念仏
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時宗・一遍 仏の世界   

 
念仏1

念仏といえば、昔も今も、極楽往生を願って「南無阿弥陀仏」と唱えることですが、私たち現代人は素朴な信仰を見失っているように思われます。科学的知識が豊富な現代においては、西方に浄土があるといわれても、死んで極楽に往けるといわれても、容易に信じることは出来ません。それでは、私たちは「南無阿弥陀仏」を唱えながら、何を願えばよいのでしょうか。これは大きな問題です。 
信仰を持てない現代人の念仏を考えるために、今一度、阿弥陀仏とはどのような仏さんなのか、その仏に帰依する(ナム)とはどういうことなのかを、大無量壽経によって学び、現代人にも理解できる浄土の教えを模索してみたいと思います。   
 
念仏とは「南無阿弥陀仏」と唱えることです。  
「南無阿弥陀仏」の言葉の意味は、南無も阿弥陀仏もインドの古い言語からの音訳で、ナムは帰依する、すなわち頼みとしてすがる、信じるという意味で、アミダブツとは、無量寿(アミターユス)仏あるいは無量光(アミターバ)仏を意味します(アミタとは、限りがない、無量ということを意味していて、どちらの言葉にもアミタがついているので、漢字では阿弥陀仏と呼ぶようになつたものと思われます)。  
つまり、阿弥陀仏とは、寿命も光明も無限の仏様という意味で、これがこの仏様の名前でもあります。だから、「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀仏を頼みとしてすがります、信じます、ということを言い表している、ということになります。  
「阿弥陀仏を信じます」と言い表して、私たちは何を信じているのでしょうか。それは、極楽往生である、ということになります。阿弥陀仏が住んでいるところが極楽浄土であり、そこへ往って生きることを願うことが阿弥陀信仰であり、浄土の信仰です。「極楽浄土」の元になるサンスクリット語は、スカーヴアティーといいまして、これは「楽しいことがあるところ」という意味です。これは、誰もが往きたいし、できるなら今すぐ往きたいと思うような名前です。阿弥陀仏を信じることによって、私たちは、悲しみや苦しみのない幸多い楽しいところへ迎えられると、信じることができるのです0「南無阿弥陀仏」と言い表すことによって、そういう極楽へ往きたいです、ということも言っているということになります。  
この阿弥陀仏の極楽浄土は、よく知られているように、西の方角にあるとされています。なぜ西なのかはよくわかりません。ただ、インドの浄土信仰では、浄土は西だけにあるのではなかつたようです。東方には、アシユク仏の妙喜国という浄土があり、上方には弥勒仏の兜率天があるというふうに、十方に様々な浄土があると考えられていました。  
それが、阿弥陀仏の極楽浄土の信仰が優勢になつて広まったので、浄土といえば極楽浄土で西方にあるということになりました。ただし、西方にあると言っても、「西方十万億土」 と言われるように、極楽はこの世界の中の西の方にあつて、行こうと思えば行けるところというのではなくて、この私たちの世界の西に別の世界が無数にあり、それらの世界を十万億も過ぎたところにやっと極楽がある、という気の遠くなるような話なのです。  
何だ、それじゃあ行けないじゃないか、と言いたくなりますが、確かに、いくら飛行機を飛ばそうが宇宙ロケットに乗ろうが、極楽に辿り着くことはできません。それでは、どうすれば極楽に往けるのでしょうか。そこで大切になるのが、「南無阿弥陀仏」 と唱える念仏です。極楽浄土に往くには念仏しかないという教えです。しかし、念仏しても、生きている間に極楽に至ることはできません。そこで、教えられているのが、念仏すれば、死ぬ時に阿弥陀仏が迎えに来てくれて、死んで後に極楽に生まれ変わることができる、ということです。死んで後に極楽に往って幸せに暮らしたいのなら、念仏せよ、念仏こそが肝要である、ということになります。阿弥陀信仰、浄土信仰において、念仏が重要とされる所以であります。  
さて、話が念仏から始まって、また念仏に帰ってきてしまいました。ここで語ってきたのは、阿弥陀信仰、念仏信仰の基本事項というべき事柄ですが、これらのことはすべて 「阿弥陀経」 という大乗仏典に説かれていることなのです。  
阿弥陀経は、極楽浄土がどんなにすばらしいところかを説いたお経で、極楽には、七つの宝でできた池があり、砂は金ででき、美しい鳥の声が聞こえるなどと説かれていますが、その中に重要なことが説かれています。漢訳から引用すると、次のようになります。  
 
その時、仏、長老舎利弗に告げたもう、「これより西方、十万億の仏土を過ぎて、世界あり、名づけて極楽という。その土に仏ありて、阿弥陀と号す。(か丸)いま、現に在まして説法したもう。舎利弗よ、かの土をなにがゆえに名づけて極楽となすや。その国の衆生、もろもろの苦しみあることなく、ただもろもろの楽しみを受く。ゆえに、舎利弗(その仏土を)極楽と名づく。  
舎利弗よ、汝の意においていかに。かの仏を、何がゆえに、阿弥陀と号すや。舎利弗よ、かの仏の光明は無量にして、.十万の国を照すに障礙するところなし。このゆえに、号して阿弥陀となす。また、舎利弗よ、かの仏の寿命および人民(の寿命)も、無量無辺にして阿僧祇劫なり。ゆえに阿弥陀と名づく。  
舎利弗よ、もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏(の名号)を説くことを聞き、(その)名号を執持するに、もしは一日、もしは二日、もしは三日、もしは四日、もしは五日、もしは六日、もしは七日(の問)、一心不乱ならば、その人命終る時に臨んで、阿弥陀仏は、もろもろの聖衆とともに、その前に現在したもう。この人(命)終る時、心、斯倒せず。(命終りて)すなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することをえん。  
 
考えてみれば、ここで語られている事柄は、すべて事実として認識することのできないことばかりです。誰も、無量の光を放ち無限の寿命を持つ存在者を見たことがありませんし、この世界の他に無数の世界があると言われても、その無数の世界の彼方に楽しいところがあると言われても、死ぬ時に阿弥陀仏の来迎があると言われても、死んで後に来世があると言われても、それらを確かに認識することは、私たちには全く不可能なのです。確かなのは、私たちが「南無阿弥陀仏」と唱えているという事実だけでしょうか。   
しかし、私は、これら認識できないことはすべて捨て去るべきだと言いたいのではありません。むしろ、認識できないことだからこそ、信じること、信仰が大切とされるのだ、と言いたいのです。事実として確かに知ることのできることは、信じる必要がありません。お釈迦様がこの世に現れて仏教を興されたということは知ればよいのであつて、信じる必要はありません。  
しかし、阿弥陀仏が極楽浄土にいるということは、事実として知るごとができないので、このことと関わりをもとうとするならば、まず信じるしかない、ということになります0自分の目で見たことでないと絶対に信じないと言って悼らない人がよくいますが、実はこの人は信じるということがそもそもできない人なのです0と言っても、実は、私もその内の一人かもしれません。  
現代人は、おおむね、信じることが苦手になつているのではないでしょうか。御利益や超能力を信じる人や信じたがる人はかなりいるようですが、それらは、事実として装われて与えられるものですし、あると言おうがないと言おうがどちらにせよ事実として認識されうるものですので、純粋に信じるということではありません。そういうことなら現代人は必死になったり、ふらふら付いていったりしますが、本当の信仰に生きるということは現代人にとつて究めて難しいことになつてしまったように思われます。  
それは、恐らく、信じるしかない事柄に自分を投げ出して、すべてをその方に向けて真撃に生きる姿とでもいうべきものでしょうが、これはここ数十年の間に、急速に日本人から失われていったものではないでしょうか。  
それでは、日本人の阿弥陀仏信仰が昔はどのようであつたかを、いくつかの文献から、典型的と思われるものを選んで見てみたいと思います。(日本の浄土教には、源信、法然、親鸞、一遍といった優れた祖師と著作がありますが、信仰という観点から、これら中心的な思想家を避けています。)  
 
さて、すべての人が救われて幸せになつているとは、どういうことでしょうか。いやな奴も、自分に悪いことをしてくる奴も、悲しんでいる人も、皆共に救われるとは。  
凡人にとつては、何と思い描きにくいことでしょうか。考えてみれば、「西方十万億土」とはそういう精神的な距離を象徴的に表したものかもしれません。人間にとつて最も深く大きな苦しみは、死の不安、恐怖、孤独ではないでしょうか。誓願はそこに立ち会いたいと願うのです。来迎や往生として信仰されてきたものは、実は具体的な死にゆく人に対する慈悲の行いのことではなかつたか。  
それらの慈悲の願いによる活動に自分も参加したいと願うことが、「南無阿弥陀仏」と唱えることではないか、という気がしてきます。  
 
念仏2

今日一般的には、浄土教系の宗派教団において、勤行として「南無阿弥陀仏」と称えることをいう。  
仏教初期・部派仏教  
憶念 / 初期の仏教では、仏を憶念することを念仏と言う。 仏隨念 / 仏教の修定とは、基本的にすべての意識活動を停止することと解されている。隨念とは、意識活動の停止が難しい場合に、何かの対象に意識を集中することによって、他のすべての意識活動を停止しようとする瞑想方法である。隨念には仏随念、法随念、僧随念、戒随念、捨随念、天随念、寂止随念、死随念、身起念、入出息念の十種類(十随念)があり、仏随念とは 仏身(色身)を憶念の対象とする「見仏」、禅定三昧の中で観察する「観想」・「観仏」であり、これも念仏(観想念仏)とするようになった。仏随念の瞑想修法は、現在の上座部仏教にも受け継がれている。  
大乗仏教初期  
念仏三昧 / 大乗仏教初期には、諸仏の徳を讃嘆し供養することが大切な行とされた。そこで、三昧に入って念仏(観想念仏)をすることがその行とされた。日本天台宗では比叡山の常行堂(常行三昧堂・般舟三昧堂)における常行三昧がある。 浄土教の誕生 / 中国で浄土教が盛んになると、念仏には二つの流れができる。  
慧遠の白蓮社、慈愍の禅観念仏 
観無量寿経では観想念仏が説かれているが、観無量寿経はサンスクリット本やチベット語訳本が発見されておらず、中国もしくは中央アジア編纂説がある。中国で浄土教が興った際には観想念仏が主流であった。日本でも奈良仏教(法相宗)・平安仏教(天台宗)では、観想念仏が主流であった。日本天台宗の開祖・最澄(伝教大師)は、止観によって阿弥陀仏と自己の一体を観想する念仏修法を導入した。源信著の往生要集では観想念仏の重視が説かれており、平安貴族に流行した。その影響で、平安時代は極楽浄土や阿弥陀三尊を表現する建築様式(宇治の平等院や平泉の中尊寺など)や美術様式が発展した。貞慶は、釈迦の観想念仏に励行する一方で、法然の専修念仏を批判した。  
称名念仏  
善導は憶念(念ずる)と称名(称える)とは同一であると主張して、称名念仏を勧めた。観想念仏のように阿弥陀仏や浄土を心の中でイメージ化する瞑想は特に必要でない。したがって、特別な修行(例:日本天台宗の常行三昧)や浄土を観想するための建築空間(寺院・堂)や宗教美術(仏像・仏画)は不要となり、時間と空間を問わず誰でも称名念仏できるため、幅広い層の民衆に対する浄土教の普及に貢献した。日本天台宗の円仁(慈覚大師)は、入唐の際に五台山竹林寺を訪れて法照の流れを汲む念仏を日本に持ち帰った。これは五会念仏とも五台山念仏ともいわれ、独特の声明による称名念仏が特徴である。これが日本の称名念仏の源泉となった。称名念仏の流れは、平安時代末期の日本において、融通念仏の祖の良忍に受け継がれ、その後の融通念仏宗では「南無阿弥陀仏」と称え、「大念仏」という。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて法然が開いた浄土宗では「南無阿弥陀仏」をひたすら称える「専修念仏」を行い、同系宗派の親鸞の浄土真宗にも受け継がれている。室町時代に天台宗から生じた天台真盛宗は、円戒と称名念仏を主にしている。  
踊念仏 
踊念仏(おどりねんぶつ)とは、太鼓・鉦(かね)などを打ち鳴らし、踊りながら念仏・和讃を唱えること。 その起源は平安時代中期の僧空也にあるといわれる。鎌倉時代、時宗の一遍が信濃国の伴野(長野県佐久市)を訪れたとき、空也に倣って踊念仏を行った。同じ時期に九州の浄土宗の僧・一向俊聖も一遍とは別に踊念仏を行った。それ以来、時宗・一向宗(一向俊聖の系統の事で浄土真宗とは別宗派、後の時宗一向派)の僧が遊行に用いるようになり全国に広まった。盆踊りや念仏踊り、出雲阿国の創始した歌舞伎踊りに大きな影響を与えた。一向俊聖より興る天道念佛(もとは天童念佛と書いた)。天道大日如来盆(地蔵盆)天道と大日如来に附すのは天道念佛が起源ともいわれる。  
 
他力本願

「他力本願」本来の意味合いと少し違った使われ方をされているようです。都知事とか、世のリーダーシップを取っている方達が云われますと、二義的な意味合いでは解らないことは無いのですが、残念に思われます。私の思っている「他力本願」を考え直してみました。  
以前テレビで拝見したのですが、本田宗一郎さん、この方は、とにかくバイクや車が、お好きでその為には寝食も忘れての生活、それを奥様が黙って支えてこられたそうです。  
「私と同じように、それ以上に、頭脳 技術が有り、努力された方は幾らでもいます。その方達に比べて、私が認められ、成功したのは、部下、家族、妻の御蔭は勿論ですが、本当に運が良かつたとしか云いようがありません」  
非常に謙虚なお言葉だと思います。でも 真実だと思います。  
天災人災を含めて、とてつもない災害を受けた時、助かつた人は、なになにを信仰しているからだとか、自分の行いを含めて、何々さまの御藤で助かつたとかよく聞きます、でも少し違う気がいたします。災害は善人悪人、老若男女全く問わず、何時 何処に襲って来るか解りません。  
生まれた時は平等だと云われますが、それは人権の問題だけで有り、生まれた場所、生きて行く条件で全く違います。例えば、生まれたばかりの赤ちやんが、幸せばかりとは言えません 病とか障害を持って生まれ、苦しむだけ苦しんで亡くなる、この子が、一体なにをしたのでしょう。誰がこの子を救えるのでしょう。人間ばかりでは無く、この地上に生まれて来る、動、植物の全てがそうなのです。この世の幸せも同じ様に降つて来ているのだと思います。こんなことから、今の世の宗教に対する、疑問点が湧き出しました。  
虚弱体質に生まれついたせいか、ものごころ付いた頃から、目に見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、五感に感じられるもの全てが不思議でした。その中でも、特に不思議なのは、自分の存在でした。存在感の掴めない不安定な気持のまま現在に至っています。その様な中で自然に惹かれていったのが、 
生命体、命、魂の在り方、そして繋がりでした。  
地球上の動植物全ての生き物は、一つから何十億単位の細胞で成り立っています。嫌気性バクテリア以外は、皆な他の生命を自分に取り入れないと生きて行けません。魂の存在とは、どこの段階から考えられるのでしょう。地球生態系から外れて存在する人間、その浮遊状態も忘れての、知識、知恵、蝕くなき探求心は、一体何なのでしょう。これは、偶然に人が手に入れたものでしょうか、それとも必然的なものでしょうか。私には解りません。  
宇宙がピックバンにより、発生されたと言われているのが約137億年前、太陽系が47億年。地球上に類人猿、猿人が、現れたのが20万年前、ホモ・サピエンスは、2万年前とか、生命の素である有機物質は、彗星に依って粛されているそうです。ならば、地球上の生命体のみならず、宇宙に浮かぶ我が銀河系も他の星雲達の、幸も不幸も、又 生死もひとつではないかと思えてくるのです。  
音読んだSF小説の中に、柔らかい草原の中に赤い蛍のように点滅する光の点々を持った、真っ白い惑星の話が有りました。それは白く長い毛と優しい赤い目を持った惑星、それ自体が、ひとつの生命体だったのです。それを読んだ時、我が意を得たりと、思いました。大変な経験をなさった、生命学者の柳澤桂子さんのお話の中に、粒子の存在、粒子の繋がり、それはこの世に存在する全てのものが繋がっていると言う事、全てが共同体で有る事。生きる為と死ぬ為の本、般若心経の本、読むまでも無く、私の胸の中にすっと入って来たのです。  
実家は浄土真宗ですが、決して仏教的な家庭では有りません。親鸞上人の高い所からでは無く、衆生と共に災害も幸せも一緒に生きる、私と一緒にころんで躓いて下さる、そんな方と、感じて居ました。この会に入る前には、お名前だけしか存じ上げませんでした、不遜な私が、一遍上人のお人柄を知るにつれ、人肌に感じる嬉しさでも有りました。  
「他力本願」を他人任せと使われているのは、寂しい事だと思って居ります。少し言葉が足りませんが、「人事を尽くして天命を待て」とは、無駄で有ってもするべき努力はすべきだと云う事でも有ると思います。自分自身が、努力とは全く縁の無い人間で本当に恥ずかしく、偉そうには言えませんし、人事を尽くしてとは、どれほどの事をすれば良いのか解りませんが、中学時代の恩師である 高橋治先生の口癖は、「チヤーンスの神様は、前髪がふさふさで、後頭部はつるつるなので掴めないから、前髪をしやんと掴めるように、いつも準備をして置きなさい」と独特の口調でおっしゃっていました。これも人事を尽くす事だと思います。  
「生かされている」、と云う言葉もあまり好きではありません。動物や植物達は、唯ひたすらに生きています。ゴリラ、なまけもの等、あの澄み切った目と優雅さは、人間以上に哲学に耽っているのではないかと思われて仕方がありません。  
 
専修念仏と融通念仏

鎌倉時代の念仏の流れは、法然・親鸞・一遍と、その念仏の性格は少しずつ違えど、或る流れがある。 
一遍は、近代になってから、「法然・親鸞・一遍」と、専修念仏の系譜のなかで論じられることが多くなっている。法然によって創始された専修念仏は、その後親鸞、さらに一遍を経て発展、あるいは完成したという論である。柳宗悦の「南無阿弥陀仏・一遍上人」や、唐木順三の「無常」が、そうした立場から書かれたといってよい。 
だが、一遍の浄土教は、専修念仏の影響を深く受けているが、専修念仏の範疇にいれることはできない。なぜなら、一遍は自ら語っているように、平安時代中期に生きた空也(903-972)や、また融通念仏を主宰した良忍の系譜に連なる人物であったからである。 
日本の浄土教の大きな流れである「専修念仏」と「融通念仏」を説明しておかなくてはならない。専修念仏は、要するに法然上人によっていきなり作られた、阿弥陀信仰の極限形です。阿弥陀仏が法蔵菩薩だった頃の誓願に着目し、もし阿弥陀仏が「仏」としてあるならば、必ずこの誓願を果たしてくれるだろうという絶対他力の救済を信仰することで成立する浄土教です。必要なのは、「絶対他力の信」であり、この現世での行いは悪人・善人問わず救済されるという非常に明快な宗教です。後には親鸞聖人に受け継がれ、法然上人・親鸞聖人の門下が教団を作って大きくしたために現在までの日本に多大なる宗教的影響を与えました。 
それに対して、空也上人は「市聖」「阿弥陀聖」と呼ばれた平安中期の仏教者で、在俗の修行者として諸国を遊行遍歴し、阿弥陀仏の名前を称えながら各地で道を開いたり、井戸や池を掘り、橋を架けて、野原に遺棄された死骸を火葬にするなどの救済事業を行いました。36歳の時には京都市中に入り乞食して集めた施物を貧民に与えました。46歳の時に比叡山に上って受戒すると、貴族の外護なども受けるようになりました。同時代には恵心僧都源信などがおり、彼らは哲学的に高度な浄土信仰を貴族層などに広めておりましたが、空也上人は庶民の間に入って情動的・狂躁的な信仰を広めました。千観上人などは、正面からその影響を受けて野に下りました。 
融通念仏は平安時代末期にかかる良忍(1072-1132)上人が阿弥陀仏の直説として感受した「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行 是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満」という偈をもって、自他の念仏が融通して円満なる功徳が満ちることを説き、日課として口称念仏するべきだと勧めました。融通念仏は宗派としての勢いはその時々にあって盛衰を繰り返したため、なかなか資料も伝わりませんが、現在の融通念仏宗は鎌倉時代の法明や江戸時代の大通が出て、広めたのが元となっております。大阪市平野区の大念仏寺を総本山とします。 
そして、融通念仏は各地に関係を持っていた寺社がありました。これは、融通念仏が寄付を募る手段として有効だった事があるためです。融通念仏者は各地を旅し、一種の漂泊の民になることから、多くの霊力を身に着けた「聖」としてみられていました。そして、この霊力を頼みに人を集めていたようです。寺社はそれを融通念仏者に依頼し、融通念仏者もそのことによって大手を振って各地の寺社で「興行」を打つ事が出来ました。結果として、融通念仏が行った寺社の祭神が同時に融通念仏の守護神になったようです。こういったことがあったので、一遍の伝記上にも多くの神が登場し、一遍に道を知らせます。結果、これらの説には、法然-親鸞の系統に見るような専修念仏のラディカルさは見えず、思想的にはかなりの相違を見ることが出来ます。13歳の春に筑前太宰府にいた法然の孫弟子聖達に就いて出家しました。それから12年間、浄土教の勉学に励んだそうですが、36歳の時、四天王寺や高野山を経て熊野に詣でて神託を受けます。これ以降はより一層「南無阿弥陀仏」と称えながら神社のお札のような「念仏札」を配ります。後には時宗の祖とされる一遍聖人ですが門弟達には「神明を重んじよ」と説きました。また、岩波文庫本の「一遍上人語録」には熊野権現や大隅正八幡宮や北野天神などの結縁があった事が示されています。 
 
