口説き・盆踊り唄

鈴木主水国定忠次那須与一源平軍談佐倉宗吾小栗判官見真大師幸関主水賽の河原三太朝日長者愛本粽石童丸伊呂波(いろは)魚津小町魚津蛇石伊勢屋安珍清姫阿南清兵衛権三おもよ八丈島葛の葉の子別れ浦里時次郎えびやお吉清三お染久松おかる伝蔵豊姫君松治八百屋お七おすみ与十秀浦盆踊り由来盂蘭盆経目連尊者政岡忠義牡丹長者兵佐平井権八小紫番町皿屋敷二孝女中将姫雪責新保広大寺お為半蔵お千代義平河原地蔵お塩亀松松前朽網長者順平お市白滝七島由来志賀団七孝子平助兄妹心中鬼神お松俊徳丸尻取炭焼き小五郎高熊山由来勢場ヶ原合戦達也帯刀伝平親鸞聖人巡礼お鶴巡礼糸島弥一お糸三佐切口説淀の川瀬与勘兵衛ほんかいな繁盛づくし数え唄花扇お染大津絵浮名大門智慧のうみやま道南新磯節木崎音頭五郎正宗孝子伝乃木将軍と辻占売り茂衛門越後地震お民半蔵中山心情 

郡上盆踊り唄 / やっちく(郡上義民伝)かわさき三百げんげんばらばらさわぎ春駒甚句古調かわさき猫の子まつさか 
諸唄 / 越中おわら節歓喜嘆日田義民伝づくし祭文流し川崎・・・
 
口説きの系譜

雑学の世界・補考   

   
鈴木主水口説き

花のお江戸のそのかたわらに さしもめずらし人情くどき  
ところ四谷の新宿町よ 紺ののれんに桔梗の紋は  
音に聞こえし橋本屋とて あまた女郎衆のあるその中に  
お職女郎衆の白糸こそは 年は十九で当世育ち  
愛嬌よければ皆人様が われもわれもと名ざしてあがる  
あけてお客はどなたと聞けば 春は花咲く青山へんの  
鈴木主水という侍よ 女房もちにて二人の子供  
五つ三つはいたずらざかり 二人子供のあるその中で  
今日も明日もと女郎買いばかり 見るに見かねて女房のお安  
ある日わがつま主水に向かい これさわがつま主水様よ  
私は女房で妬くのじゃないが 子供二人は伊達にはもたぬ  
十九二十の身であるまいに 人に意見も言う年頃に  
やめておくれよ女郎買いばかり 如何にお前が男じゃとても  
金のなる木はもちゃしゃんすまい  
どうせ切れ目の六段目には つれて逃げるか心中するか  
二つ三つの思案と見える しかし二人の子供がふびん  
子供二人と私の身をば 末はどうする主水様よ  
言えば主水は腹うちたてて 何をこしゃくな女房の意見  
おのが心でやまないものは 女房位の意見でやまぬ  
きざなそちより女郎衆が可愛い それがいやなら子供をつれて  
そちのお里へ出て行かしゃんせ あいそつかしの主水様よ  
そこで主水はこやけになりて 出でて行くのが女郎買い姿  
あとにお安は気くやしやと いかに男の我がままじゃとて  
死んで見せよと覚悟はすれど 五つ三つの子にひかされて  
死ぬに死なれず嘆いてみれば 五つなる子はそばへと寄りて  
これさ母さんなぜ泣かしゃんす 気しょく悪けりゃお薬上がれ  
どこぞ悪くばさすりてあげよ 坊やが泣きます乳下さんせ  
言えばお安は顔ふり上げて どこもいたくて泣くのじゃないが  
おさなけれども良く聞け坊や あまり父さん身持ちが悪い  
身持ち悪けりゃ暮らしに難儀 意見いたせばこしゃくなやつと 
たぶさつかんでちょうちゃくなさる さても残念夫の心  
自害しようと覚悟はすれど あとに残りしわしらがふびん  
どうせ女房の意見でやまぬ いっそ頼んで意見をせんと  
さればこれから新宿町の 女郎衆に頼んで意見をしようと  
三つなる子をせなにとかかえ 五つなる子の手を引きつれて  
いでて行くのはさもあわれさよ 行けば程なく新宿町よ  
店ののれんに橋本屋とて 見れば表に主水がぞうり  
それと見るなり小しょくをよんで わしはこちらの白糸さんに  
どうぞ会いたいあわせておくれ あいと小しょくは二階へ上がり  
これさ姉さん白糸さんよ どこの女中か知らない方が  
何かお前に用ありそうに 会ってやらんせ白糸さんよ  
言えば白糸二階を下る わしをたずねる女中というは  
お前さんかね何用でござる 言えばお安は始めてあいて  
わしは青山主水が女房 おまえ見かねて頼みがござる  
主水身分はつとめの身分 日々のつとめをおろそかにすれば  
末はご扶持もはなれるほどに ことの道理を良くきき分けて  
どうぞわがつま主水様に 意見なされて白糸さんよ  
せめてこの子が十にもなれば 昼夜上げづめなさしょうとままに  
又は私が去りたる後に お前女房にならんすとても  
どうぞそののち主水様に 三度来たなら一度は上げて  
二度は意見をして下さんせ 言えば白糸言葉につまり  
わしはつとめの身の上なれば 女房もちとはゆめさえ知らず  
ほんに今まで懇親なれど さぞやにくかろお腹も立とが  
わしもこれから主水様に 意見しましょとお帰りなされ  
言って白糸二階に上がり お安安堵の顔色浮かべ  
上の子供の手を引きながら あとで二人の子供をつれて  
お安我が家にはや帰られる  
御職戻りて両手をついて ついに白糸主水に向かい  
お前女房が子供をつれて わしさ頼みに来ました程に  
今日はお帰りとめてはすまじ 言えば主水にっこと笑い  
おいておくれよ久しいものよ ついにその日もいつづけなさる  
待てど暮らせど帰りもしない お安子供を相手といたし  
もはやその日もはや明けければ 支配よりお使いありて  
主水身持ちがほうらつゆえに 扶持も何かも召しあげられる  
あとでお安は途方にくれて あとに残りし子供がふびん  
思案しかねて当惑いたし 扶持にはたしてながらえいれば  
馬鹿なたわけと言われるよりも 武士の女房じゃ自害もしようと  
二人子供をねかしておいて 硯とりよせ墨すり流し  
うつる涙が硯の水よ 涙とどめて書き置き致し  
白き木綿で我が身を巻いて 二人子供の寝たのを見れば  
可愛可愛で子に引かされて かくてはならじと気を取り直し  
おもい切刃を逆手に持ちて  持つと自害のやいばのもとに 
二人の子供はそれとも知らず  早や目をさましそばに寄りて  
三つなる子は乳にとすがり 五つなる子はせなにとすがり   
これさかあさんもしかあさんと おさな心でただ泣くばかり  
主水それとは夢にも知らず 女郎屋たちいでほろほろ酔いで  
女房じらしの小唄で帰り 表口より今もどりたと  
子供二人はかけだしながら 申し父さんお帰りなるか  
なぜか母さん今日にかぎり ものも言わずに一日おるよ  
ほんに今までいたずらしたが 御意はそむかぬのう父さま  
どうぞわびして下さいましと 聞いて主水は驚きいりて  
あいの唐紙さらりとあけて 見ればお安は血潮に染まり  
わしの心が悪いが故に 自害したかよふびんなものよ  
涙ながらに二人の子供 ひざに抱き上げかわいや程に  
なにも知るまいよく聞け坊や 母はこの世といとまじゃ程に  
言えば子供は死がいにすがり 申し母様なぜ死にました  
あたし二人はどうしましょうと なげく子供をふりすておいて  
旦那寺へと急いで行けば 戒名もろうて我が家へ帰り  
あわれなるかや女房の死がい こもに包んで背中にせおい  
三つなる子を前にとかかえ 五つなる子の手を引きながら  
行けばお寺でほうむりなさる ぜひもなくなく我が家へ帰り  
女房お安の書き置き見れば 余りつとめのほうらつ故に  
扶持もなんにもとり上げられる 又も門前払いと読みて  
さても主水は仰天いたし 子供泣くのをそのままおいて  
急ぎ行くのは白糸方へ これはおいでか主水様よ  
したが今宵はお帰りなされ 言えば主水はその物語  
えりにかけたる戒名を出して 見せりゃ白糸手に取り上げて  
わしの心がほうらつ故に お安さんへも自害をさせた  
さればこれから三途の川も お安さんこそ手を引きますと  
主水も覚悟を白糸とどめ わしとお前と心中しては  
お安さんへの言いわけ立たぬ 言へば白糸主水に向ひ  
お前死なずに永らえさんせ 二人子供を成長させて 
回向頼むよ主水様よ 言うて白糸一間に入りて  
あまた朋輩女郎衆をまねき 譲りあげたる白糸が品  
やれば小春は不思議に思い これさ姉さん白糸さんよ  
今日にかぎりて譲りをいたし それにお顔もすぐれもしない  
言えば白糸良く聞け小春 わたしゃ幼き七つの年に  
人に売られて今この里に つらいつとめもはや十二年  
つとめましたよ主水様に 日頃三年懇親したが  
こんどわし故ご扶持もはなし 又は女房の自害をなさる  
それに私が生き永らえば お職女郎衆の意気地が立たぬ  
死んで意気地を立てねばならぬ 早くそなたも身ままになりて  
わしの為にと香・花たのむ 言うて白糸一間に入りて  
口の中にてただ一言 涙ながらにのうお安さん  
私故こそ命を捨てて さぞやお前は無念であろが  
死出の山路も三途の川も 共に私が手を引きましょう  
南無という声この世の別れ あまた朋輩寄り集まりて  
人に情けの白糸さんが 主水さん故命を捨てる  
残り惜しげに朋輩達が 別れ惜しみて嘆くも道理  
今は主水もせんかたなしに しのびひそかに我が家に帰り  
子供二人に譲りをおいて すぐにそのまま一間に入りて  
重ね重ねの身のあやまりに 我と我が身の一をさ捨てる  
子供二人はとり残されて 西も東もわきまえ知らぬ  
幼心はあわれなものよ あまた心中もあるとはいへど   
義理を立てたり意気地を立てる  
心おうたる三人共に 心中したとはいと珍しや   
さても哀れな二人の子供 見れば世間のどなた様も   
三人心中の噂をなさる 二人子供は路頭に迷う   
これも誰ゆえ主水が故よ 哀れなるかや二人の子供   
聞くもあわれな話でござる 
 
国定忠次1

 

今度珍し侠客口説き 国を詳しく尋ねて聞けば 
国は上州吾妻郡 音に聞こえし国定村よ 
そのや村にて一二と言われ 地面屋敷も相応なもので 
親は忠兵衛という百姓で 二番息子に忠次というて 
力自慢で武術が好きで 人に勝れし剣術なれば 
親は見限り是非ないことと 近所親類相談いたし 
地頭役所へお願いなさる 殿の御威光で無宿となりて 
近所近辺さまよい歩き ついに博徒の親分株よ 
子分子方もその数知れず 一の子分は日光無宿 
両刀遣いの円蔵というて 二番子分は甲州無宿 
甲斐の丘とて日の出の男 それに続いて朝おき源五 
またも名高き坂東安二 これが忠次の子分の中で 
四天王とて呼ばれし男 頃は弘化の丙の午の 
秋の頃より大小屋かけて 夜の昼のも分かちはなくて 
博打渡世で月日を送る 余り悪事が増長ゆえに 
今はお上のお耳に入りて 数多お手先その数知れじ 
上意上意とその声高く 今は忠次も身も置き所 
是非に及ばず覚悟を決めて 子分子方も同意の覚悟 
鉄砲かついで長脇差で 種子島へと火縄をつけて 
三ツ木山にて捕手に向かい 命限りの働きなどと 
忠次付き添う女房のお町 後に続いて妾のお鶴 
どれも劣らぬ力量なものよ 髪は下髪長刀持って 
今を限りと戦うなれど 子分四五人召し取られては 
今は忠次も早たまらじと 危うけれども覚悟を極め 
越後信濃の山越えしよと いずくともなく逃げよとすれど 
後に付き添う二人の女 命限りに逃げ行くほどに 
今度忠次の逃げ行く先は 国はいずこと尋ねて聞けば 
これも東国上州なれど 赤城山とて高山ござる 
駒も通わぬ鶯谷の 野田の森にと篭りて住めば 
またも役人不思議なことに 手先手先をお集めなされ 
頭忠次を召し捕らえんと 最寄最寄へ番小屋かける 
今は国定途方に暮れて 女房お町と妾に向かい 
たとえお上へ召し捕らわれて 重い刑罰厭いはせぬが 
残るこなたが不愍なままに さらばこれより国越えせんと 
残る子分の二人を連れて 音に聞こえし大戸の関所 
忍び忍びて信濃の国へ 忍び隠れて八年余り 
鬼も欺く国定なれど 運のつきかや病気が出でて 
今は是非なく故郷へ戻る 隣村にて五名井の村の 
後家のお徳に看病頼む この家お徳の以前というは 
日光道中玉村宿で 数多お客の勤めをすれど 
忠次さんには恩あるゆえに たとえこの身は何なるとても 
何ぞ病気を本復させて 元の体にひだててやろと 
神や仏に願望かけて 雨の降る日も風吹く夜も 
裸足参詣を致されまして 茶断ち塩断ち水垢離とって 
一所懸命祈ったけれど 天の罰かやお上に知れて 
御取り締まりのお手先衆は 上意上意の声かけられて 
女房妾や忠次にお徳 それに続いて子分に名主 
以上七人召し捕らわれて ついにこれらは軍鶏篭よ 
支度できたで厳しく守り 花のお江戸へ差し立てられる 
音に聞こえし国定忠次 江戸の役所でご詮議受けて 
余り吟味が厳しいゆえに 殊に病気の最中なれば 
是非に及ばず一つの悪事 これを白状致したゆえに 
関所破りのその咎めやら 木曽の道中臼井のうちで 
大戸ばんしの狼谷で 重いお仕置きかけられました 
これを見る人聞く人さんよ 男女子供の戒めよ 
 
国定忠治2 (八木節)

 

御来場なる  皆さん方え 
   平に御免を   蒙りまして 
   何か一席    読み上げまする 
   掛かる外題を  何よと聞けば 
   猫か鼠か    泣く子も黙る 
   鬼も恐れる   国定忠治 
   然らば此れから 
   読み上げまするがアーイサネー 
此処に忠治の  此の一代記 
   国は上州    佐波郡にて 
   音に聞こえた  国定村の 
   此の家忠治の  生い立ちこそは 
   親の代まで   名主を勤め 
   人に知られた  大身なれば 
   大事息子は   即ち忠治 
蝶よ花よと   育てるうちに 
   幼けれども   剣術柔 
   今はようよう  十五の歳に 
   人に勝れて   目録以上 
   明けて十六   春頃よりも 
   ちょいと縛えき 張り始めから 
   今日も明日も  明日も今日も 
日々毎日    縛えき渡世 
   遂に悪事と   無職が渡世 
   二十歳ばかりの 売り出し男 
   背は六尺    肉付きゃ太い 
   男伊達にて   真の美男 
   一の子分の   三ツ木の文蔵 
   それに続いて  数多の子分 
子分小方を   持ったと言えど 
   人に情の    慈悲善根の 
   感じ入ったる  若親方に 
   今は日の出に  魔が差したるか 
   二十五歳の   厄歳なれば 
   総て万事に   大事を取れど 
   丁度其の頃   無職の頭 
お聞き下さる  皆さん方え 
   後段続けて   読み度いけれど 
   先ずは此の度で 止め置きまして 
   又の御縁で 
   伺いまするがアーイサネー  
 
国定忠治3 (八木節)

 

ハァーまたも出ました三角野郎が 四角四面の櫓の上で  
音頭取るとはお恐れながら 国の訛りや言葉の違い 
お許しなさればオオイサネー  
さてもお聞きの皆様方へ チョイト一言読み上げまする  
お国自慢は数々あれど 義理と人情に命をかけて 
今が世までもその名を残す 男忠治のその生い立ちを 
 不弁ながらも読み上げまするが オオイサネー 
国は上州佐位郡にて 音に聞こえた国定村の  
博徒忠治の生い立ちこそは 親の代には名主をつとめ 
人に知られた大身なるが 大事息子が即ち忠冶  
蝶よ花よと育てるうちに 
幼なけれども剣術柔 今はようやく十五の年で  
人に優れて目録以上 明けて十六春頃よりも 
ちよっと博奕を張り始めから 今日も明日も明日も今日も  
日にち毎日博奕渡世 
負ける事なく勝負に強く 勝って兜の大じめありと  
二十才あまりの売り出し男 背は六尺肉付き太く 
器量骨柄万人優れ 男伊達にて真実の美男  
一の子分が三つ木の文蔵 
鬼の喜助によめどの権太 それに続いて板割浅太  
これが忠治の子分の中で 四天王とは彼らのことよ 
後に続いた数多の子分 子分小方を持ったと言えど  
人に情は慈悲善根の 
感じ入ったる若親方は 今は日の出に魔がさしたるか  
二十五才の厄年なれば すべて万事に大事をとれど 
丁度その頃無宿の頭 音に聞こえた島村勇  
彼と争うその始まりは 
かすり場につき三度も四度も 恥をかいたが遺恨のもとで  
そこで忠治は小首をかしげ さらばこれから喧嘩の用意 
いずれ頼むとつわ者ばかり 頃は午年七月二日  
鎖かたびら着込を着し 
さらばこれから喧嘩の用意 いずれ頼むとつわ者揃い  
頃は午年七月二日 鎖かたびら着込を着し 
手勢揃えて境の町で 様子窺う忍びの人数  
それと知らずに勇親方は 
それと知らずに勇親方は 五人連れにて馴染みの茶屋で  
酒を注がせる銚子の口が もげて盃みじんに砕け 
けちな事よと顔色変えて 虫が知らせかこの世の不思議  
酒手払ってお茶昼を出れば 
酒手払ってお茶屋を出れぱ いつに変ったこの胸騒ぎ  
さても今宵は安心ならぬ 左右前後に守護する子分 
道に目配ばせよく気を付けて 目釘しめして小山へかかる  
気性はげしき大親方は 
気性はげしき大親方は およそ身の丈け六尺二寸  
音に聞こえし怪力無双 運のつきかや今宵のかぎり 
あわれ命はもくずのこやし しかもその夜は雨しんしんと  
闇を幸い国定組は 
今は忠治は大音声で 名乗り掛ければ勇親方は  
聞いてニッコリ健気な奴ら 命知らずの蛆虫めらと 
互い互いに段平物を 抜いて目覚す剣の光り  
右で打ち込む左で受ける 
秋の木の葉の飛び散る如く 上よ下よと戦う内に  
運のつきかや勇親方は 胸をつかれて急所の痛手 
ひるむ所へつけ込む忠治 首をかっ切り勝鬨あげて  
しめたしめたの声諸共だが オオイサネー 
 
那須与一口説き1

 

その名振り出す下野の国 那須与一の誉れの的射 
背は小兵で候いけれど 積もる御年数えて十九 
さても所はいずくと問えば 四国讃岐の八島が浦で 
源氏平家の御戦いで 沖に平家の漕ぎ寄る舟に 
的に扇を立てさせ賜い 沖で平家が船縁叩きゃ 
灘で源氏は弓矢を鳴らす 九郎判官あれご覧じて 
与一与一と呼び出したもう 九郎判官かの義経は 
那須与一を御前に呼びて あれに立てたるかの扇をば 
敵と味方に見物させて 矢ごと通して射て放てやと 
与一元々正直者で 主のご意見嫌とは言えず 
聞いたばかりでお受けを申す 御前下がりて早立ち帰り 
与一その日は常とは違い 家人託しの錦を召して 
浅黄錦の直垂召して 白糸威しの鎧を召して 
陣屋威しの兜を召して 弓は重籐桐生の矢筈 
黒き名馬の駒引き寄せて 手綱かい繰りヒラリと乗りて 
小松原へと乗り入れたもう バサラバサラと波打ちぎわで 
駒を止めおき沖眺むれば 風は激しく波高くして 
的の扇は定まりもせず 与一その日の正願立ては 
南無や源氏の八幡様よ 力得させてかの扇をば 
射させ賜えと念願深く 神の御利益新たなものよ 
風は治まり波穏やかに 的の扇も遙かに見ゆる 
弓を手に取り矢筈をはめて 引いて放てば矢は過たず 
要所をムンズと射抜く 扇大事は要でござろ 
要打たれて骨パラパラと 的の扇は波間に落ちる 
潮に揉まれて早岸に着く 沖で平家が舟べり叩きゃ 
岸で源氏が弓矢を鳴らす 名誉誉れは世々多けれど 
与一功名限りはないぞ 勇み立ちたる平家の武者は 
怒り励みて押し寄せて来る 九郎判官かの義経は 
平家勢をばものともせずに 海の彼方に追いつめ立てる 
かよて判官弓をば落とし 潮に揉まれて流るるばかり 
そこのところが見えてか平家 己判官逃せはせじと 
平家方なる教経卿は 弓を手に取り矢筈をはめる 
既に判官げに危うけり そこの所に出でたる武士は 
花の小桜栗毛の駒に 手綱かい繰りひらりと乗りて 
軍所所に早や辿り着く これぞ若武者何人なるか 
言うも愚かや奥州の国 佐藤の庄司兄次信よ 
君が矢面立ちはだかりぬ 勇み立ちたる教経卿は 
弓に矢をつぎ矢筈をはめて 引いて放てば矢は過たず 
兄の次信胸板射抜く 平家方なるかの菊王は 
敵の首をばひとたりなりと 打って取らんと船から降りる 
弟忠信菊王を討つ そして忠信兄助けんと 
兄の元へと早駈けり着く 兄は射抜かれ血潮に染まり 
元が剛毅の兵なれば 弓に矢をつぎ二三度四五度 
引けど悲しや放たれもせず 目元霞んでうち臥しにけり 
弟忠信兄次信を 抱き揺りて声限りにと 
兄じゃ兄じゃと呼んではみても 兄の次信答えもしない 
月に群雲花には風か 命散らして八島が浦の  
海の藻屑となりにけり 
 
那須与一口説き2

 

月は清澄 日は満々と 驕り栄ゆる平家の御代も 
勇む源氏の嵐に揉まれ 散りて儚い平家の連よ 
四国讃岐の屋島の磯で 源氏平家の御戦いは 
七日七夜も戦うけれど どちらも勝負のつかざる故に 
平家方なる沖なる船に 的に扇を上げたる態は 
あれは源氏に射よとの的よ 源氏方には弓引きゃないか 
源氏方には弓引きゃ多い 亀井片岡駿河の次郎 
武蔵坊主の弁慶などが 我も我もと威勢を為せど 
的の扇は威勢じゃ落ちぬ 神や仏の功力でとらにゃ 
国は関東下野の国 那須八郎その三男に 
那須与一という侍は 形は小兵にござ候えど 
空に舞い散る鳥燕さえ 三羽狙えば二羽さえ落とす 
弓を取っては関八州で 並びないよな弓引き上手 
そこで与一は御前に呼ばれ 御用いかがと伺いければ 
与一呼んだは余の儀にあらず 与一あれ見よ沖なる船の 
出船入船また走る船 あれに扇を上げたる態は 
あれは源氏に射よとの的よ あれを一矢に射落とすなれば 
弓の天下を望みに取らす そこで与一は打ち喜んで 
与一いそいそ御前を下がる 我が座返りて仕度をなさる 
与一出でたち拵え見れば 黒の鎧に黒皮おどし 
黒の名馬にこしばる置いて 五尺貼りかな矢は十五束 
手綱かいとりユラリと乗りて 小松原かな波打ち際を 
しんどしんどと急がしければ 急ぎゃほどなく屋島の磯へ 
この日限りで屋島の磯は 風も激しく波高ければ 
的の扇が矢に定まらぬ そこで与一は祈誓をこめる 
西を向いては両手を合わせ 南無や八幡那須明神よ 
射させ給えよ扇を的を 神の功力があれ有難や 
要どころがありありわかる そこで与一は狙いを定め 
切って放せば扇の的は 要際よりぷつりと射切り 
風に吹かれて波間に落ちる 沖の平家は船端叩き 
陸の源氏は箙を鳴らす 至る与一と皆誉めそやす 
那須の高名数多かれど 与一高名まずこれかぎり 
 
那須与一口説き3 (屋島)

 

鹿に紅葉よ柳にほたる 花は盛況月まん丸と 
万里聞ゆる平家の花よ 強き源氏の嵐にもまれ 
讃州讃岐の嵐にもまれ 源氏平家の御戦に 
平家方なる沖なる船に 的に扇を上げさす者は 
二八ばかりの女と見ゆる 強き源氏に射れとの的よ 
さすが源氏は数多けれど 亀井 片岡 伊勢 駿河でも 
坊主弁慶腕さすれども あれを一矢で射をとす者は 
国は関東よ下野の国 那須の与一の誉の次第 
弓は一矢よ矢は満天と つもる御歳十九の春よ 
九郎判官義経公は 与一御用と御殿へ招く 
一の門越え二の門越えて 玄関口にて両手をつかえ 
御用如何にと伺いければ 与一殿とはそなたが事か 
御前呼んだはほかではないが 四国讃岐の屋島が磯で 
源氏平家の御戦いに どちも勝負のつかざる時に 
平家方なる沖なる船に 二八ばかりの女と見ゆる 
強き源氏に射れとの的よ 亀井 片岡 伊勢 駿河 
坊主弁慶腕さすれども あれを一矢で射るとは云わぬ 
あれを一矢で射落とすなれば 弓の天下を取らすぞ与一 
かしこまったと御殿を下る 急ぎ程なく我が家に帰る 
与一その日の出で装束は あやし錦や緋縅(ひおどし)鎧 
駒は奥州仙台の駒 駒にまたがり屋島をさして 
紺とウランに染分け手綱 急ぎほどなく屋島が磯よ 
小松中にと這入て見れば 風は激しく波高にと 
人間力でいかないものと 神の御利益願わんものと 
西を向いては両手を合わす 東を向いては両手を合わす 
先は我国氏神様と 讃州讃岐の金毘羅様と 
弓矢八幡那須大明神と 射らせ給へや扇の的と 
扇的なら誰しも射るが 射らせ給えや扇の要 
神の御利益あらたなものよ そこで波風穏やかなりて 
射って放せば扇の要 骨はばらばら紙散りじりと 
沖の平家は船端を叩く 岡の源氏はやんやと囃す 
やんさやんさと引き上げなさる 
 
那須与一口説き4

 

その名触れたる下野国 那須与一が誉れの次第 
形は小兵に御座候へど 積るその年十九歳にて 
矢をば一手に名を万天に のぼし給いし所は何処 
四国讃岐の屋島の磯で 源氏平家の御闘いに 
平家方より沖なる船に 的の扇を立てたる時に 
九郎判官此の由御覧 那須与一を御前に召され 
与一御前に相ひ詰めければ 時に判官宣ふやうは 
沖にたてたるあの扇をば 矢頃遠くに射落して 
敵や味方に見物させよ 畏まったとお受けを申し 
御前をこそは立ちにける 与一その日の出で立ち見れば 
赤地の綿を召され 白糸縅の鎧を着て 
弓は重藤切封の矢をば 御首肩裾襟掻き合わせ 
黒駒引き寄せゆらりと乗りて 小松原より波打ち際へ 
しんずしんずと歩ませければ 風は激しく波荒くして 
的の扇も定まらざれば 射打つべき様もなかりける 
与一暫く眼を塞ぎ 南無や八幡那須明神と 
力合わせてあの扇をば 射させ給へ願念深く 
例の鏑矢打ち継ゑつつ 切って放てば扇の的の 
要際をばふつと射切り 海舟港の水ぞ誉れぞ 
扇の的は 揉みに揉まれて海にと落つる 
射たり与一と誉めにける 沖の平家は船端叩く 
陸の源氏は箙を鳴らす 何れ功名は品々あれど 
戦さ半ばの見物事は 那須の功名と名の立つ 
ものよサァ いとど名の立つ 名の中に 
 
その名ふりだす下野の国 那須与一の誉れの次第 
背は小兵でそうらいけれど つもる御年数えて十九 
弓を引く手に矢おばん手にと 名乗りたまえや所はいずこ 
四国讃岐の八島が浦で 源氏平家の御戦いで 
沖に平家の漕ぎ寄る舟に 的に扇を立てさせ賜い 
沖で平家が船縁たたきゃ 灘で源氏は弓矢をならす 
九郎判官あれご覧じて 与一与一と呼び出したもう 
九郎判官かの義経は 那須与一を御前に呼びて 
あれに立てたるかの扇おば 敵と味方に見物させて 
矢ごととうして射て放てやと 与一元々正直者で 
主のご意見いやとは言えず 聞いたばかりでお受けを申す 
御前下がりて早立ち帰り 与一その日は常とは違い 
家人託しの錦を召して 浅黄錦のひたたれ召して 
白糸威しの鎧を召して 陣や威しの兜を召して 
弓は重籐桐生の矢ばみ 黒き名馬の駒引き寄せて 
たずなかい繰りヒラリと乗り手 小松原へと乗り入れたもう 
バサラバサラと波打ちぎわで 駒をとめおき沖眺むれば 
風は激しく波高くして 的の扇は定まりもせず 
与一その日の正願立ては 南無や源氏の八幡様よ 
力得させてかの扇おば 射させ賜えと念願深く  
神の御利益新たなものよ 風はおさまり波穏やかに  
的の扇もはるかに見える 弓を手に取り矢筈をはめて  
引いて放てば矢はあやまたず 要所をムンズと射抜く 
扇だいじは要でござろ 要打たれて骨パラパラと 
的の扇は波間に落ちる 潮にもまれて早岸に着く 
沖で平家が舟べりたたきゃ 岸で源氏が弓矢をならす 
名誉誉れはよよ多けれど 与一功名限りはないぞ 
勇み立ちたる平家の武者は 怒りはげみて押し寄せてくる 
九郎判官かの義経は 平家勢おばものともせずに 
海の彼方に追いつめたてる かよて判官弓をば落とし 
潮にもまれてながるるばかり そこのところが見えてか平家 
おのれ判官のがせはせじと 平家方なる教経卿は 
弓を手に取り矢はずをはめる すでに判官げに危うけり 
そこの所にいでたる武士は 花の小桜栗毛の駒に 
たずなかい繰りひらりと乗りて 軍所ところにはやたどり着く 
これぞ若武者なに人なるか 言うも愚かや奥州の国 
佐藤の庄司兄次信よ 君が矢面立ちはだかりぬ 
勇み立ちたる教経卿は 弓に矢をつぎ矢筈をはめて 
引いて放てば矢は過たず 兄の次信胸板射抜く 
平家方なるかの菊王は 敵の首おばひとたりなりと 
打ってとらんと船から下りる 弟忠信菊王をうつ 
そして忠信兄助けんと 兄の元へと早かけりつく 
兄は射抜かれ血潮に染まり 元が剛毅のつわものなれば 
弓に矢を次二、三度 四、五度 引けどかなしや放たれもせず 
目元かすんでうちふしにけり 弟忠信兄次信を 
いだき揺すりて声限りにと 兄じゃ兄じゃと呼んではみても 
兄の次信こたえもしない 月に群雲花には風か 
命散らして八島が浦の 海の藻屑となりにけり 
夕日沈みて戦も終わり 波はやさしく寄せては返す 
祇園精舎の鐘の声 沙羅双樹の花の色 
長者必滅の理を表す おごれる平家も久しからず 
ただ春の世の夢の如し ひとえに風の前の塵に同じ  
 
那須与一口説き5

 

手柄ずくしは 那須の国で 那須の与市と 云う侍は 
男小兵に ござ候へば 積もるおん年 今十九才 
残しおかれし 所を聞けば お国さぬきの 屋島が浦で 
源氏・平家の おんたたかいに 平家方なる 沖なる舟に 
的に扇が 立て供えある 九郎判官 あれごらん 
あれは源氏の 心見の的 あれを射落とす その人もなし 
与市ならでは 射落としゃすまい 与市御用と おん殿に召され 
与市御用と 聞くより早く 茶色はかまの ももだちとりて 
御用如何にと 伺いあれば 与市あれ見よ 沖なる舟に 
的に扇が 立て供えある あれを一矢で 射落とすなれば 
君の初名 一間に下り 一間さがりて 仕度にかかる 
下に着るのが 下ねり小袖 上に召すのが 万年さぐり 
帯は流行の 京博多おり 駒は奥州で 関東育ち 
明けて六歳 鹿毛なる駒よ 金のふくりん 京鞍おいて 
あさえたずなを 七重にとりて 急ぎ急ぎて 小松ケ原よ 
はるか彼方を すかして見れば 其の日屋島は 大西風で 
風がはげしゅて 波高くし そこで与市は 祈願をかける 
ここにまします 那須明神の 弓も刀も 上げますからにゃ 
しばしとどまれ 波風二つ 神の力か 波風静か 
中をねらうか かなめをねらうか かなめどころを 射てたべしゃんせ 
ひょうと放せば 平家の的の 扇はひらひら 海にと落ちる 
沖の平家は 舟べりたたき 陸の源氏は 御旗を立てて 
したりしたりと ほめそやしける 弓は袋に 刀はさやに 
納めおきます くらまのやまに 那須の与市と 鶴富くどき 
次の機会に致し 先ずこれまで 
武士であることを捨てた弓の名人、那須与一  
元暦2年(1185)2月19日、平家軍は四国屋島の入江に軍船を停泊させて海上からの源氏の攻撃に備えるも、源義経は牟礼・高松の民家に火を放ち、陸から大軍が来たかに見せかけて浅瀬を渡って奇襲攻撃をかけた。世にいう「屋島の戦い」の始まりである。平家軍は船で海に逃れるも、源氏の兵が少数であることを知り、態勢を立て直した後、海辺の源氏と激しい矢戦となる。  
夕暮れになって休戦状態となると、沖から一層の小舟が近づき、見ると美しく着飾った若い女性が、日の丸を描いた扇を竿の先端につけて立っていた。  
義経は弓の名手・那須与一を呼び、「あの扇の真中射て」と命ずる。平家物語巻第十一の「扇の的」の名場面である。  
「…これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に二度面を向かふべからず。今一度本国へ帰さんと思しめ召さば、この矢はづさせ給ふな」と、心の中に祈念して、目を見開いたれば、風も少し吹き弱つて、扇も射よげにこそなつたりけれ。輿一鏑を取つて つがひ、よつ引いてひやうど放つ。小兵といふ條、十二束三ぶせ、弓は強し、鏑は浦響く程に長鳴りして、あやまたず扇の要際、一寸許りおいて、ひいふつとぞ射切つたる。鏑は海へ入りければ、扇は空へぞ揚りける。春風に一揉み二揉みもまれ て、海へさつとぞ散つたりける。皆紅の扇の、夕日の輝くに、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬゆられけるを、沖には平家舷(ふなばた)をたたいて感じたり。陸には源氏えびらをたたいて、どよめきけり。…」  
平家軍の挑発を断れば源氏軍の士気は下がり、射損じては逆に平家軍を勢いづかせてしまう。失敗が許されない緊迫した場面で、那須与一は見事に扇の的を射抜くという話なのだが、この話を高校の古文の授業で読んだ時に、「本当にこんな話があるのだろうか」と疑問に思った。すでに屋島の戦いは始まっており、もう何人も討ち死にしている状況下にもかかわらずである。  
また平家物語では与一と扇の的までの距離は「七段ばかりあるらんとこそ見えたりけれ」とある。  
1「段」は6「間」で、1「間」は6「尺」。1「尺」は30.3cmであるから、7段は76.35mという計算になるが、こんな距離で波に揺られて動く的を射ぬけるのだろうか。この問題については、中世の頃の一段は9「尺」であったという説もあり、この説であれば19.09m程度の距離となる。  
どちらが正しいかよくわからないが、現在の弓道競技では遠的競技の射距離は60m、近的競技の射距離は28mなので、76.35mとすればかなり長く、一方19.09mでは近すぎて挑発にもならないような気がするので、射距離の問題は私は前者に軍配を上げておこう。  
しかし、そもそも何人も犠牲者の出ている戦いの最中に、こんな悠長な場面がありうるのだろうか。  
あまり知られてはいないが、平家物語では那須与一が扇の的を射抜いた後、その船の上で踊り始めた平家の武士をも射ぬいてしまうのだが、何故平家軍はこの時に那須与一に復讐をしなかったのか。  
那須与一の名前は後世の「軍記物」である「平家物語」や「源平盛衰記」には出てくるものの、「吾妻鏡」など同時代の史料には名前は出て来ないために、学問的には与一の実在すら証明できないとするものもある。  
私には、「平家物語」の那須与一の物語そのものが、後世の創作のように思えるのだ。那須与一が描かれている「平家物語」の成立時期は通説では1230年代とされ、作者すらわかっていない「平家物語」は「物語」ではあっても決して歴史書ではない。  
「吾妻鏡」にも書かれていない内容を、「平家物語」や「源平盛衰記」にあるからと歴史的真実だ考えることは危険ではないのか。  
ところで、平家物語巻第十一には、屋島の戦いの「扇の的」の場面で、那須与一は「二十許んの男子なり」と書かれている。いくら「物語」だとしても、年齢までは創作することはないだろう。  
那須与一という人物が源氏方の軍人にいたことは間違いないのだろうと思うが、それから後の那須与一についてはどうなったか。  
書に「頼朝の死後に赦免され那須に戻った後に出家して浄土宗に帰依し、源平合戦の死者を弔う旅を30年あまり続けた」と書いてある。なんと弓の名手は仏門に入ったのである。  
那須与一は浄土宗開祖法然の弟子になっていることが分かった。  
「…『那須記』の「那須与一」の項に、「落髪申致上洛…」と、出家して京都に行ったことが伝えられており、京都府ニ尊院所蔵の『源空七箇條起請文』という古文書に、那須与一が、「源蓮(げんれん)」という名で記されているという。彼は、1202(建仁2)年、34歳頃(推定年齢)に出家し、浄土宗を開いた法然に弟子入りし、その2年後には、早くも法然の高弟となったというのである。…」  
ちなみに浄土真宗を興した親鸞は同じ書に「綽空(しゃくくう)」という名で記されており、親鸞は与一の前年に法然のもとに入門しているので、与一とは一年違いの兄弟弟子にあたる。  
では、なぜ与一は仏門に入ったのであろうか。  
彼は義経の軍勢で活躍したが、義経は平家滅亡後に頼朝と不和になる。しかも、頼朝の腹心・梶原景時に攻撃された時は幕府軍を退け、有利な条件で和睦に持ち込んでいた。こうした経緯から、与一は武士として生きることをあきらめざるを得なくなり出家を選んだのだと考えられる。幕府軍と戦って退けたことから、武士としても一流の人物であったことは確実だ。  
神戸市須磨区に北向八幡宮という神社があり、与一はこの地で64歳で大往生を遂げたという。墓所は京都の即成院だそうだが、那須氏の菩提寺である玄性寺(栃木県大田原市)にも分骨され、那須氏ではこちらを本墓としているそうだ。 
 
源平軍談〜相川音頭

 

宇治川先陣 佐々木の功名 (初段)  
嘉肴あれども 食らわずしては(ハイハイハイ)  
酸いも甘いも その味知らず(ハイハイハイ)  
武勇ありても 治まる世には(ハイハイハイ)  
忠も義心も その聞えなし(ハイハイハイ) (以下掛け声同様)  
ここにいにしえ 元暦の頃 旭将軍 木曾義仲は  
四方(よも)にその名を 照り輝きて 野辺の草木も 靡かぬはなし  
されば威勢に 驕(おご)りが添いて 日々に悪逆 いや憎しければ  
木曾が逆徒を 討ち鎮めよと 綸旨(りんし)院宣(いんぜん) 蒙りたれば  
お受け申して 頼朝公は 時を移さば 悪しかりなんと  
蒲の範頼 大手へまわし 九郎義経 搦手(からめて)よりも  
二万五千騎 二手に分かる 時に義経 下知(げじ)して曰く  
佐々木梶原 この両人は 宇治の川越え 先陣せよと  
下知を蒙り すわわれ一と 進む心は 咲く花の春  
頃は睦月の 早末つかた 四方の山々 長閑(のど)けくなりて  
川のほとりは 柳の糸の 枝を侵(した)せる 雪代水に  
源太景季(かげすえ) 先陣をして 末の世までも 名を残さんと  
君の賜いし 磨墨(するすみ)という 馬にうち乗り 駆け出しければ  
後に続いて 佐々木の四郎 馬におとらぬ 池月んれば  
いでや源太に 乗り勝たんとて 扇開いて うち招きつつ  
いかに梶原景季殿と 呼べば源太は 誰なるらんと  
思うおりしも 佐々木が曰く 馬の腹帯(はらび)の のび候ぞ  
鞍をかえされ 怪我召さるなと 聞いて景季 そはあやうしと  
口に弓弦(ゆんづる) ひっくわえつつ 馬の腹帯に 諸手をかけて  
ずっっと揺りあげ 締めかけるまに 佐々木得たりと うちよろこんで  
馬にひと鞭 はっしとあてて 先の源太に 乗り越えつつも  
川にのぞみて 深みへ入れば 水の底には 大綱小綱  
綱のごとくに 引き張り廻し 馬の足並 あやうく見えし  
川の向こうは 逆茂木(さかもぎ)高く 鎧(よろ)うたる武者 六千ばかり  
川を渡さば 射落とすべしと 鏃(やじり)揃えて 待ちかけいたり  
佐々木もとより 勇士の誉 末の世までも 名も高綱は  
宇治の川瀬の 深みに張りし 綱を残らず 切り流しつつ  
馬を泳がせ 向こうの岸へ さっと駆けつけ 大音(だいおん)あげて  
宇多の天皇 九代の後の 近江源氏の その嫡流に  
われは佐々木の 高綱なりと 蜘蛛手(くもで)加久縄(かぐなわ) また十文字  
敵の陣中 人なきごとく 斬って廻りし その勢いに  
敵も味方も 目を驚かし 褒めぬ者こそ なかりけれ
粟津の合戦 巴がはたらき (二段目)  
かくて宇治川 先陣佐々木 二陣景季 なお続きしは  
秩父足利 三浦の一家(いっけ) われもわれもと 川うち渡り  
勇み進んで 戦いければ 防ぐ手だても 新手の勢に  
備えくずれて 乱るる中に 楯の六郎 根の井の小弥太  
二人ともはや 討死にすれば これを見るより ちりちりばっと  
風に吹き散る 木の葉のごとく 落ちて四方へ 逃げ行く敵を  
追うて近江の 粟津が原に 木曾の軍勢 敗北すれば  
鬨(とき)をあげたる 鎌倉勢に 巴御前は この勝鬨(かちどき)に  
敵か味方か おぼつかなしと 駒をひかえて ためろうところ  
返せ戻せと 五十騎ばかり あとを慕うて 追い来る敵(かたき)  
巴すわやと 駒たてなおし 好む薙刀 振り回しつつ  
木曾の身内に 巴と呼ばる 女武者ぞと 名乗りもあえず  
群れる敵の 多勢が中を 蹴立て踏み立て 駈け散じつつ  
とんぼ返しや 飛鳥(ひちょう)の翔(かけ)り 女一人に 斬り立てられて  
崩れかかりし 鎌倉勢の 中を進んで 勝武者一騎  
声を張り上げ 巴が武術 男勝りと 聞きおよびたり  
われは板東 一騎の勇士 秩父重忠 見参せんと  
むずと鎧の 草摺りを取り 引けば巴は にっこと笑い  
男勝りと 名を立てられて 強み見するは 恥ずかしけれど  
板東一なる 勇士と聞けば われを手柄に 落としてみよと  
云うに重忠 心に怒り おのれ巴を 引き落とさんと  
さては馬とも 揉みつぶさんと 声を力に えいやと引けど  
巴少しも 身動きせねば ついに鎧の 草摺り切れて  
どっと重忠 しりえに倒る 内田家吉 これ見るよりも  
手柄功名 抜け駆けせんと みんな戦の 習いとあらば  
御免候えと 重忠殿と 手綱かいぐり 駈け来る馬は  
これや名におう 足疾鬼(そくしつき)とて 虎にまさりて 足早かりし  
巴御前が 乗りたる馬は 名さえ長閑けき 春風なれや  
いずれ劣らぬ 名馬と名馬 空を飛ぶやら 地を走るやら  
追いつまくりつ 戦いけるが 内田ひらりと 太刀投げ捨てて  
馬を駈けよと 巴をむずと 組んでかかれば あらやさしやと  
巴薙刀 小脇に挟み 内田次郎が 乗りたる馬の  
鞍の前輪に 押し当てつつも 力任せに 締め付けければ  
動くものとて 目の玉ばかり 娑婆のいとまを 今とらすると  
首を引き抜き 群がる敵の 中へ礫(つぶて)に 投げ入れければ  
さても凄まじ あの勇力(ゆうりき)は 男勝りと 恐れをなして  
逃ぐる中より 一人の勇士 和田の義盛 馬進ませて  
手柄功名 相手によると 生うる並木の 手ごろの松を  
根よりそのまま 引き抜き持ちて 馬の双脛(もろずね) なぎ倒しつつ  
搦(から)め取らんと 駈け来たるにぞ 巴御前は 馬乗り廻し  
敵を蹄に 駈け倒さんと 熊の子渡し 燕の捩(もじ)り  
獅子の洞入り 手綱の秘密 馬の四足(しそく)も 地に着かばこそ  
いずれ劣らぬ 馬上の達者 かかる折しも 敵の方に  
旭将軍 木曾義仲を 石田次郎が 討ち取ったりと  
木曾の郎党 今井の四郎 馬の上にて 太刀くわえつつ  
落ちて自害と 呼ばわる声に 巴たちまち 力を落とし  
ひるむところを 得たりと和田は 馬の双足(もろあし) 力にまかせ  
横に薙(な)ぐれば たまりもあえず 前に打つ伏し 足折る馬の  
上にかなわで 真っ逆さまに 落つる巴に 折り重なりて  
縄を打ちかけ 鎌倉殿へ 引いて行くこそ ゆゆしけれ
那須与一 弓矢の功名 (三段目)  
蛇は蛙(かわず)を 呑み食らえども 蛇を害する なめくじりあり  
旭将軍 木曾義仲も ついに蜉蝣(ふゆう)の ひと時ならん  
滅び給いて 鎌倉殿の 威勢旭の 昇るがごとし  
されば源氏の そのいにしえの 仇を報わん 今この時と  
平家追悼 綸旨(りんし)をうけて 蒲の範頼 義経二将  
仰せ蒙り 西国がたへ 時を移さず 押し寄せ給う  
武蔵相模は 一二の備え かくて奥州 十万余騎は  
大手搦手(からめて) 二手に分かる 風にたなびく 旗差物は  
雲か桜か げに白妙の 中にひらめく 太刀打物は  
野辺に乱るる 薄のごとく ここぞ源平 分け目のいくさ  
進め者ども 功名せよと 総の大勝 軍配あれば  
ここの分捕り かしこの手柄 多き中にも 那須の与一  
末の世までの 誉れといっぱ 四国讃岐の 屋島の浦で  
平家がたでは 沖なる舟に 的に扇を 立てられければ  
九郎判官 これ御覧じて いかに味方の 与一は居ぬか  
与一与一と 宣(のたま)いければ 与一御前に 頭(かしら)を下げて  
何の御用と うかがいければ 汝召すこと 余の儀にあらず  
あれに立てたる 扇の的を 早く射とれと 下知し給えば  
畏まりしと 御受け申し 弓矢とる身の 面目なりと  
与一心に 喜びつつも やがて御前を 立ち退いて  
与一その日の 晴れ装束は 肌に綾織 小桜縅(おどし)  
二領重ねて ざっくと着なし 五枚冑の 緒を引き締めて  
誉田(こんだ)栗毛という かの駒に 梨地浮絵の 鞍おかせつつ  
その身軽気(かろげ)に ゆらりと乗りて 風も激しく 浪高けれど  
的も矢頃に 駒泳がせて 浪に響ける 大音あげて  
われは生国 下野の国 今年生年 十九歳にて  
なりは小兵に 生まれを得たる 那須与一が 手並みのほどを  
いでや見せんと 云うより早く 家に伝えし 重籐(しげとう)の弓  
鷹の白羽の 鏑箭(かぶらや)一つ 取ってつがえて 目をふさぎつつ  
南無や八幡大菩薩 那須の示現(じげん)の 大明神も  
われに力を 添え給われと まこと心に 祈念をこめて  
眼(まなこ)開けば 浪静まりて 的も据われば あらうれしやと  
こぶし固めて ねらいをきわめ 的の要を はっしと射切る  
骨は乱れて ばらばら散れば 平家がたでは 舷(ふなばた)叩き  
源氏がたでは 箙(えびら)をならし 敵も味方も みな一同に 褒めぬ者こそ なかりけれ
嗣信が身替り 熊谷が菩提心 (四段目)  
さても屋島の その戦いは 源氏平家と 入り乱れつつ  
海と陸(くが)との 竜虎の挑み 時に平家の 兵船(へいせん)ひとつ  
汀(みぎわ)間近く 漕ぎ寄せつつも 船の舳先に 突っ立ちあがり  
これは平家の 大将軍に 能登の守(かみ)名は 教経(つねのり)なるが  
率爾(そつじ)ながらも 義経公へ お目にかからん 験(しるし)のために  
腕に覚えの 中差(なかざし)ひとつ 受けて見給え いざ参らすと  
聞いて義経 はや陣頭に 駒を駈けすえ あら物々し  
能登が弓勢(ゆんぜい) 関東までも かくれなければ その矢を受けて  
哀れ九郎が 鎧の実(さね)を 試しみんとて 胸指さして  
ここが所望と 宣いければ すわや源平 両大将の  
安否ここぞと 固唾をのんで 敵も味方も 控えしところ  
桜縅(さくらおどし)の 黒鹿毛(くろかげ)の駒 真一文字に 味方の陣を  
さっと乗り分け 矢面に立ち われは源氏の 股肱(ここう)の家臣  
佐藤嗣信 教教公の 望むその矢を われ受けてみん  
君と箭坪(やつぼ)は 同然なれば 不肖ながらも はや射給えと  
にこと笑うて たち控ゆれば 能登も智仁(ちじん)の 大将ゆえに  
さすが感じて 射給わざるを 菊王しきりに 進むるゆえに  
今はげにもと 思われけるが 五人張りにて 十五束なる  
弓は三五の 月より丸(まろ)く 征矢(そや)をつがえて 引き絞りつつ  
しばしねらいて 声もろともに がばと立つ矢に 血煙り立てど  
佐藤兵衛も 弓うちつがい 当の矢返し 放たんものと  
四五度しけれど 眼(まなこ)もくらみ 息も絶え絶え 左手(ゆんで)の鐙(あぶみ)  
踏みも堪えず 急所の傷手(いたで) 右手(めて)へかっぱと 落ちけるところ  
菊王すかさず 汀におりて 首を取らんと 駈け来るところ  
佐藤忠信 射て放つ矢に 右手の膝皿 いとおしければ  
どうと倒るる 菊王丸を 能登は飛び下り 上帯つかみ  
舟へはるかに 投げ入れければ 間なく舟にて 空しくなれり  
されば平家の 一門はみな 舟に飛び乗り 波間に浮かむ  
ここに哀れは 無官の太夫 歳は二八の 初陣なるが  
駒の手綱も まだ若桜 花に露持つ 見目形をば  
美人草とも 稚児桜とも たぐい稀なる 御装いや  
すわや出船か 乗り遅れじと 手綱かい繰り 汀に寄れば  
舟ははるかに 漕ぎいだしつつ ぜひも渚に ためろうところ  
馬を飛ばして 源氏の勇士 扇開いて さし招きつつ  
われは熊谷直実なるぞ 返せ返せと 呼ばわりければ  
さすが敵に 声かけられて 駒の手綱を また引っ返し  
波の打物 するりと抜いて 三打ち四打ちは 打ち合いけるが  
馬の上にて むんずと組んで もとの渚に 組み落ちけるを  
取って押さえて 熊谷次郎 見れば蕾の まだ若桜  
花の御髪(みぐし)を かきあげしより 猛き武勇の 心も砕け  
ついに髻(もとどり) ふっつと切れて 思いとまらぬ 世を捨衣  
墨に染めなす 身は烏羽玉(うばたま)の 数をつらぬく 数珠つま繰りて  
同じ蓮(はちす)の 蓮生(れんじょう)法師 菩提信心 新黒谷へ ともに仏道成りにける
景清が錏引義経の弓流し 稀代の名馬 知盛の碇かつぎ (五段目)  
かくて源氏の その勢いは 風にうそぶく 猛虎のごとく  
雲を望める 臥竜(がりゅう)にひとし 天魔鬼神も おそれをなして  
仰ぎ敬う 大将軍は 藤の裾濃(すそご)の おん着長(きせなが)に  
赤地錦の 垂衣(ひたたれ)を召し さすが美々しく 出で立ち給う  
時に平家の 大将軍は 勢を集めて 語りて曰く  
去年播磨の 室山はじめ 備州水嶋 鵯(ひよどり)越えや  
数度(すど)の合戦に 味方の利なし これはひとえに 源氏の九郎  
智謀武略の 弓ひきゆえぞ どうぞ九郎を 討つべき智略  
あらまほしやと 宣い給う 時に景清 座を進みいで  
よしや義経 鬼神(おにがみ)とても 命捨てなば 易かりなんと  
能登に最期の 暇を告げて 陸(くが)にあがれば 源氏の勢は  
逃すまじとて 喚(おめ)いてかかる それを見るより 悪七兵衛  
物々しやと 夕日の影に 波の打物 ひらめかしつつ  
刃向いたる武者 四方へぱっと 逃ぐる仇(かたき)を 手取りにせんと  
あんの打物 小脇に挟み 遠き者には 音にも聞けよ  
近き者には 仰いでも見よ われは平家の 身内において  
悪七兵衛 景清なりと 名乗りかけつつ 追い行く敵の  
中に遅れじ 美尾屋(みおのや)四郎 あわい間近く なりたりければ  
走りかかって 手取りにせんと 敵の冑の 錏(しころ)をつかみ  
足を踏みしめ えいやと引けば 命限りと 美尾屋も引く  
引きつ引かれつ 冑の錏 切れて兵衛が 手にとどまれば  
敵は逃げ延び また立ち返り さてもゆゆしき 腕(かいな)の 強さ  
腕(うで)の強さと 褒めたちければ 景清はまた 美尾屋殿の 頚の骨こそ 強かりけると   
どっと笑うて 立浪風の 荒き折節 義経公は  
いかがしつらん 弓取り落とし しかも引潮 矢よりも早く  
浪に揺られて はるかに遠き 弓を敵に 渡さじものと  
駒を波間に 打ち入れ給い 泳ぎ泳がせ 敵前近く  
流れ寄る弓 取らんとすれば 敵は見るより 舟さし(漕ぎ)寄せて  
熊手取りのべ 打ちかかるにぞ すでに危うく 見え給いしが  
されど(すぐに)熊手を 切り払いつつ 遂に波間の 弓取り返し (遂に弓をば 御手に取りて)  
元の汀(渚)に あがらせ給う 時に兼房 御前に出でて  
さても拙き 御振舞や たとえ秘蔵の 御弓とても  
千々の黄金を のべたりとても 君の命が 千万金に  
代えらりょうやと 涙を流し 申しあぐれば 否とよそれは  
弓を惜しむと 思うは愚か もしや敵に 弓取られなば  
末の世までも 義経こそは 不覚者ぞと 名を汚さんは  
無念至極ぞ よしそれ故に 討たれ死なんは 運命なりと  
語り給えば 兼房はじめ 諸軍勢みな 鎧の袖を  
濡らすばかりに 感嘆しけり さても哀れを 世にとどめしは  
ここに相国 新中納言 おん子知章(ともあき) 監物(けんもつ)太郎  
主従三騎に 打ちなされけり さらば冥途の 土産のために  
命限りと 戦いければ 親を討たせて かなわじものと  
子息知章 駈けふさがりて 父を救いて 勇気もついに  
哀れはかなき 二八の花の 盛り給いし 御装いも  
ついに討死 さて知盛の 召され給いし 井上黒は  
二十余町の 沖なる舟へ 泳ぎ渡りて 主君を助け  
陸(くが)にあがりて 舟影を見て 四足縮めて 高いななしき  
主の別れを 慕いしことは 古今稀なる 名馬といわん  
かかるところへ 敵船二艘 安芸の小太郎 同じく次郎  
能登は何処ぞ 教経(のりつね)いぬか 勝負決して 冑を脱げと  
呼べば 能登殿 あらやさしやと 二騎を射てに 戦いけるを  
よそに見なして 知盛公は もはや味方の 運尽きぬれば  
とても勝つべき 戦にあらず かくてながらえ 名にかはせんと  
大臣(おとど)殿へも お暇申し 冑二刎(ふたはね) 鎧も二領  
取って重ねて ざっくと着なし 能登に代わりて 面を広げ  
安芸の小太郎 左手(ゆんで)に挟み おのれ冥土の 案内せよと  
右手(めて)に弟の 次郎を挟み なおもその身を 重からせんと  
舁(かつ)ぐ碇は 十八貫目 海へかっぱと 身を沈めつつ  
浮かむたよりも 如渡得船(にょどとくせん)の 舟も弘誓(ぐせい)の 舵取り直し  
到り給えや 疾くかの岸へ 浪も音なく 風静まりて  
国も治まり 民安全に 髪と君との 恵みもひろき  
千代の春こそ めでたけれ
   
佐倉宗吾口説き

 

これは過ぎにしその物語 国は下総因幡の郡 
佐倉領にて岩橋村よ 名主総代宗吾と言うて 
心正直利発な者よ 事の由来を尋ねて聞けば 
国の役人おごりに長子 年貢取立厳しくなさる 
下の困窮目もあてられず 今は暮しも出来がたなれば 
国の村々相談極め 年貢加役の御免を願い 
去れど役人邪なれば 背く輩はお仕置きなりと 
尚も厳しき取立なれば 百姓残らず思案に暮れて 
組合隣村始めといたし 二百二十のその村々へ 
廻状回して相談なせば 佐倉宗吾を始めとなして 
名主総代残らず合せ 江戸の屋敷へ願いを上げる 
又も今度も取り上げられず 宗吾心で思案を定め 
諸人一同身の苦しみを 我身一人の命にかえて 
いっそお上へ願わんものと 国の妻子によくよく頼み 
暮の二十日の御成の場所は 花の上野の三枚橋の 
下に忍んで待ち受けまする そのや折から将軍様は 
御成相済み官許となりて 橋の袂へお籠はかかる 
兼て用意の宗吾やこそは 竹の端へと願書を挟み 
橋の下より立ち出でながら 恐れ多くもお籠の中へ 
願書差し入れ平伏いたす それを見るより御供の衆は 
直に宗吾に早縄かけて 奉行所へと御渡しなさる 
されば佐倉の後領主様は 憎い宗吾が将軍様へ 
直接願いを上げたる故に 直に上より言い渡されて 
年貢加役も御免となれば 国に残りし百姓達は 
心落ち着き安心いたし 下の騒ぎは静まりたれど 
これに哀れは佐倉の宗吾 上へ直訴をなしたる罪で 
国へ引かれて獄牢住い 殿の憎しみ昼夜の責に 
今は裁きも極りまして 親子六人仕置きの場所へ 
力なくなく引き出だされる 宗吾夫婦の見るその前で 
子供並べて成敗いたす 修羅の太鼓が合図の地獄 
下にも地獄の牛頭馬頭なるが 未だ二つの三之助からよ 
首を切らんと太刀振りあげる これを見て居る母親こそは 
心身もこの世も哀れな思い 我身夫婦は責苦に逢って 
如何に苦しみいたせばとても いとしあの子は残忍たらしや 
幼子供になぜ科ありて 殺し給うか無惨の人よ 
鬼か天魔の仕業であるか 物の報いはあるものなるぞ 
思いは知らさる覚悟をせよと はっと吐く息火焔の如く 
嘆き苦しむ早やその内に あとは五つの喜八を始め 
なかは九つ源助云うて 総領十一総助までも 
情け容赦も荒みの刀 子供四人は両挙を合せ 
これや父さんあの母さんよ 先へ逝くから後より早く 
急ぎ給へと気勝の言葉 南無という声此の世の暇 
首は夫婦の前へと落ちる これに続いて夫婦の者を 
台にかけ置き大身の槍で 哀れ無残や成敗いたす 
数多諸人のその見物が ワッと声立て皆一同に 
嘆き泣き立つ声凄まじく 天に響いてあら恐ろしや 
身の毛粟立ち見る人々も 共に心も消え入るばかり 
去ればその後夫婦の者は 凝りし一念この世に残り 
その夜霊魂現れ出て 殿の館のあの御庭先 
雪見燈籠の木陰に立ちて 細き声さえ一入かれて 
殿の御為に御国を思い 苦労苦間の年月積もり 
恐れ乍らも将軍様へ 直の御願いいたせし罪よ 
是も非道の役人方の 上を欺く偽りなれば 
なおも恨みの数重なりて ここに現れ恨みを晴らす 
聞いて殿様家老を始め 国の百姓皆一同に 
宗吾魂魄神にと崇め 思い晴らして豊作守る 
今に佐倉の鎮守の祀り 後の世迄も大明神と 
国の守りと皆奉る 
 
小栗判官(照手姫口説き)

 

騒動サー話や 心中くどき 
世上世界の 数ある中に 
都九條(みやこくじょう)に 其の名も高き 
小栗判官 まさ清さまは 
日々に勤める 大内御所の 
あまたつめたる 公卿衆の中で 
   花をあざむく 美男で御座る 
   頃は卯月(うづき)の 卯の花ざかり 
   ある日小栗は 花見に出て 
   花見帰りの 其の道すがら 
   酒の気嫌で みぞろが池の 
   をばの木の根に 腰うちかけて 
笛を取り出し 吹き込む音(ね)いろ 
天に通じて 地にしみ渡る 
池の大蛇も 其の音にうかれ 
娘姿と 形(かたち)をかえて 
そろそろ小栗 判官のそばへ 
よれば互に顔 見合せて 
   これも因果 ずくでもあろが 
   ついに其の場で 契りをかわす 
   これが後々 小栗が為に 
   あだとなるとは 夢にも知らず 
   さてもサー小栗は 大蛇と契る 
   其のやとがにて 常陸(ひたち)の国へ 
親の情で とのばら連れて 
名残惜しくも 都をでて 
是もなくなく 常陸の配所 
玉の御殿に ほうでうつくり 
ここに隠居の 身分とならる 
それはさて置き 相模(さがみ)の国に 
   強窃(ごうせつ)切(きり) 横山殿の 
   親子四人は 悪心ものよ 
   京に名高き 照手の姫を 
   ぬすみうばうて 我家に連れて 
   之を倅に め合す所存 
   今は照手も 十九となりて 
一人いちいち 思案(しあん)をいたし 
たとえ命が なければとても 
此の家非道の 悪徒(あくと)の倅 
何(なん)の枕が 交さりよものと 
思いつめたる 心の中は 
流石(さすが)まれなる 女で御座る 
   ある日小栗の 御殿へ来る 
   相模まわりの 小間物売りが 
   相模横山 照手のはなし 
   聞いて小栗は 文したためて 
   いろの取持(とりもち) 五藤(ごとう)に頼む 
   すぐに五藤は 其の場をたちて 
相模照手に 文差出せば 
封しひらいて 照手の姫は 
逢(あい)も見もせぬ 恋路の文を 
さすが五藤の 理につまされて 
返事に一首の 歌を書き 
そのやたんざく 五藤に渡す 
   道を急いで 小栗へ渡す 
   歌の心の 曇らぬ照手 
   十人余りの とのばら連れて 
   照手方へと おし入り込むに 
   国は相模の 鎌倉通り 
   音に聞こえし 横山殿の 
それと聞くより 悪人親子 
たくみおいたる 鬼かげ馬の 
手並み見てから 婿にもしようと 
聞いて小栗は 仕度さ致し 
直ちにうまやに 案内なさる 
其のや馬屋は 岩かげ造り 
   さてもおそろし 岩屋の内は 
   虎を欺く 鬼かげなれど 
   流石小栗は 公卿衆の流れ 
   それに武術も 達人なれば 
   馬をなだめて ひらりと乗りて 
   馬の上にて 武芸のあそび 
月も照手と 言われて夫婦 
親の横山 たくらみもはづれ 
さらば祝言 さようものと 
酒や肴(さかな)を ととのえならべ 
小栗殿ばら 毒酒と知らで 
飲めば血をはく 其の苦しみは 
   見るもいたまし 憐れなことよ 
   小栗一人は 藤澤寺へ 
   馬を早めて 駆けつけなさる 
   寺の和尚(おしょう)が 死人を貰い 
   医者や薬と かいほうなさる 
   ここに哀れや 照手の姫は 
親の悪事で うつろの舟で 
しかも其の日は 四月二十日 
ゆられ流れて 行く先知らず 
安房やつらさの 上総の国の 
濱へ着いたが 五月二日 
此れをみつけてた 砂どり船頭 
   むつの濱にて 照手の姫を 
   船の中から 手を引き連れて 
   すぐに我が家に 案内いたし 
   家のものには いろいろ話し 
   医者や薬で 介抱致し 
   月日送れば 宿なる女房 
いつか悋気(りんき)の 心がおこる 
さてもさ女房は 夫に向い 
睦(むつ)の濱から 連れ来たなどと 
わたしをだまして あの女衆を 
内へ入れたが わしや口惜しい 
そんな事とは 夢にも知らず 
   是非におくなら 妾を出さんせ 
   それが出来ずば あの女衆を 
   どうじゃどうじゃ 腹立ち涙 
   今日は照手も 理につめられて 
   一人すごすご 中仙道へ 
   何所をあてどに うろうろ歩き 
之も前世の 約束ごとか 
国で別れた わが夫様(おっとさま)に 
夢でなりとも 逢いたいものと 
肌身はなさずぬ 観音様を 
朝な夕なに 心でおがみ 
露のふとんが 草葉(くさば)の陰で 
   さぞや御無念 恨みもあろう 
   わしがためにも 敵の親子 
   私しや此の家へ 八つの時に 
   盗み取られて 横山どのに 
   育てられたは 十一年よ 
   たどりたどりて 今(いま)此のさとの 
知らぬ他国で 月日を送る 
話変わりて 皆様方よ 
京に名高き 大社(たいしゃ)がござる 
北野大神 天満宮へ 
日々に小栗は 日参(にっさん)致し 
敵(かたき)横山 親子のものを 
   どうぞ御利益 力を添えて 
   本望(ほんもう)とげさせ 給へと祈る 
   それと知れねど 照手の姫は 
   諸国神仏 巡拝いたし 
   果たして我が夫 とのばら達の 
   心ばかりの 菩提(ぼだい)のために 
ある日北野へ 参詣いたし 
両の手合わせて さしうつむいて 
神のあかしで お宮を見れば 
額に書いたる 松竹梅の 
さてもきれいと 眺める額に 
小栗判官 まさ清(きよし)とあり 
   ハッと驚く 照手の姫よ 
   今日は小栗も 大願致し 
   参り来るなら 照手の姫と 
   バッタリ逢うたか いもせの縁か 
   夢かうつろか あの幻か 
   嬉し涙に ものをも言えず 
貞女たてたる 女の操 
死んで別れし いもせの中も 
神のめぐみで また逢う事は 
かたく結びし あの神様の 
お引き合わせ 喜ぶ二人 
やがて十人 とのばら達も 
   つどい合わせて 相模の国の 
   敵(かたき)横山 親子の奴等(やつら) 
   さらば打ち取る 仕度を致す 
   固勢(こぜい)引き連れ 相模の国に 
   今に残りし 藤澤寺よ 
   是にしばらく とうりゅう致し 
住持和尚に 金子(きんす)を出して 
死んだ死骸の 石碑を頼む 
言えば和尚は 石碑を建てて 
あまたお弟子を 残らず集め 
袈裟や衣や 水晶数珠で 
南無(なむ)やたんのう たらやああと 
   お経さ終りて まさ清(きよし)様は 
   残しおりたる 馬頭の二字に 
   祭り給うは 鎌倉寺(かまくらでら)よ 
   寺の中にて 仇討ち支度 
   鎖かたびら 小手膝あてに 
   支度ととのえ 横山親子 
たった一打(ひとうち) 討ち取る可(よ)しと 
裏と表を 取り囲まれて 
我も我もと 恨みの刀 
中で小栗は 親子の首を 
右と左の 両手に捧げ(ささげ) 
敵打つのも お神の利益 
   何も首尾よく 本望とげし 
   小栗照手の 誉を残す
 
見真大師口説き

 

天津小屋根の命の末に 氏は藤原有頼郷の 
御嫡男子に松若君と 利功発明が世に並びなき 
輿や車で世をましませば 君に仕えて栄華を極め 
雲に近づき御身の上が 早く此の世の無情と悟り 
御年九才の春三月に 玉の御殿を立ち出で給い 
粟田口なる青連院の 滋鎮和尚の身元に参り 
明日と延さぬこの世の無情 咲いた桜も今宵のうちに 
夜半の嵐に吹き落とされる これを思えば片時も早く 
出家得度をして給われんと 言われて師匠も理につまされて 
夜の半ばに得度をなさる 竹と等しき緑の髪を 
おそり給うぞ御いたわしや 綾や錦を脱ぎ捨て給え 
墨の衣で御身をやつし さればこれから仏道修行 
音に名高い比叡の山の 峰に登りて菩提を求め 
昼は終日夜は夜もすがら 月の光や蛍を集め 
お経読書に御心やつし どうぞ末世の悪人女人 
悟る御法を学ばんものと 修行すれども悟りは見えず 
そこで御身に思案を極め とても末世の悪人女人 
こんなことでは悟に行けぬ ただで助かる御法があれば 
教え給えと神々様に 願をかけれどその甲斐もなく 
そこで泣く泣く六角堂の 堂の板間に御手をついて 
願い上げます観音様よ どうぞ末世の悪人女人 
ただで助かる稔があれば 共に衆生と手を引き合わせ 
花の浄土へ参らんものぞ 真の知識に合わせて給え 
毎夜毎夜の歩みをなさる 百夜満ずるその暁に 
不思議成るかやお告げを受ける 真に尊や観音様よ 
誠たえなるお声をあげて 真の知識に会いたいならば 
都吉水圓光大師 それに参りて悟を聞けと 
至厳新たなその御託施に されば比叡の御山を下る 
二十九才のその御年に 真の知識の御許に参り 
他力本願真の誓い 上は等覚弥勒をはじめ 
下は在家の悪人女人 知恵も力も修行もいらぬ 
己が自力の計いやめて 弥陀に任せる唯一念に 
永く生死の迷いを離れ 君に忠義は先ず第一に 
親に孝行忘れぬように 夫婦仲良く兄弟仲も 
人に不実は致さぬように 国の大事と家業に励み 
御恩よろこび只ひたすらに 弥陀の本願誠の誓い 
深く他力の佛智を信じ これを衆生に教えんために 
されば吾が祖師見真大師 衆生済度の方便なさる 
ここに一つの幸いごとは 九条関白兼実郷の 
一人娘に玉日の宮と 歳は二十で花なら蕾 
智恵と慈悲とが身に現れて 他郷に勝れし天下の美女 
それもその筈御地を問えば 慈悲の功徳の観音菩薩 
父の関白兼実郷は 深く他力を信仰なさる 
在家衆生の身であり乍ら 弥陀のお慈悲で助かる事に 
微麈いささか間違いなくば 私に一人の娘がござる 
在家衆生を導くために 時に吉水上人様よ 
数多御弟子のあるその中に 一人養子に仕われ給え 
これが私の一期の願い そこで法然上人様は 
我が祖聖人一間に呼んで どうか在家を済度のために 
九条殿家に養子に行けと 重き使命を蒙り給う 
在家衆生にその身をやつし 妻や子供の手を引き乍ら 
五障三障さわりの身でも 弥陀を信ずる唯一念に 
無情涅槃の悟に上る 他力修行の大道開く 
かかる尊き御教えなれば 上は万栄雲井の君も 
後生菩提は南無阿弥陀仏 これに勝れし教えはないと 
信じ給うぞ御いたわしや 下は賤しき衆生の身でも 
風に草木のなびくが如く 衆生済度のその御慈悲が 
今じゃ御身の不幸と転じ それは如何なる訳じゃと問えば 
諸寺や諸山の自力の人が 他力不思議に繁昌するを 
妬み嫉んで両上人を 土佐と越後に御左遷なさる 
やがて五年の刑をばおりて これが念仏引通いの基 
それもその筈御地を問えば 四十八願成就の如来 
衆生済度に御身をやつし 智慧の光を与えし給い 
そこで悪人凡夫の者が 功徳功徳と御名を名乗り 
凡夫仲間に落ちぶれ給え そこで和国の聖徳太子 
深く尊敬まします給い 弥陀の化身と賛嘆なさる 
衆生化益にお出向き給う 如何にお慈悲の身と言いながら 
輿や車の御身の上が 竹の小笠に御杖ついて 
蒲の巾木に草鞋をしめて 日野左ヱ門が済度のために 
積る白雪褥となさる 石を枕に艱難辛苦 
総二十年の住居をなさる 百姓豪族家族と語り 
南無阿弥陀仏と唱えていけば 仏のお慈悲にあずかるのだと 
命授けて貰わることの 有難さをば説き知らせつつ 
人間皆が平等であると 見真大師力説される 
広い関東の平野の角で 民が心に救いを持たせ 
南無阿弥陀仏の念仏教え 時に見真五十二の年に 
浄土真宗がうち立てられる 唱えまいかや南無阿弥陀仏 
唱えまいかや南無阿弥陀仏
 
幸関主水口説き

 

頃は元禄十四年どし 並ぶ九月の始めの日にて 
国はどこよと尋ねて訊けば 国は大阪道頓堀よ 
間の芝居に歌舞伎の役者 役者揃うて三十四人 
あるが中にも選りの芸者 花の辰家に幸関主水 
恋の芍薬沢村右近 彼ら世の人若衆方も 
世にも聞こえし幸関主水 今度豊前の宇佐八幡に 
開帳芝居を請け負うて下る よその耳には入らぬうちに 
親の耳にはさらりと入りた 主水主水と密かに呼ばれ 
何の御用か両親様よ 言えば両親さて申すには 
お前呼んだは余の儀じゃないが 聞けば豊前に下るというが 
今は豊前の宇佐八幡に きつい疱瘡や麻疹が流行る 
そなた十九の厄年なれば 旅の身空で厄などすれば 
湯欲し水欲し恋焦がれ死よ 親を恨みに思うな主水 
言えば主水は涙で語る もうしこれいな両親様よ 
二度とお言葉背けはすまい 今度この度ゃお許しなされ  
わしが下らにゃ三十四人 三十四人の役者の人が  
あてず迷うて迷惑なさる 云えば両親兄諸共に 
さてもそうかよ弟の主水 ぜひに豊前に下るとすれば  
間の芝居が終うたなれば どこも寄らずに帰れよ主水  
云えば主水が打ち喜びて 三十四人の役者を寄せる 
明日は日も良い荷役をなさる 芝居船にてさも賑わしく  
笛や太鼓や琴三味線で 七つ拍子で錨を起こす  
柱立てらせ舵をばささせ 二十四反の帆を巻き上げる 
帆をば巻き上げ蝉口つめる 風は神風まともに受ける  
どんどどんどと河口落とす 急ぎゃ間もなく船沖に出る  
須磨や明石の名所を眺め ここはどこよと舟子に問えば 
ここは一ノ谷敦盛様の お墓どころと舟子が申す  
云えばお役者三十四人 思い思いの拝みをあげる  
急ぎゃ間もなく姫島沖に 哀れなるかや幸関主水 
親の思いを身に引き受けて ふらりふらりと病気にかかる  
医者を呼ぶにも船中のことで 急ぎ急いで豊前に下る  
国に漕ぎ付け錨をつかせ 錨つかせて纜とりて 
陸に上がりて宿をばとりた 宿の主人は佐兵衛様よ  
医者の手引きをよろしく頼む 医者は来るよりはや脈を診る  
主水病気は疱瘡のどよみ 顔に一つの出ものが悪い 
今度主水はよう病抜かん 医者は見切りて我が家へ帰る  
そこで哀れな幸関主水 甥の辰家を側へと呼んで  
辰家呼んだは余の儀じゃないが 医者は見切りてその家に帰る 
わしが心が確かなうちに 少しばかりの形見をあぐる  
金の香炉のあの金箱は これは都のお師匠様へ  
主水形見と贈りて給え わしが少しの前なる髪と 
四十八色染めたる小袖 これは国許両親様へ  
主水形見と送りて給え わしの持ちたるこの大小は  
これは国許兄上様へ 行李一つはお前のものよ 
わしの持ちたるこの煙草入れ これは国許道頓堀の  
日頃寄り合う吉三郎へ 次の下段の當麻の櫛は  
幼馴染のおつやがものよ 主水形見と贈りて給え 
甥の前では恥ずかしゅござる わしがこのまま相果てたなら  
わしの弟鶴若丸に 十二舞台を真似しておくれ  
云うてしまえばこの世の別れ 秋の稲妻川辺の蛍 
そやりそやりと落ち入るばかり 花の主水は役者で死して 
光る涙のひとしずく
 
賽の河原口説き1

 

