浄土宗 [法然] 法話

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雑学の世界・補考

浄土宗法話

浄土宗とは?
「南無阿弥陀仏・・・聞いたことはあるけど、意味がよくわからない」 「浄土宗を開いた法然上人って、どんな方?」 「たくさん仏さまはいるけど、浄土宗ではどの仏さまをおまつりする?」そんな疑問、お持ちではありませんか。ここでは、よく私どもにお寄せいただくご質問をもとに、「教え」をはじめ、浄土宗を開いた法然上人のこと、そして「もっと、もっと知りたい」という方のために、さらに詳しいこともお伝えしましょう。
浄土宗の宗旨
名称 / 浄土宗じょうどしゅう
宗祖 / 法然上人ほうねんしょうにん(源空げんくう) (1133〜1212)
開宗 / 承安じょうあん5年(1175年)
本尊 / 阿弥陀仏あみだぶつ 阿弥陀如来あみだにょらい
教え / 阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、「南無阿弥陀仏なむあみだぶつ」とみ名を称えて、人格を高め、社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰です。
お経 / お釈迦さまがお説きになった『無量寿経むりょうじゅきょう』『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』『阿弥陀経あみだきょう』の三部経をよりどころとします。
どんな教え?
南無阿弥陀仏。この言葉は、大抵の方が耳にされたことがあるはずです。
そう、お念仏ですね。阿弥陀仏(阿弥陀如来)や西方極楽浄土という言葉も耳にしたことがあるのではないでしょうか。浄土宗の教えは、このお念仏をとなえて阿弥陀仏の極楽浄土へ生まれゆくこと(往生)を願うという、きわめてシンプルなものです。仏教ではさまざまな修行が説かれています。どれも、私たちの抱える苦しみや悩みから自由になること――「さとり」に至るためのものです。でも、どうでしょう。その修行は誰もができることでしょうか。いや、なかなかそれは難しい、というのが実際のところです。時間的、物理的な制約もあるでしょう。しかし何より、煩悩という厚い壁が妨げとなっているからにほかなりません。そこで「お念仏の教え」があります。
西方極楽浄土の仏さまである阿弥陀仏は
「私の国(極楽浄土)へ生まれたいと願って私の名前を呼びなさい。そうすれば煩悩の有無などに関係なく、必ず極楽浄土に迎え導きます」と誓われています。その誓い(本願)を素直に信じ、心からお念仏をとなえ、悩みや苦しみのない(だから極楽なのです!)浄らかな仏さまの国へ救い導いていただきましょう、というのが浄土宗の教えの根幹です。
「南無」とは、仏教が生まれた国・インドの言葉「ナマス」が中国に伝わった際、その発音を漢字で表記したもの。相手への最大の尊敬、絶対的な信頼を意味しています。つまり「阿弥陀さま、どうぞお導きください、お救いください!」という願い、頼る気持ち、心からの叫びが「南無阿弥陀仏」なのです。
よりどころのお経について
浄土宗の教えのよりどころとする経典は「浄土三部経」と言って、一切経の中から、『無量寿経』二巻、『観無量寿経』一巻、『阿弥陀経』一巻の三典を法然上人が選ばれました。
『阿弥陀経』 / 極楽浄土はどういうところかということが説かれています。それは西方十万億土の彼方にあり、六方の諸仏が念仏の教えの正しいことを証明し、いま現に阿弥陀仏が説法されており、その行者をまもると説かれています。また、その国をなぜ極楽というかといえば、その国の人びとにはなんの苦悩もなく、ただ楽だけを受けるからであると説かれています。
『観無量寿経』 / 釈尊時代の王舎城の妃(きさき)であった韋提希夫人(いだいけぶにん) を対象として極楽浄土に往生する方途が詳説されています。
『無量寿経』 / 阿弥陀仏の修行時代の衆生救済の本願(ねがい)とそのねがいが成就してからの御利益がのべられています。
ご本尊について
阿弥陀三尊(あみださんぞん) / 浄土宗のお寺の本堂中央には、仏さま一体だけでなく、左右に各一体ずつ、合わせて三体が祀られているのが一般的ですが、この両側に祀られている仏さまは「脇侍」と呼ばれます。中央のご本尊が人々をお救いになるのを助ける菩薩さまで、阿弥陀さまには向かって右側に観音菩薩、左側に勢至菩薩が祀られており、これを「阿弥陀三尊」といいます。観音菩薩は正しくは観自在菩薩、観世音菩薩といい、仏さまの「慈悲」を象徴しています。多くの経典に登場する観音さまは、古来、広く人々の信仰を集めており、有名な『観音経』には、そのお姿を三十三に変えて衆生を救うと説かれています。阿弥陀三尊では、多くの場合、来迎の際の蓮台を捧げ持つ姿で表されます。勢至菩薩は、仏さまの「智慧」を象徴する菩薩で、合掌した姿で表されます。 
阿弥陀さま / 私たちの身近には多くの仏さま・菩薩さまがいらっしゃいます。道端に佇むお地蔵さま、各地の霊場にもよく祀られている観音さまなどはじめ、お寺や家庭のお仏壇に祀られている仏さまや菩薩さまにはたくさんの種類があります。そのため、それぞれの区別がつかない方も少なくないかもしれません。
かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな
歌人の与謝野晶子(1878‐1942)は、鎌倉の大仏さまをこう詠みました。でも、鎌倉の大仏さまは実は阿弥陀さま。これを小説『山の音』の中で指摘したのは、川端康成(1899‐1972)でした。大仏さまは、そのまま「大仏さま」として親しまれていたことが、与謝野晶子に勘違いをさせたのかもしれません。ややこしいのですが、同じ大仏さまでも、奈良の大仏さまは毘盧遮那(びるしゃな)(舎)仏(ぶつ)といいます。東西で有名な二つの大仏さま、確かにどちらも「大仏さま」ではあるのですが、違う仏さまなのです。ほかにも、「牛に引かれて善光寺参り」の信州善光寺(長野市)、世界遺産に登録された中尊寺金色堂(岩手県平泉町)などにお祀りされているのも阿弥陀さまです。
九品の印相(くほんのいんそう) / 仏像でも絵に描かれたものでも、阿弥陀さまを拝する際には手の部分をよくご覧になってみてください。手と指が独特な組み方をされていることに気がつくはずです。浄土宗でよりどころとしているお経の一つ、『観無量寿経』というお経は、阿弥陀さまの極楽浄土へ往生するための実践方法が説かれているものですが、往生を願う人の性質や行いによって階位があるとしています。まず大きく三種《上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)》に分け、その各々がさらに上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)に分けられるというもので、これを「九品」と呼んでいます。先ほど記した手と指のかたち″は「印相」または単に「印」といい、仏さまの功徳やはたらきを象徴しているもので、阿弥陀さまに限らず他の仏さまもさまざまなかたちをとっています。阿弥陀さまの場合は、実はこの九品を表しているのです。たとえば坐像では、人差し指と親指で輪を作り、両掌を上に向けて組んだかたちが一般的で、これは「上品上生(じょうぼんじょうしょう)」を表しています。また、胸の前で両掌の指を上に衆生の側に向けてかざし、人差し指と親指で輪を作る「中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)」の印もあります。立像(りゅうぞう)では、右手を上に、左手を下にし、両手とも掌を衆生の側に向けてかざし、人差し指と親指で輪を作る「下品上生(げぼんじょうしょう)」のかたちをとるものが多くなっています。それぞれ、輪を作る指が親指と人差し指の場合は「上生」、親指と中指で作ると「中生」、親指と薬指では「下生」となります(違う説もあります)。九品は、ともすると衆生が仏さまによって差をつけられているようにも受け取れますが、法然上人は、「善人も悪人も同じように極楽に往生できると説いたなら、とくに悪人は慢心を起こすであろうことを懸念して、お釈迦さまがあえてそのような説き方をされた、いわば巧みな方便である」と明かしています。愚かな至らぬ身であるとよくわきまえ、日々お念仏をとなえることが大切なのです。
法然上人とは
平安時代も末の1133年(長承2)、美作国(今の岡山県)に武士の子として生まれた法然上人(幼名勢至丸)は、13歳(一部の伝記では15歳)で比叡山(今の京都府と滋賀県の境)に登り、天台宗の修行と勉学を始めました。わずか数年の後には、「学生三千人」と言われた比叡山で「智慧第一」と謳われるまでになります。現代風に言えばエリート中のエリートだったということでしょうか。ところが、上人自身にはそうした意識はまったくなかったといいます。それどころか「ろくに戒律(僧としての決まり)も守れない、一つの修行も満足に成し遂げられない、なんと愚かな自分であることか」と、厳しく自己を見つめることに終始します。その自己省察せいさつが、「仏の慈悲は、本当に困っている人たちにこそ注がれなくて何の意味があろうか。煩悩に満ちた罪深い者(凡夫)こそが救われなければならない。そのための、誰にでもできる方法(修行、教え)が必ずあるはずだ」との思いに至らしめ、上人をさらなる求道へと駆り立てます。法然上人にとって凡夫とは、ほかでもない、自分自身だったのです。実は上人は9歳のとき、地元の荘園管理者との争いにより父親を亡くしています。その時、父親からこんな遺言をうけました。
「あだ討ちはさらなる恨みを生むだけだ。勇気を出してその連鎖を断ち切れ。そして仏の道に進み、万民が救われる教えを求めよ」
これが、妥協を許さない求道精神として根底に流れ続けていたのでしょう。しかし、なかなか「これだ!」という教えには出会えません。一時、24歳で比叡山を下り、南都(奈良)の諸寺・高僧を訪ね歩いて教えを乞うたりもしました。が、それでも願いは果たせず、再び比叡山に戻って膨大な経典や文献をひもとくこと、五度に及んだといいます。そしてついに、そのときは訪れます。中国・唐時代の高僧善導大師(613―681)の著書により、お念仏こそ、すべての人々が救われる教えであることに間違いはない、との確信を得たのです。気づいてみれば43歳、最初に比叡山に登ってから30年の星霜が流れていました。
浄土宗開宗
一心に専もっぱら弥陀の名号を念じ、行住坐臥ぎょうじゅうざが、時節の久近くごんを問わず、念々に捨てざる者、是を正定の業ごうと名づく、彼の仏の願に順ずるが故に
法然上人伝の多くが語るように、上人が諸行を捨て専修念仏(せんじゅねんぶつ) に帰したのは、11175年(承安5)の春3月でした。恵心僧都の『往生要集』を読み、その教えにより中国唐代の善導大師の『観経疏』の一心専念の文即ち「一心に 専(もっぱ)ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時節の久近(くごん)を問わず、念々に捨てざる者、是を正定の業(ごう) と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」の文によったのです。この時より以後、上人は比叡山を下りて、まず西山の広谷に専修念仏の実践者であった遊蓮房を訪ね、その念仏生活に感激し、 東山の吉水におもむき、そこに草庵をむすび往生極楽の法を説き、念仏を人々にすすめられる生活にはいられました。これまでの 聖道門(しょうどうもん) 各宗の教えは、学問のある者、財力のある者におのずから限られていましたが、法然上人の念仏の教えは、いつでもどこでも誰にでも行える念仏で東山の庵室には老若男女の別なく、多くの人々が集まり集団を形成しました。こうして1175年(承安5)春、浄土宗は開かれました。  
 
 

 

■「旅支度を整える」
秋の行楽シーズンを迎えました。旅に出るのは楽しいものですが、遠く見知らぬところへ行くとなると、不安や心配もあります。信頼のできる旅行社に手配を任せて、必要な旅支度を整えれば、あとは安心して楽しい旅の始まりを待つばかりです。人生の旅路も必ず終わりが訪れ、いつか見ず知らずの不安に満ちた世界へ旅立たねばなりません。今のうちにしっかりと、次に生まれ行く先を定め、その旅支度を整えておけば安心です。住職になって間もない頃の事、こんな出来事がありました。それは、本堂で月例の行事が終わって、それぞれ皆さん帰って行かれたのですが、一人の方が駆け戻ってきて「和尚さん、大変やあ」というのです。「さようなら」と、いつものように挨拶をして帰って行かれた一人の方が、並んで歩いておられた方に寄り掛かる様に倒れてきたのでした。駆け付けたご主人に抱きかかえられ、救急車を待ち、病院へと運ばれました。この方のおうちは、ご主人と、この方の実の母親と3人暮らしでした。お母さんは熱心なお念仏の信者で、高齢になり、我が娘であるこの方にお寺参りを引き継いでいたのでした。どうしておられるのか、何の連絡もないままに心配が募るばかりです。連絡がないということは、頑張っておられるからだろうと思いつつも、お母さんのことも気がかりでした。そして、3日目の朝、ついに知らせがありました。枕経に来てほしいとのことです。支度を整え向かいましたが、お母さんに何と声を掛けたらいいのか、頭の中は迷いの中に答えを見つけられずにいました。玄関を入るなり、お母さんが奥から飛び出してきて私の手をギュッと握りました。私はもうパニックで頭の中は真っ白になりました。その時です。「うちの子は幸せでした」、思いもかけない言葉に、こちらが助けられました。「あの子はお寺が大好きで、いつもお念仏を唱えていました。その子がお寺でお念仏を申したその清らかなままにお迎えを戴いたのですから、こんな幸せな子はありません」 別れの悲しみの涙は目に溢れていましたが、親子共々に、しっかりと極楽浄土へと生まれ行く旅支度を整えておられたからこその受け取りでありましょう。真のお念仏信仰のありがたさ、尊さ、悦びに出会った瞬間でした。五重相伝や授戒会等の機会に恵まれましたら、ぜひともお受けになり、お念仏信仰を体得され、人生の旅支度を整えておかれます事をお勧めいたします。
後の世もこの世もともに南無阿弥陀仏 佛まかせの身こそ安けれ

■「ありがたい」と「あたりまえ」
あなたは「ありがとう」の反対語を知ってますか?
先日、こんな書き込み記事がありました。う〜ん…と思いながら続きを見ると、『ありがとうの反対語など今まで考えたこともなかった。教えてもらった答えは…「あたりまえ」。「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」「有難(ありがた)し」という意味だ。あることがむずかしい、まれである。めったにない事にめぐりあう。すなわち、奇跡ということだ。奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」。我々は毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしている。(中略) 毎朝目覚めるのが、あたりまえ。食事ができるのが、あたりまえ。息ができるのが、あたりまえ。友達といつも会えるのが、あたりまえ。太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。うまれてきたのが、あたりまえ。夫(妻)が毎日帰ってくるのが、あたりまえ。そして…生きているのが、あたりまえ。』と書かれていました。
読み終えて思い出したことがありました。
お父様とお母様の命日に必ずお参りされる方が、命日ではない日に訪ねて来たので、私が「何かありましたか?」と尋ねると、「今日は、父と母にあやまりに来ました。」と言うので「ええっ?」と声を出すと、「来週、白内障の手術を受けることになったので…」と。私は「手術を受けるのに何故あやまるのですか?」と伺いました。すると、両手を広げて仁王立ちになり、「だってそうでしょ。この身体のどれ一つも自分で作ったものは無くて、両親からいただいた身体でしょ。そのいただいた身体に傷をつけちゃうのだから、あやまります。」と言って本堂に上がると、「阿弥陀様、父母にごめんなさいと伝えてください。それから、私が死んだら必ず迎えに来てください、直接、話したいので…」と言って、お十念をお称えしてお墓へと向かいました。その後ろ姿は、「両親が生んでくれた、自分の身体に感謝しましょう!」と語っているように見えました。
お釈迦様は、「人の生を受くるはかたく やがて死すべきものの いま生命あるはありがたし 仏法を耳にするは難かたく 諸仏の世に出づるもありがたし」と説かれています。生きていることはあたりまえではなく、ありがたいことなのです。「死す」ことがあたりまえなのです。そして「死す」前に極楽浄土に往き生まれることができるお念仏のみ教えをいただき、阿弥陀様に会うことができることは、欲や瞋りや迷いを消すことのできない私たちにとって、奇跡といえるほどありがたいことなのです。そのみ教えを示してくださった法然上人は、「阿弥陀佛と 十声とこえとなえて まどろまん ながきねぶりに なりもこそすれ」(「ねぶり」とは「眠り」のこと)と詠まれ、翌朝は目が覚めないかもしれないと、命の終わりがいつきてもいいようにお十念をお称えされていたのです。私たちも「あたりまえ」と考えがちな「ありがたい」ことに気づき、感謝の気持ちを忘れず、「あたりまえ」である命の終わりが来た時に、阿弥陀様やたくさんの菩薩様、ご先祖様に迎えに来ていただけるようにお念仏をお称えする日暮らしをしていきましょう。

■「仏の大慈悲に照らされて」
新聞の投書欄に「胎児に座席を譲った男の子」という一文が掲載されていました。満員電車に妊婦さんが乗って来られて、おばあさんと並んで座っていた五歳ぐらいの男の子が突然妊婦さんに駆け寄り、「座りや」と席を譲ろうとしたのです。妊婦さんは「おばちゃんは大丈夫、ぼく座っとき」と応じました。すると男の子は、「おばちゃんが座るのと違う、お腹の赤ちゃんが座るんや」。これを聞いた妊婦さんは涙を流して、声を詰まらせながら、「ありがとう ありがとう」と座りました。男の子はおばあちゃんの膝の上に座り、仲良く三人で楽しそうにしていました。一連の動きを見ながら、車内は和やかな雰囲気に包まれました。妊婦さんはおそらく、お腹の子どももこんな子に育って欲しいなぁと願ったのだろうと思いました。この記事を読んで慈悲心の大切さを改めて教えられました。
自分の事しか考えない人 自分の事として考える人
似てるけど 全然違うんだなぁ (相田みつを)
「慈悲」の「慈」とは相手に喜びや安楽を与え心豊かにする。「悲」とは相手の痛みに共感し、この苦しみをなんとか取り除いてあげたいと願う心であります。
『観無量寿経』の中に「仏心とは大慈悲これなり」と説かれています。すべての人々に分け隔てなく慈しむ無縁(縁のあるなしに関係ない、すべてを対象とした)のお慈悲が仏様なのです。慈悲の漢字を四文字に変えると「玆心非心」(この心、心にあらず)自分の心を中心とするのではなく、相手の心を心として生きる。私たちは自分中心に生きています。慈悲心のある方でも、有縁の少悲しか起こせない。有縁の少悲とは、関係のある者、縁のある人に向く慈悲であります。
阿弥陀様が届けて下さる慈悲は「無縁の大慈悲」であります。
大いなるお慈悲に包まれていることに気づき、一人も漏らさずに救いたいとの阿弥陀様の願いにおすがりし、阿弥陀様のみ名をお称えするしかない私たちです。

■きっと護っていてくれる
立春とは名ばかりの寒さですが、寒風の中梅の蕾は次々と華麗に開いて、わたし達の心を温めてくれています。大自然の営みを感じます。一昨年12月に故人となられたSさん、昭和49年にご主人を41歳の若さで亡くされ、女手1つで娘さん1人を育てられました。お寺の行事にもその地区の当番に当たられた時には快くお引き受け下され、お勝手の手伝いなどご奉仕して貰いました。持ち前の明るさ、気さくさで誰とでもお喋りをし、周りを和ませて下さいました。ある時Sさんが私に「和尚さん、私は旦那を若くして亡くしたけど少しも寂しくないですよ。だってこんな良い娘を残していってくれたから。それに、こうして拝んでいるとどこかで見守って居てくれる気がするのです。だから、少しも寂しくありませんよ。」と仰いました。そんなSさんだから、お家にて娘さんとお話しながら息を引き取られたそうです。少しも苦しまずに、大往生です。
娘さんも中陰中には親戚の方々と共に、真剣になってお経を、お念仏を、お唱えなされました。私は、「その声を必ず阿弥陀様がお聴き取り下され、お母様はお父様の待つ極楽浄土にお迎えいただかれます。お念仏すれば多くの仏、菩薩、先にこの世を去られた方々が、あなたやご縁のある方々を護り、お浄土に導くハタラキをしていて下さいます。ですから、お母様が生前に『亡くなった旦那が見守って居てくれる気がする』と言われましたが、〈気〉ではなく間違いない事なのです。」と、一周忌の時に娘さんにお伝えしました。
娘さんは「2人きりの家族でしたので母が亡くなった事は寂しいけれど、母がそういう思いで居てくれた気持ちを大切にしたい。私のことも両親が見守っていてくれるのですね。」と、言って下さいました。
【阿弥陀仏の本願を深く信じ、念仏して往生を願う人は、現世において不当なわずらいもなく、平穏無事に過ごすことができ、又、命の終わる時には極楽世界へお迎え下さるのです】との、法然上人【仏神擁護ぶっしんおうご】のみ教えがあります。お念仏暮らしの中に多くのお護りを頂ける喜びを大切にし、お念仏を申しましょう。

■法然上人は仏教徒のノーベル賞
昨年12月、新聞やテレビでは『2016年度ノーベル賞授与式』の話題で賑わいました。大隅良典さんが、『ノーベル生理学・医学賞』を受賞され、式典に臨まれる姿に日本国民は大きな喜びを頂きました。今、日本の男の子達が「大人になったらなりたいもの」の第二位に『学者・博士』と答えると言うのも、これまでノーベル賞を受賞された方々をはじめ、それを支えられた多くの学者達の絶え間ない努力の賜物と言えるでしょう。2010年には、私の住む北海道の鈴木章さんが『ノーベル化学賞』を受賞されました。これまで多くの化学者の方々が取り組んできた「クロスカップリング」と言う研究に取り組まれ、医薬品をはじめ多くの事に利用される道を広げてこられた方でした。「クロスカップリング」とはそれぞれに異なる物質(有機化合物)その二つの物質をお互いそのままの状態で繋ぎ合わせる事だそうです。しかしそれが大変難しく、一方が繋がるともう一方の何かが欠けてしまう、その繰り返しだったそうです。そしてご苦労にご苦労を重ね、ついに「パラジウム」と言うものを使って二つの物質を完璧な状態で繋ぎ合わせる事に成功されました。又、その「パラジウム」は何度でも使い回しができると言う事も解明されました。私はこの事をお聞きした時、すぐに法然上人のことが頭に浮かんでまいりました。法然上人が浄土宗をお開き下さいます以前の仏教は、いわゆる「出家」の仏教が主流でした。仏門に入り、厳しい修行と難しい学問を学び、戒律を守り「覚り」を目指すと言うものが根本とされておりました。それはごくごく一部の者しか勤める事ができない事であり、さらに「覚り」を得るのは至難の業でありました。法然上人は「すべての者を覚りへと導く御教えを説かれたお方がお釈迦様である。」と深く信じ、その道を求められました。実に三十有余年に及ぶ求道の末に、「すべての者が救われる方法」をお釈迦様の御教えの中から見つけ出されたのであります。阿弥陀仏は「全ての者を救いたい」との願いを起こされ、長い間大変な修行を積まれ仏様になられたお方であります。その阿弥陀仏の「全ての者を救いたい」という、願いの力を信じて、その名前をお呼びする。「南無阿弥陀仏」とお称えする事こそ、私たちが『覚り』に到達する唯一の方法であるとの御教えを、法然上人は発見されたのであります。阿弥陀様は『覚り』を得るための世界『西方極楽浄土』をおつくり下さって、私の名前を呼ぶものを全て救い取ると誓われて佛様になられたお方なのであります。法然上人がこの『阿弥陀様の御誓い』にお気づき下さって「南無阿弥陀仏」のお念仏を選び取ってくださり「日々の生活に追われる私達」と「仏の世界・覚りの世界」が初めて繋がったのです。
『誓願に 南無阿弥陀仏と言う人を   救い取らずば 弥陀と名のらじ』
法然上人がお示し下さった「南無阿弥陀仏」のお念仏は私達と御仏様という、到底繋がりようのない二つを「お念仏」によって完璧に繋ぎ合わせてくださったのです。そう考えましたなら、法然上人は私達仏教徒の『ノーベル賞』受賞者だと言っても過言ではないと思うのであります。
 

 

■浄土宗開宗の喜び
鶯うぐいすの 谷よりいづる 声なくは 春くることを 誰か知らまし
この和歌は、平安時代の歌人・大江千里おおえのちさとが、「鶯よ、早く山から出て来て皆に春を知らせておくれ」という思いを詠んだものです。鶯が「ホーホケキョ」と鳴くと春の訪れを感じるので、鶯のことを「春告鳥はるつげどり」とも呼びます。カレンダーなどなかった昔の人は、きっと鶯の囀さえずる声を聞いて春の到来を喜んでいたのでしょう。
実は、今から842年前の春にも大きな喜びがありました。承安5年(1175)年のことです。法然上人が長い間修行をされた比叡山に別れを告げ、吉水の地で浄土宗をお開きになられたのです。それがなぜ、この上ない喜びかといいますと、これまで説かれていた仏教は、自らの力で智慧の眼まなこを開いて覚さとるための教えでありました。しかし、残念ながらわたしたちのような智慧に暗い凡夫ぼんぶは、永遠に救われないと説かれてきました。そこで法然上人は、そんな救われようのない凡夫に光を当てられ、万民が救われる阿弥陀さまの本願念仏を示すために浄土宗をお開きになられたのです。もし、そのお示しがなければ、わたしたちは未だお念仏に出逢うこなく、永遠に彷徨さまようことになっていたかもしれません。
ところで、「白衣の天使」と讃たたえられたナイチンゲールのことは、皆さんもよくご存じだと思います。クリミアの戦地に赴おもむき、傷痍しょうい軍人が収容されている兵舎病院で献身的な看護につとめたことで有名です。そこで彼女は、傷ついた兵士のために毎晩ランプを提さげて、欠かさず夜回りをしていました。すると、真っ暗な部屋に収容されていた兵士たちは皆、そのランプの灯あかりを見て、「生きて国へ帰るぞ」と勇気が湧き、精神的な安らぎを得たといいます。毎日、薬や包帯よりも灯りを求めた兵士たちは、ナイチンゲールを「ランプの貴婦人」と呼ぶようになったそうです。この体験から、「負傷で不安を抱いている兵士にとって、ランプの灯りが一番の治療になった」と、後にナイチンゲールは語っています。これをわたしたち自身に置き換えてみると、どうでしょう。わたしたちは智慧が負傷した凡夫であります。それが原因で、道理に暗く、迷ってきたわが身ではないでしょうか。
法然上人でさえ、自ら智慧を極めていけるだろうか、とわが身を見つめられ、「愚痴の法然房」とまで仰せになられています。わたしたちのためにお念仏の灯りを示され、浄土宗を開宗してくださった法然上人。そのおかけで、今日こうやって「南無阿弥陀仏」の日暮らしを過ごせることは、無上の喜びであります。

■み名を呼ぶ思い
私たちは、朝目覚めてから夜眠るまで、さまざまなものの名前を口にします。そこには喜怒哀楽の感情がこめられています。例えば子どもが「お母さん」と言葉にする時、甘えたい気持ちや喜び、時には怖れや怒りが含まれていることでしょう。では私たちが「南無阿弥陀仏」と阿弥陀様のお名前をお呼びする時、どのような思いで称えているでしょうか。多くの場合、先立った方々のご供養のために、という思いで称えておられることでしょう。もちろん阿弥陀様はそうした思いにも応えて下さいます。では浄土宗を開かれたお念仏の元祖・法然上人はどうお示しでしょうか。「称名の時に心に思うべきようは、人の膝などをひきはたらかしてや、助け給えという定なるべし」(つねに仰せられける御詞) 「南無阿弥陀仏と称える時に心に思うべきことは、人の膝にすがりついて、お助け下さいというような気持であるべきです」また別のご法語には「阿弥陀ほとけ、たすけたまえ」という思いで称えなさいとお示しになっています。「助け給え」という気持ちで称える、ということには二つの意味があります。一つは、「この私は救われがたいものである」という思いです。浄土宗は「21世紀劈頭宣言」の冒頭に「愚者の自覚を」と掲げています。冒頭に掲げる、ということはそれが一番大切な事、入り口であるからに他なりません。様々な煩悩にまとわれ、欲望のままに生きる私たちは誰もが「凡夫(ぼんぶ)」と呼ばれる救われがたいものです。そう自覚するからこそ「助け給え」と阿弥陀様の名をお呼びするのです。もう一つは「この救われがたい私」を、阿弥陀様は必ずお救い下さるという思いです。この世で何かピンチになった時、頼りすがるべきは「頼りがいのある人」でしょう。ましてこの身、この命のゆくえの大ピンチなのに、頼りないものや、財産や名声などの失われるものにすがるわけにはいきません。極めつけに頼りがいのある阿弥陀様におすがりする、その思いが声になる、それが「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。なにより、今この世に生きている私のために仏となってくださった阿弥陀様です。心の底から頼りきり、お任せする思いで「南無阿弥陀仏」とお称え下さい。

■お念仏なればこそ
法然上人のお言葉(意訳)の中に
「お念仏は金きんのようなものです。金は火に焼かれても焦げることなく、ますます色を増して輝き、水に浸し放っておかれても、錆びつき、腐り、朽ち果てることはありません。同じようにお念仏は、煩悩、妄念の心で申しても、焦げつき、錆びつき、穢れ、朽ち果てたような虚しいお念仏になるわけではありません。金が水に浸されてもなんら変わることなく、炎の中でもますます輝きを増すように、煩悩、妄念のどんな心でありましても、お念仏による阿弥陀さまの導きは全く変わることのない、それどころかますます輝きを増すように力強くお手引き下さるのです。どんな時でも、どんな場所でも、どのような姿、心で申しても、すべて往生の行となっていくのです」とあります。法然上人には実にさまざまなお弟子がいました。その中に耳四郎という大盗賊がいましたが、大改心、大転換をして上人のお弟子となり、「教阿弥陀仏」と言われるほどの念仏者となったのです。ところが、以前の悪友たちがそれを妬み、危害を加えようと、ある夜、寝入っている耳四郎の寝室へと忍び入ったのです。そして、今こそと刀を抜き、頭からかぶっている布団を引きはがしてみると、現れたのは耳四郎ではなかったのです。全身金色の仏さまが横たわり、出入りの息が南無阿弥陀仏…と聞こえたのです。悪友たちは驚き、それによって耳四郎本人も驚き目覚め、互いに抱き合ってお念仏の尊さを喜びあい、耳四郎自身はますます信仰を高め、悪友たちは善心に立ち還ったという話が伝わっています。この話は、耳四郎という我欲のために人を泣かせ苦しめ続けた、まさに煩悩まみれの人間でありましても、信じ仰いでお念仏申し続けていくならば、必ず阿弥陀さまの導きを受けて、人柄、人格、生活、生き様までも大転換させていただけることを示して下さっているのです。お念仏なればこそ、この身、この心、このままで大丈夫なのです。導かれていくのです。お念仏申して生き往きましょう。

■日常生活にお念仏を
仏教と言えば「南無阿弥陀仏」、「南無阿弥陀仏」と言えばお念仏と言われるほど、多くの日本人に馴染みのある言葉です。では南無阿弥陀仏のお念仏は、なぜ称えるの、いつ称えるの、その意味は、と尋ねれば、浄土宗の熱心な信徒さん以外は知らない方が多いのではないかと思います。浄土宗では元祖法然上人のお念仏を日常生活の仲で、何時でも、どこでも、何回でもお称えすることをお勧めしています。なぜお念仏を称えることをお勧めするかと言えば、一言で言えば誤りのない幸せな人生を送って頂き、最後には極楽浄土に往生をして頂くためです。こう言えば、別にお念仏を称えなくともお金やモノで幸せになれる、と思われている人もおられるでしょう。確かにモノやお金で得られる幸せもあります。でもその幸せは、直ぐに飽きてしまいます。そして、次のモノがまた欲しくなり次々と欲望が湧いてきます。その結果、欲望にブレーキがきかなくなり人生の道を踏みはずしたり、人との争いをおこすことになり迷いや不平不満の人生となるのです。何故なら全ての人間は「とん(貧)」「じん(瞋)」「ち(痴)」といわれる三つの煩悩を持っており、この煩悩は止まることがないからです。「とん」は欲深い煩悩、「じん」はイライラ、かっかする腹立ちの心、「ち」は愚痴の心のことです。お念仏はこの心の煩悩を抑えてくれるのです。そして必ず浄土に往生できるのです。だからお念仏を称えることをお勧めしているのです。お念仏は立派な仏壇がなくても、誰でも、何処でも称えることができます。イライラかっかした時、不安な時、就寝の布団の中で、車の中で、トイレでも結構、ぜひ一度称えてみて下さい。きっと貴方の心が和らぎます。お念仏を称えることが日常生活の習慣となれば、誤りのない幸せな生活を送ることができるのです。ぜひ人生の道標となるお念仏を日常生活に取り入れて頂きたいと願っています。

■お盆〜亡き人との再会〜
「おぼんとは いままで空にいた人が 空からかえってきます その人は ひさしぶりだから げんきにしてるか といいます なむあみだぶつ なむあみだぶつ」勢哲せいてつ(小1)  
お盆は、平素ご無沙汰がちの亡き父母やご先祖様を家にお迎えし、お盆の期間中たくさんの食べ物をお供えして親しく語らい、そしてお盆の期間が終わればまたの再会を願い心静かに本国(極楽浄土)へとお送りする古来からのゆかしい「魂まつり(たままつり)」という行事です。お盆とは正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」といい『盂蘭盆経』というお経に由来があります。ある時、お釈迦様の十大弟子の一人「目連尊者もくれんそんじゃ」が餓鬼道で苦しんでいる母親を見つけます。何とか救う手立てはないかとお釈迦様に教えを乞うたところ、「夏の修行期間の明ける旧暦7月15日に多くの僧侶たちに沢山のご馳走を振る舞い心から供養するように」と諭さとされます。この教えに従い供養したところ、母親は救われ極楽浄土へ往くことが出来たという話が説かれています。そしてこの話が日本に伝わり、古くからご先祖さまに感謝をささげ供養する重要な行事となったのです。冒頭の文は、息子が小学校1年生の時(現在中学3年生)に書いたものですが、当時流行していた「千の風」の歌を思い浮かべて、「この世」とははるか離れた高い所「あの世(極楽浄土)」を「空そら」と表現したのでしょう。『千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹き渡っています』の如く、いつも極楽から私達を見守ってくださるのがご先祖様です。お盆はそんなご先祖様が一年に一度「空そら」から我が家に帰ってこられ「元気にしていたか?」と私たちに優しく語ってくれるのです。そのように受け取らせて頂くと、自然と精霊棚に手を合わしお念仏を申さずにはいられません。
「今日あるは 先祖のおかげ 魂まつり」
お盆が終わり、ご先祖様を本国(極楽浄土)へとお送りし少し寂しくなりましたが、また一年後の再会を願って毎日欠かさずお念仏をお称えさせて頂きましょう。  
 

 

■「約束」
「また明日会おうね。」 私たちは、家族や友達、また色々な人と会った時、挨拶をします。そして、時には約束も交わします。「次は◯月◯日の◯時にこの場所で。」「今度くる時はまた楽しい話をしましょう。」簡単な約束、重要な約束、色んな約束がありますが、約束とは私たちの未来へのつながりを願った誓いといえます。私には、Sくんという幼なじみがいました。幼稚園、小学校、中学校と同じで、地元の祭りにも一緒に参加する仲のいい友達でした。高校3年の時、Sくんは首から肩にかけて痛みを訴え、入院することになりました。実はその時、悪性の腫瘍が彼の身体をむしばんでいたのです。若いということもあり病気の進行が早く、Sくんはだんだんと衰弱していきました。「絶対に治る!」そう信じて疑わない彼と私たちでしたが、ある日、Sくんは私にこう言いました。「亡くなったらどうなるのかな。」彼は猛烈な不安と戦っていたのです。私は彼に対して、「極楽浄土で阿弥陀さまや先に亡くなったおじいちゃん達が待っているから、心配ないよ。」と答えました。極楽浄土へ行くためには「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えること。これが極楽浄土をおつくりになった阿弥陀仏の願いであり、浄土宗をお開きになった法然上人のみ教えです。Sくんは両手を合わせ、「南無阿弥陀仏」と称えました。「もし亡くなっても、極楽で待ってるからまた会おうな。」Sくんと私は約束をしました。Sくんはそれから後、この世での命を終えていきました。しかし彼は、極楽浄土に生まれ、私たちが来るのを待ってくれています。
「生まれては まず思い出ん ふるさとに 契りし友の 深き誠を」
法然上人は、自らが浄土に生まれた後は、この世でお念仏の行に励んだ仲間と極楽浄土で会う約束を、まず第一に思い出すであろうと、お詠みになられました。すなわち法然上人の約束であります。お念仏を共に励ました友との極楽浄土での再会の約束です。阿弥陀仏は「我が名を呼べば、必ず極楽浄土へ導くぞ」とお誓い下さいました。これはすなわち阿弥陀仏の約束です。阿弥陀仏の約束は、お念仏を申す私たちを救うことであり、決して破られる事のない約束であります。この世での命が終わっても、「極楽浄土でまた会おうな。」と約束したSくんとの再会を楽しみに、また、阿弥陀仏、法然上人との約束を果たすために、これからも一層お念仏に励んでいきたいものです。

■八十八回の手間
「米は八十八回手間がかかるから米って書くんだよ。」そんな忘れてしまったような言葉が自分から出てくるとは思いもよらなかった。八年ほど前、寺に田が戻ったのがきっかけとなり米作りをはじめる事となった。田んぼで米を作ったことなどまるでなく、何とかせねばということで素人の怖さ、「無農薬」しかも「手植え・手刈り・はさ掛け」と昔ながらの方法で黒米を作ると言う大それた事となった。田植えの当日、地元新聞の記者が取材に来るという。田植えなど珍しくもないが「黒米」しかも手植えと言うことで寺の世話人の一人が声を掛けてくれた結果である。わずか四畝の田で詠唱講の早乙女たちが、横一線に張った綱を基準に苗を植えながら後ろ向きに進んでいく。ほぼ終わりかけの頃、記者も到着、早速取材を受ける。なぜ農業の機械化が進んだ中で、手作業で稲作に取り組んだのかの話である。田を手がけたことがないド素人が解った風なことを言うのだから恥ずかしい限りである。そんな話の中で米作りは手間暇がかかることから、八十八回の手間の話が出た。驚きはそこから。若い記者は八十八回の話を知らなかった。しかしよく考えてみると、私も米を作る現場に入るのは初めてでリアルに八十八回の体験をしたわけではない。むしろ「米は八十八回手間がかかるから一粒も粗末にしてはいけないんだよ」と言葉で知っていただけである。後々八十八回の意味をいやというほど知るところとなるが・・・。ほとんど機械化され、肥料や農薬の助けを借りて、省力化が図られている農業の時代にあらがうが如き、昔ながらの作り方をしてみた。農家の人から観れば「そんな甘いもんじゃない」そんな声が響いてきそうだ。簡単、安易と形容される時代ではあるが、その中で流されている私がいる。八十八の手間暇を掛けて人生を送っているだろうか。安易、怠惰そのものの人生を送る我が身が愚かしい凡夫であるが気づくことはなかなか難しい。わかったふりをすることでこの世を渡っていく事がどれほどあったことか。愚かしい我が身に気づき、人生を救うて下さる阿弥陀様に身をまかせ、生かされている自分に気づき、わが身に添うた修行、それがまさにお念仏をお称えすること。「気づけよ、気づけよ」と諭していただけども気づけない私だからこそ、身に添うはお念仏なのだ。十月半ばに刈り入れ、稲束をはさ掛け。その頃は稲穂の馥郁とした香りにつつまれ、雑草と格闘した(特に稗)日々を忘れさせる。はさ掛け乾燥後、脱穀そして精米、収穫を迎える。その収穫に感謝し「ありがとう」その言葉の意味− 有り難い−、そして一粒一粒の米に命の宿る尊さををかみしめながら。   

■「運動会」
暑い夏が終われば秋、隣の小学校でも10月に運動会が開催されました。練習の毎日、朝1限目から練習に明け暮れています。真隣りなので「やかましい」と思うけれども、まぁ運動会までの辛抱・・・。「ダンス」や「集団行動」などはどうなる事やらと他人事でも心配であるがどうにか仕上がった様子。前日は練習もなく入退場門・テント・ライン引き等々準備、さぁ明日は楽しい運動会です。早朝3時起きてみると「怪しげな人影」が。片手に懐中電灯、片手にシート、そう「場所取り」をしているのです。朝6時役員集合後、校長先生の号令「本日は晴天なり。場所取りは朝7時と決まり事ですので、今、場所取りのシートは撤去して下さい」渋々従ってシートは取り除かれました。現に校門前に100名程待機。7時校門開き一斉に見やすい席を求めて走って場所取りが始まりました。トラックの周囲がシートで埋め尽くされ場所取りも一段落。さぁ開会式 個人・団体競技から1・2年生の遊技発表。午前の最後は3・4年生の「恋ダンス」、お昼は各家庭自慢の弁当、生徒達が観覧席の家族の元へ、午後の部が始まりPTA・地域の役員さん等恒例の玉入れ・綱引き、本日の大取はやはり5・6年生の「集団行動」。毎日先生の指導と猛練習、さぁ本番どうなることやら。イチ、ニと声を出し、足を揃えて行進1列から2列4列と別れてから縦に横に斜めに見事に交差。あの愚蛇愚蛇ぐだぐだはどこへやら、完璧な「集団行動」で観覧者一同拍手の嵐。毎日の生徒達の練習のおかげで成功裏に運動会の幕が閉じました。思えば夏休み明けから生徒達は運動会に向かって目標を目指して頑張って来たのです。運動会で走り、跳ね回って運動する姿に親たちは釘付けになり感動するのです。けれども其の姿は我が子、我が身内にしか目を向けていない事でもある。我欲の世界そのものです。其の姿を見たいが為に我先に席を取り、其の姿を記録するためにスマホやカメラを必死に向けていく、他人様よりも我が子しか見えていない、執着の世界そのものであります。けれども私はどうかと云えば、その中の一人であった事実に愕然とするところであります。わが身の愚かさを垣間見るような瞬間です。法然上人のお言葉に「一人一日のうちに八億四千の念あり念々の中の所作皆これ三途の業なりと」と説かれますが、我らの浅ましい姿を考えますと、「われが われが」の世界に陥っている情けない自分の姿が見えてまいります。そんな姿に気づく瞬間はあるのでしょうか。元気で精一杯できたらいいじゃないか。頂いた命だもの。だからありのままでいいのだと思えば其のありがたさに頭を垂れずにはおられません。生かされているわたくし気づき、阿弥陀仏様の名を称える事がこんな情けない私に只一つ身に添うと心得てお念仏するのことが大切です。南無阿弥陀仏ととなうれば阿弥陀様に救われて往く極楽浄土があるのですから。 南無阿弥陀仏。

■阿弥陀仏との出会いは有り難し
「 足元は 轍わだちに頼る 雪の道 」
寒さ厳しくなりました。雪が降り積もると移動に難儀致します。しかし、人が頻繁に歩くところは降り積もる雪を足で溶かして轍になります。沢山の歩く人あればこそ。そして、朝早くに雪を除けて歩く道を作って下さった方のお陰です。思えば私たちの当たり前に歩む道も、沢山の人との繋がりと人知れずご苦労して下さった方のお陰なのかも知れません。少し前に十年前の水子さんの供養の依頼を受けて、阿弥陀様の前で共にお念仏を称えさせていただいた時の事。最後にお母さんからお話をいただきました。「私は10年間ずっと涙の生活でした。取り戻すことの出来ない過去をずっと思い続け、赤ちゃんの場所も判らなく、食べさせたい御菓子を供える場所もなく、頼るものも判らなかった。判らないだらけで下を向いて涙を流すだけの10年でした。でも今日ここに来て、手を合わせ頼る仏様が判って赤ちゃんの行く先も判りました。現実は何も変わらないし涙はいつまでも止まらないけれど、下を向かずに涙を流せそうです。悲しみのどん底の中でちょっとだけ喜びを貰いました。有難う御座います。赤ちゃんにお菓子をお供えてお念仏を称えにまた来ます。」涙を流しニッコリと微笑んで帰ってゆかれました。このお母さんに出会って、阿弥陀様が当たり前にいるものと思っていたけれど本当は有り難い事だと気づかされました。私達が生まれ変わり死に変わりを繰り返したくさんの別れ、たくさんの悲しみの姿を見て何とか助けたいと願い、とてつもない時間を掛けて仏となって下さった阿弥陀様のご苦労と慈悲の心がなければ、一体、この私はどうなっていたでしょう。法然上人が苦しみの世界から離れる為に救いの道を捜し求め、お念仏を多くの人に広めてくださらなかったら、私も家族を失い、自分の命が終わる時にただただ涙を流すだけだったでしょう。出会う事の難しいお念仏の教えが用意されている事の有り難さ。
「 往生は 念仏に頼る 祖師の道 」
年の暮れに合わせて、どうかお寺参り、お墓参りをお勤めください。たくさんのご先祖様が称えてくださったお念仏によって、私達はお念仏と出会わせていただきました。同じ道を歩み、同じ仏にすがり、同じ浄土へ参りましょう。 南無阿弥陀仏

■授戒のすすめ
浄土宗にとって大切な両輪といわれる、二大法要があります。一つは五重相伝。もう一つは、授戒会と言います。
花の散りざまも色々。古来先人はその表現を言い変えておられます「梅こぼれ、桜は散りて、椿落ち、牡丹くずれて、人はゆくなり」お互い何時かはこの世を離れる時が来るわけですが、この世を離れて、いったい何処に往くのか!死んで終わりではなく意気揚々と参る極楽世界があるのだと確かな念仏信仰を頂くのが五重相伝であるのに対し、では、その時を迎えるまで、人はどう生きるべきか!どう人の道を歩むべきか、その道標を頂戴するのが授戒というものなのです。道が無くとも、猫は屋根を横切ります。犬は縁の下を斜めにでもくぐり抜けます。しかし、人間には人間の進むべき道が有ります。それを無視していたら、非道、無法になりかねません。人が人として、歩むべき道を知らしめして下さるのが授戒です。
知って悪い事をするのと、知らずに悪い事をするのは、さてどちらが悪い?と言われたら、普通は「知って悪い事をする方が悪いに決まってる。」と思いますよね。しかし、どちらが恐いか?となると話が変わります。例えば、ストーブの天板は熱いと知っている大人は滅多とさわりません。しかし、ようやく歩き出した幼子が、うかうか、近づき紅葉の様な手のひらをもしストーブの天板に触れたら、大火傷につながります。信号の赤は止まれ、青は進めと知っているからこそ、止むを得ず黄色で交差点に進入したとしても、左右を確認して通過できます。もし知らない人が赤で交差点に進入したら当然大事故をひきおこします。戒めを守れるか、守れないかは別問題で、知ってるか、知らないかが、先決なのです。それを知らしめて下さるのが授戒なのです。人間は何処までもお粗末です。煩悩を抱えている事も知らずに、好き勝手に生きています。最近、境内裏庭の土手の草刈りの為に草刈り機を購入しました。まんべんなく雑草が生えていると、そう気にもなりませんが、刈り出すと、生えてる処が気になってしかたありません。当然刈っても刈っても次から次へと雑草は生えて来ます。しかし、刈って見るからこそ其れが見えてくるのです。バス停でのある老夫婦の会話です。「いくら待っても、バスが来ない!何のための時刻表じゃ!」「おじいさん、バスが遅れていると言うことが分かるのは時刻表があるからやないですか!」
授戒会の法要儀式を通して、自分の奥深い心の引き出しにその戒がしまいこまれ、自分で意識してない様でも知らず知らずのうちに、人としての道を誤らないよう、大火傷しない様導いていただけるのが戒と言うものなのです。時刻表と言う戒法を持ってこそ、其れをまともに守れないお粗末な自分がまた見えてまいります。だからこそ、そんな者でも救われる道であるお念仏が大事になってくるのです。 
 

 

■備えあれば憂い無し
今年の夏は格別の猛暑に加えて、いくつもの台風が発生し、河川の氾濫や堤防の決壊などによる甚大なる被害が多くもたらされました。テレビのニュースでも、台風の予想進路が報道されると、仕事の手を止めてその報道を注視した事でした。亡くなられた方々の冥福を祈ると共に、被災された方々が一刻も早く、もとの生活を取り戻せるよう願っております。さて、現代はこうした事前の予知報道が早め早めに各メディアによって知ることができ、以前に比べて被害も比較的少なく、また混乱を最小限に食い止めることができるようになった事は、誠にありがたいことです。
「備えあれば、憂い無し」―――――――中国の宋の時代、居士と称讃されているほどの浄土教者の王日休さん(1105ー1173)が撰述した『浄土文』に、備説として次のようなわかりやすい言葉をもって、来るべき時にあたって備えをなすことが絶対必要不可決であることを説いています。
     昼には必ず夜がある。どうして夜の備えをしない人があろうか。
     暑には必ず寒がある。どうして寒の備えをしない人があろうか。
     生には必ず死がある。どうして死の備えをしない人があろうか。
     何を夜の備えとするのか。灯火・寝具である。
     何を寒の備えとするのか。衣料・燃料である。
     何を死の備えとするのか。浄土往生である。
王日休さんは、昼のうちに夜の準備をしなさいと促しています。暑い最中さなかにあって、必ず次にくる寒さへの対策準備を完璧にと奨めています。元気に生活してる今、いつ来るかわからない死への準備を怠ることなかれと警鐘を乱打しているのであります。王日休さんは、命終に臨んで励声念佛を唱えて阿弥陀佛の御来迎をうけて浄土往生を遂げたのでした。私たちにとってだれにでも死縁は近づいてまいります。死縁に対する最善最勝の備えとは、南無阿弥陀佛の平生のお念佛です。常に平生のお念佛を相続しておれば、そのまま臨命終時のお念佛となり、阿弥陀佛の御来迎をいただき死苦の問題解決を果たし、お浄土に往生させていただけるのであります。「備えあれば憂い無し」であります。

■お念仏の秋
日増しに秋を感じる季節となりました。紅葉の名所などを訪れ、行楽の秋を楽しむ方も多いことと思います。また、スポーツの秋、読書の秋、芸術の秋などともいわれ、一つのことに集中して取り組める季節ではないでしょうか。浄土宗では毎年10月、11月に「十夜法要」が各お寺で行われます。お寺にお参りに来られた皆さんとご一緒に、お念仏をおとなえする法要です。そしてすべての恵みに対し、感謝する法要でもあります。中国の儒学者孟子は子どもの頃、墓場の近くに住んでいましたが、孟子が友達とお葬式ごっこばかりして遊んでいるので、親が心配して市場の近くへ引っ越しをしたそうです。市場の近くに住むと、今度は商人の真似ばかりして遊ぶので、学校の近くに引っ越したそうです。すると礼儀作法の真似ばかりするようになり、孟子の母は「この地こそ子供にふさわしい」と、その地に落ち着いたそうです。
この「孟母三遷」の話は、人間にとって周りの人や住む環境が大切という教えです。お寺の本堂は、仏様に見守られ、周りの方とともにお念仏をおとなえする素晴らしい環境です。故人となられましたが、お寺の法要に熱心にお参りされた田中和子さんという方がいました。この方は、お元気なころ「十夜法要」の日程表を作り、寺町寺院群内の浄土宗寺院12か寺をほとんど休むことなくお参りされていました。「うちのお寺だけだと1日昼夜の法要ですが、これで十日十夜のお参りができました。やっぱりお寺の阿弥陀さまの前で皆さんとお念仏をおとなえすると有り難いですね」。と話されていたのを思い出します。お念仏の秋、さわやかな秋晴れのもと、それぞれの菩提寺、お近くのお寺の「十夜法要」にお参りされ、お念仏をおとなえする時間をつくられてはいかがでしょうか。毎日の忙しさにせかされて、つい忘れがちな心のゆとりも、きっと見つかるはずです。皆さんのおとなえする「南無阿弥陀仏」の声が、ご先祖さまへのご供養となり、わたしたち自身が阿弥陀さまの西方極楽浄土への往生をかなえる大きな大きな功徳となるのです。

■独りでいても一人じゃない生き方
旧暦2月15日、お釈迦さまは80歳でご入滅されました。35歳でお覚りになってから45年にわたり教えを説いてくださいました。お釈迦さまは当初、お覚りになったものを他の人に説いて伝え教えることをためらわれていました。そもそも言葉で言いあらわすのが難しいのに、説いても伝わらないだろうと思われたからです。しかし梵天さまの三度にわたる願いを聞き入れて説きはじめてくださいました。お釈迦さまが語ってくださったお言葉は、聴き手に合わせてお選びになったものだったので、たくさんの教えとなって今に伝わっています。たくさんの教えの中から法然さまが最も自分に相応しいとされたものが、南無阿弥陀佛のお念佛を申して生きていくことです。「阿弥陀という仏さまがいらっしゃること。その仏さまが西方の極楽浄土にいらっしゃること。南無阿弥陀佛とお名前を呼べば応えてくださること。臨終にはお迎えに来てくださること。そして極楽往生を遂げさせていただけること。すべては南無阿弥陀佛と申して生きていくことでかなう」と法然さまはおっしゃいました。南無阿弥陀佛のお念佛を申す生き方は、人を選びません。老若男女も問いません。誰でも実践できます。だからこそ、法然さま自身が自分に相応しいとされたのです。今この瞬間を生きることで一杯いっぱいなのに臨終とか死とか先のことなど考えられないし考えたくもない、かも知れません。まだ縁もゆかりもないと思われるかも知れません。でも、いま生きている私たちにも、とても関係のあることなのです。法然さまは「お念佛を申して生きていく人は常に阿弥陀さまが護ってくださる」とおっしゃいました。いつ訪れるのかわからない命を終える瞬間まで、常にずっとそばに寄り添って護ってくださるのですよ、と。常に寄り添っていてくださるからこそ、臨終の間際という一大事にも寄り添っていてくださるのです。だから独りでいても一人じゃないのです。お念佛を申している人は常に阿弥陀さまと一緒なのです。法然さま一押しの、南無阿弥陀佛のお念佛を申して生きるということを続けていくうちに、阿弥陀さまを感じる瞬間があるかも知れません。どうかなぁ?と思う前に、まず試してみてください。

■阿弥陀さまのお約束
荒れに荒れた今年の冬でしたが、ようやく春のお彼岸を迎える季節となりました。「暑さ寒さも彼岸まで」順序を違えず季節は巡ってきます。自然はウソはつきません。ウソをついて混乱させるのは人間ばかりでありましょうか。悩み多い迷いの現実世界こちらの岸から、悟りの世界であるあちらの岸、極楽浄土に到るというのが彼岸の意味であります。今どんなに若く健康であっても、いずれ例外なくこちらを離れなければならない私たちです。ただし、頂戴した命でありますからこの命使い切っての旅立ちです。そして大切な方々が待っていらっしゃる極楽のお浄土へ参ります。日々のお念仏を携えて参ります。『無量寿経』というお経さまの中に、阿弥陀さまの四十八のご誓願がございます。その第十八番目が「あらゆる世界の善人も悪人もいかなる者でも、嘘偽りなく心の奥底から私の浄土に生まれたいと望んで南無阿弥陀仏の名号を称えれば、たとえそれがわずか十遍であったとしても必ず往生を叶えよう。」という「念仏往生の願」であります。それが、今日までお念仏がお称え続けられてきた理由であります。法然さまは、お念仏をお称えする時の心の持ちようをお弟子さんから尋ねられ、そのご返事の中で次のお示しをなさっておられます。
「大方おおかたその国に生まれんと欲おもわん者は、その仏の誓いに随したがうべきなり。されば弥陀の浄土に生まれんと欲おもわん者は、弥陀の誓願に随したがうべきなり。」(『勅伝』25巻)
【訳】 だいたいその仏さまの浄土に生まれたいと願う者は、その仏さまのお約束に従うべきです。ですから、阿弥陀さまの極楽浄土に生まれたいと願う者は、阿弥陀さまのお約束に従うべきなのです。ただただ心をひとつにして、専ら阿弥陀さまのみ名をお称えする。私たちにとってお念仏が、あちらの岸に渡る唯一の方法なのであります。阿弥陀さまのお約束だからであります。いずれ訪れるであろう旅立ちの時に慌てることがないように、日々お念仏の備え怠りなく勤めましょう。  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
浄土宗東京教区法話

 

ご挨拶
「社会の変化に想うこと」浄土宗東京教区 教区長 橋誠実(無量寺)
近年の社会状況の変化は目まぐるしいものがございます。
その一つに、首都圏において、呼び寄せ高齢者が増えているという現象があります。就職で上京され、そのまま住み続けた結果、地方に残してきた親御さんを近くに呼び寄せるということであります。殊に、お一人きりになられた親御さんの場合は切実で、察して余りあるものがございます。
そのような中で一番の心配事は、新しい土地、生活に慣れるかということと、離れてしまう故郷に残してきたご先祖様や愛しい亡き方のお遺骨のことでしょう。しかし、どんなに離れていても、いつでも、どこにいても、無量の功徳である南無阿弥陀仏とお称えすることで、極楽浄土にいらっしゃる亡き方の菩提を弔うことができるということを心に、日々の生活を送っていただければ、この上ないご供養となるはずであります。
新しい生活で色々なことがあろうと思いますが、それを受け止め、お念仏を通した生活をお送りいただくことで、慈しみが芽生え、やがては極楽浄土に往生することができるのです。 
 
 

 

■ 「お盆に思う親の心」
先日(7/13)、国会にて臓器移植法A案が可決されました。充分な話し合いもされないまま政局の混乱の中、あまりにも急に成立した感が残ります。それによって臓器移植に対する規制は従来よりずっと緩いものになりました。いわゆる脳死状態を人間の死とすること、年齢規制が無くなったこと、また家族の承諾があれば臓器を提供できると言うことなどです。世論も賛否がちょうど半々に分かれましたし、私の身近な僧侶仲間でも、この問題はたびたび話し合われています。
まず、脳死を人の死と法律で決めてしまっていいのかどうか?つまり人の寿命を人が決定することへの疑問が残ります。脳死移植検証会議委員を務める作家の柳田邦男氏は「ドナーを増やしたい、移植の手続きを簡単に、というのは死への冒涜である。医療現場は決して死を押しつけてはいけない」と話していますが、私もその意見に同調する一人です。
しかし「もし、あなたの子が臓器移植しなければ助からなかったらどうする?」と、尋ねられると返す言葉に自信が持てません。数年前、私の長男が脳内出血を起こして緊急入院をし、数日間、瀕死の子を見守った経験があるので、臓器移植を求めるご両親の気持ちはよく解ります。また、脳死状態の子を持つご両親の複雑な気持ちも、同様にわかります。この法案によって今後、彼らが「他の子を助けるため、わが子は死んだ方がいいのか・・」という思いに苛まれることが充分考えられるからです。
誤解のないよう記しますと、ここで私は、臓器移植を求める親たちのことを諫めるつもりは毛頭ありません。私だって同じ立場になればそうするかもしれないのですから。ただ、親として願う当然の感情と、法案の是非を問おうとする思考は別でなければならない、と思うのです。とかく私たちは、自分中心にものごとを考えてしまうのですから。とりわけ精神的に追い詰められている時は、全体的な判断をすることなど、とてもできません。冷静に考えればエゴイズムだとわかっても、せっぱ詰まっている自分をどうすることもできなくなってしまうのです。
お盆の由来の一つである『仏説盂蘭盆経』を考えてみます。この盂蘭盆という言葉はウランバナ(倒懸)といって,逆さ吊りの苦しみという意味です。逆さ吊りの苦しみを受けているのは、お釈迦さまの弟子、目連さまのお母さんです。目連さまにとっては優しい母親でしたが、彼女は貧しい階級の子供が飢え苦しんでいても、彼らに施しをすることはありませんでした。死後、餓鬼道で逆さ吊りにされているのはそれが原因とされ、自分の子に偏愛するあまり、全体的な見方ができなくなることを誡めたお経の一つといえましょう。
しかし、よくよく考えてみれば、他人の子よりも我が子が一番可愛いと思うのは、目連さまの母親に限らず誰だってそうですし、それが逆さ吊りの罪にも値するというのなら、私だって同罪です。そう考えれば、この世の誰もが皆、自己中心で、そのようにしか生きていけない罪悪生死(生まれ変わり、死に変わり)の存在でしかないのです。目連さまの母親の姿は、とりもなおさず私たちの姿そのものであり、死後は私たちも逆さ吊りの罰が待っていると受け取らなければならないでしょう。
でも、こんな私たちであっても、この身このままで阿弥陀さまはお念仏ですくい取ろうと願われたのであり、だからこそお念仏の行は有り難いのだな、とあらためて理解します。そもそもお念仏の信仰は、この私自身のありのままの姿を深く知り、見つめなおして、その身勝手さを懺悔し続けることなのだと思います。親はどうしたって自分の子が一番可愛いのですから・・・。
それにしても、昨今の医療の進歩はあまりにも速く、その恩恵にあずかることは有り難いと思う反面、この技術は倫理的にどうなのだろう、この先どうなっていくのだろうと、僧侶の立場で常に考え続けていかねばならないと懸念します。

■「観音さま」
浄土宗の御本尊は中心が阿弥陀如来です。そして向かって右側に観音菩薩、左に勢至菩薩をお祀りいたします。このように仏様は一仏、二菩薩という形でお祀りすることが多くあります。たとえば中心がお釈迦様、釈迦如来であった場合は、右側が普賢菩薩、左側が文殊菩薩となります。また、中心が薬師如来であれば、右側が日光菩薩、左側が月光菩薩となります。
それぞれ菩薩様のお名前も違いますが、菩薩様の役目、お働きは同じです。向かって右側の菩薩様は慈悲をつかさどる菩薩。左側は智慧をつかさどる菩薩です。慈悲では観音様が一番人気ですね。慈悲の観音は代名詞になるほどです。しかし残念ながら智慧で勢至様は今一つ知られていません。こちらは文殊の知恵に完全に負けてしまっているようです。
さて知名度はともかく、観音様と勢至様のいわれと言われるお話をします。昔々のお話です。ある海に面した街に早離と速離という二人の兄弟が住んでいました。二人は早くして母親に死に別れ、継母に育てられていました。そんなことで二人は小さいときからさまざまなつらいこと、悲しい経験をしてきました。その年その地域は干ばつがおき、父親は家を出たまま帰ってきませんでした。継母はどんどん無くなる食料を見ていて、この二人がいなければと考えるようになりました。ある日継母は二人を呼び、向こうの島に父親がいるというから探しに行こうと誘い、ボートに二人を乗せ、島に着くと二人を島の奥に追いやって自分は帰ってしまいました。草一本生えていない石ころだらけの島でした。二人はここで自分たちの命が終わることを悟ります。
兄の早離の胸に抱かれながら弟の速離は、鬼のような顔になって訴えます。「自分たちは今までつらい目、苦しい目、悲しい目に何度も会ってきた。そして最後に一番信用していた母親にまで裏切られてしまた。この恨みはどうしても晴らさなければならない。今度生まれ変わったら、自分たちをつらい目、苦しい目、悲しい目に会わせた人間、そして裏切った人間みんなに仕返しをしてやるんだ」と、興奮しながらまくし立てました。兄の早離は弟が落ち着くのを待って話しました。「でもどうだろう、私たちが経験してきたつらい目、苦しい目、悲しい目は私たちにとって大きな勲章じゃないか、この勲章を財産にして今度生まれ変わった時は、私たちと同じようにつらい目、苦しい目、悲しい目に会っている人々のところに行って、その人たちのためにできることをしてあげよう。僕たちはその人たちの気持ちが一番わかるのだから」と、弟はすぐにその意味がわかり、うなづいて仏の顔に変わって息を引き取り、兄も安心して息を引き取りました。兄の早離は観音菩薩に、弟の即離は勢至菩薩になりました。こういうお話です。
観音経には私たちが助けてくれとお願いすると、観音様が飛んできてくれると書かれています。それはどんな姿でかというと、大人の男女、子供の男女でと書かれています。つまり普通の人の姿ということです。もしかすると隣の人が観音様かもしれません。そして隣の隣は自分だからご自身が観音様かもしれません。法然さんのお弟子の親鸞さんは奥さんのことをずっと観音様だと言っていたようですし、奥さんも娘にあてた日記に、あなたの父親は観音さまだったと書いています。さて、観音様と鬼の違いはどこでしょう。さっきのお話です。誰でもつらい目、悲しい目にあっています。その経験を怒りに変えれば鬼、財産とすれば観音様になるのです。観音様はどこにいましたか、阿弥陀様のお隣ですね。お念仏は観音様を呼ぶ声でもあります。また観音様になる力でもあるのです。

■「月影」
もう、何年も前の話になりますが、私が住職を勤めております林宗院というお寺で、墓地の擁壁工事を行ないました。秋のお彼岸が終わって、お参りが少ない時期。ちょうど今頃だったと思います。工事の期間中墓地への立ち入りは禁止となっておりました。そんな日の夕方、もう日も暮れてとっぷりと暗くなった頃、お寺のインターホンがなりました。日が落ちてからのお寺への参詣者は珍しく、一体どなただろうと玄関へ向かいますと、そこには若いご夫婦がお花とお線香を持って立っておられたのです。「商売をしているので、早い時間にお参りが出来ず、こんな時間になってしまった。お墓参りに来たのに墓地への立ち入りが禁止になっていて途方にくれた」と言うことでした。墓地の工事期間中お墓参りの方には本堂でお参りいただいている旨お伝えすると 「実は、親父が亡くなった後お袋が体調を崩し入退院を繰り返している。やっと良くなったかと思ったら今度は脳内出血で倒れて今入院している。友達にこのことを話したら、それは亡くなった親父さんがお母さんをあの世に呼んでるんだから、親父さんの墓参りに行って、お袋を連れて行くなって言って来い。と言われた」と言う事でした。
お話を伺いながら、ご夫婦がお墓参りに来てそれが果たせず、めったに上がることの無かった本堂にお参りすることになったのはお父様に導かれたのだと感じた私は、『お父様は、お母様をあの世に呼んでなんかいらっしゃいません。むしろ逆です。体の弱いお母様の病状を少しでも軽くすむように見守っていて下さっています。お父様は現在阿弥陀様のみ国におられてご修行の身です。何の為のご修行か、すべて家族を守りたいが為のご修行なのです。助けて下さることはあっても、たたったり呪ったりなさるようなことは決してありません。せっかくお墓参りに来てくださったのだから、お父様に「お袋を困らせるな」と文句を言うのではなく、いつも見守ってくれてありがとうと感謝の気持ちで南無阿弥陀仏と手を合わせて頂けませんか。』とお願い致しました。するとご夫婦はパッと明るい顔になって「そうなんですか!親父はお袋を呼びに来たんじゃなくて、守っていてくれたんですか。だから脳内出血も手当てが早くて、命に係わることはなかったんですね。そうですか!親父は守っていてくれたんだ。」いらしたときの暗い表情から、喜びに満ちた明るい笑顔になって帰られました。
年が変わり春のお彼岸になって、参拝者の中にあの晩尋ねてこられたご夫婦と、その間に毛糸の帽子を深くかぶったご婦人が座っておられました。「その節はありがとうございました。帰ってすぐに、お袋!親父がいつもそばで守ってくれているんだって。心配すんな!って言ってやったんです。そしたら、うれしいって喜んで、リハビリも一生懸命頑張ったんです。今日はもう歩けるようになったんで、一緒に親父の墓参りをしたくて連れてきました。」と満面の笑みを見せて下さいました。
月影の至らぬ里はなけれども、ながむる人のこころにぞすむ
浄土宗をお開き下さった法然上人のお歌です。月の光は、遍くすべてのところを照らして場所を選んだり、人を選んだりしません。しかしながら、その月の光をどう頂くかは、受け手の私たちの心しだいという意味のお歌でございます。水瓶の蓋をとれば月影が映るように、茂った葦を払えば水面に月の光が射すように・・・。亡き人の思いも、時も場所も選ばず常に私たちを見守っていてくださいます。其の事に気がつき、感謝の気持ちを持って生活できるかどうかは、私たちの心の問題なのです。

■「お蔭を頂く」
ここにお花が飾ってありますが、このお花が咲くのには、葉のおかげ、根っこのおかげ、土や肥料や雨、太陽の光や熱のおかげ、あらゆる眼に見えない無量のお蔭が寄り集まってこの花を咲かせている、寸毫の誤魔化しもない。この花が咲いて実がなるように、この私達人間も自分だけの力で、俺が稼いで俺が生きてるんじゃなくて、本当に一本の花が天地の中に咲かしめられるように、私たち一人ひとりが、実はご先祖や親のおかげ、空気、水、天地のおかげ、大自然の無限の法則とエネルギーの働きの結実です。阿弥陀というのは数え切れない、無量と言う意味で、阿弥陀様の無量の生命と光明のお蔭で、今日こうして存在しているのも、私が一人で生きているんじゃなくて、生き活かされているんだという、そういうお蔭に気づくことが、信仰の第一歩だと思います。お蔭に氣づかないうちは、宗教の世界はわからない。お蔭に気がついて、その恵に感謝し、そのご恩にどう報いていくかということに、宗教と言うもののすべてがあるんだと思います。
二宮金次郎(尊徳)先生が、あるお家を訪ねたら、奥さんが朝食の後片付けで、お茶碗やお碗やお箸を洗っておられた。「あら先生―」 「いやいや、片付けてからでいいですよ」と、先に座敷にお通りになっていた。間もなく奥さんが手を拭いて来ると、「奥さん、あなたはさっき朝の後片付けをしておられましたね。ところであなた、お茶碗やお箸を洗いながら、いつも何を考えていますか?」とっさに聞かれて、 「さあ、別に・・・・」 「そうですか。でも毎日三度三度お洗いになるんでしょう。何も考えないんですか」 「さあ、次にまた使うものですからー」 「そうでしょう。また次にも使うんだから奥さんね。お茶碗洗うときには、お茶碗さん有難う、お碗さんご苦労さん、お箸さんまたお昼にお願いねって、そう言って洗ってあげなさい。そうしたら、洗われるお茶碗やお碗もきっと嬉しいでしょう。あなたの心も洗われてきっときれいですよ」と云われた。
ところで、佛さまの恩徳お蔭というと、何かこう大きすぎたり、遠いことのように思いがちですが、そうでなく、身近なお碗の中にも、お箸の中にも、天地のお蔭、佛さまのお徳が私の為に働いてくだっさっている。そういう感謝と喜びが人生に大切です。ぜひ皆さんも、一日の生活の中に、身近なところに、沢山のお蔭・ご恩・お恵みがあるという心眼を開いて下さい、そしてそれは、やっぱり、手を合わす合掌お念仏の中に氣付かせて頂くと思います。「ああ天地のお蔭だなあ、佛様のおかげだなあ」という感謝の思いは、「それを無駄にしてはいけない、粗末にしてはもうしわけない」という報恩の心につながります。この身体、我が命を天地のお蔭に報いるよう、佛様のみ心に少しでもかなうよいこと、お役に立つことに使いましょう。私の命も「もう俺は働いて退職金も貰ったんだから、あとはノンビリ遊んで暮らそう」などと考えずに、佛さま、天地から戴いたものだから、残された命を、世のため人々の幸せのお役に立つよう使わせて頂きましょう。

■「除夜の鐘にいのちの余韻を聴く」
私たちは、よい音を聴いたとき、その余韻を耳にとどめることがあります。「余韻」は音を聴いて、よい印象の響きが残るときだけ余韻とよび、好ましくない響きのときには余韻とはよびません。時間や歳月には、余韻はないのでしょうか。
今年も残りわずかになってきました。心静かに振り返ると、よき出会いや出来事のあった人、悲しい別れや辛いできごとに遭遇した人、さまざまな立場の方がおられると思います。喜びにつけ悲しみにつけ、印象深い出来事のあった人にとって、年の瀬を迎えて、今年という年が過ぎていくことは、何とも気持ちの改まることだと感じているのではないでしょうか。
私たちは、行く年を惜しみつつも、来るべき新しい年に「新年こそ」と、新たな希望を感じるものです。いつもの一日が加わっただけで、カレンダーが新しいページに捲られただけなのに、新年の希望は湧いてくるものです。これは昔の人々が、惰性で生きてしまうことの多い当たり前の人間のために、暦を変えていくことで心を新たに切り替えることができるように仕組んだ、生きるための仕掛けのようなものだったのかもしれません。しかしさらに自分を凝視すると、今年の自分は、決して来年も同じ自分がいるわけではなく、今年の自分を取り戻すことはできません。新しい年を迎えることは、まさに一瞬一瞬、死に近づいている「生死一如」と言えるのです。「新年の希望は、今年の反省の上に成り立つ」と言われます。年末の慌しい時候であっても、今年を振り返り、自らの所業を省みる時間を作りたいものです。
私たち日本人は、昔から大晦日に打ち鳴らされる除夜の鐘を聴いては、その年の出来事や自身のいのちを照らし合わせ、煩悩の除去を祈ってきたものです。除夜の鐘の余韻と過ぎ去ってゆく年を惜しみ、二度と戻らない時間やいのちを、心静かに思いやり、大切に見送るという作業を、一年の最後の夜に行ってきたのです。
翻って最近の若い人々を中心とした新年の迎え方は、米国のニューヨークのタイムズスクゥエアに見られるような、カウントダウンをして花火を上げ、新年を迎えるお祭りのような行事が、各所に見られます。そこには、新しい年の訪れに対する歓迎に重点が置かれ、行く年を惜しむといった、日本人の大切にしてきたものが抜け落ちているかのように感じるのは、私だけでしょうか。
過ぎていく歳月を惜しむことは、私たちの周辺に流れていった時間を惜しむということだけではありません。まさに諸行無常の中に自然と燃焼させている、この「いのち」を惜しむことに他ならないと思うのです。除夜の鐘の響きは、今年の我々のいのちの余韻を、耳に聴こえるように響かせてくれていると受けとめることができるでしょう。この一年に悲しい別れをした方は、離れているとさみしく感じるお父さん、お母さん、大切なあの方のお顔を思い浮かべて「ナムアミダブツ」とお声に出して唱えてみてください。きっと大事な方々が、私たちの方を、思いやり深い眼で見つめてくれますよ。
嬉しくも悲しくも報告したいなと思う出来事のあった方は、それを報告する気持ちで「ナムアミダブツ」と唱えてください。微笑ましい安堵のお顔で、私たちをご覧いただいていますよ。行く年を送るときも、新しい年を迎えるときも、どうぞお耳の底に「ナムアミダブツ」の余韻が残るように、お念仏を生きる杖にして、大切ないのちを育み、生きていきたいものです。南無阿弥陀仏 
 

 

■「一生は一日一日の積み重ね」
あけましておめでとうございます。
Nさんは下町で十一代続く、老舗の海産物問屋の御上(おかみ)さんです。春秋のお彼岸やご主人のご命日はもちろんのこと、毎年正月二日のお寺参りは、この六十年欠かしたことがありません。午前10時、まずご本堂の阿弥陀様の前で掌を合わせ、大きな声で「南無阿弥陀仏」を十遍、それから、冷たい水もなんのその、小一時間かけて親戚中の墓石をきれいに磨き上げ、ようやくお線香とお花を上げてお墓参りが終わると11時。
腰を下ろし、湯飲みを額のところに戴いて、お茶を一服。「デイサービスで『うちの嫁がね……』って、話し始めると、あんまり私のこと知らない人たちはさ、『さぁ、どんな愚痴をこぼすんだろう』って身を乗り出してくるでしょ。そこで『昨日の晩に作った料理が』とくると、もう待ちきれなくて、『口に合わなかったでしょう?』とか『味が濃かったの?』とか、口々に……」「はぁ」「その時『それがねー、美味しかったのよー』って言った途端、『なーんだ』って、ガッカリするのよ。ところが、昔からの仲間は『よかったわねー』って、一緒に喜んでくれるわけ」「いいですねー」  「私が先代の御上さんから教わったのは、『よそで家内の悪口を言わぬこと。褒めれば育つが、おだてりゃ驕ると心得よ。それが暖簾(のれん)を護る道』ってね。言葉にすると簡単なようだけど、これが何とも難しい。どうにかできるようになったのは、不思議と息子が結婚して、二世帯同居になってからだわ。褒めるためには相手のことよく見とかなきゃならないしね。それも結果だけ褒めてもダメなの。どうしてうまくいったのかって、そこを見てなきゃ。途中を見てないと、ついついおだてることになっちゃうのよ」
実際に長年店を切り盛りしてこられた方の、はきはきとした語り口を伺っていると、「えいっ!」と喝を入れられた気がしてくる。そう言えば、お嫁さんについての愚痴を聞いたことはなかったなと思いながら、帰り際に「元気の秘訣は?」と尋ねたら、「今日一日を一所懸命に過ごすことかしら。だって一週間も、一月も、一年も、もっと言えば一生も、毎日毎日の積み重ねでしょ」と実に明解な答え。
さて、宗祖法然上人は『念仏往生要義抄』の中で、「臨終のお念仏と、日常のお念仏と、どちらがすぐれているのですか」という問に対して、「ただ同じことです。どうしてかと言えば、日常のお念仏、臨終のお念仏といって何の境目があるというのでしょう。日常のお念仏をお唱えしているときに亡くなれば、それは臨終のお念仏となるでしょう。逆に、これが臨終のお念仏だとお唱えしても、命永らえれば、それは日常のお念仏となるでしょう」とお答えになってなっておられます。
なるほど、新年を迎え歳を重ねるということは、昨日から今日、今日から明日への、途切れることのない連続です。さぁ、今年はどんな一日一日を重ねることになるのでしょうか。まずは皆さまの今年一年のご多幸をお祈り申し上げます。南無阿弥陀仏。

■「節分に思う」
二月になりました。梅の花も満開に近くなり、確実に春が近づいてくるのを感じます。暦の上では二月四日(年によって日にちがずれる事もあります)が立春で季節を分ける二月三日の夜に節分の行事をするわけです。ですから本来節分は年に四回あるのですが、年の始まりである春の節分を大切にするのです。元々宮中では大晦日(旧暦十二月三十日)に「追儺(ついな)」という儀式が行われていました。邪気を祓い、厄災を除いて新しい年を迎えるのです。明治になり暦が旧暦(太陰暦・月の満ち欠けにより定める)から新暦(太陽暦・太陽の運行から決める)に変わった後、一般庶民も行うようになったのですが、なぜかお正月前の大晦日ではなく、立春の前の日に行われるようになりました。さて、皆様のお宅では節分に何か行事をなさっていますか。鬼は外、福は内と大きな声で唱えながら豆をまき、ヒイラギの枝にいわしの頭をつけたものを玄関にさして、直ぐに戸を閉める。大体こんなところでしょう。この後自分の年(数え年)より一粒多く豆を食べる。こんなところではないでしょうか。突然ですが次のような言葉を御存知ですか。
遠仁者疎道 …仁(思いやり)の心から遠い人は、人の道からも疎遠となる。
不苦者有智 …正しい智慧ある人になれば、苦しみのない人生を歩める。
さてむずかしい漢文のようですが、元の文章はそのまま読むと 「おにはそと ふくはうち」と読めませんか。鬼は外にいるのではなく自分の心の中にいるのです。愚鈍の身の私です。それを正しく自覚する事ができれば苦しみのない人生に近づいていけるのです。お念仏を称えれば、おかげさまの心がいただけます。なぜなら阿弥陀如来様はおかげさまの塊のような仏さまだからです。そのお名前を呼ぶことが「南無阿弥陀仏」のお念仏です。今年の節分からは「南無阿弥陀仏」と称えながら豆まきをなさってはいかがですか。

■「西方極楽浄土に想いを馳せて」
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますように、少し暖かくなったと思ったら、また冬の寒さに逆戻り、と云った不安定な天候が、やっと安定して来る頃でございます。季候は、「お彼岸」を迎えれば、自然に暖かく安定してきますが、私たちの心はどうでしょうか。いつも煩悩や迷いに満ちた此岸に繋ぎとめられて、煩悩を脱した悟りの世界(彼岸)へは、なかなか行けるものではありません。ですから、春分の日と秋分の日をはさんで前後三日間を、彼岸へ渡る(到彼岸)の仏教の修行週間として来たのです。この春分の日と秋分の日は、一年の中で昼と夜の長さが同じになり、太陽が真東から昇り真西に沈みます。これは、仏教の「中道」の教え(相対立するもののどちらにも偏らない教え)になぞられます。お釈迦さまは、6年間の長い厳しい苦行の末、苦行を捨てられたのです。これを、「中道の悟り」といいます。そして、その中道に沿ったご修行で、悟りを得たもの(仏陀)となられたのです。厳しい苦行を捨てたからと云って、その反対の快楽主義に走る事無く、目的に適正な修行方法を実践する事が中道なのです。しかし、悲しいことに、「囚われなく、偏らない心で修行する」と言っても、私たち無明煩悩の闇の住人は、自分が囚われている事すら解らず、偏っている事さえ、更にもっと言えば、迷っている事さえ解らないのです。そんな私たちの為に、阿弥陀さまは「ご本願」を立てられたのです。「私の名前を呼びなさい。決して離したりはしないから。必ず一人も洩らさず救い摂る。それが叶わないならば、私は決して悟りを開かないし、仏にはならない。」、そう仰って、西方極楽浄土を建てられたのです。富める者も貧しき者も、罪の深き者も浅き者も、善人も悪人も、分け隔てる事無く、「南無阿弥陀仏」と称える者は全て、往生(阿弥陀さまのお浄土に往って生きる)させて頂けるのです。これは、実に頼もしく有り難い事です。迷い悩む者達が、そのまま、自ら称えるお念仏だけで、救い摂られる浄土は、阿弥陀さまの西方極楽浄土しかありません。だからと言って、お念仏をすれば、後は何をやっても良いと云う事ではありません。仏教の根本は、因果の道理です。この因果の道理を踏み外したら、それは仏教ではありません。つまり、阿弥陀さまのご本願を免罪符にしてすすんで悪を犯してはならないのです。それは、毒消しの薬があるからといって、すすんで毒を飲んではいけないのと同じです。悪を恐れ善を行う心がけ(諸悪莫作・衆善奉行)を教えているのが仏教です。しかしこの、子供でも知っている様な事でさえ、大の大人が実行出来ないものなのです。この善とは、阿弥陀さまの御心に沿うものの事です。だから、法然上人が「一紙小消息」の中で、「罪は十悪五逆の者も生ると信じて、少罪をも犯さじと思うべし(たとえ十悪五逆と云う様な重い罪を犯してしまった者でも、自分の罪を深く反省し、お念仏を称えれば、極楽へ救い摂られると信じる一方、だからこそ、小さな罪も犯すまいと心がけるべきですよ)」と諭して下さっているのです。また逆に、因果の道理を自分勝手に解釈し、阿弥陀さまのご本願を疑うような事は決してあってはならないのです。どんなに罪深い者でも、お念仏の中に、救い摂られるご縁を頂けるのです。「悪因苦果・善因楽果」と言われますように、私たちが造り重ねた悪因は苦果をもたらします。しかし、阿弥陀さまの御本願により、お念仏と云う善行が善因になり、極楽往生させていただけると云う楽果が待っているのです。この事をしっかりと受け止め、西に沈む太陽の彼方にある、極楽浄土に想いを馳せ、また、先に往った親族や友人と云った大切な人たちとの再会を楽しみに、お念仏に励みたいと思います。

■「花まつり」
両の手に 桃と桜や 草の餅   嵐雪
春爛漫、墨堤で遊ぶ江戸の人々の幸せを感じる名句です。全国に桜の名勝は多く、今夜会う人皆美しく想われ、美酒を飲み交わす光景に桜花の魔力を感じます。浄土宗関東大本山増上寺の境内は、今春も満開の中に法然上人御忌大会が営まれ、念仏の声響きわたり、老若男女の団参にて賑わいました。新入生、新入社員、スタートのシーズン、いつも桜がつきものです。私の記憶の中のアルバムを紐解いてみても、人生の第一歩は、いつも桜と共に始まったものでした。しかし、そんな桜も昨今の温暖化による気候の不順の影響で危機を迎えています。某気象官のお話では、極寒を経ないと桜は満開とはならず、花開くほどで散ってしまいかねないということです。なんとも恐ろしいことではありませんか。開いても満開にならない花は、おそらく散る時も潔くとはいかず、いつまでも枝にしがみついていることでしょう。これでは、「散る桜、残る桜も散る桜」の戒めも意味を成さなくなってしまいます。こんな状景が近い内にみられるのかもしれません。見たくない、冗談でしょうと言いたいが確実に、しかも足早に四季の異状がありそうです。おそらく皆さんもどこかで最近の異状気象を実感していることでしょう。
私たちは、「いきいきと平和に暮らしている」かといえば決してそうではありません。「どこか、おかしい」とは思いませんか。気候のせいばかりにするのはばかげているかもしれませんが、人まかせには出来ない世の中、あなた自身は大丈夫ですか。しっかりと大地にはった根をもっていますか。今はこのことが問われているのではないでしょうか。二〇〇八年に亡くなられたジャーナリストの筑紫哲也氏は、『若き友人たちへ』の著書に次のように述べられています。「日本人の好きな悲劇の英雄にとって変わって、今や判官贔屓どころか、バンドワゴン効果に乗り換える傾向が強い」と。「バンドワゴン」とは、音楽を流しながら走る馬車のことで、賑やかで面白そうなところへみんながついて行く現象のことをこう呼んでいます。寄らば大樹の陰、勝ち組・負け組のランク付けが強まり、ひいてはそれが児童の世界まで普遍している時代。いじめの衝撃の傑作『ヘヴン』の川上未映子氏は今や時の人でもあります。しかしまた一方では、流れは変えようとする明治の活力を現代にとの発想なのか、『龍馬伝』が大河ドラマにもなる。「レキジョ」という言葉の流行が示すように、日本の歴史への探求が見直されてもいる。こうして見てくると、今日は、乗るべき「バンドワゴン」すらも何か分からないといったような不安定な時代と言えるのではないでしょうか。
そんな変わりやすい時代の中でも、今も昔も変わることなく、四月八日はお釈迦さまのお誕生日を祝う「花まつり」が各寺院で営まれます。誕生仏に小さな杓で注ぐ甘茶は芳ばしく、花御堂の前は、参詣人で賑わっています。お釈迦さまのご生誕と言えば、すぐ引き合いに出されるのが、「天上天下唯我独尊」の銘句です。皆さんも聞いたことはあるでしょう。このお言葉は、「生きとし生ける全ての生命は、一つ一つすばらしいものであり、互いに尊敬し、共に生きつづけることを誓いましょう」という意で、いわば「人間誕生の誓約」であると言えましょう。私のお寺では、すでに春彼岸の時分に玄関先に花御堂を設置し、花まつりを始めさせていただきました。墓参の方々が誕生仏に甘茶をかけ手を合わす姿は、誠にありがたいことと拝見いたしました。ある時私が玄関先に出ていますと、一人の初老男性がご夫人に「天上天下の文」を説明している声が聞こえてきました。驚きました。「君、この名文は、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」と慶應義塾創立者である某博士の金言を引き当てて話していたのです。私が咄嗟に訂正に入って事なきを得ましたが、住職としての教え不足に恥入り、改めて「花まつりとは」と考えさせられた一件でありました。お釈迦さまのお誕生日であります花まつりは、日本人の思想の根幹をなすお釈迦さまのみ教え、すなわち仏教を見つめ直す非常にいい機会です。因みに、花まつりの一日前、四月七日は宗祖法然上人のお誕生日です。法然上人は、八万四千とも言われる仏教の教えを、念仏の切り口から説かれました。「愚者の自覚」、まずはこのことから始めましょう。私たちは、念仏に勝る正行はないとの上人のみ教えを頂戴して、日々南無阿弥陀仏とお称えし、念仏の中に日暮して平成二十三年の八百年御忌をむかえて参りましょう。

■「育てて頂く」
2ヶ月ほど前のことになりますが、私の師僧である源譽芳清上人の七回忌法要がありました。私はいわゆる在家出身でありまして、中野区貞源寺の檀家でした。(現在もそうです。)今から20年ほど前、当時住職であられた芳清上人に弟子入りをお願いに上がったのです。上人は、「笠原君。僧侶になるよりも、学校の教師になって若い人たちに宗教教育を施すことを考えたらどうだろうか。人間、年を取ってから学ぶのは難しいからね。宗教も同じだと思う。若い世代への宗教教育が重要なんだ。」と言われました。 今振り返りますと、当時上人は40歳過ぎ。熱意にあふれていましたが、それだけに寺院における教化活動の難しさを実感しておられたのではないかと思います。成人ではもう遅い。若い人たち、まだ頭の柔らかい人たちに宗教を説きなさい…。しかし私は学校に勤めるのではなく、僧侶として生きてゆきたいと思っておりましたので、「そこを何とか」と無理をお願いし、入門を許して頂きました。
お念仏の教えに惹かれて浄土門に入れて頂いた私─学べば学ぶほど、また経験を積めば積むほどにその教えの素晴らしさを実感することになりました。僧侶も檀信徒も一つとなってお念仏の声の中に浸る…そこには優劣なく、余分なはからいもいりません。老いも若きもありのままの姿で、煩悩具足のまま、裸のままで阿弥陀さまの世界と直に触れることができます。
「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」
という法然上人の一枚起請文。何と驚くべき教えでしょうか。亡くなられる二日前にして、この力強いお言葉です。獅子吼というのは正にこのことか、と唸らずにはいられません。
他にも多くのことを師僧の元で学ばせて頂きました。あるとき師僧がこう言われます。「寺の住職は、檀信徒が育ててくれるものだ。」 そのときは何のことかよく分かりませんでした。住職─僧職にある側が、みずから学んだこと、修行から得たこと感じたことを檀信徒に伝え、檀信徒を育てていく、そのように思っていました。檀家が御布施を納めた上に住職を育てる? それが最近「ははあ、このことを言われていたのかな」と思うようになりました。
私の寺は、宗門の開教施策のもとに開かれた新しい寺院です。5年前までは賃貸の施設で活動しておりました。そのときのこと、「いずれは小さくても独立した建物、お寺が建つといいのだが」という話を信徒さん方としていたところ、ある人が「そうですねえ、それは夢だわ。でも私が生きている間はとても無理でしょうね…」と言われたのです。当時の状況としてはまったくその通り─土地建物を入手することなど夢のまた夢だったのですが、この嘆息は私の胸に深く刻まれました。それからほどなく、寺院にふさわしい良い場所が見つかりました。とても不可能と思われた資金のめども立って、状況が一気に動き始めたのです。先の信徒さんのひと言が、私を後押ししてくれたのです。
寺の行事についてもそうです。「写経会をやりましょう」「ぜひ花まつりを」という信徒の皆さんの声が後押しとなって実現し…否、そうした声の後ろから私が「ちょっと待って下さい」と言い、ふうふう肩で息をしながらついて行っている、というのが実態です。これが「檀信徒に育てて頂く」ということなのでしょうか。「いや、少し分かったつもりになっているようだが、笠原君もまだまだダメだな。」 師僧のそんな声が聞こえてくるようです。 
 

 

■「『経典』と親しむ」
経典の真実性は、その『経典』と翻訳された原語自体の中に包括されております。言うまでもなく、その原語は本来的には縦糸を意味するサンスクリット語sutraであるわけでありますが、古今に亘り不変的な基準というものを示すものでもあります。さて、私たち日常の生活、格別意識もしない普通の会話のなかに、この『経典』から出た言語或いは慣用句がいかに多いかあらためて考えてみたいと思います。例えば、どなたでも大人であれば必ず一度は使った経験があるであろう『娑婆はきついなあー』という言葉。『ほんとにきついよ』なんて思わず相鎚を打ちたくなってしまうのは私だけではないと思うのですが。ともあれ、この『娑婆』という言葉、もちろんこのややこしい『漢字』には意味はありません。サンスクリット語『saha(aの上に‐あり)』或いは『sabha(aの上に‐あり)』の音写とされており、釈尊は私たちが日常生活している、この物心両面の世界を『この世はsaha(aの上に‐あり)である』或いは『この世はsabha(aの上に‐あり)である』と述べられたとされています。前者の場合は『娑婆』は『苦痛』の意味で『この世は苦しみである』の意となり、覚者釈尊は我々の何事にも浮かれ騒ぎ狂喜している世界を、その冷静沈着な眼で当初からその本質を『苦』と観じられたのであります。後者の場合は『娑婆』は『集まり』の意味で『この世は多くの人々の集合体である』の意となり、この世はわが一人の世ではなく一切のものが共に共存している世の中であることを示したものであることが分かります。両者の解釈、共にそこに覚者釈尊の偉大なる叡智を感得できるのであります。このように我々に身近な言葉『娑婆』という言葉一つ取ってみても、それが由来する経典に遡って探求して参りますと、正に『教典』の示す永久不変の真理に出会うことができるのであります。是非共々に同じ仏教徒としてこの『教典』という我々の精神の拠り所に親しんで参りましょう。

■「お盆を迎えて」
今年もお盆がやってまいります。お盆は、遠いご先祖さまから多くの思い出を共有して逝った家族まで、一年に一度ご自宅にお迎えする大切な時間です。また、離れて暮らしている子供たちが生家の親元に集まり、ご先祖さまや亡くなった家族に元気な姿を見せ、感謝の気持ちと共に過ごす期間でもあります。お盆は旧暦の7月に行われていましたが、明治5年より現在の新暦となってからは、 全国的に八月の月遅れのお盆が行われる地域が多くなりました。偶然ですが、ちょうどこの時期は、昭和二十年八月六日広島、九日長崎の原爆記念日、十五日の終戦記念日と時期が重なっており、毎年8月が慰霊の季節となっていることも、お盆が私たちの季節感に根を張ってる理由の一つかと思います。
私は東京で住職をしておりますので七月のお盆をお勤めしていますが、当寺の檀信徒のなかには、地方に勤めている家族が帰京できるのは八月のお盆休みだけだということで、八月のお参りをご希望される方もいらっしゃいます。私自身は長崎で親類を亡くしているので八月九日を迎えると、今年もこの日がやってきたのだなぁと、旧盆のお迎えに気持ちが向かいます。日本のお盆は、推古天皇十四(西暦六〇六)年より行われており、たいへん長い歴史があります。長い年月のなかで、多くの人が同じ思いを胸にこの暑い季節を過ごしてきたのでしょう。近年は、お正月の門松を飾らないお家は増えてきましたが、梅雨時になると、近隣のスーパーでは必ず「お盆の精霊棚セット」が数種類並びます。中には麻菰やおがらが入っており、胡瓜の馬や茄子の牛までついているものさえあります。初めて見たときは驚きましたが、時代は変わっても、お盆を迎える人々の気持ちは変わらないのだと思います。お盆を詠んだ句に、このようなものがあります。
青菰の上に並ぶや盆仏
幼い頃から家族を亡くした悲しみとともに生きた小林一茶(一七六三〜一八二八)の句です。一茶は信濃国(長野県)の農家の生まれで、三歳で生母を亡くし、貧しい生活のなかで育ちますが、継母との対立から十五歳で江戸へ奉公に出て俳諧の道を志しました。五十代になってようやく、二十代の妻・きくと世帯を持ちます。次々と三男一女の子宝に恵まれるものの、四人ともみな幼くしてこの世を去ってしまいます。一茶が子供の頃から夢見たであろう、新たに始めた幸せな家庭は、すべての子供を失った後、あろうことか妻にまでも三十七歳の若さで先立たれて終焉を迎えました。家族全員を失い、一人取り残された一茶の悲しみはいかばかりであったでしょう。やっと手に入れたかに思えた家庭のぬくもりは、一茶にとって儚い夢でしかありませんでした。その後も再婚した妻とは半年で離縁し、晩年に再々婚した妻との間に子が生まれたのは、なんと自らがこの世を去った翌年のことでした。
私は小学生の頃、毎年、お盆の前に母の実家である長野市のお寺から、祖父の生家のあった新潟まで墓参りに出かけましたが、決まってその帰りに北国街道近くの一茶の旧宅に寄りました。旧宅は国史跡に指定されていますが、立派なお屋敷ではありません。一茶は幕末の文政十年閏六月、柏原宿の大火事に遭い、焼け残った土蔵に移り住んでいたのです。その年のお盆には、一茶はこの土蔵のなかで子を失い弔う逆縁の悲しみ、連れ合いを亡くした悲しみ、家族全員に先立たれた哀しみを心に抱いて精霊棚を設え、亡くした家族を迎えたのです。盂蘭盆にしつらえた精霊棚(盆棚)に並んだ多くの位牌を眺めこの句を残しました。自分の寿命の尽きる時を見据えて詠んだのでしょう。十一月になると、六十五歳で亡くなりました。
当山では、昨年も、赤ちゃんから90歳を超えるおばあちゃんまでの新盆の御回向を、それぞれの思いで迎えられたご家族と共にお勤めいたしました。お釈迦さまの説かれた四苦八苦の一つ、「愛別離苦」という愛する者と別れねばならない苦しみは、誰しも避けることができません。そして、家族を失った後も日々の生活は続き、残された者は自身の寿命を全うするまで、その苦しみを背負って生きていかねばならないのです。今年の夏も一茶の句のように、精霊棚に位牌を並べ、亡くなったご家族を思ってお盆を過ごされる方が多くいらっしゃることと思います。 
お盆は、懐かしい家族やご先祖さまをご家庭に迎え、授かった命・生かされている命に感謝し、いつかは迎えれらる側になる自分という存在を見つめ直す時間でもあります。貪りに囚われることなく、きちんと生活している姿をご先祖さまに見ていただける、まことに有り難い期間であるとお思いになって、お念仏をお称えください。南無阿弥陀仏

■「努力精進の人・法然上人」
「智慧第一の法然房」 800年前の法然さまの時代から今も、「法然さま」というと、「智慧第一」と、返ってきます。
24歳の青年僧法然さまは、師僧の許可をいただき比叡の山を下り、嵯峨・清凉寺から奈良の各お寺をお歩きになりました。その目的は、すべての人が救われる教えを求めての旅でした。しかし、求める教えは得られず、重い足取りで再び山にお帰りになりました。師僧に帰山の挨拶をし、すぐにそのまま報恩蔵(経蔵)へ入り、お経の勉強にとりかかりました。
以来、十八年。この間、上人の伝記は、真っ白です。なにも書かれていません。ただひたすらの学文、すなわちお経を拝読し、今まで行じてきた念仏を始め諸々の行を積む、そのような十八年間であられたのでしょう。智慧第一と尊称された法然さまの必死の勉学と修行が続きます。
・・・この書物にヒントがありそうだ。
本棚から机の上に取り置き、読まれたのが唐の時代の善導大師の著作『観経の疏』です。
「とりわき見ること三遍、前後合わせて八遍なり」
法然上人は『観経の疏』を読むこと八回。その八回目で、ついに見出されたのです。すべての人が救われる教えを。
ただひたすら心から阿弥陀さまの名号を称え続けることを正定の業となづけます。なぜなら、それは阿弥陀さまの第十八念仏往生の願にかなった行であるからです。
法然さまは、このご文に目と心がとどまり、善導大師の教えの真意を知ることができました。
「そうだ、私のような無智の者はこのご文に従い、この教えを頼み、わが名を称えるものは一人も捨てないぞ、との阿弥陀仏の本願の力を頼み、称名念仏を称えて往生を願おう。それがいいのだ」
こう悟られた法然さまは、
「だれも聞く人はいないのに声に出して念仏を称え、その法悦は骨の髄まで染みわたり、流れる涙は止まりませんでした。時は、承安五年(1175)の春、43歳になっていた私は、たちどころに他の行を投げ捨て、ただひたすら、念仏を称える教えに帰依しました。以来、一日に六万遍の念仏行を行ずるようになりました」と、晩年述懐されています。
この念仏による浄土往生のみ教えが、850年後の今日まで脈々と続いてきているのです。来年は、法然上人ご遷化800回の遠忌を迎えます。私たち僧侶は、次の100年を目指して、上人の教えの布教を続けなければいけません。檀信徒の皆さまは、子々孫々まで、財産とともに念仏も相続できますようにお勤め願います。そのためには、念仏を続ける後姿が必要ではないでしょうか。
法然上人のご努力に感謝を捧げ・・・同称十念

■「お彼岸・実在のお浄土」
「これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界あり。名づけて極楽という。その土に仏まします阿弥陀と号したてまつる」 阿弥陀経という御経の中で、お釈迦様が一番始めにお示し下さったお言葉です。「今、私達がいるこの場所より、遥か西の彼方、十万億という多くの仏様の世界を過ぎた所に、また一つの世界がある。その世界を極楽と称し、その極楽世界に仏様がましまして、自らを阿弥陀と名乗っておられる。」 お釈迦様は阿弥陀経の中で、極楽浄土の場所を明確にお示し下さっておられます。
私達は遠い昔より、迷い苦しみ多き六道輪廻の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を生死を繰り返しながらグルグル巡り続け、今の世で人として生を受けております。この六道輪廻は因果応報の世界。良い行いをすれば良い結果が生じ、悪い行いをすれば悪い結果が生じる。自分自身の行いで次に生れる世界が決まって行くのです。
煩悩のままに日暮を送り、方向が定まらず六道世界で生死を繰り返している私達。この生死を繰り返す迷いの世界を「此岸(しがん)」と申します。この迷い苦しみの「此岸」から、私達を救う為に仏様と成って下さったお方が阿弥陀仏です。極楽浄土というこの上ない清らかな国土、迷い苦しみ無き世界を六道世界の外に構えて下さり、「南無阿弥陀仏」と我が名前を称える者必ず極楽浄土へ救い取るとお約束下さっておられます。
六道輪廻の世界であります「此岸」を厭い、極楽浄土へ往生したいと願って「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えれば、私達がこの世で命終えるその時に、阿弥陀仏御自らお迎えに来て下さり、西方極楽浄土へと往生させて頂けるのです。この極楽浄土を、迷い苦しみの世界であります「此岸」に対して、清らかな悟りの世界「彼岸」と呼ぶのです。
お彼岸のお中日は、昼夜の長さがほぼ等しくなる日。太陽が真東から昇り真西に沈みゆく、その夕日の沈む遥か彼方に実在する極楽浄土。先立たれた方々が阿弥陀仏のお導きを頂き仏様と成ってゆかれる世界であります。阿弥陀仏は今この瞬間にも、極楽浄土から私達に、「我が名を称えよ、必ず救う」と呼びかけ続けて下さっておられます。阿弥陀仏は私達に、「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える事を願っておられるのです。それはそのまま、極楽浄土にいらっしゃる先立たれた方々の願いでもあります。私達が極楽浄土へ往生させて頂いたのならば、同じ蓮台で先立たれた方々とお出会いさせて頂ける世界でございます。この世限りでは無く、後の世までもご縁を結ばせて頂けるのでございます。
お彼岸は亡き方に想いを馳せると同時に、夕日の沈む西の彼方に在る極楽浄土を慕い、極楽浄土へ往生したいとの気持ちを新たにする期間でございます。皆様方のお念仏のお声、お姿、阿弥陀仏はもちろんの事、亡き方もお喜びになりながら聞いて下さり見て下さる事でしょう。お彼岸を迎え、決意を新たにして、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申し申しの毎日を、共々に過ごさせて頂きたいと思います。 

■「我が身の程を信じて」
先月大団円を迎えたNHKの連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」。すっかりお茶の間のお馴染みとなった水木しげるさんは、幼い頃に近所のお寺で見た地獄極楽図によって、強く「あの世」に興味を持たれたそうです。目に見えない妖怪達、そして生とは、死とは何かを追いかける背景には、「あの世」の確信があったわけです。
皆さんはいかがお考えでしょうか。「あの世なんて無いんだ」、「死んだら何となく良いところに生まれるんでしょ」、それとも「死んだら皆ホトケ」でしょうか。はっきりと自身の行く末を見据えておられる方は、思いのほか少ないものです。仏様のお示しでは、間違いなく生と死は隣り合わせです。「生死」と書いて「しょうじ」と読みますが、つまり、この世に生まれたということは、前の世で命を終えたということ。この世で命を終えるということは、どこか次の世に生まれるということです。そしてこの「生死」の繰り返しから抜け出せないから恐ろしいのです。
中国唐時代の善導大師という方はおっしゃいました。「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)より已来(このかた)、常に没し常に流転して、出離の縁有ること無し」
この私という人間は、悪業を重ねて罪深く、無数の生死を繰り返してきた愚か者である。一度としてこの迷い苦しみの世界を抜け出る縁に出会うことは無かったと。当時、「阿弥陀如来の化身」とまで尊ばれた善導大師が、ご自身をこのようにおっしゃったのです。いかにいわんや我らをや。私たちは、自分だけは生き残りたいという欲望に振り回され、罪を造らざるを得ない存在です。認めたくはないでしょうが、被害者を放置し自己保身に走った押尾被告の事件は、誰もが持つ人間の欲望をまざまざと見せつけました。この姿を、我が身に置き換えて考えなければなりません。きれいごと抜きにはっきり申し上げれば、我たちは死ねば地獄に堕ちてゆく身だということです。
この「我が身の程」を深く受け止めねば、お念仏を有り難く頂戴し、しっかりお称えすることはできないのです。善導大師のお言葉を受けて、宗祖法然上人は次のようにおっしゃってます。 「始めに我が身の程を信じ、後には仏の願を信ずるなり。ただ後の信心を決定せしめんがために始めの信心をば挙ぐるなり」 阿弥陀様は私たち人間が地獄に堕ちていくのをどうしても見捨てては置けなかった。だからこそ極楽浄土を構えてくださり、「我が名を称えよ。念仏申せ。必ず救い摂るぞ」と手を差し伸べてくださるのです。まず「我が身の程」をしっかりと受け止め、「助けたまえ、阿弥陀仏よ。南無阿弥陀仏・・・」と日々お念仏申す。そして命終わった時には間違いなく極楽浄土へ迎えとっていただく。このような方を、阿弥陀様、お釈迦様、善導大師、法然上人は心から喜んでくださり、真の仏弟子と讃えてくださるのです。どうか共にお念仏をお称えしてまいりましょう。南無阿弥陀仏 
 

 

■「決定往生のおもいをなすべし」
先月、世界中に報道された「チリ鉱山落盤事故」の救出作業。70日間も地下に閉じ込められた33人の作業員がフェニックス(不死鳥)と名付けられた救助カプセルにて一人ずつ救い上げられ、家族と感動の再会を果たしたシーンは、世界中の感動を呼びました。皆さんもまだ記憶に新しいと思います。全員が救出されてからは、インタビュー責めや映画化などと騒がれておりますが、徐々に漏れ聞く話によりますと、救出されるまでの地下生活で、生存者が確認されるまでの17日間は、助かるかどうかも分からない中で、唯々死を覚悟するしか出来ない壮絶な精神状態に追い込まれ、僅かに残った缶詰や賞味期限の切れた牛乳の分配方法について揉め事が起こり、時には殴り合いになることもあったそうです。今回の救出シーンをみて、私はふと芥川龍之介によって書かれた短編小説である『蜘蛛の糸』(くものいと)を思い出しました。不適切な表現かもしれませんが、救出されていく作業員の方々が、ワイヤー1本で救い上げられていく有様は、まるで主人公のカンダタ(犍陀多)という生前に様々な悪事を働いた泥棒でありながらも、一度だけ善行を成した事から地獄から救ってやろうと蜘蛛を使い、1本の糸を地獄に垂らして下さったお釈迦様の心を見ているように感じられたのです。
中国・唐時代の善導大師は『観経疏』に、このようにおっしゃります。「我らが如き、未だ煩悩をも断ぜず、罪をつくれる凡夫なりとも、深く弥陀の本願を信じて念仏すれば、一声にいたるまで決定して往生す」 我々(私)人間は煩悩にまみれて罪を犯し、その煩悩を断ち切る事ができず、生死の迷いの世界をさ迷い続ける凡夫ではあるけれど、深く深く阿弥陀さまの本願を信じて念仏を申させて頂ければ、一遍のお念仏までも必ず往生が願うのですと。中国浄土教の大成者である善導大師をしても、自身を迷いの世界から離れようにも、その縁すらない身(凡夫)であると仰せになり、そんな自分が救われるには阿弥陀さまのお誓いにすがり、御名を称えさせて頂くしかない。しかし、それにはまず我が身の程を省みることが大切なのです。
「蜘蛛の糸」のカンダタは自分だけが救われれば他はどうなっても良いと自分だけ地獄から抜け出そうとする無慈悲な心を持った為、糸が切れて地獄に逆戻りした訳ですが、チリ鉱山落盤事故での閉じ込められた作業員達も初めに喧嘩が起きてしまったのは、やはり「自分だけは助かりたい」という欲望が故ではないのでしょうか? (※生存確認後、作業員に安堵感が生まれ、友情と団結力が強まり、お互いに励まし合い、相手を思いやる助け合いの精神が奇跡の救出につながったのだそうです。) 又いざ自分がその立場に置かれたらどうでしょうか? 誰しも自分だけはと考え、人を蹴落としてでも・・・と簡単に罪を造ってしまう・・・そんな罪多き我が身なのではないでしょうか?決して他人事ではなく、地獄行きが決定されている我が身なのです。
そんな我が身をしっかりと知り、こんな自分でも救われる方法を用意して下さったのが阿弥陀さまなのです。宗祖法然上人も消息の中に 「煩悩の薄く濃きをも省みず、罪障の軽き重きをも沙汰せず、只、口にて南無阿弥陀仏と称えば、声につきて決定往生のおもいをなすべし」と仰せになり、煩悩や罪の程度にかかわらず、とにもかくにも「南無阿弥陀仏」と申し申させて頂くそのひと声、ひと声に必ず極楽往生が叶うのだと。「我が名を称えよ、必ず救う」とお誓い下さり、いつでも私達の声に耳を傾けておられる阿弥陀さまに、臨終の時には間違いなく極楽浄土にお救い頂ける様に日々のお念仏をお称えしてまいりましょう。
南無阿弥陀仏 〜阿弥陀仏と 称えし声に 糸は切れまじ 決定往生 まさに我が為〜

■「おだやかさと、強さ」
法然さまは、やさしく穏やかな方との印象がありますが、強さと積極性をも持たれていた方とも言えます。その点を、そのご生涯から見ていきましょう。旧仏教からの度重なる強訴により、建永二年(1207)、上人七十五歳の時、院宣によって、念仏停止・土佐への配流が決まりました。この時、弟子の一人に念仏についてお述べになったのに対して、別の弟子が、このような時期に世間の機嫌をそこねるようなことは避けた方がよいのでは、と申し上げたのです。それに対し法然さまは、
我、首を切らるとも、この事言わずはあるべからず。
とおっしゃいました。本当にお考えの様子がお顔にあらわれて大変迫るものがあったので、お弟子たちはみなこらえきれず涙を流したとのことです。この言葉は、筆者の自坊・妙定院所蔵の『法然上人伝絵詞』(琳阿本)(浄土宗宝・東京都港区指定文化財)にある言葉です。すごい言葉ですね。念仏弾圧の嵐が吹き荒れているとき、普通ならばその風が少しおさまるまでは、少し静かにしようと考えるものですが、そうではないのです。法然さまの強さ、そして念仏の教えに対する深いおもいが見てとれます。この言葉だけではありません。お弟子(信空)が、「ご老体にははるか遠く海を渡る旅はお命の点でも心配です。私たちは教えが聞けなくなります。一向専修の念仏を広め行うことを中止する旨お上に申し上げて、こっそりと目立たないように導かれたらいかがでしょう」と言ったところ、法然さまは、「八十歳近くになってたとえ京都にいてもお別れは遠くない。都には長らくいたから、都から離れ、辺鄙なところで人々に念仏を伝えることは長い間望んでいたことです。人の力で止めようとしても、仏法は決して止まるものではありません」とおっしゃったとのことです。(『法然上人行状絵図』巻三十三)
年をとられても、ものすごい迫力だと思います。信念の強さによるものなのでしょう。 一方、次のような面もあります。
学問ははじめて見たつるは、きわめて大事なり。師の説を伝え習うはやすきなり。(『法然上人行状絵図』巻五)
「先生の説を伝えられて学ぶことはたやすいことだ」とおっしゃっているように、学問については厳しい面を見せています。そして上人は、このようなことを、修学中にも当時の師匠に向かって言った、と伝えられています。ただ、やさしくて何でもよいとする軟弱な人ではなかったということが分かります。さらにもう一つだけ加えましょう。
自他宗の学者、宗宗所立の義を各別に心得ずして、自宗の義に違するをは、皆ひが事と心得たるは、いわれなきことなり。   (『法然上人行状絵図』巻五)
それぞれの考えを理解しないで、自分の考えにそむくからと言ってまちがいだと考えるのは、理由のないことだ、というのです。それぞれの違いを認めた上で、自らの説を主張し、かつ他の考えを尊重せよ、と言われているのがよく分かります。こうして見ていきますと、法然さまは、強さと幅の広さを兼ね備えていた方と言うことができます。それが、肖像画に描かれているあのお顔となってあらわれているのでしょう。 私たちもこの双方を少しでも相持ちたいものです。

■「お念仏に支えられて ーお念仏の声は家庭からー」
亡き人の供養をすることによって、予期せぬ功徳を受けることがございます。私の寺のお檀家のことで、恐縮ですが、そのことを書かせていただきます。今年の夏の猛暑の最中、七月に亡くなられた奥さんの百ヶ日のときのことです。おばあさんが墓参にこられ、「仏壇を買ってよかった。家の中が明るくなった」というのです。五七日忌の時、新しく仏壇を買ったので、開眼供養をお願いしたいとの依頼を受けました。読経開眼のあと、私は亡くなられたお母さんの御供養を御主人だけにお任せしてはいけません。みんなで御供養するようにと、お話しいたしました。その家は、残された御主人とおばあさん、それから社会に出た娘さんと高校生の息子さんの四人暮らしです。私はおばあさんの話が意外だったものですから、そのいきさつを尋ねました。和尚さんがいわれたように朝きまった時間に全員でおまいりをするようにいたしました。娘が仏壇にあげるお膳をつくり、息子が水を取り替え、お茶をあげる。お父さんはローソクに火をつけ、お線香をあげる。おばあさんはお念仏を唱えおまいりをする。それぞれ違う仕事ではありますが、すべて亡くなったお母さんの御供養になるという思いから、みんな真剣、おばあさんは、みんなを激励しながらの毎日でした。みんなが、仏さまへのお給仕を自分の仕事にすることによって、お互いに励まし、励まされるようになったのです。ですから、誰かが寝坊して、その所が滞ると、まだお膳があがってないよ、お茶があがってないよ、といわれます。馴れてくると、だんだん皆んなが自分の仕事を、他人にいわれなくとも、自分の責任と思ってこなすようになってまいりました。別の言葉でいえば、供養をみんなでするんだという役割分担がはっきりしてきたのです。そうしますと、みんなが同じ時間に起きるようになったし、おまいりは勿論、食事までが、一緒にするようになりました。そこに家族としての会話が生まれてきたのです。お父さんは会社の話、息子さんも学校の話、そこから秋の学園祭の話がでて、今度はお父さんが見にいくよと約束したり、おばあさんのお習字の展示会の話も出て皆んなでいってみようかということにもなったのです。いままでは、ただ食べるだけという食事で、食事の時間もバラバラでした、それこそ自分たちの都合のいい時間に、好きなものを好きなだけ食べるという、いまいわれている孤食の摂り方でした。ですから、顔を会わし、話す時間もありませんでした。そこに仏壇を買い、お母さんの供養をすることによって大きな変化が起こったのです。会話の乏しかった家族の生活が明るく、変わってきたことは確かでした。いまは食事の時間のむだもなく、味噌汁なども温めなおすこともなく、冷めないうちに食べられるようになりました。これは単に仏壇が新しくなったという話ではありません。そこには、仏壇を中心にした生活をすることによって、仏にお守りをいただくのだという、おばあちゃんの話を喜びのうちに聞くことができました。予期しない家庭の団欒が戻ってきたのです。仏壇の縁によって、お念仏の力がみんなの心を一つにし、亡くなったお母さんのお守りをいただいた一家の話として、書かせていただきました。法然上人八百年の大遠忌を迎える心の準備はできたでしょうか。浄土宗二十一世紀の劈頭宣言の中に、家庭にみ仏の光を(あたたかい家庭を築こう)という目標が、こんな形で、身近な所から、力を発揮されたことは、すばらしいことです。まさにお念仏の力だと思います。

■「真面目に生きる」
最近、学生の頃に読んだ本をまた読んでみようと思ってその本を読み返してみました。夏目漱石の『こころ』という本です。きっかけは東京大学大学院教授の姜尚中(カンサンジュン)先生の『悩む力』という本に、『こころ』の文中の“真面目に生きる”ということを抜粋して書いてあったからです。姜先生は一九五〇年生まれですので丁度還暦を迎える歳だと思います。私も九州出身で先生も熊本出身の在日ということをはっきり言っておられるので、あの当時の在日の人達は田舎で随分いじめられたのではないかと想像することが出来ます。親からは在日の子として真面目に一生懸命生きろと強く教えを受けてきたと思います。その『こころ』は一人の大学生が夏の鎌倉の海で「先生」と呼ぶ人と出会う所から始まります。そして「先生と私」の項のところに、人間嫌いの先生に「真面目に人生から教訓を受けたい」と先生を問い詰める下りがあります。
「あなたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他(ひと)を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか。」「もし私の命が真面目なものなら、私の今いった事も真面目です」…という文章なのですが、私たちはこの真面目という言葉を現代ではややもすれば、妙に堅物的な人間、柔軟性のない人に当て嵌めて使ってしまいがちです。姜先生はこの短い文章を見逃さずに真面目ということをずっと通して来られたと推測することが出来ます。物事の一つ一つを真面目に取り組み、真面目に行動するという事が如何に難しいかを改めて感じてしまいます。朝起きてからの仕事、趣味、遊びなど一つ一つの行動を真面目に真剣に取り組んでいるかと自問自答していくと真面目に生きるという事が本当に大変な事だということが分かります。往々にしてやっつけ仕事の様に簡単に済ませてしまっている自分を見る事が出来るのではないでしょうか。私達が常に称えるお念仏にしても一声一声本当に極楽に往生させて下さいという気持ちを込めて真面目にお念仏をする。法然上人も「但し三心四修と申すことの候は皆決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候なり」と真面目に極楽往生の気持ちを込めてお念仏する事の大切さをお示し下さっています。今からでも遅くはありません。日々の一つ一つの行動が真面目に出来ているか反省をしながら送りたいものです。

■「報恩感謝〜さまざまな出会い〜」
ある霊園にお彼岸のご回向にうかがった時の話です。その霊園は大通りから入口まで一本道しかなく、大渋滞を起こしていました。私も巻き込まれてしまい、約束の時間には確実に遅刻をしそうでした。その一本道は片側が川、片側が住宅地になっていました。川に飛び込むわけにはいきませんので、イチかバチか住宅地に入っていったところ、これがみごとに袋小路にはまってしまいました。車外に出て、あたりを見回し、どうしようかと途方にくれていたら、その住宅地の住民の方が出てきて、「どうしたの」と聞かれました。私が事情を説明したところ、「それなら、ここへ車を停めていきなよ」と駐車スペースを提供してくださったのです。私は涙が出るほど有り難かったです。そのとき私が思ったのは、世の中支え合っているのだな、人間一人ではどうしようもないのだなと感じました。「困ったときはお互い様」と言いますが、「お互い様」というのは存在するのだなとも思いました。私たちは毎日なんとなく一日を過ごしているようですが、「お互い様」「おかげ様」に支えられています。それに気づくのは、なかなか難しいのです。私たちは今生きているのが「あたりまえ」のような気がしますが、ある日あるとき急に生まれてきたわけではありません。先祖代々連綿と受け継がれてきた命のリレーによってこの世に生まれてくることができました。そして、支え合って生かされております。さらに私たちは「縁」あって、この世でお念仏に出会うことができました。これは「たまたま」ではなく、「縁」によってなのです。阿弥陀様は、お釈迦様がお経の中で説かれた仏様です。この世には修行ができる人も、できない人もいる。すべての人が平等に救われるためには、阿弥陀様のお力にすがるしかないということを示して下さっています。私たちは、お釈迦様のそのお示しにより、阿弥陀様の本願に出会うことができました。「念仏を称えるすべての者を迎え摂り、極楽浄土へ往生させよう」と阿弥陀様みずから誓っておられます。この世で支え合っている「お互い様」「おかげ様」に感謝、お念仏に出会えた「ご縁」に感謝しつつ、お念仏を称え続けましょう。 
 

 

■「大震災お見舞い・復興祈念」
3月11日午後2時46分に何の前触れもなく東北地方太平洋沖でマグニチュード9の巨大地震が発生。地震と共に青森県から千葉県の太平洋沿岸に大津波が襲い先月末現在で犠牲になられた方、行方不明の方々は27000人を越えた。一家全員が流され警察や自治体に届け出のない方々を含めるとその数は計り知れないと報じられている。東京都内でもかなりの揺れを感じ鉄道や地下鉄も全線でストップ。夕方からは街道筋には以前から予想されていた「帰宅難民」(会社や出先から自宅に帰れなくなった方々)があふれた。総本山知恩院伊藤唯眞御門跡はお見舞いのお言葉と共に長年に亘り元祖法然上人八百年大遠忌法要に向けて準備を進めてきたがこの未曾有の災害を鑑みると、今は被災された方々の復旧支援を最優先する事が、衆生救済を生涯にわたって説かれた法然上人の御心に適うとのお言葉を述べられた。浄土宗の総・大本山ではそのお言葉に従い一部中止や延期を決定。大本山増上寺でも法然上人八百年御忌大会は一年延期の事となった。東京教区でも長年に亘り平成二十三年の御正当にむけて準備を進めてきた。その一つがお別時等により八百萬遍を目標にお念仏をお唱えする法要事業であった。本年1月25日、御正当の日には増上寺大殿で法然上人八百年大遠忌八百萬遍念仏会が盛大に厳修された。そして増上寺での八百年御忌法要の初日である4月1日に教区あげての八百年御遠忌壇信徒大会別時大法要が予定されていた。この法要も来年に延期された。
皆様方の中にもご親戚やご縁のある方が被災されたり未だ避難所で大変な環境の中で過ごされている方もいらっしゃるのでは? 寺院ではお彼岸やお施餓鬼法要の中で過去の戦争や地震・台風等災害で有縁・無縁を問わずお亡くなりになった方々への御回向をする。御法事(年回法要)の時にもその大事な部分(正宗分)の最後に年回法要を迎えたご先祖様の御回向に続き「願以此功徳 平等施一切 同發菩提心 往生安楽国」(願わくは此の功徳をもって、平等一切に施し、同じく菩提心をおこして、安楽国に往生せん)「総回向偈」と呼ばれる偈文を申し上げ有縁・無縁を問わず全ての霊位に対して御回向をする。皆様方もご自宅で朝夕のお仏壇へのお詣りの時はご先祖様だけではなくこのようなお気持ちで今時の大震災で犠牲になられた方々へのお念仏をお唱え頂きたい。都内は激甚な被害はなかった。救援活動等も始まっているが犠牲になられた方々のご冥福を念じると共に一刻も早い復興を願っている。

■「救いのため、歩みだした阿弥陀さん」
今年の一月に半年間の闘病生活の末、大腸がんで亡くなった六十三歳の男性のお話です。通夜供養の前に、「苦しんで顔が歪むほどであったので主人を楽にしてやって下さい」と涙ながらに奥様からお願いされたのです。あまりにも苦しい顔なので皆にお別れをして頂くにも辛いようでした。私と同じ歳であったので特に一心に念仏供養を申し上げたのですが、通夜の読経の最中に不思議なことがありました。その祭壇の弥陀三尊のお掛け軸の阿弥陀様の右足が出たり引っ込んだりしているのでビックリしたのです。私の眼がおかしくなったのではと驚きながらも読経を済ませました。寺に戻り家族にこの事を話したら、笑って、疲れていたでしょうと一蹴されてしまいました。
次の日の葬儀に奥さんが「昨日は本当に有難うございました。主人の顔を見て下さい。昨日と違い穏やかに良い顔をしています。昨晩は誰にも見せることができなかったが、穏やかな顔を親族の方々に見て頂きました。」と申されておりました。私も昨晩の阿弥陀さんの右足の話を致しました。参列者は「念仏の功徳と成仏するということ、救われるということを目の前で体験し実感させて頂きました」と感激しておりました。
葬儀の最後に法然上人が詠まれた
月影の いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ 
を皆さんと共に称えさせて頂き、南無阿弥陀仏と称えれば平等に救われる教えを味遇わせて頂きました。
特に最近「葬儀はいりません。戒名はいりません。お墓はいりません。」と言うと何か現代的で進んだ考え方であるかのように思っている方が多いですね。お念仏によって救われるこの有りがたさに触れることのできない人達を私はかわいそうな人と思うようになりました。
最近、有名になった九十八歳の詩人、柴田トヨさんの詩集『くじけないで』(飛鳥新社刊)に合うことができました。
陽射しやそよ風は えこひいきしない 夢は 平等に見られるのよ
お念仏を称える人々を阿弥陀様の平等施一切の心に触れさせて頂き、気持ちよさと有りがたさを感じさせてくれたような気がしました。

■「法爾・・・あるがままに」
3月11日の東日本大震災より早二ヶ月半、被災された方々の支援が遅々として進まない様子にいらだちを覚えます。また福島の原子力発電所の事故も政府や東京電力の発表とは違い、当初から一部で懸念されていた冷却水喪失によるメルトダウンであったことが判ってきました。3月15日には水素爆発が起き多量の放射性物質が福島県はもとより南東北から関東平野一円に飛散し、これからも汚染は続いていくようです。そんな騒然とした翌日の16日、法然上人800年遠忌にちなみ、上人の遺徳をたたえ宮内庁より『法爾』という八つ目の大師号を頂戴しました。本来なれば一宗を上げてお祝いをすべき慶事が一転、津波による被害の大きさが判明するとともにその悲惨さに心を痛め、放射能被曝への不安も相まってお祝い気分はかき消され、遠忌法要も順延することになってしまいました。さて、今回贈られた大師号『法爾』とは「あるがまま」若しくは「運命がそのように定まっている事」を表す言葉で、法然上人のお名前の由来でもある「自然(じねん)法(ほう)爾(に)」にちなむものです。比叡山の権力争いから逃れ黒谷の地に出離遁世した叡空上人から法爾自然として門下に入らんとこの地に赴いた若き上人に「法然房」という号と最初の師の源光と叡空からの一字を合わせ「源空」というお名前を授かったと伝えられています。法爾も自然も共に「法のおのずからしからしむる事」「本来あるがままの自然のすがた」を表す言葉です。善人は善人ながら、悪人は悪人ながら、あるがままに念仏を称えることこそ阿弥陀仏の救済に預かる唯一の道であると説かれた法然上人にふさわしい諡(おくりな)と思います。一刻も早く被災地域の復興が緒につき、原発の事故処理の方策にも目処が付いて、改めて遠忌にあたり法然上人の遺徳を偲び、晴れて大師号奉戴を心からお祝いできますことを願っています。ところで、先日参議院の委員会に参考人として出席した、専門家として長年にわたり反原発を唱えてきた京都大学原子炉実験所助教の小出裕章先生が、持論を述べた締めくくりにマハトマ・ガンジーの言葉を用いて、東電、国政、そして自身を含め原子力に関連してきた科学者を鮮やかに批判していました。それはガンジーの墓石に刻まれたもので、鳩山前首相も現職当時インドを訪問した折この言葉に感動して国会演説の中で引用していた記憶がありますが、今回の事故を踏まえた小出先生のものは重みが違います。
『7つの社会的罪』
1. 理念なき政治 2. 労働なき富 3. 良心なき快楽 4. 人格なき学識 5. 道徳なき商業 6. 人間性なき科学 7. 献身なき崇拝(信仰)
最後の『献身なき崇拝(信仰)』とは色々な受け止め方があると思いますが、自己犠牲・自己否定、若しくは自己超越なしに真の信仰や宗教はありえないということなのでしょう。お念仏の教えに引き当てれば、凡夫の自覚のもとにありのままの姿で彌陀の名を称え、大いなる力に身をゆだねる中に必ずや救いがあるという法然上人の教えを思い起こさせてくれました。ガンジーの言葉にはこんなものもありましたね。
『善きことは、カタツムリの速度で動く』
体内被曝に注意は必要ですが、お念仏の中に焦らず希望を持ち、免疫力を高め、日々自身の与えられた務めに淡々と励んで行きましょう。

■「みんな つながっている」
がらがらがらがらーーーどどどーーー 一体 何があったのだろう これはどこなのであろう いままでの光景は何であったのであろう思い出せない 頭は空白 何が起こったのだろうかと唖然  「二次災害がありますから 足を踏み入れないでください」との声 あんなにお墓が崩れ落ちているのに手がつけられないなんてー
去る3月11日の当寺災害現状である。それまでは新宿都心のの高層ビルを眺める絶好の展望台であり 戦後は富士山も遥かに見えた 90年近く前の関東大震災にも耐えてきた石垣だったのである それがまさか 息ができない 大正11年にその崖下を走っている当時の市電の写真も残っている 考えもしなかったことである 地面が崩壊するなどとは夢想だにし得ないことであった どうしてーなぜー 人間が如何に無力であることか いままでの姿は何であったのであろう 現実とは何であったのか 存在していたものが無くなる 見えていたものが無くなる 何もかも何処へいってしまったのであろうか 翌日 区役所の職員が来て全面に保護のためのブルーシートをかぶせる いかにも大被害ですとの表示でもあるだろうし それを見る人にとって誰もが思いいたる今回の大地震災害である  ああ今度の地震がこんな所にも出たのか それだったら東北地方の被害はとても想像出来ないことだ 3カ月たった今でもブルーシートを見ると身がちぢむのだ まして現地の人々の思いはいかばかりであろう
この災害を眼の前にして自分は何も出来ない無力感 どうしたらいいのだろう どのようにしたら この苦しみから抜け出ることができるか この困難をどうしたら乗り越えて行けるか 何と弱い人間であろう 何か頼れるものはないだろうか 支えてくれるものはないだろうか しかし生きなければならない  ならばその時 一体何にすがったらいいのだろう 何に助けてもらったらいいのだろう なんとしてでも どうしてでもと頭を下げる 頭が下がる「助け給え」と そして手を合わせる 「ああーー」 そして やっと気づく  そうだ そこにいるのが仏様なのだ そこには縁のあった人も縁の無かった人も皆んないるはずだ 見護ってくれている 生きて欲しい欲しいと願っている 願いの真ん中に自分がいるのに違いない まわりには明るく照らしている暖かい太陽がある 広い空には月があり星があり雲がある いのちを育てる土や水がある 今の私を生かしているものがある  どんな近くにいてもどんなに遠くにいても有り難い縁を思えば人の心は限りなくつながって行く 眼には見えないが空を飛んでつながり結びついているのだ 切ることはできない縁によって育てられている そこに仏様がいらっしゃる 皆んながいてくれる
みんな仲間 友達 一杯の水 ひとすくいの土 一匹の虫 一枚の葉 それはここに生きている一つ一つの生きものとの共生き 考えてみれば世の中には一つとして離ればなれで独立しているものはない 一人では生きていけないのだから 折角 つながっている皆んなだから どこにいても一緒に生きて行きたい 仏様と一緒にいたい どうか力を貸してください 良い智慧を与えて下さい 生きる力を与えて下さい 自分で出来るだけのことはいたします
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 

■「東日本大震災から 4ヶ月を経過して想うこと」
私のお寺でも震災で家族を亡くされたお檀家様の新盆の供養をさせて頂きました。位牌に刻まれた3月11日の文字を見ると、改めて震災直後に救援物資を届けに行った気仙沼の町の様子が思いうかびました。千年に一度と言われる大地震、それによる10メートル超の大津波、さらにその直撃を受けた福島第一原発の崩壊による放射能の大放出で、発生から4ヶ月を経過した今も10万を越す人々が避難生活を余儀なくされており、まさに有史以来の大震災と言わざるを得ない状況にあり、次々と予期しない事態が発生しています。しかしながら第二次世界大戦直後の状況は、もっと悲惨なものだったのでしょう。広島・長崎には原爆が投下され、多数の死傷者と高濃度の放射能に汚染されていました。その他の多くの都市もB29の無差別爆撃で壊滅状態となりました。多くの兵士は戦死や捕虜となり、国民は食料も衣類も配給制で最低限の生活を余儀なくされて、子どもたちもやせ細っていました。米軍の統治下で、憲法は改正され、永久に戦力をもたない平和日本が再生しました。茫然自失の中で少しずつ美しき日本を取り戻す動きが胎動していたことは否めません。やがて朝鮮戦争という特需、続いてベトナム戦争特需で、日本は労せずして世界第二の経済大国へとのし上がる結果となりました。夢のない富は人間を堕落させることは間違いない事実です。敗戦から60年以上たった今、世界は大きく変わりつつあります。しかし今、私達は、日本の周辺で起きている多くの問題に全く無関心だったのではないでしょうか。北方四島・竹島や尖閣諸島問題に本気で取り組んでいるとは全く思えません。国際社会においても、日本の先行きは真っ暗だと言えないでしょうか。このような状態の中で起きた今回の大震災も、別個に考えるべきではないと思います。
人間はこういう状況になったときどうするのでしょう。あるものは、茫然自失して廃人のようになり、目的が見えないままただ時を過ごす場合もあります。しかしみんながみんなそうなってしまわないのが人間だと私は思います。「諸行無常」とは、世の中は常に同じという事はない。むしろ流転を繰り返すのが世の常です。いま一歩踏み込めば、現世はあるがままであり、なるようにしかならないのです。これは人間にとって不安そのものです。そこで「南無阿弥陀仏」と一心に唱えることによって、仏さまに縋る事が出来ます。この境地に達したとき、力強い精神力を持ち、敢然と困難に立ち向かうことができます。私は、それがお念仏の力=人間力ではないかと思っています。
今回の大震災で日本の政治家や経済界のリ−ダ−が自分の事しか考えていないのが、よくわかりました。しかし、民間の人々が被災された方々に物心両面で支えている姿、ボランティアの方々が被災地で危険をかえりみず汗水流して、救援、復興に努力されている姿を目の当たりにすることができました。
地元の企業者の中にも、少しずつ立ち上がるものが出てきました。地元の産品を東京に運んで被災地の活力をアピールした報道もありました。大きな災害を乗り越えて不屈の力を出し合うことが今一番求められています。大震災による最大の危機は、貧しくなった日本人の心を取り戻すまたとないチャンスなのではないでしょうか。 
 

 

■「縁・感激と感謝」
私は愛知県濃尾平野の農家に出生。六人兄弟の次男でした。小学校を卒業するとすぐ親に申し入れました。家を出て小僧になりたい、と。両親は困惑し、遠縁にあたる尼僧に相談しました。そこで昭和9年4月20日、今の稲沢市片原一色の善應寺角田俊善師への弟子入りが決まりました。その頃、村の尋常高等小学校に通学していました。小僧に行くことがきまって登校途中、ふり返ったら我家が見えました。とっさに両眼から涙があふれ落ち、手で払っても払っても出てきました。翌日、又次の日も。あんなに家を出たいと思ったのに。この時私は生れ変りました。
江戸時代に「間引き」がありました。次男か三男が、「お宅の子どこへ行きました。」「あの子は遠くへ遊びに行きました。」それで間引いた返事です。又、明治以降も「口減らし」があって、寺の小僧に出されました。私の場合は自らの意志であります。善應寺では、善導大師のご遠忌の時で大勢の参拝でごった返しでした。縁を結ばさせていただき感謝です。一年間はどこにも行かず、寺でお経・掃除・寺務全般を四人の弟子で修行しました。
中学に入り、佛教専門学校(現在の佛教大学)に入学し、昭和17年9月21日卒業。10月1日岐阜の歩兵部隊に入隊。18年12月30日、豊橋予備士官学校卒業。直ちに成増飛行場に転属しました。19年2月、陸軍で海軍の雷撃部隊に行き海軍の雷撃隊の訓練を受けました。鹿児島の鹿屋航空隊です。私は航法偵察を習いました。同じ頃訓練していた海軍は、7月サイパン島に行き、全滅しました。我が隊は10月30日、台湾沖海戦に出撃しました。無事帰還したのは一機のみ。沢山の戦死者を出しました。私は貧血病にかかり鹿児島陸軍病院に入院し、退院して1ケ月位で体力的に無理で参加しませんでした。部隊は再編成され、次の機会を待ちました。遂に20年5月20日、沖縄湾岸に集結している軍艦攻撃の命令が下りました。三機で行動するこの計画。私は中隊長機の偵察員として同乗しました。夕刻、宮崎飛行場を離陸し、開聞岳上空を基点として沖縄に伺いました。西から東へ、湾には沢山の軍艦が集結していました。長機は照明を落し、二番機・三番機は魚雷を発射します。私は照明弾を落し、軍艦を確認し、針路二百七十度と告げました。十分飛び針路0度と言いました。飛行機は急降下し、海面すれすれに飛行し戦斗機の攻撃を避けました。戦斗機は帰りました。九州への進路をしらべ、九州への進路を定めました。旭日が見えかくれし、予定通り開聞岳の上空につきました。そして宮崎飛行場に無事帰りました。二番機・三番機はどこでどうなったのか帰りませんでした。
平素、中隊長は、「同乗の七人は俺が入院しても他の飛行機に乗ってはいけない」と言い、「貴様は坊主だ。死ぬときは一緒に死のう」と言っていました。私は坊さんになってよかった。無事に帰り生きる縁をいただきました。8月15日終戦。これで戦死はなくなりました。将校は隊を出て近くの農家に寄り、タバコを吸い、「このタバコ恩賜タバコです。私、もういりません。」と言って出て数分後にピストルで自殺しました。私は戦時の勇者だ、平時に貢献しようと決意し、新しく生れました。
師僧は私が岐阜にいる時、遷化されました。寺へは帰れません。実家に帰り、2・3日後京都へ行き知恩院にお参りし、報告しました。1ケ月位して、兄弟子の紹介で江東組の金蔵寺に縁をいただきました。江東組では、大先輩のご指導をいただきました。圓通寺の後藤眞雄上人から、「私が若かったら、あなたを立派な布教師に育てられたのに。毎日法然上人の語法語を読み、上人の真意を身につけなさい。」と御指導を受けました。増上寺執事長になられた廣本徹隆上人からは、平素の御指導と増上寺布教師会加入の推薦をいただきました。今九十歳。法然上人八百年の御遠忌の年に生きて、その恩徳の広大なることを実感し、歓喜・報恩の気持で一杯です。

■「『関係性』について想う」
「あー、早く独立したいなー。」わたくしが講師として通う高校で3年生が先日こぼした言葉です。成人にはまだ至っていないものの、18歳に届く年齢となった生徒たちがこの言葉を発するのを耳にすることは、十数年教壇に立っていると頻繁、とまではいかずとも、間々あります。ではあるのですが、今年は「思い立って」130人ほどにアンケートを取ってみることにしました。内容はそのもの「親から独立するとは?」。「学校を卒業したらどうしたいか?」という文脈でのこの質問に対して、9割以上の回答は「親の世話にならずに一人で生活していくこと」「自分の自由にできること」の2つに区分できるものでした。
なるほど辞書にもそういった解釈が載っていますし、わたしたちも普段こうした意味でこのことばを使っているのも事実だと思います。子どもが独り立ちすることは親の願いでもあることは事実ですが、生徒たちの言う「独立する」とは「自分の好きなようにやりたい」と同義、つまり「関係性を絶つ」に近い意味だということがアンケートの結果、改めて明らかになったのです。予想はしていましたが…。
さきほど私は「今年は思い立ってアンケートを取ってみることにした」と書きましたが、なぜこれまでにも聞きなれていた発言に対して、今年はアンケートを取るまでにいたったのか。それは「関係性」という点で、阿弥陀仏と私とは3種の縁で結ばれている、という三縁(親縁・近縁・増上縁の3つの縁)、その中でも親縁のことが頭をよぎったからなのです。
「衆生ほとけを礼すれば 仏これを見給ふ 衆生仏をとなふれば 仏これをきヽ給ふ 衆生ほとけを念ずれば 仏も衆生を念じ給ふ かるがゆへに 阿弥陀仏の三業と行者の三業と かれこれひとつになりて 仏も衆生もおや子のごとくなるゆへに 親縁となづくと候」『往生浄土用心』(『拾遺和語燈録』巻下所収)
阿弥陀様は、私たちが阿弥陀様のことを慕い敬う姿を見ていて下さり、その名を呼んだならば聞いて下さり、そして念じたならば阿弥陀様もまた私たちのことを念じて下さる。身と口と心の三業(さんごう)を合わせたならば、その想いは私たち凡夫から阿弥陀様への一方通行のものではなく、私たちと仏様の間に「関係性」が生まれるのです。この関係性は同時に、極楽浄土への「往生人」である先立った私たちの大切な方々と、私たちの間にも生まれる関係性なのです。
さて冒頭の話。この親縁のお話から思い浮かんだこと。それは、果たして生徒たちが「親から独立する」ということを「関係性を絶つ」ことと同義であるかのような解釈をし、それを実行していったならばどうなるのだろうか。親縁において「おもいにこたえる」という実践を示されているにも関わらず、親に対してそれが行われないとするならば…。「仏も衆生もおや子のごとくなるゆへに」ということばの中にそんなことを思い浮かべたのでした。
さて、生徒たちには「独立する」とは「ひとりで勝手にやっていく」ことではなく、「これまで親御さんから面倒を見ていただいていたが、今度は逆に相談をされたり、手助けをしたり、相互依存の関係になっていくことなのではないか?」「その必要条件として“独立”があるのではないか?」という問題提起から様々な議論をしたのですが…その投げかけたことばの意味を本当に身にしみて感じるのは、ひょっとすると彼ら自身が親になってからなのかもしれません。お念仏の生活の中、自らも周囲の方々との「関係性」について改めて思いをいたす。そのことがまた仏様に手を合わせることにつながっていく。清秋の日々、みなさまにもそんなお時間をお持ちいただけたらと思っております。南無阿弥陀仏

■「平生(ふだん)のお念仏」
千年に一度の天災といわれるこの度の東日本大震災は、誰も全く予想だにしなかった「まさか」の事態が、想定外の現実に起きてしまったのです。「まさか」とは「晴天の霹靂」、まさしく突然の大惨事に遭遇してしまったのです。ボランティアで津波の後始末に参加したのですが、現実に被害を眼前にした途端、いかに大自然の力が物凄いものであるかを、全身で感じたのです。体は硬直し、異様な大気と地の底から上る霊気が全身を通して伝わり、体を震わせながら感じたのです。今は瓦礫と化した建築物や一切の生活用品など諸々の物が汚泥や砂に埋もれ、一面に散乱している。津波の凄まじさを思い知らされたのです。津波の直前までは、人も動植物も皆ともに生きて、確かにここに存在し、建造物など形があったはずです。深く重く切ない譬えようのない哀しい思いが、体の底から嗚咽となって込み上げてきて声にならず、ただうなるお念仏をやっとの思いで称え、ご冥福を祈るのが精一杯でした。諸行無常(常時万物は変化し続ける)は釈尊の教えですが、まさにこの状況は激変する大自然の大変化、「まさか」しかないのです。何故ならこの災害を誰が予想しえたでしょうか。まさに寝耳に水の大災害なのです。
しかし法然上人は、この諸行無常の大激変をすでに私たちにお示しになっています。『念仏往生要義抄』(以下、意訳)の中で、ある人が法然上人に尋ねた。「阿弥陀仏のお救いくださる光明は、平生(常の、ふだん)ですか、臨終の時ですか、どうでしょうか。」 法然上人は、「平生のときから臨終の時に到るまで、阿弥陀仏は照らしてくださいます。何故かといいますと、常日頃から極楽往生を願って偽りのない心(至誠心)、罪深い自身でさえも救うてくださる阿弥陀仏を深く信じる心(深心)、極楽浄土に往生することを心から切望する心をもってお念仏する(回向発願心)。以上のように三心の具わったお念仏だから必ず往生できるのです。そのように『観無量寿経』は説きます。三心具足(三心を具えた)のお念仏の志をもってお念仏する人を、阿弥陀仏は無量の光明を放ち照らして、常日頃から臨終の時にいたるまで決してお見捨てにならないのです。」とお答えになりました。法然上人はすでにこのとき、常に変化し続けることを、そして時には激変する事を示されておられるのです。
また三心を具えるとは『一枚起請文』に「ただ一向に念仏すべし」であると法然上人はお導きくださるのです。つまり「ただひたすら往生を願ってお念仏する事」と心得ます。阿弥陀仏を始め、諸仏・諸菩薩・諸天善神は、常日頃から三心が具わったお念仏をただひたすら称え続ける事によって、いずれは来る臨終の最期まで、しっかりと念仏者をご守護してくださるのです。
「まさか」という想定外の如何なる大激変にも、ふだんからしっかりと「お念仏」を称える事によって、如何なる事態にも動ぜずに、毅然と行動でき、ふだんと変わらぬ安らかな心「安心」がいただけるとお導きくださるのです。ここに『一枚起請文』に示される「ただ一向に念仏すべし」のお念仏の法然上人の御心が示されているのです。
哀しい時にも寂しい時にもいかなる時にも、阿弥陀仏をただひたすら頼むお念仏をする。ここに念仏信仰の大安心をいただくのです。法然上人のご霊徳に感謝し、八百年大遠忌報恩謝徳のお十念を捧げ、東日本大震災物故者一切の諸精霊位に鎮魂の十念を捧げ、ここに心からご冥福をお祈り致すばかりです。 十念

■「気付かせていただく」
早いもので浄土宗の月訓カレンダーも最後の一枚を残すのみになってしまいました。今年も流行語大賞や、今年の漢字が選ばれています。候補の中からあれがいい、いやこっちがぴったりだ。人さまざまな意見が聞かれます。そうした時に皆この一年を振り返って、誰しもああもう今年も終わりかと、それぞれの感慨にひたっていることでしょう。
今年、我々は法然上人の800回忌をご回向させて頂いたわけですが、799年前に遡ると、その一周忌を目前とした建暦2年(1212)の今頃、お弟子の源智上人は法然上人を失ったその1年をどのように受け止めていらしたのでしょうか。師の恩徳に報いる為に大勢の勧進を募り、三尺の阿弥陀如来像を造立して、暮れの12月24日には、その胎内に4万6千人以上もの結縁した人々の名前を書き連ねた結縁交名状を封入しました。そして皆が法然上人の教えによって阿弥陀様に救われ、極楽に往生できるよう願文を認めました。そうした善行が、先だった師の御心に沿うものであると確信したからです。長年に亘り、常に師法然上人のお傍に仕えた源智上人ならでの報恩行と申せましょう。
しかし、親であれ師匠であれ、既に往生された人々の思いを受け止めるのは容易なことではありません。先だった御魂の思いは、月の光の如く常に我々の方に照射をされている筈ですが、それに気付かずに過ごしている日常です。そしてそれに気付く時は、心にある水鏡に月を映すがごとくです。夜空に煌々と照り映える月の姿は、海でも川でも、はたまたその辺の水たまりにまで映ずることがあります。しかしこれを心の水鏡に映すのは至難のことです。我々の水鏡は普段忙しさにかまけ、煩悩にさいなまれて、得てしてその水は濁り、ゴミが浮いている、ぶつぶつと不平を言うがごとくあぶくを吹いている、波風が立ってその水面は一向に落ち着かない。こうした我々の常日頃では、そこに映しだす月の姿は醜く歪んだものにしかなりえません。
仏壇やお墓やお寺にお参りする。ひと時端坐合掌しお念仏に浸る時を持つ。そのような静寂な時を得て、ヘドロやごみを取り除き、油をうったような明鏡止水と言われる水面をわずかな時間でも作り出してみる。初めてそこにはくっきりとした美しい月の姿が映り、いつもは気がつかない窪みや影など、決して一様ではないその細部に改めて気づくはずです。他人の思いも同様です。今まで自分はこうだと思っていたことが少し違う、こういうこともあったのかと驚くこともしばしばです。いつもはなかなか気付かないままに過ごしてしまう、まさに我々は凡夫であり、真理に暗い無明長夜の暗であることを思い知らされます。
晦日(みそか、つごもり)とはもともと暗い日という意味が有りますが、つごもりはつきごもり(月隠もり)の転じたものです。月のない日は暗い、朔の前の月明かりのない日は晦日です。その一年最後の晦日である大晦日(おおつごもり)も、もうわずかです。夜も夜明け前が一番暗いといいます。しかし本当に暗いときにはもうすでに夜明けは目の前なのです。希望は膨らむばかりです。そして一条の光はたちまちに闇を切り裂きます。
今年は大震災や原発事故、そして経済不況などなど震撼とさせられること、不安が募ることの多い年でした。しかし新しい年も間近です。そして年が明ければすぐに法然上人の801回忌を迎えることになります。源智上人が法然上人の1周忌に多くの人々にお念仏の功徳を振り向けて、法然上人亡き後の新しい時代に対処したように、我々も法然上人のお念仏の恩徳をかみしめつつ、800年大遠忌の後の時代に備えなければなりません。皆様ご健勝で良きお年をお迎え下さい。    

■「母ありて・・・」
東京教区教化団副団長の藤井君からの携帯が鳴った。取ると法話原稿の依頼である。『新年1月の担当が豊島組さんなんですよ〜、法話よろしく頼みますよ〜』『え〜誰がいいんだろう〜』と私。すると『もう時間もないし、武智さん頼みますよ〜』と副団長。『法話なんて書けないよ〜』と私。『いやいや武智節でいいですよ〜』と副団長。ならば法話ならぬ『放話』でお許しいただきたい。
その電話から、一週間以上過ぎた今日は12月10日、土曜日未明午前3時である。私は寺の2階寝室で、病身の母の介護ベッドの下で寝ている。膵臓癌末期の母に付き添っているのだ。母の深い呼吸を聴きながら書いている。何度も酸素吸入器のマスクを手で払うので直さなければならない。やがて『このマスクを払う力もなくなるよ』と親身に往診してくれる友人の石田先生に言われた。彼は中一の時に、当時35歳の母親を看取った。それから医者を志したのだ。子供の頃、うちに遊びに来ると、お袋が料理し一緒に食べた。母への往診は我々のプチ同窓会なのだ。Dr石田の母は女子医大のICUに入院していた。危篤の母親に触れる事が出来たのは、最後の1日だけだったらしい。その様な体験から今回の在宅医療に力を入れてくれる。
あれ、母の呼吸が聞こえない。慌てて顔を見る…大丈夫だった。…もしかすると、今夜旅立ってしまうかもしれないのだ…。
あまりに私は親不孝だった。結婚したのも昨年の4月、歳も50を有に回っていた。区役所の夜間窓口に二人で婚姻届を貰いに行ったら親娘に間違われたのだ。『お嬢さんおめでとうございます』と。無理もない、区役所の窓口は、改葬届しか縁がなかったのだから。ホント母には待たせ過ぎた。住職になって30年となるが、葬儀に車で急ぎ、首都高速錦糸町のオービスに60キロオバーで撮られてしまった。ゴールド免許だつた私は、一転免停住職となった。所轄の第7交通機動隊から呼び出しが来た。証拠写真から、お坊さんとわかり、至極丁寧な警察の応対であった。取り調べの最後に、『ご職業は?』と尋ねられた。法衣姿の証拠写真を指差し、『これで会社員とは言えないでしょう、僧侶です』と私。すると取調官は『こうですか・・・僧呂!』。私は『人偏が抜けてますよ、ソーローじゃないですから…』。警察の部屋は大爆笑となり、帰る時は、よっぽど楽しかったのか、警察官が二人も玄関まで見送ってくださった。『運転は歩行者警察、確認し』
母は昭和5年1月2日に祖父の駐在先の中国上海の西で生まれた。だから名前を『要』と言う。母はΓ男の子の名前だから嫌だった」と言う。固いし・・・。しかし、そのお陰で先代父亡き後36年間、正に寺の要として定泉寺を守ってこれたのだ。私が4歳の時、五重相伝会を奈良の野島先生から受け『最譽』を頂いている。念仏信仰のスタートである。母、9歳の時より裏千家の茶道を学び、教授としてその教えを広めていた。すばらしい先生が身近に居ながら、私は全くのΓ何にも千家」の家元であった。つまり、お手前頂戴しか母の前ではして来なかった。遅かった・・・。『親孝行、したい時には、親はなし』
77歳の時、持病の高血圧から脳内出血で倒れ、車椅子の生活となった。お茶のお手前も出来なくなり、『早くお父さんのところへ行きたい』と言う事もあったが、よく食べた。『夫待つ、浄土を願い、飯を食う』これを詠んだら、『失礼ね!』とよく笑ってくれた。
右半身麻痺となり、赤ちゃんも抱けなくなったけど、それでも私どもの子どもを抱きたいと言ってくれた。先週の土曜日、産科医の従兄弟のおかげで来年4月8日の花まつりに、女の子が生まれることがわかった。名前も決めて母に知らせた。『真央』、旬な名前である。彼女のお母様も48歳の若さで旅立たれたことを報道で知った。私は母の両手のひらの手形を採った。この両手の色紙の上に真央を抱かせるつもりである。
時計は午前5時を回った。母の呼吸が荒い。来週12月16日は父の命日である。10日前に母を施主にとして枕元で37回忌を勤めた。総代さんも駆けつけてくれた。
まだ話せる時、母はこう言っていた 『お浄土に行ったら手を振るから…』と、そして父の声が聞こえた。『かなめ、もう頑張らなくてええよ…』と。   
 

 

■「心」
よく通夜とか葬儀の折に、喪主の方から「お寺の事はすべて年寄りにまかせきりでした。これからは私がやらなくてはならないのですが、私はどうも不信心で……。」と言って、苦笑いをする人を多く見かけます。その様なとき私はよく「この世で不信心な人は居ませんよ」と話し掛けます。他人から優しい言葉を掛けられたり、親切にされたらどのような気持ちになりますか。きっと嬉しくなりますよね。心癒され感謝する気持ちになります。これも一つの信仰心なのです。多くの人達が、自分の持つすばらしい信仰心に気付かないだけなのです。家族や自分の周りの人達は勿論、ペットや植物に対しても心癒される事が多くあります。信仰心は理屈で考えるのではなく、心で感じとることだと私は思います。なかには無神論者である事を自慢げに言われる人を見かけますが、思わず首を捻りたくなります。多くの人達の優しさや思いやり、そして家族の慈しみなどをどのようにして理屈で否定する事ができるのか。理解に苦しみます。確かに寺との付き合いの中には、日常生活とは異なり儀式的なものも多くあります。ただそれが面倒だからと言って不信心とか無宗教という言葉で逃げないで欲しいのです。昨年の3月以来、私たちの国は東日本や長野県北部地方での大震災、福島県での原発事故、さらに近畿地方での台風による水害と数多くの災害に見舞われました。そのため被災地の方々が大変なご苦労をされております。それに対して日本はもとより、世界各国の人達から形こそそれぞれ異なりますが貴重な「心」を頂きました。ご苦労なさっている人達を助けたいという心。そしてそれらの心で癒された人達の感謝の心。私はこの「心」を宗教の違いはあってもすばらしい信仰心だと思います。心の字を使用した漢字は数多くありますが、その中で亡くなるの「亡」の横に心の意味を持つ立心偏を付けると忙しいの「忙」になります。横の心を下に付けますと、忘れるの「忘」となり共に心が亡くなるという事です。これからは忙しさにかまけて、折角自分が持っているすばらしい信仰心を忘れないで居たいものです。  

■「到彼岸」
昨年は宗祖法然上人の八百年大遠忌(大御忌)の年で、一宗をあげ大遠忌の準備を進めてまいりました。図らずも、3月11日に東日本大震災が発生。テレビに映し出される倒壊した家屋や、街並みの惨状、想像を遥かに越える津波の恐ろしさは、今も脳裏に強く焼き付けられる程で、被災なさられた方々に対する配慮もあり、各総・大本山では日延べして大遠忌を実施することになりました。
そうしたなか、連日の大震災の報道の合間に、テレビ・ラジオではAC放送機構の「心は見えないけれど、心遣いはだれにでも見える」「思いは見えないけれど、思いやりはだれにでも見える」というCMメッセージが繰り返し流されていました。画面では、「男子学生が、電車にのっている時に、座席を通りかかった妊婦さんに譲ろうか躊躇している間に、別の女性が座席を譲ってあげる」「階段の下で、お婆さんが一息ついて、これから階段を上がろうとするところに、男子学生が通りかかり、荷物を担い一緒に階段を上がってあげる」 字幕スーパーには、宮澤章二「行為の意味」とありましたが、釈尊の説かれた無財の七施の「床座施」(座席をお年寄りや身体の不自由な方に譲ってあげる行)と「捨身施」(自分の身体や労力で何か人に喜ばれることをしてあげる行)と受け止めたものです。
だれもが「たいへんなことになった。何か出来ることはないのだろうか」と、心で思ったものです。現実には、だれでも被災地に赴きボランティア活動が出来る訳ではありません。日頃から「何か出来ることはないのだろうか」と思っていればこそ、釈尊の教えと考えなくとも、大切な「行為」で、何か「意味」のあることをしたいと思うのです。足りない物資や義援金へ協力し、沢山の善意が集まりました。「大停電にならないよう」との呼びかけに、計画停電や節電に協力が出来たのです。
早いもので、大震災から一年が経過します。三月は春の彼岸です。彼岸には釈尊が示された六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)を実践して彼の岸である彼岸(仏国土)へ到る修行をする期間とされています。人々は仏教を信仰し、修行をする思いで、あるいは、信仰心もなく、修行する思いなど毛頭なくとも、墓参りへ行き、花や線香を手向け、墓前に手を合わせ、感謝の誠を捧げます。それは、先祖に対する思い「意味」が、墓参りをする「行為」に現れているのかもしれません。
また、法然上人は、称名念仏ー南無阿弥陀仏、と念仏をいつでもどこでも称えることにより、彼岸である西方極楽浄土に往生できるという教えを示されました。わたしたちは、いつ、どのような形で死が訪れるか量ることが出来ません。その時が、必ず来ることを日頃から意識し、自覚して生活することが肝心です。そうすると、西方極楽浄土に往生するために、今何を心掛け、どう生活したら良いかが見えてきます。「自分も、いつか死ぬ時が来る。死んだら、両親・祖先のいる西方極楽浄土に往生したい」と、心に思い、そのことが叶うよう、いつでも、どこでも念仏を称える生活を継続することです。
3月11日には、東日本大震災で亡くなられた物故者諸精霊の一周忌追悼法要・式典等が全国各地で勤められます。そして、一日も早い復興を心から祈念するものです。 

■「東日本大震災、一周年を迎えて」
昨年の三月十一日、東日本大震災が起きてから、すでに一周年を迎えました。私はその時、銀座で開かれていた浄土宗芸術家協会の展覧会を見学中でした。あれ地震かなと思っている内に、かなりの揺れがきて会場に飾ってある絵や書が、まがったり、落ちたり、照明が消えたりして騒騒しい事になりました。私は警備員の御注意に依って、歩いて階段を降り銀座通りへ出たら、かなりの人が通りに出て、大体揺れがおさまった中を各自が歩いていて、電話ボックスは大勢並んで順番待ちをしております。私も家(寺)が心配なので連絡しようとしましたが、中々あかなくて、或るスーパーに入って「電話を」とお願いしましたが、店員の方が出て来て親切に、外の比較的すいている電話ボックスを教えてくれました。暫く待って電話したところ、若住職とお手伝いさんが、たまたま参道の大玄関の横に居た所、灯籠がひっくりかえり、玄関の横の棟の瓦がずり落ちたそうです。
すぐ帰るからと電話をきって東京駅へと急いで歩いていきました。大勢の人々が右往左往していますが、真相が中々わかりません。駅に着いたら改札口で車掌が中に入れてくれません。JRを始めすべての交通機関が止まっているとの事です。駅前に出てタクシーを待ったが中々乗れません。止むを得ず昭和通りに出て、暫く待っていて漸くタクシーに乗り「亀戸へ」と告げ、ほっとしました。しかし渋滞して中々スムーズに走りません。両国橋を漸く渡り、京葉道路は混み合っているので蔵前橋通りへと、何とか道を変えて、ゆっくりゆっくり進み、もう夕方近くなり、亀戸天神を越したところでタクシーを降り、歩いて浄心寺にたどり着きました。書院から本堂への渡り廊下の一角がくずれ、内に入ると位牌が倒れ、内陣、外陣の瓔珞がところどころ落ちて、近年にない災害でした。岩手、宮城、福島を中心とした大地震と大津波、それに依って起こった福島の東京電力原子力発電所の事故であった事は、寺に帰りついて間もなく判明しました。
その年は(平成二十三年)、浄土宗元祖法然上人が建暦二年正月二十三日、最期に私共に遺された教え「一枚起請文」を書かれた二日後に御遷化されてから八百年にあたりました。全国の浄土宗寺院が、元祖様を顕賞して御追喜を申し上げる「御忌」法要が営まれる予定でしたが、直前にひきおこされた大災害によって秋に延期されたり、次年(平成二十四年)に繰り延べして執行しております。「唯一向に念仏すべし」の御心をもって、檀信徒を教化し、大勢の犠牲者の霊を大念仏会をもって御追善申し上げて居ります。各々の貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の煩悩を減らして、その中で「善因善果、悪因悪果」のお釈迦様の基本の教えを受けとっていただく様おつとめ下さい。万人が救われる「易行道の教え」を得て、平安無事な家庭が生まれるものと確信いたします。最後に檀信徒の皆様の御協力で当寺も無事元通りに復興いたしました。  合掌 南無阿弥陀仏

■「思いやり」
私は普段、寺の副住職として寺に居ますが、この他に何ヶ所かで心の悩みの相談員をしています。 自死(自殺)をしようと考える方や、自死をしてしまった方のご遺族、別のところでは不登校、ひきこもりの当事者やそのご家族と身近な人、自坊でも客間を相談室にして色々な心の悩みの相談を受け付けています。 東日本大震災後は、昨年の4月から避難所に寝泊まりしながら、被災者の心のケアを一番の目的とし色々なお手伝いをさせていただきました。 今でも仲間たちと仮設住宅にお伺いしたりもしています。その活動の中で「思いやり」ということについて感じたことを書かせていただきます。
心の悩みにも数多くの分野があります。 どの分野でもとは言えませんが、少なくとも私が携わっている自死、不登校、ひきこもり、ではご本人がそうせざるを得ないところまで追い込まれた末の結果だということを感じました。 精神的に弱いからとか怠けているとか逃げているだけとおっしゃる方もいらっしゃいますが、私にはそうは思えませんでした。相談者の方からお話を聴いていると、そこまで追い込まれた状況に居たら私も自死を考えたり、不登校やひきこもりになったりしてしまうかもしれないと思う話ばかりでした。
ある時、相談を聴きながら良い方向に向かっていく相談者には共通点があることに気づきました。 それは、身近な人が理解を示してくれて、思いやりを持って接してくれている方の存在でした。 身近な方というのは、相談者によってさまざまですが、家族、友人、知人、同僚、近所の方、といったような方で一人でも、思いやりを持って接してくれて、相談者の気持ちに寄り添ってくれる方の存在があったのです。例えば、仕事がうまくいかず、自死を考えてしまうほど追い込まれていた方が、家族に心配をかけまいと、ひた隠しにしていたその思いを私が家族に話し、そこまで追い込まれていることを知った家族が話し合いをして、家庭の中ではなるべく負担がかからないように思いやることから、少しずつ余裕が出てきて仕事も良い方向に向かっていけるようになる。ということがありました。(本人に了解を得て書いています)
人は支えあって生きている。とはよく言いますが、私はそこに少し付け加えて「人はお互い思いやりながら支えあって生きている」と付け加えたいです。 相手の方の気持ちを思いやりながら支えあっている。 ということが社会全体に定着したらこんなに沢山の方が自死をしたり不登校やひきこもりになったりしなくてもよくなるのではないでしょうか。
そして、今も多くの方が一人で悩み苦しんでいらっしゃいます。 悩んでいらっしゃる方がそのことを隠していて気づかないことも多いのも現実によくあることですが、もし気づいた時には、この方は今どういうお気持ちなのだろうか、どうしたのだろうとか、と思いやりを持って接していただけたらと思います。昨年の震災以降各地で掲げられている「絆」という言葉も、被害を受けられた方々を思いやっての事なのではないでしょうか。 被災地の復興のためにはとても大切なことです。 こういう大変な時だからこそ、身近な方への「思いやり」を改めて考えてみても良いかと思います。 

■「還暦からの挑戦」
五十代半ばに突然、胸を突くような動悸と息苦しさを感じた。すぐに治るであろうと高を括っていたら、日に日にひどくなる一方。念の為と思い、病院で検査をしたところ、なんと三百回以上の不整脈が出ており、心室性期外収縮と診断された。医師曰く、「この種の不整脈は生死に関わるものではなく、過激な運動さえしなければ日常生活には何の問題もない。しかし、この病気は完治が難しく、気長にこの症状と付き合っていくしかない」とのこと。それからというものの、常に動悸や息苦しさに悩まされ、憂鬱な気持ちを抱きながら毎日を過ごすことが多くなった。
そんなある時、テレビで目の見えない若者たちがサッカーを楽しんでいる様子を目にした。ボールの中の鈴の音だけを頼りに、研ぎ澄まされた聴覚で位置を判断し、敏捷な動きでボールを奪い合っている姿は、まるで目が見えているかのようであった。本当に信じ難い光景で、このようにサッカーが楽しめるようになるまでには、障がいと向き合い、受け入れるだけでなく、毎日厳しい鍛錬と努力が必要だったに違いないと思い、不整脈でただただ落ち込んでいる私が愚かしく思えた。そしてこの時、「私も何か始めよう」とふと思い立った。しかしこの「何か」の答えはすぐには見つからず、結局、一年もの時間がかかってしまった。
きっかけはラジオから流れる、豊かで繊細なハーモニカの音色だった。それが私の琴線に触れ、非常に心地が良かった。その瞬間、「そうだ、私もハーモニカを吹いてみよう」と思った。思えば若い頃“ポケットの中のオーケストラ”といわれるハーモニカの音色に魅せられ、いつの日か吹いてみたいと思っていたのだが、年を重ねるうちに諦めてしまっていたことに気付いた。ただ一方、脳裏には「不整脈持ちがハーモニカを吹いても大丈夫なのか、更に悪化してしまうのではないか」という不安がよぎった。そこですぐに医師に相談をしたところ、無理をしなければ大丈夫との助言もあり、善は急げ、ということでさっそく音楽学校に申し込んだ。
はじめは音階からの基本練習で、吹いてみると想像以上に難しく、イメージしていたものと全く違った。しばらくは同じような基本練習ばかりだったが、この先いろいろな曲を吹けると思うと辛さはなく、楽しいという感情しかなかった。徐々に練習時間も長くなり、家族も不整脈について心配してくれていたが、特段、不整脈にも何の変化もなく、精神的にもだいぶ楽になっていた。ようやく二年半を過ぎた頃から課題曲や自分の好きな曲を吹けるようになった。ただ私の場合、年をとって音感が鈍くなったのか、もともと鈍いのか、一曲をマスターするのに一ヶ月半〜二カ月もの時間がかかってしまう。しかし、費やした時間が長ければ長いほど、苦しければ苦しいほど、一曲を吹き終えた時の喜びは格別だった。
今年の六月で丸三年が経ち、今では様々なジャンルの曲を吹けるようになった。何よりも良かったことは、ハーモニカで心臓が鍛えられたのか、悩みの種だった不整脈のことなど全く気にならなくなり、毎日が楽しく過ぎていくようになったことだ。
私は幸運にもハーモニカと出会い、ハーモニカによって体と心の不調いずれをも助けられることとなった。これも阿弥陀様の「毎日を楽しく」という声なき声だったのかもしれない。これからも私を支えてくれた皆に感謝しながら、古希に向かってハーモニカを楽しく吹き続けていきたいと思う。また、この文章を読んでくださっている方も、気が滅入ることがあっても、障がいにぶつかっても、毎日を楽しく過ごす「何か」を是非見つけて、没頭してみて欲しい。新しいことであってもチャレンジするタイミングに手遅れはきっとない。心を豊かにし、毎日の生活に潤いを与え、仕事にも良い影響を与え、活力にあふれた毎日を送ることがきっとできるに違いない。  
 

 