一遍聖人は一宗の開祖であり、その伝記を書こうとすれば大変な労力と時間を費やすことになりますので、ここでは1つ禅宗と関わる有名なエピソードを挙げるに留めておきましょう。一遍聖人は、心地覚心という臨済宗の僧に印可をもらったことが知られています。 
宝満寺(兵庫県神戸市長田区)にて、由良の法灯国師に参禅していたときのことですが、国師が「念起即覚」の話を挙げたときに、一遍聖人はこのように歌を詠んで呈しました。 
 となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏の声ばかりして 
しかし、国師はこの歌を聴いて「まだ徹底していない」と仰ったので、一遍聖人はまた歌を詠んで呈したところ、国師は手巾や薬籠などを与えて、「印可証明の信」を表したのでした。 
 となふれば仏もわれもなかりけり南無阿弥陀仏なむあみだ仏 
この一段は、古来から浄土系の祖師と禅宗系の祖師との交流を指摘するものとして知られています。「念起即覚」とは、「無門関」の最後に出る「禅箴」に出る用語だとされていますが、禅宗では一切の善悪の思量の及ばない念こそ覚に他ならないとするのですが、これについて心地覚心が聞いたというのです。すると、一遍聖人は、念仏一念には仏もわたしもなく、ただ「南無阿弥陀仏の声ばかりだ」と詠んだわけです。しかし、覚心は許しません。何故ならば、ここには「南無阿弥陀仏の声」と、「声を聞いている主体」という二見対待が起こっているからです。したがって、それを突かれた一遍聖人は直ちに「南無阿弥陀仏」という仏もわたしもないただ念仏の実相を示すことで、印可証明を受けました。 
このような一遍聖人の宗教には、明らかに禅的と言えるような考えが出てきます。ひたすら「捨」を強調したこともですが、以下のような説示なども禅的だと言えましょう 
浄土門は身心を放下して、三界・六道の中に希望する所ひとつもなくして、往生を願ずるなり。此界の中に、一物も要事あるべからず。此の身をこゝに置ながら、生死をはなるゝことにはあらず。 
我体を捨て南無阿弥陀仏と独一なるを一心不乱といふなり。されば念々の称名は念仏が念仏を申なり。 
又或人、紫雲たち、華降けるを、疑をなしてとひ奉りければ、上人答云、「華の事は華にとへ、紫雲の事は紫雲にとへ、一遍はしらず」と。 
しかし、この華や紫雲が現れたときに、一遍聖人は、自分は知らないから、華のこと華に聞け、紫雲のことは紫雲に聞けという言い回しや、普通であれば「私が南無阿弥陀仏と唱える」と主語と述語に別れるところですが、これを「念仏が念仏を申す」という不可思議な論理はなかなかに面白いですね。しかも、法然上人がひたすらに阿弥陀仏に頼む「信の一念」を強調していたことに対して、以上に取り上げた一遍聖人の説相は「体」に言及が及び、今ここにある私という行為論的な内容が強調されていることを見て取れます。したがって、確かに専修念仏系ではただ信と念仏称名が重要とする選択が働くのに対し、一遍聖人の場合には念仏する行為を媒介に、多くの諸行や信仰を習合していくことになります。それは、或る人と一遍聖人との問答にも良く現れております。 
或る人が問うて「念仏以外のさまざまな修行では往生するものでしょうか、しないものでしょうか?また、「法華経」信仰と名号とはどちらが優れているのでしょうか?」云々と聞いた。 
上人は答えて「さまざまな修行も往生するならばするだろう、しなければしないだろう。また、名号とて「法華経」信仰に劣るなら劣るが良い、勝るなら勝るが良い。小賢しくも智慧者ぶって論議するのを止めて、ひたすら念仏をする者を善導上人は「人中の上々人」と誉められた。「法華経」信仰を釈尊が世に現れた根本義だという経典もある。また、釈尊が五つの汚れた悪い世の中に出で現れて、仏道を成就したのは、この信じがたい「法華経」を説くためだというのも、経典に書いてある。しかし、我らは何かのきっかけにしたがって修行し、役に立ったというならば、それはみな勝れた法だと言うべきであるし、役に立たないのならば劣った法だと言うべきであって、仏の意図した本当のところではない。 
一遍聖人の考え方は、拙僧が何故、宗教者は自分が正しいというのか?にて問題にした「真理の事後決定」に関わってきます。予め真理を定めることは出来ず、決まった後で確認される作業で体系化していくことです。しかし、体系化してしまった人は、事後決定したはずなのに、そのことに気付かないこともあります。例えば法然上人が弟子であった大胡太郎実秀に書いた手紙で示した考え方は一遍聖人や拙僧とはずいぶん異なっています。大胡実秀は阿弥陀念仏に対して、悪人ですら救われるというのなら「法華経」信仰を持っていたのならば、なおさら良いのではないか?と聴いたのです。それについての法然上人の返答は以下のような内容でした。 
「本願念仏では、罪を作った人でさえ、念仏するならば救われるという。それならば「法華経」を読み、さらに念仏するならば、往生は疑いないものになるのではないだろうか?なぜ「法華経」を読むことが不都合なのだろうか?」と、このようにいう人は、私のいる京の都でも少なくなりません。一見、もっともなことに思われますが、中国の善導大師は「阿弥陀仏の誓願に相応ずる行だけが、往生の正しい道であり、そのほかはいかに素晴らしい行であっても、阿弥陀仏が嫌われる道だ」とされておられます。阿弥陀仏がお勧めになっている念仏の道でさえ、我らには辛いものであるのに、阿弥陀仏がお勧めになっていない行を、どうして付け加えられましょうか。 
ここに見るように、法然上人は作善主義から離れ、ただ念仏一道のみを強調していくわけです。「専修念仏」とは、このようなものだとご理解下さい。 
 
一遍聖人の往生について、「一遍上人語録」では上巻には「遺誡」が示され、下巻にはその伝記が示されます。下巻を追いながら、一遍聖人の最期がどのようなものだったのかを考えてみましょう。 
一遍聖人は、往生される年の5月頃生涯がそれほど長くない事を自覚しながら、死期が近い事を弟子達に告げます。そして、往生する前の月になると、「阿弥陀経」を誦してから、所持していた書籍等を自ら焼き捨てて「一代の聖教はみな尽きて、南無阿弥陀仏となってしまったのだ」と言います。この焚書にも、禅的なものを感じるのですが、中国禅宗の祖師でも、多くが焚書して、経典の文字から離れてただ一行に徹する様が描かれます。 
さらに、往生の前に、紫雲がたなびいた事を弟子が報告すると「さてさて、今日明日は臨終の時期ではないようだ。最期の時に紫雲がたなびくという奇瑞が起こるはずがない」と言って一蹴します。一遍聖人は常に「物の道理を知らない者は、変化に執着する心でもって考えるから、真の仏法を知ることがない。これでは何の意味もない。ただ「南無阿弥陀仏」なのだ」と示していたとされますので、奇瑞である紫雲にも興味を示さなかったのでしょう。 
そして、いよいよ臨終が迫ると以下のように説きます。「我が門弟達は、私の葬礼の儀式を調えてはならないぞ。遺体は荒野に捨てて、獣のエサにするのだ。ただし、在家の者で仏法結縁の志を遂げようとする者があれば、葬儀を嫌うものではない」とします。かつて釈尊(ゴータマ=ブッダ)は出家者が葬儀に関わることを否定し、在家人に任せたとされておりますが、その古い伝統にしたがったものでしょう。この点、道元禅師とは全く相反しており、道元禅師は中国禅宗の清規にしたがって僧侶は僧侶によって葬儀をしたものだと拝察されます。弟子の1人である僧海首座に対して葬儀をしたこともあることからご理解できるかと思います。 
また、或る人が一遍聖人に臨終について聞こうとすると、聖人は「良い武士と仏道を志す者は、死ぬ様を辺りには知らせないものだ。私の命が終わる時を、どこの人が知ることがあろう」と言い、最期は杳として知られませんでした(この一連の描写は、前掲同著の137-139頁から、拙僧が意訳しまとめたものです)。 
 
一遍聖人は、一方で夢告などの神秘的体験を示しながら、最終的には今生きる自分自身の肉体を離れた奇跡を信じる事はありませんでした。結果として「聖」としての性格と「禅者」という徹底した現実感とを具有していた念仏者であったように感じます。おそらく伝記で一遍聖人像が多様な描かれ方をしているのは、この相反する性格を備えていたからではないか?と思うのです。臨終に見るような奇跡の否定と死後の肉体を捨てる様は、仏塔信仰によるブッダの神格化へ強烈なアンチテーゼを突きつけます。また一遍聖人の「聖」という性格から、時宗は非常に盛行しましたが、確固たる拠点を持たなかった事と、カリスマ的性格に依存した事もあって、後には衰退します。しかし、盆踊りや死者への祭礼を仏教者の仕事として受け止めるなど、多くの面で日本文化に多大なる影響を与えました。  
 
念仏3

梵語の漢訳語で仏を憶念・思念するの意である。原始仏教では仏陀(釈迦)に対する追憶・帰依・礼拝などの行法の一つと考えられる。仏教徒の実践行である三念(念仏・念法・念僧)もしくは六念(三念に念戒・念施・念天を加える)の行の一つであった。のちにこの意味がだんだんにずれていき仏の理体(法身)を心に念じることになり、さらに仏の姿(色身)を心に観ずる、観念の念仏になった。観念の念仏は仏の全身や一部を具体的に頭の中に描くことで観想の念仏といわれるが、これがさらに浄土教などの発達により仏の名を唱える口称念仏が重視され、念仏というとこの口称念仏を意味するようになった。「南無阿弥陀仏」は、この浄土教の阿弥陀に対する口称念仏であるが、日本では念仏というと、この「南無阿弥陀仏」さらになまって「ナンマイダー」の語をさすことにまでなった。このように念仏とは禅定で精神を統一する行の一つで、これにより滅罪や悟りを得るものである。念仏がことに強調されるのは中国浄土教になってからである。浄土教では「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀教」の浄土三部教が根本となるが、「観無量寿経」にはさまざまな観仏の方法が説かれている。中国浄土教の始祖慧遠にあってはまだこの観想念仏が強いが、北魏末に出た曇鸞になると憶念の念仏と称名の念仏を同格に位置づけるようになり、さらに唐の道綽になると末世観が加わり、来世にいたっては称名の念仏こそが正しいとする説を出した。浄土教の大成者善導の考えでは称名の念仏こそ浄土往生のための最上行であるとし他の観念の念仏とは、はっきりと分けるようになった。日本ではこの善導の考え方を受け法然が「撰択本願念仏集」を著し、専修念仏をとなえ、浄土宗を開いた。法然の考えはいろいろと修行のあるなかで、口承念仏こそが易行最勝唯一の往生の道と説き、もっぱらに念仏を唱えることを勧めた。親鸞にあってもこの考え方は同じであるが、専修念仏に他力の考え方を徹底し、口承念仏が即往生を決定するとの考えにいたった。 
民間念仏 
中国浄土教においてすでに念仏の口称性が強調され、教理の面でも口称性の理由が深められていたが、民間の布教される側からみると念仏は同じことばの繰り返しという、呪術的言語にも似た、ありがたいことばであった。日本でもすでに奈良時代から浄土教の教えが入ってきていたが、平安時代になって民間に滲透したのは空也を始めとする念仏聖たちの活躍による。この念仏聖たちは六波羅蜜寺の空也像にみるように鉦(かね)をたたき、鹿の角の杖をつき、ひたすらに六字の名号を称えることにより往生することを説いた。空也を祖とする念仏行者・阿弥陀の聖(ひじり)と称する人々はほかにも多くいて、山林で修行をし、さまざまな霊験を行った。この念仏聖たちの伝統は鎌倉末期に出た一遍上人によって始められた時宗の徒によって引き継がれ、近世にいたるまで、鉢扣き・茶筅などの念仏系の聖として放浪する。一遍は遊行という型で全国を歩く一方、念仏を感得し、歓喜のうちに踊り始めたという踊り念仏をひろめた。これらが芸能化し、さまざまな念仏踊りが成立する。念仏の民間の定着には、念仏聖や時衆の徒のような、シャーマニスティックな民間宗教者の働きがあった。一方受け入れる側の民衆にも、念仏を唱えれば病気が治る、災害からまぬがれることができるとする信仰があった。とくに御霊や怨霊の祟りによって病気や災害がもたらされると考えた時代には、その御霊や怨霊を念仏で無事往生させて災厄を防ぐとしたため、念仏が民俗行事や民俗芸能に多く入るようになった。死してまもない新仏を送る、盆行事に念仏芸能が多いのは当然であるが、ほかに虫送り・雨乞いなどの災厄除けの芸能にも念仏が用いられる。  
一遍 
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)1

他阿 
「なむあみだぶつ」の転。なんまいだ、なんまいだー、なんまいだあ、なんまいだぶ。 
「南無」はnamo (sanskrit) の音写語で「わたくしは帰依します」と意味し、「阿弥陀仏」は、そのサンスクリット語の「無量の寿命の大仏 (amitaayus)」「無量の光明の仏 (amitaabha)」の「はかることのできない」という部分のamita (sanskrit) を略出したものである。一遍聖絵には「なもあみたふ」と表記されているので、鎌倉時代には「なもあみだぶ」と発音していたようである。 
阿弥陀仏は、みずからの名号を称える者を浄土に往生せしめると本願に誓い、衆生の積むべき往生行の功徳のすべてを代って完成し、これを名号(南無阿弥陀仏)に収めて衆生に回向している。 
善導は、「南無」の二字と「阿弥陀仏」の四字、合わせて六字に関する釈義(六字釈)で明らかにしている。親鸞はこれから「南無阿弥陀仏」は衆生が浄土に往生する因であるから、名号のいわれである「まかせなさい。必ず救うぞという仏の呼び声」を聞信すべきであるという。親鸞は名号を本尊とし、六字のほかに九字、十字の名号を書いている。ちなみに、親鸞は「南無」を「なも」と発音しているから、浄土真宗本願寺派では「なもあみだぶつ」と呼び習わしている。 
願行具足 / 上記、善導の六字釈によって示される解釈。願とは、「南無」と阿弥陀仏に帰命する衆生の願い。行とは、衆生を救うための阿弥陀仏の修行。この双方が「南無阿弥陀仏」と仕上がっているので、菩薩が行わなくてはならない「発願」と「菩薩行」の2つが、名号に完備しているという説。 
機法一体 / 融通念仏、浄土宗西山派、浄土真宗および時宗で説く、他力の教義を表す要語。機とは衆生の信心(=南無)。法とはその衆生を救う阿弥陀仏の本願力(=阿弥陀仏)。衆生の機と阿弥陀仏の法が一体不離となって「南無阿弥陀仏」となっているとする解釈。
 
南無阿弥陀仏2

浄土真宗では「南無阿弥陀仏」と称える。「南無阿弥陀仏」は、「南無」「阿弥陀」と「仏」に分解できる。「南無」「阿弥陀」「仏」は、すべて、インドの古典語であるサンスクリット語の音を中国語(漢字)に置き換えたものである。したがって、個々の漢字の意味を調べてみても、「南無阿弥陀仏」の意味にはたどり着けない。残念ながら、サンスクリット語の意味を追うしかない。 
南無 / 南無は、サンスクリット語で「屈する」という意味を持つ「ナマス」という言葉を音写したものである。南摸(なも)と音写する場合もある。中国語では、帰依、帰順、帰命などと訳されている。心から信じる、まかせる、従うという意味である。 
阿弥陀 / 阿弥陀は、「無量の命(限りない命)」を表す「アミターバ」という言葉と、「無辺の光(果てのない光)」を表す「アミターユス」という言葉の語幹である。無量、無辺、およそ、我々には量り知ることができないという意味である。 
仏 / 仏は、ブッダ(仏陀)というサンスクリット語を語源とする。本来は、師匠、先生ほどの意味を表す一般語だったが、仏教では、悟りを開いた者という意味で使った。そして、お釈迦様や、その直弟子が亡くなり、時代が下がると、やがて、かつて悟りを開いた人々の共通項を集めた抽象的な存在を意味するようになった。 
今風にいえば、南無阿弥陀仏とは、「我々には量り知ることのできない命と光を本体としながらも、人よりは抽象的にして、悟りそのものよりは具体的な存在に対して、心から従うこと」と言える。   
 
南無阿弥陀仏3

「南無阿弥陀仏」の六字を名号という。この南無阿弥陀仏を見て、「何のまじないですか」と聞く人もあれば、「南に阿弥陀仏が無い?弥陀の浄土は西だから当然じゃろう」と嘯く者もいる。だが名号六字の大功徳は、迷った人間の智恵では分からないのだ。 
釈尊は「大無量寿経」に、こう説かれている。 
「十方恒沙の諸仏如来、皆共に、無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したもう」 
「十方」とは十方微塵世界の略で、大宇宙のこと。 
「恒沙」とは、インドを流れるガンジス川の砂の意で、その数は無限といっていいだろう。広大な宇宙には、地球のようなものは無数にあり、地球に釈迦如来が現れたように、大宇宙には数限りもない仏がましますことを、「十方恒沙の諸仏如来」と言われている。 
「皆共に」とは、すべての仏が例外なく。 
「無量寿仏」は阿弥陀仏の別名で、「威神功徳の不可思議」とは、想像もできない凄い働きのある名号のことである。 
だからこの一文で釈尊は、大宇宙にまします数え切れないほどの諸仏方が異口同音に、阿弥陀仏のつくられた「南無阿弥陀仏」の想像を超えた大功徳を褒め称えていられると、おっしゃっているのである。 
仏さまですら「不可思議」と言われるほど、偉大な働きが名号にはあるのだ。 
蓮如上人は、これを「御文章」に分かりやすく教示されている。 
「南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること更にその極まりなきものなり」 
南無阿弥陀仏の名号は、たった六つの文字だから、そんなに凄い力があるとは誰も思えないだろうが、それは猫に小判、ブタに真珠。我々凡夫に、値を知る智恵が無いからだ。 
この六字の名号の中には、私たちを最高無上の幸福にする絶大な働きがあるのだ。その広大さは、天の際限のないようなものである、と懇切に仰せである。 
蓮如上人ご自身が何よりも明らかに知らされたことだが、「この蓮如は」とは言われずに、名号の大功徳のみを言葉を尽くして讃嘆なされているのは、親鸞学徒に徹していられたからであろう。 
では、一切の諸仏が絶讃する南無阿弥陀仏には、どんな力があるのか。 
それこそが、全人類の苦悩の根元である無明の闇(後生暗い心)を一念でぶち破り、破闇満願、絶対の幸福に救う、不可称不可説不可思議の大功徳なのである。  
 
