マスコミ自壊伝

政権とマスコミ / マスコミ諸話20122013201420152016201720182019
政策評価 / 内閣人事局特定秘密保護法平和安全法制テロ等組織犯罪準備罪・・・・・・ゆとり教育・・・
政権不祥事 / 政権不祥事安倍晋三麻生太郎石破茂松島みどり小渕優子片山さつき稲田朋美高市早苗甘利明桜田義孝田中良生宮沢洋一山谷えり子江渡聡徳望月義夫西川公也塩崎恭久竹下亘有村治子左藤章御法川信英大塚高司山田美樹上川陽子下村博文林芳正岸宏一中川郁子世耕弘成菅義偉武藤貴也門博文・・・
岸井成格 / 岸井成格政界疾風録「NEWS23」降板政権圧力批判・・・
国谷裕子 / 国谷裕子「クロ現」降板「クロ現」やらせ疑惑現在評論「クローズアップ現代」報道視点・・・
古舘伊知郎 / 古舘伊知郎「報ステ」降板エピソード権威主義古舘伊知郎談「報ステ」降板後の古舘「報ステ」降板経緯・・・
佐高信 / 佐高信批判評論2014評論2015評論2016評論2017・・・
コメンテーター / 筑紫哲也羽鳥慎一玉川徹尾木直樹寺脇研池上彰田原総一朗小倉智昭宮根誠司須田慎一郎細川隆一郎田崎史郎山口敬之松本人志後藤謙次辛坊治郎青山和弘櫻井よしこ安住紳一郎・・・
マスコミ批判 / 言論出版界の論調朝日新聞2014放送倫理基本綱領「悪の出家詐欺」報道の自由度放送法順守を求める視聴者の会NHKの報道姿勢テレビ朝日株主総会忖度文化史伊藤詩織・・・
 

雑学の世界・補考

政権とマスコミ


2012年12月26日 - 2014年9月3日
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院 / 町村派
副総理 財務大臣 / 麻生太郎 衆議院 / 麻生派
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院 / 無派閥
法務大臣 / 谷垣禎一 衆議院 / 谷垣グループ
環境大臣 / 石原伸晃 衆議院 / 石原派
総務大臣 / 新藤義孝 衆議院 / 額賀派
外務大臣 / 岸田文雄 衆議院 / 岸田派
防衛大臣 / 小野寺五典 衆議院 / 岸田派
文部科学大臣 / 下村博文 衆議院 / 町村派
厚生労働大臣 / 田村憲久 衆議院 / 額賀派
農林水産大臣 / 林芳正 参議院 / 岸田派
経済産業大臣 / 茂木敏充 衆議院 / 額賀派
国土交通大臣 / 太田昭宏 衆議院 / 公明党
復興大臣 / 根本匠 衆議院 / 岸田派
国家公安委員会委員長 / 古屋圭司 衆議院 / 二階派
内閣府特命担当大臣 / 甘利明 衆議院 / 無派閥 (経済財政政策担当)
内閣府特命担当大臣 / 山本一太 参議院 / 無派閥
内閣府特命担当大臣 / 森まさこ 参議院 / 町村派
内閣府特命担当大臣 / 稲田朋美 衆議院 / 町村派 
2014年12月24日 - 2015年10月7日         初入閣議員 
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院 / 細田派
副総理 財務大臣 / 麻生太郎 衆議院 / 麻生派
総務大臣 / 高市早苗 衆議院 / 無派閥
法務大臣 / 上川陽子 衆議院 / 岸田派
外務大臣 / 岸田文雄 衆議院 / 岸田派
文部科学大臣 / 下村博文 衆議院 / 細田派
厚生労働大臣 / 塩崎恭久 衆議院 / 岸田派
農林水産大臣 / 西川公也 衆議院 / 二階派
        林芳正 参議院 / 岸田派 2015年2月23日就任
経済産業大臣 / 宮澤洋一 参議院 / 岸田派
国土交通大臣 / 太田昭宏 衆議院 / 公明党
環境大臣 / 望月義夫 衆議院 / 岸田派
防衛大臣 / 中谷元 衆議院 / 谷垣グループ
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院 / 無派閥
復興大臣 / 竹下亘 衆議院 / 額賀派
国家公安委員会委員長 / 山谷えり子 参議院 / 細田派
内閣府特命担当大臣 / 山口俊一 衆議院 / 麻生派
内閣府特命担当大臣 / 有村治子 参議院 / 山東派
内閣府特命担当大臣 / 甘利明 衆議院 / 無派閥
内閣府特命担当大臣 / 石破茂 衆議院 / 石破派
国務大臣 / 遠藤利明 衆議院 / 谷垣グループ 
2015年10月7日 - 2016年8月3日
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院 / 細田派
副総理 財務大臣 / 麻生太郎 衆議院 / 麻生派
総務大臣 / 高市早苗 衆議院 / 無派閥
法務大臣 / 岩城光英 参議院 / 細田派
外務大臣 / 岸田文雄 衆議院 / 岸田派
文部科学大臣 / 馳浩 衆議院 / 細田派
厚生労働大臣 / 塩崎恭久 衆議院 / 無派閥
農林水産大臣 / 森山裕 衆議院 / 石原派
経済産業大臣 / 林幹雄 衆議院 / 二階派
国土交通大臣 / 石井啓一 衆議院 / 公明党
環境大臣 / 丸川珠代 参議院 / 細田派
防衛大臣 / 中谷元 衆議院 / 谷垣グループ
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院 / 無派閥
復興大臣 / 高木毅 衆議院 / 細田派
国家公安委員会委員長 / 河野太郎 衆議院 / 麻生派
内閣府特命担当大臣 / 島尻安伊子 参議院 / 額賀派
内閣府特命担当大臣 / 甘利明 衆議院 / 無派閥
        石原伸晃 衆議院 / 石原派 2016年1月28日就任
内閣府特命担当大臣 / 加藤勝信 衆議院 / 額賀派
内閣府特命担当大臣 / 石破茂 衆議院 / 石破派
国務大臣 / 遠藤利明 衆議院 / 谷垣グループ 
2016年8月3日 -
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院 / 細田派
財務大臣 / 麻生太郎 衆議院 / 麻生派
総務大臣 / 高市早苗 衆議院 / 無派閥
法務大臣 / 金田勝年 衆議院 / 額賀派
外務大臣 / 岸田文雄 衆議院 / 岸田派
文部科学大臣 / 松野博一 衆議院 / 細田派
厚生労働大臣 / 塩崎恭久 衆議院 / 無派閥
農林水産大臣 / 山本有二 衆議院 / 石破派
経済産業大臣 / 世耕弘成 参議院 / 細田派
国土交通大臣 / 石井啓一 衆議院 / 公明党
環境大臣 / 山本公一 衆議院 / 谷垣グループ
防衛大臣 / 稲田朋美 衆議院 / 細田派
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院 / 無派閥
復興大臣 / 今村雅弘 衆議院 / 二階派
国家公安委員会委員長 / 松本純 衆議院 / 麻生派
内閣府特命担当大臣 / 鶴保庸介 参議院 / 二階派
内閣府特命担当大臣 / 石原伸晃 衆議院 / 石原派
内閣府特命担当大臣 / 加藤勝信 衆議院 / 額賀派
内閣府特命担当大臣 / 山本幸三 衆議院 / 岸田派
国務大臣 / 丸川珠代 衆議院 / 細田派  
2017年8月3日 -
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院
財務大臣 / 麻生太郎 衆議院
総務大臣 / 野田聖子 衆議院
法務大臣 / 上川陽子 衆議院
外務大臣 / 河野太郎 衆議院
文部科学大臣 / 林芳正 参議院
厚生労働大臣 / 加藤勝信 衆議院
農林水産大臣 / 齋藤健 衆議院
経済産業大臣 / 世耕弘成 参議院
国土交通大臣 / 石井啓一 衆議院
環境大臣 / 中川雅治 参議院
防衛大臣 / 小野寺五典 衆議院
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院
復興大臣 / 吉野正芳 衆議院
国家公安委員会委員長 / 小此木八郎 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 江崎鉄磨 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 松山政司 参議院
内閣府特命担当大臣 / 茂木敏充 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 梶山弘志 衆議院
東京オリンピック担当 / 鈴木俊一 衆議院 
2017年11月1日 -
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院
副総理・財務大臣 / 麻生太郎 衆議院
総務大臣 / 野田聖子 衆議院
法務大臣 / 上川陽子 衆議院
外務大臣 / 河野太郎 衆議院
文部科学大臣 / 林芳正 参議院
厚生労働大臣 / 加藤勝信 衆議院
農林水産大臣 / 齋藤健 衆議院
経済産業大臣 / 世耕弘成 参議院
国土交通大臣 / 石井啓一 衆議院
環境大臣 / 中川雅治 参議院
防衛大臣 / 小野寺五典 衆議院
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院
復興大臣 / 吉野正芳 衆議院
国家公安委員会委員長 / 小此木八郎 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 福井照 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 松山政司 参議院
内閣府特命担当大臣 / 茂木敏充 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 梶山弘志 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 江ア鐵磨 衆議院 (2017/11/1-2018/2/27)
東京オリンピック担当 / 鈴木俊一 衆議院
   内閣官房副長官 / 西村康稔 衆議院
   内閣官房副長官 / 野上浩太郎 参議院
   内閣官房副長官 / 杉田和博
   内閣法制局長官 / 横畠裕介
2018年10月2日 -  
内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院
副総理・財務大臣 / 麻生太郎 衆議院
総務大臣 / 石田真敏 衆議院
法務大臣 / 山下貴司 衆議院
外務大臣 / 河野太郎 衆議院
文部科学大臣 / 柴山昌彦 衆議院
厚生労働大臣 / 根本匠 衆議院
農林水産大臣 / 吉川貴盛 衆議院
経済産業大臣 / 世耕弘成 参議院
国土交通大臣 / 石井啓一 衆議院
環境大臣 / 原田義昭 衆議院
防衛大臣 / 岩屋毅 衆議院
内閣官房長官 / 菅義偉 衆議院
復興大臣 / 渡辺博道 衆議院
国家公安委員会委員長 / 山本順三 参議院
内閣府特命担当大臣 / 宮腰光寛 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 平井卓也 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 茂木敏充 衆議院
内閣府特命担当大臣 / 片山さつき 参議院
東京オリンピック担当 / 桜田義孝 衆議院
   内閣官房副長官 / 西村康稔 衆議院
   内閣官房副長官 / 野上浩太郎 参議院
   内閣官房副長官 / 杉田和博
   内閣法制局長官 / 横畠裕介
 
マスコミ

マス・コミュニケーション (mass communication)
1
新聞、雑誌、映画、テレビ(テレビジョン)、ラジオ、インターネットなどのマス・メディアを通して大衆に向けてなされるコミュニケーション。パーソナル・コミュニケーションと異なり、時間的、空間的距離を隔てて間接的に行なわれるコミュニケーションで、送り手は常に送り手であり、受け手は常に受け手であるというように、一方的な伝達である。受け手は興味のもてない送り手とのコミュニケーションを避けるので、受け手へ伝達する効果を高めるために、感情や欲求に訴えるような刺激的な表現や扱い方が用いられる傾向がある。
2
新聞、雑誌、ラジオ、映画、テレビジョン等のいわゆるマス・メディアを用いて、不特定多数の受け手に情報を流通させる社会的伝達手段。印刷技術や電信・電子メディアの発達とともに成立・発展し、とくに19世紀半ば以降急速に発達した。マス(大衆)に対してマス(大量)の情報を送るためには、専門的な機構と組織が必要となり、伝達内容は画一化され、情報の流通も間接的・一方的になる。その結果、人々の意識や行動に与える影響はきわめて深く大きいと考えられ、それについてさまざまな議論が展開されてきた。現在、さらに双方向性メディアの出現などによって新しい局面が開かれたとする議論もあり、新たなマス・コミュニケーション概念の検討が提唱されてもいる。
3
デモグラフィックとサイコグラフィックの観点からいわゆる大衆視聴者に対してアピールする大量伝達媒体。例えばテレビ、新聞、ラジオ等。
4
マスメディア(具体的にはテレビ、ラジオ、インターネット、新聞、雑誌、書籍など)を用いて、不特定多数の大衆(マス)に大量の情報を伝達すること。対義語としてのパーソナル・コミュニケーションとは異なり、時間的、空間的距離を置いて間接的に行われるコミュニケーション手段である。なおかつ、送り手と受け手が固定される一方的な伝達手段である。
書籍によって多少異なるが、日本における狭義の"マスコミ"の特徴は、情報の速報性、情報の受け取りがほぼ同時であること、受け手側が不特定多数であること(情報の公開性)、情報の流れが一方的であること、などである。しかし、情報の即時性・伝達性・双方向性・発信性・公開性に優れるインターネットの登場により、狭義の呼称による使用を控える動きがあり、既に国内の主要なメディアでは自粛用語となっておりマスメディアに置き換えられている。
マスコミに似た言葉としてミニコミ(受け手が特定少数、和製英語)、口コミ(伝達手段が会話)、パーソナル・コミュニケーション(personal communication、特定個人による少数同士の交流)などがある。
歴史 / 印刷技術や電子媒体の発達とともに成立・発展し、とくに19世紀半ば以降急速に発達した。情報の流通が一方的になるにつれて、人々の意識や行動に与える影響力が大きいことから、さまざまな議論が展開されてきた。
理論 / マスコミュニケーションのモデルマスコミュニケーションの全体像・モデルとしては、シャノンとウィーバーの「情報伝達モデル」(情報理論)が有名である。送り手に関する考察マスコミュニケーションの送り手である、マスメディアについては効果・影響力が盛んに論じられてきた。1920年代から1940年代はラジオやレコードが普及した。弾丸を打ち込まれるように強力な効果がある(弾丸理論)ので、宣伝に利用できる(プロパガンダ理論)と考えられていた。1940年代から1960年代になると、コミュニケーションには2つの段階があり、一般人はオピニオンリーダーやゲートキーパーの意見に従っているので、限定的な効果しかないと考えられるようになった(普及理論など)。1960年代から1980年代になるとテレビが普及した。マスメディアには「議題設定効果」や「培養効果」(カルティベーション理論)があり、少数派は「沈黙の螺旋」に陥って意見を言えなくなる。強力な効果があると再び考えられるようになった。またマスメディアの背後では、大企業や資本家などが操っている(ポリティカル・エコノミー理論)という説もある。受け手に関する考察1920年代から1940年代は、視聴者は受身であり言いなりになる(弾丸理論)と考えられていた。1960年から1980年代になると、視聴者は満足度などを考えて、自分でメディアを選別している(アクティブ・オーディエンス理論)と考えるようになった。また送り手が意図したように視聴者は解釈していない場合があると言った研究(カルチュラル・スタディーズ)もなされるようになった。
5
新聞や放送などのように、複雑な社会組織として機能する送り手が、高度な技術的・機械的装置を駆使して、メッセージや情報をほとんど同時的に、不特定多数の人々に大量伝達する公共的性格を帯びたメディア・コミュニケーションの形態と過程をいう。こうしたマス・コミュニケーション(以下マスコミと略称)の一般的定義にもかかわらず、パソコン、インターネット、電子メールなどの普及にみられる日進月歩、あるいは「秒進分歩」とさえいわれる情報技術の急速な進歩のなかで、マスコミの定義が揺らぎだしていることにも注意深く目を向けなければならないであろう。ちなみに、メディア・ツールとしてのインターネットを積極的に利用すれば、ネット上で公開、提供される多様な情報源に個人でも直接アクセスすることができ、あるいは自らホームページを開設して世界に向けて直接かつ瞬時に情報を発信することができる。マスコミとニューメディア、マルチメディアとは単に棲(す)み分けて共存するだけでなく、相互に越境しあって機能的なシームレス化への道をたどっており、その結果、情報源へのマスコミの独占的アクセスや情報伝達の優位性に風穴を開けることもできるようになったのである。
マスコミの成立と発展
20世紀は「マス・コミュニケーションの時代」とよばれ、現代社会におけるマス・メディアmass mediaの浸透と遍在性は、20世紀のもっとも重要で顕著な歴史的事実の一つであるといえる。マスコミの成立と発展は、なによりもコミュニケーション技術の驚異的発達によってもたらされたといってよい。コミュニケーションの技術革新は次々と新しいメディアを生み出し、マス・メディアを多様化するとともに、その高度化を推し進めた。コミュニケーション・テクノロジーの高度の発達とともに、近代社会の発展を推進した工業化、都市化、民主化の諸過程は、いずれもマスコミの飛躍的成長と密接な相互関連をもつ社会的諸条件であった。これらの社会的条件は、一方でマスコミの発展を助長した独立変数であったし、また他方ではマスコミの発展によっていっそう促進された従属変数でもあった。
工業化の進展は人々の生活水準の上昇をもたらし、教育の普及や余暇の増大と相まって、人々の情報需要の伸張に寄与した。都市化とともに、都市への人口集中が急テンポで進行し、伝統的共同体の権威や統制から解放されたマス・オーディエンスmass audience(大衆的受け手)という巨大な集合体を誕生せしめ、社会的統合のメカニズムとして、マスコミへの依存度をますます高めた。また、消費者としての大衆の潜在的購買力を喚起して、大衆消費社会を支える有力な広告メディアとして機能してきた。民主化の進展はいうまでもなく、マス・メディアの自由かつ多元的な活動への強力な槓杆(こうかん)(てこ)であった。まことに、マスコミは近代化の所産といわなければならないし、現代人の社会生活上欠くことのできない「社会の公器」となったのである。
マスコミの発展を推し進めた技術的伝達手段をマス・メディアといい、新聞、雑誌、書籍などの印刷媒体と、テレビ、ラジオ、映画などの電子媒体とに大別されるが、広告業界では、新聞、雑誌、テレビ、ラジオを四大マス・メディアとよんでいる。また、文字メディア、聴覚メディア、視聴覚メディアといった伝統的メディア分類のほか、新聞、雑誌、書籍、レコードなどのパッケージ系と、テレビ、ラジオ、電話、CATV(有線テレビ)などの電気通信系というメディア分類もある。とくに、エレクトロニクスを中心としたコミュニケーション技術の目覚ましい革新とコンピュータの著しい発展・普及は、新聞、出版、放送、通信、映画といった既存メディアの境界をあいまいにさせ、メディア相互間の融合(メディア・ミックス)や放送とコンピュータ技術との結合によるデータ放送など、伝統的なメディア分類に収まりきらない新しいメディア形態を生み出している。なお、日本では「マス・メディア」と「マスコミ」は同義に扱われることが多い。
マスコミの特徴
マスコミの主要な特徴として、一般に、次の諸点があげられている。
(1)マスコミの送り手は専門化された社会的分業に基づく大規模な企業組織であって、社会の経済的、政治的、文化的な構造に組み込まれ、その一環として機能する。資本主義社会では、一般に、マス・メディアのビッグ・ビジネス化、集中・独占化、エスタブリッシュメント(体制)化が進行し、資本家と経営者はジャーナリストに相対的自律性を認めながらも、究極的にはマス・メディアを統制・管理する。社会主義体制下での、マス・メディア組織は、原則として党・国家の独占的支配、統制下に置かれ、資本主義社会におけるマス・メディアの場合のように商業主義的逆機能が現れにくい反面、大衆的宣伝・扇動・組織化のための機関として明確な役割を付与され、反体制的言論活動に一定の枠がはめられる傾向にある。
(2)マスコミの受け手は総体として大衆を構成し、膨大性、拡散性、匿名性、異質性、雑多性、無定形ないし非組織性などによって特徴づけられる。しかし、日常的次元から微視的にみた場合、受け手は多様な社会集団の網目のなかでマス・メディアに選択的に接触し、メディア内容を差異的に受容する。さらに、多メディア・多チャンネル、インターネットの時代になると、大衆的受け手の細分化や多極化を惹起(じゃっき)し、マス・メディアは受け手を不特定多数の大衆から特定多数の「分衆」へと絞りこむ脱マスコミ化への傾向をはらむことになる。マスコミへの接触と受容において、能動的に行為する受け手は伝統的な読み書きそろばんに加え、メディアリテラシーあるいは情報リテラシーとよばれる技能を身につけ、向上させ、多様な情報通信メディアをそれぞれの欲求や必要に応じて巧みに使いこなすようになってきている。このメディアリテラシーの能力開発は単に多様なメディアを有効的に利用し活用することだけでなく、テクストとしてのメディアを批判的に読み解く能力を学習し、取得していくことをも含んでいる。
(3)マスコミの送り内容は、専門的、特殊関心的な情報やメッセージではなく、一般的、平均的な関心や興味を公分母とする。セックス、暴力、犯罪などヒューマン・インタレストを刺激するニュースや話題は、マスコミのもっとも典型的なコンテンツ(内容)である。しかし、まさに「大衆情念の公分母」に依拠することによって、送り内容は画一化し、ステレオタイプ化しがちで、商業主義的体質と結び付くとき、低俗化やセンセーショナリズム化に陥りやすい。さらに、マスコミの送り内容は通例、受け手がじかに接触することのできない間接的な環境や世界に関する情報やメッセージであって、その情報やメッセージの真実性や妥当性を直接検証することは、受け手にとってほとんど不可能である。
(4)マスコミ過程において、送り手と受け手の位置と役割は通常固定化されて、コミュニケーションの流れも基本的には送り手から受け手への一方通行である。また、送り手と受け手とはインパーソナルな関係にあって、フィードバック作用が円滑に働きにくい。しかし、デジタル技術の開発と発展により、インターネットを利用した情報発信や電子メールによるやりとりなど、送り手と受け手の双方向コミュニケーションが活発に行われるようになりつつある。送り手と受け手との非対称の一方的偏りは変化してきており、今後受け手のメディア参加をいっそう促進してゆくものとみられる。
現代社会のコミュニケーション構造
マスコミは現代社会の中枢神経系であるとしても、他の多種多様なコミュニケーション・メディアが折り重なって、現代社会の錯綜(さくそう)したコミュニケーション網を形づくっている。
現代社会のコミュニケーション構造は、基本的には、パーソナル・コミュニケーションと中間コミュニケーションとマスコミとの三層構造として把握できる。パーソナル・コミュニケーションは、身体的に近接した状態にある2人あるいはそれ以上の人々の間の直接的で対面的なコミュニケーションであって、
(1)話し手と聞き手との位置と役割が相互に交換されること
(2)即時的なフィードバックが存在すること
(3)コミュニケーション状況はおおむね非構造的・インフォーマルであること
など、マスコミと対照的な特徴をもっている。アメリカの社会哲学者・教育学者のジョン・デューイは対面的コミュニケーションが共同体の成立に不可欠な条件であることを力説している。
中間コミュニケーションは、パーソナル・コミュニケーションとマスコミとの境界領域に位置するコミュニケーション形態である。したがって、中間コミュニケーションは両者の特徴を兼ね備えている。パーソナル・コミュニケーションのようにメッセージの受け手は限定され、メッセージも比較的特定化された関心と興味に絞られ、送り手と受け手との相互作用もある程度保持されている。他方、マスコミにみられるように、受け手は空間的に分散し、非対面的状況にあり、メッセージは機械技術的手段を媒介にして同時的ないし短時的に伝達される。具体的にいえば、企業、団体などの組織コミュニケーション、地域社会におけるコミュニティ・メディア、専門的・個別的情報ニーズにこたえる専門メディアなどである。だが、電子メディアの急速な発展によるサイバー空間(電脳空間)やバーチャル・リアリティー(仮想現実)の登場と拡大は、現代社会のコミュニケーション構造に新しい次元を差し込み、そのコミュニケーション構造そのものを変容させつつある。
マスコミを社会的コミュニケーション構造の一環としてとらえるとともに、特定の社会構造ないし社会体制の一翼として把握することも必要である。社会学者の稲葉三千男(いなばみちお)(1927―2002)によると、社会的コミュニケーションの全体状況は、(1)保守組織、(2)行政組織、(3)マスコミ、(4)革新組織の四元論として図式化できるという。そして、社会の階級関係がこの四元の社会的コミュニケーションの相互関係を規定すると考える。行政組織とマスコミと保守組織とが癒着する日本型、保守組織と革新組織とに分極化するか、真の政治的中立を保持するイギリス型、革新組織のコミュニケーションが欠落し、異端的ミニコミの活動するアメリカ型といった考察は興味深く、示唆に富んでいる。体制(保守)コミュニケーション――マスコミ――革新コミュニケーションの三極構造のなかで、三者の緊張・対抗関係を考察することによって、現代社会におけるマスコミの動態を多角的に明らかにできるであろう。
マスコミの社会的機能
現代社会におけるマスコミの役割と機能をめぐって、三つの主要な理論的観点があると思われる。すなわち、(1)大衆社会論的観点、(2)多元主義的観点、(3)マルクス主義的観点である。
大衆社会論的観点
大衆社会論的観点は大衆社会論を母胎とするマスコミ論であって、以下の大衆社会論の命題が理論的支柱になっている。
(1)大衆化の現象とともに、人々を共同体に結び付け、社会秩序のバラスト(安定装置)であった伝統的な社会的紐帯(ちゅうたい)が崩壊したために、非人格的な大衆的組織によってかろうじて結合されているにすぎない、不安定で脆弱(ぜいじゃく)な都市型産業社会が成立したこと。
(2)社会的に孤立化し、疎外されたアノミック(無規範状態)な人間類型の一般化を背景に、コミュニケーション技術の革命的進歩と相まって、大衆的人間は被操作性を高め、マスコミのかっこうの餌食(えじき)となったこと。
こうして、マス・メディアは、大衆社会において大衆操作の道具として強力な直接的影響力を行使する、という単純明快なマスコミ観が形成されることになる。
多元主義的観点
多元主義的観点は、大衆社会論的観点に挑戦し、終止符を打つことを意図し、アメリカの実証的マスコミ研究が隆盛の絶頂にあった1950年代に確立されたといってよい。多元主義的観点の基底にあるのは多元社会論である。支配エリートを頂点とする一枚岩的権力構造を想定する大衆社会論的観点とは逆に、現代社会は相互に競争し、抑制しあう多元的な社会集団によってモザイク的に構成され、とりわけ中間レベルにおける多様な自発的結社の生き生きとした活動が、民主主義への有効な安定装置であると考える。
多元主義的観点はまた、大衆的人間類型の根本的転換を図った。現代の政治過程において、大衆は権力エリートによって一方的に操作される客体ではなく、むしろ権力エリートをさまざまに抑制する政治的主体であると考えられ、灰色の大衆像は市民的人間類型へと塗り替えられたのである。
多元主義的観点の理論的前提で、いま一つ注目すべき点として、マス・メディアの自律性と多元性に関する命題がある。マス・メディアは、国家をはじめあらゆる外部的諸勢力から自立し、報道の自由を主体的に享受するという伝統的自由主義理論を基底にしながら、プロフェッショナルなメディア組織に内在する機能的自律性を主張する。そして、マス・メディアが自律的に機能するならば、多元的な情報と意見が思想の自由市場で交流し、競合することになって、民主主義社会における健全な世論形成に寄与するというわけである。
多元社会におけるマス・メディアの基本的機能は、多元主義的社会体制を総体的に維持し、発展させることにある。多元社会には、広範に共有されている中核的価値体系や合意が存在しており、マス・メディアはこうした合意や価値、規範を反映し、補強しながら、社会体制を統合する機関にほかならない。
マスコミの実証的研究は多元主義的観点の申し子であって、(1)方法論的個人主義、(2)媒介変数アプローチ、(3)能動的受け手観などによって特徴づけられ、多彩な実証的データを積み上げながら、理論的一般化を試みてきた。そのもっとも包括的結論は、「マスコミは通常、受け手への効果の必要かつ十分なる原因として作用せず、受け手の態度の変容要因としてよりも、その補強要因として機能する」ということである。のちに「限定効果モデル」とよばれたこの一般化は、やがてマスコミの効果と潜勢力を過小評価しすぎているのではないかとの疑問と批判を巻き起こし、マスコミの影響力を再評価する動向が現れてくる。マスコミの認知効果や長期的・累積的効果に新たなる問題関心を向けているところに、こうした研究動向の顕著な特徴があるといえよう。
マルクス主義的観点
マルクス主義的観点の基底には、いうまでもなく階級社会論がある。資本主義社会は、生産手段を所有する支配階級と、生産手段を所有せず、自らの労働力以外に頼るものをもたない被支配階級とによって基本的に構成され、それらの基本的階級間の対立と闘争という敵対的関係のなかで、資本家による階級支配が究極的に貫徹する社会である。したがって、資本主義社会におけるマス・メディアは階級支配のためのイデオロギー機能を直接的、間接的に遂行するエージェントないし装置であり、フィンランドのマスコミ研究者ノルデンストレングKaarle NordenstrengとバリスTapio Varisが論じたように、その主要な役割と機能は、
(1)社会の内部における階級対立を隠蔽(いんぺい)し、疎外の諸症候を補償すること、
(2)社会の既成秩序にかわる具体的な社会的選択肢を非正統化すること、
(3)営利を目的とする産業の一環として利潤を追求すること、
だといってよかろう。
日本では、アメリカ的マスコミ研究にかわる批判的パラダイムとして、マルクス主義的観点からのマスコミ研究が早くから活発に展開され、わが国のマスコミ研究に独自の彩りを添えてきた。しかし、欧米では事情を異にして、マルクス主義的観点への関心が高まってくるのは1970年代あたりからである。マルクス主義的メディア研究でとくに注目されるのは、文化主義的なアプローチである。社会は多様な集団文化で構成されているが、マス・メディアは特定集団の特殊な価値・利害・要求をあたかも普遍的で自明なものとして正統化する役割を演じている、というのがこの研究の基本的立場である。イギリスのカルチュラル・スタディーズ(文化研究)の中心的研究者ホールStuart Hall(1932― )は、このようなマスコミの正統化機能に認識の焦点を据えるマルクス主義的メディア研究の特徴を、「イデオロギーの再発見」と名づけている。
実証的マスコミ研究はかつて「第一次集団の再発見」をてこに、大衆社会論的観点のコペルニクス的転回を図った。すなわち、マスコミの影響や効果は、受け手の所属する第一次集団の規範やオピニオン・リーダーという媒介変数によって間接的に規定・限定されており、「皮下注射針モデル」あるいは「弾丸理論」が想定したように、マスコミは、甲らのないカニ同然の受け手に対して、あたかも弾丸のように強烈な決定的影響力を直接行使するのではないと主張した。しかし、すでに触れたように、実証的マスコミ研究の「限定効果モデル」に対して、今日、さまざまの疑義や批判が浴びせられ、マスコミの影響力を見直し、再評価する動きが活発になり、皮下注射針モデルないし弾丸理論の新版ともいうべき「強力効果モデル」が提唱されている。ある意味で、マスコミ理論は一巡したともいえる。イデオロギーの再発見は第一次集団の再発見と同じように、マスコミ研究の理論的観点を切り換える有力な転てつ器の役割を果たしている。
新しい動向
そのほかに注目すべき理論的動向として、マスコミ公共圏論がある。ドイツの社会学者ハバーマスの著書『公共性の構造転換』(1962)の英語版(1989)が引き金となって、公共圏の概念に基づいて現代社会におけるマスコミの役割と機能を考察する議論が盛んになった。公共圏とは公共的議論のための開かれた自律的なコミュニケーション空間のことで、マス・メディアは公共圏の有力な担い手であることを期待されているということにほかならない。
ハバーマスは、成熟した高度資本主義と福祉国家体制のもとで機能する現代のマスコミが、このような民主的な公共圏の構築に十分適切に寄与できるかどうかについて総じて悲観的であるものの、市民参加をいざなう多種多様な自発的結社を基軸とする参加民主主義が力強く進展するなら、明るい展望が開けてくる可能性があることも示唆している。しかしその前途は険しく、幾多の紆余(うよ)曲折をたどると思われるが、マスコミが公共的な対話と論争のフォーラム(公開討論の場)としての役割を十全に果たすことができるようになれば、民主主義の活性化に資する生き生きとした世論の形成機関として復活するであろう。
日本のマスコミの現況
わが国のマスコミは第二次世界大戦以前においても、著しい成長を遂げていたが、戦後は戦前期とは比べ物にならないほど質量ともに飛躍的に発展し、今日では世界有数のマスコミ王国となっている。日刊新聞の総発行部数は世界第1位であり、人口1000人当り部数でも主要先進国のなかでトップの普及率を誇っている。テレビ・ラジオの放送についても受信機台数、放送時間量、視聴時間量などからみて、世界の上位にランクしているし、出版の現状でも、書籍の新刊点数や発行部数は世界においてトップ・グループに属している。テレビの普及とともに斜陽化した映画においても、映画観客数や映画館数こそ激減したものの、封切り本数は最盛期に比べてもさほど減少しておらず、テレビによる映画放送とビデオソフトの利用頻度に目を向けるなら、映像ソフトとしての映画需要はけっして衰えていない。「マスコミの時代」の主役はテレビである。テレビを日常視聴しない人はほとんどいないばかりでなく、テレビ離れが取りざたされながらも、相変わらず長時間(平日で平均3時間台)視聴されている。テレビはもっとも親しみやすい大衆的なメディアだが、テレビ界を支配する視聴率至上主義は、とりわけスポンサーに全面的に依存する民間放送の場合、かつてテレビの草創期に評論家の大宅壮一(おおやそういち)の唱えた「一億総白痴化」という方向に、テレビ文化を全体として低位平準化することになりかねず、そのように危惧(きぐ)する論議がいまなお後を絶たない。テレビといえばとかく大衆的娯楽機能が目だちがちだが、主要な政治的情報源として、また政治家と国民のコミュニケーション・パイプとしてますます重要な役割を担うようになってきていることを見落としてはならない。テレビ時代の到来はラジオ聴取者の激減をもたらしたが、ラジオ放送はテレビ時代への必死の再適応を試みた結果、「生(なま)・ワイド・パーソナリティー」の編成路線のもとで1960年代後半にいわゆるラジオ・ルネサンスに成功し、テレビと共存共生できる態勢を築き上げた。そして、ラジオは今日、
(1)機動性に富む柔軟な番組編成
(2)聴取のモバイル化(可動化)とパーソナル化
(3)聴取者参加路線の徹底
などを推し進めることで、聴取者との日常的な親近感と一体感をますます高め、多メディア時代のなかで人々の日常生活におけるかけがえのない同伴者として機能している。阪神・淡路大震災の際に、ラジオは小回りの効くメディア特性を発揮して大活躍し、災害時に強い不可欠なメディアであることが立証されたといってよい。
わが国の放送は公共放送としてのNHK(日本放送協会)と民間放送との二本立てで営まれ、大局的にみて妙味ある制度のよさを発揮している(別に放送大学学園法に基づく放送大学がある)。しかし、いずれも免許事業として国(総務大臣)の免許を必要とし、免許事業の本質からいって、とりわけ現代政治において重要度をいっそう高めているテレビの場合、他のマス・メディアに比べて国家権力の介入・干渉・圧力を一般に受けやすく、権力の敷居をどう越えるかの問題に恒常的に直面しているといわなければならない。
新聞はかつてのマスコミの王座をテレビに譲り渡したものの、テレビ時代や多メディア時代においても、新聞の特性である詳報性、総合性ないし一覧性、解説性、論評性、提言性といったメディア機能の面で、依然として基幹的メディアである。日本の新聞は、全国の読者を対象に発行される『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞』『産経新聞』『日本経済新聞』の全国紙、『北海道新聞』『中日新聞』『西日本新聞』のブロック紙、そして地方紙に大別される。全国紙は数百万規模の「大衆紙」的な巨大部数をもちながら、「高級紙」的質の高さもあわせもつ世界に類のない日本独自の新聞形態を形づくっている。日刊紙の総発行部数に対する全国紙のシェアは過半数を占め、新聞界における集中・独占化が顕著である。そして、全国的な大新聞社は放送企業と密接な結合関係をもつとともに、週刊誌やスポーツ紙などの発行に携わり、出版事業や電子メディア事業にも手を出すなど、総合的情報産業のかなめとなっている。
今日はまた「雑高書低」(出版社の雑誌売上げへの依存度が書籍よりも高い傾向)の「雑誌の時代」といわれるが、出版業界は生存競争と栄枯盛衰の激烈なメディア業界である。一般的にいって雑誌は、読者の情報欲求の多様化と差異化にもっとも弾力的かつ機敏にこたえられるメディアであって、その主流は特定の階層に的を絞るクラスメディアである。今日の雑誌を特徴づけているのは、情報と知識のビジュアル化、カタログ化、「軽薄短小」化であると同時に、読者参加の誌面づくりを重要視している。熾烈(しれつ)な過当競争のなかでスキャンダルを売り物にして読者の原始的関心に訴える傾向も強く、市民のプライバシー侵害など社会問題を引き起こす場合が少なくない。1980年代以降の総合雑誌の地盤沈下は覆い隠せぬ事実であるとしても、『文芸春秋』1974年11月号に掲載された立花隆の「田中角栄研究――その金脈と人脈」が金権政治批判の口火となり、田中角栄の首相退陣につながったことは特筆すべき雑誌ジャーナリズムの快挙であった。
マス・メディアは相互に競合しあいながらも、それぞれ受け手の多様な情報欲求を相補的に、あるいは役割分担的に充足する一方で、マス・メディアが一丸となって特定の事件や話題に受け手の注意と関心を一斉に集中させ、しかもその事件や話題への画一的反応を増殖する相乗作用を果たすことも看過してはなるまい。
1990年代以降、IT(情報技術)革命のもたらすコンピュータ化、多メディア・多チャンネル化、マルチメディア化、モバイル化、デジタル化、そしてインターネットのマス・メディア化といった新しい波が容赦なくマスコミ界に押し寄せ、「ビッグバン」の幕が切って落とされた。新聞界は「新聞が消える」という悲壮な危機感に駆り立てられて、ネット配信による電子新聞、記事データベースの電子化、BS・CS放送などへの参入といったメディア複合化を図っている。放送界は2000年12月のBSデジタル放送の開始とともに、デジタル多チャンネル時代に突入し、放送メディアの再編成において主導権を握ろうと苛烈(かれつ)な競争を繰り広げている。また、出版界はCD−ROM、DVDなどの電子出版に乗り出し、さらにはオンライン出版、オン・デマンド出版へと進出するなど、既存のマス・メディアは、急激に変化するメディア環境への待ったなしの対応を厳しく迫られている。  
マスコミ
1
マス━コミュニケーションの略。転じて、マス━メディア。
2
マスコミュニケーション(mass communication)の略である。
3
…高速輪転機で印刷された新聞や雑誌、ラジオとテレビ、映画など)を用いて大量(マス)の情報を大衆(マス)に伝達するコミュニケーション。〈大衆伝達〉〈大衆通報〉などの訳語もあるが、〈マスコミ〉という日本独特の短縮形が愛用されており、この場合情報を生産する送り手(新聞社、出版社、放送局など)をさすこともある。マスコミの特徴は、速報性、受け手の大量性、情報の流れの一方通行one‐way性などにあるが、一方、受け手の量を基準にした反対概念に和製英語の〈ミニコミ〉、マスコミの一方通行性に対して双方通行two‐way性をもつパーソナル・コミュニケーションpersonal communication、マスコミのメディアによる媒介に対しての人間の他人へ対する直接の語りかけをさす〈口コミ〉などがある。…  
マスメディア (mass media)
1
マスコミュニケーションの媒体。新聞・雑誌・テレビ・ラジオなど。大衆媒体。
2
不特定多数へ情報発信するマスコミュニケーションの伝達手段。4マス媒体とは新聞・雑誌・テレビ・ラジオのこと。
3
ラジオ、テレビ放送局やネットワーク、新聞、雑誌、野外広告など、一般の公共に対して訴える広範囲にわたる媒体。
4
テレビ、ラジオ、雑誌、新聞など一般大衆を対象に情報を伝える媒体。マス・メディアは、マス・マーケティングが支配的な時期には販売促進や広告のための媒体として告知広告を中心に利用されていた。しかし今日では、商品販売に直接利用するよりも、企業イメージ創造に利用されるケースが多い。メディアの多様化、分断化現象が起きている。また、フリーダイヤルを記載し、問い合わせや注文を受けるダイレクト・レスポンス・メディアとして使用されるケースも多くなってきている。
5
メディアとは情報が伝わる媒体を指し、マスメディアとは多数の人びとに伝わる媒体をいう。具体的には20世紀に頂点を迎えたテレビ・ラジオ・新聞という媒体を総称していう。この時期、社会の近代化とともに人びとを広く巻き込む大衆文化・市民社会が成立し、また国家レベルで大量の情報を伝達する機会と必要性が生じた社会的背景があり、そのもとにマスメディアは発展した。それは国民国家の成立と呼応し、国民に対して時々刻々と変化する社会的出来事を伝え、安価に娯楽を提供するというかつてない状況を作り出した。したがってマスメディアの最も目覚ましい特徴は、大衆性・公開性・遍在性・一方向性・定期性・不断の活動性といった点にある。人びとはマスメディアを通してこそ、間断なく、いつでも定期的に、分け隔てなく公開された社会の情報や娯楽を一方向的に受け取り、それを社会を見る鏡として、また社会に参加するための情報として、さらに社会から与えられる楽しみの機会として活用するようになったのであり、また他方では、マスメディアこそ低いレベルのリテラシーの持ち主でも社会の出来事を理解できる、広範で遍在的な情報取得の機会をもたらしたのである。
こうしてマスメディアは巨大な情報の「送り手」として「受け手」たる一般の人びとの生活に深く浸透した。それは人びとの身辺の出来事を除いた広い外界の情報について、マスメディアから排他的に取得する以外に情報取得の手段をほとんどもたないことを意味する。しかしいうまでもなくマスメディアとて自らの組織を通じて情報取得が可能な出来事しか報道可能ではなく、また取得した情報をすべて報道できることはなく、取捨選択し、重要度の順序を付けて報道せざるをえない。放送時間や新聞の紙面は電波の希少性やコストによって制約されているからである。こうして受け手は、マスメディアが排他的に収集し、マスメディアが重要だと選択的に定義づけた情報の内側(情報環境information environment)に住まわざるをえなくなる。
マスメディアがもたらす社会的リアリティ
このことは、マスメディアがわれわれの社会的リアリティsocial realityを形成する強力な媒体であることを意味している。われわれがほんとうに生じた、重要だ、と信じている出来事の形成にマスメディアの選択がかかわっているからである。そしてさらに、人びとが同じ情報をマスメディアから受け取るところから、マスメディアは人びとの間の公共的な媒体となり、情報の共有に大きな役割を果たすことになる。その役割の中でマスメディアは社会的な事件や出来事、街の声や現在の流行、世論調査の結果などの報道を通じて、人びとの意見を集約し、世論の変化に影響を与えることになる。もっとも、複数あるマスメディアの報道内容が大きく食い違うのであれば、人びとはそれらを比較考量し、自らの手で何が重要なニュースか、どのマスメディアの情報が正確かを相対的に独立して判断することが可能で、マスメディアの影響力は相対的に弱まるかもしれない。しかしながらマスメディアの報道の相互独立性については、否定的なデータが多い。つまり類似性が高いことが知られている。
マスメディアの強力効果と限定効果
これらのことを念頭におくとき、情報環境の形成者としてのマスメディアが人びとの行動に与える影響はきわめて強いのではないか、というマスメディアの強力効果powerful effect of mass mediaが推定されることになる。人びとが社会的に何が重要な問題か(争点か)を認識するときにその重要さを規定するのはマスメディアであるという主張は、議題設定効果agenda-setting effectとして知られるようになった(議題とは社会で話すべき事柄を指す)。また人びとはドラマの世界から社会全体もその世界と類似したものだと推論しがちだと指摘される(ドラマもまた社会的リアリティを与える)。しかしドラマなどに頻出する人物とその描写に一定の偏りがあることから、世界の実像をゆがめて認識することがドラマでも生じる。これは長期にわたる効果として一般に教化効果ないし涵養効果cultivation effectとよばれる。老人を弱い存在で失敗者として認識する、などのステレオタイプはドラマに頻繁に接触することによって涵養される。
一方、研究史的にはこうしたマスメディアに対する強力効果の認識は、長期の間否定されてきた。1940年代のアメリカにおいてマスメディアを通した選挙キャンペーンの効果が精緻に検討され、そこで影響力の主役となっているのは、マスメディアの情報を選択的に咀嚼し周囲の人びとに解釈する対人的なネットワークであり、マスメディアはそうした情報の解釈を担うオピニオンリーダーを超えていくことはできない、と判明したからである。これをマスメディアの限定効果limited effect of mass mediaという。
じつは強力効果も限定効果も両立しないものではない。人間は能動的に判断する存在であり、そのソーシャルネットワークの中で他者の情報をマスメディアより信頼する点で、限定効果の主張と一貫する特徴をもつ。しかしこれと同時に、人びとが取得する情報そのものはほとんどマスメディア経由のものである点で、人びとの認識はマスメディアに大きく制約されている。さらに、マスメディアの認知心理学的な知見が明らかにしてきたように、マスメディアの情報の提示のあり方によってプライミング効果priming effectやフレーミング効果framing effectが生じることがある。つまり前者ではマスメディアの情報刺激が直後の人びとの判断に影響するなどの現象が生じる(例、テレビが首相の失態を報道すれば与党の支持率が落ちる)。後者ではマスメディアが設定する報道の枠組みに添った判断枠組みで人びとは事件や出来事を判断しがちとなる(例、貧困の報道を特定の失業者のエピソードで枠づけると、貧困は社会的問題よりこの当人の問題に帰属されがちとなる)。これらは強力効果的なポイントである。
インターネット (internet)
21世紀に入って、マスメディアは徐々にインターネットにその地位を奪われている。インターネットは1対1のコミュニケーションから「マス」媒体的な特性まで無数の形状をもちうる媒体であり、その効果をひとくくりにすることはできない。人びとのだれもが発信者として社会に情報を流通させることが可能な参加型のメディアとして登場したインターネットをマスメディアとの関連で見れば、情報の流れの一方向性、すなわちマスメディアの情報源独占を切り崩したために、強力効果の前提を一部打ち砕いた。その一方でインターネットは、社会の大多数の人びとが共有できる情報の媒体としては大きな欠点があるといわざるをえない。人びとは自分にとって最も使いやすい、快適な情報環境のカスタマイズをインターネットで可能としたが、そうして人びとが互いに異なる情報に接することこそが、人びとが情報を共有し、同じ経験について語る妨げとなるのである。このことは選択的情報接触selective information exposureの問題として関心を集めている。  
コメンテーター (commentator)
1
注釈者。ラジオ・テレビなどの、ニュース解説者。
2
解説者。評論する人。
3
注釈者。論評や解説を加える人。特に、テレビ、ラジオ放送におけるニュース番組の解説者。  
ニュースキャスター (newscaster)
1
ニュース newsと放送する人 broadcasterを結びつけた言葉。ニュース番組の放送者のことであるが、従来のアナウンサーと違って、編集されたニュースを読むだけでなく、みずからも編集に立会い、画面出演して報道するとともに、必要に応じて解説を加えることもある。ニュースのワイド化によって比重が加わったもので、アナウンサーだけでなく、放送記者や新聞記者など取材経験の豊富なジャーナリストが就任することが多い。アメリカではアンカーマンという。同じようなスタイルで天気予報を伝える人をウェザーキャスターと呼ぶ。
2
テレビなどのニュース番組で、解説や論評を加えながら番組を進行させる人。
3
解説や論評を加えながら、ニュースを報道する人。キャスター。
4
ニュース番組に出演して、単に報道原稿を読み上げるだけではなく、随時、解説・論評をも加え、その番組を進行させる人。  
 
諸話 2012

 

野田語録 「近いうち」に解散するつもりは? 2012/10/13
雄弁で鳴らす野田佳彦首相だが、その言葉遣いには曖昧さがつきまとい、野党のみならず与党の政治家も惑わしている。まさにつかもうとしてもスルリと逃げてしまう「ドジョウ宰相」の本領発揮だ。本当に「近いうち」の「しかるべきとき」に「不退転の覚悟」で、衆院解散に踏み切る気があるのだろうか。首相の言葉と実際の行動を比較してみた。 
近いうち  
自民党の谷垣禎一前総裁、公明党の山口那津男代表と交わした「近いうちに国民に信を問う」という約束を、首相は2カ月以上も実現していない。  
「総裁が谷垣さんなら、必ず約束は実現しなければならなかったのだが…」  
首相は最近、周囲にこうつぶやいた。安倍晋三総裁に代わり状況が変わったと考えているのだろう。7日にも視察先の福島県で記者団に「決して忘れていないが、特定の時期まで詰めていく性質のものではない」と明確にするのを拒んだ。  
臨時国会の召集が遅れていることで通常国会冒頭の「1月解散」のシナリオも浮上しているが、首相周辺は「野党との話し合いが成立しなければ、臨時国会での解散もあり得る」と語り、結果として「近いうち」になる可能性もあると指摘する。  
しかるべきとき  
11日、「しかるべきとき」に臨時国会を召集する考えを示した。この表現も愛用している。  
「しかるべきときに、やるべきことをやった後に信を問う」  
9月1日には記者団にこう語り、「近いうち」を後退させた。3日前の参院での首相問責決議に自民党が賛成したことで、谷垣氏との約束はほごになったという“本音”が口をついた。  
臨時国会が召集されれば内閣改造で入閣させた田中慶秋法相の献金問題などで集中砲火を浴び、政権への打撃は必至だ。自公両党の協力がなければ、首相が解散の前提とする特例公債法案の成立もおぼつかない。  
「特例公債法案に見通しが立たなければ、予算執行抑制に対する批判は野党にも向かう」  
首相周辺はこう語る。世論の風向きを読みつつ自らに都合のいい「しかるべきとき」を探っているようだ。  
不退転  
沖縄・尖閣諸島をめぐる中国の動きの活発化という事態に、首相は8月24日の記者会見で「冷静沈着に不退転の覚悟で臨む」と語った。消費税増税では不退転の決意を表明しただけでなく、政治生命も懸けた。  
もっとも、1月に「不退転の決意でやる」と言った行政改革、国会議員の定数削減は道半ば。安倍氏は11日、首相の言葉の“軽さ”をこう皮肉った。  
「近いうちに解散する約束は果たしてもらえるだろう。嘘をついてはいけないということを、首相に身をもって示してもらいたい」  

諸話 2013

 

安倍政権の命運を握る「新・四人組」 2013/1
 「お友達」内閣の苦い教訓は活かされるのか。人事で占う安倍内閣の行方。
「安倍晋三君を第96代総理大臣に指名します」――。
自民党・公明党合わせて325議席という圧勝で、「逆」政権交代を果たした第46回総選挙から10日後の12月26日、安倍晋三は、衆院での首班指名を受け、5年3カ月ぶりに総理大臣に返り咲いた。06年に発足した第1次安倍内閣が掲げたキャッチフレーズ「再チャレンジ」を自ら果たした形だ。
だが、安倍の再チャレンジの成否は、5年前に“お友達内閣”と揶揄され、官邸崩壊の引き金となった人事下手を克服できるか、にかかっている。
「来年夏の参院選では公明党の協力を得なければなりません。日本維新の会やみんなの党とは予算案や政策ごとの部分連合で協力をあおいでいきましょう」
すでにマスコミの情勢調査で「自公で300議席超」が明白になっていた衆院選投開票日数日前の12月中旬。自民党幹事長代行だった菅義偉は、携帯電話で、安倍にこう進言した。安倍は当初から日本維新の会と連立して憲法改正を打ち出すことも視野に入れていたが、菅の言葉で、参院選までは自公体制を基軸とした「安全運転」に徹することに落ち着いた。
内閣の司令塔である菅官房長官に対する安倍の信頼は絶大なものがある。菅は秋田県の農家に生まれ、高校卒業後、集団就職で上京した。働きながら法政大学を卒業、故小此木彦三郎元通産相の秘書から、横浜市議となり1996年、47歳で、初当選を果たした「苦労人」。
そもそも、06年の自民党総裁選で候補の座を、同じ森派の福田康夫元首相と争い、派閥分裂も覚悟した安倍の命を受け、衆院当選6回以下、参院当選2回以下の自民党所属議員94人を集めて「再チャレンジ支援議員連盟」を立ち上げ、勝負の流れを決定的にしたのが菅だった。その論功行賞で当選4回にして総務相に就任。ふるさと納税の創設、地方分権改革推進法の成立、NHK受信料値下げなど、お友達内閣の中で、その剛腕ぶりは異彩を放った。
昨年の自民党総裁選に出馬するにあたっても、8月の時点では迷いを見せていた安倍に対して「自民党支持層には安倍待望論があるが、向こうからはやってこない。飛び込んで局面を打開するべきです」と“主戦論”を唱え、出馬の意思を固めさせた。お友達から一歩踏み込んだ盟友に近い存在だ。
その菅より関係の長い盟友が首相補佐官となった衛藤晟一参院議員だ。
衆院選圧勝の熱気が冷めやらない12月18日午後5時、自民党本部。衛藤は記者の目を避けるように、地下駐車場から4階の総裁室裏手へ直行するエレベーターで安倍を訪ね、ある文書を手渡した。それは安倍の指示を受けた衛藤が、中西輝政京大名誉教授、八木秀次高崎経済大教授らと水面下で接触し、とりまとめた安倍政権の“工程表”だった。
この工程表においては、長期的な目標として「国防軍」の創設を柱とする憲法改正を明記。中期的には米国を狙う弾道ミサイルの迎撃など限定的な集団的自衛権の行使容認、例外を設けた環太平洋経済連携協定(TPP)参加を掲げ、項目ごとに具体的な手法も付記した。短期的な目標としては、尖閣諸島への公務員常駐に加え、「河野談話」の事実上の撤回や拉致問題の解決も盛り込まれた。
いずれも戦後レジームからの脱却を唱える安倍の思想を色濃く反映したものだが、実はこうした安倍の思想形成に大きな影響を及ぼしてきた人物こそ衛藤なのである。衛藤は大分大生時代、右派の学生運動家として全国に名をはせた。25歳で大分市議当選後、大分県議を2期務めて、90年に衆議院議員に初当選した。安倍の父、晋太郎の全面支援で大量当選した新人の1人だった。
晋太郎が志半ばで病に倒れ、晋三が後を継ぐと、衛藤は「晋太郎の夢を晋三に果たさせる」と心に期す。今や、安倍の有力なブレーンとなっている右派のシンクタンク「日本政策研究センター」の伊藤哲夫代表を、若き日の安倍に紹介したのも衛藤だった。伊藤と衛藤は学生運動の同志の関係である。
衛藤は、保守政治家としての安倍晋三の「生みの親」とも言える。
「安倍一族」の登場
新内閣の人事で目新しさを感じさせるのが加藤勝信官房副長官の存在だ。党外からは「加藤って、誰?」という反応で受け止められたが、党内、特に旧福田派(清和会)関係者では、「安倍らしい人事だ」と頷く向きが多い。
2人の関係の源流は、今から20年以上前に遡る。加藤は、加藤六月元自民党政調会長の女婿。六月は安倍の父、晋太郎の「最側近」として、故三塚博元蔵相、塩川正十郎元財務相、森喜朗元首相とともに「安倍派四天王」と称された。安倍にしてみれば、勝信との関係は、父と六月との関係にも重なってくる。
さらに六月の妻で、加藤の義母にあたる睦子夫人は、晋太郎の妻で安倍の母親の洋子夫人と極めて親しく、「姉妹」関係と評されるほど。山中湖畔にある富士急行が開発した別荘地には、安倍、加藤両家の別荘が歩いて行ける距離にあり、毎年、家族ぐるみのつきあいをしている。「安倍一族」という扱いなのだ。
加藤は東大経済学部から旧大蔵省に進み、主計局主査を務めた「政策通」でもある。衛藤の下で「『創生』日本」の事務局長に就任、安倍の発信したいメッセージを巧みに演説の草稿に仕立てたことで、「一族」としてだけでなく、政治家としても信任を得た。額賀派に所属しているが、ここ2年ほどは衆院第1議員会館12階の安倍の部屋で、安倍から呼び出された加藤の姿が頻繁に目撃されている。安倍が総裁に返り咲いた際の党人事では、総裁特別補佐のポストで、重用されたが、一時は、「政調会長」という大抜擢さえ取りざたされた。総裁選で安倍に敗れた石破茂が、安倍主導の人事を牽制するため、その加藤を「政調会長に抜擢して目玉人事にすればいい」と安倍に伝わるよう周辺に言い触らしたためだ。これが後に安倍と石破の間がぎくしゃくする一因にもなった。安倍のお友達である甘利明の政調会長起用を牽制したと受け止められたのである。
この自民党総裁選の直前、甲府市内での街頭演説の帰途、東京・新宿のホテルに安倍が密かに呼び寄せたのが、菅、衛藤、加藤の3人だった。この場には甘利明も呼ばれていたが、安倍選対本部長という立場で声がかかっており、コアメンバーはあくまで前出の3人である。
「1回目の投票で国会議員票は54票となります」
そこで披露された票読みは、決選投票に至るまで、実際の結果とほぼピタリと一致するものだった。事実上、この夜、安倍の中で第2次安倍内閣の陣容が固まっていたのである。
一方で今回の人事において、目立たないが、注目すべき人物が経産省資源エネルギー庁次長から政務秘書官に就いた今井尚哉だ。通常、自民党の首相ならばこのポストには事務所の古参秘書が就くが、安倍は第1次内閣でも内閣府から井上義行を登用している。もっとも、国鉄の機関士出身で、ノンキャリアだった井上と対照的に、今井は経産省のキャリアだ。日本経団連名誉会長の今井敬元新日鉄会長の甥という毛並みの良さも目を引く。今井は、第1次安倍内閣では事務秘書官として安倍を支え、自身も「安倍さんとは相性がいい」と認めるほど、良好な関係を築いた。
その今井は電力自由化が持論という改革派の一面を持つが、関西電力大飯原発再稼働問題では、稼働に向け水面下工作を展開した際の活躍ぶりが際立った。今井は栃木県立宇都宮高校の後輩である枝野幸男前経産相に接近し、閣僚会議に陪席することに成功すると、終始会議をリードした。また、2月下旬には都内のホテルで、「再稼働反対」を掲げていた橋下徹大阪市長と会談、「電力不足になると難病患者が亡くなるなど社会的な犠牲者が出る」という理屈で、橋下をも説得している。
「毛並みの良さや、『ザ・官僚』のような見かけとは裏腹に、鼻っ柱が強く政治的な行動も多い。小泉純一郎元首相の政務秘書官だった飯島勲とは全くタイプが違うが、『新・官邸のラスプーチン』になるかもしれない」との評もある。
菅、衛藤、加藤、今井。この「新・四人組」が安倍政権の命運を握る。
かつての「お友達」は
一方で、第1次安倍内閣で重用されたかつての「お友達」の影は薄くなった。その象徴が、塩崎恭久元官房長官だ。
安倍と塩崎との間に距離ができたのは総裁選直後のことだった。塩崎も安倍の距離感を察したのか、解散後は、自分の選挙に専念。塩崎は、安倍の経済財政政策を策定する日本経済再生本部(安倍本部長)の事務総長に就任すると見られていたが、ふたを開けてみると事務総長は、総裁選で安倍と争った石原伸晃前幹事長の陣営幹部だった茂木敏充前政調会長。
参院枠の官房副長官には、「お友達」の残党である世耕弘成元首相補佐官が就いたものの、安倍が脱・お友達を意識しているのは確かなようだ。
だが、いくら「お友達」を遠ざけても、安倍政権への懸念材料は残る。
「石破幹事長に菅官房長官か……。言っても分からないんだな」
衆院選の投開票翌日から、マスコミで報じられた政権の中枢人事を見ながら森喜朗元首相は苦虫を噛み潰したような表情を見せていた。
かつて自民党を離党した経験があり、脱派閥を掲げる石破や、旧小渕派でスタートしながら、次々と派閥を離脱しては、故梶山静六、加藤紘一、古賀誠そして安倍と、いつの間にか時の党内有力者の傍にいる菅に対して、森は苦々しい思いを抱いてきた。そもそも、自民党が野党に転落した09年の総選挙の際、時の首相、麻生太郎に対して解散先送りを進言し続けたのが、当時選対副委員長だった菅だった。
森は解散前と選挙後の2度にわたって安倍に対して、「菅も塩崎も、君が重用する連中は党内の嫌われ者ばかりじゃないか」と苦言を呈した。安倍は「そうなんですよね。わかっているのですが……」と応じたが、森の忠告が受け入れられることはなかった。
衆院選圧勝の熱気が完全に冷めたとき、今回の人事がベテランの反発を招き、一気に議員の数が膨れ上がった自民党内で遠心力として働く恐れは十分にある。そうなったとき、幹事長に石破を留任させたことも、安倍の党へのガバナンスを低下させることになりかねない。安倍を支持する議員たちは、「石破はポスト安倍を狙っている。参院選後には幹事長から外さなければ」と警戒感を露わにする。
安倍の決断が吉と出るか凶と出るかは、不透明だ。
もう1つの懸念材料は、安倍が「克服できた」と言い張る体調問題だ。首相退陣の原因となった潰瘍性大腸炎を、新薬「アサコール」でコントロールできていると言っているが、衆院選直後の記者会見で自ら認めたようにアサコールは特効薬ではなく、完治したわけではない。政治家の脳内に最もアドレナリンが放出され、免疫力が高まるはずの衆院選の最中、12人の党首の中で、顕著に風邪をひいたのは安倍1人だった。
さらに最も身近で健康管理にあたるべき昭恵夫人の「能天気さ」が関係者の心配の種という。昭恵夫人はアサコールの効用を信じてか、手づくりで、安倍の体調に合わせた料理をつくるようなことも特にせず、反原発の友人たちと都内に開いた居酒屋経営に没頭する日々だ。
「アベノミクス」として市場関係者から歓迎された安倍の経済対策も、この先の経済状況によっては、懸念材料のひとつになりかねない。
12月20日に開かれた日銀の金融政策決定会合。前年比2%の上昇率を達成する消費者物価の目標設定を検討することを決めたことに政財界の注目が集まったが、市場関係者はむしろ「景気は一段と弱含んでいる」という、景気判断の引き下げに着目した。
「憲法改正など右派色を消して、景気回復に全力を注ぎ、7月の参院選で議席増を図る」のが、安倍と菅らの基本戦略だが、半年あまりで、「一段と弱含んでいる」景気を上向かせることは困難だ。
政権の中間評価と位置付けられる参院選も04年以降の3回、与党が勝利したことはない。そして、長引く景気低迷を背景に、いずれも「年金」や「消費税」など生活に直結する課題が争点になり、07年参院選では自民党が惨敗、その後、ほどなく安倍は退陣している。
高揚感の裏で、安倍らの脳裏には「あの悪夢」がちらつき始めている。 
麻生太郎が安倍政権の火種になる日 2013/2
 順風満帆の「ASA」政権。脇の甘い実力者をコントロールできるか。
「私はかつて病のために職を辞し、大きな政治的挫折を経験した人間です。国家のかじ取りをつかさどる重責を改めてお引き受けするからには、過去の反省を教訓として心に刻み、丁寧な対話を心掛けながら、真摯に国政運営にあたっていくことを誓います」
1月28日午後、衆院本会議。首相・安倍晋三が演壇から所信表明演説を行った。安倍が国会で演説をするのは2007年9月10日以来。この日も首相として所信表明したが、わずか2日後に政権を投げ出してしまった。安倍にとって今回の所信表明はリベンジの舞台だった。
演説は「安倍らしさ」がない。中国、韓国などを敵視する勇ましさは影を潜め、憲法改正も訴えない。安全運転の内容だ。とかくニュースを発信することに固執し、批判されるとムキになって反論していた一度目の首相の時の「反省と教訓」が安倍を変化させている。
こんな安倍に世論は好意的だ。共同通信社が27日に発表した世論調査で内閣支持率は66.7%。6年前、失望した有権者は、当時より成長したと評価しているのだろう。
安倍も国民から「1回目と同じ」と思われた時は、終わりだと自覚している。安倍は昨年大みそかの夜、経済再生担当相・甘利明ら、頼りにする閣僚にメールを送った。
「不可能と思われた2回目の首相を担当することになりました。命がけでやります」という決意表明だった。受け取った閣僚は、安倍の決意を感じ「全力で支えます」などと返している。
安倍がものごころついた時、祖父・岸信介は首相だった。そして退陣も目の当たりにした。その後、岸は「もう一度、首相になったら、もっとうまくやれる」と語っていたが、その夢は果たせなかった。祖父、そして一度のチャンスにも恵まれなかった父・安倍晋太郎のためにも、二度目の自分は失敗できないと心に言い聞かせる。大みそかのメールには安倍の決意が感じ取れる。
だが上手の手から水が漏るように、政権下では、ほころびの目が見えるようになってきた。
安倍は1月16日から4日間の日程で、ベトナム、タイ、インドネシアの三国を訪問した。懸案のない三国を比較的ゆったりとした日程で回るのは、体調不安を抱える安倍にとっては格好の「慣らし運転」だった。
ハノイに向かう政府専用機で安倍は上機嫌だった。自衛隊のジャンパーを着てスタッフの席を回り、愛嬌を振りまいた。このジャンパーは7年前、一度目の首相の時にもらったのを大切に保管していて、わざわざ持ち込んだのだった。この後、安倍は、新しいジャンパーも受け取っている。
ハノイで宿舎に入り、少しくつろごうとしていた時、アルジェリアで邦人が拘束された、との一報が入る。「慣らし運転」は終わった。以後は、事件対応の合間に公式日程をこなすようなものだった。
安倍が外遊すると、何かが起きる。07年8月、インドなどを歴訪した際に体調を崩し、結果として辞任に追い込まれたことはよく知られている。首相としての初外遊は06年10月の中国、韓国訪問だったが、移動の政府専用機の中で、北朝鮮が核実験を強行する知らせを聞いた。期せずして今回の外遊の前も、北朝鮮が核実験を強行する可能性があったため、官邸は北朝鮮に対しては万全の備えをしていた。ところが実際は、北朝鮮ではなく無警戒のアフリカで起きた問題に振り回されることになった。
日本はアフリカ外交に弱く、独自の情報収集能力は皆無に近い。湾岸危機の頃から指摘されてきたが、今も変わらない。官房長官・菅義偉は会見で「情報が錯綜していて……」を何度も何度も繰り返し、官邸詰めの記者からは「今年の流行語大賞になるのでは」と苦笑交じりの声が漏れた。安倍が帰国を早める判断が遅れたこと。首相と外相・岸田文雄が同時に日本を離れていた時期があったこと。そして事態が緊迫する19日の夜、安倍が都内のキャピトルホテル東急の「水簾」で自民党政調会長代理・塩崎恭久、みんなの党代表・渡辺喜美らと会食を楽しんだこと……。揚げ足を取られても仕方ないようなミスを政府はいくつも犯している。民主党政権が続いていたら、集中砲火を浴びていただろう。今回、安倍があまり批判されなかったのは政権発足直後の「ご祝儀相場」が残っていたにすぎない。少なくとも安倍政権が、危機管理に強いことをアピールすることはできなかった。
「ASA」政権の火種
安倍は今回の内閣を、副総理兼財務相・麻生太郎と二人三脚で運営しようとしている。
安倍は麻生に恩義がある。07年の7月29日、参院選投開票日のこと。マスコミの出口調査では自民党の敗北が濃厚だった。元首相の森喜朗、参院会長の青木幹雄、幹事長の中川秀直の3人が極秘に会談して「安倍辞任」を決め、中川が公邸の安倍に面会に向かった。まだ投票が続く夕刻の話だ。ところが麻生は、先回りして公邸に駆けつけ「参院選は政権選択ではない」と力説。退陣論を粉砕した。続投した安倍は、結局は体調を崩し1カ月ほどで退陣するが、麻生が、安倍降ろしに体を張って止めてくれたことを今も忘れないのだ。
安倍と麻生は昨年の衆院選で、一緒に遊説する機会が時々あった。選挙戦最終盤のある日、車中で一緒になった際、麻生は安倍の膝をたたきながらこう語りかけたという。
「参院選までは、金だけどんどん刷ってりゃいいんだ。他のことは何もしなくていい。あんたが倒れたら俺が骨を拾う」
安倍は「はい、はい、そうですね」とうなずいた。積極財政派で、言葉が乱暴な麻生らしい話だが、このやりとりから「アベノミクス」の原型がうかがえる。既に2人の間では、麻生が副総理兼財務相となるのは了解事項だった。
安倍、麻生の共通の盟友が菅と甘利。麻生政権のころ「NASA」という言葉が、政界でよく使われた。麻生と、中川昭一、菅、甘利の頭文字を並べたもので、衆院解散の時期など重要な政局判断は4人が決めていた。安倍政権は、NASAのうち急死した中川を除く3人が支えている。「ASA政権」とでも言おうか。麻生は、菅や甘利の顔を見る度に「俺たち3人が支えるしかないんだから」と諭すように語る。
ところが、あろうことかその麻生自身が火種になりつつある。邦人拘束事件で、7人の邦人死亡が確認された1月21日。官邸が最も緊迫したのは、事件とは関係ない麻生の失言だった。
官邸で開かれた社会保障制度改革国民会議で麻生は高齢者の終末期医療にからみ「死にたいと思っても、生かされたんじゃ、かなわない。しかも政府のカネでやってもらっていると、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらわないと……」などと放言したのだ。
発言が報じられると、安倍は秘書官や官房副長官・世耕弘成らを集め協議。前回政権の時も、閣僚が失言を繰り返し、参院選敗北の要因となった「苦い記憶」が頭をよぎった。安倍は麻生に電話し「個人の信条は分かるが、撤回してください」と伝えた。通常、この種の連絡は秘書官を通じて行うことが多いが、首相自らが伝えたことから官邸の危機感が分かる。
麻生は夜に開かれた邦人拘束事件対策本部に赤みがかった顔で出席するのが見届けられている。酒を飲んでいたのか直接確かめる者はいなかったが、脇の甘い実力者との間合いには、安倍も苦労することになるだろう。
麻生といえば、産業競争力会議の一員になった慶応大教授・竹中平蔵との確執も火種だ。2人の対立は小泉政権時にさかのぼる。首相・小泉純一郎の威光を背に郵政民営化など進めた竹中に対し、政調会長、総務相などとして党内世論に配慮する立場にあった麻生は反目した。
今回、安倍政権発足にあたり、竹中は入閣や日銀総裁への起用も取り沙汰された。麻生は反対だった。結局、競争力会議の一メンバーという「格下」のポストで落ち着いた。
だが、麻生はもちろん、自民党内の多数派は今も竹中に冷たい視線を向ける。競争力会議の初会合が首相官邸で行われた23日、自民党で開かれた政調全体会議では「政府の会議から竹中を外せ」という声が響いていた。竹中は、平然とした顔で「私のことを嫌っている人がたくさんいるのは知っているから、小泉さんに相談した。そうしたら『どんどん正論を吐け。それを受け入れるかどうかは政治の責任だ』と励まされた」と反論。これがまた反竹中勢力を刺激する。
安倍が掲げる財政政策・金融緩和・成長戦略の「3本の矢」のうち成長戦略は、競争力会議にかかる。経済・財政の司令塔・麻生と、競争力会議の主要メンバーの確執が広がれば3本の矢は空中で折れてしまう。
命運を握る「前哨戦」
今年前半の政治日程で最重要なのは7月21日に予定される参院選だ。自民、公明の両党が参院でも多数を確保してねじれを解消すれば、政権の安定度は増す。そのためには両党で64議席が必要。公明党の議席が10と仮定すると自民党は54議席を確保しなければならない。この数字をクリアしたのは01年以来ない。高いハードルだ。安倍も、ハードルを強く意識している。憲法改正などの持論を封印しているのも、参院選での公明との共闘を優先しているからだ。
安倍は参院選を、ねじれの解消の機会としてだけでなく、長期政権へのパスポートと捕らえている。参院選を乗り切れば、3年間は大型国政選挙はない。長期政権が現実味を帯びる。
安倍は一度目の時、自民党総裁を2期務め首相を6年続ける目標だったが、あっけなく頓挫した。今回こそ6年間続け、自分の手で憲法改正を実現しようと夢見る。岸は晩年、こうも語っている。「政治家というものは、地位にかじりつく必要がある」
だが安倍は、参院選と相性が悪い。9年前、幹事長で指揮を執った時は民主党に後れをとり、首相の時は惨敗した。
今回の参院選で安倍を支えるのは、安倍とのすき間風がささやかれる幹事長・石破茂。2人は20日夕、首相公邸で会談した。サシの会談は政権発足後初めて。「電話やメールで頻繁にやりとりしている」というが、首相と幹事長の会談がニュースになること自体、普通ではない。
2人のさざ波は政権が発足した昨年12月26日夜に始まったという説もある。東京・紀尾井町のホテルニューオータニで石破は、同年9月の総裁選で自身を応援した議員約50人を集めて打ち上げを行い「困ったことがあったら何でも言ってほしい。ここに来た人は責任を持って絶対次に当選させるから」と気炎を上げた。「次」を見すえた動きと取られかねない会合だった。
内閣を切り盛りする麻生が早くも弱みをみせ、党の要役・石破と安倍の関係は微妙……。支持が高い間はいいが、下降線になるとほころびは大きくなる。
衆院選で壊滅的な敗北を喫した民主党。新代表・海江田万里と幹事長・細野豪志のコンビで立て直しを目指す。2人の関係は長い。細野は学生時代、海江田の選挙を手伝い、政治と出会った。以来、20年来のつきあいだ。「3・11」の後は、海江田が経済産業相、細野が原発担当の首相補佐官として不眠不休で対応にあたった。
民主党も参院選に生き残りを賭ける。候補者の決まっていない選挙区も多いが、衆院選で敗れた閣僚経験者らを多く抱えているため、候補者探しには苦労しない。元農相・鹿野道彦、前財務相・城島光力らのくら替え出馬も噂される。
だが海江田は「参院選前の都議選が命運を握る」と党幹部にゲキを飛ばし続けている。6月23日に行われる都議選は、国政にも影響を与えることが多い。特に12年に一度、都議選の直後に参院選が行われる巳年は、注目度が高まる。12年前の都議選で自民党は勝ち参院選でも勝った。24年前はその逆だった。
民主党が都議選でも後退すると、もう参院選での浮上は絶望的になる。前哨戦に勝つのが唯一の生き残り策なのだ。東京都選出の海江田らしい判断ではある。
背水の陣の民主党に立ちはだかるのが、都議選を踏み台にして参院選で飛躍しようという維新の会、みんなの両党だ。両党は参院選に向けた選挙協力のモデルケースを都議選でつくろうとしている。(1)定数1か2の選挙区は候補を一本化する(2)定数3以上の選挙区はそれぞれ候補を擁立して競う(3)選挙後、統一会派を組む――というシナリオもささやかれる。昨年衆院選の東京比例得票率は、維新とみんなを合わせると3割を超え、民主はもちろん自民党をもはるかに上回る。選挙協力が機能すれば民主党は大打撃を受け、安倍の長期政権戦略も狂う。
安倍は最近、酒を飲む。以前は乾杯の時、ビールに口をつける程度だったが、水割りやワインを2杯程度は飲み干す。「こんなにうまいものだったんですね」などと軽口たたきながら。健康をアピールするパフォーマンスの一環でもある。
気が張っていて、政権運営がうまくいっているうちはいいだろう。だが悪い方に回り始めると疲労とストレスは蓄積される。実際、アルジェリア対応で忙殺された三国外遊の終盤の安倍は、あきらかに疲れ切っていた。
これから数カ月後、参院選を前にしたころ、安倍が明るくグラスを傾けていられる体力を維持できるかどうか。周辺は気をもんでいる。  
永田町に甦る“大乱世の梶山”流 2013/4
 安倍官邸を仕切る官房長官・菅義偉は「現代の梶山静六」になれるのか。
安倍内閣が発足して約3か月がたった3月23日。首相・安倍晋三は神奈川県茅ヶ崎市内の名門ゴルフ場、スリーハンドレッドクラブでプレーを楽しんだ。桜は満開、同行したのは経済産業省から安倍の下に駆けつけた政務秘書官・今井尚哉ら官庁出身の秘書官たち。日銀総裁人事は国会承認され、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加表明も片付いた。7月参院選までの大きな2つの課題をこなした安倍は「花がきれいで、気持ちよくやれた」とご満悦だった。
ハネムーン期間の3か月を終えても、内閣支持率は高止まりし、景気も上向き。安倍に、今のところ死角は見当たらない。
そんな春爛漫の中での安倍のゴルフは、政権が好調な3つの要因をくっきりと反映している。
まず第一は「復活した」と胸を張る日米同盟関係。ゴルフを首相在任中もプレーするきっかけとなったのは米大統領、バラク・オバマなのだ。
話は昨年末にさかのぼる。初めてオバマとの電話会談に臨もうとした安倍は、先方の都合でかなりの待ち時間ができた。手持ち無沙汰の間、ワシントン勤務の経験がある外交官たちは、オバマがいかにゴルフが好きか、いかに毎週のように首都ワシントン郊外のアンドリュース空軍基地内のゴルフ場でプレーしているかを安倍に伝えた。「へえ、そうなのか。じゃあ、俺もやろうかな」。乗り気になった安倍は年が明けると、ゴルフを再開した。「ゴルフ」は2月の首脳会談の隠し味にもなり、オバマが「今度一緒にラウンドしよう。ただし、ゴルフが上手いこの人は抜きで」と副大統領、ジョー・バイデンを指して大笑いになった記憶も新しい。
そもそも、安倍が3月に満開の桜のもとプレーしたスリーハンドレッドクラブは祖父、元首相・岸信介が元大統領、ドワイト・アイゼンハワーとプレーしたバーニング・ツリー・ゴルフクラブにならったゴルフ場でもある。「強い日米同盟」は、ゴルフと強くリンクしているのだ。
2つ目は、安倍が気のおけないプレー仲間として選んだのが今井たち官僚出身の秘書官であるということだ。
「オバマのゴルフ好き」を伝えた外務審議官・斎木昭隆、政務秘書官の今井、同じく安倍とラウンドした秘書官・柳瀬唯夫ら経産省組が、安倍に近い筆頭格の官僚たちだ。外務省と経産省はTPPの事前交渉でも連携し、秘密を外部に漏らさなかった。そこに政治家代表として加わる官房副長官・加藤勝信も旧大蔵省OB、官僚出身だ。「根回しはお前たちがしろ」と無理難題をふっかけた民主党政権とは異なり、役人の生態を熟知する加藤は自ら携帯電話とメールを駆使し、要所に根回しする。「昔のやり方、普通に戻った」と霞が関の官僚たちが安堵する所以だ。
TPP問題も、政権に就いてからの斎木たちの粘り強い進言がモノをいった。「オバマと1月に会談できないと分かったときは残念だったけど、今にして思えば準備する時間がとれてよかった」と安倍は周辺に語り、外務省への感謝を隠さない。
第1次内閣当時の安倍は、前任者の元首相・小泉純一郎の存在に引きずられ、「政治主導」と気負いすぎていた。だが、今度の比較対象は民主党政権。「普通」にやっているだけで、世間の評価は「よくやっている」となる。
理想像は梶山静六
良好さを演出する日米関係と、円滑に動く官僚機構をベースに、内閣では2人の大物政治家が安倍を助ける。官房長官・菅義偉と副総理兼財務相・麻生太郎だ。
「夏の参院選に勝って初めて、政権交代が完成する」が口癖の菅は、政治の師と仰ぐ元官房長官・梶山静六を、理想像にあげる。梶山は大向うを唸らせる政治的な大技と、緻密な日程づくり、大胆な政策で名をはせた。いまや一般的な用語となった政治日程を示す「工程表」とは、もともとは梶山が国会カレンダーをつくる時に好んで使った表現である。梶山は決断が必要な部分以外は官僚に任せ、一喝すべき時は一喝した。
菅は官僚たちの駆け込み寺にもなり、調整が必要な案件なら「俺に任せろ」と引き受ける。安倍が首相官邸に登用した民間人たちの「ご意見拝聴」係もつとめる。慶応大教授・竹中平蔵は、放っておけば政権批判に回りかねないとみて産業競争力会議のメンバーに取り込んだ。菅と竹中は小泉内閣の総務副大臣、総務相以来の仲である。「総理の指導力をアピールするために、内閣にもめ事をつくり、総理決断の舞台を設定した方がいい」と物騒なアドバイスをする竹中を、菅は「内閣支持率が高いから、そんな必要はない」と軽くいなす。ここでも、政治主導・官邸主導を印象づけた小泉の“呪縛”から解放された政権の姿がある。
菅は野党の頃から付き合いのある日本維新の会国会議員団幹事長・松野頼久とのパイプもつなぎ、民主党政調会長・桜井充ら馴染みの薄かった野党幹部とも精力的に会談する。縦横無尽に与野党議員に人脈を持った梶山譲りの動きだ。
官僚ラインが練り上げた政策を土台に国会の折衝は政治家が担う方針は、鳴り物入りで起用されたはずの内閣官房参与の使い方でも分かる。元外務事務次官・谷内正太郎はTPP交渉の実務には立ち入っておらず、元財務事務次官・丹呉泰健は日銀総裁人事に関与していない。小泉の元秘書官・飯島勲も、官邸の入館カード整理にいそしむ。「小泉内閣の人材を活用する」のは、潜在的な批判勢力を抑え込むカモフラージュでもあった。
梶山が遺言として残した著書『破壊と創造』を、菅は官房長官執務室に持ち込んで拳々服膺(けんけんふくよう)する。副長官の加藤と官僚チームの上に乗る菅は日々、安倍に接して直言する役回りも演じる。これも梶山が元首相・橋本龍太郎に仕えた当時、自らに言い聞かせた日課であった。
「まるで太子党だ」
そして安倍の守護神となった麻生がいる。スリーハンドレッドクラブでのプレー前日の3月22日、麻生は東京・富ヶ谷の安倍の私邸を夜遅く訪ね、1時間半以上も2人で密談に及んだ。下手をすれば命とりになりかねなかった日銀総裁人事も、麻生の「組織運営の経験がない人が日銀を動かすのは難しい」との助言に配慮し、大蔵省OBの元財務官・黒田東彦に落ち着き、無事に国会も通過した。節目節目で、麻生は安倍の精神安定剤の役割を果たしている。
麻生が「ポスト安倍」に野心満々なのは安倍も十分に承知している。それでも蜜月な2人の関係を、ある経済人は「まるで中国の太子党だ」と評する。国家主席・習近平を支える太子党グループとは、共産党高級幹部の子女たちを指す。岸と元首相・吉田茂を祖父に持つ2人の毛並みの良さからくる同胞意識には、余人にうかがいしれない強さがある。
もう1つ忘れてはならない要素がある。外側から安倍政権を支えているのは、野党第1党、民主党の致命的なまでの弱さだ。首相が2度も3度もゴルフすれば、第1次安倍内閣の頃なら「危機管理上、問題だ」との批判が野党から出て、一定の支持を得たに違いない。ところが、今回はそんな声すらあげられない。
3月27日。民主党最大の支持団体、連合の古賀伸明会長は敵地だったはずの自民党本部に足を運んで幹事長・石破茂に「政労トップ会談実現を」と懇願した。夏の参院選で自民党が「31ある1人区で全勝」との調査結果まで出ている。民主党の敗北は織り込み済み。古賀は「選挙の後、誰を担ぐかっちゅう問題が出てくるやろ」と、早くも代表・海江田万里の退任論にまで言及している。
自民党が圧倒的に有利との声に、参院選挙区の候補が決まらない地区も多い。元代表・前原誠司らが必死になって前回衆院選で落選した前議員を口説くが、落選を嫌がってなかなか前向きの返事が得られない。「民主党が1人区で勝てるのは元代表・岡田克也の地元三重と、あと1つくらい」だからだ。
代表辞任どころか、参院選後の遠くない時期に民主党は分裂、消滅するだろうというのが、いまや永田町の常識なのだ。
新進党と重なる民主党
局面打開には野党が共闘するしかない。だが、連合を媒介とした野党協力には日本維新の会、みんなの党は乗ってこない。民主党の最終兵器と目された幹事長・細野豪志は、いったんは「脱連合依存」を提唱しながら日教組のドン、参院議員会長・輿石東に「その方針はまずいぞ」と叱られるや、たちまち「連合との連携は極めて重要だ」と軌道修正した。連合と輿石を重視するなら、維新・みんなとの連携は諦めざるを得ない。
一方で、生活の党代表・小沢一郎と協力すれば、民主党は選挙前に空中分解してしまう。どちらにも進めないジレンマが細野にはある。
だからこそ小沢は「このまんまじゃ民主党は参院選で10議席しかとれない。どうして簡単な足し算ができないんだ」「細野は何をやってんだ。政党間の協力は幹事長の仕事だ」といら立ちを隠せない。このままでは自分も民主党も沈んでしまうことは、過去の経験が教える。1994年、小沢が中心となって非自民勢力を結集した新進党は内紛を抱え、第3勢力だった民主党の追撃もあってあえなく解党した。
いまの政治状況に置き換えれば新進党が民主党で、当時の民主党は維新になる。維新は着々と「第2極」への布石を打つ。
3月26日夜、東京・羽田空港ターミナル内にある中華料理店「赤坂璃宮」で維新幹事長・松井一郎はみんなの党幹事長・江田憲司と向かい合った。大阪府知事としての公務もあり、大阪へとんぼ返りしなければならない松井が指定した場所に江田が出向き、参院複数区での選挙協力を詰めたのだ。
みんなの側には江田と代表・渡辺喜美の対立があり、渡辺は江田を「選挙協力の権限を持っていない」と当て擦る。維新の側にも前東京都知事・石原慎太郎を筆頭とする旧太陽の党と松井、共同代表の大阪市長・橋下徹との間に温度差がある。いずれにせよ、橋下ら大阪勢は維新を中心とした野党再編に、前原や岡田、前首相・野田佳彦ら民主党からの非労組脱藩組を巻き込む戦略を描く。
折しも3月25、26の両日、昨年の衆院選での「1票の格差」に関する訴訟で広島高裁、同岡山支部が相次いで「違憲、選挙は無効」の判決を出した。国会周辺では「今夏の衆参ダブル選」さえ囁かれる。待ったなしとなった選挙制度の抜本改革が進めば、必ずや政界再編を伴うのは、20年前の小選挙区制導入とその後の推移をみれば歴史の必然でさえある。永田町の関心は、与野党とも既に7月の参院選後に向いている。
「参院選で親の敵を討つ」
安倍内閣の剣が峰は、むしろ「選挙後」にある。
内閣の大番頭、菅が言う「参院選に勝って政権交代が完成する」は、裏返せば参院選で与党が過半数を制して「ねじれ国会」が解消すれば、自民党の低姿勢も終わることを意味する。安倍が憲法改正や集団的自衛権の行使など自らのカラーが強い政策の実行に踏み出せば、いまは鳴りを潜めている公明党も動き出す。自民党では内閣改造・党役員人事をにらんだ猟官運動が激しくなり、これまで我慢してきた予算や政策への口出しも始まるのは避けられず、官僚との関係はまた大きく変わる。「過半数に1、2議席届かない結果ぐらいの方が、謙虚さが持続して良い方向に転がるんだが……」。あるベテラン官僚の言葉が、霞が関の不安を物語る。
袖の下の鎧は見え始めている。3月25日夜、東京・平河町の赤坂四川飯店に「郵政選挙」での初当選組約30人を集めた会食の席で、安倍は「参院選は親の敵を討つものだ。これに勝たなければ、死んでも死に切れない」と一席ぶった。「親の敵」は、このところ安倍が好んで使う表現だ。「勝つ自信があるからだろうが、大丈夫かな……」と出席者の1人は独りごちた。
驕りが出れば政界、一寸先は闇だ。仮に苦言を呈してくれる菅をも遠ざけるようになれば危険信号だ。菅が師と仰ぐ梶山の言葉に耳を傾けなくなった橋本が政権の座から滑り落ちたのは梶山の官房長官退任から、1年もたっていなかった。
スリーハンドレッドクラブでのプレーと、前後数日間の出来事は、安倍内閣を取り巻く事情を象徴している。
潮目が変わるのは7月21日、参院選当日である。 
「新・三本の矢」に狙われる公明党 2013/5
 参院選後へ向けて突き進む安倍に“下駄の雪”はどこまでついていくのか。
4月20日朝、東京都の新宿御苑。「日本語を学んでいるインドネシアの若い人たちが、『桜よ』という歌をつくって贈ってくれました。こういうフレーズがあります。『桜よ咲き誇れ、日本の真ん中で咲き誇れ、日本よ咲き誇れ、世界の真ん中で咲き誇れ』。安倍政権としては、日本を世界の真ん中で咲かせるためにこれからも全力をつくしていきたい」恒例の「桜を見る会」に出席した安倍晋三首相は、約1万人の招待客を前に終始、上機嫌だった。
「参院選までは経済だけやる」を合言葉に、ここまで高い内閣支持率を維持することに成功してきた安倍は、いよいよ「参院選後」を見定める。「親の仇」と力の入る参院選で与党過半数を獲得した暁には、これまで“封印”してきた安全保障や憲法改正という「戦後レジームからの脱却」へと突き進むハラだ。
だが、順風満帆に見える安倍政権の足元には、小さな「亀裂」が走っている。
まるで政権の行く末を暗示するかのように、この日の空は鈍く曇り、桜はほとんど散ってしまっていた。
米国との溝
「亀裂」のひとつは、日米関係である。
安倍の思い描く「世界の真ん中で咲き誇る日本」を実現するために、外交・安全保障面で中核となるのが、日米同盟であることは言うまでもない。2月に行われた日米首脳会談では、両国の蜜月を“演出”したが、内実は異なる。
両国に横たわる溝が露呈したのは、4月中旬の北朝鮮による一連の“ミサイル発射騒動”への対応をめぐってだった。
4月15日午前、首相官邸。この日は、北朝鮮の故・金日成国家主席の生誕100年にあたり、この日に合わせて、ミサイルが発射される可能性があった。
「北朝鮮が極めて挑発的な言動を繰り返し、緊張を高めていることは容認できない。日米で断固とした対応を取り、我が国の安全に万全を期していくことが大変重要だ」
韓国・中国歴訪後に来日した米国のケリー国務長官に安倍はこう力説し、拉致問題についても「自分の政権で完全に解決を図りたい」とアピールした。
だが、「断固とした対応」を唱える安倍に対して、ケリーは「対話」の重要性を繰り返し説くばかり。官邸筋は「両者の溝は覆い隠せなかった」と明かす。
来日前に訪れていた韓国で朴槿恵大統領と会談したケリーは、朴が「非核化という前提条件を付けない対話」に前向きな姿勢を見せたことを「大変歓迎すべきだ」と評価していた。これに対して日本政府内では「脅しに屈する外交が先例となれば、北朝鮮に主導権を握られる」(外務省筋)との懸念が広がっていた。
実際に安倍との会談でケリーが「対話」を繰り返したことで、官邸サイドは、対北朝鮮をめぐって「日米が対話重視で一致」という報道が先行しかねないと警戒。世耕弘成官房副長官が夜回りの番記者に、次のような非公表の会談内容をリークした。
――安倍は約1時間の会談終了間際、ケリーに対して恫喝外交で食料援助や重油提供を引き出してきた北朝鮮の過去を列挙し「対話と言っても、これまで北朝鮮には何度も裏切られてきた。それは忘れないでほしい」と念押しした――。
会談後、日本政府内では、「ケリーは東アジア情勢に詳しくない」との声も漏れたが、これは必ずしも正しくない。
ケリーが融和的な発言をする背景には、昨年12月に北朝鮮が長距離弾道ミサイル「テポドン2号」の改良型を発射して以降、ワシントンで「北朝鮮脅威論」が台頭していることがある。
北朝鮮の暴発だけは何としても避けたいという米国の基本姿勢の微妙な変化を日本政府内で理解する者は少ない。
日米同盟を基軸として、北朝鮮、中国に毅然とした対応を志向することで国民の支持を得たい安倍と、東アジアの流動化は避けたい米国。両者の溝は、安倍政権の外交・安全保障戦略の根幹を揺さぶりつつある。
「新・三本の矢」
一方で、内政面でも「亀裂」はある。
最近、安倍と官房長官の菅義偉の周辺では、「集団的自衛権の行使」「憲法96条改正」「道州制導入」を「新・三本の矢」と称するネーミングが生まれている。元祖「三本の矢」が景気刺激、経済回復を狙いとしたのに対して、この「新・三本の矢」が狙うのは、政界再編である。
そして、結果的にではあるが、その矢の先に立たされることになるのは、連立を組む公明党なのである。
「明日、日本維新の会の橋下徹が、安倍首相とも会うようだ。憲法改正について協議するのではないか」
4月8日夜、公明党幹部は降ってわいた「安倍・橋下会談」についての情報収集と確認作業に追われた。
もともとは、9日にJR大阪駅北側の再開発に関する要望を受けるため、菅が橋下と会う予定になっていたが、菅が安倍に「明日、橋下代表が私のところに来ます。時間があったら会いませんか」と持ちかけたことで、急遽、実現させたものだった。
翌9日に行われた会談では、公明党の分析通り、安倍と橋下は、憲法96条で定めた憲法改正の発議要件を、現行の衆参両院議員の「3分の2」以上の賛成から「2分の1」以上の賛成に緩和すべきだとの認識で一致した。
もっとも安倍と菅にとって会談内容はそれほど重要ではなかった。重要なのは、「安倍と橋下が官邸で会談する」という事実だけだった。菅は「会うだけで、後は勝手にマスコミが書いてくれる」と周辺に漏らした。
その最大の目的は、「96条改正」を、参院選の目玉として、既定路線にしてしまうことにあった。
安倍と菅の念頭にあるのは、参院選勝利後の、「憲法改正」「道州制導入」を基軸とした日本維新の会、みんなの党との連携だ。そしてその先には「自民・公明」から「自民・維新・みんな」への政権枠組みの変更も視野に入る。
参院選の結果によっては、公明党は安倍から切り捨てられる可能性があるのだ。公明党が先の安倍・橋下会談の行方を警戒するのも当然だろう。
安倍が連発した「宿題」
一連の安倍政権の動きの背景にあるのは、外交・安全保障や憲法をめぐる両党のスタンスの違いだ。
象徴的だったのは4月19日に政府が閣議決定した在外邦人救出の活動対象を広げる自衛隊法改正案をめぐる駆け引きだ。この改正案は1月のアルジェリア人質事件を受け、自公が法改正を検討し、3月に安倍へ提言したもの。緊急時に在外邦人を救出するため、自衛隊による陸上輸送を可能とする内容で、これまで飛行機と船舶に限定していた在外邦人の輸送手段に車両を追加する。
もともと自民党は野党時代の2010年から、現地の安全確認がない場合でも、自衛隊が陸上輸送を含めて邦人避難のための輸送を担える自衛隊法改正案を国会へ提出していた。当時の改正案では武器使用基準も正当防衛など「合理的に必要と判断される限度」と規定し、これを大幅に緩和する方向だった。
今回の法改正においては、輸送条件については、防衛相と外相が事前協議して「安全が確保されていると認めるとき」から「予想される危険と、危険を避ける方策を協議し、安全に輸送できると認めるとき」との表現に改めて明確化を図った。公明は「安全」との言葉を必ず明記するよう譲らなかった。武器使用権限についても、公明の根強い慎重論に配慮して、緩和されなかった。
結果的に公明の主張が認められた格好だが、この法改正の根底には、「憲法9条」をめぐる問題が横たわる。公明党が「派遣先で他国の軍隊と協力すれば、憲法解釈で行使を禁じる集団的自衛権の問題に突き当たる」と指摘したとおり、たとえ邦人救出が目的ではあっても、危険地帯であれば、自衛隊が戦闘に巻き込まれる可能性は否めないからだ。
4月16日の衆院予算委員会。
「自衛隊が任務を遂行するための使用ができないわけだから、自衛隊法改正案にはさまざまな課題、宿題が残ったのは事実だ。武装勢力によって邦人が襲撃を受けている際、遠く離れて自衛隊の保護下にないと判断された場合には救出に行けない。当局の警察を呼ぶかあるいは軍隊組織を呼ぶかしかない。自衛隊がそういう能力と装備を持っていながら、できないというのは最高指揮官として忸怩たるものがあるだろう」
安倍は民主党の長島昭久前防衛副大臣から在外邦人救出の際の自衛隊武器使用について問われると、こう答え厳しい表情を隠さなかった。安倍が連発した「宿題」の言葉には新たな連立枠組みも視野に入れた改憲への意欲が含意されているのは間違いない。
安倍の“公明党嫌い”
「僕、山口(那津男)さんは苦手なんだよなあ。形式的なことばかり言うんだもの」
安倍は側近の1人に電話口でこう漏らしたことがある。
側近が「今は参院選に勝つことが何より大事なのだからとにかく意志疎通を緊密にして下さい」と釘をさすと、安倍も「わかっているよ」と応じたが、本音が「苦手」という言葉にあることには変わりはなかった。
山口は、公明党内でも「原理主義者」と呼ばれ、木で鼻を括ったような話しぶりは評判が悪い。記者会見などでは「(憲法改正は)政権合意の枠外にある話だ。連立政権で取り組む課題では必ずしもない」「優先課題を間違えずに国民の期待に応えるべきだ」。いっそう強い口調で「平和と福祉の党」の原理原則で安倍を牽制する発言を繰り返す。山口は衆院選の最中には「憲法の柱を守ることが重要だ。はみ出したいなら限界が来るかもしれない」とまで発言している。
その背景には、支持母体「創価学会」の意向がある。今年1月に東京・巣鴨で行われた衆院選後初となる創価学会の本部幹部会。
「公明党は平和・福祉の党として庶民のための政治の実現に邁進し抜いてもらいたい」
原田稔会長は、山口ら出席していた公明党執行部にこう強く要求した。学会の覚えがめでたいことで現在のポストにある山口は、学会の意向に沿った発言をせざるをえないのである。
一方の安倍は、そもそもが“公明党嫌い”だ。
かつて公明党が小沢一郎らと組んで自民党を野党に追い落としていた頃、自民党の亀井静香らが、反学会の学者・文化人を集めて「四月会」なる組織を結成、学会・公明党への攻撃を執拗に繰り返したことがあった。当時は安倍もこれに参加した。山口県下関市の安倍事務所には「四月会」制作の池田大作の糾弾ビラが山積みになっていたこともある。自公連立政権の発足後も親しい議員らには「自民党がきちんと保守の旗を立てて戦えば、公明党の支援など当てにしなくても勝てるんだよ」と繰り返していた。
「ポスト池田」をめぐる争い
公明党にとって唯一の強みは、ことあるごとに「参院選は親の仇。今度の参院選で勝利してこそ本当の政権交代になる」と力説する安倍にとって、参院選までは学会からの支援は喉から手が出るほど欲しいという点だ。
だからこそ山口は、参院選前の今こそ、安倍が目指す集団的自衛権の行使を可能にする解釈改憲や憲法改正問題等でことさら批判的な発言を繰り返し、学会員、とりわけ婦人部に「平和の党」の代表であることをアピールするのだ。
ポイントは、仮に参院選の結果、自民党が参院で単独過半数を確保し、躍進した維新、みんなの党との連携を重視して憲法改正に突き進んだ時、公明党は「平和の党」の看板を旗印に、連立離脱に踏み切る覚悟を決めるかどうか、だ。
その判断に影響を与えそうなのが、「ポスト池田」をめぐる争いだ。
学会の最高指導者である名誉会長の池田大作は事実上、指揮を取れない状態にあると見られている。根城にしている信濃町の創価学会第2別館で幹部たちに会ったり、ごく稀に海外からの訪問者に会ったりはしているが、病気で組織の重大決定には関与できない状態にあるのではないか。
当然、学会内では「ポスト池田」が最大の関心事となっているが、組織拡大が行き詰まりを見せている昨今の学会においては、国政選挙でどれだけ成果を上げたかが、「ポスト池田」をめぐる争いにおいて、最も重要な指標になっているといわれる。
「ポスト池田」の大本命といわれ、実質的に選挙を仕切る事務総長(副会長)の谷川佳樹は、池田後継の地位をより確実なものにするためにも、自民党との連立を維持し、選挙でも自民党と協力して戦うべきだと考える可能性が高い。
一方で、実は学会内では民主党が大勝した4年前の政権交代選挙の頃から、「小選挙区撤退論」が燻り続けている。
小選挙区から撤退し、比例代表に絞れば、自民党との全面的な選挙協力も必要ない。小選挙区での議席確保のため、長年、自民党との全面的な選挙協力を行ってきたことが学会員を疲弊させ、組織にとってはマイナスの方が大きいとの意見は以前からあった。ここにきて再び、自民・民主両党から一定の距離を置いて第3極として存在感を発揮した方が得策だとの主張が広がりつつある。ある公明幹部は「小選挙区で議席獲得を目指すのはもう最後にしたい」と漏らしている。
踏まれても蹴られても自民党に付いてゆく「下駄の雪」と揶揄されて久しい公明党。参院選後に正念場がやってくる。 
安倍圧勝「6年間長期政権」シナリオ 2013/8
 国会より選挙の方が楽……美酒に酔う安倍の周囲は落とし穴だらけ。
「前回とは、まったく違う選挙だったね」
「親の仇」とまで称した参院選に圧勝した首相・安倍晋三は投票日翌日の7月22日夜、感慨深げに振り返った。首相官邸にほど近いザ・キャピトルホテル東急にある日本料理店「水簾」に集めたのは、惨敗して無念の退陣に追い込まれた6年前の参院選をともに戦った第1次内閣の秘書官たち。「国会より選挙の方が楽だった」「これから引き締めていかないと」。首相秘書官・今井尚哉、財務省主税局長・田中一穂、内閣情報官・北村滋らとの勝利の宴は1時間を超えた。
参院選は危なげのない運びで、番狂わせのない予想通りの勝ち方だった。秘書官たちとの美酒に酔う数時間前には、党本部での記者会見で「新しい自民党に生まれ変わった」と宣言した。だが古来、戦いは「勝って兜の緒を締めよ」と言われる通り、圧勝した時こそ落とし穴が待っている。
「新しい自民党」を宣言した安倍のように、1986年の衆参ダブル選挙に大勝し「自民党は左にもウイングを広げた国民政党になった」と自賛した首相・中曽根康弘は長期政権を夢見たが、すぐに売上税の問題でつまずき、総裁任期の延長も1年にとどまった。「1年や2年ではなく6年かけないと、憲法改正などの宿願は達成できない」と漏らす安倍の周囲にも、いくつもの罠が待ち受ける。それは参院選当日から1週間ほどの政界の動きを見ても明らかである。
1つ目は来年4月から消費税を予定通り8%に引き上げるかどうか、だ。
参院選投票日の7月21日昼、安倍は副総理・財務相の麻生太郎と向き合っていた。「このままでは独裁者になりますよ。謙虚にゆかないと」と語りかける麻生に、安倍は「そうですね……」と答えるばかりだった。モスクワで開いていた主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議から帰国してすぐ、麻生が安倍と食事をともにしたのは、今後の政局への対応と「アベノミクス」をめぐる国際的な評価を伝えるだけではない。消費税率の引き上げと財政再建が、国際公約になっている重要性も刷り込んでおく意味合いがあった。
安倍は選挙戦終盤から「消費税はよほどの対応策を考えなくては、消費が落ち込む」と思案していた。参考となるのは1997年、消費税を3%から5%に引き上げた橋本龍太郎政権の対応だ。橋本内閣は消費増税による国民負担増に金融危機が重なり、参院選に大敗して退陣した。長期政権を目指すには、橋本内閣の二の舞を演じてはならない――。安倍は当時の政策効果を検証するよう関係部局に指示を出した。これを聞いた麻生は、消費増税を予定通り実施することを訴える必要性を感じたのだった。
麻生との食事がきいたのか、投票日21日夜にハシゴ出演したテレビ各局のインタビューでは「財政再建は重要だ」「財政は市場もみている」と財政再建に理解を示してみせた。だが翌22日、党本部の記者会見では「デフレ脱却に向けて経済政策を進める。強い経済がなければ、社会保障の財政基盤を強くすることもできない」と表明。「強い経済」実現の方に力点を置いて発言した。
「これはまずい」。財務省の危機感は募り、首相会見翌日の23日、麻生が閣議後の記者会見で「増税は法律に書いてある。国際公約に近いものになっている」と力説し、来年1月召集の通常国会には補正予算案を提出して、消費税引き上げの影響を最小限にとどめる案も提示した。
だが「国際公約」「来年1月の補正」は、財務省事務方が推進している案でもある。「国際公約だ。引き上げを見送れば大変なことになる」との論法は安倍の民間ブレーンたちからも「財務省の脅迫じみたやり方だ」と評判が悪い。一方、予定通り増税なら、「秋の補正は不可欠」と考える一派からすれば、1月の補正はあまりに定石通りで、官僚臭が漂いすぎるのだ。
米国が抱く安倍への懸念
こうした状況に安倍と内閣の大番頭、官房長官・菅義偉は「大蔵省の言うことは昔も今も信用できない」との感情を抑えきれない。「1年に1%ずつ、あげるやり方もある」「財政再建の道筋を示す中期財政計画も、消費税上げを決め打ちして8月に閣議決定するのはおかしい」との2人の意向が漏れはじめる。
経産省も「来年4月以降の落ち込みが心配だ」と進言した。
財務省は24日、陣立てを整えて安倍の下に向かった。麻生を筆頭に事務次官・木下康司、主計局長・香川俊介、主税局長の田中、総括審議官・浅川雅嗣。財務省オールスターによる協議は1時間以上に及んだ。安倍は財務省の説明には納得しない。結局、官邸側が譲歩したのは「中期財政計画の策定自体を先送りするのは難しい」と、閣議決定はしない暫定案にとどめる折衷方式。曖昧さは増すばかりとなった。
消費増税にこれだけ焦点があたるのは、裏返せばほかに経済政策の「タマ」が見当たらないからでもある。アベノミクスを構成する「異次元の金融緩和」「財政」「成長戦略」の3本の矢は、すでに放ったあとだ。追加の成長戦略も、法律と予算を伴って実現するための本格的な臨時国会は10月になる予定で、8、9の2カ月は来年度予算案のシーリング策定以外、空白となる。
落とし穴は経済だけではない。“得意技”のはずの外交にも潜んでいる。
参院選から5日後の7月26日午後、シンガポールの高級ホテル、リッツ・カールトンで安倍は米副大統領、ジョセフ・バイデンと会談した。安倍と同じ時期に東南アジアを訪問する予定のあったバイデン=ホワイトハウス側からの打診だった。
会談は型通りに日米同盟の重要性を確認し、安倍は防衛計画の大綱見直しや、米国にならった日本版NSC(国家安全保障会議)の設置は「日米同盟の強化につながる」と語りかけた。だが、米側の真の懸念は、安倍政権が中国、韓国と緊張を激化させる方向へ動いていることにあった。
バイデンには苦い記憶がある。4月、ワシントンを訪れて会談した内閣ナンバーツー、麻生は日本に帰国するや否や靖国神社を参拝し、中韓との緊張緩和を直接、伝えたバイデンは愕然とした。バイデンの「緊張緩和の措置をとるべき」との言葉には、「あんなことは二度とないように」とクギを刺す意味が込められている。バイデン=ホワイトハウスが安倍に会談を申し入れたのは、選挙に勝って一段と同盟を強化しようという肯定的な面だけでなく、中韓との関係改善を安倍がどこまでやる気なのかを「瀬踏み」するためでもあった。
バイデンの要請も踏まえ、安倍は「常に対話のドアは開いている」と応じ、前提条件なしの日中首脳会談実現に意欲を示した。だが「前提条件なし」は、中国と韓国からみれば「歴史認識発言も不問に付せということか」になる。「韓国は日本に引き付け、中国と分断する」との伝統的な戦略に従い、7月に実施した韓国外相・尹炳世との外相・岸田文雄、外務事務次官・斎木昭隆の会談も不調に終わった。斎木は7月29日に訪中し、日中関係の打開を探る構えを示した。だが、官邸にも外務省にも成算はない。米国、中国、韓国との外交は、一歩誤れば安倍の致命傷になりかねない。
もう1つ、懸念すべきは党内の動きだ。
「内閣改造は小幅なのか」「俺たちはどうなる」。選挙直後、人事についてはっきりした方針を安倍が示さず、「党3役は全員留任」との情報も流れ、自民党内には戸惑いと怒りが交錯した。
「幹事長・石破茂の続投はともかく、政調会長・高市早苗まで留任するのは認められない」
野党暮らしと安倍内閣の4年間、冷や飯を食ってきたベテランは憤る。やっと予算の分配にあずかれるのだから、実権を握る政調会長は大派閥に渡すべきだとの論理だ。
町村派、額賀派、岸田派と、かつての福田―安倍派、田中―竹下派、大平―宮沢派の流れをくむ大派閥は参院選でも新人獲得に鎬を削ってきた。引退した後もなお、永田町近くに事務所を構える元参院議員会長・青木幹雄、元幹事長・古賀誠らも「何もかも安倍の思い通りにさせるな」と発破をかける。衆参合わせて400人を超えた自民党の要求はいつになく、強い。
そこで元経済財政担当相・竹中平蔵のように「対決を使って総理決断を演出し、政権の求心力を高める方がいい」との意見が、政権内に出てくる。安倍が官房長官、幹事長として仕えて5年半に及ぶ任期を得た元首相・小泉純一郎にならい、「抵抗勢力との対決」で長期政権を築け、というわけだ。
小泉が長期政権を維持できた理由は、党内問題だけでなく当時の米大統領、ジョージ・ブッシュとの間に、強固な個人的関係があったことも大きい。この点が安倍と小泉では大きく異なる。
輿石に頼る海江田の体たらく
さらに自民党総裁選、衆院選、参院選と3連勝した安倍には「少しずつ独自色を出したい」との思いも強い。それはまず選挙戦最終日の7月20日夜、東京・秋葉原の街頭演説に表れた。
駅前広場には日の丸を手にした聴衆が詰めかけ、前座を務めた司会役の議員らは「領土、領海、国民の生命と安全を守る」と繰り返す。場の雰囲気もあってか、安倍は街頭演説の最後に、これまで封印してきた憲法改正に触れて「誇りある国をつくっていくためにも憲法を変えていこう」と呼びかけた。憲法改正は祖父、元首相・岸信介の悲願でもある。「安倍の本音が出た」と与党は受け止めた。
そこで出てくる火種が公明党だ。
「憲法解釈を変えて集団的自衛権を行使できるようにする、と政府が勝手に決めてしまうのは、国民や国際社会の信頼を損なう恐れがある。私も法律家の端くれだ」。公明党代表・山口那津男は7月23日、大見得を切った。「6年間の長期政権」で憲法改正を実現するため、その第一歩として安倍が考える集団的自衛権の行使にも、反対する姿勢を明確にしたのだ。
公明党は今回、比例代表の得票で自民党に次ぐ第2党の地位を確保し、4つの選挙区でも完全勝利した。もはや第3極を恐れる必要はなく、10年以上に渡る自公協力の実績で、衆院議員は公明党・創価学会の票がなければ選挙はできない状況にまでなっている。公明党幹部は「デフレ脱却に全力をあげろ。集団的自衛権などやっている暇があるのか」と安倍政権を挑発する。「下駄の雪」どころか、公明党は自信を深めているのだ。
これだけの火種がくすぶるのに、当面は政権が安泰にみえるのは、参院選で壊滅した野党の体たらくだ。
安倍がバイデンと会談した26日、民主党は党本部で惨敗を総括する両院議員総会を開いた。結党以来、最低の17議席で、1人区は全敗した。それでも代表・海江田万里は「党をつぶすわけにはいかない。信頼回復は道半ばだ」と続投を宣言し、代表選実施の要求も退けて中央突破した。参院議員会長・輿石東と両院総会前日の25日に何度も会って乗り切り策を協議。前幹事長・細野豪志に代わるナンバーツーに日立労組出身、元経産相・大畠章宏を指名したのは、輿石の意向も汲んでのことだった。
東京選挙区で無所属候補を支援した元首相・菅直人を除籍(除名)処分にする案も覆され、窮地に立った海江田が頼る先は輿石しかいなかった。菅の除名を推進した細野は代表選実施と野党再編に動こうとしており、海江田と輿石周辺は「細野は主殺しだ」「あいつはもう終わりだ」と息巻き、辞任時期も1カ月、前倒しした。混乱だけが、民主党を覆っている。
海江田・輿石ラインの主導権に期待を寄せるのが生活の党代表・小沢一郎だ。小沢は金城湯池だった地元・岩手で初めて敗れ、比例代表では100万票に届かず、獲得議席ゼロの屈辱を味わった。民主党との復縁による再編だけが、71歳になった小沢の最後のよすがなのだ。
野党再編をめぐってはみんなの党で代表・渡辺喜美と幹事長・江田憲司の対立が再燃。日本維新の会では「旧太陽の党」組の園田博之が、民主党の反海江田・輿石・小沢ラインの元外相・前原誠司らとの連携を模索する。次の衆院選直前まで続くであろう野党再編の動きは、1つの新党には収斂しそうもない。
強い外敵がいないことが、安倍の「6年間長期政権」の夢を膨らませる。2015年9月の総裁選で再選を果たし、16年夏に衆参同日選挙を断行して信任を得て憲法改正に取り組む。18年9月、偉大な祖父の岸も実現できなかった憲法改正を成し遂げ、小泉と中曽根の政権も超えて静かに退陣する――。これが安倍周辺の描くシナリオだ。7月22日の記者会見での「今回の参院選で自民党が頂いた議席は、私の20年間の政治家人生で最も多い」「憲法改正は腰を落ち着けて、じっくりと進めていきたい」との安倍の言葉が、それを証明している。
だが、安倍がバイデンと会談し、民主党が両院総会を開いた7月26日、日経平均株価は400円超も下落した。消費税を上げるかどうかの決断も、株価と景気には密接にかかわってくる。長期政権へ越えなければならない壁は早くも秋にやって来る。 
米国も警戒する「安倍のリベンジ」 2013/10
 消費税増税も決着し、いよいよ念願の安保問題に舵を切り始めた。
予定通り来年4月、消費税率を5%から8%に引き上げる――。
デフレ脱却の足かせになりかねないと消費税増税に慎重だった安倍晋三首相。増税へその背中を押したのは、好転した経済指標だけではなく、皮肉にも政権発足以来ともにアベノミクスを強力に推進してきた日本銀行の黒田東彦総裁、そして菅義偉官房長官だった。
「3%の上げ幅を2%に圧縮、2%相当分の経済対策を打って、デフレ圧力を相殺することはできないか」
来年4月の引き上げ時期を先送りにするか、予定通り引き上げるとしてもデフレ圧力を抑え込む方法はないか。安倍は8月上旬まで、本田悦朗内閣官房参与らと模索していた。
そんな安倍に真正面から釘を刺したのが、黒田だった。
「消費税率引き上げを先送りした場合の国債に対する信認の影響を見通すことは非常に難しい。国債価格が大幅に下落するリスクがどれほどあるか分からないが、リスクが顕現化した場合の対応は非常に難しくなる」
首相官邸で8月26日から31日まで行われた有識者から消費税率引き上げについての意見を聴く「集中点検会合」の席上、黒田は婉曲な表現で、予定通りの消費税率引き上げを求めた。この発言の公表は伏せられたが、安倍の耳にはすぐに届けられた。
安倍がそれでも、引き上げ幅の圧縮を模索しているとの情報を得ると、9月5日の会見で、さらに強い表現で牽制した。
「14年4月に3%、15年10月に2%引き上げることは法律で定められており、それと違うことをすることは、新たに法律を出し、国会で可決しなければいけない。そのような状況が、市場やその他にどのような影響を及ぼすかは予測しがたい。私の意見ではないが、例えば、政府が一回決めたことを止めて『今度は違うことをやります』と言った時、その『違うことをやります』ということを市場が本当に信認するかどうか分からない」
〈本当に信認するかどうか分からない〉という表現は、先送りや引き上げ幅を圧縮した場合、「国債が暴落する」という見方を示したに等しかった。官邸内では「自分の発言を市場に織り込ませることで、予定通り実施しない場合のリスクをより高め、安倍を踏みとどまらせようという瀬戸際作戦」と受け止められた。
一方、官房長官の菅は、もともと消費税率引き上げには慎重だった。ただ、「白紙から見直す」という安倍の指示を「実施見送り」から「影響を最小限に抑えて予定通りに実施」する可能性まで、幅広く受け止めた。そして、自らの役割を、景気への影響を最小限に抑えるため、財務省から大胆な経済対策を引き出すことと見定めていた。
「実施しなかったら国債が暴落するというのが財務省の口癖だが、オオカミ少年みたいなもんだ」
「何にもしないで税金を引き上げるだけなんて、そんなの政治じゃねえだろう。仮に実施するにしても思い切った景気対策が必要だろう」
菅は、「陳情」に来る財務省幹部に、絶対に首を縦に振らず、一層の財政出動には及び腰の財務省をつるし上げ続けた。
財務省が折れたのは、有識者からのヒアリングが始まる直前の8月20日すぎのことだった。
「財務省としても思い切った対策をやらせていただきます」
首相官邸の菅の執務室で、財務省の木下康司事務次官らは頭を下げた。
財務省が、最後のカードを切ったことで、東日本大震災の復興に充てるため上乗せしている「復興特別法人税」の、1年前倒しとなる13年度末廃止、法人税率の引き下げ方針などからなる5兆円規模の経済対策に道筋が付いた。
さらなる決め手は「東京五輪」だった。一時は、東京電力福島第一原発の汚染水漏洩問題の影響で、苦戦が予想されただけに、決定後の世論の反応は大きかった。
「経済波及効果は100兆円、150兆円との声もある」との威勢の良い声があがり、財務省の「思い切った経済対策」を大きく上回る規模の景気浮揚策となった。安倍が放ったアベノミクスの「第4の矢」が、消費税率引き上げという決断の最後の後押しとなった。
集団的自衛権への反対包囲網
消費税問題が片付くと、今後の焦点は安倍の宿願である「集団的自衛権の行使容認」の調整に移る。「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が今年12月に、憲法解釈変更による行使容認を求める提言を安倍に提出する見通しだ。水面下では、集団的自衛権の行使を「全面的」に認めるか「限定的」にするか、調整が進んでいる。
五輪招致決定の余波が続いていた9月11日の首相官邸。そこには、記者の目を避けるように官邸に入った兼原信克官房副長官補(外交担当)と高見澤將林(のぶしげ/安全保障・危機管理担当)が、安倍と向き合っている姿があった。
「言わんとすることは理解できなくはないが、やはり私は全面的な行使容認が望ましいと考えている」
全面的に容認するのは困難、という政府内調整の結果を説明する2人に、安倍はこう伝えた。
この密会に先立ち、外務、防衛両省と内閣法制局、内閣官房の幹部が内々で断続的に集まって、この問題を協議していた。その中で、日本の安全保障に直接影響がある場合に限り、行使を容認するという方針を固めていた。
しかし、安倍は頑なに、全面的な行使容認に向けた調整を求めている。
第1次安倍内閣で発足した安保法制懇は、「(1)米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」「(2)国連平和維持活動(PKO)で他国軍への攻撃に反撃するための武器使用」「(3)共通の目的で活動する多国籍軍への後方支援」などの4類型で実施可能とするため、「国際的に適切な新しい憲法解釈を採用することが必要だ」としていた。安倍は、後任の福田康夫首相にその継続を求めたが、「憲法解釈を変えるなんて話をしたことはない。憲法は憲法だ」と一蹴されている。それは安倍にとって屈辱以外の何物でもなく、今回はなんとしてもリベンジしたいのだ。
政府内では内閣法制局を中心に、(1)は、「日本有事として防衛出動が下されていなければ自衛隊法第82条の弾道ミサイル等に対する破壊措置に基づいて迎撃され、警察権の行使に該当。日本の領空を通過する場合には個別的自衛権により対応可能」、(2)も「自己の管理下にある状況なら、自衛隊法が定める『武器等防護』で対処できる」との解釈が支配的だ。
となると、実際に自衛隊が集団的自衛権を行使するようなケースは何か。
それを検討した結果、最も可能性が高いのは「日本の周辺事態」との見方に集約されてきた。政府は公言しないが、具体的には朝鮮半島有事に加え、中国と台湾の紛争を想定している。こうした事態に米軍と一緒に自衛隊が正面で戦う。それが考え得るシナリオである。
具体的な検討が進む中、連立相手の公明党は、集団的自衛権の行使容認について反対を貫いている。
「行使容認は、私たちの支持者を裏切ることになる。党の存立基盤にかかわる重大な問題。他の政策では妥協できても、これだけは絶対に妥協できない」
安保法制懇が再開された翌日の9月18日、公明党の山口那津男代表は、井上義久幹事長、石井啓一政調会長ら幹部を集めて対応を協議し、断固反対の方針を確認した。政府、自民党は水面下のルートで、集団的自衛権の行使容認問題は年明け以降に結論を出す段取りを伝え、配慮の姿勢を見せている。しかし、この日の公明党幹部会談では「問題を先送りしても決して歩み寄らない」「安倍首相が解釈改憲で行使容認に踏み切ることは認められない」ことでも一致した。
これらの発言には前段があった。公明党の支持母体である創価学会もお盆明けの8月下旬、この問題をめぐり原田稔会長ら最高幹部が議論した。その結果、婦人部を中心に「他国の戦争に巻き込まれる恐れがある」と反対論が支配的で、「平和と福祉」を金看板とする公明党が行使容認に踏み切ることは困難との結論に至った。
公明党は、米艦船が狙われた場合の対応や米国向けミサイルの迎撃など詳細な検討を加え、個別的自衛権の枠内と判断されるケースに限り自衛隊による対応を認める方向で協議を進めていく。
米が抗議した「幻のやりとり」
安倍内閣は、集団的自衛権問題と同時に、自衛隊による敵基地攻撃能力の保有を検討しているが、こちらは公明党どころかオバマ政権も強く警戒している。
「ミサイル攻撃に日本として、どう対処するのか、議論を活発化させなければならない」。小野寺五典防衛相は参院選前から、巡航ミサイルなどで相手のミサイル発射基地を攻撃できる態勢を整える必要性を繰り返し、12月に策定する新たな「防衛計画の大綱」に反映させる意向も示してきた。北朝鮮のミサイル攻撃などに対抗する狙いだが、米側から見ると違った意味合いを持つ。
8月28日、ブルネイの首都バンダルスリブガワン。第2回拡大ASEAN(東南アジア諸国連合)国防相会議に合わせて、小野寺はヘーゲル米国防長官と会談した。その席上、小野寺が「敵基地攻撃能力の保有については、日米間で慎重に検討していくことが大切と考えている」と切り出し、ヘーゲルは「その通りだ。日本を取り巻く厳しい状況は理解している」と応じた、と防衛省サイドは同行記者団にブリーフした。
だが、米政府関係者によると、実際の会談では敵基地攻撃能力に関し、小野寺から具体的な言及はなく、一般論として米軍と自衛隊の連携強化の重要性を確認したに過ぎなかったという。米側は、この「幻のやりとり」を問題視し、防衛省に抗議したと明かす。
防衛省が「慎重」「大切」との言葉を繕ってまで、あえてこの問題を記者にアピールしたのは、米側から敵基地攻撃能力保有に対する不快感を事前に伝えられていたことに配慮した結果だった。だが虚偽のやりとりは、逆に米側の不信感を増幅させた。そもそも自衛隊による敵基地攻撃能力の一方的な保有は、「矛」の米軍と「盾」の自衛隊という役割分担を大きく変容させる。
「米国の軍事的な傘から、日本が擦り抜けていくことになりかねない。自衛隊が日本防衛以外で前線に立てないがゆえに、日本は米軍に施設・区域を提供している。対等な関係になれば、米軍基地の不要論が高まる」(政府関係者)
このように調整を欠いたまま、集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊が敵基地攻撃能力まで保有することに対してこう懸念する声も米側には根強い。
10月初旬には、外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2+2)が東京で開かれる。そこで、米軍と自衛隊の有事での任務と役割を規定する防衛協力指針の改定作業に入ることで合意する見通しだ。
だが、安倍の目指す方向と、米国の志向は必ずしも一致していない。歴史認識や従軍慰安婦の問題でナショナリズム色が濃くなっている安倍に対して、米国の警戒感は容易に和らぎそうにない。
東京五輪が生んだリスク
順風に見える安倍内閣のアキレス腱は、安保政策に限らない。
五輪を招き寄せるため、汚染水漏洩について「コントロールされている」とまで言い切った福島第一原発である。
実際には、海への流出は止まっておらず、強弁であることは東京電力のみならず政府関係者も認めている。
「既に私がブエノスアイレスで話したように、この汚染水の影響は湾内の0.3平方キロメートル以内の範囲において完全にブロックされている」
9月19日、福島第一原発を訪れた際、安倍が「0.3平方キロメートル以内の範囲」と前提条件を付けて「ブロックされている」と言い方を変えたのは、「コントロール」という言葉が実態と余りにもかけ離れているからだ。20日、猪瀬直樹東京都知事も、記者会見で「必ずしもアンダーコントロールではない。だから(首相が)アンダーコントロールになると表明した」と説明した。
さらに安倍が頭を悩ませているのが、汚染水対策の切り札とされている凍土遮水壁の設置の可能性と実効性だ。凍土遮水壁は現在、事業化の調査の最中。原子炉建屋の四方約1.4キロの土を凍らせなければならないが、今回ほどの大規模な凍土遮水壁を設置した実績はなく、10年単位という長期間の運用も世界的に前例はない。他に有効な手がなく、完成時期の前倒しを打ち出してはみたものの「本当に前倒しできるのか。そもそも、これで原子炉建屋への地下水の流入を防ぐことができるかどうかはやってみないと分からない」(政府関係者)のが実情だ。
福島第一原発訪問に合わせ、安倍が東京電力に指示した「5、6号機の廃炉」は事実上の既定方針で、首相指示は特に必要がなかった。それをわざわざ指示して見せたのは、有効策を打ち出せない窮状の裏返しである。
福島第一原発事故の「収束」に道筋を付けられなければ、野党時代に民主党政権に向けた批判が、ブーメランのように自らに返って来る。
今後、IOCから事故対応について注文が付く可能性も指摘されている。となれば、東京五輪という「第4の矢」が予想していなかった求心力低下の可能性を招き寄せたとも言える。 
混線する「対米中韓」官邸外交 2013/12
 安倍へのすり寄り合戦が続く政権は、「春」を無事に乗り越えられるか。
株価は上がり、野党は壊滅、自民党内にも向かうところ敵なし、内閣支持率も高値安定――。
首相・安倍晋三が政権への返り咲きを果たして12月26日で1年を迎える。この1年間の絶好調はおそらく、平成26年度予算の成立が見込まれる来年春までは続く。だが、政権の落とし穴はえてして、得意技にあらわれる。安倍が長年、心血を注いできた外交と、アベノミクスで好調を謳歌した経済だ。安倍へのすり寄りを競い合う官僚たちの存在と公明党の動向が、この2つの課題の前途に暗雲を投げかけ始めている。11月下旬のある1週間を追えば、その予兆はすでに出ている。
11月23日土曜日。安倍は母・洋子らと映画鑑賞を楽しんだ後、予定外に首相公邸に立ち寄った。官房副長官補・兼原信克、高見沢将林たちから緊急の報告を受けるためだった。
「中国が沖縄県の尖閣諸島を含む東シナ海空域に、防空識別圏を設定しました」
「米政府とも緊密に連携し、中国へ厳重に抗議します」
官僚たちの報告に、安倍は「それでいい」と指示を出すと、わずか40分足らずで公邸を後にした。
翌24日の日曜日も、首相官邸と外務省の事務方は休日返上で調整に奔走した。米国務長官ジョン・ケリー、米国防長官チャック・ヘーゲルも相次いで中国の動きを懸念する声明を出した。一触即発の危機を勃発させかねない中国の動きに対する安倍内閣と米国の連携は、政権交代前は考えられなかった。米国からは故ジョン・F・ケネディ大統領の長女で米政界のセレブ、キャロライン・ケネディが駐日大使として着任し、米国でもケネディの動静が連日、伝えられる。駐中国米大使のゲイリー・フェイ・ロックは突然の辞任を表明したばかり。日中の差は歴然としている。
一見すると好循環にみえるこの一件も、一皮めくればそれほど簡単ではない。米大統領、バラク・オバマとの関係はギクシャクしているのだ。
中国が防空識別圏を発表する2日前、11月21日。官邸と外交当局は、外電で伝わってきた「オバマ大統領が来年4月にアジアを訪問する」との一報に驚いた。官房長官・菅義偉は「大統領の訪日は調整中」と記者会見でとりつくろったが、安倍も「一体、どういうことなんだろう」と困惑と不快感を隠せなかった。
オバマは10月、米国内の債務削減問題の解決を優先するため、予定していたインドネシアなどのアジア訪問を中止した。来春の日程はその代替策に過ぎない。オバマのアジア訪問を発信した国家安全保障担当の大統領補佐官、スーザン・ライスは「今度、創設される国家安全保障会議(日本版NSC)の私のカウンターパートと連携することを待ち望んでいる」などとリップサービスはしたものの「4月」という時期や、日本へ行くのかなどの肝心な事項は、一切事前に通報していない。
日本メディアが「オバマ大統領、来春訪日へ」と書き立てたのは「アジアに来るなら日本も当然だろう」との読み筋に過ぎない。日本政府の高官は「日程が窮屈だ。訪日しない可能性がある」と懸念する。仮にオバマが来日しなければ、今度は「日本は素通り」「日米関係に打撃」と評されかねない。駐米大使・佐々江賢一郎はワシントンでオバマ政権に「もう少し日本に連絡してほしい」と陳情せざるを得なかった。これが来春に訪れるかもしれない。
中国の防空識別圏設定は、韓国との関係改善策にも影響を与えた。
霞が関の官僚群が「外交も取り仕切っている」とみる官房長官の菅は「中国の習近平国家主席と会談すれば、韓国は必ず折れてくる」と読んで独自人脈で感触を探り、「中国との間合いは縮まりつつある」と周辺に自信のほども漏らしていた。
韓国も防空識別圏問題で中国に懸念を伝えたとはいえ、大統領・朴槿恵の反日姿勢は変わらない。菅の戦略は水泡に帰した。
ここで、もう1つの不安定要素となる官邸外交が登場してくる。首相の安倍、官房長官の菅、2人の意向を忖度した対韓強硬論を主導する経産省組だ。
「対韓投資規制を」。今秋、官邸内で浮上した秘密作戦は内閣広報官・長谷川榮一のアイデアだ。
長谷川は第1次安倍政権でも内閣広報官を務め、山登り仲間でもある。今回も安倍本人に直訴して首相補佐官と広報官の兼職という、役人社会の常識を超えた厚遇を受ける。
経産グループが中心となったアイデアは官房副長官・加藤勝信の下まであがったが、安倍が「外務省の意見も聞くように」と言って立ち消えになった。官邸の内部は、安倍に「いかにして気にいられるか」の競争となり、道具として外交関係が弄ばれている。
北朝鮮、中国とのパイプを自任した内閣官房参与・飯島勲も、その延長線上にいる。「日本人拉致問題は動き出す」「中国との首脳会談は近い」との予測はことごとく外れた。飯島は元外務事務次官・谷内正太郎を小泉内閣のころから嫌っており、谷内が責任を担う日本版NSCの運営を阻害する恐れもある、と関係筋は懸念を隠せない。
もう1つ、外交上で官邸内部の人間関係が入り乱れる最大の難問は、安倍の靖国神社参拝問題である。第1次内閣で靖国参拝しなかったことを「痛恨の極み」とまで振り返った安倍は、近いうちに参拝する意向を変えていない。
脱原発発言で話題を呼んだ元首相・小泉純一郎は11月12日、日本記者クラブで「私が首相を辞めた後、首相は1人も参拝しないが、それで日中問題はうまくいっているか。外国の首脳で靖国参拝を批判するのは中国、韓国以外いない。批判する方がおかしい」と安倍を挑発した。中韓との関係が冷え込んだ今こそが好機だ、という小泉流の論理だ。
だが、小泉が靖国を参拝しても政権が盤石だったのは、イラクへ自衛隊を派遣して米国の対テロ戦争に全面的に協力し、当時の大統領、ジョージ・W・ブッシュと個人的な強い結びつきがあったからにほかならない。しかも米国の力は小泉=ブッシュ時代より遥かに弱まっている。「コイズミの言う通りにやってやれ」と日本に甘かったブッシュの米国はもう、存在しない。ドライなオバマの米国は、防空識別圏設定には戦略爆撃機B52を飛ばして応酬したものの、安倍の靖国参拝は「中国、韓国との決定的な関係悪化と東アジアの緊張激化をもたらし、無用な負担を米国にもたらす」と警戒している。外交は単純な敵味方関係ではない。
官房長官の菅も「体を張ってとめる」とは言うものの、「本当に行ったら……」と不安を隠せない。米、中、韓とのパワーゲームでもある靖国問題は、オバマ訪日の有無とも絡んでくる。遅くとも来春までには結論が出るのでは――。関係当局では緊張感が高まっている。
春の大型選挙に戦々恐々
内政でも来春は1つのメルクマールとなりつつある。
中国が防空識別圏を設定した前日の11月22日。東京都知事・猪瀬直樹は衆院選と同時に実施された都知事選前に大手医療法人「徳洲会」グループから5000万円を借り入れたことを認めた。事件の渦中にある徳田毅衆院議員が失職か議員辞職し、鹿児島2区で来年4月に補欠選挙が行われるのは不可避とみられている。仮に猪瀬知事の進退にまで波及すれば、安倍自民党は政権に返り咲いて以来、初めての大型選挙を迎えることになるからだ。
平成26年4月は、消費税率が現行の5%から8%へ引き上げられた直後にあたる。鹿児島補選は「消費増税への審判」と位置付けられる。万が一にも敗れるようだと打撃は大きい。
このところ地方首長選で自民党推薦候補は相次いで敗北しており、支持基盤の揺らぎは明らかだ。中でも痛かったのは10月、政権最大の実力者、官房長官の菅が神奈川県連会長として候補擁立を主導した川崎市長選だった。菅は総務相時代から旧知の元官僚を擁立し、公明、民主両党との相乗り体制をつくって臨んだものの苦戦。終盤3日間で菅は県選出の国会議員らに「団体を回れ」となりふり構わず指示を出し、自らも現地入りしたが、敗北を喫した。3割強と低い投票率で組織力がモノをいう「選挙の常識」が通じない。
自民党の選対幹部は「劣勢を伝えられてからは、どこから手をつけていいのか分からない不気味さを感じた」と振り返り、神奈川選出の自民党衆院議員・田中和徳も「人口が増え、自分たちの力が及ばない住民が増えている」と川崎市内のホテルでの反省会で吐露している。
かつての政・官・財が一体となった自民党の基盤は、大きく崩れているのだ。
その証左は議員会館、霞が関の中央官庁街のそこかしこにあふれている。
11月20日、安倍は東京・神南のNHKホールでの全国町村長大会で「景気回復の実感を全国の隅々にまで届け、地域を元気にしていかなければいけない」と訴えた。そこに集まった全国の町村長や、随行の自治体職員らは三々五々、陳情に出向く。昨年の予算編成は衆院解散、新政権発足直後だったため、ほとんど陳情はできなかった。自民党系の地方首長や議員たちにとっては5年ぶりの晴れ舞台。国土交通省の1階ロビーは陳情客であふれ、永田町の宿泊施設も満室となった。
ところが、自民党の古参秘書は「5兆円の大型経済対策、大盤振る舞いの予算といっても、新規案件の陳情は少ない。ほとんどが継続ばかり」と首をひねる。地方自治体は合併を重ね、人口が減り、借金が膨らんだ。公共事業圧縮とデフレ不況で、地方の中小ゼネコンはその多くが退場した。5年ぶりに「アメ」を与えて支持団体をフル回転させようにも、受け皿が衰退してしまった。
消費税が上がれば、地方の経済が縮み、政治活動がまた塞ぎ込む可能性は高い。これも来春リスクの1つだ。
名誉会長の復活で原点回帰?
そしてもう1つ、連立政権を組む公明党と支持母体、創価学会の動向がある。
11月18日、永田町で「創立記念日を迎えた創価学会で、会長人事があるのでは」との噂が駆け巡った。
結局、人事はなく過ぎ去ったが、この噂は長く病気療養中とされてきた名誉会長・池田大作の健康回復が伝えられたことと深い関係がある。与党へ復帰する前後から、消費増税や安保体制強化に協力した現実路線で行くのか、それとも反戦・平和を掲げる公明党の原点へ回帰するのか。「名誉会長の健康回復が、トップ人事とその後の路線選択を左右するのは間違いない」というのが、学会ウオッチャーの一致した見立てだ。
創価学会内では反戦・平和色の強い婦人部の発言権が、名誉会長の健康回復が伝わるとともに強まっているとされ、代表・山口那津男や幹事長・井上義久ら党執行部の方針に影響している。経済政策でもその意向は無視できない。
「軽自動車が生活の足となっている地方の実態を考えれば、軽自動車を狙い撃ちした大幅な増税には理解が得られない。党として慎重な立場で臨む」
11月13日、公明党政調会長・石井啓一は断言した。軽自動車の増税反対、消費増税での軽減税率導入は学会婦人部の要望が特に強い事項でもある。軽減税率導入に「眦(まなじり)を決して臨む」と語る山口の決意は、表向きだけではない。
学会人事の噂が伝わった翌日の11月19日、山口は安倍との党首会談で「政治決断すべきだ」と迫った。安倍も「承りました」と引き取ったが、友党支持団体の人事、路線闘争までが絡んでいるだけに、通常の案件とは異なる難しい判断になる。
税の問題で齟齬を来せば、来年4月の予算成立後に公明党の動向が注目を集める。公明党・創価学会の意向を汲んで来春以降に結論を先送りした集団的自衛権の行使容認問題が、政局の焦点となるからだ。
自民党の大勢は「公明が連立から飛び出すなどあり得ない」と楽観的に見ている。特定秘密保護法案などで日本維新の会、みんなの党と協調を進めたのも「自維み」の枠組みでも国会運営は可能だと公明に圧力をかける狙いだった。
しかし、300小選挙区の1選挙区あたり2万票を持つとされる公明党・創価学会は、15年近くにわたる選挙協力によって、自民党の重要な票田となっている。小選挙区制しか知らない当選6回以下の世代は「創価学会こそが自民党の最大支持勢力。学会抜きの選挙は考えられない」と実感している。自民党が、公明党を簡単に切れない仕組みは、全国にビルトインされている。
来春以降に公明の動きが政権の攪乱要因となる可能性は十分にあるのだ。
疲弊した支持団体と地方、混線する一方の官邸内外交、複雑化した米中韓とのパワーゲーム、不気味な公明の動向……。どれもが対処をあやまると、連動して政権は危機に陥る。
11月24日、神奈川県茅ヶ崎の名門ゴルフ場、スリーハンドレッドクラブでプレーした安倍は「気持ちいいですね、秋晴れで」と空を仰いだ。特定秘密保護法案は2日後の26日、強行採決で衆院を通過させた。秋晴れのように順風満帆な政権運営を脅かすのは慢心と「内なる敵」である。 
 
諸話 2014

 

新聞社の「ヤル気」と「覚悟」 2014/1/1
朝日新聞  
朝日新聞の2014年の最初の新聞の一面トップは『めざす 世界の1%』『済州島に英語都市』『慶大中退 アブダビに』。  
この日から始まった「教育2014 世界は日本は」という連載の第1回で「グローバルって何」というタイトルがついている。少子高齢化が進む日本。海外に経済成長の活路を見いだそうと、政府は英語教育の強化を打ち出す。ただ、グローバル人材の育成という目的地は、語学の壁を越えたその先にある。日本の教育は、世界をとらえられるか。  
◇特集「教育2014 世界は日本は」「世界1%のグローバルリーダーを育てるアジア最高の英語教育都市」 / そんなキャッチコピーの新都市の建設が、韓国・済州島で進んでいる。379hの広大な敷地に、欧米トップクラスの名門私立校の分校と大学を誘致。病院やコンビニでも、フィリピン人従業員を雇うなど英語を常用化する計画だ。2011年9月、英国の私立女子校「NLCS(ノース・ロンドン・カレッジエイト・スクール)」は韓国政府の要請を受け、初の海外分校「NLCSチェジュ」(定員1508人)を開校。幼稚園から高校まで14年間の共学の一貫校だ。皮膚の構造を描く中学3年の生物の授業。女子生徒19人が筆や絵の具を一斉に手に取り、英語で部位の名称や説明文を加えていく。「どんな色がいいかな?」「神経をまだ描いていないよ」……。生徒の会話はもちろん英語だ。1997年の通貨危機後、韓国政府は外貨を稼ぐ企業や人材を育てるため、英語教育にかじを切った。小中高生の早期留学も急増。この学校の寮費を含む学費は平均年約4500万ウォン(約450万円)と高額だが、海外留学よりは安い。都市を運営する公営企業は、中国や日本からも学生を呼び込み、21年には居住人口を2万3千人に増やそうとしている。  
◇ オーストラリアでは、87年から小中高での外国語教育が政策として始まった。白人を優遇する白豪主義を廃止し、多文化主義に転換した象徴として導入した。 / その後、94年にアジア語重視が打ち出され、日中韓インドネシアの4カ国語について「小3から高1までの6割がいずれかを学ぶ」との目標が設定された。いま、豪州で最も盛んに教えられている外国語は日本語だ。全国に約30万人いる日本語学習者の9割以上が初中等教育で学んでいる。「アジア語必修化」を起案したラッド前首相(当時はクインズランド州政府事務次官)は「将来的な貿易の重要性から選んだ。国の将来がかかった優先事項であり、その重要性は今も変わらない」と話す。  
◇ 慶大中退、アブダビに / アラブ首長国連邦(UAE)の首都アブダビに2010年に開校した米ニューヨーク大アブダビ校。102カ国から集まった約620人の学生が学ぶ。橋本晋太郎さん(21)は慶応大法学部を1年半で中退し、飛び込んだ。「数百人もの大教室で講義を聴き続ける毎日」に危機感を覚えたからだ。  

安倍政権が進めようとしている教育改革を前提として、どこが日本の教育の遅れている点がを先進地域の現状を紹介して行こうという試みだ。グローバルな人材を育成するにはどうすればよいのか、と課題を探る連載で、韓国の済州島やアラブ首長国連邦のアブダビ、さらには長野県の軽井沢などに出来つつあある「グローバル人材育成学校」を取材する。 
こういう連載そのものは否定しないが、しかし、これがはたして元日の一面トップの内容なのか?朝日新聞として、「教育のグローバル化」が最重要課題だと認識しているのだろうか。日本経済の将来に結びつくテーマであるので経済専門紙なら理解できるが、一般紙としてはどうなのか? 他にやるべきテーマがあるのではないか? 日本のジャーナリズム界で朝日新聞がこれまで果たしてきた役割を考える時、物足りなさを感じざるえない。  
毎日新聞  
さて、毎日新聞の一面トップの見出しは、『中国、防空圏3年前提示』『日本コメント拒否』『非公式会合 発表と同範囲』。  
中国人民解放軍の幹部が、2010年5月に北京で開かれた日本政府関係者が出席した非公式会合で、中国側がすでに設定していた当時非公表だった防空識別圏の存在を説明していたことが31日、明らかになった。毎日新聞が入手した会合の「機密扱」の発言録によると、防空圏の範囲は、昨年11月に発表した内容と同様に尖閣諸島(沖縄県)を含んでおり、中国側が東シナ海の海洋権益の確保や「領空拡大」に向け、3年以上前から防空圏の公表を見据えた作業を進めていたことが改めて裏付けられた。非公式会合は10年5月14、15の両日、北京市内の中国国際戦略研究基金会で行われた。発言録によると、中国海軍のシンクタンク・海軍軍事学術研究所に所属する准将(当時)が、中国側の防空圏の存在を明らかにしたうえで、その範囲について「中国が主張するEEZ(排他的経済水域)と大陸棚の端だ」と具体的に説明し、尖閣上空も含むとの認識を示した。また、この准将は「日中の防空識別区(圏)が重なり合うのは約100カイリ(約185キロ)くらいあるだろうか」と述べるとともに、航空自衛隊と中国空軍の航空機による不測の事態に備えたルール作りを提案した。  
人民解放軍の最高学術機関である軍事科学院所属の別の准将(当時)も「中国と日本で重なる東海(東シナ海)の防空識別区(圏)をどう解決するかだ」と述べたうえで、同様の提案をしていた。中国の防空圏に尖閣諸島が含まれていれば、「尖閣に領土問題は存在しない」という日本政府の公式的な立場を崩しかねない。このため、日本側出席者の防衛省職員が「中国は国際的に(防空圏を)公表していないので、どこが重複しているのかわからない。コメントできない」と突っぱねた。  

毎日新聞の記事は、読売新聞と同じように、中国との関係が緊張をはらみ、予期せぬ衝突が起きて戦争突入の可能性もある現状を強く意識している。昨年11月に一方的に発表した防空識別圏について、中国が3年前に非公式会合で日本側に提示していたという事実を伝える。中国側の「野心」を暴く一方で、日本側もこの情報を防衛省内や外務省、官邸などに上げてうまく処理できた可能性があったこともうかがわせている。読売新聞のように中国側だけを取材したものでなく、中国軍、日本の防衛省、自衛隊のやりとりを多角的に取材した深みのある記事だ。毎日新聞の記事は「隣人 日中韓」という連載を昨年末から始めていて、その第2弾としての立派なスクープといえる。3面の「隣人 日中韓」の記事には『予期せぬ衝突 回避策急務』『緊張「いつ起きても…」』『交渉 靖国参拝で遠のく』という見出しが並び、自衛隊と中国軍との間で現場レベルの話し合いやホットラインが出来つつあったのに、首相の靖国神社参拝などの「政治」がその動きを止めてしまったことを報じている。 
毎日新聞からは、こうした日中韓の3カ国の関係を「複眼的に」見つめていこうとする「覚悟」が伝わってくる。読売が対中国で「単眼的」なのと比べると物事を単純化しないで相手国の立場でも考えようとする姿勢が見える。 
読売新聞  
読売新聞は、一面トップの見出しは『中国軍 有事即応型に』『陸海空を統合運用』『機構再編案 7軍区を5戦区に』とある。  
中国軍が、国内に設置している地域防衛区分である7大軍区を、有事即応可能な「5大戦区」に改編することなどを柱とした機構改革案を検討していることがわかった。5大戦区には、それぞれ陸軍、海軍、空軍、第二砲兵(戦略ミサイル部隊)の4軍種からなる「合同作戦司令部」を新たに設ける。複数の中国軍幹部などが明らかにした。これまでの陸軍主体の防衛型の軍から転換し、4軍の機動的な統合運用を実現することで、沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海での制空権・制海権の確保に向けて攻撃力の強化を目指すものだ。新型装備の増強に加え、運用の近代化が実現すれば、日本や米国の脅威となるのは必至だ。軍幹部によると、5年以内に、7大軍区のうち、沿海の済南、南京、広州の3軍区を3戦区に改編して、各戦区に「合同作戦司令部」を設置し、それぞれ黄海、東シナ海、南シナ海を管轄する。東シナ海での防空識別圏設定と連動した動きで、「『海洋強国化』を進める上で避けては通れない日米同盟への対抗を視野に入れた先行措置だ」という。その後、内陸の4軍区を二つの戦区に統廃合する見通しだ。現在も演習などの際には軍事作戦を主管する戦区という呼称を一時的に使っているが、戦区に改編することで有事即応態勢を整えることになる。  

この記事の重点は「沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海や南シナ海での制空権・制海権の確保に向けて攻撃力の強化を目指すものだ。新型装備の増強に加え、運用の近代化が実現すれば、日本や米国の脅威となるのは必至だ」という部分にある。日本の自衛隊の仮想敵である中国軍について、中国軍の複数の幹部を取材して脅威の実態を探った記事だ。 
文章として書かれてはいないが、日本の防衛体制は現状で大丈夫なのか?と読者に思わせるに十分な内容だ。読売新聞にとって、日本の国防こそが重要課題であり、特に中国軍の動きには目を光らせていくぞという覚悟が読み取れる。  
産経新聞  
産経新聞の一面トップは、『河野談話 日韓で「合作」』『原案段階から すり合わせ』『関係者証言 要求受け入れ修正』というものだ。  
慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の「河野洋平官房長官談話」について、政府は原案の段階から韓国側に提示し、指摘に沿って修正するなど事実上、日韓の合作だったことが31日、分かった。当時の政府は韓国側へは発表直前に趣旨を通知したと説明していたが、実際は強制性の認定をはじめ細部に至るまで韓国の意向を反映させたものであり、談話の欺瞞(ぎまん)性を露呈した。当時の政府関係者らが詳細に証言した。日韓両政府は談話の内容や字句、表現に至るまで発表の直前まで綿密にすり合わせていた。証言によると、政府は同年7月26日から30日まで、韓国で元慰安婦16人への聞き取り調査を行った後、直ちに談話原案を在日韓国大使館に渡して了解を求めた。これに対し、韓国側は「一部修正を希望する」と回答し、約10カ所の修正を要求したという。原案では「慰安婦の募集については、軍の意向を受けた業者がこれに当たった」とある部分について、韓国側は「意向」を強制性が明らかな「指示」とするよう要求した。日本側が「軍が指示した根拠がない」として強い期待を表す「要望」がぎりぎりだと投げ返すと、韓国側は「強く請い求め、必要とすること」を意味する「要請」を提案し、最終的にこの表現を採用した。  

平成5年の「河野洋平官房長官談話」が、原案の段階から韓国側とすり合わせていた「合作」だったとし、当時の政府関係者が証言したという内容の記事だ。2面で「河野談話の欺瞞性はもう隠しようがなくなった」と書く。日本側が自分自身で考えて発表したものでなく、韓国側と妥協点を探っていた産物だったので「欺瞞」だという展開。 
産経新聞が2014年も従軍慰安婦問題など「歴史認識」に重点を置いていく、というヤル気と覚悟は伝わってくる。ただ、外交交渉では、相手先と水面下で妥協点を探るのは通常行われていることなので、それがけしからんとする論調は外交交渉術をあえて知らないふりしているようでかなり意図的な印象だ。また、当時の「日本政府の関係者」だけに取材するという取材の薄さも気になる。2014年もこれまで同様に一点突破の路線で、やっていくということなのだろう。 
日本経済新聞  
日本経済新聞の一面トップは『空恐ろしさを豊かさに』という見出し。『常識超え新しい世界へ』という見出しも続く。  
元日から始まった「リアルの逆襲」という連載の第1回の記事だ。速すぎる科学や技術の進歩に一線を越えたような空恐ろしさを感じることはないだろうか。これまでの常識を覆し、新たな秩序を築く過程では抵抗や反発も避けられない。豊かな未来。それは「リアルの逆襲」を乗り越えた先にある。  

一度、絶滅した動物を蘇らせるようなバイオの科学が「空恐ろしい」一方で、ビジネスにもつながる面を強調する。それはネットを使って、人間を格付けする技術も同様だ。ネット上の「いいね!」が多い人間ほど、政治でもビジネスでも高く評価される時代になりつつある。 
iPS細胞ひとつ考えても、そうした技術は確かに今後のビジネスのカギを握る一方、一歩間違えると「人間としてどこまで許されるのか」という倫理的な問題を突きつける。そうした時代にいるということを元日に伝える、というスケールの大きい世界観が日経新聞らしい。この連載が今後どこまで広がっていくのが興味深いが、経済専門新聞としてはこうした方向性もありだろう。  
東京新聞  
こうしたなかで元日の一面トップでひとり気を吐いた印象だったのが東京新聞だった。『東電 海外に200億円蓄財』『公的支援1兆円 裏で税逃れ』『免税国オランダ活用』という見出しの記事だ。  
東京電力が海外の発電事業に投資して得た利益を、免税制度のあるオランダに蓄積し、日本で納税していないままとなっていることが本紙の調べでわかった。投資利益の累積は少なくとも二億ドル(約二百十億円)。東電は、福島第一原発の事故後の経営危機で国から一兆円の支援を受け、実質国有化されながら、震災後も事実上の課税回避を続けていたことになる。東電や有価証券報告書などによると、東電は一九九九年、子会社「トウキョウ・エレクトリック・パワー・カンパニー・インターナショナル(テプコインターナショナル)」をオランダ・アムステルダムに設立。この子会社を通じ、アラブ首長国連邦やオーストラリアなどの発電事業に投資、参画していた。子会社は、こうした発電事業の利益を配当として得ていたが、日本には送らず、オランダに蓄積していた。オランダの税制について米国議会の報告書は、「タックスヘイブン(租税回避地)の特徴のある国」と指摘。専門家も「多くの企業が租税回避のために利用している」とする。東電のケースも、オランダの子会社が得た配当利益は非課税。仮に、東電がオランダから日本に利益を還流させていれば、二〇〇八年度までは約40%、それ以降は5%の課税を受けていたとみられる。こうした東電の姿勢について、税制に詳しい名古屋経済大学大学院の本庄資教授は「現行税制では合法」としつつ、「公的支援を受ける立場を考えると、企業の社会的責任を問われる問題だ」と指摘。会計検査院は蓄積した利益の有効活用を東電側に要求した。東電担当者は「多額の税金が投入されていることは、十分認識している。国民負担最小化をはかる観点から、海外投資子会社の内部留保の有効活用は引き続き検討したい」としている。  
福島第一原発事故による経営危機で政府から1兆円の支援を受けている東京電力が海外で200億円の蓄財をしていたという事実をすっぱ抜いたスクープ記事だった。 

この『東電 海外に200億円蓄財』のすぐ横に『浜岡増設同意 地元に53億円 中部電ひそかに寄付 80年代』という記事も載っている。 
中部電力(名古屋市)が浜岡原発3、4号機の増設同意を旧静岡県浜岡町(現御前崎市)から得た一九八〇年代に、公にした寄付金三十六億円と別に五十三億円を支払う約束を町と結んでいたことが分かった。本紙が秘密扱いの町の文書を入手した。当時の町長は「金額を大きく見せたくなかった」と話し、寄付金と別の「分担金及び負担金」の項目で会計処理していた。同社と町は増設同意時に、3号機の八二年八月に十八億七千二百万円、4号機の八六年四月に十八億円の寄付金(協定書上は協力費)を同社が町に支払うとの協定書を公表していた。入手したのは七〇〜八七年度の同社との金銭授受などを示す御前崎市教委保管の旧浜岡町分「原発関係文書」。協定書と別に、確認書と覚書があった。3号機の協定書と同じ日に、別に二十九億二千八百万円を支払う確認書が交わされた。町の地域医療の整備計画が具体化した時点で「応分の協力措置をとる」との記述があり、八四年十二月に覚書を交わした十七億円の寄付は、確認書に沿ったとみられる。4号機でも同様に、六億八千百万円の確認書と十七億円の覚書を交わした。当時の鴨川義郎元町長(86)は非公表を「中部電側の意向。隣接自治体の嫉妬があり派手に見せたくなかった」と説明。数年に分け金額を少なく見せたという。中部電力本店広報部の話 「地域との共存共栄や発電所の安定的な運営のために必要と判断すれば、要請に基づき協力金を出すことはある。相手があるので、個別具体的な内容については回答を差し控える。 」 
こちらも電力会社と地元自治体との密約を暴いたスクープ。 

東京新聞の元日の一面の記事からは2つのことが読み取れる。それは東京新聞が2014年も当局が発表する情報を元にした「発表報道」ではなく、記者個人の問題意識を重視した「調査報道」に徹するという覚悟を持っているということ。さらに、東京新聞としては、原発の問題を報道の核として位置づけていくという覚悟を持っているということだ。報道された内容も見事だったが、他の新聞とは明確に一線を画した姿勢が明快だった。 
靖国参拝、知られざる官邸の暗闘 2014/2
 “同志”と参拝を強行した安倍。しかし、同盟国の「真意」は計れなかった。
「今年は第一次大戦から100年を迎える年である。当時、英独は大きな経済関係にあったにもかかわらず第一次大戦に至ったという歴史的経緯があった」
スイスで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に参加した安倍晋三首相が1月22日、外国メディアに向けて述べた発言が、国際的な波紋を呼んだ。現在の日中関係を第一次世界大戦で対決する前の英独関係に例えたことから、安倍が「日中戦争」の可能性を認めたと受け止められたのだ。
もちろん安倍に中国と軍事的にことを構える考えは毛頭ない。しかし、国際社会がそう受け止めた背景には、尖閣諸島をめぐる日中の応酬、そして昨年末、安倍が踏み切った靖国神社参拝の生々しい記憶があった。
靖国参拝をめぐっては、官邸の「奥の院」でも暗闘が繰り広げられていた。
「総理が私の意見を聞き入れなかったのは、これが初めてのことです」
安倍が靖国参拝に踏み切った12月26日の夕刻、首相官邸。菅義偉官房長官は衛藤晟一首相補佐官(国政の重要課題担当)に問わず語りにそう漏らした。
中韓関係や経済への影響を懸念して参拝に慎重な菅と、大分大生時代から右派活動に身を投じ「他国に干渉されるべきではない」と参拝に積極的な衛藤。靖国参拝をめぐる2つの水脈は、安倍が2度目の首相に就任した一昨年12月26日夜に、いきなり表面化していた。
就任翌朝の参拝を推すのは衛藤と小泉政権で首相政務秘書官を務めた飯島勲内閣官房参与。これに対して、今井尚哉首相政務秘書官が「私が体を張って阻止する」と猛反対し、菅は今井を支持した。
菅―今井ラインは経済を最優先し、靖国参拝に否定的な世論を重視する。衛藤や飯島も同じ考えだが、いつまでも参拝を封印できないとの思いも持っていた。安倍は、衛藤―飯島ラインに心情的には共鳴しながらも、この時は菅―今井ラインに軸足を置き、参拝を見送った。
この抑制的な対応は、昨年4月の春季例大祭、8月の終戦記念日まで続いた。次のヤマは10月17日から20日まで行われた秋季例大祭だった。飯島が靖国参拝を強く進言したのだ。結局は、台風26号への対応に万全を期すことを理由に見送ったとされたが、実態は異なる。
安倍と衛藤は、沖縄県の仲井眞弘多知事が米軍普天間飛行場の移設予定地である名護市辺野古沿岸部の埋め立てを年内に承認するのかどうか、その一点を見極めて参拝を判断する方向に傾いていたのだ。というのも、仲井眞の承認を得られれば、辺野古移設に向けた米国との約束実現へ大きく歩を進めることになり、オバマ政権は靖国参拝に異を唱えにくいと読んだのである。
一方、菅は、安倍が「首相としての参拝は国民との約束なんです」と漏らすようになった心情を理解はしていた。しかし当面、アベノミクスによる経済再生に集中すべきで、外交、経済など様々な領域で対応が必要となる靖国参拝は可能な限り見送った方がいいと考えていた。
特に、中国は、秋季例大祭直後の10月24、25両日に共産党最高幹部7人が「周辺外交工作座談会」を開き、習近平国家主席が「(相手国の)感情を重んじ、常に顔を合わせ、人心をつかむ必要がある」と融和姿勢とも取れる異例の重要講話を発表。日本政府では「強硬な対日外交が行き詰まり、距離を縮めるシグナルかもしれない」との見方がささやかれた。さらにその見方を裏付けるようなメッセージが習、さらには韓国の朴槿恵大統領の周辺から届いていたことも大きかった。
「まず中国と、第一次安倍内閣の実績である『戦略的互恵関係』を再構築する。そして、日中の急接近に遅れまいとする韓国とも関係を修復する」というのが、菅の描く東アジア外交の正常化シナリオだ。「戦略的互恵関係」の大前提は、靖国参拝について有無や時期を明確にしないことだ。靖国参拝は首相の任期が終わる間際に行うことで、外交的利益と「国民との約束」の両立を図ってはどうかと安倍に進言していた。政権の弱体化を招きかねない事態を避けたい菅が、靖国参拝を「悲願」とする安倍と衛藤に配慮した妥協案だった。
米国への密使派遣
菅、衛藤がそんな神経戦を繰り広げる中、事態が動いた。秋季例大祭を見送った直後、衛藤が安倍と首相官邸で対峙した。仲井眞サイドから埋め立て承認の感触を得た時期だった。
「次のタイミングは、就任1年の節目ではないですか。任期は残り2年ほど。2014年4月にはオバマ大統領の訪日が検討され、秋には北京でAPECが開かれる。翌年春には統一地方選を迎えます。ベストではないが、ベターな選択は1周年だと思います」
衛藤の進言に安倍は答えた。
「中韓は首脳会談を呼び掛けても頑なな姿勢は変わらないので、靖国参拝しても同じでしょう。むしろ米国にはしっかりと事前に説明しなければいけないと思います。衛藤さん、行ってもらえますか」
安倍が就任1年での参拝を決断した瞬間だった。このタイミングを逃せば「なぜ1年目は行かなかったのか」と保守層から不満が出かねない。参拝に批判的な勢力からも「筋が通らない」と非難される懸念があった。就任1年は安倍にとって無視できない時機だった。
衛藤は、ワシントンのシンクタンク「ランド研究所」で開かれる北朝鮮崩壊シナリオのセミナー出席を表向きの理由として訪米することになった。菅が靖国参拝への布石と感じ取り、「セミナーの報告書を取り寄せれば、米国まで行かなくとも構わないでしょう」と難色を示すと、衛藤は「実は、靖国参拝について米側に説明してきたい。総理も了承しています」と打ち明けた。菅が事後承諾する形で密使の派遣計画が固まった。
衛藤は11月20日から23日まで訪米、ラッセル国務次官補(東アジア・太平洋担当)ら米政府高官、アーミテージ元国務副長官と相次いで会談した。
「安倍総理は近く靖国神社を参拝する。参拝を支持する日本国民のほとんどは日米同盟の強化を歓迎している。一方、参拝に否定的な人は親中国派が多い。靖国参拝と日米同盟強化は矛盾しない」
衛藤の説明に対し、ラッセルは「中国や韓国との関係を悪化させるような挑発的行為は控えてほしい。慎重に対応すべきだと考えている」と異論を唱えた。アーミテージも「オバマ大統領はリベラルだ。この民主党政権が終わるまで靖国参拝を控えることはできないか」と自粛を求めた。衛藤はワシントンの日本大使館を通じて一連の会談内容を安倍と菅に報告した。この時点の米側の反応は、衛藤にとってさほど驚きではなかった。
さらに衛藤が米国を発つ直前、中国は尖閣諸島を含む防空識別圏(ADIZ)の設定を発表した。この一方的な通告に国際社会は反発し、米国も戦略爆撃機B52を、中国の設定したADIZに飛行させる対抗措置を取った。結果、中国が孤立する形になったことも、靖国参拝への弾みを付けた。
12月18日夜、安倍は森喜朗元首相や麻生太郎副総理、下村博文文科相らと東京五輪をめぐり公邸で会食した。新聞各紙によると、安倍にその後の来客はない。だが人目を避けて、公邸の食堂で待機していたのは、衛藤その人だった。すでに、1周年での参拝は2人の暗黙の了解となっていた。安倍は「アメリカには改めて連絡できる態勢を取ってほしい。齋木(昭隆外務事務次官)さんとも緊密に連絡を取ってください」と指示した。
衛藤は翌日、東京・赤坂の米国大使館にカート・トン首席公使を密かに訪ねている。そして「総理が靖国に行く前にきちんと連絡します。米政府として反対しないでほしい」と説いたが、「慎重に対処すべきだ」との応答は変わらなかった。
「アメリカは何なんだ……」
そして、26日午前11時過ぎ、安倍は靖国神社へ向かったのだ。
参拝直後、安倍は記者団に力説した。
「靖国神社の鎮霊社にもお参りした。諸外国の人々も含めて戦場で倒れた人々の社だ。中国、韓国の人の気持ちを傷つける考えは毛頭ない。戦場で散った英霊の冥福を祈り、リーダーとして手を合わせることは世界共通のリーダーの姿勢だ」
だが米国大使館と国務省は相次いで声明を発表した。「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米政府は失望している」
「アメリカは何なんだ……」
米国の反応を聞いた安倍はこう漏らした。賛成してくれとは言わない。だが同盟国に対して「失望(disappointed)」という表現まで使って批判するのか。自らの行動を理解してくれない米国に対する苛立ちが、安倍のひと言に凝縮されていた。
しかし、苛立っていたのは米国側も同様だ。米国からみると、靖国参拝は多くの若者の血を犠牲にして民主主義を守り抜いた栄光の戦いと、その後の国際秩序に対する「異議申し立て」に映る。靖国には米国が主導した「東京裁判」のA級戦犯、東條英機元首相らが合祀されているからだ。
また米政府は、昨年3月の衆院予算委員会で、安倍が第二次大戦の総括をめぐって「日本人自身の手によることではなくて、東京裁判という、いわば連合国側が勝者の判断によってその断罪がなされたということなんだろう、このように思うわけであります」と述べたことに着目していた。
「わが国としてはサンフランシスコ講和条約第11条により極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係においてこの裁判について異議を述べる立場にはない」と事実関係にとどめるのが、それまでの政府答弁。「不公正」というニュアンスを伴う「勝者による断罪」という表現は、これまでの見解と異なっていた。さらに安倍はこの前後、衆参両院の予算委員会や米外交専門誌で「首相の靖国参拝は米大統領のアーリントン国立墓地参拝と同様だ」と述べ、米国を念頭に参拝の正当化を図っている。
安倍の主張に業を煮やした米政府は行動に出ている。10月3日、東京で開かれた外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)に出席するため来日したケリー国務長官とヘーゲル国防長官が千鳥ケ淵戦没者墓苑を訪れ、献花、黙とうを捧げたのだ。同行した国防総省高官が一部記者団に、墓苑はアーリントン国立墓地に最も近い存在だとブリーフする念の入れよう。安倍の主張に対する反論であり、靖国参拝に対する警告でもあった。
首相在任中、参拝を重ねた小泉純一郎元首相には表立って抗議しなかったのは、小泉が歴史認識に踏み込まなかったからだ。ケリーらの墓苑訪問後も参拝に意欲を見せる安倍に米政府は直接、間接の忠告をしたが、参拝は現実化した。
米政府関係者によると、安倍の参拝に備えて米大使館が事前に用意したコメント案では「disappointed(失望した)」の前に「deeply(深く)」が付いていたという。『同盟国』に対する配慮で、最終的には削られたが、米側の苛立ちは尋常ではなかったのだ。そんな米側の真意を安倍は見誤っていた。
都知事選でも「誤算」
安倍はこの時期、内政でも想定外の事態に直面している。
「細川さんが出馬すれば、小泉さんも応援すると言っています」
安倍が靖国参拝した翌27日午後、田中秀征元経済企画庁長官は細川護熙元首相と会い、小泉純一郎元首相の支援があるとして「脱原発」を旗印に東京都知事選に立候補するよう迫っていた。
かつてのブレーンの強い要請を、細川はやんわり断ったものの「小泉さんは本当に支援してくれるんでしょうか」と尋ねた。田中は、小泉の支援が確実なら検討の余地があると受け取った。さっそく、小泉側の代理人的な役割を果たしていた中川秀直元自民党幹事長にその感触を伝えた。中川は小泉に報告、細川支援の内諾を得るとともに翌日以降、安倍、菅、石破茂幹事長に相次いで電話する。
「小泉さんの支援を受けて細川さんが出馬する可能性がある。そうなれば強い。対決は避けた方がいいのではないか」
そう言って相乗りするよう提案した。しかし、安倍らは中川の提案を一笑に付した。首都とはいえ自治体の首長選挙で、首相経験者連合が成立するわけがないと踏んだのだ。
1月に入って、細川が出馬する意向を固めたことが報道されると安倍ら官邸サイドは「昨年から動きは知っていた。織り込み済みだ」と平静を装った。だが、それは強がりだ。自民党が世論調査を頻繁に行ったことがそれを裏付ける。
ふがいない野党に助けられる「ぬるま湯政局」が続いたせいか、小泉、そして米国といういわば内外の「身内」との間合いに誤算が生じた。
1月24日の施政方針演説。安倍は集団的自衛権の行使容認に言及した。そこにはオバマ政権の「失望」を挽回するためにも、同盟強化の証しを示したいとの思いが読み取れる。
しかし、連立相手の公明党は行使容認に本音では反対だ。来年春には統一地方選、16年夏には衆院選との“ダブル”も予想される参院選を迎える。いずれも公明党の選挙協力が欠かせない。行使容認と憲法解釈を変更しても、その手続きを定める法改正が必要だ。一部野党の賛成を見込んで強引に関連法案を提出すれば、公明との選挙協力に支障をきたす。次は、公明党という「究極の身内」の真意を見極めなければならない。
安倍は大きなジレンマを抱えながら、1年をスタートさせた。 
「失言連鎖」が呼び起こす悪夢 2014/3
 細川陣営の自滅で都知事選も圧勝。安倍政権のたがが緩み始めた。
「米国がディスアポインテッド(失望した)と言ったことに対して、むしろ我々の方が失望なんですね。米国が同盟関係の日本を、何でこんなに大事にしないのか。あの言葉(失望)は、中国に対する言い訳として言ったにすぎないという具合に理解している」
首相補佐官・衛藤晟一が、動画サイト「ユーチューブ」に投稿した国政報告で、首相・安倍晋三の靖国神社参拝に「失望」を表明した米国に猛反発したことが2月19日、明らかになった。
衛藤は昨年12月26日の参拝前、安倍の密使として訪米し、政府高官らに参拝の真意を説明して回っていた。しかし、米側の反応は予想を上回る厳しいものだった。動画での発言は、衛藤の苛立ちの表れだった。
衛藤は筋金入りの超保守派で、憲法改正や「東京裁判史観」見直しの必要性を唱える点で、安倍と通じ合う。そもそも、安倍が1993年に初当選した直後から付き合いを深め、まだ政治的な軸足が定まっていなかった安倍をタカ派色に染め上げた中心人物とされる。
2人の関係は、安倍が第1次政権当時の2007年、郵政造反組だった衛藤を特例で復党させたことでも明らかだ。当時、自民党党紀委員会は復党について異例の採決を行い、わずか3票差で容認した。郵政造反組のなし崩し的な復党に対して世論の批判が集中し、参院選惨敗の一因となったことは記憶に新しい。
衛藤は動画での発言が明らかになった19日、記者団に対して、「個人としての発言は自由だ。あなた方の指摘の方がおかしい」と開き直り、さらには、最初に報じた毎日新聞の記者に対して、「馬鹿じゃないか。あなたに話すことは何もない」とまで言い放った。
さすがに波紋の拡大を懸念した官房長官・菅義偉は直ちに衛藤を電話で叱責。衛藤は「誤解を与えるのなら」として発言を撤回し、動画も削除した。
安倍発言で公明も刺激
安倍周辺の失言騒動は続いた。
米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)は2月19日、政権の経済ブレーンを務める内閣官房参与・本田悦朗が、安倍の靖国参拝について「誰かがやらなければならなかった。勇気を称賛する」と語ったとの記事を掲載した。本田は「発言の趣旨が違う」と同紙記者に抗議したものの、本田が特攻隊などを引き合いに「日本人にとっての靖国」について熱弁を振るったことが誤解され、安倍政権異質論に拍車を掛けた。
安倍がNHK経営委員に任命した作家・百田尚樹、埼玉大名誉教授・長谷川三千子の言動も物議を醸した。
百田は、東京都知事選で元航空幕僚長・田母神俊雄の応援演説をした際、南京大虐殺を全否定したほか、他の候補者について「人間のくずみたいなのが知事になったら日本は終わる」と酷評した。
長谷川は経営委員就任前の昨年10月、朝日新聞東京本社で93年に拳銃自殺した右翼活動家・野村秋介をたたえる文章を野村の追悼集に寄せたと報じられた。
NHKの政治的中立性に疑問符が付きかねないとの懸念が広がり、駐日米大使館はNHKが申し込んだキャロライン・ケネディ大使のインタビュー取材に難色を示した。
20日には、安倍の後ろ盾である東京五輪・パラリンピック組織委員会会長・森喜朗が、ソチ五輪・フィギュアスケート女子で6位に入賞した浅田真央を「大事なときには必ず転ぶ」と評し、自民党本部にも抗議電話が殺到するという、とばっちりまで受けた。首相在任中に見せた森の失言癖が復活した形だった。
「閣僚の失言で苦しめられた第1次政権と同じ展開ですね」
官邸スタッフの一人は20日、衛藤らの言動に激怒して、そう安倍にこぼした。1次政権は当時の厚労相・柳澤伯夫の「女性は子供を産む機械」発言、防衛相・久間章生の「原爆の投下はしょうがない」発言などに苦しめられた。
安倍は「それは分かっている」と応じたが、内閣支持率は依然として高水準を保っており、安倍の危機感がどの程度か定かではない。
安倍自身の発言もやり玉に挙がった。
12日の衆院予算委員会で安倍は、集団的自衛権行使をめぐる憲法解釈に関し「最高責任者は内閣法制局長官ではない。私だ。政府の答弁に対しても私が責任を持っている。その上で私たちは、選挙で国民から審判を受ける。審判を受けるのは法制局長官ではない。私だ」と明言。20日には、憲法解釈見直しは国会論議を経ずに閣議決定で決めると答弁した。
これに対し、21日の自民党総務会で「閣議決定で解釈を変えていいのか。内閣法制局が精緻な答弁を積み重ねていくべきではないのか」と、異論が噴出した。戦後日本の安全保障政策を大転換することになる憲法解釈見直しには、与党内でも慎重論が多い。公明党の支持母体・創価学会の固い組織票に支えられて国政選挙を戦ってきた自民党の議員は、安倍が集団的自衛権行使容認を決めた場合の公明党の対応に気をもむ。
公明党代表・山口那津男は1月24日、「政策的な意見の違いだけで連立離脱は到底考えられない」と明言したが、最大の「武器」である連立離脱カードをやすやすと手放すはずはなく、安倍に方針転換を促した発言との見方が有力だ。
細川陣営に飛び交った罵声
2月9日に投開票された東京都知事選は、自民、公明両党が支援した元厚生労働相・舛添要一の圧勝に終わった。
安倍の「政治の師」だった元首相・小泉純一郎は、原発ゼロを掲げて元首相・細川護熙を応援したが、共産、社民両党推薦の前日弁連会長・宇都宮健児にも及ばず、3位に沈んだ。当初、小泉の挑戦を警戒した安倍は脱原発ムーブメントの不発に安堵し、予定通り原発再稼働を進める考えだ。
細川と小泉は96年、「行政改革研究会」を設立、同年8月には天下り原則禁止や郵便事業への民間参入自由化を柱とする緊急提言をまとめた仲だ。細川が首相就任後、太平洋戦争は侵略戦争だったと明言した際、異論が根強い自民党にあって小泉は「その通りだ」と細川に同調するなど、意外に波長が合う間柄だった。
「元首相タッグ」は注目を集めたが、細川陣営の選挙戦術は混乱を極めた。
細川と昵懇の元駐仏大使を父親に持つ元衆院議員・木内孝胤や、元総務相・鳩山邦夫の秘書だった元衆院議員・馬渡龍治が当初、選挙戦を取り仕切っていた。
馬渡らが目指したのは、原発ゼロを訴えの中心に据えてテレビ出演や街頭演説で世論喚起を図る「空中戦」だった。
だが、公約の取りまとめに手間取ったほか、細川が首相を辞める契機となった佐川急便からの借金問題をめぐる釈明の詰めに時間を要し、立候補表明から告示までにテレビ出演する機会を見送ってしまった。告示後は主要候補の扱いが平等になるため、思うようにテレビでの露出を増やせない。出馬の決断が遅れたことの代償だった。
政党色を極力排除するため、支援に動いた民主党の議員でさえ細川選対への出入りを禁じられた。ところが、1月23日の告示直後に行われた報道各社の調査で舛添優位の情勢が判明すると、かつて細川が率いた旧日本新党系の関係者が選挙戦術に異を唱えた。
選対事務局長を務めていた馬渡は解任され、細川周辺から「選挙戦を盛り上げてほしい」と要請された民主党議員らが選対に顔を出し始めた。
民主党は電話作戦などの組織戦を主張。演説では、社会保障や防災、東京五輪など脱原発以外のテーマにも触れるよう求めた。細川は1月31日、国会前での脱原発デモに参加したが、民主党関係者が「デモでの訴えは公選法違反に該当するかもしれない」と反対し、マイク・パフォーマンスを封じられた。
このころの陣営の選対会議では、細川の目の前で選挙戦術をめぐりしばしば怒鳴り合いになることもあった。細川は「こんなにも事務所内がもめるとは思わなかった」と、ぼやいたという。
さらに、首都圏を襲った大雪は、過去3番目という投票率の低さに繋がり、無党派層獲得を狙った細川の惨敗を決定付けた。
元航空幕僚長・田母神は、「ネトウヨ」(ネット右翼)と呼ばれる愛国的なネットユーザーらの支持を集め、大方の予想を上回る約61万票を得た。保守化傾向を強める世論を背景に、国政進出もうかがう。
政権の「中間選挙」ともいえる都知事選を乗り切った安倍は、集団的自衛権の行使容認手続きを加速させる。
有識者懇談会の議論や公明党との与党内協議を急ぐ背景には、4月から消費税率を引き上げた後の景気失速に対する不安がある。自身の求心力が健在なうちに最大の政策目標を実現する狙いだ。さらに、来年9月には安倍が再選を目指す自民党総裁選が予定される。大きな課題を片付けるなら年内、という計算があるのは間違いない。
「清和会はいないんですね?」
相変わらず自民党内に有力な「反安倍」勢力は存在せず、再選を阻む要因は見当たらない。みんなの党や日本維新の会を政権側に引き寄せ、野党の分断にも成功した。
とはいえ、政策決定に関して政府から自民党に対する説明が足りないとの反発が表面化しており、不穏なムードが皆無とはいえない。安倍が一昨年末の第2次政権発足以来、内閣改造や本格的な党人事に手を付けていないことには入閣待望組の不満が募っている。
「うちのムラはまだ総裁選対応を決めていない」
元財務相・額賀福志郎がトップを務める額賀派に隠然たる影響力を保持する元参院議員会長・青木幹雄は周囲にそう語り、安倍をけん制する。
来るべき人事で額賀派をどう処遇するか、見極めようという腹だ。
青木は同派出身の党幹事長・石破茂について、「石破は総裁選の地方票で勝ったが、国会議員票で負けた。うちが安倍についたからだ」と指摘。次期総裁選から地方票の比重が高まることを念頭に、石破を担ぐ可能性に言及している。消費税増税や環太平洋連携協定(TPP)交渉に地方の反発が強まれば、総裁選で安倍の対抗馬に地方票が集まる展開もあり得る。
当の石破は集団的自衛権の行使容認で安倍に歩調を合わせ、支える姿勢は揺らいでいないものの、自身が勝てる可能性が出てきたときにどんな対応に出るのか予断を許さない。
石破は2月、党幹事長特別補佐に腹心の前国対委員長・鴨下一郎を充てると決めた。この人事は官邸への根回しなしで実施された。安倍周辺では石破の真意をいぶかる声が上がった。
額賀派からみれば、首相の靖国参拝にからんでも、不信感を増す出来事があった。
額賀派の元少子化担当相・小渕優子ら日中友好議員連盟訪中団が昨年12月に訪中する際、小渕は安倍に事前報告した。
「清和会(町村派)の議員はいないんですね?」
そう念押しした安倍は、直後の同月26日、靖国を参拝。小渕らと中国副首相ら要人との会談はキャンセルされた。
小渕がメンツをつぶされたことで額賀派は不快感を抱き、安倍の独走を苦々しく見つめている。
石破以外の動きはどうか。内閣を支える立場の副総理兼財務相・麻生太郎は、安倍が失速した場合の後継は自身だとみて、麻生派の勢力拡大や他派閥との友好関係構築を進める。73歳という年齢を考えれば、再登板のチャンスは多くない。
12年の総裁選で推薦人を確保できず再選出馬断念に追い込まれた法相・谷垣禎一が、集団的自衛権行使容認に反対する自民党リベラル派に担がれることも想定される。弁護士出身の谷垣は2月14日の記者会見で「憲法解釈は時代で変遷する可能性も否定できないが、同時に安定性もないといけない」と、憲法解釈変更に前のめりの安倍にくぎを刺した。
6月22日に会期末を迎える通常国会後、9月の党役員人事に合わせて安倍が内閣改造などに着手する場合、石破や麻生ら総裁候補を引き続き要職にとどめて囲い込むとの観測がもっぱらだ。
石破は有力閣僚への横滑りが取り沙汰される。官房長官・菅の幹事長起用説もあるが、官邸を取り仕切って霞が関ににらみを利かせてきた菅が代われば、政権のパワーダウンは避けられないだろう。
「今の政治状況、どちらかというと右に傾きすぎる競争をしているグループがある。その対極にある共産党も元気になってきた。国民が期待をしている中道リベラル、穏健保守の支持層を集める担い手がみえなくなっているのが、日本の最大の課題だ」
民主党の前首相・野田佳彦は2月23日、岡山市内での会合で、現在の政治状況を評した。
安倍が集団的自衛権や教育委員会制度見直しなど「戦後レジームからの脱却」に血道を上げる中、戦後日本の国造りを主導してきた保守本流路線が衰退しているのは事実だ。
日本政治でぽっかりと空いたポジションを誰が取りに行くのか。それが来年の自民党総裁選や民主党代表選の対立軸となり、安倍の再選や野党再編の行方を左右するかもしれない。 
集団的自衛権
読売新聞の世論調査 集団的自衛権、解釈改憲派が多数? 3/7  
 米国が引き起こすクリミア紛争に日本も参戦!  
憲法の解釈改憲や9条に関する読売新聞(2014年3月15日付報道)の世論調査によれば、次のような結果となっています。  
憲法を「改正する方がよい」42%(昨年3月 51%)  
「改正しない方がよい」 41%(昨年3月 31%)  
集団的自衛権 「憲法の解釈を変更して使えるようにする」 27%  
「憲法を改正して使えるようにする」22%  
行使容認派計49%  
「これまで通り使えなくてよい」43%  
戦争放棄などを定めた憲法9条 「解釈や運用で対応する」 43%  
「解釈や運用で対応するのは限界なので改正する」30%  
集団的自衛権を認めよというのが日本国民の多数ということなのでしょうか。  
かなり大雑把な報道なのか、そもそも大雑把な世論調査項目なのかはわかりませんが、ひとくくりに憲法を改正すべきかどうかなどは質問事項としての意味があるようにも思えません。  
さて、憲法9条について改正せよ(要は軍事力の保有を正面から認め、集団的自衛権の行使にも憲法の明文上の根拠を与えるということ)は、30%に過ぎないということでもあります。  
ここから見えることは、集団的自衛権について憲法改正によるのは反対であるが、解釈の変更によって可能とするのが多数であるかのような結果ということでしょうか。  
恐らく憲法まで変えて憲法9条を実質、廃止してしまうような改憲には不安を覚えるが、ただ解釈の変更ならば、まだ憲法9条はそのまま維持されているし、歯止めになるんじゃないかという漠然とした感覚ではないかと思われます。  
とにかく安倍政権は、集団的自衛権を解禁したい、それが国際化だ、米国との歩調を合わせることが国益だと宣伝し、他方で、中国軍機が尖閣の領空侵犯を繰り返しているような報道が繰り返し行われている中で国民の中にも漠然とした不安があるからと思われます。  
しかし、この世論調査には大きな矛盾があります。  
解釈の変更でできてしまうという前提の問題です。憲法学では、このような集団的自衛権を認めるような解釈改憲は不可能というのは常識です。従来の内閣法制局の常識でもありました。  
憲法は、このような国家の枠組みとして軍事行動に縛りを掛けているのですから、その縛りを取っ払う手段としては憲法の「改正」しかないわけです。あくまで憲法が国家の行動を縛るためのものである以上、解釈による変更で、国家の縛りを解くなどということが許されようはずもないのです。  
ところが読売新聞の世論調査では、その大事な点がすっぽりと抜け落ちてしまっています。  
この点の産経新聞(FNN)の世論調査は露骨でした。誘導・誤導満載の悪意に満ちた世論調査でした。  
「FNNの世論調査は誘導が露骨、これに乗せられることこそファシズムへの道」  
それと比べれば読売新聞の世論調査はまだかわいいとは言えますが、それでも大事な点を抜かしてしまったものである以上、問題のある質問方法と言わざるを得ません。  
なお、かかる世論調査は参考程度の意味しかありません。憲法改正にはもっと厳しい改正要件を定めているのですから、この程度の世論調査を元に解釈改憲を合理化することができないのは当然のことです。  
ところで、集団的自衛権を解禁した場合、どのような効果があるのでしょうか。  
今、話題に上っているクリミア半島を巡る問題で、仮に米ロの対立が軍事衝突に発展した場合には日本はどのような行動を取ることになるのか。  
集団的自衛権の行使ということから日本は米国側に立って対ロ戦争に参戦することになります。  
このような例で見てみれば集団的自衛権の行使の解禁がいかに愚かなものであるかがわかろうというものですが、前述したとおり、世論調査に答えた方々は、集団的自衛権の行使の理解が十分でなく、むしろ尖閣問題が念頭にあるのかもしれません。また前掲産経(FNN)の世論調査が悪質な誤導だったように日本の「防衛」にとって不可欠のものという大いなる誤解をしているのかもしれません。  
集団的自衛権の行使の解禁は、要は米ロの武力衝突が起きたときには日本は米国側に立ってロシアに対し参戦するということなのです。  
集団的自衛権の行使の解禁を支持する人たちには、このような理解があるのかが問われているわけです。  
えっ? 米ロが武力衝突するはずがないですって?  
そうですね、私もあり得ないと思います。その意味では米中の軍事衝突もあり得ないと思います。  
せいぜい米ロ間では相互の「経済制裁」であって、これだっていずれなし崩し的に「解除」されているでしょう。それは米ロ両国にとって経済的にはマイナスでしかないからです。  
米中間だって同じ。  
そもそも尖閣程度の島をめぐって米国が対中戦争を始めるわけがありません。  
全面戦争になるかもしれいない尖閣での武力衝突には米国にとって何の経済的価値もありませんから。  
そして、そもそも中国が尖閣に武力侵攻すること自体、あり得ない話です。今の時点で現状変更のリスクを抱えてまで経済にマイナスになることをするはずもなく(相互の「経済制裁」は結局のところ双方にとってマイナス)、要は中国による尖閣への武力進行は、仮想敵国を作って軍拡を進めたい政権側のプロパガンダなのです。  
日本の防衛のためでもない、米国と日本の財界の利益だけのための集団的自衛権の行使の解禁。日本国民にとって何も良いことはありません。政府のプロパガンダに騙されてはいけません。
集団的自衛権 「限定的に容認」44% 4/20 毎日新聞
毎日新聞が19、20両日に実施した全国世論調査で、憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認について尋ねたところ、「限定的に認めるべきだ」と答えた人は44%だった。政府・自民党が行使容認に向けて想定している限定容認論が広がっていることがうかがえる。ただ「認めるべきではない」は38%で慎重意見も強い。「全面的に認めるべきだ」は12%にとどまった。  
限定容認論は、他国への武力攻撃が日本の安全に密接に関係していることなどを条件として限定的に行使を認める考え方。安倍晋三首相が言及したほか、自民党の高村正彦副総裁が「1959年の最高裁判決(砂川判決)に基づく必要最小限度の行使容認」が憲法解釈の変更で可能との考えを表明している。  
集団的自衛権の行使を巡っては、海外派兵などで武力行使の歯止めが利かなくなるのではないかという懸念がある。「限定的」と強調して世論の理解を得ることを目指す政権の手法が一定程度、奏功しているとみられる。  
自民、公明両党は集団的自衛権を巡る与党協議を始めており、公明の対応が焦点だ。「認めるべきではない」は自民支持層では約2割だったのに対し、公明支持層では3割強だった。  
憲法改正手続きを定め、投票年齢を改正法施行の4年後に18歳以上に引き下げる国民投票法改正案に関しては、18歳への引き下げに「賛成」は49%で、「反対」は44%だった。民法の成人年齢や公職選挙法の投票年齢が20歳以上の現状で、世論は二分されている。 
集団的自衛権「反対」49%賛成38% 原発再稼働反対も55% 4/20 日経新聞
日本経済新聞社の世論調査では、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更に49%が反対し、賛成の38%を上回った。原子力発電を重要電源と位置 づけ、安全が確認された原発の再稼働を進めるとしたエネルギー基本計画への反対も5割を超えた。安倍政権が掲げる重要政策の浸透は道半ばといえ、懸念の払 拭に向けて丁寧な政権運営が求められそうだ。  
集団的自衛権は米国など同盟国が他国から攻撃を受けた際、日本が直接攻撃されていなくても反撃に加わる権利。現在の憲法解釈では行使を認めていないが、 安倍晋三首相は行使に向けて解釈を変更したい考え。野党にも賛成意見があるが、公明党は反対しており、世論は割れている。  
集団的自衛権の行使容認は、自民支持層に限れば賛成が56%で、反対の32%を上回った。一方、無党派層では反対が62%に上り、賛成は22%にとどまった。公明支持層も無党派層と同じような比率だ。性別でみると、男性は50%が賛成だが、女性は27%にとどまった。  
自民支持層と無党派層の間で、支持・不支持の傾向の違いはエネルギー政策でも目立つ。政府が11日の閣議で決めたエネルギー基本計画は、安全が確認され た原発を動かす方針を記し、原発の再稼働に一歩踏み出した。自民支持層は賛成が47%で反対の42%を上回った。無党派層では反対が65%を占めた。年齢 別では20〜30歳代のみ賛成が反対を上回り、40歳代以上と違いを見せた。  
政府が2015年10月に予定する消費税率の8%から10%への引き上げを巡っては反対の60%が賛成の32%をなお、大きく上回っている。無党派層に限ると、反対が67%を占めた。自民支持層では賛成が42%、反対が49%だった。  
首相は今年12月に消費税率の10%への引き上げを決断する方針だが、今後の景気回復なども絡み、難しい判断を迫られる。安全保障、エネルギーなど他の分野の重要政策に関しても、幅広い層に理解を得る必要がありそうだ。
集団的自衛権の行使容認「反対」が56% 4/22 朝日新聞
安倍政権が目指す「憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認」に対して、56%の人が「反対」していることが世論調査でわかった。22日、朝日新聞デジタルが世論調査の結果を報じた。 朝日新聞社が19、20日に実施した全国世論調査(電話)で、安倍晋三首相が目指す憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認について尋ねたところ、「反対」は56%で、「賛成」の27%を上回った。今国会中に憲法解釈を「変える必要がある」は17%にとどまり、「その必要はない」の68%が圧倒した。  
集団的自衛権に関する質問と回答は、以下の通り。  
集団的自衛権についてうかがいます。集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか。  
 賛成 27 反対 56  
また、公明党に配慮するため、自民党の石破茂幹事長は2日、安倍首相に解釈変更の閣議決定を先送りして自衛隊法など個別法の改正で対応することを提案した。首相はこの案に難色を示したという。20日、朝日新聞デジタルが報じた。  
憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認について、自民党の石破茂幹事長が今月2日、公邸で安倍晋三首相と会談した際、解釈変更の閣議決定を先送りしたうえで、自衛隊法など個別法の改正で対応することを提案していたことがわかった。ただ、安倍首相はこの案に難色を示し、結論は出なかった。  
47NEWSによれば、全国50超の市町村議会が2013年9月以降、集団的自衛権の行使容認について反対の意見書を参院両院に提出していたという。地方の懸念も浮き彫りになっている。18日までに国会に意見書を提出した地方議会は、以下の通り。  
衆院に51、参院に52の市町村議会から届き、北海道、福岡県など17都道府県に及ぶ。別に3議会は慎重論議を要請した。行使容認を求める意見書は提出されていない。  
【反対】北海道芦別市、小樽市、士別市、奈井江町、仁木町、本別町、斜里町▽青森市▽岩手県二戸市▽福島県石川町▽茨城県取手市▽埼玉県鳩山町▽東京都小金井市▽神奈川県座間市、大和市、葉山町▽山梨県市川三郷町▽長野県佐久市、中野市、小布施町、富士見町、飯綱町、南木曽町、松川町、上松町、下諏訪町、飯島町、坂城町、木曽町、山ノ内町、長和町、高山村、泰阜村、木祖村、大桑村、山形村、野沢温泉村、筑北村、中川村、阿智村、豊丘村▽愛知県岩倉市、扶桑町▽滋賀県湖南市、守山市▽京都府向日市▽大阪府吹田市▽広島県庄原市▽高知県土佐市▽福岡県大牟田市、太宰府市、中間市  
【慎重論議】長野県松川村、生坂村▽愛知県大府市 
集団的自衛権 4/26.27 テレビ朝日
集団的自衛権  
日本は、憲法第9条で、他国から直接攻撃を受けた場合のみ、武力行使することができるとされています。あなたは、これを変えて、日本と密接な関係にある国が攻撃を受けて、協力を求められた場合も、集団的自衛権を使って、自衛隊を海外に派兵して武力行使できるようにする必要があると思いますか、思いませんか?  
 >>> 思う31% / 思わない50% / わからない、答えない19%  
安倍総理は、憲法を改正しないで、第9条の解釈を変えることで、海外での武力行使ができるようしようとしています。あなたは、憲法を改正せずに、解釈でできるようにすることを、支持しますか、支持しませんか?  
 >>> 支持する23% / 支持しない54% / わからない、答えない23 %  
TPP  
安倍内閣は、輸入を制限するために、関税を撤廃しないと公約してきた農産物5項目について、撤廃しないかわりに、関税を引き下げることで交渉を進めている模様です。あなたは、関税引き下げを支持しますか、支持しませんか?  
 >>> 支持する42% / 支持しない27% / わからない、答えない31%  
あなたは、農産物5項目に関わる関税の引き下げは、安倍内閣や自民党が約束してきた公約に反するものだと思いますか、思いませんか?  
 >>> 思う35% / 思わない30% / わからない、答えない35% 
集団的自衛権決裂なら「公明党と連立解消を」6割 4/29 産経新聞
産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)が26、27両日に実施した合同世論調査で、安倍晋三首相が目指す集団的自衛権の行使容認について「必要最小限度で使えるようにすべきだ」との回答が64・1%に上った。「全面的に使えるようにすべきだ」(7・3%)をあわせて、7割以上が行使容認に賛意を示している。  
憲法解釈の変更による行使容認を目指す自民党と、慎重な公明党の調整が「決裂」した場合の「連立解消」を支持する人は59・9%に達した。行使容認に前向きな日本維新の会、みんなの党の支持層の8割以上が支持しており、行使容認の議論が進めば、政権の枠組み変更を求める声が強まりかねない。  
集団的自衛権の行使に賛成した人のうち「憲法改正が望ましいが、当面、解釈変更で対応すればよい」が45・1%を占め、自民党の方針が一定の支持を受けているようだ。「憲法解釈の変更は認められず、必ず憲法の改正が必要だ」との回答は28・9%だった。  
憲法解釈で現在認められていない米国に向かう弾道ミサイルの迎撃は「賛成」が57・7%で多いが、「米艦防護」については反対が44・4%で多かった。 
集団的自衛権「否定」45% 行使容認上回る 4/30 北海道新聞
5月3日の憲法記念日を前に、北海道新聞社は憲法に関する道民世論調査を行った。安倍晋三首相が憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使容認を目指していることについては「集団的自衛権の行使を認めない」が45%で、「行使できるようにする」の40%を上回った。憲法改正への賛否では改憲派が60%に対し、護憲派が39%だった。2004年以降の同様の世論調査はいずれも改憲派が7割台だったが、大きく減少した。憲法改正については「全面的に改めるべきだ」が8%、「一部を改めるべきだ」が52%。改憲派は昨年12月の前回調査より10ポイント減った。一方、「改正する必要はない」とする護憲派は前回より11ポイント増え、04年以降では最多。憲法9条の「陸海空軍その他の戦力は保持しない」という条文については「変更しなくてもよい」が51%で最多。「変更して、自衛隊を持つことを明記すべきだ」が35%、「変更して、軍隊を持つことを明記すべきだ」が10%だった。 
9条改憲、反対62%に増 解釈改憲も半数反対 4/30 東京新聞
来月三日の憲法記念日を前に本紙は二十五〜二十七日、全国の有権者約千五百人を対象に世論調査を実施した。戦争放棄や戦力を保持しないと定めた憲法九条について「変えない方がよい」が62%で、「変える方がよい」の24%を大きく上回った。集団的自衛権の行使容認に向け安倍晋三首相が意欲を示す九条の解釈改憲でも「反対」が半数の50%を占め、慎重な対応を求める民意が浮き彫りになった。「賛成」は34%にとどまった。  
本紙が参院選前の昨年六月に実施した前回調査では憲法九条を「変えない方がよい」は58%、「変える方がよい」は33%。今回は「変えない」が4ポイント増、「変える」が9ポイント減となった。  
解釈改憲をめぐっては五月の連休明けにも政府は自民、公明の両与党との本格的な協議を始める。ただ、最優先で取り組むべき政治課題について尋ねたところ「経済対策」の34%をトップに「社会保障改革」(21%)、「震災復興」(17%)などと続いた。「憲法9条の解釈見直し」は4%にとどまり、民意とのずれを示す結果になった。  
安倍首相は当初、憲法九六条を先行的に見直し、国会手続きを緩和するなどして九条の改憲につなげようとしたが、現在は国会手続きも経ない閣議決定による解釈改憲へと方針を転換。こうした首相の政治姿勢に対し「政治のルールを軽視した強引な対応」(35%)、「一貫性がなく信頼できない」(17%)との批判的な回答が半数を超えた。
集団的自衛権、行使容認71% 5/12 読売新聞
政府が目指す集団的自衛権の行使に関して、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」とした「限定容認論」を支持する人は63%に上ることが、読売新聞社の全国世論調査で分かった。  
「全面的に使えるようにすべきだ」と答えた8%と合わせて計71%が行使を容認する考えを示した。行使容認論の国民への広がりが鮮明となり、近く本格化する集団的自衛権を巡る与党協議にも影響を与えそうだ。  
9〜11日に実施した世論調査では、限定容認論を選んだ人が前回調査(4月11〜13日)より4ポイント上昇した。一方、「使えるようにする必要はない」と答えた人は25%で、前回より2ポイント下がった。  
支持政党別にみると、限定容認論への支持は、自民支持層で7割を超えた。公明党は集団的自衛権の行使容認に慎重だが、限定容認論を選んだ同党支持層は7割近くに上り、党と支持者の間で考え方に隔たりがあった。民主支持層と無党派層でも、限定容認論はいずれも6割近くに上った。
集団的自衛権、71%が容認 5/12
読売新聞社が2014年5月9日から11日にかけて行った世論調査によると、71%が集団的自衛権の行使を容認する考えを示した。大半が「限定容認論」を支持しているが、8%は全面的に容認する考えだ。  
設問の内容は  
「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。政府はこれまで、憲法上、この権利を使うことはできないとしていました。この集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものを、1つ選んで下さい」 というもの。「使えるようにする必要はない」という選択肢を選んだ人が25%にとどまったのに対して、「全面的に使えるようにすべきだ」が8%、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」は63%にのぼった。  
一方、朝日新聞社が4月19〜20日に行った世論調査では、容認に否定的な結果が出ている。  
「集団的自衛権についてうかがいます。集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか」  
という問いに対して、賛成は27%にとどまり、反対は56%にのぼった。
集団的自衛権:政府方針「方向性」に 公明・世論に配慮 5/13 毎日新聞
安倍晋三首相は集団的自衛権の行使容認に向け、政府の考え方を示す「基本的方向性」を15日に記者会見して発表する。「方向性」というあいまいな表現は公明党や世論の慎重論に配慮し、結論ではなく途中段階であることを強調するための苦肉の策だ。ただ、首相は根幹は譲らず、手順を踏んで行使容認に突き進んでいるのが実態だ。自民、公明両党は相互に不信感を抱えたまま20日に協議をスタートする。  
菅義偉官房長官は13日の記者会見で「首相から政府としての検討の進め方についての基本的方向性を示す予定だ。その上で与党とも相談の上で対応を検討する」と語った。  
政府は当初、首相の私的懇談会「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告書を受け取った後に「政府方針を出す」(4月9日の菅氏の記者会見)と説明していた。しかし、与党協議を始める前に政府方針を示してしまえば、「結論ありき」との批判が想定され、「基本的方向性」との位置づけに落ち着いた。  
15日に首相が記者会見する際にも、起こり得る事態に現在の法律では対処できない不備があることを指摘するにとどめ、集団的自衛権の行使容認に踏み切るかの最終判断は、与党協議の結論を待つとの姿勢を示すことになりそうだ。報告書の提出と首相の表明を同日にしたのも、検討範囲を絞り込む姿勢を明確にすることで、慎重論に配慮した手順だ。  
背景には、政府方針をめぐる水面下の接触ですでに公明党から反発が出ていることがある。政府高官や自民党の高村正彦副総裁らは、公明党実務者トップの北側一雄副代表と会談を重ね、首相の表明を「自公が深刻な対立に至らない範囲にとどめる」(自民党関係者)ように調整してきた。首相は13日の自民党町村派のパーティーで「連立関係は揺るぎない」と強調した。  
ただ、首相は「長年、目指してきた集団的自衛権の行使容認をぶれずに断行するつもりだ」(政府高官)とされる。表現などで配慮はしても、今秋の臨時国会前に行使容認のための政府方針を閣議決定し、臨時国会に自衛隊法改正案などを提出する構えは崩していない。  
公明党の山口那津男代表は13日の記者会見で、安倍政権の発足時の与党政策合意では景気回復などを優先課題としていたことに触れ、「政権合意に書いていないテーマに政治的エネルギーが行くことを国民は期待していない」と首相をけん制した。与党協議の行方はなお不透明だ。 
世論調査で集団的自衛権の行使容認は過半数超え 5/13
大手紙で唯一、世論調査を先延ばしで様子見だった読売新聞であったが遂に1面トップで報じた。結果は、「集団的自衛権で71%が容認、「限定」容認なら63%」と産経新聞と遜色なかった。これによって、大手紙の集団的自衛権に関する世論調査は下記のようにまとめることができよう。  
読売新聞(5月9-11日)  全面賛成8% 限定賛成 63% 反対 25%  
朝日新聞(4月19-20日) 賛成 27% 反対 56%  
毎日新聞(4月19-20日) 全面賛成 12% 限定賛成 44% 反対 38%  
産経新聞(4月26-27日) 全面賛成7% 限定賛成 64% 反対 26%  
この結果で明確な事実は、4紙中3紙が集団的自衛権の行使で全面賛成と限定賛成を合わせれば過半数を占めて、朝日新聞だけ全面賛成も限定賛成の選択肢が無く賛否の二者択一なことである。つまり、朝日新聞だけ設問が一様で無く、結果に類似性が無く、統計の参考にならないのである。  
集団的自衛権行使に反対する左翼勢力は、設問が間違っている、選択肢が間違っている、憲法改正か閣議決定かを問わないことが間違っていると行使容認が過半数となった事実に目を向けない。  
憲法改正だろうが閣議決定だろうが方法論に関わらず、集団的自衛権の行使を限定容認すべきが過半数の支持を得ていることは、朝日新聞以外の大手3紙が共通する世論調査の結果なのである。  
このことは、読売新聞の設問と朝日新聞の設問を比較した下記の記事を見れば非常に理解できる。  
[J-CAST 5月12日]集団的自衛権、71%が容認 読売調査  
読売新聞社が2014年5月9日から11日にかけて行った世論調査によると、71%が集団的自衛権の行使を容認する考えを示した。大半が「限定容認論」を支持しているが、8%は全面的に容認する考えだ。  
設問の内容は「日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。政府はこれまで、憲法上、この権利を使うことはできないとしていました。この集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものを、1つ選んで下さい」というもの。「使えるようにする必要はない」という選択肢を選んだ人が25%にとどまったのに対して、「全面的に使えるようにすべきだ」が8%、「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」は63%にのぼった。  
一方、朝日新聞社が4月19〜20日に行った世論調査では、容認に否定的な結果が出ている。「集団的自衛権についてうかがいます。集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか」という問いに対して、賛成は27%にとどまり、反対は56%にのぼった。  
これを見れば、集団的自衛権の行使の説明については読売新聞も朝日新聞も遜色ない内容である。  
読売新聞 / 日本と密接な関係にある国が攻撃を受けたとき、日本への攻撃とみなして反撃する権利を『集団的自衛権』と言います。  
朝日新聞 / 集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです。  
さらに、これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできない説明も遜色ない内容である。  
読売新聞 / 政府はこれまで、憲法上、この権利を使うことはできないとしていました  
朝日新聞 / これまで政府は憲法上、集団的自衛権を使うことはできないと解釈してきました。  
唯一違うのは、集団的自衛権について回答する選択肢を与えたのか与えなかったのかだけである。  
読売新聞 / この集団的自衛権について、あなたの考えに最も近いものを、1つ選んで下さい。全面的に使えるようにすべきだ。必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ。使えるようにする必要はない。  
朝日新聞 / 憲法の解釈を変えて、集団的自衛権を使えるようにすることに、賛成ですか。反対ですか  
なぜ、朝日新聞は集団的自衛権の行使で全面容認、限定容認、行使反対にしなかったのだろうか。なぜ、朝日新聞は賛成、反対以外に「どちらともいえない」の選択肢が無かったのだろうか。朝日新聞が、集団的自衛権の行使で全面容認、限定容認、行使反対の選択肢にしなかった理由は他3紙の如く全面容認と限定容認を合わせて過半数超えの結果となることを恐れたためである。  
このことは、読売新聞、毎日新聞、産経新聞の世論調査で過半数の結果を見れば明らかであろう。朝日新聞が、朝日新聞は集団的自衛権の行使で賛成、反対以外に「どちらともいえない」の選択肢を加えず二者択一だった理由は反対が過半数超えの結果にならないことを恐れたためである。  
このことは、NHKによる世論調査で集団的自衛権の行使についての結果を見れば明らかとなる。  
NHK安倍内閣「支持56%」「支持しない29%」  
NHKの設問は、朝日新聞と同様「憲法解釈を変更することで、集団的自衛権を行使できるようにすること」に「賛成」「反対」「どちらともいえない」の3つの選択肢を用意したのである。  
その結果は、「賛成」27%、「反対」30%、「どちらともいえない」36%だったのである。  
朝日新聞の、「賛成」27%、「反対」56%と見比べれば朝日新聞の何が問題か明らかである。  
つまり、朝日新聞の世論調査では集団的自衛権の行使容認に「賛成」を過半数超えを阻止するため、大手他紙と違えて解答欄から「全面容認」と「限定容認」の選択肢を削除したのである。朝日新聞の世論調査では集団的自衛権の行使容認に反対の回答を過半数超えを確実にするため、NHKと違えて解答欄から「どちらともいえない」の選択肢を削除したのである。その結果、朝日新聞だけ世論調査で集団的自衛権の行使容認に反対が過半数を突破したのである。
集団的自衛権の世論調査、各社で違い 選択肢数など影響 5/14 朝日新聞
安倍首相が目指す憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認は政治の最大の焦点になっている。それだけに、報道各社は電話による世論調査でこの問題について質問し、民意を探ろうとしているが、調査結果には大きな違いがあるようにみえる。世論調査の回答は、質問の順番や文章などに影響されることがあり、今回は選択肢の立て方や文言が異なっていることが大きそうだ。4月中旬の共同通信、日本経済新聞・テレビ東京、朝日新聞の調査は、集団的自衛権について説明した上で、憲法の解釈を変えて集団的自衛権を行使できるようにすることに「賛成」か「反対」か、二択で尋ねている。結果は多少異なるものの、いずれも「反対」が「賛成」を上回るという傾向は一致している。一方、毎日新聞、産経新聞・FNN、読売新聞の調査では選択肢は三つ。集団的自衛権の行使を必要最小限に限るとする、いわゆる「限定容認論」を選択肢に加えたのが特徴で、「全面的に使えるようにすべきだ」「必要最小限の範囲で使えるようにすべきだ」「使えるようにする必要はない」といった三択になっている。結果をみると、「全面」賛成派は1割前後にとどまるが、「限定」賛成派は最多の4〜6割。反対派は2〜4割だった。「全面」と「限定」を合わせると、賛成派は反対派を上回る。二択では反対派が多数なのに、三択になると賛成派が多数になるのはなぜか。 
集団的自衛権、反対50%=賛成37% 5/16 時事通信
時事通信が9〜12日に実施した5月の世論調査で、安倍晋三首相が意欲を示す集団的自衛権の行使容認について、反対が50.1%に上り、賛成37.0%を上回った。賛成と答えた人のうち、「憲法解釈変更で認めてよい」は50.8%、「解釈変更ではなく、憲法改正すべきだ」は45.3%だった。首相が目指す憲法解釈変更による行使容認を支持する人は、全体では2割に届いていない計算になる。行使容認の賛否を支持政党別にみると、自民支持者は賛成58.8%、反対32.8%。公明支持者は賛成32.6%、反対54.3%。全体の約6割を占める無党派層では、賛成29.7%、反対55.4%だった。男女別では、男性は賛否が拮抗(きっこう)し、女性は反対54.3%、賛成26.3%だった。  
集団的自衛権は、自国と密接な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合、自国が攻撃されていなくても、実力で阻止する権利。政府は憲法解釈で行使を禁じており、首相は15日、行使を可能にする解釈変更の検討を加速する方針を表明した。 
海外メディア、反応はまちまち 集団的自衛権の行使容認 5/16
日本の集団的自衛権の行使を容認する動きについて、海外メディアの反応はまちまちだった。中国と韓国では、日本が北東アジアの軍事的緊張を高めるとの指摘など日本に批判的な論調が目立った。欧米メディアからは行使の条件など細部でより議論が必要との指摘もあった。  
中国共産党機関紙、人民日報系の環球時報は16日の紙面で「安倍政権は日本を『戦争の道』へと向かわせている」との見出しを付け、安倍政権の動向を警戒すべきだと呼びかけた。記事では日本の学者を引用する形で「安倍晋三首相の真意は、日本帝国を再興させるところにある」との見方を伝えた。  
日本の国内世論では集団的自衛権の容認に反対する声が多いと指摘した上で、安倍政権が強引に意思決定を進めているとも分析した。  
韓国メディアは批判的な論調で大きく報じている。最大手紙の朝鮮日報は16日付朝刊で1面と2面を使い「(首相の)目標は平和憲法の無力化」などと報道。北東アジアの軍拡競争を触発しうると懸念を示した。  
通信社の聯合ニュースは15日に「いわゆる大東亜共栄圏を掲げて軍国主義の歩みに拍車をかけた当時と同じ国になるということだ」との論評を配信した。  
英フィナンシャル・タイムズは15日付の電子版で「安倍氏が軍事面での自由度を広げ、北京に対抗する地域の同盟を強化しようとしている印象が強まった」と指摘。「集団的自衛権を行使するうえで、自衛隊にどのような制約を加えるかは言及しなかった」とし、一層の議論を促した。  
ロイター通信は「戦後の日本の安全保障政策において歴史的な変化になる」と紹介した。仏AFP通信は日本の世論調査で解釈変更への反対が増えていることを紹介し「連立相手である公明党との分裂につながりかねない」との見方を示した。 
憲法解釈はどうやって変えられてきたか  
自民党の中で集団的自衛権の議論が始まった。その中には憲法解釈の変更という論点も含まれる。これまで憲法解釈はどうやって変えられてきたのだろうか。これまでに憲法解釈が変更されたと内閣法制局が認めているケースがひとつある。憲法第66条第2項に規定する「文民」と自衛隊との関係に関する見解だ。  
質問主意書に対する答弁書で内閣はこう述べている。  
 