■「生々流転 −浄土への細く白い道−」
皆様こんにちは。月遅れのお盆が8月13日から15日(または16日)にかけて行われます。
「迎え火や 父の面影 母の顔」 
お盆には迎え火を焚いてご先祖をお迎えして、ご先祖や父母から受けたご恩を思い出して、共々に感謝の心を伝えましょう。
昨年の東日本大震災で亡くなられた方々、行方不明になられ、現在に及んでいる方々、さらに、台風や竜巻等の自然災害で亡くなられた方々の御霊に哀悼の意を捧げたいと思います。ところで、今年の干支は辰年です。辰年を紐解くと、次のようなことが思い出されます。幕藩体制が崩壊し、戊辰戦争は辰年、その後明治時代(1868)になりました。第二次世界大戦(太平洋戦争)でわが国が敗戦して、講和条約を調印する。そして国際社会に民主主義国家と認められたのは、昭和27年(1952)の辰年です。その12年後、昭和39年(1964)高度経済成長を遂げつつ、高速道路、東京タワー、新幹線の開業、そして東京オリンピックを開催したのも辰年です。さらに、スカイツリーの開業も今年(2014)、辰年です。
明治政府は欧米の帝国主義に富国強兵策を推し進めて、近代国家の仲間入りをしました。そして昭和20年に敗戦。今から60年前、講和条約を締結し、民主主義国家として、昭和27(1952)年に日本が世界の国々に仲間入りをした年です。今年は歴史の転換点を感じます。
このように考えると、昨年の3.11以後、これまでの日本人の生き方には何か大きな変化が生じているのではないでしょうか。「定まることのない自然災害と恐怖」「人間の絆」「へこたれない勇気」「未来への希望」「放射能汚染の恐怖」等々。どうすることも出来ない不安感の中で、それを乗り越えていく勇気と希望を胸に刻みながら、涙を流して、また流す余裕もなく、人々は生きていかなければなりません。救いの教えが求められているのが、現在の世相ではないでしょうか。
浄土宗では二河白道の教えがあります。この此岸(現実的世界)から彼岸(宗教的世界)につづく細く白い道があります。西方の極楽浄土に向かって西へ旅人が歩んでいると、左右に河があるところまで辿り着きました。西方に向かう南側は火の逆巻く河で、北側は水がしぶきをあげている河です。その河の真ん中には、幅4〜5寸(約18センチ)の細く白い浄土への道が西方に通じています。火と水が交互に白道にかぶさり、旅人が進んで行くことをさえぎっています。しかし、行くべきか、退くべきか思い悩んだ末に、進むことを決心しました。それは後方から群賊・悪獣が現れ襲ってくるから、ここで死ぬよりは、旅人は迫り来る死の恐怖の中で、白道を選んだのです。前方から「まっすぐに歩んできなさい」と阿弥陀さまの声がしたのです。その声を信じて向こうの岸に渡ることができました。彼岸は安心の宗教的な浄土の世界です。
此の岸である現実的な世界(娑婆世界)から彼岸(極楽浄土)への歩み方はどのようにすればいいのでしょうか。火は人間の無知からくる怒りの炎をあらわし、水は人間の欲望をあらわしています。細く白い道は浄土への道です。それは阿弥陀様が私たちに手をさしのべてくださる道です。阿弥陀仏の御名(みな)をおとなえして歩むのです。『南無阿弥陀仏』と声に出して一切の自己のはからいを捨てて阿弥陀仏の名号をおとなえすることなのです。
あるがままの自己自身は至らぬ人間である。自己への反省をしていかなければならない自分自身が、仏の名号をおとなえすることにより、宗教的な世界へ生き、生かされて、よろこびに生きることができるのです。
最後に皆様ご一緒に手と手を合わせて合掌してください。左手は阿弥陀様、右手は自分であると思って同称十念いたしましょう。同称十念 『南無阿弥陀仏』・・・。

■「9月を迎えて」
皆様こんにちは!今年の夏も厳しい暑さが続きましたが、皆さんお元気でお過ごしでしょうか。私は7月のお盆が終わったあと、熱中症になり目まいが続きましたが、点滴を受けてどうにか回復いたしました。ところで皆さんも「熱中」は「熱中」でも「熱中症」ではなく、ロンドンオリンピックに「熱中」されたことでしょう。時差の関係上、深夜・明け方のテレビ観戦で寝不足が続いたのではないですか?アスリートたちの真剣な動きを見ていると、ついつい時間の過ぎるのも忘れ見入ってしまいます。
それにしても、早いもので今年も残り三分の一となってしまいました。9月は秋のお彼岸です。皆さんの多くは「お彼岸」と聞くとすぐに「お墓参り」を頭に浮かべるのではないでしょうか。そろそろご家族でのお墓参りの日程を考えていらしゃっることでしょう。
さて、私たち日本人が当たり前に行っているお彼岸の行事ですが、春秋のお彼岸に墓参や法要を行っているのは日本独特の習俗であって、インド・中国などの国々では行われていなかったようです。
太陽崇拝により「日の願」から「日願(ひがん)」となったという説や、春秋に渡り鳥が往来することから「飛雁(ひがん)」となったという説など諸説ありますが、仏教では川向こうにある理想の世界を「かなたの岸」すなわち「彼岸」と称しています。
今から1300年ほど前の平安時代の初め、全国の国分寺において行われた、春分・秋分の前後3日の7日間「金剛般若波羅蜜多経」を読経する法会が文献上の初見と言われております。「波羅蜜多」は「到彼岸」の意味で、迷いの世界(此岸)から煩悩の流れを渡って悟りの世界(彼岸)に到達することです。
この法会は桓武天皇の弟、早良(さわら)親王の怨霊を鎮めることが目的であり、天皇は親王の霊が速やかに到彼岸することを願ったのでした。旧暦2月・8月(現在の3月・9月)の春分・秋分の日は吉日とされ、この日に善行を修すと所願成就が叶うと考えられ、過去に犯した罪を懺悔する懺法(せんぼう)や心身を清める潔斎などを行ったり、法会を営み読経するなど、行いを正しくする日がお彼岸であったようです。
ところが、浄土教信仰が高まるにつれて、彼岸は阿弥陀さまのお浄土(西方極楽浄土)であると考えるようになりました。ことに太陽が真西に沈む春分・秋分の日、夕陽の沈むかなたに極楽を観想し、浄土に生まれたいと願うことが、お彼岸の意義として定着していったのです。大阪の四天王寺では、寺の西門が極楽の東門(入口)であるという信仰が起こり、多くの信者が集まる聖地となりました。
ところでお彼岸のお墓参りの習慣はいつ頃から始まったのでしょうか。そもそも現在のようなお墓は、江戸時代中期以降に始まったと言われています。檀家制度によって菩提寺と檀信徒の関係が結ばれるようになってからのことと思われます。お檀家さんたちはお寺に参詣し、僧侶の法話を聴き、お墓参りすることによって、日常の生活を反省して身も心も浄め、さらに亡くなった人たちを偲ぶことがお彼岸の習わしとなっていったのでしょう。
浄土宗のお彼岸は、亡くなった両親や連れあいなど有縁の人たちや祖先がいらっしゃる「彼岸」すなわち極楽浄土に想いを馳せて、自らも必ず浄土に生まれたいと願うことです。そのためにお彼岸の一週間は、できる限り心を落ち着かせ、自身を見つめ直して、より良い自分になれるよう努力し、日々お念仏を称えて阿弥陀さまのお慈悲をいただくことが肝要かと思います。もちろんお墓参りも大切ですが、墓参の前に必ず、ご本尊の阿弥陀さまにお参りするように心がけましょう。
現代は日常の季節感が薄れがちで、すべてにおいて簡素化が進んでいる世の中になりつつあります。せめてお盆やお彼岸など季節の行事はきちんと行って、子孫に伝えていきたいものです。

■「〜ともにいきる〜」
昨年は東日本大震災、今年に入ってからも全国各地で竜巻や水害などの自然災害に私たちは見舞われています。こうした「未曽有」な困難にどう立ち向かっていけばよいのでしょうか。私ども浄土宗を開いた法然上人は1212年、80歳でお亡くなりになり、ちょうど今年が没後800年にあたります。その法然上人の時代も天災が多く、そしてそこからくる飢饉により人々は苦しみ、また一方争いは絶えず人々が殺しあう、そんな殺伐とした世の中でした。そんなひどい時代、救いがない時代、人々が絶望していたそんな時に、南無阿弥陀仏とお唱えすれば誰もが救われるとお説きになって、人々に希望を与えたのが法然上人だったのです。その時代と今を単純に比較はできませんが、自分の周りを見渡せば、先ほど申し上げた天災から始まり、年間3万人以上が自殺をし、うつ病などの心の病を抱える人が増加しています。また大人ばかりでなく、最近ニュースにもよく取り上げられるいじめや不登校など子供たちの心も荒廃の一途をたどっています。そういった状況を考えてみると、あながち法然上人の時代と違うとは言えないような気がするのです。共生という言葉が言われて久しくなります。どんなに困難な時でも自分だけで状況を打開するというのではなく、自分が大変な時は他の人に助けられながら、支えられながら生きていく。そして他の人が大変な時は、今度は助け、支えてあげる。そんなともに生きる姿勢がこれからの時代改めて強く求められているのではないでしょうか。そして今を生きている人たちのつながり、それを横のつながりだとすれば、それプラス御先祖様がいて今の自分が存在し、そしてそれが子や孫という未来へとつながっていく縦のつながり、この両方のつながりを大切にしていく、それがまさに浄土宗のいう「ともいき」なのです。どうぞこれからの困難な時代に立ち向かうために、この「ともいき」というキーワードを心に留めて日々の生活をお過ごしいただければと思います。 合掌
追記 本文中「未曽有」という言葉が出てきますが、俳人の高野ムツオさんが9月14日付け読売新聞でも指摘されているように、「未曽有」という言葉は本来災害などの凶事に用いた言葉ではなく、この世が救済されるような希有の出来事が生じた場合を指す言葉。吉凶両方の意味で使われるようになったのは鎌倉時代あたりからだそうで、何かそんなところからも法然上人の時代とのつながりを感じてしまうのです。

■「終活・・・について」
“終活”なるテーマのテレビ番組を視聴致しました。学生の就職活動、略して就活(しゅうかつ)をモジった造語です。言葉の意味はそのまま、人生の終わりに向けた活動です。これまで仕事などを懸命に勤められた方が、退職などを機に自分の人生を考える、非常に大切なことなのだと思います。ただ、少し気になったことがあります。それは「自分の子孫に負担をかけたくないので、所謂 先祖代々の〜家之墓には入りたくない」「子どもたちに迷惑をかけたくないので、自分の世代だけで完結できるものにしたい」という方々の意見が多く取り上げられ、それに賛同する声が多かったことです。自分なりにしっかりとした死生観や価値観をもち、ご家族と葬儀やお墓の話をされた上で、そのような選択をされる場合は結構なこととは思いますが、子の負担の軽減の為、個人墓へ入りたいという安易な選択は違和感があります。先日、拙寺では50回忌の法要が参列者30名で執り行われました。まさに半世紀。故人を知らない、孫、ひ孫世代まで参列されておりました。「人は二度死ぬ。一度目は肉体の死、そしてもう一度は、自分を知っている人がいなくなったとき」という言葉があります。自分が死んだ後も、自分の事を知っている、慕ってくれる人がいる、本当に素敵なことです。人は人によって生き生かされます。もちろん、親子の関係性だけで成り立つわけではありませんが、しかし、ここに自分が存在する根本的な原因は親、ご先祖の存在であり、先祖なくして自分は存在しません。何よりもかけがいのないもの、それが血縁の関係とも言えると思います。 ※釈尊の涅槃図に、先に亡くなられた釈尊の母マーヤ夫人を描くことが多いです。
自分が亡くなったあとも、それを引き継いでくれる者がいること。そのことが「負担をかける」こととは言い難いです。もちろん、負担がない訳ではありませんが、しかし、親や先祖という存在、恩徳を知る事のできる価値は、その負担を上回ると思います。「子どもに葬儀や墓の負担をさせない」と胸を張ることよりも、「万が一のことがあっても葬儀やお墓のことは心配しないでいいよ」と言ってくれる子どもがいることの方がよっぽど自然で誇らしいことではないでしょうか。50回忌をわざわざ勤めなくてもいいのかもしれません。しかし、故人がなくなり半世紀経ち、その子、孫、ひ孫が一同に会し、関東大震災の話、当時の仕事の話など若い世代が全く知り得ないことを、見聞きする事はこの上ない貴重な時間であると思います。迷惑をかけずに生きて行く事はできない、だから、昔の人は「お互い様」を口癖に生きてきたのでしょう。それが、いつからか「自己責任」という言葉がもてはやされ、自分の子供にさえ迷惑を掛けない、そんな不自然な親子関係を強いる社会になってしまっています。自分らしい最期、終活を考えるよりも、自分らしい生き方(生活?)から自ずと自分を慕ってくれる人間関係を構築していくことの方が、よりよい最期、生き方ができるのはないでしょうか。終活よりも、先ずは今自分の生活の中でいろいろな方の縁を感じながら「お互い様」敬意の念を持って生きていきたいものです。

■「だんだん一年が短くなる……」
平成と年号が改まって24回目の師走がやってきました。今年もあと一か月です。この一年、どんな一年でしたでしょうか。一年を振り返ると光陰矢の如し、「えつ、もう12月、今年も終わり!」と一年が短かったと思う方が多いのではないでしょうか。どうも私たちは何歳ぐらいからなのでしょうか、一年がどんどん短くなってくるようです。
若い頃は、何をしてもどんな事もみんな初めての事ばかりですから、それは新鮮な毎日ですし行動範囲も広がる一方、出会う人もみな刺激的で、一日24時間がそれこそ感動に溢れ、一年も長かったはずです。それが、年を追うごとに早く過ぎていくようになってきます。かくいう私は50代半ばですが、「一年が早くて……」などと諸先輩に言うと、「何を言ってる、歳を取るともっと早くなるぞ、まだまだ」などと言われますが、十歳ぐらい後輩に、「もう一年経ちましたね、早いですね」などと言われると、やはり先輩と同じ言葉を繰り返す自分がいます。
法然上人は43歳の時に浄土宗をお開きになったので、浄土宗では43歳までのお坊さんは青年会の会員です。四十面下げた青年会員といったら、お寺さん以外の方はびっくりされるでしょう。私もその青年会員でしたが、十余年経った今そうした会合に顔を出すと、もう大先輩で上座に座わらされるは、長老と呼ばれるは……。自分の中ではついこの間まで青年会員だったはずで、長老と紹介される人は別世界の人だったのですが……。そう、一年どころか十年もあっという間です。
振り返れば、学校生活、仕事や家事といった日常生活、初詣、節分や夏休みといった年中行事、友人の結婚式や初めての葬儀や法事といった人生儀礼、同窓会や地域の集まりといったイベントと、人生は色々盛り沢山ですが、どんなことも最初は胸を躍らせ緊張し、時には待ち遠しさもあったはずです。それが、同じ事を繰り返すうちに段々「慣れ」てきてしまいます。そうすると、一年が「慣れ」た物事の積み重ねになりますから、「あっ」という間に過ぎてしまうことになるのでしょう。
さて、法然上人のこんな言葉があります。「(前略) 日々に六万遍七万遍を唱えば、されも足りぬべき事にてあれども、人の心ざまは、いたく、目なれ、耳なれぬれば、いらいらと、すすむ心すくなく、あけくれは、そうそうとして、心閑(しず)かならぬ様にてのみ、疎略になりゆくなり。その心をすすめんためには、時々別時の、念仏を修すべきなり (後略)」
法然上人の魅力は何と言っても人間への優しさですが、それは誰もが持つ愚かさやむさぼりといったものは残念ながら修行を積んでもどうも消し去ることはできないようだ、それが人間というものなのだ、と気付かれたことです。その法然上人が、毎日何万回もの念仏を唱えられればいざ知らず、私たちは慢心しやすく、いつの間にか日々の念仏さえ疎かになってしまいがち、だから特別な時間を作って念仏を唱えなさい、とおっしゃったのがこの別時念仏を勧める言葉です。そして、この日々の念仏を疎略にしてしまう慢心ですが、この慢心もやはり「慣れ」から生まれてくるものです。
もちろん「慣れ」が悪いことばかりではありません。「熟練」と言い換えたら価値が180度変わります。ですが、マンネリにつながっていく「慣れ」は余り嬉しくないもののようです。一年が終わる12月、短かく感じたこの一年が「慣れ」のせいで短かったとしたら、来年はこの「慣れ」を意識して過ごしてみるもいいですね。仏教は気付きの宗教です。「慣れ」を受け入れても、あるいは立ち向っても、どちらにしろ平成25年は「慣れ」を意識し続ける一年にしてみてはいかがでしょう。 
 

 

■「復興のともしび」
阿弥陀さまの慈しみの光明のもと、つつがなく新しい年をお迎えになられましたこととお慶び申し上げます。皆様は、年の初めにあたり、「今年も……」「今年は……」「今年こそは……」との意を、昨年にあった出来事を基にして、同じように、あるいはそれ以上にと、さまざまな願いや誓いを決められたことと思います。私事ですが、昨年の4月より浄土宗宗務庁に新設されました災害復興事務局長の任を預かり9ヵ月になります。東日本大震災で被災されたご寺院、檀信徒をはじめ地元の多くの方々の物質・人心両面における復興の一助を成すことを大きな柱とし、国内のみならず海外開教区の浄土宗寺院、檀信徒、さらには一般の方々からの義捐金や物資などのさまざまなご協力をいただきながら、一宗を挙げて取り組んでおります。寺院の復興は、本堂をはじめとした建物再建のための経済的な支援が中心です。これにより、津波で大規模被害を受けた寺院のうち、数カ寺の本堂・墓所が修復にこぎつけました。しかし、いまだご住職はお寺に住むことが出来ず、檀信徒の家々は再建の目途すら立っておらず、多くの方が仮設住宅で生活されている状況です。原発による被害で避難を余儀なくされている寺院のご住職は戻ることすらかなわず、檀信徒は全国各地に分散されて、寺院運営という点でまだまだ先が見えません。
人心の復興については、檀信徒をはじめ被災された方々へのボランティア活動を通して、痛んだお心を癒し、少しでも安らかなお気持ちになっていただくための方策を講じております。若い青年僧侶が主体となって、定期的に仮設住宅を訪問させていただき、炊き出しや茶話会、被災された方々のお話を伺う傾聴(けいちょう)などを主に行っているほか、11日の月命日には、この震災により尊い命を失われた方々の慰霊法要を営んでご供養をさせていただいております。また、福島の子どもさんたちを思いっきり屋外で遊ばせ、笑顔を取り戻してもらうことを願ってのキャンプを夏休み、冬休みに企画実施致しました。子どもたちや仮設住宅の方々から、もし少しでも信頼をいただけ、心に寄り添うことが出来ているとしたら、何よりも諸方面大勢の方々からのご理解ご協力の賜物であり、これに勝る喜びはありません。微力ながら、本年も引き続き復興のための諸事業に邁進していく所存でおります。
さて、浄土宗が依りどころとしている経典『無量寿経』巻下に、次のような一節があります。
天下和順 (てんげわじゅん) 日月清明 (にちがつしょうみょう) 風雨以時 (ふうういじ) 災歯s起 (さいれいふき) 国豊民安 (こくぶみんなん) 兵戈無用 (ひょうがむゆう) 崇徳興仁 (しゅうとくこうにん) 務修禮譲 (むしゅらいじょう)
これは次のように訳すことができます。お釈迦様の諭された御教えに順(したが)って善行を修めるならば、私たちの住む世界は穏やかとなり、太陽や月は清らかに輝き、その時節に合わせて適度の雨が降り、風が吹いて、天変地異や疫病などの災いが起こることはありません。そして国々は豊かに栄え人々の暮らしは安らかになり、武力を行使することなどもありません。人々は他人の善いところを尊び合い、互いに思いやりの心を持ちながら、礼儀正しく振るまうことに努め、また譲り合いの精神を持つのです――。
まさに、21世紀の現代社会においても、この教えのようにありたいものだと切望いたします。私たち人間の飽くなき欲求が招いた地球の温暖化、自然破壊の影響が、私たち自身に大きく及んできております。「善行を修めるならば」という、仏さまの意にかなっているかどうか、自らの生活を今一度見つめ直し、「物で栄え心で滅びる」ことにならないよう、僅かなものにでも満足できる心を持ち、生き方を探り、日々を暮らしていきたいものです。この一年、皆様ご自身の思いが叶いますことを、また災害や事故、事件などにより命を落とされた方々がお浄土で安楽でありますことを祈り、併せて被災された方々の一日も早い安穏を念じ、復興のともしびを絶やすことなく歩んで参りましょう。皆様のご健勝とご多幸を祈念申し上げます。

■「つもれる罪ぞ やがてきえぬる」
「地球温暖化」といわれるようになって久しくなりますが、東京でも冬はやはり寒いもの。お参りにみえるお檀家さんたちとのご挨拶も、ついつい「今年の冬は特別寒いような気がしますねぇ」となってしまいます。特に今年は、「成人の日」の1月14日に、都心部でも7年ぶりの大雪となりました。前日の天気予報で予想できたはずですし、スタッドレスタイヤやチェーンなど「日頃の備えが大切」と毎年のようにいわれ続けているのに、交通機関は大混乱、道路も大渋滞で、普段なら5分で行けるところが1時間もかかったりしました。大雪になるたびに、また、「東日本大震災」のときにも感じたことですが、改めて大都市東京の脆弱さを見る思いがしました。
雪の中(うち)に 仏の御名(みな)を 称(とな)ふれば つもれる罪(つみ)ぞ やがてきえぬる
このお歌は、私たちが、日頃知らず知らずに積み重ねてしまう罪を、浄土宗の宗祖・法然上人が、降り積もる雪に喩えてお詠みになられた歌です。「そんな、私は罪なんか犯していませんよ」とおっしゃる方も多いかもしれません。もちろんここでいう罪とは、殺人や強盗など、刑法でいうところの犯罪ではありません。
例えば、私たちが生きていくために欠かすことのできない食事。「おいしい、おいしい」と舌鼓をうち、箸が止まらなくなって、食べ過ぎてしまう。これは、「必要以上に物を欲しがらない」という仏教の「不慳貪戒(ふけんどんかい)」を犯したことになります。スーパーマーケットで、「今は必要ないけど、特売だから、〈大人買い〉しちゃおう」ということも、実は罪につながる場合があります。震災の後にも、さまざまな生活必需品の「買い占め」が問題になりましたが、他の人のことを考えないで、自分の利益、幸福のみを追求する「我利我利」の心、「私は身に覚えがない」と言い切れる人はどれほどいるでしょうか。
教師が「教育的な指導だった」と言い張るクラブ活動での「体罰」が、尊い人の命を奪うこともあります。「自己中心的」な考えは、常に罪を積もらせる危険をはらんでいるのです。「体罰」は論外ですが、法然上人は、そうした私たちが日頃知らず知らずに犯してしまう罪も、仏さまの御名、「南無阿弥陀仏」のお念仏をお称えすれば、降り積もった雪が、日の光によっていつしか溶けて消えいくように、阿弥陀さまの慈悲の光によって、やがては消えていくものですよ、とお示しくださっています。ただし、ここで勘違いしてならないのは、「お念仏さえ称えれば、何をやっても大丈夫」という考え方です。最近、洗えば洗うほど、ただ汚れが落ちるだけではなく、繊維自体の抗菌作用が強くなっていくという洗剤がはやっているそうですが、それと同じで、嬉しいとき、怒りたいとき、悲しいとき、楽しいとき、毎日毎日お念仏を称えれば称えるほど、罪が消え去るだけでなく、罪を作らずにすむ生活を送れるようになる、と考えた方がよいでしょう。
私たちの一生は一日一日の積み重ねです。日々の生活、いざというときのための心構えが、その人の人生を作り上げていきます。あれほど沢山積もり、道のあちこちに作られていた雪だるまも、いつのまにか溶けてなくなりました。法然上人のお歌の心を噛みしめて、お念仏を称える毎日を送りたいものです。  

■「みな幸せであれ」
「みほとけ様に朝のご挨拶をいたしましょう。な〜む〜あみだぶ〜。おはようございます。」お寺の幼稚園の挨拶は、みほとけ様への挨拶から始まります。どの子もみんなが一日の活動の始まりを今か今かと楽しみに、笑顔一杯に大きな口を開けてお唱えします。子供たちは、今日一日、自分達が楽しく仲良く過ごせますよう、自分自身のためにこの「南無阿弥陀仏」を唱えています。さて、大人に目を向けてみましょう。「誰々の供養のため」にお唱えしている方が多いのではないでしょうか。
昨今、どうしても仏教というと、他者の為のもの、特に亡くなった生命に対するものと考えられがちに思えます。しかし、仏教は今より約2500年前に、まぎれもなく釈尊という生身の人間が、生きている間に、生きている人々に、真の幸せを共に模索するべく説かれた教えであります。では、「誰々の供養のため」は間違いなのでしょうか?そんなことはないと思います。「誰々の供養のため」だけでは足りないということでしょう。
元来、日本仏教の多くを占める大乗仏教では自利(自らの悟りを求める)のみでなく利他(他人を良い方向へと導く)を強調します。それ故、自己が行う善行を単に自己の功徳としただけでは真の功徳とは言えず、それを他の一切のものに振り向けることで初めて完全な功徳になると考えられてきました。大乗仏教の中でも特に浄土教では、念仏を初めすべての功徳を一切の衆生に振り向けて共に極楽浄土へ往生したいと願う心を「回向発願心」と呼び、大事にしています。この場合の回向には、功徳を一切衆生に振り向けて共に極楽浄土に往生しようという「往相回向」と、極楽浄土に往生した人がそこに留まることなく輪廻の世界に戻り一切衆生を浄土に向かわそうという「還相回向」の二種がありますが、往相・還相共に、自らの往生を願う、救いを願うだけではなく、回りのあらゆる生命に功徳を振り向けようという訳です。「自分自身のため」が「誰々への功徳」とつながる南無阿弥陀仏なのでしょう。
しかし昨今では、逆に、知人の「死」に直面して初めて「誰々への功徳」とつながる南無阿弥陀仏をお唱えしますが、その反面、その基本となる「自分自身のため」が忘れられがち。亡くなった生命は、お念仏によって、阿弥陀仏のお導きにより極楽浄土へ向います。固体という生命は終了したのかもしれませんが、物語られる人生としての生命は必ずや我々にその生命をもって何かを教え続けてくれているはずです。南無阿弥陀仏を称えることは、「その人への功徳」だけでなく、自分自身に生きていることの意義、ありとあらゆる生命に生かされていることを思い起こさせる自利の側面があることを認識すべきでありましょう。それこそ極楽浄土へ向った生命の還相回向に報いることであり、本当の意味での供養ではないでしょうか。
一昨年の東日本大震災では、突如として余りにも多くの尊い生命が犠牲となりました。全国の方々が、その悲しい出来事に胸を痛め手を合わせたことでありましょう。一つ一つの命どれをとっても無駄であった命はない。一つ一つの命にそれぞれの人生があったのです。手を合わせる中で、生かされている・生きることの有難さを学びたいと思います。復興はまだまだ始まったばかり。被災地のことを忘れない。亡くなった生命を忘れない。「忘れない」をテーマに、今年の四月二十七日から五月十九日まで、”東日本大震災復幸支縁“信州善光寺出開帳を回向院で開催します。集まった浄財の収益金全額を現地の基金を利用して、現地で頑張っている団体等に直接お送りしようと考えています。被災地からは、津波で流され、その後に瓦礫の中から見つかった陸前高田金剛寺如意輪観音も一緒に同時開帳します。「生きとし生けるすべてのものは、みな幸せであれ」(釈尊の言葉)。より多くの方々にお参り頂き、南無阿弥陀仏を申し、命を振り返る場にしたいと願っています。

■「唯我独尊」
4月7日は浄土宗祖法然上人のお誕生日。そして4月8日は仏教の開祖・お釈迦様の誕生を祝う「花まつり」です。お釈迦様は、今から2500年前、現在のインド・ネパール国境近くのルンビニーの花園で、出産のため実家に向かう途中の母親マヤ夫人の右の脇の下からお生まれになり、そのまま7歩歩いて、天と地を指差し、「天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)」とおっしゃいました。
荒唐無稽なおとぎ話のようですが、これには意味があります。「右の脇の下」というのはインドのカースト制度での身分を示し、「7歩歩いた」のは、6つの世界(六道=地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を輪廻(りんね)する迷いから解脱(げだつ)してさとりを開く人だということを表しています。
そして「唯我独尊」という言葉は、一般的に独善的な悪い意味で使われてしまいますが、本来、限りない過去から未来への時間の中でも、限りなく広い世界・宇宙の中においても、たった一つのかけがえのない命の尊さを訴えているのです。そしてお釈迦様は厳しい身分制度の社会にあって「人は《生まれ》によってではなく、《行い》によって貴くもなり賤しくもなる」と教えています。本質的な苦しみ、差別やあらゆる支配から解放され、天地宇宙の道理の中に本当の幸せを見出した人。つまりお釈迦様誕生の逸話は、仏教の原点として、人間の尊厳と平等、そして可能性を伝えています。今で言えばまさに「人権宣言」です。
これを「念仏」という生き方の形にされたのが法然上人です。どんなに愚かでも罪深くても、「南無阿弥陀仏」ととなえれば、阿弥陀如来がすべての人を分け隔てなく極楽へ救ってくださると説かれました。地方役人だった法然上人の父親は領地争いの敵に殺され、お釈迦様の父が王位にあったシャカ族も隣国に滅ぼされ、時代も国も違うとは言え、共に暴力の渦巻く戦乱の世に生涯を過ごされました。そのお二人の思想に大きな位置を占めるのは平和に対する思いです。法然上人は、「仇を討てばその恨みが際限なく繰り返されるだけだ。武士の子として仇討ちをするのではなく、すべての人が救われる生き方を求めてほしい」という父の遺言により出家をされ、浄土宗を開かれました。お釈迦様は「怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない」(法句経)と説きます。
平和という観点から考えると、「唯我独尊」は、何者にも不当に支配されない確固たる自分であることという意味で重要です。暴力に走るとき、戦争に駆り立てられるとき、私たちは欲望や怨みや無知に支配されています。その支配をはねのけ、深い慈悲と智慧をもって物事をありのままに正しく見て、正しく考え、本質を見極める冷静さが必要です。私たちの食べ物やエネルギーが、環境を破壊し、人権を抑圧し、戦争の原因をつくっている現実があります。それは私たちが経済優先の消費システムに支配されているからです。経済を大きくしてそれを分配しようという発想は、多少の人々の苦しみや自然破壊という犠牲を軽視します。その一つ一つの命の尊厳に目を向けてこなかった結果、自分自身で問題を考えることをしなかった結果、私たちは未曾有の不安の中に生きることになったのではないでしょうか。
生まれや国籍、性別、宗教、文化、障がいの有無などに関係なく、すべての人の命は尊いということは、1948年、国連の「世界人権宣言」によって、世界のルールになりました。お釈迦様や法然上人の時代から随分時間がかかりましたが、「唯我独尊」の願いが社会の中で前進してきたことに間違いはありません。阿弥陀如来の48の誓願が叶えられた、差別も貧困も暴力もない平安な世界に向かって、わずかずつでも近づいています。今月は、お釈迦様、そして法然上人のご誕生とご生涯を受け止め、私たち自らの一歩を大切に歩んで行きたいものです。

■「遇い難くして 遇う事を得た命を生きる」
私が自坊住職を拝命してから六年四ヶ月になります。住職であった祖父が亡くなってから十三年、既にその半分の時間を住職として過ごしてきたことを不思議な気持ちで受け止めております。祖父とのことで一つ思い出すのは、中学生時代、炎天下の都内を半日一緒に歩いたことです。当時は阪神淡路大震災の直後、社会科の自由課題のため「万が一徒歩で帰宅する時に備え、新宿区の学校から葛飾の自宅まで歩いてみる」というテーマを考えておりました。一昨年の大地震の際も「帰宅困難者」となられた方が大勢いましたが、自分自身そうなった場合を想定し、実際に歩いてみることをレポートの内容に決めたのでした。私は当初祖父を連れて行くことに反対でした。普段、本堂のしつらえをその時の気分で変えて祖母に注意されたり、会合の際、開始時刻は構わず、わざわざ自分の脚で一時間以上かけて歩いて行ったことを自慢にしたり……。祖父のそうした気ままでいい加減な部分を見ていたため、「一緒に行く方が安全」と言い張る両親に説得され、しぶしぶ提案を受け入れたのでした。二人で出発したその日、やはり予定通りにはいきませんでした。思い付きで行動する祖父、あらかじめ決めた道を選ぶ私とは対照的で、何遍も右往左往繰り返す羽目になりました。私自身地図の確認が下手で、出発時刻も十分早くしなかったという落ち度がありました。しかし中学生時分、「役に立つから」と、祖父に同行してもらうことをしきりに勧めた両親を恨む気持ちの方が勝っていました。結局まだ半分も進んでいない大塚駅近くで日が暮れてきてしまい、「アイスを食べよう」と祖父からカップのみぞれかき氷を渡されました。課題のため「最低限必要な水の量を知る」という目的で、それまでは水筒の水以外は口にしないで歩いていましたが、この時完全にギブアップ。しぶしぶ氷を受け取りながら、次の日に一人で歩き直すことを決意したのでした。本来一日だけで歩き終えるつもりでしたので、帰宅するや否や「祖父のせいでせっかくの夏休みが一日無駄になった」と不満を漏らしたのを覚えております。
この「東京散歩」の数年後、祖父は二月の寒い時期に風呂場で亡くなりました。そこが私の人生の一つのターニングポイントと申しましょうか、大学受験から帰ってきたら通夜式が始まっていたこと、入学と同時に養成講座に入ることが決まり、着付けも日常勤行もままならないまま黒谷様にてお世話になったことを思い出します。考える時間がないまま僧侶としての道が始まってしまった、ということを当時は思っておりました。ただ今になって思い返しますと、寺を継ぐため資格を取らなくてはと力んでいた二十歳前後の頃、私の心の支えとなっていたのは、いい加減で腹立たしく思っていた祖父から渡されたあの夏の日のアイスの味や、さらに遡っては、その祖父が「この子は良いお坊さんになるよ」と、私の幼少期にお檀家様に対して言ってくれた言葉だったことを感じます。
法然上人は「難値得遇」という御法語におきまして、「多生広劫を経て、生まれ難き人界に生まれて、無量劫を送りて遭い難き仏教に遇えり。(中略) 教法流布の世に遭う事を得たるは、これ悦びなり。」と説かれております。生まれ難いこの世に生を受け、お念仏の御教えに巡り会うことが出来たのは一つの奇跡であります。この法然上人のお言葉を拝読する度にお念仏の御教えに対するご縁の尊さを感じますが、同時に多くのおかげ様により今ここでお念仏をお称えする自分がいるのだということを改めて思います。祖父は私自身気付かぬうちに心の支えとなってくれていたと書きましたが、多くのご先祖様、ご指導くださる皆様がいて、何より安心して心をお預けできる阿弥陀様がいらっしゃるおかげで、未熟ながら自坊住職として日々過ごさせて頂いていることを思い起こすのでございます。「徒らに明かし暮らして止みなんこそ悲しけれ」、支えられ生きる命と受け止め、お念仏を生活、心の中心に据えて、心新たにその日その日を大切に過ごしていきたいと思います。 
 

 

■「共に生きよう」
「一人籠もり居て申されずば、同行と共行して申すべし。共行してもうされずば一人籠もり居て申すべし。」
6月に入り木々の緑も深くなり、梅雨の便りも聞こえる季節になってまいりました。東京には浄土宗寺院が400ヶ寺以上ありますが、私が住職をしている八王子市には58万人の人口に対して浄土宗の寺院は7ヶ寺しかありません。その八王子市を含めて、日野市、町田市、多摩市、武蔵村山市、青梅市、の地域には合計15ヶ寺の寺院しかありません。浄土宗の行政区画では「組」と呼ばれる最小の区画で、この所属する区画を「八王子組」と呼んでいます。お寺同士の交流や連絡は勿論あるのですがなにしろ面積が広く、私が住職をする寺から八王子の中心部である八王子駅までは車でも30分程かかります。また隣の町田市のお寺に行こうと思ったら1時間以上の時間がかかってしまいます。
浄土宗のお寺では年間を通して様々な法要がありますが、特に大きな法要(行事)に「施餓鬼会」(せがきえ)と言う行事があります。この法要は浄土宗のお寺でも7割以上のお寺で行われている法要ですので参加された方も多いかも知れません。通常お寺の法要は春・秋のお彼岸や夏のお盆など時期が決まっているものが多いのですが、お施餓鬼法要は本来一年中何時おこなってもよい法要です。実際に大阪にある「一心寺」さんでは「常施餓鬼」といって一年中施餓鬼法要を行っています。しかしながら東京近郊では春から夏にかけて行われる事が多い行事です。私の所属する「八王子組」のお寺でも「施餓鬼会」を行うのは5月から始まって6月7月8月と四か月にわたります。お寺も広い地域に散らばっていますし、駐車場の数も限られていますので比較的近くの御住職と車を乗り合わせてお互いのお寺にお手伝いに伺います。5月あたりはまだ気候が良く爽やかですがこれから梅雨があけて夏本番となってくると、法要が終わると汗がにじんできます、お盆やお施餓鬼のシーズンになって夏になって来たなと思う季節の行事です。
最近では通常の御法事の人数も少子高齢化のせいか参加人数が少なくなってきましたが、お寺の「施餓鬼会」は沢山の檀信徒の皆様がお参りになられます。お寺によっては本堂に人が入りきれないので外にテントをはって対応しているお寺もあります。日頃は自宅のお仏壇の前で1人きりで手を合わせてお念仏されている方々もこの日は大勢の人たちと一緒になって餓鬼に施しを与え、そうして一緒に手を合わせてお念仏をお称えします。
冒頭に書きましたのは法然上人の御言葉で「ひとりこもって称えることができなければ、仲間と共に称えなさい。〔仲間と〕共に称えることが出来なければ、ひとりこもってとなえなさい。」(現代語訳)という御言葉で「この世の過ごし方は、念仏を称えやすいようにしてすごすべき」(現代語訳)という御言葉のなかに出てくる一文です。これは念仏を申す人は、日頃から念仏を第一に考えて、念仏のしやすい環境で生活していきましょうということです。南無阿弥陀佛のお念仏は、誰か他人の為ではなく自分自身の為に阿弥陀様にお願いするお念仏です、ですから自分一人で称えればそれで充分ですが、やはり多くの方々と一緒にお称えできるのは自分一人ではないみんなと一緒に共に生きているのだと励みになります。年に一度でも自分と縁のある菩提寺で年齢も性別も立場もちがう人々と一緒にお念仏を称える機会が持てるのは本当に有り難い事です。特に浄土宗では「同称十念」といってご一緒に十遍のお念仏をお称えする御作法がございます。大勢の皆様と声を合わせてお念仏できる素晴らし御作法です。何も難しい事はなく皆さんと共にお念仏生活に生きる事はできるのです。
今年もあと3ヶ月間普段自分の寺の檀信徒と一緒にお念仏させていだいておりますが私も多摩地区のあちらこちらのお寺さんにお邪魔してそこの檀信徒の皆様と一緒にお念仏をお称えさせて頂きます。

■「声が、気持ちが、響き合う」
お互いの気持ちが通い合う…… ぜひ そうありたいと思いながら、なんと難しいことなのでしょう。近くにいるから、いつも一緒にいるから、気持ちは通じ合っているはず…… と思いながら、残念なことに そうでないことがあります。ましてや ふだん離れて暮らしている方、さらには、同じアジアの近隣にありながら国を異にしている方、また、遠く離れた国の方…… こうした方々と思いが通じ合うことは なかなか難しいことなのかもしれません。身近での出来事や また いろいろなニュース・報道などを見聞きするたびに そのようなことを感じている昨今、ご縁があって、エスコルタという男性3人ヴォーカルグループの歌を 間近で聴く機会をいただきました。それは「ひとつの空」という曲で、「NPO法人 アジア太平洋こども会議・イン福岡」等によって製作されている映画の主題歌にもなっています。 ……国、言葉、文化など、世界にある様々な“違い”。お互いに認めあえればなくなる違いでも、時として人の“思いやり”の心を奪っていきます。……地球の未来をつくる全ての子どもたちへ伝えたい、世界の架け橋となる“思いやり”の心 …… この映画の趣旨が このように紹介されていました。「ひとつの空」の曲を 間近で聴いた時、歌を 歌い手の目の前で 直接に聴かせていただける ということは素晴らしいことだなぁ と 改めて感じました。歌い手の想い、作詞家の考え……等々が、「歌」を通じて 直に伝わってきたからです。歌が 声が 私どもの体の中に 直接 響いてくる、そのような感動を味わうことができました。ことに 今回の歌は ご縁があって 私どものお寺の本堂内で歌っていただいたものですから、なおさら そのように感じられたのでしょう。歌を聴きながら、お念仏と同じだなぁ……ということも感じていました。法然上人がおっしゃった「南無阿弥陀仏」と声に出しておとなえするお念仏。このお念仏の声が 響き合い、法然上人のお気持ち、阿弥陀さまのお慈悲の思いが 私どもに直に伝わってくるのです。これは もちろんお一人でおとなえしても そのように感じられます。自分の口から出た声が 自分の耳から改めて私の体の中に入り、響き合います。また、私どもの体の中に 直接に響く声もあります。他の方とご一緒にお念仏をおとなえする時には、その思いが いっそう強くなります。お寺での法要の際などには、どうぞご一緒にお念仏をおとなえください。お互いに 声に出してお念仏をおとなえすることによって、心地よい響きの中に身をゆだね、法然上人のお気持ち、阿弥陀さまのお慈悲の思いを 同じく感じることができます。そのことが、お互いの気持ちが通い合うことにもつながっていくのではないか と思うのです。

■「手をあわせれば・・」
暑さ厳しい8月も終わり、秋の気配深まる9月に入りました。とはいえ、まだまだ暑さの残る9月でもあります。暑い夏はともかく、長い残暑は身体にこたえます。「暑さ寒さも彼岸まで」とよく申しますが、昨今の気候の変動で、お彼岸が季節の節目でなくなってゆくのを感じると、お寺で生まれ育った身としてはなんだか少し寂しい気がいたします。春と秋のお彼岸は、お寺の一年の中でも忙しい時期の一つです。このほかにお盆・お施餓鬼などの大きな行事がありますが、浄土宗寺院ならばこれに御忌やお十夜会が加わったりします。さらに、東京下町にある当山には木造の毘沙門天が祀られており、深川七福神のひとつとしてお正月はたいへんな賑わいとなります。深川七福神巡りは戦前から行われておりましたが、戦中戦後の中断を経て昭和45年正月に再開されました。同じく昭和45年に生まれた私にとって、お正月は七福神巡りのお手伝いが当たり前でした。当時はお参りもまばらで、朱印所でお手伝いをしているとお参りのおばあちゃんがおこづかいをくれたり、空いているときにはお茶を出して休んでいただいたり。とってものんびりしておりました。年を追うごとにお参りも増え、今では朱印所もてんてこ舞いの大忙し。昔のようなのどかな光景はもう見られません。現在の七福神信仰は室町時代後期から江戸時代はじめにおこった民間信仰が原点といわれております。毘沙門天や弁財天のような仏教の守護神、恵比須神のような神道の神さまや寿老神のような中国の神仙など、福を招く神仏が集まっているのですが、七福神というネーミングからか、すべて「神さま」だと思われている方も多いようです。そのせいでしょうか、毘沙門天にお参りする際に「二礼二拍手一礼」をされる方を最近よく見かけます。何がおかしいの?と思われた方は要注意。「二礼二拍手一礼」はあくまで神社をお参りするときのお作法、お寺をお参りする際には両手を合わせて合掌するのが基本です。かつて某仏具店のCMに「おててのしわとしわを合わせて、なむ〜。」というものがありましたが、まさにこれが仏教式です。
いうまでもなく、仏教の根幹はお釈迦さまの説かれた教義(おしえ)ですが、この「お作法」もとても大切にしています。宗派によって違いはありますが、僧侶を志すものはみな行を受けます。その中心は仏教の教義を学ぶことと法儀(お経の読み方や動きの作法)を身につけることです。いわば、学問と実践とでも申しましょうか。学問だけを進めても声に出してお経を読まなかったり、お経は上手に読めてもその意味を理解していないのでは不十分です。教義と法儀をともに身につけることで真に仏の弟子となり、初めて僧侶としてのスタートラインに立てるのです。これはなにも、僧侶を志す人に限ったことではありません。程度の差こそあれ、お釈迦さまのおしえを学び、お作法を身につけることは、どなたにもできることです。学問を究めるには多くの努力と時間が必要です。こちらはゆっくりと培ってゆくしかありません。しかしお作法、ことに浄土宗の一番基本的なお作法は非常にわかりやすく簡単です。胸の前で両手を合わせ、心静かに南無阿弥陀仏とお唱えするだけです。声に出してお念仏をとなえ、阿弥陀さまを見つめてください。きっと何か感じることがあると思います。最初はそれが何かわからないかもしれません。しかし、これを繰り返すことによってその感覚は大きくなってゆくでしょう。それは信じる心にほかなりません。小さくとも信じる心が生まれれば、きっと阿弥陀さまを身近に感じることができるでしょう。「おててのしわとしわを合わせて、なむあみだぶ〜」。まずはここからやってみてはいかがでしょうか?ただし、神社でやってはいけませんよ。

■「お念仏の功徳が積もる人生」
「いけらば念仏の功つもり、死なば浄土へ参りなん。とてもかくてもこの身には思いわずろうことぞなき、と思いぬれば死生ともにわずらいなし。」  私の大好きな法然上人の御法語です。私は住職四年目ですが、まだまだ未熟なゆえに日々の出来事に右往左往し、年がら年中「思いわずらうことばかり」です。でも、法然上人のこのおおらかなお言葉を思い出すと自然と元気がわいてきて、どんなことも楽天的に乗り切っていこう、という気持ちになります。ところで、「いけらば念仏の功つもり」とは、即ち「お念仏の功徳が積もる人生」とは、どういうことでしょうか?今回、「今月の法話」を担当させていただいたこの機会に、私自身の思うところをお話しさせていただきます。
今、テレビで、大手予備校講師の「いつやるか?今でしょ!」という言葉がブームになっております。今年の流行語大賞にノミネートされると思います。講師ご本人も人気者になり、連日いろいろな番組に引っ張りだこですね。私は住職になる前、高校教師をしておりまして、三年生の大学受験指導を毎年のように担当しておりましたので、同じような言葉を生徒たちに向かってよく口にしていたものでした。この言葉は、教師にとって生徒を叱咤激励する決まり文句のようなものです。「いつ勉強するか?今でしょ!」
さて、もし今、私が住職として、このフレーズを使って法話をするとしたら?私の頭の中には次の言葉が浮かんできます。「いつ幸せになるか?今でしょ!」 もちろん「今は不幸だけど、がんばっていつの日か必ず幸せになってみせる」という考え方・生き方もあると思います。しかし、もし今日、事故や急病で急逝してしまったら、その人は不幸のまま一生を終えてしまったことになりますね。
今がどんなに辛く苦しくても、その日常の中の一瞬一瞬にささやかな幸せを見出して、「今、この瞬間」を、出来る限り上機嫌で幸福感に満ちた心で生き続けることこそ、仏教の目指す生き方ではないか、と私は思うのです。「いつの日かやって来る幸福」よりも「今この瞬間のささやかな幸福感を、出来るだけ途切らせずに維持し続ける」ことこそ、人生のより良い過ごし方のように思えてなりません。法然上人は「一回の念仏でも往生は間違いないが、終生、絶えずお念仏を称え続けなさい」とおっしゃいました。私は学生時代、「一回の念仏で往生が確定したのに、なんで終生、称え続けなければならないのだろう。」という素朴な疑問を感じておりました。しかし、今の私には、その真意がよくわかります。
お念仏を称えること自体がこの上ない幸せであり、お念仏を称え続けること(念念相続)とは幸せの相続なのだと。
お念仏を称えるたびに、極楽往生を再確認することができ、称えれば称えるほど往生決定の幸福を噛み締めることができるのです。「死後のことは何も心配いらない」という安心感・幸福感を常に反芻し味わい続ける人生こそ、法然上人が私たち凡夫のためにお示しになられた「人生を幸福に生きる方法」ではないでしょうか。私はお念仏を称えるとき、自分で決めた一つの信条があります。それは
「どんなに気分が落ち込んでいても、お念仏を称える瞬間は上機嫌になろう」というルールです。感情をコントロールすることはとても難しいことですが、念仏を称えて気分をリセットする習慣がついてくると、普段の感情も少しずつ底上げされて、最近ではいつもおおむね上機嫌になっている気がいたします。私にとって絶えずお念仏を口ずさむ生活は、幸福感を維持し続ける生活になりつつあります。これが私にとっての「お念仏の功徳が積もる人生」です。
最後に、このフレーズで締めくくらせていただきます。「お念仏いつやるか?今でしょ!」

■「薄れる罪の意識〜インターネット犯罪〜」
電子機器の普及によってその副産物として新しい形の犯罪が生まれた。インターネットを悪用した行為は、すでに30年以上前から現れ社会的な問題になってきた。加賀乙彦「急伸するコンピュ―ター犯罪」(昭和56年11月13日『朝日新聞夕刊』)がこの風潮の危険なことを警告した。しかし、それがさらに複雑になり、年齢層が下がり子供にまで及ぶようになった。最近、「実感なく超す一線 電子万引き未成年も」(「日本経済新聞」2013年8月19日朝刊)という記事を読んだ。某大手書店が運営するサイトから3万6千冊、2170万円相当の電子書籍が不正にダウンロードされていた。電子万引きに当たる行為として、警視庁が今年6月に強制捜査に乗り出した。小学生をも含む未成年者が多く、去年1年間で検挙された未成年者は32人で、今年もすでに9人になるという。これは、「電子万引き、電子計算機使用詐欺罪に当たる行為だが、実際に手を触れるのはマウスやキーボードだけで、現実感がないまま一線を越えるケースが目に付く」と警視庁幹部ではいう。従来の犯罪は、犯罪者が自分の体で何かを行うのであって、そこでは努力の意識とともに罪の意識がともなう。ところ、ネット犯罪の特徴は、実行するのは機械であって、人間はそれを指先で操作するだけある。今迄の犯罪のように犯人が体をはって、不安にかられながら罪を犯す心の重圧は少ない。それで罪の意識も希薄になるのだ。この種の犯罪では人間臭さが薄い。人間の知能が造り出した機械に首座を奪われ、機械の中に人間性が埋没してしまい。一個の人格としての己の存在を忘れてしまう。
最新の機械文明は人間の生活において必要不可欠である。しかし、人間の生活を便利に快適にするために人間が造り出した機器に、人間の尊厳を奪われては、最新の機器を造りだした意味はない。人間が主役であることを忘れてはならない。人間としての自覚がなくなると罪を犯したという意識も希薄になる。仏教は、人を殺すこと、他人の物を盗むこと、人をだますことなど、他人を傷つけ不幸にする悪い行為ははやめるべきだと強く戒める。これを何千年にわたり繰り返し訓戒してきているが、世の中の悪い行為はなくならない。悪いと知りながら、悪いことをしてしまう。これは人間の弱さであり性(さが)である。この弱い人間性を深く見抜いて、自分が行った悪い行為を深く自覚し反省し悔い改めよ、と強く訓戒したのは中国で浄土信仰を大成した善導大師である。大師は、繰り返し、「人は己が積んできた罪業を懺悔せよ」と訓戒する。この自分が犯した罪の自覚と懺悔、これが浄土教の原点である。そして、心の底から湧き起こる懺悔の気持ちが反射的に阿弥陀仏に救いを求める念仏の声になるのである(念念称名常懺悔『般舟讃』)。罪の意識の希薄化は人間性の尊厳の消失である。この風潮がとめどもなく増殖するとどういう社会になるのだろうか、考えると不安である。政治・宗教・教育・家庭など色々な部門からこの誤った方向を抑止しなければならない。罪の意識の自覚を原点とする浄土教の立場から、この現代社会が直面する問題に真剣に対応する必要がある。 
 

 

■「学びにおそき時はなし」
皆様こんにちは。私は今、きのうまでの風雨がうそのように晴れた秋晴れのおだやかな日差しの中にいます。しかし、伊豆大島では、十月十六日の未明、季節外れの強い台風二六号がもたらした豪雨による甚大な土砂災害が起こり、大勢の方々が被災されました。伊豆大島の皆様に心からお見舞い申し上げます。さて、私たちは日々の暮らしのなかで、知らず知らずのうちに自然の影響を受けています。時には自然が私たちの大きな脅威となりますが、自然が私たちに恵みをもたらすこともたくさんあります。秋晴れの空を見上げて伸びをすると、とても気持ちが良いです。天高く、の秋の大空を見上げると、自分が小さく見えてきませんか。かたや、大雨や強風で屋根や窓が鳴りひびいているとき、人は何と小さく無力だと感じませんか。自分ではどうしようもないことの多い世の中に生きている私たちです。
法然上人をたたええる歌に次の言葉があります。
浄土の教えを開かれた 智恵第一のお坊様 法然様をたたえましょう
法然上人は長きにわたって勉学に励まれ、南無阿弥陀仏を私たちに残して下さりました。わからないことはあるのですよ、解決できないことはあるのですよ、心配いりませんよ、と、自然も人も理解し尽くされた法然上人が私たちにくださった、南無阿弥陀仏、です。皆様、南無阿弥陀について考えてみましょう。阿弥陀様に帰依します、と南無阿弥陀仏の名号をお唱えするとき、阿弥陀様はきっと私たちを見守って下さっていることでしょう。
ところで、私は京都にある佛教大学通信教育課程に入学して浄土宗の教えを学びました。浄土宗のお寺に生まれましたが、大学で生物学を研究していましたので、四十歳を前にして佛教大学の学生となりました。普段は自宅で勉強しますが、夏休みと冬休みのそれぞれに、スクーリングがあり、佛教大学に通って授業を受けました。若者からお年寄りまで、学生さんたちは熱心に先生のお話しを拝聴していましたが、学生さんの中には八十歳を超えた方もいらっしゃいました。いくつになっても、学び始めの最初の一歩を踏み出すことが大切だと思いました。
学びにおそき時はなし。これは浄土宗月訓カレンダーの10月の標語です。学ぼうと思うことに年齢制限はありません。いくつになっても学びたいと思うことは大切です。読書の秋、と申します。学びを始めてみませんか。

■「新年を迎える準備」
年の瀬が迫ってきましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。様々なことを振り返るころかと思います。寒さも日に日に増して空気は澄み、東京からも富士山がとても綺麗に見える季節です。町にはいたるところで木々や街並みがライトアップされ、クリスマスツリーを多くのところで目にします。クリスマスはイエス・キリストの誕生日ですが、12月25日その日、総本山知恩院では年一回の「お身拭い式」があります。「お身拭い」とはすす払い、知恩院の御影堂に祀られている法然上人のお像に一年間に溜まったすすやほこりを落としきれいにするという式です。最近、「12月13日は大掃除の日」との標語を見つけました。実際に日本記念日協会には、12月13日が「大掃除の日」として登録されています。これはその日が古くから「正月事始め」の日とされ、一年を締めくくり新年の準備を始める日であり、江戸時代に江戸城で「すす払いの日」として決められていたことにちなみます。大掃除は現在ではきれいにすることで「新年を気持ちよく迎える」という意味が多いですが、「すす払い」とは、もともと単に掃除をするという意味よりも、仏壇や神棚をきれいにし、仏さまに感謝をしたり年神さまをお迎えする準備をするために行われていた行事で、信仰の一種として始まったものです。
仏教では「一掃除、二勤行、三学問」といわれるほど、掃除を大切にします。これはお釈迦さまとその弟子パンタカとの説話からきているといわれています。お釈迦さまは物覚えの悪かったパンタカに次の言葉を唱えて掃除をするように言いました。「ちりを払い、あかを除かん」 パンタカは、来る日も来る日もこの言葉を唱え一生懸命掃除をしました。そしてついにこの言葉の意味を理解したのです。人の世の迷いがちりやあかで、それを掃きとることだと、つまりは心の迷いや煩悩を取り払うことがとても大切だということです。
皆さまは大掃除をするとどんな気持ちになるでしょうか。部屋やそこにあるものがきれいになると気持ちの良い気分になりますね。そして一年間使ったものに対して感謝の気持ちが芽生えてくるのではないでしょうか。さらに大掃除をすると普段気づかないことに気づいたりします。痛んだり壊れたりしている箇所を見つけたり、見つからなくなっていたものを発見したり、きれいになることで本来の形や色を再認識したりします。大掃除は、ただきれいにするというだけではなく、当たり前だと思っていることを改めて意識するきっかけになります。諸行無常で変化の激しい世の中にあって一年の締めくくりには、この一年間無事に過ごせたことに感謝する時としたいものです。皆さまのお宅で大掃除をされる際、是非ともお仏壇の掃除をなさってください。仏さまやご先祖の方々の位牌、またロウソクや線香を立てる灰を掃除することは非常に大切です。お仏壇はお宅の中心であり皆さまの心の拠り所です。きれいなお仏壇は仏さまやご先祖も嬉しいでしょうし、そこで唱えるお念仏は大変有り難いことです。大掃除をすることは、煩悩を取り除き、周りのものに感謝し、普段気が付かないことを再認識することに自然と繋がっていくものです。今この時のわたしたちがあるのは阿弥陀さまやご先祖の方々、周りの多くの方々のお陰です。新年を迎えるにあたって感謝をしながら迎えること、これほど素晴らしいことはないでしょう。

■「見守られる」
あけましておめでとうございます。
私には小学校に通う子供がおります。「菊山さんは僧侶をされておりますし・・・」との依頼から、その小学校のPTA役員を務めております。私が考えるに僧侶であるということは社会的に信用があるということもありましょうが、お願いされると断りづらいと思われているということかと思います。さて、先日そのPTAの関係で区内の教育委員Tさんとお話をする機会がありました。その方は弁護士をされていて、特に子どものいじめ、虐待、少年犯罪に力をいれておられ、「子どもの人権」については非常に強い信念をお持ちの方でした。興味深くお話を伺いますと、親が子どもに伝える必要がある事として、
1生きてきてよかったと感じてもらう事
2一人ぼっちの存在ではないと感じてもらう事
3自分の進む道は、最後は自分で決める
ことだというのです。これらのことを子どもにしっかり伝えることは言葉でいうほど簡単なものではないとは思いますが、多くの子ども達を、特に立場の弱い子どもを長年守られて来た方だけあって大変説得力のあるお言葉だと感じました。もし「一人ぼっちの存在」だと感じてしまったら、子どもでなく私たち大人であっても大変つらいことでしょう。
私はその時ふと亡くなった祖父母、そして阿弥陀様の事を思いました。それは毎日のお勤めで心を向け手を合わせお念仏を申す時に、「今日も見守られているな」と感じ、「一人ぼっちではない」と実感しているからです。私には父母や妻子がおりますので、それだけでも「一人ぼっち」ではありませんが、阿弥陀様や祖父母に見守られているという感じは、いつでもどこでもあるのでそれとはまた違った安心感があり、力をいただけている感じがしています。もっとも、少し怠けた生活をおくったりするとしかられている感じがすることもありますが、これも「見守られている」ということなのかもしれません。
みなさんにもご先祖様はもちろん、身内や知人で亡くなられた方がいらっしゃると思います。これらの方々は阿弥陀様と共に、私たちが良い行いをすれば喜び、悪い行いをすれば悲しみながら見守ってくれています。私たちが心を向けて南無阿弥陀仏と称えれば、それを聞いて思ってくれているのです。
先日NHKの連続ドラマ「ごちそうさん」の中で次のようなセリフがありました。「包丁というのは実はただの鉄の板なんですよ。研がなければ包丁になりません。そんな事を繰り返すうちにやっと自分の望む刃の角度が見えて来るのです。」
阿弥陀様や先亡の方々は、私たちに寄り添い、正しい方向へと導いてくれる砥石のようなはたらきも及ぼしてくれます。私たちはそのはたらきを力にし、お任せしながら一歩ずつ前に進んで行けばよいのではないでしょうか。
もちろん私たちは、何処まで行っても悟りを開くことはできない、煩悩から離れることができない存在(=凡夫(ぼんぶ))ですから、間違った方向に進むこともあります。そんな時も阿弥陀様、先亡の方々と向きあっていくことで少しずつでもその方向へ進んでいけるのです。
みなさんも日々の生活の中で、阿弥陀様、先亡の方々に心を寄せ、口に南無阿弥陀仏と称え、見守られていることを感じながら過ごしていっていただければと思います。今年一年みなさんのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

■「人の心を聴くということ」
南無阿弥陀仏 こんにちは。最近ある講習を受けまして、内容というと一般の人からいろんな相談を受けるための心構えや知識などなんですが、全10回の内すべてに「傾 聴」(けいちょう)という言葉が出て来ました。聞き慣れない言葉かもしれませんが、相談してくる相手の心に寄り添い、耳を傾けひたすらに相手の話しを聴くことなんですね。相手の話しをさえぎっちゃいけない。とにかく相談を受ける人はこの「傾聴」に徹するんだと。初めてこの言葉の意味を知った時は軽いショックを受けましたね。だってお坊さんはお説教や法話をしたりアドバイスをしたり、時には叱っちゃいますし。小僧の頃からとにかく一生懸命に話しまくることを教わってきたわけですから。とにかく「聴け」ですから、そんなおしゃべりなお坊さんにとっては苦行ですよ。しかしですね、そうした「傾聴」から大事な何かが導き出されることがあるんです。相談をしてきた人も自分が自分のことを一生懸命しゃべることによって、自分自身で答えを導き出すことが出来るんです。相談されるこちら側も相手のことがだんだんわかるようになるんです。これは大切なことですよね。おたがいの心が寄り添いあえるわけです。
仏さまのさまざまな教えを私たちに説いてくださったお釈迦さまも一方的なお説法ばかりでなく、相談してくる相手が自分自身で答えを出せるように導いたという説話がたくさんあります。私自身はお檀家さんや電話などで一般の人の相談を受けているわけですが、自分自身に疑問がわきました。「おい!私!君は家庭内でも傾聴してるか?」そうです、大切な足元を固めることが出来ていません!家族一人一人に傾聴が出来ていませんでした。反省です。でも「傾聴」する努力はしています。お坊さんに限らず、みなさんにもこの「傾聴」は出来ます。どうぞ、家庭の中から「傾聴」をして「心に寄り添って」みてください。出来たり出来なかったり、行ったり来たりすることがあるかもしれません。そんな時は、「こんな、いたらない私ですが、阿弥陀さまおたすけください。なむあみだぶつ」 いつも阿弥陀さまは私たちを「傾聴」してくれています。

■「春のお彼岸」
早くも3月になりました。2月は冬季オリンピックが開催され、日本人の活躍が報道され、いろいろな感動のドラマがありました。それから都心でも二度記録的な大雪が降りました。積もった雪はどうされましたか?お寺は雪が積もると大変です。寺の周りの道路や参道を歩いていて滑り大ケガをしないようにと家族総出で雪かきをします。そのような中、お檀家さんがお手伝いに来てくださり大変助かりました。この労働も寺への布施行だと思います。さて、3月は春のお彼岸がまいります。彼岸ということは、彼の岸、理想の世界、つまり極楽ということです。それに対して煩悩にまみれた心で感じている世界を、此の岸、娑婆、無常の世界と言います。日本独自の行事としてのお彼岸は、春分の日でもある中日の前後3日間の1週間です。今年は3月18日から24日にあたりますが、お彼岸は次の実践をし、極楽浄土へ生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間です。その実践とは難しい言葉ですが六波羅蜜(ろくはらみつ)と言います。
1 布施(ふせ)    ─ 物質的、精神的に施す。
2 持戒(じかい)   ─ 規律を守ること。
3 忍辱(にんにく)  ─ 耐え忍ぶこと。
4 精進(しょうじん)  ─ 努力すること。
5 禅定(ぜんじょう) ─ 落ちついて集中すること。
6 智慧(ちえ)     ─ 正しい判断をすること。
そんなこと出来ないと感じられる方もいらっしゃることでしょう。しかしお墓参りも六波羅蜜の実践でもあると言われています。花や水や線香や食べ物や燈明などを供えることから始めてみてください。
お彼岸の中日である春分の日は「自然をたたえ生物をいつくしむ日」と定めています。「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、春の彼岸になると気候が良くなり木の芽も出て花も咲き、気分も明るくなります。私の寺の境内では、福寿草が厳しい寒さに負けず、硬い土を割って顔を出し黄色い花を咲かせます。今年は雪に埋もれる期間が長かったので不安でしたが、無事に咲き始めてくれました。そしてまた、昨年5月の浄土宗主催『宮城・岩手慰霊法要の旅』に参加した際には、未だ復興されていない石巻市のお寺で見渡す限り倒壊したお墓の中、ほんの狭い空間に一輪の小さな野の花が赤く鮮やかな色をして咲いていました。津波などで亡くなられた方々の鎮魂の花だと思い、お念仏を唱えました。あらゆる自然の生命が若々しく萌えあがる春彼岸の時期、今日ある自分を育んでくれた数多くのご先祖さまに感謝の誠をささげ、そしてご先祖さまからいただいたかけがえのないこの命を悔いなく生きることを墓前に誓いましょう。その時、お墓参りだけではなく本堂にあがり、ご本尊さまにもお参りしお念仏を唱えることをおすすめいたします。 
 

 

■「蜘蛛の糸」は なぜ切れたのか
芥川龍之介の物語に「蜘蛛の糸」があります。これはポール・ケーラス著「カルマ」の日本語訳である鈴木大拙「因果の小車」を出典にしていることが知られています。有名なのでご存知と思いますが、あらすじを述べます。悪行の限りを尽くしたカンダタは、死後当然のように地獄に落ちた。極楽から見ていたお釈迦様はそれを哀れみ、カンダタが生前に一度だけ蜘蛛を助けたことを思い出し、血の池地獄で苦しむカンダタの目の前に蜘蛛の糸を垂らした。彼はその糸をたぐり寄せ、登っていった。さてどのくらい登ったのかと下を見ると、地獄の罪人たちが次々に糸を登って来るではないか。彼は、重さに耐えられず糸が切れると思い「この糸は俺の物だ。降りろ!」と怒鳴った。そのとたん、糸はカンダタの手元からぷっつりと切れ、全員地獄に堕ちていった。極楽にいるのは阿弥陀様であって、お釈迦様ではありません。与謝野晶子も、阿弥陀様である鎌倉の大仏を「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」と詠んでいますが、この時代の特徴かも知れません。私は「蜘蛛の糸」の仏様は阿弥陀様としてお話しします。
この物語のポイントを二つあげます。一つ目は、なぜ阿弥陀様はカンダタを救おうとしたのか。二つ目は、なぜ糸は切れたのか。ということです。一つ目の疑問ですが、カンダタのような大悪人ですら救おうとすることこそ、阿弥陀様ならではのお気持ちなのです。悪人だからこそ、救いの手をさしのばなければ救われないのです。小さな間違いや運命のいたずらが、悪への道を進ませてしまったのかも知れません。そういった運命の落とし穴に、運よく出会わなかった人が、善人でいられるのかも知れません。人は殺さなくても、言葉や態度で人を傷つけていないでしょうか。物は盗まなくても、ねたんだり不平不満を言ったりしていないでしょうか。人間の世界における善悪など、仏様の眼から見れば些細な違いに過ぎないかも知れません。いえ、殆ど全てが悪人だともいえるのです。
法然上人はご自身を「煩悩具足せる凡夫」とおっしゃいました。それに比べたら、私など、大悪人です。そんな私のようなものでも救ってくださるのが阿弥陀様なのです。
次に二番目の疑問です。なぜ糸は切れたのでしょうか。小説にはこう書かれています。「……自分ばかり地獄から抜け出そうとする、カンダタの無慈悲な心が、そうして心相当な罰を受けて……」 カンダタの自分勝手な心に相応しい罰として糸が切られたのだ、と芥川龍之介はいっていますし、一般的にはそう思われているようです。
「因果の小車」では、一人より大勢の方が困難は乗り越えやすい。(それが正道であり和合の精神である。)しかしカンダタは自分のことに執着してしまった。執着こそ地獄、正道こそ涅槃(極楽)だ、と説かれています。カンダタが無慈悲なことは、仏様なら百も承知のはずです。今さら罰を与えるのも変です。何といっても極細の蜘蛛の糸です。普通の人なら切れると思うのが当然です。
私は、蜘蛛の糸は、カンダタが「切れる」と思ったから切れたのだ、と思います。カンダタは仏様の存在やその教えを知らなかったから、糸が切れると疑ったのです。蜘蛛の糸といえども仏様の糸だから切れるはずがない、という信仰があれば切れなかったのです。下にいる多くの罪人にも執着しなくて済んだのです。
いや、むしろ一人の信心は蜘蛛の糸のように細いが、多くの人びとの信心が集まれば、それが正道となり、登りやすい道になったのです。まさかと思いますが、「阿弥陀様を信仰しなくても救ってもらえるんだ。」と安心しないでください。確かに救いの手は差しのべられるでしょう。蜘蛛の糸ではないでしょうが、せいぜい極楽まで続く梯子(はしご)かも知れません。それはきっと果てしなく遠い道のりでしょう。地獄に堕ちるのと同じくらい苦しい道のりかも知れません。しかし、信仰のあった人には阿弥陀様のお迎え(来迎)があります。一瞬にして極楽往生出来ます。死んでからそれに気付いても遅いですよ。

■「仏跡参拝インドの旅 ‐釈尊のうしろ姿を見た」
インドの仏跡を訪ねる旅に行ってまいりました。今年と二年前、東京教区豊島組の主催で、大正大学名誉教授の佐藤良純師に同行講師をお勤めいただき、釈尊の足跡をたどったのです。その中でも重要なのは釈尊「生誕の地ルンビニー」、「覚りをひらいたブッダガヤー」、「初めて教えを説いたサールナート」、そして「涅槃の地クシナガラ」の四大聖地です。
昔の巡礼者は聖地を訪ねて何百キロの道を歩きました。私たちはバスでまわったのですが、だからといって決して楽な旅ではありません。バスはでこぼこ道を爆走し、後部座席では人間がシートごとジャンプさせられます。そんな車窓からの風景には、釈尊在世とそんなに変わっていないように思える部分もあります。「せめて江戸時代の農具があったら能率があがるのに」と思ってしまうような作業の仕方や、土と煉瓦と植物だけで造られた住まいを見ていると、古代インドにタイムスリップしたかのようです。IT産業の最先端を行くインドのもう一つの顔です。
ルンビニーは、ネパール南部にあります。紀元前3世紀にアショーカ王が建てた石柱により、ここで釈尊が誕生したことがわかりました。母親のマヤ夫人の名前をつけた「マヤ堂」の中には、釈尊が生まれた場所であることを示す「マーカーストーン」があり、お参りすることができます。「ああ、まさにこの場所でお釈迦さまがお生まれになったのだ」と、想いは2500年の昔に飛んでゆきます。佐藤先生によれば、つい最近のマヤ堂内の発掘で木造の祠堂の部材が発見され、釈尊の時代が300年遡るかもしれないそうです。
ブッダガヤーは、修行をしつくした釈尊が菩提樹の下で瞑想をし、「すべては因と縁によって生じ、この世は移ろいゆくもの。それに目覚めることにより苦しみをなくせる」と覚り、安楽の境地になられた場所です。菩提樹の隣には高さ50メートルの大菩提寺がそびえ、仏教聖地で最も巡礼者が多い場所です。チベット、スリランカ、タイ、ビルマ、西欧人など世界各地からの仏教徒の姿がみられ、「同じ仏教徒の仲間がこんなにたくさん」と、つながっているんだなあという気持ちがわいてくるところです。
サールナートは、釈尊が初めて法(教え)を説いたところです。インドでもっとも有名な聖地ベナレス(バラナシともいう)の近くにあります。ダメーク・ストゥーパと呼ばれる巨大な仏塔のまわりを、五体投地しながらお参りするチベットからの巡礼者からは、信仰に対する真剣な姿勢が伝わってきます。考古博物館には初転法輪像などすばらしいお像が展示されています。
クシナガラは釈尊が涅槃に入られた地で、6メートルの涅槃像をまつった寺院が建てられており、各国からの参拝者がお像に袈裟のように布をかけて供養していました。釈尊を火葬したところには荼毘塔があり(私が手に持っているのがその写真です)、舎利つまりご遺骨は各地に分けられ、ストゥーパ(半球形の塔)が築かれました。私は、荼毘塔の土を一つまみ持って帰りました。いずれ供養塔を建てる時、納めたいと思っています。
仏跡を巡る旅は、仏教史跡を探訪する旅ではなく、「ダルマヤトラ」つまり釈尊の教えに近づくための巡礼の旅です。旅のさなか、釈尊がほんのしばらく前に滞在された地を訪ねたような、ひょっとすると釈尊のうしろ姿を見たのかもしれないような気持ちになりました。
インドには現在も残酷な差別や、価値観を根本から問われる事象があり、訪れた人は答えようのない問いかけを投げかけられます。そんな世界にあってこそ、心を清浄に保つ道を示して下さった釈尊の存在に、あらためて帰依の心が湧いてくるのでした。皆さまもご縁がありましたら「ダルマヤトラ」のご経験を持たれることをお勧めいたします。

■「医」は「慈悲」
稱讃寺の務台と申します。突然ですが私、うつ病になりました。昨年中頃より何となく体調が優れず日頃の不摂生が溜まっているのだろうと安易に考えておりました。今年の春彼岸を過ぎて児童養護施設の理事会に出席のため中央高速道を運転中、急に目まい、息苦しさ、体のひきつけをおこし命からがら調布インターで下り、近くのコンビニの駐車場で2時間ほど休息、何とか回復し帰宅、翌朝掛かり付けの診療所へ(普段は高血圧と痛風の薬を処方)。どうせ飲みすぎのせいだろうと、血液・尿検査の結果、内臓に異常なし。主治医の先生曰く「務台さん、うつ病ですよ」あれ!元来能天気な自分には対極の病のはず「そこに10項目書いてあります、どれが当てはまりますか」
*食欲がない *睡眠がとれない *疲れやすい 等々
「先生、性欲がない以外は全部です」「典型的なうつ病ですよ、車でいえばアクセル全開状態、手足が冷たいでしょ、体も心もパニックを起こしているんです。だから交感神経がわざと具合悪くさせてその状態を止めさせようとしているんです。ちゃんとオフの時間作って休んでくださいね」 そう言われれば坊主の宿命。365日24時間体制です。 「でも先生、今日これからお通夜なんです」「それじゃあだめだね」今は安定剤と睡眠薬で何とかしのいでいます。拙僧のつまらない話は終わりです。
ここからが本題。主治医のS先生、実は中々の御仁です。私は家内を48歳の時に癌で亡くし先日7回忌を終えました。S先生は妻の主治医でもあり防衛医大を卒業の後、地域医療に力を注がれています。妻の最期は自宅でと思っておりましたので先生に相談し日々往診して頂き、診察の最後に必ず脈を採ります。診療の一環と思っておりましたが、ある時、何気ない会話で「薬師如来の結印は天と繋がっていますからね。古いお寺の境内には必ず薬草が植えてありますしね。」 何だこの人は、「先生、何でそんな事知ってるんですか」と尋ねれば「奥様の脈を採っているのは“アーユルヴェーダ”なんです」アーユス(生命)・ヴェーダ(科学)の2つのサンスクリットの複合で生命の科学とよばれているそうです。
インドに5000年前から伝承されているヴェーダの一つで、近年インドをはじめとし各国で形骸化し、単に病気を治す、あるいは予防するという「医術」の側面だけになってしまい、本質である「智」を失っていると先生は嘆かれます。例えば人は無理をすると風邪をひく。医者は解熱剤や抗生物質を処方する。やがて回復に向かうが、それは薬が風邪を治しているのではなく人が本来もっている自然治癒力が癒している。私たちの生命そのものであり、それが「智」であると。
S先生の師匠は脈診だけで患者の何処がわるいのかピタリと解るそうです。この術がもっと広まれば高額な検査機器など必要なくなるとも仰います。家内の末期には相当に痛みを伴っていたはずですが先生の脈診でぐっすりと毎日眠りにつきました。臨終のときは実家の母、二人の妹、拙僧と発願文を称え送りました。
先生に看取りに来て頂き御礼を申し上げれば、「医者はこれで終わりじゃないんです。この後、残された御家族のケアーが大切なんです」と。その後、先生に『往生要集』を紹介させていただきました。診療所の今年の新年会で先生は職員たちに、患者さんと接するときは「愛とか正義じゃないですよ、慈悲なんですよ」と訓示されたそうです。坊主なのに頭が下がります。私の心の病がもう少し良くなったら、先生に続きをご教授願いたいと思っています。

■「まことには飲むべくもなけれども・・・」
今年もあっという間に半分が過ぎ、もう七月です。厳しい暑さが続き、冷たい発泡性を有する飲み物が欲しくなる季節ではないでしょうか? ところで、お酒のことを仏教の隠語で般若湯(はんにゃとう、般若は智慧のこと)と呼ぶことはよく知られていますが、誰がいつ言い出したかビールのことを麦般若(むぎはんにゃ)や泡般若(あわはんにゃ)ということがあるようです。なお、最近の若い女性の間ではお酒で泡と言ったらシャンパンかスパークリングワインのことを指すようです。
仏教徒が守るべき「五戒」と呼ばれる基本的戒律には、酒などの酔わせるものを飲むなかれという「不飲酒戒(ふおんじゅかい)」がありますが、殺すなかれという「不殺生戒(ふせっしょうかい)」、与えられないものを取るなかれという「不偸盗戒(ふちゅうとうかい)」、よこしまな性的関係を結ぶなかれという「不邪婬戒(ふじゃいんかい)」、うそをつくなかれという「不妄語戒(ふもうごかい)」の四つの戒が先にあり、その後にお酒で仏教者が平常心を失い昏迷に至ることのないように付加されたようです。つまり、不飲酒戒とは、身体と精神を健全に保つことを教えていると言えます。ちなみに密教経典の『大日経』では、五戒の最後にある不飲酒戒の代わりに、誤った見解を持つなかれという「不邪見戒(ふじゃけんかい)」を当てていることもあります。
禅宗のお寺の山門前に「不許葷酒入山門(ふこくんしゅにゅうさんもん)」などと刻まれている石柱を見ることがあります。「葷酒(くんしゅ)山門(さんもん)に入(い)るを許さず」と読みます。葷酒とは、味が辛くて臭気の強い野菜とお酒のことで、病気の時以外は仏教で禁じられている五辛(ごしん)とお酒を意味します。葷は広い意味では肉類も含むようです。五辛(五葷)とは、葱(ねぎ)、薤(らっきょう)、蒜(にんにく)、韮(にら)、薑(はじかみ、しょうが)の五種で、臭気で他人に迷惑をかけたり、精力を高める野菜を指し、酒と共に修行道場へ持ち込むことを制止しています。この「不許葷酒入山門」と記された戒壇石(禁牌石、葷酒牌)の読み方に関して次のような話があります。ある人が「葷酒山門に入るを許さず」と読むのは、漢文の読み方を知らない人で、「葷は許さず、酒は山門に入れ」と読まなければならないと言ったそうです。そうしたら別の人が言ったそうです。まだ甘い、「許さざれども、葷酒山門に入る」と。
浄土宗の宗祖である法然上人は、ある人からの「お酒を飲むのは罪になるか」という質問に対して「本来は飲むべきではありませんが、この世のならいです」とお答えになっています。続けて、「魚や鳥、動物の肉などを食べることはどうか」という質問に対しても「これも(お酒を飲むことと)同じです」とお答えになっておられます。別のご法語では、人々が来世のことについて、ある人は「魚を食べない者こそ往生できる」と言い、またある人は「魚を食べる者こそ往生できる」と言い合っているのを法然上人がお聞きになって、「魚を食べる者が往生するのであれば、鳥の鵜(う)こそが往生することになる。魚を食べない者が往生するのであれば、猿こそが往生することになる。魚を食べる、食べないに関係なく、ただお念仏をお称えする者が往生できると私は存じております」とおっしゃっています。
このことから、お酒を飲む、飲まないにかかわらず、阿弥陀様の極楽浄土に往生するには心から浄土を願ってお念仏をお称えする以外にはありません。しっかりとお念仏の功徳を積んで、お酒に飲まれないように気を付けながら、いつ消えるかも知れない泡のようにはかないこの世を過ごしていただきたいと思います。

■「嘘も方便?」
愚衲は昭和34年の生まれですが、子どもの頃にはまだ「嘘をついたらお閻魔さまに舌を抜かれる」とか「嘘は泥棒の始まり」と言われ、厳しく戒められていました。時は平成に至って、あるコンピュータを使った犯罪で犯人が平気で嘘を言う姿が取り上げられ、NHKが街頭インタビューを報道しました。「嘘をつくのは仕方が無い」「人を待っていて、その人が来たときに『私も今来たところなんだ』と答えるのも嘘」などと嘘を肯定する意見が多く取り上げられていました。このニュースを見て、「あれ、嘘って何だっけ?」と一瞬わからなくなってしまいました。人間はある程度嘘をつかなければ周囲との関係を良く保つことはできないのでしょうか。人を傷つけず、逆に思いやる言葉は嘘と言うのでしょうか。
改めて、日本語大辞典を引いてみました。「本当でないことを、相手が信じるように伝えることば。事実に反する事柄。正しくないこと」などの説明が並びます。しかし、この説明ですと、確かに人を待っているとき「ずいぶん待ったよ」と正直に答えるのと「いえ、ぜんぜん待ってないよ」と嘘を答えるのとどちらが良いのかわからなくなってしまいます。嘘は一概に悪いものではないと今の人たちが考えるのもうなずけます。
さて、それではお釈迦さまは嘘をどう捉えていたのでしょうか。仏教では、十悪という概念があります。人は心と体と口で十の悪いことを犯しているという言葉です。その内、口で犯している悪いことが嘘に相当することだと愚見しました。
口でする悪い行いは4つあります。「妄語(もうご)・綺語(きご)・悪口(あっく)・両舌(りょうぜつ)」です(以下『望月仏教大辞典』を参照)。
「妄語」とは、本当のことでないことを言うことで、見ていないことを見たと言い、見たことを見ていないと言い、聞いていないことを聞いたと言い、聞いたことを聞いていないと言い、知っていることを知らないと言い、知らないことを知っていると言い、自分のため、人のため、あるいは財産のためにこれらのことを言って、執着することを言います。
「綺語」とは、よこしまな心を持って正しくないことを言うことで、たとえ、本当のことであっても言うべき時でないときは綺語となり、益がない場合でも綺語となり、その言葉に本末がなく義理に欠けるときも綺語となります。また荒っぽい言葉、怒りを伴った言葉、正しくない考えに基づく言葉、聞くものよりも勝っていると過信して言う言葉なども綺語になります。
「悪口」とは、人を傷つけ、悩ませる言葉を言います。
「両舌」とは、2人の間に入って、それぞれに相手の陰口を言い、両者を仲違いさせ喧嘩させることを喜ぶことを言います。
たとえば、狼が来ていないのに狼が来たと言って村人を混乱させるのは「妄語」となり、人を褒めようと思って正しい言葉を考えたとしても、大勢の人のいる前で話してしまい逆に恥をかかせてしまうなど、不適切な時と場所では「綺語」になってしまいます。
あまり良い例が浮かびませんが、仏教では単に嘘という言葉でひとくくりには考えていないことがわかるでしょう。あるいは、嘘ということを仏教で考えるときは、上の4つの言葉を指すと考えるべきでしょう。そうするとやはり嘘をついてはいけないということがすっきり理解できると思います。
1度の人生やはり正直に、言葉を適切に使って明るく正しく仲よく過ごしていきたいものです。でも人間ですから「綺語」を発してしまうことはしょっちゅうです。そういうときこそ最善の言葉である「南無阿弥陀仏」を称えて、綺語を帳消しにしていただきつつ、人生を一歩一歩歩んでいきましょう。 
 

 

■「当たり前の有難さ」
今年も暑い夏でした。そんな8月6日、テレビで広島の平和記念式典を見ていました。式典では毎年、広島の小学生が「平和への誓い」を世界へ向けて発信しています。今年は「当たり前であることが、平和なのだと気がつきました」という一文がありました。そこで思い出したのが、東日本大震災後のテレビでの一コマでした。女子高校生が友人に送ったメールを紹介していました。詳細は不確かですが、この生徒は津波の被害に遭い、親族もしくは知人を津波で亡くしたと記憶しています。メールには「当たり前のことが当たり前じゃなかった」とありました。ここでいう「当たり前」とは「普通の日常生活」という意味です。普段私たちは朝起きてから夜寝るまでの家族とのふれあいや、学校や職場での人との交流を繰り返して生活しています。また、蛇口をひねれば水が出て、スイッチを入れれば電気が点く。この「当たり前の日常」が続くことに私たちは何の疑いも持ちません。今目の前にあるものは明日もある、今一緒にいる人には明日も会える、そう思っています。しかし諸行無常、万物は常に変化しとどまることがないというこの世では、明日と言わず1秒先も今と同じである保証はありません。たまたま同じ状態が保たれているように見える、ということです。それが理屈ではわかっていても、私たちはよほどのことが起きて初めて「当たり前」のありがたさに気付かされるのです。前述の女子高校生も、おそらく直前まで会っていた人を突然津波で失い、自分の生まれ育った町の変わり果てた光景を目の当たりにして、「当たり前」のことなどないのだと感じたのでしょう。もちろん震災だけでなく、例えば最愛の人を突然失うことも、「当たり前」が崩れてゆくのを実感する時だと思います。
私たちは家族や親戚、友人知人と関わりながら生きています。しかしご先祖の中で誰か一人が欠けても自分は存在しません。それは誰にでも当てはまることで、私たちが出会えたことは「当たり前」ではなく有難いご縁によるものなのです。「有難い」とはそもそも「存在することが難しい」ということです。それぞれの人が受け難い人間としての生を受け、さらに有難い他の人とのご縁をいただいているのです。
「生きていることは当たり前ではないということを、決して忘れないよう…」 「当たり前のことがどれほど幸せなことか…」
震災に遭われた方々が多くのメッセージを発信しています。実体験から出るメッセージが、その有難さを思い起こさせてくれたような気がします。ですから「当たり前」の日常を過ごす中で、時にはその一時一瞬を大切な有難いものと気付き、感じたいものです。
私は法事の時によく「今日、こうして皆さんがこの本堂にお集まりになれたのも、ご先祖からいただいたご縁のおかげですよ」とお話しています。間もなく秋のお彼岸です。ご先祖に感謝し、いただいたご縁に感謝し、ご家族と、ご友人と、どうぞ菩提寺へお参り下さい。

■「命の糧(かて)」
さわやかな季節を迎えました。天高く馬肥ゆる秋と申しますが、実りの秋、食欲の秋でもあります。栗、柿、きのこ、さつまいも、秋刀魚、ふっくらとつややかな新米のごはん。この時期ならではの味わいを楽しんでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。家庭の食事は、旬の食材を使って作ると、体に良く、財布にやさしい。私は、以前、放送制作の仕事をしていましたが、料理番組の講師の方々の多くが、よくおっしゃっていました。
お米といえば、子供の頃、父から聞いた話を思い出します。父自身も伝え聞いた話とのことですが、「昔、食べ物がなくて、体が弱って瀕死の方があると、わずかな米を入れた竹筒を、枕元でカラカラと鳴らして聞かせた時代があったそうだ」と言うのです。私は幼いながらに悲しくなり、「亡くなる前に人は、お腹いっぱい食べる夢を見たいのかも知れない。安心するのかな」と思ったことを覚えています。
後に調べると「振り米」と呼ばれることを知りました。粟やひえしか作れず米をなかなか食べられなかった地域や、飢饉で苦しんだ時代の慣習で、今も日本各地の山村などに言い伝えが残ります。「じいさん、米じゃ、米じゃ」と、耳元で振って聞かせたり、米が手に入らず隣村で米を借り、「これが米の音だよ。あの世では、米のご飯が食べられるように、この音を覚えておきな」と言い聞かせたりしたそうです。病気の治った人もあり、安らかな顔で旅立った人もあったと言います。江戸時代、お米は「ぼさつさま」とも呼ばれたそうです。古語辞典で「菩薩(ぼさつ)」と引くと、米の別名と出てきます。菩薩は広い意味で仏様のことですが、お米も菩薩様と同じように、人の命の糧となる尊いものだと思います。
さて、宗祖法然上人は、食事のことにふれて、次のようなお言葉を残されています。
「人の命は食事の時、むせて死する事もあるなり。南無阿弥陀仏と噛みて、南無阿弥陀仏と飲み入るべきなり。」   (人間の命というものは、食事中でも食べものが喉に詰まってむせて、死んでしまうことがあるものです。ですから、いつお迎えが来るか分からないから、南無阿弥陀仏と称えて噛み、南無阿弥陀仏と称えて飲み込むべきです)
一日に六万遍、七万遍のお念仏をお称えされたという法然上人が、食事時に、どのようなご様子でいらっしゃったのか、少し垣間見させていただいたように感じる方がいらっしゃるかも知れません。また、人はいつどんな時にお迎えが来るか分からない、だから後悔することがないように、普段の生活の中で怠ることなく、お念仏をお称えしよう、この瞬間、この瞬間に、命を打ち込もうという法然上人の生き方に思いを馳せる方もいらっしゃるのではないでしょうか。お念仏は、今この時を生きる、命の糧とも言えるかも知れません。
日に日に秋が深まります。季節の恵みに感謝をしながら、お念仏の生活を共にお送りいたしましょう。

■「誰に説いたのか」
11月という月は、私のお寺では、一年のうちで行事のない、数少ない月の一つです。お彼岸、お施餓鬼、お盆、お十夜と、毎月のように慌ただしく過ごしているお寺ですが、2月や6月、そして11月はそうした行事がなく、淡々と日々を過ごすことが出来ます。そうしたことからこうした月には、各種の研修会が多く開かれます。特に秋のこの季節は、読書の秋と言われるように研修の季節であり、多くの成人大学、カルチャースクールが開講されます。
先日実は私もひょんなことから墨田区で開催されていますカルチャースクールの講師を、一講座だけ頼まれまして行って参りました。「仏教に導かれて」と題する講座で、私はその第一回目、仏教の始まり釈尊についてのお話をさせていただきました。これをお読みの皆さんは、お坊さんならお釈迦様のお話なら誰だって出来るとお思いと思いますが、こうした成人大学に聴きに来てくれる人にお話しするとなると、なかなかこれが大変なことで、お釈迦様の勉強を一からし直すことになりました。なんと言っても、お釈迦様の勉強をしたのは、かれこれ四〇年も前のことです。
そこで今の学者さんの本を読み始めたわけですが、これが驚いてしまいました。いろいろな点で私が習ったことと違うのです。最初混乱してしまったのですが、今まで気づかなかったことがみえてきました。それは何かというと、今遺されている経典といわれるもの、これらが誰が誰に向かって語られたもの、あるいは書かれたものかということを意識して、理解しなければ解釈を間違えるということがあるということです。
たとえば、お釈迦様のお言葉を直接伝えているという経典がいくつか現存しておりますが、それらは皆、お弟子さんの中のエリートの人たちに向かって説かれたものです。そして三〇〇年、四〇〇年たってまとめられた経典の中に、お釈迦様が在家の人たちに向かって説かれたお話がたくさん出てきます。しかしさっきのエリートたちに説かれた三つの経典も、文字化したのは、やはりお釈迦様が亡くなって四〇〇年くらいたってのことなのです。ですからどちらが正しく、古いなどと言うことは言えなくなってしまうのです。要は誰に説かれたかということが大事だということです。
同じことが法然上人にも言えると思います。法然上人のお言葉は、ほとんどお坊さんに向かって説かれたお言葉が残っています。庶民の方にあれだけ多くのお話をされていると思いますのに、現在残っていないのは誠に残念です。当時の教育水準を思えば当然のことだと思いますが。ですから在家の方へのお話で遺っていますのは、貴族、皇族の方へのお話が主です。
私の大好きな言葉「一つの月が、たくさんの水の器に映っている。その器の浅い,深いを選ぶことなく」というお言葉も、極めてエリートのお坊さんに対する講義の中でのお言葉です。月は阿弥陀様の象徴で、器は私たち凡夫です。分け隔てない阿弥陀様の慈悲を理解するお言葉として本当に優れていると思います。これと同じような意味のお言葉が、「悪人の方が善人よりも阿弥陀様が救ってくれる」という、いわゆる『悪人正機』のお言葉も同様です。これは親鸞聖人のお言葉として有名ですが、元々は法然上人のお言葉です。確かに言う人を間違えれば、大変な誤解が生じてしまうのです。庶民にはあくまでも、精進努力を説きますが、お坊さんには確信をお話ししたのです。人によって言うことが違うことを、「二枚舌」などと言いますが、目の前の人を救おうという絶対的なお心があるときには、それが必要なときもあると言うこと、宗教と道徳の違い、そうしたことを改めて勉強しました。

■「あいさつ」
犬の散歩で通る中学校のフェンスに大きな字で「あいさつをしよう」と掲示してある。そこを通るたびに良い言葉だなと何気なく眺めながら通り過ぎていた。しかし、うがった見方をするとあいさつがなされてないのかなと思うようになった。
朝起きたら妻に向かって「おはよう」と声を掛ける。出かけるときに「行ってきます」帰ってきたら「ただいま」と声を掛ける。団塊の世代の小住の小学校の頃あるいは中学の頃は教室に入るときに大きな声で「おはよう」と言いながら入ったように記憶している。昨今では議会などで会議室にいるときも大きな声で「こんにちは、ご苦労様です」と声を掛ける。当たり前のことだと思ってることが今は廃れてきているのかも知れない。
確かに自坊の前の道を小学校に通う子供達に「おはようと」と声を掛けると、黙ってうつむく子、振り返って怪訝そうな顔をする子、小さな声で答える子、と様々であり、きちんとあいさつが出来る子供は少ないようである。そうであるからこそ、あれほどまでに大きな字で喚起する必要があるのだろう。
話は変わるが、自坊でも二年前に納骨堂を新設した。厳かな雰囲気ではなく、とても明るくして特製の納骨箱に移骨して永代のお預かりをしている。いわば綺麗な感じにしたのである。納骨堂の中には入らないで外からお参りする事にしていた。それでも希望があれば中に入ることも良しとした。お参りに来られた方が納骨箱に手を添えて、「〇〇ちゃんお参りにきたよ元気」と声を掛けている。つまりあいさつをしているのである。これは新鮮な発見であり、心温まる光景であった。
通夜の法話でも故人は極楽浄土から皆様を見守っておられますよ。でも皆様と別れて寂しい思いをされてますから日々声を掛けてあげてくださいね。と亡き人にも声を掛けることを勧めている。江戸仕草の中に「会釈のまなざし」というのがある。声を掛けなくても通りすがりの人にその仕草をすると、相手も笑みを返してくる。ある本によれば「あいさつ」は「人間関係を円満にする基本動作」とあり、あいさつという行為は、少なくとも敵意を持っていないことから始まって、好意を持っていること、尊敬の念を持っていることなどを相手に伝える動作であると書いてある。
もっともっとあいさつが気軽に交わせる社会になれば無味乾燥な人間関係も改善されるのでは無いだろうか。大人が率先してあいさつし合う世の中になりたいものである。

■「聴ききる」
檀信徒から訃報をいただく。日程などが決まった後に必ずお願いすることがある。「お戒名(法名)を付けるにあたり故人のお人柄をお聞きしたいので、お寺においでいただきたいのですが」 「おいでになれなければ最低A4一枚ファックスをいただければ、後は電話でお聞きします」
こうお話をすると7割方の人が弔問や葬儀の打合せで忙しいだろうに来寺下さる。例えばおじいちゃんが無くなると奥様や子供が来て話が始まる。私はノートにペンを走らせながら「ご主人はどこで生まれ育ったのですか?」 「お仕事は?」 「二人はどこで出会ったのですか?」 「お子さんは何人?」 「お孫さんは何人?」 「お名前は」と話を進めます。そして「お人柄は?」と切り出してゆきます。
最初から「お人柄を聞かせて下さい?」と始めると「厳しい」「自己中心的」「優しい」などと抽象的な言葉しか出てこない。先に答えやすい話題を持ってきてあげると話が広がりやすくなる。「家に帰っても仕事をしていた」 「部下から慕われていて」 「でも部下に言わせると仕事には厳しい人だった」と仕事一筋、厳しい人が具体的に見えてくる。そして家族にとってこの厳しい人が頼りがいのある、尊敬できる人となってゆく。この後、趣味や好きな言葉などざっくばらんにお聞きして約1時間で終了する。
話を終えた遺族は充実感を漂わせながら帰ってゆく。後姿を見送りながら疲れ切っている自分に気が付く。聞くことはエネルギーのいる仕事だ。しばらくしてノートを見ると色々な言葉が躍っている。そこに漢字を一つ一つ置いてゆく、漢字一文字にできない言葉もある、熟語で置いていく、他の言葉におきかえていく。この作業を経て戒名(法名)が決まるわけだが、読んでみて語呂の悪いものも、見た目のすっきりしないものも出来てしまう、しかし遺族に説明をしたときに納得できる戒名(法名)が一番であると私は思っている。
来年11月に五重相伝会を自坊にて開筵する。入行者1人1人にお願いすることがある。譽号、戒名を授けるための「面談」だ。一応30分と言ってあるが、30分で終わることはない。前回は平均75分であった。自分の人生というものは、他人の人生のように客観的には話せない。どうしても話が長くなる。そしてだいたい「あらやだ、どうして住職にこんなことまで話しちゃったんだろう」という言葉で終わる。この言葉が大切だと思う。
皆には言えないこと、お墓まで持っていこうとしていたお話まで聴ききる。聴ききれて得た信頼は揺るぎないものとして残るのではないだろうか。 
 

 

■「笑顔と共に」
皆さんは「笑顔」と聞いて、まず何を思い浮かべますか。挨拶を交わしたとき、楽しい時間を過ごしたとき、面白い話を聞いたとき、仲の良い友人と久々に再会を果たしたとき、「笑顔」はいろいろな場面で、自然とその場を和ませてくれます。では、その「笑顔」を受け取ったとき、あなたはどのような気持ちになるでしょうか。少し怖そうに見える人、普段は暗い感じの印象を受けていた人、そんな人でも、もし相手が「笑顔」で接してくれたとき、あなたの心も温かくなるのではないでしょうか。逆に、あなたが「笑顔」を届ける立場のときはどうでしょう。自分自身が少し落ちこんで悲しんでいるときや、暗くなって悩んでいるときでも、心を奮い立たせ「笑顔」を作ることによって、その気持ちは少しずつ晴れてゆき、相手に対しても健やかで清々しい気持ちになり、優しくなれる気がします。
私も三十歳が間近に迫り、同年代の従兄弟たちは、まさに子育ての世代のまっただ中です。このお正月、親戚中が皆「子連れ」で集まって新年会を開いたときのことです。3歳になったばかりの男の子は、初めは緊張してお母さんの後ろにずっと隠れておりました。しかし、時間が経つにつれ、5歳の男の子に「一緒に遊ぼう」と誘われると、それまでのおとなしさはどこへやら、満面の「笑顔」で走り回り、元気に遊び始めました。それを見ていた大人たちも、口では「もう少し静かに遊びなさい」などといいながら、どの顔も、自然と「笑顔」になっていました。子供が増えれば、「お年玉」など急な出費が増えてたりもしますが、この子供たちの「笑顔」をみていると、むしろそれを嬉しく思えるほどです。子供たちの「笑顔」、無邪気に今を楽しみ、今を生き、何一つ嘘の無い自然な「笑顔」には、周囲の人々の心を明るくさせる力があるのです。
発生から間もなく四年になる「東日本大震災」。いまだに日本全体が深い悲しみと、閉塞感の中に包まれています。また、度重なる自然災害など、暗く、悲しいニュースも後を絶ちません。私たちは「東日本大震災」が起きた直後から、浄土宗青年会の仲間たちと一緒に、被災地で、いわゆる「傾聴ボランティア」を続けてきました。被災された方々の、辛く、悲しいお話を伺う度に、人生経験の浅い自分たちには、何ができるのだろう、どうすることもできないのではないか、そんな思いが募るばかりでした。しかし、そんな中でも私たちが心がけていたのは、寄り添いながら、できるだけ「笑顔」でいよう、ということでした。同じ仮設住宅に何度も伺い、顔なじみになり、長い時間お話を聞かせていただくうちに、こちらが「笑顔」でいると、相手も自然と「笑顔」を見せてくださる瞬間が、少しずつですが出てくるようになりました。初めは少しだけの「笑顔」かもしれませんが、その「笑顔」が次の「笑顔」を生み、共に広げることができれば、それは子供たちの持っている「笑顔」と同じように、大きな力となり、前へ進む力へと変えて行けるのではないだろうか、最近そんなことを感じています。
さて、仏教には「布施行」の教えがあります。「布施」というと、どうしても「お金」を施すというイメージが強くなりがちですが、実は「布施」はそれだけではありません。金銭によらずに行える「布施行」の代表が、「無財の七施(むざいのしちせ)」といわれる「眼施」「和顔施」「言辞施」「心施」「身施」「床座施」「房舎施」の七つです。その二番目が、常に「笑顔」で接することで、相手に幸福を施すことができるという「和顔施」です。浄土宗をお開きになられた法然上人もまた、悩みをもった人々のお話を聞き、「南無阿弥陀仏」と声に出して称える、「お念仏」の教えを優しく説かれました。そのお顔はいつも穏やかで、「笑顔」であったことでしょう。
私たちの暮らす実際の社会では、思い通りには行かないことや、さまざまな悩み、苦しみ、悲しみが多いのが現実です。そして、子供の頃に比べれば、たしかに自然に「笑顔」になれる時間というのも、年齢を重ねるたびに減ってきてしまうのかもしれません。電車の窓や、街中のショーウィンドーなど、ふとした時に自分の顔を見ることがあるかと思います。その時、もし悲しい顔や、暗い顔をしている自分に出逢ったら、少しだけ口角をあげ「笑顔」をつくってみましょう。「形から入る」ことは大切です。きっとその瞬間から、「笑顔」と共に前向きに生きる力が生まれてくるでしょう。「笑顔」にはそんな力があるのです。

■「私たちをつなぐもの」
かみなりをまねて腹掛けよっとさせ
まだかみなりの季節ではありませんが、そんな古川柳があります。初めてこの句を知った若いころは、ただ字面を追って、まあそうだろうなあ、と思うだけでしたが、わたくしごとながら遅くに子に恵まれ、その子がこういう年頃に育ってきたとき、この句が不意に懐かしく思い起こされてきました。江戸の長屋か商家か、その昔の親子の情景・心情がありありと我がものとなり、大げさに言えば「古典を読む喜び」を味わうことができました。それほどの名句ではないでしょう。別に私が文学鑑賞に目覚めたのではなく、子供のとの時間・経験を通じて、私の心が変わったのです。これも大げさに言えば、子供のおかげで、私は別の人格になった、わけです。いや、それは言い過ぎですね。子供に親が成長させてもらった、少なくとも変化させられた、ということです。考えてみれば当たり前のことではあります。子供のおかげで分かったこと、発見したことはたくさんあります。とはいえ、普通には親が子を育てる、親の保護や影響のもとで、子供は人となる。だからこそ、皆さん、子供のことを考え、熱心に教育なさいます。その中でこの当たり前のことが、ややもすれば忘れられがちなのではないでしょうか。
小さく弱い、何も知らない子供が親に影響を与える。親と子は影響を与えあい、お互いの人格を作ってゆく。それはもちろん、親と子に限りません。上司と部下。先生と生徒。先輩と後輩。上下関係とは別に、お互いがお互いの原因となり、影響を与えあっています。友人・知人、ご夫婦ならなおさらです。目の前の親友に影響を与えた見知らぬ誰か。その人が親友を通して私に影響を与えてきます。さらに言えば、人間だけではない、生きとし生けるものが、だけではない、山や川が、あるいは人間の作ったいろいろな「もの」が、あるいは世の中の状況が、宇宙のあれこれが、身の回りにかかわってきて、私をかたち作っています。私自身もまた、誰かの、何かの原因となっています。私たちは互いに互いの原因となりあって、この世界を成り立たせているのです。
「すべては縁によって起こる、すべてのことには原因がある」
お釈迦様が見出したこの世の真理、「縁起」の教えです。もちろん原因は一つだけではありません。それほど単純なわけではないので、大きい原因、小さい原因、知っている原因、知らない原因、うれしい原因、うれしくない原因、取り除ける原因、取り除けない原因。いろいろなものの絡みあいです。さらには同じ原因でも、受け止め方によって結果が変わってきます。そのあたりを見据えて、現状にどういう対処してしてゆくか。それが生きてゆく上でのひとつひとつの知恵でもありましょう。また、「皆様を成り立たせている故人とのご縁、生き死にを隔てても変わることのないご縁をどうぞお大切に、皆様同士のご縁もあらためてお大切に」などとお話しすることもございます。
私たちすべてをつなげているもの。わたしたちすべてにつながっているもの。そこに私は、ほとけさまのお心、ほとけさまのお力を感じます。この世を貫く真実の中には、ほとけさまがいらっしゃるでしょうから。親バカな書き出しから始めて、どうやらここまでお話を進めてまいりました。親子の、夫婦の、それぞれの暮らしのあちこちにほとけはおわします。自然に手が合わさり、「なむあみだぶつ」が出てくる私でありたいものです。

■「教化から共感へ」
教化についての一文の依頼をお受け致しましたが、もとより器ではございません。そこで私が感じたなりの事を託してお役目にかえさせていただきます。當山は足立区の最北にあり、一帯は住宅地でお寺が十三ヶ寺あり「伊興寺町」として、土曜・日曜には散策の方でにぎわいます。たとえば、林家三平さんの常福寺、三遊亭円楽さんの易行院、塩原太郎の東陽寺、安藤広重の東岳寺、怪談牡丹灯籠の法受寺、ならびにこの土地は縄文時代の遺跡としても有名な古墳があり、大変貴重なところでもあります。なぜ、この土地がお寺の街かといえば歴史は浅く、浅草・築地・谷中にあった名刹が関東大震災で被災し、昭和の初めに移ってきたのです。そのような環境の中におかれた上に、世の中が戦争への道を歩む中で、当時の御住職は寺の維持・経営はもとより、教化においてはさぞご苦労されたことでしょう。いわば足立の地においての「都会の寺(端的にいえば檀家と寺との関係は強くても、檀家同士のつながりはいかがだったのでしょうか)が、足立区に越してきたわけです。
私が若い時、七月・八月ともなると、地方の寺々のお施餓鬼会のお手伝いに伺います。昼頃ともなると三々五々近郊近在から、普段着のままおみえになり、お寺の役員さん心づくしのお昼をにぎやかにめしあがり、ご本堂に座を移しても、お隣り同士が話に花が咲き、法要がはじまっても途切れることはありません。ご住職やご随喜のお寺さんが読経しているのに!! ご住職も、それを注意する様子もありません。あそこではお米の出来具合、ここでは嫁や孫のこと、そこでは昨日の酒の話等、まったくめちゃくちゃです。法要後、ご住職に聞いてみました。事のすべてを。ご住職いわく「お寺は村のコミュニケーションの場だから、それで良いのだ。私もお檀家さんも双方にわかっている。お寺が村の中心で心のよりどころとしているのだと。ですから、お寺から話題を出せば、檀家さんはすぐ理解し「共感」してくれます。」とのご返事でした。普段の教化はもとより「檀家と住職との共感」。私はハタとひざを打ちました。
「都会の寺」として、法受寺の「共感」とは何か。その初めはお線香つけでした。ご参詣の方にお線香に火がつく約二分間、お天気のこと、ご家族の健康のこと、お寺の近況等、それはそれはたわいのない話題ですが、これが私にとって「共感」のもととなりました。ピンポンとなれば、平日は5〜10回、日曜や彼岸ともなれば20〜30回、居間から玄関への往復です。「共感」への「行」となりました。このようにして約50年間、時の経過の中に、お檀家さまの喜びや悩み、子や孫の成長、あるいは祖父・祖母・父・母の思い出を次代に託す等の「たて糸」と寺の行事を通して育まれた寺友・墓友の「よこ糸」で「共感模様の布」(全檀家の家族・親戚の方々の顔と名前及びご様子等を熟知することにより、個人情報を前提にして、当意即妙に、心の相談等の対応)を織りつつあります。
法受寺の「共感」行事
○日々のおつとめ 午前6:30朝勤行(本堂)・午後6:00夕べの鐘(鐘楼堂) / ○ご詠歌とお経のつどい(第一水曜日)20名 / ○ヨーガ教室(第二火曜日)30名 / ○お写経会(第三土曜日)30〜40名 / ○法然上人遺跡めぐり(年一回、19年)25〜30名 / ○伊興寺町寄席(町おこし落語会・年二回、19年)100名 / ○つぼみ会(檀信徒懇親)(お花見・暑気払い・忘年会、15年)40名 / ○宿坊体験(年一回・増上寺・5年)10〜15名 / ○いきいき健康塾(お檀家・生活習慣病予防検診・葛飾検診センター担当、会場:本堂・境内)40〜50名 / ○24時間・こころの相談室(03-3899-1620) / ○更生保護施設研修(年一回、6年)20〜25名 / ○除夜の鐘・伊興七福神めぐり / ○知恩院・おてつぎ運動参加(年一回、3年)10〜15名
法受寺の「共感」行事
[全檀家へ送付]
○『浄土宗新聞』 / ○浄土一洗会『日めくり』 / ○知恩院おてつぎ『華頂』
「共感」への理念
○お寺は、「お寺屋」さんでありたい。 / ○住職は、「職人」でありたい / ○お寺は、「お・も・て・な・し」でありたい。 / ○お寺は、24時間、地域の「心のよりどころ」でありたい。 / ○お寺は、「開かれた・生きている場」でありたい。
そして、これらを理解してささえてくれるのは、寺族の「お・か・げ・さ・ま」に常に感謝しています。南無阿弥陀佛

■「心のゆとり」
毎年5月は、自坊でお施餓鬼の法要を行っています。お施餓鬼は餓鬼に施し先祖代々や有縁無縁の諸精霊を供養する法要で、その行いによって私達自身も善行を積むことが出来るのです。餓鬼が生きている餓鬼道という世界は、「いつも燃えるような渇きが癒えず、心にゆとりの無いとても大変な世界。」食べ物に苦労する事の少ない今の日本では、なかなか想像し難いかもしれません。しかし、いくら欲しくても手に入れる事ができない悩みは、少なからず皆さん経験があるのではないでしょうか。私達人間も普通に生活をしているつもりが、悩み・迷い・苦しみがあるとき突然やってきます。それは、お坊さんも例外ではありません。
法然上人も御法語の中で、「我がこの身は、戒行において一戒をも保たず、禅定において一つもこれを得ず。(中略)また凡夫の心は物に従いて移りやすし。(中略)まことに散乱して動じやすく、一心静まり難し(中略)悲しきかな、悲しきかな、いかがせん、いかがせん。」
比叡山にいる時に、たくさんお経の勉強をして智慧第一と言われるまでになっても、いつも心が落ち着かず「どうしたら良いのだろう、どうしたら良いのだろう」と悩みが尽きません。浄土宗のお坊さんはいつも、日常勤行式というお経をあげています。その中には私達が犯した罪を、仏様に懺悔するという内容の偈文があります。
〇懺悔偈(『華厳経』普賢菩薩行願品) 「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 從身語意之所生 一切我今皆懺悔」 ・・・ (私は昔から数えきれない正しくない事をしてきました。その原因は限りなく遠い過去からの「貪(むさぼり)」「瞋(いかり)」「癡(おろかさ)」によるもので、それらは、私の身体・言葉・意識によって生じたものです。今、すべて懺悔いたします。)
悩みがあると、それを「無くそう」「解決しよう」「打ち勝とう」して、一時解決したとしてもいつの間にかまた悩んでいたり、悩みを無くすのが悩みになったり。「ストレス」は溜る一方ですね・・・。懺悔偈の中では、いつも悩み迷う自分を「そういうものなのだ」「みんなと同じで当たり前なのだ」として見つめて受け入れていきます。
法然上人は、心の静まらない自分は「凡夫」であると。そんな「凡夫」である上人が救われたのは、「お念仏」に出会えたからです。
〇摂益文(『観無量寿経』) 「光明徧照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」 ・・・ (阿弥陀様の光明はあまねく全ての世界を照らし、いつも見守ってくれています。そして南無阿弥陀仏と心からとなえれば、阿弥陀様が必ず救って下さいます。)
悩みがあるとき、家族や友人、信頼する人に相談して話を聞いて寄り添ってもらえると、心が楽になります。あまり言い過ぎると逆にお説教されたり愛想を尽かされたりも時にはしますが・・・。
阿弥陀様は、いつでも私たちの気持ちを受け止めてくれます。お念仏をとなえれば聞いてくれています。阿弥陀様のお顔を拝めば見ていてくれています。心で念じればそれを分かってくれています。「南無阿弥陀仏」の呼びかけに、いつでもどこでも「分かっていますよ」と応えて下さっていて、何回でも呼びかけるたびに、私たちの心が阿弥陀様とより親しくなっていくのです。
お念仏は悩みがあるから唱えるだけではなく、何もない普通の時にこそとなえるべきです。病気が悪化してから治療するよりも、普段の生活で健康に努めれば、余計な病気にはかからないでしょう。ましてや餓鬼道のように、悩み心が荒れ狂う渦中で苦しんでいる時には、自分はその事に気付いていません。ですから餓鬼は「もっと欲しい、まだ足りない」という苦しみの中から抜け出すことが難しいのです。
日々の生活の中で、普段からお念仏をたくさんおとなえして阿弥陀様との絆を深くし「心のゆとり」を広げてゆけば大事に至らずに済みます。また、たとえ命尽きるときに苦しみの中にいたとしても、最期の瞬間には阿弥陀様のお力で悩み・迷い・苦しみ無く極楽浄土に往生することができるのです。 南無阿弥陀仏

■「人生の修行の旅」
人生の修行となる旅をしていきたいと思っております。善財童子という名前を聞いたことがある方もいらっしゃると思います。この善財童子のことは華厳経というお経の中に書かれておりますが、文殊菩薩のお勧めによって、南方を遊行しながら五十三人の色々な境遇にある知識を歴訪して、教えを受け、最後には普賢菩薩によって、菩薩の道を究められたということです。つまり、五十三人の善知識の中には菩薩といわれる人をはじめとして、比丘、比丘尼、賢者、国王、王妃、漁師、商人、船頭、長者、童子、童女、ほか・・・さらにはパスミトラーという遊女も含まれているというところに大きな意義があると思っております。これらの訪問した人たちには、それぞれの自分の人生観や体験などを中心に語ってもらっています。
旅をして、多くの人たちと接することを勧めてくださった文殊菩薩から、最後に教えをいただいた普賢菩薩まで五十五か所五十三人の人たちに教えをいただいたことになります。ちなみに北斎の絵で有名な東海道五十三次の由来は、ここからきているといわれています。
話しは変わりますが、他宗の布教師の先生の話しになります。四国八十八か所、千四百四十キロを命がけで行脚された遍路記が当山にあります。この中で巡礼とは、世の中にはこれほど自由で、これほど世間離れをし、これほど清らかで、これほど今をありがたく思える世界は他には無いと述べられています。そしてさらには、血液が浄化され体質も改善され、人生観も変わると、その功徳を披露されています。
今までの世界とは別に全く新しい清浄な法の世界が目の前に開けてくるのです。現代を忙しく生きる我々には巡礼などということは現実的ではありませんが、日常の生活とは違う場所で見知らぬ人たちと触れ合うことは大いに有意義であり、またそこから新しい発見、経験があり、そして学ぶことがあるはずです。
人と接し、そこから善知識を得て悟りを開くことは途方もないことですが、当たり前に呼吸している空気ですら、良く澄んだ綺麗な地の空気を呼吸することで、その恩恵に感謝することができるかもしれません。また、とれたて野菜に舌鼓を打ちながら、生産して下さる方々への感謝の気持ちが芽生えるかもしれません。人間は一人では生きてゆくことは出来ないのです。浄土宗では共生(ともいき)をスローガンに活動をしております。どうぞ皆さんもどちらかへお出かけの際は、色々なものに接し、あらゆることやものの恩恵に感謝し、いつも誰かに生かされていることを実感してください。そして人生の旅の先にある、西方極楽浄土に心を馳せてみてはいかがでしょうか。 
 

 

■「天下和順」
南無阿弥陀仏。東京のお盆は主に7月、ご先祖さま、亡き方々に思いを寄せる季節がやってきました。戦後70年周年という節目を迎えた本年は、改めて戦没者の方々に追悼のまことをささげるとともに、戦後の復興と世界が平和になるよう努力を続けてこられた先人たちに感謝の意を表明するための「第2次世界大戦終戦70周年戦没者追悼法要」が各地で行われています。私も、去る6月9日、原爆爆心地と長崎市平和会館とで行われた、長崎教区主催(浄土宗並びに総本山知恩院後援)「原爆犠牲者・戦没者70周年慰霊法要・長崎 〜念仏者による恒久平和を願う集い〜」に、地域のお仲間と参列し、800人になんなんとする参加者の、満堂に響き渡るお念仏の声に包まれながら、先の大戦への思いを新たにしてまいりました。
第2次世界大戦末期、昭和19年11月以降、東京は実に106回もの空襲を受けました。中でも昭和20年3月10日未明のいわゆる「東京大空襲」によって東京下町は灰燼に帰し、死者10万人以上、罹災者は100万人以上といわれています。私が住職を務める寺のある浅草地区では、過去帳に戦没者の法名・氏名のない寺は一ヶ寺としてなく、寺院もその多くが堂宇を焼かれ、檀信徒を始め、住職・寺族等多くの尊い命が失われました。私の両親は隅田川に掛かる厩橋の欄干のアーチの下に逃げ込み、かろうじて九死に一生を得たのですが、そこで見た「地獄絵図」が、その後の人生観を大きく変えた、とことあるごとに語っていました。
浄土宗では戦後60年を迎えた平成15年に、宗祖法然上人のご命日である、毎月25日を「世界平和念仏の日」と定め、65年目の平成20年には「浄土宗平和アピール」を宣言して、宗として恒久平和を願う姿勢を示してきました。
その拠り所となっているのは、『無量壽経』というお経に説かれている「祝聖文(しゅくしょうもん)」といわれる一節
天下和順(てんげわじゅん)日月清明(にちがっしょうみょう)
風雨以時(ふうういじ)災歯s起(さいれいふき)
国豊民安(こくぶみんなん)兵戈無用(ひょうがむゆう)
崇徳興仁(しゅとくこうにん)務修礼譲(むしゅらいじょう)
世界は平穏無事に、日や月の光は清らかに照らし、風雨はその時節に適し、災害・疫病は起こらず、国豊かで民はが安らかに暮らせるよう、武器は無用となるよう、善い行いを尊び、思いやりの心を起こし、礼儀を守り互いに譲り 合う心で務めましょう ・・・です。
昭和36年、法然上人の750年大遠忌に際し、日本全体が、正にゼロ、あるいはマイナスからの復興を余儀なくされるなか、昭和天皇から「祝聖文」を典拠として、「和順大師」の大師号が贈られたことを考えれば、当時の人々がいかにこの「祝聖文」の心を現実として願い、希求していたが理解できます。
奇しくも、第2次世界大戦の終戦から70年の今年、選挙権年齢を「20歳以上」から「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が可決、成立しました。全有権者の2%に当たる、240万人の若い人たちの意見が政治に反映される機会が巡ってきたのです。もはや、戦争を実体験として語れる方は少なくなってきました。お盆を迎え、老若を問わずですが、特に若い方々には、この「祝聖文」の心を肝に銘じて頂きたいと願わずにはいられません。

■「六道輪廻と極楽」
初期仏教では在家の仏教信者に対し、現世で善を積めば死後「天」に生まれ、悪をなせば「地獄」に落ちると説いていた。この「天」は梵天、帝釈天などのいる世界で、この考え方は当時すでにインドの民衆に深く根付いていたバラモン教の輪廻の死生観にならったものであった。仏教でも地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六道輪廻を説くが、この「天」も輪廻の一つであるから理想的な最終境地ではない。輪廻の循環から脱するのが仏教のめざす境地だからである。しかしながらインドの仏教徒には大乗仏教成立後も天に生まれること、つまり「生天」願望は根強かった。
当時の仏教信者の実情を収録した仏典『百縁経』には次のような話がある。
餓鬼となり地獄に行ってしまった男、優多羅が仏から、僧の集まりに布施すれば生天できると聞き、さっそく実行したところ、天上界(忉利天)に生まれることができた。それを仏に報告するために天から降りてきて、仏に再会し、再び天上界に還っていった。これは地獄→地上→天→地上→天という経過である。あるいは『天宮事(ヴィマーナヴァッツ)』には、生天して天女となることができた女性がその喜びを語る話が数多く認められる。たとえば、貞淑な妻が、母と子を世話し、真理に従い、虚偽を語らず、施与を率先して行ったため、天女となることができ、天の世界でもひときわ輝いていると披露する。
このほか『雑宝蔵経』にも、生天した女性(天女)と帝釈天との対話が次のようにみられる。
天女になったそなたは黄金が身体に溶け込んだようで、光り輝くさまは蓮の花のようだ。そうなるにはどのような福徳の行為をしたのか教えなさい。これに対して天女はいう、仏弟子であった迦葉の塔に供養をしたのです。そのため今、天上界に生まれることができ、有り難い功徳をえて金色に輝いているのです。帝釈天は天女に、こうしたすぐれた果報が得られたことを仏に感謝しなさい。という。さっそく天女は天上界から人間界に降りて、仏に会い、再び天上界に帰還した。
ところでここに挙げた話の中の「天」は、「天」といえども必ず輪廻する世界である。これに対し、輪廻しない理想郷である極楽浄土を説いたのが大乗仏教のひとつ、浄土教であった。大乗仏教は仏滅から約四百年後に成立したもので、浄土教は来世を輪廻しない、阿弥陀仏の住む極楽浄土だけと強調した。このことは浄土経典『無量寿経』に説かれている。同じく大乗仏教の経典である『法華経』や『華厳経』にも極楽浄土が説かれているが、従来通りのバラモン教でいう天(兜率天、三十三天)の世界や、『華厳経』独自の世界である「蓮華蔵世界」を同列に説く点で、浄土教の極楽浄土とは大きく異なる。
極楽浄土が輪廻しない世界であることは『無量寿経』の中で法蔵菩薩が誓った四十八願の第二願に示されている。
もしもかのわたくしの仏国土に生まれた生きとし生ける者のなかで、さらにそこから死んで、地獄、畜生、餓鬼、の境地に陥る者や阿修羅の仲間になるものがあったなら、そのあいだはわたくしはさとりを開くことはありません(梵本)。これは、極楽に生まれた者が再び六道輪廻の世界に生まれるようであれば、法蔵菩薩が阿弥陀仏にはならない、という誓いで、法蔵菩薩はすでに阿弥陀仏になっているので、この誓いどおりになったということになる。また七世紀の中国浄土教の大成者、善導大師も『法事讃』において極楽浄土が輪廻の世界でないことを次のように説いている。釈尊も諸仏も心を一つにして西方極楽の安楽を説き、人びとを等しく正しい法門に入るように願っている。正しい法門とはすなわち阿弥陀仏の世界である。浄土は究極の解脱の世界である、といい、また極楽は生滅変化しないさとりの世界である、ともいう。さらに次のように説く。
願わくば三塗(さんず)を閉じ、六道を絶ちて、無生浄土の門を開顕す。
これは、釈尊が地獄、餓鬼、畜生の世界を閉鎖し、六道輪廻を断ち切って、浄土の門を開くことを願った、という善導の見方である。このように、輪廻する六道の「天」の対極に成立したのが浄土教で説く極楽浄土である。

■「先人の誘いに導かれて」
師僧(父)が亡くなってから毎年、桜の時季に千鳥ヶ淵へ一人で行くようになりました。風がふっーと吹いて、花びらが裏・表・表・裏とひらひらと散っていく様子を観ましたら、綺麗だなあとの想いとその一方で無常を感じました。また、生と死は表裏一体なんだなということを改めて思いました。佛教では「諸行無常」という事を説きます。常に物事は移り変わる意味であります。私の中では、寂しい、悲しい教えだなと思います。しかし、それが真実であり真理であります。だからこそ、毎日をその時を一瞬に大切に生きなければいけないと痛感しています。
師僧(父)が亡くなり、今年で十七回忌になります。正直まだ心の中にぽっかり穴があいていて、悲しさ・寂しさ・虚しさを感じます。生前、父はよく檀信徒の皆様に「三宝」の話をしておられました。ご存じの通り、「三宝」とは佛・法・僧のことであり、佛は明るく、法は正しく、僧は仲良くということであり、佛教の旗印、いわゆるモットーでございます。その言葉は非常に優しいけれど、いざ実践・行動することはとても難しいことであります。また、祖父にはお念佛とは「毎日の生活のリズムを刻むこと」と教わりました。人は一日の中でも笑ったり、悲しんだり、嘆いたり、喜んだり、怒ったりと感情が変わります。お念佛をお称えすることにより、少しでも阿弥陀様の御心(本願)に順じて生活していきたいものです。そんな父や祖父の言動を想い出しつつ、その遺志・生き方の姿勢を汲んで継いで脈々とその法灯を絶やす事なく精進してまいりたいと改めて思います。
千利休に「稽古とは一より習ひ十を知り 十よりかへるもとのその一」という歌があります。稽古をするには、一から二、三、四と順を追って十まで進み、その次には再び初めの一にもどって、また改めて二、三、四、五と順に進むのであります。初めて一を習うときと十から元の一にもどって、再び一を習うときと、その習う人の心は、全く変わっているものであります。こうしたことを繰り返しているうちに、茶道の真意も、理解できるとの事であります。人生も生き方も同様に、十まで習ったから、これでもうよいと思った人の進歩は、それで止まってしまうのかもしれません。
話は変わりまして、正受院では二月八日に「針供養」という行事を行っており、針に感謝の意を込めて折れ針・古針を柔らかなお豆腐に刺します。針の労をねぎらい、お裁縫の技芸上達を祈願・祈念する行事であります。この行事を通して、すべての物事に報恩感謝の心を育み捧げて、毎日の生活をして頂ければ幸甚です。

■「宇宙の果て」
「宇宙の果て」と言った時、多くの方は想像もつかない遠くを思い浮かべるのではないでしょうか。では、その果ての反対側の果てはと言った時、反対側の虚空を見つめ、また途方もない遠くを思い浮かべる方もいらっしゃるのではないでしょうか。物理的空間としての宇宙の果てはそうかもしれませんが、認識という意味では、宇宙の果ての反対側の果ては、宇宙の果てを想像した認識主体である“わたし”自身です。この“わたし”はこれを書いている私と言うわけではなく、私にとっての“わたし”あなた自身があなた自身を指して言う「わたし」で、認識の主体側の事を言っています。
お釈迦さまは阿含経というお経の中で「一切とはなんですか」という問いに対して「一切とは6つの感覚器官とそれぞれその対象である。つまり、眼と眼に見えるもの、耳と耳に聞こえる音、鼻と鼻に感じる香り、舌と舌に感じる味、身体に感じられる感触、心とその心に描かれるものや記憶」と説かれています。みんなに聞こえているけれども“わたし”に聞こえていない音は一切に含まれず、“わたし”に見えているけれども、みんなには見えていないものは一切に含まれる事になります。
例えば、夢を見ている時、その夢は他の誰にも見えず聞こえず香りもせず味もなく感触もなく何も感じません。けれども、夢を見ている“わたし”にとっては、少なくとも実際に感じているもののはずです。長い間五感とその対象がリアルに感じられる夢を見続けたとして、それが夢だと気づくでしょうか。或いは“わたし”にとってそれが夢であるか現実であるかという事は問題でしょうか。また或いは、いま“わたし”が見聞きしている世界は夢かもしれません。“わたし”と“わたし”が感受する世界と言うものは、物理的な現象と影響し合ってはいても結局はそれらを感受し、認識し、或いは記憶を積み重ねて“わたし”に“わたし”によって投影されたものと言えます。
「善因楽果悪因苦果」「自業自得」という教えがあります。原因として善い行いをすればその結果として楽を感じ、悪い行いをすればその結果として苦を感じます。それらは、あくまでも自分の為した想い、行為、発した言葉が原因となり、その結果を自分が受けるという事です。但し、結果は原因によってすぐに顕れる場合もあれば、環境が整わず後にそれとわからない形で感じられる場合もあります。いずれにしても、原因の影響力は持ち続けます。今後、どのような世界を“わたし”に投影するかは“わたし”の想いとおこない次第です。
阿弥陀さまは、極楽に往きたいと願ってお念佛をとなえる人を必ず迎えるというお誓いを立てて、その誓いを成就して仏さまになられました。ですから、ひたすらにお念佛をとなえていれば、臨終のときに阿弥陀さまがお迎えに来てくださる事は、自然法則のように疑いのない事です。
“わたし”にとって大切なのは、極楽が物理的に有るか無いか等という議論ではなく、極楽を見るか見ないか、つまり五感に感じるか感じないか、先立った人たちに会えるか会えないか。今生きている世界が現実か夢かもわからない“わたし”は、お釈迦さまの教えを信じてお念佛をおとなえしたいと思います。

■「おかげさま」
俳聖松尾芭蕉は「秋深き隣は何をする人ぞ」と、秋の深まりゆく風情を詠んでいます。その一生は旅から旅への俳句に捧げた人生でした。日光街道を北に向かった「奥の細道」はあまりにも有名ですが、東へ西へと旅は続き、晩年には長崎に向けて江戸を出立しました。しかし、その途中大阪で病に倒れ、元禄七年十月十二日多勢の門人達に見送られ、不朽の名句「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と辞世の句を残し、五十一才の俳諧人生を閉じました。
実りの秋とは言うものの何かもの悲しい心地になるのが晩秋なのでしょう。
人生の晩秋と申せば死を思わずにはおられません。私達日本人は大切な人が亡くなった日を忌日や命日などと呼び大切にいたします。一年に一度その日が訪れると、祥月命日や、年忌、年回と申し、故人を偲び、供養を重ねます。
芭蕉の命日も翁忌、桃青忌、時雨忌と呼ばれ供養が営まれます。すなわちご法事が執り行われるわけです。法事とは亡き人を想う家族や知人、そして弟子たちによって営まれ、その人達の心の癒やしとなるもの、それが追善供養なのです。
供養とはインドに起こった仏教の教えで、三宝を敬い財物を供える事でした。三宝と言うのは、仏・法・僧を指し、釈尊を敬い、釈尊のみ教えを心の糧とし、僧伽(サンガ)に布施することなのです。
ここで、サンガについて説明いたしますと、サンガとは出家した修行僧の集団のことで、僧たちは一切の生産活動に携わらず、在家信者からの施しを受けて生きています。釈尊のみ教えを信じ規律正しい生活の中で、互いに切磋琢磨しながら心の闇、心の中に巣食う三毒(貪・瞋・痴)すなわち貪りの心、怒りの心、愚かな心を打ち払い聖者の道に近づこうと修行を続けます。
一方、在家信者は、聖者の道を志す修行者に供養をする事で、自分自身の功徳につながると考えていたのです。すなわちサンガに供養する事が自らの心を浄め、仏の道に近付く手段であると施食等に精を出していたのです。
日本に仏教が入って来る時、神道における先祖崇拝とからみ合い、ご先祖や霊に物を供養する事が盛んになってきました。又、釈尊やそのみ教え、そして修行者達への供養が、ご先祖や僧侶への供養と変わっていったのです。しかもその供養は物や金品だけの布施では足りず、生前に供養が十分でなかった先祖や、沢山の罪を作ってしまった縁者の代わりに、生きている私達が代って行を積み、善を追うことが追善供養と呼ばれるようになってきたのです。自分の積んだ善行を縁者に振り向けると言う感覚は現代では残念ながら失われつつあるのかもしれません。しかし、自分が今ここにあるのも、祖先や縁者が功徳を積んで下さったお陰であると言う考えが仏教にはあります。あらゆるいのちのつながり(ご縁)によって私達は生かされているのです。同様に、今私達が積む功徳は、仏様の有難いおはからいにより、大切な子孫や縁者に善い循環をもたらすかもしれません。
幸いな事に法然様は私達に、いつでもどこでも、誰でも出来る善行としてお念仏の実践をおすすめ下さっています。少しでも多くのお念仏を唱え、ご先祖や縁者に振り向ける追善供養の時をお過ごし下さい。
いけらば念仏の功つもり しなば浄土へまいりなん とてもかくても此の身には 思いわづらふ事ぞなき” 
 

 

■「ご詠歌(えいか)のはなし」
南無阿弥陀仏 大本山増上寺様では毎年4月初旬に御忌大会(ぎょきだいえ・法然上人の忌日法要) が執り行われます。その中で御忌詠唱(えいしょう)奉納大会も開かれ、わたくしの所属します江東組詠唱会も毎年参加奉納させていただいております。全国各地より多くの檀信徒様が集まり、奉納大会の為に日々一生懸命練習し、お唱えする姿は本当に美しく頭の下がるおもいでございます。もしお時間とれましたらぜひご見学ください。そもそもご詠歌、ご和讃(わさん)とは法然上人の御作やお経をわかりやすく説いて節(ふし)をつけて歌にしたものでございます。詩にメロディーがつくと俄然親しみやすくなります。お風呂でも歌えます。
浄土宗の宗歌は「月影のご詠歌」( 法然上人御作) と申します
つきかげの いたらぬさとはなけれども ながむるひとの こころにぞすむ
夜の月あかりは山にも里にもくまなく照らしています。それと同じように阿弥陀さまの慈悲の光は世界を照らし、お念仏する人々をすべてすくいとります、という意味です。インターネットで「月影のご詠歌」検索するとyoutube にでてきます。また私がお通夜でお唱えするご和讃が「光明摂取」和讃です。
1  人のこの世はながくして かわらぬ春とおもいしに  無常の風はへだてなく はかなき夢となりにけり
2  あつき涙のまごころを みたまの前にささげつつ  ありしあの日のおもいでに おもかげしのぶもかなしけれ
3  されど仏のみ光に 摂取されゆく身にあれば  おもいわずらうこともなく とこしえかけて安からん
南無阿弥陀仏 阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏
私自身はけっして歌はうまいとは思いませんがゆっくり丁寧に大きな声でお唱えさせていただいております。今さらながら、私のような者にご指導いただく先生に出会えたご縁に喜び感謝でございます。詠唱会の練習では一番最初に信条を皆様でお唱えして始まります。私たちはこの詠唱を通じ
一 あつく三宝を敬い、仏祖の恩徳に報います。
一 元祖法然上人の教えを体し、この道の興隆に励みます。
一 互いに助け合い、念仏をよろこびます。
一 自らのつとめにいそしみ、家庭の平和を念じます。
一 広く同信を募り、社会の浄化につとめます。
一日一日を大切に、生きとし生けるすべての人々が幸せでありますように、お念仏の生活を送りたいと思います。  南無阿弥陀仏 

■「大切な方との絆 いつまでも」
「ねぇ?ママ泣いているの?」 「ごめんね。続き読むね。」 下から覗き込む娘も涙目。ママはこぼれる涙を抑えながら絵本の続きを読む・・・『これからママのいうこと、おぼえていてほしい。』 ・・・2015年、日本中の家庭で泣きながら絵本を読むママたちが続出しました。
あけましておめでとうございます!2016年が始まりました。皆様にとって昨年はどのような年だったでしょうか。暗い話が続いた昨年ですから、年の初めのお正月は、歳神様をおもてなしして、1年間の家族の平穏無事を願いたいものです。
え?歳神様って?  お正月はその家のご先祖様である「歳神様」をお招きする行事です。旧年中見守り、導いてくれたご先祖様をお料理でおもてなしして、新たな一年の無事をお願いするのです。つまり、おせち料理は「奥様たちがお正月にゆっくりするための保存食」ではないんですね(笑)。よく「死んだらハイそれまでよ!」とか言いますが、決してそんなことはないんです! 私たちが、先立った大切な方を思って生きていくように、亡くなった方も、私たちのことを思い、導いてくれています。宗祖法然上人様が、ご詠歌に残されております。
うまれては まず思いでん ふるさとに 契りしともの ふかきまことを
「うまれては」とは、亡くなった後、阿弥陀様にお救いいただいて極楽浄土へ生まれ変わったならばということ。「ふるさと」はこの世。この世で約束を交わした方との絆を、極楽浄土に生まれ変わったら真っ先に思い出しますよ、と仰せです。ではどんな約束を交わしたのでしょうか?それは、お互い天寿を全うしたならば、必ず阿弥陀様にお救いいただき、極楽浄土に生まれ変わって、そこで再会しましょう!という約束です。阿弥陀様のみ教え、お念仏で結ばれた強い絆、それが「ふかきまこと」なのです。
来世を願うのは人として当たり前の事、お亡くなりになった方と絆が続くことを、誰もが願います。しかし来世において、この世の絆が続くことは非常に困難なことです。生活の中で様々な「宗教的な罪」を犯し続けている私たちは、来世に人として生まれ変わることすら保証はありません。しかし、阿弥陀様はそんな私たちだからこそ「救いたいんだ!」と、誰でも極楽浄土へと生まれ変わることのできる修行「お念仏」をお示しくださり、私たちを極楽浄土へとお救い下さるのです。そのおかげ様で、私たちは亡くなった方との絆を維持し、天寿を全うした後は、極楽浄土で大切な方と再会することが「確実」に叶うのです。
私たち日本人が「『あの世』『天国』で見守っていてね」と言う時の裏には、この大前提があるのですが、何百年も当たり前になってしまい、「なぜ」とか「どうやって」「どこで再会する」といった部分が伝わらなくなってしまっているようです。歳神様だって、確実に「あの世」(極楽浄土)へ行っているからこそ、ご先祖様となって見守り、導いてくださるんです。私たちは、お念仏を称えて阿弥陀様にお救いいただいて、初めて大切な方との絆を維持できることを忘れてはならないのです。
さて、冒頭にお話した絵本『ママがお化けになっちゃった!』をご存知ですか?10万部売れたらベストセラーの絵本業界で、昨年夏の時点で20万部。今はもっと売れているであろう話題作です。おっちょこちょいな主人公ママは事故にあって亡くなってしまいます。しかし4歳の息子かんたろうが気になって仕方ありません。ちゃんと1人で生きていけるのか・・・。そこでお化けとなってかんたろうの元へとやってきます。夜12時を過ぎると、かんたろうにもお化けのママは見えるようになり、様々なことを言い残します。そして最後に『これからママのいうこと、おぼえていてほしい。』と切り出します。いかにかんたろうのことを愛していたか。出会えたことがどれほどの幸せだったか・・・。かんたろうは泣きながら眠りにつきます。翌朝目覚めると、かんたろうはママに届くように声に出して言います。『ぼく、がんばってみる。ひとりでやれるよ。』
ママの後悔、残された息子への気がかりも、よくわかります。亡くなった方も、残された遺族も、お互いの事が気になって仕方がない。ましてや、「家族の絆が切れる」「忘れられてしまう」なんて考えられませんよね。だからこそ、お亡くなりになった方へは、「忘れてないよ」「いつも見守り導いてくれてありがとう」と思いを伝え、絆を育む機会が大切なのです。
お正月、春彼岸、お盆(お施餓鬼)、秋彼岸、そしてご命日。ぜひ絆を深め、思いを伝える日にしてください。そして、私たちは元気に生きている「今のうち」から、ずっと絆がつながっていられるように、阿弥陀様にお願いし、極楽浄土で再会するのだという認識を、家族で共有し約束しておく必要があるのです。そのためには「阿弥陀様どうかよろしくお願いします!」と思いを込めて「南無阿弥陀仏」と声に託してお称えする日暮らしを、家族みんなで大切にして参りましょう。そう、決意は声に出して。かんたろうのように!2016年が、皆様と大切な故人が共に生きる、良い年でありますように。 

■「四摂事(ししょうじ)」
菩薩が衆生の心をひきつけ、親しみを持たせ信頼させ、ついには仏道に引き入れるための四種の行為を四摂事と云うことはご承知の通りです。四摂法とも云いますが、人々を導くための四つの方法、逆にいえば、次の四つのことが備わっていれば人々を心服させ信頼さすことが出来る特色ある言動とも言えましょう。その四つとは、布施(見返りを求めない施し)・利行(りぎょう・相手の得になり利益になる行為)・愛語(真心のこもった温かい言葉)・同時(相手の身になり同じ立場になった行為)の四者です。この四事が全部揃っていなくても、一つでもあれば人々を引き付けられるともされています。世界的文化遺産であり国宝にもなっている法隆寺の玉虫厨子の左側面に、崖下に横たわる数頭の虎に向って、崖上から身を翻して真っ逆様に飛び降りようとしている人物が描かれていますが、この画は“究極の慈悲心”とされる『金光明経(こんこうみょうきょう)』の”捨身飼虎”の説話に基づくものであることはご承知のことと存じます。因みにこの人物は帝釈天の計らいで生き返り菩薩の位に昇華しますが、四摂事の布施や利行に適う行為の結果のものでしょう。
虎に因んで『愛育王経』に 「親虎に死なれ飢えに苦しむ子虎を見付けたある聖者が、哀れに思って寺に連れ帰り弟子の修行僧と全く同じ情を掛けて育ててやった。しかし、人間より寿命の短い虎のこと、やがて命を終えることになった。この時も聖者は人間の葬儀と同じように“諸法無我・涅槃寂静・・・”と経文を説いて聞かせ懇ろに葬ってやった。何年か経って、一人の若者がこの寺に現われ修行に励むことになった。この僧は他人のいやがる仕事も喜んで行うばかりか、寺を襲う悪獣を追い払ったり何かと寺のために尽した。こうしたことを不審に思った仲間の修行僧が聖者に問うたところ、聖者は『人間に生まれ変わったかつての虎である』と明かした」 という説話がありますが、この説話からも愛語など四摂事に適った行為のいくつかを指摘できましょう。
ところで、当院の近くにNクリニックという医院があります。私共家族の家庭医(?)のような町の医院ですが、その待合室のテレビに他の映像と交って、かつて福祉関係者の間で評判になった樋口了一さんの歌の詩『手紙ー親愛なる子供たちへー』の詩句が時折映し出されます。
「年老いた私がある日 今までの私と違っていたとしても 
どうかそのまま私のことを理解して欲しい。
私が服の上に食べ物をこぼしても 靴ヒモを結び忘れても 
あなたに色んなことを教えたように 見守って欲しい。
私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい。
あなたを抱きしめる力がないことを 知るのはつらいことだけど、
私を理解して支える心だけを持っていて欲しい。
きっとそれだけでそれだけで 私は勇気がわいてくるのです。
あなたの人生の始まりに、私がしっかり 
付き添ったように、私の人生の終わりに 少しだけ付き添ってほしい。(後略)」
四摂事の「同時とは、お年寄りの現状を自分の子供時代の姿とを重ね合わせて理解することだと思います。また、同時の立場に立つならば、自ずから他の三摂事もついてくる筈です。四摂事はそれぞれ切り離されたものではなく、関連して一体となった菩薩行ではないでしょうか。クリニックのN院長の医者としてのモットーが待合室のテレビ画像となって表明されているものと考えます。実際、先生は私共患者の訴えを丁寧に聞いて下さり、少々手強い病気だと思われると大学病院の専門医に気軽に紹介状を書いて下さいます。四摂事とは僧侶の専権行為ではなく、全ての人間に共有されるべきものでしょう。私も佛祖釈迦如来、宗祖法然上人の世寿八十歳を超えて何年か経ち、僧侶としての自覚もややもすると薄れがちですが、この拙文が少しでも視聴者の役に立つならば幸甚であるばかりか、「今月の法話」に書かせることで老衲に覚醒を促して下さった教化団の方々の勇気に感謝いたします。

■「お彼岸と敬いの心」
いよいよやわらかい春の日差しに花の便りも聞かれる3月、お彼岸の季節となりました。めまぐるしく気温が変化したあとの春の到来、自然のいとなみが今年はことさらに新鮮に感じられます。お彼岸のお中日は春分、秋分の日として国民の休日となっていますので、お彼岸には多くの人々がお寺参りをします。
お彼岸の行事は太陽が真東から昇り真西に沈む春分、秋分の日を中日として、前後3日ずつ合わせて1週間行われます。毎年のお彼岸には太陽の沈む真西の方向、すなわち極楽浄土に向かって多くの人が手を合わせ、お浄土の大切な家族やご先祖が幸せでありますようにと祈ってきました。また、彼岸とは私たちの住む俗世に対して悟りの世界のことですので、この期間は、悟りの世界に向けて精進する期間でもあるとされています。
彼岸会の伝統は日本独自のものですが、この世を去った大切な人達が来世でも幸福であって欲しいということは、形式や期間こそ異なれすべての仏教徒共通の祈りといえるでしょう。また、現世に於いては年長者を尊敬し大切にする伝統も過去においては仏教国の共通の伝統であったと思います。
私は浄土宗の先輩の皆様のお導きのお蔭で、20代から今日に至るまで世界仏教徒連盟に関係させていただき、また近年では国際仏教婦人会に参加し、いろいろな国の仏教徒の方たちと接してまいりました。そのご縁がきっかけとなって、現在では浅草蔵前にある私のお寺の学寮には、アジアや欧米からの若い学生や社会人が何人も住んでいます。その方達はお寺のお手伝いをしながら日本の文化や、仏教について学んでくれています。なかでもタイ人やマレーシア人などは、親戚か家族のようなお付き合いをさせていただいてきました。そんなご縁の中で私が学ばせていただいたことがあります。ある時、タイの結婚式に招待されたときのことでした。タイでは結婚式はたくさんの招待客が来る大きなイベントです。まず一部の選ばれた招待客はバスを連ねて新婦の家に招かれます。新婦の家ではその家の先代や先々代の家族の写真がずらりと並べられ、新郎新婦は招待客の前で、ご先祖様に結婚の報告をします。次に2人は親類の年長者たちに献茶をし、人生の先輩たちからお祝いやアドバイス、智慧の言葉をいただく儀式が行われます。タイでは王族が仏教徒ですのでほとんどの結婚式は仏式で行われます。夕方から披露宴が行われますが、ウェディングケーキに入刀すると、新郎新婦はお皿に乗せたケーキを持っておじいちゃまおばあちゃまや長老の席に行き、ケーキの一切れをお口にまで入れて差し上げるのです。そして若い2人は床に五体投地のような姿で尊敬と感謝の気持ちを伝えます。それは年長者を大切にする本当に美しい光景でした。日本人とは慣習が違いますが、先祖や年長者を大切にする心は仏教の国々に脈々と生きているのだと感じました。ふり返ってみると、日本人の私たちは日々の仕事に追われるあまり目上の方や先祖を敬う心を失いつつあるような気がしてなりません。
お彼岸はこうした心をとりもどす素晴らしい時間であり、日本人が誇りに思って良い風習だと思います。春のお彼岸、日頃の忙しい生活をひとときはなれておじいちゃま、おばあちゃま、ご兄弟、お孫さん達、ご家族皆様、お待ち合わせになってお寺参りをなさったらいかがでしょう。一緒にご先祖に手を合わせ、お念仏にのせて敬いの心を手向けたいものです。

■「人間らしい社会とは」
近頃とんとお目にかからなくなった人がいる。大法螺を吹く、大風呂敷を広げる類の人である。この類の人は良かれ悪しかれ愛嬌があり魅力があった。そして何より脇が甘く、懐が深い。元・内閣総理大臣・故田中角栄さんや日本映画の名作「男はつらいよ」シリーズの名優・故渥美清さん演ずる「寅さん」に代表されるヒーロー的な存在でもあった。
東海道新幹線の最短運転間隔が3分であるとか、朝の通勤時間帯のJR山手線の運転間隔が1分とか‐最新式のコンピュータによる制御のおかげで‐恐ろしい程の時間の数値である。1pの何十分の一かのスペースに何千本からのトランジスタの入ったIC回路により正確に作動する。今の世の中・あまりにも「正確」のとりこになり過ぎてしまった。法螺や大風呂敷は正確でないところにある種の魅力があり、共鳴すべきところがあり、また実現へのあこがれがあった。科学者からは、サンマのお焦げを食うとガンになると言われて驚かされる。目黒のサンマでガンになっても構わぬ。本望じゃ。科学分析がどんなに正確な細かい数字を並べてもそんなものなどくそくらえである。機械がはじき出したデータなどで人間さまの世の中が決められてたまるものか。
世の中・あまりにも数値やデータに頼りすぎている。データに振り回され・データがあれば何でも正しいと思ってござる。人間くさく、どろくさい。一見すき間だらけの世の中の方が余程温かく明るく楽しいかをご存じないか。もしデータが100%正しければ、先のサッカー日本女子チームは優勝できたはずである。本物とは何ぞや。それは「確からしさ」にあると思う。ハイゼンベルクの不確実性の原理である。らしさとはゆとりであり、心である。
規則や法律は最小限度が最も優れた文明国家という。あとは人間らしさで行く。これが本当の人間らしい心の通った社会ではあるまいか。草葉の陰で田中の角さんや寅さんは何と思っているであろうか。彼らのような御仁が登場する世の中は、果たしてまたやってくるであろうか。最近ふとそんな事を考えてしまうのだが・・・。 
 

 

■「専修念仏」
法然の仏教は専修念仏と呼ばれている。文字通り、念仏だけをひたすら修することを教えている。法然以前には、すでに念仏は流布していた。法然が発見したのは、念仏の背後にある阿弥陀仏の本願という救済の原理なのである。
昔、阿弥陀仏が仏となる前、法蔵比丘と申した修行者であった時、当時仏であった世自在王のもとで修行していた。法蔵は、自分が仏となった時、すべての仏国土よりすぐれた国土を建設したいと願い、四十八の誓願をおこし、もしこの誓いが実現しないのなら、自分は仏にならないと決意を述べた。長い修行の結果、仏となった。法蔵は仏となり阿弥陀仏と名のり、西方極楽浄土で、現に今説法しているという。この法蔵の誓いの一つに、もし衆生が、自分の国へ生まれたいと願って、自分の名を呼ぶ者がいれば、どのような人間であっても、自分の国へ迎えて仏としてやろうというのがある。これを本願念仏と申し、この誓いに基づく念仏のことなのである。
この物語を記している『無量寿経』には、わが名を呼ぶ者があればとは明記されていない。*名を呼ぶのではなく、”十念”という表現である。 『無量寿経』(巻上)第十八願 「もし我れ仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんぎょう)して、我が国に生ぜんと欲し、乃至十念せんに、若し生ぜずば、正覚を取らじ、唯五逆と誹謗正法は除く」
これを明記したのは中国の善導であった。*善導大師は「乃至十念」と「具足十念称南無阿弥陀仏」(『観無量寿経』第十六観)とを結び付けて解釈し、「十念」を南無阿弥陀仏と十回声に出してとなえることと解釈している。この善導に傾倒していた法然は、専修念仏の教えを開いたのである。*法然上人は「念声はこれ一つなり」(『選択本願念仏集』)として善導大師の説に基づき、「十念」を十声の念仏としている。法然が発見した本願念仏とは、阿弥陀仏の誓いを信じてする念仏のことであり、阿弥陀仏の名を称すれば、いかなる者でも浄土に生まれ、仏となることができると信ずる立場なのである。そこでは念仏以外の、一切の条件、一切の資格は不要であり、念仏以外の行を修めることは、阿弥陀仏の誓いに合致しないということで、かえって浄土往生の妨げの原因となることとし、否定されるにいたったのである。
『徒然草』の著者兼好は、法然浄土教を次のように記している。
「ある人、法然上人に、「念仏の時、睡りにおかされて行を怠り侍る事、いかゞしてこの障りを止め侍らん」と申しければ、「目の醒めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。また、「後生は一定を思へば一定、不定と思へば不定なり」と言はれけり。これも尊し。(第三九段)」
兼好は法然上人の言葉として、一つは、弟子が、念仏の最中に眠くなって念仏ができなくなってしまった時、どのようにしたらよいかと、たずねられると、法然は、目がさめている間に念仏すればよい、と答えたこと。もう一つは、念仏する人が、確かに生まれることができると信じているならば、まちがいなく生まれることができるし、もし確信が持てないのならば、生まれることはむつかしい、ということ。兼好はいずれに対しても、心から賛意を表わしている。前者のエピソードは、法然の念仏が、昔からの苦行主義とまったく異なる世界のものであることを示しており、後者は、信がいかに重要であるかを示している。
法然が、眠たいときは無理に念仏することはなく、目が醒めてからすればよいではないかと、簡単にいってのけている。本願念仏を信じる立場に立っているからこそ、可能な発言である。本願念仏においては、念仏することだけがすべてであり、苦行することが救済の条件とはなっていない。阿弥陀仏の誓いに従うことにはなっていない。

■「浄土門」
昨年4月に東京教区布教師会は、増上寺において80歳の御高齢になられた石丸晶子さまをゲストとしてお招きし、「カトリッ教会の法然上人」という題にての講演があった事を『師子吼』第7号(浄土宗東京教区布教師会報)を拝読し知りました。石丸さまは、キリスト教会の聖人のお話をする機会があり浄土宗の懷が深いことに感心され、この深さは、法然上人の大きさ、深さだと述べられていました。
法然上人が念仏を広められる以前の仏教は悟りを得るためには、厳しい修行を積むしかないという教えであり、極めて限られた人にしか実践できないと言う「聖道門」仏教であり、これに対して、法然上人の「浄土門」仏教は、つまり立派な人々を対象したのと異なり一般の人々つまり、苦行したり、学問を積んだり、戒律を守ったりという事ではなく、「南無阿弥陀仏」とただ称えれば誰でも等しく極楽浄土へ往生出来るものである。私ども宗門に身を置く者としてはよく知っていると自覚していたつもりが、石丸さまの講演で再び学んだのでありました。
石丸さまは、日本の仏教は、法然上人により180度変わりました。それは今から800年前の仏教改革者でありました。そして、今から僅か50年前に、法然上人の聖道門仏教から浄土門仏教へ改まった事がカトリック教会でも起こったことを語られました。
それは1873年フランスにテレーズ・マルタンという聖者が現れた事。彼女は15歳で聖道門カトリック中、戒律がきびしかったカルメル会と言う修道会に入り24歳の若さで亡くなったそうです。修道院活動中に書かれた「神様が小さい花に下さった思い出の記」の書物を修道女になってからの内面生活・精神活動を執筆されました。その記が没後に刷られ瞬く間に信者に評判となり、ついに世界中に広がり読み継がれ、信仰思想から彼女の教えは1963年にカトリック教会での第一バチカン公会議により、カトリックの高位聖職者を動かし、聖道門から浄土門へとがらりと変わったお話をされました。この講話で世界で最初に宗教改革をされた法然上人の偉大さを痛感した次第であります。
それでは法然上人のお説きになる「浄土門」とは何んでしょうかと改めて考え直しました。法然上人は修行中に善導大師の観経䟽の経文の「一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥に時節の久近を問わず、念々に捨てざるもの、これを正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」からヒントを得られ「南無阿弥陀仏」さえ称えれば、誰でも往生できると確信されました。それまでの仏教は、私たち自身が仏を選んで、自ら勉学に励んで智慧を極める方法(聖道門)であったのに対し、仏の方から私たち衆生に向かって示される方法(浄土門)へと言う考えを800年前にお説きになられました。専修念仏を主張され、阿弥陀仏を念ずれば仏の方から衆生を救って頂ける方法に改革されたのでした。「浄土門」とは、価値観をこの世の向こう側にある御浄土の世界に置かれ、この世をお念仏を申し上げる往生する為の準備期間とされたのでした。この世ではお念仏をし、極楽にひとまず往生して、次には環境を変えて仏になるための修行をしようと言う発想を考案されたのでした。
石丸さまの講演内容を知った頃、イタリアの知人よりヴァチカン王国でフランシスコ法皇のミサと法話が平成28年4月29日(土)開催される招待状を頂き、7万キロ離れたイタリー国へ行き出席しました。広場は世界中から集まったカトリック信者が6万人も集まり前方の席にて拝聴して参りました。法話はイタリア語でなされ約10分間のスピーチでした。内容は「神は富める人も貧しい人も平等にて慈愛の心でお助け下さる」という内容でした。法皇の心の中に浄土教の思いがあるのかと思うと感激した次第であります。世界で12億7千万人の信者がいるとされるカトリック教の熱心な参列者と法皇の約40分のパレードは目を見張るものがありました。訪伊したのも熱心なカトリック教会の信者、石丸晶子さまの増上寺での講演のお陰さまでした。

■「信仰と念仏」
讃題 『元祖大師御法語』 「信をば一念に生まると信じ、行をば一形に励むべし。」
浄土宗の宗祖・法然上人の御法語に「信をば一念に生まると信じ、行をば一形に励むべし。」(『元祖大師御法語』前編15)という御言葉がございます。この御言葉を簡単に現代語に訳しますと「たった一遍のお念仏であっても極楽浄土に往生するのだと疑わず、お念仏の勤め方は、生涯を通じて常に忘れずに唱えなければなりません。」という意味です。
極楽に行くのは「南無阿弥陀仏」と一遍唱えただけで極楽に往生出来る、と説くのに、何故、生涯に渡ってお念仏をお唱えしなければならないのでしょうか。その理由は、わずか一念や十念であっても往生できるからと言ってお念仏をぞんざいな気持ちで唱えれば、信心が修行を妨げることになります。逆に「生涯を通じて常に忘れずに唱えなければなりません」と述べられているからと言って、一念では往生できるかどうか分からないと思ってしまったら、それは修行が信心を妨げることになります。ですから「信心としては一念で往生できると信じ、修行としては一生涯励むべきである」とこの御法語は言っているのです。
この御法語で一番重要なのが、信心つまり信仰と修行は表裏一体である、ということです。信仰がないと修行をやっていても無意味であるし、修行をしなければ信仰も結果も伴わないということです。このことは、1209年に越後の国(現在の新潟県)にいる光明房というお弟子さんに宛てた御手紙にも書いてあります。その内容は、仏法(仏様のみ教え)は修行なくして証は得られないという内容で「どんな教えであろうとも、成果を求めようとするならば、その実践の修行というものがなくてはならない。修行なくしてその報いや結果を得ることはありえない。だから念仏という行を起こして往生という結果を得るようにしなさい」(『勅修御伝』二九)というお手紙であります。
一言で簡単に言うと「経験した者にしかその経験は身に付かない」ということになるでしょう。信仰を身に付けたいならば実践するしかないということです。実践するには、皆さん納得してからだと思いますので、まず、何故このような修行をするのかということを知っていただく。そうすれば、その修行の意味を知って、阿弥陀様の慈悲に触れ、自らを省みることができ、お念仏をやってみようというきっかけとなるのです。そこから僅かながらでも実践が始まり、信仰が少しずつ生まれ、信仰が高まればお念仏も増えていくのです。そうは言っても、まだまだ腑に落ちないことは尽きませんし、一朝一夕で身に付くようなものでは有りません。また、信仰心がないことに悩んでいる方もおられるでしょう。真の信仰というのは、人の意見に左右されるような中途半端なものではなく、行を理解し、行を重ねていくうちに深まり、他人を傷つけず、自らを律し、自分自身を導くものです。ですから、ぜひ、信仰を深めるために、お念仏の意味を理解し、お唱えください。
阿弥陀様は、現在も西方極楽浄土におられ、衆生が心から信じて極楽に往生したいと願い、「南無阿弥陀仏」と名前を呼ぶのを待っておられます。名前を呼んだものは、必ず阿弥陀様が臨終の時に現れ、救いとって極楽に往生させて頂けるのです。それが、阿弥陀様の救いの慈悲であり、願いであるのです。「たった一遍のお念仏であっても極楽浄土に往生するのだと疑わず、お念仏の勤め方は、生涯を通じて常に忘れずに唱えなければなりません。」この御言葉を忘れずに日々、お念仏をお勤め下さい。 南無阿弥陀仏

■「身と心」
身と心を音読みすると「しんしん」。これを国語辞典で引くと、「心身」とあり、精神と肉体のことであります。心が前にあれば、体より優先されるのでしょうか。「心頭滅却すれば、火もまた涼し」ともいわれますし、「病は気から」」とも申します。また現代は「心の時代」といわれるほど、世間では仏教はまず「精神から」と思われているのでしょうか。新宗教などで、「この教えを信じたら、医者が見放した病気が治りました」というのをよく耳にしますが、これはまんざらウソではないかもしれません。いくら医者に診ていただいて薬を処方されても、本人が治そうとする意志がなければあまり効果は望めません。しかし強い信仰心と意欲をもって病に立ち向かい、延命し、治癒される方も確かにおられるようです。農作業で大ケガをして、必死で家にたどり着いて一命を取りとめた方の話を聞きました。逆に交通事故で自分の大出血を見て、助かる命もショック死してしまうことがあるそうです。さて一方、同じ読みを仏教辞典で引くと、「身心」と出てこちらは身のほうが前です。浄土宗日常勤行式の「香偈」には、「我が身清きこと香炉の如く」と、まず「身」が登場、次に「我が心の智慧の火の如く」とあります。世間のことわざでも「健全な体には、健全な魂が宿る」といわれます。健康の話題では、生活習慣病に関する健康薬品の広告が巷にあふれております。また最近は、うつむきながらスマホを使用し続けると首に「スマホ病」といわれる疲労障害が起きたり、この種の話題には枚挙にいとまがありません。せっかくの能力を備えながら、身体がついていけないで終わってしまう方もおられます。「こころ」の棲み家が「からだ」ですので、棲み家が壊れてしまえば、心の拠り所はありません。
仏教はどちらかに偏らない、極端を避ける宗教です。人はつい熱中し過ぎると視野が狭くなり、他の事がおろそかになって全体の事柄が目に入らなくなってしまいます。「木を見て森を見ず」とはよく申したもので、身心もどちらかに偏るとそれぞれの機能を果たすことができません。阿弥陀さまのみ命は永遠ですが、私たちの限られた時間はより豊かに生かし、広く眼を見開いて、命の尽きるまでを充実させたいものであります。

■「“悪人“こそが仏の救いの対象」
忌まわしい事件が内外で起こっています。相模原市の障害者施設で大勢の入院患者が殺害されるという衝撃的な事件が起きました。フランス北西部ノルマンディー地方のカトリック教会に、刃物を持って武装した二人の男が押し入り、高齢の神父を刃物で殺害するという事件が起きました。容疑者たちは畏れ多くも聖職者である神父に膝まづくよう命じたそうです。このような無差別殺人や、聖職者がテロの対象になるというおぞましいニュースに接するとき、私たちは息のつまるような憤りを抑えることができません。このような極悪人の、許しがたい罪業について、私たち浄土宗徒はどのように対するべきなのでしょうか? 私たち凡夫のこころに渦巻く疑問や憤りを鎮めることは出来るのでしょうか?その答えを得るために法然上人の教えを再認識することにしましょう。
法然上人は『選択本願念仏集』(建久九年、1198年)に、「極悪最下の人のために極善最上の法を説く」と述べて「悪人正機」(悪人こそ仏の真の救いの対象であるという説)を展開し、いくら努力しても善人になりきれない自己を見つめて、人は常に一層の努力をすべきと諭されているのです。法然上人の「一紙小消息」に次のようにあります。「罪は十悪五逆の者も生まると信じて少罪をも犯さじとおもうべし 罪人猶生まる況や善人をや」とあるのはこれを示しています。法然上人は悪を慎み、善を努めることを勧めたのです。
法然上人の弟子である親鸞は『歎異抄』の中で「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」と逆説的に説いています。このことをもって「悪人正機」を親鸞の独自説とする論調もありますが、大正六年に、法然上人の伝聞、法語の記録を記した『法然上人伝記』(醍醐本)が発見され、そこには「善人尚以往生況悪人乎(善人尚もって往生す 況んや悪人をや)」の法語が法然上人の「口伝」として記されていますので、先に法然上人の言葉があり、親鸞はそれを敷衍したに違いありません。
さて、この法然上人の「悪人正機」とは、先に述べた、私たちにとっては極悪人としか思えない人間をも救いの対象としているのでしょうか。悪人正機の意味を誤解して「悪人が救われるというなら、積極的に悪事を為そう」などと悪人正機の意味を曲解して悪をなす者も出かねません。それが間違いであることを法然上人は厳しく諫めています。上人は「極悪最下の人のために極善最上の法を説く」とおっしゃっているのです。このような極悪最下の人に対する教えに接すると、法然上人が悪を認め、すすめているのではないことが明確に理解できます。この「悪人正機」の意味を知る上で重要なのは、「悪」という言葉についての正しい理解です。この現実世界には可視的な善と悪が存在していて、悪をなした者は法律的に罰せられますが、「悪人正機」で言う「悪」とは世間的な意味の悪ではなく、人であるが故に宿命的に内在させている「絶対悪」のことです。どんなに隠そうとしても人の「悪」を見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人なのです。そんな惨めな存在である私たちを憐れみ、救い摂って下さる仏さまが阿弥陀さまなのです。
何の罪もない大勢の障碍者を殺害するような、また聖職者を殺害するような人間が、世間的な法律で裁かれ、極刑に附される可能性は大きいと思われます。しかし、刑が執行される直前に、自身の行ったことの罪の深さに気が付き、心の底から懺悔し念仏を唱えることが出来たとすれば、たとえ刑場の露と消えようとも阿弥陀様はその者の魂を救い摂って下さるでしょう。「極悪最下の人のために極善最上の法を説く」、今の世界にあふれる極悪最下の人の心に深く染み込むお言葉です。これこそ、非道な悪を犯した者への慈愛の言葉であり、その事件に接した私たち凡夫のこころに渦巻く疑問や憤りを鎮めて下さるお言葉です。 
 

 

■「思いどおりになること、ならないこと」
8月から9月にかけて、ブラジル・リオデジャネイロでオリンピック・パラリンピックが開かれました。地球のちょうど真裏にあたる地域で開催されたため、競技中継が夜中から朝方になり寝不足になった人も多かったと思います。ご承知のように日本選手団は、眠気を吹き飛ばすような素晴らしい成績をおさめてくれました。選手たちからは、決してあきらめないこと、努力を続けることで道が開けることをあらためて教えられた気がします。しかし一方で、実力を発揮できなかったり、望んだほどの結果を得ることができずに、悔しい思いをした選手も少なからずいました。残酷ではありますが、あきらめずに努力を続けても、必ずしも最高の結果がもたらされるとは限らないのが現実です。努力は栄光への大前提ではあっても、成功を保証するものではありません。世界の一流選手となるためには、もって生まれた身体能力に加え、それを伸ばしたり補ったりするためのトレーニングの工夫、何よりそれを継続する意志と努力が必要です。そんな一流選手の間でも、結果を出せた選手もいれば、結果がついてこない選手もいる。では、両者を分けるものは何なのでしょうか? それは、最終的に「運」としか言いようのない部分ではないかと思います。膨大な意志や努力を積み重ねた先に、意志や努力を超えた領域が厳然と存在しているのです。これはスポーツに限った話ではありません。私たちの身の回りの出来事すべて、人生そのものについても言えるのではないでしょうか。例えば「死」です。私たち生きている者はいつか必ず死ぬわけで、これは誰もがわかっていることですが、いつどのように死ぬかは誰にもわかりません。健康のため食事や運動に気を使い、定期的な検診を心掛けていても、すべての病気を防げるわけではありませんし、事故や災害に巻き込まれて命を落とすこともあります。
意志や努力が通じる領域と、それを超えた領域がある。わが宗祖法然上人は、この現実をしっかりと見据え、そこから出発した方でした。「念仏している間、心に妄念が浮かんでしまうのですがどうしたらよいでしょうか」との問いに、「それは自分にはどうしようもできません」と法然上人。「人として生まれた以上、妄念を絶って念仏せよとは目や鼻を取り除いて念仏せよというに等しい。大事なのはたとえ妄念が起ころうとも念仏し続けることです」と諭されています(『法然上人行状絵図』巻16)。また有名な『徒然草』には、「念仏していて眠くなった時はどうしたらよいでしょう」「目が覚めたら念仏すればよろしい」という問答も載っています(第39段)。
私たちが人間である以上、眠気などの生理的欲求をはじめ、さまざまな心の働き(妄念)が起こるのはむしろ当然のことです。それを排除しようという方向に努力を傾けるのではなく、うまく折り合いをつけながら念仏を続けていくよう努めよと法然上人は説いておられるのです。「死」に対する向き合い方についても、念仏を称え続けていればどのような最期を迎えることになろうとも阿弥陀仏は必ず来迎して極楽に迎えて下さる、だから安心して毎日を過ごしなさいとおっしゃっています(『拾遺和語灯録』所収「往生浄土用心」)。
「人事を尽くして天命を待つ」という諺があります。人事とは意志や努力が通じる人間の領域であり、天命とはそれを超えた仏の領域、といえるでしょう。自分の努力で何とかなる領域と、受け止めるしかない領域を見極める(明らめる)ことが、限りある人生を充実して過ごすためには大切なのではないかと思います。私自身、若い頃は「仕方がない」という言葉が嫌いでした。「あきらめる」という言葉にもマイナスの印象しかありませんでした。しかし、社会人として世の中のことを知り、浄土宗僧侶として法然上人の教えを学び、多くの方の葬儀に立ち会う中で徐々に考え方が変わり、違った受け止め方をするようになったのです。それと同時に、念仏こそが、人間の領域と仏の領域をつなぐ橋なのだと実感するようになりました。仏の領域の問題については、念仏を称えることだけに徹してあとは阿弥陀仏にお任せする、そして人間の領域では自分のすべきことに最善を尽くす。オリンピック・パラリンピックでの選手たちの姿から、「努力」について深く考えさせられた夏でした。