南無阿弥陀仏4

南無阿弥陀仏とはなにか?蓮如上人は「御文章」に分かりやすく教示されています。 
「南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること更にその極まりなきものなり(御文章)」 
南無阿弥陀仏の名号はたった六つの文字だから、その南無阿弥陀仏という言葉にそんなに凄い力があるとは誰も思えないでしょう。しかしこの南無阿弥陀仏という六字の名号の中には、私たちを最高無上の幸福にする絶大な働きがあり、その広大さは、上をみれば果てしなく、底をみれば深さがしれない、まさに天の際限のないようなものである、と懇切丁寧にかかれています。 
親鸞聖人も「功徳の大宝海」と、南無阿弥陀仏は宝の海のようなものだと正信偈に言われていますね。 
大変な功徳が南無阿弥陀仏の六字にはあるのですが、猫に小判、ブタに真珠といわれるように、我々凡夫(人間)に、南無阿弥陀仏の値を知る智恵が無いので、その凄さが分からないのですね。 
お釈迦さま、親鸞聖人、蓮如上人が絶讃する【南無阿弥陀仏】。それには、一体どんな力があるのでしょう。それは、全人類の苦悩の根元である無明の闇(後生暗い心)を一念でぶち破って、絶対の幸福に救う、破闇満願の働きであり、それは不可称不可説不可思議の大功徳なのだと教えられています。 
南無阿弥陀仏の意味、南無阿弥陀仏の尊さを知ると、なんだか元気がわいてきます。 
生きがいです。
仏さまに手をあわせるときに、心に何か思い浮かべますか。口に何か言いますか。それとも何も思わない。何も言わない。ただ習慣として手をあわせているだけですか。どうでしょうか。 
たとえば、こんなことはないですか。仏さまに手をあわせて、病気を治してもらいたい。お金をたくさんもらいたい。いい暮らしがしてみたい。幸せになりたい。そして最後に、何か言わないとカッコもつかないので、そこで「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」とお念仏を称えたことないですか。 
もしあれば、そういうお念仏は、自分の都合を満足させるために、私の根性で仏さまを念ずる私の念仏です。それはどれほど一生懸命に称えようと、私による人間の行(ぎょう)であります。この私が問題になることはありません。 
それに対して、親鸞聖人が法然上人をとおして、我が身にいただかれたお念仏は、それとは全く反対に、仏さまが私を念ずる、仏さまの行です。仏さまの呼びかけです。親鸞聖人は「大」の一字を加えて大行(だいぎょう)と表しています。仏さまの大いなるおはたらきと言ってもいいでしょう。 
つまりお念仏は、あらゆることを自分中心にしてしか考えない私たちに、仏さまが「それでいいのか」と問うてくださる呼びかけです。人を踏みつけ、傷つけ、時として殺しあって、人間であることを見失っている私たちに、人間であることを回復せしめる根源のことばです。 
私たちが南無阿弥陀仏と念仏申すときは、仏さまが私を呼びかけてくださるときです。お念仏は、人間を見捨てない仏さまの願いが、まさしく南無阿弥陀仏の言葉となって、私たちにまで届けられた仏さまの名告りなのです。決して、私たちの欲望を満足させる呪文ではありません。 
 
南無阿弥陀仏5

南無阿弥陀仏って何?仏さまに手をあわせるときに、心に何か思い浮かべますか。口に何か言いますか。それとも何も思わない。何も言わない。ただ習慣として手をあわせているだけですか。どうでしょうか。 
たとえば、こんなことはないですか。仏さまに手をあわせて、病気を治してもらいたい。お金をたくさんもらいたい。いい暮らしがしてみたい。幸せになりたい。そして最後に、何か言わないとカッコもつかないので、そこで「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」とお念仏を称えたことないですか。 
もしあれば、そういうお念仏は、自分の都合を満足させるために、私の根性で仏さまを念ずる私の念仏です。それはどれほど一生懸命に称えようと、私による人間の行(ぎょう)であります。この私が問題になることはありません。 
それに対して、親鸞聖人が法然上人をとおして、我が身にいただかれたお念仏は、それとは全く反対に、仏さまが私を念ずる、仏さまの行です。仏さまの呼びかけです。親鸞聖人は「大」の一字を加えて大行(だいぎょう)と表しています。仏さまの大いなるおはたらきと言ってもいいでしょう。 
つまりお念仏は、あらゆることを自分中心にしてしか考えない私たちに、仏さまが「それでいいのか」と問うてくださる呼びかけです。人を踏みつけ、傷つけ、時として殺しあって、人間であることを見失っている私たちに、人間であることを回復せしめる根源のことばです。 
私たちが南無阿弥陀仏と念仏申すときは、仏さまが私を呼びかけてくださるときです。お念仏は、人間を見捨てない仏さまの願いが、まさしく南無阿弥陀仏の言葉となって、私たちにまで届けられた仏さまの名告りなのです。決して、私たちの欲望を満足させる呪文ではありません。
 
南無阿弥陀仏6

今回はあらためてお念仏の意味を探ろうということで、ご一緒にお勉強しましょう。普段何気なくお称えしているお念仏、南無阿弥陀仏。私たち浄土真宗のお念仏は、何度も申しあげているとおり自力の行ではありません。自分で称える念仏の数や称え方によって功徳があるのではなく、すべての人を救うという仏さまの誓いを信じさせていただくのだから、仏さまへの感謝とよろこび(仏恩報謝)のお念仏です。「南無」とは、古代インド語の「ナーム」の音写です。漢訳すると「帰命」となります。 
一切衆生を救うという阿弥陀如来の誓いを聞いて、その救済を信じたときに、おのずから口をついてくださるのが「南無阿弥陀仏」なのです。 
それでは、信心のよろこびに至らぬままにお念仏を称えるというのは、どういうことになるのか、という反問が生じるでしょう。これについての答えは、易しいようで難しく、一言で言い表すことはできません。ですから、私の場合、お寺やお仏壇の前は、仏さまを敬う場所なのだから、まず、仏さまへのごあいさつという意味を含めて、手をあわせ「南無阿弥陀仏」とお称えしましょう、とお答えしています。お念仏の深いおいわれをあじあわせていただくのは、そのようにして、お念仏を身近に親しむ、という日常から始ると思うのです。 
親鸞聖人は称名念仏には他にも様々な意味があると、代表的著述「尊号真像銘文」の中で述べています。 
「南無阿弥陀仏をとなふるは仏をほめたてまつるになるとなり」これは仏コ讃嘆というものでお念仏が自然と口に出た時、仏さまのお徳の偉大さ素晴らしさを褒めたたえることにもなるのだと教えて下さいます。 
「南無阿弥陀仏をとなふるは、すなわち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになるともうすなり」「無始より」は人間としていのちを授かってから今日に至るまでだけでなく、生まれる前遠い遠い昔、六道輪廻の世界を経巡っていた頃からということ。長年の罪業をお念仏一つで悔い改めてくださる阿弥陀如来様の偉大さ を感じず にはいられません。勿論念仏を称えた事を手柄と考えてはいけません。 
「南無阿弥陀仏をとなふるは、すなわち安楽浄土に往生せんとおもふになるなり」これも念仏によって往生を遂げたいという自力の心ではなく、お念仏の教えを信じた時、自然と阿弥陀仏の安楽浄土に生まれさせてもらいたいと欲する気持になるということです。 
「南無阿弥陀仏をとなふるは、一切衆生にこの功徳をあたふるになるとなり」信心が相続し常にお念仏が口に出てくるようになると、自分の周りの方々を感化しお念仏が広まります。そして名号の徳をお互いに与えることになります。  
「南無阿弥陀仏をとなふるは、すなわち浄土を荘厳するになるとしるべしとなりと」念仏を称えることは、浄土をきれいにすることになります。念仏者はこの世にいながら、阿弥陀仏の仏弟子に仲間入りをし、位を等しくするのであって、浄土を荘厳する徳を備えることになります。 
このように経典には沢山のお念仏の意味が説かれていますが、私は仏さまに対する素直なお気持ちが何より大事だと思います。阿弥陀如来様またはなき方を思い浮かべながら、日頃の自分の行ないを反省し仏さまと心静かに対話をさせていただく。このような当たり前のお念仏で結構なのです。ただ自分の欲をかなえる為に仏壇に向かいお念仏して欲しくはないということです。
 
南無阿弥陀仏7

数ある仏さまの中で一番お名前を呼ばれておるのは、まあ阿弥陀さまじゃろうのう。「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ、なんまいだー、なんまんだ」お唱えの仕方は聞きようによっては様々じゃ。南無とは帰依とか帰命といった言葉でお経に出てくる。心より信頼していますとか、全てお任せしますとか、おすがりします、といった意味じゃ。阿弥陀如来のお名前をお唱えする、つまり「阿弥陀如来さま、こころより信頼しています、おすがり致します、よろしくお願い致します。」とこうなるわけじゃ。これが念仏じゃ。 
無量寿経(むりょうじゅきょう)というお経の中で、如来になられる前の阿弥陀さまは、法蔵という名の国王で四十八のご誓願をたてて、出家修行され仏国土(お浄土)を建てられ、阿弥陀さまの智慧と慈悲のお心を信ずるときお浄土に生まれることができると説かれているのじゃ。この四十八のご誓願を阿弥陀の本願というてな、「未来永劫にわたってあらゆる人々がお浄土に行けるようにします。それができなかったら私は仏になりません。」という内容のもので、その十八番目のご誓願に「どのような人でも心からお浄土に行きたいと願って念仏を唱えれば必ず極楽浄土に行ける」というのがある。これによって人はお念仏するようになったのじゃ。これらを重視したのが、浄土宗や浄土真宗という宗派なのじゃな。ちなみに「私の十八番は、美空ひばりの川の流れのようにです。」などというこの十八番はここからきたものなのじゃ。一番大事なものとか、大切なものといった意味じゃ。十八番というのをおはこと読むようになったのは、江戸時代のことでな。歌舞伎演目の十八番を市川家が最も得意としておった。これが市川家の秘蔵とされる芸で、その台本がいつも箱に入れられて誰まり見ることができなかったのじゃ。それで十八番をおはこと云われるようになったとされているのじゃな。おっと話が飛んでしもうた。 
阿弥陀さまが法蔵菩薩という名で修行すること五劫(ごこう)年。一劫とは非常に長い期間のたとえである。たとえ話もたくさんある。ここでは、芥子劫(けしこう)というたとえじゃ。芥子の実を百年に一度大きな城壁に囲まれた城都に一粒づつ落とし、その城都が満杯になるのが一劫年。五劫とはそれが五回ということじゃ。落語にじゅげむというのがあるが、その中で子供につけられた長い名前がある。「じゅげむじゅべむごこうのすりきり」このごこうのすりきりというのが、城都に山のように溜まった芥子の実をすりきる様を云ったもので長いもののたとえなのじゃ。このような長い期間、阿弥陀さまは、ご修行され仏になられるわけじゃが、その苦しみたるやたいへんなものじゃ。東大寺の勧学院に「五劫思惟(ごこうしゆい)の阿弥陀如来座像」というのが伝わっているが、それは、頭が異常に大きいお姿じゃ。つまり、ご修行中に悩み考え抜かれそれによって頭が腫れ上がってしまったということなのじゃ。  
阿弥陀さまは、西方極楽浄土の教主にして、無量寿光の仏なり。阿弥陀さまは、永い永いご修行の末、阿弥陀如来となられた。四十八もの誓願をたてられ、それが成就したあかつきに、阿弥陀さまのおからだから十二の光がぱーっと放たれたのじゃ。これを阿弥陀如来の十二光とゆうてな、阿弥陀さまの仏像やお姿を見ると十二本の光背が、背中に光っておられる。この十二本の光には、きちんと意味があり名前もついている。その第一が、無量光というのじゃ。この光は、はかり知れない量の光で永遠に消えない光でもある。寿命からしても無量寿の光で、永遠という意味じゃ。それで、別名を十二光仏とか無量寿如来というのじゃ。 
人は死ぬと頭北面西にて通夜を営む。つまり北枕にして少し顔を西に向けるのじゃ。これはお釈迦さまのご入滅のお姿にならっている。釈迦涅槃像というお釈迦さまが横たわっている御尊像を誰しも目にしたことがあると思うがのう。この視線の彼方にあるのが西方極楽浄土じゃ。阿弥陀如来来迎図には、雲に乗った阿弥陀さまが迎えに来て下さる様子が描かれている。阿弥陀三尊といって阿弥陀さまが脇仏の観音、勢至の両菩薩を引き連れて迎えに来る図も有名じゃのう。知恩院にある二十五菩薩来迎図などもその典型じゃて。 
極楽浄土には、九つの世界があるといわれている。これは、生前の行いや信心の度合いによって決まるらしい。だから、善い行いをたくさんして、信心深い生活をした者には、それなりの待遇のいい世界が待っておるわけじゃ。一番上が上品上生(じょうぽんじょうしょう)という世界じゃ。反対に一番下の世界を下品下生(げぽんげしょう)という。品と生にそれぞれに上中下があるので、九つとなる。上品(じょうひん)とか下品(げひん)という言葉はここからきたものじゃ。これらの審査が亡くなって四十九日までの七日ごとに七人の王に審査されるそうな。この五七日忌に閻魔大王が登場するのじゃな。あるお婆さんが閻魔大王の前にやって来た。このお婆さんは、生前ことある毎に「なんまいだー、なんまいだー」と唱えておったそうな。ご飯を食べてもなんまいだー、便所に入ってもなんまいだーと朝から晩までそんな調子じゃった。閻魔大王は、「婆さんや、ここにおまえさんが生前に云ったなんまいだーが山ほどある。これを今からふるいにかけてやろう。」と云うと鬼どもが、それを次々とふるいにかけた。するとたった1個だけ残ったのじゃ。「この残ったたった1個は、婆さんが死ぬ間際に云ったなんまいだーじゃ。ほんとに心をこめて真剣に云ったものじゃ。よかったのう、この1個で極楽行きじゃ。」阿弥陀さまにおすがりして、極楽に行きましょうというのを他力本願というのじゃが、自分では何もしなくていいというのでは決してないのじゃ。阿弥陀さまを心から信じて阿弥陀さまにおすがりして、お任せするその真剣な敬虔な心が大事なのじゃ。  
 
お釈迦さまの教え

「十方恒沙の諸仏如来、皆共に無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまう」(大宇宙にましますガンジス河の砂の数ほど沢山の仏方が、異口同音に阿弥陀仏の作られた「南無阿弥陀仏」の名号の、想像できない大功徳を褒め称えておられるのだ) 
すでに阿弥陀仏は南無阿弥陀仏を完成させていることがわかります。なんといっても、どこかの誰かが言ったことではなく、お釈迦さまのお言葉ですからね。親鸞聖人は、弥陀が完成なされた、この「六字の名号」の大功徳を、「功徳の大宝海」「本願の大智海」「正信偈」等と讃嘆され、蓮如上人は平易に、こう詳解されています。 
「南無阿弥陀仏と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大になること、更にその極まりなきものなり。(御文章)」「南無阿弥陀仏といえば、わずかに六字だから、それほど凄い力があるとはだれも思えないだろう。だが、この六字の中には私達が最高無上の幸せにする絶大な働きがあるのだ。その広くて大きなことは、天の際限のないようなものである」と書かれているのです。 
南無阿弥陀仏は全ての人を絶対の幸福にする力があります。人はなぜ生きるのか、何の為に生きているのか、なぜ苦しくとも生きていかねばならないのか、南無阿弥陀仏を頂くとその答えがハッキリするのです。 
さて、南無阿弥陀仏とは少し話が変わりますが「和顔愛語」という仏教の言葉を知っていますか?、私はこの和顔愛語という言葉が大好きです。笑顔でいることは人を幸せにし、自分の幸せにもつながるという意味だと私は思っています。笑顔は見返りを求めてするものではないですよね。自分の笑顔で人を幸せにする・・・こんな素敵なことはないと思います。 
 
来迎念仏

須坂市野辺の来迎念仏は別名「四度(よど)の念仏」「獅子念仏」とも呼ばれる。四度の念仏というのは、春・秋彼岸と盂蘭盆(うらぼん)、11月の十夜念仏の四度に行われるからであり、獅子念仏というのは、念仏の途中でシカを模した雄雌二頭の獅子があらわれて念仏獅子舞を演じるからである。野辺の来迎念仏には念仏和讃と念仏獅子の2つの要素があり、念仏和讃が時宗本来の行儀であって、念仏獅子は後世つけ加えられた念仏芸能であると考えられている。現在口誦されている和讃には、今から千年余りをさかのぼる空也(こうや)和讃の一節や、平安時代の源信僧都による来迎和讃の一部などが残っているが、古い和讃が、文献に残存するだけでなく、実際に歌われている野辺の来迎念仏は全国的にも希少な例である。 
来迎念仏は、念仏講中の人々により野辺公会堂で行われる。講員たちは、床の間の左右に向かい合って座り、全員が太鼓にあわせて鉦を打ちながら和讃を唱える。念仏が盛りあがってくると、獅子が登場する。雄獅子は黄色地に黒の模様の衣装、雌獅子は赤い花模様。好奇心の強そうな雄は念仏の方へ近づこうとするが、心配性の雌が止めようとする。最初はためらって襖の陰に見え隠れしていた一対の獅子が、やがて誘いあって念仏に参加し、太鼓を打って満足そうに帰っていく。来迎念仏に付随する獅子舞は全国的にみても珍しい。  
 
百万遍
 鳥取市河原町今在家・観音堂

「百万遍」は「数珠繰り」とも呼ばれ、参加者が輪になって大きな数珠を回しながら念仏を唱える行事で、かつては広く行われていた民俗行事だが、現在行っている地区はかなり少なくなっているようだ。今在家の「百万遍」は、おそらく200年以上前から行われており、以前に比べると参加者は減少しているということだが、老人クラブを中心に、毎年春秋の彼岸に村人が集まって、行事が維持されている。 
今在家の観音堂の境内には、地蔵の石仏や相撲取りの塚など、江戸時代から明治初期にかけての石造物が並んで建てられており、当時の人々が後世に伝えようとした大切な歴史資料だということを、以前に地域の人にお話ししたことがある。それを覚えていていただいたのか、今回の百万遍を行う前に、そのことを説明してほしいと依頼を受けた。百万遍の行事は今までに見たことがなかったので、ぜひ一度体験したいと、喜んでお引き受けした。 
当日は、子供からお年寄りまで、20名くらいの住民が参加されていた。私が境内の石碑についてお話しさせていただいた後、いよいよ百万遍の行事だ。参加者は、お堂の中で丸く座り、両手で数珠を膝の上に持つ。数珠は、全体で径3mくらい、一つ一つの玉は扁平で、径は約4cmくらいだろうか。いずれの玉も、つるつるとした光沢を持っている。中央に座った人の鉦(かね)を合図に、百万遍が始まる。「ナンマイダー」と全員が唱えながら、数珠を時計回りに回していく。数珠の結び目部分とその反対側のあたりに、一廻り大きな玉があり、それが自分のところに回って来た時には、押し頂くのが決まりのようだ。数珠は33回廻すことになっていて、中央に座った人は、33本のマッチ棒をかたわらに置いて、数珠の結び目が一周廻るごとにマッチ棒を動かして回数を数えている。 
初めの内は、まわりを見ながらやり方を真似していた私だが、動作自体は簡単なものですぐに全体に合わせられようになった。そして、老若男女の声が調和するおごそかな雰囲気の中、ひたすら念仏を唱え、手を左右に動かすことによって、次第に日常の雑念を忘れ、無心の状態になっていった。約30分間の行事の間、数珠を通じて参加者との一体感が感じられた。それがこの行事の魅力なのだろう。最初は、気付かなかったが、数珠の光沢は、長年にわたり、数え切れないほどたくさんの人の手を回る中で生まれた自然な光沢だった。数珠の光沢の中には、過去の村人の真摯な祈りが詰まっているように思えてならなかった。    
 
こころの文化

自分をみつめ自分を知る工夫を、いま仮に「こころの文化」と呼んでみよう。近代における科学・技術の発達は、われわれに未曾有の物質的豊かさをもたらした。けれども、われわれはいま、そんな物質文化の繁栄に身を委ねるあまり、こころの文化を見失ってはいないだろうか。けれども、こころの文化を置き忘れてはなるまい。それというのも、自分を忘却し、自分を見失ったままこの人生を送ったのでは、どんなに長生きをしても、どんなに贅沢な生活を送っても、それは自分の人生を生きたことにはならないのだ。せっかくいただいた、たった一回かぎりの人生である。自分の人生を生きようではないか。  
とはいうものの、自分を知ることは難しい。ひょっとすると、それは他人を知る以上に難しい作業かもしれないのだ。けれども、それは何故なのだろう。そして自分がそれほど知りがたい存在ならば、自分を知るにはどんな工夫が必要か。以下、要点を箇条書きに示す。  
自分を知ることの意義  
ソクラテスの「汝みずからを知れ」から哲学は始まった。  
自分を知ることはなぜそんなに難しいのか。 
われわれの五官は自分を知ることに対して無力である。前五藷〈眼・耳・鼻・舌・身)で外界を知る。第六識〈意識・こころ)で自分を知る。 
こころの不思議さ  
こころは自分のものでありながら、けっして自分の思いどおりにはならない。「凡夫ノ心ハ物ニシタガヒテ移リヤスシ。タトヘバ猿猴ノ枝二伝フガゴトシ。マコトニ散乱シテ動ジヤスク、一心シズマリガタシ」〈法然「法語集」〉。  
こころの文化とは、こころの散乱を鎮め、こころを内側に向けさせる工夫をいう。  
環境を生える「静けさ」「薄暗さ」「夜」「日曜日」「祭り」「巡礼」がもつ意義  
からだを整える「こころとからだの閑係」「行儀」「座法」「正座と結執扶座」がもつ意義
 
