捜査、捜索、報道はあっても、過剰異常なまでの報道は必要ないように思います。先の覚せい剤所持、使用容疑で逮捕された押尾学さん、高相夫妻を巡る報道のあり方は、あってはならない異常な報道のように思います。間違いなく小さな間違いも、大きな間違いもあってはならない間違いです。警察も報道に携わる皆さんも、大麻栽培、所持、使用、覚せい剤所持、使用に対する法律の出来た経緯を良く知り、考え、理解した上で捜査、捜索、取り調べ、報道はするべきでしょう。他の刑事事件と違う筈です、大麻や覚せい剤を利益目的で栽培、所持している人達は、普通刑事事件としての捜査、捜索、取り調べはあって良いと思いますが、大麻、覚せい剤使用の押尾学さん、高相夫妻がそうであったように、間違いをしている人が犠牲者でしょう。早く見つけ、間違いを繰り返す事のないように、厚生させる事を目的に出来た法律の筈です。日本にある様々な法律に、犯罪者を創り出す為の法律は一つもありません。間違っても、人を人と思わない人の間違いを惨めにするような国であって欲しくありません。出来事に携わる警察の皆さん、報道に関わる皆さんの、心ある捜査、捜索、取り調べ、決して少なくとも人生を台なしにするような事のなきように、他の様々な出来事も含め異常な報道 (同じ間違いを繰り返す事のないが為の報道であって欲しく思います) 、興味をかき立てるような事 (芸能界の報道番組は視聴率を上げる為の手立てをしているように思います) にならないようお願い致します。 
どのような間違えた出来事へも、人が生きて行く為に必要とされる全ての分野の指導的立場にある人の気配り、目配り、触れ合いからの支えが、必要て大切です。重い罰を与える事が、様々な出来事の解決にはならない事を、此の度の被告の6日間逃亡の起因や、良く起きる轢き逃げ事件が、その間違いを如実に示している現れでしょう。(2009/10)
 
日本を背負って立つリーダー

此のところ日々ニュースなどで報じられる、気になり感じる事は、国と国との争い、戦争、国の中での争い内紛、国会では国民を代表している筈の人達が何を間違えたのか、政権争いをする為に誰でも構わず頭数を揃えて争っています。その光景、姿、あり方は国会、議事のあり方を間違えた、話し合いの場でなく、争いその物です。企業はただ必要以上の利益をより求めて争い、経営が危機に直面すると、今度は生き残りの為にあらゆる手段を講じ、最後は企業を支えて来た従事者を有無を言わせず使い捨てています。 
これでは人々が人生、生きて行く為の見本にならないばかりか、日々起きている、痛ましい出来事が起こるのも、うなずけるように思います。国も企業も国民も、自国、自分さえ良ければ よい人と、何ら変わりがないでしょう。又、残念な事に大半の国民は、自分さえよければ良いと、人は一人では生きられないように、国も一国では何も出来ません。争い、競い合う事でなく、互いに支え合う良い関係を構築して、真に平和な世界、日本、国民の幸せを話し合える国会、議事をする場にして戴きたく思います。 
此の地球に人類が住むようになり、今日まで争いのない日、時代がありませんでした。なくす事が可能な時代があるとすれば、それは今の時代でしょう。今の時代に叶わなければ、永遠に地球上に平和が来る事はないでしょう。それを可能にする為には、世界の国々のリーダーの正しい判断に期待、希望します。日本もアメリカと対等な国を求めています、そうするのは日本自国ではなく、日本を取り巻く国々が考え示す事です。急ぐと間違いを起こし、戦後長い間大変な努力で築き上げた、大切な月日を全てを失う事になります。 
日本を背負って立つリーダーの、間違いない判断に心して欲しく思い、期待し希望しています。(2009/10)
 