■「藕糸(ぐうし)の縁」
藕糸の縁とは、人の複雑な繋がりを浮き彫りにした、仏教の基本思想を表現する相応しいことばです。周知のように、人は、ほんらい非力な存在です。食べ物、住む家、着る衣服、どれを取り上げても、数え切れないほど多くの人々が関係して作り出されたものを手に入れて活用しているに過ぎません。人と人との繋がりがあってこそ、人は生きていかれることを考えたとき、人間関係はだれにとっても、かけがえのない宝物であることが分かります。家族、親族、近所の人やお友達との関わりありはありがたいと改めて認識したとき、こうした縁に包まれ支えられている自分がとても幸せに思われてきます。自分の現在に状況を取り巻く複雑な人間関係のぬくもりは、人が歳を重ねるにつれて自然と体験できていくといっても過言ではないでしょう。ところで、現時点における様々な人間関係いわば「空間的」なヨコの縁とは別に、「時間的」なタテの縁を取り上げなければなりません。人は、それぞれに父母がおり、さらに祖父母がいて、自分の身体的・精神的特長が構成されています。また指導してくださった諸先生や先輩、親しく付き合った友人、読書を通じて知識と教養を培って下さった諸学者の恩恵も忘れられません。
自分を取り巻くタテとヨコの人のつながりは仏教の基本思想ですが、これをたとえて話すとき、藕糸の縁は最適です。藕糸とはハスの根のこと。ハスは池の底に根を張り巡らして複雑に絡み合っています。その一本を取り出してみると、一方の端は細く干からびて土に帰しており、他の一端は細かいけれども瑞々しくこれから伸びようとする勢いがあります。中間部分は太くたくましく水面に真っすぐに茎をのばして、先端に美しいハスの花を咲かせています。この一本の根をファミリーに当てはめてみると、細く干からびて土に帰した部分は老化した人や亡くなった方を指し、細かいけれども瑞々しく勢いのある部分は健康で社会の第一線で仕事に学業に励み充実している人々を指すといわれます。
ハスが何本も折り重なっているのは、ファミリーが相互に関係をもって安定した社会を創造しているのに喩えられるろ考えられます。すべては縁すなわち相関関係で成り立っているとの仏教の基本思想は、藕糸の縁によって美しくまた身近に感じられます。

■感謝をする心
今年一年もまた振り返ってみると、あっという間でした。その日その日をそれなりに忙しく賢明にすごしてはきたけれども、何をしてきたのか、これといったことも無しえず、目の前のことに紛れて過ぎてしまいました。そんな思いがつのります。一日が終わり眠りにつく、朝、目が覚めると一日が始まる毎日が当たり前のように生活をしています。朝起きると息をしていること、指や手足が動くこと。自分で起き上がることが出来ること、ご飯が食べられること、庭に出ると木々の間から日が差し、季節の草花が咲いているのも見る事が出来ます。どれもこれも毎日の出来事ですが、このことが、幸せだと感じられる心こそが豊かさではないでしょうか。人生の喜びというのは、生きていることが当たり前ではなくて、生かされて生きていることに気づかなければならないということです。普段、生活をしていると自分の力で生きていると思っていますが、それはとんでもない間違いです。心臓が動いているのも、血が流れているのも、決して自分の意志ではなく、それは大きな力によって動かされているのです。有難いことなのです。当たり前のことに対する感謝の気持ちを忘れ、自分は何でも出来ると思い込んでいる。うまくいかないのは運命のせいだと思っている。自分の欲望にとらわれて「隣の芝生は青い」というように、ほかの道に心を奪われ、自分の適性に沿わない道へ進もうと無理を重ねる。見栄や体裁にとらわれて、適性を無視し、間違った方向へ行こうといった姿が、感謝をする心を忘れ、不満ばかりに目を向けている。これでは幸せになれるはずはありません。
幸せだと感じることは、起こる出来事が決めるわけではなく、環境が決めるわけでもありません。自分の心が決めることです。幸せになるのは簡単なことなのです。幸せはなるものではなく、気づくものだからです。幸せは自分のとらえ方で決まります。生きていることへの感謝、生かされていることへのありがたさ、みんながお互いを大切にしあい、生かしあっていこうという考えをもって日々暮らしていけば、小さな思いやりの輪があちこちで生まれ、ひろがり、やがては、お互いに平和で明るく幸せに生きていることに、気づくのではないでしょうか。小さな幸せを感じる、その感情が未来の幸せを呼び寄せます。それが人生の喜びの生きる秘訣ではないでしょうか。

■「等身大のすばらしさ」
仕事柄ご遺族の方々のお話を伺う機会が多くあります。特に東日本大震災やいろんな事情でかけがえのない家族とお別れをする。その中には親ばかりではなく、パートナーを更には大切な子供とお別れをしなければならなかった親御さんもおられます。言葉にできない程のつらさの中で苦しんでおられる。そんなお話を伺うと、こちらもとても胸が詰まる思いになります。特に子供に先立たれた親御さんにとっては生きる意味もなくなり、一つも楽しい事もやって来ない。ましてや日本中で「おめでとう」というこのお正月の時期は、元気な時にしていた「何気ない日常の時間」を思い出し、その事との対比でより苦しみが増し、日本中でのお祝いの言葉や楽しむ雰囲気に押しつぶされそうになる時期だと思います。多くの親御さんが長い時間お話しされてから仰る「会いたい。どんな姿でも良いからまた、抱きしめたい、触れ合いたい。」というその悲痛な叫びのような言葉が胸に刺さる事が多いのです。私はその時に、私自身も浄土宗の教えにとても助けられています。阿弥陀様が仰って下さった「お念仏を申される方には、必ず再会させよう」というそのお約束は、とてもありがたいと感じます。ただどうしても時間がかかります。どうか必ず再会できるという事をお信じになって、この世でたくさんのお土産のお話を作って、どっさりとそのような贈り物をお持ちになれる準備を長年かけてでもして欲しいと思うのです。先立たれた方もきっとそのお姿を見守られながら、楽しみにしているはずです。いずれまた多くのお土産をお持ちになって会いに来てくれるというその祈りの言葉は先立たれた方にとっては何にも代えがたい励みの言葉ではないかと信じています。
さて、そんなお話を伺っていると、親というのはいくつになっても親なのだと当たり前の事に気づかされます。ですから親は必ず子供より大きい存在なのです。心配なのです。生きている我々の方もその事を十分に認識する必要があります。自分は親よりもどんな事があっても小さいのだという事を。なぜなら親から命を頂いたのですから。そしてその親も祖父母よりは小さい。親よりも小さいという事実を認識する事が「等身大の自分」の原点です。「等身大」で生きるというのは効率よく一番楽に生きられると聞いたことがあります。それにはたまに思い出す、認識すれば良いのです。たまに思い出す良い場所があります。それはお墓です。親でなくてもその上のご先祖がおられます。その方々へ命をつないでくれた感謝を申し上げるのはご自身の幸せの為にも重要ではないかと思います。どうかそれを次世代にもつないで下さい。お一人ではなく、なるべく多くの方で今年からはお参りできます事を願っております。そしていろんな所へ初詣をされるのは構いません。同時にご先祖の所へも、菩提寺のご本尊様にも新年のご挨拶をしたいものです。なぜならその時はいつやって来るのか誰にもわかりません。震災の被災者の方々も地震が起きるまではありふれた幸せの時間が流れていたのです。一瞬でそれは変わるのです。だからこそ普段からの準備が大切なのです。

■「超高齢社会から多死社会に向かう流れの中で〜身近なお寺と仏教を目指して〜」
昨年12月25日から、浄土宗東京教区教化団の団長に就任した、豊島組浄心寺(文京区向丘2-17-4)の住職の佐藤雅彦です。この今月の法話のページは、浄土宗の檀信徒にとどまらず、伝統的な仏教の話に触れたい人なら誰でもアクセスできる気軽で、身近な仏教の入り口になるよう、これから教化団の方々と一緒に作り上げていきたいと願っています。今回は、このように活字を通して皆さんに届くよう発信していますが、元来、法話は、その和尚さんを目の前にして、その和尚さんの声を通して、受けとめ、心に染み入っていくものかと思います。またインターネットの世界も、動画や相互の交信がたやすくできる時代になっています。ご家庭にいて、さまざまな和尚さんの顔を見たり話が聴けたりするような「法話のページ」を作れたらいいなと、検討をはじめたところです。どうぞ楽しみに、このページを開いていただけますように、改めましてお願いしたいと思います。私は、西巣鴨にある大正大学という仏教の大学で「ターミナルケア」や「生命倫理」に関する講義を、若い学生や熟年で聴講に見えられている学生さんたちに行っています。すでに「高齢化社会」という言葉から「化」が取れて「超高齢社会」に突入し、その向こうで「多死社会」が待ち受けているといわれます。私たち浄土宗の法然上人、その源であるお釈迦さまも「いのちを大切に生かすための教え」を残してくれたといえます。このいまだ遭遇しなかった時代を前に、いのちを大切にしてゆく学びの機会を提供していきたいと思います。
ある女性の訴えから
今から30年ほど前のお話です。臓器移植や試験管ベイビーなど、新しいいのちの問題が社会で話題にされ始めたころ、私は「医療と宗教を考える会」という、月に一度、四谷で開かれる勉強会に学びに行っていました。そこには、当時はまだ70歳ほどの日野原重明先生(現在105歳)や作家の遠藤周作さん、「命の準備教育」で知られる上智大学のA・デーケン先生ら、そうそうたる顔ぶれの方々が熱心に見えられていました。必ず会場からの質問を広く吸収していたその会では、その日も講演の最後に、質問の時間が設けられました。40代と見受けられる婦人がサッと手を上げ、話し始めました。少し前に父を亡くした女性は、父の看取りについて話し始めたのでした。彼女の父親は、東京近郊に住み、母の死後、墓参りに行くことが生きがいのような生活をしていたそうです。毎日のようにお寺に出かけ、お墓の掃除をし、お参りをして帰ってくる、そんな生活をしていた父。その父ががんになり、今のように告知も進んではいない時代に、この婦人や家族は、父を看取ることの苦しみに困っていたそうです。彼女の不満は、お寺に向いていました。つまり「あんなにお寺が大好きで、お墓参りに出かけた父なのに、住職は見舞いにも来てくれなかった」と訴え、それ以来、お寺と距離を置くようになってしまったという話を吐露し「お坊さんは、死んでからお経は読んでくれても、病気と向かい合って家族も本人も一番苦しい思いをしているとき、何にも助けてはくれないではないか!」と、訴えたのでした。
言わなければ伝わらない
私は、その会場にいた僧侶の一人として発言を求、その女性に質問しました。「あなたは、そのお寺の方に父のところへ訪ねてほしいと伝えましたか?」と。すると彼女は、口ごもってしまいました。私は「「そんなにお参りをされたお父さんなら、そのお寺の住職やお寺のご家族も、○○さん、最近見えないね。具合でも悪いのかね」と話をしても、「お見舞いに来てください」とも言われないのに出かけていったら「お坊さん、まだ早いですよ、縁起でもない」と考えて、遠慮されていたかもしれませんね」と。ここには難しいお寺と檀家さんの関係があろうかと思います。気軽に「よし行ってあげようよ」と出かけていっても何も問題にならない関係性もあれば、お寺やお坊さんと接することに必要以上に「死」を連想して付き合う人と。昭和初期のようにみんなが同じ教育を受けていた時代とは異なります。「言わなくてもわかるはず」という発想は通用せず、今は「言わなければわからない」時代といえます。ちょうどこの頃は、お坊さんが病院に行くなど「霊安室に行く」ことを除いては、まだ考えられないような時代背景でした。
多様なニーズの時代に
それから30年ほどの時代が過ぎ、社会の様子は大きな変化を遂げています。さてお寺とみなさんとの関わり方はいかがでしょうか。伝統的なことが重んじられるお寺の社会も、少しずつではあっても確実に変わりつつあります。あの東日本大震災で多くの方々が亡くなり、改めて仏教の大切さや尊さが認められるきっかけにもなりました。少しずつではありますが、病む方々への関わりをお坊さんの活動に取り入れる僧侶も各地で広まりつつあります。亡き人の追善の法要をするだけではなく、そのお寺の住職によってさまざまな得意な活動があり、檀家の皆さん、または一般の方々は「こういうところが『痛い』『苦しい』から助けて」と助けを求めてもいいのです。もちろんお寺の住職も何でもできるわけではありません。得意なこともあれば、苦手なこともあります。病者の心を支えることが得意なお坊さんもいれば、子供たちと活動することが得意なお坊さんもいます。それではうちの住職は、見舞いに来てくれるようなタイプじゃないからダメだね、と諦める必要はありません。世の中はネットワークの時代です。必要があれば、東京の浄土宗寺院のご縁あるお坊さんがかけつけることのできるようなネットワークを作っていきたいと思っています。亡くなってからのお葬儀や法事だけではない、生きる時間に必要とされる仏教に、緩やかですが、変化していく時代に私たちは立ち合っていることを、どうぞ忘れずにいてください。そして仏教に助けを求めたい人は、どうぞその声を届けてください。
どんなときにも仏さまはご一緒に
浄土宗の宗祖・法然上人の教えは、いついかなる時にも阿弥陀様のお名前を「南無阿弥陀仏」と口に出して称えれば、阿弥陀仏のお守り、お救いをいただける、とても優しい教えです。まずは日常の生活の中に「南無阿弥陀仏」と称えて祈ることをしっかりと習慣づけられて、日々の生活・毎日を、生かされているいのちを大切に生きてまいりましょう。この日々の生活を大切に生きることこそ、超高齢社会を安心して生きることにつながっていくものです。 
 

 

■「一人飯で仏教レッスン」
私の寺は境内もなく、お堂らしいお堂もなく、鐘楼もありません。知らない人はお寺と分からずに通り過ぎてしまうくらいの建物です。ですから、除夜の鐘で賑わうことはなく、初詣に来られる人も数軒の檀家さんのみ。毎年、年末年始は同業者には申し訳ないくらいにのんびり過ごさせてもらっています。今年の正月ものんびりとしたもの。昨年中に終えられなかった仕事は山積みではあるものの正月気分というやつで、テレビを見ながらごろ寝をしていました。私が観ていたのは「孤独のグルメ」という番組の総集編。7時間くらいでしょうか、まとめて一気に放送をしていました。人気番組ですのでご存知の方も多いとは思いますが、どういう番組かご説明しますと、主人公は松重豊さん扮する井之頭五郎という独身男性。個人で貿易会社を営んでいる五郎さん。商談等で見知らぬ町に出かけ、一人美味しいランチを食べるのが大の楽しみ。30分番組の半分は五郎さんがただご飯を食べています。一緒に食べる人はいません。いつも一人。そして、五郎さんの心の声がナレーションとなります。「うん、うまい肉だ。いかにも肉って肉だ」「ちょっと早いが腹もペコちゃんだし、飯にするか。」「いいぞいいぞ、ニンニクいいぞ」などなど。なぜ、私が見入ってしまったのか。もちろんドラマとして面白いというのは大きな理由です。ただ、見ているうちにこう気付いたのです。
「これは仏教だ!」 五郎さんはご飯を食べながら、テレビを観ません。新聞も広げません。携帯電話もいじりません。ただただ、ご飯を食べています。次の予定を考えることもしませんし、さっきの商談を振り返ることも一切しません。ただただ、目の前のご飯のことだけを考えています。言わばご飯と向き合い集中して食べているのです。では、皆さんはご飯を食べるとき、どうしているでしょうか。テレビに気を取られていないでしょうか。携帯ニュースに目が行ったり、LINEのやり取りに夢中になったりしてはいないでしょうか。ご飯の一品一品、自分の一噛み一噛み、そこから伝わってくる味わいに、しっかり思いをいたしているでしょうか。仏教では「即今・当処・自己」という言葉があります。現代語にするなら「今・ここ・私」となりますが、今という時間・ここという場所に集中して、自分がなすべきことをなしなさいという意味と思ってください。ご飯を食べながらも他のことに気を取られ、食事自体がなおざりになることは「今」「ここ」に「私」がいないということです。その点、五郎さんのランチは、まさに、「即今・当処・自己」と言えるでしょう。
私たちは食事一つとっても、なかなか目の前のことに集中ができません。常に意識はあっちに行き、こっちに行きをしています。正月早々、五郎さんの食べっぷりに仏教の神髄を教えられた気がしました。皆さんも一人で食事をする時には、仏教のレッスンだと思って少し五郎さんごっこをしてみてはいかがでしょうか。

■「わたしたちを待っていてくださった阿弥陀様」
桜の盛りも終わりを迎え、いよいよ青葉が一斉に芽吹くよい季節になってまいりました。四月は入学、入社と新たな門出を迎える方も多いことかと存じます。それにちなんで、浄土宗のみ教えの始まり、阿弥陀様がお念仏のお誓いをお立てになったときのお話を皆さんにお伝えしようと存じます。これは本当にはるかな昔、お釈迦様がインドでお生まれになるよりもずっと前の話になります。お釈迦様の教えは永遠の真理ですので、お釈迦様がお生まれになる前であってもその真理は変わりません。ですからそのことわりをお悟りになった方は大昔からいらして、お釈迦様以前にも色々な仏様がいらしたのです。そのような仏様で世自在王(せじざいおう)仏という方がいらして、人々に教えを説いていらっしゃいました。そしてその聴衆の中に法蔵(ほうぞう)という比丘がいました。法蔵比丘はある国の王様でしたが、世自在王仏のご説法に心動かされ、全てをなげうって仏道修行に身を投じた方でした。あるとき法蔵比丘は意を決して世自在王仏の前に進み出てこう申し上げます。
「世自在王如来さま、あなたは威光に満ち比べるもののないお方です。わたしもあなたと同じような仏となりたい。そして一番素晴らしい仏の世界を作り、あらゆる人々を救いたいのです。そのためにはどんな苦難も厭いません」と。しかし人間である法蔵比丘は仏の世界など実際に見ることも叶いません。法蔵比丘の志に打たれた世自在王仏は仏の神通力であらゆる仏の世界を示され、その世界を実現する方法を事細かにお教えになったのです。世自在王仏から教えをいただいた法蔵比丘はそこから長い思案に暮れます。今まで見た仏の世界からよいところを選び出し理想の世界をどう作り上げたらよいか悩みました。さらに多くの人々にその世界に来てもらうにはどうすればよいのかも問題でした。なにしろ法蔵比丘も自分の力では仏の世界を見ることすらできなかったのです。わたしのような修行者でも到達できないのに、普通の人々がどうやってその国にやってくることができるのか。思案を続けて長い長い時間が流れ、この難題にとてつもない年月を費やしました。それして法蔵比丘の髪はどこまでもどこまでも長く伸びていきました。そして法蔵比丘はついに考えをまとめると、世自在王仏に会いに出かけます。世自在王仏もまた法蔵比丘が答えを出すのを長い間待っていました。
「さあ法蔵よ、お前が見出した理想と覚悟を語ってごらん」と世自在王仏は促します。法蔵比丘は世自在王仏の前で、自分が追求する仏の姿とそれを実現するための覚悟を48個の誓いとして語ります。自分が無限の光と無限の寿命をもつ仏となり、どんなに遠くの人、どんなに未来の人であってもその救いを届けること。あらゆる仏の世界から選び抜いた、光と安らぎに満ちた極楽浄土を自身の国土として作ること。そして人々がどこにいても一心に自分の名前を称えてくれれば必ず迎えに行くこと。「世自在王如来さま、わたしは仏になれるでしょうか」。決意に満ちた目で法蔵比丘は世自在王仏に問いかけます。世自在王仏は「素晴らしい誓いだ。おまえは必ず成し遂げるだろう」と認めてくださったのです。法蔵比丘は倦むことなく修行を続け、阿弥陀様になりました。そしてはるか西の彼方、極楽浄土にお住まいになり、今もそしてこれからもお救いの手をわたしたちに差し伸べてくださいます。ですからわたしたちが悩み苦しみを抱えながらも南無阿弥陀仏と称えれば、そこには必ず阿弥陀様が寄り添ってくださるのです。
四月は八日がお釈迦様のお誕生日の花祭り、また浄土宗の総大本山で御忌大会が開かれ法然上人のご恩に感謝申し上げる月でございます。お釈迦様、そして法然上人が伝えてくださったこのお念仏のみ教えとともに、皆さんには新たな一歩を踏み出していただきたいと存じます。

■「自分を見つめる」
『はきものをそろえる』
「はきものを そろえると 心もそろう 心がそろうと はきものも そろう ぬぐときに そろえて おくと はくときに 心が みだれない だれかが みだして おいたら だまって そろえて おいて あげよう そうすれば きっと 世界中の 人の心も そろうでしょう」
この詩は長野県にある曹洞宗円福寺の藤本幸邦師が脚下照顧(きゃっかしょうこ)の教えをもとにつくられました。脚下照顧とは『広辞苑』にも「脚下を照顧せよ」と記されており、「足もとを見なさい」から転じて「履物をそろえましょう」と標語的にも使われています。
「脚下」とは自分の足元を意味します。「照顧」は反省し、よく考え、よく見ることです。自分の足元を見るとは自分自身や自分の心を振り返り、今の自分を見つめなおすことです。他人の行動は目につきやすいものです。自分自身を顧みないのについつい他人を批判してしまうこともあります。他人を批判する前にまず自分を見つめなおしましょう。他人に向ける目を自分自身に向けて常に自分の足元を疎かにしないように気をつけることが大切ではないでしょうか。また、自分の足元について身近なことで考えてみると靴の脱ぎ方が浮かびます。靴の脱ぎ方を見てみると、その人の今の心の状態がわかるような気がします。脱ぎっ放しの靴を見ると、「だいぶ疲れているのではないか」、「最近忙しくて焦っているのではないか」と感じますし、脱いだ靴が揃えてあれば「きちんとしているな」とか「心にゆとりがあるな」と感じるかもしれません。玄関を見ればその家の様子がよくわかるといいます。玄関は家の顔です、履物が綺麗に揃っている家は、家族みんなの心が穏やかではないでしょうか。
心にゆとりができれば自分自身がよく見えてくるでしょう。自分の履物を揃えて脱げるようになったら、他人の履物の乱れもなおせます。どんなに忙しい時でも履物を揃えて脱ぐ、そんな心のゆとりが欲しいものです。そうなれば、今よりももう少し他人に優しくなれるのではないでしょうか。他人から優しくされた人は、違う誰かに優しくしてあげられます。自分の優しさがどんどん広がっていくような気がします。そう思いながら日々の生活を送るのも悪くはないと思います。
仏教では「自分を見つめなさい」と言います。自分ひとりだけで生きていけることはなく、様々な「ご縁」に支えられて生かされていることに気づきます。足元を見つめなおして、こうした「ご縁」を大切にしていきたいものです。

■「つながり」
願わくは我が身きよきこと香炉の如く 願わくは我がこころ智慧の火の如く 念念に戒定の香をたきまつりて 十方三世の佛に供養したてまつる
これは、日々のお勤めやお檀家様の年回法要の時に、最初にお唱えする「香偈」といわれるお経の書き下し文です。お焼香をし、身も心も清め、すべての佛様に心からの供養をする。お経として聞いたことはあっても、なかなかその意味まで知っている人は多くないでしょう。こうやってもともと漢文のものを、平仮名交じりで書き記されたもので読めば意味も捉えやすく、意味を知っていれば普段お唱えしたり耳にするお経も、また違った様に聞こえるかもしれません。
さて今回は、少し仏教とは違う話をしたいと思います。皆さんは、日本の文化と言われたら何を想像するでしょうか?相撲、歌舞伎、空手や柔道という方もいるでしょう。蕎麦やうどん、食文化という方もいるでしょうし、若い方の中にはアニメや漫画のキャラクターを模したお弁当、いわゆる「キャラ弁」と答える人もいるかもしれません。漢字・ひらがな・カタカナという三種類の文字を使う日本語こそがという人もいることでしょう。そんな中でも今回は、数ある文化の中でも「浮世絵」のお話をしたいと思います。今はあまり馴染みのない浮世絵と言われて、皆さんは何を想像するでしょうか?浮世絵と言われて思い描くのは、葛飾北斎の残した「赤富士」や「富嶽三十六景」であったり、喜多川歌麿の美人画であったり。馴染みのない人は、町の銭湯の壁に描かれている富士山であったり、テレビ番組、笑点のオープニングのような絵といえば解りやすいでしょう。そもそも浮世絵とは、16世紀後半に京都の庶民生活を描いた絵が始まりだと言われています。江戸時代、長く辛い戦乱の世が終わり、人々の心も晴れ、人々が躍るような姿や美人や人気歌舞伎役者、心に染みる景色の絵などが中心に描かれています。その後、歌麿や北斎といった浮世絵師達によって浮世絵は芸術性を持ち、人々に広く知れ渡っていきました。
その後、長かった鎖国の時代も終わり、浮世絵は世界にも広まっていきました。一説には、19世紀末頃に、包装紙として使われていた浮世絵がヨーロッパの画家達の目にとまり、その表情豊かな線や簡潔な色使い、自由な発想の図柄など日本独特の表現方法に強い衝撃を受けたといわれています。それまでの、写実的な技法を重視してきた西洋の人々には思いもよらなかった技法だったのでしょう。19世紀に活躍した画家、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホもその一人です。7点に上る「ひまわり」という作品で知られるゴッホは、画商が大量に仕入れた日本の浮世絵を目にして、その絵画に魅せられました。情報のない時代、浮世絵から想像する日本に思いを馳せ、その姿を求めて南仏アルルに移住した彼は、遥か遠い日本から見る黄金の様な太陽を夢見て「ひまわり」を残しました。現代にも、そしてこれからも残り続けるであろう「ひまわり」という素晴らしい作品を残した経緯には、日本の浮世絵が深く関係していたのです。もちろん、日本の浮世絵師達はそんなことを知る由もないでしょうが。
風が吹けば桶屋が儲かる。たとえそれがどんなに小さなことであっても、それは、思いもよらぬ誰かに影響を与えることがあるものです。
香偈をお唱えしながら焚いた香は、道具につき、衣につき、人につきます。人から人へ。
東京ではお施餓鬼の時季です。どうぞご家族やご親族とともにお寺にいらっしゃってください。あなたのお念仏する姿を見た人々にもまた、お念仏が受け継がれていくことでしょう。法然上人が残したお念仏の教えは、そうやって今の世まで続いてきたのですから。

■「四十にして惑わず?」
40歳を越えてみて、しみじみ思います。 「四十にして惑わず」(『論語』)、・・・そんなことは無理!
人生には、必ず悩みが付きまといます。何が善で何が悪なのか、人生の意味とはいったい何なのか、自分がこの世に生きている意味は何なのか・・・。おそらく皆さんも、若き青春の日々をこのような悩みと共に過ごされた記憶があるでしょう。また、今まさに、この仕事は本当に自分がやりたかったことなのか、もっと他に幸せな人生があったのでは・・・等々、迷いには限りがありません。そんな迷いを常に頭の片隅に据えながら、ただ漫然と今を過ごしているのが私たちの日常です。しかし、時は待ってくれません。「少年老い易く学成り難し」(朱子か?)。はたまた「世の中のムスメがヨメと花咲いて、カカアとしぼんでババアと散りゆく・・・」(一休禅師)。ひとたび無常の風が吹けば、この身は朽ち果てて、魂は独り旅の空に迷うばかり。この世を「娑婆(しゃば)」とは、よく言ったものです。娑婆とは「忍土(にんど)」という意味です。つまり、どんなに辛く哀しいことがあろうとも、ただ堪え忍ぶしか術(すべ)がない世界。それがこの世の当たり前の姿。しかし、たとえ頭では分かっていても、愛しい人の死に直面したならば、喉の奥から込み上げてくる涙は留めようがないのです。私たちはそんな世界を生まれ変わり死に変わり、途方もない昔よりさまよいながら今日に至っているのです。だからこそ阿弥陀さまは、「我が名を呼べ。必ず極楽へ救い取る」と手を差し伸べて下さっておられるのです。それは遙か昔からのことです。阿弥陀さまの御心は、限りない慈悲そのものなのです。
「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり。無縁(むえん)の慈(じ)をもって、諸(もろ)もろの衆生(しゅじょう)を摂(せっ)したまう」(『観無量寿経』)
繰り返しますが、私たちの迷いには限りがありません。迷い苦しみながら生きてゆくのが、この世の当たり前の姿です。しかし、迷いながらも進むことによって分かる世界もあります。深まる信仰の世界があるのです。私にとって忘れられないお話しがあります。ある御上人のお話しです。それは、若き日の御上人が、お坊さんになるための修行に入られた時のことです。弱冠二十歳そこそこ、若き青年であった御上人。阿弥陀さまの救いを心から信じることが出来ないと悩まれたそうです。疑念や迷いが胸を苦しめます。「このような迷いを抱えたまま本山で修行を終え、いっぱしの僧侶となっても意味がないのではないか。お檀家の皆様に申し訳ない」と真剣に悩まれたそうです。ついに修行を止め山を下りる覚悟を持って、大僧正台下に心の内を申し上げたのです。すると台下は、「なるほど、あなたの迷いは分かりました。しかし、『信仰』とは、日々『進行』するものです。今はまだ分からなくとも、そのまま進みなさい。必ず阿弥陀さまの仰せを信じることが出来ますよ」とおっしゃったそうです。
「悩み迷いながらでもよいのか・・・こんな私でもよいのか・・・」、熱き想いが胸に込み上げてきたそうです。「今こうして私が僧侶でいられるのも、台下のお諭(さと)しのおかげである」と、しみじみとお話し下さいました。「信仰とは日々進行するもの」。なるほど、「行けば分かるさ」ということでしょうか。こんな私でもよろしいのですね。至心合掌。さあ皆さんも、また一歩、人生の歩みを進めましょう。 
 

 

■去る者は日々に「近し」
東京はお盆を新暦で行いますので7月に終わっていますが、全国的には8月の月遅れ盆が一般的です。(沖縄は旧暦で行うため、毎年時期が違います。) 普段から、お仏壇を通して、御先祖様とは通じているはずですが、やはり、お盆の時期、亡くなっている両親や妹の好きだった物を供えたり、普段以上の「おもてなし」をしようと思います。遠くの友人や親戚がやってくると、ごちそうを用意したり、美味しいお店に連れて行ってあげたい、と思うような感じでしょうか? 普段、亡き方のいる世界=極楽のことを強く意識しない我々です。中国の古い言葉に「惠蛄(けいこ=セミ)春秋を知らず」というのがありますが、夏生まれて夏死ぬセミは春も秋もあるのに知らない、と言う意味です。我々も、地獄も極楽もあるかも知れないのに、ふだん考えようとしていないだけかも知れません。
亡き方に対してに限らず、自覚があって迷惑をかけていたり悪いことをしていたりするのはまだ良い方で、知らない間に罪を犯していることもある我々です。その報いで、最悪、地獄に行く可能性もあるはずが、そのような「愚者」の自覚を持ちつつ、南無阿弥陀佛とお念仏を称えることにより、常に阿弥陀様に寄り添って頂き、この世での寿命が尽きた時は、極楽に迎えて頂ける、というのが、法然上人の開かれた浄土宗の教えです。お盆の時期、亡き方のこと・亡き方のおられる世界のことを、身近に感じたいと思います。
私事ですが、昨年50才になりました。最近、小さい字が読みにくくなっています。老眼です。「老」は、インドで仏教を開かれたお釈迦様が説いた教え、この世の苦しみ=四苦のうちの一つです。毎年、高校の同級生と同期会(飲み会)をやっていますが、今年、50才になったのを機に、既に亡くなっている(50才を迎えられなかった)同級生が4人いて、彼らの追悼法要をやろうということになり、増上寺の裏の円光大師堂と言う所で行いました。併せて、我々が高校3年の時の担任の先生で亡くなっている方お二人の御回向もさせて頂きました。仏教系の高校で、同級生に私を含めて3人お坊さんがおり、取り仕切りました。代表して、私に「仏教の話をして」と言われ、同級生40人ほど、あと、当時お世話になった先生3人も参列されていたので、大変緊張しましたが、その後の飲み会でお話しした時、80代の先生方は耳が遠く会話にならず、私の話が聞こえてなかったらしいことが判明しました!
一般的に「去る者は日々に疎し」と言います。亡くなった方の記憶は日が経つにつれ薄れていくのは、多くの場合、自然の流れです。しかし、亡くなった方の年令に近づいて行くことも多いですし、また、我々もいずれ、この世での寿命が尽きる日が来るのは明らかで、亡き人のおられる世界に、年々、日々、近づいているのは確かです。去る者は日々に「近し」と言っても、間違いでは無いようにも思います。亡き人のこと、亡き人のおられる世界のことを、ふだん以上に想いながら、8月のお盆は家内のお寺(京都)の棚経回りを出来ればと思います。どうぞ、皆様、熱中症にお気を付け下さい。 

■「介護でこころが折れないために」
なぜ、どうして… お浄土へ旅立つ日までは、いつまでも元気で過ごしたいと思うのは、私も含めて皆様の正直な願いであると思います。しかし、現実はなかなか厳しく、まだまだ元気だぞと気持ちでは思っていても、高齢になることで身体が思うように動かなくなってきて、介助や介護が必要になってきます。自分の思いどおりに身体が動かないと、「ああ、なぜこんなこともできなくなったのだろう」と悔しく思ったり、「まだまだ自分でできるのに、みんなおせっかいばかりだ」とうっとうしく思う方もいらっしゃるかもしれません。家族の心からの介護を「迷惑をかけてしまって申しわけない」と心苦しく思う方もおられると思います。一方、高齢の親が日常生活に支障をきたす様子をみては、「どうして、こんなこともできなくなってしまったのか」という焦りと寂しさを感じたり、親の介護を一生懸命しているのに、「どうしてわかってくれないのだろう」と思ってつい口調が強くなってしまったりする方もいらっしゃるのではないでしょうか。
介護には人間の「老い」という問題が大きく関わっています。体が老化するのはあらがうことの出来ない自然現象です。仏教でも人生の4つの苦しみとして「生老病死」を挙げています。生を受けた以上、老いて、病んで、死んでいくことは誰も逃れられない事実です。ただ現実は変えられなくとも、その受け止め方を変えることはできます。そのために何をすればいいのでしょうか。法然上人の教えをもとに考えてみたいと思います。
ありのまま、あなたらしく
私たち浄土宗では、人間は「凡夫」であると捉えています。凡夫とは、迷いや不安から逃れられない存在のこと。介護をしていると、どうして自分ばかりこんな目にあうのかという不満、いつまで続くのか先が見えない不安があります。そんな中で、ふと「もうそろそろお迎えが来てほしい」という思いが湧くこともあるかもしれません。そしてそんなことを考えてしまう自分への自責の念も出てくる。人間ですから、辛いときに気持ちが揺れ動くのは当然。誰だってそんな気持ちになります。そういう自分と正直に向き合い受け入れていくことは大切なことだと思います。法然上人は、「お念仏を称えることで阿弥陀様はそんな私たちのありのままの姿を受け入れてくださる」と説かれています。仏教では「行」、つまり実際に体を動かして実践することを重んじます。行動によって自分の体とこころが変化するから、ものの見方も変わるのです。お念仏は頭で理解するだけでなく、ぜひ実行してみてください。そうすれば何かしら必ず変化を感じられると思います。
つながりの中に生きる
介護の後には必ずお別れがやってきます。送る側も寂しいですが、一番辛いのは家族や友人とお別れするご本人なのかもしれません。私たちが死に直面した時に何を思うかを考えてみてください。自分の事だけでなくこの世に残していく大事な家族や友人のことを思いながら旅立っていくのではないでしょうか。介護をしていると辛いこともあります。そのようなときには、同じ境遇にいる人々や、ケアマネージャーといった専門家に話を聴いてもらうのもいいでしょう。また、辛いことや人生の苦難に直面したとき、努力してもどうしようもないこともあります。そんなときは、できるだけ気持ちを包み隠さず誰かに伝えることが大切です。「誰か」とは、どんな気持でも受け止めてくれる家族や友人。また菩提寺の住職や奥様にもこっそりお話ししてください。(しっかり胸にしまっておきます。)お寺の者もお話や愚痴を伺うことができると思います。もちろん、誰にも言えない辛さ、悩みは阿弥陀様、いつでも皆さまを見守ってくれている大事なご先祖の仏さまにお話しを聴いていただくのがいちばん良いかもしれません。
「お念仏を称えること」「祈ること」「亡き人に語りかけること」は目に見えない神仏やご先祖の仏さまとつながりを体感できる営みです。一心にお念仏を称えれば、あなたを大事に思っていてくださる仏さまや亡き人に見守れている感覚を得て、感謝する気持ちもが得られます。お念仏の声の中に皆さまの安らかな、そしていきいきとした人生がありますように。

■「ご先祖さまのこと」
お彼岸も過ぎ、十月を迎え秋の深まりを感じるようになりました。最近、顔も見たことのない先祖の供養に参列する必要はないのではないか、という趣旨のことをおっしゃる方がありました。ゆっくりお話できる状況ではなかったので、その方の真意はわかりませんでしたが、私にはちょっとした衝撃でした。でも、考えてみれば、直接会ったことがない人に親しみを感じにくいのも当然のことかもしれません。多くの方の場合、曾祖父母様にお目にかかったことがあるかどうかといったところで、その前となると「顔も見たことのない先祖」ということになって、名前もすぐにはわからない。人数で考えても、曾祖父母で8人、5代さかのぼれば32人、10代で1024人、当たり前ですが倍々で増えていくのです。さかのぼれば重複することもあるでしょうが、とにかく大勢のご先祖さまがいらっしゃる。さらに「先祖」とひとくくりにすると、漠然としてしまって、そのお姿を具体的に心に思い浮かべることもむずかしい。また、多少の記録が残っていても、すべてのご先祖さまについてくわしく知ることはできません。それでも、いま私たちがここに生きている以上、記録がないからといってご先祖さまたちが存在しなかったわけではありません。明治維新のときも江戸幕府開府のときも、もっとさかのぼって奈良・平安時代、さらにもっと過去の時代にも、ご先祖さまひとりひとりが、それぞれの人生を私たちと同じように一生懸命生きていたはずです。職業もさまざま、長寿の方も短命の方も、成功者もつらい人生を送った方もいたことでしょう。であれば、私たちで勝手に想像してみるのもひとつの方法だと思います。
たとえば、博物館で展示される歴史資料を見学するとき、歴史小説を読んだり、大河ドラマを視たりするときにも、資料が示し、作品に描かれた時代を自分のご先祖さまが生きていたことを心に思い描くのです。いまに伝わる歴史的瞬間を目撃した人も、そんなこととは全く関係なく自分の生活を送っていた人もいたでしょう。どんなふうに想像してもよいのです。具体的な歴史的事実を知ることはできなくても、それぞれの時代を生きたご先祖さまの息吹を身近に感じとることができるかもしれません。そして、どんな人生を送ったご先祖さまであれ、おひとりでも欠ければ私たち自身が存在しないのだと考えると、ご先祖さまのありがたさと同時に、自分という存在がいかに貴重なものであるかが実感できるのではないでしょうか。顔を見たことがあってもなくても、大勢のご先祖さまの人生の連なりの果てに、私たちがいまを生きているのですから。
ご供養への参列の要不要の問題を超えて、そうした想像力が人生を豊かに、大切にすることになると思いますし、ひいては私たちにいのちをつないでくれたご先祖さまへのご恩返しにもなることでしょう。こんなお話、当たり前のことだといわれればそのとおりなのですが、当たり前のことを知っていて普段忘れがちな私たちですので、秋の夜長にご先祖さまおひとりおひとりの人生に思いをいたして、想像を巡らせてみるのも私たちの人生に大いに意義あることではないでしょうか。

■「実践を通じて掲示伝道の魅力を伝える」
人に伝える方法は、言葉で伝えるほかに、文字を用いて人に伝える方法があります。父である住職がお寺を守っているなかで、「副住職のわたしでも、お寺に対してなにかできないだろうか」と思い、継続して取り組んでいることがあります。「今月の言葉」と題し、お寺の境内にある掲示板に心に響く句や詩、文章の一部を筆で書き、毎月掲示していることです。2年間で約20枚の掲示をしてきました。こちらは参詣者に好評で、メモにとる方や写真を撮られる方もいらっしゃいます。そういうお姿を拝見いたしますと、俄然気合いが入ります。「共感する言葉」や「いま、旬な言葉」。ただきれいに文字を並べるのではなく、強調するところを力強く表現したり、文字の配置、書体など工夫して飽きないように、「来月はどんな言葉が掲示されているかな」と期待していただけるように、毎月模索しながら作成しています。
なにも偉人だけが、素晴らしい言葉を残しているとは限りません。難しい言葉よりむしろ、簡単でわかりやすい方がスーッと心に入ってくることが多く、どんな方にも伝わりやすいのです。例えばマンガやアニメのキャラクターのセリフが、心に響くこともあり、「今月の言葉はこれで決まり!」と即採用することもしばしばです。また、季節に合わせて掲示するように心掛けています。今年の4月、ちょうど桜が見ごろの時に掲示しました、わたしが一番気に入っている言葉を紹介します。
「咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」 この言葉にわたしが出会ったきっかけは、叔父の法話です。浄土宗総本山知恩院でのこと、旧知の布教師が、叔父の持っていた扇子に筆で書いてくださった言葉だそうです。叔父もよほど印象深かったのでしょう。何度もお説教で話されていました。
「咲いた花見て喜ぶならば」 土の養分や水分をたくさん取って、葉からは太陽の光をしっかり集めて、ようやく咲くことのできる花の尊さがあり、純粋に花を愛する大切さを読み取ることができます。
「咲かせた根元の恩を知れ」 咲いた花に感動するのであれば、咲かせるまでに至った「根」などの見えないところの働きにも感謝しなさい。といった思いが、最後の「知れ」で一層強く込められているように感じ取れます。
わたしたちに置き換えてみますと、毎日の生活に追われて、自分のことや家族のことで精一杯になってしまいますが、大切なことは、目に見える、見えないどちらも、さまざまな「ご縁」つまり関わりがあってのわたしたちであることを日常のなかで忘れてはいけないということではないでしょうか。そうはいっても、現代社会においては真逆な考え方の人との付き合いや関わりを極端に避け、自分第一主義や自己尊重型の「個人化」という状態が急速に進んでいます。「家族葬」という言葉が生まれたのも、この「個人化」の影響といえるでしょう。生きているなかで、人との関わり「ご縁」を尊く思う気持ちが薄くなっていることは、当然仏さまやご先祖さまの尊さを感じることも希薄になってきているといえます。目に見えるものに対しても感謝の気持ちが薄くなりつつあるこの世の中で、どうして目に見えないものに対して感謝ができるでしょう?
中国浄土教の祖であられます「善導大師さま」は、ある僧より「あなたが説かれている阿弥陀如来はわたしたちには見ることができない実体のないものではないか。やはり仏は自分の心の中に思い描くだけのものではないのか」と問われた時に、「わたしたちの目で、仏さまを見ることはできません。しかし身近なところに仏さまは常にいらして、私たちを救おうと手を差しのべられています。残念ながら煩悩の霧で視界から見えなくなっているのです」と仰せになられています。
時代が流れ、鎌倉時代に浄土宗をお開きになった「法然上人」は、この善導大師さまのお言葉を受け、ひとりでお堂にこもってお念仏をお唱えしている時にもわたしのまわりには阿弥陀如来をはじめ、たくさんの仏さまが近くにいらっしゃり、見守っていただけていると尊いことだと思い感じながら、お念仏を唱えていると弟子たちに説かれています。わたしなりの解釈ですが、携帯電話で通話するときも、見えない電波があるから通話ができます。阿弥陀如来や諸仏、ご先祖さまの慈悲の光や救いの光は、私たちの目に見えませんが、きっと電波のように絶えず発せられているのです。圏外になることもなく、常に「バリ三本」の電波(光)で、照らし導いてくださっているのです。
日々の生活のなかで、この有り難い状態で生かされているわたしたちであるという尊さを忘れないようにしなくてはいけないと思う今日この頃です。花の咲きほこっている時やきれいな花に出逢った時に、この句を思い出していただければ幸いです。また、お寺や神社の掲示板や寺報に書かれている「すてきな句」や「心に響く言葉」に出逢いましたら、その時はどうぞ巡り会えたことを良き思い出として大切に記憶に残していてください。掲示伝道の冥利に尽きます。
「咲いた花見て喜ぶならば、咲かせた根元の恩を知れ」 日々有難し 南無阿弥陀仏

■「追善供養、回向を改めて考える」
先日、当山の行事お十夜が終わり、寺での大きな年中行事も終了致しました。そのお十夜でご法話頂きました円通寺後藤上人のご法話から改めて感じたことをお話し致します。上人よりご法話を頂く前に、今夏、亡くなった私の母の為に檀信徒の皆様とお念仏を唱えて頂きました。そのお念仏は私の母へ向けた回向であり供養になるというお話を頂戴しました。
小さいとき母に連れて行ってもらったところや、母との何気ない出来事や会話の中に思い出を回想しては、大きな失意の中におりました。心にポッカリと穴が空いた状態の中、いつまでもくよくよするのは亡き母の為にもこのままでは駄目だと思い、僧侶として自分が母に出来ることは回向し、供養することだと悲しさの中から頭を切り替える事にしました。いつも行っているお勤めでの回向、追善供養について改めて深く考える機会となりました。
まず回向というのは読んで字の如く「回り差し向ける」という意味で、自分が修得した善根の功徳を他に回し向けることを言います。つまり回向というのは亡くなられた方への安らかな往生を願って供養し、亡くなられた方へ向けての読経や善行が自分の悟りの一助けとなると共に、亡くなられた方へ向けて分け与えることであります。それと併せまして追善供養というのは、生きている我々が亡くなられた人に対して行う供養のことです。敬いの心を持って亡くなられた方のために、法要を修することで善業を行う事とあります。亡くなられた方の往生を願うのが根本の目的です。年回法事・法要も、残された我々が、その念仏回向の功徳をもって亡くなられた方の往生を願う趣旨で年回の法事、法要を行っているのです。又、追善というのは文字が表わすように、生きている人が行う善業を持って、亡くなられた方の善業になる、それがまた自分に戻ってくるという考え方です。まさにそうなると先程の回向の話につながってきます。
回向には二通りありまして自己のおさめた功徳を他へ向けるつまり、自分から相手に向ける往相回向と極楽に往生したものが仏力を得て我々に還して頂く回向を還相回向といいます。この回向については「梵網経」 にも「死後には経文を読誦し、その功徳uェを回向し人間と天上とか良き処に生まれる事ができるようになせよ」と追善供養をなすべき事が説かれております。亡くなられた方の追善へ、善業をすることがそのまま亡くなられた人の利益となり、同時に残れる現在の我々の功徳となって善業が広がり生きて行き、そして亡き人が救われるという事につながってきます。大事な事は残された我々が、亡くなられた方を縁として善を為すという供養の精神を受け取ることではないでしょうか。そうなると仏教の根本精神の縁起につながってきて、皆つながりを持っていて、如何なるものも限りのない縁によってできていて、助け助けられつつ共生しているのが縁起です。この縁起の法門をよく表したものが阿弥陀信仰であります。そこには我々が救われたのも阿弥陀仏の本願力によるものとするのであります。亡くなられた人の追善も全て阿弥陀仏にお任せ申し、念仏を励んでみ心を心として生活してゆくことが最上の追善供養の法という教えであります。
法然上人のお言葉の中でも「阿弥陀仏に全てを任せて一心に念仏を申せば自らも亡くなられた方も、共に御光におさめられてお救いに預かる事が出来るのであり、お念仏を申して如来の御心を心として生活していけば自らも亡くなられた方も共に阿弥陀の御光に生かされ、世の人々とも同じくみ仏のお恵みの中に共に生きてゆく事ができるのでありまして、これが最上の追善供養となるのであります」と説かれております。
私も母の為に一番の供養はお念仏をお唱えすることだと悲しみのなか、再認識致しました。故人への喪失の気持ちは誰でもあるものですが、故人の為にも心から合掌し、お念仏を唱え、亡き人を思い御供養してこそ始めて本当の供養となるのでないでしょうか。お念仏は広大な功徳があるので、故人の為にも自分の為にもお念仏から離れない生活を皆さまに送って頂きたいと思います。 
 

 

■「救いの手」
新年明けましておめでとうございます。寒い日が続いておりますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。先日閉幕した運慶展(上野・東京国立博物館)の入場者は60万人を越えました。連日盛況で入場1時間待ちは当たり前、上野公園は長蛇の列でした。史上最も有名な仏師と呼ばれる運慶。彼が作り出した仏像にはそれぞれに、それぞれの人々を引きつけてやまない魅力があるのでしょう。
平成29年12月3日の朝日新聞に掲載された『男のひといき』という投書欄に、70代男性からの投稿がある。6年前リウマチの手術をして車いす生活になった奥さんが、ようやく杖で少し歩けるようになり、運慶さんの仏様に会いたいと言うので夫婦で運慶展に出かけたという。普通、展覧会の展示は“観る”ものであるが、この奥さんは“会う”と表現する。奥さんの仏像に対する想いが垣間見える。〈館内は薄暗かった。妻の身を案じて手をつなぎ、たくさんの仏様に魅入った。手を差し出しているような姿の仏様の目を見ているうちに、この手を握りなさい、つなぎなさい、支えになる、と言ってくださっているように思えてきた。庭園に出てベンチに座り。このことを妻に話した。すると「私の手をつないで歩いたのはいつ以来?」と聞かれた。記憶をたどったがあいまい。「多分、あなたが田舎から初めて出て来て、都会の雑踏を歩いた時では」と言うと、「そんな昔」と驚いていた。〉 長年連れ添い、苦楽を共にしてきたご夫婦であろう。混雑した館内での歩みを心配し、奥さんの手をしっかりと握った旦那さんは、そのいざないにゆだねる掌のぬくもりにシンクロして、薄暗闇に浮かび上がる運慶の仏像に魅入られ、あふれ出す救いの佇まいを確かに受け取っている。一方で、何十年かぶりに旦那さんと手をつないだ奥さん。上京したばかりで右も左もわからず、見知らぬ人々が足早に行き交う都会の雑踏。ひとりぼっちの不安で押しつぶされそうなその時に、ぎゅっと手をつないで先を導いてくれた強くふくよかな掌は、彼女にとっての一筋の救いの手だったに違いない。そして今、リハビリを経て、ようやく歩けるようになったものの、まだまだおぼつかない足下を案じて優しく握ってくれた旦那さんの掌もまた温かな救いの手であった。
阿弥陀仏は「我が名を称えよ。必ず救う。」と、生死輪廻を繰り返し、自身の力では悩みと苦しみ、不安や悲しみの世界から離れ出ることができない我々凡夫(ぼんぶ)に、優しく温かく手をさしのべてくださる。私たちはその救いの慈悲にすがり、阿弥陀仏に有難く見守られ、心満たされ充実した日々を過ごし、命終の後には阿弥陀仏のお迎えにより、極楽浄土に往生させていただくのだ。運慶の仏像が放ち、我々が深く感じ入るその情調。このご夫婦が手をつなぐ姿のその先に、私は阿弥陀仏の有難く尊い救いを見る思いがするのだ。私たちは阿弥陀仏の御導きにしっかりと明日を見つめ、慈悲の御心を心の底から信じ任せて、「どうか阿弥陀様、お助けください」とお念仏をお称えして救っていただこう。
先の投稿は以下の文章で結ばれる。〈この日の仏様はこれまでの仏様と違って見えたという。より強く、優しく、ふくよかに感じたようだ。「これからも手をつないでね」と妻は言った。〉
ただひたすらに南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすれば、阿弥陀仏は必ず私たちを明るく照らし、支え守っていただけます。御手を差しのべこの身を救ってくださるのです。本年も良い年でありますように。南無阿弥陀仏

■「想う」
もし「生涯で一番美味しかったものは?」と聞かれたら皆さんは何と答えますか。大学生の頃、ある講義で先生に質問されました。その場で10分ほどの時間が与えられ、受講生は皆、原稿用紙一枚の作文を提出したことを覚えております。提出が終わると、それぞれの学生が作文を発表することとなりました。雪山に登った時に疲れ切った体で食べたカップラーメン、特別な記念日に家族と食べた夕食、初めて自分の力で稼いだお金で食べた高級料理などなど、約30名の多様な発表は最後まで興味深く面白いものでした。このテーマを出した先生も、終始笑顔で発表に耳を傾けていらっしゃいました。一つ共通していたのは、どれもが自身にとって特別な思い出となっているということです。思い出というものは不思議です。他人から見たらそれ程だとしても、本人からしてみれば何ものにも変えられない大切なものだったりします。先生は文章に触れる機会が多い仕事に就くかどうかは別として、人の織り成す文章から感受性や想像力を育むことをいつまでも大切にして欲しいと締めくくられたことを覚えております。
2002年に質量分析の研究でノーベル化学賞を受賞した田中耕一博士はあるインタビューの中でこんなことを仰っていました。科学技術が発展した理由の一つには漫画があるというお話です。それは発想する力に影響を与えたから。想像力の豊かさが研究に繋がり、大事を成し遂げていく。このことは、人が生き死にを考える時も同じように大切なのかもしれません。私たちはどこから来てどこへ向かうのか。いつかこの命を終えていく私たちはどうなっていくのか。餓鬼のいるような世界や地獄の炎に焼かれるような世界に落ちていくことを止めるために、阿弥陀如来さまはお念仏のお誓いを用意して下さいました。私たちの往く末を想い、南無阿弥陀仏と称える者を必ず西方極楽浄土という世界に救うと誓って下さったのです。おとぎ話のような、架空のものの様に聞こえるかもしれません。しかしどのように判断するかは別として、どうか豊かな想像力をもって命の一大事に向き合ってみて頂きたいのです。
2月は15日がお釈迦さまのご入滅された日にあたり、そのことを偲んで各地で涅槃会が営まれます。お釈迦さまにお会い出来なかったことは悲しいことでありますが、しかし、私たちの命の往く末をみ教えとしてしっかりと残して下さったことは本当に嬉しく有り難く思います。お念仏をお称えするこの私にはたとえ目に見えなくても寄り添って下さる方がおり、命を終えていく時には浄土という往き先があるということ。この信仰の灯りは今を生きるこの身をあたためてくれます。幸せな思い出を沢山作ることも出来るこの世の中です。しかし、その反面、老いがあり、病があり、命も落としていくこの世の中でもあります。
前述の田中耕一博士は今、認知症の治療薬の研究開発もされているとのことです。大切な思い出すらも、時に奪われてしまうかもしれない私たちです。ですが、そんな憂いや悩みに迷う世界で生きる私たちだからこそ、阿弥陀如来さまは仏の眼で涙を流し、その姿に寄り添うと誓って下さいました。阿弥陀さまが寄り添って下さるお念仏の日暮らしの先にあるのは、沢山の大切な思い出をまた懐かしむことが出来る場所であり、大切な方とまた語り合うことが出来る浄土です。
私自身、いつか命を終えていきます。その時には10年前作文に書いた「生涯で一番美味しかったもの」の思い出や、今持っている大切な思い出、この先で抱えることが出来るかもしれない失いたくない思い出を持って、阿弥陀如来さまにお救い頂く予定です。大切な思い出と一緒に、御礼の言葉も持って往こうと思います。2月、春の足音近づく中で、ご自身の命とその往き先に想いを馳せてみてはいかがでしょうか。合掌

■「生きてる 生きてく」
「すみません、住職かと思いました。」 最近、寺にかかってくる電話に出るとよく言われる言葉です。私は現在生まれ育った寺で副住職を務めさせていただいており、住職は私の父です。体形は父のふっくらしたそれに徐々に近づいている実感はありましたが、声やしゃべり方も年々似ていくそうです。さらには、私の子どもも、時折父によく似た表情を見せることがあり、遺伝は怖いものだとドキッとさせられます。
今回のタイトル『生きてる 生きてく』は、2012年に公開された『ドラえもんのび太と奇跡の島』という映画の主題歌です。歌手や俳優などマルチに活動されている福山雅治さんが作詞作曲をされて、ご本人が軽快なメロディーにのせて歌っていらっしゃいます。その中で次のような歌詞が出てまいります。
そうだ僕は僕だけで出来てるわけじゃない 100年1000年前の遺伝子に 誉めてもらえるように いまを生きてる 
こんな僕の人生のいいことやダメなことが 100年先で頑張っている遺伝子に 役に立てますように いまを生きてる
何千年も前から脈々と受け継がれてきた奇跡の結晶である自分の生命に感謝し、それをかみしめて丁寧に生きていこうという意思、また、未来に生きる自分の子孫へとつながっているこの生命を精一杯生きていこうという意思を、子どもにも親しみやすいように、あえてくだけた文体の歌詞にされています。私の息子がこの曲を聴いて、「100年前も1000年前も、自分と血がつながってる人が生きているんだねー」と感動した顔をしていて、平易な言葉を使う重要性と音楽の偉大さを感じるとともに、私が今まで折々に話してきたご先祖の話は全く響いていなかったのだなと、自分の説教力の乏しさに愕然といたしました。
改めて自分のことを振り返ってみると、ふとした時の口癖やものの考え方など、多くのことが誰かの影響を受けてできていることに気づかされます。それは血縁による遺伝はもちろん、学生時代の先生や友人、以前勤めていた会社の上司など、自分に関わる全ての人たちから様々なものをこの身に頂戴し吸収し、私という人間が出来上がっていることを痛感させられるのです。もちろん良いところも悪いところも含めてですが。きっと皆さんも多かれ少なかれ、そういった部分があるのではないでしょうか。
間もなく春のお彼岸を迎えます。お彼岸は、我々の行きつく先が阿弥陀様のいらっしゃる西方極楽浄土であることに思いを馳せる期間です。生きている間はお念仏の功徳を積むとともに阿弥陀様のお守りを受け、死を迎えたならば、先立った方々の待っている極楽浄土へ必ずお連れいただけるのだという、生きていく上での「安心」を心に植え付ける大切な仏教ウィークといえます。今年のお彼岸はそれと同時に、極楽浄土でお待ちいただいているご先祖さまや縁のあった方々のことを思い出し、先ほどの歌詞にもあるように、ご自身の中にその方の「いいことやダメなこと」のかけらを探してみてはいかがでしょうか。その人の良かったところはしっかりと受け継がせていただき、好きじゃなかったところは自分の中にそれがないかを確かめる。きっと先立った皆さまを本当の意味で自分の中にもう一度「活かす」ことになり、より心のこもったご供養へとつながってまいります。
さらには、今の自分の一挙手一投足が、顔も知らない子孫や後の人々へと受け継がれていく、そんなことにも少し心を傾け、お念仏とともにお過ごしください。  南無阿弥陀仏

■「ほどよく」
「はだかにて生まれてきたに何不足」 江戸時代の俳人、小林一茶の言葉です。人は何も持たず裸で生まれてくる。そんな中、多くの愛情や縁により多くものを得て今の自分があるというのに、これ以上、何が不足だというのだ、ということでしょう。今、私たちの日常生活の中は様々な“もの”であふれています。新たなものや便利なものは次から次へと生み出され、また、それらの情報はテレビやインターネットをはじめ、様々な方法であっという間に私たちにもたらされます。確かにそれらのものはとても魅力的ですし、経済的に余裕さえあれば容易に手に入れることもできます。また、多少の無理をしてでも手に入れようとする人もいるでしょう。ところが、そうして手に入れて、一時は満足を得られても、しばらくするとまた次が欲しくなるのは人の常というものでしょう。しかしそれではキリがありません。たとえば携帯電話。普及して30年ほどになるでしょうか。どこにいても連絡が取れるツールとして瞬く間に普及し、さらに様々な機能が付加されるたびに大きな話題ともなりました。ところがその携帯電話も今ではスマートフォンに取って代わられようとしており、そのスマホにおいては、もはや電話の機能も1つの付加価値になっているといえます。おそらく様々な機能を有効に使えている人は少ないのではないでしょうか。すでにキリが無いという状況になっているのかもしれません。
一般的にも使われている仏教語に「四苦八苦」という言葉があります。その8つの苦しみの中に「求不得苦(ぐふとくく)」という苦しみが挙げられていますが、文字通り「求めるものが得られない苦しみ」という意味で、まさに求めてもキリがないものを求め続けると、それが苦しみともなってしまうのです。さて、とはいえ、私たちにとって“欲”は切っても切れないものですし、それがすべて悪い方向へ向かうわけではなく、何かを成そうとするときの原動力や向上心につながっているという側面もあるでしょう。そこでぜひ実践していただきたいことは、たとえば物を買う時であれば、一呼吸ついて、「これは自分にとって本当に必要なものか」「必要以上に求めていないか」と考えること。それを少しずつでも続け、その習慣が自然と身についた時、仏教に説かれる「少欲知足」(欲を少なくして足るを知る)という意識に少し近づいたと言えるのかもしれません。決して「最低限で満足しろ」というわけではありません。小さなことでもそれを得た喜びを知り、それに感謝できることは心を豊かにしてくれるでしょう。
新入学生や新社会人をはじめ、4月は新生活をスタートさせる方が多い季節です。しっかりと前を見て、時には後を振り返り、また時には自らの行動を俯瞰してみる。そのようにして自分自身を見つめ、自分自身を知ることで、心にゆとりが持てるのではないでしょうか。気張り過ぎず、ほどよきところを見据えつつ、一歩一歩、進んでまいりましょう。

■「認めたくないですが。私が変われば息子が変わる。」
子供達の春休みの一日、江ノ島水族館へ行ってまいりました。暖かい日で、久々の親子でのお出かけに、最近荒れ気味の長男との平和な一日となる事を祈るような思いで出かけました。この春小学2年生になる長男は、なかなかの気難しいタイプで、幼稚園の頃から癇癪も酷く、悩んだ末に病院で診てもらったほどの、育児書などで表現されるところのいわゆる「育てにくい子」です。春休みがはじまり、長男と私がぶつかる時間も増え、お互いに疲れていた頃でしたが、この日は法務もなく、いざ休日を楽しもうと江ノ島まで繰り出しました。楽しみにしていたイルカショーを見ていたのですが、何故だかどうしてか泣けてくるのです。イルカとトリーターさん(調教師さん)の信頼関係が羨ましくてたまらなくなってきたのです。最初は「イルカすごいな。イルカの方がうちの子より言うこと聞くな…。いいなあ。」という思いだったのですが、みているうちに、イルカとトリーターさんが一緒に楽しんでショーをやる様子と、トリーターさんのイルカへ向ける笑顔と愛情表現を見て、「ああ あんなに笑顔で子供に向き合ってこなかったな…,」という自責の念が楽しいショーを見ながら込み上げてきました。「悪かったよ息子。もっと笑顔でいてあげればよかったよ。もっと褒めてあげればよかったよ。」と。そして、極め付けはとびきり元気な声で「イルカの目をじっと見て お互いの心を通じあわせるのです!」というアナウンスにとどめを刺されたようにがっくりしてしまうのでありました。そんな情け無い母である私、子育てがうまくいかず、毎日イライラしたり落ち込んだりの暗黒期真っ只中におりまして、藁をもすがる気持ちで、とある子育て講座を受講いたしました。この講座では、子供の躾やコントロールの仕方を学ぶのではなく、子どもの声を聴く、子どもに訊く、自分の声を聴くこと「他者受容」と「自己受容」を学びます。
「他者受容」は、自分と他人の思考の違いの傾向を知ること、また、子供に「お母さんは僕の話を聞いてくれている」という安心感を持たせてあげる話の聞き方等を学びます。子供の話を聞いていると、ついつい「でも」や、「いいから 〜しなさい」と話を遮って親の言い分を通そうとしてしまっていた事に気付きました。また「自己受容」は、怒ってしまう自分について。自分の中の「〜すべき」のルールが破られた時に人は怒るという「怒りのルーツ」を学びます。おかしなもので、他の受講者の「〜すべき」が、自分にとっては、そんなことで怒らんでもよいでしょう、というようなものだったりするのです。講座では若くて可愛い講師の先生が「相手を変えるのは大変だからお母さんが変わっちゃいましょう〜」「ギャーギャー言ってるお子さんをそのまま受け入れます!」と、お釈迦様の説かれた真理の法則のような事を拍子抜けしてしまうほど軽快に明るくおっしゃるので、出家までした私は何をしてきたのか・・・と情けなくなるのですが、できないことは認めねばなりません。なにしろ藁をもすがる暗黒期なのです。まさに法然上人の御遺訓にある「智者の振る舞いをせずしてただ一向に念仏すべし」の状況です。
なんとか、息子が世の中で渡っていけるようにとの思いで言ってしまう事も、所詮は自分の軸で言っているだけのことかもしれません。ふんふんと目を見て話を聞いていれば、冷静に話してくれることもあり、まさに「自分が変われば相手が変わる」を実感して反省するのでありました。暗黒期の我々親子と阿弥陀様と凡夫の関係を照らし合わせて、ふと、阿弥陀さまは煩悩や迷いに溺れている私達をどんな思いで見ていらっしゃるのだろうかと考えました。ついつい 口を出したくなったり、怒鳴りつけたい気持ちでいらっしゃるのだろうか。私のように、話半ばで「もう知らん!」と怒鳴って扉を閉めたりはしないだろう。そう思うと「ダメな子」「凡夫」である私達をそのままの身で引き受けてくださる阿弥陀様のありがたさたるや計り知れません。
これからありのままの息子をどれだけ認めて受け入れてあげられるだろうか。イルカの失敗も笑いながら受け入れているトリーターさんの様に。ありのままの私たちを受け入れてくださる阿弥陀様の様に。みなさんも自分軸に縛られて、怒りや煩わしさ、疲れに囲まれていないでしょうか?自分が変われば、周りも変わる。 自分を自分の怒り軸から解放するのが近道なのかもしれません。できない自分も受け入れて、愚者の自覚をもって至心懺悔 南無阿弥陀。 
 

 

■「「瞋恚」の来し方行く先〜お江の方の一生から」 
初夏らしくない梅雨らしくないと言われる気候の昨今でございます。今回は、大本山増上寺の名所「徳川家御廟」に祀られた「お江の方(1573〜1626)」をご紹介させていただきます。増上寺は江戸期より長きに渡り徳川将軍家の菩提寺でしたが、二代将軍秀忠公墓所を始め各墓所は空襲にて焼失しました。そのため現在秀忠公の御身柄が収められているのが、正室の「お江の方」の石塔です。さて、この「お江の方」、戦国時代ゆえの数奇な運命をたどった方でございました。
お江の方の実母は織田信長の妹・お市の方です。絶世の美女と謳われ、近江国の浅井長政に嫁いだものの、長政は実兄の信長に滅ぼされ、次いで再婚した柴田勝家は豊臣秀吉に滅ぼされ、夫と共に自害されました。お江の方の兄は浅井家滅亡時に秀吉に殺され、その秀吉の元に茶々・初・お江の三姉妹は引き取られることになります。姉の茶々は秀吉の側室(淀殿)となり、豊臣秀頼を産みましたが、徳川家康公による大阪城落城の際に秀頼と共に自害したと言われています。お江の方自身も、最初の結婚相手とは離縁させられ、次の結婚相手は朝鮮出兵で病死し、22歳の時に3回目の結婚で徳川秀忠公の元へ嫁ぐことになりました。母の死の原因となった秀吉に姉が嫁ぐというのも凄まじい話ですが、姉とその子を滅ぼした家康公の息子に嫁ぐことになったお江の方。以降、家光・忠長を始め二男五女を出産されましたが、家光公が三代将軍を継ぐにあたり、跡目争いに敗れた忠長は自刃されています。1626(寛永3)年、秀忠公に先んじて54歳にて死去。
滅ぼさねば滅ぼされる時代とはいえ、両親・継父・兄姉・夫・甥・実子を喪われた彼女の人生の道行きは並大抵のものではなかったでしょう。「大変気の強い方だった」と揶揄される面もありましたが、戦国武将の娘という覚悟があったとしても、気を強く持たねば生きていくことも叶わなかったのではないでしょうか。とはいえ、現代の日本でも、命まで取られはしないものの、見えない争いがそこかしこで起きています。経済力や見た目や肩書や人気を武器に、現実社会だけでなくインターネット・SNS等の見えない場所で日々戦い、傷ついている方もいらっしゃるでしょう。傷を負った心は、これ以上傷を負わないよう鎧を厚くしたり、苦しみや悲しみを怒りに換えたり、その怒りをより弱い立場の人にぶつけることで生き延びようとしがちです。
この「怒り」を仏教では「瞋恚(しんい)」と呼び、三つの煩悩「三毒」の一つに数えています。残りの二つは、「貪欲(むさぼる心)」と「愚痴(仏様のように物の真理を見極められない愚かさ)」です。他人から「毒」を投げつけられるのも堪ったものではありませんが、自分の心の中に「毒」を抱え続けていてもまた、心身が蝕まれて辛い日々となってしまいます。増上寺の正門は正式には「三解脱門」と名付けられていますが、門をくぐる際にこれらの「三毒」を一時でも手放し、極楽浄土を模した境内を経てご本尊の阿弥陀様にまみえよう、という祈りがこめられています。「怒り」の根底にあるのは、本来は苦しみや悲しみです。どんなに身近な立場でも、むしろ近い立場であればこそ、辛さの全てを分かってもらえること、分かってあげることができないというのがこの世のままならぬ部分でもあります。しかしながら、そんな私たち一人一人の苦しみ、悲しみといった心の襞の諸々を皆ご存じなのが阿弥陀様という仏様です。自分ではどうにもならない、コントロールできない部分を阿弥陀様に全てお預けする気持ちで南無阿弥陀仏と唱えるとき、阿弥陀様も私たちの言葉にできない苦しみまでも思いやり、力になろうとしてくださっています。
日頃からお念仏をしていただくことで、怒りに心が染まりそうになった時、怒りをぶつけられて辛い時に、阿弥陀様のお力がより強く皆様の心へ届くことと思います。心に余裕のある日からでもお念仏をお唱え頂ければ幸いです。最後に、増上寺にお参りの際には是非「徳川家御廟」にも足をお運びください。「宝物展示室」には在りし日の絢爛たる秀忠公墓所の精緻な1/10模型も展示されております。

■「“そのとき” に備えていますか?」
皆さまは、常日頃から災害に対する備えはありますか? 私ごとですが、今年の一月に防災士という資格を取得しました。防災士とは、日本防災士機構が認証した民間資格ですので特別な権限はありませんが、日頃から地域の防災について考え、地域の防災力を高めるリーダーとしての役割を担うという位置づけです。その講習会では、ワークショップなどの実践的活動と防災知識に関する講義があり、久しぶりに机に向かって、テスト勉強をしました。学生時代から長〜いブランクがありましたので、なかなか難儀いたしました。今回は防災士として、浄土宗僧侶として、“そのとき”の備えについてお話しさせて頂きます。まず、防災の基本柱は三つ。 1「自助」 2「共助」 3「公助」 があります。一つめの「自助」とは、自分の命は自分で守る、ということ。二つめの「共助」は、共に助け合う。三つめの「公助」は、国や自治体の公の助け、救援物資や支援ということです。この防災士講習のなかで、ある講師の方がおっしゃいました。「公助の先は無いから、とにかく後悔しないように万全な備えをしなさい、防災の基本は自助です。普段の備えこそが一番大切です、普段の備えがあってこそ日々の生活を安心して心穏やかに過ごせるのです」と。私はその言葉を受けて、改めて考えさせられました。
『天災は忘れた頃にやってくる』、皆さんも聞いたことがあるとおもいますが、明治の文豪家、寺田寅彦氏の残した有名な警句です。しかしながらここ数年、温暖化の影響もあってか、忘れる間もなく次々と自然災害が発生しているように感じます。東日本大震災、鬼怒川の氾濫、最近では大分県の土砂災害など規模の大小にかかわらず多くの災害が日本を襲っています。では、もっと昔の時代に目を向けてみるとどうでしょうか?例えば浄土宗宗祖、法然上人の時代です。戦乱や飢饉、貧困、自然災害、疫病。たくさんの人々の命が奪われてしまう災いがすぐそこ日常にあったのです。そこで、法然上人は「南無阿弥陀佛」と称えれば、どんな方でも必ず等しく救われる、「南無阿弥陀佛」のみ教え、浄土宗をお開きになったのです。
今も昔も、時代がいくら変化しようとも、“そのとき”というのは、私たちの普段の暮らしの影に息を潜めてジッとしているのです。「公助の先は無い・・・・」という防災講師の先生の言葉に対して、私は思いました。「私たちには法然上人のお念仏のみ教えがあるじゃないか」と。私たち浄土宗の信者は、法然上人のお念仏のみ教え「南無阿弥陀佛」を心のより処としております。お念仏をお称えすれば、どんな人でも極楽浄土の阿弥陀さまが、必ず極楽浄土に救いとってくださいます、決して見捨てたり見落としたりはいたしません。私たちには「公助」の先に阿弥陀さまの救済がございます。念仏による阿弥陀さまからの救いの手ですから、まさに「救助」ですね。防災には普段の備え、「自助」が一番大切です。同じように阿弥陀さまの救い、「救助」を得るには普段からの備えが必要です。この備えこそ「南無阿弥陀佛」のお念仏に他なりません。お念仏の備えですので、「念助」とでもいうのでしょうか。。。
“そのとき”というのは、忘れた頃にやってきます。東日本大震災後、災害に対する意識が高まりました。防災グッズも世の中に数多く出回っています。そこで、防災士の私から、皆さまに準備して頂きたいことがあります。日本のどこで災害が起こっても遅くとも三日で救援物資(公助)がゆき届くそうです。最低でも物資が届くまでの三日間分の備蓄(自助)をして下さい。基本は食糧、飲料水、衣類などです。赤ちゃんがいるご家庭は、粉ミルクや紙おむつ、保存の効く離乳食など。ご高齢の方は、普段から服用しているお薬など。それぞれの生活習慣にあったものを非常持出し袋に入れておきましょう。また「共助」として、日頃から近所の方とのコミュニケーションも大切です。
そして、最後に浄土宗僧侶の私から、皆さまに準備して頂きたいことがあります。極楽浄土に往生(救助)する為の日頃からの備え、お念仏(念助)です。普段からお称えしてこそ、念助となります。お念仏(念助)の中にこそ、自助も、共助も、公助もあり、そしてその先の救済もあるのです。それでも私を含め、自信を持って備えているよ!と言える方は少ないのではないでしょうか。簡単だからつい忘れがちになってしまいますが、お念仏をお称えするのに道具はいりません、時間も場所もどこでも構いません、どうぞ皆さま方、日々の生活を安心して心穏やかに暮らす為に、そして寿命が尽きた“そのとき”に、慌てないですむように、共々に生涯に渡って日々のお念仏をお称えしていきましょう。

■「南無阿弥陀仏」と称えない方を、阿弥陀様は救われないのか?
平成30年7月豪雨により逝去された方々に哀悼の意を表します。また、一刻も早く行方不明の方々が無事発見されますこと、少しでも早く被災された方々の生活が元に戻られますことを祈念いたします。浄土宗も青年僧侶の街頭募金を皮切りに、継続的な支援をしてまいります。何卒お支えいただきますよう、よろしくお願いいたします。地震、津波、噴火、豪雪、豪雨などの災害。海外に目を転じても大旱魃(かんばつ)や竜巻といった自然災害ばかりではなく、放射能被害、銃乱射事件やテロ事件などにいつ遭遇するかわからない世の中と感じます。多くの方々の身内や知人が災害や事件に巻き込まれています。他人事とは思えません。
「あなた…。今どこにいるの?」 当事者の方は、胸も潰れる思いでしょう。「御隠れになったあの方、行方が分からないあの方は、一体どうなさっているのだろうか?」「仏様や神様は助けてくださるのだろうか?」 直接のご親族でなくとも、多くの方がお思いになられたのではないでしょうか。「私の国に生まれたいと願い、私の名を称えるすべての方を救う」 この阿弥陀様の願いを信じて念仏称える方は救済される。では、称えなかった方は?救われないのだろうか?
今年50回忌を迎えた私の祖父、土屋観道上人も修行時代に同様の疑問を持ちました。死への恐怖が人一倍強かった彼は浄土教に救われ、早稲田大学理工学部をやめて宗教大学(大正大学の前身)に転身し僧侶になります。大正5年から数年間、宗教大学教授(後の京都百万遍知恩寺66世)中島観e上人と、光明主義を提唱された近代の高徳、山崎弁栄上人(明年100回忌)という二人の師匠と、増上寺山内多聞室(現多聞院)で起居を共にいたしました。後に眞生(しんせい)主義を掲げ念仏興隆運動を展開することになります。
ある日、観道青年は観e上人に尋ねました。観道「阿弥陀様は、菩薩の時代に念仏を称えたものをお救い下さる願い(本願)をたてたといいますが、称えない人も救ったっていいじゃないですか?」 観e「もう願いを立ちゃったんだから、しょうがないだろ。どうしてもというなら『称えない人も救う』という願いをお前がおこせ。観道、お前もなかなか頭がいいが、俺が考えるに、阿弥陀様の方がお前より知恵が深いと思うが、どうだ? だが、とても大切な疑問だから念仏修養の中で、時々その疑問を棚から下ろして考えてみなさい」と言われたそうです。さすがの観道も阿弥陀様と比べられたら二の句が継げなかったと言います。
師僧の観e上人は 「助け給え。南無阿弥陀仏、助け給え。南無阿弥陀仏」と悲痛なまでの声で自らの救済を願いながら、時として「わが姿を見んもの、わが声を聞かんもの、ことごとく往生を得せしめん」どうか阿弥陀様、私を浄土にお迎えください。往生がかなうならば必ずや仏となり、私の姿を一目見た人、私の声を一声聞いた人を、ことごとく往生させずにはおきません。と自らの願いの言葉を称えていらしたと言います。自ら積んだ善根功徳の報いを自分だけのものにせず他者に振り向けることを回向と申します。例えば、お隣さんの下山さんが温泉饅頭を買ってきてくださった。日頃仲良くしている功徳ですね。全部食べてもいいのですけれど、お向かいの上川さんのお宅に「下山さんから頂いたお饅頭、少しだけどおすそ分け。どうぞ召し上がれ」とお持ちになる。功徳を自分だけのものにしない。文字通り、回し向けることが回向です。
法然上人は、「平生においては毎日のお念仏をも、ともかく懇ろ(ねんごろ)に振り向けましょう」 毎日、念仏を称えた功徳を、亡き方、苦しみの世界にいる方に回向しましょう、と仰り、無量寿経 光明歎徳章をおひきになっていらっしゃいます。(勅修御伝第23巻)
もし三途勤苦(さんずごんく)(火途、刀途、血途(かず、とうず、けちず))の境涯(きょうがい)にあって、この光明に見(まみ)えさせていただければ、みな休息を得て、苦悩がなくなり、その境涯のいのち終わった後、皆ことごとく苦しみの世界を離れさせていただけます。
念仏を回向するならば、阿弥陀様は、すべての世界に光を放って、生きとし生けるものをお救いくださいます。たとえ三途(火塗・刀塗・血塗)と言われる地獄(絶望)、餓鬼(不平不満)、畜生(恩知らず)という恐ろしい世界にいらっしゃる方も、阿弥陀仏の光に見えることができるならば、休息を得て苦しみを免れ、その世界の命終わる時、苦しみの世界を離れ往生させて頂くことができます、とお説きになっています。
「70億人平等往生」と私はよく申しております。(2018.7.24現在、世界人口74億8520万人)しかし阿弥陀様の救済は地球上の人間世界に限られるものではありませんでした。阿弥陀様は、本願を信じ念仏を称える方を救う、とお誓いになられましたが、たとえ念仏にご縁がなかった方、称えなかった方もお見捨てにはなりません。すべての世界を仏様の光明は照らしているのでした。念仏の教えは究極の平等救済の教えであります。
観道上人は、大正11年に次のようにおっしゃっています。「眞生主義は、宗祖法然上人の教えを正しく現代に受け継ぐことを理念としました。この世は闇の世、苦しみの世界と考えるのは自分の目が曇っていたためで、一歩進んで目さえ開ければ、光明はどこにもここにも充ち満ちています。至心に念仏申す人は如来の光明をこうむり、いつしか霊性が開発され、現実の世界でそのまま助かる道が感得されます。未来の救済を願うだけではなく、ただ今から未来世を貫く、永遠の生命と無限の向上を求め、人格の完成を目指します。」この眞生の盟(ちかい)を同じくする念仏ネットワークが、眞生同盟です。
念仏を称える身は、阿弥陀様に日々護られ、お育てを受け、必ず浄土に迎え取られる、願いがかけられた存在です。その願いに報いるように、仏となる願いをおこし、生きとし生けるものの救済を目指す、そして仏様の御心を少しでもこの世に表すことができるよう、念仏回向していくことが使命であると思います。今日生かされていることを感謝し、使命を果たす御恵みを請い、念仏精進してまいりましょう。南無阿弥陀仏

■「心に笑顔をもって。」
28年前。私は、あるお宅のお誕生日会に呼ばれていました。海外では、子供のお誕生日会にクラウン(ピエロ)を呼んで盛り上がります。玄関先に「人は出会いで人生が180度変わる」というような額が飾られていたのを覚えています。何故こんな話から始まるかというと、その始まりを話さないと話は見えてきません。
32年前の3月。私は、浄土宗大本山増上寺で3年間の修行を終え、実家の寺に戻り副住職として法務に専念するつもりでいましたが、その年の9月に「リングリングサーカス&バーナム&ベイリークラウンカレッジ」というサーカス学校の日本校に突然の入学、クラウンとなりました。このサーカスは、ヒュー・ジャックマンが演じたミュージカル映画『グレイテストショウマン』のモデルとなったものです。ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。私が、なぜ180度も違う世界に身を投じたのか?それは、ただただ好奇心からでした。
私がその学校で学んだこと、それは“All for you, it’s my pleasure”(すべては、あなたの為に、それが私の喜び)の精神です。私は、子供の頃から人見知りが激しく人前で何かをすることや話すことができませんでした。ところが、サーカス学校では、ジャグリングにバルーン芸、マジックにパントマイムなど、あらゆる基礎的技術を学び、それを実際に人前で試してみるのです。最初は、観客を喜ばせる技術も乏しく、当然笑いも起こらず拍手もありません。練習に練習を重ね何度もチャレンジしていると、度胸も据わりウケなくても動じなくなります。そのうちに、お客様が喜んでくれて笑顔も少しずつ増えてくると、その輪の中にいることが自分にとっての最大の喜びになっていきました。「皆さんが素敵な笑顔を見せてくれるなら喜んでなんでもしますよ!」“All for you, it’s my pleasure” この学校の扉を開いたおかげで、人生の価値観が180度変わりました。私は、現在、住職と芸人との二足の草鞋を履いています。これは、とても極端な生き方かもしれません。しかし、私にとっての根底は同じです。人生に、ユーモアや笑いは不可欠。私は、サーカス学校に行って「笑顔の種」を、たくさん貰ってきました。
皆様も同じように「笑顔の種」を心の中に、たくさんお持ちのはずです。優しさや思いやりを届けることでも人は笑顔になります。口角を上げて笑顔を作ることだけでも体内から幸福ホルモンのセロトニンが出てストレス発散に繋がります。笑うことによって免疫力もアップするといいます。女性に嬉しいのは美顔・美肌効果にもなるそうですよ。人を受けいれる時も、しかめっ面の人はいません。誰もが笑顔で人を迎えるでしょう。嫌なこと辛いことがあっても「明けない夜は無い」という言葉があるように、沈んだ心を「笑顔」という明るい灯で、あたたかく心を照らしてくれます。身近な人から始めて、そこから、たくさんの種を蒔いて、皆様が「笑顔大使」となって周りに笑顔の花を咲かせてゆきませんか。笑顔は、世界共通の言語です。笑顔のお花畑が広がると怒りや憎しみのない世界に一歩ずつでも近づくことでしょう。人は仏縁によって繋がり笑顔で人は癒される。

■「月と寺参り」
夏の盛りのある夜、等々力陸上競技場は沸いていました。グラウンドで展開される川崎フロンターレの美しいサッカーと、それを声で後押しする私を含む2万人以上のサポーター。熱気の匂い。そして、見上げれば、スタジアムの照明のはるか上に、半分に欠けた月。月はもちろん、選手たちや観客だけではなく、私たちが先ほどまでいたフロンパークの後片付けをするスタッフも照らします。
フロンパークは、等々力陸上競技場の隣にある広場です。ホームチームのフロンターレが、試合前の多種多様なイベントを行うのに活用しています。私が所属している北部組教化分団はフロンターレと縁があって、その日は部内の若手の僧侶12人で「発酵美話(はっこうびトーク)」というブースを設けました。
―お坊さんに話を聞いてもらって心の中からキレイになろう―というのが「発酵美話」のコンセプトでしたが、猛暑にも関わらず、ブースには多くの方が来てくれました。年輩の奥様が「兄弟と折り合いが悪くて」と相談されていたり、熱心なサポーターの男性が「もっとフロンターレの力になるためにはどうすればいいか」と目を輝かせていたり、中学生の女の子が「親友の彼氏に恋愛相談をしていたらその人を好きになってしまった」と沈んでいたり…。もちろん、ただただ世間話に来た方も多くいました。みなさまに共通していたのは、この地域に住んでいて、フロンターレを応援していて、誰かに自分の話を聞いてほしかったことです。
フロンターレの試合が終わって落ち着いてから、私は「発酵美話」に来てくれた方たちのことを想いました。少しでも前向きになれてくれていたら、願わくは、フロンターレの勝利をスタジアムで見届けた後に、夜空の中に浮かぶ美しい弦月に気付くぐらいには。
読者のみなさまは、法然上人が歌われた浄土宗の宗歌をご存知でしょうか。月にまつわる、次のような歌です。
月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ
月の光は全てのものを照らして里山にくまなく降り注いでいるけれど月を眺める人以外はその月の美しさはわからない、という意味で、阿弥陀仏の慈悲の心を月にかけて歌われています。今、浄土宗の僧侶に求められているのは、みなさまに念仏を称える心持ちになってもらうこと、すなわち、月を眺めるような余裕を持ってもらうことだと考えています。そのような考えのもと、地域の方たちの話を聞く機会を増やしたい思いもあって、私は自分のお寺で「みんなの全學寺プロジェクト」を立ち上げました。『陽気なボウズが地域を回す』というフリーペーパーをほぼ毎月発行し、妻がバリスタとしてスペシャリティコーヒーを無料で提供する「ゼンガクジ・フリー・コーヒースタンド」を土日にオープンしています。(全學寺フリーペーパーはこちら)
また、毎月第3土曜日には「てらのひ」と題して、手芸や講座と共に、若手の僧侶にお願いしてお参りイベントを開催しています。試合前のフロンパークほどの賑わいではもちろんありませんが、心穏やかに念仏をお唱えしています。このホームページをご覧のみなさまに1番お伝えしたいのは、「墓参り」でなくとも、「寺参り」をしてほしいということです。みなさまの想像よりも多くのお寺がイベントやふれあいを企画しています。自分の菩提寺や地域のお寺に、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。そして、そのお寺で僧侶と話したら、夜は月を眺めながら法然上人が歌った宗歌を思い出して、阿弥陀仏の慈悲の心に思いを馳せてほしいと思います。この『今月の法話』を最後まで読まれた方も、今日の夜空を見上げていただけたら幸いです。新月ではありませんように。 南無阿弥陀仏。 
 

 

■「分け隔てのない仏さまの光」
9月のお彼岸が過ぎたころ、住職方の会合で「今月の法話」の執筆を引き受けてしまいました。人前でまともに話もできない身でありながら、この大役をどうしたものかと悩みつつ、書かせていただいています。世間では11月になりますと、十夜法要も盛んになってまいりますが、私のお寺では十夜法要を行っていないので、行事の準備もすることなく、近隣のお寺にお手伝いに上がるだけに過ごしています。私は特に浄土宗の僧侶の中で、「人権」について学ぶ委員会に所属しています。11月はさまざまな委員会が多く催される月ですが、私も人権の研修会の準備をしたり、他団体の人権研修会に足を運んだりして学びを深めています。このページをご覧の方々は、浄土宗のお檀家やそうでない方々や、僧侶の方もおられることと思います。企業やお役所にお勤めの方の中には、人権の研修会をお受けになった方も多いでしょう。昭和40年以降に生まれたお坊さんは、浄土宗の僧侶の資格を得る課程で人権の講義を聞くことが必要となっています。人権の学びとは「さまざまな差別をしない、させない」ということに尽きるのですが、このことは当たり前と理解していても自らの身にかんがみると、はたして大丈夫なのかといつも自省しています。仏さまは、分け隔てなく、すべてのものを救うとのお誓いを立てられました。お念仏は、阿弥陀さまのお誓いにより「南無阿弥陀仏」ととなえれば、すべての人を救ってくださる「分け隔てのない」教えです。「人権」の根本的な精神と共通の教えです。
浄土宗をお開きになった法然上人は、
月影の いたらぬさとは なけれども ながむるひとの こころにぞすむ
と、お詠みになりました。私たちが頼りにする阿弥陀さまを月にたとえて、見上げる人の意識の中に入ってくる様子を表現しています。いたらない我が身ですが、一声でも多く、一人でも多くの人たちにとなえてもらえたらと思います。誰でも、いつでも、どこでも唱えられるお念仏こそ、生きとし生けるものの平等を掲げる「人権」の元となる教えだと思うのです。差別のない社会を、お念仏のひと声から築いていく「人権」をともに学んでまいりたいと思います。最後までお読みいただき有り難うございました。

■「御縁をいただいて」
私は浄土宗東京教区児童教化連盟の運営に携わらせていただいております。その御縁で毎年、城北組子供会のお手伝いにも参加しております。毎年、子供会が終わりますと、吉例によりまして反省会をスタッフで行います。その雑談のなかで、お手伝い頂いた看護師の方(以降Aさん)から、お話を伺うご縁を頂きました。「ちょっと、聞いてください。」と言ってお話を始められました。Aさんは、お勤め先の病院では(詳細な内容は省きますが)人間の尊厳に踏み込む様なたいへん過酷なお仕事をされております。日々、患者さんの看護は心理的にハードで非常に疲れるとのことでした。お話を伺っているうちに、何か力付けてあげなければと思い、拙い頭を巡らせていると、お檀家さんへ配るパンフレットに「四摂法」の話があった事を思い出しました。
「四摂法(ししょうぼう)」=「四摂事」(ししょうじ)とは、 人々を救うために、人々をおさめて守る四つの行いです。
(1)布施 与えること。
(2)愛語 優しい言葉をかけること。
(3)利行(りぎょう) ためをはかること
(4)同事(どうじ) 協同すること  
この話をAさんの話に当てはめると、看護の仕事は患者さんのことを考えて、和やかな顔で患者さんに接する「布施」、相手の気持ちを察して優しい言葉をかける「愛語」、患者さんのためをはかって心を癒す「利行」、患者さんに寄り添い相手の身になって協同する「同事」のような形で、看護の仕事は患者さんに寄り添い、心と体を癒す素晴らしい仕事です。頑張って下さいと声をかけて励まそうと思っていたのですが、Aさんは「お坊さん、こんな時はどうしたらいいの?」と言って私を見ました。私は『はっ』として、「お念仏をおとなえ下さい。南無阿弥陀仏と声に出せるときは声に出して、声に出せないときは心の中で。」と答えました。Aさんは、何か得心したようで「やってみます。来年も子供会の手伝いをしたいです。」とおっしゃって笑顔でお帰りになりました。この時、浄土宗宗祖法然上人の一枚起請文の『智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし』の部分が頭に浮かびまして、何か余分なことを言わずに、お念仏なんだと気付かせていただいた次第です。今回、このことでAさんに御縁をいただいて、自分が「はっ」として、お念仏を再度強く認識したことで、さらにいろいろな方々にお念仏を勧めて参りたく思いました。ありがとうございました。至心合掌 南無阿弥陀仏

■「幸せ」の意味を問い直す〜「お念仏から始まる幸せ」に寄せて〜
浄土宗開宗850年
浄土宗では、5年後の2024年に「開宗850年」を迎えます。これは宗祖・法然上人が誰もが救われる道を求め、阿弥陀仏のお名前を称える念仏を広めて「浄土宗」を開いて850年が経過した、尊く大きな節目の年に当たります。この尊い意義を伝えるために、浄土宗では「お念仏から始まる幸せ」という標語を掲げ、檀信徒をはじめ広く社会の人々に広宣していく予定となっています。そういえば「幸せ」とは何でしょう?今月の法話ではこの標語に取り上げられた「幸せ」の意味について、改めて考えてみたいと思います。
幸せとは何か?
「人生百年時代」といわれる中、95歳の文筆家・佐藤愛子さんが「幸福とは何ぞや」という著書を出されました。「幸せとは何か?」と問いかける編集者に対して佐藤さんは「自分の幸せをなんで人にたずねるのか」と、幸せは各自、みな異なるものと話しています。「私たち大正生まれは、幸せが何かなんて考えたこともなかった」 「毎日を生きるのがせいいっぱいで、幸せになろうとして生きたのではなく、明日に向かって、目の前の現実を生きようとして、ひたすら生きてきただけだった」と語っています。戦中戦後を生き抜いてきた人だからこそ言える言葉ではないでしょうか。それに対して現代は、何でもできて当たり前、あって当たり前の時代で、些細なことでも一から作りあげる苦労や大変さも知らずにいる人が多くて、反って幸せを感じる力が弱くなってしまっているのではないか、と指摘する声も聞かれます。便利さと増殖されていく欲望とによって、われわれ現代人は、幸せを感じる力が昔と比べて弱まってしまったのではないでしょうか。
「苦の世界」に生きる私たち
幸せを願わぬ人はいないでしょう。しかし幸せを願っても、私たちの生活や人生は、悲しみや思うようにならない辛い出来事にも出会うものです。中には自身の人生を見つめると、悲しみの数の方が幸せの数より多いという人もおられます。なぜこんな苦しい目に会わなければならないのか、どうして思うように生きられないのか、人生を苦しみに感じる人は少なくないと思います。お釈迦さまは、この世の中とは「耐え忍ばなければならない苦しみの世界」だと教えられました。この「苦しみの世界」のことをインドの言葉で「娑婆(シャバ)」といい、中国では「忍土」(耐え忍ぶ場所)と翻訳されました。この世が苦しみの世界なら、生きてゆく意味や甲斐など、ありゃしないと思う人は少なくないと思います。釈尊は、その苦しみの世界の原因となっているものが、私たちの「とらわれの心(煩悩)」だと教えられました。仏教とはそのとらわれの心をなくし、幸せの実感を得て生きる教え、と言い換えることができます。しかしその迷いの心を失くすこともできない私たち、当たり前の人間(凡夫(ぼんぷ))は、仏さまに救ってもらうほか、真実の苦しみからの救済は得られません。
マイナスを転じた「有難さ」
なに不自由なく生活している日常には、感じられなかった幸せを、マイナス「負」の体験をするところから感じることができることが、しばしばあります。病気一つしない健康な生活を送っていた人が、病気を得ていのちの危機というマイナスな出来事に出会って、今まで感じることのできなかった「いのち」をいただいている、それ自体に対する「有難さ」を初めて感じたという人は多いものです。また人生の苦難や悲しみに出会って、今まで平穏無事に過ごしてきたことを、初めて「有難く」感じたという例も同様です。当たり前のように過ごしていることが、実は非常にかけがえのない稀有な出来事であることに気づかされることを「有ることが難しい」「有難い」と私たち日本人は表現してきました。そしてそれを実感するのは、人によって異なるものです。「幸せ」とは「有難さを実感すること」と言い換えることができるのではないでしょうか。
お念仏から始まる幸せ
人が生きる中には、人の力ではどうしようもならない出来事に出会わなければならないことがあります。突然の事故や死との出会いは、その代表的なものです。何もない穏やかな日常の中で、突然の死は音も立てずにやってくるものです。
いつものように夜の時間を過ごし、お休みの挨拶を交わし、眠りにつく。翌朝、なかなか起きてこない家族に、心配して寝室を尋ねると、すでに冷たくなって横たわった姿に出会う。このような死の様子は、住職をしていると年に一度、二度、必ずと言っていいほど遭遇する事例です。別れの挨拶も交わすことなく一生を終えた家族の死に、呆然とする家族。高齢者とは限らず、若い方々の中にも、こうした死の場面にしばしば出会います。遺族も私たち僧侶も、こうして亡くなった人に何をしてあげることができましょう。何もすることができない、死を前にしたその中で「いのちが終わる」のではなく、仏の世界、極楽浄土へ「いのちが生まれていく」ことを願い、祈ることしかできないのではないでしょうか。極楽浄土の御仏・阿弥陀仏と諸菩薩の確かなお迎えを願い「なむあみだぶつ」と称えることしか、私たち当たり前の人間にできることなどありません。まさにそこから仏の世界にいのちは生きて、始まっていくのです。浄土宗を開かれた法然上人は、眠る前に十念を称えることをおすすめになりました。このことをお伝えすると、家族は御仏の世界に「いのちのある」ことに有難さを感じ、死のもつ「終わり」というマイナスのイメージを転じ、御仏の世界に「生まれ、生きる」という有難さを、深い共鳴と感動とともに感じていただくことができるのです。まさにいのちの営みに、お念仏から始まる有難さ、幸せを感じることができると信じられます。
今年は、新しい時代を迎えます。たとえ世の中がどんなに移ろい変わろうとも、変わることのない心といのちの平穏を願い、お念仏を称えることから有難さを、幸せを実感して生きてまいりましょう。 合掌 十念

■「随喜随悲」
喜び悲しみをともにする
私は国際仏教興隆協会という、インドのブッダガヤで印度山日本寺(いんどさん・にっぽんじ)というお寺を運営している公益財団法人の事務員として勤めております。ブッダガヤは「お釈迦様がお悟りを得られた聖地」として知られ、誕生の地ルンビニー、初めて説法をした地サールナート、入滅の地クシナガラと並んで仏教の四大聖地のひとつに数えられます。その場所に50年ほど前、浄土宗を始め宗派の違いを越えて、日本の仏教徒が協力して、日本仏教の寺院としてお寺を建立しました。インドの聖地にある日本仏教徒みんなのお寺、その名も印度山日本寺です。ブッダガヤの町の中心にはマハーボーディ寺院(大菩提寺)があり、その境内には大きな菩提樹の木があります。ここが正しくお釈迦様がお悟りを得られた場所です。2600年ほど前、お釈迦様はこの地にあった菩提樹の木の下でお悟りを得られました。
悟りを目指す仏教徒において、お釈迦様が実際に悟りを得られたこの地は最上の聖地とされ、世界中の仏教徒をはじめ、多くの観光客も参拝にやってきます。2002年には世界文化遺産に登録されました。
ブッダガヤを訪れる仏教徒は、皆それぞれの国に伝わった教えに基づき、参拝や修行を重ねています。マハーボーディ寺院の塔の周囲を五体投地という礼拝をしながら進む人や、近くに犬が来ようとも静かに何時間も瞑想を続ける人、体を揺らし独特のリズムで懸命に経を読む人、皆、熱心に行じています。気候の良いシーズンともなると境内は人でごった返し、仏法がこんなにも広まっていることを、そしてその仏法に依って行ずる人が多いことを改めて感じさせられます。ちなみにインドでは、仏教自体は衰退しヒンドゥー教の中に取り込まれますが、お釈迦様もヒンドゥー教の神様の一人であるため、多くのヒンドゥー教徒の方々も参拝に訪れます。この地は、仏教・お釈迦様という共有点をもとに人々が集まる聖地という環境が他のまちとは異なり、何とも言えない独特の平和な雰囲気を作り出しています。しかしその一方で、ブッダガヤの位置するビハール州は、広いインドの中でも最も貧しいとも言われる地域です。識字率も低く、これといった産業がないため、現地の住民には厳しい生活をする人も多く暮らしています。直接土の上で生活をしたり、小さい子がさらに小さい子の子守をしていたり、さらには物乞いをせざるを得ない方もいます。マハーボーディ寺院など外に出るたびに彼らを目にし、どう振る舞ってよいものか戸惑い、その光景に心を痛めたのは私だけではないと思います。
ここブッダガヤに参りますと、喜び悲しみをともにする「随喜」「随悲」、という教えを強く意識させられます。お釈迦様は、他人が善い行いを修めるのを見ては、ともにこれを喜び、困難に向かう人を見れば、ともに震えともに悲しむ、その心を常に意識し実践するよう教えられました。海外の仏教に精通し活躍された先人であります渡辺海旭上人(1872ー1933)は、「最も美しい仏教の言葉」としてこの随悲をあげています。お釈迦様は古(いにしえ)のこの地で辛く困難に向かう人に寄り添い、ともに震え、ともに悲しんだことでしょう。そしてまた、数限りない苦悩する人々のために、こころを震わせ、ともに悲しみ、ともに痛みを感じてくださる仏様がいます、それが阿弥陀如来様です。私たちが「南無阿弥陀仏」とそのお名前を呼ぶだけでそばにいてくれ、どんなときにも離れずにいてくださる。こんなに心強いことはありません。阿弥陀様と離れないためには、日ごろのお念仏が肝要です。皆様がお念仏とともに、阿弥陀様とともに、お念仏の生活をお送り頂けたら幸いです。南無阿弥陀仏

■「知っておいてほしい“成年後見制度”のこと」
突然ですが、皆様は“成年後見制度”とは何かご存知でしょうか。すでに制度を利用しているという方はもちろん、テレビなどで取り上げられることもあるので、名前は知っていても内容まではよくわからないという方、または全く聞いたことがない方もいるかと思います。私のお寺では、過去に何度か“成年後見制度”の講習会を行ったことがあり、今でも必要に応じて相談を受けたり専門家を紹介したりしています。法律のことですから僧侶にとって専門外のことですが、少子高齢の日本社会で檀家さんを守るためにはどうしても必要なことだと私のお寺では考えています。しかし、制度のことに関心のない方は、当然講習や相談には来てくれません。今回はこの場をお借りして、“成年後見制度”のことを簡単にですが説明して、少しでも関心を持つ方が増えていただければと思います。
“成年後見制度”とは、「老化・認知症や知的障害などで判断能力が不十分な方が、財産管理や各種契約の際に不利益にならないよう、家庭裁判所に申し立てをしてその方を援助する人(後見人)を付けて、法律面・生活面から保護し支援する制度」です。例えば、「認知症にかかった家族を介護施設に入居させるために本人の定期預金を解約したい。」という場合、家族なら手続きができると考えている方も多いですが、事実として後見人でなければ手続きは難しいです。他にも、“成年後見制度”を上手に利用すれば、一人暮らしの老人が悪質な訪問販売で高額な商品を買ってしまった時に被害を防ぐことができるなど、様々なメリットが考えられます。
“成年後見制度”は大きく分けて“法定後見制度”と“任意後見制度”の2つがあります。今回私が特に皆様に知っていただき、そして利用してほしいのは、この“任意後見制度”の方です。“任意後見制度”とは、本人の判断力があるうちに、将来の後見人と援助してもらう内容とを本人自身で事前に決めておける制度です。基本的にはどんな人でも任意後見人になれるので、頼ることのできる親族がいない方でも、信用のおける友人や弁護士・司法書士などの専門家を頼ることができます。一方、“法定後見制度”とは、本人の判断力が衰えてしまった後に、その方の家族や市区町村長などが申し立てをして利用する制度で、以前の禁治産制度に当たるものです。
「誰がいつ認知症になるかなんてわからないし、気にするのは早くないか。」と考える方もいるでしょう。確かに、将来のことは誰にもわかりませんし、判断力が衰えてからでも“法定後見制度”は利用ができます。しかし、それだと誰が後見人になるのか、何を支援してもらうのかなどは家庭裁判所が決めることになり、今現在の本人の意志は尊重されなくなってしまいます。ですから、ご家族や皆様自身が元気なうちに、いざという時に備えて“任意後見制度”を利用しておけば、将来にわたって皆様が希望する暮らしを実現できる可能性が高くなるのです。
お釈迦様は人生の苦しみを大きく分けて「生老病死」の四つの苦を示されました。“成年後見制度”はこの「生老病死」のための準備です。そして普段からのお念仏は阿弥陀様の極楽浄土に往生するための準備です。法律と宗教を上手に使い、不安を解消して、安心の出来る人生を過ごしていただければと思います。ここでは詳しく書けませんでしたが、“成年後見制度”は対象の方にあわせて様々な種類が用意されています。もし関心を持っていただけたなら、是非インターネットや書籍などで詳しく調べるか、専門家に相談をしていただければ幸いです。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
三縁山広度院増上寺

 

増上寺について
増上寺は、浄土宗の七大本山の一つです。酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。
名称   三縁山広度院 増上寺
宗旨・寺格   浄土宗 大本山
ご本尊   阿弥陀如来・南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)
江戸時代から明治時代、昭和の増上寺
17世紀中頃の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が甍ぶきの屋根を並べる、とても大きな寺でした。当時は、3000人以上の学僧のお念仏が、全山に鳴り響いていたと言われています。苦難の明治期と戦災を乗り越えた増上寺は、昭和49(1974)年に悲願の大殿再建を果たします。それ以後も、次々と諸堂宇を完成させています。
平成の増上寺と、これからの役割
宗祖法然上人八百年御忌をお迎えするにあたって、平成21(2009)年には圓光大師堂と学寮を、平成22(2010)年には、安国殿を建立しました。長い年月をかけて、境内諸堂宇が整い、復興が成った今こそ、増上寺は、法然上人の教えを弘め、念仏の根本道場として僧侶の育成に努めたいと考えています。お念仏を唱え、浄土往生を願い、平和を求める。その心を世界に発信していくことが、これからの増上寺の役割です。
歴史
徳川将軍家との深いゆかりを持つ増上寺は、江戸時代、日本有数の大寺院へと発展しました。 開山から六百年。江戸時代の隆盛から一転、激動の近世を生き抜き、現在に至るまでの増上寺の歴史をご紹介します。
   増上寺の歴史と伝統
開山から六百年
増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。場所は武蔵国豊島郷貝塚、現在の千代田区平河町から麹町にかけての土地と伝えられています。室町時代の開山から戦国時代にかけて、増上寺は浄土宗の東国の要として発展していきます。
徳川家の菩提寺
安土桃山時代、徳川家康公が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました(天正十八年、1590年)。家康公が当時の住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したため、と伝えられています。慶長三年(1598年)には、現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、家康公の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かって行きました。三解脱門(さんげだつもん)、経蔵、大殿の建立、三大蔵経の寄進などがあいつぎ、朝廷から存応上人へ「普光観智国師」号の下賜と常紫衣(じょうしえ)の勅許もありました。家康公は元和二年(1616年)増上寺にて葬儀を行うようにとの遺言を残し、75歳で歿しました。
六人の将軍が眠る徳川将軍家墓所
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所が設けられています。墓所には各公の正室と側室の墓も設けられていますが、その中には家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮様も含まれています。現存する徳川将軍家墓所は、本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)を入口の門とし、内部に各公の宝塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
勝運を招く黒本尊(くろほんぞん)
恵心僧都(えしんそうず)源信の作とも伝えられるこの阿弥陀如来像を家康公は深く尊崇し、陣中にも奉持して戦の勝利を祈願しました。その歿後増上寺に奉納され、勝運、災難除けの霊験あらたかな仏として、江戸以来広く庶民の尊崇を集めています。黒本尊の名は、永い年月の間の香煙で黒ずんでいること、また、人々の悪事災難を一身に受けとめて御躰が黒くなったことなどによります。やはり家康公の命名といわれています。
   近世の激動期を生き抜いた増上寺 近世の激動期を生き抜いた増上寺
江戸〜明治
江戸時代、増上寺は徳川家の菩提寺として隆盛の極みに達しました。全国の浄土宗の宗務を統べる総録所が置かれたのをはじめ、関東十八檀林(だんりん)の筆頭、主座をつとめるなど、京都にある浄土宗祖山・知恩院に並ぶ位置を占めました。檀林とは僧侶養成のための修行および学問所で、当時の増上寺には、常時三千人もの修行僧がいたといわれています。寺所有の領地(寺領)は一万余石。二十五万坪の境内には、坊中寺院四十八、学寮百数十軒が立ち並び、「寺格百万石」とうたわれています。
明治〜大正
明治期は増上寺にとって苦難の時代となりました。明治初期には境内地が召し上げられ、一時期には新政府の命令により神官の養成機関が置かれる事態も生じました。また、明治六年(1873年)と四十二年(1909年)の二度に渡って大火に会い、大殿他貴重な堂宇が焼失しました。しかし明治八年(1875年)には大本山に列せられ、伊藤博文公など新たな壇越(だんのつ)(檀徒)を迎え入れて、増上寺復興の兆しも見えはじめました。大正期には焼失した大殿の再建も成り、そのほかの堂宇の整備・復興も着々と進展していきました。
昭和〜平成
明治・大正期に行われた増上寺復興の営為を一瞬の内に無に帰したのが、昭和二十年(1945年)の空襲でした。しかし、終戦後、昭和二十七年(1952年)には仮本堂を設置、また昭和四十六年(1971年)から四年の歳月を三十五億円の巨費を費やして、壮麗な新大殿を建立しました。平成元年(1989年)四月には開山酉誉上人五五〇年遠忌を記念して、開山堂(慈雲閣)を再建。さらに法然上人八百年御忌を記念して平成二十一年(2009年)圓光大師堂と学寮、翌二十二年に新しく安国殿が建立されました。現在、焼失をまぬがれた三解脱門や黒門など古くからの建造物をはじめ、大殿、安国殿、圓光大師堂、光摂殿、鐘楼、経蔵、慈雲閣等の堂宇が、一万六千坪の境内に立ち並んでいます。
法然上人と増上寺
法然上人とは?
法然は、浄土宗の開祖です。長承2(1133)年、美作国(現在の岡山県)に押領使・漆間時国(うるまのときくに)の子として生まれました。9歳の時に父を殺された法然は、その遺言によって出家し、比叡山に登ります。そして、承安5(1175)年、43歳で「浄土宗」を開きました。浄土宗は、"救いは念仏を称えることで得られる"という「専修念仏(せんじゅねんぶつ)」の教えを中心としていました。ただひたすらに念仏を称えることで、いつでも、どこでも、誰もが平等に阿弥陀仏に救われて、極楽浄土に往生することができる。そうした「他力」の教えでもある浄土宗は、そのわかりやすさも手伝って、公家や武士だけでなく、経典を学び、寺院へ寄進や参詣する余裕のなかった多くの民衆にも希望を与え、日本全土に浸透しました。一方で、浄土宗は、伝統的な仏教の強い反感も招きました。建永2(1207)年、法然は75歳で、ついに、讃岐国に流罪となります。赦免された法然は、建暦元(1211)年には京に帰りましたが、その翌年、80歳で生涯を閉じられました。
浄土宗の発展と増上寺
法然の死後も、浄土宗は弟子たちの布教によって発展していきます。室町時代には、浄土宗の伝法制度を確立した了誉聖冏(りょうよしょうげい)上人(浄土宗第七祖)、増上寺の開山である酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人(同第八祖)へとその法脈は伝えられていきます。平成23(2011)年、法然上人が入滅されてから800年という節目の年を迎えました。これからも、法然上人のみ教えは、現代に生きる多くの人々の心に深く刻み込まれ、社会を救う力となっていくことでしょう。 
 
 

 

■見据える
ある時、四十代半ば頃の男性と話していると健康診断の話になりました。その方が健康診断は絶対に受けないんだと言うのです。話を聞いてみると、どう やらその方は身体が悪いのは分かっているけれど、本当に分かってしまったら怖いから行きたくないということでした。強面の顔をくしゃっとさせて、「怖いの は嫌だからな」と笑って話していた思い出があります。驚いたのは、そういった理由で健康診断を受けないと言う人が意外に多いことです。考えてみると確かに怖いものは見たくないのが私たちなのかもしれませ ん。しかしお医者さんもそれでは手の打ちようがありません。しっかりと診てもらわなくては、身体は病に蝕まれてしまう訳です。この身体の苦しみは、病院、 お医者さんに診てもらいます。では、私たちの「無常の苦しみ」はどうでしょうか。
私たちのいる世界は良いことも悪いこともあり、常に状況がころころと変わる無常の世です。そして私たち自身もまた、今日の健康は明日には一転するかもし れない、何時さっと命を失ってしまうか分からない無常の身なのです。この私たちの姿を実際に阿弥陀様は見て、想って、「無常の苦しみ」から救われていくよ う慈しみのお誓いを立てて下さいました。目まぐるしく状況の変わる世の中で、いつ命落とすかもわからない私たちであるという現実に思わず眼を背けたくなるかもしれません。しかし、その現実を しっかり見据えた時には「辛い、嫌だ」では終わりません。どんなに「無常の苦しみ」が押し寄せて、世界や自身の変化に振り回されても、一つだけ変わらない お誓いがあります。南無阿弥陀仏と称える私たちの命を、漏れることなく、常に幸せな安らぎのあるお浄土へと続けてくれる阿弥陀様の慈しみがあるのです。季節が緩やかに暖かくなって参りました。少しおみ足を運んでいただき、お寺、阿弥陀様の前でこの命の往き先を見据えてみてはいかがでしょうか。

■願わくはこの功徳を
幼少の頃、夏休みが心躍る最高の時でした。蝉を追いかけ水遊びをし、夏祭りでは子供だけの世界に浸る。キャンプでは「燃〜えろよ燃えろ〜よ」の歌を、真っ暗闇の中、松明の灯火だけの空間で皆輪になり歌い合う。なんでしょうか、今となってもこの季節のこの風の匂いが、あの時を想起させます。宿題では、キャンプファイアーの絵を描きました。あの灯火が記憶に鮮明に残っているからです。なぜ自分の松明の灯火は、たくさんの松明に分けても減らないのだろうか。むしろ分ければ分ける程、よりいっそう明るく照らしてくれる。夏の終わりそんなことを思っていた幼少の頃でした。
仏教で、回向(えこう)という言葉がございます。自分の功徳を他に分け与える。または、自分が貯めてきた功徳をある目的のために使う、といったことです。大切なあの方のために自分が修した功徳を分け与える。しかし、功徳は目に見えないものですから、自分にどれ程の功徳が貯まっているのかわかりませんし、与えるわけですから一番功徳が得られることをしたいわけです。それが、お念佛をお唱えすることなのです。南無阿弥陀佛と声に出しお唱えすることが、自身往生はもとより何よりも功徳を得られる。その功徳を大切な方々に分け与える。ただ間違えてはならないことは、回向するためにお念佛を唱えるものではございません。あくまで自身往生のために唱えるのです。江戸時代の法洲という高僧は「回向のためにだけお念佛を唱えても何の回向にもならない。自身往生のためのお念佛であってはじめて回向が叶う」と。自身往生のために唱えるお念佛だからこそ、はじめて大切なあの方に届くのです。松明の灯火を分け与えるように功徳はいくら分け与えても減るものではございません。むしろご自身をいっそう明るく照らすことでしょう。大切にしたいものです。

■備えあれば憂いなし
今年も、だんだんと残りが少なくなってまいりました。私が住んでいる福島県でも、車のタイヤをノーマルタイヤからスタッドレスタイヤに履き替えたり、冬物の洋服をタンスから出したりと、そろそろ冬支度の準備に取り掛かり始める季節になりました。月日が経つのは早いものです。広い範囲に多大な被害をもたらした東日本大震災から四年半以上が経過しました。この震災で、私自身も色々な体験をしました。一番不安だったことは、食料品や飲料水、車のガソリンなどがどこに行っても品不足で、思うように購入できなかったことです。この時ほど、生活必需品を備蓄しておくことの大切さを感じたことはありませんでした。また、この震災でたくさんの方がお亡くなりになりました。人の生死に関わる様々な惨状を見聞きして、「命のはかなさ」を痛感せずにはいられませんでした。それまでごく普通の穏やかな生活を送っていたとしても、ひとたび災害が起これば、次の瞬間どうなってしまうかわからない私たちであると思い至ったのです。それ以来、自分の人生についても今まで以上に良く考え、備えをしていかなくてはならないと感じました。では、人生における備えとは何なのでしょうか。
浄土宗を開かれた法然上人は、次のようにおっしゃっています。「人が死ぬ時のことなど、日ごろの考え通りにいくものではありません。往来で突然倒れて死んでしまうこともあれば、お手洗いで用を足している最中に死んでしまうこともあります〜(中略)〜火事のために、あるいは水に溺れて命を落とす人も多くいます。しかし、たとえそういう死に方をしても、日頃からお念仏を称え、極楽へ往生したいという心さえ持っている人ならば、今まさに息が絶えようとしているその時に、阿弥陀様は観音菩薩や勢至菩薩と共にお迎えに来て下さるのだと信じるべきです」。法然上人のこのお言葉をしっかり心にとどめて、ともどもお念仏を申して参りましょう。

■生きていく意味
先日、旦那さんの三回忌法要でお寺に来られた六十代半ばの女性から「なぜ、この世の中、こんなに苦しいことが多いのに生きていかないといけないんでしょうか?」と尋ねられました。法要の後十分ほどその方のお話を聴かせていただきましたが、二年前に最愛の旦那さんを病気で亡くされ、それ以来、生きることが苦しくてたまらないという切実な悩みを抱えておられました。私はその時その場でその問いに対する明確な答えを出すことができず、ただお話を聴くことしかできなかったことに僧侶として無力感だけが残りました。そのことが、自分自身に置き換えて今自分が生きている意味を考えるきっかけになりました......。そして後日、その方とはお寺の行事でお会いする機会があり、今度は私から話しかけてみました。
「先日、なぜこの世はこんなに苦しいのに生きていかなければいけないか?と尋ねられてあの時はきちんとお答えできませんでしたが、あの後、私なりに考えてみました。私は五年前に父を突然亡くしました。そして直後はやはり悲しさや喪失感から生きていくのが不安になっていました。でも時が経ち今、苦しいことがあっても生きていることの意味を考えると、それは別れた父といつか極楽浄土で笑顔で会うためだと思えます。極楽浄土で父に会った時に「まぁお前もあの後そこそこがんばったな」と笑顔で言ってもらうために今をがんばって生きている。苦しいことがあってもそれだけでがんばれると思っています。この世をがんばって生きていないと極楽浄土で待つ大切な人と笑顔で会うことはできないと思います。そして浄土宗の教えは"なむあみだぶつ"とお念仏を称えることで阿弥陀様に救われて極楽浄土で大切な人と必ず会うことが叶うわけですから、やはりこの世はお念仏を称えてがんばって生きていくしかないと思います」と。その方は黙って聞いてくれていましたが、最後に笑顔で手を合わせて小さな声で"なむあみだぶつ"と称えてくれました。その笑顔とお念仏に私自身も救われた思いが致しました。

■しかたがない
先日、母方の伯父の葬儀を勤める機会がありました。導師を勤めた私を含めた親族だけの小さな式ではありましたが、本人が八十歳を過ぎてから新築した自宅から無事に送り出すことができました。母方の親族の葬儀を勤めるのもこれで二度目となりますが、これもしかたがないことなのでしょう。世間的には私もアラフィフと言われる年齢に差し掛かりました。当然私の周りの人たちも同じく歳を取り、時が経てばやがてはこの世を去らねばならない時がやってくるのです。一方、母にとっては近しい人を亡くした悲しみもあるのでしょう。「しかたがない」 ポツリと呟き溜息ひとつ。
私たちの日常は無数にある娯楽をはじめ、実に人の死が見えなくなるフィルターに溢れています。しかし、特に身近な人の死に直面した時、人はやがて必ず死を迎えるのだという、なかなか受け入れにくい事実の前に引きずり出され、そしてそれは自分の力ではどうにもならないことを思い知らされます。それが「しかたがない」ということ。自分の力ではどうにもならないことを受け入れる心が理性です。そして理性は知性という素養の上に培われます。知性とは何でしょうか。
私は知性とは道理を理解することだと心得ます。人がやがてこの世を去らねばならないということは道理です。しかしそれだけではありません。お念仏をお称えする私たちがこの世を去った後には必ず極楽浄土へ往生することができることもまた道理なのです。そしてその道理を理解することが受け入れにくいことを受け入れるために必要なことなのです。「しかたがない」というのは決して後ろ向きな言葉ではなく、実に理性的な言葉なのです。このことを心得て、なるべく普段から道理に対する理解を深め、心穏やかに過ごしたいものです。 
 

 

■出世間(しゅっせけん)
先日、市内のホテルで法事があり僧侶の姿で法事会場に向かっているとすれ違う人に会釈をされることがありました。私服で歩いていてすれ違う人に会釈をされることはまずないので、身につけている服装の影響力を改めて考えさせられました。思えば私たちは人を見るときに相手の着ているものをはじめ、地位や名誉、役職や肩書き等で判断をすることが多分にあるのではないでしょうか。だからこそ人は身だしなみを気にし、立身出世を望むのかもしれません。しかしながら私たちは命終われば身につけているものはもちろん、それまで自らが築き上げてきた地位や名誉、役職や肩書き、さらには家族や財産等の一切をこの世に置き去りにしてたった一人で死後の世界に旅立たなければなりません。悲しいかな長くて短い生涯をかけて築き上げた様々な名利は死後の世界において確実にたよりとなるものではないということなのです。
では死後の世界においてたよりとなるものは何でしょうか。それはとにもかくにもお念仏の日暮らしです。阿弥陀さまのお迎えを信じ、お念仏の生活を始めたその日から念仏信者は死後の迷いの世界を彷徨うことなく、間違いなく阿弥陀さまに導かれて極楽浄土に往生するのです。出世間という仏教用語がありますが、煩悩にまみれたこの迷いの世界から抜け出すことを意味します。大切な家族のために出世をして財産を残すことは人生の大きな糧となり生き甲斐となりえますが、やはりその家族ともいつかは離ればなれにならなければいけません。だからこそ家族共々にこの迷いの世界から抜け出すために、極楽往生を目指してお念仏をおとなえしていく日々こそが最も大切なことなのです。同じ出世でもぜひとも迷いの世界から離れる出世間を目的に、念仏をたよりとして共々にお念仏の日暮らしを生きてまいりましょう。

■寄り道をせず極楽浄土に
五月の初めに京都の知恩院へお檀家さんと団体参拝をしました。その帰り道、ちょうど宇治の平等院鳳凰堂が修理を終えたところで参拝させていただきました。休日ということもありたくさんの観光客で賑わっていましたが、鳳凰堂は千年前の厳かな雰囲気を変わらず今に伝えていました。「藤原頼通(ふじわらのよりみち)がもしも法然上人の時代に生きていれば、寄り道せずに真っすぐ極楽浄土へ行けたでしょう」 説明の中で、お檀家さんに半分冗談で申しました。平等院は一〇五二年、頼通によって建立されました。法然上人がお生まれになられたのが一一三三年ですから、それより随分前のことです。
頼通の時代は『末法思想(まっぽうしそう)』といって、お釈迦様が亡くなられた後の時代は仏教の教えが弱まり世の中が乱れる。その時代の始まりが一〇五二年だ、という教えが信じられていました。お念仏の教えも存在していましたが、観想念仏(かんそうねんぶつ・極楽の様子や阿弥陀仏の姿を心に鮮明に思い浮かべる)という難しい修行でした。頼通はそのような時代の中でこの世界に実体験できる極楽浄土を作ろう、そうすることで心に思い浮かべやすくしよう、という思いで建立しました。そのようにして平等院は大変な資金と労力で建立されました。当時の仏教の教えではそうでもしないと救われることができないと信じられていたのです。お金や権力や知識のある人だけが救われる、貴族のための仏教でした。
法然上人はそんな時代にすべての人が救われる道を求め、そうして専修念仏の教え(せんじゅねんぶつ・南無阿弥陀仏とお称えするだけでどんな人でも救われる)やさしい教えに出会われました。貴族のためでなく庶民のための仏教を広めるため浄土宗を開かれました。法然上人がお示し下さった専修念仏の教え、極楽浄土への一本道。私たちは寄り道せずに真っすぐに歩みたいものです。

■阿弥陀様へ届くお念仏
先日、ある親子のやりとりが気になり、しばらく様子をみることにしました。 3歳くらいの男の子を連れた母親は自宅マンション入り口の郵便受けを開けている最中でした。その中に不在票をみつけた母親は「すぐ戻るから、先に玄関の前で待っててね」と息子へ伝えましたが、話しかける母親の顔はすでに道をはさんだ配送センターへ向いていましたので、その言葉は息子には届いていないようでした。突然走り出した母親を追いかけ、息子も走り出しました。危なくその子が道へ飛び出しそうになった時母親は荷物を抱え戻ってきました。そして息子の姿を見つけ「家に帰ってなさいって言ったでしょ! 車にひかれたらどうするの!」とひと言。なぜ叱られているのかわからないという様子の息子の手を引き、マンションの中へと入っていきました。母親は確かに息子に家に戻るよう、伝えていました。しかし、息子には少しも伝わっていなかったのです。
伝えるということの目的は、そのことが正しく相手に伝わるということであり、逆をいうと、伝わらなければ、伝えていないのと同じことでもあるのです。このことを改めて実感させられた出来事でありました。お念仏のみ教えも同じことで、どれほどお称えしたとしても、その声が阿弥陀様に届かないのであれば、称えていないのと同じことであります。法然上人が明らかにされた、浄土宗の信仰とは、阿弥陀様の「我が名を称えるものを、必ず我が浄土へ救い取る」と誓われた本願を心より信じ、西方極楽浄土へお救いいただくため、ただただ南無阿弥陀仏とお念仏申すことであります。つまり信じお称えするお念仏が阿弥陀様に届くお念仏なのです。そして法然上人はこの「信じる、称える」という二つを備えるため、お念仏を相続していくことをお勧め下さっております。阿弥陀様へお念仏の声がしっかり届きお救いに漏れることのないよう、精一杯お念仏とともに毎日を暮らして参りましょう。

■わかりやすく
先日ある研修会へ参加した時のこと。講師は元NHKのアナウンサーでコミュニケーション力についての講義であった。あるプロのアナウンサーの失敗談で、リポートの際に岐阜県の旧中山道からお伝えします、と言うべきところを横書きだったためか、「一日中、山道からお伝えします」と読んでしまい苦情の電話が殺到した、という話を聞いた。通称「山道事件」と言うそうだ。このように、言葉で伝える難しさがわかる。 
ある三回忌の法事で私が法話の最後に同称十念で共にお念仏をお称えしたその後、親戚の方からこのようなご質問があった。「私は浄土宗ではないんですが、先ほどジュウネンと言いましたが十年も成仏するのにかかるんですか?」と。私は思わず絶句しそうになるも、すぐさまペンを持ち同称十念という文字を書き、十遍のお念仏を皆でお称えするんですよ、とお伝えをした。それ以来、なるほど、自分はわかりやすくと常に心がけていたつもりであったがそうではない。誰もが理解できるような言葉で説明することが大切だと思い知った。私もかつて英語のヒヤリングテストで知らない単語が出てきた途端につまずき、その先は疑心暗鬼になった経験がある。
十念という言葉を知らない方ももちろんいらっしゃるだろう。だからこそ説明せねばならないと改めて思う。先程の「山道事件」のような勘違いもあるだろう。法話ではどうしても専門用語や固有名詞が出てくる。だからこそ都度丁寧な説明を心がけたいと思う。お念仏の御教えを誰にでもわかりやすくお伝えするということは至難の業かもしれない。しかしそこから目を背けずにありがたき法然上人の御教えをわかりやすく、そして正しくお伝え続けられるよう日々悩みながらも、努力して参りたいと切に感じたのである。

■精進のすすめ
「もうひとつの地球」 地球によく似た惑星が 宇宙のどこかにあるという そこにも人類はいるのだろうか? そこにも戦争や飢餓や差別はあるのだろうか? それともそこは互いに助け合い 光と愛に満ちたもうひとつの地球?
私はこの詩(岡山市男性の詩)と出会った時、改めてお釈迦様の教えの尊さを感じました。なぜなら私たちが目指すべき世界があることをお伝え下さったからです。お釈迦様は「もろもろの苦しみ有ること無く、ただもろもろの楽のみを受く。故に極楽と名づく。」(『阿弥陀経』)とお示し下さっています。極楽浄土は、欲望によりお互いを傷つけあうこと無く、互いに助け合える、光と愛に満ちあふれた世界です。ですから戦争も飢餓も差別もありません。極楽浄土に往生すれば、阿弥陀仏から直々にお説法を頂戴し、仏様に成ることができますし、修行により得た様々な能力を使って、苦しんでいる方を救うことができるのです。
もし極楽浄土に往生したいならば、南無阿弥陀仏と唱えるだけでよいのです。そうすれば臨終には阿弥陀仏がたくさんの菩薩と共にお迎えに来て下さり、必ず極楽往生が叶うのです。命終えた先には「光と愛に満ちた」世界が私たちを待っています。そのためにも極楽往生を願って毎日「南無阿弥陀仏」とお唱え下さい。人生の中で老・病・死という苦しみや、地震などの災害から逃れられないのが私たちです。だからこそ助け合って生きていくべきであるのに、ときに傷つけあい、騙しあい、奪いあい、殺しあうことまであるのが悲しい現実です。戦争・飢餓・差別・いじめなど、人間の欲深さ・心の貧しさが生み出す苦しめあいは無くさなければなりません。そのためには欲望をできるだけ抑えることが大切です。そして、お互いを認め合い、助け合って生きられるように精進する必要があります。お念仏を唱えることと共に、少しでも生きやすい地球にするために、毎日できることから精進したいものです。 
 

 

■絶対的な幸せとは
仏教ではこの世のことを娑婆〞といいます。この娑婆という言葉は元々インドの言葉シャーバを中国の方が耳から聞いて、漢字に当て字にしたものです。ですから、この漢字から本来の意味を見い出そうとしてもわかりません。中国の方は、意味の上から堪忍土〞と訳しました。堪忍土とは、それだけこの世は堪え忍んでいかなければならない、多くの悲しみ苦しみに満ちた世界であると表現したのです。
「生きる つらさは 大変」 この言葉は昨年十月立川市の団地に住む、八十代の老夫婦が無理心中を図り、自分の腹を刃物で刺して、亡くなられる。そのご主人が書き残されたメモでした。ご主人は体が不自由な奥様を介護しておられたのですが、その生活の苦しさに堪えきれず奥様の額を鈍器で殴り殺傷した事件でありました。若い時には、無理心中をしなければならないほど、苦しくつらい老後が、まさか待っているとは思ってもみなかったはずです。今現在、体が健康で、お金にも余裕があり、夫婦・家族が仲良く暮らすことができている私たちでも、決して他人事ではないはずです。何か一つ歯車が狂うことが縁で、当たり前の普通の生活ができなくなる。つらく大変な生活にならないとも限らないのが、この世の姿なのです。
この世が苦しみ悲しみに満ちた世界であるからこそ、この世とお別れした後の、あの世は極楽〞でなければならないのです。お経の中に、極楽とは苦しみの一つもない世界だからこそ、極楽というのですと書かれてあります。お念仏をお称えする私たちが、何時、いかなるかたちで、この世とお別れすることがあったとしても、間違いなく、阿弥陀様のお迎えをいただき、極楽に救い摂ってもらえる幸せこそが、この世における絶対的な幸せであるはずです。

■法爾の道理
本年も、春爛漫、増上寺様の法然上人御忌大法要より数日が過ぎ、五月の新緑の季節をお迎えしました。今年も間もなく夏を迎えますね。日々の称名、お念佛、御家庭の興隆、ありがたく存じます。五月「皐月」とは、別名を「早苗月」とも申し、諸説ございますが、田植えの時期を表す言葉であったり、神様、佛様に捧げる稲の意をいただきます。実りの秋に向かい最初の一歩をいただく過ごしやすい季節となりました。
元祖大師法然上人御法語 前篇第二十八「来迎引接」に、「法爾の道理と云うことあり。炎は空に上り水は下り様に流れる。菓子の中に酸き物あり、甘き物あり。これらみな法爾の道理なり。」と、法爾の道理とは「動かしようのない自然の道理」を表します。たとえば、炎は、空に向かって昇り、水は低い方に流れます。果物の中には、酸っぱい物もあれば、甘い物もありますね。阿弥陀様の本願は、「名號によって、罪悪の衆生を救済しよう」と誓われたものですから唯ひたすらに、南無阿弥陀佛と、お念佛を称えれば、命終わる臨終の時には、阿弥陀様のお迎えは「動かしようのない自然の道理」であり、疑いありません。
日々、お称えいただく、お念佛により、阿弥陀様の西方極楽浄土への往生は動かしようのない絶対の法則である、との法然上人のお言葉であります。日々生活に追われ、何かにつけて、文句ばかりを申す私です。また、相手を罵ったり、心を傷つけてしまう、この「身、心、口」で、その身そのままで、お称えする「南無阿弥陀佛」佛様のお心をいただき清らかにさせていただく、季節の花のもと、月の前、雨の夜、雪の朝、夕日の沈む西を思い、佛の御名を称える。無始の霜露は舌の上で消え、順次の蓮臺は念の内に定まるのです。新緑の季節、益々にお念佛を称え称えの生活を送らせていただきたいと存じます。

■日々おこたらず
私が住んでいる青森県弘前市では、8月に「ねぷた祭り」が行われます。毎年、今頃の時期になると、どこからか囃子の練習をする笛の音が聞こえてきて、夏の訪れを感じさせてくれます。「ねぷた」という名前の由来は、津軽弁で「眠い」を意味する「ねぷたい」が語源であるという説が有力です。夏の農作業の妨げとなる眠気や怠け心を、ねぷたの灯篭に乗せて流し清める行事が、ねぷた祭りの始まりと言われています。眠気や怠け心を追い払って、心身ともに清らかでありたいという人々の切なる願いが、この祭りを生んだのでしょう。このことからも、私たちの心の弱さがもたらす煩悩が、古来よりいかに私たち自身を悩ませ、苦しめてきたかということがわかります。
煩悩がある限り、私たちは罪を犯し、迷い、苦しみ続けなければなりません。そこから逃れるには、厳しい修行を積んで煩悩を絶ち、さとりを開いて自ら仏となる以外にないのです。しかし、煩悩によって心を乱され、すぐに欲に流されてしまう私たちには、修行を積んでさとりを得ることなど到底叶いません。阿弥陀様は、そんな私たちを救うために、私たちが仏になるための場所として極楽浄土をお建てになりました。そして、全ての人々が極楽浄土に往生するための方法として、誰もが修めることのできる「お念仏の行」を授けて下さいました。しかし私たちは時として、誰もができるこのお念仏の行ですら怠けてしまう時があります。
法然上人は、「私たち人間は、ともすればお念仏を称える心が薄れてしまうものです。ですから、しっかりと心してお念仏に励まねばなりません。どこにいても、一遍でも多くのお念仏を日々お称えし続けることを決して忘れてはなりません」と仰っています。心の弱い私たちが唯一救われる道が、このお念仏です。ですから、お念仏をお称えすることだけは、往生が叶うその時まで決しておこたることなく続けてまいりましょう。

■目的地への行き方
私ごとですが東京での生活が二十年を超え、最近四度目の引越しをしました。二十年が経ち東京に慣れていたつもりでも新しい住所になるとめっきりわからなくなるのが公共の交通手段です。東京は蜘蛛の巣のように道路や線路が張り巡っていて目的地に行きたくてもどの道順で何に乗って行けば良いのか選択肢が多過ぎてとても難しく悩んでしまいます。地図や路線図を見て、駅で駅員さんに聞き、看板を見て道に迷いながらやっとの思いで目的地にたどり着くことができます。最近便利なのはスマートフォンです。目的地までの行き方を案内してくれる検索アプリに今いる自分の位置と目的地を入力すると道順から乗り換え案内、到着時間まで教えてくれます。しかしそのスマートフォンも誰もが持っているわけではなく、持っていたとしても上手に使いこなすには操作に慣れていなければなりません。
私たちがお唱えしている「南無阿弥陀仏」のお念仏のみ教えは法然上人が約八百年前にどこへ向かえば救われるのか迷い苦しんでいた人々にお弘め下さいました。誰もが救われる阿弥陀様の「西方極楽浄土」という目的地を我々にお示し下さり、そしてその極楽に行くためには難しい学問や、厳しい修行ではなく「阿弥陀様」を心から信じ、「南無阿弥陀仏」のお念仏をお唱えすれば誰もが必ず救われるとお導き下さいました。極楽に行くためには地図や路線図も必要なければ、道案内してくれるスマートフォンもいらないのです。たとえどんなところに居ようとも、ただ法然上人のお導きの通り、南無阿弥陀仏とお唱えすれば誰でも極楽浄土へ往くことができるのです。九月は秋のお彼岸がやってきます。ご先祖のお墓参りと共に、お中日には真西に沈む太陽に私たちの目的地である阿弥陀様の西方極楽浄土に思いを懲らして心からのお念仏をお唱えしましょう。それが唯一の目的地への行き方で、必ず迷うことなくたどり着くことができるのです。

■疑ひながらも、念仏すれば、往生す
「疑ひながらも、念仏すれば、往生すとも言はれけり。これもまた尊し。」  あの有名な兼好法師『徒然草』に取り上げられている法然上人の御言葉である。普段、阿弥陀様やお念仏の教えを尋ねようとするならば、難しい専門書を紐解かねばならないかもしれない。しかし、昔から愛されてきた古典文学に法然上人の御教えの尊さが短い文章ながら取り上げられ、今に伝わっていることを私は大変嬉しく思う。
最近、私は友人と話して、仏教に興味を持ち始めたことを告げられた。阿弥陀様の教えとは、どんなものなのかを尋ねられた。私のつたない話ではあったが、説明をし、おおむね理解していただけたようである。しかし、本当に阿弥陀様はいるの? 極楽はあるの? の質問に対して、私は自信を持って存在を主張したが、友人は、まだ信じきれないと言った。お寺に帰ってから、話に至らなかった点があったのではないかと、あれこれ反省してみた。しかし、逐一説明するには、時間も資料も全然足りないのである。しかし、すべてを出して友人に説明したところで、自分の思っている気持ちと友人の心が共有できるのだろうか、友人はそんな説明や御託を望んでいるのだろうか。自分だったらと考えてみた、そうするとお念仏の教えにあって、すぐに信じろというのも無理な話であるような気がした。実は、私も浄土の法門に出会ってすぐに信じられたかというと、そうではないからである。しかし、今ではどうであろうか。阿弥陀様にすがってお念仏を称える日々に何の違和感を抱くことのない私。昔と今を比べてみると何が違うのか。それはお念仏の数である。
はじめは疑いながらも、師に導かれ、学友と一緒に、修行の一貫として等々、そして今では所構わずお念仏を称える日々なのである。この心持を友人と共有することが難しいのは当たり前のことである。そこで、私は友人にこの言葉を送ろう。「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」 誰でも最初は、ここからであると。 
 

 

■こころは同じ 花のうてなぞ
南無阿弥陀仏 新年明けましておめでとうございます。本年も皆様にとりましてお念仏とのご縁がなおいっそう深まりますよう心よりご祈念申し上げます。年が明けますとその分だけ人は一つ歳を取ります。それはつまり己の死が近付いているということを表すわけです。死は誰しもに訪れる平等に与えられるものです。禅僧の一休さんは正月に竹竿の上に骸骨を掲げて京都の街中を練り歩いたそうです。そして「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とおっしゃられたそうです。真にその通りとは思ってもどうしても私たちは死については敬遠してしまうものです。本当ならそんな嫌なことは考えたくもない、そう思うのが私たち生きる者の本音ではないかとは思います。とはいえ死は決して避けることができないのが現実です。
先日私はお檀家様のお祖母様が東京の病院に入院なさったのでお見舞いまいりました。お祖母様から生前中にお戒名を付けてほしいというご依頼でしたので、病室にて三時間くらい今までのご自分の生涯を伺いました。そして一週間お戒名を考えて再度お見舞いに伺いました。そうしたらお戒名を納得なさっていただいて本当に喜んで下さり、これで安心しましたから頑張って退院できるように治療します、とおっしゃっていただき別れ際に、またまいりますから今度はご自宅でお会いしましょうね、とお約束して失礼させていただきました。その七日後娘様から、今亡くなりましたとご連絡いただいたのです。あまりにも元気でしたからてっきり退院かと思いましたが、あまりに突然のことで私にとって真に青天の霹靂です。法然上人の御歌「つゆの身はここかしこにて消えぬともこころは同じ花のうてなぞ」そう思い真心込めてお念仏おとなえさせていただきました。必ず阿弥陀様の極楽浄土に往生しお祖母様と再会の喜びを分かち合いたいと切に願ってやみません。

■お彼岸に思いを馳せて
日に日に春を思わせる今日この頃です。私の住む長野では、お彼岸になってもまだお墓の雪が残っております。そのため、春のお彼岸にお参りに来る人はほとんどおりません。さて、私は、昨年十月に父が亡くなり、まさしくこの春に初のお彼岸を迎えることとなりました。父は、五十年以上も大きなお寺の役僧として、住職の身の回りの世話をさせていただいた僧侶でありましたが、十数年前に還俗して、鹿児島県に次男の家族とともに移り住み余生を過ごしておりました。通常、師弟関係や親子関係があると喪主あるいは遺弟である場合は、お経を読むことはないのですが、還俗していたため、私の兄に当たる長男が喪主となり私が導師として、葬儀を行うこととなりました。
悲しい気持ちと、導師であることそして父の葬儀を自分で送ることができることなど複雑な気持ちではありましたが、何とか無事に勤めることができました。叔父から聞いたことがありますが、「亡くなられた方々にとっては、お彼岸あるいはお盆、お正月は、親族縁者に遭える数少ない日なのだぞ。他の家のお墓にお参りに来ている姿を見ながら、身内がお参りしてくれるのを心待ちにしているのだ。まるで小学生が、授業参観に来る親を期待しながら待っている姿のようだ」と聞かされたことを思い出します。そう考えると今までご先祖様の守られたお墓にどれだけ手を合わせたのだろうか、どれだけ、お花やお線香を捧げただろうか、深く考えさせられるお言葉でした。いずれにしましても、亡くなられた方々への感謝の念を持ちつつお念仏の称えられる環境を自ら作らなければ、先立たれた方々が、悲しんでしまうことと思います。ぜひ皆様もしっかりお参り致しましょう。

■白蓮華
新緑が鮮やかに揺れ、若葉が香る今日この頃です。境内のお掃除も、木々の枝から美しく鳴く鳥の声が励ましてくれます。私は月に一度参加させていただいているお念仏の会をとても楽しみにしているのですが、そのお念仏の会に、いつお会いしても清々しい雰囲気のする九十余歳のご婦人がいらっしゃいます。お念仏の会が始まった当初、ご婦人がお持ちになっていたノートを見せていただいたことがあります。ノートにはお釈迦様の御一代から浄土三部経、そして法然上人の御著書である『選択集』に説かれているみ教えがびっしりと書き込まれていました。
いつもそのご婦人は茶話会でいろいろなお話をして下さいますが、とりわけ、毎朝お仏壇の阿弥陀様と先立たれたご主人様へ一杯のお水をお供えし、一日の終わりにはそのお水をお下がりとしていただき、飲み干してからお休みになっているというお話をよくして下さいます。そして「あとはね、ぜーんぶ南無阿弥陀仏で大丈夫なのよ」とおっしゃいます。このご婦人はびっしり書き込まれたノートをお持ちになっていても、決して「お経にはこう説かれているから」という理屈はおっしゃらず、ただ阿弥陀様と、先立たれたご主人様を毎日親しく感じられながら過ごし、そして「南無阿弥陀仏」のお念仏にすべてをお任せになられているのであります。
お念仏をしっかりとお称えしている方は「嘉譽(かよ)」といって、あたかも泥の中に咲く白蓮華のような誉れ高いお姿になると言われております。毎月、お念仏の大先輩であるこのご婦人の白蓮華のようなお姿からたくさんのことを学ばせていただきながら、一緒にお念仏をお称えさせていただけることをとても嬉しく思います。皆様も、お一人お一人が白蓮華となり大切な方々の道しるべとなっていただき、そしてその大切な方々と共々に阿弥陀様のお浄土へと参れますよう、日々お念仏をお称えして過ごして参りましょう。

■願い
ぼくのじいちゃんが天国に行ってしまった。おばけになっても帰ってきてほしい。お母さんに言ってみた。そしたら 「じいちゃんおばけになる方法知らんと思う。」 お母さんは言った。かみ様 ぼくのじいちゃんに おばけになる方法をおしえてください。一日だけでもいっぱい遊んで話して 今までありがとうと言いたいです。
『はがきの名文コンクール』で受賞した小学三年生の少年の、亡くなった祖父に宛てたはがきです。いつも一緒に遊んでくれたじいちゃんがいなくなってしまった戸惑いと悲しみ。会いたいという想い。たとえそれがどれほど見た目が怖いおばけでも。おばけは恐ろしくて怖くて、決して見たくはないし、会いたい存在ではありません。小さな子供ならなおさらでしょう。それでも会いたい。一日だけでもおばけになって出てきてほしい。これまで通りに二人でたくさん遊んでいっぱいお話しをして、そして今までありがとうと自分の想いを伝えたい。
倶会一処(倶に一つ処で会う)。阿弥陀様が建立しそこに実在する西方極楽浄土。今は亡き大切な方々が待っておられるお浄土での再会。
露の身は ここかしこにて きえぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ
法然上人が倶会一処の教えを託されたお歌です。
人の命は草葉に結んでは消える朝露のように儚いもの。たとえ互いの命が離ればなれになって消えてしまっても、共に極楽浄土の蓮の台でまたお会い致しましょう。この世での別れは一時の別れ。極楽浄土に往生すれば、また再び会うことがかないます。心と心のつながりは決してなくなるものではありません。ですから私たちは、阿弥陀様を深く信じ、日々南無阿弥陀仏とお念仏をお称えして、極楽浄土への往生を願い、今ある生を全うし、いつの日かこの命を終えたなら、先に往かれた愛しく大切な方々と必ず再会を果たすことができるのです。

■わが身のほどを信じて
先日ある本を読んでいたところ、直木賞作家の司馬遼太郎さんのこんな言葉に出会いました。「私自身は われわれのような普通の者が お釈迦さんに近づけるとしたら、法然上人の道しかない、浄土門しかないなと思うのです」 司馬遼太郎さんは京都の新聞社に勤めていた時代、特に宗教のことを専門に記事を書いていた時期があったそうです。毎日様々な宗旨のお寺へお参りに行っては、僧侶の話に耳を傾けるという生活を送り、自然と自身の宗教観も養われていったことでありましょう。その中で、自分自身が救われるにはどうすればいいのかという問いに対し、法然上人の道。つまり阿弥陀仏のお力を信じてお念仏をお称えすること。これ以外に方法はないとされたのです。
法然上人は頭脳明晰で、その上勉強熱心なお方でした。比叡山においても誰よりも戒を固く守り、誠実に修行に打ち込むその姿を見た人々は「智慧第一法然房」あるいは「浄行の僧」と称賛しました。ところがご自身のことについては、戒もろくに守れず、一瞬たりとも心を平静に保てない愚かな人間である。このようにおっしゃいます。ご謙遜とも受け取れますが、これこそ人間の本質を正確に見極めることができた法然上人ならではのお言葉なのです。そういう心の弱い私たちであるから、もはや阿弥陀仏のお力でしか救われないのだと、お念仏のみ教えを示して下さいました。
弱さを隠すことなく、むしろ堂々と前面に出して導いて下さる法然上人のお言葉に、これまで多くの人たちが心打たれ、救われてきました。司馬遼太郎さんもその中のお一人でありますが、他ならぬ私たちの思いもまた同様です。法然上人のお念仏による他救いはないのだと心に留め、いつか必ず阿弥陀様が迎えに来て下さると信じ、これからも共にお念仏を相続してまいりましょう。 
 

 

■信心に疑問が出た時は
人目を飾ることなく、心の底から往生を願って念仏を続けてゆけば、自然に三心は備わってくるものである。これは法然上人のお言葉だ。例えば、葦が茂っている池の水面に月が映っている場合、遠くから見たなら葦が邪魔をして月が映っているのが見えない。しかしよくよく近づいてみると、葦と葦の間に月は映っているのがわかる。心の中に妄念(お念仏に対する誤った思い)という葦が茂っていたとしても、三心(阿弥陀様をお慕いする気持ち)という月は宿るものなのであるということだ。自分の信仰心に疑問を持ち始めてしまったきっかけがある。平成27年、私は布教師養成講座に入行した。浄土宗において長い歴史を持つ伝統的な講座だ。布教の勉強を一からしたい、そう思ったからだ。ある程度自信を持って入行したつもりだった。お念仏を継続してお称えしてはいた。けれどその自信は砕かれそうになった。初級・中級・上級とお世話になった先生方の信仰心、そして布教される力には驚かされた。それだけではなかった。同期の仲間には、「南無阿弥陀仏」を毎日ノートに書き続けている者。養成講座中の休憩時間、みんなが休んでいる中一人本堂でお念仏をお称えする者。各々の信仰の形を深めていた。
私のお称えするお念仏は、「彼らと同じくらい阿弥陀様に寄り添っているだろうか?」と問いかけてくる自分がいた。そうなると、布教も自信を持ってできなくなってくる。これは困った。私の心には葦が茂っていたのだろうか?月はしっかりと映っているのだろうか?と疑い始めたのだ。そう思っていた時、最初に示した法然上人のお言葉に出会った。ここからこそが、私の信仰の始まりなのかもしれないと思えた。阿弥陀様と、お念仏と、向き合い始めた、だからこそ悩み始めたのだ。そう思わせてくれる法然上人の本当に力強いお言葉だ。皆様もこの言葉に出会ったことで、お念仏生活がよりいっそう力強いものとなるよう願っている。

■辞世の言葉
浄土宗のある冊子で、私が大変お世話になっている布教師の先生が『辞世のことば』という本を紹介されていました。様々な分野で歴史に名を残している人々がこの世を去る直前に残した最期の言葉や俳句などを解説している本です。この本を読みまして、浄土宗の宗祖法然上人がお遺し下さった、辞世の言葉のことを改めて考えました。法然上人は、建暦2年(1212年)正月二十五日の正午頃に極楽浄土に往生されましたが、正月二十三日に「一枚起請文」というご遺言をお書きになった後は、二十五日に往生される時までずっと、「南無阿弥陀佛」のお念佛を称え続けられました。そして最期の時に、あるお経の一節をお誦みになり、極楽浄土に往生されました。そのお経とは「光明遍照 十方世界 念佛衆生 摂取不捨」であります。阿弥陀様の救いの光は、余すことなくこの世界全てを照らして下さっていて、お念佛を称える全ての人々を、決して見捨てることなく必ず救い取って下さる、という意味であります。
『辞世のことば』の著者によれば、辞世の言葉とはその人の全てを表現した言葉であり、その人が今まさに求めるものを表す言葉であるということですが、辞世の言葉をそのように捉えた上で、法然上人が最期に「光明遍照 十方世界 念佛衆生摂取不捨」と仰ったことを考えますと、法然上人はこの世を去る間際まで、阿弥陀様が「我が名を称えるもの全てを、一人も漏らすことなく極楽浄土に往生させる」とお誓い下さったご本願におすがりする『お念佛の御教え』によって、この世の全ての人々を救いたい!とお考えになっていたことが、本当に良く伝わってまいります。法然上人が最期までお伝え下さった通り、阿弥陀様の救いの光は、必ず私たちを照らして下さっております。これからも阿弥陀様を深く信じ、極楽浄土に往生したいと心から願って、共に南無阿弥陀佛のお念佛を称えながら日々を過ごしてまいりましょう。

■光に憧れる花
寺の庭の片隅に、黄色い花がポツリと咲いておりました。福寿草です。まだまだ肌寒い風に身を震わせながら、日の光を懸命に集めようとしています。その姿が、待ちわびた春の嬉しさとあいまって感動的です。『季節の植物帳』(佐左木俊郎 著)という本に、福寿草が次のように紹介されています。「福寿草は敏感な花です。最も鋭敏に温度を感ずる野草です。福寿草は残雪のまばらな間から微かな早春の陽光を浴びて咲き出るのです。そしてとても光に感じやすく、光に憧れる花なのです。夜明けの微光と共に開いて、夜の暗さと共に眠るのです。太陽の輝きが燦爛たれば燦爛たるほど元気で、曇れば福寿草も元気なく項垂れます。寒さと暗さとをおそれる臆病な花だけに、あどけなく可愛らしい花です。」......寒さと暗さとをおそれ、光に憧れ る。なんだか他人のような気がしません。「人によく似ている」私はそう思いました。
仏教では、この世は悩み多く思い通りに生きることが難しい世界であるとされています。私たちは、しばしば厳しい現実と向き合わねばなりません。そんな時には、荒涼たる冬野に一人放り出されたような気持ちになって、寒さと暗さとで心が閉ざされてしまうのです。しかしながら、私たちのこの孤独な心を阿弥陀様はよく知って下さいます。お念仏する人に光を当てて下さるのです。傷付き冷え切った私たちの心を何度でも暖め直して、最期には極楽の浄土へと導いて下さるのです。法然上人は阿弥陀様のみ光を「さへられぬひかり」とおっしゃいました。「決して遮られることのない光」という意味です。救いのみ光は必ず届きます。福寿草がお日様の光に憧れ、今にやって来る春を待ちわびているように。私たちも阿弥陀様の光に憧れ、今にやって来る救いの時を待ちわびながら生きていきましょう。今年もまた暖かく光あふれる季節がやってきました。共々にお念仏をお称えして参りましょう。

■「音」の縁、念仏の声
私の地元、北海道釧路市は桜前線の終点です。例年通りならば五月の二十日前後に蝦夷山桜が咲き始めます。次いで裸の落葉樹に若葉が顔を出し、6月中旬には青々とした葉を茂らせます。この頃やっと風に木の葉のそよぐ音が聞こえ始め、短い夏の到来を予感させるのです。皆様は身の回りの「音」を普段から感じていますでしょうか。外に聞こえる鳥の声、人の話し声、車の走る音、道路工事の音、何気ない生活音も時には感慨深く感じることがあると思います。幼き日の思い出が、音をきっかけにふと頭に思い浮かぶこともあるでしょう。それは音によって当時の身の回りの雰囲気を思い出し感動されたのです。もちろんお寺の「音」もあります。お経の声や鐘の音、木魚の音、雅楽の音色。また、大勢の人がお寺に集まるざわつきや静寂の音までも、皆様それぞれ感慨深く思われることがあるでしょう。
宗祖法然上人は、声を出してお念仏を唱えることを浄土宗の柱とされました。それは「我が名を呼べば必ず我が浄土に迎えとる」というご縁を実現された阿弥陀仏のお力に、私たちが救われる確かな根拠を見出されたからです。三代目良忠上人は「心に佛忘るるとき、口に佛名となうれば、その声、耳に入りて、わが心念を引き起こす。心念もし起これば、この念また声をすすめて、佛名を唱えしむ。念は声をすすめ、声は念をすすめて、常に佛を忘れず。」と仰せられました。自分のお念仏の声が信心を深め、信心が深まったことによりまたお念仏の声が進み、常に仏を忘れることはなくなるというのです。お寺の「音」で最も大切なのが念仏の声です。このお念仏の声をお寺の中でだけとするのではなく、毎日の皆様のご家庭の生活音として下さいませ。お念仏を声に出して唱えることは、阿弥陀仏のお力を信じ極楽往生が決定することであり、救い主の阿弥陀仏を始め、先に往生された大切な方をも常に忘れなくなる不思議な「音」のご縁なのです。

■忍終不悔
昭和20年3月10日未明、東京大空襲。帰省先の群馬から上野駅に降り立った17歳の少年には忘れられない悲惨な光景が広がっていました。至る所でいまだ燻る火を飛び越え、路傍に横たわる多くの遺体を避けひたすら歩いたといいます。今年2月に91歳で他界した、自坊の檀徒総代を約半世紀にわたり勤めて下さったKさんの話です。当時学生だったKさんは、兄の戦死により実家を継ぐことになりました。既に他界していた両親に代わり、村長を務めていた祖父から「人が先、自分が後」「常に周りの人のことを考えろ」と厳しく教えられたそうです。のちに神社や寺の総代、町会議員などのあらゆる役職を率先して引き受けました。Kさんの葬儀で弔辞を読んだ方が当時を振り返り、「地域のために尽くすその姿は、とても頼もしいリーダーであった」と評されました。
『無量寿経』「歎仏頌」に、法蔵菩薩が覚者世自在王仏の前で「たとえ身は、もろもろの苦毒の中に止まるとも、わが行精進して忍んで終に悔ざらん」と、我々のために気の遠くなるような時をかけ、何が何でもやり遂げる決意をされました。そして終に大願を成就された仏様が阿弥陀様なのです。令和という新しい時代の幕が開けました。「自分らしさ」が尊重される昨今ではありますが、果たしてただ自分を見つめるだけで本当の自分が見つかるのでしょうか。阿弥陀様に見られる他者救済の心は、我々も大切にしなければならないでしょう。なぜなら他者がいきいきとして初めて自分がよりありありと見えてくると思うからです。我々凡夫を優しく見守る阿弥陀様に感謝して、これからもお念仏をお称えし、悔いのない人生を送りたいものです。 
 

 

■秋のお彼岸を前に
あるお檀家さんのお話です。その方、法事の一週間程前に転んで怪我をしてしまい、当日は車椅子でお参りに来られました。初めての車椅子にまだ 慣れず、大変苦労されているご様子でしたが、それでも愚痴をこぼさず、常にニコニコしているおばあちゃん。時間になりましたので、お迎えに上がりました。というのも、お寺にはエレベーターがございません。私たち僧侶がおぶって、二階の本堂までお運びします。本堂前の外階段から一段一段上っている と「あぁ、そうか。私じゃ上れないんだ。だからお坊さん来たんだね。ありがとうねぇ。」とニコニコつぶやいていました。しかし、本堂に着いた時、それまでニコニコしていたおばあちゃんが涙を流して震えていました。どうされましたかと尋ねると「ずっと前の、母の葬儀の時に私、お坊さんから聞いたの。阿弥陀様がお浄土へ連れて行って下さるって。その時は、そうな んだぁとしか思ってなかったの。でもね、今、こうして運んでもらっている時にね、あぁ、阿弥陀様もこうやって母を運んでくれたのかなぁって。ありがたいなぁ嬉しいなぁって思うと涙が出てきてねぇ。」
法事中、阿弥陀様に手を合わせ、涙交じりにお念仏をお称えされているその尊い姿に、私自身改めてお念仏のありがたさ、阿弥陀様の大慈悲を、肌に 感じた出来事でございました。この迷いの世界を脱するための階段は、決して自力で上れるような容易いものではありません。しかし阿弥陀様の本願にすがり、お念仏を称えれば極楽浄土へとお運びいただける、その上、先に極楽へと往生されたご先祖様との再会も叶うのですから、こんなに嬉しいことはありません。今年もまた彼岸花が真っ赤な色をつける季節となりました。彼岸花の花言葉は「想うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」、実に素敵な花言葉です。先立たれた方を想い、またお浄土で会う日を楽しみにお念仏をお称えする、そんな良きお彼岸を共に過ごしましょう。

■極楽浄土の様子
先日インターネットで「楽しみな予定があると仕事の効率が上がる」という記事を見かけました。医学的には賛否があるかもしれませんが、実感として「そういうことは確かにあるな」と私は感じました。ただ残念なことに、この世は「一切皆苦」思う通りにならないこと(苦しみ)に必ず出会う場所です。楽しみに思っていたことでも、その時が来てみると、思う通りに行かないことが多くあり、がっかりする結果になってしまうことも多くあります。一方で、私たち念仏者が来世、阿弥陀仏にお導きいただく場所、西方極楽浄土は、どんな人にとっても「一切の苦しみがなく、ただ楽のみある場所」だとお経の中に説き示されています。例えば、極楽浄土の住人は、「性別、背の高さ、顔立ち、肌の色など、姿形に違いがなく、皆が平等に健康で強靭な身体を得ることができ、仏様の教えを一度聞けば理解できるほど、平等に頭脳明晰なので、その優劣に苦しむことがない」。また「衣食住をはじめ必要な物は、願えばすぐに目の前に現れるので、これに執着し苦しむこともない」とお経の中に説かれています。
私たちは、この世でこれらの優劣について常に思い悩み、人を妬み、怒り、愚かな行動をしてしまいますが、そもそもその優劣がないので苦しむことがない。住人は互いに敬い合っていて、「目、耳、鼻、舌、身、心」で感じるもの、言葉で言い表すことができないほど美しく心地良い。その場所にいるだけで心が清められ自然と覚りへ段階が進む、尊い場所なのだと説かれています。「一切の苦しみがなく、ただ楽のみある場所」 このように阿弥陀仏様は極楽浄土をお創り下さいました。これほど、尊い場所にお迎えいただくためにお称えするのが「なむあみだぶつ」お念仏なのです。その善い姿は、ご先祖様への何よりの供養にもなります。極楽浄土の尊さに想いを馳せながら、共々に毎日のお念仏、お称えしてまいりましょう。

■本当に大切なもの
断捨離ということをよく耳にするようになったある日、あるお宅の法事でこんな話をうかがいました。その方には小学生低学年くらいの子が3人いて、おもちゃや物が増えてきたとのこと。「子供は、貰うのは好きだけど、物を手放すのって難しいですよね。捨てられないのですよ。」  なるほど、そういうものかなと思いながら聞いていますと、断捨離の大切さに気付いてから、家族でそのように心がけ、一日一つずつ家族で物を手放し、断捨離を始めたそうです。徐々に、家族の皆が手放すものが少なくなってきた頃、今回はあと一つ手放して終わろうと決めた。それから、最後の手放す物を決めるのに一週間かかったそうです。ですが、それらの物を手放した後、本当に大切な物だけが残り、物事を選択する力が付き、物を大切にする心が強くなったとうかがいました。とはいえ、大切なものだけを選んでいく。とても難しいことです。私も毎年、年末の大掃除でもなかなか整理できずにいます。
仏教にも多くの仏様やそれぞれの教えがあります。ですが、私たちが本当に大切に残さなければいけない教えとはなんでしょう。様々な修行方法があり、どの教えも尊いです。そんな中、比叡山で多くの修行を学ばれた法然上人は、迷いの多い私たちが、間違いなく救われるには、「南無阿弥陀仏」と称えるお念仏こそ、本当に大切です、と説かれています。なぜなら、阿弥陀様は、すべてのものを救いたいという願いから、誰でも行い易くすべての功徳を込められたお念仏一行を選び取られたからです。阿弥陀様ご自身が選択し、お誓いになられたからこそ、間違いないのです。また、お釈様も諸仏も、お念仏をお勧め下さっております。私たちはあれも大事、これも大事となかなか選ぶことが難しいものです。今まで大切にしてきたものも多くあると思います。どの教えも尊いですが、阿弥陀様を信じ、本当に大切なお念仏だけはしっかり残し、勤めていきたいものです。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
天照山蓮華院光明寺

 

光明寺は、神奈川県鎌倉市材木座にある浄土宗の寺院である。寺格は大本山。本尊は阿弥陀如来。
寺伝によれば、開基は北条経時、開山は浄土宗三祖然阿良忠であり、仁治元年(1240年)佐助ヶ谷に開創した蓮華寺を起源とし、寛元元年(1243年)現在地に移築し光明寺と改称したとされるが、『然阿上人伝』は鎌倉入を正元元年(1259年)としており、疑問視されている。 13世紀〜14世紀にかけての歴史はあまり定かでないが、室町時代には中興開山とされる祐崇上人(ゆうそうしょうにん、?−1509)によって復興された。明応4年(1495年)には後土御門天皇より勅願寺に定められている。近世には、浄土宗の関東十八檀林の第一位の寺として栄えた。
浄土宗について
名称 「浄土宗」
宗祖 法然房源空上人
開祖 承安五年 (鎌倉時代 西暦1175年)
本尊 阿弥陀如来
専修念仏 一心に南無阿弥陀仏と仏の御名を称える
教義 阿弥陀仏のお誓いを深く信じて仏の御名を称えるならばどのような人間でも、そのおろかさや罪深さから救われ、一切の苦しみから解き放たれて明るい安らかな生活をすることが出来、立派な人間へと向上して浄土に生まれることが出来る
経典 お釈迦様がお説きになった「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経
光明寺について
天照山蓮華院光明寺といい、浄土宗の大本山です。創立は鎌倉時代の寛元元年で西暦1243年といわれています。寺を開かれたのは浄土宗三祖然阿良忠上人です。
宗祖は法然上人で、二祖は久留米の善導寺を開かれたお弟子の聖光上人という方です。良忠上人は石見国(島根県)に生まれ、深い学問を達成された後、三十八歳で聖光上人のお弟子となり、法然上人の教えを受け継がれて浄土宗の三祖になられました。また良忠上人は、浄土宗に関する多くの書物をのこされ、弘安十年(1287)七月六日、八十九歳の高齢をもって入寂されました。その後、生前の功績が認められ伏見天皇より「記主禅師」の謚号を賜りました。
良忠上人は鎌倉幕府第四代の執権、北条経時公の帰依を受けてこの光明寺を開かれたといわれています。その後も第五代の執権、北条時頼公をはじめ歴代執権の帰依をうけ、七堂伽藍を整え、関東における念仏道場の中心となり、後土御門天皇より『関東総本山』の称号を受け、国と国民の平安を祈る『勅願所』となりました。江戸時代になると、徳川家康公は当山を関東十八檀林の筆頭におき、念仏信仰と仏教研鑽の根本道場となりました。檀林とは徳川幕府が定めた学問所です。
当寺は浄土宗の「お十夜」発祥の寺です。お十夜法要は第九世観譽祐崇上人の時(明応四年・1495年)に始まりました。後土御門天皇の勅許をうけ、引声阿弥陀経と引声念仏による十夜法要を勤めるようになり、今も古式によって毎年十月十二日より十五日までの四日間盛大に法要を勤めています。
光明寺の前の海、材木座和賀江島築堤の痕跡は海から鎌倉に入る湊の跡です。急速に都市化した幕府開創当時にはおびただしい量の物資が海からここに陸揚げされたのです。材木座は建築木材の集積から出た名です。湊に船が着くと、眼の前に宏壮な山門がそびえ立つ、その光景を想像してみてください。
山門に「天照山」という大額が掲げられています。この額は旧門に永享八年(1436)後花園天皇より下賜されたご宸筆であります。今の山門は弘化四年の再築のものです。
光明寺十夜法要縁起
「十夜法要」は、毎年10月12日〜15日にかけて 盛大に厳修されます。光明寺第九代観譽祐崇上人は名僧の誉れ高く、宮中に上って浄土の法門を天皇に御進講されたところ叡感極めて篤く、明応四年(1495)の十月、光明寺で「十夜法要」を行うことを勅許されました。以来今日に至るまで五百余年の間、年々歳々、十月を期して奉修してきたのが、大本山光明寺の十夜法要です。 今日では全国の浄土宗寺院において「十夜法要」が行われています。当山の十夜法要は、古式に従い、引声阿弥陀経・引声念仏によって行われ、昼夜にわたり参拝の人々で賑わっています。 お十夜を勅許くだされた後土御門天皇の時代は、いわゆる戦国時代で、打ち続く戦乱の中で庶民は生活に困窮し、まさに餓鬼・地獄の様相を現していました。天皇はいたくこの事を悲しまれ、一日も早く安穏に暮らせるように平和と安泰を望まれて、浄土宗に十夜法要を勅許されました。 その念仏の道が世に光明となって弘まる時、今の世、後の世に安楽な生活が約束されるのです。 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
知恩院 1

 