往生絵巻 / 芥川龍之介

童 やあ、あそこへ妙な法師が来た。みんな見ろ。みんな見ろ。  
鮓売の女 ほんたうに妙な法師ぢやないか? あんなに金鼓をたたきながら、何だか大声に喚いてゐる。……  
薪売の翁 わしは耳が遠いせゐか、何を喚くのやら、さつぱりわからぬ。もしもし、あれは何と云うて居りますな?  
箔打の男 あれは「阿弥陀仏よや。おおい。おおい」と云つてゐるのさ。  
薪売の翁 ははあ、――では気違ひだな。  
箔打の男 まあ、そんな事だらうよ。  
菜売の媼 いやいや、難有い御上人かも知れぬ。私は今の間に拝んで置かう。  
鮓売の女 それでも憎々しい顔ぢやないか? あんな顔をした御上人が何処の国にゐるものかね。  
菜売の媼 勿体ない事を御云ひでない。罰でも当つたら、どうおしだえ?  
童 気違ひやい。気違ひやい。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
犬 わんわん。わんわん。  
物詣の女房 御覧なさいまし。可笑しい法師が参りました。  
その伴 ああ云ふ莫迦者は女と見ると、悪戯をせぬとも限りません。幸ひ近くならぬ内に、こちらの路へ切れてしまひませう。  
鋳物師 おや、あれは多度の五位殿ぢやないか?  
水銀を商ふ旅人 五位殿だか何だか知らないが、あの人が急に弓矢を捨てて、出家してしまつたものだから、多度では大変な騒ぎだつたよ。  
青侍 成程五位殿に違ひない。北の方や御子様たちは、さぞかし御歎きなすつたらう。  
水銀を商ふ旅人 何でも奥方や御子供衆は、泣いてばかり御出でだとか云ふ事でした。  
鋳物師 しかし妻子を捨ててまでも、仏門に入らうとなすつたのは、近頃健気な御志だ。  
干魚を売る女 何の健気な事がありますものか? 捨てられた妻子の身になれば、弥陀仏でも女でも、男を取つたものには怨みがありますわね。  
青侍 いや、大きにこれも一理窟だ。ははははは。  
犬 わんわん。わんわん。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
馬上の武者 ええ、馬が驚くわ。どうどう。  
櫃をおへる従者 気違ひには手がつけられませぬ。  
老いたる尼 あの法師は御存知の通り、殺生好きな悪人でしたが、よく発心したものですね。  
若き尼 ほんたうに恐しい人でございました。山狩や川狩をするばかりか、乞食なぞも遠矢にかけましたつけ。  
手に足駄を穿ける乞食 好い時に遇つたものだ。もう二三日早かつたら、胴中に矢の穴が明いたかも知れぬ。  
栗胡桃などを商ふ主 どうして又ああ云ふ殺伐な人が、頭を剃る気になつたのでせう?  
老いたる尼 さあ、それは不思議ですが、やはり御仏の御計らひでせう。  
油を商ふ主 私はきつと天狗か何かが、憑いてゐると思ふのだがね。  
栗胡桃などを商ふ主 いや、私は狐だと思つてるのさ。  
油を商ふ主 それでも天狗はどうかすると、仏に化けると云ふぢやないか?  
栗胡桃などを商ふ主 何、仏に化けるものは、天狗ばかりに限つた事ぢやない。狐もやつぱり化けるさうだ。  
手に足駄を穿ける乞食 どれ、この暇に頸の袋へ、栗でも一ぱい盗んで行かうか。  
若き尼 あれあれ、あの金鼓ごんぐの音に驚いたのか、鶏が皆屋根へ上りました。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
釣をする下衆 これは騒々しい法師が来たものだ。  
その伴 どうだ、あれは? 跛の乞食が駈けて行くぜ。  
牟子をしたる旅の女 私はちと足が痛うなつた。あの乞食の足でも借りたいものぢや。  
皮子を負へる下人 もうこの橋を越えさへすれば、すぐに町でございます。  
釣をする下衆 牟子の中が一目見てやりたい。  
その伴 おや、側見をしてゐる内に、何時か餌をとられてしまつた。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
鴉 かあかあ。  
田を植うる女 「時鳥よ。おれよ。かやつよ。おれ泣きてぞわれは田に立つ。」  
その伴 御覧よ。可笑しい法師ぢやないか。  
鴉 かあかあ。かあかあ。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
  暫時人声なし。松風の音 こうこう。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
  再び松風の音 こうこう。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
老いたる法師 御坊。御坊。  
五位の入道 身共を御呼びとめなすつたかな?  
老いたる法師 如何にも。御坊は何処へ御行きなさる?  
五位の入道 西へ参る。  
老いたる法師 西は海ぢや。  
五位の入道 海でもとんと大事ござらぬ。身共は阿弥陀仏を見奉るまでは、何処までも西へ参る所存ぢや。  
老いたる法師 これは面妖な事を承るものぢや。では御坊は阿弥陀仏が、今にもありありと目のあたりに、拝ませられると御思ひかな?  
五位の入道 思はねば何も大声に、御仏の名なぞを呼びは致さぬ。身共の出家もその為でござるよ。  
老いたる法師 それには何か仔細でもござるかな?  
五位の入道 いや、別段仔細なぞはござらぬ。唯一昨日狩の帰りに、或講師の説法を聴聞したと御思ひなされい。その講師の申されるのを聞けば、どのやうな破戒の罪人でも、阿弥陀仏に知遇し奉れば、浄土に往かれると申す事ぢや。身共はその時体中の血が、一度に燃え立つたかと思ふ程、急に阿弥陀仏が恋しうなつた。……… 
老いたる法師 それから御坊はどうなされたな?  
五位の入道 身共は講師をとつて伏せた。  
老いたる法師 何、とつて伏せられた?  
五位の入道 それから刀を引き抜くと、講師の胸さきへつきつけながら、阿弥陀仏の在処を責め問うたよ。  
老いたる法師 これは又滅相な尋ね方ぢや。さぞ講師は驚いたでござらう。  
五位の入道 苦しさうに眼を吊り上げた儘、西、西と申された。――や、とかうするうちに、もう日暮ぢや。途中に暇を費してゐては、阿弥陀仏の御前も畏れ多い。では御免を蒙らうか。――阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
老いたる法師 いや、飛んだ物狂ひに出合うた。どれわしも帰るとしよう。  
  三度松風の音 こうこう。更に又浪の音 どぶりどぶり。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
  浪の音 時に千鳥の声 ちりりりちりちり。  
五位の入道 阿弥陀仏よや。おおい。おおい。――この海辺には舟も見えぬ。見えるのは唯浪ばかりぢや。阿弥陀仏の生まれる国は、あの浪の向ふにあるかも知れぬ。もし身共が鵜の鳥ならば、すぐに其処へ渡るのぢやが、……しかしあの講師も阿弥陀仏には、広大無辺の慈悲があると云うた。して見れば身共が大声に、御仏の名前を呼び続けたら、答位はなされぬ事もあるまい。されずば呼び死に、死ぬるまでぢや。幸ひ此処に松の枯木が、二股に枝を伸ばしてゐる。まづこの梢に登るとしようか。――阿弥陀仏よや。おおい。おおい。  
  再び浪の音 どぶりどぶん。  
老いたる法師 あの物狂ひに出合つてから、もう今日は七日目ぢや。何でも生身の阿弥陀仏に、御眼にかかるなぞと云うてゐたが。その後は何処へ行き居つたか、――おお、この枯木の梢の上に、たつた一人登つてゐるのは、紛れもない法師ぢや。御坊。御坊。……返事をせぬのも不思議はない。何時か息が絶えてゐるわ。餌袋も持たぬ所を見れば、可哀さうに餓死んだと見える。  
  三度波の音 どぶんどぶん。  
老いたる法師 この儘梢に捨てて置いては、鴉の餌食にならうも知れぬ。何事も前世の因縁ぢや。どれわしが葬うてやらう。――や、これはどうぢや。この法師の屍骸の口には、まつ白な蓮華が開いてゐるぞ。さう云へば此処へ来た時から、異香も漂うてはゐた容子ぢや。では物狂ひと思うたのは、尊い上人でゐらせられたのか。それとも知らずに、御無礼を申したのは、反へす反へすもわしの落度ぢや。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。(大正十年三月) 
  