介護疲れ

介護に関わる出来事が絶える事なく起きています。介護のあり方、その姿には、様々なあり方姿があります。年老いた夫婦、若い夫婦の何れかが介護を必要になってのお年寄りの介護、若い夫婦は職を辞しての介護、家族が介護している介護 など。このような同居の人がいる人への介護は、原則介護を受けられないとなっています。財源がない為に設けられた原則と言う決まりは、当たり前に必要になる事への決まりごとでない他に、例外の決まり事はまれに起こる為への決め事です。絶えず繰り返される介護疲れから起きているような出来事への決まりは、早く改正すべきでしょう。介護を必要となった時に、いざと言う時に使えないこのような不思議な制度、その運用のあり方から、介護にまつわる出来事が起きているように思えてなりません。 
どうしたら介護疲れからの痛ましい、悲惨な出来事が起こるのか考えて見ると、家族がいるから介護が受けられないと言う制度のあり方に問題があるような気がしてなりません。本人が出来れば良い、家族がいるから良いと本人、家族任せにしていては、老老介護、夫婦間の介護、家族介護からの出来事はなくならないでしょう。家族にも介護をしながら、ゆとりと余裕が必要です。要介護と認定された人に対する介護は、家族の 同居の有無に関係なく受けられ、状況に応じて例外規定を設ければ介護疲れをする事はないでしょう。介護保険の制度は、利用する事を、介護を受ける人、家族は全てと思っていません、あくまで家族に出来ない足らない事への補いでしょう。そのような中、家族が 同居していると受けられないと言う制度のあり方には、大変不思議でなりません。人間十人十色と言います、365日24時間そばにいて介護をしていなければならない人ではありません。それこそ人にあった過ごし方があり、個々に考える必要があるでしょう。原則介護が受けられる中で、ゆとりと余裕のある人は状況に応じて介護のあり方に幾分かの制限があるとするような事で、今起きているような介護疲れからの出来事を減らす事になるでしょう。このような事へのあるべき姿を、訴える人達の声のない事へ一抹の寂しさを感じます。(2009/9)
 
温暖化

先頃、山口県防府、九州福岡を襲った局地的豪雨は両地域に、多大な犠牲者と被害を齎しました。その地域で被害にあった多くの皆さんは、だれもが口を揃えて今までになかった大変な豪雨だったと話していました。さらに今度来た台風9号も九州、中国特に岡山県兵庫県に大きな犠牲者と被害をを出しました。世界の国々がそれぞれ、ハリケーン、サイクロン、台風などで、ここ数年今までになかったような被害と犠牲者を出すような出来事になっています。それらの出来事の基になる事を考えてみると、地球の温暖化に起因しているように思われてなりません。これ等の温暖化による現象をなくし抑える為には、これ以上温暖化を少しでも進めては、より大変な出来事が起きる事になるでしょう。日本をはじめ、先進国、途上国も他人事のように考える事なく、すべての国のリーダーは、真剣に話し合い、少しでも早く対応策を実行する事が望まれます。(2009/8)
 
開宗の心・理念

私が本山にいた当時は、ただ他宗と時宗を見た感じ、現存する形での宗派の良さ、素晴らしさを判断して来ました。今までに幾つもの宗派の本山を見、幾つもの寺も見て来ました。数年前には娘達に連れられて、イタリアはローマ、バチカンに行き その素晴らしさを目の当たりしました。そこで感じ考えた事は、何れの宗教も、現存する本山、寺院、和尚さんの姿、あり方への疑問です。釈迦、イエスキリスト、アラーの神も、各宗派の開祖も、時に必要とされて世界の平和、国民の幸せの為に開宗し ましたが、決して素晴らしい立派な建造物を求めませんでした。 
一遍上人様は、二祖と言われた弟子の真教上人様についても、自ら開宗しなかった事で、そのお考え、宗教・宗派のあり方が理解出来るでしょう。特に一遍上人様は、布教する為に道場 (寺、本堂) を必要と考える事をしませんでした。現存する宗教の中には宗祖の言う開宗の心・理念を忘れ、宗教や寺の上にアグラをかいている宗派・宗教家 (教会、寺院の牧師さん、和尚さん) が少なくありません。どの宗教・宗派も開宗の心・理念を忘れ、形・姿にこだわり、どの宗派もそれぞれ形・ほっ式は同じでも、そのあり方・心は違っています。時代の要請に依って変わる事はあっても、金銭を必要以上に求める事で変わってはいけません。各宗派に おけるそれぞれのほっ式は、ほっ式が出来た当時を振り返って、何が誰の為のほっ式か、初心を忘れぬように続けて欲しい物です。 
一遍上人の素晴らしさは常に空、無の境地にある事で、それを示したのが時宗の寺院においでのお上人様のお姿です。(2009/7)
 