法然上人とお念仏
法然上人は平安の末、長承2年(1133)4月7日、美作国(現在の岡山県)久米南条稲岡庄に押領使・漆間時国(うるまのときくに)の長子として生まれ、幼名を勢至丸(せいしまる)といいました。勢至丸が9歳のとき父・時国が夜襲され、不意討ちに倒れた時国は、枕辺で勢至丸に遺言を残します。「汝さらに敵をうらむ事なかれ。これ偏(ひとえ)に先世の宿業(しゅくごう)なり。もし遺恨(いこん)をむすべばそのあだ世々に尽きがたし。早く俗をのがれ家を出て、我が菩提を弔い、みづからが解脱を求めよ」 この言葉に従い勢至丸は菩提寺で修学し、その後15歳(一説には13歳)で比叡山に登って剃髪受戒、天台の学問を修めます。久安6年(1150)18歳の秋、黒谷の慈眼房叡空の弟子として法然房源空(ほうねんぼうげんくう)の名を授けられました。叡空のもとで勉学に励んだ法然上人は「智恵第一の法然房」と評されるほどになり、以後、遁世(とんせい)の求道生活に入ります。
この時代は政権を争う内乱が相次ぎ、飢餓や疫病がはびこるとともに地震など天災にも見舞われ、人々は不安と混乱の中にいました。ところが当時の仏教は貴族のための宗教と化し、不安におののく民衆を救う力を失っていました。学問をして経典を理解したり、厳しい修行をし自己の煩悩を取り除くことが「さとり」であるとし、人々は仏教と無縁の状態に置かれていたのです。そうした仏教に疑問を抱いていた法然上人は、膨大な一切経の中から阿弥陀仏のご本願を見いだします。それは「南無阿弥陀仏」と声高くただ一心に称えることにより、すべての人々が救われるという専修念仏(せんじゅねんぶつ)の道でした。承安5年(1175)上人43歳の春、ここに浄土宗が開かれたのです。
法然上人はこの専修念仏をかたく信じて比叡山を下り、吉水(よしみず)の草庵、現在の御影堂(みえいどう)の近くに移り住みました。そして、訪れる人を誰でも迎え入れ、念仏の教えを説くという生活を送りました。こうした法然上人の教えは、多くの人々の心をとらえ、時の摂政である九条兼実(くじょうかねざね)などの貴族にも教えは広まっていきました。しかし、教えが世に広まるにつれ、法然上人の弟子と称して間違った教えを説く者も現れ、旧仏教からの弾圧も大きくなりました。
加えて、上人の弟子である住蓮(じゅうれん)、安楽(あんらく)が後鳥羽上皇の怒りをかう事件を起こし、建永2年(1207)、上人は四国流罪となります(建永の法難:けんえいのほうなん)。5年後の建暦元年(1211)に帰京できましたが、吉水の草庵は荒れ果てており、今の勢至堂(せいしどう)のある場所、大谷(おおたに)の禅房に住むことになりました。翌年、病床についた法然上人は、弟子の勢観房源智上人(せいかんぼうげんち)の願いを受け、念仏の肝要をしたためます。それが「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」と述べた『一枚起請文』(いちまいきしょうもん)です。そして建暦2年(1212)正月25日、80歳で法然上人は入寂されたのです。
門弟たちは房の傍らに上人の墳墓をつくりましたが、上人入寂から15年後、叡山の僧兵により墳墓が破却されそうになったため、弟子たちは亡骸を西山粟生野(せいざんあおの)に移し、荼毘に付します。その後、文暦元年(1234)、源智上人は、荒れるがままの墓所を修理し遺骨を納め、仏殿、影堂、総門を建て、知恩教院大谷寺と号し、法然上人を開山第一世と仰ぐようになりました。知恩院の名は、遺弟たちが上人報恩のために行った知恩講に由来します。
歴史
1133年(長承 2年)四月七日、浄土宗の開祖・法然上人、美作国(岡山県)久米南条稲岡庄に生まれる。幼名は勢至丸。
1147年(久安 3年)比叡山に登り源光に師事する(15歳、一説には天養2年、13歳)
1150年(久安 6年)西塔黒谷の叡空の室に入る。法然房源空の名を受ける(18歳)
1175年(承安 5年)東山吉水の地に草庵を結び、専修念仏を初めて布教(43歳)
1207年(建永 2年)旧仏教の弾圧で讃岐に流される(75歳)
1211年(建暦 1年)法然上人帰洛。大谷山上の禅房(現在、勢至堂の場所)に入る(79歳)
1212年(建暦 2年)正月二十五日、法然上人入滅。門弟たちが終焉の地である大谷に廟堂を築く(80歳)
1227年(嘉禄 3年)比叡山の衆徒が大谷廟堂を破却
1234年(文暦 1年)法然上人の弟子源智が上人を開山として諸堂を興す
1517年(永正14年)8月に火災。影像、勅伝など災いを免れる
1524年(大永 4年)御忌鳳詔の詔勅が下り御忌大会が始まる
1530年(享禄 3年)勢至堂の再興。後奈良天皇宸翰「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜う
1585年(天正13年)豊臣秀吉、寺領百九十石の朱印状を付す
1603年(慶長 8年)徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す
1604年(慶長 9年)家康、青蓮院の地を割き、寺地堂舎を造堂
1607年(慶長12年)後陽成天皇八宮を門跡に定める
1619年(元和 5年)幕府が三門、経蔵を造営、2年後に竣工
1633年(寛永10年)火災。三門、経蔵のみ災いを免れる
1639年(寛永16年)諸堂の再建なる
1697年(元禄10年)東山天皇、法然上人に円光大師の諡号を賜う
1710年(宝永 7年)霊元上皇宸翰「華頂山」の勅額を賜う
1711年(宝永 8年)法然上人五百年遠忌。中御門天皇、東漸大師の号を賜う
1761年(宝暦11年)法然上人五百五十年遠忌。桃園天皇、慧成大師の号を賜う
1811年(文化 8年)法然上人六百年遠忌。光格天皇、弘覚大師の号を賜う
1831年(天保 2年)善導大師千百五十年遠忌
1835年(天保 6年)大方丈・黒門・集会堂などの修復なる
1861年(万延 2年)法然上人六百五十年遠忌。孝明天皇、慈教大師の号を賜う
1872年(明治 5年)博覧会場となり、明治天皇がご臨幸される
1875年(明治 8年)山内入信院に総本山勧学本場を設ける
1877年(明治10年)1月の御忌法要を4月に行い、以後例となる
1880年(明治13年)善導大師千二百年遠忌を修す
1910年(明治43年)阿弥陀堂再建落成慶讃会が行われる
1911年(明治44年)法然上人七百年大遠忌。明治天皇、明照大師の号を賜う。華頂女学院創立
1924年(大正13年)浄土開宗七百五十年記念大法要
1928年(昭和 3年)華頂会館ならびに信徒宿泊所が落成
1930年(昭和 5年)高祖善導大師千二百五十年遠忌大法要。納骨堂が落成
1932年(昭和 7年)宗祖降誕八百年慶讃法要を修し、勢至丸銅像を造立
1959年(昭和34年)七百五十万霊塔落成
1961年(昭和36年)法然上人七百五十年遠忌。昭和天皇、和順大師の号を賜う
1967年(昭和42年)第一回おてつぎ文化講座を開講
1968年(昭和43年)宝物館竣工。友禅苑に茶室「華麓庵」完成
1970年(昭和45年)知恩院史料編纂所開設。和順会館起工
1972年(昭和47年)和順会館落成
1974年(昭和49年)権現堂落成。浄土開宗八百年慶讃法要を奉修
1980年(昭和55年)高祖善導大師千三百年大遠忌奉修
1982年(昭和57年)宗祖御降誕八百五十年慶讃法要奉修
1987年(昭和62年)三上人大遠忌法要奉修
1992年(平成 4年)昭和平成修復三門落慶法要。宝佛殿が落成
2000年(平成12年)経蔵修復。落慶法要
2002年(平成14年)三門、御影堂が国宝の指定を受ける
2011年(平成23年)法然上人八百年大遠忌。集会堂修復。和順会館改築、知恩院 和順会館落成。天皇陛下、法爾大師の号を賜う
知恩院の七不思議
1鴬張りの廊下 −仏の誓い
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に至る廊下は、全長550メートルもの長さがあります。歩くと鶯の鳴き声に似た音が出て、静かに歩こうとするほど、音が出るので「忍び返し」ともいわれ、曲者の侵入を知るための警報装置の役割を担っているとされています。また鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」とも聞こえることから、不思議な仏様の法を聞く思いがするともいわれています。
2白木の棺 −不惜身命
三門楼上に二つの白木の棺が安置され、中には将軍家より三門造営の命をうけた造営奉行、五味金右衛門夫婦の自作の木像が納められています。彼は立派なものを造ることを心に決め、自分たちの像をきざみ命がけで三門を造りました。やがて、三門が完成しましたが、工事の予算が超過し、夫妻はその責任をとって自刃したと伝えられています。この夫婦の菩提を弔うため白木の棺に納めて現在の場所に置かれ、見る人の涙を誘います。
3忘れ傘 ―知恩・報恩
御影堂正面の軒裏には、骨ばかりとなった傘がみえます。当時の名工、左甚五郎が魔除けのために置いていったという説と、知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂を建立するとき、このあたりに住んでいた白狐が、自分の棲居がなくなるので霊巌上人に新しい棲居をつくってほしいと依頼し、それが出来たお礼にこの傘を置いて知恩院を守ることを約束したという説とが伝えられています。いずれにしても傘は雨が降るときにさすもので、水と関係があるので火災から守るものとして今日も信じられています。
4抜け雀 ―心をみがく
大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたものです。紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたのですが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていませんが、狩野信政の絵の巧みさをあらわした話といえるでしょう。
5三方正面真向の猫 −親のこころ
方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵で、どちらから見ても見る人の方を正面からにらんでいるのでこの名があります。親猫が子猫を愛む姿が見事に表現されており、親が子を思う心、つまりわたしたちをいつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしています。
6大杓子 −仏のすくい
大方丈入口の廊下の梁に置かれている大きな杓子です。大きさは長さ2.5メートル、重さ約30キログラム。このような大杓子はあまりないところから、非常に珍しいものとしてこんにちでも拝観の方が見上げます。伝説によると三好清海入道が、大坂夏の陣のときに大杓子をもって暴れまわったとか、兵士の御飯を「すくい」振る舞ったということです。「すくう」すべての人々を救いとるといういわれから知恩院に置かれ、阿弥陀様の慈悲の深さをあらわしています。
7瓜生石 −はげみ
黒門への登り口の路上にある大きな石は、知恩院が建立される前からあるといわれ、周囲に石柵をめぐらしてあります。この石には、誰も植えたおぼえがないのに瓜のつるが伸び、花が咲いて瓜があおあおと実ったという説と、八坂神社の牛頭天王が瓜生山に降臨し、後再びこの石に来現し一夜のうちに瓜が生え実ったという説が伝えられています。また石を掘ると、二条城までつづく抜け道がある、隕石が落ちた場所である等、さまざまな話が言い伝えられている不思議な石です。  

 

 

 
知恩院 2

 

華頂山知恩教院大谷寺
知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。なお他流で門跡に当たる当主住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。
歴史
知恩院は、浄土宗の宗祖・法然房源空(法然)が東山吉水(よしみず)、現在の知恩院勢至堂付近に営んだ草庵をその起源とする。法然は平安時代末期の長承2年(1133年)、美作国(岡山県)に生まれた。13歳で比叡山に上り、15歳で僧・源光のもとで得度(出家)する。18歳で比叡山でも奥深い山中にある西塔黒谷の叡空に師事し、源光と叡空の名前の1字ずつを取って法然房源空と改名した。法然は唐時代の高僧・善導の著作『観経疏』を読んで「専修念仏」の思想に開眼し、浄土宗の開宗を決意して比叡山を下りた。承安5年(1175年)、43歳の時であった。「専修念仏」とは、いかなる者も、一心に弥陀(阿弥陀如来)の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想である。この思想は旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった。法然は建永2年(1207年)には讃岐国(香川県)に流罪となり、4年後の建暦元年(1211年)には許されて都に戻るが、翌年の1月、80歳で没した。
法然の住房は現在の知恩院勢至堂付近にあり、当時の地名を取って「吉水御坊」「大谷禅坊」などと称されていた。ここでの法然の布教活動は、流罪となった晩年の数年間を除き、浄土宗を開宗する43歳から生涯を閉じた80歳までの長きにわたり、浄土宗の中心地となった。ここに法然の廟が造られ、弟子が守っていたが、嘉禄3年(1227年)、延暦寺の衆徒によって破壊されてしまう(嘉禄の法難)。文暦元年(1234年)、法然の弟子である紫野門徒の勢観房源智が再興し、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されるなどして紫野門徒の拠点となっていった。
建治2年(1276年)、鎮西義の弁長の弟子良忠が鎌倉からやってくると、間もなくして紫野門徒の百万遍知恩寺3世信慧は東山の赤築地(あかつじ)において良忠と談義を行った。そこで両流を校合してみたところ、相違するところが全くなく符合したので、以後源智の門流は別流を立てずに、鎮西義に合流することとなった(「赤築地の談」)。
これにより、紫野門徒の拠点であった知恩院と百万遍知恩寺は鎮西義の京都での有力な拠点となった。
永享3年(1431年)に火災にあって焼失するが、間もなくして再興されている。
応仁元年(1467年)に始まった応仁の乱の際には、知恩院22世周誉珠琳が近江国伊香立(現・大津市伊香立)の金蓮寺に避難し、法然御影や仏像、宝物類を付近にあった庵に避難させ、この庵を改めて新知恩院とした。そして、文明10年(1478年)に知恩院を再興するが、永正14年(1517年)にも消失する。
大永3年(1523年)、知恩院25世存牛と百万遍知恩寺25世慶秀との間で本寺争いとなったが知恩院が勝利し、鎮西義で第一の座次となり本山となった。
また、戦国時代には縁誉称念による専修念仏集団一心院流(捨世派)が成立して鎮西義から分派し、天文17年(1548年)に法然上人御廟の向かいに一心院を建立している。
さらに天正3年(1575年)には正親町天皇より浄土宗本寺としての承認を受け、諸国の浄土宗僧侶への香衣付与・剥奪の権限を与えられた(「毀破綸旨」)。
現存の三門、本堂(御影堂)をはじめとする壮大な伽藍が建設されるのは江戸時代に入ってからのことである。浄土宗徒であった徳川家康は慶長13年(1608年)から知恩院の寺地を拡大し、諸堂の造営を行った。造営は江戸幕府2代将軍徳川秀忠に引き継がれ、現存の三門は元和7年(1621年)に建設された。寛永10年(1633年)の火災で、三門、経蔵、勢至堂を残しほぼ全焼するが、3代将軍徳川家光のもとでただちに再建が進められ、寛永18年(1641年)までにほぼ完成している。
徳川家が知恩院の造営に力を入れたのは、徳川家が浄土宗徒であることや知恩院25世超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)が松平氏第5代松平長親の弟であること、二条城とともに京都における徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあったと言われている。
江戸時代の代々の門主は皇族から任命されたが、さらにその皇子は徳川将軍家の猶子となった。
1947年(昭和22年)、法然上人御廟を中心とする「一宗一元運動」を提唱し、知恩院は自らを本山とする本派浄土宗(後に浄土宗本派に改称)を結成し、浄土宗から分派する。1950年(昭和25年)には法然上人御廟の向かいにある一心院が浄土宗捨世派を結成して浄土宗から分派した。しかし、1961年(昭和36年)の法然上人750年忌を機に、翌1962年(昭和37年)に知恩院と浄土宗本派は浄土宗に合流し、知恩院が再び浄土宗の総本山となった。
伽藍
知恩院の境内は、三門や塔頭寺院のある下段、本堂(御影堂)など中心伽藍のある中段、勢至堂、法然廟などのある上段の3つに分かれている。このうち、上段が開創当初の寺域であり、中段、下段の大伽藍は江戸時代になって徳川幕府の全面的な援助で新たに造営されたものである。
三門
東大路通に面した総門(新門)を通り、緩い坂道を上った先に西面して三門が建つ。三門をくぐると急な石段があり、本堂などの建つ「中段」に至る。三門は徳川二代将軍徳川秀忠が寄進したもので、平成大修理時に上層屋根の土居葺板という部材から元和7年(1621年)の墨書が発見され、同年の建立と判明する。入母屋造、本瓦葺き、五間三戸の二重門である。(「五間三戸」は正面柱間が5つで、うち中央3間が通路になっているもの。「二重門」は2階建てで、1階・2階の両方に軒の張りだしがあるものをいう。)高さ24メートルの堂々たる門で、東大寺南大門より大きく、現存する日本の寺院の三門(山門)のなかで最大の二階二重門である。組物(軒の出を支える構造材)を密に並べた「詰組」とすること、粽(ちまき)付きの円柱を礎盤上に立てること、上層の垂木を扇垂木とすることなど、細部の様式は禅宗様であり、禅寺の三門に似た形式とする。門の上層内部は釈迦如来像と十六羅漢像を安置し、天井には龍図を描くなど、やはり禅寺風になっている。日本三大門のひとつに数える説がある。
本堂(御影堂)
知恩院境内は下段、中段、上段の3段に整地されており、本堂はそのうちの中段に南面して建つ。寛永10年(1633年)の焼失により、寛永16年(1639年)に徳川家光によって再建。宗祖法然の像を安置することから、御影堂(みえいどう)とも呼ばれる。知恩院で最大の堂宇であることから、大殿(だいでん)とも呼ばれる。
入母屋造本瓦葺き、間口44.8メートル、奥行34.5メートルの壮大な建築で、江戸幕府造営の仏堂としての偉容を示している。建築様式は外観は保守的な和様を基調としつつ、内部には禅宗様(唐様)の要素を取り入れている。柱間は桁行(正面)11間、梁間(奥行)9間で、手前の梁間3間分を畳敷きの外陣とし、その奥の桁行5間・梁間5間分を内陣とする。内陣の左右はそれぞれ手前の梁間3間分を「脇陣」、奥の梁間2間分を「脇壇前」と呼ぶ。堂内もっとも奥の梁間1間分は、中央の桁行5間を後陣、左右の桁行各3間を脇壇とする。内陣の奥には四天柱(4本の柱)を立てて内々陣とし、宮殿(くうでん)形厨子を置き、宗祖法然の木像を安置する。徳川幕府の造営になる、近世の本格的かつ大規模な仏教建築の代表例であり、日本文化に多大な影響を与えてきた浄土宗の本山寺院の建築としての文化史的意義も高いことから、2002年、三門とともに国宝に指定されている。
屋根の上、中央に屋根瓦が少し積まれているが、これは完璧な物はないことの暗喩だとされる。2007年から屋根の修復作業が行われている。法然上人像は毎年12月25日に御身拭式が行われているが、平成23年(2011年)12月25日には御影堂大修理に伴い、御身拭式の後、遷座式が執り行われ、修理の間、法然上人御堂(集會堂)に安置されている。
   御影堂大修理
2011年に半解体をともなう大修理を発願し、8年計画で屋根瓦の全面葺き替えをはじめ腐朽、破損箇所の取り替えと補修、軒下の修正、耐震診断調査に基づく構造補強などを行い、2019年に竣工予定である。一度外されて補修された屋根が2016年に再び御影堂に載り、修理現場が一般公開された。
重要文化財の建物
   経蔵
本堂の東方に建つ宝形造本瓦葺き裳階(もこし)付きの建物。三門と同じ元和7年(1621年)に建立された建物で、徳川二代将軍・秀忠寄進による宋版大蔵経六千巻を安置する輪蔵が備えられている。 2010年9月25日に、経蔵の礎石に乗用車が衝突し、礎石の一部が剥落する事故があった。事故のあった場所は、当時、彼岸回向の為に来寺する信徒の駐車場として開放されていた。
   大鐘楼
宝仏殿裏の石段を上った小高い場所に建つ。延宝6年(1678年)の建立。ここにある梵鐘(重要文化財)は日本有数の大鐘で、寛永13年(1636年)の鋳造である。この鐘楼で除夜の鐘を突く模様は年末のテレビ番組でたびたび紹介されている。
   大方丈(おおほうじょう)
本堂の右手後方に建つ。寛永18年(1641年)に建立された檜皮葺き・入母屋造りの華麗な書院建築で、54畳敷きの鶴の間を中心に狩野一派の筆になる豪華な襖絵に彩られた多くの部屋が続く。
   小方丈(こほうじょう)
大方丈のさらに後方に建つ。大方丈と同じ寛永18年(1641年)に建立された建物で、襖には狩野派の絵が描かれているが、大方丈に比べ淡彩で落ち着いた雰囲気に包まれる。東側の庭園は「二十五菩薩の庭」と呼ばれ、阿弥陀如来が西方極楽浄土から25名の菩薩を従えて来迎する様を石と植込みで表現したものである。
   勢至堂(本地堂)
境内東側、急な石段を上った先の小高い場所にあり、本地堂とも呼ばれる。付近は法然の住房のあった地である。入母屋造本瓦葺き。寺内の建物では最も古く、室町時代享禄3年(1530年)の建築。建立当初は本堂(御影堂)であった。内陣厨子内に安置する本尊勢至菩薩坐像は鎌倉時代の作で、2003年に重要文化財に指定されている。勢至菩薩を本尊とする堂は他にほとんど例を見ないが、浄土宗では法然を勢至菩薩の生まれ変わりとしており(法然の幼名は「勢至丸」であった)、法然の本地仏として造立されたものと思われる。前述の山亭は勢至堂の客殿として建てられたものである。
上記の経蔵以下の各建物は重要文化財に指定。このほか、唐門、集會堂(しゅえどう)、大庫裏(おおぐり、「雪香殿」とも)、小庫裏(こぐり)が重要文化財に指定されている。いずれも寛永復興期の建築である。
その他
   阿弥陀堂
本堂の向かって左に東面して建ち、本尊阿弥陀如来坐像を安置する。明治時代の再建だが、正面に掲げられている「大谷寺」という勅額は、後奈良天皇の宸筆である。
   宝仏殿
本堂の南側に北面して建つ寄棟造の仏堂。平成4年(1992年)の建立で、内部には阿弥陀如来立像と四天王像を安置する。
   権現堂
小方丈のさらに奥に建つ小規模な仏堂。内部には知恩院の造営に関わった徳川三代(徳川家康・秀忠・家光)の位牌と肖像画を安置する。
   山亭庭園
大方丈前から石段を上った山腹に位置し、京都市街を一望できる眺望のよい場所にある。庭園は江戸時代末期の造営の枯山水庭園である。山亭の建物は霊元天皇第10皇女浄林院宮吉子の御殿を宝暦9年(1759年)に下賜されたもので、明治時代に大改修を受けている。
   法然上人御廟
法然上人の死後、門弟たちの手によって勢至堂の東に建てられたもので法然の遺骨を納めている。知恩院にあって、喧騒から隔離された祈りの空間となっている。  
 
 

 

 
知恩院 3

 

浄土宗総本山である知恩院。詳称は華頂山知恩教院大谷寺と言います。
知恩院は鎌倉時代初期に浄土宗の宗祖の法然が、知恩院勢至堂の近くに建てた草案が始まりだと言われています。法然は1133年に生まれ、幼名を勢至丸と言いました。1175年に浄土宗を開きましたが、浄土宗の「専修念仏」、「南無阿弥陀仏」と一心に称えればすべての人々が極楽往生できるという思想は他の仏教側から激しく弾圧され、弟子の事件も起こり四国に流罪になります。1211年に帰京しましたが、法然は翌年80歳で亡くなりました。1234年に、弟子の勢観房源智は仏殿、御影堂、総門を建立しこの地を再興、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜されます。
その後は応仁の乱で焼失。この時住職たちは滋賀県に逃れ、新知恩院を建てました。知恩院の伽藍は江戸時代に入り、徳川家康から秀忠にかけて建立され、その後の火災で焼失したものは家光が再興しています。
知恩院の見どころ
日本最大級の「三門(さんもん)」
国宝に指定されている三門。1621年、徳川幕府2代将軍、秀忠によって寄進され、途中火災が起こったため3代家光によって再興されました。一般的には「山門」と書きますが、この知恩院は悟りに通じる三つの境地を表わす門、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」を意味しているため「三門」と書きます。この三門は現存する三門や山門の中で日本最大級。高さ約24メートル、幅が50メートルもの大きさがあります。楼上の内部は仏堂になっていて、重要文化財に指定されている宝冠釈迦牟尼仏像や十六羅漢像が安置され、天上や壁には龍図や天女などが描かれ、荘厳な世界が広がっています。
壮大な建築物「御影堂(本堂)」
国宝に指定されている御影堂。「大殿」とも呼ばれ、知恩院の中心となるお堂になります。1633年に一度焼失し、1639年に家光によって再建されました。奥行35メートル、間口45メートルもの大きな建築物です。この御影堂は2017年現在は大改修が行われ、2018年いっぱいまで入ることができませんのでご注意ください。
京都博覧会の会場になった「集会堂(しゅうえどう)」
1636年に建立された集会堂。千畳敷と言われるほどの広さで、御影堂とは渡り廊下で結ばれています。以前は僧侶の修行場として使用されてきましたが、御影堂の大改修の間のみ、元祖大師御尊像を祀る「法然上人御堂」となっています。御影堂で行われていた行事も大改修の間はこちらで行われています。
知恩院発祥の地「勢至堂」
重要文化財に指定されている勢至堂。1530年に再建されたもので、知恩院の中では最古の建築物になります。もともとのご本尊は法然上人の御尊像でしたが、御影堂建立とともに移されたため、現在は法然上人の本地身とされる勢至菩薩像が本尊となっています。
知恩院の七不思議
1.曲者の侵入を知らせる「鴬張りの廊下」
御影堂から集会堂、大方丈、小方丈に通じる、全長550メートルの長い渡り廊下があります。この廊下は歩くと鶯の鳴き声に似た音がし、静かに歩こうとするほど音が出るようになっているので「忍び返し」とも言われてます。これは不審者の曲者が侵入した際に知らせる役割と、鶯の鳴き声が「法(ホー)聞けよ(ケキョ)」と聞こえることから、仏様の法を聞く思いがするそうですよ。
2.三門楼上に安置される「白木の棺」
三門楼上に安置されている2つの棺。中には家光から三門造営の命を受け建築した五味金右衛門(ごみきんえもん)夫婦の自作の像が安置されています。五味金右衛門は三門を造営しましたが、工事予算を大幅に超えてしまったため、責任をとって自刃したと言われています。白木の棺は夫妻の菩提を弔うために作られたものです。
3.骨だけの傘「忘れ傘」
御影堂の軒裏にある骨だけになった傘。この傘には、当時の名工である左甚五郎が置いていったという説と、知恩院第32世の雄誉霊巌上人が御影堂建立時に、この辺に住んでいた白狐が自分の住むところがなくなってしまうと訴え、新しい住まいを作ってくれたお礼に置いていったという2つの説があります。
4.雀が襖から飛び立った「抜け雀」
大方丈の菊の間にある襖絵を見てくださいね。これは狩野信政が描きましたが、以前は紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたそうです。しかしあまりにも巧みに描かれていたため、雀は命を受け飛び立ったと言われています。
5.どこから見ても目が合う「三方正面真向の猫」
方丈の廊下にある杉戸に描かれた猫。狩野信政が描いたもので、どの方向から見ても猫と目が合うのでこう呼ばれています。その猫の下には子猫が描かれており、親が子を思う心、つまり訪れた人を見守ってくださる仏様の慈悲を表しているそうです。
6.大坂夏の陣で大活躍「大杓子」
大方丈の入口付近の天井にある大杓子。長さ2.5メートル、重さ30キログラムもするもので、伝説では三好清海入道が大坂夏の陣の時にこの大杓子を武器にして使ったとか、この大杓子で兵士の御飯をすくって振舞ったとか言われています。すくうはすべての人々を救いとるということから、この知恩院に置かれたそうです。
7.多くの逸話を残す「瓜生石」
黒門への登り口にある大きな石が瓜生石。この石にはたくさんの逸話があり、誰も植えてた覚えがないのに瓜が実った説、八坂神社の牛頭天王がこの石に降臨したら瓜が生えた説、石を掘ると二条城まで続く抜け道がある説、隕石が落ちた場所だという説など多くのいわれが残る不思議な石です。この石は知恩院創建前からあったそうです。  
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
浄土宗神奈川教区・法話

 

 
 

 

■第664話
明けましておめでとうございます。西暦も2000年となり、今世紀最後の年がスタートしました。世間ではコンピュータの2000年問題が騒がれていますが、今世紀人類は科学文明を急速に発展させ、物質的にはとても豊かで、大変便利な世の中になりました。しかしその一方で人情が薄くなったり、公害の発生、異常気象などの様々な問題を産み出してしましました。昨今では数々の痛ましい事件が新聞を賑わせています。浄土宗の拠り所とする三部経の一つ『阿弥陀経』の中に、「五濁悪世」と言う言葉がでてきます。これは、劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁5つの濁った、つまり汚れた悪い世の中と言う意味です。
劫濁とは時代の汚れで、天災・戦争・公害などの社会悪を言います。海外では争いごとが絶えず続いているところがあったり、また国内でも産業廃棄物による汚染問題、地震や異常気象がこれに当たります。見濁とは思想の汚れで、邪な見解や教えが横行することです。新興宗教が増え、宗教を語って資金調達や悪行を重ねるというのもこの1つです。煩悩濁とは精神的悪徳がはびこることです。汚職や脱税、保険金詐欺などがこれに当たります。衆生濁とは人間の体・心がともに弱くなり、質的に低下することです。難病が増えたり、自分だけがよければ他の人がどうなってもいいと言う考えがそうです。命濁とは人間の寿命が短くなることです。低年齢層の自殺や妊娠中絶による水子の増加、無謀運転による交通事故死など命を大切にしない人間が増えていることです。まさに、現代は、五濁悪世の世の中です。お釈迦様は、説かれた教えの中で末法の私たちに忠告をなさっているのです。このことをよく思いとどめ、お互いの努力で21世紀、明るい未来を築いて行こうではありませんか。

■第665話
「和願愛語」という言葉を聞かれたことはあるでしょうか? 私がとても好きな言葉の一つで、これは「無財の七施」から来ている言葉です。「無財の七施」は、財産がなくても出来る七つの施しのことです。一つ目は捨身施で、捨てるに身体の身に施しと言う字を書きます。身の施しのことで、誰にでも敬いを忘れずに、身をもって行動することです。二つ目は心慮施で、心に配慮の施しと言う字を書きます。相のために心配りをする事で、善な心で、思いやりをもって行動することです。三つ目は和願施で、平和の和に顔に施しと言う字を書きます。顔の施しのことで、いつも穏やかで優しい顔をして、相手に微笑みを与える事です。四つ目は慈眼施で、慈悲の慈に眼に施しと言う字を書きます。眼の施しのことで、相手に優しくいたわりのまなざしを向ける事です。五つ目は愛語施で、愛に言語の施しと言う字を書きます。言の施しのことで、相手に優しくあたたかな言葉をかける事です。六つ目は床座施で、床に座席の施しと言う字を書きます。座の施しの事で、お年寄りや体の不自由な方に席を譲る事です。七つ目は房舎施で、房に宿舎の舎に施しと言う字を書きます。ひとときの憩いの場を与えることで、泊まる所のない人を泊めてあげたり、雨の時に軒先を貸したりする事です。
以上が「無財の七施」です。時代が進むにつれて、人情が薄らいできています。財産がなくても出来る施しと言っても、なかなか実行するのは難しいことです。しかし、この7つの施しを心がけて行動すれば、人と人のつながりも深くなって心豊かな日々を送る事が出来ると思います。今年も始まったばかりです。どうぞ実行してみて下さい。

■第666話
昨年11月のことになりますが、私は総本山知恩院で開催された璽書道場と言う修行に行ってきました。璽書は、浄土宗最高峰の修行道場で、これを受けることによって五重相伝会の勧戒を許可されるものです。期間は1週間程で、1日を6つの時間に分けて勤行・礼拝を行い、残りの時間で講義を受けます。ほとんど自由時間もありませんし、自由な行動も許されません。私は、浄土宗の僧侶になるための加行と言う修行を受けて10年程になります。体がなまっているせいかとてもきつく感じました。修行していると、足や喉は痛くなりますし、好きな物を飲んだり食べたりしたくもなります。また、講義を聴いていると睡魔が襲ってきます。普段はなかなか感じることもなく生活していますが、このような不自由な生活をしていると、煩悩が次から次へと出てきます。自分が一凡夫であり、煩悩を断ち切ることが出来ないのがよく分かりました。こんなお話をしていると僧侶のくせにだらしないやつだと思われるかもしれませんが、現代、煩悩を断ち切る悟りを開ける人などまずおりません。私は、その時この浄土宗の教えはとても素晴らしいものだと感じたのでした。
仏教には多くの宗派が存在します。法然上人以前の仏教は、お釈迦様の取り決められた色々な戒め、心を鎮める禅定、仏教の道理を知り極める智慧の3つの修行を完成出来なければ救われないと言う教えでした。法然上人は私たちが西方極楽浄土に往生出来るよう、もろもろの難しい行を選び捨てて、たやすい道である念仏往生の浄土門を選択されたのです。誰もが南無阿弥陀仏と称えることで西方極楽浄土に往生できると言う有り難い教えです。私は、この璽書道場を受けて、法然上人の説かれた教えが800年たった現在にもととてもマッチしている事、お念仏を唱えることによって、苦しい心は和らぎ、悲しい思いは鎮まり、腹立ちや怒りが安らぎに変わっていく事を改めて感じました。どうぞ、お念仏をお続けいただきたいと思います。

■第667話
寒い季節です。この時期、朝起きるのが大変だと思いませんか。目覚まし時計が鳴り、目を覚ましますが、なかなか布団の中から出るのが億劫です。やっとの思いで布団から這いでて部屋の暖房を入れますが、部屋が温まるまでの間、口に出るのは、サムイサムイばかり。早く春が来ないかなと思う日々です。こうも寒いと、怠け心がむくむくと目を覚まし、今日はよして明日にしようとか、一所懸命仕事をしていても、つい寒いので手を抜いてしまったりと、後で後悔したり、自分は煩悩の固まりだな一と思ってしまいます。
煩悩を取り除く方法が何か有るのでしょうか。そもそも、煩悩とは何でしょうか。仏教用語として、基本的に、貧る心、怒る心、愚かな心、おごる心、疑う心、悪い認識を指して煩悩とジいま九古来より・色々な方法や手段でこの煩悩を取り除く方法を教えています。宗祖法然上人も、この事について、深くお考えになり、また修行もされましたが、やがてたどり着いたのが、煩悩を取り除かなくとも救って下さる阿弥陀如来の誓願にすべてお任せするという以外に方法は無いと言うことでした。ただ一心に南無阿弥陀仏と称えれば、煩悩があれば煩悩のままに、心が乱れていれば乱れているままで、全ての人々が平等に救われるのです。注意しなけれぱならないのは、だからといって、不健全な生活や態度を容認しているわけではないのです。社会の一員として、また仏教徒として、健全な生活を送りたいものです。

■第668語
うかつにも、左手の小指を突き指してしまいました。たいした痛みも無かったので、2,3日そのままでいましたが、どうも小指の動きが悪いので、お医者さんに診てもらいました。その結果、小指の筋がきれており手術する事になりました。手術後5週間の固定と約2ヵ月のリハビリを行いました。たかが小指されど小指と言うべきか、普段は意識しない指なのに使えないとなると、実に不便で、また手にも力が入りません。蓬か昔、人間独特の直立歩行という体位によって手がはじめて自由になったといわれています。以来、基本的に手という道具によって物が生産されてきたと思います。お釈迦さまが説かれた説法も、手という道具で文章となって私達はその教えを読むことが出来るのです。
お経とは、お釈迦さまが説いたものを文章にしたものです。その他、仏の制定した律、菩薩などが、お経の意味を解説した論が有ります。この、経と律と論を合わせて三蔵といいます。さらに三蔵を集大成したものが、大蔵経とか一切経とか呼ぱれます。どのくらいの数かといいますと、大正新修大蔵経によれぱ、3053部、11970巻に及ぶ大変な分量になります。それゆえ、その教えも8万4千の法門があると言われています。私達の宗派である浄土宗は、宗祖法然上人が大蔵経を読むこと5回、中国の善導大師がお書きになった解説書を8回もお読みになり、ついに全ての人が救われる方法を発見し、基本の教典として、無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経、の三っと明示されました。お寺で読まれるお経にはこのような背景があることも気にしていただくと、元祖様のご苦労が括わかりになるかと思います。

■第669話
小学生の子供達とお話をすることが有ります。話を聞いていると、それぞれにみんな夢や希望をもっているのがよくわかります。大人と違って、その発想に変な制限がありませんから、聞いていてこちらが、はっとさせられるような素晴らしいことを言ったり、また現実に近い可愛い夢を持っていたりして楽しいですね。ある子供は、ハワイに行って鯖麗な海で遊び、素敵なホテルに泊まりたいとか、お城の様な大きなお家に住んで、広い自分の部屋を持ち、玩具がいっぱい有って、ファミリーコンピュウター一のソフトも山ほど有り、どんなゲームもできるようになりたいとか、自分の環境に関係する夢などを話したりします。浄土三部経と言うお経があります。このお経の中に私達が夢に観るような世界が書いて有ります。
この国には7重の石垣、7重の玉の飾り物、7重の並木がいたるところにめぐらされていてそれらは、金、銀、キャッツアイ、水晶の4種類の宝石からできています。また、金、銀、キャッツアイ、水晶、赤真珠、馬璃、境珀の7種類の宝石でできた池があり、池の中には金の砂が敷きっめられています。その池の4方には4つの宝石で出来た階段が有ります。さらに7種類の宝石で出来た樹木が生えています。上をみれば、常に空から美しい音楽が流れ、大地は黄金色です。夜に3回、昼に3回、花で出来た雨が降り注ぎます。白鳥や孔雀、そのほか珍しい鳥たちが一日に6回集まって各々美しい調べをさえずります。心地よい風が吹くと、宝石の並木や飾り物が心地よい音を奏でます。この国には、誰でも行けるわけでは有りません。どうすれぱ行けるのでしょうか。その答えは簡単です。阿弥陀如来を信じれば誰でも平等に行けるのです。お仏壇に手を合わせるとき、お寺さんにお参りに言ったとき、南無阿弥陀仏と称えてみましょう。あなたは、将来極楽へ行くことが保証されたのです。

■第670話
皆さんご存知の仏教をお開き下さったお釈迦様は、一国の王子として、何不自由ない生活をしておらました。しかし、ある日突然、その権力と栄光を全て捨て、いのちと引き替えになるほどのそれはそれは厳しい苦行に入られたのです。そして、お悟りを開かれ、苦悩に迷う私たちが救われる道が開かれました。一方、法然上人もまた、若くして比叡山に登られ、天台宗の厳しい修行と勉強を重ねられ、智慧第一の法然坊としてその名声をとどろかせ、末は天台座主としての地位が約束される程の優れたお坊さんでした。しかし、阿弥陀さまのお念仏の教えに逢われるや、揚々たる前途を捨て、比叡の山を下り、阿弥陀さまのお念仏を広めることに邁進されたのです。島流しにされたり、還俗されたり、また、弟子達にも危害が及びましたが、ひるむことはありませんでした。
お釈迦様と法然上人に共通して言えることは、自分の名誉や地位、権力を一切捨て、ひたすら世の人々を救うために、命をかけて下さったということです。こんな私たちのために命をもかけて下さったという御心に感謝し、心して有り難くみ教えを戴かなければならないでしょう。単に、私たちの日々の快楽や欲望を充たすために、又、ひとときの幸せに浸るためだけに命をかけて下さったのではありません。もっともっと壮大な、本当の意味での、人間救済であり、その事に命をかけて下さったのです。すなわち、六道輪廻、迷いの世界から脱け出し、極楽に往生し、さらに、究極の心の平安への到達という何とも凄いお導きなのです。今を生きる私たちには現世利益も大切なことでありますが、ややもすると鎮めるべき欲望の火を一層燃え上がらせるようなものもあり、時には、お金儲けや自分の欲望を充たすための手段として、仏教の名がかたられ、お経が使われている向きがあります。これは誠に残念なことであり、さぞかしみ仏さまも嘆いておられることと思います。私たちはいま、人として生まれ、このすばらしい壮大なみ教えに逢うことが出来たことを有り難く受けとめさせていただき、より真剣にその教えについて学び、実践する必要があるのではないでしょうか。 
 

 

■第671話
今日、道徳規範の柱がなくなり、心の拠り所も失われつつあるように感じるのは私だけではないと思います。「前には教育勅語があった」とよく耳にします。心にゆとりがなくなり、思いやりや親切心も薄れてきたように感じられます。時に奇怪な宗教が出現し人心を惑わせ、一層社会を混乱させます。社会も、人の心も乱れ、道徳もなく、欲求ばかりが先走り、利己的な考えが横行するなど、まさに濁った世の中といえましょう。また、このような時代に生きる私たちは、日々とりつかれたように、ひたすら働き、何を目指すでもなく、ただ目指すのは自分の欲望を満たすことだけ。コンピュータ全盛期となり、これが使えない者は取り残され、相手にされず、お荷物となっていく。夫婦、親子、友人など親しいはずの人達の間にも不信が走る。誠にやりきれない時代です。昨今は、み仏さまが最も心配された誠に悪い時代といって差し支えありません。今こそ、日本を支えてきた仏教の精神を、改めてしっかりと見極める必要があるのではないでしょうか。
こう口で言うのは簡単ですが、生活に追われる毎日の中では、悠長に考えている暇などないということもご尤もな話です。かといってそのまま時を過ごしてしまっては、折角、人として生まれながら苦悩の世界からの脱出もできずに終わってしまうという結果を招いていまします。今私たちに出来ることは何か。経済的、時間的に余裕がない。体力もないので修行もできない。お経を理解するほどの知識も智慧もなし。けれど欲は深いので、お金儲けはしたい。喧嘩したり、悪口を言ったり、人を傷つけることもたびたびある。こんな私が救われる道なんて。いえ、こんな救われそうもない私だからこそ救って上げましょうと言って下さった仏さまがいらっしゃるとお釈迦さまがご紹介下さったその仏さまこそ阿弥陀という仏さまであり、阿弥陀さまのみ教えが法然上人がお説きになったお念仏の教えなのです。幸いにもこのお電話をお聞きになられた方は、阿弥陀さまの有り難いご縁を戴いた方です。どうぞ、このお念仏という他に類を見ない素晴らしい、又、偉大な功徳を備えたみ教えを自ら進んで親しまれるようお勧めを致します。

■第672話
最近不況の影響やいじめ、社会への適応がうまくいかないなどの理由から自殺が増えています。多様化した杜会の中で、自分の存在をしっかり位置づけそれを確認するという事は結構大変なことです。その過程では、情けない自分を発見したり、無力な自分が見えたりし、周囲の圧力に押しつぶされそうになります。そんな経験を皆さんもなさっておられることでしょう。寂しさ、悲しさつらさに負けそうになることもあります。又、そんな自分にいらだちをも覚えるでしょう。そんな時、もう一歩深く悩んでみて下さい。更にどん底に落ちます。でも、全くのどん底に落ちたその時が、幸せへの始まりとなります。み仏さまはこういう人をこそ救ってあげなければならないんだと仰って下さったんです。こんなどん底に落ちた者でも、救って下さる。何と有り難いみ仏さまでしょうか。
回りを見渡せば、これまでに自分を支えてくれた多くの人達がいる。果たして、今まで、その人達に感謝をしたことがあっただろうか。何事も、自分に都合よいように勝手な判断をしてきたんではないか。しかし、そこに気がついた時、あなたの肩の重荷が下りているはずです。何事にも謙虚になる。これは、法然上人の仰られた愚痴にもどるということになります。謙虚さを持ち続けられれば、非常に幸せです。しかし、人はいつまでも底辺の気持ち、つまり謙虚でいることが難しいのです。調子がでてくるとつい、鎌首を持ち上げ、上へ上へとはいあがろうとします。人は、自分を高いところに置くと、優越感を持ち、横柄になってきます。又、欲望の火に油を注ぐようになり、不平不満が出てきます。そんなときは必ず阿弥陀さまのお誓いでありますお念仏をお唱えし、惨めな、どん底の自分を思い出すことをお勧めします。お念仏には、全てのお経のあらゆる功徳とみ仏さまのお慈悲が備わっていますから、自分の欲を鎮め、改めて感謝に満ちた自分を取り戻してくれるでしょう。そのお念仏がやがて、究極の心の平安へと導いてくれるはずです。

■第673話
桜の花咲く四月になりました。四月にはお釈迦様・法然上人のお誕生月でもあります。また今年の四月から新しい制度での介護保険制度が始まります。肉体の部分で看護を必要としている方たくさんいらっしゃると思いますが、今の時代は心の介護を必要とする方が肉体の介護を必要とする方よりもたくさんいると思います。お釈迦様も法然上人も心の介護の仕方を教えるためにこの世に誕生されたにかも知れません。今の時代は物質面では豊かな時代であっても心は豊かとは言えません。でも我々は生かされていることに喜びを実感出来るのなら、必ずや心も豊になって行くかと思います。春は季節から見ても新しい出発の時でもあります。春は生物にとって成長するために力強くなって行く時で、より多くの希望を感じながら、心の豊かさを求めて行く出発の時であると思います。今はお花見の季節ですが、桜の花を見ながらも仕事や私生活のことで不安なことを思い出すとせっかくの桜の花が美しく見えないし、お花見も楽しくないという経験があるかと思います。しかし、どんな時にも神仏によって生かされているということを喜びとして感じることができたら、どんなにすばらしいかと思います。いつも神仏に対して感動する気持ちが湧いてくることが出来たら、その人は心の介護をしてもらう側から心の介護をしてあげられる人に変わる第一歩だと言えるのではないでしょうか。

■第674話
わたしたちは常に煩悩の中で生きていると言えます。一つの欲望を満たしても次々と新しい欲望が湧いて来ることを感じます。しかし、いつも欲望を満たして生きて行けるとは限りません。欲望に振り回される状態こそがこの世の地獄かもしれません。そんな時にこそ阿弥陀様に手を合わせて、お念仏を唱えることによって阿弥陀様の思いと一つになって煩悩を取り払っていただくことが大切かと思います。南無阿弥陀仏と唱えることによって何か願いをかなえてもらうことよりも、南無阿弥陀仏を唱えることによって心と身体に平安を得て、そこからまた新しい希望に向かって新たな人生の旅立ちが出来れば良いと思います。二十世紀もあと約八カ月余りとなりました。しかし、一日一日の積み重ねが二十一世紀に繋がって行くと思います。二十世紀の出来事をテレビ・新聞・歴史の本で見ると、この世の地獄が写し出されていると思います。いろんな歴史を見ながら人は、それぞれ歴史に対する思いは違っても過去から学んだことをこれからの人生に生かせればすばらしいことだと思います。まもなくやってくる二十一世紀は心の時代とも言われています。自己の欲望を満たすだけではなく、人の幸せな姿を見て、自分も心から喜び、たとえ宗教や文化・習慣が違ってもお互いに相手を尊重し、共に栄えて行くような時代が来ることを祈っています。

■第675話
先日、今までの神奈川教区法話を集めた本が発行されました。その本はタイトルを「ナムナムの説法」と申します。以前私は幼い子供が仏壇に手をあわせて仏様に向かって「ナムナム」と言いながら拝んでいる姿を見たことがあります。もしかしたら、その子は南無阿弥陀仏と聞いていても、ことばに出す時には「ナムナム」と言ってしまうのかも知れませんね。幼い子供の無邪気な姿を見ていると人間があるべき姿が写し出されていると思います。「無邪気」ということばには、「悪意がないこと」、「あどけないこと」という意味があります。日々いろいろな出来事に追われて毎日を過ごしている人々は、無邪気ということを意識する心の余裕もないと思いますが、日々の生活の中で良い結果を出したいと思う人は無邪気ということを意識してみてはいかがでしょうか?私はそうすることによって、他の人から信用されたり、いろいろなものが自分に還って来る可能性もあるのではないかと思います。もし、私たちが常に無邪気な状態を保つことが出来れば、この世で浄土が実現できて行くことができるのかもしれません。神仏の恵みを二十四時間常に感じることができたらどんなにすばらしい人生かと思います。今の世の中では神仏の恵みを感じることはなかなか難しいことですが、幼い子供が「ナムナム」と言って手を合わせている姿を思い出し、常に心の中を見てお念仏してみて下さい。きっとあなたを安楽な世界へといざなってくれるでしょう。

■第676話
新緑の良い季節となりました。今月は3回に分けて、生活の中のお念仏についてお話しましょう。浄土宗の教えの中に四修という言葉があります。4つのことを修行すると書きます。4つの中の第一は恭行修といい、恭い敬うということ、第二は無餘修といい、お念仏以外の行はしないで、お念仏を中心に行うということ、第三は無間修といい、お念仏を途絶えることなく称え続けるということです。そして第四は長時修といい、お念仏の信仰に入った後は終生お称え続けるということです。つまり、この四修というのはお念仏の信仰者が、毎日の生活の中で、どのようにお念仏をしたら良いかということを教えているのです。今回はこの中の第一番目の恭敬修についてお話しましょう。
何を“敬う”のか、その敬う対象について見ると、先ず第一に極楽世界の阿弥陀如来です。そして観音・勢至や極楽世界の諸菩薩を敬うのです。その敬う気持ちが形に表れたのをお礼拝というのです。したがって、お礼拝というのは仏様を敬う心をもって、み仏の前に、己を空しくしてお参りをする姿を言うのです。敬う対象については、更に5つに分けて説きます。その第一は今述べた弥陀、観音、勢至の一仏二菩薩で、これは念仏信仰の中心となるものです。第二には阿弥陀如来のお仏像や極楽世界の有様のことを託したお経文等を敬うことです。仏像を通して真実の阿弥陀如来に近づき、またお経文を読むことによって仏様の慈悲心を感じ取る手だてとなるのですから、清らかな場所に安置して敬うのです。第三にはお念仏の教えを説く信仰の先達を敬うのです。先達がいなければなかなか念仏信仰に近づけないからです。第四には念仏信仰の仲間を敬うのです。これが今日、私たちの生活の中で最も欠けている部分ではないでしょうか。第五には仏・法・僧の三宝を敬うのです。お念仏の信仰が真実であれば、これらの五つを敬う心も自然にそなわってくるのではないでしょうか。

■第677話
前回は生活の中のお念仏として四修、即ち四つの修行の項目をあげて、その中の第一恭敬修についてお話しました。今回は四修の第二無餘修についてお話しましょう。これは他の行をまじえないで、一心にお念仏を称えるということです。浄土宗を開かれた法然上人は、中国の善導大師の言葉を引いて次のように述べています。「もっぱら阿弥陀仏のみ名を称え、阿弥陀仏及び極楽にいられる聖衆を想い、礼拝し、賛歎して、阿弥陀仏や極楽浄土以外のことは考えないようにする。これが四修の中の第二の無餘修である」というのです。これは極楽浄土や阿弥陀仏以外のみ仏や浄土のことを念じたり、お礼拝をしたりしない方が良いと言うことです。何故かと言うと、南無阿弥陀仏という念仏の行によって、折角整えられたお気持ちが、他の行をまじえることによって、中断されてしまうからです。このことについて、法然上人は他の所でも同じ善導大師の言葉を引いて、「阿弥陀仏や極楽浄土にいられる全ての聖者たちを讃めたたえ、その他のつとめをまじえてはならない。このようなつとめを一心に行う者は、百人居れば百人とも、皆そのまま極楽浄土に往生することが出来る。若しも他のつとめをまじえて行う者は、百人のうちわずか一人か二人しか往生することが出来ない」と言い切って居ります。このような善導大師の言葉を承けて、法然上人は南無阿弥陀仏とお念仏を称えることを「もっぱら彼の仏のみ名を呼ぶ」ことであると言い直されています。
世の中には頭の良い、いわるゆ多才な人が居ります。誠に結構なことだと思いますが、お念仏の信仰の世界ではそのような特別な才能は必要条件ではないようです。法然上人が阿弥陀如来と同じように信頼された善導大師の今のお言葉に依る限りでは、一度お念仏の道に志したならば、やはりお念仏を中心に生活を整え、念仏信仰に入ったその日から終生お念仏を中心に過ごすべきであるとされていることが解ります。

■第678話
生活の中のお念仏のあり方として、四修の第一と第二について述べましたので、今回は第三の無間修と第四の長時修についてお話しします。第三の無間修というのは、何時、如何なる時でも途絶えることなく、お念仏をお称えし続ける、ということです。私達が一日に何編お念仏をお称えします。と仏様にお誓いするのを日課誓約といいますが、これも無間修のお念仏を行う一つの方法です。たとえば、一日一万遍お称えする誓いを立てた場合、朝の中にさっさとお念仏を一万遍お称えしてしまって、あとはお念仏の主旨と全くかけ離れた生活をしても良い、ということではありません。このことについて法然上人は、次のようにいわれています。但し、一万をもいそぎ申し、さて其の日をくらさん事あるべからず。一万なりとも一日一夜その所作となすべし。総じては一食の間に二三度ばかり思出さんはよき相続にてあるべし。というのです。一万遍の念仏は一日24時間かけてお称えすべきであり、また食事中に二三度思い出してお念仏をお称えするようになれば、お念仏が本当に生活の中に根づいた、無間修の念仏になっているというのです。
最後に第四の長時修ですが、これは前にもお話しましたように、お念仏の信仰に帰依されたその日から、この世の命を終わる時まで、これまで述べた恭敬修、無餘修、無間修の三修を中止することなく続けるということです。三修の一つ一つをいくら良くつとめても、途中でやめてしまっては何の意味もありません。このことについて善導様は「畢命を期となして、誓って中止せざる」ことが長時修であると述べています。法然上人はこの四修の中でも、第三の無間修が最も大切だと言っています。お念仏をお称えする数は多いにこしたことはないのですが、要は数の多い少ないではなく、お念仏の心が途絶えることなく終生相続することが最も大切であり、四修を説く目的だということです。

■第679話
私達は、仏さまは見えないものだと思っておりますが、書物を読んだり、お話を聞いたりしていきますと少しづつ仏さまがわかって来る様な気がします。私達は、赤ちゃんの時おむつの世話をしてもらい、お乳を飲ませてもらい、抱いてもらい寝かせてもらう。だんだん大きくなって学校へ行かせてもらい、仕事を教えてもらい、結婚させてもらう。そして、一生生きていかれる様親がいろいろしてくれます。それは皆ただです。親にお乳を飲ませてもらい料金を払った人もいなければ、おむつの世話をしてもらったからと言って、お礼をした人もいない。病気になって看病をしてもらい、料金を払った人もいないと思います。あれが気に入らない、これが食べられないというけれど、ありがとうと、なかなか言いません。言わなくても親はおこりません。年頃になれば結婚の支度もしてくれる親もいます。そして一人前に生きて行ける様にしてくれるのが親です。それは、生きた仏さまの様です。親は、それだけしてやっても私がしてやったとは思っていません。ただ子供が可愛いし、子供の思う通りにさせてやりたい、子供が困っていたら助けてやりたい、なんとかしてやりたいと思っているのです。つまり、苦しみを除いて楽しみを与えてあげる事が仏さまの仕事です。その一番身近にいる仏さまは、あなたのお父様、お母様なのです。私は、そう思っております。

■第680話
私達は、手足のある人は、手足のある事を忘れています。手足の無い人が、手足の恩恵を一番良く知っています。頭も随分重いそうですが、誰でも自分の頭が重いなんて思っている人はいないでしょう。その癖、その重い頭を一番上に乗せて歩き廻っている。そして、自分の頭が上についている事も考えて見た事も無い程、あまりに常識化して忘れています。人間は、この忘れている時、最も偉大なるものの中へ自分までが没入している事が多い様です。眼は遠くを見る事が出来ません、ご馳走も食べるまでは、あれを食べよう、これを食べようと考えますが食べてしまうと、もう忘れてしまい、グーグー寝込んでしまう人もいます。ご本人は、全く感謝の気持ちなどなく、気づかないのです。水の中の魚は「水」を忘れています。水が見えない、水に守られ、水に生かされているのに。水の中で産まれ、水の中で育ち、水の中で死んで行く、だから、「水」と言う事を見た事も考えた事もない、私達人間にも同じ様な事が言えると思います。人間が引力の中で住み空気の中に住んで、引力が有った。空気が有ったと真理づけをするが、この真理が忘れられるほど自然は偉大なのです。理知的に物を考えれば考える程、ますます大きな宇宙の自然の現象に警歎せずにはおられません。また永遠に続いていく事を考えれば考えるほど、生きている事が有難く、合掌し、拝み、私達は、生かされているのである事を感謝せずにはおられません。 
 

 

■第681話
この世の中で最もむずかしいと思われる生き方は、人間らしく生きる事であり、この世の中で最もやさしい生き方も、やはり人間らしく生きることではないでしょうか。人間らしくとは単なる「それらしく」と言う意味ではなく、人間と言う意識の上に立って、生きていく毎日の生活の中に考えるものであると思います。良識ある生き方、即ち、良い心を持った生き方、人間として良識ある意義をもって一生懸命生きる事なのです。お釈迦様もこの「らしく」を追求されたのだと思うのです。お釈迦様は、すべての生きとし生けるものすべてが、仏になることのできる性質を持っているのだと言っておられます。この事は、人間なら誰でもが、人間らしく生きる事の出来る事を教え示されているのです。人間は、人間として生きるためいろいろな力をもっています、その中で、精神力、知識力、行動力、創造力、集中力等の力が与えられています。この力は、誰もが持っている力であり、これを有効に活かして完全に生きる事なのです。完全に活かされる生活の中で、ほんとうの意味の真意と、ほんとうの価値を見い出していくべきではないでしょうか。

■第682話
西暦に2000年も半年が過ぎ、7番目の月になりました。7という数字はラッキー7とかスリーク7と言われるように最も好まれる数字ではないでしょうか。7番目の月がどうか皆様が幸運に恵まれますように願っております。ところで、仏教には7のつく言葉がたくさんございます。初七日、七七四十九日、七回忌、十七回忌、それから無財の七施という教えもあります。それから、お坊さんが身につけるお袈裟にも七条袈裟というものがあります。そこで、今回はお坊さんの衣体、スタイルについてお話しさせていただきます。といいましても、宗派が違いますと衣・袈裟の、色・形はもちろん、お数珠にいたるまですべてさまざまです。先日、神奈川県仏教青年会では、いろいろな宗派の青年僧が一堂に会して法要を行いました。それを見ると何かファッションショーでも見ているかのような感じさえいたしました。しかし、僧侶としてのスタイルの基本は同じであります。
先ずは、肌じゅばんをつけて白衣を着ます。白衣は日本式の着物ですので帯をしめます。その上に衣を着ます。衣は中国式ですので、左右の腰前で紐で結びます。浄土宗の衣の色は、黒、茶色、萌黄色、紫色、緋色などがありますが、これらはみなお坊さんの階級によって着られる色が決まっております。そしてその上にインド式のお袈裟を身にまとうように着けます。お袈裟は法要の時に用いるものと、法要以外の時に用いるものと、色々な種類がございます。このように、お釈迦様の教えがインドから中国、日本へと伝わったように、当時のものとは当然生地や形は違いますが、我々はインド、中国、日本様式のものを、現在身につけているのであります。和服を身につけたときは誰しも同じことだと思いますが、襟元を整える、裾さばきに気を付けるのど、形・見た目に恰好良くなければならないと思います。お話が上手、お経が上手でも、見た目がだらしないと印象を悪くしてしまいますので、最も気を付けたいところであります。

■第683話
7月は東京、横浜などの都会地ではお盆になります。経典からすれば、お盆は7月に行われる行事ですので当然なことです。しかし全国的には、8月の新暦にお盆をするのが多いのは、それなりに理由があるようです。いろいろな説がありますが、季節の初物を用意できる収穫期に合わせることと、夏休みになることもあり、この時期にお盆を行うようになったと言われています。お盆の正式な名称は盂蘭盆会といいます。盂蘭盆とはインドの古い言葉「ウランバナ」に漢字をあてたもので、「逆さまに吊される苦しみ」という意味です。こうした苦しみの中にある人々を、今この世にある私たちが供養し、その功徳によって救おうとの願いをこめて行われるのがお盆であります。お盆の始まりはお釈迦様の弟子の一人、目蓮尊者の物語に由来します。目蓮尊者のお母さんは生前欲をむさぼり、人に施すということをしなかったため餓鬼道に落ちてしましました。その母を救うためには、7月15日、修行僧が修行を終える日に食事を施しなさい。そうすれば修行僧たちは、餓鬼で苦しんでいる者のために、喜んで回向してくれるでしょう。その功徳によって母親や餓鬼道で苦しむ多くの者は、すべて極楽に生まれ変わることが出来るでしょう。とお釈迦様から教えられ、この教えに従ってお母さんを救うことが出来たのです。
子供のことを悪い言葉でよくガキといいます。欲望だけで物を欲しがり、満足せずにもっともっとと望みます。私たちの心の底にひそむ、暗くて炎のように燃え盛る欲望を象徴した姿を餓鬼というのでしょう。子供に限らず大人でも、いつの間にか何かにとらわれて、大なり小なり餓鬼道に足を踏み入れてしまい、餓鬼に負けてしまっているのです。正しい教えをよりどころとし、お念仏を称えて過ごす日々の中で、とらわれのない心で餓鬼の心を取りのぞき、少しでも世のため人のために役立つ生命にしたいものです。

■第684話
先日、境内の墓地を新しくされるお檀家さんがありました。そこにはちょっと大きな松の木があり、カロートを作るために掘ったところを見ますと、やはり根っこが少しじゃまになっていました。かわいそうですが根っこがけずりとられていましたが、その根っこを見てなんてきれいですばらしいものかと感動しました。葉っぱは落ちるし、墓石は持ち上げるしと思っていましたが、目には見えなかった根っこが、こんなに大きな木を支えていたんだなあとつくづく感心させられました。たとえ指の太さの木でも、何百年たった老木でも、根っこが支えているから倒れず、新しい芽もふいてくるのであります。植物が育つには光、空気、水などの自然の力、あらゆる要素が必要です。大地にしっかりと根の張った植物は、ものすごい生命力と安定感をもっています。私たちも、迷うことなく日々を過ごすには、南無阿弥陀仏とお念仏を称えて阿弥陀様のお名前を呼び、阿弥陀様の慈悲の光をいただくお念仏の中に、生活させていただきたいと思います。
親が子供を育て、生きがいを感ずるのはいつの世でも同じことです。今日では、幼児虐待から、親に裏切られたとか、人を殺してみたかったなどという恐ろしい時代になってきました。先祖があり、両親があり、広い世間があってこそ、はじめて自分の生命があるのです。自分ひとりでこの世の中に生まれてきた、などという人はひとりとしておりません。子をもって知る親の恩と言いますが、先祖代々つながってきた生命、子供をもち、孫をもって広がる生命を敬う心を持ちたいものです。見に見える幹、枝、葉っぱの成長は我々が現在生きている姿であり、目に見えない根っこが、顔も知らず名前も知らない私たちの祖先であり、新芽が子供や孫ではないでしょうか。今、何ものにも変えがたい生命を祖先からいただき、そのおかげで生かされていることに喜び、心から感謝の念を献げたいものです。

■第685話
みなさん今日は。8月に入り夏まっ盛りという頃ですね。さて、8月は「おぼん月」で、なつかしいご先祖さま方、先に亡くなられた方々が皆さんのところに戻ってきてくださると考えられています。それが郷里の本家や実家であったりすることもあります。そこで過去・現在のみんなで楽しく時をすごすのだという、実に床しくもなつかしい、そして敬虔な仏教行事だと思います。そこで、ご先祖さま方やなつかしいあの方をおむかえするためにいろいろな準備をします。これは、私たちがお客様を家におむかえするのと同じ心構えでするわけです。第一にご先祖さまがお休みになるお部屋・・・つまり仏壇・・・をお掃除し、次にごちそうや座布団などの準備をします。それが、お盆のお飾りとお供えです。お仏壇の前に小さな机を用意してそこにお飾りをしますが、仏壇前のし小さなスペースでもかまいません。それぞれの都合で良いのです。机の上にまこものゴザを敷き、季節の花やなりもの、笹などで飾ります。おだんご13個を作って皿に盛り、洗い米とさいの目に切ったナスで「水のこ」を作り、蓮の葉に水を入れてそなえます。キュウリの馬に乗って一刻も早くいらっしゃってください。お浄土へのおかえりはナスの牛ですこしでもゆっくりとお帰りください。というように本当にご先祖さまをなつかしみ歓迎する心をあらわすのです。
さて、こうして準備が整いますと、お墓やお寺におむかえに行きます。昔はちょうちんにお寺で火だねをいただいてその明かりでお客様の足もとを照らしてご案内したのです。こうしておむかえしたご先祖さま方は、家族・一族をともにゆっくりとお盆中をすごされ、送り火に送られて、またお浄土にお帰りになるわけです。この床しきお盆行事を単に慣しだからと形式的にすることなく、心からご先祖さま方のみたまのご供養につとめ、この期間、身近にご先祖さま方を感じることによって、ご先祖さま方とのつながり、一体感を深めていただきたいと思います。

■第686話
皆さん今日は、7・8月には、お寺からお施餓鬼の案内がきたり、お盆にはお寺さんが訪ねて来られてお宅のお仏壇で読経をされますね。また8月16日には箱根や京都から「大文字焼き」「おくり火」の様子が伝えられ、8月24日には町内町内で行われるたのしげな地蔵盆の様子、京都あだい野念仏寺で行われる「千灯供養」の幻想的で敬虔な場面に身のひきしまる思いをされた経験をお持ちの方もあるかと思います。とあれ、夏はお盆を中心に仏教的行事や仏事にふれる機会が多いと思えます。そこで、今回は「南無阿弥陀仏」のお念仏についてお話ししたいと思います。私たちは西方極楽浄土の主様、阿弥陀仏のお浄土へのお救いを求めます。お浄土へは阿弥陀仏様がお救いくださるといわれたのを信じて「なむあみだぶつ」と阿弥陀さまに一心に呼びかければ実現するのだというのです。これがお念仏です。宗祖法然上人のお言葉にも『・・・もろもろの知者たちの沙汰し申さるる観念の念にもあらず、又、学問をして念の心をさとりて申す念仏にもあらず、ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏を申して疑いなく往生するぞと思いとりて申すほかには別の子細候わず』とあるように、ただひたすらに阿弥陀さまを信じてお念仏しなさい。阿弥陀さまを信じて一心に南無阿弥陀仏のお念仏をとなえなさい。といわれています。阿弥陀さまを信じます。阿弥陀さまお救いください。の願い、さけびは必ず阿弥陀さまのお心に届きますというのです。このお念仏を修する功徳によって、1自分がお浄土にお救いいただける2自分の思う方へのお浄土安住を願う、ことができるだけではなく、お念仏するこの世の私たちに心の安らぎを与えてくださる。ということだとも思います。阿弥陀さまにおまかせし、お念仏している心の安らぎに、私たちの心に静かなゆとりが生まれ、心たのしい、豊かな毎日が過ごせるということではないでしょうか。

■第687話
みなさん、まだまだ暑い日が続きますね。今日はこころのもち方について日ごろ私の思っていることをすこしお話しさせていただきます。「先日、交通事故で全治10日間のけがをしてしまいました。きっと亡き父親の供養をなまけていたので、ばちがあたったのかも知れません。」こんな言葉を知人のAさんから聞きました。でもちょっと待ってください。「あなただったら、大切なあなたの子供にそんながちを当てて、苦しませてやりたい。」と思いますか。大事な我が子です。守ってあげたい。無事に毎日をすごさせてあげたいと常に願っているのが、親心ではありませんか。だから今回のけがも、守ってくださったので大けがにならずに、この程度ですませてくださったのだと思ってはどうでしょうか。とお話ししました。まだまだいろいろな考え方ができると思いますが、このときAさんはご先祖さまのことを思ったのです。ご先祖さまとはおや様です。「親」で子供の不幸せを願うものはありません。ともあれ、「けが」をしたことは困った現実ですが、これまでのことこれからのことを見つめなおし、より良い方向を考えたいです。
古い言葉に、「病んで天井の高さを知る。」というのがありますが、これも同じ考え方ができると思います。つまり、私たちがある事柄に直面したとき、この現実をどのように切り開いたり改善したりしたら良いかを考えること。また、今まで見えなかったことも見えて、現実についてプラス方向の思考ができるようになる。ということと思います。また人生は、心地よいことばかりではありません。苦しいことも困ったことにも、ご縁だと思って一生懸命にこれに当たる心構えが大切だと思います。でも、私たちは親様の大きなみ力に守られているのです。私たちの親である阿弥陀さま、ご先祖さま方は悪しき心をもって私たちにわざと苦しみを与えようなどとは思っておられません。阿弥陀親様には誰も彼もが、かわいい大切な我が子なのです。阿弥陀さまのことを大みおや様ともいいます。大きな心で皆をつつんでくださる大きな「親様」なのです。そのお心、お力を信じて「なむあみだぶつ」と呼びかけながら、不平なく、おそれなく、心静かに毎日をすごせれば、と思います。

■第688話
過日、お盆のお勤めでお檀家さんのお宅にお伺いした折り、帰省されていた娘さんとしばらくぶりにお会いしました。この娘さんは、観光バスのガイドをしている方で、今では後輩の指導にも携わるほどのベテランのガイドさんです。「お久しぶりですね。お仕事の方はその後いかがですか。」と私が話しかけますと、「慣れない頃には失敗も多く、いろいろ苦労もありました。でも仕事を通して各地の観光名所を訪れたり、いろいろな人との出会いがあり、それなりに充実しています。それからこんな事もありました。二泊三日の仕事を終えてやれやれと思っていたところへ、上の人から誰々さんが急に入院したので代わりに出てほしいって連絡が入ったんです。私は疲れてもいるし、いろいろ予定もあったのですが、しぶしぶ引き受けました。会杜に出社しても不機嫌さを隠さずに制服に着替えたりしていたんです。そしてバスに乗り込み乗客に対し型通りの挨拶をしました。そしてふとミラーを見るといつものにこやかな笑顔の自分の顔がうつっていました。自分なりに一生懸命努力してきたことが、いつの間にか身に付いていたのですね。」と話してくれました。
「つとめても なおつとめても つとめても つとめたらぬは つとめなりけり」
お念仏も日に何度もお称えしますが、一心に続ける事により、たとえその大切さが百パーセント解らないまでも、その中にそれなりの形と心構えが出来るのだと思います。阿弥陀様は私たちを見守りくださっているのですから、お念仏をお称え続けることで、自分自身の至らぬところに気付かせていただき、感謝と安心に包まれた日々をおくりたいものです。

■第689話
「健康こそ人生の最大の宝也。」 と言われるように人生にとって健康は大変価値ある尊いものですが、生身の体はいろいろなことが原因で、病んだり怪我をしたりします。取り分け高齢者には切実な問題で、高齢化杜会を向かえて大きな課題と言えましょう。法然上人のお言葉に、「如来の慈悲は、重く受くべき病を軽く受けさせ給う。」とあります。出来れば病気にはなりたくないのですが、生涯病気と一切無縁に過ごす事もなかなか無理なようです。それならば、病をただ単に悲嘆絶望に止めるのではなく、真の人生を見つめ見出す機会としてとらえられないでしょうか。単なる時間の経過としてではなく、生き方を意識し、見つめ考える事で、自分の無力さに気付かせて頂き、それを諦めとするのではなく、無力さの中に生かされている自分を見つけ出したいものです。不平や不満をぶつけたり、自分に同情や関心を求めるのではなく、廻りの人たちに感謝を持てるようになりたいものです。信頼は最良の友となるでしょう。安心は最良の宝となります。お念仏を称えれば阿弥陀様はいらっしゃいます。阿弥陀様は何時でも何処でも絶対の大慈悲をそそいでくださる仏様です。阿弥陀様にすべてお任せすることで、心の支えを頂き、真の生き方を見付け歩んで参りたいものです。

■第690話
最近の日本の世情は、価値観の多様化が進み、杜会生活やこじんの日々の暮らしの中にもいろいろな問題が生じたり、心の安定が難しくなっております。「物で栄えて、心で滅びる。」とさえ指摘されています。生活の向上や、便利さが進んだ反面、人々の心が荒廃していくことが心配されます。思いやりや、殺伐とした心を清め、人間の豊かな心を育てる事の必要性が強く求められてきています。昔の諺に「籠に乗る人、担ぐ人、その履く草鞋を作る人」とあります。これは人の生き方を表しているだけでなく、人は皆それぞれ社会を作っている担い手です。また、いろいろな立場や、違った仕事をしていても、それぞれ大切な役割を受け持ち、杜会全体を動かしている事を示しています。一見、自分だけが日のあたらない仕事をしているとか、恵まれない苦労が多いと思うことがあってもよくよく考えてみると、その苦労が自分を鍛え向上させているに違いありません。
法然上人の御法語の中に、「たとえ一代の法をよくよく学すとも一文不知の愚鈍の身になして。」 と述べられております。現代人はあまりにも手だてや、功利的な面に囚われすぎて、本来のあるべき姿を見失いがちではないでしょうか。私達一人一人は、地球よりも重いと言われる命をさずかり、天地先祖一切のおかげを頂いて生かされていることに感謝し、一日一日を大切に、南無阿弥陀仏とお称えして暮らして参りたいものです。 
 

 

■第691話
今年の夏は記録的な猛暑でありましたが、「暑さ寒さも彼岸まで」の諺通り、秋のお彼岸を過ぎるとぐっと過ごしやすくなってきました。一年の中でも春と秋のほんの短い間だけのとても気持ちの良い季節です。10月と言えば、運動会のシーズンでもあります。各地の幼稚園・小学校等では子供たちを一生懸命に応援するご両親や兄弟姉妹の姿、ご家族でお弁当を囲む微笑ましい光景が見られます。誰しもが家族の素晴らしさ、ありがたさをしみじと感じているところだと思います。ところが先日公表された警察庁の集計によると、昨年一年間の自殺者が過去最悪の3万3千人あまりもあったというのです。これはあまりにも悲しいニュースです。また先日の新聞には、10数年前にご主人を自殺で亡くされたという方の手記が載っていましたが、10数年経った今でもご主人は自分たち家族を捨てたのだという喪失感と虚無感に囚われることがあるとありました。自殺者は健康面での不安、経済苦、いじめなど他人には判らない心身の状況に耐えられずに自ら命を絶ってしまうのだと思います。しかし、それは同時に家族そして命を戴いたご両親やご先祖の方々までを悲しませ、いつまでも苦しめることになるのです。
誰しも長い人生の間には辛いことが沢山あると思います。狭く狭く考え込まずに、時には広い広い夜空を見上げて心静かに「南無阿弥陀佛」とお念佛をお称えしてみてください。悩みや不安などの問題がいかにちっぽけなものかを感じることでしょう。『光明編照十方世界念佛衆生摂取不捨』『阿弥陀如来のみ光はあまねく十方の世界を照らして念佛する人々を救いて捨てたまわず』とお経には説かれています。お念佛をお称えする時、阿弥陀様はいつも私たちの傍らにいらっしゃいます。全ての結果は阿弥陀様にお任せして、自信を持って一歩一歩頑張ってみましょう。今流した汗と涙が、きっといつの日か笑顔の糧となるのです。

■第692話
10月となりますと各地の浄土宗のお寺では『お十夜法要』がお勤めされます。今から500年あまり昔、いわゆる戦国時代の頃ですが、世の中は打ち続く戦乱の最中で、庶民は生活に困窮し、まさに地獄の様相を現わしていました。時の天皇はいたくこのことを悲しまれて、一日も早く人々が安心して暮らせる平和と安泰を望まれました。その願いをこの『お十夜法要』に託されたのがこの法要の始まりです。それ以来『お十夜法要』は常に人々の生活の安穏を願う法要として、今日に至るまで続けられています。現在の我が国は戦乱もなく物質的にもたいへん豊かで表面的には平穏な世の中に見えますが其の実、人々は人間関係や経済的問題などの多くの悩みや不安を抱え精神的に行き詰っているように思われます。情報・科学・技術などが高度に発達した現代において人間は、全てのことを自分たちのカだけで成し遂げられると思いがちです。しかし、この世には人間のカだけではいかんともしがたいことが沢山あることにも気付かなければなりません。
京都の百万遍知恩寺というお寺にお参りした方々はご存知のことと思いますが、浄土宗には『利剣の名号』が伝えられています。この『利剣の名号』というのは南無阿弥陀佛という漢字の全ての角が剣のように鋭く尖っていて、『南無阿弥陀佛』があらゆる災いを断ち切り、お念佛を称える私たちを守ってくださるということを表わしているのです。先日、朝のお参りをした後で子供が「どうして南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛って言うの?」と聞いてきました。「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛」というのは「ねえ阿弥陀様、ねえ阿弥陀様」という私たちからの阿弥陀様へのお呼び掛けなのです。「阿弥陀様どうか今日も一日私たちをを見守っていてください」というお願いの言葉なのです。そうすれば、毎日毎日を安心して暮らして行くことができるのです。

■第693話
10月も下旬となりますと各地から紅葉の便りも聞かれ、お休みにはドライブがてら紅葉狩りにでも出かけたくなるような季節です。私は普段から車に乗る機会が比較的多いので余計に感じるのかも知れませんが、車を運転し始めた20年ぐらい前に比べ道路脇などに捨てられているゴミがたいへん増えているように思えます。特に、長く信号待ちをするような場所の道路脇は、まさに目を覆いたくなる状況です。また、川や海、観光地などに放置されるゴミも大変な問題になっています。ところで、みなさんは先月の秋のお彼岸にはお墓参りをされましたでしょうか。お彼岸だけでなくお盆やご命日、年末年始など一年に何回もお墓参りをされることと思います。
私のお寺の裏山にはお寺の墓地に隣り合わせて共同墓地があり、お彼岸などにはあまり存じ上げない方々も沢山お墓参りに来られます。そして山の中で人目に付かないためか、またお墓に持って来た物だからと忌み嫌うためかいたるところにゴミを捨てて帰ってしまう方がいらっしゃいます。昔はお花は新聞紙に、お供えは半紙などの紙に包んで持って来られたので、たとえ捨てられても程無く土になってしまったかも知れませんが、現代のゴミはそうはいきません。お花をくるんだビニールセロファン、お線香やお供えのビニールパック、ペットボトルにアルミ缶など、何年経ってもそのままの形で土の中からひょっこりと出て来ます。お供えはカラスが食い散らすなどの問題もあるので、お家でお仏壇にお供えした時と同じに、お参りが終わったら下げて、またみんなで頂けば良いのです。お墓に持って来た物だからと忌み嫌うのは全くのナンセンスです。ご先祖や亡き方々の供養の為にお供えした物を忌み嫌う理由が何処にあるのでしょうか。それよりも、ご一緒にお墓参りに来られた若い方々や幼い子供たちはどう思うのでしょうか。「子供は親の言うようにはやらないが、親がやったようにはする。」という言葉もあります。お墓参りを通して「南無阿弥陀佛」と一心にお念佛をお称えする姿と共に、物を大切にする心、環境を守る心を伝えて頂きたいと思います。

■第694話
11月の声を聞くと、文化の日、文化勲章などという言葉を身近に感じます。「文化」とは辞書には「世の中が開けて生活が便利になること、衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳など人間が自然に手を加えて作り出した物心両面の成果とあります。ようするに我々の生活が便利になり幸せな心豊かな生活ができるようになることだと思います。ところで、今の日本の様子を見てください。いろいろな物が発達し、生活が便利になりました。しかしそのため自然は破壊され公害は増え、物を粗末にしている。これで文化国家と言えるでしょうか。では我々、一人ひとりはどうでしょう、幸せな生活とは物質的に豊になることだと思っていないだろうか。その為に他人と競争して勝つことばかりにあくせくしていないだろうか。他人を蹴落とす、失敗を喜ぶようでは心豊かな人とは言えません。お経に物質的な財産のある人は絶えず、火事で財産を失わないか、盗まれないか、水害で失わないかと心配で心の安まることがない。とあります。
自分の利益のことばかり考えていれば、いつもビクビク周りを気にしながら生活しなければならなくなり勝ったつもりが逆に負い目を感じる生活になってしまいます。皆がこのような生活をしていれば文化国家とは言えません。文化を発展させるのは国民一人ひとりの心にあります。自分のことについては少欲知足少しの希みで満足する。自分のための欲望は、ほどほどにする。それに対して、他の人の為になることについては大きな追求心をもって取り組んで行くそうすれば互いに他人をのけ者にすることもなくなり、互いを認め合え、協力して行けるようになる。結果として文化の発展に寄与できるのです。

■第695話
11月の中旬になると、かわいい子が着飾って、お寺やお宮にお参りをしている姿が目につきます。七五三のお参りです。男の子は3才と5才、女の子は3才と7才でお祝いをします。どうしてこの年令でお祝いをするのでしょうか。昔は少数という考えがなかった。それで七五三など奇数は割り切れない。1つ残るいつまでも続くめでたい数と思われていました。江戸時代の過去帳を見ると、○○嬰児、嬰女という法名(戒名)が目につきます。これは生まれて1、2才までの間に死ぬ子が多かったということです。ですから、3才まで育ってくれればひと安心できた。そこでお祝いをする。また、男の子の方が育てにくかった。ですから男の子が5才まで大きくなればもう安心、女の子も7才になれば安心ということでこれまで育ってくれた感謝と元気に育ってほしいという願いを込めたお祝いです。ところが一方では、親のせっかんによるいたいけない子の死、いじめによる自殺などいたましい事件が後を絶ちません。なぜでしょう。それは、命、体は自分のもの自分の勝手という気持ちがあるのではないどしょうか。これは間違っています。
子はさずかりものと言います。仏教的に言えば仏さまが我々に人間としてしっかり生きるようにあずけてくださった命です。また生まれる縁、生縁という言葉があります。これは、親は子に自分の親として選ばれてその子の親となった。親は今の自分の子として生んだ。という意味です。同じように我々の周りで言葉をかわし行動を共にする人は、世界の何十億人の中から選び選ばれた仲間です。この結びつきを大切にしていきたいものです。

■第696話
以前、女子マラソンで銀メダルをとった選手が「自分をほめてあげたい。」と言ったことがあります。今までどの選手も言ったことのない言葉です。この言葉の受け取り方は、人それぞれにより違いがあるでしょう。我々は自分の力で生活していると思っていませんか。この事について考えてみましょう。自転車がうまく走るのは、小学生でも知っているように、車が輪になっているからです。この輪のどこかがつながっていなかったらうまく走りません。我々の生活にもそれと同じではないでしょうか。自転車が自分のものになり楽しく乗ることができるためには、自転車を販売する人、そこへ運んでくる人、その前に部品を作る人、組み立てる人、どうしたら楽しく走れるか研究する人、乗った人が乗り具合を報告する。ということがうまく輪になってつながっていなければいけません。
まだあります。誰でも食事をします。食料を生産する人も関係しています。食料といえば野菜、果物、動物が我々の食料です。小さい時から生き物を殺してはいけないと言われ続けています。その時の生き物は、ほとんどの場合動物です。しかしよく考えると野菜や果物にも命はあるのです。人間は他の生き物の命をもらわないと生きていけないのです。したがって、すみません植物さん、動物さんあなたの命を頂かせてください。そのかわりにあなたたちの命を無駄にしません。有り難うございます。という心を忘れてはいけません。このように自分の力で生活していると思っていても周りのすべてのもののおかげで成り立っているのです。だからお互いがお互いに感謝し合い、ほめ合うそういう気持ちの中で「自分をほめてあげたい。」でなければならないのだろうと思います。

■第697話
今月8日は成道会でございます。成道会とはお釈迦様が約2500年前にお悟りを開かれた日で、お釈迦様をたたえる日です。お釈迦様は釈迦族の王子としてお生まれとなり、四門外遊を機として、いろいろな修行を経て12月8日の明けの明星が輝く頃、お悟りを得たと言われています。この後最初の修行仲間を始めとして、大きな教団を作って行くわけですが、この教団、つまり仏教教団のことでありますが、当時のインドではとても考えられない大きな特色がありました。現代でもインドの大きな国内間題である身分制度の否定です。インドには大きくわけて、神官・僧侶に当たるバラモン、貴族・武士に当たるクシャトリア、商人階級のバイシャ、奴隷・下層民に当たるスードラと4つの身分に分かれ、それぞれの身分は生まれから決まっており、身分を変えることは出来ず、最下層のスードラは人間とすら認められていなかったようです。そのような時代の中お釈迦様は、「生まれによって賤民たるにあらず。生まれによってバラモンたるにあらず。行為によって賤民となり、行為によってバラモンとなる」とお説きに成られて、そのことを教団の制度として実践されたのでした。つまり、他の教団に於いては身分によって、教団に入れないものもあるなか、元の身分は一切問わず、教団の秩序のためにどうしても序列だけは必要でしたので、出家した順番だけの序列を付けたのでした。
生まれや家柄に何の実体もないことは、よく考えれぱ誰にでも分かることですが、残念なことに今の世の中でも周囲を見れば、人種的偏見、地位的偏見、男女差別、障碍者差別など、様々な偏見や差別にあふれています。これがお釈迦様の生きた古代の杜会に於いては、現代とは比べものにならないほどこの種の差別・偏見が多かったことは、容易に想像できることと思います。そのような古代の杜会で、人間の本性が平等であることを主張するのみにとどまらず、更には仏教教団の制度として実践をされたわけです。ここに仏教の本質の1つが大きく表されていると思いませんでしょうか、何人足りと言えども差別をしない教え、それが仏教であります。我々仏教徒は、このお釈迦様の最も基本的な教えに従い、つい陥りそうな偏見や差別に気を付けて日々を過ごしましょう。

■第698話
青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光 これは浄土宗でよく読まれる阿弥陀経というお経の一節です。前回は初期の仏教教団を通じて、平等と言うことを考えてみましたが、今回はお経を通して考えてみたいと思います。冒頭にあげました青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光というのは、阿弥陀経の中に説かれている極楽浄土の有様を表した部分の一節ですが、極楽浄土では、青い花は青い光を放ち、黄色い花は黄色い光を放ち、赤い花は赤い光を放ち、白い花は白い光を放ち、それぞれが椅麗に咲き乱れているというのです。どの花がよいわけでもなく、どの花が悪いわけではありません。青い花には青い花の良さがあり、黄色い花には黄色い花の良さがあり、赤い花には赤い花の良さがあり、白い花には白い花の良さがあり、それらがそれぞれに美しく咲いているのです。
今の世の中を省みますと、自分と異質なモノ、自分たちと異質なモノを排除しようとする傾向が多いと思います。いわゆるイジメというのはその最たるモノではないでしょうか。自分と異なるモノは理解が出来ない、自分より劣るモノは煩わししい、と言うような自己中心的な思いがその根底にはあることと思います。ここ数年私が気になっている一つの言葉があります。それは福祉関係を中心に普及している言葉ですが、ノーマライゼイションと言う言葉です。単純に言い換えれぱ、「当たり前」と言うことになると思うのですが、世の中には知的・精神的に障碍を持つた人、肉体的に障碍を持った人、様々なハンディーキャップを持った人がいます。それらの人が特別な変な人でなく、そうした多様な「杜会の平均的な人とは違う人」が、たくさんいるのが杜会の当たり前の姿、ノーマルな姿であると、受け入れてくれる杜会が、ノーマライゼイションという考え方の杜会です。元々が福祉関係の言葉ですので、障碍という事について例を挙げて説明しましたが、これは何も障碍だけではなく、信条・出生・職業・性別など総てのいろいろな事について言えることと思います。このようなお互いの個性を尊重しあい、認め合い、あるがままの当たり前の姿で、総ての人が暮らせることが、いろいろな色の花が咲き乱れる極楽浄土の姿ではないでしょうか。

■第699話
今月はお釈迦様とお経を通して平等と言うことをお話しして参りましたが、浄土宗の宗祖法然上人はどのように考えられていたのでしょう。この答えが正にお念仏であると思います。法然上人は今から約800年ほどの昔に活躍されたのですが、当時の仏教というのは、知織階級だけのものであり、貴族や僧侶だけの為の仏教でした。難しい学問や、厳しい修行をして、悟りを得られたものだけが成仏できると言う仏教です。そのような仏教では、畑に出て耕したり、海に出て漁をしたりと言う一般の人々はどうしろというのでしょう。この答えを求めて法然上人は、六万四千とも言われるお経を、長い年月をかけて探しました。そして比叡山に登り30年も探し続け見つけた答えが、善導大師の観経疏の中にあった「一心専念弥陀名号」の文章です。
一心に専ら弥陀の名号を称えれば、誰でも極楽浄土に往生できる。と言う教えです。戦争のために人を殺さざるを得なかった人でも、遊郭に身を沈めざるを得なかった人でも、毎日の暮らしのために時間のない人でも、誰でも彼でも、南無阿弥陀仏と六字の名号を称えれぱ、阿弥陀様が救って下さるというのです。これ以上に平等な教えはあるでしょうか。これが法然上人が求め、広められたお念仏の教えなのです。お念仏はいつでも何処でも誰でも称えることが出来ます。滝に打たれるような荒行のように特別な鍛錬も要りません。お経を理解しようとするような、特別な知識もいりません。南無阿弥陀仏の六字の声明念仏こそが、講にでもできる平等な行なのです。
誰にでもできる簡単な行というと、なんだかたたき売りの安かろう悪かろうに思えてしまうかもしれませんが、法然上人は浄土宗の奥義書とも言える選択集の中で、「お念仏は優しい行であるから、総ての人が収められますが、その他の行は難しいので、総ての人々が収めることは出来ません。ですから阿弥陀様は、総ての人々を平等に往生させるために、難しい行を選び捨てて、易しいお念仏の行を選び取って、本願の行とされたのです。」と説かれ、更には「阿弥陀様のお名前には、阿弥陀様が悟られた結果、その身に体得された功徳と、あらゆる衆生を救うために、外に働く功徳とが総て込められています。ですからお念仏の功徳はもっとも勝れており、阿弥陀様は劣った他の行を捨てて、勝れたお念仏を選び取って往生の行とされたのです。」とまで説かれています。では皆さん来年も、平等な、易しい、勝れた、お念仏と共に一年を過ごしましょう。

■第700話
明けましておめでとうございます。新年を迎え、昨年は世紀末、今年は21世紀の幕開けと、テレビやラジオで大騒ぎをしていましたが、しかし同時に悪質な事件や信じられない出来事もよく報道されていたのには残念に思います。「もう神も仏もない」と叫びたくなりますが、その力を必要とする人は大勢おり、年末年始、各寺院・神社・教会など、それぞれ色々な思いを託してお参りをされた事と思います。そして何よりも皆様はその中で菩提寺のお参り、ご先祖さまのお墓参りを一番大切にしていらっしゃるのではないでしょうか。この節目にご先祖さまに今の気持ちを、ご報告されることはとても良いことです。
昨年の成人式の日のことですが、お檀家のあるご夫婦がお酒とたばこをもってお墓参りにみえました。私はお線香に火をつけていると、そのご夫婦は恥ずかしそうに、「実は今日長男が成人式を迎えたので、そのお祝いにお墓参りに来ました。お酒とたばこを20才の記念にお供えさせてもらえませんか。」と、私はその時、14才で亡くされた息子さまのお墓参りと承知していましたが、尋ねられてはじめて「そうか」と気が付き思わず胸がつまるような思いをさせられました。私は心から愛する子供への思いと深い親子の絆を感じ、その息子さまも、そして阿弥陀さまも、いっしょになって喜んでいらっしゃると確信いたしました。それは、お浄土におられるみ仏さまも、この娑婆に生かさせて頂いている私達も共に生き、お互いの世界から見つめ合わせて頂いて、阿弥陀経に説かれている「倶会一処」のお言葉の通り、必ずお浄土で再会する日を信じさせて頂いているからです。今年も1年、ご先祖さま、阿弥陀さまとお念仏を申して、いつもよりどころとして素敵な関係でいられたらと願うばかりです。 
 

 

■第701話
平成7年1月17日。犠牲者6,000人以上を出し、戦後最大の惨事となった阪神淡路大震災も今年でもう丸6年を迎えます。被災にあった地域では、7回忌の法要や合同慰霊祭が営まれ、犠牲にあった多くの方々の供養をされることと存じます。あの日から6年。一言ではいい表せない月日を重ねてこの忘れ得ぬ日を迎えるのは毎年つらいことと思います。特に住む家を失われ、仮設住宅での生活は不安を募らせることも多かったのではないでしょうか。ちょうど今から4年前、当地ではその仮設住宅での孤独死が何度と報道されて、その数が100人を越えたのには大変驚かされました。しかし、本当は仮設住宅には多くのボランティアの方々の力が影で支えており、それがなければ孤独死の数はもっと増えていたかも知れません。
そのボランティアの方の中には、「仮設住宅を繰り返し訪ねて相手の話にじっと耳を傾け、次第に心がほぐれて身の上話が始まると、その人が癒されていくのが伝わってくるのがわかる。阪神淡路大震災のボランティアをそれ以来ずっと続けている。そういった積み重ねが大切だと思う。」と語る人が何人もいたそうです。いつもその心を痛めている人を大切にし、そのボランティアを受ける人と同化して同じように心の痛みを知る。仏教では慈悲という言葉がありますが、ボランティアの方々の気持ちは慈悲の心として「いつくしみ」と「かなしみ」を被災者の方と共感され、癒して下さったことと思います。み仏さまの、み心は慈悲の心であり、また、あらゆる生きとし生けるものに対して、全てに差別することなく働く心であり、広大な大慈悲の心であります。願わくば、その大慈悲の心をもって如来さまに仮設の家に1人で亡くなった方々を導いて下さるよう、願いをこめ心からご冥福をお祈りし、お念仏申し上げたく存じます。

■第702話
先日、私は吉田寺という奈良県の斑鳩にある「ぽっくり寺」で有名なお寺にお参りに行ってまいりました。近くには法隆寺もあり、田園地帯の中にあるとても落ちついた雰囲気のお寺です。しかし、なぜ吉田寺が「ぽっくり寺」なのかと不思議に思うところですが、それはご住職のお話によると、永延元年(987年)恵心僧都源信が、自分の母の臨終の時に除魔の祈願をした衣をきせると何の苦しみもなく往生されたことの由来により、長患いをせず、周りの者に世話をかけることなく極楽往生できるご利益を信仰されてきたからだそうです。葬儀の時に「この人は大往生だ」などと言われる人がいますが、本当にぽっくりと人生の最後を迎えられたら、まさに理想的な大往生かもしれません。
最近、高齢化社会と言われている中、中年と言われている40歳から50歳前後の方が突然のように亡くなられるケースも少なくないと感じております。私たちの生活の中で、「若くして、病魔や災難などとの戦いの末、愛する家族を残して、息を引き取る。」という思わず耳を塞ぎたくなるようなことも、誰もが年齢を問わず、いつ、どこで、どのようにかかわり合うか分かりません。先程の大往生とは対照的です。ぽっくり寺は人間の死というものに対して、私たちの不安を取り除いてくれる「お念仏」のお教えに積極的に向き合わせて頂けるお寺です。そうさせて頂くことによって本尊の阿弥陀さまの前でお念仏を申した時、本当に私たちを導いて下さると確信が持て、同時にお念仏の有り難さを実感させて頂けます。しかし、み仏さまのご縁がない方が突然、生・老・病・死の四苦が目の前に立ちはだかったとしたら、耳を塞いだくらいではどうすることもできません。ぽっくり往くには先ずみ仏さまのご縁を結ばせて頂かなければいけません。そんな方にはぜひお念仏をお勧めいたします。 

■第703話
21世紀の幕があき1ヶ月が過ぎました。以前、新聞に「1901年の正月に予測した、20世紀はこうなる」という記事が掲載されていました。サハラ砂漠はB野に変わり、人と獣は自在に会話する。7日間で世界一周ができる。蚊やノミはいなくなる。暑さ寒さを器械で調節できる。運動を外科手術によって人の身長は6尺以上に達する。など・・・・・・ 又、「21世紀中に実現する、あるいは実現してほしい新技術と、生活や社会の変化の予測」の記事には、翻訳技術が普及し、世界の8割の人々が母国語のままで会話できる。再生医療が一般化し、人体は人工臓器で講成される。人類が小型化し、食糧、人口問題が解決する。との予測もありました。予測ではなく、1900年の世界の人口は16億5千万人だったのですが、2000年には60億人を突破しており、実に百年で3、6倍という歴史上前例のない膨張ぶりで、日本では40年間で倍になったそうです。人口増加は21世紀も続くと予測する一方で、小型化する前の人口をどう養うのでしょう。
ノ一べル経済学賞を受けた、インドのアマ一ティア・セン教授は、「飢餓や貧困は人口増のせいでは起こらない。食糧など資源の配分が不均等、不公正なためにおこる。」と、つまり食糧のとリすぎや浪費が、個人の健康だけに留らず、社会的、経済的面で影響をもたらす。ということです。遺教経というお経の中に、「必要以上に多く求めてはいけない。」という戒めがあリます。「様々な食物や飲物の恵みを戴く時は、薬を服用するように戴きなさい。好き嫌いによって糧を調整してはいけません。蜜蜂が花から蜜を取る時に、蜜だけを取って、花の色や香りを損なわないようにするようなものです。」 誠に耳の痛い戒めですが、少なくとも、様々な恩恵を被っていることを忘れず、食事をいただく前には手を合わせて「大切ないのちをいただきます。南無阿弥陀仏」と口にしたいものです。

■第704話
今月の2月15日は、お釈迦様の亡くなられた日にあたります。仏教を開いたお釈迦様は、実在の人物です。今から約2千5百年前、インド北部にカピラ国という国があり、その国を統治していた種族を釈迦族といいます。つまり釈迦というのは種族の名前で、釈尊というのは、釈迦族の尊い人という意味です。お釈迦様は29才で出家して6年間の苦行の末、35才で悟りを開き、ブッダとなります。ブッダとは目覚めた人という意味です。お釈迦様は35才で悟りを開いて80才で亡くなるまでの45年間、インドを遊行して教えをひろめました。悩める人の話を聞き、慰め、病人を元気づけ、そして悟りへと導くというようなことをして人々を救ったのです。
晩年、弟子のア一ナンダに「自分の体は、調度、壊れた車を皮紐でつなぎ合わせて無理に動かしているようなものだ」と言いながら旅を続けます。そして、鍛冶屋のチュンダに出された食べ物にあたってしまいます。クシナガラの地に着いたお釈迦様は、「私は疲れた、横になりたい」と言って、沙羅双樹の間に、頭を北に向け、右脇を下にし、足の上に足を重ねた状態で亡くなります。釈尊として尊ばれ、ブッダとして悟りを開いた素晴しいお釈迦様が、あちこち体が痛くなり、病気に苦しみ、老いて、そして死んでいったのです。お釈迦様は私たちと同じ人間なのです。そして、どんなに文明が進歩しても、この世は無常で、老いや、病いや、死から逃れることができない事を、身をもって示されたのです。だから、我々も年をとって病気になっても、「お釈迦様でも、我々と同じように苦しんだんだ」と、そう思うことによって、少し慰められるのではないでしょうか。

■第705話
最近の世相を嘆いて、私の子供の頃を思い出してみます。今から30年前、私は小学校の6年生でした。東京オリンピックが終わり、日本は高度経済成長の真ただ中でした。父は学校の教員をしながら、寺の住職をしていましたが、寺の収入だけでは、とても生活できなかったのが事実です。夏の棚経に檀家を回り、全ての家にTVが有る事を知り、我家にもTVという文明の波が押しよせてきました。洗濯機は、有るには有りましたが、足で蹴飛ばさないと動きません。母が洗濯板で洗いすすぎ終った服を、洗濯機に付いている、2つのローラーの間に入れ、グルリとカを入れてローラーを回し服をしぼります。無くなりかけた歯みがき粉のチューブもローラ-でしぼり出したりしました。風呂は五右衛門風呂、枯木や古くなった塔婆を燃してお湯を沸かします。初めに風呂に入る人は、少し高めの温度のお湯に我慢して入らないと、最後の人までもちません。うっかり水を入れすぎてしまうと、外のかまどに薪をくベに行かなければなりません。冬は折角、温まった体がすっかり冷めてしまいます。トイレは、いいえ、便所はポットン便所。汲み取り屋さんがしばらく来てくれないと、よくおつりをもらいました。そんな生活でした。
昔から、物が豊かになると心が貧しくなると言われています。文明の発達によって、迅速に正確に、しかし大量に仕事をこなす事ができるようになりました。又、文字は人柄を表わす、とも言いまっすが、ワープロやEメールなどの発達により、文字に表われる、性格や心の琴線の変化を感じ取る事ができにくくなりました。それは同時に、人間関係の希薄につながると思います。どんなに物が豊かになって、便利になっても、物を通しての思いが相手に伝わらなければ、無意味だと思います。何故なら、人間と人間、人間と動物や自然、そしてあらゆるものとのふれ合い。つまり社会は縁によって成り立っているからです。 


■第706話
私達は日頃何気なく使っている言葉に「おかげさま」と言う言葉があります。みなさんはこの言葉の意味を考えた事があるでしょうか? 辞書で「おかげ」を引くと「有り難いと思う助け」、更に「おかげさま」と「さま」を付けると「有り難い事には」とあります。ではこの「有り難い」とはどのような事でしょうか?これもまた辞書を引きますと「めったに無い良い物を貰ったり、良い事に出会ったりして嬉しい気持ち」、また「自然と拝みたくなるような感じ、尊い」とあります。もうすぐ桜の季節です。満開の桜の花を見て誰もが「綺麗だなあ!」と思われる事と思います。では何故桜の花を見る事が出来て、感動する事が出来るのでしょうか?殆どの人が「目があるから」と答えるのではないでしょうか。中には「桜が咲いているから」と答える人が居るかもしれませんね。では本当に目が有れば、また桜が有れぱ見る事が出来るのでしょうか?私達の目は、目だけでは物を見る事が出来ません。そこにお日さまの「光」が、「灯かり」があればこそ見る事が出来るのです。光の無い世界ではいくら目が有っても桜が咲いていても花を見る事は出来ません。
お日さまは朝になれぱ分け隔て無く私達に光を与えてくれます。「御先祖様」や「阿弥陀さま」も同じだと思います。阿弥陀さまはいつも私達に、分け隔て無く救いの手を差し伸べて下さっています。そして「めったに無い良い物を貰う」。そうです、私達はこの大切な命を御先祖様から頂いております。他にもお日さまの光り、水、空気、人の優しさ等、知らず知らずのうちに多くの「おかげさま」の中で暮らしております。「お日さまのおかげ」「御先祖様のおかげ」「阿弥陀さまのおかげ」。お念仏を称え、「おかげさま」の言葉の意味をもう1度考えたいものですね。

■第707話
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますが、早いもので、今年もお彼痒を迎える季節となりました。皆さんはお彼岸と聞くと何を思い出されますか?殆どの方がお墓参りやご先祖供養、お寺参りなどを思い浮かべられる事と思います。今回はお彼岸について少しお話を致したいと思います。
今日では「彼岸」とは彼の岸と書きます。サンスクリット語の「パーラミータ」の音写語「波羅蜜」、またその訳の「到彼岸」(到る彼岸と書きますが)を略して彼岸と言って居ります。古くはお日さまに願うと書いて「日願」としていた地方もあるようです。お彼岸のお中日は昼と夜の長さが同じで、お日さまは「真西に沈む」と言われて居ります。お中日に沈み行くお日さまに願う、手を合わせると言う事は、真西に向かってお参りをする、それはまさに西方極楽、阿弥陀さまの居られる極楽浄土に向かって手を合わせると言う事になるのではないでしょうか。では、何処から何処に到る事を到彼岸と言っていたのでしょうか? 私達の住んでいるこの地を此の岸と書いて「此岸」と呼びます。彼岸とは此岸の反対側、極楽浄土に到る事。つまり、自分の立っているこの煩悩に満ちた、苦悩に満ちた現実世界の此岸より、煩悩の滅した極楽浄土である彼岸に渡った状態が到彼岸であります。
では私達はどの様にしたら彼岸に渡る事が出来るのでしょうか? 皆さんは六波羅密と言う言葉をご存知でしようか?波羅蜜とは菩薩様が涅槃に到るために行う修行の事であります。六つの波羅密、一つ布施(他人に施す事)、二つ持戒(戒めを持つ事)、三つ忍辱(堪え忍ぶ事)、四つ精進(怠けない心)、五つ禅定(心乱さず深く考える事)、六つ智慧(佛様の教えを学び実践する事)の六つの修行、それを行う事によって到彼岸する事が出来ると言われて居ります。しかしこれら全てを実践する事は、なかなか難しい事と思います。何か一つ目標を持たれてお彼岸を迎えられ、お中日には沈み行くお日さまに、極楽浄土を思い浮かべたいものです。

■第708話
21世紀を迎え早くも3ヶ月が過ぎようとしております。昨年は「世紀末、世紀末」と言われ、嫌な事件がたくさん起こりました。特に目立つたのは17歳の未成年者の事件でした。人に迷惑をかけなけれぱ何をしても良いのだと、道端に座り込んだり煙草を吸ったりと迷惑をかける事の意味を取り違えていたり、またチョットした事ですぐ切れ人を傷つけたり、簡単に人を殺してしまう。何故この様な事件が増えてきてしまっているのでしょうか? 一つには子供の頃の心の教育に問題があるのではないでしょうか。鎌倉の大本山光明寺に於いて毎年7月の終わりに夏期僧堂と言う行事が行われております。主にお寺の子供達やその友達を集めて2泊3日で佛教の勉強をするのですが、2〜3年前のある年の事、地獄と極楽の紙芝居が終わった後に、小学校4年生の女の子に「紙芝居どうだった」と尋ねると、「地獄の話の時怖くて怖くてずーっと南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と称えていたよ」と言われました。「へぇ、今の子でも地獄を怖がるのか」。それがその時の感想でした。
今の子供達はテレビや漫画・ゲーム等から色々な知識や情報を得ています。しかしその知識や情報が余りにも多い為に良い事なのか悪い事なのかの判断がまだ付けられないでいるのも今の子供達の様な気がします。私達は子供の頃「悪い事をすると地獄に落ちるよ」とか「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるよ」とか言われ、子供心に怖かったのを覚えています。今の子供達の心も私達が子供の頃と変わりは無いのではないでしょうか。その心が清らかな内に私達は子供達に正しい事と悪い事の区別を、きちんと教えなければならないと思います。今の親や学校は教育の「教」の部分の教えると言う事は一生懸命にやるのですが、「育」の部分の育てると言う事を忘れてしまっているような気がします。悪い事をした時に自分の感情でただ闇雲に怒るのではなく、叱る事、しつける事、きちんとした教育の育てるという事をもう一度考え直すべきではないでしょうか。 
 

 

■第712話
インターネツトの按続で情報は眼と耳から時間と空間を超えて一瞬のうちに入ってきます。携帯電話に映像が写し出される今日、法話は耳からだけのことですが、聞く人にとって大脳というスクリーンに写し出される情報から、より多角的多面的な思考の広がりが期待できるのではないか、そんな風にも考えられるんではないかと思っています。私の住んがいる市では、先の戦争で亡くなられた方の慰霊祭が秋に行なわれ、又慰霊旅行がサイパン、フィリピン等方面を代えて行なわれています。私がよく存じあげている方は、八十を一つ二つ過ぎていらっしゃいますが、元気で幹事役をつとめていられます。
この方は結婚後3年ばかりで、ご主人が出征され南の海で亡くなられました。一粒種のお子さんも60を越えて家業に精を出され、お孫さんも世帯を持たれて安らかな老後と、いえばいえます。しかし最近この方のお話しでは、遺族会に名を連らねている方でも、慰霊祭や行事へご案内しても、出席者がめっきり減っていると嘆かれています。戦争で亡くなられた方の奥さんは、或はもう亡くなられているか、存命されていても老齢化が進んで、ご出席も困難になっているのは分りますが、後を継がれているご遺族の方々さえ、関心が薄れているということは、世間一般の関心度がどのようなものか思い半ばに過ぎるものがあろうと存じます。この戦争に負けたらどうなるのか、祖国を信じ家族を守るという純真な気持で、苦難に耐えながら草蒸す屍、水漬く屍となった方々、特攻で体当りした戦友、平和を愛する気持と共に忘れてはならないと思います。先にお話しした方は、サイパンへの慰霊旅行を、親郎に南無阿弥陀仏をしに行くんだといわれます。年老いた妻の菩薩行といえるのではないでしょうか。戦場で散った無念の気持を風化させてはならないし、語り伝えていくことは私達のつとめではないかと思っています。

■第713話
私にとっての4月は、切ない思いを噛みしめる月だと思います。昭和20年4月、アメリカ軍を邀えて南西諸島海域で特攻作戦が繰り広げられ、多くの同期の友を失っています。海軍14期予備学生出身で、特攻戦死した同期の酒巻一夫大尉が、出撃したその日両親へ次のように書き送っています。「南九州の基地 不連続線が去って拭ったような快晴、桜もすみれも蓮華草も菜の花も咲いています。今ぞ征く、11時発進、14時頃には敵にとっつけましょう。必ず立派にやります。父上様母上様姉上様有難うございました。みんな元気で頑張って下さい。昭和20年4月12日」今から56年前の若者の姿です。ただ只管に国の為、家族を思い苛酷な戦場で一身を抛った純粋さを後世に伝えなくてはならないと思います。海軍入隊の朝「忙しくご先祖にご挨拶。」と彼の日記にあり、父親や身内の者と一緒に菩提寺へ墓参りしている様子が窺えます。ご先祖なんていったってピンと来ない。という若い人が増えているように思われます。価値感も変わり、科学によらず医学によらず社会の凡ゆる面で変革の時代を迎えている今日、今の若い人は、どうこうと批判するつもりはありませんが、母の乳を飲み父の背に負われて育ってきた自分です。然も最近のニュースでは、小学生が母を殺し、父母が子を殺すという、痛ましいとも何んとも言葉に窮します。日本がこんな国になってしまったのか、と思うと余りにも情けない。殺人事件のニユースの流れない日はない。一国の将来は、その国の若者をみれば将来像が占えるといわれます。観無量壽経というお経には、提婆の悪企みに乗せられた皇太子が父の頻婆婆羅王を幽閉し、然も母である王妃の韋提希夫人をも殺して王位を奪おうとした時、月光という大臣が太子を押しとどめ、この世の初めから今まで国王を殺し王位を奪った非道のことはあったが母の命を断った王子のいたことはきいていませんと諌めたことが物語られています。

■第714話
仏教振興財団の理事長をなさっているアラスカパルプ社長の早川進さんは、人間の幸せを高めるのは自由だけれど、ひたすら念仏申すことで心の自由が広がるといわれています。法然上人は9才で出家された後比叡山に入られ修学に勉められました。凡夫が何うしたら救われるのか、思索と研鑚を重ねられ43才の時、初めて念仏救済の法門を開かれたのです。只管念仏申すことで、心の自由が広がるという早川さんのお話しですが、法然上人は日に6万遍の念仏をされたと伝えられています。又「極楽の荘厳見るぞ嬉しき」。というお言葉があり、上人の宗教体験は阿弥陀如来に親しく、身近かなものであったことが容易に頷けます。哲学者として著名な梅原猛民の法然についての最近の著書を初め、司馬遼太郎の講演集にも法然上人について、ふれられています。司馬遼太郎は浄土宗立の上宮高校の出身ですから、恐らく講堂に飾られている法然上人の穏やかな風貌に接したり、時には宗教講話を聞かれたこともあったろうと思います。それらによって一般的な宗教についての知識や考えが深まって、人格形成の上にも影響を与えたのではないか、そんな気がいたします。私立学校では、設立者が宗教団体であれば、その宗派を主とした宗教教育が行なわれているのは当り前のことだと思いますが、小・中を初め公の教育機関では、一般的な宗教教育は行なわれていません。今度の教育改革でも、宗教教育については何もふれていません。公的教育機関の場でも、一般的な宗教教育はあって然るべきだと思います。人生について悩み、迷い、哲学書や宗教書や人間の姿を浮彫りにしている小説を読んだり、多くの話しをきいたりして身につけた一般的な宗教的教養、これらに基いた信仰なら分ります。然し一般的な宗教教育も何もない、宗教的無智の若者が、見知らぬ人から声をかけられ、初めはそれほどでもなくても次第に深みに嵌まっていく、オ一ムやカルトの影が茲にある。

■第715話
21世紀という時代 今年は西暦2001年21世紀というあらたなる世紀を迎えました。しかし社会を見渡して見ますと政治・経済はもちろんの事、教育福祉・医療・環境様々な分野で混迷の声が聞こえ、変革という言葉だけが虚しく闊歩していないでしょうか。バブル景気の時代、物欲が満たされることが幸せや喜びなんだと錯覚していたことが、真の幸せや真の喜びという感覚を今でも麻痺させてはいないでしょうか。青少年犯罪1つをとってもそうですが「あんな真面目な子がこんな事件をおこすなんて」という隣人の声を聞く機会は少なくありません。子供に対して健康であって欲しい、良い学校に行って欲しいと願うことは逆に病気の子供は駄目、良い学校に入らなければ駄目と言っていることにならないでしょうか。このような見方は子供にプレッシャーを与えてしまう事にもなりますし、また、病気の子供に対しては生きていくことそのものを否定する事になりかねません。ですからこのような見方はあきらかに誤りであるわけです。親心といえども結局は人間の謝った考え方から出発をしているのです。
仏教の言葉に「慈悲」という言葉があります。全ての人々を救済しようとすることが仏教の大いなる精神でありますが、「慈悲」はその根幹をなしている考え方であります。いつくしみの心、あわれみの心。しかし真の慈悲とは他人に求めるものではなく、自分が他者の気持ちをどこまで深く理解し、何をしてあげられるだろうかと考えることから始まるのです。見返りを求めず、自分になにができるかと考えるとき、慈悲はその人に限りない勇気を与えてくれるのです。いにしえの時から説かれてきた慈悲の精神。この「慈悲」の精神こそが21世紀以降の人間社会に真の幸せの道を説く大きなキーワードになると確信して疑いません。

■第716話
阿弥陀様と出会う 今年も早いもので梅雨の季節となりました。梅雨の季節が大好きだという方は少ないとは思いますが、雨という日もたまにはいいものです。ところで皆さんはこんな経験したことがありませんか?駅を降りたら雨が降ってきました。傘をもっていてよかったと駅を出ようとした時にふと見ると1人雨のため動くに動けない老人がいました。「一緒に入っていきませんか?」声をかけようと思っているうちに老人は雨に打たれながら駅を離れてしまった。ああ声をかければよかったと後悔してしまったそんな場面を経験したことありませんか?  
このことを私たちが阿弥陀様と出会うときと同じと考えたらどうでしょう。私たちが阿弥陀様と接するときに「南無阿弥陀仏」とお念仏を申します。浄土宗のお念仏は称名念仏が基本です。なぜならば、口で「南無阿弥陀仏」とお唱すれば、阿弥陀様は凡夫である私たちでも、必ず救ってくださるお誓いをお立てになられているからです。だから、心で思っていても阿弥陀様と接することはできません。口で「南無阿弥陀仏」と称え実践することで私たちは阿弥陀様とはじめて出会えるのです。さて、先ほどの雨の中立ち去った老人の話にもどります。老人にすっと傘を出し「一緒に参りましょう」と一言いう勇気が功徳を積むのです。実践する事、そのほんの少し勇気のそばに阿弥陀様は必ずおられるのです。

■第717話
蓮華(はす) 梅雨の季節が過ぎ去り盛夏を迎えると蓮華の花が開く季節を迎えます。お寺にお参りになると、よく蓮華を見かけられる機会も多いと思います。「はす」の語源は、果実の入った花托の様子が昆虫の蜂の巣によく似ていることから、古来「蜂巣」と呼ばれていたものが略されて「はす」となったそうです。蓮はその清らかな花を泥水の中で咲かせます。悪い環境にあって清らかな花弁をたたえる蓮の花は、煩悩けがれを払って清らかな悟りの世界を表す例えとなり、仏教と深い関わりを持ち続けてきた植物なのであります。
阿弥陀経の一節には「池の中に蓮華あり大きさ車輪の如し青色には青光あり黄色には黄光あり赤色には赤光あり白色には白光ありて微妙香潔なり極楽国土にはこのような功徳荘厳を成就せり」と説かれています。またよくする言葉に「一蓮托生」という言葉があります。お念佛を実践する私たちが、極楽の同じ蓮華のもとに往生を遂げることを表す言葉であります。「いさごに黄金、泥に蓮」という言葉があるように、つまらない砂の中にこそ黄金があり、汚れた泥の中にも清らかな悟りの花が開かれるのであります。凡夫である私たちも、お念佛を申すその信仰心で、汚れなき美しい蓮華の花弁を咲かせたいものです。

■第718話
さる五月の末、私の寺の檀家三十人余りを連れて総本山知恩院へお参りに行って来ました。一泊二日のバスの旅で、梅雨のはしりの生憎の天気でしたが、檀家の皆さんの心は終始晴れやかで、思い出に残る参拝ができました。と言いますのは、総本山知恩院の中村康隆御門主に直々にお目にかかれ、真近にお顔を拝み、ご法話をいただいたからです。ご門主の声は本当にか細いのですが、とても力強く打ち寄せる波のように次々と話を続けられました。私たち一同は感激と緊張のあまり身じろぎもせず座っていました。ご門主は御歳九十六歳。最初、襖の戸が開いた時、私は赤い衣そ着た生仏がいられるのではと見間違う程でした。そのお姿は枯れ果てて神々しいの一語につきました。
知恩院を後にしてバスに乗り込んだ時、檀家総代の一人が私にこう言いました。「私ね、あの御前さんの姿に浄土宗の究極を見たような気がするんですよ」。「へえ、どういうことですか?」「御前さんはあと何年生きられるのか分りませんけど、普通あの御歳だったら、今日はもう疲れたとか、今日は代わりに誰かやって下さいと言うんじゃないの?命が続いている限りは最後の最後まで自分の責任を果たそうとしていられるんだね」「ハア」「浄土宗の究極だね」エエ」と私は静かにうなずいて、うれしくなった。きっと他の人たちも言葉に表わせない感動を覚えたのではないだろうか。上、一形を尽くすという言葉がありますが、最後の日を迎えるまで一生、念仏を唱えるのが法然上人のみ教えです。生きることは念仏すること、念仏することは生きることです。私もあの中村御門主のように息の続く限り現役で生き続けたいと思います。

■第719話
日本人はクジラを食ベるので野蛮人です、などとヨーロッパやアメリカの人たちが捕鯨国日本を非難します。自分たちだって牛や羊をおいしいおいしいと食べているくせに、と反論したくなります。キリス卜教的な考え方によると、牛や羊は家畜であって言わば神様が人間のためにお創りになった動物だから、食べるのが当然ということのようです。でも日本人や東洋人には、そういう考え方はないのです。牛を食べようが鯨て食べようが一緒です。馬を食べようがヘビを食べようがガチョウを食ベようが一匹は一匹、命を一つ頂くのです。その一つの命の重さに違いなんかないんだぞ、というのが仏教の立場なのではないでしょうか。
勿論この私もこの人間も一つの命。だから動物達皆の命を頂いています有難うの感謝の気持ちや、ごめんなさいね皆の家族だって悲しんでいるんだよね、という懺悔の気持。皆の命を無駄にはしないよという報恩の気持ち。これらが日本人の心の底に流れているのです。とは申しましても近ごろの日本人ときたらどうでしょう。食事の前に手も合せない。うまいのまずいのとぜい沢三昧。よほど欧米の人の方が勝っているのかも知れません。ともあれ、動植物と友達になって生き、自然と一体になってゆこうとする仏教の思想がなければ、人類も今世紀中に破滅するか、相当痛い目に会うでしょう。やれ打つなハエが手をする足をする。小さなハエの命でさえ、おいらだって一つの命じゃないかよ、打つのか、やめてくれよと言っているのです。

■第720話
日本は今、子供の数がどんどん減ってきています。いわゆる少子化と言われますが、みるみるその数字は下がって、今は結婚した女性が生涯に産む子供の数は1.2を切ってしまったといいます。特に東京やその他の大都市になると、その数字はもっと下がっています。この少子化の原因を識者はいろいろ言っていますが、日本人が戦後よかれと思って行なってきたことの誤りが如実に表れてきたと私は思っています。
一つは家族制度の崩壊だと思います。大家族制では常にお年寄から子供までが同居していて、近所や親戚のつきあいも複合的です。小学生ぐらいになれば必ず、どこかの赤ちゃんにさわったり、抱っこしたりするチャンスに恵まれていました。家庭が生きた勉強の場となっていたのは、昔の方がずっと勝っていました。二つめは福祉の過剰サービスです。お母さんが子供を産んでから、まだ0歳の頃から保育園に預けてしまう世の中になりました。よほど生活に困っているのでしょうか。いえ、本当に困っているのはほんの一部だけで、大多数は子育てが大変だから預けているのではないでしょうか。子育て放棄を助長しているのであって、本当の子育て支援を行なっているのか国の政策に疑問を投げたいと思います。保育所で育てられた子供たちが大人になって結婚した時、子供を育てたい、子供は可愛いいなと思えるのか、と心配です。
とかく世間は子供を産みやすい環境のことを言いますが、私はもっと単純に気持の問題ではないかと思います。極端に言えば自分自身を好きになれない人は、自分の分身も欲しくならないのではと思うのです。いずれにしても子供たちの歓声が街にあふれるくらいの平和で明るい日本を作りたいものです。 
 

 

■第721話
無財の七施 これは、人に対して、物やお金が無くてもできる七つの布施のことをいうのです。布施は仏教の六波羅密の中の一つであり、大事な修行です。修行の中で僧侶は信者から純粋な心で布施をされます。これを財施といいます。それに僧侶は無心で感謝をして真実の法を説くのです。これを法施といいます。私達は布施といえば、お金や物で施す財施がすぐに思いうかんできます。しかし、何も施す物が無くても、布施をして、人のため世の中のために尽したいと思う人が大勢いらしゃるのではないでしょうか。
無財の七施は人に、やさしいまなざしをかけること、やさしい微笑をかけること、やさしい言葉をかけること、やさしいおもいやりの気持ちをもつこと、身体をつかって役立てること、ゆずりあいの心をもつこと、暖かい心やもてなしをするという奉仕の気持ちをもつこと、このようにあらわすのです。私たちの日常生活をみまわしますと、布施を実践する場所はたくさんあると思います。心から人のため社会のために施しをしたいという気持ちがあれば、無財の七施のような行動が自然と自分の姿にあらわれてくるでしょう。物やお金が何も無くてもできるものなのです。他人のことを思うより自分さえ良ければという心をとりはずし自分の行動に責任をもち、いつも明るく正しく仲よくそしておもいやりの心をもって生活し、小さなことから実践していきたいものです。

■第722話
今年も暑い夏の訪れと共に、大文字焼き、精霊流し、盆踊り等、お盆に関する行事が各地でおこなわれます。家庭においては、ご先祖様のために、特に新盆の家では、精霊棚に多くの飲食物を供え、お迎えをいたします。きゅうりの馬で一時でも早くきてほしいと願い、なすの牛でゆっくりとお帰り下さいと名残り惜しさをあらわします。家の中に飾られた精霊棚には、四方に竹をたて昔からの飾り方をする本来の姿でなく、仏壇に盆飾りそする家が多くなってきました。普段とかわらずに、手前の棚には、カゴに入ったミニチュアの野菜や果物、わらの牛や馬が置かれ、水の子等が用意されてない家もあります。本来の盆飾りでなく、画一的で簡略化されている様子はさびしい限りです。
お盆は、ご先祖様の恩徳を感謝する行事です。しかし、その感謝の心も精霊棚の簡略化ととも失なわれていくような気もします。今日の自分があるのはご先祖様のお蔭です。何代も前にうけた恩はまちがいなく今日に伝わっています。そのための感謝の気持ちを奉げ、報恩の気持をこのお盆の時こそ家族で話しあい、ご先祖様に手をあわせ、心豊かに生きることを私達は今一度考えるよいチャンスだと思います。

■第723話
先日のお盆、また日々仏壇に手をあわせる時私たちは、ローソクの火でお線香をつけます。仏壇に奥ゆかしいお線香の煙や香りがただよう家庭は平和で明るく、一家の繁栄がうかがえます。そして、朝夕に家族がご先祖様に心から手を合せて拝む姿こそ正しい信仰を作りだす基本となるのです。浄土宗のおつとめは日常勤行式の中で内容が定められています。しかし、日々のおつとめは、お線香をたて一日の報告をしながら話しかけてもいいのではないでしょうか。自分がご先祖様を身近に感じおちついて安心した気持ちにもなるのです。
さて、お線香は、伽羅、沈香、白檀などの香木の粉を固め、細長い棒状にしたものです。中国から伝えられた物です。よくお線香は何本たてたらよいのでしょうと、たずねられることがありますが、数にとらわれずに、まっすぐに自らの心を静め、清々しい心で拝む姿により信心が深まるのです。お線香には、一切の汚れを払う力があるといわれています。また、ご先祖様の供養、仏さまの導きによる不思議な功徳があるともいわれています。私たちは、お線香の煙と香りにより、仏さまのご加護を心に念じ、迷いのない明るい生活を送りたいものです。

■第724話
私は念仏寺の住職をしております西井と申します。。今回のお話しは寺号であります念仏寺にちなみまして、お念仏を称えながら修行をする礼拝行と、その時に用いる数取器という浄土宗に古から伝わる計算器をご紹介しながら進めて参りたいと思います。今日では、計算器と申しますとすぐ電卓となりますが、どのご家庭でも2,3台はご用意がされていることでしょう。私の小、中学生のころは、もう40年も前でありますが、ソロバンの全盛期でございました。この数取器なるものは、ソロバンよりずーと前から使われている計算器でございまして、見た事もさわった事も無い方はどんな形をしているのか想像もつかない事でありましょう。その形は、木の薄い箱に仕切りがされていて駒札が10枚づつ三段に並べられており、一枚一枚めくって数を記録してゆく道具といったものであります。数を一つ一つ取ってゆくことから「数取器」と名付けられたと思います。全部の駒をめくり終えますと、なんと1000回を数える事ができるようになっています。電気という文明が無かったその昔、お灯明のもとでの数取りは、手元も暗く手さぐりの状態でもあった事でしょう。そんな環境でも使える素朴な計算器が発明されたのでありましょう。今日でも灯明のもとでの礼拝行の際には立派に使用されております。
礼拝行は、三唱礼を称えながら五体投地を繰り返す修行でございます。一礼する毎に南無阿弥陀仏と3回お名号を称えることができ、仮に30礼なされますと100回近くのお念仏を申すことになります。宗祖法然上人は、お念仏を申す数については特にこだわりをお示しになりませんでしたが、お念仏を申すことにより、浄土に生まれ変わることが出来るとお説きになられました。法然上人の教えに従いお念仏を申し、一時一時を又、一日一日を安らかな気持ちをいだきつつ、楽しく過ごそうではありませんか。

■第725話
今回はお念仏を申す数について多生のこだわりを持って話を進めてまいります。まず私の体験をご紹介させていただきます。もう20年も前の事になりましたが、私の師匠寺であります横浜・菊名にございます蓮勝寺の礼拝会のお仲間で、インドへと仏跡参拝の計画が持ち上がりました。同時に成道の地ブッダガヤの大塔のかたわらで礼拝行をしようと、礼拝の数に区切り良くとのことで、目標を大きく10000礼となりました。それからが大変でございました。時には一回の礼拝行で400礼と励んだ事もありました。一礼するのに20秒かかります。一分間で3礼でき、400礼となりますとたっぷり2時間以上はかかる事になります。私も強健有力まだ力みなぎる若いころでありましたから翌日は膝が痛くなる程度でしたが、私より歳を重ねた女性のお仲間は400礼の翌日の事、二階の階段を降りようとしたら足腰が痛くて立って降りることが出来ず、いざって階段を降りたと聞いております。まさしく厳しい修行の一時でもありました。10000礼へとあと10礼を残しましてインドへと出発することができ、目的地、釈尊成道の地・ブッダガヤの大塔のかたわらで万国の仏教との方々と共に、大地に五体投地を繰り返し、礼拝行の実践をすることがかないました。
釈尊の教えが陸づたいに中国へと、善導大師によって浄土教が大成され、そして海を渡って我国日本へと伝わり、宗祖法然上人により、南無阿弥陀仏のお名号を称えること、声を出してお念仏を申すことによって、凡人である私共もお浄土に救われると、お説きになられました。南無阿弥陀仏のお名号が声を出してお念仏となり、三唱礼を称えながらの礼拝行、いずれにしてもお念仏を申すことに変わりはございません。お念仏の数も少ないより多い方が結構と存じます。どうぞお念仏を申す生活の中、安らかな気持ちをもってえ日々の生活を続けようではありませんか。

■第726話
今回はお念仏の功徳についてお話をいたします。お念仏を10回称えるお十念、一日に何回かお称えすることでありましょう。又礼拝行で一回で400礼されたからといってその事には直説ご褒美をいただくことはありません。では何が、何の功徳があるのでしょうか。今回はまず、先に結論を申しましょう。それは誰でも平等にやってくる死ということ、その死んだ後に貰えるものなのです。浄土教の死生観、宗祖法然上人がお説き下さいましたように、それはお念仏を申す事によって、仏が念仏往生の願を立てられたことから必ず浄土に生まれ変わることが出来る、ということに他なりません。
仏教で言われる六道輪廻を繰り返し、解脱のチャンスを待つという気が遠くなるような考え方では無いのです。丁度秋彼岸の時期でもあります。墓所で手を合わせお十念を称えるご作法は誰もが自然に行う姿でありますが、ふと、お墓の中ご先祖を想う時、地獄か極楽かあるいは輪廻転生、六道のうちもし畜生界にでも生まれ、牛さんとか豚さんに生まれ変わっていたら誰かに食べられてしまっているのではと、想いがよぎったかもしれません。でもご安心下さい。先程から申しているように、お念仏を申し、浄土宗を信ずる方々のお墓の中でご先祖様達は、必ず極楽浄土に生まれ変わっておられるのです。どうぞ、安らかな気持ちで、今想うご先祖の霊に対しお塔婆を立て、水と花を添え香をたいて自らを清め合掌しお十念を称えてお墓参りをしていただきたいと思います。皆様もどうぞお念仏を申す生活をお続けになり、安らかな気持ちで一日一日をお過ごしいただくことをお願い申し上げます。 
 

 

■第733話
21世紀最初の1年も、残すところあと1か月となりました。本年は、国内外において様々な事件が起こりました。国内においては狂牛病問題、海外では、アメリカで起こりました同時多発テロ、そして、その報復としてのアフガニスタン攻撃は今もなお続いてる大きな問題です。テロによりニューヨークの貿易センタービルが崩れて行く様は何度もテレビで映し出され、変わり行く姿は、栄枯盛衰、諸行無常を伝えます。しかし、国内においても、今の不況を十数年前のバブルの当時と比べると、まさしく、諸行無常であると実感される方も多いのではないでしょうか。お釈迦様は、この世に存在するすべてのものは常に移り変わって行くもので、変わらないというものはない事をお示しくださいました。
さて、今月12月8日は成道会といって、4月8日の降誕会、2月15日のネハン会とともに仏教においての三大行事であります。成道会とは、お釈迦様がお悟りを開かれた日であり、わたしたちはその偉業に感謝し、お悟りを開かれたことをお祝いする日でもあります。お釈迦様が開かれた悟りはひと言では言えませんが、人々がが苦しみから解放され、あらゆる人が幸せになる道をお示しになったのです。まして、お釈迦様在世のころは階級制度が厳しく、同じ人間であるにもかかわらず、平等の生活ということは望めませんでした。そして、お釈迦様がお示しになったことが、縁起ということです。縁起とは一つの出来事は様々な縁によって成り立っているということで、わかりやすくいうと、「おかげさま」ということでしょう。自分が今ここに存在することは、どれだけ多くのご縁によっているものか、両親はもちろんのこと、ご先祖、そして、様々な人たち、大自然の恩恵、数え上げればきりがあリません。そしてその一つ一つが等しく尊いものであります。逆にいえば、自分だけが尊いというごう慢な心は起きてこないはずです。本年も残り僅か、「おかげさま」を感じ、様々なご縁に感謝しながらの生活をさせて頂くことが、お釈迦様の悟られたことでしょう。

■第734話
今年も残り僅かとなりなした。毎年、年の瀬を迎えますと、この一年間に自分が行ってきた数々の行いを反省し、残りあと僅かの日々を過ごし、新年を新たな気持で迎えられるようにとも思われているのではないでしょうか。わたし自身もこの一年、ただただ反省の日々をすごし、懺悔の毎日でありました。12月は、仏名会という行事を行っている寺院があります。この日は皆がお寺に集まって、お念仏をとなえ、御仏を礼拝し、一年間の罪、つまり、身や心の汚れを洗い流します。機会がございましたら是非ご参加ください。
さて、法然上人はお念仏をお称えする時の心構えとして、三つの心をお示しくださっています。それは三心といい、至誠心、深心、回向発願心の三つです。今日はその最初の至誠心についてお話しします。至誠心とは、わかりやすくいうと真実の心であリます。心の内では愚かでありながら、外には賢い人と思われるようにする、心の内には悪を作りながら外には善人らしく見せかける、心の内には怠け心をいだきながら外には励んでいるふりをするように、内と外とが違っていては真実の心とはいえません。皆様は朝、お仏壇にお茶をお上げするときに、一番おいしいお茶をお上げしていますか。朝の忙しさで、形だけお上げしていませんか。仏様、ご先祖様に悪いと思ってもついつい忙しさにかまけて形だけになることがあるのではないでしょうか。それでは真実の心をもってお供えしたことにはなりません。しかし、私たち煩悩のある愚かな人間は、常に他人によく見てもらいたい、よく見せたいと思い、内と外が違ってしまいます。ともすれば、お念仏をお称えするときでさえ、回りによく見られたいとの思いでお称えしてしまうことさえあります。なんと愚かなことでしょう。しかし、法然上人は、そんな愚かな私たちであってもお念仏をお称えすることによって、内と外が違う私たちであっても、真実の心となりえること、また、阿弥陀様は、お念仏をお称えする私たちを、愚かな私たちそのままで救いとってくださいますことをお示しくださっています。反省、懺悔の一年の終まいもただただ、お念仏をお称えさせて頂くことが、新年を迎える準備でありましょう。

■第735話
本年もいよいよ数日となリました。前回のお話で、お念仏をお称えする時の心構えとして、三つの心があり、その一つとして真実の心についてお話ししましたが、今日は、深心、深く信ずる心についてお話させて頂きます。わたしたちは、様々なものを信じて生きています。それは、両親であったり、先生であったり、先輩、恋人そして自分自身を信じているという人もいるでしょう。しかし、残念なことに、信じていたものに裏切られたり、その逆に信じられていたのに裏切ってしまったということがあります。そしてそれは、だれもが経験していることでしょう。本当に信じていたものに裏切られたときの苦しみはとてもつらいものでしょう。仏教は本来、裏切るという行為は善悪でいえば悪であり、皆が善に努めなければならないと解いていますから裏切るという行為は罪になリます。しかし、善をなそうと思っても悪をなしてしまう私たちがいることも現実であります。浄士の教え、お念仏の教えでは、その様な罪深い私たちでも阿弥陀様は救いとってくれるのです。お念仏をお称えする時の心構えである、深く信じる心とは、まず第一に、自分自身のありのままの婆を信じる、つまり、無力な自分、愚かな自分、罪深い自分を知ることが大切です。そしてそれが、第二に、そんな愚かな自分でも阿弥陀様の本願である、すべての生きとし生けるものをお救いくださるというお力を深く信じることにつながって行きます。
自分は悪いことはしない、罪は作らない。自分の力だけで行きて生ける。そんな人がこの世にいるのでしょうか。多かれ少なれ、私たちは悪をなし、罪を作り、その罪悪感にさいなまれて生きています。阿弥陀様の本願はそんな、私たちでも、罪の軽さ、重さを顧みずに救いとってくださるのです。自分自身のありのままを信じ、愚かさを知り、そして阿弥陀様の本願を深く信じる。そして、阿弥陀様は決して裏切ることがありません。本年も残りわずか、お念仏をお称えし、新年もお念仏の中の生活をお続けください。

■第736話
さて、今年もスタートしました。今年こそはと色々と計画を立てたり、誓いを立てたりしていらっしゃると思います。ただ、その際一番肝心なことは、それをするのかこの自分だということを志れていないかという点であります。計画や誓い事がどんなに素晴らしく立派であっても、それをこの自分ができるんだろうかという事ですね。いやいやこの視点を無視してしまっていては、何も続けることはできないんです。お念仏のみ教えのうけとりもそこなんですよ。お釈迦様がお説き下さった教えはたくさんございますが、誰にでも平等に一人残らず救われるという視点、この私にできるかというその視点にスポットライトをあてたとき、きわだって光輝いてくる教えが、阿弥陀様におまかせし、お念仏をお称えさせていただくという教えなんです。どうも私どもは何におきましても、何とかなるんではと思ってしまうんですね。その思いあがった心がありあすと、なかなかお念仏のみ教えもいただけないであろうと思います。浄土宗をお開き下さいました法然上人も、くり返しおもいあがりの心をいましめお説き下さっているんです。そして常日頃おっしゃられていたお言葉の一つが「力及ばず」というお言葉ですよ。自分ではどうにもならない、どうあがいても力は及びませんという自覚ですね。この「力及ばず」というお言葉、大変重く意味のあるお言葉ですよ。知恵第一といわれたあの法然上人のお言葉だからこそ、ありがたいんです。尊くいただきたいと思います。年が変わろうとも、自分は相も変わらず罪作りでおろかな自分です。力及ばずと心にうけとめ今年も一筋の道を歩ませていだたきましょう。足元をまず見つめることです。

■第737話
さて、ここ数年26歳で亡くなられた童謡詩人、金子みすヾさんがブームであります。どの作品にもやさしさとエネルギーがあり、自分がいかにひとりよがりであるか教えてくれます。昨年の話しになりますが子供に昔話の「こぶとりじいさん」の話をしていました。正直じいさんは鬼にこぶをとってもらう、こぶをとってもらう、一方意地悪じいさんは正直じいさんのこぶをつけられて二個になってしまう。子供に、意地悪するとこうなるよと話していた矢先でした。みすヾさんの「こぶとり」という詩に出会ったのでございます。
こぶとり
正直爺さんこぶがなく、なんだか寂しくなりました。
意地悪爺さんこぶふえて、毎日わいわい泣いてます。
正直爺さんのお見舞だ、わたしのこぶがついたとは、
やれやれ、ほんとにお気の毒、も一度、一しょにまいりましょ。
山から出てきた二人づれ、正直爺さんこぶ一つ、
意地悪爺さんこぶ一つ、二人でにこにこ笑ってた。
感動いたしました。私は、こぶがとれた後の正直じいさんの気持ちなど考えにも及びません。自分さえよければという私どもの姿に許えてくるものがありませんか。最終行の「二人でにこにこ笑ってた」この一行に大変教えられますし、救われます。私ども何が喜びで、何が幸せなのか未だにわかっていないのかもしれません。欲はどこまでもふくれます。現状に満足しない姿は、自分の事がわかっていない証拠であります。自分を見つめれば、他人の痛みもわかってきます。誰もが苦しいながら必死である事がわかってきます。正直じいさん、一人で喜んでいる場合でなかった。自分のいたらなさに気づいたとき、喜びに出会える。お念仏のみ教えも、自分のいたらなさに気づけてこそいただける世界であります。気づく為にもただ一向に念仏であります。

■第738話
さて今を生きる私どもは全て出会うという事を毎日積み重ねてます。人との出会いだけでなく、物であったり出来事であったり景色であったり。しかし良い出会いといいますとそう簡単には巡ってきません。ある絵本作家の方が「本当に出会うというのは探し求めるという、もっと能動的なものだ」「出会った時に、その人の心が出会うことを求めていたかが問題」とおっしゃられていました。いくらそこで出会っていても、以前からその出会いを求めていなければ、それに気づかず終わってしまうんです。浄土宗をお開き下さいました法然上人が念仏のみ教えに出会われたのはまさしく、以前から求め続けておられたからなんですね。比叡山に登り苦しい修行にもめげず苦しみに苦しみ抜かれ、孤独と暑さ寒さと、湿気と飢えともう全ての苦しみと闘い救いを求めたのです。しかし救いはどこからも来ない。月日は三十年もたっております。この歳月の長さは当時の寿命を考えても驚異的です。眼から光が出る程、経典にあたる光景、救いに出会いたくとも全く出会えない苦しみは言葉ではくつせません。そして、ついに中国の善導大師の『観経疏』というお書物に導かれて阿弥陀仏の救いの教えに出会われたのであります。私どもではとうてい出会えない出会いです。いや、私どもに代わって上人は苦しまれたんですね。上人がいらっしゃらなければ私どもお念仏に出会うことなどできなかったわけです。法然上人をお慕いし、法然上人を通して、気づけないこの私でもお念仏を信じお称えできるのであります。今月25日は法然上人のお命日にあたります。その上人の恩徳をいただくには、何をさしおきましてもお念仏をお称えし相続させていただくことでございましょう。この私が今、お念仏に出会わせていただいているのであります。お念仏お称えして参りましょう。

■第739話
こころ 私事ではありますが、2月は娘が生まれた月であります。娘の成長を見ていると、人がこの世に生まれて来るとき二つの命を持って生まれてくるのだなと感じます。一つは身体の命と、もう一つは心という命を持って生まれて来ると感じるのです。育つ過程で、いろいろな食べ物を食べ、甘い物、酸っぱい物、辛い物苦しいもの、というようにいろいろな物を味わって身体を育んでおります。心も身体と同じようにさまざまな心を味わって成長しています。一緒に遊び・話し・触れ合い・教え、いろいろな味を味わいながら心を育んでいるようです。身体が多くの物を味わい、ご飯を食べ、野菜を食べ、さまざまな命をもらいながら生きているように、心も家族や友達からいろんな心をもらい味わいながら育んでいるようです。
自分の心は一人で作り上げ出来上がったものではありません。この世に生まれてからはまず親に触れ合い、兄弟と共に過ごし、友と遊び、会社に出ては同僚と、また結婚をし、妻と歩みそして子供を持ち、というように人と人が出会い共に過ごして行く、一緒にご飯を食べ、語らい、遊び、仕事をし、生活していく中で触れ合い、その人から良い事も悪い事も、いろんな心を貰いながら自分の心として行くのです。自分の心はついつい、たった一人自分だけで創り上げた物と、人は錯覚してしまいますが、実は自分の心は他の人から、心のかけらを貰い集め、与えられて自分の心として創っていくのです。優しい心は優しい心を与え創り、触れ合いのない心は温もりのない心を創ります。それが親子という関係だけではなく、全ての人と人との間にあります。知ってか知らずか人は他の人にいろいろな心を与え生きております。また人は知らず知らず人からいろいろな心を与えられて自分の心を創ります。心は人と人が互いに分け与え、共に生かしながら創り上げるものであります。どうぞこの心を大事にし、分け与え、自身と他の人の心を大切にして行きたいものです。

■第740話
言葉 暦の上では春になりましたが、まだまだ寒い日が続いております。この季節はインフルエンザや風邪がはやる季節ですが、例に漏れず私も風邪をひいてしまいました。私が通う病院は内科と小児科が一緒ですので診察を待つ人達の中に混じって、子供達が親に連れられておりました。待っている間、誰とはなく話し声が耳に入ってきました。どうやら子供が風邪をひいて、連れて来たお母さん同士の話し声でした。大勢の人が待っているので、いろいろな話声が聞こえてきますが、普段はきに求めないのですが、このときはその声というか言葉が耳にはいってまいりました。何が耳に入ったかと申しますと、その母親同士の会話の中で、この人の体調がどうだとか、この人の熱が何度でとか、自分の子供のことを話すのに、「この人」といっていることでした。
自分の子供のことを話すのに「この人」という言葉が、普通は「この子」というと思いますが「子」を「人」と置き換えて言うことが流行なのかわかりませんが、何か違和感を感じたのです。人を表す言葉はいろいろあります。その人の名前・名字・ニックネーム、まだまだあります。しかしながら自分の子供を「この人」というのは何か冷たいような、愛情がないような、突き放したような、心が通わない何とも言えない寂しさを感じます。「この子」、というところを、たった一文字を変えて「この人」というだけで、それを聞くものの気持ちがこれだけ変わる言葉、ちょっとした違いが違和感を与え心の擦れ違いを引き起こします。言葉は人の心を動かす力を持っています。その言葉は心のあり様によってでてまいります。言葉は心を離れて出てきません。言葉と心は一つのものです。どうぞ言葉と心の二つを大事にし、伝え合って下さい。 
 

 

■第741話
お念仏 前回に心と言葉は一つで離れて存在しないとお話いたしました。浄土宗を開かれた法然上人が読まれた歌に「月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ」とあります。これは、「阿弥陀仏と言う仏様のお力の光は何処にでも、どの人にも分け隔てなく届いております。心を開きこのお力の光を自分の中に導き入れ、阿弥陀様と共にいき。阿弥陀様のお名前を「南無阿弥陀仏」と称えるこはによって、その人の心のなかに阿弥陀様はすまわれる。」といわれております。称えることは声を出すことであります。声を出し言葉を発するとき心が動きます。荒い言葉を使い続ければその言葉を聞くものも、言う自分自身も心がすさんでゆきます。やさしい言葉は人をやさしくし、自分自身もやさしくなります。言葉は心を作り心は言葉を発します。お念仏も同じです。「南無阿弥陀仏」と言う言葉を発すれば心に阿弥陀仏を作り阿弥陀仏の心が「南無阿弥陀仏」の言葉を発します。
人の言葉は声でありますから、お称えをすることによって自分の心を阿弥陀様の光に向けるように動かし、阿弥陀様のみ光が導き入れるように、心の扉を開く為にお称えをするのです。いろいろ知ってから、良くわかってからお称えをするのではなく、その前にただ称えれば良いのです。なぜならその称える声が、言葉が心を動かしその心を作るからです。称えることによって自分の心の中に阿弥陀様がすみ、自分自身と共にあります。一声となえれば一つすみ、二つ称えれば再びすみ、三度称えれば三度阿弥陀様はすまわれます。称えるほどに阿弥陀様は自分自身と、つかず離れずいつも自分と共におります。法然上人が、阿弥陀様が心にぞすむと言われたのはこのことであります。信じるとか、信じないとか、難しいことを言わずにただ「南無阿弥陀仏」とお称え下さい。その称えている時の心は阿弥陀様そのもの、あなたと共にいるのですから。

■第748話
今からおよそ800年前、浄土宗の教えを開かれた方は法然上人であります。私たちはその教えの流れを汲むものです。私は少しずつ法然上人の伝記を読むように心がけておりますが、今回は法然上人の教えに帰依した人の概要を紹介させて頂きたいとおもいます。
世の中に偉大な宗教家と呼ばれる人は多いですが、法然上人の特徴を挙げるとするならば、その教えと人柄に直接係わった人々があらゆる階層に及ぶことだとおもいます。有名な人では、皆さんは社会科の教科書等で、浄土真宗を開かれた親鸞聖人も法然上人のお弟子であることを存じている方も多いと思います。また、法然上人の伝記に『四十八巻伝』という書物があります。この本を見ますと後白河法皇、高倉天皇、後鳥羽上皇の三人の帝(みかど)、公家では『玉葉(ぎょくよう)』を書き、また法然上人に『選択集(せんちゃくしゅう)』の撰述を促した九条兼実、武家では東大寺を焼き打ちにして、大罪を犯した平重衡(たいらのしげひら)、毎年お正月に歌舞伎の演目で知られる熊谷陣屋の主人公、熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)。また、ある館(やかた)に盗みに入り床下に隠れて様子を伺っていたところ、法然上人が法談をされておりました。そのお話に心打たれ改心して心を入れ替えた、盗賊の天野耳四郎(あまのみみしろう)など興味深い人物が登場いたします。また法然上人の書かれたお手紙の中に「鎌倉の二位の禅尼へ進ずる御返事」というのがあります。この鎌倉の二位の禅尼というのは実は尼将軍といわれた北条政子であります。このようにながめていきますと、法然上人の念仏の教えが身分を越えてあらゆる人々に受け入れられたことがわかります。時代が下ると救いの対象が悪人とか、善人とかの議論があるようですが、法然上人の教えはあくまでも善人悪人の垣根をこえた人間を平等に見る往生であります。金のあるなし、知恵のあるなし、罪のあるなし、男女の別、年齢の差、そのような計らいを越えた教えなのです。

■第749話
前回に続き、今回は法然上人に関わりの深い方の中から、熊谷次郎直実についてお話をしたいと思います。私がこの熊谷直実に興味をもったのは、毎年お正月に歌舞伎座の演目で「熊谷陣屋」が上演され、その主人公だからであります。また、直実が関東地方を中心に活躍されたからであります。
熊谷次郎直実は鎌倉前期の武将であります。源頼朝に仕え、源平合戦において手柄をたて鎌倉幕府の創設に力を尽くします。平氏との一ノ谷の戦いで活躍しますが、笛の名手とうたわれた息子と同じ年の平敦盛と戦い、本心は逃がしたかったのですが、周りに人がいたので、いたしかたなく討ってしまったのです。建久三年、叔父の久下直光(くげなおみつ)との所領争いに敗れ、自ら髪を断ち、上洛して安居院の澄憲のもとを訪れて後生の菩提について問います。すると「左様なことは法然上人にお尋ねなさい」といわれます。直実はその言葉に従い法然上人の庵を訪れます。「私は戦で多くの人を殺しました。その自分が浄土往生するためにはどうすればよいのか」と尋ねます。法然上人は「ただ念仏を申しなさい。そうすれば必ず極楽に生まれることができます」と答えます。直実は涙を流しながら「自分は手足を切り落としでもしないかぎり救いはないと思っておりましたし、そうするつもりでおりました。ところがお念仏さえすればよいというお言葉に感涙してしまいました」と、その胸中の苦悩をもらします。直実は澄憲のすすめと念仏の教えを聞いて法然上人の弟子になり、側近になります。行住坐臥に西方を崇い、背を向けることをさけ、とくに直実が法然上人と分れ、京都から関東熊谷に帰る時も、西方に、そして法然上人のいる京都に背を向けないため、後ろ向きに馬に乗ったという逸話もあります。また、上人の弟子源智が所持していた、法然上人のお名号を取り上げてしまい、上人にたしなめられる、といった逸話もあります。もっとも、そうしてたしなめられることすらも、直実にとっては喜びであったのかもしれません。

■第750話
今回は法然上人の伝記の中から神奈川県に関連するお話をしたいとおもいます。しかし残念ながら法然上人と神奈川県を直接結びつけるものは多くありません。ところで皆さんは法難という言葉を聴いたことがありますか?法難とは仏教を弘めようとする時にかえって非難や攻撃にあうことです。皇室から重ねて大師号をいただいている人格円満な法然上人にして、大きな法難が三つありました。しかも三つ目の法難は法然上人の滅後、法然上人のお墓を暴(あば)くといった過酷なものでした。
一つめの法難を「元久の法難」二つめの法難を「建永の法難」三つめ法難を「嘉禄の法難」といいます。とくにこの三つめ「嘉禄の法難」では上人のお弟子たちが流罪になります。長楽寺隆寛というお弟子がいました。とくに念仏に励まれたかたです。あまりに念仏に励んだので多念義の隆寛といわれたほどの方です。すさまじい念仏流行の張本人といわれ、他の仏教教団から訴えられ、東北に流されることになります。この隆寛律師を京都から奥州に護送する人がおりました。毛利季光(もうりとしみつ)といいます。この人の所領は相模国飯山です。いまの厚木市にあります。季光は本来隆寛律師を奥州の陸奥の国に送る任務を負っていました。ところが隆寛の説く法然上人の教えを受け入れ、弟子になります。このことは、お上の命令に背くことですから命がけであったにちがいありません。季光は名を西の阿弥陀仏、西(さい)阿弥陀仏とかえます。専修念仏の人に生まれかわります。この逸話は法然上人の教えと隆寛律師の人柄を今に伝えております。嘉禄3年12月13日、隆寛律師は飯山の地で亡くなります。伝記には端座合掌、高声念仏二百余遍、『往生礼讃』の「弥陀身色如金山」の文を唱えて寂した。と伝えられます。  
 

 

■第751話
今身体を鍛えること、使うことで自分自身のあり方を見つめようとする動きがあります。四国遍路への関心もそのひとつです。四国を実際に遍路として巡拝する人は増えています。また体験記も含めた巡礼に関わる書籍が売れています。身体を使って今までの生き方を再考してみようとする人たちです。この他にも新入杜員の研修で自衛隊の訓練を行う会杜、宗教教団に依頼して修行をさせてもらう会杜なども多々見聞きします。これまでの知的教育偏重への反動と見ることもできるでしょう。しかしそれ以上に身体と心が一体であると言う伝統的感覚の復活と考えてみたいと思います。言い換えれば修行の復活です。修行は宗教一般から見ると「身体を通してこころを鍛える営み」と考えられています。宗教では修行と言いますが、お茶やお花を習うことも修業と呼びます。これは職業的な技術を見に付けることです。このときには「ぎょう」の文字が「業」で表されることが普通です。強いて言えば宗教の修行は精神的な鍛錬を、職業的な修行は技術を磨くことといえます。しかし日本人の場合はこうした技術的なことを習得する場合であっても、それに止まらず精神的な完成を求めていることも少なくありません。
ここには身体と精神が分かちがたく結ばれていると言う日本人が育んできた人間観があると思います。また、仏教は身体を抑制することで心を整えるという修行の方法を生み出しています。仏教の修行の根本は戒、定、慧の三学にまとめられたと言えるでしょう。身体を制御、つまりコントロールし、こころを鎮めて瞑想し、こだわりのない真実の知恵を獲得する。そこに悟りの境地が生まれるというのです。この修行システムの中にあるのは身体をコントロールすることでこころの平安が得られると言う「身と心」の不可分な関係を指摘していることだと思います。法然上人も口称念仏、つまり声に出して唱える南無阿弥陀仏のお念仏を勧めておられます。それは「人間は身体と心はひとつですよ、ですから身体とこころを一つにして阿弥陀様のお名前をお呼びしなさいよ」、と教えていられるように思います。ついつい知に走り、身体をおろそかにしがちな現代の人々にとって身体とこころをひとつにした「お念仏」お勧めいたします。

■第752話
前回こころと身体をひとつにすることの大切さを申し上げました。もう少し続けてみたいと思います。心と身体の関係が見直されたキッカケのひとつは平成の始めに行われた脳死と臓器移植の問題であると思います。脳死状態におちいった患者の臓器を他の患者に移植するという問題でしたこれは人間の死とは何かを問い直す大きな問題でした。脳死状態になった人間は医学的には再び下の状態に戻ることはない、それゆえ脳死は人間の死である、という考え方でした。しかし、この医学に基ついた死のとらえ方には主として宗教界から批判の声がでました。私達浄土宗の総合研究所での見解でも脳死は人間の死とはいえない、という結論に達しました。なぜならぱ、人間が生きていると言うことは「なん」つまり肉体の温かさと、識つまり意識が呼吸によって生かされていると言うク舎論の考え方によっているからであります。従って仏教では人間が死ぬと言うことは、肉体の温かさがうしなわれ、識が肉体を離れるときと考えます。但し肉体の温かさが失われることは私達普通の人間にも理解されます。しかし、識が肉体から離れることを知ることができるのは悟りを得たものでなければわからない、というわけです。従いまして医学での死の理解と仏教での死の理解には違いが見られるのです。但し、それでは仏教では何時人間が死んだのかわからないことになるのではないか、という意見があるかと思います。その通りです。そのために死を段階的に受け止めていこうとしました。そのために葬祭儀礼が生まれたと言ってもよいかもしれません。遺体の処理に関しては経験的に理解できますから一応の埋葬などを致しますが、識これを霊魂と言う言葉に代えてみますとよくわかるかと思います。仮に霊魂と呼べは、この処理には長い時間をかけて供養をしてまいります。いわぱ時間をかけて死を確認するのです。ここに見られるのは肉体と霊魂は分かちがたく結ばれていると言う考え方です。そして死は肉体と霊魂が分離したときと言う考え方です。
こうした肉体と霊魂は別々の物ではあるけれど、不可分に結びついているところに人間の「いのち」つまり生があるという考え方を見るとき、私達は日常生活においても心と身体のバランスをとることが重要だと言えるでしょう。無論、単純に識と霊魂とこころを同じひとつのものとしてくくって考えることに問題はあるかと思います。しかし、人間は肉体だけではない、何かが在って、何かが加わって人間と考えることには共感が得られることと思います。そう考えてみれば木魚を打ち、我耳に聞こえるほどの声を出してのお念仏は身体をこころを一つにするよい方法と思います。いや座っての念仏に時間が避けないと言う人は、歩きながらの念仏もあるかと思います。ウォーキング念仏もオススメできると思います。

■第753話
こころと身体のバランスを整えることが仏教の目標を達成する為の方法のひとつであることを申し上げてきました。この方法は仏教の真理にいたるための方法に止まらず、私達が日常生活を送るためには極めて重要な方法であるとも思っています。今サッカーのワールドカップをめぐる戦いが大変な関心を生んでいます。サッカーをよく知らない私ですが、驚くのは極めてスピードに飛んでいることです。瞬時の油断が勝敗を分けることになりまっす。そして、サッカーボールをめぐって22人の選手達がすばやい展開でつぎの局面をイメージしてそれぞれの場に布陣します。多分、それは身体はものすごいスピードで動きつつ、脳内においてもつぎつぎと新たな局面を描きつつ身体に指令をあたえて動かしているのだろうとは思います。しかしそれにしても、そのスピーディなことには感心します。脳と身体、がすばらしいバランスをとっていることに驚嘆します。ライン脇からけられたボールをヘッディングや宙に舞いながら蹴る姿は人間業とは思えません。脳と身体、いやこころと身体と言い換えてもいいでしょう。こころと身体が合致すると人間はどれだけの能力を秘めているのか、どれだけのことができるのか、それは未知数と言ってよい可能性を秘めていることが感じられないでしょうか。一級のスポーツマンは人間の可能性を具体化してくれているのです。ですから私は「人間て凄いな」という感動を覚えるのだと思います。
また、ワールドカップの影響で影が薄くなっていますが、大リーグでのイチロー選手の活躍を見ながらも、その一挙手一統足が美しいですね。見事なバランス、調和を示しているように思います。調和することが美しいことだということを教えてくれていると思います。こころと身体のバランス、つまり調和をとることはスポーツに限らず大切なことです。お釈迦様が教えてくださったことは戒律で身体を整え、瞑想することでこころを整えて真実を見る、ということだったと思います。それはこころと身体の調和を図れ、ということと言い換えても良いと思います。何事にもとらわれず真実を見る、その根底には調和がある、と言うならぱ日常生活の中でも同じことがいえるのではないでしょうか。先にも申し上げましたが、お念仏をすることは自然とこころと身体のバランスが謀られます。難しい問題、困難な事態がありましたら、一呼吸おいてお念仏をし、そして問題こ対処する。そうすれば、普段以上に自分の能力を発揮できると思います。お念仏の功徳でもあります。

■第754話
念には念を入れると良く聞く言葉ですがそれについて考えてみたいと思います。念はおもろとか忘れないとかとなえるという意味があるそうです。念を入れると言う事は心をこめるという意味になります。心の方向を一点に集中して注意カを高めるという事です。念仏とは心をこめて仏を敬う事です。だいぶ前の事ですがある農協さんで話をする機会がありました。たしか郷土の歴史についての事だったと思います。約90分1時間半位の話っしだったのですが余りそういう機会のない私でしたからいろいると調べ何日もかかって原稿を作りました。作っていて楽しいものでしたから何回か書きなおしている内に自分でも感心するくらいの原稿が出来たと思いました。その夜は安心してぐっすり眠り翌日約束の時間より早めに会場へ行きました。5分前となり会場に案内され紹介されますと大きな拍手です私はドキドキして果たしてうまく話す事が出来るだろうかと不安でした。ではこれより郷土の歴史についてお話しをさせていただきますと言いながら紙袋から原稿を出そろと思いました。ないのです入っているはずの原稿がないのです。一瞬なぜ!!どうしたら良いか頭がまっ白けになってしまいました。家に電話してとも考えましたが今となってはどうすることも出来ませんどうしよう、どうしよう、しかし待っている人々を前にっしては話し始めるしかあリません。その時頭にひらめいたのは以前何かの本で読んだ、話しをする時はどんなに頭に入っていても手ぶらではダメだ関係のないものでも良いから何冊かの本を持っていくと自分も安心するし聞く方も信頼するものだという事を思い出し、丁度紙袋に入っていた丸で関係のないノートを取り出して机に置き話をはじめました。そうしたら何んと前日に作った原稿通りに記憶がよみがえるではありませんか。記憶力の悪い私としては不思議としかいいようがありません。そして何んとか90分の時間中ほぼ原稿通りに話が出来たのです。しかしなぜあんなにすらすら出た来たのでしょうか、考えて見ますと自分の好きなことであったこと、そして何回も書きなおしながら作った原稿だけにそれで充分に頭に入っったのでしょう。だから最初の出だしを話しはじめたらあとは次ぎ次ぎと出て来たと思いました。もう二度となでしょうが、おかげさまで、念には念を入れた準備のたまものであったと、御本尊様に感謝いたしました。

■第755話
もうすぐお盆です。今年も暑い夏がやってきました。お寺にとって大切な月である反面、私共にとっては汗をかきかき檀家参り御施餓鬼会と一年で一番忙しい月でもあります。お盆なのに仏壇はホコリだらけ。お盆なのにいつあげたか分からない枯れた花。お盆なのにカチカチの仏飯。リンにいたっては消したマッチ棒でいっぱい。マッチもない。ローソクもない線香もない。私の檀家参りの必需品はライターやローソク、線香である。忙しいので仏壇の掃除が出来ない。忙しいので花を買いに行くヒマがない。忙しいので仏飯もあげない。忙しいので御先祖様には休んでもらう。忙しいので生きている家族の世話が優先だという。それだけではない近頃は、忙しいからうっかり忘れました。忙しいからお墓まいりに行けません。忙しいからお盆の供養はいいです。忙しいから御施餓鬼には行けません。忙しいから頼んだ塔婆たてといて下さい。忙しいから新盆の供養もできません。なと最近このような事を平気で寺へ云ってくる人がおりますいささか気になります。この調子では自分は忙しいので死ぬことはないと思っているのでしょうか。つい何ヶ月前、悲しみのどん底におとされ、代われるののなら代ってやりたいと嘆き涙にくれてすがりついたあの日の事をもう忘れてしまったのです。新盆だというのに忙しいので御施餓鬼にはおまいりできないという。親戚の者が代理でおまいりに行くので宜敷くお願いしますというのは何んとか許せるが、自分の父親又は母親なのにとあきれるばかりです。忙1しいという事にかこつけて先祖や親兄弟姉妹子供をないがしろにするのは自分が受けた御恩やおかげさまに気がつかない人であると思います。もうすぐお盆です。御先祖様をあたたかくおむかえ下さい。 


■第756話
この世の中少子化がすすみ又高齢化して1人ぐらしのお年寄が増加しつつあるとのこと。私共のまわりを見ても子供が少なく檀家まいりに行っても余り子供は見かけない子供が少ない所に来て今の子供達は学校から帰ってもすぐ塾に行ってしまい忙しい日々を送っていす。地域でも高齢者を対象としたボランティアがさかんである。病院の送りむかえ、庭の草とり、買物サポートなどいろいろなボラソティアがあるらっしい。しかし本日お話しする無財の七施はだれにでも出来ることです。ボランティアの基本じゃないかと思っています。1つは身施といって身の施しです。だれにでも敬いを忘れず身をもって施すことです。2つは心施といって地のために心を配る施しです。善き心で思いやりの心をもってつくすことです。3つには和顔施といっていつも和やかな顔、やさしい顔のことで、ほほえみの施しです。4つには眼施といって眼の施しです。いたわりの眼やさしい眼なざしです。5つには愛語施といって言葉の施しです。ひと言のやさしいあたたかな言葉づかい、いたわりのあることばなどです。6つには床座旋といって座席の施しです。老人や身障者などに席をゆずることです。7つには房舎旋といって、ひとときいいこいの場与える施しです。雨の日は傘をかっしてあげるとか、病人や老人にひとときの休息そっすすめるのも施しのひとつと云えましょう。この7つの施しをざっと見てもたとえ財産はなくとも誰にでも出来ることです。しかっしいざやってみると大変むずかしいものと感じます。みな自分の身と口と心でおこなえる簡単なことのようですがいざとなるとなかなか出来ないことです。 私達はこの7つの内、やさしいほほえみと温かい言葉だけでも心がけていきたいと思います。

■第757話
8月に入り、月遅れのお盆の月となりました。お盆休みを利用して田舎へ帰省したり、家族旅行をしたりと日本中の人々が大移動をする季節です。しかし、大移動するのは皆さん方だけではありません。お盆にはご先祖方が還ってこられます。私どもは、迎え火を焚き、お盆のお供えをしてご先祖をお迎えします。ご先祖を敬うことはいつまでも大切にしていかなくてはならない、良き伝統ではないでしょうか。しかし、ご先祖方は、お盆になるとどこから来られて、お盆が終ると、どこへ還られるのか、お考えになったことはありますでしょうか。ご先祖方は阿弥陀さまのおつくりになられた、西方極楽浄土から来られるのです。阿弥陀さまは仏になるために四十八の願いをおこされ、そのなかの十八番目に、次のように誓われています。どんな人でも私の名前を呼べば必ず自分の作る極楽浄土に生まれ変われますように。もしそうでなければ、決して仏にはなりません、と。そして、阿弥陀さまはこの誓いを成就なさって仏となり、たった今でも、私たちにお声をかけて下さっております。
お念仏を称えれば、臨終の時に、阿弥陀さまは必ず迎えに来てくださるのです。これが浄土宗の教えです。今、ご先祖方は極楽浄土におられます。そして阿弥陀さまのもとでお念仏の修行にはげんでおられます。私たちが夏休みを取り、田舎へ帰省したり旅行に行くのと同じように、この季節に家族や子孫に会いに来られる、という受け取り方はいかがでしょうか。ご先祖方は私たちにお念仏のよさを教えてくださりに戻ってこられます。そしてお盆が終わると再び極楽浄土へ戻られます。阿弥陀さまとご先祖が両方おられるお仏壇こそ、極楽浄土なのです。いずれ私たちも行かせていただきたいものです。お盆の今こそ信仰を深める時ではないでしょうか。お仏壇に手を合わせ、阿弥陀さまとご先祖を敬い、お念仏をお称えしましょう。

■第758話
暦のうえでは早くも秋となりましたが、厳しい暑さの日が続いております。こう暑くては勉強や仕事に身が入らないかもしれません。そんなとき、心静かに、お仏壇に向かってみたらいかがでしょう。もし、お仏壇がなければ、そのまま机に向かった姿勢でもかまいません。肩の力を抜いて、背筋をのばしましょう。手を合わせて、目をつむってみましょう。そして、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏ととなえてみましょう。大声でとなえる必要はありません。いかがでしょう、不思議と心が落ちついてくるのではないでしょうか。
暑くても寒くても、いつでもどこでもできる修行がお念仏です。難しい書物を読んだり、厳しい修行が出来る人は限られています。しかし、お念仏をとなえることは簡単にできます。いつでもどこでも誰でも可能です。なんと、すばらしいことではありませんか。しかし、お念仏のすばらしさはそれだけではありません。お念仏をひとこと称えれば阿弥陀さまは最期の時にはいつでも私たちを迎えに来て下さいます。こんな簡単に出来て、必ず極楽浄土へ往生できるのは、阿弥陀さまの私どもを救いとろうとしてくださるお力が絶対だからなのです。お念仏をとなえる人々を阿弥陀さまは決してもらすことなく、救ってくださるのです。心が落ち着かないこんな季節こそ、手を合せてお念仏をとなえてみてはいかがでしょうか。 

■第759話
8月も終わりに近づきました。あわただしいお盆も終わりました。皆さんの中には、ご縁のふかい方を亡くされて初めてのお盆、すなわち新盆を迎えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。別れのつらさは、お釈迦様も人生の苦しみのひとつとしてあげておられます。これを愛別離苦といいます。愛する者といつか別れなければならない苦しみです。法然上人も、七十五歳の時、朝廷の怒りにふれ、四国に流されることになりました。これが今生の別れとなるかもしれない、弟子たちは嘆き悲しみました。しかし法然上人はこうおっしゃったのです。たとえ同じ都に住んでいても、この世での別れはそれほど遠いことではない。たとえこの世で離ればなれになっても、浄土ではきっと会えると。そして、法然上人はこんなおうたをお詠みになりました。
つゆの身は ここかしこにて 消ゆるとも こころはおなじ 蓮のうてなぞ
お念仏を称えれば、阿弥陀さまは最期の時に必ず迎えに来て下さいます。そこでまた、別れた方々と巡り会うことが出来ます。つまり、いまこの世で別れたとしても、必ずまた会うことができるのです。阿弥陀さまの蓮のうてなの上で再会できるのです。そして阿弥陀さまのみ光を受けるのです。お念仏を称える人たちに阿弥陀さまは分け隔てなく、いつくしみの光を注いで下さいます。この世での別れは確かにつらく悲しいこと。しかしお念仏をとなえれば、いつかまた一緒になれるのです。

■第760話
9月に入り、だいぶ過し易い季節になってまいりました。8月のお盆も終わり、今月はお彼岸がございます。ご先祖を偲び、お墓参りに家族でお出かけになる予定の方も多いと思います。ご先祖様のお墓を掃除し、お線香を上げ、お墓の前で南無阿弥陀仏と声に出してお唱えしましょう。その時に私達は両方の手を合わせます。両手のしわとしわを合わせて幸せ。そんなキャッチフレーズにもあるように、私達はご先祖様を想う時、自然と両手を合わせます。仏様の前やお墓の前で両手を合わせるこの仕草を合掌といいます。葬儀や法要、そしてお墓参りの時にもこの合掌は欠かせねいものです。そんな合掌はインドにその起源があリます。インドでは挨拶の時にもこの合掌を用います。さすが仏教国と思わせる程、日常の中に合掌が取り入れられています。
この合掌を仏教的に説明すると、右手は清らかなる如来であり、左手は汚れた私達自身といえます。両方の手を合わせる事により、清らかなる如来と汚れた自分とが一つになる事ができ、そこに心の落ち着いた無の状態が生まれるのです。仏様やお墓の前で心も落ち着かせ、自分自身を無の状熊にしてこそ、全身全霊をもって仏様やご先祖様への供養の心を表す事ができるのです。これこそが合掌の意味するところだと言われています。手は合掌し、口では南無阿弥陀仏と唱える事により、ご先祖様ヘのご供養の気持ちを表すのはもとより、この迷いに満ちた世界からあなた自身が悟りの世界すなわち極楽浄士ヘ往生する事ができるのです。
 