月に群雲 花には嵐 釈迦にだいばや太子に守屋  
さらば皆さん御聞きなされ 定め難きは無常の嵐  
散りて先立つ習いと云えど まして哀れは冥土と娑婆よ 
賽の河原に止めたり 二つや三つや四つや五つ  
十より下の幼児が 朝の日の出に手に手を振りて  
人も通わぬ野原に出でて 山の大将は我一人かな 
云うもありまた片ほとりには 土を運んで上りつ下り  
石を運んで塔築く塔は 一丈築いてはそれ父のため  
父の御恩と申せしものは 須弥山よりも高くして 
言葉に何か述べがたき 二条築いてはそれ母のため  
母の御恩と申せしものは 恵の恩の深いこそ  
蒼海よりも深いぞえ 三条築いては主従兄弟我が身のためと 
何れ仲良く遊びはすれど 日暮れ方にはもの寂しさよ  
父をたずねて姥こいと呼ぶ 声は木霊に響き立つ  
恋したちまちあわきと云えど 役の塔をも築ごうとすれば 
ここに邪険なあくどい鬼が 何を遊ぶや子供や子供  
鏡照る日の眼の光 築いた岸をも早や引き崩し  
何処ともなく失せにける かかる嘆きのその折節に 
地蔵菩薩が現れ給い ここへ来いとて衣の袖を  
かざし給えば皆取りついて 透かし給えばおことら顔よ  
顔をさすりつ髪なで下げる 地蔵菩薩に取り付き嘆く 
共に涙の御暇よりも 父さん母さん何故ござらぬか  
我に預けしよりも当娑婆にて 帰りを待つぞ去りながら  
罪は我人ある習いじゃが 殊に子供のその罪咎は 
母の胎内十月が間 苦痛様々この世に生まれ  
四年五年また七つ年 成るや成らいで今帰るゆえ  
賽の河原に迷い来る 父はなくとも母見えずとも 
我に頼めど叶わぬ浮世
 
賽の河原口説き2

 

それ世の中の定め難きは 無常の嵐  
散りて先立つ 習ひといへど わけて哀れは 冥土(めいど)と娑婆の 
賽の河原で 止めたり 二つや三つや四つ五つ  
十よりうちの嬰児(みどりご)なるが 朝の日の出に 手を取り交わし 
人も通はぬ 野原に出でて 土を運んで 上りつ下り 
山の大将 我一人じゃと 言うもあり 又片辺(ほと)りには 
石を運んで 塔築(つ)く塔や 一重(いちじゅう)積んでは父様のため 
父の御恩と 申せしことは 須弥山(しゅみせん)よりも高うして 
言葉に何(なに)と述べ難き 二重積んでは 母様のため 
恵みの恩の深きことは 蒼海(そうかい)よりも深いぞや 
三重積んでは 郷里兄弟我が身のためと 幼な心に 涙の回向 
何(いづ)れ仲良く 遊びはすれど 日暮れ方には 物寂しげに 
親を尋ぬる 乳母(うば)来いと言う 声は木霊(こだま)に 響きたり 
ああら不思議や 積み重ねたる 小石忽ち 悪鬼となりて 
厄の塔をば 積もとはせいで 何故に遊ぶぞえ 早や疾(と)う疾うと 
鏡照る日の 眼(まなこ)も光り 何処ともなく失せにける 
かかる嘆きの その折節に 
地蔵菩薩が 現はれ給ひ 何を嘆くぞ 子供やこども 
此処へ来ひとて 髪掻き撫でて 顔を摩(さす)りつ 衣の袖を 
翳(かざ)し給へば 皆取り付いて 我は何故 ここへは来たぞ 
父(とと)さん母(かか)さん 何故ござらぬぞ 地蔵菩薩に 取り付き嘆く 
共に涙の 御隙(おんひま)よりも 賺(すか)し給ひて 御事(おんこと)らが親 
我に預けて より遠娑婆(とおしゃば)に 帰るを待つぞさり乍ら 
罪は我人(われひと) ある習ひじゃが 殊に子供の 罪科(つみとが)は 
母の胎内 十月(とつき)が内(うち)は 苦痛様々 この世に生まれ 
四年(よとせ)五年(いつとせ) また七年(ななとせ)を 
待つや待たずに 今帰る故 賽の河原へ迷い来る 
父は無くとも 母見えずとも 我を頼めや 適(かな)はぬ浮世 
後は涙のナアー 溜まり水よサー 澄まず濁れず 出ず入らず 
 
三太口説き

 

心中心中はまま多けれど 唄に焦がれて死にたる人は  
咲くといえども咲いたが始め 始め言わねば終りが知れぬ  
朝日長者の由来を聞けば 山の始まりゃ叡山鞍馬 
橋の始まりゃ京立橋よ 川の始まりゃかの大井川  
国の始まりゃ大和の国よ 町の始まりゃ金崎の町  
人の始まりゃ大和の三太 三太生まれを細かに聞けば 
元は三太は大和の生まれ 山をかたどり崎かたどりて  
大和山城山崎三太 大和郡に大家がござる  
西や東と蔵建て並べ 表泉水築山築かせ 
金魚銀魚の鯉鮒活かし 眺め暮らすが長者の威勢  
なれど長者に子供がなくて 子供一人与えて給え  
南無や大悲の観音様に 是に朝日が月参りする 
一の門越え二の門越えて 三の門から拝み堂に上る  
拝み堂上りて申することにゃ 朝日長者に子供がなくて  
子供一人与えて給え 子供一人与えし時にゃ 
石の灯篭を千百刻む 金の灯篭を何百刻む  
それでそなたが不足とあらば そなた宮地は金銀づくし  
七日七夜は断食どまり うつろうつろと居眠る中に 
嘘か真かまた幻か 朝日よく聞け大事なことよ  
そちの願いは男子か女子か 男子与うりゃ父上欠くる  
女子与うりゃ母上欠くる その子成長の三つの時にゃ 
南無や空より天火が落ちて 家も宝も皆焼き捨てる  
跡に残るは石垣ばかり 言うて観音消え失せなさる  
そこで朝日がふと目を覚まし ありゃ嬉しやお告げがあった 
たとえこの身はどうなるものと 男子一人を授けて給え  
なるも身体はさて我が家に 月日経つのはいと早いもの  
不思議なるかや朝日の内儀 最早その日にご懐妊なさる 
三月四日は袖でも隠す 最早五つ月帯祝いする  
九つ月とは申すが程にゃ 十月十日にゃご懐胎なさる  
生まれ落ちたる玉様の息子 荒い風にもあてないものよ 
綾で生まれて錦で育つ 三つ目五つ目七つ目も過ぎて  
最早十五の名付けの祝い 大和郷の板前呼んで  
板前料理が三十五人 女中下女等も三十と五人 
その日料理をさて申すれば 野菜豆類十二と三品  
魚の料理が十二と三品 鯛やひらめや鮑の造  
鯉は端午の祝いの品や 最早膳部も相整えて 
皆のご一同千畳敷き並べ 斗盃杯神酒取り揃え  
上座下座と座を決めまして 飲めよ三助唄えよ二助  
三味を弾くやら手踊り唄う ありゃ高砂鶴亀踊り 
上座唄えば下座が騒ぐ 下座唄えば上座が騒ぐ  
しばし間は大騒ぎする 最早丁盃お積り前よ  
御名つけましょ駒若丸よ 口と文句はさて早いもの 
最早駒若三歳の時 右の観音申した如く  
父は大病で早や果てなさる 南無や空より天火が落ちて  
家も宝も皆焼き払い 跡に残るは石垣ばかり 
そこで憐れは若駒親子 人は知らねど天知る地知る  
風の便りでお上に聞こえ 無理な願いを申した程に  
所払いを申されまする そこで憐れが朝日が内儀 
あちらこちらと流浪なさる 廻り廻りして金崎の町  
最早若駒七歳の春 馬子衆頭の藤六さんに  
小判稼ぎと身を翻す そこで駒若馬子曳きとなる 
雨の降る日は雨諸共に 風の吹く日は風諸共に  
寒の師走も陽の六月も まして霜夜の嵐の朝も  
駒の手綱で月日を送る 貧は憂きもの駒曳きとなる 
最早駒若十七の春 数多馬子衆皆集まりて  
馬子衆頭の藤六さんが 馬子衆婆じゃ駒若丸よ  
それじゃ駒若御名が高い 今日は日が佳い名替えをさせよ 
言えば駒若打ち喜んで 一升二升なる三升樽据えて  
上座下座と座を決めまして 乾杯盃神酒取り揃え  
飲めよ三助唄えよ二助 乾杯盃くるくる廻す 
御名替えましょ駒若三太 元は三太は大和の生まれ  
山をかたどり崎かたどりて 大和山城山崎三太  
余り三太の声響のよさに 駒を改め曳かせんものと 
駒は奥州や南部の育ち 明けて六歳雲雀毛の駒よ  
鞍が伊達物青蓋つぐり 継ぎ目接ぎ目は真鍮の金具  
樅ののろうちやせがき取らせ 勇み轡をかんじと咬ませ 
赤と白との練り分け手綱 駒がよい駒名馬の駒よ  
駒がよければ京都に駄賃 三太その日のつけだす荷物  
綾が七丸錦が八丸 大和絞が百二十五反 
お茶と煙草は中にと積んで 積んだ葛篭のその品のよさ  
揃いましたよ十六人が 同じ大和の大広袖で  
手抜き手拭い汗取り襦袢 笠は流行の京三度笠 
三度笠には我が名を入れて 上にゃ大和の山型入れて  
下にゃ三太の三の字入れて 何処の宿でも丁半場でも  
あれは大和の三太と知れる 揃いましたよ十六人が 
花の金崎今まかり出す 勢姿堂々駒追い立つる  
駒が勇めば三太が唄う 三太その日の宿入り唄は  
ホーヤホケキョー早八の丸 八の五の丸くずして唄う 
三太唄えば空飛ぶ鳥も しばし間は羽交いを休む  
羽根を休めて感ずるばかり 木樹や草木道芝草も  
三太唄えばじわりと靡く 日頃流るる大川の瀬も 
三太唄えば淀んで流る 地神荒神十五夜様の  
竜宮世界の乙姫様も 浮かび上りてその罪晴らし  
さても理のあるその馬子唄を それを感じて聞き取る者は 
伏見町でも誰ござろうか 壬生の判官金房卿の  
一人娘の玉よの姫よ お年積もりて十三歳よ  
恋の道とはまだ白菊の それが三太に想いを寄せて 
頃は三月花見の時分 数多腰元皆引き連れて  
裏の小坪で花見をなさる そこで三太が唄うて通る  
一間二間は三間が四間 七間奥なる姫君様よ 
お手を取る様に早漏れ聞こゆ さても良い声あの馬子唄は  
あれは大和の三太じゃないか 三太さんとは御名は聞けど  
声を聞くのは今度が始め 声が良い程ご器量も良かろ 
ご器量良いほど何かも良かろ 一目見たいが大和の三太  
なれど姫君ゃ武士の子なれば 門に走り出て逢うことできず  
庭に飛び降り見ることできず 町の町人に生まれたならば 
逢うと言うたら逢われもしよに 添うと言うたら添われもしよに  
そこで姫君唄詠みなさる 虎は千里の竹薮越せど  
障子一重がわしゃままならぬ 三太野の鳥わしゃ籠の鳥 
三太野山のあの杜鵑 声はすれども姿は見えぬ  
次第々々と声遠くなる 声が遠くなりゃ姫君ご病気  
医者を呼ぶやら薬を盛れど 医者は伏見のご典医ばかり 
薬は富山の膏薬なれど 一向ご病気ゃそのげんがない  
そこで憐れがご両親様よ 二十闇には迷いはせねど  
親が煩悩で子の可愛さに 子故に迷うはさて親心 
伊勢にゃ七度熊野にゃ三度 高野山には弘法大師  
愛宕三には護摩等焚いて 星の祭りは七夕様よ  
姫の祭りも数度すれど 一向ご病気にゃそのげんがない 
すわと言う間に早や両側に 右と左にお医者が添うて  
医者は脈診る早や合点する 門を出る出るその去り言にゃ  
お医者様でも有馬の湯でも ほれた病にゃ薬はいらぬ 
好いたお方と添わせりゃ治る そこで憐れが姫君様よ  
そこで姫君思いしことにゃ どうせこの身は無い身が程に  
何か一筆書き残さんと 乳母もおんばもご両親様も 
次の間にとぞお控えなさる 重き頭を秘かに上げて  
硯引き寄せ墨すりなさる 落つる涙が硯の水よ  
紙は竹中大杉原よ 鹿のこま書前歯でおろす 
前歯おろして墨ふんまぜる 先ずは一番御筆立てよ  
親の年忌も弔いもせず 親に先立つ不孝の罪を  
罪の深さをお許しなされ 二番次なるその書置きは 
わしが病をさて申すれば 身から病んだる病でもない  
四百四病の病でもない 寝ては山崎起きては三太  
三太想いに我が焦がれ死に 三番次なるその書置きは 
私の死姿さて申すれば 髪は剃らずに島田に結うて  
顔にゃ少しの薄化粧頼む 口にゃほんのり口紅頼む  
生きた姿で葬りなされ 四番次なるその書置きは 
わしが墓所とさて申すれば いつも三太が折り返される  
遠く向こうの新小松原 新小松原葬りなさる  
墓の周りに轡を立てて 轡中には恋塚と頼む 
五番次なるその書置きは わしが死んだる初七日の日は  
千部万部の経文よりも 三太馬子唄一節なりと  
聞かせてくだされ浮かばれまする まだも書置き山々あれど 
眼眩んでもう目が見えぬ 筆を書きしめさらばと書いて  
十重二十重にと白紙を巻いて 折りて畳んで筆箱入れて  
元結際をばしっかり縊り 乳母もおんばもご両親様も 
姫の用じゃと急がれまする 最早姫君死立ちとなりぬ  
姫よ玉よとお嘆きなさる 父の膝をば最期の枕  
母の膝をば最期の枕 秋の稲穂の穂の出る如く 
うつらうつらと往生なさる 嘆く中にも書置き見出す  
父が読んでは母にと渡す 母が呼んでは乳母にと渡す  
こんなこととは夢にも知らぬ 夢になりとも知らせたならば 
いくら三太が馬子曳きとても 逢うと言うたら逢わせもしよに  
添うと言うたら添わせもしよに 嘆く中にも早やがんこさえ  
伏見町なる大工や木挽き 大工木挽きが三十と五人 
木挽きゃ木を切る大工は刻む 切りつ刻んで早やがんできる  
がんは立てがん御輿の造り 四方隅には燕をかませ  
がんの上には冥鳥とめて 姫の宗旨は天台宗と 
天に天幕地に四方幕 隣近所の爺さん婆さん  
孫に手引かれ旨宗な送り 続き続いて八丁余り  
離宮が原にと早や着きなさる 野辺に着きゃまた野辺経あがる 
野辺経終れば焼香にかかる 一の焼香は父上様よ  
二つの焼香は母上様よ 秋の木の葉を散らすが如く  
我も我もと我が家に帰る 我が家帰りて休息なさる 
月日経つのはさて早いもの 姫の死んだる初七日の日は  
花の三太が伏見を下る その日三太の宿入り唄は  
坂は照る照る鈴鹿は曇る 間の神山雨降る如し 
つつじ椿は野山を照らす 花の三太は伏見を照らす  
小松原にと早やさしかかる そこに立派な新墓ござる  
三太知らねど曳く駒が知る 馬は馬頭の観音様よ 
墓の前にて嘶く程に 数多馬子衆の申することにゃ  
今日はどうやら駒勇まぬか 言えば三太は腹打ち立てて  
日には三度の豆買い食わせ 御紋つきなる轡をはかせ 
何が不足で駒勇まぬか 言うて三太は駒追い立てる  
急ぎゃ大官様の 御門先をば唄うて通る  
一間二間はさて三間が四間 七間奥なる大官妻の 
三太馬子唄早や漏れ聞こゆ さてもよい声あの馬子唄は  
あれこそ大和の三太じゃないか 三太呼べとのお言葉下る  
それに従う下部のおさん 襷取る取る門走り出る 
西や東と見廻すなれば 揃いましたる十六人が  
同じ衣裳の山つき脚絆 四つや草鞋の緒を引き締めて  
笠は流行の京三度笠 どれが三太か認がつかぬ 
中に取り分け十七八の 水も滴る黒前髪の  
これで三太と目星をつけて 三太前にて小腰をかがめ  
三太さんとはあんたのことか 申し上げます山崎三太 
三太さんには大官様が 御用あるじゃと申してござる  
言葉言い捨て早や立ち帰る 門に入る入るその去り言に  
あんなお方と末代添えば 三日食わずと三年着ろと 
竹の柱に萱壁つけて 石のくどには割れ鍋かけて  
竹の柱にゃ茅屋根葺いて 茶碗で米とぐあの所帯でも  
馴れぬ所帯がわしゃしてみたい あとで三太が打ち驚いて 
十四春より十七までも 駒を手綱で月日を送り  
身には一度の落ち度はないが 聞けば伏見はご忌中そうな  
唄を唄うたるその咎しめか 駒を曳きたるその咎しめか 
何はともあれ上りてみんと 駒と手形は馬子衆に預け  
家に帰りてご主人様に 三太いずことお尋ねあれば  
三太伏見の大官様に ご用筋にて上られました 
言うて下され馬子衆方よ そこで三太が行かんとすれば  
唄で仕込んだその駒なれば 三太前にて膝折りかけて  
三太目掛けて嘶きなさる そこで三太が思いしことにゃ 
駒でさえまた我が身を想う ほんにこの身はどうなるものと  
何はともあれ上りてみんと 駒と手形を我が手に取りて  
心急いで大官様の 玄関先にと駒繋ぎとめ 
一の門越え二の門越えて 三の門越え大官様に  
ご前先にて両手をついて ご用筋ある三太はこれに  
ご用いかがと伺いまする 言えば大官御簾巻き上げて 
三太顔をばじろりと眺め 見れば綺麗な黒前髪を  
駒を曳く様な人柄じゃない 親が貧苦で駒曳きやるか  
そなた御夫婦の侮りかいな そんな御用ならまた上りましょと 
笠を手に持ち行かんとすれば お待ちなされよ山崎三太  
恥を言わねば先ずわからんか 何でそなたを侮りましょう  
一人娘の玉よの姫が 寝ては山崎覚めては三太 
そなた想いて身は焦がれ死に 焦がれ死にをば致されました  
嘘と思うならこれ見よ三太 姫の書置き三太に渡す  
三太手に取り押し頂いて ぱっと封切り拝見すれば 
さても綺麗な御筆立てよ そこで三太が涙を零す  
わしの様なる賎しい馬子に 焦がれ死にとはお愛しゅござる  
わしに焦がれの姫君様の 位牌なりとも参らんものと 
姫の位牌はいずこと問えば 下女のおさんに足の湯とらせ  
足を濯いで玄関に上る 一間二間は三間が四間  
七間奥なる姫御の位牌 花や線香や水まで供え 
遥か下りて両手をついて 灯明あげてはリン叩かれる  
申し上げます姫君様よ 浮かび給えよ三太でござる  
南無弥梵鐘頓証菩提 説教二節馬子唄三節 
拝み終えばその場を立ちて これに続いて姫君様よ  
お墓参りを致さんものと 姫のお墓はいずこと問えば  
いつもそなたが折り返される 墓所離宮の新小松原 
小松原にと葬りなさる 墓の標に恋塚標し  
花や線香や水まで入れて 持たせ行かんせ日暮れじゃ程に  
そこで三太が別れを致す 駒に鞭打ち新小松原 
小松原にと早やなるなれば 右の大官仰せの通り  
墓の標に恋塚と入れて さても綺麗な新墓ござる  
花や線香や水まで入れて 遥か下りて両手を合わせ 
南無弥梵鐘頓証菩提 我に焦がれし姫君様よ  
浮かび給えよ三太でござる 説教二節馬子唄三節  
拝み終わればその場を立ちて 西や東と見廻すなれば 
最早その日は黄昏時分 誰ぞ一人も人影もない  
そこで三太も若気の至り 死んだ姫君拝まんものと  
いっそのことなら掘り上げんものと 卒塔を合わせて小葉かきのけて 
先ずは一番おん鍬立てよ 一鍬掘りては南無阿弥陀仏  
二鍬掘りては法華経唱え 鍬の間に間に馬子唄うたう  
えんやえんやと掘るその中に 最早刃先ががん堀に当たる 
縄を解いて開いてみれば 頃は三月十五夜の月  
朧月夜にすかして見れば 髪は剃らずに島田に結うて  
顔に少しの薄化粧なさる 生きた姿で葬りなさる 
生きてこの世にましますならば 美女か美男か天人すぐれ  
小野の小町か照手の姫か 天が下には二人とはない  
こんな綺麗な姫君様が わしの様なる賎しい馬子に 
焦がれ死にとはお愛しゅござる そこで三太が涙を零す  
零す涙が姫君様の 顔や口にと涙が落ちる  
三太為には嘆きの涙 姫が為には気付となりて 
死んだ身体に大熱がさす そこで三太が飛びたまがりて  
後ろよろめき逃げんとすれば げんの中より姫君様が  
紅葉のような手を差し出して お待ちなされよ山崎三太 
我を引き連れいずこへなりと いずこなりとも連れ行きなされ  
連れて行かんせお供を致す そこで三太は後ろに戻り  
赤土まみれの姫君様を 抱いて抱き上げ駒にと乗せて 
家に帰ろか伏見に往のか 夜のことなら伏見が良かろ  
伏見町をば夜更けて通る 心急いで大官様の  
御門先にと早や急がれる 門を叩いて門番呼んで 
申し上げます門番衆よ 昼の三太が姫君連れて  
夜道帰りを致されました 開けて下さい門番衆よ  
言えば門番飛びたまがりて 申し上げます大官様よ 
昼の三太が姫君連れて 夜道帰りを致されました  
言うて門番その場を下る そこで大官打ち驚いて  
余りこの身が嘆くが程に 狐狸の仕業じゃないか 
何はともあれ調べてみんと ほんの我が子の玉よであれば  
父が教えし武術の極意 受けてみらんせこの矢の先を  
きりりきりりと弓引きしぼる 切って放てばこの矢の先を 
一で来る矢を白歯で受ける 二番来る矢を手で受け止める  
三の矢もまた袂で払う まこと我が家の玉よの姫よ  
夜道帰りは枯木に花よ 咲くといえども咲いたが稀よ 
ご門開いてお通しなされ 七日法事が祝となりぬ  
是をついでに我が子の姫と 三太二人を夫婦にせんと  
馬子衆頭の藤六様よ 数多馬子衆皆呼び集め 
一の座がまた金崎町の 数多馬子衆と別れの祝  
二番座がまた金崎町の 母を呼び寄せ身受の祝  
三の座がまた姫君様と 三太二人の夫婦の祝 
祝終ればそのまた後で 余り三太じゃ御名が低い  
御名を変えましょ大和の三太 言えば三太は打ち喜んで  
もとは三太は公卿氏の生まれ 御名を変えましょ上総守と 
上総守にと御名が変わる 再び花咲く葵の花よ 
末は鶴亀世は御代の松
 
朝日長者口説き

 

山の始りゃありゃ富士の山 橋の始りゃ左京の橋よ 
寺の始りゃつよおか寺よ 鐘の始りゃ三井寺のかね 
国の始りゃ大和の国よ 私しゃ大和の朝日の長者 
昔から又朝日を守る 今は朝日の天罰かぶり 
末の世をつぐ男子がないよ 日頃念ずる我が氏神に 
七日七夜の断食ごもり 御願成就はいかほどなるや 
松が千本杉千本よ 藤が千本藤棚かけて 
花を咲かして上げます程に どうぞお一人おさずけなされ 
それでお願い軽いぞならば 三つになる子を千人よせて 
一分ごはんをあられとまいて これを拾わせ上げます程に 
どーぞお一人お授けなされ それでお願い軽いとなれば 
金の鶏りゃ七十二羽 売って上げましょお授けなされ 
それでお願い軽いとなれば 石のとうろを一万灯篭 
金のとうろを一万灯篭 切って上げましょお授けなされ 
売って上げましょお授けなされ 言えば神様あらたに御座る 
三っになるよな御子をだいて この子そなたに授くる程 
この子成人七つの年に 長者屋敷に天火が落ちる 
家も系図も皆焼け落ちる 言えば朝日が申せし事にゃ 
苦しゅ御座らぬお授けなされ 言ってその子をおしいただいて 
急ぎ我が家におかえりなさる 一族親類皆呼びよせて 
名こそ改め真岡丸と 月日立つのもお早いもので 
長者屋敷にゃ天火が落ちる 家も系図も皆焼け落ちる 
そして朝日は病気となった 医者よ薬と早とり急ぐ 
されど験ない朝日のやまい とうと朝日は相果てまする 
野辺の送りも事賑かに 母お一人は歯をくみかねる 
そこであわれは真岡丸よ 殊に名高い金崎町にゃ 
小判千両で身を売りまする そこで母御が歯をくみまする 
そこで真岡が名を替えまする 名こそ改めさんざとやらに 
さんざもとより馬好きなれば 駒のたずなで月日を送る 
さんざ引いたるその馬こそは どんじょひばりに連銭芦毛 
鞍はしんちゅう青銅入りよ 綾の錦にゃ、きんらんつけて 
寒の師走も日の六月も 馬のたずなで月日を送る 
さんざもとより唄好きなれば 唄は馬子唄、字は法華経で 
法華経三の巻、くづして唄う さんざ唄声天地に響く 
山の木の葉も一度になびく 諸仏菩薩も高神様も 
勇み立ちます声え聞く毎に 川のなる瀬も一度にゃとまる 
空をまいゆくはげしい鳥も 暫し止って羽休みきく 
茶屋の女衆がそれを聞くときは 鑰子掻きゅとじ、のしふごかけた 
七十、八十のあの婆さんも 赤いゆもじをちょつと出しかけて 
さんざ恋しゅてのう飛びかかる さんざ通ればことうて通る 
ある日さんざが伏見を通る 
伏見町なる代官様の 壬生の判官伊予房公の 
末の代をとり玉代の姫が その日お家で短冊かいて 
遊ぶ所を唄にて通る さんざ通る時ゃ唄って通る 
そこで姫ごが申する事にゃ さてはきれいな声すぐやかに 
同じ女と生まれしからは あんな殿御にそいたものよ 
言えば小菊が申せし事にゃ あれは大和の朝日の長者 
昔しゃ朝日で威勢な暮し 今は世にないあわれなくらし 
下男しための勤めはすれど こんな処にゃ呼ぶこたならん 
言えば姫ごは飛び立つ如く 
姫は御前のおかごの鳥よ さんざ深山のおん法華経よ 
恋にこがれてやまいとなれり 医者よ薬と早取り急ぐ 
とされど験ない姫ごのやまい ある日父上、一間によんで 
もうし父上これききなされ どうせこの度相果てまする 
私死んだら髪ゆっておくれ 島田まげにて髪ゆっておくれ 
言って姫ごは相果てまする そこであわれは代官様よ 
泣いたばかりで保養にゃならぬ 野辺の送りをしてやりましょうと 
紫たん黒たん唐木をよせて 伏見町なる大工をよんで 
切りつ刻んで棺桶つくる 
四っの角には舞い立つ燕 中に舞い立つ鳳凰の鳥 
棺が出来たでゆかんをします 姫のたのみの髪結っやろ 
島田くずしの中改めりゃ 髪の中には書置きござる 
そこで代官封を切って見れば 我が死んだら是から八町 
八町南のその松原に わが身お墓をたむけておくれ 
さんざけかえし泥水なりと 駒のけたてた道芝なりと 
千部万部の経文よりも わしのためには供養になるよ 
そこで代官おなげきなさる 生きてこのこと夢にも知れば 
一人姫を死なせはしまい 
泣いてばかりは供養にゃならぬ 野辺の送りも事賑かに 
旗や天がい龍立までも 風になびかせ見事な事よ 
日にち立つのはお早いもので 四十九日に当たりし日には 
数多御寺のぼんさんよんで 花をたてかえ香をもたいて 
姫のためじゃとお経を上げる お経なかばにさんざが通る 
さんざ通れば唄って通る それで代官それききつけて 
小者出て見よさんざじゃないか そこを通るはさんざじゃないか 
こちの代官御用があるで 前の往来駒打ちじきに 
そこでさんざが思いし事にゃ 
聞けばこの町、とむらいそうじゃ それに一つの馬子唄うたい 
それが一つの不調法とあれば 何と御わびを致さんものと 
表口より三っ指ついて 御用如何とうかがいければ 
そこは表だうら口にまわれ そこでさんざはなお気にかかる 
裏にまわって三っ指ついて 御用如何とうかがいければ 
そちは大和のさんざじゃないか 末の代をとる玉代の姫が 
恋にこがれて相果てました 言ってさんざに書置き渡す 
そこでさんざが打ち驚いて わらじひもときせんさくなさる 
奥の一間の位牌の前で 
法経七節馬子唄三節 といてしまえば白木の位牌 
白木位牌がゆらりと靡く そこでさんざが打ち驚いて 
庭にとびおり手に鍬もって 松原めがけて早や急ぎゆく 
おぼろ月夜にすかして見れば そこにきれいなお墓がござる 
御墓取りわけ四方にまくる 四方浄土と土かきわくる 
一鍬ほって南無阿弥陀仏 三鍬ほってかお棺にとどく 
棺のふたおばおっ取り見れば さてもきれいな姫御の死骸 
さんざ涙が、口にと落つりゃ ほっと息つき目を見開いて 
そこに居るのはさんざじゃないか 
そこでさんざが手に手をとりて 死んだ姫御の死骸を上ぐる 
そこでさんざが思いし事にゃ 伏見町へとかえりしものか 
大役町なら私の在所 死んだ姫御を背中において 
伏見じゃと急いでかえる 門の入口姫御をおろし 
開けて通され門番衆よ 死んだ姫御のかえりじゃ程に 
そこで門番申せし事にゃ 死んだ姫御のかえりと言えば 
狐狸のしわざであろうと そこを代官それ聞き付けて 
狐狸のしわざであろうと 開けて通せよ門番殿よ 
そこでさんざがすらりと通る 
前の玄関姫御をおろす そこで代官大よろこびで 
日をも改め五日とやらに 一家親族皆よび集め 
結び婚礼申すみまする 
そこでさんざが代官となり 御国まわりも事賑やかに
 
愛本粽口説き

 

日本三橋世に囃された 越中愛本その跳橋も  
時世変われば黒鉄橋と  今は変わったその愛本に  
昔ながらの粽がござる さても不思議な粽の由来 
申し上げるもはばかりながら それは見もせぬ昔の事よ  
ところ愛本その橋詰に 茶屋を渡世の徳左衛門の夫婦  
年も老い行く二人の中に 一人の娘のおみつがござる 
お光年頃器量が美人 諸国諸大名の旅人達も  
足をとめては茶を召し上がる 近郷近在若い衆達も  
おみつおみつと騒ぎはすれど おみつ何時かな顔さえ見せず 
ある夜戸締まり戸口を見れば 縁に置かれた二斗樽一つ  
堅い口張り〆縄張って 三日経っても音沙汰なけりゃ  
父親こっそり口取ってみたら ぷんと匂うた極上酒に 
我慢出来ずにあらかた呑んで あまり旨いので妻子に分けた  
酔いはいいのでごろりと寝たが 酔いの疲れに寝過ぎた夫婦  
慌て戸開けりゃ早日が高い 掃除するやら朝飯出来た 
おみつどうしたまだ起きやせぬ おみつおみつと母御が呼べば  
何の返事も聞こえもせぬよ そっと寝屋見りゃも抜けの殻に  
夫婦二人は気も狂うばかり おみつおみつと近所はおろか 
近郷近在毎日捜す 尋ね捜せど影さえ見えぬ  
さてはあの酒悪魔の酒か 誘う悪魔にかどあかされて  
娘今頃七裂八裂 可愛や食われて骨諸共に 
夫婦泣き泣きその日を仮に 菩提回向と念仏ばかり  
明日は娘の早三年と 宵のうちから燈明上げて  
泣きの涙でお参りすれば 開けて開けてとわし呼ぶ者は 
確か覚えの娘の声じゃ もしや変化の者ではないか  
見れば確かに娘のおみつ 懐かしいやら嬉しいやらで  
抱き込むよに戸を開け入れて 娘泣き泣き言う事聞けば 
私ゃあの晩ある若者に 誘い連れられ縁づいたほどに  
今は身重でもう産月と どうぞ産ませて下さいませと  
それにつけても願いがござる 私ゃ産屋に入ったるならば 
見たり覗いたりして下さるな 言うて娘は産屋に入る  
されど可愛いや娘の初産 見ずにいらりょか放ってもおけぬ  
そっと寝屋見りゃ大波小波 蛇の子を産み泳がせ回る 
あっと叫んだ母御の声に 娘おみつは部屋より出でて  
見ない約束見られたからに 何を隠そう三年前に  
私嫁いだ愛本橋の 淵の主たる大蛇でござる 
さても正体見られたからは 二度と再び会われもしない  
ここに持ちたるこの粽こそ いくらたっても変わらぬ粽  
委細教えてさらばと消える 橋は昔と変わりはしたが 
淵の面影昔のままよ 茶屋の粽のその香りこそ  
今に伝わる愛本粽 からむ大蛇のその物語  
伝え語るもやれ恐ろしや 
 
石童丸口説き1

 

月に群雲花には嵐 加藤左衛門繁氏様に  
蛇がからんで二匹となりて 障子に映りし女の嫉妬  
驚き給いし繁氏様は 妻も側女も振り捨て給い 
高野のお山へ登らせ給い 時の御台の千里の姫が  
身重なりしが十月となりて 玉のようなる男の子供  
これぞ議題の石童丸ぞ 流れ流れし月日は早い 
やがて石童が十四の春に 親に焦がれて高野の父ぞ  
逢いたい見たいのその一念で 母を伴い手を取りあえば  
慣れぬ旅路の石童丸も ついに高野の麓に来れば 
明日はお山に登らんものか 日頃夢見し高野の父に  
お顔見んとて心が弾む ここに哀なれその物語  
聞いて驚き二人の前に 宿の亭主は両手をつかえ 
申しあげます旅人様よ 高野のお山のその掟には  
弘法大師の戒めありて 女人禁制の定めが御座る  
聞いて二人が涙に沈む これは何事我子の袖に 
情けないぞや石童丸よ 母はお山へ叶わん時に  
そなた一人でお山へ登れ 聞いて石童が涙をこらえ  
母に暇を告げさせ給い 登り疲れし石童丸は 
石を枕でその夜は明かし 父のありかを尋ねて見れど  
父かと思う人にも会わん やがて向うの無明の橋に  
苅萱道心繁氏こそは 我子知らずに寄り添い来る 
見上げ見下ろす親子の顔が 袖と袖とが交わりたれど  
親子名乗りは修業の邪魔と 心誓いし左衛門なれば  
探すそなたの父親こそは 今はこの世の人ではないと 
涙こらえて我子を帰す 聞いて石童只泣くばかり  
哀れなるかや高野を下る やがて玉屋のお茶屋に来れば  
母は空しくあの世の人に 前後忘れてあの母様よ 
神も仏も見離されしか 形見残りし黒髪抱いて  
天を仰いて心に想う 母もなければ父親とても  
最早尋ねる人さえない身 情け下さる高野の人を 
尋ね行くより詮ないものと またも石童は高野の山へ  
どうぞお弟子にして下さいと 一部始終を涙で語る  
それを聞いたる繁氏様よ 哀れ我妻仏となれば 
今は我子と名乗らんまでも 口に言わねど心の内に  
師匠と弟子との誓いを立てて 諸国修業の親子となりて  
命あるまで我等がために 御化導下さる念仏門が 
今も残りし高野の山に 親子地蔵さんその物語
 
石童丸口説き2

 

あわれなるかや石童丸は 父を尋ねて 高野に登る 
女人禁制 おきてを守る 母を麓の 玉屋の茶屋に 
預けそのまま 山へと登る 九百九十の 寺々めぐり 
尋ね回れど 行方は知れぬ 迷い来たのが 無明の橋で 
親子二人が 出で会いなさる 親も知らねば 子は尚知らぬ 
そこで石童 申することにゃ 申し上げます 御僧様よ 
わしが父なる 今道心を どうぞお慈悲で 教えてたもれ 
言えば御僧の 申することにゃ 九百九十も ある寺々に 
昨日剃ったも 今道心じゃ 去年剃ったも 今道心じゃ 
同じ道心 その数知れぬ 人に尋ねる その道筋は 
国と所と 我が名を書いて 丁目丁目に 高札立てて 
凡て七日か 十日の内に 尋ね会えれば よい方でござる 
聞いて石童 うち喜んで 申し上げます 御僧様よ 
書いて下され その高札を 言えば御僧の 申することにゃ 
ここは高野の 山坂道で 紙もなければ 書く筆持たぬ 
女人堂まで 下っていって 書いてあげましょ その高札を 
言うて二人は 女人堂に下り 玄関口にぞ 腰うちかけて 
硯引き寄せ 墨すり流し 筆と紙とを 両手に持ちて 
国は何処か 名は何某か 言えば石堂が 申することにゃ 
国を語るは 恥しけれど それを言わねば 高札できぬ 
筑後 筑前 大隅 薩摩 肥後と肥前の 六っの国の 
守護と仰がる 御大将の 加藤左衛門 重氏様の 
忘れ形見の 石堂丸と 聞いて御僧 うち驚いて 
筆と紙とを からりと落とす 
ちょと音頭さん ここらで休もう 
 
石童丸・苅萓(かるかや)口説き3

 

過ぎし昔の その物語 国は紀州に その名も高い 
峰に紫雲の たなびきまして 高野山とて 貴き山よ 
哀れなるかや 石童丸は 斯る難所を たどたど歩み 
顔も知らざる 父上様が 此処のお山に おざすと聞いて 
たずねさまよい 行く谷道の 後や先なる 右手の岩間 
左はけわしき やまおろし 不動の坂おば 見上げて通る 
文も通わぬ 丸木の渡し 心細道 頼りの杖で 
身をば託して 行く先とえど 岩根の松の 木の影に 
打ちかけまして やすらい給う 加藤左衛門 繁氏様は 
髪をおろして 名を苅萱と 変えて仏法 修業のために 
昼夜に限らず 此の山坂を たどり行くのも 後世のために 
親子奇縁か 石童丸は そばに思わず 立ち寄り給い 
申し上げます ご出家様よ ここのお山に 今道心よ 
男たずねる 其の人さんの 俗の名を云い たずねてよかろう 
たずねますのは 父上様で 私二つの その年わかれ 
元は筑紫の 松浦等党の 加藤左衛門 繁氏様と 
聞いて驚き 我が子であるか 既に取りつき 給わんものと 
思う心を ようよう静め ご仏前にと 誓いを立てし 
事は此処ぞと ヨソヨソしくも 年も行かぬに 遥々此処へ 
慕い来たりし その志 誠父上 聞き給われば 
さぞや嬉しく 飛び立つように 思い給わん さりとては 
此々のお山の 習いというは 例え廻り 合うたればとて 
名乗り合う事 勝手ならず 早く故郷へ 立ち帰られて 
母御大事に かしずき給え それが一つの 孝行なりと 
教え諭せば 石童丸は 国は大内に 攻め悩まされ 
母も諸共 此のふもとまで 父を尋ねて 参りしなれど 
旅の疲れに 煩いまして 命ある内 父上様に 
一目逢いたい 見たいと歎き 哀れふびんと 思われ給い 
父の在所を ご存知ならば 教え給えと 目に持つ涙 
さえ兼ねたる その有様を 見るに苅萱 心の内で 
我が父ぞと 名乗らんものと もったいなくも 師の戒めと 
云うて遙々 尋ねて来たに 知らぬ顔なり 見ぬなれば 
ふびん増さりて どうなるものと 胸にせき来る 血の涙をば 
堪え兼ねてぞ 思わずワッと 声を立ててぞ 歎かせ給う 
情けないかな 世の境涯は 思い出ずれば 様々変わる 
我が発足も 昔を捨てて 出家堅固で 此の年月を 
送る中にも 我が妻や子は 最早今年で 幾つになると 
念珠繰りては そのことばかり 思う所を 今日此の道で 
めぐりめぐりて 我が子にあうは よもや仏も ご存知なかろ 
親子一世と 伝ゆれば たった一言 物云いたいが 
立てし誓いは 破りもされず ここで合われぬ 事ならなおも 
未来永劫 合う事ならぬ 何としようか どうしょうものと 
胸にむせびて 心の内は 既に行くえも 知れざるよし 
我はともあれ 母上様が 焦がれ死んでも なさりょうならば 
何としようか そればかりが 私ゃ悲しや ご出家様よ 
人を助ける 役目と聞けば 哀れふびんと 思われまして 
父にたよりの 人でもあれば さがし下さり ましょうものと 
口説き悲しむ 心の内を 思いやられて 繁氏様は 
胸をさく様な 思いをかくし ふくさ包みの 薬を出して 
これは師匠が 二万度の護摩を たきにたかれて 調合ありし 
まこと尊とき 妙薬なれば 母に用いて 看病あれよ 
そこな道筋 難所であれば つかれ足では なかなか行けず 
廻れば 花坂云うて 平地同然 馬かごあれば 
急ぎお山を 下りるがよいと 心強くも やりければ 
涙ながらに 石童丸は 薬片手に おしいただいて 
是非もなくなく 別れて帰る 道に必らず まよわぬ様に 
彼方此方の ことこまやかに 教えながらも 苅萱殿は 
心もとなく 気づかいなさる ふと気が付き ふりかえり見て 
迷いましたよ あやまりました 今世・境 必然・後生 
いずれ我が子と 思いましょうが 誠師匠に 面目なしと 
着たる法衣の そで打ち払い 己がたずねる 繁氏様は 
此処のお山に おわせしなれど 諸国修業に 出でさせ給う 
今は行方も 知らざる程に 急ぎ下山し 母親様の 
病気介抱 召さるがよかろう 聞いて石童丸 涙を流し 
情け無いぞや のう浅ましや 父はお山に 御在せしも 
泣かぬ顔程 なお又つらさ それと悟りて 石童丸は 
さよう御難儀 なされし上は もしや貴僧が 父上様か 
早う聞かせて 下されませと そでにすがれば 繁氏様は 
共に引かるる 恩愛ゆえか 既に親ぞと 心も乱れ 
今名乗って 聞かせんものと 思う心に 後の山 
岩の影より 声高らかに 義恩に無意の 誓いを忘れ 
給うまいぞと 師の教訓に 前後忘れし 苅萱ひじり 
夢の心に 聞こえし故に 縁に引かるる もづな故に 
見えつかくれつ 別れ行く 
 
石童丸口説き4

 

昔語りを聞くさへいとど 哀れなるかや石童丸は 
父の行方を尋ねむ為に 母を麓の玉屋が茶屋に 
預けそれより高野に登る 幼な心のいと優しくも 
九万九千の御寺々を 尋ね巡れど行方が知れず 
是非も泣く泣く若君様は フシ・奥へ参らせ給ひけり 
ハア・折節父の刈萱こそは 花の御番に当らせ給ひ 
花の御籠手に持ちて 下へ下らせ給ひし時に 
隠れ御座らぬ無明の橋で げにや親子の奇縁が不思議 
両方互いに行き逢い給ひ そこで若君かの御僧の 
袖を控えてのう御僧様 剃りて間も無き今道心が 
もしも御山に坐すなれば 教えや給へと涙と共に 
問はで給えばかの御僧は さては御言葉愚かな稚児よ 
 そんな尋ねをしたなら仮へ 何時が何時まで尋ねたとても 
知れることではなきぞや エイ これ此れな子 
人を尋ねて遂知れよいは そんじょ某何右衛門とて 
書いて立札建て置くなれば 逢うと思へば添書をする 
否と思へばその札を引く 凡そ二日か三日で知れる 
されば左様の事にてあれば どうぞ情けに其の札を 
書いて給はれのう御僧様 ハア嘆かせ給ふ 
易き事なり書き得させんと されば館に御座れや御稚児 
茅堂までナア 行かうずものよサァ 
いたら寄るもの語るもの 
さてそれよりもかの御僧は 石童丸を我が子と知らず 
茅堂まで連れ行き給ひ 国は何処ぞ名は何といふ 
名告り給へとありければ されば国こそ筑紫に於て 
松浦左衛門重氏殿よ 頃は三月上旬の頃 
御一門中が寄り集まりて 花の御会をなされし時に 
父の持ちたる御杯に 蕾一房吹き入れければ 
是を菩提の御種として 都方なる新黒谷で 
髪を下して高野に登る 父の御年二十歳や三歳 
母の御年十九歳にて 姉の千代鶴三の歳に 
吾は胎内七月半で 見捨て置かれし嬰児なるが 
生まれ成人名を石童丸と 聞くに御僧筆をば捨てて 
ハア・包むに余る涙の体を 見るに若君さて不思議やな 
御僧様こそ筑紫の訛 殊に話に御落涙は 
さては尋ぬる父上様か 名告り給へと泣き給ふ 
ハアかの御僧は 不審尤もさはさり乍ら 
御事尋ぬる今道心と 吾は即ち相弟子なるが 
是非も無きかや尋ぬる父は 遂に空しく過ぎ行き給ひ 
日こそ多けれ今日命日と 騙し給へば石童丸は 
たわい涙にくれ給ひしが せめて悲しき父上様の 
御墓所を教えてたべと 嘆き給へばおお道理なり 
いざや教へん此れぞと言ふて 何の故なき無縁の墓を 
教え給へば石童丸は やがて卒塔婆に抱きつき縋り 
声も惜しまず泣き給ひしが  
袖に涙のナア 溜り水よさァ  
澄まず濁らず出ず入らず 
 
石童丸口説き5

 

月に村雲花に風 散りてはかなき世の習  
咲き出でにける山櫻 眺め楽しむ春の空  
酌む杯にちらちらと 散り込む花の 一ひらに  
加藤左エ門氏繁は 娑婆の無常をさとりつつ  
國に妻子を振り捨てて 諸国修行に出で給  
時に御臺の千里姫 身重なりしが 程となく  
玉の様なる 子をあげて 石童丸と申しけり  
まだ見ぬ親に恋こがれ 石童丸十四の春の頃  
父は高野におはすると 風の便りにききしより  
母の御臺と手を取りて なれぬ旅路にたどりつつ  
紀の国さして出でにけり 日々にものうき草枕  
遂に高野のふもとなる かむろの宿に たどりつき  
玉屋が茶屋に宿をとり 明日は御山に登らんと  
旅の疲れもうち忘れ 母は我が子にうちむかい  
日頃年頃雨風に こがれしたいし父上の  
御顔見んも遠からず 必ずこころを落すなと  
ここに不びんの物語 宿の亭主はもれ聞いて  
二人の前に出て来り 申し上げます旅の人  
高野の山のおきてには 弘法大師もいましめに  
女人は御山に登られず 聞いて御臺はおどろいて  
我子の袖にぞ取りすがり なう情けなや石童丸よ  
母は御山に登られず 汝一人で登るなら  
父の人相を教ゆべし 父は人よりせい高く  
左のまゆげにほくろあり 筑前なまりの人なるぞ  
それを称呼に尋ぬべし 言われて石童悲しみの  
涙ながらに立ち上り 母に暇を告げながら  
父を目的に高野山 杖にすがりて不動坂  
登り疲れて石童は 日も入合の暮れがたに  
外の不動に参りては 南無大せうの不動尊  
石童是迄参しは ただ父上にあわんため  
何卒逢して下されと いと殊勝にふし拝み  
此の夜は御堂にこもりてぞ ひじを枕に笠屏風  
泣き泣き眠りし哀れさよ 三更四更と夜もふけて  
五更の空も白み行き はや寺々の 暁のかね  
それより御堂を出でで 漸く御山へ登りける  
九萬九千の寺々や 峰々谷々そこかしこ  
七堂がらんの 隅々に 父の在りかを尋ねれど  
父かと思う人もなく 泣き泣き参る奥の院  
十八丁が其のあいだ 右も左も五輪塔  
前も後ろもそとばにて いともの凄き道すがら  
音に名高き玉川の 無明の橋にさしかかり  
はるか向を見渡せば 苅菅道心氏繁は  
圓空坊とぞ改名し 左手に花籠携えて  
右手に珠數をばつまぐりて 光明真言唱えつつ  
奥の院より歸るとき はからず遇いし石童と  
互に親とも我が子とも 知らねば側に寄り添て  
見上げ見下す顔とかお 石童丸の 振袖と  
苅菅僧御衣の 袖と袖がもつれしは  
親子の因縁深かりし 其の時石童苅菅の  
衣の袖に取り縋り 物尋ねまする御僧よ  
此れなる御山の其の内に 今道心はおわさずや  
どうぞ教えて賜われと 言われて苅菅聞くよりも  
見れば幼き一人旅 腰に差したる小脇差  
某加藤を名のる時 拜領致せし刀なり  
扨ては不思議と思え共 ぼんのう我身に起りしと  
我と心を取り直し 石童丸に 打ち向い  
如何若年なりとても 疎々な物の尋ねよう  
千萬人の御僧たち 容易に尋ね出されまじ  
若も遇わんと思うなら 八方八口に張をせよ  
遥かに見ゆる彼の森が あれが御山の張札場  
聞いて石童涙ぐみ 哀れ御慈悲に其の札を  
御書きなされて下されと 強いて願えば苅菅は  
我は途中のことゆえに 矢立も持たず筆もなし  
我が庵室に来るなれば 其の札買いて進ず可し  
聞いて石童喜んで 御連れなされて下されと  
願は苅菅憐れみて 石童丸の手を引いて  
草のいほり連れ来り 草鞋を脱がし上にあげ  
硯引寄せ筆を取り 国は何国名は何と  
国は筑前苅菅の 文武二道に秀でたる  
加藤差エ門氏繁は 身が父上であるなりと  
名乗れば苅菅驚いて 持ちたる筆を取り落し  
暫し涙に暮れければ 石童それと見るよりも  
泣かせ給うは不思議なり 是は御僧何故ぞ  
我が父なれば片時も 早々名乗りて給えかし  
言われて苅菅思うやう 扨ても我が子かなつかしと  
言わんとせしが持てしばし 二度親子の名乗りをば  
せじとのちかは破られず せき来る涙を押し止め  
我は父にはあらねども 其の苅菅と申ししは  
吾が友達でありしかど 去年の秋の末の頃  
重き病をわづらいて 冥土の旅に出で立ちぬ  
かかる事をば露知らず 海山越えて遥々と  
尋ね来りし汝をば 空しく歸す不びんさよ  
思はず涙こぼせしよ 聞くに石童地に伏して  
はっと斗りに泣き沈む 漸く涙を押し拭ひ  
是は誠か御僧よ はかなくなりし上からは  
定めて印は有るならん 哀れせめては其の墓を  
教えて下され給えかし 今道心の御僧は  
涙ながらに立ち上り 其の頃立し新しき  
石碑の前に連れ行きて 是が汝の父上の  
はかなくなりしその跡ぞ 言われて石童涙ぐみ  
かねて用意の麻衣 それを石碑に打ち掛けて  
父上菩提と拝み上げ かくなられしとは夢知らず  
母上様と諸共に 遥々尋ねて来りしが  
母は麓に残し置き 私一人で是迄でも  
尋ね来りし折柄も 御果てなされし其の様子  
草葉の陰に聞き給へ それに掛けたる御衣は  
我が姉上の御土産と 持って来りしかいもなし  
父の石碑を撫でながら せめてお声が聞きたしと  
袖にしぐるる涙あめ 現在実父の苅菅は  
このくり言を聞くにつけ 胸張り裂けんばかりにて  
思わず知らず泣き沈む ようよう涙の顔をあげ  
如何にも道理はるばると 野山を越えて尋ね来て  
世になき人と聞く柄は 名残り惜しきは無理もなし  
とは言い乍ら是非もなし 歎くは佛の為ならず  
一度麓へ下りられて 母上様に此の訳を  
話して回向なし給え 是は御山の御開山  
弘法大師の御供の物 母への土産につかわさん  
言われて石童嬉しげに 涙ながらに立ち上り  
押し頃いて下りける 哀れなるかや母上は  
我子の帰りの遅き故 行衛いづくと案じられ  
持病のしやくになやまされ 空しくなられし悲しさよ  
石童それとは露知らず 玉屋が茶屋に下り来て  
草鞋を脱いで足すすぎ 奥の一間に駆り行き  
襖を開き手をつかえ 母上様よ石童が  
只今帰りて参りしよ 言えども言えども答えなし  
是は不思議と立ち寄りて 様子を見ればこはいかに  
惣身既に冷え渡り 石童見より驚いて  
思わず知らず声を上げ 前後を忘れ泣き沈む  
助け給えや南無)大師 漸く涙を押し止め  
野辺の送り営みて 形見に残る白骨を  
涙ながらに拾い上げ 天にも地にも分ちなき  
父上様に生き別れ 母上様には死に別れ  
心細くも只独り 最早尋ねるものはなし  
如何に吾身を致さんと 天にも仰ぎ地に伏して  
なげく心の哀れさよ 石童丸のおもうには  
高野へ登りし其の時に 憐れみ受けし御僧よ  
尋ね行くより詮もなし 彼の僧尋ねて参りなば  
救けくれんと思い立ち 亦も高野へ尋ね行き  
萱のいほり戸打ちたたき 何卒御弟子になし給へ  
言われて苅菅是非もなく 終に御弟子となし給う  
其の後互に親と子が 師匠よ弟子よと名乗りつつ  
打連れ立ちて国々を 修行なしつつ信濃なる  
国を住居に定めさせ 師弟と名乗るばかりにて  
誓いは親子諸共に 命おわるに至るまで  
親子と名乗り給わねど 親御も地蔵の化身なり  
子もまた地蔵の化身なり 今なほ昔の物語り  
高野の山の蓮花谷 音に名高き苅菅堂  
親子地蔵とのこりけり 
 
伊呂波(いろは)口説き1

 

四十八文字いろはの口説き 国を申せば日向の国で  
寺の名前は円通寺と言うて 和尚の名前が古月(こけつ)の和尚  
和尚は一代名は末代と 死んだ後までその名は残る 
古月和尚の作らせ給う 四十八文字いろはの口説き 聞いてたしなめ世の人々よ  
いとけないもの愛して通せ  
老は敬い無礼をするな  
腹がたつとて皆まで言うな 
憎み謗るも皆わが身から  
誉めて貰うて高慢するな  
隔てある中遠慮になされ  
隣近所と物言いするな  
    近い間はなお垣をして  
    理屈あるとも皆まで言うな 
    盗み隠しは大禁物よ  
    流浪するもの愛して通せ  
    親に孝行火の元大事  
若いときには皆それぞれに  
家業励むが第一番よ  
よきも悪しくも人事言うな 
たとえ身分が賎しいとても  
礼儀作法は怠るなかれ  
粗略者だと言われぬように  
    常の身持ちが第一番だ  
    寝ても覚めても身は正直に  
    何が無いとて世を恨むなよ 
    楽な身過ぎはただ一人も  
    昔故人の教えを守れ  
浮世世渡りゃ一夜の宿よ  
今の難儀を忘れぬように  
後の世がまた大事でござる  
終わり果てねばわが身は知れぬ 
国の掟に背かぬように  
役儀勤めは辛抱に努め  
眼かすめてとん欲するな  
    剣の地獄はこの世にござる  
    不孝者だと言われぬように  
    心のままにはならないものよ 
    栄誉栄華はわが身の破滅  
    手前よいとてけんとにするな  
悪しき事なら真似にもするな  
三度食事に感謝を捧げ  
聞いてたしなめ浮世のことを  
夕べ聞きにし後世のことを 
滅多矢鱈にとん欲するな  
身の上大事と心にかけて  
死んだ後まで悪名が残る  
    絵知らざるとも諸芸のことを  
    暇な時には習うておけよ  
    もったいないぞや尊き教え 
    世界国々回りてみても  
    すんど大事は後世の道よ  
京も田舎もみな同じ事  
一に信心仏の位 西の浄土に安楽できる  
三途川よとおもむく時は 死出の山路を衣にかけて 
ご縁如来の法談とかれ 六字名号いただくものは  
七宝荘厳極楽世界 山ほどご恩のある親さまへ  
国を離れてその行く先は 尊き教えを身胸にいだき  
百度参りを幾たびしても 千部お経を読んだとしても  
万に一つの悪事をするな 奥の深いが南無阿弥陀仏  
兆で収めるいろはの口説き
 
伊呂波口説き2

 

幼なきをば愛して通せ 
老は敬ひ無礼をするな 
腹が立っても過言は言ふな 
恵み受くるもわが心から 
誉めて貰はば高慢するな 
隔なきをば遠慮におもへ 
隣近所に不通をするな 
    近きなかにも叉垣をせよ 
    理屈あるとも皆まで云ふな 
    主によりては大事なことよ 
    流浪人をば憐み通せ 
    終り果てねば我身もしれぬ 
若き間はその道々へ 
稼業大事と浮世を守れ 
善きも悪きも人事云ふな 
例へ貴きも叉賤しきも 
礼儀正しく浮世を渡れ 
疎略者じゃといはれぬやうに 
    常に身持も大事なことよ 
    寝てもさめても只正直に 
    何がないとて世を恨みるな 
    楽な身すぎは独もないぞ 
    報い報いに貧富はあるよ 
恨みあふなよ此の世のことよ 
今の難儀を思はばなをよ 
後の世も叉大事なことよ 
親へ当て付け不孝をするな 
国のおきては大事に守れ 
役をするなら正路にさばけ 
眼かすめてどん欲するな 
    剣の地獄へ此の世でおつる 
    不実おちどの其の有るときは 
    ここに日頃の怨みがござる 
    栄ようするみは苦を見るもとよ 
    手前善とて権威を出すな 
悪しきことなら必ずよけよ 
酒を喫ば内場にあがれ 
聞いて嗜め浮世の事を 
油断するのは落度のもとよ 
滅多無性にどん欲すれば 
店をほろぼし人ほろぼすよ 
知らぬ事なら大事と思へ 
    ゑらべざりける諸芸の道を 
    日頃心を尽して習へ 
    文字書かねば愚鈍なものよ 
    世間知らねばうきよも知れず 
    直にこころを用いて習へ 
京も田舎もみなをしなべて上下万民心にかけよ 
 
伊呂波口説き3

 

四十八文字いろはの口説き 女の性(さが)は三つ顔をもつ  
ひとつ幼いねんねのお面 ふたつ香し(かぐわし)女人(にょにん)のお面  
聞いてくださいこの思いの丈を 三つ噛みつく鬼夜叉の面   
四十八文字いろはの口説き 聞いてたしなめ世の男ども 
色に染めてね 貴方の好きな  
路地に咲いた 真っ白な花  
肌に感じる 似た者同士  
似合いの二人 顔すり合わす 
惚れた弱みで みな目をつむる  
下手なあいづち 指からませる  
問わず語りか 私独り言  
   力のかぎり 強く抱きしめて  
   律儀に守る 心の扉  
   拭いきれない 心の乱れ  
   流転もさだめ 初めての恋  
   女になるわ 振り返らない  
私貴方を すべて独り占め  
勝気な女 内気を隠す 
選り取り見取り 貴方の好み 
立てば芍薬 歩む百合の花 
蓮華の花で 二人の世界 
そばにおいてね 何時いつまでも  
   つきまといたい 煩わしいか 
   ねんねじゃないわ 感じる移ろい  
   ない物ねだり あきらめました  
   埒もないこと 皆放り出す  
   無理な願いが 女にさせる  
浮かれ一時 何も見えぬ 
今に生きるわ 貴方放さない  
野辺を埋める 真っ赤な花  
女の性は 炎に燃える  
悔しいけれど  追いかける  
やっと出会えた 大好きな人  
負けたくないが 優しさに負ける 
   今朝は一人か どこへ行ったの  
   振り返らない 面影ひとつ  
   声が聞こえぬ ささやき言葉  
   笑顔も消える 別れの時か  
   手の冷たさが 鬼夜叉にする  
愛の終わりは きっと来るもの  
避けたいけれど 潮時が来る 
季節も終わり 木枯らしが吹く  
夢も覚める 温もりはない 
目と目をそらす 心すれ違い  
身から出たさび 紅葉を散らす 
静かになんか 私死ねないわ  
   遠慮いらない 行ってください 
    一人に慣てる また人探し 
    もうお別れね 消えてください  
    背中を向けて 涙のみ込む 
    過ぎた思い出 思い出を消す  
運命ね 
ひとつ言葉で真心伝え 似合の二人思いを語れ 
見つめて強く手を握り締め 死ぬる思いを温めて(ぬくめて)示せ 
何時か芝居花見に舟遊び 無理は言いわけ茶屋飯食わせ 
七宝届けよ櫛とかんざし 八重の願いがさし叶うもの 
苦労お披露目親類縁者 嫁ぐ白無垢角隠し見よ 
百年の恋気を引き締めて 千にひとつも浮気をするな 
万にひとつも願えば叶う 億土はいずこ二人で歩め 
蝶よ花よといついつまでも
 
魚津小町口説き

 

頃は八月日は十五日 お墓参りで和尚様見染め  
見染め合い染め念かけ染める 文を渡そと苦労の末に  
鹿の巻き筆五色の紙に おしげ想いを残らず書いて 
書いて包んで状箱に入れる 文の遣いを番頭に頼む  
さあさお願い円乗寺様へ 夜のこととて大門閉まり  
声を張り上げ和尚様呼んで 用事ありげに状箱渡す 
待てど暮らせど返事がないぞ 我慢しかねて恋するおしげ  
逢いたい見たいのその一念が 暗い夜道の霧草分けて  
夏のことなら雨戸も立たぬ 藍の唐紙さらりと開ける 
和尚和尚と二声三声 和尚聞きつけ枕を上げて  
夜中めがけて起こすは誰じゃ 迷いでもない変化でもない  
文を渡いたおしげでござる 和尚よう聞けよう聞かしゃんせ 
文の書き数七十や五文 書いて渡せど返事もないが  
返事ないので我慢がならん 高い山にも届かぬつつじ  
咲いて乱れることさえあるぞ 川原柳は何見てなびく 
水の出端でひそひそなびく 私ゃ和尚の心になびく  
通うて落ちねば迷うて落とす そこで和尚の申することにゃ  
おしげよう聞けよう聞かしゃんせ 七つ八つで小僧となりて 
和尚よ和尚よと呼ばれるまでに 如何に苦労や重ねしものか  
おしげお前と色恋なれば 長い苦労も終わりとなりて  
寺を追われる挙句の果てに 無見地獄に落ちるが嫌じゃ 
お前と添う気は更々ないよ そこでおしげの申することに  
たとえ地獄に沈もうとままよ かけた念力落とさにゃおかん  
どうぞそこの世で添われぬならば 裏の川へと身を投げ捨てて 
三十五尋の変化となりて お前落とさにゃ心が済まん  
どうぞ私と夫婦の契り 両手合わせて頭を下げる  
今は和尚も詮方なしに 嘘の言葉でおしげを返す 
後で手早く荷物をまとめ 人に隠れて夜の間に逃げる  
寺を離れて七日の後に 和尚逃げたる噂が立ちて  
おしげ狂乱心も乱れ 天を仰いで大地をたたき 
声を哀れに唯泣くばかり 和尚入水なさる 
人の一生ははかないものか 諸行無常と鐘の音淋し 
おしげ悲恋の其の物語り  聞いて下さい皆様方よ
 
魚津蛇石口説き

 

加賀は百万栄えた頃よ 所越中魚津の在に  
片貝河原のその又奥に 御殿御用の材木積んだ  
それが一夜に流れてしまう 積んでも積んでも流れてしまう 
なぜにどうして流れるのやら 不思議に思いて村人達が  
見張り立てさせ様子を見れば 急に雷谷間に響き  
水の中より現れまする さても恐ろし大蛇の姿 
嵐呼んでは大雨降らす 積んだ材木流してしまう  
丁度その時三太と言うて 信州渡りの狩人おりて  
それが不思議な鉄砲持ちよ 金と銀との訳ある玉で 
妖怪変化も皆打ち砕く そこで村人三太に頼み  
どうぞ大蛇をしとめてくれと 言えば三太が引受なさる  
そこで三太の生立聞けば 国は信州木曽山生れ 
三四十二の幼い年に 父の後継ぎ狩人なりて  
辛い修行の毎日送る やがて二十五のその年なれば  
一人前の狩人なりて 村をはなれて諸国を回り 
とった獲物は数さえ知れず 狩の名人三太となりて  
今日は片貝村人達の 願い聞いては断りきれぬ  
細い険しい山坂道を 辿り着いたる刈又谷よ 
待つ間しばしの妖しい気配 霧か煙か俄かに曇り  
ためし透かして漸く見れば 岩に巻きつく大蛇の姿  
三太慌てて鉄砲を肩に 的を定めて引金絞り 
銀の玉をば打込みなさる 確か当った筈ではあるが  
なんの手応えないどころかよ 大蛇怒って鎌首もげた  
赤い眼で睨みをつける 三太めがけて襲いやかかる 
三太震えて足踏み締めて 狙いすまして金色玉を  
打てば木霊は谷間に響き しばし透かして漸く見れば  
大蛇射たれてのた打ち回る 岩に巻きつく最後の姿 
ぱっとその時霧晴れまする 谷間眺めりゃ五色の虹よ  
虹の上には竜神様が 形かわりて天へと昇る  
さても不思議や蛇石口説き まずはこれにて終わりとなりぬ
 
伊勢屋口説き

 

国は豊後の高田の御城下 御城下本町繁昌な所  
角の伊勢屋という町人は 胆が太うて大事を好む  
一にゃ豊後の鉱山掘ると 九百九人の人夫を集め 
掘るも掘ったか三年三月 金は出でずにただ土ばかり  
二番目にゃまた日向にまわり 日向殿様お金を借りて  
西や東の木こりを集め 桧千石樺千石よ 
それを都に積み出ださんと 思う折しも山汐出でて  
伐った材木皆悉く 行方知れずに押し流された  
三度目にゃ又火災に遇うて 家も系図も皆焼け失せて 
残るものとて石杖ばかり さすが伊勢屋も哀れな次第  
裏屋背戸屋の借家の住まい 朝の煙も程立てかねる  
伊勢屋子供が姉妹ござる 姉のお初は十六歳で 
妹お菊は十三歳よ 姉のお初の申することにゃ  
わしとお前のこの町さがり 水仕奉公致してなりと  
二人親御を養いましょうよ 妹お菊の申することにゃ 
昨日一昨日今日今までも 伊勢屋娘と言われし者が  
よその身奉公に使われましょか わしとお前の黒髪切って  
切ったその髪髪文字に売って 二人親御を養いましょよ 
言えばお初もその気になりて 寺に参りて和尚さんに頼む  
寺の和尚さん申することにゃ 親に孝行も数々あれど  
こんな孝行は今度が初め 奥の人間に二人を入れて 
文字四郎という剃刀で 一つ剃りては南無阿弥陀仏  
二つ剃りては法華経を唱え 四方浄土に髪剃り落とす  
姉の髪文字が七竿八竿 妹髪文字が七竿八竿 
髪文字髪文字と町売り歩く
 
安珍清姫口説き

 

国を申せば紀州の国で ここは熊野にまぎれもないが  
泊まり柳は庄司が館 行きや帰りの吸いつけ煙草  
それが昂じて寝泊りなさる 庄司館のかの清姫は 
器量のよいこと卵に目鼻 色の白さは雪にも勝る  
参詣帰りのそのつれづれに 庄司館にお泊りなさる  
奥の一間に安珍寝せて 夜の真夜中夜半の頃に 
表唐紙さらりと開けて 安珍安珍と小声で起こす  
安珍驚き早や目を覚ます 夢か現か迷いのものか  
言えば清姫申することに 夢や迷いのものではないぞ 
私ゃこの屋の清姫なるぞ もうし安珍見覚えあろが  
三月四月は袖でも隠す 最早七月袖ではゆかぬ  
連れて行かんせ安珍様よ 聞いて安珍申することに 
しときかたとき忘れはせねど 私ゃ熊野にりょうがん懸けた  
願をほどかにゃ婦人は連れぬ というて安珍夜抜けをなさる  
日高川へと急いで行きゃる もうし船頭さん頼みがござる 
後を追い来る女が一人 早くこの川渡しておくれ  
言えば船頭は心得まして 川のことなら船かみのぼし  
竿をさします魯を漕ぎまする やがてお船は川中ほどに 
そこで安珍申することに 申し船頭よ頼みがござる  
わしの頼みは他でもないが 後を追い来る女が一人  
後の女を渡しちゃならぬ 言えば船頭は申することに 
私ゃ商売船賃貰や 誰を渡さぬとわしゃ言えませぬ  
こんな船頭は不実なものよ 二人前なと船賃はずも  
言えば船頭が申する事にゃ 二人前さえ船賃貰や 
後の女は渡してやらぬ そうこうする間に向う岸に着いた  
少し上がれば道成寺さまで 門にかかりてくぼ笠脱いで  
ごめんなされと挨拶いたし 後を追い来る女が一人 
早く私を隠しておくれ 聞いて和尚は心得まして  
鐘を下ろして安珍隠す 後の女が船場に着いた  
船頭船頭と声張り上げて 早くこの川渡しておくれ 
そこで船頭が申することにゃ お上さまより伝えがありて  
ここは七日の舟止めされた どんな御用でも渡されませぬ  
聞いて清姫腹立てまして 船頭渡さにゃ自力で渡る 
櫛や簪笄土手に 着たる着物を柳の枝に  
履いた雪駄を脱ぎ捨てまして 日高川へとザンブと入る  
うろこ差出角いただいて 火炎吹き立て波押し分けて 
岸に着いたよ七畳半も 少し上がれば道成寺様よ  
門にかかりてハッタと睨み 和尚和尚と声荒らげて  
早く安珍渡しておくれ そこで和尚さん申することにゃ 
これに安珍近頃見えぬ そこで清姫うさんに思い  
他の寺では釣鐘下がる 鐘の下りたは不審でならぬ  
そこで和尚さん申することに 鐘の下りたに不審はなかろ 
鐘を下ろして造作普請 なおも清姫うさんに思い  
鐘を睨んできゃっきゃと騒ぐ 鐘を取り巻く七巻き半も  
火炎吹き立て尾ばちで叩く 哀れ安珍鐘もろともに 
溶けて流れて日高の川へ
 
阿南清兵衛口説き

 

頃は元禄四年の昔 阿南清兵衛惟雪さんは  
聞くも慕わし義侠の名主 当時日出領八坂の村は 
高は千石免六つなれば 上の運上極めて重く 
農家立ち行き甚だ難儀 時に秋作不作の年は  
家財道具を取り片付けて 子供年寄り引き連れ立ちて 
長の年月生まれし里を 他国他領と見知らぬ空に 
流浪するのが不憫さ故に 慈悲で義衛の清兵衛さんは 
後の祟りも頓着せずに 御領主様へと免下げ願う 
時に名君俊長公は 江戸に参勤おわするからに 
名主郡代呼び寄せられて 事の子細の吟味をなされ 
郡代殿には切腹なされ 名主様には牢屋の噂 
後にとかれて国へと帰り 御役はがれて尾羽打ち枯らし 
移り百姓で徳野が原に 暮らす義人の艱難辛苦 
余所の見る目も哀れさ余る まして病の床にと就けど 
医者も薬もままにはならぬ 誠こもれる妻子の看護 
相も空しく痩せ衰えて 今はこうよと見えたる間際 
我の亡骸本儀寺埋けよ 遺書も細々往生遂げる 
これが元禄八年二月 十日余りの七日に当たる 
後の村人義人の徳を 永く忘れで伝えましょうや 
もしも忘れちゃ それこそすまぬ
 
権三おもよの恋物語口説き

 

梅は咲く咲く 桜はつぼむ 
彼岸さくらも ちょいと色そえて 今を盛りと咲く ぱっとひらいて 恋ものがたり 
国は長門八重桜 萩御城下 御名を申さば えびす町筋に 上良進お医者でござる 
元はお医者は町医者なれど いまは 御殿の御先を為され 
それが内儀に「おもよ」というて 歳は四筋で余りが二つ 
ちたるおもよは 秀者にござる 二男息子に「権三」というて 歳は三七 男の盛り 
それにおもよが心をかけて 文をしたため 権三に送る 
見れば美し筆立てそうな 文の使いは うちわの下女よ ともに権三に 相惚れになる 
夜毎夜毎に塀を越えて 一夜二夜と たのしむうちに 
今夜 周防の山口辺に 「権三さまを」ともらいにかかる 
もらいかかれば行くはと成るは 日柄 選んで入り家をいたす 
後にのこりし おもよが心 花のようなるあの権三さまを 
人にとられて わが身が立たぬ  
嘘をいうても よびかえさんと 権三さまをと 飛脚を立てる 
飛脚ゆくより 権三がもどる 
ほんに権三しったい人よ わしを見捨ててよう行きやんす  
御前山口おいでのあとで 世上話が旦那の耳へ 
旦那いけんでわたしゃ身がもたぬ 御前山口お帰りの時は つれてお帰り 私もろともに 
つれて帰るはいとやすけれど 内に似合いの妻子がござる 
夫が仲にいなければ つれてかえるが かなわぬならば 他国してでも 
あの下さんせ つれて他国はいとやすけれど 国には 国の関所がござる 
それで他国どうなるものか 他国するのが かなわぬならば 
わたしとお前 心中しようか それで権三が理に責められて 胸はせき来る 
身は下田町 ふちは瀬となる河原町 心からひ(萩唐樋町のこと)に 新道すぎて 
人もあまたの道もしげき 見つけられしとあの来る矢先 
しれん橋か小橋をすぎて 心にかかるは扇のしばよ 音にきこえし松本橋よ 
橋のらんかんに小腰をかけて あれはどこかと権三にとえば 
京にかわらぬお伊勢がござる わたしの音頭はこれにて終わる 
法華寺前の女敵討ち 
万治元年2月15日(1658)萩呉服町うしろ筋の法華寺前で、渡辺某が叔父宗庵とともに、父四郎右衛門の仇として、松本の焼物師・山村松庵を討った。この者は父の仇であり、父の十七年忌に仇討ちをした旨、書付をそえて福原惚右衛門宅にゆき、事情を説明して、藩の処置を待つ旨をのべた。 
福原は二人の身柄を預かり、当職の榎本遠江に連絡、当職の榎本は現場に、目付け三人町奉行二人当番の用心番四名をゆかせて、あだ討ちの原因になった先年の事情を調べたところ、山村松庵が渡辺四郎衛門に対して「女敵討ち」(妻に不貞をしかけた男への 夫による仇討ちのこと)をしたことが判明。 
その折の藩の措置は、四郎衛門の跡目もたてさせ、松庵もおかまいなしという措置であった。そこで今回の「女敵討ち」への措置も、国元と江戸とで相談の結果、山村松庵を討った渡辺某と叔父宗庵の罪は問わず、山村松庵の家も跡目を立てるということで、一件落着し珍しい仇討ちだったと萩藩記録がある。 
女敵討ちは、近松の作品「槍の権三重帷子(かさねのかたびら」の題材になった松江藩士の事件とされているが、松江も毛利藩であり、仙崎の通いの祭文くどきには近松の作品の「槍の権三重帷子」の元型になったと推測できる同名の「権三おもよの恋物語」が通いで唄いつがれてきており、松江藩士というのは当時の京童による噂聞きの誤記のおそれもあるので、正式な萩藩史から抽出した。 
そして、萩のそばの当時の捕鯨基地港、通いの祭りの祭文くどきで、近松の作品「槍の権三重帷子」と同じ権三が登場する「権三おもよの恋物語」は、近松のその作品の元型とも推定される。
 
八丈島民謡 / せーもんくどき(祭文口説き)

 

浮世が 思いのままに なるならば 
駿河の 富士に 腰をかけて 
日本銀行を 肩にかけ 
電信柱を 杖につき 
好きなかたを 膝元において 
世間など 知らずに 暮らしたい 
讃岐の 金毘羅 茜の十七 
ネズミ殿の 小さな 金玉 
耄碌元年 薬缶の年 
耳なし坊主が 風呂敷を 背負い 
色は汚い 風呂敷だが 
縫い目は あるけれど ほころびがない 
日陰には 住むけれど 色黒く 
ふらふらするけれど 落ちもせず 
中には だいじな 金がある 
金は 金だが 光がない 
竿とは いうけれど ものを かけられない 
こいつは また 本当に 奇妙なものだよ 
 
葛の葉の子別れ口説き

 

さらばによりてこれに又 いずれにおろかはあらなども 
ものの哀れを尋ぬるに しゅじなるりやくを尋ぬるに 
なに新作もなきゆえに 葛の葉姫の哀れさを 
あらあら詠み上げたてまつる 
   夫に別れ子に分かれ もとの信太へ帰らんと 
   心の内に思えども いで待てしばしわが心 
   今生の名残りに今一度 童子に乳房を含ませて 
   それより信太へ帰らんと 
保名の寝つきをうかごうて さしあし抜き足忍び足 
我が子の寝間へと急がるる 我が子の寝間にもなりぬれば 
目をさましゃいの童子丸 なんぼ頑是がなきとても 
母の云うをよくもきけ 
   そちを生みなすこの母が 人間かえと思うかえ 
   まことは信太に住み処なす 春欄菊の花を迷わする 
   千年近き狐ぞえ さあさりながら童子丸  
   あの石川の赤右衛門 
常平殿に狩り出され 命危なきところなり 
その時この家の保名様 我に情けをかけたもう 
我に情けをかけたもう 多勢な人を相手にし 
ややひとしくと戦えば 自ら命を助かりて 
   そのまま御恩を送らんと 葛の葉姫の仮姿 
   これで添うたは六年余 月日を送るその内に 
   二世の契りを結びしぞえ つい懐胎の身となりて 
   月日を満ちて臨月に 生んだるそなたもはや五つ 
我は畜生の身なるぞえ 今日は信太へ帰ろうか 
明日はこの家を出よかと 思いしことは度々あれど 
もっといたならこの童子 笑うか這うか歩むかと 
そちに心を魅かされて 思わず五年暮らしける 
   葛の葉姫はその時に なれど思えば浅ましや 
   年月つつみしかいも無く 今日はいかなる悪日ぞえ 
   我が身の化様現れて 母は信太へ帰るぞえ 
   母は信太へ帰りても 今に真の葛の葉姫がお出ぞえ 
葛の葉姫がお出でても 必ず継母と思うなよ 
でんでん太鼓もねだるなよ 蝶々とんぼも殺すなよ 
露地の植木もちぎるなよ 近所の子供も泣かすなよ 
行燈障子も舐め切るな 何を言うても解りゃせん 
   誰ぞの狐の子じゃものと 人に笑われそしられて 
   母が名前を呼びだすな この後成人したならば 
   論語大学四書五経 連歌俳諧詩をつくり 
   一事や二事と深めつつ 世間の人に見られても 
ほんに良い子じゃ発明じゃと なんぼ狐の腹から出たとて 
種は保名の種じゃもの あとのしつけは母様と 
皆人々にほめられな 母は陰にて喜ぶぞえ 
母はそなたに別れても 母はそなたの影にそい 
   行末永う守るぞえ とは言うもののふり捨てて 
   なんとこれにかえりゃりょう とは言うもののふり捨てて 
   なんとこれにかえりゃりょう 離れがたないこち寄れと 
   ひざに抱き上げ抱きしめ これのういかに童子丸 
そちも乳房の飲みおさめ たんと飲みゃえのう童子丸 
母は信太へ帰るぞえ 母は信太へ帰りても 
悲しいことが三つある 保名様ともそなたとも 
呼んでとめての妻と子を 抱いて寝るよな睦言も 
   夕べの添寝は今日限り 母が信太へ帰りても 
   残るひとつの案じには お乳が無くてこの童子 
   何とて母を忘りょうぞ 忘れがたなきうち思い 
   今は一つの案じには 人間と契りをこめしものなれば 
狐仲間へ交じられず 母は信太の暮れ狐 
身のやりどこもないわいな なんとしょうぞえ童子よと 
あわれなりける次第なり さて皆様にもどなたにも 
あまり長いも座の障り これはこの座の段の切れ 
(1段目/眠っているわが子を抱きしめてかきくどく葛の葉。子を思う母の心は、昔も今もかわりません。信太の森の白狐は、命の恩人安部保名の許婚の葛の葉姫が行方不明になったと聞いて、嘆き悲しむ保名のもとへ葛の葉に化けて嫁入りします。童子丸という子が生まれて5歳になった時に、突然本物の葛の葉が現れので狐は森へ帰らなければなりません)  
 