祈りと感謝

恐れが宗教を生む  
テーラワーダ仏教を勉強していくと、あくまで自分の心を清らかにすることばかり勉強させられるので、普通の宗教の概念、つまり誰かに頼りたい、という気持ちをどこへ向ければよいのか、という質問がよく出てきます。誰に向かってお祈りするのか、あるいは感謝するのか、ということです。人間は常に宗教の中で、祈り、感謝し続けてきました。  
人間の歴史をどこまでさかのぼっても、宗教というものを見つけることができます。何かを対象としてお祈りしたり頼み事をすることから、どんどん発展して宗教が生まれてきたんですね。  
遠い昔は、自然を拝んできました。宗教の起源については百科事典でもひいてみればすぐわかると思いますが、人間は自然に対し「恐怖感」を持ち拝み始めたのです。たとえば大雨が降って、自分の住まいや動物達が洪水に遭い、大変な目にあったとか、雷が落ちて人が死んだとか、また山や森の中に入っていった人が戻ってこない、そういう経験が結構あったのではないかと思います。それで森も山も怖くなってしまうんですね。遠い昔は鉄砲を持って狩りに行くわけではありませんから、自分の腕一本が勝負なわけです。そうするとやっぱり自然は怖いし強いし、自然がちょっとだけ我々を許してくれなければ生きていられないことがよくわかっていたのです。その恐怖感にもとづいて人間のお祈り習慣、お祈り信仰が生まれてきました。モヘンジョダロ文化、メソポタミア文化、いろいろな古代文明の中を見ても、やっぱり自然を拝んでいます。  
人間の宗教が根本的には「恐怖感」から生まれてきているということは、現代に至っても変わりません。このことは一応覚えておいた方がいいと思います。宗教に惹かれる人は、心の中に恐怖や不安がある人が多く、逆に自分が完壁に幸せだと思っている人、やることなすことうまくいくという自信満々の人は、宗教にそれほど興味を持たないはずです。そういう人は偉そうに振る舞い倣慢で、他の人を馬鹿にして生きているのです。  
法句経の中にある例文で、バウン人は様々なことに帰依しているというものがあります。山々、大きな森、アーラアーナという聖地、清らかな場所、木、大木、あるいはパゴダのようなお祈りの場所、お墓、そんな数多くのものを拝む。それは人間が心にものすごい恐怖を抱いているせいで、心と身体が揺れ、そのためにあっちへもこっちへもお願いします、お顔いします、と色んなことを拝んでいるんだと言うんですね。お釈迦さまの言葉ですが、まるでまったくの無神論者のような言葉ですよね。でもそれは、批判的に言っておられるのではなく、すごくやさしい心で人間を見たお釈迦さまの感想なんですね。  
田んぼが作れるようになって田んぼに水が入って農作物ができるなら、食べて遊んでればいいと思うのにやっぱり田んぼを拝んだり、田んぼに水が流れてくる川を拝んだりするんです。でもそれを感謝だと誤解してはいけません。やっと成功しましたが来年はどうなるかわかりません。ちょっと雨が降りすぎたり、あるいはちょっと降らなかったら、それだけで田んぼはパアになってしまうかもしれません。そんなちょっとした自然の営みを前にして人間は本当に無力なんです。何の力もない、お手上げ状態なんですね。そこから宗教が生まれたんですね。だからといって手を上げているわけにはいかない、おなかがすいたらご飯を食べなければならないし、家族や子供があれば食べ物を作ってあげなくてはならない、となりの部族が攻めてきたらけんかもしなくちゃならない、やらなければならない仕事がたくさんあるのです。がんばらなくちゃならないのに自然の前では人間は何もできない。ではどうするかと言えば頼む、お願いするしかないわけです。  
一番古い宗教経典など、たとえば VEDA 聖典などを読むと、ただの雨、ただの嵐、洪水、ただの空気や火や水を拝んでいるんです。なぜなら自然は怖いですからね。  
それがどんどん歴史が進むと人間が自然に慣れてしまうんですね。洪水がどうやって起きるか、乾期になぜなるのか、ということはわかるようになってくる。でもとなりの部族に襲われて親族が殺されるというようなことが起るとそれはなぜだろう、どうすれば防げるだろうということは考えるようになるんですね。すると自然に対する恐怖感はどんどん少なくなってくるんですね。  
森を考えてみましょう。突然知らない森に入ることになったら、必ずお祈りしていきますね。怖くて怖くて足も震えるかもしれません。ネクタイを締めた、どんな知識ある日本人でもきっとお祈りするのではないでしょうか。とにかく怖い。では、怖い相手ははっきり言うと何なんですか、と聞くと、はっきりしたものは何もない。理屈じゃなくただ怖いのです。  
しかしだんだん人々が森のことを知ってくると、どこに石がありどこに木がありどこに穴があるかわかってきます。すると怖くなくなってきますね。そうなると人は、森そのものを神だと思うことにちょっと物足りなさを感じるようになってくるのです。それで「森は神」ではなくて、「森の神」になるのです。  
ちょっとした違いのようでそのひとことの変化は、たいへん重要な信仰の変わり目なんです。森が神、雨が神、だと拝んでいた人々が、森の神、雨の神、嵐の神と考える時代に入るわけです。Polytheism、いわゆる多神信仰の時代です。八百万の神、神がたくさんいると考えるんですね。  
それがもう少し進むと、神々がいっぱいいて、いい加減に勝手に活動すると困りますから、今度は政治的に管理しなくちゃならなくなってきます。つまり、神々のランクを決め始めます。地上の神、もっと上の神、といったランク、それから人間以下のレベルの霊的な存在も出てきて政治的なシステムができ上がってくるんですね。四方八方守り神がいて、死人の面倒をみる神がいる、病人の面倒をみる神がいる、人々に恵みを与える神がいて天罰を与える神がいて、仕事別に神が分けられ神々の国家のようなものができてくるんですね。  
それがまたややこしいんです。それでまた暇ができると人間は抽象的に考え始め、やっぱり神はみんなまとめてひとつの抽象的な「神」という存在と考えようということになるのです。大文字の G で始まる GOD、唯一ひとりしかいない絶対神が生まれるのです。小文字の g で始まるそれまでの god とはまったく違うのです。 god には複数形がありますが GOD の方には単数形しかないのです。  
人間を作って育てて、面倒をみて亡くなったら自分のところに連れていって、というすべての権力を持っている一番偉大なる神を創造して、他の神々を全部偉大なる神の創造されたものだと考えるようになるわけです。今現在ある神の概念はこのあたりから来ています。  
もう少し時代が進むと、すべてはひとつの偉大なる神であると考えられるようになります。そして神の次元、つまりすべてを創った創造者の次元と、創られた我々の次元という風に、二次元的になってきます。  
それがもう一歩進むと、一次元になります。一元論というのは森羅万象すべては神である、一切が如来であるという概念なのです。創った神がある部屋にいて、創られた我々が別室にいるのではなくて、それは幻想なのだという考えです。本当は我々も神そのものであり、無知だからそれを知らないだけでそれに気づけば自分は神そのものであるということを悟るという考えは、現在もまだ残っています。後百年経てばどう変化するかわかりませんが、今まで申し上げてきた簡単なフレームの中に、世界宗教のすべてが入っています。一応宗教というものは発展があるんですね。  
キリスト教のゴッドは二次元にまだ止まってるんです。イスラム教のゴッドも、ユダヤ教の神様も二次元論で止まっています。ヒンズー教は最近、といっても西暦七世紀からいろいろなテキストが現れて、そのころから一元論の宗教に変化してきたんです。日本の大乗仏教も一元論ですね。すべては仏様であり如来であるという考えです。どんな宗教も、私が先ほど荒っぽく述べたフレームを外れて考えることはできません。これは私が個人で作ったのではなくて、宗教の歴史の中にはそういう進化があるということです。  
さて、大きく歴史を見てきた後で、もう一度宗教の出発点に戻ってみましょう。恐怖、怖いと思う気持ちから「信じる心」が始まったと先程からお話ししてきましたが、では今ではその怖いと思う気持ちは消えたのでしょうか。答えは否、消えていないのです。  
いまだに我々が宗教に求めているものは、やっぱり怖いから何とかしてちょうだい、という単純な願いなのです。それから、その次に付け加えたのは、人間いつでも怖い目に遭っているわけではなくて、色々いいこともいっぱいある。そういうときには怖い目には遭わなかったのだから、今度は無事に成功しました、神様ありがとうございますと感謝する、ということが出てくるんです。ですからお祈りというと「守ってください」というお祈りと「ありがとうございます」というお祈りと2種類あるのです。  
そんなこというと、不謹慎だと思われますか? 反論があるならばおっしゃってください。違うお祈りがありますとか、違う信仰、違う立場の宗教があればお聞きしましょう。もちろん、もっときめ細かく説明し始めると色々あって、ひとつの宗教を勉強すると一生かかりますから私も枠組みとしてとらえることまでしかしていません。  
日本人はどうでしょう。他の国では宗教は行動文化のひとつとしてとらえられることが多く、たとえば私が宗教活動をしていると尊敬されるわけです。普通の人々と少し違う特別な扱いを受けます。日本人は宗教というと過去の遺物かいかさまの世界であるかのように毛嫌いする、大の宗教嫌いだと思われているんですが、事実は逆なんですね。お正月を見ればわかりますね。神社やお寺に行かない人はまずいません。なぜあんな馬鹿なことをするのかわかりませんが、すべての御利益を一日で儲けようとして何かお願いごとを持って一年に一回だけ行き、お祈りし、いきなり世界で一番宗教に関心のある民族になっちゃうんです。他の国々では毎日のように行っており、一年のうちある一日だけということはないですよね。 
人は何のために祈るのか  
昔から人は病気を怖がってきました。一番怖がったのは「死ぬこと」で、誰が怖がったかというとそれは死ななかった人でした。人が死に、自分も家族も誰もが死ぬことを知り、死に対する儀式儀礼が発達してきました。国や民族によって違いますが、死に対する儀式儀礼のない人種はありません。どんな文明でも、アフリカやインドネシアの森のなかでどんなに原始的な生活をしている人たちでも、死に対する儀式儀礼だけはあるのです。なぜなら「死ぬ」ということが過去から一番怖かったからであり、怖かったからこそそのなかに色々な哲学が生まれてきたのです。たとえば、死ねば天国に生まれ変わりますからと誰かが言う。そうか、それなら死んでも別に惜しくはないのだと納得する。だけど善人も悪人も区別なく行くと言われればどうも納得いかないものがある。そこで天国に行く人と行けない人を分けて、天国に行く方法という哲学が生まれてくるのです。  
でも、今日一日生きているだけで精一杯だと思う人は、そういう話には無関心ですよね。天国でも地獄でもそんなことどうでもいい、それどころじゃないんです。ですから、我々の心を見ると、なぜ宗教が生まれるかがわかります。「死ぬのが怖い」と思ったらその瞬間、そこに宗教という幽霊がうろついているのです。宗教の歴史は私たちの心の中に何千年の昔から記憶されているわけですからあっと言う間に出てくるのです。日頃まったく関係ないと思っていても、何かのきっかけでその過去の記憶が出てきたら、すぐ現れてきます。私は無宗教で宗教とはまったく関係ないんだ、という人がいたとしてもまずそんなことはありません。たとえばもしお医者様に「あなた、肝臓がもうだめですよ。まったく治りません。せいぜい2週間も生きられたらよいところでしょう」と言われたら、すぐに神様仏様が生まれてくるのです。  
何度も申し上げるように宗教には「恐怖」がもとにあります。でも人間、いつも怖いわけではなく、ああ幸福だ、恵まれていると感じるときもあるわけです。恐怖があるからこそそれから逃れられた感謝もひとしおなのです。でも概ね人生は「大変」なことに追われ続けています。そうお思いになりませんか。あれをやらなくちゃならない、これをやらなくちゃならない、ああなったらどうしよう、こうなったらどうしようと心配は絶えません。スーパーに行って果物ひとつ買うときも、10個くらい手にとって押えてみたりしてひとつ選んだり、牛乳でも肉でも一番うしろの取りにくいところから引っ張って取る。お店の方でもそれを見通してうしろの方に古いものを置くんだそうです。ある日並べているところに居合わせると、古いものは奥に置いている、それを見てまた奥さんは、奥の方から取るのをやめる…。みんな、同じ人間ですから考えることはおんなじなんです。  
お店ではそんなに悪いものを売っているわけではありません。悪いものを売っていたのでは商売だめになっちゃいますからそんなことはしないんです。ちょっと色や形が悪いとか日付が一日違うくらいで必死になって選り分けることはないんじゃないでしょうか。  
そんなことまで考えて心配してまったく、人間として生きるのは楽なことじゃありません。たった買物ひとつでも、いいものを選ばなきゃならない、家族に合うものを選ばなきゃならない、財布に合うものを選ばなきゃならない、…心配事だらけです。幸福で幸福で、お金にまったく執着なく値段はいくらでも買いますよ、と余裕で言えるような人間はほとんどありません。たまに誰かが死にかけてるからいくらでもいいから売ってくれというようなことはあるでしょうが、そのときは幸せでそう言っているわけではありません。我々の人生のなかで幸福ということももちろんありますが、やはり全体としては大変だという経験の人が多いですから、無事に守られますようにと神にお祈りするのです。たまに感謝もします。  
では仏教の観点から、この「お祈り」や「感謝」を見てみるとどうでしょうか。仏教は中道ですから人間が何を拝んでもかまわないのです。人が何かを拝んで心の苦しみをいくらか和らげることができるなら、それを否定する必要はありません。その点から見ると何を拝もうとかまわないのです。山でも川でも、拝みたければ拝めばいいし、犬でも猫でも拝めばいい。もし心配事があっても悩むことがなく、拝みたくないと思えば拝まなければいい、という無関心な立場なんです。  
神様、イエス様にお祈りしてお願いする人々、阿弥陀さまにお祈りする人々、ヒンズーの神々にお願いする人々、みんな色々な相手に向かってお祈りしていますが、結果はどうですか。ちょっと考えてみればわかるでしょう。別にキリスト教の神を拝んでいるからといって特別に幸福になっているわけではないし、全然お祈りしない日本人もアメリカ人も経済的に豊かになっているし、アメリカよりは日本の方が平和であるし、じゃあ日本の方が、仏様の方が偉いんですかといってもそうじゃない、日本にも災難がたくさんあるし、また、韓国やアジアの国でも、お釈迦さまを拝んでいる国はあるけれど、また状況は違うわけです。拝む対象がなんであっても心はいくらかは安らげられるのであって、何を拝んだって同じことなんだ、というのがテーラワーダ仏教の考え方なのです。人間は平等に、いいことも悪いこともあって、みんながんばって生きている、だから「あなたががんばれば幸福になりますよ」というのが仏教なのです。仏教の立場では、どんな宗教も否定しません。しかし、がんばらなくていい、お祈りさえすれば、とは言えない。つまりお祈りも必要だし頑張りも必要なのです。  
では、お祈りはカットしてがんばる方だけやるとどうなるのでしょう。それでも豊かになるのだとすれば、お祈りは余計なことになっちゃいますね。ですから仏教の立場からいえば、誰が何をお祈りしようと腹を立てることもないし、また人にこうした方がいいという推薦もできない、日本人は日本人なりのことを、アメリカ人はアメリカ人なりのことをお祈りすればいいし、しなくてもいい。それは文明の歴史のなかで心に擦り込まれてきたことですから、それをああだこうだ言う必要はないのです。誰も偉くも低くもないのですから気持ちよくやればいいんです。  
お祈りの立場から考えると、誰であろうと自分が幸福でありたいんだけど、いくら祈ってみてもみんなが幸福になれるわけではないのです。誰も病気にはなりたくないでしょうが、いくらお祈りしても病気にはなるんですよ。お祈りが、効いたと思えるときも効かないと思えるときもありますが、効いたと思ったとしてもお祈りのせいとは言いきれない。歴史の初めから今まではっきりした証拠などはないのです。たとえば人が病気になって、関係ある人たちがみんなずっとお祈りをし続けて病気が治ったとします。それでも同じ頃に別の人が、家族さえ誰もお祈りしていないのに治るケースがあるわけですから、お祈りの効果があるのかどうかなんて答えが出せない、必ず効果があるなんて言えないんです。心の働き、物質の働き、宇宙の法則、と様々な働きが絡まりあってのことですから、そしてそのすべてはまだ科学でもわかっていませんからね。  
お釈迦さまがおっしゃっているのは、人間はその心の法則がわからないゆえに、また物質や宇宙の法則がわからないがゆえにあっちこっち暗闇のなかであれに触ったりこれやったり色々試しているだけなのだということです。心や物質や宇宙の法則、全部がわかったとしたら、どうやれば幸福になるか、不幸になるか、そのシステムがわかってくるはずです。つまり、我々は、なぜ人間が幸福になるのか不幸になるのかという、心のシステムがわかっていない。なぜあの人は長生きであの人は早く死ぬのか、その物質的な働きのシステムがわかっていない。  
そして一方、どんどん科学の世界でわかってくると、その分宗教から解放されていきます。細菌や微生物のせいで病気になることを発見したら、もう全然神様のところへは行かずにお医者様のところへ行く。昔は神様のところへ行ったのにです。ですから法則がわかってくると神様の仕事はだんだん減ってくる、ということは法則が完全に分かったら神は地上に要らない。ですから宗教は、ずっと科学と戦ってきたんです。新しいものが発見されると最初は宗教が反対するんだけれど、みんなが正しいものだと認めるようになるからしぶしぶ自分の解釈を変える、そういうふうにお互い生き延びる選択をしてきたんです。今も現代人の考え方のなかに宗教的な観念が色々入っていますね。離婚に反対、輸血に反対、あれに反対、と別に合理的な理由があるわけじゃないんです。  
仏教で言うのは、きちんと法則を全部理解しましょう、そうでなければ客観的なことが理解できません、ということです。ですが、宇宙の法則全てを理解しましょうというのはちょっと無理がありますから、最低自分に関するもの、自分の「からだ」と「心」の動き、そのシステムくらいは理解しよう。そこまで理解してはじめて迷信的な宗教から卒業できる、解放されるというわけです。そこまでさえ知らない間は人間は、神様仏様のお世話になり続けることと思います。  
もうひとつ別の視点から「宗教」に問いを投げかけてみましょう。もし、尊い存在がいて我々を支配しているならば、なぜ人間や生命に不幸なことばかり起るのでしょうか。毎日お祈りしてもトラブルは多発します。いくらお金があっても夫婦関係は悪くなるし、夫婦仲が良くても子供が悪い道に走るし、家族は良くても会社ではトラブルを起こすし、どこかにトラブルはあるのです。トラブルのない人生なんてありえません。ですから神様は一体全体何をやっているんでしょうかと聞きたくなります。はっきりいうと「神」という概念を使うのは良くない、神の方も迷惑なんです。  
では、何に向かってお祈りすればよいのかということです。それは、もし自分が誰かのおかげで幸福になったのなら、また何かのシステムのおかげで今日はラッキーだったというなら、その人、そのシステムに感謝すべきなのです。いわゆる「感謝」というものはとても大切なものでそれを否定はしません。しかし関係もない知らない人に感謝しても何の意味もありません。たとえば自分が顔も見たことのない人がさっと来て、色々お世話になりましてありがとうございましたと言っても何か勘違いしてるんじゃないか、ちょっと変な人だな、と思っちゃいますよね。逆効果ですよね。  
皆様でも知らない誰かに感謝してると、ちょっとおかしいんじゃないかな、ということになるはずです。たとえば神様は人間に何もやってあげていない、人間は自分でがんばってやってるのにお祈りされても、私は何もしてないのに人間って変だねえ、ということになります。自分で朝から晩まで苦労して苦労して食事の用意をしても「天にましますお父さま、今日の食事を感謝します」ときては、神様も困ってしまいます。  
仏教の立場は我々は色んな人のお蔭で幸福になることはあるというもの。そういうときは確実にその人に感謝しようというものなのです。 
祈りより感謝  
今日は「感謝」について考えてみたいと思います。まず感謝する対象とは誰なのでしょうか。たとえばあなたがお母さんのお金を使って車を買ったとします。そのとき、あなたがまったくの他人に向かって「私は新車を買いました。本当にありがとうございました」と言っても何の意味もありませんよね。自分のお母さんのお金を使ったのであればお母さんに感謝すべきである、というのが仏教の考え方です。基本はとても単純なことです。恩を受けたその相手に対して感謝の気持を持つということで、誰だか知らない人に感謝しても仕方がありません。  
親に感謝する、教えてくれる先生に感謝する、目上の人に感謝する、知識人に感謝する、自分より道徳的に高い人に感謝する。仏教で祈る対象というのは、要は恩を受けた「他の人たち」です。  
お釈迦様は、自分を少しでも助けてくれる人があったら一生その人の恩は忘れるな、恩を忘れるのは人間らしくないとまでおっしゃっています。  
仏法僧に礼をするのも真実を教えてくれた先生だからであって、やみくもにただ感謝せよというのではありません。私がときどきおかしく思うのは、正しい生き方や人の心を清らかにする方法を教えてくれたお釈迦様に手を合わせるのを恥ずかしがる人が、コマ犬や獅子などに手を合わせる姿を見かけることなのです。師としてのお釈迦様に手を合わせることは、恥ずかしい「盲信」でもなんでもありません。ごくあたりまえの人間としての道徳だと思われませんか。その程度の文化的な心がなければ到底悟りなど開けません。  
日本では仏教嫌いな人が多いようですが、無意識的な行動の中にその嫌っているはずの仏教の精神がたくさん入っています。たとえば「おかげ様で」と言いますね。自分が入院して退院してきたとき、見舞いに来てくれたわけでもないのに隣の人が「いかがですか」と聞く、そこで「はい、おかげ様でしっかり治りました」と答えますよね。自分の調子を聞いてくれただけでも、多少なりとも心配をしてくれたわけですから、そこに感謝するんですね。そこには仏教の精神があります。日本の日常の礼儀の中には仏教の精神がちゃんとあるんです。ないのは神社やお寺に行ったときですね。特別な得体の知れない、自分の知らない人に感謝するわけですからね。  
テーラワーダ仏教で仏法僧の3つに感謝するのは、仏法僧でなければこの教えをもらえないからに他なりません。得体の知れない他人に感謝しているのではなく、教えをもらった師に対しての礼なのです。その師は我々からいえば乗り越えられないほど偉い、大きなものなのです。自分の両親への恩というのは、いくらがんばっても返せないものなのだそうです。両親が自分にしてくれたこと、育ててくれたことにたいしてはいくらお金を払っても払いきれない、ですから感謝しなくてはいけないといいます。同じく仏法僧から教わる、心清らかにする教えというのは両親にも教えることができないものなのです。だから礼をするのであって、依存しているのでも盲信しているのでもありません。  
重い心持ちでやることでもありません。気持ちよく、先生おはようございます!という感じで楽しくやることです。仏法僧に帰依するということは、先生といつも一緒にいるということなんですね。自分の面倒をよく見てくれる、自分の過ちをよく正してくれる、偉大なる先生といつも一緒にいるということが、三宝に帰依して活動することなのです。  
なぜ、慈悲の冥想をするのだと思われますか?あの「天にまします我々の神様、ありがとうございます」というあいまいとした概念、正月だけ神社や寺に行って知らない神や仏に感謝するような意味のない思考、それを正すためなんです。なぜかというと、我々はすべての生命のお蔭で生きているからです。たとえば、私の着ている衣ひとつとってみてもどれほどの人の手を経てできたものかわかりません。糸、色、織り、またその機械を作った人やシステム開発した人など、何十人、何百人もの人間の協力でできあがったものです。何げなく手にするこの衣の裏に、どれほどの人が介在しているのでしょう。紅茶はもともとは東洋のものだけれど、缶を作るシステムや畑で量産する現代のシステムはヨーロッパ人が考えたものもあり、今口にする紅茶には東も西も全部入っていますよね。ですからその紅茶を飲むときには日本風に「いただきます」「ありがとうございます」と飲むことは正しいと思います。紅茶一杯飲めることも、ひとつの幸福です。それができたのはすべて多くの「人」のお蔭です。皆のおかげでできあがったわけですから誰かわからない相手に感謝するのではなくてやっぱり「生きとし生けるものが幸福でありますように」ではないでしょうか。  
一杯の紅茶を飲んで幸福だと感じるならその幸福をくれた相手、つまり「生きとし生けるもの」の幸福をお祈りする義務がついてくるのです。それをしなければそれは借りになります。おいしい紅茶を飲んで「神様ありがとうございました」と言ったところで借りは返せないんです。お釈迦様ははっきりとおっしゃってます。生きとし生けるものは幸せでありますようにと心から祈ることで、自分の借りは全部消えるのだと。  
お坊さんたちにも厳しく戒めておられます。毎日、瞬間でもいいからやりなさい。そうでなければあなたたちは借金だらけなんですよと。食べること、着ること、電気も建物も、何でもかんでも人のおかげでいただいているものであって、何ひとつも自分ひとりの力だけで得たものはないのだからと。  
ですから仏教では、誰かに向かってお祈りするというような唯一の相手はないのです。生きとし生けるものに対して慈しみの心を作ってください。そうすることであなたが得た幸福の借りを返したことになります。生きとし生けるものとは人間だけじゃないんですよ。人間は、他の生命もなければ存在しません。動物もみんな対象になります。さらに目に見える生命ばかりではなくて目に見えない生命もいっぱいある。その生命も、たとえ我々にわからなくても我々の生存と何か関係があるはずなのです。そんなすべての、限りない生命に対して慈悲の心を作ることです。  
とは言え人は弱いものですから、どうしても誰かを仰ぎたいと思うとすれば、その相手は仏法僧しかありません。なぜなら仏法僧は偉大なる師だからです。輪廻解脱する方法を教えることのできる師は他にないからです。つまり「先生」としてということです。仏法僧の立場から見ると、ありがとうと感謝されたいと思っているのではないのですが、おはようございます、というような明るい気持ちで感謝の礼をすればよいと思います。毎朝お釈迦様の仏像の前で感謝の礼をすることは、人間としての立派な行為といえるのではないでしょうか。  
そんなことが、「宗教じみてる」とか「盲信」だとか言う人にはあえて説明しようと思いませんが、そういう人は自由にすればいいと思うし、また個人的な信仰を持っているならそれもなさっていいのです。すべては個人の自由だからです。誰がどう考えようと私たちの答えはひとつです。すべての生命に慈悲の心を作ること…。そうすることではじめて、いただいている恩恵に感謝したことになるということです。神というひとつのエネルギーに支えられて生きているわけではなくて、我々みんなひとり一人が力を出し合って相互に依存しあってやっと、社会は成り立つのだということです。ただそれだけのことです。  
そして我々は誰ひとり偉くはないのです。みんな同じです。  
話を戻しますが、神様のような存在を作りそれに向かってお祈りしたがる人はカルマ論を否定している人です。カルマというのは、我々は自分の行動によって幸福にもなり不幸にもなる、心の持ち方次第で人生は決まるという考え方です。そうではなく神様のおかげで人間の運命が決められるのだとしたら、その神様という人はひどい人なのではありませんか。地球を見てもお腹いっぱいご飯を食べられる人より食べられない人の方が多いし、最新の医学の恩恵を受けられる人よりちょっとした痛気で死んでしまう人の数の方が多いわけですから、それなら人間を造った神様ほど悪い人はないのではありませんか。  
カルマ論では、あなたが何かすると何か結果が生まれると言います。とても具体的でわかりやすい話ではないでしょうか。  
たとえば1年間、美しくきれいなことばだけをしゃべると覚悟を決め、間違ったことや人を傷つけることをしゃべらないように1年間がんばると、実に立派な人間になるのです。やっぱり立派なこと、役に立つこと、正しいことをしゃべるには、また無駄話をやめるには、心のコントロールが必要です。心をコントロールするとからだもコントロールされ、無駄がなくなり健康になってきます。人間は自分のからだや心を通して他の人と関係を持っていますよね。するとその関係もずいぶん良くなってきて、またそのことに影響されて自分自身も立派になってくるのです。それがカルマ論です。それで1年経って幸福になって神様に感謝したって仕方ない。自分ががんばったんだから自分の写真を貼ってそれに手を合わせた方がまだましだと思いますよ。  
我々が幸福になるとすれば、それは過去にいいことをしたからです。何もいいことをしないのにどんどんいい結果が出るとすればそれは法則ではありません。そんなことはありえない。ずっと人をだまして泥棒し強盗してきた人がどんどん社会的に認められて総理大臣になるということはありえないんです。世の中の法則、宇宙の法則というものは必ずあるのです。  
もし今が幸せだと感じるなら、今までいい生活をした結果が現れたのです。でもそれで誰かに感謝して、ああ良かった、気が済んだと思ってしまうと危ない。たとえば急に宝くじが当たってあまりにも楽しくて幸せで幸せでというときは神に感謝して自分で納得したいんですね。でもそれは危ないんです。ちゃんと感謝したからこれで済んだ、ちゃらになったと考えると危ないのです。それから高慢になって悪い方に走り人生暗い方に向き始めるというのは良くあることです。  
幸福になったなら、それは何か過去に行ったことの結果です。でも、それまでいいことをしてきたかもしれませんが、これからひどい目に遭う可能性もあるわけです。せっかく幸福になったわけですから更なる幸福のためにはもっと自分を戒め、姿勢を正して生活しなくちゃいけないのです。  
我々の立場からいうと、幸福になったらその新しいエネルギーで何かいいことをするんです。もしお金が入ったとしたら、誰かの面倒を見てあげたりお布施をしたり。幸福になって、誰かに感謝してほっとして終わるのではなくて、新しい良い行いをするためにこれをバネにしよう、という気持の方が仏教的なのです。 
 