『憲法の解釈・運用の変更』に当たり得るものを挙げれば、憲法第66条第2項に規定する『文民』と自衛官との関係に関する見解がある。  
すなわち、同項は、『内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない』と定めているが、ここにいう『文民』については、その言葉の意味からすれば『武人』に対する語であって、『国の武力組織に職業上の地位を有しない者』を指すものと解されるところ、自衛隊が警察予備隊の後身である保安隊を改めて設けられたものであり、それまで、警察予備隊及び保安隊は警察機能を担う組織であって国の武力組織には当たらず、その隊員は文民に当たると解してきたこと、現行憲法の下において認められる自衛隊は旧陸海軍の組織とは性格を異にすることなどから、当初は、自衛官は文民に当たると解してきた。  
その後、自衛隊制度がある程度定着した状況の下で、憲法で認められる範囲内にあるものとはいえ、自衛隊も国の武力組織である以上、自衛官がその地位を有したままで国務大臣になるというのは、国政がいわゆる武断政治に陥ることを防ぐという憲法の精神からみて、好ましくないのではないかとの考え方に立って、昭和40年に、自衛官は文民に当たらないという見解を示したものである。  
(内閣衆質159第114号 平成16年6月18日)  
  
その昭和40年5月31日の衆議院予算委員会をみてみよう。  
石橋政嗣委員 それから、この防衛庁長官の問題で一つただしておきたいと思うことがあるわけです。それは、防衛庁長官が文民であるということが一つシビリアンコントロールの柱として常にあげられるわけなんです。ところが、現在の日本国憲法は軍備放棄をいたしておりますから、軍事条項というのは全然ありません。だから、シビリアンコントロールについても憲法にその根拠を求めることは不可能なんであります。しいてあげる方がこの憲法六十六条の文民条項というのをあげるのですが、ここで問題になるのは、制服の諸君がこの文民条項に該当するかどうかということですよ。排除されるのかどうかということです。この点については政府の中でも妙な議論があるようでございますので、念を押しておきたいと思うのですけれども、将来内閣総理大臣の考え方によってはユニホームの諸君でも防衛庁長官になり得るのかということです。この点いかがお考えになりますか。  
佐藤栄作内閣総理大臣 これはたいへん大事な問題ですし、ことに法制局でいろいろ検討しておりますから、間違わないように長官から説明させます。  
高辻正巳政府委員(内閣法制局長官) 文民の解釈は、率直に申し上げまして、憲法制定当時から、政府のみならず学者の面におきましてもかなり問題になったところでございます。石橋先生御承知のとおりに、これは第九十回帝国議会で審議している際に、当時の貴族院でやっております場合に、アメリカのほうから、もっと詳しく言えば極東委員会でございますが、そこから要求がありまして、実は貴族院の段階で入った。当時、シビリアンでなければならないという、このシビリアンを何と訳すべきか、実はそのときから問題があったわけでございます。詳しいことは別としまして、さてそれでは解釈をどうするかということにつきましては、多くの学者は、旧職業軍人の経歴を有しない者というのがほとんど圧倒的な考え方でございます。政府のほうはどう言っておったかと申しますと、これも御承知のとおりに、旧職業軍人の経歴を有する者であって軍国主義的思想に深く染まっている者でない者、そういうようなふうに言っておりました。  
これにつきましては、憲法制定当時に実は国の中に武力組織というものがなかったわけで、これを意義あるものとしてつかまえようとしますれば、どうしてもそういう解釈にならざるを得なかった。そういう解釈から言いまして、いままで−−−いままでと申しますか、憲法制定当時からのそういう解釈の流れから申しまして、自衛官は文民なりという解釈にならざるを得なかったのであります。これは、憲法制定当時の日本における状況から申しまして、そう解することについていわれがあったと私は思いますけれども、さてしからば、いまひるがえって考えてみます場合に、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」という趣旨は、やはり国政が武断政治におちいることのないようにという趣旨がその規定の根源に流れていることはもう申すまでもないと思います。したがって、その後自衛隊というものができまして、これまた憲法上の制約はございますが、やはりそれもまた武力組織であるという以上は、やはり憲法の趣旨をより以上徹して、文民というものは武力組織の中に職業上の地位を占めておらない者というふうに解するほうが、これは憲法の趣旨に一そう適合するんじゃないかという考えが当然出てまいります。  
結論的に申しまして、いままでくどくどと申し上げましたが、文民の解釈についてのいままでの考え方というものは、これは憲法が制定されました当時からの諸種の状況で了解されると思いますが、これにはいわれがなかったわけではないと思いますけれども、平和に徹すると総理がよくおっしゃいますそういう精神は日本国憲法の精神そのものでございますが、そのことから考えました場合に、自衛官はやはり制服のままで国務大臣になるというのは、これは憲法の精神から言うと好ましくないんではないか。さらに徹して言えば、自衛官は文民にあらずと解すべきだというふうに考えるわけでございます。この点は、実は法制局の見解として、佐藤内閣になってからでございますが、その検討をいたしまして、防衛庁その他とも十分の打ち合わせを遂げまして、そういう解釈に徹すべきであろうというのがただいまの私どもの結論でございます。  
石橋委員 この条項一つとってみても、現行憲法というものが一切の軍備というものを否定しておるということが明らかなんですよ。だから、法制局長官がおっしゃるような解釈しか出てこないわけなんです。ただ、いまの解釈によりますと、従来の法制局の見解よりも一歩前進しておりますね。この点変わっております。というのは、この文民条項によって排除されるものは軍国的色彩の強い旧職業軍人に限る、いままでの法制局の見解はここでとどまっておった。ところが、いまの高辻さんの答弁によりますと、やはり憲法の精神から言って、自衛官がそのままで防衛庁長官になる、国務大臣になるということは、これは排除されるべきだ、こういう一歩進んだ見解を述べておられますので、これはやはり総理大臣の追認が必要だと思います。どうぞお願いします。  
佐藤内閣総理大臣 私も、法制局長官のただいま答弁したとおりだと、かように考えております。憲法解釈の変更は、この一点だけだというのは「内閣法制局」の解釈であるが、この時は内閣法制局長官が答弁し、総理がそれを追認するという形で行われた。ただし、憲法解釈はこれしかないというのは、内閣法制局の主張であるということには気を付けなければならない。 
「株価依存内閣」の危うい舵取り 2014/4
 成長戦略を描けず伸び悩む経済。外交では首相周辺の不甲斐なさが目立つ。
ロシアのクリミア併合と中国の進出。2つの帝国主義勢力の勃興は、「冷戦後」を終わらせ、世界を20世紀前半の弱肉強食時代に戻しつつある。日本は、どう対処すべきなのか。艦長としてその舵をとるべき首相・安倍晋三は内政、外交ともに誤算が続き、身動きがとれない。東日本大震災から3年を迎えた日からの2週間ほどを振り返るだけでも、明瞭になる。
「アベノミクスのバロメーターは、なにより株価だ」
3月11日、首相官邸。安倍は居並ぶ経済関係閣僚を前に漏らした。
安倍の側近、経済再生担当相・甘利明が8%への消費増税、6月の成長戦略とりまとめを控えて呼びかけ、経済財政諮問会議の閣僚メンバーを集めた会合だった。副総理・財務相の麻生太郎、官房長官・菅義偉も顔をそろえた。
「事務方がいては率直な議論ができない」と甘利が関係省庁の官僚を出席させなかった席での安倍の発言。内閣支持率が高止まりし、国会もすいすいと乗り切る源が株高である。この政権は「株価依存内閣」であると、ほかの誰よりも安倍自身が承知していると告白した発言でもある。
民主党政権の8000円台から一気に跳ね上がった株価は、昨年末に1万6000円台をつけて以降は伸び悩む。金融緩和、財政出動に続く第三の矢となるはずの成長戦略、中でも核となる規制緩和に「見るべきものはない」と市場関係者も官僚たちも、見切ってしまっているからだ。
危機感を強めるのは官房長官の菅だ。菅は安倍に「とにかく経済優先で」と説き、靖国参拝にも最後まで反対の立場をとった。それだけに、株価の下落傾向が定着してしまえば自らの立場は揺らぎ、政権の勢いも失われる。
首相官邸で横目にする日経平均株価のボードは、師と仰ぐ元官房長官・梶山静六が旧官邸時代に初めて持ち込んだ。株価と支持率、政権の勢いが密接に絡み合い始めたのは梶山が官邸にいた1990年代後半を嚆矢とする。梶山は山一證券の自主廃業に端を発した金融危機への対応策として、10兆円の国債を発行して破綻処理と財政出動に充てる案を官房長官退任後に打ち出し、官僚群を驚かせた。「あんなアイデアはないものか」と菅は日々、株価の即効薬を探すが、妙案はみあたらない。
3月19日、諮問会議で菅は「法人税の実効税率引き下げに来年から取り組んでほしい。首相は引き下げを明言している」と下げ幅、実施時期まで明確にするよう促した。
1週間前の3月12日には都内のホテルに中堅・若手議員を集めて法人税の勉強会を開いた。「党の税制調査会が税の権限を握っているのはおかしい」を持論とする菅が、安倍と経済閣僚による「御前会議」の結果を踏まえ、自民党内から援護射撃させる戦略である。
それでも市場は冷たい。
外国人投資家、株式ディーラーたちは「昨年と同じように、今年もできない」「安全保障政策に気をとられている安倍政権が、財務省の反対する法人税引き下げを実現できるのか」と会話を交わした。
法人減税以外に、アベノミクス効果を維持する手段はみあたらないというのが「経済優先」を唱える菅、そして経産省出身の首相政務秘書官・今井尚哉の共通認識。第一次安倍内閣で経産相を経験した甘利も「骨太の方針に、法人税引き下げの方向性はできるだけ具体的に書きたい」と後押しした。昔ながらの商工族が一致団結し、法人減税に反対する財務省を屈服させようというのだ。
菅はもう1つの課題でも財務省と対決姿勢をとる。2015年10月に予定する10%への消費税再引き上げだ。
「10%の前提で持ってくるな」
戦後3番目のスピードで本予算が成立し、早くも2015年度予算の政策を「ご説明」に来る官僚たちを、菅はこう言って押し返す。
予算カレンダーでいえば6月には成長戦略と骨太方針が確定し、これをもとに概算要求基準を定め、各省の要望が決まる。10%への引き上げ判断の「今年末まで」という期限は、実は「来年度予算編成にぎりぎりで間に合う」意味しかない。中央官僚界での既成事実は、どんどん積み上がっていく。
菅が消費税10%に慎重なのは、安倍とも気脈を通じる。8%への引き上げでさえ、最後の最後まで悩んだ安倍は今、「再増税は白紙だ」と周囲に漏らす。
消費増税の影響、株価の動向を見極め、場合によっては消費税を8%のまま据え置く――安倍の本音はこれだ。
7―9月期の景気指標がそろうのは11月。そこまで株価を持たせるのが、政権の至上命題なのだ。
「もったいない……」
しかも、株価には思わぬ「敵」があらわれた。外交だ。
ウクライナ問題が緊迫し、クリミア自治共和国が住民投票でロシアへの編入を支持。ロシア大統領・プーチンは3月18日、直ちにクリミアを併合した。
「これではロシアと北方領土問題交渉はできない」
国会答弁の勉強会などで、安倍を中心とする政権中枢はこう判断せざるを得なかった。翌3月19日、参院予算委員会で安倍は「ウクライナの統一性と主権、領土の一体性を侵害するもので、非難する」と踏み込んだ。これまで我慢して控えてきた「非難」を初めて使っただけではない。重要なのは、次の表現だった。
「我が国は力を背景とする現状変更の試みを決して看過できない」
沖縄の尖閣諸島をめぐる対立で、中国に対して使う表現だ。ロシアのクリミア併合を非難しなければ、中国が尖閣で力を行使した場合も非難できなくなる。中国は米国のロシアへの対応を見極めている。米国は共和党ブッシュ政権でも、ロシアとグルジアの紛争に手をこまぬいた。民主党でも共和党でも、武力行使はもはや、できない。国際法、条約交渉の専門家の意見に、安倍は断腸の思いで乗らざるを得なかった。
再登板してから5回も会談を重ねたプーチンは、安倍にとって最もケミストリーの合う首脳だった。ソチ・サミットでの首脳会談、秋のプーチン訪日に期待をかけ、米欧とは一線を画してまで慎重姿勢に徹したことがすべて、無駄になった。
安倍はその一方で、「しかし、もったいない……。残念だ」との未練もみせた。
ロシアを排除したG7体制に回帰しても、最も緊密な同盟相手であるはずの米大統領、バラク・オバマへの不満が、内にはたまっているからだ。
3月14日。国会答弁で、普段は自分の言葉で質問に答える安倍が珍しく、手元の資料を読み上げた。従軍慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話、いわゆる「河野談話」について「安倍内閣で見直すことは考えていない」と答弁したのだ。
険悪な日本と韓国の関係を懸念するオバマ米政権が、慰安婦問題にこだわる韓国大統領、朴槿恵の意向を汲み、安倍に明言を求めていたのだ。もとより安倍の本心は、河野談話に懐疑的だ。その想いが安倍に資料を棒読みさせたのだろう。
そこまでの「河野談話」への思いは封印し、オバマの要請に応えて「見直さない」と答えざるを得なかったのは、オバマが仲介した日米韓首脳会談がオランダのハーグで実現できるかどうか、の瀬戸際にあったからにほかならない。
いま、米国の要請を無下にするのは、日本が世界で孤立することを意味する。
3月19日、予算成立を翌日に控えた夜。安倍は官房副長官・世耕弘成ら政治家との会合を30分そこそこで切り上げ、南麻布の日本料理店「有栖川清水」に向かった。待っていたのはJR東海会長・葛西敬之や富士フイルムホールディングス会長・古森重隆ら経済人。アベノミクスの効果と賃上げをほめそやす経済界は、もともと強固な対米関係を望んでいる。
「今回のウクライナ、クリミア問題は対米関係改善のチャンスだ」
「欧州が慎重なロシア制裁を強化してオバマ大統領に恩を売ればよい」
経済界の声は、安倍の真意とはズレていた。
菅が声荒げた萩生田発言
無念続きの外交で、安倍にとって唯一の光明となったのは北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさんの娘キム・ウンギョンさんと横田滋、早紀江さん夫妻が3月10日から14日までの間、モンゴル・ウランバートルで面会したことだった。
拉致問題への取り組みは安倍が官房副長官から首相にまで駆け上がるきっかけとなった重要な課題だ。外務省の正規ルートを駆使してようやく面会にこぎつけた。横田夫妻にとっては喜ばしい悲願の面会だったが、外交的なタイミングは間が悪かった。
金正恩体制の北朝鮮は中国と距離を置き、米国も韓国も、核問題をめぐる6か国協議が停止状態にある中での「日朝突出」を嫌う。オバマが仲介の労をとって日本と韓国を同席させようとしていたさなかの横田夫妻の面会。米韓、そして中国も日本を警戒する構図だ。
政治主導が叫ばれる中、米中韓露を相手に、複雑な連立方程式を解かねばならない安倍政権の外交を遂行するのは、政治家ではない。プロの外交官である。
ウクライナ危機後、直ちにロシアへ飛んだのは、国家安全保障局長・谷内正太郎。そして、日米韓首脳会談の露払いを務めるため、3月12日にソウルへ飛んだのも外務事務次官・齋木昭隆だった。
齋木は、昨年7月にも韓国を訪問するなど、最悪の日韓関係にあっても外交官としてのパイプを水面下ではつないできた。ソウルでは「齋木次官と韓国側で激しい応酬があった」と日本政府高官は明かす。硬軟取り混ぜた国際交渉を展開するのは、古くからの「事務方」である。
事務方が表舞台に出ざるを得ないのは、政治家や首相周辺にいる民間人たちの不甲斐なさをも浮き彫りにする。
環太平洋経済連携協定(TPP)担当相も兼ねる甘利は「俺が決めてやる」と意気込んだ米国との交渉がうまくゆかず、米通商代表部(USTR)代表、マイケル・フロマンとの仲は、いまや険悪だ。
北朝鮮との独自のパイプを誇示していた内閣官房参与・飯島勲は、横田夫妻の面会を「外交カードとしては失敗の策かもしれない」と批判する。
そして自民党総裁特別補佐・萩生田光一は日米韓首脳会談が正式に決まった2日後の3月23日、「河野談話」の検証について「新たな事実が出てくれば、その時代の新たな政治談話を出すことはおかしなことではない」と河野談話に代わる談話の必要性に言及した。
政治家たちが、事務方の交渉を踏みにじる発言を続ける現象は止まらない。
官房長官の菅は業を煮やした。
同時多発的に起こる外交問題で、外務省と二人三脚で歩む菅は萩生田の発言を聞くや否や「またか!」と声を荒げた。2月には首相補佐官・衛藤晟一が、安倍の靖国参拝を「失望(disappointed)」と評した米国を「我々の方が失望だ」と批判して物議をかもし、この時も菅が火消しに追われた経緯がある。
菅や外務省が神経を尖らせるのは、首相周辺の発言が中韓との関係をより悪化させるだけでなく、米ホワイトハウスや国務省にも「安倍首相が自らの真意を代弁させている」と受け止める空気があるからだ。
日本政府筋は「米国の本音は『失望』ではなく『怒り』だ。同盟国だからこれ以上は言えない、と我慢しているに過ぎない」と解説する。
衛藤、萩生田ら政治家の発言、さらにはNHK会長・籾井勝人の、従軍慰安婦は「戦争をしているどこの国にもあった」などの発言を、米政府は「アベの真意ではないか」と疑い始めている。靖国参拝、周辺発言は戦前への回帰――つまり、米国主導の国際秩序への挑戦ではないか、と懸念する。
それだけに「経済優先」の菅は気が気でない。菅に同情する自民党議員からは「今国会終了後の内閣改造・自民党役員人事で、側近たちは重要ポストから外すべきだ」との声も聞こえる。
ところが、首相と保守的な心情をともにするグループの受け止めは異なる。
韓国との首脳会談に関して、要求を重ねる青瓦台にうんざりしている安倍の様子も、彼らはうかがっている。安倍の悲願である靖国参拝すら反対した菅の方が「総理の心を分かっていない」というわけだ。世界は20世紀初めの動乱期に匹敵する波乱に直面しているのに、安倍の周囲では内閣改造を巡る小さな鞘当てばかりが目立つ。
日本時間の3月26日未明、安倍はハーグで日米韓首脳会談に臨み、初めて朴と公式に顔を合わせた。とはいえ安倍、オバマ、朴三者の空気はぎこちなく、先行きは楽観できない。
戦前、列強のパワーゲームに翻弄され「欧州情勢は複雑怪奇」と声明を出して倒れた内閣があった。自主的な外交ができなくなれば、国は滅びる。長期政権を求める世論を背景に、どこか緊張感を欠く国内政治状況とは裏腹に、列強がしのぎを削り始めた国際状況が、安倍内閣の潮目を変えつつある。 
「白旗」揚げさせられた公明の急所 2014/7
 集団的自衛権をクリアし、絶頂期の安倍政権。焦点は内閣改造に移った。
第186通常国会が6月22日に閉会し、政界の関心事は内閣改造・自民党役員人事に移った。
内閣改造は、各省庁による2015年度予算の概算要求終了後の9月が有力視される。閣僚人事では政権の屋台骨を支える官房長官・菅義偉、副総理兼財務相・麻生太郎、経済再生担当相・甘利明の続投は確実とみられ、大幅な入れ替えにはならないとの見方が多い。
しかし、12年12月に発足した第2次安倍内閣では一度も閣僚の入れ替えがなく、自民党内に膨れ上がった衆院当選5回以上、参院当選3回以上の「入閣待機組」には不満がたまっている。首相・安倍晋三は金銭スキャンダルや答弁ミスのない現在の陣容におおむね満足しているが、来年9月に控える自民党総裁選を意識すれば、各派閥の期待に応えねばならない立場にある。
「最後は金目でしょ」。環境相・石原伸晃は6月16日、東京電力福島第一原発事故の除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設に関し、難航する福島県側との交渉について記者団にこう語り、最終的には交付金など金銭で解決するとの立場を示した。
慌てて電話で経緯を問いただした官房長官・菅に対し、石原は「何が問題になっているんですか」。のんきな石原に、菅は、ただあきれるしかなかった。
結局、石原は緊急に記者会見して、「住民説明会で金銭の話がたくさん出たが、具体的内容は受け入れが決まるまで説明できないという意味だった」と釈明したが、過去に福島第一原発をオウム真理教施設になぞらえ「福島第一サティアン」と発言したことに続き、失言癖を強く印象づけただけだった。野党が提出した不信任決議案と問責決議案は20日の衆参両院本会議で否決されたものの、交代閣僚の一番手に挙がったのは間違いない。
改造では当然ながら、自民党幹事長・石破茂の続投の有無が焦点だろう。
石破は来春の統一地方選での陣頭指揮に意欲を見せるが、生来の「政策優先思考」が災いし、相変わらず人間関係の構築や根回しが得意ではない。集団的自衛権をめぐる与党協議を担当する自民党副総裁・高村正彦との意思疎通を欠き、協議の行方について石破、高村が首相官邸に違う内容を報告することもしばしばだった。
見かねた菅は6月13日、2人を官邸に呼び出している。その上で、安倍から密に連絡を取り合うように指示させた。
石破の出身派閥・額賀派の後ろ盾である元自民党参院議員会長・青木幹雄は「今さら閣僚をやってどうする。入閣を打診されても断れ」と、幹事長続投を勝ち取るよう石破の尻を叩いている。「ポスト安倍」一番手に目される石破に政権禅譲をにおわせて留任させるのか、党内での足場固めを阻止するため軽量級の閣僚ポストを与えて閣内に封じ込めるのか。
長期政権を狙う際、対抗馬になりかねない石破の処遇は、安倍にとって悩ましい案件だ。石破が18日に開いた自身の勉強会「さわらび会」には衆参両院議員80人以上が集まり、侮れない勢力であることを見せつけた。
腰砕けの公明
集団的自衛権をめぐる与党協議では、公明党が限定的な行使容認を受け入れた。政府が例示した行使事例の個別撃破を試み、憲法解釈変更の閣議決定を先送りさせようとしたが、安倍は「決めるときには決める。内閣支持率が多少下がっても仕方ない」と強硬姿勢を貫き、公明党・創価学会をねじ伏せた。
公明党代表・山口那津男が1月の段階で早くも連立政権離脱を否定し、安倍と対峙するための切り札を封印したことも響いた。結党50年の節目を迎える「平和の党」は、集団的自衛権行使を認める憲法解釈変更を不本意ながらも受け入れることになった。
自民党副総裁・高村は6月24日の与党協議で、集団的自衛権の行使容認に向けた新3要件の修正案を提示した。
修正案は、憲法9条の下で認められる武力行使について(1)わが国に対する武力攻撃が発生したこと、またはわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、(2)これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと――に該当する場合の自衛措置とした。日本への攻撃がなくても、他国に対する武力攻撃が発生した場合に自衛権行使を認める内容だ。
お互いの携帯電話番号を交換するところから始まった高村と公明党副代表・北側一雄による協議は、水面下でも続いた。
6月23日に死去した小松一郎の後任として内閣法制局長官に就いた横畠裕介が2人の協議に立ち会い、微妙な文言調整に知恵を出した。公式には憲法解釈変更に抵抗した公明党も早くから妥協点を探り、受け入れ可能な案を自民党側に伝えた。
議員会館の各事務所には「新3要件は公明党が作った」と主張する怪文書が送り付けられ、それを知った北側は苦渋の表情を浮かべた。憲法解釈変更に反対するある公明党議員は「次の選挙は負ける覚悟だ。北側の首を締め上げてやる。北側と井上義久幹事長が責任を取ればいい。何が平和の党だ」と、息巻いた。所属議員や支持者と自民党の板挟みになった北側は「俺もつらいんだよ」と、周囲に嘆いた。
公明党が白旗を揚げた背景には、安倍サイドからの露骨な圧力があった。
「公明党と創価学会の関係は政教一致と騒がれてきたが、内閣法制局の発言を担保に、その積み重ねで政教分離ということになっている」
安倍のブレーンである内閣官房参与・飯島勲は6月10日、ワシントンでの講演で集団的自衛権をめぐる自公対立に触れて、そう指摘した。さらに「法制局の答弁が一気に変われば、政教一致が出てきてもおかしくない」と、公明党をけん制した。
自民党は1995年、宗教法人法改正問題に絡み、創価学会名誉会長・池田大作の参考人招致を要求。当時の「公明」が参加していた野党の新進党は反発したが、秋谷栄之助会長が参考人招致されるに至った苦い記憶がいまだに残る。飯島は憲法解釈変更をちらつかせ、譲歩を求めた訳だ。
歴代の自民党政権は、1小選挙区当たり平均で2〜3万票をたたき出す公明党・創価学会の選挙協力に期待して政策面で最大限の配慮を見せてきたが、集団的自衛権行使容認に前向きな日本維新の会やみんなの党が政権にすり寄る中、安倍サイドは連立組み替えも辞さない構えをにじませた。
安倍周辺は「『集団的自衛権をのめないなら連立から出て行け』という首相の思いは十分に伝わっているはずだ」と、言い放った。
99年の連立参加以来、政権党の政策実現力を痛感してきた公明党に、連立離脱の選択肢はなかった。
「責任与党として、国民の命と暮らしを守るため、決める時にはしっかりと決めてまいります。経済であろうと外交・安全保障であろうと、私たちは自らの力で壁を突き破り、前に進んでいくほかありません」。通常国会閉会を受けて行われた24日の記者会見で、安倍は憲法解釈変更の閣議決定にあらためて決意を示した。山口は26日夜のNHK番組で、限定行使容認を表明した。
勝者なき野党再編
巨大与党に圧倒され存在感を示せない野党側では、日本維新の会分裂を機に野党再編論議が活発化している。
統一地方選や次期衆院選をにらんで再編を急ぐ日本維新共同代表・橋下徹は、結いの党との早期合流を目指し、同じく共同代表の石原慎太郎とたもとを分かった。
両党の政策協議では、石原が掲げる「自主憲法制定」の文言が焦点になった。結いの党代表・江田憲司は、現行憲法の破棄を意味する自主憲法明記に反対。石原は6月11日の党首討論で「何とかいう党の党首は、集団的自衛権には反対、自主憲法制定と言ったら外国からとんでもない誤解を受けかねないと公言しているが、これは昔の社会党と同じような言いぶりだ」と、江田の名前を口にすることさえはばかられるといった体で不快感をあらわにした。
しかし、日本維新の分裂は、結いの党との隔たりだけが原因ではない。
石原は5月29日の記者会見で、橋下との出会いについて「人生の快事だった」と語る一方、旧太陽の党と合流する際に橋下が「私たちが必要としているのは石原さん1人で、平沼赳夫さん(代表代行)は必要がない」と発言したことを紹介。「その時の心理的な亀裂が尾を引いた」と明かした。
橋下にとって、石原が結成する新党「次世代の党」への参加者が衆参両院で22人に上り、自身の新党が38人にとどまったのは誤算だった。
「多数派工作なんていうのは、そんなに意識していない」。橋下は6月5日の記者会見で平静を装ったが、橋下が目指した「維新・結い新党」に民主党議員が雪崩を打って参加する状況にはない。
民主党幹部は「石原には企業や宗教団体などの組織がついている。橋下には風しかない。選挙を考えれば議員は石原を選ぶ」と読み解いた。
そんな橋下が民主党との橋頭堡に見定めたのは元代表・前原誠司だ。
橋下と江田は5月下旬、前原と京都市内で会談した。前原は維新分党決定後の6月7日、読売テレビの番組で「小選挙区では野党がバラバラだったら自公を利するだけだ。民主党も含めた野党再編の努力をしなくてはいけない」と発言。橋下と合流する可能性を問われ「100パーセントだ」と言い切った。
番組後、記者団には「海江田万里代表は去年の参院選後、『1年で目に見える成果が出なければ辞める』とおっしゃっていた。その総括をしっかりしていただくことがまず大事だ」と、海江田降ろしをぶち上げた。これに先立ち、前外相・玄葉光一郎も代表選の前倒し実施を要求。前原、玄葉に近い若手議員約10人は16日、来年9月に予定される代表選の前倒し実施を海江田に直談判した。元行政刷新担当相・蓮舫ら参院議員約10人も18日、海江田に辞任を迫った。
海江田ら党執行部がそれに応じる様子はない。
日本維新や結いの党主導の再編論議には乗らず、次期衆院選まで我慢すれば他の野党が息切れし、党勢を回復した民主党が主導権を握れるとの見通しを持っているためだ。
民主党幹部は「地方組織のネットワークや支持団体・連合の集票力、豊富な資金は日本維新や結いの党の比ではない」と強調する。
次期代表に色気を持つ前原の態度も煮え切らない。日本維新幹事長の大阪府知事・松井一郎は6月7日、前原の発言に関し「『100パーセント』というなら『いつですか』ということだけだ。政治は結果だ」と記者団に語り、「言うだけ番長」と揶揄される前原に決断を促した。
6月11日の党首討論で論戦力不足をさらけ出した海江田で次期衆院選を戦おうという声は、民主党内でほぼ皆無だ。元代表・岡田克也や前原とともにポスト海江田候補に挙げられる前幹事長・細野豪志は7日の会合で「安倍政権は単一の考え方を押し付けている。異論に聞く耳を持たない政治指導者は恐ろしい」と批判。「民主党は困った時に助け合う『共生』を大事にする政党だ」と述べ、発信力不足の海江田に取って代わる意気込みを見せた。
「野党全党が足並みをそろえて自民党政権に対峙する姿は、これからも大切にしていかなければならない。そうした動きの中で、団結した民主党が中心にいることが極めて重要だ」
民主党が24日に開催した両院議員総会で、海江田は懸命に党の結束を訴えた。海江田にとっては就任後1年間の「成果」を訴え、辞任論を封じ込めるはずの場だったが、出席者からは代表選の前倒し要求が続出。海江田を明確に擁護したのは、わずか1人にとどまった。
海江田は「外からは、我々の党にバラバラ感があるという風に見えている。その克服に当面、意を注がなければいけないという大変残念な現状だ」と嘆くしかなかった。
政府は6月20日、従軍慰安婦問題をめぐる河野洋平官房長官談話の作成経過に関する検証結果を公表した。
談話自体の見直しはしない方針だが、安倍は戦後70年を迎える来年夏に「安倍首相談話」を出し、歴史問題に関する過去の政府見解をいわば上書きする構えだ。「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍の最終目標は憲法改正。16年の参院選や次期衆院選で発議に必要な3分の2を確保し、早ければ17年の国会発議を狙う。集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更に続き、次々に安倍カラーを実現するつもりだ。
安倍を止める対抗勢力は現れないのか。圧倒的な数の力と野党のふがいなさ、腰砕けに終わった公明党の非力さを考え合わせると、安倍政権は絶頂期に入ったといえるだろう。ただ、それで国民がどこに導かれるかは別問題である。 
安倍と石破、覆い隠せない溝 2014/9
 内閣改造で見えてきた自民党内政局。二大知事選が新体制の運命を決める。
8月9日昼。首相・安倍晋三は、官房副長官・加藤勝信、世耕弘成にそれぞれ電話し、いたずらっぽく話しかけた。
「産経新聞見た? そういうことだから、まあよろしく」
同日の産経新聞には、安倍のインタビューが載った。そこで安倍は官房長官・菅義偉のほか加藤、世耕、杉田和博の三副長官らの続投を明言している。改造の約1カ月前、特定の新聞に首相が具体的人事を語るのは前代未聞のこと。加藤や世耕は他のポストに異動するとの見方もあっただけに、周囲はもちろん本人たちも驚いた。「新聞辞令」とは、伝聞に基づいてマスコミが伝える不確かな人事報道を指すことが多いが、加藤や世耕は正式な辞令を新聞を通じて受け取ったことになる。
安倍が首相に返り咲いて600日を過ぎた。安倍にとって第1次政権の発足時、改造時、第2次政権発足時に続く4度目の人事は、知恵袋でもある菅ら少人数で練り上げられた。元財務相・額賀福志郎ら、派閥領袖の要望には耳を傾けたが、言質を取らせることは、ほとんどなかった。その代わりサプライズ人事を連発して党内を翻弄した元首相・小泉純一郎の名をあげ「小泉さんも人事は嫌だと言っていました」などと、けむに巻いてみせたりもした。
第2次安倍政権の強みは、少々失敗しても、早く修正して傷を大きくしないところにある。昨年暮れ、特定秘密保護法を強行成立させた時や、今年7月に集団的自衛権を行使できるように閣議決定した時は、内閣支持率が大幅に落ちたが、その後、支持を回復した。その粘り腰が、小泉政権以来の長期政権の気配を漂わせている。
夏の“気の緩み”
ただ酷暑の中、8月には政権の緩みも随所に見えた。
20日早朝。山梨県鳴沢村の別荘でくつろいでいた安倍に、広島市の土石流災害の一報が入った。安倍は、十分な対応をするように指示をした上で車に乗り込んだ。向かった先は富士河口湖町の「富士桜カントリー倶楽部」。元首相の森喜朗、経済産業相の茂木敏充、加藤らとゴルフをする予定になっていたのだ。車中では、秘書官から「場合によっては帰京する事態になるかもしれません」と報告を受けたが、ゴルフ場に到着した安倍は、予定通り数ホールをラウンドした。
「首相とゴルフ」といえば、真っ先に思い浮かべるのが2001年2月に起きた愛媛県立宇和島水産高校の実習船えひめ丸と米原潜との衝突事故だろう。当時の首相・森は、事故の報告を受けた後もゴルフを続けたことで批判され、退陣の遠因となった。森が世論の袋だたきになるのをそばで見ていたのが当時官房副長官だった安倍だった。
広島での死者が多数にのぼりそうだという続報が入ったのはプレーを始めて1時間半後だった。13年前の痛い思い出のある森は「あの時は大変なことになった。早く戻った方がいい」と安倍に忠告。安倍も帰京を決断する。
米原潜との事故と災害。性格はまったく違うが、「えひめ丸」の死者は9人。今回の土砂災害の犠牲者は、それをはるかに上回る。「えひめ丸」で森は、ゴルフを始めてから一報が入ったが、今回、安倍は一報を受けた後にゴルフを始めている。森よりも安倍の方が非難される要素が多いようにも感じられるが、マスコミは、安倍に対し総じて温かかった。「えひめ丸の事故を教訓に対応した」と評価した新聞さえあった。これも、今の政権の求心力が保たれているからだろう。
だが安倍は、この後も軽率と言われかねない行動をとった。東京に戻り、状況の報告を受けて対応を指示した後、夜になって再び別荘に戻ったのだ。天皇、皇后両陛下が長野、群馬両県での静養を取りやめられると発表されたことと対比され、野党側からは批判の火の手が上がった。
自然災害の中で、首相が実際に果たす役割は限られている。首相官邸にとどまっていたからといって、被害拡大が食い止められたというわけではないだろう。だが、世論に敏感な政治家なら、被災地の住民感情に配慮して「快適な別荘に戻る」選択はしなかっただろう。災害発生後、ゴルフをしていたという引け目を感じているなら、なおさらだ。
安倍が首相に返り咲いてから、メディアの報道は二極化している。新聞では読売、産経、日経などが常に政権に好意的で、朝日、毎日、東京などは厳しい目を向ける。安倍は「何をやっても批判する勢力は批判する。自分の信じるようにやれば、わかる人は分かってくれる」という思いが強くなっている。いきおい周囲の批判に鈍感になってきているともいえる。
安倍は今年4月にも、熊本県内で鳥インフルエンザの発生が確認された日にゴルフをしていたとして批判された。今回も責められることは自覚していたことだろうが、それを承知で取った行動は、よく言えば一徹さの表れ、悪く言えば開き直りでもある。
「緩み」は他の場面でもみられた。8月6日、広島で行われた平和記念式典で、安倍のあいさつが去年のあいさつと同じ内容の部分が多いことが指摘され「コピペ疑惑」と話題になった。
毎日のように会議やパーティーに出席する安倍のあいさつ文は、秘書官ら事務方が原案をつくる。それが昨年と似ているのをチェックできなかったとして首相を責めるのは酷だろう。ただ広島で「コピペ疑惑」が指摘された3日後の9日に長崎で行われた平和祈念式典でも、同様の事態が起きた。長崎で安倍は約1000字のあいさつ文を読んだが、約半分は前年の長崎でのあいさつとほぼ同じ。残りの半分は3日前の広島でのあいさつとそっくりだった。
この日の式典では被爆者代表の城台美弥子さんが集団的自衛権の行使を認める閣議決定をした安倍政権に対し「憲法を踏みにじる暴挙」と痛烈に批判。生中継していたNHKテレビは苦々しい表情をした安倍をアップで捕らえている。その後に首相が行ったあいさつが「コピペ」と指摘される内容だった。被爆者団体からは、失望の声があがった。
経済失政を待つ海江田
来年は夏から秋にかけて大きな節目がある。自民党は総裁選。民主党は代表選。秋以降の政局は、その2つの節目をにらみながら動き始める。
民主党代表・海江田万里は今年、夏休みをほとんど取らずに党本部か議員会館の自室にこもり、本を読んだり有識者に会ったりした。
「海江田降ろし」は不発に終わったが、来年の代表選で海江田が再選されると思う議員は、ほとんどいない。代表就任以来、自民党を攻め込んでポイントを稼ぐシーンがほとんどなかったからだ。それでも代表の座にこだわる海江田を、口の悪い同僚議員は「(退陣要求を受けながらなかなかイラク首相を退かなかった)マリキ」と揶揄する。
だが海江田は、あわてるそぶりを見せない。夏休み中、海江田が読んだ本の中に、先輩の元財務相・藤井裕久の近著『政治改革の熱狂と崩壊』がある。この中で藤井は、これまで日本では、極端な金融緩和の後には社会不安が起きていると指摘。金融緩和政策を続ける安倍政権の危うさを強調している。経済通を自任する海江田は藤井に同調、経済で安倍政権が急失速する時が来ると読み、その時を待っている。実際、消費税増税の影響もあり、4〜6月期の実質国内総生産(GDP)成長率が前期比年率マイナス6.8%となった。藤井の表敬訪問を受けた海江田は「今の民主党の再生には奇手はない。パフォーマンスはいらない。地道にやるだけだ」と激励され、わが意を得たりという表情でうなずいた。
民主党が浮上するには野党再編を主導するしかない。党内でも野党再編には異論はないが、道筋をめぐり対立がある。海江田は、社民党や生活の党などリベラルな勢力との結集を優先させる。一方、海江田と対立する元外相・前原誠司らは、維新、結いらとの合流を優先。生活の党の代表・小沢一郎との「復縁」には絶対反対だ。
野党再編の主導権争いは代表選に直結する。海江田にとっては生き残りをかけた戦いでもある。7月末、「海江田降ろし」が吹き荒れたころは「人間、いつ死ぬかわからない」などと弱気な発言をもらしていた海江田だが、最近は「闘志がわいてきた」と自分を鼓舞するように語ることが増えてきた。
「私はふられますか」
自民党の政局は今後、石破茂を中心に進む。石破は改造前に、安倍の安保政策、憲法論について「100%同じというわけではない」と明言し、対立軸を鮮明にした。安倍も石破に対し「仕事はできるが、迫力がない」と不満をもらす。8月29日、首相官邸で行われた2人だけの会談で、石破は安倍を全力で支え、緊密に連携することを確認したが、2人の間の溝は、覆い隠せないレベルに達している。
8月上旬、事実上の自民党石破派でもある「無派閥連絡会」の研修会が新潟・湯沢温泉で開かれた。これまで連絡会は、派閥に属さない若手議員をサポートするために幹事長の石破が教育係を担う組織で「いわゆる派閥ではない」という建前になっていた。だが研修会の冒頭、石破は約30人の出席者を前に「よく『脱派閥』だと言われるが、3人寄れば派閥はできる。それを否定しても始まらない」と話し始めた。出席議員は、名実共に「石破派」の旗揚げ宣言と受け止めた。
石破の懐刀で幹事長特別補佐を務めてきた鴨下一郎は、「ポスト安倍」の戦略を練る。山本有二、小坂憲次、浜田靖一ら石破と政治行動を共にしてきたベテラン、中堅もここに加わる。
石破は衆院のバッジをつけて28年たつ。「政治を辞めたら夏目漱石を読んだり、鉄道の旅に出たりのんびりしたい」と冗談めかして引退を口にすることもある。だが石破は、まだ57歳。政界では、これから円熟期に入る年齢だ。本人の意思がどうであろうと安倍の対抗勢力の頭として注目度を高めることになる。
連絡会の懇親会では、柏原芳恵の隠れた名曲「夏模様」を歌った。自他共に認めるアイドルおたくの石破らしい選曲だが、この曲は、別れの歌。
「さよなら 私はふられますか」
「さよなら 夏模様」
二人三脚で安倍を支えてきた1年8カ月に区切りをつけて、新しい道を歩む決意のようにも聞こえた。
秋から暮れにかけて自民党、野党の力関係を左右する2つの地方選挙がある。10月の福島県知事選と11月の沖縄県知事選だ。福島は、福島第一原発事故の後、初の知事選。沖縄は、米軍普天間基地移転問題に直結する。野党結集の動きは加速し、安倍の求心力は低下する。「今のままで来春の統一地方選が戦えるか」という声も自民党内で高まりかねない。
安倍はこれから1年の間に日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を再改定し、集団的自衛権関連の法を整備し、来年の8月15日には「戦後70年談話」を出す考えだ。これで安倍が目指す「戦後レジームからの脱却」に一定のめどをつけようとしている。
当然、党内リベラル派、野党、そして国際社会とのあつれきを生むこともあるだろう。その時、政権が弱体化していれば亀裂はさらに深まる。ただ安倍は逆風にさらされても自分が進もうとする道を変えないだろう。1960年の日米安保条約改定をまとめ、改憲を目指した祖父の元首相・岸信介を最も尊敬する安倍は、その遺志を引き継ぐことに迷いはない。それが、安倍のアキレス腱でもある。
首相執務室には岸と、元米大統領・アイゼンハワーのツーショット写真が飾られている。 
W辞任で狂った解散シナリオ 2014/11
 人事と消費増税で消耗する政権。解散に出る“体力”は残っているのか。
9月の内閣改造で起用されたばかりの経済産業相・小渕優子と法相・松島みどりが10月20日、そろって辞任した。首相・安倍晋三は2012年末の第2次政権発足以来、最大の逆境に直面している。
改造人事で安倍は歴代最多に並ぶ5人の女性閣僚を並べ、看板政策である「女性活躍」を誇らしげにアピールしていただけに、小渕と松島のダブル辞任は皮肉な事態と言うほかない。
消費税率10%への再増税や原発再稼働といった難しい政策判断を控える時期に、政権の求心力は急降下してしまった。安倍がタイミングを熟考する衆院解散・総選挙の戦略にも影響するのは不可避だ。
「国会対策を長年やった感覚から言えば、2人とも続投は厳しいですよ」
若手の頃、国対畑に身を置いた自民党幹事長・谷垣禎一は17日、官房長官・菅義偉に警告した。巨大与党が腹を固めれば、数の力で法案成立を無理押しすることは可能だ。しかし、疑惑にふたをすれば民意の離反は避けられず、安倍長期政権を悲願とする菅にとっては受け入れがたい選択だった。危機管理にたける菅は谷垣の進言を踏まえ、週明け20日のダブル辞任で幕引きを図ると決めた。
小渕の関連政治団体は、支援者向けに10年と11年に東京・明治座で開いた観劇会をめぐり、費用の一部を負担した疑いが浮上していた。
有権者に対する利益供与を禁じた公選法に抵触する恐れが指摘され、政治資金収支報告書の記載によると、負担額は約2642万円に上る可能性があった。故・小渕恵三元首相の次女である小渕は父の代から続く政治資金処理システムを踏襲したとみられる。
辞表提出後の記者会見で小渕は「私自身も、何でこうなっているのかという疑念を持っている。私自身が甘かった」と繰り返した。
小渕は盤石の選挙基盤を持ち、歯切れの良い弁舌も手伝って「初の女性首相候補」といわれてきたが、大きな痛手を被った。小渕が所属する額賀派(平成研究会)は、かつて絶大な権力を保持する一方、大物議員らの金銭スキャンダルが後を絶たなかった。清新なイメージのある小渕までが疑惑にまみれ、直近の首相候補を持たない額賀派の復活は遠のいた。
政界引退後も同派への影響力を誇る元自民党参院議員会長・青木幹雄は「10年たったら小渕首相」と公言してきた。青木は秘蔵っ子の苦境を見かね「さっさと身を引いた方が将来のためだ」と、潔い辞任を促した。
一方、松島は国会審議で「討議資料として、成立した法律の内容などを印刷して配った。うちわのような形をしているかもしれないが、有価物である物品ではないと解釈して配った。公選法の寄付には当たらない」と強弁。官邸側も当初は「たかがうちわの問題」と軽視していた節がある。
だが、民主党は17日、松島を公選法違反容疑で東京地検に告発した。弁護士出身の幹事長・枝野幸男の発案だった。「外形的なものであっても疑惑を持たれてはならない」(法務省幹部)はずの現職法相が刑事告発されるに至り、安倍は松島辞任やむなしとの判断に傾いた。前防衛相・小野寺五典が選挙区内で線香セットを配ったとして書類送検され、2000年に議員辞職した例が念頭にあった。
松島は初登庁の際、法務省職員の出迎えが少ないとしてやり直しを求めるなど、就任直後から傲慢な振る舞いを見せた。うちわ問題発覚後の国会審議では、答弁資料を渡そうとする事務方をひじで押しのける姿も目撃され、自民党内でも「尊大な態度が目に余る」と不興を買っていた。
辞任を決めた安倍=菅会談
安倍は19日午後、東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京に入り、ひそかに菅と約2時間、会談した。
菅は「小渕は辞めざるを得ない。松島を残しても野党の攻撃が集中し、いずれ辞任に追い込まれる。だったら一緒に辞めさせた方がいい」と早期収拾を進言。小渕と松島を20日に同時辞任させるシナリオが固まった。
安倍と菅の脳裏に、1年間で閣僚5人が交代し、回復不能のダメージを受けた第1次政権当時の記憶があったのは間違いない。安倍は閣僚の辞任ドミノを回避するため、事務所費疑惑が発覚した農相・松岡利勝を約5か月間にわたってかばい続け、結果的に松岡は07年5月、自ら命を絶った。松岡の悲報を聞いて首相執務室で号泣した安倍は今回、その痛恨事を教訓に決着を急いだ。
「任命責任は総理大臣である私にあります。こうした事態になったことを、国民の皆様に深くおわびを申し上げる次第であります」
安倍は2閣僚の辞表提出後、事務方が作成した応答要領にはない「おわび」の文言を使い、記者団の前で国民に陳謝した。
野党側は、久々の「見せ場」に勢いづいた。10月21日には「閣僚が交代したばかりで審議はできない」として、広島市の土砂災害を受けた土砂災害防止法改正案の衆院本会議での審議入りを蹴った。与党は23日に審議入りを遅らせ、想定した国会日程に狂いが生じつつある。民主党などが反対する労働者派遣法改正案や、カジノ導入に向けた関連法案の成立は危うくなってきた。
「野党の追及が厳しいとお考えだろうが、私たちが野党の時はこれ以上だった。2年間、静かにここまで来たが、ある意味正常な形に戻った」
自民党国対委員長・佐藤勉は22日、当選1回の衆院議員との昼食会で強がって見せたが、23日には小渕の後任に就いた経産相・宮沢洋一の資金管理団体が10年、広島市内のSMバーに政治活動費を支出していたことが発覚した。宮沢は「事務所関係者が誤って政治資金として支出した」と釈明。所管する東京電力の株式保有も判明し、たちまち野党の標的に加わった。環境相・望月義夫には政治資金収支報告書の虚偽記載問題が浮上した。望月は28日未明に緊急会見し、亡くなった妻が処理したものだとして「私自身の法令違反はない」と主張した。
消費増税と解散の関係
安倍にとって当面の最重要課題は、12月上旬に予定する消費税率10%への引き上げ判断だ。
閣僚のスキャンダル連鎖により政権がパワーダウンする中で、増税という国民負担増を決断するのは容易でない。安倍は「一内閣で二度の増税なんて、あり得ないよね」と周囲にぼやく。4〜6月期の実質国内総生産(GDP)は年率で前期比7.1%減の大幅マイナスになった。10月には日米欧で株安が連鎖し、経済情勢は厳しさを増している。
「アベノミクスは順調に進んでいた。株価が上昇し、円安になり、雇用も増え、給料も上がった。4月の消費税増税によって、水を掛けられた」。自民党の元経済産業副大臣・山本幸三は22日、自ら主宰する議員連盟「アベノミクスを成功させる会」の会合を開き、再増税の延期を提唱した。会合には首相補佐官・衛藤晟一ら約40人が出席した。山本は「首相には国民生活のために何が一番、大事かということを踏まえて決断していただきたい」と訴え、増税延期論の拡大を目指す。
副総理兼財務相・麻生太郎や自民党幹事長・谷垣ら、政権中枢には有力な増税派が並ぶ。民主党政権当時の自民党総裁で、公明党とともに増税の3党合意を実現した谷垣は「法律に明記されている以上、絶対に税率を上げないといけない」と主張する。
これに対し、官房長官・菅は経済状況を見極めて判断すべきだとの立場だ。安倍の在任期間を最大限延ばすのが自身の役割と心得る菅にとって、増税判断が国民の批判を浴びて政権転落につながる事態は何としても避けねばならない。「増税は1年半、先でいい」と、16年の参院選後まで増税を先送りするよう求める菅に、財務省幹部は様々なルートで説得を試みるが、菅が揺らぐ気配はない。
安倍が税率8%への引き上げ判断時以上に慎重を期すのは、衆院議員の任期が今年12月で折り返し地点の2年を迎え、衆院解散戦略を本格的に練り上げる必要があるためだ。再増税の有無と解散時期の判断は、政権の消長に直結する。
安倍は内閣改造前の8月、周辺に早期解散をシミュレーションさせた。野党の態勢が整わないうちに「電撃的な総選挙」で勝利を収め、増税判断への追い風とする狙いがあった。
安倍が幹事長・谷垣や総務会長・二階俊博ら選挙向けの看板にはなりにくい重鎮を起用したことを受け、解散論はいったん沈静化した。ところが、臨時国会での閣僚不祥事を踏まえ、安倍周辺では「政権が本格的に下り坂になる前に選挙をした方が、負け幅を少なくできる」との早期解散論がくすぶり続けている。ある側近は「11月解散―12月総選挙」を唱えるが、解散の明確な大義名分を見いだしにくいのが最大の難点だ。
公明にも増税見送り論
閣僚問題で野党の反撃を許したことにより、解散に関する安倍の選択肢は狭まったとの見方が強まっている。
当初、集団的自衛権行使容認の関連法案を来年の通常国会で成立させた後、夏の解散が本命視された。
同年9月には自民党総裁選が予定され、与党が過半数を確保すれば安倍が無投票で再選できるとの算段だ。
しかし、来年の通常国会は、安保関連法案の採決強行などで、恐らく大荒れになる。今年夏、憲法解釈変更の閣議決定を強行した際のような「体力」は、安倍政権からもはや失われた。通常国会の終盤以降、安倍が内閣支持率下落を無視して解散を打てるのか、疑問視する向きは少なくない。
また、安倍が来年9月の総裁選を無難に乗り切った後に再び改造人事を行い、知名度が高い選挙向けの「顔」を並べて解散に踏み切る案も取り沙汰される。ただ、安倍が再増税を決めた場合、10月からの税率引き上げと同じタイミングの選挙となるため、影響を不安視する声も多い。
公明党は、安倍が再増税を決断すれば15年中には解散に踏み切れず、結果として最も警戒する16年夏の参院選との同日選が現実味を帯びかねないと危惧する。選挙戦でフル回転する支持母体・創価学会の負担が増えることから、是が非でも避けたい展開だ。
このため公明党執行部の一部には、再増税の先送りを容認する声さえ出始めた。支持者の理解取り付けに苦労した税率10%への引き上げを白紙にする「禁じ手」だ。公明党の悩みは深まるばかりだ。
「結局、安倍は解散できないんじゃないか」
自民党幹部は、難題続きの安倍が解散時期をずるずると引き延ばし「追い込まれ解散」を余儀なくされるのではないかと危ぶむ。08年に首相就任直後の解散を検討しながら、リーマンショックを理由に見送った麻生と同じパターンだ。不利な選挙情勢を承知の上で「負け幅」を少なくできるとみられたタイミングを外した麻生は、翌09年の衆院選で惨敗。自民党は政権の座から転落した。
政府は年末以降、九州電力川内原発1、2号機の再稼働判断を控える。成立に際して世論の批判を浴びた特定秘密保護法も12月10日に施行されるなど「不人気政策」は今後も続く。変数が多い解散政局で最適解を見出せるのか。安倍内閣が最大の岐路を迎えているのは間違いない。 
安倍・菅が謀った師走「覇道」解散 2014/12
 戦慄の財務省、冴えぬ野党。18年まで続く「絶対王政」は実現するか。
2018年末まで4年間続く「安倍絶対王政」を認めるのか、否か。これこそが今回選挙戦の真の争点である。
衆院が解散された翌日、11月22日から24日までの3連休。自民党総裁、首相・安倍晋三はメディア対応や長野県北部地震の対応に勤しみ、街頭には出なかった。
野党は出遅れ、過去2回の総選挙とは違って政権交代の可能性は絶無なことが、永田町に弛緩した空気を生んでいる。
野党を焦らせた「電撃師走選挙」はいつ、軌道に乗ったのか。発端は前経済産業相・小渕優子、前法相・松島みどりのダブル辞任だった。
10月19日午後、東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京。安倍は、官房長官・菅義偉と約2時間、2人のスキャンダルについて収拾策を話し合い、その中で「年内解散で難局を打開してはどうか」という案が急浮上した。菅はその場で、得意とする世論調査で感触を探ると約束した。
そして翌週の10月25、26両日に実施した極秘調査の結果は、小渕と松島のダブル辞任と野党の攻勢にもかかわらず「自民党は過半数確保、公明党は現状維持、民主党は伸び悩み」と出た。「スキャンダル国会を仕掛けてくる民主党に目にものみせる」。安倍、菅の意見は一致した。相前後して安倍は外交当局に「12月は外交日程を入れないように」と指示を出した。
党内の根回しは2日間
安倍に解散を急がせた民主党以外の勢力は、財務省だ。
11月18日、解散を宣言した記者会見で安倍が冒頭から「5%から8%への引き上げを決断したあの時から、10%へのさらなる引き上げを来年予定通り行うべきかどうか、私はずっと考えてまいりました」と語ったのは、本音の吐露だった。
昨年の引き上げでも、安倍と周辺は「税率引き上げを見送る場合は法改正が必要」と定めた法律の仕組みに「財務省に地雷を仕掛けられた」と不満を隠さず、その不信感は1年間にわたって続いていた。「同じ総理の任期中に2回も消費税を引き上げるなんて、あり得ないよね」。安倍がこう漏らすのを聞いた議員、官僚、関係者は多い。
危機感を募らせた財務省は、各方面への「ご説明」で大々的な反攻に出た。自民党内に広がった増税実施論に対して、安倍と菅は「皆が嫌がる増税は今の首相官邸にやらせ、景気が悪くなれば責任を押し付けようという政局にらみの動き」を見てとった。消費税問題は、官邸奥の院では「政局」と同義語になっていた。
官邸、自民党、財務省の三者暗闘のクライマックスは10月31日、日銀総裁・黒田東彦が異次元金融緩和の第2弾を放ったその日に訪れた。日経平均株価は急騰し、「消費税10%への下地は整った」とみたのは政局の素人で、事実は逆だった。
2日前の10月29日、安倍は自民党幹事長・谷垣禎一に「4月に8%に引き上げた後、景気の戻りが弱い。もう一度の消費増税は見送り、そのために解散を検討したい」と伝えていたのだ。谷垣は会談後、記者団に「厳しい状況を打開しなきゃいけない時には、いろいろ議論が出てくる」と間接話法で安倍の意向を内外に知らしめていた。
財務相を経験し、自民党総裁として民主党と手を携えた消費増税に道筋をつけた谷垣の陥落。財務省は眦(まなじり)を決した。
10月31日午後2時過ぎ、首相官邸に副総理兼財務相の麻生太郎が、財務省事務次官・香川俊介、主計局長・田中一穂、主税局長・佐藤慎一らを伴って現れた。消費税10%を前提とする来年度予算編成、社会保障施策を説明する財務官僚たちに、安倍は目を合わそうともしない。「増税先送りのため、総理は衆院解散を考えている」。財務省は戦慄した。
自民党内の増税派と、安倍政権の失速を願う勢力を粉砕するには「平時ではなく有事を作り出すしかない」と首相周辺は解説した。有事、即ち衆院解散だ。
日銀緩和を実施した翌日からの11月初めの3連休、安倍は目立った日程は入れずに黙考し、11月4日から本格的に動いた。一連の国際会議への出席を目的とした外遊への出発が5日後に迫ったタイミングで、一気に根回しをすまそうというのだ。
元参院議員会長・青木幹雄、元幹事長・古賀誠の2人が「何としても増税は実現すべきだ。そうでなければ無責任すぎる」と、ベテランOB議員の根城となった東京・平河町の砂防会館の事務所で訪問客が来るたびに説いていた。青木と古賀、さらに元首相・森喜朗も加われば、安倍に不満な勢力が「増税実施」を旗印に結束し、最近は長老連中と和解した地方創生担当相・石破茂を担ぐ可能性も否定できない。一刻の猶予もならない、と安倍・菅の官邸コンビは調整を急いだ。
まず11月4日夜、安倍と菅は首相公邸に経済財政担当相・甘利明をひそかに呼びよせた。麻生、菅と並ぶ内閣の大黒柱で、政権の方針立案に常にかかわってきた甘利に、安倍と菅は「消費増税は見送り、衆院を解散して信を問う」と告げた。「今なら勝てる。野党は時間切れだ」と力を込める2人に、甘利は「分かりました」と了承した。あとは財務省の立場を代弁せざるを得ない麻生の説得だ。
麻生は11月5日、事務方の「総理を説得したい」との要請を受け、安倍の日程をおさえていた。午後5時前、麻生は前回と同じく香川、田中、佐藤らを引き連れて首相執務室に向かった。ほぼ1時間にわたった会議の様子は前回と変わらない。「増税見送り、解散は濃厚だ」。官僚たちは呻いた。
その夜、安倍は前日の甘利に続いて麻生を公邸へ呼び、ブランデーのオンザロックを自らつくりながら「年内に解散したい」と打ち明けた。予算編成への影響を考えれば、選挙日程は12月2日公示―14日投開票しかない。政権を担当した時、解散の機を逸した麻生には、安倍の気持ちは手にとるように分かる。「解散権は総理の大権です。尊重します」と返した。すでに増税実施派の筆頭格、谷垣も取り込み、自民党内の根回しは2日間で終わった。残るは公明党・創価学会ブロックだ。
「年内選挙」歓迎の公明党
成算は十二分にあった。2015年4月の統一地方選、16年夏の参院選を考えれば、14年中の衆院選は組織戦を展開する公明党にとって、ダブル選を回避でき、選挙の間隔があく好都合な日程になる。
11月7日、首相官邸で安倍から「年内解散を検討している」と聞いた公明党代表・山口那津男は即座に動いた。支持母体の創価学会に急報すると、学会は翌8日、一連の会合を開き、会長・原田稔が「常在戦場」とゲキを飛ばし、11日には選挙担当者が集まる方面長会議を招集して「12月2日公示―14日投開票」を想定した準備に突入した。1選挙区あたり2万とされる票を持つ創価学会は、いまや建設業界や農業団体をも凌駕し、自民党にとっても最大の支持勢力。公明党・創価学会が、解散風を一気に強める役割を果たした。
一方、財務省は、無駄な足掻きと知りながら「解散はするが、消費増税は予定通り実施」に一縷の望みをかけた。解散が既定路線となった11月17日、安倍が豪州から帰国する政府専用機に麻生が同乗した。だが、7―9月期の国内総生産(GDP)の伸び率は予想外に2期連続のマイナスとの結果が直前に伝わった。「消費増税は1年半先送りに」で安倍と麻生は一致した。
「大義なき解散」と批判されようとも、安倍チームに迷いはない。「負けない選挙」さえ展開できれば、先にあるのは「黄金の4年間」だ。
2015年9月の自民党総裁選は無風で再選し、16年夏の参院選にも勝ち、17年4月に消費税を10%へと引き上げ、18年9月に総裁任期切れを迎える。18年12月までの衆院議員任期とほぼ同じ期間を、安倍は手にすることになる。憲法改正にも手が届き、上手くゆけば総裁任期の延長さえあり得る時間の余裕だ。
安倍と菅に不意打ちを食らった野党は、それでも必死に候補者調整を進めた。主役の1人は生活の党代表・小沢一郎だ。
1993年の非自民連立政権、2009年の民主党政権と2度にわたる政権交代を成し遂げた小沢の哲学は「小選挙区制なら、野党は一つにならなければ勝てない」とシンプルだ。11月19日、小沢は所属議員たちに「新党を模索したが時間切れになった。君たちは総選挙で勝ち残る一番いい方法を考えてくれ」と党の移籍を容認すると伝えた。11月20日には恩讐を超え、民主党代表代行・岡田克也と会談し、自らの側近2人の民主党への移籍を決めた。2年前、日本未来の党として71人の小選挙区候補を擁立しながら、小沢本人以外は誰も勝てなかった轍は踏まない。これで前回は小沢一派にも票を出さざるを得なかった連合の動きが、一本化される期待もある。
梶山静六の見識はどこへ
だが、野党の動きは冴えない。
「今回は戦わず、統一地方選で戦いたい」
11月23日、維新の党共同代表・橋下徹は大阪市内のホテルで公明党陣営への殴り込みを諦め、立候補はしないと表明した。「勝てる戦いしかしない」と評される橋下の不出馬は、野党の先行きを暗示もしている。「第三極」のもう一方の雄だったみんなの党は分裂の果てに解党した。
事実、自民党が解散直前の11月15、16両日に実施したサンプル調査では「自民は多くて30議席減、民主は85から95議席で、100議席には届かず」と出た。仮にこの結果でも、民主党は前回の57議席と比べれば「大躍進」。党代表・海江田万里の責任論は封殺される。民主党にとっても今回は「負けない選挙」が保証されているのだ。
安倍と菅が謀りに謀って持ち込んだ「アベノミクス解散」は政略的には正しくとも、王道ではなく覇道の匂いがする。
菅が師と仰ぐ元官房長官・梶山静六は96年1月、橋本龍太郎政権の参謀となった時、「解散はいま、支持率が高い政権発足時が最も好都合だ。しかしそれは覇道、奇策だ」と見送り、予算成立と米軍普天間飛行場の返還合意、政策課題の遂行を果たしてからの9月に解散した。小選挙区制で初めての解散・総選挙は、これだけの好材料があっても自民党は28議席増だったのだ。
今回、解散時点で自民党が弾いた「30減プラスマイナス5」が下振れし、40議席以上減れば政局は流動化する。仮に「25―35議席減」の幅におさまっても、15年の景気動向や集団的自衛権法制の審議など、いくつも課題はある。総裁選と組み合わせる解散日程を放棄した以上、政権が落ち目となれば対抗馬が出てくる公算は大きい。
各種世論調査でも、アベノミクスそのものへの評価は割れている。安倍が解散会見の参考にした元首相・小泉純一郎の口癖は「政界、一寸先は闇」だった。
11月26日、岩手県で初めて街頭に立った安倍は「負けられない選挙だ」と力を込めた。
「黄金の4年間」か、政局激変か、総裁選前の流動化か。いずれの可能性も孕んだ選挙戦の結果は、間もなく出る。 
 
諸話 2015

 

民主党会合、NHK籾井会長と衝突 2015/2
NHK会長、過去の発言追及され民主議員とどなり合いに
NHKの籾井会長、就任から1年、数々の発言が物議を醸してきました。「従軍慰安婦はどこの国にもあった」「政府が右というものを左とは言えない」など、NHKの公共性を無視した発言や、政権寄りの発言が目立っていました。その籾井会長が18日、民主党の会議に出席しました。議員たちから過去の発言を追及され、激しいどなり合いとなってしまいました。
民主党の会議に呼ばれた籾井会長。来年度の経営計画を説明するためでしたが、話題は会長就任直後、当時の理事全員に辞表を出させた問題に。
「(理事全員から)辞表を預かっている問題に対して、こんなことは世の中ではやっていないですよと私が指摘したところ、『一般社会ではよくあること』とおっしゃいましたよね」(民主党 階猛衆院議員)
「皆無ではありません、そういう意味で別に間違ったことを言っているわけではありません」(NHK 籾井勝人会長)
「『皆無ではない』と言っていないでしょ。『よくあること』と言っていたんじゃないですか。『よくあること』なんですか本当に」(民主党 階猛衆院議員)
「『よくあること』じゃないですか。言葉尻を捉えないでくださいよ」(NHK 籾井勝人会長)
「信用できませんよ。撤回してください」(民主党 階猛衆院議員)
「撤回いたしません。何を撤回するんですか」(NHK 籾井勝人会長)
「『一般社会でよくあること』という表現を撤回してください」(民主党 階猛衆院議員)
「昨年の話じゃないですか。先の話をしているときに蒸し返して1年前に戻らなければいけないんですか。私が場外で何を言ったとか」(NHK 籾井勝人会長)
「国会は場外なのか!」(会場)
「もう少し冷静に言ってくださいよ」(NHK 籾井勝人会長)
話題は籾井会長の歴史認識にも。
「『河野談話』は日本の公的見解か」(民主党 後藤祐一衆院議員)
「いいと思います」(NHK 籾井勝人会長)
「『村山談話』については」(民主党 後藤祐一衆院議員)
「今のところはいいと思います」(NHK 籾井勝人会長)
そして、会議後も延長戦が。
「『くだらん』て本当ですか、『くだらん』と思ってるのか」(民主党 階猛衆院議員)
「発言ではないです」(NHK 籾井勝人会長)
「失礼だな」(民主党 階猛衆院議員)
「何が失礼だ、あなたこそ失礼」(NHK 籾井勝人会長)
「何、言ってるんですか」(民主党 階猛衆院議員)
「何を言ってるんですか、あなたどなり声でね」(NHK 籾井勝人会長)
「あなたの発言が質問とかみ合ってないから」(民主党 階猛衆院議員)
民主党は「政治の顔色を伺って忖度しながら発言する人はNHK会長として失格」として、19日からの予算委員会でも追及していく構えです。
NHK・籾井会長、民主党会合に出席も怒号飛び交う激しい応酬に
NHKの籾井会長は18日、中期経営計画の説明のため、民主党の会合に出席したが、出席議員から、過去の籾井会長の発言を問いただす質問が相次ぎ、怒号が飛び交う激しい応酬となった。会議では、民主党議員から、籾井会長が就任した2014年、理事全員に辞表を提出させたことなどに関する質問が出た。
民主・階 猛衆院議員「(国会で)こんなことは世の中ではやってないと、わたしが指摘したところ、一般社会でよくあることとおっしゃいましたよね?」
籾井会長「あるものはあるんです。皆無ではありません」
階衆院議員「よくあることなんですか、本当に?」
籾井会長「よくあることじゃないですか?」
籾井会長「言葉尻をとらえないでください」
階衆院議員「わたしたちは、そんな会長がトップである以上、このような、いくら立派なお題目を唱えても信用できませんよ。撤回してください」
籾井会長「撤回いたしません。真実に基づき、公平公正、不偏不党、何人からも規律されずというスタンスでやっている。何がやってないんですか? やってなかったら言ってくださいよ。放送が一番大事なこと。そういう意味で、わたしが場外で何を言ったとか...」
議員「場外!? 国会は場外なのか!」
籾井会長「もう少し冷静に言ってくださいよ」
また、籾井会長は、村山談話について、「今のところはいい。将来のことはわからない。政権が変わって、その人が、村山談話はもういらないと言うかもしれない」と述べた。
民主党は、今後も籾井会長を呼び、意見を聴く方針。
NHK籾井会長:民主党会議で発言巡り応酬「くだらん」
NHKの籾井勝人会長は18日、民主党の総務・内閣部門会議に出席した。1月に策定した2015年度から3カ年の経営計画の説明のために呼ばれたが、人事政策や過去の自身の発言についての質問が相次ぎ、議論はヒートアップ。時折、怒号が飛び交った。
籾井会長は昨年1月の就任直後に全理事から辞表を取り付け「よくあること」と述べたが、その発言を撤回すべきだと迫る議員に「屁理屈(へりくつ)だ」「言葉尻をとらえている」と反論。議論の応酬後、「くだらん」とこぼした。枝野幸男幹事長は同日の記者会見で、「くだらん」発言について「その一点をもって(会長)失格」と厳しく批判した。
会議で籾井会長は、従軍慰安婦問題を番組で取り上げるかどうかは政府の方針をみて判断する意向を示した今月5日の定例記者会見の発言について、「外交問題に発展する恐れがあることもよく考えて扱わなければならないという認識。政府の言うことを聞くということではない」と釈明した。発言については撤回しない考えを示した。
また過去の植民地支配と侵略を反省し謝罪した戦後50年の村山富市首相談話について「今のところ(日本の公式見解と考えて)いい。将来は、(政権が代われば)わからない」と述べた。
民主・安住氏「籾井氏はNHK会長として失格」
民主党の安住淳国対委員長代理は18日午前の記者会見で、NHKの籾井勝人会長が5日の会見で、慰安婦を番組で取り上げるかどうかについて「政府のスタンスが見えないので放送は慎重に考える」などと発言したことを踏まえ、「政府の顔色をうかがって放送をつくるような発言をしている」と批判。
その上で、「会長として失格だ」と、辞任を求めていく考えを示した。
民主党は同日午前、国会内で開いた総務部門会議に籾井氏を呼び、これまでの言動などについての真意をただした。
民主党会合、NHK籾井会長と衝突
2月18日にNHKの籾井会長が民主党の会合に出席し、放送方針などを巡って激しい議論を行いました。民主党は「今のNHKが政権寄り」と批判し、2014年にNHKの旧経営陣を辞任させたことなどを問いただすも、NHK会長は「真実に基づき、公平公正、不偏不党、何人からも規律されずというスタンスでやっている」等と返答。更には去年1月の記者会見で、NHK会長の発言が問題となった件に関しては、「NHKの事を何も知らなかったから仕方ない」と述べています。喧嘩のような激しい議論が続きますが、NHK会長はまともな返答をせずに曖昧な返事で誤魔化し続けました。
映像を見てみましたが、これは中々凄いですね・・・(苦笑)。NHKの籾井会長はちゃんと答えようとはせず、適当な返事をするもその内容も酷くて、お互いに激怒。これではまともな議論なんて出来ないです。というか、籾井会長が昨年の記者会見について、「NHKを何も知らなかった」等と発言したことには驚きました。普通の企業ならば、会長になるような人物は会社で色々な経験をしている方がなるため、「何も知らなかった」とは言えないと思います。これを「世間一般ではよくある」とか言っている籾井会長のその後の言葉にもビックリですが、この発言を彼の口から引きずり出した民主党は中々良い仕事をしたと言えるでしょう。是非とも次の民主党会合にも籾井会長が出席して欲しいところです。    
農相辞任に揺れる余裕なき一強政権 2015/3
 W辞任に続く不祥事。首相自ら記憶違いのヤジ。求心力低下は避けられない。
「衆院予算委員会の基本的質疑も終わりましたし、私がいくら説明しても分からない人は分からない、と。そういうことで、辞表を出してきました」
自身が支部長を務める自民党支部への寄付問題が浮上していた農相・西川公也は2月23日夕、官邸で首相・安倍晋三に辞意を伝えた後、吹っ切れたような表情で記者団に語った。
安倍は12日に行った施政方針演説で「戦後以来の大改革」に取り組むと訴え、具体的な政策課題の筆頭に農政改革を掲げたばかり。昨年10月に前経済産業相・小渕優子、前法相・松島みどりがダブル辞任した危機を電撃的な衆院解散・総選挙で乗り切った安倍が、再び閣僚不祥事に見舞われた。
西川が支部長を務める自民党支部は、国の補助金支給が決まった木材加工会社や砂糖業界から寄付を受けていた。政治資金規正法は補助金の交付決定から1年間、政党や政治資金団体への寄付を禁止している。
「違法性はないが、農相の職責に鑑みて、いささかも疑問を持たれないよう返金した」。17日の記者会見などで疑惑を否定していた西川は、農相就任前には自民党の環太平洋経済連携協定(TPP)対策委員長として交渉を支える立場だった。砂糖は、日本が米や麦とともに関税撤廃の例外とするよう求める重要5項目の一つであるだけに、民主党などは「疑惑の構図」として追及を強めていた。
西川が弱気を見せ始めたのは、辞任表明の数日前からだ。
「家族が参ってしまっている。もう嫌になった」
西川は親しい議員らに繰り返した。週末土曜日の21日、自身の選挙区にある栃木県日光市で開かれた会合に西川は欠席。心配した同じ栃木選出の自民党選対委員長・茂木敏充は「どうされたのですか」と電話をかけ「法的問題はない。支えますよ。安倍首相も西川さんの仕事ぶりをほめていました」と励ました。
「ありがとう」と元気に応じた西川だったが、辞意は首相官邸側に伝わっていた。
23日、西川が安倍に辞表を提出した直後、官邸に後任の前農相・林芳正が現れた。林は20日の時点で、周囲に「ひょっとしたら農相をやれと言われるかもしれない」と漏らしていた。官房長官・菅義偉を中心に、人選が進んでいたとみられる。
「任命責任は私にあります。国民の皆様にお詫び申し上げたい」
西川が退出した後、記者団にこう語った安倍は公邸に入り、自民党幹事長・谷垣禎一ら党幹部と予定通り会食した。安倍は「西川さんには、もう少し頑張ってもらえると思ったんだけど」と漏らした。
西川の問題が気に掛かっていたのか、安倍は変調をきたしていた。
民主党議員・玉木雄一郎が19日の衆院予算委員会で西川問題をめぐり「脱法献金だ」と追及した際、安倍は「日教組はどうするの」と自席からやじを飛ばし、翌20日に予算委員長・大島理森から注意を受けた。
安倍は同日の予算委で「日教組は補助金をもらっていて、民主党には日本教育会館から献金をもらっている議員がいる」と発言。これについて安倍は23日、「教育会館から献金という事実はなかった。記憶違いであり、正確性を欠いた。遺憾だ」と陳謝した。
西川の辞任を受け、野党側は「基本的質疑をやり直せ」と要求。24日に予定されていた衆院予算委の一般質疑は取りやめとなった。
政府、与党が目指した2015年度予算案の年度内成立は絶望的だ。
「もっと早く辞めるべきだった。首相も変なやじまで飛ばしてかばったわけだから、責任は重い」
民主党代表・岡田克也は23日夜、視察先の福島県庁で記者団に追及強化を宣言した。大臣2人が辞任した昨年の臨時国会に続く敵失に勢いづいたのは間違いない。
翻弄された「イスラム国」対応
それまで政府は、中東の過激派組織「イスラム国」による2邦人人質事件に忙殺されていた。
フリージャーナリスト後藤健二さん殺害の一報は、日本時間2月1日早朝に入った。急報を聞いた官房長官・菅は、全速力で首相官邸のエレベーターに駆け込んだ。安倍は記者団の前で涙を浮かべ「テロリストたちを決して許しません。その罪を償わせる」と表明した。
イスラム国が1月20日、湯川遥菜さんと後藤さんを拘束している映像を公開した際、安倍はイスラエル・エルサレムに滞在中だった。安倍はホテルのスイートルームに官房副長官・世耕弘成や外務副大臣・中山泰秀を集め、身代金要求に応じない方針や、ヨルダン・アンマンの現地対策本部に中山を派遣することを決めた。安倍は菅に電話でこう指示した。
「日本の2億ドルの中東支援は、あくまで人道支援だと発信してほしい」
今回の事件で特異なのは、後藤さんを拘束したとのメールを昨年12月初めに受け取った妻が、英国の危機管理コンサルタント会社に犯行グループとの折衝を依頼した点だ。後藤さんが英国保険会社の誘拐保険に加入していたため、そうした運びになったという。
日本政府は「テロリストと交渉はしない」との立場を決めており、イスラム国と直接交渉することはなかった。イスラム国が後藤さん解放の条件として、ヨルダンに収監されていた女死刑囚の釈放を要求してからは、ヨルダン政府の交渉に依存した。
政府対応に目立った問題点はなかったとの評価が支配的だが、政府内には「犯行グループとの折衝を妻任せにせず、政府が当たるべきだった」との意見がくすぶり続けている。日本政府が犯行グループに翻弄されたという敗北感が痛恨事として外交史に刻まれた。
野党は、政府が邦人2人の身柄拘束情報を昨年から把握しながら、1月17日のエジプトでの安倍演説でイスラム国対策として2億ドルの人道支援を発表したことの是非や、イスラム国に言及した演説内容の妥当性を追及した。
「ご質問はまるでISIL(イスラム国)に対して、批判をしてはならないような印象を我々は受ける。それはまさにテロリストに屈することになるんだろうと思う」
2月3日の参院予算委員会。安倍は共産党議員・小池晃が人質事件の政府対応をただしたのに対し、不快感をむき出しに反論した。
「これは首相の意向です」
安倍の「一強」らしからぬ余裕のなさは、足元で続く不協和音と無縁ではない。安全保障法制をめぐっては、与党内でも、公明との駆け引きも続いている。
「公明党は『ガチンコで議論したい』と言っている。与党協議は大変な運びになる」
自民党副総裁・高村正彦は2月12日、安全保障法制に関する与党協議の自民党メンバーと首相補佐官・礒崎陽輔らが党本部で開いた会合で、議論の先行きに不安をにじませた。
実際、翌13日、7カ月ぶりに再開された与党協議は早速紛糾した。政府側が武力攻撃に至らない「グレーゾーン事態」で、自衛隊が米軍以外の艦船なども防護対象にする法整備を提案したのに対し、公明党は「必要性が分からない」と反発した。
20日の協議では、政府が朝鮮半島有事を想定した周辺事態法を改正し、自衛隊の活動について地理的概念を撤廃する案を提示。他国軍の後方支援に向けた自衛隊の海外派遣を随時可能とする恒久法の新規整備も提案した。公明党側は地理的概念の撤廃をめぐり「99年の周辺事態法制定時、小渕恵三首相は『中東やインド洋は想定されない』と国会答弁している。整合性はどうなるのか」と指摘。恒久法についても「個別事案ごとに特別措置法を制定して対応すべきではないか」と疑問を呈した。
しかし、安倍は16日の衆院本会議で、「あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とすることが重要で、将来、具体的なニーズが発生してから、あらためて立法措置を行うという考え方は取らない」と、恒久法制定への意欲を強調し先手を打っている。通常国会での法整備を急ぐ安倍の方針に全くぶれはない。むしろ、ガチンコで協議に臨んでいるはずの公明党の抵抗が“及び腰”になっているのが実態だ。
「これは首相の意向です」。政府側は公明党幹部への個別説明の場で「殺し文句」をささやく。同党内には恒久法制定を容認する声も既に出始めている。現在の与党協議での強硬姿勢は、4月の統一地方選を前にした支持者向けのポーズだとの冷めた見方が強い。
何よりも大きいのは、支持母体・創価学会の変化だ。公明党が昨年末の衆院選で議席増を果たしたことについて、創価学会は自公選挙協力が成果を上げたと評価、官邸との良好な関係を維持する思惑がこれまで以上に先行している。昨年夏の集団的自衛権行使容認の閣議決定に関する自公協議当時の緊迫感には、ほど遠い。
今夏に発出する戦後70年の首相談話も、当面の焦点だ。政府は2月18日、談話策定に向けて設置する有識者懇談会の座長に日本郵政社長・西室泰三、座長代理に安倍ブレーンの国際大学長・北岡伸一を充てるなどの人事を内定した。ただ、有識者懇談会の結論は、今回は参考材料として扱われるにすぎないだろう。
談話内容は、もちろん安倍自身が決めることになる。東京裁判史観に違和感を抱く安倍は、談話で「未来志向」を強調する一方で、1995年の村山富市首相談話を上書きして「自虐的」な文言を葬り去るとの見方が大勢だ。連立与党の公明党は、村山談話に盛り込まれた「日本の植民地支配と侵略」などのキーワードが姿を消す事態を懸念する。
「改憲の争点化」に慎重な菅
安倍の究極の目標は、初の憲法改正だ。5月に予定される大阪市の住民投票で、維新の党の大阪都構想が認められた場合、最高顧問の大阪市長・橋下徹が来年の参院選に出馬するとの見方が浮上している。橋下の国政転出が起爆剤となって参院で現有11議席の維新が躍進すれば、安倍が悲願とする改憲がいよいよ現実味を帯びる。
安倍は2月4日、自民党憲法改正推進本部長・船田元と会い、参院選後に改憲を国会発議する日程案を確認した。首相補佐官・礒崎は21日の講演で、国会発議を受けた国民投票を「できれば来年中、遅くとも再来年の春ぐらいには実施したい」と語った。
一方、官房長官・菅は改憲を参院選の争点として打ち出すことには一貫して慎重な構えを取る。第一次政権当時の07年、参院選で改憲を掲げて惨敗した記憶がトラウマになっているからだ。安倍が維新との連携を強化すれば、公明党が連立政権の組み替えにつながりかねないと警戒することも想定される。公明党は憲法に環境権などを盛り込む「加憲」には前向きだが、官邸が維新と接近した場合、自民党の改憲草案が復古的だなどとして難色を示すかもしれない。
「どういう条項で国民投票にかけようか、発議しようかというところに至る最後の過程にある」
安倍は20日の衆院予算委で、改憲の現状認識を口にした。だが、衆院選での勝利もつかの間、西川辞任による求心力低下や与党内のあつれきなど、不安材料も目立ち始めた。9月の自民党総裁選に向けては、既に引退した元幹事長・古賀誠らリベラル派が安倍の対抗馬擁立をうかがう。
安倍が本当に長期政権を実現し「戦後レジームからの脱却」を果たせるのか、難所はこれからだ。 
「お友達内閣」安倍晋三内閣の菅義偉官房長官が「自爆気味」 2015/3
「お友達内閣」と言われている安倍晋三首相の女房役である菅義偉官房長官が、このところ、「友達関係」を鼻にかけて、わがまま三昧に振る舞い、内閣を攪乱している閣僚に、頭を悩ましているという。
その筆頭が、下村博文文科相だそうだ。熱烈な「支持者」の集まりである任意団体「博友会」にかかわる「政治とカネ」問題で安倍晋三内閣が揺さぶられているので政権運営を心配して、「辞めて欲しい」と伝えると、「どうして止めなくてはならないのか。安倍晋三首相と私との関係は、あんたより古くて長い」などと言って反発して、テンで相手にしないのだという。しかし、某週刊誌が近々に下村博文文科相に関する「スキャンダル」をすっぱ抜くという情報が伝えられているので、菅義偉官房長官は、下村博文文科相を助けるつもりはないという。「事と次第では、菅義偉官房長官自身が、安倍晋三首相を見限って自爆するのではないか」とさえ言われている。
やはり「友達関係」の塩崎恭久厚労相も、菅義偉官房長官の言うことに耳を貸そうとしないという。世耕弘成官房副長官が、130兆円にも上る国民の巨額の年金資産を運用しているGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)に新設の最高投資責任者(CIO)に、水野弘道氏(大阪市立大学法学部卒、ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院卒、英プライベートエクイティ=PE、未公開株=投資会社コラー・キャピタルの水野弘道パートナー)を送り込み、自由に運用させようとしたところ、日本銀行出身の塩崎恭久厚労相が2014年9月の内閣改造で就任し、待ったをかけたのがキッカケで、いがみ合うようになった。調整役の菅義偉官房長官が、世耕弘成官房副長官の上司という立場から、塩崎恭久厚労相に注意したのだが、安倍晋三首相とのお友達関係を鼻にかけて、これを聞き入れようとしない。このため、閣内でギクシャクが続いていて、菅義偉官房長官の「鼎の軽重」が問われているという。
9月の総裁選挙出馬に意欲を失っているかに見える麻生太郎副総理兼財務相や石破茂地方創生相は、「他人事」と冷ややかで、我関せずの構えだ。
中川郁子農水政務官が、不倫路上キス問題や緊急入院先の病室で喫煙した問題で野党の追及を受けた際、菅義偉官房長官は、「辞めさせることは考えていない」としながらも、積極的に庇う姿勢を見せず、「不祥事ドミノ」が続いて、安倍晋三政権が、自壊するのを待っている感さえある。安倍晋三内閣が、バラバラになってきていることと連動して、自民党内でも、バラバラ現象が起きているという。
谷垣禎一幹事長も覇気がなく、勢いづいているのは、二階俊博総務会長のみ。さりとて、総理総裁の大器であるかは、未知数である。中川郁子農水政務官とその相手の門(かど)博文衆院議員(和歌山1区落選→比例近畿ブロック復活当選)が、二階派所属というのも、辛い。
「巨象」をシンボルマークにしている自民党が、大勢力を誇りながら、統制が取れなくなったとき、「一体、だれを中心にまとまって行けばいいのか」という不安感が漂い始めているのだ。大きく太り過ぎると、かえって身動きが取れなくなるものらしい。 
サラリーマン組織に堕した自民党 2015/4
 経済で批判を封じる安倍。しかし、議論なき党内は静かに弱体化している。
「俺は安倍さんの後をヤル気はないね。もう年だ。あんたがやったらどうだい?」「いやいや、とても……」「私はとことん、尽くしていきますよ」
副総理兼財務相・麻生太郎と経済財政担当相・甘利明、さらに官房長官・菅義偉を加えた3人が、最近かわした会話の一端だ。
今秋の自民党総裁選での再選が確実視される首相・安倍晋三に、党内の死角はない。民主党が仕掛けた「政治とカネ」スキャンダルの攻勢も不発に終わった。再選されて参院選に勝ち、悲願の憲法改正へと突き進むため、安倍は高い支持率を支える「経済」に、まずは全力をあげた。
3月17日、春闘の一斉回答を翌日に控えた閣議前。安倍は甘利にこうつぶやいた。
「賃金が上がれば、野党が国会で私を攻める決め手はなくなる」
「アベノミクス」が恩恵をもたらしたのは富裕層、都市部、株を持っている人たちだけ――そんな不満が、じわじわと広がる。その芽を摘むため、安倍と甘利は賃金引き上げ=ベースアップに照準を合わせた。
準備は昨年12月から進められていた。
衆院選での自民党勝利を確信した安倍、甘利、麻生らは、春闘を見据えて製造業の集積地、愛知に足を運んだ。トヨタ自動車など世界に名だたる大企業の裾野は広い。その賃上げは、下請け企業を通じて愛知から全国へと波及する。安倍の意を受けた甘利は、「賃上げの効果を下請け企業にまで波及させることが重要だ」と説いて回っていた。
甘利と春闘について囁きあった日と同じ3月17日、安倍は参院予算委員会で「原材料価格の上昇分を、適正に取引価格に転嫁できるよう、下請けガイドラインを改定する」「下請け企業がしっかりと賃金を上げられる状況ができて、初めて本格的に消費が拡大していく」とぶった。
「取引価格」という業界用語を安倍が使いだしたのは年初からだ。「内閣総理大臣が『取引価格』という言葉を使うとは」と、経済界と労働界に驚きが広がった。
安倍と甘利の理屈は極めてシンプルだ。「輸出型の製造業が史上最高益を記録できるのは円安だから。円安はなぜ起こったか。アベノミクスだ。よって政権に協力するのは当然だ」。
官製春闘の標的となったトヨタは安倍に「満額回答」した。すでに凍結していた取引先への部品価格の引き下げ要請を今回も見送り、賃上げも一気に4000円にのせた。
3月16日、経産省出身のトヨタ副社長・小平信因は、甘利に「全力でやりました。もう一段のご理解をお願いします」と頭を下げた。
地方にアベノミクスを波及させる切り札としての賃上げには、官邸チームも動いた。
経産省出身の首相補佐官・長谷川榮一、政務秘書官・今井尚哉は財界人脈をフル動員した。民主党支持母体の連合にも手を伸ばした。連合にとって、どんな形であれ賃上げは歓迎すべき事象である。連合対策は経団連が引き受け、会長の榊原定征が連合会長・古賀伸明に頻繁に声をかけた。
古賀は「ベアの要求水準は2%以上とする」と高めの目標を打ち出し、結果として安倍内閣を後押しした。大企業、経産省、経団連、連合――政労使官によるスクラムが組まれた。
賃上げと同時に注力したのはアベノミクスの要である金融政策を司る日銀、とりわけ総裁・黒田東彦との関係であった。
黒田総裁との“復縁”
昨年10月末、予想外の追加金融緩和で日経平均株価を急騰させた「黒田バズーカ」。安倍はこの緊急緩和を、当時判断期限が迫っていた15年10月の消費税再引き上げへの「援護射撃だ」と受け止めていた。周辺には「結局、黒田も大蔵省の人間だということだ」と不快感を隠さなかった。
黒田は財務官、アジア開発銀行総裁を経て日銀トップに転じたが、大蔵省主税局の経験が長く、DNAは旧大蔵省の財政再建にある。財務省が仕掛けた消費増税を蹴散らすために、衆院解散・総選挙にまで打って出た安倍にとって、黒田日銀は「許されざる者」となっていた。
安倍と黒田の間は冷え込み、2月12日の経済財政諮問会議ではオフレコを前提に黒田が「日本国債が大変なリスクになる可能性がある。財政健全化を急ぐべきだ」と訴え、安倍が苦虫を噛み潰す一幕もあった。
株価が2万円近い水準にまで上昇してきたのは、日銀が指数連動型上場投資信託(ETF)を買い入れ、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が日本株買いの比率を高めた「官製相場」の色合いが濃い。春闘で賃上げ目標が「2%以上」となったのは、日銀の物価上昇目標「2%」とも連動する。春闘と日銀はこの一点でつながる。安倍は黒田との関係修復に応じた。
3月23日、首相官邸で安倍と黒田は昼食をともにしながら1時間、半年ぶりで会談した。
会談後、黒田は「経済、金融の一般的な話をした」とだけ記者団に説明した。会談の中身よりも、不仲を囁かれていた首相と日銀総裁が顔を合わせたことが、なにより市場へのメッセージになるのだ。この日、日経平均株価の終値は194円高で約15年ぶりの高値を回復した。安倍の狙いはまたもや的中した。
「経済」で後顧の憂いはひとまずなくなった。集団的自衛権の行使容認を具体化する安全保障法制も3月20日、自民党と公明党でなんなく合意に達した。
折しも公明党の支持母体、創価学会では元総関西長・西口良三が3月15日に死去している。現在はミニ政党の党首に甘んじている元自由党党首、元民主党代表の小沢一郎が学会で最も気脈を通じていたのが選挙と政局のプロとみなされていた西口だった。1990年代から「反自民」の旗手だった小沢に近い西口の死と、安保法制のスムーズな合意は、もはや公明党が「自民党最大の集票基盤」になっていることを象徴的に示してもいた。
自公で合意した以上、安保法制は時間がかかっても必ず今国会中に成立する。安保法制の次に見据える憲法改正に向け、安倍は「維新の党」取り込みも怠りない。
2月20日、衆院予算委員会。維新国会対策委員長・馬場伸幸は2027年に東京―名古屋間で開通する予定のリニア中央新幹線について、2045年開通予定となっている名古屋―大阪間の建設前倒しを要請した。
実は、リニア新幹線に関しては維新創設者の大阪市長・橋下徹が「大阪都を実現して、東京―大阪間をリニアで結び、国の行政機構をまずは二極化。東京一極集中の是正策の切り札が大阪都構想と、東京―大阪間のリニア開業だ」と、大阪都構想実現に絡めて積極的に言及し始めていた。
安倍は「関係者で相談していただきたい」と公式答弁は型通りにとどめたが、答弁後には馬場に「JR東海の葛西敬之名誉会長に個人的に言っておきますよ」と話しかけた。安倍と菅は、橋下の意向を踏まえてリニア延伸にまで網の目を張り巡らせている。
総裁選も節目にならず
ひと昔前ならば予算案成立がかかる2、3月こそが、与野党攻防で最大のヤマ場だった。しかし最大野党・民主党のカゲは薄い。代表・岡田克也は網膜剥離で統一地方選の応援にさえ思うように飛び回れない。
政局の次の節目は9月の自民党総裁選だ。ところが、総裁選でさえも節目とはほど遠い状況にある。
「ポスト安倍」の最右翼と目される地方創生担当相・石破茂は3月21日、安倍の無投票再選でよいのか、とテレビ番組の収録で問われて「それぞれが与えられた役割をきちんと果たす、それ以外は考えてはいかん」と早々に白旗をあげた。
本来なら「ポスト安倍」に名前のあがっておかしくない麻生、甘利、菅の政権中枢も冒頭で紹介した会話のように、手をあげる気配はない。
わずかに前総務会長・野田聖子が3月8日に「危機的な状況にある日本を支えようとする人であれば、誰でも出馬を考える」と意欲をにじませた程度だ。野田は安倍と同期の衆院当選8回、元幹事長・古賀誠が初当選のころから目をかけて「将来の宰相に」と今に至るまで推す政治家だ。
とはいえ、野田への支持が広がるとも思えない。元防衛相・浜田靖一らが秋に向けて奔走するが、「総裁選出馬に必要な20人が集まるのか」と懐疑的な声も、党内には根強い。
安倍本人は「最初から誰も出ない、と決まるのはよくないよね」と余裕の言葉を漏らすが、これは本音でもある。無投票再選は、いいことばかりではない。総裁選は対立候補と争い、勝ち抜いてこそ党内基盤は固まる。1997年9月、無投票で再選された当時の首相・橋本龍太郎は2か月後の金融危機で失速すると翌年には退陣に追い込まれた。出身派閥の小渕派は橋本とは遠く、他派閥も様子見していた。橋本の退陣は再選から1年もたっていない。
「安倍一強」は、当時の橋本と同じように、砂上の楼閣に過ぎない。
いま自民党内では、政権の方針に逆らえば役職に就けないだけでなく、次期衆院選で公認されないかもしれないとの恐怖感が強い。事実、選挙区で負けて比例代表で復活した議員に対しては内閣官房参与・飯島勲らの進言で「連続して小選挙区で負けた議員の公認は、実績を評価して考え直す」とのアイデアが浮上している。小泉純一郎内閣は郵政民営化反対派に「刺客候補」を送り込む荒業を現にやってのけた。自民党は新人議員から幹部までが「上」の意向を気にせざるを得ない、“悪しきサラリーマン組織”に堕しているのだ。
古賀や総務会長・二階俊博らが「リベラルな自民党を」「党内議論の活性化を」といくら提唱しても、国会議員の意識は変わってしまったのだ。政権の勢いが持続しているうちは、反対論が大きくなるはずもない。
ワシントンとの鞘あて
反面、何かのきっかけで支持率が下がれば、党内にたまった不満と鬱憤は爆発し、政変を引き起こす。97年から98年にかけて橋本が直面したのは経済危機だった。一方の安倍も、経済の変調に直面する危険は否定できないが、蓋然性が高いのは外交だ。
3月23日、一時帰国中の駐米大使・佐々江賢一郎は外務省事務次官・齋木昭隆とともに首相執務室へ入り、安倍に4月26日から5月3日までの訪米日程を報告した。
首都ワシントンだけでなく西海岸までを回る一大旅行だが、正式決定前から鞘あてがあった。
2月、米大統領国家安全保障担当補佐官、スーザン・ライスが安倍の訪米を発表する直前の折衝では、中国国家主席・習近平の訪米を「State Visit(国賓訪問)」と呼びながら、安倍は「Official Visit(公式訪問)」と差がついていたという。日本側の主張で正式発表は日中とも「国賓級待遇」となったが、米オバマ政権と安倍官邸の距離はかくも遠いのが実態だ。
夏には戦後70年談話があり、米国、中国、韓国とのパワーゲームは本番を迎える。テロの懸念も消えず、ウクライナ情勢も不透明なままだ。25年前の夏に起こった湾岸危機は当時の首相・海部俊樹の覚束なさを際立たせ、翌年の退陣につながった。
いつ起きるか分からぬ危機とその対応は、永田町の空気を一変させかねない。 
安保法案を迷走させる「慢心」の官邸 2015/7
 憲法学者の違憲発言、支持議員の暴言。プロの手借りぬ国会対策は緩みきった
「好事、魔多し」「政界、一寸先は闇」。それは得てして、宰相の得意分野にあらわれる。
株価も高値で推移し、党内に敵もおらず、内政が万全なはずの首相・安倍晋三が窮地に陥ったのはまさに内政――国会対策である。
「戦後最長の会期にしよう」
6月19日昼、安倍は首相官邸で自民党幹事長・谷垣禎一、官房長官・菅義偉に伝えた。
1回しか会期を延長できない通常国会で、これまでの最長記録は鈴木善幸内閣の94日間。これを1日だけ更新し、95日間とすることで、日本の針路を変える重要法案である安全保障関連法案は「審議を尽くした」とアピールする狙いだ。この後、安倍は公明党代表・山口那津男にも「世論は丁寧な審議を求めている。戦後最長の期間で、じっくり議論する意思を国民に示したい」と説明した。
だが、安倍と菅の意向が当初、お盆休み前の8月10日までの延長だったのは公然の事実だ。それが、さらに長い会期延長に追い込まれたのは、潜在的に安倍に反感を持つ参院自民党の動向と、稚拙な国対のためにほかならない。
国会対策を軽視した官邸
6月16日、自民党の参院議員会長・溝手顕正は「9月末まで会期をとらないと、安保法案の成立は保証できない。他の重要法案もダメになる」と安倍に告げた。参院側は6月9日にも衆院執行部に「8月10日で会期を締めたら、法案に責任は持てない」と通告している。にもかかわらず、官邸と衆院の反応は鈍い。業を煮やした溝手の最後通告だった。
国対には「荷崩れ」という概念がある。
衆院で強行採決し、混乱した状態で参院に法案が送られてくることを指す。参院で自民党は過半数に届いておらず、野党が長期間、審議に応じなければ、会期は足りなくなる。溝手ら参院執行部がおそれたのは「荷崩れ」をきっかけに法案を成立させられない事態だった。
参院自民党は1989年以来、26年の長きにわたって一度も過半数を回復したことがない。しかも、来年に選挙を控える参院議員は安倍が第一次内閣の当時、参院選で惨敗した記憶が忘れられない。
「野党は大したことない」と周辺に漏らしていた安倍も参院の意向は聞かざるをえない。政権に返り咲いて衆院選に勝った安倍にとって、来年の参院選での勝利は第一次政権の悪夢を払拭するためにも、不可欠だからだ。
なぜ、安保法案がここまでトラブルの種になったのか。直接の原因は衆院憲法審査会で自民党推薦の学者までが、集団的自衛権の行使を「憲法違反」と断じたことにあるが、本質的には安倍政権が議会対策を疎かにし、国対や政策のプロの手を借りなかったことに尽きる。
国会対策委員長・佐藤勉や官邸サイドは「参院はだらしない、弱腰だ」「見通しが甘い」と参院の責任を言いつのる。だが、国対の司令塔は幹事長であり、官邸の力が強いときは官房長官が司令塔であることが、自民党の歴史だった。全体の日程、法案の進捗状況を把握し、的確な手を打つのが司令塔の役割だ。剛腕官房長官、菅の手腕はどうだったか。
会期延長を決める直前、菅は維新の党対策に全力をあげた。
6月14日、日曜日の夜に虎ノ門ヒルズにできた超高級ホテル「アンダーズ東京」の下界を見下ろすレストランで約3時間、菅は安倍とともに大阪市長・橋下徹と大阪府知事・松井一郎を歓待した。
安倍は大阪都構想で一敗地にまみれた橋下を「結果は結果だったけれど、よくここまで来たね」と労うとともに「維新のあの質問は本当によかった。本質をついていた」と、自らも出席した6月12日、衆院厚生労働委員会での一幕を披露した。この日の審議で、維新の足立康史が「日程闘争のための日程闘争だ。55年体制の亡霊がこの部屋にいる」と、審議拒否する民主党を批判していたからだ。
足立は経産官僚出身、当選2回の大阪系議員。橋下シンパの一員である。民主党と維新を離間させたい安倍と菅の、この維新大阪系議員への賛辞に、橋下と松井は相好を崩した。
このやりとりを踏まえ、橋下は「維新は審議引き延ばしなどの日程闘争はやりませんから」と応じてみせた。
さらに安倍は「橋下徹という政治家への期待は、なくなっていないんじゃないですか」ともリップサービスした。もともとの安倍―菅構想は「都構想で橋下が勝利→来夏の参院選で橋下出馬で維新が増加→野党再編派と維新大阪が分裂、橋下一派と連携する」とのシナリオだった。
いずれにせよ、橋下を担ぐ議員たちが、維新内の親・民主グループと袂を分かつことは安保法案の行方だけでなく、将来の憲法改正にとっても好都合であることは間違いない。その直後から橋下は「民主党とは一線を画すべき」などとツイッターで連続発信。野党陣営から維新を引きはがし、安保法案に賛成はしないまでも、審議には協力する態勢はできる、と菅は踏んだ。
菅は2日後の16日には、維新前代表の江田憲司、17日は維新国対委員長・馬場伸幸ら橋下に近い「大阪系」メンバー、19日には維新代表・松野頼久と次々に会談し、維新の感触を探った。
かつての国対政治なら、この手の会談事実が漏れてくるのはことを成してからだったのが、いまはリアルタイムで漏れてくる。菅が「会っていない」と否定しても、維新側が「官邸は俺たちのことを気にかけている」と喜び、会談が公知の事実となってしまう。
維新対策に奔走する姿に、連立を組む公明党からは不快感が出て、肝心の維新内部でも「政権に協力するのはおかしい」と揺り戻しが起きた。菅と安倍が頼みとする「橋下大阪系」は10人程度にとどまり、ほとんどの議員が当選回数も2回と少なく、松野や江田ら野党再編派の力は、いかに橋下の意向があれども無視できない。
菅をはじめとする官邸は「維新対策は長期戦だ」と見切り、大幅延長を決断する。参院の審議が滞っても、衆院で再可決できる「60日ルール」の適用を視野に入れた会期が、戦後最長のもう一つの理由だ。
サミット開催地と経産人脈
「国対」政治の本質は時間をかけた野党との話し合い、信頼関係にある。公明党との連立が始まって既に15年以上がたち、法案の調整は専ら与党内調整だけで済んだ。自民党全体に、野党と協議して果実を得る経験も実績も乏しい。
加えて安倍官邸には「世論の支持は野党にはない。内閣支持率がその証拠だ」との思いがある。この驕りが、時間をかけた野党との協議を軽視させる。
実は国対=議会対策は、民主主義国家の首脳にとって避けることのできない問題なのだ。「G7」の場では、共通の話題として「いかに議会対策が大変か」で盛り上がるのが通例。議会対策を上手くこなした首脳は、非公式な場で称賛される。米大統領、バラク・オバマも環太平洋経済連携協定(TPP)関連法案を通すため、野党・共和党と組んで複雑な議会対策を余儀なくされた。
議会対策の基礎となるのは日程、「国対カレンダー」だ。予算審議を軸に外交日程、自民党総裁選、野党の党首選や党大会、皇室日程を織り込み、審議できない時間を差し引いて日々更新していく。その時、大きな力となったのが野党にも人脈のあった旧大蔵省の日程管理表だった。
安倍官邸は財務省を敵視し、遠ざける。かわって差配するのは首相秘書官・今井尚哉を中心とする経済産業省グループである。今回、官邸の「国対カレンダー」が大幅に狂ったのは、議会対策に慣れぬ「経産カレンダー」をもとにしたことにも原因がある。
経産グループは国対だけでなく、外交でも蠢く。来年5月26、27両日に決まった伊勢志摩での主要国首脳会議(サミット)を主導したのも経産省一派だ。
サミット開催地となる三重県の知事、鈴木英敬は経産官僚出身で、第一次安倍内閣では官邸に勤務していた。安倍は鈴木に「政治家になるなら、30歳代でなった方がいい。私もそうだったから」と薦め、昨年の欧州訪問にも鈴木を参加させるなど親密な関係にある。さらに、鈴木は秘書官の今井とも先輩後輩の関係。サミット招致レースで最後に名乗りをあげたのは、今井が「今からでも遅くはない。サミットに手を挙げたらどうか」と鈴木に示唆したからだった。
鈴木は今年1月5日、伊勢神宮を参拝した安倍に立候補の意向を伝え、安倍も「いいよ」と即答した。外交を司る外務省もあずかり知らぬうちの今井―鈴木―安倍の連携によるサミット立候補の経緯が示すのは、最初から伊勢志摩が大本命だった事実だ。国対も外交も、財務省や外務省のプロフェッショナルを軽視して進めるのが、いまの手法だ。
総裁選は無投票濃厚
9月末までの延長で自民党総裁選と日程が重なり、安倍の対立候補が出るとすれば「この人がキーマン」とみられていた総務会長・二階俊博は6月23日の記者会見で「もし出馬の意向のある人がいれば、今年初めから動いているはずだ。今日現在、誰からもそんな話は聞かない」と安倍の無投票再選だと断言した。
延長を決めた衆院本会議に先立つ6月22日夜、自民党代議士会で安倍は「安保法制など戦後以来の大改革を断行する国会。もとより議論百出は覚悟のうえだ」と大見得を切ってみせた。周辺に「答弁は全部俺がやる。民主党などの反対論は論破してやる」と漏らす意気軒昂ぶりが、挨拶に表れていた。
しかし、超長期の延長は総裁選に好都合に働いても、副作用ももたらす。
8月の「戦後70年の談話」は国会会期中になる。野党の追及、中国・韓国の反応、米国の態度など、不確定な要素が安保法案の参院審議のヤマ場にかかってしまうのだ。
日米首脳会談、ドイツでのサミットと外交で成果をおさめながらの内政の失態に、内閣官房参与・飯島勲は「これはまずい。宮沢喜一内閣は国連平和維持活動(PKO)協力法でしくじったとき、国対委員長を剛腕の梶山静六氏に交代して成功した。あの故事にならい、国対関係者を総入れ替えすべきだ」と声をあげた。
官房長官の菅が師と仰いだ梶山は国対カレンダーを「工程表」と呼び、国会対策は「芸術作品だ」と言って憚らなかった。沖縄対策の法案を通した時には国会議員だけでなく連合や創価学会にまで手を伸ばした。その細心さは、いまの官邸にはない。
それどころか、安倍を支持する保守系議員の勉強会では沖縄、マスコミを巡る暴言が相次ぎ、執行部は土曜日の6月27日に党青年局長・木原稔を更迭せざるを得なかった。緩みと慢心は安倍支持グループ全体に広がっている。
不吉な符合もある。通常国会では戦後最長だが、実は総選挙を受けた特別国会なら最長は田中角栄内閣の280日間がある。
日中国交正常化をなしとげて「決断と実行」を掲げ、高い支持率を誇ったはずの田中内閣はこの国会の途中で失速。最後は重要法案を力でごり押しし、国会閉幕の翌年には退陣に追い込まれた。その特別国会閉幕日は、くしくも今回と同じ9月27日。まさに「政界、一寸先は闇」である。 
首相 礒崎氏は法的安定性重視し職務続ける 8/4  
安全保障関連法案を審議する参議院の特別委員会で、安倍総理大臣は、法案を巡り「法的安定性は関係ない」などと発言した礒崎総理大臣補佐官について、政府として法的安定性を重視していることを礒崎氏も十分理解して職務を続けていくと強調しました。  
この中で、自民党の佐藤正久元防衛政務官は、国連のPKO活動に参加する自衛隊について、「国内でできることがPKO活動ではできないギャップに、これまで現場の隊員が悩んだり迷ったりしたことがあった。実情を見極め自衛隊が動けるよう法改正するのが政治の責任だ」と質問しました。  
これに対し、安倍総理大臣は「法律が不十分であることを、現場の自衛官に埋めさせてはならない。法律の不備を埋めるのは行政と立法府の責任であり、今回はそのための法整備だ。現場の課題に対処する形で法整備されてきたが、まず現実を見て法律を整備してから、自衛隊員を現場に送るという順番でなければならない」と述べました。  
民主党の櫻井元政策調査会長は「安倍総理大臣は日頃から『自衛隊員のリスクは軽減する』と言っているが、新しい任務に機雷の除去作業が入ればリスクが高くなるのは当然ではないか」とただしました。  
これに対し、安倍総理大臣は「私は『リスクが減る』ということを機雷の除去について言ったことはなく、PKO活動で同じ基地をともに警護できるようになるという文脈で申し上げている。従来も、自衛隊はペルシャ湾における機雷の掃海にあたったが、停戦後に行ううえでも相当な危険が伴う作業であることは言を待たない」と述べました。  
公明党の矢倉克夫参議院議員は「いろいろな人が防衛費が2倍、3倍に膨れあがるのではないかというイメージを持っているが、今回の法案は、自衛隊が、今持っている能力をしっかり活用するためのものであることを確認したい」とただしました。  
これに対し、安倍総理大臣は「新たな法制により、全く新しい装備が必要になったり、装備の大増強が必要になったりすることはなく、防衛予算が2倍、3倍に膨れあがることは全くない。今後も厳しい財政事情を勘案し、効率化・合理化を徹底した防衛力の整備に努めていく」と述べました。  
維新の党の小野幹事長代理は、集団的自衛権の行使について、「『われわれや国家が生き延びるための最小限の自衛権の行使だ』と言っていながら、国民保護法制や国内の防衛体制にもリンクしていない。他国のドンパチを応援に行くだけではないか」と指摘しました。  
これに対し、安倍総理大臣は「公海上でアメリカの艦船を守る行為などの際に、国民保護法制をかけることは、国民にさまざまな義務を負ってもらうことにもなり、国民の権利も縛ることになる。存立危機事態においては、そこまで求める必要はないだろうと考えた」と述べました。  
共産党の仁比参議院国会対策副委員長は、海上自衛隊の内部資料では存立危機事態で機雷掃海や後方支援、アメリカの艦船の防護などを同時に行うことが想定されていると指摘したうえで、「わが国への武力攻撃がないにもかかわらず、これだけのことをやるのは憲法違反でなくて何だというのか」とただしました。  
これに対し、安倍総理大臣は「何ができるかをイメージ図として1枚の紙にまとめて書いているものだ。武力行使の新3要件にあたることが前提で、この中のものを全部やるということではなく、総合的に判断していくことになる」と述べました。  
社民党の福島副党首は、法案を巡り「法的安定性は関係ない」などと発言した礒崎総理大臣補佐官について、「更迭すべきだ。集団的自衛権の行使を初めて合憲とし、法的安定性を最も破壊している安倍総理大臣だから更迭できないのではないか」と指摘しました。  
これに対し、安倍総理大臣は「礒崎総理大臣補佐官は発言を取り消し、撤回した。政府としては法的安定性を重視しており、昭和47年の政府見解の基本的な考え方や論理はそのまま踏襲している。そのことは礒崎氏も十分理解しており、今後、誤解を受ける発言をしないことは当然だ。そのうえで職務を続けていく」と述べました。  
また、中谷防衛大臣兼安全保障法制担当大臣は、外国軍隊への後方支援で弾薬の提供を可能にすることに関連して、「ミサイルや劣化ウラン弾、クラスター爆弾は弾薬にあたるのか」と質問されたのに対し、「劣化ウラン弾もクラスター爆弾も弾薬だ。ミサイルについては、あえて当てはめるとすれば弾薬にあたる」と述べました。これに関連して、安倍総理大臣は「クラスター爆弾については、日本は禁止条約に加盟し、所有していないので、提供することはありえない。劣化ウラン弾もそうだ」と述べました。  
さらに、中谷大臣は、「サイバー攻撃に対して集団的自衛権を行使することはありうるのか」という質問に対し、「新3要件を満たす場合に、武力攻撃の一環として行われたサイバー攻撃に対し、武力を行使して対応することも法理としては考えられる。ただ、これまで、サイバー攻撃に対して自衛権が行使された事例はなく、現実問題としては、国際的な議論を見据え、さらに検討を要する」と述べました。 
無念の安倍談話、決着の舞台裏 2015/9
 「村山談話」を上書きするという宿願は、なぜ叶わなかったのか
8月14日午後6時。首相官邸の1階にある会見場は、張り詰めた空気に包まれていた。海外メディアも生中継しているその場で、安倍は戦後70年談話をこう切り出した。
「8月は、私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いを致すことを求めます」
安倍は25分もかけて、演台横に備え付けられた左右のプロンプターに交互に目をやりながら、静かな口調で談話を読み上げた。だが、これまで会見への準備を怠らない安倍には珍しく、6カ所も談話を読み間違えた。4月29日の米議会演説でみられたような高揚感も、全く感じられない。
村山談話からの脱却にあれほど意欲を示していた安倍。過去の植民地支配と侵略を認めた20年前の村山談話を、どこまで「上書き」するかに、国内外の注目が集まっていた。しかし、村山談話で用いられた4つのキーワード「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「おわび」は次々と読み上げられ、結局は全てを踏襲する結果となった。
これらのキーワードを使う際に引用や間接話法を駆使したこと、「子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と謝罪外交の終わりを提示したことが、精一杯の「安倍カラー」だった。欧米諸国は歓迎し、反発が予想された中国、韓国ですら抑制的な反応だった。これが、当たり障りのない談話となったことの証左だろう。
内外が注目した談話だけに、内容が事前に漏れないように細心の注意が払われた。メディアへの談話の事前配布は勿論なかった。さらには、談話を閣議決定した臨時閣議ですら、ある閣僚は内閣官房副長官・世耕弘成が読み上げることで内容を知り、封筒に入った談話本文を見ることなく署名を促されたというほどの念の入れようだった。
言及回避を狙った「おわび」
談話の内容をめぐって、安倍はこの数カ月間、理想と現実の間で揺さぶられ続けていた。
4月末、スタンディングオベーションに包まれた米議会演説を終え、ワシントンからサンフランシスコに向かう政府専用機の機上にいた安倍は手応えを感じていた。
「今回の原稿は非常に良かった。70年談話にも十分使えるよね」
満足げな表情を浮かべながら周囲に語った。安倍にとって、喉に刺さった小骨のように引っかかっていたのは、側近からの「談話の本質は外交問題。対象は中韓ではなく米国だ」という忠告だった。この議会演説の成功で、米国における「歴史修正主義者」との懸念が払拭され、新談話へ弾みがついたのだ。
議会演説では先の大戦への「痛切な反省」「深い悔悟」を盛り込む一方で「おわび」は回避していた。この1週間前のバンドン会議の演説でも「侵略」に言及したが、引用にとどめた。この時点で、新談話では「侵略」は引用、「おわび」は回避とのプロットが固まった。
しかし、この構想は2カ月足らずで転換を強いられる。原因は、この夏のもう一つの肝煎り案件である安全保障関連法案の審議難航だ。通常国会として戦後最長となる95日間の延長を余儀なくされ、70年談話も国会開会中に出さざるを得なくなったのだ。
国会開会中の談話発表は、安倍の選択肢を狭めた。自身の思いを反映させた談話を発表すれば、村山談話の継承を訴える公明党との「閣内不一致」と野党から追及を受ける。「今回は好きなようにやりたい」との安倍の要望を踏まえ、検討していた閣議決定をしない安倍個人の談話とする案も、国会での野党の追及をかわすため、公明党の太田昭宏国土交通相の署名が必要な政府の公式見解である閣議決定とする方針に傾いた。
それまで、安倍の口述を聞き取りながら原案作りをしていたのは内閣官房副長官補・兼原信克や首相秘書官・今井尚哉らだった。安倍は彼らを執務室に呼び、「おわびを入れた文案を作るように」と、指示せざるを得なかった。ただ同時に「この件に関してはマスコミに漏れないように」とくぎを刺すことを忘れなかった。この時点ではまだ「おわび」の言及を回避する機会をうかがっていたからだ。
そんな安倍のかすかな期待すら打ち砕いたのが内閣支持率低下だ。7月16日の安保法案衆院通過後、各社の世論調査ですべて内閣支持率が不支持を下回る逆転現象が起きた。支持率に過敏な官邸は大いに揺れた。
そして、安倍が最終的に決断を下したのは、7月下旬だった。
「今の状況では、これでいくしかない」。無念の表情を浮かべながら、兼原らに新たに作成させた「おわび」入り原案を了承した。
決断を受けて、8月5日から7日までの3日間で、自民党幹事長・谷垣禎一や総務会長・二階俊博、公明党代表の山口那津男ら政権幹部と次々と会談し、14日の閣議決定と原案了承を取り付けた。
同時に安倍を支持する保守派の政治家、論客らへのケアも怠らなかった。自ら電話をかけ、ある議員には「私が謝ったわけではないですから」と、引用を多用した談話の内容を説明し、理解を求めた。
「おわび」を受け入れた安倍が、最後にこだわったのは、謝罪を繰り返すことに「区切り」をつけることと、さらには談話を発表する「場」だった。
「区切り」については、総務相・高市早苗から差し入れられた、戦後処理で常に引き合いに出される西ドイツ大統領のワイツゼッカーの資料が役立った。彼が1985年に行った演説にあった「自らは手を下してはいない行為について自らの罪を告白することができない」との文言から着想を得て、「謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」との一文を盛り込ませたのだ。
「場」については、国民に丁寧さをアピールしようと、国会本会議での発表を模索した。しかし、参院自民党幹部が「国会で発表すると、発言を受けて予算委開催などを求められ、安保法案審議に影響しかねない」と大反対。安倍も引き下がらざるを得なかった。
「これで良かったんだろう」
14日の会見直後、安倍は執務室に戻る途中、今井ら秘書官にそう呟いた。その日の夜、夕食を共にしていた副総裁・高村正彦にも「良かったでしょ」と会見の感想を求めた。安倍の心中をおもんばかった高村は、その時点で会見を見ていなかったが「良かった」と同意するしかなかった。
沖縄と官邸を繋いだ男
安保法案、70年談話、原発再稼働……。大きな課題が続く中、支持率低下に歯止めを掛けるため官邸が動いたのが、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題だ。
表面化したのは、8月4日午前の官房長官会見だった。安倍にこの問題を丸投げされている菅は、8月10日から9月9日までの1カ月間、全ての移設作業を中断し、沖縄県側と集中的に協議することを明らかにした。
この種の発表には珍しくメディアに事前に漏れることはなかった。背景には、半年以上に及ぶ菅と沖縄県副知事・安慶田(あげだ)光男による水面下の入念な摺り合わせがあった。
安慶田は那覇市議会議長を務めた那覇市政の重鎮。「辺野古移設反対」を掲げ自民党沖縄県連に反旗を翻し、那覇市長だった翁長雄志を県知事に担ぎ上げた立役者の1人で、翁長の知事就任とともに副知事に起用された。
菅と安慶田の2人をつないだのは、全国市議会議長会の前会長で、前横浜市議会議長(現市議)の佐藤祐文だ。佐藤は菅と同じ小此木彦三郎の秘書出身で、菅には仲人をしてもらったほどの間柄。一方、九州市議会議長会会長だった安慶田とは、議長会を通じて旧知の仲だった。
佐藤の仲介によって、1月以降、水面下も含めた菅と安慶田の会談は十数回にも及んだ。2人は同い年ということもあり意気投合したものの、当然ながらスタンスは大きく異なる。菅は「辺野古移設が唯一の解決策」との立場で、安慶田は「辺野古移設は反対」。両者の“水面下のチャンネル”として機能しても、具体的な動きが生まれるわけではなかった。
そこに手を差し伸べたのが、菅と初当選同期で沖縄県出身、維新の党の下地幹郎だ。5月下旬、訪米中の翁長にメディアが集中するのを見計らって、安慶田は密かに上京、菅と会談した。下地、外務省国際法局長の秋葉剛男、防衛事務次官の西正典も同席していた。下地が「政府は移設工事を中断、県も埋め立て承認の取り消し手続きを中断し、両者が集中的に交渉すべきだ」と提案。安慶田の感触も悪くない。決定的な対立を回避したい菅にとっては渡りに船だった。早速、秋葉に米国の理解が得られるか探るように指示した。
その後も、2人は水面下で交渉を重ね大筋合意。7月4日、東京・虎ノ門のホテルオークラの日本料理店「山里」で、菅はいよいよ翁長、安慶田と向かい合った。この日、普天間問題は話題に出なかったとされるが、当然ながら事実は異なる。
「方向性は違っても互いが険悪にならないようにしましょう」
テーブルに出された天ぷらを前に、菅は集中協議期間の設置を提案。翁長も赤ワインのグラスを置き、菅の申し出に対し前向きに返答した。
しかし、両者が同床異夢なのには変わりはない。
9月9日という集中協議の終了時期にも危うさが伴う。この時期は、参院での安保法案審議が佳境を迎え、自民党総裁選の告示が控える。当初、中断期間を3カ月にする案もあったが、沖縄県側の要望で1カ月に落ち着いた。
政治日程を考慮すれば、政府側は一方的に打ち切ったと思われないように譲歩せざるを得ず、沖縄県側が期間延長を見越してまずは「1カ月」という期間を打診したとみられる。政府と県の腹の探り合いはしばらく続く。
秋の難題は「人事」「経済」
集中協議の終了時期と重なる自民党総裁選は無風の公算が大きく、安倍の再選は確実だ。関心は、10月にも予定される内閣改造と党本部人事に移りつつある。副総理兼財務相・麻生太郎、経済財政担当相・甘利明、官房長官・菅ら主要閣僚と、幹事長・谷垣、総務会長・二階らの留任は既定路線だ。
問題になるのは、地方創生担当相・石破茂の処遇だ。石破は18日夜、東京・永田町のホテルで側近の元金融担当相・山本有二、元環境相・鴨下一郎と意見交換。この日は結論が出なかったが、石破は総裁選出馬を見送る方針。改造で閣外に去れば、一時の求心力は失っているとはいえ、ポスト安倍という立場が鮮明になる。
昨年末の衆院選を経て、“入閣適齢期”と呼ばれる衆院当選5回以上の議員は自民党で50人以上に膨れあがった。安倍の出身派閥細田派の細田博之会長も「アフター・ユー(お先にどうぞ)、アフター・レディー(女性優先)の精神は少し修正しなければいけない」と待機組の処遇を公言する。安倍が総裁再選後、人事で誤れば党内にたまる不満が噴出する。
安倍政権の最大の支えだった経済にも「黄信号」が灯り始めた。8月17日に発表された4―6月期のGDPの伸び率は、3四半期ぶりのマイナス成長。甘利は「(景気)回復の見込みはかなりある」と強気の姿勢だが、25日には中国の景気減速懸念に端を発した世界同時株安が進行、日経平均株価は終値で1万8000円を割り込んだ。
重要課題が続いた猛暑の夏を過ぎても、安倍が穏やかに過ごせる日は遠い。 
融解寸前、民主を揺らす小沢一郎 2015/12
 園遊会の立ち話で解党論議。「らしさ」の抜けない野党第一党の迷走は続く
全国の注目を集めた大阪ダブル選挙は、2015年11月22日に投開票を迎え、府知事選は現職の松井一郎、大阪市長選は新人の吉村洋文が当選した。どちらも地域政党「大阪維新の会」が推す候補。NHKはじめ報道機関が、投票が締め切られた午後8時、一斉に2人の当選確実を伝える圧勝で、前任の市長となる橋下徹の政治的影響力が健在であることをまざまざと見せつけた。
自民党は、市長選で勝ち「一勝一敗」の五分に持ち込みたかったが2敗に終わった。同時に行われた大阪市議補選(西成区)も負けているので、厳密にいえば3連敗となる。
だが、党全体がダメージを受けているようには見えない。橋下率いる国政政党「おおさか維新の会」は早晩、安倍政権と共同歩調をとると噂されている。松井が官房長官・菅義偉と昵懇の仲であることも周知の事実だ。安倍政権にしてみれば、この選挙は勝っても負けても痛くない選挙。言い換えれば自民一強の時代を象徴する1日だったともいえる。
主要20カ国・地域(G20)首脳会議出席のためトルコ・イスタンブールを訪れていた首相・安倍晋三に悲劇の一報が届いたのは現地時間13日の夜だった。
「フランス・パリで同時多発テロ発生。死傷者多数」
どういうわけか安倍は、外遊中に大きな出来事が起きる。1月の「イスラム国」がジャーナリスト・後藤健二らの拘束を公表した時、安倍は中東訪問中。2013年1月、アルジェリアの人質拘束事件の時は東南アジア歴訪中だった。古くは安倍の首相としての初外遊となった06年10月には、北朝鮮の核実験の知らせを北京からソウルに飛ぶ専用機の中で聞いた。
「慣れている」からというわけではないのだろうが、安倍は留守を預かる菅に電話で「テロ対策に緊張感を持って当たるように」と指示。翌朝に自ら「断固テロを非難する」とメッセージを発した以降は、粛々と外交日程をこなした。17日昼にいったん帰国すると、その20時間後、翌朝にはアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議が行われるマニラに。そして20日からはマレーシアに飛び、22日の東アジアサミット(EAS)などの国際会議に臨んだ。
一連の会議の中で安倍はEASを最重視していた。米大統領・オバマやアジア諸国首脳と連携し、中国が南シナ海で人工島を造成する動きに強い警告を発し、包囲網を敷こうという考えでいたのだ。
EASが開会する直前のわずかな時間に、日中両国は神経戦を繰り広げている。安倍が、フィリピン大統領・アキノと談笑していると中国首相・李克強が近寄り、随行の日本語通訳を介して「ソウルで行われた日中韓首脳会談は良かったですね」などと話し掛けてきた。安倍は、李克強の話に同調しながらも「南シナ海の問題をEASで取り上げないように牽制してきたな」と感じた。安倍の方は逆に李克強が、日本の歴史認識問題を取り上げるかどうか、気にしていた。
EAS会合は、発言を希望する首脳がボタンを押し、それに沿って議長に指名されるというルールだった。アジア各国の首脳が相次いで中国を批判する発言をしたが、安倍はなかなかボタンを押さなかった。李克強は安倍の発言を見極めてから発言をしようと考えていたのかもしれないが、しびれを切らしたようにボタンを押し、先に発言。歴史認識などで日本を非難することはなかった。それを見届けて、最後に安倍が「大規模かつ急速な埋め立てや拠点構築、軍事目的での利用の動きが今なお継続している。深刻に懸念する」と訴えた。
中国からの日本批判を封印させ、中国包囲網を敷くことに成功したことになる。「待ち」の戦術が当たり、安倍は会議後の随行団との懇談会でもいつになく上機嫌だった。
2つの「TPP」
安倍が1カ月の半分、日本を空ける外交重視シフトを敷いた11月。国内では憲政史上珍しい事態が起きていた。臨時国会が開かれなかったのだ。
憲法53条には「いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とある。それに従い野党は召集を求めたが要求は封殺された。
安倍の外交日程が立て込んでいたことや、通常国会が95日間も会期延長されたことで秋以降の政治日程が窮屈になったという事情もあった。ただ最大の理由は「できれば開きたくない」と政府・与党が考えていたからだった。
10月から11月にかけて永田町では「2つのTPP」の嵐が吹いていた。一つは言うまでもなく大筋合意した環太平洋経済連携協定。安倍政権は「画期的な合意」と胸を張るが、農家、酪農家などの反発は強い。12年の衆院選で自民党がTPP反対を訴えていたこととの整合性も問われている。
もう一つのTPPは、与党国対などの間で、暗号のように使われている言葉、「タカギ・パンツ・プロブレム」だ。復興相・高木毅が約30年前、地元・敦賀市で女性宅に侵入し下着を盗んだとされる問題は、週刊誌報道で火がつき騒動となった。「大臣が下着泥棒」という前代未聞の疑惑は、かねて「脇が甘く、閣僚は任せられない」とささやかれていた高木を起用した安倍の任命責任が問われかねない。
「2つのTPP」以外にも、政権側は多くの難問を抱える。
9月に成立した安保関連法は、今も国民の過半数が反対する。消費税が10%に上がる時に導入する軽減税率を巡っては与党内の自民、公明両党の間でせめぎ合いが続く。国会が開かれれば野党側は、与党内の足並みの乱れを追及してくるだろう。一連の難問を追及されるのを回避したい。これが政府・与党の本音だ。
憲法に従い、召集すべきだという動きは政権内にもあることはあった。衆院議長・大島理森は、12月初旬に10日程度だけ臨時国会を開くという案を首相官邸側に打診している。だが回答は「ノー」だった。
臨時国会を開かないことが決まったのは11月12日。安倍と自民党幹事長・谷垣禎一の会談だった。だが、会談後記者対応した谷垣は、その事実を明かさなかった。「召集せず」は16日に安倍がトルコで行う同行記者団との懇談で明かすことになっていたのだ。こんな回りくどい手法をとることからも、政権内で安倍の存在が突出していることがうかがえる。
臨時国会が開かれなかったのは野党側にも問題がある。
10、11の両日には衆参で1日ずつ予算委員会が、閉会中審査という形で開かれたが、ここで野党が政権を追い詰めれば「本格論戦が必要だ」と世論も高まっていただろう。しかし野党側はそれができなかった。特に代表・岡田克也、元外相・前原誠司らエース級をそろえて臨んだ民主党の低調さは顕著だった。この時、民主党は分裂含みの内紛で揺れ、安倍政権を追及する態勢はとれていなかったのだ。
「左に振れすぎた」
11日。つまり岡田と前原が国会で質問した翌日の夜。東京・赤坂のANAインターコンチネンタルホテル東京には前原、政調会長の細野豪志、そして結いの党の前代表で今は維新の党の江田憲司の姿があった。3人は、民主党を解党し、ゼロベースで維新の党などと野党結集を図るべきだという考えで一致した。
「一度裸になって、一つの理念に沿って再結集すべきだ」
議論をリードしたのは江田だった。この夜の会合で前原と細野は記者を避けるように地下から会場に入り、帰りも地下から出ようとした。ところが江田が「カメラの前を通って帰りましょう」と促したため、結局、民主党の2人はマスコミの前を通って細野の車でホテルを後にし、それが報じられて話が大きくなった。
翌12日午後、前原は東京・元赤坂の赤坂御苑で行われた園遊会の席で顔を合わせた岡田に、前夜の会合の経緯を伝え、決断を迫った。が、岡田は「単なる看板の掛け替えではダメだ」と難色を示した。これほどの重大な案件を皇室行事の合間の立ち話でするというのも、いかにも民主党らしいが、結果として話し合いは平行線に終わり、党分裂か、との緊張感が走った。
それにしても、安保法案の審議の過程では、反対の世論を背に攻勢に立っていたように見えた民主党が、なぜ内紛に直面しているのか。これについては、自民党の会合で谷垣が口にした「先の国会でわれわれも傷ついた。そして、左に振れすぎた民主党も傷ついた」という解説が正鵠を得ている。
民主党の中には、安倍の外交・安保政策に一定の理解を示す議員が少なからずいる。その代表格が前原であり、細野である。彼らは先の国会で岡田執行部がとった「安保法案絶対反対」の抵抗野党ぶりに失望した。
亀裂をさらに深めたのが共産党との連携問題。「国民連合政府」構想を掲げる共産党委員長・志位和夫のラブコールに岡田が前向きと見えたことに、前原らは強い危機感を持った。その彼らが民主党解党を訴えた。民主党内では野党結集を図るべきだという点では一致しているが、岡田ら執行部は共産党も排除せず左側から進めようとし、前原らは「センターライト」に戻した結集を目指す。この路線対立が今回の解党騒動の本質だ。
今度こそ最後?
野党再編問題を複雑にしているもう一つの要因が「生活の党と山本太郎となかまたち」の共同代表・小沢一郎の存在だ。民主党の歴史の中で「親小沢」か「反小沢」かは永遠のテーマである。岡田、前原、前首相の野田佳彦、幹事長の枝野幸男ら、かつて「七奉行」と言われた幹部は反小沢を結集軸にしていた。岡田、枝野ら執行部は今も小沢との連携には慎重だ。
一方、前原は親小沢側に転向している。05年9月の衆院選で民主党が惨敗を喫した時、小沢は前原の後見人である稲盛和夫を介して「君を代表に推すから、党務は任せてほしい」と「前原代表・小沢幹事長」を打診してきたことがある。前原はこれを断り、以来2人は疎遠になっていた。だが前原と小沢は12年に政権転落して以降、2人だけで3回食事を共にしている。過去の恩讐は薄れ「今なら一緒にできる」と言ってはばからない。今は細野も、小沢と組むことに違和感がない。
その小沢は、2016年の参院選を「最後の戦い」と位置付け、野党結集の旗振り役を演じようとしている。ここ10年あまり小沢は選挙や政局の度に「最後」を乱発しているが、73歳という年齢からしても、今度こそ本当に「最後」となるだろう。
最近小沢は、かつて民主党で同じ釜の飯を食いながら今は別々の道を歩んでいる議員のパーティーを精力的に回る。かつての「壊し屋」がつなぎ役を果たそうとしている。批判も根強いが、過去自民党が下野した2回の政局で、小沢はいずれも主役だった。
民主党の岡田執行部と前原らの確執は、双方トーンダウンして、年内の分裂は回避したようだ。当面は民主党と維新の党の統一会派を目指す。ただ共産党と小沢を縦軸、横軸に置いた再編のグラフを作れば、党内の意見はあまりにもバラバラで、一本化が難しいのは明らかだ。
近い将来、再び激しい対立が表面化する可能性は十分にある。そして、その展開は、安倍にとってありがたいシナリオなのだ。 
『報ステ』降板、古舘伊知郎を追い詰めた安倍政権とテレ朝上層部の癒着! 2015/12
ついに、懸念されてきた日がやってきた。古舘伊知郎が『報道ステーション』を降板するというのだ。テレビ朝日の発表によれば、古舘自らが契約終了となる来年3月に降板したいと申し出たといい、本人は「新しいジャンルに挑戦したい」という意志を示しているという。
しかも、古舘の降板について番組プロデューサーをはじめとする現場スタッフは、昨晩まで一切、伝えられていなかったらしい。
「昨晩は年内放送の最終日で、番組終了後に納会が開かれ、早河洋会長、吉田慎一社長、そして古舘さんも挨拶したのですが、まったくそういうそぶりはなかった。鋭気を養って来年も頑張ろう、みたいな感じで。プロデューサーも知らされていなかったようで、会がお開きになった後、降板が伝えられたそうです」(テレ朝関係者)
つまり、今回の番組降板は、ごく一部のテレ朝上層部と古舘のあいだで秘密裏に交渉されてきたということになる。
だが、「古舘自らが降板を申し出た」という発表を、額面通りには受け取ることはできない。本サイトは1年以上前から言及してきたように、古舘はずっと安倍政権からの報道圧力に晒されつづけていたからだ。
そもそも『報ステ』およびキャスターの古舘は、ことあるごとに自民党から「偏向報道だ!」と抗議を受けてきた。だが、今回の降板にいたる流れがはじまったのは、一昨年のこと。2013年3月22日には、安倍首相は昵懇の仲である幻冬舎の見城徹社長による仕切りで、テレ朝の早河洋会長と会合。それ以降、早河会長は『報ステ』の安倍政権・原発批判路線からの転換を迫ってきたといわれている。
しかし、こうした早河会長からのプレッシャーに対し、古舘と番組の現場スタッフは抵抗を見せてきた。実際、昨年4月に開かれた「報ステ」10周年パーティーで挨拶に立った古舘は、こんな挨拶をしている。
「早河社長から好きなようにやってくれ。何の制約もないからと言われて始めたんですが、いざスタートしてみると制約だらけ。今では原発の“ゲ”も言えない」
そんななかで起こったのが、昨年9月の川内原発報道問題だ。BPO案件となったこの問題を盾に安倍政権は『報ステ』への圧力を強める。さらに今年1月には、コメンテーターを務めていた古賀茂明の「I am not ABE」発言が飛び出し、官邸は激怒。番組放送中の段階から官邸は直接、上層部に抗議の電話をかけてきたという。そして、早河会長の主導により、古賀の降板とともに古舘からの信頼もあつかった番組統括の女性チーフプロデューサーも4月に更迭されてしまう。
それでも、古舘は踏ん張りつづけた。安保法制をめぐる議論では問題点を検証、参院特別委での強行採決前夜に古舘は「平和安全法制というネーミングが正しいのかどうか甚だ疑問ではあります」と述べた。これには番組スポンサーだった高須クリニックがスポンサー撤退を表明するという事件も起こったが、古舘には“言わなければいけないことは言う”という強い意志があったはずだ。
事実、古舘は昨年開いた自身のトークライブで、このように吠えている。
「あ、そういえば古舘伊知郎が『報道ステーション』降ろされるらしいじゃないか。ずっと噂がつづいているっていうのはどういうことなんだ、アレは」
「このまえも週刊誌をじっくり読んだら、なんか俺の後釜は宮根だっつうんだよ。え? 冗談じゃない。それがダメだったら羽鳥だとか言うんだよ。俺は聞いてないぞそんなこと! え? 誰が辞めるかっつうんだよ、ホントにバカヤロー!」
そして、「俺は覚悟がないばっかりに、最後の一言が言えずにここまできた。俺はこれからは、そうはいかない覚悟を決めた」「みんないいか、よーく俺を見ててくれ。俺がそのことができるようになるのが先か、俺の賞味期限が切れちゃうのが先か、どっちか、よーくみんな見ててくれ」とさえ言い切っていたのだ。
抵抗をつづけてきた古舘の心を折ったものは何か──。だが、同じく安倍政権が圧力のターゲットとしてきた『NEWS23』(TBS)のアンカー・岸井成格とキャスター・膳場貴子に降板騒動が巻き起こっているいま、古舘の降板は単なる偶然の重なりとは到底考えられない。
さらに、古舘の後任については、根強く囁かれてきた「宮根誠司」説と「羽鳥慎一」説に加え、現在、TBSの局アナである「安住紳一郎」説まで飛び交っている。
「安住アナの場合、尊敬する久米宏と同じくTBSを退社後にテレ朝メインキャスターというコースを辿るという話のようです。だが今回、古舘降板の一報を打ったのが幻冬舎御用達のスポーツニッポンだったことを考えると、今回の降板に見城氏が噛んでいる可能性は高い。宮根氏、羽鳥氏と同様、安住氏も独立してバーニング系に所属……という線も考えられます」(前同)
しかし、結局、誰が後任となっても、『報ステ』の政権批判路線は古舘降板で立ち消えるのは決定的だ。これまで、圧力に晒されながらも一定の存在感を放ってきた『報ステ』と『NEWS23』が政権批判を行わなくなったら、この国のテレビにおけるジャーナリズムはいよいよ機能不全に陥るだろう。 
NEWS23岸井成格氏と報ステ古舘伊知郎氏は降板してよかった 2015/12
真実は言えない
古館さんは「ニュースで真実はほとんど語られない」メディアに対する不満を述べていたそうだ。
古館さんを使うテレビ朝日の意向には逆らえないもんね。彼が仮に真実を語ったら、テレビ朝日からクレームが来るだろう。テレビというより大手メディアは基本、広報局だ。
古館さんは降板した後、今までとは違う論調で行くのでしょうか?もしそうなら番組を降板して良かったねといいたいのです。
中立はない、無理
報道ステーションやNews23他、これらはニュース型バラエティ番組だ。バラエティだから、キャスターやコメンテーターの意見は、視聴者の感情を煽るための手段に過ぎない。
よって、視聴者が番組を批判する行為こそメディアが求める姿だ。
本気でニュース番組を見るだけなら「いつ、どこで、誰が、何を、どうした」しかいわない。5W1Hのみを言ったらすぐ新しいニュースを流せねばならない。
それをやると時間が余ってしまうし、つまらないんだよね。だから視聴者の感情をあおるような特集が組まれる。このとき、テレビ側は意見に対する結論を持っており、他の意見をあまり言わせないようにしている。
武田邦彦教授は虎ノ門ニュースでおっしゃった。「NHKとしての意見と私(武田)の意見が違うと、絶対に採用しない。NHKは中立でなく、あらかじめ主張がある。自分と反対する意見は招こうとしない」
NHKから見ると、自分の意見と反対のことを述べて、番組自体が崩れてしまう恐れがあるから、呼ばないのは当たり前だ。しかし、NHKなどメディアが報じている事柄は全て事実ではない。
という認識を持っておかねばならぬ。じゃないと、自分で考えているようで相手の考えに沿って、私たちは操り人形のごとく、活かされる状態になるからね。
一緒に考えましょう
私として限りなく信頼できる発信者、青山繁晴氏も述べている。
「一緒に考えましょう」と、なぜ彼は言うのか?時と場合によって今まで持っていた考えが間違っているからだ。
様々な事実や事件、意見を積み重ねることで、今まで持っていた意見がひっくり返る。珍しい事じゃないし、私だって体験している。反対に「何があっても真実はこれしかない」という人は気を付けるべきだ。
昨日、成功法則に対する疑問を記事に書いたんだけど、成功法則だって「確率は高いよね」であり「例外」も存在する。
成功法則だって情報の一種だし、使い方によっては洗脳の道具にもなる。例「成功したいと願っているのに、君は自ら失敗に手を出そうとしているのか?本当に君は成功したいのか」この言葉が脅しに聞こえちゃったんだ。
メディアは「真実はこれしかない」と意見を押し付けてきたから、私たちは「意見や事実の一つでしかない」と考え、様々な情報を集めて真実をつかんでいこう。
降板は何を意味する?
世の中の流れという視点から、彼らの降板を考える。一つはあまりにも現実が見えていない報道は許されなくなった。現実が見えないすなわち局側が仕掛ける洗脳(プロパガンダ)が、今までのやり方じゃ通用しなくなったことを意味する。
二つ目は仕掛ける側が新しいモデルにそって、より巧妙な手口で洗脳をかけようとすることだろう。
誰に仕掛けるか? 国民だ。ただ全員じゃない。何でもかんでも文句をつけて暴れる悪質なクレーマーだ。彼らが動いて「革命」を起こすようなやり方をするんじゃないか?
危惧はしている。しゃしゃはどう?とりあえず、岸井さんに古館さん、お仕事お疲れ様でした。  
 
諸話 2016

 