葛の葉(くずのは) 
伝説上のキツネの名前。葛の葉狐(くずのはぎつね)、信太妻、信田妻(しのだづま)とも。また、葛の葉を主人公とする人形浄瑠璃「蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)」、および翻案による同題の歌舞伎も通称「葛の葉」と呼ばれる。 
村上天皇の時代、河内国のひと石川悪右衛門は妻の病気をなおすため、兄の蘆屋道満の占いによって、和泉国和泉郡の信太の森(現在の大阪府和泉市)に行き、野狐の生き肝を得ようとする。摂津国東生郡の安倍野(現在の大阪府大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名(伝説上の人物)が信太の森を訪れた際、狩人に追われていた白狐を助けてやるが、その際にけがをしてしまう。 
そこに葛の葉という女性がやってきて、保名を介抱して家まで送りとどける。葛の葉が保名を見舞っているうち、いつしか二人は恋仲となり、結婚して童子丸という子供をもうける(保名の父郡司は悪右衛門と争って討たれたが、保名は悪右衛門を討った)。童子丸が5歳のとき、葛の葉の正体が保名に助けられた白狐であることが知れてしまう。次の一首を残して、葛の葉は信太の森へと帰ってゆく。 
「恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」 
この童子丸が、陰陽師として知られるのちの安倍晴明である。 
保名は書き置きから、恩返しのために葛の葉が人間世界に来たことを知り、童子丸とともに信田の森に行き、姿をあらわした葛の葉から水晶の玉と黄金の箱を受け取り、別れる。数年後、童子丸は晴明と改名し、天文道を修め、母親の遺宝の力で天皇の病気を治し、陰陽頭に任ぜられる。しかし、蘆屋道満に讒奏され、占いの力くらべをすることになり、結局これを負かして、道満に殺された父の保名を生き返らせ、朝廷に訴えたので、道満は首をはねられ、晴明は天文博士となった。 
 
浦里時次郎口説き

 

花の世界に生まれし人は 色と恋とに浮き身をやつし  
後にその名を伝うる者は 数も数えも尽きざるものよ  
中に取り分け哀れな話 通い廓の浦里時次 
明けの烏の喜び鳴きを 憎むならいの後朝さえも  
別れ惜しむが互いの詰まり 今日は時次も二階を堰かれ  
家は勘当となる者からに 思い詰めたる一途の心 
所詮長らえいたとて何の 何が楽しきこととてあらん  
いっそ死ぬ方がいやましであろ それにつけてもあの浦里に  
始末語りて我が亡き後に せめて回向をして貰わんと 
心逸れど堰かれし体 如何にか致して逢いたいものと  
胸に手を当て思案に暮るる 鐘も哀れに無常を告ぐる  
今日限りと見上ぐる空は いとど身に沁む寒空なるに 
分けて寒けく雪ちらつけば 顔を包みし手拭さえも  
恥の曝しと目深に被り 人目堰き笠気を紅葉笠  
顔を隠してうろつく上に 何か声ある二階の格子 
はたと投げたるその簪の 文は確かにそれと頷き  
取る手遅りと開いてみるに 部屋に隠れてこうこうしょうと  
あるに時次はやれ嬉しやと 思う折しも禿のみどり 
もしえもしえと手をもて招く 二階座敷に布団を折りて  
中へ入れたる巨立の火鉢 暫し言葉も途切れて時次  
涙抑えてこれ浦里よ そちが今まで尽くせし誠 
又とこの世に有難けれど 詰まり詰まりし我が身の始末  
とても長らえいられぬこの身 これが暇じゃ我が亡き後は  
好いたお客に自由を任し もしも我がこと思うたときは 
そちが口からその一返の 回向頼むと云いつつ立つを  
これさ待たんせそりゃ胴欲じゃ 詰まり詰まりしお前の身には  
皆このわしがいる故なれば 死なば諸共三途の川も 
二人手を取りこれこうこうと 何故に言うては下さんせぬぞ  
わしを殺さぬお前の心 可愛いのじゃないそりゃ憎いのじゃ  
わしゃ放しゃせぬ放しはせぬぞ 共に殺して下さりませと 
そのや時次に縋りて嘆く かかるところへ遣手の婆が  
様子知りしか仏頂面に あまり私を踏み付けなんす  
これで役儀が立ちますものか これさ若い衆この男ぞと 
云うを聞くより六七人の 若い者どもばたばた来たり  
握り拳の雨降る如く たぶさ捉えて引きずり出すを  
そのや浦里中押し分けて これさ待たんせ時次郎さんに 
何の咎とも言わせも果てず 以後の見せしめこうしてくれる  
足で蹴るやら踏みにじるやら ついに表へ引きずり出だす  
さても亭主は彼の浦里を 深雪積もりし小庭の梅に 
縛りつけつつ声張り上げて 主の言いつけ守らぬ女  
他の女郎の見せしめなりと 箒おっ取り打つ物音に  
禿みどりがその手に縋り もうし旦那さん堪忍してと 
云うに亭主は目をむき出だし そなたも彼奴に仕ゆる禿  
咎は同じとこれをもともに 括りつければあの浦里は  
涙ながらに声震わして それはあんまりその子に何の 
罪も報いも知らざるものを あんまり気強いむごたらしいと  
云えど主人はそ知らぬ顔に 括り終わりてちり打ち払い  
これさ浦里よく聞きなされ 全てお客を大事に致し 
勤め大事と思うでなくば 客を堰くことお客のために  
あのや客衆も年若なれば あまり繁々通うて来れば  
親があるなら勘当さるる 主人持ちなら主人の手前 
し損のうのは知れたることよ ここの道理をよく聞き分けて  
勤め大事に奉公なさば 縄は今にも解いてやるぞ  
若い衆とも気をつけやれと 奥を指してぞ退きければ 
後に浦里こわ音を立てて さても慈悲あるお言葉なれど  
思い切られぬことばかり わしは死にたい死にとうござる  
どうぞ殺して下さりませと 心焦れど身は戒めの 
雪に閉じられ詮方なくも 禿みどりも寒そうな姿  
見るもいぶせき不愍な様に 胸も張り割く空いたわしや  
悪い女郎に遣われし因果 かかる難儀も堪えてたもと 
云えばみどりも涙を浮かべ わしは少しも厭いませねど  
主があの様に若衆達に 打たれしゃんすがわしゃ口惜しい  
嘸はお前は口惜しかろと 聞いて浦里身も世もあらず 
そなたまでしてそれその様に 主を思うておくりゃるものを  
わしが心を推量しやと 落つる涙も寒さに凍る  
凍え凍ゆる吹雪にいとど 手足凍りて千切るるばかり 
見るに気もくれ語るにさえも 何と云うべき言葉も知らず  
さても男は用意の刀 口の咥えてその身を固め  
忍び忍びて屋根をば伝い 塀を飛び越え難なく庭へ 
下りて二人が縄切り解き 言葉忙しくこれ浦里よ  
ここで死ぬるはいと易けれど ならば遁れて落ち行くべしと  
聞いて浦里打ち喜びつ 禿みどりは二人に縋り 
わしも共にと云われて時次 そのやみどりを小脇に抱え  
遁れ出でたる嬉しき声も 鳴いて嬉しき彼の明け烏
 
えびや口説き

 

ありゃ長崎えびやの口説き 親の代から小間物売りよ  
いつか小間物商売やめて 今は大阪糸物立てよ  
船帆七反ふたので進上 荷物整え今日吉日に 
船頭頼んで舟こしらえて とんと長崎跡にと眺め  
周防灘をばあなぜて走る 備前岡山早や跡に見て  
ここは播州の宝津の沖よ 沖に見ゆるは唐見の島よ 
岡に見ゆるは明神様よ 下に見ゆるはお女郎の町よ  
お女郎町には尾の無い狐 わしも二三度騙されました  
少し東を市の裏というて 沖じゃ網引く地じゃ三味を弾く 
又も東を片浦というて 岩が一つの名所でござる  
少し東が黒崎沖よ 前は舟越篠井の森よ  
又も東は刈屋の沖で 沖にゃ投石地にゃ仏石 
少し走れば浜だの港 庭で米搗く奥の間で座禅  
少し東にゃ揖保川流れ 日日毎日高瀬が下る  
高瀬ばかりか筏も下る 川の東はオキ浜村よ 
オキの浜には陣屋がござる これは讃岐の京極様よ  
村の続きが余子浜村よ 村は縦村名は余子浜で  
宮は古うても若宮様よ 少し東が大江の村よ 
大江千里が住んだる所 少し東が吉見の村で  
ぐるり小松で中塩浜よ 少し走れば飾磨の沖よ  
飾磨沖から姫路を見れば 見ても見あかぬ姫路のお城 
ぐるり白壁桐戸の御紋 天守九つ櫓は七つ  
播磨大工の手柄でござる 建てた大工の手柄と共に  
金子でしあげた大名の手柄 姫路城より北の方を見れば 
二十六番札所がござる えんの扉が笙篳篥よ  
少し東が鹿松原よ 八家地蔵も早や跡に見て  
播磨名所を回りて見れば 鐘は暁尾上の松よ 
石の宝殿あの曽根の松 別府名高い手枕松よ  
少し走れば明石の瀬戸よ 明石沖にて汐時待ちて  
沖を眺むりゃ淡路の島よ 岡に見ゆるは明石の城よ 
城の東は人丸神社 汐も直るし追風も来たで  
碇引き上げ帆を張り上げて 明石瀬戸をば首尾よく渡る  
向こうに見ゆるは舞子の浜よ 須磨の景色を眺むる中に 
ここは一の谷敦盛様の お墓所かやれ痛ましや  
兵庫神戸も地に見て走る ここは西の浜恵比寿様沖よ  
甚句恋風吹きまくりつつ 行けば程なく大阪港 
さっさ押せ押せ安治川堀よ 碇下ろして艫綱とりて  
柱倒して苫ふきそろえ 岡で甚句は天まで上がれ  
岡へ上りて呉服屋の店を 店にゃ何々金襴緞子 
綾や縮緬錦もござる 当世流行のビロードの脚絆
 
お吉清三口説き1

 

花の都に其の名も高き 聞くも哀れやさていじらしや  
お吉清三の心中話 所京都の五條の町で  
音に聞こえし与右衛門様は 店は大店糸屋の渡世 
番頭手代が二十と五人 下女と下男で七人御座る  
店は繁盛で有徳な暮し 夫婦仲には娘が一人  
名をばお吉とつけられまして 蝶よ花よと御育てなさる 
月日経つのは矢よりも速く やがて十一十二の年に  
琴や三味線謡はいかに 茶湯生花断縫までも  
人に勝れし利発の生まれ 年も十六相成りければ 
都一なる評判娘 立てば芍薬座れば牡丹  
腰はほっそりあの雨柳 他になびくななびかせまいと  
親を泣かせる道理で御座る 器量の良い事誓えて見れば 
小野の小町かまた春姫か まことお吉は正札付きよ  
其のや評判聞く親達は 心や嬉しく良い婿取りて  
家督譲りて安堵をせんと 両親様には心配なさる 
お吉清三のこの世の破綻 親の心は露知らなくて  
解ける縁はこの矢の様に 子飼育ちの清三と言うて  
年は二十を二つも越えて 今は番頭勤めも堅く 
商達者で男も良くて 情けかければ近所の人は  
清三糸屋のありゃ白ねずみ 清三あるので糸屋も繁盛  
清三噂の良き事なれば 今はお吉が清三に惚れて 
女子に生まれた甲斐あるならば 小さいうちから心も知れて  
主人忠義は親にも孝行 親に孝行が万の元よ  
どうぞ清三と添いたいものと 梅の立ち木に願掛け致し 
或夜部屋にて思いの丈を 文を細かに書きしたためて  
清三袂にそろりと入れる まじめ堅気の清三であれば  
なんと迷って途方に暮れる 大事大事の主人の娘 
親の許さぬ不義いたずらを すれば主人に言い訳立たぬ  
わしがつれなく返事をすれば 死ねる覚悟と書いたる文よ  
もしや過ちあるその時は さぞや両親お嘆きなさろ 
そこで清三が悩んでいたが いとし可愛いについ引かされて  
何時の間にやら恋仲なれば 深き契りも見山の桜  
隠す気なれど現れやすく 訳のありげの二人の素振り 
それと感づく母親始め 父の耳にもそろそろ入る  
そこで母親気を揉みまして もしや清三と手に手を取りて  
二人この家を駆け落ちしたら どこに寄るべき渚の舟で 
沖にただようお吉が難儀 とどのつまりは女郎か下女か  
或日お吉を一間へ招き お前清三と人目を忍び  
為の約束不義いたずらを 隠す素振りは父様始め 
それと言わねど心配致し それで良いぞと捨ててはおけぬ  
今日が今より清三が事は 思い切る気か切らぬかお吉  
しかと返事を聞かせてくれと 言えどお吉はさしうつむいて 
顔に袖当て涙にくれて なんと返事も只泣くばかり  
親の仰せを背くじゃないが わしと清三の其の中こそは  
炭と紙とが決めたが縁は 婿に直して添わしておくれ 
他の殿御はわしゃ持ちませぬ 娘心のただ一筋に  
言うも恥ずかしこれ母様よ 聞いて母親途方に暮れて  
奥の一間へ清三を招き そちを呼んだは他ではないが 
娘お吉は跡取り娘 聞けばそなたと訳あるそうじゃ  
其れと聞いてはこの家におけぬ 何処なりとも出て行きなされ  
口に言うても目に持つ涙 草鞋銭だと多分の金を 
投げて与えて縁切らせんと わざと腹立ち一間へ入る  
後に清三ただ茫然と 思い起こせば身の誤りと  
一人すごすご支度を致し さらばこの家ももう今日限り 
名残り惜しやと出て行きまする それについても幾多のお金  
恵み下さる御恩の程は たとえ死んでも忘れはせんと  
手をば合わせて只伏し拝み 家に帰りて暫しの間も 
忘れ兼ねたるお吉の姿  
 
好いて好かれたお吉に清三  
思いがけなく生木の枝を 裂きし如くに遠ざけられて  
清三所在は大阪町の 難波新地の我家のかたで 
思い切られぬお吉が姿 いとし可愛いが病となりて  
食うも進まず痩せ衰えて ついに焦がれて相果てまする  
お吉事とは夢つゆ知らず 番頭清三はさぞ今頃は 
どこにどうしておわする事か 逢って詳しく私が心  
胸にありたけ話を致し 優しお言葉聞きたいものと  
思い続けてついうつうつと 夢か現か清三の姿 
枕許へと現れなさる お吉嬉しくふと目を覚まし  
辺り見回し声細やかに 逢いたかったと懐かしそうに  
清三側へと寄らんとすれば 不思議なるかな清三が姿 
消えて後なく影さえ見えぬ お吉驚き胸うち騒ぎ  
心許ない清三が命 もしや此の世に亡き人なるか  
御霊この世にとどまりおいて 私が所へ迷うて来たか 
これはこうしておられぬ所 難波新地を尋ねて行きて  
清三様子を聞き出ださんと 思案定めてお吉が今は  
支度致して我が家を忍び 後を振り向き両手を合わせ 
親をふり捨て不幸の奴と さぞや御腹も立ちましょうけれど  
操は守るが女子の道と 許しなされて下されませと  
お詫び致して気を取り直し 早く清三に逢いたいものと 
辿り着くのは大阪町よ 在へ入れば一筋道で  
さても淋しき村里なれば 聞けばかしこに舟場がありて  
何時も淀川早舟御座る 舟じゃ危ない陸地を行こと 
傘も気になるか弱き足で 心急けども道はかどらぬ  
牛の歩みの千里の例え 今はお吉は逢いたさままに  
一人すごすご道急がれて 急ぎほどなく大阪町の 
浪花新地と相成りければ さても嬉や何処であろうと  
ここかかしこと尋ねる内に 女子子供が来るのを見つけ  
ここら辺りの子供と見入る  
 
お吉声かけ物問いまする 
ここら辺りに清三の館 あらば教えて下さりませと  
言えば子供は指差しまして あの家橋より三軒目で御座る  
横屋造りが清三が家と 聞いて嬉しく飛び発つ思い 
やがてその家へ近づきまして 傘を手に持ち小腰を屈め  
御免なされと戸口を開けて 清三館はこなたであるか  
言うも恥ずかし一声細く 聞いて奥より立ち出でまする 
さても気の毒清三が母で 数珠を片手に目を泣きはらし  
不信顔してお吉に向い 若い蝶々はどこからお出で  
問えばお吉は恥ずかしながら 私ゃ京都の糸屋の娘 
清三さんとは訳あるゆえに 遠い所を尋ねて来たが  
どうぞ逢いたい逢わしてくれと 頼みますると腰打ち掛ける  
清三母さん涙を流し さても愛しや御尋ねなるか 
清三ことには貴女の事を 思い尽くして病となりて  
ついに儚く相成りまして 今日が七日の忌日で御座る  
聞いてお吉は物をも言わず わっとばかりに嘆くも道理 
せっかく尋ねて来た甲斐もなく お果てなされて逢う事ならず  
さらば墓場へ参らんものと すぐに清三の墓場へ来れば  
墓にすがりてお吉はわっと 声を限りに泣き悲しめば 
人の思いは恐ろしもので 清三墓所が二つに割れて  
元の姿で現れまする お吉ようこそ尋ねてくれた  
わしを思えば我が命日に 主が自ら香花立てて 
一辺なりとも回向を頼む 私ゃ此の世を去りたる様に  
お前この世に長らいおりて 親に孝行よろしく頼む  
言うて清三が姿は消える お吉驚きやれ悲しやと 
泣けど口説けどその甲斐もなく 私を思うて御果てなれば  
お前ばかりを一人じゃやらぬ 私も後より追い付きますと  
今はお吉は狂気の如く 小石拾うて袂に入れて 
蓮華の花咲く菩提の池へ 南無と一声身を躍らせて  
池の藻屑となり果てまする あの世で添いたい二人の心  
義理を操の鑑となりて 聞くも哀れの心中話 
よその見る目もさて気の毒と 今にその名も此の世に残る
 
お吉清三口説き2

 

此処に哀れな 心中ばなし 国は京都に その名も高き 
糸屋与右衛門 有徳なくらし 店も賑やか 暮らしも繁盛 
一人娘に お吉というて 年は十六 今咲く花よ 
店の番頭に 清三というて 年は二十二で 男の盛り 
気量よければ お吉が見染め かようかようが 度重なれば 
親の耳へも そろそろはいり 是を聞いては ままにはならぬ 
そこでお吉を 一間に呼んで 店の清三と わけあるそうな 
思い切る気か 切らぬかお吉 これさ母さん 何言わしゃんす 
私と清三と その中々は 墨と紙との しみたが仲よ 
何が何でも 離れはしない 奥の一間へ 清三を呼んで 
あなた呼ぶのは 他ではないが 内の娘の よいきをはらし 
それを聞いては 置かれはしない 仕舞て行かんせ 今日限り 
じたい清三は 大阪生まれ 物も云わずに 唯ハイハイと 
家に帰りて 四・五日たって お吉思うと 病気となりて 
是非もかなわぬ 相果てました 清三やかたは 此処かと聞けば 
物の哀れや 清三が母は 数珠を片手に 只泣きながら 
若い女中は 何処からござる 私ゃ京都の 糸屋の娘 
清三さんには 訳ある故に 遠い所を 尋ねて来たよ 
どうぞ清三さんに あわせておくれ そちが尋ねる 清三は果てて 
今日は清三の 七日でござる 聞いてお吉は 只泣くばかり 
さらば是から 墓所へ参り 立てたに すがりて泣けば 
人の思いは 恐ろし物よ 清三墓所は 二つに割れて 
お吉とろとろ 眠りしとこへ 夢かうつつか 清三が姿 
枕元へと あらわれました そこでお吉は ふと眼をさまし 
見れば清三が 姿は見えず さらば是から 清三が方へ 
親の手元を 忍んで行きゃる そこへ入れば 船場がござる 
船にゃ乗らずに 陸路を行きゃる 急ぐ程なく 大阪町よ 
清三やかたは 何処かと聞けば 橋の元より 三軒目でござる 
清三やかたの 前にとなれば 笠を片手に 腰をばかがめ 
御免なされと 腰打ちかけて そこへ来たのは お吉じゃないか 
遠い所を 良く来てくれた お吉なくなよ 泣いたるとても 
どうせこの世で 添われはすまい 俺を思わば 立てて 
来たる命日 は頼む いうて清三が 姿は消える 
是れさ待たしゃれ 是れ待たさんせ そなたばかりは 一人じゃやらん 
私も一緒に 行かねばならぬ 寺の大門 四・五丁はなれ 
小石拾うて 袂に入れて  前のお堀へ 身を捨てまする 
 
お染久松口説き

 

これさ名高き 三国の津にて そこに大阪 質屋の長兵衛 
一人娘に お染というて 年は十八 さきでの花よ 
母や喜ぶ むつまじさ 軒をならべし 山田屋こそは 
深き親類 離れる仲よ 一番息子に 清兵衛というて 
娘お染と いいなづけなる 深いなかとは 夢更しらぬ 
店の子がいの 久松こそは 年は十六 墨前髪よ 
娘お染は いくたま参り ともに久松 その道行きは 
平井権八 さて小紫 行けば程なく いくたま様へ 
頃は三月 桜のさかり あまた群衆の いるその中に 
その夜久松 桜にまさり 人の目につく 評判ものよ 
娘お染は 手を引き合うて 心に心を 互いに明かし 
一目忍んで その楽しみは いろのいろはの 其の字を初め 
比翼連理の 契りを結び 二人手を引き 我が家へ帰る 
今日も明日もと 互いの胸は 可愛いかわいで 半年ばかり 
いつかお腹が 三月となれば 今はお染の 我が身にあまり 
主のある身の 不義いたづらを 或夜風呂場で つい母さんに 
見付けられたる 此の腹帯を も早霜枯れ 師走の中旬 
心さびしき 二人の事は 夫清兵衛に 知れたるならば 
何というても 此の儀はすまぬ 少し離れて 女の医者よ 
これを頼んで 療治を致し 夫清兵衛へ 知らないうちに 
もしも我が身に けがあるならば あとに久松 いきながらえて 
主のてずから 香花を立てて 香の煙をを わしゃ楽しみと 
いえば久松 顔振り上げて わしがあるゆえ あなたの難儀 
家の名を出し のれんにさわり ご主人様へも 此の儀はすまぬ 
わしが未来の 道行きせんと いえばお染も 有難涙 
わっとこたえて これ久松と いうを聞くより 母親様は 
寒さわず 夜の目も寝ずに お染寝間へと 人目を忍び 
母はお染に 意見をすれど 返事なければ 又かかさんは 
一人娘に けがあるならば かけの清兵衛に その儀はすまぬ 
文を認め 野崎の村へ 送るその文 開いて見れば 
事の様子を 詳しく書いて あれば親父は 小首をかたげ 
憎き倅め 主人へすまぬ さればこれから 連れ戻さんと 
あおにこくもち 袖なし羽織 杖を片手に わらじを下げて 
しかもその日は 大つごもりの 年頭歳暮の お札をかけて 
かたい心の 一筋道を 腰は二重に とぼとぼ歩き 
かかるその日は 大晦日にて 心せわしく 質屋の店に 
在所親父は 一礼のべて 今日は久松 そなたの迎い 
うちに連れ行き 女房をもたせ 隠居する気で 御主人様の 
おひまもらいに わざわざきたと 聞いて久松 これじいさまよ 
年のあるうち おひまをとると いうはわがまま 無理ではないか 
わしはこの家の 御主人様に 五つ六つの その時よりも 
育てられたる 御恩を忘れ おひまどころか そりゃ何事よ 
早く在所へ お帰りあれと 云えば久松 腹立顔で 
さほど大事の 御主人様の 一人娘に なぜ手を出した 
主のある女の 間男同然 憎きせがれと 杖振り上げて 
打つに見兼ねて 娘のお染 店にかけ出で 両手にすがり 
さぞやお腹が 立ちましょうけれど 皆んな私が いたずらゆえじゃ 
どうぞこらえて 久作殿よ 涙ながらに 提灯てらし 
出入りきびしき 質店なれば 母はかけ出て 言葉を静め 
ここは店先 まあまあこちへ 四人連れ行き 倉にて意見 
義理と情けの 理につまされて 今日は二人が 思案に暮れる 
深い約束 二人の心 どうせ此の世で 添われはせんと 
死んで夫婦と なる楽しみは 年は二八の うどんげなれど 
二世の約束 覚悟を極め 親の心を 休めるために 
今は二人は あきらめますと すぐにその夜は ふけゆきければ 
倉へ久松 一人で寝かし 親は旦那へ おひまのねがい 
お礼方々 話も終わり 家内残らず 疲れてねむる 
今やおそしと 娘のお染 そっとたんすを あけ七ツ時 
鐘もかすかに 無情を告げる 衣装着替えて 白むくばかり 
右は懐剣 左に小石 倉の戸口へ ばらりと投げて 
たった一声 久松殿と それを合図に お染は自害 
うちで久松 気をもむけれど 錠を掛け金 せん方涙 
守り刀で その身も自害 さても見事な つぼみの二人 
内と外とに 心中がござる もはやあけ六ツ 鳴く鳥声も 
可愛可愛と ないて渡るとさ
 
おかる口説き

 

主も五郎衆も花嫁方も 今も生い立つ小娘方も  
聞いて嗜め浮世の鏡 国を申さばこれより西よ  
西は筑前遠賀の御城下 永井村には六作というて 
母と一人六作と二人 最早六作も背丈延べば  
仲人頼んで嫁貰わんと 嫁も段々数ある中に  
六作嫁御と定まる人は やがて奥村ご庄屋様の 
一人娘のおかるというて 嫁は十八今咲く花よ  
花にたとえて申するならば 立てば芍薬座れば牡丹  
歩く姿が小坪の小百合 顔が夕菊姿は柳 
人は愛嬌が吉野の桜 弾く算盤書く筆の先  
手縫い縫物お機の道も 流行小唄や弾く三味線も  
人に勝りて利巧な者よ どこに出してもひけとりゃすまい 
これを貰うて嫁御にせんと 仲人勇んで貰いに上る  
貰いかかればご庄屋様は 慈悲なお方でくれるとの返事  
そこで仲人打ち喜んで 日にち調べて吉日選ぶ 
おかる祝言正月七日 嫁に行きゃまた嫁入り道具  
手箱縫箱鋏箱葛篭 間にゃ雨傘塗り桶小桶  
最早荷物も買い整えば これを床の間と飾らせおいて 
ある日ご両親思いしことにゃ 今日はおかるに訓えをせんと  
嫁に行きゃまた訓えがござる おかるおかると一間に呼んで  
おかるよく聞け大事なことよ 最早そなたは嫁貰われた 
永井村にと縁付きなさる そちの添う人添われる人は  
永井村なる六作でござる 嫁に行きゃまた殿御が大事  
まして大事がお舅様よ 寺に参るも我より先に 
親を拝んで仏に参れ 朝は早うからお言を申せ  
昼はお茶箱お膳部までも 人にかまわず我が身でしやれ  
人が来たなら煙草に煙管 つけて出すのが女の習い 
隣近所の茶飲みの座でも 長茶しやるな人事言うな  
人はその場で言わせておいて 表塗り替え直ぐ裏戻せ  
竹の柱に茅壁つけて 石のおくどに割れ鍋かけて 
茶碗で米とぐあの所帯でも 馴れぬ所帯も厭うなおかる  
もしも殿御に言われた時も 二度と再び帰るなおかる  
そなた殿御が無理言うからにゃ 無理を言ってもその手になびけ 
まして殿御が留守なる時は 若い男と入り交ぜするな  
無理を言うてもその手にゃ乗るな 罪をかろえば末代の恥  
未だも訓えは数々あれど 親の訓えは先ずこれまでよ 
おかるこのこと鑑と守れ 言えばおかるは利巧な者で  
遥か下りて両手をついて 私ゃこのこと鑑と守る  
守りますぞえご両親様よ 口と文句はさて早いもの 
待てば来る来る正月七日 おかる荷物のそのとり手には  
駕籠が七つにお馬が五頭 荷物とり手が三十と五人  
おかる荷物の数ある中で 中で目に立つ縫物ござる 
緞子布団に黒繻子打たせ 金の屏風に沈香のすさよ  
これはどこでも嫁入り印 最早道具も相調えば  
これもお馬におうたせおいて 永井村にとお送りなさる 
六作宅にと早や急がるる その日祝言めでたく祝う  
兎角浮世は定めなきものよ おかる祝言そのあくる日にゃ  
婿の六作が病となりぬ おかる親子は飛びたまがりて 
医者や薬と早や急がるる 医者は遠賀の御典医ばかり  
薬ゃ富山の膏薬盛れど なれど病気にそのげんがない  
奇病々々のその抹薬も 効くと見えねば早や願立てよ 
先ずは一番お大師様よ 西は西国天満宮様よ  
東ゃ大分の柞原様よ 伊勢にゃ七度熊野にゃ三度  
高野山には護摩等焚かせ 愛宕山には月参りする 
空の祭りは七夕様よ 星の祭りも七度すれど  
するといえどもそのげんがない この身少ない六作が命  
どうせこの身は無い身がゆえに 今日はおかるの心を見んと 
おかるおかると寝間にと呼んで おかるよく聞け大事なことよ  
今日はそなたに暇遣る程に 家に帰りていずこへなりと  
いずこなりとも縁づきなされ 聞いておかるは飛びたまがりて 
何を言わんす我が夫様よ あなたに添うて丸七年よ  
誰に一夜の情けも受けぬ 何の落ち度で暇くれやんす  
言えば六作が涙で語る 落ち度ありゃまた今日までおかぬ 
言えばおかるが申することにゃ わしが嫁入り四五日前に  
父と母との訓えがござる 右の話を細かに語る  
語りゃ六作も打ち喜んで ありゃ届いたおかるが心 
我に孝より母まで孝よ 母を一人頼むぞおかる  
言うて六作のご病気は重る おかる膝をば最後の枕  
秋の稲妻川辺の蛍 うつらうつらと眠るが如く 
次第次第と往生遂げる ありゃ愛しの六作が死んだ  
六作死んだとお嘆きなさる 嘆く中にもがん拵えよ  
永井村なる大工や木挽き 大工木を挽きゃ人夫も雇い 
紫檀黒檀唐木を寄せて 木挽きゃ木を割く大工は刻む  
切りて刻んでがん拵えよ がんは桶がん御輿の造り  
四方隅には燕をはわせ がんの上には冥土の鳥を 
なれど六作は宗派が違う 六作宗派は天台宗よ  
天に天幕地に四方幕 被衣被りが三十と五人  
釈迦の御弟子が七十と五人 頭巾坊主はその数知れぬ  
永井村なる爺さん婆さん 孫に手引かれ杖にと縋り  
今日は世に立つ花嫁方も 六作弔い参らんものと  
我も我もとお参りなさる 続き続きてお参りなさる 
旗や天蓋両龍までも なげし五反の前綱引かせ  
風に靡かせ野辺にと送る 野辺に行きゃまた野辺経あげる  
野辺経終れば焼香なさる 一の焼香はおかるがなさる 
二番焼香は母上様よ 七つ下れば弔い終わる  
六作弔い先ず穏やかに 弔い終えば皆人々は  
我も我もと皆立ち帰る おかる親子も我が家と帰る 
家に帰りて弔いなさる 七日七日と弔い過ぎて  
四十九日の寺詣なさる そこで母上思いしことにゃ  
今はおかるの心を見んと おかるおかると一間に呼んで 
おかるよく聞け大事なことよ 息子六作もあの病にて  
田地田畑皆売り払い 屋台家財と皆売り払い  
そなた荷物も皆売り払い 言えばおかるは利巧な者で 
あとに残るは櫛笄よ これも売ります鉄漿代に  
これも町にと売りにと行って 十や二十の金等儲け  
四十九日の寺参りする 四十九日はさて百箇日 
百箇日なる弔い日には 蝶よ花よと述べたる髪を  
元結際よりぷつりと切って 一把二把なる束にと結うて  
これを町にと売りにと行って 十や二十の金等儲け 
百箇日なる弔いなさる そこで憐れがおかるが親子  
朝の煙もほど立ち兼ねる ある日おかるが山にと登り  
山に登りて落葉を掻いて 落ち葉掻いては薪をば拾う 
一把二把なる束にと結うて これを町にと売りにと行って  
十や二十の金等儲け そこで母上育みなさる  
母は育みその嬉しさに 寒の師走も陽の六月も 
明けて霜夜の嵐の夜でも 苦にも毒にもわしゃ厭やせぬ  
人は言わねど天知る地知る 風の便りでお上に聞こえ  
お上聞くより検使が立ちて おかる呼べとのお言葉下る 
これに従う下役人よ 足にゃ白足袋厚皮雪駄  
御用袴の裾引きからげ おかる舘と早やなるならば  
おかる殿には御前が御用 言葉言い捨て早や立ち帰る 
後でおかるも打ち驚いて 昨日や一昨日今日今までも  
身には落ち度の覚えはないが 落ち葉掻いたるその咎しめか  
何はともあれ上りてみんと 着物着替えず髪そのままに 
恐れ恐れと御前に上る 一の門越え二の門越えて  
三の門越え玄関先に 玄関先にと両手をついて  
申し上げます我が君様よ 御用筋あるおかるが君に 
御用いかがと伺いまする 言えば御前は御簾巻き上げて  
おかる殿とはそなたのことか 聞けばそなたは孝行者よ  
親に孝にと褒美が下る 時に褒美で米千俵 
化粧田地が七反七畝 白木三方に小判を載せて  
少しばかりの小遣い銭と おかる前にと差し出しまする  
おかる手に取り押し戴いて お礼申して我が家と帰る 
家に帰りて母上様に 右の様子を細かに語る  
語りゃ母上打ち喜んで 親に孝心さて良いものよ  
始の長者と相なりまする 千秋万端先ずこれまでよ
 
伝蔵口説き

 

さても豊後の藤原村の 小字畑内百姓の家に  
頃は元文三年の春に 今を去ること二百と余年  
ここの産声めでたくあげし 世にも稀なる孝行息子 
家は貧しく田畑も持たず この地あの地と奉公勤め  
僅かばかりのお金を貰い 奉公尽くした伝蔵様は  
朝は早起き野山に行きて 摘みて集めしお花や小枝 
遥か彼方の杵築をさして 花や花やと声々高く  
日毎日毎に評判良くて 好きに好かれた孝行息子  
売りて帰りて僅かのお金 親のお好きな物をば求め 
進め給いて喜ぶお顔 さても嬉しの喜ぶ孝子  
日出の彼方のある侍に 勤め励みてまめまめしくも  
昼の勤めに疲れし我が身 夜は暇を乞うてぞ帰る 
家にあってはお湯をば沸かし 親の手足をきれいに洗う  
寒い冬には着物をあぶり 親のお足をこれにて包む  
天にいかなる恨みがありて 母は病の褥に伏しぬ 
昼は大事と奉公勤め 晩は帰りて看護に務む  
次第次第に病は重く 神に祈りしその甲斐なくて  
涙ながらに送りを済ます 後の祭りもいと丁寧に 
父の生まれの習いの常に 短期頑固で荒々しくて  
猛り狂うて物をば投ぐる 果ては怒りて怒鳴りを始む  
されど息子は心に問いて ここが大事と歯をくいしめて 
一度たりとも逆らいなくて 仕え給いし真心込めて  
孝子の真心天にも通じ 父の習いも次第に軽く  
遂に心が心に通い 共に喜ぶ伝蔵親子 
或夜師走の寒さも強く 風も荒みてみぞれも降りて  
父はいたくも五体に響く 我も炬燵の設けもあらば  
入れて足をば暖めたらば 眠りやすくてよいものなるに 
貧の辛さに求めもできず いとも寒さに苦しみ給う  
孝子いたくも心に恥じて これぞ我が罪心が足らぬ  
足らぬ心で心配なさる 心苦しく心を痛む 
孝子直ちに御足を握り 握りもみては足をば温め  
心健気に御足をとりて 己がむねにて暖をばとりぬ  
父は寒さも覚えずなりて 心平らにすやすや眠る 
眠るお顔をつくづく眺め 一人微笑む孝子の伝蔵  
さても孝子の伝蔵様は 近所界隈その名も高く  
日出や川崎豊岡大神 遠く杵築にその名も響く 
ここに藩主青柳城の 殿の情けのお耳に入りて  
明くる七年弥生の頃に 恵み給うや一貫文を  
天明六年又もや御沙汰 下し給いし褒美のお米 
寛政三年の秋風吹きて 厚き御前の情けの露に  
父の一代お米を給い 親子諸共ありがた涙  
又も誉れの花咲き実り 同じ寛政六年の年に 
積もり重ねて御沙汰が下る 伝蔵御前に召し出だされて  
御下賜なされし膳部やお米 栄誉担いて御前を下る  
下る間際に恩愛溢れ 熱い涙を眼に含み 
勇み勇みて我が家へ帰る 父の年をば九十に数う  
数え喜ぶその間もなくて 天は親にも病を賜い  
遂に寝所に打ち伏し給う 日夜お側を離れず看護 
前に増したる親孝行は 朝は疾くより夜は夜もすがら  
他人の見る目も哀れにござる 願う仏も情けはつきて  
人の力が及ばずなりぬ 天を恨みて地にぬかふすも 
遂に安楽浄土の入りぬ 伝蔵一層稼業に励み  
兄弟睦みて互いに暮らす 暮らす片手に二親様に  
生きしに増したる親孝行を 星のうつりの歩みも速く 
人の盛りのいつしか過ぎて 文化六年神無月の  
月の十七みまかり給う 人は一代名は末代に  
残るいさおは鹿鳴越山の 峰の麓の泉の水に 
映る姿はつきせぬ亀鑑 村の誉れよ宝よ神よ  
語り伝えていつの世までも
 
豊姫君口説き

国を言うなら豊後の国で 音に名高き竹ノ尾城主  
木付四代は頼直公に 思想堅固の一人の娘  
さてもその名は豊姫君と 容姿艶麗起居淑やかに 
兎角城下にうたわれたるが 姫が御年十九の春に  
安岐の城主は田原の氏で 五代権九郎親治公が  
姫を妻にぞめとらんものと すでに婚約調いたるが 
丁度その頃誰言うものか あらぬ噂を流布なしければ  
田原の親治これをば聞きて ついに婚約空しくなりぬ  
姫はこれより世情を離れ 親に孝養尽くすの他は 
奥の一間に閉じ籠られて 深くえん名哀しみ給い  
日々に三度の食事も忘れ 地蔵尊をば信仰せしが  
ついに菩薩に身を捧げんと 委細詳しく書置せられ 
切りし縁の黒髪添えて これを形見と仏間に残し  
鏡取り出し本願経と 共に菩薩の画像を抱き  
頃は元中六年春の 弥生半ばの或る夜のことよ 
草木眠れる丑三つ時に 姫は密かに人目を忍び  
住まい慣れたる館を後に 玉の露草踏み分けられて  
独りすごすご轟淵に 向う姿や月影淡く 
女心のその一筋に 姫は程なく淵にと至り  
遥か南の空伏し仰ぎ さても懐かし御父母よ  
親に先立つ不孝の罪を 何卒お許し遊ばしませと 
髪に差したる櫛簪を 淵のほとりに置き残されて  
今を名残と山見渡せば 谷の嵐も無情を告げて  
響くそのとき豊姫君は 袖にしぐるる涙を払い 
いとも優しく両手を合わせ 地蔵菩薩の声諸共に  
花の蕾のその身を捨てて 哀れなるかや轟淵の  
水の泡にぞ消え失せ給う さても御父頼直公は 
姫の残せし書置見られ 哀れ果て無き最期を知りて  
心狂わんばかりに嘆き 深くこれをば哀れみ給い  
姫の冥福祈らん為に 石を選びて石工に命じ 
地蔵尊をば刻造なして 淵の上にぞ安置し給う  
長の文句の豊姫伝記 まずはこれにて終わりを告げる
 
松治口説き

 

国は筑前博多の町よ そこに威徳な権佐というて  
権佐子供が姉弟ござる 姉のお鶴に弟の松治  
辛いことには継母がかり 来たる継母連子がござる 
連れた我が子によがくれとして 夜の夜中に権佐を起こす  
もし権佐さん暇くだしゃんせ 昨日や一昨日今日来た者が  
暇をくれとは合点が行かぬ 家が嫌いか権佐が嫌か 
家は好きます権佐にゃ惚れる 二人子供をわしゃ好きません  
好かんところを三年待てよ 姉のお鶴が十三なれば  
姉のお鶴は嫁にも遣ろう 弟松治が十にもなれば 
弟松治は養子にやろよ そんなことすりゃ物入りごとよ  
そんなことより殺してしまえ 姉のお鶴はそなたが殺せ  
深山奥山鉄砲の矢玉 弟松治は私が殺す 
釜に湯を立て茹で殺します そこで二人は誰知るまいと  
思うていたのにお鶴が聞いた 夜の夜中の五つの頃に  
姉のお鶴が皆聞きました 朝は早起き松治を起こす 
松治起きなれ髪結うてあげよ 髪を結うたらお墓に参る  
今日はお母さんの祥月ほどにゃ 左御手に花篭提げて  
急ぎゃ間もなくお墓に着いた お墓前にて両手をついて 
わしと松治は今殺さるる 死んだ母さん生あるならば  
弟松治は世取じゃほどに 弟松治を助けておくれ  
わしはもとより他所行く身分 お鶴立てたる線香は立つが 
松治立てたる線香は立たぬ 松治線香にゃ不思議がござる  
そこで松治が申せしことにゃ もし姉さん帰ろじゃないか  
帰り遅けりゃもう継母が 遅い遅いとお叱りなさる 
うちに帰ればもう継母が お鶴そなたは大儀であるが  
大儀ながらも弁当を頼む 持って行きなれシバガラ山へ  
左御手に弁当持ちて 右の御手にやかんを提げて 
やがて近所に庄屋がござる お庄屋後ろの柴垣陰で  
涙ほろほろしくしく泣けば やがて庄屋が聞きつけまして  
そこで泣くのはお鶴じゃないか お鶴そなたは何泣きますか 
そこでお鶴が細かに話す そこで庄屋が聞き驚いて  
お鶴手に取り権佐が館 今日の暑いのに何してなさる  
言えば継母申せしことにゃ 新規所帯で味噌絶えました 
味噌の豆ならわしゃ大好きよ 七里行ってさえ帰りて食べる  
そこで継母申せしことにゃ 今ぞかけたるアオサぞ消える  
言えば庄屋が申せしことにゃ 煮豆生き豆せを打ちかけて 
馬のだはみにわしゃ大好きよ どうせお前が食べさせなけりゃ  
茶碗ゆすいでしゃもじを握る 釜の蓋取りゃ松治が姿  
上や下にとでんぐり返る そこで継母ヤレたまらずに 
手桶引っ提げ裏門出掛け 逃げて間もなく追いつきました  
上の役人三十五人 上る者にも一挽き頼む  
下る者にも一挽き頼む 七日七夜は筍挽きよ 
八日ぶりにて首挽き落とす 憎や継母我が身の詰まり
 
八百屋お七口説き1

 

花のお江戸にその名も高き 本郷二丁目に八百屋というて  
万青物渡世をなさる 店も賑やか繁昌な暮らし  
折も折かや正月なれば 本郷二丁目は残らず焼ける 
そこで八百屋の久兵衛ことも 普請成就をするその中に  
檀那寺へとかり越しなさる 八百屋のお寺はその名も高き  
所駒込吉祥寺様よ 寺領御朱印大きな寺よ 
座敷間数も沢山あれば これに暫くかり越しなさる  
八百屋娘はお七と云うて 年は二八で花なら蕾  
器量よいこと十人すぐれ 花に例えば申そうならば 
立てば芍薬座れば牡丹 歩く姿は姫百合花よ  
寺の小姓の吉山というて 年は十八薄前髪よ  
器量よいこと卵に目鼻 そこでお七はふと馴れ初めて 
日頃恋しと思うて居れど 人目多けりゃ話もできず  
女心の思いの丈を 人目忍んで話さんものと  
思う折から幸いなるか 寺の和尚は檀家へ行きゃる 
八百屋夫婦は本郷へ行きゃる 後に残るはお七に吉山  
そこでお七は吉山に向かい これ吉さんよく聞かしゃんせ  
あとの月からお前を見初め 日々に恋しと思うて居れど 
親のある身や人目を兼ねて 言うに言われず話も出来ず  
今日は日までも言わずにきたが わしが心をこれ見やしゃんせ  
兼ねて書いたるその玉章を 吉三見るよりさしうつむいて 
さても嬉しいお前の心 さらば私もどうなりましょと  
主の心に従いましょと この夜打ち解け契りを結ぶ  
八百屋夫婦は夢にも知らず 最早普請も成就すれば 
明日は本郷に皆行く程に それにつけても私とお前  
別れ別れに居るのは嫌と 実は私も悲しうござる  
言えば吉三も涙を流し わしもお前に別れが辛い 
共に涙の果てしがつかぬ そこで吉三は気を取り直し  
これさお七よよう聞きゃしゃんせ 秋に逢われぬ身じゃあるまいし  
又も逢われる時節もあろう 心直して本郷へ行きな 
わしもこれから尋ねて行くよ 言えばお七も名残を惜しみ  
涙ながらに両親共に 元の本郷に引越しなさる  
八百屋久兵衛日柄を選び 店を開いて売り初めなさる 
その近所の若衆どもを 客に招いて酒盛りなさる  
酒のお酌は娘のお七 愛嬌よければ皆さん達が  
我も我もとお七を名指す わけて名指すは釜屋の武平 
男よけれど悪心者で 辺り近所の札つき物よ  
その夜お七と逢い初めてより どうかお七を女房にせんと  
思う心を細かに書いて 文に認めお七に送る 
お七方より返事も来ない そこで武平はじれだしなさる  
さらばこれより八百屋に忍び あのやお七に対面いたし  
嫌であろうがあるまいとても 口説き落として女房にせんと 
思う心も恋路の欲よ 人の口には戸が立てられぬ  
人の話や世間の噂 それを聞くより八百屋の夫婦  
最早お七も成人すれば いつがいつまで独りでおけば 
身分妨げ邪魔あるものよ 早くお七に養子を貰い  
そして二人が隠居をいたす それがよかろと相談いたし  
話決まれば娘のお七 何を言うても年若なれば 
知恵も思案もただ泣くばかり そこでお七は一室へ入り  
覚悟極めて書置きいたす とても吉三と添われぬなれば  
自害いたして未来で添うと 思い詰めたる剃刀持ちて 
既に自害をいたさんものと 思う所から釜屋の武平  
さてもお七を口説かんものと 忍ぶ所から様子を見たる  
武平驚き言葉をかける これさお七ゃ何故死にゃしゃんす 
これにゃ訳ある子細があろう 云えばお七は顔振り上げて  
これさ武平さん恥ずかしながら 云わねば解らぬ私の心  
親も得心親類達も 話し相談いたした上で 
わしに養子を貰うと言うが 嫌と言うたら私の不孝  
親に背かず養子にすれば 二世と契りし男にすまぬ  
親の好く人私は嫌よ わしの好く人親達嫌よ 
あちら立てればこちらとやらで 何卒見逃し殺しておくれ  
聞けば武平は悪心起こし とても私の手際じゃ行かぬ  
さればこれから騙してみんと これさお七やよう聞かしゃんせ 
そなた全体親への不孝 可愛い男に逢われもしまい  
なおもそなたは死ぬ気であれば これさ火をつけ我が家を焼きな  
我が家焼ければ混雑いたす 婿の話も止めものなれば 
可愛い男に逢われる程に それがよかろと云われてお七  
女心の浅はか故に すぐに火をつけ我が家を焼けば  
家は驚く世間じゃ騒ぐ 騒ぐ紛れに釜屋の武平 
八百屋財産残らず盗む 又も武平は悪心起こし  
わしが恋路は叶わぬ故に 悪い奴らは二人の者よ  
今に憂き目にあわしてやろと すぐに役所へ訴人をいたす 
そこで所の役人様は 哀れなるかなお七を捕らえ  
町の役所へ引き連れなさる 吟味するうち獄舎に入れる  
後に残りし小姓の吉三 それと聞くより涙を流す 
さても哀れや八百屋のお七 元の起こりは皆俺故に  
今は獄舎の憂き目を見るか そなたばかりは殺しはせぬぞ  
今に私も未来へ行くよ あわし悪いは釜屋の武平 
わしも生まれは侍故に せめて一太刀恨みを晴らし  
それを土産に冥途へ行こうと 用意仕度で探しに行きゃる  
本郷辺りで武平に出会い 恨む刀で一太刀斬れば 
うんとばかりに武平は倒れ 吉三手早く止めを刺して  
首を掻き切り我が家に帰り 委細残らず書置きいたし  
直にそのまま自害をいたす そこでお七は残らず吟味 
罪も極れば獄舎を出でて 行くは何処ぞ品川表  
哀れなるかや娘のお七 云うに云われぬ最期でござる
 
八百屋お七口説き2

 

月にむら雲 花に風 散りてはかなき 世のならい 
これから始まる 物語 八百屋お七の 物語 
八百屋お七の 云うことにゃ すみからすみまで 毛の話 
ここは駒込 吉祥院 ご朱院なされて うしろより 
ひじで突きつき 目で知らす お話変わりて 八百屋では 
お七の好きな 生なすび 元から先まで 毛が生えた 
とうもろこしを売る 八百屋 いとし恋しい 吉さんと 
四角四面の 屋根裏で おへそくらべも 出来ようが 
女心の はかなさよ 一把のわらに 火をつけて 
ポイと捨てたが 火事のもと 誰知るまいと 思ったに 
天知る地知る 人が知る 丁度これより 四軒目 
釜屋の武平さに 見っけられ 釜屋の武平さが 証人で 
お七はその場で 召捕られ 意見・捕縛に 突出され 
明日は何処へ 廻される しぶしぶ参るは 御奉行殿 
その日の詮議の 役人は お七のためには 伯父になる 
一段高いは 御奉行様 七尺下がって お七坊 
お七いくつで 何の年 紅葉のような 手をついて 
申し上げます 御奉行様 私は十五で 丙午 
お七十四で あろうがの 私の生まれは ひの年の 
ひのえひの時 丙午 七月七日が 誕生日で 
それにちなんで 名もお七 十四と云えば 助かるに 
十五と云った ばっかりに 助かる命も 助からず 
百日百夜は 牢の中 百日百夜が 明けたなら 
がんじがらめに 縛られて 裸の馬にと 乗せられて 
上はせん札 上昇の 罪の明かしを 書きしるし 
大伝馬町は 小伝馬町 米の花咲く 麹町 
江戸楽町へと 引き廻し 恋の花咲く 品川で 
吉野家女郎衆の 云う事にゃ あれが八百屋の 色娘 
髪はカラスの 濡れ羽色 目元ぱっちり 色白で 
口元純情で 鼻高で 女の私が ほれるのに 
吉さんほれるも 無理はない 悟り開けた 坊さんも 
木魚の割れ目で 思い出す 浮世離れた 尼さえも 
バナナのむけ目で 思い出す まして色良い お七坊 
ぞっこんほれるも 無理はない 鈴ケ森へと 着いたなら 
鬼の役人 待ち受けて 死刑台へと 乗せられる 
下から上がる 火の炎 あれさ熱いよ 父さんよ 
あれさ熱いよ 母さんよ いとし恋しいの 吉さんよ 
 
八百屋お七口説き3

 

恋の火がつく 八百屋のお七 お寺は駒込 吉祥院  
寺の和尚さんに 吉さんというて 吉さんは奥の書院座敷の 床の間で   
机にもたれて 学問なさる後より お七そばに さしよりまして   
膝でつくやら 目でしるす これいなもうし 吉さいな  
私しゃ これから 本郷に帰る たとえ本郷と この寺と   
道はいかほど へだつとままよ かならず忘れて 下さるな  
言うてお七は 本郷に帰る 本郷二丁目 角びきまわした 八百屋店  
八百屋の店の 売り物は ごぼうや人参や 尾張の大根じゃ ほしかぶら  
みつばや芹や とうがらし かき豆十八ささぎじゃ こりゃどうじゃ   
望みあるなら 何なとござれ お七ひと間で うたた寝をする  
うたた寝枕で 見る夢は ま一度我が家を 焼いたなら   
またもやお寺に いかれょかと かわいい吉さんに 会われよものと  
夢を見たのが その身の因果 一輪の藁に 火をつけて  
我が家の屋根にと ぽいとほり投げて 火の見やぐらに かきつけて   
ひと段登って ほろと泣き ふた段登って ほろと泣き  
三段四段は 血の涙 火の見のやぐらに かけのぼり   
撞木片手に 四方を見回し 火事じゃ火事じゃと 半鐘をたたく   
江戸の町中は おおさわぎ このことばかりは たれ知るまいと思うたに  
かまゆの ぶ兵次というやつが なんきんどたまを 振りたてて  
なすびみたよな 目をむいて 大根みたよな 鼻たれて  
人参みたよな 舌を出し お奉行様にと 訴人をいたす  
一寸二寸は のがれもしょが 三途のなわに 縛られて  
はだか馬にと 乗せられて 泣き泣き通るは つづや町  
もはや品川 あの通りぬけ 品川女郎衆が 立ち出でて  
あれが八百屋の お七かと うりざね顔で 色白で   
吉さん惚れたは 無理もない 仕置きの場所には 鈴が森   
二丁や四面にゃ 矢来を結うて たつる柱が 首金さぐり    
しばやわり木を 積み立てて  吉さんは 仕置きの場所にかけつけて   
はるかむこうの 彼方より これいなお七 その方は   
あわれななりに なられたな そういうお声は 吉さんかいな   
よう顔見せて おくれたな 我が家を焼いた その罪で   
わたしゃ焼かれて 今死ぬわいな あれが一度に 燃ゆるなら   
さだめしお七 熱かろう 苦しゅかろ ぼうと燃えあがる その声に   
皆いちどきに… 後はホイホイ 涙のたまり水  
 
おすみ口説き

 

東西南北穏やかに しずもり給えば尋常に  
所は都の大阪の 波に入江の港あり  
京屋の娘におすみとて 年は三六十八で 
今振袖の丸額 器量も姿も心内も  
手足二十の指までも 瑠璃を延べたるごとくなり  
これには御町の若い衆が 我も我もと恋をする 
文玉草が雨あられ 五月の雨よりまだ繁い  
おすみは固より堅人で 岩に打つ釘空の風  
靡く心が更にない そこで若い衆腹を立て 
おすみ一人で咲く花が ままにしよとて振り捨てる  
今更恋する者はない 今に恋するその人は  
一村隔てた北向の まがいもござらぬ大黒屋 
総領息子に亀左とて 年が十九で乱れ髪  
頃は三月雛の節 雛遊びの帰り道  
おすみが姿をチロと見て あれが名をいうおすみかと 
あれには一度恋せんと おすみが恋しとの文をやる  
文をやるやる千葉文を 七十五本も送れども  
更に一字の返事ない そこで亀左が思うには 
京屋の娘となる人が イロハの一字も知らざるか  
返事ないとは忍べとか さあさこれから忍びます  
そこで亀左の装束は 上に召すのが黒綸子 
下に召すのが白綸子 帯は紋茶の三重廻り  
三重に廻して吉弥止め 足袋はうんさい梯子縫い  
雪駄はばら緒の吉田皮 印籠巾着鼻毛抜き 
左小脇にパラとさげ 二尺一寸差し落とし  
匂い袋で身を飾り 月の容態眺むれば  
最早今宵は八つの頃 おすみが家宅と急がるる 
おすみが家宅の構えには 門には戸が立つ錠が下りる  
引けどしゃくれど開きもせぬ 内から掛けた掛け金が  
外から外れようはずがない 裏に廻りて眺むれば 
一丈二尺の塀構え 庭木に植えたる桜木を  
翼の鳥ではなけれども 枝を頼りに忍び込む  
下ればおさんの裏戸口 おさんおさんと声をかけ 
おさんも驚き目を覚ます 八郎兵衛さんかな懐かしや  
言えば亀左がもうすには 八郎兵衛さんではござんせん  
お前に恋ではござんせん わしはこの家の娘子に 
一度は恋をするものよ 一度会わせて下さんせ  
言えばおさんが腹を立て さてもこの家のむずかしや  
掛け金十三掛けてある 小猿落しが七つある 
有明行灯つけてある 人の恋ならわしゃ知らん  
ごろりとこけて高いびき そこで亀左が思うには  
日頃たしなむ懐中の 一部を十三取り出して 
志じゃと差し出せば 女心のあさましや  
少々の金に目をかけて これなら恋はいと易い  
掛け金十三これも嘘 小猿落しもこれも嘘 
有明行灯これも嘘 一間開けてはサラと行き  
二間開けてはサラと行き 七間の間をば六間までは  
おさんの手引きで忍び込む そこでおさんが申すには 
急かずで恋をなさらんせ 急けばこのことし損じる  
言うておさんは立ち帰る おすみおすみと声をかけ  
おすみも驚き目を覚ます 言えばおすみが申すには 
翼も通わぬこの部屋に 忍び込んだは何者か  
狐狸の化け物か 又は天狗のなす業か  
名のある者なら名を語れ 名のないものなら一刺しに 
言えば亀左の申すには 忍んできたから死にに来た  
あなたの手に掛け死んだなら 極楽浄土と思います  
まがいもござらぬ大黒屋 総領息子の亀左とて 
七十五本の文の主 言えばおすみが申すには  
亀左さんなら懐かしや 急くまいことに急かんとて  
あなたのお顔の汗はいな 振袖振り上げ吹いて取る 
それかんたんのかんたんの かんたん枕を二つ出し  
かんたん枕に身を乗せて 二人が寝ての寝話に  
末は夫婦になりましょと 夫婦で仲良く暮らすなら 
十九と十八ゃ良い夫婦
 
与十秀浦口説き

国は豊後の日出領内の 速見郡とやこれ邯鄲の  
一の港の深江において 与十秀浦心中話  
元の起こりを尋ねて聞けば 肥前長崎西上町の 
藤井与十という侍で 利口発明人には優れ  
武芸読み書き風雅の道も 諸芸余さぬ当世男  
同じ長崎丸山町の 時の評判秀浦こそは 
利口発明諸人に優れ 漢字読み書き琴三味線も  
諸芸余さぬ彼の秀浦が 生まれ素性を尋ねて聞けば  
親は都の武家浪人よ 落ちて諸国を遍歴するに 
貧がよしない路金に困り ついにこの家を売り放されて  
辛い勤めは浮き川竹の 身とはなれども名は長崎の  
昔西施か楊貴妃姫か 小野小町の再来なるか 
時は水無月半ばの祭り 祗園参りに群集なして  
何れ劣らぬその中にても 目立つ秀浦与十が見初め  
あれが聞こゆる秀浦なるか 遊女なりとて恋い慕わんと 
思い初めしが因果の初め 与十そのまま武家へと帰り  
暮れを待ちかね丸山通い 忍ぶ雪駄の音高々と  
急ぎゃ程なく蛭子屋に着き 物も案内も頼むと言えば 
聞いてやり来る遣り手の茂六 それに与十が言い入るようは  
今宵秀浦差し合いなくば 出して給われ頼むと言えば  
さしはござらぬ早や御人と 二階座敷に通しておいて 
お茶や煙草や火などをあげて 言うて茂六は秀浦部屋へ  
もうしお秀さんお客がござる 吾妻下りの業平様を  
見たる様なるお客と言えば 秀は総身もの嬉しげに 
身ごしらえして座敷に出でる それに与十が言い寄るようは  
去年の頃よりそもじの噂 聞いちゃおれども今宵が初め  
声が聞きたさ逢いたさ見たさ 聞いてみたのが彼のほととぎす 
慕う私の心の内を お察し給えと声柔らかに  
言えば秀浦申せしことにゃ 私風情の賎しき者を  
慕い給わる御心根は 身にも余りて嬉しさどうも 
言われませぬと言うその内に 遣り手茂六が出て言うようは  
酒のお燗やお肴用意 太鼓持ちやら舞妓に芸者  
次に控えていますと言えば そこで秀浦申せしことにゃ 
今宵お客にゃ騒ぎはいらぬ 皆を帰せよしてその後で  
涼みがてらにあの縁側で お茶を点てます用意をせよと  
言えば茂六は茶飲みの道具 風呂やカンスや水差し茶入れ 
和物オランダ店高麗の 名ある器を早や取り出だし  
そこで秀浦身を取り直し 余り嬉しの上茶を点てて  
そっと突き出すその品方を 与十嬉しさ取る手も速い 
飲んで気も晴れ心の雲も 晴れて今宵は十五夜の月  
連理比翼の縁結びして 二世も変わらぬ心の誓紙  
丸い話で縺れつ撚れつ 話積もりて夜も更けゆけば 
月は山端に寺々の鐘 最早今宵は帰らにゃならぬ  
明日の夜と待つ早や御出でと 後で秀浦与十がことを  
思い忘れぬ与十はなおも 秀に逢いたいいや増す恋の 
闇も月夜も雨風の夜も 身をも厭わぬ丸山通い  
そこで秀浦申せしことにゃ 固い約束して徒に  
月日送るがのう情けない もしや貴方に奥様あれば 
下女へなりともお炊事なりと 身請けさんしてお側に近う  
使い給えと恨みの言葉 聞くに与十はげに尤もと  
すぐに亭主を座敷に呼んで 何とご亭主彼の秀浦を 
身請けしたいが値はどうと 身請けなさるりゃ金百両と  
そこで与十が申せしことにゃ 今宵手付けに五十両入るる  
残る五十両は当冬までと 述べて給えよご亭主様と 
言えば亭主も承知の態で 秀が身の上今晩よりも  
勝手次第に御召し連れよ 言えば与十は打ち喜んで  
暇乞いして蛭子屋出づる 秀が住家を早や借り入れて 
下女を一人さし添え置いて 栄耀栄華の暮らしとなれば  
さしも名高い秀浦なれば 藤井与十が彼の秀浦を  
身請けしたとの評判あれば いつか親御のお耳に入りて 
御一門衆が皆打ち寄りて 与十よく聞けさてそこもとは  
遊び女に気を奪われて 身請けしたとの評判あれば  
家の名が立つ家名の汚れ 四書や五経の講釈までも 
聞いていながら不埒のことよ 兎角遊女に添うことならぬ  
思い切らねば勘当なりと 言えば与十が俯きながら  
親に背けば必ず天の 怨み受けては我が行く末が  
恐ろしさをも弁えながら 恋は心の外とは言えど  
思い切られぬ恋路の闇と 父は聞こえた犬畜生め  
阿呆払いに早や追い出せば 母は名残の差す一腰を 
これを形見と投げつけければ 与十取るより押し頂いて  
腰にさすがは侍なれば 思い切りてぞ早や出でて行く  
急ぎ秀浦住家に行けば そこで秀浦申せしことにゃ 
今宵お出ではなぜ遅かりし 常に変わりてご気色悪い  
言えば与十がさて言う様は そちを身請けをしたそのゆえに  
阿呆払いに勘当受けた 兎角この地に住いはできぬ 
我はすぐさま他国へ行くと 言えば秀浦申せしことにゃ  
あなた難儀は皆私ゆえ 連れて他国をして給われと  
支度急いですぐそのままに 落ちて行くのもさも不憫なれ 
さてもこれより何処に行かんと 何処をあてどもなき旅の空  
さてもこれより豊後の国を さして行くのが道遥々と  
迫る節季に気は急き道の そこで与十がさて言うようは 
そなた身請けの五十両の金も 冬を限りに送らにゃならぬ  
これはどうしょうのう秀浦と 言えば秀浦思案を尽くし  
またも私の身を売り放し 金の才覚いたしましょうと 
言えば与十は嬉しさ辛さ ほんに思えば貧より辛い  
病なしとは世の譬えなり 金を受け取り与十に渡す  
これで義理立ち男も立つと 人を仕立てて故郷へ送る 
そこで秀浦申せしことにゃ 松浦小夜姫私の心  
石に等しくお前もどうぞ 辛抱しゃんせよ再び花を  
咲きつ咲かれつそれ楽しみに 便り待ちますもうおさらばと 
後で与十はさてつつおいつ されば竹田に知る人あれば  
それを便りに早や思い出づ 急ぎゃ程なく竹田の町に  
町で名高い彼の五つ家に しるべ頼んで奉公勤め 
番頭奉公に落ち着きければ 与十もとより柔和な生まれ  
気質人あい店賑やかに なれば店主も打ち喜んで  
店や勝手の世話ごとまでも 与十次第と打ち任せける 
そこで秀浦彼の明石屋で 辺り評判名も聞こえける  
間を隔てて深江の浦は 上下出入りの商船数多  
いつも賑わう繁華の港 それに明石屋出店があれば 
これに秀浦早や入り来れば 都育ちの長崎女郎  
町も田舎も大評判で 肌を汚さぬ貞心貞女  
妻に逢いたさ見たさのあまり 清き心の住吉楼に 
願い届いて竹田において 与十俄かに妻秀浦に  
逢いたさ見たさに遣る瀬が無うて すぐに与十は急病構え  
暇を願うて入院すると 急ぎゃ程なく浜脇浦に 
宿で様子を尋ねて聞けば 妻の秀浦さてこの頃は  
深江出店に行っていますると 力なくなくその夜は泊る  
すぐに翌日浜脇発ちて 知らぬ深江を訪ねて来れば 
既に深江の西浜町に その名塩屋の彦九郎とて  
時の顔役さばけた男 それに泊りて秀浦呼んで  
殊に馴れたる内儀のあおい 裏の置座に毛氈敷いて 
酒や肴を早や持ち出づる 差しつ差されつ内儀のあおい  
夜の浜風立つ波の音 いとど涼しき虫の音聞いて  
今が故郷の栄華に勝る 既にこの日もまた明日の日も 
前後覚えず日は重なりて 七日七夜も揚げ詰めにして  
最早竹田に帰らにゃならぬ 明日は発ちますいざ何事も  
今宵始末をつけねばならぬ 積もる花代宿払いまで 
勘定通りに仕切を済ませ 最早発ちますご亭主様と  
秀も内儀も座に連なりて 一つ参れと差す盃を  
忝ないと押し頂いて 暇乞いして早や出でて行く 
秀は後より御下駄はいて 名残惜しさに見送りて行く  
見立て見送り羊の歩み ついに江上のあの川端で  
これが二人の三途の川と 渡り兼ねては立ちとどまりて 
そこで二人が手に手を取りて そこで秀浦申せしことにゃ  
御身に別れてただ片時も 生きている気はわしゃ泣きじゃくり  
連れて他国をして給わるか または手にかけ殺してくれよ 
後を見送りあれ見やしゃんせ 今が血死期ぞあの松山が  
死出の山じゃと下駄脱ぎ捨てて 毬も葛も並み分け行けば  
少し小高い良い場所あれば これが二人の身の捨て所 
東向いては法華経唱え 西に向いては南無阿弥陀仏  
そこで与十がさて言う様は 国を出る時母御の形見  
それでその時死ぬとのことを 知らで今まで生き永らえて 
親に背いたその天罰で 逃れたかない今この太刀で  
死ぬる我が身が不義不忠者 秀は死を待つこれ与十さん  
遅れ給うなし損じまいと 言うて振り上げ力みし腕で 
名残惜しさにまた控えしは 昔熊谷勇将でさえも  
敵の大将敦盛公を どこぞ刃の当て先がない  
言いし心を感じてみれば 今日の今まで愛したそもじ 
言えば秀浦申せしことにゃ 卑怯未練は何事なるぞ  
わしも元々武士の子なれば 自害するとて刃にあてる  
その手押さえてもうこれまでと ぐっと一突き息絶えにける 
返す刃で腹十文字 切りて喉を突き貫けば  
さすが武士気丈な始末 頃は六月下旬の五日  
港江上の樋の口山で これは天晴れ無双の心中 
後は声々追手の人数 ここやかしこと見つけて廻る  
屍骸見つかり大声あげて ここじゃここじゃと言うその声を  
聞いて集まる追手の人数 無惨なりけりこの場の修羅場 
とても返らぬことなりければ やがて村内常楽寺とて  
時の住職大和尚さん それに頼んで弔いをして  
二人一緒に石碑を建てて 人の噂にさて聞こえけり
 
盆踊り由来口説き

 

昔天竺 祇園の精舎 そこでお釈迦が 衆生のために 
法を説かれて おられた時に 一の御弟子の 目蓮尊者 
死んだ母御の 育てのご恩 報いたしとて 法眼開き 
深く地の底 ご覧になれば あわれ母御は 餓鬼道におちて 
飢えや渇きの 苦しみ受けて やせて骨皮 目もあてられず 
そこで目蓮 鉢飯盛りて 母の御前に はるばる参り 
おそるおそるに お進め申す 骨と皮なる 地獄の母は 
嬉し涙に 食わんとすれば 飯は火となり とろとろ燃える 
これを見るなり 尊者は泣いて 釈迦の御前に ひれ伏し拝み 
何とぞ 仏の妙智をもって 母の苦しみ お救い給え 
頼み申すと 袂にすがる 釈迦の申すに お前の母は 
常世罪業 多さが故に 遂に餓鬼道に おとされたるぞ 
されば一人の 力をもって これを救うは 思いもよらぬ 
十法衆僧の 力を借れよ 釈迦がお前に 御法を説いて 
そちが亡き母 ばかりにあらず 同じ苦境の 地獄の人を 
助けとらせん わが言守れ さても七月 真中の五日 
衆僧ひま日で 寄り集まりて 話くつろぐ 日を幸いに 
餓鬼におちたる 人々のため 数多衆僧の 力をかりて 
一大供養を 勤めたならば 自然亡者は 苦しみのがれ 
娑婆の父母 眷族までも 未来永劫 福徳うけん 
聞いて目蓮 喜び勇み 衆僧ひま日を 待ち構えつつ 
数多衆僧の 力を借りて 勤め申した 一大供養 
これがの 盆会の初めでござる 目蓮孝行に はじまる踊り 
されば踊り子 孝行が大事 孝行むずかしい ことではないよ 
親のいいつけ よくよく守り 敬い仕えて いとしとやかに 
親のあやまち しずかにいさめ 分にしたがい 喜ばしめて 
力尽くして ご両親様の 心安んじ 身を養いて 
心満足 はかれよかしこ 病んだ時には 介抱が大事 
死んだ時には 哀しみ悼む あとの祭を いとねんごろに 
生ける時分と 同じきように 膚身父母より 受けたるものぞ 
病み傷しないは 孝行のはじめ 身をば修めて 家興してよ 
父母の名揚ぐる 孝行の終わり されば皆様 身を慎みて 
卑しい行い するではないぞ 孝行はげめよ 親いますうち 
今にはげまにゃ 親またぬもの 死んで悔ゆとも かえらぬものぞ 
月日おしみて 孝行にはげめ 踊り由来が わかったならば 
年寄り若い衆 女子に子ども 道具いらなきゃ 機械もいらぬ 
真の露天に 自然の舞台 明るい 先祖の前で 
さえた明月 かがみとなして みんな心を きれいにみがき 
心合わせて 踊ろじゃないか
 
盂蘭盆経口説き

 

国はジャバの国霊鷲山よ ここにお釈迦のまします時分  
お釈迦にお弟子の数々ござる 阿難尊者に舎利弗尊者  
イホツ尊者に目連尊者 ここに哀れが目連尊者 
地獄巡りを致してみれば 母は地獄に堕ちさせ給う  
そこで目連不憫に思い 地獄上がりの手立てはないか  
師匠お釈迦に尋ねてみれば 地獄上がりの手立てもござる 
広い河原に懸棚懸けて 百味お供養致してみなれ  
七日七夜に当たりし晩に 地獄上がりがようできまする  
そこで目連うち喜んで 急ぎ急いで我が家に帰り 
所天竺ヒラセの河原 広い河原に懸棚懸けて  
そこでお供養致してみれば 七月七日を初日となして  
当たる七月十三日の夜 地獄あがりがよくできました 
そこで目連うち喜んで 蓮の葉を取り笠にとかぶり  
盆の裏をば叩いて踊る これを名付けて盂蘭盆経と  
今の世までも躍らせ給う
 
目連尊者口説き1

昔天竺ショエンの国の 輪主第一目連尊者  
修行成就の座禅の上で 広い世界と一目に見れば  
人の行く末種々様々よ 娑婆で善行致せし人は 
弥陀の浄土に送られまして 蓮の台に安住なさる  
娑婆で悪行重ねし人は 地獄関門閻魔のちょうで  
閻魔大王の調べを受けて 鬼の折檻拷問を受け 
げにも恐ろし焦熱地獄 見るも哀れな餓鬼道に堕ちて  
苦痛苦患のその暇もない そこで母様行く末見れば  
何の報いか餓鬼道に堕ちて やせ衰えて何とする 
茅場の様な襞をしき 楊枝のような手を垂れて  
人目見るよりアラ恐ろしや これはこのまま捨て置かれまい  
何としてなり母上様の 苦痛苦患を救わんものと 
恩師お釈迦に伺いければ 釈迦はにんまり答えて曰く  
年の七月十五日こそ 先祖祭りの吉日なれば  
庭に施餓鬼の櫓をも築き 数多百味の供物を供え 
数多僧侶をお招き申し 施餓鬼読経もいとねんごろに  
心からなる施行をすれば 母の罪悪消滅いたし  
何ぼ女の邪見の身でも 弥陀の浄土に赴くものよ 
聞いて尊者は打ち喜びて 来たる七月十五夜を期し  
恩師お釈迦の仰せの如く 庭に施餓鬼の櫓をも築き  
数多百味の供物を供え 数多僧侶を御招き申し 
施餓鬼読経のいとねんごろに 心からなる施行をいたし  
労をねぎらうその為として 御酒を出してもてなしければ  
僧侶大いに打ち喜んで 心ゆくまで馳走になりて 
酔うた機嫌で唄さえあれば 芸を自慢に踊るもありて  
果ては坊さん総立ちとなり 盆を持ちたりまた被りたり  
手振り手様もいと面白く 月に浮かれて夜の更けるまで 
踊り続けしその踊りこそ 踊り伝えて今盆踊り  
踊りゃ先祖の供養になる
 
目連尊者口説き2

ここに語るは盂蘭盆経よ 心定めてこれ聞き給え  
国を申さば中天竺の マガダ国なるその霊地にて  
釈迦の御前その御弟子に まず第一が目連尊者 
なんで初なんそのあくり巾は 須弥の山をば七重に巻いて  
雲を吹き立て暗闇となし 虎を吹き出し火煙吹いて  
人を悩まし病を起こす そこで目連大龍となりて 
彼が上らば一四重舞いて 白き雲をば吹き立ち給う  
闇に照らしたさてその後で 薬吹き出し人をば助け  
それで悪龍は恐れをなすよ さてはその時目連尊者 
または八万四千の虫に 身をば変化てその悪龍の  
鱗々のその下に入る 皮肉せしむるくいやき給う  
龍の苦しみ限りをなして 遂に目連降服なさる 
それに悪逆おばん弟子の 五百人なるその人々の  
布の袋を皆出し入れて 肘に引きかけ仏前送り  
じんずむべんの御身あれど 自業自得は逃れはないぞ 
母御浄土の人とは言うは 邪険なれども罪科深い  
遂に餓鬼道にだたいをなさる ききぬさかつの苦しみ送る  
これを目連よく見給えば 肉もなければ骨皮ばかり 
首は僅かに糸筋の如く 口は僅かに針穴ばかり  
御身火煙を燃えさせ給う 煙口より渦巻き出るに  
顔もすぼけて哀れな姿 涙流すにそりゃ雨の如し 
飢者は尊者に向かって曰く 飢渇おかつの苦しみ受くる  
これをつぶさに語るぞ尽きず それで目連涙に暮れる  
珍味調え膳部を供え 母御お膳を差し上げなさる 
母御お膳にお着きになれば 大地響きて陥り給う  
地より掘り出し膳をば上げる 前部残らずわたしとなりて  
国か遥かに空燃えのぼる それで目連涙に暮れて 
木の実拾って母御にあげる それを母御がお上がりなせば  
木の実たちまち剣となりて 御身前部にそりゃ切り身裂く  
水をむすびて手向けてみれば 水は火とはり肌をば焦がす 
天にゃ焦がれて大地にゃまろぶ 嘆き悲しみ涙にむせて  
わしはにらびの親族一の 手なでありつつ母上様の  
難を助くるそのことできず 親御女の悲しみ深く 
そこで仏にお訊ねなさる 仏答えて経文なさる  
自業自得に遁れはないが 汝自力で叶いはせぬぞ  
いつけ終わりの七月半ば 盂蘭盆会はヤレありがたや 
無間地獄に沈みし者も 暫し間は逃るる時節  
そこで遍く供養をなさる 母のけんどく罪科深く  
教え給えば目連尊者 珍味調え膳部をつくり 
数多御僧御供養をなさる よくも信心さてありがたや  
西方極楽花降る地にて 池の中には蓮華が開く  
花の中から光を放つ 孔雀鳳凰初音を出だす 
風の音さえあらありがたや 千夜篳篥音楽囃子  
さては空殿黄金瑠璃や 麝香赤珠珊瑚や琥珀  
しゃほうしゃごんはあらありがたや 五百空殿はや鳴り渡る 
数も限りもその荘厳も 瑠璃は地に敷きいさごをなして  
善の柱に光を出だす 瑪瑙の打ち張り白金壁よ  
瑠璃の欄間にゃ光を出だす 光花当て蓮華に上がる 
百身御会心の誠 それで目連数多のお弟子  
勇み喜踊らせ給う 盆のいわれはここから始め  
すべてお経は仏の教え 遂に唐土またその後は 
日本国にも渡らせ給う 人皇二十九欽明天皇  
天治十三午年なるに お経始めて渡らせ給う  
盆の至りてただ今までも 盆の供養はますます繁盛
 