名号・諸説

名号 (みょうごう〔ミヤウガウ〕) 1 
仏・菩薩(ぼさつ)の名。これを聞いたり唱えたりすることに功徳(くどく)があるとされる。特に、「阿弥陀仏」の4字、「南無阿弥陀仏」の6字をさす。「六字の―を唱える」「弥陀の―」  
六字名号  
六字名号とは、南無阿弥陀仏の六字の尊号です。南無阿弥陀仏の「南無」は、「わたくしは帰依します」という意味で、「阿弥陀」は、サンスクリット語の「無量の寿命の大仏 (アミターユス)」「無量の光明の仏 (アミターバ)」の「はかることのできない」という部分のアミタ を表したものです。法事やお彼岸、お盆などの仏事はもちろんのこと、日常掛けとしてもご使用いただけます。主に浄土宗・浄土真宗・天台宗の方にお使いいただいています。 
名号は、なぜ作られた 2 
親鸞聖人、蓮如上人のご教示に従い、正しい御本尊は南無阿弥陀仏の六字の御名号であることを、これまでたびたび詳述してきた。今回は、名号六字がいかなるものかを解説する。  
「老少善悪をえらばず、絶対の幸福に救う」と誓われたのが、阿弥陀仏の本願である。  
だが、どんな立派な願いでも、それに伴う行がなければ一切は成就しない。  
ある道楽息子が老いた母親に向かって言った。  
「おっ母、おっ母の仕事をしている姿を見ると、目をショボショボさせて鼻汁流して元気がない。もう先も長いことなかろうと思うが、どうだ京都見物でもしてこようではないか」  
母親は非常に喜んで、  
「おまえはいつからそんなに孝行者になったのかい。長生きはしたいものだ。ではワシを連れていってくれるか」。  
「連れていかいでどうするか、先の短いおっ母を働かせてばかりいては気の毒だ、オレも一緒に行くぞ」と息子が言えば、母親はシクシクうれし泣きしている。  
「じゃそれではおまえ、路銀(ろぎん)はどれだけ持っているのかい」と尋ねると、極道息子は狼狽して、「とんでもない、オレは連れていってはやるが路銀宿銭は一切、おっ母が出すんだ」。  
怒った母親、寝転んでいる息子の頭に、持っていた土瓶(どびん)を投げつけると、「これは路銀じゃない土瓶だ」と、息子が言ったという笑い話がある。  
連れていってやりたいという願いはあっても、路銀がなければ京都見物はさせられない。この息子のような阿弥陀さまでは我々は救われないのだ。  
この路銀をつくるのに弥陀の果てしなく長い苦行がなされたのである。願いが遠大であるゆえに、その願いを成就せんとする行も、また遠大にならざるをえない。  
「すべての人を、必ず絶対の幸福に救う」というとてつもなく大きな誓いを実現するために、阿弥陀仏は「南無阿弥陀仏」の六字の名号を作られたのである。  
大宇宙の功徳の結晶  
いくら病気を治す原理が宇宙に存在しても、それを発見しそれに則って、医師が薬を作らなければ患者を救うことはできない。  
いわば「南無阿弥陀仏」は、"万人の苦悩を抜き取り、永遠に幸福にする"真理を体現した阿弥陀仏が創造した妙薬に喩えられよう。  
はるかなる過去から汚れ切って、微塵のまことの心もなく、苦から離れ切れない我々を憐れみ、救わずはおかぬ熱い思いで奮い立った弥陀が、気の遠くなるような長期間、誠心誠意、全身全霊の修行の末に、大宇宙の功徳(善)を結晶されたのが、「南無阿弥陀仏」の名号なのである。  
『教行信証』には、その経緯(名号のいわれ)を次のように詳述されている。  
「一切の群生海、無始より已来、乃至今日・今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心無く、虚仮諂偽にして真実の心無し。ここを以て、如来、一切苦悩の衆生海を悲憫して、不可思議兆載永劫に於て、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、一念・一刹那も清浄ならざる無く、真心ならざる無し。如来、清浄の真心を以て、円融・無碍・不可思議・不可称・不可説の至徳を成就したまえり」(教行信証)  
すべての人間は、はるかな遠い昔から今日まで、邪悪に汚染されて清浄の心はなく、そらごと、たわごとのみで、まことの心は、まったくない。かかる苦しみ悩む一切の人びとを阿弥陀仏は憐れみ悲しみ、何とか助けようと兆載永劫のあいだ、心も口も体も常に浄らかに保ち、その清浄なまことの心で、全身全霊、ご修行なされて、完全無欠の不可称・不可説・不可思議の無上の功徳(南無阿弥陀仏)を完成されたのである。  
視点 / 抜けてしまった後生の一大事  
御名号を御本尊とされたのは、親鸞聖人が最初である。本尊といえば木像だった時代に聖人は、生涯、御名号を御本尊となされた。また蓮如上人は、「当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」と、明快にご教示なされている。  
にもかかわらずなぜ本願寺は、両聖人の重大な御心を酌み取ろうとせず、「木像・絵像・名号のどれでもよい」と言い続けるのだろうか。  
ある親鸞会会員が、富山県の真宗住職と話した時のことだ。仏法を聞く目的は後生の一大事の解決一つ、と学徒が言えば、「真宗では人は皆、死ねばお浄土へ往けると教える。それに気づかせてもらうのが聞法だ」と言う。「人間の実相」の絵を見せて、この釈尊の説法はウソなのかと学徒が問えば、そんな絵は見たことがないと答える。後日、別の布教使に尋ねると、「その絵なら、確かに昔は話されていた。でも今どきそんな話をするなんておかしいよ」と言われたという。殊さら特別な事例を持ち出したわけではない。今日の真宗の信仰、布教全般がこうなのである。  
江戸時代は、香樹院師の語録などを見る限り、人は皆、罪悪深重・煩悩具足で、命終われば当然、頭下足上と地獄へ堕ちる。だから命懸けで聞けよと勧められていたのがよく分かる。この時代はまだ、まともな布教がなされていたのだろう。  
「この廻、疑網に覆蔽せられなば、更りてまた昿劫を逕歴せん」。親鸞聖人『教行信証』の一大事の警鐘を、今日の僧侶は"今どきそんなのおかしい"で片付けるのだから恐ろしい。  
後生の一大事の解決は、南無阿弥陀仏の名号六字を、弥陀から受け取る一つで決する。これを信心決定、信心獲得という。しかし、死ねば皆お浄土と教える寺には、両聖人の御名号本尊のお勧めは全く響かぬことなのだろう。  
御本尊とは根本に尊ぶべきもの。真剣に魂の解決を求める者に、「どれでも、自分が尊く思えるものでいい」はずがない。 
名号本尊(みょうごうほんぞん) 3 
浄土真宗の本尊の形態の1つ。それには、「六字名号」「九字名号」「十字名号」などがある。  
六字名号  
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ、なもあみだぶつ) 「南無」とは、帰依するを意味し、「阿弥陀仏に帰依する」の意。 『観無量寿経』の「下品下生」に、 かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ。仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。 とある。この六字は、すなわち法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行〈因位〉時の名)が修行し、大願大行を成就して正覚を得た上の名であるから、「果号」とも呼ばれる。如来のはたらきのすべて顕すとして、名号の中でも最も尊重され、本尊として用いられる。 このことから蓮如の言行録である『蓮如上人御一代記聞書』に、 一 のたまはく、「南無」の字は聖人(親鸞)の御流義にかぎりてあそばしけり。「南無阿弥陀仏」を泥にて写させられて、御座敷に掛けさせられて仰せられけるは、不可思議光仏、無礙光仏もこの南無阿弥陀仏をほめたまふ徳号なり。しかれば南無阿弥陀仏を本とすべしと仰せられ候ふなり。 と述べたことが伝えられ、阿弥陀仏の働きのすべてを顕すとしている。  
九字名号  
南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい、なもふかしぎこうにょらい) 曇鸞が『讃阿弥陀佛偈』に、 不可思議光[1] 一心帰命稽首礼 と著し、自己の信念を表したことに基づく。 浄土真宗のお内仏(仏壇)の本尊の「脇掛[2]」として掛ける。  
十字名号  
帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい) 天親が『無量寿経優婆提舎願生偈』(『浄土論』・『往生論』)に、 世尊我一心 帰命尽十方[3] 無礙[4]光如来 願生安楽国 と著し、自己の信念を表したことに基づく。 九字名号と同じく、お内仏(仏壇)に、本尊の「脇掛[2]」として掛ける。またこの『浄土論』の言葉は、回向文として浄土真宗で用いられる。  
名号本尊と絵像・木像本尊  
親鸞の存命時は、一般に偶像を本尊としていたのに、名号本尊を用いた理由については、親鸞は教化のため移住を繰り返し、寺を持たずに常に小さい草庵に住んでいたため、木像を持つことが不可能だったという考えがある。  
また蓮如は、本尊とするよう「六字名号」などを紙または絹に書し、庶民に与えたものが「名号本尊」である。このことにより、各家庭に本尊が安置されるようになり、急速に教化されていく。  
仏身を観念する「観想念仏」を行とする宗旨では、仏像などを重んじるが、浄土真宗では仏身を観念することはなく、善導の『観無量寿経疏』(『観経疏』)・法然の『選択本願念仏集』(『選択集』)に釈されたのを受けた親鸞は、『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の「行巻」に、  
正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。  
と、「南無阿弥陀仏」と称名する事こそが、正行[5]の中で、阿弥陀仏の願に順じた一番重要(正定の業)であるとのべ、「読誦(どくじゅ)[6]」「観察(かんざつ)[7]」「礼拝(らいはい)[8]」「賛嘆供養(さんだんくよう)[9]」は、助業であるという教義であるため、仏像・絵像だけに限定される必要がなく、名号本尊を用いることは教義に合致する。  
しかし、浄土真宗の一部の宗派(浄土真宗親鸞会など)で問題にしている、「名号のみ」を本尊とする事には繋がらないと、浄土真宗の他宗派では考える。なぜなら阿弥陀仏の救済の対象は、無条件である。盲目の人や(外国人など)漢字を読めない人たちが、救済の対象から外されてしまう、それは阿弥陀仏の本願ではない。また声が出せない者も、「称名」はできないが、助業はおこなえ、報恩報謝、仏徳讃嘆することができる。木像・絵像・名号に関わらず、無色無形の阿弥陀仏のはたらき(真如)の方便[10]として本尊を安置し、報恩報謝のために礼拝する。  
『蓮如上人御一代記聞書』に、  
一 蓮如上人仰せられ候ふ。方便をわろしといふことはあるまじきなり。方便をもつて真実をあらはす廃立の義よくよくしるべし。弥陀・釈迦・善知識の善巧方便によりて、真実の信をばうることなるよし仰せられ候ふと蓮如の方便の意味を伝えている。  
しかし同書には、  
一 他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり。  
とあり一見すると「名号が一番よい」と受け取られがちである。しかしこの文の本質は、偶像として阿弥陀仏を崇拝するのではなく、阿弥陀仏のはたらきに帰依する事を強調するための言葉である。当時の時代背景から考えると、貴族など裕福な者たちが、寺社を建て仏像・絵像を寄進し、礼拝した。それに対し蓮如は、貧富の差なく手渡せ礼拝可能な名号本尊を配布し、庶民も阿弥陀仏の救済の対象であることを伝えるためである。  
よって阿弥陀仏のはたらきに帰依すれば、本尊の形態は、木像・絵像・名号を問わない。 
誓願不思議・名号不思議 4 
これは誓願の不思議を、むねと信じたてまつれば、名号の不思議も具足して、誓願・名号の不思議ひとつにして、さらにことなることなきなり。つぎにみずからのはからいをさしはさみて、善悪のふたつにつきて、往生のたすけ・さわり、二様におもうは、誓願の不思議をばたのまずして、わがこころに往生の業をはげみて、もうすところの念仏をも自行になすなり。このひとは、名号の不思議をも、また信ぜざるなり。信ぜざれども、返事懈慢疑城胎宮にも往生して、果遂の願のゆえに、ついに報土に生ずるは、名号不思議のちからなり。これすなわち、誓願不思議のゆえなれば、ただひとつなるべし。  
【現代語訳】  
阿弥陀仏の誓願不思議と、名号(名前の)不思議とは、どういうことなのかというと、誓願の不思議が本来中心であると信じ知れば、名号の不思議も自然に伴うので、誓願不思議も名号不思議もひとつのことで、異なることはありません。  
次に、自らの計らいを差し挟んで、善悪の二つについて、善は往生のたすけとなり、悪はさわりになると思うことは、誓願の不思議を憑(たの)まずに、自分勝手なこころで、自らがたすかるための修行に励むことになり、申している念仏を自分の行にしてしまっています。こういう人は、名号の不思議も信頼していないのです。  
しかし、このように誓願の不思議を信じていない人であっても、念仏申せば、辺地(真実の世界の片すみ)懈慢(信心の賢固でない人の行く所)疑城胎宮(仏を疑う人の行く所で、宮殿のように居心地のよい所)には行くことができ、さらにそこから、阿弥陀仏の果遂の誓い(念仏しながら自力の心を離れえないものでも、必ず真実の世界に転入せしめるという誓い)によって、遂には真実世界に往生できるのは、南無阿弥陀仏と口に称える、名号の不思議なのです。さらに、それこそ、誓願の不思議でもあるのですから、誓願不思議、名号不思議はただひとつのことなのです。誓願と名号が二つ別々にあるのではなく、誓願の名号として一つなのです。名号の無い誓願では「働き」の無い理論、観念になり、誓願の無い名号ならば「呪文」に成ってしまいます。 
弥陀の名号となへつつ 5 
さて、親鸞聖人がお作りいただいたご和讚、その数は実に五百数十にもおよびます。漢字でかかれたお経は、一般の人には読み取ることは出来ません。まして、親鸞聖人の時代には、文字そのものを読める人が少ない時代です。そこで、七五調のやさしいことばに和らげ、浄土の仏・菩薩の功徳や祖師高僧方の功績を讃嘆され、ご自分の信心を表白された詩、ご和讚をお読みいただいたのでしょう。  
平安時代から、この七五調の今様形式での仏教讃歌は盛んに作られましたが、親鸞聖人が、特に晩年になって数多くお読みいただいたのは、教えの内容をおぼえやすく、口に出して読誦しやすいようにとのお考えだったのでしょう。  
その中でも、浄土和讚、高僧和讚、正像末和讚をまとめて、三帖和讚といわれ、教行信証の内容と密接な関係がありますので、和語の教行信証ともいわれます。  
親鸞聖人のご和讚の内容全体の大意は、最初におかれている、二種の和讚で示されていると言われます。  
冠頭讃といわれる次の二種です。  
弥陀の名号となへつつ 信心まことにうるひとは  
憶念の心つねにして 仏恩報ずるおもひあり  
(現代語訳) 衆生を信じさせずにはおられないという阿弥陀仏の名号を称えながら、称える心が名号のいわれをそのまま信ずる身になった人は、如来のはたらきをいつも憶(おぼ)えて忘れない心が具(そな)わるとともに仏恩報謝の念(おもい)が自然に ほとばしり出てきます。  
請願不思議をうたがひて 御名を称する往生は  
宮殿のうちに五百歳 むなしくすぐとぞときたまふ  
(現代語訳) 本来、成仏出来るような要素をまったくもち合わせていない凡夫を 信心一つで浄土往生させると誓われた 勝れたはたらきを疑って、自分が称えた念仏に功績(てがら)を期待して往生しようとすれば、方便化土と呼ばれる世界に 五百年のあいだ止まって、いたずらに虚しい時を 過ごさなければならないと、『大経』の「胎化得失の文」には説かれています。  
この二つのご和讚が、親鸞聖人の教えの大意だと言われます。  
本来、苦しみから抜け出し成仏出来るような要素をまったくもち合わせていない私たちを 信心一つで浄土往生させると誓われた 勝れたはたらきを信じさせていただき、お念仏させいただきたいと思います。 
野中八郎と猿影の名号 6 
ころは南北朝時代、ある日のこと野中八郎は、いつものように赤薮山で狩をしていました。どうしたことかその日にかぎって一匹の獲物もなく、がっかりして山を降りている時に、一匹の大きな猿に出合いました。  
「しめた!」とばかりに一気に矢をつがえて、狙いを定めました。だがその猿をよく見ると身ごもった雌猿だったのです。  
それを知った従者たちは、「この猿は殺さないでください」を一生懸命に制止しましたが、八郎はそれを聞かずに一気に射抜いてしまいました。  
ところがその夜から八郎は、原因不明の高熱にうなされ続けました。医者を連れて来て診せても原因は分かりません。従者たちは、これは射殺した雌猿の祟りではなかろうかと、潔斎して一心に神仏の加護を求めて祈りました。  
ある夜更けのこと、熱にうなされる八郎の夢枕に墨染めの衣を着た一人の聖僧が立ち、「この名号を一心に唱えて拝めば、必ずや病は癒えるであろう」と、一巻の軸を与えて告げました。  
夢から覚めると、確かに枕元には一巻の軸があり、南無阿弥陀仏と六字の名号が書かれています。  
ほどなく八郎の高熱も下がり、病は癒えました。身ごもった雌猿を殺したことを深く悔いて、頭を丸めて名を善了と名を改め出家し、小さな草庵を結びました。  
手元に残った六字の名号は、見つめれば見つめるほど、不思議と猿の姿に似てきます。そのことから誰言うともなく”猿影の名号”と呼ばれるようになりました。  
八郎が出家して結んだ草庵は、呼猿山聞信寺と名づけられ、これが今日に続く聞信寺の始まりです。猿影の名号もまた、寺宝として今日に伝えられています。  
解説 / 野中八郎(善晴)は、河内国鋏山の城主とも伝えられていますが史実としては不詳な部分が少なくありません。梯区の開祖と言い、野中・梯両姓の始祖と伝えられる人物です。三潴・上陽線から広川ダムへの登り口の一段高まった場所に、野中八郎大明神として祀られています。 
念仏称えて助かるのか 7 
「それ、人間に流布して、皆人の心得たる通は、何の分別もなく、口にただ称名ばかりを称えたらば、極楽に往生すべきように思えり。それはおおきに覚束なき次第なり。他力の信心を取るというも別の事にはあらず。『南無阿弥陀仏』の六の字の意を、よく知りたるをもって信心決定すとはいうなり」  
(大意) 「世間に広く思われているには、何のわきまえもなく、南無阿弥陀仏と念仏を称えてさえおれば、極楽往生できる、というものである。それは大きな間違いである。他力の信心といっても、ほかのことではない。南無阿弥陀仏の六字と一体になったことを 信心決定というのだ」  
阿弥陀如来の本願に救い摂られ、往生極楽を果たすにはどうすればよいか。  
「当流には信心の方をもって先とせられたる、その故を知らずは徒事なり」とあった通り、「信心」一つで、往生できるか否かが決まるのです。「信心決定」「信心獲得(獲信)」も同じことです。  
ところが、「念仏さえ称えていれば、極楽へ連れていってくださるのが弥陀の本願」と誤っている人が多いので、蓮如上人は、「念仏どれだけ称えても、それで助かるのではないぞ。信心決定しなければ助からんぞ」と警鐘乱打なされたのです。  
「すべての人を、絶対の幸福に助ける」という誓願を果たされるため、阿弥陀如来は、「南無阿弥陀仏」の六字の「名号」をつくられました。名号には、すべての人の無明の闇を破し、本当の幸せにする働きがあります。  
ちょうど、肉体の病苦をいやし、健康の喜びを与えてくれる良薬にたとえられます。阿弥陀如来はすでに、十劫という昔に、薬の調合を終えられました。  
せっかく完成された薬も、しかし、飲む人がなければ甲斐がありません。私たちが受け取らねば、名号六字は画餅に等しくなってしまいます。十方衆生に与えるために、阿弥陀如来がつくられたのですから。  
弥陀の本願を聞き開き、名号を受領したことを、「仏凡一体」といいます。「仏心と凡心が一体になる」という意味です。すべての人の苦悩を抜き、無上の安楽を与えてやりたいという仏心が、南無阿弥陀仏の名号となったのです。それが私たち凡夫の心と一体になるのです。  
「一体」とは、一つになって離れられないものをいいます。炭に火がついたように、どこからが炭でどこからが火か、分けられません。  
大慈悲の仏心は、火のようなあたたかい心です。凡夫の心は無慈悲ですから、黒くて冷たい炭にたとえられます。炭に火がついて一つになったのを、「仏凡一体」というのです。  
この身になったのを、「信心」ともいいます。阿弥陀如来のお手元にある「名号」六字の薬を私たちが飲むと、「信心」となります。信心決定して、往生一定になった時であり、「南無阿弥陀仏」の六字の心がハッキリ知らされた時です。  
さらに六字が、声となって称えられた時は、「ありがとうございました」という御恩報謝の「念仏」となるのです。救われた後のお礼です。  
親鸞聖人の教え・浄土真宗は、「信心正因」といわれます。弥陀如来のお手元にある名号では、いまだ私たちは救われていませんから、「名号正因」とはいわれません。ごちそうができていても、食べねばお腹は膨れないのと同じで、ごちそうは「名号」であり、満腹が「信心」です。  
名号・信心・念仏はいずれも、体は南無阿弥陀仏です。しかし、呼び名が異なるのです。  
隣にどんな美人がいても、結婚するまでは赤の他人の「娘」です。縁あって私と結婚すれば、「嫁」となります。子供ができると、「母」です。娘も嫁も母も、呼び名こそ変われ、同一人物です。名号・信心・念仏も、そのような関係にたとえられます。  
「阿弥陀仏はお慈悲な仏さまじゃから、念仏称えたら助かる」という言い分は、「名号」が完成しているから、「念仏」称えるだけでいい、という誤解です。娘が嫁を通り越して、母になってしまうということで、世間の評判もこりゃあ、ちと具合が悪い。  
降誕会や報恩講の佳き日には、親鸞聖人の教えを真剣に聞き、信心決定をもって、最高のご恩返しとさせていただきたいものです。 
名号による救いについて / 一遍上人が遺したことば 8 
「ともはねよかくてもをどれ心ごま弥陀の御法(みのり)と聞くぞうれしき」  