安倍の解散戦略を狂わすWパンチ 2016/2
 株安に甘利スキャンダル。波乱の始動となった1年をどう乗り切るのか
「閣僚のポストは重い。しかし、政治家として自分を律することはもっと重い。何ら国民に恥じることをしていなくても、私の監督下にある事務所が招いた国民の政治不信を、秘書のせいと責任転嫁するようなことはできない。それは私の政治家としての美学、生きざまに反する」
1月28日夕刻、首相官邸近くにある内閣府一階の会見室。1週間前に発売された週刊文春が報じた金銭授受疑惑について記者会見する経済再生担当相・甘利明は時折、声を詰まらせながら閣僚を辞任する理由を語った。
安倍晋三首相にとって、甘利のスキャンダルは、年初からの急激な株価下落に続く予期せぬ事態となった。
「甘利さんはどう言っているんですか?」
甘利の記事が掲載されるとの一報を聞いた安倍は、困惑した表情で甘利に確認するよう指示したという。
閣僚の「政治とカネ」の問題は内閣支持率に影響しやすい。第一次安倍内閣も、閣僚の「政治とカネ」が失速の始まりだった。安倍の脳裏には、その記憶がよぎったのだろう。
甘利は、安倍が初めて自民党総裁の座を射止めた2006年総裁選でいち早く安倍支持を打ち出し、第一次安倍内閣では経済産業相に就任。安倍が再起をかけた2012年の総裁選では選対本部長を務め、政権復帰するまでは政調会長として野党党首の安倍を支えた盟友である。第二次内閣では担当相としてTPP締結交渉に尽力するなどアベノミクスの立役者でもある。
雑誌が発売になる直前、甘利は安倍にこう伝えていた。
「迷惑をお掛けするので、お任せします」。事実上の進退伺いとも言える内容だった。しかし安倍は「事実関係をしっかりと調べて、説明できれば大丈夫です」と慰留した。
雑誌が発売になった21日、安倍は、東京・大手町の読売新聞東京本社ビルで、同グループ本社会長の渡辺恒雄、産経新聞相談役の清原武彦らと会食。その席上、出席者から「政権維持のために甘利を辞めさせた方がいい」と助言されても、安倍は頷いただけで答えなかったという。そして「ただ答弁できる人はいても、TPP交渉の場にいた人が答弁するのとは迫力が違う」と、甘利を改めて評価した。
しかし、程なくして甘利から安倍サイドに、金銭の授受に関しては事実であること、甘利自身が直接受け取った分については政治資金収支報告書に記載していることが伝えられた。一方、その後の週末を費やした調査で、秘書が受け取った500万円のうち300万円を使ってしまっていた上、フィリピンパブなどで度重なる接待を受けていたことも確認された。
週が明けた25日、甘利は官房長官の菅義偉に自身の金銭授受は問題ないが、秘書の問題で閣僚辞任は避けられないとの意向を電話で伝えた。甘利が続投を断念した瞬間だった。甘利を擁護し続けてきた安倍も方針を転換せざるを得ない状況となった。
辞任会見の直前、甘利は安倍に電話を入れて改めて辞意を伝えた。
「国会の状況もあり、監督責任もある。最後は自分で決めさせて下さい」
「残念ですが、あなたの意思を尊重します」
ただ、閣僚は辞任するにしても政治資金規正法違反などで立件され、議員も辞職せざるをえなくなる事態は避けなければならなかった。それは甘利にとっても、安倍にとっても最悪のケースである。
「あの建設会社の総務担当者はその筋の人らしいね」。菅は番記者たちにこうささやいた。一連の疑惑が「罠」であるというわけだ。メディアやネット上にも、総務担当者や建設会社を問題視する情報が流れ始めた。
甘利も辞任会見で、建設会社社長からさらに口利きをしてもらえるならば総務担当者を説き伏せて疑惑を否定するという口裏合わせを持ちかけられたことを明らかにした。安倍サイドによる「ささやかな反撃」だった。しかし、「政治とカネ」の問題による盟友の閣僚辞任という事実には変わりはなかった。
死活問題だった宜野湾市長選
そんな状況の中、1月24日の沖縄・宜野湾市長選を制したことは、安倍にとって数少ない朗報だった。
「この勝利は大きい」。市長選の直後、安倍は自民党幹部にそう率直に語ったほどだ。衆院選とのダブル選も取りざたされる7月の参院選、4月の衆院北海道5区補選の前哨戦である以上に、この選挙は辺野古移設の進捗にとって、死活的な意味を持っていた。
現状行われている辺野古沿岸部を埋め立てる工事は準備段階に過ぎない。重要な節目は、後戻りできない大規模な工事となるコンクリートブロックを投下して土砂を流し込む「海中埋め立て」だ。政府は、宜野湾市長選に勝利したことで、その結果を追い風に、海中埋め立て作業の着手を目論む。いったん埋め立てに入ってしまえば、辺野古移設は既成事実化し、反対論もやがて収束していくとの皮算用だ。
安倍と菅は昨年秋から防衛省に「できるだけ早く埋め立てに着手してほしい」と指示していた。
幻の秘策も練られていた。昨年12月4日、日米両政府は宜野湾市の米軍普天間飛行場(約481ヘクタール)の約4ヘクタールを含む計7ヘクタールの米軍用地を2017年度中に先行返還する合意文書を発表した。実は、この発表と同時期に「コンクリートブロック投下」を始める案も防衛省で検討されていた。いわば「アメとムチ」作戦だ。
安倍も菅も一時はその案に傾いたとされるが、ブロックを投下する作業に着手する前段階までに知事との調整が必要な複雑な法的手続きがあることが次第に分かってきた。法務省など政府内の一部から「沖縄県につけいる隙を与えてはいけない」と異論が高まり、秘策は封印された。
沖縄は6月に県議選を迎える。さらに7月の参院選もある。早期埋め立てに踏み切るタイミングは難しい。かといって、様子見をすれば米国からの圧力もさらに強まる。
1996年の普天間返還の移設合意から20年。米政府高官から昨年暮れ「いつ埋め立て作業に入るのか?」と問い詰められた日本側は、「宜野湾市長選まで待ってほしい」と釈明せざるを得なかった。
米高官が急かすのには理由がある。米国も一枚岩ではないのだ。米海兵隊の内部では辺野古移設への反対論が根強い。移設となれば新たな飛行場は規模が縮小され、連動する米軍再編でグアムの施設整備など米側にも巨額の負担が生れる。米高官は「11月の大統領選まで移設工事が加速しなければ、米国内で再び辺野古移設への反対論が噴出しかねない」と漏らす。日本側が埋め立てに手をこまねいていれば、新大統領の姿勢と連動して米国が辺野古移設に及び腰になりかねないのだ。
宜野湾市長選の勝利は事態の「前進」を担保したというより、「後退」を防いだにすぎない。沖縄をめぐって安倍の苦悩は続く。
“中抜き”にされる自公両党
衆参ダブル選が本当にあるのか。
この動向を見定めるには、軽減税率論議と同様に、官邸と公明党、より直截に言えば支持母体の創価学会との関係を見定める必要がある。
昨年12月28日夜、菅が財務省事務次官・田中一穂ら財務省首脳を招いて慰労会を開いた。
「長官、今年はいろいろお手数おかけしました」。田中らは、菅が推し進めた食品などの軽減税率導入に抵抗したことを釈明した。財務省としては、2015年10月に予定されていた消費税引き上げの先送りに続く、官邸に対する“敗北”だった。
「香川さんが生きていたらここまで混乱しなかった」。財務省幹部は、学会との意思疎通ができなかった軽減税率騒動について、こう振り返る。「香川さん」とは、昨年8月に亡くなった前事務次官・香川俊介。香川は、東大同窓で年齢も近い創価学会の主任副会長(事務総長)・谷川佳樹と関係が深く、谷川を通じて会長の原田稔ら首脳部とのパイプを持っていたからだ。谷川は昨年11月の学会内の「政変」で、「ポスト池田」時代の学会を率いていく次期会長の座を確実にしている。財務省は香川のパイプが太かったため、代わりうる人脈を築いていなかった。軽減税率騒動の前後、財務省は学会の真意を知ることなく、やはり情報過疎の自民党幹事長の谷垣禎一らを頼みに戦略を組み立てた挙げ句、一敗地に塗れた。
一方の菅は、軽減税率論議を通じ、学会とのパイプを一層強くしていた。
菅は、副会長(広宣局長)・佐藤浩を通じて、政権与党で唯一、谷川の正確な意向を受け取っていた。自民党税調の幹部は「党税調が長かった伊吹文明さんら重鎮も、それぞれのルートで学会の八尋頼雄副会長らに連絡をとったが役に立たなかった」と明かす。いまは究極の形ともいえる「菅-佐藤・谷川」ラインが生まれているのだ。
菅は、次期会長とされる谷川と元々パイプを持っていた。菅が長年自民党神奈川県連の会長を務める一方、谷川は公明側の神奈川県の選挙責任者を務めていたからだ。自公の選挙協力に向けた協議を重ねて親密になった。
自公連立である安倍政権の内実は、いまや自民党も公明党も“中抜き”にした「官邸-創価学会」という剥き出しの関係になっている。ダブル選の判断も、当然このラインの判断となる。
自民党幹部の間には、菅が党内の反対を押し切って軽減税率を1兆円規模にしたことから「学会から『同日選に反対しない』との約束を取り付けた」との観測が広がっている。
これに対して、創価学会の中枢幹部は「最終的には拒めないにせよ、解散には最後まで反対する」と語る。
学会は、選挙の半年近く前から地方議員を動かし、候補者の名前を組織内に徐々に浸透させる。ダブル選となれば、長期スケジュールが崩れる。またダブル選では、一度に最多で3人の名前と、別に政党名を書く必要がある。高齢の支持者に名前を覚え込ませるのも、学会員以外に公明候補への投票を呼び掛けるのも、難易度が高い。
衆院で小選挙区比例代表並立制が施行されてから、ダブル選は実施されていない。「ダブル選は投票率が上がって自民党に有利」と言われたのは、30年も前の中曽根内閣までの話だ。そもそも、本来は電撃的に行ってこそ意味のあるダブル選が、永田町ではもはや当然のことのように語られ、サプライズではなくなっている。
そんな状況下で与野党の一部でささやかれているのが「4月解散-5月投開票」という奇策。伊勢志摩サミット直前に解散はないと思われている虚を突くという見立てだ。
衆院選の時期は、消費税率の10%への引き上げに踏み切れるか否かにも影響する。
安倍は「経済情勢がよほど好転しない限り、引き上げは容易ではない」と周辺に本音を漏らしたとされる。財務省では安倍が再び先送りを決断する展開を強く警戒する。軽減税率問題では財務省と一体だった自民党税調幹部ですら「1年の先送りなら仕方がない」との意見を出し始めている。食品業界だけでなく、半年前から消費税率引き上げへの対応時期が訪れる住宅業界などで、準備が遅れているのがその理由だ。再度先送りするには、その前に再び衆院を解散して先送りを国民に訴えるしかない。となれば事実上、前倒し解散か、ダブル選しか選択肢はない。
全ては、新年早々に株価とスキャンダルに翻弄される安倍の判断にかかっている。 
高市早苗の“電波停止”発言に池上彰が「欧米なら政権がひっくり返る」! 2016/2
高市早苗総務相が国会で口にした「国は放送局に対して電波停止できる」というトンデモ発言。これに対して、ジャーナリストたちが次々と立ち上がりはじめた。
まずは、あの池上彰氏だ。民放キー局での選挙特番のほか、多数の社会・政治系の冠特番を仕切る池上氏だが、2月26日付の朝日新聞コラム「池上彰の新聞ななめ読み」で、高市大臣の「電波停止」発言を痛烈に批判したのだ。
池上氏は、テレビの現場から「総務省から停波命令が出ないように気をつけないとね」「なんだか上から無言のプレッシャーがかかってくるんですよね」との声が聞こえてくるという実情を伝えたうえで、高市発言をこのように厳しく批難している。
〈高市早苗総務相の発言は、見事に効力を発揮しているようです。国が放送局に電波停止を命じることができる。まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です。〉
池上氏がいうように、高市発言は、国が放送局を潰して言論封殺することを示唆したその一点だけでも、完全に国民の「知る権利」を著しく侵犯する行為。実際、海外では複数大手紙が高市大臣の発言を取り上げて問題視、安倍政権のメディア圧力を大々的に批判的しているとおり、まさにこれは、民主主義を標榜する国家ならば「政権がひっくり返ってしまいかねない」事態だろう。
さらに池上氏は、高市発言に象徴される政府側の論理の破綻を冷静に追及。停波の拠り所としている「公平性」を判断しているのは、実のところ、政府側の、それも極端に“偏向”している人間なのだと、ズバリ指摘するのだ。
〈「特定の政治的見解に偏ることなく」「バランスのとれたもの」ということを判断するのは、誰か。総務相が判断するのです。総務相は政治家ですから、特定の政治的見解や信念を持っています。その人から見て「偏っている」と判断されたものは、本当に偏ったものなのか。疑義が出ます。〉
まったくの正論である。とくに、高市氏といえば、かつて『ヒトラー選挙戦略』(小粥義雄/永田書房)なる自民党が関わった本に推薦文を寄せるほどの極右政治家。同書は、本サイトでも報じたとおり、ヒトラーが独裁を敷くために用いた様々な戦略を推奨するもので、堂々と「説得できない有権者は抹殺するべき」などと謳うものだ。こんな偏っている大臣がメディア報道を偏っているかどうか判断するというのは、恐怖でしかない。
前述の朝日新聞コラムで池上氏は、他にも放送法は〈権力からの干渉を排し、放送局の自由な活動を保障したものであり、第4条は、その際の努力目標を示したものに過ぎないというのが学界の定説〉と解説したうえで、放送法第4条を放送局への政府命令の根拠とすることはできないと批判。〈まことに権力とは油断も隙もないものです。だからこそ、放送法が作られたのに〉と、最後まで高市総務相と安倍政権への苦言でコラムを締めている。
念のため言っておくが、池上氏は「左翼」でも「反体制」でもない。むしろ良くも悪くも「政治的にバランス感覚がある」と評されるジャーナリストだ。そんな「中立」な池上氏がここまで苛烈に批判しているのは、安倍政権のメディア圧力がいかに常軌を逸しているかを示すひとつの証左だろう。
そして、冒頭にも触れたように、「電波停止」発言に対する大きな危機感から行動に出たのは、池上氏ひとりではない。本日2月29日の14時30分から、テレビジャーナリズムや報道番組の“顔”とも言える精鋭たちが共同で会見を行い、「高市総務大臣「電波停止」発言に抗議する放送人の緊急アピール」と題した声明を出す。
その「呼びかけ人有志」は、ジャーナリストの田原総一朗氏、鳥越俊太郎氏、岸井成格氏、田勢康弘氏、大谷昭宏氏、青木理氏、そしてTBS執行役員の金平茂紀氏。いずれも、現役でテレビの司会者、キャスター、コメンテーターとして活躍している面々だ。
なかでも注目に値するのは、報道圧力団体「放送法遵守を求める視聴者の会」から名指しで「放送法違反」との攻撃を受け、この3月で『NEWS23』(TBS)アンカーから降板する岸井氏も名前を連ねていること。本サイトで何度も追及しているが、「視聴者の会」の中心人物である文芸評論家の小川榮太郎氏らは安倍総理再登板をバックアップし、他方で安保法制や改憲に賛同するなど、安倍政権の別働隊とも言える団体だ。
同会は『23』と岸井氏に対する例の新聞意見広告と並行して、高市総務相宛てに公開質問状を送付し、高市総務相から“一つの番組の内容のみでも、放送法違反の議論から排除しない”という旨の回答を引き出していた。これを経て、高市総務相は国会での「電波停止」発言を行っていたのだが、これは明らかに、安倍政権が民間別働隊と連携することで世間の“報道圧力への抵抗感”を減らそうとしているようにしか見えない。事実、高市総務相は国会でも、放送局全体で「公平」の判断を下すとしていた従来の政府見解を翻して、ひとつの番組だけを取り上げて停波命令を出すこともあり得ると示唆。ようするに、“すこしでも政権や政策を批判する番組を流せば放送免許を取り上げるぞ”という露骨な恫喝だ。
何度でも繰り返すが、政府が保持し広めようとする情報と、国民が保持し吟味することのできる情報の量には、圧倒的な差がある。政府の主張がそのまま垂れ流されていては、私たちは、その政策や方針の誤りを見抜くことはできず、時の政権の意のままになってしまう。したがって、“権力の監視機関”として政府情報を徹底的に批判し、検証することこそが、公器たるテレビ報道が果たすべき義務なのだ。
ゆえに、池上氏や、田原氏をはじめとするメディア人が、いっせいに「電波停止」発言に対して抗議の声を上げ始めたのは、他でもない、「国民の知る権利」をいま以上に侵犯させないためだろう。これは、親政権か反政権か、あるいは政治的思想の対立、ましてやテレビ局の「特権」を守る戦いなどという図式では、まったくない。「中立」の名のもと、政府によるメディアの封殺が完了してしまえば、今度は、日本で生活する私たちひとりひとりが、政府の主張や命令に対して「おかしい」「嫌だ」と口に出せなくなる。それで本当にいいのか、今一度よくよく考えてみるべきだ。
高市総務相の「電波停止」発言は、メディアに対する脅しにとどまらず、国民全員の言論を統制しようとする“挑戦状”なのである。そういう意味でも、本日行われる「高市総務大臣「電波停止」発言に抗議する放送人の緊急アピール」に注目したい。 
高市早苗が憲法改正に反対したテレビ局に「電波停止ありうる」と… 2016/2
恐ろしい発言が国会で飛び出した。高市早苗総務相が、昨日の衆院予算委員会で“政治的に公平ではない放送をするなら電波を停止する”と言及、本日午前の国会でも「放送法を所管する立場から必要な対応は行うべきだ」と再び口にした。
しかも、きょうの高市発言がとんでもないのは、答弁の前の質問にある。きょう、民主党の玉木雄一郎議員は「憲法9条改正に反対する内容を相当の時間にわたって放送した場合、電波停止になる可能性があるか」と質問し、高市総務相はこの問いかけに「1回の番組で電波停止はありえない」が「私が総務相のときに電波を停止することはないが、将来にわたって罰則規定を一切適用しないことまでは担保できない」と答えたのだ。
つまり、高市総務相は、“憲法9条の改正に反対することは政治的に公平ではなく放送法に抵触する問題。電波停止もありえる”という認識を露わにしたのである。
憲法改正に反対することが政治的に公平ではない、だと? そんな馬鹿な話があるだろうか。改憲はこの国のあり方を左右する重要な問題。それをメディアが反対の立場から論じることなくして、議論など深まりようもない。というよりも、改憲に反対し「憲法を守れ」とメディアが訴えることは、法治国家の報道機関として当然の姿勢であり、それを封じる行為はあきらかな言論弾圧ではないか。
だいたい、現行憲法99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と規定されている。ようするに、政治家には現在の憲法を守る義務があり、「9条改正に反対することが政治的に公平ではない」などと言うことは明確な憲法違反発言である。
こんな発言が躊躇う様子もなく国会で堂々と行われていることに戦慄を覚えるが、くわえて高市総務相は重大なはき違えをしている。そもそも高市総務相は、放送法の解釈を完全に誤っている、ということだ。
昨年、放送界の第三者機関であるBPO(放送倫理・番組向上機構)が意見書で政権による番組への介入を「政権党による圧力そのもの」と強く批判、高市総務相が昨年4月に『クローズアップ現代』のやらせ問題と『報道ステーション』での元経産官僚・古賀茂明氏の発言を問題視し、NHKとテレビ朝日に対して「厳重注意」とする文書を出した件も「圧力そのもの」と非難したが、その際にはっきりと示されたように、放送法とは本来、放送局を取リ締まる法律ではない。むしろ、政府などの公権力が放送に圧力をかけないように定めた法律なのだ。
まず、放送法は第1条で「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と定めている。これがどういうことかといえば、今回のように政治家が暴走することのないよう、政府に対して表現の自由の保障を求め、政治権力の介入を防ぐために規定されているものなのだ。
一方、放送法4条には、たしかに放送事業者に対して〈政治的に公平であること〉を求める規定がある。だが、この4条は政府が放送内容に対して介入することを許すものではけっしてない。
以前の記事でも紹介したが、放送法4条について、メディア法の権威である故・清水英夫青山学院大学名誉教授は著書『表現の自由と第三者機関』(小学館新書、2009年)でこう解説している。
〈そもそも、政治的公平に関するこの規定は、当初は選挙放送に関して定められたものであり、かつNHKに関する規定であった。それが、「番組準則」のなかに盛り込まれ、民放の出現後も、ほとんど議論もなく番組の一般原則となったものであり、違憲性の疑いのある規定である〉
〈かりに規定自身は憲法に違反しないとしても、それを根拠に放送局が処分の対象になるとすれば、違憲の疑いが極めて濃いため、この規定は、あくまで放送局に対する倫理的義務を定めたもの、とするのが通説となっている〉
つまり、第4条は放送局が自らを律するための自主的な規定にすぎず、これをもって総務省ほか公権力が放送に口を挟むことはできないということだ。むしろ第4条を根拠に公権力が個々の番組に介入することは、第1条によって禁じられていると考えるのが妥当だろう。
すなわち、放送法4条は放送局が自らを律するための自主的な規定にすぎず、これをもって総務省ほか公権力が放送に口を挟むことはできないということだ。むしろ4条を根拠に公権力が個々の番組に介入することは、第1条によって禁じられていると考えるべきだ。
しかも、4条にある〈政治的に公平であること〉とは、「両論併記」することでも「公平中立」に報道することではない。というのは、メディアで報道されているストレートニュースのほとんどは発表報道、つまり権力が自分たちに都合よく編集したプロパガンダ情報である。これがただタレ流されるだけになれば、政策や法案にどんな問題点があっても、国民には知らされず、政府の意のままに世論がコントロールされてしまうことになりかねない。
逆にいえば、高市総務相の今回の発言は「世論を政権の都合でコントロール」しようとするものであり、それこそが放送法に反しているのだ。にもかかわらず、無知を重ねて電波法を持ち出し、テレビ局に脅しをかける──。これは報道圧力、言論弾圧以外の何物でもない。
しかし、つくづく情けないのは当事者たるテレビ局だ。このような発言が総務大臣から飛び出したのだから、本来は問題点を突きつけて高市総務相に反論を行うべきだ。なのに、昨晩のニュース番組でこの発言を報じた番組はひとつもなし。きょう、またしても高市総務相が電波停止に言及したため、取り上げられはじめているが、そうでなければどうするつもりだったのだろうか。
だが、テレビに期待するほうが間違っているのかもしれない。NHKも民放も、幹部や記者たちは安倍首相と会食を繰り返し、官邸からの圧力にあっさり屈してキャスターを降板させる……。こんな調子だから、為政者をつけ上がらせてしまうのだ。報道の自由を自ら手放し、権力に力を貸している時点で、もはやテレビも同罪なのだろう。 
英「ガーディアン」「エコノミスト」 “安倍の圧力でTV司会者降板”報道! 2016/2
「萎縮はしないんですよ、毎晩の報道を観ていただければわかるように。それはですね、むしろ言論機関に対して失礼だ」と、2月、安倍政権下での“メディアの萎縮”を否定した安倍首相。さらにはこうも述べた。
「外国から誤解される恐れがある。まるでそんな国だと思われるわけでありますから」(4日、衆院予算委での答弁)
「誤解」ではない。事実である。安倍首相は昨年3月16日の国会でも、衆院選前報道をめぐる民放テレビ局への“クレーム”を追及され「国民に放送されている場で圧力をかけることはあり得ない」と嘯いたが、これも大嘘だ。
そして、いまや世界も、日本が「そんな国」であることを看破しつつある。最近、イギリスの複数新聞が、立て続けに“安倍政権の圧力により3人のテレビ司会者が番組を去ることになった”と報じたのだ。
まずは英大手一般紙「ガーディアン」。2月17日付で、「政治的圧力のなか日本のTVアンカーたちが降板する」(Japanese TV anchors lose their jobs amid claims of political pressure)というタイトルの記事を公開、ウェブ版で全世界に配信した。
その内容は、日本で〈タフに疑義を呈することで定評のある〉報道番組の司会者3人が、同時期に番組を降りることになったと伝えるもの。ご存知のとおりその3人とは、テレビ朝日『報道ステーション』の古舘伊知郎氏、TBS『NEWS23』の岸井成格氏、そしてNHK『クローズアップ現代』の国谷裕子氏のことだ。
「ガーディアン」は3氏の名前と番組名を具体的に挙げて降板に至る経緯を説明しながら、先日の高市早苗総務相による「電波停止発言」を問題視。そして、数々の例をあげて〈安倍が放送局の編集の独立権の議論を紛糾させるのは、これが初めてではない〉と強調する。
〈2005年、安倍は、NHKスタッフに戦時中の従軍慰安婦についてのドキュメンタリー番組の内容を変更させたことを、自身で認めている〉
〈安倍が2014年暮れに突如、総選挙をぶちあげたとき、自民党は東京のテレビキー局に対して、報道の「公平中立ならびに公正の確保」を求める文書を送りつけた〉
〈また、安倍は公共放送NHKの会長に、オトモダチの保守主義者である籾井勝人を据え、編集方針に影響を及ぼそうとしているとして非難されている〉
〈報道関係者を懲役5年以下の刑に処すことを可能にした2013年の特定秘密保護法の成立と同様、メディアへの脅迫の企ても日本の国際的評価を打ち砕いた〉
他にも、記事では国境なき記者団による世界報道自由ランキングで、05年に12位だった日本が15年には61位まで低下したこと、昨年11月に国連の表現の自由に関する特別調査官デイビッド・ケイ氏の訪日調査を政府がキャンセルしたことなども触れられているが、こうした事態が英国と比較して異常だと受け止められていることは明らかだ。「ガーディアン」はこの記事の冒頭で“もしもBBCの著名なジャーナリスト3人が同時にキャスターをやめたら、英国の政治家の多くは大喜びするだろう”と皮肉を込めて書いている。
さらに、英経済紙「エコノミスト」も2月20日付で古舘氏、岸井氏、国谷氏の番組降板問題を大きく取り上げた。タイトルは「日本におけるメディアの自由 アンカーたちがいなくなった」(Media freedom in Japan Anchors away)で、こちらは一層安倍政権に批判的なトーンである。
記事では、冒頭から“日本の標準から見れば力強く政権批判を行う司会者である3名がそれぞれ同時に番組を去るのは、偶然の一致ではない”と断言。3氏降板の背景を深く掘り下げて報じている。
たとえば、岸井氏については、放送のなかで自衛隊の海外での役割を拡張する安保法案の違憲性に疑問を付したが、それは〈ほとんどの憲法学者も指摘していたことと同じものであって、高級官僚たちも、日本には危険な近隣諸国があり、より安全保障を強化しなければならないという見地から安保法案を正当化しているようなときにあってさえも、官僚たち自身も私的には法案が憲法に違反するものであることを認めている〉と指摘。
しかし、岸井氏の番組内発言は、本サイトで何度も追及している「放送法遵守を求める視聴者の会」なる安倍応援団の槍玉にあげられてしまうのだが、これについても〈保守派団体がテレビ放送を許諾された者の公平中立性に反するものだと、彼を非難する意見広告を新聞に載せるという行動を招いた〉と、はっきりと報じている。そのうえで「エコノミスト」は、〈TBSはその意見広告の影響を否定しているが、それを信じる者はほとんどいない〉と断じているのだ。
また、国谷氏に関しては、“NHKはなぜ彼女を降板させるのか口にしないが、『クロ現』内での菅義偉官房長官へのインタビューに原因があったと同僚たちは言っている”と伝え、政治家と日本のメディア両者の態度を説明。英米のジャーナリズムと比較して、このように批判する。
〈菅氏は、ジャーナリストの質問に対して事前通告を要求し、報道組織を厳しく監督することで知られる。だが、インタビューの中で国谷氏は、無謀にも新たな安保法が日本を他国の戦争に巻き込む可能性があるのではないかと質問した。イギリスやアメリカのテレビの、政治家との口角泡を飛ばすような激しい議論の基準からすれば、国谷氏と菅氏のやりとりは退屈なものだった。しかし、日本のテレビジャーナリストというのは、政治家に対してめったにハードな疑問をぶつけたりはしないものなのだ。菅氏の身内たちは彼女のこうした質問に激怒した〉
ここからもわかるとおり「エコノミスト」は、単に安倍政権による報道圧力だけでなく、その温床となっているテレビ局の体制もまた問題視している。記事では、大メディアの幹部たちがたびたび安倍首相と会食をしていることに触れ、マスコミのあり方にもこう苦言を呈すのだ。
〈報道機関に対する政治的圧力は今に始まったことではない。五つの主要なメディア(日本の五大新聞は主要な民放と提携している)は、各社の社風や商業的方針から体制側の見解を垂れ流す傾向にあるので、それを精査したり敵対的に報道することはめったにない。彼らの政府との親密ぶりは度を超えている〉
本サイトも常々指摘していることだが、まず安倍政権は会食などでメディア関係者を懐柔しながら“忖度”の下地をつくりあげる。そして、それでも健全な批判的報道を行う番組や司会者に対しては、表立った抗議という名の恫喝、あるいは応援団を動員して圧力をかけ、局幹部に彼らを降板させるよう仕向けるのである。
こうした構造的な日本のマスコミと政府の報道圧力をめぐる現状は、海外のジャーナリズムのフィルターから見ると、あらためて奇妙で異形なものに感じられる。前述の「ガーディアン」「エコノミスト」だけでなく、他にも英紙では「インディペンデント」が20日付で、同じく古舘氏らの降板問題を批判的に取り上げているが、おそらく英字で発信されたこれらのニュースは、アメリカやフランス、ドイツなど他の欧米メディアにも波及し、世界中に轟き渡るだろう。
本稿でとりあげた「エコノミスト」の記事の最後の一文は、このように締めくくられている。
〈政府はメディアと一歩も引かない度胸試し(チキンゲーム)をしている、と古舘氏は言う、そして、政府が勝利した〉
国内マスコミを御すことはできても、海外メディアの目まではごまかせない、ということだ。安倍首相はこれでも、「報道圧力はない」「メディアは自粛していない」と言い張るのだろうか。
解散の地ならしをする「安倍主導」政局 2016/3
 衆院定数削減に補選対策。決断に向けて、総理自ら党の先を走りはじめた
経済状況が激変し、スキャンダルが次々に勃発する中、政局の底流では衆参ダブル選挙も視野に、年内衆院解散・総選挙に向けた動きが進んでいた。首相・安倍晋三の戦略、そして野党の対抗策が、2月になっていよいよ姿を現し始めた。
「今度(2015年)の簡易国勢調査で区割りを改定する際、衆院定数の10削減をしっかり盛り込んでいきたい」
2月19日、国会3階にある衆院第一委員室で開かれた予算委員会。安倍は、民主党の前首相・野田佳彦から「約束を覚えていますか」と問いかけられたのに対し、堂々と言い切った。
2012年11月、まだ政権を担当していた野田は、安倍との党首討論で、衆院解散の条件として定数削減を「約束」することを挙げていた。それから3年以上が経っても約束は実現していない。その追及を狙った、異例となる首相経験者の登板だった。
しかし安倍は一枚、上手を行っていた。野田が質問に立つと知った首相官邸サイドは論戦前日の18日、翌日に質問する自民党の前厚生労働相・田村憲久に「定数削減について質問してほしい」と要請。19日午前、安倍は田村に答える形で、定数削減を前倒しして実施する姿勢を示した。冒頭のやりとりは、田村への答弁を補足したに過ぎなくなり、野田の見せ場は消えた。
そもそも定数削減問題は、安倍が党の先を走ってきた。
「1票の格差」をめぐる訴訟で「違憲状態」とする判断が続いていたが、自民党執行部は「2020年以降に先送り」案を考えていた。
「国会答弁で立っていられなくなる。今まで言ってきたことと齟齬(そご)を来してしまう」。2月8日、国会内の大臣室で安倍は、幹事長・谷垣禎一や選挙制度改革の取りまとめ役である幹事長代行・細田博之らを前に、定数削減に関する党の方針は手ぬるい、と叱責している。国会答弁は強気一辺倒で野党を蹴散らす安倍の「立っていられない」発言。出席者の中の1人は「なぜこの問題では、そこまでこだわるのか」と違和感を感じたほどだった。さらに、安倍は2月9日、谷垣に「先送りはダメだ」と強く指示、「2020年の大規模国勢調査に合わせて実施」が自民党原案となった。
それから、たった10日で「5年前倒し」となり、「今国会実現」にまで進むことになる。2月20日土曜日、安倍は、ニッポン放送のラジオ番組に出演。長年の知り合いで、第一次内閣で退陣、失意のころも大阪で付き合った辛坊治郎が司会とあってか、安倍は「責任を果たすため、『今国会で』定数10減などをやりたい」と、6月1日が会期末となる通常国会での法改正にまで踏み込んだ。
ここで「今国会で」とまで、法改正の時期をはっきりさせた意図は明白だ。夏の参院選に合わせたダブル選挙も含め、早期に衆院解散の環境を整えることだ。実際の選挙で定数を削減するのは来年以降になるとしても、メドさえつけておけば、選挙時に「違憲状態」を放置しているという世論の批判はおさまるという見立てだ。
定数削減を巡る一連の事態では谷垣ら党側だけでなく、官房長官・菅義偉のカゲも薄い。第二次安倍政権が発足以来、政局を動かす問題では必ずといっていいほど菅の姿がみえた。それが今回、見えないのはなぜか。
「俺がいなくなると菅ちゃんの力が強く大きくなり過ぎる。それが心配だ」
政治とカネの問題で1月末に辞任した前経済再生担当相・甘利明が漏らした言葉だ。
菅は軽減税率の導入劇では副総理兼財務相・麻生太郎と対立し、麻生が「菅は規(のり)をこえた」と不快感を隠さなかったのは記憶に新しい。第二次内閣が発足してからずっと安倍、麻生、菅、自民党と霞が関の調整役、緩衝材を務めてきた甘利の言葉は本音であり、重い。
解散権の制約を解く定数削減問題は、これまでの安倍、菅が一体となった首相官邸主導というより「安倍主導」の色彩が濃い。政権中枢のパワーバランスに異変が生じていないか、永田町と霞が関は息を凝らして見つめる。
安倍・黒田・財務省の一体感
市場環境の悪化で消費税を予定通り10%に引き上げるのかどうかも、議論になってきた。それでも、財務省幹部は、10%増税が延期になった一昨年当時よりも、「今の方が、はるかに予定通りに実施できる手ごたえがある」と楽観的な見通しを示す。
安倍の周辺は「総理は人から引き継いだ政策と、自分が決めた課題は分けて考える」と明かす。
消費税を5%から2段階で引き上げる法律は民主党政権で成立し、自民党総裁は谷垣だった。だからこそ8%から10%への引き上げを延期することに躊躇(ためら)いはなかった。
だが2017年4月からの10%への増税は、一昨年に衆院を解散してまで自らが決めたものだったから、こだわらざるをえないのだ。
そのサインも散見される。先のラジオ出演の機会に、安倍は「基本的に日本の実体経済は堅調だ。リーマン・ショックの時は実体経済そのものに大きな影響があった。現段階ではリーマン・ショック級とはまったく考えていない」と述べた。
2016年は年明けからみるみるうちに円高・株安が進行して原油安も止まらず、世界規模で市場は変調を来している。それでも、消費増税を見送る条件として定めた2008年の「リーマン・ショック級」ではない、というのだ。
この経済状況認識は財政・金融当局と事前に詰めてあった。
ラジオ発言の8日前、2月12日。朝は首相官邸に財務省事務次官・田中一穂と財務官・浅川雅嗣を呼び、昼には日銀総裁・黒田東彦と食事をともにしながら1時間、会談している。黒田は日銀が導入を決めたマイナス金利政策を改めて説明するとともに「緩やかに回復する日本経済、物価についてのメーン・シナリオは何も変わっていません」と伝えた。安倍も頷き、「総裁を信頼しています」と応じた。
異次元の金融緩和からマイナス金利にまで踏み切った黒田と、消費増税を延期してまで解散に踏み切った安倍は、実体経済の悪化を認めれば「アベノミクスは失敗した」と公言したに等しくなってしまう。
一昨年の衆院解散当時、安倍は「黒田総裁と財務省は結託し、消費税を上げさせようとしている」と不信感を抱いていた。それが今、安倍は「解散のフリーハンドを握らなければならない」、黒田は「異次元緩和の失敗は認められない」、財務省は「何としても予定通り消費税を10%に引き上げる」と三者の思惑は違えど、「実体経済の悪化」を認められないという、同じ船に乗っている。
宮崎の辞職を促した安倍
いつの時代も、参院選は政権交代の可能性がないだけに、政権与党に「お灸」を据える選挙になりがちだ。
折しも自民党は甘利スキャンダルに続いて、環境相・丸川珠代が被ばく線量に関する問題発言をして物議をかもした。さらに参院議員・丸山和也が2月17日の参院憲法審査会で「アメリカは黒人が大統領になっている。これは奴隷ですよ、はっきり言って」などと発言し、謝罪に追い込まれるなど失態が相次ぐ。「お灸」を据えたい世論の感情は高まる。
「参院選から調子が狂う例が続いている。第一次安倍政権もそうだった」
公明党前代表・太田昭宏は2月19日の講演で警告した。
遡れば1989年、結党以来初の過半数割れを参院選で喫してから、自民党単独では参院で過半数を回復できていない。89年の参院選は消費税導入、農政不信、当時の首相・宇野宗佑の女性問題の3点セットで自民党は負けた。今回も、消費税増税、環太平洋経済連携協定(TPP)の農政問題……と不気味な符合がある上に、「女性問題」も出た。育児休暇取得をぶちあげながら、女性タレントとの不倫問題が発覚した前衆院議員・宮崎謙介のスキャンダルだ。実際、宮崎スキャンダルを受けた世論調査では、甘利辞任では動かなかった内閣支持率が低下した。
「週刊文春」の報道で発覚した直後、宮崎が属する派閥領袖、総務会長・二階俊博は2月10日の会合で「問題に遭遇した時こそ、団結して対応すべきだ」と擁護していた。補欠選挙にはならない「自民党離党」が落としどころのはずだった。
だが、「離党ではダメだ」と議員辞職まで必要だと促したのは、安倍本人だったとされる。
2月16日、衆院本会議で宮崎の辞職は許可され、衆院京都3区は4月24日に補選となった。ここでも安倍は「今回は謹慎すべきだ」と不戦敗を指示した、と党執行部の1人は明かす。
2月19日、安倍の意向を受けて、幹事長の谷垣は京都府連会長・西田昌司に「全体の流れをみれば、候補は出せないのではないか」と促した。
ここでも垣間見えた「安倍主導」。第一次政権時、参院選敗北をきっかけに退陣した安倍の選挙をにらんだ政治判断は細心で、現実的になっている。
遅れた「民・維」合流
野党を引っ張るのは、共産党だ。
安倍が定数削減を明言した2月19日、共産党委員長・志位和夫は民主、維新、社民などとの五党党首会談で「国民連合政府構想は横に置きます。選挙協力の協議に入ります」と宣言。翌20日には戦後、長きにわたって対立してきた日本社会党の後身、社民党の定期党大会に志位は共産党幹部として初めて出席し「今日を新たな契機とし、野党が力を合わせて頑張り抜こう」と高らかに宣言した。
集団的自衛権行使を容認した安全保障関連法の廃止法案を野党五党で国会に共同提出したことで最低限の政策の一致はあり、野党候補が一本化されれば32ある参院一人区で、かなりの確度で善戦が見込める。共産党にとっては選挙区を捨てても、比例代表で躍進する結果もあり得る。
2月22日、共産党は全国都道府県委員長と志位が協議し、ほとんどの参院一人区の独自候補撤回を正式に決めた。志位は衆院選の選挙協力についても、「直近の国政選挙の比例得票を基準としたギブ・アンド・テークを原則に推進したい」と踏み込んだ。
乾坤一擲の大勝負に出た共産党に煽られる形で、遂に野党再編も動いた。
同日夜、民主党代表・岡田克也と維新の党代表・松野頼久はひそかに落ち合った。松野は「民主解党にはこだわらない」、岡田も「党名を変更し、新しい党をつくる」と応じ、懸案だった両党の合流は一気に進んだ。そして26日、両党は3月に合流することで正式に合意した。衆参ダブル選をにらめば、ここがギリギリのタイミングだ。
遅ればせながら迎撃態勢を整えた野党に、安倍は次の手を打つ。
今春、安倍はロシアを訪問して大統領のプーチンと会談し、自らが議長を務める5月末の伊勢志摩サミットになだれこむ。国際会議の成果を掲げた選挙には1986年、当時の首相・中曽根康弘が断行した衆院解散がある。東京サミットの後、「死んだふり解散」といわれた衆参ダブル選挙で、自民党は圧勝した。
衆院解散を巡る「安倍主導」政局。世論の風向き、経済動向、外交、野党の勢い、あらゆる要素を見定めた安倍の「答え」は、5月の大型連休明けまでには示される。 
丸山議員 奴隷発言
自民党の丸山和也参院議員は18日、オバマ米大統領を念頭に「黒人の血を引く。奴隷ですよ」などと発言した責任を取り、参院憲法審査会の委員を辞任した。谷垣禎一幹事長らが引き締めに躍起になっているのに、同党議員の失言は止まらない。安倍晋三首相が描く選挙戦略への影響を懸念する声も出始めた。
谷垣氏は18日、丸山氏に「足をすくわれることがないよう発言には注意するように」とくぎを刺した。丸山氏はこの日、部会長を務める党法務部会を「さまざまな予定」(部会関係者)で欠席した。
一方で記者団の取材には応じ、「真逆の批判をされているとしたら非常に不本意だ。人種差別の意図はまったくない」と正当性を強調。民主、社民、生活3党が議員辞職勧告決議案を参院に共同提出したことに対しても「良心において恥じることはない。受けて立つ」と言い切った。
自民党では、丸川珠代環境相が東京電力福島第1原発事故による除染の長期目標を「何の科学的根拠もない」と発言し、12日に撤回した。島尻安伊子沖縄・北方担当相は記者会見で北方四島の「歯舞」を読めないという失態を演じた。
さらに18日の衆院予算委員会では、民主党議員が丸山氏の発言を追及した際、自民党の長坂康正衆院議員が「言論統制するのか」とやじを飛ばす場面も。見かねた小此木八郎国対委員長代理は長坂氏を口頭で注意した。
自民党は17日に各派閥の事務総長を集め、引き締めを図ったばかりだった。ある派閥会長は18日、「大勢の議員が当選して『自民1強』になり、目立ちたい人が出てきたのではないか」と指摘。岸田文雄外相も岸田派会合で「マスコミの目はますます厳しくなる」と改めて注意喚起した。
公明党の漆原良夫中央幹事会長は18日の記者会見で「(発言を)撤回すれば済む問題ではない。こういうことが重なりボディーブローのように政権に響く」と不満を表明した。
同党幹部は「支持者から『なぜ自民党を止められないのか』とわが党まで批判を受けかねない」。夏の参院選と衆院選の同日選が取りざたされる中、「こんな状況で解散などできない」と首相をけん制する声も出ている。
17日の発言要旨
例えば日本が米国の51番目の州になることについて憲法上、どのような問題があるのか。そうすると集団的自衛権、日米安保条約も問題にならない。拉致問題すら起こっていないだろう。米下院は人口比例で配分され、「日本州」は最大の選出数になる。日本人が米国の大統領になる可能性がある。例えば米国は黒人が大統領だ。黒人の血を引く。これは奴隷ですよ、はっきり言って。当初の時代に黒人、奴隷が大統領になるとは考えもしない。これだけダイナミックな変革をしていく国だ。
18日の釈明
<米国の51番目の州> 参院憲法審査会で参考人から「大統領制を導入すべきだ」と言われた。日本的にいえば首相公選制だ。2院制で大統領制を持つ国の代表として米国を引き合いに出した。
<米大統領関連> 自己変革があり今の米国が生まれたことをたたえるつもりで話した。人種差別だという真逆の批判は非常に不本意だ。私はマーチン・ルーサー・キングを尊敬している。
<野党の議員辞職要求> 良心において恥じることは何もない。良心対良心の問題なので受けて立つつもりだ。 
山田俊男 暴行
山田俊男参議院議員は先週、部会に出席した農協関係者と口論になり、みぞおちのあたりを殴りました。伊達参議院幹事長が事情を聴いたところ、山田議員も事実を認めたということです。
大西英男 「巫女さんのくせに何だ」
自民党の大西英男衆議院議員は24日、衆議院の補欠選挙の応援で神社を訪れたことを紹介した際に、「『巫女さんのくせに何だ』と思った」などと発言しました。これについて自民党の谷垣幹事長などから批判が相次ぎました。
自民党の大西英男衆議院議員は24日、みずからが所属する派閥の会合で、衆議院北海道5区の補欠選挙の応援で神社を訪れたことを紹介し、「私の世話をやいた巫女さんは、『自民党はあまり好きじゃない』と言う。『巫女さんのくせに何だ』と思った」などと述べました。
これについて自民党の谷垣幹事長は記者会見で、「意味不明で、誠に不適切な発言だ。われわれは公人なので、私人として言いたいことを言えばすむという立場ではなく、自分の発言がどう世間に受け止められ、反応があるかという配慮がなければ、公人の発言としては不適切だ」と批判しました。そして、谷垣氏は、「党内のすべての人が緩んでいるというわけではないと思っているが、注意は喚起していかなければならない」と述べました。
民主 岡田代表「コメントするのも恥ずかしい」 / 民主党の岡田代表は記者会見で、「政治家として、コメントするのも恥ずかしい。このような形で、政治に対する信頼が失われるのは非常に残念だ。自民党の中で、しっかり対応してもらいたい」と述べました。
大西議員「軽率な発言をおわび」 / 自民党の大西英男衆議院議員は「私の発言でお騒がせし、申し訳ございません。軽率な発言であったことを謝罪するとともに、関係者の皆さまにおわび申し上げます。今後は、発言、行動により一層の注意を払い、議員として活動してまいります」というコメントを発表しました。 
育休議員の自民党・宮崎謙介がゲス不倫  
男性国会議員で初めて、育休を取得すると宣言して話題となった自民党・宮崎謙介衆議院議員(35)。イクメンの鑑とも言える行動でしたが、なんと妻が出産入院中に、女性タレントを自宅に連れ込んだことが文春にスクープされてしまいました。  
イケメンで高身長(188cm)、高学歴(早稲田大学院卒)の宮崎謙介氏は、2015年5月に同じ二階派所属の衆議院議員である金子恵美氏(37)と結婚。恵美議員はすでに妊娠しており、恵美議員を献身的に支えている宮崎議員の姿がたびたび報じられていました。  
宮崎議員といえば、2015年12月に男性国会議員では初となる育児休暇取得を宣言し話題となりました。賛否両論はあったものの、イクメンの鑑とも言える行動は、一部では称賛されていたことも事実。1月には育児休暇を推進する勉強会も立ち上げ、新しい流れを作るかに見えたのですが…。  
2016年1月15日、恵美議員は切迫早産の危険性があり緊急入院。2月5日に無事第1子の長男を出産しました。  
しかし、スクープされたのは、恵美議員が入院中の1月30日。週末は選挙区である京都に戻って政治活動をしている宮崎議員。この週末も京都に戻っており、京都市内の自宅マンションで34歳の女性タレント・宮沢磨由さんと密会。2時間ほど過ごすと時間をずらしてマンションから出た2人は、十字路で別れ笑顔で見つめ合ったところを激写されています。その後、自宅マンションで再び合流し一夜を過ごした翌日、京都を後にしたそうです。  
宮沢さんと知り合ったきっかけは、恐らく1月4日に行われた自民党仕事始めの会合での出会いだったのではないかと推察されています。宮沢さんは自身のブログでも「お着物の仕事」と書き込んでいます(現在は削除済み)。  
宮崎議員の着物の着付けをしたのが宮沢さんで、同じ日に国会見学に招待していたとか。以前から親密だったのでしょうか。それとも、1月4日の出会いで親密になったのでしょうか。どちらにしろ、和服美人にふらっとやられてしまったのは間違いなさそうです。  
2月5日に出産に立ち会った宮崎議員。「とくダネ!」のカメラには、出産の様子を興奮冷めやらぬ感じで語っていましたが…。  
出産に立ち会った6日前に、京都の自宅に女性を連れ込んで不倫していたわけでしょうか!?にわかに信じられない…いや、信じたくないですよね。  
なお、2月9日(火)の衆議院本会議に出席した宮崎議員。議場に登場し一礼したものの、同僚に声を掛けられても硬い表情のまま。同僚議員、心の声が聞こえてきそうなまなざしですね。  
会議終了後、議場の外に出た時、目がうつろ…というか完璧に死んでました。  
そして、待ち構える報道陣に気付くと、関係者に促されるままダッシュ。報道陣を振り切り、車に乗り込み去って行きました。  
なお、2月9日の朝、フジテレビの単独取材に対しては、宮沢さんとの「不適切な関係」を認める発言をしています。  
ちなみに、宮崎議員は2006年に元自民党の加藤紘一衆議院議員の三女で、現在自民党所属の加藤鮎子衆議院議員と結婚しました。しかし、わずか3年で離婚。離婚の原因は女性問題だった…とも言われており、女性にはだらしなかったのでしょうか!? 
育休国会議員の“ゲス不倫”お相手は女性タレント  
自民党の宮崎謙介衆院議員が地元・京都で女性タレントと不倫・密会していたことが、週刊文春の取材により明らかとなった。1月30日、宮崎議員は伏見区の自宅に東京から来た女性タレントを招き入れた。女性タレントは一泊した後に帰京した。この6日後の2月5日朝方、宮崎氏の妻で同じく自民党の金子恵美衆院議員が都内病院で無事男児を出産。宮崎氏も出産に立ち会っている。宮崎氏は昨年12月、自らの結婚式後の囲み取材で国会議員としては前代未聞の「育児休暇取得宣言」をぶち上げ、議論を巻き起こしていた。「公職にある国会議員がプライベートを優先し、育休中も歳費が全額支払われるのはおかしい」といった批判も上がったが、宮崎氏は「ここまで批判があるなら、絶対に折れるわけにはいかない。女性だけに産め、働け、育てろなんて不可能だ」と反論。女性を中心に「子育ての在り方を考え直すよい機会になる」と期待の声も大きかった。週刊文春は宮崎氏に電話で事実確認を求めたが、「いやいやいや。勘弁してくださいよ。どういう時期か分かってるでしょ!」と話し、一方的に電話を切った。宮崎氏は女性タレントの名前すら知らないとトボケたが、電話の直後、女性タレントのブログやツイッターから2人が会っていた1月30日と31日の記述が削除された。妻だけでなく、男性の育休取得を応援するすべての人の期待を裏切ったイクメン政治家の“ゲス不倫”。宮崎氏には、選良として責任ある対応が求められる。   
英EU離脱が「神風」になった自民党 2016/7
 キーワードは「経済の安定」。舛添問題もアベノミクス失政も吹き飛んだ
「きのう、イギリスが欧州連合(EU)からの離脱を決断した。やはり消費増税先送りの判断は正しかったのではないでしょうか」
参院選が公示された初の週末、英国の国民投票でEU離脱が決定して金融市場が大荒れした翌日の6月25日土曜日。官房長官・菅義偉は山形県米沢市での遊説で熱弁をふるった。
首相・安倍晋三も宮城県で「英国のEU離脱で経済にリスクを与えないか懸念している。日本はG7(主要7カ国)の議長国として国際協調して万全を期す」と訴えた。
消費税率10%への引き上げを2年半先送りし、衆参同日選挙を見送ってまで臨んだ参院選。6月23日夜に明らかになったマスコミ各社の序盤情勢では「改憲勢力3分の2をうかがう勢い」と与党に有利な結果が出た。
それでも野党四党が統一候補を擁立した32の1人区では弱さも感じられ、なにより「リーマン・ショック級の危機」を未然に防ぐために増税を延期した、との首相官邸の理屈に批判と疑問が高まり、安倍の演説もどこか言い訳めいた色彩もあった。
そこに飛び込んできた英国のEU離脱の一報。6月24日、一報を聞いて「えっ!」と驚きながらも、安倍は急きょ、首相官邸で関係閣僚会議を主催して「世界経済の成長、金融市場の安定に万全を期していく」と指示を出した。選挙演説も「今、日本に求められているのは政治の安定だ。それは世界から求められている」と力強いトーンにかわった。
菅は「国際関係の中では何が起きるか分からない。そういうリスクに対応するための政策を私たちは常日ごろからとっている」とも訴え、消費増税再延期の正当性を強調した。
5月末の伊勢志摩サミットで、リーマン・ショック級の危機を回避するためと各国首脳に提示した「参考データ」は経産省出身の首相政務秘書官・今井尚哉が作成したものだった。今井は数カ月前から、安倍と外務省、財務省幹部によるサミット打ち合わせでも、会議を根回しする役割のシェルパが説明する国際的な経済認識についても「君たちは分かっていない」と叱責し、消費増税延期の地ならしを進めてきた。
サミット本番ではイギリス首相、デービッド・キャメロンが「危機とまで言うのはどうか」と発言した。そのキャメロンの英国が、EU離脱で本当にリーマン・ショック級の危機をもたらしかねない皮肉。自民党幹部、政府高官からも「増税延期は正しかったと訴えられる」「リーマン・ショック級の危機回避、としたサミット文書は正しかった」との声があがった。
日経平均株価が下落し、為替が円高にふれても、もはや「アベノミクスの失敗」ではなく、国際情勢の激変が原因となる。災い転じて福となす。選挙戦の基調が守勢から攻勢に転じた瞬間だった。
ヒラリーを重ね合わせた蓮舫
それまで、安倍と自民党は「不気味な選挙だ」と、いまひとつ手ごたえをつかみかねていた。それを象徴したのが6月21日、テレビ朝日での党首討論番組の収録シーンだった。
「6時までと言ったじゃない。時間を守ってもらわないと困る。飛行機の時間があるんだから!」
番組収録が1分、長引くと、安倍は激しく詰め寄った。
収録が終わった後の模様も、モニターしている記者団には聞こえていた。安倍サイドは翌22日にSNSサイト、フェイスブックに「報道ステーションの対応にはあきれました」と書き込むなど、怒りはおさまらない様子だった。
官邸や自民党はこのころ、選挙戦の風向きに異変を感じていた。野党と1対1で激突する1人区で、当初予想よりも多い10程度の選挙区で苦戦が伝わった。大きな要因は前東京都知事・舛添要一の「政治とカネ」を巡る一連の騒動だった。
家族での旅行やネットオークションで絵画を購入するなどした舛添の政治資金流用疑惑。テレビは連日、ワイドショーで報じ、米紙ニューヨーク・タイムズは「せこい(sekoi)」と打電するなど、舛添問題は都政の枠を超え、国政に影響を与えていた。6月7日、東京で自民党は2人目の参院選候補を発表したが、支持が伸びない。
「何とかしなくちゃいけない」
この日、首相官邸へ2020年東京五輪について報告に訪れた元首相・森喜朗と安倍の見解は一致した。
東京自民党のドン、都連幹事長・内田茂らが模索した「リオデジャネイロ五輪の閉会式に舛添が出席して花道を飾り、9月の定例議会で辞職すれば、4年後の都知事選は東京五輪後になる」とのシナリオは水泡に帰した。「このまま放っておけば1日100票、1000票単位で票が減っていく」と官邸は危機感を募らせた。すべては参院選のためだ。
舛添は粘り腰をみせる。「議会で不信任決議案が出る前に辞職しろ」と迫る自民党都連に、舛添は都議会解散の可能性をちらつかせて反撃する。都連側の説得も行きづまり、タイムリミットである定例議会の会期末、6月15日までもつれ込んだ。
しかし、その15日午前零時半すぎ、都議会全会派が共同で不信任案を提出し、本会議に上程されることが決まった。舛添が辞めなければ、不信任案は可決される。舛添に辞職以外の道はなくなった。
朝、舛添辞職の意向が伝わった官邸は安堵に包まれた。参院選の阻害要因はなんとしても取り除くとの官邸の決意が「舛添降ろし」を結実させた。
一方、この絶好の機会に大攻勢に出られなかったのが民進党だ。
「私のガラスの天井は、国政にある」
6月18日昼、大本命候補だった民進党の代表代行・蓮舫は、こんな表現で都知事選への不出馬を表明した。
「ガラスの天井」というセリフは8年前、アメリカ大統領選の民主党候補選びでバラク・オバマ大統領に敗れた前国務長官、ヒラリー・クリントンが「ガラスの天井を打ち砕けなかったが、ひびは入れられた」と言い、候補指名を確実にした今年も「ガラスの天井を壊す」と宣言した言葉をもじったもの。米国史上、初の女性大統領を狙うクリントンにならい、都政ではなく女性初の首相を目指すと表明したのだった。
6年前の参院選で、約170万票と東京選挙区での最高記録をうちたてた蓮舫は、自民党からも「都知事選に出馬すれば当選確実だ」との声があがったほどの最強候補だった。
舛添の辞任を受けて、民進党幹事長・枝野幸男や国会対策委員長・安住淳は「蓮舫なら与野党対決型で勝てる。都知事選の効果が全国に波及し、参院選にも好影響を与える」とみて、蓮舫擁立に動いていた。
だが蓮舫サイドには警戒と疑念があった。とりわけ慎重論を唱えたのが前首相・野田佳彦。「都知事選は後出しジャンケンの方が有利」との理由だ。
都知事選は7月14日告示―31日投票の日程で、参院選の候補者でもある蓮舫は公示前日の6月22日までには態度を明らかにしなければならない理屈となる。「最悪なら蓮舫が勝つはずだった東京選挙区で1議席失い、都知事選でも負ける」というのが前首相の論法だった。
もうひとつの理由があった。蓮舫は参院選後、9月末に予定している民進党になって初の代表選を視野に入れている。枝野や安住らの都知事選擁立論は「代表選出馬の芽を事前に摘もうとの思惑」とみたのだ。
蓮舫は先手を打った。事務所開き当日の6月18日、枝野を訪ねて「仲間の声はありがたいですが、都知事選には出ません。国政を選びます」と伝える。諦めきれない枝野は「参院選の公示まで、まだ数日あるから」と促したが、蓮舫の決意は固い。枝野ら執行部は翻意させる手段もないまま、参院選公示日を迎える。「蓮舫都知事」は幻に終わった。
アベノミクス批判は響かず
参院選へなりふり構わぬ安倍自民党と、首相にもなれない野党代表の座を巡る思惑が交錯する民進党。その執念の差は、間違いなく結果に響いてくる。
自民党と安倍にとって、参院選は鬼門以外のなにものでもない。
1989年は結党以来、初めて過半数を割り込む惨敗を喫し、それから27年間の長きにわたって自民党は一度も過半数を回復できなかった。
この時、野党側は労組・連合主導で連携して無所属統一候補を擁立し、これが過半数割れの主因になった。今回も野党四党はすべての1人区に統一候補を立てている。
98年は今回と同じように序盤は優勢を伝えられながら、橋本龍太郎首相の「恒久減税」を巡る発言の二転三転ぶりから急激に失速し、「経済失政」と呼ばれて大敗した。2007年はいうまでもなく、安倍が敗北して退陣に追い込まれたトラウマの選挙である。
いまEU離脱問題は短期的に安倍自民党にとって「神風」(党関係者)になっている。
野党の主張は「アベノミクスの失敗が、英国問題でハッキリした」という組み立てだ。民進党代表・岡田克也は「円高、株価の乱高下に、EU離脱が拍車をかける。分配と成長を両立させる経済政策が必要だ」と語る。共産党委員長・志位和夫も「アベノミクスがつくりだしたのはもろい経済だった。英国のEU離脱で日本経済に大打撃が起きているのはアベノミクスの結果だ」と訴えるが、有権者に響かない。先の見えない混乱を前に、世論が求めているのは改革ではなく危機対応であり、経済の安定だからだ。岡田は「地元で公認候補が負ければ代表戦に出ない」と、この期に及んで言い出す始末だ。
英国のEU離脱による市場への影響は年単位で長期化するだろう。今年後半からの政局は「経済」が中心にならざるを得ない。目先の参院選では「神風」となっても、参院選後を考えれば、高い株価が支えてきた安倍政権にとって「逆風」ともなりかねない。まさに正念場を迎える。
さらに、自民党内には麻生太郎政権時代、リーマン後の対応に失敗して政権を失った悪夢がよぎる。
「あのときは後手を踏み、衆院解散の時期も逸した。あの二の舞は避けたい」が、自民党幹部の合言葉だ。
「党に緊急特別本部を設置しました」。6月24日夜、自民党政調会長・稲田朋美は党本部で政権党の即応性をアピールした。安倍政権は秋の臨時国会に大型の補正予算案を提出し、危機回避への動きを強める構えをとる。
補正予算も「10兆円超の大型が必要」と、選挙戦中から早くも掛け声がかかる。
6月25日、遊説を終えた安倍は午後7時過ぎに自民党本部へ入って幹事長・谷垣禎一、選対委員長・茂木敏充の報告を受けて情勢を分析し、てこ入れする重点区を吟味した。「世論調査の好結果に踊らされず、引き締めていく」「ひとつひとつ確実にとっていく」と意思統一した。
英国のEU離脱は世界中で内向きの姿勢を強める引き金となる。11月の米国大統領選も孤立主義のドナルド・トランプが共和党候補だ。ロシア大統領、ウラジーミル・プーチンにとって対露強硬派の英国がEUから離脱するのは望むところであり、安倍が悲願とする北方領土問題解決の行方にも影響は避けられない。
英国民投票と参院選、2つの選挙が日本を揺さぶっている。 
「安倍晋三の野望は恐ろしい」 大橋巨泉さん“遺言”の壮絶 2016/7
がん闘病中の大橋巨泉(82)が、94年から続いていた週刊現代の人気コラム「今週の遺言」を今週(27日)発売号で最終回としたことが話題になっている。「これ以上の体力も気力もありません」というのが断筆の理由で、自らの深刻な病状や大量の薬で死に直面したことを告白。まさに壮絶そのものなのだが、コラムのラストの部分に記された「最後の遺言」には、読んだ誰もが胸を打たれたのではないか。少し長くなるが、その部分を転記したい。
〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉
参院選の真っただ中に迎えた最終回のコラム。安倍の恐ろしい野望とは、自公とおおさか維新、こころを合わせて3分の2の議席を獲得し、憲法改正を発議をすること。そしてその先に9条を改正し、日本を戦争のできる国につくり変えることを指しているのだろう。直近の新聞各社の情勢調査では、「改憲勢力3分の2」が現実になりつつある。巨泉は病床でジリジリとした焦りを感じながら、有権者が賢明な判断を下すのを、祈るような思いで見つめていることだろう。
法衣の下に鎧を隠している男
巨泉は安倍政権の危険性を、これまで幾度となく指摘してきていた。
かつて同コラムには、〈安倍首相を始めとする現レジームにとって、戦前のように「自由に戦争のできる国」は理想的なのだろうが、われわれ昭和ヒトケタにとっては、「平和憲法に守られたこの70年こそ理想の天国」なのである〉(15年6月13日号)と書いた。
日刊ゲンダイ本紙のインタビューでもこう言っていた。
「僕は、ポピュリズムの権化のような安倍首相をまったく信用しない。経済はムードをあおる手段に過ぎず、本当にやりたいのは憲法改正であり、日本を『戦争ができる国』に変えることでしょう。法衣の下に鎧を隠しているような男の言動にだまされてはいけません」(14年5月10日付)
安倍から発せられる戦争の臭い――。戦争経験のある戦前世代はそうしたものを、嫌でも嗅ぎ取ってしまう。それがこの政権の危険性に対する異口同音の訴えとなる。
本紙インタビューに登場した作家の瀬戸内寂聴(94)の言葉はこうだった。
「当時もね、われわれ庶民にはまさか戦争が始まるという気持ちはなかったですよ。のんきだったんです。袖を切れとか、欲しいものを我慢しろとか言われるようになって、ようやく、これは大変だと思いました。こうやって国民が知らない間に政府がどんどん、戦争に持っていく。そういうことがありうるんです」(14年4月4日付)
学徒出陣を経験した石田雄・東大名誉教授(93)も本紙インタビューでこう言っていた。
「平和というのは最初は、非暴力という意味で使われる。しかし、日本においては次第に東洋平和という使い方をされて、日清、日露、日中戦争において戦争の大義にされていく。これは日本の戦争に限った話ではなく、ありとあらゆる戦争の言い訳、大義名分に『平和』という言葉が利用されてきたのです。こういう歴史を見ていれば、安倍首相が唱える『積極的平和主義』という言葉のいかがわしさがすぐわかるんですよ」(14年7月3日付)
参院選の投票を目前にして、こうした先達の言葉の重みを、いま一度、噛みしめる必要がある。
「野党に投票を。最後のお願いです」
安倍政権の恐ろしさ─―。戦前世代の政治評論家・森田実氏(83)は過去の自民党政権と比較しながら、こんなふうに解説してくれた。
「古代ギリシャの抒情詩人ピンダロスは、『戦争はその経験なき人々には甘美である。だが経験した者は戦争が近づくと心底、大いに恐れるのだ』と書きました。悲惨な戦争の体験者がこの世にいる間は止める力が働くが、未経験者だけになったら戦争を始めるという意味を含んでいて、戦争体験のない世代、中でも特に政治権力を持つ者たちにその傾向があります。歴代自民党政権でも小渕政権のころまでは、『平和のためなら体を張る』という強い意志が感じられました。しかし、森政権以降、それがボヤけてきて、小泉政権になって、何をしでかすかわからなくなった。もっとも、小泉さんは安保や軍事面には口を出しませんでした。安倍首相も小泉さん同様、何をやらかすかわからないようなムキになる性格ですが、小泉さん以上にタチが悪いのは、軍事の問題になるとがぜん、張り切ることです。そして、そんな安倍さんを支えるのが極右のグループで、そうした支援者をバックにますます張り切る。安倍さんは自らの中にブレーキを持たない人間じゃないか。だから、いざとなったら戦争に突っ走ってしまう恐ろしさがあるのです」
九州大名誉教授(憲法)の斎藤文男氏(83)の分析はこうだ。
「安倍首相の言動や己に課している使命感には、戦前回帰のにおいがプンプンします。『国威発揚のあの時代はよかった』『敗戦で米に押し付けられた憲法ではなく自前の憲法を作らないと独立国家じゃない』『国のために命を投げ打つ気概のない日本人は腰抜けだ』─―そんな考え方です。実際に著書『美しい国へ』にもそう書いてありますよね。そんな人物が自民党の中で独裁的な権力を持ち、自民党イコール安倍党の状態に陥っている。そして、第1次政権での失敗を経て、改憲願望は『経済』で隠す、世論を騙すという“戦術”を身につけた。しかし、戦時体験を持っている私たちの世代には、安倍さんがどんなに隠しても、ベールの下の素顔が見えてしまうのです。昨年、安保法制が成立した時、私は『新たな戦前が始まった』と言いました。モノも言えず、権利や自由は剥奪され、国家のために生きる。それが日本人の美学だとされる。そんな国になってしまっていいんですか。年寄りが歴史と人生を踏まえて、揃って警鐘を鳴らしているのです。冷や水などと言わないで、耳を傾けて欲しい」
「時代錯誤が」現実になる
安倍の側近たちが野党時代にまとめた自民党改憲草案に、彼らが目指すこの国の形がある。一言でいえば、明治憲法に戻ろうという時代錯誤である。
改憲草案13条は「全ての国民は、人として尊重される」とし、現行憲法の「個人」を「人」に変えてしまっている。国民を「個人」と見るのではなく、「人」という“束”で見なす考え方だ。9条の改正案では、戦力の不保持を定めた現行2項を「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」と改めた。そして、「国防軍の保持」を明記した条文を追加している。
参院選で改憲勢力が3分の2を確保すれば、時代錯誤と片付けられなくなる。国民は国家のために奉仕することを義務付けられるような、とんでもない国につくり変えられる。
安倍による憲法改悪を何としても阻止しなければならない。巨泉の遺言〈野党に投票してくれ〉という叫び。民進党が嫌いでも、共産党にアレルギーがあったとしても、再び戦争をする国になることに比べたら、賢明な選択は何なのか、おのずとわかるはずだ。 
大橋巨泉の遺言 「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」 7/21
以前より体調の悪化を心配されていたタレント・司会者の大橋巨泉氏が、今月12日に急性呼吸不全で亡くなっていたことが明らかになった。82歳だった。
本サイトでも以前、紹介したように、巨泉氏は「週刊現代」(講談社)7月9日号掲載の連載コラム「今週の遺言」最終回で、すでに病が身体を蝕んでいることを綴っていた。だが、それでも巨泉氏は〈このままでは死んでも死にきれない〉と綴り、直後に迫った参院選について、読者にメッセージを送っていた。
〈今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません。だが今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。書きたい事や言いたい事は山ほどあるのだが、許して下さい。しかしこのままでは死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい。安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。7月の参院選挙、野党に投票して下さい。最後のお願いです〉
まさに、このメッセージが巨泉氏にとってほんとうに最後の遺言となってしまったわけだが、しかし、ワイドショーやニュース番組はこの巨泉氏の遺言をことごとく無視。ベテラン司会者としての仕事を紹介するに留め、『報道ステーション』(テレビ朝日)でさえ最後のコラムの〈今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずなことが連日報道されている〉という部分までしか紹介しなかった。安倍首相について言及した部分まで報じたのは、『NEWS23』(TBS)だけだ。
たしかに、『11PM』(日本テレビ)や『クイズダービー』(TBS)、『世界まるごとHOWマッチ』(MBS)といった人気番組の司会を数々こなし、一方でお茶の間ロックやアングラ演劇などのサブカルチャーをテレビにもち込んだり、クイズバラエティを定着させたりといった巨泉氏の功績が大きいのは言うまでもないが、最後の遺言にも顕著なように、巨泉氏は自民党の強権性にNOの姿勢を貫きつづけた人であった。テレビはそこから目を逸らしたのだ。
巨泉氏といえば、民主党議員だった2001年に、アメリカの同時多発テロを非難し「アメリカを支持する」との国会決議に民主党でたった1人反対、戦争へ向かおうとする姿勢を断固拒否したエピソードが有名だが、すでにセミリタイア状態だった巨泉氏が政界へ進出しようとしたのは、そもそも当時人気絶頂だった小泉純一郎首相の進めようとする国づくりに対する危機感があった。
周知の通り、小泉首相は新自由主義的な政策を押し進め、この国は弱い者にとって非常に生きづらい国になってしまった。巨泉氏は「週刊現代」の連載コラムで小泉政権がつくったこの国の在り方をこう批判している。
〈冷戦終了以降、アメリカ型の新自由主義経済がわがもの顔の現在、それに歯止めをかける思想や組織の存在は必須なのである。でないと「負け組」や「新貧困層」が拡大し、その中からテロリズムが増殖するのである。(中略)小泉やハワードが目指しているのは、「強者の論理」でくくる社会。自由主義経済なればこそ、弱者のための政党や組合は必要なのだ。何万人とリストラする大企業に対し、個人でどう戦うのかね!?〉(「週刊現代」05年12月10日号より)
周知の通り、その後、巨泉氏は議員を辞職し、再びセミリタイア状態に戻る。カナダ、オーストラリア、ニュージーランドを転々とする悠々自適な生活を送るのだが、第二次安倍政権の時代に入ると再び社会的なメッセージを発信するようになっていく。それは、安倍首相は経済を最優先にすると口当たりのいいことを言っているが、その本音は憲法を変えて国民から権利を奪い、日本を再び戦争ができる国へと戻そうとしていることを見抜いていたからだ。
〈彼にとって「経済」はムードを煽る道具に過ぎず、本当の狙いは別のところにあるからだ。(中略)
安倍は先日、「国づくり」に関する有識者会議で、「ふるさと」や「愛国心」について熱弁をふるった。曰く、「日本人は生れ育った地を愛し、公共の精神や道徳心を養って来た。ふるさとをどう守ってゆくかを考えて欲しい」。見事なウソツキと言う他ない。(中略)
「公共の精神や道徳心」を強調することで、現憲法が保障してくれている、「個人の権利(人権)」に制限を加えたくて仕方がないのだ。それでなくても「知らしむべからず」なのに、もっと制限を加えて、政権の思う通りにあやつれる国民にしたいのである。そのためには現在の憲法が邪魔なので、これを改正するために、まず人気を取り、その勢いで改正してしまおうという訳だ。(中略)
そもそも憲法とは、国民が守るの変えるのという法律ではない。国家権力(時の政府)の公使を制限するためにあるものだ。軍部が暴走して、数百万人の国民の命を奪った戦前戦中のレジームへのタガとして現憲法は存在する。それを変えて戦前への回帰を計る現レジームは、禁じ手さえ使おうとしている。止めようよ、みんな〉(「週刊現代」13年5月4日号より)
巨泉氏はさらにこのようにも語っている。
〈ボクの危惧は、4月にウォール・ストリート・ジャーナルに、麻生太郎副総理が述べた言葉によって、裏うちされている。麻生は「参院選で安倍政権が信任された時、首相の関心はおそらく経済から教育改革と憲法改正に向うだろう」と言っていた。要するにボクの持論通りなのだ。“経済”とか“景気”とかいうものは、あくまで人気(支持率)を高めるための道具であり、本当の目的は教育と憲法を変えて、「強い日本」をつくる事なのである。この鎧を衣の下に隠した、安倍晋三は恐ろしい男なのだ〉(「週刊現代」13年6月22日号)
しかし、巨泉氏の警告も虚しく、「アベノミクス」を釣り餌に圧倒的な議席数を獲得した安倍政権は横暴な国会運営を開始。周知の通り、昨年はまともな議論に応じず、国民の理解を得られぬまま安保法制を強行採決させてしまった。
そんな状況下、巨泉氏は「週刊朝日」(朝日新聞出版)15年9月18日号で、自身の戦争体験を語っている。1934年生まれの彼が実際にその目で見た戦争は、人々が人間の命をなにものにも思わなくなる恐ろしいものだった。それは安倍政権や、彼らを支持する者たちが目を向けていない、戦争の真の姿である。
〈何故戦争がいけないか。戦争が始まると、すべての優先順位は無視され、戦争に勝つことが優先される。昔から「人ひとり殺せば犯罪だけど、戦争で何人も殺せば英雄になる」と言われてきた。
特に日本国は危ない。民主主義、個人主義の発達した欧米では、戦争になっても生命の大事さは重視される。捕虜になって生きて帰ると英雄と言われる。日本では、捕虜になるくらいなら、自決しろと教わった。いったん戦争になったら、日本では一般の人は、人間として扱われなくなる。
それなのに安倍政権は、この国を戦争のできる国にしようとしている。
(中略)
ボクらの世代は、辛うじて終戦で助かったが、実は当時の政治家や軍部は、ボクら少年や、母や姉らの女性たちまで動員しようとしていた。11、12歳のボクらは実際に竹槍(たけやり)の訓練をさせられた。校庭にわら人形を立て、その胸に向かって竹槍(単に竹の先を斜めに切ったもの)で刺すのである。なかなかうまく行かないが、たまにうまく刺さって「ドヤ顔」をしていると、教官に怒鳴られた。「バカモン、刺したらすぐ引き抜かないと、肉がしまって抜けなくなるぞ!」
どっちがバカモンだろう。上陸してくる米軍は、近代兵器で武装している。竹槍が届く前に、射殺されている。これは「狂気」どころか「バカ」であろう。それでもこの愚行を本気で考え、本土決戦に備えていた政治家や軍人がいたのである。彼らの根底にあったのは、「生命の軽視」であったはずである〉
しかし、立憲主義を揺るがすような国会運営をし、メディアに圧力をかけて「報道の自由度ランキング」が72位にまで下がるほどの暗澹たる状態に成り果てたのにも関わらず、先の参院選では改憲勢力が3分の2を超えれば遂に憲法改正に手がかかるという状況になった。
そんななか、巨泉氏の体調は悪化。3月半ばごろから体力の落ち込みがひどく、4月には意識不明の状態に陥り2週間ほど意識が戻らなくなったことで、5月からは集中治療室に入っていた。そして、前述した「週刊現代」の連載も、4月9日号を最後に休載となっていたのだが、家族の助けを受けて何とか書き上げたのが、7月9月号掲載の最終回。ここで巨泉氏は本稿冒頭で挙げた〈安倍晋三に一泡吹かせて下さい〉という「最後のお願い」を読者に投げかけたのだ。
だが、残念なことに改憲勢力が3分の2を越え、現在政権は選挙中に争点隠しをつづけていたのが嘘のように、したたかに憲法改正への動きを進めようとしている。最後の最後まで、平和を希求するメッセージを投げかけつづけた巨泉氏の思いを無駄にしないためにも、我々は政権の悪辣なやり方に断固としてNOを突きつけつづけなくてはならない。
〈「戦争とは、爺さんが始めておっさんが命令し、若者たちが死んでゆくもの」。これは大林素子さんの力作「MOTHER 特攻の母 鳥濱トメ物語」の中で、特攻隊長が、出撃してゆく隊員に、「戦争とは何か」を告げるセリフであった。
現在にたとえれば、「爺さん」は、尖閣諸島の国有化のタネをまいた石原慎太郎維新の会共同代表だろう。「おっさん」は当然、“国防軍”を平気で口にする安倍晋三首相である。彼らはおそらく死なない筈だ。扇動したり、命令したりするだけで、自分達は安全なところに居る。前の戦争の時もそうだった。そして実際に死んでゆくのは、罪もない若者なのだ。それを知っていたからこそ、9条改正に6割以上の若者が反対しているのである。おそらく前の戦争のことは、学校で教わったに違いない。安倍政権は、この“教育”さえも改悪しようとしている。怖ろしい企みである〉(「週刊現代」13年5月11日・18日合併号より)  
小倉智昭に“大橋巨泉の弟子”を名乗る資格なし! 7/22
 『とくダネ!』では巨泉の遺言を封殺
やっぱりこの男は裏切り者だ──。大物司会者・大橋巨泉の死を報じるテレビ各局のワイドショーをチェックしていて、そう確信した。この男というのは、巨泉と40年にわたって師弟関係にあり、自ら巨泉を「師匠であり恩人」と公言していたフジテレビ『とくダネ!』の司会者・小倉智昭のことだ。
もちろん表向き、小倉は身内のように巨泉の死を悼んでいた。巨泉の死を最初に伝えた7月20日の『とくダネ!』では、小倉は開口一番、「巨泉さんがいなかったら、今こうやって『とくダネ!』の司会をやってるということはなかった」と発言。自分を抜擢してくれた巨泉への感謝の思いをとうとうと述べていた。そして、間近で見た巨泉の人柄、テレビ界に果たした役割、夫人から聞いた闘病の様子などを涙ながらに話した。
小倉は同日の『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)にも生出演し、ここでも涙を流しながら、巨泉の思い出話を語った。さらに、翌21日の『とくダネ!』では、自分の結婚式の写真を紹介しながら、巨泉に仲人をしてもらったエピソードを公開。千葉の家までテレビの配線をしに出かけたこと、大量のレコードを譲り受けていたことなども明かし、いかに自分が巨泉と身内同然の関係にあったかを強調した。
しかし、小倉はその一方で、巨泉が最後に一番伝えたかったメッセージを完全に黙殺してしまったのだ。
周知のように、巨泉は晩年、病床から憲法をないがしろにする安倍政権の危険性を必死で訴えていた。そして、直前の「週刊現代」(講談社)7月9日号の連載コラム「今週の遺言」最終回では、「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」「このままでは死んでも死にきれない」と、まさに遺言ともとれる壮絶な安倍批判の言葉を残していた。だが、小倉は巨泉のこうした政権批判について一秒たりとも触れなかったのだ。
もちろん、巨泉の安倍批判を無視したのは、小倉だけではない。とくに「安倍晋三に一泡吹かせて下さい」という遺言については、『NEWS23』(TBS)以外、どのテレビ番組も取り上げなかった。
しかし、小倉は自他共に認める「巨泉の弟子」である。師匠が「このままでは死んでも死にきれない」と言いながら発したメッセージは、体を張ってでも伝えるのがスジではないか。
しかも、小倉の態度は他の番組MCよりもっと悪質だった。実は、7月20日の『とくダネ!』では、コメンテーターの深澤真紀氏が「週刊現代」のコラムのことを取り上げようとしていたのだが、小倉がそれを封じ込めていたのだ。
「(「週刊現代」の連載で)世界情勢だったり、日本の政権だったりということにずっと問題意識をもって、ずっと怒ってらっしゃっていて、俺はこのままでいいのか、日本は……っていうことを最後まで書いてらっしゃった」
こう話を切り出した深澤。ところが、小倉氏はこれを完全にスルー。菊川怜に向かって「実は巨泉さんはこの番組を見てくれていて、最近の怜ちゃんの仕事を褒めていた」と全く関係のない話を始めた。
ようするに、自分が巨泉の安倍政権批判を口にしなかっただけでなく、師匠の“遺言”を番組が取り上げること自体を許さなかったのだ。これが「裏切り」でなくて、なんだというのか。
いや、そもそも、小倉の巨泉への裏切りは今回の“遺言封殺”という問題だけでない。「愛弟子」「恩人」などといいながら、小倉はとっくに、巨泉を切り捨てていたという見方がテレビ業界では根強い。
小倉はテレビ東京のアナウンサー時代、上層部と対立して進退きわまった際、大橋巨泉に拾われて1976年に「大橋巨泉事務所」(現オーケープロダクション)入りした。当時小倉には多額の借金があり、しかも仕事も鳴かず飛ばず。そんな中、『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)に小倉を起用し、『世界まるごとHOWマッチ』でブレイクさせたのが巨泉だった。
その後、小倉は巨泉を師匠として仰ぐようになり、まさに『とくダネ!』で語ったような身内同然の関係になるのだが、しかし、その関係は実際には09年頃から大きく変化していた。
原因は、巨泉が「オーケープロダクション」の株式を売却、同社が大手テレビ制作会社「イースト・グループ・ホールディングス」の完全子会社になったことだった。当初は、それでも、オーケープロダクションの社長だった巨泉の実弟が引き続き社長を務めたのだが、しかしほどなくして社長の椅子を追われ、そのため巨泉と「オーケープロダクション」の縁が切れてしまう。
このとき、多くのテレビ関係者は、小倉も巨泉の弟と一緒に事務所を出るのだろうと思ったようだが、小倉のとった行動は逆だった。小倉はもともと同社の株式を持ち取締役に就任していたが、そのまま居残っただけでなく、イーストと蜜月関係を築き、一気に経営への関与を強めていった。そして、「オーケープロダクションの事実上の経営者」と呼ばれるくらいに大きな影響力を持って君臨するようになる。
「この小倉さんの変わり身に、古くから巨泉さんを知る局員の中には『裏切り者』呼ばわりする人もいたようです。実際、その後、小倉さんは巨泉さんと疎遠になり、あまり会っていないという話もある。今回の『とくダネ!』でも小倉さんは巨泉の病床の様子を話していたが、全部、夫人からのまた聞きで、直接、見舞いにいっている感じはしませんでしたからね」(テレビ局関係者)
そして、小倉のスタンスが変わっていったのも、この頃からだった。権力に迎合するような姿勢が目立ち始め、巨泉との師弟関係があった頃には絶対にしなかったような発言を口にするようになった。
その典型がかつてオーケープロダクションに所属していた俳優・萩原流行のバイク事故死についてのコメントだった。昨年4月23日放映の『とくダネ!』で、小倉は萩原が事務所が反対する中国の“反日映画”に出演したことが原因で事務所を辞めたなどと、事実無根のレッテルを張り、萩原を貶めるような発言をした。萩原への「反日」攻撃は明らかに濡れ衣なのにもかかわらずだ。その後、萩原の未亡人が警察による事故隠蔽を告発して大きな話題となったが、しかし小倉氏は未亡人を擁護することはなく、切り捨てた。
政治的にも、自民党や安倍政権に擦り寄るような発言をしきりに始め、14年12月に起こった韓国のいわゆる「ナッツリターン」事件では、「韓国の人は自分の責任は認めないで他人の責任にするのか」「韓国人は日本人を見習わないと追いつけない」といった上から目線のヘイト発言をして大きな批判を浴びた。
「小倉さんが変わったというより、本音を出せるようになったということじゃないですか。それまでは巨泉さんの手前、リベラルなふりをしていたけど、巨泉さんがいなくなったことでタガが外れ、もとから持っていた本性があらわになったんじゃないですかね」(前出・テレビ局関係者)
そう考えると、今回、小倉が大橋巨泉の安倍批判を封殺したのも当然というべきだろう。安倍政権のPR放送局の情報番組キャスターという地位に大満足しているこの男はおそらく端から、利用価値がなくなった“元師匠”の遺言など歯牙にもかけるつもりはなかったのだ。
7月20日の『直撃LIVE グッディ!』に生出演し、司会の安藤優子から「巨泉の後継者」などと持ち上げられた小倉はまんざらでもないという様子で「継げないでしょうね、大きすぎて」などと発言した。
しかし、小倉が巨泉の後継者になれないのは、大きさの問題ではない。最後まで権力に対峙し、命を削りながら憲法を守るために発言を続けた昭和の名司会者と、世間の空気に迎合し無自覚な差別意識を垂れ流す電波芸者とでは、志が決定的に違うのだ。 
安倍内閣 「支持する」39% 「支持しない」43% 8/7
NHKの世論調査によりますと、安倍内閣を「支持する」と答えた人は、先月行った調査より4ポイント上がって39%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は、5ポイント下がって43%でした。
NHKは、今月4日から3日間、全国の18歳以上の男女を対象にコンピューターで無作為に発生させた固定電話と携帯電話の番号に電話をかける「RDD」という方法で世論調査を行いました。
調査の対象となったのは2233人で、59%に当たる1309人から回答を得ました。
それによりますと、安倍内閣を「支持する」と答えた人は、先月行った調査よりも4ポイント上がって39%だったのに対し、「支持しない」と答えた人は、5ポイント下がって43%でした。
支持する理由では、「他の内閣より良さそうだから」が50%、「実行力があるから」が16%、「支持する政党の内閣だから」が13%でした。
逆に、支持しない理由では、「人柄が信頼できないから」が46%、「政策に期待が持てないから」が30%、「実行力がないから」が8%となっています。
安倍総理大臣が今月3日に行った内閣改造と自民党の役員人事を評価するか聞いたところ、「大いに評価する」が6%、「ある程度評価する」が44%、「あまり評価しない」が30%、「まったく評価しない」が11%でした。
内閣改造で、自民党の野田聖子氏を総務大臣に起用したことを評価するか聞いたところ、「大いに評価する」が12%、「ある程度評価する」が46%、「あまり評価しない」が26%、「まったく評価しない」が7%でした。
また、自民党の河野太郎氏を外務大臣に起用したことを評価するか聞いたところ、「大いに評価する」が12%、「ある程度評価する」が47%、「あまり評価しない」が26%、「まったく評価しない」が6%でした。
安倍総理大臣は、秋の臨時国会に自民党の改正案を提出したいなどとしていた憲法改正のスケジュールについて、日程ありきではないとして、党や国会での議論に委ねる考えを示しました。これについて評価するか聞いたところ、「大いに評価する」が8%、「ある程度評価する」が33%、「あまり評価しない」が35%、「まったく評価しない」が14%でした。
学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題で、安倍総理大臣は先月の閉会中審査で、ことし1月20日に学部新設の申請を初めて知ったなどと説明しました。安倍総理大臣のこれまでの説明に納得できるか聞いたところ、「大いに納得できる」が3%、「ある程度納得できる」が12%、「あまり納得できない」が33%、「まったく納得できない」が45%でした。
“茶坊主”と“お友達”だけ優遇 安倍改造内閣の恐怖人事 2016/8
3日に行われた内閣改造で留任閣僚がズラリ並んだ。麻生太郎財務相、岸田文雄外相、菅義偉官房長官という2012年末の第2次政権発足時からのメンメンに加え、高市早苗総務相、塩崎恭久厚労相、加藤勝信1億相、石原伸晃経済再生相まで続投である。「内閣の骨格を維持して、安定した政権運営」などと解説されているが、要は自分の言うことを聞く“お友達”や“茶坊主”を置いておきたいだけ。世界情勢が混迷を深め、経済の先行きも不透明になっているのに、安倍にとっては国民生活より、やりたい放題の暴政を続けることの方が大事なのである。
閣僚人事に先立って決まった自民党役員人事もその最たるものだ。特にケガで復帰できない谷垣の続投を断念した後の幹事長ポスト。総務会長からの昇格となった二階俊博を、大メディアは“重量級”“調整力に定評”だとか実力者扱いしているが、ちゃんちゃらおかしい。
昨年の総裁選で安倍支持をいち早く表明したことや、年寄り過ぎて寝首をかかないという“忠誠心”がホントの起用理由だ。二階は最近、18年9月の総裁任期の延長まで口にしていた。安倍へのスリ寄りがミエミエで呆れるほどだ。
政治学者の五十嵐仁氏はこう言う。
「調整型といいますが、機を見るに敏なだけ。敏過ぎて政党を渡り歩き、出世できなかったから重鎮になった。今、安倍首相にくっついているのもそう。総裁再選を真っ先に支持し、総裁の任期延長でタイミング良く自分を売り込んだ。中身は、公共事業にバンバン予算をつける古いタイプの政治家ですよ」
二階が国土強靱化の旗振り役だったのは有名な話。2日、閣議決定された28兆円超の経済対策に、リニア中央新幹線の全線開業前倒しやクルーズ船を受け入れる港湾施設の整備などの事業を盛り込ませたのも二階という。公共事業重視で利権のにおいがプンプンなのに、持ち上げるメディアはどうかしている。
細田博之が総務会長に決まったのは、出身派閥の長で安倍にとって気心知れた間柄だからだ。茂木敏充の政調会長起用は、選対委員長として参院選を仕切った論功行賞。
「茂木さんは額賀派の領袖を狙っている。総理との距離感の近さで実力をアピールしたいのだろう」(自民党ベテラン議員)というから、党三役が政府に異論を挟むなんて光景は今後もなく、安倍に唯々諾々が続くことになる。
超タカ派の防衛相でますますナショナリズム高揚
初入閣、再入閣の大臣もヒドい顔ぶれだ。稲田朋美は安倍の一番の子飼い。直前まで政調会長だった上、当選4回で2度目の入閣。それも防衛相である。女性初の首相にするため、自分のそばで帝王学を学ばせようということか。
官房副長官だった世耕弘成の経産相抜擢も、お友達人事だ。第2次政権発足後から長期にわたり副長官を務め、在任期間は歴代1位。当選3回の入閣は当たり前の参院で当選4回まで入閣を待たされた。安倍からすれば「今までお勤めご苦労さん」てなところだろう。
麻生の子分の松本純など、その他も派閥の要望を受け入れた形。政治家としての能力や資質なんて、全く考慮しない布陣なのである。
「安倍さんは何でも自分が一番じゃなきゃ気が済まないタイプ。自分に従順であるかどうかが重要で、逆らったり、盾を突くような人は徹底的に干し上げる。稲田さんの起用はお友達人事ではありますが、入閣させられるような女性が他にいなかったという理由もあるようです。稲田さんなら首相の言いなりですからね。ただ、防衛相というのはいかがなものか。自衛隊の最高司令官がウルトラタカ派では周辺諸国に刺激を与えてしまう。ま、安倍さんは、安全保障上の危機感をあおって、国民のナショナリズムが高揚するのを、むしろ好都合とでも思っているのでしょう」(政治評論家・野上忠興氏)
留任閣僚で驚愕なのは石原伸晃だ。都連会長として都知事選に敗れたこともあり、閣僚も交代と噂されていた。「安倍さんが個人的な関係もあり残した」(前出のベテラン議員)とされるが、無能無政策で従順なのも、安倍が伸晃を重宝する理由だろう。
失敗が明らかなアベノミクスを、これからも最大限ふかさなければならないし、TPPもある。留任する麻生財務相とともに経済オンチ大臣の方が、安倍にとってやりやすいわけだが、国民にとっては悲劇としか言いようがない。
自民党と国会の“ダブル1強”で強権
こんな最悪人事なのに自民党内は強権首相の前に皆ひれ伏し、沈黙。異様で異常としか言いようがない。
国会も衆参で憲法改正発議に必要な3分の2の勢力を確保し、いつの間にか改憲が既定路線になってしまった。安倍は「おおさか維新の会」を取り込むため先週末、橋下徹前代表と会食。「憲法審査会で改憲の議論をやっていきたい」と伝えたという。
自民党は参院選後に無所属議員を1人入党させ、あれよあれよという間に、衆参とも単独過半数を達成している。いざとなれば、改憲に慎重な公明党を福祉政策などをエサに揺さぶることもできるわけだ。
「今や安倍さんは、自民党内と国会内の『ダブル1強』です。参院選でもそこそこの成績を残したので、これまで以上に誰も物を言えない空気になっている。ただ、改憲については急ぐと失敗しかねません。改憲勢力とはいえ、維新の会は何を改憲するかの項目が違います。経済が順調とはいえない中で、世論を納得させるのも簡単ではありません」(五十嵐仁氏=前出)
恐怖政治が吹きすさぶ今度の改造で唯一、安倍に抵抗したと言えるのは石破茂ぐらいだ。農水相などでの閣内残留を打診されたものの拒否。次期総裁選で「ポスト安倍」を目指すため、「野に下るべき」という仲間の意見に耳を傾けざるを得ない事情もあった。
「みんなおとなしくしてはいますが、相変わらずのお友達人事には、入閣待望組を筆頭に不満がマグマのようにたまっている。そんな中で石破さんが安倍さんの要求をはねつけたことは、アリの一穴になるかもしれません。交代が確実視されていた伸晃さんを留任させたのも、野に放って、石破さんと連携されるのを恐れたからともいわれていますからね」(野上忠興氏=前出)
いずれにしても、どこぞの国の将軍さながらの、国民そっちのけの亡国政治が続くことだけは確実である。 
自民党vs.共産党 大変身は成功するか 2016/9
 「議席三分の二確保で改憲」か「野党共闘で国民連合政府」か?
 対照的な二つの政党は日本の政治をどう変えてゆくのか
七月の参議院選挙、結果は安倍政権が目指した「改憲勢力による三分の二の議席確保」という目標が達成されて幕を閉じた。この結果が、「自民圧勝」なのか、それとも「野党善戦」だったのかは、見方の分かれるところだろう。だが、三十二ある一人区での勝負に限ってみると、自民二十一勝対野党十一勝という数字は、極めて興味深い。一人区に限っていえば、全選挙区での野党統一候補擁立(ようりつ)作戦が、それなりに成果を上げたといってもいいだろう。仮に民進党が単独で戦った場合、一人区では三〜四議席しか確保できなかったという推測もあるほどだ。
さて、今回の参院選、言うまでもなく野党第一党は民進党。当然、野党側の主役は民進党だったかに見える。焦点は「自民党対民進党」という対決構図だったはずだ。だが、本当にそうだろうか。確かに議席の上では民進党が最大野党であることはいうまでもない。だが、この参院選挙で政権与党側、つまり自公両党が最も意識した“敵”は民進党ではなく、実は共産党だった。
共産党が従来の方針を大転換し、香川県を除く全ての一人区で候補者擁立を見送るという、大胆な決断がなかったら、全三十二の一人区で野党共闘が成立することはなかっただろう。その結果の二十一対十一だとすれば、“仕掛け”たのは共産党であり、野党内で主導権を握り、他の野党はこれに追随、あるいは巻き込まれる形で従った、というのが実際の構図だったのではないか。
確かに共産党はこの選挙で、「比例八百五十万票以上、九議席獲得」という目標には届かず、選挙区一、比例五にとどまった。一人区での候補者擁立を見送ったために、比例票が伸びなかった可能性もある。その意味では、一見、野党共闘を実現するため、敢(あ)えて共産党が犠牲的精神を発揮したととれなくもない。
だが、共産党は今回、「それ以上のもの」を手に入れたはずだ。それは野党陣営内での「孤立」からの脱却であり、一般の有権者が抱いていた拭いがたい警戒心、アレルギーの大幅な緩和といってもいい。野党共闘を成立させたことで、共産党は少なくとも表面的には「普通の政党」に変身を遂げつつある。
その意味で、今回の参院選挙における野党側の真の主役は共産党ではなかったか。となれば、自民対民進という対決構図はあくまでも表面的なものに過ぎず、その実態は「自共対決」だったのかもしれない。
今回のような野党共闘の構図が、今後も続くかどうかは不透明だ。共産党が掲げる「国民連合政府」構想が実現する可能性は低い。だが、「したたか」な野党に変身しつつある共産党の挑戦は今後も間違いなく続いていく。そのターゲットは言うまでもなく自民党だ。「自共対決」はこれからが本番かもしれない。
カラフルから単色へ
自民党と共産党、いうまでもなく政策・理念、主義主張等全ての面で水と油、ハブとマングース、右と左……、加えて政党としての組織構造に関しても、極めて対照的である。それを一言で表現すると「議員政党対組織政党」とでもいおうか。
政党は大きく分けると、議員中心の「議員政党」と、党組織主導の「組織政党」に分けられる。自民党は明らかに前者、つまり議員政党だ。
確かに自民党は約百万人の党員を抱えている。地方議員も全国に三千三百五十一人と、他党を圧倒しているし、選挙区支部(衆院は小選挙区ごと、参院は選挙区ごと)、基礎自治体単位の地域支部や職域支部など、地方組織も整備されている。
だが、これらの組織は基本的に国政レベルでの政権与党体制、つまり過半数以上の国会議員を生み出すためのマシーンといってもいい。
自民党の場合、組織政党に見られるような、地方議員や非議員が党内で力を持つといったケースはほとんどない。時に、今回の東京都知事選のように、都議会自民党の「暴走」といった例外はあっても、大半の地方議員は国会議員を支える組織の歯車でもある。百万党員とはいうものの、その実態はかなりの部分、国会議員(その予備軍)が自前で作り上げた個人後援会のメンバーと重複している。外部の応援団である業界団体や宗教団体の本体部分は党本部、あるいは派閥、個々の国会議員と結びついている。こうした面からみれば、自民党は間違いなく「議員政党」であり、より具体的には「国会議員政党」というべきだろう。
かつて、自民党議員の大半は、自分たちを「一国一城の主」だと思っていた。党の看板(公認)や資金提供など、それなりの恩恵は受けているものの、基本的には自らの力で選挙を勝ち抜き、国会議員の地位を手に入れたという意識が強かった。その「主」たちの集合体が自民党という政党だったわけだ。
後述するように、自民党は「ある制度改革」がきっかけとなって、国会議員の地位、立ち位置が大きく変化した。ただ、基本的な組織構造、つまり国会議員政党としての性格は維持されている。
となれば自民党という組織体の実態を解明するためには、やはり党本部、それを構成する国会議員たちにフォーカスする以外にない。
かつてはその自民党のスタッフでもあった筆者からすると、今の自民党はイメージの中にあるそれとは全くの別ものに変身してしまったという気がしてならない。敢えてその変化を表現すれば「カラフル」から「モノカラー」へ、ということになるだろう。
「昭和の自民党」は実にカラフルだった。当時の自民党は一つの政党というよりは、むしろ「派閥」という名の政党の連合体という色彩が強かった。それがもっとも顕著だったのが、「三角大福中」と呼ばれた時代。三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘という、それぞれ個性的で強いリーダーシップをもった政治家が、自らの派閥を率いて覇権を競った時代である。
かつて、派閥は「諸悪の根源」といわれ、様々な批判に晒(さら)されてきた。むろん、それには一理も二理もある。派閥順送りの人事が不適材不適所を生み出したこと、派閥間の抗争がしばしば政治的混乱を生み出したこと、総理・総裁の座を巡る熾烈(しれつ)な戦いが、結果的に政治とカネの問題を引き起こしたこと……。
だが、一方で自民党自身にとってみると、派閥には様々な効用があった。まず、派閥は教育機関としての機能を持っていた。新人たちは、派閥内で先輩議員から様々な教育を受け、いい意味でも悪い意味でも政治家として一人前になっていった。
「派閥の中の派閥」といわれた田中派の教えの一つに、「二回当選するまでしゃべるな」というのがあった。当選してきた新人に対し、先輩議員はこういったという。
「君たちのやるべきは、何より次の選挙に勝ち残ることだ。まず、そこに全力投球すること。一方で、勉強を忘れてはいけない。党の部会や調査会にはできるだけ出席しろ。ただし、そこで一言もしゃべってはいけない。先輩議員の発言、議論をひたすら聞いて勉強しろ。会議で発言するのは二回当選してからだ」
また、当時の自民党は派閥の長にならなければ総裁レースに参加することもできなかった。従って、総理・総裁を目指す政治家はまず、派閥内での熾烈なサバイバルゲームに勝ち残り、トップの座を射止めたのち、次には他の派閥の長たちと総裁の座を目指してさらなる過酷な戦いに臨まなければならなかった。当然、その過程で政治家として、様々な試練を経験する。それがある意味で、「リーダー育成システム」になっていたともいえる。
他方、当時の派閥はそれぞれ独特のカラーを持っていたし、理念や政策面でも明確な違いを見せていた。例えば三木派は「ハト派集団」で中曽根派は「タカ派集団」だったし、田中派が財政出動派なら、福田派は緊縮財政派。そうした個性の違いが、実は自民党という組織のバランスを保つ上で、大きく作用していたといえる。
また、派閥という「疑似政党」の集まりだったから、時の政権が世論の批判を浴びて倒れても、他の派閥の長が新たに政権の座に就けば、それがあたかも「政権交代」のように見えた。国民の目先をかえることで、長期政権に対する「飽き」を緩和することもできたのではないか。加えて言えば、党内には常に主流派と反主流派の対立、抗争が存在し、その抗争自体が実は自民党の活力を再生産するエネルギーにもなっていた。
「奇人・変人」の不在
自民党には今も八つの派閥がある。往時に比べて、数の上ではむしろ多いかもしれない。だが、中身をみれば、全くの別物というべきだろう。そもそも派閥は「三つの構成要件」によって成り立っていた。「カネと選挙とポスト」がそれだ。派閥は構成員に対して、この三つを提供し、構成員はその見返りとして派閥に忠誠を誓い、ボスを総裁に押し上げるために全力を挙げる、というある種のバーター関係で成り立っていた。
だが、リクルート事件に端を発した政治改革の結果、選挙制度、政治資金制度の大改革によって、このシステムは崩壊する。衆議院の選挙制度は中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に変わり、まず「選挙」が消えた。中選挙区時代は自民党候補が一選挙区から複数立候補したから、先ず派閥の後押しで党の公認を獲得し、選挙戦では派閥単位の選挙応援を仰ぐことができたが、小選挙区では公認候補は一人だけ。党中心の選挙になったから、公認権は執行部が握り、選挙戦でも派閥の出る幕はほとんどない。
また、政治資金制度が変わり、派閥単位の資金集めをしにくくなったうえ、政党助成制度が創設されたことで、資金は党に、つまりは時の執行部に集中することになった。これで「カネ」も消えた。
今もわずかに残っているのが「ポスト」だが、それも閣僚以外の人事に対する影響力程度である。つまり、派閥の存在意義の大半は消えてしまったことになる。従って、今現在も派閥が残っていること自体が不思議なことといってもいい。
はっきり言って、今の派閥は「仲良しクラブ」に毛が生えた程度。かつてのような戦闘力はない。有名無実な存在となったことで、派閥ごとの独自性、言い方を変えれば多彩な色合いも消え去った。
現行の制度がスタートした時点で、こうなることはある程度予想できた。過去の積み重ねもあってか、その進行には時間がかかったが、第二次安倍政権に至って、完成形となったかに見える。ほぼ、すべての権力が時の総理、執行部に集中することで、今、党内には明確な反主流派は存在しない。党の実権を握った総裁派閥のみがわが世の春を謳歌(おうか)し、他の派閥は息をひそめ、官邸(総理)の方針に黙々と従うだけの存在になってしまったかに見える。
一方、個々の議員についても、似たような傾向が読み取れる。中選挙区制の時代は、例えば五人区であれば自民党から最低三人は立候補し、その多くが当選できた。一人は世襲、一人は官僚出身の落下傘だとして、残る一人は党の方針に公然と叛旗(はんき)を翻すような、あるいは特定の政策に精通する「奇人・変人」でも当選が可能だった。実はそうした「奇人・変人」が自民党という政党をカラフルな、幅広い人材を擁する、ある意味で懐(ふところ)の深い政党に仕立て上げていたのではなかったか。
だが、今やそうした政治家の出る幕はない。一対一の戦いとなるケースが多い小選挙区制では理論上「五一%」の票を獲得した候補が勝利する。当然、問題児は立候補も当選もおぼつかない。結果、優等生的候補や無難な世襲候補が大多数を占めることになる。“百面相”のような政党だった自民党は、いつの間にか、“金太郎飴”のような、どこを切っても同じ顔の政党に変わってしまった。自民党は相変わらず自民党。外見はさほど変わっていない。だが、その組織構造、内実は大きく変化している。
今の自民党は、まさに「安倍カラー」一色に塗りつぶされている。かつての多彩で軟体動物のように柔軟で、それゆえにしたたかな自民党は消え、異論を許さない一枚岩の政党に姿を変えた。確かに、命令一下、粛々(しゅくしゅく)と動く組織には、それゆえの強みもある。例えば安保法制。世論の逆風にあっても、党内から異論がでることもなく押し切ることができたのは、一枚岩ゆえだろう。
だが、その強さは、逆に「もろさ」と裏表でもある。政権に対する批判が高まり、危機的な状況に陥った時、もはや「顔」を変えるだけでは済まないだろう。モノカラーとなった自民党に、メタモルフォーゼの道はない。全体がもろともに沈没する危険を孕(はら)んでいるからだ。果たして自民党の組織体としての変質は、長期的に見て吉と出るのか、それとも……。
組織政党ゆえの大転換
一般に「組織政党」という言葉で誰もが連想するのは、公明党と共産党だろう。だが、厳密に言うと公明党は組織政党ではない。なぜなら公明党を支えている組織は実態的に創価学会であり、公明党自身は自前の組織を抱えているとはいえないからだ。その意味で、日本における唯一の組織政党は日本共産党ということになる。
組織政党とはなにか。一般には、政党が有権者に直接訴えかけ、支持を獲得し、広報活動(機関紙誌など)を通じて政治教育を行い、党員を拡大し、日常的に政治活動を展開するスタイルがそれだ。組織運営はあくまで党中心。地方議員や地方組織、一般党員を多数抱え、党幹部に非議員が少なくないことも特徴の一つだ。
共産党の党員は約三十万人(二〇一五年現在)、基本的には職場、地域、学校につくられる支部を基礎とし、支部→地区→都道府県→中央という形で組織されている。共産党の強みは、なんといっても全国に張り巡らされた約二万の支部組織にある。底辺部分を支えるこの支部組織が、それぞれの地域や職場に密着し、住民や労働者の要望にきめ細かく対応(共産党ではこれを「生活相談活動」と呼ぶ)することで、支持を拡大、維持している。
その支部活動の中心にいるのが、地方議員たち。共産党の地方議員数は自民党(三千三百五十一人)、公明党(二千九百二十一人)には及ばないものの、二千八百十七人(二〇一五年総務省調査)と国政レベルに比べて強力だ。地域等での彼らの評判は押し並べていい。住民の行政等に対する要望に、丁寧に、しかも迅速に対応するからだ。「相談事は共産党」が定評になっているともいわれている。
また、財政面でも他党に比べると、極めて強固。他の政党の多くが、党収入の大半を政党交付金でまかなっているのに対し、共産党は自前の収入で党運営ができている。ちなみに、政党交付金の受け取りを拒否している政党は共産党のみだ。
二〇一五年の党収入は約二百三十八億円。党財政を支える柱は「しんぶん赤旗」の購読料、党員が納める党費、個人からの寄付の三本柱から成り立っている。このうち最大の柱は「赤旗」で、収入の約八割(百九十億円)を占めている。「赤旗」がこれほどの収益を挙げている理由は、配達や集金がほぼ党員のボランティアで支えられているからだが。なお、党費(党員は実収入の一%を納める規定)は約六億五千万円、個人からの寄付は約七億円だ。
また、共産党には党組織以外にも民商(全国商工団体連合会)や民医連(全日本民主医療機関連合会)など、強力な関連団体がある。ちなみに民商の会員数は約二十六万人、民医連は百四十一の病院、五百五の診療所を擁する日本最大規模の医療関係団体だ。これらの関連団体が様々な形で共産党をバックアップしているのである。
いうまでもないが、組織政党である共産党は「組織の論理」がすべてに優先する。組織内の序列も外部的な肩書とは関係ない。議員、非議員の違いもない。
「国会議員、地方議員の上下関係はありません。みんなが役割分担をしているだけ」(山下芳生副委員長)というわけだ。そのため、時に国会議員本人よりも、その秘書のほうが党内の序列では上、といった現象も起きるという。
とはいえ、実態的には党大会にかわる最高意思決定機関である中央委員会(中央委員、準中央委員合わせて約二百名)、そのトップである委員長に権力が集中していることも事実。これがいわゆる民主集中制だ。言い方を変えれば中央委員会の決定は絶対であり、党内でこれに異を唱えることなどあり得ない。
今回の参議院選挙で、共産党は一人区での候補者擁立という従来からの方針を転換し、野党共闘路線に切り替えた。その方針を決定したのは志位和夫委員長だが、この大転換が、どのような状況下で決まったのかをみれば、それは明らかだろう。前出の山下副委員長はこう述べている。
「方針を決めたのは昨年の九月十九日、安保法制が成立した当日です。志位委員長の提案で方針を決めました。提案があった時に、みんなが驚いたのは事実ですが、特に異論はなかった。安保法制廃止にはこの方法しかないと思ったからです」
これほどの大転換が、異論なく決まること自体が、この政党の性格のある一面を物語っているといえるかもしれない。
野党内での存在感を増す一方、ソフト路線の徹底で一般の国民が抱いているアレルギー反応の緩和にも成功しつつある共産党。だが、その一方で、あるいはそれゆえに直面しつつある課題も見え始めている。共産党の党員数は現在約三十万人だが、これはピーク時の約四十九万人から見ると、約四割近い減少だ。また、このところ若い層の入党が増えているとはいえ、全体として党員の高齢化が進んでいることも事実。これは財政面にも直結する。組織政党だからこそ、党員数の減少というのは極めて重大な問題だともいえる。
組織が弱体化する中で、それを補うためにはどうしても組織外の支持拡大が必要になってくる。それが、実はソフト路線であり、今回の野党共闘路線の背景なのではないか。だが、それは一方で組織政党としてのアイデンティティ、政治理念、イデオロギーを薄めていくことにもつながりかねない。
共産党は共産党であり続けるのか、それとも本当の意味で「普通の政党」に向かっていくのか。自民党と共産党、規模でいえば自民党が象なら、共産党は同じアフリカの草原に住む、俊敏な山猫サーバルキャットくらいの違いがある。だが、今後も自民党にとって、共産党は油断がならない存在であり、共産党にとって、自民党はどんな奇手奇策を講じてでも疲弊させ、倒すべき対象であり続けるだろう。
その両党が、生き残るために党の体質を変化させていく中で、ともにそれぞれが持っていたはずの本質的な部分、あるいはアイデンティティまでも変質させかねないというジレンマに陥っているように見えるのは、果たして偶然の一致だろうか。 
安倍「北方領土解散」はもろ刃の剣 2016/10
 二階幹事長と創価学会の主導で解散の流れは加速するのか
「領土問題を解決し、戦後71年を経ても平和条約がない異常な状態に終止符を打ち、(略)首脳同士のリーダーシップで交渉を前進させていきます」
淡々と語る安倍晋三首相に、「二島じゃ駄目だぞ!」と野次が飛んだ。
9月26日に開会した臨時国会の所信表明演説で、北方領土問題の前進への決意を表明した安倍は、地元の山口県長門市の旅館で12月15日にプーチン・ロシア大統領との日ロ首脳会談に臨む。この場で安倍は北方領土の返還に一定の道筋を付け、その勢いで年明け1月の通常国会冒頭で衆院解散・総選挙に踏み切るとの見方が取りざたされる。だが、期待を高めるほど失望が深くなるのは世の常。安倍の賭けはもろ刃の剣になりかねない。
対ロ経済関係を発展させるため、北方四島の面積の93%を占める択捉、国後両島の返還実現を事実上放棄する――。安倍政権内で、小さな歯舞群島、色丹島が戻ってくればよしとする案、すなわち「二島先行返還論」が台頭し始めている。
垣間見えるのは、会談後に「択捉と国後も諦めない。粘り強く交渉を続ける」との建前論を展開すれば、国民を説得できるという読みだ。安倍首相がリスク承知で対ロ融和路線に舵を切る先には、北方領土問題の歴史的解決を演出することで、超長期政権樹立への足場を固めたい思惑がある。日ロ首脳会談は、日本固有の領土である国後、択捉が置き去りになる危険を内包している。
鈴木宗男との6度の会談
「択捉、国後は難しいよ。ロシアの立場に照らせば、この二島は軍事上の要衝だ。『日本に引き渡す』と言うはずがないだろう。原則論にこだわれば、進む交渉も進まなくなる」
安倍の厚い信任を得ている日本政府高官は、9月2日にロシア極東ウラジオストクで行われた日ロ首脳会談の直後、周囲にこう漏らした。
異変は表面化しつつある。「領土を断固守り抜く」と繰り返す安倍は昨年から、かつて二島先行返還論を提唱してメディアから「国土を切り売りするのか」と叩かれた鈴木宗男元衆院議員と6回にわたり会談を重ねてきた。ウラジオストク入りを目前に控えた8月末にも、鈴木を官邸に招き、北方領土交渉で助言を受けている。鈴木は会談後、記者団に「総理は(北方領土交渉への)強い情熱に満ちたお話をされていた」と持ち上げ、複数の知人に「総理はそれ(二島先行返還)しか解決方法はないと分かっている」と漏らした。
鈴木が「段階的解決論」と呼ぶ二島先行返還論に安倍が同意したことを表す発言は、確認されていない。だが安倍が鈴木と官邸で堂々と顔を合わせ、日ロ関係について意見交換した事実そのものが、対ロ外交を混乱させたとして鈴木を忌み嫌う外務省と、四島全島返還を「譲れない一線」と位置付ける保守層への牽制球なのは間違いない。
タカ派イメージを売りにする安倍だが、北方四島人道支援事業の入札関与疑惑(ムネオハウス問題)を巡る負のイメージを引きずる鈴木を受け入れる土壌は、実はある。もとはと言えば、安倍自身が「政治の師」と仰ぐ森喜朗も首相時代、二島先行返還論に賛意を示していたからだ。ムネオハウス問題で国政が揺れ続けた02年4月、小泉政権の官房副長官だった安倍は講演で「二島返還決着論であれば問題だが、二島先行返還論は必ずしも問題ではない。森首相時代の対ロ交渉の考え方自体は決して間違っていなかった」と踏み込んでいる。
日ロ経済交流に携わる世耕弘成官房副長官が8月3日の内閣改造で経済産業相に就任し、さらに9月1日に新設のロシア経済分野協力担当相に起用されたのも、安倍の意欲の表れにほかならない。二島先行返還方式と経済協力の先行実施を絡めた対ロ交渉こそ、安倍が5月にロシア南部ソチでの日ロ首脳会談で、プーチンに秘中の秘として示した、領土問題を解決するための「新たなアプローチ」の核心部分と見ていいだろう。
ここまで安倍が前のめりになる理由は、歴史にその名を刻むことに尽きる。
「オバマ大統領には既にきちんと説明して日ロ交渉を進める了解を取っている。日本の国益に関わる問題だといえば、アメリカも黙らざるを得ないんだよ。アメリカが北方領土交渉をしてくれるわけではないからね」。安倍は春先、自らに言い聞かせるように知人に説いた。この直前、2月9日の日米首脳電話会談で、オバマが安倍の5月の伊勢志摩サミット前の訪ロに懸念を示すと、安倍は「日ロ2国間には、領土問題という重要な問題がある。これは日本の国益にかかわる問題であり、私に任せて欲しい。あくまで2国間の問題であり、懸念には及ばない」と力説している。押されたオバマは「あなたが日本の首相として、日本の国益の観点からロシアでプーチンと会うなら、それはそれでいいんじゃないか」と了解せざるを得なかった。
2月の電話会談でオバマが安倍の訪ロに懸念を示したとの情報は、時間を置いて一部のマスコミで報道された。それも「懸念を示した」との部分だけが流され、オバマが最終的に了承した事実は抜け落ちていた。日ロ交渉に前のめりの安倍に米国が不快感を抱いていることを重視し、日ロ交渉の進展を阻止したいと考える外務省幹部が流したといわれている。
その外務省を事務次官として率いた齋木昭隆の後継に6月に就任したのは杉山晋輔。国家安全保障局長で安倍の外交ブレーンである谷内正太郎らキーパーソンへの擦り寄りが功を奏して、夢の事務次官の座に就いた杉山に、安倍に逆らう行動を取る心配はない。党三役への就任を望んでいた外相の岸田文雄を先の内閣改造で再度留任させたのも、岸田であれば逆らうことはないという安心感があるからだった。安倍は、米国と外務省という日ロ関係の進展に向けた内外の障害を取り除いた上で、12月の日ロ首脳会談に臨もうとしているのだ。
だが二島先行返還方式がリスクを秘めているのは言うまでもない。「北方四島の日本帰属」を条件にしていないため、ロシアは歯舞と色丹について、返還ではなく「日本にプレゼントする」ことが可能になってしまう。この道を走りだせば、1945年に旧ソ連軍が北方領土を侵攻し、70年以上も不法に占拠しているという歴史的事実をロシアに認めさせる機会は永遠に失われかねない。日本がそうした立場を口にすることさえ難しくなる恐れもある。
択捉と国後の扱いについては「引き続き話し合いを進める」との建前論の裏で、ロシアが問題を棚上げしてしまう公算は大きい。ロシアが歯舞と色丹を日ソ共同宣言に基づきプレゼントするというスタンスに立つなら、択捉と国後を巡り日本と協議する必要性はそもそも存在しないはずだ。仮に「協議継続」に応じたとしても、日本側のメンツを立てるための方便でしかなくなるだろう。
安倍周辺は事実上の二島返還で決着した場合、「弱腰外交」との批判が出ることを警戒する。そこで日ロ平和条約を締結する際、仮に中国と日本の緊張が高まったときにロシアは中国側に付かないとの条項を盛り込めないかとの意見も出ている。ロシアとの平和条約締結は膨張する中国の封じ込めを考えてのことだという説明ができるようにして、右派勢力からの批判を抑える思惑だ。
だが、政権のレガシーづくりに邁進する安倍にそうした意見が耳に入るかどうかは読み切れない。
鴨ネギと化した蓮舫
秋風とともに年明け衆院解散の風が吹き始めた永田町で、対する民進党は蓮舫新体制に揺らぐ。台湾との二重国籍問題が顕在化するまでは、党再建への希望となると期待されていた新執行部の発足は、党内に不安と反発を生んだ。
「野田さんの幹事長、良くなかったかな」。蓮舫は野田幹事長を提案し、了承された両院議員総会後、苦笑いしながら漏らした。消費税を増税する自民、公明両党との三党合意をまとめて党を分裂させた上に衆院を解散、同志の多くを落選させ、政権からも転落させた「A級戦犯」野田佳彦の幹事長抜擢。反発が出るのは蓮舫も予想していたが、大きさの目測を誤った。攻撃には強いが、守りと自己統制、組織統治はまったく不得手という実像を国民の前にさらけ出した。
新代表に選出された当夜の蓮舫がNHKの「ニュースウオッチ9」に登場すると視聴率が5%も下落。テレビ業界では尋常でない出来事だ。テレビから生まれ、テレビで化けた蓮舫が、テレビにダメ出しされた瞬間だった。この情報は政治記者の口コミを経て、官邸にも伝わった。民進党の動向を注視する安倍官邸が期待していたのは「台湾籍問題を処理しきれない蓮舫代表の誕生」だった。その期待通り、鴨がネギを背負ってきたのである。
ネギを背負った鴨となった蓮舫を待ち構える最初の罠は、実は衆人の前に公にされている。日本維新の会が提出した、国会議員の二重国籍を禁止する公職選挙法改正案である。きっかけはもちろん、蓮舫が行政刷新担当相などを歴任していたことにある。現状では、閣僚の二重国籍は禁止されていない。今後そうした事態を防ごうというのが、この法案の狙いである。日本維新の会は民進党に共同提案や賛同を求める予定だ。ここで民進党はジレンマに陥る。党首の蓮舫が自分の過去は棚上げしたまま、それを禁止する法案をつくることは世論の理解を得られないからだ。逆に日本維新の会の法案に同調しなければ「やはり台湾籍を持っていたからだ」と大きな批判を受けることになるだろう。この問題で菅義偉官房長官と日本維新の会の馬場伸幸幹事長は完全に連携している。
一方で、自民党内にも権力構造の決定的な変化が生じている。安倍による独裁体制が続いていたが、二階俊博幹事長の誕生によって独裁体制が崩れ、首相と幹事長という二元体制に移行する可能性が生じてきたのだ。
二階が、自らの号令一下で所属議員が動く派閥らしい派閥を率いているというだけではなく、公明党の支持母体である創価学会に太いパイプを持っていることがその大きな要因だ。二階は名誉会長・池田大作に直接面会することができる数人の国会議員の1人だった。
実は、公明党と支持母体の創価学会は年明け早々の衆院解散を密かに望んでいる。来年7月には東京都議会議員が任期満了だ。東京都議会は1955年に創価学会が初めて政治進出を果たした「聖地」。長らく創価学会の所管官庁が東京都だったこともあって、公明党は都議会議員選挙を極めて重視する。公明党では、都議会議員は国会議員と同列に扱われ、その選挙には首都圏だけでなく、全国から学会員を大量に動員して戦う。その都議会議員選挙と衆院選の時期が重なることは絶対に避けたい。1月解散なら半年間のインターバルが得られる。
安倍政権ではこれまで、創価学会対策は官房長官の菅が副会長の佐藤浩を仲介役に谷川佳樹事務総長とのパイプを独占してきたが、二階幹事長の登場で、この構造が変容する気配だ。
「二階先生と菅先生の間はどんな感じなのか」
二階の幹事長就任後、佐藤は親しい自民党議員に探りを入れた。創価学会側も測りかねているが、そんな状況を見透かしたように二階は公明党が慎重姿勢だった共謀罪の今国会提出を見送るなど、創価学会の意向を受けたような独自の動きを見せ始めた。今後、二階と創価学会の主導で、日ロ首脳会談の成果如何にかかわらず、衆院解散の流れが加速する可能性も否定できない。外交の天王山に向かう安倍の視界は決して良好ではない。 
一強安倍の敵は永田町の外にいる 2016/11
 米大統領選、新潟県知事選、衆院補選から見えた脅威の萌芽
「安倍一強」。永田町の風景はここ4年、この言葉に凝縮されてきた。
10月も自民党総裁の任期延長、東京10区と福岡6区で行われた衆院補欠選挙の全勝と、首相・安倍晋三の栄耀栄華がなお続くと思わせる事象が相次いだ。だがおそらく、安倍を倒すのはこれまでのような党内の敵や野党ではなく、永田町の外にある。その萌芽は激戦だったアメリカ大統領選挙と、東京都知事・小池百合子の活躍が象徴する「異端児」選挙にみえる。
まずは安倍一強を印象づけた自民党総裁の「3期9年」への任期延長だ。
「異論はありませんね」
10月26日、党・政治制度改革実行本部の会合。本部長を務める党副総裁・高村正彦は、自らが示した「連続2期6年」から「3期9年」への任期延長案への反対がないことを確認した。議論を開始して約1カ月、この日の会合もわずか30分、党所属国会議員の約1割しか出席していなかった。2021年9月末まで安倍が総理・総裁であり続けることのできる道は、あっさりと開かれた。
21年9月まで務めれば、第一次政権時代とあわせ、安倍は大叔父の元首相・佐藤栄作(在任7年8カ月)を超え、戦前の元首相・桂太郎(同7年10カ月)をも上回って憲政史上最長の政権を築くことになる。これほどの大問題が、首相周辺も「自民党は変わったな。昔なら大激論になったはずだが……」と拍子抜けするほど簡単に決まったのはなぜか。高村や自民党幹事長・二階俊博、政調会長・茂木敏充らが「安倍総理はこう思っているだろう」と先回りして動いたからだ。
二階は7月の参院選後、幹事長になるや否や任期延長論をぶち上げ、官邸サイドに「党内はまとめるから」と伝えた。弁護士資格を持つ高村に本部長を依頼したのも二階だ。茂木は首相周辺の意向を忖度し、総裁任期の完全撤廃に動いてみせ、自らの忠誠ぶりをアピールした。この間に安倍が口出しした形跡はない。「全部、党に任せてある」。安倍は任期延長について、こう繰り返すばかりだった。
衆院で初の小選挙区選挙が実施されて20年。目的だった「派閥の弊害除去」は完全に達成され、与党党首の力こそが絶大なものになった。「党内の権力争いが、自民党の活性化につながってきた伝統が揺らいだ」などの評は、党首に逆らえば公認されない「サラリーマン化」した自民党を理解していない。あの当時、小選挙区導入に反対していた当選1回の安倍が今、総理・総裁としてその権限をフルに使っているのは歴史の皮肉でもある。
安倍の稲田への不満
幹部たちが任命権者の意向を先回りしようとするのは、任期延長に限らない。衆院解散・総選挙の時期もそうだ。
「皆、そのつもりでちゃんと準備はしますから」。10月6日夜、東京・銀座のステーキ店「銀座ひらやま」で、二階は安倍に水を向けた。副総理兼財務相・麻生太郎、国会対策委員長・竹下亘や首相秘書官・今井尚哉らが集まった席で、安倍は二階の「解散準備は整える」との言葉を笑いながら、黙って受け流した。二階はこの4日後、10月10日にも「選挙の風は吹いているか、吹いていないかと言われれば、もう吹き始めているというのが適当だ」と来年1月解散をあおってみせた。
実は二階の胸中は疑念と不信に満ちている。「1月解散」は来年夏の東京都議会選を前に、集票マシンをフル回転させておきたい公明党・創価学会の希望でもあり、解散論の発端は公明党だったからだ。学会と官邸ですでに話がついているのか――。「総理は俺に何も言わない」。二階は周辺に、こんな不安を漏らしている。安倍の真意をつかめない二階は10月28日、今度は「私の勘では切迫したことはない」と早期解散に否定的な見方を示した。
衆院当選11回、数々の政党で要職を歴任した77歳の大ベテラン政治家も、ひと回り以上年下の首相に翻弄されているのが実情だ。「ポスト安倍」を狙う元幹事長・石破茂や外相・岸田文雄が抗えないのも、致し方ない。
岸田は高村に「安倍さんに限って(任期延長を)やるのではありませんから」と伝えられて「そういうことなら、お任せします」と陥落。石破は岸田の降伏をみて「なにも、俺は制度としての延長に反対してるわけじゃない」と一気にトーンダウンした。「次の総裁選には必ず出る」と公言する元総務会長・野田聖子も、昨年9月の総裁選では推薦人20人を集められず、結局撤退している。
もう1人、安倍の「秘蔵っ子」とされた防衛相・稲田朋美の評判もよくない。国会答弁では「防衛費」を「軍事費」と言ったり、涙を流したり、外国訪問の日程を土壇場でキャンセルするなど、不安定さが目立つ。防衛相抜擢は安倍の期待の大きさであり依怙贔屓と見る向きもあるが、そうではない。ある政権幹部は「実は安倍さんは政調会長の時、財務省の言いなりになっていた稲田さんに不満だった。本人が希望した経産相ではなく防衛相にしたのには『ここで勉強して這い上がってこい』との叱咤の意味があった」と解説する。
今のところ稲田はテストに合格したとは言い難い。とすれば、21年まで安倍が総裁を務めた場合、石破、岸田、野田、稲田の4人はいずれも60歳を超えて旬を過ぎる。ライバルなき党内情勢が安倍一強を補完しているのだ。
「希望の塾」に4000人
政権再交代を狙う野党のだらしなさも、安倍長期政権を後押しする。
2つの衆院補選で自民党が勝利した翌日の10月24日。共産党書記局長・小池晃は「民進党はできる限りの協力と言っていたが、これは協力して選挙に臨む姿勢とはいえない。政党間の信義にも関わる問題だ。しっかり総括しないといけない」とぶちまけた。選挙直前に野党4党の党首クラスが集まった東京都内の街頭演説に、民進党候補が姿を見せなかったからだ。
共産党とは戦後、長年にわたって死闘を続けてきた労組、連合は今回の東京補選で「共産党と組むなら支援しない」と民進党に通告していた。10月16日に投開票があった新潟県知事選で勝利した新知事・米山隆一は、原発再稼働に否定的。電力総連を抱える連合の意向を踏まえ、民進党は米山の推薦を見送り、自主投票を選択した。ところが、勝利しそうになると党代表・蓮舫が急きょ米山の応援に入った経緯に激怒していたからだ。
90年代に自身が率いた「自由党」に党名を戻し、自民党打倒に血道をあげる党代表・小沢一郎が「勝ちそうになったから応援に行くのは、野党第一党の党首として主体性がなさすぎる。民進党は何のために政党を構成しているのか。政権を取る気がないなら、そんなのは解散した方がいい」と言ったのは正論でもある。
東京都知事選への出馬を見送ってまで「初の女性宰相」を目指した蓮舫は、国政選挙の緒戦で躓いた。日本と台湾の「二重国籍」問題が代表選の最中に表面化した時、蓮舫周辺は「民進党内からの密告に違いない」と疑心暗鬼に包まれた。この不安が「体を張って代表を守ってくれる人がナンバーツーの幹事長でなければいけない」との理屈になり、前首相・野田佳彦の幹事長起用となった。党内で異論の強かった「野田幹事長」を強行した挙句、補選に全敗し、共産党の異議申し立てで野党共闘にも暗雲が垂れ込める。慌てた蓮舫は10月27日、自らの直属組織として「尊厳ある生活保障総合調査会」を発足させた。会長は蓮舫と代表選を争って敗れ、小沢との連携を志向する元外相・前原誠司。蓮舫は「前原さんの考え方には共鳴するところが多い。社会保障政策、経済成長に関して理論構築してもらいたい」と秋波を送った。なりふり構わぬ非主流派の取り込みである。
与党にライバルはなく、野党も凋落の一途をたどり、安倍の敵は永田町にはない。あるとすれば永田町の「外」からの動きだ。衆院補選と新潟県知事選に、その兆しがあった。衆院福岡6区補選の投票率は45.46%、東京10区補選は34.85%と過去最低を更新。一方で野党推薦候補が勝利した新潟県知事選の投票率は53.05%と、前回を約10ポイント上回った。投票率が高く、有権者の関心が「脱原発」のような一点に絞られれば、与党は完敗の可能性がある。
補選投開票翌日の10月24日、衆院当選1、2回生を集めた勉強会で幹事長代行・下村博文は「野党が次の衆院選で一本化すれば、単純な得票の足し算をすれば86議席で勝てない」と脅し、官房副長官・萩生田光一も「皆さんの活動次第では、候補を差し替えるというのが首相の意向だ」と安倍の名前まで持ち出した。自民党衆院議員290人のうち、安倍総裁の下での順風の選挙しか知らない1、2回生は121人、約4割を占める。安倍側近の下村、萩生田の発言はともに半分は脅し、半分は本心でもある。
安倍は12年衆院選、13年参院選、14年衆院選、16年参院選と国政選挙に4連勝して求心力を保っている。裏を返せば、選挙で議席を減らすことは即、退陣につながりかねない。
補選で安倍周辺の心胆を寒からしめたのは、実は東京10区の「小池旋風」だった。
「引き続いて東京大改革を進めろ、地域のことは若狭に任せろと有権者が決断された」
10月23日、小池は自ら後継指名した衆院議員・若狭勝の事務所で胸を張った。知事選以来の党都連との対立は解消せずとも、小池は12日間の選挙戦中、7日間も応援に入って野党も都連も圧倒した。小池が立ち上げた政治塾「希望の塾」の応募者は4000人を超えた。自ら衆院議員の座を捨てて都知事選に出馬した小池は、劇場型選挙の元祖でもある。2005年の郵政解散で兵庫から東京に国替えした「刺客」第1号だった。
その郵政選挙を主導した元首相・小泉純一郎も動き出している。新潟県知事選で原発再稼働慎重派が勝った直後の10月19日、小泉は共同通信社のインタビューに応じ、「原発が争点なら自民党は負ける」と断言した。小泉は9月15日、盟友だった元自民党幹事長・加藤紘一の葬儀に出席して車を待っている際、出くわした安倍に「なんで原発ゼロにしないのか。なぜ分からないのか。経産省や原発推進派の言っていることはすべてウソだ。だまされるなよ」と詰め寄っている。
5年半の長期政権を築いた小泉は途中、支持率が低迷したことはあっても、最後は郵政解散で一気に名を上げた。小池はその一番弟子ともいうべき存在である。「ポスト安倍の最右翼は小池百合子だ」との声もあがり始めた。
小池の手法は小泉や前大阪市長・橋下徹の手法と相通じる。海外に目を転じれば、インターネットを駆使してプロ政治家を倒したアメリカ共和党の大統領候補、ドナルド・トランプがいる。
トランプは共和党主流派、主要メディアが攻撃し続けても予備選中は失速することなく、事実上の党首である大統領候補にまで躍り出た。今は、世界的に既成の政治権力への怒りと不満が渦巻き、ネットの威力で一夜にして英雄となり、また失墜する時代だ。アメリカのトランプ現象、英国の欧州連合(EU)離脱の国民投票結果が、それを象徴する。前述の「希望の塾」を、小池が自らのツイッターとフェイスブックだけで募集した事実は注目に値する。
石破ら4人の首相候補に勢いがなく安倍が21年まで政権を担えば、その時40歳の党農林部会長・小泉進次郎がポスト安倍の有力候補になる。これを阻むのは小池か橋下か、それとも新たな国民的英雄か。永田町の「外」から目が離せない。 
都議会のドン内田茂 成り上がり一代記 2016/11
 地元でブラブラしていた青年時代に転機があった
今から三年前の二〇一三年春のことだ。蕎麦屋の「やぶ」やあんこう鍋の「いせ源」など、老舗の名店がそこかしこにある東京の下町、神田淡路町の小学校跡地に四十一階建ての超高層ビルが出現し、話題になった。総工費六百三十八億円かけて建設された地上百六十五メートルの「ワテラスタワー」である。
ビルのオープンから間もない六月十四日、東京都議会選挙が告示された。〇九年七月の都議選で二十六歳の新人候補に煮え湯を飲まされ、落選した内田茂(当時74)にとっては、まさに政治生命をかけた戦いである。内田はリベンジを誓って支持者に動員をかけた。ワテラス前の出陣式には、地元の商店主だけでなく、大手不動産業者やゼネコン幹部が駆け付け、ごった返した。
「ワテラスができたのは内田先生のおかげ」
支援者が口々に語り、選挙戦に勢いをつけた。内田は、この新たな神田のシンボルタワーの生みの親として、選挙戦に臨んだ。
千代田区立淡路小学校出身の内田にはワテラスに特別な思い入れがある。折に触れ、大きな行事をこの地でおこなってきた。選挙の最終盤、投票日三日前の六月二十日、サミットで欧州を歴訪し、帰国した当日にも、安倍晋三がワテラス前での応援演説に駆け付けた。
「もう一度、内田さんに東京の真ん中で活躍してもらいたい」
このリベンジ選挙でみごと復活した内田は、「東京都のドン」と異名をとり、人気絶頂の小池百合子の敵役として、その存在感をますます増している。
「都政の宝」と持ち上げられ
そんな内田茂の政治資金パーティが開かれたのは、折しも小池がリオ五輪から帰国した当日、今年八月二十四日だった。夕刻五時過ぎ、皇居のそばにある丸の内のパーティ会場「パレスホテル東京」に行ってみると、開場の三十分以上前なのに、二階の宴会場「葵」の入り口付近は、黒山の人だかりで前方が見えない。ホテルで最も広く、千五百人も収容できる宴会場は、マスコミシャットアウトだという。大物国会議員並みの会費二万円もするパーティ会場で「内田茂さん政治活動40年を祝い励ます会」という壇上の大題目を目にしたときは、開宴予定の六時を回っていた。パーティの開会宣言のあと、国会議員のなかで真っ先に挨拶したのが元文科相で東京に地盤を持つ下村博文だ。
「本来なら石原伸晃都連(自民党東京都支部連合会)会長が挨拶をするところですが、いま駆け付けている最中です」
下村の次、いわば主賓として壇上に上がったのが、官房長官の菅義偉である。日頃、世辞など言わない強面の官房長官がいつになく笑顔を振りまいて、立て板に水のごとく、舌を滑らかにまわした。
「内田先生には私が総務大臣のときお世話になりました。東京には法人事業税が集中しているから、消費税の一%分にあたる二兆六千億円を地方に回したい。地方財政のためとはいえ、東京は税収が減るわけですからね。それで、実力者の内田先生のところへ、恐る恐る陳情に行ったわけです。すると、案外やさしく接してくださり……、私は内田先生を心底尊敬申し上げています」
菅に続いたのが、自民党幹事長に就任したばかりの二階俊博だ。運輸・建設族の大物議員らしく、離島のインフラ整備で世話になったとこう話した。
「自民党本部には東京都連の役員室が一階にあって、私のいる幹事長室は四階ですが、いつも私が降りて行って内田先生と会う。国の政治と都の政治を密接に結びあわせ、ご高配いただいています。私は東京都にある小笠原の空港建設に取り組んでいるのですが、内田先生のおかげで見通しがつきました」
さらに東京五輪担当大臣の丸川珠代や自民党総務会長の細田博之が続き、遅れて到着した石原伸晃は、息を切らせながら登壇した。先の東京都知事選の惨敗を自虐ネタにして笑いをとって気勢をあげた。
「大きな顔をしてここにいづらいのですが、今日はわれらが内田兄ぃの四十周年。内田先生にオリンピックの成功を導いてもらわなければ」
馳せ参じた国会議員は十五人とも三十人とも報じられたが、実際、大物議員が勢ぞろいした感がある。外相の岸田文雄や派閥を立ち上げた石破茂、前経産相の林幹雄や官房副長官の萩生田光一、片山さつきは内田と固いハグを交わし、場内を盛り上げた。自民党幹部で参加しなかったのは、首相の安倍晋三と財務大臣の麻生太郎ぐらいか。
国会議員たちに負けじと、自民党の都議会議員たちも大はしゃぎだ。「地方自治の神様」「東京都政の宝」とこれ以上ないほど持ち上げ、当の内田が照れ笑いしていた。
当人は、マスコミが名付けた「東京都議会のドン」という呼び名を嫌がっているらしいが、これだけの権勢を見せられると、そう呼ばざるをえない。ドンの実力は本物か、それとも単なる虚像か。それを確かめるべく、足跡を追った。
高校中退後はブラブラ
内田茂は戦前の一九三九(昭和十四)年三月十五日、千代田区神田に四人兄弟の長男として生まれた。七十七歳だ。内田の公式ホームページにはこうある。
〈お世辞にも豊かな暮しとはいえませんでしたが、仲の良い家族でした。それがある日、一家離散することになります〉
一家離散の原因が火事だという。
〈住む家のなくなった私たちは、それぞれに生活の場を設けなければなりませんでした。私は28歳になっていましたが、実は2つ下の弟には障害があり、ひとりで自活することはできなかったのです〉
生家の火事は六七年頃だろう。HPによれば、このとき初代東京都知事の安井誠一郎の紹介で、介護施設へ障害のある実弟を入居させたという。その福祉政策に感銘を受け、政界入りしたとも語っている。
もっとも戦後の混乱期に青年時代を過ごしただけに、プロフィールには謎も多い。親の生業についても、野菜の行商と鮮魚売り、さらに額縁職人と諸説あるが、地元で何らかの商売をしていたのは間違いないだろう。終戦直前のころから地元の淡路小学校に通い、戦後、一橋中学、都立九段高校と進んだ。
九段高校は進学校なので学業成績は悪くなかったのだろう。が、HPには五六年に高校を中退したとある。終戦から十年あまり経っているものの、日本はまだまだ貧しく、東京がようやく復興の途についたばかりの時期だ。
終戦後、神田界隈では満州から引き揚げてきた日本軍の通信兵たちがラジオ部品を並べて売る露天商をはじめた。四九年、GHQが摘発に乗り出し、露店撤廃令を発した。このとき露天商を代表してGHQ側と掛け合ったのが、山本長蔵である。山本はGHQに対し、路上販売をやめる代わり、集合店舗の開業を認めさせた。それがのちの「秋葉原ラジオセンター」となる。
内田は、この山本の息子たちと幼馴染であり、今も親交が深い。内田より少し年長の山本無線元社長の山本修右は、こう振り返った。
「内田さんのところの次男は、子供の頃、階段から転げ落ちて頭を打って障害が残ったと聞いてるよ。その弟が銭湯でリンチに遭って、茂ちゃんが仕返しをしに行った」
青年時代の内田はかなり荒れた暮らしぶりだった。五六年、高三の途中で高校を中退してから千代田区議会議員になる七五年までのおよそ十八年間については、HPにもプロフィールの記載がない。
「内田氏を初めて知ったのは一九七三年、主人が東京都議選に初めて出馬したときでした。『木村先生の選挙を手伝わせてほしい』と頼むので、職業を尋ねると『パチンコ店の景品替えだ』という。そのとき九段高校を中退したとも言っていたので、人づてに聞いたところ、中退は先生をぶん殴ったのが原因だと」
若かりし内田が師事してきた元千代田区長の木村茂(病気療養中)の夫人はこう話すが、政界に足を踏み入れる前の内田が頼ったのが、父長蔵の跡を継いで山本無線を立ち上げた幼馴染の山本だった。高校中退後、香具師(やし)、テキ屋を生業にしていたという説もあるが、山本は言葉少なにこう語った。
「『人生劇場』というパチンコ屋に出入りしていたみたいだけど、茂ちゃんはテキ屋でもやくざでもなかったと思うよ。たまたま淡路町の相撲大会でばったり再会してね。ただフラフラしているという。ならうちを手伝え、となって、山本無線で働き始めたんだ」
弟二人は山本無線で社員として働くことになる。が、本人は仕事に身が入らず、電気店の社員にはならなかった。店に顔を出すものの、雑談をしてふらりと遊びに行く日々だ。放蕩を繰り返していた。 
2016「報道圧力&自主規制」事件簿! 2016/12
「72位」──なんの数字かお分かりだろうか。今年4月、国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が発表した、2016年度の「世界報道の自由度ランキング」における日本の順位で、東アジアでは香港や韓国よりも低くなっている。
第二次安倍政権の誕生以降、どんどん激しさを増している官邸、自民党やその応援団によるメディアへの圧力。今年はそれが完遂し、もはやテレビをはじめとするマスコミは圧力なんて加えなくたった、勝手に萎縮、政権の意向を忖度した自主規制をしてくれるようになった。個別の事案をひとつひとつあげていけば、それこそ除夜の鐘がとっくになり終えて初日の出を迎えそうなので、今回はとくに象徴的な7つのトピックスを選んでみた。では、さっそくリテラが振り返る2016年「報道への圧力事件簿」をお伝えしていこう。
【圧力&自主規制その1】
国谷、岸井、古舘が降板して番組が骨抜きに! 政権批判弱まり首相にも追及できず
やはり、2016年をもっとも象徴するのは、政権に批判的なテレビキャスターたちの降板劇だろう。言うまでもなく、NHK『クローズアップ現代』の国谷裕子、TBS『NEWS23』の岸井成格、そしてテレビ朝日『報道ステーション』の古舘伊知郎のことである。本サイトが昨年から報じ続けてきたように、彼らは官邸から陰に陽に圧力を受け続けてきた。そして、今年の春をもって、いっせいに番組を追われることになったのだ。
もっとも、国谷氏も岸井氏も古舘氏も、最後の番組出演時の挨拶では、明確に「官邸からの圧力」を公言することはなかった。しかし、のちに国谷氏は『世界』(岩波書店)のなかで、官邸を激怒させた“菅官房長官インタビュー事件”を振り返りながら、〈人気の高い人物に対して切り込んだインタビューを行なうと視聴者の方々から想像以上の強い反発が寄せられるという事実〉について語り、これらを「風圧」と表現。また岸井氏も、番組降板後に発売された「週刊文春」(文藝春秋)での阿川佐和子との対談のなかで、官邸の「ディープスロート」から「『この人が岸井さんの発言に怒ってますよ』という情報が、逐一私に入ってたから、よっぽど、気に入らないんだろうなとは前から知っていました」と語っているように、実際、官邸はTBSの幹部に“岸井は気に食わない”と様々なかたちで伝えていた。その結果、番組降板に結びついたのであり、それは“古賀茂明「I am not ABE」事件”をめぐる『報ステ』及び古舘氏のケースも同様だった。
はたして、彼らが去り“リニューアル”した各番組はどうなっただろうか。ご存知の通り、まさに「両論を併記していますよ」と言わんばかりのVTRやコメンテーターの解説が幅を利かせるようになり、さらに、参院選前の党首討論や日露首脳会談後の安倍首相の生出演時も、新キャスターたちが痛烈な質問をぶつける場面は皆無。ほとんど“政権との馴れ合い”の様相を呈している。その意味でも、3名のキャスター降板劇は、まんまと官邸の思惑どおりの結果になったと言えるだろう。
【圧力&自主規制その2】
高市総務相が「電波停止」発言で本音むき出し! 池上彰は痛烈批判するもNHKは…
キャスターたちの同時降板問題と同時期に国会で飛び出したのが、放送事業を管轄する総務省の大臣・高市早苗による「電波停止」発言だ。この「国の命令で電波を止めることもありうる」というトンデモ発言には、さすがにジャーナリストたちが続々と反論。そのひとり、池上彰は朝日新聞の連載コラムで〈国が放送局に電波停止を命じることができる。まるで中国政府がやるようなことを平然と言ってのける大臣がいる。驚くべきことです。欧米の民主主義国なら、政権がひっくり返ってしまいかねない発言です〉と痛烈批判するほどだった。
さらに2月29日には田原総一朗を筆頭にテレビで活躍するジャーナリストたち6名が、高市「電波停止」発言を批判する共同声明を発表。外国特派員協会で記者会見を行った。会見では複数テレビ局関係者たちの〈気付けば、街録で政権と同じ考えを話してくれる人を、何時間でもかけて探しまくって放送している。気付けば、政権批判の強い評論家を出演させなくなっている〉など、生々しい現場の実態も代読された。
ところが、この会見の模様を報じたのはごく一握りの民放番組だけ。NHKにいたっては会見の取材にすら行かない有様だった。なお、NHKは今年で籾井勝人会長の任期が終わり、上田良一氏体制に移行するが、その状況はまったくかわらないともいわれている。実際、年明けの副会長人事には官邸の代理人となる“実務屋”を据えると目されており、官邸とNHKの今後の動きを注視し続けるべきだろう。
【圧力&自主規制その3】
参院選で自民党が“違法”政党CMゴリ押し、弁護士連れて局に乗り込み!
安倍政権に批判的なキャスターを一斉に“パージ”したテレビ局。では、それによって官邸からの圧力が軽減されたかといえば、実際には逆だった。むしろ、“言論”という武器を奪われたことで、露骨な介入事件が勃発。そのひとつが、夏の参院選での“自民党オバマCM強要事件”だった。
これは民放局の政党CMをめぐって、公職選挙法の規定から難色を示す局側に対し、自民党が弁護士をつれてゴリ押しを仕掛けたというもの。当初、自民党が代理店を通して出してきたCMには、5月の広島訪問時のオバマ米大統領と安倍首相のツーショット写真が挿入されていた。しかし、そもそも公選法において政党CMは「選挙運動が目的でない政党の日常の政治活動」の広告でなくてはならず、オバマの広島訪問は明らかに日本政府の外交の中で実現したことであり、自民党の活動ではない。当然、こんな違法の疑いの高いシロモノを垂れ流すと放送局は罰則を受けるが、さらに政党CMの随所に登場する“経済実績”を喧伝する数字も、各局で「数字が恣意的で、客観的ではない」という指摘の声があがり、一度は自民党側に「このままでは放映できない」と突き返したという。
ところが、自民党は修正案でもオバマと安倍首相のツーショット写真を譲らず、各局の営業部に代理店が毎日のようにやってきて、CMを放映するように圧力をかけ始めた。さらに一部民放には弁護士まで送り込み、恫喝をはじめたのだ。最終的に、本サイトがこの圧力問題を報じた直後、自民党は一転して各局から“オバマCM”案を引き下げてしまったというが、経済実績の誇大広告的数字はそのまま。さるキー局関係者によると、政党CMをめぐってここまで露骨に圧力をかけられたことは、これまでなかったという。官邸&自民党はいまや完全にテレビ局をなめきっているといっていいだろう。
【圧力&自主規制その4】
沖縄で地元紙記者拘束も、本土メディアは無視! 政権忖度して沖縄を見放す新聞・テレビ
沖縄をめぐって、国が新基地建設を正当化するため県を相手取った訴訟や、機動隊による反対派市民への「土人」発言など、県民に対するいじめ、締め付けが一線を超えた今年、なんと沖縄タイムスと琉球新報の記者が取材中、当局に拘束されるという、民主主義国家とは思えない言論弾圧事件が発生した。当然、これには日本新聞労連も抗議声明を発表したが、政府は10月11日に「県警においては警察の職務を達成するための業務を適切に行っており、報道の自由は十分に尊重されている」などとする答弁を閣議決定。記者の拘束を正当化してしまったのである。
まるで中国共産党や朝鮮労働党を彷彿とさせるモロな言論弾圧だが、本土のメディアはこれに抗議の声をあげることもなく、テレビはこれをほとんど報じることもしなかった。
沖縄をめぐっては他の問題についても、本土のメディアは安倍政権を忖度して、過剰な自主規制を見せるケースが相次いだ。たとえば5月に逮捕された、米軍属の男による女性強姦殺人事件については、沖縄二紙と本土メディアとの差別的ともいえる温度差が際立った。そもそも、女性が4月に行方不明になった後、「琉球新報」が5月18日付朝刊で、県警が軍属の男を重要参考人として任意の事情聴取していることをスクープ。「沖縄タイムス」も後追いし、沖縄では一気に報道が広がっていった。にもかかわらず、本土の新聞・テレビは“米軍関係者が事件関与の疑い”との情報を得ていながら報道に尻込み。しかも、逮捕が確定的になってからも読売新聞と日本経済新聞(全国版)は、男が米軍関係者であることに一切触れなかった。さらに読売にいたっては19日までこの事件そのものをまったく報じなかったという異常ぶりだ。
また、先日のオスプレイ墜落についても、現場の状況などから「墜落」という表現を一貫して使い続けている沖縄2紙とは対照的に、本土メディアのほとんどは政府発表を垂れ流すかたちで「不時着水」などと言い換え、テレビ朝日にいたってはネット局の琉球朝日放送に圧力をかけ、「墜落」の表現を潰しにかかった。
「分断された沖縄」ということがよくいわれるが、これはメディアも同様だ。報道の萎縮によって、本土メディアは完全に沖縄を見放し、沖縄のメディアだけが孤軍奮闘している。そのことを痛感させられた一年だった。
【圧力&自主規制その5】
熊本地震でも大本営発表垂れ流し…原発報道“自主規制”完全復活で住民の命は?
最大震度7を観測した4月の熊本地震。本サイトでは安倍政権のあまりにお粗末な対応を一貫して指摘、批判してきたが、安倍政権に飼いならされた大新聞やテレビは、たとえば現地対策本部長を務めていた松本文明副大臣が自分への差し入れを要求し更迭された問題についても申し訳程度に触れるだけで、首相の任命責任をまったく問わなかった。とりわけ忠犬ぶりが尋常でなかったのが“安倍様のNHK”だ。震災発生後、籾井会長が熊本大地震の原発への影響について、“政府の公式発表以外は報道しないように”と指示していたことが判明している。
そのほかにも、フジテレビでは熊本地震を受けて4月17日分の『ワイドナショー』を中止にしたが、実はこの放送回では安倍首相が出演予定で、14日に収録も終えていた。もちろんこの放送中止は、震災被害が広がるなか、安倍首相がテレビで松本たちと楽しく談笑している姿を流させたくないという意向が働いたからだが、本来、17日の放送日は北海道での衆院補選の選挙期間中で、そんななか首相だけを出演させるのは明らかに公平でない。ところが翌週の放送で松本ら出演者は、安倍首相が出演していた事実に一切触れなかったのである。これも、局側が完全に官邸にコントロールされているという事実を示す一例だろう。
さらに、熊本地震における川内原発だけでなく、日本各地の原発をめぐっても、政府は原子力ムラと一体となってメディアに圧力かけ続けた。たとえば3月の高浜原発の運転差し止め判決では、判決を評価するような報道をしたテレビ局に関西電力が逐一「反原発派の一方的な言い分だけを流さないでほしい」という抗議を入れていたことが明らかになっている。また、柏崎刈羽原発の再稼働が争点となった10月の新潟県知事選では、再稼働反対の米山隆一候補が自公推薦の再稼働容認派・森民夫候補(前長岡市長)を破って当選をはたしたが、この選挙をめぐっても官邸と自民党は謀略を張り巡らし、再稼働反対派の泉田裕彦氏(前知事)の出馬撤回に追い込んだともいわれている。
3.11以降、一時期は鳴りを潜めていた新聞やテレビへの“原発広告”が、再稼働政策とともに完全復活しているが、それとともに、原発ムラの圧力も完全復活したということだろう。
【圧力&自主規制その6】
ピーコ、永六輔、大橋巨泉の“反戦メッセージ”がカット! 石田純一は言論剥奪
圧力を受けているのは、マスコミという“組織”だけではない。そのメディアで活躍する芸能人たちもまた、圧力や自主規制により政治的な発言を封印されている。これは、たんに芸能人が政治家や政策について語ったりできない、ということではない。問題は、その内容だ。
たとえばファッション評論家のピーコ。ピーコはNHKが7月17日に放送した永六輔の追悼番組『永六輔さんが遺したメッセージ』に出演したのだが、放送時に番組がある部分を意図的にカットしていたことを、のちにピーコ自らこう告白している。「『永さんは戦争が嫌だって思っている。戦争はしちゃいけないと。世の中がそっちのほうに向かっているので、それを言いたいんでしょうね』と言ったら、そこがばっさり抜かれていた。放送を見て力が抜けちゃって……。永さんが言いたいことを伝えられないふがいなさがありますね」(朝日新聞8月20日付)。
言っておくが、これはNHKだけの問題ではない。実際、7月に永が逝去した際、こうした永の「反戦平和」「護憲」への想いをほとんどの番組は触れようとしなかったし、同じく今年亡くなった大橋巨泉に関してはそれがもっと露骨だった。本サイトでもお伝えしたように、晩年、病床から憲法をないがしろにする安倍政権の危険性を訴えていた巨泉は、死去直前の「週刊現代」(講談社)7月9日号の連載コラム最終回で、「安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい」「このままでは死んでも死にきれない」と、苛烈な安倍批判の“遺言”を綴っていた。ところがテレビは、この巨泉の最期のメッセージを、完全に封印してしまったのである。
その意味では、今年もっとも“言論の不自由”を味わったのは、もしかするとあの人かもしれない。そう、石田純一だ。ご存知のとおり石田は安倍政権による“戦争のできる国”に反対しており、その危機感から都知事選に出馬を模索するも断念に追い込まれた。その間、官邸とテレビ関係から多大な圧力と恫喝にさらされたのだが、なかでも悲惨なのは断念後の7月15日、所属事務所が「11日の会見をもちまして、(石田は)今後一切、政治に関する発言はできなくなりました」との発表を行ったことだ。
繰り返すが、安倍政権を応援するような発言を行う芸能人はわんさかいる。だが、彼らがそうした「政治に関する発言」によって言論の自由を奪われることはほぼない。それどころか、これまで以上にメディアで重用され、ご意見版風なポジションを獲得している。対して、石田の場合は「都知事選の争点は憲法改正」と護憲を掲げ、明確に安倍政権と対峙する態度を示していた。だからこそ、メディアと芸能界はここまで過剰反応した。この状況は、あまりにも歪すぎると言わざるをえない。
【圧力&自主規制その7】
「反戦平和」「護憲」が取り締まられる“美しい国” メディアの死は民主主義の死
あらためて言うが、「反戦平和」や「護憲」というのは、日本国憲法の下で生活している者は当たり前に口にしてよいものだ。ところが、改憲を目指し、日本を戦争のできる国に変貌させようとしている安倍政権を忖度したメディアは、こうした発言すら禁句に指定してしまった。ようするにマスコミ、とりわけテレビメディアは、自分で自分の首を絞めていて、言論の自由もクソもないのだ。もはや戦前そのものである。
大げさに言っているわけではない。事実、そうした流れは市民生活のなかでも確実に兆している。ツイッターで安倍批判や反戦・平和をかたっただけで、ネット右翼が絡んでくるのはもちろん、7月には、自民党が“「子供たちを戦場に送るな」と主張することは偏向教育、特定のイデオロギーだ”と糾弾し、そのような学校や教員の情報を投稿できる“密告フォーム”を設置していたことが判明。しかも、自民党はその後、“密告フォーム”に寄せられた情報は「公選法違反は警察が扱う問題」(木原稔・現財務副大臣)などとし、情報の一部を警察当局に提供する考えまで示した。
戦争を憎み平和を希求することを「偏向」と非難され、当局の監視下に置かれかねない、そんな時代を私たちは生きているのだ。事実、参院選の公示前の6月18日には、大分県警の捜査員が民進党や社民党の支援団体などが利用していた建物の敷地内にビデオカメラ2台を設置していたことも判明。さらに、4月に日本の表現の自由の現状を調査するため来日した国連特別報告者デイビッド・ケイ氏についても政府はその動向を監視し、さらにケイ氏が接触した市民に対しても内閣情報調査室が監視や尾行を行っていたとの報道もある。いまに「おいおい、ディストピア小説かよ」と笑っていられなくなるだろう。
そして、こうした市民の監視、表現の自由の弾圧は、安倍政権のメディアに対する圧力支配と、まさしく地続きのものだ。忖度と自主規制に慣れきったメディアは“権力のウォッチ・ドッグ”であることを放棄する。実際、すでにテレビのワイドショーやニュース番組では、安倍首相や閣僚の不祥事をとりあげ批判することはほとんどなくなっており、政治家のスキャンダルでも舛添要一・前都知事のように、政治的後ろ盾が弱い人物をアリバイづくりで血祭りにあげるだけ。
一方、安倍首相や閣僚の不祥事が絡む案件となると、とりわけテレビはとたんに弱腰になる。たとえば先日、ある民放の夜のニュース番組では、オスプレイ墜落事件よりも例の「おでんツンツン男」を先に、それも大々的に報じていた。だが、その番組が特殊ということではないだろう。事実として、いま、マスコミ報道では政治の話題が相対的に減少し、一般人の迷惑行為や炎上事件ばかりを盛んに報じるようになっている。そこでは、口利き・賄賂疑惑で辞職した甘利明・前TPP担当相が“潔いサムライ”に祭り上げられ、おでんツンツン男は“極悪非道の犯罪者”とされるのだ。
このままいくと、マスメディアは来年、完全に「死」を迎えるだろう。政権が息の根を止めるのか、自ら首をくくるのか、どちらが先かはわからない。ただひとつ、確実に言えるのは、メディアの死は、民主主義の死に他ならないということだ。欧州で極右が台頭し、アメリカではドナルド・トランプが大統領に就任する。2017年、その暗雲を振り払えるか。それは、わたしたちひとりひとりに託されている。 
 
諸話 2017

 

全局「海老蔵」忖度テレビの怪 2017/6/23 
TBS 
PM5時ちょっと前か 前川会見を楽しみにテレビをつける。ニュースは、前川前文科次官の会見 開始直前の中継映像、コメンテーター 岸井成格が中継の解説を始めようとした その瞬間 、「次のニュースに移ります」と割り込み 海老蔵会見の再放送に切り替わる。
PM5時 テレビ「全局」 海老蔵会見の再放送を始める
「前川前文科次官の会見」放送予定を 急きょ変更したためか、 30分以上 海老蔵会見の再放送をしていた局もありました。 なぜテレビ全局で 海老蔵会見の再放送になったのでしょうか、 勘ぐりたくもなります。
( 市川海老蔵の妻・麻央さん逝く / 歌舞伎俳優の市川海老蔵さんが6月23日午後2時30分から東京・渋谷区の劇場で行われている記者会見で、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが亡くなったことを正式に公表した。34歳だった。海老蔵さん「昨日(6/22)夜に妻、麻央が旅立ちました。それによりまして、いろいろございます。家族としてなすべきこと、話すべきこと、子供たちとのこと、そういった時間で、思ったより皆さまに伝わったということが早かったということで、急きょ皆さまにお時間を作っていただきました。多くの人にご迷惑がかからないように、ブログやアナウンサー時代から妻のことを応援してくださった皆さまへのご報告として、こういった席を設けさせていただきました」 ) 
前川前文科次官の会見 1
前川喜平前文部科学省事務次官は23日夕、東京都内の日本記者クラブで記者会見し、学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設を巡る問題に関し「第三者性の高い組織で検証される必要がある」との認識を示した。安倍晋三首相が丁寧に説明すると19日の記者会見で表明していることを踏まえ、首相に「先頭に立って説明責任を果たしてほしい」と訴えた。文科省が20日に公表した萩生田光一官房副長官の「発言概要」とされる文書に関しては「ほぼ事実だと思う」と表明。萩生田氏に関しては「何らかの関与があった可能性が高い」との見方を示した。獣医学部新設のキーパーソンは誰かとの問いには、和泉洋人首相補佐官ではないかと答えた。文科省が獣医学部新設を巡る規制緩和に抵抗していたとの批判があることについては「文科省は設置認可をする立場で、責任を自覚していた」と述べた。 
前川前文科次官の会見 2
早期開学促す一連の文書「ほぼ100%間違いない」
学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)の獣医学部新設計画を巡り、前川喜平・前文部科学省事務次官が23日、日本記者クラブで会見した。前川氏は文科省の追加調査で明らかになった、内閣府が同省に早期開学を促したとされる文書について「ほぼ100%間違いないもの」と断言した。前川前事務次官の冒頭発言は以下の通り。

前回、私が記者会見したのは1カ月ほど前ですが、国家戦略特区における獣医学部の新設の問題を巡りましてはその後もさまざまな動きがあった。日本記者クラブのご依頼というのもいい機会と捉えまして、会見させていただくことにした。
私には、何ら政治的な意図はない。また、いかなる政治勢力とのつながりもない。「安倍政権を打倒しよう」などという大それた目的を持っているわけでなく、その点についてはぜひご理解をたまわりたいと思っている。都議選の告示日とたまたま今日は重なってしまいましたが、これは単にスケジュール調整の結果であって、政局であるとか選挙に何らかの影響を与えるというつもりは全くない。
また、文科省における再就職規制違反問題があった。私はその責めを負って辞任したという経緯があるが、この問題との関係を臆測する方もいる。あるいは新国立競技場の整備計画、その白紙撤回や再検討といった問題、これとの関係があるのではないかと臆測される向きもある。あるいは私の親族が関与する企業とか、そういったところとの関係もあるんじゃないかと、このような臆測もあるわけですが、これは全て全く関係はございませんのでその点ははっきりさせておきたいと思う。
(前回は)5月25日に会見させていただいたが、その際に私が考えたのは獣医学部新設を巡って、私は行政がゆがめられたという意識を持っており、これにつきましてはやはり国民に知る権利があると思った、ということ。またその事実が隠ぺいされたままでは日本の民主主義は機能しなくなってしまうのではないか、という危機感を持っていたということです。
一部の者のために国の権力が使われるということがもしあるのであれば、それは国民の手によって正されなければならないと、そのためにはその事実を知らなければならないと、そこに私の問題意識がある。
文科省は最初、問題となっている文書について存在が確認できないという調査結果を発表したわけだけれども、その後、追加調査で文書の存在についても認めた。これによって文科省は一定の説明責任を果たしたと思うし、私は出身者として、追加調査を行うことによって隠ぺいのそしりを免れたということはうれしく思う。
松野(博一)文科相も大変苦しいお立場だと思っていて、その苦しいお立場の中で精いっぱい誠実な姿勢を取られたのではないかと思っている。その点については敬意を表したいと思う。
文科省が存在を認めたさまざまな文書の中には私が在職中に実際に目にしたもの手に取ったものもあるし、私自身は目にしたことのないものもある。しかし、いずれも私が見る限り、その作成の時点で文科省の職員が実際に聞いたこと、あるいは実際に触れた事実、そういったものを記載しているというふうに考えていて、ほぼ100%、その記載の内容については間違いのないものだと評価している。
こういった文書をそれぞれ、現職の職員も行政のゆがみを告発したいという思いから外部に提供する行為が相次いでいるが、勇気は評価したい。こういった文書が次々と出てくることによって国民の中にも、この問題を巡る疑惑というのはさらに深まっているのではないかなと思う。
文科省が100%の説明責任を果たしたかと言えば、それはまだ100%とは言えないかもしれないが。一定の説明責任は果たしつつあると思う。一方、記載されている事実は多くの場合、内閣府との関係、総理官邸との関係を巡るものだ。これらは官邸、内閣府はさまざまな理由をつけて、認めようとしていないという状況にある。そういった姿勢は私から見れば、不誠実と言わざるをえない。真相の解明から逃げようとしている。
特に文科省の文書の中に出てくる「官邸の最高レベルが言っていること」という文言や「総理のご意向」という文言がある。内閣府が自分の口から発した言葉を、いわば自ら否定しているという状況で、これはありえない話だ。
それから、規制改革全般をスピード感を持って進めるという総理の意思を反映したものという説明は、これはかなり無理がある説明と思っている。そうした指示があったとして、それをこの文書に書いてあるような、記載事項のように取り違えるはずがないと思っている。
素直に読めば、「官邸の最高レベルが言っていること」「総理のご意向」であるという発言が何を指すかと言えば、「(愛媛県)今治市における獣医学部の開設時期を平成30年4月にしてほしい」という1点だ。それが加計学園のことというのは関係者の間では、公然の共通理解だったと言える。
こういった状況を踏まえ、官邸あるいは内閣府は、この加計学園に獣医学部新設を認めるに至ったプロセスを、国民に対して説明責任を果たす必要があると思っている。そのために必要があれば、第三者性が高い組織がプロセスを検証してもいいのではないかと思う。
私は、文科省時代に政策を検証するプロセスに携わったことがあって、新国立競技場の建設計画を巡って最初の計画が白紙に戻った後、「どうして経費が3000億円に達するようなものになってしまったのか」の経緯を検証し、その責任の所在を明確化する検証委員会を設けたときのその事務局長を務めていた。アドホック(目的が限定された)な組織を作り、政策決定を検証することはできる。その際に諮問会議の議員や、内閣府の幹部職員からヒアリングすることもできる。
月曜日の記者会見で総理が「指摘があれば、その都度、真摯(しんし)に説明していく」と話し、「国民から信頼が得られるよう、冷静に一つ一つ、丁寧に説明を積み重ねる努力をしなければならない」とも話した。総理が先頭に立って説明責任を果たしていただきたいと思っている次第です。 
「共謀罪」は「パノプティコン」装置である 2017/9
Q.ココがわかりません
「テロ等準備罪」と名前を変えた「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が5月19日に衆院の法務委員会で強行採決されて、自民党・公明党・維新の賛成で可決しました。そのねらいは沖縄の反基地運動を潰していくことにあるのでしょうか?
A.お答えします
「一罰百戒」方式
短期的にはそれもあるでしょうけれど、もっと大きく、反政府的な活動すべてに「網をかける」ための法律だと思います。戦前の治安維持法と同趣旨のものです。
ただ、治安維持法として効果的に運用するためには思想警察・秘密警察的な組織、かつての特高や憲兵隊に相当する組織を新たに作る必要が出てきます。既存の公安警察や自衛隊の情報保全隊を改組するにせよ、日本版のゲシュタポを新設するにせよ、かなりの手間とコストがかかります。縄張りを守ろうとする官僚たちからの抵抗もあるかも知れない。
ですから共謀罪は「市民主体」に運用されるだろうというのが僕の予測です。市民が市民を疑い、監視するという「心理戦」的な運用がなされるのだろうと思います。
中国はネット上の政府批判の検閲をしていますけれど、これは機械的には処理できません(ユーザーはすぐに検閲を逃れる方法を探し出しますから)。検閲官たちの人海戦術の手作業です。その人件費が国防予算に迫っているという話は前に紹介しました。日本政府にはそれだけの人的リソースがありません。
ご記憶でしょうが、前回の衆院選挙のときに、在京TVキー局に対して、官邸から「政治的中立性を守れ」という指示が出ました。政府批判に多くの時間を割くような番組を作ることはまかりならんという恫喝でした。でも、この通達が送られたのは東京のTVキー局に対してだけでした。僕は大阪のラジオに時々出るんですけれど、その番組のスタッフが怒っていたんです。政府が番組内容に踏み込んでくる通達がけしからんといって怒っていたのではなくて、その通達が大阪の局には来てないことに怒っていたんです。大阪のTVやラジオが何を流そうと、そんなことは官邸にとっては「どうでもいい」ことなんです。官邸が監視し、コントロールしているのは東京のテレビ局と大手メディアだけなんです。官邸だって人的リソースには限界がありますから、ローカル局の番組まではチェックできない。
だから、官邸はとりあえず「一罰百戒」戦術で来ると思います。政府批判した人間をランダムに選び出して個人攻撃する。一人でいいし、それほど過激な人でなくてもいい。むしろ意外な人選である方がいい。「あの程度のことでも、官邸ににらまれると、あんな目に遭う」という不条理感がメディアの世界に醸成されれば、それでいいんです。
パノプティコン
「パノプティコン」というのは英国の哲学者ベンサムが発明した監獄です。中央の監視塔を取り巻くように獄舎が円周に配列されている。獄舎からはつねに監視塔が見えるけれども、監視塔が誰を監視しているかは見えないし、そもそもそこに看守がいるかどうかもわからない。でも、囚人は「自分が監視されているかも知れない」と思うと身動きができなくなる。
「パノプティコン」はコストが最も安い監視システムです。誰が、誰を、どういう基準で、どういう方法で監視しているかわからないと、監視コストは限りなくゼロに近づきます。
「一罰百戒」というのは中国の言葉ですから、古代中国にも同じ発想が存在したことが知れます。同じようなことをしていたのに、ある人だけが処罰され、ある人は見逃される。どういう基準で犠牲者が選ばれるのかがわからない。そうすると全員が怯える。
量刑の基準がはっきりしていて合理性があると、「ここまではやっても大丈夫」というラインがわかります。でも、「一罰百戒」にはそれがない。たいしたことをしていない人間を処罰すると、みんなが「自分も処罰されるかも知れない」と怯え出す。それが狙いです。去年、TVのキャスターの国谷裕子さん、岸井成格さん、古舘伊知郎さんがまとめて降板させられました。彼らは別に際立って反政府的な発言をしていたわけではありません。でも、いきなり番組から降ろされた。この程度でも「反政府的人物」のブラックリストに載るのかとメディアは震え上がった。
「一罰百戒」システムのもう一つのメリットは、「本来なら処罰されるべき99人がまだ放置されている」という信憑を市民の間に広めることです。そうなれば「反政府的な人間を探り出して、それに罰を与えるのは政府の仕事を代行することだ。これは公益に資する行いなのだ」と思い込んで、ボランティアで「非国民探し」を行い始める人が出てきます。必ず出てくる。「どんな非道なことをしても処罰されるリスクがない」という見込みが立つと、どれほどでも卑劣で暴力的になることができる人間が社会には一定数います。ふつうは表に出てきませんけれど、今の日本はこの種の人々が活気づいている。
安倍首相の「卓越さ」
政府が「反日的な人間が市民社会に紛れ込んで、政府批判をしている」というデマゴギーをばらまけば、市民による市民の監視、市民による市民の排除、市民による市民への暴力行使が始まります。僕が安倍政権を危険なものだと思うのは、警察がいきなり僕を逮捕するようになると思っているからではありません(そうなるまでにはまだだいぶ時間がかかります)。そうではなくて、政府を批判するものは「非国民」であり「国賊」であるから、どれほど非道な仕打ちをしても、政府がそれを許してくれると信じ込んでいる人間を大量に生み出すリスクがあるからです。
去年、相模原市の障害者施設を襲って、19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせた男は、事件前に首相と衆院議長に書簡を送って、障害者殺害への「官許」を求め、事件後も「権力者に守られているので、自分は死刑にならない」と語っていました。これは彼の個人的妄想ですけれど、このような奇怪な妄想を生み出すような風土がすでに日本社会に存在する。そのことにもっと恐怖を感じるべきだと僕は思います。
ゲシュタポの思想犯摘発はほとんどが隣人からの密告に基づいたものでした(そして、その多くは個人的怨恨や嫉妬によるものでした)。たった一通の密告状で隣人の生活を破滅させられることを喜び、そこから全能感や嗜虐的快感を得ていたドイツ人が一定数いた。同じことは治安維持法下の日本でもありましたし、マッカーシズム時代のアメリカにもありました。「この国の中には、国を滅ぼすことをめざしているスパイたちがうじゃうじゃいる」という信憑はそうやって国民同士がお互いを疑うような分断国家を作り出します。共謀罪は人間の「醜さ」を解発します。そのリスクを過小評価してはならないと思います。
安倍晋三がこれだけ長期政権を維持できた理由の一つは、彼が人間の「性根の卑しさ」を熟知しているという点にあると思います。どれほど偉そうなことを言っている人間でも、ポストを約束し、金をつかませ、寿司を食わせれば尻尾を振ってくる。反抗的な人間も、恫喝を加えればたちまち腰砕けになる。人間は誰もが弱く、利己心に支配されている。口ではたいそうなことを言っている人間も、一皮剥けば「欲」と「恐怖」で動かせる。この人間「蔑視」において、人間の自尊心についての虚無的な考え方において、安倍首相は歴代首相を見ても比肩する人が見出せません。人間の欲心と弱さにフォーカスして政権運営をしているという点で「卓越」していると言ってよいでしょう。
「下半身」ネタで攻める
加計学園の獣医学部新設をめぐり、「総理のご意向」文書は本物と証言した文科省の前事務次官が出会い系バーに通っていたということが読売新聞で暴露されました。大新聞が官邸の意を汲んで個人攻撃に加担したこと自体、メディアの末期的徴候ですけれど、それ以上に僕が愕然としたのは、官邸が人間の「弱点」は「下半身」にあり、そこを攻めればふつうの人間は抵抗力を失うという卑俗なリアリズムを政治的利器として利用したことです。
たしかに、それはしばしば有効でしょう(それを最も活用したのはFBI長官を48年務めて、盗聴で集めた下半身ネタで歴代大統領の首根っこを押さえたJ・エドガー・フーヴァーです)。けれども、そういう「下半身」情報というのは、これまでの政治の世界では「その情報を公開しない代償として、あることをさせる(あるいはさせない)」というかたちでひそやかに運用されていたものです。それを大新聞にリークさせたということは官邸の情報管理スタッフが素人だということを露呈してしまった。官邸には当然ながらさまざまな機密性の高い情報が集まってきます。それをどうやって効率的に利用するか、どうやって政権維持のために活用するか、それを考えるのが官邸スタッフの仕事のはずですけれども、このところの「わきの甘さ」「詰めの甘さ」を見ると、情報は入っても、その使い方がわからなくなっている。
共謀罪については、国連の人権理事会の特別報告者から疑義が提示されました。政府は国連の越境組織犯罪防止条約の批准のために必要だという名目で法案をごり押ししていますが、当の国連のスタッフから「法案が恣意的に適用されるリスク」、「プライバシーと表現の自由に対する抑圧のリスク」についての懸念が表明されてしまった。
官邸はこのクレームを無視する構えですが、特別報告者のジョセフ・カナタチ氏は書簡の中で、共謀罪法案が「国際法秩序と適合しない」ことを指摘し、法案の「改善」のために「専門知識と助言を提供すること」を申し出ています。
官房長官は「抗議する」だけで、どこが「国際法秩序に適合しないのか」、法案のどこに「改善」の余地があるのかを問い合わせてさえいません。日本国内では「木で鼻をくくった態度」でも通るでしょうけれど、国際社会でこれが通るとは僕は思いません。安倍政権はこの件のコントロールを誤ると危機的な状況に立ち至るでしょう。  
 
 
諸話 2018

 

 
 
諸話 2019

 

NHKで国谷裕子を降板に追い込んだ“官邸の代弁者”が専務理事に復帰 4/10
安倍政権に対する目に余る「忖度」報道が相変わらずつづくNHKだが、今後はさらに「安倍放送局」に拍車がかかりそうだ。
というのも、NHKは9日に板野裕爾・NHKエンタープライズ社長を専務理事に復帰させる人事を発表したからだ。
板野氏は、経済部長、内部監査室長などを歴任して2012年に理事に就任。籾井勝人・前会長の「側近中の側近」「籾井シンパ」と呼ばれ、2014年には専務理事・放送総局長に昇格した人物だ。
そして、この板野氏こそ、『クローズアップ現代』の国谷裕子キャスターを降板させた張本人と言われているのだ。
今回の人事について、毎日新聞はこう報じている。
〈16年3月に「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスターが番組を降板。複数のNHK関係者によると、番組全般を統括する放送総局長だった板野氏が、番組に対する政権内の不満を背景に降板を主導したとされる。また、15年の安全保障関連法案を巡る国会審議中、個別の番組で政治的公平性を保つのが難しいとの理由で、安保関連の複数の番組の放送を見送るよう指示したとも言われる。〉(Web版8日付)
板野氏が国谷キャスターを降板に追い込んだ──。じつは、今年2月に発売された『変容するNHK 「忖度」とモラル崩壊の現場』(花伝社)でも、約30年にわたってNHKを取材してきた朝日新聞記者・川本裕司氏がこの内幕を詳細にわたって紹介。そこでは、NHK報道局幹部が「国谷キャスターの降板を決めたのは板野放送総局長だ」と証言。さらに、別の関係者は板野氏についてこう語っている。
「クロ現で国民の間で賛否が割れていた安保法案について取り上げようとしたところ、板野放送総局長の意向として『衆議院を通過するまでは放送するな』という指示が出された。まだ議論が続いているから、という理由だった。放送されたのは議論が山場を越えて、参議院に法案が移ってからだった。クロ現の放送内容に放送総局長が介入するのは前例がない事態だった」
じつは、こうした板野氏の官邸の意向を受けた現場介入については、以前から証言が相次いでいた。たとえば、2016年に刊行された『安倍政治と言論統制』(金曜日)では、板野氏の背後に官邸のある人物の存在があると指摘。NHK幹部職員の証言として、以下のように伝えていた。
〈板野のカウンターパートは杉田和博官房副長官〉
〈ダイレクトに官邸からの指示が板野を通じて伝えられるようになっていった〉
杉田和博官房副長官といえば、警察庁で警備・公安畑を歩み警備局長を務めた公安のエリートであり、安倍氏が内閣官房副長官だった時期に、同じ内閣官房で、内閣情報官、内閣危機管理監をつとめたことで急接近し2012年の第2次安倍内閣誕生とともに官房副長官(事務担当)として官邸入り。以後、日本のインテリジェンスの中枢を牛耳る存在として、外交のための情報収集からマスコミ対策、野党対策、反政府活動の封じ込めまで一手に仕切っている。実際、官邸のリークで「出会い系バー通い」を読売新聞に報道された前川喜平・元文科事務次官は、その前年の秋ごろ、杉田官房副長官から呼び出され、「出会い系バー通い」を厳重注意されたと証言している。
板野氏は安倍首相の「後見人」と呼ばれる葛西敬之・JR東海名誉会長ともパイプをもつ。そして、杉田氏はJR東海の顧問をつとめていたこともあり、安倍首相に杉田氏を官房副長官に推したのも葛西名誉会長だといわれているほど。こうしたなかで杉田官房副長官の“子飼い”となった板野氏だが、NHK新社屋建設にかかわる土地取引問題では籾井会長に反旗を翻し、結果、籾井会長から粛清人事を受けて2016年4月に専務理事を退任した。
もちろん、このとき板野氏が籾井会長を裏切ったのも杉田官房副長官の意向に従っただけで、実際に官邸は任期満了で籾井会長を引きずり下ろす方針で動いていた。逆に、粛清人事で板野氏を専務理事から外した籾井会長に対し、杉田官房副長官や菅義偉官房長官は怒り心頭。そのため、じつは籾井会長の後任は板野氏が選ばれるのでは、という見方も出ていたほどだった。
ようするに、板野氏の専務理事復帰は満を持して官邸主導でおこなわれたわけだ。いったいNHKはこれからどうなってしまうのか。
そもそも、板野氏の復帰以前に、NHKの報道局幹部幹部は完全に安倍政権の言いなり状態になっていた。
たとえば、森友問題をめぐるNHK内部の“圧力”などを暴露したノンフィクション本『安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文藝春秋)を出版した元NHK記者の相澤冬樹氏は、局内上層部からの“圧力”を赤裸々に明かしている。
その最たる例が、2017年7月26日の『NHKニュース7』で報じられた相澤記者のスクープをめぐる“恫喝”だ。これは近畿財務局の担当者が森友側に国有地の購入価格について「いくらまでなら支払えるか」と購入可能な金額の上限を聞き出していた、という事実を伝える内容。それまで「森友側との事前交渉は一切なかった」と強弁してきた財務省のウソ、佐川宣寿理財局長(当時)の虚偽答弁を暴く特ダネで、すべての大手マスコミが後追いに走った。しかし、その渾身のスクープ当日の夜、NHK局内では、こんなことが起こっていた。
〈ところがその日の夜、異変が起きた。小池報道局長が大阪のA報道部長の携帯に直接電話してきたのだ。私はその時、たまたま大阪報道部のフロアで部長と一緒にいたので、すぐ横でそれを見ていた。報道局長の声は、私にも聞こえるほどの大きさだ。「私は聞いてない」「なぜ出したんだ」という怒りの声。〉
この「小池報道局長」というのは、政治部出身で安倍官邸とも強いパイプを持つとされる小池英夫氏のこと。国会でも取り上げられたように、森友問題関連のニュースで現場に細かく指示を出しているのは周知のとおりで、局内ではその頭文字から「Kアラート」なる異名がついている。相澤氏の著書によれば、小池報道局長からの大阪の報道部長への“怒りの電話”は、いったん切れても何度も繰り返しかけてきたという。
しかも、信じがたいのは、小池報道局長の最後のセリフだ。
〈最後に電話を切ったA報道部長は、苦笑いしながら言った。
「あなたの将来はないと思え、と言われちゃいましたよ」
その瞬間、私は、それは私のことだ、と悟った。翌年6月の次の人事異動で、何かあるに違いない……。〉
大スクープを掴んだのに、逆に「将来はないと思え」と恫喝する──。これは加計問題でも同様のことが起こっている。NHKは、文科省の内部文書をスクープできたというのに、肝心の「官邸の最高レベルが言っている」などの部分を黒塗りにしてストレートニュース内で消化するという“忖度”報道を行い、翌朝の朝日新聞にスクープを譲ってしまった。さらに、早い段階で前川氏の独占インタビューも収録していたにもかかわらずお蔵入りにしてしまった。
前述した『変容するNHK』では、当時の出来事として、こんなエピソードが紹介されている。
〈NHK関係者によると、加計学園問題を取材する社会部に対し、ある報道局幹部は「君たちは倒閣運動をしているのか」と告げたという。〉
このように、NHKには社会部が安倍政権に都合の悪い事実を伝えようとすると、安倍政権の意向に沿うことしか頭にない政治部、報道局幹部がそれらに介入するという図式ができあがっているのだ。
それに加えて、今回、“官邸の最大の代弁者”ともいえる板野氏が専務理事に復帰するのである。官邸はもっと直接的に報道に介入し、現場の萎縮はさらに進んでゆくことは間違いない。これまでは社会部のぎりぎりの奮闘によって、政権の不正や疑惑を追及する報道がわずかながらも放送されていたが、そうした報道は完全にゼロになるかもしれない。
この異常な状況を打ち破るには、視聴者がメディアを監視し、声を上げてゆくほかない。本サイトもNHKの「忖度」報道を注視つづけるつもりだ。 
報道の死は国の死につながる 6/26
NHKニュースの奇異
6月23日、沖縄「慰霊の日」である。太平洋戦争時、沖縄は日本国内で地上戦が行われた地であり、その死者数は約20万人、県民の4人にひとりが死亡したといわれる酸鼻極まる戦いだった(米兵もまた1万2500人もの戦死者を出している)。
沖縄で“組織的戦闘”が終結したとされるのが、1945年6月23日。その日を沖縄県は「慰霊の日」として、県民の休日にした。県民が、死没者を悼み、あの戦争を忘れないためである。毎年この日、沖縄では「沖縄全戦没者追悼式」が行われる。今年もその日が来た。
正午から、慰霊の式典が行われるということで、ぼくはテレビを点けた。昼のNHKニュースの時間。そこで、ぼくは愕然とした。なんだ、こりゃ? トップニュースは延々と“逃亡容疑者逮捕”で、なかなか沖縄は出てこない。あれ? 今日は「慰霊の日」じゃなかったっけ?
だけど、ニュースが終わると「特別番組」が始まり、式典の模様が生中継された。ああ、そういうことか、と一応は納得した。
小学6年生の山内玲奈さんの平和の詩の朗読、そして玉城デニー沖縄県知事のウチナーグチ(沖縄言葉)と英語を交えた式辞。どちらも静かだが胸に沁みるスピーチだった。
来賓あいさつは安倍首相。こちらはまるで心に響かない。毎年同じような文面を、さっさと終わりたいのか猛烈な早口で読み飛ばす。そんなにイヤなら出席しなきゃいいのに。
会場からは、かなりのヤジや批判の声が挙がる。それはかすかだが、NHKのマイクも拾っていた。しかし、耳をそばだてていなければ聞こえないほどの音量。NHK技術陣の苦労のほどがしのばれる。
実際、後でSNS上に公開されていた動画で確認すると、多くの声が聞きとれる。とくに安倍首相が「沖縄の負担軽減」「そのための辺野古移設」などに触れると、叫びは一層高まった。「ウソをつくな!」「何しに来たっ!」「帰れ!」「恥を知れ!」……。会場には怒号ともいえる叫びが響いていた。NHKが拾えなかった(拾わなかった)声だ。
ところが安倍首相が退席すると、NHKはあっさりと中継を止めた。そして「八重山カヌー紀行」というような番組を始めたのだ。まだ式典は続いていたのに、あれはどういう意図だったのだろう?
ぼくの大好きな沖縄の海の番組だったけれど、異様な編成だ。ぼくはテレビを消した…。
この日のNHKの夜7時のニュースでは、会場での安倍首相への批判の叫びを流し、コメントもあったということだが、ぼくはどうせ同じだろうと思い、7時のニュースは見なかった。いや、見る気がしなかったのだ。
テレビが壊れかけている。
テレビ朝日の、ある人事
辛辣な政権批判で知られるウェブサイト「LITERA」に、ギョッとする記事が載っていた。(6月23日)
「 テレビ朝日が2000万円報告書問題で麻生財相を追及した「報ステ出身の経済部長」を報道局から追放! 露骨すぎる安倍政権忖度人事 ・・・(略)「経済部長・Mさんに、7月1日付人事異動の内示が下ったんですが、これが前例のない左遷人事だったんです。M部長の異動先は総合ビジネス局・イベント事業戦略担当部長。今回、わざわざ新たに作った部署で、部長とは名ばかり。これまでの部長は政治部長やセンター長になっているのに、これはもう嫌がらせとしか思えません」 M部長は古舘伊知郎キャスター時代、“『報道ステーション』の硬派路線を支える女性プロデューサー”として有名だった女性。経済部長に異動になってからもその姿勢を崩さず、森友問題などでは、経済部として財務省をきちんと追及する取材体制をとっていたという。(略) 」
このM部長は重要な局面では、自らも記者会見の場へ出て質問をすることもあったという。その人が、何をやるかも定かでないような新設の部へ飛ばされた。要するに、安倍政権にとって都合の悪い報道をして来た者は、こんな目にあう、ということか。
報道という現場から、政権(権力)批判が消えていく。それも“忖度”という目に見えない圧力によって消されていく。そのことを、報道機関であるテレビ局が自ら行う。テレビ局はもはや報道機関ではなく“放送企業”でしかなくなってしまったのか。
差別やヘイトを煽る番組や広告
企業であれば、売れる(視聴率が取れる)なら何でもやる。公共の電波を使っているという意識は捨て去ったようだ。
6月24日の毎日新聞が社説でこう書いている。
「 在阪民放局で、人権への配慮を欠く放送が相次いだ。偏見を助長する恐れのある内容だ。業界全体への信頼にかかわる。読売テレビはニュース番組で、見た目で性別が分かりにくい人に対し、しつこく確認するという主旨の企画を放送した。(略)  一方、関西テレビではバラエティー番組に出演した作家が、韓国人気質について「『手首切るブス』みたいなもん」とコメントした。民族差別や女性蔑視をあおる表現であり、ヘイト発言と受け取られかねない。(略)  とくに関西テレビでは、同様の発言が以前にも放送され、社内で議論した上で「差別的な意図はない」と判断していた経緯があった。(略)  若者を中心にテレビ離れが進み、視聴率競争や制作費削減で現場には疲弊が広がる。構造的な問題も横たわる。(略) 」
書いてある通りだと思うが、この批判は、書いている新聞へも撥ね返ってくるはずだ。同じことが、新聞社内でも起ってはいないか。
毎日新聞にだって、それこそヘイト表現としか思えないような書籍や雑誌の広告が散見されるではないか。社内の広告審査が機能していないとしか思えない広告が、かなり多く見かけられるのだ。
新聞購読者数が減っていることは紛れもない事実。そのために、多少ヤバイ広告でも、目をつぶって掲載しているというのが実際のところだ。
そのようなマスメディアの窮状をいいことに、カネのある組織がTVCMや新聞広告でヘイトをばら撒く。
ほんとうに、気をつけなければならない。
日本の報道の危機に国際的懸念も
国際NGO(非政府組織)の「国境なき記者団」が毎年発表している「報道の自由度ランキング」で、日本は今年67位だった。この順位は安倍政権になってから急落の一途をたどっている。例えば民主党(鳩山首相)政権時代は世界で11位だったものが、第2次安倍政権以降は、53位→59位→61位→72位→67位と無残なほどの落ち込みである。
「国境なき記者団」だけではなく、国連も日本のメディアの独立性に憂慮を示す報告書をまとめている。
毎日新聞(6月24日付)に、こんな記事が載っていた。
「 言論と表現の自由に関する国連のデービッド・ケイ特別報告者が、日本では現在もメディアの独立性に懸念が残るとする新たな報告書をまとめた。日本の報道が特定秘密保護法などで委縮している可能性があるとして同法の改正や放送法4条の廃止を求めた2017年の勧告を、日本政府がほとんど履行していないと批判している。沖縄の米軍基地の県内移設などに対する抗議活動についても当局の圧力が続いているとし、日本政府に集会と表現の自由を尊重するように要請した。報告書は24日に開幕する国連人権理事会に正式に提出される予定。(略)  政府に批判的なジャーナリストらへの当局者による非難も「新聞や雑誌の編集上の圧力」と言えるとした。「政府はジャーナリストが批判的な記事を書いても非難は控えるべき」としている。(以下略) 」
さらにこの記事では、辺野古基地反対運動のリーダー山城博治さんの有罪確定についても「(表現の自由の)権利行使制限の恐れがある」として深刻な懸念を示したとされている。
これに対し菅官房長官は、またも紋切り型の反応。「極めて遺憾。報告書は不正確かつ根拠不明のものが多い。日本では憲法の下、表現の自由、集会の自由は最大限保証されている」と記者会見で反論した。
よく言うよ、である。あの東京新聞・望月衣塑子記者に対する会見での扱いを見ていれば、菅氏の言うことが絵空事であることはバレバレではないか。
こんなマスメディア状況にありながら、前述のテレビ朝日のような露骨な“安倍忖度人事”が行われている現実もある。
――報道が死ねば、国も死ぬ―― それこそが、日本を敗戦に導いた報道機関の「痛苦な反省」ではなかったのか。 
税収60兆円突破でバブル期超えか 日本の税収は増えているの? 7/2
2018年度における税収が60兆円を突破することが明らかとなりました。新聞記事にはバブル期超えなどという見出しが躍っていますが、日本の税収は増えているのでしょうか。
2018年度の当初予算における税収見込みは59兆790億円となっており、その後、編成された補正予算では約59兆9000億円に増加していましたが、最終的な税収はさらに増え60兆円を突破する見込みです。これまでの最高額はバブル崩壊直前の1990年度における約60兆1000億円ですから、この金額を突破した場合には、バブル期超えを実現することになります。しかしながら、バブル期と今とでは、経済規模が大きく異なりますから、バブル期との比較で増減を議論してもあまり意味はありません。
2018年度における日本の名目GDP(国内総生産)は約550兆円ですが、1990年度における名目GDPは約450兆円しかありません。また消費者物価指数も当時との比較で約10%上昇しました。GDPが450兆円しかない時に60兆円の税収があったことと、550兆円の現在において60兆円の税収があることの意味は大きく異なります。
税収の割合も大きく変わっています。当時は消費税が導入されてから1年しか経過しておらず、消費税率も3%でした。全体の43%が所得税からの税収となっており、法人税も30%と現在と比較すると高い割合でした。消費税による税収は全体のわずか8%しかありません。その後、消費税が8%まで増税されたことや、安倍政権が急ピッチで法人税の減税を推し進めたことから税収の比率は大きく変わりました。2018年度の当初予算ベースでは、所得税の割合は32%まで下がり、法人税はさらに下がって20%となっています。一方で消費税の割合は30%まで上昇しています。もし消費税が10%まで増税された場合には、消費税は日本における最大の税収という位置付けになるでしょう。
消費税の増税が消費の低迷を招いたとして、消費増税の延期や廃止を求める声が大きくなっていますが、そもそも消費税が導入された理由は、景気に依存しない安定的な財源を確保するためでした。所得税や法人税は景気への依存度が高く、安定的な財源にはなりにくいというのが一般的な解釈であり、もし消費税の位置付けを変えるということになると、今後の税収や財政に大きな影響を与えることになります。
日本は高齢化の進展で、今後、社会保障費の増大が確実視されていますが、景気に左右されにくい消費税を強化するのがよいのか、景気によって大きく税収が変化する法人税や所得税を重視した方がよいのか、もっと国民的な議論が必要でしょう。  
櫻井よしこ氏が“安倍麻生道路”忖度発言の塚田一郎氏を応援演説 7/3
明日、参院選が公示されるが、“安倍応援団”ジャーナリストといわれる櫻井よしこ氏が応援演説で事実を歪曲した野党攻撃を行い、批判の声が上がっている。
櫻井よしこ氏といえば、安倍首相の推し進める憲法改正運動の旗振り役であるだけでなく、自ら主宰するインターネット番組「言論テレビ」でも安倍首相をさかんに擁護し、最近でも月刊誌「Hanada」(飛鳥新社)8月号で「無責任野党と朝日新聞に問う 安倍総理、大いに語る」と題するロング対談をするなど“首相の広報官役”も果たしている。
ところが、その櫻井氏が6月25日、塚田一郎参院議員(参院選新潟選挙区予定候補)の集会に登場し、応援演説を行ったのだ。
塚田議員といえば、今年4月、山口県下関市と北九州市を結ぶ道路整備をめぐって、「安倍晋三総理大臣から麻生副総理の地元への、道路の事業が止まっている」「私はすごくものわかりがいい。すぐ忖度する」「今回の予算で国直轄の調査計画に引き上げた」と、忖度による安倍首相、麻生太郎財務相への利益誘導を公言。責任を取って国交副大臣を辞任したばかりだ。
一応、ジャーナリストを名乗っておきながら、そんな候補者の応援演説を引き受ける感覚には首を捻りたくなるが、もっと問題なのはその内容が、事実を歪曲していることだ。候補者に関して虚偽の事実を公にすることは、「虚偽事項公表罪(公職選挙法235条第2項)」違反に当たる可能性がある。
櫻井氏は塚田議員の対抗馬である野党統一候補で弁護士の打越さく良氏に対してこう批判した。
「(参院選の)新潟の場合は塚田さんと打越さんの一騎打ちです。この中で『自衛隊をなくして皇室をなくす』という打越さんがいいと思う人はいるはずがない。(参加者から『そうだ!』『負けてられないよ!』という声)。負けてられないけれどもお父さん、今ね、調査すると、打越さんのほうが少し有利なのですって。恥ずかしくない? (参加者から『恥ずかしい!』との声)だから、これを一日も早く逆転しないといけない。逆転して、そして、さらに彼女に打ち勝って、選挙の当日にはすごい票差でこっちが勝たないといけない。(大きな拍手)皆さん、打越さんに聞きましょう。『あなたは皇室のことをどうなさるおつもり?』『自衛隊を解散するのですか?』。聞いて下さい。だって共産党が一生懸命支援をしている」
しかし櫻井氏が放った「『自衛隊をなくして皇室をなくす』という打越さん」という発言は、フェイクの可能性が高い。というのも筆者は打越氏の集会を取材しているが、予定候補本人はもちろん応援演説をした共産党の国会議員からも、櫻井氏が言うような“自衛隊をなくす”や“皇室廃止”の訴えなど聞くことはなかったからだ。
また打越氏の出馬会見を報じた5月11日の産経新聞でも、打越氏の5本柱の政策が紹介されているが、「(1)格差と差別のない社会(2)地域経済の躍進(3)原発ゼロ(4)暮らしの安心・安全確保(5)新時代の平和政策」という政策であり、“自衛隊解散”も“皇室廃止”も入っていない。
念のため打越氏の選対関係者にも問い合わせたが、「打越氏が街頭演説で自衛隊解散や天皇制廃止を訴えたことはない」と否定しているし、さらに櫻井氏は演説のなかで、打越氏がいつどこで「自衛隊をなくして皇室をなくす」という発言をしたのかの根拠を示すことはなかった。
さらに唖然としたのは、慰安婦に関する櫻井氏の発言だ。少し長くなるが、その部分の演説を引用しよう。
「そして今度の参院選挙でも塚田さんは圧倒的に勝たないといけない。(拍手)打越さんという方、立派な頭のいい弁護士さんなのだと思うのです。私は、打越さんがどういうことを仰っているのかをやっぱりきちんと調べようと思いまして、彼女のいろいろ書いたもの、発信したものを見てみました。
おかしなことが書いてあるのです。これは、2016年9月21日付のネットサイト『LOVE PIECE CLUB』というところに打越さんが書いてありますね。ここで慰安婦の問題について書いています。『かなりリベラルと信頼する友人たちからも“慰安婦って朝日新聞のねつ造なのでしょう”と言われてビックリすることも多い』と彼女は書いています。これは、2016年9月21日のネットサイト『LOVE PIECE CLUB』に書いたものです。
さあ朝日新聞といえば、慰安婦問題で大誤報をしました。で、『間違っていた』ということを彼らは認めましたよね、それが2014年8月5日と6日の紙面です。本当に、こんなに一面も二面も三面も使って大検証をしました。朝日新聞が報道した慰安婦関連記事、吉田清治さんという職業的詐欺師がいた。朝鮮半島に行ったことはないのに、息子さんがちゃんと言っています。『うちのオヤジは済州島なんか行ったことがありません』。にもかかわらず、『戦時中、軍に命令されて済州島に行って若い女性たちを慰安婦狩りをして、何百人も泣き叫ぶ女性たちを連れて行って慰安婦にした』という嘘を書いた人が吉田清治さん。朝日新聞がこのことを大きく取り上げた。そこから慰安婦問題に対する本当に深刻な誤解が始まったのです。朝日新聞はこの吉田清治さんに関する一連の記事の全てを虚偽であるとして訂正をして取り消しました。これが2014年8月5日と6日です。
ところが打越さんの書いた先ほどの記事、これは2016年9月21日です。朝日新聞は2014年8月に取り消している。ところが彼女は、それから2年以上後に2016年9月になって、自分の友達が『慰安婦問題、朝日のねつ造でしょう』ということを書いたのをビックリしたと言っている。でも2年以上も前に朝日新聞が大訂正をした。『慰安婦問題、吉田清治、嘘でした』と訂正したことに対して、彼女はどう思っているのでしょうか。『お友達が“朝日新聞のねつ造でしょう”とお友達が書いたことにビックリした』と言っているのです。そんなこと(“朝日新聞のねつ造でしょう”)は当たり前で、(打越氏が)ビックリしたことに私たちのほうがビックリした。(参加者から『バカじゃないの』の声)
打越さん自身がやっぱりすごくリベラルで左で、現実を見ることを拒否しているのかも知れないとさえ、私は思いました。いずれにしましても、この共産党を含めた野党が応援する打越さんの政治的立場というのはどこまで信用して良いのか。打越さん自身が極めてリベラルで左かかっている考え方を、どこまで私たちは支持できるのか。信用も出来ないし、支持も出来ないのではないかしら?(大きな拍手)」
これは、明らかに打越氏の記事の一部分をすり替え、事実を歪曲した発言だ。たしかに、朝日新聞は慰安婦を暴力で強制連行したとする吉田清司氏の証言を誤報だとして、取り消した。しかし、その際、右派メディアや歴史修正主義者は、あたかも、慰安婦制度そのものが存在せず、朝日新聞が慰安婦問題全体をでっちあげたかのような間違った認識を広めた。
打越氏が「慰安婦って、朝日新聞の捏造なんでしょ」と友人に言われて「びっくりした」と書いているのは、そのことであり、朝日新聞の吉田清司氏関連記事の誤報を否定したわけではない。
念のために、櫻井氏が問題にしている打越氏の記事も紹介しておこう。『LOVE PIECE CLUB』に発表された「歴史修正主義にのみこまれる危機に瀕している」という表題の記事は、以下のようなものだった。
「『歴史戦』と称して、日本の右派が『慰安婦』問題をはじめとする、植民地主義や戦争責任を否定する歴史修正修正主義のメッセージを発信する動きが活発になっている。『海を渡る「慰安婦」問題――右派の「歴史戦」を問う』(岩波書店、2016年)を読めば、第2次安倍政権成立後、現在では、その動きは『一部の右派によるもの』と見くびっていることは到底できない状況にあることがわかる」「能川元一による第一章は、歴史教育に対する歴史修正主義的な攻撃は1997年前後が転機であったという(中略)」
「能川は、安倍と右派論壇との密接な関係をデータをもって明らかにする。具体的には、2000年2月号から12年10月号までの間に、ポスト小泉の自民党総裁経験者である福田康夫や麻生太郎、谷垣禎一、そして安倍の、雑誌『正論』や『諸君!』(後に『WiLL』)での登場回数を比較する。その間、安倍は『正論』に20回、『諸君!』『WiLL』に17回登場。これに対し、福田は全くなし、麻生は『諸君!』に、谷垣は『正論』に、それぞれ1回の登場のみ。安倍は、07年の首相退任から2度目の党総裁就任までの期間も、『正論』に11回、『諸君!』『WiLL』に10回も登場。安倍は右派論壇から待望された総理大臣なのだ。
能川は、右派論壇の『歴史戦』言説の特徴をまとめてくれる。それはまず、『圧倒的な物量作戦』。まさに『声が大きい方が勝つ』を実践している。通常、アカデミズムやジャーナリズムは、『新規性』という価値に拘束され、同じ内容の繰り返しは忌避される。しかし、『歴史戦』の観点からは、新規性に価値を置かない。そのため、右派メディアとそれらのメディアとの間に情報発信量の著しい非対称性が生じてしまい、市民は否認論にならされてしまっている、という。確かに…。かなりリベラルと信頼する友人たちからも、『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりすることも多い。『声が大きい』戦略の威力は侮れない」
打越氏はまさに、朝日の誤報を利用して慰安婦問題全体を否定する、櫻井氏たちのような歴史修正主義の動きに警鐘を鳴らしたのである。そうした打越氏の記事全体の主旨を紹介した上で批判をするのならまだしも、実際には、“友人が信じ込んだ慰安婦朝日ねつ造説”が「当たり前の」であるかのように訴えた上で、それを「びっくりした」と批判的に捉えた打越氏を、極左で現実直視回避癖の疑いがあると指摘、塚田氏への支持を呼びかけたのである。
櫻井氏は、これまでも福島瑞穂氏や元朝日新聞記者・植村隆氏について、発言や記述のねつ造をして攻撃したことが明らかになっている。植村氏のケースでは訴訟にも発展した。
弁護士である打越氏がこの櫻井氏の応援演説に対して、どんな批判や反論をするのか、注目される。 
 
 

 

 
政策評価

 

 
内閣人事局
内閣官房に置かれる内部部局の一つ。2014年(平成26年)5月30日に設置された。
内閣人事局は、内閣法に基づき、内閣官房に置かれる内部部局の一つである(内閣法21条1項)。2013年(平成25年)の第185回国会(臨時会)に内閣が提出し、翌2014年(平成26年)の第186回国会(通常会)で可決・成立した「国家公務員法等の一部を改正する法律」(平成26年4月18日法律第22号)による内閣法改正で、同年5月30日に設置された。
国家公務員の人事は、最終的には、すべて内閣の権限と責任の元で行われる(日本国憲法73条4号)。しかし、すべての国家公務員の具体的な人事を内閣が行うのは現実的でなく、内閣総理大臣が国務大臣の中から「各省の長」(行政機関の長)である各省大臣を命じ(国家行政組織法5条1項)、各省大臣が各行政機関の職員たる国家公務員の任命権を行使するには、各行政機関の組織と人員を駆使して個々人の適性と能力を評価し、末端に至る人事を実施することになる(国家公務員法55条1項)。そのため、内閣総理大臣や国務大臣などの政治家が実際に差配できる人事は、同じく政治家を登用することが多い副大臣や大臣政務官、内閣官房副長官や内閣総理大臣補佐官などに限られ、各省の事務次官を頂点とする一般職国家公務員(いわゆる事務方)の人事については、事務方の自律性と無党派性(非政治性)にも配慮して、政治家が介入することは控えられてきた。もっとも、各省の人事を全て事務方に牛耳られては、政治家は官僚の傀儡となりかねず、縦割り行政の弊害も大きくなってしまう。そこで、各省の幹部人事については、内閣総理大臣を中心とする内閣が一括して行い、政治主導の行政運営を実現することが構想された。2008年(平成20年)に制定された国家公務員制度改革基本法では、「政府は…内閣官房に内閣人事局を置くものとし、このために必要な法制上の措置について…この法律の施行後一年以内を目途として講ずるものとする。」と定めていた(11条)。同法では「この法律の施行後一年以内を目途」としていたものの、その後の紆余曲折を経て、施行後6年となる2014年(平成26年)に内閣人事局は設置された。
内閣人事局は、「国家公務員の人事管理に関する戦略的中枢機能を担う組織」と位置付けられ、(1)幹部職員人事の一元管理、(2)全政府的観点に立った国家公務員の人事行政を推進するための事務、(3)行政機関の機構・定員管理や級別定数等に関する事務などを担当する。
組織
局長 1人(内閣総理大臣が内閣官房副長官の中から指名する者をもつて充てる。)
人事政策統括官 3人(うち1人は、関係のある他の職を占める者をもつて充てられるものとする。)
内閣審議官
内閣参事官  
内閣人事局 / 沿革
福田政権
内閣人事庁の創設を提言
安倍政権にて、内閣総理大臣の下に設置(2007年7月12日)された「公務員制度の総合的な改革に関する懇談会」は、国家公務員の人事制度の課題について検討を重ねてきた。政権が福田内閣に変わり、2008年2月、同懇談会は、国家公務員人事の一元管理を謳い「内閣人事庁」の創設を提言する報告書を策定し、内閣総理大臣福田康夫に提出した。この報告書にて、内閣人事庁は、国家公務員の人事管理について、国民に対し説明責任を負う機関として位置づけられた。内閣人事庁の業務として、総合職の採用や配属のみならず幹部候補育成や管理職以上人事の調整、指定職の適格性審査などが盛り込まれ、総務省人事・恩給局と人事院の関連機能の内閣人事庁への統合が明記された。また、内閣人事庁の長として国務大臣を置くことも盛り込まれた。
国家公務員制度改革基本法案を閣議決定
同懇談会座長の岡村正から報告書を受け取り、福田康夫は「志の高い人材が国家公務員のなり手となるような制度にする」と表明したうえで「具体化に向け、よく検討したい」と述べた。これを受け、内閣人事庁の設立の具体案が検討されることになった。しかし、内閣官房長官の町村信孝が「閣僚の人事権が弱まる」と述べるなど、懐疑的な見方も指摘された。行政改革担当大臣と公務員制度改革担当大臣を兼任する渡辺喜美は「首相と私との間では改革の基本線で合意している」と述べ、福田も「渡辺氏の考えと私の考えは一致する」との発言を行い、最終的に内閣人事庁の新設を盛り込んだ国家公務員制度改革基本法案の提出で合意した。2008年4月3日に与党からの諒承も得たうえで、同年4月4日、福田康夫内閣は内閣人事庁新設を含む国家公務員制度改革基本法案を閣議決定した。
国家公務員制度改革基本法案の成立
国家公務員制度改革基本法案は、第169回国会に政府提出法案として提出された。参議院の議席が野党優位であることに加え、与党の中にも国家公務員制度改革基本法への異論が根強いとされ、当初は第169回国会での成立が疑問視されていた。しかし、福田が成立への強い意向を示したうえ、与党と民主党との間で法案の修正協議が合意に達したことから、2008年6月6日に与野党の賛成多数で成立した。この修正により、新たに創設される機関の名称は「内閣人事庁」ではなく、内閣官房の内部組織である「内閣人事局」とされた。法律は2008年6月13日に公布・施行された。
麻生政権
内閣人事局の設置の見送り
国家公務員制度改革基本法では、法律施行後一年以内に内閣人事局設置に関する法整備を行うよう定めており、2009年度中の発足を予定していた。福田改造内閣総辞職に伴い後任の内閣総理大臣となった麻生太郎も、自由民主党行政改革推進本部の本部長である中馬弘毅との間で、2009年度中の設置で合意していた。しかし、2008年11月、麻生内閣は2009年度中の内閣人事局の設置を断念し先送りすることを決定した。2008年11月28日、行政改革担当大臣・公務員制度改革担当大臣の甘利明は緊急記者会見にて「(内閣人事局設置を)強引に21年度予算に間に合わせるのは必ずしも適切ではない」と発言し、正式に見送りを表明した。
議論の混乱
麻生内閣成立後のこれらの公務員制度改革に対し、政府や与党からも批判する者が現れた。国家公務員制度改革推進本部顧問会議の顧問である屋山太郎は、「首相はこの公務員制度改革を甘利明行革相に丸投げした」と指摘したうえで「麻生氏は問題の本質を理解せず、甘利氏は逃げている。これでは日本は救われない」などと批判する論文を公表した。2009年1月15日の国家公務員制度改革推進本部顧問会議の会合の席上、甘利が「改革を前進させた自負がある。どこが逃げているのか」と屋山を問い詰め、屋山が麻生内閣の問題点を列挙し「行革担当相が黙っているのは納得がいかない。逃げている」と反論するなどの混乱が生じている。
改革工程表の決定
2009年2月3日、麻生太郎が本部長を務める国家公務員制度改革推進本部は、新しい公務員人事制度についての改革工程表を決定した。この改革工程表では、新たに創設される機関に人事院の機能だけでなく総務省行政管理局を一括して移管することになり、その組織のの名称は「内閣人事局」から「内閣人事・行政管理局」に変更され、さらに仮称であることが明記された。また、内閣人事・行政管理局の長は内閣官房副長官兼任案も議論されたが、この規定は削除された。その後、内閣人事・行政管理局の長は大臣政務官級とする組織案がまとめられた。この工程表について、人事院総裁の谷公士は「政府案は公務員制度改革基本法の範囲を超えている。(公務員は全体の奉仕者とする)日本国憲法第15条に由来する重要な機能が果たせなくなり、労働基本権制約の代償機能も損なわれると強く懸念する」と指摘し、人事院の意見が取り入れられなかったことに対し遺憾の意を表明した。
与党からの反発
工程表によると、総務省行政管理局が内閣人事・行政管理局に移管されるため、公務員人事だけでなく個人情報保護や情報公開制度も所管するとされていた。しかし、この案を与党に提示したところ、内閣人事・行政管理局の肥大化が問題視され、自由民主党行政改革推進本部から異論が相次いだ。自由民主党行政改革推進本部では、総務省行政管理局の全局移管の撤回と、新組織の長を内閣官房副長官級にすることを要求している。また、新組織の名称も「内閣人事局」に戻すよう要求した。しかし、新組織の長を内閣官房副長官級にするとの案に対しては、内閣官房副長官の漆間巌が「公平な立場で政権と関係なく(公務員人事を)見るとなると、政治家でいいのか」と指摘するなど、政府側からも反論がなされた。
民主党政権
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙によって政権交代が起こり、民主党を中心とした民社国連立政権(翌2010年5月以降は民国連立政権)が誕生した。政権交代によって、従来の自由民主党政権が推進していた内閣人事局構想は一時的に頓挫した。
第2次安倍政権
法案提出と野党の抵抗
2012年の第46回衆議院議員総選挙により政権復帰した自民党・第2次安倍内閣は、翌2013年秋の臨時会に内閣人事局を新設する法案を提出することを指示し、2013年6月の国家公務員制度改革推進本部の会合で、内閣総理大臣の安倍晋三は2014年の設置を明言した。11月5日、国家公務員制度改革関連法案が閣議決定され、内閣人事局の人事対象を審議官級以上の幹部職600人とし、局長には内閣官房副長官を任命することが決定した。11月22日に法案が衆議院に審議入りするが、民主党・日本維新の会・みんなの党が「行政機関が増え機能不全になる」と批判し、事務次官廃止を柱とする幹部国家公務員法案を共同提出して政府案に対抗した。自民党は野党との修正協議を行うが合意出来ず、28日には臨時会での法案成立を断念し継続審議とし2014年の法案成立に方針を転換した。
法案成立と内閣人事局設置
12月3日、自民党・公明党・民主党は国家公務員制度改革関連法案の修正に合意。合意文書を交わし、2014年の通常国会での法案成立について確認した。これを受けて、2014年1月24日に規制改革担当大臣の稲田朋美は内閣人事局を5月までに設置する方針を示した。3月、法案が可決されたことを受け、5月30日に内閣人事局が発足した。当初、初代局長には官僚の杉田和博が内定していたが、直前に撤回され衆議院議員の加藤勝信が任命された。元内閣参事官の高橋洋一によると、直前になっての人事変更は政治主導を推し進めるために官房長官の菅義偉が主導したとされる。  
2014
内閣人事局の誕生で、キャリア官僚たちが大慌て 霞が関「7月人事」 2014/6
「行政のタテ割りは完全に払拭される」。安倍総理が高らかに宣言して発足した内閣人事局。一見、清新なイメージだが、その水面下では霞が関と官邸が人事をめぐって壮絶な抗争を繰り広げていた—。
財務省の前例なき人事
安倍政権と霞が関の間で「夏の幹部人事」をめぐる攻防が激烈を極めている。
発端は先月末に発足した内閣人事局だ。
「これまで官僚主導で行われてきた幹部の人事権を内閣人事局に一元化し、官邸主導で審議官級以上、約600名の人事を決定することになった。要は政権の意に沿わない官僚を、要職からパージできるフリーハンドを官邸が握ったわけだ。安倍官邸の方針に従った政策をする人物しか幹部に登用しないということを、霞が関に叩き込むためのものだ」(自民党ベテラン秘書)
内閣人事局の初代局長ポストをめぐっても、一波乱があった。当初内定していた警察庁出身の杉田和博官房副長官('66年入庁)の人事が直前に撤回され、同じく官房副長官で政務担当の加藤勝信氏(旧大蔵省出身、当選4回)が抜擢されたのだ。
「杉田氏は周囲に『俺がなる』と吹聴していましたから、内定は間違いありません。それをひっくり返したのは、菅義偉官房長官です。官僚トップの杉田氏が霞が関の人事改革を担うのは、印象が悪い。そこで、安倍総理の了承を得た上で、加藤氏の起用を決め、その結果、緒戦から『政治主導』を鮮烈に印象づけることに成功しました」(官邸関係者)
安倍官邸が霞が関の聖域に手を突っ込んでくることを、官僚たちが手をこまねいて見ているはずがない。財務省はすでに鉄壁の防御を張り巡らせている。
現在、事務次官を務める木下康司氏('79年入省、以下同)が、6月末で就任1年を迎える。通常、財務事務次官の任期は1年で、2年を務めたのは、「10年に一人の大物次官」と呼ばれ、現在はIIJ社長の勝栄二郎氏('75年)ぐらいのもの。慣例どおり、木下氏は退官する見通しだ。その後継人事に、財務省は「異例中の異例」となるプランを持ってあたるという。
「木下氏の後任には現在、主計局長の香川俊介氏('79年)が有力視されています。香川氏は勝次官時代に政界工作を主導し、消費増税の与野党合意の筋道をつけた功労者です。昨年秋に食道がんの手術を受けましたが、再発は見られませんし、酒を飲まなくなって体調管理も万全。官邸からもその実力は認められているため、今夏の次官就任は既定路線です。問題はその次の次官なのです」(全国紙経済部デスク)
財務省は、「次の次」の事務次官に木下氏、香川氏と並んで、「'79年入省の三羽ガラス」と評価される実力者、田中一穂主税局長を当てようとしているのだ。
田中氏は第一次安倍政権で首相秘書官を務め、安倍総理が政権を投げ出したあとの不遇な時代にも政策面での助言を続けた「総理の身内的な存在」だという。
財務省の次官人事は、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の事務総長を務める武藤敏郎氏('66年)や勝氏といった元財務省首脳と、前任の事務次官の意見などを元に決められてきた。
今回、安倍官邸に恭順の意を示すために彼らが出した結論が、田中氏をいったん主計局長か国税庁長官にして、木下→香川→田中という同期3人で次官職をたらい回しにする、前例のない人事構想というわけだ。 
稲田朋美大臣の「内閣人事局」看板 美人書家が一刀両断 2014/6/1
30日発足した「内閣人事局」。所管する稲田朋美大臣が自ら書いた「看板」に注目が集まっている。あまりにもヘタ過ぎるとネットでもバカにされているのだ。
稲田大臣にとっては自慢の力作のようで、自身のフェイスブックで、〈吉川壽一先生の指導のもと「内閣人事局」の看板の字を気合込めて書きました〉と報告している。
吉川壽一先生とは、稲田の地元・福井県の書家で、NHK大河ドラマ「武蔵」(03年)の題字、人気漫画「バカボンド」などのタイトルを書いている大家だ。あの字は、大家のお墨付きらしい。
そこで、本当にヒドイ字なのか、腕前をプロに鑑定してもらった。文字から稲田大臣の性格も分かるという、美人書家として有名な夕凪氏が言う。
「バランスに癖があり、一般ウケはしないでしょうね。見た人に不安を感じさせるかもしれません。1文字ごとに分析すると、『内』が尻つぼみになり、『閣』の門構えの右側が内向きになっています。このような字は、下狭型ともいい、不安定な状況を表している。気になるのは、『事』が非等間隔であることです。無計画、よく言えば直感で動く人に多い。人の意見を聞かないので、一緒にいる官僚方は大変かも知れません」
「扇千景さんの揮毫(きごう)した『国土交通省』の看板も、尻つぼみな字でした。その後、政局は混乱していきました。尻つぼみな字には危うさを感じます」(夕凪氏)
扇が初代国交大臣に就任した後、道路公団民営化問題などが噴出している。「内閣人事局」の先行きが不安である。 
2015
 
2016
内閣人事局という「静かな革命」 2016/5
安倍政権の強さの原因として牧原出氏も御厨貴氏も一致して指摘するのは、菅官房長官が内閣人事局を通じて霞ヶ関の幹部600人の人事を握り、実質的な政治任用にしたことだ。
官僚の人事は各官庁が決めて人事院が承認するのが当然と考えられていたが、これはおかしい。国家公務員法では「任命権は、内閣、各大臣に属するものとする」と定めている。もちろん何万人もいる職員を閣僚が任命できないので、人事を官僚に委任することはできるが、本来は政治任用なのだ。
戦前の政党政治の時代には、幹部人事は政治任用で、政権交代のたびに各官庁の幹部が大幅に入れ替わった。これは政治主導になる反面、縁故採用が横行して腐敗の原因ともなった。戦後改革でGHQは日本の官僚制度を民主化するため、職階制を導入した。これは幹部を政治任用にして公務員を職能ごとに採用し、その成績によって昇進させるものだった。
しかし当時の大蔵省給与局を中心とする官僚機構は、これに徹底的に抵抗した。彼らは高等官/判任官という身分制度を守るために15段階の「給与等級」を定め、その6級に編入する試験に「上級職試験」という通称をつけ、戦前の高等文官と同じ昇進制度を守った。このとき政治任用も廃止され、官僚は100%内部昇進になった。
だから内閣人事局はほとんど注目されないが、GHQでさえできなかった「霞ヶ関の革命」である。特に局長に加藤勝信と萩生田光一という総裁特別補佐官が就任したため、人事は官邸の意向を直接反映する。かつては「霞ヶ関の人事部長」は官房副長官(事務)が行なう慣例になっていたが、それを官邸(菅官房長官)が動かすようになったのだ。
この結果、党の力は弱まり、官邸の特命チームがトップダウンで各官庁を動かすようになった。官僚も民主党政権の政務三役は無視したが、自分の人事を握る官邸の意向には逆らえない。チャンドラーは「組織は戦略に従う」といったが、日本では戦略が組織に従うので、人事権を握ったものが最大の権力を握るのだ。 
日本の官僚は「内閣人事局」で骨抜きにされた 2016/11/22
これまで日本の経済成長から福祉まで様々な行政サービスを支えてきたのは、日本の優秀な頭脳を揃えた、勤勉で実直な官僚テクノクラートだちだった。それは戦後から今日までかわらず、世界でも珍しい日本独自の構造であったと言えるでしょう。官僚テクノクラートとは財務省から経済産業省、法務省、厚生労働省、文部科学省、農林水産省、外務省、国土交通省、警察庁など私たち国民のために全力を尽くして指針を策定し、行政の実務を行っている国家公務員たちの幹部のことです。
たいていは東京大学法学部などを卒業し、難関の国家公務員試験を突破した頭脳明晰な若者たちが、日本国民のために尽くすといった高い志を持って入局します。それぞれの省庁に配属され、各分野のスペシャリストとして専門知識を習得し、実地経験を積んでいきます。「自分たちは日本という船を率いる船頭だ」という自覚が、高くはない給料にもかかわらず残業をいとわず職務に没頭する動機になっています。
実際に日本の高度成長時代には大蔵省の官僚指導のもと、財界が一致団結して経済を向上させる護送船団方式で、世界第二位の経済大国に押し上げました。また厚生省の官僚指導のもと、国民皆保険制度を充実させ、誰もが医者にかかれるよう福祉を充実させてきました。これらは何より優秀な官僚たちが高い志を持ち、政権に左右されず、純粋な奉仕精神で良かれと思われる政策を策定、実施してきたからだと思います。法案を審議して法律として成立させるのは国会議員の仕事ですが、具体的な政策、法案を練り上げるのは、専門知識を持った官僚の仕事であることが多いのです。
この官僚組織がしっかりしていれば、仮に組織のトップである大臣の座に、不勉強な政治家、タレント議員、二世議員など「これから勉強させていただきます」といった人物が座ったとしても、事務次官以下はなんら影響を受けることなく、黙々と高度な業務を遂行していきます。政権が変わっても大丈夫です。かつて社会党の村山富市総理大臣が生まれたときにも、政権交代で民主党政権が続いたときにも、官僚は動じることなく、国民のために働き続けました。
官僚たちにとって、日本を実際に動かしているのは自分たち官僚テクノクラートであり、政治家センセイはお飾りにすぎない、という自負があったからでしょう。これは良くも悪くも日本の独自の国のあり方であり、三権分立の理屈から行くと、試験に合格しただけで公務員になった官僚よりも、国民に選挙で選ばれた政治家のほうが上になって統治すべきということになります。それが政治主導という名目になったのでしょう。
しかしながら実態は、政治家は当選するために「地盤、看板、カバン」の3つの要素が必要であると言われ(地盤とは親が選挙区で元議員だとか地元の有力者であること、看板とは自民党公認などのこと、カバンとは選挙資金のこと)、必ずしも頭脳明晰である必要はないのです。とてもじゃないが優秀な頭脳で入省し、専門の行政現場で切磋琢磨してきた官僚テクノクラートとは、行政能力では太刀打ち出来ないのです。
官僚がなぜ高い志と、純粋な奉仕精神を持っているかというと、大学を卒業してそのまま国家公務員として中立公正に仕事を始めるからだと思います。財務省などになると、同期入省の職員メンバーが、入省してみたら東京大学時代の同窓生だった、ということも珍しくなく、良くも悪くも大学時代の延長のような面もあり、それが彼らの純粋な職業倫理と志を維持するのに一役買っている気もします。大学生のように生真面目に、国民への奉仕を考え続けることが可能だったのです。
もちろん厳しい出世競争も、入省すると同時に始まります。横一列で入省した同期の中から、誰が最も優秀なトップで、自分は何番目かということも、暗黙の了解でわかると言います。昇級試験などもあり、一生を続けて受験勉強の連続のような側面もあるかもしれません。上に行くほどポストの数は減っていき、参事官などの役職に絞られ、最終的には官僚のトップである事務次官一人になれれば出世競争の勝利です。事務次官になるのは実力、実績がトップの職員一人であり、二番目の職員は、自分は事務次官になれないと、あきらめて天下り先へ転職したり出向したりします。ポストの数が減るたびに天下り先や出向先が必要になります。
僕が強調しておきたいのが、官僚たちの出世レースや人事の決定が、実力主義と実績主義で極めてフェアに行われてきたということです。政権から行政の方針について、担当の大臣を経由して事務次官が大雑把な指示を受け、それを実行に移して行くというのは正しいことですが、あくまでその時の大臣から指示を受けるだけで、日々の業務についてまで政権に振り回されることはありませんでした。
大きな変革があったのは、安倍政権で平成26年4月11日に「国家公務員法等の一部を改正する法律案」が成立した時で、霞が関には大きな動揺が走りました。平成26年5月30日、「内閣人事局」という恐ろしい組織が設置されたからです。これは各省庁の事務次官以下幹部職員、計600人の人事権を、首相官邸に集中させ、首相の独断で官僚の上層部の人事を左右できるというもので、戦後依頼の大激変です。
それまで国民のことだけを考えて、真面目にコツコツと公正中立な仕事をし、実績を積み上げていけば出世できる、と考えていた官僚テクノクラートたちの倫理観さえ覆してしまいます。いくら実力や実績を積み上げても、安倍首相に嫌われたら出世できない。常に安倍首相の顔色を伺わなければならない。国民目線ではやって行けず、官邸の意向に従うべくビクビクしながら、安倍首相の喜ぶ仕事をしなければ出世できないと考えるようになります。実際に上司である事務次官や参事官は、官邸に指名された人物がなっているのだから、その指示に従わなければならない。こうして国民目線から官邸目線に、役所の倫理が変わりました。
安倍政権はこのようにして、国中の省庁を一手にコントロールする仕組みを作りました。今までの自民党内閣がしてきたように、優秀な官僚を呼び寄せ、頭脳としてレクチャーを受けて勉強する、ということもできなくなります。もはや官僚そのものが、今までのように独立した現場からの意見として、優秀な頭脳で政治家にアドバイスをする立場ではありません。彼らは安倍首相の選んだ安倍首相のイエスマンに成り下がってしまったわけです。まさに誰一人注意してくれる人のいない「裸の王様」の総理大臣が生まれてしまいました。
坂井万利代さんが「古舘伊知郎さんの降板の本当の理由」という記事の中で書いてくれた、官邸の導入した役人の「成績表のようなもの」というのは、たぶんこの内閣人事局の活動のことだと思われます。マスコミからあらゆる官庁の細部まで、自分の権限のもとに掌握することに成功した安倍首相は、さぞかし気分良く仕事をしていることでしょう。でもお坊ちゃま大学卒で二世議員である安倍首相が、裸の王様となって好き勝手に日本を動かしていくことは、非常に危険な兆候だと思います。
貴重なブレーンをすべて骨抜きにし、イエスマンに替えてしまった権力。誰も止めることのできない権力。最高裁判所はもちろん内閣法制局長官までイエスマンを配置し、司法にさえ縛られない権力。もし仮にこの権力が暴走しはじめたら日本はファシズムを許し、独裁国家になることは間違いないと思われます。気がついたときは手遅れ、ということもあります。
トランプを大統領に選んでしまったのがアメリカ国民なら、安倍晋三を総理に選んだのは日本国民です。私たちは、もう少し賢くあるべきだったと思います。 
2017-
官邸一強の背景にあるもの 2/28
はじめに
安倍晋三氏の在任期間は、第一次安倍内閣を加えると1,800日を超え、戦後の首相の在任日数第4位となった。
そうした中で、「官邸の一強、あとは多弱」との評価も定着した。
このような状況はどうやって形作られたのだろうか。他の政党との力関係か、それとも安倍氏自身の能力に拠るものか。
三位一体改革の影響
私なりの結論を先にいうと、様々な理由はあるものの、2004年の小泉政権下の三位一体改革こそが今日の強さの根源であろう。
この三位一体改革の内容を簡単に復習してみよう。「国庫補助負担金の廃止・縮減」「税財源の移譲」「地方交付税の一体的な見直し」がそれである。そしてこの中では、補助金改革が、安倍政権はもちろん、今日の政官界のパワーバランス形成に大きな影響を与えたと考えている。
補助金改革の影響
そもそも、政官界における力の源泉はどこにあるか。こう答えてしまうと身も蓋もないが、「金(を配分する力)、そして人事権」ということになろう。もちろん、能力や高潔な人格も重要だが、それも金と人事の裏打ちがあってのことだろう。
さて、この補助金改革以前は、中央省庁の官僚が強大な権力を持っていた。地方自治体に対して、ないしは省庁直轄で補助金を配分する権限を持っていたからだ。「箇所付け」という言葉をお聞きになったことがあるだろう。かつて官僚たちは、全国津々浦々のどこのどんな施設・事業に対して、どの程度の金額を配分するかという権限を一手に握っていた。したがって、各県知事はもちろん、自治体職員は中央省庁詣でをし、国会議員もまた、その決定に何がしかの関与をし、自らの存在を誇示しようと官僚たちになびいた。
改革の中で、補助金の一部は、「税源移譲」と言う言葉に表されるように税源ごと自治体に移譲され、実質上廃止された。残ったものも、交付金という「大きな財布」のような形に姿を変え、実際の細かな配分は自治体レベルに委ねられることとなった。
国会議員にとっても
こうなると、国会議員にとって官僚詣では意味をなさなくなったし、一定の敬意を払う必要もなくなった。
そうして官僚の持っていた強力な権限を剥奪したつもりだったかもしれないが、個々の国会議員も、気が付いてみるとその存在意義を低下させることになった。元々、こういう箇所付けには、いわゆる何々族と呼ばれる、ほぼ省庁単位の関係議員の集団が関与していたが、箇所付に伴う恩恵がなくなった以上、族議員のような集団を形成し続けるだけの求心力も低下した。
そうなると議員の興味は人事、すなわち、大臣他の閣僚人事に移ることになる。少しさかのぼるが、1999年の国会審議活性化法により、国会における政府委員制度及び政務次官が廃止され、副大臣と大臣政務官が新たに設置された。厚生労働省のような大きな省では副大臣、政務官は2人ずついる。すると大臣を含めての従来の2人が5人となり、ポストにあずかる機会は倍増以上となった。実はこの大臣他の人事も、かつては派閥や何々族のボスの意向が大きかったのだ。当選回数等も考慮した「派閥順送り」という言葉を覚えておられる方もあろう。 
ところが、前述のような状況で派閥や族の求心力が低下すると、相対的に首相を中心とする官邸の意向が大きくなった。小泉政権以降では、派閥の意向等閣僚任命に係るこれまでのしきたりや不文律をほとんど考慮せず、人物本位となった。
官僚たちの来し方行末
一方、官僚の人事に関して言うと、指定職と呼ばれる審議官、局長級の人事権を掌握したことも大きいだろう。その象徴が2008年12月に設置された国家公務員再就職等監視委員会であり、2014年5月30日に設置された内閣人事局である。前者は指定職が退官したあとの再就職先を監視するもの、後者は本来の所掌は広範だがもっぱら職員人事の一元管理の名のもと、指定職の候補者について官邸の意向を汲み入れるものとなっている。
従来、官僚の人事は、官僚たち自身の手に委ねられており、国会議員はもちろん、官邸と言えど、簡単に口は挟まないし挟めないというのが不文律であった。官僚の人事に口を出すと、別の方法で抵抗されたり裏切られたりするとの噂さえあった。そしてその拠り所は霞が関の中でもきわめて独立性の高い人事院であった。
第二次以降の安倍政権は、この官僚たちの力の源泉の、その最後の砦とも言うべき、人事と、そしてその人事の総仕上げとも言うべき再就職に切り込んだのである。
その拠り所として、国家公務員制度改革基本法の第11条第2号において、内閣人事局が「総務省、人事院その他の国の行政機関が国家公務員の人事行政に関して担っている機能について、内閣官房が新たに担う機能を実効的に発揮する観点から必要な範囲で、内閣官房に移管するものとすること。」と明記されたのである。
官僚たちの立場から考えると、部下が上司に従うのは、上司の考えに一定の理屈があるのはもちろんだが、最終的には上司が人事権を持っているからであり、しかも従っていれば、その先の退官後の再就職についてまで世話をしてもらえるという、強固なシステムがあればこそである。
補足すると、これに先立つように特殊法人、認可法人改革も進行し、これはこれで官僚たちの進路に大きな影響を与えたが、その顛末と影響についてはまた別の機会としたい。
いずれにしても、指定職候補者は、ある程度の地位までくれば、同僚や上司よりも、官邸や国会議員の評価・評判を気にせずにはおられなくなる。また、それ以外の職員もある程度の年数が経てば再就職を考えなければいけないが、最早上司や同僚が考えてくれるわけではない。いやむしろ今般の文部科学省の事例を見れば、上司や同僚に考えてもらえば、違法行為とさえみなされるという事態にまで陥っている。
官僚たちの冬
私がここで危惧するのは、官僚の士気の低下である。実際に接してみると、個々の官僚は能力が高いだけなく、その能力でもって国家に貢献したいという高い志を持った人が多い。集合体として見ても、軍隊組織とも思えるほどの指揮命令系統・統率とともに役割・責任分担が明確にされている。それにしても、これまではそうした志を支えるための仕組みのようなものが備わっていたのである。逆に不心得で、利己的な人もいたかも知れない。そうした人を排除するための改革であることは理解できる。それでも一定の地位まで上り詰めた官僚たちは国民の方を向くこともなく、また上司や同僚を気遣うでなく、単に官邸やその住人たちの顔色を伺うことに腐心するだろう。退官後の人生も保証されない中で、一体こうした指揮命令系統・統率が保たれていくのだろうか。
広く社会に目を転ずれば、一流と言われる企業の多くが、一定の年齢を超えると関係企業へと異動していく。また、一部の識者は米国の役人には天下りなどないと力説するが、私の少ない経験の中でも、連邦政府を去ったあと、ほどなく関係企業で破格の待遇で迎えられたケースを見聞きした。
これから
いずれにしても、概観してみると、仮に安倍氏が退陣したとしても、官邸には以前とは比較にならないほどの大きな力が備わっていると言えるし、最早時計の針を戻すこともできないだろう。  
「全く問題ない」内閣官房長官 「介入と忖度」の演出 5/29
「木で鼻をくくる」という言葉がある。そっけなく冷淡で無愛想な対応についていうが、近年、この言葉が稀に見る精度で、ぴったりあてはまる人物がいる。菅義偉内閣官房長官である。在任1600日を超えて、歴代最長の在任記録を更新し続けている。昨日(5月28日)、安倍晋三首相が歴代第3位の長期政権となったが(1981日)、これは菅氏の力に負うところが少なくない。
「政府首脳」「政府高官」「政府筋」といったマスコミ業界用語があるが、「政府首脳」は内閣官房長官、「政府高官」ないし「政府筋」(官邸筋)は内閣官房副長官(政務)などを指すようである。戦後、これまで58人の政治家(安倍晋三もその1人〔第3次小泉改造内閣〕)が「政府首脳」としてその任にあった。内閣官房の事務を統轄する(内閣法13条)。内閣官房の主任の大臣は内閣総理大臣である(同24条)。これが内閣官房長官の力の源泉となる。「最大の権力者の最側近」。「これは総理のご意向だ」と内閣や与党に大見得を切り、「俺に刃向かうことは、総理に弓を引くことだ」という台詞を吐いた官房長官もいるという。
内閣官房の事務は行政のほとんどすべての領域に及びうるので、それを統括する官房長官の職務は極めて広範かつ多岐にわたる。とりわけ、1 内閣の諸案件について行政各部の調整役、2 国会各会派(特に与党)との調整役、3 日本国政府(内閣)の取り扱う重要事項や、様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスマン)としての役割が重要である。執務室は総理大臣官邸5階にあり、閣議では進行係を務める。歴代官房長官のなかで名長官として名高いのが中曽根内閣での後藤田正晴だろう。他方、最も怪しい動きをしたのが、小渕恵三内閣の青木幹雄官房長官である。2000年4月に小渕首相が脳梗塞で倒れ、入院した時、「昏睡状態」の小渕首相が青木長官を「総理大臣臨時代理」(内閣法9条)に指名して、内閣総辞職をはかったとされている。憲法70条の「総理大臣が欠けたとき」にあたるかきわめて微妙なケースだった。
さまざまな政治ドラマをもつ58人の歴代官房長官のなかで、おそらく史上最強にして最悪の長官が現在の菅義偉だろう。上記の1 について言えば、各省庁にかつてない規模の介入と忖度の構造を生み出している。2 については野党には傲慢に対応し、与党にも時に恫喝に近い対応をとってきた。そして最も問題があるのは3 である。
記者会見を通じてその菅の顔を見る機会が増えている。通常、官房長官と内閣記者会との記者会見は午前11時と午後4時の2回、閣議のある火曜日と金曜日の午前の会見は閣議終了後直ちに開催されるというが、北朝鮮のミサイル発射などでは日曜早朝から、いやでもこの顔を私たちはテレビで目撃することになる。その記者会見で頻繁に用いられる言葉が、「問題ない」「全くない」「全く問題ない」「全くあたらない」である。これが「木で鼻をくくる」ということなのだが、後述する加計学園問題における前川喜平・前文部科学事務次官の件では、持ち前の陰湿で粘着質な態度に、むき出しの憎悪と敵意も加味され、凄味と威圧感を増して、殺気すら感じられる。
「全く問題ない」と普通の大臣が言おうものなら、記者から「こういう場合もあるでしょう」などと突っ込みを入れられるのがおちである。しかし、この政権では、安倍首相の国会答弁や官房長官の記者会見における居直り、逆質問、人格攻撃、「情報隠し、争点ぼかし、論点ずらし」などの芸にならって、官僚までもが答弁や説明をいとも簡単に拒否するようになった(財務省佐川理財局長の答弁拒否は典型)。メディアの劣化もあるだろうが、この政権の独特の「ふるまい」と「空気」が定着してしまったことも大きい。だから、問題を問題として感じたときにしっかりと指摘しておかないと、いつの間にか「別にいっかぁ」という思考の惰性が広まってしまうことにもなりかねない。
私の体験を言えば、先週23日の夕方、共同通信の記者から電話が入った。何か急ぎのコメントかなと思っていると、自衛隊のトップ、河野克俊統幕長が、日本外国特派員協会の記者会見で、安倍首相が、自衛隊を9条に明記した新憲法を2020年に施行することを目指すと表明したことについて問われ、安倍首相の提案を「非常にありがたい」と述べたという。記者は「これは問題ですよね」と聞いてきたが、同業他社の記者のなかにはこの発言を問題と感じない人もいたようである。私は、ここはしっかり言っておこうと、問題の性質や背景を含めて記者に話した。それを短くまとめたコメントが下記である(『毎日新聞』5月24日付、『東京新聞』同日付など)。
○ 自衛官トップ 姿勢問われる / <水島朝穂早稲田大教授(憲法学)の話> 安倍晋三首相は、自衛隊の存在が違憲との主張があるから9条に「加憲」すべきだという論理を展開しているが、これは自民党改憲草案と異なり、自民党内でも合意されていない唐突な主張である。統合幕僚長は、この首相の論理に乗っかる形で心情を吐露したわけで、憲法改正を巡る特定の政治的主張に肩入れしたことになりかねない。憲法尊重擁護の義務がある公務員、しかも「(現行の)日本国憲法及び法令を順守し」と服務宣誓した自衛官のトップとしての姿勢を問われる。統幕長の今回の逸脱は、見過ごすわけにはいかない。
河野は、「憲法という非常に高度な政治問題なので、統幕長という立場から言うのは適当でない」と述べながらも、「一自衛官として申し上げるなら、自衛隊の根拠規定が憲法に明記されることになれば、非常にありがたいと思う」と踏み込んだ。自衛隊法61条1項は隊員の政治的行為を禁止し、そこでいう「政治的目的」として、「特定の内閣を支持し、又はこれに反対すること」(自衛隊法施行令86条4号)や、「政治の方向に影響を与える意図で特定の政策を主張し、又はこれに反対すること」(同5号)を挙げている。河野統幕長にはこのような目的はなかったというが、政治的行為には、「官職、職権その他公私の影響力を利用すること」も含まれる(同87条1号)。一般の公務員の場合は、休日に政党ビラを郵便受けに配っただけで、国家公務員法違反に問われた例もあるのに、最高幹部は日頃政治家との密接な関係をつくって、実質的には政治的行為をしているに等しい。
菅官房長官は、この件について、直ちに、「全く問題ない」「個人の見解という形で述べた」と言い切った。しかし、河野が「一自衛官」と言っても「一個人」とは言っていないことをねじ曲げている。仮に「一個人」ならば職務中に公式の記者会見の場で言うべきではない。実際は「一自衛官」と言っているので明らかに「公務員」としての発言である。公式の記者会見の場で、権力を制限される国家機関の長(公権力)が言論の自由(個人の人権)を無邪気に用いることはできない。かつての自民党政権の官房長官ならば、「立場をわきまえ、発言には慎重さが求められる」くらいのことは言っていただろう。この政権では、すべてが「全く問題ない」でスルーされていく。
ちなみに、この河野統幕長は歴代自衛隊トップのなかでも際立った政治性をもつ人物として私は注目してきた(直言「気分はすでに「普通の軍隊」」参照)。防大21期だが、古庄幸一(13期)や齋藤隆(同14期)らに続く「海の人脈」である(「政治的軍人」の筋悪の例として田母神俊雄がいる)。安倍首相と菅官房長官のおぼえめでたく、河野統幕長は「ありがたい」発言の直後に、異例の定年1年再延長が認められた(『毎日新聞』5月26日付)。すでに昨年11月に定年になるところだったが、部内の昇進見込みに反してこの5月27日まで6カ月延長になったのは、官邸(特に安倍首相)の意向とされている(『軍事研究』2016年12月号「市ヶ谷レーダーサイト」参照)。安倍改憲提案を「ありがたい」と歓迎した「ご褒美」とまでは言わないが、定年の1年半延長は自衛隊高級幹部の昇進計画に大きく影響を及ぼし、就任予定のポストに届かずに退官する高級幹部が続くことになろう。安倍首相の「お友だち」はどこの組織でも「異例の人事」や「スピード感あふれる出世」をして、当該組織の出世コースに混乱や停滞を生じさせ、高級幹部の間の士気を下げている。
なお、安倍政権は2015年に安全保障関連法に先行して、防衛省設置法12条を改正した。内局(背広組)の運用企画局長ポストを廃止して、防衛省庁舎A棟12階(内局)の権限が14階(統幕長)に委譲され、「統合運用機能の強化」(部隊運用業務の統合幕僚監部への一元化)がはかられている。このような経緯のなかで、自衛隊のトップが特定の内閣、特定の首相と過度な関わり合いをもつことは、権力の私物化傾向を一層促進することになる。これも菅官房長官にかかれば、「全く問題ない」ということになるのだろうか。
「全く問題ない」官房長官の面目躍如は、共謀罪をめぐる国際的批判をめぐってである。国連人権高等弁務官事務所(ジュネーヴ)の「プライバシー権に関する特別報告者」ジョセフ・ケナタッチ(マルタ大学教授)が、日本政府と安倍首相に対して、共謀罪(テロ等準備罪)法案に対する懸念を書簡で伝えたところ、菅官房長官は信じられない言葉と態度でこれを一蹴した。書簡は5月18日付で、「計画」「準備行為」の定義が抽象的で、恣意的に適用されかねないこと、対象犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係なものが含まれていること、令状主義の強化など、プライバシー保護の適切な仕組みがないことなどを指摘する、きわめてまっとうな疑問の提示だった。
ところが、18日当日のうちに、菅官房長官は怒気を込めた表情(いつもの顔)で記者会見し、テロ等準備罪は国民の意見を十分に踏まえて行っている、海外で断片的に得た情報のみで懸念を示すのはバランスを欠き不適切などと、とんでもない「抗議」を行った。ケナタッチは日本のプライバシー権の問題について30年あまり研究を続けてきた学者であり、海外からの批判だからといって軽視することはできないし、「断片的に得た情報のみで」というのは、根拠のない無礼な決めつけである。ケナタッチは直ちに反論。「日本政府は怒りの言葉だけで、プライバシーなどに関する懸念に一つも対処していない」と批判したのは当然だろう。
これに対しても、菅官房長官は、「一方的な報道機関を通じて、懸念に答えていないと発表したのは不適切」と「再反論」を試みている(『東京新聞』5月24日付)。国連の関係者から指摘を受ければ、もっと法案の内容で説明したり、反論したりすればすむのに、相手に対して、「何も知らないくせに」というトーンで、言葉をぶつけるのはあまりにも大人気ない。報道機関に伝えるのは当然のことで、一種の「公開書簡」である。菅官房長官の国際的な対応は、歴代官房長官の誰に聞いても、「ありえない」と驚くことだろう。なお、ケナタッチ氏は「日本政府からの回答を含めて全てを国連に報告する」と述べた。
検討すべき問題は山積みであるにもかかわらず、「全く問題ない」という言葉で押し通す菅官房長官の姿勢は、世界にむけて、日本の政権の独善的で危険な傾向を広く発信する結果になったのではないか。
安倍政権のかたくなで独善的な姿勢は、2014年11月16日の沖縄県知事選挙で当選した翁長雄志知事が上京して官邸で面会を求めても会おうとせず、信じられないような「沖縄いじめ」の露骨な対応をとったことにも見られる。菅官房長官がようやく沖縄を訪問し、知事と面会する機会をつくったときも、「とんでもない場所」に知事を呼びつけて、「植民地総督」のようだと顰蹙をかったこともまた記憶に新しい。
2015年6月4日、衆議院の憲法審査会に参考人として呼ばれた3人の憲法研究者全員が「安保関連法案は違憲」と陳述したとき、菅長官はその日夕方の記者会見で、「全く違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と発言した。6月10日の衆院特別委員会で辻元清美議員は、「違憲じゃないと発言している憲法学者の名前を、いっぱい挙げてください」と迫った。菅長官は3人の名前を挙げたが、最後は、「私は数じゃないと思いますよ」と逃げた。圧倒的多数の憲法研究者が「7.1閣議決定」と安保法案を憲法違反としていたから、「違憲でない」という見解をもつ人を探すのは困難だった。菅長官が「全く違憲でない」という形にしぼったことも墓穴を掘ることになった。
2015年10月21日、「いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があったときは、…臨時国会が召集されなければならない」(憲法53条)に基づき、野党が臨時国会の召集を求めたときも、臨時国会を開かないことについて、菅官房長官は「全く問題ない」とはねつけた(直言「臨時国会のない秋――安倍内閣の憲法53条違反」)。憲法でここまで明確に定めているのだから、従来の政権ならば、何か他に理由を示しただろう。「問題はある」のに「問題がない」というだけではなく、「全く問題ない」と言い切る。これはかなり危ない思考領域に足を踏み入れていると言えよう。
「全く問題ない」といって許されるのも、人事権を使った官僚統制が完成水準に近づいているからではないか。国家公務員人事は内閣の権限と責任で行われるが(日本国憲法73条4号)、事務次官以下の一般職国家公務員(事務方)の人事については、これまでは役所の自律性が一応尊重され、政治は表向きの介入を控える慣行が続いてきた。2014年5月に内閣人事局ができて、審議官級以上の人事を官邸が握ることになった。その発足時の所管大臣は稲田朋美で、彼女が「揮毫」した霞ヶ関・合同庁舎8号館5階の看板は有名である。稲田らしく、「人」という字が右に圧倒的に偏っている。内閣人事局の発足で、官邸は人事を通じて官僚機構を「安倍色(カラー)」に染め上げてきた。それは「モリ」と「カケ」の問題に実にわかりやすい形であらわれた。
森友学園「安倍晋三記念小学校」建設をめぐる財務省、国土交通省、大阪府(←文部科学省)の迷走は周知の通りだが、官邸側の情報隠しと論点ずらしはすさまじかった。しかし、今月になって一気に浮上した加計学園の獣医学部設置問題では、まったく違った展開になった。森友では小学校の設置認可は大阪府だったので見えにくかったが、こちらは大学なので文部科学省が一元的に所管するため、介入と忖度、圧力の方向と内容が実に明確で、「可視化」されてきた。また、内閣府が所管する国家戦略特区が絡んでいるので、内閣府や内閣官房からの圧力もよく見えるようになってきた。「総理のご意向」「官邸の最高レベル」という言葉が「レク文書」中に使われていることからも、圧力の本体が浮き上がってきた。そこに、文部科学省の前川喜平・前事務次官の登場である。大学の設置認可の所管官庁のトップの証言は決定的な意味をもつ。だからこそ、菅官房長官の対応はすさまじい怒気を含み、特に5月25日の会見では、前川前次官に対するむき出しの人格攻撃を繰り返した。これは官房長官の記者会見の枠を超えるものだった。公安警察やさまざまな情報機関を駆使して、身内から政敵までの性的指向・嗜好まですべて調べつくし、その情報を使って調略する。内調・公安情報を『読売新聞』に流し、実話週刊誌並みの記事に仕立てて、それを使って記者会見で叩く。前川の発言内容ではなく、まさにそうした枝葉の話で問題をすり替えようとしている。だが、最近まで政府の一員で、文部科学省の事務方トップだった人物を貶める発言を繰り返す菅官房長官をみていると、明らかに焦りの色がうかがえる。もはや「全く問題ない」ではすまなくなったために、相手は「問題だらけ」と言い張るしかなくなったようである。さしもの菅も、官房長官としての在任期間こそ最長となったが、その中身の点では「最悪の官房長官」としての足跡を残して、安倍首相とともに退場してもらうしかないだろう。
鳥取県知事や総務相を務めた片山善博は、「今の霞が関は「物言えば唇寒し」の状況である。14年の内閣人事局発足以降、この風潮が強まっている。役人にとって人事は一番大事。北朝鮮の「最高尊厳」、中国の「核心」。そして今回の「官邸の最高レベル」。似てきてしまったのかなと思います」と皮肉っている。
ここで思い出すのは、マックス・ヴェーバー『職業としての政治』の一節である。実に「安倍一強の国」日本がこれに似ているのである。部下という人間「装置」を機能させるためには、内的プレミアムと外的プレミアムが必要となる。「内的プレミアムとは、…憎悪と復讐欲、とりわけ怨恨と似而非倫理的な独善欲の満足、つまり敵を誹謗し異端者扱いしたいという彼らの欲求を満足させることである。一方、外的なプレミアムとは冒険・勝利・戦利品・権力・俸禄である。指導者が成功するかどうかは、ひとえにこの彼の装置が機能するかどうかにかかっている」(98頁)。安倍・菅コンビの「部下」たちも、内的・外的プレミアムの「毒」を見抜き始めている。何よりも、国民がこれに気づき始めたら、この政権は終わりである。メディアもここで腰砕けになってならない。 
内閣人事局・官邸主導人事に弊害 官僚側に忖度や不満 2017/6
安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題をきっかけに、各省庁の幹部人事を内閣人事局が管理する「官邸主導」の弊害が指摘されている。官邸が強い人事権を握ることで政策や改革が進みやすくなった半面、締め付けられた官僚が過度に政権を「そんたく」したり、不満を抱いたりして政官の関係がきしむ恐れもある。
先月30日に発足3年を迎えた内閣人事局の下で、安倍政権に近い官僚の登用が進んだ。第1次安倍内閣で首相秘書官を務めた財務官僚は、同期で3人目となる異例の人事で財務事務次官に就任。官邸が推進した法人減税や消費税の軽減税率導入決定など「政治案件」に貢献した。
同局の設置はもともと、省庁が「省益」を優先して政策が頓挫したり、族議員の利益誘導を招いたりする弊害をなくし、政治主導を進める狙いがあった。ただ柔軟な抜てき人事などの半面、官邸の意向に反した幹部が冷遇されるケースもある。
関係者によると、2015年夏の総務省人事で、高市早苗総務相がある幹部の昇格を提案したが、菅義偉官房長官が「それだけは許さない」と拒否。高市氏は麻生太郎副総理から「内閣人事局はそういう所だ。閣僚に人事権はなくなったんだ」と諭され、断念に追い込まれた。この幹部は菅氏が主導したふるさと納税創設を巡る規制緩和に反対していた。
そして最近相次ぐ問題はこうした人事が官僚の萎縮やそんたく、面従腹背を呼ぶ可能性を浮き彫りにした。加計学園を巡る「総理の意向」文書では、文部科学省の前川喜平前次官が「本物」と証言。当時官邸側に押し切られたと政権への不満を公言した。
首相は1日のラジオ収録で「霞が関にしろ永田町にしろ『総理の意向ではないか』という言葉は飛び交う。大切なのはしっかり議論することだ」と強調。菅氏も2日、「次官が首相に自分の意見を言う機会はいくらでもある」と反論した。だが文科相経験者は「次官が言うと、官邸と省全体の対決になってしまう」と人事を握る官邸に逆らえない省庁の立場をおもんぱかる。
また前川氏が出会い系バーに出入りしたとの報道では、前川氏は在職中に杉田和博官房副長官から注意を受けていただけに「官邸の圧力か」と疑心暗鬼の官僚も少なくない。ある省庁幹部は「長期政権の弊害だ。何とも言えない腐敗臭がする」と漏らした。
逆に、学校法人「森友学園」問題で矢面に立たされる財務官僚には、霞が関から「あれだけ首相を守れば、昇進は確実」とのささやきも。東大の牧原出教授(行政学)は「政権が人事権で官僚を威圧すれば、行政をゆがめる。官邸や政権がしっかり自制すべきだ」と指摘する。
内閣人事局 / 国家公務員の幹部人事を一元管理する政府組織。2014年に成立した国家公務員制度改革関連法に基づき、同年5月に内閣官房に設置された。審議官級以上の約600人が対象で、官房長官が適格性を審査した上で、幹部候補名簿を作成。閣僚は幹部の任免に当たって首相や官房長官と協議する。局長は官房副長官だが、実際の運用では官房長官が強い権限を持つ。 
稲田防衛大臣の悪筆で見くびった? ヒラメ官僚激増の原因とは… 7/1
官僚たちの“ヒラメ”ぶりがひどすぎる。
森友学園との交渉記録を「廃棄した」と開き直る財務省の局長はもとより、加計(かけ)学園スキャンダルでも、獣医学部の認可は「総理のご意向」と文科省に伝えたとされる内閣府の審議官が「そんな発言はしていない」とすっとぼける始末だ。
全国紙の政治部記者がこうため息をつく。
「明らかに政権の側に立ち、安倍首相をスキャンダルから守ろうとしている。でも憲法15条にあるように、公務員は『全体の奉仕者』なんです。なのに、常に上を見ているヒラメのように政権の顔色をうかがってばかりいる官僚が増えている。前川前文科事務次官がせっかく、『総理のご意向』と記した文書を本物と証言し、安倍政権下における行政のゆがみを正そうとしているのに、霞が関ではこれを援護する動きもさっぱりない。ゴマスリ官僚ばかりでは、公正な行政など期待できません」
どうしてこんなことになったのか? 某省の中堅キャリア官僚がこうつぶやく。
「稲田防衛相ですよ。彼女のヘタクソな筆字に完全にしてやられました」
朋チンがヒラメ官僚激増の原因? このキャリアによれば、官僚のヒラメ化が目立つようになったのは2014年からだという。
「この年の春に、国家公務員法が改正され、『内閣人事局』が設置されたんです。これにより、それまで官僚主導で決めていた各省庁の審議官級以上、約600名の人事を首相官邸が一元的に決定するようになった。こうなると、官僚はもう首相に逆らえません。嫌われると、出世できなくなってしまいますから。そのため、公平中立な行政をすることよりも、官邸の顔色をうかがう官僚が増殖したんです」
実はこのとき、法改正を主導したのが、当時、国家公務員制度担当大臣の朋チンだった。キャリア官僚が続ける。
「本来なら、『内閣人事局』ができたとき、霞が関はもっと警戒すべきでしたが、油断してしまったんです」
油断とは?
「ひとつは官邸主導とはいえ、多忙な首相が600以上の幹部ポストについて、適材適所を判別するなんてできっこない。こだわりのある一部のポストは首相が直接任命することになっても、人事の大枠は各省庁の提出した任用リストに沿って行なわれることになるはずと、霞が関側がタカをくくってしまったこと。そしてもうひとつ、私たち官僚を油断させたのが、稲田さんのあのヘタな文字でした」
政府には新組織が発足する際、その看板を時の大臣が書くという習わしがある。そのため、内閣人事局の看板書きは当時、所管大臣だった朋チンが担当することになったのだ。
「人気マンガ『バガボンド』の題字も手がけた書家、吉川壽一(じゅいち)氏の指導を受けて書いた看板なのですが、稲田大臣は本人も認める悪筆。はっきり言って小学生よりヘタ。そのあまりのトホホぶりに、『こんな貧相な看板をぶら下げる組織に、大した仕事なんてできるはずがない』と、官僚たちがすっかり見くびってしまったんです」
あのヘタな文字は官界の抵抗を封じる朋チンの深謀だったのかもしれない。  
何サマなのか? 怪しい国会答弁の内閣人事局長が我が物顔 7/14
支持率下落は止まりそうにない。安倍首相は内閣改造で局面打開をもくろんでいるそうだが、菅官房長官の留任が既定路線では、この先も上がり目ゼロだ。森友学園問題や加計学園問題で、この政権の縁故主義や隠蔽体質が国民に知れ渡り、嫌悪感が広がった。それが支持率急落に表れている。疑惑の目を向けられているのは安倍本人であり、政権中枢なのである。
「官邸が犯罪の巣窟になっていることがバレてしまったわけで、疑惑の中心人物がトップに居座っているかぎり、国民の疑念が晴れることはない。小手先の内閣改造で乗り切るなんて無理ですよ。安倍首相は『説明責任を果たしていく』と言っていましたが、だったら首相夫妻、官房長官、官房副長官、首相補佐官、加計学園の理事長など疑惑に関係する当事者たちの証人喚問が不可欠です。普通の国会審議では、政治家も役人もウソばかり言う。10日に行われた閉会中審査では、首相を筆頭にキーパーソンが出席しないし、たとえ出席しても、菅官房長官は前川前次官をおとしめるのに必死だし、萩生田副長官はシラを切り通していました。この調子では、国民の疑問は何ひとつ解明されない。真相解明には、証人喚問できっちり白黒つけるしかありません」(政治評論家・本澤二郎氏)
10日の閉会中審査では、文科省が公開した「10/7萩生田副長官ご発言概要」という文書について前川前次官が「私が事務次官在職中に担当課からの説明を受けた際に受け取り、目にした文書に間違いない」とあらためて証言。これは昨年10月に萩生田が文科省の常盤豊高等教育局長に話した内容を専門教育課の課長補佐が聞き取ってまとめた文書だ。さらに10月21日付の文書には「官邸は絶対やると言っている」「総理は『平成30年4月開学』とおしりを切っていた」などとの発言が記載されている。
萩生田は「このような項目について、つまびらかに発言した記憶はない」「間違った文書なんだと納得している」などとトボけていたが、偽証罪に問われる証人喚問でも同じことを言えるのか。
公平公正より情実優先が横行
萩生田は安倍の側近中の側近で、加計学園とも縁が深い。落選中は加計系列の千葉科学大の客員教授に就任し、報酬も受け取っていた。現在も無給の「名誉客員教授」の肩書を持っている。13年5月には、自身のブログに安倍、加計理事長と親しげに談笑するスリーショットをアップしていた。
通常国会の集中審議で、安倍と加計が「腹心の友」だと知っていたか聞かれた萩生田は、「最近、盛んに報道されているから承知している」と、まるで最近知ったかのように答えていた。千葉科学大学で客員教授をしていたのも「安倍首相とはまったく関係のないルート」としらばっくれたが、誰が信じるというのか。
「客観的に見れば、ウソやゴマカシに終始している印象ですが、おそらく萩生田氏には、ウソを言っているという罪悪感もないのでしょう。自分を見いだして目をかけてくれた親分を守って忠誠心を見せる、落選中にお世話になった加計理事長への恩義を示す。彼にとってはその方が、国民への説明よりも大事なのだと思う。公正公平より情実優先。それはこの政権の体質とも言えます」(政治学者の五十嵐仁氏)
問題は、こういう怪しい国会答弁を続ける人物が、官僚の幹部人事を握る内閣人事局の局長を務めていることだ。生殺与奪を握られた官僚は“本当のこと”が言えなくなる。萩生田が関与を否定している以上、それを覆す証言はできない。閉会中審査で文科省の常盤局長が「記憶にない」と繰り返す姿は、見ていて気の毒なほどだった。
国民の声で追い込まなければ大変なことになる
萩生田の発言が記された文書や、内閣府が「総理のご意向」を根拠に文科省に獣医学部新設を迫ったことを示す文書は、内部告発を経て公になったものだ。当初は「怪文書」扱いで、存在しないとされていた。世論の高まりで隠しきれなくなり、公表せざるを得なくなったのだが、すると、なぜか松野文科相は「内容が不正確」と謝り、関係した官僚は処分されてしまった。
一方で、森友学園問題で「文書は廃棄した」「自動的に消えるシステムで復元できない」とフザケた答弁を繰り返し、官邸の関与を隠し通した財務省の佐川理財局長は5日付で国税庁長官に昇進したわけだ。
憲法学者で慶大名誉教授の小林節氏は、13日付の日刊ゲンダイのコラムでこう書いていた。 
<首相と親しい者が、法律に反してまで不当に利益を得る。それに協力した役人が出世して、それに逆らった役人は処分を受ける。まるで、時代劇で将軍と御用人と代官と御用商人の関係を見せられているようである>
まったくその通りで、納税者より権力者の方を向いて忖度する国賊が出世し、正直者がパージされるのでは、どこぞの独裁国家を笑えない。
「国税庁長官人事を決めたのも、萩生田副長官が局長を務める内閣人事局です。財務省にしてみたら理財局長から国税庁長官というのは通常のルートかもしれませんが、森友問題であんな答弁をした人が出世すれば、論功行賞に見えてしまう。普通の感覚ならば、『李下に冠を正さず』で、こんな人事は認めないでしょう。天下に向かって、イエスマンを優遇し、歯向かえばパージすると宣言したようなものです。内閣人事局が、行政を私物化する装置になってしまっている。官邸や、そのお仲間のために、政治も行政も歪められているのです」(五十嵐仁氏=前出)
ワルが幅を効かせる独裁国家でいいのか
メディアの締めつけにも熱心なのが萩生田だ。14年の衆院解散直前、自民党筆頭副幹事長の萩生田の名前で、在京テレビキー局に、「公平中立」と「公正」な放送を心がけろという要請文書が出された。公正というと聞こえはいいが、要は、選挙があるから政権批判を控えろという圧力だ。当時の萩生田は総裁特別補佐も務めていた。自他ともに認める安倍側近からの要請にメディアは黙り込んだ。
こういうことを平気でやるのが、この国の中枢なのである。異論を認めず、批判は封じ込め、告発者には人格攻撃まで仕掛けて潰しにかかる。停波をチラつかせてメディアを脅し、報道も自分たちに都合のいいようにコントロールしようとする。
「こんな恐怖支配を許していたら、その矛先はいずれ国民に向かってきます。自分を批判する者は“敵”とみなすのが安倍首相の性質だからです。都議選の街頭演説で有権者から批判の声が上がると、『こんな人たち』と敵視していたのが証拠です。内閣改造で目先を変えても、安倍首相が続くかぎり、この政権の本質は変わらない。国家中枢が骨の髄まで腐っているのです。萩生田氏は首相の威光をカサにきて威張り散らし、人事を握られた官僚は官邸の意向を忖度する。フダツキが我が物顔で闊歩し続ける。命がけで告発した正直者は報われず、ワルが幅を利かせる独裁国家でいいのでしょうか。この国で進行しているのは、モラルハザードという言葉では言い尽くせないほど深刻な亡国政治です。国民の声で安倍首相を追い込まなければ、正義は失われ、この国は完全に民主主義国家ではなくなってしまいます」(本澤二郎氏=前出)
加計学園の獣医学部新設をめぐる問題では、安倍が出席して予算委の閉会中審査を実施する方針が、13日に決まった。自民党はかたくなに拒み続けていたが、ここへきて一転。世論に抗しきれなくなったのだ。「こんな人たち」が一斉に声を上げれば、この破廉恥政権は行き詰まる。今こそ、国家中枢に巣食う悪人どもを一掃しなければ、この国に未来はない。 
安倍政権の切り札、内閣人事局長は杉田和博官房副長官! 8/4
安倍総理大臣は政権で最重要の要職と言われている「内閣人事局」に杉田和博官房副長官を起用しました。
内閣人事局は2014年に官僚の人事権を政治家が抑えるために作った組織で、この内閣人事局が出来てからは官僚が内閣に従う構図が続いています。
事務副長官が内閣人事局長になるのは初で、官僚とのパイプを持っている杉田氏を任命することで官僚側の反発を押さえ込む狙いがありそうです。
杉田氏は警察での活動経験が長く、警視庁第一方面本部長や神奈川県警察本部長、警察庁警備局長、内閣官房内閣情報調査室長などを担当。 
内閣人事局がぶっ壊した霞が関の秩序 8/8
14年に発足した内閣人事局は霞が関の鉄筋コンクリート並みの秩序をぶっ壊してきた。官僚らに何が自身を利するのか卑しく問いながら。「森友疑惑」で木で鼻をくくったような答弁を続けた財務官僚の栄達などは一つの証明である。
「内閣人事局」が設立されたのは、2014年5月のこと。この組織を政治部デスクに解説してもらうと、
「これまでは各省庁が人事をまとめてきましたが、そのうち審議官クラス以上の約600人について、政治主導で人事を決めるために作られたものです」
ときに批判にさらされる非効率的な縦割り体質や多年の弊風を打ち破る意味で、あるいは社長が会社の人事権を握ることに異論を挟む者がいないのと同じように、官邸首脳が行政機関の人事を差配するのは当然のことだろう。したがってその方向性は間違っていないわけだが、
「政権が長く続きすぎたことで、その澱みが出てきているのではないでしょうか。局長は政治家の官房副長官が務めることになっていますが、実質的には菅さん(義偉官房長官)が決定権を持っており、その意向が強く働きすぎているようにも感じます」(同)
文科省OBの寺脇研氏は、
「人事局ができたことで、それぞれの官僚の心の中に、常に官邸からチェックをうけているのではないかという気持がめばえるようになったと思います」
と指摘する。このことに加えて、選挙を連戦連勝に導き、「軍師・菅」の名を高からしめることで霞が関を牽制・睥睨する手法を前にしては、人事こそ人生最大の関心事であるキャリア官僚はひとたまりもない。まさに「建設よりも破壊」によって力を見せつけてきた、その具体例を見て行こう。
論功行賞
最初に取り上げるのは、「我ら富士山、他は並びの山」と最強官庁を自負する財務省である。まず、学校法人「森友学園」への国有地売却問題を巡る国会答弁で、「記録は廃棄した」「電子データは自動的に消去される」などと、木で鼻をくくったように対応した佐川宣寿氏について。今夏、理財局長から国税庁長官へ栄達を果たしたが、財務省担当記者によると、
「理財局長からは4代続いての昇格ですが、佐川の場合、直前に関税局長を務めています。これは局長ポストの中で末席なんです。銀行局長や証券局長という役職があった大蔵省時代でさえ、省内では最も低く見られる立場で、以前なら関税局長で終わりでしょう。13年にこのポストから国税庁長官になった例はあるにせよ、あくまでもイレギュラー人事。さすがに佐川も理財局長で退官だと見ていたのですが……。あの国会答弁を官邸が諒とした、その論功行賞以外の何物でもありません」
裏を返せば、安倍政権に刃向うとどうなるかわからない、その匕首(あいくち)を霞が関に突きつけたということになる。
姑息な人事
もう1つ、予想外の声が省内であがったのは、事務次官、主計局長に次ぐ官房長人事だ。官房長経験者は過去11代続けて次官になっている。ベテラン記者に聞くと、
「一橋大経済学部卒の矢野康治。とても優秀だって聞きますけれど、彼は菅さんの秘書官をやっていたんですよ。『消費税10%再々延期なし』が悲願の財務省としては長官との距離感が大事ということで矢野を推薦したのは間違いない」
もっとも、
「大蔵省(財務省)で予算編成を担当する部署である主計局の中でも、総務課の企画担当主計官(主計企画官)という役職は全体の予算フレームを決めるところで、各年次の出世頭が就くポスト。ゼロ・シーリングの発案者・山口光秀、竹下登に消費税導入を提案した吉野良彦、国民福祉税構想を提唱した斎藤次郎ら歴代の大物次官はみな企画担当主計官を経ています。その仕事をしていない矢野がこの地位に来たというのは時代が変わったのかな」
と漏らす。元財務官僚で民進党の玉木雄一郎代議士は、
「3代続けて同期入省が次官になったあたりからおかしくなってきたんだと思います」
と言うし、先のベテラン記者も同様に人事の歪みだと論難するのは、15年に田中一穂氏が同期で3人目の次官に就任したことだ。
「田中と同期の昭和54年組だと、13年に次官になった木下康司と翌年にその後を襲った香川俊介が、早くから将来の次官候補と目されてきました。花の41年組に続いて優秀だと言われていたので、同じ期から次官が2人出ても不思議はなかったけれど、田中は目立たない存在で、特筆すべきキャリアと言えば、第1次安倍政権で首相秘書官をやったことぐらいです」(同)
ちなみに、41年組には長野厖士(あつし)、中島義雄、武藤敏郎の各氏ら人材は綺羅星の如くだったが、長野・中島の両氏はともに醜聞のぬかるみにはまり、武藤氏だけが次官の座に就いている。田中氏に話を戻そう。
「同じ期から3代連続で次官が出るというのは、財務省の歴史をひもといても皆無。内閣人事局ができた時、“600人もの人事を管理できるわけがない。きっと安倍さんは自分の秘書官を経験した人間を省庁のトップに据えるだろう”と霞が関で言われていましたが、実際その通りになったわけです。田中は主税局長から主計局長を経て次官になっていますが、そのような流れは聞いたことがありません」(同)
わざわざ次官コースの主計局長をやらせてその資格を与えた、姑息な人事だと言い切って、その政治的な臭いに鼻をつまむのだ。
進次郎の振付師
一方で、重要な人材を摘んでしまったのが、農水省の次官人事である。
「農水省の次官というのは水産庁長官か林野庁長官から昇格するのが定石でした。でも去年、それが崩れて経営局長から奥原正明が就きました。彼と同期の前任者は、定年でもないのに任期僅か10カ月で辞職を余儀なくされたんです」(前出・デスク)
先の玉木代議士が続けて、
「今回の人事に関しては農水省が特におかしいと私は思っています。見る人が見ればわかりますが、(次官待機組の)水産庁長官、林野庁長官、そして消費・安全局長が全員退職に追い込まれているのです」
このサプライズを演出したのも、他ならぬ菅官房長官だという。
「『菅―奥原ライン』は攻めの農業という、定義のよくわからないことをとにかく推し進めていて、意味のない農協潰しなんかをやっている。今までも全員が守りの農業をやってきたわけではないのに、それこそ印象操作に近いのです」(同)
そもそも奥原次官とは、
「農水省にあって農協解体が悲願という変わり種で、稲田朋美が自民党の政調会長だった頃、2人でせっせと農林族を回っている姿がありました。彼のそうした行動を菅さんは高く評価していて、“奥原っていいでしょ?”と周辺によく言っていたほどです」(前出・デスク)
他方、農水族に重きをなすある代議士は、
「農業を成長産業にするという考え方は良いことですが、規制緩和をして一般企業を農業に参画させることで市場の論理に晒された農業がどうなるか考えていない。奥原と官房長官は一体で、そこに農林部会長の小泉進次郎もうまく取り込まれた恰好ですね。“農業改革が自分の使命”なんて進次郎は盛んに言っていますが、奥原に吹き込まれたんでしょう。演説で主張している内容が奥原の訴えと同じだったことが何度もありましたからね」
とし、こう続ける。
「例えば、進次郎は“農協の肥料は高く、韓国や中国の2〜3倍する。余剰分を農協が懐に入れているのではないか。このままでは日本の農業の国際競争力が落ちてしまう”といった考えをお持ちのようだが、そうではない。日本の土壌に合う肥料を長い時間をかけて開発してきたという事情を知らず、単に値段だけを見て中途半端な発言をしているんです」 
忖度する人が栄転? 2017/11
森友学園をめぐる土地取引の記録文書を廃棄したと答弁した佐川宣寿氏が、今月5日付で国税庁長官となった。民進党は、この人事異動について“なぜ昇進させたのか”と、国家公務員の幹部人事を首相官邸が決めていることを批判している。
幹部人事を一元的に行う「内閣人事局」とはどのような組織なのか。日本テレビ政治部・柳沢高志記者が解説する。
――「内閣人事局」とはどのような組織なのか。
内閣人事局は、第2次安倍政権が2014年に新たに設置した組織。首相官邸直轄で、約600人の国家公務員の幹部人事を決めている。つまり人事を官僚主導から政治主導に変えたということになる。
例えば、国交省はもともと建設省や運輸省などが統合してできた役所だが、トップの事務次官は、旧建設省の事務官、技官、そして旧運輸省から1年ずつ順番に選ばれるという“慣行”が長く続いていた。
――つまり、官僚が自らの判断で身内の人事を決めていたと。
そうなる。しかし、これでは官僚が国の利益よりも自分の省庁の利益を優先することが多くなるとして、安倍政権はこれを変えた。
他にも安倍政権は、農水省の事務次官に次の次官と目されていた人物ではなく、あえて別の改革派と言われる官僚を次官に据えて、60年ぶりとなる農協改革を推し進めた。また、日本の海を守る海上保安庁の長官にキャリア官僚ではなく、現場をよく知る生え抜きの職員を起用するなど、前例のなかった人事を進めている。
――そうすると、前向きの改革のように聞こえるが、どうして野党は批判しているのか?
いま、官僚人事を一手に握る菅官房長官は「官僚人事は政権が進める改革に賛成か反対かで決めている」と明言している。これに対し、あるキャリア官僚は「人事権を握られたことで、官僚が官邸の意向ばかりを気にするようになった」と話している。
野党側は、こうした人事制度が官邸の意向を役所が過剰に忖度(そんたく)することにつながり、今回の“森友問題”や“加計問題”の原因の1つになったと指摘している。
政府高官は「国民から選ばれた政治家が官僚の人事を握るのは当然だ」としている。しかし、行政のゆがみを生むような過剰な忖度を防ぐためには、人事が客観的に見て適切に行われたと納得できる説明が必要なことは言うまでもない。 
一段と拍車がかかるNHKの偏向放送 2017/12/11
安倍政権は人事権を濫用してNHKを私物化している。
NHKの最高意思決定機関は経営委員会だが、経営委員会の委員の任命権は内閣総理大臣にある。放送法第31条は経営委員会の委員について次のように定めている。
「(委員の任命)
第三一条 委員は、公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命する。」
そして、実際のNHKの業務運営は、NHKの会長、副会長、および理事に委ねられるが、会長、副会長、理事については、放送法第52条が次のように定めている。
「第五二条 会長は、経営委員会が任命する。
2 前項の任命に当たつては、経営委員会は、委員九人以上の多数による議決によらなければならない。
3 副会長及び理事は、経営委員会の同意を得て、会長が任命する。」
つまり、内閣総理大臣がNHK経営委員会の人事権を握り、その経営委員会がNHK会長を選出する。そして、NHK会長は経営委員会の同意を得てNHK副会長と理事を任命するのだ。
これを見ると、内閣総理大臣はNHKを支配し得る人事権を有しているということになる。ただし、経営委員の任命を定めた第31条には、
「公共の福祉に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、」
の記述があり、内閣総理大臣が、この記述に沿って適正に経営委員を任命するなら大きな問題は生じないが、内閣総理大臣が、この記述を無視して、偏向した人事を行えば、NHK全体が偏向してしまうのである。
また、NHKの財政運営については、第70条が次のように定めている。
「(収支予算、事業計画及び資金計画)
第七〇条 協会は、毎事業年度の収支予算、事業計画及び資金計画を作成し、総務大臣に提出しなければならない。これを変更しようとするときも、同様とする。
2 総務大臣が前項の収支予算、事業計画及び資金計画を受理したときは、これを検討して意見を付し、内閣を経て国会に提出し、その承認を受けなければならない。」
NHKは予算を総務大臣に提出し、総務大臣が国会に提出して承認を受ける。国会において、与党が衆参両院の過半数を占有していれば、NHKは与党の承認さえ得れば、予算を承認してもらえる。
そして、NHKの収入の太宗を占めるのが放送受信料である。放送受信料を支えているのが放送受信契約である。これについては、第64条が次のように定めている。
「(受信契約及び受信料)
第六四条 協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。」
この条文は、家にテレビを設置したら、放送受信契約を結ぶことを義務付けるものである。しかし、NHKの番組編集は著しく偏向しており、NHKと受信契約を締結したくない主権者が多数存在する。NHKの偏向を是正せずに、受信契約を強制することは、基本的人権の侵害である。
受信契約拒絶の自由を求めて訴訟が提起されたが、政治権力の忖度機関に成り下がっている裁判所が、放送法64条の規定を合憲と判断した。
政治権力がNHKも裁判所も支配してしまっている。NHKは「みなさま」のことを一切考える必要がない。NHKは、ただひたすら「あべさま」のご機嫌だけを窺う機関に成り下がっている。
12月10日放送の「日曜討論」では、安倍政権の経済政策をテーマに討論番組が編成されたが、一段と偏向が強まっている。
この討論番組を評価する基準は、出演者の選定である。そもそも司会者が偏向を絵に描いた存在の島田敏男氏である。この時点で、放送内容が大きく歪む。この日は4名の出演者だったが、政府代表プラス太鼓持ち発言者は定石である。残りの2名の出演者に、対論を述べる代表的な論者が出演して、初めて「討論」の意味が生じる。
しかし、偏向NHKはこの2名の人選において、露骨な偏向を実行している。残りの2名も、政府施策賛同者、財政規律優先論者を揃えており、これでは、公平な議論にならない。
安倍政権の施策に問題があることはもちろんだが、財政規律を主張する論者だけを登場させるのは、財務省への配慮なのである。こんな偏向番組を制作するNHKとの受信契約強制を合憲とする裁判所は、もはや裁判所としての機能を失っている。
政治権力=行政権力がすべてを支配し、憲法も無視した政治を実行しているのが現実であり、この現状を打破するには、ただひとつ、この行政権力を打倒するしかない。
この点を明確にしておく必要がある。  
 