 

■第761話
暑さ寒さも彼岸までというように、厳しい暑さもだいぶ和れいでまいりました。9月はお彼岸の季節です。お彼岸とは、お盆、正月とならんで、私達日本人にとってはもっとも親しみのある年中行事の一つであり、かつ、仏教徒にとってはなくてはならない仏教行事の一つです。一年に二度訪れる春分と秋分の日。この両日は太陽が真西に沈む日であり、昼と夜の長さが同じになる日です。それゆえ、お彼岸の中日の夕日には功徳があると言われています。この日を挟んで前後一週間がお彼岸です。この時期に行われる仏事を彼岸会といい、古くは平安時代から行われている日本独自の仏教行事です。
彼岸とは、煩悩や迷いに満ちたこの現実の世界から、悟りの世界すなわち阿弥陀様のいらっしゃる西方極楽浄土ヘ渡る事をいいます。では、どのようにしてこの迷いの世界から悟りの世界ヘ渡るかと言えば、六波羅密という修行があります。第一に布施。これは他人に施しをする事で、物や心を他人に進んで与える事です。第二に持戒。これは普段の生活の中で仏教徒らしく、慎しみ深く悪い事をせずに良い行いをする事です。第三に忍辱。これは他人からの陰ロや、悪ロ、迷惑を我慢し耐え、心に憎しみを残さない事です。第四に精進。これは生きていく全ての事に努力し、怠らず励む事です。第五に禅定。これは心を落ち着かせ、心の静けさを失わない事です。第六に智慧。これは仏教的心理に基づく正しい考え方をする事です。口にするだけなら簡単な事ですが、実際に行う事は非常に難しい修行です。お彼岸とは、こうした仏教の教えを実践する仏教週間ともいえます。ご先祖様を偲び、自分が今ある事を感謝して、ご先祖様を供養すると共に、自らも極楽浄土に往生できるように修行する期間とも言えます。

■第762話
9月に入り、だいぶ過ごし易い季節になってまいりました。今月は春と秋、年に二度訪れるお彼岸の季節です。お彼岸とは、迷いの世界から悟りの世界へ渡る為の仏様のみ教えです。ではどのようにすれば、迷いの世界から悟りの世界ヘ渡る事ができるのでしょうか? その方法として、六波羅密という六種類の修行があります。その六種類とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧、この六つです 布施は他人に施す事。持戒は自らの戒めを守る事。忍辱は耐える事。精進は努力する事。禅定は心を落ち着かせる事。智慧は正しい考え方をする事。これら六つの修行は、どれも自分の力で成し遂げなければなりません。ですが、迷いに満ちたこの世界で生きる我々には、とうてい成し遂げる事の難しい修行といっても過言ではありません。
浄士宗をお開きになった法然上人でさえ、これら六つの修行を自分の力だけで成し遂げ、迷いのない悟りの世界、すなわち極楽浄土に渡るのは非常に難しいと判断されました。そこで我々凡人でも極楽浄土に渡る事ができる方法として、南無阿弥陀仏と唱える事で阿弥陀様のお力をお借りして、極楽浄士ヘ渡る事ができるとお説きになったのです。法然上人がお説きになったこのみ教えは、自分だけでは極楽浄土には行けない。我々はそのような器ではないのだと自覚し、阿弥陀様のお力をお借りしなさい、というものなのです。そんな無力な私達でも阿弥陀様は見捨てる事なく、南無阿弥陀仏と唱えるだけで、悟りの世界すなわち西方極楽浄土ヘ導いて下さるのです。まさに南無阿弥陀仏と唱えるだけで。何も難しい事はありません。厳しい修行を成し逐げる事のできない私達は、南無阿弥陀仏と唱え、阿弥陀様にこの身をゆだねるしかないのです。

■第763話
秋の気配がいよいよ濃くなってまいりましたが皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、十月となってまいりますと浄土宗の寺院では十夜という行事を行います。お十夜は「この世において善いおこないをすること、十日十夜なれば、他方諸仏の国土において善いおこないをすることを千歳するに勝れたり」と無量寿経というお経に説かれていることに由来します。大本山光明寺の第九世観誉祐崇上人が天皇の勅許を受けて、鎌倉大本山光明寺で始めました。それから約500年の間続けられてまいりました。ここで「善いおこないをする」ということは「お念仏をお称えする」という意味なのです。この世において十日十夜にわたってお念仏を修することは、仏さまのおられるお浄土に生まれてから、一千年もの間、お念仏を修するよりも、ずっと勝れているというのです。
お浄土は善いことばかりの世界ですから善いことをするのは当たり前の世界です。しかし、私たちのこの世の中は、善いことが少なく、悪いことばかりが目立つ世の中です。つまり悪いことはしやすいですが、善いことはしにくい世の中と思われます。この世の中で、善いこと、つまりお念仏を十日十夜することが出来れば、しあわせなこと、ありがたいことだとお思いませんか、十日十夜が無理であれば一日でも、一時間でも、一分でも、お念仏をおとなえすることが大事ではないのでしょうか。私たちのこの世の中での生活は、暗やみの中で手探りで、しあわせをさがしているようなものです。もし、暗やみに明るい光がさしこめば、つまりお念仏によって仏様の光がさしこめば、愚かであった自分に気づき、毎日の生活が有意義にすごすことが出来るのではないのでしょうか。このお十夜をいい機会にお念仏をお称えする生活をしていきたいものです。

■第764話
だんだんと秋が深まる中、皆様いかがお過ごしでしょうか。この秋の季節は「みのりの秋」とも言いまして収穫の時でもあります。たいへん有難い季節でもあります。この有難いという言葉は何気なく使っておりますが実は仏教から出てきた言葉なのです。おシャカ様が弟子のアナンをつれて道を歩いていました。そして足もとの土を手のひらにすくってアナンに話しかけました。
「この手のひらの土を地面の土とどちらが多いかね」 とおシャカ様が聞くとアナンは 「それはもちろん地面の土です」 と答えおシャカ様は、「世の中で人間として生まれてくるものはこの手のひらの土ほどわずかなものしかいないのだよ」 とおっしゃいました。そしてさらにその手のひらの土を今度は自分の爪の上にのせました。そして 「爪の上の土と手のひらの土とはどちらが多いかね」 と聞きました。「もちろん手のひらの方が多いです」 とアナンは答えました。おシャカ様は 「私たちはこの世の中へ不思議にも人間として生まれてきたが、その中でも仏の教えを聞くことのできる人は、この爪の上の土くらいの人しかいないんだよ」 と話されました。
まさに有難い事です。ありがたいと字に書きますと、有る事が難しいと書きます。つまり、ごくまれなこと、不思議なこと、という意味です。おシャカ様のおたとえのごとく、私たちがここに生かされているのも、また仏の教えにあわせて頂いているもの、みのりの秋の収穫があることも、考えてみれば「なかなかありえない、不思議な出来事」なのではないでしょうか。この有難い不思議な事に感謝をして生活をしていただき、そしてなによりも感謝のお念仏を称える生活をしていただきたいものです。

■第765話
秋もだんだん深まりゆく中、皆様いかがお過ごしでしょうか。朝起きた時に「おはようございます」、寝る前には「おやすみなさい」と言うのが、私達の古くからの習慣です。又、外で知人にあえば、「こんにちは」「さようなら」などと言葉を交わしあうことも人間同士の習慣です。皆様ご存じの通り、これは挨拶です。この挨拶は、心を開いて相手にせまる、いわば生活の潤滑油みたいなもので、言葉だけにかぎりませんが、人が人と心のふれあいをもとうとする場合に、かかすことのできないものであると思います。別に挨拶がなくてもお互いに意思の疎通はできますが、人間が社会的に生きる以上、油のきれた機械がいやな音をたててきしむように、挨拶を忘れると、人の心もきしんできて、気まずくなってくると思います。世の中がギスギスして住みにくく、隣近所のつきあいや、家族間の関係がうすれたように見えるのも、この挨拶の欠如からくるものも少なからずあるのではないでしょうか。実はこの挨拶という言葉は元来、禅僧の間で、師僧が弟子と押し問答をして、その弟子の修行や悟りの深さをためす意味に使われ、それがだんだんお互いに言葉を交わすなど様々な使い方をされるようになった事に由来する言葉だそうです。
どちらにしても、挨拶をしないでギスギスとした生活をするよりも、きちんと挨拶をして円滑な日常生活をしたいですね。そして何よりも「南無阿弥陀仏」とアミダ様に挨拶をして自分の心にも潤滑油のさされたさいかつをすることが大切なのではないでしょうか。朝起きて「ナムアミダブツ」あはようございます。今日も無事にすごせますように。そして寝る前に「ナムアミダブツ」おやすみなさい。今日も無事にすごさせて頂きました。と言える生活をする事は大変有難い事なのではないのでしょうか。潤滑油のさしてあるなめらかな日々の生活を有難く感謝しておくりたいものです。

■第766話
仏教って、お葬式や法事、お墓参りをすることでしょうか。勿論大切なことですが、これだけではないようです。仏教はお釈迦様が説かれた教えのことで、数え切れない教えが遠くインドから中国、朝鮮半島を経て、日本に伝わりました。仏教を一口で説明することは到底できませんが、私は「今をしっかり生きていく教え」と考えています。人として生命を授かり、毎日をしっかり生きていくことは当たり前のこと、だと言われる方も多いことでしょう。だが、ずっとその気持ちを持ち続けるのはかなり難しいと思います。なぜならば私達の心には、あれが欲しい、これも欲しい。あいつが悪い、こいつが悪い。挙げ句の果てに自分だけでなく、他人の心や生命を傷付けてしまうような愚かな心が存在するからです。目先の誘惑や欲望に心が奪われていると、家族との生活、日々の仕事や勉強も薄ぺらな内容になってしまわないでしょうか。こんな時はご先祖様に手を合わす生活など忘れているに違いありません。目先の利益のみに溺れた生活など長続きするはずはなく、いずれ自滅する時がやってきます。それよりも今、自分にできる範囲でしっかり大地に足を踏ん張って努力する心を持ち続けることの方がずっと大切です。「人は生きてきたように死ぬる」と言われています。阿弥陀様のお迎があった時、あれこれ想い悩む事の多い日々よりも、今を精いっぱい生きていてこそ心安らかに往生ができるのではないでしょうか。「今日一日気持ち良く生活しよう。今日一日気持ち良く生活ができた」と朝に夕にお念仏を申しましょう。その時自分一人で生きているのではなく、たくさんの人や物のお陰で今の自分があることに気付かされるはずです。「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えするその時こそ、充実した幸福な時間であり、今をしっかり生きていることが実感できるのではないでしょうか。ここに仏様が説かれた教えがあると思い、日々お念仏をお唱えしましょう。

■第767話
私が子供の頃「うそをつくとエンマ様に舌を抜かれる」と母親からよく言われました。そのエンマ様の話。私の寺に赤い顔をされ、目をカッと見開いたエンマ様がおられます。小学2年生の時だったか、悪戯をした私を母親がエンマ様の前に正座をさせ「もう二度と悪い事はしない」と約束させられました。薄暗い本堂のエンマ様は迫力満点でもう恐くて恐くて。今でもよく覚えています。さて、地獄にいて亡くなった者の罪を裁くエンマ様には次のような話があります。エンマ様は元の名をヤマと言い、人類最初の人間でした。エンマは天上界に自分の王国をつくり、幸福な日々を送っていました。ところがある日、王国にたくさんの人間がやってきました。その中には悪人もおり、やがて悪人達は勝手放題を始めました。いくら諭しても悪業は直りません。そこでヤマは自分の顔を恐しい顔につくり変えることで悪人達を懲らしめることにしました。それ以降、ヤマは王国を捨て地獄をつくり、その王となり罪人を裁くエンマ大王になられたのです。そのお顔が今のエンマ様の顔なのです。死後、私達はエンマ様の前で生前の行為をエンマ帳によりチェックされ、裁判にかけられ、罪の軽重により地獄へ落とされます。地獄は8ランクあり、一番最初の地獄の刑期でもなんと1兆6200億年もあります。その間舌を抜かれたり、火の海に投げ込まれたりと様々な地獄の苦しみを味わうことになるのです。こんな冷酷な裁きをするエンマ様ですが、本当は優しい心をお持ちの方で、私達が地獄に落ちないように日々心配されているのです。エンマ様の小言集には(1)朝は気嫌よく起きろ(2)老人はいたわれ(3)泣き事は言うな(4)人には親切にしろ(5)仏をよく拝め、先祖は大事にしろ。勿論、うそはつくなと。最後に「人はいつかは死ぬ。地獄へは来るな」如何でしょうか。エンマ様のお心を大切にして、お念仏を申すことを忘れずに、明るく正しく仲良く過ごしていきたいものです。

■第768話
残暑がいつしか去り、冷たい秋の雨が降り続くある金曜日の午後のこと。3、4年生と思われる1人の男の子が境内の奥手にある地蔵堂ヘ向かう姿を目にしました。雨の中何事かなと様子を眺めていると、頻りに子を合わせて何かをお願いしているようでした。暫く手を合わせ、頭を下げると小走りに山門の方へと戻っていきました。あの子はお地蔵様に何をお願いしていたのだろうかと思いを巡らせていました。−そうだ、明日は小学校の運動会が予定されている。彼は運動会で優勝するように、演技が上手にできるように、天気がよくなるようにとお願いをしにやってきたのでは−など勝手な想像をしていたが、男の子の真剣な祈る姿は微笑ましくもあり、お地蔵様のご加護がありますようにと私も祈ってしましました。さて、私達の日常生活でも自分や自分たちだけではどんなに努力してもどうにもならないことはたくさんあるものです。そんな状況に出会った時「神様、仏様どうかお助け下さい」と口に出してはいませんか。これはもう理屈でも何でもありませんね。私達の心の奥底から自然に出てくる祈りなのです。そのどうにもならないことの究極が死を迎えることです。死は老若男女、貧富などに関わりなく皆等しくやってきます。両親から授かった私の生命もやがては最後の時を迎えます。山奥や大樹の陰に隠れても死から逃がれることはできません。それでも何とかしたいのが私達の心です。お地蔵様に手を合わせていた男の子のように、仏様に手を合わせる生活をするしかのいのです。朝に夕にまた折々に手を合わせ「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えいたしましょう。阿弥陀様の限りないお力を頼み、大慈大悲の救いにおすがりをすることで、どうにもならない現実から少しでも解放され、心が安まるのではないしょうか、心が安まれば毎日の生活は明るく楽しくなっていくし、周囲の者も気持ち良くなります。手を合わすと皆が幸せになれるのです。

■第769話
いよいよ師走を迎え、今年も残り少なっくなりました。私の自坊でも、来年元日に行う修正会の支度、落葉の清掃等に追われております。この時期仏教行事も多く、仏様のお名前を称え一年の懺悔をする仏名会、ご本尊の埃りを払い自分の身を浄めるお身拭い式、また京都の総本山知恩院と東京芝の大本山増上寺に於いてはお坊さんになる為の最終的な修行道場が行いれる時期であります。また仏教において忘れてはならないお勤めに、12月8日の成道会があります。
成道とは、道を成すと書きましてお釈迦様がお悟りを開かれたことをいい、まさにその日から仏教が始まったのであります。今、現実には身近な所から国同士に至るまで争いの絶えない世の中であります。このような混乱する状勢の中で、我々はどのように生きたら良いのでしょうか。今から約2500年前に、お釈迦様は一国の王子という地位の全てを捨てて、如何にしたら世間の人々の苦しみを和らげ、無くすことができるかを考えられました。そしてその方法が人それぞれに合うような教え方をされました。
私たちの宗祖様であります法然上人は、やはり平安時代末期の戦乱の時代、追剥ぎ、強盗、殺人が蔓延る現代よりも治安の悪い時代にお生まれになり、お釈迦様のみ教えの全て、一切経の中から中国の善導大師の観無量寿経の解説書「観経疏」の中から「一心に専ら弥陀の名号を念じ、行住坐臥に時節の久遠を問わず、念々に捨てざる者是を正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に。」の一文に出会い、浄土宗をお開きになられました。唯「南無阿弥陀仏」とお称えすること、お念仏は、当時の民衆に根付き、今日私たちも念仏しながら生活させていただいております。今一度、私たちの生活を振り向き、一人一人が相手や自分を知り、和やかに生活をすることが「仏教的生活」「念仏の生活」なのではないでしょうか。

■第770話
毎年12月になりますと各寺院に於いて仏さまのみ名をお称えする仏名会か厳修されます。12月を意味する師走という月の異名は、お坊さん達がこの仏名会にご随喜する為に各お寺を忙しく走って回ったことに由来するといわれております。さて、今年も残すところあと僅かとなりました。自ら歩んだ1年間をふり返ってみましょう。嬉しかったこと楽しかったことは勿論ののと、つらかったこと悲しかったこと、その中でも特に、誤解やすれ違い又は些細な気の緩みから犯した過ちはないでしょうか。例えば、自らの実力不足や努力を怠ったことを棚に上げ嫉妬したり人のせいにしたり逆恨みをしたことは。又自分の尊厳を守りたいが為に人の悪口を言ったり上げ足を取ったりすることなどはどうでしょうか。好意をもって接してくる人を何かたくらんでいると疑い変なかんぐりをしてせっかくの親切心を踏みにじることはどれだけその人の心を傷つけ悩ませていることでしょう。良かれと思ってしたことが結果的に大迷惑となってしまったり何気ないつもりで言ったひと言かどうしようもなく相手を傷つけてしまったなどということはたとえ悪意がなかったにせよ過ちに他ならないわけです。
先に述べました仏名会は別名を仏名懺悔ともいいます。懺悔とは単に反省するというだけのことではなく仏さまの御尊前にて犯した過ちを告白し仏さまのみ光に触れ、自己の至らなさ、み仏の確かさ、尊さに目覚めさせていただくものです。仏名会を12月に修するのは歳末に当たり1年を通しての過ちを懺悔し、清らかな身をもって新年を迎える為であります。過ちを犯す者、過ちによって害を被る者、又その結果として許しを乞う者、許す者、それぞれお互いの立場をしっかり理解し認識することこそ人と人との和であり、我々は一人一人がこの和によって生かされ生きているのです。どうか新しい年を迎えてからもそのこしをしっかり踏まえた上で、南無阿彌陀佛の教えにあるように明るく、正しく、仲良くの生活を送っていただきたいし思う次第でございます。 
 

 

■第771話
除夜  今年も残りわずかとなりました。本当に一年があっという間に過ぎてしまうような気がいたします。皆様も新年を迦えるにあたって身の回りの整理整頓犬掃除等であわただしい事ではないでしょうか。皆様もご存知の通り、鐘楼堂の有る各寺院では、大晦日に除夜の鐘をつきますが百八つの鐘をたたき私達の煩悩を断ち菩提の道理を知り、清らかな心になって新しい年を迦えます。私達人間の迷いの種は、眼(め)、耳(みみ)、鼻(はな)、口(くち)、体(からだ)、心(こころ)、また、過去、現在、未来にも何処にでもあり数え切れませんが、まとめて言えぱ百八あると言われます。私達の眼、耳、心、が色(かたち)や声(おと)や物にふれて起こした煩悩といものは、百八ではおさまり切れませんがそれら全てを反省し一年間に知らず知らずの内に作った自分の罪を懺悔して、仏さまに来年も清浄でありますようにと祈念する事に本来の除夜の意味が有ります。
近年除夜の法要というとにぎやかな光景ぱかりが思い浮かびますが、除夜は真っ暗な夜中にしみじみと行われる法要で、暗闇の中にわずかにともされたお灯明によって浮かび出る阿弥陀様の前で一年を懺悔して、清らかな気持ちでお念仏をお称えし新年を迎える事が大事ではないのでしょうか。どうか今年の除夜の鐘は、ゆっくりしみじみと聞いて頂き阿弥陀様のおかげを信じて一日一日を大切に過ごしお念仏の中に新年を迎えて頂きたく存じます。

■第772話
本年最初の法話です。私たちは、平成15年、新年を迎えることができました。希望に満ちた新年、楽しいお正月をお過ごしの方も多くいらっしゃることでしょう。或いは、昨年、ご家族・親しい方に先立たれ、寂しい思いの内に新年を迎えられた方もおいでのことでしょう。そして、喪に服されている方はお正月の祝い事を控え、身を慎んでおられることと思います。確かにお正月は一年の姶まりにあたり、家とその家族のその一年の平安を守るといわれております「年神」様をお迎えする、まさにお祝いの行事です。しかしながら、「盆正月」という言葉にもありますように、古来、お正月はお盆とともに二大節季とされ、ご先祖様の「み霊」をお迎えして祀る行事として、毎年7月15日と12月31日に、ご先祖様が実家に帰り、家族と喜びをともにする「魂祭り」が行われておりました。つまり、お盆のみならず、お正月にもご先祖様は帰ってこられる訳ですからで、門松をたててお迎えし、その目印として供餅が置かれたと言うことです。但し、次第にご先祖様を祀ることが、お盆を主体に行われるようになり、お正月の行事から徐々に仏教的な要素が除かれてゆくようになっていったようです。
そこで、今一度、あらためて、お正月の過ごし方について考えてみますと、ただ晴れやかにお祝いするばかりではなく、先立たれた方々に思いを致しつつ、このお正月、「その方々とともに過ごしているんだ」ということをかみしめながら、やがて必ず尽きるこの命、明日尽きるかもしれないこの命が今こうしてあり、今年も新年を迎えることができたことの尊さ、有り難さに気付く、そのことこそが大切なのではないでしょうか。

■第773話
今回は、法事をお勤めになる時の心構えについてお話したいと思います。皆さんにとって法事とは、先立たれたご家族に対する壱周忌・三回忌・○回忌といった年回法要のことと思います。それでは法事を勤めるのはどなたでしょうか。或いは法事は僧侶に勤めてもらうだけのものであって、ご自分は受け身にまわっておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。法事をお勤めになるのは、まず、皆さん方であるということを念頭に置いて頂きたいと思います。
法事をお勤めになることの意昧は、皆さんが先立たれた方に対して、そのお人柄をお偲びし、感謝報恩の気持ちを込めてご冥福をお祈りするところにございます、また、追善回向とも申しますように、皆さんが真実・誠の心をもって善根すなわち善い行いをおおさめになる、その報いとして生ずるところの功徳を先立たれた方にふりむける、これが追善回向です。では、どうのようにしてと申しますと、浄土宗では「南無阿弥陀仏」と声に出してお称えするところにございます。私たちが真実・誠の心をもって「阿弥陀仏様のお慈悲のみこころにお従い致します」という思いを込めて「南無阿弥陀仏」とお称えする時、そこには大きな功徳が生ずるところであり、その功徳、私たち頂戴させて頂くことができるとともに、先程申し上げましたように、追善回向というかたちで先立たれた方にふりむけることも出来る訳で、このことが法事をお勤めになることの大きな意味と言えましょう。皆さんがこのような心構えのうちに法事をお勤めになられた時、先立たれた方は、皆さんのそのお心をしっかりとお受け止めになられ、必ずやご安心せられお喜びになられることに違いありません。

■第774話
暦の上でも大寒を迎え、一年の内でも一番寒い季節になって参りました。とはいえ、来るべく春の息吹がなんとなく感じられ始めるのもこの時季です。今月の二十五日は浄土宗を開かれた法然上人のご命日、今から約790年前の建暦二年一月二十五日、上人は80歳でお浄土にお帰りになられました。そのご入滅の二日前に、ながねん心中に思われていたことを一枚の紙に僅か320字足らずにまとめ綴られたのが『一枚起請文』というご遺訓です。
この中、上人は「只一かうに念仏すべし」と私たちに強く呼びかけておられます。「念仏する」とは「南無阿弥陀仏」と声に出してお称えすることにほかなりません。阿弥陀仏様は仏になる以前、法蔵菩薩という菩薩様でらっしゃいました。その時に「もし自分が仏となったら、このようなことをしてすべての人を救いたい」と五劫という長い時をかけてお考えになられ、四十八の誓いをたてられ、さらにその願いをなしとげるべく、これも長載永劫という長い間修行せられた結果、仏になられたのが阿弥陀仏様です。私たちが真実・誠の心をもって「阿弥陀仏様のお慈悲のみこころにお従い致します」という思いを込め、「南無阿弥陀仏」とお称えする時、私たち、大きな功徳を頂戴させて頂くことができる訳ですが、ひとつには今申し述べましたように、阿弥陀仏様が尊い誓いを成就すべく修行をせられた結果、仏になられたことから生ずる功徳と、もう一つは阿弥陀仏様の性質が、常に私共を救おうと働きかけておられるところから生ずる功徳です。しかも阿弥陀仏様は私たちが「南無阿弥陀仏」とお称えする声を今か、今かとお待ち下さっているのです。こんなにも有り難いことがありましょうか。阿弥陀仏様のみこころをご自身の心とされている法然上人のご命日を迎え、上人のお示しくださったお浄土への道を違うことなく歩んでゆけるよう、この寒中、決意もあらたにともども精進して参りましょう。

■第775話
お彼岸 お彼岸には、春秋の彼岸があります。春分と秋分の日を中日として、その前後3日に渡る1週間を言います。彼岸中には、多くの方が、お墓参りに見えます。寺では下陣に棚を作り、彼岸だんごやおはぎを供えます。春分の日は「自然をたたえ生物を慈しむ。」と言われます。一方秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日。」と言われます。自然の摂理に基づいて、春分の日を「希望の日。」秋分の日を「追憶の日。」とも言います。彼岸会を『観経疏』では、二河白道の譬えで説明しています。
その譬えによると、はるばる西を目ざしてやって来た旅人の前に二つの河が現れます。一つは火の河で南に、もう一つは水の河で北にあります。そして火の河と水の河の境目には、狭い一すじの白道がありました。東の岸から西の岸にかっています。旅人はその白道をわたりかけますが、水の河の波が打ち寄せてその道をぬらし、火の河の炎が絶えずその道を焼いています。ところが、東の岸に引きかえそうとすると悪者、野獣が争って向かって来ます。旅人は進退きわまった時思いがけなくも、東の岸からは、進めと励ましの声、西の岸からは迷うことなく渡れと呼ぶ声がします。又この道を戻って来いという悪者、獣の声をふり切って西の岸に着くことができたのでした。東の岸からの声の主は釈迦仏、西の岸から呼ぶ声は阿弥陀仏を顕しています。東の岸とは、現世(此岸)であり、西の岸とは極楽(彼岸)を指しています。このように彼岸とは生死流転の此岸から涅槃の彼岸に至るという「到彼岸」を言います。当山では、多くの方がお中日にお墓参りに来られます。お念仏をお称えして、少しでも彼岸に近づきたいものであります。

■第776話
おぼん 夏になるとお盆の法要がありあります。私の寺では下陣に施餓鬼壇を設けそして茄子や胡瓜に苧殻をつけ、み霊の乗物として、牛や馬の形に作ります。また供物なども豊富に盛ります。お盆の行事は、『盂蘭盆経』というお経により、仏弟子目連が六神通を得て、父母の恩に報いるために、餓鬼道に落ちて苦しんでいる母を救済しようとし、目連は飯を盛って母に食べさせようとしていたところ、飯食が口に入れる前に炎と化してしまい、ついに食べることができませんでした。これを大いに悲しみ仏陀に尋ねたところ、母の罪根が深く、たとえ孝順の心が深くとも、一人の力ではどうすることもできない。そこで仏陀は、目連に7月15日僧自恣の日雨安居の最終の日にあたり懺悔を行うこの時に亡世の父母及び現在の父母の危難中の者のために、飯百味五果ほかを供え世の甘美を尽くして盆中にのせ、十方大徳の衆僧を供養すべし。又衆僧は施主家のためにみ霊を供養し、その後供養を受けなさい。と言われたのでした。目連は歓喜して盂蘭盆会を催し、母のために供養したのでした、餓鬼の苦しみからのがれることができたのでした。
私の寺では、8月13日から16日までお盆です。多くのお檀家さんが、墓に詣で、手を合わせます。暑い中多くの方が参拝に来られます。法要が済むと、海岸で浜施餓鬼法要があります。燈籠にみ霊の戒名などを書き込み、時間になると流します。暑い中での法要ですが、ひととおり終わると息をつきます。8月下旬は海も泳げなくなってきます。9月に入るとすぐお彼岸となります。季節の変化は早いものです。

■第777話
十夜法要  私の寺では、毎年11月1日に十夜法要を行います。10月に入ると、まず本山の十夜法要があります。12日から15日まであります。それが終わると、各寺院の十夜法要が始まります。十夜法要は、普段の法要と少し傾向が違います。お施餓鬼法要でも、春秋の彼岸法要でも、住職がほぼお勤めをする法要です。しかし、十夜法要は僧俗一体となり、お勤めをする法要です。当日随喜寺院を迎え、時間になると本堂に出て行きます。お稚児さんも所定の位置につきます。大きんが鳴り、香偈を称えます。引声念佛を称え終わると、お稚児さんの献菓です。下陣では、ご両親やご家族が、8ミリビデオやカメラを持ち写します。まだ子供なので所作がうまくできません。そして行道が始まると、皆さんが散華を取りに来ます。お念佛の後には、鏡はりと太鼓です。お檀家さんに撞いてもらっています。この六字詰念佛を終えると、お十念をお称えして終わりです。
この法要を厳修するには、準備もたいへんです。本堂の入口に幕、内陣に五色幕を張り、回向柱を立て、善の綱を張り、お供物等をお供えします。お稚児さんの所作も練習します。僧俗一体となってお迎えします。私の寺のお十夜が済むと、組寺のお十夜の手伝いです。各お寺ごとに回ってきます。組寺の法要は年末まで続きます。十夜法要は京都の真如堂から始まりました。観誉祐崇上人が鎌倉の光明寺で引声法要を始めてから、約500年の歴史があります。この十夜法要を絶やすことなくより一層充実したものにし盛りたてていきたいものです。

■第778話
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。この語りは平家物語のはじめに出てくる言葉ですが、私たちは諸行無常という、もろもろの行いは実にはかないものであり、いのちさえ過ぎてみますと一瞬の夢のように感じます。しかし朝、ほんの少しの間しか咲かないけれど、美しい花をみせてくれます朝顔のように、私たちも与えられた、ただ一度のいのちを精いっぱい咲かせたいものです。私たちの一生は出会いの一生と言われますように、み仏との出会い、善き人々との出会いにより、人としての在るべき姿を学んでゆきます。現代は感謝の心が薄く自分本意の考え方をする人が増えてきました。ですから今こそ仏の教えが必要なのです。まず私たちは大きな恵みの上でくらしているのですから、感謝の心を起こし、そして合掌の姿でその心を表します。合掌の姿こそ何にも勝る美しい姿なのです。

■第779話
ホロホロと鳴く山鳥の声を聞けば、父かとぞ思う母かとぞ思う。父や母を亡くした人は、子供であろうと、また年を重ねた人であろうと、ふと父を母を思い出します。私も風の音が父の呼ぶ声に聞こえたりします。そしてにこやかに笑顔を見せて下さる八十過ぎの女性に出会いますと、母の姿のようにみえてくる。母の姿を心で求めている、いや慕っているのでしょうか。いくら年を重ねても子は親を想うのですね。ですから私は善き父、善き母、善き祖父、善き祖母となり、平和な社会を、戦争のない世界を創らなければならないと思っております。三つ子の魂百までもと、昔の言葉にもありますように、小さい頃に善い心を植えつけてほしいのです。仏さまに手を合わせる子供に育てることを私たちは真剣に考え実行しなければなりません。五十年後、百年後も幸せな日本であるために、拝む感謝の姿を子や孫に見せてまいりましょう。

■第780話
月影の至らぬ里はなけれども、眺むる人の心にぞすむ。この和歌は浄土宗を開かれました法然上人の和歌です。月の光りは、山にも里にも隈無く照らしていますが、ただこれを眺める人だけに美しく澄んだ月をみせてくれています。同じように阿弥陀さまの全ての人を救おうとされる慈悲の光りは、阿弥陀さまのみ心をいただいて、お念仏申す人を照らされるのです。南無阿弥陀仏と言いますのは、阿弥陀さまどうぞ私を救い導いて下さいということですが、一人の生活でありましても、また家族が大勢いましても、いのちの終わりを考えました時、一人で旅立たなければなりません。阿弥陀さまの救いを持つということは、大いなる安らぎを得られるということです。心で願っておりますと、それが真の心でありますれば、必ずよい結果となるはずです。日々、積み重ねるということがすばらしい力となりますので、南無阿弥陀仏とまず十返のお念仏をご一緒に唱えてみましょう。 
 

 

■第781話
4月となりますと関東では芝の増上寺、関西では知恩院や各大本山で、浄土宗をお開き下さいました法然上人の御忌の法要が厳かな中でつとめられます。法然上人の忌日の法要であります。もっとも、ご命日は建暦2年正月25日でございますが、明治時代より知恩院が4月より始め、各本山もこれにならうことになりました。そのため、陽気も良く本山の御忌には多くの方々がお参りなさり、上人のご遺徳をいただける、有難いおつとめになっております。
さて、法然上人はお亡くなりになる寸前まで、ひとえにお念仏のみ教えをお説き下さいました。いつか上人が、「ああ今生においてこそ極楽浄土を遂げたいものだ」とおっしゃっていたのを、お弟子の乗願房様という方が「お師僧様でさえも往生が不確からしくおっしゃるならば、それ以上の私どもはどうしたらいいでしょう」と申されたのです。そうしますと、上人、「誠に浄土に生まれて蓮の台に乗るまでは、どうしてこの思いが止む時がありましょう。いやいや極楽浄土を遂げたいといつでも思っていることですぞ」とおったというのです。このお話しは、浄土宗のみ教えの肝心な所があるように思います。
私どもにとりまして大切な事は、とりもなおさずお念仏をお称えする事であり、常に忘れる事なく阿弥陀様を思う事なのであります。これをお念仏の相続といいます。毎日、お念仏を相続してこそ、念仏を生かしての過ごし方、考え方生き方もできるのですね。お念仏はいただいたその時から臨終までお称えしていくものです。そのうけとりが大切です。ご臨終2日前にお示しいただいた一枚起請文の一言、「ただ一向に念仏すべし」とはまさしくその事であります。どうぞ豊年上人のみ教えを正しくうけとらせていただき、ともども蓮の台に乗るまではの思いでお念仏をお称えして参りましょう。

■第782話
横綱貴乃花が引退し、モンゴルの朝青龍が横綱になり、大相撲も世代交代の時代を迎えたようであります。私はテレビの相撲中継が好きなのですが、つくづく思いますのは、相撲番組というのは何とせわしいものだろうという事です。もう、初日から特集は今場所の優勝杯の行方なのです。優勝力士を予想するのですね。数日前までのけいこの様子、けがのある力士ならその状態を分析して伝え、優勝を占っていくのです。しかし、何と何と面白い程に、初日からその予想が崩れていくのです。優勝候補第一番の横綱や大関、また今場所はやると太鼓判を押された力士から黒星スタートです。いわゆる番狂わせですね。ま、それが面白く、相撲の醍醐味なのですが、そういう力士は解説者泣かせというのだそうです。力士としても真剣勝負でしょうが、番狂わせとはいつおこってもおかしくないのです。人の人生もまた、しかりでありますね。
私どもは、いつ番狂わせがおこってもおかしくない状況におかれています。そして、それはいきなりやってきます。窮地に追い込まれた時、それをしっかりうけとめ、それを乗りこえるだけの信仰をお持ちでしょうか。番狂わせはいつでもあると自分を見つめられた時、どうしたらいいのかと自らに問いかけた時、それに正面から答えてくれる教えが、まさしくお念仏のみ教えなのです。どんな番狂わせが、この私に用意されていたとしても、お念仏を称えれば阿弥陀様のお浄土へ参らさせていただき永遠の命がいただけるのです。番狂わせを恐れるのでなく、番狂わせがあっても揺るぎない念仏信仰をいただくことこそが、この私を救う唯一の道なのであります。

■第783話
昨年私は中国の敦煌莫高窟に行って参りました。中学生の頃から行きたいと思っていましたので、莫高窟を目の前にした時は、本当にはるばるやってきたなという思いでした。最近は観光客も多くなり、現地の方の話によりますと、外気が入る事で損傷が激しく、次々に見学不可能の壁画が増えてきているといいます。今見る壁画も二度と見れなくなるのかなと思いながら扉を開けてもらい石窟の中に一歩を踏みこんだのであります。もう本当に圧倒されました。壁も天井も隅から隅までぎっしりと色鮮やかな仏様、菩薩様が目に飛び込んできたのであります。石窟の中はまさしくお浄土でありました。特に、阿弥陀様の極楽浄土の世界を現した観無量寿経変の石窟は、ただただ呆然とし、何と有難い事ののだろうと動悸がする程でありました。
『阿弥陀経』などには極楽浄土の様子を我々の住む娑婆の世界で最高のものをたとえに説かれていますが、その石窟の中に入って益々お浄土を求める気持ちがふくらんだ様な気がします。極楽浄土は阿弥陀様の功徳が成就された安楽な世界でありますから、永遠の世界であり、絶対の世界であります。それを伝えるすべがありません。凡夫といわれるおろかな私どもでは、この世にあって目も前に見る事は、なかなかできるものではありません。そんな世界などあるわけないなどと、縁のない方などはおっしゃいます。しかし、今回、敦煌に行って、益々信仰を深めさせていただいた思いです。確かに、仏教美術、芸術としてもすぐれておりますが、信仰の目、信仰の心をもって、この自分をその場におきますと、そこはもうお念仏信仰の確信の場でもありました。何かうれしくなる様な思いでありました。阿弥陀様のお浄土へはただただお念仏であります。毎日お念仏を申し、お念仏を支えとして暮らさせていただき、いずれは阿弥陀様のお浄土へ参らせていただきましょう。

■第784話
この時代、非常にせわしく又世知辛い世の中ですね。もっとゆとりのある充実 した日々を過ごしたいものですね。その方法を3回に渡ってお話いたしましょ う。まず共通する心がまえが必要です。それは、施しをすると言う事です。施 すと言ってもお金や品物を施すのではなく、気持ち、思いやりそれは心の施で あります。
第1にお顔にある眼であります。やさしい眼差しを皆様に施しましょう。昔 から「眼は口ほどにものをいい」と言われております様に眼差しは人の心を左 右いたします。やさしい眼差しを施こそうと思うえば心が絶えず優しくなくて はいけませんね。心が絶えず優しくある為には、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀 仏」とお声にだして又お心の中でも結構です。お念仏をお唱えいただければ平 素、優しいお心が保たれます。
第2にお顔でございます。いつもニコニコ顔で、喜びの顔色を施す事であり ます。ニコッと笑ったらいいのです。いつも眉を八の字にし、苦虫を噛んでい るようではいけませんね。また、顔ほど正直にあなたのお心をあらわすものは ないのですね。顔の事を「おも」とも言います。あの人は面長な顔をしている 美人だとか。これは「思う気持ち」が表にあらわれて「おも」というようにな ったのです。ニコニコ顔、喜びの顔を施そうと思えばやはり絶えず心が喜びに 満ち、心が絶えず感謝にあふれておられなくてはなりませんね。そう その為に は「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えいただければ、喜びに満 ち、感謝にあふれたお心になれます。さあ、今日から始めてみませんか。

■第785話
第1回目のお話は、第1に、やさしい眼差しを施し、第2に、ニコニコ顔・ 喜びのお顔を施す。と言うお話を致しました。今日は第3・第4をお話しいた しましょう。
第3に、言葉を施すという事です。やさしい言葉を施す。やさしい言葉とは 何か、まず「ハイッ」と言う返辞をあげたいと思います。「ハイッと言う返辞の しかたひとつで、そのお人がわかる」とおっしゃる方がおられますね。ハイッ・ ハイッと二度繰り返すと何か調子が良いように思われますが、返事は一回「ハ イッ」と気持ちを込めておっしゃって下さい。そして「ありがとう」「すみませ ん」と言う言葉。なんでもないようですが、これはなかなか言いにくい言葉で すね。どんな場合にでも「ありがとう」と感謝し、「すみません」とあやまって 出ようと思えばなかなか容易ではありませんね。このように、平素・やさしい 言葉を施すには、人に感謝する心、人の身になって考えるお心を持たなくては 成りませんね。そうそれには平素「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」とお念仏 をお唱えする事です。
第4に身体を施すという事です。「ありがとう」「すみません」と口先ばかり でいうのは、簡単ですが、それを態度で示すと言う事です。行動する事です。 私がその位の事をやってあげるのでなく、せめてその位の事は、私くしにさせ て下さい。させて頂くという気持をお持ちになり、実行することが身体を施す と言う事です。その為には「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えする事です。

■第786話
今回まで、お話して来ましたことは、やさしい眼差しを施しましょう。ニコ ニコ、喜びのお顔を施しましょう。やさしい言葉を施しましょう。そしてその 位の事は、私くしにさせて頂くと言う、身体を施しましょう。その為には、「南 無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えしましょう。と言うお話でしたね。
今回 第5に心を施しましょう。心を施すとは、どんな事を施すのか。やさし い心を施す事です。では、何がやさしい心か?それは相手の立場に立って、 相手の身になってみる事です。相手の立場で考えるという、思いやりの愛 が心を施すと言う事なのです。その為には、平素「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱え致し ましょう。さあこの五つの布施。施しを実行してみましょう。お一人、十人、 千人、一万人のお方が、いや皆様が、行えば、世の中の争い事は少なくなり、 平和に、充実した幸せな日々が過ごせる事が出来るのです。その為には平素、「南 無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えいたしましょう。阿弥陀様の大 慈大悲のお心を頂けるのです。
この人生に生まれてきたのも、お父さん、お母さんの力だけではない、もと より、この私の力だけではなく天地宇宙すべてのお蔭、お蔭が知らず知らずに 加わって私くしが、この人生に生れさせて頂いたのであり、天地宇宙すべての お蔭、お蔭を意識すると、せざるとにかかわらず、加わって生かされているの でございます。生きている私くしがあるのではなく、生かされている私くしが、 あるのです。頭のてっぺんから、足め爪先にいたるまで、これお蔭の結晶、お蔭のかたまりなのです。感謝するお気持ち、思いやり、やさしい心、そのお心皆 「南無 阿弥陀仏」なのです。

■第787話
私には3人の子どもがおりますが、時々同じ両親の子だというのにどうしてこんなにも性格が違うのだろうと思うことがあります。一番上の子は父親に似ていると周囲からは言われますし、二番目は母親に似ていると、三番目は・・・、まだ2歳にもならないので何とも言えませんが。とにかく、何故3人が3人ともこんなに性格が違うのかと思います。それはそれで個性があって楽しいのですが、それ故に子育てが一層難しくなっているのかなと思うこともあります。
「十人十色」と言われるように、世の中ひとりとして同じ人はおりません。お釈迦様の説かれた「阿弥陀経」というお経の中にこのような一節があります。池の中の蓮華、大きさ車輪のごとし。青い色には青い光、黄色には黄色い光、赤い色には赤い光、白い色には白い光があって微妙(みみょう)・香潔(こうけつ)なり。これは極楽浄土の様子を述べられたものの一部ですが、それぞれの花の色の個性が美しく輝いている様が書かれています。仏様は子どもに、色々な色、つまり個性をつけてこの世の人間に預けられました。人間一人ひとり様々な個性があって、その光り輝く個性はすばらしいものがあるのです。
今、世の中は没個性へと向かっているような気がします。他人と同じことを良しとする、みんなと同じことに安心する、そんなこが多いのではないでしょうか。しかし、その為に本来は光り輝くはずのその子の個性を押えつけてしまってもよいのでしょうか? もちろん正すべきところは正す必要があるのですが、光り輝く個性はなお一層光り輝くようにするのが、我々大人の役目ではないかと思います。詩人の相田みつをさんの詩にも「トマトがねえトマトのままでいればほんものなんだよ」とあります。トマトじゃダメだ、メロンになれでは本物ではなく偽物なんだと。本物で輝くのと偽物で輝くの、あなたはどちらを選びますか?

■第788話
前回は、青色に輝く物を無理に赤くするのではなく、青い色が一層輝くようにする、仏様から授かった個性なのだから、個性を伸ばす事が大切ではないかと個性のお話をさせて頂きました。
私のお寺には幼稚園があり、普段から子どもたちと関わることが多いのですが、こんな話があります。質問です、「雪が溶けたら何になると思いますか?」これは幼稚園の4歳・5歳の子どもでもわかります。きっと皆様もおわかりでしよう。そう、水になるのです。ところが、意に反して違う答えを出した子がいました。「先生!雪が溶けたら春になるんでしよ!」何とも子どもらしい答えだなと思われる方もいらっしやいますでしょうし、もしこれが試験であったとしたらおそらくは×を付けられてしまうのではないでしょうか。もう一つ面白い話があります。「4つのリンゴを3人で分けたら一人分はどのくらいになるでしょうか?」今度は少し難しいですが、一人分はリンゴ一つと残りを3つに分ける、が答えですが、先程の話を聞いていると、きっと違う答えが出てくるのではないでしょうか? 子どもから出た答えは、一人一つ、残りの一つは仏様にお供えをする、でした。幼稚園で何かを食べるときに、必ず同じ物を仏様にお供えしていたから出た答えかもしれませんが、世間では、こういう話が通らない世の中になってきているのではないでしょうか。
お釈迦様は中の道と書く「中道」を悟られました。「過ぎたるは及ばざるがごとし」と言うように、程々がよい、両極端でない方がよいことが多くあります。世の中○と×ばかりでは、先程のお話のような答えは出てこないのではないでしようか。以前、落語家の春風亭小朝さんが百歳を超えた方とお話をする番組がありましたが、あるお年寄りに小朝さんが長生きの秘訣をお聞きしたら、「反省すれども後悔せず、頭に柔軟性がないとダメですね」と答えが返ってきました。老若男女を問わず、心豊かに生きる方法が見えた気がしました。

■第789話
先日、“カウンセリング研究講座”に参加し、カウンセラーのお話を聞く機会がありました。“○○相談室”と、悩みを抱えている方が電話などで相談してきたときに、その悩みを聴いて、和らげてくれる人をカウンセラ一と呼ぶ場合があるようです。そのカウンセラーの基本姿勢というのは、相手の話をよく聴く、同じ目線でものを見る、基本的に相手の気持ちを受容する、指示・評価しないといったことなんだそうです。そして、そのカウンセラーにとって必要不可欠なのが“カウンセリングマインド”を持つことも話されました。これも同じ目線で見てくださったからなんでしようか、横文字ばかりで難しそうだなと思っていたら、ちゃんと説明して下さいました。“カウンセリングマインド”を日本語で言うと『おもいやり』−相手の立場に立つ想像力です、と。確かに、水に溺れている人を救うためには自らが水に飛び込まねばなりません。陸の上からいくら忠告しても溺れている人は泳ぎを知らないのだからどうしようもありません。自分が飛び込んでその人の所へ行って初めて救助ができるのです。
仏教ではこれらのことを、同じ事を行うと書いて「同事行」と言います。相手と同じ立場に自分の身を置くこと、つまり「思いやり」です。浄土宗においてご本尊とする阿弥陀様は、悟りを開かれ阿弥陀様となられたのですが、修行の段階では法蔵菩薩と言われていました。その法蔵菩薩が悟りを求めて四十八の誓いを立てられました。自分一人が悟りを開くことを願わず、全ての衆生が救われなければ、自分は仏となるまいという誓願です。このうちの第十八願では、「極楽に往生したいと思うなら、十辺お念仏を唱えなさい。もし、往生しなかったならば、自分も仏にはなりません」という願を立てられました。阿弥陀様は、極楽往生を願う衆生を思いやってくださいました。その思いやりにおすがりするべく十辺のお念仏をお唱えするのです。口に十と書いて叶うのです。是非声に出して十辺のお念仏をお唱え下さい。

■第790話
こんなお話があります。ある信心深いご家庭にお孫さんができました。おじいちゃんおばあちゃんはお孫さんを可愛がって仏壇の前にはいつも一緒、お食事の時には、なむあみだぶっ、いただきます、ごちそうさま、そして、ごはんの中には、仏様がいらっしゃるのだよと、いつも言い聞かせておりましたので、お孫さんもごはんの中には仏様がいらっしゃるのだと、そう信じるようになっていました。お孫さんが小学生になって、ある時、理科の時間に、お米、ご飯が何でできているのか、分析をしてみましょう、ということになりました。お孫さんの胸はどきどきしました。とうとうご飯の中の仏様を見られるんだ。分析が始まりました。でんぷん、(炭水化物)、タンパク質、水分、無機質、などが出てきましたが、さあ、仏様がいっこうに出て参りません。お孫さんはとうとうたまりかねて、先生、仏様はどこ?、どこにいらっしゃるのー?先生の返事、ばかだなあ、お前、仏さんなんているわけないだろ。顕微鏡でもちゃんとみたじゃないか。さあ、お孫さんはショックでショックで、べそをかきながらお家に帰ってきておじいちゃんをなじりました。おじいちゃんのうそつき、ごはんの中に仏様なんていないじゃないか、おじいちゃんのうそつき。学校での出来事をめんめんと訴えました。
黙ってじい一と聞いていたおじいちやんは、つと立ち上がって、それからお仏壇の前にすわります。ついてきたお孫さんはじい一とその様子を見ていました。おじいちゃんはなむあみだぶっ、なむあみだぶっ、とお念仏を始めました。いつまでもやめようとしません。そのうちおじいちゃんの目から涙がいっぱい溢れてきました。それを拭おうともせず、おじいちゃんはお念仏をやめようとしません。黙ってその様子を見ていたお孫さんは、そのうちはっとしました。おじいちゃんはすごい、おじいちゃんには見えるんだ、おじいちゃんはすごい、僕には見えないけど、おじちゃんには仏様が見えるんだ。見えない世界から見えないご先祖様がやってくるお盆が間もなくやって参ります。なむあみだぶ。 
 

 

■第791話
浄土宗は極楽往生を願って「南無阿弥陀仏」と唱えれば阿弥陀如来様が自らお迎えに来て下さって私達が極楽浄土に生まれかわって救われる、といういたって単純明快な教えです。ただ南無阿弥陀仏と声に出せばよいのですから、誰にでも出来ると思われます。こいうことを考えてみて下さい。
ある日突然自分の大切な人かけがえのない大切な人に先立たれたとき、私達は、呆然として何を考えてよいのか、何をしたらよいのか、何も手につかなくなることになるかもしれません。そんなとき、先立った人の為に、そしてあとに残されて苦しんでいる自分自身のために、どうしたらよいのか? このようなとき、何事も無かった時には簡単にできると思われた南無阿弥陀仏が全く簡単ではなくなります。先だった最愛の人に、生き返ってほい、もう一度会いたい、救ってあげたい、そして苦しみあがいている自分自身も救われたい、という身もだえするようおな必死の思いの中にいるとき、南無阿弥陀仏もまた、必死で唱えなければ、必死で唱え続けなければ とても救いの道は開けてはこなくなります。
あの世に先立った人を救ってあげる為には、とにかく必死で南無阿弥陀仏をとなえ続けて阿弥陀様にお願いして極楽浄土にその人を迎えとって頂かねぱなりません。そしてその人の極楽往生を確認するために、自分も極楽往生して先だった人が極楽往生していることを確認せねば、自分もまた救われないでしょう。もし先だった人が極楽浄土にいなかったら、その時は、自分自身が極楽往生することによって、お浄土で得られた神通力で、先だった人を捜し出して極楽浄土に迎えとって頂くことができることになります。ということは、とにもかくにも、自分自身が必死の覚悟でまず自分自身の極楽往生を確認することが、なにはさておいてもまず先決なのだということになります。浄土宗を開かれた法然上人は、疑いながらも南無阿弥陀仏とお唱えなさい、とやさしく説いておられます。なむあみだぶっ。

■第792話
猫跨ぎ、ということをお聞きになったことがあるでしょうか? 猫またぎ、亡くなられた方のご遺体を猫がまたぐとその人の魂が猫に移ってしまうといって、たいへんおそれられたものです。また、臨終の間際に、猫がにゃ一と鳴いたりして、それを聞いて、あ、猫だ、と猫に気をとられたまま亡くなってしまうと、やはり魂が猫にいってしまう、というのです。ですから、臨終のさいには、すくなくとも人間のレベル以上のものを、見たり聞いたり出来るような環境が大切だということになります。できれば仏様の絵があったり、なむあみだぶっの声が聞こえたりしていればこれにこしたことはない訳ですが、病院などでは難しいでしょうか? エンドレステープの利用などは如何でしょうか。命に別状のない入院の時でも、エンドレステープに吹き込んだなむあみだぶつを聞き続けていれば、病気の治りも早いかもしれません。
ことばや想い、というものはこわいものです。こんちくしょ一、こんちくしょ一、などとことぱにだしたり、想っていたりすると、本当に自分が畜生になっていくものです。こういうお話がございます。だるまさん、といえばたいていの方はご存じでしょう。達磨大師さま、中国の禅宗の開祖でいらっしゃいます。面壁九年、壁に向かって9年もの長きにわたって座禅を続けてお悟りなられた、たいへんな力量をお持ちの方で、自分のお力で仏さまになられた。ところが何故か達磨さんに手を合わせて拝む方はあまりいらっしゃらない。一方、観世音菩薩様、観音さまといいますと、いたるところで拝まれる。観音様は阿弥陀様を敬って、敬って、敬って、敬いぬいて、それで仏様になられた。人間も、人を敬う方はまた、人から敬われる、そのような傾向はないでしょうか。私達は阿弥陀様を敬って、敬って、敬いぬいて、自分の心がいつも如来様の住まいになりますように心がけることが大切なのではないでしょうか。それがこの四苦八苦の浮世を乗り切って、そしてお浄土に向かういちばんの近道だとおもいます。なむあみだぶつ。

■第793話
8月に入りました。8月はお盆の月です。人間は誰でもいつかは死んでゆくのだと解って居りますが、いつ死んでゆくのかと云うことは、誰も解かりません。もし死ぬ日が解ったならば、冷静に行動をとることができなくなりましょう。一秒一秒が自分の死への歩みだと気がついたら、もうどうしてよいかわからなくなります。
お釈迦様は、繰り返し、繰り返し人生の無常を説いております。無常とは、常がないと書きまして、人生がいつまでも続くのではなく、明日どうなるかわからないというこの世の現実を説いております。死の現実を認識して、生きることの尊さと、喜びに出会うのが仏教の教えでありましょう。お盆の行事は、年に一度、精霊が我が家に戻ってくるといわれ、祖先の御霊を丁寧にお迎えし、供養をしてさしあげる温かい血の通った人間関係の営みです。今日の欲望充足に走っている社会に対して、お盆の行事は、迎え火に亡き人の顔が浮かび再会を懐かしく思い、送り火に来年もまたという、お別れの哀愁が漂い、理屈を抜きにして、美しい情感に浸るひと時でありましょう。物の豊かさに心を奪われ、大切な人間関係を失っている今日、子供たちに心のゆとりを植えつけるよい機会であります。人生を正しく見つめなおし、残りの人生、有限な人生の一歩を、祖先と対話をして歩み出そうではありませんか。

■第794話
幼き頃、祖母が、お盆には魚をとったりトンボをとったりすると、地獄の釜のふたがあいているので、「地獄へ落ちるんだヨ!」と云われた。「ご先祖がトンボやチョウチョになって帰ってくるのだヨ」と聞かされた。何かその時は、胸に妙な感覚で、昆虫の小さな生命をいとおしく感じた。そんなことも成長とともに、薄れていった。ある新聞の投書に「ちょうど盆である15日に戦友の飢えに苦しんで、亡くなったことを思い、終戦記念日の8月15日には、一日魚や肉などを食べないで精進ですますことにしている」と書かれていた。これもなかなか出来ないことでありますが、今日、悲惨な事件が絶えない社会で、お盆の一日ぐらいは子供のいる家庭では「殺生をしない、虫籠の昆虫は放してあげる」ぐらいの思いやりが欲しいものです。
お盆の夜遅く、精霊さまを送るといって、近所の川へお供え物の食べ物を捨てに行った習慣も、今日では川の汚染、公害につながるので出来ませんが、その頃は飢えに苦しむ魚たち、あるいは捨て犬捨て猫などの餓鬼畜生に、ご先祖のおすそ分けをしてあげたのではないかと思うと、施餓鬼供養の布施行であったのかなと思われます。こんなことも、時代とともに移り変わり、ゆっくりと盆を味わうことが出来なくなり、帰省の列車や車の大混雑、又事故や水難の知らせに、一族苦しみのお盆かもしれませんが、ご先祖を祭り、供養の心を広く有縁無縁に及ぼし、動物、昆虫にまで、憐れみの心を施していくという美しい風習を、是非とも。私達の子孫に伝えたいものです。

■第795話
お盆が終わり故郷への帰省から、Uターンラッシュと、恒例の日本の行事に盆がなんであるのか解らなくなって来ています。お坊さんは忙しく檀家の精霊棚にお経を唱げに飛び歩きます。今年はすずしい夏でしたが、雨にうたれ、私も悪戦苦闘の盆を終えることができました。この盆の中で、ひとつだけ、心に痛みを感じたことがあります。それは2〜3年前に、おじいさんを亡くされたお婆さんが涙を流して私の後から、うちわを振ってあおいでくれているのです。実はこの家はすでに経済が息子夫婦に渡って、この老婆には何もすることが出来ないのであります。せめて私の後から、心を込めてうちわであおぐことが精一杯できることであります。御先祖の精霊棚に向かって感謝を込めてあおぐうちわの風を、私は極楽浄土に吹く風のように、ありがたく感じ、お経の声がつまる思いでありました。そんな老婆の思いを知らずに暮らす息子夫婦の事を考えますと、盂蘭盆経に出てきます、目蓮尊者と母の物語りが思い出されます。
我が子の成長を願い自らの時間と命を注ぎ込んだ母親が、地獄(餓鬼道)に落ちて苦しんでいることを目蓮は知るのでありますが、つまり、我が子の成長を願い子供の幸福のため、他人の子供のことは考えず、一途に我が子目連のためにしたことが、欲深いことを起こし、餓鬼に生まれかわる運命となったそのことを知った目蓮は、わたくしがそうさせたのだと思った時、胸の張り裂ける思いで「母一人の罪ではないこの目蓮のせいである」と絶叫し、仏にすがるのです。お釈迦様のみ教えを聞き、ひたすら供養にはげみます。そのことで、母は餓鬼道から救われるのであります。これがお盆の始まる由来です。子を思うがゆえに罪となし、そのことを救う目蓮のお話しは、今日の世の中に母と子の在り方を考えさせるよい物語りかと思います。

■第796話
長い梅雨が終わり、残暑の夏も過ぎると、もうすぐ秋の彼岸になります。彼岸には、御先祖や縁者の方のためにお墓参りに行くというのが、一般的ではないでしょうか。この彼岸という行事は、どこからきているのでしょうか。彼岸とは彼方の岸と書かれるように、極楽浄土のことをいいます。その極楽浄土に行くための修行の期間が、彼岸です。 彼岸とは、浄土三部経の観無量寿経の中に書かれている極楽浄土を観る為の方法、日想観からきています。さて、この日想観には、太陽の西に沈む姿を想い観ることが、説かれています。日本では、春分、秋分の日に、太陽が真東から昇って真西に沈むので、この日を中日として前後3日の1週間を彼岸と呼んで、仏道修行の期間としています。これは、真直ぐ西の彼方、十万億の世界を越えた所に極楽があるといわれているからです。常日頃、日常生活に追われてなかなか太陽が沈むところを見ていない人々でも、その雄大な姿をじっと眺めていると、大自然の神秘にうたれるでしょう。そして、今まで忘れていた心の静けさや、安らがさを感じられることでしょう。西の空というのは、人生のあらゆるものの落ちつく場所です。すべては、そこに帰りつくところの西方という方角が、我々に彼岸の浄土というものの在り方を示しています。 太陽が西に沈む時は、実に大きく感じられると思いますが、いかがでしょうか。その大きさが太陽の本当の大きさです。昼間はその光か強いために、小さく見えているのです。西に沈む時に太陽も、本当の姿を表わします。我々もその沈む太陽を見て、本当の心を見つけ出すように努力していきたいものです。
自分の家のお墓やお仏壇がないから、手を合わせてお念仏を唱えられないと思っていた方々も、西に太陽が沈む時、そこに向って手 太陽が西に沈む時は、実に大きく感じられると思いますが、いかがでしょうか。その大きさが太陽の本当の大きさです。昼間はその光か強いために、小さく見えているのです。西に沈む時に太陽も、本当の姿を表わします。我々もその沈む太陽を見て、本当の心を見つけ出すように努力していきたいものです。自分の家のお墓やお仏壇がないから、手を合わせてお念仏を唱えられないと思っていた方々も、西に太陽が沈む時、そこに向って手を合わせて下さい。これも仏道修行の1つです。彼岸の期間にとらわれず、気がついた時に右手と左手ち合わせてお念仏をいたしましょう。きっと西方極楽浄土にいらっしゃる御先祖様たちも、お喜びになることでしょう。

■第797話
前回、彼岸は御先祖様たちの為だけのものではなく、私たちの修行の期間であるということをお話ししました。この修行の方法について、お話しさせていただきます。彼岸とは、サンスクリット語のパーラミターという語からきています。このパーラミターとは、彼岸に到れるという意味を持ちます。このパーラミターを漢字で波羅密多と書き、それを波羅密と略し、彼岸へ到る為の六つの方法、それを六波羅密といいます。1つ目は、他人に施すことの布施、2つ目は 固く戒律を守ることの持戒、3つ目は、どんな侮辱にも耐え忍んで心を動かさないことの忍辱、4つ目は、一生懸命に努力することの精進、5つ目は、精神を統一して真理に達することの禅定、6つ目は、真理を悟り仏道を体得する力の智慧、これら6つを一生懸命努めれば極楽浄土へ到れるということであります。何か難しそうだなと思われた方もいらっしゃるかと思いますが、みなさんが、お墓や仏壇の前でしていることの中に、この六波羅密が含まれています。
お墓や仏壇に向って、まず、お水やお茶をさしあげる「布施」をして、お花を飾る「忍辱」をして、ご飯や食ベ物をさしあげる「禅定」をして、口ーソクに火をつける智慧をして、線香に火をつけてさしあげる「精進」をして、線香の煙で身を清める「持戒」をしているのではないでしょうか。このように六波羅密の修行を知らず知らずにしていたのです。日頃よくしているこの行動は、御先祖様の為にしているだけではなく、私たちの修行のひとつであったのです。そのことをもう一度心にとめていただき、彼岸の間だけではなく、常日頃、仏道修行に努めていただければ、必ずや極楽浄土に到れると思います。

■第798話
前回、彼岸の修行方法である六波羅密のことをお話ししました。今回は、その六波羅密の中の「布施」についてお話しします。 布施というと法事の時の御礼と思われがちですが、布施にもいろいろなものがあります。私たち僧侶がお経を唱えたり、法話をしたりすることを法施といい、これも布施の1つです。布施といラと何か堅苦しく聞こえますが、そんなに難かしいことではありません。布施とは、見返りを要求しない一方向のしてあげられることをいいます。我々人間は、欲があるので、何かしてあげると、地位や名誉や金銭等の見返りを期待してしまいますが、布施とはそういうものではありません。よく世間で言われているボランティアということと同じです。自分の為ではなく、人の為になることならば何でも布施ということになります。以前テレビで、指1本のボランティアというのを見た方もいらっしゃると思いますが、エレベーターのボタンを押してあげるだけでも、布施になるのです。道を譲ってあげたり、困っている人を助けてあげたり、ゴミを拾ったり、道を清掃したりすることも立派な布施です。
これ以外にも無財の七施という私たちが何も持たずにできる七つの布施があります。1つ目は、人に良い目をして接すること、2つ目は、いつも優しい顔で微笑を絶やさず人に接すること、3つ目は 柔らかい言葉で人に接すること、4つ目は、礼儀正しく人に接すること、5つ目は、善心で人に接すること、6つ目は 他人に席を譲ること、7つ目は、人を家に泊めてあげることであります。これらは、目・顔・言葉・身・心等で表わすことで、簡単にできることに思えますが、なかなか長続きしないものであります。これらの布施は、相手の人が穏やかで良い気持ちになれる様に態度で表わすものです。これからは布施の心を持って、穏やかな目をして、にこやかな顔で、優しい言葉を使いながら、礼儀正しく生活していきましょう。

■第799話
「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますように、過ごしやすい季節がやって参りました。衣替え等々、新たな準備は整いましたでしょうか。今回は、人間の「欲」について考えてみたいと思います。私たち凡人には「欲」というものがあるとお釈迦様は説かれております。それが過ぎることにより時には、諸悪の根源になる時があります。食欲で肥満や成人病になり、性欲、名誉欲やお金に対する欲で人を傷つけたり、睡眠欲で物事の機会を逃したり、欲の多少はあるものの、様々な欲にとらわれ日々生活を送っている訳です。その「欲」をすべてコントロールしているのは「心」です。元々、私たちには仏となる性質、即ち悟りを得ることができる性質を持っているとお経に説かれています。「一切衆生悉有仏性」とあります。しかしながら、本来持っている清らかな心が沢山の欲に覆われ、その性質を発揮出来ないでいます。それでは、どうすればよいのでしょうか。それは、その欲から逃れることができないのであればまず、欲を少なく抑えていくことが大切です。それをいくつかの言葉に表すと「我慢」や「謙虚」となるのではないでしょうか。我慢することにより、有ることへのありがたさを知り、謙虚に振舞うことによりお互いが円満になります。欲を少なくし、足るを知る「少欲知足」が心を幸せにします。
仏教では悟りの世界へ向かう道を歩むものを「菩薩」と呼んでいます。その菩薩が実践しなければならない六つの行があります。一つ目は布施。人々に施しをすること。二つ目は持戒、自律的な決心を守ること。三つ目は忍辱、忍耐すること。四つ目は精進、一生懸命努力すること。五つ目は禅定、精神を統一させること。そして六つ目は智慧、真理を見極める力。これらの実践行を六波羅蜜といいます。どうぞこの遠く昔に経典に書かれた徳目、六波羅蜜を今まさに実践し、欲を抑え、心豊かな日々をお過ごしください。

■第800話
今回は、観音さまについてお話したいと思います。観音さまは、浄土宗の本尊、阿弥陀さまの脇侍(わきじ)、いわゆるお付として勢至さまとともにおまつりされています菩薩さまです。観音さまは、その功徳から観世音菩薩や観自在菩薩とも呼ばれ、覚者、つまり仏となるために修行をされています。世の音を観じ、助けを求めて、観音さまの名を唱えている衆生の元へ現われ、救済をする。大火災から逃げることができる、嵐の海に漂流しても遭難しない、貧欲にも流されないなどの功徳があります。ふとみると阿弥陀さまと同じ様な功徳を持つ菩薩さまということがわかります。観音さまは、たくさんの人々に信仰され、その特性から多種多様な観音さまが生れています。聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音などが有名です。海難事故防止、犠牲者鎮魂のために海辺に立った観音さまもいらっしゃいます。
では次に観音さまの性別を考えてみたいと思います。一つには、観音さまは大悲の観音といわれ、そのやさしい眼差し、顔つきから女であるという考えがあり、二つには、インドの古い言葉、サンスクリットで観音をアバローキテーシュバラといい、これが文法上、男性名詞で表現されていることから男性であるという考えがあります。また、女でもなく男でもなく、観音は仏になるための性(さが)をもつ菩薩であるから仏性であるという考え方もあるようです。何れにしましても、観音さまは、苦しみの衆生にとって、女性のような深き慈しみの心をもち、あるときには衆生救済のときの勇猛果敢な姿に男性を感じ、その応現功徳から仏の性を感じさせる、菩薩であることは間違いの無いことでしょう。浄土宗では、いつも阿弥陀さまと一緒になにげにおまつりされている尊像ですが、そのひとつ一つを吟味してみれば、今までに増して新たな浄土信仰の心が沸いてくるのではないでしょうか。 
 

 

■第801話
「人の一生は重荷を背負うて、遠き道を行くがごとし。不自由を常とすれば不足なし。勝つことばかりを知りて、負くることを知らざれば害その身に到る。及ばざるは過ぎたるより勝れり」 浄土宗を信仰した将軍、徳川家康の言葉です。着実に道を歩み、決して無理をせず自らの体験をもとに戒めを持った人物像がうかがえます。
仏教に帰依する在家信者が守るべき戒(いましめ)の一つに五戒というものがあります。五戒とは一つに殺生をしてはならない。二つに盗みをしてはならない。三つによこしまな男女関係を結んではならない。四つに嘘をついてはならない。五つに酒を飲みすぎてはならない。の五つのいましめをさします。中には思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか。この五戒を通して、世の中を見回してみますと、何と殺伐とした世界が現前に広がっていることであろうと驚愕することでしょう。ゲーム感覚で殺人や強盗がおき、不倫、詐欺、酒の飲みすぎによる悪業、国家ぐるみでテロリズムがなされてしまう時代です。その時代の中において、常に叫ばれてきているのが情操教育です。それは、歴史や習俗を通して、元来、私たちの心身に根ざしていたものではなかったでしょうか。人間、誰しもが持ち合わせてしまっている煩悩。この煩悩を戒めによって抑制し、先人の教えを敬い、少しでも清浄なる心を見出し、より良い世界、より良い社会、より良い家庭を築いていきたいものです。仏の教えは、人間の生きる道標となり、人々の心を潤すものです。その教えを求め、戒めを持とうと志す時には先ず、仏を頼りとし、法を頼りとし、僧を頼りとしてみて下さい。そして、「南無阿弥陀仏」と称えて見て下さい。そこには信仰の二文字が深く心に刻まれることでしょう。そしてその心は、崇高なる精神社会を築いていくものであります。

■第802話
秋の深まっていくなか、お元気でお過ごしでしょうか。さて、今回は「ほどこし」についてお話しさせていただきます。
ほどこしというと、何かお金持ちの人が貧しい人に物をめぐんでやる、というような意味にとらえがちですが本当はそうではないのです。お寺やお坊さんにさしあげるお金のことをお布施といいますが、そのお布施の施の字に「し」を付けて「ほどこし」と読みます。ですから、さしあげるという意味のことばで、めぐむとか与えるという言葉の意味は少し違うのです。そして、この布施ということばは人間をより高めるための六つの行い、これを六波羅密といいますが、その中の第一番目が布施という行なのです。その布施の行とは、自分のできることを人にしてさしあげる事なのです。そしてその布施の行の心がけとして大切なことは、さしあげてそのお返しを期待しないことです。どうしても我々人間は、これだけのことをしてあげたのだから、何かしてくれるはずだと考えてしまいがちです。しかし、お返しを期待するのでは「ほどこし」布施の行にはなりません。よろこびを捨てると書いて、喜捨という言葉がありますが、人に何かをしてさしあげることが出来る事を喜ぶその気持ちが大切なのです。そしてこのほどこしは、お金や物ばかりではありません。動作やおこない、言葉や顔つきにまで、広くできるほどこしなのです。そう考えると身近な事でもできるほどこしがたくさんあるのではないでしょうか。そしてほどこしをたくさん行い、つまり六波羅密の布施行を行い、人間をより高めていく事が出来ればありがたい事であると思います。お寺やお坊さんに対するお布施も大切な事ですが、身近な生活の中でさりげなくあたりまえの事として出来るほどこしもたくさんあるのではないでしょうか。

■第803話
テレビや新聞を見ておりますと、人をだましたり、傷つけたり、命を奪ったりといった、心の痛む事件が報じられない日はほとんどありません。どうして、このような世の中になってしまったのでしょうか。それはひとえに、人間の驕りであると思います。他人は自分たちより劣っているから傷つけてもかまわない、自分は優れているから悪い事をしてもばれるわけがない、という思いあがりから来ていると思います。仏様から見れば、自分などは、ちっぽけな、おろかな存在であります。その自覚を持てば、思いあがりから来る犯罪も、少しは減るのではないかと思います。しかし、そういう自覚を持ったところで、わたしたち人間は、罪を重ねることなしには生きていくことはできません。食べ物として野菜や魚、肉を食べることで、動物や植物の命を奪う事なしには自分たちの命を保つことはできないからです。人間として生きていくこと自体が、罪深いことなのです。こんな罪深い私達でも、お救いくださるのが阿弥陀様なのです。みずからの愚かしさ、罪深さを心から悔い、阿弥陀様のお力を信じて南無阿弥陀仏と称えれば、阿弥陀様は、分け隔てなく必ず救ってくださいます。
浄土宗をお開きになった法然上人は、誰でも救いとるとされた阿弥陀様の願い、お慈悲をありがたくお受け取りになり 阿弥陀様がおつくりになられた、浄らかな西方極楽浄土に生まれたいと願われました。そして、生涯をかけて、多くの人々に念仏往生の教えをお説きになりました。しかし、法然上人の教えを履き違えた人たちによって、誤った考えが広まりました。たとえ悪人でも救われるのだから、何をしてもよいのだ、という考えです。小さな罪でも犯すまい、と思いなさい。悪人でも救われる、善人ならば言うまでもない。と法然上人のお言葉は続くのです。阿弥陀様は、たとえ悪人でも、阿弥陀様の存在を信じて、心から罪を悔い、お念仏すれば必ず救ってくださいます。罪を重ねてしまうのが人間ですが、あえて悪をつくることは、阿弥陀様を悲しませることになりましょう。わたしたちは、生きているかぎり、罪を重ねているのです。ただ、お念仏で救われると思えばこそ、小さな罪も犯すまい、と思う人間になれるのです。自らの愚かしさ、罪深さに気づき、阿弥陀様のお救いを信じて、お念仏をお称えしましょう。

■第805話
あなたは、食事の前に「いただきます」を、そして食事が済んだら「ごちそうさま」と、きちんと言っていますか。「いただきます」のいただくとは、頂上という意味です。この場合は頭の上ということで、大切な物を貰う時、頭上にあげて感謝することなのです。さらに、ここで言う頂くとは、単に食事をするのではなく、他の生き物の命を頂くという意味が含まれています。私達人間や、この世に生かされているものは、他の命を頂かなければ生きられません。今日の食卓に並んでいる食材は、もしかすると、昨日まで牧場に親子で居た牛や、川や海を自由に泳ぎ回っていた魚かもしれません。お米や野菜もそうです。せっかく自然の恵みを受けて育ったところを刈り取られて、私達の口に入ります。これらの食物は育てる肥料の中にも多くの命が含まれているのです。ですから、私達はその頂いた命の分まで、健康で元気な体をつくり、常に謙虚さを忘れず、そして何より、苦しみや悲しみに直面した時、負けない強い心を持つことが大切なのです。
「ごちそうさま」というのはどうでしょうか。漢字で書くと、その中の馳という字は、走るとか走り回わるという意味があります。食事を作る為には材料が必要です。今はスーパー等で一度に買うことが出来ますが、昔は、食材を集めるのに馬を走らせ大変なことだったのでしょう。ということから、「いただきます」は、私達に大切な命を提供してくれた生き物に、「ごちそうさま」は、その材料を苦労して集め、調理して下さった方に対して、感謝を表す言葉と言えます。これからは、食事をする前にしっかりと手を合わせ、「あなたの命を頂きます」という感謝の心を込め、十念をお誦えして、出された料理を味わって下さい。

■第806話
「底ぬけに人を信ずる人間となろう あの人にも この人にも 太陽にも 空気にも まもられていきるわたしたち みんなを信じよう どんな人にも 美しいことば あたたかい ことばで話しかけよう ほとけさまは底ぬけに わたしたちを 信じていてくださる ほとけさまのながいのなかに 底ぬけに人を信ずる人間となろう」 これは、全国青少年教化協議会で制定されている、「仏教の人間像」の一節です。
私達は、決して一人では生きていけません。多くの方に助けられ、そして大自然の中に守られながら生かされているのです。だからこそ、「どんな人にも美しいことば、あたたかいことばで話しかけよう」という和顔愛語の姿が大切なのです。又、和顔愛語とは、人とのコミュニケーションの根本で、その中でのほほえみが、また別のほほえみを生むのです。仏さまは、常に私達を見ていて下さっています。良い事をした時は、温かい眼でニッコり微笑んで褒めて下さり、悪いことをした時には、しかって下さるのです。世の中には、何かのはずみで罪を犯してしまった人もいるでしょう。その様な人にも、仏さまの大きな慈悲のお心は向けられているのです。仏さまは、私たちを底ぬけに信じていて下さっています。そのお心にむくいる為にも、周囲の人に対してはもとより、大自然の動植物にも、あたたかい眼をそそぎたいものです。どんな人にも、良いところもあれば、そうでない部分もあるのです。底ぬけに人を信じるということは、出来そうでなかなか難しいことです。同じ一生を生きるならば、人を疑いながら生きるよりも、人を信じ、そして許し合いながら生きていくことで、肩をはらない、楽しい人生を送れるのではないでしょうか。

■第807話
間もなく一年が終わろうとしています。12月31日の大晦日には、百八つの鐘を打ち鳴らします。私たちの心の中には、108もの煩悩があり、その代表的なものが、貧・瞋・痴という3つの垢「三毒」です。貧とは、現在に満足せず、もっとほしい、まだ足りないという、むさぼりの姿。瞋とは、自分の努力を怠っての失敗を他人のせいにしたり、思いやりを忘れて、怒りを他に向けてしまう姿。痴とは、愚痴ばかり言う愚かな姿のことです。この様な煩悩は、誰しもが持っているもので、生きている限り仕方ないことでもあります。しかし、それを外に向けて、他人に迷惑をかけてしむうか、むさぼりや怒りや愚かな心が出てきた時に、ぐっと堪えて、自分への試練と受けとめられるかによって、その人の価値がだいぶ違ってきます。私達のこの命は、過去に戻ることは出来ません。又、明日の命がどうなっているのかもわからないのです。ならば、今という一瞬をどう生きるかを考え、その中で、3つの垢を出来るだけ外に出さない様に努力することが生かされているものの使命なのかもしれません。私達は、日頃から他人の行動ばかりが目につき、気になるところですが、脚去照顧ということばがあるように、日々自分の足下をしっかり見つめ、生かされる喜びをかみしめながら生活することが、大切です。この辰を迎えて、この一年の垢や罪をあの鐘に託し、真の心を持って新年をお迎え下さい。

■第808話
新年明けましておめでとうございます。「一年の計は元旦にあり。」といわれるように、今年の一年も、お念仏をお称えさせて頂く毎日を過ごして行きましょう。正月早々、お念仏の話など縁起が悪いと思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかしそれは、とんでもない間違いです。今から、八百年ほど前、浄土宗第三祖、大本山鎌倉光明寺を開かれた良忠上人は、若いころ、出雲の国の鰐淵寺(がくえんじ)というお寺で修行をされていました。阿弥陀様のご本願、お念仏の功徳を学んだ良忠上人は、十四才の元日の朝に、「五濁の憂き世に生まれしは 恨みかたがた多けれど 念仏往生と聞くときは 還って慶(うれ)しくなりにける」という歌をお詠みになられました。
五濁(ごじょく)とは、時代が下がるにつれて起こる五つの汚れのことです。濁とはにごるという字を使います。
一つには劫濁(こうじょく)といい、飢饉、疫病、戦争などの社会悪、
二つには見濁(けんじょく)といい、思想的な汚れで、邪悪な考えがはびこり、
三つには煩悩濁(ぼんのうじょく)、人間の持つ貪り(むさぼり)、瞋り(いかり)、痴さ(おろかさ)などの煩悩が盛んになり、
四つには衆生濁(しゅじょうじょく)、人間の質が低下して、善い行いがなくなり、
五つには命濁(みょうじょく)、人間の寿命が全うできない。ということです。
まさしく、現在も、戦争、モラルの低下、凶悪犯罪など、五濁の中にあります。つまり、良忠上人は、この正しい行いをしづらい世の中において、いつ来るとも知れない死が、阿弥陀様のご本願であるお念仏をお称えすることで、浄土に往生できることを知った喜びを歌にされたのです。しかし、その時に、先輩の僧侶が、「念仏には称える時期がある。気を悪くする人もいるので、正月早々気をつけたほうがいい。」と忠告をされたそうです。しかしながら、十四才の良忠上人は、お念仏には、称える時期などはなく、いつでも何処でも、有難くお称えするものだという確信を心ひそかに、お持ちになられていました。私たちもこの世において、お念仏の教えに出会えたことの喜ぴを感じ、新年早々、お称えし、日々続けていく一年となるよう精進七ていきましよう。

■第809話
先日、火星の様子の映像をニュースで見ました。科学の進歩に改めて感心させられた反面、人間の心は進歩しているのか、改めて考えさせられました。国際間における戦争や対立、国内においても、凶悪犯罪のニュース。とりわけ、犯罪が低年齢化するとともに、多くの犯罪において、まことに、自分勝手な都合で罪を犯し、社会を混乱させているように思えます。
私たちは、お釈迦様がお亡くなりになってより、約二千五百年、末法の時代に生きているとはいっても、正しい教えは伝わっているはずです。法然上人ご在世の時代も、混乱する杜会の中で、人々は悩み苦しんでいました。その中で、智慧第一の法然房といわれた法然上人がお勧めくださった正しい教えとは、阿弥陀様の本願を信じ、唯一お念仏をお称えする。ということでした。他に類を見ないほどの学問を修めた法然上人が選び取った教えが、知識や智慧をきわめ、生きながらに悟りを開くのではなく、「愚痴に還りて、極楽に、生まる」つまり、法然上人自身も、また、全ての人が、自分自身が愚かな人間であることに気づき、亡くなった後に阿弥陀様のご本願により極楽に往生させていただくというお念仏の教えだったのです。
どんなに科学が進歩しようとも、人間の心はそう変わるものではありません。逆に、学問や知識にとらわれて、皆が高慢な心となり、争いが絶えない社会になってしまっているようです。法然上人がお亡くなりになる二日前に残された、一枚起請文には「智者のふるまいをせずして唯、一向に念仏すべし。」と書かれています。よい社会となるには、私たちが、愚痴や欲望にまみれ自分勝手な振る舞いをしている、愚かな自分自身に気づくことが肝心です。そして、そんな、私たちをもお救い下さる阿弥陀様の大慈悲のみ心に感謝し、ご本願であるお念仏をお称えすること。まさしく、ただ、一向に念仏することが、法然上人のお勧めくださった、正しい教えであります。

■第810話
先日、ある本にこのような文章がありました。『「うちの子はちっともいうことを聞かん」と怒るよりも、「こんな子に育てて…」と詫びていく親のすがたに、心ひかれるものがある。』 この文を読んで私は自分の子供のころを思い出しました。私が高校生のとき、学校で問題を起こし、母親が学校に呼び出されたときがありました。担任の先生と三者面談となったのですが、その時に、先生に謝っている母親の姿を見て、私はなんて事をしてしまったのかと、反省させられました。普段なら、「家に帰ってまた怒られる。」と思っていたのですが、その日は両親に怒られることはありませんでした。しかし、悲しそうにしている両親をみると、怒られた時以上の衝撃がありました。「親をこんなに悲しませて。」わが身の至らなさを反省し、両親への感謝の心でいっぱいになったのでした。親が子供を叱るのは当たり前。しかし、親が、自分自身を詫びていく姿に、子供は怒られる以上のものを感じるはずです。
さて、私たちにとって、阿弥陀様は、至らぬ子を慈しむ親のようでもあります。阿弥陀様は、西方極楽浄土を建立され、私たちをお救い下さるために、五劫という長い間、修行を積まれました。その修行は、私たちに代わって積まれた修行であり、時間がかかったのも、私たちの罪深さに原因があるのです。しかし、阿弥陀様の御心は、この世において、もがき、苦しみ、煩悩を捨てきれずに悟りを開けない、私たち人間を、何とかして救わずにはいられないという慈しみの心と、悲しみの心であります。それは、まさしく、親が子を思う姿そのものであります。その御心を思ったときに、私たちは改めて、阿弥陀様への感謝の念でいっぱいになるはずです。阿弥陀様が極楽浄土を建立し、仏となられるために誓われたことは、こんなわたしたちでも、お念仏をお称えすれば、極楽に往生させるという、わたしたちのための誓いだったのです。自分に代わって、謝ってくれる人がいる。自分に代わって修行してくれる人がいる。それを知った時、わが身の至らなさと、感謝の念がこみ上げてきます。 
 

 

■第811話
私の自坊のお檀家様で、数年前ご自宅て発作を起し倒れられた方がいます。処置が早く一命を取り留めましたが、発見が遅れていれば、助からなかったとの事です。倒れてから目覚めるまで意識の無かったその方は、後にその事実を知り、もしそのまま目覚める事が無かったら、と夜寝る事にも大変抵抗があったと言います。体が快復するにつれて、恐怖心は今生きている事への感謝の気持ち、又自分を救けてくれた多くの人々への感謝の気持ちへと変わり、自分の命は常に誰かに、なにか大きな力に生かされている存在なのだと言う事に気が付いたと言うのです。元々熱心な念仏者でしたが、それ以来、朝目覚めた時、夜寝る前には、当時の気持ちのまま、生かされている自分に感謝し、お念仏も唱えているそうです。こうした命に関る体験を誰もがするとは限りませんし、又したいとも思わないでしょう。ただこの事を切掛とし、生かされている命を強く感じて日々を過ごす事が出来ることは大変に幸わせな事だと思います。
私達人間はいつでも岐路に立ち選択を強いられる存在です。先程のような大変な体験は無くとも、日々の生活の中には数多くの切掛が密んでいる事でしょう。日々の営みを真摯に受けとめ、自身を顧みる事が出来れば、あなたもきっと生かされている存在なのだと言う事に気が付くでしょう。私どもは阿弥陀佛の本願であるお念仏を切掛としてその事に気が付かせて戴きました。私達の命は数多くのご先祖様からいただいた大切な命であり、この命を全うする為には多くの助けが無ければままなりません。生きている自分は一人だけれども生まれる事も生きる事も一人では出来無いのです。その事が心に留まれば生かされて生きると言う日々が送れるでしょう。そして忘れないで欲しいのは、貴方も又誰かを、何かを生かす事の出来る大切な命だと言う事です。生かされて生きるから生かされて生かす人生をお送り下さいます様念じましてお話を終わります。

■第812話
寒い日が続きます。私の生まれ育ったお寺は葉山の海辺です。冬の朝に月参りに伺いますと、皆さん仏間を暖かくして丁寧にむかえて下さいます。外は大変寒いですからスクーターに乗ると「ソレッ」という感じで突っ走ります。地元のお檀家さんの家々を通り抜け海が見えると皆さんに見守られているようで安心してきます。それでもとびきり寒い朝にはふんぎりが必要です。スクーターでの寒さに我慢できなくなると、好きな歌手の歌でも唄って半ば「ヤケクソ」です。途中で土地の方にお会いしますから、配達途中の商店の皆さんや、海の様子を見ている漁師さん達とチラッと会釈します。今はそれだけで寒さも出掛けのお寺のゴタゴタも全て解決したような気になってスイスイおまいりしてしまいます。増して伺った先のお檀家さんは思いやりを持って大切にむかえて下さいますからだんだんのってきます。知らず知らずに無事にお勤めさせて頂き、皆様の心遣いを感じます。
ただ最初の頃は寒さ等でカッカすることもしばしばで、土地の皆さんの仕事や状況を察しながら互いに気持ち良く生活しようという知恵や優しさに私は気づこうとしません。しかし、スレ違う酒屋さんや豆腐屋さんは何十年も前から冬の寒い朝に仕事をしておられますから、こちらの気持ちはとっくにバレています。「寒いなあ、でも仕事だあ、しょうがないやっちゃおう。」それとも「あの若僧半ばヤケで鼻歌歌ってらあ、寒いもんなあ。」といった感じでしょうか。その上で「あお、あの若いのやってんなあ」と大目に見て下さいます。お寺と土地の皆さんとの代々のお付き合いに支えられている感じがします。お正月のテレビで寅さんの映画をやっていましたが、或る時、満男は好きな子ができて、急に寅さんの恋を察する様になり、つぶやくシーンがあります。「僕はもう、おじさんのいつものふられっ振りを笑えなくなりました。何だか急に尊敬や愛着を感じるのです。」といったセリフだったと思います。私も満男と同じ様に土地の皆さんの知恵や心遣いに気付いて少しは仲間入りさせて頂いているかなと感じています。何も判らない間に何代ものお檀家さんとお念仏を通じたお付き合いで、今日も一生懸命働けます。

■第813話
私達、人間とは様々な経験を重ね、日々生活しています。お釈迦さまの教えの中で、三毒と呼ばれる「むさぼり」「いかり」「おろかさ」は代表的なもので、例を挙げればキリがありません。今回はこのお話しをしていきたいと思います。
まず、「むさぼり」ですが、“欲をだす”“欲が出る”誰でも経験のあることだと思います。“欲しい欲しい”上限を知らず無理をしても得ようとする心。欲が多すぎると、正しく物を見たり、判断がにぶったりと、強いてはまわりが見えなくなってしまいます。“足るを知る”という有名な言葉がありますが、自分の利欲より他人の幸せを願う生活につとめていると、様々な幸せは必ず自分に還ってくることを最初に申し上げておきます。その次は、「いかり」です。“腹が立つ”腹を立てれば心が落ちつかなくなり、暴言が出、最悪の場合喧嘩となることは少なくありません。これはとけも悲しいことです。暴言暴力によって事が収まることなど絶対にありません。これは、自分のことばかり考えて、相手の立場や事情を理解しようとせず、期待、思う様にいかないから腹を立て、もっと悪いことに頭にきて正しい思考力を失ってしまうのです。良く考え、相手の立場・思いをくみとった言葉ならいかりは起きません。暴力もありません。良く考えてみたいことです。最後は「おろかさ」です。愚痴をこぼす、過去のことにいつまでもしがみついている。悪いことは他人のせいにする。これらもよくあることです。私達は日々生きる上で常に自分に謙虚であり、大きく広い心を持ち、受け入れる気持ちを養うことで、どれ程明るく・楽しくこの世を生きられるか、人に思いやりと相手を許す心が備った時、そこに幸せは必ずやって来ます。皆に幸せが広まるでしょう。これこそが阿弥陀さまの慈悲の心です。
南無阿弥陀仏の念仏の中に日々生活をする様心掛けていると、自分の気持ちがずいぶん楽に軽くなってきます。“おかげさま”です。言うは易く、行うは難しですが、物に執着せず、人を受け入れる心を持つことで自分も人も幸せになる。少しずつ始めてみませんか?

■第814話
今回は私達の浄土宗をお開きになられた元祖法然上人のお話をしたいと思います。法然上人は武士の家にお生まれになり、幼少の時の名を勢至丸と言いました。九つの時、恨み、ねたみから夜討ちに遭い、目の前でお父様が殺されてしまいました。お父様は臨終間際、勢至丸を呼び「仕返しをしてはいけない、恨みを返せばまた、その恨みを返され終わる時がない、お前は出家し救われる道を探しなさい」とご遺言されました。法然上人は悲しみを胸に秘め出家し、自分だけでなく、どうしたら全ての人々が様々な苦しみ、悲しみ、悩みなどから救われるのだろうかと30年以上も私達に代わって修行し苦悩し続けられ、やっとその答えを見つけて下いました。この長いご修行の間、お父様のご遺言をかたときも忘れることは無かったことでしょう。その答えこそ、阿弥陀様の御本願を信じ南無阿弥陀仏とお称えすれば、誰でも必ず救っていただけ、西方極楽浄土へ往生出来るという「お念仏」の教えで御座います。法然上人が私達のために生涯を掛けて見つけて下さった、この素晴らしい教えを信じご一緒にお念仏を称えて参りましょう。

■第815話
前回、法然上人が私達の為に南無阿弥陀仏というお念仏を見つけて下さったと言うお話をしましたが、今回は私事ではありますが1つのお話をさせて頂きます。先日、私は祖父を亡くしました。生前祖父の手を取り家路を歩いていると突然、祖父が「そろそろ阿弥陀様のもとへ行くかのう」と西の空へ手を合わせ「なむあみだぶ、なむあみだぶ」とお念仏を称えました。その時の表情は目が輝き、ほがらかな幸せそうな顔をしていたのを覚えています。それから数年後、祖父は倒れ寝たきりになってしまいました。家を訪ねるといつも帰り際に「南無阿弥陀仏、ありがとう」と笑顔で言ってくれました。容体が急変し何か私に出来ることはないかと思いましたが、何も出来ません。本当に自分は無力だと痛感していると、心の中から祖父がいつも称えていた南無阿弥陀仏というお念仏が浮かび上がってきました。その時、そうだ、祖父には法然上人の教えを信じ南無阿弥陀仏とお称えするお念仏という心強い味方がついているのだ、と確信し救われる思いがしました。これからは西方極楽浄土の阿弥陀様のもとで私を見守り、導いていただけることと思います。1人でも多くの方にこのありがたいお念仏に縁をもっていただき、お念仏を信じお称えする充実した人生を送ってほしいと思います。

■第816話
前々回と南無阿弥陀仏のありがたさと誰でもお念仏によって救われることが出来るというお話をしてきました。現在、世界ではイラク攻撃で沢山の人が亡くなり、北朝鮮問題では家族とも会うことが出来ないという、人としてあってはいけないことが起こっています。日本では核家族化が進み、おじいさん、おばあさんがたまにしか孫に会えず、お年寄りの役目であったご先祖様に感謝し思いやりの心を孫たちに伝えるという日本の良い文化が無くなってきています。子供や弱い人を限度なく、いじめたり、虐待したりまた殺してしまったりする事件が多い悲しい世の中になっています。法然上人の生きていた時代は戦乱の殺伐とした世の中で、その点は現在も非常に良く似た時代であると思います。お念仏を称えたくとも忙しく称える暇もないという方が多いかと思いますが、やはり少しでもご先祖様に感謝し自分を見つめ直す時間を作ることが必要だと思います。法然上人はお念仏は沢山した方が良いがする時間がなければ時間がある時にお称えすれば良いと仰っています。今月はお彼岸の月で御座います。お墓参りに行かれる方も多いと思いますが、この機会にご先祖様と正面から向き合い自分を見つめ直して、南無阿弥陀仏とお念仏に励みたいものです。

■817話
4月を迎えますと、増上寺や知恩院を始め、浄土宗の寺院では御忌という法会が行なわれます。御忌とは、貴い方の法要のことですが、今では法然上人のご命日の法会を指しています。丁度この頃、増上寺の芝公園、知恩院の円山公園は桜の花が満開になります。
御忌迎え 宗祖をしのぶ 桜花
御忌は宗祖法然上人のお徳をしのび、法然上人のみ心にふれさせていただく法会なのです。例えば熊谷真実が信仰のために、京都に行きたいが年老いた母がいるのでそれが出来ない、という悩みの手紙に、「孝養は本願の行ではありませんが、老母も89才、今年など大切な時かも知れませんので用心してください」とお諭しになられています。法然上人は宗教者として、厳しく浄土宗の本願を示されましたが、一面、人間法然としての優しさもうかがうことができます。このようなお人柄、み心にふれさせていただくことが、御忌会の大切なことなのです。これは、私たちがご先祖のご命日を迎えるときも、同じです。ご命日や亡き方のお年忌の時には先き立たれた方々のお人柄にふれ、己の心の中に生かすことが大切です。
先立てし 他人の心を 身にうけて 手をば合せて ともに祈らん

■第818話
鶯が鳴き始めました。なんとも幼稚な声です。毎年のことですが同じことを何度も何度も稽古をしている間に、すばらしい鳴き声になっています。皆さんのご家庭で、今年幼稚園に入られたお子さんがいられますか?迎えのバスが来た時に、お母さんの手を離さずお母さんや先生を困らせた人、お返事が出来ない子、何かと泣いている子、さまざまです。絵や歌が上手に出来なかったお子さんもいられると思いますが、一年もたつとバスに乗らない子はいません。お友達も出来、絵も歌も上手に出来るようになります。これが精進です。一生懸命にされた結果です。
お念仏も同じです。誰れでも最初から大きな声を出して、上手にお称えすることは出来ません。それにもかかわらず、少し前からお念仏を申している方は、先輩顔で、さも自分は最初から出来たと言わんばかりに話します。錯覚の中で、さも自分はすばらしいお念仏を申せる、と思ってしまう。高慢な姿です。鶯が毎日の練習で、すばらしい谷渡りが出来るように、幼稚園の子どもさんが、一生懸命勉強したので絵や歌が上手になったように、毎日を真剣にお念仏を申していると、阿弥陀親様が笑顔を見せて下さるお念仏の行者になることが出来るのです。
怠らず 今日も初心で 春の朝

■第819話
美くしき 花と言はれし 桜花 今宵の風に 姿消えぬる
最近、桜の花の咲くのが早くなってきました。今年も、途中で寒さがきたものの、4月の声を聞く頃には散り始めました。散った花は、日が経つにつれ、あの美くしかった桜とも思えないほど、見苦しい姿に変っています。これが自然界の姿ですネ。庭に散った花は、掃いても離れるのはいや…と土にくっつき、野や山の花は、日に照らされ、雨に打たれて、いつか美くしい花を咲かせる糧となります。このくり返しが、いつまでも続いています。永遠の生命です。私たちも同じです。多くの恵みの中で、生き、生かされているのです。このことに気づくことが大切なのです。自分の力で生きている、と思っているのは錯覚で、多くの助けがあって、生かされているのです。アリガトウ、…と大きな恵みに、誠の心で感謝して、生活することを、宗教的に生かされていると、いうことなのです。
恵まれし 今日の一日 幸せと 思う心に なるぞ嬉しき

■第820話
日々の生活を振り返ってみますと、落ち着いて、心安らかに過ごしている日は余りありません。家族や友人との人間関係や病気や仕事、又、行く末などさまざまな悩み苦しみを抱えています。お釈迦さまはこの世を『苦しみの娑婆』と言われました。そのとおりだと思います。お釈迦さまは、その苦しみから解放される道を教えてくださったのです。その究極がお悟りです。悟りとはいわずとも、私たちが日々の苦しみから解放された状態とはどんなものでしょうか。考えてみてください。不安や心配が無く、心平安で、とても穏やかです。このような時、私たちは心に安らぎを覚えます。幸せだなって感じることが出来るのです。つまり仏教は、究極の幸せ、悟りに至る教えですから、当然ながら、私たちの日々のささやかな幸せをも、もたらしてくれる教えであるといえるのです。ですから、早くこのことを知って、身近に、親しみをもって仏教とご縁を持っていただきたいと思います。
まだそんな年じゃないから、お寺に行くには早すぎるという方がいますが、幸せのためなら早いに越したことはないのです。ただ単に、亡くなった人への追善の供養だけがお経ではありません。その真髄には、私たちの幸せを願うみ仏さまの大いなるやさしさが込められているということを知っていただきたいと思います。是非、心穏やかに、幸せを感じながら毎日を暮らすためにも、仏教、殊に南無阿弥陀仏のお念仏の教えを生活の中に、取り込み、活かしていただきたいと思います。次回は、『幸せへの第一歩』についてお話ししたいと思います。 
 

 

■第821話
前回は、仏教が私たちに幸せをもたらしてくれる教えであるということをお話しましたが、ではその第一歩はどこにあるのでしようか。お釈迦さまは、まず「それは『自分を知る』ことですよ」とおっしゃいました。最近私たちは時間や仕事に追われ、自分を振り返ることが少なくなりました。自分を知るということは、ただでさえ大変なことです。自分自身を考えても、優しい面もあれば冷たい面もありますし、穏やかな面もあればきつい面も持ち合わせています。さあどっちがほんとの自分なのかといわれても、どちらとも決めかねますし、又、どちらも自分なんですね。誰しも相反する二面性を持ち合わせています。年とともに考えや性格も変わってきますし、能力も変わってきます。また、突発的事態に出会った時など、自分がどのような行動をとるのか予測し難いものがあります。自分が分からないというのは本当に恐ろしいことです。いずれにしても、自分がどのような自分であるかその本質を見極めるということが必要なことでしょう。
自分を知らなければ、自分をコントロールすることが出来ませんから、幸せに向けて歩くことなど出来ないからです。ところが困ったことに、人間はいつも気持ちが揺れ動いています。法然上人は、人の心は、枝から枝に飛び移るサルのようだとたとえられました。落ち着かないんですね。つかみ所がないんです。心を落ち着けようにも、いうことを聞きいてくれません。自我というものが、欲望に任せて一人歩きをしてしまうんです。ではどうしたらいいんでしょう。次回お話したいと思います。

■第822話
皆さんどうですか。幸せになりたいですよね。いい思いをしたいですね。自分から悩んだり、苦しんだり、病気になりたいなんて思う人は一人もいないんです。でも、思い通りになってくれないのがこの世の中です。辛いことです。でもこのことに気づいたときこそ、チャンスなんです。自分を知ることの中で、自分の力ではどうしようもない、み仏にすがるしかない自分であることを知るということが最も重要なんです。この自覚こそが、幸せへの出発点となります。何故、ダメな自分を知ることが、幸せへの出発点なのか。『自分が、自分が』という自我の驕りのあるうちは、ダメなんですね。謙虚さに欠ける気持ち、物事を受け入れる素直さがないということが、み仏の救いの手を知らず跳ね除けてしまうんです。
愚かな力のない自分を、知れば知るほど、み仏さまに心の底からお任せしなければならないという気持ちが湧いてきます。ここが最も大事なところです。すべてをお任せしたときに、み仏さまの救いのみ光がパッと差し込んでいることに気づかせて戴けるのです。有り難いお導き、お救いが自分の身に働いてくるのです。自分を照らしてくれる明るい光によって、勇気が湧き、生きる希望が見えてきます。謙虚に、驕りを捨て、み仏さまにお任せし、南無阿弥陀仏とお念仏することが、幸せへの第一歩なのです。お釈迦さまがこの世にお出ましになられた理由は、「苦しみ悩む皆さんが南無阿弥陀仏と唱えるお念仏、お念仏によって、必ず救われますよということを、私たちに教えるためである」とお経にあります。どうぞ、この時代、お念仏を真剣に唱え、少しでも心の安らぎをいただこうではありませんか。

■第823話
浄土宗は皆様ご存知の通り、『南無阿弥陀仏』とお念仏をお称えする宗派であります。『南無阿弥陀仏』とは、昔のインドの文語(ぶんご)であるサンスクリット語の「ナーモー アミターバー」を漢字で音写(おんしゃ)したものです。『南無』とは「どうか宜しくお願い致します」という意味で、『阿弥陀』の『弥陀』とは「量(はか)る」という意味で、この上の『阿』という接頭語(せっとうご)がつくと意味が反対になり「量り知れない」という意味になります。すなわち『南無阿弥陀仏』とは、「量り知れない阿弥陀様、どうか私をお救い下さい」とお願いする言葉で、浄土宗のご本尊である阿弥陀如来様に対し、帰依(きえ)と信頼の心を持ってお称えします。阿弥陀仏は『無量寿』といわれる永遠(えいえん)の生命(いのち)と、あらゆる人々を慈悲の光を照らして漏らすことのない『無量光』という本質を備えた仏様です。
浄土宗の宗祖法然上人は、法然上人の代表的な著作(ちょさく)の『選択(せんちゃく)本願念仏集』の中で、阿弥陀仏の浄土へ往生するには、本願念仏を最要(さいよう)とすることである『念仏為先(ねんぶついせん)』と言われ「南無阿弥陀仏と仏の名号を称える事は、全ての功徳の帰するところであり、阿弥陀仏には智慧や体や心に関する無量の功徳があると云われていますが、それらの全ての功徳は、実は阿弥陀仏の名号の中に含まれており南無阿弥陀仏と名号を称える事が、もっとも優(すぐ)れた功徳なのです。」と説かれております。大本山光明寺御法主宮林台下は、「お念仏は毎日毎日の生活に生き、働く実践であり、阿弥陀様と一緒に暮していく事であり、阿弥陀様が私達を救うと誓った本願を思い、一声一声に感謝を込めて念仏を称えるとそこには仏様のお救いがあり守られていくのです」と言われております。今現在は安穏(あんのん)な人生があり、未来においては必ず阿弥陀仏のお浄土に往生できる事を信じて、今現在をお念仏をもって生活していきたいものです。

■第824話
前回のお話しでは、お念仏の功徳、そしてすばらしさについてお話致しました。宗祖法然上人は、一日に六万遍のお念仏を申されたと伝えられております。私達は人間の本質である煩悩を持っている凡夫(ぼんぶ)であり、日々の生活の中で、つらい事やきつい事をなるべくさけ、楽しい事、おもしろい事をついつい求めてしまい、お念仏をお称えする前に愚痴(ぐち)を言ってしまうのが私達であります。浄土宗の修行や行事の一つに、日常にお勤めする修行に対して、ある一定の期間・時間、特別なしつらえをした道場を設け厳修(ごんしゅう)する『別時念仏』という修行があります。法然上人がお説きになったお書物の一つに『七箇条起請文(しちかじょうきしょうもん)』があります。それには「ときとき別時の念仏を修して 心をも 身をも はげましと とのへ すすむへき 也」とあります。これは日時を定めて、身体(からだ)や心を清浄(しょうじょう)にして念仏の行に励む意識を持ち、ただひたすらに阿弥陀様のみ名を称え、お念仏を常に称え続け、お念仏によって心を清める修行であります。どうぞ、この修行が催(もよお)されている時は積極的に参加をしていただき、法然上人のお念仏のみ教えを、又お念仏とのご縁を深めていただきたいものです。

■第825話
今世の中では、新聞やテレビを通じてイラク戦争、児童虐待など毎日のように暗いニュースが報道されており殺伐(さつばつ)とした社会であります。浄土宗は、宗祖法然上人のご命日である毎月25日を世界の平和と人類の福祉を念願する『世界平和念仏の日』と定め、日本国内のみならず、浄土宗の全寺院と浄土宗檀信徒が人類共生(きょうせい)の実現である共生(ともいき)の願いとともに、世界の平和としあわせを願ってお念仏を称える日と致しました。1141年、法然上人が9歳の時、法然上人のお父様である時国公(ときくにこう)が敵に襲われて深い傷を受けました。その時お父様は法然上人に「恨みは恨みをよんで限りなく続く。敵討(かたきう)ちはしないで、争いのない平和な暮らしができる道をみつけてほしい。みんなが幸せになるように、立派なお坊さんになってほしい。」と最後の言葉を残されました。これを守られた法然上人は、阿弥陀様の全ての人々をお救いになる万人救済(ばんにんきゅうさい)の願いであるお念仏の教えを後に世に広め、浄土宗を開宗されたのです。どうぞ皆様は、この法然上人のみ心を広げ、平和な世界、平和な社会になる事を願い、阿弥陀様の慈愛(じあい)にみちた光が世界中の人々に照らされ日々の生活を送れますよう、毎月25日の法然上人がお浄土に帰られたご命日、そしてそのお時間である正午にそれぞれの場所で合掌をし、お念仏をお称え下さい。

■第826話
つい先日自坊では、恒例のお施餓鬼法要がとり行われました。お寺の年中行事のなかでも一番に大きな法要であり、大勢の檀信徒の皆様のお参りがありました。来年もまたたくさんの方がお参りにみえることでしょう。しかしながら、昨年元気にお参り下さった方の中には、今年は新亡の精霊となって、まつられている方もあります。今年お見えの方々が、一人残らず来年のお施餓鬼にも元気でお参りいただけるでしょうか。残念ながら、必ずしもそのかぎりではございません。「諸行無常」の言葉のとおり、人の世は誠にはかないものであります。私は三十代のなかばでありますが、お陰様でこれといった病気もなく、毎日元気に生かさせていただいております。それでも時折自分の死について考えこんでしまうことがあります。自分は何の病気で死ぬのだろう、もしかすると交通事故かもしれないな。などと考えてしまいます。老若男女を問わず、人は常に死への恐怖やおそれと隣りあわせに暮らしているとも申せます。しかしここで、死というものを考えると同時に生というものも考えてみましょう。自分は本当に生きているのか、ということです。どんな人でも見捨てない、阿弥陀様の大きなお慈悲の光の中に生かされているということに気づき、感謝し、お念仏をお称えして日々の暮らしをさせていただくことこそ、本当に生きている姿なのです。

■第827話
皆様、いかがお過ごしでしょうか。梅雨時や、夏の熱帯夜というものは、ムシムシと暑く、夜、床についてもなかなか寝付けない夜もあるかとおもいます。暑い夜にかぎらずとも、旅先で枕がかわったときや、ねる前においしいお茶を頂く機会があったときもそうです。私自身は、とても心配なことがあるときや、あくる日に研修などがあり、早起きをしなければいけないときなど、早く寝ようと思えば思うほどますます目がさえていき、気がつけばおもてが白々と明るくなってきてしまった、という経験が何度かあります。ところが、寝よう寝ようともがいていても寝付けずに、こうなったらいっそこのまま起きていようかと考えをかえたり、眠れぬことにまかせてジッとしていると、不思議なことにスーッと眠ってしまうことがあります。
皆さんもご経験がおありではないでしょうか。このようなことは、南無阿弥陀仏のお念仏にもあてはまる気がいたします。自らの力でお悟りをひらこうとどんなに努力し、必死にもがこうとも、罪悪生死の凡夫であるわれわれは、ついつい目先の誘惑に負け、怠惰になってしまいがちです。しかしながら、阿弥陀様はどんな人でも平等に救いとってくださいます。心から阿弥陀様におまかせして申すお念仏こそ本当のお念仏なのです。我々にはすべてをおまかせできる仏様、阿弥陀様がおられます。本当に嬉しく、ありがたいことです。

■第828話
浄土宗の法要の中では、木魚などを使い、必ず南無阿弥陀仏のお念仏を申します。皆さんもお耳にしたことがあったり、ご一緒にお唱えしたこともあるかもしれません。その部分を「念仏一会」といいますが、そのお念仏を申す前に必ず「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」。という偈文をお唱えします。その偈文を「摂益文」といいまして、仏様のお解きになった浄土宗の大切なお経、「観無量寿経」の中の一節であります。訓読をいたしますと、「光明はあまねく十方世界を照らして、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」。となります。阿弥陀様の無量のお慈悲の光はあらゆるすべての世界を照らしていて、そのみ光に気づき、お念仏を唱えるわれわれ衆生を阿弥陀様の世界、すなわち極楽浄土に救いとってくださり、そこからお出しになることはありません。阿弥陀様のみ光は、すでにわれわれのもとに届いているのです。大事なことは、そのみ光に気づくことでありましょう。そして気づかせていただいた上で、阿弥陀様に全てをおまかせし、心から救われたいという気持ちをおこして、南無阿弥陀仏のお念仏をお唱えすることです。まさしく「時は今」です。お念仏をお唱えしましょう。阿弥陀様の光はすでに届いているのですから。

■第829話
『生けらば念仏の功つもり 死なば浄土へまいりなん とてもかくてもこの身には 思い煩ふことぞなきと思ひぬれば 死生ともに煩ひなし』 という法然上人のお歌があります。生きているあいだはお念仏を称えてその功徳が積もり、命尽きたならば極楽浄土に参らせていただきます。いずれにしてもこの身にはあれこれと思い悩むことなど無いのだと思ったならば、死ぬことにも生きることにも、何ごとにも思いわずらうことはありません。という意味であります。
先日、三十半ばの男性が仕事帰りに交通事故で亡くなられました。朝、奥様とまだ一歳のお子様に元気に「行って来るよ」とでかけ、夕べには帰らぬ人となってしまいました。奥様やご両親の悲しみはとても深くつらいものでした。人間にとって死は大きな問題です。生を受けたからにはいやだと思っていても、必ずいつの日か死を迎えなければなりません。そして、その死は、今の話のようにとつぜんやって来るのです。法然上人は、そのような死生のわずらいをお念仏の生活ですべて取りはらわれたのです。お念仏を称えることで阿弥陀仏の本願により、死後は極楽浄土へ生まれさせていただきます。極楽浄土で先に往生なされた方々との再会をはたし、また残してきた方々ともやがて会うことができる、決して孤独ではありません。生きている間のわずらいも阿弥陀仏の慈悲の光で雪が陽にあたって溶けるがごとくいずれ消え去っていくのです。生ある今は、阿弥陀仏の本願を心から信じ、ただひたすらにお念仏を称え、死生ともにわずらいなしの生活をおくりましょう。

■第830話
法然上人は、すべてを阿弥陀仏におまかせし、命終わった後には西方極楽浄土に往生させていただきたいと願い、ただひたすらお念仏を称えることが大切です。と、言われております。それでは、阿弥陀仏によって造られた西方極楽浄土とは、どのような所なのでしょうか。浄土宗では、「浄土三部経」という三つの経典、「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」をよりどころとしております。そのひとつの「阿弥陀経」に、『ここから西方十万億の仏土を過ぎたところに、一つの世界がある。名付けて極楽という。その土に仏があり、名を阿弥陀といい、今も現に在って法を説いている』と書かれております。ですから、西の方角に極楽浄土があり、そのお浄土に阿弥陀仏がいられるのです。また「無量寿経」には、阿弥陀仏と極楽浄土のことが説かれております。
それによると、『遠い昔、法蔵菩薩という修行者がいて、すべての者を救いたいという願いをおこしました。そして、多くの浄土を観察し、それらの長所と短所を見極め、すべての者を救うためにはどような浄土がよいのかと考えました。長い長い時間をかけ、ついに法蔵菩薩は、その願いと誓いを四十八の項目にまとめ、修行を重ね、今から十劫の昔にそのすべてを実現して、極楽浄土を建立し、阿弥陀仏となられたのです。阿弥陀仏は、その四十八項目の第十八番目に「あらゆる人々が、心から極楽浄土に生まれることを願い、念仏を称えたならば必ず極楽に往生させましょう。もし往生できない者がいるならば、決して仏にはならない。」とお誓いになられました。阿弥陀仏は、私たちに代わって長い間ご修行をなされ、あらゆる人を救い迎え入れてくれる極楽浄土をお造りいただいたのです。一人ひとりの往生を願うお念仏の声を聞いてくださり、誰一人も漏らさずに極楽浄土へ迎えてくださいます。なんとありがたいことでしょう。それには、心から誠の気持ちで極楽往生を願いお念仏をお称えすることが大切です。お念仏の教えに出会ったときから、臨終までご一緒にお念仏を続けてまいりましょう。 
 

 

■第831話
浄土宗の教えは、極楽浄土への往生を願い阿弥陀仏の救いを信じ、一心にお念仏を称えることであります。お念仏とは、ご承知の通り「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏の名を口に称えることであります。これを『称名念仏』と申します。法然上人は、愚かな凡夫である私たちのはからいをやめて、強い信心をもってお念仏の行に励み、往生を願って下さい。』と述べられております。では、この強い信心とはどのようなことでしょうか。これはお念仏を称える心のことです。浄土三部経の一つ「観無量寿経」に『極楽浄土に生まれたいと願う者は、三種の心をおこしたならば往生できる』と説かれています。三種の心とは、至誠心、深心、回向発願心の三つの心で三心といいます。一つ目の至誠心とは、真実の心。表も裏もない素直な心のことです。二つ目の深心とは、深く信じる心。これは、二つに分けられ、一つは、自分は煩悩にまみれた凡夫であることを自覚すること。もうひとつは、称名念仏によって阿弥陀仏の救いをいただき、極楽に往生がかなうと信じる心のことです。三つ目の回向発願心とは、自分だけでなく、すべての人々のために善き行いを振り向け、共に極楽往生の願いを起こすという心になります。
さて、極楽に往生するために必要なお念仏の心がまえの説明をいたしましたが、いかがでしょうか。「私には、とてもそのような心をおこすことなどできない」と思われた方も多いのではないでしょうか。確かに、この三心を具えるのは難しいことなのですが、法然上人は教えの中で、『お念仏を称える心を「三心」、またお念仏を称える四つの態度を「四修」とされ、その三心四修は行おうとすれば難しいものであるが、必ず往生できるとの思いで念仏を称えれば、自然とそなわってくる』と示されました。南無阿弥陀仏のお念仏をいつでもどこでも、いつのときにも称える中に自然にそなわってくるのです。ですから、私たちは、極楽往生に対しての疑いの心をもつことなく、私のような凡夫であっても間違いなく往生できると、堅く心に決めてただひたすらにお念仏を称えることが大切です。

■第832話
ご詠歌講の稽古が終わった後のお茶飲み話の中の一齣です。「私は、お墓参りをする時、お嫁さんと孫たちを誘います。独りでは行きません。そして、孫たちにお掃除させています。勿論、私もお嫁さんも一緒にしますよ、時には“バケツの水を替えてきてよ”と命令することもあります。でも、口を尖らせたり、反抗したりしません。お盆とかお彼岸ぐらいで、年に数回ですが“綺麗なお花を見て、おじいちゃん、喜んでるだろうね”そう言いながら帰って来ます」
二人のお孫さんは、中学も高校も卒えた女の子ですから、もう何年も続けられているのでしょう。私たちは一人で生まれてきたのではありません。そして一人で生きてはいけません。大勢の人達、沢山の物のお陰です。その上、私たちの目に、はっきりとは見えないご先祖さまを忘れてはなりません。先ほどの講員さんのように、お孫さんと一緒にお墓参りしたいものです。今は極楽浄土に往っておられるご先祖さま方が、私たちを見守り、導いて下さいます。“お孫さんと一緒が良い”と申しましたが、ご先祖さまと密接に繋がっている子孫の誰かとお参りしましょうということです。そして、ご先祖を思い浮かべて話をし、お礼を伝えましょう。時には“愚痴”も聞いてもらいましょう。「切っても切れぬ」ご縁のご先祖さまです、やがて『阿弥陀経』の中にあります「倶会一処」(くえいっしょ)(一緒に仲良く暮らす)のご先祖さまです。折に触れ、時に触れて墓参りをし、ご縁をいただいている大勢の方々、沢山の物たちに「南無阿弥陀仏」とお唱えするよう望んでおります。

■第833話
今週もご詠歌講員の話されたことどもを、お伝えします。 ・・「お母さん、今日、久し振りにお墓参りに行ったら、お墓への登り口に立っておいでの、六体のお地蔵さんの赤い帽子と赤い前垂れが色褪せてしまっていた。お地蔵さんのお顔が白く痩せて見えて気の毒だった、私も作るから、お母さん作って!」と他家にお嫁に行った娘が申して来ました。早速娘を呼んで一緒に帽子と前垂れを作りました。「負うた子に教えられる」とはこのことか、ご詠歌の稽古の日に、取り替えました・・との有り難い報告です。樹令四百年を超える「サルスベリ」の古木の下のそのお地蔵さまは、真っ赤な帽子、真っ赤な前垂れとすっかり衣替えをして木々の緑の中でお参りの人々に、にこやかにほほえんでおられます。
さて、お地蔵さまは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六界をそれぞれ担当し、苦の世界からの救出を続けて下さっておられます。「人間はこの六界=六道を生まれかわり、死に変わりしている」のです。ご先祖さまには、六道を輪廻(りんね)することなく、仏さまのお国に生まれていただきたいものです。私達の目の前にも、突然六道の迷い辻が現われます。夫婦の不和、親子のすれ違い、嫁・姑の争い、子どもの非行、どれもこれも放っておくと大事件になりかねません。このようなことが持ち上がった時、正しい道を示して下さるのが仏さまです。お寺にいらしたら、又お墓参りに見えたら先ずお地蔵さまにお参りして、和やかな、明るい毎日を過ごしていきましょう。お地蔵さまは必ず合掌する私たちの見方になって下さいます。

■第834話
ある日、70歳過ぎのご婦人が寺をたずねてこられました。私は“うつ病”で病気になると一日中寝ています。何もしないので嫁に「近くのお寺でご詠歌を習ったらどうですか」と云われて来ました。とのこと。初めてお逢いする方でうつ病。少々不安でしたが、「どうぞいつでもお出かけ下さい、お待ちしておりますよ」といいました。しばらくしてご詠歌の練習の日に見えました。初めはそわそわ落ちつきがなく、話もしませんでしたが、何回か皆と一緒に稽古しているとだんだん落ちつき、自分のことを話すようになりました。ご主人の定年後、二人で沖縄で楽しく過ごしていたこと、十年くらい経ってご主人が亡くなり、当地の息子さん夫婦と同居するようになったことなどなど。息子さんには、二人のお子さんがいて、お嫁さんはおつとめですので、今までの暮らしとまったく違った生活に不安がつのったのでしょう。お孫さん、お嫁さんと口争いがたえず、いらいらがたまって病気になったのではないでしょうか。季節の変わりめとか、不満、不安があると何日も寝ていたり、よくなると、急に一人で沖縄へ行ったりと、その繰り返しを何年もしていたようです。
最近は、朝、本堂にお参りし、六地蔵に線香をあげ境内を掃除する毎日になりました。ご詠歌の皆さんとも仲良くなり、「この頃、顔色もよく、元気になったわね」と云われています。頼りにしていた人が亡くなって、これからどうしたらよいかという不安な時に、ちょっとしたことに腹を立てて自暴自棄になって、“病気が治らない”“もう死にたい”と言ったのでしょうが、今は皆と一緒に阿弥陀様の前でご詠歌をとなえ、“うつ病”をのりこえ、お孫さん達とも仲良くなっています。さびしい時、不満がある時はご詠歌にいらして下さい、お話もしましょう。心がやすらぎますよ。

■第835話
10月といいますと、「体育の日」がございます。国民の間に広くスポーツについての理解と関心を深めるとともに、スポーツする意欲を高める日。ということで、昭和39年の東京オリンピックの開会式に因み、10月10日に制定されました。現在は十月の第二月曜日にかわりました。今年は、アテネオリンピックが開催され、前回のシドニーの時同様、月日の流れの早さを身に染みる今日であります。「不景気」「不景気」といわれ、戦争やらテロやら哀しいニュースばかりの中で、オリンピックの日本勢の活躍は一際喜ばしいものでありましたし、観ているこちらも心が湧く感じが致しました。では、私達は何故スポーツをするのか、私達が成長していく過程で大切なことが三つあります。『知育』『徳育』『体育』の三つです。『知育』とは、この私達の住む世界において、物事の判断を見極め、正しい見識を磨くこと。『徳育』とは、物事を的確に判断し、人道的な徳を育むこと。そして『体育』が、健康な身体を育むことです。
今日の「体育の日」とは、スポーツを通して自分の身体のこと、健康のことを考える日なのであります。身体が健康であれば、健全な精神を育むことが出来ます。そして健全な精神を育めばこそ、心も整って参りまして、正しい道を進んでいくことができるのです。お念仏という行の実践も、出来るようになってきます。浄土宗をお開き下さいました。法然上人も、心も身体も整えよとおっしゃっております。どうぞお念仏を支えとし、健康な心と身体で、毎日の生活をお送りいただきたいものです。

■第836話
連日連夜の猛暑が過ぎ、秋の音色が涼しさを一層際立たせる様になりました。秋といいますと「読書の秋」「スポーツの秋」、何をするにもとても過ごしやすい時期でございます。中には「食欲の秋」という方もいらっしゃるかと思います。浄土宗では秋といいますと、お十夜法要です。お十夜法要といいますのは、仏様の御説きになられました『無量寿経』というお経の中で、「この世で十日十夜、善行、つまり善い行いを修すれば、他の色々な仏様がいらっしゃる国で、千年間の修行を行うよりも優れた功徳が得られる」と言われております。そして、もっとも優れた善行こそがお念仏ということから、十夜のお念仏が行われるようになったのです。元々は、この季節に限って行われていたものではなかったようですが、いつしか、天地の恵みによる感謝と、十夜のお念仏の功徳の感謝とがそれぞれ結びつき、調度この秋の収穫時季に、お十夜法要が行われるようになったのです。
お十夜法要は、この神奈川でもとても盛んでございまして、その最たる場所が、この浄土宗における大本山であり、お十夜法要の発祥の地でもあります、鎌倉の光明寺様でございます。各お寺さんから沢山のお坊様方が集まり、僧俗一体で厳修されております。法要ともうしますと、何か堅苦しいイメージがあるという方もいらっしゃると思いますが、簡単にいいますと「お祭り」という意味もございます。つまり、私たちが生活していく上で、必要な物を与えてくださいます大自然への感謝の「お祭り」でもあるのです。私たちは、沢山の生命を頂いて豊に暮らしていくことができます。この感謝の心を忘れてはなりません。そして、生命をいただいて生きていくこの私たちをいつでも守り、導き、育ててくれるのが阿弥陀様です。どうぞこのお十夜を機会に日頃なかなか出来ません、感謝の気持ちを込めてお念仏をお唱えしてみては如何でしょうか。「読書の秋」「食欲の秋」でもありますが、まず「お念仏の秋」であるということです。

■第837話
秋もだいぶ深まってまいりまして、木々の葉が綺麗に染まり、私達の目をたのしませてくれます。
嵐吹く 三室の山の 紅葉葉は 竜田の川の 錦なりけり
皆様、どこかに秋を見つけにいかれましたでしょうか。私は幸い自分のお寺の庭で秋を感じることが出来ます。先代が庭に植えた沢山の紅葉が、毎年この時季になりますと、夕日が差込むことで光り輝き、それに照らされた庭の中が朱一色に染まるのです。毎年それをみていると、とても心が落ち着き暖かくなる感じがし、亡くなった祖父母もふとすると今にも私の前に現れて、元気にやっているか、と、声をかけてくれるような、そんな不思議で懐かしい感じが致します。今詠みましたお歌の中でも嵐が吹き、紅葉が竜田川に散り流れ、それがとても綺麗だと、ありますが、今年は例年に無く台風の被害がひどかったようです。かの有名な宮島の厳島神社でも相当な被害にあったと聞きます。その厳島神社には、普段からでも、海水やら潮風で腐食しやすいのに、八百年近くも昔と変わらない姿を保ってきております。それは常に寄せてくる海の藻の清掃や、砂の地ならしなどをして、対策を練っていたからだそうです。
当然、それは私たちにも言えることで、確かに普段から自分の身は自分で守らねばなりません。しかし人間の力というのは限りがあり、大自然の前では本当にちっぽけで無力なものです。では、こんな無力な私達は何を支えに生きていけばよいのか。それは阿弥陀様でございます。阿弥陀様は常々私たちをお見守りくださっております。人間、いつ、どこで、どんな形で自然の脅威にあうかわかりませんが、お念仏を支えとし、常に阿弥陀様と一緒という心が、安心感をおこさせるのです。今は亡き大切な方もお声をかけてくれましょう。日頃からお念仏をおとなえし、日々の生活に励みたいものです。

■第838話
人に対し、人としてのおもいやりを 今年の夏休みの中学生の課題として、「神奈川県下中学生人権作文コンテスト」を中学の先生方に依頼しました。夏休み後、沢山の人権の作文が集まりました。内容として特に多かったのが、子供の虐待、いじめの問題でした。それは時代の反映か、今年の夏休みの新聞、テレビ等で、毎日のように虐待がおこなわれていた実態が報道されていたためか、中学生に身近な問題として関心が集またのでしょう。政府が何故親が、保護者が小さい子に対し、虐待をするのか、その防止策はあるのかと議論されていましたが児童虐待防止法の制定とか、子供を守る施設として児童相談所の充実とかで、箱物行政が先行して、親とか保護者に対する心の内面の指導方法が今まで行われていなかった。特に若い夫婦は成長する中で与えられていない心の内面の欠如がでて、体だけが成長して、心の内面欠如のまま大人になり、虐待を生み出す要因をもっていたのである。
では、心の内面とはなんなのか、人に対し共通することですが、特に児童、老人に対する「おもいやり」です。「思いやり」とは、佛教でいわれている「施し」のことです。「ほどこし」とは与える心が一方的にはたらく心でそれを相手がどう受け止めようと関係のないことです。言い換えると、そうせずにいられない「内から湧きだしてくる真情であり慈悲の心と表現されている心のことです。これは、親が我が子に対して、「元気でいてほしい、良い子であってほしい」などと願いつつ育てていく心と一つです。病気をすれば寝ずの看病も当たり前、良いことをすれば喜び、悪いことをすれば涙を流して悲しんでくれます。このような親がいなくなったのでしょうか。立派なおもいやりのある親になるために、是非そのためには、幼児期から思いやり精神をそだてなければいけません。そうすれば当然、虐待がなくなるでしょう。

■第839話
思いやり 前話の第838話では、子供に対する虐待について、思いやりの欠如、佛教でいう無慈悲、自分本位の親に対することについてお話をいたしましたが、今回、お母さんの思いやりをみて、人を大切にする気持ちをこれから育てたいという中学生Uさんの作文を披露し、あらためて、母親はこうでありたいという姿をお話いたします。
Uさんの作文より ・・・ 私には老人性痴呆の祖母がいました。そのころ私はまだ小学生で、痴呆という病気を理解することが出来ず、母は私に「おばあちゃんはだんだん小さい頃に返っていっちゃうだよ」と説明してくれました。祖母の痴呆はひどく、母が洗濯、掃除するときにも、どんな時でも母の上着を離さず、「お母さん、お母さん」といって母の後をついてまわりました。母の一日はほとんど祖母に費やしていました。祖母の介護だけでも大変なはずの母は、小学生だった私のためにも、朝早くから朝食を作ってくれたり、放課後友達を呼んでもよいといってくれたりと、楽しい小学校生活を皆と同じにさせてくれていました。そのため、今思えばあの時の母には寝るとき以外に自分時間などは全くといっていいほどなかったように思います。そんななか、祖母を福祉施設へという話がでました。母はそれをことわりました。祖母が元気のときにいった、「自分の家のなかで、一生を終えたい」という気持ちを尊重したためです。母は最後まで祖母の介護をやり続け、祖母の一生.を、祖母の願いどおり、家でみとりました。どんな大変な時でも、祖母の、「自分の家で一生を終えたい」という気持ちを大切にし祖母が息を引きとるその最後の瞬間まで、祖母の生活の幸せを大切にし続けた母。また小学生だった、私に対しても、皆と同じような生活の幸せを大切にしてくれた母。あの時の事を、大変だったけど後悔はしていないよ。という母は、とても大きな思いやりを持った人だと思います。そんな母の事を、私は母親として、人間として尊敬するし、私もそんな、思いやりのある人間になりたいな。と思います。そのために、小さなことから少しずつ、人を大切にする気持ちを育てていきたい。・・・ 以上Uさんの作文です。
このUさんの母親こそ、施しをし、子供たちに、大きな影響をあてえたのです。

■第840話
自然を友として この世における、すべての生きとし、いきるものは、もとより、取り巻く自然環境も春夏秋冬と変化をします。これを、佛教では、諸行無常といっています。ところが人は、その自然環境にさからったり、不平不満をいいます。今年も、記録的な暑い日々がつづきました。そのために、人々は暑い暑いといって太陽に不満をぶちまけ、涼しさをもとめ、冬になると寒い寒いといって逆にそのような太陽をもとめたりします。そのような自然に対し私たちはわがままです。又今年は台風も特に多く、九州、四国、新潟では大雨がふり、大きな被害をもたらしました。10月にも大雨がふりました。このように、人々は自然環境の摂理とむかいながら、何百万年前から生きつづけてまいりました。今年も早や11月に入り、暑さもなくなり、台風もこなくなり、落ち着いた生活にはいりました。お米の収穫も終わり、今年も不平不満をいだきながらも無事にすごせるようです。このような自然と闘い続けながら人々はいかされてまいりました。
人々はこの11月を迎えると、よく生きてきたと潜在的に意識するようになり、次に私たちは一人では生きてこれなかったと、自然、家族はもとより、すべての人々のおかげであると考えるようになります。今までいろいろなむずかしいことがたくさんありました、それ故、有難うという言葉が理解されるのです。そのようなことから、11月は感謝の月です。感謝の行事としておこなわれるのが、文化の日、十夜、七五三、勤労感謝の日と沢山の行事がおこなわれます。七五三は親が無事にすごせたように子供も無事に育つように願うことです。親の背中をみて子供が成長する諺のように、自然の脅威にたち向かう親をみて、子供達も成長します。十夜は私たちを護ってくれた阿弥陀様の讃歎のお礼の法要です。勤労感謝の日は農作物が自然の恵みにより、我々にもたらしてくれた事を感謝すると共にすべて勤労そのものの有り難さ、尊さを顕揚せんがために祝日が設定されました。11月が過ぎれば寒い冬にはいります、この良き日々を得たのは、自然の力であることを認識し、自然は恐ろしいものではない、よき友であるとして対処すべきです。 
 

 

■第841話
『成道会』  12月に入り厳しい木枯らし、寒さを感じつつ一年の終わりを迎えようとしておりますが、ちょうどお釈迦様は今から2500年程前のインドにおきまして大変厳しい修行の中で12月8日にお悟りを開かれ仏陀となられたと云われております。この日はお寺におきまして『成道会』という法要がございます。これは、お悟りを開かれ仏陀となられた記念日としてお釈迦様を讃え奉り、私たちがお釈迦様の教えに従い仏道に励む事を誓い、お釈迦様の教えに感謝するという法要でございます。お釈迦様はお悟りを開かれ仏陀となられたことで、欲望、煩悩一切をお捨てになられたといわれております。そのお釈迦様は今日を生きる私たちに仏教の教えをお示し下さいました。けれども今の私たちはお釈迦様のようにこの世において悟りを開き、欲望や煩悩を捨て去る事は非常に難しく思えます。
お釈迦様はこうした私たちを救う為に多くの教えの中からお念仏の教えをお示し下さいました。その教えは遠くインドより伝えられ鎌倉時代にお念仏の元祖法然上人によって今日に伝えられております。欲望や煩悩を捨て去る事が出来ない私たちですがお釈迦様、法然上人がお説きになられたお念仏の教えを信じ、ありのままの姿、ありのままの生活の中でお念仏を唱えて行く事が大切ございます。私たちはお釈迦様のようにこの世ではお悟りを開けないけれども欲望や煩悩があればあるがままに自覚してお念仏の功徳によって阿弥陀様の慈悲のお力を頂く思いでお念仏に励んで頂くことが大切でございます。お念仏の元祖法然上人のお書きになられた一枚起請文の中に「只、一向に念仏すべし」というお言葉がございます。まさに今を生きる私たちへの教訓にして頂きたいものです。

■第842話
『仏名会』 残るところ、今年もわずかでございますが、皆様いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。「師走」と言われるだけありまして、昔からそれこそ普段静かにくらしておりますお坊さんも町中駆けずり回り慌しく年末年始の準備するというところから12月は「師走」といわれております。皆様もそろそろ年末年始の準備に取り掛かるところだと思います、そうしたお忙しい時期ではありますが、ここでお寺での行事を一つご紹介したいと思います。それは仏名会という行事でございます。これは過去・現在・未来の三世にいらっしゃいます、諸々の仏様に対し阿弥陀様の御名にふしをつけて南無阿弥陀仏と三回お唱えしている間に仏さまに向かい一回礼をする、この礼拝とお念仏を交互に繰り返していき、仏様のお力をもって私たちの罪、垢を消し去り払っていただくという行事でございます。私もそうでございますがなかなか人間は罪の意識というものを自覚できないものでございます。しかし、人間は一日に八億四千もの多くの事を思い、考えるとお経に説かれております。
八億四千の思いのなかには、良い事も思い、考えますがしかしそのほとんどがよからぬ事を思い、考える事が多いそうでございます。おまわりさんの世話にならなければ罪になら無い、良いのではありません。それらも大きな罪です。そうした知らず知らずのうちに積み上げてしまった私たちの心の罪、垢を消し去り払わしていただくのです。「仏名経」というお経には、「凡夫罪障垢穢の身は、百千劫を経て洗えども清め難し、唯礼懺清浄の水のみありて、衆生罪業の垢を洗うべし」と説かれております。一日一日が忙しくなってまいります私たちでございます、私たちの心も同様に忙しくなるものでございます。どうぞ皆様には「仏名会」また日々の生活の中でお念仏、礼拝に励んで頂き心を清めていただけましたら真に有難く思うところでございます。

■第843話
『除夜』 今年一年最後をしめくくるお寺の行事として除夜の鐘がございます。もともとは12月を除月、12月31日、大晦日を除日というそうでございます。旧い年を除く旧い日を除くという意味があり、そして大晦日、除日の夜という事で除夜と申すのでございます。ご存知の通り、除夜に打つ鐘は百八回でございますが、私たち人間は百八の煩悩、欲望があるといわれており除夜の鐘を打つたびに一つ一つ消し去って頂くのでございます。今年一年を振り返ってみますと私たちは自分では気付いてはおりませんが、知らず知らずに実に多くの罪を作り穢れにまみれながら今年一年過してきたように思えます。自らなしたこの一年の生活、心のあり方を振り返り反省、懺悔して一撞き一撞きの鐘の音と共に消して新しい年を迎えて頂きたいと思います。
新しい年を迎える私たちにお念仏の元祖法然上人はそのお言葉に「現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬくば、なによりともよろずをいといすてて、これをとどむべし。」とおっしゃられております。このお言葉の意味はこの世の生き方、過し方はお念仏を常にお唱えできる生活にしなさい。 もし、お念仏のお唱えに妨げがあれば、何事にもよらずそれを捨てなさい。つまり、お念仏中心の生活にしなさい。と教えて下さっています。全ての事をお念仏の助けとなるようにしむけていきなさいと教えて下さっています。私たちの生活の中にお念仏があるという過し方からから、お念仏の中に私たちの生活があるように新しい年を過していきたいものです。どうぞ新しい年が皆様にとりましてよい年になりますように。

■第844話
新らしい年を、皆様には健やかに迎えられたことと存じます。年の初めに「今年はこうしてみたい」「こんなことをしたい」と思いめぐらしたことと思いますが、年が終わってみると、なかなかその通りになっていないのが、常でした。私は今年の賀状に「新らしき 年を迎えるたびごとに 残せしことの 多きを悲しむ」と、詠みました。一廻り前の酉年の時、「日本人はニワトリさん」という言葉が流行りました。ニワトリは三歩歩くとすぐ忘れるのだそうです。日本人は忘れっぽい…ということを指したものです。たしかに、一時大変な騒ぎになっても、すぐ醒めてしまします。思いめぐらした計画も、次々と移り変る社会に追われ、いつの間にか流れてしまっています。そんな私たちですが、心の支えであるお念仏を、忘れない生活をしたいものです。「今聴いて いまに忘れる身なれども 南無阿弥陀仏の 残るうれしさ」…私の好きな句です。今年もお互いにこの句のような生活が出来る一年にしたいものです。

■第845話
新しい年を迎えて、この一月も刻々と時を刻んでおります。恐らく、この一年に向けて平穏無事を祈られたことと思います。昨年からの災害続きで、決してこれは他人事ではないと思われた方が多いのではないでしょうか。今年に入ってインド洋スマトラ島沖地震・津波でなくなられた方は十五万人以上にも達すると報道されています。私どもこの世において、どういう事がどういう形でおこるか予想すらつきません。明日も今日と同じような一日が当たり前のようにやってくると思いがちなのですが、災害のたびに、そうではないと確認はします。確認だけはしていますね。しかし、多くの方はそこどまりで、すぐ忘れ、また次に何かが起こって再び思い出すのが常です。考えてみれば、それが、人間のおろかであるゆえんかもしれません。
この世は苦しいですよとはっきり明言されているのがお釈迦様です。この苦しいという事を、しっかり受けとめなければ、その後にお釈迦様がおっしゃる事も耳に届きません。苦しいという真理から目をそむけてはいけないのです。苦しい世の中だけれど、その苦しみからどのようにしたらよいのかを説かれているのもお釈迦様です。多くの法を説かれている中で有り難いのは、子供でもお年寄りでもできる行いとして、阿弥陀仏の名を称える、お念仏のみ教えをお説き下さいました事です。このお釈迦様、阿弥陀様を信じ毎日暮らしていく事が大切です。今の世の中、信じる対象がことごとくなくなり、何を信じてよいのかわからない時代です。
今、自分自身に尋ねてみて、この方だけは身を任せて信じることができるという方がおありですか。その方がいるだけで、安心し支えとなる方がいらっしゃいますか。お釈迦様、阿弥陀様は、その人の命つきるまで、いや、その後もまかせてよいとおっしゃる。その支えによって、何がいつどこで起ころうとも、突然目の前に立ちふさがった壁を乗り切れるよう導いてくれるのです。それが、信仰の力であります。どうぞ、本年も念仏信仰を深めていただきまして、苦しく、つらい事に出会っても、それを乗り越えるだけの信心をもっていただきますよう念じております。

■第846話
浄土宗をお開きになられた法然上人は、西暦1212年正月25日に、80才でお亡くなりになられました。亡くなられる2日前の正月23日に、弟子の源智上人が、お念仏の要点を給わった一文が、浄土宗では大切にされています法然上人のご遺訓であられます「一枚起請文」であります。短い文ではありますが、お念仏の御教えが凝縮されております。その中には、「智者の振る舞いをせずして、唯一向に念仏すべし。」と示され、ありのままの私が、先ず、お念仏をお称えすることが肝要であることを説かれています。
さて、先日、心理学を専門とされています加藤諦三先生の書かれた「行動してみることで人生は開ける」という本を読みました。この本は、シラケ世代、無関心に生活している人へのメッセージであり、「先ず、行動してみることによって、その人の人生が開けていくのです。」という内容でした。その中に「何かをやること、やり続けること」また「やれることからやってみる」などという事が冒頭に書かれています。無気力な人は、行動を起こすまでに、あれこれ考えて、「こんなこと無駄なことだとか、到底自分には出来ない。」などと考えて、最初の一歩を踏み出せないでいる。もしも不機嫌に苦しんでいる人は、先ず下駄を履くことからはじめてみよう。下駄を履いたら少しぶらぶらしてみよう。目標などは持たなくてもいいのである。それがやがて少し先の公園まで足を伸ばすようになってくる。歩いて帰ってくると、体も快調になって、食欲も出るし、夜もよく眠れるようになってくる。気がつくと不機嫌がなおっていることに気がつく。先ず、出来ることから行動してみることである。というような内容が書かれていました。
法然上人が、「ただ一向に念仏すべし。」と示されたお言葉も「先ず、お念仏を称えなさい。」ということです。こんな罪深い私が阿弥陀様に救われるのか、お念仏だけ称えていれば本当に救われるのか、そういう事を頭で考えているのではなく、先ず、お念仏をお称えしなさい。先ず、行動してみるということです。信じられないで悩んでいる人であっても、お念仏を続けていれば、必ず阿弥陀様は救いとってくださるのです。

■第847話
本日より2月が始まりました。如月の由来は寒さが厳しく、着物の上にさらに重ねて着るので「衣更着(きさらぎ)」が転訛したともいわれるそうです。さて、今回は祈りについてお話したいと思います。私たちは様々な場面でお祈りを捧げます。例えば、毎日お墓参りに来るおばあちゃん、ふと様子を伺ってみると先になくなったおじいちゃんへ語りかけ、時には歌を捧げている。毎朝、毎夕、会社の行きと帰りにお地蔵様に挨拶をしているサラリーマンの方、その日の会社の出来事を話しているのであろうか。みなそれぞれに未来への希望や、日常生活の報告、目には見えない何かに祈りを捧げていることがあります。私たち浄土宗の祈りは、「南無阿弥陀仏」と声に出してお称えします。
ご先祖様に対しては、ご本尊様である阿弥陀様のお導きをいただくため、すべてを阿弥陀様にお任せ致しますという意のこのお念仏をお称えします。亡き御霊に南無阿弥陀仏とお称えした善根功徳を回し向ける、これを読んで字の如く回向といいます。目には見えない何か、それは自然に心の中の阿弥陀様、もしくは阿弥陀様の本願におすがりしていることでもあったわけです。お念仏をお称えするときは、合掌をします。右手と左手の掌を合わせます。インドでは右手を仏と表わし清らかと考え、左手を三毒に覆われた世界に生きる衆生、つまり私たちを表わし、不浄と考える習俗があります。この清らかなる右手と不浄なる左手を合わせることにより融合が生まれ、私たちは心穏やかになって祈りを捧げることができるのです。
右ほとけ 左われぞと 合わす手の なかにゆかしき 南無のひとこえ
めまぐるしい周囲に振り回されがちな日々ではありますが、いつでもどこでもできるこの合掌で、心が落ち着き「我(われ)」にかえることができるわけです。お念仏を称えましょう。そこには安らかなる世界が広がっています。

■第848話
新潟中越地震・スマトラ沖大地震・局地的豪雨等の天災。新聞等を賑わしてしまう多数の事件・事故等の人災。あまりその様な事件事故が起こって欲しくないと思うのが人間なら、起こしてしまうのも人間です。江戸末期の越後一帯に被害をもたらした三条大地震後に良寛上人によって作られた詩があります。その「地震後詩」の中で上人は地震を人災と断定しています。「長い間の太平に流れた世相の中で、人々の心は軽靡に走って弛緩し、利益になる話だと言えば毛一本にも目の色を変え、宗教道徳の話となれば、骨の髄まで馬鹿にしている。高慢で他人を欺くことに浮き身をやつし、紫を持って朱と為すペテンが、いったい何年続いた事だろうか。その上鹿を馬だといいくるめてテンとして恥じない。これが今日の災禍を招いた張本人だ。むしろ遅きに失したくらいだ。」と、口を極めて人災だと言っておりますが、この詩を今の世の中に当てはめると、恐ろしく重なっているように思えます。前出のような天災・人災等を「起こって欲しくない」と言う心こそ人々の共通の願いではないでしょうか。この願い・思いを佛性と言うのならば、どんな人もこの佛性を持っています。無常を思い、頓瞋痴の三毒を抑え、仏の大慈悲心を頼りに生きていくのに、佛性を保ってあたり、自分達の人生、ひいては自分達のいるこの世界がより善い方向に行くことを願わずにはいられません。

■第849話
皆様こんにちは、さて皆様は遊園地にある「ジェットコースター」をご存じですか? 実際に乗ってみたことがなくとも、テレビなどでどの様な乗り物かは御覧になったことはありますでしょう。あの「ジェットコースター」ゆっくりゆっくり登って、登り終わると今度はスピードを速めて下っていく、そして右や左に急に曲がったりと大変動きが変化する乗り物です。この「ジェットコースター」の動きというのは、私達の人生によく似ていると思いませんか? ただ大きく違う点があるように思われます、「ジェットコースター」の動きは、前を見ていると予測がつきます。でも私達の一生は振り返って見た時にはじめて『ああ、あの時は上り調子だったなあ〜』ですとか『あの時は寄り道してしまったな〜』と分かるのです。そして「様々な苦しみや悲しみ、そして煩悩」というレール上を走る「人生」という名の「ジェットコースター」も最後に必ず「臨終」という終点に着きます。その後私達は何処に行くのでしょう? 私達は誰もが「人生のジェットコースター」に乗る前から「阿弥陀如来」様の光明に照らされているのです。そして、その光に気づかせて頂き「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」と「お念仏」を称え続けていると、「臨終」という終点の後に「阿弥陀如来」の「西方極楽浄土」へ往生させて頂くことができるのです。それこそが「本当の幸せ」ではないでしょうか。

■第850話
みなさんはじめまして。私は在家に生まれ育ち、結婚を機にお坊さんとして得度いたしました。当初、私はお寺と言えば「薄気味悪い所だな〜」と思うくらいで、何もわからず「阿弥陀様」って?「お念仏」って?「法然上人」って?とまったくお恥ずかしい話です。そんな私のことを実家の両親も随分と心配しておりました。「お前にお寺がつとまるのか?」「修行は厳しくないのか?」と。あれから16年、昨年の暮れ実家の父が脳卒中で倒れ、左半身がマヒしてしまいました。突然の出来事でした。今年で80歳になる父にとっては辛いリハビリ生活の始まりです。
ですが父とその父を一生懸命介護をする母、二人は今までの人生、そして今、さらにこれからの人生をしっかりと見つめ直しているかの様でした。皮肉なことに、こういう事態になって初めて確認できたことと申しましょうか、私は初めてそんな両親の姿を見た思いが致しました。普段、私たちは今の生活を当たり前のように過ごしています。ですが、その当たり前のことができなくなったとき、人は悩み、迷い、うろたえます。しかし、それは逆に現実をきちんと受け止める機会と言えるのではないでしょうか。自分の無力さに消沈するだけではないということです。法然上人はおっしゃって下さっております。「そんな無力な私たちだからこそお念仏をお称えなさい。必ず阿弥陀様がお救い下さいます。」と。みなさん法然上人をお慕いし、共にお念仏をお称えして参りましょう。 
 

 

■第851話
寒い冬もあと少し、木々の緑が芽吹く春のお彼岸の季節となりました。私たちが今生きている迷いの世界を「此の岸」といい、阿弥陀様がいらっしゃいます悟りの世界、西方極楽浄土を「彼の岸」彼岸と申します。それではどのようにすれば、私たちはこの迷いの世界から悟りの世界、阿弥陀様のもとへ渡ることができるのでしょうか。それには春分の日の前後六日間に、六波羅蜜という六つの修行をしなければなりません。
一つ、布施といい他人に施しをし情けをかけるということ。
二つ、持戒といい約束や規律を正しく守るということ。
三つ、忍辱といい堪え忍びいつも仲良く生活するということ。
四つ、精進といい何事にも真面目にはげむということ。
五つ、禅定といい心を落ち着かせ心を乱さないということ。
六つ、智慧といい正しく物事を見極める心を持つということ。
お彼岸とは、こうした仏教の教えを実践し六波羅蜜の努力をすすめる期間でもあるのです。人として充実した日々への道しるべを教え示しているのです。しかし、欲しいものがすぐ手に入り、様々な情報が氾濫する今の時代、私たちにとっては最も難しいことではないでしょうか。そんな私たちに法然上人はお教え下さっております。「お念仏をお称えなさい。阿弥陀様が必ずお迎えに来て下さいますよ。」と。ご先祖様を偲び、供養すると共に「彼の岸」阿弥陀様のもと「西方極楽浄土」に往生できるよう、法然上人をお慕いしお念仏をお称えして参りましょう。

■第852話
今回はみなさんに私どもの宗歌「月影の歌」をご紹介したいと思います。「月影のいたらぬ里はなけれども 眺むる人の心にぞすむ」 このお歌は、浄土宗を開かれました法然上人がお作りになり、今も多くの人達に歌われ親しまれております。月の光はこの世をあまねく照らし、どんな山里にも届くけれども、私たちがその月の光に気づかず、また眺めようともしなければ、私たちの心の中に届くことはないのです。
日頃、私どもがお称えしているお経の中に「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」という経文があります。阿弥陀様の光明はすべての世界を照らし、念仏を称える者は誰でも必ず救い摂って下さる、という慈悲の心。そうです。まさにこのお歌は阿弥陀様のお心を歌われたものなのです。阿弥陀様は無量の光を放ち、いつでも私たちをお護り下さっています。阿弥陀様を信じ、眺める心を持ってこそ、月の光の美しさを感じ取ることができ、阿弥陀様のご慈悲が私たちの心の中に澄みわたるのです。法然上人はこの「月影の歌」に月とその光を美しいと仰ぐ人と、阿弥陀様との関係を示されました。法然上人をお慕いし阿弥陀様のご慈悲を頂けますよう、共に月を仰ぎお念仏をお称えして参りましょう。

■第853話
ようやく春らしく暖かくなってまいりました。思わず身体を動かし外へ出かけたくなります。最近はウォーキングも盛んで、元気なお年寄りをよく見かけます。と同時に、ここ数年、「ピンピンコロリ」という言葉をよく耳にするようになりました。ご存知の方も多かろうと思います。高齢となっても元気で病気もせずにピンピンと健康で、死ぬ時は人に迷惑もかけずにコロリといきましょうという運動であり合言葉だそうです。確かに今現代にとりましては、これこそ魅力的な生き方であり死に方なのかもしれません。健康であれば有難いことですし、苦しまずに死ねるなら本望というところでしょう。しかし、先日ある葬儀の席でお母様を亡くされた方がお話されていたのですが、コロリといかれたらたまりませんと泣かれていました。
本当に元気であったのに、いきなり病が見つかり十日で亡くなられたのです。準備も覚悟もなく、残された自分たちは、いきなりコロリとこられてつらいですと。健康で元気である事にこしたことはありません。しかし、それ故に死をよそにおき、仏様の声に耳を貸さないとなったら不幸なことです。たとえ病気であっても仏様の声をいただいておれば、真に生きる力がわいてくるのです。その方には、コロリといかれても、お母様は念仏をお称えしていた方、いずれお浄土での再会がかないますよとお伝えしました。今月八日はお釈迦様がお生まれになられた日。人間、死んでいかねばならない身を、慈悲の心から手をさしのべ念仏称えなさい、阿弥陀様にすがりなさいと勧めて下さった仏様です。ピンピンコロリもいいですが、お念仏をこそ杖とし支えとして過ごし、それこそ理想の生き方といただいて参りましょう。

■第854話
葉桜の季節を迎えております。春に咲く淡い桜は人々の心をいろいろな意味で動かします。その美しさは長続きせず、数月のうちに散ってしまう無常の代表のような花だからこそ、多くの人の心を捕らえて離さないのでしょう。ある方のご葬儀の話ですが、故人は臨終近くに「桜が見たい」と言ったそうです。まだつぼみであった桜を今年も是非見たいと思われたのでしょう。毎年、当たり前のように桜が咲き、散り、葉桜となっていくその趣をいつも見ていたのに、今年はもしかしたら、はたせなくなるかもしれないと感じたのでしょうか。実際花開くことなくつぼみの桜の中を通ってその方は極楽へと向かわれました。
桜の季節の死は、とりわけご家族の皆様には誠に辛かろうと思います。世間はお花見やらで華やいでおり、新たなスタートに希望あふれる季節でありますから、逆に悲しみも倍増しましょう。しかし、考えて見ますと、その故人が毎年、お浄土から桜という花を通して、無常を気づかせ、しっかり信仰をもって生活するのですよと知らしめてくれるのです。そのご長男様は「知識でしか知らなかった無常の現実を、故人である父が、桜の季節の死という形で教えてくれました。お念仏をいただく尊い縁ともなりました」とおっしゃられていました。この四月はお釈迦様も、浄土宗をお開き下さいました法然上人もお生まれになった月です。いずれ散りゆく桜という花と重ねてうけとりますと、常なるものはなし、形あるものは必ず消えてなくなると言う無常の現実を、桜はその身をもって示し、お釈迦様、法然上人は法をもってお示し下さったといえましょう。無常故にお念仏の道こそ進む道としっかり心にすえまして過ごして参りましょう。

■第855話
ここ最近、家を離れて仕事や研修で遠出する時、今日はどこどこのホテルに泊まるよとか、誰々の家にやっかいになるよとか、行く場所は告げても宿泊場所までいちいち告げていない自分に気づきました。携帯電話を持つようになったからであります。確かに、これまでは宿泊場所の名前や住所、電話番号をメモして渡したりしておりました。しかし、今は「何かあったら携帯電話に電話して」などと言って、はっきりとした目的地も告げずに出かけることが多くなりました。つい先日も、いつものように出ておりましたら、たまたま家の方に電話がありました。ところが、家の者は今回はどこへ出向いているか混乱してしまったのです。何度か出たり入ったりをくり返しておりましたから無理も無いのですが、その時、改めて行く先を最近明確にしてなかった点、全て携帯電話にまかせていた点に気づいた次第です。
やはり出かける者も目的地は、はっきりせねばならないとつくづく思わせていただきました。お念仏の信仰をいただく場合もまたしかりでありましょう。目的地をまちがいなく西方極楽浄土と決め、お念仏をお称えすれば、阿弥陀様がちゃんと迎えて下さいます。送る側としても、目的地があり行かれた所が明確にわかればこそ、安心してこの世を過ごし、いずれそこへ向かわさせていただけます。参らせていただく明確な所があるということがいかに有難く尊いものなのかしみじみ感じることでございます。どうぞお念仏をお称えし、目的地、西方極楽浄土に思いを運んで日々お暮らし下さいますよう願っております。

■第856話
以前、日頃からお念仏をよくお唱えされている方が、「自分が死ぬとき、苦しくてお念仏を唱えられなかったらどうしよう」と心配されていました。法然上人は、次のようにおっしゃっております。「人の死は、前々から思っているようにはならないものであり、急に道で倒れることもあります。大小便のときに亡くなる人もいるでしょうし、他人に切られて、命を落とす人もいるでしょう。また、火事や水害で命を落としてしまう人もいます。しかし、そのように命を落としても、日頃から念仏を唱え極楽への往生を願っている人であれば、命が尽きるとき、阿弥陀仏・観音・勢至がお迎えに来てくださると信じていられるのです。」
このように法然上人は、予期できない人間の死を現実的な目で見ており、望ましい死を迎えられなくても日頃から念仏を信じ、唱えていれば、極楽浄土に往生することが出来るとおっしゃっております。つまり法然上人は「どこで、どのように生きようとも、お念仏を唱えられるように生きることがもっとも大切である」というお言葉のように、「死に様」よりも、「日常の念仏」を大切にしていたのです。いつどこでどうなるか分からない私たちです。ですから、日頃から、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えしていくばかりなのです。

■第857話
この世では、どんなに大切な方とも、必ず別れの日がやってきます。しかし、私たち人間はそのようになったとき、「もう一度大切な人に会いたい」と考えてしまうでしょう。阿弥陀様は、このような、私たちが抱く、ありのままの人間の心も気づいてくださっております。浄土宗で読まれる、阿弥陀経というお経の中に、『倶会一処』という言葉があります。その言葉の中には、「私たちが、この世で別離しようとも、必ずまたひとつのところ、阿弥陀様の極楽浄土で会いましょう」という教えが込められています。極楽浄土は、清浄で嘘偽りのない真実の目覚めの世界であり、光明輝く世界であります。そこでは阿弥陀様をはじめ、たくさんの仏さま方が楽しく生き生きとして活動しておられます。誰の命も輝き、躍動しています。そこには、ご先祖様など、先になくなった方々が、後にくる人々をお待ちくださっているのです。心から極楽浄土への往生を願い、お念仏に励まれたなら、阿弥陀さまに導かれ、生きている間は心安らかに、命尽きたならば、極楽浄土へ往生させていただき、そして、先に往生された、大切な人と再会できるのです。

■第858話
私たちは、仏様に手を合わせるときに、数珠を手に掛けます。また、お念仏を唱えるときも、数珠でお念仏の数を数えます。この数珠を手にしていると、仏様の目を意識します。不埒なことを考えていても、ふと手首に掛かっている数珠を見て、ハッとし、真心に戻されることがあります。もっとも、数珠をいつも身につける心がけがあれば、けしからぬ心は起きないでしょうし、心の姿勢を正さざるを得なくなります。数珠を手にしていれば、背筋もしゃんと伸びるでしょう。そうなれば、気力もあふれ、呼吸も整い、健康にも役立つでしょう。昔から、歩くこと、よく噛むこと、そして、手を使うことが、長生きのコツだといわれているそうです。お念仏を唱えながら、数珠でお念仏の数を数えるのも、健康法のひとつといえるでしょう。
数珠を手にするということは、慣れないと、面倒くさくなってしまうことがあるかもしれません。すると、いかに日々の行為がわがままで、気ままで、だらしのない生活をしていたのだろうと、考えさせられるかもしれません。この様にして、数珠は乱れた心を整えてくれます。また、怒りにこぶしをにぎりしめ、身体が震えるようなときにも、数珠が「ちょっと待ちなさい」と仏様を思い出させてくれるでしょう。仏様は私たちのことを忘れることはありません。いつも見捨てることなく、見守ってくださっているのです。数珠は仏様を拝むときや、念仏を唱えるときには欠かせない大切なものです。仏前では、いうまでもなく、普段から身につけておきたいものです。

■第859話
みなさんお元気でお過ごしでしょうか?6月のテレフォン法話を担当いたします川崎の正受院住職の朝倉和信と申します。私は3回にわたって法然上人がお師匠さまと仰がれた善導大師のお話をしたいと思います。善導さまは漢字で書くと「善」に「導」くとお書きいたします。浄土宗のおつとめは大きく分けて3つの部分に分かれます。第一番目はお釈迦様の説かれたお経さまをいただくために身や心をととのえて、仏様と仏様の説かれた教え、そしてその教えを護る人々に敬意をあらわし、すべての仏様を道場にお迎えいたします。このはじめの部分を序文といいます。第二番めはお釈迦様のおさとりの中から阿弥陀様の教えを読誦(およみ)し、お念仏をお称えいたします。ここがおつとめの中心であり、正宗(しょうじゅう)分といいます。そして三番目にどうぞ私たちが仏道を正しく歩めますように、このみ教えが正しく伝わりますようにという誓(ちか)いをいたします。最後に道場にお集まり頂いた仏さまにそれぞれの国土にお送りして法要が終わります。この締めくくりの部分の中心は仏さまのみ教えが正しくつたわりますようにということですので物質流通(ぶっしりゅうつう)の流通の字をあてて流通分(るずうぶん)とお読みいたします。
この浄土宗のおつとめの中心をはさんだ前後の部分、つまり序文と流通分(るずうぶん)はおもに善導大師の『法事讃』という著書から取り入れてあります。そうしてみますと私たちは「おつとめ」を通して善導大師のみ心に日々ふれているということになります。善導さまはおよそ1300年前中国の唐の時代に活躍された方です。浄土宗では法然さまを浄土宗の祖、宗祖法然上人とお呼びし、また善導さまを高いお祖師様、高祖善導大師とお呼びし、お寺の本堂そして仏壇にもおまつりいたします。
願わくは我が身清きこと香炉のごとく 願わくは我が心智慧の灯火(ともしび)のごとく 念々に戒(いましめ)と定(しずけさ)との香を焚きて 十方三世のみ仏を供養したてまつる
私の一日は本堂でこの善導さまの作られた香偈という偈文をおとなえいたしますが、このことばをとなえますと実にすがすがしい気持ちに包まれます。

■第860話
みなさんお元気でお過ごしでしょうか? 6月のテレフォン法話を担当いたしております川崎の正受院住職の朝倉和信と申します。前回より法然上人がお師匠さまと仰がれた善導大師のお話をしております。前回は浄土宗のおつとめは中心になるお経さまの前後は善導さまの著作からなりたっている旨(むね)をお話いたしました。私たちの日常のおつとめは短い詩(うた)のような偈文から成り立っていますが、これはおもに善導さまのあらわされた『法事讃』という書物から抜粋したものであります。またおつとめの中で使われる阿弥陀如来さま、観音菩薩さまそして勢至菩薩さまの三尊をたたえる三尊礼があります。
これは「南無至心帰命礼西方阿弥陀仏」の出だしではじまりますので皆様にもおなじみのおつとめだと思います。この三尊礼も実は善導さまが著したものです。この三尊礼は『往生礼讃』という書物に収められています。
自身は是れ煩悩具足の凡夫なり (じしんは、これぼんのぐそくの、ぼんぶなり)
善根は薄少にして三界を流轉して火宅を出でず (ぜんこんは、はくしょうにして、さんがいを、るでんし、かたくをいでず)
今弥陀本弘誓願及び名號を稱することを知る 
 

 

■第861話
みなさんお元気でお過ごしでしょうか? 6月のテレフォン法話を担当いたしております川崎の正受院住職の朝倉和信と申します。先日、筋ジストロフィーで亡くなられた中学三年生の少年の法要を務めました。法要にはバスケットボール部の仲間や同級生が大勢参列し、大きな声で念仏をとなえていました。法要後、ご両親から遠足や部活動の写真を見せていただいていると、お母さまが「最初はこんなふうにうちの子供がみんなと同じように遠足に行けるとは思ってもいませんでした。本人もあきらめていたんです。でも小学三年生の遠足の朝、突然、子供の友達が迎えに来て遠足に連れて行ってくれたんです。帰って来るまでハラハラしました。しかし、そんな心配もよそにお友達と元気に帰ってきたんです。そのうれしそうな顔を見て、お友達に『今日はみんなにいろいろと迷惑をかけたね。本当にありがとう』とお礼を言ったんです。そうしたら、逆に『おばさん、何言っているの。そんなの当たり前だよ。だって友達だもん!』と怒られたんですよ。しかも後で、うちの子供が遠足に行ったことがないことを知った子供たちが自発的に車椅子の子でも通れるルートを事前に現地へ行って調べてくれたことを聞いたんですよ。それから毎年そうしてくれているんです」と話してくれました。
最近、困った時に誰かに助けられて「当たり前」と思う人が多くなったと聞きます。でも本当は助けられる側が「当たり前」ではなく、この子供たちのように助ける側が「当たり前」だったようです。阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」ととなえる者をもれなく救って下さいますが、私たちも「それが当たり前だと思ってはいけません」。しかしそんなことを言っても阿弥陀さまは、お念仏をとなえる者を救うこと、「そんなことは当り前のことです」とおっしゃるでしょうけれども……。

■第862話
「へえー」  みなさんはテレビのクイズ番組を見ることがありますか? クイズ番組は視聴者も参加している気分にすることを前提に作られています。私も見ていると参加しているような気持ちになり、問題が出されると解答者となって心の中で答えますし、テレビの解答者の答えも気になってしまいます。誰もが知っているような簡単な問題を間違えると「へえー、そんなことも知らないの」と思いますし、どこから探してきたというような難しい問題の答えを知ったときには「へえー、知らなかった」と思わずつぶやいてしまいます。でも考えてみれば、「知らないこと」も、そのことに関わっている人からみれば「へえー、そんなことも知らないの」と思うことがあるかもしれません。
浄土宗の教えもそうです。私はお通夜の後で、「浄土宗は法然上人が開かれました。浄土真宗を開いた親鸞聖人と間違えないで」 「法然上人が浄土宗を開かれた経緯」 「南無阿弥陀仏の意味」 「十念のとなえ方」 と大まかな浄土宗の説明をしますが、浄土宗に縁のない方には「はじめて知りました」とよく言われます。浄土宗僧侶や檀信徒からみれば「へえー、そんなことも知らないの」と思うのですが、浄土宗に縁のない方からみれば「へえー、知らなかった」ということでしょう。浄土宗寺院は全国にありますが、その教えが浸透しているとはいえないかもしれません。しかし、いつかは浄土宗の説明しても「そんなことは誰でも知っているよ!バカにしないで」と言われる日が来るように、みなさま方といっしょに法然上人のお念仏の教えを広げていきたいものです。

■第863話
「再会」  昨年、ある日、亡くなった人が突然目の前に帰ってくるという「黄泉がえり」という題名の映画や小説がヒットしました。現実には、亡くなられた方が生身の体で目の前に現われることはないと思いますが、亡くなられた方や、目の前にいる親しい友人や家族と亡くなった後も会えたらいいなと思うのは心情でしょう。浄土宗の宗祖法然上人は式子内親王から、「今すぐあなたに会いたい」と書かれた手紙を受けとり、「臨終近いあなたが先に亡くなったとしても、もしくは私が急に先に亡くなったとしても、同じ阿弥陀さまの浄土に参って、ふたたびお会いするのは間違いありません。どうかあなたもお念仏に励まれて、浄土でお待ち下さい」 という返事を出されています。また、どなたが詠んだのかはわかりませんが、
先立たば おくるる人を まちやせん 花の台に なかばのこして
と、「私は先に亡くなりますが、送ってくれるあなたを極楽浄土の蓮の台であなたが来るのを待っています」という歌も詠まれているように、昔から亡くなった友人や家族と極楽浄土で再会するのを誰しもが楽しみにしていたのでしょう。浄土宗では「南無阿弥陀仏」とお念仏をとなえることで「阿弥陀さま」が「西方極楽浄土」に往生させてくれます。この西方極楽浄土には亡くなられた方々がいて、そこで必ず私たちは再会することができるのです。私もいつかは必ず亡くなります。会いたい人も大勢います。みなさんも会いたい人は大勢いるにちがいありません。極楽浄土の蓮の台で亡くなった人が待っていてくれるように普段からお念仏に励み、その時が来るのを今から楽しみにしましょう。

■第864話
「当たり前」  先日、筋ジストロフィーで亡くなられた中学三年生の少年の法要を務めました。法要にはバスケットボール部の仲間や同級生が大勢参列し、大きな声で念仏をとなえていました。法要後、ご両親から遠足や部活動の写真を見せていただいていると、お母さまが 「最初はこんなふうにうちの子供がみんなと 同じように遠足に行けるとは思ってもいま せんでした。本人もあきらめていたんです。でも小学三年生の遠足の朝、突然、子供の友達が迎えに来て遠足に連れて行ってくれたんです。帰って来るまでハラハラしました。しかし、そんな心配もよそにお友達と元気に帰ってきたんです。そのうれしそうな顔を見て、お友達に『今日はみんなにいろいろと迷惑をかけたね。本当にありがとう』とお礼を言ったんです。そうしたら、逆に『おばさん、何言っているの。そんなの当たり前だよ。だって友達だもん!』と怒られたんですよ。しかも後で、うちの子供が遠足に行った ことがないことを知った子供たちが自発的 に車椅子の子でも通れるルートを事前に現地へ行って調べてくれたことを聞いたんですよ。それから毎年そうしてくれているんです」 と話してくれました。
最近、困った時に誰かに助けられて「当たり前」と思う人が多くなったと聞きます。でも本当は助けられる側が「当たり前」ではなく、この子供たちのように助ける側が「当たり前」だったようです。阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」ととなえる者をもれなく救って下さいますが、私たちも「それが当たり前だと思ってはいけません」。しかしそんなことを言っても阿弥陀さまは、お念仏をとなえる者を救うこと、「そんなことは当り前のことです」とおっしゃるでしょうけれども……。