「唯(ただ)南無阿弥陀仏の六字の外に、わが身心なく、一切衆生にあまねくして、名号これ一遍なり」  
「すべて思量をとどめつゝ 仰(あおい)で仏に身をまかせ出入(いでいる)息をかぎりにて 南無阿弥陀仏と申べし」  
「他力称名に帰しぬれば、驕慢なし、卑下なし。其故は、身心を放下して無我無人の法に帰しぬれば、自他彼我の人我なし。田夫野人・尼入道・愚痴・無智までも平等に往生する法なれば、他力の行といふなり」  
「又云、信(しん)とは、まかすとよむなり。人の言(ことば)と書(かけ)り。人たるものゝ言は、まことなるべきなり。我等は即(すなわち)法にまかすべきなり。然(しかれ)ば衣食住の三を我と求る事なかれ、天運にまかすべきなり。空也上人の曰(いわく)、「三業を天運に任せ、四儀を菩提に譲る」と云云。是(これ)他力に帰したる色なり。古湛禅師は、「労(わずら)はしく転破することなかれ、只(ただ)天然に任す」といへり」 
名号を聞く 9 
お経に「聞其名号・信心歓喜」とあります。「その名号(南無阿弥陀佛)を聞いて、信心を歓喜する」となります。この南無阿弥陀佛は字数は六字でありますが、この六字の中に如来さまのお心が込められてありますから、この六字を口に称える時あらゆる善業(たね)のもとが摂られ、ありとあらゆる功徳のもとが具わっているのであります。  
六字のお心を経には「佛心は大慈悲これなり」と述べられております。慈悲について辞書には「如来さまが衆生を救う根本の心であり、これを慈と悲に分けて、慈は衆生に楽を与えること。悲は衆生の苦しみを抜くことである。」とあります。いわば抜苦与楽ということであります。  
六字のお心が私のこころに伝わり受け止められてくるのは、やはり大悲心ともうされるように、人間としての苦悩の中に感じていくものであります。  
和讃に  
(阿弥陀)如来の作願をたづぬれば 苦悩の有情(こころもち)をすてずして 廻向(与える)を首としたまひて 大悲心をば成就せり  
とあります。  
浄土真宗の教えで最も大切なのは「お聴聞」といわれております。何を聞くのかともうしますと、「聞というは、弥陀の誓いの御名のおいわれを聞いて、疑うこころがなくなったところを聞という」とあります。弥陀如来の誓いは、念佛もうすものを一人残らず摂取(摂め取り)不捨(捨てない)であります。  
この誓いが如来さまの私一人ひとりに受け取られたときに、私のこころに血が通う如く慈悲の温かさが伝わってくるのであります。  
親しい方を病院にお見舞いする機会がよくあります。入院されておられる患者さんのことを考えて、持参する見舞いの品を考えるものです。例えば花束を持って行ったとしましょう。見舞いを受けられた患者さんは、その花束の美しさと共に見舞う人の温かいこころを感じ、気持ちが安らぐものだと思います。「南無阿弥陀佛の六字の心をいただくことなり」ともうされているのも、そうしたことであります。  
親鸞聖人さまが「念佛もうせ」と教えておられます。念佛もうすことは、時(間)処(場)諸縁を選ばずであります。いかなる条件にあろうとも、念佛もうす人はこうした六字の心が満ちていてくださいます。  
金子大栄先生は「ここに空過することのない人生があります。それが大地を潤してくださいます。彼岸の未来が現生の光となるからであります。したがっていかに悲しきことが多くて不幸であっても、それで一生空過したということはないでありましょう。それがすべて人生の意味内容として、悪いことが転じて功徳の喜びとなっていくからであります。また何一つ成し遂げるものが無くても、それで空しく過ぎたと悔いが残ることはないでしょう。それが自分の一生であったという満足を、念佛もうすことによって感知せしめるからであります。」と語っておられます。  
念佛もうす人は常に障りのない道となってくださいます。その訳は、念佛者として生きていく人生の有り難さは、祈ることも、願うこともない道を歩ませてくださることであります。  
お陰さまで何がやって来ても、そのまま素直に頂いていける私に育てていただくことであります。この世の中で私にとって一つとして無駄なものはないという事を知らされ、すべて念佛もうすところの御縁として有り難く頂けてきます。  
「ただ念佛のみぞまことにておわします」との真実のお救いに遇わせて頂けた深い喜びをかみしめながら、如来のみ光の中に包み込まれ、お呼び声の届いてくださる有り難さの中を、お浄土まで力強く生き抜かせて頂く嬉しさであります。合掌  
法を聞くよろこびありてしみじみと 人と生まれし幸せをおもう 
名号の糸 10 
仏の前で熱心に名号をとなえていると、その指先などから現れるという糸。糸引き、糸引き名号ともいう。  
熱心な信者が仏前で両手をあわせて一心不乱に南無阿弥陀仏などの名号を唱えていると、その指頭、指背、あるいは掌面から、長さ2,3分(1分(ぶ)は1/10寸)ないし7,8分の、紫色、淡紅色、または淡白色の美しい糸が出るという。これが出るのは、仏の加護を得た証拠であるという。  
井上円了の「妖怪学講義」によれば、これは両手を水できよめて合掌、唱名しているあいだに、室内に浮遊する塵埃が手または指先に付着したものであろう、という。  
清水静文の実験によれば、この糸は実際に出るものであり、それはわれわれの体内の血漿すなわち繊維質溶液が、汗腺から浸出して、指頭また掌面からおしだされ、外気に触れて乾燥したものであるという。 
浄土真宗入門 11 
無明業障  
「仏教は難しい」というイメージがありますが。  
仏教は、初めから順序よく聞けば、決して難しい教えではありません。仏教の本末始終は、このような例えで教えられます。ここに病で苦しむ人がいます。そのまま放置しておけば死んでしまいます。そこで、その病人を何とか助けてやろうという医者が現れます。医者は素手では病気を治せないので、薬を作ります。その薬を病人に与えると、病が全快します。苦しみから救われた病人は、医者に心からお礼を言うでしょう。これが仏教の本末を表すたとえ話ですが、このように本から末に筋道立てて聞けば、だれでも理解できる教えが仏教なのです。  
この例えは何を表しているのですか?  
この例えは次のようなは次のようなことを教えています。病人とは私たちすべての人間のこと、医師とは阿弥陀仏のことです。病気で苦しむ人がいたから、「阿弥陀仏」という医師が 現れられました。その阿弥陀仏が完成なされた薬が「南無阿弥陀仏」の「六字の名号」です。その妙薬を私たちが頂くと、立ちどころに病気が全快します。それを「信心決定」といいます。信心決定したら、阿弥陀仏にお礼を言わずにおれません。それで称えるのが「念仏」です。これらのことがよく分かれば、浄土真宗はすべて分かります。  
私たちはなぜ病人といわれるのですか?  
病気とは肉体の病ではありません。「無明業障の恐ろしき病」といわれる心の病気です。しかし、いわゆる「うつ病」などとは異なり、大統領からホームレスに至るまで、例外なくすべての人がかかっています。この病が恐ろしいのは自覚症状がない点で、仏法を聞いて初めて病が病と分かるのです。病である証拠に、科学や医学は急進し、確かに世の中便利になりましたが、「ああ、幸せだ」と実感している人は果たしてどれだけあるでしょうか。熱病の者はどんな山海の珍味も味わえないように、すべての人は心が病にかかっているから、どんな幸福も味わえないのだと、仏教では教えられるのです。  
無明業障の恐ろしき病とは?(1)  
この無明は煩悩のことです。私たちは一人一人が百八の煩悩のかたまりです。雪だるまが雪でできているように、煩悩に目鼻をつけたものが人間なので、「煩悩具足の凡夫」といわれます。中でも、私たちを悩ませる貪欲(欲)、瞋恚(怒り)、愚痴(ねたみそねみ)を三毒の煩悩といいます。どこまで求めても満足できない欲の心は、際限なく広がる水のようなので、青鬼に例えられます。カッと腹立つ怒りの心は、炎のようで赤鬼といわれます。勝るをねたむ愚痴の心は、醜く、黒鬼に例えられます。私たちはこの青と赤と黒の鬼で日々、数え切れないほどの悪を重ねています。  
無明業障の恐ろしき病とは?(2)  
例えば、食欲を満たすためにどれだけ生き物の命を奪っているでしょうか。自ら手を下さずとも、肉屋で買って食べるのも同罪だと説かれます。怒りの心はどうでしょう。「あいつのせいで恥を」「こいつのせいで儲け損なった」、カッとなった時にはすでに、心で相手を殺しているではありませんか。  
これら煩悩(無明)でする行い(業)は悪ばかりですから、悪因悪果、自業自得。この世も未来も業苦が絶えません(障)。これが無明業障の病です。しかも悪を作り続けながらその自覚なく、「オレが地獄?バカな」と仏説をはねつけ平然としています。「恐ろしき病」といわれるのは、そのためなのです。  
阿弥陀仏  
阿弥陀仏とはどんな仏さまですか?  
仏教では、私たちは例外なく、「無明業障の恐ろしき病」にかかっている魂の病人と教えられます。どんなに金や物に恵まれても、心からの安心・満足がないのはこの病のためです。その無明業障の病を治してくださる名医が、本師本仏の阿弥陀如来であり、大医王とたたえられます。大宇宙には数え切れないほどの仏がいらっしゃいますが、それら十方諸仏が皆、異口同音に先生と尊敬するのが阿弥陀仏です。だから釈迦も一切経の中で、「諸仏の中の王なり」とか、「最尊第一」の阿弥陀如来とか、言葉を尽くして称賛されているのです。  
阿弥陀仏にはどんなお徳がありますか?  
本師本仏の阿弥陀仏には、いろいろの偉大なお徳(力)がありますが、まとめると光明無量、寿命無量の二つになります。光明とは、目に見えない仏さまのお力のことです。釈尊は、「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」(大無量寿経)と絶賛され、どんな罪悪深重の者をも助ける、ほかの仏の遠く及ばぬすごい力だとおっしゃっています。しかも、その絶大な光明は、線香花火のように瞬時に消えうせるのでなく、無量寿(量りなき寿命)に維持され、私たちを永遠の幸福に救い切ってくださるのです。  
阿弥陀仏以外の仏では助からないのですか?  
「十悪・五逆の罪人も、五障・三従の女人も、空しく皆十方・三世の諸仏の悲願に洩れて、捨て果てられたる我等如きの凡夫なり」(御文章)とあるように、諸仏方も、何とか救ってやりたいの慈悲心を起こされたのですが、私たちの罪があまりに重く、見捨ててしまわれたのです。そんなあらゆる仏に見放された極悪人だからこそ、なおさら捨ててはおけぬと、ただ一仏、「必ず助ける」と誓われたのが阿弥陀仏です。だからこそ釈尊は、仏教の結論として、「一向専念無量寿仏」(大無量寿経)“弥陀一仏に向かい、信じなさい” と、何度もお勧めになっているのです。  
阿弥陀仏のお姿は、なぜ立っていらっしゃるのですか?  
多くの仏は座像ですが、阿弥陀仏は立っておられます。このお姿を、立撮即行(りっさつそくぎょう)といいます。苦悩の衆生を座視できず、お立ちづめで力尽くされている、やるせない大慈悲心を表されています。動くことさえできぬ重病患者は、往診の医者でなければ救えぬように、罪悪深重の私たちは、自ら衆生に近づき、救ってくだされる大医王・阿弥陀仏でなければ毛頭救われません。右手をあげておられるのは、“そのまま来いよ”の召喚(光明無量)を表し、左手を下げておられるのは“堕としはせぬぞ”の摂取(寿命無量)を表しています。  
阿弥陀仏の五劫思惟とはどんなこと?  
どうすればすべての人の心の難病を治すことができるか、阿弥陀仏は五劫という長期間、考えられました。これを「五劫の思惟」といいます。一劫とは、「四十里四方の大盤石を天人が百年に一度、羽衣で触れて磨し、これによって消滅しても、なお尽きないほどの長期間」と教えられています。五劫の間、病を徹底研究され、「このように治療しよう」と作られた処方箋に当たるのが弥陀の本願です。その処方箋に基づき、兆載永劫(ちょうさいようごう)のご苦労の末、弥陀は、「南無阿弥陀仏」の六字の名号という薬を完成なされたのです。  
六字の名号  
特効薬とは何のことですか?  
特効薬とは、阿弥陀仏がつくられた「南無阿弥陀仏」のことです。弥陀のお名前が織り込まれていますので、これを六字の名号といいます。弥陀の無量光の智慧と、無量寿の慈悲によって完成した「南無阿弥陀仏」には、「抜苦与楽」(苦を抜き、楽を与える)の働きがあります。科学が急進し、物が豊かになっても、“ああ、幸せだ”と心からの満足がないのはなぜでしょうか。それは私たちが、“無明業障という心の病にかかっているからなんだよ”と、仏教で教えられます。名号には、その無明業障の病の苦を根本から抜き、絶対の幸福を与えてくだされる働きがあるのです。  
名号にはどれほどの力があるのですか?  
お釈迦さまは『大無量寿経』に、「十方恒沙の諸仏如来、皆共に無量寿仏(阿弥陀仏)の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまう」“大宇宙のあらゆる仏が、声をそろえて、弥陀のつくられた南無阿弥陀仏の威神力を褒めたたえておられる”と明言されています。そんなものすごい力のある名号ですから、釈尊は生涯、この南無阿弥陀仏の功徳一つを説いていかれたのです。一切経は、南無阿弥陀仏の大功徳の効能書きなのです。ですから蓮如上人は、「一切の聖教(仏教の書物)というも、ただ南無阿弥陀仏の六字を信ぜしめんがためなり」とおっしゃっています。  
それほどの功徳があるとは思えないのですが(1)。  
蓮如上人は『御文章』に、「『南無阿弥陀仏』と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり」。“南無阿弥陀仏という文字は、たったの漢字六字だから、そんなすごい働きがあると思えないだろう。だがこの六字の名号には、想像を超えた、私たちを絶対の幸福にする広大無辺なお力があるのだよ”とおっしゃっています。そう思えないのは豚に真珠、猫に小判で、私たちに値を知る知恵がないからです。  
それほどの功徳があるとは思えないのですが(2)。  
名号は阿弥陀仏の仏心の象徴であり顕現ですから、いくら分析してもその尊さは分かりません。イギリスの化学者ファラデー博士は、いつも学生に向かって、「母親の涙も化学的に分析すれば、少量の塩分と水分にすぎない。しかし、その涙の中には化学も分析しえない深い愛情が込もっていることを知らねばならない」と教えていました。名号六字は、説くことも想像することもできない弥陀の大慈悲を、私たちに受け取りやすい姿になされたものですから、私たちは六字の御名号を通して、阿弥陀仏の仏心を頂かなければなりません。  
浄土真宗の正しい御本尊は、御名号であるというのは本当ですか?  
本尊とは、根本に尊ぶべきものと書くように、仏法では最も大切なものです。では、浄土真宗の正しい御本尊は何かというと、それについて蓮如上人は、「他流には“名号よりは絵像、絵像よりは木像”というなり。当流(真宗)には”木像よりは絵像、絵像よりは名号”というなり」(御一代記聞書)と明示され、浄土真宗の正しい御本尊は、御名号であると明言されています。それが親鸞聖人の教えであることは、聖人が生涯、御名号のみを御本尊とされ、門弟たちにお勧めになっていた歴史上の事実からも明らかです。 
題目弥陀名号勝劣事 【文永元年、聖寿】 12 
南無妙法蓮華経と申す事は唱へがたく、南無阿弥陀仏、南無薬師如来なんど申す事は唱へやすく、又文字の数の程も大旨は同けれども、功徳の勝劣は遥に替て候なり。  
天竺の習ひ、仏出世の前には二天三仙の名号を唱へて天を願ひけるに、仏世に出させ給ては仏の御名を唱ふ。  
然るに仏の名号を二天三仙の名号に対すれば、天の名は瓦礫のごとし、仏の名号は金銀如意宝珠等のごとし。  
又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば、瓦礫と如意宝珠の如くに侍るなり。  
又諸仏の名号は題目の妙法蓮華経に対すれば、瓦礫と如意宝珠の如くに侍るなり。  
同じ事と思ふ故に、又世間に貴しと思ふ人の只弥陀の名号計りを唱ふるに随て、皆人一期の間一日に六万遍十万遍なんど申せども、法華経の題目をば一期に一遍も唱へず。  
或は世間に智者と思はれたる人人、外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に、念仏と法華経とは只一なり。南無阿弥陀仏と唱ふれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり。  
是は一代の諸経の中に一句一字もなき事なり。設ひ大師先徳の釈の中より出たりとも、且は観心の釈か、且はあて事か、なんど心得べし。  
法華経の題目は過去に十万億の生身の仏に値ひ奉て、功徳を成就する人、初めて妙法蓮華経の五字の名を聞き、始めて信を致すなり。  
諸仏の名号は外道・諸天・二乗・菩薩の名号にあはすれば、瓦礫と如意宝珠の如くなれども、法華経の題目に対すれば、又瓦礫と如意宝珠との如し。  
当世の学者は法華経の題目と諸仏の名号とを功徳ひとしと思ひ、又同じ事と思へるは、瓦礫と如意宝珠とを同じと思ひ、一と思ふが如し。  
止観の五に云く「設ひ世を厭ふ者も、下劣の乗を翫び、枝葉に攀付し、狗作務に狎れ、?猴を敬て帝釈と為し、瓦礫を崇めて是明珠なりとす、此の黒闇の人豈に道を論ずべけんや」等云云。  
文の心は、設ひ世をいとひて出家遁世して山林に身をかくし、名利名聞をたちて一向に後世を祈る人人も、法華経の大乗をば修行せずして権教下劣の乗につきたる名号等を唱ふるを、瓦礫を明珠なんどと思ひたる僻人に譬へ、闇き悪道に行くべき者と書れて侍るなり。  
弘決の一には妙楽大師善住天子経をかたらせ給て、法華経の心を顕はして云く「法を聞て謗を生じ地獄に堕するは恒沙の仏を供養する者に勝る」等云云。  
法華経の名を聞てそしる罪は、阿弥陀仏・釈迦仏・薬師仏等の恒河沙の仏を供養し名号を唱ふるにも過ぎたり。  
されば当世の念仏者の念仏を六万遍・乃至十万遍申すなんど云へども、彼にては終に生死をはなるべからず。  
法華経を聞くをば千中無一雑行未有一人得者なんど名けて、或は抛よ、或は門を閉じよ、なんど申す謗法こそ設ひ無間大城に堕るとも、後に必生死は離れ侍らんずれ。同くは今生に信をなしたらばいかによく候なん。  
問ふ、世間の念仏者なんどの申す様は、此身にて法華経なんどを破する事は争か候べき。念仏を申すも、とくとく極楽世界に参て法華経をさとらんが為なり。  
又或は云く、法華経は不浄の身にては叶ひがたし、恐れもあり。念仏は不浄をも嫌はねばこそ申し候へ、なんど申すはいかん。  
答て云く、此の四五年の程は、世間の有智無智を嫌はず此の義をばさなんめりと思て過る程に、日蓮一代聖教をあらあら引き見るに、いまだ此の二義の文を勘へ出さず。  
詮ずるところ、近来の念仏者並に有智の明匠とおぼしき人人の、臨終の思ふやうにならざるは是大謗法の故なり。  
人ごとに念仏申して、浄土に生れて法華経をさとらんと思ふ故に、穢土にして法華経を行ずる者をあざむき、又行ずる者もすてて念仏を申す心は出来るなりと覚ゆ。謗法の根本此の義より出たり。  
法華経こそ此の穢土より浄土に生ずる正因にては侍れ。念仏等は未顕真実の故に、浄土の直因にはあらず。  
然るに浄土の正因をば極楽にして、後に修行すべき物と思ひ、極楽の直因にあらざる念仏をば浄土の正因と思ふ事僻案なり。  
浄土門は春沙を田に蒔て秋米を求め、天月をすてて水に月を求るに似たり。人の心に叶て法華経を失ふ大術、此の義にはすぎず。  
次に不浄念仏の事。一切念仏者の師とする善導和尚・法然上人は、他事にはいわれなき事多けれども、此の事にをいてはよくよく禁められたり。  
善導の観念法門経に云く「酒肉五辛を手に取らざれ、口にかまざれ。手にとり口にもかみて念仏を申さば、手と口に悪瘡付くべし」と禁め、法然上人は起請を書て云く「酒肉五辛を服して念仏申さば予が門弟にあらず」云云。  
不浄にして念仏を申すべしとは当世の念仏者の大妄語なり。  
問て云く、善導和尚・法然上人の釈を引くは彼の釈を用るや否や。答て云く、しからず。念仏者の師たる故に、彼がことば己が祖師に相違するが故に、彼の祖師の禁めをもて彼を禁るなり。例せば世間の沙汰の彼が語の彼の文書に相違するを責るが如し。  
問て云く、善導和尚・法然上人には何事の失あれば用ひざるや。答て云く、仏の御遺言には、我が滅度の後には四依の論師たりといへども、法華経にたがはば用ふべからずと、涅槃経に返す返す禁め置かせ給て侍るに、法華経には我が滅度の後末法に諸経失せて後、殊に法華経流布すべき由一所二所ならず、あまたの所に説かれて侍り。随て天台・妙楽・伝教・安然等の義に此事分明なり。  
然るに善導・法然、法華経の方便の一分たる四十余年の内の未顕真実の観経等に依て、仏も説かせ給はぬ我が依経の読誦大乗の内に法華経をまげ入れて、  
還て我が経の名号に対して読誦大乗の一句をすつる時、法華経を抛てよ、門を閉じよ、千中無一なんど書て侍る僻人をば、眼あらん人是をば用ふべしやいなや。  
疑て云く、善導和尚は三昧発得の人師、本地阿弥陀仏の化身、口より化仏を出せり。法然上人は本地大勢至菩薩の化身、既に日本国に生れては念仏を弘めて、頭より光を現ぜり。争か此等を僻人と申さんや。  
又善導和尚・法然上人は汝が見る程の法華経並に一切経をば見給はざらんや。定めて其の故是あらんか。  
答て云く、汝が難ずる処をば世間の人人定めて道理と思はんか。是偏に法華経並に天台・妙楽等の実経実義を述べ給へる文義を捨て、善導・法然等の謗法の者にたぼらかされて、年久くなりぬるが故に思はする処なり。  
先ず通力ある者を信ぜば、外道・天魔を信ずべきか。或る外道は大海を吸干し、或る外道は恒河を十二年まで耳に湛へたり。第六天の魔王は三十二相を具足して仏身を現ず。  
阿難尊者、猶魔と仏とを弁へず。善導・法然が通力いみじしというとも、天魔・外道には勝れず。其の上仏の最後の禁しめに、通を本とすべからずと見えたり。  
次に善導・法然は一切経、並に法華経をばおのれよりも見たりなんどの疑ひ、是れ又謗法の人のためには、さもと思ひぬべし。  
然りといへども、如来の滅後には先の人は多分賢きに似て、後の人は大旨ははかなきに似たれども、又先の世の人の世に賢き名を取てはかなきも是あり。  