特定秘密保護法 2013 

 

「その他」の数だけ 闇から闇へ 
大臣役人の好き勝手  拡大解釈はお手の物 
煩わしいことは全て 特定秘密保護法「その他」を適用 
プライバシーの侵害  
秘密保護法には、「特定秘密」を取り扱う人のプライバシーを調査し、管理する「適性評価制度」というものが規定されています。調査項目は、外国への渡航歴や、ローンなどの返済状況、精神疾患などでの通院歴…等々、多岐に渡ります。秘密を取り扱う人というのは、国家公務員だけではありません。一部の地方公務員、政府と契約関係にある民間事業者、大学等で働く人も含まれます。その上、本人の家族や同居人にも調査が及ぶこととなり、広い範囲の人の個人情報が収集・管理されることになります。
「特定秘密」の範囲  
「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」に関する情報です。これはとても範囲が広く、曖昧で、どんな情報でもどれかに該当してしまうおそれがあります。「特定秘密」を指定するのは、その情報を管理している行政機関ですから、何でも「特定秘密」になってしまうということは、決して大袈裟ではありません。行政機関が国民に知られたくない情報を「特定秘密」に指定して、国民の目から隠してしまえるということです。  
例えば、国民の関心が高い、普天間基地に関する情報や、自衛隊の海外派遣などの軍事・防衛問題は、「防衛」に含まれます。また、今私たちが最も不安に思っている、原子力発電所の安全性や、放射線被ばくの実態・健康への影響などの情報は、「テロリズムの防止」に含まれてしまう可能性があります。これらが、行政機関の都合で「特定秘密」に指定され、主権者である私たち国民の目から隠されてしまうかもしれません。  
その上、刑罰の適用範囲も曖昧で広範です。どのような行為について犯罪者として扱われ、処罰されるのか、全く分かりません。
マスコミの取材・報道の自由への阻害  
「特定秘密」を漏えいする行為だけでなく、それを知ろうとする行為も、「特定秘密の取得行為」として、処罰の対象になります。マスコミの記者、フリーライター及び研究者等の自由な取材を著しく阻害するおそれがあります。正当な内部告発も著しく萎縮させることになるでしょう。
秘密保護法・監察室は補佐的役割、第三者機関と隔たり  
特定秘密保護法に基づく特定秘密の指定や解除を検証する監視機関として、菅義偉官房長官が5日に設置を表明した「情報保全監察室」(仮称)が、事務次官級の「保全監視委員会」(同)の補佐的役割にとどまることが分かった。同日の自民、公明、日本維新の会、みんなの党の4党合意では、監察室は「独立した公正な立場で検証、監察する新たな機関」(同法付則9条)との位置付けだったが、合意を受けた実際の制度設計は「第三者機関」にはほど遠く、チェック体制は何ら強化されていないことになる。  
4党合意は法案修正に携わった実務者レベルの署名にとどまっており、独立性の強い機関を主張する維新から「骨抜き」と批判が出る可能性もある。  
政府案によると、情報保全監察室は内閣府に設置し、警察庁や外務、防衛両省の官僚20人程度で構成する方向。同じく内閣府に新設する審議官級ポスト「独立公文書管理監」(仮称)の下部組織とするが、内閣府設置法3条は内閣府を「内閣官房を助ける」と定めており、4党合意も監察室の所掌事務を「同条に基づく」としていることから、実際は保全監視委員会の補佐が主になる。  
保全監視委員会は行政機関の長による特定秘密の指定や解除などをチェックし、運用に問題があれば、首相が各機関を指揮監督する。一方、情報保全監察室は4党合意を踏まえ、指定や解除の適否などを検証、監察するが、独立性はない。森雅子特定秘密保護法担当相が6日の記者会見で「特定秘密の中身をしっかり見られるようにしないと、違法な指定をしているか判断できない」と述べたのも、監察室を政府の一組織にすることを想定しているためだ。  
本来、監察権限を持つ第三者機関を設置するには法律が必要だ。しかし、政府はもともと第三者機関に消極的で、4党合意でも監察室は「政令で設置する」ことになっていた。菅氏は5日の参院国家安全保障特別委員会で、維新の室井邦彦氏に対し「高度の独立性を備えた機関への移行のため、内閣府設置法の改正も検討していく」と答弁したが、自民党幹部は「公正取引委員会や消費者庁のような内閣府の外局にはなるわけがない」と語っている。 
特定秘密保護法案とうとう強行採決
ついに特定秘密保護法が12月6日深夜、成立した。世論調査の結果でも「慎重に審議を尽くせ」との声が多数にもかかわらず、「年はまたがない」という強い意志のもと、安倍政権は強行突破。採決後には、自民党・石破茂幹事長(56)から差し入れのアイスクリームが届き、居合わせた幹部らで簡単ながら甘い甘い祝勝会が始まった。
政府、自民党にとってはまさに思惑どおりの国会運営ではあったが、弛緩しきった雰囲気も漂っていた。
まずは石破幹事長がブログで市民団体のデモを「テロ行為」と同一視。マスコミから集中砲火を浴びると、「何とかしてくれないか」と周囲に懇願する始末。
委員会採決当日には、委員会室の応援席に座った1年生議員たちが、緊張感のかけらもなく談笑。開会前には女性議員が答弁席に立ち答弁のまねごとをし、傍聴席から「遊びでやってるのか」との声が漏れた。
また計算どおりとはいえ、同じ党内からも「無理をしすぎ」(閣僚経験者)との声が出る国会運営で、盤石と思われてきた政権基盤が傷ついたのは確かだ。
「成長戦略実行国会」と安倍首相自らが呼びながら、今国会でのトルコ、UAEとの原子力協定の承認は時間切れ。原発輪出は安倍政権が成長戦略の柱としていただけに、「特定秘密保護法案に政治的パワーを使いすぎた。思わぬ誤算」と自民党幹部は振り返る。
そして6日、内閣不信任案や問責決議案が飛び交った後に成立。この幹部は「強行イメージがますます増幅して、内閣支持率は5、6ポイント下がるだろう」とも口にした。今回の国会運営が政権の体力をそぎ落としたのは確実だろう。
こうした強引な国会運営は、第1次安倍政権の命取りにもなった。姿見に映る第2次安倍政権は、そのころと相似形になっている。 
 
平和安全法制 2015 

 

9月19日を新しい祝日とします  「憲法の命日」 
憲法は 時々の政治家により 
いかようにも解釈変更できることとなりました  黙祷

「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」、通称平和安全法制整備法と「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」、通称国際平和支援法の総称である。平和安全法制関連2法とも。マスメディア等からは安全保障関連法案、安保法案、安保法制、安全保障関連法、安保法と呼ばれる他、この法律に批判的な者や政党(民主党(現・民進党)、日本共産党、社会民主党等)が主に使用する戦争法という呼び方も存在する。
「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」(平和安全法制整備法案)は、自衛隊法、周辺事態法、船舶検査活動法、国連PKO協力法等の改正による自衛隊の役割拡大(在外邦人等の保護措置、米軍等の部隊の武器保護のための武器使用、米軍に対する物品役務の提供、「重要影響事態」への対処等)と、「存立危機事態」への対処に関する法制の整備を内容とする。
また、「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」(国際平和支援法案)は、「国際平和共同対処事態」における協力支援活動等に関する制度を定めることを内容とする。
第3次安倍内閣は、2015年5月14日、国家安全保障会議及び閣議において、平和安全法制関連2法案を決定し、翌日、衆議院に提出した。
衆議院では、同年5月19日、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会を設置して平和安全法制関連2法案が付託され、審議が開始された。7月15日、同特別委員会で採決が行われ、賛成多数により可決。翌7月16日には衆議院本会議で起立採決され、自民党・公明党・次世代の党(現:日本のこころを大切にする党)などの賛成により可決。参議院へ送付された。
参議院では、9月17日には、我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会で採決が行われ、賛成多数により可決。同日午後8時10分に参議院本会議開会。翌々日の9月19日午前0時10分には参議院本会議が改めて開会された。17日の参院特別委員会で採決が混乱し、野党側は無効だと指摘したが、鴻池祥肇委員長は本会議の冒頭、「採決の結果、原案通り可決すべきものと決定した」と報告。その後、各党が同法に賛成、反対の立場から討論を行った後、記名投票による採決がされ、自民党・公明党・次世代の党・新党改革・日本を元気にする会などの賛成多数により午前2時18分に可決・成立。さらに、政府は平和安全法制による自衛隊海外派遣をめぐる国会関与の強化について5党合意を尊重するとの閣議決定をした。同月30日に公布された。
政府は、平和安全法制関連2法が「公布の日から六月を超えない範囲内において政令で定める日から施行する」としていることを踏まえ、2016年3月22日の閣議で施行日を同月29日とする政令と自衛隊法施行令をはじめとする26本の関連政令を改正する政令を制定する閣議決定をした。2016年3月29日午前0時から施行した。
安保法案で野党が批判する「強行採決」とは? 
7月15日、集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ安全保障関連法案が、衆議院の特別委員会で採決されました。民主党、維新の党、共産党は、委員会に出席はしたものの、政府案の採決には応じなかったため、与党のみで採決をする「強行採決」という形が取られました。国会の周辺では、この「強行採決」に反対するデモの声が響き渡りました。しかし、議会制民主主義は多数決で物事を決定していくシステムです。昨年の総選挙で多数を獲得した与党は、「民意」にしたがって決を取ったに過ぎないと考えることもできます。一体「強行採決」は、何が問題なのでしょうか。
法案1本あたりの審議時間は10時間?
「強行採決」とは、マスコミが作り出した用語であり、法律に定められているわけでもなく、厳密な定義もありません。実は、日本の法律は、そのほとんどが多数決ではなく「全会一致」で成立しています。与野党がきちんと議論をして修正をした上で、各党が共通して支持する法案が、圧倒的に多いのです。また、与野党で法案に対して部分的に賛否が分かれた場合でも、そのほとんどは、審議を打ち切ることについての与野党の合意があった上で採決をします。
しかし、法案の内容をめぐって与野党の主張が真っ向から対立する、いわゆる「対決法案」では、お互いに妥協の余地があまりありません。採決をするに足りる十分な議論ができていないとして、少数派である野党が採決をすること自体を拒否すると、多くの場合に与党側である委員長の職権で、与党だけでも採決を行うことができるルールになっています。この委員長職権による採決は、慣例上極めて例外なものとして位置づけられているため、話し合いを続けることを拒否する非民主的な方法という批判を込めて、「強行採決」というネーミングがされているのです。
与野党で主張が真正面から対立する「対決法案」の場合は、最終的に質問や討論で意見の違いを埋めることはできないため、議論をし続けることに意味はなく、多数決を取る事は何の問題もないと考えることもできるでしょう。しかし、中央大学法科大学院の佐藤信行教授(公法・英米法)は次のように指摘します。
「民主主義だから多数決で決めればいいというだけなら、極端な話、選挙で多数派が決まった時点で審議をやる必要もないし、国会も不要かもしれません。しかし、法案審議で丁寧な議論を尽くすことが重要なのです。野党があらゆるケースを想定して質問をし、与党がこれに対して明確に回答して行くことで、法案における利害関係の調整が適切かどうか、見落としていた論点はないか、制度の問題点はないかを明らかにできます。さらに、こうした議論を重ねることによって、法律が国会の手を離れて実際に執行される時に、どのような運用がされるのかについての基準をあらかじめ形作るという機能を有するのです」
今回の審議は、閣僚によって答弁の内容が異なるなど、不安定で明確性を欠くことも少なくありませんでした。また、具体的なケースを想定した質問がなされても、与党は曖昧な回答に終止しました。安保法案がどのように執行・運用されていくのかを統制する議論が十分になされていたかは、疑問があると言わざるを得ません。
そして、事実上の慣行として、平均すると一本の法案に対する審議には、80時間程度の時間が費やされます。与党は、今回の法案について、審議を110時間行ったから、「審議は十分尽くされた」という説明をしています。しかし、今回は「安保法案」という形でくくられているものの、その中身は11もの法律に及びます。単純に割れば、1つあたりは10時間程度となってしまい、審議時間が明らかに足りないとも考えられるのではないでしょうか。
中身のある議論はできていたのか
これに対して、前衆議院議員の三谷英弘弁護士は、次のように語ります。
「今回の法案は、大きく分けて、自衛権行使、後方支援、領域警備という3つのテーマに分類できると思います。具体的な数字としては11の法案ですが、論点が重なる部分もありますから、全てが個別の法案と考えることは適切ではないでしょう。一方、『安保法案』という1つの法案だというのはさすがに無理があります。議員経験から考えると、審議時間は110時間では十分とはいえず、全体として150時間くらいは必要だったのではないかと思います。」
しかし、単純にここから30〜40時間増やして審議すれば解決したのかというと、そうとはいえません。本質的な問題は、“中身のある”審議ができなかったことでした。今回の審議では、「自衛権」の中身を再定義した、維新の党の対案が出てきた事に、大きな価値があったと三谷弁護士は指摘します。
「維新の対案は、今回の法案について、『個別的自衛権』と『集団的自衛権』のどちらで説明するかといった言葉の問題という面もありましたが、『自衛権』の行使をどこまで統制するかということが具体的な論点として上がるきっかけになっていたのです。しかし、この対案が出されたのは、審議も終盤に差し掛かった、7月8日になってからでした。審議の場で法案の理解が深まったのは、この採決前の一週間に過ぎません。維新も、審議終了の間際になってからではなく、もっと早くに対案を出して審議時間を目一杯活用して堂々と議論をするべきでした」
今回は、与党が審議の時間をきちんと取っておらず、適切な答弁をしていないまま「強行採決」に踏み切ったということも、もちろん問題です。しかし、審議が始まった当初から80時間くらいは、野党も「戦争法案」などといったレッテル貼り・印象論に終始し、あまり具体的な議論が出すことができていなかったともいえます。三谷弁護士は、「与党にも猛省を求めたいですが、野党も闘い方が極めて稚拙だったと言わざるを得ません。両者とも強く批判されるべきです。有権者の皆さんも、印象論で賛成か反対かを考えるのではなく、国会の審議がきちんと議論の場になっているかを見定める姿勢を持って欲しい」と言います。
「強行採決」という言葉は否定的なイメージが強く、それ自体に目が行きがちですが、今回の問題の本質は、中身のある実質的な議論が十分にされなかったということに尽きます。採決がなされる瞬間、野党の議員が「自民党 感じ悪いよね」と書かれたプラカードをカメラに向かって掲げる光景は、今回の法案審議を象徴するものとして極めて印象的でした。民主主義は、議論のプロセスを充実させることに意義があるということを、改めて考えさせられます。 
安全保障法制改定法案の参議院強行採決と法案成立に抗議 東京弁護士会
本日未明、参議院本会議において、平和安全法制整備法案及び国際平和支援法案の採決が与党によって強行され、同法律が成立した。
しかし、これらの法律は、これまでも当会会長声明で繰り返し述べたとおり、他国の武力紛争にも加担して武力行使ができるようにする集団的自衛権の実現や、後方支援の名目で他国軍隊への弾薬・燃料の補給等を世界のあらゆる地域で可能とするもので、国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄を定めた憲法9条に明らかに違反する。このことは、従前の政府の解釈でも確認されていたことである。
また、法律の専門家である元最高裁判所長官及び元判事や元内閣法制局長官、全国の憲法学者・研究者の大多数、及び全ての弁護士会も本法案を憲法違反と断じているのであり、にもかかわらず、安倍内閣は昨年7月の政府解釈を一方的に変更する閣議決定に基づき本法案を強引に国会提出してきたもので、このようなやり方は憲法をもって政治権力への統制規範とする立憲主義にも明らかに違反している。
さらに、直近の衆議院総選挙でも、本法案は争点とはなっておらず、国民は現政府・与党にこのような法案の成立まで委託したわけではない。そうであればこそ、各マスコミの世論調査によれば国民の約6割が法案に反対を表明し、約8割が「説明不足」だとしているのである。にもかかわらず、これらの声を無視し強引に本法案の成立を強行することは、国民主権の理念にも反するものである。
かかる状況下において、政府及び与党が衆議院に引き続き参議院でも本法案の採決を強行し、憲法9条・立憲主義・国民主権に違反する法律を成立させたことは、憲政史上の汚点であり、到底許されることではなく、強く抗議する。
今回、法律が成立したと言っても、それが憲法違反である以上、法律の効力は無効である。このような無効な法律に基づいて政府が政策を立案・実行していくことは到底許されるものではない。よって、違憲・無効な平和安全法制整備法及び国際平和支援法を、可及的に速やかに廃止するよう強く求めるものである。 
 
 
 
坂上忍が生放送で「安保法案に大反対」と勇気ある発言! 2015/9
「(安保法案は)ぼく、大反対なんですね」
きょう、生放送の番組で突然、坂上忍がこのように発言した。きょう放送の『バイキング』(フジテレビ)でのことだ。昨日、石田純一が反対デモに参加して安保法案反対を訴えたことにつづき、坂上もついに声を上げたのだ。
「いまの世界情勢など見てると、必要なのかなって気にもなりがちなんだけど、日本も一時、戦争があったときに『お前ら金だけ出して何もやんないのか』って叩かれたときもあったし、でも、逆に言ったらいまだからこそ、武器持たないで憲法9条持ってりゃいいんじゃないの? だって、被爆国なんだから。被爆国にしかできないことあるわけで、いまだからこそ、武器持たない日本でいてほしいなっていうのが強い想いですかね。どちらかと言うと」
自分の看板番組で、この堂々とした発言。坂上はいかにも当然といった風情で飄々と語ったが、政権ベッタリのフジテレビで、しかも生放送で展開するとは、相当な度胸がないとできない。さすがは「嫌われることを恐れるな!」と言ってきた坂上だ。
しかし、坂上の清々しい態度とは対照的に、スタジオの空気はどんよりと重くなり、実際、坂上の両脇で話を聞いていた雨上がり決死隊の二人はいかにも「マズい」といった表情を浮かべていた。だが、坂上の話に、拍手を送る者が現れた。金曜レギュラーの渡辺えりだ。
「わたしもそう思いますよ。武力には武力でやったら、ずーっとつづくわけですから。それを止める勇気。ほんとに大変だけれども、止める勇気をもたなくてはいけないとわたしは思いますね」
渡辺がそう言った後、再び坂上が「ただね、もう、こっち(自分たちのような)の意見になると、きれいごとにも聞こえ兼ねないので」と渡辺に語りかける。そして渡辺は「だから議論! もっと話し合いをつづけないと」と訴えた。
このスタジオのムードに芸人たちが怯えるなか、今度は「おバカタレント」といわれる鈴木奈々が、「わたしは反対です」とはっきり口にした。
「0.1%でも戦争に巻きこまれると思うと、そうなる確率が増えると思うと、すごく不安で怖くて、決まってほしくないって気持ちですね」
「おバカ」で有名になった分、こうした発言は確実にネトウヨの標的になる。それは鈴木も百も承知だっただろう。それでも自分の意見をきっぱりと表明した鈴木に、坂上は「奈々ちゃんが言ったみたいに、(法案が)良い・悪いでいいんだもん。それは奈々ちゃんの年齢の、奈々ちゃんのいまの立場で、これに賛成できるのか賛成できないのか。それが奈々ちゃんの意見なんだもん」と擁護した。
自分の本音を言えないくらいなら干されたっていい。坂上は再ブレイクを果たしてからも、そのようなことを言ってきた。今回、坂上はきっちりとその態度を鮮明にしたのだ。もうアッパレとしか言いようがないが、さらにもうひとり、反戦思想を行動で表明した芸能人がいる。
じつはきょう、NHKでも『スタジオパークからこんにちは』に出演した、ミュージシャン・俳優のうじきつよしが、弾き語りで「自由」という自身の歌を披露した。それは明確な“安保法案反対”の歌だった。
《 物言えぬ憂鬱 所詮パズルのピース  時計の針は 錆びついた へし折れたまま  すべて意のままに 潰されてたまるか  戦火なき 奇跡の歴史  罪なき世代に バトンを 手渡せないまま  曖昧なままじゃ 明日はもう来ない  手放すな自由  守り抜け自由  手放すな自由  守り抜け自由 》
坂上も、渡辺も鈴木も、そしてうじきも、テレビを支配する“物いえば唇寒し”のムードを打ち破り、自分の言葉で自分の思いを伝えた。メディアに迎合しないその姿勢には、心から拍手を送りたいではないか。
いまも国会では野党が抵抗を繰り広げている。昨夜につづき石田純一はきょうも反対デモに参加してスピーチを行った。石田、坂上らの勇気を見習って、安保法案に反対の著名人たちはどうかもっと声を上げてもらいたい。 
中居正広が松本人志の「安保法制反対は平和ボケ」に敢然と反論! 2015/8
本日放送された『ワイドナショー』(フジテレビ系)で、またしても松本人志がトンチンカンなことを語り出した。
きょうの放送でテーマのひとつとなったのが、先週日曜に渋谷で開かれた高校生を中心とした5000人デモについて。VTRが終わって最初に口火を切ったのは、石原良純。良純は“安保法案を戦争法案と言うのがそもそも間違っている”と批判し、「何を大人たちは話しているのかっていうのは伝えないと」と発言した。
ミサイルを兵器ではなく弾薬認定し、核兵器さえ運搬できてしまうようなこの法案は、どう考えても戦争法案に間違いなく、安保法案の実態を理解できていないのは良純本人だ。いかにも父・石原慎太郎にしてこの息子といった感じだったが、この流れで松本は、良純と同調し、「ニュースに誘導されている感じはあるんですよね〜」と深く頷いた。
しかし、このなかで中居正広は、「若い子が声をあげるのは、ぼくはいいことだと思う」と切り出した。
「ぼくがうれしかったのが、『あ、関心をもってるんだ!』って。ね。若い人の投票率が下がっているとはいえ、こういう子たちが、(良純のほうを見ながら)解釈がもしかしたら間違っているかもしれないけども、ふわっとしているところもあるかもしれないけども、なーんか動かなければ、これ通ってしまうぞっていうような意識をもっていることは、すごくいいことだなって思います」
だが、この中居の言葉に反論したのは、やはり松本だ。
「いま、安倍さんがやろうとしていることに対して、反対だー!って言うのって、意見って、これ、意見じゃないじゃないですか。単純に人の言ったことに反対してるだけであって、対案が全然見えてこないんで、じゃあ、どうする?って……まあ、前も言いましたけど、このままで良い訳がないんですよ」
反対するなら対案を出せ。この松本の主張は、安倍首相が行う批判者に対する攻撃とまったく同じものだ。しかし、どうして反対者が対案を出す必要があるというのか。安保法制は安倍首相が勝手にアメリカで約束してきただけのもので、もっともらしく語る“周辺の危機”だって、現在の個別的自衛権の範囲内の話でしかない。対案は批判された者が出すべきであって、松本は完全に安倍首相と同じ土俵に乗っているに過ぎないのだ。
本サイトでも以前から指摘しているように、芸能人のプライバシーの問題でも、少子化の問題でも、こうした“強者の論理”を振りかざすのは、いつもの松本の特徴だ。そのため、きょうの放送でも、「もしこのままで良いと思っているのであれば、完全に平和ボケですよね」「(対案を出さないのは)それはズルいと思うな〜」としたり顔でまとめようとし、MCの東野幸治もその流れで進行していたが、やはりここでも毅然と割って入ったのは、中居だった。
「でもね、やっぱり松本さん、この70年間やっぱり、日本人って戦地で死んでいないんですよ。これやっぱり、すごいことだと思うんですよ」
松本の意見に右に倣えという空気が充満しているスタジオで、しっかり自分の意見を口にする。中居はこれまでも同番組で、松本と東野が日韓関係の悪化を「しょうがない」と言うなかで、たったひとり「謝るところは謝ればいいんじゃないですか?」「謝ったら負けとかそういうレベルなんすか?」と引き下がらなかった。このときも松本や東野は冷ややかな態度で、きょうも、中居が憲法9条によって70年ものあいだ守られてきた命があることに言明したあとも、松本は“9条があるから他国にナメられる”と返した。
安倍首相が言うことを額面通りに受けとるだけで、起こってもいない危機に怯え、対案を出せと言うことしかできない松本と、これまでの歴史を踏まえて、平和な外交を求める中居。──とくにきょうは、ちょうどこの番組の裏では長崎で平和式典が行われていた。過去の悲惨な歴史を振り返るべき日に、アメリカの尻馬に乗って軍拡を叫ぶ者と、平和の意味を語る者の、どちらがまともな感覚をもっているかは一目瞭然のはずだ。
奇しくも昨日、東海テレビで放送された番組で、笑福亭鶴瓶と樹木希林も中居と同じ意見を口にしている。まだテレビの世界にも正常の考えをもっている人がいることに安心も覚えるが、この際、はっきり言っておこう。「ニュースに誘導されている」のは、デモを行う若者たちではない。松本人志、あなたのほうだ。 
「デモなんかやっても無駄」…安保反対に水を差す文化人 2015/7
今週にも参議院での審議に入るとみられる安保法制だが、強行採決という安倍首相の暴挙に、国民の怒りの声はおさまらない。それを裏付けるように、昨日までの三連休のあいだにも、全国各地で安保法制に反対する抗議運動が展開された。
だが、こうした“安保法制反対”のデモが高まる一方で、水をさすように、デモを冷笑する著名人たちも現れつつある。
たとえば、ホリエモンこと堀江貴文は、こんなツイートを投稿した。
〈安保デモとかに参加してる奴らってアポロが月に行ってないとか本気で信じてるような奴らだよな。。〉〈(安保に賛成?反対?という問いに)正直どっちでもいい〉
ホリエモンが何を言いたいのかわかりづらいが、たぶん、安保法制に反対している人びとはリテラシーが低い、とでも言いたいのだろう。戦争法案? 何それ。徴兵制になるとか本気で信じてるわけ? まじウケるんですけど──という、ネット上でもよく見られるこの手の意見をホリエモンももっているらしい。
また、爆笑問題の太田光も、19日に放送された『爆笑問題・太田光が訊く 瀬戸内寂聴の戦後70年』(TBSラジオ)で、病み上がりながらも国会前デモに参加した瀬戸内寂聴に対し、こう言った。
「そのやり方は通用しないんじゃないかなと。むしろ同じ席に行って話すほうが効果があるんじゃないかと、もどかしさを感じる」
瀬戸内ほどの文化人ならば、デモに行くより直接話したらいいのに。太田はそう言いたかったようだ。だが、太田だって、今年4月に開かれた安倍首相主催の「桜を見る会」にも参加した“有名人”である。瀬戸内にそんな提案をするならまずはお前がやれよ、と言いたくなるが、太田は同時に、デモの有効性自体を疑問視。“これまでデモをやっても1回も政権とわかり合えなかったのに”──そう諦め、デモに参加したところで通用しない、と話しているのだ。
しかし、ホリエモンのような“安保デモ行く奴は情弱認定”派も、太田のような“デモなんかやっても無駄”派も、根底にあるのは同じ。それは「他人事」という思想だ。
そもそも、ホリエモンは奇しくも太田と同じく瀬戸内と対談した『死ぬってどういうことですか? 今を生きるための9の対論』(角川学芸出版)のなかで、自身の戦争体験をもとに「だって安倍さんが言ってること、してること見たら、いかにも戦争をこれからしよう! って感じじゃないですか?」と話す瀬戸内に対し、「いやいや。それは言いすぎじゃないですか? (安倍首相は戦争を)別にしたくはないでしょ」と反論。中国との経済的結びつきを論拠に「そりゃあ絶対にないですよ」と断言している。
だが、ホリエモンのこの見立て自体が間違っている。本サイトでは何度も指摘しているように、安倍首相は「安保法制は、南シナ海の中国が相手なの。だから、やる(法案を通す)と言ったらやる」とオフレコ懇談会で記者たちを前に豪語。過去に行われた対談でも“尖閣で日本人が命をかける必要がある”と話している。経済的な“国益”に反しても、安保法制を通して中国と交戦する──それが安倍首相の目的であることは明白だ。
でも、じつはホリエモンの本音は、戦争になろうがならまいが、どっちでもいいのだ。事実、瀬戸内との対談では「僕は、(中略)戦争が起こったら、真っ先に逃げますよ。当たり前ですよ」「第三国に逃げればいいじゃないですか」と答え、逃げられない人はどうするの?という瀬戸内の問いかけに、「行かれない人はしょうがないんじゃないですか?」と回答している。
逃げる金のない奴は死ねばいい。こうした考えをもっている人間にとっては、そりゃあ安保法制なんて〈正直どっちでもいい〉はずである。だが、“命は金で買える”と思っているような人間が、デモを批判する資格などない。逃げるような金なんてないし、たとえホリエモンのような銭ゲバでも誰ひとり戦争で殺してはいけないと考えている人びとが、いま、声をあげているのだから。
さらに、太田の“デモなんかやっても無駄”という意見も、ホリエモンと同様に「他人事」思想から発せられている。
太田のように安倍首相と直接話をすることもできない、でもその政策に不満をもつ人びとができることは何か。多くの人は「選挙があるじゃん」と言うだろうが、選挙は正しく“民意を反映”した結果とはならない。自民党なら経団連や日本商工会議所、日本医師会、電気事業者連合会、神道政治連盟、日本会議など、公明党なら言わずもがな創価学会がバックに控えるように、選挙では政党がどれほどの団体・企業・組織から支持を取りつけているかによって結果を大きく左右される。しかも、小選挙区制では得票率が低くても簡単に圧勝することが可能だ。第一、選挙による多数決では、少数者の意見は無視されてしまう。
逆に、デモは選挙のように間接的にではなく、直接的に政治にかかわる方法だ。そしてそれは、日本国憲法や国際人権規約でも保障される、正当な市民の権利である。いまの安倍首相がそうであるように、ときに国家権力は暴走する。それを主権者である市民が阻止し、民意を突きつける。それがデモの役割であり、民主主義の根幹を支える自由だ。
それに、太田にとっては現在の安保法制反対デモが無駄な行為のように見えるのだろうが、それはちがう。実際、安倍首相は全国に拡がる反対デモに敏感になっていると伝えられているし、政権へのすり寄りが目につくNHKやフジテレビ、日本テレビの報道番組では、デモの様子を最小限の扱いに留めている。これはデモの映像がもつ政権へのダメージを考慮した結果であることは疑いようもない。
こうした正当な権利、民主主義に基づいた当然の行動に対してイチャモンをつけるくせに、太田は結局、安倍首相の隣でおどけたポーズを取って写真を撮ることしかできない。もしほんとうに太田が安倍首相を「バカ」と思っているのなら、この政治状況がおかしいと思っているのなら、他人事にせず、自分が動けばいいのだ。だいたい、太田のような有名人がデモに参加すれば、一体どれほどの影響力があるだろう。直接、安倍首相と話をするよりも、それは絶大な力をもつはずだ。
アメリカの著名な哲学者、言語学者であるノーム・チョムスキーは、9・11のテロのあと、“テロとの戦い”という錦の御旗のもとに世界中の政府が国民に愛国心を扇動し、日本においては憲法改正がなされ、戦争を正当化していくことを予見した。そして、世界中の市民にこう訴えた。「屋根の上から大声で叫ぶ必要があるんだ」と。
日本の全国各地の路上であがる、「戦争なんかしたくない」というシュプレヒコール。この切実なひとつひとつの声を潰すことは、誰にもできない。させてはいけないのだ。 
 
テロ等組織犯罪準備罪 2017 

 

共謀罪 変じて  テロ等組織犯罪準備罪
特定秘密保護法  用意済み
どんな社会を目指しているのでしょうか
治安維持法で守られた  一党独裁の 「美しい国」
テロ等準備罪 共謀罪と連続性強い
「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を巡って国会の議論が激しさを増している。テロ等準備罪は、過去3度廃案になった共謀罪の構成要件を絞り込んだものだ。国際組織犯罪防止条約を締結するのに本当に新たな法律が必要なのか。こういう法制度が市民生活に悪影響を与えることはないのか。課題や疑問はまだ解消されていない。政府は3月にも法案を閣議決定する予定だ。
犯罪集団、認定に裁量
条約は締結国に共謀罪か参加罪の法整備を求めている。日本は共謀罪を選択し、その場合、死刑または無期、もしくは長期4年以上の懲役・禁錮の罪が対象となる。国内の対象犯罪は676に及ぶが、「犯罪の内容に応じて対象を選別することはできない」との答弁書を政府は2005年に閣議決定し、国会で説明し続けてきた。
共謀罪を盛り込んだ法案が国会で焦点になっていた約10年前、与野党の実務責任者だった2人の元衆院議員の話をまず紹介したい。
「対象犯罪を百数十に絞る案を外務省や法務省の担当者と何度も検討して練り上げたのです。最低でもそこを出発点にしてほしい」
そう語るのは、09年まで自民党の衆院議員を務めた弁護士の早川忠孝氏だ。
3度目の法案が継続審議中だった07年、早川氏は自民党法務部会条約刑法検討小委員会の事務局長だった。その際、対象犯罪数を100台に絞っても条約の締結は可能との結論に政府担当者との間で至り、修正案の骨子をまとめた。
政府は閣議決定の内容に反し2年後、与党との間で大幅な対象犯罪の絞り込み作業を進めていた。
思い切って絞り込んだのはなぜか。共謀罪は、犯罪の合意だけで罪に問うものだ。既遂や未遂を罰する日本の刑事法の原則を大きく変える。拡大解釈によって内心の自由が侵害されるおそれが強い。
当時、自民、公明両党は衆院で3分の2以上を占めていた。ただし、後に政権交代する民主党には勢いがあった。自民党としても国民の不安の声に耳を傾けなければならないという緊張感があったと早川氏は振り返る。
「対象が広くても適用することはあり得ない」との政府担当者の説明をうのみにはできず、テロや銃器犯罪などに限定した。
ところが、修正案は小委員会限りで封印された。共謀罪の国会審議の動きが止まったためだ。早川氏は「自民党内に当時の議論を生かそうとする動きが見えないのは残念だ」と語る。
06年当時、民主党法務委員会の筆頭理事を務めていた弁護士の平岡秀夫氏は「政府は意図してうその解釈を貫いてきた」と厳しく批判する。
条約は「自国の国内法の基本原則に従って必要な立法措置をとる」と定め、各国の事情に配慮した法整備を認めている。04年に国連が各国の参考に作成した「立法ガイド」も同様に定める。米国のように共謀罪条項を留保して条約を締結した国もあった。
平岡氏は、殺人など重大犯罪に予備罪や準備罪の規定がある日本では新たな立法の必要性はないと考えたが、「条約を締結するためには法整備が必要だ」との政府サイドの説明にはね返された。
結局、そうした説明が足かせになり、民主党は当時、対象罪種を政府案の半数の約300にしか減らせない修正案をまとめた。06年の通常国会終盤では、自民党が民主党案の丸のみを打診し、最終的に決裂する騒動も起きた。
条約の締結のためには対象犯罪の選別ができないとしてきた過去の政府答弁との整合性は、やはり大きな論点だ。丁寧な説明が政府には求められる。
テロ等準備罪は、合意だけでなく実行の準備行為も要件に加え、犯罪主体を「組織的犯罪集団」に限定した点で、従来の共謀罪と根本的に異なると政府は強調する。
ただし、準備行為が加わったとしても、犯罪を共謀し計画することが罪とされる本質は変わらない。組織的犯罪集団の定義も極めて難しいと平岡氏は指摘する。
06年当時、与野党で共謀罪をめぐる法案の修正協議をしている段階で、既に組織的犯罪集団という言葉は登場していた。だが、「何をもって犯罪集団とするのかうまく定義づけられなかった」と平岡氏はいう。
実際、今回の法案を巡っても、民間の団体などは当たらないと政府は説明してきたが、「犯罪を行う団体に一変した場合は処罰の対象になる」と、最近になり微妙に見解を修正した。結局、警察や検察の認定次第ということだ。
国際的な連携の輪に加わるため、条約の締結は必要だろう。テロ対策の強化に異論をとなえる人もいないのではないか。
だが、捜査機関の裁量で、合意段階の罪を幅広く罰することができるような法制には、やはり慎重であるべきだ。捜査機関の判断を外からどうチェックできるのかも検討する必要があると考える。
具体的な事例に即した議論も活発化させてほしい。3日の衆院予算委員会では、政府が現行法では対処できないとした具体例が取り上げられた。犯罪組織が殺傷能力が高い化学薬品の原料を入手した場合や、航空機テロを計画し、航空券を予約した場合だ。
民進党の山尾志桜里氏は、サリン等人身被害防止法やハイジャック防止法の予備罪が適用できると指摘したのに対し、金田勝年法相が答弁に窮したり、議論がかみ合わなかったりした場面があった。
日本弁護士連合会で共謀罪の問題を担当する海渡雄一弁護士によると、警察庁の実務者が著した解説書や刑法の解説書を確認すると、原料入手や航空券の予約は予備罪の適用対象になると明確に書いてあるという。
海渡氏は「現行法制下でも共謀や予備、準備などで罰せられる罪は多数ある。また、銃の所持が比較的自由な米国と比べ、日本は銃刀法などで所持そのものが厳格に罰せられテロ防止に役立っている。法制全体を見て新たな立法の必要性を判断すべきだ」と述べる。
仮に条約締結やテロ対策のため現行法に欠けている部分があるならば、個別に検討し補うのが望ましい。国会は、具体的な議論を積み重ねることで、必要な立法のあり方を探るべきだ。

国際組織犯罪防止条約 / 国境を越えて発生する組織犯罪を防止することを目的に2000年に国連総会で採択された。日本も03年に国会承認されたが、政府は国内の法律が整っていないとして締結していない。187の国・地域が締結しており主要7カ国で未締結は日本のみ。 
「テロ等準備罪」新設法案 衆院通過 本会議で賛成多数で可決
「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する法案は、5月23日、衆議院本会議で採決が行われ、自民・公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決され、参議院に送られました。
「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する法案は、先週、衆議院法務委員会で、「テロ等準備罪」の取り調べの際の録音や録画の在り方を検討することなどを盛り込む修正を行ったうえで、自民・公明両党と日本維新の会の賛成多数で可決されました。
衆議院議院運営委員会は23日、理事会を断続的に開き、本会議で法案の採決を行うかどうか協議しましたが、与野党が折り合わず、佐藤委員長が職権で23日に採決を行うことを決め、予定よりおよそ2時間遅れて午後3時すぎから本会議が開かれました。
最初に行われた討論で、自民党は「テロを含む組織犯罪を未然に防止し、これと戦うための国際協力を促進するための国際組織犯罪防止条約の締結は急務であり、法案の不安や懸念は払拭(ふっしょく)された」と訴えました。
これに対し、民進党は「国連の特別報告者が人権への悪影響が懸念されると指摘するなど、『共謀罪』法案は悪法、欠陥法であり、可決することは将来に禍根を残す」と主張しました。
このあと投票による採決が行われ、法案は、自民・公明両党と、修正合意した日本維新の会などの賛成多数で可決され、参議院に送られました。
一方、自由党と社民党は、法案は委員会に差し戻すべきだとして、本会議を欠席しました。
法案は、テロ組織や暴力団などの組織的犯罪集団が、ハイジャックや薬物の密輸入などの重大な犯罪を計画し、メンバーの誰かが、資金または物品の手配、関係場所の下見、その他の準備行為を行った場合、計画した全員を処罰するとしていて、成立すれば、公布から20日後に施行されます。
法案の衆議院通過を受け、与党側は、参議院で速やかに審議に入り、今の国会で確実に成立させる方針なのに対し、野党側は「法案は人権侵害につながるものだ」として、引き続き徹底した審議を求め、廃案に追い込みたい考えで、論戦の舞台は参議院に移ります。
各党の反応
自民党の竹下国会対策委員長は、記者会見で「正常な採決で参議院に送ることができた。来月18日の会期末までの厳しい日程の中で、参議院にはこれから懸命の努力をしていただき、何としても会期内に可決・成立させてもらいたい」と述べました。
民進党の蓮舫代表は、記者団に対し「いとも簡単に数の力で押し切り、納得できない。野党の存在を全く無視して、軽んじ、『熟議は不必要だ』という姿勢は非常に残念だ。法案審議が深まらなかったのは、一にも二にも金田法務大臣の答弁能力のなさが理由だ。法案の構造も乱暴で、既存の刑法体系と整合性がとれるのかも、一切、金田大臣は答えていない。参議院ではしっかり慎重に審議すべきだ」と述べました。
公明党の井上幹事長は、党の代議士会で「法案の必要性について、国民の理解は相当進んでいると思うが、なお懸念を持っている方もいるので、参議院での議論を通じて、一層国民の理解が進むように丁寧に説明責任を果たしていきたい」と述べました。
共産党の志位委員長は、記者会見で「採決強行に断固抗議したい。金田法務大臣が1つ答弁をすれば、1つ問題点が増えるというような状況で、法案の根幹部分はぼろぼろになっている。恣意的(しいてき)な運用によって、国民の権利が侵害されるのではないかという不安が広がりつつある。国民的な戦いと野党の共闘を発展させ、参議院での論戦で必ず廃案に追い込みたい」と述べました。
日本維新の会の馬場幹事長は、記者会見で「法案を修正し、テロ等準備罪の容疑者の取り調べの『可視化』を確実に行うという方向性を位置づけ、一歩、二歩、正しい方向に進めることができたと自負している。今後とも『是々非々』で与党と対じしていく。わが党は、ほかの野党と共同歩調をとらないわけではないので、民進党は態度を改めて、『国民ファースト』でやってほしい」と述べました。
金田法相「引き続き丁寧に説明」
金田法務大臣は、記者団に対し「審議がしっかりと行われ、衆議院で法案が可決されたことは非常に意義深い。国民の安全と安心、そして明るい社会のために、ぜひとも必要で重要な法案だと、ご理解いただけた結果だ。これからも引き続き、法案の重要性と必要性を丁寧に説明していく」と述べました。
日弁連会長 廃案求める声明
「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する法案が、23日、衆議院本会議で可決されたことを受けて、日弁連=日本弁護士連合会の中本和洋会長は、「法案は、監視社会を招き、市民の人権や自由を広く侵害するおそれが強く、法務委員会での審議で計画よりも前の段階から尾行や監視が可能となることが明らかになった。マンション建設反対の座り込みなども処罰対象となる可能性があり、テロ組織や暴力団だけでなく、一般市民も捜査の対象となり得るという懸念は払拭できない」として廃案を求める声明を出しました。 
究極の強行採決
犯罪を計画段階から処罰できるようにする「共謀罪」の趣旨を含む改正組織的犯罪処罰法が6月15日午前7時46分、参院本会議で自民・公明・日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した。
「テロ等準備罪」法案をめぐっては、与党は今国会の会期末(18日)までに成立させることを目指していた。会期末が迫る中、与党が法案成立を磐石なものとするために用いたのが「中間報告」という手法だった。
これに対して、野党側は「乱暴なやり方だ」と反発。衆院で内閣不信任案を提出するなど、与野党の攻防は15日未明から朝にまで及んだが、最終的には与党側の採決強行で幕を閉じた。
自民党から中間報告の提案を受けた民進党の榛葉賀津也参院国対委員長は、国会審議の否定につながるとして「究極の強行採決だ」と批判した。 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
ゆとり教育

 

日本において、1980年度(狭義では2002年度以降)から2010年代初期まで実施されていたゆとりある学校を目指した教育のことである。
ゆとり教育(文部科学省が指定した正式な名称でない)は、「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型の教育方針を是正し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型の教育方針をもって、学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指し、1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育のことである。ゆとり教育の範囲については諸説あり、明確ではないが、以下のような見方がある。
ゆとり教育は、1980年度から施行された学習指導要領による教育方針であるが、1992年度から施行された新学力観に基づく教育や、2002年度から施行された「生きる力」を重視する教育をゆとり教育であると定義する人もいる。
1970年代までに学習量が過剰に増大した学校教育は「詰め込み教育」と呼ばれ、知識の暗記を重視したため「なぜそうなるのか」といった疑問や創造力の欠如が問題視され、このような学習方法はテストが終われば忘れてしまう学力(剥落学力)であると批判された。このため思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視型、過程重視型の教育方針が求められた。
また、加熱した「受験競争」により学校教育においても学力偏差値が重視されるようになったが、1992年に公立中学校で偏差値による進路指導が禁止され、1993年には中学校校内にて実施する一斉業者テストが禁止された。また過剰に競争をさせたり、過剰に自由を奪う学校のあり方は子供のストレスや非行などの学校をとりまく諸問題の要因だとして「子供を学校に縛り付けている」「子供にも自由が必要」などの批判を受けた。
2002年度施行の学習指導要領では「生きる力」への転換重視「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。教科書では実験、観察、調査、研究、発表、討論などが多く盛り込まれ、受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られた。
ゆとり教育の経緯
1970年代に日本教職員組合(日教組)が「ゆとりある学校」を提起し、世論の詰め込み教育への批判が高まったこともあり1980年代初頭に授業時間の削減などが行われた。具体的に都内では、主として革新区政下の区立中学で授業時間が50分から45分に減らされた。またこの頃から入学試験において、記述式からマークシート方式が導入された。
国営企業の民営化を推し進めた中曽根内閣では、文部省と日教組の関係者間ばかりで行われる教育政策に疑問を呈し、第2次中曽根内閣の主導に民間有識者によって構成される臨時教育審議会(臨教審)を発足させた。臨教審では「公教育の民営化、自由化」という意味合いの中で経済界や保守派の有識者の多数が賛成に回り、後のゆとり教育への流れを確立させた。臨教審は「個性重視の原則」「生涯学習体系への移行」「国際化、情報化など変化への対応」などの、ゆとり教育の基本となる4つの答申をまとめ、その方針は1993年度施行の学習指導要領に反映された。
さらに、校内暴力、非行、いじめ、不登校、落ちこぼれ、自殺など、学校教育や青少年にかかわる数々の社会問題を背景に、橋本内閣下の1996年(平成8年)7月19日の第15期中央教育審議会の第1次答申が発表された。答申は子どもたちの生活の現状として、ゆとりの無さ、社会性の不足と倫理観の問題、自立の遅れ、健康・体力の問題と同時に、国際性や社会参加・社会貢献の意識が高い積極面を指摘する。その上で答申はこれからの社会に求められる教育の在り方の基本的な方向として、全人的な「生きる力」の育成が必要であると結論付けた。「生きる力」は教育課程審議会に引き継がれ、そこで「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べ学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が多く盛り込まれた。1998年、小渕内閣下で新学力観として「生きる力」を重視し、完全学校週5日制実施とともに学習内容や授業時間を削減する、「ゆとり教育」をスローガンとする学習指導要領が成立した。この後、この「ゆとり教育」学習指導要領はマスコミや世論に批判に晒され大規模な「学力低下」論争へと発展するが、当時小泉内閣の遠山敦子文部科学大臣と小野元之文部事務次官とがその危機感を共有し、遠山文科大臣は2001年1月に緊急アピール「学びのすすめ」を発表し、初めて「確かな学力」という表現を用い、「学習指導要領は最低基準である」と明言した。小中学校では2002年度(平成14年度)、高等学校では2003年度(平成15年度)からこの学習指導要領が施行されたが、学習内容削減により教科書が薄くなった一方、実験、観察、調査、研究、発表、討論などの内容が増えた。受け身の学習から能動的な学習、発信型の学習への転換が図られた。
ゆとり教育は、詰め込み教育に反対していた教育者、経済界などの有識者などから支持されていたが、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) などの国際学力テストで順位を落としたことなどから学力低下が指摘され、各方面から批判が起こった。当時、中山成彬文部科学大臣は、学力低下を認めるものの「生きる力」の「理念や目標には間違いがない」とし、また「その狙いが十分に達成されていないのではないか」と発言した。小泉内閣の下、小坂憲次文部科学大臣は中央教育審議会に学習指導要領の見直しを要請し、安倍政権が引き継いだ。この時点でマスコミは「脱ゆとり」という言葉を用いて報道していたが、小坂文部科学大臣も、安倍内閣下の伊吹文部科学大臣に至っても「ゆとり教育」の理念や方向性には賛同していた。安倍内閣で新設した教育再生会議(内閣府設置会議)において、初めてゆとり教育の授業時間が問題視される。教育再生会議の報告書(第1次:2007年(平成19年)1月24日 第2次:2007年(平成19年)6月1日)において、「授業時間の10%増(必要に応じて土曜日授業の復活)」などが盛り込まれ、安倍内閣骨太の方針2007には授業時間数の1割増が明記された。そうして2008年には、今までの内容を縮小させていた流れとは逆に、内容を増加させた学習指導要領案が告示され、2011年-2013年に完全に施行された。マスコミは、この改定された教育のことを「脱ゆとり教育」と称している。
社会的な見解
支持
中曽根康弘元首相は、ゆとりの方向性へ向かった臨時教育審議会(臨教審)を「私が作った」とし、1984年当時「受験地獄、詰め込み教育、偏差値重視、学歴偏重など、いろいろな弊害が出ていた。さらに青少年の犯罪も多発していた。そこで「ゆとりを持った教育にしないと、心豊かな人間を育めない」となった」「こういう教育方法を目指した真意はよく分かる」と発言し、ゆとり教育について理解を示した。
元文部省官僚である寺脇研は、2000年前後当時の文部省の考えを代弁するスポークスマンとしてメディアに出て、支持を表明するとともにゆとり教育について説明を行っていた。同じく文部省事務次官であった小野元之もメディアに出て支持の立場でゆとり教育について説明を行っていた。
教育課程審議会会長として、学習内容の大幅削減を求めたゆとり教育の学習指導要領の答申の最高責任者であった作家の三浦朱門は2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、ゆとり教育について、新自由主義的な発想から、多数の凡人の中に必ずいるはずの数少ないエリートを見つけて伸ばすための「選民教育」であるという主旨を述べた。
知識偏重の詰め込み教育を批判していた教師や保護者などの他にも、経済同友会、日本経団連、経済産業研究所、社会経済生産性本部などの経済界や、青少年問題審議会、日本労働組合総連合会が提言を発するとともに賛成した。また学者、弁護士をはじめとする識者などの民間人が参加した「21世紀日本の構想」懇談会(小渕恵三内閣総理大臣の私的諮問機関)でも、ゆとり教育を支持していた。
ゆとり教育について、2013年に西部邁(評論家)は、ゆとり教育を主導した寺脇研は、多くの個性のある子供たちの中で勉強の嫌いな子に無理して偏差値教育をしてもしょうがないと主張しており、その意見に賛同していたと述べた。
教育評論家の尾木直樹は、2002年の学習指導要領での教育により学力が上がったとPISAのパリ事務局が発表をしており、想像力や学問へのモチベーションも上がったとして注目をされていると述べている。
批判
実施以前から学力低下の危惧があるとして、西村和雄をはじめとする理数系の学者、精神科医の和田秀樹、日能研をはじめとする教育産業関係者などに批判されたが、多くが利害関係者であったため営業活動の一環であったとして解釈するべきという声もある(#ゆとり教育の結果、#受験産業の反応も参照)。
また、富裕層の子供と貧困層の子供、塾に行ける者と行けない者、参考書を買える者と買えない者、習熟度別授業で学力上位のクラスと下位のクラスなどでの格差を広げるのではという危惧も主に左派系の立場からされていた。
国際学力テストでにおいて順位が下がったことなどにより、学力低下を招いたという批判もある。
個性尊重が重視されたため、その考えを教えた世代にさまざまな人格的影響を与えたという批判もある。
擁護
第3期の教育改革(2002年度実施された学習指導要領改定)は始まったばかりで、ゆとり教育の評価は時期尚早だという意見もある。
批判に対する反論
『学力低下は錯覚である』(森北出版株式会社)を著した神永正博は、自身のブログで、「根拠がはっきりしないことで、若者をディスカレッジしない方がよいのでは」と補足している。
早稲田大学教授の永江朗は自身の執筆したコラム記事の中で、PISAの順位の低下は「参加国が増えたため」とも、冷静に分析すれば考えられると述べ、「PISAの結果が少し落ちていたぐらいで大騒ぎする理由がわからない」と教育社会学の専門家が疑問を呈しているということを紹介している。
同じくジャーナリストの池上彰も、テレビ番組の教育特集の中で順位の低下は参加国が増えたためであり、学力低下と結論付けるのは早計だと発言した。
元東京大学総長の有馬朗人はゆとり教育によりむしろ理科の力が上がった、と述べている。
広島大学教授の森敏昭は国際教育到達度評価学会 (IEA) の調査結果を検討した上で「我が国の児童・生徒の学力は、今なお高い水準を保っている。(中略)「我が国の小・中学校段階の児童・生徒の学力は、全体としておおむね良好である」という文部科学省のいささか楽観的すぎるコメントも、あながち的はずれではない。」と述べている。
再評価
時代が移り変わり、知識を詰め込んだだけでは仕事を奪われていくAI時代に突入したことにより、生きる力を主軸としたゆとり教育が再評価されている。同志社大学政策学部教授の太田肇は、ネコ型人間とイヌ型人間と表現している。従来は組織や上司に忠実で、しっかり序列を守るような人間(イヌ型人間)が求められ、重用されてきたが、急速なIT化により状況が一変し、自分で判断して行動することのできるゆとり教育を受けた世代が活躍するようになってきており、ゆとり教育の中に時代を切り開くヒントがあると述べている。
受験産業の反応
改定された学習指導要領の内容が1990年代末に明らかになると、学習塾や進学予備校などの受験産業や、私立学校(特に中高一貫校)は広告やマスメディアを利用して活発な営業活動を行った。マスコミ媒体などに頻繁に登場した西村和雄京都大学教授などの言説を論拠に、「ゆとり教育」に対する危機感を訴えることによって、親の不安を煽り、活発に児童・生徒の勧誘活動を行った。折込チラシ、CMや電車内のドア周辺や吊り広告などの広告活動や、自らがスポンサーとなっているテレビ番組内などで、「小学校では円周率をおよそ3として教えている(正確にはゆとり教育のため小数点による計算が遅れたため幾何学において概算に3を使うようになったため)(日能研)」、「ゆとり教育で学力低下を引き起こす」「あなたの子供の将来が危ない」など、あるいは、学習時間の多寡を基準に、日本よりも学習時間が長いイタリアなどが、PISAでは日本のはるか下位に位置しているのにも拘わらず「世界の子は勉強している(栄光ゼミナール)」といい、教科の好き嫌いを基準に、算数の好きな子の割合がイランが1位、日本は24位で日本の教育がダメだといい(栄光ゼミナール)、統計値を恣意的につまみ食いした正確性・客観性に欠ける情報で感情論に基づいて危機感を煽ったり、この種の営業活動を行った事例もある。学習塾などがこういった営業活動を行った理由として、子供が減るために学習塾間で「パイの奪い合い」が発生していたことがある(因みに学習指導要領が改訂された2002年は12歳人口の急減期とも重なっていた)。
一部の公立校では、塾の教師やスタイルを取り入れて学校教育を変えようという試みもしている。一例としては杉並区立和田中学校(校長の藤原和博、後任の代田昭久、共にリクルート出身)にて2008年(平成20年)1月に行われた「夜スペシャル」(通称「夜スペ」)があり、これは成績上位者のみを対象に、名門進学塾サピックスの講師を派遣して有料(1万円〜2万円)で授業を行う(学校が運営しているわけではなく、保護者の有志団体による運営形式)。
さらには、都立高校などが「総合的な学習の時間」のカリキュラム作成にもたついている間に、日能研をはじめとする一部の塾は
「自ら学び考える力を育てる授業。『総合学習』そのものだ」
と「総合的な学習の時間」を商品として提供を始めている。私立学校や中高一貫校の入学試験が、PISAに似たものになってきているからである。
国外の例
中国
中国では受験に特化した学力偏重の詰め込み教育「応試教育(应试教育)」によりいじめや校内暴力、社会性の欠如の問題が指摘され、総合学習などを取り入れた中国版ゆとり教育「素質教育」に転換した。
デンマーク
ゆとり教育をすすめていたデンマークでも、OECD生徒の学習到達度調査 (PISA) の結果が下がり、学力低下が議論になった。教育改革として、義務教育の1年早期化などが議論されている。学校の現場では学力向上を目指した教育改革に反発があるものの、生徒の親は学力低下への不安が強いようである。
フィンランド
OECD生徒の学習到達度調査(PISA:数学・科学・読解力の3教科のみ)においてトップの成績を上げ、全ての項目で日本を上回ったフィンランドは週休二日制であり、授業時間も日本よりかなり少なく、また、「総合的な学習」に相当する時間も日本より多く、「ゆとり教育」に近い内容である。
具体的な中身として一つは、中学校の教育に特筆されるのは1/3にわたる(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業を受けていることがある。低学力の生徒に対する個別の教育により底辺の学力を上げるだけでなく、優秀な生徒にはそれ相応の特別な教育が行われている。つまり、生徒の能力の違いを前提にして全体の学力を上げている。生徒の個別の能力差に沿った教育が行われているため、無理に能力の低いものを能力の高い授業に適応させる必要がないために「遅れる」ことはあっても「落ちこぼれる」ということはない。特定の基準を満たさない生徒にそぐわない授業内容を押しつける必要がないから「ゆとり」があるわけである。
また、高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われており、よい高校やよい課程に入学するには中学でよい成績を収めなければならない。
他には、授業の組み立て方や教科書の選定など、教育内容の大部分を現場の裁量に任せられているという特徴もある。また、フィンランドは授業時間は少ないものの、日本にはない様々な教育の工夫が試みられている。多くの学校で学費が無料であるため、低所得の世帯でも安心して教育を受けさせることができる。
このようなシステムがフィンランドにはあるため、フィンランドで講師を務めたこともある中嶋博早大名誉教授は、落ちこぼれをつくらず楽しんで学ぶ教育がフィンランドの教育であると述べており、フィンランドに留学経験のある者は、中高一貫の学校が多いため、(中学)受験を気にせずじっくりと学習に取り組むことができ、学習への理解が不足している、いわゆる「落ちこぼれ」の生徒は義務教育中であっても、じっくり教育を受けるシステムが確立されていると述べている。  
ゆとり教育は本当に失敗だった! 2017/7
「ゆとり教育」と聞くとどのようなイメージがありますか?最近ではゆとり教育を受けた世代が社会人や親となり、何かにつけて「ゆとり世代だからダメだ」といった厳しい意見を聞くこともあります。
しかし詰め込み教育にと言われている現代、子供たちは日々忙しく柔軟な考えを持つことが難しくなっています。今後はさらに学ぶ教科も増え続け、余裕のない子供が増えていることが懸念されています。
ゆとり教育は何かとデメリットが多いイメージもありますが、実際はどうなのでしょうか。大人になったゆとり世代はどうなっているのか、今日はゆとり教育がもたらしたメリットやデメリットについて考えていきましょう。
1.そもそもゆとり教育とは
ゆとり教育とは、「詰め込み教育」と言われる知識量偏重型の教育方針を考え直し、思考力を鍛える学習に重きを置いた経験重視の教育方針のことです。学習時間と内容を減らしてゆとりある学校を目指し、1980年度、1992年度、2002年度から施行された学習指導要領に沿った教育です。
受験戦争が勃発していた80年代頃から、子供の教育は「詰め込みすぎている」「ゆとりがない」という批判が高まってきました。そうした意見を受けて文部科学省が授業内容の削減などを実施し、個性重視の考えのもと、これまでの追いつき型教育というのを見直したものがゆとり教育です。ちなみにこのゆとり教育という言葉は文科省が提言したものではありません。この教育方針が出された1998年の学習指導要領に、「子供に[生きる力]と「ゆとり]を」と記されたことからこの名称が生まれたとも言われています。
1-1.ゆとり教育のメリットとは
ゆとり教育が行われている90年代から、多くの公立小中学校で毎月第2土曜日が休みになってきました。徐々に共働き世帯が増えてきた頃でもありますが、子供が土曜日家にいるとなると、親も働き方を変えて土日は子供と一緒に過ごす曜日という考えが浸透してきます。今まではモーレツ社員だったというお父さんも、子供の週休2日に合わせて働き方を見直していきます。そういった点ではゆとり教育が大人の働き方も変えるきっかけになったと言えます。
またゆとり教育では「子供たちが自分で物事を考える力を育てられる」というメリットがありました。学校で教わる勉強範囲を少なくし、「観察や実験」「プレゼンテーションやディベート」といった自分で考えて問題を解決する学習を中心に行いました。算数の時間を減らして道徳の授業を当てた学校も多かったので、ゆとり教育の期間は一時的に「いじめ」や「不登校」が減ったという記録もあります。
1-2.一方でこんなデメリットも
ゆとり教育はデメリットが取りざたされることが多いのですが、代表的なものが「学力低下」です。算数などの授業時間を減らした原因もありますが、それまで相対評価と言われていた通知表の評価を個人毎に見る「絶対評価」に変わったことも学力低下を招いたと言われています。
これは例えばテストで毎回90点を取っていた生徒が、2学期からはほぼ100点を取るようになった。この場合評価は最高の「5」であり、納得できる内容です。しかし絶対評価の場合、これまでテストが10点しか取れなかった生徒が2学期からは50点を取れるようになった、この場合も生徒の努力が評価され、通知表が「5」になるケースもありました。100点の学力の子供と50点の子供の学力評価が変わらないのですから、児童全体における学力はおのずと下がることになります。
また「競争社会」をやめようと、運動会の徒競走は全員1位、学芸会では全員主役の桃太郎といった内容も物議を呼びました。受験勉強における学力競争社会を緩和しようと「みんな平等」という考えのもと行われた背景がありますが、「順位を付けない」という考えは現実社会とはかけ離れており、社会に出てから挫折する子供が増えたとも言われています。
2.脱・ゆとり教育の現代
深刻な学力低下、競争経験のない授業、それは子供たちにとってゆとりではなく「ゆるみ」だという意見が寄せられ、2005年に文部科学省は「脱・ゆとり教育」から舵を切ります。
現在では土曜日の授業はないものの、ゆとり教育前の授業時間にほぼ戻されており、学ぶ内容もだいぶ変わりました。ゆとり教育で話題になった「円周率3.14」や国語の「古典・漢文」も復活し、公立の義務教育においてはだいぶ授業時間も増えています。
ゆとり教育の最中に行った国際テスト「TIMSS」によると、日本の児童の学力は長期低下傾向気味にあることが分かりました。「円周率3」という簡単すぎる問題を多用したせいか、ゆとり世代の中には四角形の面積を求められない子供が多いという調査結果もあります。
こうした背景から現代ではゆとりの前の「詰め込み教育」に似た現状に戻っているのですが、結局それだといじめや学力格差の問題が広がるのではないかと懸念されています。
またゆとり教育の中には福祉や人権問題といった「総合的な学習」や、国際問題やコミュニケーション能力を高めるための「21世紀型学習」という授業も積極的に取り入れられてきました。今でもその授業は行われていますが、ゆとり教育の時に比べると十分な時間を取ることは出来ず、今後の課題にもなっています。脱・ゆとりになってからは児童の学力は緩やかに上昇しているという調査結果もありますが、自分で「問題を解決する力」、「考える力」といったところは、ゆとり教育時代の方が充実していたのではないかという声もあります。
3.結局「ゆとり教育」は失敗だったのか
結局のところゆとり教育は今見直され、現在では「脱・ゆとり」という形で新たな教育が再スタートされています。
しかし今後数十年後には「脱・ゆとりは失敗だった」などと言われている可能性もぬぐえません。教育に絶対正しいということはなく、その時代背景に合わせた内容を模索しながら進めるしかないのです。
3-1.ゆとり世代の人たちは今どうなっている?
「ゆとり世代」という言葉があります。これはゆとり教育が始まり、その期間に教育を受けた1989年生まれ〜2004年早生まれで、ざっくり言うと平成生まれの人たちを指します。
ゆとり世代に対する世間の意見は辛辣なものが多いです。「仕事をすぐやめてしまう」「コミュニケーション能力がない」「言われたことしかやらない」など。
しかしゆとり世代の人達みんながそのような性格であるはずがなく、また教育によって若者がだらしなくなってしまったと言い切って良いのでしょうか。確かに昔の世代と比べると飲み会などの付き合いをしない人は多く、1人で過ごすのが好きと答えるゆとり世代は多く見かけます。
こうした背景は「時代の流れ」が大きく関係しています。SNSの発達により個人でいても多くの人とつながりを持てるようになり、わざわざ飲み会で他人から情報を入れなくても必要とすることは知ることができるようになりました。また地域社会のつながりが希薄化したことにより、子供たちは他人とコミュニケーションを取るのが苦手になりました。核家族が増えたことにより多くの年代の人と関わることも減り、昔に比べ他人との関りをどうしたらよいのか分からない人が増えたのです。
たとえゆとり教育が導入されていなくても、現代の問題とされている若い人たちの行動は同じだったと推測されます。それをすべて「ゆとり教育のせいだ」と片付けてしまうのは、あまりにも勝手すぎると言えるでしょう。
3-2.さまざまな教育課程を経て、現状に合わせた教育を行うのが大事
例えば「ゆとり世代のコミュニケーション能力がない」という事に関しては、スマートフォンなどの機械が物凄い進歩を遂げた要因があります。21世紀に入り、本当にドラえもんの道具のような技術革新がさまざま行われ、近年では教育が技術の進化についていけていないという現状があります。
またゆとり教育では「みんな仲良く一緒」という考えが浸透し、運動や学力を競うという内容も抑えられました。しかし社会に出れば競争しながら自分の技術を磨くのは当然であり、児童のうちからある程度の競争体験も必要ということが分かります。結局正しい教育というのは、過去に行われた教育の失敗例から学び、社会の状況に合わせた教育を模索していくことが一番大切と言えるでしょう。
まとめ 教育に「絶対に正しい」はない
結果的に現代も、子供たちにはどういった教育が良いのか模索しながら子供に教育を与えているのが現状です。「ゆとり教育は失敗だった」という声もありますが、ゆとり教育で目標とした「考える力」というのは目に見える評価が分かりずらく、失敗だったかどうかを証明することはできないのです。
子供たちに与える教育に「絶対これをやっていれば正しい」ということはありません。またどれだけ学校が頑張っていても、家庭で子供たちにしつけを行わなければ子供達の立派な成長はありません。
ゆとり教育世代であろうがなかろうが、結局のところ本人の努力次第で人生は決まります。そのような姿勢を忘れず、大人も子供も努力を持ち続けて進むことが大切です。 
平成の「ゆとり教育」、実は成功していた? 2019/4/20
 尚早な「脱ゆとり」への転換こそ失敗だった?
4月30日で終わりを迎える「平成」。テレビや雑誌では記憶に残る事件やブームを振り返る企画が増えているが、平成史をたどる上で教育界最大のトピックといえば「ゆとり教育」だろう。
円周率を「3」で計算する、週5日制完全導入など、さまざまな試みが行われたゆとり教育。導入後に子どもたちの学力低下が指摘され、文部科学省は2008年に「脱ゆとり」に方針を変更した。果たして、ゆとり教育は本当に“失敗”だったのだろうか。
「多くの人は、ゆとり教育は平成のトピックだととらえていると思います。しかし、実際には1977年版の学習指導要領に『ゆとり』というキーワードが初めて登場し、80年以降の小学校ではゆとり教育が実施されていたんです」
そう話すのは、育児・教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏だ。「これだからゆとり世代は……」とこぼす40代のビジネスパーソンも、実際はゆとり教育を受けていた可能性が高いのだという。「まず、“ゆとり世代”という言葉はとても曖昧なものだと認識しておいたほうがいい」とおおた氏は指摘する。
意外と歴史が長いゆとり教育だが、学校教育に「ゆとり」を取り入れることになった理由は70年代の社会問題にあるという。
「70年代末から80年にかけて、『校内暴力』や『非行少年』が社会問題化しました。学校荒廃の原因として、通説になっているのは68年に告知された学習指導要領。その内容は“新幹線授業”と呼ばれるほど過密なもので、いわゆる『詰め込み教育』によって窒息しそうになった子どもたちの叫びが校内暴力や非行というかたちで表れたといわれています」(おおた氏)
つまり、ゆとり教育は詰め込み教育の反省から生まれたのだ。
「多くの人が『ゆとり=平成の教育』というイメージを抱くきっかけとなったのは、98年に告示され、2002年から実施された学習指導要領の改訂があまりにも衝撃的だったからでしょう。その内容は『円周率を3とする』『完全週5日制』など、どれもインパクトが強いものだったのは確かです」(同)
同時に学習内容や授業時間も削減、思考力を育てる目的で「総合的な学習の時間」が導入され、話題を集めた。しかし、この大変革は世間から激しいバッシングを受けることになる。
「大きなきっかけは、国際的な学力調査『PISA』の結果で日本の子どもたちの学力低下が指摘されたことです。その後、行政は08年に『脱ゆとり路線』への変更を余儀なくされました。中学校主要5教科の総授業時間数は1980年代頃と同程度にまで戻されています。しかし、完全週5日制は据え置きなので、現代の中学生の平日はとても過密なものになっていると考えられます」(同)
平成の間に二度も学習指導要領が大きく方針転換されたことで、学校教育の現場は大きく混乱したといわれる。教員や子どもたちが国の方針に振り回されたのは確かだろう。
さまざまな物議を醸したゆとり教育だが、その成果がわかるのは“まだ先”だという。
「ゆとり教育の本当の成果が表れるとしたら、これからでしょう。現状でもゆとり世代と呼ばれる若者たちから世界に通用する優秀な人材が出てきているので、すでに成功しているというとらえ方もできます」(同)
近年では、主にスポーツ界において、16年のリオ・デ・ジャネイロオリンピックのメダリストが1987〜2004年生まれ、つまりゆとり教育を受けた世代が多いという好意的な意見も出てきている。ゆとり教育によって時間的な余裕が生まれ、もともと素質があった彼らは練習に時間を費やし長所を伸ばすことができた、と考えられているようだ。
そして、おおた氏は「テストの点数が多少下がったからといって、失敗だと決めつけるべきではない」と指摘する。
「確かに、ゆとり教育が何を目的としていてどのようなものなのかをあらかじめ明示せず、世間に対して『基礎的な勉強をしなくていいんだ』という誤解を与えてしまったことなど、広報的な意味での失敗はあります。ゆとり教育は、目先のテストの点数を上げる『詰め込み教育』から『点数にとらわれず、大人になってから本当に役立つ力を身につける教育』に変えるのが真の目的。その成果が見えてくるのは、彼らが大人になってからなんです」(同)
また、改訂当時はゆとり教育の思惑通りに授業を進められる教員の能力や環境が不足していたという問題はあったものの、長く続けていれば現場のスキルを上げることも可能だったはずだ。そう考えると、10年もたたずに「脱ゆとり」へ方向転換してしまったのは時期尚早だったのかもしれない。
「教育の成果が表れるには数十年という時間が必要です。本当に価値がある教育は、その教育の成果が表れて、時間的にも空間的にも広い視野を持つことができるようになるまで、その良さが理解されないものです。それにもかかわらず、テストの点数や一流大学の合格者数など『今すぐに効果が得られる教育』が求められてしまうという、日本全体の根深い問題があるのは確かですね」(同)
おおた氏は著書『名門校の「人生を学ぶ」授業』(SBクリエイティブ)を執筆するなかで、灘高校や麻布高校など全国屈指の進学校で行われている授業に触れる機会があったという。その授業内容は「裁縫」や「水田稲作学習」など、一見受験と関係ないように思えるユニークなものばかりだったそうだ。
「そのような授業から得られるものは、一流大学に進学して一流企業に就職し、順風満帆な生活を送っているときは、それほど必要がないかもしれません。しかし、人生に逆風が吹いたときや先行きが見えなくなったときにこそ、そのありがたみを実感できるはずです。教育とは『将来こうなるから先手を打つ』というものではなく、『どんな世の中になっても生きていける人間』を育てること。それ以上でもそれ以下でもないのです」(同)
教育に対して「成功か、失敗か」を判断すること自体、ナンセンスなのかもしれない。そして、ゆとり世代の若者たちがこれから活躍することによって、日本の教育の概念も変わっていくのではないだろうか。 
 
 
 
政権不祥事

 

 
政権不祥事
不祥事 2006
第1次安倍内閣
衆議院議員・自由民主党総裁・内閣官房長官の安倍晋三が第90代内閣総理大臣に任命され、2006年(平成18年)9月26日から2007年(平成19年)8月27日まで続いた日本の内閣である。自由民主党と公明党を与党とする連立内閣である。
12月12月16日 - 首相の諮問機関である政府税制調査会の会長本間正明が、公務員官舎の同居人名義を妻の名前にしつつ、愛人と同棲していることが判明し、本間は12月21日に税調会長を辞任した。本間の愛人問題は、同内閣の改革路線(具体的には財務省の増税路線批判と政府資産の売却)を快く思わない財務省のリーク説もあり、同内閣のブレーンだったジャーナリストの長谷川幸洋は、当時の財務省・理財局長・丹呉泰健のリークであると明言している。
12月26日 - 内閣府特命担当大臣(規制改革担当)佐田玄一郎が、事実上存在しない事務所に対し、1990年(平成2年) - 2000年(平成12年)までの10年間もの間、光熱費や事務所費など計7,800万円の経費を支出したという、虚偽の政治資金収支報告書を提出していたことが判明。佐田は12月28日に大臣を辞任した。 
不祥事 2007
1月10日、文部科学大臣伊吹文明の資金管理団体の政治資金収支報告書に、約900万円の事務所費賃料のかからない議員会館を所在地にしているにも関わらず約900万円の事務所費を支出したことが問題視される。
1月27日、島根県内で行なわれた自民党県議の後援会の集会にて、厚生労働大臣柳澤伯夫が、「15 - 50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭でがんばってもらうしかない」などと、「女性は子供を生む機械」という趣旨の発言をしたと報道された。28日に野党各党がこの発言に対し批判、辞任を要求した。翌29日に柳澤は衆議院本会議などで陳謝し、内閣総理大臣安倍晋三も衆議院本会議で「きわめて不適切な発言」とした。自民党内からも大臣辞任の声が上がり、2月1日の衆議院予算委員会における2006年度(平成18年度)補正予算審議では野党が審議拒否した。一週間後に野党は審議に出席したが、今度は柳澤大臣が「若い人たちは結婚したい、子どもを2人以上持ちたいという極めて健全な状況にいる」と発言していたことを取り上げ、野党は「2人持たなかったら健全じゃないのか」と批判したが、柳澤大臣は辞任する意向のないことを示した。
3月5日 - 参議院予算委員会で、松岡農水大臣の資金管理団体が光熱水費が無料の議員会館に事務所を置いているのに、500万円の光熱水費を計上したことを追及される。
5月28日 - 農林水産大臣松岡利勝が東京都港区・赤坂の議員宿舎の自室で自殺した。現行憲法下で現職大臣が自殺するのは初。後任農水相は赤城徳彦。
6月30日、久間防衛大臣(当時)が、千葉県柏市で「原爆の投下はしょうがない」と発言した。
7月3日、6月30日の「原爆投下しょうがない」発言を受けて、久間が防衛相を辞任。後任は、内閣総理大臣補佐官(国家安全保障問題担当)の小池百合子。
7月7日、農林水産大臣赤城徳彦の政治団体「赤城徳彦後援会」が、事務所としての実態がない茨城県筑西市の両親の実家を「主たる事務所」としているにもかかわらず、1996年(平成8年)から2005年(平成17年)までの間に約9045万円も経費計上していたことが発覚。
8月1日、事務所費をめぐる別の疑惑が新たに高まっていた赤城が辞表を提出し、安倍もこれを受理した。辞任という形で報道がなされたが、実際には安倍が赤城を総理大臣官邸に呼んでいることから、事実上の更迭となる。後任は、環境相の若林正俊が兼任した。
8月24日、小池百合子防衛相が、安倍首相了解のもと、「まだ誰も取っていないイージス艦情報流出事件の責任」を取るという形で防衛相離任の意向を表明。同月27日に予定されている改造内閣において続投しない意向であることを示した。
8月27日、第1次安倍改造内閣が発足。同時に自民党役員も一新した。 
不祥事 2014
日本ではなぜ女性大臣が相次いで不祥事を起こすのか? 2014/11
安倍改造内閣の目玉とされていた2人の女性大臣が不祥事で相次いで辞任しました。
小渕経産相の場合、父親から譲り受けた地元の秘書に資金管理を任せていたところ不明瞭な支出が相次いだというもので、同情の余地はありますが、「自分の事務所も管理できないのに国家のマネジメントができるのか」といわれてしまえば反論できません。松島法相は選挙区内で配ったうちわを「討議資料」と強弁するなど、奇矯な言動が目立ったため、国会答弁を不安視した首相から引導を渡された、ということでしょう。
なぜ女性大臣ばかりが失敗するのか。その単純な説明は、日本では女性の国会議員の絶対数がきわめて少ないからです。
議会における女性の割合は世界平均が22%ですが、日本はそれを大幅に下回る8%で、世界127位と最低水準です。安倍政権はこれを“世界標準”に合わせようと、女性大臣の数を無理矢理増やそうとしたわけですが、選択肢となる人材プールが小さければそのぶん“スカ”をつかむリスクは高くなります。
この問題を解決するには女性議員の数を大幅に増やす必要があります。これにはたいへんな困難がともないますが、じつはものすごく簡単な方法があります。 
第2次安倍改造内閣・女性閣僚2名の同日辞任
衆議院議員・自由民主党総裁の安倍晋三が第96代内閣総理大臣に任命され、2014年(平成26年)9月3日から2014年(平成26年)12月24日まで続いた日本の内閣である。自由民主党と公明党による自公連立政権を形成する。

改造内閣発足から早々、女性閣僚の言動がいくつか問題視される。
松島みどり法相は2014年10月1日、赤いストールを着用して参議院本会議に出席したが、これが参議院規則に抵触するとして問題視された。更に2014年10月7日、参議院予算委員会において、民主党の蓮舫議員から「夏に、選挙区(東京都第14区)の東京都荒川区などでうちわを配布した行為が公職選挙法の禁止する寄付行為に該当する」と指摘された。10月16日、民主党の階猛副幹事長が告発状を東京地検に提出。
小渕優子経産相については2014年10月16日、週刊新潮が政治資金収支報告書に観劇費用2600万が未記載であることを報じ政治資金規正法違反であることを指摘。その後の調べて2009年より未記載の費用が1億円を超えると報じた。10月18日、『産経新聞』が「小渕経産相辞任へ」と題した号外を配布し始めた。2014年10月20日、午前、政治資金をめぐる疑惑の件で首相の安倍と会談後、経済産業大臣の辞表を提出。その後、経産省で辞任記者会見を行った。小渕は、自身の問題を国民、支持者などに謝罪したが、自分でも自身の事務所の政治資金報告書に「疑念がある」として、専門家を入れた第三者に調査を依頼する方針を示した。
最終的に、松島みどり法務大臣、小渕優子経済産業大臣ともに2014年10月20日に辞任する結果となった。 
不祥事 2015
消えた1300万円 言論封殺の自民・井上貴博議員に疑惑発覚 2015/7
安倍晋三首相に近い自民党若手が開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、「「マスコミを叩くには、広告料収入と、テレビの提供スポンサーにならないこと。日本全体でやらないといけない。一番こたえるだろう」」などと報道を封殺する発言をしていた井上貴博衆議院議員(福岡1区。当選2回)に、政治とカネの問題が浮上した。
平成24年12月に、同氏が代表を務める自民党支部から井上氏本人が受けとった寄付金「1300万円」の行方が分からない状況。支出目的は「選挙関係費」とされているが、この年に行われた衆院選の収支報告には収入としての記載がなく、公職選挙法(虚偽記載)に抵触する可能性がある。
福岡県選挙管理委員会に提出された「自由民主党福岡県第一選挙区支部」の政治資金資金収支報告書によれば、平成24年12月10日、自民本部から同支部に1300万円の交付金が支給され、同日、第一支部は井上氏個人に1300万円の全額を寄附していた。支出項目を確認したところ「選挙関係費」。同年12月4日に公示、12月16日に投開票された総選挙のための費用だったとみられる。
公選法は、選挙に関するすべての収入と支出について報告するよう求めており、井上氏が受け取った1300万円は、選挙の収入として「選挙運動費用収支報告書」に記載する義務がある。しかし、井上陣営が県選管に提出した「選挙運動費用収支報告書」(第1回)に記載された井上氏の収入は、同年11月29日付の「自己資金 750万円」のみ。 2回目以降の報告で、146,505円の収入があるものの、これも「自己資金」。党からの交付金1300万円は消えた形となっている。
第一支部提出の平成25年分政治資金収支報告書及び井上氏の資金管理団体「井上貴博後援会」の平成24年、25年分の政治資金収支報告書を確認したが、問題の1300万円に見合う収入の記載はない。
公職選挙法の規定によれば、収支報告書を提出しなかったり、虚偽の記載をした場合、出納責任者は3年以下の禁錮又は50万円以下の罰金を科せられることになる。
1日、井上議員の事務所を訪ね、趣旨を説明して取材の申し入れを行ったところ、夜になって会計責任者から回答。次のように話している。
「会計責任者である自分の責任。ご指摘の通り、党から1300万円の交付金を受け入れ、選挙費用として支出計上しながら、選挙運動費用として報告することを怠っていた。言い訳になるかもしれないが、理解不足だったと反省している。早急に、(遡って)選挙運動費用収支報告書の修正を行う」
全面的に非を認めてはいるが、会計責任者の説明内容には無理がある。平成24年総選挙における井上氏の総収入は7,646,405円。支出は9,965,525円(2,319,120円はビラ、ポスターなど公費助成分)となっており、差額はゼロ。報告書を修正すれば、1300万円がまるまる残る計算だ。1300万円はどう処理したのか――この点について、会計責任者に訊いたところ「通帳に残して管理してきた」。かなり苦しい言い訳である。
会計責任者の説明が事実なら、いったん候補者の選挙資金となった1300万円が、選挙終了と同時に余剰金として井上氏個人の懐に残った形。資産報告書の内容も修正を余儀なくされる可能性があるうえ、昨年の総選挙では「自己資金」として850万円の記載があり、そことの整合性にも疑問が残る。実際に井上氏側の説明を証明しようとすれば、管理しているという通帳を公開せざるを得ないはず。できなければ虚偽に虚偽を重ねることになり、消えた1300万円が、重くのしかかる状況だ。
自民党本部の政治資金収支報告書及び政党交付金使途等報告書で確認したところ、平成24年12月10日に第一支部に支出された1300万円は政党助成金を原資とするもの。つまり、井上氏個人の懐に入った1300万円は国民の税金だ。本来なら、余剰金1300万円全額を、党本部なり第一支部に返すのが筋だった。
選挙の余剰金を巡っては平成21年、衆院福岡2区で初当選していた民主党の稲富修二氏に、19年の福岡県知事選で民主党から受け取った推薦料4000万円のうち、余剰金1900万円の着服疑惑が発覚。稲富氏側は不透明な説明を繰り返したが、最終的には同党県連へ1900万円全額を返済している。
報道の自由を否定したことに加え、政治とカネをめぐる疑惑まで噴き出した格好。井上氏に、政治家としての資質が問われているのは言うまでもない。「秘書が、秘書が」だけは勘弁してもらいたいものだが……。 
言論弾圧の急先鋒 自民・大西英男議員に公選法違反の疑い 2015/7
政権に批判的な報道を封殺しようという政治家たちに、次々と「政治とカネ」を巡る疑惑が噴き出している。
安倍晋三首相に近い自民党若手が開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい」などと発言。党から厳重注意処分を受けたあとも同様の発言を繰り返している大西英男衆院議員(東京16区)が代表を務める自民党支部が、選挙区内に住む男性二人に「結婚祝い金」を支出していたことが明らかとなった。公職選挙法は、政治家による選挙区内への寄附を禁じており、これに抵触する疑いがある。
不適切とみられる支出を行っていたのは、大西議員が代表を務める「自由民主党東京都第十六選挙区支部」。同支部が東京都選挙管理委員会に提出した政治資金収支報告書によれば、同支部は平成25年7月と11月、大西氏の選挙区である江戸川区内に住む男性二人に、「結婚祝い金」としてそれぞれ30,000円を支出していた。政治活動費のなかの「交際費」として処理されているが、結婚祝い(祝儀)は即ち寄附行為。政党交付金が入る団体のカネで、公然と買収が行われた格好だ。
公職選挙法は、政治家が選挙区内で行う寄附について、『いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない』と規定。さらに、『政党その他の団体又はその支部で、特定の公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者の政治上の主義若しくは施策を支持し、又は特定の公職の候補者若しくは公職の候補者となろうとする者を推薦し、若しくは支持することがその政治活動のうち主たるものであるものは、当該選挙区内にある者に対し、いかなる名義をもつてするを問わず、寄附をしてはならない』とも定めている。自由民主党東京都第十六選挙区支部による結婚祝い金は、同法に抵触する疑いが濃い。
“結婚祝い金は違法ではないか”――大西議員の事務所に確認を求めたところ、責任者は次のように回答している。
「党の活動に多大の貢献があった方が結婚されるということで、祝い金を出した。祝儀袋には『自由民主党東京都第十六選挙区支部』と記しており、問題はない。選管にも確認しており、こちらとしては違法性はないと考えている」
同支部の政治資金収支報告を巡っては、選挙区内の区議らが代表を務める政治団体への支出にも疑義が生じている。
確認したところ、赤い星印とアンダーラインで示した「秀和会」及び「江戸川知山会」への支出が、相手方の団体の収支報告書に記載されていなかった。
両団体とも江戸川区議の資金管理団体。「秀和会」(代表:島村和成区議)の政治資金収支報告書には、自民支部から支出されたことになっている6月の10万円が収入として計上されていない。一方、「江戸川知山会」(代表:片山知紀区議)の報告書には、自民支部からの3回分、計30万円の記載がないだけでなく、すべての収入、支出が「ゼロ」。カネの出入りが一切なかった形だ。大西議員の自民支部と区議らの政治団体で食い違うカネの出と入り。どちらの報告内容が正しいのか分からない状況だ。
大西議員側の説明によると、「区議の政治団体に確認したところ、収入の記載を怠ったミスだと分かった。区議らの団体が早急に修正を行う」のだという。しかし、政治資金収支報告書は、備え付けが義務付けられた「会計帳簿」を転記したもの。1件でも収入を見落とせば、合計金額まで違ってくるはずだ。収入も支出も「ゼロ」として報告した江戸川知山会のケースに至っては、帳簿の内容自体がまったくのデタラメだったことを証明しており、虚偽記載であることは明白。真偽のほどはわからないが、自民党議員による杜撰な政治資金処理が浮き彫りになったことだけは確かである。
政党交付金1300万円を懐に入れた形となっていることが判明した井上貴博議員に続き、大西氏にも公選法違反の疑い。言論弾圧の急先鋒二人に、政治家としての資質が問われている。 
沖縄蔑視発言 自民・長尾敬議員に政治資金規正法違反の疑い 2015/7
安倍晋三首相に近い自民党若手が開いた勉強会「文化芸術懇話会」で、「沖縄のゆがんだ世論」「左翼勢力に完全に乗っ取られている沖縄メディア」などと発言し、作家の百田尚樹氏から沖縄蔑視の暴言を引き出した長尾敬衆院議員に、政治資金規正法違反の疑いが浮上した。
自民党本部から受けた長尾氏の資金管理団体に対する寄附が、政治資金収支報告書に記載されておらず、現状は同法上の「不記載」。勉強会での暴言が問題視される井上貴博、大西英夫両代議士に続いて、長尾氏にも不適切な政治資金処理――暴言3人組が、揃って政治とカネを巡る疑惑を抱え込んだ形だ。
自民党本部が総務省に提出した政治資金収支報告書によれば、同党は平成24年11月30日、大阪市の「長尾たかし後援会」に500万円の寄附を行っていた。
長尾議員の資金管理団体「長尾たかし後援会」が、大阪府選挙管理委員会に提出した平成24年分の政治資金収支報告書を確認したところ、自民党本部が寄附したはずの500万円の記載はなく、同年の収入は「4,549,500円」のみ。前年からの繰越金を加えても「4,844,066円」に過ぎず、500万円には届かない状況だ(下が長尾たかし後援会の収支報告書。赤いアンダーラインはHUNTER編集部)。明らかな「不記載」。すべての収入、支出を報告するよう求めている政治資金規正法に、抵触する状態である。
長尾敬氏は当選2回。初当選時の所属は民主党で、平成24年の総選挙直前、同党を離党して大阪14区から無所属で立候補。選挙戦最中の12月13日に自民党が追加公認したものの、落選していた。昨年の総選挙では再び小選挙区で敗れ、比例で復活当選。代表を務める大阪14区の自民支部は、昨年になって設立されている。長尾氏の民主への「離党届」提出は24年の11月16日。自民党は、公認候補でもない状態の長尾氏側に、500万円の政治資金を提供(11月30日)していたことになる。
長尾氏の自民入りを推し進めたのは安倍首相。24年の総選挙では公示後に無所属だった長尾氏の応援に出向き、街頭演説中に追加公認を発表するといった熱の入れようだった。その安倍首相と長尾氏の関係を巡り、関係者の間から別のカネの流れを示唆する証言がある。
下は、平成24年の自民党本部の収支報告書の一部。長尾たかし後援会に500万円が支出されたのと同じ11月30日に、安倍首相に5000万円が支出されていた。名目は「政策活動費」。使途報告が不要の、投げ渡し金である。このカネの一部が長尾氏側の活動資金に充てられたというのである。
長尾氏が民主党を離党したのは平成24年の11月で、その直後には大阪14区の民主党支部を解散している。この年の長尾たかし後援会の総収入は約484万。手元に残った政治資金は少なかったはずだ。総選挙における長尾氏の選挙資金は約750万円。後援会活動や選挙資金を手当てするのに、かなりの苦労を強いられたとみられる。これを助けたのが安倍首相が党本部から引き出した5000万円のカネの一部だったという見立てである。信じられない話だが、事実だとすれば表に出ないカネの流れがあったということになる。
消えた後援会への500万円に裏金の噂――3日、長尾氏本人に話を聞くため国会の事務所に取材を申し入れたが、出稿までに長尾氏側からの連絡はなかった。
政治資金規正法違反が疑われる資金処理に、説明責任の放棄・・・・・・。沖縄のメディアを侮蔑し、言論を封殺しようとした長尾氏に、政治家としての資格があるとは思えない。 
不祥事 2016
不祥事続きの安倍内閣「スキャンダル歴代大臣」リスト 2016/2
続投示唆から一転、TPPの調印式目前に辞任した甘利氏。発足以来、閣僚不祥事が続発する政権の暗部を一挙出し!!
週刊誌報道に端を発した金銭スキャンダルの責任を取るかたちで、甘利明TPP担当大臣が1月28日、大臣職の辞任を表明した。「千葉県内の建設会社であるS社から、秘書に加え、甘利大臣自身も現金を受け取ったと報じられています。S社は千葉県内の再開発を巡り、UR(独立行政法人都市再生機構)とトラブルを抱えており、その解決を甘利事務所に依頼し金銭を支払ったというわけです」(全国紙政治部記者)
事件をスッパ抜いた『週刊文春』の報道によれば、甘利事務所関係者がたびたびURを訪れており、S社との示談金を吊り上げる交渉を行ったとされている。「これが事実ならば、甘利サイドには政治資金規正法違反やあっせん収賄罪が適用される可能性があります。S社を代表して甘利サイドと交渉を行った男性は、会話の録音記録や金銭授受の動かぬ証拠を残しているとされたため、“うやむやにするのは難しい事案”だったのでしょう」(前同)
安倍政権の中核を成す閣僚の辞任劇は、政局にどのような影響を及ぼすのか。「2012年12月に安倍さんが首相に返り咲き組閣されたのが第2次安倍内閣。以来、第2次改造(14年9月)、衆院選挙を経て第3次安倍内閣(14年12月)ときて、現在は自民党総裁選を経ての第3次改造と、4度の組閣がありました。そのたびに閣僚の面子は入れ替わっていますが、甘利さんはずっと閣内にとどまっている安倍政権の“中心メンバーの一人”。その人物が辞任に追い込まれたことは、非常に重いですね」(政治部デスク)
思えば安倍内閣はこれまでも、大小無数のスキャンダルに見舞われてきた。「特に、小渕優子経産大臣と松島みどり法務大臣が“ダブル辞任”した14年10月は正念場でした。女性の進出をブチ上げ入閣させた両者がともに、就任から1か月余りで辞任したわけですからね。通常の内閣ならこれで政権が吹っ飛び“ジ・エンド”ですが、安倍政権は発足以来“一強多弱”。安倍首相以下、官邸の圧倒的求心力でこうした醜聞をねじ伏せてきたわけです」(前同)
ただ甘利氏は、これまでの閣僚とは“格”が異なる首相の側近中の側近だ。「なお悪いことに、今国会最大のテーマはTPP。本来なら甘利さんは、TPP担当大臣として今国会の主役になるはずだったわけです。その当人が疑惑を抱えたままだと、野党の追及で審議はストップ。国会は停滞し、政権の支持率が急落したはずです」(前出の記者) 実際、自民党内では、週刊誌が発売になるや、「甘利大臣の辞任は不可避」と見られていたという。「“秘書がやったこと”の逃げ口上も通用しません。13年11月と翌年2月に、S社から計100万円の現金を大臣室と事務所で甘利さん本人が受け取り、フトコロに入れたと報じられていますからね。事態を重く見た官邸でも、週刊誌発売当日から菅官房長官を中心に“後任選び”が開始されたといいます」(前同)
一方、甘利大臣に絶大な信頼を寄せていた安倍首相は、「辞任はするな!」のスタンスだったという。「スキャンダル発覚後、甘利さんは菅義偉官房長官同席のもと、安倍首相に会い、“2月4日にニュージーランドで開かれるTPP交渉署名式だけは出席したい。その後の私の処遇は総理に一任します”と言ったとか。ところが安倍首相は、“何が何でも守るので耐え忍んでください”と、2月4日以降、折を見て辞任する意向の甘利さんを逆に説得したようです」(前同)
とはいえ、野党はもとより与党内でも日増しに批判の声が大きくなってきた。「甘利さんが4日のTPP署名式に出席するのは、日本の恥ですよ。TPPは自由貿易の協定ですから、その担当大臣が賄賂をもらっていたとなれば、国際的な信用問題ですからね。辞任は当然でしょう」(政治ジャーナリストの鈴木哲夫氏) 安倍首相は甘利氏が辞任を表明する前日の参議院で、甘利氏の続投を明言していたが、これは“茶番”だった可能性が濃厚だ。「完全な“演出”ですね。慰留をしておいて世間に続投を信じ込ませたうえで、翌日、甘利さん本人が辞任会見する。“潔さ”をアピールして、政権へのダメージを最小限に抑えようというわけです」(前同)
建設業者からの現金をフトコロにしまったとされる“フトコロ大臣”こと甘利氏。結局辞任に追い込まれたが、この騒動を息を殺して見ていた御仁がいる。高木毅・原発事故再生担当相だ。高木大臣には福井県敦賀市の住宅街で、女性のアンダーウェアを盗んでいたという過去の疑惑が報じられている。「地方紙が一面で高木氏の泥棒疑惑を取り上げ、疑惑は事実だとする捜査関係者のコメントまで掲載されています。加えて有権者への香典代を巡る公職選挙法違反の疑惑もあり、安倍内閣の“爆弾”と見られています」(前出の鈴木氏) 夏に選挙を控える参院からは、「高木を甘利と一緒に処分してほしい」という声があがっているという。
与党内からも「早く辞めろ」の圧がかかる高木大臣。ところが、当人はどこ吹く風だという。「年末年始は平然と地元で挨拶回りをしています。地元ではこれまでもたびたび“泥棒事件”の怪文書が出回っているため、本人は慣れっこなんですよ(笑)。甘利さんと違って、証拠がないから逃げ切れると思っているようですね」(前出の記者)
それにしても、安倍内閣には情けないあだ名が冠された大臣が、いかに多いことか……。その先駆けとなり、ダブル辞任で安倍政権を吹っ飛ばす寸前まで追い込んだ“うちわ大臣”と“ワイン大臣”は、今何をしているのだろうか。まず、地元のお祭りに名前入りのうちわを配ったと糾弾され、公選法違反に問われた松島みどり氏。第2次改造内閣で法務大臣に初入閣したものの、秘書が政治資金規正法違反で在宅起訴された小渕優子経済産業大臣とともに、あっと言う間に辞任に追い込まれた。
その小渕氏には、選挙区内の男性にお祝いとしてボトルワイン2本を贈ったとして、有権者への利益供与を禁じた公選法違反の疑いもかかっていた。「松島さんは信用回復に努めるべく、現在は精力的に地元を回っています。ただ、騒動を経て謙虚になったかといえば、“相変わらずのかまってちゃん”というのが党内の評判です。一方の小渕氏は所属する派閥(平成研究会)の長、ひいては日本初の女性首相として期待されていましたが、ワインたった2本で、バラ色の未来を棒に振ってしまいましたね」(自民党議員秘書筋)
その小渕氏の後釜として経産大臣に就任したのが、宮沢喜一首相の甥である宮沢洋一氏。自身の政治資金団体が、広島市内のバーで政治活動費を支出していたためだ。「その後、衆院選を経て、第3次安倍内閣で、まさかの再任。改造内閣では任を外れたものの、すぐさま重要ポストである党の税務調査会長に横滑りしています。ところが、軽減税率を巡る公明党との調整では役に立たず、党内評価はダダ下がりです」(前同)
また、第3次内閣で忘れてならないのは、複数の金銭疑惑によって電撃辞任した西川公也農水大臣だろう。彼が辞任を決意したのは、小学生の孫に「お爺ちゃん、悪い人なの?」と言われたためとか。なんともやるせない気持ちになる。「林芳正氏が後任の農水大臣となりましたが、後日、彼の車が11年前に当て逃げをしていたことが発覚。つまり、“当て逃げ大臣”です。もうこうなったら、閣僚スキャンダルのドミノ現象ですよ(笑)」(前出の全国紙デスク)
この他、政党助成金の一部が政治家本人に渡ったとして、政治資金規正法違反の疑いがもたれている江渡聡徳前防衛大臣(第2次改造内閣)や、わざわざ深夜に釈明会見を開いた望月義夫前環境大臣(同)など、不祥事のタネは尽きない。「望月大臣の場合、日本にエボラ熱が上陸したのではないかと話題になっていたときだっただけに、深夜に会見すると聞き、緊張が走りました。ところが、内容は自身の収支報告書に事実と違う記載をしたという釈明。しかも、亡くなった妻のミスだと言い逃れたため、速報を見たネット市民の怒りで大炎上しました」(会見を取材した記者)
前出の鈴木氏が言う。「与野党の勢力が拮抗している状況なら、こうした脇の甘さは命取りになりかねず、引き締めがあるもの。“安倍一強”の陰で与党政治家の緊張感が緩んでいる証拠です」
特に気が緩んでいそうなのが、安倍首相の“お友達大臣”の面々。お友達どころか“マブダチ”と目される下村博文前文科相などは、新国立競技場の白紙撤回問題や無届の後援会問題等が噴出し、国会が蜂の巣をつついた大騒ぎになるも、のうのうと大臣の椅子に座り続けた。「第3次改造内閣ではさすがに留任とはなりませんでしたが、それでも下村氏は総裁特別補佐として、今でも官邸に自由に出入りし、党と政府のパイプ役を果たしています」(党関係者)
これまた、安倍首相の“マブダチ”である塩崎恭久厚労相は、アベノミクスの帳尻合わせに、国民の血と涙である年金資金を株に突っ込み、現在のところ株安で7兆円スッた張本人。「スタンドプレーが目立ち、安倍政権の番人こと菅官房長官とは犬猿の仲ですが、首相の後ろ盾があるため、意に介しません」(官邸筋) 相次ぐ大臣のスキャンダル同様、安倍首相が警戒を厳にしているのが閣僚による“舌禍事件”だという。舌禍事件といえば、第2次内閣で環境大臣となった石原伸晃氏が、福島の中間貯蔵施設受け入れを巡り、「最後は金目でしょ」の大暴言を放っている。「この“金目大臣”が甘利さんの後釜ですからね。先の改造で石原派は入閣なしだったため、お情けでの後任ポストをもらったのでしょう」(前出のデスク)
口を滑らすことならこの人の右に出る者はないとされているのが、麻生太郎財務大臣だ。最近も終末医療に触れ、「さっさと死ねるようにしてもらうとか、考えないといけない」と発言。数えきれない前科がある真の“失言大臣”である。「政権発足以来、財務大臣を歴任する麻生さんは、辞任した甘利さんを凌ぐ安倍政権のキーマン。このタイミングで失言されると、さすがに政権はもたないかもしれません」(前同) 政治評論家の浅川博忠氏がこう続ける。「党内には安倍政権に不満を持つ議員が多いため、世論の反発が強まり支持率が下がると、党内の実力者からも安倍批判が出てくるでしょう。そうなると政権の求心力は低下し、防戦一方になってしまいます。政権発足後、安部首相は一度も、その状況を味わっていませんが、甘利事件によって党内力学の潮目が変わるかもしれませんよ」 “フトコロ大臣”の辞任騒動は、安倍政権の地獄の一丁目となるのか――。 
不祥事 2017
「謙虚」どころか人権無視 相次ぐ自民党議員の暴言 2017/11
衆院選をめぐる小池百合子東京都知事の排除発言に助けられ、思わぬ大勝となった自民党。選挙後には、どの議員も「謙虚」を連発して殊勝な態度を見せていたが、1か月も経たぬ間に総務会長、元参院議長、元特区担当相がそろって失言。驕り高ぶる本来の自民党に戻ってしまった。
問題は、3人の発言すべてが“人権”を軽視した内容であること。自由と民主主義を党名に冠した政党が、おかしな方向に向かっている証拠と言えそうだ。
選挙後1カ月も経たぬうちに、自民党議員が連発していた「謙虚」は死語になっている。直近の失言・暴言をまとめた。
山本幸三氏の黒人差別
特区担当相として加計学園の獣医学部新設を推進したのが山本幸三氏。国会での居丈高な態度が印象に残る官僚あがりセンセイだが、今年4月には滋賀県で開かれた会合の中で、観光振興をめぐり「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と発言し、批判を浴びていた。学芸員のことを理解しないまま、思いつきで発せられた暴言。その上、がん患者への配慮も欠いており、以前のまともな政権なら大臣更迭もあり得る事態だった。他者を“一掃”に至っては、この人の神経を疑わざるを得ない。その山本氏が23日、アフリカとの交流を続けてきた自民党議員の会合で、「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言。露骨な黒人差別に、厳しい批判が噴き出る状況となった。「人種差別の意図は全くない」と釈明する山本氏だが、「黒いの」はアフリカの人々かアフリカ大陸そのものを指す言葉。「あんな」とつけた以上、差別の意思は明らかだ。このセンセイは、自分とその同調者以外を、一段も二段も下に見ている。“日本の恥”と言うしかない。
山東昭子の時代錯誤
かつて“良識の府”といわれた参議院で、副議長まで務めた政治家の発想とは思えない。21日に開かれた自民党の役員連絡会で、山東昭子元参議院議長が「子供を4人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」と発言。各界から厳しい批判が相次いだ。当然だろう。「4人」の根拠は曖昧、「子供を産んだら国が表彰」という発想も時代錯誤と言うしかない。「産めよ殖やせよ」は、昭和16年に、夫婦の出産数を平均5児とすることを目標に閣議決定された「人口政策確立要綱」のスローガンで、山東氏の発言内容は、これと同じ発想なのだ。女性を「子どもを産む機械」と見るのは、安倍自民党特有の考え方だ。平成27年には、フジテレビの番組に出演した菅義偉官房長官が、歌手の福山雅治さんと女優の吹石一恵さんの結婚についてコメントを求められ「この結婚を機にですね、やはり、ママさんたちが『一緒に子供を産みたい』という形で国家に貢献してくれればいいなと思ってます」「たくさん産んで下さい」などと発言。平成19年には、第一次安倍政権で厚生労働相を務めていた柳沢伯夫氏が、「15歳から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、機械と言うのは何だけど、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と発言し、大騒ぎになった。いわゆる「産む機械発言」に、世の女性が猛反発したのは言うまでもない。平成26年には東京都議会で、質問中の女性都議に対して、自民党議員が「結婚した方がいいんじゃないのか」、「産めないのか」とヤジ。女性蔑視の姿勢に批判が相次ぎ、議会での同様のヤジが、次々と暴かれるきっかけとなっている。山東氏の発言も「産む機械」も議会でのヤジも、前述した「産めよ殖やせよ」と同じ発想なのである。
竹下亘の公約違反
約束を守らないのも安倍政権の特徴の一つ。24日には、竹下亘総務会長が、天皇、皇后両陛下が国賓を迎えて開く宮中晩餐会について「(国賓の)パートナーが同性であった場合、私は(晩餐会への出席は)反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と明言。世界が性的指向に基づく差別の撤廃に向かう中での失言で、多くの関係者から顰蹙を買う事態となった。公約違反は明らかだ。下は、総選挙で自民党が示した「公約」の一部(青い囲みと矢印はHUNTER編集部)。そこには、「性的指向・性自認に関する広く正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定を目指し、多様性を受け入れていく社会の実現を図る」と記されている。竹下氏は、自党の政権公約を確認していなかったということだろう。
自民党の「謙虚」は口だけ。選挙後1か月でのこの傲慢さは、国民を下に見ている証拠でもある。人権無視の危険な政治。この国の有権者は、やはり選択を間違ったと言わざるを得ない。 
安倍政権下で増大する闇資金 「政策活動費」昨年は17億円超 2017/12
領収書1枚提出するだけで使途の報告義務なし――。官房機密費と並ぶブラックボックスといわれる自民党の「政策活動費」については、度々問題点をしてきた。しかし、庶民感覚が欠如した自民党のセンセイ方は“反省”とは無縁。先月総務省が公表した平成28年分の政治資金収支報告書によれば、自民党本部が昨年支出した政策活動費が、過去最高の17億390万円に上っていたことが分かった。
国民に増税を強いる一方で、自民党は使途報告の義務がない闇資金をばら撒き続けている。“脱税”につながりかねない政策活動費の実態を検証した。
自民党の政策活動費は、まさにブラックボックス。第2次安倍政権の発足以来増大の一途で、自民党が野党に転落していた平成22年の約7億8,000万円と比較すると、28年は2倍以上の約17億円が支出されていた。
政策活動費を受け取った自民党の国会議員は衆参合わせて18名。7割が幹事長に集中しており、昨年7月まで幹事長を務めていた谷垣禎一氏が6億7,950万円、後継幹事長の二階俊博氏が5億250万円を受け取っている。
下は、自民党が総務省に提出した政治資金収支報告書の一部。3,000万、5,000万、5,700万という途方もない金額が、領収書1枚で幹事長に渡されているのが現状だ。
同党が支出している年間の政策活動費は、どう考えても異常だ。昨年の収支で見れば、収入総額は約241億円。内訳は、政党交付金が約174億円、立法事務費約28億円、同党の政治資金団体「国民政治協会」からの寄附が約23億、党費8億5,000万円、その他は所属議員からの寄附などである。これに対し、支出が約220億円。このうち17億円が政策活動費だった。支出の1割近い政治資金が闇に消えた計算となる。
使途の報告義務がないため、政策活動費が、どう使われたかは不明。投げ渡しのカネを、所属議員に配ったのか、民間の協力者に渡したのか、あるいは領収書を書いた政治家が懐に入れたのかまるで分らない。ただ、政策活動費は“政治活動”に供されたということで無税。党本部から政策活動費を受け取った政治家本人は、このカネについて申告することはない。闇資金である以上、政治家から資金を受け取った相手も申告はしておらず、場合によっては、堂々と「脱税」が行われている可能性さえある。
「一強」の状態が進むにつれ、ばら撒き額は増える一方。下の票にまとめた通り、第2次安倍政権の発足以来、67億円以上の政策活動費がばら撒かれたことになる。
「政治にはカネがかかる」というのが永田町の常識。しかし、何に使ったのか分からないカネが、年間17億円も存在するというのは国民からすると大変な非常識だ。すべての収入・支出を報告するよう求めている政治資金規正法の趣旨にも反している。国民に負担増を求めながら、自分たちが貰う無税のカネは増やし続けるという理不尽――。この国の政治を、安倍政権が歪めているは確かだ。不可解なのは、大手メディアが政策活動費や官房機密費について追及する姿勢を見せないことである。なぜか? 
2017年の自民党不祥事
突然の衆議院解散と選挙が行われた2017年もまもなく終わろうとしている。
しかし森友・加計疑惑、レイプもみ消し疑惑、年末に突如表ざたになったスパコン疑惑など、列挙しきれないほどの疑獄のどれ一つとっても、解決どころか、まともな説明さえ為されていない。「あんな人たち」発言も記憶に残るところだ。自民党が震源となった不祥事があまりにも多かったのが2017年であった。
ここでは、森友・加計以外でも数多い不祥事を忘れないために、時系列で整理しておく。
なお、このリストはあくまでも国会議員によるものだけであり、地方首長や地方議員の不祥事は含まれていないことにご留意いただきたい。
1月 高橋克法・参院議員、回覧板で名前入りカレンダー配布
「公選法は選挙区内の有権者への寄付を禁じており、不特定多数への配布は同法に抵触する可能性がある。」(福井新聞)
3月 務台俊介・政務官「長靴業界はだいぶ儲かった」と失言し辞任
「台風10号に伴う豪雨被害の視察で岩手県岩泉町を訪れた際、同行者に「おんぶ」されて水たまりを渡ったことを岩手日報などが報じ、物議を醸した。都内で開催した自身の政治資金パーティーの中で、この件を振り返り「たぶん長靴業界は、だいぶ、儲かったんじゃないか」と話した。」​(ハフィントンポスト)
4月 今村雅弘・復興大臣、不祥事三連発
「東京電力福島第1原発事故の自主避難者が帰還できないことについて「基本的には自己責任」などとした今村雅弘復興相の発言に抗議する動きが5日、各地で広がった。」(毎日新聞)
「今村雅弘復興相が東日本大震災について「これは、まだ東北で、あっちの方だったから良かった。もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」と述べた。直後に撤回したが、辞任する意向を固めた。」(朝日新聞)
「今村雅弘氏 政治資金で高級たまごを「爆買い」していた。」​(日刊ゲンダイ)
4月 中川俊直・経済産業政務官、「ストーカー登録」「重婚」で辞任
「中川氏は不倫女性と2011年から交際を始め、「年に300日は一緒」にいる仲で、ハワイで「結婚式」まで挙げたという。同時進行で自民党の前川恵議員にも近づき(=前川議員は否定)、不倫女性にそのことがバレて修羅場に。中川氏は警察から「ストーカー」として登録された、という。」(産経新聞)
5月 大西英男・衆院議員、不祥事二連発
「自民党厚生労働部会で「(がん患者は)働かなくていいんだよっ」とのヤジが飛び、波紋が広がっている。」(ハフィントンポスト)
「「(がん患者は)働かなければいいんだよ」と発言し、自民党東京都連の副会長を辞任した大西英男衆院議員が、元格闘家の須藤元気氏から「推薦文」を書いていないのにホームページに掲載された、と抗議を受けた。」(朝日新聞)
6月 豊田真由子議員・衆院議員、「このハゲー」
「埼玉県警捜査1課は27日、元秘書の男性に対する暴言暴行疑惑で自民党を離党した豊田真由子元衆院議員(43)について、傷害と暴行の疑いで書類送検した。」(日刊スポーツ)
6〜7月 稲田朋美・防衛大臣、職務不適任連発、情報隠蔽で辞任
「稲田朋美防衛相が東京都議選の自民党候補の応援集会で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いをしたい」と演説で述べた。自衛隊を率いる防衛相が組織ぐるみで特定候補を支援するかのような発言である。」(毎日新聞)
「九州北部の記録的な豪雨で自衛隊が災害対応に当たる中、稲田朋美防衛相が6日、防衛省を一時不在にした。自民党の石破茂前地方創生担当相は6日夜、BSフジの番組で「あり得ないことだ。なんで起こったかきちんと検証しないと、本当に国民に対して申し訳ない」と述べた。」(時事)
「自衛隊日報隠ぺいを知っていたのは稲田防衛相だけじゃない、安倍首相と官邸が指示していた疑惑が浮上 」(エキサイトニュース)
「稲田朋美防衛相は7月27日、破棄したとする南スーダンに派遣された国連平和維持活動(PKO)部隊の日報を陸上自衛隊が保管していた問題をめぐり、防衛大臣を辞任 」(ハフィントンポスト)
6〜7月 下村博文・幹事長代行、職権でやりたい放題が次々発覚
「下村博文氏らを告発 加計学園側から200万円、入金不記載容疑で 」(ハフィントンポスト)
「ビザ発給、下村氏が働きかけか 民進が文書公表 」 (日本経済新聞)
8月 鈴木俊一・五輪相に架空計上疑惑、政治資金1658万円に領収書なし
「「清鈴会」の政治資金収支報告書を仔細に検証すると奇妙な記載に突き当たる。支出の備考欄に記された「徴難(ちょうなん)」の2文字だ。徴難とは、収支報告書を提出する際に、「領収書等を徴し難かった支出」を指す。」(ライブドアニュース)
8月 今井絵理子・参院議員、「ビール券」違法配布
「今井絵理子・参議院議員(33)も人知れず、違法な「ビール券」配布に手を染めていて――。」(デイリー新潮)
11月 神谷昇・衆院議員、市議に現金配布
「自民党の神谷昇衆院議員=比例近畿=が衆院選前の9月下旬に自身の選挙区内の大阪府和泉市と岸和田市の市議14人に現金計約210万円を配っていたことが24日、分かった。」(産経新聞)
12月 懲りない山本幸三・前地方創生相、今度は差別発言炸裂
「前地方創生相の山本幸三・自民党衆院議員(福岡10区)が、23日に北九州市内であった三原朝彦・自民党衆院議員(同9区)の政経セミナーで、アフリカ諸国の支援に長年取り組む三原氏の活動に触れ「何であんな黒いのが好きなんだ」と発言していたことが分かった。」(毎日新聞)  
不祥事 2018
2018年1〜4月 自民党の疑惑・不祥事
1月
スパコン助成金不正受給問題 / スーパーコンピューター開発をめぐる国の助成金搾取事件について問題となった。しかし、世耕経済産業は政治家の関与を否定した。
「 一方、安倍晋三首相は「補助金の交付などについてはそれぞれの所管省庁、実施機関で法令や予算の趣旨にのっとって、適正に実施されるべきだ」と繰り返し強調した。 」
前内閣府副大臣の不適切発言問題 / 松本文明前内閣府副大臣が沖縄県の米軍ヘリコプター付着時に関し「それで何人死んだんだ」と野次を飛ばし、事実上更迭された。
「 松本文明・内閣府副大臣(自民党)は26日夕、安倍晋三首相と首相官邸で面会し、沖縄県で続発する米軍ヘリコプターの不時着などのトラブルをめぐって国会で「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばした責任を取り、辞表を提出、受理された。 」
茂木経済経済産業大臣 公職選挙法違反問題 / 茂木敏光経済産業大臣の秘書が有権者へ線香配布し公職選挙法に違法しているのではないかと話題になった。総務省は、違法かどうかを発表しなかった。
2月
厚生労働省の不適切な調査データ問題 / 裁量労働制に関する労働時間のデータについて不適切な内容であることが発覚し、安倍総理大臣が謝罪を行った。
「 裁量労働制に関する厚生労働省の調査データに異常値が含まれていた問題を巡り、加藤勝信厚労相は26日の衆院予算委員会で、新たに233件の異常値が見つかったと明らかにした。これまでの分を加えると300件を超えた。安倍晋三首相は調査データそのものは撤回しない考えを示したが、調査の信用性は失われつつあり、野党側は、この調査に基づいて作成された働き方改革関連法案を撤回するよう要求した。 」
3月
森友学園 決裁文書改ざん問題 / 森友学園への国有地売却に関する決裁文書を財務省が改ざんしていたことが発覚した。
「 財務省が「森友文書」を“改ざん”した疑いが2日、浮上した。森友学園への国有地売却問題に関し、財務省による決裁文書の原本が、昨年2月の問題発覚後に書き換えられた疑いがあると、同日の朝日新聞が報じた。財務省は、原本の存否について否定も肯定もせず、「調査したい」の一点張り。 」
文部科学省 教育への介入問題 / 文部科学省が前川喜平前次官が行った名古屋市内の公立中学校での授業の内容を、学校側に確認していたことが発覚した。
「 文科省は今月1日、市教委に対し、前川氏が同省の組織的天下り斡旋(あっせん)問題で辞任したことや出会い系バーを利用していたことを指摘した上で、授業の内容や前川氏を講師として招いた経緯などについてメールで尋ねた。その際、授業内容の録音データがあれば提供するよう要請した。 」
4月
厚労省東京労働局長 「是正勧告」発言問題 / 厚労省東京労働局長が記者会見で「皆さんの会社に行って、是正勧告してもいいんだけど」と発言し問題になった。厚労省東京労働局長は、12日後に更迭された。
「 勝田氏は3月30日の会見で、社員が過労自殺した野村不動産への特別指導の経緯の説明を求める記者に対し、「何なら皆さんのところ(に)行って是正勧告してあげてもいいんだけど」などと発言。昨年12月26日の会見で野村不動産への特別指導を公表した際は、前置きとして「プレゼントもう行く?」などと発言していた。これらの発言などを受けて国会に参考人として招致され、謝罪していた。 」
イラク派遣部隊 日報隠蔽問題 / 「ない」とされていた陸上自衛隊のイラク派遣部隊の活動に関する日報が隠蔽されていたことが発覚した。
「 政府が「存在しない」としていた陸上自衛隊の日報がまた見つかった。防衛省が2日、陸自内での保管を明らかにしたイラク派遣時の日報。事実上の「戦地派遣」と言われたイラクでの活動を記した日報が公表されてこなかったことに、野党は反発を強めている。 」
加計学園 「首相案件」問題 / 加計学園問題で柳瀬唯夫前首相秘書官が「本件は首相案件」などと発言したことが愛媛県や学園関係者と面会した際の文書から発覚した。
「 学校法人「加計(かけ)学園」が愛媛県今治市に獣医学部を新設する計画について、2015年4月、愛媛県や今治市の職員、学園幹部が柳瀬唯夫首相秘書官(当時)らと面会した際に愛媛県が作成したとされる記録文書が存在することがわかった。柳瀬氏が面会で「本件は、首相案件」と述べたと記されている。政府関係者に渡っていた文書を朝日新聞が確認した。 」
首相秘書官 野党議員へのヤジ問題 / 佐伯耕三首相秘書官が国会にて、希望の党・玉木雄一郎代表にヤジを行ったとして問題となった。
「 玉木氏が首相に加計学園の計画を知った時期などをただしていると、佐伯氏は繰り返し発言。玉木氏によると「違う」「間違っている」などと繰り返したという。抗議を受けた佐伯氏は首相への助言だと説明し、首相も同調したが、玉木氏は「私じゃなくて総理に向かって言うべきだ」と指摘。佐伯氏は何度もうなずき、その後は首相に近寄って助言するように改めた。 」
厚労省局長 セクハラメール問題 / 厚生労働省局長が女性社員に対し、セクハラを疑われるようなメールを送付していた。
「 厚労省によると、福田局長は女性職員に対し、勉強会に関連して食事に誘うなどセクハラが疑われるメールを複数送っていた。厚労省は2月末に、この職員宛てのメールを一切送らないよう口頭で注意した。 」
財務省事務次官 女性記者へのセクハラ発言問題 / 福田淳一財務次官が取材をしていた女性記者に対しセクハラ発言をしたと報道され、音声も公表された。福田淳一財務次官はセクハラを認めず辞任を表明した。
「 政府が4月24日の閣議で、週刊新潮がセクハラ疑惑を報じた福田淳一・財務省事務次官の辞任を了承したと、毎日新聞などが報じた。12日発売の同誌が、福田氏が複数の女性記者にセクハラ発言を繰り返していたと、発言を録音した音声データなどもあわせて報道。福田氏は報道の内容を否定したが、「次官としての職責を果たすことが困難になった」と、18日に麻生太郎財務相に辞任を申し出ていた。 」
自衛官 野党議員への暴言問題 / 幹部自衛官が、民進党の小西ひろゆき議員に対し、「お前は国民の敵だ」と罵声を浴びせた。
「 防衛省は、今月16日に現役の自衛官が民進党の小西洋之参院議員をののしった問題で調査の結果を明らかにしました。この自衛官は安保法制の採決を巡る小西議員の行動などに違和感を持っていて、ランニング中に偶然出会った際、「国のために働け」「気持ち悪い」「馬鹿」とののしったと説明しています。ただ、小西議員が主張する「国民の敵」という発言は否定しています。この結果を受けて小西議員は「国民の敵」という暴言を「組織ぐるみで隠蔽する動きではないか」と批判を強めています。 」
野党の審議拒否で「解散発言」も話題に / 野党が審議拒否を行う中、自民党の森山裕国対委員長が「内閣不信任決議案が提出されれば解散も一つの選択肢だ」と述べたことが話題となっている。
「 野党の審議拒否で国会の混乱が長引く中、自民党は25日、衆院解散・総選挙の可能性をちらつかせて手詰まり状態の打開を図った。折しも野党陣営は、民進、希望両党による新党結成などで離合集散の途上。自民党側は、野党の選挙準備や共闘構築は進んでいないとみて、揺さぶりをかけた格好だ。これに対し、立憲民主党など6野党は安倍政権の退陣を求めて抗戦する構えだ。 」  
官邸の危機管理 不祥事 2018/2
安倍晋三首相(63)や菅義偉官房長官(69)による危機管理の要諦は「迅速」であることが改めて確認された。先月、不適切なヤジをした松本文明内閣府副大臣(68)の事実上の更迭は、菅氏が事態を把握してから20分ほどで首相との間で方針が共有され、政権への影響は最小限に食い止められた。一方、過去には稲田朋美元防衛相(59)がなかなか辞任せず内閣支持率が低下した例もある。レッドラインはどこにあるのか。
松本氏は1月25日の衆院本会議で、沖縄で相次ぐ米軍ヘリの事故について質問した共産党の志位和夫委員長(63)に「それで何人死んだんだ」と罵声を浴びせた。共産党の機関紙「しんぶん赤旗」が26日に報じた。
関係者によると、菅氏に伝わったのは26日午後4時13分の参院本会議後。菅氏は「はらわたが煮えくりかえる。政権の立場と違い過ぎる。もうダメだな」と考えた。松本氏側に事実確認をし、更迭方針を固めた。政権が進める米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設が争点となる名護市長選の投開票を2月4日に控えていたことも決断を後押しした。
参院本会議後に約20分間開かれた衆院予算委員会と参院予算委の間の短時間、菅氏は国会内で首相と向き合い、言葉を交わした。
菅氏「辞任させます」
首相「そうしてくれ」
松本氏はこの1時間半後の午後5時59分に首相官邸に辞表を携えて菅氏を訪ね、その足で首相に提出した。名護市長選は自民、公明、維新各党が推薦する候補が初当選し、結果として判断が吉と出た。
似たようなことは平成29年4月25日にもあった。当時の今村雅弘復興相(71)が所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったからよかった」と述べた。同じパーティーで首相は「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言だ。おわびさせていただきたい」と謝罪し、首相に促される形で今村氏は直ちに辞任した。
沖縄は昨年の衆院選で4選挙区のうち3選挙区で自民党が敗れた。復興は政権が最重要課題に挙げる。どちらも官邸側が敏感になっているのは間違いない。
対照的な扱いとなったのが、26年10月にうちわ配布問題で辞任した松島みどり元法相(61)と、29年7月に陸上自衛隊の南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報問題で引責辞任した稲田氏だ。
松島氏は就任2カ月足らずで辞任したが、政権内に積極的にかばう声はほとんど聞かれなかった。他方、稲田氏はたびたび防衛政策をめぐる答弁に窮し、涙ぐむこともあって資質を問題視された。東京都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊としてもお願いしたい」との失言も犯し、自民党惨敗の一因となった。
それでも首相は周囲に「内閣改造で交代させればいい」と話していた。首相は稲田氏を「初の女性首相候補」と見定めて政調会長や防衛相に抜擢してきただけに、党内には温情によるものとみる向きも多い。
山本有二元農林水産相(65)は在任中の28年10月、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)承認案に関し「強行採決するかどうかは衆院議院運営委員長が決める」と述べ、批判された。この前に衆院TPP特別委の自民党理事が強行採決の可能性に言及して辞任していたが、山本氏は内閣改造まで農水相にとどまった。
山本氏は石破茂元幹事長(61)率いる石破派に所属しているが、首相とも近い。首相の出身派閥・細田派幹部の下村博文元文部科学相(63)は在任中に教育関係団体からの献金が発覚したが、内閣改造まで続投した。
首相の盟友としてアベノミクスやTPP交渉の中心を担った甘利明元経済再生担当相(68)が28年1月、秘書による金銭授受問題を受け自ら身を引いた例もある。とはいえ、疑惑・不祥事の内容にもよるが、やはり首相との距離感が進退の線引きとなっているようだ。 
官庁不祥事にも大臣引責ゼロ 2018/4
霞が関といえば国の役所が集まる場所。事務方の最上位にある官僚は「次官」である。しかし、読んで字のごとく「次官」はあくまでもナンバー2。それぞれの省庁のトップは「大臣」で、省内で大きな不祥事が起きた場合、大臣が責任をとるというのが歴代政権の常識だった。
現状はどうだろう。昨年から今年にかけ次々と主要官庁による隠蔽やでっち上げが露見しているというのに、辞めた大臣は一人もいない。いずれも“原因究明”を理由に居座っており、無責任政治がまかり通る状態だ。
もともとなかった政治への信頼が、これまで以上に失われつつある。
「引責」しない大臣たち 
よくもまあ、次から次に役所の不祥事が続くものだ。昨年から今年にかけて、防衛省、文科省、厚生労働省、財務省と主要な官庁の役人による文書の隠蔽や虚偽答弁が明らかになった。官僚が何をやってきたのか下にまとめたが、歴代政権では起き得なかった事件ばかりである。
いずれも大臣の首が飛んで当然の事案。実際、役所の不祥事で大臣が責任をとらされた例は枚挙に暇がないが、安倍政権になって引責辞任した政治家は一人もいない。
辞めたのは、甘利明元経済再生担当相や小渕優子元経産相のように“政治とカネ”にまつわる事件を起こすか、今村雅弘元復興相のように問題発言を咎められるといった“本人の不行跡”が問題になったケースだけ。日報問題の責任をとる形となった稲田朋美前防衛相の辞任にしても、役所不祥事の引責というのは建前で、都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と発言したことが一番の原因だった。
腐った内閣に腐った大臣
辞めない理由について、各大臣は口を揃えて「原因究明と組織の立て直し」と言う。稲田氏もそうだったし、麻生氏も同じ理屈で財務大臣を続けている。しかし、安倍の3重苦といわれる森友、加計、日報といった問題には、所管庁の大臣自身が関わっている可能性がある。
悪徳警官や検察官が自らの犯罪を捜査し、立場の弱い第三者に罪を押し付けるのがテレビドラマの相場だが、安倍政権の閣僚たちがやっているのはこれと同じことだろう。腐った安倍政権には腐った大臣がよく似合う。
国民の信頼を失わせる重大な不祥事が起きたというのに、誰も責任を取らない組織――。つまりは腐った政府機関ということになるが、そこには政治が保つべき威厳は、みじんも感じられない。
憲法には《内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ》と定められており、『内閣法』も《内閣は、行政権の行使について、全国民を代表する議員からなる国会に対し連帯して責任を負う》と規定している。言うまでもなく、国会は選挙で選ばれた国民の代表が集う場所であり、そうした意味で内閣が責任を負うのは事実上「国民」に対してということになる。不祥事続きでありながら、閣僚が誰一人辞めようとしない安倍政権は、国会や国民に責任を負っていると言えるのか――。政権による一連の対応を見れば、答えが「NO」であることは明らかである。
元凶は安倍晋三
先月25日に開かれた自民党の党大会で挨拶した安倍晋三首相は、冒頭、次のように述べた。
「大変ご心配をおかけしており申し訳ない。国民の行政に対する信頼を揺るがす事態となっており、行政の長として責任を痛感している。行政全般の最終的な責任は首相である私にある。改めて国民の皆さまに深くおわび申し上げる。なぜこのようなことが起こったのか徹底的に明らかにし、全容を解明する。その上で二度とこうしたことが起こらないように、組織を根本から立て直していき、その責任を必ず果たしていくことを約束する。」
たしかに、国の行政機関を代表するのは内閣総理大臣である安倍氏だ。「行政全般の最終的な責任は首相である私にある」というのは正しい。当然、「責任がある」と認識していれば、事が起きた時「責任をとる」はずだが、安倍首相は言い訳ばかりで「責任をとる」気配さえない。
文書改ざん、隠蔽、でっち上げといった霞が関で起きているぞれぞれの“事件”は、いずれも安倍首相か安倍昭恵夫人を守るために官僚が起こした事件。だが国会質疑での首相は、終始“他人事”としての答弁しか行っていない。
「全容解明」を理由に現職に居座るような為政者を、この国では“卑怯者”“恥知らず”と蔑んできた。「日本の伝統文化を守る」とか「美しい国」とかを声高に叫んできた男が、実はいちばん日本の美徳を理解していない。 
「生産性」と「産めよ殖やせよ」 安倍政治に重なる戦前 2018/7
「産めよ殖やせよ」を国のスローガンに掲げた昭和16年(1941年)、日本は太平洋戦争に突入した。77年経った平成最後の年、政権政党の国会議員が月刊誌で「LGBTのカップルは生産性がない」という主張を展開し、厳しい批判を浴びる状況に――。少数差別の裏には、“女性は子供を産むのが当然”という考えがある。
女性に「国のために子供を産め」と迫る愚かな政治家が増えたのは、安倍晋三という極右政治家が政権を担ってからだ。第1次安倍政権の発足以来、大臣や党幹部が何度も同様の発言を行い、物議を醸してきた。一連の発言に通底しているのは「個人より国家」という全体主義的な考え方である。
LGBTをネタに朝日攻撃
問題の主張は、月刊誌「新潮45」が8月号で企画した《日本を不幸にする「朝日新聞」》に、自民党の杉田水脈という女性の衆議院議員が寄稿した「『LGBT』支援の度が過ぎる」の中で展開したもの。この中で杉田氏は、子供を産まないことを『LGBTのカップルは生産性がない』と決めつけ、LGBTについて報道する朝日新聞の姿勢を攻撃していた。声の小さな少数派が、朝日攻撃の材料に使われた格好だ。
納税者の権利を否定
LGBTとは、「性的少数者」の中の女性同性愛者(レズビアン;Lesbian)、男性同性愛者(ゲイ:Gay)、両性愛者(バイセクシュアル:Bisexual)、 性同一性障害(トランスジェンダー:Transgender)といった人たちの総称で、各単語の頭文字を組み合わせてできた表現だ。杉田議員は寄稿文の中で、子供をつくらないこうした人々への税金投入を否定する見解を示していた。安倍首相夫妻もそうだが、税金を払っていても子供がないカップルや独身者は、みんな「生産性がない」ということになる。納税者への税金投入が無駄だと主張する国会議員は、おそらく杉田氏が初めてだろう。
政治家には自由な発言が担保されているが、杉田氏のばかげた主張は自民党の政権公約にも反している。同党が昨年の総選挙にあたって公表した政権公約には、『性的指向・性自認に関する理解の増進を目的とした議員立法の制定を目指す。多様性を受け入れる社会の実現を図る』と記されているからだ。しかし、自民党では首相と距離を置く石破茂元幹事長や野田聖子総務相以外に、杉田氏の暴論を咎める動きはない。
“狂気”を宿した女性議員
では、杉田水脈とは一体何者なのか――。彼女の経歴をさらってみた。2012年の総選挙で日本維新の会から出馬し、比例近畿ブロックで復活当選。次世代の党に移った2014年の選挙では落選し、自民党公認を得た昨年の総選挙では、比例中国ブロック17位で2期目の当選を果たしている(現在は首相の出身派閥「細田派」所属)。
これまでの発言や主張を確認してみたが、所属してきた政党の色そのもの。「南京大虐殺も従軍慰安婦も嘘」「憲法改正に賛成」「国防軍創設」「保育所増設に反対」「総理の靖国参拝賛成」などなど、ウルトラ右翼としか言いようのないものばかりだった。「男女平等は、絶対に実現しえない反道徳の妄想」という過激な発言もある。なぜこうした“狂気を宿した人物”が国会議員のバッジをつけているのか分からないが、自民党そのものが、杉田氏の暴論を容認する組織に成り下がったということだろう。これは多様化ではなく、安倍政権になって顕在化した“歪み”とみるべきだ。
安倍政権下「産めよ殖やせよ」の大合唱
かつて、女性を「産む機械」と蔑んだのは、第1次安倍政権で厚生労働大臣を務めていた柳澤伯夫氏(引退)。この時以来、“国のために子供を産め”という考え方が安倍政権の共通認識になっているのではないか。以下、安倍政権下で問題視された発言の数々である。
杉田議員が「生産性」という言葉を使ったことは、女性を、子供を産む機械だと考えている証拠だろう。会見で、杉田氏の主張について聞かれた二階俊博幹事長は、「人それぞれ政治的立場、いろんな人生観、考えがある」として、事実上「LGBTのカップルは生産性がない」を容認する姿勢をみせたが、その二階氏自身、6月に都内で行った講演の中で「子供を産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」などと発言していた。
菅官房長官や山東昭子参院議員の発言も方向性は同じ。女性は、子供を何人も産むべきだと考えている。多様な生き方を否定し、少子化の責任を国民に押し付けているようなものだ。自民党議員による女性蔑視は今に始まったことではないが、安倍政権になってから女性に関する暴言・失言が繰り返されるのは、自民党が本音をむき出しにするようになった証でもある。
重なる「戦前」
杉田氏の政界入りを後押ししたのは右派の論客である櫻井よしこ氏で、自民党に誘ったのは安倍首相なのだという。いずれも「国家」や「国益」を声高に叫ぶ全体主義者。少数の声と真摯に向き合う気持ちなど、これっぽっちもない人たちなのである。モリ・カケ、日報といった不都合な話から逃げ回る一方、カジノ法や参院議員を6人も増やす改正公選法を強行採決した安倍政権。数の力で世論をも蹴散らす政治が、少数派に配慮するはずがない。
昭和16年(1941年)に閣議決定された「人口政策確立要綱」のスローガンとなった「産めよ殖やせよ」は、戦前の厚生省が掲げた「結婚十訓」の中の一つで、後には「国のため」という言葉が続く。要綱は、兵力や労働力の増強を目的としたものだ。軍事国家のために子供を産むことを奨励した戦前と、「戦争ができる国」を目指す安倍政治が重なる。 
“全員野球”安倍内閣の“珍言一覧” 2018/10
10月2日、安倍晋三首相が内閣改造と自民党役員人事を行った。初入閣が12人にも及ぶ第4次安倍改造内閣について、「実務型の人材を結集した」と語った安倍首相は「全員野球内閣」と命名したが、評判は上々とは言えないようだ。さっそく新閣僚からはさまざまな発言が飛び出している。過去の発言もあわせて振り返ってみたい。
柴山昌彦 文科相「(教育勅語について)アレンジした形で、今の道徳などに使える分野があり、普遍性を持っている部分がある」TBS NEWS 10月3日
初入閣した柴山昌彦文科相は就任会見で、戦前の教育で使われた教育勅語について「今の道徳などに使える」「普遍性を持っている部分がある」などと語った。「同胞を大事にするなどの基本的な内容について現代的にアレンジして教えていこうという動きがあり、検討に値する」とも述べた。
教育勅語とは明治天皇の名前で1890年に発布されたもので、戦前から戦中にかけて思想面で国家総動員体制を支えた。「君主」である天皇が「臣民」の国民を諭す形をとっており、国民主権、個人の尊重を掲げた現在の日本国憲法とは根本から相容れない。1948年に衆参両院で排除と失効が決議された。衆議院の決議では教育勅語が基本的人権を損ない、憲法に反するものだと明確に位置づけている。
教育勅語には親孝行や友愛などの徳目も含まれるが、ならば親孝行や友愛について教えればいいことであり、教育勅語にこだわる理由は1ミリもない。近現代史研究者の辻田真佐憲氏は、教育勅語が成立した歴史と内容について論じつつ、「部分的に評価できるところがあるからといって、『教育勅語』全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンス」と結論づけている(現代ビジネス 2017年1月23日)。
柴山氏は5日の記者会見で「現在に通用する内容もあるが、政府として教育勅語の活用を(学校現場などに)促す考えはない」と語ったが(産経ニュース 10月5日)、そんなの当たり前のことだ。
過去に教育勅語を“推した”政治家たち
下村博文 自民党・憲法改正推進本部長「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある」産経ニュース 2014年4月9日
稲田朋美 自民党・筆頭副幹事長・総裁特別補佐「教育勅語に流れている核の部分は取り戻すべきだと考えている」日本経済新聞 電子版 2017年3月8日
近年、積極的に教育勅語について発言していたのは、下村博文氏と稲田朋美氏だ。
下村氏は文科相だった2014年4月8日の参院文教科学委員会で「(教育勅語を)学校で教材として使う」ことは「差し支えない」と発言。同日の記者会見でも「至極まっとう」と語っていた。稲田氏は防衛相だった2017年3月、参院予算委員会で「勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ」と発言していた(毎日新聞web版 2017年3月8日)。松野博一氏も文科相時代に「教育勅語を授業に活用することは、適切な配慮の下であれば問題ないと思います」と発言している(文部科学省ウェブサイト 2017年3月14日)。
自民党の和田政宗参院議員は下村氏の発言を下敷きに「教育勅語の精神を教育現場で活用することについて、柴山文科大臣の発言を批判している人がいるが、従来答弁を踏襲したもので、何ら問題はない」と柴山氏を擁護した(ブログ 10月4日)。なるほど、柴山氏は「政府として活用を促すことはない」と答えていたけど、自民党としては「教育勅語の精神(?)を教育現場で活用すること」に「何ら問題はない」と考えているわけね。
なお、下村氏と稲田氏は、今回の党役員人事で要職に復帰しているところが共通している。下村氏は、安倍首相にとって悲願である憲法改正について具体案を議論する憲法改正推進本部の本部長に就任。稲田氏は総裁特別補佐に就任した。
柴山昌彦 文科相「(渋谷区に同性愛者が集まったら)問題があるというよりも……社会的な混乱が生じるでしょうね」テレビ朝日『ビートたけしのTVタックル』2015年3月2日
これは当時、自民党のヘイトスピーチ対策プロジェクトチームで座長代理を務めていた柴山氏が渋谷区の同性パートナーシップ制度について議論する番組に出演したときの発言。このときは「同性婚を制度化したときに、少子化に拍車がかかる」とも発言し、エッセイストの阿川佐和子氏から「国のために役に立たない人間は認めないって話じゃないですか」と反論された。LGBTカップルのことを「生産性がない」と語った杉田水脈・自民党衆院議員とも通じる考え方だ。なお、柴山氏は2012年に「少し時間ができたので小川榮太郎氏の『約束の日 安倍晋三試論』を読み返す。闘志をかきたてられる一冊だ」ともツイートしている(10月8日)。
桜田義孝 五輪担当相「(放射能汚染されたごみの焼却灰は)人の住めなくなった福島に置けばいいのではないか」時事ドットコムニュース 10月5日
政府は東京五輪を「復興五輪」としているが、新たに五輪担当相になった桜田氏は文部科学副大臣だった2013年にこのような発言をしていた。桜田氏は5日の記者会見で過去の発言について「誤解されるような発言があったとすれば私の不徳の致すところだ」と陳謝したが、誰も誤解なんかしていない。
なお、桜田氏は五輪担当相の就任会見の冒頭、「パラリンピック」と上手く言えずに4回言い直していた。臨時国会で審議予定のサイバーセキュリティ基本法改正案について答弁する予定だったが、首相官邸が桜田氏の答弁を不安視しており、別の閣僚への変更を検討しはじめたという(朝日新聞デジタル 10月4日)。
平井卓也 科学技術・IT担当相「EM菌を使っている方がたくさんいるので幹事長を引き受けた。中身はよく知らない」毎日新聞 10月3日
初入閣の平井卓也科学技術・IT担当相は、科学的裏付けのない有用微生物群(EM菌)の利用を目指す超党派の「有用微生物利活用推進議員連盟」の幹事長を務めている。EM菌は実態の定義も概念の意味も不明瞭な疑似科学で、何の効果もないと批判されている。記者会見でEM菌議連の幹事長を務めていることについて問われた平井氏は「中身はよく知らない」と釈明した。よりによってすさまじい人を科学技術相に選んでしまった。
平井卓也 科学技術・IT担当相「黙れ、ばばあ!」中日新聞プラス 2013年6月29日
自民党ネットメディア局長時代の2013年には、「ニコニコ動画」上で生中継された党首討論で、社民党の福島瑞穂氏に対して「黙れ、ばばあ!」、日本維新の会の橋下徹氏の欠席が伝えられたときには「橋下、逃亡か?」などと書き込んでいたことが明らかになっている。安倍首相の発言の際は「あべぴょん、がんばれ」などと書き込んでいた。取材に対して「(国会の)やじみたいなものだ」と釈明している。これがIT担当相……。
桜田義孝 五輪担当相「(従軍慰安婦は)職業としての売春婦だった。犠牲者だったかのような宣伝工作に惑わされ過ぎだ」日本経済新聞 2016年1月14日
桜田氏の発言をもう一つ。自民党の外交関係合同会議で、韓国との従軍慰安婦問題についてこう発言した。この前年12月末の日韓合意で政府は慰安婦問題に関し、旧日本軍の関与と責任を認めたばかりだった。
原田義昭 環境相「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、申請しようとするのは承服できない」朝日新聞デジタル 2015年10月2日
こちらはユネスコの世界記憶遺産登録をめぐる中国の動きへの対策を検討する自民党の国際情報検討委員会で、委員長だった原田氏の発言。原田氏はラジオ番組のインタビューでも「南京の虐殺というような評価にはまったく当たらない」などと発言していた(TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』2015年10月19日)。
原田義昭 環境相「杉田さんは自民党だけではなく国家の財産ですよ」『ジャパニズム』41(2月10日発売)
今年2月10日に発売された雑誌『ジャパニズム』で杉田水脈衆院議員と対談した原田氏は、「国家の財産」と絶賛した。原田氏はほかにも「僕なんか杉田さんが来るの夢みたいに待っていたんでね」「杉田さんの認識はきわめて一般的ですよ」などと語っている。
稲田朋美 自民党・筆頭副幹事長・総裁特別補佐「ミサイル防衛で1発目のミサイルを撃ち落とし、2発目(が撃たれる)までに敵基地を反撃する能力を持っていない状況でいいのか」朝日新聞デジタル 10月2日
これはつい先日の発言。北朝鮮問題のシンポジウムにゲストとして登場した稲田氏は、「北朝鮮は実は非核化の意思はないんじゃないか。経済制裁を緩めるべきではない」と圧力路線を主張。自衛隊による敵基地攻撃能力の保有を訴えた。日朝首脳会談の実現は稲田氏にとって眼中にないらしい。
第4次安倍晋三改造内閣について、プレジデントオンライン編集部は「“右寄りのお友達”で固めた安倍内閣」とストレートな見出しを打っている(10月4日)。共産党の小池晃書記局長は「全員野球内閣」というキャッチフレーズに引っかけて「首相と同じ毛色の政治家をそろえた右バッターばかりの『お仲間内閣』」と表現した(ツイッター 10月2日)。
今回の内閣では、公明党所属の石井啓一国土交通相を除き、安倍首相と自民党所属閣僚の19人全員が「靖国」派改憲右翼団体と連携する「神道政治連盟国会議員懇談会」と「日本会議国会議員懇談会」の二つの議連のいずれかに加盟歴があることが明らかになっている(しんぶん赤旗 10月4日)。
安倍首相は記者会見で「希望にあふれ、誇りある日本を創り上げ、世代に引き渡すため、内閣一丸となって、政策の実行に邁進する決意です」と語ったが(産経ニュース 10月2日)、いったいどのような国になってしまうのか注視していきたい。 
田崎史郎「一番出来の悪い内閣」…安倍改造内閣 2018/10
本日午後、第4次安倍改造内閣と自民党役員人事が発表された。安倍首相は「全員野球内閣」と称したが(笑)、早くも「在庫一掃内閣」「総裁選の論功行賞人事」「また安倍首相のお友だちばかり」と非難囂々。あの田崎史郎でさえ、「これまでの安倍内閣でいちばん出来の悪い内閣」「この人で大丈夫かなという人が5人くらいいる」と口にしたほどだ。
それも当然だ。何よりもまず、森友公文書改ざん問題にくわえてセクハラ問題で被害者女性を攻撃する発言をおこなった麻生太郎が副総理兼財務相を続投するなんて言語道断。しかも安倍首相は、口利き賄賂事件の疑惑追及・説明責任から逃げつづけている甘利明・元経済再生担当相を党4役の選挙対策委員長に、働き方改革一括法案の国会審議でデータ捏造が発覚した上、インチキ答弁を繰り返した加藤勝信厚労相を総務会長に抜擢したのである。
これだけでも論外の人事なのだが、さらに仰天したのは、下村博文、松島みどり、そして稲田朋美という“不祥事大臣”を党の要職に就けたことだ。
あらためて指摘するまでもないが、下村は文科相時代に任意団体「博友会」をめぐる政治資金問題で刑事告発される騒動を起こし、昨年には加計学園から計200万円を受け取っていたという“闇献金”疑惑まで発覚。「都議選が終わったら丁寧にお答えします」などと言っていたが、いまなお「丁寧にお答え」などしていない。
また、松島は自身の名前やイラストが入ったうちわを選挙区で配布した問題で2014年に法相を辞任。2016年には衆院外務委員会で審議がおこなわれている最中に堂々と携帯電話をいじったり読書したりという態度のひどさが問題となり、謝罪コメントを出したこともあった。
稲田元防衛相にいたっては、昨年、自衛隊の南スーダン日報隠蔽問題で防衛相を辞任したばかり。しかも、森友学園をめぐる虚偽答弁に、都議選での「自衛隊としてお願い」発言など問題を連発していたにもかかわらず安倍首相が庇いつづけ、日報隠蔽に稲田防衛相が直接関与していたことは明白だったのに、辞任したことを盾に閉会中審査への出席を拒否。最後まで説明責任を果たすことはなかった。
このような問題大臣を、安倍首相は何事もなかったかのように党要職で登用。下村は憲法改正推進本部長に引き上げただけでなく、うちわ配布で辞職した松島をよりにもよって広報本部長に、そして稲田には筆頭副幹事長と総裁特別補佐という役職を与えた。安倍首相は稲田を「ともちん」と呼び、“ポスト安倍”として寵愛してきたが、あれだけの問題を起こして党内からも批判が集中した稲田を、今度は自分のアドバイス役につけるというのだから、呆れてものが言えない。
だが、話はこれで終わらない。初入閣・再入閣の新メンバーも、スキャンダルや疑惑・問題を抱えた“大臣不適合者”が山のようにいるからだ。
その筆頭は、無論、地方創生相に選ばれた片山さつきだろう。片山といえば“生活保護バッシング”の急先鋒であり、2016年にも貧困女子高生バッシングに参戦し、Twitterで“貧乏人は贅沢するな!“といった批判を公然と展開。
これだけで大臣の資質はまったくないと断言できるが、さらに片山は“デマ常習犯”としても有名で、2014年に御嶽山が噴火した際には〈民主政権事業仕分けで常時監視の対象から御嶽山ははずれ〉たなどとツイートしたものの、実際は御嶽山が観測強化対象から外れていなかったことが判明し謝罪。また、同年には「NHKの音楽番組『MJ』では韓国人グループ・歌手の占有率が36%。これでは“ミュージックコリア”だ」などと国会で質疑。しかしこれも同番組の韓国人グループ・歌手の出演率は約11%でしかなかったことがすぐさま判明、その上、この「占有率36%」というのは2ちゃんねるに書き込まれた情報で、それを片山が調査もせずに鵜呑みにしたのではないかと見られている。
さらに、今回の内閣改造で目を疑ったのは、今年の通常国会で安倍政権が強行採決したカジノ法案で、大スキャンダルがもちあがった岩屋毅議員を防衛相に抜擢したことだ。
その大スキャンダルとは、「週刊文春」(文藝春秋)7月19日号が報じた「安倍政権中枢へのカジノ『脱法献金』リスト」という記事。同誌によると、超党派のIR議連に所属する自民党を中心とした政治家に対し、米国の大手カジノ企業「シーザーズ・エンターテインメント」が、間接的にパーティ券購入のかたちで資金を提供していたという。その政治家への資金提供リストには、麻生太郎副総理や西村康稔官房副長官らと並んで、カジノプロジェクトチーム座長(IR議連幹事長)を務めた岩屋議員の名前が記されていたのだ。
政治資金規正法第二十二条では、外国人および外国の法人・組織からの献金が禁じられており、日本でのカジノを進めようとする自民党議員らが外国カジノ企業のロビイストを通じてパーティ券を購入してもらっていたという事実は、明らかに法の目を潜り抜けようとする悪質行為だ。こんな問題がもち上がって3カ月も経っていない岩屋議員を防衛相に据えるとは……。
“疑惑の人物”といえば、国家公安委員長となった山本順三議員も同じだ。というのも、山本議員は愛媛県今治市出身で、加計学園問題でも名前が浮上。2014年に下村元文科相がセッティングをおこない、加計孝太郎理事長と会食をおこなっていたことが下村事務所の日報からあきらかになっているほか、今年発覚した愛媛県新文書でも、〈加計学園の直近の動向・今後の予定〉なる項目で〈3/8 山本順三参議院議員を励ます会に出席した下村文科大臣と面談〉と名前が登場している。
また、山本議員は加計疑惑の登場人物のひとりであるだけではなく、安倍政権の特徴ともいえる“圧力・恫喝”体質の持ち主だ。事実、安倍首相が内閣官房副長官時代に放送前のNHKのドキュメンタリー番組に政治的圧力をかけ、NHK放送総局長に対し「勘ぐれ、お前」と言い放ったとされる「NHK番組改変問題」をめぐり、山本議員は2006年に国会で、裁判で改変の実態を証言した番組制作者2名について「NHKはどのようなけじめをつけるのか」と処分を迫り、結果、この2名には制作現場から外されるという報復人事がおこなわれた。こうした人物が国家公安委員長に就任するとは、背筋が凍る。
さらに、文科相となる柴山昌彦・総裁特別補佐は、2015年に『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日)に出演した際、「同性婚を制度化したときに、少子化に拍車がかかるのではないか」と発言。同性婚と少子化にはまったく関係がないにもかかわらず、「経済的な制度と違って家族制だとか文化伝統の問題というのは一挙手一投足には変えられないもの」などと述べた。同性愛者に対する法的な不平等には目も向けず“伝統的家族観”をもち出す人物を文科相に抜擢したことは、安倍政権の本質を表しているといっていいだろう。
このほかにも、ネトウヨの巣窟とされる自民党ネットサポーターズクラブ、通称「ネトサポ」の代表をつとめ、2013年におこなわれたニコニコ生放送の党首討論会で福島瑞穂議員の発言中に「黙れ、ばばあ!」と書き込んだことが発覚したこともある平井卓也議員が、科学技術・IT担当相として初入閣するなど、すでに問題大臣が続出の安倍改造内閣。安倍首相周辺は、徹底して“身体検査”をおこなったというが、ここまで挙げてきた新大臣たちの言動やスキャンダルは問題ないというのだろうか。
いや、この安倍改造内閣は、問題発言やスキャンダルを抱えた大臣が揃っているということだけではない。もうひとつの問題、それは極右議員が集結した「ネトウヨ内閣」だということだ。
 
不祥事 2019
桜田元五輪大臣、サイバーセキュリティ担当大臣も辞職… 2019/4
□桜田五輪相「復興以上に大事なのは高橋さんでございますので、よろしくどうぞお願いいたします」 桜田氏は(2019年4月)10日夜、岩手出身の自民党・高橋比奈子衆院議員のパーティーであいさつし、「東日本大震災ということは、岩手も入っている」などと述べたうえで、「復興以上に大事なのは、高橋さんです」と、被災者を軽視するような発言をした。
□安倍晋三首相は(2019年4月)10日、辞任した桜田義孝五輪相の後任に、前五輪相の鈴木俊一衆院議員を再起用する方針を固めた。鈴木氏は11日に皇居での認証式を経て正式に就任する。
□鈴木俊一氏 早大卒、五輪相、環境相。衆院岩手2区、当選9回、65歳。麻生派。
桜田義孝元大臣(千葉県第8区)の失言ばかりがニュースに取り立てられた。しかもバラエティニュース受けしそうな単純な失言ばかりだ。ツラの皮のあつい大臣はそれでも繰り返す。
その裏で本来、ニュースになるべき事象がニュースにならなくなってしまう。さすがに、これ以上は無理と判断した安倍首相も更迭を決意した。二階派に十分すぎるほど義理を果たしてきた…。何よりも、天皇陛下のご譲位(退位ではなく)までの忙しいさなか、本日(2019年4月11日)新大臣の『認証官人命式』が急遽執り行われるという。どれだけ急遽な割り込みだ。閣僚の認証式なんて組閣時の一回限りで良いと筆者は考える。毎度、天皇陛下をお呼び立てする法律こそ改正すべきだ。しかし、単なる法律ではなく憲法第7条五の国事行為なので改憲となるのか…。
二階派(志師会)の権限が弱まる…
かつては、閣僚になりたければ二階派とまで云われたほど二階派には実力があったが、これだけ閣僚の不祥事が続くと、二階俊博(80歳)率いる二階派(志師会:しすいかい)の勢力も弱まりつつあるだろう。ここまで、二階派によってかばい続けられてからの再々失言だからだ。
何よりも、このところの失言のリークが、メディアのいない、しかも身内で固められたパーティー席での来賓挨拶というケースが多い。誰もが、録音できるスマートフォンを持っている時代だからこそ、絶対にリップサービスなどでウケを狙うべきではない。サービス精神が旺盛な議員ほど、饒舌に失言してしまう。それをさらに、身内が外部へリークするという時代なのだ。政治家はどんな場でも決して油断すべきではない。飲んでいる席での記者へのセクハラ発言も時代錯誤だったが、まさかの録音だった。
日本の『サイバーセキュリティ担当大臣』職は五輪大臣とセットで良いのか?
今回、一番気になったのが、桜田義孝(元大臣)議員が、五輪大臣を辞意の報道はたくさん見かけるが、 ITの要となる『サイバーセキュリティ担当大臣』職は、どうなったのか? 筆者は、五輪担当大臣なんかどうでもよく、この日本のサイバーセキュリティの最重要責任職の担当大臣のほうが気になった。そもそも、『サイバーセキュリティ担当大臣』職は五輪大臣とセットで良いのか?と思い続けている。
当然、五輪が始まる前から終わるまでは、サイバーセキュリテ担当大臣の名前はたとえお飾りであったとしても、何らかの最終ジャッジは迫られることがある。セキュリティは五輪の時だけではないからだ。たとえお飾りの大臣といえども別けて考えるべきだと思う。
内閣サイバーセキュリティーセンターに質問してみた…
昨日は、内閣府に連絡がつかなかったので、本日、内閣サイバーセキュリティーセンターに担当者に質問したところ…
「ご本人が大臣の辞意を表明されたので、同時にサイバーセキュリティ担当職も辞されたことになります。同時に、鈴木俊一五輪大臣が兼任すると聞いております」
と内閣府のサイバーセキュリティーセンターの○○さんは筆者の質問に答えてくれた。つまり、五輪相と常にセットになっているのが、サイバーセキュリティー戦略本部なのだ。
ちなみに、現在のIT・科学技術政策担当の国務大臣は平井卓也大臣である。良し悪しは別として、「サイバーセキュリティ基本法」「官民データ活用推進基本法」などを10年にわたり、IT戦略特命委員長を続けてきた。サイバーセキュリティの担当大臣は、ITのわかる官僚が多い国務大臣か、文部科学相の兼任がふさわしいのではないだろうか?
しかし、平井大臣は、『岸田派 宏池会(こうちかい)』だ。
安倍首相は、父の代の安倍晋太郎から受け継ぐ『細田派 清和政策研究会:清和会(せいわかい)』だ。今回の後任は、『麻生派 志公会(しこうかい)』の鈴木俊一大臣だ。父は鈴木善幸元首相、麻生太郎副首相は義兄にあたる。
大臣登用は、常に派閥との勢力パワーバランスで選ばれている。しかし、国民にはそこまで情報が行き渡っていない。むしろ、選挙の時は、政党だけでなく、派閥の力関係の情報も開示し選ばせたほうが良いだろう。
すくなくともサイバーセキュリティ担当大臣は、内閣府の一存で決められる事項であるので、五輪とサイバーセキュリティという繁忙期のある職責は二分化したほうがリスクが少ないと思う。
桜田義孝元大臣の任命責任は安倍首相にあるが、政治の世界へ代議士として送り込んだのは、千葉県第8区の有権者だ。7期当選で20年以上信任を得てこられている。
もっとITのチカラで選挙のたかだか2週間ではなく、現職議員は、たくさんの情報を比較検討できるようにしなければならない。むしろ、『国民の知る権利』が充足されなければならない。
総務省の選挙対策本部は、候補者のまとめ記事サイトを作り、比較検討しやすくするべきだろう。そのためには、議員の出費動向こそ、キャッシュレス化し、国民がリアルタイムに監視できる状況にするようなアプリを提供すべきだ。ゆくゆくは、スマートフォンでも投票できるようにする。
まずは、政治の世界が旧態依然として古い体質のまま、いまだに若い古狸が闊歩している状況だ。これを変えていく為には、政策が政局で変わりつづける野党でもない。ITのチカラを駆使して選ぶあなたのリテラシーだ。 
 
安倍晋三

 

2007
第1次安倍改造内閣・突然の辞任 2007/9
衆議院議員の安倍晋三が第90代内閣総理大臣に任命され、2007年(平成19年)8月27日から同年9月26日まで続いた日本の内閣である。改造前と同じく自由民主党と公明党との連立内閣(自公連立政権)である。在任期間は30日間。

9月10日召集の第168回国会で安倍は「職責を果たし全力を尽くす」と所信表明演説を行なった。しかし9月12日の正午過ぎにテロ対策特別措置法の延長が厳しくなったこと、野党との党首会談で問題を解決できそうもないことなどを受け国会対策委員長の大島理森に首相辞任の意向を伝え、午後2時からの記者会見で正式に首相辞任の意向を表明した。当日は、午後1時から所信表明演説に対する民主党の鳩山由紀夫、長妻昭から代表質問が行われる予定だったが、それを目前にしての辞任表明であったため、政権交代を目指す民主党議員たちからも大いに驚きを持って受け止められた。
内閣官房長官の与謝野馨が首相辞任会見直後に安倍が述べなかった重大な辞任理由として健康問題があることを直ちに補足したものの、海外メディアを含めて「敵前逃亡」「政権放りだし」「偽りの所信表明」などとさんざんな酷評をこうむる事態となった。
安倍自身が会見で語った辞任理由について、盟友とされる前官房長官の塩崎恭久は「口実に決まっている」と解説した。これに加えて安倍の突然の辞任会見の数日前から、安倍が主導権を幹事長(麻生太郎)―官房長官(与謝野)ラインに奪われているらしいこと、およびチーム安倍が内閣改造で空中分解したために安倍が孤立しているらしいことなどが新聞はじめ各方面から示唆されていた。
安倍は9月13日から体調不良(病院が公表した病名は機能性胃腸障害)を理由に都内にある慶應義塾大学病院に入院していた。辞任表明会見後の最初の記者会見を9月24日17時から病院内で行い、国民に対する謝罪を表明し、病気辞任であることを正直に述べるべきであったことを率直に認めた。またチーム安倍の空中分解を辞任理由とする説については、会見後の質疑応答で完全否定している。 この11日間の入院期間中に安倍は一度も病院外へ出ることはなかったが、政府は安倍とは連絡が取れる状態であることを理由に首相臨時代理を置かなかった。首相としての執務は病室の隣の部屋で行なっていたという。
福田康夫内閣の組閣人事が固まった2007年(平成19年)9月25日、内閣は総辞職し、安倍は自内閣の総まとめとなる談話を発表した。福田新内閣の認証式が翌26日になったため、安倍改造内閣の任期は自動的に2007年(平成19年)9月26日までの31日間となった。このため安倍の首相としての通算任期は366日となった。これは日本国憲法下の首相では7番目の任期の短さであった。また内閣改造後の16日後の退陣表明と29日後の内閣総辞職は第2次田中角榮内閣第2次改造内閣(改造後15日後に退陣表明、28日後に総辞職)に次ぐ短い退陣記録となった。
なお参院選の結果や今回の改造内閣人事を反映させるため、9月18日に出版が予定されていた国会議員要覧(国政情報センター)、9月19日に出版が予定されていた国会便覧(日本政経新聞社・2月と8月の年2期刊、および総選挙後の臨時版がある)は安倍の退陣表明を受け販売の急遽中止を決定した。より新しい情報を反映させるためで、最新版には新たに発足する内閣の閣僚名簿が掲載されることとなる。これらの書籍にとっては1989年(平成元年)6月にわずか69日間で退陣した宇野内閣以来の「幻の内閣」となる。
この辞任を受けて、朝日新聞社が9月13日に緊急世論調査を行なったところ、70%が「こういう形の辞任は無責任」と、50%が「早期に衆議院解散するべき」という結果が出た。  
2011  
 
2012  
 
2013  
 
2014  
 
2015  
 
2016  
 
2017  
加計学園疑惑
岡山県に本拠を置く加計学園グループ。複数の大学、幼稚園、保育園、小中高、専門学校など様々な教育事業を配下に収める一大教育グループで、現理事長の加計孝太郎氏は、安倍首相の30年来の親友だ。
首相は加計氏のことを「どんな時も心の奥でつながっている友人、腹心の友だ」と、昭恵夫人は加計学園が運営する認可外保育施設の「名誉園長」を務めていた。
親友が経営する大学を、政府が国家戦略特区に定めて規制緩和。本来、認可されるはずのない新学部の設置を認め、約37億円の市有地がこの大学に無償譲渡されることになった。
経緯
加計学園はもともと、10年前から今治市に岡山理科大獣医学部キャンパスの新設を申請していたのだが、文科省は獣医師の質の確保を理由に獣医師養成学部・学科の入学定員を制限しており、今治市による獣医学部誘致のための構造改革特区申請を15回もはねつけてきた。ところが、第二次安倍政権が発足すると一転、首相は2015年12月、今治市を全国10番目の国家戦略特区にすると決め、16年11月には獣医学部の新設に向けた制度見直しを表明するなど、開校に向けた制度設計を急激に進めた。
今年1月4日、国が今治市と広島県の国家戦略特区で獣医師養成学部の新設を認める特例措置を告示、公募を開始した。募集期間は僅か1週間。案の定、応募したのは加計学園だけ。首相を議長とする国家戦略特区諮問会議は、1月20日、同学園を事業者として認可し、今治市はこれを受け、市有地約17万m2(約37億円)を加計学園に無償譲渡することを決定した。
周辺
首相の側近的役割を務めた官僚の加計学園天下り。
行政による隠蔽疑惑。[「(文部科学省)国家戦略特区等提案検討要請回答」、その内容及び省庁の回答などすべて「非公表」とされている。]
感想
直接的な金銭授受はなくとも、経緯の本質は「収賄」「あっせん収賄」と同じ。
官邸は「事実ではない」と根拠も示さず切り抜けようとしている。政権が事実認定する、「政権が言うことが事実であり、正しい」というやり方は、大昔の独裁政治の論法では。
前川発言の背景
2014年発足の内閣人事局が、霞が関の幹部人事権の全てを握るようになり、全省庁が完全屈服の状態になった。  
メディアの立ち位置
朝日・毎日・日経・・・ 忖度新聞 産経・・・ 政権応援団 読売
TBS・テレ朝・フジテレビ・・・テレビ東京・・・ 忖度テレビ NHK・日テレ
古舘伊知郎・岸井成格・羽鳥慎一・玉川徹・尾木直樹・寺脇研・池上彰・田原総一朗 ・・・小倉智昭・宮根誠司・須田慎一郎・細川隆三・・・ 政権応援団 田崎史郎・山口敬之・松本人志・後藤謙次・辛坊治郎・青山和弘
官邸語録
「怪文書のたぐい」 (菅義偉官房長官)
「文書の存在が確認できない」 (松野博一文科相)
「そもそも獣医学部新設については自民党政権では認めなかったのに民主党政権で認める方向になった。安倍政権はそれを引き継いで今回の動きとなった」 (首相)
前川氏の証人喚問「明確に必要ない」 (竹下亘国対委員長)
「会議録を処分したからわからない」「調べたが確認できない」 (政府与党)
「和泉氏から『そのような発言をしたことはなく首相から指示を受けたこともない』と聞いている」 (萩生田官房副長官)
「(文科省からは)該当する文書の存在は確認できなかったと聞いている」
「(文書は)出所不明で信憑性も欠けている」
「文書に書かれたような事実はない」
「法律に基づいて行っていることで、ゆがめられたということはまったくない」
「作成日時だとか作成部局だとか、そんなものが明確になってない」
「何を根拠に。まったく怪文書みたいな文書。出所も明確になっていない」
「この国家戦略特区の会議、その議論を得て策定しているわけです。それについてはみなさんご存じの通りオープンにされるわけで、お友だち人脈だとか、そういう批判はまったくあたらない」
不自然な経緯「批判はまったくあたらない」常套句でシャットアウト
「出所不明で信憑性も定かでない」「文書の存在は確認できなかった」「そういう事実はない」「指摘はあたらない」を連発
「1回調査したが文書の存在は確認できなかったと大臣も言っているから、それ以上でもそれ以下のことでもない」
「文部省として大臣のもとで調査をしたと。その結果、確認できなかったから、ないということ。それに尽きるんじゃないですか?」
前川文書「文科省が行った調査で存在が確認できなかった」
安倍首相の関与「指示は一切なかった」

「地位に恋々としがみつき、世論の批判にさらされて、最終的に辞任を承知した」
出会い系バー通い「さすがに強い違和感を覚えた。多くの方もそうだったのでは」「常識的に言って教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りして小遣いを渡すようなことは、到底考えられない」
「文科省を辞めた経緯について、記事には『自分に責任があるので自ら考えて辞任を申し出た』とあったが、私の認識とはまったく異なる」「前川氏は当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論の極めて厳しい批判に晒されて、最終的に辞任した人物」
「当初は責任者として自ら辞める意向を全く示さず、その後に世論からの極めて厳しい批判などにさらされて、最終的に辞任された方だ」
「天下りの調査に対し問題を隠蔽した文科省の事務方の責任者で、本人も再就職のあっせんに直接関与していた」
「自身が責任者の時に、そういう事実があったら堂々と言うべきではなかったか」

「前川前次官が出会い系バー通い」5/22 読売新聞朝刊1面
官邸VS前川前次官 「加計文書告発」で全面戦争突入 5/26
 内偵でバレた!出会い系バー通い常連「捜査当局すべて把握」
文部科学省の前川喜平前事務次官(62)が、25日発売の「朝日新聞」や「週刊文春」のインタビューに応じた。安倍晋三首相の友人が理事長を務める学校法人「加計学園」(岡山市)が、国家戦略特区に獣医学部を新設する計画をめぐる「文書」について、「本物」「行政がゆがめられた」と語った。菅義偉官房長官はこれを完全否定し、激怒した。今後、官邸と前川氏側は全面戦争に突入しそうだ。こうしたなか、東京・歌舞伎町での「管理売春」(売春防止法違反容疑)を内偵していた捜査当局が、前川氏らによる「出会い系バー」(連れ出しバー)での動向を確認していたことが分かった。
「内閣府と文科省に確認したが、『文書に書かれた事実はない』『総理からも指示はない』との説明だ。私について書かれた部分もあったが、説明を受けた覚えはない。国家戦略特区は、規制の岩盤にドリルで風穴を開ける制度だ。行政がゆがめられたことはない」
菅氏は25日午前の記者会見で、前川氏の発言を否定した。「(前川氏は)地位に連綿としがみついた」と言い放つなど、怒り心頭に発しているようだ。
前川氏は、朝日新聞が同日報じたインタビューで、内閣府と文科省のやりとりを記録したとされる「文書」について、「(担当職員から)自分が説明を受けた際に示された」といい、本物と認めた。文書には「官邸の最高レベルが言っている」「総理の意向だ」と記されていた。
これまで、菅氏は「怪文書みたいな文書」と発言。松野博一文科相も「該当文書の存在は確認できなかった」と調査結果を発表していた。
つまり、前川氏は、安倍政権の天敵である朝日新聞とタッグを組んでケンカを仕掛けたわけだ。
告白理由について、前川氏は「あるもの(文書)が、ないことにされてはならないと思った」といい、獣医学部新設について「むだな大学をつくったとの批判が文科省に回ってくると心配した」「『総理のご意向』『最高レベル』という言葉は誰だって気にする」などと語っている。
安倍首相はこれまで、「働きかけて決めているなら、私、責任を取りますよ」などと、国会で反論している。
今後、(1)文書の真偽(2)本物ならば文書を流出させた犯人(3)官邸や内閣府による圧力の有無(4)獣医学部新設の違法性の有無(5)獣医学部が過去50年間新設されなかった岩盤規制の実態(6)政治団体「日本獣医師連盟」から野党議員への献金問題−などが追及されそうだ。
一方で、前川氏の告白には、「教育行政のトップ」として見逃せない部分がある。読売新聞が22日報じた歌舞伎町の「出会い系バー」に出入りしていたことについて、次のように語っている。
「その店に行っていたのは事実ですが、もちろん法に触れることは一切していません」(週刊文春)
「不適切な行為はしていない」(朝日新聞)
前出の読売新聞には、店に出入りする女性の「(前川氏は)しょっちゅう来ていた時期もあった。値段の交渉をしていた女の子もいるし、私も誘われたこともある」という証言や、《同席した女性と交渉し、連れ立って店外に出たこともあった》との記述がある。
夕刊フジも同店を取材した。
同店関係者は「前川氏は数年前から店に来ていた。多いときで週に1回」「午後9時台にスーツ姿で来ることが多かった。(気に入った)女性とは店を出ていくことはあった」と語った。
こうした形態の店は、客同士のやりとりに店は関わらないとされるが、売春や援助交際の温床になっているとの指摘もある。教育行政に携わるものとして、とても国民の理解は得られない。
ところで、前川氏の「出会い系バー」通いが、どうして発覚したのか。
捜査事情に詳しい関係者は「捜査当局は、歌舞伎町での管理売春について内偵していた」といい、続けた。
「歌舞伎町の同形態の店などを監視していたところ、前川氏をはじめ、複数の文科省幹部(OBを含む)が頻繁に出入りしていることをつかんだ。当然、捜査当局はすべてを把握している。朝日や文春での告白内容にも関心があるだろう」
前川氏は、文科省の「天下り」問題で今年1月に引責辞任した。加えて、「出会い系バー」への出入りをめぐって官邸幹部に厳重注意を受けている。今回の告白も「安倍政権への逆恨み」との指摘があるが、前川氏は「逆恨みする理由がない」と朝日新聞に語っている。
この件をどう見るか。
「文書」問題を調査している無所属の和田政宗参院議員は「マスコミ各社に『文書』を持ち込んだのが前川氏であることは周知の事実だ。だが、朝日新聞などは、そのことを示さず、前川氏に第三者的なコメントをさせている。ジャーナリズムとして信用できない。前川氏も『文書』は自らが持ち込んだものであることを明らかにしたうえで、対外的な発信を行うべきだ」と語った。 
加計学園問題の新展開「前川前次官発言」はここに注目!
前川喜平 前文部科学事務次官
「『総理のご意向』などと記された一連の文書は、私の手元にあるものとまったく同じ。間違いなく本物です」 『週刊文春』6月1日号
学校法人「加計(かけ)学園」をめぐる問題が新展開を迎えた。加計学園が愛媛県今治市に獣医学部を新設する計画について、安倍晋三首相の「腹心の友」加計学園理事長、加計孝太郎氏に便宜が図られたのではないかという疑惑が巻き起こっている。獣医学部新設にあたり、37億円の市有地が無償譲渡され、総事業費の半分の96億円を愛媛県と今治市が負担する。さらに開学すれば助成金など多額の公金が加計学園に流れることになる。
関与を強く否定した安倍首相は「働きかけがあれば、責任を取る」と明言していたが、内閣府から文部科学省に対して「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」と圧力をかけるような言葉が記録されている文書の存在が発覚した(朝日新聞 5月17日)。
これに対して即座に記者会見を開いた菅義偉官房長官は「怪文書みたいなものじゃないか」と全面否定。文科省も調査を実施したが、5月19日に「行政文書としても、個人の文書としても、今回の調査を通して確認が取れなかった」という結論を発表した。ただし、調査はわずか半日しか行われず、しかもヒアリングと共有フォルダ・ファイルのみにとどまったため、「調査は不十分」という批判の声も上がっていた(BuzzFeed NEWS 5月24日)。
「前次官独占告白」の衝撃
しかし、今年1月まで文部科学事務次官、つまり大学認可の権限を持つ文科省の事務方トップだった前川喜平氏が『週刊文春』6月1日号の独占取材に応えて、件の文書を「間違いなく本物」と証言したのだ。
さらに前川氏は5月25日に記者会見を開き、文書に関して「私が在職中に作成され共有された文書で間違いない。文科省の幹部に共有された文書で、自分も受け取った。ちゃんと捜索をすれば出てくるはずだ。あったものはなかったことにできない」と述べている(AbemaTIMES 5月25日)。
なお、件の文書以外にも、記録文書や新たな証言が続々と示されている。
5月22日、共産党の小池晃書記局長は新資料を公開した。「政府関係者から入手した」(小池氏)という資料には、「今後のスケジュール」と題されて昨年10月から来年4月の開学予定に至る政府内の大まかな段取りが掲載されていた(時事通信 5月22日)。
また、5月24日には民進党の桜井充参院議員によって昨年11月に文科省内でやり取りされたとされるメールのコピーが公開されている。国家戦略特区諮問会議は2016年11月9日に、52年ぶりに獣医学部の新設を認める方針を決定しているが、その前日の8日に文科省内で取り交わされたメールでは「現時点の構想では不十分だと考えている」などと書かれており、文科省が獣医学部の新設に直前まで反対していたことが窺える(TBS NEWS 5月24日)。
同じく24日、当事者の一人である愛媛県の中村時広知事は記者会見で、内閣府から助言を受けていたことについて発言。「構造改革特区と国家戦略特区の窓口が一体化するので、そこに申請をしたらどうかと言われ、助言と受け止めた」(中村氏)。助言通りに申請したところ、国家戦略特区として認められたという。なお、23日に内閣府の藤原豊審議官は参院農林水産委員会で「そういった事実はない」と否定している(共同通信 5月25日)。
今後も新たな証拠は出てくるだろう。「加計学園ありき」の疑念は深まる一方だ。
前川喜平 前文部科学事務次官
「『赤信号を青信号にしろ』と迫られた時に『これは赤です。青に見えません』と言い続けるべきだった」 『週刊文春』6月1日号
今治市と加計学園はこれまで15回にわたって獣医学部設置の申請を行い、すべて却下されてきた。しかし、2016年8月、地方創生相に山本幸三氏が就任してから一転して、内閣府は獣医学部新設に前のめりになっていく。山本氏は「首相のイエスマンのような存在」。先日、「学芸員はがん。一掃しないと」という問題発言で注目を集めた人物だ。『週刊文春』ではこのときの経緯について、前川氏の証言をもとに詳細に明らかにされている。
2018年4月開学については、松野博一文科相をはじめ文科省側から「必要な準備が整わないのではないか」と懸念が示されていたが、強気の内閣府は引き下がらなかった。理由は「総理のご意向だと聞いている」。これに対して前川氏は「ここまで強い言葉はこれまで見たことがなかった。プレッシャーを感じなかったと言えばそれは嘘になります」と述べている(『週刊文春』6月1日号)。
内閣府は時間のかかる手続きを省き、一気呵成に進めよと文科省に迫り続けた。「赤信号を青信号にしろ」と迫られたのだ。記者会見で前川氏は、「極めて薄弱な基準で特区が制定された。公平公正な審査がなされなかった。文科省として負いかねる責任を押し付けられた。最終的には内閣府に押し切られた」と述べている(AbemaTIMES 5月25日)。結局、加計学園側の希望通り、異例のスピード認可となった。
「証人喚問に出てもいい」
ならば、前川氏を国会に招致して、これまでのことを明らかにしてもらったほうがいいのではないだろうか。前川氏本人は記者会見で「証人喚問に出てもいい」と明言している。
民進党が参考人招致を要求したが、与党は拒否。その後、共産党の小池晃書記局長が証人喚問を要求した(時事通信 5月25日)。5月26日にも民進党の山井和則国対委員長から前川氏の証人喚問が要求されたが、自民党の竹下亘国対委員長は前川氏が民間人であることから「現職の時になぜ言わなかったのか」「受け入れられない」とあらためて拒否した。山井氏は「民間人の(森友学園の)籠池泰典氏を喚問したのは自民党だ。ご都合主義としか言えない」と批判している(時事通信 5月26日)。たしかに「(前川氏が)民間人だから」という理由は筋が通らない。
そういえば、籠池氏の証人喚問が決定した際、竹下氏は「総理に対する侮辱だ。(籠池氏に直接)たださなきゃいけない」(朝日新聞 3月16日)と激怒していた。ということは、前川氏が安倍首相を侮辱すれば証人喚問は実現する……?
前川氏は今年1月に文科省を辞任した際、全職員にメールを送っている。その中で、「特に、弱い立場、つらい境遇にある人たちに手を差し伸べることは、行政官の第一の使命だと思います」「気は優しくて力持ち、そんな文部科学省をつくっていってください」と記していた(朝日新聞 1月20日)。一体、文科省は誰を見て仕事をしているのか? そのことが強く問われる数日間になりそうだ。
共謀罪法案通過への、強烈な批判発言
ジョセフ・ケナタッチ 国連特別報告者、マルタ大教授
「日本政府のこのような振る舞いと、深刻な欠陥のある法律を性急に成立させようとしていることは、断じて正当化できません」 BuzzFeed NEWS 5月23日
加計学園問題で霞んでしまった感のある「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案、いわゆる「共謀罪」法案。5月23日午後、自民、公明、日本維新の会の賛成多数で衆議院本会議を通過した。
この法案をめぐる日本政府の対応を、国連特別報告者であるジョセフ・ケナタッチ氏(マルタ大教授)が批判、5月18日付で書簡を安倍首相宛に送付した。国連特別報告者とは、国連人権理事会から任命され、特定の国やテーマ別に人権侵害の状況を調査したり、監視したりする専門家のこと。
書簡でケナタッチ氏は、同法案がプライバシーや表現の自由を制限するおそれがあると指摘。法案にある「計画」と「準備行為」の定義があいまいであることと、対象となる277の犯罪にはテロや組織犯罪と無関係なものがあることから、法律が恣意的に適用される危険性が高いと懸念を示した。
菅官房長官はケナタッチ氏の書簡に強い不快感を表明し、記者会見では外務省を通じて「抗議を行った」と語気を強めて繰り返した。しかし、日本側の抗議を見たケナタッチ氏は「中身のないただの怒り」と批判。内容は本質的な反論になっておらず「プライバシーや他の欠陥など、私が多々挙げた懸念に一つも言及がなかった」と指摘した(中日新聞 5月23日)。
政府側は以前からこの法案について、2020年の東京オリンピックに向けて国連越境組織犯罪防止条約を批准するために必要だと説明してきたが、ケナタッチ氏は「このことは、プライバシーの権利に対する十分な保護もないこの法案を成立することを何ら正当化するものではありません」と一刀両断。さらに「私は、安倍晋三首相に向けて書いた書簡における、すべての単語、ピリオド、コンマに至るまで維持し続けます」と強い調子で再反論を行った(産経新聞 5月23日)。菅官房長官は再度不快感を表明しており、両者の会話はまったく噛み合っていない。
それにしても最近の安倍政権は、次から次へと問題が起こり、ナチュラルな目くらましになっている感がある。加計学園問題とともに、「共謀罪」法案にも注視が必要だ。
「共謀罪」「がん発言」 笑えない失言のレジェンドたち 
金田勝年法相 「誠意を持って話せば伝わるもんだね」 『週刊新潮』6月1日号
こちらは「共謀罪」法案が衆院を通過した後の金田法相の一言。伝わってないっての! 
大西英男自民党衆院議員 「(がん患者は)働かなくていい」NHK NEWS WEB 5月22日