■第865話
今回は「美しい花の咲くお浄土は本当にありますよ」と言うお話を致します。私の親しい友人順子さんはかなり現実的に物事を判断する人で、「人間はこの世に生きている時がすべて、だから現在を大切にしたい」と言います。私もこの意見は大いに賛成です。ただ順子さんは「この地球上以外には世界は無い!」と言う考えの持ち主です。彼の国お浄土はあると考えたい私に、順子さんは「お浄土があるなら一度でいいから行ってきた人のお話が聞きたい」と笑い飛ばしていました。順子さんの家には順子さんのお母さんも一緒に暮らして居ます。私は親しみを込めて家族の方と同じように「おばあちゃん」と呼んでいました。おばあちゃんは日頃は庭の草むしりを小まめにして、季節のお花で庭を一杯にして楽しんでいました。
おばあちゃんが94歳になった平成15年の秋のことです。少し体調を崩したので近くの病院に入院したとの連絡を受けて、私はお見舞いがてら病院に行きました。丁度順子さんと手をつないで病室に戻ってきたところでした。私の顔を見ると「あんた、忙しいのに良く来てくれたね!」と言いながらベッドのところまで一人で歩いて行きました。私たちは「ヨイショ」と声を掛けながらおばあちゃんをベッドに乗せて寝かそうとしたとき、おばあちゃんは突然「わぁきれいな花が咲いているね、よく見たいから起こして頂戴」とはるかかなたの方を見つめています。順子さんは「おばあちゃん花なんか無いじゃない何を見ているの?」と言うと「きれいだね、光って見えるよ、もうちょっとよく見えるようにして、わぁ何てきれいだろう、素晴らしいね」と言いながらにっこり笑って静かに目を閉じました。ほんとにあっと言う間の出来事でした。「えっ?どうしたの?」順子さんも私も頭の中が空っぽになりしばらくは言葉も出ませんでした。そう、おばあちゃんは美しい花の咲くお浄土に旅立ちをしたのです。そしてお葬儀が済み、お客様たちもお帰りになり静かになりました。花で囲まれたおばあちゃんの写真を見ながら順子さんはしみじみと言いました。「本当にお花の咲いているお浄土ってあるのね。おばあちゃんよかったねー」と。順子さんと私はこの3日間のできごとを振り返り思わず抱き合って、泣いてしまいました。諸行無常でございます。

■第866話
立秋も過ぎ8月も半ばとなりましたがお暑い毎日です。さて、今回は「生きることは助け合うこと」と言うお話を致します。幼友達の春子さんは子どもも頃から大変明るく心の優しい女の子でした そのやさしさで春子さんは保育園の保母さんになりました。たまに会うと保育の仕事が大変楽しく、また子どもたち一人ひとりが可愛くて本当に毎日が楽しいと話していました。春子さんの口癖は「自分の子どもを生まなくても、保育園の子ども達との生活が最高よ!」と言って結婚はしませんでした。保育園の仕事は大変忙しいので、いつも電話で話しをしていました。久しぶりにこちらから電話でご機嫌伺いをすると別人かと思うほど、元気の無い暗い声で「生きていく自信が持てなくて仕事をやめた」と言います。直ぐにも飛んで行って何があったかを知りたいと思いましたが、あれほど好きな保育園を辞めるには、余程の事情があるのでしょう。余り根掘り葉掘り聞くことは出来ません。でも春子さんのほうから話を聞いて欲しいと言います。早速翌日春子さんを訪ねました。電話の声で判断したより元気な様子なので先ずはほっとしました。何でも心臓に少しトラブルがありペースメーカーを使うようになったとの事。「自分の身体なのに機械の力がないと生きていかれないのは人間として一人前ではない」と春子さんは言います。話の糸口を見つけて「一人前の人間てどんな人?」と訊ねると「他人の世話や機械の世話にならない人」と答えます。そこで私は冗談ぽく「春ちゃん昔はとても頭が良かったけどこの頃あまりよくないわね!人間は、皆助け合って生きている事知らないの、ペースメーカーつけても元気に働いている人大勢居るのよ、ペースメーカーが何なのよ!」
その日は沢山お喋りをしました。沈黙の後「そうよね、そうなのよ、ペースメーカーをつけてから他人に何かして貰うことばかり考えて、半人前と思っていた。役に立つことがあるなら私もやるわ」と春子さんは一人で納得しながら「今日はありがとう」と言いお互いに「これからもよろしく」とペコリと頭を下げました。まさに経文の中にある、共生極楽成仏道つまり共に助け合って極楽に往生しましょうと言う事だと思います。

■第867話
今回は「愛別離苦を乗り越え前向きに生きる」と言う話を致します。私の小学校時代の同級生に何代か続く病院の院長がいます。小学校時代のクラスメートしのぶさんと結婚し、二人のお嬢さんに恵まれ幸せな生活をしていました。私たち同級生は時々集まって編み物や手芸等の趣味の会を持っています。院長さん一家の長女は、やがては病院の跡継ぎになるため医学部を卒業、医師国家試験も合格し実家の病院で働いていました。誰の目にも「恵まれた一家」に見えましたが、ある時不慮の事故に会い跡継ぎの娘さんは、帰らぬ人となりました。一家の嘆き、悲しみは深く、慰めの言葉も失うほどでした。どんなに悲しくても、病院は長いこと休診する事は出来ません。院長さんは悲しみを打ち消すかのように一所懸命患者さんに接しています。三ヶ月経ち、半年経ち、と月日が流れても母親の悲しみは癒せません。同級生が交代で訪ねて慰め、また食事会に誘い出しても、音楽界に誘っても楽しい顔をしません。
同じように子どもを事故で亡くした友達が、「悲しみを分け合いたい」と言葉を掛けても「娘が死んだのに私が楽しいことは出来ない」の一言。病院長夫人として生きいきしていた時には美しかった人なのに、お化粧をすることも忘れて、まるで病人のようです。同級生が「口紅位つけると良いわよ」と言えば「私の娘は死んじゃってお化粧なんか出来ないのよ、母親の私が口紅なんかつけるわけには行かないのよ」と答えます。一年半経っても明るさを取り戻しません。私は時々電話で話をしていましたが、同級生達もだんだん付き合うことが負担になり趣味の会のお誘いも遠退いてしまいまた。亡くなったお娘さんの三回忌が近づいたある日、私は彼女の家を訪ねました。彼女は「この頃友達が来なくて寂しい」と言います。実は彼女自身友達に声を掛けてもらえなくなった原因を理解していたのです。そして友達の居ない寂しさを感じていたようです。「母親がこんな状態だと娘も成佛出来ないわね」と言いながら、「ちょっとトンネルが長かったけど皆さんに元気を貰って頑張るわ。」と少し晴れやかな表情になりました。私はほっとすると同時に思わず合掌していました。窓の外では夏休みの最後を、楽しむ子供達の歓声が聞こえます。

■第868話
9月になりました。暦の上では秋ですがまだまだ蒸し暑い日が続いております。暑い日が続くとどうしても注意が散漫になり、思いがけない事故にあってしまったりもいたします。先日、お参りにこられたお年寄りが、「住職、最近私も足腰が悪くなってしまって、この通りまったくで、情けないな。そろそろお迎えかな。」とおっしゃっておりました。「まだ、お迎えは早いでしょう。」と私が言うと、「住職、『3つの「あ」』ってごぞんじですか?」「最近私はこれをおそわって実行いているんですよ。」と教えてくださいました。『3つの「あ」』とは、「あわてず」「あせらず」「あきらめる」なんだそうです。思いもかけない出来事に出会った時「あわてず」、立ち止まって心のゆとりを持って「あせらず」、無理をしないで「あきらめる」ということです。最近は本当に何をするにも時間に追われてあわただしい世の中です。時間に余裕を持ってゆとりを持った生活をもっと心掛けるべきだと思います。時にはあきらめることだってあってもよろしいのではないのでしょうか。
心にちょっとゆとりがなくなったなと思う時、「南無阿弥陀仏」とお称えしてみてください。いかがですか。「南無阿弥陀仏・・・」。なんかちょっと落ち着いたみたいでしょう。心を落ち着かせて今少し考え深く行動してみてはいかがですか。阿弥陀様は私達を見守っていてくださいます。

■第869話
お彼岸が近づいてまいりました。家族でお墓参りをと考えている方もいらっしゃるでしょう。ところで、皆様は毎日お念仏をお称えしておられますか? 私には4歳になる娘がおります、最近ではどこで覚えてきたのか、いろいろな言葉を口にします。おいおいと思うような言葉や行動も多くなってまいりました。気がつくと、ふだん親の私達が使っている言葉遣いや仕ぐさで、「ちょっとまてよ!」と考えさせられる事もいっぱいあります。親をはじめ、いろいろな方々のことをよく観察しているのですね。
先日、ふと気がつくと娘は輪ゴムを親指にかけて手を合わせて「ナムナム」と言っていました。「捨てたものではないな!」と我ながらに自負してしまいました。核家族化が進み、おじいちゃん、おばあちゃんと、暮らすことの少なくなった今日、おじいちゃん、おばあちゃんはお孫さんの見ている前で「南無阿弥陀仏」と手を合わせていらっしゃいますか? おとうさん、おかあさん、忙しい、忙しいといって子供たちが見ている前でお仏壇に向かって手を合わすことを忘れていませんか? まずは形からでも良いのです。是非、子供たちの前で手を合わせてみてください。そして、「おかげさま」という気持ちをもって阿弥陀様、ご先祖様、天地の恵みに感謝し、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」とお称えしてみてください。子供たちは大人をみています。きっと、家族そろって、明るく、正しく、和やかな生活がおくれるでしょう。お墓参りの時だけではなく、普段から手を合わせ「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」とお称えする習慣を身につけたいものです。

■第870話
いよいよ秋のお彼岸です。お彼岸にはたくさんの方がお寺参りに訪れます。あるおばあちゃんに「最近はいかがですか?」と尋ねると、「相変わらずいつものままですよ。」と答えになられました。そうです、「最近あまりお会い出来ませんがいかがですか?」「お変わりはありませんか?」とお尋ねすると、ほとんどの方から「相変わらずで」と返事がかえってくるのです。だいたいの方がへりくだった意味として使っているようです。本来「相変わらず」の生活が出来ることは最高なことなのだと思います。誰しもが、今よりもう一歩上を求めてしまいがちですが、欲張りというものです。良いことがあれば悪いことがあり、悪いことがあれば必ず良いこともあります。浮き沈みがあるからこそ私達はもっと良いことを求めてしまいます。「一寸先は闇」という言葉もあるように、私達にとってこれから何が起こるかなど全く予想もつきません。ですから、昨日と全く同じ今日、今日と全く同じ明日・・・がおくれることはとても幸せでありがたいことです。相変わらずで良いではないですか!この毎日の積み重ねをきっと後でよかったと思う時が来るはずです。何事も「おかげさま」と思って、精進努力していきたいものです。是非、「相変わらずで」と言えるように毎日お念仏をお称えしていただきたいと思います。この積み重ねから自然と「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」とお念仏がお称え出来れば、これこそ最高の幸せでしょう。 
 

 

■第871話
お布施について 「お布施」と聞きますとお寺に納めるお金と思い浮かべるかと思いますが、それだけではなく実は深い意味がある事をお話させていただきます。「布施」は「六波羅蜜の一番目にあたるものです。「六波羅蜜」とは、仏道を修行する者が、行う修行の一つです。その行が全部で6種類あります。
まず1布施、2持戒=持戒とは、戒律を守り反省をする事、3忍辱=忍辱とは、苦難に堪え偲ぶ事、4精進=精進とは、努力する事、5禅定=禅定とは心を安定させる事、6智慧=智慧とは、惑わされない正しい智慧を持つ事です。その中で一番初めにあるのが「布施」です。なぜかと申しますと、欲を捨て、人に物を与えると言う事は大変難しいからです。最近日本列島各地で大きな地震が続いております。阪神淡路大震災の教訓で、物資を被災地に送って下さる方が増えてきたそうです。大変良い事で被災地の方が喜んで感謝されているそうです。しかし一方、着る事が、出来ない程古い、まるでゴミを出す様な衣類が届きボランティアの方々が、その後の処理が大変だと嘆いているニュースを観た事がありました。これは明らかに「お布施」からかけ離れたものです。
自分に出来る限りのものを与える事で布施する人、布施を受ける人、布施その物が、清浄つまりきれいでなければならないのです。この事は三輪清浄と呼ばれもので三つの布施がきれいな輪を描く事によりはじめて「布施」が成り立つ事になります。何かをして人の為に行うことは思ったより難しいです。しかしその人の立場になって考ええると何をすれば良いか自ずとわかってくると思います。それこそ本当のお布施なのではないでしょうか。布施行が出来る今の自分を阿弥陀様に感謝しこれからもお念仏生活を続けられる事を願い今回のお話をこれで終わらせていただきます。

■第872話
孝養について 先月は敬老の日がございました。敬老の日が過ぎますと又敬老という意識が薄れ寂しい思いが致します。日本の祝日には他に母の日、父の日があります。敬老の日を含めこの三日の祝日の日に孝養について意識されると、ありがたいと思います。「親への孝養」と言う言葉は、ほとんど聞かれなくなりました。この事は実に残念に思うのです。辞書によると孝養は「親によく仕え、したがう事」と書かれております。「孝」とい字は老人の「老」と子供の「子」とを組み合わせた形です。長髪の老人を横から見た形でこれに子をそえて子供が老人によく仕えるという意味となり、「親思い、孝行」を言います。中国の孔子以前に孝は、よく祖先に仕え祖先をまつるという意味で使用されていました。後に、孔子と弟子の曾子との問答形式で孝について書いた「孝経」という書物がある位孝養を大事にしておりました。時代が進んでも孝養は、なくしてはいけない大切な事です。
以前私の小学校の教科書に野口英世の話が載っておりました。立派になられた野口英世が、大衆の面前で、人目を気にせず足腰の弱ったお母さんをおぶっている姿が、いまだに目に焼きついております。孝養は仏教的にとても重要な意味があります。法然上人曰く「孝養の心をもて父母を重くし思わん人は まず阿弥陀ほとけにあずけまいし」という言葉があります。孝養を尽くし大切に思う人はまず父母を阿弥陀様におまかせしなければ、本当の念仏者の孝養ではないのです。その続きは、自分が人としてお念仏を出来るのも育てて下さった父母のお陰なのですから、念仏の功徳を父母にふりむけて、極楽へお迎え頂き、罪を滅して下さいと願うと阿弥陀様は、極楽へ連れて行って下さるのです。これが親に対しての子が行う当たり前の事です。その為にまず、自分が念仏生活をする事です。これからは孝養を意識しながらお念仏をしていただければ何よりです。

■第873話
仏様のお顔 あんなに暑かった今年の夏の暑さも忘れ、最近は、一年で最も過ごしやすい季節となりました。それと同時に行楽シーズンに入っております。皆様方はもう、どこかお出かけになられましたか? この法話を聞いて下さる皆様方の中には、どちらかのお寺にお参りに行かれているのではないでしょうか? うちの子供の仏様にまつわるお話がありましたので、お聞き下さい。男の子ためか、小学校に入学する前にいたずらばかりしておりました。さすがに今は小学3年になったので、以前みたいにはないですがその頃、あまりに度が過ぎる場合には、本堂に連れて行きました自坊は浄土宗ですので、ご本尊様は、阿弥陀様です。仏様は色々な、お仲間がいらっしゃいます。今私が申し上げました阿弥陀様の正式な、お名前は阿弥陀如来です。如来という仏様は他に釈迦如来、薬師如来、大日如来がいらっしゃいますが、浄土宗の場合、阿弥陀様の両側に、観音菩薩、勢至菩薩が、いらっしゃいます。いわゆる阿弥陀三尊と言われております。他の仏様で、お不動様と呼ばれている不動明王がいらっしゃいます。この仏様は、前の仏様と違い大変怖いお顔をされた、いわゆる忿怒の形相です。ただ怖いのでなく我々悲しい事に、煩悩の塊の衆生である為やさしく教えを説いて下さっても素直に聞き入れない場合には、厳しく叱って下さるお役目の仏様です。
話がそれてしまいましたが、子供が悪い事をし、阿弥陀様の前で謝る時「阿弥陀様が、すごく怖いお顔で、僕のことを見ている」と泣きながら、訴えておりました。その後お十念を称え終りました。又、別の日にいつもいつも怒られているので、たまには良いことをしたので「阿弥陀様にご報告しましょう」と誘ってもトラウマで「嫌だ嫌だ」と言っていましたが説得しようやく、本堂に向かいました。恐る恐る子供も阿弥陀様のお顔に目を向けたら、「今日は阿弥陀様が笑っている」とびっくりしておりました。実際、阿弥陀様は怒ったり、笑ったりされるお顔ではないのですが、子供にとっては、ある意味単純というのか純粋と言うのか自分の行いや感情によって仏様のお顔の見え方が違うのでしょう。私達の心が、仏様のお顔に表れたのでしょうか? これから、私達も仏様に手を合わせる時に、にこにこされているお顔を見せて頂きたいと思います。

■第874話
皆様こんにちは、十一月に入り、寒い日々が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか? 私共の寺でも、例年通りの十夜法要を行う為の準備に追われております。さて皆様、何か人にお願いをなさる、して頂いたその時に『宜しくお願いします』『ありがとうございます』などとおっしゃられると思います。南無阿弥陀仏・・お念仏とはこれと同じで私共がお念仏をお称えすれば、阿弥陀如来が寄り添って、離れる事無く、あまねく世界を照らして、その御光が届かない処が無い、たとえば人が百千人、大勢いらっしゃいましたら、その一人の名前を呼べば必ず一人が答えて、そこに居る全員の名前を呼べば全員がこれに答えます。このようにお念仏は必ず阿弥陀如来に届きますよ、届かない事は無いですよと、お約束下さってます。まるで、一つの部屋で沢山のローソクに灯りを点した時のように、その灯火は灯火を互いに照らして、その光があたり一面に輝き渡るように、お念仏の声は、阿弥陀様をお呼びして、そのお心と一つになり、離れることが無い。なんて素敵な事でしょうか。毎日を一生懸命に生きている、この命。終わった時には逢いたい人に阿弥陀如来の西方極楽浄土で必ず逢える。そこに行くための唯一の方法がお念仏なのです。どうぞ、優しい気持ちで、大切な人を思い、お念仏を、ますます共々にお称えしていきましょう。

■第875話
地元の会合なり、新たにお檀家様となられた方と話をしていますと、度々でますのが「おしょうさん、うちの仏壇やお寺の仏像なに如来でしたっけ?」という言葉で、毎度お答えしても、まだ施主なり親が仏壇を見てくれている方ですと、同じ質問を繰り返され、どうしたらと思っておりましたが、ある話をするようになってから、一度で憶えて下さるようになりました、その話をさせていただきます。「見返り阿弥陀像」をご存知でしょうか? CMでも使われていた珍しい仏像です。首を左下に捻って、後ろを振り返っていられます。この仏像はいわゆる因縁話がございますが、実際は、「諸仏の中に、弥陀に帰したてまつるは、三念五念に至るまで、自ら来迎し給う故なり」とあるように、少ない回数でも念仏をお称えした者が臨終を迎えました時。阿弥陀様ご自身がお迎えに来て下さって、還る道すがらちゃんと着いて来ているか確かめているお姿なのです。私共も不案内な方を招く時には、お迎えにあがって、家まで連れて来ましたら、間違いはございませんよね? そのように私達を西方極楽浄土に導いて下さる阿弥陀様。そこに行くただ一つの方法のお念仏。しっかりとお称えしてまいりましょう。

■第876話
皆様、こんにちは、私は先日まで数日間の修行に行かせていただきました。僧侶の資格をいただきまして、数年ぶりの本格的な行で、頭を剃りあげ、一切の連絡手段を絶ち、朝と言えぬ時間からの、お念仏三昧。さすがに身体に堪えましたが、また、有り難い時間を過ごさせて頂けたと。深く感謝いたしております。僧侶としての毎日を過ごさせていただいて以来、久しぶりの厳粛な中での行でありまして、じっくり腰を落ち着け、多くの事を考えさせていただく縁ともなりました。その行中、何より感銘を受けましたのが、浄土宗の2代にあたる聖光上人・3代にあたる良忠上人が、それこそ心血を注いで、後の世、つまり私達の為に、法然上人のみ教えが間違ったり、歪曲して伝わらないようにと、これこそが法然上人の正しいみ教えですぞと出来うる限りの想いを込めた書物を書き残してくださり、今この私に正しく伝わっている歴史があるという事に改めて心が震える想いがいたしました。今、この世においてお念仏以外救いの道はないという思い、自らの気持ちを素直に法話にのせて、皆様にお話しさせていただける有り難さも尊い事と受け取らせて頂いております。法然上人が生涯掛けてお伝えしたのは、ただ一向に念仏すると言うことです。それを皆様に正確にお伝えしていく僧侶の一人として、今回の数日間の行がより一層の努力、精進を堅く心に決めさせて頂く良縁となりました。深く感謝いたします。皆様とお声を合わせ、大きな声でお念仏をお称えしていける喜び、正確にお伝えできる自信などが間違いなく備わったと思います。益々お念仏の生活にまい進してまいりたいと思っております。ともども、お念仏に精進してまいりましょう。

■第877話
師走と懺悔 こんにちは。大分気ぜわしい季節になりましたが、昔は12月に入りますと、各寺々で行われます「仏名会」といって、1年間の積り積った罪科を仏のみ名を唱えまして懺悔する法要が各地でおこなわれたものであります。そこで、多くの僧侶が忙しく寺々を、あるいは信者の家を飛び巡っていたところから、師走という言葉が生まれたわけです。なぜ、師走に入り懺悔をするかといえば、1年間の長きに亘る間につくってきた、様々な罪科を仏様のみ名を唱える中で、身と心を浄め、新年を迎えるためであります。懺悔といえば、仏教を開かれたお釈迦様も常にお弟子達に懺悔反省をさせておりました。私共も毎日朝夕の勤行、葬儀、法事など全ての法要の時には、必ず最初に御仏の前に懺悔し、悔い改めて、それから本題の法要に入っております。人間という動物は沢山の煩悩をもっているため、自分の思い通りにならないと、苦しみ、悲しみ、怒りや慢心してしまうこともあり、時には悪心を持つ事もあり、罪を犯しやすいものなのです。中国の唐の善導大師は、「専ら弥陀の名号を念ずるには如し、念々の称名は常に懺悔なり」と申しております。また、宗祖法然上人は、「十悪の法然房、愚痴の法然」と自ら言っておられ、常に罪悪を犯している姿を自ら見出して深い懺悔をし、お念仏によって往生できると説いておられます。旧年中に犯した沢山の罪科をお念仏をもって懺悔し、浄らかな身と心をもって新年を迎えることが出来るならば、誠に素晴しい事と存じます。

■第878話
初詣りは菩提寺から こんにちは。あと僅かでお正月を迎えることになりました。例年、今頃になりますと、話題になりますのが、新年の初参りの参詣者の予想でありましょう。新年は明治神宮や鶴ヶ岡八幡宮、川崎大師と楽しい、しかも清々(すがすが)しい初参りの姿は日本独自の行事と言えましょう。しかし、それはそれでよいのですが、「ちょっと待ってくださいよ」と言いたいのです。私たちが今日まで生き続けてこられたのは、言うまでもなく父母をはじめ、ご先祖さまの不思議な縁のお陰で今の自分の生命が息づいているのではないでしょうか。ご先祖の一人でも欠けていたならば、今の自分の存在はないわけです。そのことを考えたならば、先ず、最初のお参りはご先祖さまの眠る菩提寺ではないでしょうか。私共は旧年中も毎日ご先祖さまと共に過ごして来ました。そして、お守りいただきました。大晦日も仏前をお掃除し、お花やお供えをささげ、年越しそばも備えたあと、家族そろってすするそばの味は一入美味しいものであります。旧年から新年へご先祖と共に生かされていた生活がそこにあることに気付くことでしょう。すなわち、共生であります。初日の出を拝礼するのは、大自然の恩恵に対しての感謝の誠を捧げるわけで、他の動植物の恩恵と共にご先祖と共に共生している社会であるわけです。他の神社仏閣にお参りされるのも結構ですが、ご先祖様の眠る菩提寺の初参りも忘れることなく、家族揃って感謝の誠を尽くしたお参りをお勧めします。

■第879話
心で聴こう除夜の鐘  こんにちは。今年も後僅かになりました。特に大晦日といえば、恒例の紅白歌合戦が思い起こされますが、これが終わりますと全国のお寺から除夜の鐘の音が響いてまいります。百八煩悩を打ち払い、清らかな心で正月を迎える行事の一つといえましょう。百八煩悩とは沢山の限りない煩悩を意味し、お数珠の珠も、鐘の数も百八として、煩悩を断ち切るよすがとしたものです。特に昔から京都知恩院や芝増上寺の除夜んの鐘は有名ですね。あぁ、、、今年も様々なことがあったなぁ、、、と感慨にふけっている中に、除夜の鐘の音を聴きますと、一入心に染み渡ります。そこには耳で除夜の鐘を聴くのではなく、自然と心を通して鐘の音を聴いている自分がいることに気付くことでしょう。今の世の中は身勝手で無責任な人間、礼儀知らず、直ぐにキレてしまう人間などで一杯です。みんな心が無くなってしまっているのでしょうか。こうした時こそ、私共は除夜の鐘の音を聴くごとく、お互いに心を通して話し合い、心を込めて行動しあうことが大事ではないでしょうか。私たちは仏様にお会いする時は誠の心をもって対面します。お参りした後は心がすっきりして清浄になった気持ちになりますね。それは、お念仏をお唱えし阿弥陀様の御心を頂いたからであります。従って、その御心をお互いが通して生かし合うということではないでしょうか。新年こそ、煩悩を打ち払い、お念仏の中に生かし合う年になりますよう、願いたいものであります。

■第880話
私の自坊のある町内は皆様のところでも行われているところもあると存じますが、縁起物の獅子舞が正月2日に行われています。私は、一昨年より消防団に入団しておりまして、警備を担当しております。お囃子の講中の方々と一緒に廻っておりますと、いろんな方がおられます。古くからあるお宅だけでなく、中には外国人の方のお宅もあり、珍しそうに獅子舞を見ていらっしゃる方もいれば、「獅子舞って何ですか?」と素朴な質問をされる方々等々、それぞれ多様な反応があります。そうした中で感じましたことは、お寺の行事でもそうですが、昔から行われていることでも、今の人は体験していない方が多いのだな。と思いました。子供の健康を祈願する、または仕事の商売繁盛を願う。といったことも知らなければ、理解出来ない方がたくさんいらっしゃいました。我々浄土宗宗門の者も、人事ではありません。元祖大師法然上人は、易行道、簡単に誰でも出来る行として「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えする事をお説きになられました。この簡単に行うことの出来る行でさえも、我々が伝えていかなければ、益々解らない人が増えていくのだな。と改めて感じさせていただいた次第であります。新年を迎え、一層気を引き締めてお念仏をおとなえすると同時に弘めていくことを実行していかなければならない。と思っております。 
 

 

■第881話
法然上人のお読みになられたお歌を紹介させていただきます。
「雪のうちに 仏のみ名を 唱ふれば つもれる罪ぞ やがて消えぬる」
この歌は、詠唱をされていらっしゃる方はご存知でしょうが、京都御所近くにあります大本山清浄華院のご詠歌として知られ、「冬のご詠歌」といわれている歌です。朝、気が付くと、普段よりも静かな時があり、外を見れば、辺り一面雪に覆われていたという経験は、皆様にもお有りかと思います。しかしそれもやがて太陽の光に照らされて、溶けて消えてしまいます。雪が降り積もるように、私たちの身にも日々に悪い事とは知りながら作ってしまった罪、知らずに作ってしまった罪が積もってまいります。しかし、普段のままの姿で、体と口と心で作り積もった罪を心から懺悔し、阿弥陀様の御名を唱えたならば、阿弥陀様のお慈悲の光に照らされ、すべての徳が包み込まれたお念仏の功徳によって、罪はたちまちに消えてしまうのです。というのが、法然上人の御心でございます。今年は昨年来から寒波が強く、例年以上に大雪に見舞われている地方もございます。やがて暖かくなれば大雪も溶けて、平穏な生活が戻るのでしょう。私たちは日々に念仏をお唱えし、自分の心に積もる雪を阿弥陀さまのみ光によって溶かせるように心がけていこう。と、ニュースを見て、このお歌を深く味わいさせていただきました。

■第882話
ある本にこんなことが書かれてありました。
あなたのそばに、こんな人はいませんか? 何に対しても消極的な人……。「おいしい物あるから食べようよ!」 「食べません!」 「東北の秋を楽しみに行こうよ!」 「行きたくありません」 「音楽会のチケットが有るけど…」 「つまらない、音楽嫌い!」 何を言ってもNO、NO、NO…。これでは、発展も、展開も、打開も、それこそ、何にもNOじゃありませんか。万事がダメ、そこでおしまい。
さて、そこで人生五段活用。そう、学校で国語の時間に教わった、あれこれ…。やらない、やります、やる、やるとき、やれば、やれ、なんて、五段活用、上一段とか下一段とか習いましたね。あれです。では人生五段活用ではどうなるか。やらない、やります、やる、やるとき、やれば、やろう。この「やろう」がどれほどあなたの人生を発展させることか、難問を解決することになるか…。一段の「やらない」で止まってしまっては、すべてそこでおしまいです。身近にやらないで泊まってしまっている人がいたら、この人生五段活用をぜひ教えてあげてください。
ご法事の時などに「ご一緒にお十念をおとなえしましょう」とお願いしてもなかなか大きな声でおとなえできる人は、いません。でもこの簡単な、誰でも出来る修行でさえも実践しなければ、何もなりません。ただ口に南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば、それは称名正行という立派な正定の業であり、法然上人のみ教えであります。今月二十五日は法然上人のご命日であり、毎月鎌倉の大本山光明寺に於かれましても信者の方々と一緒にお念仏する行事があります。どうぞご参加されてはいかがでしょうか。

■第883話
年が明け、早いもので二月になります。間もなく暦の上では立春にあたりますが、まだまだ寒さ厳しい日が続きそうです。今回は、「頭北面西」北枕について少し考えてみたいと思います。よく「北枕は縁起が悪い」などと時折耳にする言葉であります。確かに亡き骸を安置する一つの作法であり、これを避けるための意味でそのような事が言われているようです。さて北枕というのは、お釈迦様がお亡くなりになられた、つまり涅槃に入られた時のお姿なのです。
今から約二千五百年前の二月十五日、八十年のご生涯をとじられました。このご命日に、お釈迦様を偲んで行われる法要を「涅槃会」と言います。お釈迦様は八十歳で亡くなるまでの四十五年間、伝道の旅を続けインドのクシナガラという所で静かに往生なされました。その時のお姿を「頭北面西」といい、頭を北に、足を南に、右脇を下にしてお顔を西に向けられたお姿です。よく考えてみすと、頭を寒い北に向け冷やし、足を暖かい南に向け暖めるというのは「頭寒足熱」の理にかなっております。また、お顔を西に向けるというのは、西方にあると説かれているお浄土への往生を願っての事と思われます。お釈迦様のこの姿勢、人間の心も体も深く見極められ、悟りを開かれたお釈迦様です。そのお言葉やお姿に何一つ縁起の悪いというものは無いはずです。私たちは、常日頃目に見えない縁により生き生かされているのです。是非この縁起をありがたくいただいていく人生にしていきたいものです。

■第884話
私達浄土宗を信仰するものにとりまして、その教えを知る一つの方法として詠唱というものがございます。そのなかの一つにある「冬の御詠歌」を本日はご紹介いたします。「雪のうちに 仏のみ名を 唱ふれば つもれる罪ぞ やがて消えぬる」 このお歌は罪の積もる様子を雪にたとえられ、お念仏によって罪が消える事を法然上人が詠まれたお歌であります。私達は日々の生活におきまして、どんなに気をつけていても罪を重ねてしまうものであります。例えを挙げればキリがないのでありますが、道を歩けば小さな虫や生物を踏み殺し、食事を取れば間接的にといえ殺生をし、また他人に対しては怒りや妬み・愚痴の心をいだいてしまうのであります。まさに雪が降り積もるがごとくこの身に深く罪を降り積もらせているのであります。そして悲しいかな、いかにしてこの罪から逃れようと思えど、自力で逃れる事ができないのが私達凡夫であります。
こんな私達がどのようにしたらこの罪から逃れられるのでしょうか。それが南無阿弥陀仏の六字のお名号をお唱えするお念仏であります。私達のような罪深い凡夫でさえもこの身自ら作り上げてしまった罪をしっかりと意識し、この身このまま、ありのままで心から懺悔しお念仏をお唱えすれば、阿弥陀様のそのお慈悲に満ちた無量の光に照らされて、この六字の名号の功徳によって春の雪解けの光のように私達の罪はたちどころに消えてしまうのであると、法然上人はさきほどのお歌でお示しくださいました。しかしながら、お念仏をお唱えしているそばからまた新たな罪をつくりあげてしまうのも私達凡夫であります。日々の生活の中、なるべく罪を作ることなく努力をし、阿弥陀様に懺悔と感謝の気持ちを常に心がけ、お念仏を中心とした生活を送っていただく事が何よりも大切な事であります。

■第885話
三浦半島にあります私の自坊では、「月参り」とって毎月命日の日付の日にお檀家さんのお宅に伺って、お参りをさせて頂いておリますが、あるお檀家さんのお宅に伺った時のこと。その日はたまたま法務が重なり、伺う時間がいつもより遅れてしまいました。急いでそのお宅に伺いお勤めさせて頂き、お経を読み終え改めて「遅くなって申し訳ございませんでした。」と私か言うと、「本当にお待ちしていましたよ。私も朝夕仏檀に向かって、お線香さ上げ、お念仏をしていますが、やっぱりこうして和尚さんに来てもらって念仏してもらわないと、亡くなったおじいさんに申し訳ない気がして落ち付かないんですよ。」と仰りました。そこで私は、「いえいえ、私か称之る念仏も、お婆さんが称える念仏も同じです。心を込めてお称えする念仏は、どなたにも同いように功徳があって、西方浄土に届いています。むしろおじいさんには、耳慣れたお婆さんの声の方か心地良く聞こえるかも知れないですね。」とお話ししました。お婆さんは、「そうですか、それは良かった。」と仰り、ニッコリされていました。
浄土宗の二祖様、鎮西上人の伝記の中にも、こんな話かあります。ある日、宗祖法然上人と二祖鎮西上人が法談されている時、法然上人が「阿波の介が申す念仏と、私が申す念仏、どちらが功徳があると思うか。」と鎮西上人に質問されました。阿波の介とは、様々な罪を犯した悪人だったが、後に改心して念仏の信者になった者で、その事を知っていた鎮西上人は、「阿波の介の念仏が、お師匠様の念仏に等しく功徳があるはずがありません。」とお答えになったのです。すると法然上人は、「今まで浄土宗の何を勉強してきたのですか。」と鎮西上人も強くたしなめられたということです。つまり、私達が常日項お称えしている浄土宗のお念仏は、老若男女、身分の高い低い、智識のあるなし、罪のある者ない者の区別なく、心から念仏するすべての人々に同じように功徳があり、もれなく阿弥陀様に届き救いの道になるのです。この有難い浄土の念仏の教えをしっかりと胸に頂いて、ますます念仏に精進して頂きたいと思います。

■第886話
長い歴史を持つこの法話の中でわたしたちの生き方を、さまざまな人が、さまざまにお話しされています。今回のお話はひとりの詩人が読んだ詩を紹介してまいりましょう。「朝咲く花のあさがおは、昼にはしぼんでしまいます」 「昼咲くはなのひるがおは、夕方しぼんでしまいます」 「夕方咲くゆうがおは、朝にはしぼんでしまいます」 みんなみんな短命です。けれども時間を守ります。そしてさっさと帰ります。どこかへ帰ってしまいます。この詩は大正から昭和にかけて生きた三好達治が読んだ詩です。
精一杯咲き誇り、懸命に限られた時間を生きたその命、終えて帰る一輪の花。この詩を読んだ時、わたくしたちがいただいているところのお念仏の教えに思いをめぐらせます。限られた時間は尊いこのいのちを戴いた、生かされているところのわたしたちとて同じです。その限られた時間をどう過ごし、今をどんな風にして生きればいいか。いのちがしぼむとき、その時がきたらお浄土に参りたい。わたしたちにはお念仏によって帰れる場所、お浄土があります。わたしたちの人生は咲き誇る素敵な花のような一生でありたいものです。この限られた大切な時間をあなたはどう使いますか、そしてその時を迎えたとき迷子にならぬよう、行くべきところ、帰るところがどこなのかわからなくならないようにしたいものです。

■第887話
今回は有名な坂村真民さんの作品です。「わたしは今に生きる姿を花に見る。花の命は短くて。など嘆かず今に生きる。花の姿を賛美する。ああ咲くもよし、散るもよし。花は嘆かず今に生きる。」 さまざまな花が四季折々私達を楽しませてくれます。わたしたちも一日一日を積み重ね、今この時を生きています。花の命は私たちに比べてはるかに短いですが、限られたエネルギーを最大に発揮しているがゆえ、美しき花を咲かせることができるのではないでしょうか。この詩から生きる私たちに忘れがちなことを教えてくれているような気がします。今のこのときを生きている環境は花もわたしたちも同じ。花は咲くのを信じているがゆえ、美しい花をつけます。私たちは阿弥陀さまの浄土を信じ、日々念仏申すことで、その心に誰にも負けない大輪のたくさんのきれいな花を育て咲かせましょう。その育て咲かせた花々で大きな花園を作ってお浄土へのお土産にして、あみださまにさしあげに行きたいですね。

■第888話
前回、前々回とお話をしてまいりました私担当の法話の締めくくりに、昨日テレビで放映されたワンガリ・マータイ ケニア副環境大臣のお話を取り上げたいと思います。ご存知の方も多いと思いますが、「もったいない」の日本語をもって世界にその活動を広げ、ノーベル平和賞まで受賞されたアフリカの女性です。その話を聞いていて、私は今、「もったいない」ことをしていないだろうか、と思いました。私たちの生活はどんどん便利になり、娯楽も多種多様あります。なんでも手に入りますし、欲求も満たす事が出来ます。しかしそれらに夢中になって、お念仏行がおろそかになっていたら「もったいない」と私たちが頂いている所の法然上人のおしえは、800年もの長きにわたって「ただ一向に念仏すべし」のおことばにより受け継がれてきました。
今、お念仏を申さねば「もったいない」。彼女はお話の中で、この運動の芽がでて小さな種ができてきた。また、今の私たちがすべきことは、ひとりひとりができることに最善を尽くす事。すばらしいことではありませんか。私たちもお念仏の種をもっとたくさん増やし育てて、みんなにさしあげませんか。大きな大輪となったとき、その花は必ず人々を幸せにしてくれます。そしてまたそのお念仏の種が広がり幸せの大きな輪が出来ていきます。でなければ自分もみんなも「もったいない」。  
 

 

■第892話
新緑の季節を迎えますと、少し足をのばしてよその町へ出かけたりしますが、最近は市町村の合併などがおこって新しい市や町の名前にとまどったりします。市町村の合併がおこる時問題となるのは、これまでの愛着のある地名を生かすのか、なくすのか多くの問題があるようです。その際、言葉の響きだけで価値を決めてしまう傾向が人間の心の中にあるようです。私の住む周辺地域でも「葉山」とか「湘南」という言葉にブランドの様なイメージを描かれる方もおり、こんな所がという場所が「南葉山」だったりしますと、思わず苦笑いしてしまいます。神戸なども、今ではまず大震災そ思い出しますが、ひと頃はやたら神戸なんとかという神戸をつけた商品があふれました。神戸、葉山、湘南などつけたらいいというものでもないと思ってしまいます。これは人間そのものにあてはまりましょう。
一人間なのに、重役とか立派な肩書きがつくことで勘違いしてしまう人が多いですね。きらびやかな服に身を包めば一体向様のつもりだという横柄な態度に出る方もいます。地位名誉、ブランドそうしたものをつけるだけで人が変わったかのように思われるかもしれません。しかし、人間どこまでも愚かで救われない存在です。いくら違うもので身を隠してもおろかな私は私のまま。何ら変わっていない救われない自分を見つめて念仏称えなさいと法然上人はおっしゃっいます。それが、智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべしということです。

■第893話
法話で何をお話ししようかと考えますと毎回この事ばかりが心にかかって常に気になります。私どもは「こころがける」という言葉を使いますね。いわゆる心に掛けるということで、常に心に留めておくという意味で使っております。日常では1つのことをずっと思い続けることはなかなかできませんが心にかけておくと、すぐ思い当たったり思い出せますし、それを続けているといつでも思い続けることができます。私は学生時代、日本古代史を専攻し卒論を書く時テーマを古代の倉としました。いつでも倉のことばかり考え文献にあたっていますから、街を歩いていても家の表札に倉田さん倉橋さんなど見てはどきっとしていた日々を思い出します。常に倉を心にかけていたのですね。
お念仏のみ教えをお説き続けられた法然上人は、自ら阿弥陀仏を思い、そのお会いしたい気持ちを持ち続け、そのお心を歌に表して下さってます。「われはただほとけにいつかあふひくさこころのつまにかけぬひぞなき」私、法然はただひたすらにいつの日か阿弥陀様にお会いするという事を葵をものの端に掛けて飾ったりする様に、あなた様のことを心の端に掛けて思わない日などないですよという意味になりましょう。常に阿弥陀様のことを心に掛けておく。これが上人の毎日の生活であったでしょうし、私どもへのお諭しです。阿弥陀様と離れず過す、この事こそが阿弥陀様を心に掛けるという事なのです。そのためにも、ただ一向に念仏すべしと教えられるのでありましょう。

■第894話
今世の中は何から何まで粗略になっていす様に思います。一つ一つの事を綿密に考えたり行ったりする事が避けられ、大まかでぞんざいな方向に全てが流されているように思えてなりません。言葉使いに対しても他人に対する礼儀にしても、どうもおろそかにしているように思います。これは物事を少しでもコンパクトにしたり、最小限にとどめたりすることが日常的となり、そのために大切な事まで削られてしまった結果ではないかと思います。大切な事が消えたらコニパクトにすること自体の意味がなくなってしまいます。ところが私どもがお称えさせて頂いている南無阿弥陀仏のお念仏は、たった六字のお名号ですが、阿弥陀仏の慈悲、私どもを何としてでも救いとろうとする願いが全てこめられています。
阿弥陀仏は、罪を作り続ける私を何としてでも救うため、私が必ずせねばならない、しかしとうていできるはずのない修行を、自ら代わってやって下さり、その全ての功徳を六字のお名号にたくし、阿弥陀仏の名号を呼ぶというきわめて最小限の行を用意して下さったのです。ただ、称えればよい、それで最高の功徳が得られるというのですから、このコンパクトは粗略とは全く違うのです。考えてみますと、私ども信じるその1つが難しくてできません。ちょっとしたことで右にも左にも心は転んでしまいます。信じ切ることは難しい行なのごす。阿弥陀仏はそれを先刻ご承知なのですね。ですから南無阿弥陀仏と声に出すことこそを唯一の行として下さったのです。どうぞたった今この一瞬から南無阿弥陀仏と称えて参りましょう。

■第895話
先日、お寺で可愛がっていた猫のチャトランが、交通事故で死んでしまいました。お寺に来てから5ヶ月、わずか8ヶ月の生涯でした。近所の方もお線香を上げにきてくださるほどの人気者でした。家族同様にかわいがっていたので、私どもは大変悲しみました。悲しみが少しずつ癒えてきた1週間後、私はいつも通り、境内の見回りをしておりました。気がつくと、ここ1週間でずいぶん草が成長していました。草を見ながら、ふとこんなことを考えておりました。(そういえばチャトランは、暗いところや、高いところも好きだったけど、草や花も大好きだったなぁ・・・。) そう思うと再び悲しみがこみ上げてきました。さらに、(チャトランはこの緑を生涯一度も見ることなく、この季節を一度も経験することなく逝ってしまったんだなぁ。見せてあげたかった。こんなに輝いているのに。) 私はその時ふと気がつきました。いつも見ている草が今日は特別輝いて見えるのです。(今までなぜ気がつかなかったのだろう。この季節を何度も経験しているのに。) そうです、チャトランが私に身をもって教えてくれたのです。(いつも僕が見ていた草や花はこんなに輝いていたんだよ)と。

■第896話
前回は、「交通事故で死んでしまった、猫のチャトランが、身をもって教えてくれたこと」をお話しました。ペットにしろ、家族にしろ、身内の不幸は残された家族の心に深く大きな傷を残します。私自身も、今回のチャトランの死で大変悲しい思いをいたしました。チャトランは、さっきまで確かにそばにいたのです。腕には引っかかれた傷があります。台所には食べ残しのえさがあります。庭のプランターの中には、足跡があります。どこにいっても、チャトランは確かにここにいたのです。それが急にいなくなってしまうなんて、本当に信じられませんでした。いったいチャトランはどこにいってしまったのでしょう。生前中は 「今度生まれてくるときには、人間に生まれて来るのだよ。そうしたら、必ずあいにきてね。」 と話しかけておりました。
それまで待たなければいけないのでしょうか。「無量寿経」の中には 「もし、動物の世界で苦しんでいても、阿弥陀仏の光明を見れば、みな休息することができ、苦しみもなくなる。命が終わってから皆、解脱をこうむる。」 とあります。また、法然上人も無量寿経をもとにして、「亡くなられた人のために、お念仏を唱えなさい。そうすれば阿弥陀仏が光を放って、3つの苦しみの世界を照らし、たとえ、そこにいる者でも苦しみが休まり、命終わったあと、解脱する。」 といわれています。

■第897話
前回は、「動物でも阿弥陀仏の光明を見れば解脱が出来る」をお話しました。我が家のペットチャトランは、たった8ヶ月で逝ってしまいました。いつも一緒にいるときは、(チャトランが死ぬときは、私はいくつになっているのだろう。10年後だろうか。20年後だろうか。)などと考えていました。それが、半年も一緒にいれなかったのです。では、もう1日一緒にいれたらどうだったのでしょう。もう1ヶ月一緒にいれたらどうだったのでしょう。やはり、いつかは別れが来るのです。人間でも、ペットでも、別れはいつか来るのです。
お釈迦様がお亡くなりになるときに、悲しむ弟子にむかって言いました。「そんなに悲しんではいけません。どんなに長く生きられたとしても同じことです。会うものはいずれ別れるのです。私は今死んでゆくけれども、この身が滅びるのは、まるで悪い病から逃れるようなものです。この体のために、さまざまな物や事に執着し、悩み苦しんできたのです。この体は、生まれてから、老い続け、病にかかり、そしてまさに死に直面しているのです。だから、私にとってこの身を捨てることが、救われることなのです。この身を持っている以上罪を作り続けるが、この身がなくなれば罪を作らなくて良いのです。むしろ、この身が死ぬことを喜ばなくてはならないのです。」

■第898話
お盆が近づいて参りました。お盆と云う言葉を聞きますと、今は亡き御先祖や父母の事を思い出して優しい生前のお姿や暖かい親心を懐かしんで、み霊を感謝の気持ちで家庭にお迎えします。そして心をこめてお墓参りをします。在りし日の想い出をゆかりの方達と偲び合います。現在の私達は永遠の命の中に生かされている吾が身に気づき、感謝と共に私達の寿命には限りがあり、大いなるみ佛様のおはからいに生かされている尊い生命を、一日一日大切に過ごして行きたいものです。このお盆の起源については、お釈迦様がご在世の時、お弟子の目蓮尊者が今は亡き母の様子を神通力をもって伺い見ると、母親は生前の業により餓鬼道におちて飢えの苦しみにやせ衰え、悲惨な有様でした。
目蓮尊者は、お釈迦様に母を救う道を教えて頂いたところ、7月15日僧の修行の終わる日にたくさんのご馳走を整えて、すべての佛を供養し、たくさんの僧に差し上げれば、その功徳により母を救うことが出来ると教えられ、目蓮尊者はその通りに致しました。それにより母の苦しみを救う事が出来ました。お釈迦様は毎年7月15日に亡き父母の恩を感謝し、この事を実行するならば、亡き父母をはじめ、何代も前の人々をも救う事が出来るであろうと諭され、これがお盆供養の始まりであります。我が国ではお盆祭りとして盛んになるにつけ、盆と正月の里帰りと云われる様に、日本人の心に深く根付いた行事となりました。盆踊りなども加わり、明るい祭りとなりました。迎え火や父の面影母の顔。

■第899話
境内の樹々は陽の光を受け輝き、本堂に吹き渡る風は、お浄土の微風とも感じられるなか、お念仏を申して居りますと今年新盆を迎えられるAさんと云う女性の顔が、お灯明のあかりに照らしだされるかの様に浮かんで参ります。Aさんは努力に努力を重ね、税理士の資格を取られ、58才で旅立たれる約ひと月程前まで仕事一筋に打ち込まれ、数年前迄は今は亡きお母様と良くお寺に参られて居りました。Aさんは癌の末期になる迄、自覚症状がなく、医師に診察を仰いだ時には、余命1年足らずの時でした。身内が少ない上独身でもあり、Aさんは入院中の病院にお見舞いに来ていた3人の親友に、今すぐお寺へ言づけをお願いしたいと頼み、友人等は私の所に来られ、Aさんは生前の法名を授与して下さい、そして弔問の方達の足場の良い駅前の斎場をすでに決めている事、通夜、葬儀の精進料理も、ご自分で手配済みとの事。医師には勤務先の事務所の仕事納めの、12月30日をめどに旅立たせてほしいので、点滴の量を調節して下さい。
安楽死を望みますと明言している事を、友人達は目にあふれる涙をぬぐいもせずに、私に伝えました。病の床にあるにもかかわらずにAさんは澄んだ瞳で、誰にも代わってもらえない私の命、今を大切に生き、さわやかに旅立ちたいと語っていられますと、友人達は私に話して下さいました。時あたかも仕事納めの前日にAさんは、永久の眠りにつかれました。人間の生き方が百あれば、百の死に方もあります。Aさんは毎年、児童福祉施設に寄附もされていた事が、葬儀の際のお悔やみの言葉で明かされました。天女の様な微笑みをたたえたAさんのお別れの時の写真が、私のまぶたに、心に焼きついて居ります。

■第900話
本堂にお供えしているホオズキの燃える様な色が目に沁みて参ります。佛法の念佛者として84年の生涯を布施の行に生き抜き、苦難の中にいる人々を心に灯りを灯し続けられた颯田本真尼の愛と献身に想いをはせ、お徳を偲んで参ります。ノーベル賞を受賞したマザーテレサさんの様な尼僧でいられました。本真尼は天災地変で困っている人達に対し、み仏の教えと共に、自ら出家でありながら財施、大切なお金や品物を施した方でした。本真尼のご生涯は明治23年、大津波が三河地方にあり、海岸は泥海となり死傷者も多く、自坊の徳雲寺の本堂も水に深く浸ってしまいましたが、百数十人の死者に向かい読経念佛された本真尼は、これからの生涯を難民救済に捧げる事を決意され、翌年起こった美濃地方の大地震、山形県酒田町の震災救助、翌年の三陸津波への救いの手、明治24年秋の美濃の震災から大正13年の藤沢町の震災救助の34年間、施しの行脚がたゆみなく続けられ、全国23の県にも及び、施しをした家6万軒余り、陰徳を積まれ心から心へ伝わる本真尼に帰依する信者の誠心と大勢のお弟子達の随喜の行により、この偉大な布施の行いが尼僧によりなされた事はまさに前代未聞の事と今に語り継がれて居ります。
1928年に84才にて徳雲寺にて安らかにお浄土に旅立たれました。「身は比丘尼 心は生きた観世音 口に念佛颯田本真尼」 とは、ある信者の歌だそうです。老尼の生涯は、まさにこの一首に尽きている様です。尚、鵠沼にあります本真寺も老尼の建立でございます。本真尼は常に力強くお念佛を称えよとまわりのお弟子達に教え、しっかり合掌する事を優しい中にも力強く言われ、念佛信仰に生き抜かれ、大きな布施行をなし遂げられたのであります。老尼の辞世の歌、「たのもしや 生き永らへて 無量寿の 慈父の都に ゆくと思えば」 到らぬ私でございますが、お念仏をみ霊に捧げます。 
 

 

■第901話
故人は仏の国に 花は美しく咲いた後には、種子を残し枯れていきます。そして、その種からは再び花が咲きます。人もまた、生まれ、子を残してご浄土に参ります。これが自然の摂理であり、生命は子供へと引き継がれているのです。故人もまた、あなた方という命を残しました。あなたの命がさらに引き継がれいくのです。親を亡くされた苦しみは、時間が経てばやがてやわらいていきます。しばらくすれば、あなたのつらい気持ちも薄れるでしょう。悲しいときは、悲しみを心の奥に押し込めないで、自分の感情に素直になって、涙を流すことが大切だと思います。涙は心の汚れを落としてくれます。涙を流すことで、溜まった感情を吐き出すことができます。涙を拭くたびに、故人との絆は強くなり、心は優しくなります。その心でもって、すべてのものに優しさで接しましょう。
人の世は、その時々に変化し、移り行くものです。仏教ではこれを諸行無常と言います。この変化に抵抗してはなりません。現実を現実としてあるがままに受け入れることが大切です。そうでないと、いつまでも悲しみが続きます。故人はこの世の悲しみや苦しみ痛みなど、あらゆる束縛から自由になりました。今は、仏様の近くにいて幸せになっておられます。私たちの仏教は大乗仏教の一つです。大乗仏教とは、大きな船に多くの生けるものが乗るもの、その大きな船をみんなで漕ぎ、助け合って、目的地に行こうとするものです。そこでは、一人だけが救われて、他の人達は救われないことはない。みんな同じ船に乗っているからです。みんな同じ浄土にゆき、そこで再び会うことになります。これを仏教では、倶会一処といいます。

■第902話
さとりの世界を仰ぐ 『浄土宗見光山眼性院大念寺』 佛は彼岸(浄土)に立って待っている。彼岸はさとりの世界であって、永久に、むさぼりといかりと愚かさと苦しみと悩みのない国である。そこは、智慧の光りだけが輝き、慈悲にうるおわされている。この世にありて悩む者、苦しむ者に安住が得られる所である。この国(極楽浄土)は、光のつきることのない、命の終わることのない、又再び迷いに戻ることのない世界である。真に、この国は悟りの楽しみが満ち、華の光りは知慧をたたえ、鳥の囀りも佛の教えを説く国である。まことに、すべての人々が最後に帰って行くべき処である。しかし、この国は、安逸の処ではない。その華の臺は、いたずらに安楽に眠る場所ではない。真に働く力を得て、悩める人々を救うため、精進に修行して、その功徳を貯えておく場所である。
佛の仕事は永遠に終わることがない。人間の存在のある限り、生き物が生存する限り、又、それぞれの生きものの心が、それぞれの業感(善悪の報いを引き起こす行為)の世界を作り出している限り、救いの手の休まる時はないのである。今、佛の力によりて、彼岸浄土に入った佛の子等は、再びそれぞれの縁のある佛の世界に帰って佛の仕事に参加するのである。一つの灯火が灯ると次ぎに他の灯に火が移されて、尽きることのないように、佛の心の灯も、人々の心の灯に次から次へと火を点じて、永遠に終わることはない。佛の子等も、又佛の仕事を受け持って、人々の心を成就し、佛の国を美しく飾るため永遠に働いてやまないのである。(仏説無量寿経)

■第903話
生きるということ 人間が生きるということは、毎日何かに感動し、感激することだと思います。私達はこの世に生を受け、同世代と共に生き、又、荒野の中の風のように、彼岸浄土に帰っていきます。大地は永遠に生きつづけて行きますが、この大地の上に生きる私達は、限られた期間しか生きることができません。思えば人間が造ることの出来る歳月というものは短いものです。この短い時間をどう生きるかということが、大きな問題となるわけです。人間、生きることの難しさ、また生きていることのすばらしさを、身をもって知らされている昨今です。世の中には、心豊かな味のある人もいれば、味のない人もいます。出来れば、味のある人になりたいと思っていますが、なかなか思うようにはいかないものです。随分高い学問がありましても、味のない寂しい人がいるかと思えば、さほど学問などないのに味のある人もいます。地位や財産なども、必ずしも人間の味に結びつかないこともあり、時にはむしろ逆行することさえ多くあります。
いかに学ぶことの重要性・必要性が考えられます。多くのことを学び、多くのことを経験し、経験の積み重ねが知恵となり、知恵の積み重ねが人間としての味を生むのではないかと思います。
○他人の心の痛みや喜びを一緒に感じることが人です。
○人生には死よりも難しいことがあります。それは生きつづけることです。
○別れよりももっと難しいことがあります。それはつき合いつずけることです。
○魅力ある異性が存在するからこそ、この世に生きているのが、すばらしいのだといつも考えてます。
○人間としてせっかく生まれさせてもらたのですから、せめてこの世に生きている間に、自分が生きていることの本当の意味を考えてほしいと願います。
人間が生きるということは、毎日何かに感動し、感激していくことだと私は思います。昨日は気づかなかったものに、今日は新たな発見をして感動します。年とともに顔にしわは出来ますが、心の中にしわはつくりたくありません。心の中にしわが出来た時、人間は感動しなくなるのではないでしょうか。感動・感激にお金はかかりません。社会的な地位や肩書きも一切関係ありません。一生感動いっぱい、感激いっぱいの人生を送りたいと思います。

■第904話
本日から9月いっぱいお話させて頂きます箱根本還寺住職戸松と申します。本日から第3回に渡りましてお念仏の功徳。最新長寿医学と言う事で、元気で長生きの秘訣お念仏と言うお話をさせて頂きます。最新の長寿医学というものがございまして、その研究の中でお念仏を称えたり、また、ヨーガをしたり、気孔をしたり、瞑想したり、深い呼吸をすることは体に非常にいい。また、それが老化を防止することが分かってまいりました。まあなぜこの深い呼吸をすることが大事かと申しますと、私共現代人はみな呼吸が浅くなり、エネルギー代謝がおち、心肺機能低下しているというデータがございます。
そこで浄土宗徒のみなさまは特にお仏壇やお寺のお念仏の会でお念仏を称えて頂き、そして、そのお念仏をお称えすることを通して、深い呼吸をして頂きまして基礎代謝をたしかめ、また、免疫性を上げると共に深かく息をはいて頂くことによって体の不要なものをはき出して頂くと言う事がございます。また、大切な事と致しましては深い呼吸をゆっくりすって、ゆっくりはくと言う事を通して、私共の精神が安定すると言う事もはっきりと実験で裏付けられて居ります。こう言う事でございますのでどうかお仏壇に向かってご先祖の仏さまの前でお念仏を称えて頂き、また、それによってご先祖の仏さままた阿弥陀さまが皆様の声をしっかりお受留め頂きまして、その皆様のお気持ちに対してお喜びになられ威謝をされる事と共に、私共も元気で長生きできるようにお守りを頂きながら、またお念仏の功徳を私達の生活の中で示していきたいものと思って居ります。この最新高加令医学では、長寿医学での約10の条件を示して居りますので、次回からまたお話を続けさせて頂きます。

■第905話
お念仏の功徳と最新長寿医学。元気で長生きの秘訣のお念仏。 第2回目。前回お話致しました元気で長生きの秘訣10につき、今回お話させて頂きます。第1にはしっかり睡眠をとる。これは長生きした方の調査を致しますと平均7時間。だいたい睡眠を取っている事でございます。第2はよい水を充分に飲む。これは特にお休みになる前にお水を飲むことが大事でございまして、私共は寝ている間に水分はかなり蒸発致しますので、寝ている間に血液がかなり濃くなってしまうと言うことで、脳血栓や心筋梗塞と循環器系の傷害は朝から午前中に多くは起きていると言う事でございますので、お休みになる前充分なお水をお取り頂くと言う事が大事です。
第3番目には運動を日常に取り入れる。
第4番目は野菜やくだもの、お肉など良質な栄養素を十分に取る。
第5番目には、不要なものは俳出する。これは私共、便秘は体によくない事はみなさまご存知かと思いますが、尿に対しましてもよい水を飲んで頂き、尿を通して体の不要物質を排出して頂くと言うことが大事でございます。
第6番目は前回お話を致しました呼吸を深めると言う事で、お念仏をお経をお称え頂くと言う事です。
第7番目は新しい友達を作るコミニューケーションを計ると言う事でございまして、実は細胞どうしもコミューケーションをしながら生きて居ります。
第8番目は1日1回は感動をするこれは細胞でも活性化しないものは、自から死んで行くと言う事が分かって居りますので、いろいろなもので是非感動しき頂きたいと思います。
第9番目は何か選択するものは自分の好きなものを選択して行くと言う事です。努力をしていく事でございます。
10番目は元気で長生きを決意すると言う事で、この場合の長生きとは時間の長生きでは無くて、その質の連続と言う事です。
次回はこの「元気で長生きを決意する」を中心に続けたいと思います。

■第906話
お念仏の功徳と最新長寿医学「元気で長生きの秘訣」 お念仏、第3回目をお話しさせて頂きます。前回お話し致しましたように元気で長きを決意する。また具体的に自分で元気で居る姿をイメージすると言う事でございます。なぜかと申しますと、よくスポーツ選手がイメージトレーニングをして、スポーツを実際にする前にうまく行く事を何度も何度も頭に思い描がいて、その具体的なイメージが出来たあとにチャレンジすると言う事がよく知られています。私達の人生も同じでございまして、具体的にその元気でいる姿をイメージをして、こう言う時にはこう言う事をやっていようと、その具体的な目標を設定して頂き、そのイメージをずーっとお持ち頂きたく思います。その目標達成の為にも重要でございまして、皆様が元気で長生きを決意すると、その一瞬間から決意意識が体を替え、その人生を替えて行くことと信じております。また、この最新長寿医学では延べておりませんが、私共は必ず人生の最後を迎える時が来るわけでございますが、その事に付きましても法然上人はいったいお念仏はいつ称えるのが大事かと言う事につきまして、「臨終の念仏が大事だ」と言う風にしてお答えになって居ります。また、それに付きまして「じゃあ死ぬ時だけお念仏を申せばいいのですね」と言った時に、法然上人は「じゃあ貴方はいつ自分の死が来るかご存知ですか。」。最後亡なる時にお念仏を称えれない事が多くありまして、そう言う時には普段お称え頂いて居るお念仏が終わった時が臨終のお念仏になる時でございます。
そう言う意味で、日々毎日お念仏をお称え頂くと言う事が非常に重要でございます。それを通し、必ず阿弥陀さま、ご先祖さまにその声をお受止めて頂き、私達が人生最後を迎えた時には必ずお迎え頂けると言うのです。その教えを強く信じ具体的のイメージを持って安らかな気持ちで生活をして行きたいと思って居ります。

■第907話
日常を生活しているとまずは準備というものをいたします。必要な物を用意し、支度を前もって整えておけば、物事が順調に進みますがこれを怠ると非常に慌ててしまいます。先日、テレビで「これからの葬儀」と題された内容が放映されていました。その中で生前にきちんと自分の葬儀を納得した形で決めるというものがありました。好きな音楽を流して欲しい、飾り付けはこうして欲しいなど人それぞれに、ご自身の演出をなさっていらっしゃっていました。このような取り決めを話し合うと言うのは良い事だと思います。せめて、ご家族には伝えておく事が大事なのです。大切な方の死は大変悲しく混乱いたします。
時間もあっという間に進んでしまい、気が動転しているかせいか、どのようにしてよいか判らない方も少なくありません。大変、信じがたい話ですが自分のお寺ではない住職に葬儀をお願いしてしまったという事もあるのです。そしてこの世を旅立ちする際、ご自身がどこへ向かうのか、どうすれば良いのかと言う事も知っていなければいけません。浄土宗ではお念仏をお称えする事が往生への準備となります。我々の向かう場所はお浄土であり、お念仏をお称えすることがお浄土への往生となるのです。旅行に例えるなら行き先を決め、何で行くか、そして身支度です。順序良く、準備を進めるのは大事なのです。そして、出来る事ならお見送りは大勢で。時折、葬儀後連絡を受けて、慌ててお参りにいらっしゃるご友人も見受けられます。誰に見送ってもらいたいかも知らせておくと、お別れが切ないものにならずに旅立てるはず。縁起の悪い話と目をそらさずにご自身の人生を見つめなおす事にもなるのです。お寺は決して、敷居の高い所ではございません。どうぞ、気軽に訪れてお話頂ければと思います。

■第908話
浄土宗はお念仏をお称えして阿弥陀さまのお力によって、お浄土へ往生させていただきます。お浄土に往生された方はそこでゆっくりとお過ごしになっているわけではなく、阿弥陀さまのお導きによりお浄土で仏となる為に日々、悟りへのご修行に励まれていらっしゃいます。そう聞きますと大変そうに思われるかもしれませんが、今は亡き大切な方と再会できる場所でもございます。お念仏をお称えするものにはやがて、また会える場所があるのです。そこが阿弥陀さまのお作りになってくださったお浄土であり、我々も導いて頂く、所なのです。いつかはこの世を去らなくてはなりません。先立たれた大切な方がいらっしゃるお浄土を目指すためにも、日々お念仏をお称えしなくてはなりません。また、仏事でおこなっている追善回向でお称えするお念仏も先立たれた大切な方のご修行を後押ししているだけでなく、ご自身のお浄土への往生の願いとなっています。
そして今、一緒にご生活されている大切な方やご子孫とも強い繋がりになっていくお念仏は日常に必要となるのです。つまり、お念仏をお称えし続ければ、阿弥陀様や先立たれた大切な方とも一人一人が離れ離れになることも無く、繋がりが続いていく事になります。宗祖、法然上人が浄土宗を開かれてから変わらずに続いているお念仏の大切さがいかに尊いものかとお解かりなると思います。続けるお念仏こそお浄土でも繋がっていくのです。しばしの別れは辛いけれども、「また、会おうね」が叶うお浄土。往生が叶うお念仏をお称えできるのは幸せな事だと思います。

■第909話
社会で生活する上で私達はルールと言う物を守り暮らしております。そのルールを守りさえすれば罪人とは言われませんが、私達は気付かないうちに間違いを起こすことも少なくはありません。何気なく、発した言葉で相手を傷つけてしまっているかも知れません。また、目移りしてしまうほど色々な物が世の中には溢れていて、まだ使えても、買い換えてしまう物欲が次々と沸き起こります。食事にしても動植物の命の上に私達の命は支えられています。明るく、正しく生活しようと心がけていても日々、私達の心は乱れ、平静を保つのも難しいものです。つまり、志は持ちつつも私達人間は全て、煩悩多き罪深い存在なのです。しかしながら、これらの自覚こそが私達の残された救いの入り口となるのです。
私達は命尽きた時にお浄土を目指すわけですがご自分の力ではたして、往けるでしょうか?このような存在でも救われる道はないかと模索されたのが、宗祖 法然上人であり、示されたのがお念仏なのです。お念仏をお称えする者には阿弥陀さまが自ら来迎して、漏らすこと無くお救い下さり、お浄土へ往生させて頂けるとお誓いになられました。煩悩多き罪深い存在であると自覚し、阿弥陀さまのお力に頼るほか、見当たらないのです。そのお頼りする気持ちでお念仏をお称えする事が最初に必要なのです。「どうか阿弥陀さま、お願いいたします」という気持ちを南無阿弥陀仏と、声に出してお称えしているわけですがお浄土への往生が約束されているからといって、日々の忙しさに負けず、お念仏をお称え続けてこそ意味があるのです。

■第910話
今年の五月のことでした。寺の庭先で掃除をしていると、一人のご老人が境内へ入ってこられました。なんとなくお顔に見覚えのある方で、私を見てにっこりと会釈されたところを見ると、その方も私を覚えていてくれたようでした。「どちらへお参りですか。」と尋ねた時、「あっ、あの時の・・・」と、その時の場面が思い出されてきたのでした。あれは数年前の秋のお彼岸の頃のことでした。この方は相模原から年に一二度この寺を訪れ、ここに眠る若くして亡くなられた友人の墓参に来られたのです。お話によれば、この方には四人の親友がいたそうです。しかし月日が流れてゆくうちに、坂ノ下、北鎌倉、そしてこちらと三ヵ所の墓参をして回るようになったそうです。一番仲の良かったこの寺に眠る友人のところへは、もう四十年以上通われているとのことでした。
三人の墓参を済ませ、帰りにもう一人の友人と会うのが何よりの楽しみです、とおっしゃっていました。そのことを思い出し、私は咄嗟に「大船のお友達と今日は一杯なさるのですね。」と口にだしてしまいました。「実は、残念ながら彼も去年亡くなってしまったのですよ。」私の配慮に欠けた言葉に対して、その方は一瞬の落胆の様子も見せずに、そう答えてくれました。そしてお悔やみの気持ちを述べた私に対し、「こうして四人の墓参ができて、私こそ嬉しいのですよ。」と優しい笑顔で語ってくれました。その言葉にはこの方の様々な気持ちが込められているに違いありません。しかし何よりこの言葉から伝わってきたことは、四人の友人が以前と変わらずその方と共にあり、彼らとの縁を頂けたからこそ今の自分があるのだという感謝の気持ちでした。そして同時に、供養ということを通して、今は亡き親友との友情をさらに深くしているように感じずにはいられませんでした。 
 

 

■第911話
先日、テレビで去年約十万人の人々が参加した活動のことを報じていました。横浜の中田市長も、ずっと参加してきたそうです。一体どんな活動だと思いますか。それはトイレ磨きなのです。トイレをブラシやスポンジを用いて、裸足になり、素手で磨き上げてゆくという活動です。これは単なるボランティアではなく、あくまで自分自身のためにやるということが基本のようです。トイレ掃除は人の避けたがる仕事の一つですから、初めて参加したある若い方は、現場を見て戸惑いを隠せない様子でした。さて、今回はこの活動と相通ずる、お釈迦様のある弟子にまつわるお話をいたします。
お釈迦様の弟子の中にチューラパンタカという名の人物がいました。この弟子は物事を覚えるのが大の苦手でした。あるときお釈迦様がほんの短いお経を彼にお与えになりましたが、次の部分を憶えようとすると、たった今憶えた部分を忘れてしまえという有様でした。そんな弟子にお釈迦様は優しく語りかけ、「がっかりすることはない。憶えることができなくても大丈夫。その代わりにこの布を使って人々の履物を常にきれいにするように努力しなさい。」と告げられました。そこで彼は、言われたとおり、ひたすらそのことに打ち込みました。いくらきれいにしてもすぐまた汚れてしまう人々の履物ですが、一心に磨き続けたそうです。そしてふと気づいたときには、お釈迦様がお説きになろうとすることをよく理解していたということです。履物の汚れを取り去ることは、人々の心に付いた“煩悩”という汚れを落とすのと同じくらい難しい。それゆえ常に心に汚れが付かぬよう心掛けなければいけないということなのです。またこのお話の主人公の、怠ることなく熱心に仕事に励む姿の中に、仏教の”精進“という言葉が浮かんできます。たしかにどんな仕事でもいやいや行えば、雑な仕事になってしまいます。このお話はどんなことに対しても、一生懸命努力することがいかに大切であるかということや、そうすることが私たちの心を少しずつ浄化してくれるのだということを、私たちに示しているのではないでしょうか。トイレ磨きを通して、先ほどの若い方も、自分の心の中に芽を出した微妙な変化を確かに感じ取っているようでした。

■第912話
今、日本のあちこちで、この国に古くからある“もったいない”という言葉が見直され始めているようです。知事選で“もったいない”を合言葉に戦った候補が当選したり。新聞でも、トラックを走らせてリサイクルできる物を各地へ届けるという、“もったいない運送”のことが取り上げられていたり。この言葉はすでに皆様もご存知の通り、ケニヤの副環境相ワンガリ・マ―タイさんが日本を訪れた際に覚えた言葉で、ぜひ自国へ持ち帰り、世界へも広めたいと語ったことで一躍クローズアップされたのです。まさに日本人が忘れかけていたものを掘り起こして、私たちに示してくれたのです。確かにこの言葉は、今世界の人々が、気づかなければならない、とても意味のある言葉の一つであると思います。そこで今回は“もったいない”という心を通し“物を生かす”ということに関する、私のごく身近にあった出来事をお話いたします。
さて、私の寺の本堂の片隅に古い衝立が長い間ずっと置かれていました。この衝立、大きな穴が数箇所あり、木組みははずれかけ、掃除のために移動しようと持ち上げると足が抜けてしまうという状態でした。処分することを考えていましたが、どこか棄てがたいところがあり、そのままになっていました。そんな折、一人のお檀家さんが一言アドバイスしてくれたのでした。「これは案外立派な衝立ですよ。処分するのはもったいない。一度きちんと直してみてはどうですか。」その瞬間、新しく建て替えた寺の玄関ホールの正面に何か目隠しのようなものを、となんとなく考えていたことに思い当たりました。お蔭さまで、長い間役目を果たさずにいたあの衝立は見事に修復され、玄関ホールの正面にどっしりと静かに置かれています。そしてそこには先代が書き残してあった、直筆の書を入れてもらいました。それは“寂滅為楽”という言葉です。“静かなる境地に至って本当の安楽を得る“という意味ですが、ひょっとすると、この衝立の今の心境なのではないでしょうか。 まさに“もったいない”の心に気づかせていただき、“物を生かす”事の大切さを教えていただいた出来事でした。

■第913話
今年も最後の月師走となりました。忙しい、時間がないなどと言いながら日々を送る私たち。たまには何か心温まるお話をお届けしたいと思います。テーマは、「いくら分け与えても減らない」です。登場する人は、私のまわりのいわゆる市井の人達でその出来事なのです。ある年の6月のこと、娘の友達の大学生から電話があり、迷い犬を預かって欲しいというのです。彼女の説明によるとこうなのです。駅からの帰り道、首輪だけの人なつこい犬が付いて来るのでそのまま自宅まで連れ帰り、紐を着けて近所の人達に声をかけてみました。だれもその犬のことを知りません。そこで、警察に相談にいくと二日間しか預かれないというのです。その後は、保健所に連絡をすることになり、その命はさらに一週間をたして九日間ということです。自宅には、事情があって置くことも出来ません。その時、私のことを思い出し連絡をしてきたのです。「犬を預かって下さい。助けて欲しいんです。必ず飼い主か里親を探しますから一週間だけでいいですからお願いします」。預かることにしました。その晩は軒下に繋ぎ牛乳とドッグフードをやりましたが受け付けません。吠えもしません。警戒しているのかおとなしい犬でした。すぐに、飼い主を探すことが始まりました。近所の人達も参加しての聞きまわりと里親探し。ゆっくりしてはいられません、命のことですから。一方、当の飼い主も、保健所に連絡。保健所は警察に情報提供。どちらも必死です。三日目にやっと判明したのです、犬がお寺にいることが。飼い主と犬との対面。人のときと同じです。犬は尻尾をちぎれんばかりにふり、飼い主は安堵の表情でした。よかった、よかった。ひとつの命が救われたのです。この女子大生は、自分の時間と動物への愛情を犬に与えました。純粋に無償の行為で犬を救ったのでした。

■第914話
師走も中旬になりました。お元気でしょうか。さて、前回と同じく心温まる実話を紹介します。私の弟弟子仮にKとします、そのKが、あるおばあさんのところに7月のお盆のお経をあげに行きました。まだ自然の残っている地域でしたが、だんだん住宅が増え始めたところでした。そのお宅の前に小さな沼がありました。そこには、水が張っていてカルガモの親子が棲みついていました。カルガモは子育てをしているのです。おばあさんはカルガモ親子の様子を見ることが楽しみでありました。その年の夏は、雨の少ない大変暑い日が続いていました。お経が終わりカルガモの話題になりました。このところ雨が降らないので水がひどく減ってしまって気が気でないというのです。そこで、何とか水をと役所に申し出たそうです。カルガモの為に給水は出来ませんが答えでした。今度は、消防署にかけあってみました。やはりだめでした。そこで、なんとおばあさんは、長いホースで水道の水をその沼に流したのです。溜まっては減り、溜まっては減りの繰り返しです。水道料金は、大変な額になりそうです。おばあさんは、そのことも心配ですが、子育て中のカルガモのことのほうが心配なのです。
この話を聞いた弟子Kは、今日頂いたお布施を水道代にして下さいとおばあさんに渡しました。始は、固辞されたのですが、ついには、ありがとうございますと受け取られたのでした。後日おばあさんから師僧の和尚に電話がありました。「今日カルガモが巣立ちました。親鳥が家の上の空をくるりくるりとまわって飛び去って行きました。私には、さようならと挨拶を言っているようでした。水道代の足しにして下さいと言われそのようにいたしました。ありがとうございました」。和尚は驚きかつ感動しました。弟子Kは、水道代分を自分で出して師僧に報告していたのです。おばあさんも弟子Kも慈悲の心に満ち溢れた尊い布施の行だったのです。

■第915話
いよいよ今年も残り僅かとなりました。お元気でしょうか。「いくら分け与えても減らない」をテーマにお話をしてきました。今回は、私の聞いたことや読んだ本の紹介をしてこのテーマを考えてみたいと思います。もう14年経ちますが小学校のPTA活動をしていたとき講演会で聞いた話です。あるお母さんが兄弟の話になったとき、こう言ったそうです。「私の子どもは、一人で充分です。だって新たに子どもが出来たならこの子に灌いでいた愛情が半分になってしまうから」。私は、頭を抱え込みたい気分でした。半分じゃないよ。二倍だよ。いやもっとだよ。最近読んだ本では、『雪とパイナップル』があります。これは、著者の諏訪中央病院名誉院長の鎌田實先生の講演会でサインして戴いた本です。チエルノブイリの原子力発電所で爆発がおきました。1986年4月26日のことです。子どもたちは、それがもとで白血病になった。重症の子どもたちの為に鎌田先生の医療チームがベラルーシという国に入ります。一人の少年のための看護士の行動。零下20度の白い雪の世界に一人捜し歩くパイナップル。それは、食事を摂れない少年のやっと口にした食べたいものの名前だったのです。町の人達にも日本人がパイナップルを探していることが広まり、やっと手に入れることが出来たのです。食べることが出来た少年は、結局亡くなってしまうのですが、母親がどんなにそのことに感謝したことか。集英社で出版されている絵本です。きれいです。そして気持ちが洗われます。他には『博士の愛した数式』『小川未明童話集』新潮文庫などが好きな本です。良い連鎖はすてきです。いくら分け与えても減りません。さて、私自身で今年を振り返るとたくさんの出来事がありました。お念仏を称えることで反省と感謝をしたいと思います。  皆様が希望をもって新しい年を迎えられますように心からお念仏申します。

■第916話
必死の伝道 かつて、大学を卒業した頃、インドの聖地ベナレスから、商業都市ゴーラクプルを経て、ネパールとの国境の町バイラワへ。入国審査を経て、国境を歩いて渡り、乗り換えたバスは、板にただビニールを張っただけの粗末な椅子で、屋根の上まで人も荷物もいっぱい乗せて、おんぼろバスは、車一台がやっと通れる未舗装の道を左右に揺れながら、ガードレールのない断崖の細道を、峠に向かって、黒煙を巻き上げながら、威勢良く登って行きました。 38時間のバスの長旅に、心身ともに疲れきってようやく辿りついたポカラの町は標高七百メートル。ヒマラヤ山脈の一つ、聖なる山マチャチャプレを目の前に仰ぐ、湖のきれいな静かな街でした。夜明け前から、八千メートルを越えるヒマラヤの山々の頂きが、紫金色に輝き始めます。 お釈迦様の教えを伝え歩く弟子達は、このヒマラヤの西側を、カシミール地方を経由して、西域の辺境の国々へ渡っていきました。しかし、その苦労と勇気はとても計り知れません。 伝道者のある者は、この地から眼前の山を更に越えて、チベットやブータンの国々へも渡ってゆきました。 一年に一度は顔を見せたであろう商人のキャラバン隊から、この山の向こうに人々が暮らす村があるとは伝え聞かされたとしても、雪と氷に閉ざされたこの山に入って行くことはまさに死と直面する危険が有ることは、この町にいても容易に伺い知ることが出来ました。 それでも、たとえこの身を死の渕に落とすことがあったとしても、人々を救うこの尊い御仏の御教えを秘境の人々にも伝えずにはいられない、という強い使命感が、死の恐怖と戦わせたのかも知れません。ある者はその寒さに凍傷で手足をなくし、ある者は薄い空気に発狂した者もいたでしょう。そんな必死の伝道が、いつしか私たちに伝えられたのが、それが仏教です。 何気なく手にもつお経の一字一句の中に、尊い多くの人々の命が息づいています。我が身の命さえ惜しみなく、伝道に捧げられました。

■第917話
見えないおかげさまに光を当てる 私たちの食べるお米は誰が作っているの? はーい。農家の方々です。 そんな、答えでは仏教のテストなら×です。 田んぼで働いている人の顔の中には、随分と高齢のお年寄りの方もいます。サラリーマンならとっくに定年。 「精が出ますね。くたびれませんかぁ?」   「しょうがんねえよ。婆ちゃんの病気、金がかかるんだ。子供達にもあんまり負担掛けられないし、孫の勉強も金がかかるみたいだし、 からだが動くうちは仕方ないんべえ」 こちらの田んぼでは、見るからにつらそうなご婦人が田の草を取っています。   「つらそうですねぇ。どうしたんですかぁ。」 「ヘルニアが時々ズシンと痛むんだ。腰曲げてばっかりいる性だよ しんどいけど 仕方ないんべえ 折角いただいた命だし。じいちゃんだって、リュウマチ抱えて、私よりもっとシンドイのに、痛さ我慢して、がんばっているっしなあ」 向こうの畑では、鍬で耕している人がいました。 「精が出ますね・・・・・・精が出ますね・・・・・・あれぇ聞こえないのかな もしもし、精が出ますね」 「うるさい アッチ行け」   「おーこわー」 「あのおじさん 何であんなに不機嫌なんですか」 「仕方ないんべえ 三人息子の長男が、車に引かれて、死んじゃってよー。きっとつらいんだよ。もくもくと仕事して、忘れたいんだろう。 一番下の子供はまだ幼稚園だし、家に居て、ただ泣いてばかりいる訳にはいかないしさあ。頑張ってんだよ」 みな、人の営みである。人それぞれが、みんな色々な苦労をショって生きている。働いている。家族のために頑張っている。 そんな人間のお互い様が ささえあって やっとやっと生きている 数珠の珠の、一つ一つをつなぐ糸は見えなくても、それぞれが頑張って、見えない糸に支えられて、一つの輪(和)を作っている。 智慧の智には、知るという字の下に日という字を書く。気づかない御蔭様に、光を当てて、頂いていることの有難さに、しっかりと眼を向けなさいと。

■第918話
新たな年となり、まだまだ厳しい寒さが続いておりますが、皆様いかがおすごしでしょうか。さて、今月、1月25日でございますが、皆様は何の日かご存じでしょうか。今からおよそ800年前、建暦二年、西暦でいえば1212年の1月25日。私たちの浄土宗を開かれた宗祖、法然上人がお亡くなりになられた日でございます。そのお亡くなりになられた1月25日、各地の浄土宗の寺院では法然上人を偲んで法要が行われております。その法要を御忌といいます。御忌というのは本来、天皇や皇后の忌日に行われる法要のことをいいますが、今から500年ほど前に後柏原天皇が当時の総本山知恩院の門跡に知恩院は浄土宗の根本道場であり、また上人の霊跡でもあることから御忌を勤めるよう薦められたことが御忌の始まりでございまして、以来今日に至るまで続けられております。 御忌というのは法然上人のご遺徳を偲んで行われるものですから、やはり法然上人の教えでありますお念仏をお称えすることが大切でございます。法然上人の説かれたお念仏は西方浄土にまします阿弥陀様を思い、「南無阿弥陀仏」とお称えすれば、必ず阿弥陀様はそれを聞いてくださり、お念仏をする者すべてを救い極楽浄土に導いていただけるという教えでございます。皆さんも多かれ少なかれ「南無阿弥陀仏」と口にしたことがあるかと思います。ご先祖さまのご法事の時などはお寺のご住職とご一緒にお念仏をお称えしたことがあるのではないでしょうか。故人を偲んで、あるいはご先祖様を思いお念仏を捧げれば阿弥陀様のもとにおられるご先祖さまも必ずや我々を守ってくださることと思います。 25日の法然上人のご命日には、ありがたいお念仏の教えに感謝して、「南無阿弥陀仏」とお称えいただきたいと思います。また、皆様にはお念仏のある生活を心がけていただきたいと思います。

■第919話
寺の境内には、唯今水仙の花が寒さの中凛とした風情で咲いています。この花を見つめておりますと、私が初めてお通夜を勤めさせて頂いたK少年の水仙の精の如き姿が想い出され今でも胸が熱くなります。K少年は高校3年生になる直前の今の季節に旅立たれました。重い病にゆえ自分の残された時間の少ない事の自覚、御両親はじめ周りの方達への心配り、病に対しての覚悟の程を御両親からお伺いして私は涙が溢れるばかりでした。K少年は、努力の結果大学付属の高校に入学して以来、勉強にスポーツにと打ち込み、青春時代の輝ける毎日を過ごして居りました。高校2年生になった頃、胃の辺りに違和感を覚え医師に診て頂いた所、進行性の早い胃ガンとの事で早急に入院致しました。御家族の心配も大変なものでした。K少年は僕の命は長くないかも知れないけれど、いつも暖かく見守ってもらい幸せだよ。子供の僕が先に死んでしまうのは親不孝だね。と語りその健気な言葉に切ない思いでしたと母親はおっしゃっていました。しかし夜中になるとK少年は布団をかぶり、1人で泣いている姿を看護師たちは何度もみては、共にK少年の手を握り一緒に泣くばかりですと御両親に伝えたそうです。看護師達は自宅の庭に咲いている花を持ってきては枕元に飾りなぐさめました。そして元気づけました。K少年には弟さんが居り、その弟さんがお見舞いに行くと、君に兄さんの命を重ねているよ。そして僕の希望も将来の夢も全て君に託しているからね。お父さんお母さんを宜しく頼むよ。とか細い手を差し出し弟さんの手に重ねられたそうです。看護師の方が水仙の花をK少年の枕元に飾った日の暁方空が白みかける頃にK少年はお浄土に旅立ってゆかれたそうです。枕の下には家族、友人、学校の先生、医師看護師達に宛てたメモが何枚もありました。命の尊さを感じます。私は貴方の事を忘れません。

■第920話
早いものでもう新年を迎えましてからひと月余りが経ちました。この新年と申しますものも、人それぞれの迎え方がございます。ご家族と迎えます方、お友達と迎えます方、又はお一人で迎えます方。一番大切なのは誰と迎えたかということよりも、これから始まる一年、どう自分と付き合っていくか、これが何より大切なことのように思います。自分を愛するのも自分、自分を理解してくれるのも自分、そして自分が違った道に今足を踏み出そうとするのを止めるのも自分、全て自分との付き合い方によることでしょう。「南無阿弥陀仏」、この言葉を聞いたことはございますか?余計な事は何ひとつ考えず、ひと呼吸して「南無阿弥陀仏」この言葉を10遍唱えてみて下さい。 今から830年もの昔、全ての人々が心から救われることのみを考え開かれた浄土宗。ご本尊である阿弥陀様の名を呼ぶ、この誰でもいつでも出来ます私たちの救いになる教えを伝えてくださった法然上人。「はじめには我が身の程を信じ・・・」このお言葉は法然上人が申したお言葉です。まず始めに自分を知るというのが大切であり必要なことです。自分といかに自分は付き合っていくか。南無阿弥陀仏、全ては阿弥陀様が救って下さる。お念仏とはこんなに有難いのです。自分は土から生まれてきたのではございません。親からの命のリレーにて今の自分の命が伝えられております。この命のリレーを途切らせることなくいついつ迄も、南無阿弥陀仏、阿弥陀様を信じ、そして何より自分を信じ、一日一日を積み重ねていかなくてはなりません。  
 

 

■第921話
仏教は、さとりを目指すものです。さとりをひらかれたのが、仏様です。浄土宗においても、さとりは、重要なことです。では、さとりとは、簡単言えば、正しい心、正しい行いと言えます。 そう言ってしまうと、私は、正しい心、正しい行いをしていると言われる方が、いると思います。しかしながら、人間、24時間いつも正しい、心、行いをするのは、難しいのです。たとえば、車に乗っていて、他の車に、道を譲ってあげても、ハザードをだしたり、手を上げるような、お礼の行為がないと、譲ったのにお礼もないのかと 思ったりします。また、お念仏をしていても、足がしびれてしまい、早く終わらないかなと、思ってしまたりします。正しい、心、行いしていても、なかなか、持続することは難しいのです。つまり、我々は、凡夫であり、悟には、程遠いのです。 宗祖法然上人も、厳しい修行をしても、さとることができない、多くの人をすくうことができないと、悩み、さまざまな経文を読んでいたときに、唐の善導大師が書かれた「観経疏」に、「一心に、もっぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥、時節の久近をとはず、念々にすてざるものを正定の業と名づく。彼の仏の願に順ずるが故に。」つまり、いつ、いかなるときも念仏を唱えなさい。それで、極楽往生(いける)は、決定する。なぜなら、阿弥陀仏は、自分の名を呼ぶものすべてを救うと誓われているからだ。私のような凡夫が、自分の力でさとることは、無理だ、阿弥陀仏に全てを、お任せしすくわれる教え、つまり、浄土宗を開かれたのです。極楽では、だれでもがさとることができる場所なのです。ですので、浄土宗では、念仏を申し、極楽に行って、阿弥陀様の元、さとりをひらくのです。 いつでも、どこでも、お念仏を唱えてほしいのですが、先ほど言ったように、道を譲っても御礼がない、腹が立つようなことがあったなら、自分が凡夫であると自覚し、是非「南無阿弥陀仏」と唱えていただきたいと思います。

■第922話
今年の冬は、暖冬でございまして、厳しい寒さというものがなかったように感じます。ただ冬といえば、風邪をひく季節でもあります。今年も例年のように、風邪やインフルエンザがはやっておりました。 近年の医学というのは、研究おかげで、大変な進歩を遂げています。どこか身体がおかしくなれば、病院へ行き、医者に見てもらったり、薬を飲んだりすることで、私たちは、病気の不安を取り除くことができます。数十年前なら不治の病といわれていた病気も今では治療が可能になってきています。しかしながら、やはり未だ治療法のない病気があったり、新しいウイルスが出てきたりしています。 私たち人間の進歩の歴史というのは、不自由なことを自由にするということの研究の歴史ともいえるかもしれません。病気、障害、そして身体の衰え、老いること、そして死ぬこと。これら苦しみと戦ってきたわけです。生老病死の四つの苦しみを四苦と言いますが、この苦しみは科学の発達した現代でもいまだ克服できない苦しみです。苦しみを軽くすることはできても、その全てを取り除くことはできません。 仏教の教えでは、この苦しみの世界から抜け出るための手段が成仏であります。浄土宗の宗祖法然上人さまは、その成仏へ一番の近道は、まず南無阿弥陀仏のお念仏を称えることであると私たちにお示しくださいました。阿弥陀さまに全てをお任せすることで、阿弥陀様のお力、お導きによって、苦しみのない世界、極楽浄土へ参ることができるのです。どうぞお念仏とともに毎日をお過ごしください。

■第923話
3月といえば、彼岸月でございます。彼岸とは、仏道修行の期間と言われており、特に六波羅蜜と言って六つの修業があります。布施(ほどこし)、持戒(決まりを守る)、忍辱(耐え忍ぶ)、精進(つとめに励む)、智慧(ものの道理を見極める)、禅定(心を定める)の六つです。ただし、この修業、簡単そうで、実はとても難しいことなのです。 浄土宗の宗祖、法然上人さまは、ありとあらゆるお経や書物をお読みになりました。もちろん六波羅蜜のような修業も実践されようと致しました。ところが、大変なご修行をされた法然上人でさえ、先ほど申しました六波羅蜜の持戒、禅定、智慧のどれもがまともにできるものではない、と仰っているのです。法然上人さまでも、この修業を実践できることができなかったことが、この私に出来るかと考えてみますと、到底そんなことはできないと考えざるをえません。しかし、法然上人は、お念仏によって阿弥陀様のお救いを戴き、阿弥陀様に導かれて極楽に行くことができるのだ、いうことをお悟りになります。 我々生まれたこの娑婆の世の中は、欲の世界である。この世界に、生を享けた者の心が乱れないことがあろうか、もし、心が乱れないようにと願うのであれば、生まれついた目鼻をとりさるようなものだ、こう法然上人さまは仰っています。 六波羅蜜の修業を成し得ることは大変素晴らしいことです。しかし、阿弥陀様のお浄土を身近に感じたいと思うならば、やはり阿弥陀様のお力におすがりし、南無阿弥陀仏のお念仏を声にだしてお称えすることしかないのです。

■第924話
3月も下旬になり、もうすぐ4月を迎えようとしています。3月、4月といえば、学生であれば、卒業そして入学や就職など、新たなる生活への転換期であり、社会においても、新しい事業の展開や、発展への第一歩を踏み出す時期ではないでしょうか。 私たちは、なにかを始めようとするとき、夢や希望と共に、何か目標を胸にいだきます。スポーツ、学業、仕事、そして遊びでも、時に応じて大小はあるものの「こうやりたい、こうありたい」という思いを持つものではないでしょうか。目標を持つというのはそれ自体、人生をとても充実させるものであります。 もちろん目標が達成できれば、それは素晴らしいことです。ただ、時として目標が達成されずに終わってしまうこともあります。成功と失敗は、全く反対のものではありますが、これは結局はある一つの目標に向かっています。それは何かというと、死という目標です。人間は、一人一人、それぞれ違う人生を送ります。まったく同じ人生を過ごすことはありません。しかし誰でも最後に行き着くのは、かならず死という瞬間です。これは、逃れることのできないものです。では、その目標に向かって前向きに取り組むためには、どうすればよいのでしょう。 それは「南無阿弥陀仏」のお念仏をおとなえすることです。 日々お念仏を称えることで、極楽の世界の阿弥陀様が、その声を聞いておられ、いざ私たちが死を迎えるときには、安らかな極楽の世界に導いてくださるのです。

■第925話
4月8日は、お釈迦様がお生まれになった日「花まつり」であります。宗派を問わず、多くの寺院でお祝いしますから、ご存知の方も多いと思います。 その一日前の4月7日は、浄土宗をお開きになった法然上人がお生まれになった日です。 法然上人は、今で言うと岡山県、美作の国久米南条稲岡の庄に生まれました。父は漆間時国、母は秦氏といい、父時国は押領使という役に就いている武士でした。今で言うと警察署長と税務署長をかねたような仕事であります。夫婦には、なかなか子どもが授からず、神仏に祈願してやっと授かった子が、後の法然上人、幼い頃の名前「勢至丸」でありました。 小さい頃から聡明であった勢至丸に不運が訪れたのが、勢至丸9歳の時でした。 父である時国は、以前からいさかいのあった稲岡の庄の預かり所である明石源内定明の夜襲にあい、深い傷を負い、帰らぬ人となってしまうのです。時国は、亡くなる直前に9歳の勢至丸に向かい最後の言葉を告げます。「かたきを憎んであだを討つようなことはしないでくれ。父が非業の死を遂げるのは私にも原因があるのでしょう。もし、あなたが定明をかたきと思いあだを討っても、次はあなたが定明の子どものかたきとなります。いつの世になっても恨みが消えることはありません。だから、勢至丸、あなたはお坊さんになって、父が死んだ後、父の幸せをも祈り、あなた自身も迷いを離れて救われる道を探しなさい。」といわれたのでした。 勢至丸は武士の子ですから、当時はあだを討つことが当然のことでした。しかし、この父の遺言ともいえるこの言葉が耳から離れることがなかったのでした。 非業の死を遂げた父、多くの人がこの苦しみの世界で救われずにいる。すべての人が救われる道とは。法然上人が、命がけで修行されたのも、この父の言葉があったからでありましょう。 9歳で父を亡くした勢至丸はこの後、母方の叔父が住持している菩提寺というお寺に入り仏の道を学ぶこととなります。 すべての人が救われる道、お念仏の御教えを選び取られるまでには長い時間がかかりました。

■第926話
平成23年は、浄土宗を開かれた法然上人がお亡くなりになってから800回忌をお迎えします。 前回は法然上人ご誕生から9歳で仏道に入門した時の話をさせていただきました。 1133年4月7日、武士の家に生まれた勢至丸、後の法然上人9歳の時、父漆間時国は、前々からいさかいがあった明石源内定明の夜襲にあい、非業の死を遂げられたのでした。父は最後に「敵を怨まず、父の幸せを願い、迷いを離れる道を探しなさい。」という遺言を残され、勢至丸は、母方の叔父、観覚が住持している菩提寺に入り仏道修行を始めました。 聡明な勢至丸は、聞いた教えはすぐに理解し、一を聞いて十のことが分るという賢さでした。叔父観覚は、その器量を思い、当時仏教会の最高峰の比叡山で修行することを勧めたのでした。それに従い、勢至丸は、13歳の時に、比叡山に登ることとなりました。しかし、それは、母との別れでもありました。我が子との別れに悲しむ母に法然上人は「母上の悲しみも分かります。私もとても辛く思います。しかし、私には、今は亡き父の「出家しなさい」という言葉が耳から離れません。私は仏の道を悟ることこそ、恩に報いることであると信じています。」と何度も繰り返し慰められたのでした。 13歳で比叡山に登られた法然上人は、まず、比叡山延暦寺の三つの塔のひとつである西塔の北谷の持宝房を住持されている、源光上人のもとで、仏教を学びます。まだ幼い身でありながら、法然上人の器量は大変優れており、師匠源光上人は、自分よりも優れた学問の持ち主、東塔の西谷にある功徳院の皇円阿闍梨のもとに送り、天台宗の奥義を極めさせたのでした。皇円阿闍梨もまたこの弟子の秀才ぶりに驚き、「いずれは天台宗の座主になるように学問に励みなさい。」といわれたのでした。 しかし、法然上人は18歳の時、一切の名利を捨て、西塔黒谷にある慈眼房叡空上人のもとで隠遁し、この後25年間、一切経を読みふけることとなります。智慧第一の法然房と呼ばれるように、すべての宗派の教えを学んでいきます。それは、乱世において、すべての人々が、苦しみ、迷いにとらわれずに生きられる教えを見つけるためでした。 承安5年(1175年)法然上人43歳の春、中国の善導大師の書かれた、観無量寿経の解釈書の「一心に専ら阿弥陀仏の名を称えること。いつでもどこでも時間の長い短いの区別なく。常にこのことを念頭において継続する。これが正しく定められた往生のための行いである。なぜなら、それが阿弥陀仏の本願に順ずることだからである」という一文を確認した後、「この教えこそ、阿弥陀様の御名を称えることこそが、すべての人々が救いとられる教えであることを確信されたのです。 法然上人がお念仏の教えを選び取られた一文が「浄土宗の立教開宗の文」といわれています。

■第927話
平成23年は、浄土宗を開かれた法然上人がお亡くなりになられてから800回忌をお迎えいたします。 前回は法然上人がすべての人が救われる教えを捜し求め、やっと43歳の時に浄土宗を開かれたことをお話いたしました。 ただ阿弥陀様のお誓いを信じて、お念仏をお称えすれば、誰でも救われるという教えは、今までの仏教の教えとは違い、多くの人々の救いとなりました。一方、当時の仏教会からは「ただ念仏だけ称えればいいなどということは、今までの教えを非難しているのだ。」という批判を受けることにもなりました。しかし、法然上人は、自分が示した教えは、お釈迦様のみ教え、善導大師のみ教えあるとして一生涯、命がけでお示しくださいました。そしてそれは、今までの仏教を否定したものではなく、すべての人が救われる御教えであるからこそ止めるわけには行かなかったのでした。智慧のあるもの、財産のあるもの、力があるものは救われて、そうでないものは救われないということはお釈迦様の本意ではないはずです。 当時は、天災・飢饉そして戦乱により人々の生活は、困難であり、精神的にも苦しい日々でありました。法然上人のお弟子様には、武士であった方が多くいます。武士を生業にしながらの人生には、多くの苦しみがあります。 熊谷直実という武将は、信じていた人に裏切られたり、憎しむ相手でもないにもかかわらず戦わねばならない、わが子ほどの幼い相手でも殺さねばならないという生活は、生きていても地獄、死んでも地獄であると苦しんでいました。この世の不条理に悩んでいる時に、法然上人の、「阿弥陀様は、正しい行いができず、悩み、苦しんでいる人々こそ救わずにはいられないのだ。」というお言葉により、武士をやめ、法然上人の弟子となり、念仏信仰の道に入られたのでした。 今は、時代が違うから。800年も前の話だから。」と思われる方がいらっしゃると思いますが、果たしてそうでしょうか。 現在を生きる私たちでも、悪いこととは分っていても、そうしないと生活できない、正しいことをしようと思っても気がつくと正しくない行動をしてしまう。争いがないほうがいいことは分っていても、わが身のために他人を傷つけている。そして、そのことに気がつかず、日々の生活を続けてしまう。昔も今も変わりはありません。 お念仏をお称えしていると、自分自身に気がつきます。「私は、立派な人間なんだろうか?」「いや、結局は我が身可愛さに多くの過ちを犯しながら生きてきたのでは?」 阿弥陀様は、そんな私たちを、そのままに救い取ってくださいます。「ただ、私の名を称えなさい。」 法然上人は、西暦1212年、建暦2年1月25日に80歳でお亡くなりになられました。 平成23年は、法然上人がお亡くなりになられてから800回忌となります。お念仏をお称えすること、念仏信仰の生活をすることが法然上人のご恩に報いることとなります。

■第928話
5月に入りました。1月より寒さが続き、4月に入ると春らんまんの季節になりました。次の5月はまさに春の新緑の季節です。緑の日々です。目に入るのは青葉です。昔より5月は「目に青葉、山ほととぎす、初がつを」といわれて、青を強調します。青という色は今の緑の色の事をさしています。この青色を見ると、体の部分の動きが活発に躍動してきます。1月から3月までは寒かったなあ4月に入ると、やっと動けるようになり、体の部分を動かすスポーツもこの時期開かれます。この有難ういう言葉は不思議な言葉です。躍動する言葉であり、聞いた方も、躍動的に有難うと言われると、心が開かれます。いった方もすがすがしいと思うでしょう。まさに1月より3月まで気候的に寒さが続き難しい季節でありましたが、それが終わり、有り難うと言う5月である。ありがとうと言う感謝が自然に出てくる季節であります。とても良い季節です。仏教では「たのみます、感謝します」と言う事を表現する場合、この世界を照らす阿弥陀仏を対象として、「ありがとう阿弥陀さま」となり、これが「南無阿弥陀仏」の表現になりました。元祖法然上人さまは、この「南無阿弥陀仏」を広く人々へ、となえなさいと呼びかけ、進めたのであります。全てにおいてむずかしい事をのりこえ、感謝の気持ちで解決しました。

■第929話
前回「ありがとう」感謝の言薬をお話ししましたが、「ありがとう」についても少しふれたいと思います。人として、社会生活を営む以上、色々な困難に出くわします。生、老、病は、人として一番さける事が出来ない事です。一人では出来ない場合、他人、家族、友人に相談して活路を見いだし、何とか解決していきます。人はまさに共同体の個です。人の字を分解すると、お互いによりそっている形、形象文字になります。まさに助けあって生きている人なのです。生、老、病の対処方法に自分に解決出来なくて、他人がしてくれた事に対する言葉は「ありがとう」と言う言葉が一番良い言葉であります。その行為大きい小さいにかかわらず、いいたい言葉は、家族の協力にも「ありがとう」と言えば、今までのわだかまりがあったとしても、親子の対立、兄弟のわだかまりも、直に解決してしまう。言われた他人は言うに及ばず、言った自分も良い気分になるものです。私はどんなに親しく、気の置けない友であっても、この「ありがとう」を言う事にしている。少し気恥ずかしい面もあります。ですが言った後の充実感は、とても良い気分になります。また「親しき仲にも礼儀あり」ではありませんが、親友であろうと、自分に対してくれた事に対して恥しがらずに「ありがとう」と言うものである。この言葉は漢字で書くと「有り難い」と言う言葉になります。「難かしい事がありました」「お陰様で解決しました」この解決に対する対価としての言葉なのであります。だかちこそ、人の心に響く。どんなにささいな事でも「ありがとう」と言いましょう。そうすれば、感情も自然と穏やかになり、争いの入る余地は無いのです。ただ「ありがとう」この五文字を自然に発音すれば良いのです。  
 

 

■第931話
さて、6月になり衣替えの季節になりました。この衣替え皆さんもご承知の通り、冬、着ていたものをしまい、夏物の服を出す事でございますが、冬物をしまう時には殆んどの物を一度洗濯、クリーニングしてからしまっておきます。この洗濯をするということはとても大切なことです。これは私たちの心も一緒です。一日一日、私たちは嘘をついたり、腹を立てたり、人を疑い、嫉妬をする等様々な罪を犯しています。「してはいけない」「もうやめよう」と思っていても私達、人間はついしてしまうものです。 ですからまず、日々を反省する。心の洗濯をして行く。これが大切だと浄土宗の元祖、法然上人もおっしゃっておられます。反省が無ければ、人間はどこまでも傲慢になり、罪を重ね続けてしまうのです。申し訳ないと思う心になりますと、素直にお念仏が口に出るようになります。「南無阿弥陀仏」とお称えする事は、阿弥陀様を前にこんな私でも救って下さいと全ての罪を反省し、もうしないようにと努力をお誓いすることなのです。どうぞ皆さんもお念仏をお称えしご自分を省みる生活をしていただきたいと思います。

■第932話
前回は、一日一日心をクリーニングする為にお念仏をお称えしましょう。とお話いたしました。しかし、私たちは昨日反省をしてもまた欲張り、腹を立て、愚痴をこぼしてしまいます。これが人間のサガというものです。 私たちは日々生活して思うようにならない事が多々あります。思うようにならない時は腹が立ってきませんか。また、思うようにことが進めば自慢したくなります。人が上手くいっているのを見ると何か悪い事をしているのではないかと、疑いの目で見たり、嫉妬をしたり、してはいないでしょうか。 このような私たちは、厳しい戒律を守ったり、座禅で悟りを開く事はとても難しいことです。法然上人も、心から良い人間にはなりきれないと悩み苦しまれ、なりきれないならば、なりきれないままに救われる道がないものかと修行を続けられました。そして、お念仏に出会われたのであります。阿弥陀様はどうにもならない私たちの為にお念仏を用意して下されたのです。本当に心の隅々まで綺麗に出来ない私たちだからこそ、阿弥陀様を頼んでいかねばならない。と法然上人は生涯をかけて説き続けられました。どうぞ皆様、阿弥陀様のお慈悲を思い、お念仏をお称えする生活をしていただきたいと思います。

■第933話
前回は、真に良い人間に、なりきれないならば、なりきれないままにお念仏をお称えし、阿弥陀様のお慈悲におすがりしましょう。とお伝えをいたしました。今回は、浄土宗では、なぜ阿弥陀様のお慈悲におすがりし、お念仏をお称えしましょう。とおすすめしているかをお話したいと思います。 阿弥陀様は法蔵菩薩、と言う名のもとで菩薩行としてご修行されていた時、四十八の願いを立てられました。その中の、特に第十八願には「もし私が仏になった時、人々が真心を込めて、私が創った極楽浄土に生まれたいと思い、十ペンのお念仏を申しても、極楽浄土に生まれる事が出来いのならば、私は仏にならない。」とお誓いし、ご修行下されたのです。そして、ついに苦しい修行の末、法蔵菩薩様はまさしく仏である阿弥陀様となられたのです。つまり、全ての願いを成就なさって、現在でも西方極楽浄土で「念仏を称えよ」と呼びかけて下さっております。 ですから、真に良い人間になりきれない私たちは、本来、地獄や餓鬼、畜生道など苦しみの多い世界に生まれ変わらなければならないところを、阿弥陀様のお慈悲によって、お念仏を称えることで極楽浄土という世界に生まれさせていただけるのです。 たとえ、疑いながらでもお念仏をお称えしていますと、次第に疑いの心も消え、生きている間はおだやかな生活を送ることが出来、死に際しては、お迎えいただき、阿弥陀様の極楽浄土に往生する事が出来るのです。 どうぞ皆さんもご一緒にただ、ひたすらにお念仏をお称えてまいりましょう。

■第934話
ノーベル平和賞を受賞した、ケニアの環境保護活動家ワンガリ・マータイさんは、「もったいない」の精神を世界に広げようと提唱されました。 物を大事にすることで、限りある資源を上手に使う、これは昔の日本人がもっていた尊い知恵です。 私は、この「もったいない」が、環境問題のみならず現代の子供達に命の大切さを訴えて行くための大切なキーワードになると考えます。 「もったいない」とは、ただ単に、そのモノを大事にする、ということのみならず、そのモノの本来の姿に思いをめぐらすことにあると考えます。この想像力を養うことこそ、現代の社会に必要なことではないでしょうか。 ではモノの本来の姿とは一体どんなことでしょうか。 簡単な例で、おにぎりを考えてみてください。この世には初めから「おにぎり」というものは存在しません。握ってくれた人がいるから、「おにぎり」なんです。握らなければ、ただのご飯になってしまいます。さらに、そのお米も、お父さんやお母さんが働いて得たお金で買います。スーパーにはお米を陳列している従業員もいますし、お米を精米しているお米屋さんも居ます。勿論、毎日田んぼに出て働いている農家の方が居なければ、お米は出来ません。いや、それだけではなく、お米が育つように環境を保全している人も居るでしょう。当然のことに、お米には動植物の命も関わっているでしょう。ざっと、考えただけでも、これだけの人や行程が関わり、おにぎりがこの私の手の上にやってくるのです。その道理を知った時、人は簡単にこのおにぎりをムダにはできなくなります。 すべてのモノは関わりあいながら存在する。たった一つで存在できるものは何一つ無い。これがモノの本来の姿です。その道理を知らずにいることが「もったいない」ということではいでしょうか。 今は、コンビニに行けば、100円でおにぎりが買えます。目に見えるものだけに執着する即物的な現代の社会では、100円のおにぎりには、100円分の価値しか見出せません。しかし、それがお母さんが握ってくれたものならばどうでしょう。お腹が一杯だからといってあなたは捨てられない筈です。それは、お母さんの姿と、その労力を知っているからです。 北海道の住宅メーカーの創業者である、山口昭さんは、長年に亘り、本や、講演会などで「もったいない」を広げる活動をしてこられました。山口さんは、「もったいない」の対極にある言葉を「かんけいない」と言う言葉で表現しています。。 コンビニのおにぎり一つにも多くの見えない物語が存在します。 ましてや人間である自分がどれだけの「目には見えない関わり」の中で生きているのか想像してください。目の前にいる相手も、突然目の前に現れたのではなく、様々な物語を経て、私と関わり、そしてこれからも関わり続けるのです。 目には見えない世界の関わりを、「関係ない」事として無視してしまうことが「もったいない」ということなのです。

■第935話
皆さまは、仏壇のご本尊様、お位牌やお写真、或いはお墓参りなどをしていて、「あれ、なぜ皆、こちらを向いているのかな」と疑問に思ったことはありませんか? 当たり前のことのようですが、私は以前、お参りしている時に、ふっとそのように感じたことがあります。 そして、更に阿弥陀様のお姿を拝しながらお念仏を称えていると、突然ある言葉が浮かびました。それは「未来」と「希望」でした。 今までに一体、どれだけの人がお念仏を称え、後生、阿弥陀様の極楽浄土へと済い摂られたでしょう。いや、この世に於いても、その心の平安と安心を得たことでしょう。 そのような人達の眼の前にも必ずや、未来や希望が見えていたはずです。 お念仏を称え、極楽浄土に往生を願うことを、何やら古臭く、暗いイメージに捉える人も多いでしょう。しかし、私はそう思いません。むしろ、希望に満ちた、明るいものと考えています。 科学万能の世において、「死」は、あたかも人生に於ける「敗北」であるかのように語られます。しかし、人生が敗北に向かってあるのならば、自分が抱えているこの苦しみや悲しみに一体なんの意味があるのか、答えが見出せなくなることがあります。さらには家族と過ごす幸福な時間さえも、苦しみへと変わることさえあります。子煩悩とは良く言ったものです。子供を愛することは、その裏返しとして、わが子との別離の苦しみを深めることでもあるのです。 極楽浄土を信じるとは、その世界に思いを馳せることでもあります。 イメージしてみてください。極楽浄土に往生された方々の視線を借りて、今の自分の姿を捉えてみてください。死は敗北である、という視点からではなく、その「死」の先に広がる美しい浄土に立ったその視点から、今の自分を振り返り見たときに、この苦しみも、悲しみも、そして幸福も決して虚無ではなく、自分にとってとても大きな意味があることだと感じることができる筈です。 更にイメージしてください。もし、あなたが今、その極楽に往生したら、どうしますか? あなたは、必ず、残された家族や友人を思い、彼らと向き合うことでしょう。 同じように、極楽にいるご先祖様、そして阿弥陀様は常にあなたをご覧になっている筈です。あなたが称えるお念仏のひと声、ひと声に、彼の方々はどれほどお悦びになるでしょうか。お仏壇もお墓も、皆いつも我々と向かい合ってくれています。私たちを常に見つめ、決して逃げも隠れもしません。いつもあなたのことを極楽から見守っています。「何れこの極楽で共に再会するまで、どうぞ安心して、そして、楽しんでこの世の勤めを果たしてくださいね。」まるでそのようなメッセージを発しているようです。 お仏壇やお墓と向かい合う、そのような時間の中で、深く自分自身の「今」、そして「未来」を、見つめてみませんか。

■第936話
未来に希望を見つけること、夢を見ること、私たち人間にとってとても大切なことです。私たちはどんな困難な中にあっても、イマジネーションの世界では自由に生きることができるのです。 逆の言い方をすれば、未来への希望を喪失し、夢を抱くことが出来なくなってしまった時に、人は生きる力も失ってしまいます。 明日が必ずやってくる、そう宣言できる人は誰一人として居ません。ましてや10年や20年先のことは誰にも分かりません。 しかし、人は明日の為、10年後の為、そして20年後の為にと、種を蒔き、水をやり、肥料をあげます。 「どうせ明日なんか来るか来ないか分からないじゃないか」、そんな気持ちになった時に人は刹那的、享楽的な生活に耽るのではないでしょうか。明日は誰にとっても不確定な未来です。しかし、私たちは意識するにせよ、無意識にせよ、明日に希望をかけ、未来を見つめます。 しかし、「死」という現実が、その希望を、そして、未来を阻みます。 現実をよく考えてみれば、人は必ず死ぬものです。誰もそれを免れるものはいません。多くの人は死を恐れるあまり、「死」という私たちにとって最も確実な未来を忘れようとします。しかし、死は一刻、一刻私たちに近づいてきます。私たちはその恐怖に怯え、現実から目を逸らし続けなければならないのでしょうか?
本当の未来を見るためには、希望を確実なものとするためには、一体どうしたらよいのでしょうか?そう、私たちが恐れ、目を塞いでいる「死」のその向こうにも、未来を見つけ、希望を見つけるのです。 暗い死の淵を覗き込んでいるその視線を上げてください。その先には無量に広がる命と光の世界、極楽浄土が広がります。私たちはどんな困難な中にあっても未来を夢見る想像力があります。「南無阿弥陀仏」のお念仏は、阿弥陀さまから頂いた希望の言葉です。お念仏の声を励みに、心の目を開けて、大いなる光溢れる未来へと希望を広げてみましょう。

■第937話
みなさんこんにちは。現代は「死」が見えにくい時代といわれる一方、書店には「死」を取り上げた本が所狭しと並んでいます。その際、見逃してはならないのが「生の集大成としての死」と「誰しもがはじめて迎える死」という死の二面性です。ともすると私たち現代人は、人生の締めくくりとして、自他共に称賛される「見事な死」や「立派な死」を遂げることに余念がない一方、「はじめての死」をいかに迎えるかということには思いが至らない、いや、至らせない風潮が蔓延しているようです。 もちろん、自身で納得し、家族や友人からも称賛される「立派な死」を迎えられるように備えるのは、実に素晴らしいことです。しかし、私たちは「はじめて迎える死」も、この身をもって体験せざるを得ないのです。そして、法然上人が生涯を賭してお示しになった、阿弥陀さまとお浄土の実在という教えの第一義は、正にそこに見出せるのであり、その問題が解決した時、あらためて私たちは「生」の尊さをかみしめることができるのです。
『浄土文』という書に「備え」という次のような一節があります。・・・ 昼には必ず夜がある。どうして夜の備えをしない人があろうか。暑には必ず寒がある。どうして寒の備えをしない人があろうか。生には必ず死がある。どうして死の備えをしない人があろうか。何を夜の備えとするのか。灯火・寝具である。何を寒の備えとするのか。衣料・燃料である。何を死の備えとするのか。浄土への往生である。
私たちは、それこそ明日の事さえ予測できないお互いです。だからこそ私たちは、いつでも・どこでも「死への備え」をしておくことが大切です。もちろんそれが、お念仏であることは申すまでもありません。法然上人は、こんな歌を遺されています。阿弥陀仏と 十声となえて まどろまん ながきねむりに なりもこそすれ

■第938話
平成十六年六月一日、佐世保市立大久保小学校六年生の御手洗怜美(さとみ)さんが同級生にカッターナイフで切りつけられ、出血多量で亡くなりました。事件から一週間後、毎日新聞佐世保支局長、怜美さんのお父さんが怜美さんに宛てた手紙を公表されました。 「さっちゃん。今どこにいるんだ。母さんには、もう会えたかい。どこで遊んでいるんだい。…さっちゃん。ごめんな。もう家の事はしなくていいから。遊んでいいよ、遊んで。お菓子もアイスも、いっぱい食べていいから。」 この呼びかけには、先立たれた怜美さんが今でも楽しく遊び、美味しいものを食べていて欲しい、そして、数年前に先立たれたお母さんとどこかで必ず会っていて欲しいという切なる願いが込められています。さらに、その底意には「いつの日か必ずお父さんもさっちゃんに会いにいくよ!」という心の叫びが読みとれます。 このように、悲しい事件の報道や葬儀の場で「空の上から僕たちのことを見守っていてね」「私たちが行くまで仏さまの国でしばらく待っていてね」と残された方々が今は亡き大切な方に呼びかけています。こうした呼びかけからは、意識するとせざるとにかかわらず、亡き方が旅立たれた〈場所〉、〈心と心の再会〉が叶う〈場所〉が想定されています。今後、どれほど時代が移り変わろうとも、こうした思いが私たちの心からなくなることは決してないでしょう。 『阿弥陀経』というお経の中に「倶会一処」という一節があります。「倶(とも)に一つの場所で会う」という意味です。ここでいう一つの〈場所〉こそ、今は亡き大切なあの方との〈心と心の再会〉が叶う、阿弥陀さまのお浄土なのです。そして、そのお浄土に往生するためのたった一つの約束こそ、お念仏なのです。 後からやってくる仲間の笑顔を思い浮かべて、法然上人は次の歌をお詠みになりました。
生まれては まず思い出ん ふるさとに 契りし友の 深きまことを

■第939話
平成九年、臓器移植法が施行(しこう)されました。その後も議論は続き、とりわけ小児の脳死からの臓器移植については、今も議論が絶えません。そうした中、わが子の腎臓を提供した家族の姿を取り上げた「ドナー家族を訪ねて」という新聞連載がありました。法律上、心臓停止後であれば小児からの腎臓提供は可能で、年に数例ですが、わが国でも行われています。その中、四歳三ヶ月で悪性脳腫瘍で亡くなった長男の腎臓を提供したお母さんと記者とのこんなやりとりが紹介されていました。 「もし、もう一度お子さんの臓器を提供する機会を得たならどうしますか」と尋ねると、「もちろん提供します」とお母さんは即答した。その後で、ややためらいがちに「心を失えば、天国で私たちのことを忘れてしまうから」と、「心臓の提供には拒否したい」と打ち明けた。 さて、私はここで、臓器提供の是非について論じるつもりはありません。ただ、思いを馳せていただきたいのは、わが子の腎臓提供まで決断されたお母さんの科学的には決して説明できない、複雑で割り切れない、ありのままの「心」の姿です。なるほど現代人は、それがたとえ小学生でも、「心臓」が全身に血を送り出す、言ってみれば、ポンプの役割を果たしていることを知識として承知しています。無論、このお母さんも例外ではないことが「ややためらいがちに」という一節から自ずから知られます。しかし、「頭」の中で納得はしても、「心を失えば、天国で私たちのことを忘れてしまうから心臓の提供には拒否したい」と仰るお母さんの思いを一笑にふすことなど、誰にもできはしないでしょう。なぜならそれは、それこそ誰しもに共通する〈かけがえのない大切な方〉との〈心と心のふれあい〉を失いたくはないという願いに共鳴するからです。法然上人が八〇〇年前に詠まれた和歌が、色褪せることなく、尊く歌い継がれる由縁はまさにそこにあるのでしょう。
露の身は ここかしこて 消えぬとも 心は同じ はなのうてなぞ

■第940話
「それ浄土に往生せんと思わば、心と行のふたつ相応すべきなり」 これは、お浄土に往生しようと願う私たちの心構えと実践についてお示し下さいました法然上人のお言葉です。お浄土に往生したいと願う人は、「心」と「行」の二つが互いに釣合い、助け合うことが大切であるとお説きになられました。 さてこの「心」の性質を考えてみましょう。 昔は「心」のことを「ころころ」といったそうです。なぜ、「ころころ」といったかというと、人間の心はいつもこの身を出て行ってどこへでもコロコロと転がっていくし、また、コロッと変わるものだからです。穏やかだったと思えば直ぐに険しくなったりします。 この心を揺らぐことなくしっかりと据えることを、心を安置するとかいて「安心(あんじん)」といいます。 一方、「行」とは皆様ご存知のようにお念仏を申すことです。しかし、分かっていることと実践することとは別です。皆様それぞれが口に出してお念仏を申すことを「起行」といいます。法然上人は「選択集」の初めに、「極楽往生するには何をおいてもお念仏が先です。この私の粗末な心、安心出来たと思ったら、またすぐ乱れ飛んでゆく。だから、安心を待っていたのではいつまでたっても起行が出来ません。だから先ず、起行しなさい。お念仏を申しているうちに、次第に安心が出来てきますよ」とお示しになられました。 これが心と行が互いに釣合い、助け合うということです。そして、こんな愚かな私でも、出来る事をお示し下さったのだから先ずお念仏申し上げましょう。有難いことに、いつでも、どこでも、誰でも出来る行です。心が険しくなったと思ったらお念仏しましょう。心が穏やかな時、・・・言うまでもありませんね。  
 

 

■第941話
このお話に変わる9月11日は皆様ご存知のように、ニューヨークをはじめとする同時多発テロが起こってしまった日です。この事件の犠牲者は2,749人といわれ、その数は現在も増え続けています。この事件を口実に、アメリカ政府は、アフガニスタンやイラクに報復戦争を起こし、さらに尊い命が失われています。今や西洋と中東の対立はキリスト教圏とイスラム教圏との宗教争いの様相を呈し始めています。仏教徒である私たちはこの一連の世界情勢をどのように捉えればよいでしょうか。仏教徒と一言で言っても様々な立場の方がいらっしゃると思いますので、個人的な意見としてお聞き願いたいのですが、私たちの宗祖法然上人だったらどのようにお考えになるでしょうか。法然上人は9歳の時に、父親の漆間時国(うるまのときくに)が、その時の新しい勢力と今までの勢力との対立が起こり夜襲をかけられ非業の死を遂げました。 この時、深手をおった時国は法然上人を呼び、臨終に際しこのように語りました。「敵を恨んではいけません。これも私の宿業です。もし、あなたが恨みを抱き、敵を討つなら、その子もまたあなたを討ち、それは決して終わらないでしょう。だから恨みを捨てて私の菩提を弔い、かつ、自らの解脱を求めなさい。」法然上人の父時国もまた、立派な宗教者であったといえるでしょう。この遺言により、法然上人は救いを求め、出家の道を歩むことになるのです。この幼い時の悲劇を経験した法然上人は、現在の報復合戦を悲しむでしょう。 しかし、アメリカでは「ピースフル・トゥモロウズ」という平和団体がアフガン攻撃の始まる前から9・11の遺族を中心に組織され、「愛する人を失ったこの私たちの悲しみを他のいかなる人々にも味合わせたくない。」との思いから、政府の報復戦争に反対する運動も起こっています。法然上人の父、時国の思いと似ていますね。 浄土宗では、毎月25日を世界平和念仏の日として、この日の正午にお念仏をお唱えすることにしています。悲しみを乗り越え、許しあえる日が1日でも早く訪れることを願います。

■第942話
先日、あるお檀家さんに、「何回忌まで法要をお勤めすれば宜しいでしょうか」と質問を受けました。確かに、当山の年回表には50回忌までしか掲示していませんでした。私は「ご事情もあると思いますが、なるべく永く、共にご供養してまいりましょう」とお答え致しました。しかし、私はこの返答が何処か無責任に感じたので、昔の過去帳を調べてみました。約100年前の1908年(明治41年)に日露戦争で亡くなられた兵隊さんがおりました。その家には今お孫さんにあたるおじいさんがいらっしゃいますので、このことをお知らせに伺いました。その時に日露戦争のお話を伺いました。当時の世界情勢は、どこかの国に支配されるか、産業を興して、軍事力を増強して支配する側に立つかどちらかしか無かったそうです。この兵隊さんは、激戦で知られる203高地で戦ったそうです。この戦いでは約1万5千人が戦死し、4万5千人が負傷したそうです。 この戦いの負傷兵の1人でしたが、終戦3年後に治ることなく亡くなられたそうです。日露戦争を教科書の活字でしか知らなかった私には、とても貴重な体験でした。現在の日本は平和で便利な世の中になりました。しし、何もかも揃ってしまって大切なものを失いつつあります。この兵隊さんを含む何十人、何百人のご先祖様の脈々と続く愛を受けて私たちは現代に生かされていることを忘れてはいけません。「仕事が忙しいから法事に行けない」「顔も見たことがない仏様だから法事には行かない」ということはご供養しない理由にはなりません。このことに気付かせてくれた、冒頭の質問をしてくださったお檀家さんに今はとても感謝しています。 秋のお彼岸シーズンです。お墓参りに行って ご先祖様に感謝する良い機会です。是非お参り下さい。

■第943話
浄土宗はお念仏の宗派だというお話をお耳にしたことのある方は少なくないと思いますが、さて、そのお念仏を唱える際、どのような心構えで唱えればよろしいのでしょうか。今回はその、お念仏の心構えについてお話をいたします。 心構え、それは一枚起請文にも記されております。一枚起請文とはご存知の方も多いかと思いますが、浄土宗をお開きになった法然上人がお亡くなりになる前日にお書きになったといわれるご法語です。その中で「極楽に往生するには、“南無阿弥陀仏とお唱えすれば必ず往生できる”と信じて唱える他にはない。また、お念仏をお唱えするにあたり、心構えとして三心四修の教えがあり、その心構えは“南無阿弥陀仏とお唱えすれば必ず往生できる”と思っていれば、既に含まれている。」とお説きになられているところがございます。 ただ今申し上げたことのように、“南無阿弥陀仏とお唱えすれば必ず往生できる”と思いお念仏いただければ自ずと心構えが具わってくるのです。 ですから、お念仏をお唱えいただくことが第一なのですが、その際には“必ず往生できる”と思いながらお唱えいただければと思います。
一枚起請文
土(もろこし)我朝(わがちょう)にもろもろの智者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念のこころを悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、 うたがいなく往生するぞと思い取りて申す外には別の仔細(しさい)候(そうら)わず。ただし三心(さんじん)四修(ししゅ)と申すことの候(そうろ)うは、皆決定(けつじょう)して 南無阿弥陀仏にて往生するぞと思ううちにこもり候うなり。この外に奥ふかき事を存ぜば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候(そうろ)うべし。念仏を信ぜん人は、たとい一代の法をよくよく学(がく)すとも、一文不知の愚鈍の身になして、 尼入道(あまにゅうどう)の無智のともがらに同じうして、 智者(ちしゃ)のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし。証の為に両手印をもってす。浄土宗の安心起行この一紙に至極せり。源空が所存、この外に全く別義(べつぎ)を存ぜず、滅後(めつご)の邪義(じゃぎ)をふせがんがために所存をしるし畢(おわ)んぬ。建暦二年正月二十三日 大師在御判

■第944話
さて、今回は前回に引き続きお念仏の心構え、『一枚起請文』の中にも出てきます三心四修についてお話をいたします。 まず三心は、至誠心・深心・回向発願心からなります。 至誠心は、まごころ、素直な心、かざらない心で、善人や悪人、愚か者など全ての人が自分を包み隠さずさらけ出し、生まれつきのまま助けを願いお念仏を唱えることを意味します。 次に深心は、文字からすぐに想像がついた方もいらっしゃると思いますが、深く信ずる心です。阿弥陀様の本願が必ず私たちをお救い下さると疑うことなく深く信ずる心です。 最後に回向発願心は、極楽浄土に往生したいと願い、くどく功徳ぜんごん善根を往生極楽のために振り向けていくことです。 また、四修とは念仏を唱える者としての生活態度のことで、恭敬修(くぎょうじゅ)・長時修(じょうじゅしゅ)・無余修(むよしゅ)・無間修(むけんじゅ)をいい、恭しくもっぱら阿弥陀様のお名前を唱えることを命尽きるまで継続することを意味し、継続することを意味する無間修は、四修の中でも要となっており、その気持ちがあれば他の三修は自然に備わってきます。 このよう、素直な心で深く信じて阿弥陀様の極楽浄土に生まれたいと思いお念仏を続けるということが大切です。

■第945話
気温もだいぶ冷えてきました。皆様はいかがお過ごしでしょうか? 今年も残すところあと二ヶ月です。皆様も色々な事があったり感じたりとしたと思います。誰もが良い思いをすることがあれば、悪い思いをすることがあります。その考え方や受け方として、まずは今年の残り二ヶ月間だけでも、頭の隅において置いてい生活してみてただきたいことをお話いたします。 原因があって結果があるということを言う際、よく使われる言葉に“因果応報”という言葉があることを知っている方は少なくないでしょう。“因果応報”と聞くとほとんどの方は「自分が悪いことをしてしまったから、それが自分にかえってきた」と思われます。しかし、仏教では悪い意味ではなく善因善果、すなわち「善をした報いで善福を得る」という良い意味で使うことがよくあります。優しい気持ちでいれば善を尽くすことができ、それが必ず他の方にも伝わり、何かしらのかたちで善福を得て自分自身が良い気持ちになることができ、さらに優しい気持ちになることができます。 また、補足ではありますが、悪い意味として決して誰かを恨んだりしてはいけません。『人を呪わば穴二つ』ということわざもございますように、人の事を悪く思い何かしてやろうなどと思っていると自分自身に降りかかってきて、結局自分自身も嫌な思いをしてしまいます。 悪いことがよく目に付いてしまう世の中ではありますが、人の良いところ、自分の良いところを改めて見つめてみてください。 いつもと同じ情景も、また違ったように見えるはずです。

■第946話
ときどき外国の方とお話をさせていただくと、誰もが「日本にはとてもいい言葉がありますね」と、みな同じことを言うのです。それはご飯を食べるときの「いただきます」という言葉です。 私たちは両親からこの言葉を言うように小さいときからしつけられ、今ではその意味を考えることもあまりありません。習慣として身についているわけですが、では誰に向って「いただく」と言っているのか、そこまで意識することは普段はあまりないのですね。 この言葉はまず、食べる物をもたらしてくれた人への、感謝の気持ちでしょう。お米や野菜をつくってくれている農家の人たち、そして魚を獲ってくれる漁師さんたちへの、感謝の気持ちです。自分たちの代わりとなって彼らは食べ物を確保してくれるのです。 しかし農家の人や漁師さんもまた、自分たちの都合で、勝手にお米や魚を手にしているのではありません。苗を植え、稲穂を刈るまで、畑をていねいに管理するのは農家の仕事ですが、十分な雨と太陽がなかったら、彼らはお米を育てることも出来ません。漁師もまた、海がもたらしてくれる恵みのほんの一部に、船を出して授かっているのです。 ですから「いただきます」という言葉は元をたどると「自然そのもの」に感謝をする気持ちの表れなのですね。自分もまた自然の一部であり、生かされてありがとう、ということです。これは普通のことのようにも思えますが、外国のひとたちにお聞きしますと、海外にはこういった言葉はないというのです。彼等も食事の時には手を合わせますが、それは神さまに対してであって、自然そのものに向けられたものではないのですね。 自然からいのちをいただくことによって生かされていることを日本人は昔から大切にしてきました。その心を「いただきます」という気持ちに乗せて、毎日を生きていきたいと思います。

■第947話
秋の夜長、日が沈み夜の訪れる時間が、刻一刻と早くなってきました。空を赤く染める夕陽にも、晩秋の気配がよりいっそうにしのび寄っている今日この頃です。 ところで先日、友人から興味深い話を耳にしました。いまの小学生は、空を見ないというのです。とある機関が調査をしたところ、「太陽が沈むところを見たことがある」と答えた小学生は、実に2割しかいなかったそうです。子供の頃、空ばかり見上げていた私は、この話を聞いて驚いてしまいました。そして夕陽さえ見ることのない現実に、少しだけ哀しくなってしまいました。 見上げようとさえ思えば、空はいつだってそこにあります。朝の空と白い雲、日中の太陽のきらめき、そして色を変えてゆく夕焼けの空・・・・それを子供たちが目にもしないのは、子供たちの心のなかに、「空」がなくなっているからなのでしょう。塾が忙しいのでしょうか、それともゲームや携帯のメールに釘付けなのでしょうか、子供たちは空をわすれてしまっているのです。 もしかしたらそれは、私たち大人にも理由があるのかもしれません。私たちもまた、そこに空があることをあたりまえのように思って、格別の想いなど抱かずにいるかもしれないのです。ですから子供が忘れてしまったものをまず、私たちから先に思い出したいと思います。そして空を見たときに感じたことを、子供たちに伝えてみるのはいかがでしょうか。 これは親と子供に限ったことではないように、私には思えるのです。誰かが何かを忘れていたり、忙しくて大切なことに気づかずにいるとき、それを責めるのは簡単です。しかしそのことを指摘するのではなく、自分も一緒になって考えて、失われたものをもういちど思い出してみる。そうすると、今の世の中も、もっと生きやすくなるように思えるのです。

■第948話
車で道を走っていて、救急車の音が聞こえてきたとき、みなさんは意識せずに道をあけていることと思います。私も特に深く考えることなく、当然のルールだと思って車を脇へよせています。しかしそんな当たり前の行為が、視点を変えるとまったく違う光景に見えることがあるのです。 いつでしたか、自分の叔父が急病になり、それで救急車を呼んだことがありました。私も初めて乗ったのですが、救急車のなかから見たその風景に、私は驚いてしまいました。 それまで前方をふさいでいたはずの車がすべて、いっせいに道を空けて、行き先をゆずってくれたのです。手前から順々に、やがてはるか先まで、それはまるで人を助けようとする気持ちが、以心伝心で伝わってゆくようでした。目の前に道が出来てゆくのを見て私はそのとき感動で、涙しそうにさえなりました。自分よりも他の人を優先してくれた行ないに、そして誰ひとり乱れることなく同じ行動を取ってくれたことに、胸が張り裂けるような思いがしたのです。 あたりまえのような小さな親切でも、その親切を受ける側にとっては、忘れられないほど大切なこともあります。小さな親切はその人の心のなかで、いつまでも消えることなく灯火となって輝き続けます。そして、このような小さな灯火を、隣にいる人にも移してあげたいと私は思います。とても簡単なことではないでしょうか。誰の心のなかにもその灯火があると思うだけで、世の中はいまより明るくみえてくることでしょう。 ふと気がついたら何かをする・・・・それだけでもいいのだと思います。ためらわずに、ほんの小さな行動に移すだけで、灯火の輪はひろがるのだと思います。  
 

 

■第952話
あけましておめでとうございます。本年最初の法話です。平成20年、新年を迎えることになりました。新年になって、楽しいお正月をお過ごしの方も多くいらっしゃることでしょう。或いは、昨年中に、ご家族・親しい方に先立たれ、寂しい思いの内に新年を迎えられた方もいらっしゃるでしょう。そして、喪に服されている方はお正月の祝い事を控え、身を慎んでおられることと思います。 人間はそれぞれ顔も違うし、身長も体重も違います。同じ様に好みや考え方も複雑に違います。10人いれば10通り、100人いれば100通りの人間がいます。人間は生まれながらにして環境の違った家庭や地域で育てられます。そして、100人100様の人間が同じ地域で暮らし社会を形成しています。色々な面で強者と弱者が出来上がってしまいます。成長するとともに競争社会の構成する人の一部になってしまいます。そして、争いに巻き込まれ、秩序がなく、無法社会ができてしまいます。弱者は社会の片隅でひっそりと生きていかなければならなくなってしまいます。 人間の聡明な知恵は、この辛い社会を浄化するために行政という文化を生み出ししました。しかし、進歩と後退を繰り返して、未だに辛い社会を脱することができないでいます。 人間はこの世に生を受けると同時に誰も逃れることのできない四苦(生老病死)を背負っています。この辛い地獄のような社会を生きていかざるをえないのです。 お釈迦様はこの現実をふまえて、この世に極楽の実現が不可能に近いことを悟り、来世にそれを求めました。法然上人は極楽往生の道を極められました。その根本理念は「南無阿弥陀仏」とお唱えすることです。念仏によって不平なく、おそれなく、心静かに毎日をすごせれば、と思います。

■第953話
家族の間での関係が希薄になってきて新聞やニュースでも多くの家庭内暴力や事件のことを耳にします。 お互いがおもい合うことがうまくいっている時はいいのですが、うまくいかなくなると、お互いが自分の思い通りにさせようとしてしまいます。また、そうさせないと気がすまないと思ってしまうのです。 しかし、恋愛にしても、夫婦・親子関係にしても、必ず相手あって関係が成り立つのです。 私たち一人一人が、自分がここに在ること、自分がここに命を頂いて生活できていることについて、考えていかなければなりません。相手を暴力や言葉の暴力で押さえつけられたとしても、相手には憎しみ、悲しみしか残らないのです。また、その相手は違う誰かに同じ事をする時もあることを知っておかなければなりません。 無理やり思い通りにさせて独りよがりで生きていけるでしょうか。お互いの思いをまず聞いて、自分達は、両親や祖父母やご先祖様のおかげで存在することが出来ていて、阿弥陀様のおかげで私たちは、生き生かされていることを確認する必要があると思います。 自分一人で我侭に生きていると勘違いするのではなく、家族やご先祖様、そして阿弥陀様のおかげさまで自分が存在しているということを忘れてはいけないのです。

■第954話
私たちは誰もが二人の親(両親)をもっています。また、両親にはそれぞれの親がいます。私たちは4人の祖父母を持っています。さらに、それぞれの祖父母にも両親を持っています。すなわち、私たちは皆、8人の祖々父母を持っています。このように私たちは、わずか3代さかのぼるだけで14人ものご先祖様を持っているのです。さらにさかのぼって考えると私たちには数えることの出来ない位の沢山のご先祖様を持っていることがお分かりだと思います。 さて、もし仮にこの無数のご先祖の中でたった1人でも欠けてしまっていたら、即ち無数分の1がいなかったとしたら、今の私たちはこの世に生まれていなかったのです。私たちの命は無限に近い多くのご先祖様の血を頂いているのです。そう考えたならば、私たちはご先祖様のおかげを感謝しなければならないと思います。そしてご先祖様から頂いた血を子孫に伝えることが私たちの重大な責任になってくるのではないでしょうか。 近年では、一人でも生きていけると勘違いし、自分の命は自分だけのものと勘違いしている人たちが多くなっているように思います。しかし、私たちの命は、自分1人のものではありません。私たちの命はご先祖様からの大切な預かりものだと思います。 私の命は、私のものであったとしても、ただ単に自分だけが自分勝手に扱ってはいけないのではないのではないでしょうか。私たちの命はとても大切なものなのです。命を粗末にする最近の風潮は、悲しく嘆かわしいと思います。どうか命を大切にしていただき、ご先祖様に感謝して生活していきましょう。

■第955話
2月に入りましてまだまだ寒い日が続いております。しかし自然の木々に目をむけてみますと徐々に蕾を育て、春の足音を感じます。 さて、先日不覚にも風邪をこじらせてしまい、しばらく寝込んでしまいました。布団の中で苦しんでおりますと頭の中は不安でいっぱいです。 「もしかしたらこのまま治らないんじゃないか・・・」ただの風邪ではございますが不安はぐるぐる頭を駆け巡ります。そして気づいたのです。 「なんて普通に生活できることとはすばらしい事なんだろう」と。 私達は普段、普通に手を使い、歩き、色々な物を見たり、人と会えば喋ります。その一つ一つ、普段は当たり前だと思い込んでいた事がそれを失った途端、なんてすばらしく、大切な事だったのだろうと気づかされるのです。 風邪をひいた時もそうです。 健康でいる時には気づく事のできなかった事。運動が出来る。仕事に集中できる。そして普段当たり前と感じている、家族のやさしさや有難さ・・・ この世の中、考えてみれば「当たり前」なんて事はなに一つ存在しないのです。 全てはお陰さまの力。いうなれば阿弥陀様の光明でございます。私達知らず知らずの内に数多くの「つながりとご慈悲」を頂いて生活しています。いえ、生活させていただいているのです。 私達に出来る事、それは、そのことを自覚し、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお唱えしながら感謝の生活を送る事なのです。感謝の心を持った時、人は豊になり、実りある人生を送る事が出来るでしょう。病の床、自然と「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えている自分がおりました。

■第956話
「涅槃会」 仏教にはどんな宗派に属していようとも仏教徒である以上、絶対に忘れてはならない記念日が年に三回あります。まず、四月八日の「花まつり」、お釈迦様のお誕生日です。次に十二月八日の「成道会」、お釈迦様がお悟りを開かれて仏様になられた日です。そして二月十五日の「涅槃会」です。これを「三仏忌」といいます。 二月十五日はお釈迦様のご命日で「涅槃会」といいます。 涅槃とは梵語で「ニルバーナ」を漢字にあてはめた音写語で、本来の意味は「火を吹き消した状態」のことです。 平家物語の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、、、」の言葉のように、お釈迦様は、沙羅の林で阿難をはじめとする多くの弟子達に見守られ、おごそかに涅槃にはいられました。先ほど申しましたが、涅槃とは吹き消す、吹き消した状態をいい、煩悩の炎を焼き尽くし、迷いがない悟りの境地をいいますが、お釈迦様のご入滅をさす言葉でもあります。 お釈迦様のご入滅の様子は大涅槃経や遺教経に説かれており、また涅槃図には四本の沙羅双樹のもと、宝台の上に北を枕に西にお顔を向けたお釈迦様を囲み、諸々の菩薩や弟子、国王、婆羅門、在俗の男女、さらには鬼神、動物、昆虫までもが悲しみにうちひしがれてている様子が描かれています。 涅槃経には「お釈迦様がお亡くなりになったら私たちは何を支えに生きていけばよいのですか?」という質問にお釈迦様は「法と自分自身という二つを頼りにしていきなさい」とお説きになられています。 法とは仏様のみ教えです。仏様の法門は八万四千あるといわれ、お念仏の教えもその一つです。そして仏様の法を聞き、それを信じ、行をおこない、それを守り続ける自分自身も、とても大切なことです。 お釈迦様は我々末法の世の人間の事を鑑みて、「いかなる罪人であろうとも私の名を称えるものは、必ず救います」という大慈悲心の阿弥陀様のことをお説きくださり、私達にお念仏をお勧めくださいました。 ぜひ二月十五日は、お釈迦様の修行とご苦労を偲び、悟りの功徳であるお念仏を一心にお称えしましょう。

■第958話
お彼岸の頃にはいろいろの花が咲き出し、やがて桜の花の季節を迎えます。つぼみの頃から待ちこがれ、花見といえば桜、昔から日本人は桜が好きですね。私の家の前にも桜並木がありまして毎年見事な花を咲かせます。花の期間は短くてアっという間に青葉そして紅葉し枯れていきます。実は通動通学の人達が足早に通り過ぎてゆく中、毎朝たった一人黙々と落葉を掃いている人がいるのです。さて六波羅密という言葉をお聞きになったことがありますか。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧で特にお彼岸にはこの6つを心がけていきましょうというもので、布施から始まっております。私どもは常日頃、自分の欲しい欲しいの餓鬼の心で過ごしがちですが、他人が自分に何をしてくれるかではなく、自分には何が出来るかを考えてみましょう。自分にもこれなら出来る、身近な実行可能なプランはその気にさえなればいくらでも見つかるはずです。
サラリーマン生活で定年を迎え今までかえりみることもしなかった家の周囲に目をやった時です。みんなの目と心を楽しませてくれた桜なのに、花が散ると誰も見向きもしなくなる。そうだ、コンクリートの歩道に落ちた葉を桜の木の根元に敷いてやろう。大勢の人が歩く所がきれいになるし、木も喜ぶはずだ。掃けば散えい払えば又も散りつもる落葉です。我が心に散りつもった垢を掃くかのように、こうして毎年続けられているのです。布施というのは相手の為にするのではなく自分のためにするのです。「させていただく」といった気持ちでなされた時、布施行になるのです。彼岸のこの時期、天地の恵みに感謝し施しの心を新たにしたいものです。布施行によって人格的にも変化をとげていくと思われます。

■第959話
以前、同窓会の相談を数人でしていた時の事です。何てきれいな手だろう、つややかでやわらかそうで、その彼の顔や身体つきからはとても想像できなかっただけに思わず「ワーきれいな手」と驚きの声を出してしまったほどでした。がっしりした体格、明るい性格で皆を引っぱっていく彼は父親の後を継いで農業に従事、酪農もやっており毎日沢山の牛の世話をし、乳しぼりをしていたのです。そんな彼にガンの宣告がされたのでした。病名を告げられた時、何で俺がガンに、仕事も何十年と真面目にやってきた。特に妻子を泣かせるような事もしてこなかった。なのにどうして、これは何かの間違いだ、衝撃を受か否認、受け入れる事が出来ず、しかもどんどん落ち込んでいく、苦悶の日々が続いたのです。自分だけが不幸になっていく、病に対して怒ってもどうする事も出来ませんでした。そんな時ハっと気付いたのが季筋の移り変わりです。人間の感情におかまいなしに季節は、大自然は四季折々の姿を見せてくれている。梅雨の頃の田植え、稲穂がのび、黄金色の実りの秋、精米した米を手にする喜びもあった。何十年とやってきた米作りです。これが最後か、いや来年はもっとうまい米を作ろう!この決心が生きす力になっていったのです。
8月のある日、彼から一通のハガキをもらいました。盆が過ぎ青き田んぼも穂が出はじめました。秋冬野菜の種まき、植付けがはじまります。今年の稲作は私にとっては集大成と思っています。あと2ヶ月で米になります。一口届けたいと思ってますので待っていて下さい。茶碗によそった炊きたてのご飯、心から手を合わせていただきました。彼は寅さんに出てくる笠智衆演ずる御前様の雰囲気でした。煩悩・迷いの世界から悟りの彼の岸、お浄土を信じてお念仏をされていたのです。もう仏様におまかせでいいんだよねといい乍ら。この世に生を受け働くことに感謝し先祖の冥福を祈る姿をそこにみたのです。

■第960話
「露と落ち 露と消えにし 我身かな なにわのことも 夢のまた夢」秀吉の辞世の歌と云われています。そうです栄子さんにとってご主人の死は、露の身、夢としかそれも悪夢としか思えない、今でも信じられないことであります。  朝起きてみたら寝床でご主人が冷たくなっていました。そういえば前の晩ずいぶん鼾をかいているなと思われたそうです。  諸行無常とはまさにこの事でしょう。今まで他人事と考えていた死がこんなに身近にそれも突然にやってくるなんて。主人が居て当り前、思えば随分ワガママも云ってきた。それを黙って受け止めていてくれた。一方、私の方といえば心からやさしく接した事があっただろうか。ごめんなさい、ありがとう、反省と感謝の交差する思いで胸がいっぱいになったそうです。  毎朝お仏壇に手を合わせ、夫ヘの感謝、自分の至らなさを思い、悲しみの底から自然にお念仏が出てきたといいます。夫がこの世で残してくれた様々の事が次々浮んでは消え、みんないい思い出となりました。  愛別離苦、愛する人との別れは時、ところを選ばずいつ来るかわからないのだよ、という事を最後の死の悲しみを通して夫は私に教えてくれたのだと思います。  今は写経をやってます。一字一字に夫への感謝の心を込めて書いていると、電話の向うで少し元気をとり戻した栄子さんの声がしました。  露の身に無常の風はいつ吹くかわかりません。先立った人の面影を偲びご回向すると共に、儚さの裏打ちがある人生だからこそ、残された人は今を懸命に生きるのではないでしょうか。  
 

 

■第961話
春になりなすと、花が咲き、陽気もポカポカで、旅行へ行きたい気分になります。行った先々では、その美しい景色に感動し、その土地のおいしい食べ物に顔をほころばせる、誰もが経験あることではないでしょうか。この春、そんな素晴らしい場所へお出かけになるご予定の方も多くいらっしゃると思います。 ところで、浄土宗をお開きくださいました法然上人の或るお伝記にこんなお話があります。上人は、晩年に四国へ流されてしまうことになるのですが、その流された讃岐の国、今の香川県ですが、そこでお過ごしのある日、何人かの方と讃岐の松山という所へお出かけになる。当時大変美しい名所だったそうです。一行はその景色に感動し、一首ずつ歌を詠むことになる。その際法然上人が詠んだ歌が、「いかにして われ極楽に むまるべき 弥陀の誓いの なき世なりせば」という歌でした。どのようにして私は極楽浄土に往生できましょうか。もし阿弥陀様のみ教えがない世であったなら。でも今こうしてお念仏の教えがあり有難いことだなあという意味です。この歌には讃岐の松山のことが全く歌われていない。みんなは上人を落第とするのですが、上人がこのとき答えられた言葉が有難い。 「さりとては、ところのおもしろくて こころすめば かくいはるるなり」というのです。り、確かにこの松山の景色は素晴らしい。しかし、一瞬の感動がすめば、どうしても極楽のことを思わずにはいられない。四季折々の景色の美しさも世の無常にひとたまりもなく崩されてしまうではないかという思いであります。だからこのような歌になるのですと。一行は上人が極楽お思う尊さに涙したといいます。災害などで美しい名所が無残になる映像を見たりしますと悲しいとともに、この法然上人のお言葉が響いて参ります。

■第962話
今の世の中、自分を見失ってしまうことが多くあります。こちらが一生懸命がんばって努力しているのに全然報われず、ふと気づいてみたらひとりぼっちだったり、つらい思いをしたりします。子供、大人に限らず誰もが自分のうちに閉じこもりがちです。辛い気持ちも、悲しい気持ちも、せつない気持ちも反対に楽しい気持ちも素直に口で伝えるということができなくなっているように思います。確かに情報機関も発達しているし、携帯電話、メール、ブログなど自分を吐露する場所があるようには一見見えます。若い方々などはそれを使っているようですが、どうもそれに頼っても表面的で、心から自分が声を使って話し、それをまた聞いてもらうということがなくなってきているように思うのです。特にコンピュータの普及は、人と人とが話しをする時間を奪ってしまったといえませんでしょうか。コンピュータを使っている方はおわかりだと思うのですが、画面に向かうと時間はいくらでもたっていきます。その分、それを使っている人も使っていない人も、声を使ってものを伝える時間がどんどんなくなってきているわけです。 声が届かないということほど悲しいことはございません。皆それぞれに日々の生活の中でがんばっていると思うのです。しかし、人間には限界がありますし、いつも元気で楽しくとはいきません。そんな時、声をかける人がいて、それが届き、また声をかけてもらえる人がいればパワーもでて参ります。そもそも声に出すという行為は助けを求めるものであり、助けをさしのべるものであるのです。声に出せば楽になりますし、やさしさも生まれます。毎日のニュースで悲惨な人間関係の事件を見ていますと、声に出していればなあ、声をかける人がいたらなあと思うことがたくさんあります。声があれば問題を最小限にとどめることもできたのにという事件がけっこうあると思うのです。お念仏を声に出すというのも助けてくださいということです。阿弥陀仏はそれをしっかり聞いてくださっています。声に出して私の名前を呼ぶのですよ、南無阿弥陀仏と称えなさいとおっしゃってくださいます。声に出すということ、これが何よりも大切であります。どうぞ、声に出すということ、心がけて下さい。

■第963話
あと3年しますと、浄土宗をおたてくださりました法然上人がおかくれになり八百年という節目の年がやってきます。八百年前、ご臨終2日前にお弟子様であります源智上人の願いに応じてお念仏のみ教えの根幹を示されました。横にされていたお体をおこし、一枚の紙にしたためてくださいました。いわゆる一枚起請文といわれる上人様のご遺訓であります。上人はお念仏で救われると多くのお方に説き続け、生涯にわたってご自身自らがお念仏を申したわけでございますから、「お念仏を称えよ」というのはわかります。ただ、その前に大切な一言をおつけいただいております。それが、「智者のふるまいをせずして」という一言であります。智者のふるまいをせずしてお念仏を申すのですよとお諭しなのです。それはどういうことかと申しますと、私どもは何でもわかったようなふるまいをし、自分のもっている物差しだけで、ああでもないこうでもないと判断しているというのです。そのおろかな行為では仏のおっしゃることなど、とうてい理解できようもないわけで、ともすれば仏や仏の教えを疑うことにもなってしまうというのですね。考えてみますと、皆様どうでしょう。人それぞれ顔、形が違うように、自分の経験、体験だけでできあがっている自分特有の、どうにもたよりないものさしで、仏様のことなど確かにわかるはずがございませんよね。そのものさしではかって、自分の知らないことは信じられない、自分が見たことないものはあやしいなどと言っては、結局救いの教えからもれてしまいかねないのです。法然上人は当時智慧第一の法然房とまで仰がれたお方です。そのお方が自分は愚痴無知だとおっしゃる。法然上人ほどのお方がですよ。いたらない自分と見つめ、ただ一向に念仏するためにも智者ぶってはいけないと私どものことを知り尽くして言われたのです。何でも合理的で便利な世の中だからこそ、とりわけ智者ぶる自分を見つめるべきですね。八百年を迎えるその年がデジタル放送開始の年でもあります。新しい時代を受け入れる前に、八百年続いているお念仏のみ教えをしっかり受け取ることが先決であります。

■第964話
五月に入りました。この時期になりますと、五月病にかかる人がいます。試験勉強から開放された気のゆるみ、目的を無くした姿が、その原因のようです。また新しい人間関係や生活に悩んでいるのかもしれません。 このように一つの壁にぶつかった時に、どう立ち向かうかを教えてこなかった親にも、責任があるかもしれません。先月、私のお寺で鶯が鳴きました。まだ、子供の鶯なのでしょうか?「ホーケ・ホーケ」と鳴くだけで、なかなか「ホーホケキョ」と上手く鳴くことは出来ません。昔の和歌に、 「鳴く声の良(よ)きも悪(あ)しきもその親の 教えによるぞ藪のうぐいす」 と言う歌がございます。ウグイスがきれいな声で鳴くようになるのも、親鳥の教え方一つであります。教え方が悪かったり、いい加減に教えたならば、いつまでたってもいい声では鳴かないのである。ということを歌った歌であります。 これは、我々人間の生活にも当てはまることではないでしょうか?親がしっかり子供を教えなければ、子供は必ず迷います。逆に、親がしっかりしておれば、子供は迷うことは無いと思うのであります。
阿弥陀様は私達が気付かなくとも、我々一人一人を見守っていて下さっておられます。私達が阿弥陀様を拝み、その名を呼ぶならば、きっと阿弥陀様も私達を念じ、見守って下さるのであります。法然上人は御法語の中で、 「衆生、仏を禮すれば、佛これを見たまふ。衆生、佛を唱ふれば、佛これを聞き給ふ。衆生、佛を念ずれば、佛も衆生を念じ給ふ。」 とおしゃっておられます。南無阿弥陀仏のお念仏をお唱えすれば必ず、衆生と阿弥陀様が一つになって、親子の如き親しい縁が出来るのであると言うことであります。南無阿弥陀仏と、如来の名を称えるという仏の本願に叶う行いをする時、きっと私達衆生は、親しく阿弥陀様とつながるのであります。共々にお念仏を唱えましょう。

■第965話
世間には三日坊主という言葉があります。計画を立てることは誰でもするのですが、それを長く続けることは大変なことです。四月の初めに目標を立てた人もこの時期は忘れがちになるころです。 わたしたちは、悩み、苦しみが続くと、色々な宗教にたよったり一心に仏様を拝んだりします。ですが少し良くなるとやめて、忘れてしまいます。 このような姿を「火の信心」と申します。一時は火が燃えさかるように熱心になるのですが、いつのまにか消えてしまいます。 その反対に、目立ちはしませんが、いつまでも続けている姿を、「水の信心」と申します。 川の水は、たとえ細くても、止まることなく流れ続けています。この姿が大切なことです。 「精出せば、凍る間もなき、水車かな」 私たち人間は、どちらかと言えば、苦労を嫌って安易を求めがちです。一度怠け癖がつくと、なかなか立ち戻ることができません。何事も継続することが大切です。 浄土宗ではお念仏を継続することが大事であります。 法然上人は一日に6万遍から多い時は7万遍もお念仏をお唱えされたと言われております。
お念仏は、老若男女、誰にでもできる実践の修行です。歩いておっても、座っておっても、止まっておっても、横になっておっても、まだ他にもあげることができますが、どんな時でも唱えて良いと、法然上人はおっしゃてみえます。 「手と足は忙しけれど南無阿弥陀部 口と心の ひまにまかせて」 どのような状況・心境のなかでも、その場、その心のまま、念仏をお唱えください。繰り返しお念仏を唱えることによって身になって気付いていく、そして私たちの拠所になっていくものなのです。念仏をお唱えすることは、阿弥陀様の御心にかなった修行であります。毎日の日暮しの中で、お念仏が一口でも多く、また、繰り返し唱えていくことが出来れば、最後臨終の時は必ず阿弥陀様のいらっしゃる西方極楽浄土へ往生することが出来る。また、この世においては、苦しみが苦しみでない心とならせていただくものである、と法然上人はお示しになっておられます。皆様にもその様な心でお念仏を継続していただきたいと思います。

■第966話
江戸時代の中頃に、法道上人という方がおられました。この方一代の内に約五千席のお説教をなされたそうで、そのお話の中心は、親を大事にするという「孝行」を説かれたそうです。その法道上人のお言葉に
「鳩に三枝の礼あり、カラスには反哺の孝あり」
とあります。鳩には三つの枝の礼がある。親鳩が、例えば、何かの枝に止まりますと、小鳩は、その枝より三つぐらい下がったところの枝に止まって親を敬うそうです。 それから、親ガラスが、嘴(くちばし)で小ガラスに餌を与えて段々と大きくなりますと、年を取りました親ガラスに、今度は小ガラスが嘴で親に餌を与える。お返しをすることから、「反哺の孝あり」と言うわけであります。カラスにも鳩にも敬いの気持ちがあるというのに、万物の霊長たる人間が、生んで育てて下された親を敬わない様なことをしてはいけない、というような話を本当に良くなされたと伝えられております。仏法の教えでは、人として生まれることは、梵天から糸を下して、大海の底なる針の穴に、糸を通す如くと、この世の中に生を受けることは難しいことであると教えられております。実際、目の前の針の穴でも糸を通すのは難しいですね。それを空から糸を下して、深い海の底にある、針の穴に通すというぐらいの可能性で、人間として生を受けさせて頂いたことは、先ず、親のお陰であります。ましてや、念仏の縁を頂いている私達であります。悦んで、そういうお働きを、仏様がしていて下さるのであり、また亡くなられた親やご先祖のお陰であることを受け止めさせて頂くということが大切であると同時に、我々浄土のみ教えでは、その口に南無阿弥陀仏と申して頂く、ご先祖様・仏様のお陰を感謝してお念仏を唱えて頂く、そうすれば自ずと、子孫が栄え、幸せに暮らすことが出来ると教えられているわけでございますので、お念仏を通じて、その心を、育んでいただければ結構ではなかろうかと思うわけでございます。

■第970話
私たちは人として生まれ落ちたその瞬間から死に向かって生きていかなくてはなりません。これは平等に与えられた事実であります。では、人として死に向かいながら、人としてどのように生きがいのある充実した人生を送る事が出来るのでしょうか?私達が人として本当に生きがいのある人生を送るには、1つの目標を持って、それに向かってわき目もふらずに精進していくことではないでしょうか。充実した一生を過ごすにはその目標が先ずは大切であり、そしてそれに向かって進むための努力が大切であると考えます。目標はつまり誓いであり、努力は修行であります。それでは私たちはどんな目標・誓いを立てるべきであろうか?そのヒントを仏様の誓願に求めてみると仏様は私達が人それぞれ違う目標を持つと同様にお釈迦様や阿弥陀様もそれぞれ別々の誓いを持っております。しかし、どの仏様にも共通する四つの誓いというものがあります。
第一番目は衆生は無辺なれども、誓って願わくは度せんとす。つまりはすべての人々を救おうという意味です。第二番目は煩悩は無辺なれど、誓って願わくは断ぜんとす。つまりは悩みや罪は限り無いがきっと断ち切ろうという意味です。第三番目は法門は無量なれど誓って願わくは学ばんとす。つまりは、たくさんある教えの全てを学び取ろうという意味です。最後の四番目は仏道は無上なれど誓って願わくは証せんとす。つまりは、最上の悟りを成し遂げようという意味です。これらの四つの誓いを仏様は皆立てられております。この誓いを四弘誓願といいます。これは、そのまま私たちの日々の誓いとなりうるものでありますが、日々の忙しい日常の中で、この誓いを修行するのは大変な事であります。この仏様の誓いに習って1つでも自分の誓いを持ち、日々精進を重ねる日々を持つ事が出来れば充実した人生が送れるのではないでしょうか? 
 