政岡忠義口説き

世にも名高き政岡口説き 伊達の領主よあの吉原の  
三浦屋高尾に馴染を重ね 御身分尊き奥州の城主  
五十四郡の主であれど 恋は曲者思案の外と 
主に付き添う仁木弾正が 伊達のお家を横領せんと  
態と殿様身持ちの悪き 遊女狂いを簾にと取りて  
御隠居させんの悪巧みなり それと知らずに綱宗様は 
毎夜毎夜にお通いなさる そのや国許老臣共が  
案じ過ごしてお江戸へ上り ついに御隠居お勧め申す  
それや世継は鶴喜代君よ 仁木の弾正心の中に 
さても世継の鶴喜代様を 毒害せんと心の巧み  
されど乳母の政岡こそは 類稀なる忠義な者よ  
忠義心の松ヶ枝こそは 名をば人知るあの節之助 
夜毎日毎に御縁の下に 寒さ暑さも厭いはせずに  
内と外にて心を合わせ 鶴喜代様をばお育て申す  
時に政岡あの毒害の 吟味するにはいかがはせんと 
江戸の館へ参りし折りに 一子千松連れ行きまする  
そのや千松子心なれど 忠と義心を弁えまして  
君にご飯を上げます時も 毒見役にはこれ千松よ 
それに若君まだ年ゆかぬ 悪人共から御慰みに  
菓子よ小鳥と献上致す 小鳥見ていて楽しむ時は  
そのや政岡案じはせぬが 菓子の見事な箱詰め見ては 
毒の物よとお庭に捨てる 幼心に若君様は  
捨てる菓子をば羨ましがる それを見てさえ政岡こそは  
殿を諌めのその相手には いつも千松強いと褒める 
それに若君気を励まして 俺は奥州仙台領主  
何の弱かろ千松よりは そのや千松ひもじいなぞと  
渋面作れば政岡側で 弱い奴じゃとまたたしなめる 
あのや若君養育なすは いかに政岡難儀のことよ  
出仕致せる役人衆は 皆悪人一味の者と  
油断できざる今日この頃に さても訝し栄の御前 
兼ねて若君御病気なりと 披露致せしそのお見舞いに  
菓子折携え館へござる 油断なさざるこの場のことよ  
とにもかくにも若君様に ご対面をば致させましょと 
政岡付き添い御居間を出でて あのや御前は鶴喜代君に  
お進め申さんそのためなりと 菓子の折をば披いてくれる  
そこへ八汐が差し出しまして これは見事ないと美しい 
もし若君召し上がりませ 云えば鶴喜代手を差し出して  
一つ取らんと致すを見るに 今は政岡大事の場所と  
もし若君鶴喜代様よ 日頃御病気御食事さえも 
進み申さぬ身体なるに お菓子なぞとはたしなみなされ  
言葉守りてこの菓子さえも 欲しうないよと見向きもせぬに  
栄御前は無理にと勧め 一つ召しませ政岡そちも 
お勧め申せと切迫の場合 奥の一間に立ち聞きまする  
聞いた千松かけ出でまして 俺がその菓子欲しいと云うて  
見事菓子折踏みつけまする 菓子の中には毒薬ありて 
今は千松目も立ち眩む 八汐すかさず懐剣抜いて  
毒の巧みの顕れ口と 哀れ無残や千松殺し  
血をば拭いし悪婆の形相 されど乳母の政岡こそは 
さらに恐れる気色もあらぬ 涙一滴零しもせずに  
若君鶴千代守りています かかる騒動にこの場をいつか  
栄御前も御帰館ありて あのや若君御無事でござる 
後に政岡あの千松の 亡骸抱いて悲しみまする  
数多忠義もあるその中で 女一人で若君様を  
育て上げたるその勲は 後の世までも残りけり
 
牡丹長者口説き

 

国は奥州仙台のこと 牡丹長者の由来を聞けば  
四方四面に蔵建て並べ 家は三階八つ棟造り  
西と東に御門を開く 東御門は朝日の御門  
西の御門は夕日の御門 前じゃ泉水築山築いて  
金魚銀魚鯉鮒放し 裏にゃ百間乗馬場築いて  
鹿毛と栗毛の駿馬が二頭 朝と晩とに曲乗りなさる  
さても威勢は長者の暮らし 家の子宝若三人よ  
いっち兄子に嫁御の詮議 嫁御お里をどこよと聞けば  
国は常陸の茨城郡 朝日長者のその一人姫  
それを貰うて婚礼なさる 又も中子に嫁御の詮議  
国は摂津の難波の国の 夕日長者のその一人姫  
それを貰うて婚礼なさる 弟三男三郎殿は  
未だ嫁御は相わからねど 京の都の御禁裡様で  
太政大臣八重関白の 一人娘の鶴姫君は  
お年重ねて十三歳よ 時の帝の十二の妃  
一の妃に供わりけれど 少し御身に落ち度が出来て  
出来た落ち度で言い訳立てた 少し落ち度を何かと言えば  
頃は三月は波の頃に 親の許さぬ下紐解いた  
それが御身の落ち度となりて うつろ舟にて島流さるる  
うつろ舟にて申するものは 縦が一丈で横三尺よ  
黄たん黒たん唐黄を寄せて 木挽きゃ引く引く大工は刻む  
切りつ刻みつうつろ舟造る つごりつごりは真鍮の金具  
四方と天井はビードロ透かし 中の餌食が百日分で  
蘇鉄団子にゃ上菓子つめる 蘇鉄団子と申するものは  
一つ食ぶれば七日の餌食 それを沢山積み込みまして  
やがて鶴姫うつろに乗せる 金のエビ錠カチンと下ろし  
壇ノ浦へと突き流された されど鶴姫位が高く  
波に向うて揺られて走る そこの沖では十日も揺られ  
ここの沖では二十日も揺られ 何処の沖でも舟乗り達が  
舟を漕ぎ寄せうつろを見たが 九十九浦に足らざる故に  
これを上ぐれば所が枯れる いうて又もや突き流された  
揺られ揺られて百日余り 着いた所は鬼界が島よ  
島の太夫さんその舟見つけ 錠をねじ切り拝見すれば  
中にゃ綺麗な姫君一人 お名を問うてもその名は言わぬ  
何を問うてもただ泣くばかり 島の太夫が助けてあげて  
家に連れ行く大事に仕え 海で揺られた百合姫様と  
お名を改めお育て申す 三月三年相経つうちに  
小野の小町か照手の姫か かぐや姫よりまだ美しく  
それが世間の噂となりて 牡丹長者に早や漏れ聞こえ  
長者館の三郎殿の 嫁に欲しいと遣いが下り  
頃は霜月上己の三日 佳き日選んで婚礼なさる  
やれめでたや長者の口説き まずはこれにて終わりを告げる
 
兵佐口説き

 

恋の一念恋慕の病 若い女が大蛇となりた  
それはいずこと尋ねて訊けば 国は石見の津和野の城下  
佐々木伊兵衛という侍に 一人息子で兵佐というて 
なれど兵佐はきれいな生まれ 目元口元襟立ちぬんで  
ことに鼻筋ゃ五三の器量 大小指し振り袴の着振り  
いくらお江戸の絵描きでさえも 兵佐姿は似せ書きできぬ 
今度津和野の若殿様が 初のお登り兵佐がお供  
兵佐お供で町中動く 我も俺もと餞なさる  
それの中にも恋する者は 今度本町二丁目筋よ 
角の桝屋という町人の 二番娘におぜんというて  
なれどおぜんはきれいな娘 目元口元襟たちぬんで  
ことに鼻筋ゃ五三の器量 立てば芍薬座れば牡丹 
歩む姿がいと百合の花 そこでおぜんが思いしことにゃ  
わしも兵佐に餞せんと 綾地五尺を中染め分けて  
丸にヤの字の定紋入れて これは道中上帯なりと 
硯引き寄せ墨すり流し 鹿の巻筆こすきの紙に  
鹿の巻筆いと細やかに 思う恋路をさらりと書いて  
書いてしたため〆しておいて 人に頼りて兵佐に贈る 
兵佐手に取り開いてみれば さても良い手じゃ良い筆筋よ  
文の文言面白けれど 花のお江戸に赴くからは  
あとに恋路はいらざるものよ 鹿の巻筆墨含まして 
思い切れとの添書きなさる すぐにその文おぜんに返す  
家じゃおぜんがうち喜んで やれ嬉しや返事の文よ  
おぜん手に取り推し戴いて すぐにその手で開いてみれば 
これはわが手でわが書いた文 すそに一字の添書きもない  
思い切れとの添書きござる そこでおざんが目に角立てて  
わしの身はまた細谷川の 丸木橋かな踏み返された 
文を返されそのまま置くか 色にゃなれぬが侍たちか  
ただし私は町人の子と 見下げられたかさて残念じゃ  
女の一念岩をも通す 石で固めた兵佐じゃとても 
呪いかけたら呪わずおくか 落としかけたら落とさずおくか  
そこでおぜんが腹をば立てて そこの近所に鍛冶屋がござる  
鍛冶屋方へとちょこちょこ走り 御免なされと戸を引き開ける 
またも御免と腰うちかける 誰かどなたかおぜんじゃないか  
たまなお出でじゃお上がりなされ 煙草盆出すお茶汲んで出す  
お茶も煙草も所望じゃないよ もうしこれいなお鍛冶屋さんよ 
私ゃあなたに御無心ござる 言うたら叶よか叶えてくりょか  
何度言わせぬ叶えてあげる 言えばおぜんがうち喜んで  
そこでおぜんが申せしことにゃ もうしこれいな御鍛冶屋さんよ 
四角八角まん丸の釘 先に少しの鋼を入れて  
少しばかりのかかりをつけて 帽子ない釘三十と五本  
打って下んせ御鍛冶屋さんよ 言えば鍛冶屋が飛びたまがりて 
何と言うぞえこれやいおぜん 親の代から鍛冶屋はすれど  
家釘鉛釘鍛冶屋のならい 帽子ない釘人呪う釘  
そんな釘ならわしゃ打ちませぬ 他にだんだん鍛冶屋がござる 
そこらに行ってお頼みなされ 言えばおせんが目に角立てて  
何と言うぞやこれやい鍛冶屋 人に大事を語らせおいて  
打ってくれにはそりゃ胴欲な 大工さんには釘頼みゃせぬ 
木挽さんにも釘頼みゃせぬ 鍛冶と見りゃこそ釘頼むのに  
打って下んせこれ鍛冶屋さん そこで鍛冶屋が理に詰められて  
理には詰められのっぴきならぬ なんとこれいなこれのうおぜん 
帽子ない釘値が高うござる 帽子ない釘打ちたるなれば、 
鍛冶屋これきりやめねばならぬ 小判四十両はなくては打たぬ  
そこでおぜんがにっこり笑う 小判四十両は右から左 
言えば鍛冶屋がにっこり笑う 朝の六つからふいごをかしげ  
ふいごかしげて炭かきくべる 炭をかきくべ鉄投げくべて  
洗い手水でわが身を清め 天を見上げて祈祷をかける 
これを打ちつけ呪われる人 誰かどなたかわしゃ知らねども  
鍛冶を怨みと思わぬように 鍛冶は商売打たねばならぬ  
ソレチンカラリンと鎚打つ音は 天に聞こえて地に鳴り響く 
一本打っては南無阿弥陀仏 二本打っては南無釈迦如来  
三十五本を念仏唱え 打ちて磨いて紙には包み  
紙に包んで盆にと載せて おぜん前にと差し出しました 
そこでおぜんが申することにゃ 僅か知れたる三寸釘に  
小判四十両は取られはすまい そこで鍛冶屋が申せしことにゃ  
小判四十両が高いとあらば 釘を私にお返しなされ 
金はそちらにお返し申す 言えばおぜんが申せしことにゃ  
小判四十両払うてやるが そこで祝儀が不足であれば  
わしが参りてまた戻るまで 待って下んせ御鍛冶屋さんよ 
そこでおぜんがうち喜んで やれ嬉しや釘うち貰うた  
そこでおぜんはその場を出づる わが家近所に絵描きがござる  
絵描き方にとちょこちょこ走る ご免なされと戸口を入る 
もうしこれいなお絵描きさんよ 二人ばかりの男の姿、 
描いて下んせお絵描きさんよ 言えば絵描きはそれ請け負うて  
紙に封じて盆には載せて おぜん前にと差し出しければ 
やれ嬉しやお絵描き貰うた そこでおぜんが申せしことにゃ  
もしこれいなお絵描きさんよ ご縁あるならまた合いましょと  
包み祝儀でその場を出でて さあさこれからお祇園様よ 
急ぎゃ早いもの氏神様の 参りゃ左の大黒柱  
兵佐姿を逆貼り付けて 胸に七本あばらに四本  
足の節々手の節々や 急所急所にみな打ちまわす 
両の眼にはっしと打ちた どうでも盲になれとの釘よ  
そこでおぜんは打ち喜んで やれ嬉しや釘打ち済んだ  
急ぎ急いでわが家へ帰る わが家帰りてわが部屋入る 
そこでおぜんが支度をなさる 宵に結いたる島田の髷を  
文殊四郎という剃刀で ぱっと払えばあどまで落ちる  
頭に瓔珞あれ下げてから 一反木綿を地に引こずりて 
夜は九つ夜半の時刻 さあさこれから丑の刻参り  
やれ嬉しや丑の刻終うた そこでおぜんが頼みをあげる  
もし氏神お祇園様よ 江戸にましますあの兵佐めが 
焦がれ死にをばなされるように 頼みまするぞお祇園様よ  
そこでおぜんがわが家に帰る わが家帰りてわが部屋入る  
そこでおぜんは書置きなさる もうしこれいな両親様よ 
過ぐるご恩もお返しせずに 先立ちまするも不孝な者よ  
許し下され両親様よ そこでおぜんが思いしことにゃ  
人を怨めば穴二つある 人を呪うて生きてはおれぬ 
部屋の扉をひっしと閉めて そこでおぜんは死に装束よ  
またもおぜんは白装束に 四方の隅には蝋燭灯し  
文殊四郎という剃刀で 花のおぜんは自害をなさる 
自害なさりて早夜が明ける おぜん両親それとは知らで  
部屋に来てから戸を引き開ける そこで両親驚くことにゃ  
これはどうしょうこは何としょう おぜん死骸にただ泣きすがり 
一家一門みな打ち寄りて もうは嘆くな両親様よ  
いくら泣いても嘆いたとても 死んだおぜんは帰りはすまい  
野辺の送りをいたそじゃないか 津和野の町なら大工を寄せて 
切ってきざんで棺こしらえよ 棺は立棺七重に張りて  
幡や天蓋龍々までも 何かに揃えてきれいなことよ  
野辺の送りをいたすとなれば おぜん体に大熱がさす 
やれ天から黒雲下り 棺を蹴破り雲にと乗りて  
箱根八里は蛍で渡る 大井川をば大蛇で渡る  
ちらりちらりとお江戸に上がる 広いお江戸を尋ねてまわる 
たどり着いたは津和野の屋敷 ここが津和野のお屋敷なるか  
一の門越え二の門越えて 三の門越え兵佐の寝間よ  
兵佐寝間をば七巻半に 六枚屏風に首うちかけて 
兵佐兵佐とゆさぶり起こす 言えば兵佐が夢驚いて  
前に立つのは変化か魔物 変化でもない魔物でもないが  
私ゃ津和野のおぜんでござる 津和野おぜんは死んだと聞いた 
生きて貴殿を迎えにゃ来ない 死んで貴殿を迎えに来たぞ  
そこで兵佐が飛びたまがりて 切って払えばばっさり消える  
秋の稲妻川辺の蛍 そこで兵佐は病の床に 
祇園様にと願いをあげる 祇園様より良い卦が下がる  
佐々木伊兵衛の一人の倅 ここで殺せば犬死にとなる  
連れて帰れよ早国許に そこで村人支度をなさる 
籠に八人お医者が二人 右と左に守役ついて  
急ぎ急いでお江戸を発てど 哀れなるかや兵佐の助は 
永の道中で相果てました
 
平井権八小紫口説き

 

国は山陰その名も高き 武家の家老に一人の倅  
平井権八直則こそは 犬の喧嘩が遺恨となりて  
同じ家中の本庄氏を 討って立ち退き東を指して 
下る道にて桑名の渡 僅かばかりの船賃故に  
数多船頭に取り囲まれて すでに危うきその折からに  
これを見兼ねて一人の旅人 平井助けて我が家へ帰る 
これは名に負う東海道に その名熊鷹山賊なるが  
それと権八夢にも知らず その家内には美人がござる  
名をば亀菊蕾の花よ 見れば見るほどおとなしやかで 
その夜権八が寝間へと忍び もし若さん侍さんよ  
この家の主人は盗賊なるよ 知って泊まるか知らずであるか  
今宵のお命危のうござる 私も三河で符号の娘 
去年の暮れからこの家に捕られ 永の月日を涙で暮らす  
故郷恋しやさぞ両親が 案じさんすであろうと思う  
お前見かけてお頼み申す どうぞ情けじゃ後生じゃ程に 
わしを連れ立ちこの家を逃げて 故郷三河へ送りてたべと  
口説立てられ権八こそは さすが由ある侍なれば  
その訳柄を残らず聞いて さらばこの家の主人を始め 
手下盗賊皆切り殺し お前故郷へ逃れ申す  
二人密かに約束固め 娘亀菊立ち出で行きゃる  
それと知らずに熊鷹張本 手下数多に囁きけるは  
今宵泊めたる若侍の 腰に差したる二腰こそは  
黄金作りで名作物よ 二百両から先への物じゃ  
それを欺き連れ来たりしは それを奪うは心のたくみ 
奥の座敷に寝かしておいた 最早時刻も夜半の頃よ  
奥の人間に切り込みければ 兼ねて権八心得あれば  
それと平井は抜く手も見せず 主人熊鷹手下の奴ら 
終に残らず皆切り殺し そこで亀菊てを引き連れて  
慣れし三河の矢矧の長者 一部始終の話をいたす  
長者夫婦は喜び勇み どうぞ我が家の婿にもせんと 
勧めけれども権八殿は なおも仕官の望みもあれば  
長者夫婦に断り言うて 暇乞いして立たんとすれば  
今は亀菊詮方涙 是非と泣く泣く金取り出して 
心ばかりの餞別なりと 云えば権八気の毒顔に  
志とて頂き納め 花の東に急がれる  
行けば程なく川崎宿の 音に聞こえし万年屋とて 
そこでしばらくお休みなさる さてもこれから品川までの  
道は何里とお尋ねなさる 道は僅かに二里ほどなれど  
鈴ヶ森とて難所がござる 夜毎夜毎に辻切りあれば 
七つ過ぎにも早やなりければ 今宵当所にお泊りあれと  
言えど権八耳にも入れず 大小さす身はそれしきことに  
恐れ泊まれば数多の人に 臆病未練の侍なりと 
永く笑われ恥辱の種よ 勇み進んで品川指して  
行くも固より望みでござる さても平井の権八殿と  
同じ茶屋にて休んで居たる 花の東にその名も高き 
男達にて幡随院の長兵衛 平井出て行く後見送りて  
さすが侍天晴れものよ さらば若衆の手並を見んと  
後に続いて長兵衛こそは 鈴ヶ森へと早や差し掛かる 
その夜そこにて権八殿は 兼ねて覚悟と山賊どもを  
大勢相手に火花を散らし それと見るより長兵衛殿は  
さらば助太刀いたさんものと 実にゃ仁王の荒れるがごとく 
切って回れば山賊どもは 雲を霞と逃げ行く跡に  
長兵衛殿は平井に向かい お年若にも似合わぬ手並  
恐れ入ったる働きなるぞ 俺も江戸にて名を売る男 
お世話致さん我が家にござれ 云えば権八喜び入りて  
さらばこれより兄弟分と なれば長兵衛が匿いなさる  
さても助七助八達は 親を討たれてその仇敵 
平井権八打ち果たさんと これも東の花川戸にて  
借家住いで二人の者は 花のお江戸を日毎に訪ね  
それと権八早くも悟り 忍び狙うて二人の者を 
何の苦もなく殺してしまい 今は権八安堵の思い  
心緩みし若気の至り 花のお江戸の新吉原に  
音に聞こえし花扇屋の 小紫にぞ心を懸けて 
夜毎日毎にお通いなさる これや小紫素性を聞けば  
三河矢矧の長者の娘 今は長者も落ちぶれ果てて  
娘亀菊遊女に売られ 涙ながらに勤めをいたす 
平井権八それとは知らず 初会座敷のその始まりに  
どうか見たような顔つきなりと 思う心が先とも通じ  
いっそ可愛いお若衆さんと 思う座敷も早や引き過ぎて 
床になりたるその睦言に 唄うても互いに顔見合わせて  
思うて居りたる以前の話 さては亀菊権八さんが  
一度分かれてまた会うことは 先の世からの約束事よ 
二世も三世もその先までも 変わるまいとの互いの契り  
それが悪事の起こりとなりて 人を殺して金とることが  
夜毎日毎に度重なれば 毒を食らわば皿までなりと 
なおもつのりて中仙道は 音に聞こえし熊谷土手で  
上州絹売弥兵衛をば殺し 百両余りのお金を奪い  
なおも廓へ忍んで通う 悪事千里で権八身分 
悪名高かれお尋ね者で 爰に目黒の虚無僧寺に  
忍び入るとも厳しい詮議 今は天地に身の置き所  
泣くに泣かれず覚悟を極め 御奉行所へと名乗りて出づる 
哀れなるかや権八事は 鈴ヶ森にとお仕置きとなる  
さても幡随院の長兵衛こそは 平井権八さらした首を  
願い貰いて目黒の寺へ 埋め葬り回向をなさる 
それと噂を聞く小紫 人目忍んで廓を出でて  
昼も心は目黒の寺を 平井権八墓場の前に  
乱れ初めにしその黒髪に なんと白無垢死装束と 
姿懐剣咽喉へと当てて 編む阿弥陀仏南無阿弥陀仏  
二世を助けて賜れかしと 落つる涙は千種の露と  
消えて浮名も比翼の塚と 今の世までも話に残る
 
番町皿屋敷口説き

 

世にも名高き怪談口説き ところ青山鉄山館  
そのや鉄山悪心なるが 王家細川横領せんと  
巧み合わせし弟忠太 二人こそこそ毒薬盛りて 
庭の泉水流さんものと 示し合わするその折からに  
皿箱携え来かかるお菊 さては誰やら足音いたす  
様子確かにお菊が聞けば そのや大事の悪巧みをば 
鉄山兄弟企むことと 皿箱渡して行かんとするを  
鉄山しばしとお菊を呼びて これさお菊よ用事というは  
外のことでもござらぬなれど そちはただ今忠太が言うた 
話残らず聞きゃったことか 言えばお菊は発明ながら  
心正直素直なゆえに うかと聞いたと云うたることが  
終にその身の破滅でござる それを聞いたる鉄山こそは 
胸の内には驚きたれど そこは怒りを色にも出さず  
忠太そなたもこの大切な お皿拝見いたさすほどに  
手水使うて清めてござれ 言えば忠太もその気になりて 
お菊諸共井筒のもとへ 行くや遅しと鉄山こそは  
箱の中なるお菊の重器 皿を一枚こっそと盗み  
知らぬ顔して待つそのとこへ 忠太お菊は早帰ります 
もうし鉄山宝のお皿 拝見いたさせ下さりませよ  
言えば鉄山指図をいたし お菊そなたが持て来たものぞ  
早く紐解き数検めよ それが我が身の仇とは知らず 
一枚二枚と数えていけど 箱の底まで調べてみても  
数は十枚ござらぬゆえに またも数をば検めみるに  
数は揃わん九枚の皿よ さても不思議よ鉄山様よ 
たった今でも御膳に置いて 数は揃うたお家の宝  
殊に殿様封印切って わしが十枚数をば読んで  
受け取り来たのが一枚足らぬ そのや鉄山驚き顔に 
これほど大事なお家の宝 それが九枚と端の数は  
何のことかや誰すむことか お菊そなたは命がないぞ  
きっと途中で一枚盗み 我に罪をばなすらんためか 
憎い女ぞそのままおかぬ 側に忠太は訳さえ知らで  
もうし鉄山お菊が望み 一度お前も数読ましゃんせ  
数を読むのは容易いことと 又も取り出すあの皿箱を 
さても鉄山膝立て直し 幾ら読んでも幾たび読むも  
数の不足は出て来ぬはずよ されど不審と思わんならば  
我が自分で検めくれん これよお菊よよく気を止めて 
俺の印数をよく聞かさんせ あいとお菊も恨めしそうに  
箱の皿にと目をつけまする 哀れなるかやひいふうみいと  
八つ九つ十とは云わぬ お菊命の瀬戸際なるぞ 
覚悟いたせと鉄山こそは 刀すらりと切りつけまする  
それぞ大事とお菊は後へ きゃっと飛び退き鉄山様よ  
合点参らぬあの皿の数 これには何ぞ仔細があろに 
心得違いのないとも知れず しかと詮議をいたした上に  
どうぞ不憫と逃げ回れども 相手といたすは鉄山なれば  
終に敵わず追い詰められて 憐れなるかよ斬り付けらるる 
声を限りにお菊の言葉 もうしこれいな鉄山様よ  
詮議もいたさず殺すというは 御家老様にも似合わぬ仕儀よ  
死ぬるこの身を厭いはせねど 殿様ばかりがどうにも難儀 
どうぞ今際に我が夫様の 三平殿にと一目でよいが  
会わせて下されお慈悲じゃもし それでなければま一度皿の  
数を読ませて下さりませよ そのや鉄山にたりと笑い 
いくら吠えても叫んだとても 願い叶わぬ未練な女  
今にそなたの夫と頼む そのや三平もまずこの通り  
憎や鉄山弟の忠太 末は怨みで皆殺し
 
二孝女口説き

 

人は一代名は末代よ 虎は死しても皮をば残す  
人は死してもその名は残る 同じ人でも生きがいあって  
死んだ屍に花をば咲かせ 後の世までも美名は残る 
人の世の花世の人の花 お都由お登岐の孝心こそは  
六十余州の津々浦々も 知らぬ人ない名高い話  
せめて供養のためにと思い 音頭とります皆さん方よ 
いざやこれよりしばらく間 囃子揃えて調子も強く  
頼みますぞえ踊り子さんよ 所いずくと尋ねてみれば  
国は豊後で大野の郡 川登なる泊の里よ 
苗字は河野名は初右衛門 妻は病で枕も重く  
ついに二人の娘を残し 遠いあの世へ旅立ちなさる  
後に残りし三人の者は 泣きの涙でその日を送る 
姉がお都由で妹がお登岐 月日立つのは間の無いもので  
姉も妹も稼業を助け その日その日の煙は立つが  
死んで行かれしその妻のこと 寝ても覚めても現に残り 
日頃信ずる御仏様に 二十四輩の巡拝せんと  
思い立ちしは文化の初年 妹お登岐を我が家に残し  
姉のお都由を嫁にとやりて いとしかわいの二人を捨てて 
仏参りと心を定め 明日は立たんと枕につけど  
かわい娘の二人の子供 後に残すも心にかかり  
捨てて出る気に一寸なりかねる 心励まし思案を定め 
二人の子供に別れを告げて 遂に我が家を立ち出でました  
春の初めで吹雪を冒し 峰に登りて我が家を見れば  
これが別れかあら懐かしや もしや旅路で病にかかり 
死んでしまえばもう見納めと 男ながらも涙を流す  
同じ思いの二人の娘 姉と妹が両手にすがり  
わっと泣き出すその日の名残 そばで見る目もあな愛おしや 
隣近所の娘子達も 貰い泣きして門出を送る  
旅にのぼりし初右衛門は 野越え山越え海をも渡り  
ここやかしこと国々巡り 名あるお寺の拝礼済まし 
祖師の大恩身に染み渡り 嬉し涙にただ泣くばかり  
既に巡礼終わりし故に 国に帰ろと思案を定め  
帰る道路を思うてみれば ここは常陸で豊後は遠い 
殊に時節はまだ冬の頃 寒さ冷たさ殊更強く  
老いの体に風染み渡り 遂に重たい病にかかり  
道に打ち伏しもがいていたを 通りかかりし一人の御僧 
慈悲の衣の袖にて包み 寺に連れ行き手厚い看護  
次第次第に病は重り 長い月日も御僧の情け  
いつか病も軽くはなりぬ 国に残りし二人の娘 
日日毎日父上様の 安否いかにと心にかかり  
今日か明日かと帰りを待てど 今と昔は便利が違い  
手紙一本遣り取りゃできぬ 泣きの涙で帰りを待てど 
何の便りも無きその上に 父の居所わからぬために  
逢いに行くにも行く先ゃ知れず 何としようにもただ待つばかり  
時に臼杵の善正寺様が 父の居所教えてくれて 
父は常陸の青蓮寺にて 慈悲の御僧の助けによりて  
重い病も手厚い看護 それと聞くより二人の娘  
居ても立ってもいられぬ思い 飛んで行きたい思いはあれど 
女二人で行くことできず 泣きの涙でその日を送る  
昼は稼業で紛れもするが 夜の枕は眠りに就かず  
父の病の難儀を思や 胸も心も張り裂くばかり 
そこでお都由は夫に願い 父を迎えに行きたい故に  
どうぞお暇を許してくれと 日日毎日哀れな願い  
遂に夫の直八殿も 親の孝行の心をくみて 
暇は望みに任するなれど 聞けば常陸の青蓮寺とは  
ここと道のり海山千里 とても女の行くことできぬ  
思い止まれと止めてはみたが 寝ても眠れぬ二人の娘 
たとえ難儀の旅路じゃとても 命懸けての旅立ちなれば  
いかなる難儀も厭いはせぬと 心定めし二人の娘  
旅の願いを代官様に お許しなされと願いを出だす 
時の代官親孝心と お褒めの言葉でお許しなさる  
そこで二人は大喜びで 旅の用意に取り掛かられる  
仕度できれば二人の娘 近所隣に暇を告げる 
近所娘は皆立ち寄りて 泣きの涙で別れを惜しむ  
これがこの世の見納めならん 万が一にも命があらば  
早く帰れと皆泣き別れ 姉のお都由も妹の登岐も 
二人ともども髪打ち切りて 姿形を雄雄しく変えて  
さらば皆様直八殿も 無事で暮らしてくださいませと  
行儀正しく別れを告げる 近所娘も皆袖絞る 
去らば去らばと口には云えど 三足歩みて一足戻る  
後見するする旅路にのぼる お都由今年が二十と二つ  
妹お登岐はようやく十九 道を急ぐも女の足で 
今日は三里かその翌日は やっと急いで五里しか行かぬ  
それもそのはず家ごと寄りて 報謝願うて行く旅なれば  
心急ぐも道のりゃ行かぬ 宿に泊まるもおあしは持たず 
夜は野に伏し山にも寝ねて 麦や藁をばしとねとなして  
石や木の根を枕に代えて 夜の寒さをしのがんために  
姉と妹が抱き寝をしても 夜露被りて寒さに耐えぬ 
とくと寝る夜は十日に一度 宮やお寺に仮寝をすれば  
夜の夜半に追い立てられて 二人泣く泣く一夜を明かす  
昼も自由に通れぬ時節 或は番所で差し止められて 
後に帰りて山路を越えて 廻り廻りて街道に出れば  
又も関所で通行できぬ 百里行くのも一月余り  
やっと着いたは常陸の国よ 寺を尋ねて巡るといえど 
寺も数々あることなれば 思うようには詮議もできず  
尋ね尋ねて彷徨う内に 宿をはずして泊まりに困り  
とあるお寺の門をば借りて 二人抱き寝の夢をば結ぶ 
一夜明くればお寺の男 門を開いて掃除をなさる  
そこで二人の姉妹娘 寺の男にお礼を言えば  
寺の男は二人に向かい 国はいずこか所はどこと 
心ありげに尋ねによりて 国と所と尋ねる親と  
包み隠さず話をすれば さても孝行な二人の者よ  
そちの尋ねる父上様は 他でないぞよこの寺に居る 
聞いた二人の姉妹娘 右と左の袂にすがり  
父に会いたい会わせてくれと 両手合わせて頼んだ故に  
二人引き連れお寺に入りて 委細話を父御に告げる 
親は慌てていざりのままに 起きつ転びつ表に出でて  
右と左にお都由とお登岐 すがりついてぞ顔うち眺め  
嬉し涙で物をも言わず 涙流してただ泣くばかり 
そばで見ていた数多の人は 貰い泣きして袖をば絞る  
ほんに孝行の二人の娘 老いも若きも及ばぬ手本  
ついに水戸公のお耳に入りて 二人孝女のお召しのお沙汰 
お褒め言葉や下され物や 帰る道中の諸大名方へ  
水戸のお沙汰で警護の仰せ 道中大名は皆それぞれに  
水戸のお沙汰の孝女の帰り 不都合無いよに警護をせよと 
それは厳しいお触れが廻る 途中大名の下され物は  
船や車に積むことならぬ こんな孝女は日本に二人  
水戸の手厚い情けによりて 無事に豊後の故郷へ帰る 
そこで臼杵の殿様よりも 年貢三石ただ作り取り  
時の制度もお構いなしに 銀の簪自由の着物  
親に孝行はその身の誉れ 人は死してもその名は残る 
人の手本よ世間の鑑 これぞ至孝の誉なり
 
中将姫雪責口説き

 

今に名高き中将姫は 世にも稀なる孝行者よ  
仏信心怠りなくて 意地の悪いは岩根の御前  
継子いじめの悪体面よ それや姫君継母なれど 
仰せ背きは露いささかも 辛いことでもただはいはいと  
厭な顔さえ一度もなさぬ されど前世の因縁なるか  
岩根御前は中将姫が 顔を見るさえ憎いと云うて 
世にも恐ろし雪責なさる それというのもあの姫君が  
日頃信ずる観音像を わざと岩根が盗んでおいて  
それを出せよと日毎の折檻 そのや姫君少しも知らぬ 
無実の罪を受けたるなれど 証拠なければ言い訳さえも  
白状するさえ出来ざることよ 岩根御前は僕の者に  
仰せ出だされ彼の姫君を 一間の内より引きずり出して 
雪の降る日も容赦はなくて 上着引き剥ぎ割竹持ちて  
白状いたせと打擲させる 姫は悲しさ詮方ないよ  
一つ二つのその打擲が 五臓六腑にこたゆるばかり 
そのや桐の谷この有様を 垣の外にて見ているけれど  
悲しいことには鍵金かたく 破り入るのがさもないならば  
垣を乗り越し入るの外に 仕方なけれどもし僕等に 
狼藉者と言われたときは 一言なりとも言い訳立たぬ  
姫の折檻さるるを見ては 歯噛みなせども境の垣に  
涙流して見ているばかり 姫は切戸のその外面には 
俺が遣いし桐の谷ともに 泣いているのは知ってはいます  
それに無実のあの観音の 御像の行方はわしゃ知りゃしない  
盗んだ人こそあの継母の 岩根御前と他人から聞けど 
それをこの場で言い立てすれば 母に罪をば着せるも道理  
そのや証拠もないことなれば これも前世の罪滅ぼしと  
じっと無念を堪えてござる 外に立ち聞くあの桐の谷は 
忠義者にてただ一身に 姫の御身を気遣うばかり  
もうし姫君観音像の 行方穿議でござるであれば  
何のお隠しなされよことぞ あからさまにと言い訳なされ 
垣の外にて気を励ませば 打たれながらも中将姫は  
そのや桐の谷未練なことを 云うてくれるな云わずにおくれ  
どんな責め苦にわしゃ遭うとても そこでそなたが云わぬがましよ 
早くその場を立ち退きなされ
 
新保広大寺口説き

 

新保さえ 広大寺は ありゃ何処から出たやれ 和尚だなぁ 
新保新田から出たやれ 和尚ださえ 
ほらなんきん たおだか ほねつくようだよ 
戸板に豆だよ ごろつくようだよ 
へんへんてばなっちょなこんだよ 
  新保さえ 広大寺は ありゃなんで 気がやれそれた 
  お市迷うて そんで気がそれた 
  サァ来なさい 来なさい 晩にも来なさい 
  おじいさんお留守で ばぁちゃんツンボで 
  だれでも知らない そろりと来なさい 
  へんへんてばなっちょなこんだよ 
切れたな 切れた切れたよ 一思いにやれ切れたな 
水に浮草根がやれ 切れたさえ 
新潟街道で イナゴがつるんで 三石六斗の 
あぜ豆倒して ハァイナゴで幸せ 
人間ごとなら そうどうのもとだよ 
へんへんてばなっちょなこんだよ 
(「松坂」「広大寺」「追分」「おけさ」を日本の民謡の四大源流といいます。「広大寺」は、十日町市下組新保にある広大寺の住職が、門前の豆腐屋の若後家お市に恋慕したのを歌いはやしたもので、天明の飢饉の年に江戸まで大流行しました。これが各地に伝わって上州の「八木節」、越中の「古代神」、近畿の「高大寺」などの民謡になりました。瞽女もこの伝播に一役買ってきました。) 
へそ穴口説・新保広大寺節  
あわれなるかや へそ穴くどき 国はどこよと 尋ねて聞けば  
国は内股 ふんどし郡(ごおり) だんべ村にて ちんぼというて  
おそれおおくも もったいなくも 天の岩戸の 穴よりはじめ  
亭主大事に こもらせ給い ふじの人穴 大仏殿の  
柱穴にも いわれがござる 人の五体に 数ある穴に  
わけてあわれや へそ穴くどき 帯やふんどしに 締めつけられて  
音(ね)でも息でも 出すことならぬ 仁義ごとにも 出ることならぬ  
夏の暑さに じつないことよ ほんに体も とけるよでござる  
日の目おがまず 夜昼しらず よその穴ショの 楽しみ聞くに  
春は花見に 夏蛍見に 秋は月見に 冬雪見とて  
耳はおお聞く 琴三味線の 鼻は香(こう)買い蘭麝(らんじゃ)の香り  
口は三度の 食事のほかに 酒や魚や 茶菓子というて  
うまいものには 鼻ふくらしゃる  
おらが隣の 朋輩穴は かわいがらるる 愛嬌もちて  
世間のつきあい 慰みごとよ 月に一度の お厄のほかに  
夜毎夜毎に その賑やかさ きんべおととに きんしちというて  
暮れの六つから 明け六つまで どたらばたらと裏門たたく  
わしもたまげて 覗いてみれば 光る頭を ぶらぶらと下げて  
坊主頭に 縦傷はわせ 禿げた頭に かづらを巻いて  
おらは隣に 大法事がござる 誰が法事だやら わしゃ知らねども  
知らん坊さん達 出たり入ったりなさる  
お米とぐやら 白水ながす おとき喰うやら口ぐちゃやしゃと  
お布施つつむやら 紙ぐしゃぐしゃと わしら屋敷まで 白水ながす  
いかにわたしが りくぶじゃとても よその騒ぎで 気ばかりもめる  
せめてぐるわに 毛でも生えたならば ごみやほこりを 入れさせまいと  
あるに甲斐なき へそやこれの穴 サエー 
 
新保広大寺節

 

新保 ナーエ コリャ 広大寺かめくり(花札ばくち)こいて 
コリャ 負けた ナーエ 袈裟も衣も ヤーレ みなさえ コリャ 取られた ナーエ  
(囃し) 
ああいいとも いいとも 一時こうなりゃ 手間でも取るかい ナーエ 
あとでもへるかい いいこと知らずの 損とりづらめが いいとも そらこい 
新保広大寺に 産屋が出来た お市案ずるな 小僧にするぞ ナーエ 
桔梗の 手拭いが 縁つなぐなら おらも染めましょ 桔梗の型てば ナーエ  
(囃し) 
そうとも素麺 下地が大事だ こいてばコンニャク きんには大事だ 
もっとも麦飯 とろろが大事だ おらカカそれより まんこが大事だ  いいとも そらこい 
さほど目に立つ お方じゃないが どうやら私の 虫やが好くてば ナーエ  
(囃し) 
新潟街道の スイカの皮でも 抱いたら離すな 十七島田に 乗ったら降りるな 
きっきとこいだら ほっぺに吸い付け いいとも そらこい 
新保広大寺が ねぎ喰って死んだ 見れば泣けます ねぎのはたけ ナーエー 
殿さ殿さと ゆすぶりおこせば 殿さ砂地の 芋で無いぞ ナーエー
 
お為半蔵口説き1

 

淵に身を投げ刃で果つる 心中情死は世に多かれど  
鉄砲腹とは剛毅な最期 どこのことかと尋ねて聞けば  
頃は寛延二年の頃で 国は豊州海部の郡 
佐伯領とや堅田の谷よ 堅田谷でも鵜山は名所  
名所なりゃこそお医者もござれ お医者その名は玄了様と  
これはこの家の油火の 明る行灯も瞬く風に 
消える思いは玄了様よ 一人息子に半蔵というて  
幼だちから利口な生れ 家の伝の医者仕習うて  
匙もよう効き見立も当る 堅田固より御城下までも 
流行病は半蔵にかかる 半蔵は長袖常にも洒落て  
襟を着飾り小褄を揃え 足ゃ白足袋八つ緒の雪駄  
しゃならしゃならで浮世を渡る やつす姿は人目に立ちて 
道の行き来にゃ皆立止り 彼は好いもの好い若い者  
在にゃ稀じゃと皆褒めていく 褒める言葉がつい仇となる  
同じ流れの川下村で 潮の満干を見る柏江の 
渡り上りに修験がござる 修験その名は流正院  
流正院とぞ呼ぶ山伏の 妹娘にお為というて  
とって十八角前髪の 花も恥らう綺麗な生まれ 
諸芸縫針読書までも あたり界隈誰たてつかぬ  
地下に一人の評判娘 それには半蔵が想いを懸けて  
いつかどうぞと恋路の願い 胸に焚く火の燃ゆれはすれど 
人目ある世はままにもならず 真間の継橋渡りは絶えて  
磯の鮑の唯片想い 思い兼ねたる心の祈念  
どうぞ助けて逢わせて給え 逢うて想いをとげさすならば 
一生断ちましょ鰻と玉子 神や仏も心の誠  
受けて哀れと思せし甲斐か 頃は正月二十八日は  
土地の鎮守の竜王様の 年に一度の初御縁日 
我も我もと参詣すれば お為半蔵も氏子で参る  
上る半蔵下向するお為 の鳥居の左の脇で  
ふっと半蔵はお為に出会い 思いつめては人目も恥じず 
しかと手をとり顔うち眺め もしこれなこれお為さん  
わしは真実お前のことを 寝ては夢に身覚めては想い  
想い暮して照る日も曇り 冴えた月夜もまた闇となる 
闇に迷いて三度の食も 胸に詰まればつい癪の種  
癪が病のもととなり こうも痩せたは皆誰故ぞ  
どうぞ一夜は慈悲情け かけて頼むとかきくどく 
お為半蔵に申すよう 物の数にもたらわぬ私  
誠真実それほどまでに 言うてくれるは嬉しいけれど  
推量なされて半蔵様よ 私ゃ今では継母がかり 
親がきつけりゃ身は籠の鳥 籠の鳥なら世はままならず  
他の御用ならどうでもなろが 恋路ばかりはお許しなされ  
言うに半蔵は気も急きのぼせ 人に大事を明かさせながら 
靡くまいとはそりゃ胴欲な 物の例えを引くではないが  
深山隠れに春咲く桜 人が通わにゃ盛りも知れず  
岩の間の躑躅や椿 誰も手折らにゃその根で腐る 
ここら辺りの川端柳 嫌な風でも吹き来りゃ靡く  
またも例は篠竹薮の 今年生えたる弱竹さえも  
とまる雀にゃ宿貸す習い 魚は瀬にすみ鵜は淵に住む 
人は情けの下に住め お為言葉の理につめられて  
もしこれな半蔵様よ あなたそれほど真実あれば  
一夜二夜の契りはいやよ 二世も三世もまた先の世も 
変わるまいとの誓いをしましょ 当座ばかりに眺むる花と  
徒な浮名を世に立てられて 添も得遂げぬ語らいなれば  
なまじ約束せぬのがましよ 言えば半蔵は打ち喜びて 
あわれ竜王大権現 八幡菩薩もご照覧給え  
つかう言葉に偽りあらば 半蔵一命差し上げましょと  
神を誓に心の誠 見えてお為もにっこと笑い 
締めて返せし手と手の裏に こもる互の思いも通い  
この日別れてお為は帰り 半蔵それより御嶽に登る  
御嶽登りて氏神様に 日頃焦がるるお為に出会い 
逢うて互に言葉を交わし 交す言葉に真実込めて  
積る思いも高嶺の雪と 解けて嬉しい心の願い  
これもあなたのご利益なれば 二人約束した日も丁度 
年に一度の初御縁日 お礼参りはまた重ねてと  
しばし額づき心の祈念 述べて拝みて我が家に帰る  
半蔵それよりお為が許に 三月四月は忍びて通う 
忍ぶ恋路にゃ難所がござる 義理の柵人目の関所  
関所守る目の赦さぬものは 恋の闇路に身を紛らせて  
上辺や世間を忍ぶとすれど 忍びゃ忍ぶほど浮名は立ちて 
宵に吹く風朝吹く嵐 広い堅田を早吹きまわす  
そこら界隈東に西に どこの地下でも三人寄れば  
噂話はお為と半蔵 在所や収納時麦打つ囃子 
はやる小唄もお為と半蔵 半蔵両親それとも知らず  
近所隣の爺婆達が いつも小声で囁く噂  
よもやそれとは心もつかず 世間話のただそよごとと 
徒に通せし身の恥かしさ 聞けば我子の半蔵が上と  
知った両親打ち驚きて 母はわが子に意見をせんと  
奥の一間に半蔵を招き 半蔵よう聞け大事なことよ 
そなた大事の身を持ちながら いつの頃から心が迷い  
人目忍びて柏江村の 渡端なる修験が本に  
あれが娘のお為を慕い 末は夫婦となる約束を 
堅う結んで通やるそうな 家の跡目を継がせるそなた  
そなた心に適うた娘 入れて夫婦にしてやりたいは  
親の心は山々なれど 家が大事か女が重か 
筋目正しい我が家の系図 やがて二代の玄良様と  
人に褒められ世に立てられて 家を継ぐべきそなたじゃないか  
広い世間の例を見るに 何処の里でも貰うた嫁の 
心一つで一家は栄え 心一つで一家は滅ぶ  
見栄や器量に迷うた人の 家を治めた例は聞かぬ  
殊にお為は修験の娘 医者と山伏ゃ家にも不吉 
添うに添われぬ悪縁なれば ことの道理をよう聞き分けて  
家の大事と我が身の大事 親の心を休むる為に  
どうぞお為と別れてたもや そなた一生添わせる妻と 
かねて見立てし定めし者は 灘の鳥越お繁というて  
今年十月引越すはずよ あれと仲良う夫婦となって  
家の栄を図りてたもりゃ わりつ口説きつ涙を流し 
慈悲も情も込める母が 事を分けたる親身の意見  
聞いて半蔵は胸轟かせ なんと答えん言葉は絶えて  
腹に据えたる我が身の覚悟 好かぬお繁と夫婦になって 
嫌な一生暮そうよりも いっそ死んだがましではあると  
思い定めて我意を決し 母に向いで両手をつかえ  
もしこれな母上様よ 事を分たるそのご意見に 
厚きご慈悲の光を受けて 胸の迷いの雲晴れました  
父母の仰せに従いまして すぐにお為と手を切りましょと  
述ぶる半蔵が心の内は 今宵一夜が我身の限り 
またと会われぬこの世の母に 嫌な言葉を聞しょうよりも  
安堵さするが今際の孝と 口の先なるその気休めを  
母はそうとも夢さら知らず 半蔵良い子よよう諦めた 
幼な時から利口なものと 人も褒めたる甲斐ある程に  
家の大事を心にかけて 厭かぬ女に未練もかけず  
それで我家の跡取息子 父もさぞかし喜びましょと 
言うていそいそ一間を出づる 後に半蔵は胸こまぬきて  
焔こ暗き火影に向かい 一人つくづく我が身の果てと  
味気なき世を心に託ち 死ぬと覚悟を極むる上は 
今宵一夜もうるさき娑婆に 住みて甲斐なき身の上なれど  
息のあるうちも一度逢うて 様子を聞かせにゃ不実な人と  
あとでお為が恨むであろう 恨むお為に得心させて 
自殺するこそ男の誠 そうじゃそうじゃと我が家を出でて  
急ぎゃ程なく柏江村に またも急げばお為が許に  
着いていつもの背戸へと廻り 裏の窓から様子を見れば 
お為や朋輩皆うち寄りて 流行小唄で夜なべの最中  
お為お為と小声で呼べば お為ゃ不審の眉うち寄せて  
いつも早いに今宵は遅い 見ればお顔の色さえ冴えぬ 
何か子細のありそなことよ わけを聞かせて半蔵様と  
言えば半蔵は吐息をついてさえも 沈みがちにてお為に向かい  
月にゃ群雲花には嵐 障りあるのが浮世の常か 
わしとお前の二人が仲は 世にも人にも知らさじものと  
つつむ甲斐なく仇名は漏れて 親の折檻一家の騒ぎ  
生きちゃこの世に居られぬ半蔵 死ぬと覚悟を極めしものを 
せめて今一度お前に逢うて 永の別れの暇を告ぎょと  
我が家抜出で今来た私 私ゃ冥途に旅立つ程に  
お前や後まで生長らえて 人に勝れた良い婿迎え 
夫婦仲良う暮らしてたもりゃ 同じ流れを汲みてでさえも  
深い縁のあるとぞ聞けば 遂げぬ妹背も五月六月  
通い慣れたる好みのかいに 思い出す日を忌日と定め 
茶湯茶水の御回向頼む 云えばお為がせきくる胸に  
泣声立てじと袖噛み締めて 堪えぬ思いに身を震わせつ  
何の答えもただ泣きじゃくり しゃくりあげたる涙の雨に 
濡るる海棠が色増す風情 ようよう袂で顔押し拭い  
あまり無体な半蔵様よ あなた日頃にどうおっしゃった  
今の言葉のあだ水臭い そもや二人がこうなる初め 
神を誓いに互の誠 告げて二世まで夫婦になろと  
言うた言葉を忘れてかいな 生きてこの世に沿われぬならば  
共に死のとはかねての覚悟 起証誓紙の百枚よりも 
云うた言葉をわしゃ反故にせぬ あなた死ぬのを傍から眺め  
後に残りて婿取るような そんなお為と思うてかいな  
二世も三世もその先までも 添うて変わらぬ一人の夫と 
思うあなたを世に先立てて ただの一日も何永らよう  
あなた冥途に旅立つならば わしも黄泉のお供をしましょ  
云えば半蔵打ち喜びて しばし涙に袂を絞り 
されば死ぬ日を決めねばならぬ 死ぬるその日は六月十日  
堅く誓うて半蔵は帰る 日日立つのも間のないものよ  
今日はその日の六月十日 お為朝から髪梳きなおし 
化粧済ませて晴着に着替え 父と母とに両手をついて  
もしこれな父上様よ 私ゃ波越の観音様へ  
かねてこめたる心願あれば 今日はこれからお参りしましょ 
言えば両親言葉を揃え そなた波越に参るは良いが  
土用半ばの炎天なれば 傘をさしても日中は暑い  
暑い日中にゃ木陰に休み 喉が渇くとも冷水飲むな 
水を飲む時薬をやろと 父は箪笥の引き出し開けて  
出して与ゆる富山の気付 お為両手に押戴きて  
胸にせき来る涙を抑え 今日の一日を一期となして 
明日はこの世にない我子とも 知らぬ誠の父上様の  
深き情けのその御心に 背く不孝は因果か業か  
今宵山路の草葉の露と 消えし知らせを聞かしゃるならば 
さぞやお恨みなさるであろと 思い廻せば空恐ろしく  
膝も震えて暫しがほどは 立ちも得去らずその座にいたが  
お為ようよう気を取り直し それじゃ父上参って来ましょ 
云うてお為は我が家を出づる 長き日脚も早や傾きて  
とこうする間にその日は暮れる ここに半蔵は我が家にありて  
今宵限りの身の上なれど 後に一筆書置きせんと 
部屋に籠りて机に向かい 硯引寄せ墨すり流し  
筆の始めに記せしことに 二十二歳を一期となして  
親に先立つ不孝の詫を 継に記せしその文言は 
受けしご恩は千尋の海も 須弥の高嶺も及ばぬものを  
露や塵ほど報ぜぬ上に 勝手気ままな最期を遂ぐる  
不孝いや増す不埒の詫を 次へ次へと身の非を責めて 
父母に詫びたる今際の遺書 書いて封じて手箱に納め  
葛篭開いて衣装を出だす 半蔵その日の死装束は  
肌に白無垢白地の下着 上に越後の白帷子を 
着けて締めたる博多の帯に 挟む印籠も白銀黄金  
やがて仕度も皆整えば 銚子盃袂に入れて  
家に伝わる頼国俊の 一刀手鋏鉄砲ひさげ 
馴れし我が家を忍びて出づる 急ぎゃ程なく柏江村の  
勝手知ったるお為が許よ 格子窓から覗いてみれば  
一人お為がただしょんぼりと 目には涙の物案じ顔 
お為お為と小声で呼べば お為駆け出て半蔵にすがり  
お出で遅しとわしゃ待ちかねた ここで人目にかかりもしたら  
どんなさわりのできよも知れぬ 尽きぬ話は行たその先と 
二人連れ立ち家路を離れ 行手急げばはかどる道の  
後を埋むる川靄さえも 消えていく身のつい終の友  
岸を離れて江頭来れば 今宵十日の月代さえも 
西の尾上に早や傾きて 暗さも暗し後田の  
ここを通れば思い出す 過ぎし五月の田植えの頃は  
村の娘子皆打ち連れて 茜だすきのいと華やかに 
菅の小笠のただ一揃い くけし真紅の紐引き締めて  
緑の早苗抱え帯 誰を思いに弱腰の  
濡れて植えたる稲さえも 秋は実りて穂をかざし 
末は世に出てままとなる 同じ月日の下に住む  
わしとお前はなぜ何故に 育ちもやらぬしいら穂の  
実りもせで果つるかと 云えば半蔵も声打ち湿り 
言うて帰らぬ皆あと言に 何を悔やみて鳴く不如帰  
鳴いて飛び行く声聞きゃお為 四手の田長が冥土の旅の  
道を教えて先に立つ 声をしおりのあの山こそは 
人の名にゃ呼ぶ城山峠 今宵二人が死山峠  
さあさ急ごと気を励まして 山の峠に二人は登り  
ここがよかろと草折敷きて 銚子盃早や取り出だし 
半蔵傾けお為に廻し しばし名残の酒酌み交わす  
これがこの世の限りと思や さすがお為は女の情よ  
涙抑えて半蔵に向かい こんな儚い二人が最期 
遂げよと知らせの正夢なるか 正月二日の初夢に  
わしがさしたる簪の ぬけてお前の脇腹に  
しかと立ちたる夢を見た 夢が浮世か浮世が夢か 
早う覚めたや無明の眠り 頼むは後世の弥陀浄土  
短い夏の夜は更けて 今鳴る鐘は江国寺  
また鳴る鐘は常楽寺 また鳴る鐘は真正寺 
また鳴る鐘は天徳寺 また鳴る鐘は天明寺  
正明寺こそ正七つ 五か寺の鐘も皆鳴りて  
白む東の横雲に 夜明け烏が最期をせがむ 
死なにゃ追手のかかろも知れぬ 早く殺して殺してと  
言うに半蔵も覚悟を極め 二尺一寸すらりと抜いて  
花のお為をただ一撃ちに 倒る屍腰うちかけて 
かねて用意の銃とりなおし どんと放つがこの世の別れ  
残る哀れは堅田の谷よ 今もとどむる比翼塚  
お為半蔵の心中の噂 聞くも涙の一雫
 
お為半蔵口説き2

 

国は豊州海部の郡 佐伯様なるご支配内に  
村を申さば宇山の村よ 小村なれども宇山は名所  
名所なりゃこそお医者もござる 医者のその名は玄了様よ 
親はこの世の油火なるが 明りも高き行灯の  
消える思いの玄了様よ 世取り息子は半蔵というて  
年は二十三できれいな生まれ なれど半蔵は洒落者なれば 
襟を着重ね小褄を揃え 裾に白足袋厚皮雪駄  
しゃららしゃららで月日を送る なれど半蔵は利発な生まれ  
親の手筋を早や習いこみ 匙もよう利く見立ても当たる 
町も田舎も津々浦々も かかる病気は半蔵が治す  
それに恋する女もござる 同じ流れの川下村で  
潮の満干を見る柏江の 渡り上りにハキショがござる 
ハキショその名は流正院と 流正院とぞ呼ぶ山伏の  
妹娘にお為というて 年は十九できれいな生まれ  
なれどお為は洒落者なれば 襟を着重ね小褄を揃え 
裾に白足袋厚皮雪駄 しゃららしゃららで月日を送る  
なれど柏江舟着きなれば 旅の船頭が数入りこんで  
お為お為と毛草もなびく それに半蔵が想いを懸けて 
いつかどうぞと思いはずれど 人目しげげりゃ逢うことならず  
来たる正月二十八日は 龍宮様なる初御縁日  
我も俺もと参詣なさる お為出て来る半蔵は参る 
道のすりあいお為に出会い しかと手をとりこれ為さん  
わしは真実お前のことを 寝ては夢に身覚めては想い  
想い暮して照る日も曇り 冴えた月夜もまた闇となる 
どうぞ一夜の迷いの雲を 晴らせ給えやのうお為さん  
云えばお為がさて申すには 物の数にもたらわぬ私  
誠真実それほどまでに 言うてくれるは嬉しいけれど 
推量なされて半蔵様よ 幼少時より母上おくり  
今日が日までも父上がかり 親が出さねば身は籠の鳥  
籠の鳥なら身はままならず 他の御用なら如何様な儀でも 
云うてござんせ叶えてあげる 色の道ならお許しなされ  
田舎育ちでその道ゃ知らぬ 云えば半蔵がさて申すには  
物の例えを引くではないが 昔お釈迦が七十三で 
玉の妃の小夜照姫に 恋をなされた例もござる  
まして空行く七夕様も 川を隔てて恋路をなさる  
草に蛍が止まると云えど 草に心は少しもないが 
露に心がありゃこそ止まる 梅に鶯止まると云えど  
梅にゃ心は少しもないが 花に心がありゃこそ止まる  
鮎は瀬にすむ鳥ゃ木の枝に 人は情けのその下に住む 
私はお前の寝る部屋に住む どうでござんすのうお為さん  
云えばお為が理につめられて 晩はござんせ私の部屋に  
云うてお為は我が家に帰る 半蔵それよりお為が許に 
三月四月は忍びて通う 忍ぶ恋路にゃ難所がござる  
義理のしがらみ人目の関所 関所守る目の赦さぬものは  
恋の闇路に身を紛らせて 上辺世間を忍ぶとすれど 
忍びゃ忍ぶほど浮名は立ちて 阿漕ヶ浦で引く網は  
一度がままよ二度がまま 二度が三度と度重なりて  
宵に吹く風朝吹く嵐 広い堅田を早吹きまわす 
そこら界隈東に西に どこの里でも三人寄れば  
噂話はお為に半蔵 それを宇山の両親様が  
人のことかと立ち寄り聞けば 聞けば我が子の半蔵がことよ 
我が子半蔵に意見をせんと 奥の一間に半蔵を呼んで  
半蔵よう聞け大事なことよ そちとお為はよい仲じゃそな  
仲がよいとて嫁には取らぬ 器量は良うてもありゃけんさいの 
医者と山伏ゃこの家にゃ不吉 そなた一代添わせる妻よ  
かねて見立てて定めし者は 灘の鳥越従妹のお繁  
これがお前の一代の妻 云えば半蔵は腹をも立てて 
好かぬお繁と一代よりも 好いたお為と死んだがましと  
云うて半蔵は我が家を出づる しゃならしゃならと柏江村に  
見れば見渡す棹差しゃ届く お為お為と二声三声 
云えばお為が早や聞き付けて 誰かどなたか半蔵さんか  
いつも早いに今宵は遅い 何か仔細のありそな顔よ  
様子あるなら早や語らんせ 云えば半蔵がさて申すには 
わしは宇山の両親様に きつい意見で辱められた  
どうせ御前とこの世じゃ添えぬ わしは冥土に行きますほどに  
御前この世に生き永らえて 茶の湯茶水の御回向頼む 
云えばお為がさて申すには 御前死ぬるもみな私ゆえ  
御前冥土に行きますなれば 道のお邪魔にゃなりましょけれど  
わしも冥土のお供がしたい 云えば半蔵が打ち喜んで 
さても届いたお為が心 されば死ぬ日を決めねばならぬ  
死ぬる約束いたしておいて 急ぎ急ぎで我が家に帰る  
我が家帰りて書置きせんと 硯引き寄せ墨すり流し 
鹿の巻き筆こすきの紙に まず一番の筆立は  
許し給えや両親様よ 二十二歳は今日今までも  
いかいお世話に相なりました わしはお為と死にますほどに 
二つ同行にほりけてたまえ 今年の暮れが来たなれば  
貰いしお繁を呼び寄せて 養子貰うて半蔵と思え  
家も遣ろうし世も譲ろうし 思う書置きさらばと書いて 
書いてしたため封じておいて 硯下には大事となおす  
さあさこれから死装束よ 下に着るのが白地の綸子  
上に越後の白帷子を 着けて締めたる博多の帯よ 
二尺一寸落としにゃ差いて 鉄砲かついで我が家を出づる  
お為その日の死装束よ 母の形見の大振袖に  
上に七二の高貴の縞よ 帯は当世流行の帯を 
三重に回して矢倉に上げて トンと叩いて後ろに回す  
銚子盃袂に入れて 寝茣蓙をかついで後田の  
ここは田の畦転ぶお為 転ばしゃんすな半蔵さんよ 
植えたる稲は穂に出たが 私と御前はいつ世に出ろか  
お為云うな云うなみな後事よ そうこうする間に蛇崎越えて  
向こうに見ゆるが城山峠 人のためには中山峠 
わしと御前は剣の山よ 広い峠に赤松ござる  
松の根元に茣蓙打ちはえて 銚子盃早や取り出だし  
そこで二人が死に盃よ 半蔵飲んではお為に渡す 
お為飲んでは半蔵に返す 差いつ差されつ末期の水よ  
これがこの世の限りと思や さすがお為は女の情に  
涙抑えて半蔵に向かい こんな儚い二人が最期 
遂げよと知らせの正夢なるか 正月二日のあの初夢に  
わしがさしたるこの簪が 抜けてすたりてついこなさんの  
あばらに立ちたる夢を見た お為云うな云うなみな後事よ 
夏の短き夜も早や更けて 今鳴る鐘は江国寺  
また鳴る鐘は常楽寺 またも鳴るのはありゃ天徳寺  
すべて五か寺の鐘鳴り響き 白玉東の横雲の間に 
夜明け烏が最期をせがむ 早う死なねば追手がかかる  
つまり追い手の恥をも受けて 辛い我が家に帰ろうよりも  
いっそ死んだが二人のためよ 云えば半蔵がさし心得て 
二尺一寸すらりと抜いて 花のお為をただ一太刀で  
返す刀で止めをさして 死んだお為に腰うちかけて  
鉄砲引き寄せ手に取り上げて 火打ちを出して火を打ちて 
火縄に火を付け火鋏に トンと放せばこの世の暇  
残る哀れは堅田の谷よ 今もとどむる比翼の塚に  
絶えぬ手向けの線香一だ 町の若衆花嫁女たち 
色もするなら浅黄にだつと あまり濃ゆすりゃ命にかかる  
お為半蔵の心中の噂 末は涙の語り草
 
お千代義平口説き

 

義理という字は何から生える 思い合うたる種から生える  
情死情死と世に多けれど 例少ない今度の情死  
国はいづこと尋ねて訊けば 豊前企救郡能行村に 
知らぬ筈ない有徳なお人 道理分かりし陸右衛門さんは  
田地財産有り余れども ままにならぬが浮世のならい  
世継ぎないのが一つの不足 あちらこちらに養子をさがす 
ここに筑前遠賀の郡 昔大内何某様と  
言われなさった御人なれど 今は百姓を稼業となされ  
小作作りの貧しき暮らし それに数多の子供が御座る 
末の息子を義平といいうて これを養子に貰うてやろと  
人の勧めに陸右衛門さんは 日柄選んで縁組なさる  
昔名高い侍なれば 血筋あらわすその名も義平 
利巧発明世の常ならず 器量は吉野の若木の桜  
花も色増す二十一の年 袖の振り合い見返る人も  
心かけ茶屋縁でもあれば かけて見たがる数多の人よ 
中にすぐれし一人の娘 これは村内五平次さんの  
蝶よ花よとお育てなさる 末を祝してお千代と名付け  
色香含みしその面影は 白い牡丹に薄紅差して 
姿とりなす緑の柳 風に靡くよな装いなれば  
小野小町か弁天様か 絵にも勝ると世間の噂  
これが義平に心を寄せて 迷い初めたが中秋の頃 
枕一つで眠りもやらで 恋し恋しのあの義平様  
かげの案じもよも白菊の 露の情けに実は蛍火の  
昼は消えつつ夜は夜もすがら かげに付き添う因果の車 
手管求めて語らんものと 恋の糸口ほころびかける  
手繰り寄せたい心の丈も 君は知るまいさて何としょう  
すぐに言わんもいと恥ずかしく 何と詮方八幡菩薩 
どうぞこの恋叶えてたもれ 夜毎日毎に参りて頼む  
されば例えに言うたる通り 思いある矢は石にも立つと  
義平この頃お千代を慕い これも夜な夜な八幡参り 
拝み終わりてかたえを見れば 神の御前に一人の娘  
義平怪しみ透かしてみれば 慕うお千代の面差故に  
そこに居るのはお千代じゃないか 水も音せぬこの真夜中に 
そなた一人で何しに来たか 問えばお千代は恥ずかしそうに  
両の袂で顔押し隠し 義平さんかやあら恥ずかしや  
何を隠さんこうなるからは わしはあなたに命を懸けて 
頼みあげたい一事が御座る 言うに言われず詮方なさに  
ここのお宮に誓いをかけた さてもその内二人の君は  
朝な夕なに顔見合わせて 心楽しく日を送るうち 
月に群雲花には嵐 恋の邪魔する名は淀助と  
これは村中の若衆頭 お千代我が手に落とさんものと  
邪魔の張弓横矢の恋慕 忍ぶ垣根にお千代を呼んで 
わしはお前にほうれん草よ 胸は文字ずり心は乱れ  
下の道草文踏み枯らせども いつも来るたび恥杜若  
応といわんせ撫子の花
 
河原地蔵口説き

 

ここに一つの話が御座る これは此の世の事ではないが  
死出の山路や裾野の里に 西院の河原のその物語  
聞くにつけても二つや三つ 四つや五つや十にも足らぬ 
この世に不用と闇から闇へ 水子無情や南無阿弥陀仏  
集まり来たるは父母恋し 嘆き叫べどあの世の声と  
悲しき骨身にしみ入りまする そこで嬰子の仕種を見れば 
河原の石をば大小集め そこで回向の塔をば作り  
一つ積んでは父上様に 二つ積んでは母上様に  
三つ積んでは兄弟我身 遊んでおれどもやがては無情 
日暮れ時には地獄の鬼が 金棒振り上げ汝等共に  
父母は元気で暮らして居るに 追善供養の勤めもなくて  
毎日明け暮れ暮らしを送り 嘆き可愛いや不憫や惨め 
親の嘆きは汝等共が 苦難を受ける種にと成るぞ  
我を恨むは筋道違い 金の延棒で積みたる塔を  
打って崩すや又積め積めと 幼心に無情でござる 
余り悲しき仕打ちでござる 伏して拝むか可愛や程に  
一度でいいから抱かれてみたい 母の乳房にすがってみたい  
泣いて悲しや幼き声に またも地獄の鬼現れて 
鬼は言いつつ消え失せまする 峰の嵐で地響きすれば  
父が来たかと山へと登り 谷の流れを這いつつ下り  
辺り眺めりゃいずこか母は 姿求めて東や西に 
這って回って木の根や石に 一つ積んでは父上様に  
二つ積んでは母上様に 打身擦傷血潮が滲む  
泣くな眠るな罪なき童子 無情地獄の季節の風で 
皆一同の夜明けの時よ ここやかしこに泣く声聞けば  
河原地蔵がお出ましなさる 何を嘆くか幼子達よ  
命短く冥土の度に 来たる汝ら地蔵の慈悲で 
父母は娑婆にて明け暮れすれど 娑婆と冥土は遠くて近い  
我を冥土の父母じゃと思うて 明け暮れ致せよ幼き童子  
衣の内へと書き入れなさる 未だ歩めぬ幼子達に 
慈悲の心で錫状の柄に 抱かせ給えや無情の大地  
乳房あたえて泣く泣く寝入る 例えがたなき哀れな事よ  
袈裟や衣にしみ入りまする 助け給えや不憫な童子 
南無や大悲の河原の地蔵 唱えまいかや南無阿弥陀仏  
唱えまいかや南無阿弥陀仏 
 
お塩亀松口説き

 