加計学園問題があり、森友学園問題も終わっておらず、「共謀罪」法案では国連特別報告者も巻き込んで紛糾しているというのに、この期に及んで呑気に失言を放つ与党議員がいた。それが大西英男衆院議員だ。
大西氏は今月15日に開かれた自民党の厚生労働部会で、受動喫煙対策の議論が行われた際、三原じゅん子参院議員が職場でたばこの煙に苦しむがん患者の立場を訴えたのに対し、「働かなくていいのではないか」とヤジを飛ばした。激怒した三原氏は自らのブログで大西氏の名を伏せたまま発言を公開。結局、大西氏は22日、「患者の気持ちを深く傷つけた。おわびする」と謝罪した。大西氏は自民党たばこ議連に所属している。
大西氏は2016年3月に、所属する派閥の会合で、選挙の応援で神社を訪れたことを紹介した際に「『巫女(みこ)さんのくせに何だ』と思った」などと発言し、謝罪。また、2015年6月には党の勉強会で「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのがいちばんだ」と発言し、党から厳重注意を受けている(NHK NEWS WEB 5月22日)。まさに「失言のデパート」だ。
大西氏は今回の失言の責任を取り、都連副会長を辞任。事実上の更迭である。自民党では、過去2回の衆院選で当選した2回生に不祥事が相次いでいる。大西氏も「魔の2回生」の一人。自民党幹部は「大西氏は同期の中で年長者のためリーダー的存在だ。問題児ぶりでも筆頭格だ」と頭を抱えたという(産経新聞 5月23日)。うまいことを言っている場合ではない。弱い立場、つらい立場の人たちのことを一ミリも考えずに切り捨てる政治理念が発言に現れてしまっているのだろう。このままで日本は大丈夫? 
前川前次官問題で“官邸の謀略丸乗り”の事実が満天下に!
 読売新聞の“政権広報紙”ぶりを徹底検証
安倍首相主導の不当な働きかけが疑われる加計学園問題。例の「総理のご意向」「官邸の最高レベルが言っていること」などと記載された文科省の内部文書を巡り、昨日夕方、前事務次官の前川喜平氏が記者会見を開いた。
「これらの文書については、私が実際に在職中に共有していた文書でございますから、確実に存在していた。見つけるつもりがあれば、すぐ見つかると思う。複雑な調査方法を用いる必要はない」
「極めて薄弱な根拠のもとで規制緩和が行われた。また、そのことによって公正公平であるべき行政のあり方が歪められたと私は認識しています」
「証人喚問があれば参ります」
各マスコミは一斉に“前川証言”を報じ始めた。昨夜はほとんどのテレビ局がこの記者会見を大きく取り上げたし、今日の新聞朝刊も多くの社が1面トップ、もしくはそれに準ずる扱いで、〈文科前次官「総理のご意向文書は確実に存在」「証人喚問応じる」〉と打った。
こうなってみると、改めてそのみっともなさが浮き彫りになったのが、“伝説級の謀略記事”をやらかした読売新聞だろう。周知のように、読売新聞はこの前川氏の実名証言を止めようとした官邸のリークに丸乗りし、22日朝刊で〈前川前次官出会い系バー通い〉と打っていた。大手全国紙が刑事事件にもなっていない、現役でもない官僚のただの風俗通いを社会面でデカデカと記事にするなんていうのは前代未聞。報道関係者の間でも「いくら政権べったりといっても、こんな記事を出して読売は恥ずかしくないのか」と大きな話題になっていた。
しかも、この読売の官邸丸乗りは当初、本サイトだけが追及していたが、そのあと「週刊新潮」(新潮社)もこの事実を暴露した。こんな感じだ。
〈安倍官邸は警察当局などに前川前次官の醜聞情報を集めさせ、友好的なメディアを使って取材させ、彼に報復するとともに口封じに動いたという。事実、前川前次官を貶めようと、取材を進めるメディアがあった。
「あなたが来る2日前から、読売新聞の2人組がここに来ていた。(略)」〉
さらに昨日のテレビでも、『羽鳥慎一モーニングショー』『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日)、『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)などが「週刊新潮」の記事を引用しつつ、読売の記事が「官邸の証言潰しのイメージ操作」であることを指摘した。地上波のテレビ番組で、全国紙の記事が官邸の謀略だと指摘されるのは、おそらくはじめてではないだろうか。
赤っ恥、読売は前川会見をどう報じたのか? ちりばめられた官邸擁護
官邸に“いい子いい子”をしてもらおうとしっぽをふりすぎて、満天下に恥をさらしてしまった読売新聞。いったいどのツラ下げてこの会見を報じるのか。今朝の同紙朝刊を読んでみたら、まったく反省なし。記事にはしていたものの、あいかわらず、官邸側に立っているのがミエミエだったのだ。
まず、一面の見出しからして〈総理の意向文書「存在」文科前次官加計学園巡り〉のあとに〈政府は否定〉と付け加える気の使いよう。3面では〈政府「法的な問題なし」〉としたうえ、〈文科省「忖度の余地なし」〉の見出しをつけ、官邸の圧力を否定にかかったのである。
もっとも、その根拠というのは、学部新設の認可審査は〈議事録も非公表で、不正が入り込む余地は少ない〉などと、なんの反論にもなってないもの。この間、前川前次官が証言した加計文書だけでなく、森友学園問題などでも、圧力を物語る証拠がどんどん出てきていることを無視しているのである。
さらに、社会面では、自分たちが報じたことを一行も触れず、会見の中身を使うかたちで、例の「出会い系バー」通いに言及した。
悪あがきとしか言いようがないが、こうした態度は読売だけではない。読売系のテレビ番組も“前川証言”には消極的で、露骨なまでに安倍政権の顔色をうかがう姿勢を示していた。
それは昨日から始まっていた。他局は「週刊文春」の前川氏独占インタビューを受け、一斉にこの問題を報道。インタビュー済みだったTBSもこの時点で前川氏のインタビュー映像を放送していた。
ところが、日本テレビは、午前の情報番組『ZIP!』『スッキリ!!』では加計学園の話題を一切無視、かろうじて『NNNストレイトニュース』が国会での民進党と松野一博文科相のやりとりをベタで触れたのみ。
午後になっても、やはりストレイトニュースのコーナーで『情報ライブ ミヤネ屋』(読売テレビ)が国会質疑を受けてアリバイ的にやっただけで、夕方の『news every.』でようやく他局も中継した前川氏の会見の模様を報じるという体たらく。夜の『NEWS ZERO』も、テレビ朝日の『報道ステーション』やTBSの『NEWS23』よりも明らかに見劣りする内容で、政治部の富田徹記者が前川氏が会見を開いた理由について「安倍政権への怒りこそが大きな理由と見られます」と解説するなど“私怨”を強調すらした。
もはや、読売はグループをあげて“安倍政権の広報機関”と化していると断言してもいいだろう。いったいいつのまに、こんなことになってしまったのか。
会食を繰り返す渡邉恒雄主筆と安倍首相、蜜月はピークに達す
「自民党総裁としての(改憲の)考え方は、相当詳しく読売新聞に書いてありますから、是非それを熟読してもらってもいい」
2020年の新憲法施行を宣言した安倍首相が、今国会でこんなトンデモ発言をしたのは記憶に新しい。周知の通り、憲法記念日の5月3日、読売新聞はトップで安倍首相の単独インタビューを公開。まさに安倍首相の“代弁者”として振る舞った。
しかも、インタビューを収録した4月26日の2日前には、読売グループのドン・渡邉恒雄主筆が、安倍首相と都内の高級日本料理店で会食しており、そこで二人は改憲について詳細に相談したとみられている。つい最近も、今月15日に催された中曽根康弘元首相の白寿を祝う会合で顔を合わせ、肩を寄せあうように仲良く談話している姿を「フライデー」(講談社)が撮影。このように、第二次安倍政権発足以降、安倍首相と渡邉氏の相思相愛ぶりはすさまじい。実際、安倍首相と渡邉氏の会食回数は傑出している。数年前から渡邉氏が読売本社にマスコミ幹部を招いて“安倍首相を囲む会”を開催しだしたことは有名だが、さらに昨年11月16日には、渡邉氏が見守るなか、安倍首相が読売本社で講演まで行っているのだ。
こうした安倍首相の“ナベツネ詣で”は、重要な節目の前後にあり、重要法案などについてわざわざお伺いを立てていると言われる。事実、2013年には特定秘密保護法案を強行採決した12月6日前後にあたる同月2日と19日、14年には7月1日の集団的自衛権行使容認の閣議決定に向けて動いていた6月13日、15年は安保法案を国会に提出した4日後の5月18日、昨年ではロシア訪問の前日である9月1日などがこれにあたる。
そして今年の“2020年新憲法施行宣言”の読売単独インタビューと、国会での安倍首相の「読売新聞を読め」発言に続く、前川証言ツブシのための「出会い系バー通い」報道の謀略……。もはや、そのベッタリぶりは報道機関の体さえなしていないが、これは単に安倍首相と渡邉氏の蜜月ぶりだけが問題ではない。現在、読売新聞では四半世紀にわたりトップに君臨する渡邉氏を“忖度”するあまり、政治部は当然として社会部や世論調査までもが、安倍政権の後方支援一色となっているのだ。
池上彰も「これがはたしてきちんとした報道なのか」と苦言
たとえば昨年では、「今世紀最大級の金融スキャンダル」といわれたパナマ文書問題で、読売新聞は文書に登場する日本の企業名や著名人の名前を伏せて報じた。また、沖縄で起きた米軍属による女性殺害事件も他紙が詳細を報じているにもかかわらず、米軍関係者の関与については容疑者が逮捕されるまでは一行も触れていなかった。いずれも、政権にとってマイナスにならないようにとの配慮ではないかとみられている。
まだまだある。安保報道における読売の明白な「偏向」ぶりは、あの池上彰氏をして、「安保法制賛成の新聞は反対意見をほとんど取り上げない。そこが反対派の新聞と大きく違う点です。読売は反対の議論を載せません。そうなると、これがはたしてきちんとした報道なのかってことになる」(「週刊東洋経済」15年9月5日号/東洋経済新報社)と言わしめたほどだ。
事実、15年5〜9月の間の朝日、毎日、読売、産経においてデモ関連の記事に出てくるコメント数を比較すると、朝日214、毎日178に対して、なんと読売はたったの10。産経の11より少なかったという(一般社団法人日本報道検証機構調べ)。ちなみに、安保関連の細かいところでは、安倍首相が蓮舫議員に対し「まあいいじゃん、そんなこと」というヤジを飛ばしたことがあったが、読売新聞はこのヤジ問題を全国紙で唯一報じなかった。
さらには世論調査までもが、“安倍首相に捧げる”世論操作の様相を呈している。たとえば15年7月24〜26日実施の読売全国調査では、〈安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか〉などと、安倍政権の主張をそのまま質問文に盛り込んだ誘導質問を展開。集団的自衛権閣議決定の14年には、〈集団的自衛権71%容認 本社世論調〉なる記事を出したが、これも調査で人々が心理的に選びがちな「中間的選択肢」をあえて置き、回答を誘導したとしか思えないものだった。
森友学園問題でも官邸擁護、“忖度新聞”は民主主義の敵だ
森友学園報道を露骨に避けていたことも忘れてはならない。実際、朝日新聞(東京版)が森友学園をめぐる国有地問題を初めて紙面で取り上げたのは今年の2月9日だったが、一方の読売(東京版)は同月18日で、実に1週間以上もの開きがある。しかも、この読売の記事のタイトルは「国有地売却に首相関与否定」というもので、これまた安倍政権側に立ち、文字数わずか200字弱のベタ記事だった。
また、初めて社説で森友問題を扱ったのは、朝日が2月22日、毎日が同月23日に対して、読売は同月28日とかなり遅い。傑作なのが3月の籠池泰典理事長(当時)証人喚問翌日の社説のタイトル。全国各紙を比較してみるとこんな感じだ。
   朝日「籠池氏の喚問 昭恵氏の招致が必要だ」
   毎日「籠池氏喚問 関係者の説明が必要だ」
   日経「真相解明にはさらなる国会招致がいる」
   産経「籠池氏喚問 国有地売却の疑問とけぬ」
   読売「籠池氏証人喚問 信憑性を慎重に見極めたい」
何をか言わんや、である。現在の読売が、いかにかつての“中道右派のエスタブリッシュメント”的な紙面づくりを放棄しているか、よくわかるというものだ。なぜ、こんなことになってしまったのか。数々のスクープを手がけた元読売新聞記者・加藤隆則氏は、スタジジブリが無料で配布している小冊子「熱風」2016年4月号でのジャーナリスト・青木理氏との対談で、最近の読売をこのように分析している。
「だんだん官僚的になって、事なかれ主義になっている。今の政権にくっついていればいいんだと。それ以外のことは冒険する必要はなく、余計なことはやめてくれと。これは事実だからいいますけど、読売のある中堅幹部は、部下に向かって『特ダネは書かなくていい』と平気で言ったんです。これはもう新聞社じゃない。みんなが知らない事実を見つけようという気持ちがなくなった新聞社はもう新聞社じゃないと僕は思います」
「この新聞社にいても書きたいことは書けなくなってしまった。そういう新聞社になってしまったということです。社内の人間は多くが息苦しさを感じている。(略)でも辞められない。生活もありますから。だからみんな泣く泣く、やむなく指示に従っている」
森友学園、加計学園問題でバズワードとなっている“忖度”が、読売新聞社内でも疫病のように流行っている。暗澹たる気持ちになるのは、安倍首相と独裁的トップのほうばかりを向き、政権擁護を垂れ流して、さらには謀略にまで加担してしまうこの新聞が、いまだ発行部数第1位であるという事実。民主主義にとって、極めて有害としか言いようがない。 
前川前次官会見で田崎スシローがアクロバティック安倍官邸擁護!
 「菅さんが言ってるから文書は嘘」「読売記事はスクープ」
「(加計学園問題の)“総理の意向”文書は確実に本物」
当時、文科省の官僚トップの地位にあった前川喜平前文科事務次官の会見で飛び出した決定的な証言。ワイドショーもさすがに黙殺はできなくなり、26日は各局とも会見の中身を大々的に報じた。そんななか、もはや笑うしかないくらいの露骨な安倍政権擁護を繰り広げていたのが、“田崎スシロー”こと田崎史郎時事通信特別解説委員である。
森友問題のときは手分けして官邸擁護を展開していた山口敬之がいなくなってしまったので、ひとりで大忙しだ。朝は『とくダネ!』(フジテレビ)、昼は『ひるおび!』(TBS)とハシゴして、前川前次官の人格攻撃とお得意のアクロバティック官邸擁護を開陳したのである。
まず『とくダネ!』。MCの小倉智昭もさすがに「前川さんは知的な感じでお話にも説得力というものがある」「前川さんの告白の時期に合わせて新聞社がこの件をドンと書いてきたっていう、やっぱり、なんかあれ?って、思う部分はあるんですよね」と感想をもらしたのだが、しかし、田崎はことごとく話をスリカエ、前川攻撃、官邸擁護に終始した。
会見映像を受けMCの小倉が「これを官邸はつっぱねることができるのか」と言うと、田崎は「新しい事実は何もない」と言い張り、こんな官邸の代弁を始めた。
「菅長官が信憑性がないって言われているのは、文書のなかで、菅官房長官や萩生田官房副長官の言葉が引用されているんですね。それが自分の言った覚えのない言葉であると。文部科学省が勝手になにかつくった文書なのではないか、という主張なんです」
どうしてなんの客観的証拠も示さないまま、菅義偉官房長官や萩生田光一官房副長官が「言ってない」というのは本当で、前川氏の証言がウソという前提になるのか。あげく、文科省が勝手につくった文書とは……。これにはさすがの小倉も「これだけ重要な問題で、文科省ってそんな勝手に文書つくるものなのかなあ?」と素朴な疑問を呈した。すると田崎は今度はこんな陰謀論を語り始めたのだった。
『ひるおび!』でも「官邸が言っているのは本当」と言い張るスシロー
「前川さんは、おそらく自分の主張をそのまま載っけてくれるメディアを選んだんじゃないかと思いますね。集中的に、新聞、テレビ、雑誌と選んでやってらっしゃるんで、だからある意味で見事なメディア戦術だと思うんです」
自分の主張をそのまま載っけてくれるメディアを選ぶって、それ、あんたのご主人様である安倍首相とあんたら安倍応援団の関係そのものだろうと思わずツッコんでしまったが、そもそも、前川氏がメディアを選んだというのはまったくの言いがかり、真っ赤な嘘だ。
前川氏は、会見どころか朝日新聞のインタビューよりも前に、安倍さまのNHKや、当のフジテレビのインタビューだって受けている。しかし、官邸の恫喝に負けてお蔵入りにしてしまったのは局のほうだ。ようするに前川氏が特定のメディアを選んだのではなく、前川証言を公にする勇気のあるメディアとなかったメディアがあっただけというのが実情である。だいたい前日すでにフルオープンの記者会見を開いて正々堂々と語ったあとに、特定のメディアを選んでいるなどよく言えたものだ。
相手方が世論をつかんでいると見ると、自分たちのことを棚に上げて、デマと陰謀論をわめきたてるその手口は安倍政権そのまま。まったく悪質としかいいようがない。
しかし、もっとヒドかったのが、『ひるおび!』だった。この番組でも、総理のご意向文書は、「行政文書ではない、ただの文科省内のメモ書き。官邸が「ない」っていうのは本当」「仮にメモがあったとしても、文科省が書いただけ」「菅さんたちは言った覚えがないから怪文書」などと強弁する田崎スシロー。しかし、これにはほかのコメンテーターが一斉に反論をした。元読売新聞大阪社会部記者の大谷昭宏は「前川さんはレク資料っておっしゃっていた。そこで部下が一番偉い人に嘘のレクチャーしたらえらいことになる。だから真実性がある」、毎日新聞の福本容子論説委員も「官僚の人たちってメモ魔なんですよ、なんでもメモする。私たちが取材するときもそれをあげてるわけですから、後からどうこうって話ではなく、そのまま起きたことを書いてる」と説得力のある主張を展開した。
するとMCの恵俊彰が「ICレコーダーは回さないんですか」と助け舟を出し、田崎も「隠し撮りしているときはありますね」と、まるでICレコーダーもないと証拠にはならないようなことを言い出したのである。籠池氏が財務省とのやりとりを録音していたときは盗人扱いしていたくせに、何を言っているのか。これには福本がすかさず「いちいち全部ICレコーダーで録音してたら膨大になる。それまた起こさなきゃいけないし、すぐ聞いたものを上司にもっていくっていう意味ではメモがいちばん」と現実的な反論をした。
また特区指定にいたる行政プロセスが歪められたという前川氏の主張についても、「前川さんはやりたくなかったんでしょ。規制緩和は官僚の人たちの抵抗によって進まなかった」などと前川氏が抵抗勢力だと攻撃し始め、「官僚主導から政治主導か。小泉政権以降、官邸が強い権限をもつようになっている。政治主導でやっていこうとすればこういうことになるんです」などと、官邸主導の規制緩和のためには仕方ないと正当化。
ここでも大谷が「官邸が権力を握った結果、官邸が私物化してたんじゃないかっていうのが問題。加計さんの問題も籠池さんの問題も。官僚から権限を取り上げて、本当に公正にやっていたのか、それが問題」、福本が「規制緩和をするのはいい。もっと正々堂々と。なんでこの学校が選ばれたのか、ほかにもライバルいたわけですから」と反論すると、また恵が「言ってること全然ちがうんで、後からまた見ていきます」などと助け舟を出して議論を終わらせた。
読売擁護までしていた田崎「一生懸命取材していた」
さらに田崎の前川攻撃はつづく。今度は菅の生き写しのように、なぜ現役のときに言わなかったのかと責め立て始めたのだ。
「事務次官が会いたいって言えば官邸の方は自動的にオーケーですよ。前川さんがそのとき問題だと思われるならば、総理なり官房長官に会って、これはどうなんですか?なぜこういうことをやるんですか?って問い詰めていなかったんですかね。なんでそれを辞めた後言われるんですかね」
「行政を推進する立場にいるわけですから、トップとして。そりゃ(在任中に)言わなきゃいけませんよ。なんで今になって言うんだろうと。その間に天下り問題で自分がクビになった。腹いせでやってるんじゃないかって見られちゃいますよ」
こいつはいったい何を中学生みたいな話のスリカエをしているのか。安倍政権の恐怖支配が敷かれているなかで、官僚がそんなことできるはずがないだろう。しかも、この点については、前川氏自身が非を認め「当事者として真っ当な行政に戻すことができなかった。事務次官として十分な仕事ができずお詫びしたい」と反省の弁を語っているのに……と唖然としていたら、これにもすぐさま、大谷と福本が反論した。
「今になってなんであの時言わないんだ!というのは問題のスリカエ。そのとき言えなかったのはいろいろな事情があったんでしょう、でもその話はその話。事実が何なのかが問題」と、田崎の卑劣な論点ずらしをただしたのだ。
しかしこれにも恵が助け舟を出して、田崎に反論の機会を与え、この話題も結局、田崎が「強い思いをもたれているならば、その場で、総理なり官房長官に会って聞けばいいことですから」と繰り返してシメられてしまったのだった。田崎のトンデモ解説もひどいが、常にそれを主軸に番組を進めるMCの恵も相当にタチが悪い。
さらに、驚いたのは読売の官邸謀略に乗っかった“出会い系バー”記事への評価だった。田崎はなんと「読売新聞が独自に取材したスクープ記事」と称賛したのだ。
これに対し、読売新聞出身である大谷が「私も読売の事件記者やってたからわかりますが、(東京本社、大阪本社、西部本社の)3社がすべて同じ位置、同じ大きさ、同じ見出しで記事をやるというのは、ひとつの合意形成がないとできない。今回の記事は、同じ場所に、同じ大きさで、同じ見出しがついているんですね。これは、新聞でいうところの“ワケあり”なんですね。どうして“ワケあり”が生まれるか、誰かの思惑があるから。そういう記事がどこから出てるのか。読売は否定するでしょうけど、我々からみれば、この扱いは明らかに“ワケあり”ですよ」と新聞の現場を知っているからこそのリアリティのある解説をした。
福本も「記事が出たタイミングは本当に不思議。前川さんが証言するのか注目されていた時期ですよね。記事は「教育行政のトップとして不適切な行動に対して批判があがりそうだ」って、勝手に批判があがるとこまでコミコミで丁寧に書いてる」と指摘、大谷は「これ事件記事じゃないんですよね。しかも前川さんは(杉田官房副長官から)1月に注意されたって言ってる。それがなんでいま「出会い系」という見出しで5月に載るんですか」とこのタイミングでの報道にも疑問を呈した。
ところが田崎は「読売新聞は読売新聞で一生懸命取材して書かれたわけで。自分で事実が確認できなければ出すはずがない、と同業者としては思いますね」と、強弁を始めたのだ。
「同業者として」って、ただの官邸の宣伝係が何を新聞記者気取りになっているのか、むしろ、同業者といえば毎日新聞記者の福本のほうだし、大谷なんて元読売新聞の先輩記者の目線で内情もふまえて、この記事は「ワケあり」だと言っているのに……と思ったが、よく考えたら、読売と田崎は“安倍御用”の同業者。もしかしたらそういう意味なのか。
メディアに広がる「安倍政権のいうことはすべて正しい」という世界
とにかく万事この調子で、傍目から見てどんなムチャクチャに見えても、とみかく田崎は徹底的に「文書に信憑性はない」「前川はおかしい」と言い張り続けたのだった。
きわめつきは、今後の展開についての解説だった。田崎に負けず劣らずの安倍応援団である八代英輝弁護士ですら「少なくとも証人喚問をしたほうが国民としては(いい)。これに政権側が抵抗を示すのが、余計変に見える」「やはり前川さんを証人喚問していただいて、実態というのを知りたい」とコメントしていた。
ところが、田崎は「(そういう流れには)ならないでしょ。政権側の考え方は黙殺」と、言い切ったのだった。ここまでくると、安倍応援団どころか、菅官房長官の生霊でも乗り移ったんじゃないかと思えてくるが、しかし、これは田崎一人の問題ではない。
26日の『とくダネ』では、「文書に信憑性はない」と強弁する田崎の言葉に、小倉はこう漏らしていた。
「これどちらの言い分が正しいのかっていうのは、私たちには100%はわからない。想像の世界なんですね。そうすると、安倍政権を支持するか支持しないかによって受け止め方って変わりますよ」
たしかに、当時の事務次官の実名証言という超ド級の証拠を前に、「文書はない」と言える根拠など「だって安倍政権がすべて正しいから」以外何もない。しかし、そのムチャクチャが通用する国になりはてているのだ。安倍政権の言うことはすべて正しい。たてつく者は報復されて当然————。
前川氏は「赤信号を青と言えと迫られた。「これは赤です、青ではありません」と言い続けるべきだった」と語ったが、これは官僚だけの話じゃない。安倍政権に屈して青だと言ってしまうのか、これは赤だと戦うのか、メディアの姿勢もいま、問われている。 
加計学園問題 前川前次官が会見で暴露した「疑惑の核心」
「黒を白にしろと言われる」――。加計学園をめぐる問題で、すべてを知る立場にあった文科省の前川喜平前次官が、政権中枢からの“圧力”を暴露した。およそ1時間にわたる記者会見で語られたのは、「総理のご意向」によって「公平公正であるべき行政が歪められた」ことへの怒りと反省だった。
安倍首相の「腹心の友」が理事長を務める加計学園の獣医学部新設が「総理の意向」で進められたことを示す文科省の内部文書を官邸は怪文書扱い。
この文書について「本物だ」と断言する前川氏がメディアの取材に応じると、安倍官邸はスキャンダル情報を読売新聞にリークして、潰しにかかったとも報じられている。
さらには、菅官房長官は会見で「地位に恋々としがみつき、最終的にお辞めになった方」と前川氏をおとしめる人格攻撃まで。官邸がここまでエゲツないことをしなければ、前川氏も大々的に記者会見まで開いて洗いざらいブチまけることはなかったのではないか。
「後輩たちや、お世話になった大臣、副大臣にこの件でご迷惑をおかけすることになる。その点では大変に申し訳ないと思うが、あったことをなかったことにすることはできない」
冷静な口調ではあったが、腹をくくった覚悟が伝わってきた。会見で前川氏が強調したのは、「行政が歪められた」という点だ。それは公僕の矜持として、どうしても看過できなかった。すべてを明らかにすれば、国民の理解を得られると確信して、会見を開いたのだろう。
前川氏によれば、国家戦略特区の制度を使って、加計学園の悲願だった獣医学部の新設が認められたプロセスには重大な疑義があるという。本来のルールをねじ曲げて、加計学園に特別な便宜が図られたとしか見えないのだ。
国家戦略特区で獣医学部の新設を認めるにあたり、2015年6月30日に閣議決定された「日本再興戦略改訂2015」では4つの条件が示されていた。
1 既存の獣医師養成ではない構想が具体化すること
2 ライフサイエンスなど獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要が明らかになること
3 それらの需要について、既存の大学学部では対応が困難であること
4 近年の獣医師の需給の動向を考慮しつつ全国的な見地から検討すること
要するに、既存の獣医学部では対応できないニーズに応える獣医師を養成する場合にかぎり、新設を認めるということだ。ところが、加計学園の獣医学部は「需要の根拠が薄弱で、既存の大学でできないのか検証されていない。条件すべてに合致していない」(前川氏)という。
政府が決めた4つの条件をまったく満たしていないのに、昨年8月に国家戦略特区を担当する大臣が石破茂氏から山本幸三氏に交代した途端、一気に獣医学部の新設が動き始めた。問題の「総理のご意向」文書が作成されたのも、昨年9月から10月だ。
「石破氏は4条件を厳しくチェックしようとしてたし、獣医師会に近い麻生大臣も獣医学部の新設に反対していた。それを覆し、自分たちが閣議決定したルールさえ無視して進めることができるのは、安倍首相の強い意向だとしか思えません。4条件から逸脱していること自体が、友人のために特別な便宜を図った証拠と言える。加計学園は特区事業者に認定される前の昨年10月に、新設予定地のボーリング調査も行っています。すべて『加計学園ありき』で動いていたのです」(ジャーナリストの横田一氏)
ここまで状況証拠がそろい、国民の間にも「行政が歪められた」ことへの疑念が広がっている。前川氏自身も「応じる」と言っている以上、証人喚問ですべてを明らかにするしかない。 
文部科学省前次官が会見「文書なかったことにできない」
学校法人「加計学園」が愛媛県今治市に設置する計画の獣医学部をめぐり文部科学省の前川前事務次官が記者会見を開き、「総理の意向だ」などと記された一連の文書について、「確実に存在していた。あったものをなかったことにできない」と述べたうえで、「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられた」と訴えました。
国家戦略特区により、学校法人「加計学園」が愛媛県今治市に来年4月に設置する計画の獣医学部をめぐり、先週、国会でその選考の途中に内閣府が文部科学省に対して「総理の意向だ」などと発言したとする複数の文書の存在が指摘されました。文部科学省は調査した結果、「該当する文書は確認できなかった」と説明しています。
これについて、当時の文部科学省の事務次官だった前川喜平氏が記者会見を開きました。この中で、前川前次官は一連の文書について「私が在職中に専門教育課で作成されて受け取り、共有していた文書であり、確実に存在していたものだ」と述べて、文部科学省で作成された文書だと主張しました。そして、「私が発言をすることで文部科学省に混乱が生じることは大変申し訳ないが、あったものをなかったことにはできない」と述べました。
そのうえで、「官邸、内閣官房、内閣府という政権中枢からの要請に逆らえない状況があると思う。実際にあった文書をなかったことにする、黒を白にしろと言われるようなことがずっと続いていて、職員は本当に気の毒だ」と話しました。
また、特区制度のもと、今治市と加計学園が選考されたいきさつについては、「結局押し切られ、事務次官だった私自身が負わねばならない責任は大きい」と発言したうえで、「極めて薄弱な根拠で規制緩和が行われた。公平、公正であるべき行政の在り方がゆがめられたと思っている」と述べました。
さらに、「証人喚問があれば参ります」と述べ、国会でも一連の経緯について証言する意向を示しました。
会見は、弁護士が同席して1時間以上続き、前川前次官は、時折、汗を拭いながら、質問に答えていました。前川前次官は、文部科学省の天下り問題の責任をとり、ことし1月、辞任しています。
官房長官 怪文書の認識変わりない
菅官房長官は、午後の記者会見で、学校法人「加計学園」が運営する大学の獣医学部の新設をめぐり、民進党が指摘している「総理の意向だ」などと書かれた文書の存在について、記者団が、「以前の会見で『怪文書のような文書だ』と言っていたが、前川氏の証言を聞いても認識は変わらないか」と質問したのに対し、「出どころが不明で信ぴょう性も定かではない文書だ。全く変わりはない」と述べました。また、菅官房長官は、文部科学省による再調査の必要性について、「文部科学省で1回調査し、『文書の存在は確認できなかった』と松野大臣が言っているので、それ以上でもそれ以下でもない」と述べました。さらに、菅官房長官は、記者団が、「政府としては、文書の存在は無かったということか」と質問したのに対し、「そういうことではないか」と述べました。
松野文科相「会見の様子知らない」
松野文部科学大臣は、25日夕方、総理大臣官邸で記者団に対し、「前川前事務次官の記者会見の様子を、会議に出ていて全く存知あげておらず、自分が把握していない内容について無責任に発言することはできない」と述べました。
自民 小此木国対委員長代理「国会招致 必要性感じない」
自民党の小此木国会対策委員長代理は、NHKの取材に対し、「文書については政府も国会で『確認できない』と答えており、不確定要素のある文書から話が始まっている。野党側から正式な要求が来ているわけではないが、現段階で前川前次官の国会招致の必要性は感じていない」と述べました。
公明 大口国対委員長「何らかの意図感じる」
公明党の大口国会対策委員長は記者団に対し、「事務次官だった時は何ら発言していないのに、辞めてから、なぜ今、こうした発言をするのか分からず、何らかの意図が感じられる。問いただすべきは、文部科学大臣や文部科学省の責任ある現職の方々であり、説明を求めれば責任を持って答えると思う。前川前次官は、文部科学省を辞めていて、文部科学省を代表する方ではないので、前川氏を呼んで何かを解明するということは違う」と述べました。
民進の調査チームに文科省「文書は確認できず」
文部科学省の前川前事務次官の記者会見を受けて、民進党は、調査チームの会合を開き、文部科学省に、文書の存在などの事実関係を改めてただしました。これに対し、文部科学省の担当者は、「前川氏の発言は確認していない。すでに調査したが、文書は確認できなかった。われわれとしては調査したので、それに尽きる」と述べました。調査チームは今後、前川氏から直接、事実関係について話を聞きたい考えで、会合への出席を求めていくことにしています。
民進 山井国対委員長「政府の隠蔽明らかに」
民進党の山井国会対策委員長は記者団に対し、「当時の文部科学省の事務方のトップが、文書を本物と認め、『行政がゆがめられた』と発言したことは、極めて重大だ。政府が一体となって真実を隠蔽していることが明確になり、言語道断だ。前川前次官は、『証人喚問に応じる』と言ったので、与党は、拒む理由は無く、早急に前川氏の証人喚問を実施すべきだ。また、安倍総理大臣の今までの発言が正しかったのかも問われるので、早急に予算委員会の集中審議を開くべきだ。安倍総理大臣が、身の潔白を証明したいのであれば、正々堂々と、国会の場で説明してほしい」と述べました。
共産 穀田国対委員長「文書の信ぴょう性高まった」
共産党の穀田国会対策委員長は、記者会見で、「『総理のご意向』と記された文書の信ぴょう性が、いよいよ高まってきた。真相究明が国会の責務であり、前川前事務次官は『証人喚問には応じる』と述べているので、国会として証人喚問を行うべきだ。森友学園の疑惑の際には、自民党が、わざわざ証人喚問を要求したのだから、今回も当然、応じるべきだ。また、『総理のご意向』という問題が取り沙汰されているわけで、安倍総理大臣に対して真相究明を求めるため、予算委員会の集中審議も当然必要だ」と述べました。
維新 遠藤国対委員長「証人喚問か参考人招致必要」
日本維新の会の遠藤国会対策委員長は、記者会見で「記者会見の内容を見ると、はぐらかしている部分もあるので、明確にするために、与野党ともに合意形成が図れれば、証人喚問なり参考人招致も必要ではないか。一方で、きょうの段階では、完全に一方通行の話なので、本当に真実がどこにあるか確認したうえでないと、何でもかんでも証人喚問すればいいというものでもない。文部科学省自体の自浄作用も、この機会に働かせてもらう必要がある」と述べました。
問題となった文書とは
会見で指摘された文書は獣医学部の選考が続いていた去年9月から10月にかけて、文部科学省と内閣府の担当者などとのやり取りを記したとされる複数の記録です。
「内閣府の回答〜総理のご意向」
このうち、「大臣ご確認事項に対する内閣府の回答」と書かれた文書は、今治市に獣医学部を設置する時期について、「最短距離で規制改革を前提としたプロセスを踏んでいる状況で、これは総理のご意向だと聞いている」と書かれています。
「内閣府からの伝達事項」
別の文書では、内閣府側が、平成30年4月にこの学部を開学するのを前提に文部科学省側に最短のスケジュールを作成するよう求めたと記されています。さらに、内閣府側が「これは官邸の最高レベルが言っていること。山本大臣も『きちんとやりたい』と言っている」などと述べたと書かれています。
「内閣幹部メモ」
さらに、内閣官房の幹部からの指示をまとめたとする10月7日の日付のメモには、「四国には獣医学部がないので、その点では必要性に説明がつく」という発言のほか、「加計(かけ)学園が誰も文句が言えないようなよい提案をできるかどうかだ」という発言が記されていました。
「9/26メモ」
去年9月下旬の日付が書かれた文書には、内閣府と文部科学省との打ち合わせとされる内容が記されていて、このなかで内閣府の幹部は「平成30年4月にこの学部を開学するのを大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」と文部科学省側に要請しています。これに対し、文部科学省側が、「今治市の構想を実現するのは簡単ではない」と答えると、内閣府側は「できない選択肢はない。やることを早くやらないと責任をとることになる」と述べたと記されています。
「11/8のメール」
メールの画面を印刷したと見られる文書には、文部科学省の担当者が加計学園について省内の関係する部署に一斉にメールを送信したとされる内容が書かれています。この中では、獣医学部の設置場所が決まる前に、担当課の職員が大臣や局長から、「加計学園に対して、文科省としては現時点の構想では不十分だと考えている旨、早急に厳しく伝えるべき」と、特定の学校法人の申請内容について指示を受けたと記されています。
これらの文書やメールについて、松野文部科学大臣はいずれも「調査の結果、確認できなかった」としています。 
官邸幹部が加計問題実名告発ツブシの謀略を認めた!
 文科省前次官の風俗通い報じた読売記事を「マスコミと当人への警告」と
読売新聞が22日の朝刊で突如、報じた文部科学省の前川喜平・前事務次官の“出会い系バー通い”記事。刑事事件にもなっていない官僚の下半身ネタを、大手新聞がなんの物証も提示せずに報じるのは前代未聞だが、当サイトはこの読売記事が官邸による加計学園問題の実名告発ツブシの謀略だったと22日に断じた。
前川氏はいま、大きな問題になっている加計学園問題に関する文科省の「総理のご意向」文書について、マスコミのインタビューに応じ、「本物だ」と証言する準備を進めていた。
「文科省がこの文書を作成した昨年9月〜10月は、前川さんは事務次官在任中で、文書の内容はもちろん、内閣府からの圧力や会議についても把握していた。前川さんは天下りあっせん問題で辞職に追い込まれたことで、官邸に恨みを持っていたこともあり、実名で文書が文科省で作成されたもので、内容も事実であると証言する決意をしたようです。前川さんはすでにNHKとフジテレビのインタビューに応じ、『NEWS23』(TBS)と『報道ステーション』(テレビ朝日)にも出演する予定でした」
当時の最高幹部がこの文書を事実だと認めれば、安倍首相や菅官房長官の言い分は完全にくつがえり、安倍政権は決定的に追い詰められることになる。
そこで、官邸は「週刊文春」「週刊新潮」の2誌にこの“出会い系バー通い”をリーク。さらに、御用新聞、政権広報紙化をエスカレートさせている読売新聞に、前代未聞の実話雑誌のような記事を書かせたのである。
断っておくが、これはけっして陰謀論などではない。マスコミはこうした裏側を一切報道していないが、実は、一昨日夜から昨日夜にかけての官邸記者クラブのオフレコ取材では、この読売記事についての話題が出ていた。そのなかで、読売に情報を流したといわれている安倍首相側近の官邸幹部は、「官邸が流したのか」という記者の質問にこう言い放ったという。
「読売の記事にはふたつの警告の意味がある。ひとつは、こんな人物の言い分に乗っかったら恥をかくぞというマスコミへの警告、もうひとつは、これ以上、しゃべったらもっとひどい目にあうぞ、という当人への警告だ」
ようするに、悪びれもせずに謀略を認め、マスコミに対してさらなる恫喝をかけたというのだ。官邸はここまで増長しているのかと唖然とするが、しかし、マスコミは、この謀略にいとも簡単に屈して、前川氏の実名証言を報じる動きをぴたりと止めてしまった。すでにインタビューをすませているNHKもフジテレビも放映はしないことに決めたという。
政権に逆らうものはすべて謀略を仕掛けられ、口封じされてしまう——この国はいつのまにかロシア並みの謀略恐怖支配国家になってしまったらしい。
ただ、救いはある。「週刊新潮」「週刊文春」が官邸のリークに乗っかって前川氏の“出会い系バー通い”を取材していたことは前述したが、そのどちらかの週刊誌が、逆に前川氏の言い分を全面的に掲載し、この間の官邸の謀略の動きを暴く可能性がでてきたらしいのだ。
「前川前次官の下半身スキャンダル自体は書いているようですが、返す刀で官邸の謀略の動きも指摘するみたいですね。読売の記事があまりに露骨でしたから、さすがに、そのまま官邸に乗っかるわけにはいかないと判断したんでしょう。海千山千の週刊誌は政権広報紙の読売のようにはコントロールできない」(週刊誌関係者)
この週刊誌の報道を受けて、テレビや新聞はどう動くのか。「総理のご意向」文書の信憑性を裏付ける文科省前事務次官の証言と、それを潰そうとした官邸の卑劣な謀略が国民に広く知られることを祈りたい。 
官邸の前川証言潰し恫喝に屈したメディア、踏ん張ったメディアが鮮明に!
 日テレ、とくダネは無視、田崎はトンデモ解説
元文科省事務次官である前川喜平氏のインタビューを、本日発売の「週刊文春」(文藝春秋)が掲載したことを受けて、今朝の朝日新聞朝刊も前川氏のインタビューを一面トップほか大々的に掲載。毎日新聞も社会面で大きく取り上げ、そのなかで「文書は本物」とする前川証言を紹介した。また、昨晩の『NEWS23』(TBS)は、前川氏のインタビューを今晩放送することを予告した。
本サイトは昨日、前川氏の自宅前にマスコミが殺到している一方で、官邸が上層部から官邸記者にいたるまで恫喝をかけまくっていることを伝えたが、その圧力をこれらのメディアは撥ね返したといえよう。
だが、今回の前川証言に対する安倍首相はじめ官邸の焦りと怒りは凄まじいものだ。安倍首相は昨晩、赤坂の日本料理店「古母里」でテレビ朝日の早河洋会長と篠塚浩報道局長と会食。報道局長まで呼びつけていることからも、報道に対する牽制があったことはあきらかだ。
剥き出しの圧力をかけられたテレ朝だが、しかし、今朝の『羽鳥慎一モーニングショー』では、「週刊文春」に掲載された前川証言と、「週刊新潮」の報道を取り上げた。
番組ではまず、前川氏の「出会い系バー通い」を紹介した上で、「週刊新潮」による「官邸は前川前次官の醜聞情報を集めさせ、友好的なメディアを使って取材させた」「“報復”するとともに口封じに動いた」という内容に踏み込んだ。司会の羽鳥が「これはどうなんですか?」と尋ねると、ゲスト出演したテレ朝の細川隆三・政治部デスクは歯切れ悪くこのように述べた。
「官邸にはいろんな人がいて、この問題にふれるととにかくカリカリしちゃって、興奮する方もいらっしゃるし、逆にこの問題は触ってはいかんと、触らないようにシカトしようとする人もいますし、とにかくこれは内閣の問題じゃなくて個人の問題、とんでもない人がやっているんですよとさらけ出すのがいいんじゃないかっていう人もいるんです」
「官邸による報復なのか?」という羽鳥の問いに対する答えにまったくなっていないが、いかに官邸が記者にプレッシャーをかけているのかが垣間見えるコメントではあるだろう。
だが、ここでレギュラーコメンテーターの玉川徹が、読売新聞の報道に言及。「現役の官僚でもない前の事務次官の、違法でもない話を一面にもってくるバリューが、加計学園にかかわらないんだとしたらどこにあるのか」「ものすごく疑問」と言い、こう畳みかけた。
「安倍総理は自分が語る代わりに『読売新聞を熟読してくれ』っていう関係ですしね。やっぱり権力に対して批判的な目を向けるっていうのがジャーナリズムだと私はずっと思っていままで仕事してきたんですけど、こういう一連の読売新聞のあり方って、政治部的な感覚から見て、細川さん、これどうなんですかね?」
ごくごく真っ当な指摘だが、これに細川政治部デスクは「いや、だから、(読売の今回の報道は)めずらしいですよね」と返すのが精一杯。だが、テレ朝は『モーニングショー』だけではなく、『ワイド!スクランブル』でも番組トップと第2部で報道し、前川氏の下半身スキャンダルについて“官邸のイメージ操作では”と言及。前川証言と下半身スキャンダルという“両論併記”の報道ながら、しかも総理直々に“圧力”がくわえられたなかで、官邸の読売を使った報復と、読売の姿勢に論及した点は、勇気あるものだったと言えるだろう。
また、朝の『とくダネ!』と昼の『バイキング』では前川証言を無視したフジテレビも、『直撃LIVE グッディ!』ではしっかり取り上げた。
しかも、菅義偉官房長官が会見で「(前川氏は)地位に恋々としがみついていた」などと人格攻撃したことに対し、ゲストの「尾木ママ」こと尾木直樹は「ぼくら教育関係者はみなさん信頼しているし、絶大な人気者。気さくで威張らないし、官僚的ではない。慕っている人も多いですね」と反論。元文科省官僚である寺脇研も「(菅官房長官の言葉とは)全然別の話を省内で聞いている。『みんな残って下さい』と下の者は思っていたけど、(前川氏は)『自分は最高責任者として全責任は自分にあるんだから辞めなくちゃいけない』と言っていた」「(前川氏が)辞めた日、省内には涙を流した者も相当数いたみたいですね」と、菅義偉官房の発言は官邸お得意の印象操作である見方を示した。
さらに、『グッディ!』でも、一連の文書の出所が前川氏だと官邸が睨み、出会い系バー通い報道をリークしたとする「週刊新潮」の記事にふれ、問題の出会い系バーを取材。だが、コメンテーターの編集者・軍地彩弓は「(前川氏は)脇が甘いと言われてもしょうがないけど、人格否定と今回のことを一緒にするのはやめてほしい。わたしたちが見てても、この話がくることによって撹乱されているように思っちゃうので、分けて話をしたい」と指摘。尾木も「(出会い系バー通いは)まずかった」としながらも、「このことで文書の問題をチャラにしてほしくない。分けて考えないと」と語った。MCの安藤優子も「前川さんの人間性と証言の信憑性を混同させようという動きがあるが、別の話」と番組冒頭から、何度も繰り返していた。
このように、官邸から恫喝を受けながら踏ん張ったメディアがある一方、露骨に避けた番組もある。たとえば、すでに前川氏にインタビューを行い、本日夜の『NEWS23』でその模様を流す予定のTBSは、朝の『あさチャン!』や昼前の『JNNニュース』で「怪文書じゃない」という前川氏の証言映像を大きく取り上げたが、『ビビット』ではほんのわずかでスタジオ受けもなく終了。『ひるおび!』でも11時台の新聞チェックのコーナーで扱っただけだった。
また、NHKと日本テレビも露骨だ。朝のニュース・情報番組では前述したTBSの『あさチャン』のほか、『グッド!モーニング』(テレ朝)『めざましテレビ』(フジテレビ)も朝日新聞を紹介するかたちで前川氏の証言を取り上げたが、NHK『おはよう日本』と日テレの『ZIP!』は一切ふれず。NHKは12時からのニュースで、国会で松野博一文科相が「すでに辞職した方の発言なので、コメントする立場にない」と答弁したことをさらっと伝えたのみで、日テレも『スッキリ!!』では無視、昼前の『NNNストレイトニュース』と『情報ライブ ミヤネ屋』のニュース枠で少しふれただけだ。
いや、露骨といえば、ご存じ“安倍政権応援団”である田崎史郎の解説だろう。昨晩の『ユアタイム』(フジ)に出演した田崎は、前川氏について「“ミスター文科省”と表現するけど官邸の見方はまったく違っていて、“最悪の次官だった”っていう認識なんですよ」と前川氏をバッシング。挙げ句、「文書を持ち出したとしたら、これ自体が国家公務員違法になるんじゃないかと言う方もいて。当面無視していくスタンスですね」と、またも官邸の方針を垂れ流した。この詭弁には、番組キャスターの市川紗椰も呆れ果てたように「え、無視って後ろ向きの態度を取られると、やっぱり何かあるんじゃないかなと思いますし、政府から調査するべきだと思うんですけどね」とコメント。田崎はやや狼狽えつつも、「文科省の役人が勝手につくったメモ」と断言したのだった。
官邸の恫喝に負けなかったメディアと、官邸の言いなりになったメディアが鮮明になった、今回の前川証言。しかし、きょうの報道だけで、加計学園問題は終わりではない。本日夕方16時より前川氏が記者会見を行い、証人喚問の要請があれば応じる意志を表明した。安倍政権の「行政文書じゃない」などというごまかしで済まされる話ではない。政権の下部組織と化したNHKと読売系以外のマスコミには、官邸の圧力に負けることなくさらなる追及を期待したい。 
加計学園問題まとめ 「要注意発言」で振り返る
 蠢く「官邸の最高レベル」と権力の構図
内閣府「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」朝日新聞 5/17
今週、もっともインパクトのあった言葉はこれ。学校法人加計(かけ)学園が獣医学部を新設する計画について、文部科学省が内閣府からこのようなことを言われたとする記録を文書として残していたと5月17日の朝日新聞が報じた。
「獣医学部新設に係る内閣府からの伝達事項」と題された文書には「平成30年4月開学を大前提に、逆算して最短のスケジュールを作成し、共有いただきたい」「これは官邸の最高レベルが言っていること」と早期の開学を促す記述があった。「(文科)大臣ご確認事項に対する内閣府の回答」と題する文書には「設置の時期については(中略)『最短距離で規制改革』を前提としたプロセスを踏んでいる状況であり、これは総理のご意向だと聞いている」と書かれていた(毎日新聞 5月17日)。また、文科省が内閣府から「『できない』という選択肢はない」と言われていたことも記載されていたという(朝日新聞 5月18日)。かなり強い言い回しだ。
安倍首相の「腹心の友」、昭恵夫人との接点
加計学園の一体何が問題になっているのか? 日本中を騒がせている森友学園問題との共通点は何か?『週刊文春』4月27日号が詳しく報じている。
加計学園が経営する岡山理科大学の獣医学部は、安倍政権が2015年に国家戦略特区として指定した愛媛県今治市に開設される予定。時期は2018年4月。37億円相当の市有地が無償譲渡され、事業費192億円の半額、96億円を県と市が負担する。また、過去50年以上認められていなかった獣医学部の新設が、官邸主導で進められた経緯も問題視されている。
加計学園は、安倍晋三首相の長年の友人で「腹心の友」と呼ぶ加計孝太郎氏が理事長を務める学園。2人の出会いは安倍首相が米国に留学していた時代にまで遡る。それ以降、ゴルフや会食などの付き合いが続いており、別荘もすぐ近く。かつて安倍首相は関係者に「加計さんは俺のビッグスポンサーなんだよ。学校経営者では一番の資産家だ」と語っていたという。
安倍昭恵首相夫人も加計孝太郎氏とは関係が深い。2人はたびたびワシントンやロサンゼルスを訪問して現地の学校法人などを視察している。昭恵夫人が力を注ぐミャンマー支援も加計氏が現地まで同行してサポートした。
昭恵夫人は加計学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」の名誉園長を務めており、15年9月には政府職員2人を連れて施設のイベントに参加している(朝日新聞 5月17日)。同園のことを森友学園の籠池泰典氏と妻の諄子氏に「すごく良い教育をしている学校があるから見学に行ってみてはどうですか」と紹介したこともあった。
あまりにも関係が深い安倍首相夫妻と加計学園。その関係の深さは、もはや森友学園の比ではないだろう。
「不思議ですよね。なぜ大臣が代わることでこんなに進むのか」
加計学園から獣医学部を新設したいという申し出を受けた今治市と愛媛県は07年から8年間で15回も認可を申請したが、日本獣医師会の抵抗もあって申請は却下され続けてきた。ところが第二次安倍政権が発足した12年12月以降、明らかに対応が変わる。
14年には官邸が主導する国家戦略特区の会合で獣医学部の新設が具体的な議論になり、15年6月4日に今治市と愛媛県は国家戦略特区制度を利用して獣医学部の新設を提案、6月末には「獣医学教育特区」の設置が閣議決定された。翌年12月には新設を「一校限り」で認めることが決定、同様の提案を行った京都府と京都産業大学の申請は却下された。
16年8月まで国家戦略特区担当大臣だった石破茂氏は、「不思議ですよね。なぜ大臣が代わることでこんなに進むのか。(中略)世間で言われるように、総理の大親友であれば認められ、そうじゃなければ認められないというのであれば、行政の公平性という観点からおかしい」と疑問を呈している。
これまで野党から「首相の友人が利益を受けている」と追及されてきた安倍首相は、今年3月の参院予算委員会で「私はもし、働きかけて決めているんであれば、やっぱりそれは私、責任取りますよ、当たり前じゃないですか」と関与を強く否定してきた(FNNニュース 5月19日)。しかし、今回、報じられた書類の内容が事実であれば、内閣府が大学設置権限を持つ文部科学省に対して「官邸の最高レベルが言っていること」「総理のご意向だと聞いている」と圧力をかけたことになる。
問題の文書に官邸側はどう反応したか?
菅義偉官房長官 「出所も明確になっていない怪文書みたいな文書だ」テレ朝news 5/17
朝日新聞の報道を受けて同日に記者会見を開いた菅義偉官房長官は、文書の内容を否定して「怪文書みたい」と切り捨てた。
「どういう文書か。作成日時だとか、作成部局だとか明確になってないんじゃないか。通常、役所の文書はそういう文書じゃないと思う」などと述べ(朝日新聞 5月18日)、「こんな意味不明のものについて、いちいち政府が答えることはない」とも回答している(信毎web 5月17日)。
松野博一文科相は「特区に関する対応に向けた文書は作成された可能性はあると思う」と述べ(信毎web 5月18日)、すでに担当部局の職員に対して文書を作成したことがあるかなどの聞き取り調査を始めたことを明らかにした(NHK NEWS WEB 5月19日)。
文書には複数の首相官邸幹部やある省の副大臣の名前が記され、具体的な日付があるものもあれば、ないものもある。文書の中に実名が登場する北村直人日本獣医師会顧問(元自民党衆院議員)は「文書に書かれていることは事実だ」と語った。文書には「(北村氏が)政治パーティーで山本(幸三)国家戦略特区担当大臣と会って話をした」などと書かれているが、これも事実だという(朝日新聞 5月18日)。
「第二の『永田メール事件』になりはしないだろうか?」
自民党の和田政宗参院議員は自らのブログで「仮に文科省内の人物が作ったとしてもメモ程度のもので、記憶違いもあるし、付け加えたり改ざんがいくらでも出来る」として、「第二の『永田メール事件』になりはしないだろうか?」と警告している(5月17日)。
新藤宗幸千葉大名誉教授(行政学)は「(役所では)今回のように内部で情報を共有するためのメモ的な文書は頻繁に作られ、情報公開法の対象でもある。他の省庁とのやり取りを記録に残すのは役人の普通の行動だ」と指摘。国の「行政文書の管理に関するガイドライン」では、個人的な資料や下書き段階のメモであっても「国政上の重要な事項に係る意思決定が記録されている場合、行政文書として適切に保存すべき」と定められている(朝日新聞 5月18日)。
重要人物の萩生田官房副長官と義家文科副大臣の発言は?
萩生田光一官房副長官 「本件について、ここまで詳しいやりとりをしたという記憶は私はございません」FNNニュース 5/19
問題の文書の中に登場する重要人物が、学部設置の認可を判断する文部科学省の義家弘介副大臣と、萩生田光一官房副長官だ。
5月18日、日刊ゲンダイが計8枚に及ぶ文書を全文公開している。文書によると、松野博一文科相からの「ご指示事項」には「教員確保や施設設備等の設置認可に必要な準備が整わない」として懸念が示され、「31年4月開学を目指した対応をすべき」と記されている。松野文科相は早期開学に否定的だったのだ。
「義家副大臣レク概要」と題された文書には、「平成30年4月開学で早くやれ、と言われても、手続きはちゃんと踏まないといけない」「やれと言うならやるが、閣内不一致(麻生財務大臣反対)をどうにかしてくれないと文科省が悪者になってしまう」と記されている。義家副大臣も松野文科相と同じく、早期開学には否定的だった。
「腹心の友」という首相発言が生まれたイベント
ただし、義家氏と萩生田氏はここから事態を動かしていく。「10/4義家副大臣レク概要」と題された文書には、義家氏の言葉として「私が萩生田副長官のところに『ちゃんと調整してくれ』と言いに行く。アポ取りして正式に行こう。シナリオを書いてくれ」という一文が記されている。また、「10/7萩生田副長官ご発言概要」と題された文書には「平成30年4月は早い。無理だと思う。要するに、加計学園が誰も文句が言えないような良い提案をできるかどうかだな。構想をブラッシュアップしないといけない」と萩生田氏が語ったという一文が記されている。
当初は誰しも否定的だった早期開学だったが、実現に向けて徐々に動き出していく様子が文書から窺える。そして、昨年11月に国家戦略特区の諮問会議で獣医学部の新設が52年ぶりに認められ、今年1月に加計学園によって今治市に新設される方針が正式に決定したという流れだ。
18日、衆議院・農林水産委員会で野党からの追及を受けた義家氏、萩生田氏は文書の信ぴょう性が疑わしいと口を揃え、内容についても否定した。
なお、加計学園が04年に開校した千葉科学大学の客員教授には、当時落選中だった萩生田氏や第一次安倍政権で首相秘書官を務めた井上義行氏らが名を連ねていた。この大学の開設にあたっても、今回の獣医学部と同様、銚子市から市有地を無償貸与された上、約78億円もの助成金を提供されている。先の「腹心の友」という言葉は、この大学の開学10周年式典の式辞で安倍首相が述べたものだ。
麻生副総理発言に見る「権力の構図」
麻生太郎副総理兼財務大臣 「だから認可しなきゃよかった。俺は反対だったんだ」 『週刊文春』 4/27
こちらは少し前の発言。文書の中には「閣内不一致(麻生財務大臣反対)」と記されていたが、国会で加計学園問題が追及されるようになってから、麻生副総理がこのように発言していたと『週刊文春』にて報じられている。安倍首相は麻生氏の発言に対して「あの人は分かっていないよ」と不満を露わにしていたという。
麻生副総理が獣医学部新設に反対しているのは、獣医師の定員の問題がかかわっている。日本獣医師会が50年以上にわたって獣医学部新設に反対してきたのは、国内の獣医師は不足していないという見解に基づくものだ。そして、麻生氏は日本獣医師会とかかわりが深い。2013年に開催された日本獣医師会の蔵内勇夫会長就任記念祝賀会では、麻生氏が発起人を務めている。
東洋経済オンラインでジャーナリストの安積明子氏は、加計学園問題の背後には「麻生vs.菅」の構図が見え隠れしていると指摘している。文書の中で松野文科相と萩生田副長官は、2016年10月23日の衆議院福岡6区補欠選挙の後で加計学園問題を処理するべきだと主張していた。このときは、鳩山邦夫衆議院議員の次男・二郎氏をかつて邦夫氏と交流があった菅義偉官房長官が応援し、麻生氏は対立候補の蔵内謙氏を応援していた。麻生氏は選対本部長に就任するほどの力の入れぶりだったが、蔵内謙氏の父が、県議を8期務めた蔵内勇夫県連会長である。先にも触れたとおり、蔵内氏は日本獣医師会の会長でもあるのだ。
加計学園の獣医学部を新設したい安倍首相と菅官房長官、それに反対する麻生副総理と日本獣医師会という構図は確実だろう。文書の流出もそのあたりの文脈から発生しているのかもしれない。折しも麻生副総理は7月にも党内第2の規模となる新派閥を結成すると発表したばかり(産経新聞 5月15日)。「ポスト安倍」を見据えて影響力を拡大したい考えを持つ麻生氏が加計問題の鍵を握っている――? 
「出会い系バー」報道波紋 
朝日新聞2017年6月13日 / 読売新聞掲載「公共の関心事」と説明 
読売新聞が、前川喜平・前文部科学事務次官が「出会い系バー」に通っていたと報じた5月の記事が、波紋を呼んでいる。「不公正な報道」などと批判が出ていることに対し、同紙は今月、「公共の関心事であり、公益目的にもかなう」と説明する記事を掲載した。
3日、読売新聞社会面に東京本社の原口隆則社会部長名の記事が掲載された。5月22日付けの「前川前事務次官 出会い系バー通い」という記事に対して「不公平な報道であるかのような批判が出ている」ことに対し「批判は全く当たらない」との見解を示した。
22日の記事は、前川氏が在職中、平日夜に東京・歌舞伎町の出会い系バーに出入りしていたことを報じた。店について「売春や援助交際の交渉に場になっている」とし、店の関係者への取材をもとに、前川氏が女性と店外に出たこともあったと伝えた。
前川氏については、学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画をめぐり、5月25日付け朝日新聞や同時発売の週刊文春が「行政がゆがめられた」などと証言するインタビューを掲載した。
読売新聞の記事掲載のタイミングや内容について、山井和則・民進党国会対策委員長は同日、国会内で記者団に「前川氏のスキャンダル的なものが首相官邸からリークされ、口封じを官邸がしようとしたのではないかという疑惑が出ている。背筋が凍るような思いがする」と述べた。
前川氏は25日の記者会見で、出会い系バーについて「女性の貧困を扱う報道番組を見て、話しを聞いてみたくなった」と理由を説明。読売新聞の報道について、権力からの脅しかと問われると「そんな国だとは思いたくない」と語った。
一方、菅義偉官房長官は26日の会見で、「教育行政の最高の責任者が、そうした店に出入りして、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」と批判。荻生田光一官房副長官は31日の衆院農水委員会で「政府として情報をリークしたという事実はない」と否定した。
3日付読売新聞の社会部長名の記事は「独自の取材で(略)つかみ、裏付け取材を行った」「次官在職中の職務に関わる不適切な行動についての報道は、公共の関心事であり、公益目的にもかなうもの」「本紙報道が(略)前川氏の『告発』と絡めて議論されているが、これは全く別の問題」とした。
「中途半端で甘い記事」「権力監視の役割は」 逢坂巌・駒沢大准教授(政治コミュニケーション)は「私的な行為は報じる価値がないと、読売新聞を批判するのは拙速だ」と言う。「次官は立派な権力者で、その私的行動も権力監視の対象になることがある」。その上で、今回の記事について「読売は権力監視の一環だと言いたいのかもしれないが、前次官の買春を批判しているようにも読める裏付けするファクトは示していない。中途半端で甘い記事だ」と話す。
元読売新聞記者でジーナリストの大谷昭宏さんは出会い系バーの記事が東京、大阪、西部(福岡)の各本社の紙面で同じ扱いだったことに注目する。ほかの記事は各紙面で見出しや扱いが異なる部分がある。大谷さんは「会社の上層部から指示が出た可能性が高い」との見方を示した。
読売新聞をめぐっては5月3日付朝刊で、安倍晋三首相の憲法改正についての単独インタビューを掲載。国会で安倍首相が「読売新聞に書いてある。ぜひ熟読していただいてもいい」と発言し、物議を醸した。同紙はこの報道についても13日付朝刊で東京本社編集局長名の記事を載せ、憲法改正について首相の考えを報道することは「国民の関心に応えることであり、本紙の大きな使命」と説明した。
岩渕美克・日大教授(政治学)は「インタビューと首相の発言で政治とメディアの距離に目が向けられる中、出会い系バーの記事が出たことでさらに疑いを招いている。メディアの本来の役割は、一定の距離をとって権力を監視することだ」と話す。社会部長名の記事について「『読者に誤解を与えている』と思ったからこそ出したのだろうが、出会い系バー報道がなぜこのタイミングだったのかなど、読者の疑問に必ずしも明確に答えていない」と話す。読売新聞グループ本社広報部は、出会い系バーの記事が3本社で同じ扱いだったことについて「扱いや見出しが同じになるのは日常的に起きています」と文章で回答。記事の反響については「一部報道等の誤った情報に基づいたご批判の声も寄せられていますが、本紙の報道を支持する声は数多く届いています」とした。  
2018  
安倍首相はおそらく辞めない 2018/5
この原稿を書いている現時点から数えて3日前の5月21日、加計学園の獣医学部新設をめぐる問題で、愛媛県が新たな文書を国会に提出した。文書では、3年前に柳瀬唯夫元総理大臣秘書官が官邸で学園側と面会したことが明らかになっている。
2日後の23日には、森友学園への国有地の売却をめぐる問題で、財務省が「廃棄した」と説明してきた学園側との交渉記録が見つかったとして関連文書を国会に提出している。なお、NHKなどの報道によれば、この記録文書については、去年2月に問題が明るみになったあと、財務省理財局の一部の職員が保管してあった記録を廃棄するよう指示していたことがあわせて発覚した。
さらに同じ23日、防衛省が、陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽問題の調査結果を公表している。「防衛省は当時の稲田朋美防衛相による再捜索の指示が伝わらなかったことを要因に挙げ、組織的隠蔽はなかったと結論付けた」とのことだ。
よくもまあ、あとからあとからとんでもない資料が出てくるものだと思うのだが、それでは、これらの一連の新事実が現政権の致命傷になるのかというと、私は、必ずしもそういう方向には展開しないだろうと考えている。
23日に、私はこんなツイートを発信している。
《本来なら4月に決裁文書の改竄が明るみに出た時点ですでに詰みなんだけど、今回のこの交渉記録文書の廃棄の発覚で、逃げ道は完全に塞がれた。これでもなお逃げ切れるのだとしたら、別の何かが死ぬことになるのだと思う。》
ところが、調べてみたところ、財務省が文書の改竄を発表したのは、4月ではなくて3月の12日だった。ということは、私のツイートにある「4月に決裁文書の改竄が明るみに出た時点で」という表現は、間違いだったことになる。この場でお詫びして訂正しておくことにする。
とにかく、この事件をずっと注視してきたつもりでいる私にしてからが、文書改竄発覚の日時を失念していたわけだ。この事実を見てもわかるとおり、いわゆる「モリカケ問題」は、次々と新事実が暴露されている一方で、順調に風化が進んでもいる。もしかしたら、このまま尻すぼみで忘れられるかもしれない。
今回は、この点について考えてみる。
モリカケ問題の風化と、できれば、風化した後にやってくる未来について、触れることができれば有益かもしれない。国会に提出された財務省の文書と愛媛県の文書は、色々な意味で、容易ならざる事実を物語っている。たとえば、総理夫人である安倍昭恵さんの関与を強く示唆する記述が含まれている。それとは別に、安倍首相が加計学園による獣医学部新設の計画を3年前の段階で知っていたことを疑わせる文言が各所に散見されていたりもする。いずれにせよ、現政権にとっては、極めて不都合な資料だ。
ということはつまり、事態はまさに、安倍首相ご自身が、昨年の2月17日に国会の答弁の中で「私や妻が関係していたということになれば、まさにこれはもう私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」という、強い調子の言葉とともに全面否定した、国有地取引への「関与」を裏付ける方向で推移しているわけで、してみると、安倍首相は、今回出てきた文書に追い立てられる形で、自ら職を辞することになるのだろうか。
私は、ここでも、そういう事態には立ち至らないだろうという観測を抱いている。なぜかといえば、なにがあろうと30パーセント以下に数を減らすことのない確固たる政権支持層が、いわゆる「モリカケ問題」を、結局のところ、問題視していないからだ。別の言い方をするなら、「モリカケ問題」を理由に政権への支持をひるがえすタイプの国民は、とっくの昔に政権を見捨てているのであって、今年の3月の段階でなお政権を支持していた人々は、この先モリカケ問題でどんな新事実が浮上しようが、決して安倍支持を引っ込めるようなことはしない、ということだ。
ごぞんじの通り、政権のコアな支持層の中には、「モリカケ問題は、マスゴミやパヨク連中によるフェイクニュースにすぎない」「あることないことを針小棒大に報道する捏造だ」「安倍さんには一点の曇りもない」「陰謀だ」という見方を牢固として捨てない人々が一定数含まれている。とはいえ、私の見るに、その種のいわゆる熱狂的な「アベ信者」は、声が大きいだけで、見かけほど数が多いわけではない。
多くの政権支持層は、実のところ、モリカケ問題が「クロ」であることに気づいているはずだ。彼らは、メディアで語られている事件の構図のすべてに関して安倍首相が責任を負うべきだとまでは考えていなくても、少なくとも「モリカケ」事案の一部に首相や夫人が関わっていたことについては、内心、すでに認めているはずだと私は思う。
で、ここから先が大切なところなのだが、日本人のおよそ3割を占める政権支持層は、モリカケ案件に総理夫妻が関与していたことを承知していながら、それでもなお、「それがどうしたんだ?」と考えて、そのことを、辞職に値する不祥事だとは考えていないのだ。
戦後の政治家は、大筋において、なんらかの意味で利益誘導を心がけている人々だった。地元に鉄道の線路を引っ張ってくることを手始めに、地場産業の育成や、大手企業の誘致、高速道路計画の立案や原子力発電所の建設に伴う周辺自治体への補償などなど、地域選出の議員は、当然のつとめとして地元のために国の予算を使わしめることに力を尽くした。また、いわゆる「族議員」と呼ばれる議員たちも、自分に票と議席をもたらしてくれた特定の業界や団体の意を受けて、利益誘導をはかることを特段に後ろめたい仕事だとは考えていなかった。というのも、昭和の常識では、議員が為すべき第一の仕事は、すなわち自分を選出してくれた地元や業界や後援会組織や宗教団体への恩返しをすることだと考えられていたからで、それゆえにこそ、わたくしども20世紀の人間の多くは、そうやって様々な地域や組織や支援団体や圧力団体が、選挙を通じて利益誘導のための代議士を飼うことそれ自体を、民主主義の実相と信じて疑わなかったのである。
そのデンで行くと、安倍さんが自分の親しい友人が経営する学園グループのためにひと肌脱いだことは、身内びいきのそしりは免れ得ないのだとしても、一人の人間として見れば、ごく自然な感情の発露でもあるし、昭和の常識から考えれば、むしろ頼りになる政治家としての当然の振る舞い方だったと言って良い。森友学園のために助言や協力を試みたのも、自分の政治的信条に共鳴してくれている教育者を応援しようとした熱意のあらわれであって、たしかに、公正な行政手続からはみ出している部分があったことは否定できないのかもしれないが、それにしたところでたいした問題ではない。というのも、政治家の「影響力」とは、つまるところ「公正な行政手続からはみ出すこと」そのものを指す言葉なのであって、だとすれば、「公正な行政手続を多少とも歪曲させる」ことができる政治家こそが、結局のところ「強い政治家」だということになる。
実際、一部のマスコミや有識者が、政治腐敗の極致であるかのようにことさらに批判している「ネポティズム」(縁故主義)を、「そんなに悪いばっかりのものでもないだろ?」と考えている日本人は少なくない。
現実に、仕事の回し合いや、社員の採用でも、縁故主義はわれわれの社会の有力な基本線であるわけだし、民間であれお役所であれ学校であれメディアであれ、われわれは、あらゆる場面でよく知った顔を優遇し、よく知っている人々に特別扱いを受けることで自分たちにとって居心地の良い社会を育んでいる。とすれば、お上品ぶったメディア貴族の記者連中や、きれいごとの言論商売で口を糊している腐れインテリの先生方がどう論評しようが、オレは非人情で公正な四角四面の政治家なんかより、清濁併せ呑む度量をそなえた懐の深い人情味溢れた昔ながらの政治家の方が好きだよ、と考える人々が一向に減らないことを、一概に日本社会の後進性と決めつけてばかりもいられないのだろう。
その種の、現実に目の前で起こっていることこそが人間の社会の本当のリアルで、本に書いてあるみたいな小難しいリクツは、要するにアタマの良い連中がこねくり回してる絵図以上のものではないと考えている人々にしてみれば、あらまほしき立憲政治の建前だの、正しい民主政治の手続きだのみたいなお説教は、「なんだかタメになりそうなお話だけど、オレは忙しいんで、ひとつそこにいる猫にでも教えてやってくれよ」と言いたくなるテの退屈なお題目なのであろうし、憲法にしろポリティカル・コレクトネスにしろ一票の重さにしろ文書主義にしろ、その種の社会の授業の中で連呼されていた一声聞いただけでアクビの出て来るタイプの言葉には、嫌悪感は覚えても、ひとっかけらの親近感も感じないはずなのだ。
つい昨日、ツイッターのタイムラインに流れてきた画像で考えさせられたのは、「月刊WiLL」という雑誌の6月号の写真だった。見ると、表紙の一番右に「危機の宰相は独裁でいい」という大きな見出しが掲げられている。編集部がこういう見出しをトップに持ってきたことは、この種の主張を歓迎する読者がそれだけいることを見越した上での判断なのだとは思う。おそらく、信頼できる独裁者による政治のほうが、いつも議論ばかりしていて話が先に進まない議会制民主主義の非効率な政策決定過程よりもずっと合理的で果断でスピーディーであるはずだ、と考えている有権者は、おそらく多い。
で、そういう人々は、立憲主義が危機に陥っていようが、文書主義が死に直面していようが、「そいつらは、やけにカラダがよわいんだな」くらいにしか思わないわけで、結局のところ、弱い者の味方をしているつもりでいるいい子ぶりっ子の連中の言い草が不愉快なわけだ。
モリカケ問題を扱ううえでの難しさは、国会での不毛なやりとりをずっと見せつけられていると、「些細なネポティズムを騒ぎ立てて政局を作ろうとしている野党よりも、とにかく国策を進めようとしている与党の方がずっと誠実だ」というふうに見えてきてしまうところにある。
実際、法案の審議に対してどちらが誠実であるのかという一点だけについていえば、たしかに、与党の方がマトモに審議しようとしていることは事実だからだ。ただ、どうしてスケジュール通りに法案の審議に入れないのかの理由は、野党が妨害しているからというよりは、政権の側が答えるべき質問にマトモに答えていないからだ。与党ならびに関係省庁が、重大な疑惑についての文書を隠蔽し、廃棄し、改竄して、質問をはぐらかしているからこそ国会が空転していることを忘れてはならない。……と、この種のお説教を書いていると自分ながら空しくなる。
なぜというに、私がいま書いたみたいなことは、わかっている人には言うまでもなくわかりきった話だし、聞く耳を持たない人々にとっては、目障りなだけのクズだからだ。ということは、私の文章を読んで目が開かれたり啓蒙されたりする人間は一人もいないのであろうな。
話題を変えよう。日本大学で起こっている恐ろしくも不毛な出来事に関連して、私は、23日の未明に《仮にも日本一の規模を誇る大学の広報が、これほどまでに醜い弁明を平然と開示している現今の事態は、この一年の国会答弁が、言葉を軽視する風潮を蔓延させてきた流れと無縁ではないはず。》というツイートを書きこんだ。このツイートには、私を「アベノセイダーズ」であると論評するタイプの反論が多数寄せられた。私の書き方に曖昧な点があったことは認めなければならない。たしかに、虚心に読み下すと、このツイートの論旨は、オダジマが、日大の広報がバカな弁明を並べ立てた「原因」を、国会において不誠実な答弁を繰り返している安倍政権による悪影響に求めているように見える。
私の真意は少し違う。書き方として、そういう書き方になっているが、私が伝えたかったのは、「安倍政権がこの1年以上国会を舞台に繰り広げている日本語の成り立ちそのものを毀損する悪質な言い逃れの答弁と、日大の広報がこのたびの悪質タックル事件に関する弁明として告知した、文脈を無視して形式論理上の曲芸に逃げ込むテの立論は、その本質において同質であり、いずれも、言葉の機能を偏頗な論争技術の道具に堕さしめている点で極めて社会を害するものだ」ということだ。つまり「われわれの周囲にあまたある腐敗は、どれもこれも同じ腐臭を放っている」という観察を言葉にしたものでもある。
その「腐臭を放っているもの」に、もし名前をつけるのであれば、いっそ「日本」と呼んでもかまわない。してみると、私のアカウントに押し寄せて、「反日」というレッテルを貼って行った人たちの言い分にも一理はあったわけだ。
このツイートに先立つ3日ほど前の5月19日に《安倍さんについてなにがしかの論評すると、必ずや「どうしてそんなに日本がきらいなのですか?」という感じの質問が届く。一応マジレスしておく。日本が好きだからこそ、政権のやりかたに反対せねばならないケースがある。それだけの話だ。どうしてこんな簡単なことがわからないのだろうか。》という内容のツイートを投稿したのだが、これには、7988件の「いいね」が付き、198件のリプライが押し寄せた。
私を「反日」と呼ぶ人たちが想定している「日本」と、私が、「腐臭を放っている実体」として名付けようとした「日本」は、正反対のものだ。思うに、様々なズレは、ここにはじまっている。ともあれ、大切なのは、われわれが暮らしているこの日本の社会が、この5年ほどの間に、いけずうずうしい言い訳を並べ立てる卑劣な大人や、三百代言顔負けの聞くに堪えない屁理屈を押し出してくる商売人の目立つ、どうにも不愉快な場所に変化しつつあるということだ。
その原因のすべてを安倍政権に押し付けるつもりはない。私は、言葉というコミュニケーションツールへの基本的な信頼感が、根本的な次元で損なわれていることの原因の少なくとも一部は、国会答弁の中でこの1年来繰り返されているあまりにも不毛な言葉のやりとりにあるはずだ、とは考えている。しかしながら安倍政権もまた、変化した「日本」の影響を受けていることは間違いないからだ。
なので、私は日本を取り戻さなければならないと考えている。ん? この点では、安倍さんと一致しているのだろうか。具体的にどんな日本を取り戻すのかについて、果たして歩み寄りの余地があるものなのかどうか、しばらく考えてみたい。その前に、「自分を取り戻せ」とか言われそうだが。 
封印されてきた安倍晋三スキャンダル 2018/9
月刊「創」10月号では、2人のジャーナリストが安倍首相と暴力団の関係が何故今まで封印されてきたのかという問題について、次のように対談をしている。
”安倍一強”の政治状況が続く中で安倍首相の過去のスキャンダルが国会で取り上げられるなどしている。しかし、それを大手マスコミはいっさい報道しない。実はそのスキャンダルは、共同通信がかつて封印したものだった。
対談会場に山岡さんは包帯姿で現れた。数日前、新宿で階段から転倒したという。山岡さんと言えば、政治や企業のスキャンダルを果敢に暴き、かつて武富士から自宅を盗聴されたり、何者かに自宅を放火され命を失いかけた経験を持つ。今回の転倒も不審な経緯もあり、事実関係を調査中という。一方の寺澤有さんも警察不祥事などを激しく追及してきたジャーナリストだ。
その2人がこの間、取り組んでいるのがここに紹介する安倍首相のスキャンダルだ。実はこのスキャンダル、2006年に共同通信が報道一歩手前まで行きながら上層部の命令で封印したいわくつきのものだ。それがなぜ今年になって再び取りざたされるようになっているのか。2人の対談をお届けしよう。
安倍氏の自宅と事務所が放火され昭恵夫人の車が炎上
寺澤 一番最初にこの事件についてスクープしたのは山岡さんのメールマガジンで、2003年2月でしたね。2000年6月17日、28日、8月14日と、3回にわたって下関市の安倍晋三衆議院議員の自宅や後援会事務所に火炎瓶が投げ込まれ、車3台が全半焼するなどした。その事件を報じたものです。
山岡 火炎瓶は5回投げられたようですが、火がついたのがそのうち1回だけで、燃えた車の一台は昭恵さんの車でした。
寺澤 山岡さんが当時書いた記事では、容疑者はK氏と匿名でしたが、発端が選挙妨害だったことを含め、概要はほぼ書かれていた。そしてその11月に小山佐市氏と工藤会系高野組の高野基組長及び組員が逮捕された。確かその後に『噂の真相』も記事にしてましたね。
山岡 もともと発端となったのは1999年4月の下関市長選で、当時はまだ一介の衆議院議員だった安倍晋三が推薦した江島潔候補(現在は参院議員)が当選した。その選挙戦で江島氏の対立候補だった古賀敬章氏を中傷する怪文書がまかれたんですが、それを実行したという小山氏が、その見返りを求めて安倍議員の秘書に談判するんです。そして後に裁判で明らかになりますが、安倍議員の秘書の佐伯伸之が300万円を渡し、小山氏は7月3日には安倍議員本人とも面会しています。ところが一転して、小山氏は、8月30日に恐喝容疑で逮捕されるんです。ただ、この時は9月21日に不起訴処分となってしまった。そして安倍議員自ら小山氏と会い、見返りの約束をしながらタイホされたことから小山氏は激怒し、2000年6月になって、今度は安倍議員の自宅や事務所に火炎瓶を投げ、2003年11月11日に逮捕されたのです。その間、安倍議員は2000年7月に官房副長官になっています。
寺澤 この放火事件は当時、地元では大きく報じられたんですが、安倍事務所は「犯人に心当たりはない」とコメントしています。でも実際には双方の関係が後に問題になるわけですね。
山岡 それだけでなく、これは当時伏せられたようなのですが、火炎瓶だけでなく、安倍事務所に銃撃、いわゆるカチコミも行われていたようなんですね。事務所の網戸と窓を銃弾が貫通した跡を当時「アクセスジャーナル」は掲載しました。近所の住民も「銃声を聞いた」と証言していたんです。でも、報道はされなかった。銃撃されたとなるとイメージが悪いために発表されなかったようなんですね。
7月17日に山本太郎議員が国会で安倍首相に質問
寺澤 事件については2007年3月9日に福岡地裁小倉支部で小山被告に懲役13年の判決が出るんですが、その中である程度明らかになっています。実はこの事件については、今年7月17日にカジノ法案の審議の中で、山本太郎議員が国会で質問しているんです。その質問にあたって山本議員は裁判所に問い合わせて記録を調べたのですが、重要事件として福岡地裁小倉支部で出た判決文が裁判所のホームページに載っているんです。それをもとに山本議員は質問したのですが、その判決文に、小山氏らが選挙に協力した見返りとして安倍議員の秘書に要求し、秘書が300万円渡したという経緯も記載されているんです。だから基本的な事実は明らかなんですが、山本議員の質問に対して、安倍首相は「妻と私か寝ていた自宅に火炎瓶を投げ込まれた。私たちはあくまでも被害者です」と答弁していました。
山岡 それから今回、寺澤さんがアマゾンの電子書籍『安倍晋三秘書が放火未遂犯とかわした疑惑の「確認書」』で書いているんですが、2006年に一度共同通信がこの事件を取材し、配信しようとしたんですね。
寺澤 共同通信の記者が福岡拘置所に勾留中の小山氏に面会して取材し、小山氏と秘書の間で交わされた念書の存在も確認し、秘書のコメントもとっていたんです。ところがその報道を上屑部の判断で見送った。これについては『現代』(既に休刊)06年12月号に共同通信OBである魚住昭氏と青木理氏が「共同通信が握りつぶした安倍スキャンダル」という告発レポートを書いています。当時、共同通信はピヨンヤンに支局を開設する予定で、10月末に安倍首相を招いて加盟社編集局長会議を行う直前でした。10月2日の共同通信定例部会で、社会部長から記事を見送るという説明がなされたのですが、納得できない記者たちが次々と上層部を批判した様子がその記事に書かれています。共同通信が記事配信を取りやめたのは、まさに安倍首相が総裁選に当選して権力を持っていくその時期だったのです。共同通信記者らは、その総裁選のテレビ中継が放映されている下関市内の会場で安倍首相の秘書に念書のコピーを持って行ってぶつけたのですが、そうやって書き上げた記事が結局上層部によって握りつぶされたわけです。本当なら安倍首相が総截選に当選したという報道とともにそのスキャンダルをぶつければ、権力を監視するという報道機関のスタンスを示せる機会だったのに、そうしなかった。「いったん見送って時機を見て配信する」と社内に説明したようなんですが、結局やらないという時のお決まりの言い訳ですよね。
かつて事件で逮捕された人物が今年、出所
――そうやって封印されたスキャンダルが、今年になって再び取りざたされるようになったのは、服役していた小山氏らが出所したという事情があるからですね。
山岡 2014年に仮出所するらしいという情報を聞いて我々が接触を図るんですが、その仮出所の情報はガセだったんです。でもその時に送った手紙が本人の手に渡ったようで、今年、実際に出所した後、5月10日、私か電話に出なかったことから、本人からいきなり寺澤さんに電話があったのです。
寺澤 取材したいという手紙を出して、その中にこちらの携帯電話の番号を書いておいたんですが、突然、電話がかかってきました。実は、その前に仮出所したらしいという情報に基づいて取材に入った時に、安倍首相の地元筆頭秘書だった竹田力氏など関係者に一通りあたったのです。この竹田元秘書はその前の共同通信の取材でも念書の存在とそれに自分がサインしたことを認めていたんですが、我々の取材でもあっさり認めました。
山岡 もう亡くなってしまったのですがね。でも、基本的な事実は裁判でも明らかになっているし、共同通信の取材でも認めていたからでしょう。もうひとり、その事件に関わった佐伯秘書にも取材したけれど、これは応じようとしませんでした。
寺澤 ただ佐伯秘書は魚住氏と青木氏の取材では事実関係を認めていたから、その経緯は今回我々が取材する時にすごく役立ちました。
――その出所した事件当事者に直接話を聞けたところから今回の話が始まるわけですが、その前に、そもそも発端となった選挙妨害事件とはどんなものだったのか教えてください。
山岡 1999年4月の下関市長選で安倍議員の推した江島候補を勝たせるために、対抗馬の古賀候補についての怪文書を流したというのです。出回った怪文書は何種類かあるんですが、ひとつは古賀候補の不倫疑惑を報じた『アサヒ芸能』の記事でした。選挙の2年くらい前に報じられた記事で、しかも古賀氏は匿名でした。でも、その記事を佐伯秘書が小山氏に見せて、こういうやつを当選させるわけにはいかないだろう、と言ったというんです。その記事コピーが選挙戦で大量にまかれました。ただ、その記事自体は、匿名だったとはいえ、既に報道されたものでした。本当にひどいのはそれ以外の怪文書で、古賀候補が北朝鮮生まれで、当選させたら下関が朝鮮支配になるという、とんでもないデマなんです。これも何種類かあるんですが、とにかくひどい怪文書です。しかも手がこんでいて、例えばひとつは、江島候補の妻が書いたという体裁で、怪文書と同じ内容の手紙があちこちに送られたんです。もちろん妻が書いたという事実はなく、妻を騙って誰かが怪文書を送ったわけです。つまり実在の候補の妻から送られた手紙という体裁だと中身を信じてしまう者もいるだろうというアイデアなんです。
寺澤 怪文書がまかれた当時、古賀氏は事実無根だとして警察に被害届を出しているんですが、警察は結局、動かなかったわけですね。
( 月刊「創」2018年10月号「封印されてきた安倍晋三スキャンダル」から )
共同通信の現場では記者が拘留中の被疑者に会って取材したというのに、会社は「真実の報道」より政治家を招待して事務所開設のセレモニーを行なうことを優先したというのは、報道の仕事に携わる者としての自覚に欠ける由々しい事態だったと言えるのではないでしょうか。報道機関がこのように堕落すると、社会には安倍政権のような「悪政」がはびこり民主主義は衰退する。実に分かりやすい教訓だと思います。 
安倍首相が総裁選討論会で記者から予想外の追及受けて狼狽! 2018/9/14
北海道地震が起こったにもかかわらず総裁選の投開票日延期もせず、一方で地震にかこつけて石破茂・元幹事長との論戦を避けてきた安倍首相だったが、きょう、日本記者クラブ主催の討論会に登場した。
だが、安倍首相にとってきょうの敵は石破氏ではなく、記者たちだった。
安倍政権にべったりの御用記者、橋本五郎・読売新聞特別編集委員からもツッコミを浴びせられるという展開に、安倍首相はあきらかに動揺し、お得意のキレ芸や詭弁を連発。そしてついには口にしてはならない言葉まで吐いてしまったのだ。
まずは、きょうの討論会を振り返ろう。討論会の第一部は安倍首相と石破氏の間で互いに対する一問一答がおこなわれたが、ここでは石破氏の質問をはぐらかすなどの姿勢でなんとかやりすごした安倍首相。だが、平静でいられなくなったのは、記者クラブの代表記者が質問をぶつけた第二部だった。
前述した橋本五郎氏は「国民が思っている疑問を率直にぶつけたい」と前置きすると、初っ端から安倍首相が“終わったこと”にしている森友・加計問題を取り上げ、「(内閣)不支持の大きな理由は『首相が信頼できない』ということで、非常に深刻な問題」「『不徳の致すところ』と答えておしまいにしてはいけない。なぜそうなっているのか、そのために何をすべきなのか、お答え願いたい」と追及したのだ。
しかし、安倍首相の返答は、「私の指示や妻が関与したということは一切出ていない」「プロセスにおいては一点の曇りもない」「李下に冠を正さず」という耳にタコの定型文。具体的に何をすべきと考えているのかを訊かれたのに、何も答えなかったのだ。これには橋本氏も「国会答弁でもきちんと誠実に答えてないという声もある」と応戦したが、安倍首相は「いままでも誠意をもって答弁してきたつもり」などと返した。
だが、今度は倉重篤郎・毎日新聞専門編集委員が「幅広い意味でいえば(安倍首相と昭恵夫人は森友問題に)関係があったと思う」「安倍さんの言い方は賄賂を貰ったとかそういうかたちでは関係がなかったという、意図的に関係を狭めて答弁しているところは不信を呼ぶ」と指摘。さらに「柳瀬(唯夫・首相)秘書官がわざわざ(加計側を)官邸に呼んで助言をしている。そんなことは普通ありませんよ。『一点の曇りもない』という言葉とはあまりにも隔たった事実だと私は思う」と追及した。
しかし、この倉重氏の質問に、安倍首相は「いろんな話をごっちゃにしている」「私は答弁を変えていない」と強弁。……いやいや、「私や妻が関与していたら総理も国会議員も辞める!」と啖呵を切ったくせに、いつのまにか「贈収賄などではないという文脈で、一切関わっていない」と言い出し、挙げ句、この2つの答弁が同じ趣旨だと閣議決定。あきらかに答弁を変えたのに、「同じ意味だ」と勝手に力づくで自己正当化しただけではないか。よくこれで「答弁を変えていない」と言い切れたものだ。
この詭弁に対し、倉重氏は「役人のなかには亡くなった人もいる。非常に重要な政治責任を抱えた問題」「ある意味、総理大臣の任を辞してもおかしくないぐらいの重要な問題。安倍さんの頭のなかにその辺のことがちらりと頭をかすめたことはあったのか」と質問。だが、安倍首相は「いま一方的に倉重さんのほうからいろんな話をされましたが、追加で言わせていただきますと、柳瀬さんの話なんですが」と言い、質問には答えず、柳瀬首相秘書官の面談が加計問題の発端にはなっていないと言い訳を繰り返すだけ。
しかも呆れたことに、安倍首相は昨年の総選挙をもち出し、「国民のみなさまの審判を仰いだところ」などと胸を張ったのである。
言うまでもなく、森友学園の公文書改ざんが発覚したのも、加計学園問題で愛媛県から「首相案件」と記した文書が見つかったのも、今年に入ってからの話。その上、昨年の解散発表時は森友・加計問題について「国民のみなさまに対してご説明もしながら選挙をおこなう」と明言したのに、選挙中は「街頭演説で説明するより国会で説明したい」と言い出し、選挙後は「国会において丁寧な説明を積み重ねて参りました」と開き直った。国民の審判など仰いでないのに、またも嘘をついたのだ。
だが、記者からの追及はつづいた。今度は朝日新聞論説委員の坪井ゆづる氏が質問者となり、公文書改ざん問題で麻生太郎財務相を辞めさせず役人の処分で済ませたことを指摘したのだが、安倍首相の返答は「財務省を立て直し、財務行政を進めていくことができるのは麻生さんしかいない」「われわれはデフレから脱却しなければいけないという大事業に取り組んでいる。そして、やっとデフレではないという状況をつくった」というもの。公文書改ざんという民主主義の根幹を揺るがす大事件が起こったというのに、それさえも経済の問題にすり替えたのだ。
そうして、話題が経済に移ると「たいへん良い質問をしていただいた」などと余裕を取り戻したかに見えた安倍首相。しかし、その後に待っていたのは、いまもっとも突っ込まれたくないあの話題だった。そう、プーチン大統領が「無条件で平和条約を結ぼう」と提案した問題だ。
質問した坪井氏は、安倍首相にこう切り出した。
「私、率直に言って、一昨日プーチン大統領が無条件で平和条約を結ぼうよと、あの場でおっしゃったのに驚きました。それはようするに、領土問題を確定して平和条約を結ぼうっていう日本政府の考え方をプーチンさんは理解していなかったのかと」
坪井氏がこう言うと、安倍首相はフッと笑みを浮かべたが、これはプーチン大統領に無条件の平和条約締結を切り出されたときに浮かべた笑いと同じ。つまり、安倍首相が余裕をなくしたときに出してしまう、いつもの癖だ。
実際、坪井氏の質問が終わると、安倍首相は身を乗り出して、まるで啖呵を切るように、こう反論した。
「これ、結構、専門家はですね、あなたとは結構違う考え方、もってる人多いんですよ(笑)。日露関係ずっとやってこられた方はね」
以前からプーチン自身が“いかなる領土問題も存在しない”という認識を示しており、その上、「無条件」と言い出したのだから、誰がどう考えても安倍首相があの場でコケにされたのはたしかだ。事実、あの産経新聞でさえ〈安倍首相は、プーチン氏の提案の直後に、「領土問題の解決なしに平和条約はない」と明確に反論すべきだった〉と断罪している。一体、どこに違う考え方の専門家がたくさんいるのか、名前を教えていただきたいものだ。
さらに安倍首相は、領土問題を解決して平和条約を締結するというのが日本政府の立場だとし、「プーチン大統領からの反応もあります。でもそれはいま、私、申し上げることはできません。交渉の最中でありますから」と思わせぶりにぶち上げたが、結論はこんな話だった。
「つまり、平和条約が必要だということについての意欲が示されたのは間違いないんだろうと思います」
それはみんな知ってるよ!と突っ込まざるを得ないが、つづけて坪井氏から「安倍首相は『自らの時代に何とかする』ということを言ってきていて、国民に非常に期待を持たせている。それが非常に無責任に聞こえてしまう」と追及されると、安倍首相はこうまくし立てた。
「それでは私の時代にはできませんと言ったほうがいいですか?」
「私が意欲を見せないかぎり動かないんですよ。いままで1ミリも動いていなかったじゃないですか。だから今回は長門会談によって共同経済活動を、スムーズにはいってませんが、ウニなどについて合意しましたよ!」
「私が意欲を見せたから動いた」と誇るくせに、その成果はウニ(苦笑)。山口での首脳会談前には「プーチン訪日で北方領土返還」「歯舞群島、色丹島の2島引き渡し」などというムードをさんざんつくり上げておきながら、その結果はウニだったとは、「期待をもたせすぎ」と言われて当然の話。だが、安倍首相は頑として聞き入れないのである。
だが、安倍首相の本質が決定的に暴露されたのはこのあとだった。橋本五郎氏が話題を拉致問題に移し、「安倍晋三政権は一貫して拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと言われていた」「現状はどうなっているのか、見通しはあるのか」と問うと、安倍首相はこんなことを口走ったのだ。
「あの、拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことは、ございません。これはご家族のみなさんがですね、そういう発言をされた方がおられることは承知をしておりますが」
──安倍首相といえば、これまで一時帰国した拉致被害者5人を“帰さなかったのは自分だ”という嘘を筆頭に、対拉致問題のニセの武勇伝や逸話をでっち上げ、「拉致被害者を取り戻せるのは、これまで北朝鮮と渡り合ってきた安倍首相しかいない!」という空気をつくり出してきた張本人。今年の4月に出席した「政府に今年中の全被害者救出を再度求める 国民大集会」で、以下のように強く宣言している。
「全ての拉致被害者の即時帰国。正に皆様が皆様の手で御家族を抱き締める日がやってくるまで、私たちの使命は終わらないとの決意で、そして安倍内閣においてこの問題を解決するという強い決意を持って、臨んでまいりたい」
それなのに、拉致問題に進展が見られないことを責められると、「拉致問題を解決できるのは安倍政権だけだと私が言ったことはない」と言い出し、「被害者家族が言っていること」などと責任を逃れようとするとは──。
本サイトでは、北方領土にしても拉致問題にしても、安倍首相は“やるやる詐欺”でしかないと指摘してきたが、ついに本人が「意欲を見せただけ」「解決できるのは私だけなんか言ってない」と居直りはじめたのである。たんなる嘘つきであり、かつ無能──。この男の正体は、これではっきりしたことだろう。 
アメリカで報じられた安倍首相「カジノ疑惑」 2018/10
安倍晋三首相は、かつての日本の指導者たちであれば辞任を余儀なくされたようなスキャンダルや不祥事をうまく乗り越えてきた。が、ここへきて安倍首相の頭上には新たな黒い雲が漂っている――名付けて「カジノゲート」である。
この件には、安倍首相、アメリカのドナルド・トランプ大統領と、アメリカで(おそらく世界的にも)最も強力なカジノ王であるラスベガス・サンズの所有者シェルドン・アデルソン氏がかかわっている。浮かび上がっているのは次の疑問だ。はたして安倍首相は、アデルソン氏と密接に結び付いているトランプ大統領の好意を得ることを視野に、日本でのカジノの合法化を推進したのか、という問題である。
現時点では、この疑問への明確な答えはない。しかし、10月10日に公開されたアメリカの調査報道組織「プロパブリカ」の記事は、安倍首相とトランプ大統領を明確に指弾するものだった。同記事は、トランプ大統領が、2017年2月の安倍首相による初の公式訪問の際に、サンズと少なくとももう1つのアメリカのカジノ会社にカジノライセンスを与えるよう安倍首相に働きかけたと報じている。
同記事によると、フロリダ州にあるトランプ大統領の別荘での会議において、同大統領は、安倍首相に対し、ラスベガス・サンズにライセンスを供与するよう圧力をかけ、もう1つの会社、MGMリゾーツまたはウィン・リゾーツ(情報源が異なる)についても言及した。トランプ大統領からの大胆な圧力は、おそらく安倍首相を驚かせただろう。
「それはまったく青天の霹靂(へきれき)だった」と、この会議についてブリーフィングを行った1人はプロパブリカの記者、ジャスティン・エリオット氏に語っている。この人物によると、「彼らは、トランプ大統領がそこまで厚かましくなることが信じられませんでした。安倍首相は特に返答はせず、情報に感謝していると述べた」という。
しかし、安倍首相は、アデルソン氏とサンズをまったく知らないわけではなかった。同社は、2014年5月に同社が運営するシンガポールの統合リゾートへのツアーを手配するなど、安倍首相が権力に返り咲いて以来、彼に対して直接働きかけを行ってきた。このシンガポールのカジノは日本で推進されたカジノ法のモデルにもなっている。安倍首相は「統合リゾートが日本の経済成長戦略の重要な部分になると思う」と、サンズが宣伝するカジノリゾートのツアー中に述べた。
アデルソン氏にとって、日本の市場は、最後の、そして最も収益性の高い未開拓の合法ギャンブルの機会である。年間250億ドル相当の市場であり、マカオに次ぐ2番目の市場となると推定されている。
プロパブリカの記事が実証するように、アデルソン氏は、長年共和党に対して資金を提供していたが、最初はトランプ大統領に懐疑的だった。しかし、後に彼の選挙運動と就任イベントに2500万ドルを拠出している。今回の中間選挙でも、共和党に対し5500万ドル(増加中)寄付するという巨額の寄付者だ。アデルソン氏はまた、トランプ大統領の義理の息子、ジャレッド・クシュナー氏とも懇意で、ジャレッド一家は長年アデルソン氏と密接な関係にある。
プロパブリカが調査したものの、完全には確認できなかったが、アデルソン氏がトランプ大統領の選挙での勝利から数日以内の2016年11月に、トランプタワーで安倍首相とトランプ大統領との注目すべき会談を成立させたキープレーヤーであったとする相当の証拠がある。
安倍首相は、トランプタワーの門をくぐった最初の世界的リーダーとして、トランプ大統領との関係に大きな足場を得た。この関係は、安倍首相の個人的な外交の成果として頻繁に言及されてきた。 それからわずか数週間後、安倍首相は、国民とほぼすべての政党からの広範な反対があったにもかかわらず、ほとんど議論することなく、合法カジノの枠組みを定めるべく、国会で膠着していた法案を強引に推進して、関係者たちを驚かせた。
2017年2月、著者は、日本で地位のあるアメリカ人のビジネスマンと対話したが、彼によると、アデルソン氏は、ジャレッド・クシュナー氏とのツテを通じてトランプ大統領と安倍首相の会談をアレンジしたという。クシュナー氏は、彼の妻イヴァンカ・トランプ氏とともに当該会談に出席していた。さらに、このビジネスマンは、この奉仕の返礼として、安倍首相は、サンズがライセンスの第一候補者になるだろうということを明確に理解したうえで、カジノ法を推し進めた、と話していた。私は、この話の確証を得ることはできなかったが、このうわさはビジネス界に広がっていた。
金融サービス会社、オルフィ・キャピタルのパートナーであり、アジアにおけるベテラン銀行家であるロナルド・ヒンテルコーナー氏は2017年2月28日、「エクスパタイズ・アジア」というオンラインニュースレターでまさにこの話を書いている。
同氏は、「信頼できる私の情報源」によるととして、「安倍首相のトランプタワーへの最初の訪問は、大部分とまで言わないとしても部分的には、トランプ大統領の選挙運動に惜しみなく貢献したラスベガスのカジノ王シェルドン・アデルソン氏が演出したものであった。偶然にも、その後、安倍首相のニューヨークからの帰還直後に、国会で新しいカジノ法案が12月初めに押し通された」と書いている。
アデルソン氏のトランプ大統領とこのような会談を手配できる能力は、安倍首相にだけ有益だったわけではない。「エクスパタイズ・アジア」と「プロパブリカ」の両方によれば、アデルソン氏は、安倍首相の直後に、ソフトバンクの孫正義会長兼社長にもトランプタワーでの会談を手配したという。
プロパブリカによると、アデルソン氏は、「数週間後に、日本の億万長者であり旧友である孫正義のために、待望のトランプタワーでの会談を確保した」。
「孫氏の会社、ソフトバンクは、1990年代にアデルソン氏のコンピュータトレードショー事業を買収している。数年前、アデルソン氏は、孫氏を日本におけるカジノ報告計画の潜在的パートナーとして名指しした。ソフトバンクは、スプリントを所有しているが、同社は長年にわたりTモバイルとの合併を望んできた。しかし、それにはトランプ大統領政権からのゴーサインを必要とする。次期大統領との会合を終えトランプタワーのロビーに笑顔で現れた孫は、アメリカへの500億ドルの投資を約束した」(プロパブリカより)
また、プロパブリカの報道によると、アデルソン氏は、2017年1月下旬のトランプ大統領の大統領就任から数日後、ラスベガス・サンズの決算説明会において、安倍首相はシンガポールのカジノリゾートを訪れただけでなく、「それに非常に感銘を受けた」と述べたという。
そのわずか数日後、安倍首相の公式訪問中にアデルソン氏は、ワシントンで開催された安倍首相との朝食ミーティングに、そのほか2人のカジノ業界の役員とともに出席し、カジノの問題を議論した、とある出席者はプロパブリカに語っている。その後、フロリダの別荘でトランプ大統領との晩餐が行われた。
トランプ大統領が晩餐でその話を持ち出したとき、安倍首相がアデルソン氏とサンズをよく知っていなかったという考えは、ほぼ信じがたい。2017年6月に日経新聞が初めて晩餐での議論について報道し、それにより、民進党参議院議員(当時)である杉尾秀哉が国会でトランプ大統領との取引について質問するに至った。安倍首相は、サンズやほかのアメリカ企業の入札に関して、トランプ大統領と会話したことは一度もない、と主張した。これはプロパブリカの主張と矛盾する。
アデルソン氏としては、日本でカジノライセンスを取得するための内部のツテを獲得したということを隠してはいない。プロパブリカが報告しているように、アデルソン氏は最近の株主への決算説明において、ロビー活動の取り組みが成功していると話した。「事情を知っている人々、事情を知っていると述べる人々、われわれが事情を知っていると信じる人々による推定によれば、われわれは、1番目の候補である」とアデルソン氏は述べている。
アデルソン氏は最近、日本での活動について、はるかにオープンにしている。2017年9月、彼は知事と市長に会うために、自身のカジノの有力候補地である大阪を訪れた。アデルソン氏は、ギャンブル用のカジノリゾート空間の大きさに関する規制について、何の良心の呵責も感じずに、IR実施法の初期草案を批判した。そして、7月に法律が可決されたとき、カジノの床面積の制限はなくなっていた。
MGM、ウィン、シーザーズ、マカオの大手メルコなどの大企業を含むほかの多くのカジノ運営会社は、ライセンス取得のための入札に専念している。より小規模の事業者は、小規模の地域センターでのライセンスを取得したいと考えている一方、大規模なカジノは、東京と大阪での設置に目を向けている。
その中には、日本に事務所を構えて非常に大きな一般向けキャンペーン、地域や他の当局に働きかけるための豪華なイベント、広報活動の取り組みを行っている企業もある。しかし、サンズはそのような取り組みをほとんどしていない。
カジノ業界誌『アジア・ゲーミング・ブリーフ』は先月、「サンズは、日本の主要なIRライセンスの1つの最有力候補であると、ほぼ一般的にみなされている」と報道した。「しかし、その戦略はほかの企業のものほど明らかではない。サンズは日本に窓口を設置せず、代わりにシンガポールからキャンペーンを実行している。サンズは日本で有力な代理店を雇っているが、その活動は巨大な氷山を思い起こさせる。水面の上にあるものは水面下にあるものよりも確実に矮小だ、ということである」。
表面下の氷山はトランプ大統領・安倍首相・アデルソン氏の三角形であると暗示されている。プロパブリカの報道内容は、アメリカで急速に広く注目を集めており、影響力のあるニュースサイト「アキソス」を含む多くのメディアで報じられている。
通常臆病な日本のメディアもこれについて報道し始めたが、これからカジノゲートについて自ら調査を始めるだろうか。それのみが、このスキャンダルがたとえばロッキード疑惑のレベルにまで拡大するか、あるいは、つねに素早い安倍首相が政治的な大惨事からなんとか脱出する方法の一例になるかを決定するだろう。 
2019  
閣僚ら相次ぎ辞任 2019/4
安倍晋三政権の国土交通副大臣だった塚田一郎参院議員が、「下関北九州道路」(下北道路)の建設をめぐり、安倍首相や麻生太郎副総理の意向を“忖度(そんたく)”したと発言して辞任したのに続いて、桜田義孝五輪担当相が、自民党の高橋比奈子衆院議員のパーティーで、「(東日本大震災からの)復興以上に大事なのは高橋さん」と発言して、事実上、更迭されました。
相次ぐ閣僚らの辞任は、政権のおごり、ゆるみ・たるみを示しています。これまでも暴言・失言を重ねてきた桜田氏の辞任は遅すぎます。重大なのは、任命権者である安倍首相の責任です。
桜田氏は、五輪担当相なのに、「五輪憲章を読んでいない」とのべ、競泳の池江璃花子選手の白血病公表に「がっかりしている」と、人として許されない言葉を発するなど、その言動はたびたび批判されてきました。閣僚どころか国会議員としての資質も、疑問が突き付けられるものです。
今回の「(震災からの)復興以上に大事なのは高橋さん」という発言も、被災者の気持ちを傷付ける、とんでもない暴言です。発言から2時間足らずで「更迭」されましたが、これまで桜田氏をかばい、続投させてきた安倍首相の責任が問われます。
安倍政権が発足してからの、問題閣僚・副大臣らの辞任は後を絶ちません。
第2次政権発足(2012年)後だけでも、昨年1月には、松本文明・内閣府副大臣が、沖縄で相次ぐ米軍ヘリの事故をただした日本共産党議員の国会質問中に、「それで何人死んだんだ」とヤジを飛ばし、辞任しました。それ以前にも、今村雅弘復興担当相が、東日本大震災が「まだ東北でよかった」と発言し、辞任しています。稲田朋美防衛相も、自衛隊の南スーダン国連平和維持活動(PKO)派遣時の「日報」隠しなどを批判されて、辞任しました。
「政治とカネ」をめぐる問題では、小渕優子経済産業相、松島みどり法相や、西川公也農水相、甘利明経済再生担当相などの辞任もありました。
言うまでもなく、閣僚や副大臣らの任命権者は首相です。
その首相自身、国有地が不当な安値で売却された「森友学園」疑惑や、理事長が首相の親友の「加計学園」の獣医学部開設への関与をめぐる疑惑で、国民の批判を無視して、居座っています。
財務省の公文書隠ぺい・改ざんや、事務次官のセクハラ問題で批判された麻生副総理・財務相も、責任を不問にしたままです。麻生氏には、独裁者・ヒトラーを評価する暴言で国際問題にまでなった過去もあります。
安倍政権の閣僚らによる暴言・失言や不祥事が続発するのは、首相が自らの疑惑にふたをして、説明責任も政治責任も取ろうとしていないことと無関係ではありません。安倍首相がやるべきは、自身の疑惑を明らかにしたうえで、責任を取って職を辞すことです。
国会での多数議席にあぐらをかき、閣僚らの「ポスト」をたらい回しする、ごう慢でゆるみきった政治はもう許せません。大阪12区・沖縄3区の衆院補選や統一地方選、参院選での、国民の厳しい審判が不可欠です。 
 
麻生太郎

 

日本の政治家、実業家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、副総理、財務大臣(第17・18・19代)、内閣府特命担当大臣(金融担当)、デフレ脱却担当、志公会(麻生派)会長、自民党たばこ議員連盟顧問。内閣総理大臣(第92代)、経済企画庁長官(第53代)、経済財政政策担当大臣(第2代)、総務大臣(第3代・第4代・第5代)、外務大臣(第138代・第139代)、衆議院外務委員長、自由民主党政務調査会長(第44代)、自由民主党幹事長(第40代・第42代)、自由民主党総裁(第23代)を務めた。  
失言 2014/10
読めなかった漢字 1.踏襲 2.措置 3.有無 4.詳細 5.前場 6.未曽有 7.頻繁 8.実体経済 9.思惑 10.低迷 11.順風満帆 12.破綻 13.焦眉 14.完遂 15.詰めて 16.怪我 17.参画 18.偽装請負 19.御祈り
自民党役員会で前日の居酒屋懇談を話題にした際、「(料理は)ホッケの煮付けとか、そんなもんでしたよ」と恥ずかしい発言をしてしまった。北国出身の大島理森国対委員長は「ホッケに煮付けはありません。ホッケは...
カップめんの値段を「400円ぐらい?」と回答 庶民感覚はやっぱり無い?
「はっきり言って医者は社会的常識が、かなり欠落している人が多い。」  医者をひとくくりにしてバッサリ
「高齢者が悪いようなイメージをつくっている人がいるが、子どもを産まないのが問題」
「(終末期医療について)さっさと死ねるようにしてもらわないとか、考えないといけない。」 安楽死に言及するにしても、もっとオブラートに包むべきだと思いますがねぇ。
「いいかげんに死にたいと思っても生きられる。しかも、政府のお金でやってもらうのは、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしないと」
「日本ほど安全で治安の良い国はない。ブサイクな人でも美人でも、夜中に平気で歩けるのだから」
「新宿のホームレスも警察が補導して新宿区役所が経営している収容所に入れたら、『ここは飯がまずい』と言って出て行く。豊かな時代なんだって。ホームレスも糖尿病という時代ですから」
「(イスラエルの)シャロン首相の容態が極めて悪く、会議途中でそのままお葬式になると意味がないので延期ということになった」
「弁護士あがりの議員は口先だけの人が多いけど、高村副総裁だけは違う」
「名古屋人というのは民度が低い。あんな市長(河村たかし)を選んじゃうんだから」 2013年4月、名古屋市長選で応援した全自民党市議が河村たかしに敗れた後、いや、負けたからって名古屋人全体を批判するとは……。投票してくれた人も民度が低いのか?
「(定額給付金について)貧しい人には全世帯に渡すが、『私はそんな金をもらいたくない』という人はもらわなきゃいい。(年収が)1億円あっても、さもしく1万2000円が欲しいという人もいるかもしれない。それは哲学、矜恃の問題で、それを調べて細かく(所得制限を)したら手間が大変だ」
「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(=患者)の分の金(=医療費)を何で私が払うんだ。」
「(北朝鮮がミサイルを撃ったことについて)金正日に感謝しないといけない」
「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」
「創氏改名は、朝鮮人の人たちが『名字をくれ』と言ったのが始まり」 創始改名は、中国人に虐げられた朝鮮人達を守る為の措置でした。なお、麻生氏が韓国人に創氏改名の由来の話をしたら灰皿を投げられたようです。
「地球温暖化を心配する人もいるが、温暖化したら北海道は暖かくなってお米がよくなる」
「審議をしないとどうなるか。ドイツでは昔、ナチスに一度(政権を)やらせてみようという話になった」 麻生氏「ドイツは、ナチスに一度やらせてみようと政権与えた」民主・江田氏「どちらがナチスか…」…鳩山氏、麻生発言に激怒。去年も「ナチスの手口に学んだらどうだ」といって国内外から総批判されていましたが、昔から同じような事言っていたのですね。欧州ではナチスはタブー、之を知らないとは政治家としてどうなのか?
「御嶽山の噴火で亡くなった方々に、激励申し上げます」
「岡崎の豪雨は1時間に140ミリだった。安城や岡崎だったからいいけど、名古屋で同じことが起きたら、この辺全部洪水よ。」
「7万8000円と1万6000円はどちらが高いか。アルツハイマーの人でもわかる」
「昨年末の安倍政権発足後から、菅さんは閣議で初入閣の大臣に対し、『発言には十分気をつけるように』と注意していました。しかし、そんな場でも麻生さんは『俺を注意しなくていいのか。一番危ないぞ』などと、軽口をたたいていたようです。」
「金がないのに結婚はしない方がいい。稼ぎが全然なくて(結婚相手として)尊敬の対象になるかというと、なかなか難しい感じがする」
「オバマに(TPP)をまとめる力ない」 先日、オバマ米大統領が国賓として訪日を行った際、日米間でのTPP交渉がまとまらなかった事で、麻生財務大臣はこのような発言をしました。「オバマにまとめる力ない」と「米国大統領はリーダーシップもとれない無能である」と取られてもおかしくない発言です。一国の副首相かつ財務大臣という重要ポストを務める男の発言とは思えないのが正直な感想。陰口かつ、友好国のリーダーを貶める発言、日米関係の悪化に繋がりかねません。 
2018年 失言大賞
杉田水脈 自民党・衆院議員「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」『新潮45』8月号
女性記者へのセクハラ疑惑を報じられた福田淳一前財務事務次官についての発言。続けて「殺人とか強制わいせつとは違いますから」とも述べている(BuzzFeed News 5月5日)。当初、麻生氏は福田氏の処分を見送っていたが、結局福田氏は辞任。麻生氏は辞任を公表した際、「はめられて訴えられているんじゃないかとか、世の中にご意見ある」と言い放った(毎日新聞 4月24日)。セクハラ問題関連については、自民党の下村博文元文部科学相の「(セクハラ録音は)ある意味犯罪」という発言も忘れ難い(時事ドットコムニュース 4月24日)。
麻生太郎
麻生太郎 副総理兼財務相「どの組織でも改ざんはありうる。組織全体としてではなく、個人の資質が大きかったのではないか」NHK政治マガジン 5月8日
森友学園をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題についての発言。ただの開き直りにしか見えない。組織の問題でなく、個人の問題だから、自分には責任がないと言っているに等しい。改ざんの動機を問われた際は「それがわかりゃ苦労せんのです」「場の雰囲気、空気ってやつ」などと答えていたが(朝日新聞デジタル 6月4日)、不祥事を起こした企業のトップがこんなことを言ったら途端に潰れてしまうだろう。
その後、麻生氏はカルロス・ゴーン容疑者が逮捕された事件について「経営陣の監督機能を発揮させることが大事だ。金融庁としては引き続き企業のガバナンスを実効的なものにするために、きちんとやっていかなければいけない」と発言しているが(産経ニュース 11月26日)、ガバナンスは企業だけでなく省庁にも適用すべきだ。
麻生太郎 副総理兼財務相「みんな森友の方がTPP11より重大だと考えている」朝日新聞デジタル 3月29日
森友学園への国有地売却問題で近畿財務局の男性職員が自殺した後の発言。このとき、TPP11について「茂木大臣が0泊4日でペルー往復しておりましたけど(注:実際にはチリ)、日本の新聞には1行も載っていなかった」とメディアを批判したが、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などが報じていた。
麻生太郎 副総理兼財務相「G7(先進7カ国)の国の中でわれわれは唯一の有色人種であり、アジア人で出ているのは日本だけ」共同通信 9月5日
自民党総裁選で安倍晋三首相を支援する会合での発言。米国やドイツなどG7各国はさまざまな人種で構成されており、米国のオバマ前大統領もG7首脳会議に出席している。麻生氏の頭の中では欧米諸国=白人だけの国なのだろうか?
麻生太郎 副総理兼財務相「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」共同通信 10月23日
不摂生の結果、病気になった人への医療費支出を疑問視する発言。社会保険制度の否定だと批判を集めた。自身も同じ考えかという記者の質問に対して「人間は生まれつきがある。一概に言える簡単な話ではない」とも述べたが(時事ドットコムニュース 10月23日)、そんなのは当たり前のことだ。麻生氏は首相だった08年にも「たらたら飲んで食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」と発言し、陳謝した(東京新聞 10月24日)。
麻生太郎 副総理兼財務相「人の税金使って学校行った。東京大学だろ」YOMIURI ONLINE 11月18日
北九州市長選で4選を目指して立候補を表明した現職の北橋健治氏について、麻生氏はこう揶揄した。共産党の小池晃書記局長は「教育の無償化を言っている安倍政権の財務大臣が、教育に対する税金投入を否定するというのは本当に支離滅裂だ」と批判している(朝日新聞デジタル 11月19日)。
麻生太郎 副総理兼財務相「あれくらい触った程度で暴力って言われたら、とてもじゃない。この種の話で(野党に)はめられた、というのはしょっちゅうなので」時事ドットコムニュース 12月9日
麻生派の大家敏志参院議員が参院本会議中に立憲民主党議員を小突いたとして同党が抗議、4時間ほど空転したことについて立憲民主党の対応を批判した。枝野幸男代表に「立法府に対する冒涜だ」と批判されると「立法府の話についてわれわれがごちゃごちゃ言うようなつもりで言ったんじゃない」と釈明した上で発言を撤回した(時事ドットコムニュース 12月11日)。
麻生太郎 副総理兼財務相「上がっていないと感じる人の感性」共同通信 12月14日
年の瀬になっても麻生氏の暴言は止まらない。景気拡大期間が高度成長期の「いざなぎ景気」を超えたが賃金が上がっていない状況を問われて「上がっていないと感じる人の感性」の問題だと言ってのけた。麻生氏は質問した記者に対して「どのくらい上がったんだね」と逆質問し、記者がほとんど上がっていないと答えると「そういうところはそういう書き方になるんだよ」と一蹴した。
なお、麻生氏は「(現政権下で)毎月、毎年、2〜3%近くずっと上がってきた」とも述べたが、厚生労働省の毎月勤労統計調査によると、2017年の物価の影響を考慮した実質賃金は0.2%減っており、名目でも0.4%しか上がっていない。こういう人が財務相をしているのか……とため息が出る。
珍しく失言でクビが飛んだ政治家は……
松本文明 内閣府副大臣「それで何人死んだんだ」朝日新聞デジタル 1月26日
麻生氏や杉田氏を見ていると、自民党の政治家はどんな暴言を吐いても進退問題にならないような気がするのだが、今年の数少ない例外と言えるのが自民党の松本文明内閣府副大臣だ。沖縄県で続発する米軍機の事故やトラブルについての国会の大行質問の最中に飛ばしたヤジが原因で自分のクビが飛んだ。
ただし、これは2月4日に投開票が控えていた沖縄県名護市長選挙への影響を懸念した安倍首相ら自民党中枢の逆鱗に触れたため。暴言が政治家の進退に影響するのは、もはや安倍首相の一存でしかないと感じる。そんな1年だった。 
相次ぐ不祥事…麻生財務相イライラも記者への“口撃”はHPから削除 2018/5
学校法人「森友学園」への国有地売却に関する財務省の決裁文書改竄(かいざん)問題、福田淳一事務次官のセクハラ疑惑…。財務省で不祥事が次々と明らかになり、いらだちからか麻生太郎財務相の記者への“口撃”が目立ってきた。もともとぶっきらぼうな物言いで、記者への逆質問を多用する独特の記者会見スタイルを貫く麻生氏。最近はそれが特に際立っており、時折、“逆ギレ感”を漂わせたすごみをきかせ、記者を狼狽(ろうばい)させている。
「どうすればいいのですか? 具体的なこと言えよ」(4月17日・閣議後)
「さっさと、ぱっぱとやろうや。こっちは忙しいんだから。頼むよほんと」(4月13日・閣議後)
「あんた記者やってんだからさ、もっとまじめに人の話を聞いて」(3月28日・平成30年度予算成立後)
「はっきり言わないと聞こえないから。相手(自分のこと)は年寄りだからね」(3月9日・閣議後)
ぼやきなのか文句なのか、はたまた愚痴なのか−。森友学園をめぐる決裁文書の改竄問題が朝日新聞で報じられた3月以降、麻生氏の記者への口撃が止まらない。紹介したのは、数あるうちの一部抜粋だ。
特徴は、一連の不祥事で財務省の監督責任を厳しく追及する朝日や東京新聞の記者に対して、とりわけ厳しい対応をとることだ。4月24日の閣議後会見では、質問したNHK記者を朝日記者と勘違いし、厳しい逆質問攻勢をかける珍事もあった。
この記者はセクハラ問題で辞任した福田氏について、野党から「いったん官房付けにして、調査結果が出てから処分後に辞任を認めるべきだ」という意見が出ていることについて質問。
すると、麻生氏は「官房付けにして給料は誰が払うの?」「野党は税金で払うべきだと言っているの?」と矢継ぎ早に逆質問。記者が言葉を濁すと、「聞いてんだよ、俺が質問してるんだから」「野党がそう言っているのは分かったけど、そのときの給料は誰が払うのか? 野党が払ってくれんのか?」とたたみ掛けた。
記者が「税金で払うということだと思う」と答えると、間髪入れず「どうして? 問題があって辞めた人に対して何で税金で給料を払わなくちゃいけないの?」と反論。最後には「もうちょっと常識的なことを聞くようにしたら? 朝日新聞だったら」と締めくくった。
続いて質問した朝日記者が「さっきの(質問)はNHKです」と訂正したが、麻生氏は「ああNHKか」と受け流した。
会見に出席した報道陣には、NHK記者を気の毒がる雰囲気が漂ったが、麻生氏はマイペースで話を進めた。
麻生氏の会見内容は財務省のホームページ(HP)で確認できるが、同省が余計と判断した発言部分は削除され、麻生節とされる「べらんめえ口調」は当然のように丁寧な言葉遣いに書き換えられる。質問した記者の所属媒体も明示されず、会見の大まかな内容は間違ってはいないが、詳細な発言録ではないのだ。
例えば3月9日の閣議後会見。この日は決裁文書の書き換えの有無について財務省として発表する気がないのかと、質問を重ねる朝日記者に麻生氏がいらだちを見せる場面があった。
麻生氏が「(大阪地検による書き換えの)捜査の答えが出ていない。捜査は終了したんですか」と朝日記者に得意の逆質問。記者が「それは分かりません」と答えると、「朝日新聞の取材能力のレベルが分かるな」と吐き捨て、会見場を後にした−というのが実際のやりとりだ。だが、財務省のHPでは朝日記者の取材能力に言及した部分はカットされている。
3月2日にも朝日記者が書き換えを調査する予定があるか質問している。この際のやり取りを財務省HPでは、麻生氏が「報道機関の方、(財務省が)捜査に協力しないかのような印象で書かないでください。私は調査すると言っているのだから」と丁寧口調で答えたことになっている。
だが、実際は「朝日新聞は捜査に協力しないかのような印象で書くなよ。調査すると言ってんだからね。あんたの書き方は信用できんからね」と名指しで批判した。
また、3月13日には、東京新聞記者に、不祥事企業ではトップが関知していなくても辞任するケースが多いことについて問われ、「神戸製鋼所(の製品データ改竄)は20年ぐらい続いたのか?」と、ここでも逆質問。記者が「長年にわたって…」とうまく答えられずにいると「その程度の調査か」と、したり顔をみせた。当然のように、財務省HPでは「その程度の〜」の発言部分は削除されていた。
公文書管理に関する相次ぐ不祥事で国民から厳しい目で見られる官公庁。大臣会見の詳報くらいは包み隠さず、そのままの形で掲載しても良いと思うのだが、どこか忖度(そんたく)じみたものを感じてしまう。 
暴言連発の麻生財務相、即刻政治家を辞めるべき 2018/5
麻生太郎副総理兼財務相の暴言が止まらない。「セクハラ罪はない」と身内をかばい、「見てくれの悪い飛行機が途中で落ちたら話にならん」と北朝鮮まで揶揄。「即刻辞めるべき」との声も上がる。
麻生太郎副総理兼財務相(77)はまさに「銀の匙(さじ)」をくわえて生まれてきた。九州・福岡時代は父親が自分のためにつくった「麻生塾小学校」に通い、上京後は皇室とも関わりの深い学習院初等科からエスカレーターで学習院大学を卒業した毛並みの良さ。クレー射撃で日本代表として五輪にも出場したスポーツマンであり、洗礼を受けたクリスチャンでもある。
祖父は吉田茂元首相、高祖父は明治の元勲・大久保利通という遺伝子を継ぎつつ、漫画が好きで漢字が苦手。そんな麻生氏は今、自らのみならず国の品格が問われる立場にありながら、自律できない。安倍晋三首相も注意できない。安倍氏がスローガンに掲げていた「美しい国」はいつの間にか「恥ずかしい国」になってしまった。
本音なのか失言なのか妄言なのか。麻生氏の乱暴な言葉遣いが特に目立つのは、公文書改竄(かいざん)から次官がセクハラで辞任した一連の財務省の不祥事について、責任者としてコメントを求められるようになった今年3月以降だ。
まず、国税庁長官だった前理財局長の佐川宣寿氏を改竄の「責任者」と断じ、報道陣を前に「サガワが、サガワが」と呼び捨てで連呼。文字に起こすのもおぞましいようなセクハラ発言を繰り返していた福田淳一前事務次官については、被害を受けた女性記者が特定されていない段階の4月16日、財務省が女性記者の被害申告を求めると発表、それを受けた麻生氏は被害者が名乗り出ない限りセクハラの事実は証明できないとした上で、テレビカメラに向かって上目遣いにこう言い放った。
「福田の人権は、なしってわけですかぁ」
冤罪(えんざい)事件に挑む弁護士を気取ったわけではないだろうが、18日には福田氏がセクハラ自体は否認しながら「仕事にならないから」と珍妙な理由で辞意を表明。それから数時間後の19日未明に女性記者が所属していたテレビ朝日が記者会見して被害を訴えた上で財務省に抗議した。そして、福田氏がセクハラ行為を認めないまま同27日、財務省が「テレ朝側の主張を覆す証拠が示されなかった」という理由で福田氏のセクハラ行為を認定、懲戒処分として5319万円の退職金から141万円を減額すると発表した。
福田氏の人権に言及して擁護するような姿勢を見せながら、本人が認めないうちにトカゲの尻尾を切り、自らはトップに居座り続ける感覚も疑問だ。
さらに、5月4日に外遊先のフィリピンで飛び出したのがこれ。
「セクハラ罪っていう罪はない」
「殺人とか強わい(強制わいせつ)とは違う」
麻生氏は帰国後も同様の趣旨の言動を繰り返し、また福田氏が被害女性記者に「はめられた可能性がある」という発言も、撤回はしたものの幾度も繰り返した。財務省が行った処分との整合性にももとるし、また人権感覚がゆがんでいるとしかとらえようがない。そもそも国の指導者として何を主張したいのか。
政治評論家の森田実氏はこう断じる。
「副総理兼財務相どころか政治家を即刻辞めるべきだ。それぐらい度を越してひどい。海外にも伝わっている日本の恥です」
麻生氏が気分次第で放言を繰り返す癖は、今に始まったことではない。ヒトラーを引き合いに出した失言も一回ではないし、1983年には女性差別問題に対する意識の低さを露呈するようなこんな発言をしている。
「東京で美濃部革新都政が誕生したのは婦人が美濃部スマイルに投票したのであって、婦人に参政権を与えたのが最大の失敗だった」
森田氏は言う。
「自民党が政権を失ったのは2回。ひとつは宮澤喜一内閣のときに党が分裂して日本新党を中心とした野党勢力による細川護熙政権になった。もうひとつは麻生政権時代に、彼自らが失言を繰り返したり、小学生でも読めるような漢字・熟語を何度も読み間違えたりしたことで国民の信用を失い、民主党政権が誕生した。そういう人間がまた重要な立場で出てきて、黙っている間は目立たなかったのが、発言する機会が増えたことで、とんでもなく品格に欠け、礼節を心得ない人物であることが明らかになった」
精神科医で評論家の野田正彰・元関西学院大学教授は、麻生氏が首相だったころ、学会などで訪れた欧州でこんな小噺(こばなし)をよく耳にしたという。
「世界で一番難しい言語は、日本語だ」
その心は、総理大臣でも文字を読めないから、という皮肉。そして2009年8月30日、麻生内閣が解散して臨んだ総選挙で自民党は119議席しか取れず惨敗、雪崩を打つように民主党は票数を伸ばし308議席を獲得した歴史的選挙になった。あれからまだ10年経っていないのだ。
野田氏はこう語る。
「セクハラにしてもナチにしても、彼は本心で言っているわけだから、正直ですよね。精神的に追い詰められてというのではなく、表情も病的なわけでもなんでもない。ただ安倍首相の森友・加計学園問題が自分に飛び火してきたのが不愉快だというのがよくわかる、憮然(ぶぜん)とした表情ですよね。彼は昔からずっとこういう調子でしょう」
ではなぜ麻生氏が要職を占め続けているのか。野田氏は言う。
「日本では政治家が優秀で政治をやっているわけではなく、システムでやってきたということ。2週間前に質問条項を事前通告して、答弁も官僚に頼りきりなんて国は日本以外ありません。安倍首相にしても、国会中継を見るだけで、官僚に助けてもらわなければ答弁も判断もできそうもないなという印象を受けます。議会では議長が『○○君』と指名してから発言するスタイルですが、これも真剣に討議をしようという意識を感じられない。事前通告したこと以外質問するなということも含めて、改めるべきでしょう」
自民党内に麻生氏を公然と批判し、退任を求める勢力が存在しないことも、麻生氏を増長させてきた。
前出の森田氏は、小選挙区制の弊害を指摘する。中選挙区時代なら自民党の公認がなくても立候補できて自分の地盤さえつくっておけば当選もできたし、派閥のおかげで公認権も守られていた。
「今は小選挙区で安倍首相がダメだと言えば立候補もできない。だから選挙のときに公認を得られるようにと自民党の中がおとなしくなりすぎている。身を犠牲にして闘う人がいなくなっている」
森田氏はさらに続ける。
「岸田文雄政調会長も安倍首相の禅譲を狙うのか闘うのか右顧左眄(うこさべん)しているようじゃ情けないね。石破茂氏にしても『麻生さんお辞めなさい』とはっきりわかるように言わないと。そんなこともできない自民党は腐り切っていますよ。だから野党にしっかりした総理大臣候補になるようなリーダーがいて、過半数を取りうる候補者を立てられれば、政権交代すると思います。国民に諦めずに政権交代ができるということを伝えられたら、ひっくり返りますよ」 
麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由 2018/5
前財務次官のセクハラ問題を受けて、麻生財務大臣の発言がたびたび物議を醸している。
例えば、既に財務省がセクハラを認定した後になっても、「(福田氏)本人が、ないと言っている以上、あるとはなかなか言えない」「はめられた可能性は否定できない」「セクハラ罪という罪はない」などと、平気で暴言を繰り返している。
発言の一部は、後になって撤回、謝罪したが、自民党のなかからも批判が噴出している。
また、問題発言の撤回や謝罪は、麻生大臣の「お家芸」のようなもので、これまで何度も繰り返しているのに、まったく過去の失敗から学んでいないようだ。
このような発言をするのは、当然、女性に対してのゆがんだ認識、ハラスメント行為や人権に対しての浅い認識があるからであって、そうした自分の問題を改めようという姿勢もないようだ。
事実、財務省で幹部対象に実施されたセクハラ研修にも大臣の姿はなかった。
ここに挙げた問題発言を分析すると、いろいろな特徴が見えてくる。
まず、最初の2つの発言であるが、本人は福田氏を弁護するつもりで、あるいは多様な見方があることを示すつもりでの発言だったのかもしれず、本人なりにいろいろと考えてはいるのだろう。しかし、そこに決定的に欠如しているものがある。
それは、「共感性」である。共感性とは、他者の感情を思いやって、それを共有する能力のことをいう。
こんなことを言えば、聞いている人は何を思い、どう感じるのか、とりわけ被害者はどう感じるのか、こうしたことに思いを馳せることのできる能力のことだ。この能力があれば、あのような暴言は出てこないだろう。
一方、これらの発言を聞いて、不快に思ったり批判をしたりしている多くの人々は、共感性が働いたからこそ、自分とは直接関係がなくても、その発言内容のあまりの酷さに唖然とするのである。
そして当人は、そのことを周囲から批判されても、まったく理解していないかのような顔つきである。
だから、同じ過ちを繰り返すのであるが、いくら言葉で伝えても、心に響いていない様子である。まさに、右から入って左へと抜けているような有様である。
さらに、「セクハラ罪はない」という発言であるが、その後しぶしぶ謝罪したものの、当初は批判を受けても、本人は「事実を述べただけ」と強弁を続けていた。ここにも共感性の欠如は如実に現れている。
たしかに事実を述べただけかもしれないが、それに対して受け取った人がどう感じるかという視点がまったく抜け落ちているのである。
当たり前のことだが、事実であれば何を言ってもいいわけではない。そこには、共感性欠如に加えて、未熟な幼児性とも言える問題が指摘できる。
子どもは、平気で相手の身体的欠陥をあげつらって笑いものにしたり、「言っていいこと」と「悪いこと」の区別がつかず、人前で口にすべきでない言葉を大声で述べて、親をハラハラさせたりする。
例えば、小学生が「ウンコ」などと言って大笑いしている姿は、いつの時代にも見られる幼稚な言動である。
しかし、成長につれて、親のしつけが内面化され社会化が進み、周りの反応などを敏感に察知する能力も身につけて、こうした発言がなくなっていく。これが、大人が身につける分別であり、良識というものだ。
大人が人前で「ウンコ」と言ってみろと言われたら、不安や羞恥心を抱くだろう。現に、この原稿を書いている私もそのような気持ちを感じながら書いている。
「事実を述べただけ」と開き直って強弁する姿には、「嘘じゃないもん。だって本当なんだもん」などと言って、親の言うことをきかない未熟な子どもの姿を重ねてしまう。
ハラハラして不快になっているのは周囲のみで、本人はそれを感じていないのだ。
では、共感性について詳しくみていきたい。
先に簡単に定義したように、一言で言えば他者の心情を思いやる力のことを共感性という。しかし、共感性には2種類あり、この区別は重要だ。
1つは、「認知的共感性」である。これは、相手の気持ちを頭で理解することのできる能力を言う。よく国語の問題などで、「この主人公はどのように感じていたでしょうか」などと問われることがあるが、これは認知的共感性を育むための教育である。
つまりこれは、言葉、表情、しぐさなどから、相手の気持ちを推論する能力である。心理学では「こころの理論」とも呼ばれており、自閉症児などではこの能力に問題があるケースがあるが、教育や治療によって育てることが可能である。いわゆる「忖度」もこのタイプの共感性である。
もう1つは、「情緒的共感性」である。これは、相手の心情を頭で理解するだけではなく、それを追体験し、同じように感じ取る能力のことである。ドラマを観て、登場人物に自分を重ねて感動したり、事件事故の被害者に思いを馳せて涙を流したりするのも、情緒的共感性ゆえのことである。
情緒的共感性の働きは、社会生活や対人関係においてきわめて重要である。この能力があるからこそ、いたずらに他人を傷つけることなく、円滑な関係を発展、維持することができる。また、誰かが困っているときには心の支えになったり、話を聞いて共に悩んだり、喜んだりすることもできる。
麻生大臣のこれまでの発言や、批判に対する対応などを見るとき、これらの双方が欠如していると言わざるを得ない。
さて、ここからは一般論であるが、共感性の欠如はなぜ生じるのだろうか。
まず、認知的共感性であるが、これは成長とともに、親のしつけや教育、友人関係などのなかで「学習」していくものだ。これが、「理性的な関所」となって、自分の発言をチェックするように働く。
しかし、イスラエルの心理学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンが言うように、その働きは、咄嗟のときや、疲労、アルコールなどの影響下では減退しやすい。こうしたときに、失言が出やすくなる。
また、そもそもこのようなしつけや教育がなされていないケースもある。
親が放任していた場合や、無神経な発言をしてもそれが許される環境で育ったような場合も、認知的共感性は育たないだろう。
そのような人は、自分本位の一方的な物の見方しかできず、常に強者の立場で、強者の論理に立った言動を取りがちである。
「理性的な関所」、すなわち認知的共感性は、脳の中の前頭前野と呼ばれる部位にその座があり、ここに障害や機能不全であったりする場合、十分に作用しないことが考えられる。
そして、もう1つの情緒的共感性であるが、これに関連する部位は、前頭前野の下部に位置する眼窩部と呼ばれる皮質である。ここは「温かい脳」とも呼ばれ、良心や感情に関連した働きをする。
さらに、脳のもっと奥にある大脳辺縁系と呼ばれる部位に位置する扁桃体という小さな構造物も、情動の調節をする機能がある。
これらの部位に何らかの異常や機能不全があったとき、温かい人間的な感情の発露が見られなくなる。言葉は理解しても、心に響かないというのは、こうした異常を反映している。
子どもが誰かを傷つける言動をした場合、親や教師から叱責を受ける。また、友達仲間から非難されたり、相手に泣かれたりすることもある。
こうした場合、本人は少なからず動揺する。また、強く叱責されると、心臓の鼓動が高まり、大きな恐怖や不安を抱く。
このように、自分の言動によって、ネガティブな結果が伴うと、以後、その言動を慎むようになる。
これが、基本的な人間行動の原理であり、「学習」と呼ばれるプロセスである。つまり、失敗から学んで思慮分別のある大人になっていく。
このプロセスで重要なことは、不適切な言動は、心拍の増加や不安感情などとペアになって学習されるということである。
したがって、そのあと、同様の言動が頭に浮かんだとき、心拍が増加し、不安を抱くので、それが行動のブレーキとなる。つまり、それが「感情的な関所」として働くようになる。
われわれが、他人を傷つける言動を慎むのは、頭で「いけない」とわかっているからという理由(理性的な関所)もあるが、そのような言動をすることに対する不快感や不安のような感情が作動するから(情緒的な関所)でもある。
かつて、われわれの正しい判断には、理性的で冷静な脳の働きが重要で、感情はそれらの邪魔をするものだととらえられていた。
しかし、ポルトガルの神経科学者アントニオ・ダマシオは、人間の行動には、「感情に基づく判断」も重要な役割を果たすと考え、これを「ソマティック・マーカー(生理的信号)仮説」と呼んだ。
われわれが、他人を傷つけるような言動に出ようとしたとき、不安や心拍亢進のような生理的信号が生起し、それがブレーキとなる。
しかし、前述の眼窩部や扁桃体、あるいは心拍などを調節する自律神経系の機能異常がある場合は、これらが適切に働かない。
すると、何のためらいもなく、無配慮で相手を平然と傷つける言動を繰り返すことになる。これは、うっかりによる「失言」とは質が違う。
そして、そのことで失敗をしたり、周りから誹りを受けたりしても、感情的な動きが伴わないので、学習できずに、同じことを懲りもせずに繰り返してしまう。つまり、このタイプは失敗から学べないので、治らない。
プラトンにしても、アリストテレスにしても、正義を理性の問題としてとらえていた。しかし、繰り返される不正義のなかには、感情の不全による問題が大きいことがわかってきた。
あらためて、正義とは、単に理性の問題ではなく、感情の問題でもある。
ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデルは、その著『これからの「正義」の話をしよう』の中で、「民主的な社会での暮らしのなかには、善と悪、正義と不正義をめぐる意見の対立が満ち満ちている」と述べ、「では、正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の利益が対立する領域で、進むべき道を見つけ出すにはどうすればいいのだろうか」と問いかける。
そしてその解決として、まず自らの正義に関する見解を批判的に検討すべきであることを提唱する。
さらに、従来の理性的な正義感ではなく、「美徳」を涵養することと「共通善」について判断すること重要性を説く。
これは、私なりに解釈すると、正義に対する感情を育てること、個々の相違や不一致を受け入れることのできる共感性を育むことと言い換えることができる。
しかし、既に述べたように、理性的な共感性や正義感を育むことには、教育はある程度の成功を収めてきたが、情緒的共感性や「感情的正義感」については、まだ議論が始まったばかりである。さらに、現時点の神経科学による見通しは、悲観的である。
とはいえ、繰り返されるハラスメントや無神経発言に対抗するために、これからの「正義」の話をするとき、「感情的正義感」という概念は、間違いなく重要なキーワードになってくるだろう。
さて、麻生大臣であるが、5月14日には国会でセクハラ問題に関して、初めて被害女性に陳謝した。続いて、15日には閣議後の記者会見で「大臣としてセクハラを認定した」旨発言した。
これが世論の反発を受けての、しぶしぶの発言なのか、それとも情緒的共感性や感情的正義感に基づく真摯な発言なのか、今後の言動に注目していきたいものである。 
麻生太郎財務相が辞任しない本当の理由 2018/6
公文書改ざんやセクハラ問題など不祥事続きの財務省だが、麻生太郎財務大臣は一向に辞める様子がない。野党やマスコミから批判されても居直るのはどうしてなのか。政治評論家の田原総一朗氏はこれまで、テレビや雑誌連載などで何度も「安倍さんの盾になって政権を守ろうとしているのではないか。麻生さんが辞めれば次は安倍さんが責任追及される」と自説を展開していた。
しかし、現職の自民党参議院議員A氏から話を聞く限り、麻生大臣が辞めないのは「安倍さんを守っている」などという美しい話ではないようだ。
「麻生さんの本音は『安倍の女房のおかげで問題が大きくなって、こっちが責任取らされるのはおかしいだろ』ということ。内輪の人間は彼がそう言っているのを聞いている。要するに、ここで辞めるのはあほらしいという気持ちだ。人情論で言えばそれも理解できるが、麻生さんの政治責任ははっきりしている」(A議員)
理屈で考えればさらに分かりやすい。いま辞めれば“引責辞任”となり経歴が汚れる。麻生大臣はただでさえ、“自民党を下野させた首相”というとてつもなく大きな不名誉をいまも背負っているのだ。
昨年7月、党内第2派閥に躍進した麻生派(志公会)だが、麻生大臣頼みの色合いが強く、有力な派閥領袖の後継者は見当たらない。安倍政権後に“キングメーカー”になることを狙っていると囁かれているいまのタイミングで辞任すれば、せっかく拡大した派閥の求心力に大きく影響する。それどころか、辞任すれば政治生命が終わってしまいかねない。単純に損なのである。
「麻生さんは、一時は『安倍の次はおれだ』と本気で思っていた。さすがに今度の総裁選には出てこないだろうけど、最近はいつ会っても機嫌がいい。いまでも毎晩、腹筋と腕立て伏せを300回ずつ欠かさないというから、意気軒昂だ。居直り一直線だね」(同・議員)
1月に行われた麻生派の新年会では、安倍政権を「一致結束してど真ん中で支える」(麻生大臣)ことを確認したといわれる。その麻生派は「昭恵さんのとばっちりで派閥が冷や飯を食うなんてとんでもない」と団結しているらしい。麻生派のなかでは現在、外務大臣の要職に就く河野太郎氏が脚光を浴びており、小泉純一郎元首相からも「あの男は大化けするかもしれない」との評価を得ている。
「麻生さんは河野を呼んで、『次を狙うなら言動はよく考えて』と注意したらしい。河野はかつての言動をかなり抑えているね。抑えたまま小さくまとまってそのまま進んでしまう危険性もあるが」(同・議員)
毎日新聞が5月26日と27日に実施した世論調査で、内閣支持率は4月の前回調査から1ポイント増の31%とほぼ横ばいだった。不支持率は同1ポイント減の48%。安倍政権に厳しい毎日新聞でもこの数字だから、内閣支持率の下げ止まり傾向は明らかだ。
「安倍さん本人は次も出る気満々。支持率が10%割るとか、よほど落ち込まない限り、出るよ」(同・議員)
麻生大臣の失言に関係なく、安倍首相の3選はもはや確実のようだ。 
麻生氏が入閣? 財務省不祥事の責任を負わずしていいのか 2018/9
「麻生さんは、ボクは入れちゃいけないと思いますよ」(橋下徹・元大阪府知事)
これは、橋下さんが22日、「ウェークアップ! ぷらす」(日本テレビ系)に出演し、語った言葉なんだって。同日のスポーツ報知のニュースサイトに載っていた。
入れちゃいけないというのは、もちろん新安倍内閣にだ。
橋下氏は麻生財務大臣を「すごい政治家」と誉めつつも、「だって麻生さん入れてしまったら、財務省のあのとんでもない不祥事の責任を取らせないのかってことになるじゃないですか」「あの財務省のとんでもない不祥事に納税者としては納得できない」と発言した。
そう、その通りですよ! 森友問題の公文書改ざんという前代未聞のスキャンダルがありながら、大臣は監督責任を負わなくていいのか。
ほかにも、甘利元経済再生相や、小渕元経産相の入閣が噂されているけどさ。
甘利さんといえば、2013年、大臣室で陳情に来た業者から50万円の現金を受け取った人。んでもって、URとの不正が出てくると、睡眠障害といってマスコミから逃げた人。
この人、テレ東の取材で、「日本なんてどうなってもいい、俺の知ったこっちゃない!」って言ったんだよ。さすがにこれにはびっくりだった。なら、なぜ政治家やってんだ、って話じゃん。
小渕さんは、東京地検特捜部の捜査前に、事務所がパソコンのハードディスクにドリルで穴を空け、証拠隠滅しおった。で、〈ドリル優子〉とあだ名までつけられた人。
自民党総裁選、安倍応援団による恫喝やら締め付けがバレてしまい、怖くない自民党を演出するため、石破さんに票を入れた人も一応取り入れなきゃ、っていってもさ。それでいいの?
てか、政治家ってなにをやっても許されるんだろうか?  
麻生財務相の処遇 再任の理由が理解できぬ 2018/9
安倍晋三首相が10月2日に内閣改造を行い、麻生太郎副総理兼財務相と菅義偉官房長官を再任することを表明した。
今回の内閣改造は自民党総裁選で首相が3選されたのに伴うものだ。首相は「しっかりとした土台の上に、できるだけ幅広い人材を登用していきたい」と語っていた。
首相は両氏を「土台」と位置づけたわけだが、麻生氏については財務省不祥事の政治責任をとっていないことを指摘しなければならない。
森友問題で財務省は公文書を改ざんし、1年以上にわたって国会を欺いていた。前代未聞の不祥事だが、麻生氏は職員の処分だけで幕引きを図り、真相究明も棚上げ状態だ。
内閣改造は麻生氏の責任問題にけじめをつける機会となり得る。にもかかわらず再任するのは、不問に付すとわざわざ宣言するのに等しい。
麻生氏は閣僚としての資質を疑わせる失言も繰り返してきた。
財務次官のセクハラ問題では「セクハラ罪という罪はない」と言ってかばった。「G7(主要7カ国)の中で我々は唯一の有色人種」という事実誤認の発言までしている。
「何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」というナチス・ドイツのユダヤ人迫害を理解するかのような昨年の失言は、政権の国際的な信頼を揺るがしかねないものだった。
それでも首相は麻生氏を続投させるという。「アベノミクスを二人三脚で進めてきた」と語っており、この点を理由として説明したいようだ。だが、アベノミクスの中核は日銀による金融緩和であり、デフレ脱却の物価目標も達成できていない。
本当に余人をもって代え難いのかは疑問である。
麻生氏は森友問題で矢面に立たされても首相を支える姿勢を崩さなかった。首相と麻生氏が個人的な信頼関係で結ばれていることはわかる。
だからといって、納得のいく説明なしの再任は内向きの人事だ。
自民党総裁選の党員票で石破茂元幹事長が45%を得たのは、森友問題を含む首相の政権運営に対する「批判票」と受け止めるべきだ。
だが、麻生氏は「どこが(石破氏の)善戦なんだ」と意に介さない。首相も同じ認識なのだろうか。 
麻生氏留任「体質変わらぬ」 「安倍一強」人事に市民ら怒りの声 2018/10
2日発足した安倍改造内閣には入閣待機組12人が起用されたが、公文書改ざんやセクハラ問題など不祥事にまみれた財務省では、麻生太郎氏がまたしても副総理兼財務相にとどまった。自民党役員人事では、安倍晋三首相の側近で「政治とカネ」の問題が取りざたされた甘利明氏と下村博文氏が表舞台に返り咲き、それぞれ党四役の選挙対策委員長、党憲法改正推進本部長に就いた。安倍首相のお友だちなら何をしても許されるのか。市民や識者からは「国民はなめられている」と怒りの声が上がった。
「ふさわしいか、ふさわしくないかは自分で決めるんではなくて、国民のご意見で決められる」。組閣前の二日昼ごろ、記者会見に臨んだ麻生氏。予算編成など今後の課題を饒舌(じょうぜつ)に語っていたのが一転、大臣としての適性を問われると、こわばった表情を見せた。
森友学園への国有地売却を巡る公文書改ざんでは、佐川宣寿(のぶひさ)前国税庁長官が辞任し、職員二十人が処分、自殺者も出た。セクハラ問題で最高幹部の福田淳一前次官も辞任したが、自らの進退は「考えていない」と居直っていた。この日の会見では「公文書改ざんの話が一番いろんな意味で大きな時間を費やした。反省を含めて一番特筆すべき話」と簡単に触れた。
閣僚名簿発表後、東京・霞が関の財務省前を歩いていた東京都小平市の無職綱川鋼(はがね)さん(68)は「セクハラ問題は男性から見ても恥ずかしく、麻生さんの留任はとんでもないが、安倍さんが変わらないと体質は変わらない」と手厳しい。
JR新橋駅前で夫を待っていた町田市の主婦大月恵さん(36)は「セクハラ問題で責任を取らないなんて、普通の企業だったらあり得ない。そんな会社では働きたくない」とあきれ顔。中央省庁と日常的に取引のあるシステムエンジニアの男性(44)は「改ざん問題のときは社内でも『改ざんをしていたなら、トップが知らないはずない。ウチらだったら、おとがめなしはまずないよね』と話題になった」と明かした。
仕事帰りにスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO(ゴー)」をしていた江東区の女性会社員(57)は「(不祥事があるたびに)毎回こりゃないでしょと思っても辞めない。結局安倍さんが無理やり押し切ってるから、国民が不満を言ったところでどうしようもない」とため息をついた。
すねに傷を持つ甘利、下村両氏は、国会で野党の批判を受けざるを得ない閣僚ではなく、党幹部として復権した。
加計学園の問題を追及した著書のあるノンフィクション作家森功さんは「政治とカネの疑惑にほおかむりし、政治不信を招いた張本人たちを登用した党人事だ」と断じる。
下村氏には加計学園側からの違法献金疑惑がある。今度は改憲論議の取りまとめ役を担うが、森さんは「(政治資金パーティー券の費用を受け取った)当時は文部科学相。約束した説明を果たしていない。それで国家の根幹を決める憲法改正の議論をリードできるのか」と疑問を呈した。
「代わりばえがしない。本来は責任をとるべき人たちのことを居座らせている」と指摘するのは、ジャーナリストの青木理(おさむ)さんだ。
千葉県内の建設会社側から計百万円を大臣室などで受領したことを認めて辞任した甘利氏の党要職就任について「百万円をもらった説明責任を果たしていない。刑事責任を問われなければ何でも許されるのか」と批判。その上で「公文書改ざんも不起訴だったが、本来なら麻生氏も安倍首相も責任がないとはならない」と強調した。 
麻生太郎財務相が「子どもを産まないのが問題」発言 2019/2
麻生太郎副総理兼財務相が、また暴言を吐いた。3日に福岡県でおこなわれた会合において、少子高齢化問題について、こう発言したのだ。
「いかにも年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいるけど、間違っていますよ。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」
子どもを産まなかったほうが問題──。あらためて指摘するまでもなく、この発言は、男女問わず、子どもをつくりたくてもできない不妊に悩む人びとや、個人の権利として子どもをもつことを選択しない人びとに対する暴言だ。
いや、そもそもこの安倍政権下においては、非正規という不安定雇用が増加の一途を辿り、賃金も伸びず、長時間労働に晒されている人びとにとっては、とても子どもを産み、育てることを考えられるような状況にない。そうした貧困と格差が広がる状況にあって改善策を打ち出すどころか、社会保障費をガンガン削り、さらに生活を圧迫する消費税増税を進めようという麻生財務相こそ、少子化問題の“諸悪の根源”ではないか。
しかも、きょうおこなわれた衆院予算委員会でこの問題を立憲民主党・大串博志議員が追及した際、麻生財務相はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべる始末。これには大串議員も「なに笑っているんですか!」と声を荒げたが、ようするに何の反省もしていないのである。
それはそうだろう。麻生財務相は2014年12月にも衆院選の演説で社会保障費の増加について「高齢者が悪いというようなイメージをつくっている人が多いが、子どもを産まないのが問題だ」と発言しているが、結局、謝罪もせずに逃げ切った。このときの釈明もひどいものだった。
「子どもを産みたくても産めない、親が働いたときに保育をしてくれる所がないといった理由で、結果的に産まないことが問題なのであって、少子高齢化になって、高齢者が長生きするのが問題だと言われるのは話が違うと申し上げた」
待機児童がここまで社会問題になっているというのに、“子どもを預けるところがないから産まないのは問題”って……。このときも安倍首相は待機児童ゼロを政策目標に掲げていたが、にもかかわらずこの暴言をスルーして麻生財務相には何のお咎めもなかった。
また、麻生氏が首相在任中だった2009年には、学生から“若者には結婚するお金がないから結婚が進まず少子化になっているのでは?”と問われた際、こんなことも口にしている。
「金がねえなら、結婚しないほうがいい」
「稼ぎが全然なくて尊敬の対象になるかというと、よほどのなんか相手でないとなかなか難しいんじゃないか」
若者の貧困化が社会問題になっていたこの時期に、若者から直接、構造的問題点を指摘されたというのに、「金がないなら結婚しないほうがいい」と返答する無神経さ──。しかも、このとき麻生氏は“稼ぐ男性=女性から尊敬される対象”という文脈で語っており、経済的強者であることが男の価値だと強制する家父長制的役割分担を前提にしていた。こうした旧態依然とした考え方が、男性の家事・育児参加を阻害して女性がそれらを押し付けられるという社会的不平等を生み、この構造が女性の社会進出を妨げて経済的にも阻害要因となっているということに、麻生氏はまったく気付いていないのである。
そもそも、麻生氏の政治家としての歴史は「暴言の歴史」と言ってもいいほどで、昨年だけでも、福田淳一前財務事務次官セクハラ問題で「はめられた可能性は否定できない」などと被害者女性があたかもハニートラップをしかけたようなデマを口にしたり、「福田の人権はなしってわけですか」「セクハラ罪っていう罪はない」「殺人とか強制わいせつとは違う」と加害者である福田前次官を擁護。森友公文書改ざん問題では「個人の資質が大きい」と言い放ち、昨年11月には元民主党の北橋健・北九州市長にかんして「人の税金を使って東大へ行った」と述べ、教育への公的支出を否定した。
だが、麻生氏の暴言のなかでも看過できないのが、「医療自己責任論」だ。
昨年10月にも麻生財務相は「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」と述べ、問題となったが、麻生氏が医療費を槍玉にあげて弱者を攻撃した例は枚挙に暇がない。
「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」(2008年11月20日経済財政諮問会議で)
「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」
「こいつが将来病気になったら医療費を払うのかと、無性に腹が立つときがある」(2013年4月24日都内会合で)
これらの暴言は、2016年に問題となった長谷川豊氏の「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」「自堕落な生活で人工透析患者になったハナクソ同然のバカ患者」という自己責任論とまったく同じ。いや、麻生氏は財務相という医療費を検討する行政のトップであり、長谷川氏以上に発言への責任は重い。
さらに、麻生財務相が暴言による攻撃のターゲットにしてきたのは、高齢者の終末医療についてだ。2013年11月21日に開かれた政府の社会保障制度改革国民会議では、麻生財務相は高齢者の終末医療にかんして、こんな暴言を放っている。
「政府のお金で(高額医療を)やってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない」
つまり、麻生財務相は、高額医療にかかる高齢者は「さっさと死ね」と言っているのだ。その上、このとき麻生財務相は患者のことを「チューブの人間」と表現した上、「私はそういうことをしてもらう必要はない、さっさと死ぬからと(遺書に)書いて渡している」と述べたという(毎日新聞2013年11月22日付)。
今回の「子どもを産まなかったほうが問題」発言の前に、麻生財務相は「いかにも年寄りが悪いという変な野郎がいっぱいいる」と言っていたが、麻生財務相こそ「変な野郎」そのものだったというわけだ。
「子どもを産まない」国民を攻撃し、一方で高齢者に医療を受けさせるな、と主張する──。麻生財相といえば、2017年に「ヒトラーの動機は正しかった」という趣旨の暴言もあったが、実際にナチスの優生政策とそっくりな欲望を持っているということなのだろう。
しかし、最大の問題は、こうした暴言を吐きながら、この男が辞任にも追い込まれず、いまなお副総理兼財務相の座に居座りつづけていることだ。そして、暴言を吐いた為政者がその責任をとらされないことによって、その暴言は正当化されて、状況をますます悪化させている。
現に、その弊害は顕著な例となって昨年、表面化した。社会学者の古市憲寿氏は、安楽死をテーマにした小説「平成くん、さようなら」(「文學界」2018年9月号)を発表し第160回芥川賞の候補にノミネートされたが、この作品をめぐってセッティングされた落合陽一氏との対談(「文學界」2019年1月号/文藝春秋)では、ふたりから“終末期医療、とくに最後の1カ月の医療は金の無駄だ”“社会保障費削減のためにやめたほうがいい”という主張が繰り出された。
本サイトでは古市氏と落合氏の主張について、財務省の“社会保障費カット論”のペテンに丸乗りしていると批判したが、そのトップこそが麻生財務相である。そして、このような個人として当然保障されるべき生きる権利や尊厳を奪おうとする暴論が、いまやしたり顔の「自称・リアリスト」たちに支持されて、当然のように流通するようになってしまった。
その要因には、麻生氏が国民の当然の権利を奪う明白な暴言を吐いても責任をとらず、野放しになってきたことが影響しているのは間違いない。
本サイトでは何度も警鐘を鳴らしてきたが、再度言いたい。多くの国民が麻生氏の暴言に慣れすぎて「また失言か」などと見過ごすかもしれないが、暴言の責任をしっかりとらせなくては、その暴言はこの国において「認められる発言」になってしまうのである。こんな男をのさばらせつづけるのは、あまりにも異常であり、危険だ。 
ウケ狙いで弱者を嗤う"失言大魔王"麻生氏 2019/2
永田町で「失言大魔王」の異名をとる麻生太郎副総理兼財務相。暴言を吐いたからといって、いまさら驚く人は少ないかもしれない。しかし、今回ばかりは開いた口がふさがらない。
2月3日、少子化問題に関連して「子どもを産まないほうが問題だ」と発言。子どもを産む機会がなかった女性が聞いたら不快に思う大問題発言だ。
実は麻生氏は2014年にも、ほぼ同じ内容を発言して、撤回している。1人の政治家が同じ失言を2度して2度撤回に追い込まれたのは史上初のことだろう。
問題の発言は2月3日、地元福岡県芦屋町で行った国政報告会で飛び出した。
「平均寿命が高くなっている。素晴らしいことですよ。いかにも年寄りが年とったのが悪いという変なのがいるが、間違っている。子どもを産まなかったほうが問題なんだから」
麻生氏の発言は、少子高齢化の責任を、子どものいない夫婦や独身女性に押しつけるようなものだ。産みたくても産めない人、経済的な事情で子どもを養うことができない人の心を逆なでしたのは言うまでもない。
暴言、失言の中には、使う言葉は不適切だが、発言全体の文脈を読めばある程度理解される例もあるが、今回の麻生発言は「即アウト」の部類に入る。
4日、衆院予算委員会で野党から批判を受け「誤解を受けたのなら撤回する」としたが謝罪はせず。5日、同じく衆院予算委員会で追及をされると「不快に思われた方がいるとすればおわび申し上げる」と、ついに陳謝した。後手後手の対応に野党だけでなく与党からも批判の声が上がる。特に公明党の山口那津男委員長は「極めて不適切だ」とかんかんだ。
麻生氏と失言、暴言は切っても切り離せない。学者や弁護士らでつくる「公的発言におけるジェンダー差別を許さない会」が行った18年のジェンダーに関する問題発言のインターネット投票で、麻生氏は1位に選ばれた。
「受賞作」は、財務事務次官の女性記者に対するセクハラ行為に関連し「嫌なら(女性は)その場から帰ればいい」と語った発言。麻生氏は昨年、「本人が(セクハラ被害を)申し出てこなければどうしようもない」「セクハラ罪はない」などの発言もしている。
麻生氏の失言は、ウケ狙いの軽口が弱者への配慮を著しく欠いていて批判を受けるというパターンが多い。
「90歳になって『老後が心配』とか訳のわかんないこと言っている人がテレビに出てたけど、いつまで生きてるつもりだよ」というような発言をすると、会場は笑いに包まれるのは事実だ。毒舌のお笑い芸人なら、それでいいのだが、笑いによって傷つくような発言は、政治家は絶対にしてはならない。そのことは十分承知しているはずなのに懲りない。
驚くべきことだが麻生氏は「子どもを産まないほうが問題だ」という発言は2014年にもしている。12月7日、札幌市内で演説し「(少子高齢化問題は)高齢者が悪いというようなイメージをつくっている人が多いが、子どもを産まないのが問題だ」と語っている。今回の発言とほぼ全文同じ。そして、批判を受けて撤回した。その経緯まで同じだ。
これまで、失言、暴言を繰り返す政治家は何人もいる。古くは森喜朗元首相、最近では桜田義孝五輪担当相らが有名だ。しかし、さすがの彼らも同じ発言を2度繰り返すようなことはしない。そういう意味で麻生氏は、「史上初」なのだ。
麻生氏は7日に成立した2018年度第2次補正予算、そしてこれから審議入りする19年度予算案の所管閣僚だ。審議に影響を及ぼさないように言動は慎重を期すべき立場。にもかかわらず、自ら率先して失言している。
麻生氏と同じ福岡県が地盤だった山崎拓元党幹事長は6日ラジオ番組で「麻生さんは浮世離れした政治家。常識は元々欠けていましたけど最近はちょっとぼけ老人になりましたね。上から目線でずっときているから、ああいう発言が次々出てくる」と語ったという。2人がライバル関係だったことを差し引いても山崎氏の「麻生評」は出色だ。
中央政界での麻生氏の立場は最近微妙になっている。お膝元の福岡県は4月に知事選を控える。自民党は元厚生労働官僚の新人・武内和久氏の推薦を決めているが、現職の小川洋氏も出馬を決意。自民党の一部国会議員は小川氏を推す構えで保守分裂選挙となる。
小川氏はもともと自民党の支援を受けていたが16年の衆院福岡6区補選の対応を巡り麻生氏の不興を買った。そういった経緯から自民党は今回、小川氏を推さず武内氏の支援を決めたのだが、結果として保守分裂選挙となってしまった。もし武内氏が敗れることになれば麻生氏の求心力低下は避けられない。
さらに深刻なのは、小川氏が二階俊博幹事長や菅義偉官房長官と近いことだ。福岡の自民党分裂はそのまま中央に波及し、麻生氏と二階氏、菅氏という安倍晋三首相を支える3人の重鎮の関係を微妙にしている。
菅氏は14年に麻生氏が「子どもを産まないのが問題だ」と発言をした時は「全く問題ない」と擁護している。
今回の発言を受けコメントを求められた時には「必要に応じて麻生氏自身が説明すると思う。コメントは差し控える」と述べた。今回の発言のほうが突き放しているように聞こえるのは考えすぎだろうか。
スタイリッシュで若く見える麻生氏だが78歳になった。17年ごろまでは、安倍内閣の支持が急落すると決まって「ワンポイント・リリーフで麻生政権」というような観測があったが、最近はそういう声も上がらない。そもそも安倍氏が2021年秋までの総裁任期前に辞任するような展開は今のところ考えにくい。21年秋には麻生氏は81歳になってしまう。
麻生氏の永田町での存在感が日に日にやせ細っていくのは避けられない。注目されるのが問題発言だけ、ということになってしまうのは、あまりにも寂しい。 
安倍1強政権に浮上する「麻生太郎」リスク 2019/2
底が見えない統計不正問題で政府与党が防戦を強いられる中、安倍晋三首相を支える大黒柱、麻生太郎・副総理兼財務相の「自分勝手な行動と失言」(自民幹部)が、政権運営の悩みの種となっている。
主要野党の政権攻撃に「火に油を注いだ」(自民国対)のが、麻生氏の「産まない方が問題」という失言。野党がすぐさま予算委員会審議で追及し、麻生氏は渋々発言を撤回して謝罪した。麻生氏の地元の福岡県知事選では、前回まで与党が推薦していた現職知事の対立候補を擁立し、強引な手法で党推薦を決めて「保守分裂選挙」を主導。実力者・麻生氏の横車が統一地方選での自民党の戦略を混乱させている。
福岡県知事選は統一地方選前半戦の4月7日に投開票される10道県知事選(3月1日告示)の一つだ。当初は過去2回の選挙で圧勝してきた小川洋知事(69)の無風当選が確実視されていた。しかし、麻生氏が自民党福岡県連を動かし、側近で元厚生労働官僚の武内和久氏(47)を担いだことで状況が一変した。同県連は昨年末に武内氏の擁立を決定し、1月末には麻生氏自らが安倍首相や二階俊博幹事長らを強引に説き伏せ、自民党本部の武内氏推薦を取り付けた。このため、選挙戦は現職の小川氏と武内氏が激突する保守分裂選挙に陥った。
武内氏の推薦決定には地元選出の武田良太衆院議員(二階派)ら自民3議員が反発して、小川氏支持を公言。現職推薦を決めていた県町村会など自民党支援団体も小川氏を支援する方向だ。さらに、政界引退後も地元福岡への影響力を保持する山崎拓元副総裁(石原派)や古賀誠元幹事長(岸田派)も、麻生氏の対応への不満から小川氏を支援する構えだ。
このため、「麻生VS反麻生」で福岡の保守陣営が真っ二つに分裂するという異常事態となった。しかも、自民党の事前世論調査では、小川氏が武内氏を含めた他候補を圧倒している。自民党本部も「保守分裂では参院選への悪影響は避けられない」(選対幹部)と頭を抱えている。
麻生氏が今回、強引に竹内氏擁立に動いた背景には、小川現知事への恨みがあるとされる。そもそも小川氏は、麻生氏が首相時代の内閣広報官を務めるなど、麻生氏の身内だった。しかし、鳩山邦夫元法相の死去に伴う2016年夏の衆院福岡6区補選が保守分裂選挙となった際、麻生氏が推した新人候補(落選)を小川氏が支援しなかったことなどに麻生氏が激怒、それを機に「小川降ろし」に傾いたとみられている。
小川氏は昨年12月下旬に3選を目指して正式に出馬表明した。麻生氏は側近の自民県連幹部を動かして武内氏の県連推薦を決める一方、武田氏らは別途、小川氏の推薦を党本部に働きかけた。しかし、安倍首相は麻生氏に押し切られ、二階氏や甘利明・選対委員長も武内氏の推薦を認めざるを得なかった。
関係者によると、麻生氏は首相らに対し「推薦がとれないなら副総理を辞める」と凄み、首相も「そこまでいうなら」と麻生氏の顔を立てたという。このため、負け戦を懸念する党本部選対も「あとは福岡に責任をとってもらう」と不満を露わにする。
2016年の福岡6区補選で当選した鳩山二郎氏(故邦夫氏の二男、二階派)は、二階幹事長や菅義偉官房長官らの支援を受けていた。小川氏の対応もそれを踏まえていたとされ、今回の保守分裂はその因縁を引きずっている。このため、党本部は「麻生さんさえ我慢すれば丸く収まったのに、これでは統一地方選後半戦や参院選での結束も困難になる」と顔をしかめる。
統一地方選における知事選は、福岡だけでなく福井、島根、徳島各県も「保守分裂の戦い」となりつつある。候補者調整の最高責任者である甘利氏も「地域ごとの結束を固めるのが重要」と1本化を模索しているが、福岡で首相や党執行部が麻生氏に押し切られたことで「他の3県の一本化も困難」との見方が広がる。これまで小川氏を支持してきた公明党も困惑を隠せず、与党の結束にもほころびが出始めている。
そうした最中の2月3日に飛び出したのが、福岡での会合における麻生氏の失言だ。少子高齢化問題に言及した際、「子供を産まなかった方が問題」と発言。4日に始まった衆院予算委審議で早速野党側が追及、麻生氏も「誤解を生み、不快に思われる方がいるとすれば、申し訳なかった」と謝罪した。
麻生氏は5日の記者会見でも「産まなくなっちゃったという事実があるという話をしただけ。それを一部女性の方が不快に思われるのなら、おわび申し上げます」とし、「誤解を招く発言が多いのは注意しないといけない」と反省の弁も語った。
ただ、麻生氏の態度には、野党側は「『間違えていた。反省しています』というのが謝罪。でも、麻生さんの本心ではないから、何度も失言が出てくる。『誤解を与えたのであれば謝る』というのはひきょうだ」(松沢成文・希望の党代表)など反発は収まらない。
麻生氏は昨年も失言や暴言を繰り返して政局を混乱させた。前代未聞の不祥事となった「森友学園問題」をめぐる公文書改ざん事件について、財務相トップとして改ざんの理由を問われると「それが分かれば苦労しない。それがわからないからみな苦労している」と言い放ち、記者団をあきれさせた。
さらに、昨年4月初めに暴露された財務省の福田淳一事務次官(当時)の女性記者への「セクハラ」問題でも、「セクハラ罪という罪はない」「(女性記者に)嵌められて訴えられているんじゃないかとか、ご意見はいっぱいある」などと発言して世間の猛反発を受けた。こうした失言癖について野党は「何度も何度も何度も繰り返す。まさにアホウ太郎だ」(社民党幹部)と切り捨てる。
麻生氏は菅官房長官とともに2012年末の第2次安倍政権発足以来の「内閣の大黒柱」だ。首相経験者で首相の後見人も自任する麻生氏は「首相の精神安定剤」(側近)とされる。だからこそ、昨年10月の党・内閣人事で、安倍首相は周囲の不安を押し切って麻生氏を続投させた。ただ、その首相にとっても麻生氏の失言癖は頭痛の種で、首相周辺も「秘書官などを通じて、麻生氏に反省を促す場面もある」と苦笑する。
今年の政局は内政外交とも「何があってもおかしくない」(自民長老)という波乱含みの展開が続く。8日から始まった衆院予算委での来年度予算案の審議も、統計不正問題の展開次第では根本匠厚労相の更迭にも追い込まれかねない。もし根本氏が辞任すれば、公文書改ざん事件でも辞めなかった麻生氏が野党の標的になる。それに伴い首相の泣き所であるモリカケ疑惑も、改めて野党に攻撃される可能性が大きい。
それだけに、首相サイドも「とにかく、麻生氏の隠忍自重を祈るしかない」(側近)と肩をすくめるが、麻生氏をよく知る山崎元副総裁は6日のラジオ番組で「麻生さんは元々常識が欠けていた。恵まれて育ちすぎて、上から目線でずっときているから、ああいう発言が次々出てくる」と冷たく突き放した。参院選に向け当分は「安全運転に徹する」という首相にとって、統計不正と並んで「麻生太郎リスク」が政権運営の不安要因に浮上してきた。 
 
石破茂

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、水月会会長、自由民主党水産総合調査会顧問。防衛庁長官(第68代・第69代)、防衛大臣(第4代)、農林水産大臣(第49代)、自由民主党政務調査会長(第52代)、自由民主党幹事長(第46代)、内閣府特命担当大臣(国家戦略特別区域)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、さわらび会会長、無派閥連絡会顧問、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。父は、建設事務次官、鳥取県知事、参議院議員、自治大臣などを歴任した石破二朗。

獣医学部新設の4条件に関する発言
2017年7月18日付けの産経新聞で、2015年9月に日本獣医師政治連盟委員長の北村直人と日本獣医師会会長の蔵内勇夫が、国家戦略特区を担当していた石破と面会した際、同特区における獣医学部新設4条件作成に関して石破が、「学部の新設条件は大変苦慮しましたが、練りに練って、誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にしました」と発言したとの報道があったが、石破はそうした事実はなかったと否定した。なお、この石破が発言したとされる内容とほぼ同じ文章が、2年前の2015年11月の日本獣医師会雑誌に存在し、そこでは獣医師会の会議報告での北村の発言として、石破からそういった趣旨の話を聞いたという形で掲載されている。北村はこのことに対して週刊誌の取材で、「会議で多少、成果を誇示する表現で報告することはある。あれは石破さんの実際の発言ではなく、私の説明を獣医師会の事務局がまとめたもの。産経はこの会議報告をみて、想像を膨らませて書いたのではないか」と述べ、石破の実際の発言ではないと否定している。また、同産経記事では2014年7月に新潟市が国家戦略特区に獣医学部新設を申請し、ほどなく却下されたことについて、北村が石破に働きかけ、石破が「特区にはなじまないよな」と同調したとされるが、石破は「全く存じ上げない」と否定している。なお、日本獣医師会は石破をはじめ、複数の大臣に対して獣医学部新設反対のためのロビー活動を行っており、2015年6月22日の平成27年度第2回理事会の北村と蔵内の報告では、石破や麻生太郎財務大臣、下村博文文部科学大臣と折衝した結果、獣医学部新設4条件について、「一つ大きな壁を作っていただいている状況である」、「いくつかの規制がかけられた」との見解を示している。
石破派の抗議
石破派は、石破が日本獣医師会幹部らと面会した際、学部新設条件について「誰がどのような形でも現実的には参入は困難という文言にした」と述べたとする産経新聞の報道について、「発言は事実ではない」と主張している。また、党幹事長室が加計学園の獣医学部新設問題に関する産経新聞の記事を党所属の全議員にメールで配布した事について、不適切であるとして抗議をおこなった。同派の平将明衆院議員は記者会見で「石破氏が獣医学部新設を阻止したような印象を与える。党内対立をあおるような形でメールを出すのは不適切だ」と批判し、同派の古川禎久事務総長も「この記事が党の見解だと誤解を招く恐れがある」と撤回を要求した。
東京電力からの献金
東京電力や関連企業がパーティー券購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を政治資金収支報告書に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた。
道路運送経営研究会からの献金
道路特定財源が資金源の一つになっている道路運送経営研究会(道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている。
外国人が経営する企業からの献金
石破が代表を務める自民党鳥取県第1選挙区支部が、在日韓国人が経営する鳥取市内のパチンコ企業から2006年から2011年にかけて合計75万円の政治献金を受けていたことが2012年10月に報じられた。石破側は2011年3月に、この企業の経営者が韓国籍であることが判明したため、外国人が株式や出資金の過半数を保有する企業からの献金を禁じている政治資金規正法に抵触すると判断し、全額を返金していた。石破は、献金者は日本名を使用しており、韓国籍とは知らなかったと説明した。
日本獣医師政治連盟からの献金
日本獣医師政治連盟は自民党政権奪還の2012年12月以降、石破茂の「自民党鳥取県第一選挙区支部」に100万円を献金している。  
閣僚の失言? 石破茂「心構えないまま舞い上がっている」 2011/9
衆議院議員で自民党の石破茂氏は2011年9月10日、BSジャパン「勝間和代#デキビジ」の収録で、新閣僚の失言が相次いでいる原因を分析した。石破氏によると、大臣という要職に就くことで舞い上がった気持ちを抑えきれていない点と、答弁などを官僚に任せられなくなったこの時代に、それぞれの分野を得意とする人材を大臣に充てることができていない点が挙げられるという。
番組収録の冒頭、司会の勝間和代氏は「(前)経産相の鉢呂(吉雄)さんの発言、その前の一川(保夫)さん(防衛大臣)の『素人なので』という発言、さらにその前には平野(博文)さん(国対委員長)の『内閣そのものがまだ不完全なので』」など、新閣僚の発言が次々と問題視されたことについて、その原因はどこにあるのか石破氏にたずねた。
石破氏はまず、「閣僚になる心構えができていない」ことがひとつの原因であると話した。自身の経験から、「大臣になると、突然秘書官がやってきて、SP(身辺を警護する警察官)さんが付いて、ドでかい車が出てきて、ドでかい部屋があって、手をたたいて迎えられる。『大臣、大臣』と言われる。それを夢にまで見た人もいるわけで、やっぱり普通、人間舞い上がるでしょう」とした上で、だからこそ「舞い上がってはいけない」と自分に強く言い聞かせる必要があると語った。
石破氏はまた、自らは小学生時代からテレビで内閣改造を見ており、新大臣が「この分野はよく知りませんがよく勉強して...」と語るのを聞くと、「なんじゃこりゃ。大臣ってこれから勉強するんだ」と子供心に不思議に思っていたという。しかし石破氏によると、当時は「経済が高度成長している。そして冷戦構造で米ソ(アメリカとソビエト連邦)のバランスが取れており、紛争が起きにくい状況だった」ため、大臣は「素人」でもよかった面があるという。また具体的には、「予算委員会で、以前は局長とか部長とか審議官が答弁していたが、今は大臣以外の答弁は許さないってことになっている。これまでの大臣みたいに、(官僚に)書かれたものを読んでいればいいって話にはならないわけです」と分析。つまり、当時の大臣は「"お飾り"でよかった」(勝間氏)面があるが、時代が変わったにもかかわらず、その閣僚人事のあり方を継続してしまっていることもひとつの原因であるという見解だ。
石破氏は野田佳彦総理大臣の閣僚人事について、「この人がこの分野に一番向いてるという人をはめたとは、到底思えない。個人の誹謗中傷するつもりはまったく無いが、財務をやったことがない人が財務大臣、防衛をやったことがない人が防衛大臣、農政畑の人が経産大臣。それで、『素人だがこれでいいのだ』と言って正当化するのは、ちょっと理解できないですね」と批判した。  
言論の自由など 2017/4
経産政務官の辞任・離党に続き、復興大臣の失言・辞任という事態で今週も国会は変則的な運営となりました。私自身、閣僚や党役員の時、少なくとも二回、失言・撤回・陳謝という失態を演じており、偉そうに他人様のことを批判できる立場にはおりませんが、同じことを言っても一般人とそれなりの責任ある立場にある者は受け止められ方が全く異なるのであり、マスコミを批判してもどうなるものでもありません。全体ではなく片言隻句こそが批判の対象となるのであって、それを十分承知の上で、どこを切り取られて報道されてもいいように注意しなければならないということなのだと思います。どれほど悪意に満ちた報道であっても、報道があってこその民主主義なのだと割り切る他はありません。本来は「健全な」報道があってこそ、と言いたくもなりますが、「健全」とは何か、明確な解はありません。立法・司法・行政間のように相互牽制に基づくチェック機能が働かない第四の権力であるマスコミ各位には、それだけの見識と矜持を期待したいものです。
同様に、誤解や曲解に基づく批判にはきちんと反論すべきであって、黙殺や泣き寝入りはすべきではありませんが、ためにする批判や誹謗中傷、罵詈雑言に対しては対応すればするほど相手の術中に嵌るという面もあります。ゆえに「言論の自由」とはとても困難なテーマですが、報道が権力に迎合することこそが最も恐ろしい結果を招くのだと思っております。国際NGO「国境なき記者団」によれば我が国の報道の自由度は対象180ヶ国中72位、G7の中では最下位なのだそうで、評価の基準についての議論はあるものの、権力側も、報道の側も、これを真摯に受け止める必要がありそうです。
内閣や党の支持率がそう大きく下がらないのは、その実績もさることながら、北朝鮮の動向などを強く意識した国民の大多数が「やはり野党にこの国の安全を任せるわけにはいかない」と感じていることも一因でしょう。民主党政権時代の安全保障体制は、鳩山・菅政権では総理ご自身が門外漢でしたし、野田政権では総理の見識は前二者に比べれば遥かに優れてはいたものの、一川・田中両防衛大臣は目も当てられない有り様でした。閣僚をはじめとする枢要ポストの人選は、当選年次や年齢のみならず、その分野の政策や担当省庁の内情に通暁した人を起用するのも国家・国民のためというものでしょう。
明日から連休期間に入りますが、28日は自民党長崎県連長崎市第8選挙区支部での講演(午後6時半・ホテルニュー長崎)。29日土曜日は「激論!クロスファイア」出演(午前10時・BS朝日・収録)、ユースデモクラシー「デジタル憲法フォーラム」にて講演と質疑。30日日曜日は鳥取県調理師連合会「惣和会」発会式(正午・倉吉シティホテル)、自民党三朝町支部総会にて講演(午後1時半・プランナールみささ)。3日憲法記念日はテレビ大阪「わざわざ言うテレビ」収録(午後5時・都内)、「プライムニュース」出演(午後8時・BSフジ)。7日日曜日は宮城県気仙沼市の漁業に関するヒアリング、「日本と気仙沼の水産を考える会」で講演、その後のレセプション(午後3時半〜・南三陸ホテル観洋)、水産実務指導者との懇談会(午後7時半・気仙沼市内)、という日程です。
5月3日憲法記念日の「プライムニュース」では憲法について共産党の小池晃書記局長と討論の予定です。小池議員とは委員会やテレビで何度か議論したことはありますが、このような形で討論するのは初めてです。防衛庁長官や防衛大臣在任中、共産党の質問に対しては最も時間を割き、機関誌「前衛」や「しんぶん赤旗」などを丹念に読みました。共産党は我々とは思想や立場が全く異なりますが、理論的には一貫し、精緻なものがあるのでいつも手強い相手でした。良い機会なので、きちんと準備して臨みたいと思っています。
閣僚でもなく、党三役でもなく、海外出張の予定もない連休は何年振りでしょう。読みたかった本や論文を読み、ここのところ不調が続いた体調管理にも努めたいと思っています。この時期の議員の海外出張は物見遊山的と批判されますが、閣僚の時も党三役の時もすべて機中泊、一日の会議や会談が10件近くという超過密スケジュールでした。真面目に務めている議員が多い中、一部の者のためにすべてがそう見られてしまうのは残念なことです。まだ当選一・二回生の頃、挨拶廻りや地区の会合に出かける前の早朝に自分で運転して、初夏の山陰海岸の景色を楽しんでいた頃が懐かしく思い出されます。 
石破茂が安倍応援団メディアを敢然と批判! 2018/8/21
安倍首相の総裁選に向けた運動が激化している。公務そっちのけで地方議員との面談に精を出し、休暇中も総理経験者らとのゴルフ・会食にフル回転。昨日には、山梨の別荘からわざわざ都内で開かれた日本会議地方議員連盟の結成10周年を記念したイベント「アジア地方議員フォーラム日本大会」に駆け付け、挨拶を済ませると再び別荘に戻っている。
そうした“売り込み”活動の一方で激しさを増しているのが、対抗馬である石破茂・自民党元幹事長への“恫喝”だ。
安倍陣営は「人事で徹底的に干す」と脅すことで石破派の切り崩しに必死で、本サイトでも伝えてきたように、政府機関である内閣情報調査室を私物化して動かし、石破氏の動向を調査。16日放送『報道ステーション』(テレビ朝日)によると、安倍陣営は地方での石破氏の講演会にまで「石破を呼ぶな」と圧力をかけては潰しているのだという。
さらに、目に余るのは、御用メディアや安倍応援団たちの“石破バッシング”だ。たとえば、産経新聞は昨日朝刊1面で今月15日に笹川陽平・日本財団会長の別荘でおこなわれた森喜朗、小泉純一郎、麻生太郎という総理経験者たちと安倍首相の会食の“裏話”を掲載。会食時に細川護熙連立政権の話となり、離党者が相次いだことを森と小泉が振り返ったといい、記事はそのときの離党者のひとりが石破氏であると言及。その上で、麻生が呟いたという「そういう苦しい時こそ人間性がわかるんですよ」という言葉で締められている。
差別的な暴言を吐きつづけている麻生に他人の「人間性」をとやかく言う資格などどこにもないのだが、そもそも安倍首相はここまで露骨な総裁選の運動を展開しておいて、いまだに出馬表明はしていない。これは石破氏との討論を避けるために逃げているとしか思えないが、そんな姑息な人間を棚に上げて、石破氏の「人間性」に問題があると暗に仄めかす記事を1面トップで掲載するのだから、産経はいいかげん「安倍日報」に名前を変えたほうがいいだろう。
だが、このようなあからさまな嫌がらせを受けている石破氏は、積極的にメディアに出演。本日も、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)に出演し、安倍首相に対する批判をおこなったのだが、これがネット上で反響を呼んでいる。
たとえば、前述した産経の報道について曜日レギュラーコメンテーターのジャーナリスト・青木理氏が触れ、「僕はある種、異様な記事だなと思った」と言うと、石破氏はこう述べた。
「メディアと権力って一定の距離を置いてきたはずなんですね。どちら寄りということはもちろんあるにしても、どちらかの代弁人ではなかったと思っている。私はメディアと権力が一体となっているときってすごく怖いと思っています。それは民主主義のためにはあってはいけないこと」
「メディアのなかでもたぶん、いろんな意見はあるんでしょう。ただ、いろんな意見を言ったらば、同じようにね、『君、出世させないよ』とか、そういうことがあるとすれば、メディアのなかでも同じような構造が起こりつつあるのかもしれないなと」
石破氏が述べた「同じようにね」というのは、総裁選において安倍陣営が「人事で干す」と恫喝していることを指しているのだろう。つまり、安倍政権がメディアの報道に介入し忖度を強いてきたことは民主主義に反する行為であり、いまではその構造がメディア内部にも浸透してしまったのではないか。そう石破氏は指摘するのだ。
さらに石破氏は、「日本の設計図そのものを変えていかないと国が次の時代に存続できない」「そのときに『政府の言っていることって信頼できるよね』と思ってもらえなかったら、設計図の書き換えなんてできない」と言及。森友の公文書改ざん問題しかり、政策論以前に安倍政権には信頼性がないということを突きつけたのだ。
メディアと権力が一体化することは絶対にあってはならないこと、国民の信頼を裏切る政権に政策論はできない──。石破氏が言っていることは、ごくごく当たり前、基本のキの話でしかない。それは改憲の問題にしても同じだ。
石破氏はよく知られているように改憲論者であり、交戦権の否認を謳う9条2項の削除を訴えている。こうした石破氏の主張は「戦争できる国づくり」の第一歩でしかないが、一方で安倍首相が訴えている「1・2項はそのまま、3項で自衛隊を明記する」という3項加憲案は、一見ソフトに見えてじつは2項の戦力の不保持と交戦権の否認を空文化しようとする危険なものだ。ようするに、安倍首相は2項削除では反発を受けて改憲ができないと踏み、3項加憲という国民に危険を悟らせない騙しの手口で自分の任期中の改憲を急ごうとしているだけなのだ。
きょうの番組でも、安倍首相が秋の臨時国会でこの9条加憲案を提出する姿勢を見せていることについて石破氏は、9条改憲は「日本国憲法の3大原理・平和主義に関わること」だと強調した上で、改憲にいたるプロセスの重要性を語った。
「賛成・反対は別としてですよ、きちんと説明する義務があるんじゃないですか。その上で判断していただく義務があるんじゃないですか。努力もしないで『どうせ通らない』『どうせダメだ』『政治は結果だ』、私はやっちゃいけないことだと思っています。一生懸命説明して、それでも理解が得られなかったら、仕方がないですよ。その努力をしないままに『どうせわからないから』というやり方は、私はとらない」
「去年の憲法記念日に総理がビデオメッセージで(9条3項加憲案を)おっしゃった。『どういうことですか』と訊いた人に、総理は『それは新聞読んでください』とおっしゃった。みんながその新聞読んでるわけじゃないんです。ほかの新聞読んでる人もいっぱいいるんです。そんな言い方ってありますか! 何度も何度も『総理は自分の言葉で説明してください』『新聞読んでくれじゃなくて自民党の議員の前で説明してください』とお願いしました。1度もやってくれない」
「議論というのは、Aはこう言い、Bはこう言い、Cはこう言う、その意見をたたかわせるのが議論です。みんなが言いっ放しで『はい、みなさん意見言いましたね。終わりましたね』と、それを議論とは言わない」
「みんながいろんな意見を言いました。意見が異なっています。じゃあ、そこで公論をかわす。『あなたのそこはおかしいでしょ』『いえ、おかしくないです』と、それが議論です。みんなが意見を開陳しましたというのは意見表明であって、議論とは言わないです」
国民に改憲の内容や意味をしっかり説明する義務を果たし、それでも理解が得られないなら、議論を交わす。──石破氏が訴えていることは、やはり当たり前の話だ。だが、このごくごく当然の主張が「きちんと」しているように見えるのは、それだけ安倍政権による反知性、国民無視、強権的姿勢に慣らされてしまった結果だと言えるだろう。改憲の姿勢にしても、コメンテーターの玉川徹氏は「僕と考え方は違うのかもしれないけど、少なくとも石破さん、姑息じゃない」と言っていたが、まさにその通りで、安倍首相のように国民を騙そうとはしていない。
いや、それどころか、石破氏が質問を受けて意見を答える、ただそれだけのことが、「会話が成立している」としてネット上では評価に繋がっている。質問をはぐらかしたり、意味のわからないたとえ話をはじめたり、訊かれていないことを答えたり、「まさに」「ですから」「いわば」というフレーズを空疎に繰り返すなど、中身のない“安倍論法”を聴かされつづけてきた側としては、会話が成り立っているというだけで「ずっとマシ」だと思えてしまうのだ。
番組では、司会の羽鳥慎一が「たいへん厳しい状況だと言われていますが、それでも(総裁選に)出るというのは、どういうお気持ちなんですか?」と質問すると、石破氏は「出なきゃいけないからです」と即答。羽鳥が「なんでですか?」と畳みかけると、こう答えた。
「誰もここでものを言わなかったら、どうなるんですか? ほんと、どうなるんですか? 国民がそう思っていて、党内にもそういう意見があって、誰もそれを言わなかったら、民主主義ってどうなるんですか?」
石破氏は「そういう」「それ」とぼかしているが、ここで石破氏が言っているのは「安倍首相のやり方はおかしい」ということだ。普通に考えれば、友だちへの優遇や公文書の改ざん、自衛隊日報の隠蔽などが発覚してもなお3選を目指していること自体が異常であって、この石破氏の危機感は極めて真っ当だろう。
だが、問題は、この「安倍首相のやり方はおかしい」という当たり前の指摘、「安倍首相のままでいいのか」という危機感を、メディアは伝えようとしないということだ。きょうのこの『モーニングショー』にしても、石破氏を迎えたコーナーでは冒頭から「総裁選のキーマンは小泉進次郎・筆頭副幹事長」だとして、羽鳥と細川隆三・テレ朝政治部デスクが「最近、(進次カ氏と)連絡は取れているんですか?」などと何度も質問。言うまでもなく総裁選なのだから、重要なテーマは安倍首相の政策や政治姿勢に対する石破氏の意見なのに、番組は昨日出演した田崎史郎氏が主張した「(進次カ氏は)安倍総理支持」「何でも自分一人でやろうとする石破氏に総理が務まるのか支持にためらいがある」などという安倍陣営に寄った情報を石破氏にぶつけるなど、かなりの時間を進次カ氏の話題に費やしたのだ。
石破氏による当たり前の主張が真っ当に見えてしまう原因は、こうしたメディアの安倍政権への忖度と、なんでも「政局」に置き換える報道にもあるのだろう。 
石破茂氏「派閥否定はしない」1 2018/8/23
自民党総裁選(9月7日告示、20日投開票)に出馬する石破茂・元幹事長(61)が、日刊スポーツのインタビューに応じた。安倍晋三首相(63)の周辺が、石破氏との討論に消極的とされることについて、「討論の場を国民に提供するのは義務」と、くぎを刺した。国会議員の7割が首相支持といわれ、総裁選も「安倍1強」だが、「ものを言うために議員になった。やらないなら政治家の意味はない」と覚悟を示した。主な一問一答は以下の通り。
−出馬表明からまもなく2週間。早く首相と討論をしたいのではないですか
石破氏 今、国会は閉会中で、国会日程に拘束されることはない。総理大臣は日本国の全責任を担い、いろんなご負担もある。ただ、米国の大統領は日本よりもっと責任が重いですが、討論の機会があれば必ず、出ます。自民党の総裁選びではありますが、実質的には日本の総理大臣選び。自民党員だけでなく、広く国民に何が問題か、政治のあり方、それぞれの政策について多くの人が知りたいテーマはある。国民の前に、候補者が自分の思いを述べることは、民主主義、国民のために必要ではないか。義務だと思う
−「劣勢」「逆風」と言われても出馬する
石破氏 自民党総裁選は、国会議員20人の推薦がないと出られない。私は3度目。そのたびに20人集めるのは大変ですが、ありがたいことに20人が集まっていただいている。これでやらなかったら政治家でいる意味がないと思う。同じ自民党だから、安倍さんと私でものすごく政策が違うはずはないですが、政治のやり方、経済政策など、かなり違います。自民党員の中でも、「それは石破さんの方が正しい」と思っている方もいる。
−孤独ではないですか
石破氏 そんなことはありません。この時も同志が一生懸命やってくれている。
−首相支持の派閥が、早くも人事の話をしているという話も出ています
石破氏 人間社会だから裏ではいろんなことがあるでしょうし、あったんでしょうが、選挙の前から、対立候補を応援したらポストをあげないとか、冷遇とか。そんな自民党は今まで見たことはありません。
−ものを言わない自民党への危機感は
石破氏 ものを言うために議員になっているのではないですか。単に、賛成を言うためなったんですか。総裁の覚えめでたく、比例区の上位に掲載される人はごくたまにいますが、少なくとも小選挙区の議員は総裁に任命されたのではない。有権者に支持されて出てきた。自民党でも、有権者にもいろんな意見がある。国会の場で代弁するために出てきたから「代議士」という。それをやらないなら、政治家としての意味はないと私は思います。
−主要派閥は首相を支持。今も「派閥の論理」で流れが決まる
石破氏 私は派閥を否定したことはありません。でもかつての自民党の派閥は、小さな派閥でも領袖(りょうしゅう)を総理にしようとやった。今、派閥で出ると言っているのは、私だけ。それに安倍さんの政策を見ずに、支持を決める。自分の派からは候補を出さす、でも、支持するからポストはちょうだいね、と。それは、かつての自民党ではありません。支持するかは政策で決める。でも今は、上が決めたら「分かりました」です。
石破茂氏「批判を許さない自民党」2
−安倍政権の約6年をどう評価しますか
石破氏 最初の2年は幹事長、次の2年は大臣として、安倍政権の中枢にいました。幹事長時代はあまり感じたことはないですが、地方創生大臣になった時、会見で「自民党は感じ悪いよねと言われないようにしなければ」と何度か言いました。かつて自民党が野党に転落したのは、政策が間違っていたからではない。消えた年金問題、閣僚のスキャンダル、相次ぐ失言…。立ち振る舞いが嫌われたと思う。そう言われないよう、気をつけないといけないと。自民党は今、圧倒的多数を持っているように見えますが、投票率は5割、得票率は4割。かけ算をすると、積極的な自民党の支持者は2割くらいしかいない。それ以外の有権者が、自民党をどう思うかが大事です。だから「感じ悪いねと言われないように」と言ったら、許さないと。批判を許さない自民党は、今まで見たことがない。若いころは、先輩に「若い議員こそが批判をしろ、お前たちがいちばん国民に近い」と言われたものでした。
−国民の支持は石破さんの方が高いが、自民党支持層の支持は安倍首相に逆転するという世論調査の結果もありました
石破氏 国民全体がどう思うかは大事だと思う。国民と自民党員の意識が乖離(かいり)するのはいいことではないでしょうね。
−どう戦いますか
石破氏 きちんとした討論の機会をつくることです。憲法、外交安全保障、金融財政や経済政策、社会保障。大きく4つくらいテーマを分けられる。だけど総裁の周辺は、やりたくないという(話を聞く)。だったら、仕方ない。こちらができるだけメディアや街頭で訴えるしかない。その計画も立てています。
−大学時代には、全国学生法律討論会で1位に
石破氏 私たちは「言葉」が仕事。学者ではありません。野党時代、政調会長や予算委員会の筆頭理事として、民主党政権と議論しましたが、見ている方が、「自民党が言うことの方が正しい」と思ってもらうことが大事と考えていた。大臣として答弁に立つ時も、どうやって分かってもらおうかと。政治家にとって絶対に外せないことです。
−その部分が安倍政権に足りないから、キャッチフレーズは「正直 公正 石破茂」になったのですか
石破氏 国民と正面から向き合いましょうよということ。相手が野党でも、誠心誠意接しなければいけない。後ろには多くの国民がいるのですから。経済が伸びて人口も増える時は、そんなに政策を間違えようがない。でも、あと80年で日本の人口は半分に、高齢化の比率は倍になる。設計図を書き換えないと、この国は持続できない。そういう時に、正面から向き合わないでどうしますか。「信用できない」といわれてどうしますか。そこを、いちばん訴えたいと思います。
石破茂氏「小泉純一郎さんは天才」3
−小泉進次郎筆頭副幹事長への支持働きかけは
石破氏 小泉さんは存在感があり、もう若手の幹部です。手練手管を使って(働きかけて)どうするんだと思う。安倍さんが示す日本図と政治のやり方、私が示す日本図と政治のやり方。そのどちらに賛同するかでしょうね。今まで彼といっしょに仕事をしてきた。そういうこと(連絡)ができないわけではないが、手練手管で支持してほしいという話ではありません。
−夏の高校野球は
石破氏 見ているひまはなかったね。
−インスタグラムには、猫を抱いた写真が
石破氏 猫カフェにいって、石破に猫がなつくかどうかという雑誌の特集で(撮影した)。猫がわらいました。
−猫にはなつかれる
石破氏 そうですねー。なぜでしょう(笑い)。
−験担ぎはしますか
石破氏 しません。普段通りです。
−総理は夏休みの期間、ゴルフをしていました
石破氏 私はやらなくなって何年になるかな。12〜13年、していない。86年7月7日の衆院選で当選し、29歳で議員になった。2、3日後、友人と早朝ゴルフに行くと、「石破さんもいい身分だね。もうゴルフかい」と言われたことがありました。そのひとことが、すごく響いた。地元鳥取では休みの時、パブリックで自分で担いでいくから当時、3000円くらいでできた。40前半で回れていたこともある。でも、少なくとも半日かかる。その時間があったら、どこか地方にいけるよねと思います。総理がリフレッシュでゴルフをすることは、まったく否定しません。それで元気になって国政にまい進してくれれば、日本のためだと思います。
−理想の総理像は
石破氏 田中角栄首相がいなければ、今の自分はない。政治家になるつもりはまったくありませんでしたが、父の葬儀委員長をやっていただき、君が衆院議員になれと言われ、ひっくり返るほど驚いた。あの人は人ではない、「神」だからね。本当に報いを求めない。頭のよさも判断力もずばぬけていた。ロッキード選挙の時、田中派の議員に「自分は田中派だが、田中派は許せないと言って当選してこい」と。そんな度量があった。竹下登さんは、あそこまで忍耐に忍耐を重ね、あんなに気配りができる人はいなかった。
お仕えした総理では、小泉純一郎さんは、本当に天才。私は小泉さんと徹底的に対立していましたが、突如として私を防衛庁長官にすると。人の好き嫌いは関係なく、だれをどう使うことが日本のためになるか。そんな判断ができた方でした。橋本龍太郎さんは本当にチャーミングな方。小渕恵三さんは、国のために命をかけた。福田康夫さんは上司にするならこの人と思いました。半歩でも近づけたらいいなと思いますが、なかなか難しい。
−気分転換は。キャンディーズなど70年代アイドルを聴いたりすることは
石破氏 ないですね。ただ、一瞬だけ、昔のフォークやアイドルもののCDを聴く時かな。テレビは見なくなりましたがNHKのアーカイブスやアマゾンプライムで、昔の映画が見られる。1日に15分だけ、映画のさわりだけ見ると、ふっと日常のいやなこと満載を忘れるというか。そういうところはありますよね。 
石破茂「安倍総理の後は誰かがやらなきゃ。その覚悟はある」 2019/7/8
安倍晋三首相は2021年9月に自民党総裁任期満了を迎えるが、自民党内からは早くも「4選」を求める声も出ている。
そこで文春オンラインでは「次期首相になってほしいのは誰ですか?」という アンケートを実施 。安倍首相(4選)、小泉進次郎厚労部会長、菅義偉官房長官、岸田文雄政調会長らを抑え、堂々の1位になったのが、石破茂元幹事長だった。
昨年秋の総裁選で安倍首相に敗れている石破氏は、この結果をどう受け止めるのか。そして「ポスト安倍レース」への覚悟はあるのか。その戦略はどうなのか。週刊文春編集局長の新谷学が石破氏に切り込んだ。
――「ポスト安倍に誰がふさわしいか」というアンケートをやりまして、応募総数が802。そのなかで1位が石破さん、191票。2位が小泉進次郎さん、177票……。
石破 肉薄。
――3位が安倍さん(4選)、126票。4位が菅さん、89票。5位が岸田さんと河野太郎さん、50票で並ぶ。まず率直なご感想をお聞きできますか。
石破 それだけ期待してくださっている方が多いというのはありがたいことです。「いや、私のような浅学非才が」、ということは許されないのだろうと思っています。私は「(総理総裁に)なりたい、なりたい」と言ったことは実は一度もない。ただ、総理総裁でなければできないと思う仕事がある時に逃げちゃいけないっていうことなんですね。小泉総理、福田総理、麻生総理、安倍総理、4人の総理に閣僚としてお仕えしました。あるいは竹下総理、小渕総理、羽田総理……間近で見た総理もいました。それはもう本当に激務、命を削る仕事です。ご存知の通り、プライバシーなどはどこにもなく、ご批判を浴びることばかり。お金が儲かるわけでもない。私、大臣は何度もやりましたけど、「総理、どうしましょうか」「総理、ご判断を」と言いますもんね。総理は誰にも言えない。だけど、未来永劫続く政権はないし、安倍総理の後は誰かがやらなきゃいけない。これだけ長く続いた政権の次に、「財政どうする?」「金融政策どうする?」「社会保障どうする?」「安全保障どうする?」「憲法をどうする?」、それらを一つ一つ国民に説明しながら、みんながパチパチ手をたたくような解決なんかできるはずがない。だけど、誰かがやらなきゃいかんことだろうと思っている。このアンケートのようなご支持があって、もう33年も国会議員の議席を与えていただき、閣僚も6年やって、幹事長も政調会長もやって……「いいえ、私はやりません」「そんなつもりありません」とか、そんなことは言ったらいかんだろう、ということです。
――安倍総理の任期に伴って、遅くとも2021年には総裁選があります。出馬されるご意向は現時点ではどうでしょうか。
石破 そんな先のことはわかりませんが、いま例として申し上げたような課題がその時にも課題として残されているとすれば、誰かがそれを手掛けなければならない。財政、金融、社会保障、安全保障、憲法――解決策が見えていて、国民も「そうだそうだ」と言えればいいんですけど、そうなっていない場合にはもう一度考えなければいかんということです。
―一方で、アンケートでは「安倍総理の驕りが出ている」など政権に対しての批判的な声が石破さんに集まったという印象もあります。石破さんは憲政史上最長にもなろうとしている安倍政権について、現時点でどういう評価をされていますか。
石破 支持率が高いというのはいいことです。だけど、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」というご発言があったり、国会答弁における挑発的なおっしゃり方があったり、違和感を感じている国民がいるとすれば、より丁寧に当たらなければならない。
――そういう安倍さんの政治手法に対する違和感を石破さんが表現されると、「党内野党のようなことを言うな」「党内の融和を乱すな」というような批判を受けることもありますよね。
石破 いや、毎日といっていいぐらい受けてますよ(苦笑)。
――先ほど「ポスト安倍」について、場合によっては逃げずに背負われる覚悟があることは伺いました。そして誰もが認める「政策通」の石破さんですけれど、現実、総裁選に打って出ようとなったときに、どれだけ人が集まるのか。いま安倍さんが石破さんをいじめているという言い方がいいかどうかわかりませんが、「派閥のパーティーに来ない」「派閥の領袖を集めて石破さんは呼ばない」ということがある。安倍一強と言われる状況で、石破さんは孤立しているようにも見えます。
石破 そこは私の足りないところなんだと思います。総裁選の前あたりから、斎藤隆夫代議士について少し調べるようになりました。
――昭和15年、太平洋戦争を控えた帝国議会で「反軍演説」を行った政治家です。
石破 その斎藤隆夫代議士です。彼は保守政治家そのもので、愛国者でした。だからこそ収拾がつかない日中戦争へ疑問を呈する演説をする。あれは決して「反軍」ではありません。議場では万雷の拍手だったのにもかかわらず、1カ月後に彼の除名決議が行われて、それに反対した者は7名しかいなかった。でも、いまでも燦然と斎藤隆夫という名前は残っている。つまり、「あの時代でも、本当のことを言った人が少なくともいたよな」と後世に評価されることも一つの生き方なのではないかと思ったわけです。一方で、それは自己満足と言うんだよ、政治家なんだから世の中を変えなきゃ意味がないでしょ、という批判も当然にあります。そんなことも意識しながら、去年秋の総裁選に臨みました。震災対応による3日間の短縮、後半になってしまったテレビ討論、少なかった街頭演説……制約はありましたが、できるだけ丁寧に、自らの思っていること、訴えるべきことを真摯に訴えようと努力したつもりです。結果として党員票の45%をいただくことができました。
――確かに、前回総裁選での党員票45%というのは非常に重い。それだけの支持を得ているにもかかわらず、国会議員票が伸びなかった(※安倍総理329票、石破氏73票)。2012年の総裁選もそうでした。党員票では石破さんは勝っていたのに、議員票で逆転された。この現象をどう受け取っていますか。
石破 なにしろ現職の総理と一騎打ちという構図ですからね。私も33年議席をお預かりしてきて、国会議員の動機の一端は分かるつもりです。私自身、若い頃は政務次官というものになってみたかったし、副大臣も、一度でいいから大臣というものもやってみたいと思ったことがありました。そういう気持ちがある人は、やはり現職に投じるものだと思いますね。それでも72人もの方が支持してくれたことを心から感謝しています。私は昔、政治改革の頃、小泉(純一郎)先生に逆らいまくって、それなのに小泉内閣で防衛庁長官を拝命しました。小泉総理は「いま誰を使えば政策が実現できるか」を第一に考えられたのだと思います。だけど安倍総理の周辺には、第一次安倍政権の教訓で「そんなこと言ってたら政権は維持できない」という思いがあるのかもしれません。とにかく政権を維持するためには何が必要か、という発想もあるのかもしれない。それでも、世論が大きく動く時には、国会議員も抗えないものです。これまた鮮明に覚えていますが、小泉先生対橋本龍太郎先生という総裁選がありました。
――2001年の総裁選ですね。
石破 当時、私も鳥取県じゅうで「小泉先生が総裁になったら日本も終わりだ」などと言ってました。でも結果、橋本先生が党員票で勝ったのは、野中先生の京都、青木先生の島根、ご自身の岡山、それから普天間返還をクリントン大統領との間で合意した沖縄、それと鳥取だけでした。ほとんどの国会議員は橋本支持だったのに、圧倒的に小泉先生が勝っちゃった。
――あのときは小泉さんが田中真紀子さんと一緒に「自民党をぶっこわす」と言って、大きな風を国民レベルで吹かせ、国会議員が抗えなくなった。そういう意味で、今回のアンケートでは石破さんが1位、僅差の2位が小泉進次郎さん。たとえば石破さんと小泉進次郎さんが組んで旗を掲げれば、ものすごく大きなうねりが生まれるかもしれません。
石破 そうかもしれません。
――その小泉進次郎さんへの評価は? いま石破さんとの関係性はどうなんでしょうか?
石破 私は、小泉進次郎さんはいずれ総理をやる人だろうと思っています。小泉さんとは当選以来、いろんな場面で一緒に仕事をしてきました。そういう中で、ほんとにすごいなと思ったことが何度もあるんです。だから、私の個人的な経験に照らしても、いつか総理になる人なんだと思うし、そのために私ができることはしていきたいと思っています。とても知名度の高い議員だから、今でも「大臣になりたい」と言えばなれるのでしょうけど、ポストに関しては慎重で、まだ副大臣もやっていない。ご自身が一番わかっておられる様子ではありますが、やはり総理大臣になるには閣僚や党役を務めないと見えないものもあるし、いきなりポンと総理になると、それは日本国にとってもご本人にとっても十分な結果とならない危険性がある。いろんな経験を積みながら、周りをきちんと固めて、来たる「小泉進次郎政権」は盤石なものとして、この国のために働いていただきたいと思う。それまでの間、先ほどから申し述べているような数々の課題に取り組まなければならない。たとえ石もて追われても、一つでも二つでも片づけて、少しでも将来の課題を減らしていかなきゃいけないと思っています。
――安倍さんの後、小泉進次郎さんの前を務める方が極めて重要な役割を担うと。
石破 そう思います。その間は、誰がやっても何人やっても大変でしょうが、必要なことだと思っています。小泉さんは2012年の総裁選でも、私を支持してくれたそうです。投票した後に「実は私は石破さんに入れたんだ」と言ってくれました。
――口止めを厳重にされたというふうに聞いています。
石破 それは分かりませんが、昨年は投票直前に「石破さんに入れる」と言ってくれました。つまり、「一緒に酒を飲んだから」とか、「自分のところに頻繁に挨拶に来たから」とか、そういうことで判断する人ではないということでしょうね。小泉さんに限りませんが、この国をこれから担う議員たちがどう判断していくかというのも大切ですね。将来、自分が総理にならなければできないことがある、という判断をするのか。なにが国のためだと思うか。
――定期的にお会いになって意見交換は今もされているんですか。
石破 個人的に誰にどう会って、というお話は差し控えさせていただきまして(笑)。ただ、鮮烈に覚えているエピソードをご紹介します。自民党が野党時代、私が政調会長だったとき、移動する列車の中で2人だけになったことがありました。その時に小泉さんに「政調会長、税制について勉強したいんですけど、何を読んだらいいですか」と訊かれました。実は、国会議員からそんなふうに訊かれたのは初めてで、強く印象に残りました。むしろ、こちらからお薦めしてもあまり読んでもらえないことの方が多かったからです。たとえば防衛庁長官を拝命していた頃に、防衛関係の議員にいくつか推薦の本をお渡ししたことがありましたが、その後「読みましたよ」と言ってくれる人はいませんでした。けれども、小泉さんは自分で勉強する人なんですね。それもすごいことだと思います。もちろん今後、政策について意見交換とか、そういうこともあるでしょうが、基本的にはまず自分でお考えになる人なんじゃないでしょうか。政策だけじゃなく、政局的なことについても、これから日本の国はどうあるべきか、ということを考えながら判断をするんだろうな、と思っています。
――令和への改元以降、にわかにポスト安倍として注目が高まる菅義偉官房長官ですけれど、政治家・菅さんに対する評価はどうですか?
石破 そんなに深く付き合ったことはありませんが、自民党の野党時代、安倍先生が総理になる前の4カ月間は、私が幹事長で菅さんが幹事長代行でした。一緒に戦って、政権奪還して良かったね、という思いを共有して、同志だと思いました。菅さんは安倍政権をつくるために一番働いた方だし、内閣のためにいろいろな批判を浴びながらずっと支えておられる。それは立派なことだと思っています。ただ、菅さんが国家観や憲法、安全保障について話されたのを聞いたことがないので、判断のしようがないですね。一緒にやった仕事でいえば、地方創生やふるさと納税、そういう個別の政策判断も的確だし、神奈川県内での選挙のやり方などを見ていても、さすがだと思います。この国をどうするんだという全体像についてはまだ判断できないですね。
――確かに、菅さんの憲法の話は聞いたことないです。
石破 もちろん、ずっと官房長官でおられるから、語ることもできませんよね。もし現在の権力構造を継承するとすれば、もっともふさわしい方の一人でしょう。
――たとえば他にポスト安倍として名前が挙がる岸田さんは国家観について語られていますか。
石破 岸田さんとは同じ昭和32年生まれなんです。私と、石原伸晃さんと、岸田さんと、中谷元さん、同じ年生まれという縁があって、定期的に4人で会ったりもしています。ですから人柄がすごくいいということはよく知っています。判断もクリアですね。だけど、やはり「この国をどうする」という全体像については、今まで外務大臣とか政調会長とかいう立場だったこともあるでしょうが、もう少し語っていただけると、今後さらに存在感が増すでしょうね。
――あえて石破さんに対する、今まで聞いてきたネガティブな話をします。防衛大臣時代、極めて細かいところまで通じていらっしゃる、それはいいところでもあるけれど、一方で“マイクロマネジメント”というか、重箱の隅までつつかれて辟易というような幹部もいました。
石破 防衛大臣が他の大臣と違うのは、自衛隊という実力組織をお預かりしているということです。自衛隊法に記されていない行動は1ミリたりとも取れないのが自衛隊なのですから、まずはその根拠法を知らなければ指揮のしようがないんです。次に装備。戦闘機、護衛艦、戦車、どんな性能を持っているかを知らないと作戦が理解できない。そして日米安保条約、日米地位協定を知らないと、米軍との関係がわからない。防衛省の幹部の方々からそういう批判があることは不徳の致すところですが、一方で「だから議論ができた」と言ってくださる方々もおられました。
――これまで「良きに計らえ」のような大臣が続いてきたことで、防衛省内でも細かいところまで勉強されることに慣れていない。
石破 そうだったのかもしれません。でも、防衛大臣、防衛庁長官というのは、他の大臣と違うからだ、と私は思っています。農林水産省からそんな批判はないはずです(笑)。
――確かにそうですね。あともう一つ批判というか、石破さんが安倍政権の幹事長をされている頃に安倍さんなりが「石破さんは人間に興味がないんだよね」「お金の使い方がよくわかっていないみたいだ」ということを言っていたようですけれど。
石破 そうなんですか。人間に興味って何でしょう。
――おそらく、私の理解では、安倍さんは毎晩毎晩、会合を2階建て、3階建てと入れて、こまめに若手の面倒を見て、兵を養い、自分が勝負するときの準備をしていると。石破さんは恐らくその間、本を読んだり、政策の勉強をされていた。その違いでしょうか。
石破 人間に興味がないわけではないです(笑)。ただ私は、若手のことを考える、というときに、選挙で当選することを最優先に考えてあげたいと思っているんです。大臣のときも、あるいは無役になってからも選挙の応援は相当行っているほうだと思う。
――4月の統一地方選もずいぶん回られていましたね。
石破 26都府県を回りました。町長選挙にも行きました。もちろん会合を開いて親しく交流する、それもいいんでしょう。でも私は国会議員にとって何よりも大事な選挙、それを重視したい。だから応援に行くときは、すごく分厚い資料を用意します。市町村単位です。そこの人口動態――あと何年で人口が何人になるか、20代、30代の若い女性が何%減るか、あるいは名産は何か、おいしいラーメン屋さんはどこか……。
――そこでオタク的な気質が。
石破 そういうことを言うと演説で沸くわけ。
――なるほど。だからよく調べる。
石破 うちの●●ラーメンをよく知っていてくれた、◎◎寿司屋を名指しで挙げてくれた、とか。そこまでうちの地域を知って、応援に来てくれたんだと思ってもらえるようにする。それは膨大な準備が要ります。選挙中の応援では、私は会場でも街頭でも演説するけれど、あわせてできるだけ選挙カーに乗ります。自分でマイクを持って「私が石破であります。私が●●候補の応援にまいりました」と言って車を走らせれば、あらかじめ会場に集まる人の何十倍の人に知らせることができる。「あっ、石破が来たんだね」と思ってもらえる。ほんとに親友というのか、仲間というのか、「日本国はこうあるべきだ」と語りあえるような人は、たしかにそんなに大勢はいないと思います。うちの水月会のグループ(石破派)とか、他派閥でも応援してくれた人とか、それが73人という数字なのかもしれません。だけどひとつ、国会議員であれば誰でも共通しているのは、選挙に通らなければ、ということ。私は、そこでお手伝いをすることを重視したいと思っています。
――毎晩料亭で夜な夜なみたいな、永田町的な人付き合いというのはそんなにお好きじゃないんですか。
石破 いや、嫌いじゃないけど、1年365日、1日24時間しかない。それをやっているとちゃんと資料を読めなくなる。選挙応援が通り一遍になっちゃうんですよね。山形市であろうが、霧島市であろうが、四條畷市だろうが、同じ話をしちゃう。そうすると票は増えないわけ。どうやってその候補の票を増やそうかということを考えた時に、地域のことを十分に知っている、だからこそ「ここにこの人が必要なんです!」と自信を持って言える、そういう展開をしないと、その人を当選させる力にならないんです。
――伺っていると、総裁選での党員票と議員票のギャップの謎が解けたような気がしました。
石破 それが謎の答えです(笑)。
――確かに地方の方々とお話をしていると、いろいろな小さい会合にも石破さんはいらっしゃって、一人ひとりにお酌して回ってみたいなことはよく聞きますし、地方での人気はすごく高いという実感があります。一方で永田町へ戻ってきて議員の方々に聞くと、「党内野党だ」「あそこまで言っちゃダメだ」と言う人もいる。このギャップが大きい。
石破 そうなんでしょうね。でも「党内野党」と批判される方も、ご地元でいろいろな話を有権者の皆さんから聞いたら、おそらく私と同じことを皆さんはおっしゃっていないでしょうか。国会議員は有権者から議席をお預かりしている。だから国会での議論を地元に伝えることも大事ですが、地元の意見を中央に伝えるのも大事なことでしょう。宮沢内閣の不信任に賛成票を入れたり、新進党に行ったり、自民党に戻ったり、第一次安倍内閣のときに「キングの会」、小坂憲次のK、石破のI、中谷のN、後藤田正純のG、この4人で安倍総理に責任を迫ったり。それはこんなことしないほうが絶対得ですって。
――麻生政権のときも与謝野馨さんと一緒に「辞めろ」って言っていました(笑)。
石破 そうでした。これは権力者の怒りは買うし、自分にとって得することは何もない。だけど政治家というのは、国民の代表として、おかしいことはおかしいって言うためにいるんじゃないんでしょうか。私が安倍総理に責任を問うたときは、参議院選で自民党がぼろ負けしたとき(2007年)でした。まさか自分の鳥取県で負けると思わなかったです。県連会長だったので終わった後はほんとにお詫び回りでした。そうしたら、今までずっと自民党に入れてきた人が「今度だけは民主党に入れた」と言っていた。落選した現職の参議院議員も、自分がスキャンダルを起こしたわけでもなく、不真面目に仕事をしたわけでもなく、一生懸命やってきたのに、自分の努力と何の関係もないところで落ちる。その責任を誰もとらないのはおかしい、という気持ちでした。
――そろそろお時間なんですけれど、昨年の総裁選で石破さんに投票した議員72人の顔は全員把握できているんですか。
石破 数人を除いて。どうしても分からない方がおられます。
――政治は最終的に数が力です。その数を増やしていく努力は個別にされたりするんですか。
石破 できるだけ努力したいと思います。参議院平成研を中心とする、総裁選で力を貸してくれた方々の選挙は、全面的にお手伝いしたい。先ほども話に出ましたが、この間の統一地方選挙でも、お世話になった地方議員のところはできるだけ行きました。
――選挙で勝たせてあげることが鍵になってくる。
石破 あとは選挙とは関係なく、地方で地方創生などの講演会をやるんで来てくださいと言われたら行きます。この間行った大分県竹田市でも、人口2万ちょっとのところですが、ホールいっぱいに来てくれました。そういうことを積み重ねて、世の中が私を必要とする時が来るとするなら、成就するよう努力はする。1年は365日、1日は24時間しかないので、お酒を飲んでると、地方の講演も密度が薄くなるし、選挙応援も密度が薄くなる。どうしたらいいんでしょう。
――資料を揃えて、準備が大切ですよね。
石破 割り切れれば、それでいいのかもしれませんけどね。
――小泉進次郎さんは地方では方言を使って、うまくつかんでいます。効率的ですよね。
石破 うんうん、効率的(笑)。結果として、進次郎さんも同じような演説なんだけど、進次郎さんは天才だから、パッパッパッとつかむ。私は分厚い資料を読んで、これは使えない、これは使えるというのを取捨選択する時間がかかるのよ。
――愚直にやられているわけですね。
石破 「このネタは受けるかな、受けないかな」って。例えば、行った先においしいラーメン屋が地元にあるとするじゃないですか。でも演説会場から2キロ離れていると、そのラーメン屋の名前を言ってももうウケない(笑)。
――距離が大事なんですね。
石破 うちの秘書たちは大変で、ぐるなびなんかで、おいしいラーメン屋、おいしいそば屋、おいしい焼鳥屋を調べて、地図を出して、会場から何メートルって調べています(笑)。
――やっぱりおいしくなきゃダメですもんね。
石破 おいしくなきゃダメだし、トンカツ定食600円とか、値段も知ってなきゃいけない。
――麻生さんは首相時代、カップヌードルを400円って言っていたことがありました。
石破 私ができるだけ地方を回っているのは、永田町や霞が関が地方とすごく遠いからなんです。この政策がこの地域でどういうふうに受け取られているんだというのを知らないと、結局は国民から離れていってしまうと思うんです。じつは今日も若手市長の会というのがあって、それに呼ばれて、講演してきたんです。市長としては国の政策にも、順番が違うって思うことがいっぱいあるんだけど、国会議員に言っても「それは国の政策ですから」ってはねられちゃうことがあると。それだと私たち困ってしまうと。だからやっぱり公共財たる内閣、総理大臣、大臣は、国民の納得と共感をどれだけ得るかというのが大事なことだと思います。でもこういうふうに愚直にやると、効率が悪くなってしまうのかもしれませんね。 
石破茂が激怒 自民党本部が全議員に“ネトウヨ本”を配布 2019/7/10
まずは、以下の文章をお読みいただきたい。
〈「オワコン」という言葉があります。(略)一般ユーザー、個人ユーザーに飽きられてしまい、見捨てられてブームが去り、流行遅れになった漫画やアニメ、商品・サービスのことです。(略)政界ではまさに小沢一郎氏がそうではないでしょうか。政界のオワコンです〉
〈菅(直人)元首相は、今で言う「終わったコンテンツ」つまりオワコンであることは明白なのですが、ご本人はそれが分からず、煩悩だらけのようです。(略)オワコンは、鳩山(由紀夫)、菅、小沢の各氏だけでなく、野党そのものとさえ言いたくなります〉
続けて、イラストもご覧いただきたい。
よだれを垂らしてうつろな目をし、頭の横にはクルクルと回転する線……誰がどう見ても、立憲民主党の枝野幸男代表である。
これらの悪意に満ちた文章やイラストは、いわゆる“ネトウヨ”の方々がインターネットやSNSに投稿したものではない。6月中旬に自民党本部から全所属議員に配布された冊子に綴られた内容である。冊子の表紙には、次のようなタイトルが付けられていた。
〈フェイク情報が蝕むニッポン トンデモ野党とメディアの非常識〉
現在、7月21日投開票の参院選に向けて全国で熱い戦いが繰り広げられているが、党本部によれば、「(演説などのための)参考資料として配布した」という。
この冊子に憤っているのが、石破茂元自民党幹事長(62)だ。 『文藝春秋』8月号 のインタビューで、石破氏はこの冊子を配布した自民党本部を痛烈に批判している。
「この冊子の作成者は『保守の立場から論じている』と言いたいのでしょうが、私に言わせれば、内容以前に悪意や中傷が目に付いてしまいます。(略)このような文章で広く国民の共感を得られるとは到底思えません。そもそも、いくら選挙で議席を争う相手とはいえ、野党の議員に対して挑発、罵倒、冷笑、揶揄などをするのは非常に恐ろしいことです。なぜなら、彼らの後ろにはその議員に一票を投じた国民がいるからです。野党に対するこうした言動は、そのまま野党を支持した国民に向けられることになる」
一体、この冊子は何なのか――実は作成者は明らかになっていない。「テラスプレス」なるインターネットサイトに掲載された記事に加筆修正したものだという説明書きがなされているのだが、そもそも「テラスプレス」というサイト自体、執筆者・運営元が一切明らかにされていない正体不明の存在なのだ。
石破氏が嘆息する。「巷では、出所不明の文書のことを『怪文書』と呼びます。筆者が分からないこの冊子も、言うなれば『怪文書』の類と言われても仕方ありません。そういうものをなぜ全自民党議員が読む必要があるのでしょうか」
さらに石破氏はこうも語る。「かつての自民党には、多様な意見、多様な考えを大切にする伝統がありました。私はそんな懐の深い自民党を深く愛していましたし、そういう自民党に育てられました」
いつから自民党は“変質”してしまったのか。 
 
松島みどり

 