 

■第971話
前回に引き続き、仏様の誓いについてお話させていただきます。私達が人それぞれ違う目標を持つと同様にお釈迦様や阿弥陀様もそれぞれ別々の誓いを持っております。では、私たちの仏様であります阿弥陀様はどのような誓いをもたれたのでしょうか?阿弥陀様は法蔵菩薩という名で世自在王仏のもとで修行をされているときに、世自在王仏は、色々な仏様の国を見せ、それぞれどのような誓いを立てて、その国を完成させたかを法蔵菩薩へ説いてくれました。それから法蔵菩薩は自分の国を作る為の誓いを考えはじめました。どうしたら素晴しい仏国土を築く事が出来るであろう、どのような人々を招き入れたら良いのだろうと、誓いつまりは目標を考える為だけに五劫という長い時間を要しました。阿弥陀様は、最終的に48の誓いをお建てになられました。これがいわゆる阿弥陀如来の四十八願といわれるものであります。
この誓いとは自分が作る仏国土に、罪やけがれや苦しみを受ける者がある限りは、自分は決して正しい覚りを得るような事はあるまいという誓いであり、言いかえれば、自分が仏になるからには、いかなるものも救わないではおかないという、固い決意の表れでもあります。この四十八願の中で、最も重要である誓いは念仏往生の願と呼ばれる第十八番目の誓いだとされています。“もし私が仏と成ったならば、真実の心持で深く阿弥陀仏を信じて、私の国に生れんと欲して、上は生涯を通じて念仏するものから、下はただの十回だけでも念仏するものまで、我が浄土に往生させる”というお誓いを立てられ、もしこの誓いが成就しなければ仏にならないと決意されました。この誓いの中で念仏という行を選ばれたのは、全ての人々にとって誰にでも出来る容易な修行であり、全ての衆生を救済する為に選ばれた行であるのです。即ち念仏すれば必ず救われるという根拠がここにあるのであります。

■第972話
前回に引き続き阿弥陀様の誓いについてお話させて頂きます。阿弥陀様の四十八願の中で最も重要である誓いを念仏往生の願といい本願と呼ばれているものであります。“もし私が仏と成ったならば、真実の心持で深く阿弥陀仏を信じて、私の国に生れんと欲して、上は生涯を通じて念仏するものから、下はただの十回だけでも念仏するものまで、我が浄土に往生させる”というお誓いを立てられ、もしこの誓いが成就しなければ仏にならないと決意されました。私たち衆生でも容易に出来る本願往生行をどんな行として選定したらよいのだろうか、修行ですから座禅や持戒などそれこそ色々な方法があったわけです。阿弥陀様の決めた高さのハードルだけを越えたものだけを救うという誓いを如何にしたら低く出来るのか、この事に非常に深く悩まれたわけでございます。
ハードルを高くすれば五劫という長い時間を費やさずに、直ぐにでもご修行に入る事ができたのです。しかし、高いハードルでは実際には越えてくるものはいないであろう、おそらくは私たち衆生は一人も超える事はでき出ないであろうということが、阿弥陀様にはお分かりになられていたのであります。それでは、どうしたのか?阿弥陀様は、ただわが名を呼べと、つまりは南無阿弥陀仏と申せと仰ったのです。ですから、浄土宗をお開きになられた、法然上人は著書“選択本願念仏集”の中で“諸行の中に念仏を用うるは彼の仏の本願なるが故なりと”と説かれました。法然上人は、我が名を呼べと仰った阿弥陀様の本願におすがりしようと、衆生救済を誓われた阿弥陀様の慈悲の心におすがりしようとただ一向に念仏すべしとお説きになったのであります。

■第973話
「三蔵法師」についてお話申し上げます。「三蔵法師」といえば、まず大半の方が孫悟空が登場します「西遊記」、次にそのモデルとなります、唐の時代の僧侶・玄奘三蔵を思い浮かべるのではないでしょか。しかし、玄奘三蔵よりも二百年さかのぼりますが、我が国の仏教を考えるとき、「鳩摩羅什」という三蔵法師の方がより大きな影響を日本は頂いていると言えます。羅什三蔵は、4世紀の半ば、中国辺境の地、シルクロードのオアシス、亀慈国という小さい国に生まれます。幼少より、インドに大乗仏教を学び、帰国後、お釈迦様の教えを分かりやすく解説を加えて広めてゆきました。そのまたたくまに中国の都、長安にまで伝わると、五胡十六国と呼ばれた戦乱の世、全泰の国王・苻堅(ふけん)は、天下を治める野望のため、羅什三蔵を、是非、手元に迎えたいと切望いたします。しかし亀慈国側も、ようやく領民にまで仏教が広まり始めたばかりです。おいそれと従うわけにはいきません。「大国の命に逆らうとは何ごとぞ」と帰って反感を買い、国王の命を受けた将軍呂光は羅什三蔵の引渡しを求め七万もの軍隊とともに亀茲国に遠征。しかし良い返事はもらえず、ついに国を攻め滅ぼしてしまいます。沢山の財宝を奪い、羅什三蔵を捕らえた将軍でしたが、遠征中に自らの国自体が倒され国王苻堅(ふけん)が殺されたことを知ります。以来、羅什三蔵は、この呂光に捕らわれたまま16年もの長い間、牢獄生活を強いられるのです。
その後、前泰に変わって後泰という国が興り、銚興(ようこう)という人物が第二代国王になると、仏教を以って国を治めたい願い、6万の軍隊を派遣、終に羅什三蔵を解放し国賓として長安の都に迎えます。西暦401年12月、羅什52歳の年でした。それからというもの、羅什三蔵は膨大な経巻を次々に翻訳してゆきます。日本に伝わった羅什三蔵の漢訳経典によって、聖徳太子を三経義疏を書き、十七条憲法が生まれました。各宗派が拠り所しています根本経典類もその大半が羅什三蔵が翻訳してくれたものです。羅什三蔵の苦難に満ちた波乱万丈の人生から訳された、大乗経典の一字一字の中に、全ての命が生かされ、共々に助け合って理想の平和社会を作っていってほしいという切なる願いが込められていることを私達は知らなければいけません。

■第974話
鳩摩羅什三蔵法師没後1600年の記念すべき年を迎えています。西暦409年8月20日、羅什三蔵は長安でなくなります。享年60歳。長く苦しい牢獄生活からようやく解放され、長安の都に温かく迎えられたとき、すでに52歳になっていました。死期(しき)を悟ったとき彼は次のように述べています。「私はよそ者ではあったけれども、どういう因縁か、経典の翻訳という仕事にたずさわり、三百余巻を翻訳してきました。身をやつした私が、晩年、死を迎える今日まで、何故、精を尽くして、ここまでこの仕事に命がけで邁進してこれたのか、どうか考えてみて下さい。そして、くれぐれもお釈迦さまの尊い御教えを、間違わないよう、正しく理解して下さい。願えることなら、数あるお経やその解説書類の中から、私が意図して選んで訳した経典を、是非広く多くの人々にひろめ、また後世に伝えるよう努力してください。私が翻訳し、伝えたところに誤りや嘘は一つもありません。その証として、私が死んだ後、身体は薪で焼かれたとしても、この舌だけは灰にならず形をとどめることでしょう。」という言葉を残しています。彼の予言通り、遺体は火葬されましたが、舌だけは灰にならなかったと、今も現地では語り継がれています。
現在多くの方に読まれる般若心経は玄奘三蔵訳ではありますが、あの有名な「色即是空 空即是色」の言葉も、羅什三蔵の見事な翻訳の一つで、それまで難解であった大乗の「空」という概念の真髄を、わずか八文字であらわしたことは、仏教を深く理解し、空の心境を悟った彼を除いて他には誰も成し得ませんでした。わが宗浄土宗の拠り所「阿弥陀経」も羅什三蔵の翻訳で、阿弥陀さまの理想世界を「極楽」と表現したのは、羅什三蔵がこれまで出会ってきた人々の迷いや苦しみや泣き叫びを我が事のように感じとり、お釈迦様の教えを何としてもより多くの人々に伝え残さなければという、強い意志が重なって、世の人々の真なる平和と安全を願った言葉から生まれたということを私達は知らなければいけません。羅什三蔵亡き後、彼が願ったとおり、彼が訳した経典類は広く東アジア全域に伝播し、日本においてもあらゆる宗派の根本経典として、今に至っても多くの人々を救済し続けています。

■第975話
中国の西安市の郊外、草堂寺を訪れますと、今も鳩摩羅什三蔵法師の舎利を納めたお墓が大切に供養されています。文化大革命のとき、境内の諸堂宇はことごとく破壊されましたが、羅什三蔵のお墓と、之を納めましたお堂だけは辛うじて守られました。の草堂寺の境内は、かつては逍遥園(しょうようえん)とよばれ、国賓として迎えられた羅什三蔵の翻訳活動のために用意された特別な邸宅です。羅什三蔵が翻訳した経典や「論」と呼ばれる解説書類は、300を超えその代表作を挙げれば、『阿弥陀経』・『妙法蓮華経』・『大品般若経』・『坐禅三昧経』・『維摩経』・『大智度論』・『中論』・『十二門論』などなどです。ですから、今日我が国に沢山の宗派がございますが、どの宗派も羅什三蔵が翻訳してくださった経典を拠り所としていることが分かります。私たちが日ごろ勤める日常勤行の終わりに、「願以之功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」というお経をお唱えします。
「願わくはこの功徳を以って、平等に一切に施こし、同じく菩提心を発して、共に安楽国に往生せん」
「一日一日を頂く私たちが、その御恩に感謝し、その御恩に報いようと、菩薩の心をおこして、自分のことをさしおきて、身を尽くして、差別することなく、生きとし生けるすべての命に平等に功徳を施し、共々に安楽の国に往生いたしましょう」と、御回向を皆さんに振り分けるのです。この御文は浄土宗の高祖善導大師のお書物「法事讃」からいただいております。しかしその元をたどれば、やはり、羅什三蔵が訳しました「妙法蓮華経」の一説に同様の訳語が見つかります。「願わくはこの功徳を以って、普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に、仏道を成ぜん」 他を導くと言う修行は、大乗仏教における理想の姿であり、菩薩さまの修行そのものです。「普く一切に及ぼす」、なんと広い慈しみの心でありましょう、「我らと衆生と皆共に」、なんと大きな思いやりでありましょう。「己をさしおきて他を利す」それが「無縁の慈悲」「無償の愛」と呼ばれるものであります。牢獄から解放されてわずか10年、多くの翻訳を行うとともに、3,000人とも言われる門弟を育てた鳩摩羅什三蔵法師さま。全ての人々の幸せを願われた羅什三蔵さまの暖かいお心を今も私たちは頂いていることを知らなければいけません。

■第976話
我々、浄土宗僧侶がおこなっている、この「法話」を、毎回楽しみにされている方も多いと存じますが、今回初めてお聞きになる方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか?ひと月に3回、お話が変え、皆様にお届けしております。まず9月の1話目として、我々浄土宗について簡単に説明させて頂きます。「南無阿弥陀仏の念仏をとなえさせすれば、人間は誰でも極楽に往生できる」これが、浄土宗を開いた法然上人の一番の教えです。法然上人が浄土宗をお開きになる以前の仏教は、どの宗派もそれ相応の知識が必要とされていた為、その当時一般の民衆には手の届かないものでした。それだけに、「難しい学問も修行もいらない。ただひたすらに南無阿弥陀仏とお念仏をとなえさえすれば、誰でも極楽に往生できる」という法然上人の教えは民衆に受け入れられました。このお念仏には、声に出してとなえる「称名念仏」と、仏様や極楽浄土を思い浮かべる「観想念仏」があります。法然上人は声にだしてとなえる称名念仏こそ、往生につながる唯一最上のものとされました。ほかの一切の修行を捨て、念仏のみをとなえる事を「専修念仏」といい、これが浄土宗の教えの基本です。では、ひたすらにとなえる念仏とは、どの位の回数であれば良いのか。これについて法然上人は、自ら書かれた『一紙小消息』という書物の中で、「一念なお生まる、況や多念をや」と書いています。意味は、「一回の念仏でも往生できるのだから、たくさんの念仏で往生しない訳がない」という事です。すなわち念仏はその回数ではなく、阿弥陀様を信じ、阿弥陀様にすがる気持ちが念仏となって口から出ること。それが救いであるとしました。繰り返しますが、阿弥陀様を信じ、阿弥陀様に全てをお任せし、南無阿弥陀仏とおとなえするのが、浄土宗の教えなのです。次回のお話は時節柄、お彼岸についてお話させて頂きます。

■第977話
今回はお彼岸についてお話させて頂きます。お彼岸には3月の春のお彼岸と、9月の秋のお彼岸があります。太陽が真西に沈む春分の日と秋分の日をお中日とする前後3日間の合計7日間、その一週間をお彼岸といい、西方極楽浄土にいらっしゃる阿弥陀様を念じて様々な行事を催すお寺も多いのではないでしょうか?国民の祝日に関する法律によれば、春分の日は自然を称え、生物を慈しむ日。秋分の日は、先祖を敬い、亡くなった人を偲ぶ日。と定められています。「彼岸」とは、「彼(か)の岸・向こう岸」という意味です。これは、今我々が生活している、苦しみの多いこの世「此岸(しがん)・このきし」に対して、理想の世界である極楽浄土を指す言葉です。法然上人が浄土宗をお開きになるうえで師と仰いだ中国の善導大師が、「春分と秋分は太陽が真西に沈むので、日没の彼方にある極楽浄土を想い、敬慕の心を持つべきである」と説いているように、太陽に向かって、その極楽浄土に往生したいという決意を新たにするのが、お彼岸の1週間なのです。仏教では悟りへの道として、布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)という六波羅密というものがあります。布施は人に施すこと。持戒は戒めを守ること。忍辱は耐えること。精進は努力すること。禅定は心を落ちつけること。知慧は真理にもとづく考え方や生き方をすること。お彼岸とは、こうした仏教の教えを実践する仏教週間ともいえます。皆様のご先祖様を偲び、自分がいまあることを感謝し、ご先祖様のご供養をすると共に、自らも極楽浄土に往生できるよう精進する一週間なのです。

■第978話
今は秋のお彼岸中です。お墓参りにはもう行かれましたでしょうか?お彼岸の一週間はご先祖様を偲び、自分が今ここにあることを感謝し、ご先祖様のご供養をすると共に、自らもご先祖様のおられる極楽浄土に往生できるよう精進する一週間です。お墓に花をお供えし、お線香に火を灯します。手を合掌し、心を清らかにして、十遍の南無阿弥陀仏、お十念をお唱えして頂きたいと思います。南無阿弥陀仏と唱える者は、誰でも極楽に往生できるという、法然上人の教えを信じ、阿弥陀様のお力を信じ、お唱え頂きたいと思います。ではここで、「南無阿弥陀仏」とはどのような意味があるのか、簡単に説明させて頂きます。「南無阿弥陀仏」とは「ナムアミダブツ」という古代インドのサンスクリット語を漢字で音写したものです。意味としては、まず最初の2文字「南無」が全てをお任せしますという意味。阿弥陀様に対し、帰依と信頼の心を表します。次の文字「阿」は出来ないという否定の言葉。次の「弥陀」は量るという意味。「阿弥陀」で、量れない・量りしれないという意味になります。そして最後の「仏」は仏様で、悟りを開いた人。以上の6文字を合わせると、「量り知れない偉大なお力を持った仏様に全てをお任せします」という意味になります。お墓の前で南無阿弥陀仏をお唱えする時、この意味をしっかり頭に思いながら、ご先祖様のご冥福と自らの極楽往生を願いながら、お唱え頂きたいと思います。では今月のお話の最後に十遍の南無阿弥陀仏をご一緒にお唱えしましょう。受話器を持ったままでも結構です。それではご一緒にどうぞ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・・・・・。

■第979話
「お手々のしわとしわを合わせて『幸せ』、南無。」と、小さな女の子が手を合わせるお仏壇のテレビコマーシャルをご存じでしょうか?かわいらしく一所懸命な姿が目にとまりますね。今回は、合掌とお念仏についてお話ししたいと思います。浄土宗では、皆様とご一緒にお念仏を唱えるときには「同唱十念」と申しまして、「南無阿弥陀」のお念仏を合掌して十遍唱えます。この合掌する両手には、十本の指があります。その指一本一本に、お念仏の気持ちを込めまして数えていただければ、十回のお念仏になります。では、そのお念仏にどう気持ちを込めればいいのでしょうか?人一人の心の中には、十の世界があると考えられており、これを仏教では「一心十界」と申しております。その世界は「地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界(如来界)」の十界です。心の中にすべてありますから、その人の心がけ次第で仏にもなるし、地獄にも堕ちることになります。その心全部が一つになるという気持ちで、十本の指を合わせ、その指を十界になぞらて頂き、一念一念、阿弥陀様に帰依していただき、お念仏を唱えると良いと思います。さて、合掌の両手を合わせるという意味は、左手が衆生=我々、右手が仏様で、その両手を合わせることで、仏様と我々が一緒になった理想的な形であると言われております。また、仏教発祥の地インドでは、右手はきれいなものを持つ手、左手は不浄なものを持つ手、その両手を合わせることによって、きれいなだけではなく、また汚いだけでもなく、まさに『清濁併せ呑む』ことが人生であり、それを形で表したのが『合掌』であると伝わっています。あるいは、私達の心と、相手の心が一つになる、お互いに理解し合えるという気持ちを形にしているとも伝えられております。こういった気持ちが合掌に表れていると自覚し、その気持ちを込めて皆様にお念仏を唱えていたければと思っております。

■第980話
前回の法話で「一心十界」、人の心の中には地獄もあれば、極楽もあるということをお話ししました。どういう事だろうかと、思った方もいることでしょう。今回は「三尺箸の譬え」という説話でこのことをお話しいたします。ある人が極楽と地獄を見学に行きました。まず地獄に行きましたが、地獄には閻魔様がいて、鬼や魑魅魍魎のたぐいがいると昔から言われているので、おそるおそるのぞいてみると、そこに住む人は私達と何一つ変わらない普通の人の姿でした。食事時も普通にやってきます。その食事を食べるには一つだけルールがあり、それは、三尺の箸を使わなければならないというものです。三尺とは箸の長い様を言ったもので、実際には2メートルにもなる長い箸です。食事時にごちそうが運ばれると、そこの住人は他人に取られてなるものかと、ごちそうめがけて我先に群がります。しかし、2メートルのお箸は長すぎて誰一人として自分の口に入れられません。しまいには他人がつまんだ食べ物を横取りしようとする者が現れ、「それは俺のごちそうだ!」とばかりにそこいら中でけんかが始まり、結局誰一人として食べることが出来なかったのです。次に、極楽に行って見ますと、そこにいる住人も私達と同じ姿です。同じ様に、ごちそうが運ばれて来ました。極楽もやはり2メートルもある長いお箸で食べるのですが、ここからが違います。手前の人がごちそうを箸でつまむと向かいの人の口に運びます。「大変美味しゅうございます。あなたもいかがですか?」と、お互いに自分の箸で向かい相手の口にごちそうを運ぶのです。皆さんそうして食事を楽しみ満足し、お互いにありがとうございましたと言い合います。これを見るに姿は私達と同じなのに、地獄にもいれば、極楽にもいます。違うのは一人一人の心の中に協調の心があると、そこが極楽の世界になるという教えでございます。「一心十界」人の心には、地獄もあれば、極楽もあります。心持ち一つで自分がいるところが地獄にもなれば極楽にもなるということです。なるべくならば、極楽の境地で協調して過ごせる心持ちでいたいものです。 
 

 

■第981話
京都の夏の代名詞に「祇園祭」がございます。これは、浄土宗総本山知恩院の南東に位置する八坂神社のお祭りでして、クライマックスは『山鉾巡行』という山や鉾が都大路を巡るもので、その山の一つに「白楽天山」があります。中国は唐の時代の詩人白楽天と、もう一人道林禅師という名僧のお二人がご神体として祀られております。この山の基となった故事=説話を今回はお届けいたします。中国の唐の時代、詩人として名高い白楽天が、杭州地方の長官として赴任した頃、その地に、老松の樹上に住んでいる風変わりな、しかし高名な道林禅師という僧侶がいると聞き、白楽天はご挨拶がてら問答を挑みに行きます。「仏法の大意とは是如何に?」と尋ね、道林禅師はこう答えました。「諸悪莫作、衆善奉行、自淨其意、是諸仏教。」つまり、「悪いことをしてはいけない、善いことをしなさい、そして自分の心を浄めなさい、これが諸仏の教えである」と答えたのです。わかりやすい答えですが、これはどんな仏も説く有名な『七仏通戒の偈』という教えです。白楽天は仏教にも造詣が深いので、そんな誰でも知っている教えで返されたことにプライドを傷つけられ、憤慨したのでしょう。「そんなことは、三歳の幼児でも知っていることでしょう。」と言うと、道林禅師は「三歳の童子是を知るといえども、八十の老人是を行い難し。」つまり「そう、3歳の幼児でも知っている話だ。でも、話を知っているからといって80歳の老人でも是を実践することは難しいことなのだよ。」と答えたそうです。「知っているだけではいけないんだ。実践しなければ、仏の教えなどないに等しいことなのだ。あなたは仏の教えを実践しているのか?」対する白楽天もさすが聡明な人物です。答えの意味を察して、自分の傲慢を恥じ、深々と最敬礼して立ち去ったと伝えられております。祇園祭の山の名前は「白楽天山」ですが、ご神体は道林禅師と白楽天です。仏の教えを知ることだけではなく、実践することが大事なのだと、現代に生きる私達にも通じ、戒められているものだと思い、今回ご紹介いたしました。

■第982話
寺の本堂の畳の上を注意深く見ていると、時折、どこから入ってきたのか小さな虫を見つけることがあります。なぜか大概がカメムシです。生きている虫もいれば死んでしまっている虫もいます。虫がいること自体、別に変わったことではないので、以前はほとんど気にも留めませんでしたが、ある時、死んだ虫をよく見てみると、手足を合わせて、あたかも人間が仏様を拝むときのように合掌しているように見えたのです。その時は、たまたまその虫だけそのようになっているのかなと思いましたが、そのあと、虫のなきがらを見つけては手足の様子を見てみると、やはり合掌しているのです。本堂のご本尊様のみまえ御前で合掌しながら命尽きている虫。その姿に、不思議な思いとともに尊いものを感じました。
仏様の教えでは、生きとし生けるものが生と死を繰り返す6つの世界を六道といいます。その六道とは地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道の6つです。地獄道とは生き物を殺したり盗みを働いたものがおとされるところ。餓鬼道とはむさぼり食ったり物おしみしたものがおとされるところ。畜生道とは鳥やけものや虫。修羅道とは争ってばかりいるものがおとされるところ。そして人間道の人間だけが唯一仏様の教えを頂くことができるのです。天道の天の住人は毎日が楽しみの連続ですが、いつかは天を去らなければならない日がくるのではないかとおびえています。ご本尊様の御前で命尽きた虫は、あたかも「今度生まれ変わるのならば是非とも人間となって仏様の教えを頂きたい」と願っているように見えました。私たちは数多くの生けるものの中で人間として生を受けました。極めてまれなことであり、誠に有り難いことです。しかし自分ははたして命尽きる時に、あの虫のように手を合わせてその時を迎えることができるだろうか。一匹の虫のなきがらに考えさせられることがありました。

■第983話
紅葉の美しい季節となってまいりました。暑い夏に木陰をつくってくれた緑豊かな葉も赤や黄色に色を変え、輝きを放っています。寺の境内ではサクラ・ケヤキ・モミジ、そして最後にイチョウが落葉します。この時期になると特に境内掃除は欠かせません。掃き清められた境内はすがすがしいものですが、掃除から教わることも少なくありません。  竹ぼうきを使っての掃き掃除のほかに草取りがあります。ある時、いつものように草をとっていたところ、「はっ」と気がついたことがありました。草をとり分けているのです。「スミレはきれいな花が咲くから残しておこう」と自分の都合で残すものと抜いてしまうものを区別しているのです。その時思い出したのが、「雑草という草はない」とおっしゃった昭和天皇のお言葉です。そのお言葉には「すべての草にはそれぞれちゃんと名前がある」という意味のほかに「すべての草にはそれぞれの命がある」という陛下のお気持ちが込められているような気が致します。私が不要な「雑草」として抜いてしまった草も、大切に残したスミレも、それぞれ命を持つもの。その命の重さには全く差はないはずです。にもかかわらず「美しい」とかそうでないというひとりよがりな勝手な判断で命を摘み取ってしまっていることに気付きました。
そのことに気付くまでは、境内の掃除はすがすがしくお参りして頂くための清らかな行ないであるとだけ軽々しく考えておりました。しかし、その清らかな行いのさ中に、私の眼には不要と映った草の命を黙々と摘み取っているのです。私が掃除さえしなければ生き延びることができた草の命。生きとし生けるものの命を奪ってはいけないというのが仏様の教えです。そうかといって草取りをしないわけにもいきません。何とも複雑な心境になりました。知らず知らずのうちに、あるいは、知っていながらも矛盾を繰り返し、結果的に悪い行いを積み重ねてしまっているのが私たちの日常です。どんなにきれいごとを言ってもどうにもならない己がここにいることを知ることが仏様の教えに近づく第一歩です。

■第984話
私事で恐縮ですが、我が家には高校2年になる息子がおります。毎朝学校に出かける時、家内は息子を見送るのですが、ただ玄関先で見送るだけでなく、駅に向かう息子の後姿が見えなくなるまで見送っています。時には心配そうに、時にはにこにこしながらその姿を追っています。毎日の何気ない光景ですが、私はその家内の姿に「母というものはこういうものなんだな」とたびたび思っておりました。ある時、「はっ」と気がついたのですが「自分も子供の頃は同じように母は自分の後姿を見送ってくれたはずだ。しかし、自分はその母のまなざしをどれだけ感じていたのだろうか。」振り返って母に手を振り返すことはあっても、そのまなざしを有り難く感じていたことは、あまり無かったような気がします。そのことを、今更になってようやく気づいた自分の情けなさ、8年前に亡くなった母への申し訳ない思いにつまされたことがありました。私たちは親から多くの、そしてそのひとつひとつが掛替えのない大切なご恩を頂戴しているはずです。「恩を知る」「恩に報いる」という言葉も決して聴き慣れない言葉ではありません。しかし、果たして自分が本当に「ご恩を受けた有り難さが分かっているのか、そして、そのご恩にふさわしいお返しができているのか」といえばそうではないことばかりのような気がします。しかも、親が生きているうちにそのご恩を感じ、せめて感謝の気持ちを表すことができればまだしも、亡くなってしばらく経って、昔のふとした出来事を思い出し、今になってやっとそのご恩の有り難さに気づくことの方が多いような気がします。
阿弥陀様のいらっしゃるお浄土に往生された方は仏様への道を歩まれます。そうするとその方はひときわ勝れた能力を身に付けられます。そのうちのひとつに他人の心のありさまを知ることができる力があります。私が昔のことを思い出し、遅れ馳せながら、その時のご恩の有り難さに「今」気づいていること、そのことを母は「今」受け止めてくれていて「やっとわかったのかい」とにっこりとしているかもしれません。

■第988話
平成21年、今年もまた新しい年が始まりました。 希望にあふれた楽しいお正月をお過ごしの方、入学試験に向け最後の追込みに入る受験生、普段の多忙な仕事から解放され寝正月で休養される方、昨年に大切な人を亡くし、喪に服され、お祝い事を自粛されている方、実にそれぞれの方が様々な想いを抱き、新たな年を迎えられたことと拝察申し上げます。  近年でもよく言われる「盆・正月」。就職や大学生活、又は結婚をされたことにより故郷をはなれた人たちも、夏のお盆と冬の正月には帰省し、家族と一緒に過ごす習慣があります。これは、かつて、正月が、お盆と並ぶ1年に2回の大切な節目として、先祖の御霊を家族でお迎えして祀る仏教行事であったことに由来するものです。しかし、先祖の御霊をお迎えする仏教行事は、やがて、盂蘭盆会として夏のお盆へ徐々に移行し、正月は「年神」を迎え、豊作や家内安全などを祈願する「神祭り」として位置付けられるようになっていったと言われております。  しかしながら、先に述べたように、お正月を晴れやかに祝うことができる方ばかりでないこともまた事実です。浄土宗では、いつでも、どこでも、どなたでも、嬉しい時も辛い時でもできるお勤めに「南無阿弥陀佛」のお念仏がございます。「南無阿弥陀佛」のお念仏には、阿弥陀佛の慈悲にお縋りするという意味があります。無事新年を迎えられたことへの感謝、先立たれた大切な人を想う気持ち、又、受験など大きな正念場に向けての祈願、 それぞれの想いで「南無阿弥陀佛」とお唱えし、今年1年間の大切な第1歩となることを我々は願うところでございます。

■第989話
平成21年という新しい年を迎え、10日余りが経ちました。 さて、今年も多くの新成人が成人式を迎え、社会へ巣立っていきます。大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ますことを趣旨とする国民の祝日「成人の日」。現在は、ハッピーマンデー制度の施行により、1月の第2月曜日がその日とされておりますが、かつては、1月15日がその日に定められておりました。これは、男子が成人したことを示す儀式「元服」が小正月である1月15日に行われていたことに由来するといわれております。 一言に、大人になるということはどういうことなのでしょうか?飲酒や喫煙ができるということ、又、親の同意がなくとも結婚ができるということ、そんないいことばかりではありません。学生の時分は、自覚のない言動に対し、口うるさく言われながらも最終的には許されることもありましたが、大人になったら、自ら放った言動は自ら決着をつけなければならない、即ち、自分自身に責任が求められるということでもあるわけです。ですから、ごく些細なことで人に怒りをぶつけたり、自分にとって嫌いな人に、平気で悪口を言ったり、冷たい態度をとったりすることを「大人気ない」といわれるように、大人の人間関係においては、いただけない行為といえます。 とはいっても、人に感情というものがある限り、憎悪や嫌悪が芽生えることも、また事実です。そんな時は、かつて自分も未熟で至らぬが故に、人の怒りを買ったり、迷惑をかけ、居たたまれぬ気持ちに苛まれ、許しを乞う立場に立った時のことを思い出して下さい。そうすれば、怒りは自然と治まるはずです。法然上人のみ教えに「愚者の自覚」というものがあります。新成人の皆さん、社会に巣立っていくにあたり、心に留めておいて下さい。己の愚かさ弱さを知らずして、人へのいたわりや思いやりの心は生まれないということを。

■第990話
新しい年を迎え、半月以上が経ちました。 さて、我々の日常生活において、しばしば見受けられる「嘘をつく」という行為、皆様はどのように解釈されていらっしゃるでしょうか。「嘘つきは泥棒の始まり」と、よく言われるように、あまり良い行為としてとらえていないのが正直なところではないでしょうか。  これは、ある航空会社の客室乗務員と乗客とのやりとりです。1人の乗客が客室乗務員を呼び止め、「ニューズウィークはあるかね」と尋ねると、客室乗務員は「少々お待ち下さい」と言って、奥へ下がりました。数10秒後、その客室乗務員はその乗客のもとに行き、「申し訳ございません、只今切らせております」と丁重にお答えしました。実を言うと、この航空会社では元々その雑誌の取り扱いはありませんでした。この客室乗務員は乗客に嘘をついたことになりますが、嘘をつかず、事実をありのままに、「申し訳ございません、当社では取り扱っておりません」と答えたら、どうだったでしょう。その乗客は、たとえ相手に悪気がないと分かったとしても、どこかで自分の要求を否定されたという気まずい雰囲気から心にシコリが残ったかもしれません。  嘘をつくということ、それは事実や自分の心の内と異なるものを述べること。人を騙すこと、陥れることに直結することばかりではありません。逆に、事実や心の内を正直にありのままに述べることが、時には、嫌みや皮肉のような仕打ちとなることもあるのです。法然上人のみ教えに「無財の七施」があります。財産がなくてもできる7つの施しのことで、その1つに「心慮施」、これは、相手のために心を配り、思いやりをもって行動する施しです。「嘘つきは泥棒の始まり」でなく「嘘つきは思いやりの始まり」となるよう、皆様も「優しい嘘つき」になって下さい。  
 

 

■第991話
皆さんが大切な人を亡くされた時、どのようにその悲しみを乗り越えられたでしょうか。  かれこれ6年前のことです。ある方のご主人が亡くなられました。すると奥様はたいそう落ち込んで、来る日も来る日も泣き明かしていました。なぜなら、彼女はとてもご主人のことを尊敬しており、常によきパートナーであったからです。なかなかご主人の死というものを受け入れられず、納骨されるまでの間、お寺にお骨をお預かりすることとなりました。  その後、お寺に来る度にそのお骨にすがりながら「なぜ、私を残して先に往ってしまったの!」と声をあげてただ泣くばかりでした。ある時、彼女は悲しい顔をしてお墓の前に佇んで泣いておりました。尋ねてみると「私が辛い様子でここにじっと立っていたらきっと、彼は迎えに来てくれるはず!」と涙をこらえながら答えてくれました。そんな日々が続く中で、お寺として出来ることは、彼女の話を親身になってただただ聞いてあげることでした。どんな説法をしても、その時の彼女はそれを聞き入れるだけの心の余裕がなく、時には何時間にも渡りお話を伺うこともございました。  そんな日々の中で、彼女が話したことは、「よく時間が解決してくれると言われるけれど、私にとってそんな簡単に時間で癒されるものでないわ!」とのことでした。そういっていた彼女であるけれども、薄紙を離すがごとく、徐々に明るい表情に変わっていきました。  そして、ある日のこと「やっとわかったわ!お寺でお話を伺っていたことが。主人は私といつでも一緒にいるのね。それを感じる事が出来たの!」と満面な笑みでお寺に来ました。これはまさにお念仏を唱えてお浄土に往かれたご主人が、奥様を見守っていたからこそ彼女に伝わったのでしょう。そしていつの日か、お浄土で再開することを楽しみに毎日お念仏をお唱えしているそうです。皆さんも日々の生活の中で、お念仏をお唱えしましょう。南無阿弥陀仏 次回は二月一一日にお話が変わります。

■第992話
現在、戦争や事故・自殺など、多くの命が失われております。このようなニュースに接するたび私は心が痛みます。しかし、日々の暮らしの中で人々に接していると、ふとした瞬間に見せるやさしさに心を動かされます。なにげなく落ちているゴミを拾う。電車の中で声をかけ席をゆずる。自ら進んで行動に移すことは難しいことですが、相手を思う気持ちを持つだけでも尊いことだと思います。世界的に目を向ける広い視野と日常生活の中の狭い視野でみる現実。人がいかに脆く、弱い存在であるかを実感するともに、自己中心的に行動することの愚かさを思い知らされます。 ところで、浄土宗をお開きになった法然上人のご詠歌に「池の水 人の心に 似たりけり 濁り澄むこと 定めなければ」という歌がございます。 このご詠歌は、「庭の池の水を眺めていると、時には澄み、時には濁っています。人の心もそれに似ていて、信仰の喜びに包まれているかと思えば、次の瞬間には煩悩がわきおこってきます。何ともこころもとないことでございますが、このような私であればこそ、ただ阿弥陀さまの本願力を頼み、念仏しましょう。」という意味です。 仏教では、人の愚かさや欲望を煩悩と呼んでいます。この煩悩を法然上人は、絶対になくならないとし、このご詠歌では、自らを煩悩にまみれた存在だとしています。こういった煩悩にまみれた存在を凡夫といいます。どんなに優れた存在であろうとこの煩悩にまみれており、間違った道にはずれてしまいます。そこで、法然上人はお念仏という誰にでも簡単に行える教えを我々に示してくださいました。お念仏をお唱えする者は、善人悪人の区別なく皆平等に、阿弥陀さまのお導きによって極楽に往生することができるのです。 争いや憎しみの絶えない現代、私たちはお念仏のみ光によって、心のやすらぎを得ることができると信じております。 次回は2月21日にお話がかわります。

■第993話
むかし、独りの老人が暮らしていました。 朝夕の野良仕事の行き来には、必ずお寺に立ち寄り、お念仏をとなえる毎日でした。 村の若者たちは、そんな老人を日頃から馬鹿にしていました。 ある日、 「なあ、爺さんよ、お前はその齢になって地位も名誉も財産もない。本当につまらない人間だな。爺さんを金の値(あたい)にたとえるなら最低の一文銭(いちもんせん)だ」 と言い、あざ笑いました。 老人は、 「なるほど、わしはー文銭かもしれん。それなら若い衆よ、お前さんたちはどれほどの値なのかな?」 とたずねます。 「俺たちの人生は前途洋々(ぜんとようよう)、金ぴかぴかの最高の小判だ」 という通事に老人は言いました。 「一文銭は、穴が空いているから先がよく見える。小判は、今の自分のまぶしさで先が見えん。転ばぬよう気を付けてくれ」 と言って論したそうです。 この世の輝きではなく、しっかリと往く先を見据えた生き方こそ、浄土宗『法然上人のお念仏のみ教え』にほかなりません。 西方極楽浄土への往生を願い、「南無阿弥陀仏」とお念仏すること。「我が名を呼ぶもの、必ず全ての者を救い取る」とお誓いを立てて、仏となられた阿弥陀様です。だからこそお念仏の生活によって、わたし達は間違いなく救ってもらえるのです。生きる、死ぬという問題で思い煩うことがなく、わたしたちは毎日の生活に全力をつくせるのであります。

■第994話
3月を迎え、徐々に暖かくなっていくのを実感しております。3月と言いますと、季語におきましても、早春の候、春寒の候、軽暖の候、などなどいろいろな言葉が用いられ、冬のわずかな余韻を残しつつも、暖かな春に向かっていく様子が見て取れますね。また啓蟄という言葉からも、冬眠していた虫が起きだす、柔らかな季節の到来を感じさせます。この季節になりますと、学生の皆さんは卒業や入学・進級などがありますし、社会人の方々にとりましても年度末・新年度といった区切りを迎える時期ともなりましょう。中には、引越しして住居の移り変わる方もいらっしゃるかもしれませんね。皆様におかれましては、なにかと忙しく、それでいて新しい生活の始まりに胸踊るような、そんな毎日をお過ごしになるのではと感じております。しかし新しい生活と言うのは、共に不安を抱えてしまうことも多々あるようでございます。希望に胸を膨らませながらも、人間関係や新しい環境での生活など、心配に感じられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。ではその不安を鎮めるためにはどうすればいいのでしょう。
私はやはり、お念仏をお称えすることが一番だと思っております。ご仏壇に向かわずとも、どこでもかまいません。合掌して、“南無阿弥陀仏”とお称えしてみてください。十回・・・二十回・・・心の静まっていくのをお感じになられることと存じます。お念仏は仏事の時だけ、お寺に行った時だけ、仏壇の前だけというものでは、もちろんありません。“南無阿弥陀仏といふは、別したる事には思べからず”と、法然上人がおっしゃっておられます。いついかなる時においても、決して特別なものではなく、皆さんのすぐそばにあるとお感じ下さい。そして、新鮮で前向きな気持ちを持って、また今日からの日々を過ごしていこうではありませんか。

■第995話
大変過ごしやすい陽気になってまいりました。小鳥のさえずる声も楽しそうです。今月の、春分の日の前後三日間、この一週間は、皆さんもよくご存知かとは思いますが、お彼岸でございます。彼岸とは、向こう岸のことで悟りの世界、浄土の世界という意味です。それに対して、「此岸」とは私たちの住んでいる、迷いと煩悩にさいなまれている世界のことですね。この時期は、是非とも今一度、仏教の教えを実践して頂きたいと思います。その彼岸の、第一日目を「彼岸の入り」、真ん中の日を「中日」、終わりの日を「結日」と呼ぶわけでございますが、特に中日は、春分の日で休日でありますから、ご家族の皆さんでお墓参りをするには良い日ではないか、と思うわけでございます。春分の日は、昼夜の長さが同じとされており、「暑さ寒さも彼岸まで」 ということわざ通り、暑くもなく寒くもない良い季節であり、太陽が真西に沈むのも、ちょうどこの頃にあたるわけです。
真西と言いますと、阿弥陀様のいらっしゃる西方極楽浄土の方角でございまして、西方極楽浄土に生まれたご先祖様を想い浮かべ偲ぶには、非常に適した時期ともなっております。毎日の生活の中では、決して楽しく幸せなことばかりが起こるわけではございません。時には、辛く悲しい気持ちになることもあるでしょう。今生きていられるのは、ご先祖様や、先に西方極楽浄土に行かれた方々のお陰様と、感謝の心をもって、お参りに出掛けて頂きたいものです。つまりは、自分が今あることを感謝する大切な行事であるということが言えます。普段から仕事や家事、学業や育児、その他もろもろの理由から、忙しく、なかなかご先祖様に手を合わせられない、そういった方々も沢山いるとは思いますが、是非とも、このお彼岸を一つの機会として、ご先祖様への感謝の気持ちを持って、ご供養して頂けたらと思う次第でございます。

■第996話
前回は、お彼岸のお話を致しましたが、この時期と言うのは、何をするにも良い季節でありまして、春休みということも手伝ってか、私どもの寺のほうにも、若い方々がよくお参りに来る姿が見られます。幼稚園児などの幼いお子さんも同様で、母親と一緒に手を合わせている姿を見ていると、実にほほえましく思い、同時に、ご先祖様も喜んでおられるのでは、と思うわけです。また、ご年配の方も大勢お越しになり、「ご苦労様です」と声をかけますと、微笑みながら帰っていかれます。墓前で何をお話されたのでしょうか。笑顔の中に安堵の色が見えるようでした。皆さん、亡き大切な人のことを想い、ご供養なさっていかれたのでしょう。私たちもいつしか、やがて此の岸を去るときがきます。しかし有難いことに、極楽浄土への道、南無阿弥陀仏の六字のお名号をお称えすることで、お救い頂けることが約束されているわけでございます。
露の身は ここかしこにて 消えぬとも こころはおなじ 花のうてなぞ
元祖法然上人もこのようにおっしゃられております。法然上人が75歳の時にお詠みになったお言葉で、たとえこの世界を離れても、心はまた、阿弥陀様の極楽浄土で再会できるのでございます。どうか皆様も、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、一心にお称えされてはいかがでしょうか。必ずや、心が安らかになっていくことと思います。今日、世の中が大変騒がしく、不景気と言われ、無慈悲な事件などが連日報道されております。気持ちが暗くなってしまいがちな昨今でございますが、こんな時だからこそ、共生の精神、浄土宗のお心を知っていただき、前を向いて共に歩んで行こうではありませんか。

■第997話
今日から四月、日本では、この四月から学校は新学期、成人は入社など、新しい生き甲斐、新しい生活を求めて、人生の一ページがはじまります。入学式、入社式はこれからのあたらしき生活を迎えることで、胸がときめき、反面やっていけるかどうかという心配もおきます。一年のなかで、特別な月でもあります。この独特な四月の環境、雰囲気をときほぐしてくれたり、和らげてくれるものがあります。それは周囲の樹々であり、草花であります。代表的なのが、桜の花、桃の花であり、この花をみていると周囲を明るくして、この人生の門出の心配事を和らげてくれます。「さー、新学期、入社式が始まるぞ」と、勢いつけて、後押しをしてくれます。だからこそ、四月は人と自然の営みが調和した月で、一年のなかでも、好ましき月であり、日本人の心のなかに強烈にはいってくる月なのである。浄土宗でも、春爛漫の桜花の季節、暖かい四月に行事が集中しています。四月七日の法然上人の誕生日の降誕会、四月八日の釈尊のお誕生日の花祭り又の名の灌佛会、又法然上人の亡くなられた御忌、この御忌については法然上人滅後三百年たった大永四年(一五二四)、朝廷より知恩院で毎年勅会として、いとなむようにとの詔勅がありこれ以後、知恩院では法然上人の命日を『御忌』とよばれるようになった。御忌は本来一月二十五日で元祖様の命日であり、浄土宗のお寺では、御忌法要として厳粛におこなわれている、本来の祥月命日法要であるが、この御忌厳修については、明治十年に参拝者の便宜などを考えて寒さ厳しき旧暦一月から陽暦の四月に変更されました。そのため知恩院と増上寺は四月に特別に日数かけておこなわれています。今年度は、法然上人がなくなられてから、七九八年忌にあたります。東京の大本山増上寺では四月二日(木)から七日(火)まで、京都の総本山知恩院では、十八日から二十五日(土)まで、行われています。日時など確かめのうえ皆様も是非ご参拝ください。    

■第998話
今日から法然上人のお誕生についてお話しします。元祖法然上人は今をさかのぼりますことおよそ八八〇年前の昔、長承二年(一一三三)四月七日に、現在の岡山県の美作の国久米南条稲岡の荘にお生まれになりました。お父さんは漆間時国公といい、押領使の役職にありました。現在の警察署長にあたります。お母さんは秦氏といいまして、織物を専門職としていた由緒ある一族であったようです。お二人には長いことお子様が授かりませんでしたので、岩間の観音さまに願をかけ、剃刀を飲む夢をみてご懐妊されたと伝えられています。またお誕生の折りには、紫雲たなびく空から、二つの流れの白い幡が飛んできて庭の椋の木の梢にかかったいう伝説もあり、選ばれた御子の誕生を印象ずけています。法然さまのお誕生は単に、ひとりだけの、ご両親だけのお子さんのお誕生ではありませんでした。                  お父さんが早くなくなったあと、比叡山に登り、様々なご修行の中から専修念仏ただ一行を選びとって自分にふさわしい行とされ、四十三歳の浄土宗お開き以後、八十歳のご往生まで称名念仏一筋に進まれました。法然上人のもう一つの特徴は自分自身を徹底的にみつめられたかたであるということです。お念仏を選択された最大の理由が、阿弥陀佛の平等の慈悲によるお救いの対象の中心が凡夫、いわゆるそれまでの佛教では、およそ無縁とされた人々に置かれたことにあります。貧しくても、寄進などできなくても、日々の生活追われ、一つの戒めすら守られなくても、心から南無阿弥陀仏と、お称えすれば救ってくださる、それが阿弥陀仏の本願であると、お説きになったのであります。当時比叡山において『知恵第一の法然房』といわれましたが、自らは戒めは一つも守れず、こころは常に乱れ、仏の悟りには及びもつかない、凡夫にほかならいと、もうされたのであります。法然上人のお誕生により、八百八十年たった現在、全国七千か寺の称名念仏の浄土宗寺院を誕生させています。  

■第999話
四月八日のお釈迦様のお誕生についてお話します。このお誕生のことを灌佛会ともいいますが、今では桜の季節にもあたり、花祭りの名で一般化しています。 お釈迦様が誕生されたのは今からおよそ二千五百年も前にさかのぼります。インドの北、ネパール国境の近くのカピラバストウという町があり、ここは釈迦族のゆかりの地でありました。父は王でゴータマ、シッタルダ、母はマーヤとよばれていました。お釈迦様はこの釈迦族の国王の太子として、この世に生をうけました。出生の地は、現在はネパール領になっているルンビニーというところです。ルンビニーは今では広大な公園になっており、太子が、かって産湯につかったという井戸や池もあり、世界中の仏教徒がおとずれる聖地の一つになっております。この辺は気候も温暖で、花が咲きほこり、とても美しい所です。 釈迦族の太子が誕生したとき、世界は光輝き、天から甘露の雨がそそぎ、その誕生を祝ったという伝説がありますが、それにならって誕生佛に甘茶をかけてお祝いをするということが今では、各地のお寺でおこなわれています。太子はやがて成長するにおよんで出家し、悟りを開かれて釈迦牟尼佛(釈迦族出身の聖者)として世間の人々から尊ばれるようになります。 お釈迦様を尊崇する後世になるとお釈迦様の誕生を大乗仏教では菩薩の誕生としてうけとめました。菩薩とは、もともと、悟りを開いて仏陀になる前の姿をいうのです。お釈迦様は修行の結果、悟りを開かれて、その瞬間に仏陀になられたかたです。従ってお釈迦様は菩薩としての修行を完成されて仏陀になられたということになります。お釈迦様はその後、五十年近くにわたっておおくの人々を教え導き人々に救済をさしのべたのです。  お釈迦様は王子として生まれたのですが、それよりも一人の人間として生まれたのです。その小さな命が、やがて仏陀として人々の尊敬を集め、人々の救済にあたったという事実であります。お釈迦様にはたくさんのお弟子さんがおりましたが、弟子達はお釈迦様のような仏陀になることをめざして修行にはげんだのです。この点が他の宗教と佛教との大きな違いなのです。

■第1000話
目に青葉の季節になりました。今回は、法話が始まって丁度千話目です。大きな節目に巡りあいました。私は毎日、夕方犬の散歩に出かけます。お寺の裏山を上がって行くと、南に相模湾、北に丹沢山塊、西に富士山や箱根の山々が美しい姿を見せてくれます。行きかう人もなく、全く静寂の中を歩きます。もちろん、春夏秋冬や光の具合で、同じ風景を見ることはありません。また、漆黒の闇を歩く時もあれば、星空やお月様の光に導かれながら歩く時もあります。一日の煩雑さから解放され、気持ちのよいひと時です。自然の中に包まれていると、自分の存在の小さなことに気付き、変なこだわりからもすっと解放され救われる思いがします。
山間の為日の出を見ることはできませんが、夕日が西の箱根連山に沈む時に出会うと何とも美しく、古の人々がそこに極楽浄土を感じたことがよく解かります。そして、お月様の光を受けるとほっと安心します。まさに、浄土宗の宗歌になっています法然上人の月影のお歌「月影のいたらぬ里はなけれども ながむる人のこころにぞすむ」そのものです。考えてみますと、私達はこの世に生を受けて、当たり前のように太陽や水の恵みを受け、天地自然からの頂き物でいのちを育んでいます。しかし、それを心の底から感じ取れなければ感謝とはならず、当たり前となってしまうでしょう。私達は、日々の生活の中で、気付くということが、まず一番大切ではないでしょうか。自分に気付き、他者に気付き、そして私達に与え続けてくれる森羅万象の働きに気付く。その大きな大元の力に気付くということは、阿弥陀様の存在に気付くことにつながるのです。そして、それは、信仰心を育む心の目覚めに辿り着くのではないでしょうか。 
 

 

■第1001話
さて、みなさん、お念佛をどうしてお唱えするのでしょう。私達は、南無阿弥陀佛とお唱えすると、いつかこの地上を去る時に、阿弥陀様がお浄土からお迎えに来て下さり、そして、その極楽浄土で救われ安心して佛になる為の修行ができると教えられ信じています。しかし、今回は角度を変えて、お念佛のもつ違う側面をお話してみましょう。
村上和雄さんという遺伝子学者の方が、面白い本を書いています。「人は何のために祈るのか」という本ですが、その中で、祈る事によって細胞が活性化しよい遺伝子の働きを促す、と言っております。人間の体は60兆の細胞からなっていて、常に生まれては死に日々再生されているそうです。そして、遺伝子の働きによって、細胞があらゆる臓器に変わっていきます。ところが、その遺伝子自体が97・8%位は休眠しているというのです。そこで、村上先生曰く、眠っているよい遺伝子のスイッチをONにするためには、強い願いや祈りが一番有効だとおっしゃるのです。病気になれば良くなりたいという願い、この仕事をどうしても成し遂げたいという思いが、必ずやよい遺伝子を目覚めさせるというのです。昔の人は「一念天に通ず」と申していましたが、体験的に感じ取っていたのでしょう。
さて、究極の心の状態は無心です。そして、無心のお念佛は尊いです。お唱えすることによって、呼吸も整い心も落ち着く効果もあり、爽やかな気持ちになります。それは、たぶん、細胞が活性化しているからなのでしょう。日々の生活の中で、強いストレスを受けやすい時代です。お念佛は場所を選ばず、どこでも、いつでもできる簡単な行です。より深い仏教を学ぶ事も大切ですが、しかし、まずは生活の中で一心に「ナムアミダブツ」とお唱えしてみてはいかがでしょうか。

■第1002話
今回は心の拠り所についてお話したいと思います。私達はこの世に生まれてきて、まず最初に母親を拠り所とします。オッパイを与えられ、また献身的な愛情を受け、何の不安もないまま育っていきます。病気になっても、母親の看病は絶対的な安心です。しかし、成長するに従って、親より友人の方が気持ちを共有出来たり理解し合えたりし、少しずつ親から脱皮していきます。そして、思春期になれば、人生への漠然とした不安が募り、人生とはどういう意味があるのだろうと深い問いかけが始まります。道に迷う人もいれば、一生懸命勉強し、より安定した生活を得ようと努力する人もいます。しかし、私達は、不安の真只中にいます。不況の中、会社は終の棲家ではなくなった。人と人の絆も薄くなり、非常に孤独な時代です。ところが、考えてみますと、法然上人が活躍された時代は、今とは比べものにならないほどの飢餓や戦乱で、今日一日を生きるのが大変だった訳です。その苦境の時代に法然上人の教えは、一筋の光でした。どんな境遇にある人でも平等にすべてを救ってくださるという阿弥陀様の本願を、法然上人はやさしくお示しくださったのです。誉れ高き人格から発信された教えは、苦しむ人々の拠り所となっていったのです。それは、只お念佛を申すことでした。
時代は違いますが、不安が影のように押し寄せてくる今の世の中、やはり、お念佛のように揺らぎのない拠り所が必要です。そのためには、まずは、実践してみることです。只声に出し、ナムアミダブツと名号をお唱えすれば、必ずや心が落ち着き、揺れ動く自分を見つめなおすことができるでしょう。みなさまもどうぞ、共に学び、共に実践してまいりましょう。そして、一つの大きなつながりになることを願っています。

■第1003話
6月になりまして、4月から新しい環境に移られた方も2ケ月が過ぎ少しは気持ちに余裕が出てくる頃ではないでしょうか。私たちはよく「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のことわざではありませんが、どんなに苦しいこと、辛いことでもそれが過ぎ去ってしまうと人は何事もなかったかのように忘れてしまうものであります。辛いことが多い世の中、忘れることができるからこそ、人は生きていけるということがありますので、それ自体が悪いことではありませんが、忘れてはならない事の戒めで「初心忘るべからず」という言葉があります。この言葉は室町時代の能役者である世阿弥の言葉で能を極める教えであります。世阿弥はその中で3つの初心をあげています。
1つめが是非の初心忘るべからず
2つめが時々の初心忘るべからず
3つめが老後の初心忘るべからず   というものです。
最初の是非の初心とは若い時は未熟で失敗も多いが上手くいかなくても、それぞれの時の精一杯の気持ちを忘れないようにということです。次の時々の初心とは中年〜老年になるまでにその時、その時の上達段階において、初心を忘れずにと教えています。そして最後の老後の初心とは年老いても老人には老人にふさわしい能が舞えるようにということです。世阿弥の言う初心忘るべからずとは決して物事の始める時の気持ち、事だけでなく毎日、毎日その時の初心を大切にすることを教えているのです。今世間で起こっている食の偽装事件、企業の不祥事など最初からそのような思いがあったわけではないでしょう。そこには立派な夢、志があって始められたのではないでしょうか。それが年月とともにその目標を失い、いつしか後戻りできないところまで行ってしまったのです。現在の自分を知るためにも、出発点である初心を思い出し今の自分は間違っていないか、常に再確認する必要があるのではないでしょうか。

■第1004話
昨年のガソリン価格の高騰に急激な下落、100年に1度と言われる世界同時不況により急激に企業の業績が悪化しております。半年でさえも先を読むことは難しくなっております。数年前までその変化の速さを例えて、ドックイヤーと言っておりました。人間の寿命を基準に換算すると人間が1歳年をとるのに対し犬は7歳になるということですが、最近では1年で14歳になるねずみにたとえ、マウスイヤーとも言われております。そのような急激な流れの中で忙しく、不安な毎日を送られている方も多いのではないでしょうか。このような先の見えない状況をいかに歩めばよいか、ここに信仰の意義があると思うのです。信仰するものをもつことにより心の拠り所が生まれ、喧噪のなかにあっても安らぎの場を得ることが出来るのです。信仰の形は宗派によって様々ですが、法然上人がお開きになられた、浄土宗では難しい教えを問うこともなく、また、苦行を課すわけでもなく、ただ一心に南無阿弥陀仏と声に出してお唱えすればよいのです。
南無とは帰依するという意味の梵語をそのまま漢字にあてはめたもので、阿弥陀様に全ておまかせいたしますということです。それを声に出して何回も唱えるということは阿弥陀様に繰り返しお願いし、お誓いして行くと同時に自分自身にも繰り返し言い聞かせているのです。普段はお念仏をお唱えることがない人にとって南無阿弥陀仏という6文字でさえも声にだしてお唱えすることは難しいのかもしれません。そのような方々も育ててくださったご両親、ご先祖様、またお世話になった方々に感謝する時があるでしょう。できれば一日の始まりである朝に手を合わせ、今までの感謝、そして一日の安全を願い合わせて南無阿弥陀仏とお唱えいただきたいのです。時間は許す限りでかまいません。それを習慣にしていただくことで阿弥陀様に守られている安らぎ感じ、一日一日が明るく穏やかな気持ちで過ごせるのであります。

■第1005話
最近は片付けられない症候群など自分の家の中を片付けることができない人が多いということを耳にしますが、以前読んだ本にトイレ掃除をすることが5つの心を育む上で最も確実で一番の近道であると書かれておりましたので、紹介したいと思います。
その5つの心とは ・・・ 1つ目が 謙虚な心 2つ目が 気づく心 3つ目が 感動の心 4つ目が 感謝の心 5つ目が 心を磨く ・・・ ということです。
トイレ掃除をすることでこれらの5つの心を育むことが出来るというのです。心を取り出して磨くわけにはいかないので目の前のものをきれいにする。人の嫌がるトイレを奇麗にすると、心も美しくなる。人はいつも見ているものに心も似てくるといいうことであります。私にとってこれら、5つの心というのはどれも成長する過程で親や先生から何度となく言われてきたことでありますが、実際に身につけることは大変難しいものであります。しかしトイレ掃除をするだけで5つの心を育むことができるのです。
仏道に励む小僧の世界でも日頃の修行として、一、掃除 二、勤行 三、学門と言われております。仏の道を志す者ならば、お経を唱えたり、教えを学んだりすりことの方が重要に思われますが、実は、毎日の掃除というものが最も大切なこととして位置づけられているのです。自分の部屋、身の回りの掃除は殆どの人が進んで行うことができるのではないでしょうか。しかしその一方でトイレに限らず、公共の場所などにゴミが落ちていても拾う人が少ないのもまた事実であります。子供は親や大人の行動をみて学びます。これからの子供たち、孫たちに綺麗な心になってもらうためにも日々私達大人が実践していきたいものでございます。

■第1006話
明るい生の誕生・私たち人間は、樹木の股から生まれてきたのではなく父と母の欲望だけでもなく、父と母の愛情で生まれてきた偶然の縁であります。皆さんもごぞんじのように私達日本人は、御先祖様を大切にお祭りいたします。それは両親を大切にすることと同じ行為であるようにもっと言えば両親の愛情に感謝の意図を込めのるのと一緒でございます。だから御先祖を大切にする行為は、両親を大切にする行為となんら変わりは、ございません。身近に居る両親に感謝出来ない人間は、自分を偶然生まれて来た事も大切にせず素敵な幸せを判ろうとしない子供のような未熟な分別つかない物である。人は皆、健康で五体満足だけでなく心も成長させなければいつまでたっても同じ事のくりかえしである。せっかくこの世に生まれてきたなら御先祖様の存在が自分の心の余裕、気持ちのあんじんであり守ってもらえるものでもあります。自分が生まれてきたのは御先祖様がいたからこそ、だから御先祖様を大切に思いお祭りするのです。何度も言うとうり御先祖様がいなくては私達の存在も無く、まったくもって自分の存在価値も無くなってしまいます、そんなことはございません。この世に生を受けた事自体が偶然の縁だけでなく与えられた使命と思いこの生を意味の在る物に替えて下さいこの世の中に無駄はございません私達が御先祖様に捨てられる事もございませんそれは親子が親子でなくなることが無い用に人間が人間でなく動物(畜生)でない用に自己で考える能力を兼ね備える動物には無いのが人間なのである、だからこの能力を使っていつまでも明るい生の誕生を考え生き抜いていただきたいと思います。

■第1007話
礼じゅ法に載ってる下炬(あこ)についてお話させていただきます究竟大乗浄土門諸行往生称名勝我閣萬行選佛名往生浄土見尊體このゲモンの意味は究竟の大乗は浄土門なり、諸行は往生すれども称名勝れたり。我れ萬行を閣きて佛名を選ぶ、浄土に往生して尊體を見たてまつる。夫れ以れば九品をやどせんには称名を以てさきとなし、八池を棲とせんには数遍を以て基となす。念佛とは昔法蔵菩薩大悲誓願の筏今弥陀覚王廣度衆生の船なり。是れ則ち菩薩利益衆生の約束是れ則ち如来平等利生の誠言なり。茲に新華台諦聴諦聴善思念之。阿弥陀佛はるかなる迷到の衆生をアワレミたまい、四十八の誓願を起し、その第十八願に曰く「説我得佛十方衆生至心信ギョウ欲生我国乃至十念若不生者不取正覚」と本誓の重願虚しからず。衆生ショウネンすれば必ず往生を得と。往詣樂邦の門出に一句を餞別せん。月影の至らぬ里は無けれどもながむる人の心にぞうすむ。この文面から解かるように死者が迷わないように往生浄土に向かう方法が述べられていますそして死者に生きてる側の人が忘れることの無い思いを歌でも表現して文面をしめくくっております私達浄土宗の教えは弥陀のみょうごうを多く唱え、いたらない自分を仏の世界、仏界に連れて行ってもらうことです。

■第1008話
お念仏の境地です元祖法然上人後御ユイクン一枚起請文曰くもろこし我朝にもろもろの知者達の沙汰し申さるる観念の念にもあらず。又学問をして念の心をさとりて申す念佛にもあらず。ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀佛と申してうたがいなく、往生するぞと思いとりて申すほかには、別の子細そうらはず。但し三心四修と申すことの候は、皆決定して、南無阿弥陀佛にて往生するぞと、思ふうちにこもり候なり。此外に奥深きことを在ぜば、二尊のあはれみにはずれ、本願にもれ候べし。念佛を信ぜん人はたとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無知のともながらに同じうして、知者のふるまいをせずしてただ一向に念佛すべし。ショウのために両手印をもってす。浄土宗の安心起行此一紙に至極せり。源空が所存此外に全く別儀を在せず。滅後の邪義を防がんがために所存を記しおわんぬ。でございます。此一枚起請文の中で得に注目する部分がございますそれは知者のふるまいをせずしてただ一向に念佛すべしです。なにはとあれ我々人間は所詮知者と言っても全知全能の阿弥陀様の前ではどんぐりの背比べとなんら変わりはございません、ただそれでも一生懸命誠実に御念佛を気持ちお込めてお唱えすれば阿弥陀様は私達のきもちをくんでくださり仏界にお連れしていただきます。念仏をお唱えすることは阿弥陀様の名号をおとなえするだけでなくすべてを救ってくださることでもあります。

■第1009話
8月のお盆を真近かに控え、あらためて手を合わせること、<合掌>についてお話しいたします。
「合掌の心と形」 私たちは、食事のたびに手を合わせます。食べものをつくってくれた人への感謝の気持ちをこめて、天地の恵みへの感謝の気持ちをこめて手を合わせます。私たちは、毎朝、お仏壇やお寺のみ仏さまの前で手を合わせます。今日一日の無事を祈り、ご先祖やこの世のもろびと諸人のしあわせ幸福を祈って手を合わせます。手を合わせることを合掌といいます。合掌の<形>は単なる形式ではありません。感謝や祈りという敬けんな<心>を<形>に表わしたものが合掌です。私たちが真心をこめ、清々しい姿で合掌する時、<心>と<形>は一つになります。しかし私たち人間の心は、常に純粋でいられる訳ではありません。そう強いものでもありません。私たちの心は、美しくもなれば、醜くもなります。移ろいやすくもあります。敬けんな心を忘れることだってあります。そんな時、合掌の<形>は単なる形式になります。実は、ここが大切なところです。たとえ単なる形式になることがあっても、その<形>を大事に持続させることです。大事に持続させていれば、必ず<形>が敬けんな<心>を呼びさましてくれます。<形>が<心>をいざ誘なってくれるのです。
お念仏を称えるということも同じことです。み仏を想う<心>が、お念仏という<形><声>に表われます。お念仏という<形><声>が、み仏を想う<心>を誘なってくれるのです。さあ、ご一緒に手を合わせ、清々しい合掌の姿で、お念仏を称えてみませんか。み仏よ、そのかぎりなき知恵と慈悲のみ光をもて我等を導きたまわんことを…。

■第1010話
お盆の季節を迎えました。今日は「故郷」という言葉を介して、「極楽世界」についてお話したいと思います。
『浦島太郎』の物語を思い起こしてください。たすけた亀に連れられて龍宮城に行き、乙姫さまから大変なもてなしを受ける。ご馳走の数々、鯛や平目の舞い踊りに時のたつのも忘れてしまう。ふと我にかえり、お土産に玉手箱をもらい、もとの浜辺に戻ってみると、道行く人々は見覚えのない人ばかり。あたりの様子も、すっかり変わっている。聞けば、百年も時は過ぎ去っている。思わず玉手箱を開けると、中から煙が立ちのぼり、浦島太郎は見る見るうちに皺がより、白髪の翁になってしまった……というお話である。
私たちの人生も、忙しく日々を過ごしているちに、気がつけば、いつしか老境に近づいている。そして誰もが過去を振り返り、故郷や幼い頃のことを無性に懐かしく思うようになる。でも浦島太郎の物語のように、生まれ育った故郷を実際に訪ねてみても、人も、家も、町のたたずまいもおおむ概ね変わってしまっている。そうです。昔のままの故郷など、あるはずがないのです。私たちにとって、真の故郷とは、過去ではなく未来に求めるべきものなのです。2500年昔、お釈迦さまは、遥か西の彼方に阿弥陀如来まします極楽世界があることをさとられました。極楽は、美しい花が咲き乱れ、鳥が歌い、風が心地よく吹きわたっている素晴らしい世界で、阿弥陀如来の救いを信じて心からお念仏をお称えすると、誰もがこの尊い安らぎの世界に迎えていただけるのです。しかも、今は亡き父や母や友や、先立った人々が共に再会することができる、と経典に説かれています。真の故郷。愛する人、お世話になった人、懐かしい人々と共にやすらげる世界。極楽浄土という遥か西の彼方に、いつの日か私たちも迎えていただきたいものです。 
 

 

■第1011話
あなたは今、どんな日々をお過ごしですか。楽しみ、悩みをお持ちですか。今日は私の問いかけに耳を傾けてみて下さい。
あなたは、どんな幼年期を過ごしましたか。あたたかく抱かれましたか。よく遊びましたか。虫や魚や動物とたわむ戯れましたか。色々な絵本や物語に出会いましたか。いくつ夢を見ましたか。あなたは、どんな青年期を過ごしましたか。よく学びましたか。よい友だちや先生に出会いましたか。恋をしましたか。よい旅をしましたか。あなたは、どんな壮年期を過ごしましたか。よい仕事ができましたか。家族を愛しましたか。親戚や知人を大切にしましたか。平凡な日々を愛せましたか。あなたは、どんな老年期を過ごしましたか。ゆとりのとき時間がもてましたか。次代の人たちに経験を伝えることができましたか。草木や山の声が聞こえるようになりましたか。あなたはあなたの人生を歩んできました。これからも歩もうとしています。人生には、喜びもあれば、悲しみ、悩み、苦しみもあります。境遇に恵まれた人もいれば、境遇に恵まれなかった人もいます。自分のしたことに満足している人もいれば、自分のしたことに悔い詫びている人もいます。しかし、どのような人生でも、あなたにとって、かけがいのない人生です。仏さまは、あなたを、そしてあなた以外のどなたをも、別け隔てなく見まもって下さっています。
経典には、「仏さまの救いの光は、十方の世界を照らして、仏さまどうぞよろしくと心からお念仏を称える人々を、必ずお救い下さいます」と説かれています。そして「仏さまの光に出会えた人は、心の塵は消え、身も心もしなやかになり、喜びや勇気が湧き出し、清らかな心にさせていただける」とも説かれています。さあ、ご一緒にお念仏を称えてみませんか。

■第1012話
まだまだ暑い日が続いておりますが、本日はお数珠の話をいたします。最近、腕に腕輪数珠をつけられている方をよく見かけます。お数珠の起源は釈尊より前の時代で、そろばんを釈尊が数珠として用い始めたという説もあり、礼拝する際にお経を唱えた数を数えるためにも数珠は、使用されます。数珠は仏教徒の証であり、法事など仏様と向き合う時には必ず手にするものです。本来は、老若男女の別はないものとされます。お経には釈尊が災いを防ぐために、もっかんの実を使い数珠を作ったとされます。昨今では、もっかんに限らず、黒檀・ひすい・水晶など様々な物が使われています。宗派によってお数珠の名称、かけかたなど違いがあります。
お数珠の輪の中で、大きな親珠は阿弥陀如来、あるいは釈迦如来をあらわします。たくさんある小さな主珠は菩薩の修行を象徴して、修行をへて108の煩悩を断つとされます。お数珠は多くの珠をひもで結んで輪にしたもので、珠の数は108個のものが正式とされています。54の数の数珠もあります。54の場合は、菩薩の五十四位を示します。108の由来は108の煩悩を滅するためと言われます。お数珠の功徳は福を招き、災いを取り除き、身を守り、安らぎや平穏を得られるものとされています。お数珠を結ぶ紐を、中通し紐と言い、この紐は、菩薩の修行者を象徴します。浄土宗では、檀信徒の方々が使う数珠の主な数珠は、日課数珠という二連の輪でできた数珠であります。手を合わせ、合わせた両手の親指に数珠をかけお念仏を唱えます。今日でもたくさんの場所で、百万遍数珠を用いたお念仏信仰が続くのも、こういった理由によるものだと思います。

■第1013話
まもなく秋のお彼岸がまいります。お彼岸といえば皆様、お墓参りに行かれると思いますが、お墓参りには必ずお線香を持参されます。本日はお香について簡単にお話しいたします。お香は、古く日本書紀によると淡路島にお香がたどり着いたことが、日本におけるお香の文化の始まりとされます。当時、香木は単なる流木として焚き木にしたそうです。ところが、驚く程いい香りがしたため、島の人々は、朝廷に奉納したそうです。香木は聖徳太子のもとに届き、太子は木を彫って観音像を作り、余った香木を仏前でたいたという伝説があります。その様な伝説もあり、仏教では仏様に香りを捧げることを重要なこととして考えてきました。ある経典には、香を聞くを以って佛食と為すとあり、仏様に香を捧げる行いをひとつの供養といいます。お香は、華やろうそくとともに仏前供養の基本であります。お香は、仏様や亡くなられた大事な方々の食べ物であると古くから考えられてきました。また、お香は私達にとっても心身を清め、空気を清めてくれます。
香の十徳という言葉がありますが、一休禅師(ぜんじ)によって日本に紹介されたと言われます。お香をたくことによって得られる10の功徳のことです。一定の決まりや作法に基づいてお香を聞く、香道があります。香道は、室町時代に成立したものです。お香を聞くとは、お香をたくことですが、身近だとやはり、仏壇です。仏壇でお線香をたく時に浄土宗では、1本を立ててたくこととされています。3本をたく時は仏法僧に帰依する意味とされます。お香は、仏様の食べ物、そして私達の気持ちを静め、心を清めてくれるありがたいものです。

■第1014話
昨日から秋のお彼岸になりました。暑さもあともう少しです。皆様も多分お墓参りに行かれることと思いますが、お墓参りを一つとってみても、元気にお墓参りに行ける方、体調を崩して行きたくても行けない方も、おられることと思います。誰もが、元気に行かれたら、なによりです。先日、ご主人を亡くされた方からお手紙を頂きました。
その手紙には、亡くなられたご主人に対する感謝の気持ちでいっぱいであり、なかなか立ち直れない自分の心境がつづってありました。手紙にはお墓参りをすることが、今の自分の日課になっていることや、自分の体が動ける間は、この先もお墓参りを続けていく気持ちが、書かれていました。お話を聞くことぐらいしか出来ませんが、心配するとともに。心中の苦しさを心からお察しするばかりです。その方の日課になっているお墓参りですが、いつもきれいなお花、お線香、水を持っておみえになります。長い時には、1時間近く、墓前で話していられる姿を目にします。人それぞれの思いや気持ちがあり、お墓参りにみえられると思います。その向き合う姿は一人一人違いがあります。しかし、違いはあってもお墓参りをするその気持ちが大事なことであると思います。冒頭に申し上げた様に、お墓参りに行きたくても行けない事情がある方もいらっしゃることを思えば、行けること自体が仏様、ご先祖に感謝をして、仏様、亡くなられた方と、手を合わせる気持ちで秋のお彼岸、お墓参りに行かれていただきたく思います。お墓に向かうその姿勢に亡き人も喜んでおられると存じます。

■第1015話
今回は縁のお話をしようと思います。私たちはさまざまな関係によって支えられています。目に見える直接的な関係から目に見えない間接的な関係までさまざまです。因縁といいますが、間接的な関係のことを縁といいます。ここで、私たちが今なぜ社会の中で生活することができるのかということを考えてみます。私たち人間はあらゆる動物の中でもっとも無力な状態で生まれてくるといわれています。生まれた子どもは少なくとも数カ月の間、家族や周りの人の助けを得ることなしに生きていくことができません。加えて無力な私たちが今のように社会で生活できるのは、長い期間、家族や学校などで言葉や社会の仕組みを学ぶことができたからです。私たちを支えている家族や学校なども、それを支える様々な人によって成り立っています。これほど多くの縁によって私たちは支えられているのです。このように人と人との縁は私たちが生きていく上でなくてはならない非常に大切なものです。しかし考えてみると、何十億と生きる人間の中で親子の繋がり、夫婦の繋がり、友人の繋がりがあることは本当に稀有なことではないでしょうか。さらにそもそも自分がこの世に生を受けること自体困難なことです。ここには私たちの想定を超えた大きな力が働いているように感じられます。この大きな力を浄土宗では阿弥陀様と受け止めます。ここに阿弥陀様と私たちの関係、つまりもう一つの縁があるのです。私たちは人間の計らいを超えた阿弥陀様との縁によって、多くの人が生きるこの世界で家族や友人との関係を築きながら生き生かされているのです。このことに感謝申し上げ、お念仏をお称えし、日々の生活を送りたいものです。

■第1016話
今回は煩悩についてお話します。私たちは色々と悪いことを考えたり、しりするものではないでしょうか。どのような人でも自分のことを反省してみると、人間の悪い部分を感じずにはいられません。この悪い部分を仏教では三毒といい三つの大きな煩悩として捉えています。三つの大きな煩悩はそれぞれ貪・瞋・痴といいます。一つ目の貪はむさぼりの心です。人間は自分の利益になるものがあるとそれに食いつき、これで十分だとなかなかならないものです。二つ目の瞋は怒りの心です。人間は嫌なことがあるとすぐに怒ったりするものです。三つ目の痴は愚かさです。人間は迷いを捨てられずしてしまったことを後で悔やんだりするものです。こうした三毒といわれる大きな煩悩は簡単に捨て去ることなどできないのです。それで、自分のような浅ましい人間はとても救われることなどないと疑ってしまうことにもなりかねません。しかし、浄土宗の宗祖法然上人は「罪人なりとても疑ふべからず、罪根ふかきをもきらわずとの給り」とおっしゃっています。このお言葉は、罪人だからといって阿弥陀様の救いを疑ってはいけない、どれほど愚かで怒りっぽい、また欲の強い人でも、阿弥陀様はいやだとおっしゃっていないということです。もし煩悩の捨てきれない人は救われないというのであれば、ほとんどの人が救われないで迷ってしまうことになります。阿弥陀様によってどのような人間も救っていただけるということは本当にありがたいことです。私は自分のことを少しふり返ってみてもこのように思います。このご慈悲をありがたく受け取りお念仏することが大切ではないでしょうか。

■第1017話
今回は私たちが避けることのできない病気ということについてお話したいと思います。私たちの体の不調は多くの原因によって生じます。時には重い病気になり、激しい苦痛にみまわれることもあります。病気と一口にいってもその内容が様々なのは言うまでもありませんが、私たちに生じる病気のあり方は大きく変わってきています。医学の進歩や生活水準の向上などによって、感染症などの急性の病気は減りましたが、その代わりに生活習慣病などの慢性の病気が増えてきました。慢性の病気ですから簡単に治るということはないのです。こうした中では病気は治すものだという考えではもはや立ち行きません。病気といかに付き合っていくかということが重要になってきているのです。しかし、病気と闘いながら生きていくことは非常に辛いことです。このようなとき、何とかその苦しみから逃れたいと願い、神仏に祈りたくなると思います。では、浄土宗の宗祖法然上人はどのようにお考えになられたのでしょうか。上人は、「過去や現在の様々な行いの積み重ねで生じる病気は、たとえ神仏に祈っても避けることはできない。祈ることで病気が無くなるか、寿命が延びるのであれば、病人や亡くなる人はいないはずである」とおっしゃっています。このように、法然上人は阿弥陀様を頼りとして、命の働きに従うことをすすめられました。病気は命の法則にもとづいて対応するのが良いというお考えであったのでしょう。法然上人のこのお考えは、生活習慣病などの慢性的な病気が問題となっている今の状況にこそ心すべきことなのではないかと私は考えています。

■第1018話
百楽天という方と道林和尚との有名なお話です。百楽天は仏教の真髄を知ろうと道林和尚に訊ねました。和尚はこう答えます。「悪いことをするな、良いことをしろ。」と、百楽天は笑って言います。「そんなことは3歳の子供でも知っている。」和尚は言います。「3歳の子供でも知っているかもしれないが、80を過ぎたものでも出来ているものはいない。」 このお話はよく「わかること」と「出来るということ」の大きな違いを説く例えとしていわれるものですが、この「悪いことをするな、良いことをしろ。」というのは正に仏の教えであります。私たちはこれを知っているのですから、実践しなければなりません。どうすれば良いのでしょうか? まず、悪いことというのはどういうことでしょうか?殺生(生き物を殺したり)、盗みをはたらいたり、嘘をついたり、妬んだり、威張ったり、怒ったり、それこそ3歳の子供でも知っていることなど、色々思い浮かべることができます。
良いこととはなんでしょうか? 先ほど挙げた悪いことをしないのが良いことでしょうし、親切をしたり、笑顔でいたり、施しをしたりとこれもまた色々とあるでしょう。やはり、私たちはなかなか継続してできてはいません。そして、この人の世というところは往々にして悪い行いが良いとされてしまったり,良い行いが悪くなってしまったりとなかなかうまくいきません。私たちは悪いことをしないというだけのことを出来ないばかりか,善悪の判断もおぼつかないという全くもって至らない人であります。聖者ではありませんし、なれません。ただ、こんな愚かな私たちでさえ行うことの出来る簡単で確実に良い行いを法然上人は教えてくださっております。それは「南無阿弥陀仏」とお称えするお念仏であります。これならば3歳の子供でも、80歳の老人でも出来るのではないでしょうか。私たちは悪いと思うことをなるべくせずに、良いと思うことを出来るだけするという心づもりで、ただ確実に良い行いであるお念仏に励んでいけば良いのであります。

■第1019話
皆さん、法律は守っておいででしょうか?私たちの住んでいるところには社会秩序維持の為の規範として、法律というものがあります。生活していればなんらかの法律のかなで過ごしています。この法律、皆さんは順守しているという意識がないにしても、破ってはいないという方が多いのではないかと思います。もし破ればそれは罪となりますから、今までに罪を問われたことのない方は法律を順守していると言えばそれは法律上問題ないでしょう。この法律の「法」という字には、実は仏の教えという意味があります。こちらの仏の教えの「法」は守っておいででしょうか?先ほどの「法律」には「内心の自由」というものが約束されております。心で思うことは自由であり、いくら規範に違反していても内心に留めて行動にうつさなければ,罪に問われることはありません。しかし、仏の「法」は違います。
仏の教えに反することを心に思うだけで罪となるのです。これはたいへん厳しいもので、これを守ることは非常に難しいです。聖者と呼ばれる方でなければ出来ないでしょう。私たちはただの人です。なかなか仏の教えをすべて守ることは出来ません。となると私たちは成仏することなく、永遠に罪を重ねていくことになってしまいます。迷いの世界をくり返していくことを罪深い私たちは自分の力ではどうすることも出来ないのです。しかし、私たちはあきらめる必要はありません。仏の教えの「法」のなかにもまた救いがあるのです。それは、お念仏であります。仏は私たちが罪を重ねてしまうことも見越して、阿弥陀仏の名前を称えるだけで救ってくださるとお約束しておられます。社会の一員として「法律」を守っていたとしても、罪を重ねてしまっている私たちは阿弥陀様の「法」を守って日々の反省をしながらも,救ってくださる阿弥陀様に感謝の心でお念仏をすれば良いのであります。

■第1020話
感謝という気持ちは、日々の生活であるかないかによって幸せか不幸せかを左右してしまいます。皆さんは感謝の心で日々を過ごされているでしょうか? しかし、感謝というと私たちは、何かの恩を受けたから感謝する、何かを頂いたから感謝するといったように考えていないでしょうか?確かにそうなのですが、そうだとすると恩を受けないから感謝しない、何かモノを受け取らないから感謝しなくてもいい、といったような考えになってしまわないでしょうか?すると、何もない日は感謝しない日になってしまいます。また、与えられた恩恵に対価を払えばそれでチャラ、それ以上の気持ちは排除したほうが楽といった無機質な考えに陥ってはいないでしょうか?
おかげさまという言葉があります。皆さんもご挨拶に使うこともあるかと思います。このおかげさまのおかげというのは人の力添えという意味と神仏の加護という意味もございます。私たちはもちろん人の力添えなしでは生きて行けない存在でありますが、仏様のお力なしでは迷いの世界を輪廻するだけであります。こうして人間として生を受け、仏様の教えに遇うことが出来たことは有難いことで、おかげさまと感謝するばかりであります。感謝の日々を過ごすことができるのであります。今月23日は勤労感謝の日でございます。勤労感謝の日は、勤労を尊び、生産を祝い,国民が互いに感謝しあうとする日ということであります。私たちの身の回りを見渡してみても、誰かの尊い労働によって生産されたものばかりです。おかげさまの世界に住まわせていただいております。こんなにぜいたくなこともありません。しかし、日々の生活のなかでのありふれ過ぎたぜいたくによって逆に気づきにくくなっているかもしれません。是非、この吉日におかげさまの気持ちで、あらゆるものに感謝し、仏様、阿弥陀様に感謝のお念仏をされてはいかがでしょうか 。  
 

 

■第1021話
今回は「人間の誕生と価値」について考えてみたいと思います。季節の移りは早いもので、もう、12月となりました。空気が澄んで、夜空の星の輝きがきれいな候です。東の空にはオリオン座も美しく輝いています。冷気が身にしみますが天体観測には大変良い時期ですね。夜空に光る星は数限りなくありますが、我々、人間が住む星は、広大な宇宙の銀河の中の太陽系に属する惑星の一つ地球ですね。
さて、この地球には、我々人間と同じように命を持つ生物がどの位いるでしょうか。目に見えない小さな微生物から大きな哺乳類まで数えきれない種類の生き物がいますね。我々は、その中で人間という生き物として生まれてきました。大宇宙の無数の星の中のたった一つの地球に、数えきれない種類の生物の中に、あなたが人間として誕生できる確率はどの位あるのでしょうか。想像もつきません。あなたが人間である事は素晴らしい事ですね。 
仏教では「六道輪廻」といって、人は六つの世界を巡り生まれるという考え方があります。地獄や餓鬼、畜生の世界でなく人間界に生まれた事を感謝しなければいけませんね。地球には約70億人の人間が住んでいます。しかし、同じ人間はいません。似ている人はいても同じ人は過去にもいないし、未来にも生まれないでしょう。広大な宇宙の中で、広い地球上で、あなたは唯一の存在です。だから、あなたの命は、何よりも価値が高く貴重なものです。浄土宗開祖の法然上人は「命の大切さを自覚し、一生懸命に生きる努力をする人は、必ず阿弥陀如来が助けてくださるから阿弥陀如来の救いを信じなさい。」とおっしゃっています。「南無阿弥陀仏と念仏を唱えなさい。」とおっしゃっています。ぜひ、阿弥陀如来への信仰の心をお持ち下さい。

■第1022話
12月も中旬になり、せわしなくなってきましたが相変わらず殺伐とした事件が発生しています。前回、あなたが人間として生まれたことの幸せと自分の命の尊さについて話しました。あなたは世界で唯一の存在で、価値ある者です。当然、あなた以外の他の人全てが貴重な命を持っていますね。全ての人間の価値はあなたと同じですね。だから、人を傷つけたり、人に迷惑をかけたりできませんね。次に、人間同士のかかわり合いについて考えてみましょう。自分を育ててくれた両親やご先祖とのつながり、地域の人とのかかわり、社会を構成する人々とのかかわりなど、人間はたくさんの人達とのかかわり合いの中で生きています。それでは、会った事も無い人や遠い外国の人、自分とは関係無いと思っている人とはかかわりは無いでしょうか。今、あなたが使っている品物は誰が作ったものでしょうか。食べている物の材料は輸入された物かもしれませんね。全ての品物は必ず誰かの手がかかわっています。目に見えるつながり目に見えないつながりがあり、かかわり合い無しには生きていけません。
このかかわり合いは、人間同士だけでなく人間と他の生物、人間と自然界との間にもあります。理科で学習した食物連鎖のかかわり合いと同じように、自然界の全ての物や事象は、一つの輪のようにかかわり合いながらつながっています。10月の法話にもありましたように仏教では、かかわり、関係を「縁」といっています。浄土宗開祖の法然上人は「縁をしっかりと認識して相手を尊重して、互いに認め合い、感謝し合いながら生きていきなさい。」とおっしゃっています。「人々を救って下さる阿弥陀如来と仏縁を結び、南無阿弥陀仏と念仏を唱えなさい。」とおっしゃっています。

■第1023話
いよいよ12月も押し詰まり、大晦日には鎌倉の岩戸に除夜の鐘の音が響く事でしょう。さて、皆さん、最近何か悩み事はありませんか。私は、今、この原稿を書く事に大変悩んでいます。人間いつまでたっても悩みは尽きませんね。最近よく聞くのは、主婦の方が育児、子育て、教育の問題で悩んでいるとか、若い方が受験や就職、恋愛で悩んでいるとかの話です。仕事上の悩みでも、近所付き合いの悩みでも相手の人間がいて、その人とのかかわり合いの中でトラブルが生じた場合が多いですね。そして、問題がなかなか解決しない、色々試しても思うような良い結果にならない、どうしたら良いかわからないという状況が続き、悩みとなる訳ですね。それでは、相手がいるのならば、自分の利害を全て捨てて、相手の人間が良くなるように喜ぶように考えたらどうでしょう。前回お話したように、人間は1人1人価値があるのですから、相手を大事に大事にして、自分が生きているのは相手のお陰だと思って、相手と接してごらんなさい。きっと、悩みは解決することでしょう。太り過ぎの悩みだとか勉強の悩みなど個人的なものは自分で解決できるでしょう。相談所や親しい人に相談するのも良い方法です。
生きている限り、悩みはついてまわりますが困難を乗り越える努力を重ね、自分を反省し、角度を変えてものを見る事も必要です。悩みには、不安をよび心配をよびます。その時、自分には信頼できる良き相談者が必ずいると思えば、とても安心できますね。自分のすぐそばに悩みを救って下さる方がいるとわかれば不安は無くなります。その方が仏様です。法然上人は、阿弥陀様の救いを信じて念仏をたくさん唱えなさいとおっしゃいました。悩みは、自分の努力と仏の救いを信じる心でより早く解決する事ができるでしょう。

■第1024話
法然上人は、ナムアミダ仏、すなわち、阿弥陀さま何卒よろしくお願いいたしますという単純明快な教えを我々凡人に示して下さったお方ですから、法然上人をお念仏の元祖さまと申し上げます。我々お互い、幼少の頃には何があってもすぐにお父さんお母さんと父母の名を呼んだように、ナムアミダ仏といつもアミダ仏のお名前を呼んで下さい。アミダさまはその声に応じて、どんな愚かなものでも、どんな罪を犯してしまった者でも、丸ごと支えて下さり、救いとって下さるのです。いつでもどこでも誰でも、アミダさまのお力によって救われるのですよ、とこの世で初めて力強く教えて下さったのが法然さまですから、法然さまをお念仏の元祖さまとお呼びするのです。声が出せない状態ならば心の中でナムアミダ仏と念じて下さい。法然さまが示して下さったナムアミダ仏のみ教えの特色は、いつでも誰にもできるこの易しさにあるのです。善いことをしなくてはいけないということは三歳の童子でも判っています。しかし判っていながらなかなかできないのが我々の常なのです。まして体にハンディーが生じた時や寝たきりの病気になった時などは、何もできない状態になります。そのような状態でなくても、力もなく知恵もない愚かな我々にできることはナムアミダ仏のお念仏しかありません。アミダさまは、私の名前を呼びなさい、あなたができないことは一から十まで全部、仏となった私が五劫という天文学的な長い時間をかけて、あなたに代わって為し遂げてあるので、安心して私にまかせなさいといわれています。このアミダさまからの呼びかけに、お父さんお母さんと呼んだように、すなおに従っていくのがお念仏です。ナームとはよろしくお願いいたしますということですし、アミダ仏とは永遠の命の仏さまで、露のようにはかない我々を丸ごと支えて下さる仏さまなのです。

■第1025話
我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴・・・というお経のことばは仏教徒であれば誰でもご存知のサンゲのことばです。懺悔とは反省するお詫びするということで、世間ではザンゲと云いますが仏教者はサンゲといいます。このお経文では、我々が悪を犯す原因として三つの要素を挙げています。第一の要素は、貪・むさぼりです。貪欲のどんという字ですがお経文ではトンと読みます。貪という字は今という字の下に海にいる貝という字を書きます。貝という文字はお金と同じ価値があるものです。財務省の財も財布の財も皆貝という字がついていますから、お金に関することから発展して欲ばりむさぼりとなります。第二の要素は瞋です。目という字の右に真理の真という字を書きます。真というのはウソの反対です。ウソは内容がないからっぽのことです。その反対は中にいっぱいものがつまっていることです。目にものがいっぱいいつまっていることです。目にものがいっぱいつまっていると目の玉がギョロッとむき出しになります。つまり怒っている人の目、カッと目を開き、目の玉をむきだしている姿です。その目には何が一杯つまっているのでしょうか。いうまでもなく相手に対するいかり・にくしみの感情が一杯つまっているのです。第三の要素は痴です。間違った知恵・狂った知恵・病気の知恵です。はじめに書くのはやまいだれといいます。病気の病とか痛いとかいう字についていますからやまいだれといいます。この中に知識の知が入っているから病気になっている正常ではない知恵ということになります。昔はやまいだれに疑問の疑の字を書きましたが内容は大体同じです。この三つの要素はすべて我々の心にありますから、時として暴走して色々な過ちを犯す原因になりますので、三つの毒三毒とも呼びます。朝に夕にこの三毒があばれないように注意しなさいというのがサンゲのお経文の意味です。

■第1026話
前回、我々が日常注意しなくてはいけない貪・瞋・痴の三毒すなわちむさぼり・いかり・おろかさの三つの毒を抑えていかなくてはいけないことをお話しいたしました。この三毒の中でも特にいかりに注意をしなさい、カッとなって乱暴なことをしてはいけませんと説かれたのがお釈迦さまです。法然上人こそこの教えをしっかり守って、人々の模範となられたお方でした。法然上人は凡そ八百年も前に今の岡山県にお生まれになりました。当時は日本人同士が源氏と平氏に別れて血みどろな戦いをしていた時代でした。法然上人は幼い頃のお名前は勢至丸といわれました。勢至丸さまは九才のある晩、父母とぐっすり眠っている時に敵が攻めてきました。夜襲です。父君の時国さまも勢至丸さまもよく応戦しましたが、寝まき姿パジャマ姿では武装した敵にかなうはずはありません。父時国さまは、ついに命を落とすことになりますが、時国さまは死の間ぎわ苦しい苦しい息の中から九才の勢至丸さまに最期の遺言をなさいます。勢至丸よ、お前は男の子で武士の子だから敵を討ちたいだろうが、お前が敵を討てば又向こうさまが復讐する。復讐につぐ復讐といった報復の連鎖はやめて欲しい。それよりも、くやしいくやしい怒りの心を押さえて、人々が幸せになる仏さまの教えで私の菩提を弔ってほしい、という苦しい息の下からのことばでした。男の子で武士の子であった勢至丸さまはどれほど父の敵が討ちたかったかは十分に想像できます。しかし勢至丸さまは、父君の遺言をしっかりと守って、仇への怒りをじっと忍びがまんして、戦乱に苦しむ多くの人々に、いつでも・どこでも・誰でもが実践できるお念仏の教えを説いて、心の安らぎを人々に与え、多くの方々からしたわれました。法然さまこそ、お釈迦さまが一番重要視された怒りを抑える忍耐の正しさを実践して人々に示されたすばらしいお方でした。

■第1027話
2月に入りまして寒さがまだまだ厳しいですが皆様御元気にお過ごしいただいておりますでしょうか?2月の3日は季節の分かれ目と書いて、節分です。節分といいますと、鬼のお面に豆まきですね。鬼というのは、地獄の閻魔様の使いで、恐ろしいモノとして語り継がれてきました。そんな鬼も実は眼に見えないものです。見えた鬼の姿というのは自分の心の中の悪いものや恐れをうつしだしたものといわれています。そんな鬼に豆を投げて追い払い、私達の健康と生活の無事をお祈りします。
ところで目に見えないというものは鬼のような恐ろしいものだけではありません。私達の暮らしの中の人々の触れ合いの中にも目に見えないモノで溢れています。豆をまくように周りの見えない人にまで親切を振りわけてあげましょう。同じように人の真心を受け入れてあげましょう。これが本当の福は内なのです。そして見えないところでいつも私達を見守ってくださるのが阿弥陀様なのです。
鬼は外。福は内。まいた豆は皆さんで、阿弥陀様どうか私達をお守りくださいとお願いしながら、一粒一声南無阿弥陀仏とおとなえしながらいただきましょう。

■第1028話
阿弥陀仏が、まだ法蔵菩薩と名乗っていた頃に立てられた、48種類のお誓いの第18番目に、念仏往生願といって、「往生を願って、お念仏を唱えれば、必ず仏様が救い取ってくださる」というお誓いごとがあります。私のお寺では、法然上人の命日25日にあわせた、お念仏の集いを、毎月行なっておりますが、その中に数年前亡くなられた、お念仏にとても熱心で、声に特徴のあるお婆ちゃんがいました。ある時、そのお婆ちゃんの御自宅に行き、お爺ちゃんと2人でお念仏を唱えている時のこと、女性の声が聞こえてくるではありませんか?「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」二人しか居ないはずなのに女性の声?と初めは疑いましたが、そのまま最後まで、女性の声と共に、唱えさせて戴きました。その妙に聞き覚えのある声・・・それは正しく、お念仏の集いに来て下さっていた、お婆ちゃんの声でした。なんと有り難い事でしょう。仏様と一緒にお念仏が唱えられるなんて、思ってもみませんでした。
ところで、一緒に居たお爺ちゃんにも、声が聞こえたのでしょうか?「いや、聞えなかったよ。でも、方丈さんに聞こえたのであれば、お母ちゃんがお念仏によって救われ、今は、ここに来てくれているんだね。よかった。よかった。」と涙を流されました。お爺ちゃんは、「私も、お母ちゃんのように仏様に救ってもらえるよう、これからも、お念仏を唱えさせてもらうよ。」と涙ながらにお話戴きました。この時、法然上人のお念仏の教えによって、御夫婦を共に救って戴けたことに有難みを感じました。その法然上人の記念すべき800年目の祥月命日が、来年です。皆様どうぞこの有り難いお念仏をこれからも、法然上人への感謝、御先祖への感謝・供養、自分自身の功徳として、唱えて戴けることを願っています。

■第1029話
よく知られている故事で衣食足りて礼節をしるという言葉があります。確かに人間満足に食べることもできなければ、なりふりかまってられないのかもしれません。しかし日本のえらいお坊様の言葉でこのようなものもあります。道心の中に衣食(えじき)あり、衣食の中に道心なしというものです。えじきというのはいしょくのことです。道心とうのは正しい道を求める心と考えられます。つまり正しい道を求める心のなかにいしょくがあると言っておられるのです。これは先ほどの故事とは発想が逆のようにも思えます。なかにはそんなことはきれいごとであると言う人もいるかもしれません。しかし現代社会をみると衣食足りているなかで礼節はどうでしょうか。浄土宗では正しい道を求める心とはお念仏を唱える時の心といえます。衣食足りて礼節を知るを衣食足りて念仏をしると言い換えるととても違和感があります。しかし道心の中に衣食ありを念仏の中に衣食ありと言い換えるとなんだかしっくりきます。我々は食事にしても服を着ることにしても本当の意味では自分ひとりの力だけではできません。世の中のたくさんの人々とのご縁、また阿弥陀様のご加護をうけて生かされているのです。ですからありがとう、ごちそうさまといった感謝の言葉を言うこと、そして南無阿弥陀仏とお念仏を唱えることが大事なのです。つまり生活を物質的に充実させることに執着するよりも、まず感謝の気持ちをもってお念仏を唱える。そのなかで生活することがより豊かな人生へ通じているのではないでしょうか。

■第1030話
こんにちは。私ども浄土宗は鎌倉時代、法然上人によって開かれましたになりました。法然上人がお亡くなりになったのは、1月25日でありますが、実は、それは旧暦のことであり、今で言うと今月、3月7日になります。今回から3回にわたり、私どもの浄土宗をお開きになりました法然上人のお話をさせていただきます。その中でも、法然上人が浄土宗を開かれたあと、晩年のお話を中心にいたします。法然上人が、浄土宗をお開きになったのは、上人43歳、時に承安五年、1175年のことでした。15歳で出家をした法然上人が、なぜ浄土宗を開かれたかというとそれは、偏に限られた人だけではなく、どんな人でも平等に救いたかったからであります。それまでの日本の仏教は、修行を積んだ者や、身分の高い者しか仏さまの教えに触れることができませんでした。法然上人は、比叡山にて天台宗の教えを勉強され、たくさんの経典を何度も何度も読まれ勉強されました。その才能は、周りからも認められ、「智慧第一」といわれるほどでありました。しかしそれでも、法然上人が求める、誰でもが救われる教えを見つけることができませんでした。比叡山の中にあります青龍寺でご修行をされていた時でありました。中国の善導大師のお書きになった「観経?」という書物を読んでおりますと、その中に、「一心に阿弥陀仏のお名前を称えれば、起きていても寝ていても、いつも仏を念じつづけることがもっとも正しい行いです。なぜならそれは阿弥陀仏が私たち衆生を救うためにみずからお立てになった御誓いだからです」という一節が目にとまったのです。これこそが法然上人の求められていた教えでありました。上人43歳の時であります。
法然上人のお念仏教えは、瞬く間に公家、武士、庶民へと広まっていきました。ところが、いままでの仏教界を担っていた各宗派は、法然上人の教えを認めようとはしませんでした。浄土宗の教えが広まることを妨げたり、活動をやめさせようと朝廷に申し出たりもしました。そして、ついに法然上人は、四国の讃岐の国、現在の香川県へと流罪になってしまうのです。そのころには、法然上人は、多くのお弟子がおられました。弟子たちは、法然上人の流罪を嘆き悲しみました。しかし、法然上人は、「流罪になるおかげで四国の地でお念仏を広めることができるのだ」と言われたのです。法然上人、すでに75歳でありました。 
 

 

■第1031話
こんにちは。前回は、浄土宗をお開きになった法然上人が、既存の宗派からの批判により、ついには、讃岐、現在の香川県へと流罪となってしまったことをお話しいたしました。法然上人が京都をお旅立ちになるときは、法然上人に帰依をされた多くの人々が集まり、その別れを悲しまれました。60人ほどのお弟子が上人に付き添われました。道中も様々な人に念仏の教えをお説きなられたそうです。海を舟で渡られた法然上人は、上陸された時、喉の渇きを潤すため真水を求められましたが、海岸ということもあり、なかなか見つけることができませでした。その時、法然上人は、自ら乗ってこられた舟の櫂で砂浜を掘りますと1メートルも掘らずに真水が湧き出たとのことです。現在もそこは、櫂掘の井戸と呼ばれ、浄土真宗正宗寺というお寺が御守りしております。
香川県の善通寺市にある善通寺は、真言宗善通寺派総本山であり、真言宗の開祖である弘法大師空海の御生誕の場所です。四国讃岐へ配流となった法然上人は、小松庄生福寺という寺へと向かいますが、その道中でこの善通寺へと立ち寄ります。善通寺文書に『一度でもこの寺をお参りした人は、必ず極楽浄土で再会できる』と書かれているのを見て、とてもお喜びになったということです。ここで法然上人は、自らの追善供養をしたと言われています。生前に追善供養をすることを逆さに修めると書いて、「逆修」といいます。そして、法然上人は、善通寺に逆修の塔を残されました。小松庄生福寺にお着きになると、それを聞きつけた人々が法然上人の教えをいただくために集まってきたと伝えられています。京都を中心に教えを弘められていた法然上人にとっては、四国の地で多くの人々が救いを求め、教えを請いたいと願っていたことは、とてもうれしく思われたことでしょう。そして、身分の高い人、学識のある人しか仏の教えを戴くことができないと言われていた当時では、お念仏で救われるという法然上人がやってきたことがどれだけありがたかったことでしょう。ちょうど、春彼岸の時期となります。今、お念仏のお称えできることのありがたさをあらためて感じお念仏に精進いたしましょう。今回はここまでにいたします。

■第1032話
こんにちは。春彼岸を迎えました。今月は、浄土宗をお開きになられた法然上人のお話をさせていただいています。前回は、京の都を追われ、四国讃岐への流罪になりながらもその地で人々にお念仏を弘められたというお話をいたしました。実は、もともとは土佐への流罪のはずでしたが、九条兼実公のはからいにより土佐よりも近い讃岐へと流罪地が変更され、小松庄生福寺というお寺におられました。小松庄という場所が京都の風景と近かったところから、法然上人は、まるで京都にいるかのような思いがしたそうです。
法然上人のお生まれは美作国、現在の岡山県ですが、出家をされてから故郷へもどることはありませんでした。生福寺におられた時、近くの山へと登り瀬戸内海を隔てた対岸の美作国へ思いを馳せ、先立たれた父母と極楽浄土での再会を願いお念仏を称えたことでしょう。ほどなくして、免罪となり讃岐をお出になります。すぐには京都へと戻らず、摂津国勝尾寺にて四年ほどお過ごしになられます。そしてその後、京都へとお戻りになられます。すでに法然上人は79歳でございました。ある時、法然上人のお弟子でありました法蓮坊信空という方が、「過去の偉大な方々は皆遺跡がございますが、お師匠様が往生されたあとは、どこを遺跡としたらよろしいでしょうか」とお尋ねになりました。すると法然上人は、「遺跡を一か所にすると遠くの方には、お念仏の教えは弘まりません。お念仏の声がするところは、どこであろうと私の遺跡なのです。」とお答えになりました。翌年、建暦二年1212年、1月25日、法然上人は80歳でお亡くなりになります。その地は、現在、浄土宗の総本山知恩院がございます。来年は、法然上人が亡くなられて800年のご祥当の年です。一人でも多くの人がお念仏を称えることが、法然上人にとって最もお喜びになることでしょう。なによりもお念仏の声は必ず阿弥陀仏お聞きになって私たちを救ってくださいます。

■第1033話
みなさんこんにちは。今月8日は、仏教の開祖、お釈迦さまのご生誕を祝う花祭りです。広く仏教者は、お釈迦さま同様、成仏を遂げることを共通の目的としています。ところが、その仏教者が、宗派を超えて、「あの人こそ正しい悟りを開かれている」と自他共に認める方を選ぶとなると一筋縄ではまいりません。ことほどさように、この身このままで悟りを開く、仏となるのは困難なことなのです。
先日、法然上人の伝説が、もっとも東の地に残っている静岡県の応声教院というお寺でこんな話をしました。「みなさん、法然上人が比叡山で学ばれていた頃のお師匠さま、皇円阿闍梨は、わが身を龍にかえてまでも、弥勒菩薩の出現を待っているのですが、この弥勒菩薩は、いったいいつ頃この世にお出ましになると思いますか? そちらのご主人いかがですか?」 「私ですか? そうですねえ。3千年ぐらい先のことですか?」 「なるほど3千年ですか。ありがとうございます。みなさんはどれ位の時間を想像されましたか? 弥勒菩薩が仏となってこの世にお出ましいただくのは、なんと56億7千万年も先のことなんです。」 「えー!(驚)」
実は、その応声教院からほど近い桜ヶ池にこんな伝説が残されています。その弟子3千人と謳われた皇円阿闍梨は、お釈迦さまの次の仏として、弥勒菩薩がこの世にお出ましになるまで、わが身を龍にかえて桜ヶ池で待とうとされました。その後、桜ヶ池を訪れた法然上人は、お櫃にご飯を詰めて池の中に供養したというのです。こうした伝説からは、法然上人ご在世当時から、皇円阿闍梨ほどの方でも、この身このままで仏となることが困難だったありさまが知られます。私たちは、皇円阿闍梨のようにわが身を龍にかえて56億7千万年も待たずとも、お念仏を称えれば、必ず誰もが浄土往生を遂げ、そこで速やかに悟りを開くことができるのです。花祭りには、そんな尊いお念仏の教えを残して下さったお釈迦さまにあらためて感謝の誠を捧げましょう。

■第1034話
みなさん、朗らかな笑顔を絶やすことなく、サービス精神旺盛な国民的歌手で、10年前に亡くなられた三波春夫さんを覚えておられますか? 大阪万博のテーマ曲「世界の国からこんにちは」の「こんにちは〜♪こんにちは〜♪」というメロディーは今でも耳に残っていますし、「お客様は神様です」の名文句はあまりにも有名です。歌手として有名な三波さんですが、先の大戦中に満州に出兵し、敗戦後はソビエトによる強制抑留にあい、シベリアの収容所で4年間を過ごした経験から、日本の歴史や宗教にとても造詣が深い方でした。ある時、テレビのアナウンサーが、「三波さん、日本には神さま・仏さまがたくさんおられますが、神さまと仏さまはどちらが偉いんですかね?」と質問しました。すると三波さんは、ニコッと笑みをうかべ、「ああ、それは仏さまですなあ」とお答えになりました。するとアナウンサーは「どうしてですか?」と尋ねると、三波さんは、「私は、いつも舞台で「お客様は神さまです」と申し上げてきました。ところが、私を応援してくれた多くのお客さま方も、すでにお亡くなりになり、みーんな仏さまになってしまったからですよ」とお答えになったのです。それを聞いて私は、「さすが三波さん、ウィットに富んだ見事なお答えだなあ」と感心したことがあります。
なるほど、三波さんのお言葉のように、現在の日本では、亡くなられた方を広く「仏さま」と呼んでいます。しかし、法然上人がおられた800年前、一部の貴族や僧侶を除き、多くの庶民は、死後、地獄堕ちを免れるのが精一杯でした。そうした状況の中、法然上人は、お念仏さえ称えれば誰しも平等に浄土往生が叶い、そこで必ず仏となれるとお示しになったのです。当時の仏教界の常識からすれば、まさに革命的な法然上人のお念仏の教えは、長い歳月を経て、広く人々に受けいれられ、今のように亡くなられた方々を「仏さま」と呼ぶようになる一大契機となったのです。「逝く空に 桜の花が あれば佳し」、桜の花をこよなく愛した三波さんの辞世の句です。阿弥陀さまのお浄土は、所狭しと蓮の花が咲き誇っています。さしずめ、「逝く空に 蓮(はちす)の花が あるぞ佳し」と詠めましょうか。

■第1035話
近年、遺伝子研究が盛んです。数年前、「人間の遺伝子の99.5%は、誰しも共通である」という新聞記事を目にしました。当初私は、「0.5%の違いしかないのかな?」と感じました。なるほど、一見すると人間は、背の高い方・低い方、太っている方・やせている方、肌の色など、実にさまざまです。人の能力もそうです。4年前、ニューヨークヤンキースの松井選手が4年間で56億円もの契約を結んだことを詠んだ、こんなサラリーマン川柳がありました。「年収は 松井選手の 一打席」。1年換算でなんと16億円ですから、たとえ1千万円の年収でも、松井選手の100分の1にも及びません。ですから、サラリーマンが1年365日、汗水流して働いた年収が、松井選手が三振しようが内野ゴロだろうが、その1打席分しかないというのです。このように、人間の身体や能力の差はかなりあるようです。
しかし、よくよく考えてみれば、次のようなことも言えます。ご飯やお野菜、お魚やお肉を食べると知らぬまにそれらが私たちの血となり肉となり、日々のエネルギーとなっていきます。あるいは、深い眠りについていようとも、私たちの肺や心臓は一瞬も休むことなく働き続けています。こう見てくると、たとえどんなに優秀な方でも、99.5%の遺伝子はこんな私とまったく同じであるという事実も実感としてうなずけます。私たちは、残りの0.5%の枠内で切磋琢磨を繰り返しているのです。遺伝子という言葉などありませんでしたが、法然上人の人間観はこうした視点に非常に近いものです。私たち人間の努力が大切なことは言うまでもありません。100点満点を取るのは素晴らしいことです。けれどもそれは、私たちをお救いくださる阿弥陀さまの目から見れば、0.5%の範囲内の話です。「俺は悟ったぞ!」と声高に言いつのる方がいようとも、阿弥陀さまからすれば、所詮、「どんぐりの背比べ」に映ることでしょう。浄土宗の教えを学ぶ私たちにとって必要なのは、阿弥陀さまの前では、人は皆、弱い心、煩悩を断ち切ることなどできない存在であるという謙虚な心がけなのです。

■第1036話
私たちは人間の子だから人間に生まれて当り前だと思っています。こう思っている人が大半だと思います。はたして、人間だから人間に生まれて当り前だという考え方でいいのでしょうか。仏教というのは自分がどういうものか、「どこから来てどこに行くのか」ということを考えることから出発します。あなたは、「どこから来てどこに行くのか」と質問されたらどうお答えになりますか。ある方は、「母から来て、墓に行く」とお答えになったそうです。「母から来て、墓に行く」なんともさびしい答えだと思いませんか。「母から来て」はいいですが、「墓に行く」、これでは死んだら自分はどこに行くのか分かりません。死んだらすべて無くなる、無になるのでしょうか。仏教の教えというのは、そういう受け取りではありません。もっともっと深くて広い考え方であります。この私というものが、今は人間の姿をして生れていますが、人間に生まれて来る前はどこにいたのであろうか。今こうして人間として命をいただいておりますが、どこに行くのか。「死んだら墓に行く」というだけではないのです。
仏さまの教えによりますと、私たちの命は、この世限りのものではありません。六道輪廻と申しまして、自分のした行いによって、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六つの苦しみの世界を限りなくめぐり続けているのであります。そしてこの世界から抜け出ることの出来ないこの私であります。今は人間という世界に生れさせていただいていますが、ここに来る前は地獄であったかもしれない、餓鬼の世界であったかもしれない、畜生の世界であったかもしれない。迷い苦しみの世界の中で、生まれ変わり死に変わり、めぐり続けて今は尊いご縁で人間の世界に生れさせていただいている。このように受け取らせていただくのが、仏さまの教えであります。そしてこの私が、この六道の世界を出る。この世界を出て、どこに行くのかと申しますと、阿弥陀さまの西方極楽浄土に参ります。参るといっても、阿弥陀さまが迎えてくださるのです。来迎してくださるから、私たちは極楽に生れさせていただくことができるのです。この教えが「お念仏」であります。これを正しくはっきりと受けとめて、自分の中に位置づけをしておくことが大切であります。

■第1037話
人間の行いというのは「自業自得」といったりします。何かに失敗すると、もともといい加減なことをしたから「自業自得」といいますよね。この世界では「自業自得、因果応報」というのは大原則です。自分が原因を作ればその原因によって結果がでます。良いことをすれば良い事が、悪いことをすれば悪い事が。自分が行なった業。その報いは自らが受けなければならないのです。そのような中にあって、この私が人間に生れさせていただいたということが、いったいどれほど尊いご縁であるか、ということを自ら受け取っていただきたいのであります。今人間として命をいただいているということは、どれほど有難いことであるか。人の身をうけることがどれほど大変なことか、ということをお釈迦さまが、たとえておっしゃっています。
お釈迦さまが弟子を連れて修行なさったり、お話をされたりしておられる時、大地の砂を手に取られて、ご自分の手にサラサラとかけられました。そうすると爪の上にほんのわずか砂が残りました。お釈迦さまは「この砂と大地の砂とくらべればどちらが多いか」とお尋ねになりました。お弟子さんは、「大地の砂のほうが遥かにおおございます」と答えられた。するとお釈迦さまは、「その通りであるけれども、生きとしいけるものすべての中で、人間の世界に命を受けるものはこの砂の数しかないのです。三悪道という地獄、餓鬼、畜生、という世界に生まれ変わる。そこへ行く人は大地の砂の数ほど多いのだよ。だから人間の世界に生れた間に迷いの世界を抜け出していく、という心を起さねばならない」と、このように示されたのであります。私たちは、六道輪廻の世界をぐるぐるめぐって、今人間の世界に命をいただいていると、お受け取りいただくことが大切であります。

■第1038話
六道輪廻の世界をめぐり続けている私たちは今、尊いご縁によってこうして人間の世界に生れさせていただいていると受け取らせていただくのが仏教の教えであります。六道の世界を生まれ変わり死に変わりしている私たちは、死して生が変わるごとに過去の事を忘れてしまうのです。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界を生まれ変わり死に変わりしている中で、身と口と意(こころ)とで罪を造り、その罪をも忘れてしまっているのです。生が変わるたびに、その罪は無くなるわけではありません。その報いを避けることはできません。私たちの目には見えないけれども、仏さまにはその罪深いところは丸見えであります。だから仏さまはそのことに気づけよ、気づけよとおっしゃってくださっているのです。私たちは罪を造りながらしか生きることのできないものであると、自分自身の業を知り自分の機を深く信じることが大切であります。人間として生まれて来たのだからこそ今、仏さまの教えを知ることができるのです。人間として生まれてきたからこそ、法然上人がお示しくださったお念仏を称えることができるのです。お念仏を称えて、今生を限りに西方極楽浄土に往生して立派な仏にしていただけるのです。なんとすばらしい有難いことではないですか。何もせずにこのまま行ったらまた、三悪道に戻っていくことが仏さまにはみてとれるのです。それではあまりにも哀れであると、仏さまが自らが選ばれ本願とされたお念仏を用意していただいているのです。どうぞ皆様もそのことを心にとどめていただきたいと思います。日々の暮らしの中でどんな縁によってどんなことが起こるかわかりません。どこまで行っても壊れいく世界であります。だからこそ自身の業を見つめ、自分の機を深く信じ、仏さまが選び決めおかれたお念仏を法然上人がお示しくださったお念仏をお称えして共に西方極楽浄土に参らせていただきたく思います。

■第1039話
今回は仏教の開祖お釈迦様のお言葉を紹介したいと思います。お釈迦様の在世当時、キサー・ゴータミーという娘がいて嫁いだ先でかわいい男の子を生みました。はじめは貧しい家の出として軽蔑されていた彼女も、この子を生んでからは皆に大切にされるようになったそうです。ところがこの男の子が、歩けるようになったかわいい盛りのころ、突然死んでしまいました。ショックと悲しみのあまり、ゴータミーは愛児の亡骸を抱いたまま、「この子に薬をください」と家ごとに頼んで歩くということを始めてしまいました。この様子を見て憐れんだある人が、彼女にお釈迦様の所へ行くことを勧めました。彼女は言われた通りお釈迦様のもとへ行き「この子に薬をください」と頼みました。彼女の心を知ったお釈迦様は、次のように答えました。「よく来た、ゴータミーよ。薬は私が作ってあげよう。これから町に行って、まだ一度も死人を出したことのない家を探し、その家から芥子の粒を貰ってきなさい。」 喜んだ彼女はさっそく町に行って探し始めましたが、そのような家があるはずもなく、やがて彼女はお釈迦様が自分に何を教えようとしているのかがわかりました。悲しみを抑えつつ我が子の埋葬を済ませた彼女が、再びお釈迦様のもとを訪れると、お釈迦様がたずねました。「ゴータミーよ、芥子の粒は手に入ったか。」 「お釈迦様、もう芥子の粒は必要ありません。町中のどの家でも、死なない人など一人もないことがよくわかりました。」 悲しみから錯乱状態にあったゴータミーに一端は希望を与え、体を使った行動に従事させ、その中で冷静な判断力を取り戻させ、そして自ら立ち直らせたものは、ひとえにお釈迦様のご指示でした。まことに優れたカウンセリング効果をもった、人の心の動きを熟知した方のお言葉だったといえるでしょう。

■第1040話
今回もお釈迦様のお言葉を紹介します。お釈迦様の多くの弟子の中にチュラパンタカという人がいました。兄のマハーパンタカという人は非常な秀才だったそうですが、チュラパンタカは生まれつき愚鈍で、理解が遅く、お釈迦様の弟子の中では落ちこぼれの、落第生のような人だったようです。なんとかして彼を一人前の修行僧にしてやろうとした兄も、簡単な詩の一句も中々憶えることができない彼の状態に、ついに我慢しきれなくなって、教団から追い出してしまいました。途方に暮れていたチュラパンタカに気づいたのはお釈迦様でした。「チュラパンタカよ、お前は今頃どこへ行くのか。」 お釈迦様にこう尋ねられて、彼が兄に見放されたことを語ると、お釈迦様は、「チュラパンタカよ、お前は私について出家したのだ。兄に追われたのなら、どうして私の所に来ないのか。さあ、私の所に来るがよい。」と言って連れ帰りました。そして自分のもとを訪れる客の履き物の汚れを払わせることに専念させました。毎日やってくる客の履き物は、いくら汚れを払わせてもまた汚れてきます。その繰り返しの中でやがてチュラパンタカは、心の汚れ、つまり煩悩を清めることも同じように難しいのだということを理解し、阿羅漢と呼ばれる聖者の位にのぼったといいます。
この話の中でお釈迦様がお示しになっているのは、どのような人にも真理を悟る力と方法があるということではないでしょうか。兄にも見放され教団を追い出された愚かなチュラパンタカにも、その力量、特性に見合ったやり方で地道な努力を続けていけば、やがては救われるのだということです。この力に見合った易しい行いの継続という道は、われわれ浄土宗のお念仏の教えにも通じていくものだと思います。来年平成23年は、その浄土宗の宗祖法然上人がお亡くなりになって800回忌の年に当たります。次回6月21日に変わる次のお話は、その法然上人のお言葉を紹介したいと思います。 
 

 

■第1041話
今回は浄土宗の宗祖法然上人のお言葉を紹介したいと思います。建永2年、西暦1207年、土佐への流罪が決まった、この時77歳の法然上人は、3月京の都を出発し、室津に到着しました。そこへ遊女たちを乗せた舟が一艘近づいてきました。遊女たちは法然上人のお姿を認めるとこう言いました。「こちらに法然上人がおられると聞いてまかりこしました。世を渡る術は様々ありといいますのに、私たちはどのような罪で、今のこの境遇に身を落とすことになったのでしょう。この罪深き身は、どのようにすれば救われるのでしょう。」 この遊女たちの悲しい、しかし切実な問いかけに対して上人はこう答えています。「もしあなたたちに、他の暮らしの術があるならば、すぐに今の仕事はおやめなさい。またもし他に手段はないが、世を捨てる覚悟があるというならば、今の仕事はおやめなさい。他に手段もないし、そのような求道の覚悟もないというならば、その時は今のままで、お念仏をお称えなさい。阿弥陀様は、あなたたちのような罪深い人のために、救いの誓いをたてたのですから。」 もちろん上人は、遊女たちがそれぞれやむをえない事情で遊女となっていることも、また他に暮らしの手段がないことも承知のうえで、このようにおっしゃったのでしょう。それでもその苦しみから救われたくて、都から流されてきたという上人に教えを乞いに来た彼女たちに対し、最初からお念仏をすすめるのではなく、まず他の道を示しておいでです。その後で、それが無理ならば今のままでよい、今のままでお念仏をお称えすればよいと諭していらっしゃいます。相手の苦境を理解したうえでの、今でいう癒しの効果まで相手に与えるような、誠に阿弥陀様の慈悲のお心そのもののような、優しさに満ちたお言葉だといえるのではないでしょうか。

■第1042話
今年もお盆の季節がやって参りました。みなさんのご家庭でも、お盆を迎える準備をなさっていることでしょう。私達は、普段は日々の忙しさにかまけて、仏様についつい手を合わせることを怠ってしまう・・・ということがあると思います。しかし、私たちが今こうして何気ない生活を送ることができますのは、先祖の方々がいらっしゃったお陰です。お盆の行事を通して、今一度自分の生活を見直すことも修行の1つではないでしょうか? 私たちは、普段生活をしていると、何でも1人で出来るというような錯覚に陥ることがあります。しかし、本当にそうでありましょうか?皆さんもすでにお気づきのように、私たち人は、何一つ自分ひとりの力で生きていくことは出来ないのです。それどころか、人だけではなく、動物や植物の命をいただき、生かされていただいているのです。改めて考えてみますと、当たり前のことなのですが、この「当たり前」ということが、とても難しいことで、どうも忘れがちになってしまいます。私は、仏道に入りまだ日が浅いのですが、毎日を過ごす中で感謝の気持ちを持って、仏様に手を合わせ、自分が先祖の方々や見えない物の力に支えられていることを感じながら、日々を送れる人でありたいと思っています。みなさんも、お盆には、日々の行いを見直し、常に自分をつつしむことが大切ではないでしょうか?改めて自分自身を見つめ、清らかな心でご先祖様に回向することが供養になり、功徳があることでしょう。今年のお盆には、健康で過ごせることに感謝し、お墓参りに行ってください。

■第1043話
先日、私の友人に「お盆の時には、先祖は何処に帰ってきているの?」と聞かれました。私は、友人が何を聞いているのか意図が分からず、「どういうこと?」と聞きました。すると「だって、お盆には、お坊さんが来てくれて、家の仏壇で拝んでくれるでしょ?でも、お墓参りにも行くよね?よく、お盆には、家に帰って来るというけれど、どっちにいるのかと思って・・・」正直、私は返答に困りました。しかし、私なりに考えて友人に伝えたことをお話したいと思います。お仏壇に帰ってきていらっしゃるか、お墓に帰ってきていらっしゃるという実質的なことではなく、お参りする皆様の心の中に帰ってくるのだと私は感じています。年間行事や、法要の時だけお仏壇や、お墓をきれいにするのでなく、普段の生活の中でお供えやお花を手向ける気持ちを持ち、手を合わせることができるかどうか?ということが大切だと思うのです。今、自分ができることを一生懸命することが、ご先祖様を敬い、自分自身を高めていくことに繋がるのだと思います。また、このような親の姿を見て育った子どもたちは、少なからずとも今の悲しい事件に惑わされることはなく、家族の心のつながりを感じ、自尊心を培っていくのではないでしょうか?よく、「子は親の鏡」と言います。みなさんの普段の仏様に対する気持ちが自然と子どもたちに伝わり、その家の家風として受け継がれていくことでしょう。だからこそ、いつでも家族揃ってお仏壇をきれいにし、お墓を訪れ、お線香をあげ手を合わせてください。そして、ご先祖様、仏様がご家族にとって心のより所にしたいものですね。

■第1044話
今日のニュースを見ていますと、「自分のことを馬鹿にされ、腹が立ったから刺してしまった。」だとか、「言うことを聞かないから、叩いたら子どもが死んでしまった。」など、自分勝手でなんとも腹立たしい事件をよく耳にします。このような話を聞きますと、人間は、なんて身勝手で愚かな生き物なんだろう・・。と思いますが、果たしてこのような事件を起こさないにしても、私たちは本当に正しく生きているのでしょうか?残念ながら、私はそのようには出来ていないように感じています。人は、生活をしていると、「やれ〜が欲しい。」だとか、「〜が気に入らない。」など、ついつい不平・不満、また、欲にまみれています。悲しくは思いますが、他の人より優れていることや知っていることをひけらかしてしまうこともあります。今、生きている私たちの力では、すべての悪事を浄化し、救われることはできません。この様な私の存在を凡夫といいます。その様な凡夫でも、この世での悪業を悔い改め正しい道へ進むことができる教えがあります。法然上人は、「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えれば、誰でも皆、平等に必ず極楽浄土に往生することができると、おっしゃっています。このことをお話すると、中には、「じゃあ、『南無阿弥陀仏』ってずっと言えばいいんじゃないか。」とおっしゃる方がいますが、お念仏を唱える際に?慢・慢心の心を捨てて、阿弥陀様を深く信じる心を持って、申すことが大切であるということをわかっていただきたいと思います。そのような心を持って、お念仏を唱えることにより、「阿弥陀様」のお力によって、浄土への往生が約束され、人生の過ちや愚かさからかえりみることができるのではないでしょうか。

■第1045話
法然上人八百年御忌も目前となって参りました。今月は法然上人のお姿をたずねて参りたいと思います。
今の世の中まことにすさまじい世の中ですが、法然上人の時代を見ましても、当時は当時としてとんでもない時代でありました。やはり、悪が栄え、争いが絶えず、誰もが何を信じてよいのかわからない状況でございました。法然上人が念仏一行の生活に入られ、それ以外の修行をやめられたのが四十三歳の時。承安五年、西暦いいますと一一七五年のことです。日本の歴史をひもどきますとご承知の通り、その二年後に鹿ケ谷で平家打倒の密約がされ、あとは転がるように源平争乱へと突入であります。一一八〇年に以仁王を奉じて平氏追討の院宣。源頼朝、木曽義仲の挙兵。常識では考えられない冷酷無情の争いが激化します。京都内は寺院勢力と平家の対立。平重平は四万の軍勢で興福寺を攻め、照明でつけた火が大風にあおられます。興福寺、東大寺、大仏殿へとあっという間に燃え広がり、何と大仏殿炎上ということにまでなってしまいました。意図的なものによる大仏殿炎上ではありませんが、天災地変は時として最悪の結果をもたらします。さらに京都は大飢饉にみまわれます。道のほとりで飢え死ぬる者は数を数えられないほどであったといいます。こんな時、あの木曽義仲が入京してきたというのですから、京都の様子は想像を絶するものです。
この時のことを法然上人は、「われ聖教を見ない日はないが、木曽義仲が京都に乱入のときだけ、ただ一日聖教を見なかった」とされています。軍兵が法然上人の草庵にまで迫る中、上人はどうやら門弟たちと華頂山を越えて小さなお堂に難を避けられたようであります。その聖教を見られなかった一日、法然上人の心の中が伝わってくるようであります。天災地変の絶えないこの世、そして人間のどこまでもおろかな有様。こんな苦しい、悪縁ばかり誘う時代において、修行など耐えられるはずもない、罪作りな人間には、それに適した教え以外もう行く道がないのだと心の底から思われたことだと思います。その道こそ、まさにお念仏のみ教えなのだと。阿弥陀仏にどこまでもすがり、どこまでも称えていく道こそ唯一救われる道であるぞと確信されたと思います。法然上人の、たった一日聖教を見られなかった日は、実は念仏しかないの思いを確証された日ではなかったかと思えてきます。ただ、お念仏です。

■第1046話
多くの教えがある中でお念仏は易しい教えであると言われます。 しかし、いくら誰もができて易しい行であっても、その功徳がそれほど大きなものでなければ意味をもちません。ほかの行をなさっている方が、「あなたのされているお念仏は誰にでもできる易しい行かもしれないが、しょせん功徳はたいしたことはないねえ」などと言われたらより大きな功徳を得るために、少しばかり難しく、苦しい修行でもしたほうがいいかもしれないと思ってしまいます。阿弥陀様はそのあたりをしっかりわかって下さいまして、阿弥陀仏自らがすべての行を行い、その功徳全部を南無阿弥陀仏の中にこめ、それを称えればよいようにして下さっているのです。普通、人間の常識では、難しい行は難しい分、大変かもしれないが、そのかわり功徳は広大なものだという認識でしょう。しかし、それは人間がそう思っているだけ、阿弥陀様そんな常識を砕いてしまいます。つまり、易しい、誰でもできる行、南無阿弥陀仏と称えるだけの行でありながら、その功徳をとてつもなく莫大なものにしているのです。阿弥陀仏が考えられたお慈悲が込められていることがおわかりになりましょう。ですから、お念仏は「易しい」と「功徳広大」の一見相反するように思える事柄がピタッとおさまった行なのです。そのため、法然上人も「念仏は諸行に勝れたり」とおっしゃりすすめられていたのです。
かつて私は奈良と京都の堺にある木津の安養寺というお寺へお参りしました。そこには、縁起として伝わっている念仏石というものがありました。東大寺の勧進上人でありました重源上人は大仏殿再建の際、師匠の法然上人を導師として迎えました。上人は連日東大寺で念仏を伝えます。全て終わりますと上人帰洛の途につかれるのですが、大衆何百人が、法華や華厳の教えに全く触れられなかった上人の話に不満がつのり、上人を追いかけ、この安養寺あたりで追いつくとその理由をお尋ねします。法然上人、念仏は諸行に勝れ功徳広大なることを伝え、一枚の紙に南無阿弥陀仏を認め、傍らにある石と掛け合い量り比べて、「この名号の功徳は石より重い」とおっしゃいます。何と石はいかにも軽いかのように次第に上がり、名号は重いかのように大地についたといいます。そのお名号も石、つまり念仏石もこの安養寺に伝わっております。縁起とはいいながらも信仰あつく守られていることに感動し、諸行にすぐれたりのみ教えを胸にお念仏をお称えしました。ただ念仏であります。

■第1047話
ある新書のあとがきで、作者の方がこんなことをお書きになっていました。選択肢をあまりたくさん提示されると現実には目移りばかりして、判断すること自体が不可能となる。それは、まさに日本の出版界で新書の販売についておこっていることにもいえるのだと。これには、大きくうなずいてしまいました。皆様もそう思いませんか。一ヶ月に出る新書の数は優に一〇〇冊は超えているのだそうです。テーマも多岐にわたっています。少しばかり大きな本屋に足を運んでみますと、その新書コーナーはあらゆる内容の題でこれでもかこれでもかと、ところ狭しと並べられております。私どもには選び放題なわけです。ところが、いざ選ぼうとすると、これがなかなか決まらない。ぱらぱらとめくってみる。今まさに買おうかと手にしたその本ですが、いやこっちの方がいいかなと別の本を手にする。ともすれば、全く違うテーマに興味を向けてしまう。カバーをチェック。時間かけては、またもとのテーマにもどり先ほどの本を手にする。どうしようかなと思っている時間が過ぎていくと、心も飽和してきてしまい、あげくのはてには、薄い内容のつまらない本を買うのも馬鹿らしいな、誰か「これ」というオススメを教えてほしいななどと自主性すらなくなってしまいます。あれもこれもあると、実はあれもこれも選ぶことができなくなってしまうのです。
仏道修行においてお念仏の教えはまさしくそこにあるといって良かろうと思います。人間、あれもこれもできないという視点が阿弥陀様のみ心にあるのです。多くの修行を実践しなければならないといえば、それはその通りなのですが、それが人間にできないと、阿弥陀様は先刻ご承知で、それならどうすれば救いとれるかと考えを運んで下されたのであります。人間にできるあらゆる選択肢の中から、「誰もができる」という条件を加えて、たった一つにしぼって下さったのが、「全ての功徳がこめられた阿弥陀仏の名を呼ぶ」という修行なのであります。もう阿弥陀様の方から選んでいただいているのです。新書を選ぶように目移りすることもございません。間違いのない仏様からの選び、阿弥陀仏の名を呼ぶというその行を実践するだけなのであります。ただひたすらそのお念仏の行をうちまかせていくこと、それが法然上人のただ一向に念仏すべしのお諭しなのです。

■第1048話
仏教発祥の地インド。開祖はゴータマ・シッダルタといい、お釈迦様と呼ばれています。そのお釈迦様が悟りを開かれたブッダガヤから、ご入滅されたクシナガラまで北インドを巡りながら、百万遍を唱える旅をしました。百万遍とは百万遍念仏の略で、7日間に100万回の念仏を唱えれば往生決定すると、中国浄土教の道綽禅師が唱え、実践したことが始まりとされています。旅の始めの地は、仏教最大の聖地ブッダガヤでした。中心には大菩提寺があり、入山の際には全員素足とならなければなりません。寺には52メートルほどの大塔があり、これは日本でいう本堂です。この西側に、お釈迦様が35歳のときに悟りを開かれた、石の金剛宝座があり、いまも大きな菩提樹の木が繁っています。ここでの百万遍は、観光で訪れていた多くの国の人々も参加することになり、車座になって皆一緒に大数珠を繰り、念仏を唱えました。その後私たちは続けて、ラジギールという場所を訪れました。お釈迦様の時代、マガタ国の首都だったところです。天空にそびえ立つ霊鷲山に登ると、お釈迦様が説法をし、そして弟子たちと起居された岩窟があり、まさに西方浄土に日が沈む時刻に、百万遍を唱えることができました。
そして最後には、お釈迦様が入滅された場所、クシナガラの涅槃堂を訪れました。悟りを開き、信者たちにその教えを伝道されて80歳になられたお釈迦様は、頭を北に、そして顔を西に向けられて、頭北面西のお姿で静かに入滅されました。ここでは涅槃堂内の大きな涅槃仏を囲むようにして、百万遍をすることができました。日本では京都の百万遍として、浄土宗大本山知恩寺が、人々に親しまれています。ここでは十人の僧侶が1080粒の大数珠を繰り回し、念仏を百回唱えて、極楽往生を願うとされています。その百万遍の念仏を仏教発祥の地インドで唱えたことで、遠く日本にまで届けられた浄土への変わることのない想いを、肌で実感することができました。

■第1049話
インドを源流とする仏教は、シルクロードを経由して中国へと伝えられました。たとえば西遊記で登場する玄奘三蔵が、インドから持ち帰った経典のなかに、阿弥陀仏の教えがあったことなどです。その後に、中国浄土教を広めた人物が、善導大師です。本年は法然上人800年大遠忌前年の年でもあるので、中国西安から20キロほど離れた郊外にある香積寺で、二祖対面法要に参列しました。この二祖とはもちろん、法然上人と善導大師です。浄土宗には二祖対面という、生きている時代が異なるお二人が、時空を超えて夢の中で出会うお話があります。たとえば法然上人は、夢のなかで善導大師と出会ったお話を、次のように伝えています。
「紫雲が湧き上がり、それは日本国中を覆って、光り輝いたその雲の中から、宝石のような色をした鳥たちが飛び出してきた。そして高い山に登ると、善導大師にお会いした。その姿は腰から下は金色で、上半身は普通のお姿である。大師は私に、こう話しかけた。『あなたは専修念仏を広めてくれているので、姿を現した。私は善導である』」
法然上人は、この善導大師のお姿を、「弥陀の化身」とおっしゃっています。なぜ夢の中に現れた大師の姿を「弥陀」だと思われたのか、それには理由があります。夢を見る以前に、上人は善導大師が残された「観経疏」に、43歳のときに出会っているのです。その書には、こうあります。「一心に専ら南無阿弥陀仏と唱え、行往座臥どのような状態であっても、時間の長短に関わりなく、一瞬も絶やすことなく持続すれば、これこそ極楽浄土に生まれることが決定している。なぜかといえば、それはただ阿弥陀仏の御心のままを実践するおこないだからである」 法然上人800年大遠忌の前年に、中国西安の香積寺を訪れたことは、たいへん意義深いことでした。高さ35メートルほどの仏塔には、善導大師が埋葬されており、まさにその大師さまに向かって、お念仏を唱えることができたからです。法然上人が夢のなかで大師に出会われたように、まさに善導大師の御心に、対面したような想いでした。

■第1050話
沖縄に、エイサーと呼ばれている踊り念仏があります。この踊り念仏を始めたのが、袋中上人という浄土宗の僧侶です。時は1603年、日本の年号では慶長8年から3年の間に、袋中上人は琉球王国に滞在したのです。尚寧王の時代です。袋中上人については、「琉球国由来記」に次のように記録されています。「日本国の念仏者、尚寧王の時代に3年間滞在し、その間に『琉球神道記』を著し、仏教の経典の中からいい文句を選び、それを易しくして琉球語に直し、那覇の人たちに教えた。日夜この経文を唱えさせて、人々に善悪の区別を分からせた。琉球での浄土宗は、この時から始まった」 
エイサーの歌詞の一部に念仏が出てくるので、口語訳でお伝えをいたします。 ・・・ 愛しい母上の 涙と思え 蝶々が飛び回ったら 受け取れよ 南無阿弥陀仏は 弥陀仏 四十八流れの念仏は 親の供養となる
この四十八の数字は、特に浄土宗では意味があります。浄土三部経の無量寿経において阿弥陀仏が、「四十八願」の誓いを表しているからです。そのときはまだ菩薩であった如来さまは、48の誓いを守らなければ仏にはならない、と記しているのです。袋中上人の故郷は、福島県いわき市です。そこにはエイサーの元とも言える「じゃんがら念仏踊り」と言われる、鉦と太鼓の音を激しく合わせて踊る念仏があります。沖縄に来てからの踊り念仏は、雄大な舞いと力強いリズム、統制のとれた美しい動作など、独特なかたちで現在にいたり、花開いているのです。 
 

 

■第1051話
秋も深まりお十夜の季節となりました。枯葉が散り急ぐのは、来る春の芽を急いで育てるためです。雪が降り積むのは、来春、田や畑に必要な水を蓄える為です。人は、病気になってこそ、健康だったことのありがたみが分かるというものです。落ちぶれて、苦労して人の情の熱さに気づきます。私は「死」ということを考えたことがございます。初めて「死」と向き合ったとき、後悔や懺悔が大きくなり、不安になり、恐ろしくなりました。なぜ、不安になるかといいますと、死後の世がどういう場所なのか、自身がどういう状態になるなか、全く分からない世界だから不安にもなるし、恐ろしくもなるのです。それが、死後に対する考えが、諦めや悪い方へ考えてしまうと、「どうせどうなるか分からない死後の事は置いておいて、生きている時ぐらい好き勝手にしよう」という身勝手な心が産まれてくるのではないでしょうか。また一時であっても邪まな想像、考えをしてしまうのが人間であります。だから私達は、正しい教え、正しい信仰に目覚めなければならないのです。混迷を深めていく一方の現代社会、まるで法然上人がおられた時代とよく似ています。浄土宗の根底となる教えは、「万人平等救済・共生・非暴力」です。この教えが実現できれば、人々も安心して暮せるのです。法然上人が御往生の際に残された「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」とのお言葉。このお言葉には、法然上人の阿弥陀様に対する信頼が凝縮されております。この教えとお言葉を忘れずに、いつも意識して「お念仏」していれば、いつかきっと笑顔で毎日を暮らせる日が必ずくるでしょう。

■第1052話
「徒然草」の第三十九段には、こんな話が書かれています。ある人が、お念仏の最中、どうも睡魔に襲われます。どうしたらよろしいですか?と、ある人が法然上人に尋ねました。すると法然上人は、「目が醒めたとき、お念仏をすればいいですよ」と答えられました。なにも腿に錐を突き立てたりして、睡魔と格闘する必要はありません。眠くなったら居眠りをし、そして目が醒めたらまた一生懸命お念仏すればいいですよ。と、法然上人はそう言われました。この文章の原本には最後に「いと尊かりけり」と書かれています。『徒然草』の作者の吉田兼好の感想ですが、私も同感です。ほんとうにすばらしい答えだと思います。
法然上人は、我が浄土宗の開祖であります。法然上人はまた、こんなふうにも言っておられます。お念仏をするのに、こうでなくてはいけないといった決まりなんてありません。結婚をしたほうがお念仏を称えやすいのであれば、結婚すればいい。家に居てもよいし、流浪してもよい。他人の援助を受けてもよいし、自力の独力で生きてもよい。大勢の仲間と一緒のほうがお念仏を称えやすければ、大勢でやればいい。一人のほうがよければ、一人でお念仏すればいい。法然上人はそう言っておられます。非常におおらかな考え方であり、どこにもこだわりがありません。なにも窮屈に考える必要はありません。そう思って、私はいつも法然上人の言葉を思い出しては、ほっとしています。

■第1053話
「愛別離苦」という四字熟語を皆さんはご存じでしょうか。辞典を引きますと、「親子・兄弟(姉妹)・夫婦・恋人同士など愛し合う者との生別、死別する苦しみや悲しみ。」と記載されています。親が子を失うとか、子が親から離れるとか、夫婦、兄弟、朋友知己、その他、死に別れ生き別れ等々、考えるだけでも恐ろしく、いずれも耐え難き苦痛です。
浄土宗をお開きになりました法然上人も仏道に入る出発点には、正しくこの愛別離苦である父との死別がありました。この世での苦しみを経験した法然上人だからこそ、同じ悩みを持つ我々が救われる道を提示して下さっています。法然上人はご自身の著書で「人間は愛別離苦のような苦しみを持って現世を彷徨っています。そこから抜け出すには、人を超越した力、阿弥陀様の本願力におすがりして、極楽に往生する喜びを与えて頂き、苦しみを除くほかにないのです。それには南無阿弥陀仏と阿弥陀様の御名を称えれば、たとえそれが一声であっても必ず往生を得ることができるのです。」といっておられます。このなかなか抜け出せない苦しみが有る世界から、「南無阿弥陀仏」とお称えするだけで必ず極楽浄土に往生できるのですから、こんなに易しく勝れたことはありません。これが10年も20年も修行を積まなければ、往生を得られないものであれば、この世の中の人のほとんどは救われません。だからこそこの「お念仏の教え」は尊いのです。皆さんも、現世の苦しみから早く抜け出せるように、是非、ご一緒に「南無阿弥陀仏」と日々お念仏をお称えして、極楽往生を願いましょう。

■第1054話
私が僧侶になったばかりの頃、私は掃除をするのが苦手で、秋の落ち葉の季節など、掃いても掃いても枯葉が落ちてイヤになり、トイレ掃除の時などは、気分も落ちこみ、自分の部屋に到っては、ろくに掃除もせずに物がたまる一方で大切な書類なども見つからなくなる始末でした。私が僧階を取得した時に、尊敬する師僧に言われた言葉が「寺院で生活する者は、一に掃除、二に勤行、三に学問が大切である」と教わりました。しかしながら掃除に関しては「イヤだなぁ、大変だなぁ」という気持ちが浮かび一向に捗りませんでした。ある時、お檀家さん達が集まって行う寺院清掃の時に、あるお檀家さんが便器を掃除していて、私が「便器は特に汚れているので大変ですね」と問いかけたところ、そのお檀家さんは「便器のような汚れた所を掃除するのは大変だけど、みんなのためにすることなら自分が汚れたって構わない。汚れてる所ほど掃除し終わった時は、心が清らかになります」とおっしゃいました。私はその時、大変感動して、いままで自分の掃除に対する姿勢は何と愚かな事であったろうと思いました。そういえば、テレビである女優さんが「掃除をしたキレイな家に幸せはやってきます」と話していた事を思いだし、その当時は「何言ってるんだか」と聞いておりましたが、この時ばかりは、意味が分かる気がしました。家がキレイだから幸せはやってくるという事ではなくて、掃除をする事により、自分の心が清らかになるので幸せになるという事なのでしょう。私の師僧も「心が清らかでない限り仏道を歩んでも意味がない」という事を言いたかったのだと思います。今では、あれほど苦手だった掃除も自ら進んで行うようになり、1日の掃除に割く時間も徐々に増えていきました。これからもできる限り掃除の時間を増やして、それと共に、自らの心も、もっともっと掃除して清らかにしていきたいと思います。

■第1055話
仏道修行の中に『和顔施』という顔の施しがございます。いつも和やかな顔、やさしい顔のことで、ほほえみの施しでございます。私の所属している寺院には布袋様が祀られていて、毎朝、掃除の時に布袋様の顔を拝見すると、その日1日が晴れやかにスタートします。それというのは、布袋様があのニコやかな笑顔で笑いかけてくださるので、こちらも自然と笑顔になれるのです。笑顔というのは誠に不思議な力がございます。人が笑っているのを見るだけでも、心が和やかになり、好感がもて、自然と引き寄せられるものであります。もちろん自分が笑う事にも大変な功徳がございます。脳化学の世界では、笑う事は脳にとって非常に良い影響があると実証されています。笑うことにより、ストレスが軽減され、気分も晴れやかになり、脳が活性化されてポジティブ思考が生まれると報告されています。でも常にそんなに笑う事などないという人もいるかもしれません。そこで不可思議なのが、脳というのは、心から笑わなくても作り笑いでも効果があるということです。それというのも脳はダマすことができるそうなのです。自分がおもしろくない時でも「口角を上げて作り笑いをする」そうすると、脳は笑っていると錯覚するということです。その事を知って以来、私も気分が落ち目の時でも常に笑顔を実践しているのですが、これが効果的面でございます。どのようなものかといいますと、いろいろな物事が肯定的に考えられるようになり、自分自身の気分も良くなり、それはまるで、お念仏を唱えさせて頂いている時の安らかな気持ちに通じるものがございます。ぜひ、これからも、この笑顔の習慣を継続して、これを広めていきたいと思います。

■第1056話
お釈迦様の教えの中に『六方拝』という教えがございます。『六方拝』とは『東・西・南・北そして天と地の六方、すべてに感謝して拝みなさい』というものでございます。「東に向かい、自分を生んでくれた両親、祖父母、ご先祖様に感謝して拝みなさい」「西に向かい、家族(配偶者、子供)に感謝して拝みなさい」「南に向かい、お世話になった人生の師に感謝して拝みなさい」「北に向かい、友人や知人に感謝して拝みなさい」そして「天に向かい、太陽や空や宇宙や大気に感謝して拝みなさい」「地に向かい、食物をもたらしてくれる大地に感謝して拝みなさい」という教えでございます。現在の世の中は、若者を中心に、引きこもりやニートと呼ばれる人達が急増して社会問題となっております。このような人達の多くは「オレが」「私が」という発想で、周りの人達をみることも、いろんな物事を考えることもできない自己中心的な考えなのではないでしょうか、一方では、子供が親を殺したり、親が子供を殺したり、悲しい事件が増えております。現在の子供達は、両親を敬う、年長者を敬うことを教えられておらず、子供が親に感謝していないので、平気で親を殺してしまうのでしょう。また、そういう感謝を知らない親達が、子供を殺してしまうのでしょう。いつの時代も感謝の気持ちを忘れなければ、このような痛ましい事件は増えていないはずです。こういう時代こそ、お釈迦様の『六方拝』を実践して、「オレが」「私が」の我を捨てて、「おかげさまです」の感謝の気持ちを忘れずに生きていただきたいと願います。

■第1057話
今回は縁について考えてみようと思います。私達は生きていく中でたくさんの縁を授かっていると思います。両親がいて自分が生を授かり、両親にも両親がいて、その流れを継いで自分があるわけです。ご先祖のお陰ですね。そして生きて行く中で人との出会いがたくさんあると思います。出会いがあって人との関わりを持つことで自分が一人の人間として学びながら成長して生きて行けるんでしょうね。良いこと良くないことを見て、体験して、それをうまく活かして行くのは自分次第でしょうけれども、人との関わりって大切ですね。肉親、親戚、親友、悪友、友達、仲間、上司、部下、他にも気付かないうちに関わりを持つことがあると思います。それこそが縁なのだと思います。それこそが縁なのだと思います。また、私達はこの自然とたくさん関わりを持っています。光と水と大地、この中で育ったものを肉や魚や野菜や果物として食べていられるんですね。自然の中で、自然や人との関わりに恵まれてじぶんが生かされているんだと思います。自分が生きている中のそのすべて縁なのでしょうね。人だけでなく、自然の中で生きているものも命があるんですね。だからこそ自然は大切なのだと思います。食べる時のいただきます。そしてたくさんの縁に対してありがとう。言葉だけではなく、そういう気持ちを持って生きて行きたいものです。みなさんはどう思われるでしょうか。

■第1058話
今年もあと1ヶ月を切って寒くなってきましたね。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。夏は夏で厳しい暑さでしたね。天気予報では夏が厳しい暑さのあとの冬は寒さも厳しいそうです。世界的な異常気象だからでしょうか、昔より暑さも寒さも厳しかったり、冷夏だったり、暖冬だったり、四季がおかしくなってきているように感じます。昔は夏はアセをかきながらセミを追いかけたり、冬は鼻水をたらしながら半ズボンでかけずり回ったりしたものですが、今ではエアコンで快適な部屋から出たくないほどです。自分の部屋にはエアコンはありませんが、エアコンの効いているところへ行くと、やっぱりそこから出たくなくなります。つい昔の子供の頃を思い出してしまいます。年令的なこともあるんでしょうけれども、間違いなく気象は厳しく変わってきていると思います。そんな中でも元気に頑張っている人はたくさんいます。暑さ寒さに参ってしまう人もいます。わたしも参ってしまう一人なんですけれども、体が参ってしまう前に気持ちが参ってしまっているように思います。病いは気からとよくいいますが、本当にそう思います。何事にもそうなんでしょうが、弱気になってしまうと何もできなくなってしまうし、何をする気にもならないですよね。そうならずに強い気持ちをもって暑い寒いの中、仕事がきつい中、悩みのある中を頑張っていかないといけないと思います。せっかくもらった命ですから。

■第1059話
年末もおし迫り、朝と夜の寒さが少しずつ厳しくなってまいりましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。この1年はみなさんにとってどんな1年だったでしょうか。人それぞれいろんな1年を過ごされたことと思います。良い1年だった人もいれば、やたら長く感じた1年だった人や、良くも悪くもなく、となく1年経ってしまったような人もいると思います。わたしの場合、今年に限らずストレスな1年のわりに振り返ると1年が早いように思います。1年が良かったにしろ、悪かったにしろ、1年を振り返ることができて、また新しい1年を迎えることを喜べることが大切なのではないでしょうか。1年を振り返ることができるのも、新しい1年を迎えることができるのも、生きているからこそなのではないでしょうか。生きているからこそ、1年を振り返って反省し、新たな気持ちで次の1年を過ごせるのではないでしょうか。今年は終わっても今年で終わりじゃないんです。来年があるんです。来年頑張ればいいんです。頑張るしかないですよね。頑張っていればいつか報れる。小さなことでも何かひとつでも頑張って良かったと思えたら幸せなことだと思います。欲張るのではなく、頑張って自分の意志を強くもって生きて行けたらいいと思いますが、みなさんはどう思われるでしょうか。

■第1060話
あけましておめでとうございます。皆様のお家ではどのようなお正月を迎えられましたか。年の始め、一家揃って「おせち」を囲む。出来れば、お仏壇の有るお部屋にお膳を出し、先立つご先祖さまもお迎えしてのお正月でありたいものです。「親しい中にも礼儀有り」ではないですが、この時だけは身なりを正し、新しい服に袖を通さないまでも、「もう一日ぐらい」と前の日に着ていた物を、また着ることだけは避けなければいけません。新しい門い出です。「身内で過ごすお正月だから」と、安易な考えはいけません。お宅によっては、元旦の朝にわざわざ風呂を沸かし、身を清めてから、新年のお膳に着くといった家もまだまだございます。両指をきちんと畳に付けて「明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。」と互いに交わす新年のご挨拶。本来ならこのご挨拶は、まず、ご先祖様に申し上げるべきでしょう。
御魂を御安置します、仏壇に向かって、手を合わせ、「同称十念」の発声と共に、「南無阿弥陀仏」と十遍のお念仏を、一家揃ってお供えしたいものです。愈々お膳の席に着きます。たいていは、ここで、気が早い子供たちは、「お年玉を!!」と催促の手を伸ばしてくるかもしれませんが、まだいけません。年少から順に杯を回して御屠蘇いただきます。次に、家の統主があらためて新年の挨拶を家族に述べ、去年一年を振り返りつつ新年の抱負をお話します。どういう所がいけなかったか、思いやりに欠けていたとか、小さなことへの反省も言葉にし、「お互い様」の社会の下で、煩悩に縛られた「わがままな私」を省みることの大切さを、年長者として家族に伝えられれば大したものです。同様に、下の者から順に、去年一年を振りかえって、今年の目標を告白します。「よく気がついた。えらいぞ。今年も頑張りなさい」と、ここで初めて一人一人に「お年玉」を振る舞う訳です。このようにお正月の年頭のご挨拶は、心の通い合った家族だからこそ、その皆の前で、自分自身を反省し、且つ懺悔をみずから告白する。そして、その至らないお互いを、皆で助け合って、この一年間を過ごしてゆきましょうと、家族の絆を再確認できる大切な伝統行事といえます。 
 

 

■第1061話
皆様のご家庭では、新年の初め、お屠蘇をお飲みなりましたか。お屠蘇という漢字、実は、お正月のお祝いには少し似つかわない字を書きます。お屠蘇の「屠」は、「屠殺」の「屠」で、動物を殺してその肉を割くことを意味します。物騒ではありませんか。ばらばらにして殺すなんて。お正月は、新しい年を迎えるお祝いと共に、旧年を振り返る反省の機会でもあるのです。至らない私が、愚痴のつきない私が、それでもどうにかこうにか、お蔭様で新しい年を迎えさせて戴いた。目に見えない、量り知れないお蔭様と、お互い様の御縁に支えられて、ここまで来れたのです。自分のご都合がすぐ先になってしまう私。自分のことを棚にあげて、他人様をつかまえては、「あの人はいい加減だ、あの人は嘘つきだ」と、なんと沢山の人を悪人に仕立てたことでしょう、何と沢山の人を押しのけてきたことでしょう。このいけなかった私を一つ一つ、振り返って思い出し、その一つ一つを懺悔して、退治していく。余計なことや辛いことを言ってしまったこともお詫びするのです。随分と無駄に食べ物も捨ててしまったかもしれません。お互い様の尊い命なのに、これもお詫びしなくてはなりません。
このように、見えないご縁、阿弥陀様の尊い慈悲の心に見守られて、至らない私が日々を頂いているのです。少しぐらい、真っ直ぐ、人の道を歩いてゆかないと、仏さまに申し訳ないじゃないですか。また、バチがあたりますよ。己れの進むべき道を今一度正してみる。己れを正す月、だからお正月。御屠蘇の「蘇」は、「蘇生」の「蘇」。「よみがえる」と書きます。命が生まれ変わるという意味です。正しい人の道、頑張って歩んでゆきませんか。ちなみに、鏡餅の上に飾るのはみかんではなく「橙ダイダイ」。「先祖代々家が栄えてゆきますように」という願いもあるかもしれませんが、辞典を引くと「橙」は「回春橘」とあります。柑橘系の中でも「橙」は特種で、春暖かくなるまで、実が落ちないと、枝に残った橙の実は、また緑色に戻って行くそうです。仏様の命を戴いた「本当の私」に帰らさせて頂く。そう願った古の人が、「生きていく中に何が大切なのか」、そんな話を子供たちにお話をして聞かせたのかもしれません。

■第1062話
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」 皆様はこの言葉をどのように受け止めらますか。「ふざけたことを言いやがって」とお怒りなる方 「なるほど、その通り。うまいことを言うな」と感心する方 中には、新年早々から皮肉をこぼして「正月を迎えて、めでたいめでたいと浮かれているが、何がめでたいものか。わしは、死ぬ日にまた一年近付いたというのに。」という方もいるかもしれません。それでは、あと何回お正月を迎えたら私たちはあの世に旅立つのでしょうか。たしかに一里近づいたかもしれませんが、それでは、冥土まで一体あと何里有るのでしょうか。所詮、自分の「死ぬ日がいつか」ということは誰にも解かり得ません。「毎日毎日が死に近づいている、刻々とこの身をすり減らしながら私は死に向かっているんだ。」などと考えていたら、とてもやるせなくて、それこそストレスで寿命を早めてしまうかもしれません。いつ、どんなことが有って、どんな災難や思わぬ病気に見舞われて、命を奪われるかもしれないのはお年寄りだけでなく、この私もふくめて誰もが逃れられない「諸行無常」の道理なのです。どんな宗教でさえも、私の死ぬ日がいつかなんてことは解かり得ません。どんなに先進医学が発達した未来でも、永遠に変わらない真理なのです。むしろ、いつ死んでもおかしくないこの私が、不思議にも今日一日また生かさせていただける、このことの方が大事なのではないでしょうか。
あの日あの時、あの病いで、あの事故で、死んでもおかしくない私が、今日、今、この日をまた与えられたのです。だんだん擦り減っていく、あいつはあんなに多いのに俺はこれだけしかない、と損したみたいに考えるから、愚痴が出るのです。やりきれなくなるのです。それこそ不平不満なかりの人生となり、愚痴っぽかったり、つまらない顔をしていては、だれも笑顔で近寄って来てはくれませんよ。「今日も一日いただいた。お蔭様でこの一年、またこの季節を迎えられる。決して死ぬ日に近づいたんじゃない。有り難いことに、今日という日をまたいただけたんだ。」と、うれしく思えるなら、おのずと自分の仕事にも励みが出るのではないでしょうか。そうすれば、自然と両方の手のひらも合わせられるものです。今年もまた一年、日々大切に、常に感謝のうちに暮らしてゆきたいものです。

■第1063話
日本記念日協会によると、2月2日は「おんぶの日」となっています。従来のものよりも楽に子どもをおんぶできるひもを製作した横浜市在住の母親が制定したもので、2月の2は、おんぶしている親をあらわし、2日の2は、おんぶされている子の姿に見たてているとともに、親も子もニコニコと笑顔でとの願いも込められているとのことです。なるほど我が子を見てみても、母親におんぶされている時の表情は、親にすべてを託し、無垢で安らかなものとなっており、周囲も自然と笑顔になります。また私自身、子どもの頃に両親におんぶしてもらったり、抱きしめてもらったりした時の温もり、安心感は、大切な思い出となっています。しかし、当然ながら人はいつまでも親におんぶされているわけにはいかず、いつの間にか親の背中を離れ、おんぶをしてもらっていた時の、何の疑いもなく素直であった気持ちも忘れてしまうことがあります。そして、いろいろな問題、悩み、苦しみに直面し、日々心を迷わせるようになります。こうした私たちを、阿弥陀様はいつでもどこでも、お慈悲の光で温かく照らして見守って下さっています。
阿弥陀様と、お念仏をおとなえする私たちとの関係を、親子の縁と書きまして「親縁」とも言いますが、阿弥陀様は、私たちのことをまさに我が子のごとくに案じてくださっています。うれしい時も悲しい時も常に私たちに寄り添い、励ましてくださっています。この尊い親心に気づき、阿弥陀様を素直に信じてお念仏をおとなえすることにより、阿弥陀様の温もりを感じることができるのです。さしずめ、お念仏が阿弥陀様と私たちとをしっかりとつなぎ止めてくれる「おんぶひも」ということになりましょうか。日々お念仏をおとなえし、阿弥陀様に心をぴったりと寄せ、温もりを感じながら、ニコニコと笑顔で毎日を過ごしたいものです。

■第1064話
一年で最も寒い今の季節、夜空を見上げると星がとても綺麗に瞬いています。それら星の研究の一説には、巨大な彗星が何年かの後、地球に衝突するかもしれないと言われているそうです。そして、その場合には地球が滅んでしまうだろうとも言われているそうなのです。私はその話を聞き、とても驚きました。また同時に、その話を聞いたある人は、彗星が衝突する寸前になって初めて人類が戦争や醜い争い事を止め、世界中に平和が訪れるのではないかと言ったそうです。なぜなら、言うまでもなく地球も人も全てが滅んでしまうから戦争や争い事をしていてもしょうがないということなのです。とても悲しい話です。
浄土宗をお開き下さった法然上人は、幼き日お父様を、敵の夜襲によって亡くされました。幼い法然上人はどんなに悲しく、苦しく、悔しかったことでしょう。普通の人なら、仇に復讐をしてしまうかもしれません。しかし、法然上人は父の仇に復讐をしなかったのです。なぜなら、それは自分が復讐をすれば、また相手の家族に恨みを買い、その家族が自分に復讐をする。そのような憎しみ合いが永遠にくりかえされてしまうと考えられたからだそうです。そして、その後法然上人は出家をされ、浄土宗のお念仏の教えをお示し下されたのです。とても立派な考え方だと思います。もう皆さんはお気付きだと思います。人類は彗星が衝突する寸前まで戦争や争い事をし続けるべきなのか。それとも、その前に法然上人のように争うことを止め、人類の幸せを望む考え方をするべきなのか。現在も世界中いたるところで人類同士の争い事が絶えません。我々の住む日本、あるいは我々の身近な社会、家庭においても例外ではありません。我々は、そのような時、是非夜空の綺麗な星を見上げ、地球の平和、人類の平和、社会や家庭の平和を願いつつ自分自身の心を静め、法然上人のお説き下さったお念仏をお唱えしましょう。

■第1065話
2月も半ばを過ぎましたが、28日は何の日かご存じでしょうか?浄土宗では、この日を「鎮西忌」(ちんぜいき)と定めています。鎮西忌とは、聖光坊弁長(しょうこうぼうべんちょう)上人のお命日のことです。聖光上人は鎮西地方、現在の九州北部にお念仏をひろめたことから鎮西上人とも呼ばれ、宗祖法然上人に続く「第二祖」と敬われています。聖光上人は1162年、現在の福岡県の武士の家に生れ、のちに仏門に入り、38歳の時から6年にわたり法然上人にお仕えになりました。法然上人がお伝えになったお念仏のみ教えとは、「南無阿弥陀仏と一声でもお称えすれば、最期の時には、必ず阿弥陀様が極楽浄土へすくい取ってくださる」ということです。しかし、その教えを勝手に解釈し、お念仏を称えれば必ず救われるのだから、一回称えればじゅうぶんだ、あるいはお念仏は称えれば称えただけ御利益がある、などと言い出す人たちが現れました。これを憂えた聖光上人は、ご自身が法然上人からお聞きしたことを、主観を交えずに書物にまとめられました。これを『末代念仏授手印』(まつだいねんぶつじゅしゅいん)といい、浄土宗の大事な経典のひとつです。ほかにも重要な書物をいくつも著され、1238年、77歳でお亡くなりになりました。
聖光上人が正しく伝えようとした法然上人のみ教えとは、「ただ一向に念仏すべし」です。浄土宗における、修行や心の持ち方は、全て「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えすることにつきるのです。お念仏を一声でも称えれば、阿弥陀様がおすくいくださいます。 しかし、阿弥陀様とお念仏の尊さを常に身近に感じるためには、お念仏をおとなえし続けなければならない、と法然上人はおっしゃっておられます。

■第1066話
「おれがおれがの が をすてて おかげおかげの げ ですすめ」 私たちが今、こいして人として過ごせているのは数多くの協力があるからだということにに気づいていますか? 自分は一人で生きている。働いて生きている。こう考える人もいるかもしれませんが、これは傲慢の心でありまして、働くのも自分だけでは出来ませんが、体にあるもの、どれ一つとっても自分で作ったものではないのです。私たちは生かされていると同時に、ひとり立ちして生きることも出来ていないのです。みんながもちつ、もたれつつ支えあって生活しているのです。おれが、私が、自分だけが、という姿をいさめているのが仏教です。仏教の言葉で「我慢」とありますが、自分の心の「我」をおさえ、自分だけが偉いというような姿をいさめることです。
法然上人は、常に愚鈍の身という言葉を使われていますが、それは愚かな自分が、多くの人たちのおかげで、日々を送らせていただいているという謙虚さの表れであります。私達も法然上人のそのお姿を偲び、感謝の姿で、じぶんのわがままさを押さえることを心掛けていきたいものですが、なかなか理想どおりの自分にはなれない現実です。けれどもそんな人間でもよい、我が名を呼んで来いと、ずっと前から阿弥陀様は呼びかけてくださっているのです。私達はその阿弥陀様のお慈悲を信じてお念仏の生活をするのです。

■第1067話
上り、下り 私たちは生きている間、すでにいろいろ感じ、身の周りの何かしらの出来事によって気持ちが変わる毎日を過ごしています。楽しいこと、悲しいこと様々ですが、それを人生の上り、下りとして表して見ますと、上りとは、すること、なすことが順調な状態であり、下りとは不運、不幸が重なる時と言えるでしょう。人生の下りの時には、なかなか自分の姿が見えないものです。一度立ち止まって自分の心を覗いてみたいものです。何の苦労もなく生きていくのが幸せかもしれませんが、人生は、生まれてきて、そして老いていく、病気をして、死んでいくという生老病死の四つの苦しみ、愛しい人と別れていく苦しみなどを経験し、はじめて人生というのが分ってくるものです。苦しみ、悩みというものは月日が経っていきますと、すべてが楽しい、懐かしいというような思い出となっていきます。私たちの受け取り方が変わっていく、心を育てて頂いているからです。それらを阿弥陀様からのお慈悲であると受け取めさせていただくと、おのずからお念仏が口から出てまいります。どんな苦しみ、悩みに出会っても、そんな私たちだからこそ阿弥陀さまがお慈悲を与え、南無阿弥陀仏と申している我々の声を漏らさず、救ってくれるのです。

■第1068話
一期一会 「一期一会」という言葉があります。「この人と会うのは、この時かぎりかもしれない。だから、今この人と会っているこの時間を大切にしよう」という意味ですが、私たちが、美しいもの、楽しいもの、感動できるものなどに接して喜びを感じ、満足感を得ることのできる時は、昨日でも明日でもありません。「今」という瞬間です。すべてのものは移り変わる、今日は再び来ないという教えです。いわば人生は、この一期一会の連続のようなものです。いつの時代でも「今」の積み重ねです。今という一瞬を意義あるものとし、その積み重ねを繰り返して、希望ある未来へとつなげていくのです。今日この一日というものを大事な大切な一日にしたいものです。今日こそがお互いが生かされて生きている証です。昨日は過ぎ去り、明日はまだ参りません。仏法とは今日只今を空しく過ごさないことです。浄土宗では今、お称えするお念仏こそが大事なのです。お念仏は、やがて死すべき私が、このように生かされていることのありがたさ、尊さに気づかせていただくと同時に、いづれ訪れる自分の行き先を確信するものであります。行き先とは阿弥陀様の世界。極楽浄土です。浄土宗をお開き下さいました、法然上人は「生けらば念仏の功積もり、死なば浄土へ参りなん、とてもかくてもこの身には、思いわづろう事ぞなきと思ぬれば、死生共にわづらいなし」とお示し下さっています。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えさせていただき、阿弥陀さまが、この私をお守りくださっていると信じて、今日、只今を、生抜くことが大切であり、今をよりよく生きる方法であるのです。

■第1069話
このたびの東北関東地方を襲った地震、それにともなう大津波により被災されました皆様にはこころよりお見舞い申し上げます。あまりにも大きな地震そして想像すらできない大津波に私どもはただどうすることもできず、うろたえるだけでありました。また、原発事故により余震だけでなく放射能による健康被害に日々不安をかかえている状態であります。いくつもの不安や苦しみが重なり、希望の光すら見えない思いで毎日お過ごしかもしれません。今年は法然上人八百年遠忌の年で、本来であれば、この四月は各総本山で法要がお勤めされる予定でございましたが、これも延期となり残念であります。ただ、この法然上人八百年で受けとらせていただく大切なことに改めて気づかされる思いです。考えてみれば、いつの時代においても天災地変は絶えず、法然上人のご存命の時でも地震災害はすさまじいものでした。平安期のある記録を見ますと、毎日のように、地震、地震、地震、とたて続けにその様子が記され、人々が命を失う記事もみえます。世の無常に私どもはただ無力であります。だからこそ、法然上人は必ず救われる教えとして、お念仏のみ教えを説かれたのです。私どもは何一つできない弱い存在なのです。思い上がっていると、そのことには気づけません。阿弥陀さまは、このどうすることもできない私を救うとおっしゃいます。今私どもは、この現状の中で皆が支えあって、励ましあって進むしかありません。ただ、くしくもいざという場面に直面した時、あなたを救いますという阿弥陀さまの声がどれほど心強く頼もしいものでありましょうか。念仏ですぞと説かれた法然上人のみ心はここにあります。法然上人のただ一向に念仏すべしとのお言葉が、八百年の歴史を越えて、聞こえて参ります。いつでもどこでも、どんな状況にあってもお念仏です。

■第1070話
このたびの地震、大津波で被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げ、命をなくされました方それぞれの皆さまにお念仏申し上げます。信じられない惨事に私どもはただただ言葉を失います。そして今だに行方がわからない方が大勢いらっしゃる。そのご家族、ご親戚、ご友人の皆様に何の声もかけられない思いです。大切な方をなくされました方は、どうこの死を受け止めてよいのかとただお嘆きになるばかりかもしれません。そうした皆様は是非、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とお念仏の回向をしていただければと思います。どうぞ阿弥陀さま、救いとって下さいの思いで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えるだけでよろしいのです。阿弥陀さまという仏様は、念仏称えるものをかならず阿弥陀さまのお浄土、西方極楽浄土へお連れ下さいます。亡くなられた方を救いとって下さいと念仏の声を届ければ、阿弥陀仏が光明を放って、その方を救いとっていただけます。このたびのように、悲しくも離れ離れになってしまった方、行方すらわからず胸がはりさけそうな思いの方など色々いらっしゃると思いますが、南無阿弥陀仏で必ず極楽浄土で会うことだけは確実なのです。いるところすらわからないと苦しい思いの方も、念仏でつながるのだと信じていただければと思います。法然上人がおかくれになってから八百年という月日がたちますが、まことにその八百という数字に生きた信仰があると思います。こんな時だからこそ、ただ念仏を称えなさいとお諭しくだされた法然上人のみ教えは、いつ何がおこるかわからない無常の世を生きる一方、何一つできないこの私を救ってくださる究極のみ教えなのだとうけとらせていただきましょう。  
 

 

■第1071話
このたびの東日本を襲いました大震災で被災されました皆様には心よりお見舞い申し上げます。地震から一日一日たちますと、全国、また世界中からの暖かい支援の声が届けられ苦しみ、不安の中にあってもいくらか心も温かくなります。皆で支えあい、助け合いしてこの困難な復興の道を乗り切っていきたいと願います。しかし、そうした中にあっても各現場は混乱であります。デマはとびほうだい、盗難はおこる、愚痴のいいあい、資源物資がとどかぬ思いからの不満不平などが多く、また、被災地から離れたところでは物資の買占めなどもあり、人間のどこまでも身勝手な側面もやはり各所で噴出したようであります。我慢を強いられながらも、それには限界がありますし、何を信じてよいのかわからないと苦しい思いでいらっしゃる方も多いのではないかと思います。そんな時は南無阿弥陀仏と阿弥陀様のお名前、お念仏をお称え下さい。お念仏をお称えしてまいりますと、たとえ苦しい状況にあっても、阿弥陀さまが正しい道を歩めるよう導いて下さいますし、常に念仏する者をお守り下さいます。突然、大切な方を失って、途方にくれている方もおられましょう。大丈夫ですよ。阿弥陀さまは常に寄り添い一緒にいてくれます。そして、ついにいざという時には、必ず極楽浄土という苦しみのないところへおつれ下さいます。法然上人も八百年も前から、阿弥陀さまを信じて念仏を称えるのですぞと、ただそれだけを説きつづけられたのです。改めて信仰の扉を開き、信仰を深めることです。どうぞこんな時だからこそ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と声に出す毎日とさせていただきましょう。

■第1072話
みなさん、輪廻という言葉をご存じでしょうか。輪っかの「輪」に「めぐ廻」ると書きます。人が亡くなると、また違う命に生まれ変わり、それが輪っかのように途切れることなく繰り返される、というインドで生まれた考え方です。輪廻という言葉をご存じの方は、これは仏教の考え方と思われるかもしれませんが、実は違います。むしろ仏教では否定される考え方です。今回はこの輪廻に関連して、浄土宗のお祖師様のひとり、曇鸞さまのお話をしたいと思います。曇鸞さまは中国のお坊様ですが、その曇鸞さまがかつて、お念仏の信仰を持つまえ、仏教の修行を重ねていた途中、一時、中国に伝わる長生きの仙人になる方法を学んでいたことがありました。その折に、インドから来たばかりの有名なお坊様と会う機会があり、そこで曇鸞さまは、「長生きの仙人になる方法より、優れた「仏教の教え」はありますか?」と尋ねました。それに対してそのお坊様はこう言います。「なんという質問か、比べるどころのものではない。この世のどこに長生きの方法があるのか?たとえ少し長生きしたとしても、しばらく死なないだけである。結局は輪廻を繰り返すだけだ」と。そして『観無量寿経』というお経を曇鸞さまに授けました。そして続けてこう言います。「これは仏教の偉大な教えである。これによって修行したならば、必ず死から解脱できるであろう」と。曇鸞さまはこのお経を丁寧に頂戴しました。この出来事は曇鸞さまにとってとっても衝撃的だったと思います。そして授けられたお経を読みふけり、ついに、だれにでも行うことができる、輪廻から外れる方法を発見したのです。その方法こそ、お念仏により、阿弥陀様の浄土へ往生することだったのです。実はこの瞬間こそ、浄土宗のもととなる教えが生まれた瞬間でした。

■第1073話
浄土宗のお祖師様のひとり、曇鸞さまがおもしろいことをおっしゃっています。われわれ罪深き凡夫が、なぜそのままにしてお浄土へと往生することができるのかについて、それを「氷」と「火」によって譬えています。氷と火。氷の上に火を置いたならば、じきに氷は溶け、水となり、その水で火は消えてしまいます。もしその火が激しく燃えていたとしたら、なおさらです。すぐに氷がとけ、火は消えてしまうことでしょう。この「火」とは、人の罪の深さをあらわしています。人が生きるということは、それ自体が罪を重ねること、といって過言ではありません。普段の食卓をみれば、それはすべて命があったものです。ベジタリアンならば、それはないということはありません。植物にだって命はあります。そのように、先ほどの譬えでいうならば、誰もが、大なり小なり、罪という名の「火」を持っているのです。ましてや、人をあや殺めてしまった人は、どれほど大きな火となるのでしょうか。しかし、その人がどんなに罪深い人でも、お念仏をお称えさえすれば、阿弥陀様はその慈悲深い心によって、その人を受け止めてくださいます。先ほどの氷とは、まさに阿弥陀様の慈悲深い心をあらわしています。したがってその人がどんなに大きな火をもっていたとしても、その火を消すのに十分な大きさの氷をもって受け止めてくださいます。そして火が大きければ大きいほど、素早くその火を消してくださるのです。
法然上人の『一紙小消息』というお手紙のなかに、「自分は罪深い人間であるから往生など叶わないのではないか、と疑ってもいけません。お釈迦さまは〈たとえどんなに罪深い人であろうとも、阿弥陀様が見捨てるということは決してありません〉とおっしゃっているのですから」とありますが、まさにこのことをあらわしているのです。

■第1074話
今回は、浄土宗のお祖師さまのひとり、道綽さまの「小豆念仏」についてお話したいと思います。道綽さまは、現在の中国の山西省のあたりで、お念仏の教化をすすめていました。あるとき、道綽さまは、まだお念仏をお称えしたことのない人たちに対して、ある方法でお念仏を広めようとされました。それはお念仏を、ひとたび「南無阿弥陀仏」と称えるたびに、小豆を一粒ずつ渡してゆくというものでした。町に子どもたちが遊んでいるのを見かけると、道綽さまは声をかけます。「お坊さんのいうとおり〈南無阿弥陀仏〉と称えてごらんなさい。ご褒美にこの小豆を一粒あげますよ。」と、道綽さまがやさしく語りかけると、子どもたちは喜んでお念仏をお称えします。そして一粒の小豆をあげると、何十遍、何百遍と繰り返し、お念仏の数が増えていきます。そして子どもだけでなく、多くの大人たちも、道綽さまの求めに応じて、多くのお念仏をお称えするようになっていき、実際にお念仏の信仰が広まっていったそうです。この話を聞きますと、子どもや大人を問わず、お念仏が広まっていったということは素晴らしいと思う反面、小豆がほしいがためだけのお念仏であった、まさに「空念仏」、心のこもっていないお念仏では称える意味がないのでは?とも思ってしまいます。もちろん、阿弥陀さまを信ずる心を深く持ち、お念仏を称える方が良いといえるでしょう。しかし、信心が確立しないとお念仏をしてはいけないという訳ではありません。法然上人は「三心がまだ欠けていると感じたならば、何としても具わるようにしようと心を奮い立たせて、お念仏に励むべきです」。また「三心は、心から往生を願ってお念仏をお称えしている人には自ずと具わるものなのです」ともおっしゃっています。まずはお念仏をお称えする、ということが大切だといえるでしょう。

■第1075話
皆様は生まれ変わったなら次は何になりたいですか? おそらく、どなたでも一度は考えたり話したりした経験がある事だと思います。私達は過去世から現世、そして来世へと言う6道輪廻を繰り返しているのです。6道輪廻とは、天人の住む天道、私達のいる人間道、争う世界の修羅道、動植物の世界の畜生道、飢えの苦しみを味わう餓鬼道、地獄道の事を申します。この6道の何処に転生するかは自分で選ぶ事は出来ず、善因楽果、悪因苦果によって転生先が決まるのです。善因楽果とは良い行いに対して得られる良い結果の事で、悪因苦果は悪い行いに対して起こる悪い結果の事です。例えば、畜生道の魚として生まれ、人間に食べられたとします。その人間の命を繋ぐ事は出来ましたが、その食べた人間が繋いだ命で悪い行いをしたとします。それでは悪行の手助けとなってしまったので善因楽果を受ける事が出来ないのです。そんな途方も無い生死を繰り返し、何かしらの善意楽果をたまたま得る事が出来て、私達は今、人間道に産まれる事が出来たのです。
さらには、法然上人の浄土宗に出会い、南無阿弥陀仏と申すこと事で、苦しみの6道輪廻から抜け出し、阿弥陀様のお作りになられた極楽浄土へ往生できる千載一遇の機会を得ているのでございます。人間道のみ助けを求める声を発することが出来、その助けを求める声に答えが用意されている世界なのです。私達は罪深き愚かな凡夫ですので日々、南無阿弥陀仏と申して往生するときの功徳を積む必要があるのです。法然上人のお言葉で、行は一念十念猶むなしからずと信じて無間に修すべし、一念猶生まる言わん況や多念をや。とある様に、一念でも往生出来るなら、十念、百念と更に増やし、極楽浄土への往生を確実なものにする為、毎日、毎日お念仏を申す必要があるのでございます。

■第1076話
3月の大震災による計画停電の時のお話です。初めて明かりの無い夜の町を歩いた方も少なくはないと思います。夜でも明るい現代社会に慣れて育った私は興味本位もあり、少し外へ出かけてみました。実際に歩いてみるといつもとは違い、慣れた道も暗く不安になるのですが、建物の隙間から差す月の明るさに驚きを覚えました。「この暗闇でも月の光はこんなにも道を照らしてくれるものなのか」と思い知らされたと同時に、宗歌を思い出しました。
皆様は浄土宗の宗歌をご存じでしょうか? 「月かげの いたらぬさとはなけれども ながむる人のこころにぞすむ」 という法然上人の歌われたものです。この歌は、阿弥陀様の光明を月の光に例えたものです。月の光は分け隔てなく降り注ぎ、暗い夜道を照らしてくれています。その月の光の有り難さに気付き眺める者、つまり阿弥陀様の光明に気付いた念仏信者こそが、その恩恵をこうむり、不安な心に光を宿し、心が澄むのであるという歌です。このすむとは心のモヤモヤが晴れるかの様に澄みわたるの澄むであり、阿弥陀様が心に住まわれると言う意味の住むではないとされております。
今年の夏も計画停電が在るかもしれません。現代において不便を感じる方も多いと思います。しかし、私達浄土宗の念仏信者であられる方々には、月かげの歌を思い出して頂き、法然上人が眺められた月の光を今一度眺めて見て下さい。そして、阿弥陀様の光明を感じて南無阿弥陀仏とお唱えしてみるのは如何でしょうか?自らの極楽浄土への往生の為、そして震災に遭われ亡くなった横難横死の方がたへのご供養に南無阿弥陀仏とお唱えし、霊位をご回向する事も私達に出来るボランティアではないでしょうか?