国は筑前遠賀の町で 坪衛庄屋の太郎兵衛殿よ  
蔵が七軒酒屋が五軒 出店貸家が三十五軒  
手代番頭七十五人 家は三階八つ棟造り 
裏に泉水築山ついて 金魚銀魚や鯉鮒生かす  
それを眺める長者の威徳 何についても不足はないが  
不足なければ世に瀬がござる 子供兄妹持ち置きまして 
父は冥土に赴きました 兄が亀松妹はお塩  
兄の亀松母さん継子 妹お塩が自身の子なら  
お塩母さん悪事が起きる 兄の亀松殺してのけて 
西や東やあの家蔵や 北や南のあの田畑も  
妹お塩に皆まるめたい 神に頼んで盲にしよか  
医者に頼んで毒酒盛ろか 神に頼めば天知る地知る 
人が知りては大事なことよ いっそそれよりお医者がよかろ  
少し下にはお医者がござる お医者さんにとちょこちょこ走り  
ごめんなされとお内に入る 中に入りて両手をついて 
お内なるかやこれお医者さん 誰かどなたかお塩の母か  
お塩母さんようござんした 上がれお茶飲めお煙草吹きゃれ  
言えば母さんさて申すには お茶も煙草も所望じゃないが 
私ゃあなたに御無心ござる 言うたら叶えよか叶えてくりょか  
言うたら叶えじゃ叶えてやれじゃ 何の御用かはよ語らんせ  
言えば母さん申せしことにゃ 日頃あなたも知りての通り 
わしに子供が兄妹ござる 兄が亀松妹のお塩  
兄の亀松私にゃ継子 兄の亀松殺してよけて  
西や東のあの家蔵を 妹お塩に皆まるめたい 
毒な薬を三服頼む 言えばお医者が飛びたまがりて  
親の代からお医者はすれど 医者はもとより南無則経の  
薬師如来の教えた匙で 人を助くる薬は盛れど 
人に害する薬はあげぬ 毒な薬が所望とあらば  
少し下にはヤブ医者ござる そこに行きやれお塩が母よ  
言えば母さん申せしことにゃ 毒な薬を三服くるりゃ 
小判千両今でもあげる 言えどお医者は耳にも入れぬ  
そこで母さん腹をば立てて 物も言わずにすっと立ち上がる  
お前薬で殺さんときも 亀一人は殺さじゃおかん 
戸口出る出るその悪たれを 言うて別れて我が家へ帰る  
我が家帰りてなぎはら這うて 長い煙管に煙草を摘めて  
煙草飲む飲む思案をなさる 案じ出したが浄瑠璃本の 
昔横山三郎殿が 小栗判官殺した書物  
蔵の二階にちょろちょろ上がり 檜節なし縦横けやき  
二間長持ち蓋尽き上げて 今度取り出す毒酒の本よ 
それを手に取り開いてみれば 毒な品数百四十八  
まず一番の薬だては 三で山椒の小虫をとりて  
蛇の陰干しゃ大劇薬よ 山でつつじや吊るしの柿や 
木の葉隠れの一寸百足 滑るひいばに滑るこの泥鰌  
竹の切り口溜まりし水よ 谷の清水のいもりをとりて  
品を合わせて百二十四品 米の味醂で毒酒を作る 
毒な酒なら出湧きも速い 宵に作れば夜中に出湧く  
作りこんだが二つの小壷 お塩飲むなと添書きなして  
奥の戸棚にしっかと納す 頃は八月彼岸の頃よ 
日にち申せば二十一日よ お塩母さんお寺に参る  
お寺参りのその留守の間に あまりお塩がもの淋しさに  
奥の戸棚をごとごと探す 探し出したが二つの小壷 
神の教えかお塩が目には 亀の毒酒に三行半の  
お塩飲むなと添書きござる そこでお塩が思いしことに  
どうでこのこと母さん仕業 これをこのまましておいたなら 
兄の亀松非業な死によう わしの母さん大事が起きる  
裏の小池にざんぶと捨てる 毒な酒なら小池の鮒も  
腹をかやして一度に死ぬる 小壷ゆすいで戸棚に納す 
やがて母さん寺から帰る 家に帰ればわが子のお塩  
もうし母さん物問いましょか 奥の戸棚にもろみの酒よ  
ときとならざるもろみの酒は 兄を殺そと企みなさる 
あんな企み早う止めなされ 兄はこの家の大黒柱  
兄を殺さばこの家は立たぬ どうせ兄さん殺すであれば  
兄の身代わりわし殺しゃんせ よその他人が聞かしゃんすると 
お塩母さん鬼かな邪かな 言われますどやわしゃ恥ずかしや  
言えば母さん腹をば立てて 親の悪事を子が言うものか  
打つど叩くどちょうちゃくなさる 上がり縁からまた突き落とす 
お塩泣く泣く外にぞ出づる 一の門越え二の門越えて  
三の門越え小池の端で ここで死のかと思案はすれど  
越えた門をばまた越え戻る どうぞこのこと兄上様に 
逢うて様子を語らんものと 家に帰りて二階に上がる  
二階上がりて透かして見れば 兄の亀松それとは知らず  
七つ下がれば提げ提灯で 書きつ読みつの稽古の盛り 
もうしこれいな兄上様よ 書きつ読みつは早う止めなされ  
親が親なら役にも立とが 親が親じゃき役にも立たん  
わしの母さん悪事が起きて お前殺そと企みなさる 
お茶を飲むとも気をつけなされ ご飯食べるも気をつけなされ  
油断なされば非業な死によ 言えば亀松飛びたまがりて  
持ちたる筆をば取り落とし 何を言うどや妹のお塩 
西や東のあの家蔵も 北や南のあの田畑も  
われに遣るどや妹のお塩 何を言わんす兄上様よ  
西や東のあの家蔵や 北や南のあの田畑を 
庭のすぼほど欲しいとあれば 親の悪事を子が言わりょうか  
そこで亀松申せしことにゃ 私ゃこれきり腹切るほどに  
国の殿様御用であれば 兄は頓死で死んだと言やれ 
言えばお塩がまた申すには 何を言わんす兄上様よ  
私とお前は義理兄妹で 真の兄妹そうないものよ  
お前腹切りゃわしゃ髪下ろす 髪を下ろして尼にとなりて 
六十六部でお廻りまする 言えば亀松申することにゃ  
今年霜月母さん年忌 母のためなり我が身の修行と  
六十六部で御廻りましょか ここで支度はできないほどに 
小倉町行きゃ伯母さんござる 伯母の方にて支度をせんと  
そこで兄妹心を合わせ 東蔵にて着物を出して  
西の蔵にて金取り出して 一の門越え二の門越えて 
小松千本杉また千本 それを越えれば桜が峠  
桜峠に腰うちかけて 名残惜しさにあとうち眺め  
お塩あれ見よ遠賀が見える 鳥も古巣に帰るといえど 
二度と帰らぬ遠賀の町よ 何を言わんす兄上様よ  
悔いを見捨てて出るからしんは 国が恋しとわしゃ思やせん  
それを越えれば小倉の人の 山の峠に腰うちかけて 
お塩あれ見よ小倉が見える 小倉新町五丁目の米屋  
あれに見えるが伯母さんの家 急ぎゃほどなく小倉の町よ  
もうしこれいな伯母上様よ 言えば伯母さん飛びたまがりて 
前に立ちたはお塩じゃないか 後に立ちたは亀じゃあないか  
輿や車で乗り来る人が 徒歩や裸足で何しに来たか  
国の殿様御用で来たか 親に勘当受けては来てか 
訳を言わねば中には入れぬ 言えばお塩が申せしことにゃ  
国の殿様御用で来ぬが 親の了見でここまで来たと  
言えば亀松そこ打ち消して お塩そこ言うなそこ言うちゃ大事 
そこで亀松申せしことに 国の殿様御用でも来ぬが  
親に勘当されても来ぬが 五年前から六部の願い  
今度幸い願いも叶うて 今年霜月母さん年忌 
母のためなり我が身の修行と 六十六部でお廻る程に  
言えばお塩がさて申すには 兄の言うのは皆偽りよ  
わしの母さん悪事が起きて 兄を殺すのを企みなさる 
言えば伯母さんうち驚いて 笈の支度はいたしてやろと  
檜節なし樅つげけやき 切りつ刻みつ笈こしらえよ  
笈は八角まん丸柱 七日ぶりにて笈成りなした 
笈はできたが仏はできん 法師雇うて仏を刻む  
さあさこれから仏を刻む 亀が仏が南無地蔵菩薩  
お塩仏が十一面の 観世音菩薩を名乗らせ給う 
笈も仏も皆出来上がる そこで兄妹支度にかかる  
明日は日がよい文立てましょや 小倉町中は伯母さん手引き  
伯母の手引きで托鉢なさる 小倉町中の若衆方が 
さても殊勝なお六部さんと 心ごころに餞別なさる  
それを兄妹押し戴いて しばし間は回向をなさる  
ご縁あるならまた逢いましょう そこで兄妹四国が望み 
そこで伯母上申せしことにゃ なんとよう聞け兄妹子供  
四国道にとなりぬれば 金に不足はあるまいけれど  
とかく六部というものは 日に七軒の托鉢を 
いたすものどよ兄妹子供 晩は七つにはや宿とりて  
朝は五つにその家を出づる 言えば兄妹しみじみ受けて  
そこで伯母上別れをいたし 多少なれども餞別なさる 
それを兄妹押し戴いて しばし間は回向を唱う  
名残惜しそに小倉を出でて そこで兄妹四国を望む  
船は新造新木の櫓にて 船は八反帆を巻き上げて 
急ぎゃ程なく四国に着いて 四国の島では伊予の国  
伊予の国では岩屋山 岩屋山では競り割りの  
葛ぜんじょうや鎖のぜんじょう 三十一小屋十六羅漢 
八十八箇所札うち始め そこで兄妹うち喜んで  
あら嬉しや四国は済んだ そこで兄妹大阪を望む  
しばし間は道中なさる 急ぎゃ程なく大阪に着いて 
大阪町をば托鉢なさる 大阪町中の若衆方が  
世には六部の数多かれど さてもきれいな御六部さんと  
我も我もと餞なさる 心ごころの手のうち供養 
五日六日は逗留なされ 大阪町をば札打ち終わる  
兄妹望みは京都の札所 京で天下の双門聞けば  
東門跡西御門跡 明けて参るが三井寺様よ 
名所名所を札打ち過ぎる そこで兄妹うち喜んで  
あら嬉しや京都も済んだ そこで兄妹紀州を望む  
しばし間は道中なさる 急ぎゃ程なく紀州にゃ着いた 
紀州名山高野の麓 女人堂までうち連れたちて  
女人堂から女はならん そこでお塩が申せしことにゃ  
もしこれいな兄上様よ わしはここらで待ちますほどに 
九万九千の御寺々を 奥の院までお参りなされ  
言えば亀松うち喜んで 女人堂にとお塩を頼む  
そこで亀松お山に登る 法場の峰や八つの谷 
九万九千の御寺々を 奥の院までお参りなさる  
七日ぶりにて下向に向いて 十日ぶりにて女人堂に着いた  
すればお塩はうち喜んで またも連れ立ち信濃を望む 
道を行く行く高野の話 急ぎゃ程なく日坂の峠  
山の峠に腰うちかけて お塩あれ見よ箱根が見える  
箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井の川よ 
手拭い脚絆をはや剥ぎ取りて 御縁も深き兄妹は  
手に手を取りて渡り込む お塩流るりゃ亀松手引き  
亀が流るりゃお塩が留む 浮きつ沈みつ大井の川を 
渡り上がるが島田の宿よ 渡り上がりてあとうち眺め  
どうかお塩が顔色悪い 気色悪けりゃ気付けをやろか  
急ぎ行くのが信濃の町よ またも急げば信濃の城下 
行けば表に茶屋三軒よ まず一番の茶屋にては  
茶屋の女がそれ見るよりも さてもきれいなお六部さんよ  
または夫婦か兄妹連れか 店のわらじを手に取り上げて 
これはよもなき品にてあれど お履きなされて下さりませと  
それを亀松押し戴いて なむからたんの御詠歌流し  
兄妹諸共お礼を申す まず二番の茶屋にては 
茶屋の亭主が申せしことにゃ さてはきれいなお六部様よ  
または夫婦か兄妹連れか 店の手拭い手に取り上げて  
これはよもなき品にてあれど 汗取り手拭い差し上げましょう 
それをお塩が押し戴いて なむからたんの御詠歌流し  
兄妹諸共お礼を申す 二度とご縁がござんすなれば  
またのご縁にあずかりましょう さらばさらばとその家を出づる 
まず三番の茶屋にては 茶屋の亭主がそれ見るよりも  
されもきれいなお六部様よ または夫婦か兄妹連れか  
国はいずくで名は何と言う 国は筑前遠賀でござる 
わしが亀松この子がお塩 わしが二十二でこの子が十五  
聞いて亭主が不思議に思う わしも子供が兄妹ござる  
兄が亀松妹がお塩 きつい疱瘡に病みつきまして 
養生叶わず相果てました 今宵あたりが七日の誕夜  
歳も変わらず名も一つなら 今宵一夜はお泊りなされ  
ときに亀松立たんとすれば 何を言わんす兄上様よ 
豊前小倉の伯母上様が さても六部と申するものは  
日には七軒托鉢いたせ 晩は七つ時宿とるものよ  
朝は五つ時宿発つものと 教えてくれたじゃないかいな 
泊まりましょうや兄上様とよ そこで亀松その家に泊まる  
わらじ置くやら脚絆の紐を 足をすすいで笈仏なおす  
亀松笈仏ほとけの前に お塩笈仏ほとけの前に 
飾り立てたがきれいなものよ さらばこれから御詠歌流す  
宿の亭主も連れ念仏よ もはやその夜もさらりと明ける  
ときに亭主が申することにゃ 今日は日もよい善光寺様に 
私も参るでござんすものよ 聞いて兄弟うち喜んで  
導き給えやご亭主さんと 聞いて亭主が導きいたす  
急ぎゃ程なく善光寺様の お宮近々近寄りければ 
うがい手水で我が身を清め 下がり鰐口うち振り鳴らし  
心静かに拝みをあげる さてもきれいな善光寺御堂  
御堂の長さが三十と五間 堂の高さは十八間よ 
ここに細々彫り物ござる まず一番の彫り物は  
獅子に牡丹や竹に虎 下に下がりてその彫り物は  
雪降り笹や群れ雀 ぱっと舞い立つまた舞い戻る 
どこの六部もよう名を付けぬ お塩亀松よう名を付けた  
お宮廻りでその場をさがる ときにお塩が申することに  
もし兄さん亀松さんよ 頭痛がしまするかみ打ちまする 
聞いて亀松飛びたまがりて 右の茶屋にとはや連れかえす  
水や薬を一口飲めど 水や薬もはや差し戻す  
もはや疱瘡も現れ出づる ときに亭主が申するように 
もうしこれいなお六部様よ どうせこの子は病み抜きできぬ  
この子病み抜きゃ枯れ木に花よ 聞いて亀松申せしことにゃ  
どうせ病み抜き出来ぬとあれば 連れて帰るぞ遠賀の町に 
言えばお塩の申せしことにゃ 何と言わんす兄上様よ  
家を出るときどう言うて出たか 鳥は古巣に帰るといえど  
二度と帰らぬ遠賀の町に 重き枕をようやく上げて 
もしこれいな兄上様よ わしが性根の確かなうちに  
さあさこれから形見を開く わしが笈仏あの引き出しに  
金が三百両入れてある ここの家なるご亭主さんに 
わたしが形見と百両あげて またの百両お寺にあげて  
残る百両その金は わしが死にたる入り用にあてて  
もし兄さん亀松さんよ お前無事にてお暮らしなされ 
秋の稲妻川辺の蛍 灯す油の落ち入るごとく  
とろりとろりと落ち入りなさる 隣近所が寄り集まりて  
もしこれいなお六部様よ なんぼ泣いても嘆いたとても 
死んだ妹は帰らぬ身じゃが 野辺の送りをいたそうじゃないか  
野辺の送りをいたすとあれば 信濃町中の大工師雇い  
切りつ刻みつ棺こしらえよ 四方四面に燕を立てて 
行き来る人々膳の綱 風になびかせ威勢な送り  
日数経つのは間もないものよ 二日が経てば三日経つ  
七日七日も七七日 四十九日もはや経ちければ 
そこで亀松庵寺建てる 朝と晩とにお勤めなさる  
一つ申すはお塩のために 二つ申すは我が身のために  
先祖代々菩提のために 夜と昼との常念仏よ 
水の流れと人間の身は どこのいずくで相果てるやら  
お塩亀松信濃で果てた されも哀れなことぞいな
 
松前口説き

 

国は サァーエー 松前 江差の郡(こおり) 江差 山の上 げんだい町の 
音に聞こえし こばやし茶屋に 抱え女(おなご)は 三十二人 
中にすぐれし かしょくと(女郎の名)言うて 年は十七 いま咲く花よ 
花にたとえて 申そうならば 春は三月 八重咲く桜 
夏は涼しき 朝顔の花 秋はもみじに 白菊の花 
冬は山茶花 みず水仙の とんと見染めし 仲新町の 
重家倅に 重兵衛というて 年は二十一 男の盛り 
昔美男か 今業平か 町の内でも 評判息子 
器量がよければ 一つの難(え)で 親の定めし 女房を捨てて 
花のかしょくに 心を呉れて 文の使いも 七十五たび 
重兵衛かしょくは 相惚れなれば 重兵衛小林 かよいの時に 
下に白無垢 合いには綸子(りんず) 上に着たのは 空色小袖 
帯は流行(はやり)の 琥珀の帯を 三重にまわして うしろに止めて 
繻子(しゅす)の羽織に 梅鉢御紋 右の腰には 大和の印籠(いんろう) 
左の腰には 銀鍔(つば)刀 晒(さらし)足袋はき おおつの雪駄 
肩にかけたる 手拭いもよは 八百屋お七の寺入りの段 
忍び行くのは 小林茶屋へ さてもおいでか 重兵衛さんと 
酒も肴も 銚子もそろえ しかも今宵は お客が見えぬ 
一つ上がれや ゆるりとあがれ いえば重兵衛も 心に思案 
かしょくよく聞け 身の上語る わしが今まで そなたに迷い 
使いこんだる 金銀ゆえに 二人親衆の 意見に及ぶ 
どうせ今宵は 死なねばならぬ お前あとにて 世にながらえて 
わしを思わば 香花たのむ そこでかしょくの 申する言葉 
お前行くなら 私も共に 二人手を引き 冥土やらへ 
言えば重兵衛も その挨拶に 女郎の誠と たまごの角は 
あれば晦日に 月さんとやら そんな浮気に わしゃだまされぬ 
かしょくそれ聞き 涙を流し さらばそれなれ 何処を語る 
わしが生まれは 津軽の国よ 津軽青森 しょうだて町の  
工藤新平が 一人の娘 雨は三年 日照りが二年  
両方合わせて 五年の不作 娘売ろうか 経ち田地を売ろか 
田地この家の 宝であれば 娘売ろうと ご相談いたし 
三五両で 五年の年期 売られ込んだる この身でござる 
色のいろはの わしゃ筆始め はつに見染めし 今日今までは 
空の星ほど お客があれど 月と見る人 重兵衛さんと 
思って便りに 務めしものよ 捨ててゆくとは そりゃ何事よ 
裏に山々 重なりますと 言えば重兵衛も うたがい晴れて 
さらば互いの 心中よかろう 是非も泣く泣く 酒取り出して 
泣きの涙で 盃いたし さえつおさえつ 三言重ね  
さあさ死にましょ 夜もふけまする かくごよいかと 重兵衛こそは 
二尺三寸 すらりと抜いて 花のかしょくを ついさし殺し 
返す刀で 我が身の自害 あさぎ起きては 家内の者は  
それを見るより 打ち驚いて 急ぎ急いで 仲新町の  
上家(じょうげ)方へと 飛脚を立てる 重兵衛かしょくの 心中でござる 
それを聞くより 二親様は 急ぎ行くのは 小林茶屋へ 
泣きの涙で 死骸にすがり せめて一言 聞かせたならば 
こんな難儀も させまいものよ たとえかしょくは千両しょうとままよ 
身受け致させ 相続せんと さあさこのこた 下ではすまぬ 
お上様へと 御注進致し お町お奉行は お下りなされ 
事をひそかに 検死をすませ 上(かみ)のおおせで 親類達は 
かしょく死骸を 貰い受けまして 二人一つの 火葬と致し 
あわれはかなき 無情の煙り 空へ上がりて 一つになりて 
西へなびいて 消え行くばかり それを見る人 聞く人さー共にヤーレ 
見ては涙で 袖やコレにしぼるさえー 
(恋愛・心中・こっけい・風刺・地震水害・事件ものなどバラエティーに富んでいます。松前口説きは松前江差の遊女の心中ものです。)
 
朽網長者口説き

 

国は豊後で肥後とは境 朽網よい里阿蘇まで続く  
つつじ花なら大船山の 前に広がる宮床原に  
昔栄えた朽網の長者 朽網弥佐衛門の娘がござる 
八丁四方の館を構え 屋敷ぐるりにゃ大石並べ  
石の下には百足を許し だらと山椒とはぜの木仕立て  
合間切れ間に茨をはらせ しゅうじ垣根は蜂の巣だらけ 
道にゃ蝮が行列つくる 苦労工面で門まで行ても  
門にゃ張り番夜番の控え 昼の強請も夜這もならぬ  
屋佐衛娘にお律とござる さてもお律は稀なる生まれ 
年も十三花なら蕾 立てば芍薬座れば牡丹  
歩む姿は姫百合の花 早もそろばん読み書き優れ  
琴や三味線和歌俳諧も 並べ較べのないよな育ち 
朽網界隈聞こえて府内 ついに都に噂が届く  
都治むる公方之介と 末は世に出る鶴若丸が  
京の女子の遊びに飽いて 諸国諸方を尋ぬるうちに 
お律評判お耳にとまり 都はるばる豊後に下る  
着いた船場は浜脇あたり 疲れ鳥越行く七蔵司  
目指す朽網の大船見ては 清水湧き出る宮床原と 
心弾めば弓矢のごとく 飛んで七里田温泉泊まり  
積もる旅垢湯船に浮かべ ある夜ひそかにお律に忍ぶ  
夜番よく聞け想いが叶や 京の都に皆連れ上り 
都女を抱かせた上に 望み次第の褒美もくるる  
聞いて夜回り鶴若丸を 連れて屋敷の奥へと進む  
七重八重ある襖を開き ようようお律のお寝間に届く 
お律しっかり襖をおさえ 今宵忍ぶは鼠か猫か  
金の盗みも入ることならぬ 外に出て待て包んで投げる  
これは鶴若出鼻を押され 何と口説こか思案のしばし 
お聞きくだされ内なるお方 森と見てこそ鳶もとまり  
藪がありゃこそ小鳥も宿る 音に名高きそなさんゆえに  
苦労はるばる鶴若着いた 逢うてくだされただ一目でも 
言えばお律は口あらたまり 花の都の鶴若様か  
君のお下り待ちかねました 昼は幻夜は寝て夢に  
見たり覚めたり幾月幾日 焦がれ尽くして火も消えました 
暗うて火種も見当たりませぬ なれど私は跡取り娘  
もしも婿入りくださる気なら ここに両親呼び入れまする  
起誓下され来年九月 栗毛馬には黄金を八駄 
白毛馬には白絹九駄 九日祝いのこの館まで  
運び込むとの一条ならば その日暁一番鶏の  
一声二声三声の後が 唄い終わるか終わわぬ時に 
門の閂私が外し 迎え入れます花婿様を  
お律嬉しゅて指折り数え 九月九日を待ち上げまする  
この儀ご思案決まらぬならば もはや夜明けも間近うござる 
人目はばかり立ち去り給え 早く早くと急き立てられて  
狭い小川の真ん中伝い 小舟まわして館を後に  
哀れ鶴若都へ還る 今はコロニー敷地の辺り 
館川とてその名も残る 長の文句のお律の口説き  
まずはこれにて止めおきまする
 
順平お市口説き

 

肥後の阿蘇山南郷の手長 村と申さば松山村よ  
ここに千石庄屋がござる 庄屋その名は伊兵衛と言うて  
子供ばかりが兄弟ござる 兄の半之亟に弟の曽助 
親子三人盛りの時分 裏にゃ泉水築山ついて  
金魚銀魚や鯉鮒放し 前にゃ百間矢来を結うて  
朝と晩には曲乗りなさる 村の百姓にゃ順平とござる 
順平前田が三反七畝 庄屋田が又三反七畝  
同じ田並び相畝でござる 頃は六月日照りの頃に  
畦を堰き上げ溜めおく水を 順平田がまた水口なれば 
夜中夜中に庄屋が盗む 畦を切るのが十三所  
切った深さは盤より低い そこで順平が腹立てなさる  
夜の夜中に水守り行けば 田中所で庄屋に出会い 
そこで順平申することにゃ 申し聞かんせ庄屋の旦那  
わしが溜めたるこの田の水を 夜中夜中にあなたが盗む  
あなた守護する十石高も わしが作れる一石高も 
お上上納は皆同じこと やめて下され水盗人を  
腹の立つのを皆まで言えば そばの薮より半之亟が出でて  
村の庄屋にたてつく者は 打てよ叩けよちょうちゃくせよと 
順平一人に相手は二人 多勢無勢で打ち伏せられた  
そこで二人が申することにゃ 今日は母様命日なれば  
不憫加えて助けてやるぞ 言うて二人は小唄で帰る 
あとで順平そろそろ起きて 水の落ち口顔うち濯ぎ  
鍬の杖にて我が家に帰り お市お市と女房を起こす  
妻のお市は打ち驚いて これは我が夫順平様よ 
何の大事かわしに語らんせ 言えば順平はお市に向かい  
お市出て行け子も連れて往ね 言えばお市は両手をついて  
何の落ち度で暇くださんす 見には一つも落ち度がないと 
言えば順平の申することにゃ そなた常々知っての通り  
水のことにて庄屋と喧嘩 畦を枕に打ち伏せられた  
どうもこのまま我慢が出来ぬ そちに暇やりわしゃ死ぬる気と 
言えばお市はからから笑い 何を言わんす順平様よ  
お庄屋くらいに引け取りませぬ わしが父様河内の国の  
佐門太郎という侍で 二番娘のお市でござる 
父は落ちぶれ浪人なれど 父の教えを忘れはせぬと  
箪笥長持ち蓋取り上げて 一で出すのが手裏剣五本  
二では薙刀大太刀小太刀 三で長柄の大槍出して 
鎖帷子身軽い仕度 繻子の鉢巻綸子の襷  
さあさ行きましょ順平様よ そこで順平も百姓なれば  
破れこぎんに荒縄襷 庭に飛び降り平鎌持ちて 
夫婦揃うて我が家を出づる ここに一つの哀れがござる  
三つなる子の乳呑児でござる 乳を飲ませて寝んねをさせて  
生きて還れば枯れ木に花よ 死んで還れば蓮華の花よ 
急ぎゃ程なく庄屋の館 夜のこととて門の戸閉まる  
裏に廻って塀乗り越えて 前に廻ってお庄屋を起こす  
そこで庄屋も打ち驚いて わしを起こすは何方か誰か 
村の百姓の順平でござる 水の喧嘩の仕返しに来たと  
そこでお庄屋の申することにゃ おのれ最前打ち殺すのを  
不憫加えて助けてやった 恩を忘れて仇とは何か 
早く帰って百姓を励め 言えど順平は耳にも入れず  
そこで庄屋も詮方なさに くぐり突き上げ出てくる曽助  
お市すかさず首打ち落とす 兄の半之亟が申することにゃ 
弟一人が殺されたとて 兄の半之亟は引けゃ取りゃせぬぞ  
おのれ順平覚悟をせよと 気ってかかれば身を翻し  
しばし間は戦いけるが お市またもや首打ち落とす 
父の伊兵衛は声高々に 子供兄弟殺されたとて  
父の伊兵衛は引けゃ取りゃせぬぞ 家に伝わる大槍出して  
玄関口より踊って出づる 気ってかかればひらりとかわす 
しばし間は戦いけるが 運のつきかや伊兵衛の持った  
槍の穂先がぽきんと折れた 片手片足早や切り落とす  
首を掴んで順平の前に 手足仏が何なるものか 
首を取らんせ順平様と 前にころりと首打ち落とす  
すぐにそのままお上に上がり 事の次第を細かに語る  
時の褒美にゃ米百俵と お庄屋作れる三反七畝 
これをお上からお市に賜う そこで世間の申することにゃ  
水は引きがち喧嘩はしがち
 
白滝口説き

 

国の始まりゃ大和の国よ 島の始まりゃ淡路の島よ  
神の始まり鹿島の神よ 縁を結ぶは出雲の神よ  
縁は不思議なものにてござる 父は横萩豊成郷の 
姉は当麻の中将の姫よ 妹白滝二八の年に  
器量がよいとて御目にとまり 一の后に供わりまする  
摂州津の国山田が村の 利佐衛門とて賢い人よ 
内裏白洲の夫に出される ある日小庭の掃除をなさる  
塵を拾うもその日の勤め 頃は六月下旬の頃よ  
御簾を恋風吹きまくられる 一の后の白滝様の 
一人丸寝の御寝姿を ちらと見初めてはや恋となる  
恋はもろこし天竺までも 彼方此方にもれ聞こえして  
御上様にとお耳に入る そこで山田は御用に呼ばれ 
御用と呼ばるりゃ行かねばならぬ 一の門越え二の門越えて  
玄関口にて両手をついて 御用いかにと伺いければ  
御上様より仰せの御意に 高き賎しき隔てはいらぬ 
一生連れ添う歌詠むならば 望み叶えて得させぬものと  
さあさ詠め詠め山田の男 言えば利佐衛がさて申すには  
なんぼ御上の水じゃといえど 下より上に流れまい 
上から下に流れ行く 詠んで下されその下の句は  
言えば白滝理に詰められて すぐに白滝歌詠みかける  
雲谷の 雲谷の 雲より高きこの白滝に 
情けかけるな山田の男 山田くらいに及ばぬ恋を  
山田烏と詠み下げまする 利佐衛門とて賢い人よ  
すぐにその歌詠み返すには 稲月の 稲月の 
稲葉の露に恋焦がれして お日は照る照る山田は枯れる  
これほど山田が枯れるのに 落ちて助けよ白滝の水  
水よ落ちよと詠み上げまする これを聞いたる御上様は 
あまりこの歌名歌であれば 床に飾れば床絵のごとく  
後代伝わる御巻物と 守り刀は婚引出物  
利佐が女房と名を付け分ける 言えば山田はうち喜んで 
連れて山田に落ち入りなさる 連れて山田に落ち入るときに  
山田その田に不思議がござる 低きところに水たまらずに  
高きところに水たまりして いつがいつまで湧き出る露を 
鶴は千年亀万年と お前百までわしゃ九十九まで  
ともに白髪の生えゆくまでと 祝い込んだる山田の里よ  
さてもめでたや若松様は 枝も栄えて葉も繁る
 
山田の露 / 白石踊り

 

縁は不思議なものにて御座る 父は横萩豊成公よ  
姉は当麻の中将姫で 妹白滝二八の姿  
一の后に備はり給ふ 縁は甚だハー限りなし  
此処は津の国山田の谷に 治左衛門とて賢き男の子  
内裏白洲の府に取られつつ  
一の后の白滝様の 局丸寝の御姿をば  
一目見るより早や恋となり 今日か明日かの病ひとなりて  
最早勤めに出でざりければ 彼方こなたへ洩れ聞こへつつ  
遂に内裏の御耳に入り 慈悲は上より召し下さるる  
汝恋するその志 さても優しや殊勝なものよ  
恋は日本天竺までも 貴き賤しき隔ては無いぞ  
一首連ねよ歌詠むならば 望み適へて得させんものと  
直の御官の有難やホー そこで男な子と白滝様の  
両方互いの知恵比べにて やがて百種の歌詠み給ふ  
末の落句に白滝様の 詠ませ給ふは  
「雲谷も 濁り掛からぬこの白滝を 心な掛そ山田男の子」  
と遊ばしければ そこで男の子も先づ取り敢へず  
「水無月の 稲葉の梅雨とも焦がれつつ 山田へ落ちよ白滝の水」  
と詠み上げければ  
君を初めて公卿大臣も さてもあっぱれ御名歌やと  
上下さざめき御褒め給ふ  
時に君より御褒美にて 愛し盛りの白滝様を  
治左が女房と名を付け変へて 連れて帰れと召し下さるる  
家の宝はかの薄墨に 守り刀は婿引出物  
位授かる御巻物を 今に不思議は湧き出る露の  
何時の世までも山田の殿と  
何ぼめでたのナア 若松よさァ 枝も栄える葉も繁る 
 
七島の由来口説き

 

山紫水明風清らかに 住んで心地の良いこの里に  
これは皆様ご存知なさる 豊後で名高い貧乏草の  
今じゃ百姓の宝となった 七島表の話がござる 
さても由来を尋ねてみれば 時は寛文三年頃よ  
当時府内に住まいをなした 見通し明るき商人ありて  
姓は橋本名は五郎右衛門 彼はあるとき薩摩に遊び 
初めて莚を見て喜んで 作り方をば習わんものと  
土地の百姓に尋ねてみたが なかなか教えちゃくれない程に  
とうとうやむなく国にと戻り 兄に語りて申さるければ 
これを豊後に植えたるならば きっと利益のあることならん  
話聞きたる八郎兵衛は よき事なりとて励ましければ  
再び一人で琉球に渡り 七島藺をば持ち帰らんと 
あれやこれやと思案をしたが 譬え一本の藺草じゃとても  
絶対分けてはくれませぬ 致し方なく五郎衛門  
竹の杖をばこれ幸いと 苗をひそかに中にと入れて 
ようやく国まで隠して帰り 早速これをば植えてはみたが  
作る方法の分からぬために 離れ小島の琉球の果てで  
苦心こらして手入れし苗を 遂に枯らして残念至極 
しかし不屈のかの五郎衛門 こんなことにて驚くものか  
又もや遥々琉球に渡り あらゆる困苦と戦いながら  
数十日間滞在なして 今度は詳しく研究を重ね 
再び苗をば持ちてぞ帰る 首尾よくこれをば栽培なして  
今じゃ遍く広がりたれど これも商人かの五郎衛門  
尊い遺業のお陰でござる
 
志賀団七口説き

 

頃は寛永十四年どし 父の仇を娘が討つは  
いとも稀にて世に珍しき それをどこよと尋ねて聞けば  
国は奥州仙台の国 時の城主に正宗公と 
家老片倉小十郎殿と 支配間なる川崎街道  
酒戸村とて申せしところ 僅か田地が十二国高  
作る百姓に名は与茂作と 娘姉妹持ちおかれしが 
姉のお菊に妹のお信 姉が十六その妹が  
ようよう十三蕾の年よ 頃は六月下旬の頃に  
ある日与茂作打ち連れ立ちて 至るところは柳が越よ 
柳越にて田の草取りよ 草は僅かの浮き草なれど  
稲の袴や無常の風や 触れば落ちる露の玉  
死する命を夢にも知らず 姉が唄えば妹が囃す 
流行る小唄で取る田の草を 道の街道にみな投げ出だす  
通りかかるは団七殿よ 通り合わすを夢にも知らず  
取りし田の草また後投げよ 投げたその草団七殿の 
袴裾には少しはかかる そこで団七大いに怒り  
そこな百姓の土百姓奴郎が 武士に土打つ例があるか  
斬りて捨てんと大いに怒る 親子三人それ見るよりも 
小溝上がりて両手をすすぎ 道のかたえに両手をつきて  
七重の膝を八重に折り 姉も妹も父与茂作も  
拝みますると両手を合わせ ようようこの娘が十三なれば 
西も東も知らざるものよ どうぞ御慈悲にお助け召され  
云えど団七耳にも入れず 日頃良からん若侍で  
心良からぬ団七ならば すがり嘆くを耳にも入れず 
二尺五寸をすらりと抜いて 斬って捨てんとひしめきかかる  
斬ってかかれば父与茂作も 何をなさるぞ団七殿よ  
わしも昔は武士なるぞ 出羽の家中の落人なれば 
むざに御前に打たれはすまい 云うて与茂作鍬とりて  
しばし間は戦いなさる むこう若武者身は老人で  
腕が下りて目先がくらみ 右の腕の拳が緩み 
持ちた鍬をばカラリと落とす 哀れなるかや父与茂作は  
畦を枕に大袈裟斬りよ それと見るより姉妹子供  
八丁ばかりの田の畦道を 命からがら逃げふせければ 
後で団七思いしことは あれを生かせば以降の邪魔よ  
後を慕いて追いかけみれば 娘姉妹行方は知れず  
行方知らねばままにはならぬ 血をば拭き取り刀を鞘に 
己が屋敷に立ち返りしが 後で哀れは姉妹娘  
われに返りてただ泣くばかり 母もそのとき大病なれば  
重き枕をようやく上げて ここは何事こは何とする 
委細語れや姉妹娘 言えば姉妹顔振り上げて  
今日の次第を細かに語る それとみるより母親様は  
はっと想いし気は仰天の 気を揉み上げて胸鬱ぐ 
いとしなるかや母親様に 呼べと叫べど正体もない  
娘姉妹それ見るよりも 母の閨にて立ったり居たり  
母もそのとき相果てければ 泣きつ嘆きつ正体もない 
隣近所がみな集まりて ともに涙の袖をも絞る  
もはや嘆くな姉妹子供 なんぼその様に嘆いたとても  
最早父母還らぬものよ 野辺の送りを急いで頼む 
野辺の送りを頼むとあれば お寺様にも届けにゃならぬ  
お寺様より十年回向を 四度も三度もまた六度も  
回向するのも父母のため 正体なくも姉妹は 
親に一生の泣き別れする 急ぎ給えば山入りなさる  
後に哀れは姉妹娘 二人ながらに身はしょんぼりと  
そこで姉妹思案を返す 姉のお菊のさて申すには 
なんと妹思案はないか どうとしてなりあの団七を  
仇討つなら父親様も 怨み晴らして成仏致す  
言えばお信の申せしことは それは姐さん良い思いつき 
わしもとうからそう思います ここで剣術指南はできぬ  
広いお江戸に上ったうえで 名ある家にて師匠を取りて  
武芸稽古を致そうでないか 云えばお菊の打ち喜びて 
さあさこれから仕度をせんと 手布衣手拭水足袋脚絆  
何か揃えて見事なことよ 恵みも深き父母の  
父の位牌はお菊が守る 母の位牌はお信が守る 
ここに哀れは姉妹娘 知らぬお江戸をたずねて上る  
尋ね尋ねてお江戸に着いて 天馬町にて投宿いたす  
浅草辺や上野辺 芝居神明その茶屋茶屋を 
尋ね廻るはもし御家中の 名ある茶屋には早や立ち寄りて  
御問ござんす御亭主様よ 私ゃあなたにもの問いましょう  
江戸の町にて剣術指南 一と申せし御方様よ 
云えば亭主がキャラリと笑う 愚かなるかよ江戸洛中は  
十里四方が四方が四面 町が八百のう八丁町  
およそ日ノ本六十余州 大名揃えて八百八大名 
それに旗本また八万騎 それに付き添う諸侍方  
誰を一ともまた上手とも 教えがたないとは言うものの  
当時名高い四五人あるを 教え聞かすぞよう聞け娘 
剣術一の達人は 柳生十兵衛但馬守よ  
軍学流のその名人は かたぎょ淡路の御守様よ  
棒の名人許しを取りて 名ある中にも阿部十次郎と 槍は山本伝兵衛様よ 
長刀手裏剣その名人は 万事終えたるその名人は  
江戸の町にてその名も高き 榎町にて由井昌雪と  
これを訪ねて行かれよ娘 言えば姉妹打ち喜びて 
さらばこれから昌雪様の お家御門を御免と入る  
お家ござんすお旦那様よ 五年奉公よろしく頼む  
教え下され武芸の道を 言えば昌雪さて申すには 
国はいずくで名はなにがしか 委細語れや姉妹娘  
言えば姉妹泣き物語り 国は奥州仙台の国  
家老片倉小十郎様の 知行内なる川崎街道 
酒戸村とて申せしところ 僅か田地が十二国高  
作る百姓に名は与茂作と 今年六月下旬の頃に  
不慮なことにて父をも討たれ 忘れ難ないその残念さ 
何卒あなたの御慈悲をもちて 親の仇を討たせて給え  
云えば昌雪さて申すには これはでかした姉妹娘  
親の仇を娘が討つは さても稀にて世に珍しや 
五年奉公致せよ娘 昼は炊事の奉公致せ  
夜は部屋にて剣術致せ さあさこれから朝夕ともに  
武芸大事と心にかけよ 云うてその場で名を召しかえる 
姉を宮城野妹を信夫 姉に神鎌また鎖鎌  
白柄長刀妹の信夫 そこで姉妹心を入れて  
武芸稽古を励まれまする 月日経つのは間のないものよ 
最早武芸も五年に及ぶ ある日昌雪あい心見に  
娘姉妹小坪に呼んで 名ある落人四五人呼んで  
姉と妹を仕合せみれば さすが名高い四五人共は 
姉と妹に打ち伏せらるる そこで昌雪打ち喜んで  
最早さらさら気遣いはない 早く急いで本国致せ  
祝儀餞別白無垢小袖 姉に神鎌また鎖鎌 
白柄長刀妹の信夫 これを昌雪餞別とする  
道を見立てるそのためとして 一に熊谷三郎兵衛なるぞ  
松田弥五七坪内但馬 これを三人あい添え下す 
名残り惜しさに姉宮城野が 信夫涙の袖をも絞る  
我が故郷は奥州の 人の便りで白石城下  
尋ね尋ねて片倉様の 御家御門を御免と入る 
御免なされやそれがし共は 江戸の町なる由井昌雪の  
家来熊谷三郎兵衛なるぞ 松田弥五七坪内但馬  
これな娘はこの御領内 酒戸村なる与茂作娘 
今を去ること五ヵ年以前 これな御家中の団七殿の  
御手にかかりて無念の最期 仇討たんの存念ありて  
五年この方匿いおいた 何卒あなたの御慈悲をもって 
父の仇をお討たせなされ それと聞くより小十郎様は  
すぐにそれより御登城なさる 登城いたされ御公儀様に  
申し上げれば御公儀よりも 父の固きを娘が討つは 
さても稀にて世に珍しや 国の面目世の外聞に  
仇討たせとその御意下る 仰せつけられ片蔵様は  
はっと答えて御殿を下る 仇討ちなら用意の場所は 
場所を改め白石河原 二十一間四面の矢来  
真正面には検査の御小屋 大木隼人や名は兵衛様  
それに御目付玉之守というて これがこの日の検査の役よ 
警護の侍八十人よ これに足軽三百五十  
矢来周りの固めの役よ 最早日にちも相定まりて  
五十四郡に回状廻す それと聞くより近国他国 
老と女の差別も知らず 集い来たるは野も山も  
里も河原もその数知れず 雨の足をも並べた如く  
それに団七姉妹娘 御上様より御念のために 
着たる衣装を改め見んと そこで団七改め見るに  
鎖帷子肌には着込む 何と団七武士なる者が  
鎖帷子肌には着るな 卑怯千万早や剥ぎ取れと 
矢来間にて剥ぎ取られます 娘姉妹改め見るに  
それら娘にそのものはない 御上様より合図の太鼓  
それと聞くより妹の信夫 白柄長刀小脇に持ちて 
小褄かいとり早や進み出で もうしこれいな団七殿よ  
覚えあるかや五ヵ年以前 酒戸村なる与茂作娘  
元を質せば我が身のしなし わしの怨みのこの切先を 
不肖なれども受け取り召され 云えば団七きゃらりと笑う  
覚えあるぞや五ヵ年以前 無礼せしゆえ斬り捨てたるに  
仇討ちとは片腹痛い 返り討ちどや一度にかかれ 
云えば信夫が申せしことは 何を云わんす団七殿よ  
針は細いでも飲まれはすまい 山椒胡椒は細いが辛い  
関の小刀身は細けれど 綾も断ちゃまた錦も切れる 
そんな高言勝負の上と 白柄長刀両手に持ちて  
斬ってかかれば団七殿は 二尺一寸さらりと抜いて  
しばし間は戦いなさる 御上様より休みの太鼓 
それを聞くより姉宮城野が 鎖鎌をば両手に持ちて  
鎖鎌なら一尺二尺 金の鎖に鉛の分銅  
含み針をば三十五本 しばし間は戦いなさる 
運のつきかや団七殿は 両の眼に三本打たれ  
是非に及ばず死に物狂い それと見るより妹信夫  
白柄長刀両手に持ちて 眼にもとまらず首打ち落とす 
姉の宮城野妹の信夫 親の仇をとうとう晴らし  
その名響くは海山千里 親の仇を討ちたる娘  
世にも稀なる孝女の誉れ 語り伝えんいつの世までも
 
孝子平助口説き

 

ここは鴨川五台の付近 高くそびゆる石碑がござる  
これぞ名高い孝行息子 孝子平助さんの御物語  
今を去ること百年余り 世にも稀なる孝行息子 
父を失い母との二人 日毎夜毎に働くばかり  
母は年取り足腰立たず 食事洗濯平助さん一人  
汗と脂で働きぬけど どうせ逃れぬ貧乏世帯 
他人の見る目哀れな程に 雨の降る夜も風吹く朝も  
骨身惜しまず田畑に山に 今日も明日もと暮らしのために  
されど平助さんな不平も言わず 心尽くして母をば守る 
仕事励みて疲れし夜も 母をさすりて四方山話  
他人に貰いし僅かな品も 母に与えて満足なさる  
夏の夕べにゃ母をば背負い 近き川辺に下りて涼む 
冬の雪降り冷たい夜は 雨戸障子の隙間の風に  
火鉢炬燵の火も消え果てて 夜の夜長を震えて明かす  
そこで平助さん申することにゃ もしこれ母上様よ 
風邪を召してはわしゃすみませぬ 炬燵代わりに私の体  
何の遠慮もいらない程に 心行くまで温めなされ  
凍る両足しっかと抱え 胸に抱きて温め申す 
月日変われど変わらぬ心 心傾け孝養尽くす  
隣近所や村人さえも 人の鑑じゃ手本にせよと  
寄ると触ると平助さんの噂 噂高けりゃ城主に聞こえ 
家来遣わし調査をなさる これぞ誠の孝子と讃え  
数多村人集まる中で 褒美数々お褒めの言葉  
孝子平助さんにお与えなさる 長の文句の孝子の伝記 
先ずはこれにて終わりを告げる
 
兄妹心中口説き1

 

所は近江の野々市町で 兄妹心中の哀れなことよ  
兄は二十一その名は紋兵衛 妹は十九でその名はおきよ  
兄の紋兵衛は妹に惚れて それが元より病となりぬ 
母はおきよを一間に呼んで 兄の病気が怪しきゆえに  
お前ちょいと行き見て来ておくれ 言われおきよは見舞いに上り  
これさ兄さんご病気いかが 医者を呼ぼうか介抱しよか 
医者もいらなきゃ介抱もいらぬ 今夜一夜を頼むぞおきよ  
これさ兄さん何言わしゃんす 他人が聞いたら畜生と言おう  
親が聞いたら殺すと言おう 貴方似合いの女房がござり 
私似合いの夫がござる 瀬田の唐橋笛吹いて通る  
歳は十九の虚無僧でござる あれを殺してくださるならば  
一夜二屋でも三晩夜でも 兄妹夫婦は厭いはせぬと 
言うておきよは一間を下り 下に召すのが白縮緬で  
上に召すのが黒羽二重で 夜の三時の鐘なる合図  
供も連れずに出て行きました 瀬田の唐橋笛吹いて渡る 
妹見立ての夫が通る 紫竹の尺八横っちょに裂いて  
麻の天蓋阿弥陀に被る 兄の紋兵衛それとも知らず  
妹見立ての夫が来たと 左肩から一太刀浴びせ 
キャッと言うたは女の声じゃ 見れば見るほど妹のおきよ  
俺もこの場で自害をせんと 哀れなるかや兄妹心中  
広い京都にその名を残す
 
兄妹心中口説き2

 

ここが大阪 京都の町か 京都町なら 兄妹心中 
兄は亀松 妹はお清 妹お清の ご気量のよさは 
江戸で一番 大阪二番 京で三番 下らぬお清 
あまりお清の 気量のよさで 兄の亀松 病とかかり 
ある日お清が 二階へ上がり 間のふすまを さらりと開けて 
兄の前にて 両手をついて これさ兄様 病はいかが 
医者を呼ぼうか 薬をやろか 医者もいらなきゃ 薬もいらぬ 
わしの病は 訳ある病 妹お前と 帯肌といて 
一つ枕で 寝て見とござる 聞いてお清は それたまがりて 
何をいわさる 兄上様よ 人に知れたら 畜生と思う 
親に知れたら 勘当ものよ それに私にゃ 忍びの者が 
今夜七ツに せんさや橋で お逢いするとの 約束なれば 
それを兄様 殺してくれりゃ 一夜二夜も又 三夜であろうが 
妻となります 兄上様よ 云ってお清は 二階を下りる 
タンス引出し 着物を出して その夜お清の 死に装束は 
下に召すのは 白縮緬 上に着るのが 黒羽二重で 
帯は博多を 蝶々に結び 腰に七寸の 落としを差して 
いでて行くのが せんさや橋よ その夜亀松 死に装束は 
下に召すのが 紫小紋 上に着るのが 黒羽二重で 
帯は鍛子で 背で留める 腰に九寸の 落としを差して 
いでて行くのが せんさや橋よ 妹お清は 心をしずめ 
兄の来るのを 早や待つばかり 兄の亀松 それとも知らず 
最早や時刻も 七ツにせまり 兄の亀松 屋敷を出でて 
せんさや橋にと 着いたる時に 橋の上には 一人の男 
妹お清と つゆとは知らず 兄の亀松 九寸の落とし 
さっとついたる その時に キャッと叫んだ その声は 
妹お清の 声ではないか 兄の亀松 それたまがりて 
妹お清を 両手でだいて 流す涙は あわれなる 
兄の亀松 九寸の落としで 涙流しつ 自害をなさる 
今の世までも 話に残る 京都兄妹 心中くどき 
 
兄妹心中口説き3

 

国は京都の西陣町で 兄は二十一その名はモンテン  
妹十九でその名はオキヨ 兄のモンテン妹に惚れて  
 それがつもりて御病気となりて 三度の食事も二度となり  
 二度の食事も一度となりて 一度の食事も咽喉越しかねる  
オキヨオキヨと二声三声 呼べばオキヨはハイハイと  
これさ母さん何用でござる 兄の見舞いじゃ見舞いにあがれ  
 言われてオキヨは見舞いにあがる あいの唐紙さらりと開けて  
 三足歩いて一足もどり 両手つかえて頭を下げて  
これさ兄さま御病気はいかが 医者を呼ぼうか介抱しよか  
そこでモンテン申すには 医者もいらなきゃ介抱もいらぬ  
 わしの病気は一夜でなおる 二つ枕に三つぶとん  
 一夜寝たなら御病気がなおる 一夜たのむぞ妹のオキヨ  
言われてオキヨは仰天いたし 何を言いやんすこれ兄さまよ  
わしとあなたは兄妹の仲 人に知られりゃ畜生と言わる  
 親に聞かれりゃ殺そと言わる 友だちなんかに恥ずかしござる  
 あなたに似合いし女房もござる わしに似合いの夫もござる  
としは十九で虚無僧なさる 虚無僧殺してくれたなら  
一夜二夜でもさん三夜でも 末は女房となりまする  
 言うてオキヨはひとまず下がり 髪を結うたりお化粧したり  
 親ゆずりの箪笥を開けて 下に着るのは白羽二重よ  
上に着るのは黒羽二重で 当世はやりの丸つけ帯を  
三重にまわしてはびこと結び ぽんと叩いて後にまわし  
 当世はやりの糸かけわらじ 二尺あまりの尺八持ちて  
 深い編笠面体かくし 瀬田の唐橋笛吹いて通る  
そこでモンテンの目にとまる あれは妹の夫であろう  
これを殺せばオキヨはままと 狙いこめたる六発玉を  
 放てばキャーと啼く女の声で どこのどなたかお許しなされ  
 言うてモンテンそばにと寄りて 編笠とりてよく見れば  
思いこんだる妹のオキヨ 妹のオキヨにだまされた  
ここで死ぬれば兄妹心中  
兄は京都の 西陣町で 哀れなるかよ きょうだい心中 
 
兄妹心中口説き4

 

国は京都の 西陣町で 兄は二十一 その名はモンテン  
妹十九で その名はオキヨ 兄のモンテン 妹に惚れて  
 これさ兄さま 御病気はいかが 医者を呼ぼうか 介抱しようか  
 そこでモンテン 申すには 医者も要らなきゃ 介抱もいらぬ  
わしの病気は 一夜でなおる 二つ枕に 三つぶとん  
一夜寝たなら 病気がなおる 一夜頼むぞ 妹のオキヨ  
 言われてオキヨは 仰天いたし 何を言いやんす これ兄さまへ  
 わしとあなたは 兄妹の仲 人に知られりゃ 畜生と言われる  
実は私にゃ 男がござる 年は十九で 虚無僧なさる  
虚無僧殺して くれたなら 一夜二夜でも さん三夜でも  
末は女房と なりまする  
 兄のモンテン 虚無僧殺す 深い編笠 その下に  
 哀れなるかや 妹のオキヨ かねて覚悟の 妹のオキヨ  
 兄のモンテン 妹を殺す  
思いこんだる 妹のオキヨ 妹のオキヨに だまされた  
ここで死ねば きょうだい心中  
兄は京都の 西陣町で 哀れなるかよ きょうだい心中  
 
兄妹心中口説き5

 

浪華町なら大阪町よ 大阪町なら兄妹心中  
兄は十郎で妹はお菊 お菊十八兄さははたち  
 兄の十郎が妹に惚れて いとし恋しの病の床に  
 ある日お菊が見舞いに見えて これさ兄上病いはいかに  
わしの病はわけある病い 医者もいらねば薬もいらぬ  
せめてお前のお腹の上に 乗れば病いはぴたりと治る  
 お菊兄さのためだとあらば 肌身合わすも死もいとやせぬ  
 お菊痛かろ兄さはよかろ お菊泣くなら兄さも涙  
兄と妹じゃ夫婦になれぬ 世間悪いか二人の罪か  
雪の降り積む浪華の町に 紅が散る散る兄妹心中 
 
鬼神お松口説き

 

ここに名高き仇討ち話 国は奥州安達原に  
人里はなれて一つ屋ござる この家血統はその名も高き  
安達太郎とて勇士の武士よ ついに少しの訳あるゆえに 
屋敷払われ逃げ行く先は 金竜山にて御蛛巣谷よ  
これに暫く住いをいたし 七十四人の巨魁となりて  
娘お松は凶悪者よ 鬼の娘に鬼神とやらで 
花の莟の十七人よ これをたとえて申そうなれば  
小野小町か照手の姫か 顔は桜のその肌雪よ  
顔に似合わぬ心は鬼よ 音に聞こえし笠松峠 
ここに働く鬼神のお松 その名改め大胆者よ  
年を老いたる旅人と見れば 持病の癪と騙して殺し  
出家さんなら話を仕掛け 若い者なら恋路で殺し 
今日も明日もと手にかけ殺し かかるところへ侍一人  
小組小頭一刀流の 数多門弟数あるけれど  
中に勝れし達人こそは 夏目弾正四郎三郎は 
殿の用事で飛脚の者よ 国を立ち出でその風俗は  
黒の小袖に四つ目の紋よ 鼠御紋の股引脚絆  
差した大小はさめ鞘造り 中はあつばんだんひら物よ 
一刀流にて閂差しよ 当世流行の竹の子笠よ  
上に着込みのぶっさき羽織 かかるところは笠松峠  
一つ登れば宿坊か薬師 二つ登れば娼婦が岩屋 
三つ登れば十二が薬師 音に聞こえし一力屋とて  
茶屋に腰掛け四郎三郎は 話いたせば亭主が出でて  
申し上げます御客様よ このや深山をご存知あるか 
ただし知らずば教えてあぎょう これや深山は物騒なれば  
今宵我が家へお泊りなされ 言葉四郎は有り難けれど  
我は旦那の急用なれば 花のお江戸に急ぎの者よ 
またの御縁のお世話になろと そのやお茶をば早立ち出でて  
山路差してぞ早急がるる 二十八丁のその松陰に  
鬼神お松は早待ち兼ねて 向こうより来るあの侍は 
年の頃をば五十と二三 着たる着物にあの大小は  
十と二三両と相見えまする これはしめたり持病の癪で  
騙しくれんと小松の陰に 陰に腰をば打ちかけまする 
かかるところへ四郎三郎は 鬼神お松と夢にも知らず  
もうしそこ行く侍様よ あなた様には願いがござる  
私は難波村勘蔵方へ 嫁に入りたるその折柄に 
相性悪さに夫婦の喧嘩 離縁貰うて我が家へ行けば  
水の癇癪起こりしゆえに これや瀬多川渡れませぬと  
涙ながらに頼みにゆけば 憐れ不憫と四郎三郎は 
我が子不憫や悲しきゆえに 人の心は思わず知らず  
若き女の不憫さゆえに 背負い渡して通さんものと  
川の浅瀬はどこぞと訊けば 浅いところは深みと知らせ 
深いところを浅瀬を云うて 深いところへ二足三足  
背も立たねば差したる大小 背中女にしっかと持たせ  
心烈しく渡さんものと 思う折から女の言葉 
足へ水がと後振り向きて 抜いた懐剣四郎三郎が  
胸へ突き立てあら恐ろしや 川の中にて儚い最期  
無情の煙のからんで昇る 国の倅の専太がうちへ 
夢か現か現れまする 父の四郎三郎が申することは  
殿の御用で下りし道に 音に聞こえし笠松峠  
これを下りて渡し場ござる 無念なるかよ女にかかり 
最早その夜はや明け方よ 汝鬱憤晴らさんものと  
云うて夢醒め専太が起きて さては不思議と辺りを見れば  
血潮染まりし片袖あれば 父の手跡と詳しくあれば 
これを見るよりうち驚きて 直に御前へ願いを上る 
そこで殿様驚きなさる 直に専太は召し出ださるる  
憐れ不憫の四郎三郎は 花のお江戸のその道筋で 
いとし最期とお嘆きあれば 専太聞くより御前に向かい  
敵討ちにてお暇願い なおも殿様御取り上げて  
未だ幼少の専太郎なれば 国の助太刀遣わすほどに 
専太聞くより敵は女 何の助太刀一人もいらぬ  
我も四郎三郎が実子のことよ 何の助太刀何いるものか  
それを聞くより御前の言葉 さても不敵な若侍よ 
覚悟いたせと抜き打ちいたす 専太すかさず扇で受ける  
御前様には喜びありて 数代伝わる差添やれば  
直に専太は我が家へ帰り 母に暇の盃いたし 
下に着込みし南蛮鉄の 鎖帷子手甲までも  
三度笠からあの大小は 一刀流にて閂差しで  
右の峠へ早急がるる これに十二の薬師がござる  
音に名高き一力屋にて 腰を打ちかけ安らいければ 茶屋の女中の申することに  
あなた様には何れへお出で 云えば専太の申することにゃ  
我は笠松峠へ登る 云えば女中の申することは 
最早七つの晩ともなれば あなた様にはお急ぎあれと  
云えば専太はその茶屋出でて 急ぎ行くのは二十八丁よ  
最早松原打ち越しまして かかるところは笠松峠 
最早用意の専太郎こそは 父の敵に逢いたいゆえに  
最早四つとも思しき時分 松にもたれて女が一人  
専太見るより女の声で もうしもうしと険しき声で 
呼べば専太は早立ち寄りて これは敵の女であるか  
見るに女は差し俯いて わしは当所の百姓の娘  
農協戻りのその折柄に このや山にて持病の癪で 
難儀お助け下されませと 云えば専太はふと心付き  
月の明りで見廻しければ 年も人相も書いたる通り  
これは望みの敵の女 そなた癪とは偽りものよ 
このや街道の山賊なるか 云うて専太につめかけられて  
それに女も思案に兼ぬる そこで専太が申することに  
いつか我が父四郎三郎を このや川にて手にかけ殺し 
こちは夏目の専太というて さらば尋常に勝負をせよと  
云えば女は覚悟をいたし どうで知れたる六段目には  
我が名明かして聞かさんものと 安達太郎の一人の娘 
鬼神お松とその名を明かし 常に用意の懐剣抜きて  
目指す専太を突かんとすれば うんと答えて早抜きければ  
一刀流にてすばやく譲り 火花散らして戦う中に 
川の下より四郎三郎は そこへ現れ助太刀せんと  
声をかくれば専太は進み 女後ろへさがりしことを  
五六寸ほど女を切れば 木の根つまづき転びしところ 
専太打ち込み女の肩を 直に一刀切るより速く  
首をかい取り我が家へ帰り これを浮世の鏡としるす
 
俊徳丸口説き1

 

ここに河内の高安郡 世にも聞こえし所の長者  
名さえ高安左衛門なるが 一人息子の俊徳丸は  
人に勝れし器量でござる 目元口元その顔かたち 
玉のかんばせ緑の髪も 光り輝く艶やか姿  
年も十八盛りの色香 今を春べと咲く桃桜  
他人の眺めも増す若盛り 心立てさえ素直な生まれ 
父の左衛門言わしゃることにゃ あのや惣領の俊徳丸に  
兼ねて添わせん許婚たる 四天王寺の楽人富士の  
娘初花嫁取りまして 妻と定める約束せしを 
あのや弟の二郎丸というは 兄に引き換え心の僻み  
殊に恋しき楽人富士の 娘初花見初めていれば  
兄の俊徳邪魔にぞなりて 継母お辻を密かに騙り 
らい病発する毒薬酒を 折を見合わせ俊徳丸へ  
飲ませ給えと頼みにければ 継母お辻は驚きたれど  
心ならずも継子の頼み 思案極めて悪事に与し 
そこでお辻は出人の医者を 呼んで密かに尋ねることにゃ  
らい病治すに妙薬ありや 医者は答えていかにもござる  
寅の年月日時の揃う 生まれ違わぬ女の肝の 
生血絞りて飲ませるなれば どんならい病も即座に治る  
聞きて程なく医者をば帰し ある日お辻は俊徳丸に  
勧めまするに住吉参り 浜辺歩きの眺めの折に 
酒宴かこつけ銚子の中で 毒酒真酒と隔てを付けて  
鮑貝にて毒酒を飲ませ 恋慕言いかけ様々口説き  
やがて我が家へ立ち帰ります さてもいたわし俊徳丸は 
かかる功みのありとも知らで 毒酒回りて苦しむ上に  
見るもいたわしその顔かたち らい病姿と忽ち変わり  
父の左衛門嘆きに絶えず 治療様々加えてみれど 
治る徴のあらざりければ 過去の因縁深きがゆえに  
かかる悪病患うなれば 罪業消滅懺悔のために  
霊地霊場参詣せんと 言えば左衛門その意に任す 
哀れなるかや俊徳丸も 今はさすがに病に恥じて  
心細くも我が家を離れ 四天王寺へ彷徨いたれば  
古きその名も万代池の ほとりあちこち乞食の姿 
罪業消滅罪悪解脱 口に唱えて鐘には撞木  
悪しき病の姿を他人に 見せて我が身の罪滅ぼしと  
残言なさるも哀れな話 ここにその頃合邦というて 
閻魔大王の像こしらえて 諸方勧化の老僧がござる  
そのや住所は坂松山の 寺の西にぞ庵を結び  
深き慈悲ある人なりければ 常にいたわる俊徳丸を 
己が庵へ連れ立ち帰り 老僧夫婦が養い置いて  
懺悔滅罪菩薩のためと 三人揃うて身の上話  
古郷出所を皆物語る 時に合邦夫婦の中に 
一人娘のお辻と言うは 長者高安左衛門殿の  
後妻成とて入り込む訳や 一部始終を聞き俊徳も  
思い図らず寄り合いごとの 不思議因縁逃れぬ仲と 
頼母敷こそ思われまする かかるところへ娘のお辻  
親を訪ねて家にと帰る 父の合邦は娘の身持  
義理の息子の俊徳丸へ 不義を仕掛けし不埒の咎め 
長者高安左衛門殿へ そのや言い訳なさんがために  
親が手にかけ殺してくりょと 怒る父親なだめる母御  
娘お辻は俊徳丸に 巡り逢いつつその恋慕たる 
心づくしを皆書き口説き 君の姿を醜うさせて  
妻と定める初花殿に 愛想尽かせてその末々は  
君と夫婦になりたき手立て 二郎丸へは一味と見せて 
毒酒飲ませたその後先を ここで初めて皆物語る  
それを聞くより父合邦が 眼光光らせ堪忍ならぬ  
憎き女の振る舞いなるぞ 老いの一徹怒りに堪えず 
刀引き抜き娘を目掛け 力いっぱい突き貫けば  
突かれながらに手元を押さえ たった一言言い置きことと  
父をとどめて苦しき声音 言いて置くとは外でもないが 
弟二郎丸あの初花の 色香しとうて迷うておれば  
兄の俊徳あのままおかば 恋の邪魔ゆえ毒酒を飲ませ  
姿変われた愛想が尽きる 我に与して給わるべしと 
引くに引かれぬ悪事の頼み 否と言わねば露けんものと  
我も諸共殺さん心 とても死ぬなら俊徳殿の  
後の御為となりたき願い されど一旦は一見と見せて 
毒酒飲ませて家さえ出せば 君のお命恙はあらぬ  
夫捨て置きお後を慕い 死ぬる覚悟の私が命  
血潮お役に立てたいばかり 寅の年月日時の揃う 
生まれ違わぬ女の生血 これがらい病の大妙薬と  
医者の話を聞きたる故に 身をば捨ててもまた浮かぶ瀬と  
今や鮑の甲斐ある思い 家に帰りて誠が届き 
父の御手にかかるというは このや身にとり本望なるが  
お愛しいのは我が夫殿よ かかる成り行き夢さら知らで  
継子二人の義理ある中を 思い過ごして悪事に与し 
憎き女と悔やんであろが 死んだ後でもただこのことを  
返す返すも詫びしてたべと 言わば合邦夫婦の者は  
娘お辻に取り付きまして かかる貞女と知るものなれば 
なぜに明かしていってはくれぬ 親に刀を手に取らさせて  
憂き目見せるぞ聞こえぬ娘 涙ながらに書き口説きます  
されど息絶え申さぬうちに 肝の臓腑の生血を採りて 
鮑貝にて俊徳丸へ 飲ませますればその顔かたち  
実に不思議やまたたくうちに もとの若木に花返り咲き  
露を含める莟の姿 そこで俊徳継母の恩に 
涙咽ぶも道理でござる さればこの上回向の祈念  
後の世までも合邦が辻や 閻魔堂とて古蹟に残る  
供養追善営みまして 一唱専念即得往生 
俊徳念仏に俊徳街道 今にありありその生肖像  
紙子仏と霊験残す 四天王寺の南門西手  
他人の病難身に打ちかつぎ 頼み助ける御慈悲の誓い 
所以因縁知らざる人に 由来話を書き残し置き
 
俊徳丸口説き2

 

ここは名高き清水寺の 観音様の霊験記  
若い女の貞節口説き 国はどこよと尋ねて訊けば  
国は上方河内の国の 音に名高き信義長者 
末の世取りの俊徳丸よ なれど俊徳継母様よ  
母のおすわは悪性な人よ 弟梅若に世がやりたさよ  
何としてなり兄俊徳を 呪い殺して本望遂ぎょと 
世にも恐ろし悪心起こし 心決して鍛冶屋に急ぐ  
急ぎゃほどなく鍛冶屋の表 内にござるか御鍛冶屋様よ  
云えば鍛冶屋の奥から答え 誰か何方か俊徳母か 
上れお茶呑めお煙草吹きゃれ お茶も煙草もご所望じゃないが  
私はあなたに御無心ござる 云うたら叶よか叶えてくりょか  
云うたら叶えじゃ叶えてあげじゃ 何な御用かな早や語らんせ 
云えばおすわが細かに語る 地金鉄鋼を混ぜて  
帽子ない釘三十五本 打ちて下んせのう鍛冶屋さん  
言えば鍛冶屋がさて申すには 私も代々鍛冶屋はすれど 
帽子ない釘ゃまだ打ちませぬ 他に鍛冶屋もござんすほどに  
他の鍛冶屋に行て頼まんせ 云えばおすわが腹をも立てて  
人に大事を語らせながら 打ちてくれぬはそりゃ胴欲な 
三十五本のその釘打てば 小判百両今でもあげる  
云えば鍛冶屋が金に目がくれて 打ちてあげますこれおすわさん  
云うて鍛冶屋は身支度致し 庭に飛び降り横座に座り 
鞴吹き立て地金をくべて 地金鉄鋼を混ぜて  
一つ打ちては南無阿弥陀仏 二つ打ちては南無観世音  
さてもこの釘身に受くる人 どこの何方か知らないけれど 
鍛冶屋お怨みなされまするな 鍛冶屋商売打たねばならぬ  
チンカラリンと打つ音は 天にこたえて地に鳴り響く  
三十五本の釘打ち上げて 磨き揃えておすわに渡す 
おすわ受け取り押し頂いて 小判百両鍛冶屋に渡し  
暇申して鍛冶屋を出でて 急ぎ急ぎで京清水に  
箱段トンドと踏み上り 鰐口カンカと打ち鳴らし 
賽銭四五文ハラと投げ しばし打ち伏し拝みを上げる  
もうしこれいな観音様よ 渡しはあなたに御ふしょはないが  
兄の俊徳この世にいては 弟梅若世に出でられぬ 
不憫ながらも一命縮む 御身体をも逆さに吊りて  
さあさこれから釘打ちかかる 胸に三本あばらに五本  
足の節々手の節々に 五射六根みな打ちまわす 
打ちて残りし三本の釘 打ちてしまおと思いしときに  
思いがけなき不思議がござる 白い鳥がくわえて逃げる  
赤い鳥がくわえて逃げる そこでおすわは打ち驚いて 
後の憂いもありもやせんと 深く心に恐れしものの  
しかしこうまで釘打ちたなら どうせ俊徳大病にかかる  
急ぎ急ぎで我が家に帰る 我が家帰りて様子を見れば 
四苦八苦の俊徳丸よ 耳も聞こえぬ目も見えませぬ  
らい病やまいと早や見せかける そこで俊徳さて申すには  
もうしこれいな母上様よ あただほただに目も見えませぬ 
これじゃ養生の方法はないか 云えばおすわがさて申すには  
もうしこれいな俊徳様よ 今度そなたのその病気こそ  
容易ならざる大病じゃほどに 四国七度西国三度 
丹後丹波や因幡や伯耆 廻らしゃんせやすぐさま治る  
云えば俊徳やむなきことと 是非もなくなく身支度なさる  
上下白服着飾りて 戸口越えるが死出の山 
雨だれ越えるが三途川 行くその道は六道の  
吹き来る嵐が無常の風 背中に笈蔓杖には笠を  
笠に記せしその所書き 国は上方河内の国の 
音に名高き信義長者 末の世取りの俊徳丸と  
同行二人と書き記したり 杖を頼りにただとぼとぼと  
馴れし我が家を後にはなして いずれ定めぬ哀れな旅よ 
俊徳丸の廻る国 東北国北中国よ 丹後丹波や因幡や伯耆  
今度行くのがまた美濃の国 美濃の国では陰山長者  
御門前には早や立ち寄りて もうしこれいな門番様よ 
今日で七日の食事も食べぬ 結び一つのご報謝願う  
云えば門番顔打ちしかめ うぬが様なるきたい者に  
結び一つもやれないものよ 箒を持って叩き出す 
ものの哀れは俊徳丸よ そこで俊徳あまりのことに  
笠の上書きこれ見て給え と云うて差し出すその笠見れば  
国は上方河内の国の 音に名高き信義長者 
末の世取りの俊徳丸と さては河内の信義殿の  
世取り息子の俊徳殿か それを眺めて桜の姫は  
東御殿の一間のうちで さては河内の俊徳様か 
御目にかかりてただ一言の 話なりとも致してみたい  
心ばかりは逸ると云えど 人目ある瀬はままにはならず  
身をも悶えてお嘆きなさる 思い余りて桜の姫は 
東蔵より金取り出し 西の蔵より衣装取り出だし  
旅の装束身も軽々と 夜の九つ夜半の頃に  
裏に回りて高へり越えて 闇に紛れて夜抜けをなさる 
そうこうする間にその夜も明ける ああ行く人にはもの尋ね  
こう来る人にはもの尋ね 哀れな遍路にゃ逢やせぬか  
逢うたと云う人さらにない 哀れなるかや桜の姫は 
どうせ我がつま俊徳様は 生きてこの世におられぬ者よ  
尋ねあぐみて桜の姫は 加賀と越後の境の川で  
水に映せし我が身の姿 髪にも櫛も入れざれば 
髪は縮れて鳥の巣の様な 手足の爪はただ伸びしだい  
衣装は破れてつづれの如く こんな儚い我が身の姿  
二度と我が家に帰れぬ者と 心決して身投げをせんと 
川の川原に石掻き寄せて 石の上には金積み重ね  
この金拾いしその人は 桜の姫と俊徳が  
野辺の送りをよろしく頼む 袖や袂に石拾い込み 
こうの池にと沈もとすれば はるか彼方に幼き声で  
そこで死するは桜の姫か そちが尋ぬる俊徳丸は  
八丁山奥観音堂の 縁の下には住まいをなさる 
それを聞くより桜の姫は 捨てたお金をまた拾い上げ  
急ぎ急ぎて観音堂に 縁の下をもよく見回せば  
数多遍路もたくさんいるで 誰が誰やら見分けもつかず 
しばし間はためらいなさる かくて果てじと気を励まして  
もうしこれいな俊徳様よ 肌を交わしはいたしませぬが  
過ぎし天王寺御能の舞に 御前や稚児役わしゃ舞の役 
綾と錦の袖取り交わし 堅く誓うた桜の姫よ  
云えば俊徳さて申すには さては御身は桜の姫か  
こうもなりたる俊徳丸を 思う貞節嬉しいけれど 
今の俊徳その約束も 実行されないかような姿  
いかにあなたが申そうとても 誓うた言葉はわしゃ反故にせぬ  
末の病気の見取りをするは 妻の私の務めじゃほどに 
病気なりとてわしゃ厭やせぬ 侍する俊徳の手を取り上げて  
無理に引き立て京清水に 京清水に参り着き東門寺西御門寺  
やがて大津の三井寺様よ 札所残らず皆打ち納め 
なんと京都はきれいな町よ そこで二人は観音様に  
七日七夜の断食籠り もうしこれいな観音様よ  
どうぞあなたのお慈悲をもちて 夫病気を治して給え 
夫病気を治したなれば 一の鳥居を金にてあげる  
二なる鳥居を銀にてあげる 三の鳥居を鉄でする  
どうせ観音御利生がなけりゃ わしがこの身は大蛇となりて 
一の鳥居に首なんかけて 参る氏子をみな取り尽くし  
これな観音薮仏にする 六日籠りてその明くる晩  
アリャ不思議や御利生がござる びみの音楽諸共に 
紫雲たなびき忽然と 観音様は現れて  
いかによう聞け桜の姫よ そちの願いは叶えて得さす  
夫病気は平癒なさん 明日の四つ時なりたるなれば 
白い鳥が羽根をも落とす 黒い烏が羽根をも落とす  
赤い鳥がまた羽根落とす それを拾いて俊徳丸の  
五体六根なでまわすやら 元の通りに平癒なさん 
夢でないぞや疑うなかれ 云うて観音消え行きなさる  
あとで姫君夢驚いて アリャ嬉しやよい夢を見た  
そこで姫君打ち喜んで 夢のお告げの時刻を待てば 
違うことなく羽根落ちまする それを拾いて俊徳丸の  
元の通りに相なりました 男ぶりなら日本一よ  
そこで二人は打ち喜んで 七日七夜の札籠りする 
そこで俊徳衣装をつける 下に着るのが白地の綸子  
上に着るのが黒紋付よ 急ぎ急ぎで伏見に下る  
まだも急いで河内の国よ まだも急いで我が家に帰る 
我が家帰りて様子を見れば 最早母様らい病のやまい  
そこで俊徳さて申すには もうしこれいな母上様よ  
四国七度西国三度 丹後丹波や因幡や伯耆 
廻らしゃんせやすぐさま治る わしが病気も治りたほどに  
云えばおすわが詮方なくも 弟梅若供にと連れて  
最早母様行方は知れぬ 人を呪えば穴二つとか  
まわる小車我が身に返り 末路悲しきおすわが最期  
そこで二人は打ち喜んだ 人も羨む長者の暮し  
万劫末代河内の殿よ
 
尻取口説き

 

生まれ山国育ちは中津 命捨て場はあの博多町  
博多町をば広いとおっしゃる 帯の幅ほどないあの町を  
帯にゃ短いたすきにゃ長い お伊勢編み笠の緒にこそよかろ 
お伊勢編み笠をこき上げて被りゃ 少しお顔を覗いてみたい  
見ても見厭かぬ鏡と親は まして見たいのはあの忍び妻  
忍び妻さん夜は何時か 忍びゃ九つ夜は今七つ 
七つ八つから櫓を押し習うて 様を抱く道ゃわしゃまだ知らぬ  
様を抱くにも抱きようがござる 左手枕右手で締める  
締めてよければわしゅ締め殺せ 親に頓死と言うておきなされ 
親にゃ頓死と言うてもおこうが 他人は頓死と思いはせぬぞ  
思うてみたとて色には出すな お前若いからすぐ色に出る  
色にゃ迷わぬ姿にゃ惚れぬ わしはお前の気に惚れました 
惚れたほの字が真実ならば 消してたもれや私の胸を  
胸にゃ千把の火を焚くけれど 煙あげねば他所の氏は知らぬ  
ヤレ知るまい二人の仲は 硯かけごの筆のみぞ知る 
筆と硯ほど染んだる中も 人が水差しゃ又薄くなる  
薄くなってもまた磨りゃ濁る そばに寝ていりゃなおさら濁る  
そばに寝ていりゃこっちを向けと 朝の別れを何としたものか 
何としたやらこの四 五日は 生木筏か気が浮きませぬ  
生木筏で何の気が浮こうぞ 様が浮かせぬ気持ちじゃものを  
様は切る気じゃわしゃ切れぬ気じゃ 割って見せたいこの腹の中 
腹の立つときゃこの子を見やれ 仲のよいとき出来た子じゃないか  
仲がよいとて人目にゃ立つな 人目多けりゃ浮名が立つよ  
浮名立つなら立たせておきゃれ 人の噂も二月三月 
三月四月は袖でも隠す もはや七月隠されませぬ  
隠しゃ罪になる懺悔すりゃ消ゆる
 
炭焼き小五郎口説き

 

扇めでたや末広がりて 鶴は千年亀万年と  
祝い込んだる炭窯の中 真名野長者の由来を聞けば  
夏は帷子冬着る布子 一重二重の三重内山で 
藁で髪結うた炭焼き小五郎 自体小五郎は拾い子なれば  
どこの者やら氏筋ゃ知れぬ 氏が知れなきゃ奥山住まい  
もとの氏すを調べてみれば 父は又五郎玉田の育ち 
姫の氏すを尋ねて聞けば 氏も系統も歴々知れた  
都大内久我大納言 大納言とも呼ばれし人の  
一人娘の玉津姫よ 何の因果か悪性な生まれ 
広い都に添う夫がない 夫がなければ三輪明神に  
七日七夜の断食籠り 六日籠りてその次の晩  
夜の九つ夜中の頃に 六十余りの老人様が 
姫よ姫よと二声三声 姫は驚き夢をば覚ます  
姫よよう聞け大事なことよ そなた一代連れ添う夫は  
ここにゃないない都にもない 下に下りて九州や豊後 
九州豊後や臼杵の奥で 夏は帷子冬着る布子  
一重二重の三重内山で 藁で髪結うた炭焼き小五郎  
これがそなたの連れ添う夫よ 云えば姫君打ち喜んで 
髪の御殿を急いで下る 急ぎゃ程なく我が家へ帰り  
急ぎ急いで旅装束よ 手ぬき手ぬぐい水掛脚絆  
足に草鞋で背には油単 小判四十両肌にぞ付けて 
笠にゃ同行二人と書いて 三節込めたる寒竹の杖  
急ぎ急いで旅路にのぼる 人に恥ずかし我が身に嬉し  
嬉し恥ずかし尋ねて下る さして行く手は九州豊後 
伏見街道は夜の間に下り 出でて来たのが大阪城下  
大阪川口便舟探し 九州下りの便舟に乗り  
舟を出したが日の出の頃よ 舟は新造で帆は六反で 
船頭一人で水夫三人よ 潮は連れ潮風ゃまとも風  
追い風よければ帆を巻き上げりゃ 男波女波が船べり叩く  
ここはどこよと舟子に問えば ここは一ノ谷敦盛様の 
御墓所があな愛おしや またも急いで明石に下る  
ここはどこよと舟子に問えば ここは明石の舞子が浜よ  
あれに見ゆるが淡路の島よ 播磨灘さよ波穏やかで 
心のどかな舟路の旅よ あれに見ゆるが小豆が島で  
急ぎゃ程なく水島灘よ 阿伏免観音拝みを上げて  
旅の安全御加護を祈り 瀬戸の島々左右に眺め 
舟は急いで川尻過ぎりゃ 音に聞こえし音戸の瀬戸よ  
瀬戸の連れ汐まともに受けて 着いた所がここ上関  
上関にて汐がかりする 汐の淀みに碇を巻いて 
舟は急いで姫島に着く 沖は荒波風待ちなさる  
そこで姫君陸には上がる 姫ヶ島にて紅カネ着けりゃ  
花も恥らう美人に変わる 鏡代わりに覗いた井戸が 
今の世までも姫島村に 七つ不思議の一つで残る  
風もおさまり舟出をなさる 着いた所は府内の城下  
またも急いで臼杵に下り 城下外れの宿屋に泊まる 
そこで姫君四五日逗留 宿の亭主や近所の人に  
道の様子を細かに訊いて 今日は日が善い御山に登る  
山の峰々また谷々を 都育ちの慣れない足に 
杖を頼りにようやく越える 山の麓で草刈る子供  
そこで姫君物問いなさる もうしこれいな子供衆さんよ  
一重二重の三重内山で 藁で髪結うた炭焼き小五郎 
どこが住いか教えてたもれ 云えば子供の申せしことに  
よそのおばさんあれ見やしゃんせ はるか彼方が三重内山よ  
雲にたなびき煙が見える あえが炭焼き小五郎の住い 
云えば姫君打ち喜んで 杖を頼りに煙が見ゆる  
急ぎ急いで御山に登り 山の峠で山師に出会う  
そこで姫君物問いなさる もうしこれいな山人さんよ 
これなお山で炭焼く小五郎 どこの住いか教えてたもれ  
云えば山人申せしことに これなお山で炭焼く人は  
他にゃないない私が一人 小五郎さんとは私がことよ 
云えば姫君打ち喜んで さても嬉しや妻御が知れた  
小五郎さんなら私の夫よ そこで小五郎が申せしことにゃ  
一人すぎさえ出来ないものを 二人すぎとは思いもよらぬ 
御免なされと袖振り放す 姫は泣く泣く小褄にすがり  
あなた嫌でも出雲の神が 結び合わせたご縁でござる  
どうか子細を聞かれて給え 云えば小五郎が不憫に思い 
何はともあれ夕暮れ時に 外に人家もない山里で  
心細かろ難儀であろう 今宵一夜の宿貸しましょと  
姫を連れ立ち住いへ帰る 萱の庵の柴戸を上げて 
さあさお入り都の姫よ 粥を煮立てて夕餉をすませ  
炉端挟んで四方山話 そこで姫君物やわらかに  
神のお告げや身の上話 一部始終を細かに語る 
縁は異なもの一夜の宿が 二世を誓うて夫婦の契り  
一夜明ければ夫と呼ばれ 妻と呼ばれてうら恥ずかしや  
そこで姫君申せしことにゃ もうしこれいな小五郎さんよ 
二人すぎでは立たぬと言うたが 二人すぎする用意もござる  
肌に付けたる小判を出して 城下下りて米買うてござれ  
米がわからにゃ麦買うてござれ 麦がわからにゃ粟買うてござれ 
それを知らねば手代に任せ 一分小判を肌には付けて  
とんで行く行く野山の道で 左小脇に小池がござる  
小池中にはおし鴨番 そこで小五郎が思いしことにゃ 
あれを打ち取り都の姫に 今宵夕餉の土産にせんと  
あたり近所を見回すけれど 取りて投げそな小石もないよ  
肌に付けたる小判を出して とんとすとんと投げたる途端 
鴨は舞い立つ小判は沈む 行くに行かれず我が家へ帰り  
我が家帰りて都の姫に 右の子細を細かに語る  
云えば姫君打ち驚きて さても愚鈍な我が妻様よ 
あれはこの世の世渡る宝 あれが無くてはこの世が立たぬ  
云えば小五郎がにっこと笑い わしが炭焼くあの谷々にゃ  
山の山ほどござんすしゃんす 聞いた姫君打ち喜んで 
明日は日が善い金見物よ 銚子盃袂に入れて  
急ぎゃ程なく新黒谷よ ここが良かろと茣蓙打ち広げ  
お酒飲む飲む金見物よ あれに見ゆるが大判小判 
これに見ゆるは一分や一朱 聞いて小五郎は打ち喜んで  
二人連れ立ち我が家に帰る 千駄万駄の駄賃を雇い  
拾い寄せたるその金銀を 朝日輝く夕日の下に 
鶴は千年亀万年と 祝い納めて長者の門出  
その日暮らしの小五郎さんが 屋敷求めて家倉建てる  
四方白壁八つ棟造り 庭に泉水築山造り 
朝日さすさすヤレ朝日さす 黄金千倍また二千倍  
七つ並べがまた七並べ お前百までわしゃ九十九まで  
共に白髪のアノ生えるまで 真名野長者と世に仰がれて 
語り伝わる今の世までも
 