日本の新聞記者、政治家。衆議院議員(6期)、自由民主党広報本部長。本名・戸籍名は馬場みどり。国土交通副大臣、衆議院環境委員長、衆議院青少年問題に関する特別委員長、経済産業副大臣、法務大臣(第94代)などを歴任した。2019/7 現在、当選6回、自民党広報本部長、自民党選挙対策本部 副本部長、自民党東京都連副会長、自民党東京14選挙区支部長(墨田、荒川、台東区北部・中部)。
不祥事
参議院予算委員会への出入り禁止処分
2008年3月14日の参議院予算委員会審議において、民主党の津田弥太郎参議院議員から、かつて揮発油税の暫定税率撤廃を主張していたことを追及された際、地元選挙区からの要望により「考えが変わったのだ」と述べ、さらに道路整備財源の必要性について数分間にわたり言及。鴻池祥肇予算委員長から再三にわたり答弁の簡潔化を指示されるも、それを無視して約5分間にわたり答弁を継続。鴻池が「答弁を打ち切りなさい!」と何度も声を荒らげ、与党側の予算委員会理事の制止を受け、答弁を終えたが、委員長職権により鴻池から予算委員会への出入り禁止処分を受けた。
選挙区内の法人に胡蝶蘭を寄附
2013年10月、松島の後援会が、地元の社団法人「地域プラザBIG SHIP」に対してコチョウランを贈っていた。地域プラザBIG SHIPが運営する施設「本所地域プラザ」が開業したことから、その開業記念の名目で、後援会がコチョウランを贈っていた。コチョウランに添えられたメッセージカードには「松島みどり後援会女性部より」と明記されていた。しかし、2014年10月になってこの問題が発覚し、マスコミにより大きく報道された。墨田区選挙管理委員会は「議員の名前入りや、後援団体などからの贈り物は寄付行為に当たる可能性があり、公職選挙法に抵触するおそれがある」と指摘している。マスコミからの取材に対して、松島みどり事務所は「何もお答えできない」と回答し、この件についての説明を拒否している。
国と契約を結んだ業者から寄付
松島が代表を勤める選挙区支部が、2012年・2014年の衆議院選挙期間中に、経済産業省や資源エネルギー庁と随意契約を締結していたイベント会社から計約120万円の寄付を受けていたことが、2015年11月に報じられた。国と契約を結んでいる企業からの寄付は公職選挙法で禁じられており、松島は全額を返金したとしている。
国会生中継映像に不適切行為
2016年3月9日、インターネットで生中継された衆議院外務委員会において、答弁している岸田文雄外務大臣の隣席で、長時間に及ぶ読書、居眠り、携帯電話の閲覧や複数回のあくびの映像が流れ、インターネット上でその動画が拡散、批判されたことで、謝罪する事態となった。
発言・エピソード
○ 2005年3月30日の法務委員会で、外国人受刑者の信仰宗教によって食事内容を配慮していることに対して疑問を呈した発言をして、波紋を呼んだ。
○ 2006年3月14日の法務委員会で、性犯罪の再犯防止のための手法として「水着姿の女の子がプールで遊んでいる映像を流しても何かおかしい様子でない」と発言した。
○ 2009年9月15日、同年の第45回衆議院議員総選挙で落選した自民党の元職に対するヒアリングを目的に実施された「第2回自民党再生会議」の席上、幹事長(当時)の細田博之らに対し、「野党の浪人だから生活が不安だ。党のポスターや冊子なんか要らない。現金が欲しい」と発言した。
○ 2014年9月3日の夜9時頃、大臣として法務省に初めて登庁した際には、拍手で出迎えた職員の人数が少ないことを理由に一度帰ってしまった。
○ 2012年4月14日、自身のTwitterで、赤坂の議員宿舎の家賃が相場の5分の1であることを挙げて「『消費増税の前に身を切る改革』と言っているのに、与野党とも恥ずかしくないのか。23区内居住者は入れない規則なので私は無縁だったが、これほど職住接近で広い『社宅』は必要ない」とつぶやいていたが、2014年9月の法務大臣就任後は「大臣をやるには遠すぎる」「警備上の問題がある」として赤坂宿舎に入居した。
○ 2014年10月1日、赤いストールを着用して参議院本会議に出席したが、これが参議院規則に抵触するとして問題視された。松島は同月3日、記者会見において、着用していたのはストールではなくスカーフであったとの認識を示し、「多くの国で首元のスカーフは洋服の一部になっている。ファッションの一部だ」として問題はないとの見解を示した。
○ 2014年10月7日の参議院予算委員会において、民主党の蓮舫から、「うちわを配布した行為が公職選挙法の禁止する寄付行為に該当する」と追及された。10月10日、ストールやうちわ配布などの野党からの指摘を振り返った際、「いろんな雑音でご迷惑かけたことは残念だった」と発言し、同月14日の参議院法務委員会で野党から抗議を受け、後に謝罪した。10月16日に民主党副幹事長の階猛は、告発状を提出した。2015年1月14日、東京地検特捜部は、「配布から近い時期に選挙の予定がなく、選挙に関する寄付には当たらず、刑事責任を問えない」と結論づけ、不起訴とした。告発状によれば、うちわの作製にかかった費用は少なくとも102万円。 
松島みどり氏、国会中に居眠り、ケータイ、大あくび... 2016/3/18
元法相の松島みどり衆院議員(自民、東京14区)が、国会審議中に携帯電話をいじったり、居眠りしたりする姿がインターネット中継で放送され、批判を浴びている。
問題となったのは3月9日の衆院外務委員会。答弁する岸田文雄外相の横で、携帯電話を操作したり、居眠りしたり、あくびしたりする場面がインターネット中継で映し出された。
   目を閉じて眠る松島氏。
   携帯電話を触る松島氏。
   隣席の辻清人議員とひそひそ話をする松島氏。
   あくびをする松島氏。
   読書する松島氏。
   下を向いて眠る松島氏。
この部分を切り取って投稿したYouTubeでは「自民党たるみきってる」「何しに国会へ行っているの?」などのコメントが書き込まれている。
日刊ゲンダイの直撃取材に、松島氏は「知らない。見たことないわ」と述べ、無言を貫いたという。朝日新聞デジタルは、松島氏が事務所を通じて以下のような謝罪コメントを出したと伝えた。
「今回の私の一連の所作につきましては弁解の余地もございません。深く反省しております」
松島氏は朝日新聞記者を経て、自民党の候補者公募に応じ、2000年の衆院選で初当選。2014年に法務大臣として初入閣したが、自身のイラストや名前が入ったうちわを選挙区内で配っていたことが寄付行為にあたると国会で追及され、2カ月たらずで辞任した。
15日には石破茂・地方創生担当相が衆院地方創生特別委員会で、2015年に成立した改正法案の説明書を読み上げて陳謝する事態が発生。内閣府は17日、「誤り事案再発防止チーム」を立ち上げた。自民党の稲田朋美・政調会長は「自民党が少したるんでいるという声を地元でも聞く。自分も含めて引き締めていきたい」と、17日の会見で述べた。 
東奔西走、1人区を応援 2019/7
今週から、参議院選挙で激戦の続く1人区に応援に出かける。10、11両日に愛媛県のらくさぶろう候補。13、14日に福島県の森まさこ候補。16日は岩手の平野達男候補と宮城県の愛知治郎候補。18日には、大分県のいそざき陽輔候補の予定だ。
今回の参議院選挙、自民党は選挙区49人、比例区33人が立候補している。そのうち、1人区が32ある。
私が応援に行くのは、党のインターネット番組「カフェスタ」の「みどりの部屋」で対談し、よく知っている相手ばかり。陣営からの要請や、党選対の指示に基づく。各候補の魅力をしっかりと有権者に伝えたい。
ローカルタレントで新人のらくさぶろう候補(愛媛)は10日午後6時から、今治市公会堂で行われる今治市総決起大会で応援演説する。また、10、11日両日、新居浜市内を候補者とは別にまわる。
森まさこ候補(福島)は13日午後6時から、南相馬市の「原町フローラ」、6時半から、相馬市の「相馬市総合福祉センター」で演説会。翌14日は、いわき市内の遊説に同行する。
平野達男候補(岩手)は16日、奥州市の江刺地区と水沢地区を候補者と宣伝カーでまわり、スポット遊説を行う。
その後、私は新幹線で仙台市に移動し、16日夜、愛知治郎候補(宮城)の数カ所の演説会で応援の弁をふるう。
いそざき陽輔候補(大分)は18日午後6時から「中津市教育福祉センター」の演説会に出席する。
なお、公示前の1日、長野県の小松裕さん(前衆議院議員、参議院としては新人)の応援に立科村(佐久市の隣)の演説会場に出掛けた。対立候補(現職)の拠点にもかかわらず、多くの人が集まってくれた。 
 
小渕優子

 

日本の政治家。衆議院議員(7期)。学位は公共経営修士(専門職)(早稲田大学・2006年)。現在、自由民主党組織運動本部長代理、党群馬県連会長・第五選挙区支部支部長。内閣府特命担当大臣(男女共同参画、少子化対策)、財務副大臣(第2次安倍内閣)、経済産業大臣(第18代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)などを歴任した。父親は第84代内閣総理大臣の小渕恵三。
政治資金の不祥事
公用車運転委託業務の入札にまつわる談合疑惑を持たれている企業の1つである日本道路興運から2000年(平成12年)から2004年(平成16年)まで計204万円、同社の前社長からも100万円の献金を受けていた。2009年(平成21年)6月23日に、小渕の事務所は産経新聞の取材に対し、献金を返還する意向を明らかにした。
2014年10月16日、週刊新潮が政治資金収支報告書に観劇費用2600万円が未記載であることを報じ政治資金規正法違反であることを指摘。その後の調べて2009年より未記載の費用が1億円を超えると報じた。10月18日、『産経新聞』を発行する産業経済新聞社が、突如「小渕経産相辞任へ」と題した号外を配布し始めた。しかし、同日午後に行われた、経済産業省での記者会見にて「今やらなければならないのは、私自身の問題でしっかり調査をすることだ」と述べるなど、辞任を否定した。2014年10月20日、午前、政治資金をめぐる疑惑の件で首相の安倍と会談後、経済産業大臣の辞表を提出。その後、経産省で辞任記者会見を行った。小渕は、自身の問題を国民、支持者などに謝罪したが、自分でも自身の事務所の政治資金報告書に「疑念を持った」として、専門家を入れた第三者に調査を依頼する方針を示した。なお、同日には 第94代法務大臣松島みどりも正午過ぎに辞表を提出し受理され、女性閣僚2名が辞任する結果となった。
この事は、東京地検特捜部による、政治資金規正法、或いは公職選挙法違反の疑いで、10月末に同法違反容疑で群馬県内の関係先などを家宅捜索につながった。また、家宅捜索した際、パソコンのデータなどを保存するハードディスクが捜索以前に電動ドリルで物理的に破壊されていたため、隠蔽工作も報道された。
政治資金規正法違反に絡み、検察より任意で事情聴取を受けた。2015年4月28日、系列の政治団体の2009年から2013年分の政治資金収支報告書について、実際には資金移動のない架空の寄付金を団体間で計上したり、観劇会の収入を少なく申告したりした政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で会計責任者2人が在宅起訴され、執行猶予付きの有罪判決が言い渡された。 
「謹慎」小渕優子氏じわり復活 経産相辞任から4年、久々パーティー 2018/6/21
4年前に「政治とカネ」の問題で経済産業相を辞任して以来、“謹慎”している自民党の小渕優子衆院議員の動向に注目が集まっている。4月に竹下派(平成研究会)会長に就いた竹下亘総務会長は小渕氏を将来の首相候補に育てると公言。小渕氏は有罪判決を受けた元秘書の執行猶予が終わる10月頃にも表舞台に復帰するとみられている。果たして「みそぎ」は済んだと判断してもらえるか−。
「新しいスタートラインに立ったつもりで前を向いて頑張ります」。小渕氏は20日夜、約4年ぶりとなる政治資金パーティーを都内で開き、支援者らへの感謝を述べた上で決意を語った。竹下氏はあいさつでこう強調した。
「閣僚や党三役を堂々とこなしてもらい、堂々たる総裁候補へと一生懸命育てなければならない」
父・恵三元首相の地盤を継いだ小渕氏は平成20年に少子化担当相として戦後最年少の34歳9カ月で初入閣し、26年に経産相に起用された。順調だった政治家人生はこの直後に暗転した。関連する政治団体の政治資金規正法違反事件が発覚し、辞任に追い込まれた。
竹下派は竹下氏の兄の登元首相が作り、恵三氏が育てた派閥だ。竹下氏や、恵三氏の盟友だった青木幹雄元官房長官にとって小渕氏は特別な存在であり、“親代わり”として目をかけてきた。特に総裁を目指す意思が皆無の竹下氏には、小渕氏を「10年、15年後」の首相・総裁候補に、との思いが強い。
恵三氏の後に首相となった森喜朗元首相もパーティーに出席し「お姫様の登場をみんな待っている。小渕恵三さんに尽くしたおかげで僕は首相になれた。そのお返しもしていないから、せめて優子さんを応援してあげなければ」と持ち上げた。
小渕氏も党内活動を本格化させつつある。昨年8月に党組織運動本部長代理に就き、今年2月には党財政再建特命委員会の小委員長に就任した。竹下氏が岸田文雄政調会長に推薦して実現した。将来を見据え国家の基本である財政の見識を深めさせる狙いもある。
ただ、不祥事以降、小渕氏が総裁候補に名前が挙がることはほとんどない。小渕氏は、いまだに「元首相の娘」のイメージが先行しているのも事実だ。派内には9月の総裁選後の党役員人事での要職起用を目指すべきだとの意見があるが、同派幹部は「まずは財政再建特命委など地味な仕事で実績を作ることが先だ」と語る。 
自民党総裁選で「竹下派分裂」の決め手となったキーマンは! 2018/8/31
8月26日、安倍晋三総理は鹿児島県で自民党総裁選出馬を表明した。3選を可能にするルール変更をしたからには、負けるわけにはいかない。出馬表明までに自民党各派閥の支持を取りつけ、一騎打ちとなる石破茂元幹事長に対して、圧倒的な優勢を保っている。
そんな中、安倍氏か石破氏かで割れた派閥がある。竹下派(会長=竹下亘総務会長)である。表向きは自由投票としているが、衆院竹下派が「安倍支持」。参院竹下派が「石破支持」で実質的に分裂していると報じられているが…。
「衆院竹下派には安倍政権の現役閣僚もいて、総裁選で石破氏を支持してしまっては、その後に冷や飯を食わされてしまう。参議院議員である竹下総務会長は選挙区の事情で、石破氏に恩を売っておいたほうが、その後に何かと有利なため、参院竹下派は石破支持となったという分析もありますが、参院竹下派の中にも安倍支持はいます。その逆で衆院竹下派の中に石破支持もいないわけではない。何より、竹下派分裂を招いたのは青木幹雄氏だともっぱらです」(政治部デスク)
かつて、参院自民党のドンとして君臨した青木氏。現在も参院竹下派に多大な影響力を持っていると言われる。その青木氏が「石破を支持せよ」と言ったというのだ。
その理由を巡っては永田町で諸説、語られているのだが、ある永田町関係者はこう話す。
「青木氏は竹下派の小渕優子衆院議員の復権を望んでいたんです。小渕氏といえば、経産相などを歴任してきたのに、2014年の政治資金問題で失脚。その後はすっかり表舞台から遠のいていた。その小渕氏を『大臣や党三役に戻せないか』と、青木氏は非公式に安倍総理に打診したのですが、無下に断わられた。で、青木氏は石破氏を支持せよと傾いたらしい。ゆくゆくは派閥を背負って立つ小渕氏を、青木氏としては、何としても復権させたかったんでしょう」
すでに、消化試合と言われるほど、安倍有利とされる総裁選。数少ない見どころの一つに、小渕氏がどちらに一票を投じるか、というポイントがあるのだ。 
小渕優子元経産相が再始動 元秘書の執行猶予期間終わり 2018/11/13
「政治とカネ」の問題で経済産業相を2014年に辞任した自民党の小渕優子衆院議員が、表舞台での活動を再開した。13日には、就任したばかりの党沖縄振興調査会長として初会合を開いた。父の小渕恵三元首相を引き合いに「父のかなえたかった沖縄の姿をしっかりと引き継いでいく」と記者団に語った。
小渕氏は08年に戦後最年少の34歳で入閣し、14年に経産相に就任。将来の首相候補と目されてきたが、政治資金問題で辞任に追い込まれた。先月、政治資金規正法違反の罪で有罪判決を受けた元秘書の執行猶予期間が終わり、所属する竹下派内からも再始動を求める声が出ていた。
竹下派は沖縄の基地問題や振興策に取り組んできた伝統がある。党沖縄振興調査会は、政府がまとめる沖縄振興策に影響力を持つ。小渕氏は「沖縄の県益が国益になるという意識を持った議員が増えていくよう、調査会を運営していきたい」と記者団に話した。 
貴乃花の会 発起人に小渕優子!後援者に届いた驚きの招待状 2019/4/17
昨年10月に角界を引退して以降、たびたびお茶の間を賑わせている貴乃花光司氏(46)。これまで政界進出の噂が浮上してきたが、本人はかたくなに否定してきていた。
そんななか、後援会関係者のもとに驚きの招待状が届いたという。
このなかで貴乃花氏は《報道等で囁かれております政治への進出など滅相もなく 考え知るところには御座いません》とつづっているのだが、後援者のひとりは驚きを隠せない。
「先日、“御縁会”の案内状が届きました。引退してからきちんと報告できていなかったこともあり、これまでの御礼と新生を誓う会になるそうです。ただ気になった音は、その発起人。国会議員さんがズラリと並んでいたのです。政界進出をしないとしているのに、なぜこれほどの面々がサポートしているのでしょうか」
発起人代表は、元ユネスコ第八代事務局長の松浦晃一郎氏(81)。そして発起人の欄には、小渕優子議員(45)の名前が!
そのほかにも遠藤利明元五輪担当相(69)や浜田靖一元防衛大臣(63)など、衆議院議員が。またJOC新会長への就任も確実視されている全日本柔道連盟会長・山下泰裕氏(61)や元観光庁長官、元海上法案庁長官や元国土交通省事務次官など層々たる人物の名前があった。
また招待状で貴乃花氏は《つきまして 後援会の皆様方におかれましては 本年三月末にて会期を終了し『新生貴乃花』として 皆様方に御挨拶をさせて頂きたく存じます》としている。
この御縁会は5月19日に都内のホテルで行われるという。しかし前出の後援者は戸惑いながらもこう語る。
「これでは、『政治家転身はない』と言っていることが本当なのかなと疑ってしまいます。彼がどこに向かおうと思っているのか、この会の場で本当の気持を本人の口からきちんと聞くことができたらいいんですが……」
貴乃花氏からは角界引退後のどんな未来予想図が語られるのだろうか。 
自民の小渕優子群馬県連会長、参院選向け「一番汗をかく」 2019/4/17
自民党群馬県連会長に就任した小渕優子衆院議員が17日会見し、夏の参院選に向けて「一丸となって取り組めるよう、一番汗をかいていかなければならない」と抱負を語った。群馬で女性初の県連会長として、「これから先の選挙で、自民党から手を挙げたいという女性が出てくるように、環境整備をしていきたい」と力を込めた。
参院選群馬選挙区(改選数1)には、清水真人氏が県議から転身し、公認候補として出馬予定。前県連会長の山本一太参院議員は同時期に行われる群馬知事選へのくら替え出馬を表明している。
出馬表明をめぐり、事前に説明がなかったとして、県連幹部から反発を浴びた山本氏が提出した党本部の推薦依頼への対応は大型連休明け後になるとし、「新しい執行部を決めてから、取り扱いが議論されていくものと考えている」と述べるにとどめた。
7日に投開票が行われた県議選では、自民の公認、推薦、党籍証明を得た立候補者40人の中に女性はいなかったが、「国会を見ると、議員の年齢が若くなっており、若い女性もトライできるような空気になってきていると感じる」と今後に期待を寄せた。
小渕氏は平成26年、元秘書による関連政治団体の政治資金規正法違反事件が発覚し、経済産業相を辞任。しばらく表立った政治活動をしていなかった。
現在の事務所の状況については、「税理士や弁護士など、いろいろな方に支えていただきながらやっている」と説明。自身が県連という大組織を監督する立場となり、「政治家は信頼で成り立っている。担当者にしっかりやっていただけるよう指示をしながらやっていきたい」と襟を正した。 
 
片山さつき

 

日本の政治家、実業家、行政書士。自由民主党所属の参議院議員(2期)、内閣府特命担当大臣(地方創生、規制改革、男女共同参画)、女性活躍担当大臣。元:衆議院議員(1期)。元:大蔵省主計官。旧姓:朝長(ともなが)。株式会社 片山さつき政治経済研究所・元:代表取締役。
主張・発言
お笑いコンビ・次長課長の河本準一の親族が生活保護費を受給していることについて、河本の推定年収が約5000万円であることから、河本氏の母親が生活保護を受けることは弱者の受給とは別問題であると自身のブログで批判した。
菅内閣の行政刷新担当相だった蓮舫が国会議事堂内でファッション誌『VOGUE NIPPON』の写真撮影に応じたことを、2010年10月8日の参議院本会議で(名指しは避けて)批判したが、後に、片山も衆議院議員時代に国会議事堂内でファッション誌『美人百花』(2007年11月号)の写真撮影に応じていたことが発覚。これについて片山は「わたしは大臣になったことがない」、「蓮舫議員は参議院内で認められていない私的な活動のための撮影。(略)衆議院ではそうした撮影も認められていた」と弁明した。
2012年3月29日の参議院総務委員会にて、「NHKのミュージックジャパンという番組では過去1年間、出演者の韓国人タレント占有率が36%。(略)このあたりはどういう基準でやっておられるのか」とNHK会長に質問。ところが、この36%という数字が誤りであるとネット上で指摘され、ニュースサイト『アサ芸プラス』が調査したところ実際は約11%だったことが判った。
2013年5月19日に行われたさいたま市長選挙期間中の言動などをめぐり、自民党所属の埼玉県議会議員・田村琢実とネット上でお互いを批判しあった。
2014年9月27日に噴火した御嶽山の火山活動監視体制について、「民主党政権の事業仕分けで常時監視の対象から御嶽山は外れた」などとSNSのTwitterに投稿したが、事実誤認とわかり撤回し謝罪。これに関し民主党は抗議をし片山は自民党国対委員長より口頭注意、参院幹事長からは厳重注意を受けた。
神奈川県が設置した「かながわ子どもの貧困対策会議」が2016年8月18日に開催したイベントで、女子高校生が経済的理由で専門学校進学を断念したと発言した内容を同日のNHK「ニュース7」が報じたことに対し、インターネット上で女子高校生の生活実態への疑惑が噴出した。片山も「チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思う方も当然いらっしゃるでしょう」とツイートし、NHKに説明を求めるとした。片山は「私はたまたまニュースを見ていて、彼女の『専門学校に進学したい』という夢をかなえてあげたいと思いました。NHKが取材するきっかけとなったイベントの名前をメモして、知り合いでもある県知事に相談しようと思ったのです」と主張した。
政治資金
経済産業大臣政務官在任中の2006年7月10日に政治資金パーティーを開催したが、経済産業省から外国為替及び外国貿易法違反の疑いで刑事告発されていたヤマハ発動機にこのパーティー券20万円分を売っていたことが同年7月29日に判明した。
パーティー券購入について、片山の事務所は、秘書が個人的に面識のあるヤマハの社員に依頼し、片山本人は関知しなかったと説明した。ヤマハ発動機は「議員側から会社に依頼があったということで、個人的なことではない。告発とは一切関係ない」「会社として自民党の地元議員を応援しており、他の地元議員でも依頼があるとパーティー券を購入することがある」としている。同社の社長は記者会見の席上、「告発した省の人だからおかしいということだが、裏には何もない。地元の自民党議員に対し、ごく普通に行っている協力だ」と述べている。
2012年と2013年に片山が代表を務める政治団体が浜松市内で支援者らを対象に行なった新年会について、会費収入に当たる契約220万円を、政治資金収支報告書に記載していなかったことが、2014年11月に判明した。片山側は、判明前に報告書を訂正しているとしている。
また、2013年上半期の「片山さつき後援会」の政治資金収支報告書によれば、同会の支出には出版社の「オークラ出版」へ43万2000円を2回、50万4000円を1回の計136万8000円を支払っていた。
委員会
委員会採決無断欠席 / 2006年12月、衆議院経済産業委員会の官製談合防止法改正案採決を無断欠席したとして、自由民主党国会対策委員会から「(1) 所属常任委員会を変更」「(2) 国会開会中の海外渡航を1年間禁止」「(3) 翌年3月末まで国会対策委員会への出席停止」の処分を受けた。この処分により、経済産業委員会から決算行政監視委員会に所属が変更されたが、その翌月には、経済産業委員会に復帰している。
委員会への政府答弁要領持ち込み / 2014年10月21日の参議院外交防衛委員会において、委員長を務めていた片山が政府側の答弁要領(想定問答)を持ち込み、それを見ながら委員会審議にあたっていたことが発覚。野党側から「委員長の中立的な立場を損なう」と批判を受け、審議がストップする事態となった。上述の御嶽山に関する誤情報発信の直後であったこともあり、党執行部は片山を厳重注意とした上で「この次はかばえない」と通告。片山は翌日の理事懇談会で謝罪した。
参議院外交防衛委員会遅刻 / 2015年3月30日、自身が委員長である参議院外交防衛委員会理事懇談会に遅刻し、審議が中止となった。片山はこれについて4月2日の同委員会において陳謝した。遅刻は同委員会で2度目であり、自民党参議院幹事長より厳重注意を受けた。また、自民党幹部より「次、同じことがあったら、辞めてもらう」などの批判を受けた。 
片山さつきが坂上忍に年金問題とマイナンバー制度を批判され暴言連発 2015/10
下着ドロボーの高木毅復興相に、竹刀で体罰の馳浩文科相、ヤクザとズブズブという過去が暴かれた森山裕農相……。早くもその本質が露呈しつつある第三次安倍内閣だが、そんななか、今度は安倍応援女衆のひとりである片山さつきがテレビの生放送で問題発言を連発した。
片山が出演したのは、10月6日に放送された『バイキング』(フジテレビ)。きょうの番組テーマは年金制度だったが、片山は「年金は支え合いの制度。愛です!」「You and I、そして愛なんです」と珍妙なフレーズを連呼。年金はいまの若者たちの老後にも「破綻的なことがなければ」支払われると訴えた。
しかし、ここでツッコミを入れたのは、番組MCの坂上忍だ。
「ぼくは執念深い男なので、消えた年金問題のときにね、安倍さんが『最後のひとりまでお支払いする』っておっしゃったんですよ。それ、どうなったんですか?って話があって。それができない限り、ぼくは信用しません」
生放送で突然、鋭く切り込まれてしまい、ものの見事に表情が固まってしまった片山。だが、口を開くと、こんなことを言い始めた。
「また厚生労働省でね、事件起きちゃって、わたしたち政治家のほうは怒っております」
坂上が話したのは消えた年金問題のときの安倍首相の説明についてで、厚労省のマイナンバー収賄の話ではない。こうして露骨に話題をすり替え、さらには「政治家のほうは怒っております」と責任を転嫁する。だいたい片山自身も大蔵官僚時代、労働省(当時)から官官接待を受けていたことが問題になっているが、そんなことは棚に上げて、である。
ある意味、この“話のすり替え”は片山のお決まりのパターンだが、番組ではここから片山の暴言劇場がはじまった。
というのは、番組レギュラーの渡辺えりが「年金を払っていない人が4割もいて、その人たちがお年寄りになったときにどうするのかって、すごく不安ですよ」と発言。すると片山は咄嗟に「それなんです!」と言い、生活保護受給者バッシングを繰り出したのだ。
「私がこの4年間、ずっと取り組んでいる生活保護の問題で、本当に無年金で蓄えもなく、その方たちもわたしたちと同じ日本人、仲間ですから支えなきゃいけないと。(でもその人たちは)100%税金の生活保護になっちゃって、それが3兆円、4兆円になっちゃって、このままじゃ本当に国がもたないんですよ。だから、少しでも、少しずつでも、できる限り働く側に回ってもらって」
もちろん、渡辺は年金を払っていない人たちを責めたのではない。「働きたくても働けない人たち、払いたくても(年金の)その金額が払えない人たち」のことを心配したのだ。だが、片山にはまったく届かず、「現役で働ける方が60万人くらいいらっしゃるのも事実」「病院たらい回しとか、その問題もあるし」と、結局“生活保護受給者が国を滅ぼす”と言わんばかりに主張した。
しかも、その後、前出の厚労省官僚のマイナンバー収賄に話が移っても、「(マイナンバー導入によって)ずる貰いみたいな生活保護もなくなるし、管理もしやすくなる」と言ってのけたのだ。
片山は、次長課長・河本準一を「税金ドロボー」だとし、生活保護バッシングを展開した張本人だが、そのせいで渡辺が指摘したような国が保護しなくてはいけないような人びとがさらに生活保護を受給しづらい環境をつくり上げた。それでも片山には反省などあるはずもなく、生活保護を「ずる貰い」と表現し、マイナンバー問題をまたしてもお得意の論理のすり替えで生活保護バッシングに利用したのだ。
さらに、そのマイナンバー導入に坂上や雨上がり決死隊の宮迫博之から反論が飛び出すと、「世界中IT化だから、どこの国でも制度あるからやっていこうっていう、そういう国民運動なんですね」と説明。当然、国民のあいだからはマイナンバーに懐疑的な声こそ上がってはいても、それを求める運動など起こってはいない。誰にでもわかる大嘘である。
また、賄賂を受け取ったと言われる厚労省の官僚についても、「すごいキャラの立っちゃってる、変わった厚労省の職員さん」「服装が異常」などと述べ、“たんにヘンな人が混ざっていただけ”だと片山は問題を矮小化。他人の容姿をとやかく言うなら片山のヘアスタイルも大概ヘンだと思うが、挙げ句、片山はこのように語り始めた。
「いちばん利権があるのは、いま中華人民共和国と言われていますから、官僚制度のいちばん強いのは共産圏なんですよ。情報独占で何でもできちゃう。(中略)そういうレベルでは日本はないわけですが」
日本の官僚による収賄の話をしているのに、今度はなんと中国に話題をすり替える。──これだけでも驚きだが、番組の最後に「最近、嬉しかったニュースは?」と尋ねられた際には「スポーツ界のいろんな活躍ですね」と言い、つづけて「日本のいろんな国際貢献がね、国連の場とかでも少しずつ認められているのが嬉しいのと、逆にあの南京みたいな、間違った情報が登録されて、これは絶対、反論してやり返さなきゃいけないなと」と、さらっと“南京事件はなかった”と主張した。
「間違った情報」を垂れ流し、詭弁を弄しているのはあなたのほうでは?と言いたくなるが、これこそが安倍政権クオリティというものなのだ。
ちなみに番組では、片山が前夫・舛添要一とのスピード離婚について触れ、舛添のことを「怖かった」と語る一幕も。そして、当時の自分をこう評した。
「いまの議員やってる片山さつきじゃないですもん。大蔵省で、まだそれこそ新進気鋭の、夜遅くまで働いている女性ひとりのキャリアウーマンで」
自分のことを“新進気鋭”と自画自賛……。厚かましいにも程がある。 
卑劣! NHK貧困女子高生に“貧乏人は贅沢するな”攻撃! 2016/8
先日8月18日放送の『NHKニュース7』の番組内容が、いまネット上で炎上している。番組では、家庭の経済的事情から進学を諦めざるを得なかったという高校3年生の女子生徒(番組では実名で登場)が登場したのだが、番組終了後に彼女の“暮らしぶり”が炎上したのだ。
この女子高生は、両親の離婚によって母子家庭で育ち、経済的にも困窮。中学時代には自宅にパソコンがないためキーボードだけを買ってパソコン授業の練習をしたといい、いまも家にはクーラーがないため暑い時期は保冷剤を包んだタオルを首に巻いて過ごしているという。
そして、高校卒業後にアニメのキャラクターデザインを学ぶ専門学校への進学を希望したものの、入学金の50万円を工面することができず進学を断念。彼女は「夢があって、強い気持ちがあるのに、お金という大きな壁にぶつかってかなえられないという人が減ってほしい。いろいろな人に知ってもらって、助けられていく人が増えてほしい」と話した。
子どもの貧困は年々深刻化しており、番組はこのようにその現実のひとつを伝える内容だったのだが、ネット上では番組終了後から彼女の“粗探し”がスタート。Twitterアカウントを見つけ出し、『ONE PIECE』のグッズを購入したり、EXILEのチケットが届いたと喜んでいるつぶやきを次々にピックアップ。また、1000円以上のランチを食べているなどとあげつらい、猛批判をはじめたのだ。
「趣味満喫してて貧困層wwww」「完全にデタラメじゃん」「私よりはるかに贅沢な生活してる…」「母子家庭の子供が中小企業リーマンの子供より豊かなのはわかった」「家族そろって徹底的に追い込んで欲しいね」
希望の進学ができない子どもがいるという現状を訴えたのに、逆に「贅沢しすぎ」と炎上する……。マンガ本やグッズ(それも缶バッチやトートバッグなどといったものだ)を買い、コンサートに行き、アニメイベントに参加する。このようなささやかな愉しみさえ犠牲にして学費にあてろ、というのである。
まさに暗澹たる思いに駆られるが、さらに唖然としたのは、この騒動に自民党の片山さつきが乗り出してきたことだ。
片山はこの騒動を、嫌韓本を数多く出版しているKAZUYA氏のツイートで知ったらしく、それをリツートするかたちで、こう女子高生を批判しはじめたのだ。
〈拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古のパソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策で支援可能!〉
〈私は子ども食堂も見させていただいてますが、ご本人がツイッターで掲示なさったランチは一食千円以上。かなり大人的なオシャレなお店で普通の高校生のお弁当的な昼食とは全く違うので、これだけの注目となったのでしょうね。〉(原文ママ)
貧困を訴えるのなら、1000円のランチなんて食うな。アニメグッズやコンサートになど行くな。──つまり、曲がりなりにも国会議員である片山は、未成年の女子高生に「貧乏人は贅沢するな!」と公然と批判したのである。
よくもまあ片山はこんなことが言えたものだ。片山は2013年、政治資金で自著を買い上げ、その本代に計136万8000円も支出していたことが発覚しているが、そのような政治家としてのモラルもへったくれもない人物が、女子高生を批判する権利などあるはずがない。
だが、恥知らずの片山は、さらに騒動を拡大。片山に対し、〈児童の貧困問題を訴えて、対策会議やらを利用し、補助金やら、募金やらを食い物にしている人達がいる可能性が、図らずも暴露されたかもしれない〉と訴える者が出てくると、それを受けて片山はこんなことまで言い出したのだ。
〈追加の情報とご意見多数頂きましたので、週明けにNHKに説明をもとめ、皆さんにフィードバックさせて頂きます!〉
片山はNHKに対して「どうして貧困じゃない子どもを出演させたのか」とでも言うつもりなのだろうか。だが、国会議員が番組内容に口を出すことは政治的介入であり、現場は貧困問題を扱うことに萎縮するだろう。これは以前、片山が火を付けた次長課長・河本準一を「税金ドロボー」と叩きつぶしたときと同じで、メディアをグルにして“貧困と自称する者の生活実態は贅沢”などと弱者バッシングを目論んでいるとしか思えない。
実際、片山が巻き起こした生活保護バッシングによって、「生活保護費は削るべき」「不正受給許すまじ」という空気が見事につくり出され、その後、安倍政権はここぞとばかりに生活保護費を削減した。
だが、これははっきり言って異常事態だ。本来の国の仕事は、生活保護費を削ることではなく、貧困の原因となっている非正規労働の見直しや最低賃金の引き上げを行うことなのだ。現に、日本政府は2013年5月、国連の社会権規約委員会から〈生活保護につきまとうスティグマを解消〉するようにという勧告さえ受けているが、安倍政権にこれを是正する動きはまったく見られない。そればかりか、片山は相変わらず生活保護を「ずる貰い」などとテレビでがなり立てている。
そして、今回の騒動で片山がネットでの炎上に相乗りして主張した「貧乏人はつましく生活しろ」「貧乏人には趣味の支出も許さない」という貧困者バッシング……。もちろん、こうした世論形成の先には、憲法改正の問題が待っている。
事実、片山は2012年に発売した自著『正直者にやる気をなくさせる!? 福祉依存のインモラル』(オークラ出版)において、“生活保護の不正受給が起こるのは憲法のせい”と述べている。
〈現行憲法の第3章「国民の権利及び義務」は、日本人が従来持っていた美徳とは異なり、義務や責任を軽視する一方、権利と自由を強調するものです。(中略)現行憲法はまるで、責任や義務を果たすよりも権利と自由を要求することの方が重要だと言わんばかりなのです〉
同書の巻末にわざわざ自民党の憲法改正草案を掲載していることからもわかるように、本来なら政治が解決すべき貧困とその背景にある問題には取り組まず、正当な社会保障を訴える「権利」や「自由」を人びとから奪うことに主眼があるのだ。
つまり、今回の女子高生叩きは、自民党による“改憲後の世界”の先行事例でもあるのだろう。貧困をなくすことを第一に考えるべきなのに、「権利ばかり主張するな」と猛攻撃し、貧乏人は生活を厳しく監視される。そんな世の中で得をするのは政治家と一握りの富裕層だけだが、同じように我慢を強いられている人びとも同じようになって「自分たちはもっと我慢している!」と、権利を主張する人を叩くのである。
ともかく、貧困問題に対してこうした偏狭な世の中をつくり出した張本人である片山は、この国の“ガン”としか言いようがない。今後、この問題に対してどんなアクションを起こすつもりなのか、本サイトは“監視”していきたいと思う。 
片山さつき新大臣、安倍政権の「醜聞」の火種か… 2018/10
沖縄県知事選挙で大敗し、公明党との距離も微妙な安倍政権ですが、10月2日に閣僚・党役員人事が発表され、第4次安倍改造内閣が始動しました。
改造人事については、9月20日の自民党総裁選挙で安倍晋三首相の3選が決まった直後から、さまざまな臆測が報道されていました。特に、麻生太郎財務大臣と菅義偉官房長官の留任についてはいち早くささやかれており、実際にその通りになりました。
しかし、「これだけ不祥事続きの財務省の大臣が留任って、どうなんだろう?」という疑問の声は自民党内からも聞こえてきます。
党内人事では、二階俊博幹事長が留任しましたが、二階幹事長も失言が目立つ印象です。また、甘利明議員については「入閣か党4役(幹事長、総務会長、政務調査会長、選挙対策委員長)に入るのでは」といわれていましたが、選対委員長という重要な役職に就任しました。当初から、「派閥のバランスに配慮して、論功行賞的な人事をするつもりだ」という予想はされていましたが、もう睡眠障害のほうは大丈夫なのでしょうか。
2016年に口利きと金銭授受問題が報じられた甘利議員は内閣府特命担当大臣(経済財政政策)を辞任し、その後は睡眠障害を理由に国会を欠席し続けました。選対委員長は来年の参議院議員選挙や統一地方選挙を取り仕切る立場ですから、体調のほどが気になります。
これだけでも微妙な船出の感が否めませんが、今回はさらに微妙な議員が多いです。
特に、桜田義孝議員は当選7回という実績ながら“身体検査”で引っかかって入閣できなかったにもかかわらず、今回は東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当大臣の就任が発表されました。ちなみに、スポーツ経験はまったくないそうです。
地元の有権者の方々も「余ったポストに割り当てられただけだろう」「どうせ短命だと思うが、本当に仕事ができるのか」とあきらめムードのようです。地元ですら、このような言われ方をされてしまうのは、桜田議員は以前から“お騒がせ案件”が多いからです。
たとえば、13年には東京電力の福島第一原子力発電所事故で発生した放射性廃棄物の処理について、「福島の東電施設に置けばいい」と発言して批判され、当時の下村博文文部科学大臣から口頭注意を受けています。また、16年には、韓国の従軍慰安婦について「職業としての売春婦で、犠牲者ではない」という旨の発言をして叩かれ、その日のうちに発言を撤回しています。
こうした経緯もあったため入閣が遠かったのですが、今回は総裁選後に名前が挙がっていました。当の本人は、ふんぞり返って「今度は入閣するだろうから、なかなか地元に戻れなくなります。忙しくなるんでね」と言っていたそうです。
地元の方々は、心の中で「どうせ、またダメだろ……」と思っていたそうですが、なんと初入閣を果たしました。一方で、週刊誌の記者たちは「最初にやらかしてくれるのでは?」と期待しているそうです。
今回の初入閣は12人で、12年の第2次安倍内閣発足後では最多となりました。紅一点は、女性活躍担当大臣やまち・ひと・しごと創生担当大臣などを兼務する片山さつき議員です。
片山大臣といえば性格がキツいことで知られていますが、それを裏付けるようなエピソードには事欠かないようです。記者たちは「狙うは片山さつき」とも言っているようで、永田町では「うるさいから、とりあえずポストをあてがっておいた」「実際、まち・ひと・しごと創生なんて、とてもじゃないが無理でしょ」といった声が聞こえてきます。
小泉進次郎議員の後任として自民党の筆頭副幹事長に就いたのは、元防衛大臣の稲田朋美議員です。稲田議員は、総裁特別補佐という役職にも就任しています。実は、官邸サイドは稲田議員を再入閣させたかったようですが、片山大臣と並べられない、つまり仲が悪いから、苦肉の策で党の要職に就けたようです。言い換えれば、相変わらず安倍首相のお気に入りだということですね。
今回の内閣改造では、そのほかにも「論功行賞的な人事がたくさんあるなぁ」という印象です。秘書仲間の間では、「在庫一掃セールだね」「棚卸しって感じ」との意見が圧倒的に多いです。また、「やる気ないない内閣」「ヘイト内閣」などと表現する人もいました。得意分野の政策を持っている議員や、いわゆる族議員は半分くらいの印象で、「ごった煮内閣」ともいわれています。
「とりあえず当選回数などの条件が揃っていて、派閥から推薦のあった議員たちにポストを割り当てた」という印象しかありません。
ある重鎮の秘書は、「自民党は内部固めを重視したのでしょう。安倍さんは改憲などで歴史に名を残したいから、自民党内での求心力を重視してきました。今回も、反対分子の芽をつんでおく、という意味だと思う」と分析しています。その通りでしょう。
ただ、その中でも、一億総活躍担当大臣や内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策など)などを兼務する宮腰光寛議員は適任だと思いました。一般的な知名度こそ低いですが、宮腰議員は農林水産関係の族議員の重鎮として知られており、自身の選挙区では票になりそうにない沖縄や北方領土の問題にも、若い頃から取り組んでいました。北方領土問題に長年かかわってきた政治家として、北海道の議員の中には敬服している人もいます。
今回はサプライズ的な人事はなかったように思いますが、ある意味、当たり前の顔ぶればかりで特色を出さなかったことが“逆サプライズ”といえるのかもしれませんね。
さて、内閣総理大臣から任命された大臣のみなさんは、天皇陛下から認証を受ける認証式に臨みました。これは皇居で行われるので、装いの決まり事(ドレスコード)が非常に厳しいです。男性は、ビジネススーツではなくモーニングまたは燕尾服です。シャツは白色のみで、襟の形も決められています。靴も黒の革靴で紐がなければいけない、など細かい規定というか注意事項がたくさんあるのです。
そして、秘書たちはそれらを用意するのに奔走します。なかには、ずいぶん前から、この日を待ちわびてモーニングを新調している大臣もいますが、半分くらいはレンタルだと思います。
その貸衣装も、議員が試着する時間などないので、秘書が業者にサイズを伝えて、議員会館まで持ってきてもらったり取りに行ったりしなければなりません。その間に、お祝いのメッセージや電話、胡蝶蘭なども続々と届くので、まさにてんやわんや。このときばかりは、うれしい悲鳴でしょうけどね。議員会館の廊下に、部屋の中に置ききれない胡蝶蘭の鉢がずらっと並ぶのも“内閣改造の風景”です。
神澤としては、この内閣の顔ぶれからは明るい未来は見えてこないように感じます。また、来年夏のダブル選挙が現実味を帯びてきているようにも思いました。もしかすると、それが安倍首相の狙いなのかもしれません。「俺に逆らうと、総選挙で仕返しするぞ」って……怖いですね。
危うい船出ですが、走り回っている記者の方々がたくさんのスキャンダルを拾ってこないことを祈るばかりです。 
 
稲田朋美

 

日本の政治家、弁護士。旧姓は椿原。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、自民党総裁特別補佐・筆頭副幹事長。実父は政治運動家の椿原泰夫。防衛大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、国家公務員制度担当大臣(初代)、自由民主党政務調査会長(第56代)、自民党福井県連会長を歴任。
発言
ドメスティックバイオレンスについて
「いまや『DV』といえばすべてが正当化される。DV=被害者=救済とインプットされて、それに少しでも疑いを挟むようなものは、無慈悲で人権感覚に乏しい人非人といわんばかりである。まさに、そこのけそこのけDV様のお通りだ、お犬さまのごとしである」「DVという言葉が不当に独り歩きすれば、家族の崩壊を招きかねない」と述べている。
徴農制について
2006年8月29日、「『立ち上がれ! 日本』ネットワーク」(事務局長・伊藤哲夫・日本政策研究センター所長)主催のシンポジウム「新政権に何を期待するか?」でニート問題を解決するために徴農制度を実施すべきだと主張した。「真のエリートの条件は、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があること。そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。若者に農業に就かせる『徴農』を実施すれば、ニート問題は解決する。」と述べている。
生長の家関連
2012年4月30日、「自身が司法試験合格に向けて励んだときに大きな心の支えになった、祖母から代々受け継がれた」という、谷口雅春著の「生命の實相」(敗戦後に発禁となっている、所謂“黒表紙版”)を示し、「生長の家本流運動」の一派である谷口雅春先生を学ぶ会において講演した。
徴兵制について
佐藤守との対談で、「教育体験のような形で、若者全員に一度は自衛隊に触れてもらう制度はどうか」「『草食系』といわれる今の男子たちも背筋がビシッとするかもしれない」と述べている。2016年10月11日の参議院予算委員会で福島瑞穂に上記の発言を質された際、「学生に見て頂くのは教育的には非常に良いものだが、意に反して苦役で徴兵制をするといった類いは憲法に違反すると思って、そのようなことは考えていない」と答弁した。
共働き関係
「保育所増設の政策などを見ていると『ほんとに母乳を飲んでいる赤ちゃんを預けてまで働きたいと思っているかな』と疑問に思う」と述べている。
女性大臣美人発言
2017年6月初旬にシンガポールで開かれた「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)」で、オーストラリアとフランスの国防大臣ととも登壇した際、「私たち3人には共通点がある。みんな女性で、同世代。そして、全員がグッドルッキング(美しい)!」と発言。現場で取材していた外国人の記者たちは互いに顔を見合わせ、仏豪の両大臣も心なしかこわばった表情したと報道されている。
自衛隊の政治活用
2017年6月27日に、都議選の自民党候補者応援演説の際、「(都議選候補者の当選を)防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてお願いしたい」と発言したことが、自衛隊の政治利用ともとれる発言ではないかと批判された。この発言は、演説場所が自衛隊駐屯地が近くにあることに触れてテロ対策などで自衛隊と都政が連携する必要があるとした上で出た言葉であった。同日深夜に稲田は「自衛隊は地域の理解なくして活動できないという趣旨だが、誤解を招きかねないので撤回する。これからもしっかりと職務を全うしたい」と発言を撤回した。同都議選で自民党は議席を大きく減らしたが、都連会長下村博文は「国政の問題が都議選に直結し残念。すぐに撤回されたが、残念ながら影響があった」と稲田の発言が都議選の結果に影響を与えたことを認めた。
森友問題について
2017年3月27日、参議院予算委員会において、森友学園問題について、夫の稲田龍示弁護士が、同問題について「全く関与していない」との答弁を行った。実際には、顧問弁護士として財務省との交渉記録に名前が記載され、黒塗りされた上で公開された。
日本国憲法について
2018年7月に日本会議の東京都中野支部の集会に参加した際に自身のTwitterアカウントで支部長の弁護士について「支部長は大先輩の内野経一郎弁護士。法曹界にありながら憲法教という新興宗教に毒されず安倍総理を応援してくださっていることに感謝!」などと主張、ネット上で憲法が規定している国会議員の「憲法尊重・擁護義務」(第99条)に反している」などの批判が相次ぎ、その後当該ツイートを削除した。稲田は毎日新聞の取材に対し、「誤解を招きやすい表現だったが、憲法を否定するつもりは全くない」と釈明した。
政治資金
2014年の衆院選投開票前に、稲田が代表を務める自民党県第1選挙区支部が日本歯科医師連盟(日歯連)から30万円の寄付を受けていると報じられている。
白紙領収書の後日記入
他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入したことについて、小池晃が参議院算委員会で追及し、稲田は事実と認めた。小池は、2012年から2014年の政治資金収支報告書に添付された領収書で、約260枚(約520万円)の筆跡が同じだと指摘。「金額を勝手に書いたら領収書にならない」と批判した。菅義偉官房長官も同問題の当事者であり、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と釈明し、稲田も同様の説明をした。政治資金規正法を所管する高市早苗総務相は「領収書作成方法の規定はない。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」との見解を示したが、小池は「『面識があれば金額はあとで書いていい』なら、中小企業の社長はみんな取引先と面識がある。でたらめな話だ」と批判した。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている。自民党では白紙領収書が慣例かと思わせるとも取られており、政治資金の移動はすべて銀行口座間で行うなどの方法も議論されているが、実現していない。「政治とカネ」の問題は、必要な法改正も含めあらゆる観点から透明化への努力を払うべきだとする見解もある。
人物
2011年8月1日、鬱陵島を視察する自民党議員団の一員として韓国に行った(佐藤正久と新藤義孝も参加)が、韓国外務省より全員が反韓活動者としてペルソナ・ノン・グラータ(外交上好ましからざる人物)通告、入国を拒否された。
父親の椿原泰夫は、郷里の京都で「京都讀書會」を主宰している他、「頑張れ日本!全国行動委員会」で京都本部会長も務める。
トレードマークは網タイツと眼鏡。これは選挙区の福井の経編(繊維業)の技術を発信するため網タイツと、「視力も1.5と2.0で良いんですけど(鯖江に代表される)福井のメガネを発信する」ためとしており、ミニスカート、厚底のピンヒールに網タイツと黒縁のダテメガネというファッションスタイルで選挙応援演説など人前に出ている。
2015年6月17日、ロイター通信の主催する講演会後の質疑で「女性初の首相を目指すのか」と問われ「政治家であるなら、誰でも首相を目指している」と答えた。首相の安倍晋三は2016年2月に企業の女性幹部らが集まるシンポジウムの歓迎会で、稲田を森雅子とともにきわめて有力な総理候補者であると答えた。
北海道新聞は、稲田が2006年8月29日に「『立ち上がれ!日本』ネットワーク」が「新政権に何を期待するか」と題して東京都内で開いたシンポジウムの席上、靖国参拝反対派の加藤紘一と対談したことを紹介し、加藤の実家が右翼団体幹部に放火された事件(加藤紘一宅放火事件)については、「対談記事が掲載された15日に、先生の家が丸焼けになった」と「軽い口調で話した」とし、発言に対する会場の反応について、「約350人の会場は爆笑に包まれた」「言論の自由を侵す重大なテロへの危機感は、そこには微塵もなかった」と報じた。
2014年9月に、国家社会主義日本労働者党の代表山田一成と国旗の前で一緒に撮った写真が報道された。東京新聞は、これについて欧州であれば即刻辞任に値するとしている。これに関し、米ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部ロサンゼルス)は2014年10月9日、「(写真を見て)首をかしげざるを得ない。こうしたことが起きないよう責任を持って対処する人はいないのか」としている。9月10日、稲田朋美自ら「一部報道にあるご指摘の人物は、雑誌取材の記者同行者として、一度だけ会い、その際写真撮影の求めには応じたものだと思われます。記者の同行者という以上に、その人物の所属団体を含む素性や思想はもちろん、名前も把握しておらず、それ以後何の関係もありません。」と説明した。
サンデー毎日は2014年10月5日号で稲田の資金管理団体が2010年〜2012年、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の幹部と行動する8人から計21万2000円の寄付を受けたとして、稲田について「在特会との近い距離が際立つ」と報じた。2015年2月13日、稲田はこの記事で名誉を毀損されたとして、毎日新聞社に慰謝料など550万円の損害賠償と判決が確定した場合に判決文の掲載を求め、大阪地裁に提訴した。2月17日に行われた第1回口頭弁論で稲田側は「在特会の会員と確認できるのは8人のうち1人だけ」「寄付を受けることは、必ずしも寄付者の思想信条に共鳴していることを意味しない」「在特会を支持していると読者に受け取られ、(稲田の)社会的評価を低下させる」と主張した。2016年3月11日、大阪地方裁判所は、サンデー毎日の記事の内容が真実であり公益性があるとして、稲田側の請求を棄却した。10月12日、大阪高裁が控訴を棄却した。2017年5月30日、最高裁は上告を棄却した。  
稲田朋美防衛相の、過去の問題言動 2017/7
東京都議選の応援演説で法律違反の疑いがある発言をした稲田朋美防衛相に対し、与野党から辞任を求める声が強まっている。稲田防衛相は辞任を否定し、安倍晋三首相も続投させる方針だが、稲田氏をめぐっては過去に何度も言動が問題になってきた。大臣としての資質が問われる今、それらを振り返る。
「防衛大臣、自衛隊としてお願いしたい」
東京・練馬駐屯地近くで6月27日に開かれた自民党の都議選立候補者の集会で、「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」と応援演説した。自衛隊法で制限されている、選挙権の行使以外の政治行為を自衛隊員に呼びかけたと受け取られるほか、公務員が地位を利用して特定の候補者を応援する行為を禁ずる公職選挙法にも違反する疑いが指摘された。27日夜、発言を撤回して謝罪した。
「グッドルッキング」発言
アジア・太平洋各国の防衛担当閣僚らが集まるシンガポールで6月3日に開かれた「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)」で、オーストラリアとフランスの国防大臣と一緒に壇上に上がった際、「私たち3人には共通点がある。同世代。そして全員がグッドルッキング(美しい)」と発言した。公の場で容姿の良し悪しに言及したことで物議を醸した。
森友学園問題
国有地の売却をめぐって問題になった森友学園(大阪市)との関係を3月13日、国会で問われ、当時学園理事長だった籠池泰典氏夫妻から「法律相談を受けたことはない」「裁判を行なったこともない」などと答弁した。14日になって、民事訴訟で学園の代理人弁護士として出廷していたことが判明し、それまでの発言を撤回、謝罪した。
南スーダンPKO日報問題
南スーダンでの国連平和維持活動(PKO)に参加した陸上自衛隊が、派遣先の様子について「戦闘」という言葉を使って日報に記載していた問題で、2月21日の国会で「(『戦闘』という)憲法9条上の問題になる言葉を使うべきでないから、『武力衝突』という言葉を使っている」と答弁した。自衛隊の派遣を憲法違反にしないために言い換えていると問題視された。
靖国参拝
2016年12月29日、靖国神社を参拝。安倍晋三首相がアメリカのオバマ大統領(当時)と真珠湾を訪ね、両国の「和解」と不戦の誓いを示した翌日のことで、野党側から外交への影響を懸念する声が上がった。
白紙領収書問題
他の国会議員の政治資金パーティーに出席した際、白紙の領収書を受け取り、金額をあとから自らの事務所で記入していたことが2016年10月6日、明らかになった。政治資金規制法は金額や日付、目的が記載された領収書を受け取るよう定めている。
「核保有」検討発言
2011年の雑誌「正論」の対談で、「長期的には日本独自の核保有を単なる議論や精神論ではなく国家戦略として検討すべき」と発言。2016年8月3日の防衛相就任会見で、「現時点で核保有を検討すべきではない」と述べたが、将来の核保有を否定しなかった。 
 
高市早苗

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、衆議院議院運営委員長。総務大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、内閣府特命担当大臣(マイナンバー制度)。 自民党政務調査会長(第55代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、科学技術政策、少子化・男女共同参画、食品安全、イノベーション)、自民党たばこ議員連盟副会長を務めた。
発言
「電波停止」発言騒動
2016年2月8日、衆議院予算委員会において、「放送局が”政治的に公平であること”と定めた放送法第4条第1項に違反した放送が行われた場合に、その放送事業者に対し、放送法第174条の業務停止命令や電波法第76条の無線局の運用停止命令に関する規定が適用される可能性があるのか」との野党議員からの質問に対して、高市は放送法の違反を繰り返した場合、放送法4条違反を理由に、電波法76条に基づいて電波停止を命じる可能性について、「行政が何度要請しても、全く改善しない放送局に何の対応もしないとは約束できない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」と述べた。この発言に対し田原総一朗ら7人が呼びかけ人となって、発言が憲法及び放送法の精神に反しているとする抗議声明を出した。なお、安倍晋三は同年2月15日の衆議院予算員会で、民主党政権菅内閣時代の2010年11月に平岡秀夫総務副大臣(当時)が参院総務委員会で、高市と同内容の答弁をしていたと述べている。2017年、高市は自身の答弁について、「放送法第4条第1項に違反した放送が行われた場合に、その放送事業者に対し、放送法第174条の業務停止命令や電波法第76条の無線局の運用停止命令に関する規定が適用される可能性があるのか」という質問だったので、「法律の枠組みと解釈について、民主党政権下も含めて、歴代の大臣、副大臣と同様の内容の答弁をしております。」と記者の質問に答えている。さらに諸外国には、日本の番組準則と同様の規律がある国の方が多く、その中には日本には無い番組規律違反に対する刑事罰や行政庁による罰金が設けられていることも紹介して日本の放送法とその解釈は二度の政権交代前と同様と説明している。アメリカ合衆国国務省は2017年3月3日に公表した人権報告書(「世界各国の人権状況に関する2016年版の年次報告書」)で、日本では「報道の自由に関する懸念がある」として、高市の「電波停止」発言を一例に挙げた。高市は3月7日の衆議院総務委員会で、人権報告書の記述は誤解に基づくもので、外務省を通じて米国に説明していくと述べた。
「福島原発事故で死者なし」
2013年6月1日、兵庫県神戸市での講演会時に、自由民主党政務調査会会長の立場として、原子力発電所の再稼働について「東京電力福島第一原子力発電所事故で死者が出ている状況ではない。」として、原子力発電所再稼働を主張した。その後、発言について批判が挙がると、高市は自らの発言について「誤解されたなら、しゃべり方が下手だったのかもしれない」と釈明した。しかし、野党のみならず、自民党福島県連合会や同党参議院議員の佐藤正久、自民党員からも「不謹慎だ」と批判された。福島県連は「高市氏の発言は、福島県の現状認識に乏しく、亡くなられた方々、避難されている方々をはじめ、県民への配慮が全くない。不適切で、強い憤りを感じる。」「原発事故の影響による過酷な避難で亡くなられた方、精神的に追い詰められて自殺された方など、1,400人を超える福島第一原子力発電所事故に伴う災害関連死が認定されている。」と批判し、党本部に抗議文を提出した。これに対して高市は「福島の皆さんが辛い思いをされ、怒りを持ったとしたら、申し訳ないことだった。お詫び申し上げる」と謝罪した。そのうえで「私が申し上げたエネルギー政策の全ての部分を撤回する。」と述べた。
「産む機械」発言への批判
柳沢伯夫(当時厚生労働大臣)が2007年1月に「産む機械は数が限られているから」との発言を行った際には、「私は子供を授かれない体なので、機械なら不良品になってしまう」と批判した。
批判・報道
1億円の使途不明金報道
一部の週刊誌が、政府系金融機関から融資を受けた農業法人に1億円の使途不明金があることが発覚し、高市氏の実弟である秘書官が関わっていた疑いがあると報じたことについて、「見出しも中身もあまりに悪質であり、捏造(ねつぞう)記事だ。融資には高市事務所も秘書官も私も一切関与していない」と否定した。
ネオナチ団体関連
日本のネオナチ団体国家社会主義日本労働者党の代表山田一成と国旗の前で一緒に撮った写真がAFPやガーディアンなどの複数の海外の報道機関で報道された。これについて、高市は2014年9月12日の記者会見で「率直に申し上げて、不可抗力であった」と述べた。所属団体や思想信条がわかっていたら、会わなかったと主張している。東京新聞は、これについて欧州であれば即刻辞任に値する、と論評した。これに関し、米ユダヤ系人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」(本部ロサンゼルス)は2014年10月9日、「(写真を見て)首をかしげざるを得ない。こうしたことが起きないよう責任を持って対処する人はいないのか」と強い不満を表明した。9月10日、高市早苗自ら「男性とは会談どころかほとんど会話をしておりません。男性は、3年以上前だと思うが、雑誌のインタビュアーの補佐として議員会館に来訪されたそうです。そのインタビューが終わった後、男性が「一緒に写真を撮りたい」とおっしゃったので、ツーショットで撮影しました。もちろんその時点では彼がそのような人物とは全く聞いておりませんでした。上記の通り、撮影時に彼がどういった人物であるか不明でした。出版社に確認したところ、彼はもともとフリーのライターをやっていたようで、たまたまインタビューの時に同行されたようです。その後、出版社と彼との契約はないようです。なお、出版社も彼がそのような思想であったことは知らなかったようです。男性との付き合いは以前も以後も全くありません。出版社がスタッフとして連れてきた方がツーショットを撮りたいとのことで、それに応じただけです。こちらとしては出版社を通じて、男性に写真の削除を依頼しております。」と説明している。
政治資金
2012年の11月と12月に自身が代表を務める自民党支部から計1220万円の寄付を受け、その後同支部に1000万円の寄付を行い、翌年の確定申告により寄付金控除による300万円の還付金を受け取ったと報じられている。  
2016
「政治的公平」違反繰り返せば「電波停止」も 2016/2
 NHK・民放VS高市バトルの行方
「電波停止を適用しないとは担保できない」
高市早苗総務相は8日と9日の衆院予算委員会で、「政治的に公平であること」を求めた放送法の違反を繰り返し、行政指導でも改善されないと判断した場合、電波法76条に基づき電波停止を命じる可能性に言及したことが衝撃を広げています。
英国では政府から独立した通信庁オフコム(OFCOM、公社)が自ら設けた番組基準が守られているかを監視しているため、高市総務相の発言には強い違和感を覚えました。安倍政権に批判的だったテレビ朝日「報道ステーション」、NHK「クローズアップ現代」、TBS「NEWS23」のキャスター降板が相次いでいるだけに、表現の自由と放送の「政治的公平」について改めて考えさせられました。
各社報道からまず高市発言を拾ってみます。「行政指導してもまったく改善されず、繰り返される場合に、何の対応もしないと約束するわけにはいかない。将来にわたり可能性が全くないとは言えない」「(放送法は)単なる倫理規定ではなく法規範性を持つ」
「1回の番組で電波停止はありえない」「私が総務相の時に電波停止はないと思うが、法律に規定されている罰則規定を一切適用しないことについてまで担保できない」「極めて限定的な状況のみに行うとするなど、極めて慎重な配慮のもと運用すべき」「放送法を所管する立場から必要な対応は行うべきだ」
これに対して、菅義偉官房長官は9日の記者会見で、「従来通りの総務省の見解で、当たり前のことを法律に基づいて答弁したに過ぎない。放送法に基づいて放送事業者が自律的に放送するのが原則だ」と述べました。
「あるある大事典II」捏造の衝撃
菅官房長官は総務相時代、「総務大臣は、放送事業者が、虚偽の説明により事実でない事項を事実であると誤解させるような放送により、国民生活に悪影響を及ぼすおそれ等があるものを行ったと認めるときは、放送事業者に対し、再発防止計画の提出を求めることができる」という内容を盛り込んだ放送法の改正案を提出したことがあります。
2007年の関西テレビ『発掘! あるある大事典II』の「納豆ダイエット」捏造問題で高まった世論の批判を背景に、現行の行政指導と電波法 76 条に基づく無線局の運用停止命令などの措置の間を埋めるため「再発防止計画の提出」が改正案に盛り込まれましたが、国会修正で削除された経緯があります。
菅官房長官が発言したように、この問題は「放送法に基づいて放送事業者が自律的に放送するのが原則だ」に尽きます。
「番組準則」と呼ばれる放送法4条1項には、放送事業者に放送番組の編集にあたって(1)公安及び善良な風俗を害しない(2)政治的に公平である(3)報道は事実をまげないでする(4)意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする――という4つの規定が設けられています。
放送法はGHQ(連合国総司令部)の占領下につくられ、「政治的公平」など(2)(4)はGHQ側が要求したそうです。もともと「政治的公平」の規定はNHK(日本放送協会)にだけ適用される予定でしたが、民間放送にも「準用」されました。軍の統制を永久に排除し、放送を完全に民主化するのが狙いでした。国家統制をなくして情報の多様性を確保し、国民の知る権利を満たすというのが「政治的公平」の趣旨です。
「偏向報道」指示した椿事件
放送法1条は「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保する」と放送番組編集の自由をうたっています。NHKや民放に自律の機会を保障することで表現の自由を確保するのが放送法の精神で、国の干渉は極力避けるべきだと考えられてきました。「番組準則」違反を理由に電波法 76 条を適用することは「事実上、不可能」とされてきたのです。
「番組準則」は倫理規範でした。しかし、番組の低俗化に伴って1959年に「番組準則」に「善良な風俗」という規律が加えられ、放送法に番組基準制定や放送番組審議機関設置の義務が新設されます。80年代には深夜番組の性表現がエスカレートし、郵政省(当時)が民放128社に「番組基準の順守と放送番組の充実向上」を求める文書を送ります。88年には民放にも「番組準則」が準用ではなく適用されるようになりました。
そして93年に、テレビ朝日の椿貞良報道局長が日本民間放送連盟(民放連)会合で「非自民政権が生まれるよう報道せよ、と指示した」と発言した問題が起きます。この事件をきっかけに、政府は「番組準則」違反に対して電波法76条に基づく行政処分は「法的には可能」という見解を示すようになります。「情報の多様性」を隠れ蓑に、日本の進路を決める総選挙に際し「偏向報道」が行われていたからです。
電波停止というペナルティーをちらつかせ、NHKや民放に「番組準則」の順守を迫るという高市発言は、この流れを汲んでいます。しかし、NHKと民放は97年に「放送と人権等権利に関する委員会機構」(BRO)を設置し、2003年に放送倫理・番組向上機構(BPO)をつくりました。
『発掘! あるある大事典II』の捏造問題をきっかけに、BPOの機能を強化し、再発防止に取り組んだため、番組内容を問題とする総務省の文書での厳重注意は09年以来、行われていませんでした。10年に民主党の原口一博総務相は国会でこう答弁しています。
大平総理の言葉
「故大平総理からこういう言葉を残されているというふうに理解をしています。(略)権力は腐敗すると昔から言われているが、自己規制を怠ると腐敗していくのは確かだ。それを外側からチェックする機能を持つのがマスコミと司法である。だから、私は政治家としてこれに容喙することは厳に慎んできた。腹が立って頭にくることは毎日のようにあるけどね」
「元はやはり自主規制だと思います。放送事業者の自主的な規制、これを期待する。そのためにBPOというものをおつくりいただく。そして、そのおつくりいただいたものについて不断の、そこで御審議をされていることについて私たちは見守る立場にあるんだと、このように考えております」
“出家詐欺”報道
しかしNHK「クローズアップ現代」で「出家詐欺のブローカー」と紹介された男性が「やらせだった」と訴えた問題で、高市総務相が15年4月、「報道は事実をまげないでする」という「番組準則」に抵触するとして、NHKを厳重注意(行政指導)しました。自民党もNHK幹部を聴取しました。
これに対してBPO放送倫理検証委員会は「NHK『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見」で次のような批判を展開しています。
「自民党に所属する国会議員らの会合で、マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番、自分の経験からマスコミにはスポンサーにならないことが一番こたえることが分かった、などという趣旨の発言が相次いだ。メディアをコントロールしようという意図を公然と述べる議員が多数いることも、放送が経済的圧力に容易に屈すると思われていることも衝撃であった」
「今回の『クロ現』を対象に行われた総務大臣の厳重注意や、自民党情報通信戦略調査会による事情聴取もまた、このような時代の雰囲気のなかで放送の自律性を考えるきっかけとするべき出来事だったと言えよう」
「放送事業者自らが、放送内容の誤りを発見して、自主的にその原因を調査し、再発防止策を検討して、問題を是正しようとしているにもかかわらず、その自律的な行動の過程に行政指導という手段により政府が介入することは、放送法が保障する『自律』を侵害する行為そのものとも言えよう」
「番組準則」は倫理規範か法規範か
BPOは「番組準則」は倫理規範だと主張し、放送法の所管官庁である総務省は罰則を伴う法規範との立場です。
新聞や雑誌、インターネットと違って、放送にだけ「政治的公平」や「多角的な論点」が求められているのは、放送のために周波数を使用できる放送事業者の数が限定され、テレビやラジオが大きな社会的影響力を持っているからだというのが定説になっています。
総務省の情報通信白書によると、主なメディアの平日1日の平均利用時間(14年)は、テレビ(リアルタイム)視聴が170.6分、テレビ(録画)が16.2分、ネット利用が83.6分、新聞閲読が12.1分、ラジオ聴取が16.7分です。
新聞通信調査会の「メディアに関する全国世論調査」(15年)では、情報の信頼度は(1)NHKテレビ70.2点(2)新聞69.4点(3)民放テレビ61点(4)ラジオ59.7点(5)インターネット53.7点(6)雑誌45.5点となっています。
テレビの社会的影響力の大きさはインターネット時代になっても日本では変わらないようです。この問題で一番大切なのは放送に携わるNHKや民放の姿勢であることは言うまでもありませんが、放送免許付与の権限を持つ総務相が権力の監視機関であるNHKや民放の「政治的公平」を監督する仕組みはどうみても利益相反です。
海外では国家統制や政治と放送事業者の癒着を防ぐため英国のオフコムのような政府から独立した機関が放送倫理をチェックしています。放送内容に関して総務相の監督を受ける放送と規制のないインターネットの融合はすぐそこに迫っています。所管官庁の総務省の権限を強化するのではなく、BPOに一定の公的な権限を与えて政治と放送事業者の間に適度な距離を設けるのが正しい対応ではないでしょうか。  
1000万円近くが闇? 高市早苗総務相が政治資金不正で刑事告発! 2016/5
テレビマスコミでは連日、舛添要一東京都知事の政治資金私的流用疑惑が報じられているが、その裏でいま、安倍政権の重要閣僚にも“政治資金不正疑惑”が浮上しているのをご存知だろうか。
安倍首相の側近中の側近である高市早苗総務相が、5月10日、政治資金規正法違反の疑いで奈良地方検察庁に告発されたのだ。告発したのは、市民団体「落選運動を支援する会」。同会は、高市総務相や自民党の奥野信亮衆議院議員が関係する収支報告書に、記載されていない巨額の「寄付金」が存在することを明らかにし、これが「闇ガネ」として支出されている可能性があるとして、奈良地検に刑事告発したのである。
同会がHPに掲載している告発状によれば、その不正はこうだ。
奥野議員は奈良2区選出で「自由民主党奈良県支部連合会」(以下、県支部連)の代表を務めているが、その2012年分収支報告書には、12年8月21日に、高市氏が代表の「自由民主党奈良県第二選挙区支部」(以下、第二選挙区支部)へ、440万円を「交付金」として寄附したとの記載がある。また2013年にも、同じく「県支部連」から「第二選挙区支部」へ435万円の「交付金」を寄附した旨が記載されていた。
だが、高市氏の「第二選挙区支部」の12年及び13年分の政治資金収支報告書には、この「県支部連」から「交付金」を受領した旨がまったく記載されていなかったのだ。それだけでなく、14年「奈良県トラック運送事業政治連盟」が高市氏が代表をつとめる政治団体「新時代政策研究会」の「パーティー券購入代金」として支出した40万円、「奈良県薬剤師連盟」の「第二選挙区支部」への5万円の寄付、同じく「自由民主党奈良県参議院選挙区第一支部」の5万円の寄付もまた、高市氏側の収支報告書に記載がなかった。この計925万円分について、「落選運動を支援する会」は政治資金規正法第25条第1項第2号(不記載罪)に該当すると指摘している。
言っておくが、この問題は単なる“政治資金収支報告書の記載漏れ”ではない可能性が高い。
というのも、事実として高市氏の選挙区支部へ1000万円近くが流れていながら、高市氏側は未記載にしていたのである。ただのミスなら支出とのずれが生じるはずだが、各収支報告書の支出項目にはそれぞれの金額に相当するずれがない。つまり高市氏らは、その金を何か“公になってはマズい支出先”へと流していた可能性が浮上しているわけだ。実際、この未記載を明らかにした「落選運動を支援する会」も、告発状で「言わば『闇ガネ』として支出したとしか考えられない」と糺弾している。
いうまでもなく、高市氏は安倍内閣の総務大臣という、行政の重要ポストに就いている政治家だ。これまでも高市氏には、カネをめぐる疑惑がたびたび浮上しており、たとえば昨年には「週刊ポスト」(小学館)が、高市氏の大臣秘書官をつとめる実弟が関わったとされる「高市後援会企業の不透明融資」をスクープしている。こうした“疑惑の宝庫”たる人物に、またぞろ不透明な資金の流れが発覚した以上、本来、権力の監視が責務であるマスメディアは追及へ動き出す必要がある。
ところが、今回の高市氏らが刑事告発されてから1週間が経つにもかかわらず、この「闇ガネ」疑惑を詳細に報じたのはウェブメディアの「IWJ」ぐらいで、大マスコミは完全に沈黙を続けているのだ。
たとえば新聞各社は、共同通信と時事通信が告発状提出の記事を提供しているのに、中日新聞や北海道新聞などのブロック紙や地方紙がかろうじてベタ記事で報じただけで、朝毎読、日経、産経という全国紙は一行たりとも触れなかった。またテレビメディアは前述の通り、舛添都知事を政治資金流用問題でフクロ叩きにしている一方、高市総務相の政治資金疑惑については各社一秒も報じていないのだ。どうしてか。
ひとつは、高市氏が安倍首相から寵愛を受ける有力政治家で、電波事業を管轄する総務大臣だからだ。マスコミ、とりわけテレビメディアは安倍政権からの相次ぐ圧力に萎縮しきっており、高市総務相の口から「電波停止」発言が飛び出すというとんでもない状況すら許してしまっている。
さらに訴訟圧力の存在もある。前述のように「週刊ポスト」が「高市後援会企業の不透明融資」を報じた際、高市氏の実弟が「週刊ポスト」の三井直也編集長(当時)や発行人などを民事、刑事両方で告訴するという高圧的手段に出て、小学館をゆさぶった。これが要因のひとつとなり、小学館上層部が三井編集長を就任わずか1年で交代させるという異例の人事に結びついたと言われる。
おそらく、今回浮上した高市氏の「闇ガネ」疑惑も、こうした圧力を恐れたマスコミは見て見ぬ振りをしているのだろう。そう考えると、仮に検察が動き出したとしてもマスコミが積極的に疑惑を追及する可能性は低い。たとえば高市総務相が記者会見で「記載がなかったのは単純ミス」などと釈明したら、一切の批判的検証をせずその言い分を垂れ流すのは火を見るよりあきらかだ。
前にも書いたことだが、現在血祭りにあげられている舛添都知事の場合、もともと安倍首相と不仲なこともあり、官邸はマスコミに事実上の“ゴーサイン”を出していて、すでに次の都知事候補者の選定も始めているとの情報も聞かれる。事実、安倍首相の右腕のひとりである萩生田光一官房副長官は、一昨日の5月15日、『新報道2001』(フジテレビ)に出演し「舛添都知事の会見は非常にわかりづらかった」と批判した。ようするに安倍政権にとって“舛添切り”は既定路線となっており、だからこそ、テレビも新聞も思いっきり舛添都知事を叩けるのだ。
しかし、高市総務相など閣僚、有力自民党政治家の場合、対称的なまでに沈黙する。しかも今回は自民党奈良県連が絡んでおり、各社が追及していけば連鎖的に新たな疑惑が浮上する可能性があるにもかかわらずに、だ。
繰り返すが、本来、メディアの役割は「権力の監視犬(ウォッチドッグ)」である。だが日本のマスコミは、権力に「待て」と言われれば下を向いてしゃがみこむ、いわば「権力の忠犬」だ。せいぜい、衰弱した一匹狼にたかって噛みつくことしかできない。どうやらそういうことらしい。 
高市早苗総務相に計925万円もの「闇ガネ」疑惑が浮上! 2016/5
安保法案の強行採決に賛成した議員らへの落選運動に取り組む「落選運動を支援する会」が2016年5月10日、自民党の高市早苗総務相(奈良2区)、奥野信亮(おくの しんすけ)議員(奈良3区)の2人を政治資金規正法違反の疑いで奈良地方検察庁に告発した。2人の収支報告書から、高市氏に計925万円、奥野氏に327万9400円の「不記載」が見つかったという。告発状は、いずれも「闇ガネ」である可能性を指摘している。
2人はいずれも奈良県選出の衆議院議員。4区あるうちの1区では民進党(当時・民進党)の馬淵澄夫議員が当選しているため、奈良県選出の自民党衆議院議員の過半数に政治資金規正法違反の疑いが浮上したことになる。
刑事告発された3人のうちの1人、高市早苗議員は、現職の大臣である。告発が受理され、起訴に至れば、大臣の辞任は必至。甘利明元経済再生担当相の失脚に続き、大物閣僚が辞任に追い込まれれば、安倍内閣はもたないのではないか。そうなれば解散・総選挙もありうる。政局にも今回の刑事告発が影響を与える可能性は否定できない。
「落選運動を支援する会」の呼びかけ人の一人で、今回の告発人でもある上脇博之神戸大学大学院教授は、IWJの取材に対し、「1人の収支報告書を調べていっても限界がある。(各都道府県には)支部連があるので、収支報告書などで関連をみていくとつながっていく」と述べた。今回、奈良県選出の自民党議員全員に「政治資金規正法違反」の疑いが明らかになったことについては、「自民党・奈良県支部連合会の体質というよりは、他の県でも調べれば出てくるかもしれない。もはや自民党の体質自体の問題ではないか」と話した。
高市早苗総務相に計925万円もの「闇ガネ」疑惑
高市早苗総務相に対し、「政治資金規正法違反」の疑いを指摘した。告発状は、計925万円もの「闇ガネ」疑惑を指摘している。
「奈良県支部連」(代表・奥野信亮)が奈良県選挙管理委員会に提出している2012年分の政治資金収支報告書の支出欄には、高市氏が代表を務める「自由民主党奈良県第二選挙区支部」に対して同年8月21日に440万円を「交付金」として寄附した旨の記載がある。ところが、「第二選挙区支部」の政治資金収支報告書には、「県支部連」からの寄附の受領については一切記載されておらず、2013年には、435万円が同様に不記載になっていたという。
それぞれの受領寄附440万円と435万円について、告発状は「闇ガネ」として支出したとしか考えられない」と断じ、政治資金規正法第25条「不記載罪」に違反すると指摘した。
また、2014年には「奈良県薬剤師連盟」と「自由民主党奈良県参議院選挙区第一支部」が、高市氏が代表を務める「第二選挙区支部」にそれぞれ5万円ずつ寄付しているが、「第二選挙区支部2014年分収支報告書」には、いずれの記載もなかったという。
さらに同年、「奈良県トラック運送事業政治連盟」が、これも高市氏が代表を務める政治団体「新時代政策研究会」に対し、「パーティー券購入代金」として40万円を支出したが、「新時代政策研究会」の収支報告書には受領の記載がなかったという。
奥野信亮衆議院議員には計327万9400円の「闇ガネ」疑惑
自民党・奥野信亮衆議院議員には、計327万9400円の「闇ガネ」疑惑がある。
「自由民主党奈良県第二選挙区支部」(代表・高市早苗氏)の収支報告書によると、奥野氏が代表を務める「奈良県支部連」は、2014年に「第二選挙区支部」から122万円の会費が収められているはずが、県支部連の収支報告書にはそれが記載されていない。
また、「奈良県歯科医師連盟」は2014年分の収支報告書で、こちらも奥野氏が代表を務める「自由民主党奈良県第三選挙区支部」へ5万円の寄付をした旨を記載しているが、「第三選挙区支部」の収支報告書にはこの5万円の受領が記載されていないという。告発状は、この受領政治資金計127万円の不記載について、やはり「闇ガネ」として支出された可能性を指摘している。
さらに「第三選挙区支部」の収支報告書には、「第三選挙区支部」が「奈良県支部連」から2011年に88万1400円、2012年に81万2400円、2013年に31万5600円をそれぞれ受領した旨が記載されているが、「奈良県支部連」の収支報告書にはこれらの寄付の記載がない(不記載罪)という。告発状は、この計200万5400円について、「出所不明金」の「闇ガネであったとしか考えられない」と指摘している。 
2017
離婚の高市大臣“肉食自伝”の衝撃 2017/7
〈たくさん恋をした。人生の節目節目に男性と出会い、悲しい別れもあった〉――今から25年前、高市早苗総務相(56)が31歳の頃の告白だ。
19日に14年連れ添った山本拓衆院議員(65)との離婚を発表。結婚当初から「政界きっての“肉食女子”とみられていた彼女が10歳上の冴えない山本さんを選ぶとは」と政界関係者の間ではささやかれてきたが、高市大臣の“肉食伝説”がうかがえる「幻の本」がある。
1992年の参院選に初出馬(落選)する1カ月前に刊行した自伝的エッセー、「30歳のバースディ その朝、おんなの何かが変わる」(大和出版)だ。
プロローグで〈恋の話をいっぱい書くことにした〉〈「頭の中は恋のことでいっぱい」のプライベートライフには呆れられてしまうかも〉と宣言した通り、男性遍歴を赤裸々に記している。驚くのは〈お酒の思い出といえば、地中海で、海の見えるホテルの部屋で、飲みィのやりィのやりまくりだったときですね〉と、カンヌでの情事まで洗いざらいブチまけていること。
〈それでウフフフフ……。朝、寝起きに熱いシャワーを浴びながら、彼が選んでくれた極上の赤ワインをいきなり飲み始める。バスローブのまま〉〈ルームサービスを食べるときも当然、ベッドで裸の上にブランケットを巻いたまま〉〈彼がすばらしいテクニックを持っていることは言うまでもない。トコトン、快楽の境地におぼれられる相手じゃないと話にならないわけ>――やれやれ。
全編これ、バブル臭が漂うが、気になるのは、高市大臣が恋に落ちる男性の特徴だ。本編には7人の交際男性が出てくるが、年上と分かるのは1人きり。執筆当時も年下男性と付き合っていたようで、〈三〇歳を過ぎて二五歳の若いピチピチした男の子をたぶらかすなんて、犯罪じゃないかという気がしていた〉〈でも、私は二〇代のときよりもいまのほうがいいカラダをしているかなって思う〉と打ち明けている。
やはり10歳上の山本氏には荷が重すぎたか……。あとがきを〈頑張っている同性の皆さん、一度っきりの人生だもの、自分に気持ちいいように生きようネ!〉と締めた高市大臣。今度はぜひ年下のテクニシャンを見つけてください!  
2018
奈良地検が高市早苗・前総務大臣に対する刑事告発を受理 2018/5
奈良地検は、志岐武彦氏と筆者が連名で申し立てていた高市早苗・前総務大臣に対する刑事告発を受理した。志岐氏が22日に、奈良地検とコンタクトを取って分かった。
この事件は、メディア黒書でも繰り返し報じてきたが、再度概要を説明しておこう。端的にいえば、高市議員によるマネーロンダリングを問題視したのである。同様の事件で森ゆうこ議員も、志岐武彦氏が告発し、地検はそれを受理している。
その悪質極まりない手口を理解するためには、あらかじめまず政治献金の還付金制度に言及しなければならない。
還付金制度 / 議員が代表を務める地元の政党支部などへ有権者が政治献金を行った場合、税務署で所定の手続きをすれば、寄付した金額の30%が戻ってくる。たとえば1000万円を寄付すれば、300万円が戻ってくる。このような制度を設けることで、政治資金の支出を活発にしているのであるが、逆説的に考えると、寄付された金額の30%は税金から補填される構図になっている。当然、厳正に運用されなければならない。それゆえに、租税特別措置法の41条18・1は、還付金制度適用の例外事項を設けている。つまり、「寄付をした者に特別の利益が及ぶと認められるものを除く」と定めているのだ。「特別の利益が及ぶ」場合とは、具体的にどのようなケースなのだろうか。結論を先に言えば、議員が自らの政党支部に自分の金を寄付して、還付金を受ける場合である。たとえば議員が1000万円を自分の支部へ寄付して、それに準じた還付金を受けるケースである。この場合、献金が政党支部に1000万円入るほかに、議員個人にも還付金が約300万円入る。政党支部の長を議員が務めるわけだから、「1000万円+300万円」は議員の手持ち資金となる。金を移動させるたけで、金がふくらむのだ。これがマネーロンダリングである。
税の騙し取り以外のなにものでもない。
高市議員のケース、一部は時効
高市議員はこの制度を利用して2012年(平成24年)に、1000万円を自分の支部へ寄付して、約300万円の還付金を受けたのである。
他年度にも同じ手口を使っているが、すでに時効になっており、刑事告発の対象は、2012年度分だけになった。
所得税法にも抵触
既報しているように、この事件は2017年2月に、最初の刑事告発を奈良地検に対して行った。本来は租税特別措置法違反を理由にするのが妥当だが、この法律には罰則規定がないので、詐欺罪で告発した。
しかし、奈良地検は告発を受理したものの、不起訴と結論づけた。詐欺には該当しないと判断したのである。
その後、議員による自身の支部への寄付と、それに伴う還付金の受領が所得税法にも抵触することが分かった。参考までに所得税法の第238条の1を引用しておこう。言葉の相関関係が複雑で、分かりにくい文章だが、「偽って税還付を受けた者は、10年以下の懲役か、1000万円以下の罰金を課せられる」とする論旨である。
第二三八条 / 偽りその他不正の行為により、第百二十条第一項第三号(確定所得申告に係る所得税額)(第百六十六条[非居住者に対する準用]において準用する場合を含む。)に規定する所得税の額(第九十五条[外国税額控除]の規定により控除をされるべき金額がある場合には、同号の規定による計算を同条の規定を適用しないでした所得税の額)若しくは第百七十二条第一項第一号若しくは第二項第一号(給与等につき源泉徴収を受けない場合の申告)に規定する所得税の額につき所得税を免れ、又は第百四十二条第二項(純損失の繰戻しによる還付)(第百六十六条において準用する場合を含む。)の規定による所得税の還付を受けた者は、十年以下の懲役若しくは千万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
高市早苗衆院議員、不起訴 奈良地検「嫌疑なし」 2018/8/29
奈良地検は28日、東京都の男性ら2人が高市早苗衆院議員(奈良2区)を所得税法違反の罪で告発した事案について、同日付で不起訴処分にしたと発表した。地検は処分理由について「嫌疑なし」としている。
告発状によると、高市氏は自身が代表を務める「自由民主党奈良県第2選挙区支部」の会計責任者と共謀し、平成24年11月20日〜12月17日、同支部から高市氏に計1220万円を移動。うち1千万円を寄付を装って同支部に戻し、租税特別措置法における寄付金控除の優遇措置を利用し、不正に約300万円の還付を受けたなどとしていた。 
評論家から代議士になった高市早苗 1994/2
高市早苗スタッフの告発
私は高市早苗さんの選挙スタッフとして、彼女の性格や人間像を自分なりに見てきました。昨年11月、テレビ朝日の椿前報道局長から名指しで「テレビのおかげで当選した」と栗本慎一郎氏や海江田万里氏などとともに言われた時、高市さんが「私のところにはあまり取材が来ていない」と反論していたのには苦笑させられました。彼女の当選は、かなり前からテレビを含めてマスコミをうまく使ったものだったからです。
高市さんは自分の上昇志向のためには何でも利用するところがありました。前回の参議院選挙の時にもテレビを徹底的に利用し、地元のNHKを始め東京から取材に来たテレビ局の取材には極力懇切丁寧に対応するようにしていました。スタッフの間にも「テレビなどマスコミ取材は受ける」と言い張っていたのです。
彼女の選挙のやり方は私の知る限りマスコミを徹底的に利用しようというものでした。彼女は早朝など、かなり機嫌が悪い時でも、マスコミには出来る限り会うように努めていたようです。
高市さんは最初有権者を馬鹿にしていたところがありました。例えば「朝まで生テレビ」に出ていたデーブ・スペクター氏や栗本慎一郎氏ら有名人を東京から呼びつけ、講演会を開けばいいだろう、とタカをくくっていました。大阪からは西川のりお氏などお笑いタレントまで呼んでいました。彼女はどこかで自分が有名人だから奈良の県民は有名人を呼べば喜ぶだろうと思っていたに違いありません。しかも、お金の受取りを拒否した栗本氏以外、タレントにはお金を払って呼ぶという興行的な戦略を取っていました。スタッフには「ボランティア選挙」を標榜して全然お金を払わないでおきながら、有名人なら高額の謝礼を払う、そんな彼女のやり方には、当然現場としては不満がありました。
そしてそのマスコミ戦略にはかなりの部分東京の「スタッフ東京」という会社がタッチしていました。後で述べますが、このスタッフ東京の役員と高市さんはかなり深い関係にあったようです。
私から見れば椿前局長が、「高市さんはテレビのおかげで当選できた」というのは当たっていました。あれだけテレビで名の売れたタレントを使っておきながら何故テレビのおかげでないと言いきれるのでしょうか。
高市さんの欺瞞性は見ていると至るところに現れていました。参議院選挙、衆議院選挙両方の選挙で、彼女の性格の二面性は携わっていた方であれば、誰でもわかっていたと思います。彼女のマスコミ戦略の部分はかなりスタッフ東京が行っていたようでしたが、これなど彼女が議員に当選することによって、メリットを双方に享受できるギブアンドテイクの関係だったのでしょう。
スタッフ東京は自分の所属するタレントである高市さんが出馬するとなると一も二もなく応援しようとなったようです。一度こんなことがありました。参議院選挙の時でしたが、彼女はアプラスという信販会社のCMに出ていました。ところが、彼女は契約途中で急に立候補を表明し、アプラスは結果的に大損害を被ってしまいました。後で聞いた話ですが、これも裏でスタッフ東京が、糸を引いていたようでした。この会社はいま日本新党の議員となった海江田万里さんとも懇意にしているようですが、アプラスにとってみればまさに踏んだり蹴ったりの話でしょう。自分勝手なやり方というよりも、彼女はどこか人の迷惑を考えないところがありました。
(この告発者は参議院選挙当時に手伝った選挙スタッフ。衆議院選挙でも高市の選挙を近くから見ていたという。しかしこの告発者にはいまだに当時の知り合いが多く、迷惑をかけないようにするため特別に匿名にしたいと申し入れがあった。)
利用できるものは何でも方式
参議院選挙当時、彼女は政治に新しい風を吹かせようというキャッチフレーズで一般の有権者を取り込むよう戦略を立てていました。そのために「ボランティア選挙」を標榜し、彼女の選挙を手伝う人間にはなるべくお金は払わないと言っていました。アメリカ婦りである彼女はアルバイトというかたちで選挙スタッフにお金を支払うことは悪であるという考え方でした。その方が確かに見栄えもいいですし、実際、そんな新しい考え方に魅力を感じて手伝っていた人も多かったのです。
実は高市さんの選挙を手伝いにマスコミからも人が来ていました。ある月刊誌の記者をやっている女性でしたが、この人は純粋に高市さんの生きかたに憧れ、意気に感じて選挙を手伝いに来ていたのです。彼女は粉骨砕身、高市さんに尽くしていました。例をあげれば高市さんが当時抱えていた雑誌の連載記事など、選挙で忙しくなったため、彼女が代筆し、書き上げていました。また選挙のほんのつまらぬ雑用さえ引き受けてやっていました。
ところが、この彼女でさえ選挙が終わると高市さんとは縁を切ってしまったのです。とにかく、後に述べますが、高市さんは誰であろうと利用価値の高い人間を利用していく、そんなところがありました。
前回の参議院選挙で高市早苗は自民党公認を得ようと様々な手を使って、画策していた。ところが、公認を獲得できないとなると一転無所属で立候補を表明、当時県連会長だった奥野誠亮を激怒させたと言われる。
真面目なボランティアが支えてくれていたにもかかわらず、ある時点から高市さんの選挙戦略は急速に金権選挙に近いものとなってしまいました。その原因はまさしく高市さんの性格にあります。それは「大きなものにはまかれろ」という彼女特有の考え方です。
もともと彼女は奈良の有力議員であった奥野誠亮氏に世話になっていながら、最後は自民党県連の意向を無視して出馬するという行動に出ましたが、以前から彼女は自民党に時々足を運び、奥野さんに挨拶をしていたのです。彼女が前回と今回選挙に出馬すると決まった時の奥野さんの怒りようといったら相当なものだったと聞いています。
高市さんは利用できるものと見れば政治家だろうが、やくざだろうが、誰にでも媚びを売りたがるところがありました。
こんなことがありました。奈良県には最大手の建設会社の浅川組があります。この浅川組は選挙好きで知られており、奈良で出馬する保守系の候補者であればどの候補者にも選挙応援に人を送るという建設会社なのです。しかもこの建設松広社は大阪の山口組系暴力団のある組と関係が深く、その一方でトップが県会議長をやっているという不思議な会社でした。ゼネコンが騒がれている昨今ですが、奈良の最大手のゼネコンである浅川組と高市さんはただならぬ関係にありました。というのは、高市さんの選挙は清新な選挙を標榜している手前、建設会社の支援を受けることなど言語道断だったはずですが、浅川組の方から支援したいということを言ってきて、それを受けてしまったのです。
高市事務所内には当然そのことに対しての反対意見がありました。ところが、高市さん自身の「どんなことをしても勝つ」という方針から浅川組に急速に近づこうといった方針になって行ったのです。高市さんはその浅川組の幹部に対しても、「どうぞよろしくお願いします」といって頭を下げていました。
選挙になれば確かにどんな人にも頭を下げなければなりませんが、この浅川組の選挙応援の目的が何であったのかは高市さんもわかっていたはずです。事実、その見返りという名目だったのでしょう。浅川組に対してもお金を払おうという話になったわけです。
奈良では確かに建設会社を抜きにしては選挙は語れません。この話はまとまって、浅川組にお金を払おうということになったようです。
出身母体の松下政経塾ともトラブル
高市さんは今でも参議院選挙の時の借金を抱えていると語っていますが、このようにおかしなことは枚挙に暇が無いほどでした。新しい選挙をやろう、奈良に新風を吹かせようと言いながら、その一方で選挙のプロを頼りにする。こんなことでは高市さんが国会に出てもきちんとした政治ができるのだろうかという意見は事務所の中にもありました。
例えば彼女は「私の大好きな自民党」というのが口癖で自民党の代議士秘書たちに応援を依頼していたようです。特に今の三塚派の議員とは高市さんは人脈的に近く、3人応援にかけつけてくれました。特に森喜朗氏の地元秘書のG氏はよく全体の指示をやっていました。
また事務所には毎日のように「この票を売りたい」とか「俺が選挙を仕切ってやる」という人が現れました。ようするに選挙でその政治家にたかろうという人たちです。それはあくまで選挙を金もうけとしか考えていない人たちだったのですが、高市さんにはこういう人たちを見分ける分別さえなかったようです。もともと前回の参議院選挙はこの高市さんの分別のなさが選挙戦を混乱させたと言えるでしょう。
高市さんとつきあって失敗した例に松下政経塾があるでしょう。当時松下政経塾は塾を挙げて高市さんを応援していました。松下政経塾からは全部で20人以上の人間が応援に来たと思います。常駐のスタッフとして現職の塾生や政経塾出身の議員秘書もいました。ところが、高市さんは選挙が終わると自分たちが出した使途不明金を松下政経塾のせいにしてしまいました。この問題は松下政経塾内で大きな問題になったそうです。
今回10人近くの国会議員を出した松下政経塾でしたが、この時は塾頭を始め幹部が高市早苗サイドに呼び付けられ、「一体どういう教育をしているんだ」と言われたらしいんです。参議院選挙での敗北は決して松下政経塾の責任ではありませんでしたが、この時高市サイドは敗北の責任を政経塾に押しつける一方で、その時出たと言われる数千万円の使途についても、いわば濡れ衣を着せるようなかたちになってしまいました。
この松下政経塾問題は当時週刊誌にも大きく取り上げられた。しかしその行方についてはウヤムヤのままに終わっている。
高市事務所のお金は経理担当の人間でもわからなくなるほど杜撰なものでした。参議院選挙の途中から高市さんは誰も信用できなくなったのか、自分の母親に任せるようになりました。ハッキリ言って、この時の使途不明金は当初から選挙に携わっていたスタッフたちには全く関係がありませんでした。しかし高市さんの周辺からは「誰々がいくらお金を取った」という話がどんどん漏れ伝わり、その犯人とされたのが、松下政経塾の塾生と大阪から来ていたT事務局長だったのです。T事務局長は、「私が5千万円選挙事務所から取ったと言われた」と怒っていました。もちろん、これは高市さん本人を含め、母親、それに弟で今回高市さんの第一秘書になったT氏周辺で言われていたことでした。
高市さん自身には確かに普通の人にはない華やかさがありました。特に他の奈良県選出の議員に比べると、政治不信が高まっている今、フレッシュさもある。しかしあくまでそれは遠巻きに見ているとそう見えるだけであって、近くで見れば見るほど彼女のアラは目立ってしまうのです。
最側近は家族固めの感覚
さらにとんでもないのは、彼女の家族です。彼女の母親は元奈良県警の事務員をしていて、よく「警察には顔がきく」と言っていました。どうやら母親は高市さんが一度も選挙違反を出さないのは自分のお陰だと思っていたようでした。
また、第一秘書だったT氏は当時から「平気で嘘をつく」と評判の人物でした。一見誠実そうに見えますが、根拠もなしに平気で出鱈目を言う。彼にはそんなところがありました。もともと先の松下政経塾やT事務局長とのトラブルもこのT氏の陰口から端を発していたと言えます。電話で言った何気ない一言がいつのまにか皆に漏れ伝わり、大騒動になってしまったからです。
今回の選挙もそうだったと聞いていますが、高市さんはスタッフより自分の家族のことを信用していました。確かに誰でも気心が通じている家族の方に信頼を置くというのは当然のことでしょう。ただ、しかしそれはあくまで一般の社会でのこと。選挙ではあくまでスタッフを信用できなくて、どうして選挙をやることができるのでしょうか。スタッフの間では「それほど家族がいいのなら家族だけで選挙をやればいいのに」という声が上がっていたほどでした。
結局、前回の参議院選挙と今回の衆議院選挙では家族をのぞいてスタッフはほとんど入れ替わってしまいました。前のスタッフのほとんどの人が高市さんから心が離れて行ったからです。
高市さんの選挙に関わった人が次々と離れていくというのは、今回の選挙にもありました。地元で唯一前の選挙から残った女性は選挙後、事務所を離れ、衆議院会館から来た第二秘書だったK氏も3カ月で高市事務所を離れていきました。あまり詳しい事情はわかりませんが、結局高市さんが外で見せる顔と内で見せる顔があまりに違い過ぎるからではないでしょうか。
確かに彼女の言うことは説得力があります。この人についていけば日本の政治が変わるのではないかと思わされたことも多くありました。しかし、実際に彼女の身近にいると、彼女の権力好きな面に辞易することがありました。
例えば、これは人から聞いた話ですが、今回の選挙で高市さんは大前研一さん率いる平成維新の会の推薦を取ることに躍起になっていたそうです。ところが、最初の一次選考に彼女は漏れてしまいました。その理由は彼女が「大前さんの軽井沢にある別荘に行ったことがある」と吹聴し、それがいつの間にか大前さんの耳に入って、逆鱗に触れたからだということでした。しかし、彼女はそれにもめげず二次で推薦を取り付け、今では平成維新の会が作る国会議員の集まりである平成クラブの幹部になっているそうです。
彼女は先輩やお年寄りの懐に入るのに天才的なところがありました。だからこそ今回の選挙で意外にも婦人の中年層にも食い込んだといえるかもしれません。これは彼女の持って生まれた政治家としての才能と言うべきでしょう。
高市は今回、前回の課題とされた女性層にも深く食い込み、トップ当選を果した。しかも、以前から世話になっていたと言われる奥野を抑えてであった。
男関係や肩書きでも疑惑が
当然そうなると男関係の噂もでてきます。選挙中も彼女の男関係が事務所の中で噂に上りました。まず、これは彼女も本の中に書いていますから誰でも知っていましたが、元の彼氏は松下政経塾の某氏。それに男性代議士、スタッフ東京の役員、事務所によく遊びに来ていた建設会社の幹部とも噂になりました。
よく彼女は選挙中にもかかわらず事務所の人間に黙っていなくなることがありました。噂が出る時はそんなときです。数時間いなくなるからです。そんなことは度々ありました。
彼女がアメリカに行った時に、彼女の弟のT氏がコンドームを送ったと書かれていますが、そのことも事務所内では「一体どういう人なんだろう」と評判を下げる結果になっていました。
また、彼女が信用を落としたのに「経歴の誇大広告」問題がありました。彼女は優秀でアメリカに行った時にパット・シュローダー女史の元で立法調査官をやっていたということは事務所のスタッフのいわば心の支えになっていましたが、これは選挙中から「ヤバいから使わない方がいい」という助言をしてくれる人が大勢いました。
アメリカ帰りの特派員や松下政経塾の人から直接「アメリカで彼女は立法調査官と呼べる仕事はやっていない」と聞かされたことは度々ありました。そう助言してくれた人は決まってこう付け加えてくれました。「この経歴では後々問題になるから、今のうちに直すように本人に進言しておいた方がいいよ」と― 。
参議院選挙では結局最後まで元立法調査官という肩書きを使い続けていました。すでに彼女は自著の中にその肩書きを使い続けていたからです。彼女は選挙後経歴が問題になったときに備えてシュローダーの事務所から高市さんが本当に働いていたということを示す書類まで用意していました。でも、今回の衆議院選挙ではこの肩書きをあまり使わないようにしていたようです。
ところが、『週刊現代』93年9月4日号で立法調査官という肩書きは評論家の桃井真と話し合って「訳したもの」であることが判明したのだ。
結局彼女の肩書きは誇大広告と言えるものでした。しかし、当時はスタッフが薄々気がついていても、口に出せないタブーであったのです。
結局、今回高市さんが当選できたのも、「どんな手段を使っても当選する」という彼女の気持ちが通じたということでしょう。マスコミを利用し、ゼネコンや出身母体の松下政経塾に禍根を残しても当選する。そんな彼女のやり方には議員としての大事なものは何かということを見失っていると感じざるをえません。
前の選挙の時に彼女は「当選できるならどんなことでもやります」と頭を下げたそうです。この言葉に彼女の無節操さが如実に現れているような気がしてなりません。彼女は今回の選挙でトップ当選したことによって、地元の評価を勝ち取りました。仮に今政治改革法案が通れば、奈良と生駒が選挙区になり、新生党の前田武志氏や社会党から参入すると言われる松原脩夫氏と競合して当選は難しくなると地元では言われているようです。しかし次回も当選するに違いないでしょう。いま彼女は無所属ですが、たとえ小選挙区制になろうと「どんな手を使っても」当選するはずです。
結局議員とは他人の屍の上に成り立っているものではないでしょうか。もし、そうだとするなら、彼女ほど政治家に向いているキャラクターの人間はいないと思うからです。 
 

 

 
甘利明

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、さいこう日本代表、自由民主党選挙対策委員長(第6代)・知的財産戦略調査会長。労働大臣(第65代)、経済産業大臣(第7・8代)、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)、通商産業政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣)、衆議院予算委員長、自由民主党政務調査会長(第54代)、自由民主党財務委員長、自由民主党行政改革推進本部長等を歴任した。戦国時代の武田氏の重臣で知られる甘利虎泰の子孫である。元衆議院議員の甘利正は父。
不祥事
国民年金保険料未納
2004年、政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金保険料の未納が発覚したと報じられた(1986年4月から15年11か月間)。甘利は、議員年金と国民年金の両方に入らなければならないことに気付かなかったとして陳謝しつつも、社会保険庁から督促が来なかったとも述べている。
労働保険未加入
2009年1月、甘利の資金管理団体「甘山会」が、勤務するスタッフに対する労働保険に未加入のまま長期間放置していたことが発覚したと報じられた。労働保険の中でも労働者災害補償保険は、雇用者がいれば加入義務があると労働者災害補償保険法により定められており、未加入でスタッフを雇用するのは違法行為である。甘利の事務所は「アルバイトは加入の必要がないと誤解していた」と説明しており、「甘山会」は2009年1月に労働保険に加入し、2006年度分まで遡及して支払った。なお、2004年12月頃の時点で、自由民主党本部は関係する各団体に対し社会保険や労働保険に適切に加入するよう指導した、と指摘されている。なお、甘利は労働大臣経験者でもある。
URをめぐる口利き疑惑
2016年1月、千葉県の建設会社「薩摩興業」が2013年に道路建設をめぐり甘利側に都市再生機構(UR)に対する口利きを依頼し、見返りに総額1200万円を現金や接待で甘利側に提供したと、週刊文春が報じた。甘利は「社長が大臣室を訪問したのは事実」と認めたが「何をしたかは記憶が曖昧だ」と述べた。同月28日の記者会見で、薩摩興業側から2013年11月に大臣室で50万円、2014年2月には大和市の地元事務所で50万円を2回に渡り受け取ったことを認め、「秘書には政治資金収支報告書に記載するよう指示したが記載されなかった」と述べ、500万円については「秘書に政治資金収支報告書へ記載するよう指示したが実際には200万しか記載せず、300万は秘書Aが無断で私的流用していた」と述べた。この報道の影響で、1月28日に行われた会見で引責辞任を発表した。またこれ以降「睡眠障害」を理由に第190回国会を閉会まで欠席。2016年3月15日、弁護士グループ「社会文化法律センター」が、また4月8日には「政治資金オンブズマン」が、それぞれ、東京地方検察庁に甘利とその元秘書をあっせん利得処罰法違反で刑事告発した。これに対し、甘利の事務所は容疑を否認している。特別捜査部は5月、全員について嫌疑不十分で不起訴処分。両者は検察審査会への申し立てを行なったが、甘利については不起訴相当、秘書については不起訴不当。この不当議決を受けての再捜査の結果も嫌疑不十分で不起訴とされた。8月20日、告発可能な全ての事実について公訴時効成立。 
 
桜田義孝

 

日本の政治家、実業家、桜田建設会長。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事。パチンコチェーンストア協会の政治分野アドバイザーを務める。 外務大臣政務官(第2次森改造内閣(省庁再編後))、内閣府副大臣(第3次小泉改造内閣)、文部科学副大臣(第2次安倍内閣)国務大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)(第4次安倍改造内閣)を務めた。
不祥事・失言
2013年10月5日、福島第一原子力発電所事故で発生した指定廃棄物の処理について「原発事故で人の住めなくなった福島の東京電力の施設に置けばいい」と発言した。桜田は発言について、「福島県全体を指したものではない」としたものの、指定廃棄物は発生した都道府県が処理することが国の方針となっていることもあり、双葉郡の首長や住民、福島県知事の佐藤雄平や自民党福島県連から批判された。文部科学大臣の下村博文は10月7日、桜田に対し口頭で注意を行った。
2016年1月14日、従軍慰安婦に言及して「職業としての売春婦だった。それを犠牲者だったかのようにしている宣伝工作に惑わされすぎだ」との発言をし、その日のうちに撤回した。
2019年5月29日、千葉市で開かれた猪口邦子参議院議員の政治資金パーティーで登壇し、「結婚しなくていいという女の人が増えている。お子さん、お孫さんには子供を最低3人くらい産むようにお願いしてもらいたい」と述べた。その後「少子化対策の一環として発言した。子供を持つ幸せを享受してもらいたいと心から思った。子育てしやすい環境をつくることが大事だと言いたかった」と強調。同時に「それを押し付けるつもりも、だれかを傷付けるつもりもなかった」と釈明した。
大臣在職時の不祥事・失言
特に桜田が大臣に就任して以降、以下のような大臣としての資質が問われかねない失言や言い間違い、振る舞いが相次ぎ、そのたびに物議を醸した。最終的に後述の東日本大震災に関する失言が決定的となり、大臣辞任に追い込まれる結果となった。
大臣就任会見で「東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣の桜田義孝です」と自己紹介するところを「東京ぱらんぴっく、ぱらぴっく、パラピック競技大会、東京パラリンピック競技大会担当大臣の桜田義孝でございます」と3回も間違えた上に「オリンピック」を飛ばして自己紹介した。
桜田は東京五輪・パラ五輪担当大臣のほか、サイバーセキュリティ戦略副本部長として事務を担当しており、2018年11月14日の衆議院内閣委員会で無所属の今井雅人議員から「自分でパソコンは使っているのか」という質問に対し、「25歳で独立してやっている。秘書とか従業員に指示してる。自分でパソコンを打つことはありません」と答弁した。国民民主党の斉木武志議員からイランの軍事施設がUSBメモリによって悪質なコンピューターウイルスに感染した事例を挙げ、「日本の原発もサイバー攻撃を受ける可能性がある」とした上で、「日本の原発にもUSBメモリはありますか」と質問された際には「使う場合は穴を入れるらしいが、細かいことは、私はよくわからないので、もしあれだったら私より詳しい専門家に答えさせるが、いかがでしょう」と答弁した。
英ガーディアンは、「もしハッカーが桜田大臣を標的にしても、何も情報を盗むことができない。彼は最強のセキュリティーかもしれない!」などとネット上での皮肉を報じている。
2018年11月5日の参議院予算委員会では、立憲民主党の蓮舫議員から聞かれた東京大会の基本コンセプトなどを即答できず、事務方の助けを借りながら答弁した。また大会予算の国の負担分「1,500億円」を「1,500円」などと言い間違えた。しかし五輪関連の支出は会計検査院の指摘を受け、桜田の指示で内閣官房が分析した結果、1,700億円になることが10月30日には報道されている。
2018年11月9日の閣議後の記者会見で、5日の参院予算委員会で自身がちぐはぐな答弁をしたのは蓮舫側から事前に質問通告がなかったためと主張したことについて、「事実上と若干違う」として撤回し、謝罪はしなかった。その上で「今後職務をしっかり全うできるよう努力していく」と語った。ただ、「事前に詳細な質問内容の通告をいただければ、充実した質疑を行うことができた」と改めて蓮舫への不満も表明。桜田はまた、蓮舫の名前を「れんぽう」と言い間違えた。桜田は5日の参院予算委でも同様の間違いをしている。11月13日、閣議後の記者会見で「ご迷惑をおかけしたことをおわびしたい」と関係者や国民に対して謝罪したが、「通告事項はあったが、もう少し詳しい聞き取りがあったらよかった」と改めて主張した。
2018年11月6日、閣議後の記者会見で、2020年東京オリンピックへの北朝鮮選手団の参加について見解を問われ「(所管)分野外だ」と回答。政府関係者は桜田の発言について「事実誤認」と認めた。なお、午後の報道各社のインタビューでは、従来の政府の立場に沿って「多くの国が参加されることは望ましい」などと発言を修正している。
2018年11月21日、衆議院内閣委員会で政治資金パーティーの「上限額は知っていた」が「法の規定に違反していないかの確認が十分でなかった」と釈明し、上限額を超える代金を参加団体から受け取っていたことについて謝罪した。
2018年11月22日、立憲民主党の篠原豪から防衛大綱について問われた際「防衛に関することは国防省だ」と、防衛省の名前を間違って発言した。
2019年2月12日、記者からの取材で競泳選手の池江璃花子が白血病と診断されたことを自身のTwitter上で公表したことに触れ、「びっくりした。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿になって戻ってもらいたいというのが、私の率直な気持ちだ。金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。日本が誇るべきスポーツ選手だ。最近水泳が盛り上がっていて、オリンピック担当相としては、オリンピックで水泳に期待している部分もある。1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」と発言。この発言のうち、「がっかりしている」や「盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」という発言に対して、SNSなどで桜田に対する批判が続出し、翌13日の衆議院予算委員会でも取り上げられ、野党からは桜田の更迭を求める声まで上がった。同日の衆議院予算委員会では、オリンピック憲章について質問された桜田は「話には聞いたことがあるが、自分では読んでいない」と発言した。質問をおこなった階猛は、池江についての桜田の発言は憲章で謳われている「人間の尊厳」を理解していないものであると批判した。
2019年2月21日、午前の衆議院予算委員会で、立憲民主党・無所属フォーラムの今井雅人の質問に対し出席を求められていたが、予定時間を過ぎても現れず3分近く遅刻して出席した。桜田の遅刻に対し野党側は反発して退席し、午前中の質疑が空転する事態となった。関係者によれば桜田は直前まで執務室で答弁資料を読んでおり、審議が一度中断したため、質問開始が遅れると事務方が勘違いしたとのことである。野党側委員会筆頭理事の逢坂誠二は「何の理由の説明もなく3分遅れており、これ以上審議できない。政府・与党はたるみ切っている」「閣僚の任にあらずと言わざるを得ない」と批判。与党側からも委員会筆頭理事の田中和徳は「誠に遺憾と言わざるをえない」、公明党の北側一雄中央幹事会長も「もっと緊張感を持って対応してもらいたい」と指摘が相次ぎ、菅義偉内閣官房長官は同日午前の会見で「事務的ミスではないか。いずれにせよ委員会に遅れることはあってはならないことだ」と苦言を呈した。約5時間後の同日午後に委員会が再開したが、その席上で桜田は「心から深くおわびする。時間の判断を誤った」と陳謝した。この騒動で2019年度予算案について、与党側は同月28日の予算案採決は困難と判断し、目標としていた月内の衆院通過を見送る方針を固めた。
2019年3月24日、地元である千葉県柏市での集会に出席した桜田は、東日本大震災について「国道や東北自動車道が健全に動いたからよかった。首都直下型地震が来たら交通渋滞で人や物資の移動が妨げられる」と発言した。翌25日の参議院予算委員会では事実誤認であることを認め、撤回した。
2019年4月9日、参議院内閣委員会で、3月24日に宮城県石巻市で行われた東京五輪・パラリンピック関連のイベントを欠席したことについて、自由党の木戸口英司参議院議員から質疑を受けた際、答弁で「石巻市(いしのまきし)」を「いしまきし」と3度にわたり誤読した。なお、答弁後に謝罪している。
2019年4月10日、東京都内で行われた高橋比奈子衆議院議員のパーティーで挨拶した際、「(東日本大震災からの)復興以上に大事なのは高橋さんでございますので、よろしくどうぞお願いします」と震災復興を軽視するような発言をした。当初、記者団に発言の真意を問い詰められても「記憶にありません」と繰り返した。安倍内閣総理大臣は同日夜にこの発言を受けて、桜田を大臣から事実上更迭する方針を固め、桜田は同日に大臣の辞表を提出した。桜田は辞表提出後、「被災者の気持ちを傷付けるような発言をして申し訳ない。発言の撤回だけでは十分でないと思うので責任を感じ、辞表を提出した」と記者団に述べた。その日のうちに辞表は受理され、桜田の後任として前任者の鈴木俊一が復帰した。
なお、桜田の大臣在職中はサポートする秘書官に加え、さらに政府職員1名が大臣室のスタッフとして派遣されていた。これは大臣就任直後の臨時国会で桜田の答弁が迷走を続けた事態を受け、会期中の2018年11月7日付で大臣室のスタッフを1人増やし、2名体制で桜田の答弁や会見のサポートに当たっていた。その後、桜田の辞任を経て鈴木が後任となったことに伴い、通常の秘書官1名体制に戻された。 
 
田中良生

 

日本の政治家、内閣府副大臣。自由民主党所属の衆議院議員(4期)。元国土交通副大臣、経済産業大臣政務官。
立教高等学校(現・立教新座高等学校)を経て、1986年に立教大学経済学部を卒業。1991年にベンチャー企業のケイ・アール・ベンチャーを起業。
小学校や青年会議所の後輩である庄野拓也と共に立ち上げた蕨ケーブルビジョン専務取締役・代表取締役社長を歴任し、現在は取締役会長。日本青年会議所においても1997年に蕨青年会議所(現・とだわらび青年会議所)理事長、2001年に埼玉ブロック会長を歴任。
2005年の第44回衆議院議員総選挙に埼玉15区から自民党公認で出馬し、民主党現職の高山智司を破り初当選。
2009年の第45回衆議院議員総選挙に再選を目指して埼玉15区から出馬したが、高山に敗れ、重複立候補した比例北関東ブロックでも復活できずに落選。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に埼玉15区から出馬し、前回敗れた高山を破って当選。
2013年9月、第2次安倍内閣において経済産業大臣政務官に就任(2014年9月、退任)。
2014年の第47回衆議院議員総選挙に埼玉15区から出馬し、3選。
2015年10月23日、自民党経済産業部会長に就任。
2016年8月5日、国土交通副大臣に就任(2017年8月、退任)。
2017年の第48回衆議院議員総選挙に埼玉15区から出馬し、4選。
2018年1月、第4次安倍内閣で内閣府副大臣(地方創生、拉致問題、規制改革、女性活躍、男女共同参画、少子化対策担当)に就任。
2018年10月、第4次安倍改造内閣で内閣府副大臣(金融、経済再生・経済財政)に就任。
所属団体・議員連盟
日本会議国会議員懇談会 / 神道政治連盟国会議員懇談会 / みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
不祥事
公職選挙法違反
2013年に、参院選公示前に投票を依頼する文書を郵送したとして、埼玉県警から公職選挙法違反(法定外文書頒布、事前運動)の疑いで、公設第1秘書が書類送検された。依頼には次期衆院選で公明党の支援を得る狙いがあったとみられる。
政治献金問題
田中が代表を務める自民党支部が2012年、選挙区内にある蕨市が出資する第三セクターから計140万円の政治献金を受けていたことが明らかになった。政治資金規正法は、自治体の首長選などに関係する政党などへの三セクの寄付を禁じている。報道を受け、田中氏側は受け取った寄付を返還することを決めた。 
ヤジで副大臣辞任 首相「気を引き締めて」 2018/1/29
国会は29日から衆議院の予算委員会。安倍首相は、内閣府の松本文明前副大臣が沖縄県でのアメリカ軍機のトラブルをめぐる国会でのヤジで辞任したことについて「これまで以上に気を引き締めていく」と強調した。
沖縄県選出の自民党の国場議員は、松本前副大臣の「それで何人死んだんだ」とのヤジについて、「県民の心は深く傷つけられた」と政府の姿勢をただした。
自民党 国場幸之助議員「不適切な発言が議場で行われたことに対しまして、大変遺憾に思っております。沖縄ではこれまで米軍による事件事故で多くの皆様が犠牲になっております。県民の心は深く傷つけられました」
安倍首相「政治家はその発言に責任を持ち、有権者から信頼を得られるよう自ら襟を正すべきであります。沖縄の基地負担軽減をはじめ、各般の政策課題に、内閣としてこれまで以上に気を引き締めて取り組んでまいります」
また、安倍首相は「基地負担の軽減のため、できることはすべて行う」と強調した。
政府は早速、内閣府副大臣の後任に田中良生衆議院議員の起用を決め、信頼の回復に努める方針。しかし、政府・与党内には松本前副大臣の発言は「あまりにも無神経だ」として、来月4日投開票の名護市長選挙への影響を懸念する声も出ている。 
暴言ヤジ辞任の後釜 田中副大臣に「カネと不祥事」の過去 2018/2
「“身体検査”で引っかかったのに大丈夫か?」と話題になっている。
沖縄県での米軍ヘリ不時着に関する代表質問で、「それで、何人死んだんだ」とヤジを飛ばし、内閣府副大臣を辞任した松本文明衆院議員の後釜に就いた田中良生衆院議員のことだ。
「2月4日に投開票の名護市長選を控え、選挙への影響を最小限に抑えるため、官邸の動きは早かった。事実上の更迭で、すぐに松本氏に辞表を出させ、急いで後任を決めた。田中氏は国交副大臣の経験があるので、スキャンダルの心配はないということで白羽の矢が立ったようですが、実は内閣情報調査室の身体検査では“真っ黒”だったのです。それで、起用は見送るよう進言したのですが、事態の早期収拾を優先した菅官房長官が強引にねじ込んだと聞いています」(官邸関係者)
田中氏は埼玉15区選出で現在4期目。父は前埼玉県蕨市長だ。立教大学経済学部を出て、ベンチャー企業を立ち上げ、「蕨ケーブルビジョン」の代表取締役社長などを務めてきた“やり手”だが、過去に不祥事を起こしている。 
公職選挙法違反の超拡大解釈が目に余る 2013/8/11
(1)選挙の常識
佐賀県でも全く同じだが、自民党と公明党は選挙協力している。また、同じ党だったり選挙協力している党だったりすれば、政治目的が同じなのだから、衆議院議員と参議院議員が選挙で協力するのも当たり前であり、これは、協力しているのであって、悪い点は全くない。
(2)違反とされている事例について
そのような中、*1、*2に記載されている事例について、私は、悪くもない普通のことに対し、公職選挙法を超拡大解釈して違反としていると考える。何故なら、田中良生衆議院議員は(同期なので知っているが)実直な人であり、自民党の公認候補である古川氏と、公明党公認候補である矢倉氏を、自民党の方針どおりに推薦する文書を、自らの後援会に郵送したにすぎないからだ。雇ったばかりの公設第1秘書が無許可でそのようなことをすべき動機はなく、秘書が事務所の仕事や後援会の世話をするのも当たり前なので、田中議員の事務所や秘書宅などの複数の関係先を家宅捜索した理由は全くわからない。何かの目的で、買収の嫌疑をかけたり、話を大きくしたりして嫌がらせをしているのかも知れないが、それならひどい話である。
なお、この事例は、「法定外文書を頒布、事前運動」と書かれているが、このような場合に誰に投票するのがよいか迷うであろう後援会の人(国会議員の場合は1万人以上いるのが普通)に、「家族の一人を、両方に投票させて下さい」という田中良生衆議院議員の手紙を送ったということである。しかし、他の人からの電話連絡ならよいが、本人の署名入りの手紙を郵送したらいけないという理由は全くなく、受取る人にとっては、他の人からの電話よりも本人の署名入りの手紙の方がよほど価値がある筈だ。
(3)公職選挙法の憲法違反にあたる条文は変えるべきである
公職選挙法は、142条で、法定外の文書図画(書面やチラシ)を頒布してはならないと定めているが、候補者でない人が何を配ろうと、事実無根の誹謗中傷でない限り、自由だろう。さらに、書面やチラシの頒布を禁止すれば、むしろ憲法の言論の自由・表現の自由に反する。
また、候補者は、「法定文書でも集会以外では頒布してはならず、新聞折込のみ可能」とされているが、これは、大きな集会を開けるベテラン候補者に有利で、他の候補者にとっては有権者に情報開示や連絡を行うことを不可能にし、選挙を不利にしている。そのため、前時代的な動機を想定して作られたこの公職選挙法の条文を、新時代の議員に無理矢理当てはめて罰することやその罪を秘書に転嫁することは、本当の民主主義を害するのだ。従って、公職選挙法は条文の合理性を見直すべきであり、現在のご都合主義で恣意的な運用も変えるべきなのである。
(4)小沢氏の事件も、不正で汚れた感じをなすり付けるためのものだった!
石川議員が録音していたので取り調べの内容と捜査報告書が異なり、捜査報告書が虚偽だったことが明らかになったが、小沢議員や石川議員の事件も、*3のとおり変だった。
しかし、このブログの2012/12/17に記載した通り、これに対してメディアは、事実と異なる理不尽な報道を繰り返し、日本の進路を変えた上、その行為を総括していないため、メディアの体質も問われるのである。

*1*2 田中良生議員の秘書を書類送検/公選法違反容疑 共同通信 2013/8/8
参院選公示前に投票を依頼する文書を郵送したとして、埼玉県警は公選法違反(法定外文書頒布、事前運動)の疑いで、自民党の田中良生衆院議員(埼玉15区)の公設第1秘書の男性(38)を、9日にも書類送検する方針を固めたことが8日、捜査関係者への取材で分かった。参院選埼玉選挙区では、自民党が公認候補の古川俊治氏とともに、公明党の矢倉克夫氏を推薦する異例の協力関係を結んで2人とも当選しており、依頼には次期衆院選で公明党の支援を得る狙いがあったとみられる。県警は7月22日、田中議員の事務所や秘書宅など複数の関係先を家宅捜索した。
*3 [特捜検事不起訴] 十分な捜査をしたのか 南日本新聞 2013/8/11
陸山会事件の虚偽捜査報告書問題で、検察審査会が「不起訴不当」と議決した東京地検の元特捜検事(辞職)について、最高検は嫌疑不十分として再び不起訴処分とした。検審は、昨年の1度目の不起訴に至る捜査を「不十分」と厳しく指摘していたが、2度目の議決も強制起訴に進む可能性がある「起訴相当」議決ではなかったため、これで捜査は終了した。だが、最高検による再捜査は、報告書に虚偽の供述を記載された石川知裕元衆議院議員の参考人聴取を、本人が録音を希望したことを理由に中止するなど、十分に行われた様子はない。検察が組織防衛を優先させ、早期の幕引きを図ったと言われても仕方あるまい。元特捜検事による虚偽の捜査報告書は、陸山会事件で小沢一郎元民主党代表(現・生活の党代表)が不起訴となったことに対する検審の「起訴相当」議決を受けて行われた捜査で作成された。小沢氏の起訴を断念した東京地検特捜部が、小沢氏の関与をにおわせる報告書を作り、検審に「宿願」を託したのでは、との疑念は当初からあった。それだけに身内を捜査する最高検には動機とその背景の解明が求められていた。最高検は、再捜査では元検事の釈明にうそがないか確認することに重点を置き、「できる限りのことをした」と説明した。だが、結局は「以前の聴取と混同した」という元特捜検事の供述をうのみにした格好で、不起訴の判断に疑問が出てくるのは当然だ。
多くの特捜経験者が「特捜検事が混同することはあり得ない」と口をそろえ、「特捜では『こういう調書を取れ』と指示された」という複数の体験談もある。上司の指示や期待に応える内容を、故意に報告書に盛り込んだと考えるのが自然だろう。元特捜検事が起訴されれば、この検事が作成した他の事件の調書の信用性に疑問が生じ、政治資金規正法違反の罪で有罪判決を受け、上告している石川元議員の事件への影響が懸念される。検察は大阪地検特捜部の不祥事などで信頼を失っており、最高検がさらなるダメージは避けたいと考えたとしてもおかしくない。今回の問題を刑事告発した市民団体は、元検事らを対象に新たな刑事告発を検討しているという。虚偽の捜査報告書は、検審が小沢氏の強制起訴を決めた根拠にもなった重大な事案である。検察自身の公正さが問われ、身内の調査に不透明さが残る以上、受理された場合の捜査には、第三者機関による検証や監視を求めたい。 
 
宮沢洋一

 

日本の政治家、元大蔵官僚。自由民主党所属の参議院議員(2期)、自由民主党税制調査会長(第35代)、参議院消費者問題に関する特別委員長。衆議院議員(3期)、経済産業大臣(第19・20代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構担当)、参議院政策審議会長代理、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。内閣総理大臣などを歴任した宮澤喜一は伯父にあたる。
不祥事
SMバーへの政治活動費支出
入閣2日後の2014年10月23日、宮澤の資金管理団体「宮沢会」が2010年に広島市内のSMバーに政治活動費を支出していたことが判明した。政治資金収支報告書によると、2010年9月6日に広島市中区の繁華街にあるSMバーに18,230円を支出していた。 同店は客と女性スタッフでSMのようなショーをおこないながら、客に飲み物を提供している。同店で支払いをおこなったのは宮澤の資金管理団体の職員であり、宮澤自身は今まで同店に入店したことは無いと述べている。また、店長も毎日新聞の取材に対し、宮澤の顔に見覚えは無く、当日に誰が来店したかも記憶に無いと証言した。宮澤は、共同通信の配信記事でこの一件を初めて知ったと述べ、支出が事実であることを認めた上で、事務所関係者が誤って政治資金として処理したものであるとして、政治資金収支報告書の訂正をおこなうとしている。
外国資本パチンコ企業からの寄付
同じく閣僚(経済産業相)を務めていた2014年10月27日、上記SMバーへの支出金問題を受けて自身の資金管理団体を調査した結果、衆議院議員時代に代表を務めていた政党支部が2007年と2008年に、外国人が50%超の株式を保有する広島県福山市のパチンコ企業ゴールドから計40万円の寄付を受けていたことが判明したため、10月26日に返金したことを公表した。政治資金規正法では、外国人や外国法人からの寄付の受け取りを禁じている。株主の国籍については「わからない」と話しているが、韓国籍が多数を占めるとみられている。安倍晋三首相は、宮沢は寄付を速やかに返金したとし、宮沢の閣僚辞任を否定。引き続き職務に邁進してほしいとした。
東電株保有問題
2014年10月23日、宮澤の事務所担当者によれば、東京電力(経済産業省の所管対象)の株式600株を保有しているという。ロイターは、東電の株主と経済産業大臣の立場は利害が相反するがい然性が高い、と指摘している。宮澤は参議院経済産業委員会で、「在任期間が終わった後、福島の復興に役立てるため、処分して全額を寄付したい」とコメントした。
補助金企業からの献金
政治資金規正法は国の補助金の交付決定通知から1年間、企業などに政治献金を禁じているが、国の補助金の交付決定通知を受けた企業から12万円の献金を受けたことが、2015年明らかになった。 
 
山谷えり子

 

日本の政治家。参議院議員(3期)、自由民主党北朝鮮による拉致問題対策本部長、参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長。本名は小川 惠里子(おがわ えりこ)。「惠」が旧字体のため、新字体で小川 恵里子(おがわ えりこ)と表記されることもある。選挙活動等においては通称を用いているが、国務大臣としての公権力の行使等に際しては正式な本名を使用している。衆議院議員(1期)、国家公安委員会委員長(第89・90代)、拉致問題担当大臣、海洋政策・領土問題担当大臣、国土強靭化担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災担当)、内閣総理大臣補佐官、参議院環境委員長、参議院政府開発援助等に関する特別委員長、自由民主党参議院政策審議会長などを歴任した。尾崎行雄記念財団顧問。
在日特権を許さない市民の会(在特会)
在日特権を許さない市民の会(在特会)について、「在日韓国人・朝鮮人問題を広く一般に提起し、彼等に付与されている『特別永住資格』の廃止を主張するなど、『在日特権』をなくすことを目的として活動している組織と承知しています」との認識を、『荻上チキ・Session-22』がTBSラジオにおいて送った質問状に対して示したという。
2014年(平成26年)10月30日の衆議院予算委員会において、在特会幹部と携帯電話でやりとりする間柄、との指摘をうけた。
2014年9月17日、元在特会幹部が山谷と在特会関係者が写っている写真を公開していたことが報じられた。山谷は同年9月18日の定例記者会見で「在特会の人であることは知らなかった。国家公安委員長なので、面会の要否については慎重に対応していきたい」と述べた。9月25日に外国特派員協会で開かれた記者会見で、英国のタイムズ紙の記者から、在特会関係者との交流や在特会についての見解を質された際には、「私は選挙区が全国でありまして、たくさんの人々とお会いいたします。その方が在特会の関係者ということは存じ上げておりません。(在特会の主張について)一般論として、いろいろな組織についてコメントすることは適切ではないと考えております。」と答えた。 
 
江渡聡徳

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自民党青森県連会長。自由民主党副幹事長、衆議院安全保障委員長、内閣府大臣政務官(第2次小泉改造内閣・第3次小泉内閣)、防衛副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣・第2次安倍内閣)、防衛大臣(第13代)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。父・江渡誠一は社会福祉法人至誠会設立者・初代理事長。議員会館では女優で姪の梅宮万紗子が秘書として勤務していたこともある。
政治資金問題
政治資金規正法は、選挙活動を除いて資金管理団体による候補者個人への寄付を禁じているにもかかわらず、江渡の資金管理団体「聡友会」において衆院選があった2009年と2012年の選挙期間内ではない時期に、4回にわたって、計350万円を江渡個人に寄付した、と政治資金収支報告書に記載されていた。
江渡の「聡友会」は、2010年は「渉外費」、2011年、2012年は「寄付金」名目で、毎年6月に靖国神社に各1万2000円、計3万6000円を支出していた。
江渡の「聡友会」では、2012年に「会合費」2万円を支出した記載があるが、野党議員から「インターネットでこの店の求人を見たら、『キャバクラ求人』と書いてある」と指摘された。江渡側は、「クラブ」であると反論している。
日本禁煙学会の調査によると、全国たばこ販売政治連盟・全国たばこ耕作者政治連盟のいずれかから2011年から2015年まで6年間で176万の資金提供を受け、自民党たばこ議員連盟にも所属している。 
 
望月義夫

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、衆議院災害対策特別委員長。環境大臣(第20・21代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)、国土交通副大臣(第1次安倍内閣)、環境大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、外務大臣政務官(第2次森内閣)、衆議院国土交通委員長、静岡県議会議員(2期)、清水市議会議員(4期)等を歴任した。
不祥事
年金未納
年金未納問題が発覚した際、2002年10月から2003年9月までの1年間の年金未納が判明した。
政治資金
2015年、第2次安倍改造内閣の閣僚である望月、上川陽子法務大臣が、それぞれ代表を務める自由民主党の支部への、国からの補助金交付が決定していた総合物流会社「鈴与」からの140万円(2013年)、計620万円(2011〜12年)の寄付が報道された鈴与は2011、12年に環境省の「家庭・事業者向けエコリース促進事業費補助金」を申請し、同省所管の一般社団法人が2011年9月、12月に補助金の交付決定を通知していた。政治資金規正法では、補助金の交付決定の通知を受けた企業からの1年以内の政治献金が禁じられている。
報告書への記載漏れ / 望月の関係政治団体「望月義夫後援会」の2008年・2009年分の政治資金収支報告書において、賀詞交歓会での支出660万円を記載しながら、収入は記載しておらず、虚偽記載の疑いが持たれた。また2010年、2011年に実施したゴルフ大会に関しても後援会の収支報告書に収入を記載せず、支出のみ45万円・33万円をそれぞれ記載していた。
飲食費の支出 / 日刊ゲンダイの報道によれば、県連会長を務めていた2010〜11年の間に自民党静岡県連が7回にわたり、クラブやラウンジの飲食代約66万円を政治資金から支出していた。
献金
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗の報道によれば、国の補助金を受けていた総合物流会社「鈴与」グループからの献金が、企業・団体献金の51%を占めていた。
道路特定財源の一般財源化に反対している道路運送経営研究会から献金を受けている。
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗の報道によれば、年金共済金の運用の失敗や使途不明等の理由により国税庁から改善勧告が出されていた全国小売酒販組合中央会の政治団体から、計20万円の献金を受領していた。 
 
西川公也

 

日本の政治家、自由民主党の前衆議院議員(6期)、内閣官房参与。学位は農学修士(東京農工大学・1967年)。栃木県議会議員(5期)、栃木県議会議長(第81代)、内閣府副大臣、衆議院農林水産委員長、農林水産大臣(第56・57代)、衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長(初代)、自民党たばこ議員連盟副会長などを歴任。
不祥事
千振ダム汚職事件にて収賄容疑で逮捕
週刊文春によると、千振ダムの工事を請け負った建設業者から、コンクリート打ちの不備を見逃す見返りとして現金を受け取っていた容疑を掛けられた。千振ダム汚職事件を捜査していた栃木県警察本部刑事部捜査第二課は、1971年9月に西川を収賄罪の容疑で逮捕した。ただ、見返りとして受け取った金額が少額だったことや、西川自身がまだ若かったことなどが考慮され、起訴猶予処分となった。なお、同時に逮捕された建設業者や西川の上司らは、そのまま起訴され、執行猶予は付いたものの有罪判決を受けている。
製糖業界関連
2014年12月24日より第3次安倍内閣の農林水産大臣を務めたが、自らの政党支部が2013年7月、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に日本が初参加する直前に、砂糖メーカー団体の日本精糖工業会が運営する製糖工業会館から100万円の献金を受けていたことを認め、2015年2月23日に辞任した。また、精糖工業会は同年3月、農水省の「さとうきび等安定生産体制緊急確立事業」で13億円の補助金交付が決まっていた。政治資金規正法は国の補助金の交付決定から1年間の政治献金を禁じている。
木材加工会社からの違法献金疑惑
政治資金規正法が補助金の交付決定を受けた会社が1年間献金することを禁じているにもかかわらず、西川の政党支部が、国の補助金をもらっていた選挙区内の木材加工会社のテクノウッドワークス株式会社から2012年に300万円の献金を受け取っていたことが発覚した。この木材加工会社は2009年度に1億6100万円、2010年度にも3億7000万円、2012年度に7億円の補助金を国から受けていた。一方、西川は、国会で、「この事業が継続するよう努力したい」と答弁するなど、再三、同事業の必要性を強調していた。
TPP関連で養鶏関係者からの現金受領
森山裕が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の対策委員長だった2015年9月末、日本養鶏協会(養鶏協)の当時の会長から現金を受け取っていた。
政治資金問題
長男の会社への支出
西川が代表である「自民党栃木県第二選挙区支部」が、西川の政策秘書でもある長男が経営する会社から物品などを買っていた。2010〜2012年に、土産代やお歳暮、スタッドレスタイヤ代などに計約39万円を支出していた。
長男の関連会社からの献金関連
2011年8月に破綻した那須塩原市の畜産会社安愚楽牧場から、2006年から2010年までの4年間で計125万円の献金を受けていた。西川の長男が同社の顧問を務めており、同社の三ケ尻久美子社長は西川の下へ陳情に訪れていた。
消費者金融関連
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券の購入等による資金提供を受けていたと報じられた。  
 
塩崎恭久

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自由民主党行政改革推進本部長。参議院議員(1期)、衆議院法務委員長、外務副大臣(第3次小泉改造内閣)、内閣官房長官(第73代)、拉致問題担当大臣(初代)、厚生労働大臣(17・18代)、自由民主党党・政治制度改革実行本部長等を歴任。
不祥事
事務所費問題
2007年7月20日、塩崎の地元後援会と自民党の選挙区支部の事務所費に関して、2005年に1330万円の使途不明金があると日本共産党・しんぶん赤旗日曜版が報じた。後援会と自民党支部は共に松山市内に事務所を置いており、2005年の事務所費は両団体合わせて約2100万円となっている。家賃、電話代やリース料等を除いた計1330万円が使途不明となっていると指摘されている。塩崎事務所側は、経費は全て適法に支出され、公表されていると反論した。
政治資金パーティー
内閣官房長官だった2007年4月と7月、大規模な政治資金パーティーを自粛すると定めた大臣規範に反し、パーティーを開催して計約3800万円の収入を得ていたことが政治資金収支報告書で分かった。
職員の私的流用問題
2007年8月20日、事務所の職員が塩崎が代表を務める自民党愛媛県第1選挙区支部の政治資金の一部を私的に流用していた事実が判明した。同職員はその発覚を防ぐために、2005年の選挙運動費用収支報告書に添付していた領収書の一部を、下記金額分、同支部の平成17年政治資金収支報告書に重複して添付していた。その職員は8月19日付で解雇された。塩崎は20日、愛媛県選挙管理委員会に領収書の訂正を届け出た。
不正寄付問題
2008年9月11日、塩崎が支部長を務める自民党愛媛県第1選挙区支部が、ウナギ蒲焼の産地を偽装したとして不正競争防止法違反の疑いで家宅捜索を受けていた伊予市内の食品会社から、合計132万円の寄付を受けていたことが判明した。塩崎の事務所は、一支援者としての適法な支援だったが事件の推移に照らして全額を返還したとの説明を行った。
秘書による特養ホーム開設口利き問題
2014年10月11日、「週刊ポスト」が塩崎の秘書の口利き事件を報道。それによれば、塩崎の私設秘書が9月、選挙区の松山市の社会福祉法人が計画する特別養護老人ホーム(特養)をめぐり、特養を所管する厚生労働省担当課に開設許可に関する口利きをしていたとされた。10月15日の衆議院厚生労働委員会で本件を民主党の大西健介に追及された塩崎は、「(秘書の)教育不行き届きで申し訳ないと思います」と陳謝した。大西は「松山市が決めることに圧力をかけようとしたのではないか」と更に追及し、委員会に秘書など関係者の参考人招致を求めた。
献金
消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていた。
塩崎の資金管理団体「廿一世紀問題懇話会」は、2010〜2012年に、「塩崎恭久と明日を語る会」といった政治資金パーティーを年4、5回開催し、「製薬産業政治連盟」から2010年、2011年各250万円分、2012年180万円分のパーティー券購入による資金提供を受けた。また、塩崎が支部長を務める「自民党愛媛県第1選挙区支部」は、選挙区内の松山市などの病院や薬局などから、2010年には6社72万円、2011年には8社96万円、2012年には7社100万円の献金を受けた。さらに日本薬業政治連盟、全国美容政治連盟、日本薬剤師連盟の3政治団体から2010年350万円、2011年330万円、2012年210万円の献金があった。 
 
竹下亘

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。現在は自民党島根県支部連合会会長、平成研究会会長。環境大臣政務官、財務副大臣、復興大臣(第3・4代)、衆議院予算委員長、自由民主党国会対策委員長(第56代)、自民党総務会長(第55代)、自民党組織運動本部長、自民党たばこ議員連盟幹事、日韓議員連盟総務会長などを歴任。
主張
2017年9月3日の党会合で、グアムを狙う北朝鮮のミサイルを巡り「広島はまだ人口がいるが、島根に落ちても何の意味もない」と発言し、翌4日には「戦略的に考えた場合、北朝鮮が島根を狙ってくることはないだろうという思いを話した」と述べた。問題点を指摘されてもなお、「どこが不適切なのか」と語り、発言撤回を否定した。
2017年11月23日、岐阜市の岐阜産業会館で行われた党支部パーティーの講演で、「(国賓の)パートナーが同性だった場合、私は(晩餐会への出席には)反対だ。日本国の伝統には合わないと思う」と述べたが、翌日に「反省している。言わなきゃよかったと思っている」と述べ、撤回した。
2018年3月28日、東京都内で行われた講演で、学校法人森友学園の国有地売却問題について「(安倍晋三首相の夫人の)昭恵さんが迷惑をかけたことは事実だが、(売却に)関与していたことと迷惑をかけたことは分けて考えないといけない」、9月の党総裁選への対応について、「できれば(派閥から)総裁候補を出したいが、できなくても誰かを推したい」と述べた。
政治資金
竹下が代表を務める自民党島根県第二選挙区支部が、国土交通省中国地方整備局から指名停止処分を受けていた「安部日鋼工業」(岐阜市)から2007年に計20万円の献金を受領していた。2008年9月、産経新聞の取材に対し同支部は速やかに献金を返還する旨を回答している。
2014年10月、政治資金管理団体が、実家の酒屋「竹下本店」に、「備品消耗品」の名目で平成22年から24年にかけて118万円を品代として支払っていたことが政治資金収支報告書から判明した。
さらに政治資金管理団体は過去3年度で金券175万円を購入しており、一部では時間的に矛盾しているような記載が政治資金収支報告書に書かれていることなどが分かった。うち144万円は、様々な用途に使用できてまた金券ショップで換金も可能なQUOカードで、残りが三越の商品券。金券は、実際の支出の使途が不明瞭で追求できず、政治活動の監視をするため収支の状況を明らかにするという政治資金規正法に抵触する可能性がある。平成22年11月12日開催の政治資金パーティ「竹下亘君を励ます会」のための費用としてクオカードが計上されており、そのうち135200円分がそのパーティの終わった後の平成22年の11月15日と11月16日に購入されていた。「国会議員関係政治団体の収支報告書の手引き」(総務省自治行政局選挙部政治資金課編)によれば政治資金パーティのために記念品を贈ることなどは認められているが金券が記念品になるかどうかは不明瞭であり、金券を参加者へ渡していれば利益供与((公職選挙法221条違反・候補者などが行えば4年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰)になる可能性がある。 
 
有村治子

 

日本の政治家。学位はMasters of Arts in Conflict Transformation(1997年)。参議院議員(3期)、自由民主党参議院政策審議会長。現在は滋賀県在住。桜美林大学講師、参議院環境委員長、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、規制改革、少子化対策、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣などを歴任した。
不祥事
有村の関連政治団体が脱税で罰金の判決を受けた鹿児島市の企業から寄付やパーティー券購入などの資金提供を受けたことが発覚した。この会社は2008年7月から2010年6月にわたり、材料費や外注費を元経理部長が水増しし、法人税を免れたとして、鹿児島地裁で2013年4月に罰金3千万円などの判決を受け、その後確定している。
支援宗教団体
2013年の第23回参議院議員通常選挙において、神道政治連盟・仏所護念会教団・崇教真光・黒住教・天台宗・世界救世教(主之光教団)の6団体から支援を受けた。
発言
2014年10月7日の予算委員会において、有村が副会長を務める日本会議の下部組織・日本女性の会は『主婦が働くことで夜遅くまで預けられる子供が増え、社会を殺伐とさせる』と主張している、 と指摘されたことに対して、有村は「それは団体の主張で、私の考えと全て一致するわけではない」と主張した。
共働きについて、「両親が責任あるポジションに就いて仕事を続け、十数年以上たって家族機能が破綻(はたん)し、親子関係において修羅場を経験している方も少なくない」と述べている。
2017年4月13日の参議院内閣委員会において、NHKのニュース番組で中国国旗と日本国旗が上下に並べて表示され、日本国旗が中国国旗の下に配置されていたことを取り上げ、「NHKはどこの国の公共放送でしょうか」と総務省審議官に質問した。 
 
左藤章

 

日本の政治家。衆議院議員(5期)、内閣府副大臣、学校法人大谷学園評議員、学校法人光華女子学園評議員、学校法人大阪聖徳学園理事、学校法人藤田学園理事、学校法人木村学園理事、社会福祉法人聖徳園理事。旧姓は伊戸。社団法人大阪青年会議所副理事長、衆議院総務委員会理事、衆議院外務委員会理事、衆議院安全保障委員会理事、衆議院国家安全保障に関する特別委員会理事、防衛大臣政務官、防衛副大臣、内閣府副大臣、自由民主党大阪府連会長などを歴任した。
政治資金
資金パーティー
左藤が代表を務める政治団体が、左藤が副大臣在任中だった2014年に収入額1千万円以上の政治資金パーティーを開いていた。大臣規範は政務三役に対し「国民の疑惑を招きかねないような大規模なパーティー」の自粛を求めている。
選挙区内の有力者をパーティーに招待
2012年12月3日、シェラトン都ホテル大阪にて「左藤章君を再度国会へ送る会」と題するパーティーを開催した。このパーティーは、参加者から会費2万円を徴収することになっていた。ところが、マスコミにより「地元関係者によれば、このパーティーに左藤氏は選挙区内の社会福祉協議会の会長らを“無料招待”していたという」と報じられたことから、「選挙に当選する目的でパーティーに無料招待すると『金券扱い』となる。つまり『選挙区内の地元有力者に2万円相当の供応接待』をしたとみられてもおかしくない。公選法221条の買収罪にあたる可能性」があると指摘された。なお、パーティーが開催された2012年12月3日は、第46回衆議院議員総選挙の公示日の前日にあたる。2014年10月17日には、衆議院安全保障委員会でもこの件が指摘された。この件について、左藤は「招待ではなく“来賓”として来てもらっている」などと主張し、参加者の総数約900名のうち600名が来賓だったなどと説明した。また、「来賓」対象者への招待状には、「会費20000円」と印刷された文字の上に「御来賓」と赤いスタンプが押されていたが、この点について「(スタッフが)たまたま上に押しただけ」などと説明した。また、「来賓」対象者については「すべてが連合町会長などではない」としている。同年10月20日、左藤はコメントを発表し「無料招待をしたことは一度もございません」と主張した。そのうえで「約600名の方に受付の関係上ご来賓として案内状をお渡ししておりますが、ご来賓者への案内状にも振込用紙は同封しており、会費をお支払い頂けるようになっております」と説明している。また、会費を納付せず来場してしまった者への対応について「受付にて会費のご入金の有無を確認し、会費未納の方はその場で会費を頂くか後日ご入金頂いております」と説明している。 
 
御法川信英

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(5期)、自由民主党秋田県連会長。秋田県大曲市(現・大仙市)出身。父御法川英文衆議院議員の秘書を経て政界入りし、外務大臣政務官(麻生内閣)、財務副大臣(第2次安倍改造内閣)、衆議院財務金融委員長を歴任。既婚。
不祥事
年金未納
2004年、政治家の年金未納問題が注目された際に国民年金の未納が発覚している(1988年6月分)。
政治資金
2010年から2012年にかけて資金管理団体が作成した政治資金収支報告書に一部の収入が不記載となっている疑いがあることが判明している。
選挙運動
2014年、御法川の政治団体が選挙区内の有権者にカレンダーを配布していており、公職選挙法で寄付が禁じられる有価物に該当すると指摘された。  
 
大塚高司

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(4期)、国土交通副大臣。国土交通大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次安倍改造内閣)、自民党たばこ議員連盟幹事。
政治資金問題
外国人からの献金
パチンコ店を経営していた外国人から献金を受けていたことが判明した。献金額は、2007年に30万円、2008年に60万円、2009年に25万円と3年間で合計115万円だった。大塚は取材に「週刊誌からの指摘で確認し、すぐに返金した」と述べた。
政治資金収支報告書不記載
大塚が支部長の「自民党大阪府第8選挙区支部」が、2012年2月末に開いた「早春を楽しむ集い」の収入を、収支報告書に載せていなかったことが判った。支出は豊中市の商工会議所の会場費や菓子代、女優の講師代など計6万5千円分の記載があった。大塚の事務所は、後援会の女性部の会合で「参加者一人あたり500円を徴収した」という。
徳洲会関係
公職選挙法違反容疑で幹部6人が逮捕された医療法人「徳洲会」グループのファミリー企業で、逮捕された幹部であった徳田虎雄の次女が最近まで社長だった大阪市北区の会社から100万円の献金を受けていた。大塚の事務所は「全額返した」としている。
妻経営業者への政治資金支出
しんぶん赤旗によれば、大塚が代表を務める「自民党大阪府第八選挙区支部」が2013年に、「土産物代」などとして、大塚の妻が運営するフレーバーティー販売業者に約175万円を支出していた。
不祥事
傷害容疑での書類送検
2014年10月15日、衆院国土交通委員会で、自身が昨夏に知人女性を殴り、傷害容疑で書類送検されたことについて「プライベートな事項とはいえ深く反省しており、被害女性に大変申し訳なく思っている」と陳謝した。大塚は政務官就任前の昨年8月、大阪市内で飲食店従業員の知人女性を殴り、軽傷を負わせた疑いで大阪府警に書類送検されたが、女性が被害届を取り下げ、不起訴になった経緯が既に明らかとなっている。「女性には直接謝罪した」と説明する大塚に対し、委員会で質問した民主党の後藤祐一は、「女性は謝罪を受けていないと話している」などとしたうえで、「暴行事件を起こす方を政務官にすることはいかがなものかと思う」と指摘している。この問題について、内閣官房長官の菅義偉は、「政府とすれば、そうしたことはあってはならないことは当然のことだ」と強調したうえで、政務官としての適性については「本人が反省したうえで、その後も政治活動をきちっとやられているというふうに報告を受けている」と述べている。
地震発生時に飲酒継続
2019年6月18日22時22分ごろに、新潟県で最大震度6強を観測した地震(山形県沖地震)が発生したが、この際大塚は東京・赤坂のクラブでホステスと飲酒していた事実が、週刊文春の取材により発覚した。大塚は国土交通省に設置された災害対策本部の参集対象ではなかったがこの行動は問題視され、7月2日、国土交通大臣の石井啓一は「店に居続けたことは緊張感を欠いた行動だった」として大塚を厳重注意とした。  

山田美樹

 

日本の政治家、通産官僚。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。元外務大臣政務官。
東京都品川区生まれ。父はエンジニア、母はピアノ講師。桜蔭中学校・高等学校、東京大学法学部卒業。1996年、通商産業省(現:経済産業省)に入省し、世界貿易機関 (WTO) での通商交渉や特許庁の組織改革に携わった。26歳でアメリカ合衆国コロンビア大学大学院に留学し、経営学修士号を取得。帰国後は内閣官房へ出向。30歳で経産省を退官し、ボストン・コンサルティング・グループ勤務を経て、エルメス・ジャポンに入社。
2011年11月、自由民主党東京都連が実施した候補者公募に合格し、東京1区で公認を受ける。2012年の第46回衆議院議員総選挙では、民主党前職で元経済産業大臣の海江田万里を1,134票の差で破り初当選した(海江田は比例復活)。なお、全国300の選挙区で、東京1区は最後に当落が決まった。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では、現職の民主党代表であった海江田を比例復活を許さずに破り、再選。野党第1党党首が落選するのは、1949年1月の第24回衆議院議員総選挙で日本社会党委員長であった片山哲(第46代内閣総理大臣)が落選して以来、65年ぶりのことである。
2015年10月、外務大臣政務官就任。
2017年の第48回衆議院議員総選挙では、立憲民主党に移籍した海江田に敗れたものの、惜敗率96.8%で比例復活当選し、3選。
所属団体・議員連盟
神道政治連盟国会議員懇談会 / みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会
選挙運動
2014年、衆院選公示期間中の12日、運動員が選挙区内で人身事故を起こし、被害者が救急搬送される近くで街頭演説を行っていたことが分かった。翌日に被害者の入院先を訪ねてきた秘書が、応対した親族に「(投開票後の)月曜まで待ってくれ」などと言って身分を明かさなかったことも判明した。被害者側は「非常識だ」と批判しており、事務所は取材に対し、本人に事故をすぐ報告すべきだったと述べている。  
 
上川陽子

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党一億総活躍推進本部長。第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣で内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)を務めた他、法務大臣(第95代・第96代、第99代・第100代)、総務副大臣(第2次安倍内閣)、総務大臣政務官(第3次小泉改造内閣)、衆議院厚生労働委員長等を歴任した。
政治資金
2015年、第2次安倍改造内閣の閣僚である上川、望月義夫環境大臣がそれぞれ代表を務める自由民主党の支部への、国からの補助金交付が決定していた総合物流会社「鈴与」からの2011年〜12年に計620万円の寄付が報道された。鈴与は2011年、12年に環境省の「家庭・事業者向けエコリース促進事業費補助金」を申請し、同省所管の一般社団法人が2011年9月、12月に補助金の交付決定を通知していた。
不祥事
2009年の第45回衆議院議員総選挙期間中、上川の後援会関係者2人が、静岡市内の人材派遣会社を通じて募集した上川陣営のアルバイトに対して投票を依頼する電話を有権者にかける見返りに報酬の支払いを約束し、公職選挙法違反により逮捕された。  
 
下村博文

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)、自由民主党憲法改正推進本部長。群馬県高崎市(旧:倉渕村)出身。文部科学大臣(第18代・第19代)、内閣官房副長官、文部科学大臣政務官、法務大臣政務官などを歴任。自由民主党では幹事長代行(第4代)、総裁特別補佐、副幹事長、国会対策副委員長、広報局次長、新聞局次長、東京都連会長、国会では、衆議院法務委員長、議院運営委員会理事などを歴任。あしなが育英会の副会長を務めた。
政治資金
2015年4月23日、東京地検は任意団体「博友会」が政治団体の届け出をせずに政治活動を行ったとして大阪市の「政治資金オンブズマン」が提出していた政治資金規正法違反罪での告発状を受理した。その後、2016年11月22日に不起訴となっており、ロイター通信や産経新聞は嫌疑なしと判断されたものと推察している。
無届けの支援団体
下村の後援会が無届けの政治団体として政治活動をしたり、不正な寄付があるとの疑惑が報じられた。下村は、指摘の団体は政治活動を行わない任意団体であるとし、「事実確認が不十分な報道で、強い憤りを感じる」、「年1回程度講演はしているが、政治活動は行っていない」、「運営にも関与しておらず、講演の謝礼や交通費は一切受け取っていない」と疑惑を否定している。一方、下村を支援する団体の年会費の一部が、同氏が代表を務める政党支部「自民党東京都第11選挙区支部」への献金として処理されていた、と報じられたことに対し、「任意団体は私の政治活動とは無縁で、会費を集めていたとは知らなかった」、「個人から頂いた寄付は適正に処理している」と述べた。
日本共産党機関誌のしんぶん赤旗が下村が代表である自民党支部が、反社会的勢力と関係のある個人や企業から献金を受けていたと報じたことについて、下村は、「反社会的勢力との関係があるとの報道に気づいた」り、「代表者が日本人でないと分かった」としてすでに返金していると述べている。これら一連の件に対し、官房長官の菅義偉は、記者会見で「(下村氏は)十分説明責任を果たしたと思うし、違法性は全くないと考えている」と述べている。
元塾経営者男性からの10万円の寄付について、国会答弁で「受けていない」としていたが、後に誤りだったこと認めた。下村は、事務所の調査により男性個人からの寄付が判明したとして、「事務方のミスで、献金を受けた事実が判明した。速やかに返したい」と述べている。
支援団体に対して、下村側が、取材に応じないよう依頼する「口止め」ともとれるメールを送っていたことが発覚した。団体側が、下村の秘書官から、「大臣より取材の要請が来ても応じることなく、無視でお願いと申しております」、「大臣になりますと、あらゆる疑いをかけられ、ないことを書かれますので、取り合わないようお願い致します」と依頼された、という。3月5日になって下村は事実関係を認め、「当然、私が指示したものではない」と述べた。
下村が代表を務める政党支部に、下村を支持する任意団体の会費が流れ、献金として処理されていた。下村は会費として処理されたのは599万円であることを明らかにした上で「不適切だった」とし、処理をやめさせた旨を述べた。
大臣在任時の特定パーティー開催
文部科学大臣在任時の2014年11月に下村が開催したパーティーの収入1156万円であり、同5月に下村が代表の「博文会」が開催したパーティでは収入1025万円であった。下村の事務所は毎日新聞や読売新聞の大臣規範との関連を尋ねる取材に対し、「毎年恒例に開催しているパーティーであり特に大臣に就任したことを契機に開催したものではないので規範に抵触するものではない」と回答している。
政治献金
下村が代表を務める自民党東京都第11支部に、文科省から補助金、計1660万円を交付された二つの学校法人から計10万8千円の寄付を受けたと収支報告書に記入していたが、役員からの献金である、と修正した。朝日新聞の報道によれば、政治資金規正法は補助金を受けた法人の寄付を制限しているが、役員ら個人については規定がない。これについて、下村の事務所は「誤解していた」と釈明した。
しんぶん赤旗などは、下村が支部長を務める自民党支部が進学塾や予備校などの教育関連企業から、7年間で1300万円近い献金を受け取っていたと報じた。しんぶん赤旗は、献金企業の代表者の中に教育再生実行会議の有識者委員がいるとし、週刊金曜日はその委員が成基代表の佐々木喜一であると報道した。下村は週刊金曜日の取材に対し、佐々木代表からの寄付は委員就任前に全て返納したと答えていたが、翌2014年の政治資金収支報告書に再び同委員からの寄付があることが判明した。
しんぶん赤旗や週刊文春で、下村が支部長を務める自民党支部に反社会的勢力からの寄付があるなどという報道について、下村は衆議院予算委員会の質疑応答で、大阪の件については代表が日本人でなかったので返金したとし、反社会的勢力との関係が疑われる名古屋の進学塾元代表の件についても返金したと答えた。朝日新聞は予算委員会の質疑で下村が否定した年(2009年8月8日)にも、名古屋の進学塾元代表からの寄付はあったのではないかとする追加取材を行ったところ、下村はこれを認め、返金すると返答するに至った。
下村が代表を務める自民党支部が、文科相在任中の2014年に教育関連のNPO法人から10万円、大手出版社三省堂から10万円の献金を受けている。下村の事務所は東京新聞の取材に対し、「法的に問題ないが、道義的な趣旨に鑑みて適切な処理を今後検討したい」と回答している。なお、NPO法人は「法人代表個人の献金が、手続きミスで法人名となった。誤解を招かないよう訂正をお願いしている」と述べている。
資金管理団体「博文会」が東京都内の婦人服卸会社に「書籍代」として25万円余りを支払っていたことが、2015年分の政治資金収支報告書から発覚した。実際は社名が酷似している千葉県内の企画会社に支払われており、下村事務所は毎日新聞の取材に対し誤記載を認め、収支報告書を訂正した。
外国人が代表を務める3社から60万、12万、24万、合計96万円を政治献金として受け取っていた、この献金は外国人だとわかったことから返金したことを明らかにしている。
2017年6月29日、加計学園からの献金疑惑が週刊文春で報道されたことに対し「全く事実に反する」と否定し、「学園から寄付もパーティー券の購入もしてもらったことはない」と述べた。週刊文春は、下村が文部科学大臣であった平成25および26年に、加計学園が下村を支援する政治団体「博友会」のパーティー券計200万円分を購入したにも関わらず、博友会の収支報告書に記載がなかったとしている。下村は、「個人11人及び企業1社が20万円以下で購入し、秘書室長が現金を持参し領収書を作成した。加計学園が購入したものではない」と強調した。報道に関し、地域政党「都民ファーストの会」から都議選に立候補した元秘書が内部文書を持ち出した疑惑があるとし、「選挙妨害と受け止めざるを得ない」と話し、週刊文春が入手した内部文書は情報漏洩の疑いがあるとして、偽計業務妨害の罪などで刑事告訴を検討していることも明らかにした。
2018年には霊感商法で損害賠償請求のでた自称霊能力者の宗教法人管長から10万円の政治献金を受けていた、毎日新聞社は道義的に問題があるとする専門家の意見を掲載した。  
 
林芳正

 

日本の政治家。参議院議員(4期)。参議院外交防衛委員長、防衛大臣(第5代)、参議院政府開発援助等に関する特別委員長、同環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員長、同環境委員長、内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)、農林水産大臣(第55代・第58代)、文部科学大臣(第22代・第23代)などを歴任した。 学位はMPA(ハーバード大学・1994年)。
人物
外交・安全保障・財政・金融まで幅広く精通する政策通である。理知的で周囲の信頼も篤いとされるが、思い切りの良さや突破力に欠けるとの指摘もある。
2010年1月26日の参議院予算委員会において菅直人財務大臣に対する質疑中、麻生内閣が編成した補正予算を凍結することのマイナス効果を容認する菅財務大臣の見解を質した林に対し、菅が「前政権の公共事業は1兆円投資して1兆円しか効果がなかったが、現政権は異なる」という趣旨の答弁を行った。これを受けて林が即座に「どうも乗数効果のことを言っておられるようですが、子ども手当の乗数効果はいくらと見積もっておられますか」さらに「消費性向と乗数効果の関係は」と事前通告のない質問をすると菅が完全に答弁に窮したため、「菅財務大臣には大学の経済学部の1年生でも習う経済学の基礎知識すらないのか」などと話題になった。この質疑により林は名を上げ、菅内閣発足以降も菅の天敵として知られるようになった。
村上ファンドの村上世彰は東京大学の同期で、麻雀仲間でもある。評論家の宮崎哲弥は友人。浜田靖一、小此木八郎、松山政司、松浪健太と共に議員バンド「Gi!nz(ギインズ)」を結成し、ライブも行っている。担当は主にボーカル、ギター、ピアノ&バックボーカルである。
自他ともに認める宏池会のエースとして、将来の総理総裁候補と目されることも多いが、参院議員であることが最大のネックとなっている。父親の代から安倍家とは同じ選挙区のライバル関係であり、関係は二代にわたり良好とは言いがたい。
林は衆院への鞍替えを常に意識しており、2012年には山口3区への鞍替えを画策し「クーデター」と騒動になったが、河村建夫がこれに強硬に反発し、鞍替えは不発に終わった。
自民党山口県連は候補者を一本化できず、党本部に白紙で公認申請した。そのため、党本部が河村の公認を内定し、林もその内定にしたがった。県連のみならず、地元経済界にも、林が山口3区にくら替えし、衆院議員として出馬することを待望する者は多い。
不祥事
年金未納問題
2004年、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚した。
補助金企業からの献金と政治資金規正法違反疑惑
2015年3月に、政府から補助金を受けた企業から計60万円の寄付を受けていたことが報道された。続けて、地元・山口県の所在地が同じで同一の個人の会社である2社が合計200万円のパーティー券を2013年10月に購入しており、政治資金規正法22条の8で定められた「同一の者から150万円を超えて政治資金パーティーの対価の支払いを受けてはならない」に違反する疑惑がある、としんぶん赤旗で報道された。林芳正の資金管理団体が、林が農水相在任中に女性スタッフが接客するキャバクラで「飲食代」を支出していた。
公用車でヨガ通い
2018年4月24日、林芳正が平日の昼間、公用車を使って都内のヨガ店を訪れていたことが週刊文春の報道で明らかになった。政府関係者は公用車を利用して店に行ったことは認め、「公務と公務の間なので、公用車の運用規則上は問題ない」としている。2018年5月8日、林芳正が通っていたヨガ店の指圧マッサージが違法だったことが週刊文春の取材で明らかになった。週刊文春の取材では、ヨガ店のインストラクターが、マッサージ指圧の国家資格を持たずに違法に指圧マッサージを行っており、林芳正はその施術を受けていたことになるという。 
 
岸宏一

 

日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期)。参議院厚生労働委員長・政治開発援助等に関する特別委員長・予算委員長、厚生労働副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、山形県最上郡金山町長(7期)、金山町議会議員(1期)を務めた。
山形県最上郡金山町の山林地主である岸家の一族に生まれる。早稲田大学政治経済学部卒業。
1967年、故郷・金山町の町議会議員に初当選する。1971年には同町長選に立候補・当選し、以後1998年まで7期27年間にわたり町長を務めた。また町長在職中は山形県町村会会長、全国豪雪地帯町村対策協議会副会長、全国山村振興連盟副会長、全国町村会常任理事を歴任。金山町長在任中の1982年、早稲田大学在学中の友人で朝日新聞編集委員の田岡俊次の助言を受けて、全国の地方自治体で初めて情報公開条例を制定した。1993年の山形県知事選挙では、自由民主党が県内市町村長に無断で土田正剛を推薦したことに反発し、高橋和雄を擁立して高橋当選に貢献した。第17回参議院議員通常選挙の際には日本社会党・自民党から出馬要請を受けるが辞退。1996年、高橋から推薦を受けて山形県農業会議会長に就任し、以降の選挙戦で農業委員からの支援を受けるようになる。
1998年に金山町長を辞職、第18回参議院議員通常選挙に自民党公認で山形県選挙区より立候補し、初当選した。2002年、第1次小泉第1次改造内閣で総務大臣政務官に任命される。2004年の第20回参議院議員通常選挙で再選。2007年、第1次安倍改造内閣で厚生労働副大臣に任命され、福田康夫内閣まで務めた。2009年の山形県知事選挙では、加藤紘一が支持する現職の斎藤弘ではなく、新人の吉村美栄子を支持したため、加藤から離れ古賀誠の側近を務める。岸の地盤である最上地方8市町村のうち、7市町村で吉村の得票数が斎藤を上回り、吉村当選に貢献した。2010年、第22回参議院議員通常選挙で3選。同年の3月31日、高校無償化法案の採決で自民党は反対の党議拘束をかけていたが、岸、伊達忠一の2議員はこれに造反して賛成票を投じた。岸はボタンの押し間違いと釈明し、自民党執行部はこれを不問にした。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に際しては、前酒田市長阿部寿一の山形3区への擁立を主張。自民党山形県連内では、現職の加藤ではなく阿部を自民党公認で擁立する動きもあったが、結局加藤が公認を受けた。阿部は無所属で山形3区から立候補、加藤を破り、初当選した。加藤は党の73歳定年制のために比例重複立候補が認められず、比例復活も出来ずに議席を失った。
2013年、参議院政府開発援助等に関する特別委員長に就任、2014年には参議院予算委員長に就任した。
2015年、2016年の第24回参議院議員通常選挙に立候補せず、任期限りで引退することを表明。引退に伴う後任選定に際し、自民党山形県連が岸に相談せずに後任を決定したことに不快感を示したが、6月14日に県連会長の遠藤利明が謝罪したことで和解した。
2017年10月16日、肺扁平上皮癌のため東京逓信病院で死去。77歳没。同月27日の閣議で従三位・旭日重光章を贈ることが決定。
政治資金
日本共産党の機関紙しんぶん赤旗の報道によれば、鈴木宗男から1998年から2000年までの3年間に200万円の献金を受けていた。 
 
中川郁子

 

日本の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(2期)、農林水産大臣政務官。夫は農林水産政務次官、農林水産大臣、経済産業大臣、自由民主党政務調査会長、財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融担当)を歴任した中川昭一、娘はフジテレビ報道局記者の中川真理子。
新潟県出身。鹿島建設に勤めた岩田剛の娘として生まれる。聖心女子学院中等科、同高等科卒業。
1981年3月、聖心女子大学外国語外国文学科卒業後、同年4月、三菱商事に入社。1982年、日本興業銀行行員だった中川昭一との結婚を機に退職。1983年1月9日、義父の中川一郎が急逝。同年12月に行われた第37回衆議院議員総選挙で昭一が初当選したことを受け、昭一の選挙区である北海道帯広市に移った。
2007年、特定非営利活動法人「ラ・テール」代表に就任し、環境問題に関する啓蒙活動を展開した。
2009年8月の第45回衆議院議員総選挙で夫の昭一は落選。同年10月に昭一が急死すると、長らく北海道11区の自由民主党支部長の枠は空白となっていた。また、夫の死後、中川は帯広畜産大学で研究生として勉強していたため議員になるつもりはなかったが、一周忌時に金美齢からの後押しがあり、公募に応募することを決め、2011年に支部長に選出された。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で北海道11区から出馬し、前回夫を破った石川知裕を破って初当選した(石川は比例復活)。
2013年4月3日、衆議院農林水産委員会で初質疑を行う。
2014年9月、農林水産大臣政務官に就任する。同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では、民主党が擁立した元北海道議会議員の三津丈夫、日本共産党の候補を破り再選した。2014年12月、農林水産大臣政務官に再任。
2017年10月22日の第48回衆議院議員総選挙では自民党公認のほか、公明党・新党大地・北海道農協政治連盟の推薦を得て出馬。石川知裕の妻である立憲民主党新人の石川香織に敗れ、比例復活もならず落選。落選以後も、政治活動は継続している。
騒動
2015年3月5日、同僚の自民党衆議院議員の門博文との不適切な関係を週刊誌が報じた。官房長官・菅義偉は3月5日の記者会見で「公人として誤解を受けることのないよう、自ら律して政務官の職責に全力で取り組んでほしい」とコメント。中川は「酒席の後であったとはいえ、私の軽率な行動により、門議員の奥さまやご家族、私を支援していただいている地元の皆さま方に大変ご不快な思いをさせたのではないかと誠に申し訳なく思っております。深くおわび申し上げます」と陳謝した。週刊誌報道後、都内の病院に入院。2015年3月10日、衆院農水委員会に出席。13分に渡り陳謝し、続投の意を述べた。 2015年3月13日、衆院予算委員会にて入院中に病室で喫煙をしていたとの週刊誌報道を事実と認めたうえで謝罪し、改めて続投の意を述べた。 
 
世耕弘成

 

日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)、経済産業大臣(第22・23代)、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)、原子力経済被害担当大臣、産業競争力担当大臣、ロシア経済分野協力担当大臣、国際博覧会担当大臣。学校法人近畿大学第4代理事長、自民党政務調査会長代理、自民党参議院政策審議会長、内閣官房副長官(第2次安倍内閣・第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣・第3次安倍第1次改造内閣、政務担当・参議院)等を歴任。
人材派遣会社役員らが献金/世耕官房副長官へ計5430万円 2014/12/23
安倍首相の側近、世耕弘成(せこう・ひろしげ)官房副長官(参院和歌山選挙区)の資金管理団体が、大阪市内の人材派遣会社の会長など役員らから多額の献金を受け取っていることが、政治資金収支報告書でわかりました。献金しているのは、毎年4〜5人で、2002年以降、13年までの12年間の献金総額は5430万円にのぼります。
世耕氏の資金管理団体「紀成会」の収支報告書などによると、人材サービス・派遣業の「日経サービス」(大阪市中央区、嶋田有孝社長、資本金8800万円)の近藤泰章会長らによる献金は、02年から始まっています。
02〜05年は、近藤会長とその母、嶋田社長、取締役の4人が各80万円、計320万円。06年には取締役が外れる一方、近藤勲名誉会長と社長室長(取締役)が加わり、5人のうち3人は150万円、2人は100万円で計650万円に倍増しました。
07〜11年は、この5人が100万円ずつ、計500万円の献金になりました。12年には、会長の母に代わって常務が加わり、各100万円、計500万円。13年も同様でした。
献金日をみると、11年の場合、名誉会長と会長の母は1月14日、ほかの3人は1月12日、18日、28日。12年は、名誉会長と社長室長が2月9日で、ほかの3人は2月3日、6日、7日。13年は3月1〜26日の間に5人が献金しています。
金額が同一で期日も近く、自由意思による献金なのか疑問がもたれます。
登記簿や民間調査会社によると、同社は1967年4月に近藤勲氏が資本金100万円で設立した非上場会社。名誉会長と会長で発行済み株式の約38%を所有しています。
日経サービスは、名誉会長らの献金について、本紙に「あくまで個人の寄付なので、企業献金であるとの認識はない。また、当社としての強制や調整、指示等も一切していない」と回答。
世耕氏の事務所は、「個人の支援者の方からなされた寄付を忠実に記載している。企業献金であるとは認識していません。(日経サービスに)便宜を図った事実もないし、業務に関する依頼を受けたこともない」としています。

安倍側近・世耕にも政治献金の問題が 2015/4/11
ついに安倍首相の超側近・世耕弘成官房副長官に「政治とカネ」に関わる疑惑報道が出た。 世耕氏は、小泉政権の頃から、政府&自民党のメディア・ネット戦略で活躍。安倍新政権では、官房副長官として官邸に入り、外遊の時も含めいつも首相のそばにいて、いまや周辺を仕切るような存在になっている人だ。
<いや〜、まさか世耕くんのネタが大手メディアから出るとは思わなかった。でも、この世耕氏の献金に関する記事は、今のところ、何故か毎日新聞とFNNからしか出ておらず。果たしてそこから、広がるかどうかというのも見もの。もしかして、『下村が窮地&塩崎は内紛〜お友達閣僚と政権のおごりが崩壊につながる』で触れた「塩崎vs.世耕」がらみのリークなのかしらん?>
FNN 15/4/10
『世耕弘成官房副長官の資金管理団体に、兵庫県の原子力発電所設備会社の社長ら5人が、個人献金として、あわせて750万円を献金していたことがわかった。世耕官房副長官の資金管理団体「紀成会」の収支報告書によると、2013年の2月20日と6月5日に、5人から150万円ずつ、あわせて750万円の献金があった。150万円は、個人献金の上限額で、献金した5人は、兵庫・高砂市にある原子力発電所設備会社の社長と、役員であることがわかった。政治家個人への企業献金は禁止されていて、取材に対し会社側は、「全て個人の献金で、企業献金ではない。日にちや献金先が重なったのは偶然の一致で、会社の指示ではない」とコメントしている。また、役員の1人は、「世耕氏の秘書と個人的はつきあいがあったから」と話している。世耕副長官の事務所は、「問題はない。企業側に幹部社員などの個人献金を奨励している事実はなく、要望や陳情を受けた事実もない。企業献金の『抜け道』的な個人献金は問題があるが、指摘された献金はいずれも純粋な個人の支援者からの寄付だ」とコメントしている。』
毎日新聞 14/11/9
『世耕弘成官房副長官の資金管理団体「紀成会」に兵庫県の原子力発電所設備会社の社長ら幹部5人が2013年、個人献金の上限である150万円ずつ計750万円を献金していたことが分かった。うち3人が同年2月20日に、2人が6月5日にそろって献金しているものの、社長は「会社と関係なく、献金日が同じだったのは偶然」と話すが、専門家は「金額も日付も同じなら自由意思なのか疑問で、個人献金を装った企業献金の疑いがある」と指摘する。
紀成会を巡っては昨年11月にも大阪市内の人材派遣会社の幹部ら5人から07年以降100万円ずつ、毎年計500万円の献金を受け、08年と09年は献金日も同一だったことが明らかになっている。この時も人材派遣会社側は「個人で行っていることで会社は関係ない」と説明している。
紀成会の政治資金収支報告書によると、13年に献金したのは原発設備会社の社長のほか同社の技術担当、財務担当役員や総務部長など幹部社員。社長は12年11月15日にも150万円を献金しているが、他の4人は13年に初めて献金している。
同社のホームページ(HP)や信用調査会社によると、1971年に現社長が創業した非上場会社で、従業員は120人、年間売上高は約60億円。福井県にある関西電力高浜、大飯、美浜各原発に事業所を設け、原子炉の冷却水系統のメンテナンスを受注するなど関電関連が売り上げの8割を占める。HPでは「資源の乏しい我が国には原子力発電が必要です」「産業立国『日本』の基盤を支える原子力発電」などと原発の重要性を強調している。
献金について原発設備会社社長は「献金日が重なっているのは偶然で、個人の政治信条によるもの。私が献金した理由についてはお答えする必要はない」と答えた。一方、幹部の1人は「(世耕氏が創設一族である)近畿大の(マグロなどの)養殖研究を応援したかった」と説明。別の1人は「その件に関しては答えられない」と話した。同社には質問状も出し、「献金を当社や社長が社員に指示した事実はなく、調整したこともない」との回答が文書で寄せられた。
世耕氏は12年3月の参院予算委員会で、細野豪志環境相(当時)の資金管理団体がパチンコ業界団体幹部らから受けた献金について「振込日まで同じで実質は業界団体からの献金ではないか」と批判していた。
世耕氏は政党支部でも企業献金をほとんど受けておらず、事務所は「企業献金の禁止が叫ばれる昨今、真に支えてくださる個人の寄付に限定するよう努めている」と説明。その上で「企業側に幹部社員などの個人献金を奨励している事実はなく、要望や陳情を受けた事実もない。企業献金の『抜け道』的な個人献金は問題があるが、指摘された献金はいずれも純粋な個人の支援者からの寄付だ」と文書で回答した。
実態は企業献金か
政治資金制度に詳しい岩井奉信日大教授(政治学)の話 献金は組織的で、個人の名を借りた企業献金の疑いがある。個人が本当に150万円を負担したのか疑問で、仮に会社側が補填(ほてん)した場合には政治資金規正法違反の可能性もある。企業団体献金を禁止しても逃げ道が残ることになり、政治家の良識が問われる。
原発設備会社幹部による紀成会への2013年の献金
2月20日 社長     150万円
      技術担当役員 150万円
      執行役員   150万円
6月5日  財務担当役員 150万円
      総務部長   150万円 (毎日新聞15年4月10日)』
上の記事にもあるように、実は、毎日新聞は昨年11月にも世耕氏への政治献金に関する記事を出していたのだ。
上の例に酷似しているのだが。大阪の人材派遣会社の幹部が、何年にもわたり役員が一定額を献金。07年から7年間は、毎年1人100万円ずつ計500万円を一律に献金していたという記事だ。
『世耕弘成官房副長官の資金管理団体に大阪市内の人材派遣会社の幹部ら5人が2007年以降、毎年1人100万円ずつ計500万円を一律に献金し、途中で顔ぶれを替えながら7年間続け、08年と09年は献金日も同じだったことが分かった。幹部らは「個人で行っていることで会社は関係ない」と説明するが、政治資金に詳しい専門家は「金額も期日も同じなら自由意思なのか疑問。寄付の強制や偽装献金など政治資金規正法に抵触する可能性もある」と指摘している。
政治資金収支報告書などによると、世耕氏が代表を務める資金管理団体「紀成会」は07年、この人材派遣会社の会長とその母、社長、社長室長、会長の父親でもある名誉会長の計5人からそれぞれ100万円、計500万円の個人献金を受けた。11年までは献金者、金額とも同じで、このうち08年と09年は献金日も一緒だった。12年には会長の母が献金者から外れた一方で常務が新たに加わり、28日に収支報告書が公表された13年分まで同額の献金が続いている。
同社幹部らによる献金は02年に始まり、05年までの4年間は会長とその母、社長、取締役の計4人がそれぞれ年80万円、計320万円を一律に献金していた。
06年には取締役が外れる一方で名誉会長と社長室長が加わり、計5人のうち3人は150万円、2人は100万円とばらついたが、07年以降は再び一律の金額に戻り、献金総額は過去12年間で5430万円に上る。
民間信用調査会社によると、同社は1967年創業の非上場企業で、従業員は臨時も含め約4500人。ビル管理や警備、人材派遣などを手がけ、東京などに支店がある。売上高は110億円余りで、文部科学省など官公庁からの受注が約3割。ビル管理業務の受注増や、警察業務を民間委託した駐車監視業務の新規受注などで、売上高はここ10年余りで倍増している。
自身も細野氏を追及
政治資金規正法は資金管理団体などへの企業・団体献金を禁じており、個人名義での献金が実際には企業・団体献金に当たるのではないかと過去にたびたび問題視されてきた。世耕氏自身、12年3月の参院予算委員会で、細野豪志環境相(当時)の資金管理団体がパチンコ業界団体幹部ら6人から年間総額71万円の献金を受けたと指摘し「振込日(献金日)まで同じで、実質は業界団体からの献金ではないか。説明責任を果たすべきだ」と批判していた。
人材派遣会社の会長は「献金のきっかけは父(名誉会長)が学生時代、世耕氏の祖父の弘一氏(元衆院議員)にお世話になったと知ったこと。いつ始めたかは記憶にない。個人が行っており、弊社が調整する理由はない」と文書で回答。社長も「個人として応援しており、社業とは関係なく、部下にも献金は指示していない」と文書で回答した。
世耕氏の事務所は「個人の支援者からの寄付を忠実に報告書に記載した。企業献金とは認識していない」と文書でコメントした。』

この人材派遣会社の幹部とその親族からの2002年〜2013年の世耕氏の政治団体への献金額の一覧は、*1に記載するが・・・。2002年〜05年は、会長、会長の母、社長、取締役が、同じ日orほぼ同時期に各80万年ずつ計320万円を献金。07年から13年は、会長、会長の母、名誉会長、社長、社長室長が各100万円ずつ計500万円を献金しているのがわかる。(2006年は計650万円だった)
時事通信 11/4/9
以前から、自民党の政党自体や自民党の議員&その政治団体に対する政治献金では、特定の企業からの多額の献金をオモテに出さないために、企業の役員やその家族から個人献金の形をとるケースが少なからずあると言われている。2011年に震災&福島原発事故が起きた後、一部メディアが問題にしていた東京電力の自民党に対する献金の仕方だ。
『東京電力の役員の大半が自民党の政治資金団体「国民政治協会」に対し、2007年から3年間で計1703万円の政治献金をしていたことが8日、明らかになった。組織ぐるみの「事実上の企業献金」との指摘が出ている。福島第1原発の事故をめぐり東電と経済産業省の「もたれ合い体質」が問題視される中、これまで原子力政策を推進してきた自民党と東電との関係も問われそうだ。現在、閲覧可能な政治資金収支報告書は07〜09年分。国民政治協会の収支報告書によると、東電役員は、07年は42人が543万円、08年は50人が591万円、09年は47人が569万円をそれぞれ献金した。献金額は職位ごとにほぼ横並びで、例えば09年は勝俣恒久会長と清水正孝社長が30万円、6人の副社長は全員が24万円、9人の常務は1人を除き12万円だった。役員の献金は07年以前も行われていたとみられる。官報によると、勝俣会長に関しては00年と01年に各24万円、社長に就任した02年以降は毎年30万円献金していた。09年分の献金は12月に集中しており、同年8月の衆院選で敗れ、野党に転落した後も自民党への資金提供が続いていたことになる。一方、民主党の政治資金団体「国民改革協議会」の収支報告書には、役員からの献金はなかった。政治資金団体は、政党が1団体に限り届け出ることができ、企業・団体献金の受け取りも認められている。ただ、東電は石油ショック後の1974年、電気料金引き上げへの理解を得るため、政治献金の廃止を決めた経緯がある。東電役員の献金について、同社広報部は「あくまで個人の判断で役員が名を連ねた。会社が指示したり、強制したりしたことはない」と説明。また、国民政治協会事務局も「純粋な個人献金として受け取り、収支報告書に記載している。企業献金との認識はない」としている。』
My News Japan 三宅勝久 14/8/26
My News Japanの記事によれば、電力会社9社は2010〜12年の3年間だけで1億4000万円を超えており、そのうち役員献金が延べ803人・4041万4000円、子会社の献金が1億331万円だという。しかも、同記事は、311以降にも東電の役員や元役員から献金が続いているという。
<役員などからの献金が5万円以下におさえられているのは、小額なのは、年間5万円を超える個人献金を行なうと氏名などが収支報告書に記載されるかららしい。>
『自民党資金団体に流れた1・4億円
電力各社は1974年、「政治献金分まで電気料金を支払いたくない」という当時の世論を受けて企業献金の廃止を宣言した。ところが、役員・元役員の個人献金や子会社を介する方法でこれをすり抜け、震災後もなお献金を続けていることが発覚した。献金の全体像を把握するのは容易ではないが、今回は自民党の政治資金を集める政治団体「国民政治協会」(塩川正十郎代表)に対する献金のうち、2010〜12年(1月〜12月)の3年間について調査を行なった。
調査の結果、電力9社の役員・元役員や子会社からの献金は1億4372万4000円に達することが判明した。役員献金が延べ803人・4041万4000円、子会社の献金が1億331万円だ。
1億4300万円もの献金のうちもっとも多いのが東京電力で3085万円だ。2010年だけで2370万円もの献金をしている。2370万円の内訳は、役員献金が1043万8000円(284人)、子会社の関電工からのものが1330万円だ。2011年は額が減って715万円(役員献金=12人35万円、関電工680万円)だった。12年の献金はない。
2011年以降、東電の献金が減ったのは震災の影響とみて間違いないだろう。だが、3月11日以降にも献金したケースがあるのは興味深い。震災後に自民党献金を行なった東電役員(元役員を含む)は次の3人だ。
311大震災以後に自民党団体に献金した東電役員・元役員
南直哉 5万円 東京電力元社長、現顧問。防衛省改革会議座長、フジテレビ監査役
荒木浩 3万円 東京電力元会長、現顧問。経団連副会長、テレビ東京監査役、鹿島建設監査役、三井住友フィナンシャルグループ監査役。
田村滋美 2万円 東京電力元会長、東電自然学校長。公益財団法人東電記念財団理事長。 (小計10万円)
※2011年の震災発生以降同年12月31日まで。肩書き・経歴は本稿執筆時点で知りえたものを記載した。すでに変更している場合がある。』 

原発設備会社5幹部 世耕官房副長官側に750万円 2015/4/27
世耕弘成(ひろしげ)官房副長官の資金管理団体「紀成会」が、関西電力の原発関連業務を受注している兵庫県高砂市の設備会社の社長ら幹部5人から2013年、個人献金の上限である150万円ずつ、計750万円の献金を受け取っていたことが26日までに、わかりました。5人の献金の日付は、2日間に集中しており、個人献金を装った“抜け道”的な企業献金の疑いもあります。
献金していたのは、「柳田産業」(資本金3650万円)の柳田祐一社長ら5人。紀成会の政治資金収支報告書によると、柳田社長ら3人は、13年2月20日に、ほかの幹部2人は、6月5日に献金しています。社長は、12年11月15日にも150万円を献金していますが、ほかの4人は13年の献金が初めて。
政治資金規正法は、資金管理団体への企業献金を禁止しており、個人献金の形で分散した格好です。
同社のホームページや登記簿によると、設立は1971年5月で、従業員は120人。82年に福井県大飯郡高浜町に「若狭支店」を開設したのをはじめ、83年、85年、88年と、同県にある関西電力高浜、大飯、美浜各原発構内に「事業所」を次々と設け、原発内の電力プラント設備のメンテナンス業務をおこなっています。年間売上高は約60億円で、おもな取引先には、関電のほか、中部電力、関電プラント、東電工業なども。
世耕氏は、原発再稼働に突き進む安倍首相の側近の一人。
献金の意図や世耕氏側への働きかけの有無について、柳田産業は回答を寄せませんでした。
世耕氏の事務所は、本紙の問い合わせに「いずれも純粋な個人の支援者からの寄付であり、企業献金の“抜け道”的な個人献金にはあたらないと認識している。柳田産業から原子力政策等について陳情や要望を受けたことも、便宜を図ったこともない」としました。
紀成会をめぐっては、大阪市内の人材派遣会社の名誉会長ら役員が、同様に個人献金を同一金額で献金日も接近しておこなっていたことが明らかになっています。(昨年12月23日付)
13年の政治資金収支報告書によると、世耕氏の地元、和歌山市の浅井建設グループの会長とその親族と見られる役員3人から3月22日に50万円ずつ計200万円を受け取っています。
6月3日には、大阪市の衣料品販売大手「パル」の会長はじめ経営陣ら4人から各150万円、計600万円が献金。
多くの会社で、たまたま、献金の日にちが一致したということは、考えにくいのですが、世耕氏の事務所は、本紙に「幹部社員等の個人献金を企業側に奨励している事実はありません」としています。
世耕弘成経産相「お詫び申し上げたい」 政策秘書逮捕で 2018/2
世耕弘成経済産業相は18日、自身の政策担当秘書がタクシーの男性運転手を殴ったとして暴行の現行犯で逮捕された問題でコメントを発表し、「被害者の方に心からお見舞いとおわびを申し上げたい」と謝罪した。
政策秘書逮捕を知ったのは「本人から弁護士を通じて別の秘書に連絡があり、その秘書から報告を受けた」と説明。
その上で「弁護士によると、(政策秘書は)非常に深く反省しているということだった。被害者の方にしっかり寄り添って、しっかりと個人としての責任を果たしてほしい」とした。
 
菅義偉

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)であり、内閣官房長官(第81代・第82代・第83代)、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣である。横浜市会議員(2期)、総務副大臣(第3次小泉改革内閣)、総務大臣(第7代)、内閣府特命担当大臣(地方分権改革)、郵政民営化担当大臣(第3代)、自民党幹事長代行(第2代)などを歴任した。
政治資金
所有ビルの事務所費
菅が代表を務める自民党支部と後援会が、いずれも菅本人の所有ビルに「主たる事務所」を置き、2005年分の政治資金収支報告書に計約1956万円の事務所費を計上していたことが、2007年に報じられている。塩田潮によると、この報道により、第1次安倍内閣での官房長官就任が見送られたとされている。
総務大臣在任時の政治資金パーティー
第1次安倍内閣の総務大臣任期中に開催したパーティによる収入約3180万円が、政治資金収支報告書に記載されていることが報じられている。 菅が代表を務める政党支部が、農林水産省の補助金の交付決定を受けた横浜市南区の造園会社から2011年〜2013年に計29万円の献金を受けていたことが明らかになったことが報じられている。また、同支部は2014年の衆院選公示直前、国の公共工事を受注していた横浜市の業者から15万円の献金を受けていたと報じられた。
白紙領収書への後日金額記入
他の国会議員の政治資金パーティーに参加した際の費用の領収書を白紙でもらい、事務所で金額を記入していた。その理由について、「パーティー主催者の了解のもと、実際の日付、宛先、金額を正確に記載した」とし、「数百人規模の出席者全員の宛先と金額を書いてもらうと、受け付けが混乱する」と述べている。政治資金規正法を所管する高市早苗総務相は「領収書作成方法の規定はない。主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」との見解を示している。総務省の手引では受領者側が領収書に追記するのは不適当とされている。2016年10月11日、自民党は党所属の全ての国会議員に対し、領収書を出す際には金額など必要事項を事前に記載するよう、通達をおこなった。

菅義偉官房長官は後藤田正晴と野中広務を超えたか 2018/9/12
地盤・看板・鞄の「三バン」なしで議員となった菅義偉は、官房長官の史上最長在任記録を更新し続ける。これまでの「名官房長官」と比べると、独特の存在だ。
首相官邸5階の総理執務室に、内閣官房長官・菅義偉は一日何度も出入りする。そのたびに部屋の主に一礼し、「失礼します」と声をかける。自分を「スガちゃん」と呼ぶ年下の総理大臣・安倍晋三に対して、菅は「総理」と応じるのだ。
かかる「総理への忠誠心」こそ、菅最大の凄さだと田崎史郎氏(政治ジャーナリスト)は言う。
「後藤田正晴、梶山静六、野中広務、福田康夫といった名官房長官を長く取材してきましたが、みんなどこかで『俺がいるから内閣は持っているんだ』という意識があった。だが菅さんは『総理を尊敬している』と公言し、礼節を尽くすのです」
第2次安倍政権の発足と同時に官房長官に就任した菅は、在職5年8ヵ月に達し、福田康夫(3年7ヵ月)を抜いて史上最長の官房長官在任記録を日々更新し続けている。
総記者会見回数は2400回近くに達し、「ギネスブックに申請すべきだ」との冗談交じりの声も聞こえてくる。
8月下旬、3人しか従業員のいない沖縄県の土木業者に、男は直接電話をし、相手を仰天させた。
「菅です。佐喜眞(淳)をよろしくお願いします」
沖縄県知事選の自民候補勝利のため、抜かりはない。菅の日常である。
'12年12月の就任以来、横浜の自宅には一度も泊まらず、赤坂議員宿舎からの出勤を続ける菅の忠誠がなければ、安倍長期政権は存在しえなかった。
8月になって突然浮上した「携帯電話料金4割下げ」のプランも、菅が政権アシストのために周到に動いたものだ。
「来年10月の消費増税を見据えると、教育無償化などの経済パッケージだけでは弱い。国がカネを出せないなら、携帯会社に負担させればいい」
菅は周囲にこう語っていた。総裁選を前に、世論を味方につけるための最高のタイミングだ。事前に総務省にも根回しし、計算のうえに動いた。携帯会社はグウの音も出ない状態だ。安倍は、「さすが、スガちゃんだね」と新聞を見ながら喜んだ。
総理と官房長官の関係はなかなか微妙だ。官房長官のほうが年齢や経歴が上だった場合、しばしば総理より脚光を浴びる。
中曽根康弘時代の後藤田正晴、橋本龍太郎時代の梶山静六、小渕恵三時代の野中広務が好例だ。
菅も、安倍より6歳年上だ。安倍は岸信介直系のプリンスとして政治家人生を歩んだが、菅は秋田の豪雪地帯から単身で上京した集団就職組、叩き上げの政治家である。
菅が内閣人事局をつくり、官僚人事を支配してきたことはよく知られる。官僚操縦については、師である梶山静六から学んだ。
'90年代後半、不良債権処理問題の際、官房長官だった梶山は、税金投入を主張する大蔵省と対立した。梶山は腹心の菅にこう語っている。
「官僚には官僚の考えがあり、説明の天才だから、それを政策に入れ込んでくる。お前なんかすぐに騙される。見抜く力を持たなければいけない」
この忠告を、菅は忠実に守っている。梶山が橋本内閣でつくった「閣議人事検討会議」は、菅の内閣人事局の原型だ。
「官僚ではなく、国民に選ばれている政治家が政策を主導するというのは、橋本行革の原点であり、菅さんもその系譜を受け継いだ」(前出・田ア氏)
菅は梶山とともに、一度は「散った」政治家だった。'98年の総裁選で、梶山が小渕派(平成研)を飛び出して無派閥で出馬すると、菅も一緒になって派閥を離脱し、総裁選を戦った。だが結果として梶山は小渕恵三に敗れ、2年後に亡くなる。
菅の友人議員が言う。
「菅さんには、無念の思いがあるだろうね。『俺の戦いは、あの総裁選で終わった。だから今は官房長官でも、黒子に徹する』と言っていました」
平成研支配の時期に、当選1回に過ぎなかった菅が梶山とともに「負け戦」を戦ったことは、いまや伝説だ。だからこそ、志半ばで世を去った師と、同じ轍は踏むまい――。
官房長官としての範は、むしろ後藤田正晴に求めていると言われる。「現場に任せず、即断即決」だ。
'86年11月、三原山が噴火した際の官房長官・後藤田の動きは素早かった。
「島民は今日中に全員避難」「責任は全部俺が取る」「君たち、頼むよ」
3つだけを官邸で官僚に指示すると、海保庁の巡視船から民間の漁船までを使って全島避難を敢行し、喝采を浴びた。
菅が官房長官として初めて名を上げたのも、似た状況だった。'13年1月に起こったアルジェリア人質事件では、日本人退避のために現地に政府専用機を飛ばすことを命じた。
前例のない派遣に、防衛省も財務省も外務省も、みな反対したが、菅は押し切り、後藤田同様世論の支持を得た。
菅の口癖は「やれることはすべてやる」だ。官房長官になる5年前、総務大臣として「ふるさと納税」を官僚の抵抗を押し切って実現させている。
「官僚は『受益者負担の原則に反する』と抵抗しましたが、『人生を通じた受益者負担という考えもある』と説得したのです」(政治部デスク)
即断といっても、思いつきで動くわけではない。確実な情報収集と根回しこそが、菅の真骨頂だ。
朝5時に起床し、新聞全紙をチェックすると、日課の散歩の後、7時からはザ・キャピトルホテル東急に向かい、個室で朝食会を開く。呼ばれるのは番記者だけでなく、フリージャーナリストから若手官僚、学者まで幅広い。
夜の会合を2度にわたって行うこともしばしばだ。夜10時には帰宅し、議員宿舎で記者懇に応じるが、それが禅問答のような会話になることが多いのには理由がある。
「記者と話して、世論の空気がどうなっているのかをじっと観察するんですよ。起きてから寝るまで、すべてが情報収集の時間だ」(官邸職員)
その前提になる「気配り」は欠かさない。安倍批判をし続ける議員の事務所にも「菅義偉」の名前で誕生祝いの花が届く。
1回生の無派閥議員に対しても、「なにかしてほしいことがあれば言ってくれ」と電話をかけ、望み通りに地元パーティに出席し、スピーチをする。
年末恒例の記者会見が終われば、車中からフリージャーナリストに次々電話をかけ「今年もお世話になりました」と挨拶をしていく――。
「後藤田さんも、内調(内閣情報調査室)経由の情報はもちろんたくさん持っていたのですが、民間の情報はあまりなかった。福田康夫さんなどは、霞が関で集めた情報が多かった。その点、菅さんは、普段から多種多様な人脈で情報を集め続けている」(前出・田崎氏)
いつの間にか、「菅グループ」と呼ばれる議員たちも続々と増えてきた。
「ガネーシャの会や偉駄天の会、あるいは秘密裏に開かれる若手議員の会など、鵺のような会を多数組織し、その全貌は把握しきれない。
会合には、『これは』と目をつけた若手官僚も呼び、若手議員とのパイプ役を作っている。ここで菅さんに認められれば、政務官や副大臣のポストにありつける」(若手議員の一人)
菅の会に出席したことのある経産官僚も言う。
「相談事や悩み話すら、菅さんはよく聞いてくれる。こっちも忙しいから、政治家の勉強会なんて行きたくないが、菅さんの場合は別。下手な大臣よりも真意が伝わる」
野党失速で、見る影もない細野豪志や長島昭久にも菅は頻繁に声をかけ、会食を行っている。
「落選中だった野党議員が当選して登院すると、すかさず『復活されたんですね。おめでとうございます』と握手し、電話もしてくる。人たらしですよ」(立民幹部議員)
菅の融通無碍な動きは、過去の後藤田や野中の動きにも通じるが、政権幹部の一人はこう語る。
「後藤田さんや野中さんは、自分がトップになれなくても、総理を動かしているという存在感を滲ませていたが、菅さんには一切そういうところがない。
それが弱点でもある。あの二人は戦争を知る護憲派の立場から、自衛隊問題について総理に異論を唱えた。菅さんからはああいう政治理念が見えてこない」
後藤田正晴を大叔父にもつ衆議院議員の正純も同意する。
「うちの先代や野中さんに比べると、総理のブレーキ役になれていないのではないか。苦労もされ、修羅場をくぐってこられた方ですから、そこだけが残念です」
だが、ある閣僚経験者は、すでに菅は野中を超えていると言う。
「野中さんは1年3ヵ月しか務めていませんし、菅さんのほうが多くの実績を残している。『ナンバーワン』と言われてきた後藤田氏を超えるかどうかは、来年次第でしょう」
具体的には何か。天皇譲位と、安倍の悲願である憲法改正である。
「混乱なく改元、譲位できるか。党内と公明党、維新をうまくとりまとめて、憲法改正に着地できるか。いずれも混乱が予想される難題です」(同)
「後藤田超え」ができるなら、菅は「ポスト安倍」の有力資格者たりうる。
「安倍さんの後の総裁候補は今のところ菅さんしか見当たらなくなった。『凡人』と呼ばれた小渕恵三は、官房長官として『平成』の発表をし、鮮烈なインパクトを与えて総理になりましたが、同じことが起こるかもしれない」(自民党幹部)
だが、みずからの師・梶山の総裁選での失敗を菅は忘れまい。
「色気を見せた時点で、政治力は失われるんだ」
かつて周囲にそう語った菅だが、最近のインタビューで、「総理を目指すか?」と問われ、
「それはない。自分のことを一番よく知っていますから。政治はいろんな人の組み合わせでできていくと思う」と即答したのは、野心を隠すための、安倍へのメッセージであろう。
平成の終わりに、菅がどう動くか、目が離せない。 

菅官房長官に質問を繰り返した東京新聞望月記者 2019/7/12
『新聞記者』という映画が、話題になっている。僕も思わず、「おもしろい!」「よくぞ作った!」と拍手を送った。たいへんリアリティがある映画だったのだ。原案は同名のノンフィクション。著者は東京新聞記者の望月衣塑子さんである。日本の政治とメディアの問題が、浮き彫りになっている。
先日、その望月さんと対談をした。望月さんは、菅義偉官房長官の記者会見で、加計問題などについて質問を重ねたことで話題になった。望月さん自身、とうてい納得がいかなかったからだ。ところが、これに対して菅さんから、「同じ趣旨の質問は繰り返さないように」と注意された。さらに首相官邸報道室は、東京新聞に対し書面で抗議した。「未確定な事実や、単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」というのだ。
なんという暴挙だろう。民主主義の基本は、表現、言論の自由である。記者が納得できなければ、何度でも質問し、納得がいくまで答えるのが政治家の役目ではないのか。それを、権力側が新聞社に文句を言うなんて、とても考えられないことだ。
望月さん自身は、「(菅さんが一度答えれば)会見の空気はそれでおとなしくなるが、私は菅さんが『きちんと答えていない』と思ったので、繰り返し訊ねた。社会部では当たり前のことです」と語っている。
これは、僕もまったく同意見だ。人間というのは、1度の質問はごまかせても、繰り返されると、本音が出ることが往々にしてあるのだ。
ここで少し解説を加えると、通常官房長官の記者会見にいるのは、政治部記者だ。望月さんのような社会部の記者はあまりいない。実は、政治部の人間は、政府と「友好的」な関係にある。そうでないと、政府から情報を取れなくなってしまうからだ。だから会見の場にいた記者たちは、菅官房長官に鋭く突っ込めない。
この件について、僕は怒りを禁じえない。政府が記者の質問に「抗議する」という暴挙に対して、記者クラブは知らんぷりを決め込んだのだ。たとえば、この一件も、その経緯を知らない方が多いのではないか。メディアがほとんど報じないからだ。
本当なら記者クラブが抗議し、「これから菅官房長官には、一切、質問をしない」くらいの行動を取るべきだったと僕は思う。波風を立て、ときには炎上する、それはジャーナリストとして当然のことだ。
望月さんは、このような日本のメディアの体質について、「日本人は争いを好まないし、忖度もする。それは、いい点でもあるのです。けれど、米中覇権争いが起き、世界中が軍拡に向かうなど、いま社会が大きく変化するなかで、おかしいと思ったときに声をあげないと、日本は悪いほうに流れていってしまう」と語っていた。
まさに「声を上げる」望月さんに、僕はとても期待している。そして、「新聞記者」という映画が、参院選前に公開されたことに、日本の希望を見る。ぜひ、ご覧になっていただきたい。
 
武藤貴也

 

日本の政治家、元衆議院議員(2期)。
2015年8月18日、武藤が知人に「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」などと持ちかけたとして、金銭トラブルとなっていたことが「週刊文春」に報じられた。これを受け、武藤は8月19日に自由民主党を離党した。しかし、2017年3月には、この取材に応じた知人より名誉を毀損したとの謝罪がされている。武藤は辞職を求めた自民党県連について、報道を鵜呑みにした事が残念という旨を述べている。併せて26日には未成年の男性を買春していたことも報じられた。また、8月7日以降閉会まで第189回国会を欠席した。
2017年9月28日、衆議院解散に伴い失職。10月5日、第48回衆議院議員総選挙には立候補しない旨を表明し、理由について「復党が叶わなかった」と述べた(党は県会副議長の小寺裕雄を公認候補と決めた)。
2019年4月の滋賀県議会選挙に近江八幡市・竜王町選挙区より無所属で立候補したが、最下位で落選した。落選後、政界から引退した。
発言
2015年7月31日、平和安全法制に反対する学生団体、自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)の国会前抗議について自身のTwitter上で「戦争に行きたくないのは、自分中心で極端な利己的考え」などと批判した。これに対し、民主党の枝野幸男は「自分が戦争に行きたくない、みたいなレベルでしか受け止めておらず、法案の問題や本質を理解していない」と、維新の党の柿沢未途は「権力を持っている政党の所属議員として、もってのほかの発言だ」と、それぞれ武藤を批判した。しんぶん赤旗では、武藤は日本国憲法を敵視しているとも報じた。8月4日、武藤は「日本も他国が侵略してきた時は、嫌でも自国を守るために戦わなければならない」と主張したものの、同日、官房長官の菅義偉は「政府としてコメントしない」と述べ、首相(自由民主党総裁)の安倍晋三は「幹事長に任せている」とした。自民党幹事長の谷垣禎一は「自民党を支える人々の中にも『戦争はこりごりだ』という感覚があることを謙虚に学ぶ必要がある」と苦言を呈した。  
騒動
選挙報酬未払い問題
2012年の衆議院選挙で武藤の選挙スタッフとして雇用した男性から、未払いの報酬を請求する訴訟を起こされ、2014年、武藤が約30万円を支払うことで和解した。武藤の事務所は産経新聞の取材に対し「当時を知るスタッフがおらず、確認できない」としている。
未公開株問題
2015年8月18日、武藤が知人に「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」などと持ちかけたと報道され、金銭トラブルになっていた。これを受け、武藤は8月19日に自民党を離党した。2017年3月21日、武藤が貸していた1億円の返金を求めた訴訟で、被告側が返金に応じ、また原告の名誉を損なった事を謝罪し和解が成立した。武藤は、秘書の知人からの新規公開株が優先的に買える話をしたが、国会議員枠などとは言っていないと述べている。
未成年男性買春問題
2015年8月26日には未成年の男性を買春していたことを報じられた。また、8月7日以降閉会まで第189回国会を欠席した。
追突事故
2016年5月18日、武藤議員の運転するワゴン車が前方を走行していた車に追突した。警察によると、前方車は車線変更してきたタクシーを避けるため、急停止したという。武藤議員も急ブレーキをかけたが、間に合わなかった。
元秘書の逮捕
2019年2月、元秘書の男が台湾企業から詐取した金を不正に引き出したとして組織犯罪処罰法違反などの疑いで警視庁に逮捕された。
 
門博文

 

日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)。
和歌山県伊都郡かつらぎ町生まれ(現在は和歌山市北休賀町に在住)。かつらぎ町立笠田中学校、和歌山県立笠田高等学校を経て、和歌山大学経済学部経営学科を卒業し、1988年、松下興産入社。2006年、ロイヤルパインズ(松下興産が開発したホテル・リゾートの運営会社)社長。2011年、退職。
2011年から自由民主党和歌山県第一選挙区支部長。2012年の第46回衆議院議員総選挙で和歌山1区に自由民主党から出馬。民主党の岸本周平に300票差で敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活、初当選した。
2014年の第47回衆議院議員総選挙では岸本に再度敗れるも、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、再選。
2016年、自民党「部落問題に関する小委員会」が設置され、委員長には山口壮が、事務局長には門が就任した。12月9日、「部落差別解消推進法」が参院本会議で可決、成立した。議員立法を推進した自民党の二階俊博幹事長と門、同党の県議らは12月11日、長年にわたり同法の必要性を訴えてきた部落解放同盟県連合会の元執行委員長の故・中澤敏浩の和歌山市新中島にある自宅を訪れ、同法成立を報告した。
2017年の第48回衆議院議員総選挙では岸本に再度敗れるも、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選(惜敗率78.755%)。
不祥事
2015年2月23日に農林水産大臣政務官の中川郁子と路上で接吻している姿を週刊誌に掲載され、不倫関係にあると報じられた。3月5日、「お酒で気が緩み、軽率で誤解を招く行動だったと深く反省しております」と謝罪コメントを出した。報道を受け、公式サイトより、家族構成などが記載されていたプロフィールを削除した。
代表を務める自民党和歌山県第1選挙区支部が、2013年からの3年間にボクシング観戦や手品ショーのチケット代に計25万2000円を政治活動費として支出。これを一部メディアなどに指摘され、門が団体側に返金する形で訂正を県選挙管理委員会に提出。2013年に55000円、2014年に145000円、2015年に52000円を支出していた。  
 