開宗の理念・企業創業の志

命の尊さは、地球に生物が住むようになり、様々な時代を乗り越えて今日まで生き続け、全てに等しく尊い大切な生命を持ち、今日まで生き続けて来た生物、動植物の存在です。その生物のリーダーに、知恵と工夫の力を持った人間が あり、今日の地球があります。残念な事に、人間には欲と利権が常についてまわり、人間が地球に住むようになってから今日まで、争いの絶えた事がありません。地球上で一番残酷な生き物は、肉食獣ではなく、何でも食べ、食べ切れないと残し捨ててしまう人間です。人間以外の動物は、残すような無益な殺生はしません。都合が悪くなると、主義主張の違いから争いになるのです。それ故に、荒んだ世に、世の平和と民衆の幸せを願って宗教が生まれたのです。 
時宗の末寺には一遍上人様がお出でです。一遍上人様は、末寺の和尚さん、檀家、信徒の皆さんに何を語り、何を見せているのでしょう。二祖上人様 (真教上人様) が、身を以て示して来た時衆への姿は、弟子、寺の和尚さん、信徒へ、時衆への教えとあり方を示す事でした。時衆を時宗たらしめる事になったのは、立派な二祖と言われる真教上人様で、浄土真宗の蓮如上人様がそうであったように、時宗にとって一遍上人様に並んで大切なお上人様です。 
末寺におられる一遍上人様は、一目で時宗のあり方、行いを知らしめる、素晴らしいお上人様のお姿です (一遍上人様の素晴らしいお姿をお作りになった方も立派な方でしよう) 。 
宗教も企業・事業も大きい事が良いとは限りません、宗教は宗祖の開宗の心・理念 (宗派の初心、あり方) を、企業・事業は創始者の初心 (目標、目的) を大切にし忘れてはなりません。忘れてしまった宗派の和尚さんは、檀家、信徒の皆さんの幸せの為にも、各開祖の素晴らしい宗派のあり方を取り戻して欲しく思います。企業・事業の経営者は、近江商人の言う「役に立つ事業者は本来の姿に戻るべし」、あるべき姿を忘れ、必要以上に間口を広げ、利益を追求し間違いを起こした経営者が少なくありません。それらの人達は、創始者が造り上げた素晴らしい企業・事業全てを失っています。 
これからの時代、今もそうであるように、宗教、企業・事業のあり方に依っては、その存在が危ぶまれると、宗教家、企業・事業の経営者は生き残りの為に、様々な考えをして行動します。宗教は宗祖の素晴らしい開宗の理念を大切にしながら、それぞれ時代に、世の中の平和、民衆の幸せの為になる教え行動する事で、民衆に必要とされる宗派に民衆が寄って来るでしよう。企業・事業は創始者の創業の初心 (創業の心、目的) を大切にして 、人が生きる為に必要とされる物、人々から喜ばれる素晴らしい物 (決して贅沢な物ではありません) を造る事で、消費者に認められるでしょう。贅沢や世に必要とされない物や、必要以上の利益を闇雲に追求するような企業・事業は、今回のような不況を乗り切る事は出来なくなってしまいます。 
素晴らしい宗派は、本山を中心に教区と末寺を束ね、末寺は宗祖、開宗の理念の基で時代にそくした教えに依って、信徒、檀徒地域の人々に気配り目配り、会話からの触れ合いで心の支えをする事が出来、それが末寺の使命でしよう。素晴らしい企業・事業は、創業の心を基に世に必要とされる物を、従事者と共に造り上げる事で、素晴らしい企業・事業になり、世の中で必要な企業・事業になります。 
宗教も、企業・事業も生き残りに振り回される事なく、宗教はそれぞれ宗祖の開宗の理念を、企業・事業は創始者の心を忘れ事なく、それぞれ精一杯な姿を見せる事から、世の中の皆さんに理解戴けると信じています。それが一遍上人様が示された時宗の理念・あり方で、一遍上人様がお姿でお示し戴いているように思います。 (2009/6)


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