高熊山由来口説き

 

国は豊後の速見の郡 容優れた御山がござる  
その名高熊名高き山よ 山の頂上一字の寺と  
高さ一丈弘法大師 遥か下界に臨まれ給う 
香の煙は信者の手向け 鐘の響きは遠くに聞こゆ  
眺め豊かに四国を臨み 鶴見由布山湯の香に煙り  
浮かぶ白帆は夕日を受けて 春の桜は霞とまがい 
夏は緑に若草萌えて 秋は八千草花咲き乱れ  
冬は雪見のあの都山 豊州公園名付けて呼ばる  
さても御山の由来を述べりゃ 北杵築とて麓の村に 
ここに一人の石工がござる 姓は帯刀名は伝平と  
今は昭和の奇人の一人 彼が十四の幼き頃に  
通う学校のその帰り道 俄か襲った大暴風雨 
渡る小川の石踏み外し 川の流れに押し流されて  
今は一命危うき所 岸に生えたる柳の枝に  
辿り着いてぞ命を拾う 子供時代は腕白盛り 
隣近所の子供を集め そっと持ち出す火縄の銃よ  
ああかこうかと珍し顔に 知らぬ扱いするその内に  
起る銃音野山に響く 煙薄れて辺りを見れば 
神の御加護か仏の慈悲か これは不思議に怪我人出でず  
出でて隣村石工の弟子に 心一つに技術を積めば  
年は進みて二十と五歳 船部村にて石割工事 
流行盛んな舶来火薬 不意に炸裂大石小石  
数多四方に吹き飛び散れば 裂くる暇も手段もなくて  
気絶したるか気がつき見れば 又も不思議にその五体には 
かすり傷だに負わずに過ぎし 一度ならずに二度また三度  
越ゆる危難は仏の功力 ここに思いを致せし彼は  
仕事合間に念仏唱え 石を叩いて仏を刻む 
南無や大師の遍照尊 弘法大師を信仰なさる  
石工修行も非凡な手腕 今は近藤その名は高い  
明治終わりの或る夏頃に 八坂河畔に砂利取りすれば 
砂利の中より小さな仏 仏掘り出し暫しが程に  
土にひれ伏し唱名称え 心静かに考えみれば  
一度ならずに二度また三度 すでに一命危なき所 
日毎毎日健在なさる 一に仏の御加護なれば  
まして今日このところにて 掘りて出でたるこの仏像は  
吾に授けし仏の心 深く心に信心込めて 
妻を伴い御四国巡り 八十八ヶ所御札を収め  
仰ぎ唱える御詠歌こそは 帰命頂礼遍照尊  
今に大師はましまして 後の衆生を助けんものと 
代々に孝徳を残さし給う 八十八ヶ所巡礼終わり  
明日は故郷に立ち帰らんと 寺に宿りて夕べの勤め  
勤め終わりて蝋燭見れば 昼は不思議に流れし蝋が 
見事固まり弘法大師 姿鮮やか現れ居れば  
桐の小箱に納めて帰る 帰る早々同志を募り  
時は大正十四の年に 数多私物をさらりと出して 
眺めの豊かな高熊山へ 寺を建てたり桜を植えて  
高さ一丈の大師の像を ここに建立信心すれば  
付近に数多の信者が増える 北杵・八坂に朝田に山香 
要所要所に八十八の 四国遍路をなぞらえ作る  
安置なしたる弘法様は 今も苔むし徳霊あらた  
伝平氏にも頭を丸め 名をも伝照と改めおりて 
命重ねて八十有余 生きていながら葬式すまし  
今年新盆仏で帰る 盆は嬉しや仏に逢わる  
逢うて語ろう高熊由来
 
勢場ヶ原の合戦口説き

 

豊後山浦勢場ヶ原は 世にも知られた古戦場でござる  
さあさこれから戦の次第 下手な調べで語りましょうか  
さても大内義隆ぬしは 周防山口にお城を構え 
中国一の大名でござる それが相手は西海一の  
豊後府内のご太守様で 時の大友義鑑殿よ  
さても二人は不仲の間よ 些細なること意気地の種で 
力づくもて雌雄を決むる 修羅の巷は勢場ヶ原よ  
時はいつかと申そうなれば 頃は天文三年の春よ  
野にも山にも桜の盛り 散るは桜かはたまた花か 
寄せての大将は陶晴賢よ それに続くが杉隆連で  
いずれ劣らぬ名大将よ 下関から御渡海なされ  
豊前中津で軍馬の手入れ 遺恨重なる大友勢を 
駒の蹄で駈け散らかして 府内の大友義鑑殿に  
一泡二泡吹かせんものと 威勢鋭く大内の勢は  
豊前の国は糸原口に 陣を構えて探りを入れる 
ここに府内の義鑑殿は 味方の注進とっくに聞かれ  
さても愚かや大内の軍よ たとえ幾万押し寄すとても  
それを恐れる大友じゃないぞ 飛んで火に入る夏虫不憫 
そこで義鑑家来を集め すぐに戦の手筈を決める  
さても国東吉弘城主 吉弘石見氏直公は  
二十歳に足らぬ若輩ながら 大友方の総大将でござる 
続く大将は寒田に三河 これが本陣は大牟礼山よ  
大友方の第二の陣は 地蔵峠の難所でござる  
これが固めの大将方は 志手に野原の両勇将よ 
さても大友第三の陣は これも険阻の立石峠  
田北長野に都甲に木付 引いた手ぐすね待ちかねまする  
なお大友の別働隊にゃ 大神林の三百余騎が 
鹿鳴越峠に砦を構え 全部合わせて三千余騎よ  
話変わって大内の陣にゃ 大将集めて戦の評議  
地蔵峠は近道なれど 音に聞こえし難所と聞くよ 
立石峠は谷狭くして 進む大軍にゃまことに不便  
殊にいずれも大友軍は 堅い守りをしている様子  
まわり道でも佐田へと向かい 不意に本陣攻め寄すならば 
味方の勝利は朝飯前と 命令一下三千余騎は  
佐田へ佐田へと馬をば進む こんなこととは露いささかも  
知らぬ地蔵や立石軍や 痺れ切らして敵をば待てる 
かかる折しも勢場ヶ原にゃ 地から湧いたか天から来たか  
大内軍勢三千余騎が 轡並べて鬨をばあげて  
ここを必死と押し寄せ来たる これを眺めて大友方の 
大将氏直むっくと立ちて ヤレちょこざいな大内の勢よ  
いでや氏直が武者振り見せん 続け者ども一目散に  
敵陣目掛けて駒乗り入れる 前後左右と火花を散らす 
敵も味方も必死の覚悟 負けず劣らず鎬を削り  
しばし勝負は果てしも見えず されど悲しや味方は小勢  
大内の軍に射すくめられて 大将氏直矢玉に倒る 
大将討たれて何おめおめと 命永らえ恥かかんやと  
主に殉じて枕を並ぶ げにも哀れな御有様よ  
ここに立石地蔵の守備は 不意の敗戦に驚き慌て 
軍を返して勢場へ急ぐ 息を切らして駆けつけ見れば  
これはいかにぞ味方の軍は 吉弘氏直先ず討死にし  
続く三河の数多の兵も 枕並べて無念の最期 
これを見るより味方の将士 いでや憎っくき大内の勢よ  
一人残さず皆打ちとりて 味方の無念を晴らさでおこか  
野原対馬を真っ先として 敵陣目掛けて攻め寄すほどに 
敵の軍勢浮き足立って 秋の木の葉の風散るように  
我を先にと皆逃れ行く 逃ぐる敵兵おっとり囲み  
前後左右に斬りまくじれば 敵の大将杉隆連は 
野原対馬の槍先にゃかかる 命からがら大内の勢は  
軍をまとめて高田へ走る 年は移れど勢場ヶ原に  
照らす月影にゃ変わりはないが 大牟礼山に静かに眠る 
勇士の墓は皆苔むして ありし昔を語るに似たり
 
達也口説き

 

国は筑前大宰府の町よ 音に聞こゆる天神様で  
五百年忌の開帳がござる 開帳ありゃまた芝居もござる  
芝居役者は上から下る 下る役者が七十余人 
それが中にはよいのがござる 花の菊の屋上村達也  
達 也達也と皆人おっしゃる 達也母様申することにゃ  
奥の一間に達也を呼んで 達也よく聞け大事を語る 
聞けば大宰府疱瘡が流行る 未だそなたは厄せぬ故に  
旅の空にて厄するならば 湯欲し水欲し他人の手から  
貰うて飲むのは切のうないか 言えば達也の申することにゃ 
やって下んせ両親様よ わしが行かねば芝居は出来ぬ  
七十余人が皆まる遊び 言えば両親嫌とは言えず  
日柄叩いて舟出しまする 芝居道具を皆積み込んで 
七十余人が乗り込みました 役者ばかりでさて賑やかな  
笛や太鼓や琴三味線で そこで達也が船頭に向かい  
船頭頼むと挨拶なさる 錨取るやら帆足をしらべ 
帆足しらべて蝉口締めて 両手手綱や琴三味の糸  
鉦や鼓や琴三味線よ 太鼓打つやら笛など入れて  
笙篳篥なるお囃子にして 芝居船じゃと賑やか騒ぐ 
大阪木津川夜船で渡る 東白んで夜はほのぼのと  
旭出るのを拝みをあげる 須磨や明石を眺めて通る  
あれに見ゆるはありゃどこかいな あれはどこじゃと船頭に問えば 
艫の船頭の申することにゃ ここは一の谷敦盛様の  
お墓処でおいとしゅござる 七十余人も拝みをあげる  
花の達也も拝みをあげる 東風や山背風で播磨を渡る 
東風や北西風でだんだら走り あれに見ゆるはありゃどこかいな  
あれはどこじゃと船頭に問えば 艫の船頭の申することにゃ  
あれに見ゆるが小豆島よ 間にゃ亀島ふどんが島よ 
小豆島よし家室が沖よ 家室沖よりゃ御手洗沖よ  
四国七島讃岐で屋島 阿波で徳島ありゃ二十五島  
間の小島は数々あれど 間の小島は飛びぬけまする 
さても綺麗な御手洗躑躅 宵に萎れて夜明けに開く  
最早汐路も満汐となる 錨取るやら帆足をしらべ  
帆足しらべて蝉口締めて 両手手綱や琴三味線の糸 
鉦や鼓や琴三味線よ 太鼓打つやら笛など入れて  
笙篳篥なるお囃子にして 芝居船じゃと賑やか騒ぐ  
親子船かえ金ない船が 花の御手洗眺めて通る 
東風や北西風でだんだら走り あれに見ゆるはありゃどこかいな  
あれに見ゆるはどこかと問えば 艫の親爺の申することにゃ  
あれに見ゆるが室津沖よ 室津上関ゃ棹指しゃ届く 
室津沖よりゃ祝島七里 祝島よりゃ姫島七里  
豊後境が姫島のこと 右が周防で豊前路左  
左脇なる宇佐八幡よ 七十余人が拝みをあげる 
花の達也も拝みをあげる 中瀬平瀬を小唄で通る  
秋の朝北夕南風西よ 岬周防路を眺めて通る  
東風や北西風でだんだん走り あれに見え立つ二つの島や 
あれはどこじゃと船頭に問えば 艫の船頭の申することにゃ  
丘が干る島沖ゃ満つる島 今は名を変え満珠と干珠  
満珠干珠は長府の沖よ 追風よければ舟はやいもの 
追風よければ早瀬戸口よ あまり瀬戸口汐速ければ  
三つ四つは間切りて見たが 最早汐路も引汐となる  
錨下ろして蝉口緩め しばし間の汐懸りする 
最早汐路も満汐となる 錨取るやら蝉口締めて  
両手手綱や琴三味の糸 鉦や太鼓や琴三味線よ  
太鼓打つやら笛など入れて 笙篳篥なるお囃子にして 
芝居船じゃと賑やかに下る 東風や北西風でだんだん走り  
左脇なる早鞆さまよ 七十余人も拝みをあげる  
花の達也も拝みをあげる 関は門司前門司ゃ関の前 
関は聖天亀山様よ 七十余人も拝みをあげる  
花の達也も拝みをあげる 門司は関前巌流島よ  
巌流島にて米など積んで 東風や北西風でだんだら走り 
あれに見ゆるが小倉の天守 天守半ばに櫓が七つ  
小倉大橋舟着きにけり 伝馬乗りては陸にと上り  
そこで達也は船頭に向かい 長い道中で大きにお世話 
ご縁あるならまた頼みます 船頭さらばと別れをなさる  
小倉在なる牛馬を雇い 牛馬雇うて荷物を送る  
林豊太や沢村金吾 京の三条の上村達也 
これが三人若女形 それに続いて菊也というて  
これも達也に勝りし者よ 小倉町をば眺めて通る  
小倉町なる彼の人々は あれが京都の達也とやらか 
達也達也と御名は聞けど お顔見るのは今度が始め  
我も我もと皆様騒ぐ 口と文句はされ早いもの  
花の宰府に到着なさる うがい手水で御身を清め 
一の門越え二の門越えて 三の門越え拝戸に上がる  
しばし間の拝みをあげる 拝み終われば裏へと廻る  
裏に廻りて舞台の係り 舞台係りは三十と五間 
あたり百間矢来を結うて 矢来継ぎ目に木戸場を開ける  
十と五間の櫓を立てて 櫓下には書き出しが出る  
初日顔見世千本桜 兄の団七偽忠信よ 
弟達也は静香の御前 踊る手褄や踏み出す足に  
千両万両と誉れが上がる 達也一じゃと誉れが上がる  
二日目芝居は何じゃと問えば お染久松質屋の段よ 
八百屋お七の火あぶり段よ 宰府町なる彼の人々は  
我もこの世に生まれしなれば 達也芝居を見て死にたいと  
老も若きも皆打ち連れて 我も我もと見物に上る 
我も達也に投げ花せんと わしも達也に投げ花せんと  
舞台上には小山のごとく 兎角浮世は定めなきものよ  
花の達也が病気にしつく 病気しついて三日目の日には 
顔にぽつりと疱瘡が出づる 髪に出るのは髪切り疱瘡  
背中に出るのが百足の疱瘡 腹に出るのが太鼓の疱瘡  
昼は太鼓が囃してならぬ 夜は百足でよどいてならぬ 
そこで達也が思いしことにゃ どうせこの身はない身が程に  
兄よ兄よと寝間にと呼んで 兄さよく聞け大事なことよ  
蝶よ花よと伸びたる髪を 元結際よりぷつりと切りて 
肌につけたるこのお守りと これを故郷のご両親様に  
達也形見と渡しておくれ 前に立てたる姿見の鏡  
兄の前では言いにくけれど 故郷馴染みのお艶に形見 
達也形見と渡しておくれ わしの持ちたる四十二の衣裳  
芝居仲間の朋輩衆に 達也形見と渡しておくれ  
着たる衣裳や差したる大小 これはあなたにあげますほどに 
言うて達也のご病気は重る 兄の膝をば最後の枕  
秋の稲妻川辺の蛍 うつらうつらと眠るが如く  
次第次第に往生なさる 死した体は朱漬となして 
花の京都に送られまする 千秋万端まずこれまでよ
 
帯刀伝平口説き

 

国は豊後で速見の郡 北杵築には松村ござる  
石工帯刀伝平こそは 心正直信心者よ  
男こまいが大石にても 小石同様動かす業は 
神や仏のなす様な手並み 人に唱われ評判高い  
彼が十四の幼き頃に 村の堂にて大師を刻む  
それを父親心にとどめ この子石屋にいたさんものと 
誰を師匠に頼めばよいか あちらこちらと尋ねて廻る  
そこに幸い船部の台に 音に名高い石工がござる  
その名阿部なる藤七郎の 弟子となりては一心不乱 
修行なしたるその甲斐ありて 僅か四年で棟梁となりぬ  
あちらこちらの請負仕事 弟子と頼まれ育てし数も  
二十幾人各地にござる 殊に風雅な丸石築は 
伝平流とて名高きものよ 自然石にて記念碑橋は  
県下各地に遺せし手形 これや秘伝を後世のために  
あまた弟子らに伝えんものと 記し集めし一巻こそは 
偉業録とて石工の奥義 年を重ねて八十二歳  
清き流れの落合川に 掛けし橋こそ伝平氏と  
時の村長中のというて それと皆さん心を寄せて 
橋の名前をいろいろ詮議 伝平名取りて萬伝橋よ  
長く遺した奥義でござる 兼ねて彼こそ信心人よ  
神社仏閣遍く巡り わけて高熊一寺を建てて 
弘法大師を信仰なさる 名をば伝照と改めまして  
衆生制度の御回向なさる 八十四歳の秋半ば頃  
生きていながら葬式済まし 死んでまた来て信心なさる 
右にリン持ち左に錫杖 黒の衣に網代の笠よ  
手抜脚絆に身を固めてぞ 胸にかけたる札挟みには  
平和日本の建設祈り 書いた文字のその鮮やかさ 
西行法師の再来なるか 平和日本独立記念  
戦死なさったあまたの人の 招魂碑をば建設なさる  
八十有余の老いをも忘れ 諸国修行もことなくいたし 
南無や大師の遍照金剛 諸国修行をなされる道で  
七福神なる弁天様に 逢うた所は尾藤の上で  
そなた来なされ話をしましょう そなた住家がないのじゃないか 
もしも住家がないのであれば 三十町下れば芦刈というて  
音に名高いお岩があると そこにおいでになりたるなれば  
わしに通知をしてくださんせ 便りくれたら社を建つる 
言うてお別れしておきました 逢うた日にちが正月三日  
お岩で拝むが三月三日 右の様子を芦刈人に  
話したらば皆喜んで 正五九月にお祭り申す 
所繁盛をお願い申す 
帯刀諸国修行(第一説話) 
今も昔も不思議がござる 不思議不思議も因果でござる  
されば伝平伝記の中で 諸国修行のその道すがら  
いろは四十八奥山越えて 野道踏み分け峠を下り 
越えて疲れて山路を下る 下る山路は残りた雪で  
あちらこちらに風情をそそる 眺め見事につい気を引かれ  
旅の疲れを休めんものと 道のほとりの大石の上に 
ヤレサよいしょと腰うちかけて ゆるむわらじの鼻緒を結ぶ  
かけた所は尾藤というて ところ松村その下部落  
道の傍らふと目をそらしゃ じっと丸んだ錦の模様 
これぞ世に言う弁天様よ 知って伝平打ち喜んで  
心嬉しく言葉をかける これよこれこれ弁天様よ  
わしの話をよく聞きなされ ここは道中往来しげく 
人も通れば車も通る ここらここいら危のうござる  
そなた住家をお探しならば わしが教えよう住みよい所  
ところ芦刈名高いお岩 お岩ほとりに清水もござる 
そこにござれよ弁天様よ わしも修行のその道すがら  
ところ芦刈名高いお岩 わしもそちらに立ち寄るからに  
またも逢いましょその芦刈で またも逢うたら社を祀る 
云うて分かれた一月三日 話し話しただ一刻半  
何と聞いたか弁天様よ やがて錦の弁天様は  
そろりそろりと草むら中に そこで伝平我が身にかえり 
またも行きます仏道修行 巡り巡りて三月三日  
道中急いで芦刈詣り そこに名高いお岩がござる  
清水汲まんとふと岩見れば 夢か現かまた幻か 
尋ね尋ねた弁天様が そこのお岩に覗いてござる  
そこで伝平思いを返す 云うて誓った三月三日  
今日は正真その日であれば 逢うた尾藤の弁天様が 
またこちらでわし待ってござる そこで伝平誓うた言葉  
思い出してぞ家路に急ぐ 社刻んで祠を建てて  
正五九月に弁天祭り 伝え聞いたる芦刈人は 
家内安全五穀の成就 ところ繁盛願うて祈り  
今も伝わる弁天話 伝平修行のその物語 
帯刀諸国修行(第二説話) 
国は豊後で船部というて 伝平口説きに終いの口説き  
ところ何処と尋ねてみれば 船部在所に旧家がござる  
旧家その字本田というて 昔栄えたその家所 
いつの代にか仏の塔と 語り伝えて明治の終わり  
伝平伝えて伝えて聞いて それを見んとて船部に下る  
さても大きな仏の塔は 周り八尺長さは九尺 
長く丸くて煙突のように 上は平らでツルツル光る  
光るその面誰かの頭 または鏡のその面より  
磨きなしたる仏の塔よ これは見事と打ち褒めそやし 
これやこれこれ本田の氏よ 主の屋敷のその下ほどに  
姿出したる仏の塔を わしは気に入り欲しうてならぬ  
どうぞ私に譲っておくれ 云えば本田の館の主は 
これは譲れぬこの石こそは 仏石とて縁がござる  
縁話は長うはせぬが 昔この石屋敷の前に  
立って在所やこの村々を 無病息災五穀の豊穣 
云えば伝平しおれて帰る 月日経つのは間もないものよ  
世代替わって主も替わる ここに変わらぬ仏の塔と  
心変わらぬ伝平さんよ 頃は八月夏草茂る 
茂る夏草踏み掻き分けて またも昔の話をすれば  
時の主は話のわかる 三十三四の働き盛り  
わしも仕事に追われてならぬ 仏石とて縁を聞けど 
今になるまで祀りもできぬ これを貴方にうち差し上げて  
どうぞお祀りして下されと 云えば伝平うち喜んで  
やれ嬉しや仏の塔は 今の主がくれると言うた 
これぞ真の仏の因是 わしという名を仏が知りて  
わしの所に嫁入ってござる そこで伝平思うてみたが  
仏の塔なら粗末にゃならぬ これをどこかにうち立てまして 
昔名高い百姓の見方 佐倉宗吾郎うち象って  
石碑建てましょ百姓の在所 ところ作物栄えるように  
言うて願うて仕事にかかる
 
親鸞聖人御難儀苦行口説き

 

さても都にその名も高き 藤原氏なる御子にあれど  
元が阿弥陀の御化身なれば 乳母とお遊びなされし時に  
土を寄せては仏を造り 西に向って南無阿弥陀仏 
ついに九歳のその春なるが 緑の黒髪剃り落とされて  
滋鎮和尚の御弟子となりて 比叡の山にて御修行ありて  
慈悲の心を起こさせ給い 自力かなわぬ凡夫のために 
数多お弟子の目を忍ばれて 六角堂なる観音様へ  
衆生済度の近道あらば 教え給えと百夜の間  
三里余りのきららの坂を 雪の降るのもお厭いなくて 
徒や素足でお通いなさる 其れを妬んで数多のお弟子  
滋鎮和尚に悪口告げる そこで法然御招きあれば  
はいと答えてその場へ出でて そばを一膳お上がりなさる 
ある夜観音御告げによりて 黒谷お寺の法然様の  
弟子となられて御法を聞いて 信と行とを二つに分けて  
他力不思議の御化導あれば そこで天子の后様の 
松虫鈴虫二人のお方 一座の教化に基きなされ  
無理にお弟子にお願いなさる 尼になされて其の罪科しめで  
女人安楽死罪になされ 土佐の国へは法然様を 
我祖聖人越後の国へ 流罪なりとも御勅故に  
蒲の脛巾に草鞋を履いて お弟子二人を召連れられる  
菅のお笠で立退きあれば 別れ悲しむ時雨の桜 
鬼の出でたる越後の国の 小谷明神国分寺にて  
逗留なされて御化導のうちに 流罪御免の勅使の役に  
岡崎中納言お下りあれど 数多凡夫が不憫さ故に 
馴れし都へお帰りなくて 衆生済度にお廻りなさる  
富屋の村にて御化導あれば 我も我もと懺悔を致す  
弥陀の誓願他力の御法 教え聞かせて末世に残し 
数珠掛け桜も如来の不思議 田上村にはつなぎの茅よ  
安田村には三度の栗よ 山田村には焼き鮒残し  
頃は五月の半ばであるが 雨は五月雨しきりに降りて 
日暮れなる宵柿崎村で 一夜宿をばお願いあれば  
慳貪邪見の扇谷宵に 泊めるどころか追い出だされる  
門の軒下褥と致し 石を枕に御難儀なさる 
神の知らせで向いに出でる 他力不思議に発起を致す  
六字の名号父親にくれて 其の夜立ち退き御急ぎなれば  
後を追いかけ扇谷女房 河を隔ててお願い申す 
六字の名号戴きまする 御念御化導の御難儀ありて  
越後立ち退き関東登り 下野下総常陸に到り  
稲田村にて草庵建てて 衆生済度にお歩きなさる 
ある日俄かに吹雪になりて わずか三里の半場であれど  
行きも帰りも出来ないゆえに 一夜の宿をば御願いあれど  
邪見盛りの日野左衛門は 怒り叫んで追い出だされて 
これが浄土の正客となり 見捨てられぬと御門の外で  
雪の降るのもお厭いなくて 石を枕にお休みあれば  
六字の御利益現れまして 夫婦驚き御迎え申す 
一座御教化戴くよりも 髪を落として御弟子となりて  
ご案じついと御供を致す 又もお弟子を召し連れられて  
衆生済度に板敷山を 南無阿弥陀仏で行き来をなさる 
諸寺や諸山の自力の人が 他力不思議に繁昌するを  
妬み嫉んで悪心起こし 吾郎庵にて手向いすれど  
祖師の御徳に驚きまして 貝も錫杖も打ち捨てられる 
数多山伏お弟子となりて 墨の衣で御供を致す  
長の御苦労御難儀ゆえに ついに報われ御勅の我等  
妻子あしらい畳の上で 頼むばかりで助かる法は 
弥陀の願力不思議であると 寝ても起きても念仏申し  
祖師の御恩を忘れぬように 上の掟をよく守られて  
この世目出度し未来は浄土 唱えまいかや只南無阿弥陀仏
 
巡礼お鶴口説き

 

ここに哀れな巡礼口説き 国は何処よと尋ねて訊けば  
阿波の鳴門の徳島町よ 主人忠義な侍なるが  
家の宝の刀の詮議 何の不運か無実の難儀 
国を立ち退き夫婦の願い 神や仏に念願かけて  
授け給えやあの国次の 刀商売研ぎ屋の店は  
心静めて目配りなさる 行けば大阪玉造にて 
九尺二間の借家をいたし そこやかしこと尋ねんものと  
三つなる子を我家に置いて 最早七年婆さん育ち  
子供ながらも考え者で 年は十にてその名はお鶴 
親の行方を尋ねんものと 育てられたるその婆さんに  
永の暇の旅立ち願う もしや婆さんあれ見やしゃせ  
隣近所の子供でさえも 髪を結うたり抱かれて寝たり 
それが私は羨ましいの 今日は是非ないお暇いたし  
諸国西国巡礼いたし 背に笈摺六字の名号  
娘お鶴と書きたる文字が 汗で滲んでその字が薄い 
白の脚絆に八つ路の草鞋 襟に布施鐘掛けたる儘に  
大慈大悲の観音様よ 何とぞ父様あの母様に  
逢いたさ見たさに両手を合わせ 三十三番残らず拝む 
西も東も分からぬ娘 年はようよう十にもなるが  
さても優しい巡礼姿 哀れなるかやあの婆さんに  
別れ行くのか紀州を指して 霊場一番あの那智山に 
二番紀国その紀三井寺 三に東国粉河の寺よ  
父と母との恵みも深き 四番和泉のまきしの寺よ  
五番河内にその名も高き 参り寄り来るその人々も 
願いかけるは不智伊の寺よ 花のうてなに紫の雲  
読んで終わりしその道筋を 行けば程なく大阪町よ  
音に聞こえし玉造にて 門に立ちたる巡礼娘 
報謝願うとそう言う声も 神の恵みか観音様の  
お引き合わせか前世の縁か 軒を並べしその家続き  
我も我もと皆出て見れば さてもしおらし巡礼娘 
母のお弓は我子と知らず 報謝進上と側へと寄りて  
見れば愛らし巡礼娘 国は何処よと尋ねて聞けば  
私ゃ阿州の徳島町よ そして父さんあの母さんに 
逢いたい見たいとこの遠い道を 一人回国するのでござる  
聞いてお弓ははや気に掛かり 一人旅とはどうした訳よ  
そこでお鶴が申する事に 訳は知らぬが三つの年に 
私を婆さんに預けて置いて 何処へ行ったか行方が知れず  
言えばお弓の申する事は お名は何とじゃ聞かせておくれ  
私が父さん十郎兵衛と言うて 母はお弓と言う名でござる 
聞いてびっくりお弓が心 胸はせき上げ涙を流し  
側に摺寄りお鶴の顔を 穴の空く程しみじみ眺め  
覚えあるのが額の黒子 年も行かぬにはるばる此処へ 
尋ね来たのをその親達は さぞや見たなら嬉しくあろう  
ままにならぬが浮世の習い 親に備わり子と生まれても  
名乗る事さえならぬが浮世 そなたの様に尋ねたとても 
顔も所も知れない親を もしや尋ねて逢われぬ時は  
何の詮なきことではないか さてもこれから心を直し  
帰らしゃせんや婆さんの所へ 言えばお鶴がその挨拶に 
私ゃ恋しいあの母様に たとえ何時まで尋ねてなりと  
父と母とに逢いたさ故に どんな苦労も厭いはせぬが  
幸いことには一人の旅よ どこの家でも泊めてはくれず 
人の軒端や野山に寝ては 人に叱られぶたるるばかり  
ほんに悲しや危なや怖や 他所の子供や姉さん達を  
見るに付けても羨ましいよ 私が父さんあの母さんは 
どこの何処に居やしゃんすのか 早う尋ねて逢いたいものよ  
言えばお弓は涙にくれて 我を忘れて早や抱き上げる  
はっとばかりにさて胸騒ぎ 母のお弓は名乗りも出来ず 
娘はお鶴抱かれて聞けば もしやおばさん何故泣かしゃんす  
余りそのようにお嘆きあれば 私ゃあなたが母さんの様で  
帰りたくない行きたくないよ どんな事でも致しましょうが 
置いて下されあなたの側へ 言えばお弓は涙にくれて  
帰したくない遣りたくないと 思う心はやまやまなれど  
ここに置いてはお為にならぬ ここの道理をよく聞き分けて 
帰らしゃんせとお鶴に言えば 子供ながらに涙を流し  
両手合わせてうなずきなさる 是非も泣く泣く帰ろとすれば  
母のお弓は我針箱の 金子取り出し我が子に向い 
紙に包んで袖へと入れる 金は小判も小粒もござる  
言うてお弓はこりゃ志 無理に持たせて髪なで上げる  
もしやおばさん暇じゃ程に さらばこれから帰りましょうと 
胸に掛けたる鐘をば叩く 出でて行くのを見送りながら  
言うに言われぬ悲しや程に しばしお弓が心の思案  
いっそ親子と名乗ったならば さぞや嬉しく思うであろう 
ここで別れてさて何時の日か 逢えるかわからぬ身の上なれば  
連れて戻りて名乗りをせんと 髪を乱して帯引き締めて  
後を慕うて行くその内に それと知れずに十郎兵衛は 
悪人ひきつれまちぶせなさる 金の工面に子供を騙し  
急ぎ足にて我家へ入り さても無情や巡礼殺し  
肌に手を入れ取り出し見れば 金と一緒にある書付を 
見れば刀のありかも知れる 女房お弓は早走け戻り  
死骸抱き上げ途方に暮れる しばし心も泣き入る母は  
お弓お鶴と名乗りはせずに 阿波の鳴門の深みへ沈め 
涙流して許してくれと それを見ていた十郎兵衛は  
しばし手をつき途方に暮れる さらばこれからお国へ帰り  
罪を逃れし恥辱をすすぎ 元のお武家に取り立てなさる 
哀れなるかや巡礼口説き まずはこれにて終わりを告ぐる
 
巡礼口説き

 

ここに哀れな 巡礼口説き 阿波の鳴門の 徳島町よ 
国に忠義な 侍なるが 家の宝の 刀の詮議 
なんの不運か 無実の難儀 国をたちのき 夫婦の願い 
神や仏に 心願かけて 授け給えや あの国次の 
   刀商売 研屋の店よ 心しずめて 目くばせなさる 
   行けばほどなく 大阪町よ 音に聞こえし 玉造にて 
   九尺二間の 借屋をいたし そこやかしこと 尋ねんものを 
   育てられたる あのばばさんに 永のいとまの 旅立ち願う 
隣り近所の あの子でさえも 髪を結うたり 抱かれて寝たり 
それが私は 羨ましいよ 今日は是非とも お暇をいたし 
諸国西国 巡礼するが 背にゃ笈摺(おいずり) 六字の名号 
娘お鶴と 書いたる文字が 墨がにじみて 姿が薄い 
   左杖にて 六分の供養 白い脚絆にゃ 四辻の草鞋 
   首にゃ布施金 掛けたる儘に 大悲大悲の 観音様へ 
   どうぞ父さん あの母さんに 会いた見たさに 両手を合わせ 
   三十三番 残らず拝み 西も東も わからぬ娘 
年は十にて その名はお鶴 親の行くえを 尋ねんものと 
育てられたる あの婆さんに 別れ行くのが 紀州をさして 
霊場一番 あの那智山か 二番紀の国 その紀三井寺 
三んに東国 粉河の寺よ 父と母とに 恵みも深い 
参り寄り来る その人々も 願いかけるが 藤井の寺よ 
   花のうてなの 紫の雲 参り廻りて その道筋よ 
   着けば大阪 玉造にて 角に立ちたる 巡礼娘 
   通しゃ願うと その言う声も 神の恵みが 観音様の 
   お引合わせの 前世の縁か 軒を並べし その家続き 
   我も我もと 皆出て見れば さてし暫く 巡礼娘 
見れば見るほど 愛らし娘 国は何処よと 尋ねて聞けば 
私は大洲の 徳島町よ そしてお前の 二親達の 
名は何とじゃ 聞かしちゃおくれ 私が父さん 十郎兵衛と言って 
母はおゆみと 言うことなると 聞いて驚く おゆみが心 
   胸をせきあげ 涙を流し 覚えあるかな 額のほぐろ 
   年はゆかぬが はるばる此処へ 会いに来たのを その親達は 
   さぞや見たなら 嬉しゅござる ままに ならぬが 浮世の習い 
   親にそなわり 子と生れても 何の善なき 事ではないが 
帰えりゃしゃんせと ばばさん方へ 父も追つけ 戻るであろう 
ながくは伝わる この物語り チョイと ここらで 一息入れよ  
 
糸島・弥一口説き

 

揃うたそろうた 踊り子が揃うた 
稲の出穂より なおよく揃うた 
口説きましょか くどいてみましょ 
わしのくどきは 出かねてならぬ 
出かねますほど あいかねまする 
あわぬ所は 踊り子さんよ 
お手の振りよで あわせておくれ 
さっさこれから 文句にかかる 
国は奥州 瀬高の町に 
瀬高の町にも 名を云う弥一 
弥一の女房に お市とござる 
年は十六 花ならつぼみ 
弥一は十九で 悪年なれば 
お伊勢様にと 参詣なさる 
参詣なされた 後留守番は 
お市かかさんと 二人でござる 
そこでかかさん 悪事がおきて 
お市殺して よい嫁とろと 
神にたのめば 天知る地知る 
医者にたのんで 毒薬もろうと 
お寺参りと 家は云うて出たが 
いそぎゃ間もなく お医者さんにとどく 
ごめんなされと 腰折りかがめ 
あたしゃあなたに 少しの願い 
あなた願いとは いかなることぞ 
云わば叶えて 下さるものか 
毒の薬を 三服ほどに 
そこでお医者さん 大たまがりて 
何を云わんす これかか様よ 
親の代から お医者はすれど 
毒の薬を 盛ることはないよ 
これお医者さんよ 大判小判 
のぞみあるなら 何でもあげる 
そこでお医者さん 金に惑うて 
毒の薬を 三服盛りて 
そこでかかさん 大よろこびで 
ごめんなされと 腰折りかがめ 
急ぎゃ間もなく 我が家に届く 
お市飲め飲め よい茶を入れた 
お市毒とは 露ほど知らず
  
お糸口説き

 

此処に過ぎにし その物語 頃は宝暦 三年のむかし 
豊の御国は 呼野の里に ここにひとつの 堤がござる 
呼野・小森の 田がかり堤 稗の小池なる 堤が切れて 
築けど築けども ますます切れる どうか今度は 築止めたいと 
村の人々 ご評定なさる 昔呼野に 文七と言うて 
夫婦仲にも 一人の娘 娘その名を お糸と言うて 
利口・発明 世の常ならず 気量のよいこと 玉子に目鼻 
夫婦楽しく 日を送るうち 月にむら雲 花には嵐 
娘お糸が 八つの年に 父の文七 この世を去りぬ 
母と淋しく 月日を暮らす かねて夫が この世にありし 
お物語の 言葉のうちに 昔筑前 遠賀の郡 
かんだ池にも 人柱にて その後切れたる 事ござらぬと 
語り出せば 村人達は たとえ田地を 畑としても 
いとしなつかし 親兄弟を 人の柱と 思いもやらぬ 
そこで村人 思案にくれる これを聞いたる 娘のお糸 
お糸つくづく 考えみるに どうせ一度は 死ぬ身であれば 
国のためまた 村人のため 人の恐れる 柱に立ちて 
後の世までも 名を残さんと 子どもながらに 利発なものよ 
母に向いて 言いけるようは 私を柱に 立てくだしゃんせ 
聞くと母さん 打ち驚いて 何を言いやる これお糸さん 
わしも連れ添う 夫にわかれ 女手一つで そなたを育て 
一人暮らすも そなたがためよ 人の柱に 立つことだけは 
思い止まれと 言い聞かせしが 花の蕾の 十四のお糸 
願う心は 大磐石の 母も泣く泣く 願いを入れる 
お糸柱に 立つよときまる お糸身体を きれいに清め 
地蔵姿に あらためまして 髪にようらく 手にの 
コシに乗せられ 村中廻る 廻り廻りて 堤に着けば 
お糸その時 姿を見れば 紅葉のようなる 両手を合わせ 
西に向かいて 念佛となえ もうしこれなる 村人さんよ 
死んで行く身に 望みはないが 後に残りし 母様たのむ 
聞いて村人 役人方も 言葉なくして 唯泣くばかり 
これじゃならじと 役人方が 早く土をば かけよと命ず 
そこで村人 土かけなさる 母はその時 向かいの山の 
岩の上より この橋ながめ お糸恋しや 可愛いやお糸 
お糸お糸と 泣き叫びける 母の心は 千萬無量 
八千八声の ほととぎすより それに勝りて その声あわれ 
母の呼びにし 岩立ちの名を 今ぞ名づけて 呼び石と言う 
今の今まで 村人達が 語り伝えて 口説きに残る
 
三佐口説き

 

瀬戸の始まりゃ音戸が瀬戸よ 島の始まりゃ淡路が島よ 
国の始まりゃ大和が国よ 大和国にて山崎三佐 
三佐生まれをどこよと聞けば 国はご畿内山城の国 
家がならいで七つの歳に 売られ来ました堺の町へ 
小判四拾両でその身は売られ 貧の辛さよ月夜も闇も 
寒の師走も日の六月も 雨の降る日もさて風の日も 
駒の手綱で渡世を送る なれど三佐は馬子唄が好き 
八の巻をば唄いし時に 山で唄えば木かやがなびく 
川で唄えば成瀬も止る 海に沈みし龍宮さえも 
陸に上って一夜を忍ぶ 空を飛ぶ鳥つばさでさえも 
羽がい休めて聞くよな声よ ある日三佐が伏見の町を 
伏見町なる代官様の 姫の乳母なるおしげと云ふて 
それの世を継ぐ玉代が姫は 三佐馬子唄それ聞くよりも 
さては良い声あの馬子さんは 声が良ければ心もよかろ 
心よい程器量もよかろ たった一人で格子の間で 
想や気となる気はしゃくとなる 恋の病いと親達知らぬ 
およそ日本六十四州 大社大社に祈願をかける 
お伊勢さんでは大代神楽 高野山では早や護摩をたく 
なんぼ願かけいたしたとても 恋の病いは治りはすまい 
夏のいなづま川辺のほたる とろりとろりと居眠りなさる 
姫のお生それ聞くよりも 一家親族皆集まりて 
なんぼ泣いても嘆いたとても 死んだ玉代は戻りはすまい 
野辺の送りを致そじゃないか 野辺の送りも哀れなものよ 
大工さんさえ三十五人 和尚さんさえ三十五人 
小僧坊主はどれほど知れず 四方棺桶旗天蓋も 
香ろう香箱見事なものよ 野辺の送りもなんなくすんで 
七日七夜が七月七日 四十九日のさてその晩に 
三佐朋輩皆集まりて 伏見町なる代官の 
それの浜をば唄って踊る 三佐馬子唄それ聞くよりも 
一の手代の市助呼んで あれを呼べとのお声かかる 
それを聞くよりおもてに出でて 三佐三佐と二声三声 
三佐驚きぎょうてんなさる 私しゃ伏見の代官様に 
無礼致した憶えはないが 駒を引き寄せおもてにつなぐ 
駒は三歳三佐は二十歳 御用如何と伺いければ 
三佐殿とは御前がことか 家の世を継ぐ玉代が姫は 
御前こがれて玉代は死んだ こがれ死んだこれ三佐殿 
言えば三佐は仰天なさる わしのような不束者に 
こがれ死にとはこれまたどうじゃ 奥の仏間にどっかと座り 
鐘をたたいて念仏となえ これじゃゆくまい玉代がお墓 
花のお籠おん手にさげて 行けば程ない玉代がお墓 
花を立てては南無阿弥陀仏 二つ掘りては法華経と唱ふ 
三鍬四鍬ではや掘りつけた 四方棺桶ふた取り見れば 
姫の姿もあわれな者よ そこで三佐が涙をこぼす 
こぼす涙が額に落ちて 小鼻つとうて口にと入る 
入る涙が気付けとなって そこで玉代が息吹き返す 
三佐さんとは御前のことか 三佐驚き逃げ腰になる 
 
切口説き

 

不意を討たれた千代松丸を 愛し愛しと生仏 
吹けよ川風上がれや簾 中のお客の顔見たや 
富士の山ほど登らせおいて 今は釣瓶の逆落とし 
富士の雪かや私の思い 積もるばかりで消えやせぬ 
豊前中津を素通りなさる 二度とこの地に来ぬ気やら 
豊前山国その山奥で 一人米搗く水車 
船の新造と女房の良いは 人が見たがる乗りたがる 
船を出しゃらば夜深に出しゃれ 帆影見ゆれば懐かしや 
舟は稲積北浦かけて 世帯まわれば南浜 
船は出て行く帆かけて走る 島の娘は出て招く 
豊後緒方は踊りの町よ 川の水さえ踊ります 
豊後鉄輪蒸し湯の帰り 肌に石菖の香が残る 
豊後富士から吹く春風よ 木の芽草の芽皆萌える 
豊後別府は東洋のナポリ 今じゃ世界の湯の都 
豊後名物その名も高い 踊る乙女のしなのよさ 
豊後湯の岳豊前じゃ屋山 御国境の英彦の山 
 
別府名所の乙原地獄 登るケーブルカーも乙なもの 
別府湯煙り入船出船 街は栄えて人の波 
別府湯の町ゃまだ寝て起きぬ 招く高嶺は由布が峰 
別府よいとこ湯の香に明けて 白いうなじに洗い髪 
 
坊主地獄を見たけりゃおいで それも因果な坊主さん 
程のよいので油断がならぬ 添うた私が気がもめる 
炎火売の社の松は 夫婦松ゆえ離りゃせぬ 
惚れてつまらぬ他国の人に 末は烏の鳴き別れ 
ほんに哀れよ血の池地獄 とてもこの世と思われぬ 
盆の踊り子が塩浜を越えて 黒い帯ょして菅笠で 
盆が来たなら踊ろや競ろや 品のよいのぬ嫁にとる 
盆が来たらこそ麦に米混ぜて 中に小豆がちらほらと 
盆の踊りが習いたきゃござれ 盆の十三日に見てござれ 
盆の踊り子が塩浜越えて 黒い帯して菅笠で 
盆の踊りと三日月様は 次第々々に丸くなる 
盆の十六日おばんかて行たら 茄子の切りかけふろ煮しめ 
盆の十六日めでたい月夜 子持ち姿も出て踊れ 
 
前に高崎後ろに鶴見 由布は見えぬか湯の煙 
枕十六蒸し湯の中に 誰が寝るやら来るのやら 
待つがよいかよ別れがよいか 嫌な別れよ待つがよい 
待てど帰らぬお方と知れど 今日もくるくる糸車 
招く灯台姫島泊まり 明けて潮風灘を来る 
ままにならぬとお櫃を投げりゃ そこらあたりはままだらけ 
ままよ菅の笠被り様がござる 後ろ下がりに前よ上げて 
まめで逢いましょまた来る盆に 踊る輪の中月の夜に 
丸い玉子も切りよで四角 物も言いよで角が立つ 
 
三重の内山紙漉き所 紙を漉く娘の器量よし 
みかん売り子じゃわしゃないけれど 道が難所で灯を灯す 
水の出端と二人が仲は 堰かれ逢われぬ身の因果 
水は溢れて谷間を縫うて 里の娘の化粧水 
道は難所じゃイヤなけれども 家が難渋で灯を灯す 
見ても見事なお宇佐の榎木 榎の実並んで葉も繁る 
身には衣着て名は帯しめて 心濁らぬ樽の酒 
水沼お水は濁らず涸れず いざり大蔵の脚も立つ 
 
昔栄えた仏法の形見 国の宝の竜岩寺 
昔ゃ肥後領百千の船が 上り下りに寄る港 
娘可愛や白歯で身持ち 聞けば殿御は旅の人 
娘島田に蝶々がとまる とまるはずだよ花じゃもの 
昔なじみとつまずく石は 憎いながらも振り返る 
娘招くなあの船待たぬ 思い切れとの風が吹く 
 
目出度目出度の若松様よ 枝も栄えて葉も茂る 
元湯汲むとて朝起きしたり 逢いに来るとて寝なんだり 
もののあわれは石堂丸よ 父を尋ねて高山に 
木綿引き引き眠りどまするな 眠りゃ名が立つ宿の名が 
木綿引く引く居眠りなさる 糸の出るのを夢に見た 
木綿引く引く眠りどまするな 眠りゃ伽衆がみな眠る 
守江灯台霞がかかる わたしゃあなたに気がかかる 
 
八重の山吹派手には咲けど 末は実のない事ばかり 
八百屋お七と国分の煙草 色で我が身を焼き捨てる 
薬師囃子に名残を見せて 月も入江の湯治舟 
痩せるはずだよ今日この頃は 茶断ち塩断ち主のため 
屋根の簾を下ろして急ぐ 粋な爪弾き水調子 
耶馬の谷間に朝立つ霧は 雨とならずに雲となる 
耶馬の洞門通れば響く 今も禅海つちの音 
野暮な屋敷の大小捨てて 腰も身軽な町住い 
山で怖いのはイゲばら木ばら 里で怖いのは人の口 
山に登ろよ鶴見の山に 裾野十里に名が響く 
山の中でも七万石の 豊後竹田は城下町 
山は晴れても麓は時雨 里の籾摺りゃまだ済まぬ 
山は焼けても山鳥ゃ立たぬ なんの立たりょか子のあるに 
箭山颪は火の国からか 空に火を吐く阿蘇からか 
槍は錆びてもその名は錆びぬ 昔ながらの落し差し 
● 
湯浴み祭りか地獄の煙か かかるしぶきも湯の香り 
雪か霙か霙か雪か とけて波路の二つ文字 
雪のだるまに炭団の目鼻 解けて流るる墨衣 
雪の中でも梅さえ開く 兎角時節を待たしゃんせ 
由布の朝霧山の根隠す 山の根のみか野も山も 
由布の白雪朝日で解ける 解けりゃ流れる川の水 
由布よ曇るな鶴見よ去らば 一夜波路じゃまた逢える 
夢か現か現か夢か 覚めて涙の袖袂 
百合か牡丹か鶴崎小町 踊り千両の晴れ姿 
 
宵に口説に白けた後を 啼いて通るや時鳥 
宵は蜩あしたは狭霧 瀬戸は霞の観海寺 
よせばよいのに舌切り雀 ちょいと舐めたが身の詰まり 
淀の川瀬のあの水車 誰を待つやらくるくると 
淀の車は水ゆえ廻る 私ゃ悋気で気が廻る 
嫁に行くなら湯平がよかろ 夏は涼しゅてお湯が湧く 
 
別れ別れの釣瓶をつなぎ 丸く添わせる井戸の綱 
わしが歌うたら大工さんが笑うた 歌に鉋がかけらりょか 
わしが思いは月夜の松葉 涙こぼれて露となる 
わしが思いは由の岳山の 朝の霧よりゃなお深い 
わしが口説けば空飛ぶ鳥が 羽を休めて踊りだす 
わしが在所は猪の瀬戸越えて 米の花咲くお湯どころ 
わしが若い時ゃ吉野に通うた 道の小草もなびかせた 
わしとあなたはお倉の米じゃ いつか世に出てままとなる 
わしとあなたはすずりの墨よ すればするほど濃ゆくなる 
わしとあなたは羽織の紐よ 固く結んで胸に置く 
わしとあなたは松葉のようで 涸れて落ちても二人連れ 
わしとあなたは道端小梅 ならぬ先から人が知る 
わしとお前と立てたる山を 誰が切るやら荒らすやら 
わしの思いは神場の浜じゃ 他に木はない松ばかり 
わしも一重に咲く花ながら 人目悲しや八重に咲く 
私ゃ青梅揺り落とされて 紫蘇と馴染んで赤くなる 
私ゃあなたに惚れてはいるが 二階雨戸で縁がない 
私ゃ歌好き念仏嫌い 死出の旅路も歌で越す 
私ゃ奥山一本桜 八重に咲く気はさらにない 
私ゃ踊りの鶴崎育ち 科のよいのは親譲り 
私ゃ心と闇無浜は 月は出ずとも闇はない 
私ゃ春雨主や野の草よ ぬれる度毎色を増す 
私ゃ別府の八幡地獄 ぽつりぽつりと日を暮らす 
私ゃ湯の里鉄輪育ち 暑い情けが身の宝 
私ゃ湯の町別府の生まれ 胸に情の灯がとぼる 
私ゃ湯平一本松よ 風の便りを聞くばかり 
私ゃ湯平湯治の帰り 肌にほんのり湯の匂い 
割って見せたい胸三寸に 辛い浮世の義理がある 
 
抱いて寝もせにゃ暇もくれぬ 繋ぎ舟とはわしがこと 
田植え小噺ゃ田主の嫌い 唄うて植えましょ品良くに 
高い山から麓を見れば 瓜や茄子の花盛り 
滝に打たれて落ちそな岩も 抱いてからまる蘭の花 
滝は魚住雄滝に雌滝 離れ離れて日を送る 
竹田生まれは姿で知れる 花に例えりゃ桜花 
竹田城址雀でさえも 竹に来て鳴く来てとまる 
竹に鶯梅には雀 それは木違い鳥違い 
竹に雀がしなよくとまる 止めて止まらぬ色の道 
竹に短尺七夕様よ 云えぬ思いの歌を書く 
立てば芍薬座れば牡丹 歩く姿が百合の花 
旅衆浮かれりゃ月様笑う 四極まん丸寝ていやる 
旅の人には早惚れするな 末は茶のかす捨てられる 
誰か来たそな垣根の外に 庭の鈴虫音を止めた 
誰に堀田か見返り坂に 戻る思案の雨が降る 
 
乳を貰いに五十里百里 岩に刻んだ生不動 
茶山戻りは皆菅の笠 どれが姉やら妹やら 
忠義一途の二階堂様の 五輪汚すな腹がせく 
月が差すかと蚊屋出てみれば 粋をきかして雲隠れ 
月が出ました下ノ江沖に 波に揺られて濡れながら 
月が花影描いた窓も 今じゃ青葉の青すだれ 
月と花とのよい仲を見て 松は緑の角はやす 
月に照らされ雪には降られ せめて言葉の花なりと 
月に群雲花には嵐 散りて儚い世のならい 
月の夜でさえ送られました 一人帰らりょかこの闇に 
月は重なるおなかは太る 様の通いは遅くなる 
月は九六位大野の川に 映えて鶴崎盆踊り 
月は竹田の城址照らし 阿蘇の山々夜が更ける 
月は照る照る九重の峰に 河鹿鳴く鳴く夜は更ける 
月はまた出て明礬小屋の 藁の戸蔭で中覗く 
月は矢筈に踊りは浜に いとしあの娘は輪の中に 
月夜月夜にわしゅ連れ出して 今は捨てるか闇の夜に 
津久見港は蜜柑の名どこ 岸に千艘の船が着く 
搗けど小突けどこの米ゃ剥げぬ どこのお倉の底米か 
抓りゃ紫食いつきゃ紅よ 色で仕上げたこの体 
鶴見颪にテープは靡く 嶺はしぐれて招く由布 
鶴見曇れば鉄輪泊り 嬉し涙の雨の宿 
 
手振りしなよい姐さんかむり ちらり笑窪が投げる謎 
寺じゃ羅漢寺滝ゃ玉簾 景じゃ八景紅葉谷 
峠越すなら由布院は見える お馬きつかろ家ゃすぐぞ 
遠い山道ょようきてくれた 花の雫か濡れかかる 
遠く九重に立つ群雲は 日田の盆地の雨となる 
遠く離れて逢いたいときは 月が鏡になればよい 
歳はいたれど江戸吉原の 女郎の手枕は忘りゃせぬ 
鳶は錆びてもその名は錆びぬ 昔忘れぬ纏持ち 
 
泣いて暮らすも親ゆえ子ゆえ 回る浮世の糸車 
泣いてくれるな門出の朝に 泣けば駒さえままならぬ 
ナカギ・セイダロ・コジロが浜で 泣いて別れた節もある 
中津大分両手に眺め 別府湯どころ粋なとこ 
中津公園あやめの花は 雨の降るのに濡れて咲く 
中津十万石おどいもんなないが おどや垂水のえびが淵 
中津中津とさしては行けど どこが中津の城じゃやら 
中津よいとこ南に耶馬溪 朝は気軽な日も昇る 
永の年月心の曇り 晴れて逢う夜はまた時雨 
長湯芹川川真ん中の 離れ石にもお湯が湧く 
長湯出てゆき虹滝越せば 袖も飛沫に湿りがち 
鳴くな鶏まだ夜は明けぬ 鳴けばお寺の鐘が鳴る 
名残惜しさを口には出せず じっと咥えた帯の端 
夏の夕暮れ船漕ぎ出して さしで涼みの隅田川 
夏は涼しい青葉のかげに 浴衣ゆかしき後影 
夏は涼しく金谷の堤に 風もそよそよそよと吹く 
夏は遊船川風夜風 眺め見あかぬ大野川 
七瀬八原は昔は天領 日田の三隈は月日星 
七つ下がれば鳥ゃ木にとまる なぐれ木挽きも宿につく 
七つ星さま六つこそござる 一つ深見の剣星寺 
七つ八つからイロハを習い ハの字忘れて色ばかり 
何を言おうにもかを語ろうも あわれ明日の切なさよ 
何をくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす 
波に問うのはいとやすけれど 沖の白波ゃもの言わぬ 
波は立たねどただ青々と 山の中にも海地獄 
なんぼ通うても青山紅葉 色のつかぬが是非もない 
 
西と東に立て分けられて 合わにゃわからぬ襖の絵 
似たと思えばわけない人の 後ろ姿も仇にゃ見ぬ 
日本一との良い名を買われ 牛は師走の島を発つ 
主の心は蒸気の煙 遠くなるほど薄くなる 
主の出船を見送りながら またの逢瀬をちぎり草  
主は釣竿わしゃ池の鯉 釣られながらも面白い 
濡れてしっぽり打ち解け顔に 更けた世界をしみじみと  
寝ても眠たい夏の夜に 木綿引けとは親が無理 
軒端伝うて来る蛍さえ 月の隠れた隙に来る 
呑めよ騒げよ上下戸なしに 下戸の立てたる蔵はない 
博多騒動米一丸は 剣詮議に身をはめた 
博多町をば広いとおっしゃる 帯の幅ほどない町を 
箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川 
走る早瀬の三つ又川を 蹴りて行き交う鮎の群れ 
バスは二色湯の香を乗せて 安心院安心院と一筋に 
話しらけてついつくねんと あけて口説きの夏の月 
花が見たくば鶴崎踊り 肥後の殿さえ船で来る 
花になりたやジュクロの花に 花は千咲く実は一つ 
花に若葉に鶴見ヶ丘よ 波に月浮く的が浜 
花のお江戸は水よし清し 育つ女は器量よし 
花の奥谷流れちゃならぬ 植えた木もありゃ花もある 
花の川には大石小石 水も流れて花と散る 
花はいろいろ五色に咲けど 主に見返す花はない 
花は霧島煙草は国分 燃えて上がるは桜島 
花は散るとも繋がにゃならぬ 中津お城の殿の駒 
浜の彼方はありゃ日出の城 磯に鰈の棲むところ 
浜は塩焼く煙に暮れて 燃ゆる乙女の恋心 
囃せどんたく祇園の祭り 中津中津と呼びかける 
腹が立つならねんねをおしな 寝ればお腹が横になる 
春の臼杵は桜に明けて 化粧したよな薄霞 
春の耶馬溪谷間の桜 三日見ぬ間に色がつく 
春は岳切布目の流れ 岸の石楠花しだれ咲き 
飯田高原広漠千里 山は紫水清し 
 
東椎屋は九州華厳 絵でも見るよな艶姿 
日隈月隈星隈よりも 日田で名高い咸宜園 
日田の底霧古典の絵巻 鐘の響きも慈眼山 
日田は水郷懐かし所 水も枕の下を行く 
一つ出しましょ薮から笹を つけておくれよ短尺を 
人の苦労を我が身に受けて そしてお前にする苦労 
他人の女房と枯れ木の枝は あがるながらも恐ろしい 
人目厭うて裏道廻る 知らず待つ身は気が揉める 
人目忍ぶの飴屋の坂で 好いた同士がもやい傘 
一人生まれて一人で死ぬに なぜに一人じゃ暮らされぬ 
広い世界にお前と私 狭く楽しむ窓の梅 
ぴんとすねてはまた笑い顔 苦労させたり泣かせたり 
 
蚕しあげてまぶしにあげて 早もお国に帰りたや 
香々地ゃよいとこ海山近い 娘器量良し仕事好き 
笠を手に持ち皆さん去らば いかいお世話になりました 
笠を忘れた峠の小道 憎や時雨がまた濡らす 
重ね扇はよい辻占よ 二人しっぽり抱き柏 
堅田行くならお亀にゃよろしゅ 行けば右脇高屋敷 
鉄輪蒸し風呂十六枕 誰かまた来て寝るのやら 
鐘が鳴るかや撞木が鳴るか 鐘と撞木の間が鳴る 
鐘と撞木が流れて下る とかくこの川後生の川 
金の千両は一両もいらぬ 男度胸に惚れてやる 
鴨が立つとは昔のことよ 今は濁りて泥鰌が住む 
通う千鳥に文託けて 便り聞かねば須磨の浦 
可愛い勝五郎車に乗せて 引けよ初花箱根山 
可愛がられた蚕の虫も 末は地獄の釜の中 
可愛がられた五月の水も 末は秋田で逆落とし 
川に立たせて待たしておいて 内でダツ編みゃ手につかず 
川に立つより立ち聞きしよと ごめんなされと寄るがよい 
 
奇岩屹立麓は桜 床し宇佐耶馬仙ノ岩 
雉も啼かずば撃たれもしまい 私も逢わねば焦がれまい 
汽車は出て行く煙は残る 残る煙が癪の種 
北に彦山五条殿は南 月は亀山上に照る 
木の根茅の根草の根分けて 訪ね逢いたい人がある 
来ませ見せましょ鶴崎踊り いずれ劣らぬ花ばかり 
君が情けを仮寝の床の 枕片敷く夜もすがら 
君は小鼓調べの糸よ 締めつ緩めつ音を出だす 
伽羅の香りとこの君様は 幾夜泊めても泊め厭かぬ 
清き流れの大野の川の 月に浮かべた屋形船 
切れた切れたよ音頭の綱が 腐れ縄かやまた切れた 
錦江橋より東を見れば 杵築名所の杵築城 
 
久住山から来る雨だやら 夜は長湯に忍び来る 
久住山から夜来る雨は 長湯濡らしに降るのやら 
久住大船朝日に晴れて 駒はいななく草千里 
久住大船黒嶽かけて 秋が来るやら雲が行く 
久住大船すすきに暮れて 阿蘇の頂雲沈む 
下る白滝情けの金谷 末は鶴崎抱き寝島 
口にゃ一筋心にゃ三筋 辛い調子を合わす三味 
来るか来るかと川下見れば 川にゃ柳の影ばかり 
来るか来るかと待たせておいて よそにそれたかまぐれ雲 
来るか来るかと待つ夜に来んで 待たぬ夜に来る憎らしや 
苦労するのはてんから覚悟 粋な亭主を持つからは 
九郎判官義経様は 静御前を連れて逃げ 
 
今朝の寒さに笹やぶ越えて 笹の露やら涙やら 
恋し小川の鵜の取り見やれ 鮎をくわえて瀬を上る 
恋し恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす 
来いと言うたとて別れる道か 灘が四十九里波の上 
恋の唐船碇を見れば 沖の鴎も忍び泣き 
恋の気狂い迷いの保名 またも迷うたか葛の葉に 
恋の小刀身は細けれど 切れて思いが深くなる 
工女三日すりゃ弁護士ゃいらぬ 口の勉強がようできた 
声はすれども姿は見えぬ 様は荒れ野のきりぎりす 
五月五月雨に白足袋雪駄 あげな妻持ちゃ恥ずかしや 
五月五月雨に乳飲み子が欲しや 畦に腰掛け乳のましょ 
腰の痛さよこの田の長さ 四月五月の日の長さ 
後生願うなら宇佐よりゃ中津 中津寺町ゃ後生楽 
今年ゃ豊年穂に穂が咲いて 道の小草に花が咲く 
木挽きさん達ゃ蜻蛉か鳥か いつも深山の木にとまる 
木挽き女房にゃなるなよ妹 木挽きゃ腑を揉む早う死ぬる 
こぼれ松葉はあやかりものよ 枯れて落ちても夫婦づれ 
五本松から東を見れば 行こよ野菊の花盛り 
駒は七匹馬方一人 駒の沓打つ暇はない 
籠めた夜霧に待つ身を託ちゃ 千丁松明つけて来る 
子持ちよいもの子にくせつけて 添い寝するとて楽寝する 
今宵来るなら裏からおじゃれ 前は車戸で音がする 
今宵や十五夜有明なれど 様がござらにゃくれの闇 
今宵やよい晩嵐も吹かで 梅の小枝も折りよかろ 
紺の前掛け松葉の散らし 松に来んとは腹が立つ 
 
佐伯内町米屋のおよし 目許ばかりが天女かな 
佐伯なば山鶴崎ゃ木挽き 日田の下駄ひき軒の下 
咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る 
賽の河原の地蔵さんでさえも 小石小石で苦労する 
逆さ柳も鉄漿水も 姫にゆかりの七不思議 
坂は照る照る鈴鹿は曇る 間の土山雨が降る 
下り松から船見送れば 泣かす白帆に津久見島 
先で丸う出りゃ何こちらでも 角にゃ出やせぬ窓の月 
桜三月あやめは五月 咲いて年とる梅の花 
桜町には桜は咲かぬ 粋な姿を花と見る 
桜名所は佐伯港の番匠川は 濁らで海に入る 
桜名所は香下神社 山も社も花霞 
酒が云わする無理とは日頃 合点しながら腹が立つ 
酒は飲みごろ桜は見ごろ 酌は白魚花見船 
笹に短尺七夕様は 川を隔てて恋をする 
差した傘柄漏れがすれど あなた一人はぬらしゃせぬ 
さすが雄滝西椎屋凄や しぶき巻き上げ鳴りたぎる 
佐田と佐賀とは岬と関か 右と左に差し向かい 
佐田の京石昔の名残 都忍んだ祭り跡 
さても見事な上野のつつじ 枝の豆田に葉は隈に 
様が来たじゃろ上野の春に 駒のいななく鈴の音 
様と別れて松原行けば 松の露やら涙やら 
様の来るときゃいつでもわかる 裏の小池の鴨が立つ 
様は来る来る栗毛の馬で 私ゃ青々青の駒 
様は三夜の三日月様の 宵にちろりと見たばかり 
様は出て待つ出るこたならぬ 庭に篠箱二度投げた 
様はよう来たよう来てくれた わしが思いが届いたか 
様よ様よと恋焦がれても 末は添うやら添わぬやら 
様よ三度笠こくりゃげて被れ 少しお顔が見たうござる 
様よ出て見よ氏神様よ みかん売り子が灯を灯す 
様よ忘れた豊前坊の原で 羅紗の羽織を茣蓙とした 
寒い北風冷たいあなじ 吹いて温いのがまじの風 
さんさ時雨か萱屋の雨か 音もせずして濡れかかる 
騒ぎ過ぎるとお叱り受けて 泣かぬ蛙の最明寺 
 
思案橋から女郎屋が近い 行こか戻ろか思案橋 
思案橋から文ゅ取り落ちた 惜しや二人の名を流す 
思案しかえてもま一度来ぬか 鳥も古巣に二度戻る 
思案しかえてもま一度来ぬか 鳥も枯れ木に二度とまる 
潮干狩りなら青崎浜に 路は並木の土手続き 
鹿が鳴こうがもみじが散ろが わしが心にゃ秋は来ぬ 
地獄巡りて石垣原よ ここは大友古戦場 
仕事する時ゃ泣きべす顔で 酒を呑む時ゃ腕まくり 
獅子は喰わねど宍喰越えて 雨や霰や甲浦 
静御前の初音の鼓 打てば近寄る忠信が 
志高可愛や鶴見と由布が 姿映して水鏡 
七里墓原栗山道を 様は夜で来て夜で帰る 
してもしたがる若後家さんは 今朝も二度した薄化粧 
忍び逢う夜は唐崎かけて 雨となる夜の首尾を待つ 
忍ぶ恋路はさて儚さよ 今度逢うのが命懸け 
三味は三筋に胡弓は四筋 私ゃお前を一筋に 
城はなくとも天領の別府 湯つき櫓が天守閣 
皺は寄れどもあの梅干は 色気離れぬ粋な奴 
死んで花見がまた咲くならば 寺や墓場は花だらけ 
 
好いたお方に盃さされ 飲まぬさきから桜色 
好いておれどもまだ親がかり 親が許さにゃ籠の鳥 
好いて好かれて口まで吸わせ 末は捨てられ巻煙草 
好いてはまれば泥田の水も 飲めば甘露の味がする 
粋な浮世を恋しさ故に 野暮に暮らすも心から 
末も親様世が世であれば 宇治の茶摘にゃ行きゃすまい 
好きと嫌いが一度に来れば 箒立てたり倒したり 
好きと好きなら泥田の水も 飲めば甘露の味がする 
硯ゅ引き寄せ墨する方は 恋の手紙をつらつらと 
すねてみたとて明礬あたり 浮いて散るのもお湯の花 
 
製糸女工さんにどこ見て惚れた 紅い襷で糸を引く 
瀬戸の島々波々越えて 豊後別府へはるばると 
瀬戸の姫島みどりの小島 通い舟なら灘一里 
泉都別府の緑の山よ 水の流れに湯の煙 
千里奥山あの水車 誰を待つやらくるくると 
 
添寝した夜に添寝の夢は 添寝せぬ夜に廻したい 
添えば我が夫別るりゃ他人 なまじ大事は語られぬ 
その日その日の朝顔さえも 思い思いの色に咲く
 
淀の川瀬口説き

 

淀の川瀬の水車 誰を待つやらくるくると 水を汲めとの判じ物 
汲むは浮世のならいぞや 柄杓さんをまねる 
 一字千金二千金 三千世界の宝ぞや 教える人に習う字の 
 中にまじわる菅秀才 武部源蔵 夫婦の者が 
ここを尋ねて来る人は 加古川本蔵行国が 女房戸無瀬の親子連れ 
道の案内の乗り物を かたえに控えただ親子連れ 
 かたえに直れば女房も 押しては言わぬもつれ髪 鬢の解れをなぜつける 
 櫛の胸より主の胸 映してみたや鏡たて 映せば映る顔と顔 
引けよ鈴虫それぞとは かねて松虫ひなぎぬも 手燭携え庭に下り 
母様お越し召されたか いざ此方へとあの呼ぶ世の 
 
与勘兵衛口説き

 

与勘兵衛坊主が二人出た 一人は確かな与勘兵衛 
一人ゃしんしん信田の 森に住むではないかいな 
 今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も 
 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ 
木立の庄屋さん何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き 
朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし 
 お前さんと私の若い時ゃ 芸者や卵と言われたが 
 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた 
真実保名さんに好きたくば 榊の前と偽りて 
七日七夜さ葛の葉と 怨み葛の葉と寝たならば 
 
本調子・ほんかいな・無理かいな・花笠

 

船は出て行く帆かけて走る 茶屋の娘が出て招く 
招けど船は寄らばこそ 思い切れとの風が吹く 
 竹になりたや紫竹の竹に もとは尺八 半ば笛 
 裏はそもじの筆の軸 思い参らせ候かしこ 
文はやりたし書く手は持たぬ やるぞ白紙文と読め 
書いたる文さえ読めないわしが まして白紙なんと読む 
 梅も八重咲く桜も八重に なぜに朝顔一重咲く 
 わしは朝日に憎まれて お日の出ぬ間にちらと咲く 
ここは色街 廓の茶屋よ のれん引き上げお軽さん 
由良之助さんわしゃここに 風に吹かれているわいな 
 鷺を烏と見たのが無理か 一羽の鳥さえ鶏と 
 雪という字も墨で書く あおいの花も赤く咲く 
梅はもの云う桜は公家衆 花魁さんは山吹の 
町人衆は桃の花 柳流しは世渡りの 
 浮気同志がついこうなって ああでもないと四畳半 
 湯のたぎるより音もなく あれ聞かしゃんせ松の風 
夏の夕暮れ船漕ぎ出して さしで涼みの隅田川 
人もうらやむ今日の首尾 実に嬉しじゃないかいな 
 水の出鼻の二人が仲は 堰かれ逢われぬ身の因果 
 たとえどなたの意見でも 思い切る気は更にない 
忍ぶ恋路はさて儚さよ 今度逢うのが命懸け 
よごす涙の白粉で その顔隠す無理な酒 
 屋根の簾を下ろして急ぐ 粋な爪弾き水調子 
 もしやそれかと似た声の 知らぬお方の面憎や 
 
繁盛づくし・酒宴づくし・しんじゅ

 

さて正月は大黒の 根松ゆずれし裏白飾る 手まり破魔弓羽根突く繁昌 
二月小なる初子の日 子の日遊びといずこの人が 茶屋や酒屋や出店の繁昌 
さて三月は大名衆の 日にも間もないお江戸の勤め 彼方此方や出代わり繁昌 
四月小なる朔日に 戌の吉日麦刈り初めて 刈るも豊かや釜戸の繁昌 
五月めでたや辰の日に 稲を刈る日に田を植え初めて 田植音頭でちょうとめ繁昌 
さて六月はお祇園の 祇園祭りは中旬の頃 氏子賑わし芝居繁昌 
さて七月は盂蘭盆の 先祖供養は精霊で送る 浴衣折笠 踊り子の繁昌 
さて八月はお彼岸の 羽織袴や麻裃で 彼岸参りはお寺の繁昌 
九月めでたの百姓衆の 稲の実りの終いであれば 倉に詰めおく俵の繁昌 
さて十月は初亥の日 亥の子祝いといずこの人が 餅を搗き搗きお祝い繁昌 
さて霜月は大切な 神に神楽は太夫衆の手芸 秋が勇めば氏子の繁昌 
師走めでたや大晦日に 飾るつるの葉お鏡餅に 揃うた笑顔は御家内繁昌 
山路が吹きし笛竹は 身より大事な草刈男 真野の長者の娘と酒宴 
杵築の伊達者オシオとて つとは三尺折りゃまた二尺 笠は熊谷八つ折り雪駄 
九軒の茶屋の大尽な 立つる襖の絵に描く虎は 威勢恋しと駆け出す酒宴 
十三鐘の春姫は 鹿を殺せしその咎ゆえに 今は十三鐘つくしんじゅ 
かの源の頼光は 大江山なる鬼神を退治 今は都も収まるしんじゅ 
かの源の義賢は 源氏白旗こまんに渡し すぐにその場で腹切る しんじゅ 
大阪椀屋久右衛門 太い身代丸山通い 今じゃ編み笠一つのしんじゅ 
 
数え唄

 

一つとのよのえ 柄杓に巡礼おいづるを 巡礼姿で父母を 訪ねようかいな 
二つとのよのえ ふだらく岸うつみ熊野の 那智の小山に音高く 響こうかいな 
三つとのよのえ みるみるお弓は立ち上がり 盆にしろげの志 進上かいな 
四つとのよのえ ようまあ旅に出しゃんした さだめし親子と二人連れ 同行かいな 
五つとのよのえ いえいえ私二人旅 父さん母さん顔知らず 恋しいわいな 
六つとのよのえ 無理に押し遣る餞を 僅かの金じゃと志 進上かいな 
七つとのよのえ 泣く泣く別れて行く後を 見送り見送り伸上がり 恋しいわいな 
八つとのよのえ 山川海里遥々と 憧れ訪ねる愛し子を 返そうかいな 
九つとのよのえ 九つなる子の手を引いて 我が家に帰りて玄関口 入ろうかいな 
十とのよのえ 徳島城下の十郎兵衛 我が子と知らず巡礼を 殺そうかいな 
一つとのよのえ 日出ずる国の護りなる 鉄砲口説きの数え唄 唄おうかいな 
二つとのよのえ 不思議な船が種子島 西之の小浦の海岸に 参りたわいな 
三つとのよのえ 見知らぬ人にも親切に 綾部の丞が赤尾木へ 上らせたわいな 
四つとのよのえ よその国々商用で ポルトガルから来た船と 証したわいな 
五つとのよのえ いかなるものでも狙ったら はずさず射てやる鉄砲を お持ちじゃわいな 
六つとのよのえ 無理に願うてその利器を 時尭公が手千両 お買いじゃわいな 
七つとのよのえ 習うは正法狙い方 時は天文十二年 八月じゃわいな 
八つとのよのえ 八板金兵衛清定に 新器を作れと殿様の 仰せじゃわいな 
九つとのよのえ 心を砕いた甲斐もなく 筒底ふさぐ術知れず 無念じゃわいな 
十とのよのえ とうとう娘の若狭をば 異人にくれてその術を 習うたわいな 
 
花扇・お染口説き

 