   
 
岸井成格

 

 
岸井成格
(きしいしげただ、1944-2018)
日本の政治部記者で、毎日新聞社特別編集委員、元毎日新聞社主筆である。父は毎日新聞社政治部長や衆議院議員を務めた岸井寿郎。
東京都出身。慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校を経て1967年に慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。弁護士で元公明党参議院議員の浜四津敏子は慶應義塾大学法学部法律学科の同期である。卒論ではレフ・トロツキーについて論じる。同年4月、毎日新聞社に記者として入社。
西部本社熊本支局を経て、1970年、東京本社政治部に異動。首相官邸、文部省、防衛庁、自民党、野党各記者クラブを担当する。1980年、人事にて東京本社 外信部に異動。1981年からワシントン特派員となり、1984年に帰国、東京本社出版局のサンデー毎日編集部へ異動となる。1985年、再び政治部へ異動し、首相官邸・自民党・野党各記者クラブのキャップを担当。1986年、政治部副部長、1991年、編集委員、論説委員を兼任、1993年、社長室委員、政治部長を歴任。その後、編集局次長、1998年に論説委員長、1999年 東京本社 編集局編集委員(役員待遇)、2004年4月に毎日新聞社で初めての特別編集委員(役員待遇)、同年10月に役員待遇が外れる。2010年6月から主筆となる。2013年4月1日付人事で再び、特別編集委員に肩書が変更となる。
論説委員就任以降、主に同じメディアグループにて放送されている朝の情報番組やニュース番組のコメンテーターとして番組出演していたが、特別編集委員への再就任に連動して、『NEWS23』(TBSテレビ)のキャスターに就任が発表される。
また、番組出演以外にも2003年から早稲田大学政治経済学部客員教授(非常勤)・非常勤研究員、大隈塾の講師、毎日新聞の子会社(毎日教育総合研究所)が事業運営している NPO法人日本ニュース時事能力検定協会 の理事長、一般社団法人アジア調査会顧問を務める。21世紀臨調運営委員を務めた。
2018年5月15日、肺腺がんのため自宅で死去した。73歳だった。
エピソード
○ 出演番組にて司会者から相撲についてコメントを求められることが多く、その理由は、岸井が高校時代に慶応付属の相撲部に入部していたためである。
○ 佐高信とは大学時代、峯村光郎ゼミの同期で親しく、共著もある。しかし佐高が「政治家にモラルを求めるのはゴキブリにモラルを求めるに等しい」と発言すると、あわてて席を離したという。佐高は、政治記者として自分が同類と見られたらまずいと思ったからではないか、と推測している。
○ 北朝鮮による日本人拉致問題については、一時帰国した拉致被害者5人を、当初の約束通り、一旦北朝鮮に戻すべきとの持論を、『サンデーモーニング』および毎日新聞で繰り返し主張した。
○ 反小沢一郎の1人であり、自身がコメンテーターで出演したテレビ番組内でも小沢はクロだと発言していた。
○ 『サンデーモーニング』2007年11月18日放送分から、レギュラー出演していた番組を体調不良のため欠席。『サンデーモーニング』同年12月2日放送分で本人書簡で大腸癌を告白、手術を受けたことを明らかにした。2008年2月末以降から出演番組に復帰した。
○ 2009年5月27日、リーガロイヤルホテル小倉で開かれた第6回毎日・北九州フォーラムで「日本は北朝鮮と戦後処理をしていない。国交正常化して平和条約を結ぶと、(賠償金として)経済協力の形で、韓国に出しただけは払わなければならない。現在の額では1兆円」と日韓基本条約に反する見解を示し、毎日jpに掲載された。
○ 安保法案には反対の立場を取っており、『サンデーモーニング』(2015年9月13日放送)では、「撤回か廃案にすべきと」コメントし、『NEWS23』(同年9月16日放送)では、「安保法案は憲法違反であり、‟メディアとしても”廃案に向けて声をずっと上げ続けるべき」と述べた。しかし、後者の発言は「政治的に公平であること」「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と記された放送法第4条に違反する可能性があるとしてすぎやまこういち等が代表を務める「放送法遵守を求める視聴者の会」が産経新聞や読売新聞にて2015年11月15日、16日に意見広告を出す事態となった。視聴者の会は同年11月26日に会見を行い、岸井に対し「自らアンカーを務める『NEWS23』が放送法第4条を遵守するよう配慮する意思をお持ちでしょうか」などの公開質問状を5つ叩き付けた。12月25日にTBSテレビが記者会見を行ったが、質問状に対する岸井からの返答は無かった。これに対し、視聴者の会は「甚だ残念であります。岸井氏は放送局に属するニュースアナウンサーではなく、そもそもが毎日新聞の主筆まで務めた、現代を代表する『言論人』です。言論人とは、ついには、一個の個人の言葉の力のみに依って立つべきであり、その意味で、無回答という回答さえもTBSに代行させたのは、自ら、言論人の矜持を根底から放棄したに等しいと言えるのではないでしょうか。また、氏は、今日まで、政治家など他者に対して、極めて厳しい要求を突き付け続けてきた『実績』をお持ちです。自らが社会的な批判にさらされた時には、自分が過去、他者に要求してきた所に顧み、恥ずかしくない言動を取られるべきではなかったでしょうか。当会は、社からの回答はなくとも、個人としての資格による岸井氏の回答はあるだろうと期待していました。TBSに『無回答という回答』を代行させた氏に対して、強い失望を禁じ得ません。」とコメントを出した。その後、同年12月24日の報道で岸井が『NEWS23』を2016年3月末をもってアンカーを降板することが明らかとなった。しかし、2016年1月15日に岸井がTBS専属のスペシャルコメンテーターに就任することが明らかとなり、TBS内の番組の垣根を越えて複数の報道・情報番組に横断的に出演し、ニュース解説を行うことが決定した。さらに『NEWS23』も3月いっぱいでアンカーという肩書でのレギュラー出演を降板するだけで、4月以降もテーマに応じて出演することとなった。
○ 2016年2月29日に岸井を含むジャーナリストら6人が東京都内で会見を開いた際、上記意見広告に対する感想を記者に問われ、「低俗だし、品性どころか知性のかけらもない。恥ずかしくないのか」と反論した。
○ 岸井成格さん死去 大腸がん公表昨年12月まで出演 2018/5/16
TBSの報道番組「NEWS23」でアンカーを務めた毎日新聞社特別編集委員の岸井成格(きしい・しげただ)さんが15日午前3時35分、肺腺がんのため東京都の自宅で死去した。73歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行う。後日お別れの会を開く予定。 67年に毎日新聞社に入社し、政治部長や論説委員長、主筆を歴任。13年4月から16年3月まで、NEWS23でアンカーを務めたほか、TBSの情報番組「サンデーモーニング」にも、長年出演した。 時の政権に厳しい立場を取った。第2次安倍政権が進めた特定秘密保護法案や安全保障関連法案などを批判する論陣を張った。16年2月、放送局に対する停波命令の可能性に言及した高市早苗総務相(当時)の「電波停止」発言には、田原総一朗氏ら他のジャーナリストとともに抗議声明を発表。岸井さんはこの時の会見で「政治的な公平公正と、一般の公平公正はまったく違う。権力が強くなれば腐敗し、暴走するのが政治の鉄則。そうさせてはならないのがジャーナリストの役割だ」と、訴えた。 07年12月、「サンデー−」で大腸がんを公表。昨年10月の放送でも、がん治療のため入院していたことを明かし、同年12月3日の放送まで出演した。 「サンデー−」の司会を務める関口宏は、15日夜の「NEWS23」にVTR出演し、今年春の少し前、岸井さんに最後に会った際の様子を明かした。「もうその時は、言葉がなかなか出ない状況だった。何か言いたいことはない? と聞くと、『たるんじゃったな、みんな』と言った。あれが最後に聞いた彼の言葉だった。残念です」と、涙をこらえながら語った。
○ 古谷アナ、涙耐えながら岸井成格さん訃報伝える 堀尾アナも追悼 2018/5/16
TBSの古谷有美アナウンサー(30)が、16日に放送された同局系情報番組『ビビット』(毎週月〜金8:00〜9:54)で、毎日新聞特別編集委員・岸井成格さんの訃報を涙に耐えながら伝え、過去に番組を共にしてきたフリーアナウンサー・堀尾正明(63)は追悼コメントを寄せた。 TBSの報道番組『NEWS23』でアンカーを務め、コメンテーターとしても活躍していた岸井さん。古谷アナは、「TBSでスペシャルコメンテーターを務めていた毎日新聞特別編集委員の岸井成格さんが昨日、肺腺がんのため、都内の自宅で亡くなりました。73歳でした」と必死に涙をこらえ、「すみません」。岸井さんのVTRでは、時折言葉に詰まりながら経歴を読み上げた。 堀尾アナは、「『Nスタ』という番組でレギュラー出演してくださいまして」と振り返りながら、「古谷アナウンサーも詰まってましたけど、本当にお世話になりました」と古谷アナを気遣う。堀尾アナも目に涙を浮かべ、「ジャーナリストの鏡でした」「ご自身、相撲をやっていたので大相撲に対する解説がすごく明快で。植林にも力を入れていて、緑を守る運動をしていつも山に出かけていた。非常に行動的な方」「本当に早すぎる死だと思います。残念です」と偲んでいた。
氏の発言は、この放送法第四条の規定に対する重大な違法行為〉と攻撃したのである。
本サイトでは何度も追及をおこなってきたが、この「放送法遵守を求める視聴者の会」は安倍親衛隊による団体で、あきらかに“安倍首相の別働隊”と言うべきもの。この意見広告にTBSは震え上がり、上層部が内々に岸井氏の降板を決めたのだ。
岸井氏はこの放送圧力団体による攻撃について、佐高氏との対談でこう振り返っている。
「あの広告の呼びかけ人はほとんどが安倍首相の応援団で、七人のうち四人は安倍に個人献金をしている。広告を見たとき、怖くて不気味だという思いと同時に、官邸および政府与党は本気で言論弾圧をする気なんだと改めて思ったね。報道をめぐる不自由はここまできたのか、というのがいちばん近い印象だな」
『NEWS23』のアンカーを降板したあとも、岸井氏は『サンデーモーニング』でも共謀罪法案など、安倍政権の強権政治に対して果敢に批判をつづけた。このように、政権からの言論弾圧に怯むことのなかった岸井氏だが、そうしたジャーナリズム精神を砕いたのは、政権の顔色を伺うテレビ局上層部だったのである。
『NEWS23』アンカーとしての最後の出演となった放送で、岸井氏はこう述べていた。
「報道は変化に敏感であると同時に、やっぱり極端な見方に偏らないで、そして世の中や人間としての良識・常識を信じて、それを基本にする。そして何よりも真実を伝えて、権力を監視する。そういうジャーナリズムの姿勢を貫くとうことがますます重要になってきているなと感じています」
「真実を伝えて、権力を監視する」──。岸井氏の“遺言”を、報道に携わる人間は重く受け止めなくてはないらない。 
「News23」のアンカー、岸井成格との50年 佐高信 2014/11
20歳の春に私たちは出会った。慶應義塾大学法学部法律学科、峯村光郎教授の「法哲学ゼミナール」同期生としてである。以来、ほぼ、50年、岸井と私のつきあいは続いている。
法哲学ゼミの同期生 政治的スタンスは正反対
2006年に私たちは『政治原論』(毎日新聞社)という「激突対談!」を出した。その「はじめに」を私が書いたが、まず、それを引こう。
<「筑紫哲也のNews23」でだったと思うが、私が、「政治家にモラルを求めるのはゴキブリにモラルを求めるのに等しい」と発言したら、隣に座っていた岸井がガタガタっと椅子を動かした。
後で聞くと、そんなことを言う私と“仲間”と見られたら、政治記者として、これから取材ができなくなると思ったらしい。それで、少しでもと距離を置いたのだという。
慶應義塾大学法学部の峯村光郎ゼミの同期生だから、どうしても敬称略となってしまうが、現在の2人の政治的スタンスはかなり違う。かなりどころか、極端に違うと岸井は言いたいかもしれない。
岸井が編者となって学生時代に出したゼミの文集のそれぞれの拙文が本書の付録として巻末に収録してあるが、あのころは、むしろトロツキーに傾倒する岸井の方が過激だった。ただ、思想としての過激であり、行動としての過激であったわけではない。
ほぼ40年の時を経て、それは完全に逆転し、いまは私が“過激派”と言われている。岸井は、自分が保守派になったのではないと主張したいだろうが、たとえば小選挙区制という名の1人区制をめぐっても、2人の評価はまったく分かれている。私は大反対であり、岸井はそれを推進する側にいた。
その2人が“激突”したこの対談でも、場の空気が険しくなることがしばしばだった。その様子をそのまま生かして、毎日新聞出版局の向井徹さんが編集してくれたが、“激突”が“決裂”に至らなかったのは、やはり”40年の交友の蓄積”があったからだろう>
「佐高とのつき合い」が知れると友人が離れていく
しかし、岸井にとっては、もっと覚悟の要ることだったことは、次の「おわりに」を読めば明らかである。
<佐高信との対談の話を聞いた時は、正直なところ、「悪い冗談だろ」と思った。
激辛の評論家として知られているだけでなく、政界、財界のみならず文化人や、同じ仲間の評論家、ジャーナリストまで、正に当たるを幸いという感じで、斬って斬って斬りまくってきた。その容赦ない刃は、「毒」を含み、ある種の「狂気」をはらんでいる。
穏健な常識人がまともにつき合える相手ではない。
ところが幸か不幸か、はたまた前世からの因縁か、佐高と私は慶應義塾大学法学部の昭和42(1967)年卒の同期生であるばかりか、峯村光郎教授の「法哲学」ゼミで一緒だった。もう40年以上のつき合いになる。「佐高とは古い友人だ」と聞いただけで、どれだけ多くの人が眉をひそめ、私を警戒の目で見るようになったか。「佐高とは割と深いつき合いが続いている」と聞いて、どれだけ多くの友人を失いかけたか、佐高は知ろうともしない。
対談に応じれば、一気に多くの友人を失うことは目に見えている。聞き流していたら、「岸井は逃げるのか!」と佐高が言っているという。敵に背を向けるわけにはいかない。
そんなことで、何の準備もないまま、佐高の「妖剣」を受けることになった>
「以下略」だが、岸井の述懐がオーバーではないのだなと実感する場面があった。
安倍晋三が病気で一度首相を辞め、不遇のころだったと思う。岸井と私が夫婦で夕食を共にし、店を出たところ、赤坂の通りで、バッタリ安倍と会った。安倍は新党改革の荒井広幸と一緒だった。
前を歩いていた岸井と安倍が「やぁ」と挨拶をし、安倍は手を挙げて微笑んだが、後にいた私に気づいて表情を硬張らせ、挙げた手をそのままストップさせた。安倍批判の急先鋒だった私には、願うことなら、会いたくなかったのだろう。ぎごちない感じで安倍と私は名刺交換をしたが、この一件で、安倍の岸井に対する印象が変わったことは間違いないと思われる。
迷惑をかけ合いながら認め合う不思議な補完関係
ただ、一方的に私が岸井に迷惑をかけているわけではない。現在は癌の手術をして、かなり自粛しているようだが、それ以前の岸井の酒乱ぶりはひどかった。
日本IBMが伊豆の山奥に識者を集めて議論をする「天城会議」で岸井がスピーチを行い、その後で飲んだら、酔っ払って、「こんな所にいられない。すぐに山を降りる」と叫び出したことがあったという。
困ったIBMの人間が、やはり、そこに来ていたエッセイストの吉永みち子に、
「何とかなだめてください」と頼んだ。それで吉永が、「まあ、まあ、今晩は泊まって、明日帰りましょう」と声をかけたら、岸井に「貴様の出る幕じゃない!」と一蹴された。
ところが翌朝、前夜の醜態はどこ吹く風で、吉永と顔を合わせた岸井が、「みっちゃん、おはよう」と言ったので、吉永が頭に来た。
「岸井さんて、何なのよ」と紹介した私に怒りの電話がかかってきたのである。
毎日新聞の、特に後輩記者たちが岸井の被害に遭っているらしい。それで私は、毎日の記者が取材に来たりすると、「岸井が迷惑をかけています」と頭を下げる。
酔うと人格が変わる岸井は、酔った時の言動はまったく憶えていないという。あまりに変化が激しいので、そうなのだろうな、と私も思っている。
岸井は『政治原論』の「おわりに」に、こうも書いてくれた。
<一方で、佐高の意見には耳を傾けるべきものも多い。それは佐高の評論や存在が、ある種の危険を察知するセンサーの役割を果たしているからだ。「とても佐高の考えにはついて行けない」と思いながらも、何かあると「佐高ならどう受け止め、どんなアクションをとるだろうか」と想像をめぐらすのが、いつしか私の習い性のようになった>
岸井と私は2013年にも『保守の知恵』(毎日新聞社)という対談本を出したが、ちなみに私たちが学んだゼミの峯村光郎先生は、公共企業体等労働委員会、すなわち公労委の会長や、日本法哲学会の理事長を歴任した人だった。護憲の「憲法問題研究会」のメンバーで、著書には『法の実定性と正当性』などがある。 
 
「政界疾風録」 2006/1-2009/7

 

2006/1-6
2006年の政治展望——ポスト小泉の行方 2006/1/12
2006年の新年を迎えた。干支は丙戌(ひのえ・いぬ)。陰陽五行の中では、物事が一つの方向に収れんし、整理整頓が進むことが望まれる年である。
「今年の政治展望」で最大の関心事は、ポスト小泉の自民党の総裁選レースだ。小泉純一郎首相は、新年の財界の賀詞交換会のあいさつで「将来を予測することは難しいし、政治は常に『一寸先は闇』の世界。しかし、今年唯一確実なことは、小泉首相が退陣することです」と、笑いを誘いながら言い切った。
首相が自らの退陣を繰り返し口にすることは珍しく、政界では“タブー”に近い。一度、口に出せば一気に求心力を失い、レームダック化することを本人も周辺も極度に警戒するからだ。そうした事例は古今東西、枚挙にいとまがない。いずれにしても首相の性格・美学から判断すれば、どんな事情であっても9月の総裁選挙を機に退陣、遅くとも10月の臨時国会で新しい首相が誕生することになる。
4人に絞られた後継候補
有力は後継候補は、言わずと知れた「麻垣康三」と呼ばれる麻生太郎外相、谷垣禎一財務相、安倍晋三官房長官、福田康夫元官房長官の4氏に絞られている。他には竹中平蔵総務相、与謝野馨経済・財政・金融担当相、山崎拓前自民党副総裁らの名前が挙がっているが、現時点では有力候補の枠には入っていない。今後の外交問題を含めて政局全体が星雲状態になった時点で再考されることになるだろう。
小泉首相は、総裁選挙の“行司役”になる武部勤自民党幹事長に対して「国民の多数が参加意識の持てるような選挙にするよう知恵を絞って盛り上げてほしい」と強く指示している。衆参両院議員による選挙に先立って党員・党友による予備選挙を実施することは大前提だが、問題はいかにして「国民の多くが参加意識を持てるように」するかだろう。選挙権を行使するのはあくまでも党員・党友だけであって、自ずと限界がある。
しかし、首相は衆院に小選挙区比例代表並立制が導入されたことを強く意識しており、日本の首相も「事実上の首相公選制」によって“大統領型”に近づけたいと考えているフシが濃厚だ。このためには、事実上首相を決める自民党の総裁選挙も“国民参加型”の公選色を導入したいと考えているはずだ。年頭の記者会見で、後継首相の条件の一つとして「国民の支持」を第一に挙げたのも、こうした考えの延長線上にあると見ていいだろう。
もちろん「小泉構造改革」路線の継承者であることを前提にしているものの、すでに先の総選挙で、「反小泉」、「反構造改革」のいわゆる首相の“政敵”をことごとく葬り去ったあとだけに、基本的な路線対立型の総裁選挙にはなりにくい。亀井静香元政調会長、平沼赳夫元経産相、野田聖子元郵政相、藤井孝男元運輸相ら、本来であれば総裁選挙に出馬したであろう有力候補が、郵政民営化法案に反対したことで“造反”“守旧・抵抗”勢力として「除名」、「離党」の処分で資格を失ってしまった。
これは考えてみれば凄まじい結果だった。
自民党は生まれ変わったか?
首相はやはり年頭会見で、在任約4年半を振り返り、デフレ不況脱却が視野に入り、株価に見られる景気回復の足取りに自信を示した上で、「改革なくして成長なし」と、「成長なくして改革なし」という対立に「ほぼ決着がついた4年間だった」と“勝利宣言”をして見せた。
昨年の衆院解散直後、首相は「実は『郵政反対』は『倒閣運動』なんだ。その本質を知らずに(反対票を)投じた人は気の毒だが仕方がない。戦国時代と違って、今の権力闘争は命まで取られないから楽なもんだ」とまで言い切った。つまり首相にとって郵政民営化の推進と、解散・総選挙は「権力闘争」そのものと位置づけられていたことがうかがえる。だからこそ「刺客」を送り込んで、政敵の息の根を止めるまで処分に踏み切ったのだろう。
そのことの是非、当否については今後も尾を引くだろうが、派閥政治や族議員政治による政治、政策決定システムが完全に崩壊過程に入ったことと合わせて考えると、小泉政治が戦後保守政治の根幹を壊したことだけは否定できない。それらが首相の言う「古い自民党」であって、本当に「自民党はまるで新党のように生まれ変わった」かどうか、その判定にはまだまだ時間がかかるだろう。
ベテラン議員や、メディアの中でも年配の記者、OBの間では、「小泉改革は、結局は欧米型の“弱肉強食”社会をつくり、最大の罪
は、日本の良き伝統、文化まで破壊したということで後世に名を残すだろう」という批判が強い。これは今後の各界における世代間論争の重要なポイントとなるだろう。
“国民参加型”の総裁選挙
さて、「国民参加型」だが、これについても首相は年頭会見で「従来は自民党の総裁だからということで、党や国会全体のバランスを考えるべきだという意見があったが、今は国民の支持を得ることが極めて大事になってきた。両方が必要な時代になったということではないですか」という言い回しでその必要性を強調した。
周辺に首相は「自前で20%の支持率を持っていないと政権維持は難しい」ともらしているという。少なくとも総裁選挙の期間中に、最
低でも20%の国民の支持率は確保しておく必要があるという意味だろう。そこで官邸と自民党執行部は、まず総裁選挙を国民の支持率の獲得競争のようなレース展開にしたいと考えるだろう。
そのためには先の総選挙の「刺客騒動」とまでは行かないまでも、国民の耳目を集めるような話題を次々に提供し、メディアへの露出度を高める戦略戦術を駆使することになると見ておく必要がある。メディア側がその手に乗るかどうかは別問題だが、国民の多くが「事実上の首相公選制」という意識を共有するムードが生まれれば大成功という読みだろう。そこでは増大する無党派層と重なる若いネット世代がターゲットになる可能性が高い。先の総選挙で自民党執行部は「初めてのネット選挙でも勝利した」という手応えを持っているだけに尚更だ。
それでも、前述したように選挙権が党員・党友に限られるという制約がある。しかし、4年半前の総裁選挙で、小泉候補が予備選で圧勝したように、党員・党友の意識は国民世論の動向に敏感に反応する傾向がなしとしない。そこを狙い目として、党執行部としては(1)候補者それぞれがキャラバン隊を編成して全国行脚する、(2)党執行部主催の候補者討論会を大都市圏のみならず、衆院比例ブロックの
11カ所で開催する、(3)ポスト小泉に望む政治信条、政策課題を一般国民から募集する、(4)それを基に各界各層の有識者らに政策提言をまとめてもらう——などの検討に着手したという。
同じ時期に代表選挙が行われる野党第一党の民主党は、自民党のこうした動きに警戒感を強めており、前原誠司代表が「代表選時期の前倒し」に言及したことが党内に波紋を呼んだ背景にもなっていた。
2006/7-12
臨戦態勢の北朝鮮 2006/10/20
北朝鮮はイラクのフセイン政権が倒れてから、アメリカからの攻撃を避けつつ、自国の立場を確保するためには核兵器を持つしかないと考えてきた。その選択の結果、各国の制裁が強まり、孤立していくことが分かっていても、なお、一貫した行動を取り続けてきたのである。
この背景には金正日体制の特徴とも言える先軍政治と強盛国家の実現、そして金日成の主体(チュチェ)思想といった、北朝鮮独自の考え方がある。つまり北朝鮮にとって、核を持つことは目指すところの完成を意味する。
最近の北朝鮮の中国に対する猛烈な敵愾心は、これまでとは明らかに違う。北朝鮮としては、もう中国の言いなりにはならない、今後は中国にかばってほしいとも中国に代弁してほしいとも頼まない…、といったところだろう。
今回の実験に関連して注目すべきは、中国外交のトップを務める唐家セン国務委員の動きだった。彼は実験後、直ちにワシントンへ飛び、ブッシュ大統領、ライス国務長官、ハドリー大統領補佐官(国家安全保障問題担当)と相次いで会談を行った。その内容は互いに非常に満足のゆくものだったと言われている。そして、唐家セン国務委員は、その足でアメリカから直接モスクワに飛んでプーチン大統領、イワノフ国防大臣と会談した。
この米露における立て続けの会談は、おそらく単に国連決議の中身云々を話したものではない。北朝鮮の近い将来、あるいは遠い将来を見越して、暴走する可能性、または崩壊する可能性を徹底的に分析し、米中露の連携をどうするべきかを相談したのだと思う。そして、これは米中にとっては、あるレベルを超えたということを示唆している。
さらに中国は、北朝鮮との国境において本格的な軍事演習の展開を始めた。ここ数日は生物化学兵器に対する対応演習まで行っているという。この意味を考えるにあたって、米軍が重装備の防護服を纏いバグダッドに侵攻した際の報道映像が非常に強く思い浮かぶ。
当時、イラクは核開発疑惑だけでなく、大量の生物化学破壊兵器「サリン」を保有していた。侵攻の際、イラク側の反撃にこのサリン兵器の使用が想定されていた。そして中国はこの故事にならって、今度の演習は北朝鮮がヘタなことをすれば、平壌に中国軍を送り込むぞという意思を表わしたのである。
これに対し北朝鮮側は、「来るならこい」「望むところだ」という強硬な姿勢で、主要部隊を地下基地に移動したといわれている。つまり、北朝鮮側はまさに戦時体制に入ったともとれるのだ。
ここまでの唐家セン国務委員の動きと、中朝国境付近の軍事演習の動きを合わせて考えると、いよいよこの問題が焦臭くなってくる。中国、韓国はおそらく参加しないだろうが、国連決議で経済制裁を決め、実際に海上封鎖をして北朝鮮船舶の臨検が行われば、一触即発の状況になりかねない。
北朝鮮の次の一手として、おそらく選択肢は、
1)追加核実験(核実験の再開)
2)ミサイル発射(日本近海の可能性)
3)国連脱退
のいずれかになるだろうが、実行されればどれをとっても、さらに緊張の度合いは高まって行くということになる。そして、北朝鮮のこれまでの、いわゆる瀬戸際外交とか恫喝外交と言われた外交交渉の域を越えてしまう。
現在の平壌や主要都市の街頭は一見平和だが、平壌で何人かに会って取材した話しによると、相当に緊張感が高まって来ているそうだ。それぞれに戦意がものすごく高揚していて、実体的には完全に臨戦態勢に入ったようだ、という話しを聞いている。これは、ちょうど65年前の開戦前夜の日本人のメンタリティーに近い状態と言える。
今日これまでに、モスクワでの会談から北京に帰国した唐家セン国務委員は、北朝鮮を訪れ金正日総書記との直接会談を実現した。そして、ライス国務長官が一連の流れをめぐる協議のため、日本、韓国から北京へとこの地域を訪れている最中であり、現在もなおこの問題はめまぐるしく動いている。
これから先、北朝鮮が何をやろうとしているのかはわからないが、我々には警戒が必要であり、相当の事態(無いことを祈るが…)を想定し、今のうちに準備をしておくことが、何よりも重要ではないだろうか。
日本から見た北朝鮮問題 2006/11/1
北朝鮮が6カ国協議に復活しそうだという。これは10月31日、北京で非公式に行われた米中朝の協議によって決定した。アメリカ側の担当者であるヒル国務次官補は、「11月か12月に再開を」と年内の協議開催を求め、それに対して北朝鮮側は諾としたのか否としたのかは不明だが、核廃棄を確約した昨年9月の共同宣言は「順守する」といった。安倍晋三首相は、ひとまずホッとしたことだろう。だが、安穏とはしていられない。冒頭「復活しそうだ」と書いたのは、これが北朝鮮流の外交術、つまり時間稼ぎかもしれないからだ。6カ国協議に復活するとしておき、のど元をぐいぐい締めつけている金融制裁をひとまず解除してもらって、本当のことはそこから考えようという可能性は大いにあると私は見ている。
そもそも、自民党総裁選を高い支持率に支えられ、本命のままゴールし誕生した安倍首相だが、この高い支持率は、拉致問題をめぐる北朝鮮に対する対話と圧力路線での、圧力面での一貫してぶれない姿勢に対する底堅い共感から始まった。そして7月の北朝鮮のミサイル発射実験で、最有力対抗馬だった福田康夫元官房長官が出馬を断念した。安倍政権にとっては、北朝鮮はよくよく縁がある国だろう。
その安倍首相が拉致問題対策本部を設置したのは、着任早々の9月29日のこと。拉致問題への対応協議、安否不明の拉致被害者に関する真相究明、生存者の即時帰国に向けた施策等、総合的な対策推進を目的とした。そして、全ての閣僚をメンバーに置くことで、安倍新政権の北朝鮮の拉致問題に対する強い姿勢を示したのである。
これまで6カ国協議の枠組内でイニシアティブを取ってきた日本政府は、その枠組みを尊重してこの問題の解決を図ってきた。協議の内容は、北朝鮮がミサイル開発、核開発をはじめとする国際社会の安定に寄与しない一連の流れを中止すれば、その見返りとして経済協力援助、或いは不可侵の補償を与えるというもの。日本政府としても「核ミサイルと拉致問題の解決なくして国交の正常化はなし」と、小泉内閣から一貫した強い姿勢を持って交渉に臨んできた。
6カ国協議に復活するらしいことになったとはいえ、国連で北朝鮮制裁決議案が採択された以上、日米中ロ韓の各国は、経済制裁をどこまでやるのかといった、ぎりぎりの状況判断での模索をまだ続けている。
安倍政権にとってはこれから数ヶ月、まだまだ困難の道が続く。北朝鮮に関連するあらゆる情報を収拾し、関係各国と意見交換しながら、国内問題の解決も同時進行的に迫られることになるだろう。集団的自衛権の問題、周辺事態の認定の問題など、自衛隊に関するいくつものハードルを、どの段階でどう越えていくにしても、容易ではない。
仮にアメリカが寄港地、或いは公海上において臨検を始めることになれば、北朝鮮がますます日本政府に腹を立てるとわかってはいても、日本は特別措置法を作って後方支援をせざるを得ない状況になる。
北朝鮮は、日本がそこまで自らを危険にさらす覚悟があると判断すれば、実際にミサイルを日本に発射するかもしれない。そうなれば、「撃つなら撃ってみろ。その代償としてあなた方の国も一瞬にしてどうなるかはわからない」ということになる。日米安保条約の発動だ。その結果、北朝鮮が納得する事態まで行き着き、事態は必ずエスカレートし、いよいよ危機的な状況が発生しかねない。
以前、北朝鮮で日本ではなぜこのような危機的状況を真剣に考えないのかを問われたことがある。戦後の日本社会は平和であり、北朝鮮の国民と比べれば認識のずれは大きいのだろう。しかし、今こそ我々も事態を慎重に見守り、安全保障防衛体制を総点検しておく必要があるだろう。
内閣不一致議論の是非 2006/11/6
自由民主党の二階俊博国会対策委員長は5日のテレビ番組で、安倍政権の幹部による核保有議論の容認発言が続いていることについて、強い自制を求める内容の発言を行った。閣内や党幹部らから誤解を招くような発言が繰り返されれば、任命責任者である安倍晋三首相の責任が問われる事態になりかねないということだ。
この問題を考えるにあたっては、これまでの安倍政権の大きな課題のひとつと言われる「曖昧政策」がある。メディアはこれまで、安倍のその立場を理解して大きな目で見てきた。しかし、本音はいつまでも隠せるはずもなく、何れ矛盾や綻びが出るのではないかという心配があって、新聞各紙も今後の出方に注目している。
なかでも重要なポイントがふたつある。ひとつは、安倍が歴史認識について所信表明演説、委員会質疑、代表質問を通じて歴代総理、歴代内閣、そして歴代官房長官の談話を踏襲すると一貫して言っていること。もうひとつは、日本があくまでも非核三原則を堅持し、国際社会に将来の核軍縮、核廃絶を唯一の被爆国として訴えて続けて行くということ。これは歴代内閣の核の問題における正式な答弁であり、方針でもある。
これに対して、政権中枢幹部による核保有の議論が出てきた。まず中川昭一政調会長がテレビ番組で口火を切り、アメリカまで出向いて「東アジアにおける今度の北朝鮮の核実験問題は、かつてのアメリカのキューバ危機前夜のような切迫した状況に匹敵する。だから、あらゆる事態を想定しながら政府与党としても考えたい」と核保有論議について言及。麻生太郎外務大臣も国会で繰り返しこのことについての答弁を行っている。
ただし、この核保有議論では両氏共に「自分は核保有反対論である」を付け加えていることを忘れてはならない。つまり、この状況下ではあらゆる事態を想定して議論しないのは逆におかしいし、その中で敢えて核議論をするならば、なぜ持たないのかという理由も含めて、この際、徹底的に話し合ったらどうかということだ。
しかし、現状ではこの核の問題に加えて、下村官房副長官が従軍慰安婦を含めた河野官房長官談話の歴史認識の見直しについて言及しことで、野党から閣内不一致ではないかと追求されている。
閣内不一致の議論の理由は、安倍内閣の基本方針と、堅持するとはいいながらも政府与党の閣僚や幹部がそれに反することを述べていることにある。そして、この内閣不一致と捉えられる一連の動きは、是非論から言えば政権の在り方として良いことではない。
これまで日本は唯一の被爆国としての立場があり、国連の軍縮総会では総理大臣や外務大臣が特別演説を行ってきた。演説では必ず日本政府の基本方針である非核三原則を提示し、核廃絶を訴えてきたわけで、それが変わるかも知れないと思わせるだけでも、外交上も国内も混乱する。
もちろん、核の議論を封殺する必要はないが、発言するのであれば、党内でもこのような立場にない人々の間ですればいい。ただし、安倍としては方針を明確にしているわけで、閣僚や党役員が疑いを抱かせるようなことを言及すれば、やはり批判を受けても仕方のないことである。
これを敢えて閣僚や党役員が発言すれば、実は政権内部には役割分担があって、徐々に世論を誘導しようとしているのではないか? 或いは本音はそこで、何れ表に出てきて政府方針を大きく変えるのではないか? などと国内外からさまざまな形でその真意が疑われる結果を生むからである。
また、見方によっては、安倍を支持してきた層への不満の高まっていて、本音を表してガス抜き(不満を和らげる)し、やるべきことは着々とやるというメッセージを伝えたいのだと、安易に捉えられてしまうことになる。
今後、北朝鮮が国際社会の要請を完全に無視して、次々に行動をエスカレートさせれば国民の間に不安が高まるだろう。実際にミサイルが飛んでくる事態になれば打ち落とすための議論が始まる。そこで、打たせないだけの抑止力を持つということになれば防衛力の強化に繋がり、何れ核保有論になりかねない。
このような状況を生まないためにも、外交や国内世論に対して安心できるような政策を示していくことこそが、政治の大切な仕事だろう。安倍政権には、この両方向の兼ね合いをどうバランスを保って進むのかといった難しい判断が、これからも続く。この問題を、指導力が弱いと考えるか、意図的なものと考えるか、どちらにしろ、本音がどこあるのか分からいようやり方は、政権としてフェアではない。
教育基本法改正案とかけ離れた現場の問題 2006/11/10
教育基本法改正案採決のための衆議院特別委員会は7日、地方公聴会日程と参考人質疑の日程を決めた。これについて同委員会筆頭理事で民主党の中井洽氏と民主党の国会対策委員会は衆議院通過もやむなしという判断で、改正案は来週中にも衆議院を通過し参議院に送られる見込みとなった。これを見越した与党は、参議院運営委員会理事会で特別委員会の設置を提案し、最終的には今国会の会期末(12月15日)までに可決・成立する見通しが強まってきた。
この教育基本法改正を内政の最優先課題として位置付け、大阪・神奈川の衆議院補欠選挙で二勝したことで弾みを付け、今国会の最優先政策として力を入れてきた安倍晋三首相にとっては、成立すれば初めての内政的な成果となる。
しかしこの時期、全国の高校での必修科目の履修漏の問題や、次々に噴き上がるいじめ自殺の問題が取り上げられていて、学校側の体制や教育委員会の在り方が問われているのが現状だ。国民にとっては教育現場の混乱ぶり、荒廃ぶりをどうすれば良いのかといった具体的なことが関心事であり重要だろう。
確かに、森山眞弓委員長を筆頭とした衆議院教育基本法に関する特別委員会では、この履修漏れやいじめ自殺の問題について、集中的に審議を行っている。しかし、法律や制度を変えることによって現場の荒廃、或いは混乱ぶりが変わるというものではないから、この審議内容は教育基本法改正案そのものとは直結しない。そして、この欠落してしまっている実際の現場での問題を、今後どう解決させていくかという大きな課題が残っている。
先月、安倍は閣内に教育再生会議を設置した。この中で教育再生を図り、21世紀の日本にとってふさわしい教育体制を構築するための様々な議論をやろうということである。しかし、これまでのところ政府が一体になって履修漏れの問題、いじめ自殺の問題について本格的に取り組んでいるという体制はなく、愛国心などの議論にばかり走ってしまっていることは大きな問題ではないだろうか。
アメリカ中間選挙とブッシュ政権の岐路 2006/11/14
アメリカ中間選挙で民主党が連邦議会上下両院で勝利を収め、ブッシュ大統領率いる共和党はランドスライド(地滑り)的な敗北を喫した。泥沼状態のイラク問題が最大の争点だったことである程度の結果は予想されていたこととはいえ、ここまで国民に「ノー」を突きつけられたことは、ブッシュ政権・与党共和党にとっては大きなショックだった。
2003年のイラク開戦時、ブッシュ政権はアメリカ国民と民主党の圧倒的多数から賛成を受け支持率を上昇させた。しかし今回の選挙は、その後3年間の展開において2,800人を超える米兵が死亡し、イラク情勢がほとんど内戦状態といえるまでに泥沼化したことで、ブッシュのイラク政策への正当性に対する国民の苛立ちが頂点に達していることを裏付ける結果となった。
しかしこの敗北により、アメリカ政治は内政外交全般にわたって相当に混乱することになった。残す任期2年のブッシュは求心力と指導力を失い、政権はレームダック(死に体)化し、これまでの政策は大幅な修正変更を迫られるからである。
この問題は既に表面化している。まず選挙最大の懸案事項だったイラク問題では国民に対して責任を明示するため、ラムズフェルド国防長官を直ちに更迭し、その後任にゲーツ元CIA長官(1991〜93年)を据える必要に迫られた。
ゲーツはベーカー元国務長官、ハミルトン元下院議員らと共に混迷を深める最近のイラク政策に批判的な超党派メンバーからなる「イラク研究グループ」で活動していて、これが起用の決め手となった。そしてこのゲーツ起用でイラク政策変更の意思表示を行い米軍撤退計画の必要性を明示したのだ。
ブッシュ政権にとって頭の痛い問題はこれだけではない。外交面で次に考えなければいけないのが北朝鮮とイランの問題だろう。これまで両国に対して強硬的な姿勢と圧力で臨んできたブッシュ政権の基盤が弱体化したことは、両国にとって願う結果となった。今後アメリカがこの問題を前進させるためには、イラン問題はEU連合と、北朝鮮問題は6カ国協議内において、日中ロ韓とどれだけ足並みを揃えて連携をとれるかという点がポイントになる。
しかし、レームダック化したブッシュ政権に対して中国・韓国がどこまで連携を重要視するかという不確定要素は大きい。そしてこの点は北朝鮮やイランにとっての付け目となるだろう。ブッシュ政権は足下の変化をしばらく見極められることになり、両国とも今後の判断次第では次の大統領選挙まで何らアクションを取らず、全く動かなくなるということもあり得る。
民主党勝利によるもうひとつの注目すべき点は内政問題だろう。そもそも民主党の下院議員は労働組合を背景に、経済問題において地元優先の保護主義色が強い。そして従来から内政に対して力を持つ連邦議会下院において、その常任委員長の全てが民主党勢力になることによって、現在アメリカ最大の貿易赤字国である中国との経済関係が俎上に載る可能性も、今後大いに考えられる。
現在、アメリカ経済は堅調でありこの問題は噴出していない。ただ、これまでにもアメリカは中国に対して元の切り上げ、貿易不均衡の是正、そして市場開放を迫ってきた。その上で、もしアメリカ経済が現状から少しでも変調をきたせば、民主党優位の下院が貿易摩擦を大きな問題として取り上げ、中国に対する圧力を高めるよう要求し、米中貿易摩擦に一気に火が付く可能性があるということだ。
こうなれば、とりわけ北朝鮮問題での安全保障や、アジア地域での経済政策をどういう枠組みで解決するかという理由において、一時の覇権争いを止め協調調整型の枠組みを作ろうと非常に接近しつつあった米中にとっては、この流れに水をさされる結果となる。
福島・沖縄県知事選挙の内幕 2006/11/21
先週今週と立て続けに県知事選挙が行われた。まず、12日の福島県知事選挙では野党民主党、社民党が推薦した佐藤雄平(さとう・ゆうへい)氏が、与党自民党、公明党の推薦した森雅子(もり・まさこ)氏を破った。
そして、普天間基地の移設問題などが争点とされた19日の沖縄県知事選挙では、与党自民党、公明党が推薦した仲井真弘多(なかいま・ひろかず)氏が、野党統一候補(民主党、社民党、社会大衆党、共産党、自由連合、国民新党、新党日本推薦)の糸数慶子(いとかず・けいこ)氏を破って当選した。
そこで、与野党一勝一敗となった勝敗因と、安倍政権や国政への影響について考えてみたい。
今回のふたつの知事選は、10月22日に行われた大阪、神奈川の衆議院補欠選挙で勝ち、上げ潮に乗るかと思われた安倍政権にとっては国政に直結しないとはいえ大切なものだった。先の福島知事選に続いて沖縄知事選でも負ければ政権の勢いにブレーキがかかり、国会運営にも大きな影響を及ぼすという理由である。しかし、沖縄知事選を辛勝したことで、安倍政権はほっと一息ついたところだろう。
そもそも自民党にとって、福島選挙は10万票以上の大差での敗北だったにも拘わらず、そのショックは小さかったと言われている。理由として、まず、佐藤氏は保守自民党に近い考え方の持ち主で、渡部恒三衆議院議員の秘書を務めたこともあって、県民の意識が佐藤氏へと流れたことは、ある程度仕方のないことだと考えた。次に、自民党が推薦候補者として選んだ森氏本人にも問題があった。
森氏はもともと民主党が推薦しようとしていた人物。しかし、本人はその誘いを断って自民党に飛び移ったとされ、これを快く思わない人たちが出た。その後、森氏の父親は反保守側という情報が真偽の分からないままに駆け巡り、プルサーマル計画実施に前向きな自民党の推薦候補者にも拘わらず、その計画推進に疑問を呈してしまった。これらによって、自民党を支持する多くの票が佐藤氏側に流れたとされている。
そして、これが自民党内で国政を左右する知事選にはならなかったという空気が流れた理由であり、野党側の勝利に結びついた理由でもある。
では一方の沖縄はどうだったのだろう。
東西冷戦が崩壊し、与党自民党と野党日本社会党による55年体制が崩壊れた後も、メディアにおいて国政レベルでは死語となっている「革新」という言葉が辛うじて生き残っていたのが、この沖縄だった。そして、今回行われた沖縄知事選も、これまで同様に保守(与党側)vs. 革新(野党側)のガチンコ対決の様相を保っていた。
しかし、保守側の仲井真氏が競り勝ったことで、以前より長く続いた沖縄独自の保守vs.革新といった対立軸の構図が、いよいよ崩れたのではないかというのが、私が今回一番強く受けた印象である。
今回の選挙は、普天間基地の移設問題が全く決着していない状況で行われた。そのなかで、仲井真氏は基地問題ではなく経済問題を強く押し出し、対する革新側の糸数候補はこれまで同様に基地問題を争点にした。
その仲井間氏が勝利を収めたことは、基地問題より全国平均と比べて低い水準にある県民総生産と高い失業率、或いは普天間基地移設や海兵隊の一部グァム移転に伴うその後の経済振興策がどう打ち出されるのかといった、現実的な問題に既に県民の関心が移っていたのではないだろうか。これは基地問題が従来の環境から大きな山を越えつつあることを映し出した結果だったとも言える。
もうひとつ今回の結果を左右した原因を取り上げるとすれれば、野党共闘によるねじれ現象の発生がある。
これまでの沖縄知事選は、社会大衆党を軸として共産党と社民党が一緒になり、選挙対策の実働部隊を作る形をとっていて、今回はここに民主党が相乗りをした形となった。
しかし、民主党を支持する保守側の人間からすれば、野党共闘、反与党という大義名分はあっても、やはり全然考え方違う党と共闘を組むのはおかしいといった睨みが効いた。また、糸数氏が当選後に反基地、反米反安保について言及しなくなるという噂が流れたことで、それなら保守側の基地問題への対応と大差がなく、経済政策を取り上げた仲井真氏の方がまだましだという空気を生んだ。このことでねじれ現象が生まれ、県内に相当数の支持者を抱える下地幹郎衆議院議員の応援票もまた、仲井間氏側へと流れてしまった。
今回の県知事選挙、福島と沖縄の結果は一勝一敗だったが、それぞれ本来の支持層の票が相手方に流れるという、極めて似た形のねじれ現象によって勝敗が決した。このような流れが今後の選挙にも引き続くかどうかは、ひとつの注目ポイントだろう。
いずれにしろ、接戦の末の沖縄知事選の結果は、今後の政権運営において、自民党、安倍政権はそこそこやれるのではないかという雰囲気を生むことになった。
爆弾テロで200人以上の死者!イラク解決への遠い道のり(1) 2006/11/25
イラク、バグダッド23日、200人以上の死者、200人以上、負傷者250人という過去最悪の連続爆破テロがおきた……。
今回の連続爆弾テロはイスラム教シーア派強硬指導者のムクタダ・サドル師の拠点サドルシティーでのもの。これに対して、イラク各地でスンニ派に対する報復が行われ、シーア派とスンニ派の宗派間の争いは、ますます激化の道を辿る一方である。
だがなぜ、各地で爆弾テロが頻発する最悪の状態になっているのだろうか?
まずはこれまでのイラクの状況について考えてほしい……。
2003年3月のイラク開戦以来、これまでに駐留米軍の死者数は累計2,800人を超えるのは、しばしば報道されている通りである。
しかし、一方のイラク側は、少なく見積もっても5万人(英米の民間の研究者団体イラク・ボディー・カウント発表数)、シェンマリ保健相の発表(11月9日)では15万人以上が犠牲となっている。
そもそも、アメリカがイラクに戦争を仕掛けた本当の動機は、数々の国連決議違 反を繰り返してきたフセイン独裁体制を排除したいというところにあり、大量破壊兵器の保有やテロとの繋がりは口実にすぎなかった。
そしてこの目論見は成功し、ここまではアメリカにとっては良かったのだろう。
しかし、10月1カ月間の駐留米軍の死者100人の大台 を突破したことで米国民の厭戦・反戦気分がますます高まって、それが 11月中間選挙での共和党の敗北に繋がったことから、ブッシュ政権としては内外に向けて撤退計画の青写真を見せる必要に迫られてしまった。
当然、アメリカでは本音では即時撤退したいのだろうが、この時期の撤退表明はイラク国内の武装勢力をますます勢いづけてしまうことになる。
そうなれば、今回の爆弾テロのようなことが、さらに激化し、たださえ泥沼の内戦に近い状態が、いよいよ完全な内戦となる可能性は極めて高い。
こうなると、それこそイラクは方々で情勢は解決不可能としか言いようのない最悪を迎え、米側との不協和音が囁かれるマリキ首相率いる暫定政権側の立場から考えても、実際問題として、受け入れ難い。
この点でブッシュはつらい非常に立場にあり、例え撤退を表明するとしても今すぐということではなく、年単位での計画を示さざるをえない状況となっている。
では、なぜイラク国内自治が、一向に軌道に乗らないのだろうか? 
毎日100人以上の死者!イラク解決への遠い道のり(2) 2006/11/28
前回はアメリカ側の立場から見たイラクについてお伝えしたが、今回はなぜイラク国内自治は軌道に乗らないのかについて、考えてみたい。
これは、3つの民族と宗派の存在、イラク国土の石油資源の分布図といったイラク特有のモザイク構造の存在を知っておくことが重要なのだと思っている。
まず、イラク国内最大勢力のシーア派は、南東部を勢力地域にしていて、太い油田帯とペルシャ湾岸の港を保有している。また、少数民族のクルド人勢力も、北東部を勢力地域に豊富な石油資源を保有している。そのため将来に対する不安はさほど無い。
しかし、一方のスンニ派勢力地域の西部には石油資源がほとんど無い。だから今、彼らは将来に非常に強い危機感を抱いているのだ。
幸か不幸か、イラク戦争前にはフセイン元大統領による強権的な独裁体制によって、この微妙な国内勢力バランスは維持されていた。
しかし、そのフセインが排除され、イラクの国内統治は民主化のプロセスによって行われることになった。国内連邦制を規定することで、イラク自治は実現される予定だった。
そして、ここに見えない大問題が隠れていた。
良かれと思って行ったこの民主化プロセスが、そのままシーア派、スンニ派、クルド人の国内権力闘争へと変わり、時間が経つにつれ対立は激化。今の内戦状態のような状況が生まれてしまったのである。
加えて、石油分割の問題は国内課題のみならず、アメリカとイギリスの思惑と既存の国外権益だった中国、ロシア、ドイツとの調整もはらんでいて、実に厄介なものになっている。
このような状況下でイラクは、ソフトランディング可能なのだろうか?
私は実質的な自治へ繋がる唯一の道は、将来それぞれの民族・宗派の枠組みでの分離独立を視野に入れ、連邦制を実現することだと考えている。
しかし現実的には、この無数に折り重なるモザイク状態を紐解いて、平和的な自治を実現するまでの道のりは遠い。アメリカが甘い見通しで無謀な戦争に突入してしまった責任は極めて重いのだろう。
復党問題(1)「郵政造反議員の誕生」〜郵政解散・総選挙と造反議員〜 2006/12/4
郵政民営化法案に反対して自民党を離脱し、復党願いを提出した衆議員議員12人のうち、屈辱だとして「誓約書」を出さなかった平沼赳夫氏以外の11人の復党が正式に決定した。
提出を求められた「誓約書」には、郵政民営化への賛成、党則の順守、安倍晋三首相の所信表明への全面的な支持のほか「制約に違反した場合は政治家としての良心に基づき議員を辞職いたします」との決めの文句が、最後に明記されていた。
自民党執行部としてはこの誓約書を書かせ、けじめとして国民、有権者に対しての記者会見を行わせ、公の場での説明責任を果たしたということで、一応の決着を見せた。
しかし、これを我々は認めていいのだろうか?
なぜなら、以下の素朴な疑問や批判を免れない。
あの昨年の総選挙と刺客騒動は何だったのか?
来夏の参院選挙対策のための党利党略、ご都合主義ではないのか?
そこで、そもそもの騒動の発端を振り返る。
昨年9月、当時の小泉首相は郵政民営化について、直接民意を問うとして、政治生命をかけ解散・総選挙に打って出た。
反対議員は離党勧告を受け、その選挙区の全てに党公認の賛成候補を、いわゆる刺客候補として擁立。
自民党は選挙の結果大量の候補者を当選させ、郵政民営化賛成は民意だったということになった。
だが反対を表明して刺客候補を破った議員もいた。これがモ造反モ議員である。
しかし、ひとくちに造反といっても、以下の3タイプがあった。 
1)郵政民営化そのものに反対
2)郵政民営化には賛成だが、当時の中身に不満があったが、選挙後に民意が示されてといって賛成に転じた
3)郵政民営化騒動を、政局・権力闘争へ持ち込もうとした
そして、今回の騒動は、主に2)に当てはまる議員の問題だということを理解した上で、次回以降この復党問題について考えてゆく。
復党問題(2)「自民党復党への決断」〜執行部が決めた経緯と背景〜 2006/12/5
自民党に「誓約書」を提出することで、復党問題の一応の決着を見せるという判断までの経緯はこうだった。
中国、韓国での電撃的な首脳会談を終えた安倍総理は、翌日の10月10日、報道各社に「首相秘書官との会食」と説明した会合を抜け出して、青木参院議員会長、中川幹事長、森元総理と極秘会談を行った。
青木はその席上で、来夏の参院選挙の厳しさを指摘し「造反議員の復党問題に時間をかけたらダメだ、無条件での即時復党を認めろと」脅しをかけた。森元総理も「間髪入れずにやらなきゃ反対論が出る」と強く主張した。
しかし、なぜ即時復党を迫ったのか? その理由は2つである。
ひとつは、参院選に近づけば近づくほど、国民、有権者からの批判にさらされ選挙情勢が悪くなると考えたからだ。それならば、早いうちに復党させ、冷却期間を置こう、あわよくば忘れてくれるだろうと……。
もうひとつは1月1日時点で政党員でないと貰えない政党助成金の存在だ。最近は選挙資金を集めるのも大変で、自民党議員の5〜6割、民主党議員の8〜9割が普段の政治活動の資金としてこの政党助成金に頼っている。
つまり、この金の有無は、死活問題なのである。だから、財政的に厳しい造反組の無所属議員は、この時点までに復党したいし、自民党にとっても収入が増えるのは悪い話ではない。
では、安倍自身はこの造反議員問題をどう考えているのだろう?
これには、安倍の政治信条が関係してくる。安倍の著書「美しい国へ」でも分かるように、安倍自身は戦後レジームからの脱却、新しい時代の新しい政治、新しい国造りを目指している。
そうなると憲法改正や教育基本法といった国の根幹に拘わる重要な政策を進めなければいけないから、保守系勢力をできるだけ結集したい。ひとりでも同じ志を持つ人たちと結集して一緒にやっていきたい。
そして、造反組には平沼赳夫をはじめ、岐阜の古屋圭司など、安倍の思想や政治スタンスに近い人が多いから、これが復党の大儀だというわけだ……。
こう考えていた安倍にとって、先の秘密会合で青木らに復党を勧められたことは「やはりそうか」と保守勢力の大結集への思いへと繋がった。
しかし、中川幹事長だけは復党に懐疑的だった。だが総理総裁の最終的な意向となるとどうしようもなく、それなら外形的にでもと踏み絵を使って厳しい条件を突きつけ、自民党の内輪の論理で筋を通すことにした。
復党問題(3)「世論と自民党の建前」〜小選挙区制理解のズレ〜 2006/12/6
今回の一連の復党騒動では、党内の小選挙区制度に対する認識の差が、世代認識の差となっていて、この認識の差、ズレがそのまま復党問題に対する賛成・反対という形で表れた。
そもそも小選挙区制は、政治改革を目的として導入された。どうにもならなくなっていた自民党政治をどうやって変え、国民の政治不信を払拭するという事でスタートしたものだ。
選挙区で勝てるのは一人だけだから、1票差でも勝ちは勝ち、負けは負けという戦い方が必要とされる。以前の中選挙区制のように、自民党の論理とか組織固めだけで勝てるものではなく、どうしても無党派層までを含めた選挙戦をやらなければいけない。
特に、小選挙区制下の選挙しか知らない4回当選以下の若手は世論に敏感だ。組織票よりも無党派層動向が当落を決めることを知っている。
だが、選挙に強いベテラン議員には、小選挙区制の意味そのものを、まだ感じていない人が多い。
そして今回の復党は、たとえ造反組11人が選挙後に法案賛成にまわり、首相指名選挙で安倍に投票し、誓約書を書いたからと言っても、小泉の呼びかけに応じて普段投票に行かないけど、あの時ばかりは行った無党派層の人たちによる「あの選挙は何だったの?」という批判から免れることはできない。
去年の総選挙で民営化の是非を問われた国民、有権者への背進行為であることに変わりはなく、造反議員の復党は小選挙区制の目的に反し、もともと筋の通らない話しだということだ。
復党問題(4)「爆弾を抱えた自民党」〜来夏参院選、手痛い敗北の可能性〜 2006/12/7
ここまで3回にわたって述べてきた今騒動の目的とするところは、安倍総理や執行部は全面否定しているが、結局のところ来夏の参院選の選挙対策である。
来夏の参院選は、少なくとも安倍政権が短命で終わることを避けるためにも、勝たないまでも負けられないという天王山となる。
そして、参院選挙では党組織、支援団体、業界団体の組織で上がってくることが多いため、やはり造反組の協力を取り付けたいという考えが党内部にあって当然なのだとは思う。
例えば岐阜は、野田聖子、古屋圭司、落選した藤井孝男といった衆議院3選挙区の実力者の全員が、造反議員である。今でこそ落下傘候補が自民党の正式な支部・組織だが、どう見たって造反組の方が実力者だから、協力を得られなければやはり参院選は戦えない。
また、岡山で改選の片山参院幹事長も、造反組の交渉役だった平沼赳夫(何しろ選挙に強い)の協力を得られないとなると安泰とは言いえない。
そういう切実な事情で背に腹を変えられないことも分かるが、これはあくまでも内輪の論理であっても、国民、有権者の考えとは異なるのである。
次回の参院選では、29ある一人区が天王山中の天王山になることが予想される。ここでは前回述べたように、衆議院の小選挙区制と同じ性格(一票差でも勝ちは勝ち、負けは負け)の選挙戦が展開されるわけで、無党派層が復党どう判断するのか?
さらに、郵政解散・総選挙で「No」と言われた落選議員を、参院に転出する人だけは復党できる…、といったご都合主義を通すと決まれば、国民、有権者はどう投票判断するのか?
今回の復党判断、とりわけベテランや、組織中心の参院側の判断は、自民党にとって本当にプラスなったのか?
これには、大きな疑問が残る……。復党問題でこういうやり方をしている自民党・安倍政権は、いずれ手痛い「世論のシッペ返し」を食らうだろう。(復党問題シリーズ/終)
安倍政権に赤信号?支持率 "失速" は、いつ下げ止まるか!(1) 2006/12/20
歴代3位の67%(毎日新聞調査、以下同)という高支持率で上々の滑り出しを見せた安倍内閣の支持率が、一部には"失速"と言わるほど急降下してきている。政権の行方に赤信号がともったという見方も出ている。果たしてそうか? 
11月には53%、12月には46%と、ついに50%の大台を割り、発足当初からは21ポイントの下落となった。
新任当初は懸案だった日中、日韓首脳会談を電撃的に実現させ、東アジア外交の再構築に踏み出し、北朝鮮の核実験と国連の制裁決議への動きなども合わせ、好感された。
しかし、郵政造反組の復党問題が表面化や、タウンミーティングの「やらせ質問」で世論の批判が高まった。
改正教育基本法の国会審議では、いじめ自殺問題、必修科目の履修漏れ問題など、教育現場の荒廃ぶりが取り沙汰されている時に、なぜ基本法の成立を急ぐのか? という、国民意識とのギャップが生じた。
そして、これらによって下落した支持率が、いつどこで下げ止まるかが政局の焦点となってきた。
まだ3ヵ月で先行きまで占うのは早計かもしれない。小泉前首相は田中真紀子外相(当時)の更迭で、一年足らずの間に80%あった支持率を40%と半減させたが、持ち直して5年半もの長期にわたって政権を維持した。
私は小泉を好きな相撲に例え、「40%の"徳俵"に足が掛かっている限りは、いつしかバイオリズムで押し戻されるパターンが繰り返される」との見方を紹介したことがある。
支持率にアップダウンはあって当然だし、予想外のニュースで世論は大きく変わることがある。その意味では一喜一憂する必要はない。
しかし、安倍内閣の支持率低下には、気になる要素がいくつかある。
安倍政権に赤信号?支持率 "失速" は、いつ下げ止まるか!(2) 2006/12/23
支持率急落の背景には、首相の本音がどこにあるのか、リーダーシップが発揮されていないといった、安倍首相自身の姿勢や資質にからんだ疑問や不満がある。
世論としてこれが定着すれば、チョットしたことでも首相や政権への不信感が噴出し、"失速"につながりかねない。
ここまでのところ、安倍は靖国神社参拝問題、歴史認識問題でも"あいまい戦略"をとっていて、就任後の国会答弁ではその姿勢に終始している。
このことが日中、日韓首脳会談の実現に大きく寄与したことは事実ではあるけれども、一方では安倍の強力な支持基盤と見られた保守派の不満となり、「本音や顔が見えない」という世論にも反映している。
特に今国会で成立した教育基本法改正と防衛庁の省昇格関連法案は、近い将来の憲法改正に直結する課題であり、安倍は新しい時代に合った新たな政治を掲げて「美しい国日本」を標榜するからには、堂々とその歴史認識と所信を明確に表明すべきだった。
目指す「戦後レジーム(体制)の脱却」のために、占領体制、55年体制のどこが間違っていて、どこが時代遅れになっているから憲法改正、教育基本法、防衛省は最優先の課題だと言い切って、説明しなければならない。
そうした説明を抜きに、国会対策や党内調整、または来夏の参院選対策を優先しているかのように受け取られているところに"落とし穴"があったように思う。
これ以上、支持率が下げ止まらないという窮地に陥らないためには、内閣の基本理念として改めて安倍は政策を明確に打ち出し、国民、有権者に分かり易く、地道でも正攻法で、粘り強く理解してもらうための努力をすべきだろう。
特有の政局観や個人プレーで支持率を維持した小泉前首相の後任は、誰がなっても比較されて損な役回りになるだろうと予想されていた。
それを補うのが「チーム安倍」になるはずだったが、今のところ十分にその機能が発揮されているとは言い難い。
折しも21日、官邸主導の人事で起用した政府税務調査会の本間正明会長が、官舎問題で2か月足らずで引責辞任に追い込まれたことで、政権運営にさらなる悪影響を与えるだろう。
安倍政権はチームワークの悪さや、バラバラな戦略戦術が目立つという悪循環に陥っているように見える。(了)  
2007/1-6
「ニュース検定とは何か?」 2007/2/7
毎日新聞社が長い間温めていたプランである「ニュース時事能力検定制度」(略して「N検」)が、いよいよスタートすることになった。
N検には2つの狙いがある。
ひとつは、現在、ニュースや時事問題に対する若い世代の関心の薄れが進んでいて、それが社会に対する無関心にもつながっている。その現状を打開するためのもの。
もうひとつは、最近の傾向として、若い世代で急速に進む活字離れにより、ニュースの真偽を判断する上で最低限必要とされる共通知識や概念を読み間違えることが多く
なってきていること。そこを再認識することで、ニュースを読む、見るという目を養っていただこうという考えである。
具体的な体制としては、検定の中立性と公平性を保つため、第三者機関のNPO法人を設立することになった。
ちなみに、メンバーは名誉会長に養老孟司さん、理事長は私、不肖岸井が引き受け、理事メンバーには元NHKで「週刊こどもニュース」のキャスターを務めていた池上彰さん、JNN報道特集の田丸美寿々さん、毎日新聞出身で現在は早稲田大学教授の重村智計さんら、現役のキャスターやジャーナリスト、大学教授らで構成した。
試験は1級から5級まであって、ハイレベルの1級から、大学生や新社会人ぐらいを対象とした2級〜4級と、初歩の5級。
4月から実際のテキストを作り、第1回目の試験は2〜5級を今年の9月に、1級を12月に実施する。
理想としては、いずれこのN検が、普段の会話の中で「君はN検何級?」といった話題として取り上げられる時代が来ればと思っている。
安倍は「女性は産む機械」発言問題を見誤った! 2007/2/10
「女性は産む機械」という発言で始まった一連の柳澤伯夫厚生労働大臣の失言騒動。この問題が今週の「健全」発言でも分かるように、本人が言い訳すればするほど"どつぼ"に嵌る典型的な「失言の連鎖」のパターンになっている。
柳澤は最初、「産む機械」と言ったのを直ぐにを謝って訂正し「装置」へと言い換えた。そしてこの失言を取り戻すつもりであえてふさわしいと思い強調したのが、「健全」という言葉だった。しかし、どちらにしろこれらの言葉は絶対に使ってはいけない「言うに事を欠いて」の典型だろう。
問題は、頭数とか数字の上での生産力としか考えておらず、相手が生身の人間で、それぞれに色んな事情もあるということが頭にないことにあった。
しかし、柳澤はもちろんだが、この問題を「言葉狩り」と言い放った自民党にも、その感覚のズレがには首を傾げざるをえない。
私は愛知県知事選や北九州市長選の結果うんぬん以前に、柳澤発言後、安倍は間髪入れずに内閣大幅改造をやるべきだったと思う。
そうすれば郵政造反議員の復党問題以降に生じた「安倍は言えば軽く折れる」という党内の雰囲気を、ここで再び引き締めることが出来た。つまり党内で安倍はその重みを増す絶好のチャンスだったのである。
安倍は総理大臣としての任命責任はもちろん、このような問題を党内で放置しつづければ今後の政権運営、春の統一地方選、そして7月の参院選へと、どんどん傷口を広げることが分かっていない。
浅野出馬で東京都知事選が俄然面白くなってきた! 2007/3/8
浅野史郎前宮城県知事が東京都知事選挙に出馬を宣言した。これでようやく役者が揃って、やや不謹慎な言い方をすれば非常に面白くなってきた。
野党第一党の民主党は政権交代を目指してこれから統一地方選、参院挙を戦う。そういう中で、自民vs民主という2大政党の対決図式、首都決戦をやってもらいたかったという気持ちはある。
しかし、全国的にも無党派層が増大しつづける今、東京の場合では平均すると5割〜6割が世論調査では無党派層で、政党支持離れは著しい。だから政党が表に出れば都知事選の場合は非常に不利という見方があって、これが石原慎太郎都知事が自民党の推薦を断り、また、浅野も民主党の推薦を断るという形で、両党とも「後ろから応援をさせていただきます」という図式が出来上がった。
本来なら2大政党が国の首都をどうするのかといった政策論争を期待するのだけれども、そこは石原と浅野で政策論争を大いにやって、盛り上げてもらいたい。
ここで意外なのが、浅野は案外いい線までいくだろうということだろう。週刊朝日が独自調査を数字にして出したが、マスコミ各社や政府与党も非公式にそれとなく調査している。ところがこの上がってくる数字が想像以上の石原離れを表していて、与党側にとっては相当なショックがあるようだ。
普段の都知事選挙なら、素朴な都民感情として宮城で知事をやって辞めた浅野が「何で東京へ出てくるのか?」という疑問があって、知名度と他県から移ってくるには壁は厚いはずなのだが、その浅野の勢いが結構あるのだ。
この勢いの理由には、まず石原都政に対する都民の飽きが大きい。加えて、噴き上げている一連のスキャンダルは一言で言えば都政の私物化、公私のけじめが無いということであり、言われてみれば物の言い方まで尊大だとなってしまっている。これは就任当初は新鮮でカリスマ性ということでプラス材料になっていたものだが、前回石原に投票した人達の層でも4割近い石原離れが起きているようで、これでは大変だろう。
こういう時は守りで支持離れが起きている方が弱い。知名度が低いはずなのにそこそこ票を獲りそうだという数字が出てきていることは、世論調査との相関関係でも、先の宮崎県知事選のケースでも最初は泡沫候補だった東国原英夫(そのまんま東)知事が、最後に波に滑り乗ったというのにも似ている。そういう意味でも良い勝負になるだろう。
12年前、阪神大震災やオウム真理教があって人心不安という中で、政党離れがものすごく進んで無党派層が急増していた。それで東京で青島幸夫、大阪で横山ノックが当選した。宮崎県知事選の時にこれを思い出した。
当時、私は政治部長で直ちに解説を書いたのだが、その見出しが「無党派層の反乱」だった。その時、最後に原稿に付け加えたのが「これはひょっとすると今後の選挙の帰趨は、無党派層が決めるというスタートになったのでは」という内容だった。
そして、これは今回の知事選はもちろん、今度の地方選挙、参院選の一人区でも、無党派層が当落の決定権を握るのではないかと思う。
余談だが、小泉政権より安倍政権当初まで、この無党派層の力が政権を支えた。自民党組織はガタガタで本来の自民党支持者は離れていたのだが、「自民党をぶっ壊す」の声に共感した無党派層があの時には自民党を支えたのだ。しかし、今はまさにこの無党派層が急速に安倍政権から離れていっていて、同じように石原都政からも離れていっている。
この行き場を失っている無党派層を浅野が受け皿として引きつけることができるかもしれないのだから、やはり浅野は無党派層に対してマニュフェストを提示して、政策論争をしっかりやることが大事だろう。
一昨日、石原は発言の中で浅野について「江戸っ子らしくない」という主旨の発言をしたが、これは裏を返せば「田舎くさい」ということに聞こえてしまう。ほとんどの東京都民にも郷里があるわけだから、こういうことも後で響く。
北朝鮮6カ国協議、関係各国の思惑、作業部会の真相 - その1 2007/3/9
6カ国協議での合意の枠組みに基づいて5つの作業部会が設けられ、その内のふたつ、米朝、日朝の国交正常化作業部会が今週アメリカ(米朝)、ベトナムのハノイ(日朝)で行われた。
この作業部会の注目点としてまず、米朝では金融制裁、テロリスト国家指定を解除をどうするかといった大きなステップにアメリカが踏み込むかどうか。
そして日朝では、日本の要求を一応受け入れ初日に拉致、二日目に国交正常化を議論すると決まった作業部会に対し、北朝鮮がどう出てくるのかということに注目が集まった。
実はこの作業部会、その名前がどちらも「国交正常化」という名前になったことにみそがある。
今回、日本は拉致で少しでも何らかの進展があることが望んだが、対する北朝鮮は基本的に核保有国という思いが非常に強い。6カ国協議の流れで粘りに粘って基本的に自分たちの願う通りに動き出したという意を強くしているところがある。
そういうバックグラウンドの中で、日本に対して相当強気で臨んできた。半分相手にはしたくはない、場合によっては日本を孤立させるぞというぐらいの構えがあったのだろう。
こうなった背景の問題には何があるのかと言えば、私の取材ではアメリカ政府も中国政府も日本政府さえも、あの国が簡単に核を手放さないということを知っていて、現実的にはそういう判断をしていることにある。
それでいて何で6カ国協議であの合意をしたのだ? ということになる。
合意内容はあくまでも廃棄に向けた第一歩としての初期の措置であって、しかも寧辺を一時停止をしてIAEAの査察官を受け入れたら、まず5万トンの重油の援助をするというものであり、さらに寧辺を無力化すれば100万トンの重油援助という話しになっているもの。
ところが、一説によれば寧辺の核施設は今までに造ってきた核施設で老朽化でお払い箱の段階に来ているもので、今や濃縮ウランの新しい核施設の方が核開発の本体だということに全く触れていないし、さらにもう持っているだろうと言われている複数(最低でも5個)の核爆弾の廃棄についても何も触れていない。
これはようやく分かってきたことだが、そういうことを知っていてなぜ合意に達したかと言うと、ひとつはよく言われるアメリカの立場が大きく変わったことがある。
アメリカ国内の関心はイラク、イランなどの中東にあり、イスラエルロビーというのもあって、どうしても政権としては中東に掛かりっきりになってしまう。
それから野党民主党だけではなく政府与党内からも、結局東アジア政策、特に北朝鮮政策はむしろ失敗したんじゃないか、クリントンは失敗した失敗したと同じ轍を踏まないと言って6カ国協議に任せたけれども、その枠組み自体が間違いだったのではないかとなってきている。
こうなるとアメリカは一歩一歩、直接交渉で北朝鮮とやる必要があるといった声が段々挙がってきて、下手をすればこれに火がついて、ブッシュ政権はアジアでも失敗、中東でも失敗で、外交上の成功は何にもないという弱みがある。
こういった状況下でアメリカが北朝鮮をどうするかとなると、ある意味では時間稼ぎであるけれども、当面は中国に任せるしかないのだろう。
それともうひとつ関係各国の判断の中で大きいのは、これ以上北朝鮮を追いつめて暴発させないということがある。
北朝鮮6カ国協議、関係各国の思惑、作業部会の真相 - その2 2007/3/10
中国政府や韓国政府の立場としては、北朝鮮が暴発して朝鮮半島が大混乱し難民などの問題が出れてくれば困るし、その責任はとても負えないと言って、当面ではあるけれども金正日体制を維持することを望んでいる。
そしてこの強い要請にアメリカが乗り、ロシアも乗った。
暴発すると何が起きるかと言えばミサイル発射。直ぐに核弾頭を搭載するとは思わないが、もしそうなった時にその被害を受けるのは果たしてどの国かと言えば、日本かも知れない。
そこで、日本政府が拉致を最優先と言う立場は理解はするけれども、しかし北朝鮮が暴発するかどうかという瀬戸際で、安全保障・防衛上の問題で一番利害関係が深いのは日本なのだから、その決断をせよと迫られた。
日本としては拉致問題は降ろせないけれども、なるほど言われてみればその通りとなった。
つまり当面は北朝鮮を暴発させないことと、金正日体制を維持することがあの合意の前提だったのである。
しかし日本政府にとっては非常に不利な条件だから、安倍は国内向けには拉致被害者に対して、また手厚くやろうということになってくる。
最近、安倍の言葉遣い、言い回しが、以前とは微妙に変わってきている。強気で行けば国際的に孤立してしまうし、多少時間がかかってもしょうがないと思っているのだろう。
ただ国内的にこれを露骨に出すと、安倍は「腰砕けたのか? 強気なことばかり言ってたけど、結局妥協して駄目じゃないか」ということになる。だから板挟みで非常に苦しい立ち場である。
対北朝鮮の強硬路線が安倍政権を造り支えてきたというところもあって、ここまでのところは痛し痒し。
どちらにしろ、安倍には北朝鮮がフォローの風にもなれば、アゲインストの風にもなって、今後もずっと付いてまわることになる。
こういうことを巧く乗り切るのが政治だけれども、これがなかなか難しいナローパスとなっている。
温家宝首相来日と日本のイニシアティブ 2007/4/15
中国の温家宝首相が11日から13日まで来日した。
昨年10月8日に安倍総理が最初の海外訪問先として中国を選び、中国首脳との会談を行った。温家宝の言葉を借りれば、小泉政権時代に靖国神社参拝問題で拗れ冷えきって、日本と中国の間に張っていた氷が砕けた。
そしてその砕けた氷を溶かしたいということで、温家宝が来日して戦略的互恵関係を構築しようということになった。
東アジア全体にとっても6カ国協議には北朝鮮の問題があり、経済面では日中相互依存関係が深まっている中で、日中関係は日本にとっては非常に重要である。
また中国にとっても2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博を控えて、今の中国の経済成長を支える日本の技術協力は重要だろう。
そういう意味で両国にとって遅ればせながらも良いタイミングでの訪日となった。
ここでこれから注目すべきは、ドイツで6月に行われる先進国首脳会議(サミット)に向けて環境問題が非常に重要になってきているということ。
大きな流れで言えば、今回の日中首脳会談の次に日米会談が行われる予定になっており、その先には、ドイツのメルケル首相が環境に力を入れようとしているサミットがある。
今、中国は経済急成長の歪みがどんどん出てきていて、環境問題では頭が痛い。アメリカに次ぐCO2排出国となり、それなりの責任を果たさなければいけない。そういう意味では、中国は京都議定書に参加していないけれども、それに準ずる何らかのCO2削減協力へ踏み出す契機になるだろう。
アメリカでも全米435市長が、京都議定書を支持しよう、自分たちで出来る範囲でCO2削減をしようということになってきていて、温室効果ガスの削減目標達成を公約する自治体間協定に署名した。遅ればせながらアメリカ国内にもこういった動きが出てきて、ブッシュ政権としても何らかの対応をせざるを得なくなってきている。
そういうところでは、公害防止技術とか、環境問題でそれなりの先進国と言われている日本として、ある種のイニシアティブを取るという大事な時期に入ってきている。その点をまず、日中首脳会談で詰められたかどうかだろう。
改憲手続き法案と今後の見通し 2007/4/16
憲法改正の手続法である国民投票法案が4月13日に衆議院を通過して、16日から参議院で審議入りする。安倍政権としてはいよいよ憲法改正に向け具体的な政治日程に進もうと、強い意欲を示している。
手続法とはいえ、憲法改正は国民的には非常に重要な問題だから、できればやはり圧倒的多数の合意によって成立させるということが大事だった。
それが、自民公明の与党による単独採決、数の力で押し切ったことは、非常に残念だったと思う。
これには安倍総理がこの法案の成立を政権の柱に掲げていることと、参院選などの政治日程を考え、何とかシンボルとして5月3日の憲法記念日までに成立させたいという強い意欲を持っていたのだろうが、5月3日を数日跨いでも、どうこうという問題ではない。なぜそんなに急いで焦るのかという疑問がある。
一方、野党も社民、共産は憲法改正そのものに反対し、その道筋を歩ませないために、手続法である国民投票法自体を潰すというのは絶対変えない基本方針としても、民主党は相当議論を重ね、与党との協議を重ねてきた。民主党内の憲法調査会、衆議院の憲法調査特別委員会での協議でも、かなり積極的に参加して、物によっては与党が民主党の主張にかなり歩み寄った。
それでも民主党は今回は駄目だ、ノーだと独自の修正案を提出した。私の聞いているところでは、小沢民主党党首が、統一地方選の最中だし、参院選の野党共闘を優先させるということで、今回は反対だということになった。
これを党利党略とは言わないけれども、直前の選挙の共闘態勢を優先させるということで、合意寸前まで行ったものを反故にするというのはいかがなものかと思う。
お互いに歩み寄る努力が最後のところで足りなかった。もしどうしても、もう少し時間がかかるということだったのなら、時間をかけてやはり合意できるように進めるべきだった。
どちらにしろ、いよいよ参議院でも可決成立が確実という情勢で、ある意味では戦後初めて具体的な政治日程に憲法改正があがって現実的な視野に入って来たという大きな転機だろう。
今度の法律は、今後3年間は発効しないというある種の凍結条項もあり、憲法改正そのものはまだまだ非常に時間がかかる。
よく誤解されているが、憲法改正は他の法律と違って、政府や国会が変えるものではない。少なくとも最低限衆参両院の2/3の議員の賛成で改正案が作られ国民に提示される。それを受けて国民が国民投票法に基づいて賛否を決める。
だから、まだまだ細部を詰めなければいけないこともあるし、そう簡単に改正に直結するものではない。
北朝鮮のしたたかさと、金融制裁解除 2007/4/19
北朝鮮の核ミサイル問題、とりわけ核開発問題について、一応6カ国協議での合意ができて60日以内に初期段階の処置をするということだった。
これは寧辺の核関連施設を停止して、国際原子力機関IAEAの査察を受け入れれば、これに対して見返りの重油50万トンを援助するというもの。
ところが、期限の4月14日を過ぎても、マカオのバンコデルタアジア銀行が凍結した金融制裁は解除したものの、その2500万ドルの資金が何処に流れるかといった特定が難しかった。
加えて、北朝鮮側は不正は無かったということを証明せよ、それが確実にならなければ寧辺の停止は簡単にはいかない、少なくとも順調にいってもまだ30日はかかるとか、色々なことを言い出してきている。
私が以前から思っていることだけれども、北朝鮮の交渉というのはもの凄いしたたかであり、ちょっとでも相手側が歩み寄ると、そこに付け込んで益々強気になってくる。
あの国の成り立ち、その後のロシア、中国に挟まれてアメリカに対抗するという小国の生き残りとして、徹底的な瀬戸際外交の力とか、これまでにそのメリットを味わってきた。だからこの基本姿勢は絶対変えないし、益々核を持ったということで、姿勢が固くなってきている。
だから北朝鮮はまだまだ引き延ばしてくるだろうから、6カ国協議はそれにどれだけ耐えていけるかということだろう。
しかし、なぜアメリカが急転直下、譲歩に譲歩を重ねたのか不可解である。
これは良く言われるように、イラク、イランを抱えて東アジアまではとても手が回らない、この際しばらく影響力を持っている中国にボールを投げて預けてしまおうという判断なのだろうが、それにしても北朝鮮の出方はアメリカは知らなすぎるし、甘い。
では日本にとってはどうかというと、梯子を外された形になるし、とりわけ安倍政権にとっては核の問題と同等以上に拉致問題を抱えている。だから、こういう状況がデッドロックに乗り上げれば乗り上げるほど厄介な立場だろう。
下手に強行に突っ走ると孤立するし、譲歩すれば国内世論の批判を受けるから、安倍政権にとってはものすごく手綱捌きは難しいし、当面なかなか大変だなという印象が強い。
残念だった安倍vs小沢の党首討論 2007/5/23
いよいよ国会も終盤、7月の参院選に向けて時間が押し迫ってきた。そういう中で先週開かれた安倍総理と小沢民主党代表の党首討論には、注目し期待もしていたが、結果を率直に言うと非常にがっかりした。
新聞の社説も盛り上がらないとか、かみ合わなかったとか厳しかったが、総じて小沢代表には厳しかった。
民主党は次の総選挙で政権を取るということに戦略戦術を絞っていて、その前段階である今度の参院選は天下分け目の決戦となる。
そういう状況の中での党首討論だからこそ、小沢民主党が政権を獲った時にはどうなるのか、小沢総理ならば国の基本政策としてどうやるのかを、まず開示してほしかった。
その上で、従って今までの政権与党、とりわけ安倍総理が進めようとしている方向はおかしいのかどうかという遣り取りをしてほしかったのだが、終止軽いジャブのいなしあいのような結果で終わった。
確かに小沢が安倍に聞いた点も大事だが、ああいう遣り取りは骨太のものではないので、通常の予算委員会、国会の委員会以上の質疑の域を出だものではなかったと思う。
特に安倍政権は、憲法改正を打ち出し、安全保障において集団的自衛権の是非を問うような諮問会議を発足させ、教育再生会議を中心とした教育基本法改正に伴う関連3法案を成立させようという意欲を持っているわけで、そういう大きな流れに対して民主党はどう考えるのかといった、根本的な議論をやらなければいけない。
小沢周辺によれば、小沢は代表として参院選の勝利を最優先するということで、国会答弁や党の運営は参謀に任せて、本人は選挙一本槍で全ての精力を参院選に注いでいるという。だから党首討論にも応じなかった、本会議にも出てこない、重要なポイントでの記者会見にも応じないという問題もある。
選挙を優先させるというのはプロの間では、百歩譲って分からなくもない。しかし選挙優先の戦略戦術をどう考えるかは、参謀、政党で言えば幹事長、執行部だろう。トップである党首というのは違う。
最近の世論、国民意識の変化から言うと、トップというものの存在感はその組織全体のイメージを左右する。これは一般の企業でもそうだが、何かあった時のトップの動き方で、会社そのものが倒産することもある時代で、今は本当にそういうことが起きてしまう。
だからトップの迫力がその政党のイメージに直結するということを、よほど考えなければいけない。
とりわけ党首討論は元々が小沢が提唱し、国会改革の目玉として実現したものでもある。そういう意味でもそれだけのものをやってほしかった。
松岡農水相、自殺を選んだ2つの重圧 2007/5/30
現職閣僚の自殺は戦後初で、前代未聞。それだけ松岡農水相の自殺は重い。しかも、「なぜこの時期なのか」「説明責任をはたせなかったのか」「辞任ができなかったのか」など、いまだ謎が多い。
私は、自殺の理由は大きく分けて2つあると考えている。
ひとつは、安倍内閣の支持率が急激に下がったこと。そういう中で、自民党内からも松岡農水相辞任要求の圧力が出てきた。最近では、金子一義衆院予算委員長が「松岡利勝農相は国会終了後、自ら辞任するという対応をとるべきだ」と発言した。与党内から現役閣僚への辞任要求が公然と出るのは異例中の異例で、それだけ与党内の風圧が強いということだ。こういったことからも、安倍首相もここ2、3日は「もうかばいきれない」というところまできていたのではないか。
もうひとつは、検察による緑資源機構への捜査。安倍首相は本人の名誉のために松岡農水相の疑惑を否定しているけれども、検察は、25日に松岡農水相の地元熊本にある九州整備局の出先事務所などを家宅捜索していた。所管大臣の地元に検察が入るというのは、これも異例中の異例。それを大臣自身が感じていないわけがない。
捜査がどこまで行っていたかはわからないが、この2つの重圧の板ばさみになって、自殺という手段を選んだのではないか。
今後は、野党が任命権者としての責任を追及すると思うが、松岡農水相に関しては任命された時からいろいろな噂があった。過去の農水関係の汚職にも度々名前が挙がっていた。安倍内閣最大のアキレス腱といわれながら、最終的にはこういう結末を迎えてしまった。そこのあたりの見通しが甘かったかどうかということについて、安倍首相の任命責任が問われるだろう。
言うまでもなく、松岡農水相は農水行政の最大の責任者。しかも、現在は農業行政の大転換期で、農村・水産の人たちは7月の参院選挙に対する関心がとても高かった。そのことから、大臣が自殺という手段をとったことは、職責を途中で放棄した形になった。
しかも、あれだけ政治とカネの問題や緑資源機構の問題が持ち上がっていたのに、今回の自殺ですべて幕引きになってしまう可能性がある。松岡農水相の自殺にはそういった衝撃もある。
過去にも国会議員の自殺はあったが、現職大臣の自殺には計り知れない重さがある。
G8サミット、日本の評価と環境問題 2007/6/12
先週ドイツで開かれた主要国首脳会議(サミット)。いろいろな評価があるが、私は何が大きかったかといえば、世界が一致して温暖化に取り組もうと、先進国がそういう意識で一致できたことに、一歩も二歩も前進があったと思う。
少なくとも大きかったのはEU、日本、カナダが2050年までに1990年の水準からCO2やメタンガスなどの温室効果ガスを半減させる、という数値目標を掲げて一致したこと。
アメリカはどうしてもそれに乗ってこないが、「その方向で真剣には検討する」と言っていて、ブッシュ大統領といえどもそこに踏み込まざるをえなくなったことは、非常に大きな歴史的ターニングポイントだと思う。
それから中国も、もちろん色々な思惑があったのだろうが、日中首脳会談でこの問題を前向きに検討したいとなった。
この枠組みを実質的に前進させるためには、世界最大の排出国であるアメリカと、第二位の中国が入らなければ意味をなさない。
だからこの両国をどうやって具体的な削減の方法で動かしていくか? さらにそこにインドやブラジルなどの非常に急速に発展している途上国を組み込んでいくか? ということになる。
発展途上国はまずはどうしても自国の経済発展を優先したいし、環境問題はその次の段階として、できれば同時に取り組みたいというものだろう。環境問題に積極的に取り組むには、やはりそれなりの資金と技術が必要だからである。そして、ここに日本の役割がある。
とりわけ日本にとっては地球全体の温暖化による大変な危機と同時に、中国からの黄砂、酸性雨の問題がある。最近ではそれらの中に、水銀をはじめとする重金属やダイオキシンまで検出されるようになってきていて、日本の土壌汚染に直結している。だから日本にとっては中国の環境汚染は人ごとではない。
EU、カナダと方向は同じだが、今回のサミットでは日本の主張がそのまま声明文に盛り込まれた。このことについては一定の成果だと思うし、そういう意味では環境、公害防止、技術、経験では世界の先端を行く日本への期待は大きい。
来年日本で開催される洞爺湖サミットも、間違いなく環境サミットになるだろう。
環境問題はまだまだこれからだけども、今踏み出さなければ、完全に手遅れになる。今回のサミットは、この点について大きな枠組みで動き出したというところに意味があった。
参院選への与野党攻防.その1-「年金問題」編 2007/6/14
いよいよ国会も終盤残り少なくして、参議院選挙も1ヶ月ほどとなった。そのなかで、年金問題がまさに参議院選挙の最大のテーマとして急浮上してきた。
合わせて約6500万件ともいわれるこの年金納付記録、「消えた」という表現や「宙に浮いた」という表現は正しいのかどうかという点では、毎日新聞は「不明記録」としていて、できるだけ感情に訴えるような表現は避けようとしている。
なぜなら、まだ記録を精査してみないと「消えた」か「宙に浮いた」かは分からないわけで、少なくとも現段階ではまだ未処理の件数が6500万件ということで、やりようによっては意外と数字が早く処理される可能性もある。
それでも最終的にひとつの番号に統一できずに残ったものについては、やっぱり「消えていた」「宙に浮いていた」となるわけで、これは半年でも1年でもまずはやってみないと分からないのだと思う。
ただ、この問題、何が原因でこうなったかということが、件数以外まったく実態として分かっていない。
そこで、政府与党はとりあえず時効だけは撤廃しようと撤廃法案を急遽作って強行採決を行った。
さらに、社会保険庁廃止後の新組織「日本年金機構」で職員を非公務員化して業務を大幅に民間に委託し、第三者による年金チェック機関も設置するという新しい組織改革法案と、相次いで衆議院で強行採決して参議院へ送った。
そしてこれが、与野党の対立を重ねてあおった感じになった。 社会
保険庁改革法案に関しては、昨年末の臨時国会に一度提出されたが、時間切れで廃案になったという経緯もある。この時は「不正免除」という、保険料納付率の引き上げを目的に、未納者本人の承諾を得ないまま職員が勝手に保険料免除の手続きをやったとういう問題もあった。
今度のデータ管理の問題も、有識者会議で制度改革の方向性を決める前に出ていれば、今国会での法案提出は見送られていたのだろう。
こういったことも含めて、社会保険庁のやっていることはけしからんことであるし、批判に値する。政府責任はもの凄く重いし、野党がこれで攻勢をかけるというのは政治の世界では当然のこと。
ただ、これを戦争の具とするのはある程度はしょうがないが、単に対立だけを煽って、将来設計や今の社会保険庁をどうするんだという本質的な議論が抜きになることが心配だ。
将来を考えると本当にこのままでは成り立たない、新しい制度をどうするのかということを、政府与党のみならず、野党も含めて国会全体はもちろん、メディアも国民ひとりひとりも真剣に今考え、本気になって取り組む時期だろう。
参院選への与野党攻防. その2「天下り斡旋法案」編 2007/6/17
もともと亥年の国会は物理的に審議時間が厳しくなって、対決ムードが高まるという12年に1回の荒れる年といわれている。
今年も年金問題(※前回参照)が出てきて、この逆風を安倍総理は最後のところで何とか押し返そうと、天下り斡旋法案、いわゆる「公務員制度改革法案」を何としてもこの国会で成立させるという指示を土壇場になって出した。
この攻防も選挙に非常に影響するのではないかと思う。
審議日程からいえば、従来ではほとんど物理的に不可能な時期での指示なのだが、政府与党はそれを何としても通したい、奇手妙手を使ってでもと言っている。
この法案を審議する参議院内閣委員会の委員長は民主党議員。運営権は委員長が持っているから、委員長権限で委員会が開けないという可能性もある。
政府にとっては最重要法案だから、特別委員会を与党多数で設置してしまえとか、もうひとつの妙手奇手でいえば、委員会採決抜き、委員長報告は無しで、いきなり本会議に上程して採決してしまうことも検討されていた。
しかし、それに対して与党自民党側の参議院も、さすがにそれは無茶だろう、むしろ国民有権者の反発を招いて参議院選挙に悪影響だという議論が支配的になってきている。
だから最終的に成立するかどうかものすごく微妙。ぎりぎり衆議院で継続審議にできるかどうかだろう。
だけど、私があえて聞いている情報によると、成立させるのではないかと思う。そうなると国会は大混乱で、最終的には衆議院での内閣不信任案、参議院では衆議院の委員長解任決議案に相当する問責決議案を関連の委員長の決議案だけでなく、年金問題も含めてやるだろう。
これを採決するにはものすごい時間がかかるわけだから、それを逆算すると、政府は急いで奇手妙手を打たないと成立しない。だから国会はものすごい緊迫することになる。
最後はどうなるかわからないけれども、それを見て、国民有権者は参議院選挙でどういう判断を示すか、安倍政権にとっても一か八かみたいなものだろう。
朝鮮総連本部、売買問題と闇 2007/6/19
在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の本部が秘かに売買されていた。
それが、どうも整理回収機構(RCC)の627億円の債務差し押さえを逃れるために、売買を偽装したのではという疑いが持たれ、東京地検特捜部の捜査が入った。
驚いたのは、この売買を仲介して買ったのが緒方重威・元公安調査庁長官であり、依頼をしたのが総連側の代理人でもある土屋公献・元日本弁護士連合会(日弁連)会長だった。
まず第一に、公安調査庁は朝鮮総連を調査し監視する機関で、緒方氏はそこの元長官。一方の土屋氏は、人権派の弁護士として有名な日弁連の元会長。
元はどんな身分でも、お互いにフリーという立場だからこのこと自体は非難に価しないのだが、検察の捜査に目的が、差し押さえを免れるための偽装売買工作にかかわったのではと言われるところに問題がある。
では、この人的関係が何で土地建物・不動産売買にかかわったのだろうか。
今回のこの2人、司法修習生の同期生なのだが、過去には因縁がある。
オウム真理教の地下鉄サリン事件にからんで、破壊活動防止法(破防法)適用団体にするかどうかといった問題で、指揮を執ったのが緒方氏。
それに対して、破防法適用は行き過ぎだ、国家権力の乱用だと言って、猛反対したのが土屋氏で、同氏はとりわけ麻原彰晃(松本智津夫)被告の弁護団の実質的なリーダーでもあった。
そういう表面的には敵対する関係だし、監視する側とされる側だった2人が、何でこれほどウラのありそうな土地建物の取引にかかわったのか?
未だにはっきりしたことは分からないが、毎日新聞の報道によれば、仲介に総連と非常に関係の深い不動産会社社長と、驚くことに、現職の公安調査庁職員がからんでこの話を斡旋したことまでは分かってきた。
公安調査庁と総連の間には、どういう関係があったのか。
はっきり言えば公安調査庁はスパイ機関だから、調査とか監視というものには、監視する側とされる側の関係の中で、ものすごく深い人的関係を作る。
何十年にわたって重層的にそういう人脈が形成されているので、ある種、阿吽の呼吸とか、利害関係が一致するとか、そういう力関係がどこかで働いているのではないかと思う。
しかし、国民から見れば非常に不可解で謎の多い事件だろう。とくに北朝鮮問題でいえば、今まさに拉致問題、核ミサイル問題で国民感情が複雑な時期。
その時期になぜこんなことが起きたのか、検察庁といえば法務一体の組織だし、やはりこの真相は明らかにされるべきだろう。
何にしろ、こういう問題になったので、取引そのものは白紙になった。
私の印象を言えば、ある種、戦後の闇の部分の一端が表に出たのかという印象が非情に強い事件だと思う。
参院選、安倍退陣ラインと国会延長の本音 2007/6/27
国会の会期延長と参議院選挙だが、参議院選挙の日程を変えてまで大幅に延長するというのは予想外だった。
やはり5日間の延長でなんとか上げたいという、天下り斡旋禁止を中心とする「国家公務員改革法案」と社会保険庁法案、やはりそれではおさまらないと、ものすごい激しいやりとりが官邸と参議院、官邸と衆議院の間であった。
最終的に6月15日の夜、極秘で政府与党首脳が集まって、12日間の延長、参議院選挙は一週間ずらして7月29日の投開票となった。
何でここまで無理するかというのは、ある種の一か八かの賭けに近い。この20年間で、89年の宇野内閣、98年の橋本内閣と2回参議院選挙が延長された。だがいずれも、延長したことが裏目になった。
3点セットと言われた宇野の場合は、リクルート事件、農産物自由化とかいろんな問題による逆風の中、選挙直前になって女性スキャンダルが出てきて、これが決定的になって国民有権者が完全にそっぽを向いた。その結果、自民党の議席は過去最低になり、即退陣となった。
橋本の時は一週間前でさえ、各マスコミの調査が自民党有利で、橋本内閣続投という見通しだった。それが、税制を回る橋本の発言が、減税をする、しないで二転三転して揺れた。
これがきっかけになって、消費税率を3%から5%へと上げたことや、医療費の引き上げなどで総額9兆円以上の国民の負担増が橋本内閣で行われたということが一気にクローズアップされて、野党は一点集中で攻撃した。そして、それまでの実績をいくら橋本内閣がうったえても、10兆円近い負担増を強いた内閣ということで、一週間でガラッと世論が変わって惨敗し、退陣に追い込まれた。
これは両方とも延長後、しかも投開票直前にそういう問題が出てきて負けている。今回もそれがプラスマイナスどっちになるか分からないが、色んな経験則から言っても、今回は強行採決を連発してやっていかねばならない安倍内閣にとって、プラスになると考える人は、まずいないのだと思う。
ただ、唯一言えることは、選挙には鉄則があって、受け身に回って言い訳釈明する選挙はまずダメで、必ず攻撃に出なければいけい。そうすると、今の安倍与党からすると、年金の逆風の中で反転攻勢の妙手が無いわけで、そうすると、何とか、社歩調改革と緊急性を要する年金の時効撤廃、それから、松岡大臣の自殺に絡む緑機構のかんせいだんごうの温床とか、どうしょうもないような組織である社会保険庁の組織だとか、その突破口がまずは天下り斡旋禁止だということで、攻勢に出られる選挙の戦略戦術として、これを何としてでも上げたい。
そうするとどうしても参議院から言っても時間的余裕は無い、大幅延長しかないということで、ようやく落ち着いた。その攻勢に出る説得を、この一ヶ月半で国民が納得するかどうかだろう。
特に年金については、謝って尚かつ「これだけのことをします、やっています、だから安心してください」というのを、参議院選までに有権者に訴えて、有権者が納得するかどうが、すべてそこにかかってくる。
でも綱渡りだと思う。
それから、責任論が色々出てきて、自民党の青木参議院会長も今度の選挙は責任を明確にしなければいけないと言っている。そして、当の安倍総理自信も自分が最高責任者として全ての責任を負うと言っている。
責任論については、一般的には過半数を割れば責任を取って辞めると聞こえるが、必ずしもそうではない。ここが曰く言い難い微妙な所で、総理が辞めるほどの負けがどれくないのものなのか、その瀬踏みがこれから一ヶ月間、ずっと続くのではないだろうか。
私の場合は、47議席±2と手堅い数字を読んでいるが、例えプラス2でも49議席で、これは過半数割れ。でもこの数字なら、国民新党との連立も可能性としてはありえるから、即辞める必要は全くない。
これがマイナス2以上、45議席以下の場合は、橋本時代は44議席ということもあり、ひとつの目安となる。
2007/7-12
赤城農水相、事務所経費で見えたザル法問題 2007/7/10
国会が終わって、いよいよ参議院選挙一色のところに、赤城農水相の疑惑が明らかになった。これはただでさえ逆風を受けている政府与党にとってはもの凄い痛手となるだろう。
国民・有権者というのは政治とカネの話にはとても敏感だから、これを受けて有権者の動向がどう動くかにも注目されるが、少なくとも政府与党にプラスになるはずがない。
それにしても、2か月足らずで、消えたと言われる5000万件の不明記録の問題、続いて松岡農水大臣の自殺、久間防衛大臣の原爆投下「しかたがない」発言による辞任と、政府与党は嵐の中の選挙戦で大変だろう。
人によっては89年の宇野内閣の時の惨敗、つまり底が抜けるような惨敗があるという見方が出てきてもおかしくない。
しかも松岡農水相の政治とカネ、特に事務所経費の問題があった後任を選ぶ時に、こういう問題がチェックできなかったのか、安倍内閣には危機管理、脇の甘さを感じる。
任命権者の責任と言われているが、ここは本当に安倍政権のアキレス腱となっていて、論功行賞人事内閣、仲良しチーム内閣と言われている印象を国民・有権者も改めて感じていることだろ思う。
ただ、テレビ番組でも言っことだが、今回の事務所経費問題、特に後援会事務所経費の問題は昔からくせ者と言われているものである。
これは政治資金規制法上、議員個人の政治団体はの扱いが大きく分けて3つあって、この中での線引きがあいまい。
まずこの3つを整理すると、
1. 政治資金管理団体経費(→佐田行革大臣の問題)
2. 議員個人事務所経費 (→松岡農水大臣の問題)
3. 後援会事務所経費  (→赤木農水大臣の問題)
がある。
1つ目の「1. 政治資金管理団体」は、以前、民主党の小沢代表の10億円にのぼる事務所経費の不動産投資が指摘されたのもこれで、この経費の不透明さで安倍内閣の佐田行革大臣が責任をとって辞任したもの。
2つ目の「2. 議員個人事務所経費」は、政治家としての本拠地事務所関するもので、自殺した松岡農水相が「ナントカ還元水」といって問題なった経費がここに属するものだった。
3つ目の「3. 後援会事務所経費」は後援会の事務所に関するもの。後援会とは有り体に言えば、支持者の集まり。大した政治活動はしないが、とりわけ保守党の議員にとっては大事な団体。そして、この事務所をどこに置いて、どう経費を処理するかという問題は昔から多いところでもある。
そしてこれこそが、先日の国会で成立した「改正政治資金規制法」がザル法と言われる所以となっている。
「ザル」と言われるポイントは、松岡ナントカ還元水問題で火が付いて、5万円以上の経費の経費については領収書を添付することを義務化したが、この「3. 後援会事務所経費」は、実は対象外となっているところにある。
議論の時点から「それじゃ、抜け道を作っているようなものだ」という危惧があって、ザル法をザル法のまま改正するのはおかしいという野党からの追及があった。
そして、赤城の今回のケースは、まさにここに引っかかったもの。
しかし、私の知る限り、特に保守系はそうだが、野党も後援会事務所はもの凄く曖昧。中身を言えば、大体はバス旅行とか温泉旅行、国会見学や飲み会といったものが後援会活動で、政治資金規正法上計上しにくいし、そもそも今でも公表の義務がない。
赤城の立場から言えば、これは法律で定められた通りで、何が悪いんですかという立場だろう。この後援会事務所経費は、そういう釈明が通る分野と言えなくもない。
安倍総理も「自分もそうだった」と言っていたが、特に2世、3世議員の後援会事務所というのは、祖父の家とか、代々の生家など実家に置くことが多い。
今回はそこに焦点を当てたわけだが、これだけ政治とカネの問題と言われいるのだから、そこをきちっと処理しておかないと、現代の政治では通用しないだろう。
「昔からだから」などといった感覚のある議員がいまだいるとすれば、赤城農水相に限らず、認識が甘いと言わざるをえない。
安倍政権の9ヶ月、星&田勢両氏と総括!- 2007/7/15
いよいよ29日の参議院選挙まで2週間となり、私自身、先週9日月曜日のTBSのニュース番組「ニュース23」でのモ大胆予測コーナーモを皮切りに、今日15日に出演したテレビ朝日の報道番組「サンデープロジェクト」でも、選挙結果予測を聞かれるようになってきた。
そこで《ざ・こもんず》で、出演した両番組での内容とその議論を補足しながら、今回はまず発足からこれまでの安倍政権の評価を考えてから、次回参院選の結果がどうなるのかを予測する。
安倍政権9か月の評価
昨年9月末に発足した安倍内閣は、支持率73.4%、不支持率23.7%と発足時としては歴代内閣最高の支持率に支えられ、就任早々韓国、中国を訪問して華々しいデビューを飾った。
しかし、その後の郵政造反議員の復党問題で支持率は急落、さらに年末には佐田行革担当大臣の政治資金管理団体をめぐる事務所経費問題での辞任、年が変わってからの1月には柳沢厚生労働大臣の「女は産む機会」発言により、その支持率は下がり続けた。
その後安倍内閣は、国会で防衛庁を防衛相へと昇格したり、国民投票法案、教育関連3法案などを次々に成立させて、ここで支持率は一応下げ止まり、若干持ち直したかに見えた。
ところが、3月には松岡農水相のナントカ還元巣問題に端を発する政治をめぐるカネの動きは松岡自身の自殺という結果に終わった。さらに会期末に向かって急浮上したのが「消えた年金問題」だった。
そして今月に入って久間防衛大臣の原爆投下「しょうがない」発言での辞任、先週末には赤城農水相の後援会事務所経費問題へと続いている。
私は安倍内閣の評価はまだ分からないところもあるが、とにかく就任から9か月でこれだけ次から次へとアップダウンのあった内閣は珍しいと感じている。とりわけ参議院選挙間近に迫って2か月足らずの間だけを見ても、波瀾万丈だと思っている。
ニュース23に一緒に出演した田勢康弘大学院教授、星浩朝日新聞編集委員はこれに関連したいくつかの質問に次のように答えている。
Q. 安倍は選挙の顔としても戦えるとして総理に選ばれたのではなかったか?
【田勢康弘氏】
----それは幻想で、安倍さんが幹事長の時に参院選に大敗しているから、必ずしもそうとは言えない。これまで、安倍政権の出だしから、いくつかの実績を残していて、その中でも一番は日中首脳会談をやったことだと思う。
しかし、ひとつひとつ実績が支持率に結びついていない。この原因には対応のまずさ、あるいは総理大臣を中心としたチームワークの弱さなどがあるからで、運も悪いというか、気の毒な面もある。----
Q. 赤城農水省の問題に至まで、政治とカネをめぐる問題がいくつか浮上した内閣だが、全体的にはどういう印象か?
【星浩氏】
------- 安倍政権の9か月をフェーズという考え方で見ると4つの見方ができる。
○第1フェーズ:まずは若い総理大臣で、日中関係を構築したという時期。
○第2フェーズ:郵政造反組の復党を典型として小泉改革の修正をいろいろとやって、支持率が下がり始めた時期。
○第3フェーズ:独自色を出し、国民投票法案、教育関連3法で、支持率が持ち直した時期。
○第4フェーズ:年金問題などを発端に続々と問題が噴出。年金の問題を含めて、有権者が損得だけの問題ではなく、安倍さんのハンドリング、処理能力に疑問を感じはじめた時期。
つまり年金という非常にシビアな問題が起きたときに、問題はここだというのを国民に上手に説明する能力が足りなくて、これは赤城さんの問題にもつながっている。
本来なら問題がここにあるから、これからどう処理して行きますと提示すればいいところを、安倍は強弁してしまう。処理能力という点からすればやや未熟という点が出ているような気がする。-----
Q. 松岡大臣や久間大臣は早く罷免したほうが良かったのでは?
【田勢康弘氏】
------松岡さんの場合は罷免する理由があまり無かったと思う。事務所経費の問題は本音で言えばああいうことをやっている政治家は多い。
しかし、久間さんはこれまでにも失言が問われていたこともあったが、今回の原爆に関する発言はこれまでの失言とは違って歴史認識も間違っているし、ああいう人を我々日本が防衛大臣として頂いていたのかということと、辞めた理由も選挙に負けるからというとで、非常に悲しい。-------
【星浩氏】
------政権を発足した時の論功行賞人事を引きずっているから、なかなか首が切れない。それから安倍自身、官僚などを上手に巻き込んで纏める大臣を経験していないから人事を見る目、その眼力が無い。------
そして、私はどう思うかと言えば、安倍内閣には処理能力を含めて内閣としての全体の安定感が醸成されていない。それを醸成する前に色んな問題がどんどんどんどん出てきて、その対応の拙さが目立ってしまう。
例えば松岡、久間、赤城の各大臣への対応でも分かるように、安倍はまず全体的に何でも庇うというところから入る。それで色んなこと追求されて攻められると、強気で応じる。
しかし、後になって庇いきれないといなって、そのダメージと傷をさらに広げてしまう。
これまでの歴代総理の相場で言うと、当選10回、議員在職25年というひとつのものがあった。これが安倍は両方とも半分だから、若さは売りなのだが、こういうことが続いてくると、やはりまだ若い、未熟というところに結びついて、安定感を失ってしまっている。
3人もの大臣が9か月の間に辞めたことも異例。これは「トカゲの尻尾切り」という政権末期の症状と昔からよく言われていることで、こういう現象がこれだけのことが続くということも、珍しい内閣だと言える。
このことを踏まえ、次回は田勢、星の両氏の話と、今日のサンプロでの話を織り交ぜながら、選挙結果を予測する。
参院選、獲得議席数を星&田勢両氏と予測! 2007/7/19
前回に引き続き、今回は田勢、星の両氏の話と、15日(日)に出演したサンデープロジェクトでの話を織り交ぜながら選挙結果を予測する。
参議院定数242議席のうち、今回改選されるのはその半数の121議席。現有議席から見ると過半数122議席を取るためには、与党側は自民・公明合わせて64議席(非改選58)、野党側は59議席(非改選63)が必要。
与党側は、公明党が目標の13議席を維持したとすれば、自民党は51議席の獲得が必要となる。一方の、野党民主党は55議席獲得を目標としていて、主導権を握りたいと考えている。
また先週、非改選の野党側2議員が離党や会派離脱を表明。この二人の動向によっては勝敗ラインに影響を及ぼす可能性も出てきた。
毎日新聞の予測としては与党過半数割れといった厳しい数字で見ているが、私がこれまで社内で個人的に言っているのは、自民47±2・公明12±1で計59±3、一方の民主53±3で、それほど与党に厳しくない。
これに対して、9日のTBSニュース23に一緒に出演した田勢康弘早稲田大学院教授、星浩朝日新聞編集委員は、次のようだった。
【星浩氏】
-------自民党が44±5、これは98年に橋本さんが退陣した時の数字で、恐らくプラスに行けば安倍さんは続投、マイナスなら危ないなという感じ。いずれにしても全体的には厳しい状況だと思う。
確かに反自民の風が民主に集まっていないが、だんだん選挙戦がヒートしてきてどちらかを選択ということになると、自民党にはなかなか回帰しにくいのかなと思う。
ただ、橋本さんの時と条件が違うのは、公明党、創価学会が自民党を全面支援しているというのはプラスの材料だから、44ぐらいで凌ぐ可能性がある。39になると安倍政権存続は無理。公明党は12議席かという感じ。
野党側は民主党が比例区、それから東京を含めて複数区では相当健闘するのではないかと思っている。その他野党は12で、公明党と一緒ぐらいで、最後はやはり自民対民主という戦いになるのだと思っている。
【田勢康弘氏】
------これは願望でも何でもなく、ただ長い間政治を見てきた職人としてのカンみたいなもので言えば、このままでは自民は39。
参議院選挙が衆院選と比較的違うのは、直前の世論調査の数が票に直接反映されることが多い。橋本さんが退陣に追い込まれた時の数字は、定数が減っているから、今回に当てはめると42議席ぐらいの数字。
39はそれを下回る数字で、私は、この政権は完全に負のスパイラルに入っていると思っていて、選挙に勝とうと色んな手を打つのが全部マイナスの方向に向かっていると思う。その最たるものが投票日をずらしたのこと。
有権者はどちらかに投票するが、年金に対する怒りと定率減税廃止などで、給与明細書を投票日の4日前に見る。そこでまた与党に怒りが込み上げるような投票日程にしたのかわからない。打つ手打つ手、全部悪い方向に向かっている。
公明党も13は厳しいのではないかと思っていて、1議席、最悪の場合2議席を落とす可能性がある。
さらに、両氏は以下のようにコメントした。
【田勢康弘氏】
------現実に四国、東北を回ってきたが、一人区は全く苦戦している。今の段階では全く勝てないと思うと苦戦しているところを見ていると、相当厳しい予感がある。
また、自民党内に安倍さんをどれだけ守ろうかといった雰囲気がないことも問題で、総裁選では267人の国会議員が安倍晋三と書いているにもかかわらず、心が離れてしまった人が多い。安倍さんは気の毒でもある。
【星浩氏】
------参議院選挙は、自民党のAさんと自民党じゃない人との戦い。つまり野党の顔が見えなくても自民党が嫌なら野党に入れるという人が多い。今回、これだけ年金とその他の問題が相次ぐと、自民党じゃなければ誰でもいいやとなって、その票が野党に流れる可能性が高い。この部分が自民党に回帰することはちょっと考えにくく、むしろ加速していくのではないかと思う。
確かにこれまでの流れを見ていると、まさに18年前の宇野時代と一緒の問題が起きて、今のままなら比例は民主党が第一党になるだけでなく、相当差が開くだろう。
しかし、私の予測数字は、自民47±2・公明12±1で計59±3、一方の民主53±3で、場合によっては与党過半数維持もありうると考えている。
これにはいくつかの理由がある。まず与党にとっては年金問題などで、ものすごい逆風が吹くなか、その逆風が民主党への積極的支持に結びついていない。
それから、私のこれまでの参院選の取材経験から言うと、言い方は悪いかもしれないが、今までの自民党衆議院議員は参議院選ではあまり積極的に動いてこなかった。
ところが今回は、もし参議院が過半数割れなら解散総選挙が近いかもしれないということで、とりわけ衆議院側の危機感がこれまでとはまったく違う。だから、追いつめられると最後になって色んな手を打ってきて、これが逆バネとなって効く可能性がある。
例えばどういう事かというと、比例で言えば色んな候補者それぞれの支持団体を、全部指示して入れ替えるとか、組織票を見直す。
しかし、こういった逆バネの効き具合は、無党派層の投票行動に左右される。増えている無党派層の投票率が上がって、組織票の見直し以上の力があれば、逆バネは効かなくなることもある。
その無党派層も、自民党も政権もダメだけど、野党もだらしないなということで、関心はあっても実際に投票に行くかどうかという問題もある。
いつも選挙結果の帰趨を決めるのは、最後は投票率。ここを読むのが重要な要素になる。そこで次回は投票率によって、どう選挙結果が左右されるのかを予測する。
参院選、ジンクスと投票率の相関関係! 2007/7/22
前回の「参院選、獲得議席数を星&田勢両氏と予測!--【参議院選挙を読むNo.2】」で、選挙結果の帰趨を決めるのは最後はいつも投票率が重要な要素になると書いたことについて、「選挙とジンクス」といった視点から考えてみたい。
選挙の結果といわゆるジンクスとの相関関係というのは、よく馬鹿にされるけれども、私は長年の政治記者としての経験から、実は案外そうでもないのではと思っている。
これは今回の参院選で考えてみてもいくつか面白いことがある。まず過去与党自民党が大敗して総理が辞めた89年の宇野総理と98年の橋本総理のケース。両者ともに国会延長の末、結果は裏目に出て大敗して退陣した。
この時の宇野から橋本までが9年、そして今年がそれからまた9年。だから最近は9年目のジンクス説で安倍総理が大敗し、やはり辞職に追い込まれることで完全にジンクスが成立するのではという声も大きい。
確かに安倍政権には選挙直前になって支持率を落とした退陣した時の橋本政権・宇野政権と似たような傾向がある。これが何かといえば、年金の問題に加えて松岡大臣の自殺問題、久間大臣の核問題をめぐる失言と辞任、そして赤城農水大臣の問題である。
選挙で有権者が一番敏感なのは常に身近なお金の問題で、税金、年金、政治と金にはとくに厳しい。だから与党自民党にとって、今回の参院選にとってプラス材料があまりない。
ただ、これだけで見ていると完全にジンクス通り与党大敗、安倍退陣と見られがちだが、それだけで考える以上にいくつか押さえておかなければいけないジンクスがある。
例えば、12年に一回の亥年の参議院選挙は、必ず投票率がガタッと落ちると言われるジンクスで、12年前の実際の過去最低投票率で45%を切った。
この理由としてよく挙げられるのが、まず統一地方選挙と重なった県会議員や市町村会議員といった、本来なら参院選の手足になる人達が自分の選挙で疲れてしまうこと。
それから、衆議院議員も統一地方選挙では自分の系列議員の選挙のために働くが、参院選になると自分の選挙という感覚が無くなり、どこか人ごとになってしまって動きが鈍る。
だから投票率が下がると言われているが、実はこれもはっきりした本当の理由にはなっていない。
そして今回も、もしジンクス通りに投票率が下がるとすると、前回お伝えした「逆バネ効果」で有利になるのは、やはり組織政党である自民党と公明党。こうなれば非常に接戦と言われているところでは競り勝ってくる可能性もある。
最終的に投票率がどうなるかは今のところ読めない。まさか過去最低の45%以下ということはないと思うが、もしジンクス通りとなって50%以下の低投票率ということになると、自公は結構粘って過半数割れでもわずかに割る程度、場合によっては過半数を維持することもあるだろう。
逆に55%以上、60%に近いような数字になると、これは無党派層票が怒りの一票を投じに足を運んだ数字で、与党全滅、野党は強いフォローの風に乗るということになる。
だから、今回は50%以下なら与党有利で、55%以上なら野党有利。そして問題は、この51%〜54%の間ならどちらがスレスレでせり上がるか、これが非常に注目されるところだろう。
「選挙シフト内閣」 ──重厚実務型が歩み出した危うい綱渡り 2007/8/29
今回の安倍総理の改造内閣は、相対的に全体を見回すと、やはり今後の選挙対応に照準をおいたと見てよいだろう。
政権政党だった自民党には、これまでの内閣であれだけの不祥事が続いたあげく、参院選に大敗し、そこから立て直せるかどうかという悲壮感がある。
そのなかで、やはり「お友達内閣」では駄目だから「重厚実務型」でやりましょうと、派閥のトップとNo2を軒並み揃えた内閣となった。
今後、閣僚は国会答弁をそつなく手堅くこなすことが大事だから、今の状況の人材の中でキリギリできる総力戦をやりましょうということだろう。
この総力戦は役員人事にも見て取れる。麻生幹事長、菅選挙対策総局長、そこに加えて、選挙の実務担当である総務局長を経験した二階総務会長と細田幹事長代理という顔ぶれは、選挙シフトであることは非常に明確。
だから、いつ解散総選挙に追い込まれてもおかしくないという非常に厳しい崖っぷちの状況から、いつでも選挙に対応できる体制を取りたいという意味では、「総選挙シフト」内閣と名付けていい。
当面この内閣がやるべきことは「選挙シフト」だから、最大の政策はやはり地方をどうするか。参院選で惨敗した一人区に対する格差問題にどう対応していくのか、そして選挙までに打ち出せるのかというところに集約せざるを得ないだろう。
だから、これまで安倍が良かれと思っていた安倍のカラーである「美しい国」「戦後レジームの脱却」などは事実上、封印せざるをえない。
新三役の二階俊博国対委員長の言葉では「改革は必要だけれども、一旦立ち止まって見直す」という言い方をしていて、それが何となく滲み出ている内閣でもある。
この新安倍内閣、まずは11月のテロ特措法、そこをクリアすると年明け、そして来春の予算成立前後、これを乗り切れれば来年7月の洞爺湖サミットと、いくつもの山場を乗り越えていかなければならない。
今後は何かちょっとしたことで早期の総辞職、場合によっては解散総選挙へと、綱渡りを続けることになる。
「ポスト安倍の可能性」−安倍総理、突然の辞意表明− 2007/9/12
今度の内閣は事実上、選挙管理内閣、次の総選挙までの内閣となる可能性が高い。そうなると、積極的に手を挙げて私がやりたいという人はなかなか出にくいだろう。
そういうなかで消去法でいくと、谷垣禎一元財相は有力だが、財政再建論者で消費税導入を一貫していてものすごい拘りがある。しかし、選挙を目前に控えていると財政再建消費税導入路線というのはなかなか党員から指示を受けにくいから難しいかなという印象がある。
それから、小泉純一郎前総理については一部から強烈な期待があるだろうが、恐らく本人は受けないのではないだろうか。
そうすると、本命と言われている麻生太郎幹事長、場合によっては福田康夫元官房長官、これは選挙管理内閣などと怒られるかもしれないが、そういう時の自民党の落ち着け具合から言えば、非常に座りがいいのではないだろうかと思う。
しかし、19日総裁選という短期間で行うことが決まったことを考えると、直感的には一気に麻生政権を作ろうという勢いを感じる。
「辞任理由と最悪の表明タイミング」−安倍総理、突然の辞意表明−
安倍総理の辞意表明の後、与謝野官房長官が会見で健康上の理由を述べた。
健康が理由と言われるとなかなか話しがしにくくなるが、もしそれが本当に大事な理由だったとすれば、それは会見で安倍本人の口からきちっと聞きたかった。
確かに安倍はこれまでにも健康問題について言われることがあった。
安倍としては続投して行けるところまで行きたいという気持ちと、健康問題も含め国民の支持、信頼を失ったというその重圧をずっと感じていたのだろう。
そして、いよいよダメだとなってこのタイミングを選んでしまった。
しかし今回のタイミングは最悪で、辞める理由からしてもやはり納得できない。投げ出したという印象を非常に強く受けている。
「予定していた勝負相手の消えた民主党」−安倍総理、突然の辞意表明−
もともと今回の国会と今後の政局は、我々メディアのなかでも未知の領域に入ると言っていた。
そのなかでも野党民主党は数を背景に闘う武器を手にして、押せ押せで徹底的に安倍総理を追いつめて、できれば早い段階で解散を勝ち取るという基本方針があった。
これが、安倍が辞めたことによって、相手が目の前から消えさってしまった。民主党には戸惑いもあるが、この路線をこれからどうするのかいう点もある。
「辞意表明による対外への影響と懸念」−安倍総理、突然の辞意表明−
自民党総裁選は至急やらないといけない。しかし、密室ではなく選挙でやるとなるとこれは相当時間がかかる。その間にテロ特措法の問題は時間が来てしまう。
それから、安倍総理は会見で国連総会に新しい総理に言っていただきたいと述べたが、このスケジュール、混乱の中では難しいだろう。
そうするとテロ特措法の新法ででも、これはどうしても中断するのは嫌だったと安倍は言っていたが、中断は最低限止む終えない。その了解はアメリカや中東で展開している関係国に伝えなければならない。
この問題でもう一点気になるのは、日本国内で政界関係者も我々メディアも唖然、呆然みたいなところのある今回の辞任表明。
今のところ時差があるので各国の公式な反応は出てきていないが、恐らく日本は不可解な国だとまた思うのではないか。これで世界の信頼が失われていくということも非常に気になる点である。
「安倍内閣を振り返って」−安倍総理、突然の辞意表明−
安倍総理が電撃的に辞任を表明した。所信表明をした後での信じられない辞任表明だった。気持ちがプツンと切れてしまったのだろう。会見を聞いていても、表情にも声にも力がない。
どのみち辞めるのであれば、テロ特措法の延長をという問題を抱え、最大の山場のギリギリの段階で、退陣することを切り札にして党首会談をやるという方法もあったのだろう。
この安倍内閣、振り返ってみると一年足らずの間に5人の閣僚が辞めた。失言あり、政治と金の問題あり、そして松岡農水大臣には自殺をされて支持率が急落した。これだけのことが1年相次いだ内閣は珍しい。
若さと経験不足の内閣に、こういった試練がどんどんと積み重なって、それをどうやって耐えながら、また、乗り切っていけるかということをずっと見てきた。
しかし対応が遅れたり、あるいは庇ってしまって全部裏目に出て、ダメになってしまうことが多かった。支持率も、ちょっと回復しかけると5000万件の年金問題がドンと出てきたりした。
それでいよいよ今度こそ立て直すと8月27日に内閣改造をやって、支持率が回復しそうになったらまた遠藤農水大臣の辞任問題と、典型的にその繰り返しの内閣だった。
「最悪のタイミングだった安倍辞任」 2007/10/8
 次期総選挙をめぐる与野党の攻防、その1 
9月12日、突然安倍総理が辞意を表明した。あの日は朝のテレビ番組に出演し、昼過ぎに「どうも安倍は突然退陣するらしい」との第一報が入った。所信表明から2日後、いよいよ野党代表質問を受ける直前のことで、さすがにこれは私も予想だにしなかった。
辞め方のタイミングとしては本人も言っていたが、まさに最悪のタイミング。どうせ辞めるのならばやはり参議院選大敗時の方が筋が通るし、安倍個人にとってもカムバックのチャンスがわずかだが残った。
だが、今回のような前代未聞の辞め方では政治的には完全に再起不能で、若いだけに惜しいというか、残念といえば残念だった。しかし、資質とか経験とか、色んなところで身から出たサビというところはあった。
安倍は「戦後レジームの脱却」「美しい国」などを掲げて、実現のために憲法改正、教育再生といった政治家としての理念、あるいは旗を立てたが、これも結局は空回りに終わった。
安倍自身はそういうところに手をつけようとして、教育基本法改正、それに関連する教育再生3法案、憲法改正手続き法である国民投票法、防衛庁の省昇格、そして何といっても天下り禁止の公務員制度改革、それに最後の最後になったけれども事実上の社保庁の事実上の解体法案など、これは一内閣でひとつやっても大変だという法案をどんどんと仕上げた。
そういう意味では、これほど濃密な政権もないかもしれないが、しかし数の力で、強行採決連発で押しまくったために、これが全く評価されなかった。
安倍のその思いが国民にある程度の理解を受ける前に、不運な点としてはやはりスキャンダルが相次いで、閣僚の政治と金、失言、そして何と言っても年金問題、その始末と釈明に追われつづけて選挙戦に突入し、そして敗れたのである。
だから、辞めるタイミング、辞め方は色々とあったのだろうが、後世の史家から見れば歴史的評価、国際的評価はやはり参議院選挙の大敗になるのだと思う。ここで国民の信を失って、求心力も失ったとなるということだろう。
結局、安倍は政権として、そして総理自身としてもそこに色々な理由が重なって行き詰まり、体力の限界が来て倒れたのである。
「突然の病気辞任、本当の理由」 2007/10/10
 次期総選挙をめぐる与野党の攻防、その2
辞任の前日(11日)の朝、ある朝食会の席上で元自民党幹事長が、政局をめぐっての私の話の前に立ち上がって、「安倍総理は年内もたない、総裁選は決まりました」ということを断定した。
その時点での読みでは「11月10日の国会閉幕前後が危ない、国会延長できずにテロ特措法も通らず、辞めるだろう」ということだった。しかし誰もまさか翌日、代表質問直前に突然辞めるということは考えていなかった。
突然の辞任には予兆があった。今年の夏は暑く安倍は夏風邪を引くなど、体調が悪かったところにインド、インドネシア、マレーシアへの歴訪に出かけた。
その道中、インドで食中りをした後、クアラルンプールで倒れてしまった。この情報は番記者から入ってきたのだが、安倍はそこからずっと点滴とお粥で過ごしていたようである。
帰国後には体調が戻らぬまま組閣を終え、臨時国会を召集した。この内閣改造では支持率がアップしたため、少し体力気力ともに回復したかに見えた。ところが一週間経って遠藤農水省がまた辞任をすることになり、そのショックで体調が再び悪くなった。
実はシドニー訪問の前、臨時国会での安倍の所信表明演説の内容の大枠が見えてくるなかで、どうも安倍は心身ともに限界に近づいているのでは、というような話が出てきた。
その後、その話の翌々日から辞任前日までに自民党幹部と立て続けに会って話す会合があって、この話を持ち掛けたところ、その反応はびっくりするどころか「官邸からもそういう話は来ています」という意外なものだった。
その話としては、シドニーでのテロ特措法をめぐる「職を賭す」という発言について、安倍は相当思い詰めているふしがあるということだった。恐らく小沢民主党がテロ特措法の延長に絶対反対することで、現実的に絶対通らないということが分かってきたのだろう。
辞任前日11日の夜、自民党も安倍が職を賭さないでもいいように、政府与党の首脳会議を開いてこの問題を新法で凌ごうという話になった。しかし、それでも難しいだろうと安倍は考えた。
そして最後の賭けとして12日の辞任当日、安倍は民主党の小沢代表に直接自分がどういうつもりでいるかを話したかったのだろう。
これはあまり知られていないが、実は安倍が若い秘書官時代から恐らく一番尊敬した政治家が、小沢だった。
父晋太郎の後を継いで最初に当選した際、母親が安倍晋三をよろしくお願いしますと言って最初に連れて行ったのがこの小沢で、だから小沢と安倍は実は師弟関係にある。
これについては意味深だと思うエピソードがある。最初の安倍と小沢の党首討論の際の、安倍の呼びかけである。
これは「こうして二人で党首討論を行うなんて、私の父が生きていたら何と思うでしょう。我ながら私自身も信じられない思いでここに立っています」といったような趣旨のものだった。
だから、もしかして安倍は自分の話を小沢が聞いてくれるのではないかと考えたのだろう。
この気持ちがあの辞任会見での「小沢さんに会見を申し込んだが断られた」、だから辞めるというような内容にもつながった。
昔の政治家の義理人情から言えば、おそらく小沢は受けていて、総理退陣と引き替えにテロ特措法を通すのだろう。
しかし、小沢も安倍が今回のことで自分の所に最終的には来るつもりなのは恐らく分かっていて、その上で取り合わなかった。小沢にすれば甘い坊ちゃんには付き合っていられないと非情な選択をしたのだろうと思う。
何れにしても、総理大臣のクビを差し出すというのは野党にとっては大変なことだから、もしかしたら受けてくれるという思いがあったのだろうが、それも含めて安倍の政治の判断、読みは甘かった。
「福田内閣、その人事と性格」 2007/10/11
 次期総選挙をめぐる与野党の攻防、その3
安倍突然の辞任を受けて後を継いだ福田康夫新総理は、ちょっとしたスキャンダルやミスで自民党が政権を失う崖っぷちに立たされた内閣であることから、自らの内閣を「背水の陣内閣」と言った。
そういう意味でも緊急非難ということは、積極的に何か打って出るという政権ではなく、やはり守りを固めて次の総選挙までをいかに凌ぐかといった選挙管理内閣的な暫定的な性格が非常に強いというのが第一の印象だろう。
さて、今回の組閣までの動きを見ていて面白いと思うことがあった。本来の「安心」「安全」「安定」というものは、政治が国民に対して保障すべき要諦であり、国民が政治に一番求めるものでもある。だが、これを国民に保障する前に、今回は自民党が政権に求めたのである。
その結果、麻生太郎前官房長官と福田新総理とを見比べて、どちらがこれに近いかという理由で福田を選んだのだ。
だから政治としてどちらがいいかとか、政権の顔をとしてどちらが政治に向いているかということではなく、国民的な人気がどうかという視点で見ると、選ばれなかった麻生にもアドバンテージがあって、確かに地方でも人気は高い。
しかし、どちらかというと麻生のオフェンスで徹底的にやる姿勢だと下手をすると、ラグビーでよく言うようにカウンターをくらって玉を奪われてしまう、だからリスキーではと心配された。
だから自民党としてはこのリスクは冒さず、徹底的なディフェンスに徹することにした。そういう意味で重量級の布陣で失点を最小限に押さえるという意味合いの濃い内閣が誕生した。
それから、党役員や閣僚の顔ぶれについては、自民党全体の人材の枯渇をあげつらうのは別にして、たまたま安倍内閣は最後の改造で派閥の領袖をずらっと列べた重量級内閣となっていて、これをそのままほぼ受け継いだカタチになった。
実は最近で言うと小渕内閣後の森内閣、それから大平内閣後の鈴木内閣などにも見られるように、病気で入院して緊急避難的にその後を継ぐ場合には、ほとんど閣僚はそのまま残して官房長官だけ替えるというものもある。古く言えば池田勇人後の佐藤栄作もそうだった。
これで面白いのが佐藤の場合。当初、は誰も佐藤がその後長期政権になるとは思っていなかった。党内基盤も弱いし、佐藤対池田というのが角福戦争どころの比ではない争いがあったのだが、池田が東京オリンピックを見届け病気で倒れた。
この時、佐藤は棚ぼた的に池田内閣を引継ぎ、そのまま官房長官だけ替え政権を発足させた。そのため「佐藤は人事も出来ない」と言われ、これは恐らく短命だろうと言われた。
それが長期政権になって「人事の佐藤」と言われるようになるのだが、この要諦はやはり池田の内閣をそのまま引き継いだところにあったから、政治はやはり結果論なのかもしれないが、こういうことも起きる可能性はある。
ただ今回の福田がここまで考えていたかどうかは別で、やはり時間もないし、もし新たに選んだ閣僚が身体検査でまた何か出てくれば、それこそもたないということもあったのだろう。
政界だから今後何が起きるかわからないが、次の選挙で本当に終わってしまうかどうか、自民党にとっては厳しい守りの立場が続く。
「小沢民主、三種の神器でどこまで攻めきれるか?」 2007/10/13
 次期総選挙をめぐる与野党の攻防、その4 (完)
自民党は全員野球、総力戦でのディフェンスに回ったが、これをオフェンス側の民主党の小沢代表がどう攻防戦を詰めて突破していくのか。
今回、小沢民主党は参院選の大勝によって野党が過半数を占め、我々がよく言う「三種の神器」という攻撃の武器を手に入れた。
この神器の1つ目は、与党となった参議院側から先に法律を可決させて衆議院に送るという、今までとは逆方向の審議形態を実現するという武器である。
これまで衆議院で採決した法案を送り込んでいて、そのことで参議院は衆議院のカーボンコピーではないかと言われ続けてきた。
これに関連して野党側はこれまでマスコミに対し、いくら真面目に勉強して良い政策、法案を作ってもほとんどマスコミは記事にしてくれない。逆に政府与党の法案はいくら悪法でも、どんどん大きく扱うではないかという不満があった。
これに対して、マスコミ側の回答は口ではいくらでも良いことを言えるし、紙にはいくらでも良いこと書ける。しかしこれは政治である以上は現実、実現性があるかどうかが問われるわけだから、悔しかったら議席を増やして本当に政策を提示すればいい。それによって国民が判断してこれは良い政党だとなれば、票を入れて議席も増えてくると言ってきた。
ところが、今回から参議院でまず野党の法案が先に通って衆議院に送られるとなると、政府与党案と野党案のちらが本当にいいかが国民の目に比較できるようになる。これがひとつの大きな武器。
2つ目は「国政調査権」と言われるもので、一番有名なのが議院証言法に基づく証人喚問である。これは参考人招致をしていろいろと証言を求めても、それがどうも怪しいとか不満だとなると、証人喚問へと切り替えてさらなる追求を行う。そうすると、法律上偽証罪での刑事告発が可能なので、ここで嘘をつくと国会議員だろうと役人だろうと牢屋に行くことになる。
これまで与党はギリギリの線でこれを阻止してきた歴史があって、例外は世論が収まらずに、もしこのまま阻止し続ければ自分たちに矛先が回ってくるという時にしか実現してこなかなかった。
ところが、今度は参議院で野党多数で議決してしまえば、与党は絶対に断れない。そこで証人喚問による攻防戦というものになる。
そして3つ目は、最後の決めてと言われる衆議院では不信任決議案に相当する「問責決議」。これが採決されると参議院が不信任した大臣であり、総理大臣ということになる。
そうなると現実的に何が起きるかと言えば、不信任が可決された大臣は委員会や議会に野党に拒否されて出席が出来ない。つまり一人の大臣が原因でも国会審議が止まってしまう。そして、さらにこれを連発されたらどうにも身動きは取れなくなるし、福田総理の問責決議が通ればこれは大変なことになるだろう。
確かに憲法上の扱いでは衆議院での不信任案と参議院での問責決議は違う。不信任安は可決されれば解散総選挙か総辞職のどちらかを総理大臣が必ず選ばなければいけない。ところが問責決議にはそういう強制的な法的拘束力は全く無い。
しかしながら現実には二院制の一院が不信任したとなると、政治的道義的責任はものすごく重い。そういう意味では状況によっては不信任可決と同じような効果を持つことになってくる。
これらを駆使して野党がいかに連続攻撃を仕掛けて、臨時国会終盤や来春予算成立後など、どのタイミングで一気に攻勢に打って出てるのか。
小沢民主党、どこまで攻めきれるかが今後のポイントだろう。
新テロ特措法、与野党の攻防と世論の行方 2007/10/19
11月1日に期限切れとなる現行のテロ特措法だが、この延長は政府与党も諦めて、新法を提出するということになった。
この新法についても民主党の小沢代表は反対、そうなると野党も反対で参議院はなかなか通過しない。そうなると最終的には参議院で否決された後、その法律をまた衆議院に戻して2/3で再可決をさせるかどうかが勝負だろう。
しかしこのためには時間的に最短でも2ヶ月以上かかるから、これを本気でやるとなると大幅に国会を延長して年内ぎりぎり、場合によっては年越しになる。
だが現実的にはまず無理なので、一応国会で議論をしながら世論の反応、国際社会の動向を見つつ来年の通常国会でもう一回仕切直しという可能性が高くなってくると感じている。
問題は与野党の攻防戦を通じて世論動向がどうなるかということが非常に重要。例えば世論で給油に関しては結構ではないかという声が6割を超えてくると野党側は厳しい。
だから、与党側はいかに国際貢献が大事かということをアピールする。
逆に野党側はこれまでに疑惑を持たれている米空母キティ・ホークなどへの艦船への間接給油によるイラク戦争への転用疑惑など(政府もアメリカも否定しているが)、これを徹底追求することで、4割以上の世論がやっぱり給油はおかしいとなれば、逆に与党側にとっては厳しいものになるだろう。
しかし新法はこの転用ができないようによく考えられていて、海上の武器や麻薬などの輸送船に対する臨検艦船を対象とした法律となっている。これまでのように給油艦に給油するわけではないから、転用はありえないという主張である。
一方ではこの新法は国会の承認をはずすことにしている。しかし、もし事前であれ事後であれ国会承認を無くしてしまうということになれば、国会のシビリアンコントロール(文民統制)という問題があるので、これはすごく大きな問題である。
もうひとつ注目しておくべき点として、今週から内々に「11月1日から海上自衛隊の補給活動は中断します」という内容の通知を関係各国に行う。
これに対して各国が例えば、国会の事情はわかるけれどもそれでゃ困る、なんとか続けてもらえないだろうかなどといった、強い要請が出るかどうかだろう。
これはアメリカだけではなく、現在の活動の最高司令官はフランスであり、ドイツ、イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリア、パキスタンといった国からの要請の仕方によっては、日本の世論にも影響してくる。
だから世論の動向が今後最大の注目ポイントとなるだろう。
防衛スキャンダル、徹底した綱紀粛正と監視を! 2007/10/24
今国会最大の焦点だったテロ特措法の延長問題は、野党反対による11月1日の期限切れに対して政府与党は新法で対応しようということで、その新法がようやく審議入りまでこぎつけた。
しかし守谷武昌前防衛事務次官の防衛関連商社との癒着関係、不明朗なゴルフ接待、飲食接待、その他さまざまな疑惑を持たれた前次官のスキャンダルが噴出。
加えて、前々からイラク戦争への転用疑惑が取り沙汰されてきたインド洋に展開している海上自衛隊の補給艦の給油活動をめぐって、当初米空母キティ・ホークへの給油疑惑となっていたアメリカ給油艦への20万ガロンの給油は実は間違いで、実際には80万ガロンだったことも判明した。
この疑惑に対しては2003年、当時の福田康夫官房長官や石破茂防衛庁長官が20万ガロンではとてもイラク戦争へ使えないと断言していた。
それが、後々80万ガロンとわかったが、その間違いに気付きながら海上自衛隊は全く報告をせず、隠蔽をしていたという疑惑が新たに持ち上がったのである。
これらの守谷のスキャンダル、給油員隠蔽疑惑、あるいはイラク戦争への転用疑惑など、相次ぐ不祥事トリプルパンチによって新テロ特措法の行方は全く不透明になった。
福田内閣はこのままでは断念せざるをえないというところまで追い込まれているという状況になってきている。
だがこの問題、国会や新テロ特措法云々よりも、防衛省、海上自衛隊をめぐる一連のスキャンダルといった不祥事は、日本の安全保障の根幹を揺るがすような非常に深刻な事態だとういうことが重要なポイントだろう。
このスキャンダル、癒着事件として汚職に発展するかどうかはまだわからないが、少なくとも守谷の行動は自衛隊の倫理規定に反するわけで、こんなこともわからずにトップを務めてきたとは、とんでもない話である。
そして、政府がどれだけ組織の縦割構造の問題があったと言い訳しても、武器を持つという意味では自衛隊は日本唯一の実力部隊であり、こういうところの綱紀弛緩というところは非常に大きな別の問題である。何も戦前の関東軍を持ち出すまでもなく、シビリアンコントロール(文民統制)を非常に蔑ろにするという、深刻な危機感を持たざるをえない。
だから今回の一連の問題には綱紀粛正が何よりも大切だが、そう簡単ではないだろうから、当分は処分も含めて国民、メディアは徹底的に監視を強めなければいけない。
小沢辞任騒動と連立模索の背景 2007/11/6
これまでの政局でも政界再編成にかかわるような大きな動きを見ると、現在の民主党小沢一郎代表が主役となったケースは多い。こういう時の小沢は我々の常識とは違う行動を取るので、予測のつかない動きはよくあるのだが、それがまた突然出たかと思ったのが今回の騒動だった。
そもそも前回の参院選で参院与野党が逆転したことで、メディアは政治が「未体験ゾーン・未知の領域」に入ったと言っていて、次期総選挙の結果次第では大連立もひとつの柱になるのではという話は出ていた。
この「未体験ゾーン・未知の領域」がしばしば間違って理解されているので再整理すると、これには大きく分けて3つのシナリオがある。
第1のシナリオは文字通りの「政権交代」。これは二大政党制でなければ実現しないのだが、1993年以降の小選挙区制導入でその流れが進められてきて、ようやく野党第一党が本気で政権を獲ろうと思ったのは今回初めてのこと。この正攻法で小沢党首を筆頭に民主党は政権交代を早期解散総選挙で一気に勝利し、政権奪取を狙っていた。
ところが、このシナリオは安倍政権下でのテロ特措法延長問題で描いていたシナリオでもあり、安倍突然の辞任とその後の福田政権の誕生で実際にはやりにくくなっていた。
だからもし総選挙で民主党が勝利できなかった場合、衆参は現在同様のねじれ現象のままとなる。そうなるとまず与野党は重要政策の協議から始めて、場合によっては大連立を組みましょうという話になるのだろう。しかしこの協力体制はあくまでも安全保障や社会保障といった政策を実現するための短期的なものであって、党員調整とか選挙区調整のような選挙のためのものではない。これが第2のシナリオ。
そして第3のシナリオは総選挙の結果、民主党が勝利を収め自民党が下野した場合に起こりうる政界再編成。自民党は与党という砦が無くなればおそらく分裂を起こしてバラバラになり、民主党もそれに誘発されて分裂し、政界大再編となるのではというものである。
そういうなかで、今回第2のシナリオである大連立、あるいは政策協議という話が出たのだろうが、現実にはこのタイミングでやろうとするとは誰も思っていなかった。
確かに国会の現状では、衆参ねじれ現象によって全てがガチンコとなって与野党とも何も先に進められないということで、自民党の福田総理もかなりの野党の無理な要求を聞いてでも、野党側の協力を仰ぎたいという、魚心あれば水心という気持ちがある。
それに対して小沢がなぜそこに協力をしようとしたのかは、まだわからないところもあるのだが、ひょっとしたら実は小沢も非常に苦しかったのではないのだろうか。
これはある総理経験者が言っていたことだが、小沢は自民党時代、若い頃から幹事長を務めるなど長い間政権の中枢にいた人物。だから政権を担うことの重み、政権の怖さというよくわかっているのではないかということだった。
この15年間、小沢が頑張って目指してきたのはただひとつ、あくまでも二大政党制の実現による政権交代。だから、今の民主党の状況と次の総選挙の結果までを全部考えてしまうと、連立もひとつの選択肢であり、これが最短の道のりであると考えたのではないだろうか。
しかし、先の参議院選挙の結果、今回の対決型国会がようやく実現してこれからという時の突然の辞任騒動であり、タイミング的にはものすごく唐突だろう。
また民主党役員会で自分の考えが拒否されたからといって辞めるというのも小沢らしいといえば小沢らしい。
その後の民主党役員会、副代表会議において小沢辞任を慰留するという話になっているが、例え戻ってきても民主党が小沢の元に再結集し求心力を高めることができるかどうかである。  
2008/1-6
山口衆院補選、政局をめぐる与野党ガソリン攻防 2008/4/24
政局がいろいろと動乱の兆しである。まずは4月27日の山口2区の衆議院補欠選挙でひとつの山場を迎える。この補選はその後の政局全体を占う、あるいは政局を決めるというくらいに重要性を増してきている。
ひとつの補選にすぎないといえばそうだが、これまでにも、状況次第ではひとつの補欠選挙がその後の政治の流れを決めるということがあった。
とくに今回は理由がいくつかある。まずは福田内閣が政権誕生から半年経って支持率が軒並み20%台になり、不支持率が50%を超えたこと。
この数字はあきらかに危険水域に入ったと言えるが、今のところ支持率回復、反転攻勢への手立てが見つからない。そういった中で行われる補欠選挙だけに、ここで示される民意が、福田政権にNOをつきつけるかどうかだろう。
その結果によって何が起きるかというと、いわゆる3月31日に期限切れしたガソリン税の暫定税率の復活を、どうするかということにつながる。
今のところ政府与党は一致して国会の60日ルールに則り再議決して成立させるつもりで、これが可能となるのが補選の翌々日、4月29日。
29日は連休中で「昭和の日」だから、再議決は早くても30日になるが、そこで成立しても、実はもうひとつ厄介な問題がある。
これはあまり国民には知られていないが、この暫定税率の2兆6000億円の予算執行には、「道路整備財源特例法」という法律がセットになっている。
そしてこの「道路整備財源特例法」の中身はというと、道路定財源を今後10年間維持し、総額59兆円を道路整備に使うというもの。
この10年間59兆円の道路整備財源特例法は参議院では全く審議にも入っておらず、衆議院での再議決が可能になるのが、こちらも60日ルールでいうと5月12日以降。
ところが、福田首相は政権の体勢を立て直すために、、来年度からの道路特定財源の''全額一般財源化''を記者会見で表明し、政府与党首脳会議においてもこれを決定事項とした。
こうなると、一方では道路特定財源の一般財源化の話、もう一方では10年間維持し59兆円を使う法律を再議決という話、このふたつの矛盾した法律は一体何なんだ…、当然廃案にすべきじゃないか?
そういった議論が出てきたら再議決どころではなくなるし、修正するならするで、それまでに決めなければならない。
国民全体の世論調査では、ガソリンの暫定税率の再議決については賛否が拮抗していて、どちらも20%台。そして40%〜50%近くはどちらとも言えない、分からないとなっていて、国民も迷っているのが現状だろう。
民主党の支持率を世論調査で見てみると、低迷しているだけでなく、落ちてきている。
ここへきての民主党小沢体勢における強硬姿勢、どこまでも追いつめていって解散総選挙か総辞職に追い込むというやり方を、国民が必ずしも全面的に支持しているわけでもないのだろう。
このあたりがどうなっていくのか、山口補欠選挙の結果と投票行動によってものすごく左右される。
その意味でも、これは注目しなければいけない選挙と言える。
10年間59兆円と政府閣議決定の矛盾 2008/5/15
いろいろと議論、批判があったなかで、4月30日、与党自民党は、ガソリン税の暫定税率を参議院のみなし否決という形で、60日・衆議院3分の2ルールで復活させた。
この法案はあくまでも集金側の入り口、つまり歳入に限ったもの。
そしてこの集めたお金を道路にどのくらいの期間、いくら使いますよと歳出を決めるのが「道路整備財源特例法」で、こちらも5月13日、衆議院3分の2ルールにより再可決された。
道路特定財源を今年度から10年間維持すると規定したこの法律、そもそも暫定税率の復活と表裏一体。この法律が通らなければ予算が執行できないからだ。
だから、政府からすれば暫定税率が復活したのに、その使い道が決められなければ責任がとれないという再可決だった。
ちなみに全国のほぼ全知事と全市長は、自治体のトップとしては歳入に穴が空き、道路修理も滞るのではさすがに困るということで賛成の立場。
だが国民の側からすれば、道路特定財源だけではなく、毎度毎度の歳出にはものすごい無駄遣があるから、冗談じゃない、その前にやるべきことがあるんじゃないかとなる。
そこで、政府与党側としても国民に理解を求めるため、5月13日の再議決に先立ち、2009年からの道路財源の一般財源化と、10年を5年に短縮し見直すことを閣議決定した。
ちなみにこの10年間59兆円の「道路整備の中期計画」については専門家に言わせるとどう使ったって49兆円でとっても使い切れない、10兆円ぐらいはさばを読んでいるという。
そうすると法律は10年で59兆円を使う内容なのに、それを来年度から一般財源化する、そして5年に短縮するというのはおかしいじゃないかという話が持ち上がってくる。
政府与党としては、一度衆議院で可決成立し参議院で否決されたものを、2009年度一般財源化としてあえて閣議決定するのだから、だったらその前にまず法律そのものを修正して、野党から持ってこいという話になる。
ところが民主党から言えば、来年からじゃ遅い、本年度から一般財源化すべきだからそんなこと言われたってとても認められませんよ、となる。
ただ、民主党からしてもまたみなし否決で、参議院の主体性ないと捉えられるのは癪だということで、「道路整備財源特例法」についてはぎりぎり60日目を迎えるところで参議院で否決をした。
つまり形だけでも、参議院で否決された法案を、それでも衆議院で再議決するのですか?政権与党に突きつけたことになる。
どっちにしろ10年間特定財源のままという法律が矛盾を抱えているのは事実。
政府与党としては閣議決定としてそうはしないと決めたとしているし、それが担保されるということだが、私としては果たしてそうだろうかなという疑問が残る。
歴史的に評価したい日中首脳会談 2008/5/18
先月も言ったが福田内閣の支持率の低落に歯止めがかからない。先週民主党の小沢党首も「ダッチロール状態」だと言っていたが、まさにそのような状態だろう。
連休前後には支持率が20%を切り、毎日新聞が18%、東京新聞が19%、その他全国紙も軒並み20〜21%という一方で、不支持率が60%を越えはじめた。
これは完全に内閣としては倒れる前兆の危険水域に入っていて、過去の例からすると、ここから回復した例はない。ほとんどが半年以内に退陣という運命をたどっている。そのセオリーで言えば、長くても11月には退陣かという状況に突入したと言える。
それからもう一つ世論調査の指標として注目すべきが、自民党支持者の福田内閣離れ。これまでは、どんな内閣でも例え連立政権だとしても、自民党から総理が出ている場合には、自民党支持者の自民党支持率は8〜9割といったところだった。
ところが、ここのところ2ヶ月連続で60%に落ちている。だから、堅い固定層だった支持者からも福田離れが起きているということで、政権を維持するのは容易じゃない。
そういう中で、5月6日に中国の胡錦濤国家主席を国賓として迎えた。
今までもいろいろと首脳会談を取材してきたが、これほど互いが状況の悪いなかでの首脳会談は珍しい。
そもそも首脳会談というのは全部双方の事務方が積み上げて、いよいよ失敗がないという状況で行うもの。ある意味、お互いの懸案があってもそれは対立にしない、うまくこなすという性格を持っている。
胡錦濤主席のほうもチベットの人権、民族抑圧、宗教弾圧というものすごい問題を抱えて、国際社会からも非難を受けるなかで、なんとか挽回したい、取り返したいという思いがあった。
だからお互いにこの首脳会談を次のステップの弾みにしたいという考えがあったのだろう。ところが、お互いの国民にはその反応があまりなく、そういう意味では福田総理としても胡錦濤主席としても、がっくりきた首脳会談だったのだろう。
ただ、中国に対して厳しい産経新聞も含めて、紙面の扱いは非常に抑制がきいていた。ギョーザ問題だとかチベット問題で中国を真っ向から批判するという論調はどの紙にも見られなかった。
むしろ、なんとかこの日中関係を将来にわたってうまくスタートさせてほしいという気分がメディアの中にはあったのだと思う。これがひとつの特徴だ。
それから、もう一つの特徴は、実はちょうど30年前の日中平友好条約締結というのは、福田総理の父親の福田赳夫が首相であり、外務大臣が園田直で、当時私は外務省を担当していて、その交渉があった北京へ取材に行った。
その後の節目節目の外交交渉も取材にあたったり、政治部デスクや部長として見てきたが、その実感で言うと、時代というのは黙っていても進むなと思う。今では相互に切っても切れないどうしても濃密な依存関係になってきたことを実感する。
そして、これを成熟した関係に持っていかなければいけないのだろうが、今はまさにそういう時期を迎えているのだという実感がある。
たとえば、10年前には江沢民元主席の時代、ご本人の性格もあるのだろうが徹頭徹尾歴史問題、歴史認識に拘った。だからいろんな日中の懸案を入れて共同文書を作るは作ったものの、結局最後は歴史問題に拘って、文書中に日本の謝罪が入らなければダメだとなった。
当時の小渕内閣はいくらなんでも日本側はそれはできない。なぜなら平和条約は国民党政権時代の中国、すなわち今の台湾と過去に日華平和条約を結んでいるし、日中平和友好条約という形で歴史的に規定したものを、今更戦争責任といって蒸し返されて謝罪などと言われてもとなった。そうしたら中国側は怒ってしまって、結局、共同文書に署名がなされることはなかった。
それと比べたら、今回は戦争にも触れていない、過去の支配にも触れていない、逆に戦後の日本の平和国家としての姿勢行き方について評価するという内容になっている。
更には文書には入っていないが、中国全土へも中継した早稲田大学での講演において、今日の中国の発展について、とくに経済の分野においては日本の多大な協力と貢献に感謝の意を表した。
この決意は、中国国民に対してこれからの日中関係はまさに未来志向で、最終合意した戦略的互恵関係についてはこういったことが入るよという、そこをよく認識して対日関係を考えていこうという呼びかけだった。
一方でそれをやることによって、これからの日中関係は前向きに取り組むという懸案を乗り越えていこうじゃないか、だからギョーザ事件やチベット問題を悪い関係への材料にしないでほしい、と中国は日本に呼びかけている。
これはものすごく大きい。だから日中関係はここまで来たのだと本当に実感する。
歴史的に見ると将来への大きな一歩を踏み出した今回の日中首脳会談は、国家関係として見ると、歴史の中で位置付けるときに、非常に大きな第一歩になったのだと思う。
アフリカ開発会議と日本の将来 2008/5/29
28日、横浜市で「第4回アフリカ開発会議」(TICAD4)が開幕した。この会議にはアフリカ53カ国のうち52カ国の首脳、閣僚らが出席している。アジアで開催されたアフリカ会議では、中国でのものもあったが、これだけ大規模での開催は今回が初めて。
アジアとアフリカ、日本とアフリカとの関係でいうとこれは重要な会議だし、7月に北海道で行われるG8洞爺湖サミット(主要国首脳会議)との関連でも、重要な会議という位置付けになる。
そこで具体的に日本はアフリカへの援助をどうするかだが、日本はここのところ毎年急速に政府開発援助(ODA)を減らし続けていて、とりわけアフリカへの援助が手薄になっている。
アフリカ各国の日本側の援助削減による懸念は強く、それを具体的な問題としてどう合意して、今後のODAをどういう内容で増額していくのかが大事。
まず一番大きい問題は食糧不足。食料飢饉によりただでさえ貧しい人にしわ寄せがいっていて、これは悲劇的。開発しなければ食べて行けないから開発は進むが、それにともなう環境破壊も猛烈なスピードで進んでいる。裏返せばこれが地球全体での環境破壊につながっている。
それからもはや世界的には戦略物資になっている資源・エネルギーの問題。アフリカの中にはその資源国として力を強める国もあるが、全体ではそうではない。
これは日本にとっても、日本の国民にとっても重要な部分なのだが、これまでは資源・エネルギーが無い国は、お金で何とかできるだけ安いものを輸入するということができた。
日本は原材料を加工し、技術で付加価値をつけていいものを輸出することで貿易立国として栄えてきた。これが戦後日本の一貫した生き方だった。
ところが、今や付加価値そのものの値段が安くなる一方で、資源・エネルギーはどんどんと高騰し続け、簡単に買えなくなってきた。そのなかで日本はどうやって生きていくのかを正に考えなければいけないパラダイムシフトの時を迎えている。
そのためには従来型の発想もパラダイム転換しなければいけないが、これはアフリカにも存在している問題である。分野も産業、企業、個人のあらゆる面でのことだから、生き残りも難しくなってくる。加えて、アフリカには開発独裁的な人権問題もある。
つまり、食料、環境、資源・エネルギー、人権といった21世紀の課題が全部集約的にあらわれるアフリカだから、日本としてもそこをどう考えながら援助し、今後の生き方を決めていくというものすごく重要な会議なのである。
アフリカ各国は、それぞれに求めるものが違う。それをどこまできめ細かく、援助の話を進めながら、21世紀の課題という大きなテーマへフィードバックできるか。
日本にとって、いかに今回の会議が重要であるかということを、政府や日本国民がどれだけ考えているのか。注意を喚起しなければいけないだろう。
「後期高齢者医療制度」は、廃止し出直せ! 2008/5/31
評判の悪い後期高齢者医療制度について、どうするかが当面の国会の焦点となっている。廃案にすべきという野党の方針と、骨格部分の理念は間違っていないから、いろいろと批判のある部分は手直しし、修正というかたちで与野党協議に持ち込めないかという政府与党とで対立している。
この行方によっては、野党からの内閣総理大臣の問責決議により、新たな政局展開をむかえるかもしれない。
そもそもこの制度、2年前に国会で成立した時にはそれほどメディアも大きく取り上げなかった。強行採決というかたちではあったが、野党も内々骨格については反対じゃなかったという印象が強く、それほど批判もしなかった。
だが今になって、なぜ年金から天引きなのか、75歳以上は別の新しい医療制度するのか、お年寄りを蔑ろにした姥捨山のような非情な法律だ、といった批判がいろいろと出て、中身的にも説明不足、準備不足、やり方が稚拙だったという問題もあって、政府も予想しなかったような混乱が起きている。
ネーミングもやり方も本当にお役所の発想そのものだったから、今更どんなに理念がどうだとか、骨格がどうだとか言ってみても、もはやこの状況の中で国民の大多数が納得することはない。
なかでも一番ずさんなのが、どのくらい負担が増え、どのくらい負担が減るのか、それがどういう状況で生まれ、どのぐらいの地域差が出るのかといった確実な数字と情報をぜんぜん掴んでいないこと。だから、ここまでに出た負担増に対する批判に答えられていないし、こんなバカな行政はない。
しかも、これだけ信頼の墜ちた年金から天引きをするという、国民からすると到底理解ができない集金方法になっていることも大きい。
政府は言い訳として、この集金については市町村側から業務を負担するのは手間暇がかかりすぎて無理だから年金から天引きしてくれと言われ、その要求を飲んだだけだという。
だが国民からすれば、政府だろうと市町村だろうと行政は行政だから、そういう言い訳は通らない。
さて、今後どうするかだが、私はやはりこの制度は一旦廃止して、出直すのが筋だと思う。
今回スタートした制度はやり方もおかしいから、手直しするのは当然だし、廃止にすれば済む話。ただし、一時頭を冷やして出直すということであって、ただ廃止にしてそのままでいいということではない。
政府与党を弁護するわけではないが、今までのシステムとやり方は、あっという間に破綻して成り立たなくなる。老人医療をどうするか、増え続ける医療費をどうやって抑制するかという、抱えているテーマ自体は変わらない。
本当に高齢者をどうしていくのか、財政はどうするのか、年金とのからみはどうするのか。年金、介護、医療、場合によっては生活保護などのあらゆる社会保障制度全体の枠組を考えながら、誰が負担していくのか。
こういった非常に重要な問題では、青写真を描いて国民に示すのは政府の第一義責任はあるけれども、国会の仕事でもある。そのためには与野党が胸襟を開いて、まずは建設的な案を作るべきだ。
福田延命と問責決議の行方 2008/6/5
ここのところ国会は奇妙な凪状態と言われている。その最大の理由はガソリンの値下げと再値上げ、道路特定財源特例措置法の再議決にあった。
野党は場合によっては道路特定財源に関する一連の問題で、福田政権に問責決議案で対決し、総理の辞任・総選挙で倒そうと考えていたのだが、結局、民主党内での足並みが揃わず、政局の読みも一致しなかった。
その後も問責決議案はここまで出されることなくずるずると来て、対決姿勢は弱くなった。それどころか先週29日には、絶対に成立は無理だと言われていた国家公務員制度改革基本法案が急転直下、与野党で妥協し合意し、衆議院を通過させた。
これは言葉をかえれば、危ない、サミットまでもつかと言われていた福田政権の寿命を延ばし、虎口を脱させてしまったことにもなる。
つまりここひと月で政局的にはものすごい変化が起きたのだが、その間に何があったのかといえば、やはり胡錦濤中国国家主席の来日とその直後に起きた四川大地震が大きかった。
国民の注目と感心がそこに向かったため、野党内に足並みが揃わないということがあったにしても、問責決議案を出すタイミングが狂ったからだ。
そういうなかで、いよいよ国会も15日に会期末を迎えるということで、終盤戦に入ってきた。
先週の「後期高齢者医療制度は、廃止し出直せ!」に関連していうと、3日には民主党を中心に野党4党が提案した、悪評高い後期高齢者医療制度を廃案にするための法案の審議が参議院で始まった。
めったにないことだが、野党提案の法案なので答弁するのは野党。これに対して自民公明の与党が質問して、法案の問題点を追求するということをやっている。
この法案、まずは野党多数で参議院を通過させ衆議院へと送る。それを衆議院では3分の2で圧倒的多数の与党が否決することになる。
実質的には残り10日間で会期末を迎えるなかで、では後期高齢者医療制度はどこを見直すのかといえば、廃止法案の審議に入ってしまったので、その時間がもうほとんどなく、具体的な中身が見えないままになる。
そうすると見通しでは、11日に福田総理と民主党の小沢代表との間で行われることになった党首討論会で、それぞれの立場、考え方の違いを鮮明にするということになるのだろうが、そこから対決していくというのも時間的には難しいのが現実だろう。
公務員改革法と渡辺担当大臣、涙を流したその理由 2008/6/7
国家公務員制度改革基本法が6日の参院本会議で可決、成立した。この件については衆議院を通過したその日に、担当の渡辺喜美行革担当大臣が涙を流して、あの涙はなんだったのかといった話が記憶に新しい。
政治家の嘘と涙には騙されるなとはよく言われる話だが、どこまで本気なのかという見方、議論もあるが、私はやはり思わず複雑な思いが交錯して、ついぽろっと嬉し涙と悔し涙の両方が流れたのだと思っている。
私は社保庁改革で、その後の組織をどうするのかという委員会に毎週のように出ているのだが、この委員会は渡辺大臣の下にある。ここには基本的に大臣も出席するのだが、その議論中に度々席を外すことがあった。
その理由が何かと言えば、この公務員改革法をめぐって与党内での抵抗が激しくなっていて、例えばある副大臣から、邪魔するのは官邸からもだという声が聞こえるなど、内側の激しいやりとりを何回か見る場面があった。
だからこれは大変で、とてもこの国会では成立しないのではと思っていたものが、急転直下、妥協にせよ成立の見通しになったということは、本当に嬉しかったのだろう。
また長い間、公然、非公然と渡辺大臣に対するバッシングが官僚内からだけでなく、聞くに堪えないような罵詈雑言が野党内のいろんな所からも聞こえていた。そういう悔しさもあったのだろう。
それともう一つ、昨秋の安倍前総理の退任問題では、確かに健康問題だとか安倍自身の稚拙さなどがあったのは事実だが、メディア的に良く言われているのが官僚に潰されたという話。
これはある新聞社と官僚がタッグマッチで安倍を倒したといふうに伝わっているものなのだが、なぜ官僚が安倍を倒しにいったかといえば、渡辺大臣が公務員制度改革に躍起になったからだと言われている。
私自身は新聞社と官僚がタッグを組んで政権を倒すというのはいくら何でもそんな簡単な話ではないと思うが、そう言われるほど渡辺大臣は悪役になっていた。普段穏やかな政治家や官僚が、私に対しても、びっくりするような発言をすることもあった。
また、表にはなかなか出てこないが、民主党の支持基盤は連合、そのなかでも最も強いのが自治労で、そういうところは公務員制度改革には反対。
そいういう背景があって、安倍が倒れたこともあったが、これで福田内閣は一息ついたということも綯い交ぜになって、ジーンと来ることもあったのではないかと思う。
日朝協議再開で進展はあるか? 2008/6/11
昨年9月以来、長く中断していた日朝協議が再開した。日本人とすれば、当然拉致問題に進展があるかどうかが最大の注目点となる。が、その前に今回の協議の性格を押さえておく必要がある。
まず整理すると、これまでに6カ国協議では「日朝国交正常化」「米朝国交正常化」「経済・エネルギー支援」「朝鮮半島非核化」「北東アジアの平和と安全保障」の5つの作業部会が設けられてきた。
日本人としては拉致問題が頭にあるので、今回がその交渉と考える人も多いだろう。しかし、米朝交渉の最終目標は国交正常化で、同じように日朝作業部会も目的は一緒である。今回の交渉はそのための話し合いが再開したということで、そこはきちんと押さえておかなければならない。
そうなると正常化に伴う植民地時代の問題や戦前の補償の問題、賠償の話し合いが出てくる。ここでのポイントは最初の小泉元総理訪朝の際の平壌宣言には、賠償問題が明記されていないことだ。
しかしながら、非公式では内々に日韓基本条約と同じように経済協力をすることで賠償や戦後補償を求めないという話になったとも言われている。だから日本としては今回、その時点にまで話を戻せるかどうかがひとつ。
もうひとつは、小泉、安倍の両政権を通じて、これまで「拉致問題の解決なくして国交正常化無し」と言ってきたが、「解決」とは具体的にどこまでの範囲なのか。これは、日朝が互いに詰めてこなかったものであり、問題は残ったまま。
福田総理は就任に際して、日朝関係の解決に非常に強い意志を示した。ところが、交渉ごとなので必ずしも表に出ていないのかもしれないが、それが何を根拠に、どういう力関係をもって解決させていくのかは依然不透明のままである。
私自身が、これまでの北朝鮮の交渉術を見て思う特徴は、米朝、南北朝鮮半島、日朝の3つが同時進行していることである。
つまり、この3つが同時に同じ方向に動かず、ひとつだけが突出して動くことはない。今回の交渉も米朝の進展を横で睨みながら、南北では李明博大統領の支持率が下落している韓国の状況も見ているだろう。
だから今回の日朝交渉は、状況全体から言うと日朝だけがトントンと進むという見方はなかなか取れない。
タイミングも出し方も最悪だった問責決議 2008/6/19
国会は延長したとはいえ、民主党を中心とした野党側が問責決議を提出し、ほぼ全面的に審議拒否ということで、事実上は6月15日の会期末で閉幕した。
問責決議が通った以上、二院のうちの一院が不信任をしたことだからという前提に立って、民主党の鳩山幹事長らは、次の臨時国会も簡単には応じられないといった方針を早々と出した。
私自身はこれには疑問がある。今回の問責決議の出し方、タイミングは結果的には不発に終わったと感じているからだ。
衆議院の内閣不信任案は憲法上、非常に強い拘束力があって、これが可決成立したら総理大臣は辞めるか選挙で国民の信うか、二者択一の選択肢しかない。国政の中で最も厳しい拘束力を持っている。
参議院の問責決議案は不信任ということについては事実上同じ要求だが、こちらには可決成立しても拘束力はない。だから理屈で言えば今回の政府与、福田総理以下が表明したように、ああそうですか、でも拘束力はありませんよねといった形が取れる。だが実質的には信任だから、政治的にはそれなりに重い。
だからこれを本当に政治的プレッシャーとして与党、政権に突きつけるのであれば、拘束力がないだけに、タイミングと出し方は熟慮に熟慮を重ねなければ、影響力はでない。
はっきり言えば、世論に野党の言う通り選挙をやるべきだ、総理は辞めるべきだという空気が醸成され、与党は追いつめられてもうどうにもならないという所で、国民にわかりやすいタイミングで出すぐらいのことが必要だ。
それが、4月末の山口補選以降、ガソリンの時に出すのかどうかといって、ずるずるとタイミングがずれてきた。そして最終的には後期高齢者医療制度の廃案で全面対決ということで、問責決議を出した。
口の悪い人からは気の抜けたビールだとか、伝家の宝刀だったのに抜いてみたら実は竹光だったとか、わかっていることを何であのタイミングでやったんだという批判が、野党内からも聞こえた。
少なくとも、当日に予定されていた党首討論はやるべきだった。
内外情勢のなかで、日本を取り巻いている問題、例えば、食料・資源エネルギー、環境、少子高齢化など、具体的に目の前に抱えているものがある。日本の国の構造そのものが本当に根底からひっくりかえされかねないような問題が起きている。
その先行きに不安があるのだから、やはり党首討論で明確にした上で、だからこの政権では駄目だといって追いつめて、さあ問責決議ですよというのであれば、国民にもわかりやすかった。なぜそれをやらなかったのか。
一方で聞こえてくるのは、小沢党首が党首討論を潰すためにあのタイミングで出したという声。野党内からこういうことを言われるようでは、何をやっているのかとなる。これで臨時国会もということになれば、国民の支持をあまり得られない。
たまたまなのだが、私は問責決議の出た6月11日は、民主党を中心とするまさに二院制の在り方を考える勉強会に呼ばれていて、参議院の議員会館の野党控え室にいた。これは前から決まっていた日程だった。
しかしその後、党首討論が同じ日に決まったということで、勉強会側に「党首討論が決まってよかったですね。勉強会の時間と丁度ぶつかるから、勉強会は延期するならすると遠慮なく言ってください」との連絡を私の方から入れた。
ところが、討論数日前のその時点で、向こうからは「党首討論はなくなると思います。小沢党首がどうもやりたくないようですし、執行部としてはもう一切応じるつもりはないようです。同じ日に問責を出して党首討論は飛ばすので、予定通りにやります」ということだった。
それで予定通りということで、私は議員会館で待機していたのだが、党首討論が予定されていた全く同じ時間に問責決議案が出されて、やはりその通りになった。
その後、史上初めての問責決議案を可決成立させたということで、勉強会参加の議員の皆さんが少しは高揚して入ってくるのかと思っていたら、逆に疲れた様子だった。
その席で、なぜ党首討論をやらないのか、もしそれを潰すためにこのタイミングで問責を提出したのであれば最悪じゃないかと聞いてみると、皆、その通りだ、残念だと言っていた。
それならば、どうして参議院側としてきちんと反対を表明しないのか。執行部が決めたことには、文句は言ってもそれには反対しないのだから、これでは執行部の独断とは言えないだろう。
史上初の問責決議だが、タイミングも出し方も最悪で間違えたため、効果も重みも何も無くなってしまった。これでは国民は離れていくと思うのだが、提出したご本人たちは、なぜそれが分からないのだろうか。
拉致問題−よど号事件、日朝協議と制裁解除 2008/6/20
6カ国協議に先立って日朝協議が再開し、事前に予測されていたように、北朝鮮側がこれまでの頑なな拉致問題については解決済みという方針を撤回し、再調査に応じるという前向きな姿勢を示した。
日本側としてはその柔軟姿勢、あるいは誠意を認めるということで、全面的に禁じていた人的往来や、万景峰号などの船舶の入港を人道的な物資に限っては認めることで、経済制裁、その他の制裁の解除措置を取ることにした。
約束の再調査については、その中身をどうするかという、まだこれからの問題が残されていて、以前にも再調査と言って何もされないまま終わった苦い経験もあるから、本当にこれをどう詰めていくかが大事となる。
もう一つ、北朝鮮側の提案で注目されたのが現在北朝鮮にいる「よど号ハイジャック事件」の犯人の引き渡しで、これは北朝鮮からすれば厄介払いかもしれないし、事件自体も未解決のままだから犯人が日本に引き渡されれば捜査は進むだろう。
よど号事件で思い出すのが、私が支局から政治部に上がって最初の仕事がまさにこの事件だったこと。総理官邸の官房長官会見への応援指令だったが、それを思えば犯人も年を取ったものだと感じる。
ただこの問題はよど号事件だけではなく、犯人らの北朝鮮での現地妻達が拘わったとされるヨーロッパでの石岡亨さん、松木薫さんらの拉致問題としても残っている。
一方、拉致被害者の家族会は非常に強い不満を持っているようだが、家族からすればそれも当然だろう。
あの程度の再調査の約束など嘘に決まっているじゃないか、具体的に何を調査するのかも決まらずになぜ制裁を解除するのか、甘いことをするなというのは、ご家族の気持ちからすれば私もその通りだと思う。
ただ一方ではこれは交渉事だから、ちょっとしたきっかけ、チャンスを掴まえては交渉を前進させていくことも大事だろう。ただし、相手は特殊な国だから、楽観だけは絶対に禁物である。
聞こえてくる米ライス国務長官訪朝の声 2008/6/26
日朝交渉が微妙で際どい局面を迎えている。外務省の斎木昭隆アジア大洋州局長は拉致被害者家族会に対して、「本当の交渉はこれからです。不退転の決意で臨みます」との趣旨の発言をした。
これがこれまでの斎木らしからぬ言い方だったことから、政府が一貫して言ってきた「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」という方針を、「国交正常化なくして拉致問題の解決なし」という方向に切り替えたのではないか。世論を誘導しているように見えるといって、家族会にも疑問と不信感を生んでいる。
確かに最近の流れと表向きの動きだけを見ているとそう受け取られても仕方がない。
しかし逆に言えば政府が制裁解除に踏み切るのには、まだはっきり見えないが、2つの要因が考えられる。
ひとつはまだ公表されていないが、拉致被害者の複数の帰国の具体的な感触があったかどうかということ。
よど号犯人引き渡しだけで、何の新たな拉致被害者の帰国という感触なしに制裁解除に踏み切るとは思えないから、斎木局長の「本当の交渉はこれから」というのはこういった大事な局面がきているという意味が含まれていることも考えられる。
もうひとつはブッシュ政権が米朝関係改善にものすごく焦っているとしか言いようがない状態になっていて、テロ支援国家の解除に踏み切るというところまできていること。
このアメリカの動きと6カ国協議全体の流れから、日本政府はある程度足並みを揃えざるをえなかったという疑問が残るが、アメリカの動きについては拉致被害者の家族だけでなく、私も懸念をもたざるをえない。
私の聞いているところでは、ブッシュ政権としては何としても米朝交渉を動かすことでアジア外交のイニシアチブを握っていることをアピールしたい。それも、日本にも配慮を見せつつ、議長国である中国と密接に絡んでという形でだ。
そうでないとブッシュ政権の外交は失敗ばかりだったとなって、ライス国務長官がとくにそれには堪えられないと言われている。
だから、ライスはすでにテロ支援国家解除だけではなく、米朝国交正常化まで一気に進めるぐらいの青写真を描いているとされる。
これはかなり強引な気もするが、外交筋の権威あるところから聞こえてきた情報では、そのためにそう遠からずライスは平壌訪問、場合によってはブッシュ訪朝の地ならしまで考えているようである。
2008/7-12
G8サミット、最重要課題の「投機資金の抑制」に踏み込めず 2008/7/9
大袈裟でなく人類の歴史を翻ってみても、今回ほど人類の生存と地球の将来にとって、良くも悪くもこれほど重要なサミットは無かった。
今こそ、これからの世界経済、あるいは政治システムをどうしたら良いかを、真剣に考える時期に来ているからである。
7月7日の読売新聞朝刊上でヘンリー・キッシンジャー氏が述べていたことでもあるが、ようやくグローバリゼーション化の経済システムの真の姿が見えてきていて、これがナショナリズム、マネーキャピタリズムなどといったさまざまな問題を引き起こし、矛盾をはらんでいる。
サミット運営を結論から言えば、もはやこういった問題はG8だけではとても解決はできず、今回オブザーバーで参加しているような新興国、具体的に言えば中国、インド、ブラジル、インドネシア、メキシコ、南アフリカ、サウジアラビア、エジプトといった国からアフリカを含めた22カ国まで、G8ではない枠組みを作る必要があるのだろう。
原油の急騰はあらゆる製品コスト、輸送費にも及ぶため、物価高の元凶となっている。これが相乗作用や連鎖作用をおこし、食糧危機といった問題につながる。そして、この原油高と食糧危機は、もともと予定されていた環境サミットといったテーマに密接に結びつく。
このなかで、どういうことを考えるべきかと言えば、まず物価高というのは需給バランスのギャップから生じるものだから、なかなか意見の調整は難しいだろうが、石油でいえば増産体制、食糧であれば大幅な穀物生産について、必要な支援を行なうことだ。
もうひとつ加えると、検討するということでサミット声明にも入れられた、非常時に対する国際的な備蓄といった手立ては、石油も食料も絶対に必要になるだろう。
それから個人的には、何と言っても訳の分からないのが、投機資金の問題だ。これは、億や兆の単位を超えて京の単位に入っていてある学者によると、すでに中進国といわれる国ひとつぐらいは簡単につぶせる規模だという。ものすごいマネーの脅威だ。
そして、これがファンドという形で過剰流動性と余剰資金がぐるぐると回っていて、そのかなりの部分がサブプライムローンで大損した分を取り戻そうとして、石油や食料に回っている。
これだけの地球規模で動く膨大な資金というのは、どこかの時点でコントロールしないと破滅に向かう。
だがその実体は見えないので、まずその資金がどういう動き方をしているのか透明性を高める必要がある。国際機関が連携すれば、これはやれないことはないのだろうと思う。
その上で、監視、コントロールするシステムができるのならば、早急にやるべきだ。そうでなければ、他にどんな手を打ったとしても、この投機資金が動き回ったらどうにもならない。ここに踏み込むことが一番重要なポイントだった。
6カ国協議、立場の苦しい日本政府 2008/7/16
北朝鮮の核問題を中心とした6カ国協議が半年ぶりに北京で再開された。この協議は北朝鮮の核無力化へ向け、北朝鮮側からの核開発の申告を受け開かれた。
今回の協議では、核関連施設への立ち入り調査、核技術者からの聞き取り調査、そして必要に応じて追加申告をするといった、3つの原則が合意された。
もうひとつ重要だったIAEAの査察受け入れについては、北朝鮮は最後までこれを拒否し、助言とか調査といった「関与」についてなら認めるという形になった。
しかし、そもそも北朝鮮の申告には核兵器の保有に関しては何も触れられていない。
報告の検証が大事だという各国だが、協議は完全に北朝鮮のペースで進んでいて、具体的にいつからどう検証するかといったことさえ詰められなかった。これでは結論先送りのような形にしてしまっていて、果たして本当に検証ができるのかといった疑問が残る。
だが一方で、驚くことにアメリカはテロ支援国家指定解除への手続きに入ってしまった。これは変更もあり得るといっているが、恐らく変更無しで行くだろう。
同時に検証の具体的なやり方が決まっていないのに、10月までに無力化を達成して、それに対して行うエネルギー、経済支援だけは先行して合意していて、今回はそのやり方にまで言及している。
日本としては拉致問題の進展が無い限りは支援しないということを表明しているが、テロ支援国家指定が解除され、10月に各国が一斉に支援を始めた場合、日本だけがどんどん孤立していかないかが懸念される。
今回、北朝鮮から拉致問題についての再調査への具体的な回答は全く無く、がっかりされされた日本政府だが、今後その対応はますます難しくなっていく。
福田内閣、改造のポイント 2008/8/2
今回の内閣改造は、党役員と閣僚の入れ替えはあったが、相当な経験者と派閥のトップを網羅した、昔の言葉遣いで言えば「重厚実務型」という大きな枠組みの路線は変えていない。
麻生幹事長起用と派閥均衡人事
まず改造ポイントの一つには、前回の総裁選で福田総理と戦ったライバルであり、福田後の最有力候補といった緊張関係にある麻生太郎元外相を、挙党態勢のシンボルということで、幹事長に起用したことが挙げられる。
麻生を自由にしておけば、場合によっては福田降ろしに動きかねない存在だから、ここで取り込むことによって次の非常に難しい国会運営と解散総選挙について共同責任を負ってもらい、そうした動きも封じ込めるといった狙いは当然あった。
悪く言えば派閥均衡を保って、少しでも党内の挙党一致を崩すことはやりたくなかったという気持ちの現れだろう。
サプライズと逆サプライズ
意外だったのは町村官房長官の留任である。これは、挙党体制を考えた際に、福田の出身派閥の町村派の会長であり、もうひとりの町村派の実力者である中川秀直との間でもの凄い綱引きをしていることで、なかなか町村自身の地位を動かすのは難しかった。
しかし改造論の発端は、福田が女房役の官房長官となかなか合わない、意思疎通が十分に出来ていないということに加えて、自民党内からも政府与党一体の意思疎通が下手だと言って、町村官房長官に対する不満があちこちから噴き出していたことにある。だからこれは逆サプライズ人事と言っていい。
それから、女性の中山恭子参議院と野田聖子衆議院議員を内閣の特命大臣に器用したことは、国民受けは非常にいい。あえてサプライズといえばこの女性二人がサプライズ。
もうひとつは、やはり国民にどちらかというと「批判・評価」が相半ばで、閣僚の中では目立っていた桝添厚生労働大臣と増田寛也総務大臣を留任させたのは、彼らを内閣の目玉にしているからだろう。これが支持率アップに繋がるかどうかはまだ分からないが、女性閣僚らとあわせてその辺を期待しているように見える。
一方、町村官房長官に続くもうひとつの逆サプライズと言えば、渡辺金融・行政改革担当大臣を外したことだろう。やはりこれは霞ヶ関と自民党内からもの凄い批判があったから、福田総理の力量では庇いきれなかったのだろう。
ただ、新たに変わった茂木俊充金融・行政改革担当大臣も実務型のやり手。そういった意味では、これまでの路線はそのまま引き続くと見てよい。
上げ潮路線か財政再建路線か
二階俊博、谷垣禎一、伊吹文明といった党役員が、そのまま経済産業大臣、国土交通大臣、財務大臣といった主要閣僚にスライドし、茂木を金融・行革担当、与謝野馨を経済財政担当として起用した人事については、布陣だけ見ると、上げ潮路線か財政再建路線かは、まだハッキリしない。
これは一見、財政規律・再建路線に舵をきったように見えるけれども、どうも最近の周辺の議論を聞いていると、規律と成長の二兎を追うというようなかたちになってきているようだ。
秋の波乱に向けての隠れた死角
私が気になるのは、降ろした渡辺喜美元行革大臣は金融担当大臣でもあった。 この金融の部分で非常に重要だと思うのは、アメリカのサブプライムローンに端を発して、今や住宅公社までに火が付いて、ブッシュ政権は大わらわとなっていること。
一説によると手を早め早めに打ったことで山は超えたという楽観論もあるが、実はこれが圧倒的に事態は深刻で、もし仮に秋に何かの問題があってアメリカで変調が起こったら、米ドルへの信任を守るためにアメリカはなりふり構わず出てくる。
そうなると、物価高のラッシュが起きているところへモロに日本は衝撃波をかぶる。この時に日本はどのような形でアメリカに協力できるかということになれば、窓口である金融担当はこの問題を相当分かっている人でないといけない。これに関していえば、渡辺から茂木に替えたことには一抹の不安が残る。
あまり言われていないが、これが今回の内閣改造人事の秋の波乱に向けての隠れた死角だろう。相当重厚でベテランの経済関係閣僚をそろえたし、それを大分意識してやった布陣だとは思うが、ここが一番心配される。
今後の課題−公明との関係修復と国会召集
公明党とのギクシャク感を修復するための、改造に先立っての福田総理と公明党の太田代表との党首会談がなかなかセットされなかった。その後、正式に党首会談は実現したが、まだ詳細な内容は表にされていない。おそらく、新テロ特措法の扱い、解散総選挙の時期といった溝が深かった問題は先送りという形になったのだろう。
依然として新しい体制、とりわけ福田総理の考え方と公明党の支持団体である創価学会の間には、まだまだ相当な溝がある。これを次の国会召集までの間に修復が何処までできるかが次の正念場になる。
まずは次の臨時国会を、いつ開くかがポイントだ。
アフガニスタン拉致殺害事件の教訓 2008/8/30
心配された非政府組織(NGO)「ペシャワール会」メンバーの伊藤和也さんが拉致された遺体で発見された事件は残念な結果になった。
言われるようにもし犯行グループがタリバン色が非常に強い過激派組織だとすると、やはりアフガニスタン情勢の悪化、タリバン組織の復活を印象づける事件だということだろう。
そういう勢力というのは中東和平でもそうだし、中南米でもそうだが、政変あるいはテロというものには彼らは彼らなりの大義名分はあるかもしれないが、基本的に過激派というのは体制転覆が目的なので、和平が嫌いである。少しでも平和とか平穏な状況になってくると必ずそれをぶち壊しにやってくる。
だから、そういう治安の悪い国でのボランティア活動は、よほどその辺りを注意しておかないと、こういう惨事に巻き込まれる。中南米には誘拐、金儲けのためにこういった事件をおこすグループも沢山ある。
ペシャワール会代表である中村哲医師は、最近のアフガニスタンの治安情勢の悪化を憂慮していて、段階的に年内に一旦撤収することも考えていたようだが、残念ながらその予感があたってしまった。
今回の事件には日本人だけでなく、国際的にももの凄い強い怒りを憶えるが、同時にこういう活動はに非常に要注意という教訓でもある。
臨時国会開催、与党内の激しい綱引き 2008/9/1
いよいよ今月、解散総選挙も睨んでの臨時国会が9月12日から始まる。
8月1日に内閣改造を行った福田総理の頭の中には、8月中に国会を召集し、新テロ特措法は強行と言われても早々に仕上げ、自らの手で解散総選挙という構想を描いていた。これは新たに起用した麻生幹事長との間でも基本的な認識だったと思われる。
だが、それがなかなか決まらず、結局12日に召集し会期は70日間、11月20日までということになった。これは与党、自民党内もそうだが、とくに福田政府サイドと公明党の綱引が非常に激しくなった結果、妥協の産物で決まった日程だ。
今回の重要テーマには、アフガニスタン情勢を睨み、アメリカをはじめEU各国、NATO加盟国がアフガニスタンで地上に部隊を展開し、日本は地上には憲法上なかなか難しいということで、インド洋で洋上給油を行っている新テロ特措法の延長問題がある。
これが参議院で否決され、60日ルールに則って衆議院に戻して3分の2で仕上げるということになれば、今度の会期内では国会が始まって10日間で衆議院を法案を通過させ、60日間待って一気に可決させなければ成立しない。
だが、今のところ公明党はこの延長については慎重な姿勢で、仮に衆議院は自民党単独、過半数で衆議院を可決できても、60日後に参議院から戻ってきた際にはこの公明党が賛成しない場合には3分の2に達しないので、成立そのものが危うい。
これを考えればギリギリの日程だが、福田政権はどうしてもこれをやりたいと言って公明党を説得できたとしても、おそらく国会を延長しないとできないのではと思う。
国会を延長するとなると、会期末が11月20日だから、補正予算を仕上げたとしても、本予算の編成も行わなければならないし、その頃になると、政界はいよいよ年末解散か、それとも年始解散かということで、どちらにしろ選挙まで時間が無いといって浮き足立ってくる。
そして福田内閣の支持率の低迷がこのまま続くと、自民党内からだけでなく、とりわけ公明党内から福田では選挙が戦えないという声が挙る。
それで自民党総裁選をやってポスト福田の顔を決めて選挙に挑むかといえば、日程的にも時間的にも、もの凄い緊張する。今度の国会はそういった状況だろう。
麻生新政権、意外だった最初の要人事 2008/9/24
自民党の麻生太郎新総裁が国会で総理大臣として承認され、直ちに組閣した。
しかしその前に、政府の要である官房長官と党の要である幹事長の人事は意外だった。
これは自民党総裁選自体もそう見られていたのだが、今回の麻生政権誕生は総選挙向けのショー・アップ。麻生自身も総裁に就任した際に「これは天命で、その天命は民主党に総選挙で勝って、初めてこれを果たすことになる」というようなことを言っている。
だから現実的ではないにしろ、総裁選候補者を全員入閣させ、見え見えと言われても、一番分かりやすい売りとして小池百合子官房長官、石原伸晃幹事長というような感じの人選も、例えばの選択肢としてはあったかもしれない。
そこまで露骨ではなくても、自民党はそのぐらい追いつめられて崖っぷちに立っているのだから、ひょっとしたらそれに匹敵するようなサプライズ的な人事もあるかとも思っていた。
ところが麻生は、新官房長官に河村建夫元文科相、新幹事長に細田博之幹事長代理といった超地味とも言える2人を選んだ。
何でそうなったのかを考えてみると、確かに麻生は河村も細田も個人的に親しいし、信頼もしている。
細田は「選挙の神様」とか「選挙博士」などと言われるぐらい選挙事情と選挙実務に詳しいが、学者肌のところがあって少し論理的過ぎるので陣頭指揮を執るというタイプではない。河村も非常に人柄も良いし、手堅い。
この河村は、実は私の大学の同年同期生。政界内の同期には小泉純一郎、小沢一郎、浜四津敏子といった派手な人が多いなか、彼は地味な存在で、河村は私に「同期は誰だと聞かれた時は、私の名前を忘れないで…」といつも言われていたぐらいである。
そういったことを考えると、自らを「キャラが立つ」と言う麻生にしてみれば、選挙の顔は自分でいいから、その自分を更に引き立てるような人を女房役、補佐役として人選したのだろう。
それから、その麻生について言えば、べらんめえ口調でガサツのように見えるのだが、実は人間関係にはもの凄いきめ細やかな一面を持っている。
先輩には特にそういう一面があって、今回はこの幹事長人事でまず森喜朗元総理に幹事長を打診したと言われているが、これは事実だと思う。
しかし実際はあくまでも森の立場を考えて顔を立てるといった昔風の政界のセレモニーに近いもの。つまり、断られることは承知の上で、同じ派閥の細田幹事長代理をくださいといった駆け引きだったのだろう。
それからもうひとつ、保守派内では肌合いは比較的右寄りで、タカ派のように見られる麻生が、なぜ左寄りの河野派にいたのかとよく言われる。
これは実は麻生の隠れた人脈に、自民党の伝統的な文教族というのがあって、そのリーダーが河野であり、あるいは森である。そして、新官房長官に選んだ河村も、まさに文教族である。
今回の人事は、やはり安倍内閣と同じで、仲良しで固めたのだろうと思う。
ただ、安倍の場合は人間的な本当の仲良し繋がりだったが、麻生新内閣にはそういう文教族といったような、古くからの付き合いのある政策的な仲間が多い。
そんな特色が今度の組閣人事から窺える。
自民反転攻勢への仮説と、中山発言のお粗末 2008/9/30
中山成彬元国交相の失言3連発による辞任が記憶に新しい。大分県の教育委員会の問題については「何かといえば日教組だ。日教組の子供は成績が悪くても先生になれる」、これまでの成田空港建設の反対闘争については「ごね得というか、戦後教育が悪かった」、そして外国人観光客の誘致については「日本はずいぶん内向きな単一民族だ」といったものだったが、これでは失言というよりもむしろ確信犯的な”暴言”だろう。
中山は発言後、堂本暁子千葉県知事、アイヌのウタリ協会理事長の双方に直接謝罪せざるをえなくなり、発言を撤回し謝罪した。しかしこれは撤回や謝罪で済むような問題の話ではなく、それ以前に時代認識、歴史認識自体さえ誤認で間違っている。
後になって中山が言った日教組潰し、小泉流にいえば「日教組をぶっ壊せ」といった運動の先頭に立つつもりというのは、単なる一政治家としてなら個人としてどんなイデオロギーを持っていようが別にいい。だが中山は国土交通大臣だったわけで、これを文部科学大臣が言ったということならば日教組と対立してもの凄いことになったのだろうが、そもそも所管が全然違うわけで一体何を勘違いしているのか。百歩譲って政治家としてはそう言うことがあっても、少なくとも閣僚になる資質ではない。
麻生総理は、いわゆるスキャンダル的なお金に絡む身体検査ではなく、中山がそういう考えをいかにも言い出しそうな人間で、閣僚にふさわしいかどうかはある程度予測できたはずだから、この点における任命責任は大きい。
ところで、なぜ中山は暴言を繰り返したのか。あえてこれを言うならば、崖っぷちに追いつめられた土壇場自民党にとって、仮説として唯一反転攻勢に出れる場合があるとすればと言われていたものがある。
これは1つには社会保険庁の年金問題での様々な不祥事で、背景にあるとされる自治労の中でも最も戦闘的な組合を元凶だと受け取る人が政界内、とりわけ自民党内には多いこと。そしてもう1つには大分での教員採用の不正事件があれだけ大きく表面化したが、これは今まではあまり表で言われてこなかったことだが、やはり日教組推薦というものにも組合が絡んでいることにある。
民主党を支持している連合のなかでも、非常に地盤が固く選挙運動で力を発揮するのが日教組と自治労だから、自民党は何かのきっかけで社保庁批判と大分県教育委員会批判をやるときに、同時に日教組批判と自治労批判をやるはずだった。
だからひょっとすると中山はそれを先取りしたつもりかもしれないが、勘違いもいいところで、その結果むしろ自分の首を絞めただけでなく、そんな判断もできないお粗末な話ということになった。
これが小泉の突然の引退表明と合わせて、麻生の解散総選挙の時期を揺らしている原因のひとつとなっている。
麻生政権「進むも地獄、退くも地獄」の日程調整 2008/10/2
自民党総裁選で圧勝したとはいえ、麻生内閣ぐらい慌ただしい政権発足はない。安倍に続いて福田と2年連続の突然の総理辞任という異常事態のなかで、総理大臣になってすぐにニューヨークでの国連総会に出席。帰国後にはすぐに所信表明を控えるというバタバタのなかに、中山成彬国交相の失言・暴言と辞任、米金融不安の問題などが重なり、これでは”前途多難”どころの話ではない。
その国連総会は麻生のスピーチ時に通訳の機械が壊れたことと、演説後に記者団から集団自衛権について聞かれた”ぶら下がり”会見のことのほうが大きく伝えられ、肝心のスピーチの内容はほとんど報じられなかった。麻生がスピーチで明るく強い国づくりと述べたように、選挙管理内閣として総選挙を控えている麻生政権は当面景気対策といった現実路線でやらざるをえない。
解散・総選挙については、9月29日に米下院で否決された金融安定化法案の国内への影響を懸念する声の高まりもあって、当初我々が考えていた10月3日解散、11月2日選挙という日程はずれ込むことになった。
仮に早期解散・総選挙になっていれば、麻生はもしそこで負ければ、東久邇宮内閣よりも短い戦後最短の内閣になる可能性があった。麻生としてそれだけは嫌だという気持ちと、なんとか補正予算だけでも仕上げて総選挙に挑み、民主党の小沢党首との直接対決にも自信を持っていた。
ところが先週、中山元国交相の問題が出た。こうなると選挙を早くやらずに日を置けば置くほどボロが出るという恐怖心と、一方ではこれじゃあとてもじゃないが惨敗で選挙にならないから補正予算を上げて、そして麻生小沢対決もやって反転攻勢のきっかけが掴めたところで解散する冷却期間を置くべきだという両論で、ここのところの自民党内の意見は真っ二つに割れていた。どちらにしろこの解散・総選挙の決断は、麻生にとっては一か八かで、非常に難しいものになる。
だがどちらに転んでも、このサイトの高野さんも言っていたことだが「進むも地獄、退くも地獄」で、冷たく言ってしまえば大差はない。
それから、何と言っても既に公明党が早期解散・総選挙の路線で走っていて、福田元総理辞任の理由のひとつが公明党のプレッシャーだったから、今後の解散・総選挙の日程を考える上で、これも大きなファクターになる。
解散・総選挙の行方 2008/10/24
いよいよ解散総選挙の時期だが、麻生首相がアメリカ発の金融危機からの世界同時株安、そしてこのままだと同時不況に陥って本当に1929年の世界恐慌前夜のような非常に深刻な状況で、これも単なる金融危機からの不況というだけではなく、実体経済、実物経済にモロに影響が出てくるということで、そういう時に政治空白になるような選挙をやっていられるだろうかといって、まずは補正予算を通して新しい総合経済政策を示すために、選挙を先送りさせた。
もちろん先送りの理由はそれだけではない。当初予定していたように自民党総裁選を盛り上げ、その勢いで支持率のご祝儀相場が高い時に解散総選挙に踏み切るという気持ちが麻生にはあった。意図せざるかどうかは別にして、10月10日発売の文藝春秋で国会冒頭の解散を示唆したのもそのつもりだったからだろう。
10月10日発売というのは早ければ9月25〜26日の執筆で、その後訂正できるとしてもぎりぎり28〜29日、麻生とっては総裁選最終場面から所信表明演説までの間のこと。だから総裁選の勢いをもって、当初言われていたように代表質問が終わったタイミングで、民主党の小沢代表に挑発的にぶつけてその回答を得て、補正も出してから解散ということを考えていた。
だが、ご祝儀相場もなければ自民党に思ったような勢いもなかったということで逡巡した。そこに自民党独自の調査で過半数取れないどころではなく惨敗という非常に厳しい数字が示され、とくに選挙に弱い若手から悲鳴が上がった。その後、体制を立て直してもやはり流れは変えられないということで、10月末解散、11月末投開票という日程で官邸も自民党も動き出した。
そこへ10月20日付けの毎日新聞が世論調査をやったところ45%だった支持率が、1ヶ月たたずに9ポイントマイナスの36%の支持率となった。この支持率の急落ぶりは尋常ではなく、これは麻生にとっても政府与党にとってもショックで、これで本当に選挙に突っ込んでしまっていいのかとなった。しかも選挙をやっていいという材料となっていた、ひと月前には1年ぶりに民主党の支持率を抜いた自民党の支持率も、また逆転してしまった。これは自民党にとっては相当のショックだった。
自民党にとって残った唯一が小沢との対比で、これまでどの新聞、どのテレビの世論調査でもどちらが総理にふさわしいかという質問に対しては、麻生は小沢にずっとダブルスコアをつけていた。今度もダブルではないが小沢が伸びていない。
そうなると麻生としてはますます党首討論とかいろんな形で直接対決の場面をいくつか演出した上でやりたいという気持ちが大きい。だから、一度10月22日の党首討論は民主党が拒否して先延ばしになったので、一週間遅らせて10月29日にどうだというので話し合いが続いているが、これが実現するかがひとつの次の鍵となる。
民主党は新テロ特措法、別名インド洋での給油継続法案に対してこれを民主党が方針を転換して補正予算賛成、それから金融機能強化法も賛成へと方針を大転換して早期解散の環境作りをした。そしてその一環で、まさかと思っていたテロ特措法も採決していいという柔軟姿勢に転じた。
これに対して自民党は衆議院では圧倒的多数で通し、参議院で野党の反対で否決、そこで衆議院に戻して3分の2という多数で再議決でひっくり返すというシナリオになった。これまで反対していた公明党も、そこまで民主党が柔軟ならば3分の2もやむなしということで方針を転換した。だから自民党は民主党と公明党が方針を変えたことで、解散の環境は整ったということになった。
一方、民主党の独自調査では、言われているように東京、千葉、神奈川、大阪、兵庫といった大都市圏が弱い。それで小沢から言わせると大都市圏の候補者はみな風便りで、足腰を鍛えていないからダメだというように、今後は言われるように国替えをして東京1区から出るのか、神奈川1区から出るのか、あるいは東京比例名簿第一位とするのか、どちらにしても大都市圏勝負のシンボルとして出るかどうかにも注目が集まる。
追悼 筑紫哲也さん 2008/11/13
筑紫哲也さんが肺癌の闘病中に亡くなられた。入ってくる情報は持ち直したとか、やはり難しいといったものだったので一喜一憂していたが、残念だと思うのが率直なところだ。我々にとっては非常に大事な学ぶべきことの多い世代であり、先輩だった。
あるインタビューで田原総一朗さんが、これでひとつの時代が終わったような感じを持ったと話された。田原さんと筑紫さんはほぼ同年であり我々の世代より十年先輩。そしてこの世代の特徴としてお二人には通底するものがあった。
終戦の時に10歳ちょっとだった昭和8年、9年、10年生まれというのは独特な体験を持つ。終戦によって昨日まで先生から教わっていたことが、教科書とともに変わってしまった。新しい教科書が間に合わない場合には、先生から墨でこの部分は消しなさい、この内容は間違いだから今後は使ってはいけませんと言われた体験である。だから基本的には世の中の当たり前、常識とされることは疑ってかかれということを強烈に植えつけられている世代なのである。
これは逆に言えば常に疑問を持ちながら、騙されない、簡単に流れに流されないといったことに繋がった。筑紫さんの場合、嫌う人とか批判する人はその理由にリベラル過ぎる、或いは左翼であるというようなことを挙げる。だが私の知る限り、この世代は経験から懐疑的でありバランス感覚にも優れている。だから極端な右も極端な左も嫌いで、そのなかでどちらかといえば戦争への流れを考えると、右側の勇ましい系、そしてナショナリズムが人を動かした時には、ある線を超すともうそれは止められなくなる恐怖がある。
そういう意味でやっかいなのは左よりは右であり、とくに平和とか戦争について経験的に彼らは持っている。だから非常に貴重な世代であり、その世代のジャーナリストが段々といなくなっていくのは残念だが、こればかりは年齢による経験だからしょうがない。
筑紫さんは新聞から雑誌編集長、テレビ、ラジオといったメディアを経験し、テレビに何とかジャーナリズムを根付かせようと執念をもった人だった。
最後までこだわった「多事争論」は、新聞でいえばコラムであり社説でもあった。最初はテレビには絶対になじまないだろうと言われたものだったが、ずっとそれを貫いた。テレビにもジャーナリズムが必要だ、影響力の大きさを考えるとなおさらそうであるべきという執念を持っていたからだろう。だから、キャスターを辞め闘病生活に入っても、今度はウェブ上でこの「多事総論」は続けていたわけだから、なかなかできることではない。
筑紫さんの特徴をいくつか言うと、ひとつは政治経済、外交といったいわゆる「硬派」と言われる分野である政治記者の出身ということ。しかし新聞で言えば社会面や文化などの「軟派」と言われる部分にも非常に豊かな人だった。映画大好き人間で、音楽や演劇、オペラ、歌舞伎という分野にも造詣が深く、番組にもこれをできるだけ生かそうとしていた。
一時、「筑紫哲也のNews23」は2時間番組だった。後半の深夜0時以降に得意のこういった「軟派」のものを盛り込んだ。ところが深夜というものもあってか数字は伸びなかった。結局後半の一時間は打ち切られ、23時からの1時間番組になってしまった。
ジャーナリズムをテレビに根付かせたいということと同時に、そういう「軟派」の世界をテレビの影響力の中で語っていきたいという先見の明をもっていた筑紫さんにとって、これは難しい決断の時だったのではないだろうか。
今の日本社会はこういった「軟派」ものが少なすぎて偏っていることに危機感を抱いていた。何れはこういったソフトパワーが盛り返してくるだろうと思っていた筑紫さんにはやはり先見の明があったということだと私は思う。
有名なエピソードでは、追求していた坂本堤弁護士インタビューのビデオをオウム真理教教団幹部に前もって見せて殺害された事件で、番組キャスターとして「TBSは今日をもって死にました」といったようなものがあった。これはまさに報道機関・ジャーナリストとして、やっていいこと悪いことの線引きも無いのか、命にかかわることいった想像力すらないのかということが言いたかったのだろう。
加えて言えばテレビには新聞と違って、作っている現場の全体を統一している部長、編集長というのがいないから責任の所在が明確でない。それどころか場合によっては番組そのものがプロダクションに丸投げという状況がある中で、あの指摘はテレビの組織論の問題でもあった。
筑紫さんがこだわり続けたもうひとつが沖縄だった。沖縄から日本を考える、沖縄から戦前戦後を考える、そして沖縄からアメリカとの関係、アジアとの関係を考える。非常に重要なことを考えるとき、ついつい忘れがちな沖縄を忘れるなということが筑紫さんにはあった。
私も番組のコメンテーターとして、そして選挙などの節目ではよくご一緒するだけでなく、スローライフや大阪の「花と緑の博覧会」(1990年)に共同で展示出品をしたりと、付き合いの長い先輩で、残念な人を亡くしたと思う。
ご冥福を心からお祈りします。
麻生の逡巡、戻った激突「ねじれ国会」 2008/11/1
政界当面の課題だった解散・総選挙の政治日程が揺れ動いた。言われていた10月30日解散、11月18日公示、11月30日投開票という日程は無くなり、早くても1月通常国会冒頭に解散、2月総選挙という可能性が強いといった見方が急速に支配的になっている。
解散・総選挙の時期ついて、麻生総理は自ら10月10日発売の月刊『文芸春秋』に多岐に渡る長文の論文を書いていて、その中でも非常に眼を引いたのが冒頭の解散についてのものだった。これは当時言われていた10月3日に代表質問が終わった時点で補正予算を提出してから解散し、11月2日、場合によっては10月26日に投開票に踏み切るという予測をさせた。
自民党と公明党の選挙対策関係のトップの合意という裏づけもあり、当時幹事長だった麻生新総理の意向も当然含まれているだろうといって、新聞各社が一斉にこの日程で走ったのも記憶に新しい。ある新聞などは一面トップで10月26日投開票と打ったほどだった。
麻生がそういう決意を持っていたのは事実である。これについては前回も書いたが、この文春の原稿執筆の締め切り日と訂正のタイミングは自民党総裁選挙中にあたる。だから麻生はもう当選は織り込み済みで書いた原稿だったということになる。
これはその後の所信表明演説を見ても明らかだ。所信表明というよりは代表質問、それも小沢民主党党首に対して質問するといった非常に異例中の異例の演説が示したように、明らかに冒頭解散を狙っていた。
しかし就任直後の世論調査の支持率にはご祝儀相場もなく、ましてや安倍後の福田より10ポイントも低い結果が出るとは麻生は考えてもいなかった。加えて自民党独自の世論調査で今のままでは惨敗という非常に厳しい予測が出たことで、冒頭解散は大きくつまづいた。
そこで同時に日本経済が後退局面に入り、アメリカ発の金融危機の問題が降りかかってきた。当初、日本政府はこれに対しては余裕を持っていた。10月10日にG7首脳会議、財務相・中央銀行総裁会議が行なわれ、中川経済金融担当相が日本のこれまでの経験を生かしたメモを作って各国に配布し、日本の成功、失敗の経験、とりわけ資本注入の際の段取り、経営責任、情報公開、金融機関の資産の査定の厳格化などが伴わないと実効性がないという点を指摘したほどである。
また、11月4日の米大統領選終了後、再度G 7首脳会議を開こうという呼びかけが行なわれたが、これに対して麻生は、こういう状況になったらG7だけでは駄目で、やはり新興国を全部入れ、たとえば洞爺湖サミットの時のG22のような会議にすべきではないかと逆提案もした。
このような状況の下、麻生は次の日程として10月末解散、11月18日公示、11月30日投開票をやるつもりだった。今回の金融危機は日本の責任ではなくアメリカ発の世界同時株安であり同時不況、それも世界恐慌前夜といわれるような100年に一回あるか無いかと多くが言っている。だからむしろ経営者としての経験がある麻生にとって、これは場合によってはフォローの風が吹き、この状況で舵取りをやれるのは果たして誰か、そしてどの政党が適しているのかといって戦おうと思っていた。
ところが危機の深刻さは同時株安だけでなく、急激な円高に襲われた輸出企業の輸出が停滞し、実体経済がモロに悪化し始めていることが段々と分かってきた。さらにもう1つ分かったのが、日本の中央銀行もよほどの資本増強をしなければダメだが、地方銀行、信用金庫・信用組合といった地方企業への経済対策の中心となるべき部分の金融機関が傷んでしまったことだった。
中央のメガバンクは資本増強で乗り切れても、地方の金融機関はこれができない。つまり公的資金を注入せざるをえない緊急性が出てきたのである。そして、こういったことをきちんとやらなければいけない時期に解散・総選挙がやれるのか、政治空白を作れるのかという圧力が段々と強くなった。
それならば第二次補正まで仕上げて本予算へつなげ、定額減税だけではなく、住宅減税や証券優遇税制などについても延長するといったような、一連の緊急対策のための税制改正の対策を打ち出したほうが状況を打開するには有利じゃないかという意見が総理周辺で強くなった。だから麻生は相当逡巡し、解散・総選挙の時期については二度決断し、これを二度翻意したというのが実体であり真相なのだろう。
これにより野党・民主党の対応は、インドでの洋給油活動延長のための新テロ対策特別措置法、地域金融機関などへの公的資金の資本注入を可能にする金融機能強化法、そして第二次補正の扱いといったものについて、解散に応じないのなら退陣に追い込むといって強行姿勢に転じざるをえなくなった。
選挙があろうとなかろうと政権与党にとっては参議院の過半数割れという状況は続く。だから来年まで持ち越しても通常国会を乗り切るのが難しいことに変わりはない。
凄まじい政局の予感‐大連立か、それとも政界再編か? 2008/12/14
求心力の低下した麻生政権だが、先週8日付の新聞各紙による支持率調査では、毎日新聞と読売新聞が共に21%、朝日新聞が22%だった。発足からわずか3カ月足らずで一気に20%台前半へと急落したことになるが、この数字は政権末期の数字である。過去のジンクスから言えば20%を切ると政権は持ちこたえて最大半年だが、このままだと恐らく年内にこのラインを切る。そうなると「つるべ落とし」のようにどんどん落ちて行くから、麻生政権はもう持たないだろう。
この麻生政権、その誕生を振り返れば、その前の福田政権、安部政権と、2代連続しての途中での政権を投げ出しがあった。これを受け、次の総選挙の顔を選ぶ最後の自民党総裁選だと言って総理大臣に担がれたのが麻生総理の誕生だった。だが、その麻生が3か月でこういうことになり、再度どこかの段階で総裁選をやってまた顔を変えようということは、もう考えられない事態である。
この状況を客観的に言うと、もはや自民党は政権担当能力を失い、政権政党としての実力を失ってしまったという厳然たる事実がある。
10年ほど前、拙著「大転換・瓦解へのシナリオ」の前段でも書いたことだが、戦後政治の役割であった「保守」と「革新」といった社会党との対立構図が完全に崩れ、この時点で55年体制も自民党も歴史的役割を終えていた。
その後、新しい枠組みがなかなか生まれないなかで、連立と小泉純一郎の登場が自民党を延命してしまった。これは確かに延命装置となったが、結局自民党の実力は変わっていないどころか、2世議員の問題や派閥の弱体化といった背景があって、むしろこの10年間で衰退した。
だがそうかといって国民が自民党にとって代わって、直ちに小沢民主党に政権を渡せばいいと考えているかといえば、世論調査を見る限りまだ民主党を応援する声にそこまでの勢いはない。
先日の支持率調査の他の項目の数字を見ていて面白いと思うのが、自民党単独政権、あるいは民主党単独政権というのは毎日新聞と日経新聞で見るとどちらも一割もない一方で、逆に一番多いのが自公と民主との大連立ということだろう。毎日で30%強、日経で50%に近い数字になっていた。
そしてこの数字の表れは、恐らく100年に一回とも言われるような未曽有の金融経済危機を、どうやって封じ込めるかという状況で、与野党が争っているよりもその危機管理を一体でやってほしいといった要望も要因のひとつだろうと思う。だが、実際の政治状況はズブズブだから、やはり早く選挙をやって国民の信を問えといった先行きの読めない事態にいよいよ陥ってきているのも事実である。
さて、麻生政権だが、党内からはこのままでは通常国会はとても乗り切れない、まして選挙となればとても戦えないという声が出てきていて、場合によっては年末年始にかけて麻生の政権投げ出しもあり得るのではないかと思っている。
もしそうなっても総裁選を再度やるような余裕はないだろう。国外の目もあるし、そのための時間もないからだ。だから誰かにバトンタッチし短期暫定政権として選挙までをやらせるしかない。その場合には与謝野経済財政担当大臣でと名前が挙がっているほどである。
そして、いよいよ自民党が行き詰って暫定政権ぐらいのことではとても乗り切れないという判断になれば、一部で言われているように、アメリカがオバマで黒人初の大統領ということなら日本は初の女性総理で行こうということで、場合によっては小池百合子とか野田聖子、もしくは小池・野田連合政権でやろうということも考えられる。これは森政権後の小泉政権を作ったようなハプニング的な勢いで選挙をやってしまおうという考え方である。
こういった自民党の話がある一方で、民主党側からは小沢代表が漏らしたとされる大連立・選挙管理内閣という話も出た。これは第一党の自民党と第二党の民主党が一緒に組んで内閣を作り、危機対応をした上で解散・総選挙をしたらいいではないかといった話である。現実問題として考えれば、国民としては自公と民主が大連立政権を組んだ後に、そのどちらかにあった政党をまた選挙で選ぶとなれば、選挙管理内閣と言われても悩むだろうから、選挙を控えた状況で果たしてそんなことができるのかとも思う。だが理論的にはあり得る選択肢と言える。
さらに言えば、それより先に自民党を脱党して新規政権を作るための動きや、公明党が連立を離れてしまうというような事態もあり得るだろう。
いよいよ年明けからは、何が起きてもおかしくない凄まじい政局になってくる。
筑紫哲也さんの追悼会 2008/12/20
昨日12月19日、筑紫哲也さんの追悼会が都内のホテルで開かれた。午前はTBSを中心とした関係者、午後は一般の方々と2回に分けられているとのことなので、私も関係者ということで11時からの会に参加した。
筑紫さんのジャンルの広さ、交友の広さを本当に示すように、あらゆる分野の方々テレビ・新聞といったマスコミ各社から、政財界はもちろん、評論家、音楽家、演劇界、スポーツ界の関係者と、本当に各界各層から集っていて大変な人だったということを改めて感じさせる、筑紫さんらしい追悼会だった。
特徴的だったのは「多事争論」のコーナーが設けられていたことで、ニュース23の番組コーナーでは、これまで毎回毛筆で書かれてきた実際の“テーマ書き”を壁一面に張っていて、動画もいくつかピックアップされていたし、ニュース23の番組映像そのものもずっと流れていた。とくに今年に入ってから3回あった闘病中の番組出演の映像は非常にリアルで、まだ筑紫さんがすぐ目の前にいるような、そんな会場づくりに何人かの方は、本当に涙を流して泣いていた。
私がとくに房子夫人に申し上げたのが、私が昨年大腸癌の手術で入院した時のことで、もの凄く懇切丁寧な闘病アドバイスも含めた激励の手紙を頂いていた。改めてそのことのお礼を申し上げたのだが、夫人からは筑紫さんが「テレビで見る限り、岸井君元気そうだな!」と言って私のことを羨ましがっていたことを伺った。そこで口の悪い評論家が「昔から言うじゃないですか、いい人は早く亡くなるんですよ。悪いやつだけが残るんですよ」と横から言ったので、私は笑うしかなかった。
会場には思い出を書く記帳用の冊子が置いてあって、それぞれ思い思いのことを書いていたが、私の場合を思い返してみると実は付き合いがとても古い。
最初の出会いはまだ佐藤内閣末期の頃だから、35年以上前。まだ筑紫さんが朝日新聞の記者から「朝日ジャーナル」の編集長になられる前で、テレビ朝日で「こちらデスク」といういろんなニュースを取り上げる番組で、今で言うとキャスターのようなことをやられていた。その時に一緒に出られていたのが今の民放連会長でテレ朝会長の広瀬さんとか、私の旧知の朝日の尊敬する先輩で、その方から紹介されたのが最初だった。
そして私の場合、もっと関係が深くなったきっかけが山中貞則という鹿児島出身の代議士が始めた勉強会だった。山中さんは筑紫さんがやられていた沖縄問題と、私がやっていた環境・公害問題の両方を担当した人だった。その勉強会には若手のような役人も参加していて、末席に私もいたが、筑紫さんはそこでの兄貴分的な存在だった。
思い返せば、筑紫さんは生涯、沖縄問題に関心を持ち続けてやられていた。沖縄返還前の当時に駐在して仕事をした新聞記者は外国だから、「特派員」という肩書だったが、朝日新聞最後のその特派員が筑紫さんだった。
評論とかジャーナリストという世界のことを筑紫さん流に言うと、こういった世界には「行き先を示す羅針盤」と「危険を探知するセンサー」というものがあって、その機能が大事だということだった。そのためには一方的な思い込みは駄目、できるだけ幅広く見て偏らず多様な意見を尊重する。世の中が多数意見でドッと流れるような時は立ち止まってみて、疑わなければいけない。これが筑紫さん独特のバランス感覚だった。そして、その羅針盤の役割とセンサーの役割を合わせ持つ人は非常に少ないから、これがとても大事なんだということをよく言われていた。
まさに筑紫さん自身がそういう存在だったわけで、いろんな面で教えられることも多い、非常に得難い先輩だった。新聞記者から雑誌の編集をやり、テレビの世界でキャスターとなり、そしてテレビの世界にジャーナリズムを持ち込んだパイオニア。
その象徴が「多事争論」コーナーで、詳しい経緯ははっきりと憶えていないが、最初は周囲からそういうものはテレビには馴染まないからと反対されたという。筑紫さんはそれでもどうしてもやりたいし、それが条件だと言ってコラム的にこのコーナーを持ち込んだ。
強い好奇心をお持ちなだけでなく、そういったパイオニア的な草分けでもあったんだと、改めて思い出しながら行った追悼会だった。 
2009/1-7
オバマ新大統領就任と「宇宙船地球号」 2009/1/25
1月20日、バラク・オバマ大統領が誕生した。44代目で初の黒人出身の大統領ということで時代の変化、歴史の変わり目を印象づける就任式となった。その冷静で淡々とした演説ぶりは見ている人達を「おやっ?」と思わせたが、毎日新聞が解説で「高揚感から現実直視へ」としたように、これまでの大統領選挙の最中、そして勝利宣言の時のように国民に期待を持たせるような高揚感を遮断した。
有名になった「YES, WE CAN!」と「CHANGE」をほとんど使わなかったのはオバマ流に考え抜いた演出で「もう宴は終わった、戦いは終わった、これからは一致団結して現実を直視してこの困難に立ち向かわなければならない。政府も頑張るが国民も頑張らなければならない」という基本姿勢を貫いたもの。
「CHANGE」という言葉には“変われ”という積極的な意味があるが、オバマ大統領が演説で意味した「CHANGE」は“変化”そのもので、世界もアメリカも大きく変わって、地殻変動が起きたということである。だからブッシュからオバマへ、共和党から民主党へというような意味ではない。「CHALLENGE」もこれまでは“積極的に挑む”という意味合いで使われていたが、この演説が指す「CHALLENGE」は“試練”そのもので、世界もアメリカも非常に厳しい試練を突き付けられたという意味で、どちらも使い方は全く違っていた。現実を直視しようという非常に冷めた呼びかけだった。
演説では直面する大変な経済危機、緊急危機についても具体案は一切なかった。事前に閣僚人事や、日本の国家予算に匹敵する80兆円近い財政出動、景気対策を既に表明しているので織り込み済みということかもしれないが、全体的なトーンの低さにはニューヨーク市場も戸惑い株価も下がった。
だがあえて言えば今回のオバマの姿勢はもの凄く大事なことである。浮かれてどうなるものでもないし、高揚感と勢いでどうにかなるものでもない。だから国民に冷静さとそれぞれの役割、全体を通じて特にアメリカ建国以来の良き時代の精神的な勤勉、誠実さ、謙虚さ、そしてお互いに助け合う自己犠牲といったものを求めたのだろう。
前に彼の自伝を読んで感じていたのだが、オバマは非常に繊細で、色んな所に気配りしながら言っていることは現実的で、その表現方法は“詩的”。選挙戦を通じて雄弁家として知られているが、彼の本質は案外“詩人”なのじゃないかと思う。
オバマの出自は人種、民族から言えば黒人の血が流れているだけでなく、ケニアからの留学生の血で母方は白人、母方の祖父はイングランドとスコットランドの血だが、祖母はネイティブ・アメリカン、つまりインディアン。そして母親が離婚し再婚した相手はインドネシア人で、イスラム教の濃いインドネシアで育ち、その上にハワイという人種・民族のるつぼのような所で過ごした経験を持つ。
今回の演説でもオバマはやはり詩的だと感じたものに「我々は何者か」という問いかけがあった。「人類はどこから来てどこへ行くんだ、私は誰だというのを、今日は刻み込む日です」と言ったのは、これまでに色んな経験を積んできて、自分の出自、置かれた立場と戸惑い、そして民族、人種という問題を表した哲学的なものだったと思う。そしてこれは今まさにアメリカが置かれている状況をも示す。
だから歴史の中の1ページ、自分がそこに立って、大統領として宣誓をするという、その意味づけをもの凄く考えた演説になった。
リンカーンに非常に拘ったというところにもそれが現れていた。黒人の奴隷解放宣言から1世紀半、同じイリノイ出身の大統領、列車でのワシントン入り、そして宣誓時に手を置く聖書も、リンカーンが使った聖書をわざわざ使ってやった。
演説は終始低いトーンだったが、それでもメッセージ、キーワードは「希望」だった。この就任式でのミシェル大統領夫人の服装は黄緑のスーツだったが、黄色は“希望の色”だという。演説に「今日あらゆる人種がここに会し、私が今ここで皆さんの前に立つことができたのか。我々は“希望”を選択した」というオバマと、その傍らの婦人の黄色は印象的だった。
そんなオバマ大統領だが、いよいよこれからが本番。まず経済政策では景気対策と金融の安定が求められる。オバマのイリノイ州シカゴは自動車のメッカ、デトロイトも近いが、これをどうするか。国民の中でも民主共和の垣根を超えてどこまで公的資金を使っていいのか、今、まさにどこの国の議論にもあることだが、そういう問題にぶつかる。
軍事面ではイラクからは速やかに撤退し、アフガニスタンの安定と平和のために軍隊を増強する予定である。演説で唯一ブッシュ前大統領が立ち上がって喜んだのは「we will defeat you」(我々は必ずあなた方を倒す)と敵に呼びかけた時だった。今後のやり方はこれまでとは色々と違うだろうが、やはり力の強いアメリカを誇示した。そしてどこで盛り上がるか戸惑っていた聴衆も、ここで喝采した。
この就任演説だが、なぜ前夜までとガラッと雰囲気を変えてトーンを抑え続けたかのもう一つの理由として、国民の期待値が高いこと、そしてその反動が強いことも計算したのではないかと思う。演説はこういったところが印象的だった。
さて、新政権の顔ぶれだが、ヒラリー・クリントン氏を国務長官に迎えて、ガイドナー氏を財務長官に起用予定とし、国防長官にはブッシュ政権のゲイツ長官を留任させた。その他にも非常に超党派で、人種・民族もあらゆる人種から、もの凄くバラエティーに富んだ人材を起用している。これはオバマ大統領の一貫した人種・民族・国家・宗教・党派を超えて“融和”をしていく、力でなく話し合いで解決するという方針が明確に示された人事である。
オバマ新政権は世界の期待値も国民の期待値も高い。ちょっとしたことが失望に変わるし、その反動の大きさも心配だろう。就任から100日間は「新大統領と国民のハネムーン」と言われている。この間にどれだけ施政方針演説で経済・外交その他の具体的政策を示していけるか。そして国民にどれだけ理解を与え、国民がどれだけ政権を支持するかが勝負である。その判断材料となる国防報告についても、イラクとアフガンへの方針を明確に打ち出す。この辺りがしばらく注目される点となる。
対日関係については心配と期待の両方の声が聞こえてくるが、私は過大に期待することもないが、あまり悲観的になる必要もないと思う。ただし気をつけたいのは、アメリカ側から言われて何かをする受動的な姿勢ではなく、日本から今後のオバマ新政権に対してはどういった協力ができるのか、何ができないのかということを明確に分け、能動的に強力なメッセージを積極的に出していくことだ。そしてまた、オバマ大統領はそれを期待しているだろう。
駐日大使“確定”と言われるジョセフ・ナイ氏にしても、北朝鮮問題等も含めてアジア全体を担当したヒル国務次官補の後任、カート・キャンベル氏にしても、アジア外交政策の要所に知日派の人材が多い。私から見るとむしろ親日派で、その彼らが「待ちは駄目です、積極的に新しい政権に対して何ができますか」と言っているのである。とくにナイ氏は「スマート・パワー」を期待すると言った。
このアメリカの言う「スマート・パワー」とは、軍事力・経済力・政治力というような従来型の国家の力であるハード・パワーに、日本に協力を求めてくると予想される核軍縮や地球環境問題、温暖化などを克服するためのプログラムや技術などのソフト・パワーを組み合わせた有効なパワーのことである。これまでもそうだが知日派、親日派はちょっとしたことでアメリカ国内において「日本に甘い顔をしてはいけない。甘やかすとすぐ図に乗る」と批判されるから、ここは日本もの凄く気をつけなければいけないところだろう。
オバマは演説にブッシュ政権の8年について、どこかで忘れられ、どこかで間違って失われたアメリカの良さを、権力者や強欲資本主義として随所にちりばて触れながら、その良さをもう一度再構築すると言った。これは明らかにブッシュ政権への批判である。
ブッシュ政権が不幸と言えば不幸なのは、就任した1年目の年に9.11が起きたことだった。これにより強いアメリカを標榜せざるをえず、それで支持率が一気に上昇して最初の大統領選挙戦を戦った時の謙虚でひ弱なブッシュはなくなった。その後アメリカはアフガンに行き、イラクまで攻め入った。しかし大量破壊兵器も見つからず、フセイン政権とアルカイダとの関係も全く無かったことが事後に判明した。それを後になって「間違った情報に基づいた」という冗談にならないことをしてしまったのである。当然イラク戦争の大義名分は否定され、現地での泥沼状態に足を取られて批判も強まった。国民の厭戦気分が高まり、アメリカ国内だけでなく世界中からもアメリカの単独行動主義“ユニラテラル”に批判が燃え盛った。
そこへITとFT(金融工学)を駆使した監視の目の届かない訳のわからない把握の難しいサブプライム・ローンといったリスクを分散したはずのものに火がついて、結局世界全体を巻き込んで、まぎれもなく米国発の同時不況、同時株安へと陥れた。これは世界からの怨嗟の的となり、アメリカ国民からもなぜ強欲資本主義をチェックできなかったのか、むしろ政府がそれを助長したのではないかと批判を受けた。だから単純に言えばブッシュ政権の8年間というのはイラク戦争と最後の金融危機で完全にひっくり返された政権だったということだろう。
皮肉な見方で唯一のブッシュの功績と言えば、それによりオバマ大統領が誕生したということである。ここまでの状況にアメリカがならなければ、オバマ政権は誕生せず、大統領選挙は圧倒的にヒラリー・クリントンが強かっただろう。そのくらいアメリカは泥沼に入り込み、立ち直れるかが試されている。そして、これは大袈裟ではなく、いろんな意味でのアメリカも世界も文明の岐路に立たされている状態に入ったということでもある。
短期的に見れば、20世紀の覇権国家パックス・アメリカーナに見てとれる。東西冷戦が終わって実際はアメリカ経済も少しおかしくなったのだが、それでも唯一生き残った超大国がアメリカだった。当時を思い出すと欧州や中東はガタガタで、逆にアジアが台頭してきて、それこそ「21世紀はアジアの時代」と言われていたが、本当に中国や日本を中心としたアジアが世界の政治経済の責任を負えるのかという疑問符の付く、非常に混沌とした中にあった。
結局、新しい世界秩序をどうやって構築するかというポスト冷戦の最大のテーマについて、色々と問題はあるが、やはりアメリカの経済力、軍事力、政治力、これに頼るしかないというコンセンサスができた。そういう中でアメリカは21世紀、さらに覇権を握っていくために得意分野ということでITに特化することになった。
このITはまさに凄い革命で、軍事技術を民間に開放して、あのビル・ゲイツがマイクロソフトを立ち上げ、インターネットを普及させ、これが10年足らずで世界を席巻した。そしてそれに引きずられるようにアメリカの技術力も経済力も大きくなった。そこへウォール街とイギリスのシティとユダヤ資本という「金融のプロ」と言われる人達が、これまた高学歴、とくに理工学部の優秀な学生を全部金融界に集めて“IT+FT”でアメリカの覇権を握り続けようとした。それが結果として何ともとんでもない怪物を生み出し、そして弾けてしまった。こういった20世紀型の欧米主導の終わりの始まり、とくに唯一の超大国アメリカ主導の政治、軍事、経済、このシステムが崩壊過程に入ったということである。
長期的なもので考えなければいけないのは、近現代文明というものが20世紀だけではなく、大きな曲がり角に来ているということ。近現代というのは欧米主導でルネッサンスと宗教革命・改革、そして産業革命というあらゆるものが始まって、今日の近代文明を築いて来た。そこにイスラムとかアジアという軋轢も出てくるが、少なくともこれを貫いてきているものが何であるかと言えば、キリスト教倫理、絶対神の存在だろう。一神教の欧米型の世の中には“絶対”があるのである。アインシュタインの有名な言葉で「神はサイコロを振らない」、つまり神様は博打はやらない、世の中は秩序というものがある。そして、それを発見したり解明するのが科学技術なのだという考え方だ。そしてこれが今の科学技術の発展に対する強い信念となっている。
そしてもうひとつは経済で豊かになることが人の幸せだという考え方。だから、あくまでも豊かさを求めていく。つまり科学技術の発展と経済の発展が人類の幸せの両輪で、それを皆信じ、事実としてそれをやって進歩してきた。ところがここまで来て、科学技術の発展は本当か? 経済が豊になれば本当に幸せになれるのか? 実はどちらもちょっと違うんじゃないのか? となった。
日進月歩で開発される色んな兵器や原爆を出すまでもなく、最近話題になっているものだけでも対人地雷やクラスター爆弾がなど、益々人道的に残酷になってきているし、経済の方でも豊かさだけを追求してFTを発達させたら、100年に一度の金融危機という、とんでもないことが起きた。
地球環境問題は皆の意識が共有されるようになってきた。よく言う「宇宙船地球号」といったような宇宙規模で地球や人類を見よう、生態系を見ようという、そういう感覚を人類が持ったのは初めてだろう。
私はもっと古いのじゃないかと考えているが、人類が農耕牧畜を始めたのが一万年前と言われる。つまり一万年前に農耕牧畜のために森を切り開いた時点から森林破壊は始まった。その後、都市がどんどん豊かになっていくと、エネルギーもどんどん必要で、木を伐採しつづけた場所は砂漠化した。そして産業革命があって、化石燃料をどんどん燃やすことになった。だから森林が失われていくことと、化石燃料を燃やすことで排出されるCO2の両方が相俟って温暖化が進んでしまった。
これら全てのこのことに対して人類が疑念を持って、何が問題なんだという問いかけが生まれる。まさにオバマの問いかけではないが、哲学的、宗教的、詩人・詩的な考察が必要な“ポストモダン”の時代に入ってきたのかもしれない。今、我々は長く見れば一万年、直近でも500年以上の歴史的タームで考なければいけない転換期を迎えている。
"醜態政治"では許されない外交モメンタムと「戦後枠組」の転換期 209/2/22
中川昭一財務・金融担当大臣のローマ先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)での記者会見の醜態ぶりにはショックで呆れかえるだでなく、世界に日本の恥をさらすという本当に悲しいものだった。
マスコミも何で今頃言い出したんだと批判されてるが、中川は普段からどちらかというとアル中ぎみで酒癖が悪い。当初表向きに釈明したような、風邪薬や腰痛の鎮痛剤のせいかといえば、確かにアルコールと薬の相乗効果でおかしくなることはあるだろう。だが記者会見でのあの様子は薬の作用といった程度の低いものではなく、どう見ても泥酔だ。そうなると、飲ませた同行記者らの問題もあるし、そのまま会見させた財務省の責任は重い。もう無理だと判断がついたはずだから、体張ってでも止めなければいけなかった。
これだけでも日本の国益をもの凄く損ねたが、これに事態は止まらない。あれだけ言われている今の100年に一度の経済危機の状況下。だからこそ世界中が今回のG7がどういう方向性を導き出すのかと固唾を飲んで見守っていた。その時に経緯はどうであれ、その担当大臣がこういう醜態を演じたことは、日本という国自体に全く危機感がないということを表した。
中川辞任騒動も二転三転した。私から見れば職務を全うすることはもう無理なのに、中川本人にそのつもりはなく、麻生総理もこれを支持した。その後「衆議院で予算と関連法案が通過してから辞める」と言った。いくら野党が国会の予算審議を政策より「戦術優先」でやっているじゃないかと批判してみても、担当大臣がこんな国際的スキャンダルを演じていて、もはや担当能力が無いのは明らかなのに、その大臣相手に「審議をやれ」と主張するほうがおかしい。
結局、総理官邸も、野党が問責決議を出して、これはもう持たない、乗り切れないとなって、ようやくそのことに気付いて辞任した。
これはやはり麻生総理の判断の誤りで、本当ならば中川には「何をやっているんだ、自分の自己管理もできないのか」と怒り狂ってでも、直ちに更迭しなければいけなかった。
だから今回の騒動は、中川は自分の自己管理もできなかった、財務省は危機管理もできなかった、そしてその進退において官邸は危機管理すらできなかったということだ。政権からいえば二重三重の失態で、これで一気に麻生内閣は退陣秒読みに入ったというぐらいの痛手だろう。
この直前、小泉純一郎元総理が痛烈に麻生内閣批判をやって、政局に火をつけたばかりだった。麻生は郵政民営化をめぐって「自分は反対だった」と発言し、皆が“えっ”と思ったし、その担当大臣だったかどうかでさえ発言は二転三転し、「2年間勉強して、最後は賛成した」と言ってこの問題はそれで終わったのかと思われた。ところがまた、郵政分社化について「3分社化が良いとか4分社化が良いと」やって、そこに「かんぽの宿」の疑惑も出てきた。
小泉からすればこのままでは自分の命を賭けた「郵政民営化」の流れがストップされ、逆行する危機を感じるのだろうし、麻生発言についてはこれに限らず「最近の麻生総理の言葉を聞いていると、怒るというよりは笑っちゃう、ただただ呆れている」とまで言った。この「最近の発言」とは、消費税を巡る二転三転、定額給付金をめぐる迷走ぶりを全部含めて言っている。
定額給付金についても「3分の2で再議決するような問題か、最終的にはもしそうなったら自分は欠席する」と言ったが、これには今の国会運営を見て、衆参が対立するのはどれだけのことか、何で話し合いもしないんだという気持ちが表れているのだろうと思う。
小泉の「総理が信用されなければ選挙にならないが、最近の麻生総理の言動は、後ろからどころか前から鉄砲を撃っているようなものだ」というのは相当な言い方で、結論から言えば、麻生を信頼していないし、あなたでは選挙はもう戦えませんよと宣告したようなもので、ある意味宣戦布告である。
定額給付金は与党はもう後には引けないだろうが、本当にやる必要があるのかと、どこかで皆そう思っている。再議決への小泉同調者は少ないかもしれないが、これは党内の若手だけでなく、国民有権者の声を代弁しているわけだから、政局的にはもの凄く重要な布石である。少なくとも予算成立まではじっと我慢するけれども、成立した途端に一気に麻生退陣、そこから新総裁を選出して選挙をするのか、しないのかということになる。
新総裁を立てる場合、現段階で有力と言われる与謝野馨財務・金融・経済財政相なら、そこに小沢民主党が加わって、変形の大連立・選挙管理内閣で大型補正予算と金融経済政策を超党派でまずはやる。必要なやるべきことはどんどんやる。その上で話し合い解散というのも、考えられる選択肢ではある。だが現実的にはここまでくると民主党はのらないだろう。
民主党にとってもこれにはもの凄く迷うところで、本音では麻生で総選挙を戦いたい。そうすれば確実に勝てると思っているからである。だからあんまり麻生を追い込んで退陣させると、次の人が誰になろうと多少の空気が変わる心配がある。とくに嫌なのが小池百合子元防衛相で、キャンペーンでアメリカが初の黒人大統領、日本が初の女性総理と言ってやられることを、国民有権者はそんなことで動くことがあるとは思えないが、選挙は水ものだからと言って心配するのである。だったらむしろ超党派の選挙管理内閣をやるなかで、経済金融政策での担当責任能力を示してから選挙をという動きも出てくる。
だから本当に色んなことが考えられるのだが、どちらにしろ小泉発言に続いての中川大臣の辞任で、政局一気には流動化した。予算成立後は何が起きてもおかしくないという状況に突入した。
今回の中川騒動で、もうひとつ忘れてはならないのが、アメリカのオバマ新政権の外交スタートとなったヒラリー・クリントン国務長官の訪日と、その翌日の麻生総理とロシアのメドベージェフ大統領との首脳会談だ。この二つは日本にとっては非常に大事な外交の”モメンタム”であった。しかしこれも中川騒動が潰してしまった。これは大失態で、こんなことが起きる事態、本当に悲しいことである。
麻生総理とメドベージェフ大統領との首脳会議で、北方領土問題について合意したことについて、産経新聞がなぜ4島一括返還を要求しなかったかと書いたが、私としても唐突奇異に感じた言葉として、麻生が会見で言った「新しい大胆かつ独創的アプローチが必要だ」というものがあった。
私はこれについて、直接川村建夫官房長官に、4島一括同時返還というこれまでの日本の方針を棚上げするか、或いは転換したのかと聞いた。その答えはそうでなく、あくまでもロシアに4島の帰属を認めてもらい、その上でどうなるかということだった。そこで2島、3島返還とか共同管理だとか、そういうこともまずは想定しているのかと聞いたら、そうだと答えた。これは大ニュースである。
一時期大問題になった鈴木宗男新党大地代表の2島先行返還論とか、麻生外務大臣時代の3島+択捉島の25%という面積二分論というものがあった。政治家はこういうことを軽々しく言ってはいけないという問題もあるが、いずれにしろ日本が4島、ロシアが2島でガチンコで向き合ってやっているかぎり、何も前進しない。どこかで政治決断が必要だと言われればびっくりしても、それでも確かに今回のサハリンのエネルギー問題と同時並行で、この問題が進むきっかけになるもかもしれない。
21世紀の覇権争いのなかで、今後ロシアは戦略的に徹底的に日本にアプローチしてくる。中国の急速な台頭による東アジアの力の均衡を考えると、ロシアは日米、日中、米中という関係に楔を打ち込みたいし、その最たる武器が日ロ関係となるからだ。今回のサハリン2で積極的に日本の麻生総理を招待したこともその表れだし、一方の日本もこれまで森喜朗元首相と小泉を通じての二重チャンネルでやっていて、今度はプーチン首相が日本にやってくる。
一方のアメリカも今、日本を最重視している。クリントンが最初に訪問先として選び、ホワイトハウスを最初に訪問する首脳に麻生総理を選んだ。もちろん、ロシアの思惑、アメリカの思惑というのはそんな簡単なものではないし、日本は今、外交的に急にモテモテだからといって、これに浮かれているようでは甘い。次に注目するポイントとして、これで中国がどう動くかというものもある。
だがこれらは日本外交の歴史で初めての“モメンタム”という、そういう重要な転機であり、21世紀の新しい力関係と構築できる機会を迎えていることであることを忘れてはならない。
言い古されてきたことだが「戦後の終わりの始まり」という言葉がある。
戦後政治の基本的枠組みである政権政党・基盤政党、その政権政局の枠組みの中心といった自民党が担ってきたものがいよいよ壊れ、大連立もある、政界再編もある、二大政党制のもとにおける野党第一党が選挙に勝って政権を担当するという、文字通りの「政権交代」と、いずれも戦後初めてのことが起こる。歴史的にもその戦後の枠組み転換の政局がスタートした、そういう位置づけになるのだろう。
それにしても政治の劣化は酷い。まさに勝海舟の「いつからこの国に人がいなくなったのか」という典型である。
小沢秘書逮捕と見るに堪えない政局 岸井成格 2009/4/1
安倍、福田と総理大臣が2代続けて政権を投げ出して、その後総選挙が近づいているので「勝てる顔」ということで与党自民党が麻生総理を選んで半年。その時期に未曽有の世界経済・金融危機が起き、麻生は何度か解散総選挙に踏み切りたいとも考えたが、結局やりきれずに経済状況を理由に総選挙を先送りにしてきた。
その間、内閣支持率はどんどんと落ち、とうとう一ケタ台目前までいった。麻生内閣は国民からすれば不信任を受けているような状態で、崖っぷちというよりむしろレームダックに陥ったようなものだった。麻生の発言に端を発した言葉の問題、漢字の誤読といった問題もあったが、基本的には定額給付金でも中川昭一財務大臣のローマでの酩酊会見後の二転三転の辞任劇でも、言ったことがぶれ続けた。ひとことで言えばこういった「迷走」を続けたことで、国民有権者の信頼を失った。
与党自民党内からは麻生では選挙が戦えないという悲鳴が上がり、予算成立を期に麻生降ろしが始まる状況だった。それに対して総理やその周辺はどう対抗しようかと策を練り始めていた。
そこへ野党第一党の小沢民主党代表の秘書が、政治資金規正法の違反、虚偽記載でいきなり逮捕された。
当然何でこの時期にという訝る声が上がり、疑問も噴出。なかには「国策捜査」じゃないか、政権交代目前での交代阻止、小沢総理阻止という判断が検察に働いたのではないか、あるいはもっと露骨に政権与党の暗黙の指示があったのではないかと色んな憶測を呼び、ただでさえ混迷していた政局はさらに混迷し、先が見えない状況になった。
これについては新聞各社の社会部長なども社説や論説で書いているように、恐らく捜査陣がそういう政治的意図をもって捜査をやったということはまず考えられない。だが昔と比べて政局にどういった影響を与えるのかという判断力は鈍っていた可能性はある。だからあまりの反響の大きさと「国策捜査」と言われたことに検察側はびっくりしたのではないかと思う。
今回の逮捕だが、素直に受け取ればこういうことだろう。最初の逮捕容疑の2100万円、立件はそれに岩手県第4区総支部への献金も加えた総額3500万円になったが、その内の約1100万円が3月末で時効になるはずだった。捜査側からすれば、ずっと積み重ねてきた公判維持のための証拠固め、証人・証言が時効になるといった問題があり、どうしてもタイミングを逃すわけにはいかなかったということもあるのだろう。
気になるのは、なぜこの時期にやったのかを問われた検察サイドが、しきりに「看過し得ない重大悪質な事案」と言っていることで、ここに小沢サイドとの認識の違いがズレがある。今までの政界ではこういった政治資規正法上の間違い、例え虚偽記載にしろ、金額から言っても強制捜査でいきなり逮捕というのは、まず考えられないことだったからである。
このことについて一点重要なのが、小沢は政界でも知られ、かつての検察や政治資金規正法を担当していた元自治省(現・総務省)もみんな口を揃えて言うのが、小沢は政治と金の法律に関してはプロ中のプロで、政界に右に出るものはいないということだ。実際に小沢周辺からは何でそんなに臆病なくらい慎重なんだという声が聞こえるほどその処理の仕方、報告の仕方というのは極めて着実にやっているように見られていた。それをなぜ今回、強制捜査したかというところに、捜査の焦点が見えてくる。
検察サイドの言う「重大悪質な事案」というのは、小沢が自信を持てば持つほど、それだけ法律の裏までに通じている人が、なんと言うやり方をするんだ、違法なことは分かっているんでしょう、分かっていてそれを知らなかったような顔をして、こういうシステムを作ったんでしょうということだろう。
そしてこれを許せば、政治資金規正法上、個人に対する企業・団体献金をいくら禁止したって意味が無いから、検察としてはこれを見逃すわけにはいかないという意図なのだろう。これは推測だが、今回の事案でここまでやる、それも公判でやるということは、これ以外になかなか考えにくい。
10年ほど前、『大転換』という本に「私の小沢一郎論」という欄をわざわざ設けて書いたことがある。これまで小沢という政治家は政治改革の先頭に立って、新しい保守政治の旗手と言えるような理念政策を打ち出し、時代を引っかき回してきた。同時に、私から見ていると言うこととやることが乖離していて、やることは旧態依然そのまま、お金の集め方でも、人の動かし方でも、田中角栄以来の「政治は力だ、力は数だ、数は金だ」という異常な権力と数と金に対する執念がある。これが新しい政治改革の先頭に立つ男でありながら、そういう古いものを引きずっている小沢の二重性である。
この二重性を転換期への過渡期の政治家の性格と見るか、やっぱり基本的に古い政治家だったのかと見るかで、政治改革の中身、小選挙区制の問題も政治資金規正法の問題も解釈が違ってくる。つまり小沢を旧態依然の権力者と見るか、全く新しい知恵を切り開く改革者と見るかが、ここで別れるのだろうし、これは既に10年前からそうだった。
捜査当局というのは、新しい政治や何か新しい段階において、お金の問題ではいつも「武器」を作りたがる。その武器というのは「法律」であり、その武器が「ザル法」と言われることに、そろそろ我慢できなくなってきた。だから「ザルじゃなくしますよ、ザルだと思って甘くやっていたらだめですよ」という宣言をしたのである。そして、そのターゲットに小沢が選ばれた。
これはまさに田中角栄、竹下登、金丸信とずっと続いてきた小沢と検察との「宿命の対決」でもある。お互いにやるならやってこいということがあるのだろう。
だが、その理屈で小沢自身が戦うことはいいが、党を巻き込んでとなるとそうはいかない。民主党として党をあげて戦うのは無理があるからだ。もし政党として戦うというのであれば、本当に今回の捜査は「国策捜査」で、日本の民主主義が損なわれるうというぐらい、とことん戦う腹がなければ、絶対に戦えない。
にもかかわらず、民主党は小沢の続投要請として、常任幹事会でも役員会でも一度了承した。つまり民主党は党方針として、いくら不満やくすぶりがあっても、続投を容認してしまったということになる。これをひっくり返してもう一度やるという大義名分はなかなか見つからないだろう。
だからこそ選挙全体、政局全体を考えて、小沢代表本人が決断するべきで、私は「早ければ今すぐにでも」と先週27日朝のテレビ番組でも言ったが、検察が「重大悪質な事案」として公判で明らかにしていく、証拠は固めていくという裁判を抱えた人が、果たして総理大臣になれるのかということになる。
小選挙区制における選挙というのは事実上、総理大臣の直接公選制みたいなもので、いわば二大政党の党首同士で総理を争う選挙である。その選挙を争うのに、公判のたびに、常に毎回毎回言い訳をしなければいけないような人が党首では戦えない。だから、単純に立候補者や民主党が戦いにくいというだけじゃなく、すでにそこまで状況は非常に厳しい。
今度の場合は検察どうこうというより、政界で図抜けた集金力を持つと言われた政治家が墓穴を掘った自滅だろう。政治と金を甘く見ていた。昔からある諺で「権力者はその得意技で倒れる」というのがある。得意技というのは自信があるから隙ができ、ついついワキが甘くなることを意味する言葉である。
今後の政局だが、今回の小沢問題で与党自民党内の麻生降ろしが止まってしまった。ほとんどの議員の内心は変えたいのだろうが、なかなか誰に変えるか後がいないという逡巡戸惑いがあったにしろ、小沢の敵失でそれもできなくなった。
その麻生政権も、今後は大型補正予算を「切れ目なく、途切れなく」と言っているから、一次補正だけでなく、恐らく二次補正、三次補正とやってくるだろう。そして7月のサミットとその直後には都議選もある。公明党もこれまでは早期解散をと言っていたのに、逆にここまで来たら補正が先だ、都議選後にしてくれというふうに変わってきている。
麻生総理は周辺には選挙は、「任期ぎりぎりだよ」と言っているが、これも変な開き直りだ。まさに転換期から10年経って、ますます混迷を深めて酷くなった日本の政治。国民だけの問題だけでなく、国際的な問題としても国益を著しく阻害している。お互いの党首が敵失待ちで、こんな奇妙でふざけた政局はみっともない。
麻生人事と解散権をめぐる与党内の「せめぎ合い」 2009/7/2
依然として衆院解散・総選挙がいつになるのか不透明だが、泣いても笑っても9月10日の衆議院任期切れまで2ヶ月余り。時間切れがどんどんと迫る中、政権浮揚を狙う内閣改造はあるのか、党役員の人事はあるのかと、ここ数日自民党内のいろんな人がいろんなことを言った。結局、麻生総理は迷走の末、林芳正経済財政担当相、林幹雄国家公安委員長・沖縄北方・防災担当相の2閣僚の補充人事を行うにとどまった。
この問題について考えるにあたっては、総理大臣の権力の源泉がどこにあるのかを見直すと分かりやすい。まず出発点となるのが人事権で、内閣閣僚の任命、党役員の任命についてはもちろん、場合によっては国会役員にも当てはまる。国会の常任委員長人事に党が「誰々が適任だろう」と言っても、最終的には自民党総裁でもある総理が駄目だと言えば実現は難しい。
そしてもうひとつが"伝家の宝刀"と言われる、衆議院の解散権である。ここまで来れば解散・総選挙が1ヶ月後でも2ヶ月後でも大差はないように思うかもしれないが、政界の論理ではそれが具体的にいつになるかがポイントで、それによって政治的な意味合いが大きく違ってくる。いつまでの解散なら、客観的に総理大臣が解散権を行使した、と言えるのかという問題だ。
その意味では8月2日、どんなに遅くても8月8日、9日までの選挙なら解散権行使による総選挙と見ていい。だが、もしこの日程を越えてお盆や夏休み、8月15日以降となれば、もうそれは任期満了選挙であり、もっと言えば力を失って解散権すら行使できなかった追いつめられた総理による選挙という評価になる。そうなるとがらっと党内求心力が失われ、この総理ではもう駄目だ、この人の下ではとても選挙など戦えないと言って、麻生降ろしの声が一気に上がってくる。
逆に、麻生総理とその周辺からすれば、麻生降ろしの動きを牽制すると同時に、出来るなら封じ込めたいという思いが強い。だから逆算してそうなる前に解散し、ぎりぎり8月9日までの総選挙を目指すしか選択肢が無い。出来ればそれまでに少しでも体勢を立て直したいし、支持率を上げたいということで、いよいよせっぱ詰まった結果、今回の内閣改造騒動、役員人事騒動へとつながった。
ところが皮肉なことに、総理が近い内に役員人事をやりそうだ、解散も早まりそうだとなった途端、党内からは冗談じゃない、こんな低い支持率で選挙ができるか、もう少し冷静に考えてくれ反発され止められた。止めた方は口にこそ出さないが、麻生総理、あなたにはもう解散権も人事権もありませんよ、後は退陣しかないんですよというのが本音である。
さて次の解散タイミングだが、大島理森国会対策委員長の口からは、8日〜10日のイタリアサミットへの総理出発前か帰国後、あるいは都議選翌日と言って6日、8日、12日、13日という数字が上がったが、これは3日〜17日までの天皇・皇后両陛下のカナダ・アメリカご訪問が一番の障害になる。
国会解散は天皇陛下による国事行為であり、解散詔書には御名御璽が必要。戦後少なくとも天皇陛下外遊中に解散した前例はない。物理的には官房長官が恐れ多くもアメリカやカナダに行って「申し訳ございませんが、こういうことになりました」と言うことはできるだろう。あるいは皇太子殿下に国事行為を代行していただき、皇太子の御名御璽でもやれないことはない。だがこれまでの歴史を考えれば、今まで一度もなかったことをあえてやるのは、恐れるのが普通の感覚だろう。
結論から言えば、麻生総理がもし「解散権行使」に拘るならば皇太子の代行でサミット帰国後の解散とか、あるいは都議選が終わった翌日の解散を狙いたいのかもしれないが、今の党内空気では、それも許さないだろう。
これまでにも麻生総理は党内の空気を読み違えるたびに「総理、それは間違いですよ」と脅され、必ず最後は引っ込んできた。時間的にも本来ならば解散権を総理がいつどう使うのかというところまで来ているのだが、この力関係、私の見るところでは解散・総選挙についても、今はさせてもらえない力が強い。
戦後政治からの再出発、中央から地方の時代へ 2009/7/4
先週からの一連の政局で、少し驚いたのが宮崎県の東国原英夫知事への自民党からの総選挙出馬要請に対する返事だった。条件が二つあって、一つは全国知事会が決めた地方分権に関する主張を、自民党のマニュフェストに一字一句そのまま盛り込めるかどうか。
さらに驚いたもう一つの条件が、東国原知事を自民党総裁候補として戦う覚悟がおありですか? その覚悟がおありなら出ましょう、というものだった。これについては色んな憶測を呼び自民党内、与党内、野党にさまざまな反発や波紋を広げた。その後の内閣改造でも、政権浮揚の目玉として総務大臣、あるいは地方分権改革の担当大臣といったポストでの入閣も取りざたされたが、こちらも自民党内の反発から実現しなかった。
党内の批判では東国原知事に対して「何様だと思っているのか」とか、宮崎へ直接口説きに行った古賀誠選対委員長にも「見識を疑う」といった声が上がった。古賀選対委員長がその場で条件を飲むとか具体的な返事をしたということはもちろん一切無い。では何のために行ったのかといえば、とにかく自民党から出馬してほしいということだった。
自民党は今、逆風の中にあって全国的に選挙情勢は厳しい。一番目が北海道、二番目が九州で、そのなかでもとりわけ厳しいのが福岡と言われている。福岡と言えば麻生太郎総理、山崎拓前副総裁、鳩山邦夫前総務大臣、農水大臣を途中で棒に振った太田誠一氏、そして何と言っても古賀誠選対委員長の地盤でもある。だから、それぞれに思惑立場は別にあるとしても、まずは最低限、自民党九州ブロック比例名簿に名前を載せさせてほしいという要請だったのだろう。
一方、東国原知事周辺は古賀選挙対策委員長の訪問をどう考えていたかといえば、総選挙への出馬要請ではなく、鳩山邦夫前総務大臣の後任人事の話だと思っていたようだ。冷静に考えれば選対委員長が総務大臣の話をしに行くはずもないが、そういう噂が宮崎県内で流れ、色んな思惑立場から憶測を呼んだ。
そこへもう一人注目度の高い、大阪の橋下徹府知事が立場や考え方は違うが、この東国原知事の思いきった提案に対して非常に驚くと同時に、意を強くした。そして次期総選挙に対しては、知事や市長も含めた地方自治体の首長連合体を組み、自民党なり民主党のマニュフェストをよく精査した上で、支持政党を決めることがあってもいいのではないかといって一石を投じ、政局に新たに大きな波紋の輪が広がった。この一連の動きに対する受け取りかたは色々あるだろう。
私個人としては東国原知事や橋下知事にどれだけの力があって、実際に政局をかき回すだけの力があるかは、もう暫く見ないと分からない。だが全体の政治状況からいうと、こういった動きがこの時期になってようやく出たのは、遅すぎるぐらいだと思っている。
今、日本が抱えている一番大きな政治課題は明治維新以来の中央集権制度をどうやって地方分権に変えていくか、そして中央霞ヶ関の官僚主導型の日本の政治経済システムをどうやって変えていくかである。ここが変わらないと本当の戦後日本の再出発は無い。確かにこの2つはこれまでの日本の成長を担う強力な推進力だった。だが、このやり方が既に全部行き詰っていて、政策一つとっても今の時代には合わなくなっている。ここを変えるのだから、凄まじいエネルギーが必要とされるが、中央集権・中央政治に指導されることに慣れ親しんできた知事には、未だその原動力が無い。だが今こそ、知事ら首長の時代である。
16年前、熊本県知事だった細川護煕氏が総理大臣になり、滋賀県知事だった武村正義氏が官房長官をやった。あの時にも細川内閣は大きな柱に地方分権・地方自治を掲げていた。だが、政権を獲っただけで本人達も衝撃が大きすぎて、政権維持がやっとで本気になって地方分権をやろうということにはならなかった。
だからある意味、16年経って今回こういう動きが出てきたのは日本にとっては周回遅れであり、本来であれば、あの時細川内閣が本気で取り組んでいれば、もう少し地方分権と中央集権打破の流れは出来ていたのではないかと思う。
だが周回遅れであっても今度の一石が、今までは変だとは思っても黙って中央にやられっぱなしだった首長らに、時代の変化と要請を再認識させ、覚悟を変えてこの流れに続くきっかけになるのではないかと期待する。
既に名古屋市の河村たかし市長が、減税は地方主権でやれるはずだと言って市民税10%減税へ向け挑戦しているが、これも地方分権と中央集権との戦いである。これまで市町村民税は中央で決めないと不公平になるという理由で、全国一律に標準税率が定められていて、基本的に例外は認められなかった。2006年度以降これが変わって自治体判断での減税が可能となったが、実際にこれまでに実施した自治体は一つもない。それに対して河村市長は、自治体が減税できていない理由がどこあるのか、あるとすれば本当なのか、そういうことを地方自治体で一から白紙で考えてやればいいじゃないか、少なくとも実はその議論の余地があるんじゃないかと試している状況だ。
これには中央からの相当な嫌がらせがあるかもしれないし、河村市長もやるならやってみろという構図はわかりやすいが、実際の議論としてはまだ何も決着していない。だが、こういった動きが重なってくれば、税金だけに限らず、税源、財源、権限といったあらゆるところに段々と穴が開いてくる。そうなれば、どこまで地方に中央が委譲するかである。
それともう一つ忘れてはいけないのが、地方分権、地方主権と言って自民党も民主党も政党マニュフェストに掲げるけれども、国会議員というのは本能的に地方自治体の首長が力を持つことを嫌がり、警戒する。これは国会議員の仕事が地方の知事や市町村長から陳情され、それを中央官庁に取り次いで予算をつけさせたり、法律を作ったりするものだと、国会議員ら自身が思いこんでいるからだ。それなのに地方の首長らが国会議員は関係ない、我々が独自にやると言い出したら、国会議員の立場が無くなってしまう。だから国会議員は格好いいことは言うけれども、実は本能的に地方分権は嫌いだということは知っておかなければならない。
自民党はキャリア官僚との政官業一体、悪く言えば癒着で日本を発展させてきたと言っていい。一方の民主党は連合中心に官公労労組が支持母体であり、選挙で一番動く。そういうところで本当に中央集権を打破出来るのか。しっかりとやるのなら民主党も足下からきちっと出すべき膿は出さないと、最終的な信任は受けられない。そして有権者がどれだけそういうことを知っているかだが、ようやくそこに楔が入ってきた時代だと思う。
地方分権、地方主権の答えが道州制なのか、廃藩置県ならぬ廃県置藩なのか、あるいは当時自民党幹事長だった小沢民主党前代表が、いずれ県も無くなるとデスク時代の私に初めて語った「中核都市300」のような構想の国の形にしていくのか。そこまで行って初めて中央集権から地方分権、地方主権の確立と言えるようになる。
既に16年の周回遅れだが、こういう流れは本当に動き出したらあっという間だろう。今こそ首長らがイニシアティブを取って動いていかなければいけないし、中央の凄まじい抵抗に国会議員らが勝っていけるかだが、それは国民世論を背景にやるしか無い。これは最終的には選挙だから、全ては有権者の意識と責任である。いつまでたっても地方より中央という意識がある限りは駄目だ。  
 