外典にも、三皇・五帝・老子・孔子の五経等を学て賢き名を取れる人も、後の人にくつがへされたる例是れ多きか。  
内典にも又かくの如し。仏法漢土に渡て五百年の間は明匠国に充満せしかども、光宅の法雲・道場の恵観等には過ぎざりき。  
此等の人人は名を天下に流し、智水を国中にそそぎしかども、天台智者大師と申せし末の人、彼の義どもの僻事なる由を立て申せしかば、初には用ひず。  
後には信用を加へし時、始めて五百余年の間の人師の義どもは僻事と見えしなり。  
日本国にも仏法渡て二百余年の間は、異義まちまちにして、何れを正義とも知らざりし程に、伝教大師と申す人に破られて、前二百年の間の私義は破られしなり。  
其の時の人人も当時の人の申す様に、争か前前の人は一切経並に法華経をば見ざるべき。  
定めて様こそあるらめ、なんと申しあひたりしかども叶はず。経文に違ひたりし義どもなれば終に破れて止みにき。  
当時も又かくの如し。此の五十余年が間は、善導の千中無一、法然が捨閉閣抛の四字等は、権者の釈なればゆへこそあらんと思て、ひら信じに信じたりし程に、  
日蓮が法華経の或は悪世末法時、或は於後末世、或は令法久住等の文を引きむかへて相違をせむる時、我が師の私義破れて疑ひあへるなり。  
詮ずるところ、後五百歳の経文の誠なるべきかの故に、念仏者の念仏をもて法華経を失ひつるが、還て法華経の弘まらせ給ふべきかと覚ゆ。  
但し御用心の御為に申す。世間の悪人は魚鳥鹿等を殺して世路を渡る。此等は罪なれども仏法を失ふ縁とはならず。懺悔をなさざれば三悪道にいたる。  
又魚鳥鹿等を殺して売買をなして善根を修する事もあり。此等は世間には悪と思はれて遠く善となる事もあり。  
仏教をもつて仏教を失ふこそ失ふ人も失ふとも思はず。只善を修すると打ち思て、又そばの人も善と打ち思てある程に、思はざる外に悪道に堕つる事の出来候なり。  
当世には念仏者なんどの日蓮に責め落されて、我が身は謗法の者なりけりと思ふ者も是あり。聖道の人人の御中にこそ実の謗法の人人は侍れ。  
彼の人人の仰せらるる事は、法華経を毀る念仏者も不思議なり、念仏者を毀る日蓮も奇怪なり。  
念仏と法華とは一体の物なり。されば法華経を読むこそ念仏を申すよ、念仏申すこそ法華経を読むにては侍れと思ふ事に候なりと、かくの如く仰せらるる人人、聖道の中にあまたをはしますと聞ゆ。  
随て檀那も此の義を存じて、日蓮並に念仏者をおこがましげに思へるなり。先日蓮が是れ程の事をしらぬと思へるははかなし。  
仏法漢土に渡り初めし事は後漢の永平なり。渡りとどまる事は唐の玄宗皇帝開元十八年なり。  
渡れるところの経律論五千四十八巻、訳者一百七十六人。其の経経の中に、南無阿弥陀仏は即南無妙法蓮華経なりと申す経は、一巻一品もおはしまさざる事なり。  
其の上、阿弥陀仏の名を仏説き出し給ふ事は、始め華厳より終り般若経に至るまで、四十二年が間に所所に説かれたり。但し阿含経をば除く。一代聴聞の者是を知れり。  
妙法蓮華経と申す事は、仏の御年七十二、成道より已来四十二年と申せしに、霊山にましまして無量義処三昧に入り給ひし時、  
文殊・弥勒の問答に過去の日月燈明仏の例を引て、我燈明仏を見る乃至法華経を説かんと欲すと先例を引きたりし時こそ、南閻浮提の衆生は法華経の御名をば聞き初めたりしか。  
三の巻の心ならば、阿弥陀仏等の十六の仏は昔大通智勝仏の御時、十六の王子として法華経を習て、後に正覚をならせ給へりと見えたり。  
弥陀仏等も凡夫にてをはしませし時は、妙法蓮華経の五字を習てこそ仏にはならせ給て侍れ。全く南無阿弥陀仏と申して正覚をならせ給ひたりとは見えず。  
妙法蓮華経は能開なり。南無阿弥陀仏は所開なり。能開所開を弁へずして、南無阿弥陀仏こそ南無妙法蓮華経よと物知りがほに申し侍るなり。  
日蓮幼少の時、習ひそこなひの天台宗真言宗に教へられて、此の義を存じて数十年の間ありしなり。是れ存外の僻案なり。  
但し人師の釈の中に、一体と見えたる釈どもあまた侍る。彼は観心の釈か。  
或は仏の所証の法門につけて述たるを、今の人弁へずして、全体一なりと思て、人を僻人に思ふなり。御けい迹あるべきなり。  
念仏と法華経と一つならば、仏の念仏説かせ給ひし観経等こそ如来出世の本懐にては侍らめ。  
彼をば本懐ともをぼしめさずして、法華経を出世の本懐と説かせ給ふは、念仏と一体ならざる事明白なり。  
其の上多くの真言宗・天台宗の人人に値ひ奉て候し時、此の事を申しければ、されば僻案にて侍りけりと申す人是れ多し。  
敢て証文に経文を書て進ぜず候はん限りは御用ひ有るべからず。是こそ謗法となる根本にて侍れ。あなかしこ・あなかしこ。  
日蓮花押 
親鸞聖人が名号を本尊とされた根拠は何か 13 
浄土真宗の正しい御本尊は、木像や絵像ではなく名号であることを、親鸞聖人は、何を根拠に教えられているのか、学びたいと思います。  
親鸞聖人ご自身、生涯、名号のみを本尊とせられています。また弟子や同朋たちにもお勧めになったという事実は、種々の記録によって明らかです。  
「本尊なおもって『観経』所説の十三定善の第八の像観より出でたる丈六八尺随機現の形像をば、祖師あながちに御庶幾御依用にあらず。天親論主の礼拝門の論文、すなわち「帰命尽十方無碍光如来」をもって真宗の御本尊とあがめましましき」(改邪鈔)  
“親鸞聖人は、生涯、木像や絵像を本尊とされず、名号を御本尊となされた”  
これは、親鸞聖人が木像や絵像を本尊となされず、名号のみを真宗の御本尊となされたという、覚如上人のお言葉です。  
そのほか、『慕帰絵詞』の中に、「他の本尊をばもちいず、無碍光如来の名号ばかりをかけて、一心に念仏せられけるとぞ」(慕帰絵詞)  
“親鸞聖人は、絵像・木像を本尊とされず、名号ばかりを掛けて御本尊となされた”  
と記されていることでも明白です。また、『弁述名体鈔』の中に存覚上人(覚如上人の長子)も、  
「みな弥陀一仏の尊号なり」(弁述名体鈔)  
“親鸞聖人の礼拝された御本尊は、みな南無阿弥陀仏の名号であった”と、その事実を裏付けておられます。  
何よりも明らかなことは、聖人ご真筆の名号が幾体も現存しているということです。  
これら、ご真筆の名号には、蓮台を描き「愚禿親鸞敬信尊号」と明記され、裏書には「方便法身尊号」とありますから、聖人ご自身が本尊として、敬信なされていたことは明らかです。  
それはただ聖人のみではなく、直弟子たちにも御本尊として授与されたことも推測されます。  
しかもこのように、木像や絵像本尊を排して名号本尊となされたのは、親鸞聖人が最初であったのです。  
これは決して、時代背景とか、住居の影響とかというような、枝葉末節の問題で聖人がなされたものでは断じてないのです。  
親鸞聖人が名号を本尊となされたのは、実に、仏教の至極である釈尊の「本願成就文」(釈迦が、阿弥陀仏の本願の真意を分かりやすく解説されたもの)の「聞其名号」の教えによってなされたことであったのです。  
「本願成就文」の教えは、弥陀の本願の極意であり、釈迦出世の本懐であり、宗の淵源であり、凡夫往生の枢要であり、実に浄土真宗の肝腑・骨目の教えだと親鸞聖人は讃仰されているからです。  
その「本願成就文」には、「名号を聞信(「まことだった」と聞いて知らされること)する一念で絶対の幸福に救われる」と説き明かされています。それゆえに親鸞聖人は、それまで各寺院などで本尊とされていた、弥陀三尊の絵図(阿弥陀仏を中心に、左右に観音・勢至の菩薩が描かれている絵像)などをすべて撤廃されて、ただ名号を本尊となされたのです。  
この聖人の教えを無我に相承なされた蓮如上人は、浄土真宗の正しい本尊は、名号であることを、次のように鮮明に教えられています。  
「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」(御一代記聞書)  
“真実の弥陀の救いを知らない人たちは、名号よりも絵像(絵に描いた阿弥陀仏)がよい、絵像よりも木像本尊が有り難く拝めるからよいと言っている。だが親鸞聖人は、木像より絵像、絵像よりも名号が浄土真宗の正しい御本尊であると教えられている”  
他宗の木像や絵像本尊と比較して、浄土真宗の本尊は、南無阿弥陀仏の名号であることを明快に教示されています。  
私たちの根本に尊ぶべき、最も大事な御本尊ですから、両聖人の教えに従い進ませて頂きましょう。 
真盛上人と「十念名号」 14 
現在、大津市歴史博物館で「西教寺展」が開催されています。西教寺は天台真盛(しんせい)宗の総本山で、三重県からも檀家の人たちをはじめ多くの方々が見学に出掛けているようです。この宗派の基礎を築いた真盛上人は伊勢国の出身で、三重県内には真盛上人の開いた寺やゆかりの寺がたくさんあります。また、今年は彼の500 回忌に当たっていますので、真盛上人についてお話したいと思います。  
真盛は、嘉吉三年(1443)に現在の一志町大仰(おおのき)で生まれました。現在、大仰には明治時代に誕生寺として再興された寺院があり、その入口には昭和13年(1938)県指定史跡となった「真盛上人誕生地」の碑が建てられています。彼は、7歳のときから寺に入り、14歳で剃髪して真盛と名乗るようになりました。19歳から20年間、比叡山で厳しい修行に耐え、権大僧都(ごんのだいそうず)という地位まで登っています。僧侶として、言わばエリートコースに乗っていたわけですが、母の死をきっかけとして、自分自身の栄誉よりも、念仏による救いを説くことに生きがいを見い出したようです。伊勢をはじめ越前や河内にも足を伸ばし、百姓から将軍や天皇に至るまで、様々な人から慕われ、天皇からは上人と名乗ることを許されました。明応4年(1495)、53歳のとき伊賀の西蓮寺で亡くなり、ここに葬られました。  
真盛上人は、ひたすら念仏を唱えて救いを得ることを人々に説く一方、政治を行う者や僧侶には「無欲清浄」であることを求めました。そのころの南勢地方の権力者であった北畠氏を諫めたというエピソードが有名です。  
さて、三重県の中でも一志郡には真盛ゆかりの寺が特に多く、白山町にその中心となる成願寺があります。成願寺には真盛にまつわる数々の宝物が納められていますが、その中に「南無阿弥陀仏」と10回書いて、「真盛上人」と署名した軸が一幅あります。これは、「十念名号(じゅうねんみょうごう)」と呼ばれています。本来は僧侶と信者が互いに「南無阿弥陀仏」と10回唱えて、極楽往生の縁(えん)を結ぶのですが、病気などで真盛のもとに来ることのできない人もいます。そういった人たちにこの「十念名号」を授けて縁を結ばせたのです。これは他の宗派にはなく、真盛独自のものです。何通かの書状とともに「十念名号」という彼自身が書いたものが史料として今日に伝わったわけです。彼自身の文字を見ていると、当時の真盛と信者の姿が史料の向こうに浮かんでくるような気がします。 
六字名号の中に 15 
前回『南無阿弥陀仏』の六字のお名号(みょうごう)のなかに、仏さまの深いお慈悲と広大な智慧が全て含まれているということを書かせていただきました。そして、お念仏のはたらきは丁度「お薬」のように凡夫の我々に「称(とな)えやすく・たもちやすく」そして、飲みやすく、お六字の中に如来さまが入れてくださったとお話いたしました。  
今回も、もう少し俳句や詩のように短い文の中から、お念仏のみ教えに触れていただけるようなものをご紹介しましょう。  
○亡き父に 初雪ひらひら、今年もあなたが舞いおりました。両手のあいだで溶けてゆくお父さん  娘より        
○亡きお母さんへ 天国のお母さん宛ての手紙を燃やしましたから、煙が届いたら読みとって下さい。  
○妻へ 昔 君が「あなたに付いていきます」と言った。 今では、僕があなたに付いていってます。   
○誕生したわが子へ やあ。出てきたね。どうだいこの世界は。 しばらく一緒に生きてゆくんだよ。  
○私の愛犬へ ホントの私を知っているのは 他の誰よりもなによりも すて犬だったきみだと思う。  
○気の利いたセリフは言えないけれど、アメリカのニュースにお父さんの箸がとまるよ。 日本から  
○難病の貴方から、病気ばかりしてごめんねと言われ 母は涙が止まりませんでした。  
○私達の車が見えなくなるまで手をふる母。本当に「一人暮らしは気楽」ですか。  
○パパやママの老後はみなくていいから最後の三日間だけは、よろしたのむね。  
○三十の愚かな母は 三才のあなたと別れてから、一日も忘れはしない 柔らかなぬくもりを。  
○お父ちゃんのこと嫌ってた私が一番父の墓参りしてるなんて。  
○私が念仏を称えたから 往生できるのではない。私が口先で称えたぐらいで 往生できるはずがない。信じた本願の力で往生し。称名はご恩報謝となる。  
○わたしの生涯で、今日という日が一番若い日だ。今日の一日を大切に生きよう。  
○群集の中にいても、人は孤独である。家族だんらんの中にも、不安や恐怖がある。仏さまが見てござる、知ってござるで大安心。  
○子を亡くした母ほど悲しいものはない。亡き子にあやまり続け泣くことしかできない。親鸞さまは「母も子も浄土の慈悲で救われる」と。  
○年をとれば誰でもみんな多かれ少なかれ障害者になる。失われた機能をなげくより、残された機能を活用しよう。たとえ身体が不自由でも、報恩のお念仏は忘れずに。  
○「いのち」は孤独である。一人で生まれ一人で死ぬ。家族みんなで暮らしても、心も身体も別々である。お念仏で心をつなぎ、同じ浄土で再会しよう。  
以上のように短文・詩・俳句といった短い文のなかには大変深い意味があり、哲学があり、宗教があるということを学びました。  
そして、結論として「六字のお名号」のなかには阿弥陀如来さまの十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)を救うという本願と、法蔵菩薩(阿弥陀仏)さまの五功(ごこう)という永いあいだの修業の結晶がふくまれているのです。このことに目覚めさせていただくことが「信心」であります。宗祖親鸞聖人は「唯念仏(ただねんぶつ)」してと、お諭(さと)し下さいました。合掌 
執持名号 16 
『小経』修因段について宗祖は准知隠顕の釈をなされた。隠顕釈による執持名号の釈意を明らかにする。  
出拠  
・『阿弥陀経』修因段  
「聞説阿弥陀仏 執持名号 若一日(中略)若七日一心不乱」(『真聖全一、六九)等。  
・『本典』「化身土文類」本、  
「経言執持亦言ー心 執言彰心堅牢而不移転也 持言名不散不失也 一之言者名無二之言也 心之言者名真実」(『同』二、一五七)等。  
・『略典』(『同』二、四五三)  
・「化身土文類」本、狐山『疏』の文(『同』二、一六二)  
・(関連文)  
「易行品」(『同』一、二五八)、  
『往生礼讃』後序(『同』一、六八三)、  
『法事讃』(『同』一、五九七)、  
『往生要集』下末の往生階位(『同』一、八九八)、  
『漢語灯録』(小経釈)(『同』四、三六六)、  
『唯信鈔文意』(『同』二、六四九)  
釈名  
「化身土文類」に「執は心堅牢にして移転せず、持は不散不失に名づく」とあり、『略文類』もほぼ同じ。狐山智円の『阿弥陀経義疏』には「執は執受、信力の故に執受にして心に在り。持は住持、念力の故に住持して忘れず」と釈す。要するに、執持の「執」とは堅固如実に名号を領受し、「持」とは憶持して忘れず相続するの義である。「名号」は南無阿弥陀仏、本願成就の果名であり、所聞所信所称の法体をあらわす。  
義相  
一、化身土文類の釈  
『小経』所説の執持名号を、宗祖は『本典』「化身土文類」真門釈に解釈されている。そこには、准知隠顕、嫌貶開示の釈がなされてある。よって、執持名号義をも隠・顕の二釈をもって解釈するのである。  
二、准知隠顕の釈義  
准知隠顕とは、「『観経』に准知するに、この『経』にまた顕彰隠密の義あるべし」と示し、「顕といふは、経家は一切諸行の少善を嫌貶して、善本徳本の真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む」等とし、「彰といふは、真実難信の法を彰す。これすなはち不可思議の願海を光闡して、無礙の大信心海に帰せしめんと欲す」とお示しである。『観経』に隠顕釈がみられるように、『阿弥陀経』も『観経』に准知して、この修因段に隠顕釈を用いられる。直接的には『観経』の下三品の念仏と付属の持名に准知する。即ち『小経』の修因段に「不可以少善根」は『観経』の諸行を指し、『小経』は多善根多福徳の念仏を説くとするが、受持する機に熟未熟があり、熟機は直ちに他力仏願の念仏に入るが、未熟の機は諸行を廃しても自力心の機執をもって名号を修する故に自力称名となる。これが顕説の真門自力念仏である。『観経』の定散心に准知して顕説真門を見てゆくのである。『小経』に説く依正二報は真実であるが、この修因段のみ隠顕がみられるのは、多善根の念仏をすすめ、一日七日の念仏の功を策励する行業と、臨終来迎の益が説かれているからである。  
三、嫌貶開示の釈義  
嫌貶開示とは、顕説の所談で、一切諸行の少善根を嫌貶して善本徳本の真門を開示すと述べられてある。宗祖が真門念仏とみられる根拠は『小経』の『襄陽石碑経』の「多善根多功徳多福徳因縁」の文である。一切諸行少善根を往生不可と嫌貶し、真門念仏を開示するについて疑難が生じる。即ち、諸行少善の不可得生は、真実の報土に対していわれるならば、真門自力念仏も不可得生といわねばならない。もし真門念仏は化土得生というならば諸行もまた化土得生である。化土に対すれば諸行を不可得生とはいえないからである。要するに、諸行は真土にのぞめて不可得生と説かれたものである。ただし、真門は真土にのぞめて開示するのではなく、名号は元来、頓教であるが、自力定散の機は、多善根功徳と執じて自力策励する漸機である。機の側から自力称名としている。仏はこの機執に関せず、信疑廃立もいわずして来迎の益をあらわす。故に真門と判ずる。これを世尊の意として「真門を開示し、自利の一心を励まして難思の往生を勧む」と判ぜられたのである。  
四、顕説の執持名号義  
執持名号の意義について、多く孤山の釈を基本に釈してある。要するに、執持を心念ととれば心に名号を憶念して忘れず、称名ととれば誦念して忘れず、若一日等はその行時を示すと、善導大師の『法事讃』(「化身土文類」引文)、『往生礼讃』及び源空上人の『小経釈』等、総じて執持名号は称名行として釈されている。  
宗祖は修因段に隠顕釈を用いて、執持名号にも隠顕の両釈がみられる。顕説の釈意によれば、執持名号とは第二十願の植諸徳本と同じく、自力心をもって名号を称念する意である。「化身土文類」に引かれる元照師の『義疏』に「もしこの経によりて名号を執持せば、決定して往生せん。すなはち知んぬ、称名はこれ多善根・多福徳なり」と、自力の信は多善根多功徳の名号を憶持して忘れず、一日七日と策励していく相をいう。執持は口業に持(たも)つの義であり、顕説自力の信は起行の一心であって下の一心不乱と同じ。念々策励して、修する一心なるが故に「自利の一心を励まして難思往生を勧む」と示されたのである。  
五、隠彰の執持名号義  
次に隠顕の釈義は宗祖は真実難信之法、無碍の大信海と示してすべて信心に約して明かされる。故に執持と一心と同義とし、執は心、堅牢にして移転せず。持は不散不失に名づく。一は無二、心は真実と解釈される。宗祖が「化身土文類」や『略典』に信に約されたのは信心為本の宗義を開顕するについて執持を即一心と釈顕されたのである。信行は本来不離であって『往生要集』の釈は能修の心より「執心牢固なれば定んで極楽国に生ず」と示された。  
要するに、信に約すれば一心に同じ。若一日若七日は信相続というべく、七日に限らない。行に約すれば若一日乃至七日の称名をあらわす。ただし、上の「聞説」は名号を領受したる執持の一心なりと顕す隠顕釈に明示されている。 
真宗では名号が一番よい 17 
こう言っています。  
他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり  
当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり (蓮如上人御一代記聞書)  
について考えていきます。  
この文証に親鸞会解説で、「他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」と記されている。  
これは、蓮如上人が浄土真宗の正しい御本尊を明示なされた御言葉である。即ち、真実の仏法が分からない他流の者達は、御名号(南無阿弥陀仏のこと)よりは絵像がよい、という。また、絵像よりは金ピカの木像が、もっともよいと木像を本尊としているが、それは、本当の仏法が分からない連中のやっていることだ。  
 
親鸞聖人は、それとは全く反対に、金ピカの木像よりは絵像の方がましだ。絵像よりも御名号を本尊とするのが最も正しい。(白道燃ゆ)  
とあり、比較相対で論じています。つまりこの文証は、「真宗では木像<絵像<名号であるから名号が一番良い」ということで、「名号が一番良いのだ」とは言われているものの、「木像や絵像ではダメだ」とする文証とは言えないのではないでしょうか。 (ブログ)  
 
せっかく蓮如上人が懇切丁寧に、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と比較相対し、優劣可否をつけられて、「だから真宗の御本尊は、名号が一番よい」と教えておられるのに、それでも、この人は、「木像絵像でもよいのだ」とするワケですね。これだけでもう、なにをか言わんや、というべきでしょう。  
蓮如上人が、「真宗では名号が一番よいのだ」と言われたお言葉であるということを、ハッキリと認めながら、どうして、ブログで「本尊は名号でなくてもいいのだ」と、これほどまでに強弁しなければならないのか。蓮如上人が、「他流の本尊だ」と言われている「絵像や木像」に、どうして「それでもいいじゃないか」「ダメとは言われてないだろう」などと固執するのか。  
蓮如上人の仰せに従う気が、はじめからないようです。 
 
六字名号

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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