三五の月の乱れ髪 兼ねて逢いたさ見たさをば 
その日の契りカネつけて 末はお前に任せの身 
 熊谷次郎真実は 須磨の浦にて敦盛を 
 打ちて無情を悟りしが 末は蓮浄法師かな 
千鳥も今はこの里に いとし可愛いの源太さん 
鎧代わりに三百両 辛や無間の鐘つく身 
 手樽の山の差し向い 茶碗引き寄せ二つ三つ 
 たがやき水の香りぞや 顔に紅葉がちりちりと 
軒端を伝う鶯の いとし恋しに来たものに 
もとの古巣に帰れとは あまりつれない情けない 
 夕べの風呂の上がり湯で この腹帯を母さんに 
 見つけられてこりゃお染 この腹帯は何事ぞ 
夕べお染が寝間にいて とつつくどいつ意見すりゃ 
泣いてばっかりいやしゃんす 泣いてばっかりいるわいな 
 さても優しき蛍虫 昼は草葉に身を隠し 
 夜は細道 灯をとぼす しのび男のためになる 
ここは高いのを上よいい ここは低いのを上という 
何のことじゃと問うたなら 上りかまちのことじゃげな 
 一度は気休め二度は嘘 三度のよもやに騙されて 
 浮気男の癖として 女房にするとは洒落かいな 
秋の夜長の長々と 痴話が昂じて背と背 
晴れてさし込むガラス窓 月が取り持つ縁かいな 
 秋の眺めは石山で 出船 入船 やばせ船 
 昇る石場の仇すがた 月が取り持つ縁かいな 
秋の広野のそれならで あだし胡蝶の飛びつれて 
宿も一夜の女郎花 露が取り持つ縁かいな 
 明けてめでたき初日の出 外は追羽根いかのぼり 
 内じゃ三筋の弾き初めに 屠蘇が取り持つ縁かいな 
石川五右衛門釜の中 お染久松倉の中 
私とあなたは深い仲 最中の中にも餡かいな 
 いつもお茶屋の表口 何ぞいかがと陰芝居 
 はずんだ丸と引き合わせ 惜しい科白もチョンかいな 
嫌に気取ってこの認 丸いでもなし角でなし 
粋じゃなおなし野暮でなし これがお前の印かいな 
 思うお方と思わずも 手に手重ねし嬉しさに 
 顔も小倉の夕紅葉 歌留多が取り持つ縁かいな 
親は無役で差しを買い とうにゃ裏菅で出をかける 
ビキは手役で雨の三つ 止めには桜で丹かいな 
 折も吉野の桜どき 静御前はただ一人 
 待ち兼ねました忠信と 打つは鼓のポンかいな 
義理と情けに絡まれて 云うにゃ云われず解けもせず 
胸の縺れを投島田 恋はこうしたものかいな 
 君の為なら民の為 開けて嬉しき国の会 
 実と実とを明かし合う 言葉するとき論かいな 
口説き半ばに灯が消えて 辺りに人も内証の 
首尾も嬉しい好いた同士 風が取り持つ縁かいな 
 さっと吹込む隙間風 あまり寒さに引き寄せて 
 じっと抱きしめ目に涙 これも夜着ない縁かいな 
ザッと振りくる夕立に 宿を貸したはその昔 
晴れて今では嬉し仲 雨が取り持つ縁かいな 
 末の末かけ約束も 変わり易いは人心 
 堅い記証の名の下へ 押すはお前の印かいな 
末は巴の初契り 恋の卍としがらみの 
積る口説きも解ける身は 雪が取り持つ縁かいな 
 空ものどけき春風の 柳にそいし二人連れ 
 目元互いに桜色 花が取り持つ縁かいな 
威すつもりで弥次郎兵衛 一足急ぎ北八の 
先へ廻って松並木 いきなり狐のコンかいな 
 ちらりと姿を三囲の 仇し契りを枕橋 
 恋の闇路に言問いの 御茶屋が取りもつ縁かいな 
月に浮かれる山兎 鹿は夫婦で飛び歩き 
狸は一人で腹鼓 穴じゃ狐がコンかいな 
 積もる思いに堪えかねて 書いてぞ送るむかえ文 
 今宵来るとの約束も 葉書が取持つ縁かいな 
辛い別れの後朝に 送って出る梯子段 
またの逢瀬を楽しみに 叩く背中のポンかいな 
 遠出座敷の相乗りで 今は互いの比翼塚 
 目黒をほんの託けに 不動が一番うんかいな 
とめて悪いと思えども 今朝の寒さはとりわけて 
ままよも一つ玉子酒 雪がとりもつ縁かいな 
 情け深川願いも成田 恋の病に塩茶断ち 
 いつか結びし夫婦仲 みくじが取持つ縁かいな 
夏の暑さに涼み舟 簾を上げて爪弾きの 
仇な浮世の流行り唄 風が取り持つ縁かいな 
 夏の涼みは両国の 出船 入船 屋形船 
 上る流星 星下り 玉屋が取り持つ縁かいな 
夏は王子へ朋友を 誘い合わせて滝の川 
男滝へ入る生酔を 気を揉む女の連かいな 
 主と添いたいばっかりに 茶断ち塩断ち神いじり 
 無理な願いも恋ゆえに 添いたい私の願かいな 
花の廓の大門や 梅が香誘う匂い鳥 
一際目立つ道中に お茶屋が取り持つ縁かいな 
 花の盛りに来るつばめ 暖簾くぐって何処へやら 
 とまる浮気も春の空 見捨て帰るは雁かいな 
春の夕べの手枕に しっぽり濡るる軒の雨 
濡れて綻ぶ山桜 花が取り持つ縁かいな 
 春の眺めは吉野山 峯も谷間もらんまんと 
 一目千本 二千本 花が取り持つ縁かいな 
春の遊びの夜も更けて 互に競う月花も 
そのままそこに転び寝の 歌留多が取り持つ縁かいな 
 人も噂に飯田町 客は山なす富士見楼 
 粋な連れ込み大一座 広間を貸し切る宴会な 
二人暑さを川風に 流す浮名の納涼船 
合わす調子の爪弾きは 水も洩らさぬ縁かいな 
 冬の寒に置きごたつ 布団が縁の掛け橋に 
 積もる話は寝て解ける 雪が取り持つ縁かいな 
冬の眺めは円山で 上り下りの京の女郎 
開く左阿弥の大広間 雪が取り持つ縁かいな 
 冬の眺めは九段坂 話も積もる雪見客 
 転ぶ覚悟の銀世界 金が取り持つ縁かいな 
向こう鉢巻 縄たすき 振り出す纏の勇ましく 
梯子さすまた立ち並べ 火の見じゃ半鐘のジャンかいな 
 平家で名高い景清が 阿古屋に焦がれて牢破る 
 まして凡夫の我々が 逢いとうのうて何としょう 
女姿に身をやつし ゆすりに来たかや浜松屋 
腕に桜の彫り模様 弁天小僧の菊之助 
 その一言が罪じゃぞえ 程や気休めよしにして 
 いっそ邪険なこと云うて 思い切らして下さんせ 
人は心の置き所 柳は風に逆らわず 
他人には負けよ我に克て 渡る世間に鬼は無い 
 空や久しく曇らるる 降らるる雨も晴れやらぬ 
 濡れて色増す青柳の 糸のもつれが気にかかる 
誰と根岸の里越えて 上野を過ぎて王子行き 
染める紅葉の色も濃く 浮名を流す滝野川 
 一途に思うた鶯も 花の心を知りもせで 
 谷山越えてはるばると 初音もらすや梅林 
とても添われぬ縁ならば 思い切りたや忘れたや 
とは云うもののどうかして 添い遂げたいのが身の願い 
 隅田のほとりに住居して 萩の枝折戸四畳半 
 歌俳諧や茶の湯して 主と二人が佗住居 
里を離れし草の家に 二人の外は虫の声 
隙き洩る風に有明の 消えて嬉しき窓の月 
 横に車を押さずとも 飽いたら飽いたと言わしゃんせ 
 相談づくのことなれば 切れても愛想は尽かせず 
思案あまって寝もやらず 隣座敷の爪弾きの 
端唄文句につまされて 涙で濡らす枕紙 
 達磨 木兎 風車 よその子供を見るにつけ 
 内の坊やは今頃は 賽の河原で小石積む 
日の暮れ方に空見れば 塒へ帰る鳥でさえ 
妻を慕うて行くわいな 儚やこの身は籠の鳥 
 
大津絵口説き

 

九州豊前の中津の京の町 粋な別嬪さんに手を引かれ  
片端の町をしずしずと もはや嬉しや小倉口  
人の噂も広津橋 はるかに見えるは天通じ 
鹿が鳴きます秋鹿が 寂しうて鳴くのか妻呼ぶか  
寂しうて鳴かぬ妻呼ばぬ 明日はお山のおしし狩り  
どうぞこの子が撃たれますゆえ 助けください山の神 
国は播州の姫路の御城下で 青山鉄さんの悪だくみ  
かなえの皿を 一枚盗み取り  
それとは知らずに腰元お菊 今なんぼ 
三国一の富士の山 雪かと見れば白富士の  
吉野山 吹きくる嵐山 朝日に山々見渡せば  
小夜の中山 石寺山や 末は松山 大江山 
政岡が 鶴千代君の お顔つくづく眺むれば  
あの千松がいつもの通りにて 雀の歌をば歌ってみやしゃんせと  
云えば千松 渋顔して 裏の畑の苣(ちしゃ)の木に 
 
浮名口説き

 

浮名は立つとも変わるまい 身はただ塵と 塵と捨てられぬ 
たとえいずくに行くとても どうせ どうせ二人が浮名立つ 
仏の奥の大黒は 福神ならで貧乏 貧乏神 
末は仏を質に入れ ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ 
かたえの烏帽子 紅桔梗 身の性かくす嵯峨の 嵯峨の奥 
柴の庵の鉦の声 ナンマイダー 祇王祇女とて浮名立つ 
わが身の上を夜もすがら 涙とともに懺悔 懺悔して 
あたら黒髪二世三世 小指 切れば切るとて浮名立つ 
心の内は白芥子の 花より早き夏の 夏の風 
長い羽織に合わせびん 五分裂きゃ 粋と無粋の浮名立つ 
浮気をやめて一筋に 末長かれと頼む 頼む身の 
逢う夜嬉しき実話 異見 怖いこととて浮名立つ 
 
大門・一郎兵衛・大文字山

 

頃は正月 若松様じゃと申します 枝も栄ゆりゃ葉もしげる 
二月初午 すすふる音に春めけば 狐がスココン 今夜一夜が夜の刻 
花の三月 雛祭りじゃと申します 姫女が喜ぶ節句ぞな 今夜一夜が夜の刻 
四月八日は 釈迦の誕生と申します お釈迦の産湯は頭から かくりゃお釈迦も濡れ仏 
四月八日の 釈迦の祭りじゃと申します 新茶の出花を頭から かくりゃその日の祈祷になる 
頃は七月 精霊祭りと棚かけて 坊様たちゃ衣に玉襷 中で踊り子音頭とる 
頃は七月 精霊祭りと精霊棚 くりたてくりたて飾り立て 
中で坊主が ほんに衣に玉だすき 
ここは京の町 大文字山の南瓜とせ その名は一郎兵衛と申します 
背は低うても ほんに見る目は猿眼 
うちの茶釜と 隣の茶釜とよその茶釜と 
三つ合わすりゃ みからが空かね空茶釜 
うちの一郎兵衛と 隣の一郎兵衛とよその一郎兵衛と 
三つ合わせて ほんに一三が三郎兵衛とな 
 
智慧のうみやま・チョイトナ・伊勢節

 

智慧のうみやま高麗の 寄せ物お細工カラクリの 知恵と竹田の知恵くらべ 
天地天野の秋の日の 刈穂の上の群雀 引くに触らぬ鳴子罠 
酒はよいもの色に出て 飲みたや加賀の菊酒を 飲めば心はうきの島 
父は長良の人柱 鳴かずば雉も撃たれまい 助け給えやほけきょ鳥 
笛の音に寄る秋の鹿 妻ゆえ身をば焦がすなり 豊年女のさんの笛 
そもそも熊谷真実は 花の盛りの敦盛を 打って無情を悟りしが 
打って無情を悟りしが さすがに猛き熊谷も ものの哀れを今ぞ知る 
一つや二つや三つや四つ 十よりうちの幼子は 賽の河原で砂手尿 
明けて初春 初春に 恋という字を帆にあげて お客を乗せます宝船 
もはや紋日の如月の 客を待つ夜のその長さ 道理じゃ今年は午の年 
 
道南口説き

 

私しゃこの地の荒浜育ち 声の悪いのは親譲りだよ  
節の悪いのは師匠ないゆえに 一つ唄いましょはばかりながら 
主と別れた 山の上の茶屋で カモメ泣く泣く臥牛のお山  
甲斐性ないゆえ 弁天様に ふられふられて 函館立てば 
着いたところが 亀田の村で 右にゆこうか 左にゆこか  
ままよ七飯浜(なないはま) 久根別(くねべつ)すぎて  
行けば情けの 上磯(かみいそ)ござる 
登り一里で 下りも一里 浜に下がれば 白神の村  
波は荒磯 荒谷をすぎて 大沢渡って及部(おいべ)にかかりゃ 
ついに見えたよ 松前城下 今夜の泊まりは 城下の茶屋で泊まるサエ 
上でゆうなら矢越の岬よ 下でゆうなら恵山のお山  
登り一里で 下りも一里 恵山お山の 権現様よ 
わずか下れば 湯茶屋がござる 草鞋腰に付け とどほけ通れば 
恋の根田内(ねたない) 情けの古武井(こぶい) 思いかけたる あの尻手内(しりしない) 
沖に見えるは ありゃ武井の島 武井の島には鮫穴ござる  
とろりとろりと 浜中通りゃ 沖のカモメに 千鳥ヶ浜よ 
戸井の岬を左にかわし 汐の名を取って汐首の浜  
顔を隠して釜谷をすぎりゃ小安気もやく 皆谷地山(みなやじやま)よ 
着いたところは 湯ノ川村よ さても恐ろし鮫川ござる  
お前砂森 わしゃ高森よ ついに見えたよ 函館の街 
今夜の泊まりは 新川茶屋で 泊まる 
 
新磯節

 

わしとあなたは 酒屋の桝よ(ハァー サイショネ) 
一合 二合 三合 四合 五合 六合 七合 八号 
惚れてついに 一緒(一升)になる身じゃないか(アラ イッサリー スカドント) 
わしもなりたい 敷島タバコ(ハァー サイショネ) 
好いた(吹いた)お方の 手につぶされて 口に吸われ 
灰になるとも わしゃ厭なせる(アラ イッサリー スカドント) 
花の電車は 電気で走る(ハァー サイショネ) 
回る水車は ありゃ谷の水 
私しゃあなたの 心次第に 回るじゃないか(アラ イッサリー スカドント) 
恋に上下の隔てはないとよ(ハァー サイショネ) 
伯爵夫人のカマコさえも 身分忘れて 
自動車の運転手と あの千葉心中(アラ イッサリー スカドント) 
空を飛ぶ飛行機はナイルススミス 
(語り) 
今しもああと飛行機は 新夫婦を乗せまして 
プロペラの音高く 一夜開けの光景 新婚旅行 
ねぇあなた 
あのむこうに小ーさく見えるの あれはどこ? 
あれは日本三景秋の宮島よ 
して あの向こうに帯のように細く見えるのは 
あれはどこ? 
あれは馬漢の海峡じゃ 
馬漢の海峡越えて どこへおいでになさるの? 
これから支那朝鮮 
満州 シベリア モスクワを越えて 
王城戦乱の跡を見学に行くのさ 
してお帰りはいつ頃なんでしょう? 
帰りは来年の四月頃 
してここはどこ? 
ここは雲の中よ 
雲の中なら誰も見ちゃおらないでしょう? 
誰も見ちゃおらないよ 
誰も見ちゃおらないならちょっとこっちお寄りなさいよ 
そっちの方へ行ったんじゃハンドルが取れないじゃないか 
ハンドルなんてどうでもいいじゃないの 
うちら もろ共 
抱きつ抱かれつ あなたと二人 
 
木崎音頭1

 

蒲原郡柏崎在で 
小名をもうせばあかざの村よ 
雨が三年ひでりが4年 
都合あわせて7年困窮 
新発田さまへの年貢に迫り 
姉を売ろうか妹を売ろか 
姉ははジャンカで金にはならん 
妹を売ろうと相談なさる 
妹売るにはまだ年若し 
年が若くば年期を長く 
五年五ヶ月五五二十五両 
売られ来たのが木崎の宿よ 
売られてきたのはいといはせねど 
顔も所も知らない方に 
足をからむの手をさしこめの 
5尺体の5寸のなかでもくりもくりとされるがつらい 
 
木崎音頭2

 

木崎街道の3本辻に 
お立ちなされしお地蔵様は 
男通れば石とってなげる 
女通ればにこにこ笑う 
これがほんとの色地蔵様よ 
色に迷って木崎の宿に 
通う通うがたびかさなれば 
もった田地もみな売り払う 
田地売ろうか娘を売ろか 
田地は小作で金にはならぬ 
娘売ろうと相談かける 
姉を売ろうか妹を売ろか 
姉ははあばたで金にはならぬ 
妹売ろうと相談きまる 
売られ買われて木崎の宿は 
仲の町なる内林様よ 
五年五ヶ月五五二十五両 
つとめする身はさてつらいもの 
毎夜毎夜に枕をかわし 
今日は田島の主さん相手 
明日はいづくの主さんなるか 
返事悪けりゃあのばあさんが 
こわい顔して又きめつける 
泣いてみたとて聞いてはくれぬ 
客をだまして体を売って 
情けかけぬが商売上手 
妾しや貧乏人の娘に生まれ 
かけし望みも皆水の泡 
金が仇のこの世の中よ 
金が欲しいよ お金が欲しい 
2朱や3朱でだき寝をされて 
歯くそだらけの口すいつけて 
足をからめの手をさしこめと 
組んだ腰をゆりうごかして 
夢の心地に一人いる 
上る段梯子は針の山 
 
木崎音頭3

 

木崎音頭を読み上げまする  
越後蒲原郡柏崎在で  
雨が三年日照が四年  
都合合わせて七年困窮  
新発田様への年貢に困り  
娘売ろうか田地を売ろうか  
田地は子作で手がつけられぬ  
娘売ろうとの相談きまる  
姉にしようか妹にしよううか  
姉はじゃんかで金にはならぬ  
妹売ろうとの相談きまる  
五年五ヶ月五五二十五両で  
明日は売られて行く身のつらさ  
さらばととさんかかさんさらば  
さらば近所の皆さんたちよ  
売られ売られて木崎の宿へ  
音に聞こえた江州屋とて  
あまた女郎衆の数あるなかに  
器量よければ皆客さんが  
われもわれもと名ざしてあがる  
どこの野郎か知らない野郎に  
毎夜毎夜の抱き寝のつらさ  
つらさこらえてごりょうがんかける  
お願いかけますお地蔵さんへ  
このや、地蔵さんの由来を問えば  
木崎宿には名所がござる  
上の町から読み上げまする  
上の町にはお薬師様よ  
中の町には金毘羅様よ  
下の町には明神様よ  
木崎街道の三本の辻に  
お立ちなされた色地蔵様は  
男通れば石持って投げる  
女通ればにこにこ笑う  
年増通れば横むいてござる  
娘通れば袖ひきなさる  
これがやあほんとの色地蔵様か 
 
五郎正宗孝子伝 (八木節)

 

ハァーまたも出ました三角野郎が 四角四面の櫓の上で 
音頭取るとはお恐れながら 国の訛りや言葉の違い 
お許しなさればオオイサネー  
ご来場なるみなさんへ 平にご免を蒙りまして 
何か一席伺いまする かかる外題は何かと聞けば 
五郎正宗孝子の誉れ うまい訳には参らぬけれど  
さらばこれから伺いまする オオイサネー 
国は相州鎌倉おもて 雪の下にてすまいをなさる  
刀鍛冶屋の行光こそは 玄関かまえの建物造り 
さても立派な鍛冶屋であれば  
弟子は日増し増え行くばかり  
今日はお盆の十六日で 盆の休みで弟子達どもは  
暇を貰って遊びに行けば 後に残るは五郎が一人  
そこで行光五郎を呼んで 是非に聞きたいそなたの身上 
言えば五郎は目に持つ涙 聞いて下さい親方様よ 
私ゃ京都の三条通り 宿屋稼業はしていたけれど  
つもる災難さて是非もない 火事のためにと焼け出されて 
わしと母ちゃん乞食も同じ 九尺二間の裏店住まい  
母は洗濯縫針仕事 
私ゃ近所のお使い歩き 細い煙で暮らしていたが  
お墓参りのその戻り道 あまた子どもが私のことを 
五郎さんには父親がない 父の亡い子は父なし子じゃと 
言われましたよ ノー母ちゃんへ 
父がこの世におることなれば 一目なりとも会わせておくれ  
泣いて頼めば母親言うに 父は関東で刀剣鍛冶屋 
さほど会いたきゃ会わせてやろと 家財道具を売りしろなして  
下り来たのが東海道よ 
音に聞こえし箱根の山で 持ったお金は賊に盗られ  
母は持病のさしこみがきて 手に手つくしたその甲斐もなく 
ついにあの世へ旅立ちました 死ぬる間際にこの短刀を  
父の形見と私にくれた 
あとは言わずにそれなりけるが 西も東も分からぬ土地で  
母に別れてどうしょうぞいと 一人寂しく嘆いていたら 
通りかかった桶屋の爺が わしを助けて下さいました  
恩は必ず忘れはしない 
父に会いたい桶屋をやめて 刀鍛冶屋になりましたのじゃ  
聞いて行光不思議に思い 五郎持ったる短刀とりて 
中身調べてびっくりいたす 五郎引き寄せ顔うち眺め  
さては我が子であったか五郎 
親はなくとも子は育つのよ そちの訪ねるその父親は  
わしじゃ藤六行光なるぞ 思いがけない親子の名乗り 
様子立ち聞く継母お秋 障子開いて飛び込み来たる  
ヤイノヤイノと胸ぐらとりて 
これさ待ちゃんせ相手の女 腹を痛めて産んだる子じゃと  
その日はそのまますんだるけれど 思い出してはお秋のやつが 
邪魔になるのは五郎が一人 今にどうする覚えておれと  
悔し悔しが病気となりて 
日増し日増しに病気は重く 軽くなるのが三度の食で  
そこで五郎は心配いたす 産みの親より育ての親と 
子どもながらの利口なもので 親の病気を治さんために 
夜の夜中に人目を忍ぶ 
そっと抜け出で井戸へと行きて 二十一日願掛けいたす  
ある夜お秋が厠に起きて 手水使おと雨戸を開けりゃ 
いつの間にやら降り来る雪の 風が持てくる水浴びる音  
何の音かとすかして見れば 
水を浴びるは孝子の五郎 寒さこらえてアノ雪の上  
上に座って両の手会わせ 京都伏見のお稲荷さんよ 
母の病気を治しておくれ もしも病気が治らぬときは  
五郎命を差し上げますと 
汲んだ釣瓶にしっかとすがり またも汲み上げざんぶと浴びる  
様子見ていた継母お秋 胸に一もつその夜は眠る 
朝は早くに起きたる五郎 母の居間へと見舞いに行けば 
母のお秋は布団にもたれ 
いつに変わって猫なで声で そこじゃ寒いよこっちにおいで  
ハイと寄り来る五郎のたぶさ たぶさつかんで手元へ寄せて 
夕べお前は何していたの 雪の降るのにアノ水浴びて  
神に祈ってこの継母を 
祈り殺そとさて怖ろしや 鬼か天魔か親不孝者め  
枕振り上げ打たんとすれば 五郎その手にしっかとすがり 
それは母ちゃん心得違い どうぞお許し下されましと  
泣いて詫びする耳にも入れず 
ーそばにあったる煎薬土瓶 五郎めがけて投げつけまする  
投げた土瓶は五郎の額 額破れて流るる血潮 
わっという声その声聞いて すぐに寄せ来る弟子達どもは  
五郎体をしっかと押さえ 
別の一間へ連れ行く様子 これを見ていた行光こそは  
おのれ憎いお秋のやつと 思う心は山々なれど 
おれのおかげで日本一に 出世したのもおのれのおかげ  
そこで五郎を一間に呼んで 
切なかろうが許しておくれ 家の跡取りゃお前であると  
父の優しい言葉を聴いて 昼の邪険も忘れてしまい 
二十一日水浴び通す 五郎一心点にと通じ  
お秋病気が全快いたす 
お聞き下さる皆さん方へ もっとこの先読みたいけれど  
まずはここらで留め置きまして ご縁あるなら 
またこの次だが オオイサネー 
 
乃木将軍と辻占売り (八木節)

 

ハァーまたも出ました三角野郎が 四角四面の櫓の上で 
音頭取るとはお恐れながら 国の訛りや言葉の違い 
お許しなさればオオイサネー 
ご来場なる皆さん方へ 平にご免を蒙りまして 
何か一席読み上げまする かかる外題は何をと聞けば 
乃木の将軍辻占売りを うまいわけにはいかないけれど 
さればこれから読み上げまするが オオイサネー 
明治三十七、八年の 日露戦争開戦以来  
苦戦悪戦いたされまして 我が子二人は戦死をすれど 
うまずたゆまず奮闘したし ついに落城いたされまして 
御旗旅順にひるがえされた 
兵の指揮官乃木大将は 戦死なさった我が兵卒の  
遺族訪問いたされまして 謝辞なさったその一席は 
頃は二月の如月時よ 武士の育ちの乃木将軍は 
どこへ行くにも質素な支度 
今日はおだやか散歩をしようと 家を出かけて梅林には  
ここに立派な売店ありて 腰を下ろして眺めをいたす 
梅の香りはまた格別で ついに夜更けて十一時頃  
通りかかった両国橋の 
水の面に月ありありて 波に揺らるるその風景に  
寒さ忘れてたたずむ折りに 二人連れなる辻占売りが 
破れ袷を身にまとわれて 赤い提灯片手に下げて  
弟手を引き寒げな声で 
恋の辻占アノ早判り 買って下さい皆様方と  
客を呼ぶ声さも愛らしや 兄は一人で心配いたす 
なぜか今夜は少しも売れぬ そんなこととは弟知らず 
これさ兄ちゃん寒くてならぬ 
早く帰って母ちゃんのそばで だっこいたして寝んねがしたい  
言えば兄貴の申することに さぞや寒かろ我慢をおしよ 
兄は弟いたわりながら 涙声して客呼ぶ声に  
乃木は近寄り子どもに向かい 
お前ら兄弟いずくの者で 年はいくつで名は何という  
言えば子どもは涙を拭いて 私ゃ十二で弟五つ 
林善太郎 弟勇 父は善吉母ちゃんお里  
それに一人の婆さんがいて 
一家五人で貧しいながら 仲むつまじく暮らしていたが  
父は戦地に行かれたままで 未だ一度の頼りもないよ 
どうか様子が聞きたいものと 思う折からお役場からの  
林善吉ゃ名誉の戦死 
これを聞いたる私の婆は 力落として病気になりて  
熱にうかされうわごとばかり そこで母親途方に暮れて 
日にち毎日ただ泣くばかり わしはこうして辻占売りて  
学校休みに近所の人の 
使いいたしてわずかな銭を あちらこちらで恵んでもらい  
聞いて将軍びっくりいたす わしは乃木じゃがお前の家へ 
用があるから案内頼む 言えば子どもの申することに  
勇行こうと弟連れて 
急ぎ来たのが浅草田町 九尺二間の裏店住まい  
家は曲がって瓦が落ちる 月はさし込む風吹き通す 
見るも哀れな生活ぶりよ お待ち下さい雨戸を開けて  
坊はただ今帰られました 
お里聞くよりにっこり笑い さぞや寒かろおあたりなさい  
何のご用か知らないけれど 乃木の将軍参られました 
聞いてお里はびっくりいたす 奥に寝ていた老婆も聞いて 
乃木と聞いては恨めしそうに 
床の中から這い出しながら 可愛い倅を殺した乃木よ  
たとえ恨みの一言なりと 言ってやらんと座を改める 
それを聞くより乃木将軍は 婆やご免と腰うちかけて  
乃木というのはお前にとって 
どういう訳にて仇となるか 人に話してよいことなれば  
一部始終を聞かしておくれ いえば老婆が申することに 
聞いて下さい私の話 わしにゃ可愛い倅があって  
徴兵検査に合格いたす 
しかも陸軍歩兵となりて 満期除隊も目出度く済んで  
嫁をもらって二人の中に 可愛い孫めが二人もできて 
うれし喜びわずかの間 日露戦争が開かれまして  
旅順港なる苦戦に向かい 
決死隊にと志願をいたし 死する命は惜しまぬけれど  
後へ残った二人の孫が 親の亡い子と遊んでくれぬ 
坊はよけれど勇が不憫 父がこの世にあることなれば  
一目なりともあわせておくれ 
せがむ子どもの顔見るたびに 胸に釘をば打たるる思い  
金鵄勲章白木の位牌 見せて泣き出すその有様を 
そばで見ている私のつらさ こんなときには倅がいたら  
こんな苦労はさせないものと 
どうぞお察しくださりませと 聞いて将軍涙を拭いて  
わしも二人殺しておると 片手拝みに懐中よりも  
金子取り出し紙にと包み これはわずかの香典なりと  
あげて将軍我が家へ帰る 
お聞き下さる皆さん方へ もっとこの先読みたいけれど  
名残惜しゅうはござそうらえど まずはここらで留め置きまして 
ご縁あるなら またこの次だが オオイサネー 
   
茂衛門

 

今は昔ぞところはいずこ ここは石州鳥井の村よ 
村を納める庄屋の家は 先祖代々茂衛門名乗る 
茂衛門屋敷の跡取り様で 稚児の頃より神童といわれ 
村の者ども末たのしみに ある日村の子連れ達よりて 
村のはずれの石どう城へ 蒙古来襲事変に備え 
一望千里のそのいただきに 砦構えた石垣跡や 
谷や崖ある又七まがり 異国降伏祈願をこめた 
宮をまつりた跡ありたとて いまは草木のグロおい茂る 
昼なお暗き八ヶ迫にて 一人跡取り行方が知れず 
村は総出で跡取りさがす 四方八方手を尽くせども 
何の手がかり露ほどもなく 村のものども悲嘆にくれる 
そして十年すぎての事よ 村は希代の飢饉となりて 
村の庄屋の茂衛門様は 村の地蔵米施しなさる 
村に餓死者のでるのを防ぐ なれど領主の取り立て米は 
続く戦乱軍備のために 情け容赦もかけらもなくて 
無理な割り当て申しつけて 次に念押し無理難題を 
しびれ切らした取立武士は ついに最後の倉押し入りぞ 
村の庄屋の茂衛門様は 村人共々権現山へ 
逃れて覚悟と決め折り時に 取立武士ども茂衛門屋敷 
囲みてこれより押入る時に 空は一転にわかに曇り 
天地鳴動黒雲わきて 風は怪しく草木をゆする 
茂衛門屋敷の中天見れば 稲妻光りて黒雲の中 
見るも恐ろし白狐でござる 耳まで裂けたる口赤くして 
火炎吹きたて七尾の狐 鏡のごときキラキラ光る 
凄き鋭き目はランランと 白き毛皮に身は覆われて 
空にあらわる大きな狐 これぞ恐ろし茂衛門狐 
ギロリ睨みてこれ金縛り 我は鳥井の石どう城に 
住みてこの村護りしものぞ 我の名前は茂衛門狐 
この村犯すものあるときは 村人あやめる者ある時は 
容赦なくしてその子孫まで 必ず根絶ししてくれようぞ 
その声あたかも雷鳴のごとく 天に大地にとどろきわたる 
取立て武士ども蜘蛛の子散し 槍も刀も弓矢も捨てて 
体一つで山道ころげ 命からがら這々のていで 
肝をつぶして逃げ行く姿 これを見ていた権現山の 
村の人々十年前の 石どう城のあの神隠し 
茂衛門様のその魂が 白き狐に化身をいたし 
村の難儀を救ってくれた 村の人々十年前の 
茂衛門死を知り今改めて 両手合わせて南無阿弥陀仏 
村の親たち石どう城の 三の丸にとお供えどころ 
狐好物肉さかななど 絶やさず供えて鳥井の村の 
護り神ぞと心に刻む その後茂衛門狐の力 
次第次第に勢力のばし 石見出雲は言うまでも無く 
西は長州長門の辺り 東は備前備中備後 
狐支配の親方様よ 領主狐を征伐せんと 
石弩城を攻めようとすれど 狐村人力を合わせ 
それに狐の神通力に 攻める事にも中々ならず 
兵を増やして砦を囲み 砦落とそうと試み折れば 
狐娘に化身をいたし 物見番人兵士を化かす 
今宵一人か又三人か ポツリポツリと帰らぬ姿 
寄せてはその度散々な目に ある夜国の境の辺り 
数も恐し狐火の列 山又山をば何里も続き 
本所本所と攻め行く姿 げにも危うし小笠原城 
すわ隣国の夜襲か知らん 狐ごときにかかわり折れん 
本所危うし急ぎて帰そう やがて中国全土の狐 
国の境に集結いたし 領主やむなく石弩城の 
狐征伐あきらめなさる 茂衛門狐は石弩城を 
本拠と致して中国全土 子孫を増やして鳥井の村と 
そして村人護ってござる ほんに狐は鳥井の村の 茂衛門ゆかりの守り神ぞよ
  
越後地震口説き

 

天地開いて不思議なことは 近江湖駿河の富士は 
たった一夜に出来たときくが これは見もせぬ昔のことよ 
ここに不思議は越後の地震 言うも語るも身の毛がよだつ 
頃は文政十一年の 時は霜月半ばの二日 
朝の五つと思ひし頃に どんとゆりくる地震の騒ぎ 
煙草一服 くよさぬ内に 上は長岡新潟かけて 
下は三条今町見付け つぶすあとより一度のけぶり 
それにつづいて余坂やつばめ ざいご 村々その数しれず 
潰す家数千万余戸や たる木うつぼり柱やケタに 
脊骨肩骨頭をうたれ 目口鼻より血をはき流す 
のがれ出で人狂気の如く もがき苦しみ息絶えはてる 
手負い死人は書きつくされず 数も限りもあらましばかり 
親は子をすて子は親をすて あかぬ夫婦の仲ともいわず 
すてて逃げ出すその行先は 炎もえたち大地がわれて 
砂を吹きたて水もみあげて 行くに行かれずたたずむ中に 
風ははげしく後ろをみれば 火の子吹きたち焔がふりて 
あつやせつなや若しやこわや 中にあわれや手足をはさみ 
肉をひしがれ骨打ちくだき 泣きつ叫べば助けてくれと 
呼べど 叫べど 逃るる人は 命大事と見向きもやらず 
覚悟覚悟と呼はわりながら 西よ東よ北南よと 
思い思いに逃げゆく人は げにも叫喚大叫喚の 
責めも之にはまさりはすまい 見るも中々骨身にとおる 
今はこの世がほろびてしまい 弥勒出世の時なるらんや 
又は奈落へ沈むかしらん いうも恐ろし語るも涙 
急ぎ祈祷の湯の花なぞと せつな念仏唱えてみても 
何の印もあら恐ろしや 昼夜動きは少しもやまず 
凡そ七十五日が間 肝も心もどうなることか 
親子兄弟顔見合わせて ともにため息つき入るばかり 
御大名にも村上柴田 興阪長岡邑松桑名 
今津高岡又そのほかに 御陵御陣屋旗本衆も 
思い思いに手当てはあれど 時が時なら空かきくもり 
雪はちらつき寒さはつもる 外に居られぬ涙の中に 
一家親類より集まりて 大工いらずの掘立小屋に 
つららかぷりてしのごとすれば 吹雪立ちこみ目面はあかず 
殊に今年は大凶年で 米は高値に諸式は高し 
それに米代未聞の変事 これをつらつら考えみるに 
士農工商儒仏も神も 道を忘れて私慾に迷い 
上下別たず驕りを極わめ 武士は武をすて算盤枕 
それにならんで下役人は 下をしいたげ己れを奢る 
昔困窮の時節をきくに ナズナ掘ったり磯茶をひろい 
己己が命をつなぎ 収納作得立てたときくに 
今の百姓はそれとはちがい 少し不作な年柄にても 
検見鹸ごうて拝借などと たくみ苦労をかけたる上に 
有るのないのとお館前で 無勘定にて内をば奢る 
米の黒いは大損などと 味噌は三年たたねばくわず 
在郷村々髪結い風呂屋 前売小店の店前見れば 
胡弓三味線太鼓をかざり 紋日紋日のその時々に 
若い者共寄り集りて 踊り芸子や地芝芸居なぞと 
遣い散らして出すことおごる 袷一つに縄帯かけて 
終に仕まうて他国にはしる 馬子や水汲奉公人も 
羽織傘足袋塗駒下駄で 下女や.丁稚の盆正月も 
もっとも悪いが縮緬帯で 開帳参りの風俗見れば 
旦那様よりお供が派手な それにまだしも大工の風儀 
結城綿入れ博多の帯で 小倉袴に白足袋はいて 
朝は遅くて煙草は長し 作料増さねば行くことなさぬ 
酒、は一日二度だせなぞと 天を恐れぬわがままばかり 
日傭人迄道理を忘れ 普請作事のはやるに任せ 
出入り旦那に御無沙汰計り 下は十日も先からたのむ 
やっと一日顔出しさへも 機嫌とらねば日中は遊び 
それに準じて町家の普請 互美々しくせり合う故に 
二重たるきに赤金まかせ 屋根はのし葺柱や桁は 
丁度昔の二本の長さ すかやケヤキの造作普請 
御殿まつりか宮拝殿か 下賎の家作にあられぬ仕方 
前を通るも肩身がすくむ なれど心は獣におとる 
如何な困窮な年柄にても 主納家賃の用捨はあらず 
少し下がると店追ったてる 田をば上げよと小前をせめる 
慈悲の心はケシ粒程も 無いはことわり浮世の道理 
深く考え知らざる故ぞ 世間高家の家風をみるに 
旧い家持勘弁あつく にわか富源は万事がひどい 
悪い心も見習いやすく 裏家店借ほてふり迄も 
米が安いと元気が高い 在郷者をば足下に見なし 
言うにいわれぬ高言はいて きだやめりやす正夫などと 
チヨットしゃれにも江戸物ばかり それはさておき此近年は 
寺社の風俗つらつらみるに 黒い羽織に大小差して 
寺社の文字の講釈ばかり 鼻の高いが天狗にまさる 
銭のないのは乞食におとる 昼夜大酒道楽づくし 
おのればかりか下子供まで 金を使うは風流人よ 
道を守るは俗物なぞと 冥利知らずに銭金まいて 
書物よむよむ身上つぶす 別けて近年諸宗の風儀 
和尚さんじゃともったいらしく 赤い衣は白粉臭い 
光る輪ゲサは刺身の香り 尼のさんやは子持ちの香 
朝の御勤め御小僧ばかり 夜のお勤め鐘打つ計り 
昼夜まわりし御布施をむいで 遊女遊びに自役を忘れ 
居間柱の状差しみれば さまへ参るや御存知よりと 
紅のついたる仮名文ばかり 法華坊主が猫飼ひくろうて 
猫にやるとてカツオを買やる 人がおらねばケモノのかわり 
鳥の毛をひくウロコをおこす 頭ばかりは坊主でござる 
真宗坊主の有様みれば 門徒かすめる手だてが仕事 
勧化一度に奉加四五度 祖師の法事や主坊の法事 
畳屋根替造作普請 娘仕つけるつぎ目をすると 
後生二の手に先その事を 門徒集めて身勝手ばかり 
法座仕舞の話を聞けば 今度の法座は時分が悪い 
参り不足で儲けがないと 供養仏事を商にして 
後生知らずの邪見な者よ 金をあげれ′ば信心者と 
住寺坊主待遇がちがう なんぼ信心了解の人も 
金をあげねば外道者なぞと 死人おさへる焼香とめる 
後で己がねじ事ぬかす 寺が寺なりや同行迄も 
御講戻りの話をきけば 金はあげたが御馳走がないと 
酒はどぶ酒にがたらしいと 澄んだ酒をばかやらぬなどと 
茶屋にゆきたる心をもちい 新庄坊主をでつちに致し 
仏様をば足下にみなし 俗も坊主も只一とまくり 
姑小姑娘をそしり 娘やむすこは舅のざんそ 
そして近年法談さえも いたこ長唄新内などと 
まぜて言わねば参りがないと ねてもおきても慾心ばかり 
仏任せのジイババまでも あちらこちらで教へがちがう 
どれが誠か迷がはれぬ 後生大事はたのまぬことと 
勤めながらも門徒をよせて 金の無心は御頼みごとよ 
わけてつまらぬ法華の教 蓮花住生でしくじりながら 
まだ迷の目がさめやらぬやら 他宗そしりて我宗の自慢 
余り教が片よる故に 広い世界を小狭くくらす 
仏嫌いの神道掌司 和学神学六根清浄 
払い給えと家財をはらい 清め給えと身上をあらう 
国の不浄はよごれたものを 食はず飲まずは言分ただす 
胸と心は只もろもろの 慾と悪との不浄の染り 
祢宜の社人の神主なぞと 神の御未と身は高ぶれど 
富をするやら操り歌舞伎 末社集めて山事ばかり 
祈頑神楽も銭からきわめ それが神慮にかなうかしらん 
又も悪いが御医者でござる 隣村へも馬籠なぞと 
知らぬ病ものみ込み顔で やがて治ると薬をのませ 
上にいる人下あわれみて 下にいる人上敬いて 
常に倹約慈悲心ふかく 邪見心をつつしむならば 
かかる稀代の変事はあらじ 神も仏も御天とさまも 
めぐみ給うて唯世の中を 末世末代浪風たたず 
四海大平諸色もやすく 米も下値に五穀もみのり 
地震どころか在町共に 子孫栄える末繁昌の 
もととなるペきためしをあげて かかる此身の罪深きやら 
地震つぶれの掘立小屋に しばしこもりて世の人々の 
あなあな地上を書印度 筆の雫もあら恐ろしや 
地震句説はこれ限りなり 
 
越後地震口説き2 

 

天地ひらきてふしぎをいわく    (天地開きて不思議を曰く)  
近江水海するかのふじハ      (近江の湖駿河の富士は)  
たんだ一夜ニできたといえど    (たった一夜にできたと云えど)  
それハみもせんむかしの事よ    (それは見もせん昔の事よ)  
こゝにふしぎハ越後のじしん    (ここに不思議は越後の地震)  
きくもかたるもみのけがよたつ   (聞くも語るも身の毛がよだつ)  
年ハ文政十一年の         (年は文政十一年の)  
ころハ霜月なかハの二日      (頃は霜月半ばの二日)  
朝ノ五ツとおもいしころに      (朝の五ツと思いし頃に)  
どんとよりくるじしんのさハぎ   (どんと寄り来る地震の騒ぎ)  
上ハ長岡新潟かけて        (上は長岡新潟掛けて)  
中ハ三条の今町見付        (中は三条今町見付)  
つぶすあとから一時のけむり    (潰す跡から一時の煙)  
それにつゝいて坂屋につばめ   (それに続いて与板に燕)  
ざいの村々そのかずしれづ    (在の村々その数知れず)  
つぶすやかずハいく千万ぞ    (潰す屋数は幾千万ぞ)  
さすやうつばりはしらやけたに  (扠や梁柱や桁に)  
せぼねかたこしかしらおうたれ  (背骨肩腰頭を打たれ)  
めはな口よりちおはきなから   (目鼻口より血を吐きながら)  
いでんものおときやうぎのごとく  (出んものをと狂気の如く)  
もがきくるしみついきゑはてる   (もがき苦しみつい消え果てる)  
でないしにんハかきつくされづ   (出ない死人は書き尽くされず)  
かすもかきりもあらましばかり   (数も限りもあらましばかり)  
おやハ子おすて子ハおやおすて  (親は子を捨て子は親を捨て)  
あかぬふうふの中おもいわず   (あかぬ夫婦の中をも云わず)  
すてゝにげだすそのいくさきハ   (捨てて逃げ出すその行く先は)  
ほのうもへたつ大じかわれて   (炎燃え立つ大地が割れて)  
すなおふきあげ水もみあげて   (砂を吹き上げ水揉み上げて)  
いくに行れずくるしむ内に      (行くに行かれず苦しむ内に)  
風ハはげしくうしろおみれバ    (風は烈しく後ろを見れば)  
火ノこ吹たてくわえんおかむり   (火の粉吹き立て火焔を冠り)  
あつやせつなやくるしやこハや  (暑や切なや苦しや恐や)  
中にあわれハてあしおはさみ   (中に哀れは手足を挟み)  
にくおひしがれほね打くだき     (肉を拉がれ骨打ち砕き)  
なきつさけびつたすけてくれと    (泣きつ叫びつ助けてくれと)  
よべとまねけど            (呼べど招けど)  
たまにのかるゝその人とても    (たまに遁がるるその人とても)  
いのちたいじとみもきもやらす    (命大事と見向きもやらず)  
かくごかくごとよはハるこえハ    (覚悟覚悟と呼ばわる声は)  
げにやけうくわん大けうくわんの  (実にや叫喚大叫喚の)  
せめもこれにハよもまさらじと    (責めもこれには世もまさらじと)  
みるも中々ほねみにとうる      (見るも中々骨身に透る)  
今ハ此夜がめつしてしまい     (今はこの世が滅してしまい)  
みろくしゆせの夜トなるやらん   (弥勒出世の世となるやらん)  
又ハならくへしつめもするか    (又は奈落へ沈めもするが)  
いふもおろかやかたるもなみだ  (云うも愚かや語るも涙)  
きうにきとうの湯花などゝ      (急に祈祷の湯の花などと)  
せつなねん佛となへてみても    (刹那念仏唱えてみても)  
なうにしたしもあらおそろしや    (なうにしたしもあら恐ろしや)  
ちう夜うごきハ少もやます     (昼夜動きは少しも止まず)  
凡七十余日のあいだ        (およそ七十余日の間)  
きもゝ心もどうなる事と       (肝も心もどうなる事と)  
おやこ兄弟かをみあハせて    (親子兄弟顔見合わせて)  
共にためいきつきたるばかり   (ともに溜息つきたるばかり)  
御大名にハ村上新発田       (御大名には村上新発田)  
与板長岡村枩枽名          (与板長岡村松桑名)  
會津高崎またそのほかに      (会津高崎またその外に)  
ごりよごしんやはた本しうも     (御料御陣屋旗本衆も)  
おもいしのんでおてあてあれど   (思い忍んで御手当てあれど)  
時か時とてそら打くもり        (時が時とて空打ち曇り)  
雪がちらつくさむさハまさる     (雪がちらつく寒さはまさる)  
ほかにいられずなミだの内に    (外にいられず涙のうちに)  
一家しんるいよりあつまりて     (一家親類寄り集まりて)  
大工いらずのほり立小やに     (大工要らずの掘立て小屋に)  
つゞれかぶりてしのいてみても   (ツヅラ被りて凌いでみても)  
ふぶきたちこみ目おあわされず   (吹雪立ち込み目も合わされず)  
事に今年ハ大凶作で        (殊に今年は大凶作で)  
米ハかうぜき諸しきハたかく    (米は高直諸色は高く)  
それにぜんだいみもんのへんじ  (それに前代未聞の変事)  
是をつくづくかんがへみれバ    (これをつくづく考え見れば)  
士農工商しゆぶつも神も      (士農工商儒佛も神も)  
道おわすれてりよくにまよい    (道を忘れて利欲に迷い)  
上下わからぬおごりおなさる    (上下分からぬ驕りをなさる)  
武家ハぶおすてそろばんまくら   (武家は武を捨てソロバン枕)  
夫になろうて地げやく人も      (それに倣うて地下役人も)  
下をしほりで己れをゝごり      (下を絞りておのれを驕り)  
庄屋けんぶく聞込はつねよ     (庄屋見分聞込はつねよ)  
あきの四ツ時めおすりおきて    (明の四ツ時目を擦り起きて)  
ちやのま女にてうすおとらせ     (茶の間女に手水を取らせ)  
肴なけれハ食事がならぬ      (肴なければ食事がならぬ)  
ねざけ呑にもすい物付る       (寝酒呑むにも吸い物付ける)  
御用私用のしやべつもなしに    (御用私用の差別もなしに)  
たげふするにも馬かごださせ    (他行するにも馬駕籠出させ)  
内のおごりハくげしゆもならぬ    (内の驕りは公卿衆もならぬ)  
ぢたうやく人御出あれバ       (地頭役人御出であれば)  
休だちよりひる宿とりて        (休だちより昼宿(やど)取りて)  
人もたのまぬねがいをたてゝ    (人も頼まぬ願いを立てて)  
宿おひきうけその物入に       (宿を引き受けその物入りに)  
しよしき万たん五匁がけて      (諸色万端五匁かけて)  
あわぬかんじよむたひにあわせ   (合わぬ勘定無体に合わせ)  
出金やく金年中の萬蔵        (出金やく金年中の萬蔵)  
わけて近年たぶんにかける     (わけて近年多分に欠ける)  
小前百姓ハ出金にこまる       (小前百姓は出金に困る)  
庄屋の利足ハハ上より利やすの金お(庄屋は上より利安すの金を)  
かりてこん窮百姓にかう利でかせる(借りて困窮の百姓に高利で貸せる)  
かりるかりるのかうりがつもる    (借りる借りるの高利が積る)  
田地屋敷ハ庄屋しゆにとられ    (田地屋敷は庄屋衆に取られ)  
庄屋ハがうよく其悪心ハ       (庄屋は強欲その悪心は)  
つひに小前の百姓をころす      (終に小前の百姓を殺す)  
むかし不作のはなしおきくに    (昔不作の話を聞くに)  
くずのねおほりいそなをひろい   (葛の根を掘り磯菜を拾い)  
それで己れが命をひろい      (それでおのれが命を拾い)  
しのふ作とくたてしときくに     (収納作徳立てしと聞くに)  
いまの百姓ハそれとハちがい   (今の百姓はそれとは違い)  
すこしい作の年がらにても      (少し違作の年柄にても)  
けんみねがいのはいしやくなどゝ (検見願いの拝借などと)  
みそハ三年たゝねバくハず     (味噌は三年経たねば食わず)  
さいご村にもかみゆいふろ屋    (在郷村にも髪結い風呂屋)  
にうり小みせのとこまへみれバ   (煮売り小店の床前見れば)  
ふへやさみせんたいこをかざり   (笛や三味線太鼓を飾り)  
もん日物ノ日其時々ハ        (紋日物日その時々は)  
若い物共よりあつまりて       (若い者ども寄り集りて)  
おどりけいこの地芝居などゝ    (踊り稽古の地芝居などと)  
つかいちらして出金にこまる    (遣い散らして出金に困る)  
一ツあわせになわさバかけて   (ひとつ袷に縄さばかけて)  
ついにしまいハ他国へはしる    (終にしまいは他国へはしる)  
名古屋水のみ奉公人ハ       (名子や水呑み奉公人は)  
はおりからかさたびぬりげたよ   (羽織唐傘足袋塗り下駄よ)  
下女や小共のぼん正月ハ     (下女や子供の盆正月は)  
いつちわるいハちりめんをびや   (いっち悪いが縮緬帯や)  
ぎんのかんざしへつこうぐしよ    (銀のカンザシ鼈甲櫛よ)  
かい長まいりのふうぞくみれバ   (開帳参りの風俗見れば)  
たんなさまよりお共がりつぱ    (旦那様よりお供が立派)  
夫ハ又しも大工のふうぎ       (それはまだしも大工の風儀)  
ゆふきわた入はかたのおびで    (結城綿入れ博多の帯で)  
こんのもゝ引白袋はいて       (紺の股引白足袋履いて)  
あさハおそうて休が長い       (朝は遅うて休みが長い)  
作りようまさねバ行ことならぬ   (作料増さねば行く事ならぬ)  
酒ハ一日二度出せなどゝ      (酒は一日二度出せなどと)  
天おゝそれぬわがまゝばかり    (天を恐れぬ我が侭ばかり)  
日よう物まで道利おわすれ     (日雇者まで道理を忘れ)  
普請家作のはやるにまかせ    (普請家作のはやるに任せ)  
で入たんなもごぶさたばかり    (出入旦那もご無沙汰ばかり)  
下々ハ廿日もさきからたのみ    (下々は廿日も先から頼み)  
やつと一日かをだすさへも      (やっと一日顔出すさえも)  
きげんとらねバ半日あそぶ     (機嫌とらねば半日遊ぶ)  
それにじゆんじて町家のふしん   (それに準じて町家の普請)  
たがいびゞしくせりあいゆへか   (互い美々しく競り合う故か)  
二重たる木に赤金まいて      (二重垂木に赤金巻いて)  
やねハのしふきはしらのたけハ  (屋根は熨斗葺き柱の丈は)  
ちようどむかしの二本の長さ    (ちょうど昔の二本の長さ)  
けやきすくめのざう作見れハ    (ケヤキ尽くめの造作見れば)  
御殿まわりかみやはいでんか   (御殿廻りか宮拝殿か)  
ぢけのか作とみわけもならず    (地下の家作と見分けもならず)  
まへおとをるもかた身かすくむ   (前を通るも肩身がスクむ)  
されど心ハけ物にをとる       (されど心はけものに劣る)  
いかなこんきうな年がらにても   (如何な困窮な年柄にても)  
しのぶやちんのよふしやもあらず  (しのぶ家賃の容赦もあらず)  
少くだると見せおいたてる     (少し下ると店追い立てる)  
田地あげよと小前をせめる     (田地上げよと小前を責める)  
しひの心はけしつぶほどに     (慈悲の心は芥子粒程も)  
なひハことハりうきよのどうり    (無いは理り浮世の道理)  
ふかくかんがへしらざるゆへぞ   (深く考え知らざる故ぞ)  
ふるき持家ハかんべんつうに    (旧き家持は勘弁つうに)  
にわかぶんけんばんじかひどい  (俄か分限万事が酷い)  
米ハ安いとけんしき高く       (米は安いと見識高く)  
在いものおバ足下みなし      (在の者をば足下に見做し)  
五十文もふけりや口米       (こうまい)あると(五十文儲けりや口米あると)  
いふにいハれぬ廣言おして     (云うに云われぬ広言をして)  
義大夫當本めり安などゝ      (ギダイユ トミモト メリヤスなどと)  
ちつとしやれにも江戸前ばかり   (一寸洒落にも江戸前ばかり)  
夫ハ扨置此近年の         (それはさておきこの近年の)  
じゆしやのふうぞくつくづくみれバ (儒者の風俗つくづく見れば)  
墨いはおりに大小たひじ      (黒い羽織に大小帯じ)  
したのぶんだのかいしやくなとゞ  (下の分だの解釈などと)  
はなの高いハ天にもおよふ    (鼻の高いは天にも及ぶ)  
銭のないのかこじきにおとる    (銭のないのが乞食に劣る)  
中(チウ)夜大酒どう楽つくす    (昼夜大酒道楽尽くす)  
己バかりかでうろ共まても     (おのればかりか女郎(じょうろ)どもまでも)  
金おつかふお風りう人と      (金を遣うを風流びとと)  
みちお守おそくぶつなどゝ     (道を守るを俗物などと)  
めうり不知の金銭まいて      (冥利知らずの金銭蒔いて)  
書物読み読みしんしようつぶす  (書物読み読み身上潰す)  
わけて近年寺衆の風義      (わけて近年寺衆の風儀)  
御とくせんじともつたへらしく    (恩徳宣じと勿体らしく)  
赤い衣ハおしろいぐさく       (赤い衣はおしろい臭く)  
ひかるおけさハさしみのかほり  (光るお袈裟は刺身の香り)  
尼のさんゑハ子持のにほい    (尼の三衣(さんえ)は子持ちの匂い)  
あさのつとめハ御小僧ばかり   (朝の勤めはお小僧ばかり)  
夜いのつとめハ金打ばかり    (宵の勤めは鐘打ちばかり)  
酒とかけごてじやくおわすれ   (酒と賭け碁手笏を忘れ)  
今のはしらのじやうざしみれハ  (居間の柱の状差し見れば)  
さまハまるさまごぞんじよりも   (様は○様ご存知よりと)  
べにの付たるかなふミばかり   (紅の付きたるかな文ばかり)  
門徒寺しうもりよくにふけり    (門徒寺衆も利欲に耽り)  
くわんけ一ざにほうしやか四五度 (権化一座に報謝が四五度)  
そうのほうじやじほうのほうじ   (僧の法事や寺坊の法事)  
たゝみ屋ねかへざう作ふしん   (畳屋根替え造作普請)  
よめお仕付る付めおすると     (嫁を躾けるつぎ目をすると)  
後生二ニ付先祖の事に      (後生二の次先祖のことに)  
だんなあつめて身かつてばかり  (旦那集めて身勝手ばかり)  
おごりそうだんかん金さへり    (奢り相談看経(かんきん)さえり)  
ほうししまいのはなしおきくに   (法事終いの話を聞くに)  
今度ほうじがじ節かわるい     (今度の法事が時節が悪い)  
参り不足でもふけがないと     (参り不足で儲けがないと)  
そしのほうしおあきないらしく    (祖師の法事を商いらしく)  
人目しのばづはなしおなさる    (人目忍ばず話をなさる)  
後生しらすなじやけんなものも   (後生知らずな邪見な者も)  
金おあげれハしん心物と      (金を上げれば信心者と)  
何んぼしんじんりよけの人も    (なんぼ信心領解の人も)  
金おあけねバげどうしやなどゝ   (金を上げねば外道じゃなどと)  
そうれおさへるしうはんせぬと   (葬礼おさえる相伴せぬと)  
御上おそれぬほうがいばかり   (お上を恐れぬ法外ばかり)  
寺ハ寺とて同行共に        (寺は寺とて同行どもに)  
おこうもどりのはなしおきくに    (御講戻りの話を聞くに)  
しうとしうとハよめむこそしる    (舅姑は嫁婿謗る)  
よめやむすこハしうとふさんぞ   (嫁や息子は舅を讒訴)  
いたこ長うたしんないなどを    (潮来長唄新内などを)  
まぜてかたらにやさんけいかないと(交ぜて語らにゃ参詣がないと)  
ねてもおきてもよくしんばかり   (寝ても起きても欲心ばかり)  
佛きらいのちいばゝだちも     (仏嫌いの爺婆たちも)  
あちらこちらですゝめがちがい   (アチラコチラで勧めが違い)  
どれがま事かまよいがはれぬ  (どれがマコトか迷いが晴れぬ)  
後生大じハたのますかたと    (後生大事は頼まず方と)  
すゝめなからもたんなおよせて  (勧めながらも旦那を寄せて)  
金のむしんハおたのみ方よ    (金の無心はお頼み方よ)  
おふみ様おバおさきにつかい   (お文様をばお先につかい)  
口へ出さず自力のこのミ      (口へ出さず自力の好み)  
口へ出さねバかいげにそむく   (口へ出さねばかいげに背く)  
およりこうだのそうぞくだのと   (お寄講だの相続だのと)  
知りもせぬ事うかへたよふで   (知りもせぬ事伺えたようで)  
己わからぬごしやうもたき     (おのれ解らぬ後生もたげ)  
はてハたがいにいさかひばかり  (果ては互いに諍いばかり)  
中に見事な了解をいへバ     (中に見事な領解を云えば)  
両かつかひおめうもくつける   (両かつかいを名目つける)  
うそかま事かしなねハしれぬ   (嘘かマコトか死なねば知れぬ)  
中につまらぬほつけいのおしへ  (中に詰らぬ法華の教え)  
たしうそしりて我しうじまん    (他宗謗りて我が宗自慢)  
あまりおしへがかたいぢゆへに  (あまり教えが片意地故に)  
廣ひ浮世おこせまくくらす     (広い浮世を小狭く暮らす)  
佛きらいのしんとうしうも      (仏嫌いの神道衆も)  
わがくしん学六こんしよしよ    (和学神学六根清浄)  
はらへ給へとかざいおはらい   (祓え給えと家財を払い)  
きよめ給へとしんしよあらふ    (清め給えと身上洗う)  
口にふじゆうハけがれた物お   (口に不浄は穢れたものを)  
くわずのまづバいいわけたてど  (食わず飲まずは言い訳け立てど)  
むねと心ハたゞもろもろの     (胸と心は唯諸々の)  
よくとあくとのふじゆうにそうまる (欲と悪との不浄に染まる)  
ねきの社家じやのかんぬしなどゝ (祢宜の社家じゃの神主などと)  
神のみすへと身ハ高ぶれど    (神の御末と身は高ぶれど)  
冨おするやらあやつりかぶき   (富(とみ)をするやら操り歌舞伎)  
やうじあつめて山事ばかり    (用事集めて山ごとばかり)  
きとうかぐらも銭からきめる    (祈祷神楽も銭から決める)  
それかしんりやうにかのふかしれぬ(それが神慮に叶うか知れぬ)  
わけてあく人ハ医者しやうてこざる(別て悪人は医者衆でござる)  
となり村へも馬かこださせ    (隣村へも馬駕籠出させ)  
しらぬやまいおのミこむかほで  (知らぬ病いを呑み込み顔で)  
少しよふだいわるいとみれば   (少し容体悪いと診れば)  
ひとにゆつりて己れをはづし   (人に譲りて己れを外し)  
さじのさきより口さきしらづ    (匙の先より口先知らず)  
しろとだましの手からおはなし  (素人騙しの手柄を話し)  
金匱要畧しうかんろんハ     (金匱要畧(きんきようりゃく)しうかん論は)  
わかいじぶんになろたばかり   (若い時分に習うたばかり)  
玉に取だしよんでもみれど    (たまに(時々)取り出し読んでも見れど)  
やみのからすでわからぬゆへに (闇の烏で解らぬ故に)  
きかんさわらん薬ヲもりて     (効かん障らん薬を盛りて)  
たんとのませておのれかゐふくおかざり(タント呑ませて己れが衣服を飾り)  
礼の多少でひやうきおつかい   (礼の多少で病気をつかい)  
病家見まへもうけむけたてゝ   (病家見舞も請け向け立てて)  
うらやせとやは十日ニ一度    (裏屋背戸屋は十日に一度)  
金に成のハ毎日四五度      (金になるのは毎日四五度)  
されハゐしやしゆのおきてといふハ(されば医者衆の掟と云うは)  
銭や金にハかこわるまじく    (銭や金には拘わるまじく)  
人おすくうおヽしへの事と     (人を救うを教えの事と)  
道のいましめ守らぬわけハ    (道の戒め守らぬ訳けは)  
よくかふかふてもうけるゆへぞ  (欲が深うて儲ける故ぞ)  
あんまとりまで使はなろて    (按摩取りまで使いは倣(ならう)て)  
ちかいころまで上ミ下もんて   (近い頃までかみしも揉んで)  
二拾四文ハつうようなるに    (二十四文は通用なるに)  
いつのころにかいつくの町も   (何時の頃にか何処の町も)  
いつか八文ましたがかハり    (いつか八文増したがかわり)  
力いれすに手びようしばかり   (力入れずに手拍子ばかり)  
少長いと仲まかにくむ       (少し長いと仲間が憎む)  
又ハこんれほいじのせきへ    (又は婚礼法事の席へ)  
くすかましく大勢つめで      (くすがましく大勢詰めて)  
祝儀くやうのたしうをねたり    (祝儀供養の多少をネダり)  
おらぬ在家ハ手あまるうわさ   (居らぬ在家は手余る噂)  
されバ一々さかしてみれば    (されば一々探して見れば)  
しのうこうしやうじゆぶつもかミも (士農工商儒仏も神も)  
くとくことばに違ひハならし     (口説く言葉に違いはならじ)  
てんのいましめ今よりさとり    (天の戒め今より悟り)  
忠と幸との二つの道を       (忠と孝との二つの道を)  
おのれおのれがしよくぶんまもり (おのれおのれが職分守り)  
上へ立人下あわれめて      (上へ立つ人下哀れみて)  
下ぇ立人上敬ひて         (下へ立つ人上敬いて)  
常にじひしんけんやく守      (常に慈悲心倹約守り)  
おこる心をつゝしむならバ     (奢る心を慎むならば)  
かゝるこんきうもあるまいものを  (かかる困窮もあるまいものを)  
さらば神もほとけもてんとうさまも (さらば神も仏も天道様も)  
めくみ玉ひて嘸世の中お     (恵み給いてさぞ世の中を)  
まつせ末代なみ風たゝず     (末世末代波風立たず)  
四海太平國家安全ごこくみのり  (四海太平国家安全五穀実り)  
諸しき安くてじしんどころか町在共に(諸色安くて地震どころか町在共に)  
しそんさかゑてすへはんじよの  (子孫栄えて末繁昌の)  
もとひ成べきためしおあげて    (基(もとい)なるべき例(ためし)を上げて)  
かたる我みもつみふかけれバ   (語る我が身も罪深ければ)  
地震つぶれのほり立こやに    (地震潰れの掘立小屋に)  
しはりこもりてよの人々の     (しばし籠りて世の人々の)  
くせとあなとをかきのせて     (癖と穴とを書き載せて)  
神やほとけお立とまんと      (神や仏を立ち留んと)  
人のわらふもはつすして      (人の笑うも恥じすして)  
こゝに筆の手前も          (ここに筆の手前も)  
あらおそろしや アヽハ ヱ……  (あら恐ろしや)  
 
お民半蔵1 

 

 

国は何処かよと 尋ねたなれば 国は九州 豊後の国よ  
豊後国ではよ 臼杵のご城下 臼杵ご城下の 本町筋に  
村に名を得し お医者がござる お医者その名をよ 源吾というて  
一人息子には 半蔵というて 年は二十五で 男の盛り  
何につけてもよ 抜け目がないよ 抜け目ないのがよ 半蔵でござる  
少し離れし その隣村 三丁下りて うどん屋がござる  
そこの娘に お民というて 年は十八で 番茶も出花  
器量良いことは 玉子に目鼻 歩く姿がよ あの百合の花  
器量良ければ 皆若い衆が お民お民と 声をかけなさる  
けれどお民は 堅気でござる そこで若い衆が 腹を立てなさる  
風の便りに 母さに聞こえ それで母親 半蔵を呼んで  
半蔵よく聞け 意見じゃござる 聞けばお民と 訳ありそうな  
そんな銅鑼つき 今止めなされ やがて家倉を 建てる時は  
どんな女房でも 持たせてやろうに 嫌いなあの娘を 我が家に入れて  
家の悪日の 火をたくよりも 親の意見を 聞かない者は  
さあさ出て行けよ この家に置かぬ さして行くのが お民の宅よ  
お民お民と 二声三声 半蔵さまかえ わしゃ待ちかねた  
お民よく聞け 意見じゃないが わしは親さに 勘当受けた  
親に勘当を 受けたるからにゃ 生きて居られぬ この世の中に  
わしは冥土に 赴くからに 月に一度の 香花を頼む  
日にち毎日 精進頼む 何を言わんす 半蔵さまえ  
貴方一人は 冥土にゃやらぬ 私もあの世へ お供いたす  
それじゃお民や 仕度をなされ さして行くのが 剣の山へ  
ここは田の畦 すべるなお民 すべりゃしゃんすな 半蔵さまへ  
ここを通れば わしゃ思い出す 頃は何時よと 尋ねたなれば  
頃は五月の 田植えの頃よ あかねたすき 赤前掛けで  
植えた稲さえ この世に育つ なぜに育たぬ 二人の恋は  
何を言わんす そりゃ後ごとよ さあさ行きましょ 剣の山へ  
急ぎゃ早いも 剣の山よ 山を登れば 山八合目  
水を汲み上げ 水さかずきを 宵の酒盛り 夜明けの心中 
 
お民半蔵(半三)2

 

佐伯ご領とは片田の宇山 宇山あらこそ名所がござる  
名所あらこそお医者がござる 医者のその名が源龍さんよ  
その世を継ぐ息子が半三さんよ 一人息子の半三さんよ  
なれど半三さんも利口な生まれ 親のゆずりのお医者を習て  
医者も習ったが針灸も習ふ 町も家中も浦在も  
流行る病は半三さんが治す りゅうく印度と言ふ山伏の  
それの娘のお民と言ふて なれどお民はきれいなうまれ  
立てば芍薬座れば牡丹 歩く姿が姫百合の花  
そこで半三さんのお目にととまり いつかどこぞと思いし時に  
頃は正月二八日よ この日氏神御用なれば  
我も我もと参拝なさる お民半三さんも参拝なさる  
今日は二人のさて出会いにて 少し行き過ぎ又立ち戻り  
道の木陰で一寸と手を取りて お民さんとはお前のことか  
お前想たわ3年手 色に出したわ今宵が初よ  
惚れたばかりかちりぬるおわか あさき夢見し三度の飯か  
胸にせまりてわしゃしやくとなり しやくわ病のもととなる  
そこでお民が申することに 何を言わんす半三さんよ  
他のことなら叶えてあげよに 色のことなら先ず御免なれ  
私しは七年継母育ち 親が出さねば私しゃ籠の鳥  
籠の鳥とて悔やむなお民 籠の破れるそれ時も来る  
たとえての言て落とすでないが ああれ見なんせあの山峠  
なんぼ色よく咲いたる花も 人がかよえば枝折りのける  
人が通わねばその木で朽ちる 又も見なんせ若木の松も  
いやな風でもふきくりゃなびく 又も見なんせ川端柳  
いやな水でも出てくりゃなびく そこでお民が身につめられて  
親の許さぬ帯とくからわ 一夜二夜なる契りは嫌よ  
三世も三世も又先の世も 通やしやんせ半三さんよ  
そこで半三さんが打ち喜んで お民半三さんの色現れる  
宵に吹く風朝出る風 町も家中もさて浦在も  
流行る小唄はお民と半三 家の両親それ聞くよりも  
人のことよと今朝まで思た 聞けば吾子の半三がことよ  
さあさこれから意見をしよか 奥の一間に半三を呼んで  
半三よく聞け吾子の半三 そちとお民は良い仲そうな  
たかが知れたる山伏の子よ 医者と山伏しゃ添わん仲よ  
そちに似合うた良い嫁ござる 灘の鳥越おばさんがござる  
おばの宅にておしげと言うて なれど惜しげも利口な生まれ  
字書ソロバンお花の道も 何をさしても愚かわないが  
およそ灘領に並びはないが それが嫌なら出て行け半三  
寒の師走も陽(ひ)の六月も 袷一枚締め帯び一つ  
言ふて両親の両手にすがり 奥の一間で思案をなさる  
いやなおしげと一代添て 胸に悪事の火をたくよりも  
好いたお民と心中かましよ 立って箪笥の引出抜いて  
下に召のが白無垢小袖 上に召のが黒ちりめんの  
当世流行のもう世の帯びを みよと廻して後ろで〆る  
三尺八寸腰にさして 庭に下り両手を使え  
親に先立つ不幸の罪を 許し給や二親様よ  
鳥は古巣に帰る云えど 二度と帰らぬ片田の宇山  
指して行くのがお民の宅よ 裏の窓から覗いて見れば  
あまたほうばい寄り集まりて つもる話しで夜なべをなさる  
お民お民と二声三声 お民驚き早や外に出る  
誰れどどなたぞ半三さんか いつも早いに今宵は遅い  
今宵遅いはわけあるお民 今宵両親に意見におうた  
私は冥土におもむく程に 私しゃ冥土の道連れします 
 
中山心情

 

能登の滝谷金栄山へ 今年始めて参詣すれば 
国に聞きゆる名所勝る 山の開祖は日像ぼさつ
大工頭領尋ねてきけば 飛騨の匠が分別ざかり 
思案ざかりや自慢のさかり たくみたくんだ七堂がらん
門は総門二王のごもん 本堂祖師堂客殿三光 
五重番神釈迦堂に経堂 下に建つたる三十七坊
数百五間の廻廊かけて いつがてるやら雨ふる日やら 
法華経読誦は法界の供養 ことに六月二十六日は 
寄合と名づけて名所ますて 稚児や音楽浄土のまねい 
貴賤老若数万のぐんしゆ 如何に畜類鳥類つばさ
有生非生の木草もなびく 何が不足に泣く蝉の声 
ここに鹿島路千路柳出の 参りがてらに始終のうわさ
きくにこの頃四、五日以前 山のふもとのつよ山中に 
近所めずらし心情ばなし 次第男は名は半六よ
年ははたちではや色ざかり きりよう自慢で業平まさる 
百姓ながら町人そだち いかな女も袖ひく男
ここに庄屋の与平がむすめ 年は二八でおげんというて 
面のえくぼや目元でころし 心じまんで人あいすぐれ
生まれすぐさままつよの姫か 小野小町か玉おる姫か 
この世まれなるなさけの姿 きりようじまんで二親様は
月よ花よと眺めて暮らし 月に村雲花には嵐 
いつの頃より半六様と 親も許さんひよくの契り
かわす枕や小袖の糸よ 数を重ねていとしさまさる 
与平夫婦はかくとも知らず 浜のそはまのこうじやどのへ
去年の秋より約束致し やがて嫁入りはやみな月の 
百の日かずもたつ日は急ぐ 今日は九日明くれば十日
駕の拵えいしようの仕立 夜具や蒲団やすずすの蚊帳や 
十二手具足べにおしろいや 親のきずくし何国のならい
人にかくして心をつくし おげんつくづく心の中は 
さても悲しやあら気の毒や 父の御恩はしゆみせんよりも
母の御恩は蒼海よりも ましてたとえし古人の詞 
親の不幸は仏にも不幸 この世ばかりかまた来世まで
沈むばかりか浮世のはじか ほんに浮世と互いにそめた 
二世と交わせし半六殿の 道をそむけばちくしようかよ
死のか生きよか走ろか遠く 思いわけたることもなし 

思いおすんで半六殿が へやに立寄りこれこれおげん
聞けばそもじは咲く花の緑 桔梗目出度く千代女郎花
わしはこれから身はかるかやの 髪をこぼして高野の山と
何国いかなる深山の住居 女鳥なからん山ほととぎす
見捨てられたあやめの花と 是非もないない思いし言葉
ゆえし言葉の身はあだ花と しばし涙にくれにけり

おげんさわがず気は曲げもなし 何をいわんす半六様は
親の言葉は不肖のものと あいと答えて言葉の下に
心せちきく身は杜若 二世とかわせしおまいを捨て
外かに花咲く気は梨の花 おまい狂気か杜若のようか
ぱつと咲きたる心のせきは そしてお前はどう思わんす
吾れはこれより十万億の 西の御国で咲く花の緑
祖師にまかせて成仏せんと 思いきわめたるそのしるしには
九寸五分ある少しの刃 雪の肌よりすらりと出せば
なんぼ気づよい半六様も はつとすいきに色あらわして
何んとおまいはまつよの姫か 曽我のはやとのごろぞうか
われを思いしそのこころざし 思い合いたる幾世のちぎり
またぞ未来は一蓮托生 さらば本望このよのうちに

頃は宝暦十年の 而も六月十六日は 
月もさやけき草葉の上に 露にかがやく姿をうつす
おまいめしたる浅黄の小袖 萠黄博多の帯ひきしめて
さやのはちまき奥島袴 下につけたる小金のめぬき
露かがやくそれみやしやんせ さらばうつろうそもじのかげも
下に白無垢あつには千草 上にりんずの唐草模様
帯は黒朱子当世結び しやんと軽してかるこしらえて
重きぼたいを一身にかけて ここに最後の浄証寺参り
門の外にと願念いたし 深く願はん平生ごうぜう
女人願はこちらへたたず 二人一所にみちびき給え
ときにおげんは申するよには もはや夜も更けやごいの鳥の
声もみだるる時刻ものびる 人の見る目もあやしゆごさる
わしを早ようころしてたべと 行儀居ずまいすぐさまなをし
無量寿仏とおがみつつ ため少なくないは情の縁と
いえば互いに合掌いたし 西に向こうて称名唱え 
そこで半六刀を取りて おのが腹をばすらりと切りて
つぎに女房のかいしやくすまし 無情の嵐にほろびけり  
 

 

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郡上盆踊り唄 

 

 
郡上盆踊り唄 / やっちく「郡上義民伝」
 
私がちょいと出てべんこそなけれど 私ゃ郡上の山中家(さんちゅうや)に住めば 
お見かけ通りの若輩なれば 声も立たぬがよ文句やも下手よ 
下手なながらも一つは口説く 口説くに先立ち頼みがござる 
とかくお寺は檀家衆が頼り やせ畑作りは肥やしが頼り 
村の娘達ゃ若い衆が頼り そして又若い衆は娘さんが頼り 
下手な音頭取りゃおはやし頼り ヤッチクヤッチクさとおはやし頼む 
調子揃えば文句やにかかる 
上の巻 
これは過ぎにしその物語 聞くも哀れな義民の話 
時は宝暦五年の春よ 所は濃州郡上の藩に 
領地三万八千石の その名金森出雲の守は 
時の幕府のお奏者役で 派手な勤めにその身を忘れ 
すべて政治は家老に任せ 今日も明日もと栄華にふける 
金が敵か浮世の習い お国家老の粥川仁兵衛 
お江戸家老と心を合わせ ここに悪事の企ていたす 
哀れなるかな民百姓は あれもこれもと課税が増える 
わけて年貢の取りたてこそは いやが上にも厳しい詮議 
下の難儀は一方ならず かかる難儀に甚助殿は 
上の噂をしたとの科で すぐに捕らわれ水牢の責め苦 
責めた挙げ句が穀見ケ原で 哀れなるかな仕置と決まる 
かくて苦しむ百姓衆を 見るに見かねた名主の者が 
名をば連ねて願い出すれど 叶うどころか詮議は荒く 
火責め水責め算盤責めに 悶え苦しむ七十余人 
餓え死にする者日に増すばかり 最早堪忍これまでなりと 
誰が出したか回状が廻る 廻る回状が何よと問えば 
北濃一なるアノ那留ケ野に 心ある衆皆集まれと 
事の次第が記してござる 
中の巻 
時が来かよ三千余人 蓆旗や竹槍下げて 
百姓ばかりが雲霞のごとく 既にお城へ寄せんず時に 
待った待ったと人押し分けて 中に立ったは明方村の 
気良じゃ名主の総代勤め 人に知られた善右衛門殿で 
江戸に下りて将軍様に 直訴駕籠訴を致さんものと 
皆に図れば大勢の衆が 我も我もと心は一つ 
わけて気強い三十余人 道の難所と日数を重ね 
やがてついたが品川面 されど哀れや御用の縄は 
疲れ果てたるその人々を 一人残らず獄舎に繋ぐ 
聞くも涙よ語るも涙 ここに哀れな孝女の話 
名主善右衛門に一人の娘 年は十七その名はおせき 
父はお江戸で牢屋の責め苦 助け出すのは親への孝行 
そっと忍んで家出をいたし 長の道中もか弱い身とて 
ごまの蠅やら悪者どもに 既に命も危ういところ 
通り合わした天下の力士 花も実もある松山関と 
江戸屋親分幸七殿が 力合わせて娘を助け 
江戸に連れ行き時節を待てば 神の力か仏の業か 
幸か不幸か牢屋が焼ける それに紛れて善右衛門殿は 
逃れ逃れて墨田の土手で 巡り会うのも親子の縁よ 
時節到来御老中様が 千代田城にと御登城と聞いて 
名主善右衛門はじめといたし 同じ願いに五人の者は 
芝で名代の将監橋で 恐れながらと駕籠訴いたす 
かくて五人はその場を去らず 不浄縄にといましめられて 
長井間の牢屋の住まい 待てど暮らせど吟味はあらず 
もはや最後の箱訴なりと 城下離れし市島村の 
庄屋孫兵衛一味の者は 江戸に下りて将軍様に 
箱訴なさんと出で立つ間際 
下の巻 
話かわりて孫兵衛宅の 妹お滝は利発な生まれ 
年は十六つぼみの花を 水仕奉公と事偽りて 
二年前から間者の苦労 今日も今日とて秘密を探り 
家老屋敷をこっそり抜けて 家へ戻って語るを聞けば 
下る道中太田の渡し そこに大勢待ち伏せなして 
一人残らず捕らえるたくみ そこで孫兵衛にっこり笑い 
でかした妹この後とても 秘密探りて知らせてくれよ 
言うてその夜に出立いたす 道の方角からりと変えて 
伊勢路回りで桑名の渡し 宮の宿から船にと乗りて 
江戸に着いたは三月半ば 桃の節句はのどかに晴れる 
四月三日に箱訴いたし すぐにお裁き難なく終わり 
悪政露見で金森様は ついにお家も断絶いたす 
それに連なる重役達も 重いお仕置きまた島流し 
名主お庄屋その他の者は 願い主とて皆打ち首と 
ここに騒動も一段落し 宝暦九年は青葉の頃に 
郡上藩へは丹後の宮津 宮津城主の青山様が 
御高四万八千石で 御入城とは夢見る心地 
政治万端天地の変わり 長の苦しみ一時に消えて 
いつものどかに郡上の里 
めでためでたの若松様か 枝も栄える葉も茂る 
これぞ義民の賜ぞとて ともに忘るなその勲しを 
ともに伝えん義民の誉れ 
 
郡上盆踊り唄 / かわさき

 