■第1077話
食事をいただく前に多くの方々が「いただきます」とお唱されているのではないでしょうか。この「いただきます」という言葉を皆様はどの様な念を持って唱えられていますか?食事を作って頂いた方に感謝の意を込めて「頂きます」と唱えられている方、食材の命を頂くと言う意味で唱えられている方。特に考えず習慣で唱えられている方と多々いらっしゃると思います。では、浄土宗の食前と食後に唱える言葉はご存知でしょうか?食前の言葉は【われここに食をうく、つつしみて天地の恵と人々の労を謝し奉る。十念】 そして、食後の言葉は【われ食を終わりて、心豊かに力身に満つ、おのがつとめにいそしみ、誓ってご恩にむくい奉らん。十念】と唱えます。
この世に生を受けた以上、何かしらの命を頂かなければ私達は生きて行くことは出来ません。しかし、仏教では不殺生戒と言う戒律があるのも確かです。では、この戒律の本当の意味はどこにあるのでしょうか。ある命を頂くことで、私達が命を繋ぎ、その繋いだ命で善根功徳をする、もしくは良い行いをする為に必要であったならば、その命は善因楽果を受けられ、後の生において仏の加護を賜ることができます。つまり、命を頂く人間が感謝の念を抱き、良い行いの為に必要な量であれば、殺生が許されるという事ではないでしょうか?命を頂く側の私達は頂いた命で何をなすべきなのか?私達の行動次第で頂いた命の後の生に大きな違いが出来てしまうと言う事を、しっかりと理解しなくてはならないのです。私達は唯一声に出して救いを求めることが出来るのです。その声を頂く命にふり向けて食前の言葉、食後の言葉を申して「南無阿弥陀仏」と申して頂ければ救われる命もあるのでございます。

■第1078話
「盆と正月の里帰り」などといわれるように、お盆はお彼岸とともに昔から日本人の心に深く根づいた仏教行事で、古代インド語ウランバナの音訳、「逆さまに吊されるような苦しみ」を除く行事です。その由来は「盂蘭盆経」というお経によっています。それによりますと、お釈迦さまの十大弟子で「神通第一」といわれる目連尊者が、ある日、亡くなった自分の母親のことを神通力を使って見ていると、なんと母親は餓鬼の世界に落ちて、苦しみにあえいでいました。びっくりした目連尊者は、お釈迦さまのところへとんで行き、どうしたらよいかを相談しました。するとお釈迦さまは、「7月15日に、90日間の雨季の修行を終えた僧たちが集まって反省会を行うから、その人たちにごちそうをして、心から供養しなさい。そうすれば、その功徳によって餓鬼道に堕ちた母親の罪業も除かれるであろう」とおっしゃり、その通りにすると、目連尊者の母親は餓鬼の苦しみから救われました。お釈迦さまはさらに「同じように、7月15日にいろいろな飲食を盆にもって、仏や僧や大勢の人たちに供養すれば、その功徳によって、多くのご先祖が苦しみから救われ、今生きている人も幸福を得ることができよう」とお説きになりました。これがお盆の行事の始まりです。お盆には精霊棚を飾ってご先祖をお迎えし、菩提寺の和尚さまに回向していただき、また菩提寺へ行ってお墓参りをして、数多くのご先祖を心からご供養いたしましょう。

■第1079話
いよいよお盆を迎える訳でございますが、この行事は亡き父母やご先祖様方などが餓鬼道で苦しみを受けているようならば、なんとかして救いたいとの願いから生まれたものであり、先にお浄土へ往かれた祖先を我が家に迎え、数日の間飲食を供養し、再びお浄土へ還っていただくという、亡き方と一年に一度親しく語らい、孝を尽くすみ霊まつりであるわけです。
「盆は嬉や 別れた人も 晴れてこの世に あいにくる」
お盆は生まれ難き人間として生まれた私たちの命を考えるのにも適した期間であります。父母を縁として受けた私たちのこの命ですが、二人の親には四人の祖父母、八人の曾祖父母がおられ、倍々にしていくと数えきれないご先祖の命を受け継いでいることに気づかされます。漢字の「恩」という字は、「因」の下に「心」と書くように、数えきれない程のご先祖方が命の因と知って心に受け止める姿を示しています。
「咲いた花見て喜ぶならば 咲かせた根元の恩を知れ」
このような言葉があるように、ご先祖方のご恩を「おかげさま」と受け取る姿が報恩感謝の合掌の姿であり、阿弥陀佛さまの御名を呼ばしめる喜びの声がお念仏です。精霊棚にお帰り頂いたご先祖様には多くの恩がございます。お盆はそのご恩に報いる絶好の機会と捉えて頂きお香や華、お灯りや沢山の食べ物などで「いますが如く」ご供養して頂き、そして、お念仏を申して感謝の誠を捧げて頂きたいと思います。

■第1080話
私たちが今日こうして生きているのは、目に見えない多くの人達の支えがあったからに他なりません。また、遠くは先祖から、どれだけ多くの命が重ねられてきたことか計り知れません。周囲の人たちや先祖の恩はもちろんのこと、それをつつむ阿弥陀様の広大な慈恩があることを忘れてはなりません。お盆では餓鬼に施すという作法によって、自らの欲を離れ、その善行功徳を先祖に供養します。世話になった人たちへの感謝の贈り物や、施しという善行は、いずれも私利私欲を離れた純粋無垢な気持ちの表れといえます。見返りを期待しないからこそ相手に心が通じるのです。人間には本来様々な欲望があります。仏教の布施は、その本質的な欲を少しでも離れ、自らのすがたを見つめ直すことを教えています。仏道修行の基本パタ?ンとして、六波羅蜜というものがあり、その第一番目に布施行があることからもわかるように、無欲の施しの精神こそ、仏教で一番基本となる大切なところなのです。この心には自ずと感謝と慈しみがともないます。浄土宗がよりどころとしている「浄土三部経」のうちの一つ『観無量寿経』の中には、「仏心とは大慈悲」とあります。無欲の感謝で贈り物をする心をもっと広げ、阿弥陀様のみ心に重ねてみてはいかがでしょうか。 
 

 

■第1081話
今回は、「けいこ、春秋を識らず」ということでお話をさせて頂きます。けいこ (けいこ)というのは、蝉のことです。蝉は夏だけしか知りません。春や秋を知らないのです。いや、それどころか他の季節を知らない蝉は、今が夏だということもわかりません。今が夏だと分かるのは、他の季節を知って初めて分かることでもあります。仏教では、私たち人間は、迷いの世界、六道の世界を輪廻していると教えています。ところが、当の私たちは、迷いの世界にいるという自覚がありません。「人間死んだら、それでおしまいだ」と思っている人がおおいのです。これではあまり蝉と変わりませんね。迷いの世界にいながら、迷っていることに気付けない。愚かでありながら愚者の自覚がなかなか出来ない。そんな煩い悩みの人生を過ごしているのが、私たち人間の姿でもあります。しっかりお念仏を称えて、阿弥陀様のお慈悲の光明によって、心の闇を照らし出し、愚者の自覚を以ってこの人生を歩まねばなりません。
ところで今、あちらこちらで蝉が鳴いていますが、あの蝉は地上に出てくるまでは、土の中に六年もの間いるそうです。そして地上に出てからの蝉の一生は、約一週間、七日です。ですから蝉は、この一週間の間、大変忙しい思いを致します。恋愛から結婚、何から何までしなくてはなりません。そして眠っている以外、鳴いて鳴いて死んで行くのです。私たち人間とよく似ていると思いませんか。私たち人間は生れて来るまで六道の世界、迷いの世界を輪廻してきました。この六道の六と、蝉が土の中にいた六年。また、やっとの思いで、地上に出てからの七日間と、私たち人間の七、八十年の人生。語呂合わせではありませんが、蝉が寝ている以外、鳴いていたように、私たちも南無阿弥陀仏と称え称えて、お念仏の中にこの人生をまっとうして往きたいもでございます。

■第1082話
今回は、「牛に引かれて善光寺参り」ということでお話をさせて頂きます。信州・善光寺のそばに、とても欲深なお婆さんがおりまして、村ではこのお婆さんのことを鬼婆と呼んでおりました。ある日のこと、このお婆さんが、白い大きな布を洗濯しておりますと、牛が現われ、白い布を角に引っ掛けて逃げ出したのです。お婆さんは、この牛を追いかけますが、なかなか追いつきません。そうこうしている中に、牛は善光寺の山門をくぐりました。お婆さん、初めて見る善光寺に見とれておりますと、牛を見失ってしまいました。すっかり疲れ果てたお婆さん、そこでぐっすり眠ってしまったのです。ふと気が付くと、本堂から有難いお説教が聞こえてくる。「この世で欲を貪る者は、生きながらの餓鬼である」 これを聞いたお婆さん、びっくりしてお婆さんの口から思わずお念仏の声が出た。すると、正面に観音様がスーと現れました。よく見ると肩から白い布が垂れかかっていました。「ああ、そうか。さっきの牛はただの牛ではない。阿弥陀様が観音様をお遣わしなされ、私をここまで導いてくれたのだ」と、お婆さん、善光寺の本堂で時がたつのも忘れて念仏三昧。今までの鬼婆が仏婆に生まれ変わり村人からは仏婆と言われながら、その生涯を閉じたのです。
これが皆さんご存知の「牛に引かれて善光寺参り」の故事逸話ですが、実はこのウシというのは角のはえた「牛」ではなく、憂きうれいの憂き、「憂し」を表す言葉だとも伝えられております。人生に「憂きうれい」があるということは、それがきっかけでお寺に参り、お念仏を称える勝縁にも繋がる。「憂きつらき 悲し涙も み仏の 喚び召す声と 知りて嬉しき」憂きつらき、悲しみ多きこの人生に、阿弥陀様の声なき声を聞きながら、お念仏の中にお互いが生きて参りたいものでございます。

■第1083話
今回は、「米とワラ」ということでお話をさせて頂きます。いま田んぼの稲は、青々と輝き育っていますが、間もなく秋風が吹く頃になりますと、稔の季節を迎え、稲穂は頭を垂れ、やがて黄色く枯れて行きますが、逆に穂先のお米は、実りへと育っています。そして十月末ごろになれば、稲は刈り取られて、お米とワラに分類、区別され、収穫されたお米は、また来年、田んぼに植えられると、新しい命、芽が出てきます。お米は死なない命であるのに対し、ワラはどんなに大事にしても、ワラからは決して新しい命、芽は出て来ない。だから農家の人は、あくまでも、お米を作ることが目的であって、ワラになるものを育てているのは、あくまでもその方法手段でもあります。
「山は青々 日はうらら 田には漫漫 慈悲の水 秋は実らん 無量寿を うたえ南無阿弥田植え歌 青い稲穂のその中に 白いお米を実るため 死ぬる体はその中に 死なぬ命を育つため」
私たちの人生、真の目的は、永遠の命、無量の寿(いのち)というお米を実らすため、阿弥陀様とご縁を頂き、お念仏を称えさせて頂くために、この人間世界に生れて来たのです。それなのに、その方法手段であるはずの肉体というワラを養うため、忙しいだけの人生で終わってしまい、収穫のない人生で終わってはなりませんね。阿弥陀様の大いなるお慈悲の光明に照らされて、しっかりお育てを頂戴し、臨終という秋には、必ず永遠の世界に往き生きることの出来る教えが、南無阿弥陀仏のお念仏です。しっかりお念仏を称えて、現当二世の利益を頂戴して参りたいものでございます。

■第1084話
法然上人がまるで遺言のように残されたお詞、一枚起請文があります。「尼入道の無知の輩に同じうして、知者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」 もちろん念仏とは口称念仏です。心の中でするのではなく、ナムアミダブと声に出して 称えるのです。何よりこのお詞は、上人が亡くなられる二日前のもので、努々おろそかに はできません。さらにこれは、尼さんや入門者と同じように実直素直に行ないなさいと言うのです。「知恵者のふるまいをせず、私は教えられた口称念仏だけします」と、 ただ一向に、ひたすらにナムアミダブと称えるべきだと、上人は仰せられているのです。浄士宗で言う念仏はロ称念仏であるのと同時に、選択本願念仏とも言います。八万四千の 法門という数多くの教えの中から、私たちは念仏の教えを選びとらせて頂きました。この選びとったお念仏は、阿弥陀様が本願として、正しく私たちにお与え下された修行法 でもあるのです。数ある往生の為の修行法の中からお念仏という方法を選びぬかれて阿弥陀様が私たちにお示し下されたものなのです。
このような阿弥陀様から頂いたお念仏でありますから、お念仏を称えることで数々の功徳 も頂けます。それらの中で、阿弥陀様との間に結はれる三つのご縁があります。これを 「三縁」といいます。親縁・近縁・増上縁です。阿弥陀様と私たちとが相親しい間柄にな れ、遠く離れず相近しい間柄になれ、阿弥陀様が私たちを様々にお護り下さるご縁です。阿弥陀様は極楽から、常に念仏する者を探しておられます。そしてその私たちの声を聞き 漏らすことなく、同時に念仏する人を光明で包み込んで下さいます。阿弥陀様から頂けるこのご縁を大切にし、たくさんお念仏して、ご縁を大きく育て上げましょう。

■第1085話
未曽有の東日本大震災から半年が経ちました。犠牲となられた方々の御冥福を改めて祈念致します。今回は、間もなく秋のお彼岸を迎えますので、そのお話をいたしましょう。彼岸会は皆様ご存知のように春分・秋分を中日とした一週間です。煩悩や迷いに満ちた この世界をこちら側の岸「此岸」と言うのに対して、向う側の岸・さとりの世界を「彼岸」 といいます。煩悩を脱した悟りの境地のことです。この期間は善行悪行共に過大な果報を 生ずる特別な期間であると考えられ、悪事を止め、善事に精進するよう勧められています。806年に日本で初めて彼岸会が行われました。時の天皇の命で、諸国の国分寺では、 七日間金剛般若経を読誦したと記録されているそうです。俗に、中日に先祖に感謝し、残 る前後6日間は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を一日に一つずつ 修めるという由縁です。般若経は波羅蜜の実践を説くお経です。波羅蜜とはインド語の 音写語で「完成」という意味なのですが、「対岸に到った」という意味もあって「到彼岸」 とも訳されました。完成とは悟りや成仏の事ですし、到彼岸も往生や成仏の意味にとれますから、ほぼ同じ意味と言えます。今では祖先を供養する行事として定着するに至りました。 彼岸の仏事は現在では浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられます。というのも、阿弥陀様がつくられた世界極楽浄土は、西方の遙か彼方にあるからです。
春分と秋分は、太陽が真東から昇り真西に沈みます。ですから特に念仏する者は遙か西の 彼方に確かに極楽浄土を感じながら、沈む太陽の方向を拝んで往生極楽を願い、亡き方々 に思いをはせたのが彼岸の始まりでありましょう。被災地の一日も早い復興を祈念申し上げますと共に、哀悼と感謝の心を込めて、私たち共々 一声でも多くのお念仏をいたしましょう。

■第1086話
今日彼岸菩提の種を播く日かな お彼岸を迎えました。ご先祖様を供養する時季です。と同時に、この期間は善行悪行共に 過大な報いを生ずる特別な期間であると考えられているので、一般に、悪事を止め善事に 精進するよう勧められています。冒頭に詠んだ歌の様に、悟りへの種を播くべき時なので す。具体的には古来、中日に先祖に感謝し、残る前後6日間に六波羅蜜を修めました。現在私たちは亡き方の為にお墓参りし供養致しますね。遙か西の彼方に確かに極楽浄土を感じながら、真西に沈む太陽の方向を拝んで往生極楽を 願い、亡き方々に思いをはせたのが彼岸の始まりであります。日々お念仏し、阿弥陀仏のお名前を称える私たちには、理解し易いでしょう。
「仕事に忙殺されてなかなかお念仏ができません」という村人に対して、宗祖法然上人は 「くせになるように念仏しなさい」と仰せられたそうです。「くせ」とはなかなか味わいのあるお言葉ですね。くせと言えば、なくて七癖あって四十八癖といいます。自分の癖に はなかなか気づかないものですし、さらに又、直そうと思ってもそうた易いものでもないのが癖というものでしよう。ですから上人は、あたかも口ぐせであるかの程に念仏する様 になれは良いと仰せられて、これはもう理想とも言えるでしょう。そもそもお念仏こそが、阿弥陀様が直接私達の為に示された本願の修行法なのですから、 お念仏それ自体が仏様の御心に従った行いであって、正しく最高の善行なのです。最後に、法然上人が仰せられたように、くせのように自然に口についてお念仏が出てく るようになればしめたもの。極楽往生まちがいなし。毎日をすがすがしく送れるようになるでしょう。皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

■第1087話
誰にもご自分のお気持ちを打ち明けられずに、今このお電話を聞いて下さっているのかもしれません。「死にたい」と思うこともあるのでしょうか。そう思う気持ちを良いとか悪いとか私には言うことが出来ません。なぜなら、今のあなたは何事も上手くいかず、職場や学校、社会の中で、生きづらさを感じては、苦しみながらも何とか頑張って踏みとどまっているのかもしれないから。あなただって「死にたい」のではなく、生きているのがつらいのではないですか。誰の心の中にも、小さな種があると言います。仏さまになることが出来る種です。あなたが、あなたらしく、あなただけの花をさかせる事が出来る種です。もしかすると、今はどしゃ降りの雨の中、冷たい土の中でじっと、雨の水を吸収しながら、芽や根っこを出す準備をしているところかもしれません。また、せっかく伸びた芽が、雨や風に晒されながら折れてしまいそうになっている所かもしれません。今は辛いだけの状況が、あなただけの美しい花を咲かせたときに、あの時は成長する為に栄養を吸収する時だったとまた強い風に吹かれた時には強い茎を作る為に必要だったと思える日が来ることを願ってやみません。
お電話を頂いたことで、私たちは「ご縁」という繋がりが出来ました。あなたはひとりではありません。そして、仏さまも私たちのことを分け隔てなく見守ってくださっています。仏さまに気づき、「ご縁」を結ぶ方法は、ただひとつ仏さまのお名前を呼ぶことです。仏さまのお名前は「あみだぶつ」。お名前の前にお任せします、お願いしますという「なーむ」をつけて「なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」とお唱えするだけで、ご縁を結ぶことが出来るのです。あみだ様は、どんなときでもあなたのそばにいてくださり、悲しい時は一緒に悲しんでくださり、苦しい時も共に苦しんで下さるのです。あみだ様とご縁を結ぶ方法は「なむあみだぶつ」日々「なむあみだぶつ」と申してお暮らし頂ければと思います。

■第1088話
一年で、3万人もの方が、自死、自ら命を断っています、私は、大切な人を、自死で亡くされた方の手紙相談をしています。大切な人を自死で亡くされると遺されたご遺族は深い悲しみは勿論、「なぜなのか」と原因を突き詰めようとしたり、亡くなった事を恨んだり、怒ったりといろいろな感情に囚われます。一番多いのは「何かしてあげられたのでは」とご自分を責める方です。悲痛な思いを、誰かに打ち明ける事も、自死で亡くなったという事も、中には亡くなった事さえ言えないという方もいらっしゃいました。打ち明けたとしても、心ない人に「自ら命を絶った人はいい所にはいかれない」とか「地獄に落ちる」と言われて苦しんでいる方もいらっしゃいました。自ら命を絶った人が、地獄にゆくと書かれたお経はありません。あみだ様という仏さまは、どんな人でも、自ら命をたった人でも、病気で亡くなった人、事故で亡くなった人、若かろうが年が老いていようが、あみだ様は分け隔てなく等しく慈しみの心を振り向け、必ず救ってくださいます。亡くなられた方は、今お浄土から、私たちを見守っていて下さることでしょう。亡くなった方とのご縁は、お浄土に行かれても無くなることはありません。そして、いつか極楽浄土で、再び会う日まで、遺されたあなたの定まった命が尽きるまで、ご自分の人生を生きて欲しいと願っています。亡くなった方は、お浄土であみだ様が守り、導いて下さいますので安心して下さい。
遺されたあなたが極楽浄土で再会される方法は、「なむあみだぶつ」とお唱えすること、又亡くなった方の為にも「なむあみだぶつ」とお唱えすることが一番のご供養になることでしょう。

■第1089話
大切な方を、突然亡くされると、遺された方は深い悲しみに囚われ、自責の念に駆られたり、怒りの感情が起きたり、感謝の気持ちが湧いてきたりと、いろいろな感情が、次から次へと湧いてきて、戸惑うことも多いと思います。大切な方の死を受け入れることは、とても難しくとても苦しい事だと思います。そんな時は思い出してください。あみだ様がいつでもあなたを慈しみの心で見守っていることを。この世で、あなたと亡くなった方は出会い、ご縁が結ばれました。今は思い出すのも辛いかもしれませんが、亡くなった方が伝えてくれた言葉、思い出は消えることなくあなたの中にあり、ご縁は無くなることはありません。
人によって悲しみの癒える時間は同じではありません。例え誰かに「いつまで悲しんでいるの」などと言われたとしても、気にせず悲しい時は十分悲しむことが必要なのです。又悲しみの心が辛すぎる時には、お仏壇や、お墓の前で手を合わせ、亡き方との心の対話をしてみてはいかがでしょうか。あみだ様という仏さまは、いつも私達の事を見守り、「阿弥陀様お願いします」と言う意味の「なむあみだぶつ」と唱えた者を、必ず一人残らず救い、臨終の時にはあみだ様のお作りになった極楽という浄土に生まれさせようと誓われ仏になられました。もしも亡き人がこの世でお念仏「なむあみだぶつ」とお唱え出来なかったとしても、遺されたあなたが変わりにお唱えすることで、亡き人が、例え迷いの世界に居たとしても、必ずあみだ様のお作りになった極楽浄土に、生まれることが出来るとお経にも書かれています。亡き人の為、ご自分が浄土に生まれ、亡き人と再会をする為にどうか、日々お念仏「なむあみだぶつ」とお唱えしてお暮らし頂ければと思います。

■第1090話
浄土宗を開かれた法然上人は、その目的をこのように仰っています。「私が浄土宗を立てるその心は凡夫(ボンブ)が阿彌陀様の極楽浄土に生まれることを示したいがためである」と。凡夫は平凡の「凡」に「夫」と書きますね。一般的にはボン「プ」と発音されますが、佛教語としてはボン「ブ」であります。生まれ変わり死に変わり、迷いと煩悩の世界から離れられず、罪を作り続けるほとんどの人――それが凡夫です。世の人には「智慧第一の法然房」と評された法然上人でしたが、比叡山で佛教を学び修行に励めば励むほど、修行の第一歩である生活や行動を整える「戒」さえも守れない自分自身の姿を嘆かれていました。「凡夫の心は物に従って移りやすく、たとえば猿が木の枝から枝へ飛び移るようである。心は散り乱れて動きやすく集中して平静を保つことは難しい」と語られたと伝えられます。生きるうえで罪を犯し続ける私たちが、また誰しもが救われる佛教はないものか!?と探し続けてきたのが法然上人です。そしてついには、日本で初めて、凡夫である私たちも救われ得るみ教えを示されました。それが「阿彌陀様、どうかお救いください!」と心に念じて、「南無阿彌陀佛」と口にお称えするお念佛のみ教えです。
現代社会は利己主義(エゴイズム)が横行していますね。これは自分が!自分が!と自分だけの利益や幸福、快楽を求めて、他者のことを全く考えない態度です。また自分が特別な存在であると考えたり、特別な存在でありなさいと教えられることも多いでしょう。利己主義は、自分が凡夫であることを省みる姿勢とは対極にあるように思えます。自分を中心に世界が回ってしまう、自分が人生の主人公になってしまいますと、その人の意識には神も佛もなくなってしまいます。自らが取るに足らないありふれた存在である、生まれ変わり死に変わりの苦しみの世界から逃れられない存在であると云うことを認識することによって、私たちは阿彌陀様の方を向き、その御力におすがりする心持ちになるのです。「凡夫の自覚」こそ、私たちが今、最も必要とする心構えです。 
 

 

■第1091話
浄土宗の教えに、所求(ショグ)、所帰(ショキ)、去行(コギョウ)と云う言葉がございます。所求とは求める所と書きますが、私たちが何を求めて進んでいくのか?と云うこと。所帰とは帰依する所で、私たちは何を信じて生きていくのか?と云うこと。去行は、「去る」に「行う」と書きまして、どのような修行を実践していくのか?そう云った意味になります。私たちが求める所、目指すべき場所とはどこでしょうか?――それは阿彌陀様がいらっしゃる清らかな佛国土、西方極楽浄土です。では、私たちはどなたに帰依して生きていくのか?――それは阿彌陀様ですね。もう一つの去行、実践法は、「南無阿彌陀佛」と口にお称えするお念佛です。南無とは帰依し奉ると云うことで、身も心も捧げます、と云う意味です。
佛教の経典には阿彌陀様以外にも様々な佛様が登場し、それぞれの佛国土をかまえておられます。それなのに、なぜ私たちは阿彌陀様に帰依するのでしょうか?――それは阿彌陀様だけが、佛となる以前の修行時代に、全ての人々をこのように救いたい!と云う48願を誓われ、そして人間の想像を絶するはるかはるかに長きにわたる時間、菩薩としての修行を重ねられた結果、ついには阿彌陀佛と云う佛となられたからであります。阿彌陀様は「南無阿彌陀佛と私に救いを求めてくる者はどんな悪人でも必ず救いとる」と誓ってくださいました。そして、私たちの今生での命が尽きる時には、阿彌陀様おん自ら、私たちをお迎えくださり、悩み苦しみ続ける世界から、西方極楽浄土へと導いてくださるのです。逆に申しますと、阿彌陀様以外には、いくつもの罪をくり返し犯し続ける私たちのような凡夫をも救い、自らの佛国土に迎え入れる仏様はどこにもいらっしゃいません。阿彌陀様と云う佛様がいらしたこと自体が奇跡であり感動であります。そして、その阿彌陀様が西方極楽浄土におわしますとハッキリ示してくださったのは、他ならぬお釈迦様であります。
混迷の最中にある日本に私たちはおりますが、幸いにも、自分一人ではなく他者をも救いたいと云う大乗佛教の精神を、阿彌陀様、お釈迦様、佛教のお祖師様方から受け継いで生きていくことができます。み教えに巡り合った事に感謝をいたし、よくお念佛申し上げながら進んで参りましょう。

■第1092話
私たちは南無阿彌陀佛と口にお称えするお念佛を申し上げることで、今生での命を終える時には阿彌陀様に迎えられて、極楽浄土で新しい生を受けることになります。
なぜ私たちは数ある佛教の修行法の中で、お念佛を実践するのでしょうか?――法然上人の『一紙小消息』には「諸行の中に念佛を用うるは、かの佛の本願なる故なり」と、その答えが記されております。お念佛こそ、阿彌陀様が菩薩としての修行時代に全ての人をもれなく救わんとされた誓いでありました。とりわけその第18願文は、このような内容の誓いです。「もし私が佛となったならば、十方(ジッポウ)の世界にいる全ての人々が、真実の心をこめ、深く信じて、私の浄土に生まれたいと願い、南無阿彌陀佛とわずか十声(ジッショウ)さえ称えても、もし生まれることができなければ、私は決して佛にならない」 そう、お念佛は阿彌陀様おん自ら私たちにくだされた素晴らしい贈り物だったんですね。
お念佛はいつでも、どこでも、誰でも実践できる行のあり方です。阿彌陀様の前では富める者も貧しい者も、若い方もお年をめされた方も、健康な方も病を患っている方も、その違いはありません。皆、等しく「阿彌陀様」と「私」と云う一対一の対応関係に入るんですね。私たちが阿彌陀様の方を向いて、南無阿彌陀佛と呼びかける時、その真剣、切実な一声、一声は確実に阿彌陀様のもとへと届いているのです。たとえてみますと、お念佛は「阿彌陀様」と「私」をつなぐホットラインです。直通電話です。難しいボタン操作はいりません。受話器を上げて「助けてください」とお願いすれば良いのです。合掌してお念佛をお称えすれば良いのです。阿彌陀様も我が名を称する者があるかと、昼夜となくお聴きになっています。「南無阿彌陀佛」と声に出すのは、迷い子が母を探して「お母さーん」と叫ぶようであり、その声を聞いた母親が、直ちにその声のもとに駆け寄る姿とも似ているかもしれません。子は親の背中を見て育つと言います。どうぞ皆様、阿彌陀様から頂戴したお念佛のみ教えを周りの縁ある方にぜひ伝えていっていただきたいと思います。

■第1093話
時間は本来止まることなく切れ間もなく流れていくものですが、人は昔より時間に区切りをつけてきました。一日、一月、一年とか、学校での一学期二学期、あるいはスポーツなどでは前半戦後半戦とか言った具合に時間に区切りを持たせました。それは時間の長さを共通に理解するためだけではなく、時間をより良く大切にするための人間の知恵が宿っていると思います。例を挙げれば、スポーツの試合を前半と後半に区切ることで、前半の試合結果を分析し、後半の作戦を立てるのに役立ちます。選手達も体を休め、新たに闘志を燃やして後半戦に臨む事で、選手だけでなく見る側も飽きることなく緊張と興奮を楽しめるのです。過ぎた時間を顧みて、未来に計画を立てて時間をより良く大切にするために区切りは必要なのです。
もうすぐ一年の終わりと一年の始まりと言う大きな区切りがきます。人は誰しも新しい年が良い年であることを願います。そのためにほこりを払い、仕事を取りまとめ気分を一新して新しい年を迎えようと支度します。一年の区切りはこれからも何度となく来るでしょう。しかし自分がこの先あと何回一年の区切りを迎えられるかは誰にもわかりません。言い換えれば死ぬと言う命の区切りは、必ず来ますが一度きりです。しかもいつ訪れるかわかりません。どうなるのかも分かりません。分からないと言うことは不安に繋がります。私達はその不安を死んだら終わりだとか、その時はその時だと自分をごまかしてしまいがちです。宗祖法然上人は、南無阿弥陀仏と念仏をお唱えして阿弥陀仏に救いを求めれば、極楽浄土というすばらしい世界が未来永劫に開かれるとお伝え下さいました。ですから毎日のお念仏に励み、いずれ訪れる死と言う区切りをしっかりと受けとめ、支度は調えてあると言う大きな安心のもと、迎えさせてもらえる一日一日を感謝して過ごして参りたいものです。その積み重ねこそが悔いのない人生に繋がるものですから。

■第1094話
以前、あるお寺のお十夜法要の時でした。法要をお勤めするお上人方が本堂に入堂している時に、たまたま停電になった事がありました。夜の法要なので一瞬にして堂内が暗くなり、お詣りに来ていた人たちがざわつきました。しかし、お上人方は、慌てることなくそれぞれの場所に着くことができました。それというのは、お灯明のろうそくの明かりがお上人方の足下を照らしていたからです。滅多にない停電が、よりによってこのような大事な時に起きてしまいました。
電気の明かりが煌々と照らしていると、ろうそくの明かりはさほど目立つことはありません。照明と言う観点では、蛍光灯などの電気の明かりがあればほとんど不便さは感じません。けれどもひとたび停電になれば、ろうそくの明かりは立派な照明になります。人間社会において何が大事と聞かれ、お金があれば何とかなる、健康が一番だ、或いは家族がなによりの支えだと答える人は多いと思います。それは自然で素直な思いでありましょう。しかし、このようなことが兼ね備わっているだけで本当の安心が得られるのでしょうか。通常の生活が成り立っている時に、信仰による心の支えは、たとえればろうそくの明かりと同じように、電気の明かりの下で見え隠れして頼りない明かりにうつるかもせれません。電気の明かりも大切で有難いものですが、それだけで本当に十分なのでしょうか。十分なお金さえあれば、元気でいれば、平和でさえあればと。めったに停電は起きないから、今心配することはないと。しかし、人生の終焉とう究極の停電が今日起こらないという保証はありません。こんなはずじゃなかったと慌てふためくようではこまります。そのためにも往く手を照らす大切な明かりが必要です。阿弥陀仏のお救いを信じ、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えして、平生から信仰の明かりを灯しておきたいものです。

■第1095話
いよいよ今年も押し迫って参りました。大晦日ももうすぐです。「みそか」とは月の終わりと言う意味で、十二月三十一日は、一年最後のみそかなので大晦日となります。大晦日と言えば除夜の鐘です。除夜の鐘は、私たちの百八つの煩悩を取り除いて清らかな新春を迎えるために打ち鳴らすと言われています。けれども、私たちの心の中にあるとらわれの心、不平不満、妬みや怒りと言った心は、簡単に洗い流せるものではありません。時には自分でも気がつかないことさえあります。法然上人のお詠みになった歌をご紹介します。
雪のうちに 仏のみ名を 唱ふれば つもれる罪ぞ やがて消えぬる (復唱)
有る物に満足できず、常に無い物ねだり。隣の家に塀が立てば、こちらは腹が立つと言うように、人を妬み自分さえ良ければ良しとしながら、不満には腹を立ててしまいがち。わかっちゃいるけど止められない。このような私たちの身には、雪が積もるように日々知らず知らずのうちに作られた罪が積もっていきます。しかし法然上人は、そうした私たちであっても、心から反省し救いを求めて阿弥陀様の御名を唱えたならば、阿弥陀様の暖かいお慈悲の光に照らされ、すべての徳がそなわったお念仏の功徳により、積もった罪が消えていくとお諭しくださいました。今年一年のほこりを払うと共に、南無阿弥陀仏とお念仏をお唱えして心身共に清々しい新年を迎えたいものです。どうぞ良いお年を。

■第1096話
年が改まってのお正月。しかし、昨年にお身内の方をなくされているご家庭では、静かな年始を迎えていることと思います。例年なら、家内安全のご祈願に寺社に初詣をされますが、今年ばかりは、年始から、菩提寺やお墓参りに行ってきますという方もおられることでしょう。大切なご家族が亡くなって、いつもと違うお正月を迎え、あらためて寂しさを感じていることでしょう。昔から、「諸行無常」、「会者定離」とは申しましても、その別れが突然、自分のうちにやってくるとは・・・ 世間の道理と、判っていたはずですが、いざその立場になりますと、やはり、やりきれないものがあります。家族との別れ・・・あらためて先立った人の大切さが、身にしみて分かって来るのかもしれません。このように、私たちは、命と向かい合うことにより、はじめて命の尊さに気付かされるものです。家族だけでなく、近しい人は、ご兄弟や、ご近所、勤め先の方など、ご縁のある方が、亡くなられた、病気になられた、震災に被災されたなど、やはり、不幸な知らせにふれたとき、自分のご家庭に置き換えて、色んなことを考えるものかもしれません。
昨年3月の東日本大震災でも、ご家族のこと、働くということ、沢山のことを考えさせられた、という人も多く居ることでしょう。生きるということ、生命とは、社会とは、家族とは、絆とは・・・ お釈迦さまは、この「生きるということ」、「生命とは」という問題に、まさに光明をそそいだ方です。お釈迦さまの教えをつづったものが、後に「経典」となるわけですが、「お経」の「経」とは縦糸という意味で、諸行無常の世間の中にあっても、どんなところで生きようとも、シッカリと心のうちに持つべきもの、人生の、社会の、まさに縦糸となる教え、という意味が込められています。この尊い教えを、一人でも多くの方に伝えたい、ご理解頂きたいと、お釈迦様自身も80歳のご高齢となり、亡くなるその日まで、伝道の旅をお続けになられました。羅漢と讃えられる弟子達もまた、国中に伝道の旅をなさいました。何代にもわたって弟子達は、川を渡り、山を上り、県境を越え、国境を越え、やがて世界中の人々に、その大切な教えを広めてゆかれました。

■第1097話
お釈迦様が御入滅されて数百年、お釈迦さまの教えをもっと多くの人たちに伝えたい・・・ そう願われた若い僧侶たちは、長老達の忠告に耳も貸さず、神の住む山と呼ばれた、聖域であるヒマラヤに、身の危険も顧みず、ついに、足を踏み入れてゆきます。多くの者の命が、極限を越えた寒さと高山病の、犠牲になったか知れません。そして、ついに、シルクロードを経て、中国にも仏教は伝えられてゆきました。前回、「お経」の「経」とは、縦糸という意味で、人生の、社会の、縦糸となる教え、という意味が込められていると申しました。中華人は、この伝来した偉大なる教え「仏教」を、「宗教」と受けとめます。そして、この教えが日本まで伝わったとき、私たちはこの「宗教」を「むね」の教えと訓読みし、身体と心の常に中心に据え置いて生きて行く大切な教えと理解したのではないでしょうか。
では、そもそも「宗教」という漢字にはどういう意味が込められているのでしょう。過去の時代から未来へと綿々と続く、量り知れない無量寿の命のつながり。そして、「今、生きる」、この瞬間にも、量り知れない無量の命が、お互い様の連鎖の中で、関わりあって支え合って暮らしている、という壮大な生命のつながりの中に、私たち、一つ一つの命が存在しています。このことを理解した中華人は、これを「宇宙」と訳しました。そしてさらに、宗教の「宗」とは、ウ冠に「示」と、まさしく漢字の示すとおり、その壮大な「宇宙」の中に抱かれて暮らす私が、皆とともに「どのように生きていくべきかを説いた大切な教え」と受け取ったことに他なりません。過去からも命をいただき、未来からも命をいただいて生きられるということ、そしてこの瞬間も、色々な生命があって人は生きられる。さらには、男がいて女がいて、若い人もいればお年寄りもいる、健康な人も居れば、病気をかかえて生きている人もいる。貧しい人、大切な人をなくして絶望の人、人に裏切られて人を信用することが怖くなってしまった人、色々な命の人たちと、「共に生きる」とは、そのことを、宗教が、仏教が、教えてくれているのではないでしょうか。

■第1098話
わが国への仏教の伝来は、6世紀のころと伝えられています。その後、伝来した仏教を、国の教えとしていただくことに異論を称えた物部氏との間で戦争が起こりました。多くの尊い命が、戦いの中で奪われてゆきました。7世紀に入り、この戦争を振り返った聖徳太子は、「十七条憲法」を起こし、第一条には、社会の根本は「和」であると訴え、その第二条には、「仏教の教えを宝とする」と宣言しました。宝とは、子宝と申しますように、我が命をかけても守る大切なものという心ですから、「仏教の教えを命をかけても守る大切な教え」と受けとめたわけです。「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり。すなわち四生の終わりの帰、万の国の極めの宗なり。」と。声高々に、宣言したのです。
では、仏法僧の三宝を敬う生き方とはどういうものでしょう。これは、仏教の根本となる生き方、私たちの心構えを説いています。アジアのどの国の仏教も、大乗であれ、小乗であれ、どの宗旨におかれても、一番最初の入門となる儀式を「帰敬式」と申し、仏法僧の三宝を敬うことを御仏の御前でお誓いいたします。「仏を敬う」とは、私たちを含め、万物のあらゆる命は、その根本は、すべて、計り知れない無量寿・無量光の、まさに、アミダの命の中に生かされて生きています。私が、気付こうが、気付くまいが、常に、いかなるときも、仏の光明に照らされて生きているのです。己を中心に考えた「我」というものを捨てて、仏を敬い、同時に「仏の命をいただいた、あらゆる命もまた尊い」と思う心が大切です。「法を敬う」とは、仏の命をいただいて生かされて生きる万物、あらゆる命に上下の隔たり、差別はないのです。その命のお互いが、奪い合ったり、殺しあったり、いがみ合ったりしてはならないと。お互い様の中で、他の命もまた大切にして生きてゆく、その心構えが大切です。「僧を敬う」とは、一人では小さな私たちですが、お互いを敬い、支え合って、助け合って、励ましあって、常に思いやりの心をもって、皆と共に平和のうちに生きて、未来の子供たちの時代へとつないでいこう。そう決心することが大切なのです。

■第1099話
仏教を開かれましたお釈迦様は、この世に生きるすべての人が、実は毒の塗られた弓矢が体にささって苦しんでいる瀕死のけが人のようなものだ、と教えられました。私たちの命は限りあるもので、いつ何時失われるか分かりません。今こうしている間にも、生きることにまつわる苦しみは絶え間なく襲ってきます。しかも、自分自身の力ではこの苦しみの原因をつきとめて、断ち切ることができない。これが私たちの現実でございます。悠長に構えている時間はなく、誰かの力を借りて今すぐに治療に取り掛かる必要があるのです。お釈迦様はそんな私たちの苦しみを取り除くために、多くの教えの中から適切な教えをひとつ選んで、お弟子さんに託されました。それが、皆様がご縁を結ばれている浄土宗のお念仏の教えでございます。ただ南無阿弥陀仏とお念仏をお称えすることだけで、阿弥陀如来様のお導きによって安らかな極楽浄土に生まれ変わり、すべての苦しみを乗り越えることができる。私たちには限られた寿命しかありませんので、今すぐにこの身このままで実行できるお念仏という修行が必要です。それぞれの能力にも限りがありますので、阿弥陀如来様の量り知れないお力をお借りすることが必要なのです。お医者さんが病気や怪我に応じて薬を処方してくださるように、苦しみを取り除く専門家である仏さまご自身が、選び与えて下さったお念仏の教えでございます。これからは毎日、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えするように致しましょう。

■第1100話
皆様は、一日の中で「ありがとう」という言葉をどのくらい言っていますか?又は、言うことができていますか? 年齢を重ねるにつれ、人や物事に対し「当たり前!」とか「当然!」はたまた「照れ臭い!」といった観念が強くなり、生活の中で「ありがとう」という感謝の言葉の数が少しずつ減ってきてはいませんか?
皆様も、周りの人たちから自分自身を良き存在と認められ、自身の執った行動や功績に対し「ありがとう」と感謝の言葉を言われ、自信と信頼、やる気が芽生え、更により良い働きをしようとあらゆることに意欲的になることができたことはございませんか?人にはそれぞれ個性や価値観の違いはあれども、老若男女を問わず誰でも「周りの人たちから認められたい」「自身の功績を賞賛されたい」という欲求である「自己重要感」というものをもっております。事実、若者や家族連れに人気のテーマパーク「東京ディズニーランド」では、それぞれ持ち場の違うスタッフたちが、お互いに「ありがとう」と感謝し合うといった経営方針があるそうでございます。着ぐるみを着て華麗な演技を魅せるスタッフ、お客さんに笑顔のこもったサービスを提供する販売スタッフ、園内をゴミひとつ無い美観に保つ清掃スタッフ。それぞれが「ありがとう」の感謝の言葉によって自己重要感を満たし、自身の働く意義を見出し、意欲的に取り組むことが、お客様に不動の人気を得る所以といっても過言ではないと言えるのではないでしょうか?
法然上人のみ教えに「無財の七施」があります。財産がなくてもできる7つの施しのことです。「ありがとう」という感謝の一言も、まさにそのひとつと言えます。皆様も自分の身近な家族、学校、職場または買い物先のお店の店員さんにも「当然!」 「当たり前!」また「照れ臭い!」という気持ちはあるかと思いますが、思い切って「ありがとう」と言ってみて下さい! そうすれば、自分自身そして周りも少しずつではありますが今までなかった明るいものとなってゆくことでしょう。 
 

 

■第1101話
寺に居りますと日々、色々な方が門をくぐり本堂の前で手を合わせからお墓へ向かわれる方、玄関に線香を求める人、ガラス越しに見ているとその足どりはそれぞれです。またこの日初めてこの寺へ入られる方も多くあり、境内を見てそのまま去る人も有れば、 昨日までは見えなかった「縁」がこの寺と出来てまた明日へと進んで行く人もいらっしゃいました。先日「俺は神も仏も信じない」と言ってふらっと訪れた方が「人生相談をしたい」というので話を聞き始めると10分位でしょうか、だんだんと泣き始め今ある気持ちもボロボロと溢れてきました。思うに「誰も聞いてくれる人」が居なかったのでしょうか。その後1時間位は他愛もない話などもして、来た時に思えた刺々しい感じは無くなり、「すっきりした」と寺を出て行かれました。しばらくするとまたその人は訪れ、また1週間すると、という風に近況を話しにやって来る内に訳あって距離ある一番気がかりであった「母親」が亡くなったと私に告げてくれました。「お母さんの為に法要を行いませんか?」とお勧め、お念仏の作法を説明し、2人で本堂へ向かいました。終始涙を浮かべ亡き母を想い、手を合わせ、お焼香、お念仏を称えていらっしゃいました。人にはそれぞれの機会が与えられ、例え空白の時間が在ったとしてもそれが訪れた時にきちんと向き合えば埋められる事もあります。そして新たな何かを得て違った日々を進める事も出来得ましょう。お檀家さんの中には向き合った時間の積み重ねで得られる深みあるお念仏をお称えする姿の方がいらっしゃいます。また今回、初めて向き合ってお念仏をする方を見て、その数到底及びませんが、そこに「甲乙」が在るかと言ったら無いと言えるでしょう。

■第1102話
こんにちは。3月になりました。東日本大震災から一年を迎え、犠牲になった方々の一周忌法要が日本のみならず世界中で営まれます。「どうかあの世で安らかにお過ごしください」という亡き人に対する気持ちは、国や宗教の隔てなく、万人が共有する素直な気持ちです。大切な人をなくす悲しみ、多くの命が失われることの悲しみは、言葉が通じなくても伝わるのだと思います。だからこそ世界中の人は、思いが届くことを信じて、亡くなった約2万人の方のご冥福を海の向こうで一緒に祈ってくれるのです。お祈りはそれぞれの信仰や文化に乗っ取ったもので、この度の震災一周忌の追悼のかたちもお国によって様々でしょう。残念ながら私はキリスト教もイスラム教もよく知りませんし、きっとそれぞれが優劣なく素晴らしい教えだろうと思うだけで、詳しい知識も何もございません。正直申しますと、同じ仏教でも他の宗派の教えとなると、私なぞはせいぜいかじる程度の勉強しかしておりません。宗教者としてまったく恥ずかしい限りです。でもありがたいことにこんな無能な私でも、「南無阿弥陀仏」と心を込めてお称えすることで、一周忌を迎える震災犠牲者のご供養をさせていただけるのです。手を合わせ、亡くなった2万人近い方々の御霊のご冥福を阿弥陀様にお願いすることは、いま私が出来る唯一のご供養です。
あなたもわたしも人としてこの世に生まれて、お釈迦様のありがたい教えに出会い、またお念仏によって阿弥陀様とのご縁を頂戴しております。こうしてお電話いただいたことも、これまたありがたいご縁でございます。どうかご一緒に今一度、「南無阿弥陀仏」と十遍お称えして、一周忌の追善の誠を、お亡くなりになった多くの方々に捧げたいと思います。東日本大震災物故者諸精霊位追善増進菩提 同称十念

■第1103話
こんにちは。3月も半ばに入り、そろそろお彼岸のお参りに行かれる方もいらっしゃるかと思います。お中日をはさんだ前後の3日間、ちょうど一週間をお彼岸とし、その間にお参りに行ったり、彼岸法要といった行事がお寺で行われます。春彼岸のお中日は春分の日ですので、今年の春彼岸のお中日は20日火曜日になります。国民の祝日に関する法律によると、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」とされています。東日本大震災から一年経ったいま、春分の日を迎えるにあたり、自然の尊さや厳しさ、生きとし生けるものすべての命の大切さをあらためて心にとどめたいと思います。また震災でお亡くなりになった方々の一周忌にあたり、心よりご冥福をお祈り申し上げます。南無阿弥陀仏。
さて、彼岸は「彼の岸」と書きます。つまり彼岸とは向こう側の岸、西方極楽浄土を意味します。反対にこちら側の岸、つまり現在私たちが生きている世界は「此の岸」と書いて此岸と言います。お中日である春分の日には太陽が真西に沈むので、日没の彼方にある西方極楽浄土を想い、敬慕の心をもつべきである、と中国の善導大師はお説きになりました。その善導大師を師と仰ぎ浄土宗を開かれたのが法然上人でございます。太陽の沈む方角に向かって手を合わせ、そのむこうの西方極楽浄土に生まれることを願うのがお彼岸でございます。阿弥陀様のお力におすがりし、『南無阿弥陀仏』とお念仏を申しましょう。臨終の時にはわずらいなく、共に西方極楽浄土に生まれますように。

■第1104
こんにちは。今日のしあわせを末永く続けることの出来るお経があります。そのお経は仏遺教経ぶつゆいぎょうきょうです。このお経には、「知足」ということが説かれています。足るを知るということ、小欲知足ということが説かれています。「人間の欲は深くきりがない。ほどほどのところで満足をしなさい。」ということが説かれています。京都の北に龍安寺という、石庭で有名なお寺があります。庭には、白砂の海と大きな岩を島と見立てて15の岩が配置されています。15という数は仏教にとって完全な数をあらわしております。十五夜は満月ということで、まどかにして欠けることがない仏そのものをあらわした数であります。しかしその15ある岩、龍安寺の建物のどこから見ても14しか見えません。これも実は「知足」の教えをあらわしたものなのです。
龍安寺の茶室の前には蹲踞つくばいがあり、そこには「吾・唯・知・足」の4文字、つまり「われ、ただ足るを知る」と刻まれています。これは、15ある石庭の岩が一度に14しか見えないことを不満に思わず、満足する心を持ちなさい、という戒めなのです。また、水を溜めておくための中央の四角い穴が「吾・唯・知・足」の4つの漢字の「へん」や「つくり」となる「口」として共有されているのがこの蹲踞の見どころであります。古くから日本には腹八分目ということわざがあります。食べ過ぎるとおなかが痛くなったり、おなかをこわしたり、最後にはメタボになったり、高血圧になったり、良いことは何一つありません。腹八分目というのは食べ物だけでなく、すべてのことにいえるわけで、ほどほどの満足が人間にとって一番良い、永く続くしあわせなのです。

■第1105話
今回は、「瀉瓶相承」(しゃびょう・そうじょう)ということでお話をさせて頂きます。「瀉瓶相承」というのは、お師匠様とお弟子の間で行われる教えの伝承のことです。それは丁度、一つの器に入っているお水を別の器に移すように、教えのすべてが伝わることを意味しています。私たちのお念仏の教えは、お釈迦様を起点として、インドから中国、日本へと三国伝来され、お念仏のみ教えは、法然上人を通じ、代々受け継がれ、変わることなく伝えられて来ました。実はこの間、「○○○」というお酒の空瓶、空の一升瓶に量販店の紙パックのお酒を注ぎ、一器のお酒を一器の器に移すが如く注いで飲んでみました。少しは「○○○」のような味に変わっているかと思いましたが、中身は同じ紙パックのお酒でした。どんなに器が変わっても、中身の味、内容は変わりません。いや、変わってはならないのであります。
お念仏の教えは、お釈迦様がお弟子の阿難に、はるか後の世までも伝えてくれと、付属をされた教えです。言うなれば、釈迦出世の本懐の教えがお念仏です。お釈迦様がこの世にお出まし頂いたその目的は、お念仏を伝えることにありました。お釈迦様は、80年のご生涯の中で、8万4千の法門、数多くのみ教えを説かれましたが、そのすべての教えは、みんなお念仏に帰結して行く。全仏教の結論が南無阿弥陀仏のお念仏だと言っても過言ではありません。まさに大乗、究竟なる教え、せんじ詰めた教えがお念仏なのです。そして、その教えの根本は、愚者の自覚です。人間はみんな愚かである。完全な人は誰もいない。欲が深くて欲張りで、すぐに腹を立て、あやまち失敗を繰り返しているのが人間です。また、そうした人間の本質を見つめ、自覚した時、初めて反省、懺悔が出て本願のお念仏に直結して行くのです。本願のお念仏によって、すべての人間が分け隔てなく平等に救われて行く教えが、「瀉瓶相承」、間違いなく伝えられているであります。

■第1106話
今回は、「良忠上人」(りょうちゅう・しょうにん)ついてお話をさせて頂きます。良忠上人というお方は、浄土宗の三代目をお受け継ぎ下されたお方であります。良忠上人、またの名を記主禅師とも申します。記主の記は、記述の「記」。主は「ぬし」という字を書きまして、記主と言いますが。この名が示すが如く、数多くの書物、教えの事柄を記されまして、今日ある浄土宗の基盤を築かれたお方であります。「売り家と、唐様で書く三代目」、初代が苦労をされ、多くの財産、家屋敷を残しても、二代目がこれを当てにし、財産を食いつぶして、三代目の頃は、住んでいる家も、売り家とするほど落ちぶれてしまうと言われるように、三代目の受け取り、継承が悪いと、その家の歴史は続かないものですが、私たちの浄土宗は、本当に素晴しいお方を三代目に頂くことが出来たのであります。
この良忠上人が、御年14歳のお正月に、こんなお歌を詠まれました。「五濁の浮世に生まれしは、恨みかたがた多けれど、念仏往生と聞く時は、かえりて嬉しくなりにけり」、とても14歳の男の子が詠んだお歌には思えません。良忠上人の非凡さが伺えます。また、このお歌を詠まれた数日後の建暦2年、正月25日、法然上人は、80年のご生涯を閉じられ、ご入滅されておられます。「念仏往生と聞く時は、かえりて嬉しくなりにけり」、このお歌を詠まれた後に、法然上人がお浄土へ帰られたことを考えますと、本当に不思議な因縁を感じます。
浄土宗の開祖、法然上人も「智慧第一の法然房」と讃えられ、二代目を受け継がれた聖光上人も比叡山で一、二を争う学者でありました。 また、この三代目を受け継がれた良忠上人は、それに輪をかけた素晴しいお方であったのです。そして、この良忠上人が拠点として開かれたお寺が、私たちの地元、鎌倉にある大本山光明寺であることを決して忘れてはなりません。

■第1107
今回は、「領納解知」(りょうのう・げち)、本当に分かるということでお話をさせて頂きます。分かるということに、聞・思・修の三慧ということがあります。先ず「聞慧」というのは、話を聞いて分かるということです。「聞く時は、げになるほどと思いつつ、下駄はく時はとうに忘るる」、これでは本当に分かったとは言えませんね。次に「思慧」というのは、本を読んだりして、考えてわかるということです。しかし、頭の中でどんなに難しいことが分かっても、それが生活の中で生かされ来なければ、それは単なる知識であり、やはり分かったとは言えません。本当に分かるというのは、実際やってみて、なるほどそうなのかと納得し、体験を通じて出て来るものが智慧であり、また「我がもの」となって、初めて本当に分ったのであります。皆さんは今日、お家を出る時、右足から出ましたか、左足から出ましたか。よく覚えていませんね。それは頭で考え歩いたのではなく、歩くということが、しっかり身に付いているから、今では考えなくても歩けるのです。では最初から上手に歩けたかと言えばそうじゃない。ヨチヨチ歩きから、何度も「歩くこと」を繰り返している中に、今では自然に歩けるようになった。
一度泳ぎを覚えた人は、5年、10年泳がなくても、水に入ればすぐ泳げます。それは、知識ではなく泳ぐということを体で覚え、「我がもの」としているからです。お念仏も自分のものとして納め取り、我がものとすることにより、生活の中に生かされて来るのです。「食べぬ昔は、畑の野菜。食べてしまえば、我が身体」、どれほど美味しい野菜でも、畑にある間、見ている間は私のものではありません。私とは全く別のものでありますが、でも、その野菜を食べ、味わうことにより、初めて私の身体の一部となり、私の力となるのです。お念仏も同じで、お念仏を繰り返し称え続け、「我がもの」とした時に、アミダ仏様は、私たちのお念仏の声に応えて、私の傍にいて護って下さり、私の力となって下さるのであります。

■第1108話
現代ほど価値観が多様化している時代はないかと思います。先日、新聞社が行った葬儀についてのアンケートで、簡素に行いたいと答えた方が92%にのぼるとのことでした。私のお寺でも家族葬や、葬儀をせずに火葬だけする直葬の希望が増えてきたのが現状です。確かに安価で済ますことが出来、気の置けない家族と故人の最後を共にする、というのは素敵なことだと思います。しかし、家族葬を行ったあるご遺族が、その後が大変だったと打ち明けてくださいました。故人の生前のご意向で家族葬を行ったのですが、葬儀後、訃報を知って自宅に訪ねて来る友人・知人の方が途切れず、連日対応に追われて疲れてしまった、と。亡くなったとき周りに迷惑をかけたくない、誰しもが考えます。しかし、良かれと思ってした選択が結果的に家族を困らせ、声をかけてもらえなかった友人・知人を哀しませるというのは残念なことです。
震災がおき、明日は我が身という日々だからこそ、色々な価値観が許容される現代だからこそ、どうぞ身近な人と死について語り合ってください。不謹慎だ、縁起でもない、などと言っていても、遅かれ早かれ死は訪れます。老いも若きも関係ありません。亡くなるそのときに、こうしておけば、と後悔してもどうしようもできません。「よく死ぬことは、よく生きることだ。」この言葉のごとく、死を見つめることで今生きている一瞬一瞬がさらに意味深いものになっていき、充実した人生に繋がっていくのだと思います。そして、亡くなるそのときに阿弥陀さまがお迎えに来てくださいますよう、毎日お念佛をお唱えしましょう。「よく生きたから、よく死ねた。」西方極楽浄土でご先祖さまに胸を張ってご報告できるように。

■第1109話
「忘れ物には気をつけて」子供の頃より両親からよく言われた言葉です。 昨年、三月十一日十四時四十六分、未曾有の東日本大震災が発生。自然災害だけならまだしも人災とも言える原発の事故が重なり、国民にとり決して忘れてはいけない大災害となりました。ゴールデンウィークに被災地へ赴いた方もいらっしゃるかと思います。一年を過ぎ報道等も一区切りついてしまった感がありますが、何も解決していませんし、終わってもいません。これから何十年にもわたり復興支援をしていかなくてはいけないのが現状です。
佛教には「代受苦」という言葉があります。震災以降、様々なメディアで使われているのでご存知のことかと思います。本当は自分が被災し亡くなっていたかもしれない。でも自分の代わりに佛さまがその苦を受けていただいた。そのお陰で今もこうして生活をできている。だからこそ感謝の心を持って毎日の生活をしていかなくてはなりません。最近、他人を非難し、自分の立場を優位に導く、卑しい行為が散見されます。政界・財界は言うに及ばず、各界が対話の中で相手に対し不遜な態度で接し、時には声を荒立て怒声を浴びせる人もいます。何かの役職に就いたから偉いのではない、人生経験の長さでもない、なんでもない普通の人が、たまたまご縁でその立場になったに過ぎません。うわべに積み重ねお化粧したものはやがて剥がれ落ち、地道に裏打ちしたものだけが自分自身に残る。この度の東日本大震災からこんなことを学ばせていただいたと思います。私たちはいつお浄土からお迎えが来るかわかりません。それまで得ばかり追わず、感謝の心を持って損に寄り添う生き方に変えてみませんか?
最後に法然上人のお歌をご紹介します。「我心 鏡にうつる ものなれば さぞや姿の みにくかるらん」

■第1110
みなさまは厭離穢土 欣求浄土という言葉をご存知でしょうか。私たちが生きるこの娑婆世界を厭い離れ、阿弥陀様がいらっしゃる西方極楽浄土を切に願うという意味で、平安時代のお坊様、恵心僧都源信というお方の「往生要集」という書物に出てくるお言葉です。もし、歴史にご興味を持たれている方は、お気づきになるかも知れません。かの徳川家康公はご自身の本陣の旗にこの八文字を掲げられ、終生座右の銘とされました。お釈迦様は、この世の中は苦しみで満ち溢れているのだと仰せです。生まれる苦しみや老いる苦しみ、病になる苦しみや生まれたからには死という絶対的な終着があるという苦しみのことです。
我々はそれらの苦しみから逃れることが出来ません。しかし、お釈迦様はその教えの中で一つの救いの道をお示しくださいました。それが阿弥陀様にすべてをお任せするという南無阿弥陀仏をお唱えすることです。死ということは、未来においても解決することの出来ない、生きとし生けるもの平等に降りかかる問題であると思います。しかし、阿弥陀様にお救い頂けるご縁を結ぶ、南無阿弥陀仏をお唱えすることによって、西方極楽浄土へ往き生まれることができるのです。法然上人は、このように仰っておいでです。「ただ往生極楽のためには、南無阿弥陀仏と申して、疑ひなく、往生するぞと思ひとりて申すほかには、別の仔細候はず」 欣求浄土は、お念仏と共にあるのです。  
 

 

■第1111話
後悔先に立たずという、ことわざがありますが、これは事が終わった後でいくら悔やんでも、手遅れで取り返しはつかないという意味であります。皆様も人生において後悔をした経験は少なからずあるのではないでしょうか。終末期医療の専門家である 大津秀一氏が「人生死ぬ時に後悔すること25」という本を書いております。1000人以上の方々の死を見届けてきた著者が、患者との会話を通じ、人々が後悔を感じる内容にはそれ程、多様性がないことに気づき、それではその後悔の内容を前もって紹介し、元気なうちから後悔しない、生き方をしてもらおうと書いたのがこの本であります。その本の中で後悔することとして、「神仏の教えを知らなかったこと」をあげております。人は自分の死を目前にして、地位の高い低いは全く関係ありません。社会的に大成功をおさめていた立派な社長が今輪の際において、泣き叫んだりする。また逆に普通に見える人が全く動じない人であったりするそうです。そういう状況になると、宗教を信じてこなかった事を後悔して急いで特定の宗教に帰依する人が多いそうであります。
人間は行き先のはっきりしない状況を前に非常に強い不安と恐怖を感じるということなのです。私達は臨終の時に臨んで後悔しないように、仏教の教えに学ばなければなりません。浄土宗を開いた法然上人はお念仏の教えを人々に広めました。南無阿弥陀仏と称える事で、阿弥陀様の大いなる慈悲の光明を受け、極楽浄土に往生する事が出来るのです。それはまさに赤ん坊が、おギャーと泣けば、その声に応えて、抱き上げてくれるのと同じであります。赤ん坊にとって母親の懐ほど、安らかで、幸せなところは無いのです。また私達にとって、阿弥陀様の懐ほど、安心して暮らせる場所は無いのです

■第1112話
ある時お釈迦さまが、大勢のお弟子を集めてお話をされました。途中ふと腰をかがめ、足許の土を右手に一握りつかみました。そして左手の親指をだして、爪の上にサラサラとその土を落とされました。殆どの土が下に落ちてしまいましたが、ほんの僅かの土が残りました。その左手を、横におられた、阿難尊者に示されて、「阿難よ、この爪の上の土と、大地の土と、どちらが多いか」と聞きました。言うまでもありません。阿難は即座に答えました。「大地の土が多うございます」するとお釈迦様はにっこり笑って爪の上の土をお弟子に示しながら、「皆の衆よ、阿難が答えた通り、大地の土は多く、爪の上の土は少ない。かくの如く、この世に生を受けたものは、大地の土の如く多いけれど、その中にも人間に生まれたことは、ちょうど爪の上の土の如く極めてまれである。」とまず人間として生まれたことの尊さを教え、人間に生まれたからこそ、仏の教えに会うことが出来たのであると諭されたのです。
私達がいるこの人間界は六道輪廻の苦しみの世界であります。六道とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天とありますが、 生前の行いにより、この6つの世界の何処に行くか決まるのです。仏教はこの輪廻の世界から離れる事が目的なのです。ですから法然上人は、誰もがこの輪廻の世界を離れ極楽浄土に往生出来るように、お念仏の教えをお示しくださったのです。南無阿弥陀仏と称えることで極楽浄土に往生することができます。と言うと中には来世ではなく、現世での御利益はないのか、とおっしゃる方がおりますが、臨終のゆうべには必ずや極楽浄土に往生する事ができるという、絶対安心の境地に至ることで、現世での生き方に勇気が湧き、不安なく、自分の使命に生きることができるのであります。是非、そのような心持でお念仏をお称えしてみては、いかがでしょうか。

■第1113
最近では忍耐という言葉もあまり聞かなくなったように感じます。それに伴って、キレるとか逆ギレなど反対の言葉をよく聞きます。私が子供の頃には、近所の人、知らない人など、誰もが他人を注意したものであります。今の時代、他人の子供を注意しようものなら、親から感謝されるどころか、逆に余計なお世話と疎まれるのが、関の山かもしれません。また、若者を注意しようものなら、逆に殴られて怪我をしたとか、亡くなってしまった。などの最近よくある事件になってしまうかもしれません。これでは注意する方も、命がけです。
先日、ある中学校に行く用がございまして、教室の前の廊下を通りましたら、騒々しいので教室の中を見ますと、生徒が思い思いに大きな声で会話をしていました。授業中ではないんだなと思って一緒にいた先生に聞きますと、授業中ですよ、という答えです。私が驚くと、先生はあそこです。と教えてくれました。先生が授業を進めていても、まったく聞くそぶりもありません。先生もまた注意しないのです。やはり、小さい時から静かにすべき時や、他人の迷惑となる場所では我慢をさせ、忍耐力を養うことが大切です。私達の人生には、自分の力ではどうにもならない事がございます。とかく私達は物事が思い通りになりますと、ご機嫌でいられますが、ひとたび自分の意に反する事が起きますと、落胆したり、自暴自棄になったり、他人のせいにしたりいたしますが、これは正しい信仰を持っていないからではないでしょうか。人間は信仰を持つことで強くなれるのです。
「憂きことも 辛き事をも 安らかに 忍ぶは 弥陀のお慈悲なりけり」 この歌のように阿弥陀様のお慈悲をいただきますと、何事にもひるまない、力強い忍耐力が出てくるのです。その阿弥陀様のお慈悲をいただくためには、南無阿弥陀仏とお唱えすればよいのです。是非、生活の土台に信仰をおいて、お念仏を称え、落ち着いた、美しい心を持って、毎日の生活を送っていただきたいと存じます。

■第1114話
今回の法話は、この時期、各地域のお寺でお勤めされる事の多い「施餓鬼会」についてお話させて頂きます。施餓鬼とは、六道輪廻(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道)の世界の一つ、餓鬼道に堕ちて餓鬼となって苦しんでいる衆生に飲食を施し、供養する事を目的とした法要です。その法要の中で餓鬼に施しを与え、供養したその功徳を各家の先祖代々の諸霊位にふり向け、ご先祖様が極楽世界で心安らかにお過ごし頂けるようにと祈念するものです。この施餓鬼会の由来としては、「救抜焔口餓鬼陀羅尼経くばつえんくがきだらにきょう」というお経の中で次のように書かれています。
皆様がご存じのお釈迦様のお弟子さんの一人に阿難尊者あなんそんしゃという方がいました。ある時、その阿難尊者の前に、口から火を吐き、痩せ細って骨と皮だけの恐ろしい姿の餓鬼が現われました。餓鬼とは、生前に行なった悪業の報いで飲食が自由にならず、飢えに苦しむ世界(餓鬼道)に堕ちた亡者の事です。その餓鬼が阿難尊者に向かってこう言いました「お前もあと3日で餓鬼道に堕ちる。助かりたいのなら、餓鬼に施しをして、供養をしろ」 驚いた阿難尊者がお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は餓鬼への供養の方法を阿難尊者にお教えになりました。阿難尊者はお釈迦様のお教えのとおりに餓鬼に飲食を施し、供養をすると、その餓鬼は極楽に転じ、阿難尊者は功徳を得て餓鬼道に堕ちずにすんだと言われています。このお施餓鬼会、多くのお寺ではこの時期に行われる事が多いため、お盆の法要と勘違いされる方も多いと思いますが、本来は全く別の法要であり、施餓鬼会の法要で、餓鬼に施すという気持ち、自分の事だけでなく、他者を思いやる気持ちを普段から忘れないようにしたいものです。

■第1115話
今回の法話は、「お盆」についてのお話をさせて頂きます。お盆と申しましても、地域によって今月7月13日から15日のところと、8月13日から15日の地域とあると思います。時期は違っても、お盆をお迎えする方法は地域の差はあまりないと思います。一般的に13日の夕刻に迎え火を炊いて、極楽にいらっしゃるご先祖様に自宅へ帰ってきて頂きます。迎え火で燃やす物はオガラが一般的で、この時期にはお花屋さんやスーパーなどにも置かれています。また、地域によってはまずお寺にお墓参りをして、墓地で盆提灯に明かりを灯して、その提灯を道しるべとして、ご先祖様を自宅まで導くという習慣もあります。最近では、実際に迎え火を炊く事が難しくなっていますので、盆提灯を軒先に吊るす事で、その代わりとしているお宅も多いと思います。
ご先祖様のお迎えの仕方、お仏壇のしつらえとしては、13日までにお仏壇を綺麗に掃除して、その前に精霊棚を作ります。一昔前までは、とても手の込んだ棚を作っておられるご家庭もありましたが、最近ではお仏壇の前に小さなテーブルを置き、白い布を掛けて精霊棚にするご家庭を増えてきました。その棚にまこもを敷き、お供物をお供えし、ご先祖様が乗って来る馬をキュウリで作り、極楽にお帰りになる時に乗る牛をナスで作って飾ります。そして、15日か地域によっては16日に送り火を炊き、ご先祖様に極楽へとお戻り頂きます。このお盆の期間に、家族や親戚が集まって、亡くなった方を偲んだり、ご先祖様へのご供養をして、日頃忘れがちな感謝の気持ちなどを改めて考える時間にして頂きたいと思います。

■第1116話
今回の法話は、私たち浄土宗が一番大切にしている「お念仏」についてお話しさせて頂きます。今、この法話をお聞き頂いている皆様には、お子さんやお孫さんがいらっしゃる方も多いと思います。ちょうど今の時期は夏休みに入り、普段学校にいっている時間に子供達が家にいる事も多いでしょう。また、もう少しすると8月のお盆の時期が来て、普段は離れて暮らす家族、親戚がお盆休みで集まる機会も増える事と思います。この貴重な機会に、お子さんやお孫さんと一緒に皆様の菩提寺を訪れ、ゆっくりとお墓参りをしてみてはいかがでしょうか?普段忙しなく暮らすなかで、悩みや苦しみも多いと思います。先祖代々のお墓を前にして、綺麗なお花を生け、お線香に火を灯し、両手の掌を合せ合掌して、ご先祖様へのご供養をする。その時、私たち浄土宗の僧侶もこの法話をお聞きの皆様も口から出て来る言葉は「南無阿弥陀仏のお念仏」です。
私たち人間は、生まれ、歳をとり、病気になり、そしてやがては死んでいきます。これは誰一人として逃れる事のできない苦しみです。その昔、法蔵菩薩はこういった悩みや苦しみから人々を救うとお誓いになり、四十八の願いたて、その全てを成し遂げられ、仏様(阿弥陀様)となりました。その18番目の願いがこの誓いです。「もし私が仏になったら、真実の心を持って、深い信心をおこし、極楽浄土に往生したい願い、私の名前を呼ぶ者全てを、わが西方極楽浄土に生まれさせよう。出来なければ、私は悟りを得た仏にはならない」 法蔵菩薩は、現実に仏様(阿弥陀様)となられました。悩みや苦しみの無い世界を極楽浄土といいます。この極楽浄土に生まれ変わる事を極楽往生といいます。「南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ・・・」と、ひたすらお称えするその行いが往生のための最も大切な行いなのです。南無阿弥陀仏のお念仏を心から信じ、実践して下さい。そして、日々忘れがちなお互いを思いやる気持ちや、今ここに生かされているという感謝の気持ちを持って、日々の生活を送って下さい。法話をお聞きくださり、有難うございます。このご縁に感謝申し上げます。

■第1117話
連日お暑うございます。今から35年ほど前でしょうか。中学校の修学旅行で奈良を訪れ、薬師寺というお寺にお参りしたときのことです。バスを降りて、バスガイドさんの案内に従って、境内に入りますと、そこから、お寺のご案内は、薬師寺の僧侶の方に変わりました。そのお坊さんは、五重塔の前まで私たちを引率してくると、いきなり軽快に、着物姿のまま、大きな丸石の上にポンと飛び乗ると、私達に向かって、「みんな、よう来たね。お早うございます。」と、ハンドマイクなしに、良く通る声で、気さくな調子で話し始めました。「よく声が通るなあ」と、驚ろいたことを覚えています。そのあとの案内や説明の詳細は良く覚えていませんが、私達に仏教聖歌の一つを教えてくれ、その歌だけは今も忘れることはありません。
ブッダン サラナン ガッチャーミ ダンマン サラナン ガッチャーミ サンガン サラナン ガッチャーミ ・・・ この言葉はインドの古代語・パーリ語のお経で、『三帰依文』といいます。手をきちんと、合掌をして、境内で、皆で大合唱をしました。それから何週間かして、このお坊さんが、テレビに映っていてビックリ。そのお坊さんは、かの有名な高田好胤上人だったのです。自ら仏に帰依したてまつる。自ら法に帰依したてまつる。自ら僧に帰依したてまつる。と、「三つへの帰依」を誓う言葉です。
これは、大乗であれ小乗であれ、またいかなる宗門宗派に属していようとも、仏教を信じる者であれば、必ず守らなければならないお誓いです。人間として生きていく上で、常に心の真ん中におかなければならない、いつも忘れてはならない根本精神、心構えをうたっています。この世において、掛け替えのない最も尊いもの、最も大切にしなければならないもの、ということから、「宝」と例えられ、中国以来、わが国日本でも、これら三つを「仏・法・僧の三宝」と言い習わします。

■第1118話
三帰依文の意味についてお話しいたします。 ・・・ 自ら仏に帰依したてまつる。 自ら法に帰依したてまつる。 自ら僧に帰依したてまつる。 ・・・ と、日常いかなる時にあっても、私たち仏教徒が忘れてはならない生活の信条がこの「三つへの帰依」を誓うお言葉です。「帰依」とは、『帰る』という字に、『依りどころとする』という字を書きますが、「帰命」とも言い、すべての「命」というものが、本来、「頼り」として「依りどころ」として、何に依って生きているかという意味です。ですから「仏に帰依する」とは、はかり知れない、数え切れない無量のアミダの命の中で生かされていると受け取ることが大切だと述べています。
「法に帰依する」とは、そのアミダの命の中で生かされている、ありとあらゆる命は、お互い様の中で支え合って助け合って生きていると受け取ることが大切です。すべての命が、自分勝手に独りで生きていくことは出来ないのです。「僧に帰依する」とは、その「お互い様」の中で生きて行く以上、すべての命に対して、敬意の心を持ち、思いやりの心を育て、互いに助け合って、支え合って、励ましあって、次の子供達に、孫達の時代に、平和な暮らしを、平和な時代を引き継いでいこうとする心が大切なんだと自覚することが大切です。「帰依」も「帰命」も、「帰る」という字を使いますが、「本来の命に立ち返れば」と解釈してもよいでしょう。また「帰る」という字は、辞書を引きますと、訓読みにもう一つの読み方があることが分かります。「とつぐ」とお読みいたします。
農業の品種改良に一つに「つぎ木」という手法があります。異なる品種をつなぎ合わせ、お互いの善いところを引き出して、改良していきます。このとき、お互いの個性が強すぎると、どちらかが死んでしまい、結局は両方が共倒れとなってしまいます。つまり、「とつぐ」とは、「他の命とつぐ」、「つなぎあう」という意味で、一緒に生きて行く以上、相手の命をも生かしていこうと、受けとめることが大切となります。

■第1119話
すべての命が、独り身では、一寸先も生きていくことは出来ません。互いの命が、からまりあって、支え合って、助け合って生きているのが私たちの生命の世界です。ヒマラヤを越えて渡ってきた伝道師から、この教えを頂いた中華人は、訳して「宇宙」という熟語を作りました。漢和辞典を引くと、「宇」とは「時間」、時の流れを表し、「宙」とは「空間」、生きとし生ける一切の衆生が、生まれ、暮らし、死んでいく、この私たちを取り囲む一切の空間を表しています。仏教を意味する「卍」とは、この「宇」と「宙」が私を中心として交わり、それが「諸行無常」「諸方無我」の中で、常に移ろいゆく世界の中で、「どう生きるのかを説いた教え」と表現しています。玄奘三蔵は、天竺での留学後、「阿弥陀」を翻訳し、「阿弥陀とは無量寿、無量光也」と伝えました。
私たちの命のすべてが、計り知ることの出来ない無量の尊い命を、過去からも。未来からも頂いてこそ、生きてゆけるのです。草木や魚や鳥や動物や、無限の数え切れない命が、からまりあって、支え合ってしか、生きてゆけないのです。人の世界の中でさえ、男がいて女いて、お年よりもいれば子供もいて、健康な方もいれば、病気を抱えながら生きていく人たち、すべての一切衆生が、知ろうが知るまいが、互いに関わりあってしか、生きてゆけないのです。お盆のお経の中、「破地獄偈」という偈文の中で、お釈迦様は、弟子の阿難尊者に「若し人、三世一切の仏をよく知りたいと欲せば、まさに、法界の性を観ずべし。」と、教えています。どんな命でも、その一つ一つの命が、どのように生き、どのように他の命と関わっているのか、心の眼を開いて観察していったとき、おのずと阿弥陀ホトケの無量寿、無量光の働きが見えてくると諭しました。ですから、すべての命が尊いと思える「慈しみの心をはぐくみなさい」と、地獄や餓鬼道に落ちる命をも、すくい取りたい、「助け参らせ」と、施餓鬼の行事が2500年間、綿々と受け継がれてきたのです。今年のお盆、皆様のお家では、家族うち揃って、盛大に迎えることが出来ましたか。

■第1120話
まだまだ残暑が続いておりますが、何かと暑いと外に出るにも億劫になりますね。とりわけ、仕事で外に出られるサラリーマンの方々においては、仕事の後の一杯を楽しみにして、日々仕事を頑張られる方も多いかと存じます。仕事の後の楽しいひと時を過ごし、格別の時間を味わうのも良いものですね。しかし、どんなに楽しい時間を過ごそうが、飲み過ぎには注意したいもの。飲み過ぎて困ることも様々にあるかと思いますが、特に注意したいものは健康面。職場等での健康診断で、診断結果を目にする機会もあるかと思いますが、気になる結果ならば、いろいろ考えてしまう方も多いのではないでしょうか。「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズもありますが、言葉通りになってしまうことは実に悩ましいものです。
実際に健康をとるのか。それとも楽しい時間をとるのか。正反対の選択です。皆様はどちらを選択するでしょうか。人間は欲深いものです。自分にとってプラスな面は考えるが、マイナスな面に関しては目を背くことも有り得る。迷いの心が生じ、ちょっとくらいは大丈夫であろうと考えての行動から、後々後悔してしまうこともあると思います。意志が強ければどれだけよいだろうか。自らの行動を振り返り反省することも多々あることでしょう。仏教では迷いの心である「煩悩」を滅せよと説かれますが、法然上人は自らも煩悩を滅することのできない凡夫と言われております。悩み多き人間が「南無阿弥陀仏」と唱えること。それは日常生活に悩みながらも平穏な心と、謙虚な姿勢の大切さを示したものではないでしょうか。 
 

 

■第1121話
残暑も大分和らいで参りました。本格的な秋の訪れから、季節の移ろいが感じられます。さて、これからは秋の行楽シーズンが始まります。皆様は、どのようなご予定をお考えでしょうか。歴史ある名所旧跡や新たに誕生した商業施設などの新名所。行楽地も様々あるかと思います。どこに行こうかと迷う方も多いのではないでしょうか。時代と共に行楽地も変化が感じられます。今年度は、東京スカイツリーに代表される高層建築も新名所として賑わうことでしょう。スカイツリーのように日本一の高層建築は、遠い場所からも目を引き圧倒されます。また、晴れた日には遠くを眺めることができるので、気分は爽快だと思われます。しかし、気になるのはお天気です。一度、雲がかかれば、内からも外からも視界は不良。まして、高層階から地上などは見えないでしょう。お天気という自然には敵いません。
雲の流れではありませんが、我々人間の心は移ろい易すく、自分自身を振り返る機会はあまり多くないと思われます。「灯台下暗し」というように、他人のことはわかるが、自分自身はわかりくいもの。とりわけ、他人を論ずるのであれば、自らを知るべきであり、足下をおろそかにしてはいけません。高い所から遠くばかりを見るのではなく、自分の足下を見ることも大切と思われます。理想ばかり追い求めるのではなく、自分自身を見つめなおす機会も必要だと思われます。 涼しくなってきたところで、心の整理整頓を始めてはいかがでしょうか。

■第1122話
9月も終わりに近づいて参りました。寝苦しい夜からも解放され、夜風の涼しさを感じるようになりました。つい先日も天気予報では「暑さ寒さも彼岸まで」と伝えられておりますが、正しく季節の変化を肌で感じられることでしょう。さて、秋分の日を中日として、7日間はお彼岸ですね。皆様もご先祖様のお墓参りをされたかと存じますが、お彼岸とはどのようなものか、考えたことはないでしょうか。彼岸とは、煩悩を脱した悟りの世界のこと。その反対に、煩悩や迷いに満ちた現世を此岸と呼ばれております。また、お彼岸のある、春分と秋分は太陽が真東から昇り、真西に沈むことから、東を此岸、西を彼岸と考えられております。そして、西方に沈む太陽を礼拝し、遥か彼方の西方極楽浄土に思いをはせることが、お彼岸の先祖供養の始まりともされております。我々は悩みや迷いに惑わされる弱い人間です。お彼岸を機会に、悟りの世界に通じることは、西方極楽浄土の願主であられます阿弥陀様のご慈悲をいただく、何かのご縁ではないでしょうか。まだお彼岸のお墓参りがお済でなければ、お墓参りと共に、沈む太陽に向けて「南無阿弥陀仏」とお念仏を唱えることもいかがでしょう。

■第1123話
今月の法話は三世についてお話し致します。三世とは過去世・現世・未来世の事で、今生を起点とした過去と未来への繋がりであり、欲界に属する地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道に渡る生死輪廻を指します。永劫に重ねた一つ一つの過去世の我身を知り得ることは出来ません、唯の一度も前世の記憶を持ちえない私達だからこそ、未だ生死の苦海から抜け出せず、この世の幸福と曖昧な希望だけを来世へ求めてしまうのです、今生の我身だけに囚われて、出離の想いが生まれなければ、往き先の選べぬ次の苦海へと流されてしまうのが生死輪廻の道理です、されど人の世に出世して、覚りを開き後世の人をもすくわんとしたお釈迦様の大慈悲のお導き在る現世に生を受け、初めて生死の理を知り、この命も未だ生死繰り返す輪廻の里より唯の一度も抜け出た事の無い命なのだと心に留まるから、今生でこそ抜け出したいとの思いが初めてこの命に生まれるのです、仏の真実義に導かれ、私の命の往き先を固く心に定める為には、累々と続く過去世の我が身を強く感ずることは非常に大切なことなのです。

■第1124話
今回の法話は現世についてお話し致します。今、私達が生きているこの世界は、自身の過去世に唯一度も出会うことの無かった、仏の真実義に巡り遇える特別な世界であり、この命は大悲出世されたお釈迦様から連なる一期一会の命であります。前回お伝えしたように、苦海たる輪廻の里を離れる為には、過去世からの自身の命を見据えて、真実の法に目覚め、貪り・怒り・愚かしさに代表される煩悩を修行によって捨て去らねばなりません、されど末世に身を置く私達には非常に成し難いのが現実です。末法の世に人々を救済せんと求道練磨された宗祖法然上人は、お釈迦様が残された数多くの御教えの中から唯一行、阿弥陀仏の本願行を頂戴いたしました、彼の仏は十方世界総ての命を救済せんが為、兆載永劫に六度萬行を修め、無量寿・無量光の如来となり「南無阿弥陀仏」の称名に総ての功徳をかたむけて、称名の行者を必ず救い摂るとの誓いを成就された仏様であるからなのです、釈尊涅槃より2400年の時下りし末法の時代に、煩悩具足し出離成し難き私達をも救わんと、我が名を称えよと今日も西方極楽浄土から大慈大悲の光明を私達に照らして下さるからなのです。

■第1125話
今回の法話は未来世についてお話し致します。前二回の法話にて、現世は離れ難き輪廻の苦海である事と、されど今生は仏の真実義に出会い、過去世から連なる生死の理を得て、自身の命を見出すことの出来る唯一無二の世界なのだとお伝え致しました、阿弥陀様、お釈迦様という二尊のあわれみに抱かれて、善導大師、法然上人という二祖の恩徳に導かれ、累々と連なる命の旅路に結ばれたる縁深き先達と先祖、家族の共生が在ったればこそ、この私は「受け難き人身を受けて、あい難き本願にあいて、發し難き道心を發して、離れ難き輪廻の里を離れて、生まれ難き浄土に往生せんこと悦びの中の悦びなり」と心素直に頂戴して、「安楽」という名の阿弥陀仏国土こそ、未来世に生まれ往くべき処と心に定める事が出来るのです、三世の共生・倶会一処を叶えてくれる本願念仏を、心の杖として往く旅路の何と心丈夫な事でしょうか、『共生の 念仏重ね 生まれ往く 心は定 西方浄土 』法話の最後にご一緒にお十念をお称え致しましょう、同唱十念 南無阿弥陀仏・・・・・・・南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

■第1126話
「今」を大切にしていますかと聞かれたら、あなたは何と答えるでしょう。私たちがよく使う「いずれ何々します。」という言葉がありますが、はたしてその「いずれ」とはいつのことなのでしょうか。明日かあさってか、はたまた1年2年先のことなのか。便利な言葉ですね。でも、そうやって本来今やらなければならない事を後回しにしている自分がいるのです。それは自分の命がずっとあると思っているから「明日やればいい」「明後日やればいい」という気が起こるのです。考えて下さい。誰かが私の明日の命を保証してくれるでしょうか。残念ながら明日の命の保証は何もありません。ということは、今の一瞬間も私たちは無駄にしてはいけないということです。そうは言っても、一瞬たりとも無駄にしないなんて事が出来る人はそうはいません。今ある与えられた命に感謝し、常に目標をもって今すべきことを考える。それが「今」を大切に生きることに繋がるのではないでしょうか。「一所懸命」一つの所に命を懸ける。それを一生涯続けると「一生懸命」になります。「一所懸命」に生きて、あとは阿弥陀様どうぞよろしくお願いします。「南無阿弥陀仏」それが、法然上人が私達に残して下さった教えに他なりません。

■第1127話
あなたは、いつも「目標」をもって過ごしていますか。目標をもっているのといないのでは、その人の生き方が変わってきます。しかし、その目標があまりにも高すぎると逆にダメな場合があります。メジャーリーグで活躍しているイチロー選手も「夢は大きく、でも目標は手が届くところに・・・」と言っています。目標を高く設定しすぎると、いきづまった時に「自分には無理だ」という気持ちが出てきます。少し手を伸ばせば届くような目標を設定する事により、「頑張れば出来る」という意欲がわきます。その目標が達成出来たら、また次の目標をつくる。そのように、頑張れば乗り越えられる目標を常に追いかけることで、自分の意識が変わってくるはずです。意識が変われば行動が変わります。行動が変わると習慣が変わり、自ずとその人の生き方が変わってきます。
ところで、私達浄土宗宗徒の目標って何でしょうか。それは、阿弥陀様がいらっしゃる極楽浄土に往生する事です。阿弥陀様は、「わが名を呼ぶものはすべて極楽浄土に迎える。」お誓いになっていらっしゃいます。私たちはそのお誓いに報いる為にお念仏をお称えします。お浄土では、亡き大切な方とも再会が果たせます。いつかお浄土に往くために、お念仏をお称えいたしましょう。一日100回。それは高い目標でしょうか。ならば、毎日続けられる50回・30回・10回・・・。是非ご自身で目標を決めて日々お念仏の中にご生活下さい。

■第1128話
「結界」という言葉をご存じでしょうか。仏教的に言うと、聖なる領域と俗なる領域を分け、秩序を維持するために区域を限ることとされます。 広い意味では、生活や作法の中で区切るべき境を示す物事を指します。日本建築の中にも多くの結界があります。「門」「ふすま」「障子」「衝立」「縁側」「敷居」「畳の縁」「暖簾」などがそれにあたります。浄土宗の本堂にもこの結界が用いられ、阿弥陀様がいらっしゃる内陣と、外陣を分けています。内陣は、極楽浄土を模してつくられており、外陣は私達の住む娑婆世界です。この結界は、人と人の間にも存在します。自分と相手との間に結界を引くことにより、お互いに自分の立場をわきまえ、相手に対してとるべき態度を確認できます。仮に、人と喧嘩になった場合であっても、相手にたいして言っていいことと悪いことがあります。
日本の伝統文化には、扇子がつきものですが、この扇子がまさに心の結界と言えるでしょう。扇子の向こうとこちら側には、相手に対しての敬いと、自身の謙虚さがうまれます。人と接するときに、忘れてはならないのが謙譲の精神です。なぜなら、私たちは常に誰かに支えられ、決して一人では生きてゆくことが出来ないからです。「俺が私が」という気持ちを横にして、いつも、謙虚さをもって「お陰さまで」という気持ちでいたいものですね。

■第1129話
暑くて長い夏がやっと終わりましたが、秋はあっという間に過ぎ去ってしまい時節は師走を迎えました。私たちは毎日何かに追いまわされています。忙しいという字は心を亡くすと書きます。そしてさらに何か大切なものを忘れているのでは ないでしょうか。忘れるという字も心を亡くすと書きます。先月、ご主人の一周忌のご法事でお参りにこられたご夫人が、玄関に書かれてある「脚下照顧」の立て札を見て、「履きものを揃えましょう」という意味かと尋ねられました。今まで気付かなかった玄関の立て札に気付いたようです。 それでよいのですが、照顧とは『阿弥陀様の智慧の光で自分自身を照らして見なさい。』ということですよ。 と付け加えました。
「仏の智慧の光で自分を照らす」というと理解しづらいようですが、忙しい、忙しいと言い続けて今日までお暮らしの方、ふと庭に目をやると夏の色とりどりの花はとうに終わり、秋の草花も時期を過ぎて、もう冬の寒さに備える作業をしていることに気付くでしょう。庭の変わり様に気付いたことがまさに「脚下照顧」となったのでしょう。12月8日は釈尊成道の日です。ブッダガヤの菩提樹の下で坐禅を続けられた釈尊が悟りを開かれた日です。私たちの目は外の世界を見るようになっていますが、その目を自分の内側に向けてみることも大切です。師走の時節、ゆったりと立ち止まって亡くしそうな心を見つめていきましょう。

■第1130話
年の暮れには、菩提寺にお墓参りに行かれますね。本堂のご本尊様にも忘れずにお参りしてください。さて仏様の佛という字を思い浮かべてください。右側は、縦線と横線が重なり合っていますね。この縦線と横線は何を表しているのでしょう。縦線はご先祖様や仏様、お父さんやお母さん、家族や多くの友人を表しています。そして横線は、そこに絡みついている私自身です。つまり「人間は多くの人や物に絡みついているからこそ立っていられる。」という事をこの文字が表しているのです。私は、決して一人では立っていられません。あなたもそうです。悩んだときには、家族や友人に心を開いてみましょう。必ず救いの手立てがあると私は信じています。「人こそ仏」という言葉があります。人には生まれたときから仏様が宿っているのです。 人と人との絡みつき、人と仏との絡みつき、勇気を出して心をひらいてみましょう。しかしそれは、簡単なことではありませんね。そんな時は、まず佛という漢字を書いてください。そしてあなたも、ほかの誰かにとって仏様になりうる事を忘れないでください。 
 

 

■第1131話
さて今年も、ご法事や仏事でご参拝の方々に、いろいろお話を伺う機会がございました。多くの方が、何かしらの社会活動をされているようですね。一人暮らしのご老人や、障害のある方のお手伝いをされる方。公園や道端にある花壇の手入れをされる方。あるいは、民謡やダンス教室に通う方。皆さん毎日楽しそうです。このようにご自身の楽しみの為にしか見えない行いも実は、ほかの人の為に十分役に立つ行いとなるのです。自分にとってよい行いは、必ず他人の為になる。ということなのです。
テレビを見ておりますと、日本や世界の人々の暮らしぶりが、よく映し出されます。私が心を打たれるのは、やはり先の大震災や、原発事故です。災害の後を生きる人たちの様子です。震災の荒地に花を育てているご婦人の姿や、音楽会を開いて、みんなで楽しそうに歌っている若者たち。そんな映像に勇気づけられた方は、沢山いらっしゃると思います。これも自身の善行は必ず他人の為になる。ということなのです。仏教では、自身の為に悟りを求めるが、それは悟りの後に皆を救う為。という考えがあります。あなた自身の祈りが、ほかの人々の幸せにつながるよう。年の暮れには、お寺参りをされてはいかがですか。

■第1132話
平成二十五年の新しい年を迎えました。平成も二十五歳ですが、最近、昭和の時の二十五歳時はどんな年だったかと歴史を振り返ることが多くなりました。昭和二十五年は朝鮮戦争が起こった年であります。冷戦がいきなり熱い戦争になった年です。この頃から日本は高度経済成長を遂げていくわけですが、そのたどりついた先は今日のような強欲資本主義のむくいで、身動きとれない状態になっています。まさにおろかな人間の姿がそこにあるといえましょう。さらには昨年以来、日本の国際的地位も含め、何とも不安底な情勢となっています。戦いのない平和な毎日を願うだけです。法然上人は、教えの根本として、我が身を見つめなさいとおしゃいます。他人のあらさがしは簡単にできるのですが、自分となると、全く自らが見えておりません。見ようともしないという事の方が的を得ておりましょう。見たくないほどに、自分は醜い姿です。それは無明という存在、わかりやすく言えばただむやみに真っ暗闇を動いている存在がこの自分なのです。どこへ足を向けてよいかも、どの方向へ進むかもわからない。したがって、思いのままに進みます。その思いのままというのが、生まれながらの根本的な欲であり、すべて自分中心に、自分に都合がいいように動き、その結果、その時その時の判断を誤って、ますます暗闇に分け入っていくのです。阿弥陀仏はそんな迷い疲れ果てた者へ声をかけます。必ずあなたを救いますよと。念仏を称えるほどに、阿弥陀仏がこっちですよと導いてくれます。真っ暗闇の中にあって、この声はどれほど心強く、頼りがいのある温かいお声でしょうか。今年も、阿弥陀仏に身を任せて生きる以外ありません。どうぞ、念仏の日暮し過ごして参りましょう。

■第1133話
法話も一一三三話を数えます。この一一三三の数字にはすぐ反応してしまいます。ご存じの方も多いと思いますが、法然上人がお生まれになったのが、この数字の一一三三年であります。法然上人がこの世においで下されなければ、またお念仏に出会って下されなければ、今のこの私はどこに救いがあったかと思います。そして、この一月という月は法然上人がおかくれになった月、建暦二年一月二十五日にご往生されたのです。一枚起請文という、ご臨終二日前にお弟子さん源智上人に示されたご文にも「智者のふるまいをせずして、ただ一向に念仏すべし」とあり、この一年の最初、始まる月から法然上人と離れることのない縁をいただけることに有難さを感じるのであります。毎年、法然上人から始まるのであります。そう思いますと、この一年、ああしよう、こうしようと様々な計画やら誓い言をたてますが、まずは、この一年、お念仏の日々となるよう相続、継続していこうと誓うことが大切でありましょう。しかも「智者のふるまいをせずして」という心こそ、この一年を過ごしていく上で大切なお諭しです。一年過ぎると結局、智者のふるまいに明け暮れた自分だったと懺悔することが多いのですが、大切なことは、智者のふるまいをしないようにと日々過ごすことこそに意味があります。なかなかお念仏が続かないという方もいらっしゃいますね。始めはいいけれど、いつのまにか忘れていたとか、よく聞きます。一つの工夫としまして、春彼岸、お盆、秋彼岸、お十夜などを一年の節目として、それまでにどれほど称えられているかその節目で反省し、次へ向けての軌道修正としていってはどうでしょうか。今年も阿弥陀仏と離れずの生活をして参りましょう。

■第1134話
数年前、電車に乗っていましたら、ある広告のキャッチコピーに「初志貫徹、臨機応変、あなたはどちらを選びますか」というものがありました。つり革に手をやりながら、その問いに自分はどちらを選ぶかと考え込んでしまいました。よく考えてみますと、初志貫徹、臨機応変、この二つは究極的な選択であります。あなたは、妥協を許しますかということを聞かれているようにも思います。私どもは人生の中で何度も、この選択に巡り合う気がします。常に臨機応変に対応していけば、うまくやれていけそうですが、この言葉は聞こえはいいですが、要するに行き当たりばったりということです。一方、初志貫徹は意思の強さを感じます。あらゆる不遇にも屈せず、はねのけ、貫いていくというのです。しかし、場合によっては、周りに気を配らず、自分勝手で、組織社会の中ではもう少しみんなに合わせろと、そんな非難がとんできそうです。初志貫徹と臨機応変の選択、なかなか難しいものです。判断を誤ると大変でしょう。しかし、お念仏のみ教えにおきましては、そういうことではいけません。様々な誘惑に動かされることなく、仏様ご自身が、多くの行の中からこの念仏を選んで下さり、ひとえに念仏だけでよいとされているのですから、初志貫徹と決めていただきまして、ただ一向に念仏をお称えするだけでいいのです。臨機応変にお称えするのではなく、日々の信仰としてお念仏で過ごすことだけであります。法然上人のみ教えは、ひとえに念仏と定め、初志貫徹に人生を全うせよとのお言葉と受け止めて毎日を過ごして参りましょう。

■第1135話
世の中には仏教用語が元になった一般用語があります。「一蓮托生」ですとか「金輪際」「精進」「冗談」などです。その中には私たちの宗派である、浄土宗からの言葉「他力本願」というものがあります。一般用語としては、他人任せにして自分では何もしない、と捉えられる言葉であります。しかし、本来は阿弥陀様に一心に願う事、すなわち南無阿弥陀仏と唱える事で、阿弥陀様のお力により極楽へと往生する事ができる、そういった言葉であります。これは何も一般用語のように、南無阿弥陀仏と唱えればそれだけで良いや、という事ではありません。極楽への往生を願うという事が大切なのであります。
私たちは、特別な力を持っているわけではありません。亡くなった方とお話をする事ができるわけでも、ましてや生き返したりする事ができるわけでもありません。ですが、亡くなった方の事を思い往生を願う事はできます。そしてそれを願いながら南無阿弥陀仏と唱える事もできるのです。親しい方を亡くされた時、亡くされた方を想う時、どうする事もできない悲しみや気持ちを持つ事があると思います。そんな時に南無阿弥陀仏とお唱えしてください。亡くなった方の事を想って南無阿弥陀仏と唱えてください。特別な事はできなくとも、私たちには亡くなった方のためにそうする事ができるのですから

■第1136話
本日は「一期一会」という言葉からお話をさせていただきます。「一期一会」とは、さもすると「人との出会いが大切」という意味で用いられることも最近ではよくきかれます。しかし、本来、「一期」とは一生涯をさし、生涯のうちで今日という日は二度となく、今日のめぐり合わせは、あくまでも今日だけのことであるという意味なのです。そして、この考えは仏教の「諸行無常」、すべてのものが移り変わるもので同じものは二度とないという考えからできた教えとされています。
さて、新年を迎えて年が明ける頃には、「今年こそ学業成就しよう」「今年こそダイエットをしよう」などと初心を立てた方も多いかと存じます。ところが、月日が、一月、二月とときがたちますと、いかがでしょう。今の季節、こうも寒い日が続き、こたつや暖房のある部屋でぬくぬくなどしておりますと、「今日は休んで、明日からやればいいか」などと日延べしてしまう話もよくきかれます。「初心忘れるべからず」というものの、人の心は弱いもの、過ぎ去っていく日々がいつしか空しいものとなっていないでしょうか。今を充実して生きる、単純なことですが、大変難しいことです。しかし、「一期」を大切にする心を忘れなければ、自然と努力できるものです。例え、失敗をした日、だらけてしまい無駄に過ごしてしまった日、があったとしても、そのことを「今」、そのときに活かし、積み重ねを繰り返して生活をしていくことで、初心の成就はもちろん、日々への感謝を感じることができるものなのです。阿弥陀様のご慈悲を感じるとともに、毎日のお念仏、今のお念仏を大切に過ごしていきたいものです。

■第1137話
みなさんはお寺・寺院がいつどこで出来たのかご存じでしょうか?今から約2500年前にインドで生まれたお釈迦様が、森の中で修業をして悟りを開かれブッダ・仏となり、菩提樹という木の下で、弟子達と共に瞑想や修行をしていたのですが、風雨を凌ぐ為の場所が必要とされ、精舎という壁は無く屋根があるだけの建物を立て、そこで共に集団生活された所が最初だとされています。お釈迦様が仏教を開いての後、僧院や仏塔が石やレンガ等で造られ、その約500年後には、お釈迦様の生涯を物語にした伝記を型として造られた仏像があり、その時に仏を祀るお堂もできました。
さてその後いかにして今ある寺院が建立されたのか、それは仏の教えを世界に広めようとして弟子達がシルクロードを経て、中国漢王朝の時代に、白馬に経典や仏像を積んでやって来た時、当時の皇帝に受け入れてもらい、都のある洛陽という場所に白馬寺という宮殿のような寺が建立され、そのときに寺という文字が使われるようになりました。また日本に仏教が伝来されたのは、一説には今から1461年前、聖徳太子のいた552年に、当時朝鮮半島にあった百済という国の聖明王により、日本の欽明天皇へ「経典・仏像・僧」が送られたそうです。この時に百済より学んだ仏教寺院建築が始まりました。もともとお釈迦様が仏となり、弟子達と共に修業をする場、精舎から発展して今の寺院が建立されるまでには、インドから仏の弟子達により、中国・朝鮮・日本へと仏教伝来されたことによって、お寺・寺院ができたのです。 
 

 

■第1141話
毎朝の勤行で、私たち僧侶が読みます経文に、お釈迦様が説かれました『無量寿経・むりょうじゅきょう』の一節、「四誓偈・しせいげ(四つの誓い)」、というお経があります。その中に、次の文言(もんごん)があります。「為衆開法蔵 (イシュウカイホウゾウ) 広施功徳宝 (コウセクドクホウ)」 和文で読みますと、「衆の為に法の蔵を開いて、広く功徳の宝を施す」 さらに分かりやすく読みますと、「生きとし活ける一切の衆生、すべての命の為には、法の蔵を開いて、広く施(ほどこ)すことこそ、最高の功徳、「宝」である」、と。「広く施す」の「広く」とは、このくらいでとキリを切るような、そんなケチ臭いものではありません。
如来の慈悲の光明は、無量光(むりょうこう)、無辺光(むへんこう)といわれます。仏の慈愛は決して量り知れるものではなく、無際限にあふれたものです。また命を分け隔てるような区別もしません。いかなる所に暮らす命であっても、等しく、如来の慈悲の光明を蒙(こうむ)ることが出来るのです。また「施す」とは、まさに布施の行いであり、「布施」という字が示しますように、大きな風呂敷がすべてを包み込むように、両手を一杯に広げて、ホドホドという際限をさらに超え、もったいないほど思いやりにあふれた行いです。「法の蔵を開く」とは、仏法僧の三宝の中でも、「法」、すなわち、全ての命が天地宇宙の中、お互い様の中で、かかわって支え合って生きています。「お互い様のいのち」と受け取ってこそ、共生(ともいき)の中に、一切衆生、すべての命が生かされて生きていけるのです。「仏にすがり唯だ祈るばかり」の私たちも、やがて、仏の心を頂いて、仏の心にそった、思いやりあふれた心をこの己れの内側に頂かなければなりません。
宗祖法然上人も、「行住坐臥にも報ずべし、かの仏の恩徳を」と、仰せになっています。いつ如何なるときにも、恩に報いていこうとする心構えが大切です。み仏さまと、少しでも心を同じくし、我執を捨てて、他の命の幸せの為にも、身を尽くして、思いやりにあふれた生活に努めることこそ、大切にすべき我が宝と心得よ、とお伝えになっている訳です。

■第1142話
浄土宗の毎朝の勤行で、お読みする経文のなかに、『総回向偈・そうえこうげ』というお経があります。 ・・・ 願以此功徳 (がにしくどく)  平等施一切 (びょうどうせーいっさい)  同発菩提心 (どうほつぼだいしん)  往生安楽国 (おうじょうあんらくこく) ・・・ 書き下してお読みしますと、「願わくは、此の功徳を以て、平等に一切に施して、同じく菩提心を発し、安楽国に往生せん」 仏教の教えを表した四つの句、「四句」でまとめたものを「偈(げ)」と言います。先ほどお読みした「偈」の題は、「総回向偈」です。
「回向」とは、自分がそれまで積んできた善の功徳を、自分の為だけに留めるのではなく、仏教では、むしろ、他に振り向けていくことが大切だと、お釈迦様は説かれています。功徳を積んだ私にご利益を、と願うのではなく、むしろ、功徳を積むことが出来たからこそ、他の命のみんなにも、振り分けていきたい、と願う姿が大切なのです。振り分ける先は、生きとし活けるすべての命です。普く一切の衆生に、平等に、施していこうとする心構えが大切です。「施す」と申しますから、ホドホドではいけません。身を尽くして、「程」を超える。このぐらいでと、勝手にキリをつけるような小さな親切ではいけません。精一杯の思いやりをみんなに振り分けていこうとする、深い「お慈悲」の心から生まれた行いが尊いのです。 仏教ではこの行いを「化他」と呼びます。自分が行ってきた善い行いも、普く「一切」に、平等に振り分けさせて頂くのです。自らを高め、同時に、他を導くという行いは、大乗仏教における理想的な仏教者像である菩薩さまの行い、そのものであります。「同じく菩提心を発して」とは、功徳を振り分けた先の一切の衆生も、また同じように、「菩提心」、菩薩さまの慈悲深い、思いやりにあふれたお心となって、私たちも一切衆生も、皆が共に、安楽なる世界に、どうぞ生かさせて頂けますように、とお勤めの結びにお唱えしているのです。

■第1143話
今年も早五月。♪夏も近づく八十八夜♪誰でも耳にしたであろうこの歌の季節です。八十八夜とは、二月四日の立春から数えて八十八日目。春から夏へ、なんともよく考えられたものですね。さて立春が過ぎた頃、家族に囲まれてひとりのおばあちゃんが旅立ちました。祭壇に囲まれたお棺の上、官製はがきを組み合わせて描いた一つの絵が置かれていました。脱脂綿で立体的に表現された雲と雪、様々な小物がおどるパノラマの様な絵です。しかもこの官製はがき、ポストにバラバラに投函したそうで、受け取るおばあちゃんは一枚ずつ組み合わせて完成という手の込みようです。聞けば長期入院中のおばあちゃんの痴呆が進まないようにと孫娘が送ったのだそうです。
家族の愛情をいっぱい受けて穏やかな入院生活を過ごす中、家族はある決断をしました。からだが辛いことはもうしない。そしていっぱいおしゃべりして想い出残そうと。『ずっとそばにいるから、大丈夫だよ』 『よく頑張ったね。よく辛抱したね。えらかったね。も少ししたら苦しみなんかどっかいっちゃう。みんなここにいるよ』 最後臨終の時、誰だって楽に逝きたい。死は怖くてしかたない。でもそこが愛情に満ちた場所であれば癒され救われる。癒し。それは智慧と慈悲に満ち満ちた阿弥陀さま。救いは阿弥陀如来の本願信じて念仏称えよと説かれた法然上人さま。言いかえれば癒しと救いを八百年も前に法然上人は説かれた。その法然上人のおことばに『深く弥陀の本願を信じて念仏すれば一声に至るまで決定して往生するよし』とあります。日頃からお念仏道にはげみ、癒しとお救いを願おうではありませんか。

■第1144話
新緑が映え風薫る五月、京都では華やかな葵祭。穀雨の頃降った雨は田畑を潤し、今植物を成長させてくれています。さて今回はお花の歌の話をしましょう。槙原敬之さん作詞作曲の『世界に一つだけの花』です。この曲の歌詞に「阿弥陀経」が関わっていることをご存じの方もいらっしゃると思いますがどうかお付き合いください。槙原敬之さんは麻薬事件を起こし、私たちの前から暫く姿を消しました。この間、仏教と出会えたことがきっかけで、この曲ができ上ったそうです。この曲の中に《この中で誰が一番だなんて争う事もしないでバケツの中誇らしげにしゃんと胸を張っている》の一節がありますがここは『阿弥陀経』の《池の中には蓮華が咲き誇り、青色・黄色・赤色・白色の華はそれぞれの光を放って、なんとも言えないほど清らかで芳しい》が元になっていて自身、ものすごくきれいな雨の降っている朝にぱっと頭に浮かんでくる景色を文章化しただけで自分が書いた感覚はなかった。とも語っています。仏教が、阿弥陀経がこのように表現されたことに喜びをおぼえます。《世界に一つだけの花。一人一人違う種を持つ》みなさんはどんな花を咲かせたいですか。もう既に咲かせた方もいらっしゃるでしょうか。これから夏に向かう季節。住む街、野山には益々いっぱいの花が咲き誇り、私たちを楽しませてくれることでしょう。
法然上人が浄土宗をお開きになって八三八年の時が過ぎ、八五〇年の節目も見えてきました。この間どれ程たくさんの人がお念仏を相続してこられたでしょう。その入れ物の中、輪の中のひとりでありたいものです。仏の御光に摂取されゆく身にあれば、おもいわずらうこともなくとこしえかけて安からん。南無阿弥陀仏(光明摂取御和讃)

■第1145話
五月が終わり、梅雨の六月に入りました。日本では雨の多い六月ですが、欧州では天気が良く、結婚式に向いている月だそうです。さて、その結婚式で、よく耳にする言葉があります。『死が ふたりを別つまで』。聞いた事、おありでしょうか?大変、ロマンチックな言葉ですよね。でも、私は この言葉より、更に素敵で あったかい御文を知っているんです。それは、法然上人が熱心な信者でもあった九条兼実公に残されたあるお歌の事です。『露の身は ここかしこにて 消えぬとも 心は同じ 花のうてなぞ』。私たちの身は 草木に落ちる露のように儚いものです。けれど、お念仏を信じているならば 私たちは必ず、阿弥陀さまのお浄土で再会する事が出来るのです。…このお歌は、そう詠っておられます。
お念仏を信じる私たちにとって、この世での別れは 決して永遠のものではありません。お浄土がある以上、臨終での別れは「さよなら」ではなく、「また会いましょう」「行ってらっしゃい」というお見送りなのです。お念仏を心から唱えた全ての人は 必ず、阿弥陀さまにお救い頂けます。それは、至らぬ私たちにとって、本当に有り難く そしてあたたかい御教えなのです。お念仏と仏様のご縁によって結ばれた私たちはたとえ 死を以ってしても別つ事は出来ません。わが身と、先立たれた方と、どちらも導き救って下さる、尊いお念仏です。どうか、そのご縁を大切に育んで頂いて、日々 お手合わせいただければと思います。 

■第1146話
六月も半ばが過ぎ、暑い日々が続いていますね。こんな日に思うのは、涼やかな水面に咲く、美しい蓮のことでございます。蓮の開花時期は六月の中旬から 八月下旬ごろですから、ちょうどこれからが見頃の時期ですね。さて、蓮の花。実は 皆様のお宅にもきっと一輪は咲いていると思うのですが、どこに咲いているか、ご存知ですか?・・・正解は、ご仏壇の中。阿弥陀様のお乗りになっていらっしゃるのが実は 蓮台、という蓮の花を象った台なんですね。では、何故 仏様は蓮の上にいらっしゃるのでしょうか?それは、蓮の花が 泥の中より出で その中で育ちながらも、決してそれに染まらず、穢れない花を咲かせる事から 仏様の象徴として考えられているからです。ですから、仏様は、蓮の花の上にお生まれになります。それは、私たちの元を離れ往生された、皆様の大切な方々も同じです。今は美しい蓮の上から、皆様を見守りながら 日々、過ごしていらっしゃる事でしょう。
『先立たば おくるるひとを 待ちやせん はなのうてなの なかばのこして』 私が先にお浄土へと旅立ったならば、私のお隣を貴方の為にご用意して お待ち申し上げておりますよ。……これは有名な法然上人の蓮のうてなのご詠歌でございますけれど、この中の「花」というのは「蓮の花」を示しているんですね。亡き方は私たちにお浄土から 慈しみのお心を傾けて下さっています。そしていつか来る私たちを思って 自らのお隣をあけ、今日も精進されて居られるのです。本当に 有り難いことですね。亡き方と仏様を念じて、どうか今日も心穏やかに お念仏の日々をお過ごし下さいませ。

■第1147話
7月に入りました。7月と言えば新暦でお盆の月です。都心ではこの月にお盆を迎えるところも多い事でしょう。お盆とは古代インドの言葉「ウランバーナ」のことで、逆さ吊りにされた苦しみを意味します。仏前にナスの牛や、キュウリの馬を置いたりお供え物をし、ご供養することによって苦しみから解放することが出来るのです。私ごとで恐縮ですが、今年の5月下旬、中東のドバイに行って来ました。帰国の際、ドバイ空港で自分のミスから遅刻してしまい、飛行機の出発が10分も送れてしまいました。200名近い乗客全員が私一人のせいで、機内で10分も待たされたのです。皆、私を非難し怒り狂い殺意さえ感じとられました。針の筵とは正にこのことです。これはただ単に過失ではなく大きな罪です。深夜発の便で皆大変疲れていて早く日本に帰りたいのに、甚大な迷惑をかけてしまいました。私は離陸後もこのことが気になり、声には出しませんでしたが心の中で何とか定刻通り到着するようお念仏を称えました。罪を消すにはそれしかありません。離陸後3時間程すると、全行程の三分の一くらいのところでしょうか、機内がいつもよりずっと寒くなってきました。くしゃみをする者、咳をする者、鼻水をすする者があちらこちらに居ました。ひょっとして通常よりずっと高い所を飛んで、可能な限り一番速い気流の助けを得たのでしょう。するとどうでしょう。優秀なパイロットのお陰でなんと定刻より25分も早く着陸したのです。乗客は到着時刻のアナウンスを聞き、皆怒るどころか喜び、いや感謝すらしているようでした。しかもいつの間にかくしゃみ、咳、鼻すすりの音も全て無くなっていたのです。
「災い転じて福と成す」 私はパイロットに助けられました。仏を見たような気がいたします。最初出発頃の状況が正に逆さ吊りの苦しみ「ウランバーナ」です。そしてお念仏の功徳、すなわちお盆のご供養があって、最後喜びに満ちた雰囲気が極楽浄土です。人は皆、必ず苦境に落ちることがあります。そういった時、声に出さずともお念仏申すことにより確実に救われるのです。

■第1148話
毎日暑い日が続きます。皆様体調など崩していませんでしょうか。今回は極楽浄土に往生することの素晴らしさについてお話したいと思います。私ごとで恐縮ですが、今から九年程前、タイのある村で話のこじれから三日間ほぼ軟禁状態にされました。恐怖のあまり着のみ着のままパスポートと現金だけは持って日本に逃げ帰りました。今になってやっと当時を冷静に振り返ることが出来るようになりました。その時は、心錯乱し、心転倒し気が狂わんばかりになってしまい、気が付くと自傷行為に至っていました。不思議なことに少しも痛くありませんでしたが、家の横の電線にカラスが20羽程集まっていたのが印象的でした。その後、ショックのため一週間何も食べず、体重が15キロも減ってしまいました。幸いにも命に別条はありませんでしたが、数々の貴重な体験をすることが出来ました。体外離脱もしました。斜め横10メートルくらいの高さから救急車に乗った自分を見ていたのです。
地獄のほんの入り口も体験しました。ハンバーグの焦げたような臭いにおいがし、気持ちが悪く大変辛い思いをしました。後で母に言われたのですが、畳の上でのたうち回っていたそうです。それから数日すると、今度は極楽浄土のほんの入り口を体験しました。本堂の廊下に座っていると、この上なく素晴らしい香りがし、最高の気分を味わっていました。次の日にはお粥が出されましたが、それまで味わったことのない極上の美味しさでした。ほんの入り口でさえそれ程素晴らしいのです。地獄や極楽は本当にあると、この体験を通して実感しました。又たとえ地獄に落ちたとしても、お念仏を称えればその功徳によって極楽浄土に往くことも出来るのです。皆さんもお念仏を身近なものにして極楽浄土に往生してください。

■第1149話
毎日暑い日が続いていますが、皆さん如何お過ごしでしょうか。今年もお盆の季節を迎え、お棚経で皆さんのご自宅にお邪魔する時節となりました。去年のお盆参りのことです。あるお家でこんな話を聞きました。夕方、お散歩に出かけるおじいさんがおりまして、夕飯の六時には、必ずお家に戻って来られます。その日もお嫁さんが夕飯の支度していると、窓からおじいさんの姿が見えました。「もう六時ですよ、おじいさん。早くお家の中に入って下さい」と声をかけました。ところが、これを聞いたおじいさん、ものも言わずご飯を食べ、すぐ寝てしまったんです。お嫁さんは、いったい何を怒っているんだろうと思いましたが、さっぱり分かりません。おじいさんは、翌朝出かけ、お隣で話してるのです。「うちの嫁が、まさかあんなことを思っているとは。まったくひどいことを言う嫁だ」。ですからお隣の奥さんが、「おじいさん、何を言われたんですか」、昨日の夕方、ワシが家に帰ろうとしたら、家の中から嫁が「もうろく爺さん」と言ったんだ。(間)「早くお墓に入んなさい」とも言った。さっそく隣の奥さんがやって来まして、「あんた、幾らそんなこと思っていても、そんなこと言っちゃダメよ」、「いや私はそんなこと言った覚えはありません」、「じゃあ、あなた何て言ったの?」(間)「もう六時ですよ、おじいさん」が、「もうろく爺さん」と聞こえ、「早く家の中に入って下さい」が、「早くお墓に入って下さい」と聞こえてしまった。
たったひと言の言葉が、誤解を生み出し、あんな穏やかなおじいさんが、鬼のように怒り、腹を立てしまう。私たち人間の心は、ささいなことで、すぐ波風をたて揺れ、過ち失敗を繰り返していくのです。「繋ぐならつなぎ所につなぐべし、繋ぎながらも船は動けり」、南無阿弥陀仏としっかりお念仏を称えながら、阿弥陀様とかたい絆でしっかり結ばれれば、多少は心が揺れて、過ち失敗を重ねても、必ず間違いのない人生を歩むことが出来るのです。

■第1150話
今回は、「倶会一処」、亡き人たちと、また必ず会えるということでお話をさせて頂きます。タレントの島田洋七さんが、ご自身の少年時代の思い出を綴った「佐賀のがばい婆ちゃん」という本には、洋七さんのお婆ちゃんが言い聞かせた数々のエピソードが描かれています。貧困の生活の中でも、決して明るさを失わず誇りをもって、お孫さんを育て上げられたこのお婆ちゃんの言葉には、私たち人間が生きて行くための知恵のようなものが示されております。実は、私が惹かれた一節に 「さよなら、と言えるだけでも幸せ またね、と言えたら、もっと幸せ 久しぶり、と言えたら、もっと、もっと幸せ」 というものがありました。私たちの人間の世界は、限りのある無常の世界ですから、いつか必ず愛する人と悲しいお別れをしなくてはなりません。しかし、それは二度と会えない。最後のお別れではなく、仏の国、永遠の世界で再会する日までの暫らくのお別れなのです。
私たちの法然上人は、「宿縁空しからずば、同一連に坐せん」、南無阿弥陀仏のお念仏によって、必ず仏の世界に生まれ変わり、同じ蓮台に坐ることが出来るのだとお説き下されました。また、それは死んでからのことではなく、現在ただ今から、同じ阿弥陀様のお慈悲の光明に照らされながら、同じ仏様の護念、お導きを頂き、たとえ住所の隔たりがあろうともお念仏の中に、亡き人たちと共に生きて行くことが出来るのです。「南無阿弥陀仏と、称えるだけでも幸せ 南無阿弥陀仏と、称えてまた逢えたら、もっと幸せ 南無阿弥陀仏と、称えながら、共に生きて行けたらもっと、もっと幸せ」  
 

 

■第1151話
今回と次回は生きがいについてお話を致します。生きがいという言葉は普段何気なく使っていますが、実は日本語に特有の言葉であって、日本語の意味する生きがいのニュアンスにそのままあてはまる言葉がほとんどの世界の言語に見当たらないといわれています。この生きがいをいかにしてもつかということが現在、大きな関心を集めています。私たちが「あなたの生きがいは何ですか」と聞かれたとしたら、色々な答えが出ると思います。例えば、家族や友人との絆を思い浮かべることもあります。あるいは、人との出会い、仕事の達成、趣味の上達、自己実現など様々な生きがいを思い浮かべることがあると思います。私たちはこうした様々な生きがいを生きる目標として日々生活しています。生きがいに支えられて生きていると言ってもよいかと思います。私たちを支えてくれる生きがいですが、ここで少し立ち止まって生きがいそのものの強さということについて考えてみます。先にさまざまな生きがいの例を挙げましたが、例えば仕事や趣味は失業問題が取りざたされるように経済の状況の悪化で失うことがあるかもしれません。多くの人が生きがいと考えている家族や友人という存在にしても不幸にして事故や病気で思いがけず失ってしまうことがあります。また、そもそもの自分自身がいつまでも健康であるという保証はどこにもありません。そう考えると実は私たちが普段考えている生きがいはいかに儚く脆いものであるのかということが見えてきます。では、壊れにくい生きがいはないのでしょうか。このことについて次回の法話で考えてみたいと思います。

■第1152話
今回は前回に引き続き生きがいについてお話し致します。前回は私たちが普段考えている生きがいがいかに儚く脆いものなのかということについてお話し致しました。今回はいかに強く壊れない生きがいをもつかということについて考えてみたいと思います。強く壊れない生きがいを持つヒントとして、心理学者の井上勝也先生がおっしゃっていることがあります。井上先生は『堂々たる寝たきり』という本の中で最も壊れにくい生きがいは「思い出」だとおっしゃっています。この思い出というのは言い換えればここまで一生懸命生きてきたという強い心です。この強い心は例えどのような環境にあっても壊れることがありません。この例としてアウシュビッツ収容所に収監されたコルベ神父のお話があります。コルベ神父は自らある方の身代わりとなって他の囚人の方とともに餓死刑に処せられたのですが、人間が生きるための基本となる生理的な欲求や安全が満たされない中で、その人生が終わる時まで他の囚人の方を励まし続けていたと言われています。餓死刑に処せられるという言い表せない過酷な状況の中でコルベ神父が他の囚人を励まし続けていられた理由、それはコルベ神父の強い心、生きがいにあったのではないでしょうか。アウシュビッツの収容所のような状況ではありませんが、私達がこの世を去らなくてはならない時はいずれ訪れます。『無量寿経』、『観無量寿経』という経典には、この時必ず阿弥陀さまがお迎えに来て下さるということが説かれています。このお言葉はとても心強く、私達の大切にするものが失われ、自分の命が尽きようとしている時にでも強く心の支えになります。ですが、私達がこの世を去る間際にだけお念仏をお称えして阿弥陀さまをお慕いするのではなく、常日頃からお念仏をお称えしなければその確信も揺らいでしまうかもしれません。こうして考えてくると、強い心をもつためには、平凡ながら日々一生懸命生き、私たちを生かしてくださっている仏さまやご先祖さまへの感謝の心を忘れない生き方をすることこそが重要なのだと考えられるのではないでしょうか。

■第1153話
10月に入り、体育の日を中心として運動会が各地で行われる時期になりました。近年第二月曜日が体育の日になっておりますが、この体育の日は『スポーツに親しみ、健康な心身を培う』ことを趣旨としているそうです。スポーツと言うかわかりませんが、最近健康のためにウォーキングがはやっており、私の寺の近くでも朝夕と歩いている方がたくさんいらっしゃいます。やはり体を動かすということが健康の秘訣だと思います。心身とは精神と身体、こころとからだのことです。例えば年配の方がこころに不安を感じることのなかに病気への不安があります。そして病気への不安の先には死の不安があるのだと思います。 死んだらどうなってしまうのか。 行き先がわからないというのは不安で仕方がありません。しかし阿弥陀様は南無阿弥陀仏と唱えれば、必ずお迎えに来て西方極楽浄土へ連れて行くと約束してくださっております。 なんてありがたいことでしょう。また、極楽浄土の大変すばらしい様子が『阿弥陀経』という経典の中にも説かれております。 行ってみたいものです。 いや、お念仏を唱えれば必ず行けるのです。 これで死の不安が無くなりましたよね。 死後に行く場所もわかりましたし、あとはその時を迎えるまでの間、いつその時が来るのかわかりませんので、健康なこころで人と接し、この人間界でたくさんの善行を積んでいただければと思います。
10月になり気候もよくなりましたので、健康のために適度な運動をしていただき、また極楽浄土に往生するためのお念仏を引き続きお唱えいただきまして、健康なこころとからだを培っていただければと思います。

■第1154話
10月も中旬となり秋も深まってまいりました。私の寺はのどかなところにあり、寺の近くにはまだまだたくさんの田んぼや畑が広がっておりますので、秋には田んぼが稲穂の黄金色に染まります。 『実るほどこうべを垂れる稲穂かな』という言葉がございます。田んぼの稲穂は実れば実るほど穂先をたらしますが、反対に、稲穂の実がない穂先は起き上がってきます。この言葉の意味は、人格の高い人ほど相手に対しての態度が謙虚で、特に中身のない人ほど自分を大きく見せたがる例えです。つまり、おごりたかぶる心を持たず謙虚に生きなさい、ということです。謙虚であれば、感謝の気持ちも生まれます。現代では何もかもが当たり前のことのように思い込まれがちですが、当たり前のように思っていることは、実は当たり前ではなく、有難いことなのだということに気付くべきではないでしょうか。謙虚な気持ちを持てば、「してあげる」から「させていただく」、「してもらう」から「していただく」というようにお互いの考え方も少しずつ変わってくるはずです。
例えば、介護を受ける老人がいて、その介護に携わる人は、この老人が自分の前にいるおかげで、介護という尊い行為ができるわけで、「介護させていただく」という謙虚なこころが自然と芽生えるのであります。「我が我が」と我を張らず、一歩ひいて謙虚になれば、今まで見えていなかったものも見えてくるのではないでしょうか。あくまで、自分は愚かな人間だということを自覚して、そのような心で阿弥陀様にすべてをおまかせし、お念仏を唱えていれば、いつか必ず迎えねばならない臨終の際には間違いなく極楽往生することができますので、日々お念仏に励みたいものです。

■第1155話
今年も異常気象が続いています。夏は大変暑く、高知四万十市では国内観測史上最高の41.0度を記録しました。一部地域では過去に経験のないような豪雨がふり、局地的な大雨も目立ち、今まで大きな被害にあってない地域にも被害が及びました。秋になり台風の被害も甚大です。このような災害で突然いのちを失われた方、愛する人、親しい人と突然の別れを経験された方それぞれの皆さまに心よりお念仏申し上げます。愛する人、親しい人との別れは大変辛く寂しいものです。これを四苦八苦のひとつ、愛別離苦といいます。四苦八苦とは人が生きていく上で逃れることが出来ない苦しみが4つないしは8つあるという意味です。生まれることの苦しみ、老いてくことの苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬことの苦しみ。愛する者と別れる苦しみ、怨み、憎む者と出会う苦しみ、求めても得られない苦しみ、肉体の生きる上での苦しみ。これらを四苦八苦という一言にまとめております。
私たちはこの苦を経験することにより、この世が無常であることを知ります。法然上人は、この苦しみの中にも阿弥陀さまのお心である慈悲の光明が私たちを照らして下さって、南無阿弥陀仏のお念仏をお称えすれば苦しみの中でも正しい道に導いて下さる、そして極楽浄土という苦しみのない世界に導いて下さるとお示しくださっています。阿弥陀さまはいつでも私たちのそばにいて、すべての人を救い、ともに病み、ともに悩む大慈悲の心で見守ってくださっています。世は無常、苦であることをしっかりと受け止め、生きていることをあたりまえと思わずに、今日ここに生きていることの有難さ、かけがえのなさを感じ、南無阿弥陀仏とお念仏をお称えして一日一日を大切に生きていきましょう。

■第1156話
私たちがいま生きていることは、さまざまな人生を送ってきた数えきれないご先祖さまがいのちを受け継いで来たからです。さらに私たちが日々生きていく上でいただく三食は肉や魚、野菜など他の尊い生命の犠牲のうえに成りたっています。また毎日の暮らしも一人では成り立ちません。多くの人々とかかわり合い、互いに迷惑をかけたり、助け合いながら社会生活を送っています。
法然上人のご法語に ・・・ 衆生仏を礼すれば仏これを見給う。衆生仏を称うれば仏これを聞き給う。衆生仏を念ずれば仏も衆生を念じ給う。 ・・・ というお言葉があります。このお言葉は私たちが礼拝すると阿弥陀さまが見て下さり、私たちが念仏を称えれば阿弥陀さまが聞いて下さり、私たちが心の中で念じれば阿弥陀さまも私たちのことを思っていて下さるという意味です。阿弥陀さまはただ極楽浄土におられるだけでなく、礼拝し念仏を称え、心の中で念じる私たちのために光明を照らし、さまざまな形で働きかけてくださっているのです。そして阿弥陀さまのもとでご先祖さまも私たちを見守っておられるのです。
昨今は自分さえよければいいという傲慢な考え方をしている人間が多い気がします。自分一人の力で生きていると勘違いをしてしまいがちです。しかしそうではありません。両親や家族、友達や同僚など多くの人々と自然万物のはかりしれない恵みのなかで生かされているのです。そして阿弥陀さま、ご先祖さまに見守られ生きているのです。今月23日には勤労感謝の日があります。勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう日で、戦前の新嘗祭の日付をそのまま改めた日だそうです。秋の一日自然の恵みや働ける有難さ、生かされている感謝の気持ちを改めて思い直し、お念仏に励みたいものです。 
 

 

■第1167話
近年、犬などのペットを連れて旅行や買い物をする方をよく目にします。ペットブームは終わったとはいえ、日本でペットを飼っている世帯は、犬猫だけでも全世帯の25%ほどもあるそうです。私の家でも犬を飼っており、犬は家族が出かけるとき、その一時の別れを心から悲しみ、帰宅したときは体全体で再会を喜んでくれます。何か辛いこと、悲しいことがあつたときも、そばにいてくれるだけで精神的な安らぎ、癒しを与えてくれ、心を豊かにしてくれる存在であります。そんな家族の一員として、一緒に暮らしてきたペットを亡くしたときの悲しみは、とても大きいものです。お盆の時期、棚経でお檀家さんのお宅へお邪魔したときのことです。いつも玄関を入ると1匹のわんちゃんが大きな声で出迎えてくれていたのですが、今日はわんちゃんがいません。お話を聞くと病気で死んでしまったとのこと。涙を流しながら、色々お話をしてくださいました。そのお話のなかで、「犬猫などの動物は、極楽浄土に往生できるのでしょうか?」ということを聞かれました。
法然上人のお言葉に、私たちが阿弥陀様にお念仏を回向すれば、地獄、餓鬼、畜生に堕ち込んでいる方でも、阿弥陀様がその思いを汲み取って、その境涯のものたちに光明を照らしていただける。そして、その世界の寿命が尽きた後に、お浄土に迎え摂ってくださるのです。とあります。この娑婆世界において、犬や猫などのペットとして生まれてきた動物も、私たちの心からのお念仏の回向を阿弥陀様に届ければ、阿弥陀様が愛おしいペットをしっかりと救い導いて下さるのです。

■第1168話
みなさんの家には、お仏壇が祀られていると思います。そして、その中には、阿弥陀様を中心にご先祖のお位牌が安置されているのではないでしょうか。また、お彼岸やお盆をはじめ、様々な機会にお寺にお参りし、お墓にお参りをします。私たちは、阿弥陀様、お仏壇、お墓を前にしたとき、自然に合掌しています。それは、仏さまへの敬いの気持ちやご先祖に対する報恩感謝の気持ちからかもしれません。ご先祖というのは、名前、顔は分からないけれども、私という一つの存在が誕生するために必要であった、過去のすべての人間がご先祖です。誰にでも例外なく二人の親がいて、それぞれの親には二人ずつの親がいます。同じように計算していくと十代前には千二十四人、二十代前には百万人を超し、三十代前では十億人を超えています。私たちは、両親をはじめとした、何人ものご先祖の命を受け継いで、今があります。自分だけのちからで生きているのではなく、たくさんのご先祖によって生かされているという報恩感謝の気持ちが先祖供養のこころであります。毎日、お仏壇の前に座り、「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えしていると、阿弥陀様の温かい慈しみの心が伝わってきます。私たちは阿弥陀様に守られ、ご先祖によって生かされていることが実感できるのです。

■第1169話
『命と向き合う』ということ お釈迦さまの「お悟り」と申しますと、大変難しく受け取られる方々が大半です。辞書でひきますと、「迷いから覚め、真理を会得した境地に達すること。」または、「物事の道理をはっきりと理解し、迷いや煩悩から離れること。」とあります。お釈迦様は、この真理を悟りつくして、多くの大衆や弟子達を教え導きましたので「仏陀」とあがめられました。私たちは、幸せになりたい、あるいは苦しみから離れたいと願う中で、寺社にお参りし、神仏のご加護を願って、一生懸命祈ることがよくあります。しかし苦しみから離れることは、果たして神仏への祈りによって、解決するのでしょうか。もう一度お考えになってみてください。例えば、祈っている自分自身は、神仏に願いを聞き入れてもらえる自分なのだろうか、とまずお考えになることが大切です。自分自身のことを振り返りもせず、ただ祈る人にとっては、祈る神仏のご利益の力の方が大事となります。「あそこの仏様、神様はご利益があるのだろうか」ということが気になります。事実、書店には「全国ご利益案内」という類の書籍が並んでいます。
はじめに申しましたように、あらゆる苦とはいったい何かと、突き詰めていく、見つめてゆく中に、お釈迦様は、「生命と何か」「生きるとは何か」と、道を求め、物事の道理を理解し迷いから覚めたのです。「何故?」「どうして?」と、命と真正面から向き合う姿勢の中から、宇宙の真理というもの、道理というものを深く理解したのです。例えば親子の問題も、神仏に祈って解決することを選ぶのではなく、自分自身と先ず向き合い、次に子どもさんに向き合ってこそ、見えてくるものも沢山あるはずです。食べ物でさえも、その命と向き合ったとき、ただ美味しいとかまずいとか、好きとか嫌いではなく、旬を通じて命のありがたさを感じ取ったり、母がよく作ってくれたことを思い出して、私をお育て下さったことを振り返り、自分の命を支えてくださった計り知れない御恩などが、あらためて有難いと理解できるものも沢山あるはずです。

■第1170話
『命と向き合う』ということ 私は、何度となく宮城・岩手両県の被災地を訪問しています。余談ですが、5月下旬、仙台市新寺での慰霊祭の中、お導師が「私たちは、自分達の町を、被災地と呼ばずに、復興地と呼びましょう。」という言葉がとても印象的でした。さて、今年の3月11日は、宮城県石巻市門脇にございます浄土宗西光寺での慰霊法要に参列させて頂きました。遺族である檀信徒はもとより、被災で亡くなった方々に供養をささげたいと願う人々も合わさって、満堂となった本堂にお念仏の声が響きます。三日ほど前から、多くの知人から、「3月11日は東北の被災地に行くのですか。」と尋ねられました。「久し振りに震災関連番組を沢山見て、涙が止まりませんでした。」と言う声も沢山聞きました。しかし被災地では、三年目を迎えた今年の慰霊法要は、一昨年おととしや去年と大きな変化がありました。それは、すすり泣いている方が一人もいなかったということです。皆さんはこの変化をどのようにお感じになるでしょうか。
私たちが住んでいる神奈川県では、特集番組を見て、震災のことが身近に感じられ、三年の月日がたっても、人々の辛さや悲しみや、憂いが、あらためて自分のことのように思え、涙が出てきたと言うのです。被災地の遺族たちにとって、毎月の11日も、大切な近親の命日です。それがたまたま、今月が3月で、三年目と言うことだけなのです。遠く離れて、津波で近親を亡くしていない私たちは、特集番組を見て、初めて、命と向き合っていたのではないでしょうか。地震発生当時は、未曾有の震災被害ばかりに注意がいってしまい、被災地の一人一人を気遣うことが出来なかったのではないでしょうか。それが三年して、たまたま見た特集番組によって、被災地の一人一人とようやく向き合えたのです。私は、被災地の数多くの人たちと食事をしながら対話を重ね、生の声を聞いてきました。悲しさや寂しさ、また「自分だけが助かってしまった」という後悔も、一生離れる事はないでしょう。しかし、「先立った者の為にも今日を大事に生きてゆきたい」、そんな言葉を伺えたのが今年の慰霊法要でした。 
 

 

■第1171話
暑い日が続いております。7月はお盆の月です。お盆は正式には盂蘭盆会と言われ、毎年7月13日から15日、あるいは地域によっては8月の13日から15日にかけて、先祖のみ霊を祭り、その冥福を祈る行事です。その由来について『盂蘭盆経』というお経にこう書かれています。お釈迦さまのお弟子の一人で『神通第一』といわれた目蓮尊者が、ある日、亡くなった自分の母親がどう過ごしているのか、神通力で見てみることにしました。すると、なんと母親は餓鬼の世界に落ちて、苦しみにあえいでいました。目蓮尊者は神通力を使って、母親に食べ物や飲み物を与えようとしましたが、母親が口に入れようとすると次々と炎に変わってしまい、どうしても食べることができません。悩んだ目蓮尊者はお釈迦様にどうすればよいか相談しました。するとお釈迦さまはこう諭されました。今、90日間の雨季の修行をしている僧侶たちが、7月15日に修行が明けるから、その者達にごちそうをして供養すれば、お母様を餓鬼の苦しみから救うことができるでしょう。そして、同じように7月15日にいろいろな食べ物や飲み物を、盆に盛って過去の先祖から父母までを供養しなさい。そうすれば、その功徳によって多くの魂が苦しみから救われ、いま生きている人もさらなる幸福が得られるでしょう。
これが、お盆の行事の始まりと言われています。私たちは、多くのご先祖さまのおかげさまでありがたく生かされています。その長年のご恩に報いる日がお盆なのです。普段仕事や家事に追われて忙しい人も、お盆の時はゆっくり休んでお墓参りをしてみてはいかがでしょうか。

■第1172話
暑い日が続いております。7月には多くの記念日があるそうですが、みなさまご存じでしょうか。例えば、7月22日は「下駄の日」。これは、下駄の寸法が昔の尺度でいう7寸であり、下駄の歯が漢字の「二」に見えることから1991年に制定されたそうです。また、7月27日は「スイカの日」。スイカの縦縞模様を「綱」に見立てて、数字の27を語呂合わせで「ツナ」と読んだことに由来するそうです。さて、7月の第3月曜日は「海の日」です。もともとは7月20日だったのですが、連休を増やすためにそのような日程になっているようです。「海の日」を国民の祝日にしているのは世界でも唯一日本だけで、「海の恩恵に感謝し海洋国日本の繁栄を願う日」として定められています。このように我々日本人は「海」に対して、特別の念を抱いてまいりました。浄土宗の宗祖法然上人も、お念仏の教えを海に例えてこうお話しされています。
「お念仏以外の修行は一般の人には行い難く、例えていうなら険しい山道を歩いていくようなものである。しかし、お念仏の修行は簡単で例えて言うなら海路を船で運んでもらうようなものである。であるから、私たちは阿弥陀仏の本願の船に乗って、この生き死にを繰り返す苦しみの世界を渡り、極楽浄土という安らぎの岸にたどり着くほかない」 私たちは日頃、仕事や家事、育児などに追われてとても忙しい毎日を送っています。このような生活の中では、心を落ち着けて自ら悟りを開こうと思っても、なかなか難しいものです。しかし、そのような忙しい生活の中でも、心の乱れたままであっても、救われる方法はあります。それは、あるがままの姿で結構です、お念仏をお唱えして、阿弥陀様の救いの船が迎えに来てくれるのを待つことです。どうぞ、みなさま一日少しで結構です、「なむあみだぶつ」と口に出して、お念仏をお唱えしてみてはいかがでしょうか。

■第1173話
8月に入りまして、まだまだ残暑も厳しい中ではございます。しかし、そんな暑さにも負けることなく、外では今日もセミたちが大きな声で鳴いております。皆様もご承知の通り、セミはその生涯の大半を土の中で生活をし、ようやく地上に出てきて成虫になったと思ったら、わずかな期間でその命を終えてしまいます。多くの人はその姿を「哀れだな。可哀そうだな。」と感じているのではないでしょうか。しかし、当のセミたちは、きっとそんな自分たちの生涯を悲観してはいないと思います。むしろ、成虫になってから、「自分たちに残された時間は短い。」そのことをしっかりと感じているからこそ、理屈ぬきにあれだけ大きな声で、「私はここにいるんだよ」と一生懸命に、まさに命を懸けて鳴けるのではないでしょうか。
一方の私たちはどうでしょう。明日があるからいいや、明後日があるからいいや、日々を惰性で過ごしてはいないでしょうか。ましてや、科学や技術主義の現代において、理屈でしかものを考えられず、手で触れるもの、目で見えるものでしか真実として受け入れることができない。けれど本当に大切なものほど、実は理屈では説明できないものではないでしょうか。 お念仏も一緒なんですね。浄土宗をお開きになられました法然上人は「念の心をさとりて申す念仏にもあらず。」念仏の意味などを理解した上で称える念仏ではないのですよ。理屈じゃないんですよ。ただただ「南無阿弥陀仏」とお念仏をお称えするれば、必ず、必ず、阿彌陀さまが救いとって下さるんですよ。極楽へ導いて下さるんですよ。このように法然上人はおしゃって下さっております。日々何かと、多くのことを考えながら過ごしている私達。セミがその生涯をかけ一生懸命に声をあげるよう、私達も日々の生活の中に、ただひたすらにお念仏をお称えする時間を持ちたいものでございます。

■第1174話
8月も中頃を過ぎ、これまで大輪の花を咲かせておりました蓮の花も、その花びらを落とし、代わりに見事な蓮台を見せてくれております。浄土宗をお開きになられました法然上人のお言葉の中に、「露の身はここかしこにて消えぬとも心は同じ花の台ぞ」というお言葉がございます。このお言葉のお心を申し上げますと、「我々の命というものは、時に露のように儚くいつ尽きるとも限らない身であるけれども、お念仏、南無阿弥陀仏とお称えすれば、必ず阿弥陀様が救い取って下さるのだよ。そして、極楽浄土の蓮の蓮台に生まれさせて頂き、そこでまた、今までお別れをしてきた人々と再会を果たせるのだよ。」このように法然上人はおしゃって下さっております。常日頃、私達の周りでは多くの悲しいお別れが訪れます。また、このお話をお聞き下さっている方の中にも、辛いお別れを経験された方もいらっしゃると思います。けれども、私達は今こうして「南無阿弥陀仏」、お念仏という尊いご縁に出会うことが出来ました。たとえこの世で別れても、私達はまた必ず再会をさせていただけるのです。このお念仏、「南無阿弥陀仏」とお称えすれば、阿弥陀様が救い取って下さる。極楽に往生させていただけるのです。そして、先に旅立っていった方々とまたお会いすることが出来るのです。
時に命とは儚いものでございます。でもそこで終わりじゃない。必ず再会出来るんだ。毎年、お盆の季節に花開くこの「蓮の花」を通して、皆様それぞれのお心の中にある故人達が、「待っているよ、必ず待っているからね」とおしゃって下さっているのです。どうぞ、故人やご先祖様たちが与えて下さったこの「お念仏」の尊い御縁を皆様それぞれ大切にして頂き、お念仏と共にある生活を送って参りましょう。

■第1177話
「命がけのプレーもここで一つの終わりを迎えた」。これは日米のプロ野球で活躍された松井秀喜選手が、現役を引退する際に残された言葉です。常に命がけで野球に取り組み、そして命がけのプレーをもってしても結果が出でなくなった、そのときを一つの終わりとして、潔く引退を決意した。選手としての誇りと、やり尽くしたという充足感が伝わってくる言葉だと思います。「命がけ」という言葉を辞書で調べてみますと、「死ぬ覚悟で物事をすること。また、そのさま」とあります。私達のこの世での命の時間には限りがあり、いつか必ずこの世を去らねばなりません。そのことは誰でも知っていることです。ですから本当は、私達はいつでも命がけなのです。野球をしていても、仕事をしていても、家事をしていても、勉強をしていても、全てが自分の命をかけた尊い時間を使ってなされています。松井選手の言葉は、この二度と戻ることのない一瞬一瞬を疎かにせず、物事に懸命に取り組むことが、人生の過ごし方として大切である、と教えてくれているように思います。例え周囲の脚光を浴びるような事はなかったとしても、何気ない日常が、実は命がけの日常であると覚悟し、大切に過ごすならば、人生がより尊いものになると思うのです。
法然上人は、そうした日々の生活の中心に「南無阿弥陀仏」のお念仏をすえるべきだと教えてくださっています。南無阿弥陀仏と食べ物を口に運び、南無阿弥陀仏と噛みしめ、南無阿弥陀仏と飲み込む。お寺やお仏壇の阿弥陀様の前だけではなく、いつでも口に心に南無阿弥陀仏。その声は必ず阿弥陀様に届き、私達の命がけの一瞬一瞬に温かく寄り添って下さるのです。松井選手のように自分の努力によって大事を成すという事は大変難しいことです。しかし阿弥陀様のお力に頼り、日々お念仏を申して過ごしたならば、この世での命の終わりを迎えた時に、往生という大事を誰でも成し遂げさせていただけるのです。

■第1178話
「食欲の秋」と申しますが、実際に暑い夏が終わり涼しくなってきますと、食欲が増しついつい食べ過ぎて、体重の増加につながってしまったという方も多いようです。このように「もっと欲しい」という心、「貪り」の心に負けてしまい、それによって苦しみが生じる、ということはよくあることだと思います。ですから仏教では「少欲知足」、つまり「欲を少なくして、足ることを知る」ということを大事にします。「少欲」とは「いまだ得られていないものを欲しがらない」ということであり、「知足」とは「既に手に入れたものに満足し、心が穏やかであること」を表します。しかし、この「少欲知足」を実践しようとなると、なかなか難しいものです。頭ではわかっていても、ついつい欲しくなってしまう。あるいは反対に欲しがってはいけない、という気持ちが強すぎてしまい、ストレスが溜まってしまった、ということもあるでしょう。
法然上人は御法語の中で、この「少欲知足」と同じ意味を表す言葉として、「喜足小欲」という言葉を用いられています。「足ることを喜んで、欲を小さくする」ということです。この「少欲知足」と「喜足小欲」。意味は同じですが、「欲を少なくして、足ることを知る」ではなく、「足ることを喜び、欲を小さくする」と表現して下さったところに、法然上人の温かさを感じるのです。
先日、友人と旅行に行った際、友人が子どもへのお土産で悩んでいました。子どもの好みとは明らかに違う、と知りながらも、時間がなかったため急いで御当地のマスコット人形を買って行きました。そのお子さん、お土産を渡された瞬間に、満面の笑みで喜んでくれたそうです。その笑顔を見て、友人も本当に幸せな気持ちになったと話してくれました。今を喜ぶ心があるからこそ、自分も周りも穏やかな心になれる。そして喜ぶことによって満足をしり、もとは大きかった欲望を小さくすることができる、そう思うのです。喜足小欲を心がけ、日々お念仏をお称えする生活を送らせて頂く。そんな私達を見て、阿弥陀様もきっと喜んで下さると思うのです。

■第1179話
11月にはいり、夜から朝がたにかけて、すっかり冷えこんできました。このように寒くなると、朝のお勤めなどはまるで、冷え切ったオートバイのエンジンが中々かからないように、声がかすれてしまったり、お念仏もついつい声がちいさくなってしまいます。それでも自分のできる限りで、日常、お念仏をおとなえしておりますが、これを浄土宗では尋常の念仏といいます。この尋常念仏のほかに、臨終の念仏、別時の念仏というものがあります。臨終の念仏とは、いよいよ臨終の時を迎えようという時、菩提寺の和尚さんを仏壇前の床へ呼んで、授けていただくお念仏で枕経とは本来この時におとなえするお経をいいます。ただ、最近では病院で臨終を迎える、という方が多く、また、枕経も臨終後にご自宅で行うことがほとんどです。そのようなことから、いつ臨終を迎えても良いように、日ごろお念仏をとなえること、すなわち、さきの尋常念仏がより大切となってくるのです。
今のところ、不老不死の薬はまだできていないようですので、だれしも、いずれはお迎えがくる、ということにはかわりありません。今、医療の技術がどんどん進み、日本は長寿の方々が大変、多くなりました。しかし、長い寿命をまっとうされるかたもいれば、若くして、こつぜんとお亡くなりになるかたもいます。お念仏をとなえるものは、たとえ臨終の時に煩悩、迷いが断ち切れなかったとしても、阿弥陀様がこちらまでお迎えにきてくれて、お力を貸してくださり、ご先祖さまのいらっしゃるお浄土へ連れて行ってくださります。「お迎えがくる」という表現も浄土宗のこの教えがもとになっているといわれています。どうぞ、毎日生かさているという感謝をむねに、日々の尋常のお念仏に励んでいただけたらと思います。お時間になりましたので、別時の念仏については次の機会にお話させていたきたいと思います。

■第1180話
前回のお話では、お念仏には大きく三種類の行儀があり、ひとつは日常おとなえするお念仏、すなわち「尋常念仏」、ふたつめは、「臨終のお念仏」についてお話いたしました。本日はみっつめの「別時念仏」についてお話したいと思います。11月も中旬となり、本格的に紅葉も見ごろになり、秋らしい季節となってまいりました。全国の浄土宗のお寺では10月から11月にかけて、「お十夜」という行事がおこなわれております。お十夜は一般的に秋の収穫と阿弥陀様のご恩に感謝して、お念仏をおとなえするご法要のことで、10月には鎌倉にあります大本山光明寺におきまして引声念仏・引声阿弥陀経という500年以上もつづく、古式のお十夜法要が今年も営まれ、屋台などもでて大変にぎわいをみせておりました。なお、現在では本山以外のほとんどのお寺では一日の法要としてますが、お十夜は「十日十夜別時念仏会」ともいい、別時念仏のなかでも十日間にわたる特別な法要のことをいいます。
「別時」とは時を別にすると書きますが、法然上人は「毎日、たくさんお念仏をとなえれば、それで充分のようにも思えるけれども、人の心というものは、ぞんざいになりがちであるから、その心を元気づけるためにも時々、別時の念仏をするとよいですよ」とお説きになられております。お寺によっては定期的に別時念仏会を開催しておられます。また、さきの鎌倉の大本山光明寺や、東京ですが芝の大本山増上寺でも、毎月誰でも参加できる別時念仏会をおつとめされております。普通の法要とおもむきが違いご自身で木魚をたたいて、お念仏やお経を長時間となえているという充実感が得られ、気持ちがリフレッシュされるのではないかと思います。是非みなさまも機会をみつけて別時念仏会に参加していただけたらと思います。  
 

 

■第1181話
さて今年もあっという間に年の瀬になりました。町はクリスマス、年末、お正月と何かと行事の多い気ぜわしい時期ですが、我々仏教徒として大切な日、十二月八日は何の日か知っておられますでしょうか。 釈尊、お釈迦さまが悟りをお開きになられた全仏教徒の聖なる日「成道会」です。お釈迦様はお悟りを開く前「ゴータマ・シッダッタ」というお名前で、現在のインド、その中の一国であるシャカ族の王子でした。その何不自由無い恵まれた生活を送っている時に、「人は生れて来た時から必ず年老いていき、病気に悩まされ、いつかは死んでしまう」という自然の摂理に気付かされます。この全ての人が逃げる事の出来ない苦しみをいかに受け止め、解決するか。その答えを求め王子の身分、家族の一切を捨てて苦しい修行に励む事を決意されました。その長く苦しい修行の結果、十二月八日悟りをお開きになられました。平成の成という字に道と書きます通り、全ての人々が救われる道をお悟りになられ、此の教えが仏の教え「仏教」となりました。皆さんも仏教徒としてお釈迦様のお徳を讃え、教えを喜び、お釈迦さまに手を合せましょう。

■第1182話
さて本年も本当に残りわずかとなりました。年末もいよいよ差し迫りお家の大掃除をしている。あるいは「これからしなくては」と考えておられる方も多いと思います。この大掃除は言うまでもなく部屋や庭などの普段はしない所を隅々まできれいに掃除をして新年を迎える為にするものです。また、今月の三十一日大晦日になりますと除夜の鐘を近くのお寺さんに突きに行かれる方も多いと思います。この除夜の鐘、夜を除くと書きますが、お寺にある鐘を突くまたは、聞く事によって人間にある百八つの闇夜である「煩悩」これを大掃除し取り除く意味があります。そして過ぎ去ったこの一年の生活を反省し、来たる新年を気持ち新たにお迎えし、新年の幸福を願う行事です。鎌倉にございます大本山光明寺では除夜の鐘を突き終わった後、「修正会」という新年の初めに一年の平穏を祈願する法要を合わせてお勤めいたします。皆さんもお家の大掃除だけで無く、是非除夜の鐘を突きにお出かけいただいて、ご本尊である阿弥陀如来様の前でこの一年の心の大掃除をして新たなる気持ちで新年をお迎え致しましょう。

■第1183話
2015年、いよいよ今年も新しい1年が始まりました。早いもので、平成の年号になってから27回目の年をむかえます。さて、皆様は年が明け最初にお参りに行くのは初詣でではないでしょうか。初詣でというと、多くは神社などに行き今年1年の健康や良い年になるようにお祈りをし、絵馬に願い事を書いたり甘酒をいただいたりすることとおもいます。しかしながら、初詣でと同じようにお墓にお参りをされるかたはあまりいないのではないでしょうか。私達が今このように1日1日を過ごしているのはお父様お母様がいて、おじい様おばあ様がいて、ご先祖様がいてくだっさたおかげであります。ぜひご先祖様がねむるお墓にも足を運び、新年のご挨拶とともに、阿弥陀様のお力をかりてこれからも変わらずに安心して見守っていただけるように、南無阿弥陀仏とお念仏を称えてお墓参りをしていただけたらと思います。

■第1184話
元日にも雪が降り、寒さが一層深まってまいりましたが皆様はいかがお過ごしでしょうか。さて、近年携帯電話やインターネットが当たり前に使われるようになり、せわしない日々を過ごすようになってきた私達ですが、普段の生活の中において命について考えることはありますでしょうか。命についてなどというと大げさな話のように聞こえるかもしれませんが、実は毎日の生活の中で誰しもが必ずいくつもの命と関わっているのです。命という言葉を聞いてまず初めに思い浮かべるのは自分自身の命ではないでしょうか。またペットや愛着のあるものも頭に浮かぶことでしょう。しかしながら、食事ひとつをとってもたくさんの命をいただいてはじめて口にすることができますし、生きていくうえで当たり前にしている呼吸ひとつをとっても木々の命がなければ酸素ができず生命を育むことはできません。
先ほども当たり前という言葉を口にしましたが、私たちは時間とともに未知の世界へと足を踏み出しているのです。そのような当たり前に過ごしているようで当たり前ではない世界で生活をしている私達、今ここにある命をどうか大切にしていただきたいと思います。また、たくさんの命をいただいて生活している私達、生きているのではなく生かされていることをどうか感じていただきたいと思います。話は変わりますが、今月の25日は浄土宗をおつくりになられた法然上人のご命日であります。阿弥陀様のみ教えを分かりやすく、身近に説いてくださった法然上人。どうか法然上人にたむける南無阿弥陀仏のお念仏をお称えしていただければと思います。

■第1185話
昨今、お寺におりますと、参拝された方が様々な種類の帳面をお持ちになり「御朱印をお願いします」と言われる光景をよくお見かけ致しますが、皆様御朱印というものをご存知でしょうか。御朱印とは紙に各寺社の御本尊様やお名号、参拝された日付、寺社の名前を書き、寺印などを押したものです。その起源は、色々な言われはありますがお経を書き写す「写経」をお寺や神社に納めた証として頂けたものとされており、「納経印」とも言われております。しかしいつの頃からかこの作法が簡略化され、写経を納めずとも御朱印が頂けるようになり、納経された証ではなく、参拝された証としての意義が強くなって参りました。そのため現在ではお寺や神社に参拝した記念として御朱印を集められる方も増えてきました。御朱印を集められている客層も様々で、テレビや雑誌などの影響もあり特に最近では若い方で御朱印を求められる人が増えており、「御朱印ガール」という言葉まで生まれているそうでございます。
学生さん達が友達同士でお寺を回られたり、小さい子供が親御様と一緒に御朱印帳を差し出される姿は見ていて大変微笑ましく思います。御朱印をお求めになる方の中には阿弥陀如来とは何か、南無阿弥陀仏とはどういう意味なのかなど質問を投げかけてこられる方もおられ、宗教離れが進む今、普段仏教と接点がない方もきっかけはどうあれお寺に参拝して頂き、仏教に興味を持って頂けるというのは素晴らしいことだと思います。御朱印集めというのは観光地を巡るスタンプラリーでは御座いません。御朱印をお求めになる際に間近でお釈迦様の教え、宗祖様の教えに触れて頂く事で、その意味を知り、自らを見つめ直す機会として頂ければ幸いで御座います。

■第1187話
近年では、人がお亡くなりになり葬儀を出す際、直葬・家族葬といった簡略化がみられるようになり、また樹木葬・散骨など、まさに宗教離れ・仏教離れと言われるようになりました。現代の情報化社会において、人々の物の価値観に変化が生じたことや、生活が豊かになり個々の生活スタイルが多種多様化したことも原因としてあげることも出来るでしょう。しかし、大切な人・愛する人を亡くした時の悲しみや寂しさという様な人の心は、時代が変化をしても変らないものだと思います。そのため時代に沿って多少形が変わったとしても、亡くなられた大切な人に対して冥福を祈り、供養を申し上げるのであります。菩提寺をお持ちの方や、お寺にご縁のある方の周りで不幸があると、葬儀から始まり初七日・四十九日、百か日忌や一周忌と、一年を通して様々なご法事の機会に見舞われます。四十九日は忌明けとされ、地域によっては故人をお墓へ納骨することが多いでしょうし、一周忌は喪明けとされ、何より故人の命日よりまる一年の機会ですから、大切な節目であります。またその後も慣例でいえば、三回忌・七回忌・十三回忌と少しずつ間隔を設けたご法事があります。
三回忌以降のご法事のことを年忌・回忌法要とも申します。回忌とは回すという字に忌まわしいと書きますが、この忌まわしいという字は、己と心という文字が重なり出来ています。よって回忌とは己の心をご先祖様、回忌を迎えた故人様に対して回し向ける機会であるといえます。またご法事というのは、ご先祖様をはじめとする縦の繋がりと、故人とゆかりのある家族兄弟はもちろん、親戚や友人といった故人に対し同じ思いをもつ横の繋がりを確認する機会でもあるといえます。その中で南無阿弥陀仏とお念仏をもってご先祖様や回忌を向えた故人様に、供養を申し上げつつ、いつの日にかの再会をお約束し、また家族・親戚たちと繋がりを感じてもらい、お念仏を心のよりどころとし、一日一日を大切にお過ごしいただければ幸いに存じます。

■第1188話
三月も後半に入りました。仕事において決算を行ったり、学生でいえば年度替り、来月からの新しい環境に向けての準備などで忙しい方も多いことでしょう。そして気持ちを新たに自身の座右の銘をふり返る人もいることでしょう。因みに私の座右の銘は一日一善です。ここである人の話をさせていただきます。ある人とは昨年お亡くなりになった日本を代表する俳優、高倉健さんです。健さんの訃報が報道される中で、取り上げられていた座右の銘があります。それは「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」というものでした。健さんはこのお言葉を比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉師から授かったそうです。このお言葉の元となったお経である、私たちが特に大事にしている無量寿経に、 「我行精進 忍終不悔」とあり、「わが行、精進にして、忍びてついに悔いじ」と読むことが出来ます。そしてこのお言葉の前には「仮令身止 諸苦毒中」、「たとえ身を苦しみに満ちた世界に沈めようとも」と、あります。これは私たちが普段、お念仏を通じて手を合わせる阿弥陀様、その前身である法蔵菩薩様が(阿弥陀)仏になる為、どんな苦難の中に身を投じようとも、精進・忍耐をもって必ず理想の仏になるぞと、自身の修行に対しての姿勢が説かれた、無量寿経の一説です。やはり「わが行、精進にして、忍びてついに悔いじ」というこのお言葉は、法蔵菩薩の不退転の意思を感じることができ、だからこそ高倉健さんは俳優としての人生を歩む上で精進を怠らないようにと、座右の銘にされたのではないでしょうか。
さて、話は変わり三月の後半といえばお彼岸です。春分の日には太陽が真西に沈む時であるとされています。阿弥陀様は西の彼方にいらっしゃる仏であると、信じる私たちにとってお彼岸とは、お墓参りなどを通して、気持ちを新たに阿弥陀様、またご先祖様に手を合わせ、南無阿弥陀仏とお念仏を唱えて、供養を申し上げるとともに、座右の銘が意味するところの、自らを激励したり、戒めたりと、お彼岸とは自らを振り返る期間でもあるのかなと、思うところであります。

■第1189話
「魔がさす」という言葉があります。大辞泉で意味を調べてみますと「悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る」とあります。「魔がさして人の財布に手を出してしまった」というように、普段の自分であればやらないけれども、その時は悪魔にそそのかされてつい悪事を働いてしまった、といった感じでしょう。では、この悪魔とは一体何者なのでしょうか。お経には、お釈迦様の前に悪魔が現れた時のことが説かれています。その悪魔は言葉巧みに、お釈迦様に怒りや貪りといった心を起こさせようと誘惑します。しかしお釈迦様は心を乱すことなく、悪魔が心に入り込むことを許しませんでした。お釈迦様にとって「心に入り込もうとする悪魔」とは、「悪事を働かせようとする心」だけでなく、「怒りや貪りの心といった煩悩」も含んでいました。
私自身の生活を振り返ってみますと、常にあれが欲しい、これが食べたい、自分の思った通りにならないとすぐに腹を立ててしまう、といったことを繰り返しています。「魔がさす」どころか、普段から悪魔が心の中心となってしまっているのではないか、と思えるほどです。そんな私たちに法然上人は、「煩悩は常に起こってしまうものである。しかし煩悩は心の客人としなさい。お念仏を心の主人としなさい」とおっしゃっています。私たちの心は散乱して休むことはありません。一度カッとなると、興奮のあまり善悪の判断が付かなくなってしまう時がありますが、これなどまさに煩悩が心の主人になった瞬間と言えるでしょう。しかし、大波にのまれた浮木が、ぐっと浮かんでくるように、普段からお念仏をお称えしていれば、「私の心の主人は煩悩ではない、お念仏であるのだ」という事を思い出し、煩悩に飲み込まれることなく、次第に心は静まってきます。常にお念仏をお称えして、穏やかな心を保ち、時に魔がさしてしまったときも、すぐに懺悔し阿弥陀様の光明で清浄にしていただく、そういった毎日を送ることが大切であると思うのです。

■第1190話
お釈迦様の時代のインドに、耆婆(ぎば)というお医者様がいました。名医として有名で、また仏教に深く帰依していたと伝えられています。この耆婆の処方する薬は、多くの薬草やたくさんの薬を調合してあったため、あらゆる病気を治すと言われていました。患者はこの薬がどういった成分で出来ているのかは知りませんでしたが、耆婆を信じてこの薬を服用することによって病気は治癒しました。
法然上人はお念仏を、この耆婆の薬に例えています。耆婆の薬が万病を治癒する薬であっても、薬を信じずに飲まなければ病気は治らない。同じように「なぜお念仏を称えるだけで往生できるのか」、と疑ってお念仏を称えないようであれば、往生はできない。良薬を手にしながら服用せずに死ぬということのないように、とおっしゃっているのです。耆婆の薬がなぜ良薬であったのか。それはおそらく、薬の中に「いかなる病人も治してあげたい」という強いおもいと、それまでに耆婆が得た知識や経験のすべてが込められていたから、ではないでしょうか。そしてそのことを知るから、病人もまた耆婆を信じて薬を飲むことができたと思うのです。阿弥陀様は、私たちを救うために、「わが名を称えるものは必ず極楽へ迎えるのだ」と誓ってくださいました。そして、その誓いを成就するために、兆載永劫(ちょうさいようこう)という途方もなく長い時間に渡り修行に励み、名号の中に阿弥陀様の覚りの功徳も、救済のお力も、すべての徳を込めてくださいました。
み仏の み名を称える わが声は わが声ながら 尊かりけり (甲斐和里子) ・・・ というお歌があります。お念仏を称える時に聞こえてくる「南無阿弥陀仏」の声は、ただの自分の声ではない。そこには「必ず救うぞ」という阿弥陀様の、全ての功徳がおさめられているのです。お念仏による往生を疑うことなく、一声一声のお念仏を大切にお称えしたいと思うのです。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 

 

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