郡上のナー八幡 出ていく時は 雨も降らぬに 袖しぼる 
(袖しぼるノー袖しぼる)アソンレンセ(雨も降らぬに袖しぼる)  
天のナーお月様 ツン丸こて丸て 丸て角のて そいよかろ 
郡上のナー殿様 自慢なものは 金の弩標(どひょう)に 七家老 
心中ナーしたげな 宗門橋(そうもんばし)で 小駄良(こだら)才平(さいべい)と 酒樽と 
金がナー出る出る 畑佐の山で 銀と鉛と 赤がねと 
向(むかい)ナー小駄良の 牛の子を見やれ 親が黒けりゃ 子も黒い 
唄もナー続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く 
日照りナーしたとて 乙姫様の 滝の白糸 切れはせぬ 
郡上はナー馬どこ あの磨墨(するすみ)の 名馬出したも 気良(けら)の里 
泣いてナー分かれて 松原行けば 松の露やら 涙やら 
忘れナーまいぞえ 愛宕の桜 縁を結んだ 花じゃもの 
駒はナー売られて いななき交わす 土用七日の 毛附け市 
白いナー黒いで 自慢なものは おらが在所の 繭と炭 
東殿(とうど)ナー山から 覗いた月を 写す鏡は 吉田川 
雪のナー降る夜は 来ないでおくれ かくし切れない 下駄の跡 
咲いたナー桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る 
郡上のナー八幡 出ていく時は 三度見返(かや)す 枡形を 
天のナーお月様 かかぁ盗まれて 雲の間(あい)から かかぁかかぁと 
私ゃナー郡上の 山奥育ち 主と駒曳く 糸も引く 
嫁をナーおくれよ 戒仏(かいぶつ)薬師 小駄良三里に 無い嫁を 
思いナー出しては くれるか様も わしも忘れる ひまがない 
お国ナー自慢にゃ 肩身が広い 郡上踊りに 鮎の魚 
泣いてナー分かれて いつ逢いましょか 愛(いと)し貴方は 旅のかた 
安久田(あくだ)ナー蒟蒻(こんにゃく) 名皿部(なさらべ)牛蒡(ごんぼ) 五町大根(だいこ)に 小野茄子(なすび) 
今夜ナー逢いましょ 宮ケ瀬橋で 月の出る頃 上がる頃 
見たかナー聞いたか 阿弥陀ケ滝の 滝の高さと あの音を 
郡上にナー過ぎたは 長滝講堂 飛騨に過ぎたは 一の宮 
音頭ナー取る娘の 可愛い声で 月も踊りも 冴えてくる 
盆にゃナーおいでよ 愛(う)い孫連れて 郡上踊りも 見るように 
祭りナー見るなら 祖師野(そしの)の宮よ 人を見るなら 九頭の宮 
踊らナーまいかよ 祖師野の宮で 四本柱を 中にして 
宇山ナー通るとて 会笹(かいざき)見れば 森屋おりんが 化粧する 
愛宕ナー三月 桜で曇る 曇る桜に 人が酔う 
散るとナー心に 合点はしても 花の色香に つい迷う 
鐘がナー鳴るのか 撞木が鳴るか 鐘と撞木と 合うて鳴る 
愛宕ナー山から 吉田の流れ 眺め見飽かぬ 宮瀬橋 
西もナー東も 南もいらぬ わたしゃあなたの 北がよい 
別れナー別れて 歩いておれど いつか重なる 影法師 
花のナー愛宕に 秋葉の紅葉 月がのぞくか 吉田川 
わしがナー出しても 合わまいけれど 合わぬところは ごめなさりょ 
唄もナー続くが 踊りも続く 月の明るい 夜も続く 
娘ナー島田に 蝶々がとまる とまるはずだよ 花じゃもの 
歌いナーなされよ 向かいのお方 唄で御器量は 下がりゃせぬ 
唄でナー御器量が もしいち下がりゃ 時の相場を 上げて 
もはやナーかわさきゃ やめてもよかろ 天の川原は 西東
 
郡上盆踊り唄 / 三百

ハア揃えてござれ(ホイ)小豆ょかすよに ごしょごしょと 
(ごしょごしょとノーごしょごしょと)ホイ小豆ょかすよに ごしょごしょと 
ハアヨーオイヨイコリャー 
今年はじめて三百踊り(ホイ) おかしからずよ 他所の衆が 
(他所の衆がノー他所の衆が)ホイ(おかしからずよ 他所の衆が) 
誰もどなたも 揃えてござれ 小豆ょかすよに ごしょごしょと 
おらが若い時ゃ チョチョラメてチョメて やかんかけるとて 魚籠(びく)かけた 
越前歩荷(ぼっか)の荷なら そこに下すな 鯖くさい 
今の音頭さは どんまいとこはねた おらもそこらと 思ていた 
何もかも仲間 なすび汁煮りゃ なお仲間 
買うておくれよ 朝鮮ベッコウのかんざしを 村でささぬは わしゃ一人 
泥鰌(どじょう)すいてきたに おかかなすびの ほぞとりゃれ 
どっこいしょと 堀越を越えて 行けば宮代 一夜とる 
寝たか寝なんだか まくらに問やれ まくら正直 寝たと言うた 
思い出しては くれるか様も わしも忘れる 暇がない 
切れてしまえば バラバラ扇子 風のたよりも 更にない 
土京(どきょう)鹿倉(かくら)のどんびき踊り 一つとんでは 目をくます 
てっかりてっかりてっかりと 金のようらく 下げたよな 
竹の切り株ちゃ 酒呑童子の小便桶(しょんべんけ) 澄まず濁らず 出ずいらず 
猫がねずみ取りゃ いたちが笑う いたち笑うな われも取る 
禿げた頭を やかんじゃと思て 番茶つまんで 叱られた 
後家とやもめと 座頭(ざっと)の子と瞽女と 禅宗坊様と お比丘尼と 
暑い寒いの 挨拶よりも 味噌の百匁も くれりゃよい 
泣いて別れて 清水橋越えて 五町のせば岩で けつ叩く 
今年ゃ何でもかんでも 嫁入りせにゃならぬ 同じすること 楽にする 
嫁入りしたけど しやわせわるて へそが出べそで 帰された 
川の瀬でさえ 七瀬も八瀬も 思い切る瀬も 切らぬ瀬も 
わしが出しても 合わまいけれど 合わぬところは 御免なさりょ 
盆が来たなら するぞえかかま 箱の宝の 繻子の帯 
面白い時ゃ お前さと二人 苦労する時ゃ わし一人 
田地買おうか 褌買うか どちらも倅の ためになる 
昔馴染みと 蹴つまずく石は 憎いながらも 後を見る 
様となら行く わしゃどこまでも 枝垂れ柳の 裏までも 
井戸の蛙と そしらばそしれ 花も散り込む 月も差す 
蕾が花よと 言うたは道理 開きゃ嵐に 誘われる 
よせばいいのに 舌切り雀 ちょっと舐めたが 身のつまり 
声がかれたに 水くりょと言うたら くんでくれたよ 砂糖水を 
恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす 
娘したがる 親させたがる 箱の宝の 繻子の帯 
お前二十一 私は十九 四十仲良く 暮らしたい 
姉がさすなら 妹もさしゃれ 同じ蛇の目の 唐傘を 
同じ蛇の目の 唐傘をさせば どちが姉やら 妹やら 
音頭取りめが 取りくだぶれて さいた刀を 杖につく 
 
郡上盆踊り唄 / げんげんばらばら

げんげんばらばら何事じゃ 親もないが子もないが 
一人貰うた男の児 鷹に取られて今日七日 
七日と思えば四十九日 四十九日の墓参り  
叔母所(おばんところ)へ一寸寄りて 
羽織と袴を貸しとくれ あるものないとて貸せなんだ 
おっぱら立ちや腹立ちや 腹立ち川へ水汲みに 
上ではとんびがつつくやら 下ではからすがつつくやら 助けておくれよ長兵衛さん 
助けてあげるが何くれる 千でも万でもあげまする 
    私ゃ紀の国みかんの性(たち)よ 青いうちから見初められ 
    赤くなるのを待ちかねて かきおとされて拾われて 
    小さな箱へと入れられて 千石船に乗せられて  
    遠い他国に送られて 肴や店にて晒されて  
    近所あたりの子ども衆に 一文二文と買い取られ  
    爪たてられて皮むかれ 甘いかすいかと味みられ わしほど因果なものはない 
立つ立つづくしで申すなら 一月門には松が立つ 
二月初午稲荷で幟立つ 三月節句に雛が立つ  
四月八日に釈迦が立つ 五月節句に幟立つ 
六月祇園で祭り立つ 七月郡上で踊り立つ 
八月九月のことなれば 秋風吹いてほこり立つ 
十月出雲で神が立つ 十一月のことなれば 
こたつが立ってまらが立つ 十二月のことなれば 
借金とりが門に立つ 余り催促厳ししゅうて 内のかかあ腹が立つ 
    駕篭で行くのはお軽じゃないか 私ゃ売られていくわいな 
    主のためならいとやせぬ しのび泣く音は加茂川か 
    花の祇園は涙雨 金が仇(かたき)の世の中か 
    縞の財布に五十両 先へとぼとぼ与市兵衛 
    後からつけ行く定九郎 提灯バッサリ闇の中 
    山崎街道の夜の嵐 勘平鉄砲は二つ玉  
器量がよいとてけん高ぶるな 男がようて金持ちで 
それで女が惚れるなら 奥州仙台陸奥の守 
陸奥の守の若殿に なぜに高尾が惚れなんだ 
    田舎育ちの鶯が初めて東へ下るとき 一夜の宿をとりそこね  
    西を向いても宿はなし 東を向いても宿はなし 梅のこずえを宿として 
    花の蕾を枕として落つる木の葉を夜具として 月星眺めて法華経読む 
おぼこ育ちのいとしさは しめた帯からたすきから 
ほんのりこぼれる紅の色 燃える想いの恋心 
かわいがられた片えくぼ 恥ずかしいやらうれしいやら 
うっとり貴男の眼の中で 私ゃ夢見るすねてみる 
    びんのほつれをかきあげながら 涙でうるむふるい声 
    私ゃお前があるがゆえ ほうばい衆や親方に 
    いらぬ気兼ねや憂き苦労 それもいとわず忍び逢い 
    無理に工面もしようもの 横に車を押さずとも 
    いやならいやじゃと言やしゃんせ 相談づくのことなれば 切れても愛想はつかしゃせぬ 
    酒じゃあるまいその無理は 外に言わせる人がある 
髪は文金高島田 私ゃ花嫁器量よし 赤いてがらはよいけれど 物が言えない差し向かい 
貴男と呼ぶも口の内 皆さん覗いちゃ嫌ですよ 
    十四の春から通わせおいて 今更嫌とは何事じゃ 
    東が切りょか夜が明けようが お寺の坊さん鐘撞こうが 
    向かいのでっちが庭掃こが 隣のばあさん火を焚こうが 枕屏風に陽はさそが 
    家から親たちゃ連れにこが そのわけ聞かねばいのきゃせぬ 
娘十八嫁入り盛り 箪笥長持はさみ箱  
これほど持たせてやるからは 必ず帰ると思うなよ 申しかかさんそりゃ無理よ 
西が曇れば雨となり 東が曇れば風となる  
千石積んだ船でさえ 追い手が変われば出て戻る 
    筑紫の国からはるばると 父を訪ねて紀伊の国  
    石童丸はただ一人 母の仰せを被りて かむろの宿で名も高き 
    玉屋与平を宿として 九百九十の寺々を  
    訪ねさがせど分からない それほど恋しい父上を 
    墨染め衣にしてくれた ぜんたい高野が分からない 
郡上八幡かいしょう社 十七、八の小娘が 
晒しの手拭い肩にかけ こぬか袋を手に持ちて 
風呂屋はどこよとたずねたら 風呂屋の番頭の言うことにゃ 風呂はただ今抜きました 
抜かれたあなたは良いけれど 抜かれたわたしの身が立たぬ 
 
郡上盆踊り唄 / さわぎ

呑めよ騒げよ一寸先ゃ闇よ(コラサ) 今朝も裸の下戸が来た 
花が蝶々か蝶々が花か 来てはちらちら迷わせる 
水させ水させ薄くはならぬ 煎じつめたる仲じゃもの 
さいた盃中見てあがれ 中にゃ鶴亀五葉の松 
私ゃ唄好き 念仏嫌い 死出の山路は唄で越す 
若い娘と新木(あらき)の船は 人が見たがる乗るたがる 
今年ゃうろ年うろたえました 腹におる子の親がない 
鶯鳥でも初音はよいに 様と初寝はなおよかろ 
向かい小山に 日はさいたれど 嫁の朝寝は起こしゃせぬ 
一夜寝てみて寝肌がよけりゃ 妻となされよいつまでも 
泣いて別れて松原行けば 松の露やら涙やら 
今宵一夜は浦島太郎 開けて口惜しや玉手箱 
思い出いてはくれるか様も わしも忘れる暇がない 
明日はお立ちかお名残惜しや 雨の十日も降ればよい 
親の意見と茄子の花は 千に一つの無駄がない 
へちまの野郎がめっぽう太り 育てた垣根を突き倒す 
無理になびけと言うのは野暮よ 柳と女は風次第 
姉は破れ笠させそでさせん 妹日傘で昼させる 
若い内じゃも一度や二度は 親も目長にしておくれ 
梅の匂いを桜に持たせ 枝垂れ柳に咲かせたい 
梅も嫌いよ桜も嫌だ 桃とももとの合いが好き 
色の小白い別嬪さん惚れて 烏みたよな苦労する 
ついておいでよこの提灯に 消して苦労はさせはせぬ 
三味の糸ほどキュックラキューと締めて 撥の当たるほど寝てみたい 
鶯でさえ初音はよいが あなたと初寝はなおよかろ 
月のあかりで山道越えて 唄で郡上へ駒買いに 
様はよい声細谷川の 鶯の声面白い 
惚れてくれるなわしゃ弟じゃに 連れて行くにも家がない 
西も嫌いよ東も嫌だ わたしゃあなたの北がよい 
浮気男と茶釜の水は わくも早いがさめやすい 
惚れていれども好かれておらず 磯の鮑の片思い 
今夜寝にくる寝床はどこじゃ 東枕に窓の下 
東枕に窓とは言うたが どちが西やら東やら 
字余り 
竹に雀は あちらの藪からこちらの藪まで チュンチュンバタバタ羽交を揃えて 
品よくとまる 止めて止まらぬ色の道 
娘島田を 根っからボックリ切って 男のへそにたたきつけ  
それでも浮気の止まない時には 
宗十郎の芝居じゃないが 行灯の陰から ヒューヒュラヒュッと化けて出る 
雨はしょぼしょぼ降る 蛇の目の唐傘 小田原提灯  
ガラガラピッシャンドッコイ姉さんこんばんは 誰かと思ったら主さんが  
竹の一本橋 すべりそうでころがりそうで危ないけれど 蛇の目の唐傘 
お手手をつないで 主となら渡る 落ちて死んでも二人連れ 
竹になりたや 大阪天満の天神様の お庭の竹に 
元は尺八中は笛 裏は大阪天満の天神様の文を書く 法名を書く筆の軸 
摺り鉢を伏せ眺める三国一の 味噌をするのが富士の山 
ござるたんびに ぼた餅かい餅うどんにそうめんそば切りやないで 
なすび漬け喰ってお茶まいれ 
郡上八幡 来年来るやら又来ないやら 来ても逢えるやら逢えぬやら 
竹の切り株に なみなみたっぷり溜まりし水は 澄まず濁らず出ず入らず 
瀬田の唐橋 膳所(ぜぜ)の鍛冶屋と大津の鍛冶屋が 
朝から晩まで飲まずに食わずにトッテンカッテン 叩いて伸ばして 
持って来てかぶせた唐金擬宝珠(ぎぼし) それに映るは膳所の城 
朝顔の花の 花によく似たこの杯は 今日もさけさけ 明日もさけ 
十二本梯子を 一挺二挺三挺四挺五六挺かけても 届かぬ様は  
お天道様じゃとあきらめた 
あまりしたさに 前に鏡立て中よく見れば 中は紺ちゃん黒茶のエリマキシャーリング  
らしややしょじょひの立烏帽子 
声が出ない時ゃ 干支じゃないけど ネウシトラウタツミの隣のどん馬のけつを  
ギュッギュらくわえてチュッチュラチュとすやれ 馬のけつから声が出る 
 
郡上盆踊り唄 / 春駒

(七両三分の春駒春駒) 
郡上は馬どこ あの磨墨の 名馬 出したも ササ気良の里(七両三分の春駒春駒) 
私ゃ郡上の 山奥育ち 主と馬曳く ササ糸も引く 
金の弩標(どひょう)は 馬術のほまれ 江戸じゃ赤鞘(あかざや) ササ郡上藩 
駒は売られて いななき交わす 土用七日の ササ毛附け市 
なんと若い衆よ 頼みがござる 今宵一夜は ササ夜明けまで 
日照りしたとて 乙姫様の 滝の白糸 ササ切れはせぬ 
村じゃ一番 お庄屋様の 小町娘の ササ器量のよさ 
踊り子が来た 大門先へ 繻子(しゅす)の帯して ササ浴衣着て 
二十五日は 天神祭り ござれ小瀬子の ササ茶屋で待つ 
東殿(とうど)山から 覗いた月を 映す鏡が ササ吉田川 
様が三夜の 三日月様を 宵にちらりと ササ見たばかり 
親のない子に 髪結うてやれば 親が喜ぶ ササ極楽で 
様が様なら 私じゃとても かわる私じゃ ササないわいな 
様は三夜の 三日月様よ 宵にちらりと ササ見たばかり 
親の意見と 茄子(なすび)の花は 千に一つの ササ無駄はない 
郡上の殿様 自慢なものは 金の弩標(どひょう)に ササ七家老 
揃た揃たよ 踊り子が揃た 二番すぐりの ササ麻の様に 
踊り上手で 身上持ちようて 赤い襷の ササ切れるまで 
踊り踊って 嫁の口なけりゃ 一生後家でも ササ構やせぬ 
踊り助平が 踊りの夢で 音頭寝言に ササ取っている 
踊り助平が 今来たわいな わしも仲間に ササしておくれ 
向かい小山に 日はさいたれど 嫁の朝寝は ササ起こしゃせぬ 
人は一代 名は末代と およしゃお城の ササ人柱 
馬は三才 馬方二十歳 着けたつづらの ササ品のよさ 
音頭取りめが 橋から落ちて 橋の下でも ササ音頭取る 
遠く離れて 咲く花待てば 散りはせぬかと ササ気は紅葉 
思うことさえ 言われぬ口で 嘘がつかれる ササはずがない 
島田娘と 白地の浴衣 ちょっとしたまに ササ色が着く 
からむ朝顔 ふり切りかねて 身をばまかせた ササ垣の竹 
肩を叩くは 孝行息子 すねをかじるは ササどら息子 
嫌な雪じゃと はね返しても 義理が積もれば ササ折れる竹 
花は咲いても わしゃ山吹の ほんに実になる ササ人はない 
愛宕山から 春風吹けば 花の郡上は ササちらほらと 
咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば ササ花が散る 
今日は日がよて 朝からようて 思う殿まに ササ二度会うた 
声はすれども 姿は見えぬ 様は草場の ササきりぎりす 
様が草場の きりぎりすなら わたしゃ野山の ササほととぎす 
音頭取りめが 取りくだぶれて さいた刀を ササ杖につく 
 
郡上盆踊り唄 / 甚句

櫓ヨー太鼓に ふと目を覚まし 
明日はヨーどの手で コイツァ投げてやる 
角力(すもう)にゃエー負けても 怪我さえなけりゃ たまにゃヨー私も コイツァ負けてやる  
思うヨー様なら 竹よとかけて 水でヨー便りが コイツァして見たい 
角力にゃエー投げられ 女郎(おやま)さんにゃふられ どこでヨー立つ瀬が コイツァわしが身は 
夜明けヨーましたら 起こしておくれ お前ヨー頼りで コイツァ居るわいな 
角力ナー取りじゃの 道楽じゃのと 言うてヨー育てた コイツァ親はない 
今年ゃヨーこうでも また来年は こうもヨーあるまい コイツァなよ殿ま 
歌うてエー出たぞえ お庭の鳥が いつにヨー変わらぬ コイツァ良い声で 
嫁をエーおくれよ 戒仏薬師 小駄良ヨー三里に コイツァない嫁を 
白いヨー黒いで 自慢なものは おらがヨー在所の コイツァ繭と炭 
小田のエーかわずは 身にあやまりが あるかヨー両手を コイツァついて鳴く 
ついてヨー行きたい 送りに出たい せめてヨー御番の コイツァ札所まで 
どうせヨーこうなら 二足の草鞋 ともにヨー履いたり コイツァ履かせたり 
信州エー信濃の新蕎麦よりも わたしゃヨーあなたの コイツァそばがよい 
絞りヨー浴衣に かんざし添えて 毛付けヨー土産と コイツァ投げ込んだ 
馬じゃヨー摺墨(するすみ) 粥川鰻 響くヨー那留石 コイツァ宗祇水 
盆のエー十四日にゃ お寺の前で 切り子ヨー行燈を コイツァ中にして 
よそのエー若い衆か よう来てくれた 裾がヨー濡れつら コイツァ豆の葉で 
盆じゃヨー盆じゃと 待つ内ゃ盆よ 盆がヨーすんだら コイツァ何を待つ 
お前ヨー一人か 連れ衆はないか 連れ衆ヨーあとから コイツァ駕籠で来る 
小那比エー松茸 前谷山葵 気良じゃヨー馬のこ コイツァ坪佐炭 
天気エーよければ 天王様の 宮のヨー太鼓の コイツァ音のよさ 
ここのヨーお庭に 茗荷と蕗と 御冥加ヨー栄える コイツァ富貴繁盛 
お前ヨー松虫 わしゃきりぎりす 障子ヨー一重で コイツァ鳴き明かす 
八重のエー山吹 派手には咲けど 末はヨー実のない コイツァことばかり 
せかずとお待ちよ 時節がくれば 咲いてヨーみせます コイツァ床の梅 
上をエー思えば 限りがないと 下をヨー見て咲く コイツァ百合の花 
いやなエーお方の 親切よりも 好きなヨーお方の コイツァ野暮がよい 
惚れりゃエー千里も 一里じゃなどと 虎のヨー尾につく コイツァ古狐 
紺のヨー暖簾に 松葉の散らし まつにヨーこんとは コイツァ気にかかる 
ついてヨーおいでよ この提灯に けしてヨー苦労は コイツァさせはせぬ 
姉とヨー言うたれど 妹をおくれ 姉はヨー丙の コイツァ午の年 
姉はヨー丙の 午年なれど 妹ヨー庚の コイツァ申の年 
郡上はエーよいとこ 住みよいところ 水もヨー良ければ コイツァ人もよい  
野口雨情作詩 
踊りエー踊ろうとて 人さまよせて 一目ヨー逢いたい コイツァ人がある 
今夜エー逢いましょう 宮ケ瀬橋で 月のヨー出る頃 コイツァ昇る頃 
山にエー春雨 野に茅花(つばな) いねのヨー陰から コイツァつばくらめ 
青いエーすすきに 蛍の虫は 夜のヨー細道 コイツァ通て来る 
狸エー出てきて お月さんに化けな 今夜ヨー闇夜で コイツァ道ぁ暗い 
踊りエー踊るのに 下うつむいて 誰にヨー気兼ねを コイツァするのやら 
秋のエー夜長を 夜もすがら 空にヨーまんまる コイツァ月の影 
谷のエー木陰に 降る雪は 笹にヨーそばえて コイツァ夜を明かす 
雲のエー行き来に また山隠す 郡上はヨー山又 コイツァ山の中 
 
郡上盆踊り唄 / 古調かわさき

郡上のナー八幡 コラ出ていく時は 三度見かやす枡形(ますがた)を 
(枡形をノー枡形を)アソンレンセ(三度見かやす枡形を) 
天のナーお月様 コラかか盗まれて 雲の間(あい)から かかァかかァと 
どんなナーことにも コラよう別れんと 様も一口ゃ 言うておくれ 
踊りナーつかれて コラはや夜が明けた 何の話も できなんだ 
わしのナー殿まは コラこの川上の 水の流れを 見て暮らす 
婆さナー枕元 コラ箱根の番所 通り抜けたも 知らなんだ 
思いナー出しては コラくれるか様も わしも忘れる 暇がない 
夜明けナーましたら コラ起こしておくれ お前頼りで いるわいな 
今年ゃナーこうでも コラまた来年は こうもあろまい なよ殿ま 
声のナー良い衆は コラその身の徳じゃ 諸国諸人に 思われる 
昔ゃナー 侍 コラ今世に落ちて 小笹まざりの 草を刈る 
盆のナー十四日にゃ コラ蓮の葉となりて 一夜もまれて 捨てられた 
何がナー何でも コラお前さでなけりゃ 東ゃ切れても 夜は明けぬ 
桑もナーよく咲け コラお蚕も良かれ 若い糸引きょ 頼まずに 
坊主ナー山道 コラ破れし衣 行きも帰りも 木にかかる 
今宵ナー一夜は コラ浦島太郎 明けて悔しや 玉手箱 
親のナーない子の コラ髪結うてやれば 親が喜ぶ 極楽で 
おらがナー若い時ゃ 五尺の袖で 道の小草も なびかせた 
二十ナー五日は コラ天神祭 ござれ小瀬子の 茶屋で待つ 
天気ナー良ければ コラ大垣様の 城の太鼓の 音の良さよ 
天のナー星ほど コラ夜妻あれど 月と守るは 主一人 
思うナーようなら コラ竹どよかけて 水で便りが してみたい 
咲いてナー悔しや コラ千本桜 鳥も通わぬ 奥山に 
泣いてナー別れて コラ松原行けば 松の露やら 涙やら 
泣いてナー別れて コラいつ逢いましょか いとしあなたは 旅の人 
明日はナーお発ちか コラお名残惜しや 雨の十日も 降ればよい 
高いナー山には コラ霞がかかる 若い娘にゃ 気がかかる 
郡上はナーよいとこ コラよい茶ができる 娘やりたや お茶摘みに 
お前ナー二十一 コラわたしは十九 四十仲良く 暮らしたい 
植えてナーおくれよ コラ畦にも田にも 畦はかかまの しんがいに 
今日のナー田植えは コラ春三月の 桜花かよ ちらちらと 
那比のナー字留良や コラのう亀尾島も 住めば都じゃ のや殿ま 
泥でナー咲かした コラこのかきつばた 活けて根じめが 見てほしい 
気だてナーよけりゃと コラ言うたことぁ言うたが されどご器量が 気にかかる 
人をナー泣かせりゃ コラまた泣かされる ともに泣いたり 泣かせたり 
歌はナー唄やれ コラ話はおきゃれ 話ゃ仕事の 邪魔になる 
わしとナーあなたと コラ草刈る山に 藪や茨が なけりゃよい 
藪やナー茨が コラありゃこそよかれ 藪の木陰も のや殿ま 
もはやナーかわさきゃ コラやめてもよかろ 天の川原は 西東 
天のナー川原は コラ西東でも 今宵一夜は 夜明けまで 
 
郡上盆踊り唄 / 猫の子

ヤアヨーホーイヤーヨーイ 
猫の子がよかろ(猫の子がよかろ) 
猫でしやわせ コラねずみょ取る 
(ねずみょ取るノーねずみょ取る 猫でしやわせ コラねずみょ取る) 
猫がねずみ取りゃ いたちが笑う いたち笑うな コラわれも取る 
誰もどなたも 猫の子にしょうまいか 猫でしやわせ コラねずみょ取る 
てっかりてっかりてっかりと 金のようらく コラ下げた様な 
親の意見と茄子の花は 千に一つの コラ無駄がない 
よせばいいのに 舌切り雀 ちょいとなめたが コラ身のつまり 
坊主山道 破れし衣 行きも帰りも コラ気にかかる 
大笹原で 誰か寝たよな コラ跡がある 
寝たか寝なんだか 枕に問やれ 枕正直 コラ寝たと言うた 
婆さ枕元 箱根の番所 通り抜けたも コラ知らなんだ 
越前歩荷(ぼっか)の荷なら そこで下ろすな コラ鯖くさい 
破れ褌 将棋の駒よ 角と思えば コラ金が出た 
夕んべ夜這人(よばいにん)が 猫踏みころいた 猫で返しゃれ コラ熊笹で 
夕んべ夜這人(よばいと)が 二階から落ちて 猫の鳴き真似 コラして逃げた 
様と三日月ゃ 宵にばかござる いつかござれよ コラ有明に 
来るか来るかと 待つ夜は来ずに 待たぬ夜に来て コラ門に立つ 
門に立ったる 西国巡礼 住まい名乗れよ コラ婿に取る 
住まい名乗れば 恥ずかしょござる 旧の目とりの コラ子でござる 
坊主だまいて 金取ろまいか せんぶまんぶの コラお経の金 
鶯鳥でも 初音は良いに 様と初寝は コラなお良かろ 
様の親切 たばこの煙 次第次第に コラ薄くなる 
色で身を売る 西瓜でさえも 中にゃ苦労の コラ種がある 
元まで入れて 中で折れたら コラどうなさる 
一夜寝てみて 寝肌が良けりゃ 妻となされよ コラ末までも 
一夜ござれと 言いたいけれど まんだ嬶まの コラ傍で寝る 
何と若い衆よ じゃけらはおきゃれ じゃけらしてから コラ子ができた 
姉と言うたれど 妹をおくれ 姉は丙の コラ午の年 
夜は何時じゃ しのべ九つ コラ夜は七つ 
切れてしまえば バラバラ扇子 風の便りも コラ更にない 
昔馴染みと 蹴つまづいた石は 憎いながらも コラ後を見る 
小野の娘と 馴染みになれば 日焼けなすびを コラただくれる 
竹に雀は 品よく止まる 止めて止まらぬ コラ色の道 
よそへ踏み出し はばかりながら 音頭とります コラ御免なさりょ 
桑の中から 小唄がもれる 小唄聴きたや コラ顔見たや 
おもて四角で 心は丸い 人は見かけに コラよらぬもの 
けちで助平で 間抜けで馬鹿で お先煙草で コラ屁をたれる 
好きと嫌いと 一度に来たら 箒建てたり コラ倒したり 
腰のひねりで きが行くなれば 筏流しは コラ棹ささぬ 
よそで陽気な 三味線聞いて 内で陰気な コラ小言聞く 
金が持ちたい 持ちたい金が 持てば飲みたい コラ着てみたい 
よくもつけたよ 名を紙入れと ほんにあるのは コラ付けばかり 
思うて通えば 千里も一里 障子一重も コラ来にゃ遠い 
嫌と言うのに 無理押し込んで 入れて鳴かせる コラ籠の鳥 
どっこいしょと 堀越こえて 行けば宮代 コラ一夜とる 
一合の酒も 口で移せば コラ二合となる 
門に立ったる 西国巡礼 住まい名乗れよ コラ婿に取る 
住まい名乗れば 恥ずかしょござる 臼の目とりの コラ子でござる 
一つ事ばか 面白ないで 品を替えては コラやろまいか 
 
郡上盆踊り唄 / まつさか

ヨーホーイモヒトツショ 
合点と声がかかるなら これから文句に掛かりましょ 
すべてお寺は檀家(だんけ)から 痩せ畑作りはこやしから 
下手な音頭も囃しから お囃子頼む総輪様(そうわさま) 
名所案内 
鵜舟の篝火赤々と 世にも名高き長良川 
その水上(みなかみ)の越美線(えつみせん) 郡上八幡名にしおう 
三百年の昔より 士農工商おしなべて 
泰平祝う夏祭り 音頭手拍子面白く 
唄い楽しむ盆踊り 郡上の八幡出る時は 
雨も降らぬに袖しぼる これぞまことのにこの里の 
人の心をそのままに いつしか唄となりにかる 
山は秀でて水清く 春は桜の花に酔い 
秋はもみじ葉茸狩り 夏は緑の涼風や 
冬また雪の遊戯(たわむれ)と 名所の多き郡(こおり)とて 
訪ねる人の数々に いざや探らん道しるべ 
大日ケ岳仰ぎつつ 阿弥陀ケ滝をおとなえば 
六十丈の虹吐いて 夏よせつけぬ滝の音 
滝の白糸長々と 一千年の昔より 
由緒(いわれ)は深き長瀧に 今も睦月の六つの日を 
喜び菊の花祭り 人は浮かれてくるす野の 
宮居に匂う桜花 緑萌え出る楊柳寺(ようりゅうじ) 
のどかなる野の那留(なる)石の その名は高く世に響く 
宗祇の流れ今もなお 汲みてこそ知れ白雲(しらくも)の 
絶えせぬ水の末かけて 積もる翠(みどり)の山の上(え)に 
霞ケ城の天守閣 朝日に映る金の鯱(しゃち) 
昔を偲ぶ東殿(とうでん)の 山の端出づる月影に 
匂う愛宕のすみぞめや 彼岸桜や山桜 
訪(と)い来る人の絶え間なく 杖ひくからぬ稚児の峰 
卯山(うやま)おろしの風穴に いでそよそよと立ちし名の 
浮きて流るるあさが滝 深き思いを叶(かなえ)橋 
行き交う人は深草の 小町にちなむ小野の里 
契りはかたき石の面(も)に 写りまします管公(かんこう)の 
冠ならぬ烏帽子岳 麓続きの村里は 
寿永の名馬磨墨(するすみ)の 出し所と言い伝う 
名も高光にゆかりある 高賀の山の星の宮 
矢納ケ淵(やとがふち)や粥川に 振り返りつつ蓬莱の 
岩間流るる長良川 河鹿の声のおちこちに 
ひかれて舟に棹させば 浮世の塵もいつしかに 
洗い捨てたる心地する 水の都か花の里 
郡上の八幡出る時は 雨も降らぬに袖しぼる 
踊りと唄とで町の名も 広く聞こえて栄ゆく 
里の皆衆も他所の衆も 音頭手拍子うちそろえ 
これぞ真に総輪様 永く伝わるこの里の 
郡上おどりの誉をば 万代(よろずよ)までも伝えなん 
歌の殿様 
お聞きなされよ皆の衆 歌の殿様常縁(つねより)が 
歌で天下に名をあげて 歌でお城を取り戻す 
平和の里にふさわしき 歌の郡上の物語 
郡上のお城の始まりは 下総東氏(とうし)が功により 
山田の庄を加えられ 承久年間胤行(たねゆき)は 
剣 阿千葉に館して 郡上東家の開祖(もと)となる 
文武すぐれしわが東家 代々にすぐれし和歌の道 
勅撰集に名を連ね その名天下に聞こえたり 
戦乱続き消えかけし 足利時代の文学(ふみ)の道 
支えしちからはわが東家 五山文学あればこそ 
殊に七代常縁は 和歌に秀でし功により 
公家将軍の歌会(うたえ)にも 常に列して名は高し 
時に関東(あづま)に乱起こり ときの将軍義政は 
常縁公に命じてぞ 東庄回復はかりたる 
常縁郡上の兵連れて 関東に転戦十余年 
その頃京は応仁の 戦乱長くうち続き 
美濃の土岐氏は山名方 郡上の東家は細川に 
昨日の友は今日の敵 争いあうぞ是非もなき 
ついに土岐氏の家臣なる 斎藤妙椿(みょうちん)大挙して 
東氏本城篠脇の 城を襲いて奪いけり 
常縁関東にこれを聞き いたく嘆きて歌一首 
亡父追善法要に ちなみて無常歌いしに 
この歌郡上に伝わりて 聞く者胸をうたれけり 
妙椿これを伝え聞き 心は通う歌の道 
敵とはいえど常縁の ゆかしき心思いやり 
関東の空に歌だより ついに一矢(いっし)も交えずに 
十首の歌と引き換えに 郡上の領地返しけり 
かくて再び常縁の 徳にうるおう郡上領 
歌の真実(まこと)のふれあいに 恩讐こえて睦み合い 
戦わずして手に入りし 歌の花咲く郡上領 
げにもゆかしき和歌の徳 歌の真実の貴さよ 
歌で開けしわが郡上 歌でお城も守られて 
歌の郡上の名も高く 平和日本ともろともに 
栄えゆくこそうれしけれ 栄えゆくこそうれしけれ 
宗祇水 
歌の殿様常縁公 歌でお城を取り戻し 
いよいよ光る和歌の徳 その名天下にとどろきて 
時の帝(みかど)の召しにより 公卿将軍の師ともなり 
九十四年の生涯は ひたすら励む歌の道 
宗祇法師も都から 文明二年はるばると 
あこがれ訪い篠脇の 城に学びし古今集 
励む三年(みとせ)の功なりて ついに奥義の秘伝受け 
師弟もろとも杖をひく 郡上名所の歌の遺跡(あと) 
妙見社頭にいたりては 「神のみ山の花ざかり 
桜の匂う峰」を詠み 那比神宮に詣でては 
「神も幾世か杉の杜 みやいはなれぬほととぎす」 
文明五年秋すぎて 宗祇都に帰るとき 
常縁これを見送りて 別れを惜しむ小駄良川 
桜樹(おうじゅ)の下に憩いては 名残は尽きず「紅葉(もみじば)の 
流るる竜田白雲の 花のみよしの忘るな」と 
心を込めし餞(はなむけ)の 歌の真実は今もなお 
その名もゆかし宗祇水 清き泉はこんこんと 
平和の泉とこしえに 歌の聖のいさおしと 
奏で続けるうれしさよ 讃え続けるゆかしさよ 
およし物語 
およし稲荷の物語 昔の歌の文句にも 
きじも鳴かずば撃たれまい 父は長良の人柱 
ここは郡上の八幡の 霞ケ城を造る時 
お上の評定ありけるが あまた娘のある中に 
およしといえる娘あり 里の小町とうたわれて 
年は二八か二九からぬ 人にすぐれし器量よし 
ついに選ばる人柱 聞きたる親子の驚きは 
何に例えるものはなし 親子は思案にくれ果てて 
泣くばかりなる有様も お上の御用と聞くからは 
ことわるすべもなく涙 そこでおよしはけなげにも 
心を決めて殿様や お城のためや親のため 
死んで柱にならんとて 明日とは云わず今日ここに 
進んで死出の旅支度 白の綸子(りんず)の振袖に 
白の献上の帯をしめ 薄化粧なる髪かたち 
静かに立ちし姿こそ 霜におびえぬ白菊の 
神々しくも見えにける すでに覚悟の一念に 
西に向かいて手を合わせ 南無や西方弥陀如来 
後世を救わせ給えかし また父母にいとまごい 
先立つ不幸許してと あとは言葉も泣くばかり 
これが今生のお別れと 後ろ髪をばひかれつつ 
一足行っては振り返り 二足歩いて後戻り 
親子の絆切れもせず 親も泣く泣く見送りて 
どうぞ立派な最期をと 口には云えず胸の内 
ただ手を合わすばかりなり かくて時もうつるとて 
役人衆にせかれつつ およし一言父母と 
呼ばわる声もかすかなり 空には星の影もなく 
ただ一声のほととぎす 声を残して城山の 
露と消えゆく人柱 この世の哀れととどめける 
これぞおよしのいさおしと 伝え聞いたる人々は 
神に祈りて今もなお およし稲荷の物語 
 
諸唄 

 
越中おわら節
 
歌われよーわしゃ囃す 
八尾よいとこ おわらの本場 キタサノサードッコイサノサ 
二百十日を オワラ 出て踊る 
来たる春風 氷が解ける うれしや気ままに 開く梅 
私ゃあなたに あげたいものは 金の成る木と 卵酒 
虎は千里の藪さえ越すに 障子一重が ままならぬ 
仇や愚かで 添われるならば 神にご苦労は かけやせぬ 
恋の病も なおしてくれる 粋な富山の 薬売り 
そっと打たんせ 踊りの太鼓 米の成る木の 花が散る 
見たさ逢いたさ 思いが募る 恋の八尾は 雪の中 
狭いようでも 広いは袂 海山書いたる 文の宿 
話するなら 小松原の下で 松の葉の様に こまごまと 
おわら踊りの 笠着てござれ 忍ぶ夜道は 月明かり 
お風邪召すなと 耳まで着せて 聞かせともなや 明けの鐘 
待てど出てこず 出る時ゃ会えず ほんにしんきな 蜃気楼 
蛍こいこい 八尾の盆に 夜の流しの 道照らせ 
鳴くなこおろぎ 淋しゅうてならぬ お前一人の 秋じゃなし 
私ゃ野山の 兎じゃないが 月夜月夜に 会いにくる 
手っ甲脚絆に 紅緒の襷 可愛いやな早乙女 風の盆 
唄で濡れたか 夜露を着鬢がほつれた 風の盆 
唄で知られた 八尾の町は 盆が二度来る 風の盆 
唄の町だよ 八尾の町は 唄で糸取る 桑も摘む 
花や紅葉は 時節で色む 私ゃ常盤の 松の色 
花も実もない 枯木の枝に とまる鳥こそ しんの鳥 
軒端雀が また来て覗く 今日も糸引きゃ 手につかぬ 
白歯染めさせ 又落とさせて わしが思いを 二度させた 
私ゃ朝顔 朝寝の人に 丸い笑顔は 見せやせぬ 
あなた今着て 早お帰りか 浅黄染めとは 藍足らぬ 
八尾おわらを しみじみ聞けば むかし山風 草の声 
鹿が鳴こうが 紅葉が散ろうが 私ゃあなたに 秋がない 
城ヶ島から 礫を投げた 恋の思案の 紙礫 
城ヶ島から 白帆が見える 白帆かくれて 松の風 
城ヶ島から 白帆が見える 二つ三つ四つ 有磯海 
お前来るかと 待たせておいて どこへそれたか 夏の雨 
来るか来るかと 待たせておいて 何処へそれたか 夏の雨 
八尾よいとこ 蚕の都 秋は野山も 唐錦 
八尾八尾と 皆行きたがる おわらよいとこ 唄の里 
烏勘三郎の 嫁さの供は 柿の提灯 下げてきた 
可愛い鳥だよ つぐみの鳥は 柿をつついて 紅つけた 
月が隠れりゃ また手をつなぐ 揺れる釣橋 恋の橋 
月は満月 夜はよいけれど 主に逢わなきゃ 真の闇 
月に焦がれる すすきの花は 枯れてしおれて また招く 
雪の立山 ほのぼの開けて 越の野山は 花盛り 
磨け磨けど ねは鉄のよう ついと浮気の 錆が出る 
針の穴から 浮名がもれる 逢うて逢われぬ 人の口 
粋な小唄で 桑摘む主の お顔見たさに 回り道 
別れが辛いと 小声で言えば しめる博多の 帯がなく 
仇な色香に 迷いはせねど 実と情けにゃ つい迷う 
瀬戸の桐山 烏のお宿 桐の枯葉を 着て泊まる 
 
あいや可愛いや いつ来て見ても たすき投げやる 暇がない 
たすき投げやる 暇あるけれど あなた忘れる 暇がない 
調子替わりは いつでもよいが 心変りは いつも嫌 
姉ま何升目 三升目の釜 後の四升目で 日が暮れる 
姉まどこへ行く 三升樽下げて 嫁の在所へ 孫抱きに 
姉まどこへ行く 餅草摘みに 俺も行きたや びく下げて 
殿まと旅すりゃ 月日を忘れ 鶯鳴くそな 春じゃそな  
あなた百まで わしゃ九十九まで 共に白髪の 生えるまで 
おらっちゃ姉まの 山行き帰り 桐山焼き餅 三つ貰うた 
二百十日に 風さえ吹かにゃ 早稲の米喰うて 踊ります 
山へ登れば 茨が止める 茨離しゃれ 日が暮れる 
お前一人か 連衆はないか 連衆ぁ後から 駕籠で来る 
ホッと溜息 小枠を眺め こうも糸嵩 ないものか 
盆が近うなりゃ 紺屋へ急ぐ 盆の帷子 白で着しょう 
唄うて通るに なぜ出て会わぬ 常に聞く声 忘れたか 
常に聞く声 忘れはせねど 親の前では 籠の鳥 
咲いた桜に なぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る 
竹に雀は 品よくとまる とめてとまらぬ 恋の道 
向こう小坂の 仔牛を見れば 親も黒けりゃ 子も黒い 
飲めや大黒 踊れや恵比寿 亀の座敷に 鶴の声 
 
揺らぐ吊り橋 手に手を取りて 渡る井田川 春の風 
富山あたりか あの灯火は 飛んでいきたや 灯とり虫 
八尾坂道 別れてくれば 露か時雨か ハラハラと 
もしや来るかと 窓押し開けて 見れば立山 雪ばかり 
 
恋の礫か 窓打つ霰 明けりゃ身に染む 夜半の風 
積もる思いも 角間の雪よ 解けて嬉しい 梅の花 
主の心は あの釣橋よ 人に押されて ゆらゆらと 
八尾坂道 降り積む雪も 解けて流れる おわら節 
 
雁金の 翼欲しいや 海山越えて 私ゃ逢いたい 人がある 
桜山 桜咲さねば ありゃただの山 人は実がなきゃ ただの人 
菊水の 花は枯れても 香りは残る 清き流れの 湊川 
滝の水 岩に打たれて 一度は切れて 流れ行く末 また一つ 
隅田川 清き流れの 私の心 濁らすもそなたの 胸の中 
ポンと出た 別荘山から 出た出た月が おわら踊りに 浮かれ出た 
色に咲く あやめ切ろうとて 袂をくわえ 文を落とすな 水の上 
奥山の 滝に打たれて あの岩の穴 いつほれたともなく 深くなる 
白金の ひかり波立つ 海原遠く 里は黄金の 稲の波 
枯芝に 止まる蝶々は ありゃ二心 他に青葉を 持ちながら 
朝顔に 釣瓶とられて わしゃ貰い水 どうしてこの手を 放さりょか 
月の出の 坂を抜け行く 涼風夜風 盆が近いと 言うて吹く 
逢えば泣く逢わにゃなお泣く泣かせる人に何で泣くほど逢いたかろ 
色に咲く 菖蒲切ろうとて 袂をくわえ 文を落とすな 水の上 
長閑なる 春の夜道に 手を引き合うて 主に心を つくづくし 
露冴えて 野辺の千草に 色持つ頃は 月も焦がれて 夜を更かす 
十五夜のお月様でも あてにはならぬ 四五日逢わなきゃ角が立つ 
奥山の 一人米搗く あの水車 誰を待つやら くるくると 
久々で 逢うて嬉しや 別れの辛さ 逢うて別れが なけりゃよい 
ほのぼのと 磯に映りし あのお月様 深い仲だが とまりゃせん 
花咲いて 幾度眺めた あの海山の 色に迷わぬ 人はない 
元旦に 鶴の声する あの井戸の音 亀に組み込む 若の水 
諏訪様の 宮の立石 主かと思うて ものも言わずに 抱きついた 
唐傘の 骨はちらばら 紙はがれても 離れまいとの 千鳥がけ 
今返し 道の半丁も 行かない内に こうも逢いたく なるものか 
今しばし 闇を忍べよ 山ほととぎす 月の出るのを 楽しみに 
三味線の 一の糸から 二の糸かけて 三の糸から 唄が出る 
 
梅干しの 種じゃからとて いやしましゃんすな 昔は花よ 鴬とめて鳴かせた こともある 
竹になりたや 茶の湯 座敷の柄杓の 柄の竹に 
いとし殿御に 持たれて汲まれて 一口 飲まれたや 
這えば立て 立てば歩めと育てたる 二親様を 忘れて殿御に 命がけ 
二間梯子を 一丁二丁三丁四丁五六丁掛けても 届かぬ主は 
どうせ天の星じゃと あきらめた 
綾錦 綸子 羽二重 塩瀬 縮緬 郡内緞子の重ね着よりも 
辛苦に仕上げたる 固い手織りの木綿は 末のため 
ふくら雀に 文ことづけて 道で落とすな 開いてみるな 可愛い殿御の 手に渡せ 
三十六 十八 三十八 二十四の 恋しい主と 共に前厄 案じます 
青海の波に浮かべし宝船には ありとあらゆる宝を積んで 
恵比寿 大黒 布袋に 毘沙門 弁天 寿老人 福禄寿 
硯引き寄せ 巻紙手に取り 細筆くわえてさてその次は 
どうしてどう書きゃ真実誠が届いていつまたどう返事が 来るのやら 
三越路の 中の越路で見せたいものは 黒部 立山 蜃気楼 
蛍烏賊 余所で聴けないものは 本場八尾のおわらの 節のあや 
常願寺 神通 片貝 黒部 早月 庄川 小矢部の 七つの川は 
ほんに電気の王国 お米の産地でその名も高い 富山県 
櫓太鼓の音に目覚まし 小首をかしげ 今日はどの手で 
スッテンコロリの ヨイヤさと投げるやら 投げられるやら 
ままになるなら 京の三十三間堂の 仏の数ほど手代や番頭を  
たくさんおいて そして三万三千三百三十三軒ほど 支店を設けて 暮らしたや 
竹の切り口 シコタンコタンや なみなみチョンボリ 
ちょいとたまり水 澄まず濁らず 出ず入らず 
橋になりたや 京で名高き 一条二条三条四条の次なる 
五条の橋に 牛若さんのよな 不思議な殿御を連れ行き 花見に 通わせる 
熊谷さんと敦盛さんと 組み討ちなされしところは何処よと 
尋ねてみたら 十(とお)九の八七六五の四の三の二の 一の谷 
いろにほへと ちりぬるを わかよたれそつねつねならむ 
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん 
西新町(しんにゃしき)東新町(ひがししん)諏訪町 
上新町(かみしん)鏡町(しんだち)西町 東町 調子合わせて 
今町(なかまち)下新町(したまち)天満町(こくぼ) 
福島で 夜が明けた 
 
越中で立山 加賀では白山 駿河の富士山 三国一だよ 
春風吹こうが 秋風吹こうが おわらの恋風 身についてならない 
二百十日に 夜風邪をひいたやら 毎晩おわらの 夢見てならない 
あんたもそうなら 私もそうだよ 互いにそうなら 添わなきゃなるまい 
来たよで来ぬよで 面影立つそで 出て見りゃ風だよ 笹の葉にだまされた 
きたさで飲んだ酒ゃ まだ酔いが醒めない 醒めないはずだよ あの娘の酌だもの 
五箇山育ちの 百巻熊でも 木の実がなければ 八尾へ出てくる 
千世界の 松の木ゃ枯れても あんたと添わなきゃ 娑婆へ出た甲斐がない 
三味線が出を弾きゃ 太鼓がドンと鳴る 手拍子揃えて おわらにしょまいかいね 
手打ちにされても 八尾の蕎麦だよ ちょっとやそっとで なかなか切れない 
八尾よいとこ おわらの出たとこ 蕎麦は名物 良い紙たんと出る 
見送りましょうか 峠の茶屋まで 人目がなければ あなたの部屋まで 
おわらのご先生は あんたのことかいね その声聞かせて 私をどうする 
一人で差すときゃ 野暮だが番傘 二人で差すときゃ 蛇の目の唐傘 
しょまいかいね しょまいかいね 一服しょまいかいね  
一服してからそれからまたやろかいね 
雪の立山 ほのぼの夜明けだ 里は黄金の 稲穂の波立つ 
加賀では山中 佐渡ではおけさだ 越中のおわらは 実りの唄だよ 
駒形茂兵衛さん おわらで迷うたか 恋しやお蔦さんに 会いとうてならない 
提げても軽そな 蛍の提灯 石屋の引っ越しゃ 重くて嫌だよ 
じいさんばあさん おわらに出よまいか 今年も豊年 穂に穂が下がるよ 
茶釜と茶袋は よい仲なれども 仲に立つ柄杓が 水さいてならない 
瓢箪ブラブラ 糸瓜もブラブラ ブラブラしとれど 落ちそで落ちない 
どんどと流れる 水道の水でも いつかは世に出て 主さんの飯(まま)となる 
来られた来られた ようこそ来られた 来られたけれども わがままならない 
来られた来られた ようこそ来られた 来られぬ中から ようこそ来られた 
権兵衛が種蒔きゃ 烏がほじくる 三度に一度は 追わねばなるまい 
南蛮鉄のような 豪傑さんでも あんたにかけては 青菜に塩だよ 
七合と三合は どこでも一升だよ 一升と定まりゃ 五升枡はいらない 
焼けます焼けます 三百度の高熱(たかねつ) その熱冷ますにゃ 主さんに限るよ 
見捨てちゃ嫌だよ 助けておくれよ 貴方と添わなきゃ 娑婆に出た甲斐がない 
浮いたか瓢箪 軽そうに流れる 行く先ゃ知らねど あの身になりたや 
 
歓喜嘆・二十八日口説き

(述に「願うべきは後生の一大事、たのみ奉るべきは弥陀の本願なり」とある) 
ここに同行のお茶飲み話 聞けば誠にご縁になるぞ 
二十八日お日柄なれば 今日はゆるりとお茶飲むまいか 
余り渡世の忙しきままに 売るの買うので月日を暮らし 
済むの済まぬと孫子のことに 腹を立てたり笑いもしたり 
罪業ばかりで月日を暮らし 大慈大悲のご恩の程も 
懈怠ばかりで年月送る 今日も空しく過ぎゆくことは 
電光稲妻矢を射る如く 今日のご恩があるまいならば 
今に無常の日暮れとなりて 耳も聞こえず眼力もきかず 
足手まといの妻子や孫や 金銀財宝家蔵田畑 
山も林も打ち捨ておいて 持ちもならねば持たしもならぬ 
死出の山路や三途の大河 阿呆羅刹に追い立てられて 
一人泣く泣く閻魔の庭に 業の秤や浄玻瑠鏡 
向かうその時ゃ言い訳立たず 右も左も剣の山に 
追いつ追われつ幾千万郷 焼かれ焦がされ身を切り裂かれ 
こぼす涙に天をば仰ぎ 大地叩いて七転八倒 
泣けど叫べどその甲斐ないと 聞くも恐ろし地獄の苦難 
遁がれ難きは我が身の上ぞ 
釈迦の往来八千遍と 弥陀の本願聞そう為に 
かわるがわるに七高祖と 唐や天竺日本までも 
渡り玉いし仏の御慈悲 知らぬ我身に知らさん為に 
高祖聖人藤原氏へ 誕生まします松若君の 
纔か御年九歳の春に 輿や車を乗捨たまい 
栄花栄耀の御身の上が 娑婆は暫しと無常を観じ 
慈鎮和尚の御弟子と成て 比叡の御山へ登らせ給い 
二十年来御修行中に 薬師如来へ千日参り 
それが足らいで都のあなた 慈悲を司の六角堂へ 
寒さ夜な夜な百夜の間 三里余丁の山坂道を 
雨やあられや雪踏み分けて 谷を越えさせ加茂川越えて 
女人成仏近道あらば 教え給えと心に祈誓 
さても不思議や御夢想ありて 御告げあらたに名も吉水の 
清き流れの御身の上が 妻や子供に交わり給い 
在家同事の御身とならせ 人に笑われ恥しめられて 
義理も人情も我等が為に 教え下さる念仏門が 
南都北嶺の嫉みに依りて 京も田舎も厳守停止 
師弟諸共御身の仇と 土佐や越後に流され給い 
輿や車の御身の上が 墨の衣に墨袈娑懸けて 
紺地草鞋をがまにて脛巾 笈も背中にもったいなくも 
杖と笠とて御苦労ありて 風の吹く夜も雪降る中も 
石を枕に御難儀かけし 足も血潮に北国関東 
二十年余ヶ年御化導ありて 弥陀の本願聞かさにゃおかぬ 
大慈大悲の念力故に こんな愚鈍や手強き者が 
今は邪見の角をば折りて 御恩御慈悲と細々ながら 
耳を傾け心を鎮め 聞く気出来たは只事ならず 
口に述べるも恐れがあるぞ 八家九宗と並ぶる中に 
分けて我等が御縁が深い かかる御苦労あるまいならば 
こんな邪見や慳貪者が 弥陀の本願聞き分けましょうか 
京も田舎も日本国中 御化導あまねく広まり給い 
此処に居ながら畳の上で 他力不思議の南無阿弥陀仏 
機法一体願行具足 助け給えも助かる法も 
何もかも皆此御六字に こめて収めてたたんで巻いて 
是をやるのじゃ貰えよ早く 貰えさえすりゃ悟りの都 
楽の身となる因じゃよ貰え 貰え貰えと御勧めなさる 
弥陀の本願六字のいわれ それを貰うに手間暇いらず 
知恵もいらねば才覚いらず 富貴貧賤姿によらん 
罪も報いも如来に任せ かかる者をと御受けが出来りゃ 
あとと待たせずその場ですぐに 摂取不捨とて光明の中に 
修め給いし大慈の不思議 最早何時命が尽きよと 
姿婆の因縁終わるやいなや 花の台で神力自在 
かかる事ばり聴聞すれば 娑婆は暫く夢見し如く 
善きも悪しきも宿業次第 彼尊任せと此の世の事に 
ままにならぬが御縁となりて 欲しい惜しいのその下からも 
思い出してはご恩の程に 命ながらえあるそのうちに 
仏祖知識の御恩を学び 国の掟を必ず守り 
親に孝行おこたるまいぞ 後生大事も此の世の義理も 
知らぬ我身に教えの知識 かかる御恩を御恩と知れば 
善きにつけても悪しきにつけて 思い出しては行住坐臥に 
唱えまいかや 只南無阿弥陀仏 
 
日田義民伝口説き

ここに語るは豊後の国の 日田の月隈代官所にて 
音に聞えし代官様は 姓は岡田で名は庄太夫 
ひどい年貢の取立てなさる たまりかねたる馬原の庄屋 
人情床屋でその名も高い 穴井六郎衛門とゆうて 
我が身捨てても村人救う まこと仏の庄屋の談し 
ある日村中の組頭たち 
庄屋宅にと呼び集めます 善後策をばご相談なさる 
お床屋集めがこりゃ良かろうと あまた床屋のあるその中で 
求来里下井手刃連の村や 女子畑村苗代部村と 
湯山大島八人の床屋 月の隈なる代官所へと 
村の苦しさ訴えました とても聞入れ下さりませぬ 
無礼者じゃと追い返えされる 
そこで日田玖珠三百ケ村 六郎衛門は集めに回る 
そこで集まる二十六の床屋 玖珠の山の中お茶場と言うて 
里をはなれて人目をさける ないしょ秘密のご相談なさる 
江戸へ直訴のはなしと成りて 二度も三度もお茶屋場会議 
そこで最後は十三ケ村 将軍様にと直訴ときまり 
そこで下原平左の宅で 直訴願書に血判なさる 
江戸へ上るは三人だけよ 路銀餞別集まりました 
庄屋穴井の六郎衛門 組の頭の飯田惣次郎 
せがれ要助ともにとつれて 水で別れの盃かわし 
十と三ケ村のお床屋さんは これを見送り涙の別れ 
延享二年は師走の半ば 日田と玖珠との百姓にかわり 
遠くはなれたお江戸をさして 死罪覚悟でお出かけなさる 
南無よ鞍形尾八幡様よ 守りたまえと心の中で 
祈りつづけて正月半ば たどりついたるお江戸の役所 
なれど直訴はご法度でござる これでなるかと六郎衛門 
勘定奉行所の役人様に 両手地に突き平伏すれば 
此処の役人情をかける 目安箱にと訴状を入れる 
神の助けが御殿に届く 時の将軍吉宗様の 
お目にとまりて評定なさる 勘定奉行が上便となりて 
明けて三年二月の末に 日田の百姓の暮しのもよう 
刃連城内村々回る 豆田、堀田や庄手の村と 
竹田村から上井手すぎて 女子畑村苗代部村よ 
柚の木村過ぎ続きの村よ 五馬市村出口村と 
村のくらしをお調べなさる も早三月終りとなれど 
今だ帰らぬ六郎衛門 国を出てからはや四ケ月 
さても留守居のお庄屋さんは 又も集まりご相談なさる 
馬原幸助は理衛門つれて 六郎衛門をむかえに上る 
江戸でご放免帰りはしたが 岡田代官のお縄にかかり 
月の隈なる牢屋に入れて やがて打首獄門きまる 
目指す目的果たしたからは すでに覚悟の六郎衛門ら 
早く我等の首打ちたまえ 時は師走の二十八日よ 
慈眼山から暮六つの鐘 浄明寺川原で打首の刑 
露と消えゆく六郎衛門 神と仏としたわれまして 
後の世までもその名を残す 義民くどきも先ずこれまでよ 
  
づくし

頼りづくし 
一つひよどり 木のまたたより 
二つ舟のり あいの風たより 
三つめくらさん 杖の先たより 
四つ夜ばいの時や 真の闇たより 
五つ医者どんは 薬箱たより 
六つ婿にゆきや 向こうの姉たより 
七つなまくら坊主 南無陀がたより 
八つ山伏や 法螺の貝がたより 
九つ虚無僧は 尺八たより 
十で豆腐屋は 豆の安いがたより 
好きづくし 
一つ好き同志 一緒になれば 
二つ夫婦仲 本当によくて 
三つ目出度や 繁盛の種よ 
四つ他所の衆が 羨む様な 
五つ何時見ても 朗らかな家に 
六つ村中で 評判よくて 
七つ怠くら 無いうえに 
八つ優しく 情もあれば 
九つ此の家に 福の神ござる 
十でとっても 御目出度い 御目出度い 
豆づくし 
一つ人の豆 あたられん豆 
二つ踏んだ豆 へんつぶれた豆 
三つ味噌の豆 味のついた豆 
四つよった豆 屑のない豆 
五ついった豆 はごのわれた豆 
六つむいた豆 つやのでた豆 
七つなった豆 さやの付いた豆 
八つ焼いた豆 灰の付いた豆 
九つ買うた豆 銭の出た豆 
十でとくな豆 家のかあちゃんの豆 
かかづくし 
一つ他人のかか けなるてもだめ 
二つふざけたかか こずらわしゃにくい 
三つみよいかか 音頭取りやほしい 
四つ夜中に 責めるかかいや 
五つ意地なかか 立ちひざ上げる 
六つもずなかか はんぎゃすてならん 
七つ何時でも くらいこんで 
へいこいて 寝とるような 
哀れな べしょうなかかいや 
八つ後家のかか 寂すて寝られん 
九つ小柄なかか つまつまとみよい 
十でとくなかかは 仕事のするのが 
ままの食べんがの もすろの織るのが 
喉のもかんがの 小便のこくがの 
夜なべのするがじゃ 
上手づくし 
一つ開木の 踊り子が上手 
二つ袋の 踊り子が上手 
三つ宮津の 踊り子が上手 
四つ吉野の 踊り子が上手 
五つ石垣の 踊り子が上手 
六つ村木の 踊り子が上手 
七つ長引野の 踊り子が上手 
八つ山の衆の 踊り子が上手 
九つ子供衆の 踊り子が上手 
十で友道の 踊り子が上手 
旨いづくし 
一つ西瓜の 冷たいがはさわさわと旨い 
二つふす柿 見たわるに旨い 
三つみかんは 酸い酸いと旨い 
四つ羊羹は もつもつと旨い 
五つ江戸菓子 ごるごると旨い 
六つ蒸し菓子 ふかふかと旨い 
七つなまがしや あんころ入って旨い 
八つ焼餅や 小豆やついて旨い 
九つ金平糖 がたがたと旨い 
十でところてんは そべそべと旨い 
困るづくし 
一つ一人子は 頼りなて困る 
二つ双子は 見分けに困る 
三つ見好い子は おしゃれで困る 
四つ他所の子は じゃまになって困る 
五ついらん子は 生れりゃ困る 
六つ貰い子は 乳やなて困る 
七つ泣く子は 子守べが困る 
八つやんちゃな子は けんかして困る 
九つ巧者な子は 小言まいて困る 
十で歳のいった子が 色気付いて困る 
色気だけなら 可愛げもあるが 
すまいにゃ色目でなおさら困る 
言うは尽くし 
江戸の真ん中 一番とも言うは 
車に積んだは 荷とも言うは 
女の大厄 産ともう言うは 
姉ま小便すりゃ しいとも言うは 
石を並べりゃ 碁とも言うは 
百姓のとれたがは 苦労とも言うは 
値替するもんは 質とも言うは 
ちくり刺すもんは 蜂とも言うは 
いっぱい心配 苦とも言うは 
お灸すえれば ジューとも言うは 
炭焼きづくし 
一つ人の目に 楽しそうに見える 
二つ再び こんな商売すたくない 
三つ見まねで 焼いた炭おこる 
四つよき鉈 とがねば切れんじゃ 
五ついつもかも 油断するちゃならぬ 
六つ無理に焼きゃ 炭あ細くなるぞ 
七つ泣き泣きけぶたても かまの木をよせる 
八つ焼いた炭あ 値段が安てならんぞ 
九つこの山 山の銭が高いぞ 
十でとことこと 家へ帰らんにゃならぬ 
盆の十三日に 勘定すて見たら 
かかあの腰巻なんぞ 買う銭もなかった 
染めづくし 
わしが殿まさん 木綿三尺もろうた 
何に染めようと 紺屋の衆に聞けば 
一に朝顔 二に杜若 
三に下り藤 四に獅子牡丹 
五つい山の 千本桜 
六つ紫 桔梗に染めて 
七つ南天 八つ八重桜 
九つ小梅を 散らしに染める 
十で殿さまの 好きな様に染めよ 
そこで殿さまの おっしゃること聞けば 
わたしや昔の 踊り子で御座る 
どうせ染めるなら 蝶々に染めよ 
髪づくし 
今の若衆 髪の毛が長い 
一本つなげば 佐渡まで届く 
二本三本 つないだならば 
佐渡の金山 七まる八まる 
そこで残りの 髪の毛をやれば 
子供なんにする 凧上げ糸に 
上がれ昇れよ 天まで届け 
毛づくし 
一つ人より 毛が生えてならぬ 
二つふかふかと 毛が生えてならぬ 
三つみったくなや 毛が生えてならぬ 
四つよこにまた 毛が生えてならぬ 
五ついやらっしゃ 毛が生えてならぬ 
六つもっかもかと 毛が生えてならぬ 
七つなんちょまた 毛が生えてならぬ 
八つやわすや 毛が生えてならぬ 
九つこじゃまなや 毛が生えてならぬ 
十でとんでも無いこと 毛が生えてならぬ 
松づくし 
一本目には アノ池の松 
二本目には アノ庭の松 
三本目には アノ下がり松 
四本目には アノ志賀の松 
五本目には アノ五葉の松 
六つ昔の アノ高砂や 
七本目には アノ姫子松 
八本目には アノ浜の松 
九つ小松を アノ植え並べ 
十でとよくの アノ伊勢の松 
日尾松、時松、蓮理の松 
ちぎりをこめて アノ若恵比寿  
貝々づくし  
アァ さてはこの場の  
皆ィナェ方にン ヨホゥホイホイ  
(アーヨイトコセードィコイセエ)  
アェ 出た出た出た出た何が出たィサ  
布団の破れから綿が出たと  
(ソリャヨイトコサッサノヨィヤサッサ)  
アェ 綿の中から  
南京虫がゾロゾロ這うて出たィ  
ヨホホイホイ  
(アーヨイトコセードィコイセエ)  
アェ とお(尊)い華族の令嬢が  
自用自動車 乗り込んだエ  
女学校通いを後ろから  
眺めて見たなら立派だね  
さすがは華族のご令嬢だエ  
それをこのごろ流行して  
まねすることにゃ事欠えて  
うちの太夫さんまで  
臭いあたまにハイカラじゃイサ  
いっかど教育ありそうな  
そのくせイロハが読めないよコラ  
ふんする器械じゃ仕方が無いわエとナ  
「何やその文句。そな わたし糞造機かイナ」  
「そう 怒らいでもええがナ」  
「もっと あんたええ文句しらんのかァ」  
「そうか」  
「ほんまやで」  
アー 何かお笑いカイカイ尽くしを  
チョッとやってみよう  
ヨホホイホイ  
(アーヨイトコセードィコイセエ)  
アェ それ買えやれ買え饅頭買え  
日暮れにゃ人買い捨て子は厄介かイ  
御代も豊かに治まる世界かイ  
(ソリャヨイトコサッサノヨィヤサッサ)  
アー 京都へ行こうかイ  
夜舟に乗ろうかイ  
乗せたのが船頭かイ  
ソラ 乗ったのがお客かイ  
枚方通れば上り下りのお客さん見かけて  
食らわんか飲まんかコイッァ又食らわんかイ  
あんころ餅も食らわんかイ  
穴子のおすしも食らわんかイ  
食ろたらチャッチャと銭出さんかイ  
えらいホゲタはところの作法かイ  
貴様が阿呆かイ  
機嫌直して一杯やろかイ  
アイそうかイ  
さかなは蛸かイ  
嫁入りゃ本まかイ  
行く先ゃどこかイ  
そんな事知ったかイ  
ふーんそうかイ  
帯にゃ短いかイ  
たすきにゃ長いかイ  
(ソリャヨイトコサッサノヨィヤサッサ)  
アー 大きな貝なら博覧会で  
小さい貝はしじめ貝じゃイ  
ヨホホイホイとナァ  
(ソリャヨイトコサッサノヨィヤサッサ)  
 
有名な捨丸・中村春代コンビで「万才・滑稽河内音頭」の中に貝々づくしが収録されている。現代の河内音頭ではなく、先代である平野節の、更に母胎 となった本来の河内音頭(広義の歌亀節)である。歌詞は昭和9年頃発売されたリーガルレコードのもの。このネタはもとは江戸後期以来の阿呆陀羅経であった。同じようなものに「ケーケー尽くし」「ボウボウ尽くし」「ナイナイ尽くし」等々があ る。これらは、今なお江州音頭や現代の河内音頭で枕ネタとして使われている。冒頭の”綿の中から南京虫が・・”というのも、本来はもう少し長くて、これは”出る”という言葉に引っかけて、”出ることは出たけれど、自分 に声が無くて、充分な音頭は取れない”といった言いわけの口上となるのが普通である。 
  
祭文

(はやし)ジャントコイ ジャントコイ 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
大阪天満の真ん中で 滑ってころんで何拾うた 
西瓜の皮でも持ったらはなすな 肥やすになるとはこれわい 
どうとこへんなは 
(はやし)アリヤアイトサー ヨイヤコノセー ※以下繰り返す 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
十七、八の姉ちゃんが 嫁入り前に死んだなら 
あったらもんな あったらもんな 火葬場の肥やすになるとは 
これいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
旦那さんよ旦那さん 旦那もこのごろ出世して 
東海道から箱根山 箱根のお山を登る時 
小田原提燈ぶらさげて 毎日毎晩通わせん 
鍋釜売っても妻売るない かかわととの末代道具じゃ 
これだけ言うたらがってんせんかや 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
おらが向かいのどら猫が 爺の茄子に爪立てた 
婆は泣き泣き医者よぼる そこで婆の言う事は 
たとえ爺が死んだって 茄子だけは死なんようにと 
念仏称えて言ったじゃないかいや 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
かいかいづくして申そうかい どうじゃまめなか達者かい 
一服せんかい休まんかい 今日なんじゃいお蝶六かい 
そんなら一杯 飲まさんかい 飲んだらひとまず踊らんかい 
でっかいかいなら日本海 小さいかいなら雀のかい 
売ってあるのは女郎のかい 女郎買いしたても銭やないかい 
貸すてやろかいなされんかい なされんかいなら哀れなかい 
哀れなかいなら婆さのすなべたかい 婆さんのかいなら撫でても撫でても 
開かんかいとは これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
おらつの向かいの姉まのね 茄子売るにやったなら 
茄子の名前を忘れては 印度人の金玉なんかいらんかって 
言うてあらいたそいな 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
おらつのとなるのだら姉ま 栗木林のその下で 
つっかけ小便じゃんじゃんと 下におった蛙がびっくりして 
今年はなんちょう熱い雨が 降る年じゃとは 言うたそいな 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
風呂屋の三助裸でこい へんどすじゃまなきゃ 
となるの目くさる婆さんにあずけてこい 
金玉じゃまなきゃさかるの女子に あずけてこいとは 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
寒中寒なか雪が降る 子守子供が背中ふる 
背中の子供が頭ふる さかりの女が腰をふる 
今日の踊り子さんの お手手のふるのが一番上手じゃ 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
かいかいづくしでやろうかいな 
支那と日本の国境 包丁買うなら泉州堺かい 
日本で名高い富士山かい 高見りゃ雲かい下見りゃ海かい船頭かい 
でっかいかいなら博覧会 小さなかいならすずめのかい 
どうじゃ貴公よ達者かい 久しぶりだよまたないかい 
お茶屋で一服やらないかい ビールでも一杯やらないかい 
ドジョウ汁でも吸わないかい 銭こがのうてやれないかい 
なければちょっこら貸しましょかい 貸してもなされん哀れな貧乏なかい 
娘のかいならあわびのかい 婆さのかいならなでてももんでも開かんかい 
朝もかゆかい昼間もかい 晩飯や一杯盛り切りかいなら 
とっても音頭なんかとられるかい これまで言うたらすってんでれ助 
合点出来るかこれわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
ひかけてまがるはとんびの手 
あぶって曲がるはスイカ「イカ」の手 
寝てからひっぱる嬶の手なら 罰金なかろが 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
大寒小寒酒のかん 親の言うこと子がきかん 
子供の言うこと親きかん 橋のらんかん屋根きかん 
だらの奴なら気がつかん ふにゃふにゃ男に嫁つかん 
なまくら者には金つかん えらいけなるには人つかん 
音頭のへたくそ踊りつかん 年寄り色事腰やきかん 
こんなむだ口文句にならぬじゃ 
これわいどうとこへんなは 
じゃんとこいなら何じゃったい 何でもないこと申そうかい 
つくつくづくして申そうかい 
米つくひざつくひじをつく お寺の坊さん鐘をつく 
師走になればもちをつく 犬がとびつく はねつく くらいつく 
くらいついたらキズがつく そのキズ目がけて医者がつく 
あいたる港に舟がつく その舟目がけて船頭つく 
船頭の腰に金がつく その金目がけて女郎がつく 
夜さる女房のあわびつく いつのまにやら腹がでっかくなって 
目出度い子供が生まれた 
これわいどうとこへんなは 
 
祭文とは古代神を歌っている際に「区切り」を入れた間合いに、早口言葉でおもしろおかしく歌う文句をいう。元来踊りの輪がたるんできた時に踊り達に元気づけさせ、また見る人聞く人達を笑わし、盆踊りの雰囲気を和やかにするのが祭文である。おもしろい文句が沢山残っている。  
  
流し川崎

伊勢は津でも 津は伊勢でもつ 
尾張名古屋は アノ城でもつ 
姉まの腰巻きや アノ紐でもつ 
親父のへんどしや アノ竿でもつ 
坊主はちまきや 耳でもつ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
地獄極楽 どちらが良いかよ 
阿弥陀に任せた この身体じゃもの 
毎日念仏 忘らりょうか 
(はやし)ソホリヤヨイ 
山は焼けても 山鳥立たぬよ 
恋し恋しと アノ鳴く蝉より 
鳴かぬ蛍が アノ身を焦がすよ 
鳴いて血を吐く ほととぎす 
(はやし)ソホリヤヨイ 
花の浄土に アノ詣るには 
み法一つは アノ菊の花 
聞けば信心 アノ瓜の花 
得れば摂取の抱き牡丹 
(はやし)ソホリヤヨイ 
向うに見えるは 丸矢の舟かよ 
丸に矢の字の アノ帆を上げてよ 
北前船かよ これわいどうじゃい 
(はやし)ソホリヤヨイ 
石の地蔵さんに ふり袖着せれば 
奈良の大仏 婿にくる 
(はやし)ソホリヤヨイ 
姉ま泣きたけりゃ アノ背戸で泣けよ 
背戸の松虫 ともに泣く 
(はやし)ソホリヤヨイ 
人の女房と 枯れ木の枝はよ 
登りつめたら 命がけ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
鴉なんで鳴く 女郎屋の屋根でなく 
銭も持たんのに カオカオ(買う)と 
(はやし)ソホリヤヨイ 
よんべ夜這いが 二階から落ちてよ 
猫のまねすて ニャオニャオと 
(はやし)ソホリヤヨイ 
里で赤いもんは なんばかほうづき 
山で赤いもんは つつじの花だよ 
まだも赤いもんは 猿の尻 
(はやし)ソホリヤヨイ 
粋なかすりの モンペの中には 
金をあずかる アノ万があるじゃ 
さあさがってんかよ これわいどうじゃ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
わしとお前さんは 蔵の米だよ 
いつか世に出て まま(飯)になる 
(はやし)ソホリヤヨイ 
地獄極楽 この世に御座るよ 
おらが越中の 立山に 
(はやし)ソホリヤヨイ 
好いたお方と そわれぬ時には 
主と言う字を 逆に読め 
(はやし)ソホリヤヨイ 
よんべすたがけか 頭が痛いよ 
二度とすたくないじゃ 箱枕 
(はやし)ソホリヤヨイ 
西院方の 阿弥陀様かよ  
おがもとすれども 雲がかかあって 
雲が邪険でも アノなけれどもよ 
我身が邪険で 拝まれぬ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
喰いたい飲みたいは アノ鼻の下よ 
したいさせたいは アノへその下じゃ 
だれも若い時や 皆同じ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
親爺その縄 なんの縄かよ 
夜さる夜這いすて 縛る縄かよ 
親爺やそんな事 言わんもんじゃ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
よんべ産まれた アノ熊猫がよ 
父うあんの金玉に アノ爪立てじゃい 
かあちゃん泣き泣き 医者へ走る 
(はやし)ソホリヤヨイ 
踊り見に来て アノ踊らんもんは 
山じゃ木の根か アノ萱の根かよ 
スタンコスッタンタンでこれわいどうじゃ 
(はやし)ソホリヤヨイ 
小川のお寺で 踊るに疲れて 
もすろで寝ればよ 空にはきれいな盆の月かよ 
これわいどうじや 
(はやし)ソホリヤヨイ 
 
流し川崎とは、蝶六踊りの際に、大道音頭から古代神にうつり変わる時に歌う音頭である。通称「継なぎ音頭」または「合間音頭」と言われ、おもしろおかしく歌ったものが多い。 
はやしでは「ソホリヤヨイ」と言う言葉が入るが、「ソリヤ良い」「ソリヤやれ」から変化したはやし言葉である。