「NEWS23」降板 2016

 

降板報道 1
愕然とするようなニュースが飛び込んできた。TBSの看板ニュース番組「NEWS23」で、アンカーの岸井成格氏(毎日新聞特別編集委員)を降板させることが決まったというのだ。  
「TBS はすでに後任の人選に入っていて、内々に打診もしているようです。後任として名前が上がっているのは、朝日新聞特別編集委員の星浩氏。星氏は朝日では保守派寄りの政治部記者ですが、今年、朝日を定年になるので、退職後の就任をオファーしているようです。岸井さんが契約切れになる3月をめどに、交代させる方向で進めていると聞いていましたが、場合によってはもっと早まるかもしれません」(TBS関係者)  
この突然の人事の背景には、もちろん例の右派勢力による「NEWS23」と岸井攻撃がある。  
〈私達は、違法な報道を見逃しません〉──。今月14日の産経新聞、翌15日の読売新聞に、こんな異様なタイトルの全面の意見広告が掲載されたことをご存知の読者も多いだろう。  
この広告の出稿主は「放送法遵守を求める視聴者の会」なる聞いたこともない団体だが、呼びかけ人には、作曲家のすぎやまこういち氏や評論家の渡部昇一氏、SEALDsメンバーへの個人攻撃を行っていた経済評論家の上念司氏、ケント・ギルバート氏、事務局長には、安倍首相の復活のきっかけをつくった安倍ヨイショ本「約束の日 安倍晋三試論」(幻冬舎)の著者・小川榮太郎氏など、安倍政権応援団の極右人脈が名前を連ねている。  
そして、この広告が〈違法な報道〉と名指ししたのが、岸井氏と「NEWS23」だった。9月16日の同番組で岸井氏が「メディアとしても(安保法案の)廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言を取り上げ、「放送法」第4条をもち出して〈岸井氏の発言は、この放送法第四条の規定に対する重大な違法行為〉としたのである。  
しかも、「放送法遵守を求める視聴者の会」は意見広告だけでなく、TBSと岸井氏、さらには総務省にまで公開質問状を送りつけたという。  
「これに、TBS幹部が真っ青になったようなんです。もともと、局内に岸井氏を交代させるという計画はあったようなんですが、この抗議を受けて、計画が一気に早まったようなんです」(前出・TBS関係者)  
しかし、この意見広告はそんな過剰に反応しなければならないものなのか。たしかに放送法第4条では放送事業者に対して《政治的に公平であること》を求めてはいるが、それは政権批判や特定の法律批判を禁ずるものではまったくない。  
また、岸井氏の「メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げ続けるべきだ」という発言にしても、安保法制に単純に反対ということではなく、国民に対して説明不足のまま強行採決したことへの批判の延長線上に出てきたものだ。もしこれが政治的に不公平な発言というなら、たとえば、安倍政権の外交成果を評価するようなNHKやフジテレビ、日本テレビの報道もすべて放送法違反になってしまうだろう。  
しかも、これは別稿で検証するつもりだが、この意見広告を出した「放送法遵守を求める視聴者の会」自体が実体のよくわからない、きわめて政治的な意図をもった集団なのだ。  
どうしてこの程度のものに、TBSは神経質になっているのか。その背景には、官邸と自民党が「NEWS23」を標的にしているという問題がある。  
昨年末、安倍首相が「NEWS23」に生出演した際、街頭インタビューのVTRに「厳しい意見を意図的に選んでいる」と難癖をつけ、その後、自民党が在京テレビキー局に「報道圧力」文書を送りつけるという問題が起きたが、その後も自民党や官邸はさまざまな形で、同番組に圧力をかけ続けていた。  
安保法制審議中は例の文化芸術懇話会の弾圧発言が問題になったこともあって、一時、おさまっていたが、同法が成立した直後から、自民党「放送法の改正に関する小委員会」の佐藤勉委員長が、テレビの安保法制報道は問題だとして、「公平・公正・中立は壊れた。放送法も改正したほうがいい」と露骨な恫喝発言をするなど、再びTBS やテレビ朝日への圧力を強め始めた。  
実際、こうした動きに、TBSの武田信二社長が9月の定例会見で、安全保障関連法案をめぐる同局の一連の報道について、「弊社の報道が「一方に偏っていた」というご指摘があることも存じ上げているが、われわれは公平・公正に報道していると思っている」と弁明する事態になっている。  
「とくに、官邸と自民党が問題にしていたのが、岸井さんの発言だった。岸井さんはもともと政治部記者で、小泉政権時代は小泉改革を支持するなど、いわゆる毎日新聞でも保守色の強い記者だった。それが安保法制に厳しい姿勢を貫いたことで官邸や自民党は「裏切りだ」と怒り倍増だったようです。政治部を通じて「岸井をなんとかしろ」という声がTBS幹部に再三届けられたと聞いています。そんなところに、今回の岸井さんをバッシングする意見広告が出たことにより、TBSも動かざるを得なくなった。  
総務省にまで抗議、質問状を送りつけられたことで、TBS は非常にナーバスになっている。総務大臣はあの高市早苗さんですからね。これを口実にどんな圧力をかけられるかわからない。大事になる前に岸井さんを切ろうということでしょう」(全国紙政治部記者)  
いや、岸井氏だけでなく、これを機にメインキャスターの膳場貴子氏も降板させ、「NEWS23」を解体させる計画もあるといわれている。  
「膳場さんは今週から産休に入りましたが、そのまま復帰させずフェードアウトさせるという計画もあるようです。しかも、岸井さんの降板、星さんの起用とあわせて、放送時間を現在の1時間から短縮させ、番組自体もストレートニュースに変更するプランももち上がっています」(前出・TBS関係者)  
放送法を歪曲した今回の"報道圧力"である意見広告に、本来、TBSは強く抗議すべきである。それが何をか言わんや、相手の攻撃に屈し、ジャーナリズムとして当然の発言をしただけの岸井氏を降板させるとは──。以前、オウム真理教に絡んだビデオ事件の際に、筑紫哲也氏は「NEWS23」の番組内で「TBSはきょう、死んだに等しいと思います」と発言した。しかし、今度こそほんとうにTBSは「死のう」としているのではないか。圧力に萎縮し、服従すること。それは報道の自殺行為にほかならない。 
降板報道 2
TBS系の報道番組「NEWS23」の岸井成格(しげただ)アンカー(71)が、3月末で降板することになった。  
TBSテレビの15日の発表によると、岸井氏は4月1日付で同局専属のスペシャルコメンテーターに就任。出演中の「サンデーモーニング」や報道番組、特別番組などに番組の枠を超えて随時出演し、政治・経済・国際など様々なニュースの背景や展望を解説・論評する。「NEWS23」も春から内容をリニューアルする方針で、岸井氏の後任などについては後日発表するという。  
岸井氏は毎日新聞特別編集委員で、2013年4月から「NEWS23」のアンカーを務めていた。岸井氏は「この度、スペシャルコメンテーターとして報道の第一線で発信を続けていくことになりました。その責任・使命の重さを自覚し、決意を新たにしています」とコメントしている。  
同局が社外ジャーナリストと専属のスペシャルコメンテーター契約を結ぶのは初めて。  
昨年、番組内で同氏が、「(安全保障関連法案に)メディアとしても廃案に向けて声をずっとあげ続けるべきだ」と発言したことについて、作曲家すぎやまこういちさんが代表呼びかけ人の「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」が「放送法に対する違反行為だ」とする意見広告を一部全国紙に出していた。  
TBS広報部は、今回の就任について「岸井氏の活躍の場を広げるため、以前から話し合いを進めていました。岸井氏の発言や意見広告とは全く関係ありません」としている。 
降板報道 3
TBS系「NEWS23」でアンカーを務める岸井成格(しげただ)さん(71=毎日新聞特別編集委員)が来年3月いっぱいで同番組を降板することが24日、分かった。13年4月からニュース解説を担当し、メーンキャスターの膳場貴子アナ(40=産休中)を支えてきた。同局系「サンデーモーニング」のコメンテーターを長く務め、同局系の選挙特番の解説も務めてきた。9月16日放送の「NEWS23」で「安保法案は憲法違反であり、メディアとして廃案に向け、声を上げ続けるべき」と発言したことを、作曲家すぎやまこういち氏が代表を務める団体「放送法遵守(じゅんしゅ)を求める視聴者の会」(代表呼び掛け人)が放送法に違反するとして問題視。全国紙に意見広告を掲載し、公開質問状を出す騒ぎになっていた。岸井さんの降板についてTBS広報部は「番組の制作過程についてはお答えしていません」としている。 
降板報道 4
TBSの看板報道番組「NEWS23」が、迷走を続けている。メインキャスターの膳場貴子アナ(40)が産休中に、ニュース解説を担当する岸井成格(しげただ)・毎日新聞特別編集委員(71)の降板情報……。悪い話ばかりが続き、これは何の呪いなのか――という声も上がっている。  
最初の“呪い”が、山本(現・中西)モナであることは、あらためて言うまでもない。細野豪志衆院議員との路チューを報じられ、抜擢から1カ月ももたずに番組を降りたのである。  
TBSの報道スタッフが言う。  
「その後、筑紫哲也さんに代わって、当時、共同通信社の編集局長だった後藤謙次さんを新キャスターに迎えたにもかかわらず、視聴率が取れないからと1年ちょっとで首を切った。憤慨した後藤さんはそれ以降、TBSに一切、出演しなくなったのです」  
さらに、そこに加わった呪い……。  
一般男性と再々婚を果たした膳場アナが12月初め、第1子となる女児を出産したのはご存じの通りだ。彼女自身は番組続投を希望しているらしいが、その一方で、相方とも言うべき岸井氏が来春にも降板するという話が持ち上がった。  
全国紙の記者が言う。「11月中旬、読売と産経新聞に、全面を使った意見広告が掲載されました。それは、作曲家のすぎやまこういちさんが代表の「放送法遵守を求める視聴者の会」という団体が出したもの。“メディアも安保法案廃案の声を上げるべきだ”という岸井さんの番組内での発言は、放送法に違反するという内容でした」  
その意見広告をきっかけに、TBSが安倍自民党の圧力に屈し、岸井外しに動いたと囁かれ始めたのだ。  
しかし、別の報道局スタッフによれば、「そもそも、「NEWS23」は、来年の4月から大幅にリニューアルをする予定になっていました。そこで、2年半以上出演している岸井さんもそろそろお役御免に、という意見は確かにあった。その後任として名前の挙がったなかの1人に、朝日新聞特別編集委員の星浩さんもいました。ただ、問題なのは、その意見広告を機に、まだ検討中だった人事の話が外部に漏れたことです。蚊帳の外に置かれた岸井さんは、すっかり機嫌を損ねてしまいました」  
さらに、膳場アナについても、「番組降板を女性週刊誌などに報じられると、膳場さんは自身のフェイスブックで誤報だと否定していました。ですが、正直なところ、続投が決定しているわけでもありません。乳飲み子を抱えた母親を深夜に働かせることで、TBSが世間の反発を買う恐れがあるからです。人事が迷走してばかりなので、局内では、いつまでも呪いが解けないと揶揄されています」(同)  
さて、岸井氏に話を聞こうとしたものの、「降板について、一言も聞いていません」と言うのみ。  
報道のTBSが復活するには、まだまだ遠い道のりがありそうだ 
 
政権からの圧力

 

岸井成格が安倍官邸から受け続けた圧力の数々! 2018/5/17
毎日新聞元主筆でジャーナリストの岸井成格氏が、15日に肺腺がんで死去した。73歳だった。岸井氏は2017年10月に、コメンテーターとして出演していた『サンデーモーニング』(TBS)においてがんを患い入院治療をおこなっていたことを明かし、昨年12月3日放送分を最後に同番組を休んでいた。
だが、やはり岸井氏といえば、2013年4月からアンカーを務めた『NEWS23』(TBS)での、安倍政権を毅然と批判する“忖度しない”姿が記憶に残っている人も多いだろう。そして、『報道ステーション』(テレビ朝日)の古舘伊知郎や『クローズアップ現代』(NHK)の国谷裕子がキャスターを降板したのと同じ2016年3月をもって、岸井氏は膳場貴子キャスターとともに降板した。
この一連の降板劇の背景にあったのは、言うまでもなく安倍政権からの圧力だった。メディアに睨みをきかせ、不都合な報道をおこなう番組には圧力をかける──これは安倍政権の常套だが、じつは官邸は、番組スタート時から、岸井氏に接近していた。
2016年6 月に発売された、慶應義塾大学の法哲学ゼミで同期だったという佐高信との対談本『偽りの保守・安倍晋三の正体』(講談社)で、岸井氏はこう語っている。
「「NEWS23」を始めてすぐの頃だと思う。安倍首相から官邸に来てくれと言われて、その時、菅とも顔を合わせた。安倍から「その節はお世話になりました」と挨拶されたんだけど、後で首相番連中が言うには、「岸井さん、あれはまずかった。どっちが総理かわからないですよ」と。私の態度がでかすぎたらしい(笑)」
安倍首相が口にした「その節はお世話になりました」という言葉の意味は、岸井氏が晋三の父・安倍晋太郎の担当をしていたときのことを指しているらしい。岸井氏は「私は安倍のおやじさんの晋太郎には非常に可愛がってもらって、ある意味で逆指名的に私が彼を担当しているようなところがあった」と語っているが、外遊の同行では晋太郎の秘書を務めていた晋三と一緒だったという。
だが、岸井氏は安倍首相の政策にはっきりと異を唱えた。
なかでも2013年11月に特定秘密保護法案に反対する集会で呼びかけ人のひとりとなり、番組でも同法案を批判的に取り上げた。父・晋太郎との関係も深い「保守派」の人物だと認識していた安倍官邸は、この岸井氏の姿勢に激怒していたともいわれている。2014年12月には、安倍首相が『NEWS23』に生出演した際、街頭インタビューのVTRに「厳しい意見を意図的に選んでいる」と難癖をつけ、その後、自民党が在京テレビキー局に「報道圧力」文書を送りつけるという問題も起きた。
こうしたなかで、岸井氏にはこんな出来事があった。岸井氏は企業の幹部に話をするという勉強会を長くつづけていたのだが、その場に菅義偉官房長官が突然、やってきたというのだ。
「(菅官房長官は)黙って来た。誰かから聞いて知ったんだろう。最初から最後までいたよ。終わると「今日はいい話を聞かせていただいて、ありがとうございました」と言って帰っていった。怖いよな」
「「どこで何を話しているか、全部知っていますよ」ということを見せているわけだ。「人脈も把握しています。岸井さんが動いているところにはいつでも入っていけますよ」というメッセージかもしれない」(前出『偽りの保守・安倍晋三の正体』より)
報道番組のアンカーに、陰に陽にプレッシャーをかける。しかし、だからといって岸井氏の舌鋒は鈍らなかった。それどころか、安保法制では問題点をあぶり出し、2015年9月にはアーミテージ国務副長官のインタビューに成功。アーミテージはこのとき、安保法制は“自衛隊が米軍のために命を賭けると初めて約束”するものだとし、“アメリカ軍のために役立ってほしい”と述べた。つまり、安倍政権による「日本の安全のため」「歯止めがかかっている」という説明が嘘であることを番組はあきらかにしたのだ。
当然、この放送内容に官邸は過剰に反応した。岸井氏も「官邸の中の情報だと、彼らがいちばん怖じ気をふるった」のは、アーミテージのインタビューだったと語っている。
その上、岸井氏は、安保法制が参院特別委員会で強行採決される前日の9月16日放送で、「安保法案は憲法違反であり、メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げつづけるべきだ」と力強く主張した。
もちろん、官邸はこうした態度を変えない岸井氏に怒り心頭。政治部を通じて「岸井をなんとかしろ」という声をTBS幹部に再三届けてきたといわれている。
そして、岸井氏の番組降板の引き金となった事件が2015年11月に起こる。
岸井氏を個人攻撃する「放送法遵守を求める視聴者の会」による意見広告が産経・読売新聞に掲載されたのだ。この意見広告では、岸井氏の「安保法案は憲法違反であり、メディアとしても廃案に向けて声をずっと上げつづけるべきだ」という発言を取り上げ、〈岸井氏の発言は、この放送法第四条の規定に対する重大な違法行為〉と攻撃したのである。
本サイトでは何度も追及をおこなってきたが、この「放送法遵守を求める視聴者の会」は安倍親衛隊による団体で、あきらかに“安倍首相の別働隊”と言うべきもの。この意見広告にTBSは震え上がり、上層部が内々に岸井氏の降板を決めたのだ。
岸井氏はこの放送圧力団体による攻撃について、佐高氏との対談でこう振り返っている。
「あの広告の呼びかけ人はほとんどが安倍首相の応援団で、七人のうち四人は安倍に個人献金をしている。広告を見たとき、怖くて不気味だという思いと同時に、官邸および政府与党は本気で言論弾圧をする気なんだと改めて思ったね。報道をめぐる不自由はここまできたのか、というのがいちばん近い印象だな」
『NEWS23』のアンカーを降板したあとも、岸井氏は『サンデーモーニング』でも共謀罪法案など、安倍政権の強権政治に対して果敢に批判をつづけた。このように、政権からの言論弾圧に怯むことのなかった岸井氏だが、そうしたジャーナリズム精神を砕いたのは、政権の顔色を伺うテレビ局上層部だったのである。
『NEWS23』アンカーとしての最後の出演となった放送で、岸井氏はこう述べていた。
「報道は変化に敏感であると同時に、やっぱり極端な見方に偏らないで、そして世の中や人間としての良識・常識を信じて、それを基本にする。そして何よりも真実を伝えて、権力を監視する。そういうジャーナリズムの姿勢を貫くとうことがますます重要になってきているなと感じています」
「真実を伝えて、権力を監視する」──。岸井氏の“遺言”を、報道に携わる人間は重く受け止めなくてはないらない。 
 

 

 
批判

 

“TBSの顔”「岸井成格」とは何者か 2016/1
保守派陣営への罵詈雑言
“TBSの顔”と評して間違いない。平日は連夜、「NEWS23」(MC・膳場貴子)のアンカーを務める。日曜日にも毎週、「サンデーモーニング」(司会・関口宏)のコメンテーターとして出演。TBSの社長を知る視聴者は少ないが、彼の顔は広く知られている。
安住紳一郎アナを別格とすれば、凡百の局アナより知名度が高い。TBSの報道を主導している。「顔は言い過ぎ」との反論を封じるため、「NEWS23」公式サイトを借りよう。
《TBS/JNN系列でもおなじみの“顔”であり、週末の「サンデーモーニング」や各ニュース番組、選挙特別番組などでコメンテーターとして活躍中》
実際、たとえば二〇一四年末の報道特別番組「報道の日2014」(司会・関口宏、膳場貴子。TBS系列)にゲスト出演した。二〇一五年末も同様の待遇となろう。ちなみに、右サイトはこう続く。
「政治はもちろん、経済・社会から世界の動向まで、鋭い視点で切り取り、時代の深層を抉り出す力、さらにそれを明解な分析と分かりやすくテレビで伝えることができる力。この双方を備えた、稀有なジャーナリストといっても過言ではない」
まさに、べた褒め。恥の感覚を忘れた自画自賛と言ってもよい。我田引水、誇大広告、虚偽宣伝と評してもよかろう。以下、そう評する理由を述べる。
岸井成格。一九四四年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。ワシントン特派員、政治部副部長、論説委員、政治部長、編集局次長、論説委員長などの要職を経て、〈記者のトップである主筆を3年間務めてきた〉(TBS)。いまもアンカー業の傍ら、毎日新聞特別編集委員(役員待遇)を兼ねる。
TBSに加え、“毎日新聞の顔”と言ってもよい。事実、毎日新聞社の公式サイトは「情報番組などにコメンテーターとして出演するなど、毎日新聞の“顔”として多くの人におなじみの論客陣」のなかで岸井をトップで紹介している。
新聞「記者」、それも論説委員長や主筆まで務めた毎日の“顔”にしては著書が少ない。単著は『大転換──瓦解へのシナリオ』(毎日新聞社)だけ。対談本を含めた共著が三冊。編著を入れても合計七冊しかない(国立国会図書館サイト検索)。
問題は量より質だ。最新刊(二〇一三年三月刊)は、佐高信との対談『保守の知恵』(毎日新聞社)。なかで安倍晋三総理や閣僚を「タカ派」と断じて呼び捨て、揶揄誹謗している。政治家に限らない。自称「保守の知恵」を語りながら、いわゆる「保守」陣営への罵詈雑言を重ねている。
岸井氏と佐高氏の恥ずかしい誤解
いまに始まった手法ではない。同書は、二〇〇六年発刊の『政治言論』(毎日新聞社)の続編に当たる。同じ対談本で、相手はもちろん佐高信。なかで佐高が「偏狭なナショナリストが晋三の周りにはたくさんいる」「たとえば岡崎久彦なんていうのも入っているわけでしょう?」と訊く。
岸井の答えは以下のとおり。
「入ってる。中西輝政とか八木秀治とかね」
物心両面にわたり、岡崎大使のお世話になった者として聞き捨てならない。岡崎研究所特別研究員として岸井に問う。岡崎の、どこがどう「偏狭」なのか。一連の著作はどれもバランスがとれている。「真正保守」を名乗る右派から「親米ポチ保守」とレッテルを貼られたアングロサクソン重視派の岡崎が、「偏狭なナショナリスト」のはずがない。
同書発刊当時は第一次安倍政権。つまり岸井と佐高は、第一次、第二次とも安倍政権のときに対談し、総理以下の安倍陣営や保守派を揶揄誹謗してきた。念のため検索してみたが、「八木秀治」なる人物に該当者はいない。
ありがちな文字変換ミスでもこうはならないが、「八木秀次」(麗澤大学教授・日本教育再生機構理事長)の間違いであろう。お互い様なので、誤字誤植は咎めない。
問題は認識評価である。同書によるなら、たとえばフジテレビジョンは「偏狭なナショナリスト」に番組審議委員を委嘱したことになってしまう(八木は委員)。偏狭なのは岡崎や八木ではなく、岸井と佐高の主義主張ではないのか。
同書で岸井はこう語る。
「理想論とかを頭に置いていると、政治記者という仕事はできない。もし理想論にこだわる人だったら、独立すべきだよ」
ならば、新聞社の役員待遇にしがみつくことなく、さっさと自主独立すべきであろう。なぜなら、そういう岸井自身が、よく言えば理想論、普通に言えば偏狭な主義主張にこだわる人だからである。
「理想論」にこだわるあまり、真実も事実も見えていない。たとえば、いわゆる尖閣問題に関連し、最新刊の続編でこう語る。
「これは言いにくいところだけれども、自衛隊、それから海上保安庁も、実力組織というのはこういう時になると、強硬論が台頭してくる」
続けて、佐高が根拠を挙げずに「絶対そうなるだろう」と追従。岸井がこう続けた。
「しかしこういう時こそ慎重にならなければいけない。戦争に向かう時ってこうなんだ。軍部の本質というのはこういうものなんだ、という気がするな」
気のせいにすぎない。彼らの錯覚であり、恥ずかしい誤解である。自衛隊(と海保)の名誉のため、訂正しておこう。「絶対そう」ならない。対談から三年近く経つが、現にそうなっていない。
自衛隊への強い偏見
論証は以上で足りるが、念のため付言しておく。たしかに当時、一部の「保守」が自衛隊の尖閣派遣や部隊常駐論を唱えた。彼ら彼女らは全員、ジャーナリストや学者、文化人であって、現役自衛官でもなければOBですらない。
軍事や防衛には疎い人々が、「強硬論」ないし「理想論」を唱えただけ。それが現実にいかに困難かを説明して“慎重論”を唱えたのは、他ならぬ自衛隊である。われわれOBや現役の将官、佐官であった。
つまり、事実関係は正反対。完全な事実誤認である。「軍部」や「自衛隊」に対する偏見や蔑視が生んだ恥ずかしい誤解である。
自衛官に対する差別的な偏見は、今年も健在だ。拙著最新刊『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)で指弾したとおり、岸井は今年三月八日放送の「サンデーモーニング」で、いわゆる「文官統制」を是正した安倍政権をこう誹謗した。
「総理大臣は最高指揮官なんですね。そうすると、軍人というのは命令に従う組織なんです。総理から言われたら、異を唱えるとか反対はできない。そういう組織なんです。それをチェックして『ちょっと待って下さい』と言えるのは文官しかいない。それを忘れてますよ」
これもすべて間違い。総理は「内閣を代表して」(自衛隊法七条)指揮監督できるだけ。「内閣がその職権を行うのは、閣議による」(内閣法四条)。このため、防衛出動には閣議を経なければならず、アメリカ大統領のような名実ともの「最高指揮官」ではない。また、自衛官は名実ともに「軍人」ではない。
許し難いのは後段だ。自衛官には服従義務があるが、文官なら総理の命令や指示を「チェックして『ちょっと待って下さい』と言える」らしい。岸井こそ重要な事実を忘れている。行政権は内閣に属する(憲法六十五条)。総理は内閣の首長である(同六十六条)。「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基いて、行政各部を指揮監督する」(内閣法六条)。
岸井流に言えば、全省庁の「最高指揮官」である。
岸井が特別扱いする「文官」も、法的な身分は国家公務員。ゆえに、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(国家公務員法九十八条)。それを「チェック」して「ちょっと待って下さい」など、違法かつ不忠不遜な服務である。
さらに岸井は、安保法制で各種の「事態」が乱立している現状を「言葉の遊び」と揶揄し、こう述べた。
「五つぐらいあるんですよ。新事態、存立事態とか武力行使事態とか周辺事態とかね」
「事態とは何かと言うと戦争なんです。戦時体制ってことなんです。武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとするんですよ」
聞きかじりで知ったかぶり
バカらしいが、手短に訂正しておこう。岸井は、「集団的自衛権 事態がどんどん増える」と題した前日の三月七日付毎日社説を読んだのであろう。聞きかじりで知ったかぶりするから間違える。事実面での間違いに絞り、指摘しよう。
まず、岸井の言う「新事態」と「存立(危機)事態」は同じ概念である。そこから分かっていない。「武力行使事態」というが、そんな言葉もない。多分、「武力攻撃事態」と混同している。悲しいかな、最後の「周辺事態」だけが実在するが、岸井が何と言おうと「戦争」ではない。「戦時体制」とも違う。
法律上、周辺事態で自衛隊は武力行使できない。「武力による威嚇」すらできない。それを「戦争なんです」と断じるのは、暴論ないし妄想である。いわんや、「武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとする」との断定においてをや。もはや低俗な陰謀論にすぎない。
この日限りではない。前週の同番組でも、自衛官に対する差別的偏見が露呈した。
「以前、防衛省を担当したことがあるんですが、中谷大臣の会見を聞いて『ああ時代が変わったな』と思いましたね。我々がいた頃は、まだ常識的に、非常に感覚的にアレかもしれませんが、文民統制とそれを補充する文官統制は、戦前の軍部のドクセイ(独裁? 独走?)に対する反省、とりわけ日本の場合、非常にそれが甚だしかったんで、それを担保するものだと感じてたし、また考えてたんですよね。
大臣は『まったくそうは思わない』っていうことですわね。そこは何でそういうことになってきたんだか。中谷大臣はアレ、自衛官出身ですから、ちょっとそういうとこあるかもしれませんけど。とにかくあの(以下略)」
きわめて差別的な暴言ではないだろうか。もし差別でないなら、「そういうとこ」とはどういうとこなのか、具体的に示してほしい。ついでに「アレ」の意味も教えてほしい。
「CIA陰謀説」はオフレコ
事実関係も承服できない。かつて防衛庁長官官房広報課(対外広報)で勤務したが、私がいた頃は右のごとき「常識」や「感覚」はなかった。正確と公正を期すべく付言しよう。
以上の問題発言に先立ち、司会が「歯止めがなくなる」と誘導したにもかかわらず、田中秀征(福山大客員教授)は「制服組のほうが慎重であるということも十分ありえる」「戦前の軍の暴走のようになるかと言えば、そんなことはない」と抑制。
西崎文子(東大教授)も、「必ずしも軍人が好戦的で文民が平和的だとは思わない」とコメントした。せっかく両教授が示した見識を、以上のとおり、レギュラーの岸井がぶち壊した。
本来なら当たり前の話だが、派遣されるのは当の自衛隊。自身はもとより、同僚や部下を危険に晒す。高いリスクに加え、コストも負担する。必要な予算を捻出せねばならない。
自衛隊に限らず、軍隊はいったん命じられれば粛々と任務を遂行するが、基本的に慎重姿勢となる。威勢がいいのは、たいてい文官や政治家。そうでなければ、決まってジャーナリストである。リスクもコストも負わない軽佻浮薄な人々である。
今年(二〇一五年)の終戦記念日、そのジャーナリストが集う「日本ジャーナリスト会議」で岸井が講演した。
《「戦争法案」は衆院で強行採決された。戦後70年を迎え、安倍政権は若者たちを戦場へ送る方向へ突っ走っている。その実態、危険性などについて、ニュースの最前線から岸井氏が解説する》(同会議公式サイト)
どんな連中を前に、どんな話をしたのか。聞かなくても想像がつく。念のため、講演録を検証しておこう。
「安保法制とは何か。いつでもどこでも世界地球規模、どこへでも自衛隊を出します、と。アメリカから手伝ってくれ、助けてくれと要請があった時には自衛隊を出すんですね」
「巻き込まれるどころじゃないんですよ。アメリカの要請があったら、積極的にアメリカがかかわっている紛争地や戦闘地域に送るんですよ!」
右を裏付ける事実は一切ない。平和安全法制(いわゆる安保法制)に該当条文はない。しかも土壇場の与野党合意により、「例外なく事前の国会承認」が前提条件となった。ゆえに「アメリカの要請があったら」ではなく、「事前に国会が承認したら」が正しい。
岸井は以下の見通しも披瀝した。
「臨時(?)国会を延長と言いますか、先送りと言いますかね。この国会で一気に成立させないで、国民の反発が強すぎるから政権が倒れちゃうんじゃないの、それをやると、という判断がおそらく出てくるんだと思うんです。その空気は、いま自民党のなかにも芽生えつつある」
結果、そうならなかった。三つの野党を含む多数が賛成。通常国会で可決成立した。岸井は講演の最後をこう締めた。
「最後に取っておきのオフレコです。安倍政治をずっと見ていて、思い出す言い伝えがある。「政権維持の三種の神器」。一がアメリカ、二、三がなくて四が財界、五がアンダーグラウンド人脈。これは生きているんです。(中略)なかでもアメリカは飛び抜けている。トラブったり何か問題があったりしたら、政権は必ずやられる。田中角栄さんがトラの尾を踏んだと言って話題になりました。いまの安倍さんがやっていることを見ると、まさにそのとおり。三種の神器ですよ。
そして右派、右翼、アンダーグラウンドのフィクサーに続いている。また三種の神器が甦ってきたな、大丈夫かこれで、という気がします。(中略)
風向きだけでなく、やや潮目も変わり始めているのかな、だからメディアもジャーナリズムの役割も大きくなっている。そういう感じがしています」
バカらしいが訂正しておこう。結果、そうならなかった。風向きも潮目も変わらず、可決成立。護憲派メディアは惨敗。その役割を終えた。
最大の問題は、田中角栄に関するくだりである。低俗な陰謀説を「取っておきのオフレコ」と語る神経は正常ではない。前出『保守の知恵』を借りよう。
「アメリカの意志によって田中をロッキードで葬りさろうとした──そういう見方もあるが、俺の取材した中ではそうした事実はないし、これは一種のCIA陰謀説の一つだな」
こう語ったのは、他ならぬ岸井自身である。その二年後に、講演の最後を俗悪な「CIA陰謀説」で締める。これで生計が立つのだから、アンカー業とは気楽な商売だ。
「拉致被害者を北に戻せ」
いや、罪深い仕事と言うべきであろう。二〇〇二年十二月一日放送の「サンデーモーニング」で、誰が何をどう語ったか。翌々日付「毎日新聞」朝刊の連載コラム「岸井成格のTVメール」で振り返ろう。
《私は「一時帰国の被害者5人をいったん北朝鮮に戻すべきです」と、一貫して主張してきた持論を繰り返した。/同席していた評論家の大宅映子さんは「私もそう思う」と同調した。/それが良識であり、国と国民の将来を考えた冷静な判断だろう。/私の知る限り、政府の強硬姿勢が世論の大勢とは到底思えない。/番組終了後も、田中秀征さん(元経企庁長官)は「政府が5人を戻さないと決めた時、背筋にゾッとするものを感じた」と率直に語っていた。勇ましい議論と感情論に引きずられる時の「この国」の脆弱さだ。(中略)「人はパンのみにて生きるにあらず」だ》
拉致被害者やご家族、ご友人、支援者らがどう感じたか。想像するに余りある。いまからでも遅くない。関係者に謝罪し、放言を撤回すべきではないのか。
『聖書』を引用して北朝鮮の主張を擁護するなど、もっての外。右聖句は「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と続く。
まず、悪魔(サタン)が「石をパンに変えてみよ」と誘惑する。イエス(キリスト)が『旧約聖書』を引き、右のとおり答える。
岸井に問う。
「一時帰国の被害者5人をいったん北朝鮮に戻すべき」との主張こそ、サタンの誘惑ではないのか。少なくとも、『聖書』を論拠に公言すべきことではあるまい。引用を完全に間違えている。
岸井は二〇〇六年四月発行の対談本『これが日本の本当の話』(ロコモーションパブリッシング)でも、こう放言した。
《彼らを一旦帰国させて向こうに残してきた家族とも話し合う。それを突っぱねていれば拉致問題の全面解決も遠のいて、最後には、「戦争するか」となっていく危険性が大いにある》
もはや確信犯と評すべきであろう。ここでは「聞き手」(元木昌彦)も共犯者。以下のとおり導入する。
「テレビにハラが立っている。(中略)いくら孤立無援の国の独裁者だとはいっても、連日、“悪魔”のように言い立てるのは度が過ぎる」
私は右にハラが立つ。北朝鮮にハラが立つ。それが正常な感覚ではないのか。それを「悪魔のように言い立てるのは度が過ぎる」と独裁者を擁護する。
しかもタイトルは、「事実関係の検証をおろそかにして短絡的な報道に流れる今の風潮を危惧」。
具体例の一つに、「北朝鮮拉致被害者の扱いの問題」を挙げていた。他局のテレビ番組にハラを立てて「短絡的な報道」を危惧する前に、自ら発した言葉を検証してみてはどうか。
常軌を逸した安保報道
最近の安保法制批判も常軌を逸している。岸井らは、どんなに悲しい朝も日米両政府への批判は忘れない。邦人テロの悲報が流れた二月一日も、岸井は「サンデーモーニング」で英米への批判を語った。
先日(現地時間十一月十三日金曜夜)のパリでの惨劇を受けた十一月十五日放送の「サンデーモーニング」でも、「テロは許さないというのが欧米(の主張)だが、イラク戦争がそういうの(土壌)をつくっちゃった」「十字軍以来の憎悪の連鎖がある」と被害者(欧米)を責めた。
加えて「安保法制もできましたからね、(日本も)ターゲットになりやすい」と視聴者の不安を煽りながら、「今度の安保法制、危ないなと思った最初は、ペンタゴンのドンと言われる人たちを取材して」云々以下、趣旨不鮮明かつ検証不可能な話題を延々と続けた。肝心のテロ非難は番組最後の数秒だけ。いったい、どういう神経なのか。
その前週放送の同番組は、南シナ海問題を特集した。この日は西崎文子(東大教授)が留保を付言しつつも、「日米同盟を強化するのは基本的に良いことだと思う」。続けて田中秀征(福山大学客員教授)が、「人工島の十二カイリが領海だと認めれば、他の国もみんなやりますよ。国際法秩序、海洋法がまったく成り立たなくなる。アメリカの行動は正しいし、国際世論も賛成している。ここは絶対に譲ってはいけない」。
この番組にしては珍しい展開になった。
ところが、司会者(関口宏)から「自衛隊の話がチラチラ出てきましたね」と振られた岸井が以下のとおり、いつもの流れに戻し、いつものレベルにまで質を落とした。
「いや、一気に出てきましたね。特に新しい安保法制ができましたんでね、いつでもどこでも(新法が)施行されればですよ、アメリカの要請に応じて自衛隊を派遣するっていうことができるようになったわけです。
その前段階でアメリカが言っているのは、合同パトロールとか合同訓練をあの南シナ海でやりましょうっていう話があるんですよ、内々、そこへホントに出すのかどうかね。
そうすると、したたかな中国はおそらくアメリカに対する行動と日本の自衛隊に対する行動はおそらく分けてくると思うんです、分断を狙って。その時、本当に対応できるのか、とちょっと心配です」
この直後にCMへ。
せっかく西崎と田中が示した見識を木っ端微塵にぶち壊した。前掲拙著で詳論したとおり、「新しい安保法制」と南シナ海問題は直接関係しない。“古い安保法制”でも、要件を満たす限り「いつでもどこでも」自衛隊を派遣できる。
現に南シナ海でもどこでも、日米その他で共同訓練を繰り返してきた。掲載号発売中のいまも訓練中。岸井はまるで理解していない。
批判すべき対象を間違えている
一週間前の同じ番組でも、同様の展開となった。NHK以下、他局が勝手にアメリカが中国の領有権を否定しているかのごとく報じるなか、TBSは正反対のスタンスで報じた(月刊『正論』一月号拙稿)。
この朝も「国際法では暗礁を埋め立てても領海と主張できないことになっているんですが、中国は」と解説し、埋め立ての現状を説明。「中国の海の軍事拠点ができるということになると、周辺の軍事バランスが一変してしまうのではと懸念されています」と紹介した。
司会の関口が、「(中国の主張や行動には)なんか無理があるように思うんですが、無理を続けてますね」と導入。それを岸井がこうぶち壊した。
「私が一番気になっているのは、米軍の作戦継続のなかに、自衛隊の派遣による合同パトロールの検討に入ってるんですよね。
これは分かりませんよ。だけども日本や欧州に、あの〜う豪州ですかね、オーストラリアに対しても要請するのかもしれませんけど、だけどこれはね、中国がそうなると、アメリカ軍と自衛隊に対する対応って分けてね、分断するような、そういうしたたかさが中国はあると思うんで、よほど派遣については慎重に考えないといけない」
日本語表現の稚拙さは咎めない。ここでも問題は、コメントの中身だ。
岸井に問う。牽制すべき対象は安倍政権による自衛隊派遣ではなく、中国による埋め立てや海洋進出の動きではないのか。岸井は批判すべき対象を間違えている。
国際法や世界の常識を無視
九月十三日放送の同番組でも、こう放言した。
「集団的自衛権という言葉が悪い。一緒になって自衛することだと思っている(国民がいる)が、違うんですね。他国(防衛)なんです。(法案を)撤回か廃案にするべき」
「集団的自衛権」は国連憲章にも(英語等の公用語で)書かれた世界共通の言葉であり、岸井のコメントは外国語に翻訳不可能。国際法や世界の常識に反している。
「悪い」のは「集団的自衛権という言葉」ではなく、彼の知力であろう。善悪を判断する知性を欠いている。
その翌週も凄かった。「どう考えても採決は無効ですね」「憲法違反の法律を与党が数の力で押し切った」と明言。こう締めた。
「これが後悔になっちゃいけないなと思うことは、メディアが法制の本質や危険性をちゃんと国民に伝えているのかな、と。いまだに政府与党のいうとおり、日本のためだと思い込んでいる人たちがまだまだいるんですよ。
この法制ってそうじゃないんですよ。他国のためなんです。紛争を解決するためなんです。それだけ自衛隊のリスクが高まっていく(以下略)」。
まだ、批判報道が足りないらしい。どこまで批判すれば気が済むのか。新法制は「存立危機事態」の要件を明記した(その後の与野党合意で、例外なく事前の国会承認ともなった)。その経緯を無視した独善である。前述のとおり、外国語に翻訳不能な暴論である。もし、彼が本気で「自衛隊のリスク」を心配するなら、別のコメントになるはずだ。
よりリスクの高い国連PKO活動拡大の「本質や危険性をちゃんと国民に」伝えたはずだ。国連PKOが「日本のため」ではなく、「他国のため」ないし「紛争を解決するため」であり、「自衛隊のリスクが高まっていく」と訴えたはずである。
だが、岸井は決してそうは言わない。国民が自衛隊のPKO派遣を評価しているからである。視聴者に“受けない”論点を避け、「集団的自衛権」や「後方支援」だけを咎める。自らは安全な場所にいながら、「危険(リスク)を顧みず」と誓約した「自衛官のリスク」を安倍批判や法制批判で用いる。実に卑怯な論法ではないか。
卑怯な「平和国家」論
十月十一日の同番組でも、岸井は「平和国家のイメージが損なわれるだけじゃなくて日本自身が紛争当事国になる」「テロのターゲットになるリスクも抱え込む」と視聴者の不安を煽った。
百歩譲って、そのリスクがあるとしよう。ならば訊く。リスクは欧米諸国に負担させ、自らは決して背負わない。そんな卑怯な「平和国家」とやらに価値があるのか。
岸井の説く「平和(主義)」は美しくない。不潔である。腐臭が漂う。
一九九二年六月九日、国連PKO協力法案が参議院を通過した。自衛隊のPKO派遣はここから始まる。その当時、翌朝の毎日新聞に岸井はこう書いた。
「こうした政治の現状に目をつぶることはできない。不健全なシステムの中で決定されるPKO法案は、国民の信頼を得られないばかりか、国際的な理解を得ることもできないだろうということだ」
その後、どうなったか。自衛隊は見事に任務を完遂。PKO派遣に対する国民の理解は深まった。国際的にも高い評価を得ている。
そもそも「全国民を代表する選挙された議員」(憲法四十三条)で組織された国会を通過成立した法案なのに、「国民の信頼を得られない」と明記する感覚を共有できない。岸井の姿勢こそ、憲法と民主主義への冒瀆ではないのか。
以上の疑問は、すべて岸井の安保法制批判に当てはまる。“TBSの顔”がいくら「憲法違反」「採決は無効」と言おうが、事実と歴史が反証となろう。
今後、安倍政権の安保関連政策は(中国と北朝鮮を除き)内外から高い評価を得るに違いない。そうなったら岸井は何も言わず、きっと口を拭う。頬かむりを決め込む。PKO派遣についてそうしたように。
以上、すべてTBSの看板番組である。多くの視聴者が違和感を覚えたのであろう。
九月三十日、武田信二社長が「『一方に偏っていた』という指摘があることも知っているが、公平・公正に報道していると思っている」と会見した。社長は自局の番組を見ているのだろうか。
テレビは、「政治的に公平」「事実をまげない」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を求めた放送法を順守してほしい。
新聞一面広告で指弾さる
同じ疑問を抱いたのは、私一人ではなかったと見える。「私達は、違法な報道を見逃しません。」──こう大書した意見広告が、十一月十四日付産経新聞朝刊に掲載された。九月十六日の「NEWS23」で、岸井アンカーが「(安保法案の)廃案」を主張した点を指弾した全面広告だ。
ただし、岸井の問題発言は右に留まらない。「廃案」どころか、九月六日の「サンデーモーニング」では、「潔く成立を断念し、一から出直すべき」「これを通すことは容認できない」とドヤ顔で明言した。その他、ほぼ毎週、言いたい放題を続けている。
どうせ岸井には馬耳東風であろう。NHKの「やらせ報道」を巡り、十一月九日の「NEWS23」で「不当な政治介入との指摘は免れない。そもそも放送法っていうのは権力から放送の独立を守るっていうのが趣旨ですから、その趣旨をはき違えないでほしい」とコメント。NHKではなく、逆に政府与党を批判した。
きっと、自身の「重大な違反行為」(意見広告)についても同様のロジックを掲げて逆ギレするに違いない。岸井の放言、暴言、暴走は留まるところを知らない。 
 

 

 
 
国谷裕子

 

 
国谷裕子
日本のニュースキャスター。
大阪府出身。3人姉妹の次女で父の海外勤務に伴い、幼稚園時代から、ニューヨーク、サンフランシスコ(アメリカ合衆国)、小学校6年から中学校まで香港と日本を行き来しながら過ごす。
帝塚山学院小学校、聖心インターナショナルスクール、ブラウン大学卒業(専攻:国際関係学、副専攻:国際経済学)。
プロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム(現・プロクター・アンド・ギャンブル(P&G) ジャパン)に就職し、販売戦略を担当したが、「結局、なぜ一つでも多くせっけんを売らなくてはいけないのかと、納得がいかなくなり、一年足らずで辞めてしまった」と退職。
知人のNHK特派員の紹介で『NHKニュース』(NHK)英語放送の同時通訳者、ライター、リサーチャーを務めたのを機に、報道の世界に入る。26歳まで派遣会社や日本外国特派員協会に登録して、海外映像チェック、リサーチなどに従事。
1985年、28歳で結婚し、夫の留学に伴い渡米。ニューヨークで専業主婦になるが、1986年にNHKニューヨーク総局のリサーチャーを担当し、1987年から『ワールドニュース』(NHK BS1)駐米キャスターを担当。1988年に帰国。
帰国後、『ニュースセンター9時』の後継番組である、『NHKニュースTODAY』の国際コーナーを担当。『NHKニュース21』『ワールドニュース』にも契約出演。
『NHKニュース21』が番組終了した、1993年4月5日から『クローズアップ現代』のレギュラーキャスターを番組開始時から務める。2015年12月20日に、黄木紀之NHK編成局長から『クローズアップ現代』担当者に対し国谷の降板が通知され、2016年度の番組改編に伴い、国谷の番組降板情報が報道され、同年1月12日付の報道で国谷のキャスター降板が発表された。
2016年4月1日付で、東京芸術大学理事(学長特命担当 兼 ダイバーシティ推進室長)に就任。2016年6月7日『徹子の部屋』で民放初出演。2017年1月、初の著書『キャスターという仕事』を出版、同年3月にBS日テレの『久米書店』に出演して久米宏と初対面する。2017年10月、国連食糧農業機関(FAO)日本担当親善大使に就任。
夫は弁護士の国谷史朗(大阪弁護士会所属)。『クローズアップ現代』にゲスト・コメンテーターとして出演したこともある。サッカー日本代表元監督の岡田武史は、小学生時代の同級生。  
国谷裕子 「今、凛と輝く女性たち」対談余話
3,000回達成の長寿人気番組「クローズアップ現代」
政治、経済、国際問題など様々な分野の問題を、分かりやすく伝えるとともに、視聴者にしっかりと物事の本質を考えさせる話を相手から引き出す名インタビュアー国谷裕子さんをインタビューするという嬉しい機会を得た。 このインタビューの日時が決まっていた日の前日に、急用のため帰省することになったが、国谷さんには何としても時間通りにお会いしたいとの強い思いがあり、夜行で東京に戻り、朝9時の予定時間ぎりぎりに、渋谷のエクセルホテル東急リーフルームへと滑り込んだ。
既にあの穏やかな顔立ちの国谷さんは、一人の男性と待ち受けてくださっていた。名刺交換でこの男性はNHKの番組担当局長で、この日「クローズアップ現代」収録のために午前11時までに局入りできるようにと付き添いながらも、国谷さんへのインタビュー中、メガネ越しに、こちらの人となりと話の内容をチェックするかのような鋭い眼差しで部屋の片隅に腰掛けていた。
こうした監視下(?)でのインタビューははじめてのことであったが、テーブルを挟んで直ぐ目の前に座る理知的で清楚な整った顔立ちの国谷さんは、インタビュアーである私の饒舌な質問をじっくりと慈愛に満ちた黒い瞳で大きく頷きながら聞かれ、まことに丁寧に答えてくださった。
話が弾むにつれ、私はすっかりこの監視者の存在も忘れ、国谷さんの虜になってしまった。特にコミュニケーションの話に及んだ時には得心させられ、かくあれば「クローズアップ現代」に出演されるゲストの方々も、きっと国谷さんの虜になって本心をさらけ出し語ってしまうに相違ないと感じたものである。
「クローズアップ現代」はご承知のように、1989年に「昭和」から「平成」となる。東西冷戦の終焉、日本のバブル崩壊等、これまでの日本のありようが大きく変革していく兆しの中、NHKが夜9時台の番組改編をし、ワンテーマでニュースのテレビで流れているものは一体何かということを切り出しクローズアップし、新しく日本を見直そうと始められた番組である。1993年4月5日に始まり、1998年11月に1000回、2001年11月に1500回、2004年11月に2000回、そして2011年2月には3000回という偉業を達成し、この種のものとして見事というほかはない長寿人気番組となっている。2002年には〈国谷裕子と「クローズアップ現代」製作スタッフ〉に対して菊池寛賞が贈られ、つい4月22日には国谷さんの2011年度記者クラブ賞が決まった。
バブル崩壊で変わった「働き方の意識」
国谷さんは、バブル崩壊前後で特にここが変わったと思われるものとして、「人々の働き方、雇用のあり方が、一番変わったこと」を挙げる。
ホワイトカラーのリストラ、M&A、企業の切り売りや、企業のトップに外資系出身者が就任するのも当り前になってきたこと、また年功序列、右肩上がりの賃金、終身雇用という、これまで当り前だったことがなくなっただけでなく、今や、同じサラリーマンといっても、正社員もいれば契約社員もいる。派遣もいるしアルバイトもいる。そういう人が入り乱れて、社内で働く。ある意味では企業の働かせ方も多様になり、働く人の選択肢も増えてきた。
こうした就業形態の変化により、何か心の安定感が揺らぎ、何かが失われてきたという思いが、「失われた10年」あるいは「失われた20年」という言葉に繋がっているのではなかろうかと、私のいつもの悪い癖で、当初のインタビュー事項を越えて話が飛ぶことにも、少しもいやな顔をなさらず答えてくださった。
「自分達の世代は、自分たちの生活設計について、親の人生設計を見て育った世代と思われます。自分は親がやってきたように、いい学校に入って、いい会社に入る。あるいは一つの企業に勤めていれば、年金もずっともらえて、最後まである程度の人生の先行きが見える世代だと思うが、今はやはり、自分の力で、自己責任で自分の人生は切り開いていくため、自分にとっての人生の先行きが安定か分かりづらい、そういう意味での不安感をもっていると思う。だから、人生設計を本当に一本のルートと思っていたものが、ハイウエイもあるし、泥道もある、普通の地道もある、迂回路も自由という人もいるでしょうし、選択肢が一杯あります。だが、その時に自分が正しい選択をしたと思ったのに、実は再チャレンジというか、やり直しをしなければならないこともある。そのとき、本当にやり直しの効く社会になったのかと思うと、そうではなかった。だから今の大学生も、やはり安定というものを、凄くむしろ重視するようになってきた気がする。それだけに不安感が強いのではないかと思うのですけれど・・。」と真剣な表情でご自分の感想を語ってくださる。
ニュースの「ひだ」から本音を聴く
「クローズアップ現代」は他のニュース解説番組と異なり、ニュースの裏側というか、「ひだ」のようなところをさらっと引き出し、当事者に本音部分を吐露させるところが魅力的ですねというと、「嬉しいですね、そういう言い方をしていただくと」と相好を崩される。
さらにそのようなインタビューは国谷さんの持って生れた独特の持ち味なのでしょうが、何千回もやっておられるうちに出てこられたのでしょうかと尋ねると、「何でしょうねえ。自分ではどうなっているのかなかなか分からないのですが、ただ、ビッグインタビューのときには、全く打合せをする時間はありません。でも、大方の場合、専門家の方に出ていただくときは、番組放送前の一時間前ぐらい、ブレーンストーミングをさせていただくんです。その人がそのテーマについて問題点と思っているところは一体何で、今の時点で何が大切だと思っていらっしゃるのか、一番何をおっしゃりたいのか、その方がずっとその現場におられて考え方、哲学的なものは何かということについて、徹底的にブレーンストーミングします。その中でお互いの信頼関係をつくり、番組の8分、9分の中で何を言っていただければ、その人らしい表情が出るのか、その人の一番思いが伝わる話をしてくれる質問が出来るのかを煮詰めていくプロセスを大事にしているのです」と語って下さる。
コミュニケーションは「聴く力」
コミュニケーション論に入ると、流石に核心を突き、私の気持ちを引き込んでいく大変参考になる内容だ。
「コミュニケーションというのは話すということではなく、相手の話をどこまで聴けるかという『聴く能力』だと思います。人が話しているときに、どうしても『次、自分は何を言おうか』とか、『このことに対して、こういうリアクションをすると馬鹿にされるかも』とか、そういうことが頭の中をよぎっていると、大切な話が何も聞こえてきません。
大切な話を聴くためには、やはり自分で何を言おうかということを用意しますが、一旦面と向かって、その方と向き合った途端に、なるべく自分の用意したシナリオは忘れることにして、そのお話というのも言葉だけに集中するのではなく、どのような表情で話をしていて、どのような身振り手振りをしているのかというListenという話と、本当に耳でListenするのと、体全体でHeartするという『聴く力』、耳偏の聴く力ということを、やはり全身から来るコミュニケーションに、ものすごく神経を集中する。そうすると、言葉ではこういっているが、実は心の中では少し違うことを思っているのではないかというのが、一寸ずつ見えてきます。
予め、プロデューサー等から、その人がこう言うよというようなメモが用意されますが、自分の耳と目で確認しないと、生放送ですから、実はこの人は言ったこととは違ったのだけれども、話の筋としてはこの方が整っているということで、まとめる可能性もあります。この人がエピソードを語るときの表情が生き生きとしていて、若干論旨がずれても、テレビというのは人をひきつける話というものの方がビビッドですからね。」
「コミュニケーションというのは、まず自分が情熱を持って、この人に聞きたい、この人のことを知りたいと思うこととか、相手にもこの人だったら言わせたい、言ってあげたいと思ってもらう。
また、ここまでの話をしようかなと思っている人に、もう一歩深く他の人に答えた以上の話をしてもらうためには、どうしたらいいのかということに勝負をかけるので、徹底的に調べるし、既におっしゃった発言というものは予め頭に入れて、そこからどこまで踏み出せるかというのは、ある意味ではこちらの情熱としつこさ。だから私はしつこいですよ。
私のインタビューは、同じことばかり、『同じ質問、さっき答えたじゃないか』ということを違う角度から何度でも聞きます。でもそうすると、やはり新しい言葉が出てくる。聞きたいことは徹底的に、納得のいくまで、だから割りと絞って、あれもこれもと網羅的に聞くのではなく、一つのテーマに対して、横から下から、上からと聴きます。すると本音が出てくるんです」と語る。
国谷さんの話を窺っているとコミュニケーションは想像力にものすごく関連していることが分かる。「その人の置かれている立場、あるいは番組の中で、一部しか取り上げていないが、その後ろに広がっている事項の深刻さや、その影響をどこまで視聴者に理解して頂けるかというところをすごく大事にしており、ゲストとのコミュニケーションの中で、どこまで自分が想像力を働かせながら話を進めるかということに大変神経を使っています」という。 そして、インタビューする前には自分の話す言葉はすべて自分の手で書き、声を出して読む。言葉が自分のものになっているかどうかを確認するという。 国谷さんご自身が帰国子女であり、日本の学校教育を数年しか受けていないというある種のコンプレックスを乗り越えるため、ご自分で会得した処方であろう。
テーマに全力で向き合う
ある月刊誌に「プロの仕事人は、矛盾と疲れを自覚しつつ、また一歩高みへと上り詰めんといかんとする存在であるとするなら、彼女もまたそのような人である」と国谷さんを紹介していたが、まさにその人である。
ご自分の気分転換としては、生放送を毎日しているので、自分よりも生で勝負している人たちの姿を見るのが好きだとおっしゃる。劇場に行き演劇を見たり、音楽を聴いたりして、照明、大道具、衣裳、役者、オーケストラなど、本当にものすごく一糸乱れぬテンポで、場面をよどみなく流していくという。
「こんなにしゃべって、よくとちらないな」とか「よく台詞が真っ白にならないな」特に、シェクスピアなどもう台詞の連続で、こうやって表情も変え、役になりきりながら膨大な量の台詞を言う。そのパフォーマンスにすごく勇気づけられます。海外の出し物、日本の出し物は問わず、時間が許すかぎり劇場に行きます。そこの躍動感とか、特に演劇は大好きだと趣味について語る姿も真摯である。
月曜から木曜まで毎日かなり重い異なるテーマをこなしていく秘訣について問うと、当日の12時から、当日の番組だけにバーッとシフトし、何とかそのテーマに集中することだという。
その代わり忘れるのも早い。入れては忘れ、入れては忘れ、消去が早すぎるからできるのだとさらりと言われる。
「毎日のその日を、とにかく自分が精一杯その日をやるだけです。時間に限りがあるのですけれども、自分の体力と気力が許す限り、そのテーマに全力で向き合えた、向き合った結果を出しているのだということは、自分でしか納得させることが出来ません。だから、多分仕事というものは皆そうではないかと思うのですが、やはり自分を信じてやるしかないですね」「最後は、ここまで精一杯やったんだから、出来るはずだと思って、カメラの前に座るのです」
チャンスというのは、そう簡単には巡ってくるものではないが、偶々巡ってきたチャンスを精一杯生かさないと後悔する。それで巡ってきたチャンスに精一杯向かっていくと、何となく自分を信じられるようになっていくのかなということを、国谷さんご自身の経験の中にみる。
更におまけつきで、私がこれからクローズアップ現代を見るたびにテレビに向かい手を振りますからねと笑っていうと、国谷さんは、私も「坂井さーん」とか言ってと、最後までお話しする相手の心をそらさない天女のような言辞に陶酔させられた一時間あまりの至福のインタビューであった。 
 
「NHKクロ現」降板 2016

 

NHKの報道番組「クローズアップ現代」の国谷裕子(くにやひろこ)キャスター(58)が3月いっぱいで降板する方向で調整が進んでいると新聞各紙が報じた。ネット上では、過去の週刊誌報道などを元に、様々な憶測が流れている。  
クローズアップ現代は、1993年から始まり、月〜木曜日の19時半から30分ほどの放送で、内外のニュースを様々な角度から切り込んできた。  
番組当初からキャスターは国谷さんが務め、フリーランスで1年ごとに契約を更新してきた。国谷さんは、米ブラウン大学を出ており、英語でインタビューもできる国際派だ。クロ現を担当してからは、菊池寛賞、日本記者クラブ賞などを受賞している。  
ところが、朝日新聞が1月8日に報じたところでは、NHKの上層部は「内容を一新する」として、15年末に国谷さんの契約を更新しないと決め、本人にも伝えた。現場からは続投が求められたが、方針は変わらなかったという。4月からは、放送時間を22時に変更し、番組名も「クローズアップ現代+(プラス)」にするそうだ。国谷さんの後任としては、NHKの局アナを検討している。  
国谷さん自身は、番組降板について、プロデューサーが続投を求めたことを聞いて、「続けてきて良かった」と周囲に漏らしているという。  
番組の看板だった国谷さんが突然降板する方向になったことについて、その理由はあまり報じられていない。とはいえ、これまで番組の現場では、様々な確執があったことが、週刊誌に取り上げられてきた。  
写真誌「フライデー」の14年7月25日号では、国谷さんが番組に出演した菅義偉官房長官に「憲法の解釈を簡単に変えていいのか」と突っ込み、官邸からクレームがついたと報じた。菅氏らは報道を否定したというが、ネット上などでは、これで官邸に近いとされるNHKの籾井勝人会長から目を付けられたのではないかと指摘されている。 
国谷裕子キャスター「降板」 「官邸の意向反映」といった憶測飛び交う 2016/1/8
NHKの報道番組「クローズアップ現代」の国谷裕子(くにやひろこ)キャスター(58)が3月いっぱいで降板する方向で調整が進んでいると新聞各紙が報じた。ネット上では、過去の週刊誌報道などを元に、様々な憶測が流れている。
クローズアップ現代は、1993年から始まり、月〜木曜日の19時半から30分ほどの放送で、内外のニュースを様々な角度から切り込んできた。
番組当初からキャスターは国谷さんが務め、フリーランスで1年ごとに契約を更新してきた。国谷さんは、米ブラウン大学を出ており、英語でインタビューもできる国際派だ。クロ現を担当してからは、菊池寛賞、日本記者クラブ賞などを受賞している。
ところが、朝日新聞が1月8日に報じたところでは、NHKの上層部は「内容を一新する」として、15年末に国谷さんの契約を更新しないと決め、本人にも伝えた。現場からは続投が求められたが、方針は変わらなかったという。4月からは、放送時間を22時に変更し、番組名も「クローズアップ現代+(プラス)」にするそうだ。国谷さんの後任としては、NHKの局アナを検討している。
国谷さん自身は、番組降板について、プロデューサーが続投を求めたことを聞いて、「続けてきて良かった」と周囲に漏らしているという。
番組の看板だった国谷さんが突然降板する方向になったことについて、その理由はあまり報じられていない。とはいえ、これまで番組の現場では、様々な確執があったことが、週刊誌に取り上げられてきた。
写真誌「フライデー」の14年7月25日号では、国谷さんが番組に出演した菅義偉官房長官に「憲法の解釈を簡単に変えていいのか」と突っ込み、官邸からクレームがついたと報じた。菅氏らは報道を否定したというが、ネット上などでは、これで官邸に近いとされるNHKの籾井勝人会長から目を付けられたのではないかと指摘されている。
15年4月には、写真誌「FLASH」が薬物問題を取り上げたクロ現の放送で「やらせ」があったと報じたことについて、NHKの調査委員会が一部に誤りがあったと認める報告をしたことを受けて、キャスターの国谷裕子さんが声を詰まらせて謝罪する事態になった。
その後、週刊現代が11月14日号で、クロ現が16年3月いっぱいで打ち切られる方針が決まったと報じた。官邸の意向を受けた籾井勝人会長サイドが、政治を扱う報道番組を縮小しようとしているとも指摘していた。
今回、クロ現の打ち切りはなかったものの、放送時間が深夜にずらされ、国谷さんが降板する方向だと報じられた。このことについて、識者からは、様々な見方が出ている。
元NHKアナウンサーの堀潤さんは、ツイッターで「菅官房長官出演以降、現場の元同僚や後輩たちからは『政治ネタを扱いにくくなった』と聞いていた」と打ち明けた。そして、クロ現について、「ついに骨抜きに」とも漏らしていた。
国谷さん「降板」と同じ時期に、テレ朝系「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスターも自ら降板するほか、TBS系「NEWS23」の岸井成格キャスターも降板する方向だと報じられている。こうしたことから、落合洋司弁護士は、「次々と抹殺されていく感じ」とツイッターで懸念を示していた。
ネット上でも、「ウワサされた通りの展開」「気骨の人から順に消されていく」「また報道統制か・・・」と憶測が飛び交うようになっている。
ただ、国谷さんについて、質問が偏っていたり弊害も出てきたりしているとの指摘もあり、「降板」について冷静に受け止める向きもあった。 
国谷裕子さん、NHK「クローズアップ現代」を降板へ 2016/1/21
NHKが、報道番組「クローズアップ現代」の国谷裕子キャスター(58)を2016年4月期から降板させる方向で検討している。朝日新聞デジタルなどが1月7日に報じた。番組をリニューアルし、4月以降は、現在の午後7時30分からの放送時間を午後10時に移して番組名を「クローズアップ現代+(プラス)」にするという。
「国谷さんは1993年からキャスター。現在は1年契約で出演している。NHK関係者によると、クロ現を担当する大型企画開発センターは続投を強く求めたが、上層部は「内容を一新する」という方針を昨年末に決定。同センターを通じ、国谷さんにも契約を更新しない方針を伝えた。後任は同局アナウンサーを軸に検討しているという。国谷さんは「プロデューサーのみなさんが、編成枠が変わってもキャスターは継続したいと主張したと聞いて、これまで続けてきて良かったと思っている」と周囲に話しているという。」
報道番組をめぐっては2015年、記者の指示によるやらせが指摘され、NHKが4月9日に「過剰な演出」があったとする調査結果をまとめた。これを受けて、国谷さんが同番組内で涙ぐみながら謝罪する場面もあった。
国谷さんは大阪府出身、アメリカのブラウン大学卒業。フリーランスで、1981年にNHK「7時のニュース」英語放送アナウンサーを務め、その後BS1「ワールドニュース・世界を読む」キャスターなどを経て、「クローズアップ現代」キャスターとなった。2011年には日本記者クラブ賞を受賞している。
報道番組では、テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスター(61)も3月末で降板することになり、同局が後任の人選を進めている。今春の番組改編で、夜の報道番組の“顔”が大きく変わることになりそうだ。 
『クロ現』降板の国谷裕子が問題の菅官房長官インタビューの内幕 2016/4/14
安倍政権からの圧力によって、23年間キャスターを務めてきた『クローズアップ現代』(NHK)を3月で降板した国谷裕子キャスター。最後の放送以降、国谷氏はメディアに姿を現していないが、じつは降板後初となる文章を、現在発売中の月刊誌「世界」(岩波書店)5月号に寄せているのをご存じだろうか。
しかも、国谷氏はこの寄稿文のなかで、あの“事件”についても言及。それは国谷氏のキャスター降板にいたるきっかけとなったと言われている、2014年7月に『クロ現』で行った菅義偉官房長官へのインタビューだ。
この日の放送は、閣議決定されたばかりだった集団的自衛権の行使容認について政権の要である菅官房長官に話を聞くという主旨だった。官邸としては格好の説明の場だと踏んだのだろうが、しかし、キャスターの国谷氏は厳しい質問を繰り出し、菅官房長官ならびに官邸は激怒。その後、政権側は『クロ現』のやらせ問題を隠れ蓑にして圧力を強め、最終的に国谷氏のキャスター降板まで追い詰めた。
それにしても、メディアへの圧力担当ともいえる菅官房長官に生放送で相対し、国谷氏はどのような心構えで挑んだのか。その思いを、国谷氏はこのように綴っている。
〈インタビュー部分は一四分ほど。安全保障にかかわる大きなテーマだったが与えられた時間は長くはなかった。私はこの憲法解釈の変更に、世論の中で漠然とした不安が広がっていることを強く意識していた。視聴者はいま政府に何を一番聞いてほしいのか。その思いを背に私は何にこだわるべきなのか〉
そして国谷氏は、菅官房長官に集団的自衛権の行使にかかわる問題点を次々に質した。──このときの国谷氏の質問内容はいずれも正鵠を射るものだった。国谷氏の仕事ぶりを振り返るためにも、以下に並べよう。
「確認ですけれど、他国を守るための戦争には参加しないと?」
「なぜ今まで憲法では許されないとしてきたことが容認されるとなったのか、安全保障環境の変化によって日米安保条約だけではなく集団的自衛権によって補わなくてはならない事態になったという認識なのでしょうか」
「憲法の解釈を変えるということは、ある意味では、日本の国のあり方を変えることにもつながるような変更だと思いますが、外的な要因が変わった、国際的な状況が変わったということだけで本当に変更していいのだろうかという声もあります」
「非常に密接な関係のある他国が強力に支援要請をしてきた場合、これまでは憲法九条で認められないということが大きな歯止めになっていましたが、果たして断りきれるのでしょうか」
こうした質問に対し、菅官房長官は「日米同盟の強化によって抑止力が高まる。それによって武力行使をせざるをえなくなる状況は大幅に減少する」などと詭弁を弄したが、国谷氏は一歩も引き下がらず、「戦争というものは、自国の論理だけでは説明しきれない、どんな展開になるかわからない危険を持っています」と指摘。菅官房長官の答えは「こちらから攻撃することはありえないです」の一点張りだった。
そうして残り時間がわずかとなったところで、菅官房長官は「国会審議のなかで国民に間違いなく理解していただけると思う」と主張。だが、国谷氏はこのとき、もう時間は少ないと理解しつつも〈再び問いを発していた〉という。それは、こんな質問だった。
「しかし、そもそも解釈を変更したということに対する原則の部分での違和感や不安はどうやって払拭していくのか」
この問いかけに、菅官房長官は「四二年間たって世の中が変わり、一国で平和を守る時代ではない」と言い、そのまま放送は終了した。国谷氏は〈生放送における時間キープも当然キャスターの仕事であり私のミスだった〉と振り返っているが、同時に、なぜ時間がないなかで、菅官房長官にさらなる質問を重ねたのか、その理由も述べている。
〈なぜあえて問いを発してしまったのか。もっともっと聞いてほしいというテレビの向こう側の声を感じてしまったのだろうか〉
国谷氏が貫いたキャスターとしての矜持。当然、国谷氏もこのインタビュー後にどんな事態が起こるか、そのときすでに理解していたのだろう。事実、国谷氏は、〈批判的な内容を挙げてのインタビューは、その批判そのものが聞き手の自身の意見だとみなされてしまい、番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける〉と綴っている。
だが、視聴者の「知る権利」を守るための「公平性」とは、そのようなものではない。国谷氏はこうつづける。
〈聞くべきことはきちんと角度を変えて繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビューではないだろうか〉
テレビというメディアの特性は映像がもつ力にある。しかし、それに頼ってばかりでは視聴者の想像力を奪ってしまう。だからこそ、国谷氏は『クロ現』において「言葉の持つ力」を大事にしてきた、という。さらに、国谷氏がめざしたのは、“一見わかりやすいことの裏側にある難しさ”を提示するということだった。国谷氏のそんな「こだわり」が発揮されたのが、インタビューだったのだ。
だが、番組づくりを通して国谷氏が直面したのは、〈人気の高い人物に対して切り込んだインタビューを行なうと視聴者の方々から想像以上の強い反発が寄せられるという事実〉だった。これを国谷氏は“日本の社会に特有の、インタビューにたいする「風圧」”と表現する。
風圧を最初に感じたというのは、1997年にペルーの日本大使館で派生した人質事件の後、来日したフジモリ大統領に行ったインタビューだった。インタビューの中心は“人質救出にいたったフジモリ大統領の決断”ではあったが、国谷氏はそれだけでは終わらせず、「憲法改正による大統領権限の強化や任期延長に疑問を呈した最高裁判事を解任するなど、大統領の手法が独裁的になってきたという声が出ているが」と質問した。
結果、これが視聴者から多くの批判を受けることになった。その抗議の中身は〈日本人を救出した恩人に対してなんと失礼な質問をしたのかという趣旨のもの〉だったという。
〈当時、人質を救出したフジモリ大統領に感謝したい、日本の恩人だという空気が広がっていた。そういう感情の一体感、高揚感のようなものがあるなか、大統領が独裁的になってきているのではとの質問は、その高揚感に水を差すものだった。しかし、大統領という人物を浮き彫りにするためには、ペルー国民の批判について直接本人に質すことは必要なことだった〉
同調圧力と言うべき批判に対し、しかし国谷氏はインタビュアーとしての姿勢を曲げなかった。
〈世の中の多くの人が支持している人にたいして、寄り添う形ではなく批判の声を直接投げかけたり、重要な点を繰り返し問うと、こういった反応がしばしばおきる。しかし、この人に感謝したい、この人の改革を支持したいという感情の共同体とも言うべきものがあるなかでインタビューする場合、私は、そういう一体感があるからこそ、あえてネガティブな方向からの質問をすべきと考えている〉
ところが、この同調圧力はどんどんと強まる一方だ。国谷氏はこの寄稿文のなかで〈メディアまでが、その圧力に加担するようになってはいないか〉と疑問を呈しながら、武田砂鉄氏の著書『紋切型社会』(朝日出版社)のなかで取り上げられている「国益を損なう」という言葉を拾い、このように述べている。
〈この言葉もとても強い同調圧力を持っている。本来ならば、どう具体的に損なうのかと問うべきときに、その問いさえ国益を損なうと言われてしまいそうで、問うこと自体をひるませる力を持っているのだ〉
同調圧力が強くなれば、その一方で〈少数派、異質なものの排除〉は進んでいく。そんな時代にあってメディアが果たすべきは、異質なもの、少数の声を掬い取ることや、大きな声に覆い尽くされて見えにくくなっている問題をあぶり出すことだろう。そう、国谷氏が『クロ現』でこだわってきた“一見わかりやすいことの裏側にある難しさ”を提示する、という仕事が極めて重要な意味をもつのだ。
しかし、その国谷氏は政治的圧力によって番組を降板させられてしまった。そしてこの、政権が報道を意のままに操るという異常事態を引き起こしてしまった一因には、メディア自体がジャーナリズムの使命よりも既得権益を守るべきという同調圧力に支配されている問題がある。だが、政治的な問題を個人的な問題へと矮小化させ「自己責任」と切り捨てる空気や、それに伴う「政治的な話題は口にすべきではない」という空気、そうした社会に流れる同調圧力も無関係ではないはずだ。
国谷氏はこの論考で、〈直接情報を発信する手軽な手段を誰しもが手に入れ、ややもすればジャーナリズムというものを“余計なフィルター”と見なそうとする動きさえ出てきている〉と分析し、それ故に〈人々の情報へのリテラシーを高めるためにも、権力を持ち、多くの人々の生活に影響を及ぼすような決断をする人物を多角的にチェックする必要性はむしろ高まっている〉と指摘している。
国谷氏が去り、さらには膳場貴子、古舘伊知郎といった職分を果たそうとしたキャスターたちも報道番組から消えた。いまや帯の報道番組は、無難を至上命題にするキャスターと本質をはぐらかそうとする解説者による、政権の広報番組かのような状態だ。もし、国谷氏がいう“権力者を多角的にチェックする”というメディアの使命がこのまま失われてしまえば、この国は民主主義国家とは名乗れなくなる。さらには、いまがそんな危機的状況にあることさえ、多くの人は気づいていない。
国谷氏からの警告ともいえるこの文章を、放送人をはじめとするメディアに携わる人々は、ぜひ心して読んでほしいと思う。 
国谷裕子がNHK『クロ現』降板の舞台裏を告白! 2017/1/25
トランプ大統領のメディア攻撃に注目が集まっているが、それを見るにつけ、日本の宰相はトランプの先駆けだったとつくづく感じずにいられない。トランプのようにいちいち言葉にしないだけで、この国の総理大臣は放送法をねじ曲げて解釈し、圧力文書をキー局に送りつけるなどの"攻撃"を仕掛けてきた。そして、トランプよりもっと露骨に、萎縮しないキャスターたちを次々に降板に追い込んだことは記憶に新しい。
そのキャスターのひとりが、NHKの看板番組『クローズアップ現代』のキャスターを23年間にわたって務めた国谷裕子氏だ。その国谷氏が、先日、初の著書『キャスターという仕事』(岩波新書)を出版。約1年のときを経て、ついにあの降板騒動についても言及しているのだ。
まず、国谷氏の番組降板が判明したのは2016年1月7日のことだったが、本人に降板が伝えられたのは、その約2週間ほど前の15年12月26日だったという。
「〈クローズアップ現代〉を管轄する組織の責任者から、番組のキャスターとしての契約を二〇一六年度は更新しないことが決定された旨、伝えられた。(中略)NHKから契約更新しないと言われれば、それで私の〈クローズアップ現代〉でのキャスター生活は終わりになる」
国谷氏も「体力や健康上の理由などで、いつか自分から辞めることを申し出ることになるだろうと思っていた」というが、「(契約を更新しない理由が)番組のリニューアルに伴い、ということになるとは想像もしなかった」らしい。
実際、国谷氏が降板を言い渡される1カ月前も、制作現場では来年度も国谷氏でキャスター継続と提案しており、「一緒に番組を制作してきたプロデューサーたちは、上層部からのキャスター交代の指示に対して、夜一〇時からの放送になっても、番組内容のリニューアルをしても、キャスターは替えずにいきたいと最後まで主張した」というのだ。
国谷氏の降板は「上層部からのキャスター交代の指示」によって決定した──。国谷氏は降板を告げられたとき、こんなことを考えたという。
「ここ一、二年の〈クローズアップ現代〉のいくつかが浮かんできた。ケネディ大使へのインタビュー、菅官房長官へのインタビュー、沖縄の基地問題、「出家詐欺」報道」
国谷氏が頭に浮かべたこれらのうち、最大の原因として考えられているのが、いわずもがな菅義偉官房長官への集団的自衛権にかんするインタビューだ。この14年7月3日の放送で、国谷氏は舌鋒鋭く集団的自衛権の行使にかかわる問題点を次々に質したが、放送終了後に菅官房長官が立腹し、官邸サイドはNHK上層部に猛抗議をしたと「FRIDAY」(講談社)が報じたほどに問題となった。
同誌によれば、官邸は"国谷が食い下がったことが気にくわなかった"というが、このときの国谷氏の質問はいずれもが正鵠を射るもので、キャスターとして当然、聞き出すべき事柄ばかりだった。にもかかわらず、「相手に対する批判的な内容を挙げてのインタビューは、その批判的な内容そのものが聞き手自身の意見だとみなされてしまい、番組は公平性を欠いているとの指摘もたびたび受ける」(国谷氏の著書より)という現実がある。
しかし、国谷氏の考え方は違う。「聞くべきことはきちんと聞く、角度を変えてでも繰り返し聞く、とりわけ批判的な側面からインタビューをし、そのことによって事実を浮かび上がらせる、それがフェアなインタビュー」と考えるからだ。
「菅官房長官への私のインタビューは、様々なメディアで、首相官邸周辺の不評を買ったとの報道がなされた。それが事実かどうか私は知らないが、もしそうだとすれば、『しかし』という切り返しの言葉を繰り返したことが、不評を買うことにつながったのかもしれない。まだまだ、『聞くべきことはきちんと聞く、繰り返し聞く』ということには、様々な困難が伴うのだろうか」
だが、国谷氏が安倍政権から「不評を買った」のは、これだけではないだろう。たとえば、15年7月23日に放送された『クロ現』の特集「検証 安保法制 いま何を問うべきか」において、国谷氏がこだわった点はこんなことだった。
番組づくりの上で、担当ディレクターは番組の構成表において「なかなか理解が進まない安保法制」と書き出していた、という。当時、当たり前のようにメディアは安保法制を語る際に使っていたフレーズだが、国谷氏はこの言葉に違和感を抱く。
「果たしてこの言葉の使い方は正しいのだろうか。『なかなか理解が進まない安保法制』という言葉は、文脈のなかでの置かれ方によっては、安保法制に反対が多いのは、人々の理解がまだ進んでいないからだ、という暗黙の示唆を潜ませることにならないだろうか。この言葉は、今は反対が多いが、人々の理解が進めば、いずれ賛成は増える、とのニュアンスをいつの間にか流布させることにもつながりかねないのではないだろうか。そういう言葉を、しっかり検証しないまま使用してよいのだろうか、私にはそう思えた」
テレビは映像の力を発揮するメディアだ。しかし他方で映像は全体像を映し出すものではないし、ときとして人びとの想像力も奪うことがある。だからこそ、国谷氏は「言葉の持つ力」を信じ、同時に言葉に慎重だった。官製報道などではない、いま現在の問題を深く掘り下げて視聴者とともに考える──そうした番組をつくってきたのだという矜持が、国谷氏の文章には滲み出ている。
国谷氏は本書のなかで、「私は長い間、かなり自由にインタビューやコメントが出来ていたように感じる」と書いている。そして「気をつけていたのは、視聴者に対してフェアであるために、問題を提起するとき、誰の立場にたって状況を見ているのか、自分の立ち位置を明確に示すようにしていたことだ」という。
「例えば、沖縄の基地問題を沖縄に行って取り上げるとき、基地負担を過重に背負っている沖縄の人々の目線で取り上げていることをはっきり伝えていた。基地問題をめぐっては、定時のニュースなどで政府の方針をたびたび伝えていれば、逆に〈クローズアップ現代〉で沖縄の人々の声を重点的に取り上げたとしても、公平公正を逸脱しているという指摘はNHK内からは聞こえてこなかった。NHKが取るべき公平公正な姿勢とはそういうものだと、長い間、私は理解し、仕事をしてきていた」
しかし、「ここ二、三年、自分が理解していたニュースや報道番組での公平公正のあり方に対して今までとは異なる風が吹いてきていることを感じた」と、国谷氏は振り返る。その時期は、安倍政権がメディアへの圧力を強めてきたタイミングと重なる。
「その風を受けてNHK内の空気にも変化が起きてきたように思う。例えば社会的にも大きな議論を呼んだ特定秘密保護法案については番組で取り上げることが出来なかった。また、戦後の安全保障政策の大転換と言われ、二〇一五年の国会で最大の争点となり、国民の間でも大きな議論を呼んだ安全保障関連法案については、参議院を通過した後にわずか一度取り上げるにとどまった」
これは『クロ現』に限った話などではなく、同時進行で他局でも起こったこと、そしていまもつづいている問題だ。報道はいつしか骨抜きにされ機能不全に陥り、たとえば南スーダンの戦闘が「衝突」と言い換えられても大した問題にならないという社会になってしまった。
オックスフォード大学出版局は、16年を代表する言葉として、客観的な事実が重視されず、感情的な訴えが政治に影響を与える状況を意味する「ポスト・トゥルース」を選んだ。だが、日本は数年前からすでにポスト・トゥルースの時代に入っている。このようななかで、メディアのあり方はどうあるべきか。国谷氏はこう綴っている。
「伝えられる情報のなかに事実ではないものが多くなっているとすれば、人々の生活に大きな影響を及ぼしかねない決断をする立場にある人間に対して、その人間から発せられた言葉の真意、言葉の根拠を丁寧に確かめなくてはならない。選択された政策や経営戦略などを検証するために、『問うべきことを問う』ことがますます求められていくのではないだろうか。ジャーナリズムがその姿勢を貫くことが、民主主義を脅かすpost-truthの世界を覆すことにつながっていくと信じたい」 
国谷裕子さんが明かす、NHKで取り上げられなかったあの「問題」 2017/1/25
国谷さんが著書で明かした降板のいきさつ
NHK「クローズアップ現代」で23年にわたりキャスターを務めた国谷裕子さんが、著書『キャスターという仕事』(岩波新書)を出版した。クロ現の歴史を辿りながら、番組の裏側、自分の言葉で「問うべきことを問う」キャスターという仕事の意義を詰め込んだ一冊だ。
その中に、国谷さんがクロ現の降板をどうNHKから伝えられたのか、本人の言葉で綴られた一節がある。国谷さんは、NHKのアナウンサーではなく、1年もしくは3年ごとの出演契約を結んでいるキャスターだ。
NHKサイドから2016年度の契約を更新をしない、と告げられたのは2015年12月26日。この頃、クロ現は揺れていた。
その前年、2014年7月に放映された菅義偉官房長官への集団的自衛権をテーマにしたインタビューで、国谷さんは時間ギリギリまで「しかし……」と繰り返した。「そもそも(集団的自衛権の)解釈変更をしたこと」への違和感や不安をどう払拭するのか、と食い下がるように、質問を続けた。
この質問が首相官邸から不評を買った、と報道された。国谷さん自身は「それが事実はどうか私は知らない」が、「もしそうだとすれば、『しかし』という切り返しの言葉を繰り返したことが、不評を買うことにつながったのかもしれない」と書いている。
契約更新をしないと告げられる直前、2015年11月には放送倫理・番組向上機構(BPO)でクロ現が特集した出家詐欺問題についての意見書が公開された。
BPO意見書やNHKの報告書では、この特集について、放映されたシーンに事実関係の誤り、隠し撮り風の映像が「事実を歪曲したもの」などと指摘された。番組の信頼に関わる”事件”だった。
NHKサイドの説明は「編成の見直しに伴い、番組をリニューアルし、キャスターを一新する」というもの。
国谷さんはこれを「想像もしなかった」と記す。
降板直前、制作現場は継続を提言していた
「想像もしなかった」大きな理由は、BPO意見書で揺れる11月、制作現場が次年度も国谷さんのキャスター継続を提言していたことだ。プロデューサーたちは上層部からのキャスター交代の指示に対して、リニューアル後もキャスター継続を求めていたという。
国谷さんはここ数年、「これまで以上に多角的な視点、より深い分析」を求められていると感じ、資料を読み込む量も増えていた。
「心身ともにきつくなっていた」ため、「体力や健康上の理由で、いつか自分から辞めることを申し出ることになる」と考えていた、と明かす。
現場サイドがキャスター継続を望んだにもかかわらず、突然、NHK上層部の意向で打ち切りを告げられる。その胸中は多くは書かれていないが、頭に浮かんだ場面については記述がある。
菅官房長官のインタビュー、出家詐欺問題ーー。
「負担を強いられている沖縄の人々を第一の視聴者」とし、「沖縄の人々の目線で取り上げていることをはっきりと伝えた」沖縄問題の取り上げ方ーー。
ケネディ駐日大使(当時)インタビューで「日本とアメリカの関係は、安倍政権の一員、それにNHKの経営委員や会長の発言によって影響を受けていると言わざるをえません」と発言したことーー。
「不寛容な空気」
2016年3月17日の最終回を前に、国谷さんはこの23年間での社会の変化の一つとして、「不寛容な空気」の浸透をあげる。
「一人ひとりの個性が大切だと言いながら、組織の管理強化によって、社会全体に「不寛容な空気」が浸透していったのではないだろうか。<クローズアップ現代>がスタートしたころと比べて、テレビ報道に対しても不寛容な空気がじわじわと浸透するのをはっきりと感じていた。」
淡々とした筆致に、変化への強い違和感がにじみでる。
国谷さんの信条は、フェアであることだ、という。彼女が考えるフェアとはなにか。言及している文章を拾っておこう。
「わかりやすくするために、ある点を強調するために、ある部分を隠すとか、触れないとかはしない。知りえたことは隠さない。視聴者には判断材料はすべて示す。」
「問題を提起するとき、誰の立場にたって状況を見ているのか。自分の立ち位置を明確に示すようにしていたことだ。」
クロ現が取り上げなかった問題
いまのNHKは果たしてフェアなのか。
国谷さんは、「NHK内の空気」にも変化が起きていると思うとし、こんな事実を著書の最後で示している。
「社会的にも大きな議論を呼んだ特定秘密保護法案については番組で取り上げることが出来なかった。(中略)2015年の国会で最大の争点となり、国民の間でも大きな論議を呼んだ安全保障関連法案については、参議院を通過した後にわずか一度取り上げるにとどまった。」 
池上彰氏「国谷さんのクロ現降板、悔しくてたまりません」 2017/4/24
Q. 国谷裕子さんの「クローズアップ現代」が懐かしいです。
長年「クローズアップ現代」のキャスターを務めていた国谷裕子さんがお辞めになりましたね。その理由は知る由もありませんが、現在の「クローズアップ現代」を見ていると時々以前の番組が懐かしくなります。池上さんは、国谷さんのことをどのように見ていましたか?(40代・女・主婦)
A. 国谷さんが番組を降板されたこと、悔しくてたまりません。
国谷さんは、もともとはジャーナリストではありませんでした。その経緯はご本人の著作『キャスターという仕事』に詳しく書いてあります。国谷さんがNHKのニュースキャスターとしてデビューする当時のいきさつは、私もすぐ近くにいたので、よく存じています。ご本人の並々ならぬ努力でキャスターとして成長され、優秀なスタッフとの協力で、「クローズアップ現代」を、日本を代表するニュース番組として定着させました。
それだけに、国谷さんが番組を降板されたこと、悔しくてたまりません。が、当時、国谷さんと一緒に仕事をしていたスタッフが、そのリベンジのためにもいい番組にしたいと努力しているのを私は目撃しています。
視聴習慣は変わりにくいため、放送時間が変わって番組の視聴率は苦戦しているようです。でも、国谷さんが築かれた伝統を守り発展させようとしているスタッフがいることを知ってほしいと思います。 
 
NHK「クローズアップ現代」やらせ疑惑

 

最後に笑うのはアノ人!? 2015/3/22 
 NHKの"やらせ疑惑"は今後こうなるという予測!
NHKの報道番組『クローズアップ現代』で浮上した「やらせ報道」疑惑。
週刊文春が3月26日号で「独占スクープ」として告発した。NHK側は「今の時点で」否定している。
問題の番組は、NHKの看板報道番組の『クローズアップ現代』で昨年5月14日に放送された「追跡"出家詐欺"〜狙われる宗教法人〜」という回だ。出家すると名前を変更できる制度を悪用し、借金を重ねる多重債務者を出家させて、別人として融資をだましとる「出家詐欺」の実態を伝えた番組だった。私自身もこの番組を放送時に視聴していたが、多重債務者などの貧困層に近づく犯罪者グループの実態をよく取材しているなと感じたことを覚えている。
この番組のなかで、関西で出家を斡旋するブローカーの男Xと多重債務者の男Yの会話が放送される。
映像は外からビルの一室を窓越しに撮影した隠し撮り映像だ。
「多重債務者(Y)「ちょっと金融の方が苦しくなりまして。こちらさんにさえ来ればもう一度やりなおせるとうかがって...」(中略)ブローカー(X)「まずは別人になるって方法があります...」」
そのあと、相談を終えてビルを出てきた多重債務者Yを記者が追いかけて路上で直撃インタビューする。
多重債務者Yは「もうカードも作れないですし、ローンも組めませんし生きていくためにしかたがない」と答えている場面が放送されている。
文春は、番組内で詐欺に関わるブローカーとして匿名で紹介されたXが、NHKの記者に頼まれて「架空の人物を演じた」と証言する内容などを掲載した。文春の記事によると、NHK記者はもともとYとは知り合いで、XとYの会話はYのアレンジで事務所が用意され、記者から「ブローカーのような掛け合いをしてほしい」という依頼があったものだという。ブローカー役を「演じた」というXは「記者に依頼されて私が演技したもので、私はこの映像がテレビで流されることすら知らなかったのです」と証言している(週刊文春3月26日号による)。
【本日発売の雑誌】NHK「クローズアップ現代」の"やらせ"独占告白......『週刊文春』(3月18日)
「NHKの報道番組である「クローズアップ現代」。今号では、同番組記者に架空の人物を演じるよう頼まれたという出演者が、その"やらせ報道"を告白するという。知人に「多重債務者」、「ブローカー」の役を依頼したという番組記者だが、これは佐村河内問題で話題になった「NHKスペシャル」の直後に行われたという。」
これに対して、NHK側は以下のように釈明している。
NHK総局長 「やらせ報道」を否定 「現在、調査中」(3月18日)
「NHKは18日、都内で放送総局長の定例会見を開き、同日発売の「週刊文春」で情報番組「クローズアップ現代」でやらせ報道があったと報じられたことについて、森永公紀理事は「現在、調査を進めている途中です。取材のプロセスを確認したが、今の段階ではやらせがあったとは考えにくい」と報道を否定した。」
興味深いことに、週刊文春以外のマスコミはこの疑惑については、双方の動きを伝える程度にとどめているのが現状だ。
この問題の真偽をきちんと伝えるには、多重債務者として番組に登場したX、ブローカーとして登場したY、取材をしたA記者、あるいは撮影したカメラマンや音声スタッフ、VTRを編集したスタッフらの証言を集めないといけないが、週刊文春以外はこれらの人物にたどり着いていないらしく、もっぱらNHK対文春の対決として、模様眺めの報道に徹している。
NHKと文春「やらせ疑惑報道」で全面対決(3月20日)
「番組ホームページによると「クローズアップ現代」はスタートして22年目を迎え、放送回数は3500回を超える。「戦後の日本社会の大きな転換点と向き合い、格闘してきた」という老舗の企画報道番組だ。通称「クロ現」と視聴者にも親しまれ、看板番組として続いている。その番組でやらせがあったとなれば、局を揺るがす大問題になりかねない。報道が事実なら、記者の個人的な不祥事だったとしても、局に構造的な要因があったのかも問われよう。政界では、籾井会長問題でNHKへの攻勢を強めている野党にとって絶好の"燃料"。会長辞任要求が突きつけられても不思議ではない。追及されるNHK側もその場しのぎで否定したわけではない。「現時点で」という前提つきながら"やらせはない"としたのには理由がある。「文春がNHKに取材をかけた以降に、この担当記者から"事情聴取"を行ったところ、文春に情報提供したブローカーを演じたという男性の素性や、取材時の不審な点が出てきた。NHKとしては文春が偽情報をつかまされたと判断しているようです」(事情通)大手メディア間で勃発した格好の"バトル"の行方はいかに――。」
私は、今回の『クローズアップ現代』のような、匿名の証言インタビューなどを集めたテレビ報道を長く経験してきた。このため、このケースで今後、こうなるだろうという展開がおよそ推測できる。
週刊文春の記事が正しいならば、NHKは近々「不適切な取材」(「やらせ」事件などを発表する時の常套句)だと発表せざるをえないだろう
あくまで文春の記事が事実だとして、という前提だが、取材にあたったA記者はNHKの社内調査に対して「やらせを頼んだ事実はない」と当初は否定するだろうと想像する。
だが、XとYの「会話」シーンがどのように撮影されたのか。
それは記者以外にもその場にいた撮影スタッフや映像をすべて見た編集スタッフに聞けばすぐにわかることだ。
NHK側が「現在、調査中」としているが、調べていけば判明するまでに時間はかからないだろう。
またNHKでは昨年の「佐村河内守」事件で、徹底的に社内調査が行なわれているので、もしもA記者が「やらせ行為」に関与したとしたら、それをかばう空気はまったくないだろう。むしろ、本人や上司などへの厳しい処分につながってくる。
今の段階では、何が本当に事実なのかを探る鍵は、この問題をくわしく報道している週刊文春の記事しかない。
ただ、週刊誌も一般的にこういう記事を出す場合は、名誉毀損で訴えられても問題ないように事実を確認して、弁護士とも相談してから世に出すのが常だ。
まったくのデタラメということは考えにくい。
少なくともX が週刊文春に対して、証言したということが事実だとして、テレビ批評の専門家として以下のことは断言できる。
記者としてのアウトな点(1)確かな信頼関係のない人物を「重要な証言者」にした
文春の記事によると、ブローカーとして番組に登場したXにとって、A記者は多重債務者役のYから紹介されたにすぎず、A記者とYはかなり関係が深いと思われる一方で、A記者とXはそれほどの信頼関係があったとは思われない。そんな関係のXを鍵を握るブローカーとして証言させたことは、かりにX記者に「やらせ」や「ねつ造」の意図がなかったとしても、脇が甘すぎる取材だといえる。
Xが証言を覆すリスクは予想すべきだ。
テレビをめぐる「ねつ造事件」としては、日本テレビの『真相報道バンキシャ!』で2008年に起きた「岐阜県庁での裏金づくり疑惑」の報道がある。「岐阜県庁による裏金づくりを知っている」という証言者を匿名にして登場させて「スクープ」として報道したが、この人物の証言がウソだった。日本テレビ側もこの人物にだまされたわけだが、けっきょくこの事件では当時の社長が退任した。
そう考えると、Xが何者であるかという身元確認はシビアに行なうのがこうした告発報道の鉄則で、NHKの報道も当然のようにこうした鉄則は踏んでいるはずだ。
ところがその手順を踏んでなかったとすると、A記者およびその上司のチェックは甘かったという可能性が高い。
記者としてのアウトな点(2)「再現シーン」と明記すべき場面を「リアルな交渉場面」のように放送した
また、ブローカーXと多重債務者Yの会話のシーンについては、週刊文春でのXの証言によると、A記者は「**さんがブローカー役で**さんが多重債務者役にしましょう」と言ったという。
そのものズバリの現場を撮影できない場合、こういう再現の場面を撮影することは報道現場でもある。
ただし、その場合は「再現シーン」であることを字幕やナレーションなどで明記するのが報道のルールだ。
それをあくまで「リアルなシーン」であるかのように放送したのはアウトである。
一般の人にはわかりにくいかもしれないが、なぜテレビの制作者が「リアルなシーン」にこだわるのか。
「・・・というような状況だった」と後からインタビューた再現シーンなどで振り返るよりも、「・・・という状況」そのものの映像を放送した方が、映像としての証拠能力は高い。リアルな、そのものズバリのシーンの映像は圧倒的な説得力に満ちている。
また、映像としてもスリリングだし、よりドキュメンタリーっぽく、リアリティがあるから、である。
そのため、私もそうだったが、できるだけ「リアルな場面」を撮影しようと努力することはテレビマンの基本中の「キ」である。
シーンとしても「その現場」を撮れているかどうかで、最初はニュース番組の企画ニュースからドキュメンタリー番組、あるいはローカル放送から全国放送へと、よりグレードの高い番組へと売り込むことができる。
だが、残念ながら、それが果たせなかった時には「これは再現です」ということは明記しなければならない、というルールは最近は各社で徹底されている。
「お芝居」なのに、「本物」のように放送する行為は、視聴者を裏切ることになるからだ。
現場では、「そのものずばり」のリアルな映像を撮れないと、記者やディレクターの能力が乏しいと評価されてしまうので、実際には「撮れなかった」とか「再現です」と正直に言いにくい雰囲気もある。
2011年に日本テレビの夕方ニュース番組『news every.サタデー』で発覚した「ペットビジネスやらせ」の事件では、担当したディレクターがペットサロンやペット保険を扱う会社を取材したものの利用客をタイミングよく見つけられず、そのペットビジネス会社の「社員」に頼んで、利用客のような「ふり」をしてもらって映像を撮影し、放送した。
このケースも「再現VTR」であることを字幕などで明示すれば問題はなかったケースだが、担当したディレクターはそれを言い出せずに「リアルな場面」だとして同様のカメラマンにも信用させて撮影させ、そのままに放送した。
これなど、「再現です」とはなかなか言いにくく、それによって評価が下がってしまうのではないかという恐れのなかでウソをついてしまう制作者の心境を物語っている。
そういう背景はあるとしても、この日本テレビの『news every. サタデー』に対して、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会は、けっして許されない「放送倫理違反」だとする意見書を出している。これに伴い、日本テレビはディレクターの上司である経済部長を更迭した。
この日本テレビのケースのように、実態は再現場面の撮影なのに、再現ではないリアルな場面だとして放送するならば、「放送倫理違反」として、関係者の責任が問われる可能性が高い。
『クローズアップ現代』の場合も、もしA記者が一種の再現場面だとXに説明して撮影しておきながら、そういう説明なしに「リアルな場面」であるかのように報道したのであれば、完全にアウトだ。
記者としてのアウトな点(3)「再現シーン」の撮影を主導したのは"相談にやってきたY"だという不思議
通常、ドラッグの売買のシーンでも、ヤミ金融の相談でも、その事務所でも路上の売り場でも、通常はそこにいる人物(販売人、業者、弁護士、麻薬Gメンなど)と示し合わせて撮影するというのが、隠し撮りのセオリーである。
ところがこの『クローズアップ現代』のシーンは、その事務所の主であるはずのXではなく、そこに相談にやってきたYの手配で隠し撮りが行なわれた。これはA記者がYとつるんでXをだました、という撮影方法だ。
もちろん悪徳な犯罪者などの実態を描くシーンを撮る場合に、まったくこうした手法がゼロとはいわないが、しかし、非常にレアなケースだし、誰の許可でどこの事務所を使って、どう撮影したのかは検証が必要だ。
Xが文春に対して、「自分もだまされた」と怒っているのは、もし、この場面の設定がXによるものでなかったなら、当然ともいえる。
週刊文春でのXの証言が事実だとすれば、つじつまが合う。
XとYの会話の場面の取材が誰の手引きで行なわれたかをたどっていけば、事実関係は明らかになるはずだ。
記者としてのアウトな点(4)多重債務者YにA記者が直撃インタビューをしている点
もしも、事前にA記者と多重債務者Yが知り合いで、かつ、つるんでいたとしたら、初めてこの場で顔を合わせたかのようにインタビューで直撃し、その返答を何食わぬ顔で放送していたとしたら、視聴者を裏切る行為である。
週刊文春もこの点を問題にしているが、もし事実ならば、これだけをもって「やらせ」と断定していい。
記者としてのアウトな点(5)NHKの記者であるということをXに対して、名乗ったり、名刺を渡してもいない
これも週刊文春に出たXの証言によるものだが、XはA記者のことをNHKの記者だという認識もなく、名刺ももらっていなかったという。
だからこそ、一連の場面が「テレビで放送される」という認識はなかったのだろう。
名刺も渡さないで取材していたのであれば、これはアンフェアな行為だ。
相手明確な犯罪者であり、違法な行為をやっているその現場の撮影などでない限り、通常はこうしたアンフェアな行為は許されない。
知らないうちにテレビに登場していたというXからすれば、A記者の行為はフェアとは言えない。一般的に記者の取材行為としてはアウトだ。
週刊文春でのXの証言が本当ならば、A記者は「やらせ」「ねつ造」を自らやっていたことになる。もちろんアウトだ。
一方で、Xが週刊文春にウソを言っていた場合、XとYの会話の場面が再現でなく、本当の「リアルな場面」だったならば、今度はそれをどうやって撮影したのか、という疑問が出てくる。
Xでないとするなら、Yと示し合わせていないとあの場面は絶対に撮影できない。
そうなると(4)のようなYへの直撃インタビューがまるで打ち合わせなしでいきなり直撃インタビューしたように放送したことは「やらせ」だということになる。
つまり、A記者はXかYか、そのどちらかとツルんでいないとあのシーンは撮影不能だということになる。
A 記者は、いずれにしても、どう言い訳しても、何らかの「やらせ」にかかわっているとしないと説明がつかない。
NHKは「やらせ」「ねつ造」とまでは明言しなくても、A記者の取材が不適切だったということはいずれ認めるほかないだろう。
A記者は懲戒処分を受けることになるだろう。
そうなると、テレビ番組のお目付役である放送倫理・番組向上機構(BPO)も調査に入ることになる。
NHKは事実関係や再発防止を総務省や国会に対しても釈明しなければならなくなる。
もちろん、以上は週刊文春の記事が完全にでっち上げではない、という前提での推測である。
ただ、週刊文春がXの証言を信じて記事をつくり、どんな動機であれXが記事になったようなことを実際に証言しているのであれば、A記者の行為にまったく問題がなかったという結論になることはない。
週刊文春も続報を出すだろうから、組織の危機管理を考えると、NHKは早いうちに事実を明るみに出した方がいい。
「やらせ」が確定した場合、一番、ほくそ笑むのは誰か?
ただ、A記者が「調査報道」として、実際には存在する「出家ブローカーの実態」を伝えようとした意図はテレビ報道の出身者としてはよくわかる。よりリアルに見せたい。貧困の広がりなどで多重債務者が増えて、それをブローカーが利用している実態の根の深さを伝えたいとしたのだろうとも想像する。
実は、このケースがNHKの局内調査で「やらせ」「ねつ造」だと判明した場合、ほくそ笑むのは誰かというと意外かもしれないが、NHKの報道、とくに『クローズアップ現代』などを中心とした数々の調査報道を、「偏向報道」だとして苦々しく考えている人たちだ。
具体的にいうと、安倍政権の幹部たちだ。
昨年、『クローズアップ現代』に菅義偉官房長官が生出演した際に、キャスターの厳しい質問が続いたことで首相官邸側が後で抗議したと伝えられる例など、『クロ現』は政権にとっては目の上のタンコブである。
また、NHKの番組が「偏向している」という認識を公言していた籾井会長をはじめ、政権の意向をひしひし感じている現在のNHKの経営陣にとっても、この報道番組に介入する口実ができたことになる。
もし『クロ現』での「やらせ」「ねつ造」がはっきりすれば、番組を打ち切る、あるいは、番組内容を大きく変える、とか、あたりさわりないテーマを多くするなどの「口出し」を露骨にしてくるに違いない。NHK局内では早くも『クロ現』つぶしの声まで上がっているという。
今回の「やらせ疑惑」が確定した場合、関係者の処分や再発防止の対策、体制見直し、BPOでの審議などへと発展してだろう。
だが、視聴者はよくよく注意してほしい。
それでもエッジの効いた調査報道を時々、見せてくれる『クローズアップ現代』の灯を消してはならない。
優れた調査報道を見せてくれた番組で起きた「やらせ疑惑」は非常に残念だが、私たち国民は「角を矯めて牛を殺す」ようなことになっていかないか、注意深く、事態の推移を見守っていくべきだと思う。
そうした監視の目を強めていないと、最後に笑うのはアノ人たちだという構図を理解しておいた方がいいだろう。 
国谷裕子キャスターが番組内で謝罪 「ブローカーの活動拠点ではない」 2015/4/9
NHKの報道番組「クローズアップ現代」でやらせが指摘された問題で、国谷裕子キャスターは4月9日の番組内で謝罪した。NHK調査委員会が同日公表した中間報告で一部の誤りを認定したことを受けた。
国谷キャスターは「昨年5月の放送で『(詐欺の)ブローカーの活動拠点』としてお伝えした部屋は活動拠点ではありませんでした。取材が不十分だったもので、部屋の借り主と視聴者の皆様におわびします」と述べた。
さらに、調査委がさらに調査を進め、できるだけ早く報告をまとめることも伝えた。
この問題では、調査委が中間報告で、国谷キャスターの発言と同様に、番組の収録現場を「(詐欺の)活動拠点」と表現したことは「誤りであり、裏付けが不十分だった」と認めた。ただし、その他の点では記者と出演者の話が大きく食い違っているとして、やらせの有無や不適切な演出の有無を調べて報告書を近くまとめ、外部委員の「見解」と併せて公表する方針。 
『クロ現』やらせ NHKは民放よりも甘い! 2015/4/16
 (1)「特捜のプロ」に調べさせよ!
『クローズアップ現代』やらせ事件。私は自分自身もテレビで調査報道を行なってきた経験から、今回の問題は"疑惑の取材"を行なったN記者による確信犯的なやらせ・捏造があったとみている。そのため、N記者がかかわった過去の取材もはたして問題がなかったのか、徹底的に検証すべきだと思っている。すでに私の元にもN記者の取材についての問題だと思われる事案について情報が寄せられている。 
さて、先日、NHKの調査委員会がこの問題で中間報告を発表した。
まだ中間報告で、最終的な結論ということではないが、いわゆる「やらせ」の事実があったかどうかについては、取材をしたN記者の発言と番組に「ブローカー」として登場した人物A氏の発言が真っ向なら対立している。「ブローカー」氏はN記者から演技するよう依頼されたと発言し、N記者は否定している。また、番組の中で、「ブローカー」の活動拠点とされる事務所に相談に訪れたことになっている「多重債務者」として登場する人物B氏は、N記者とは8、9年の知り合いだというが、この人物もN記者による演技の依頼はなかったと主張している。いわば両論併記で、それぞれの人物がこう言っている、と書いてあるだけだ。
それぞれの言い分は「食い違っている」ことだけを認定したらしい。
「真実」をどうしても追及しようという迫力はまったく感じられない。
この中間報告を読む限り、最終報告もこの調子で、それぞれがこう言っている、として、両論併記になるのだろう。それで「食い違っている」というだけでそれ以上は踏み込まないものと想像ができる・おいおい。冗談ではない!
今回の調査費用で外部の弁護士らへの報酬も受信料から出ているのだ。真面目に調査をやってもらわないと困るのは視聴者だ。
確かに、調べているのはNHKの調査委員会で、弁護士も入っているものの、強制的な調査権はない。仮にN記者とB氏が口裏を合わせ、シラを切り続けたら、それ以上は踏み込めない。本当の意味での真実は永遠に闇に葬られる。NHKは外部の委員にも意見を聞いて最終報告を出すと言っている。
しかし、このままでは真実に近づくことができないままで終わる雲行きが濃厚なのだ。
では、真実はわからないままでおしまいなのか。
実はきわめて有効な打開策がある。
この種の取り調べに慣れている元特捜検事たちのチームを作ることだ。
実際、過去にそんな事例が民放にある。
2007年に発覚した関西テレビの『発掘!あるある大辞典2』の調査報告書だ。154ページにも及んだ徹底した調査だ。これに比べると、今回のNHKの『クローズアップ現代』の調査委員会は、中間報告とはいえ、わずが数枚のペーパー。あまりに調査する意欲に欠けたものだといわざるをえない。参照:「当然、科学的根拠や実験の正確性確保のためのガイドラインの作成など、自主的なルール作りがあって然るべきであったといえる」
関西テレビの『発掘!あるある大辞典2』についての外部委員会による調査では、調査委員長は熊崎勝彦氏。弁護士で、元東京地検特捜部長、元最高検公安部長。様々な事件の容疑者を追いつめて自白させてきた特捜の中でもプロ中のプロである。
当時の委員の一人に聞くと、熊崎委員長の取り調べは迫力があるもので、ほぼ一方的に話しているのに、当初はシラを切っていたディレクターやプロデューサーたが彼に調べられると、次第に涙を浮かべて「申し訳ありませんでした」と罪状を認め、次々に「落ちていった」という。
また実際の調査には、熊崎氏のかつての子分の元検事たちが手足として調査チームに加わって、証拠固めをしていったという。
熊崎氏は現在、日本野球機構コミッショナーだ。
NHKが本気で今回の『クロ現』の疑惑について調べる気があるなら、「特捜のプロ」であるヤメ検の弁護士たちを起用することだ。
それも大掛かりな調査チームを編成させる。
それをしないのは、NHKが民放である関西テレビがやった程度にも真剣に取り組む意思がない、ということでもある。
だが、『クローズアップの現代』の問題は調べれば調べるほど、深い闇が次々に出てきそうだ。
ちなみに『発掘!あるある大辞典2』の事件では関西テレビの社長は引責辞任した。高い取材能力で知られるNHKなのに、民放の程度にも調査しないし、潔く責任を取る最高幹部もいないのか。 
『クロ現』やらせ NHKは民放よりも甘い! 2015/4/16
 (2)民放ならすぐにバレたはず
『クロ現』のやらせ疑惑で、NHKが民放よりも甘い点 第2弾。
今回の『クローズアップ現代』でのやらせ・捏造疑惑。同じことをやろうとしても民放では難しかっただろうと思われる。
民放では難しく、NHKだからこそできたのではないのか、と思う。取材を行なったN記者が週刊誌で報道されている通りにやらせを主導したとしても、民放であればかなりの確率で周囲にバレていたといえる。
民放では、多くの場合は事前にバレて、やらせの放送は実現しない。
多くの人は疑問に思うだろう。
娯楽番組を流している時間の方が圧倒的に多い民放の方が「やらせ」が難しいなんてー。
実際、BPOが審議するような「やらせ」などの問題になる放送の多くはNHKよりも民放で起きているのも現実だ。
だが、報道の現場に関する限り、少なくともこの数年以内の間であれば、今回の『クロ現』のような大胆なやらせ行為は民放局では相当に実行が難しい。
一体なぜだろうか?
周囲のスタッフが止めるからだ。
民放ではこの数年ほどの間に、一人が「やらせ」「捏造」を意図したとしても、他のスタッフによる牽制や監視によって、それが防止しようとするメカニズムが働くように次第になってきた。
特に、関西テレビ、東海テレビ、日本テレビなど、比較的最近、BPOで審査されたり、その結果として「放送倫理違反」などを 指摘されたような局は、再発防止策をきちんと立ててあり、同じようなことがあった場合にどうすべきかを繰り返し研修している。
もちろん、それによって「2度と手は出しません」というふうに100%やらせがなくなるわけではない。
しかし、ある程度の効果は出てきてもいる。
2007年に関西テレビ『発掘!あるある大辞典2』で、データなどの情報が誇張されていたり、捏造されていたりしたことがわかった。
そこで関西テレビでは、この事件後に二度とやらせや捏造などをしないように、他局に比べてもくわしい「番組制作ガイドライン」を作成している。そこでは、やらせと虚偽・捏造などについて、過去の実例が出ている。
また関西テレビでは外部講師などを招いて、報道や制作にかかわる社員やスタッフの放送倫理の向上を目的とする研修会を時折、開いていて意識の向上に努めている。
2012年11月末、同社のニュース番組は、大阪市の職員が規定に違反して兼業しているという実態を、そうした実態を知る告発者の匿名インタビューを元に特集で放送した。ところがこのニュースのVTRに出てくる告発者のインタビューは、声は当人のものであったものの、その姿は撮影スタッフの1人のものであることが判明した。
外見だけであっても虚偽の映像を使ったものとして、BPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会から放送倫理違反とされた。
この事案は、あの『発掘!あるある大辞典』で問題を起こした関西テレビが再び不祥事、という意味ではかつての事件の教訓が生かされていないという批判を受けたが、他方で、撮影について違和感を抱いて問題を最初に指摘したのがカメラマンであったことから、'''『あるある事件後の教訓や研修が生きた、という評価する放送関係者も少なからず存在する。'''
他の民放でも記者やディレクターによる取材が放送倫理上、問題があると思われる場合、カメラマンならカメラデスクなどに報告するように指導されているテレビ局は多い。
つまり、NHK『クローズアップ現代』のようなケースで、仮に記者が確信犯で「やらせ」行為に加担していたとしても、カメラマンら他のスタッフがチェックして「おかしいのではないか?」と声を上げるケースが民放では実際に多いのに、なぜ今回『クロ現』ではそうならなかったのか、という疑問が生じることになる。おそらく民放、なかでも関西テレビだったら、記者が同じようなことをしてもカメラマンが上司に告発して、放送前に問題になって、止められていただろうと想像される。
筆者もNHKの報道番組制作におけるチェック体制の厳しさは民放の比ではなく、何重ものチェックが行なわれている実態を知っている。
それにもかかわらず、今回、『クロ現』でやらせや捏造にあたる行為が発覚したのはなぜなのか。
なぜNHKが放送前にチェックできなかったのかを今後も検証していかねばならない。
ただ、当該のN記者に関しては、以前、行なっていた取材についても疑わしい点が少なからず出てきている。
そうした点で、過去のN記者の取材に関しては、カメラマン、音声マンなどの撮影スタッフや関与した制作会社も含めて、徹底した調査をしていく必要があると思う。
ひょっとして、N記者に協力した制作会社があるのではないか。
そうしたところまで調査を広げないと、『クロ現』やらせ事件の全貌はわからないと思う。 
国谷裕子キャスターが番組内で涙の謝罪 「クロ現」やらせ疑惑 2015/4/28
NHKの報道番組「クローズアップ現代」で「やらせ」が指摘されていた問題で、NHK調査委員会が4月28日、「過剰な演出」があったとする調査結果をまとめた。これを受けて、NHKは同日、同番組の放送予定を変更して調査報告書の内容や調査委の会見の様子を放送、国谷裕子キャスターが涙ぐみながら謝罪した。
国谷キャスターは番組の最後、「22年間番組を放送してきましたが、事実に誤りがある番組を放送してしまったこと、視聴者の信頼を損ねてしまったことをおわびいたします。常にフェアで事実に誠実に向き合うことで番組に取り組んできましたが、今回調査委員会により、その一部が視聴者の信頼に反する内容と指摘されました。私としても残念でおわび申し上げます」と、涙ぐみながら頭を下げた。毎日新聞はこう伝えた。
問題とされたのは、2014年5月放送の「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」。調査委は、過剰な演出や事実関係の確認不足があったとしたものの、「やらせ」によるよる捏造はなかったと結論づけた。
NHKは取材を担当した大阪放送局記者(38)を停職3カ月とするなど15人を懲戒処分とした。籾井勝人会長ら役員4人は報酬の一部を自主返納する。 
最終報告書で別の『クロ現』疑惑に触れない 2015/4/29
NHKが公表した「最終報告書」は『クローズアップ現代』の宗教法人詐欺の"やらせ疑惑"について調査し否定したが、調査報告書として「非常に不十分」だ。
「いわゆる『やらせ』は行っていない」というNHK
「A氏を裏付けのないままブローカーと断定的に伝えたことは適切でなかったが、B氏が多重債務者であり、本当に出家を考えていたことは事実であると思われる。また記者は、多重債務者のB氏から「A氏に相談に行く」と聞かされ、相談の撮影を考えたのであり、「役」の入れ替えを提案されたというA氏の主張は受け入れられない。A氏は、相談やインタビューで語った内容について、記者から具体的な指示などはなかったとしている。こうした点を考慮すると、記者が意図的または故意に、架空の相談の場面を作り上げ、A氏とB氏に演技をさせたとは言えず、「事実のねつ造につながるいわゆる『やらせ』は行っていない」と判断する。」
28日にNHKが公表した「最終報告書」は、"やらせ"を否定した。
NHKの調査委員会が『クローズアップ現代』の宗教法人詐欺の"やらせ疑惑"について調査した末の結論だ。
だが、これについて一読した私の感想は、
調査報告書として「非常に不十分」というものだ。
まず、第一に、真っ向から意見が対立しているA氏、B氏、N記者の言い分がなぜ違うのか、という点にはまったく迫っていない。
「ブローカー」として番組に登場したA氏と、「多重債務者」として登場したB氏や取材したN記者とは、大きく主張が異なっている。
A氏は「自分はブローカーではない」「N氏にブローカーを演じるように依頼された」と主張し、B氏とN記者はそうした事実はなかったと主張している。
A氏は、週刊誌の取材に対して証言し、その後に記者会見を開いたり、BPO(放送倫理・番組向上機構)に、人権侵害の申し立てを行うなどしている。
どうしてこういう事態になったのか、この「最終報告書」を読んでも、さっぱりわからない。
また、「やらせ」という言葉にしても、「相談やインタビューで語った内容について、記者から具体的な指示などはなかったとしている。こうした点を考慮すると、記者が意図的または故意に、架空の相談の場面を作り上げ、A氏とB氏に演技をさせたとは言えず、「事実のねつ造につながるいわゆる『やらせ』は行っていない」と、
"やらせ"という行為を、非常に狭く解釈している。
これは意図的なのだろうか?
「具体的な指示」がなければ、それは「やらせ」とは呼ばないかのようだが、実際には「やらせ」は関係性において「あうんの呼吸」で行われることもありうる。
さらに、全体的に、N記者の言い分に沿った形で検証が行われている。
A氏の主張は「合理性を欠いている」と退けている。
だが、仮につじつまが合わない部分があるとしても、一部でも真実である可能性はないのか、などという検証的な眼で調査を行っていないように思われる。
また、もっと大きな問題は、一部週刊誌で最近、報道された、N記者がかかわる「もうひとつの『クロ現』の疑惑」にまったく言及していない、ことである。
これは、昨年、N記者が取材にかかわった覚せい剤や脱法ドラッグ(危険ドラッグ)を扱った回の『クローズアップ現代』で、N記者が「脱法ドラッグに詳しい人物」として、取材してその証言を使った人物が「ジャーナリスト」だった、という問題だ。
「『FLASH』によると、NHKのある職員が「"ヤラセ"は他にもあります」という告発情報を寄せてきたのがきっかけで、この"脱法ドラッグに詳しい人物"なる人間が、実は「N記者の知人のフリージャーナリスト」である、という。」
私の元には、その「ジャーナリスト」についての内部告発が、NHK関係者からも寄せられている。
テレビ報道にも関係している人物だという情報提供もあった。
そうであれば、広い意味でNHKの身内ではないのか。
もしも自分たちの関係スタッフを、匿名にして「〜に詳しい人物」として、都合よく証言させたというならば、重大な「放送倫理違反」である。
当日の『クローズアップ現代』には制作に協力した制作会社のクレジットは出ていなかった。
身元を明らかにして提供された情報なので、この情報には一定の信ぴょう性があると思われる。しかし、確認するまでの時間がないので、ここではそういう情報提供があったことだけを伝えておくにとどめる。
いずれにしても週刊誌報道が出てから、NHKの調査委員会がこの「ジャーナリスト」という人物がどういう素性で、N記者との関係を調べていれば、『クローズアップ現代』をめぐる疑惑は、もっともっと調べるべき対象が多いことがわかったはずだ。
もし、この報道や提供情報が事実だとすれば、このジャーナリストがテレビ報道番組で「裏社会」をめぐる問題について取材や放送の経験がある人間かなどもわかるはずだ。
こういう人物をこういう形で使いながら、それを明らかにせずに、「脱法ドラッグに詳しい人物」として素性を明かさずに放送したN記者および『クローズアップ現代』の行動ははたして適切だったのか、問われるべきだ。
また、今回の検証対象になった『宗教法人詐欺』の回でも、同じ「裏社会に詳しい人物」として、この「ジャーナリスト」が出ていないのか、同様の手口が使われていないか、検証されるべきである。
実際、今回の最終報告書でも、N記者が別の『NHKスペシャル』などでB氏を登場させていたことが確認されている。(しかもNHKはこのことを大きく問題視していないが、おそるべき感覚の鈍さだと思う。)
でも、この「ジャーナリスト」について委員会が調査もすることなく、「最終報告書」は出された。
つまり、NHKの調査委員会はこの問題にはまったく触れることなく、幕引きをしたのだ。
これは、どうみても「不可解」だし「不自然」でもある。
これは、過去の民放の不適切な放送のケースと比べても、明らかにずさんな検証だと言える。
たとえば、2011年に東海テレビの『ぴ−かんテレビ』で起きた「セシウムさん」事件での調査検証では、問題のテロップを作成したテロップ制作者の周囲との人間関係などが徹底的に調査され、番組制作費の変遷、個々のスタッフの仕事量、経営計画までが検証の対象とされた。
「全員が絶対的に多いですよ。仕事量は」
などと、プロデューサーの証言などをヒアリングして公開している。
こうした民放テレビ局の姿勢と比べても、今回のNHKの調査報告は中途半端としか言いようがない。
「過剰な演出」だというにしても、N記者がなぜそれを行ったのか。なぜ上司にも偽った報告をして、今回の行為をしてしまったのか。報告書にはまったく書かれていない。
今回、NHKは関係者の処分も発表した。
問題のN記者は、停職3カ月。
上記の、別の回の『クロ現』疑惑は調査委員会の調査対象ではなかったので、余罪としてはカウントされていないらしい。
そして、籾井勝人会長は、「処分」ではなく、役員報酬の「自主返納」20%を2カ月。
籾井氏のクビは結果的につながった、といえる。
なぜこんな拙速としか言いようのない「最終報告書」を出したのか?
籾井会長への波及を避けるための、拙速な幕引きという「結論ありき」の筋書きだったのではないか。
だとすると、やはり今回の調査そのものが、初めから落としどころが見えていた、という疑惑が残る。
今回の調査そのものが"やらせ"だったという疑いがぬぐえない。
下にも甘く、上にも甘く・・・
発表された再発防止策も新味はなく、これまで不祥事を起こした民放テレビ局による再発防止策よりもはるかに甘い。
これではいずれ、NHKでまた不祥事が発覚するに違いない。 
クローズアップ現代の過剰演出は「重大な倫理違反」 BPOが意見書 2015/11/6
昨年5月にNHK「クローズアップ現代」で放送された「出家詐欺」報道の過剰演出問題で、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は6日、意見書を発表した。番組について「重大な放送倫理違反があった」と指摘する一方、この問題で高市早苗総務相がNHKを厳重注意したことや、自民党がNHK幹部を呼んで説明をさせたことを厳しく批判した。同委員会が国や与党に異議を表明するのは初めて。
同委員会が注目したのは、出家詐欺のブローカーの活動拠点を多重債務者が訪れ、出家について相談するという場面。初対面のようなやりとりをするが実は2人は旧知で、場所も多重債務者が管理するビルの空き部屋だった。依頼した上での撮影なのに、離れたビルから、室内に仕込んだマイクを使い「隠し撮り」のように行った。裏付けもしない安易な取材態度やスタッフ間の対話の欠如などが背景にあったとした。
NHKの検証については「取材・制作過程についての放送倫理の観点からの検証が不十分であるとの印象をぬぐえなかった」と批判。「やらせ」を認定しなかったNHKの放送ガイドラインについて、「視聴者の一般的な感覚とは距離がある」と指摘した。
NHKは「裏付け取材を行わず、報道番組で許容される範囲を逸脱した表現で重大な放送倫理違反があったという意見を真摯(しんし)に受け止める。事実に基づき正確に報道するという原点を再確認し、現在進めている再発防止策を着実に実行して、信頼される番組作りにあたっていく」とのコメントを発表した。
また、意見書では、高市総務相の厳重注意について「報道は事実をまげない」など放送法の規定を根拠にしていると指摘。その上で「これらの条項は、放送事業者が自らを律するための『倫理規範』。政府が放送法の規定に依拠して個別番組の内容に介入することは許されない」と断じた。
さらに、NHKが自主的に再発防止策を検討していたにもかかわらず総務相が厳重注意したことを、「放送法が保障する『自律』を侵害する行為」とした。
自民党情報通信戦略調査会がNHKの幹部を呼び番組について説明させたことも、「放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである」と批判した。
高市総務相は6日夜、報道陣の取材に「行政指導は法的拘束力があるわけでもなく、あくまでも、要請という形で受けた側の自主性にゆだねるもの。行政指導について、いきすぎたとも拙速だとも思っていない」と反論した。
BPOでは放送人権委員会でも、同番組の審理を続けている。
「クローズアップ現代」の過剰演出問題
NHKが2014年5月14日の同番組で、多重債務者が出家して戸籍名を変え、債務記録の照会を困難にする「出家詐欺」を特集。週刊文春が今年3月、「やらせがあった」と報道した。NHKの調査委員会は4月、報告書で「やらせ」はなかったとする一方、「過剰な演出」や「視聴者に誤解を与える編集」があったと公表した。番組では詐欺をあっせんするブローカーとされる男性と多重債務者とされる男性が相談する部屋を隠し撮りしたように放送したが、実際は記者も部屋に同席していた。NHKは記者ら15人を処分。5月からBPO放送倫理検証委員会が審議していた。
検証委が指摘した主な問題点
・重大な放送倫理違反があった
・事前取材も裏付け取材もなしに、情報提供者の証言に全面的に依存
・報道番組で許容される演出の範囲を著しく逸脱
・「隠し撮り」風の取材は事実を歪曲(わいきょく)
・NHK放送ガイドラインの「やらせ」の概念は視聴者の一般的な感覚とは距離がある
・政府が放送法の規定に依拠して個別番組の内容に介入することは許されない
・放送の自由と自律に対する政権党による圧力は、厳しく非難されるべきだ 
NHK「クロ現」消滅危機…視聴率低迷、問われる矜持 2019/2/6
NHKの看板報道番組「クローズアップ現代+(プラス)」が4月から週4回(月〜木曜)から週3回(火〜木曜)に縮小されることになった。しかし、実際は番組自体が存続の危機に瀕しており、状況によっては、秋にも消滅のおそれがあるというのだ。
「クロ現」は1993年に始まり、政治や経済、事件など幅広いジャンルを深く掘り下げる調査報道番組。2016年4月から午後10時の枠で放送されている。
4月からは、月曜日にはドキュメンタリー系の番組を放送し、「クロ現」は火〜木曜日の週3回となるというが、「もともとは上層部の判断で番組自体を廃止しようという流れでした」と関係者は明かす。
「午後7時半というゴールデン帯だった『クロ現』の枠をめぐり、NHKでは、バラエティー路線を強化したい編成局と伝統の報道番組を残したい報道局で争ってきました。そこに起きたのが2015年のやらせ疑惑。これで上層部はクロ現廃止の流れに傾きました」
しかし、廃止には抵抗も強く、番組は午後10時に移行。「裏には『報道ステーション』や人気ドラマなどが多く、視聴率的にはより厳しい時間帯。案の定、視聴率は一桁台に低迷しています」とテレビ誌編集者。
「その間に『チコちゃんに叱られる!』といったバラエティーが台頭し、この路線が強化されています。さらに午後10時半以降の番組のスタッフからも『クロ現で下がった数字を取り戻すことができない』と不評が上がっている」と続ける。
そこで再び、クロ現の存続問題が浮上した。
「番組を終わらせようという意見が、上層部から上がったようです。その中で週1回の75分番組という案も検討された結果、週3回という形に落ち着いたようです」と先の関係者。
しかしまだ問題が解決したわけではない。
「今回の変更で数字が好転しないと、打ち切りが俎上に上がる。さらに枠を削られるか、本当に消滅するかという判断になってくるのです。しかし視聴率だけで判断することが、報道機関として正しいあり方なのか。NHKの矜持が問われることになりそうです」と先のテレビ誌編集者。 
 
国谷裕子の現在! 2019/2/27

 

国谷裕子のプロフィール
・生年月日: 1957/2/3 -
・出身地: 大阪府
・活動内容: アナウンサー、ライター、リサーチャー
・家族構成: 既婚。曾祖父は政治家の田附政次郎
・出演作品: 情報番組「NHKニュースTODAY」「クローズアップ現代」など
国谷裕子の経歴
国谷裕子さんは大阪府出身で、1957年2月3日生まれの現在62歳です。国谷裕子さんは3人姉妹の次女になります。父の海外勤務に伴い、幼少期はアメリカのニューヨーク、サンフランシスコで育ちました。
また、小学校6年から中学までは香港と日本を行き来する生活でした。このころから、国谷裕子さんは多忙な人生を歩んでいました。帝塚山学院小学校、聖心インターナショナルスクール、ブラウン大学卒業とエリート人生をまっしぐらな国谷裕子さんは、大学卒業後にプロクター・アンド・ギャンブル・サンホームに就職しました。
プロクター・アンド・ギャンブル・サンホームに就職した国谷裕子さんは1年足らずで退職し、知人の紹介で「NHKニュース」の英語放送の同時通訳者、ライター、リサーチャーを務めることとなりました。これをきっかけに国谷裕子さんは、報道の世界に入ることとなります。
1985年の国谷裕子さんが29歳の時に夫の国谷史朗さんと結婚しました。夫の留学に伴いアメリカに渡り、ニューヨークで専業主婦となりました。しかし、1986年にNHKニューヨーク総局のリサーチャーを担当し、1987年から「ワールドニュース」の駐米キャスターを担当することとなります。
駐米キャスターを担当していた国谷裕子さんは、1988年に帰国し「NHKニュースTODAY」の国際コーナーを担当しました。その他にも「NHKニュース21」「ワールドニュース」にも契約出演しするなど、ニュースキャスターとして活躍していました。
1993年に出演していた「NHKニュース21」が終了した後、「クローズアップ現代」のレギュラーキャスターを務めることとなります。しかし、2016年に国谷裕子さんは、「クローズアップ現代」から降板となりました。
2016年4月には東京芸術大学理事に就任し、2017年には「キャスターという仕事」を出版しています。その他にも、国連食糧農業機関(FAO)日本担当親善大使に就任しており、現在でもキャスターとしてだけではなく講演会を行うなど様々な方面で活躍されています。
国谷裕子の現在
若い頃からNHKのニュースキャスターとして活躍されていた国谷裕子さんですが、2016年にNHK「クローズアップ現代」のキャスターを降板しました。その国谷裕子さんの現在について、ご紹介していきたいと思います。
NHK「クローズアップ現代」キャスター降板
2016年3月17日に国谷裕子さんは、1993年から23年レギュラーキャスターを務めてきたNHK報道番組「クローズアップ現代」を降板しました。2015年12月20日にNHK編成局長の黄木紀之さんから「クローズアップ現代」の担当者に対し国谷裕子さんの降板が通知されたとのことです。
そして、2016年の番組改定に伴い、国谷裕子さんの番組降板情報が報道されました。NHK関係者は国谷裕子さんの降板理由を「上層部が番組改定すると決定したため」としていますが、ネットなどでは「政府官邸の意向反映」との噂もあります。
この噂が浮上した理由は、国谷裕子さんが「クローズアップ現代」の番組内で、菅義偉官房長官に憲法解釈について突っ込んだため、官邸からクレームが来たと報じた記事があったからです。
本当の降板理由は分からないままではありますが、ジャーナリストの池上彰さんも「長い間、優秀なスタッフと協力して『クローズアップ現代』を日本を代表するニュース番組に定着させた、国谷裕子さんが降板されたことが悔しくてたまりません」とおっしゃっていました。
NHKキャスター降板後は「徹子の部屋」に出演
23年間の間「クローズアップ現代」のキャスターを務めていた国谷裕子さんは「放送人グランプリ2016」を受賞しました。その授賞式に出席した時に「徹子の部屋」に出演することを明かしました。
そして、2016年6月7日に「徹子の部屋」に国谷裕子さんは出演しました。これは、国谷裕子さんの民放初出演となりました。NHKの印象が強い国谷裕子さんが民放に出演していることから、視聴者からは驚きの声が多く上がりました。
番組内では、キャスター人生で経験したことや裏話などを語られていました。その他にも、国谷裕子さんの若い頃にバックパックで世界一周した話や若い頃の写真が紹介されていました。
著書「キャスターという仕事」を出版し話題に
国谷裕子さんは2017年1月20日に初の著書である「キャスターという仕事」(岩波新書)を出版しました。「キャスターという仕事」では、国谷裕子さんのキャスター人生について、クローズアップ現代での23年間についても書かれております。
国谷裕子さん自身のメッセージでも「キャスターという仕事をしてきた中で言葉の力を信じて、キャスターという仕事とは何かを模索してきた記録」と紹介しています。
国谷裕子の結婚・子供や実家
キャスターとして様々な活躍をされている国谷裕子さんは、1985年に結婚されています。その国谷裕子さんの結婚、子供についてや国谷裕子さんの実家についてご紹介していきたいと思います。
結婚相手は弁護士・国谷史朗
国谷裕子さんの夫である国谷史郎さんは、大阪弁護士会所属の弁護士です。国谷史郎さんは、1980年に京都大学法学部を卒業し、1980年に最高裁判所司法研修所司法修習終了しており、1987年にニューヨーク州で弁護士登録されています。
国谷裕子さんに劣らず、立派な経歴の持ち主の国谷史郎さんは、過去に「クローズアップ現代」にゲストコメンテーターとして出演されたこともあります。また、日本代表の監督を務めたこともある岡田武史さんと小学校時代の同級生だそうです。
子供
国谷裕子さんと夫の国谷史郎さんの間に子供がいるのか調べたのですが、子供がいるという情報はございませんでした。お二人の間に子供が絶対にいないということは断言できませんが、もし子供がいたとしたらもの凄く優秀なお二人の子供ですので、超エリートに育っていることだと思います。
実家
国谷裕子さんは、日本屈指の実業家の家庭の子供として生まれ育ちました。曾祖父の田附政次郎さんは近江商人、実業家で、東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に関与しています。その他にも帝塚山学院や北野病院を創設しています。
また、綿糸相場師として活躍して「田附将軍」と呼ばれていた方でした。国谷裕子さんの父は、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)の専務を経て、三和キャピタル相談役、いすゞ自動車監査役を務めていました。また、帝塚山学院と北野病院の理事も務めていました。
田附政次郎さんの実業家としての功績も凄いのですが、田附政次郎さんの叔父は「伊藤忠商事」の創業者である伊藤忠兵衛さんになります。このような華麗なる一族の一員として、国谷裕子さんは育ちました。国谷裕子さんの気品は、生れによるものも大きいのかもしれません。
国谷裕子の事務所・講演
若い頃からNHKのキャスターとして活躍されていた国谷裕子さんですが、「クローズアップ現代」降板後に民放である「徹子の部屋」に出演されていましたので、所属事務所はNHKではなくなったことはお分かりだと思います。
では、国谷裕子さんの現在の所属事務所はどこなのか気になっている方は多いのではないでしょうか?そんな、国谷裕子さんの現在の所属事務所と現在精力的に活動している内容をご紹介していきたいと思います。
事務所
国谷裕子さんの所属事務所はというと、現在は「フリーランス」になります。「フリーランス」というのは、どこの事務所にも所属していないことで、アナウンサーやキャスターでは多くいます。
事務所に所属していないアナウンサーで有名なのは、大塚範一さん、新井恵理那さん、加藤綾子さんなどがいらっしゃいます。フリーアナウンサーになると所属事務所がないため、各局をまたいで出演することができますが、人気がないと仕事は入ってこないという厳しいものでもあります。
講演
現在の国谷裕子さんは、様々な講演会を開催しています。例えばもりおか女性センターでは、毎年6月に国が定める「男女共同参画週間」に合わせて「男女共同参画週間 もりおか展」というのが開催されるのですが、そこで国谷裕子さんが講演をなされました。
その講演では「なぜこのような小さい講演会に来てくれたのか?」という質問に対し「色々な自治体が熱心に女性が活躍できる社会をどうすれば作っていけるか試行錯誤している。女性が働きながら育児もできる、そういう社会、環境に日本を作らなくては、本当の意味での少子化対策にならない」と答えられました。
その他にも「今後、女性達がこうなったらいいな、というイメージはあるか?」という質問に対して「フィンランドのように父親の8割が、育児休暇を取るというのは現在の日本では難しいが、結婚して子供がいる家庭では、両親が家事と育児をしている姿を子供が見れば、それが当たり前の時代が来る」
「結婚して子供がいる女性たちが当たり前に働くということに対して女性達自身も自己肯定感をもって生活できたらいいな、というイメージを持っています」と答えられていました。結婚後に専業主婦となった後もキャスターの第一線に復帰し、数々の活躍をされた国谷裕子さんが言うと説得力がありますね。
この講演会以外にも様々な講演を行われており、女性の働き方に関することだけではなく、環境問題などについても精力的に講演されています。
フリーの現在
現在、事務所に所属せずにフリーで活躍されている国谷裕子さんですが、その年収も凄いとのことです。まず、フリーというのは事務所に所属していないため、給料がダイレクトで受け取ることができますので、事務所に所属している時と同様の活躍をしていれば、年収は上がります。
そんな、国谷裕子さんの年収は、そのフリーという立場から考えても4000万円前後はあるのではないかとのことです。50代のサラーリマンの平均年収が660万前後ですからとてつもない年収だということがわかります。
国谷裕子の若い頃
国谷裕子さんは現在でもお美しい方ですが、若い頃もすごく美しく素晴らしいプロポーションだったそうです。そんな、国谷裕子さんの若い頃についてご紹介していきたいと思います。
若い頃から美脚
国谷裕子さんは現在でも美しい方ですが、お顔だけの話ではなく美脚であるということでも話題です。2014年に「OGUE JAPAN Women of the Year 2014」を受賞した際、他の受賞者には米倉涼子さん、杏さん、黒木華さんなどといったモデル、女優として第一線で活躍されている方々がいました。
その中でも、国谷裕子さんが浮くということは無く、若者には表現できない気品や美しさがありました。やはり、人前にでるお仕事をされているので、並々ならぬ努力をしていることだと思います。
若い頃から健康管理も怠らない努力家
現在でも美しさを保っている国谷裕子さんは、若い頃から健康管理を怠らなかったそうです。「クローズアップ現代」に出演していた頃も、仕事の合間を縫ってジムに通い体を鍛えていたそうです。
忙しい時期でも健康管理を怠らなかった努力があるからこそ、現在でも美しい姿を維持できているのだと感じました。家系も凄いですが、やはり国谷裕子さんが成功している理由は、本人の努力の賜物だと思いました。
美しいと話題の若い頃
国谷裕子さんの若い頃がとても美しいと話題です。上記の画像は「徹子の部屋」で紹介されていた若い頃の国谷裕子さんになります。確かにとても美人さんですね。知的なイメージで、気品に溢れています。さぞモテたことだと思います。
国谷裕子は現在もフリーで活躍
国谷裕子さんの事務所や講演などといった現在、結婚や子供についてご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?華麗なる一族で生まれ育った国谷裕子さんは、その家系に恥じぬ経歴の持ち主です。
29歳で夫の国谷史朗さんと結婚し、夫の留学に伴いアメリカでお仕事をなされていました。帰国後もNHKのキャスターとして活躍なされていた国谷裕子さんは、1993年に「クローズアップ現代」のキャスターとなります。
「クローズアップ現代」のキャスターを23年間務めた国谷裕子さんは、番組降板後フリーとして「キャスターという仕事」の出版や様々な講演会を開催するといった活動をされています。今後も国谷裕子さんのご活躍に期待しています。  
 
古舘伊知郎と国谷裕子 去りゆく「名」キャスターたちの罪と罰

 

アインシュタインが100年前に相対性理論において予想していた「重力波」がついに観測されたとかで、「天文学における一大革命だ」などと世界中が騒がしい。ところが頭のおかしい反日サヨクたちにとっては、そんな人類史上の大ニュースも、反安倍運動のための燃料でしか無い。試しにツイッターやグーグルで「重力波 安倍」というキーワードで検索してみて欲しい。「重力波の歪みか?安倍歪みは解明出来てるだけど、何とかなりませんかネ?」「安倍政権が歪んでいるのは重力波のせいと把握(笑)」「安倍脳内は重力波による時空の歪みで歴史修正されているのか。いや、そんな複雑な脳内ではないよな」等々。
重力波に限らない。こうしたサヨクの脳内においては、この宇宙におけるあらゆる事件事故は「安倍の陰謀」である。北朝鮮がミサイルを発射した際に「北朝鮮 ミサイル 安倍」で検索すれば「北朝鮮のミサイル発射は安倍の陰謀」と喚き立てるサヨクを大量に観測できるし、台湾地震で死者が出た時は「台湾地震は安倍の陰謀」という意味不明の言説のオンパレード。「市民団体」だの「無党派層」だのを詐称し、「反戦平和」と絶対正義を悪用して振りかざしながら、その実極めて異様な反日、差別活動を行うことがまかり通っているのが我が国の現状だ。しかし、状況は更に深刻である。なにしろ、テレビ局のニュース・報道番組まで「この世の全ての事件・災害は安倍のせい、安倍の陰謀」と騒ぎ立てるサヨク同様の低質なオカルトまがいの番組で溢れているのだから。
意外にマシな報ステ
古舘伊知郎がテレビ朝日「報道ステーション」のメインキャスターを辞めるらしい。2004年4月5日の放送開始から12年に渡り平日深夜の時間帯における他局報道番組を引き離し、視聴率トップを独走して日本の夜のお茶の間を支配してきたお化け番組にとって、大事件である。12年前の放送開始当初から毎回欠かさず録画し放送内容を監視してきた報ステオタクの私としては、極めて残念な降板劇だ。なぜなら、我が国にはびこる「この世の全ての事件・災害は安倍のせい、安倍陰謀」といわんばかりの低質なサヨク報道番組において、報ステは、比較的マシ≠ナあるからだ。
一般に、テレビ朝日の報道ステーションとTBSのNEWS23は、あの時間帯における「反日サヨク報道番組の双璧」とみなされている。ここにTBSの日曜朝のワイドショー、関口宏の「サンデーモーニング」を加え、「三大反日サヨク報道番組」と見る向きもあるし、最近は、国谷裕子が司会を務めるNHKの「クローズアップ現代」を合わせた四番組が、「偏向報道」「反日報道」等の批判を頻繁に受けているといっていい。しかし読者には意外であろうが、これら四番組を十数年間に渡り一々全て録画し監視してきた私に言わせれば、報ステは間違いなく他の三番組よりマシな報道番組だ。
無論、報ステは決して理想的な報道番組などではない。サヨクであることは間違いないし、他の三番組同様、プロにあるまじき幼稚なミスや悪意ある捏造もある。しかし、それでもNEWS23やサンデーモーニング等が「幼稚でモラルに欠けるアマチュア」な上に、一貫して「親北朝鮮・親支那の反日プロパガンダ番組」という、ある意味、筋の通ったサヨクであるのに対し、報ステは親北朝鮮・親支那でも反日でもない。単に「幼稚でモラルに欠けるアマチュア」なだけである。その意味において「マシ」なのだ。
報ステは他の三番組に比べ、良くも悪くも「視聴率至上主義」である。NEWS23やクローズアップ現代等が明らかに視聴率を二の次にすることがあるのとは大きく違う。実際、その方針は成功によって報われており、報ステの視聴率は常に約15%をキープしている。ただし、この視聴率至上主義が、報ステを「反日」「反安倍」に見せる。要するに報ステは視聴者が求めているものを提供しているだけなのである。大衆が求める、無責任ではあるが痛快な辛口床屋談義を投げ与えていることに徹しているのである。大衆が求めるものであれば時に「反日」報道も行うし、同様に求められれば、正当な北朝鮮バッシングも行う。報ステにあるのはイデオロギーではなく商魂なのではないか。少なくとも、私が、NEWS23に感じるような「優秀なオレサマが愚かな大衆を導こう」などという、インテリのサヨクらしい思い上がりは無い。その点が、視聴率に悪影響があっても常に反日反安倍に勤しむNEWS23やサンデーモーニング等と異なっている。
公正な三流サヨク?
故に報ステは、大衆が嫌悪する「ウソ」や「二枚舌」等の批判にも敏感だ。NEWS23やサンデーモーニングとは、一線を画す。
例えば、NEWS23は最近、衆院議員を辞職した自民党の「育休議員」、宮崎謙介をめぐる不倫騒動を取り上げて、安倍政権叩きの格好の材料として非難していたが、一方で06年に山本モナとの不倫を報じられた民主党細野豪志については、非難どころか徹底的にスルーを決め込み、むしろ擁護の姿勢を示した。明らかに矛盾する対応だが、なにがなんでも保守系の政党を叩くという意味では、これは由緒正しい一流のサヨクである。しかし、報ステは、どちらのときも、ひとまず公平に批判していた。由緒正しい一流≠フサヨクから見れば、誤った三流の報道であろう。
古舘やスタッフが特に「公正」や「正義」を重んじているのではなく、卑劣なウソや二枚舌は視聴者にそっぽを向かれるという当たり前の常識と処世術をわきまえていれば、そうなってしまうのである。いくら口先だけでは御大層な正義を振りかざしても、その態度がダブルスタンダードであれば大衆の支持は得られないことは、民主党やSEALDs等のサヨクの凋落を見ても明らかだろう。
報ステはサヨクに対しても厳しい態度を示すことがある。15年3月27日には、反日サヨクとしてもてはやされていた元経済産業省官僚のコメンテーター、古賀茂明とバトルを展開した。
その日、「サウジ主導の空爆続く 緊迫イエメン宗教対立=vと題したニュースの中で、古舘が古賀にコメントを求めた途端、古賀は突然、電波ジャックともいえる行為を始めた。
「ちょっと、そのお話する前に、あの私、今日が最後ということでですね…」。こう切り出した古賀は、ニュースを無視して、自分がテレ朝会長と古舘プロダクション会長の意向で降板させられることになったとか、官邸からバッシングを受けたとか、サウジもイエメンも何の関係もない、自分の恨み辛みを、証拠も示さず滔々とまくし立てた。たまりかねた古舘は「ちょっと待って下さい! 古賀さん!」と強制的に中断させ、「それは違うと思いますよ?」と発言内容を否定した。番組を放送するテレビ局と自分の事務所の会長を批判されたのだから、慌てるのも当然と言えば当然だが、一流サヨクからみれば、「なんで官邸批判を止めるんだ」と不満なはずである。もちろん、常識ある視聴者の信頼獲得には大いに貢献したはずだが…。
支那や北朝鮮に対する態度も、報ステの態度は他の反日報道番組とは一線を画し、「尖閣は日本領」という当然のことも、明確に報じてしまう。これも一流の反日サヨクから見ると、三流の行為であろう。
例えば、11年12月13日、韓国海洋警察の隊員が中国漁船の船長に刺殺されたという事件関連のニュースは、報ステもトップで「中国漁船 船長らに『逮捕状』 韓国デモ激化=c外交問題に『影』」と題し大きく報じたが、古舘は「日本の領土である尖閣諸島にも(中国漁船が)出没している」とコメントし、支那の脅威に警鐘を鳴らしている。一方、同じ日のNEWS23(NEWS23X)は、トップで「海洋警察の隊員刺殺 韓国で反発強まる 中国は…」と報じたものの、報ステと異なり、中国船の日本に対する蛮行には触れず、尖閣が日本領であること等はスルーした。
NEWS23にとっては「反権力」は実は「反日」「反安倍」でしかないのだろう。先に示したように、同じ権力の側でも自民党の不倫は批判するのに、民主党の不倫には甘い。11年の東日本大震災の際には、当時政権を担当していた民主党に配慮したのか、原発放射能漏れ報道や政府批判も極めて抑制されたものだった。日本による過去の「アジア侵略」を口汚く罵る一方で、支那による侵略には甘いというダブルスタンダードを隠そうともしていない。支那によるチベット侵略を肯定するコメントも、VTRなどで多く紹介されている。「中国の行為を悪と決め付けるのは難がある」「中国は侵略したことのない国」等、もちろん番組がこれを全面肯定しているわけではないが、ぶっ飛んだ妄言にはただただ驚かされるばかりだ。
しかし、報ステの「反権力」は、相手が支那でも民主党でも容赦がない。放射能についても11年10月18日に三番目のニュースで「足立区の小学校で3・99μSv 敷地内に土を仮置き=vと報じ、古舘が「政府が出してくる情報の開示の仕方とかが信用されていない。だからこの前の世田谷はラジウムでしたけどそれも市民・市民団体の告発。今回も区民の方の通報」と民主党政権の稚拙な対応を批判した。NEWS23との違いは明らかである。
何度も謝罪≠ノ追い込まれ
報ステがなんだか良質な番組だと勘違いされてしまいそうなので、ここでこれまでの数々の不祥事について確認しておくことにしよう。視聴率至上主義故のやり過ぎや、無能故の失敗、政治的無定見などの傾向がみてとれるはずである。
07年11月27日放送において発生した「日本マクドナルド調理日時改ざん問題報道捏造事件」では、マクドナルドをとっくに退職した元店長代理の女性にマクドナルドの制服を着せて「証言」させた映像を流した。しかも、週刊新潮によると、この女性は古舘が経営し報ステの番組制作にも携わる会社である「古舘プロジェクト」のアルバイトだった。まともな取材能力さえあれば本物の証言者や証拠を揃えることができ、避けられたであろう事件である。悪意よりも無能とモラルの欠如が原因と言える。古舘は「視聴者に混乱と誤解を与えるもの。間違ったやり方だった。申し訳ない」と潔い謝罪を行うことで、視聴者の信頼感を繋ぎ止めることにまんまと成功した。
マクドナルドのようなテレビ局の巨大スポンサー企業を叩くこと自体は、日本の「反権力」を詐称する報道番組としては異例と言える。そんな中において、スポンサーの意向さえものともせぬ報ステの、何にでも噛みつく狂犬的姿勢はある意味においては賞賛に値するかもしれないが、それも所詮、古舘をはじめとするスタッフの無教養で狭い視野と価値観の範囲で行われているに過ぎない。
例えば1月18日の放送ではSMAPの解散騒動について古舘が、「タレントっていうのは、事務所あってのタレント。事務所に対して再度、感謝の念を抱くのも当然」というコメントをした。いかにも日本的滅私奉公的価値観に基づくようだが、芸能事務所への配慮を無邪気に披露している。
報ステの取材能力欠如等の無能さは、放送開始一年後の05年4月18日の放送において既に噴出していた。この日のニュースにおいて、中国深圳で発生した反日デモの様子と称する映像が流されたが、実はそれは全くの捏造で、実際は香港でおこなわれた反日デモの映像を「誤って」流したのである。きちんとした取材能力があれば実際の映像を入手できたはずであるし、まともなチェック能力があれば映像を「間違える」こともなかったはずだ。「取材する手間暇を惜しみ、バレぬと思って意図的にウソの映像を使用したのだ」と思われかねないとこだが、ただ、反日デモ自体はあったのだろうから、悪意ある反日を意図した捏造報道とは異なるように思える。
イギリス人リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件に関する09年11月9日の放送も、報ステの無能やモラルの欠如故の不祥事と言える。この事件において被疑者は整形手術を行っているのであるが、当日の報ステは実際に施術した病院とは何の関係もない病院看板を垂れ流し、風評被害を発生させ、またも謝罪に追い込まれた。実際の病院まででかけて映像を撮影すれば済むだけの話なのに、手間暇を惜しんだ結果であろう。
感想文レベルのコメント
番組の取材力だけではない。古舘自身の無知無教養無定見による不祥事もある。最近では昨年11月16日の放送が特に物議を醸している。シリア問題やISのテロ問題について古舘はなんと「テロがとんでもないことは当然ですが、一方『有志連合』の空爆もテロ」などと、味噌もクソも一緒にした幼稚な床屋談義的たわごとを披露したのである。内戦で苦しむ難民達を救う解決法もろくに提示せず、無責任に小学生の感想文レベルのどっちもどっち論を展開する。それだけで「報道」を名乗れ、視聴率を稼げるのであるから、誠に気楽でボロい商売である。
この時は何とか逃げおおせたが、番組で謝罪に追い込まれた例もある。05年6月10日の放送がそれだ。参議院北朝鮮拉致問題特別委員会に出席した拉致被害者、横田めぐみさんの両親である横田滋夫妻に対して、自民党議員の岡田直樹が北朝鮮に対する経済制裁の是非を問うたことについて、古舘は「想像ですけれども、北をとっちめたいと思うあまり、まるで非常に苦しい立場にいるご夫妻に、この覚悟はありやなしやと聞いているふうに聞こえちゃうんですよね。本人に確認したわけじゃないですけれども」「無神経な発言」だと発言し、岡田と自民党から「憶測に満ちた発言」と抗議を受けたのである。
議事録をよく確認すると、岡田は「拉致被害者の方々、めぐみさんを始め拉致被害者の方々が、この経済制裁によって状況が好転すればいいですけれども、裏目に出て万が一、不測の事態が生じはしないかということが我々も心配でならない」「本当に言うに忍びないことを言い、聞くに忍びないことをお聞きしますけれども、そうしたおそれを抱きながらもなお今、経済制裁をとお求めになるのか」と、慎重な質問をしており、横田夫妻の気持ちを配慮したうえでの質問だったことは想像に難くない。私なども、古舘の言う通りにすれば、横田夫妻になんの相談もなく勝手に制裁の可否を決定してしまうことになり、それこそ「無神経」だと思う。しかし、古舘にはそういう思慮はない。さすがに、当の自民党からだけでなく視聴者からの批判も勘案したのだろうか、古舘は翌月になって番組中において謝罪している。
拉致問題に冷たい番組の顔
ここで、もう一人、降板する有名キャスターに触れておきたい。クローズアップ現代の国谷裕子である。93年の放送開始から23年の歴史を誇るこの番組は、反日偏向報道についてはNEWS23等と同様定評があり、BPO(放送倫理・番組向上機構)や国会等公の場でもしばしば問題とされてきた。良くも悪くも視聴率至上主義に徹してきた報ステに比べ、視聴率など気にする必要性が殆ど無い公共放送の番組である。その反日・反自民の傾向は23年間一貫し、国谷はその看板を務めてきた。
番組は北の将軍様の御乱行にも極めて寛大で、当然、国谷も拉致犯罪についての批判等を控えてきた。何しろ、横田めぐみさんの拉致について産経新聞や雑誌アエラ等が伝えたのが1997年だと言うのに、クローズアップ現代が「拉致疑惑」を報じたのはやっとその3年後の2000年4月4日放送の「対話は進むか・日朝交渉きょう再開」が初めてなのだから呆れる。しかもその時の報じ方も、「ところがこの年(97年)、新潟市で行方不明になった横田めぐみさんが、北朝鮮によって拉致されたのではないかという疑惑が浮上しました」などと、それまで拉致犯罪を無視してきたことをまるで他人事のように伝えている。また、当時交渉を担当した槇田邦彦外務省アジア局長が番組中「拉致問題」と発言しているにもかかわらず、番組は一貫して「拉致疑惑」という言葉を使い続け、北の将軍様による犯罪の事実から視聴者の目を少しでも背けようという涙ぐましい印象操作に終始した。
その一方で、国交回復を重視し、当時の外務大臣、河野洋平に、「日本周辺に国交が正常でない状況の2つの国、このまま置いておいてはいけない。何としてもきちんとした話し合いで国交を正常化したい」と語らせている。
親北朝鮮偏重のこうした姿勢は表面的には変化を見せるものの、その核心は殆ど変わっていないのではないか。その証拠に今年1月7日放送の「北朝鮮 突然の核実験はなぜ」においても、静岡県立大学教授の伊豆見元を登場させ、「ピョンヤン市内は相当携帯電話が多い」「平壌市内のタクシーの数は相当多くて、一千台を超えている。タクシーがそれだけ増えるのは需要があるということ。ある種の豊かさを象徴する」となぜか将軍様の経済的成功をヨイショすることに余念がなかった。
無論、こうした放送の数々はNHKと番組スタッフの制作方針に基づくものであり、その責任を国谷だけに押しつけるのは酷だろう。国谷自身は番組でも抑制的で慎重な発言をすることがほとんどであった。ただ、かといって国谷が番組が用意したシナリオを読む操り人形であるはずがない。国谷は2002年には番組制作スタッフと共同で菊池寛賞を受賞しているし、2011年度には「広範なテーマをゲストとの冷静なやりとりで掘り下げ視聴者に分かりやすく提示している」という理由で、日本記者クラブ賞を受賞している。
キャスター降板を含めた体制変更を行うのは当然であり、視聴率重視の報ステの古舘伊知郎の方が、そこにはまだ降板を惜しむべきものがある。
古舘伊知郎と国谷裕子が降板した後も報道ステーション、クローズアップ現代いう番組自体が無くなるわけではない。特に報道ステーションの古舘は、同時期に降板が決定しているNEWS23の岸井成格と比較にならぬほど、日本の報道番組のあり方に大きな影響を与えてきた。ポスト古舘の報道番組がどう変わるのか、今後とも継続的な監視が必要である。 
 
国谷裕子「クローズアップ現代」 2016/4

 

“意識低い系”だった20代 
「こんばんは、クローズアップ現代です!」。1993年の放送開始からこの3月まで、NHK『クローズアップ現代』のキャスターを務めてきた国谷裕子さん。毎週月曜から木曜の夜の生放送に23年間、出演し続けた。社会、経済、政治…時代に対する新たな問題提起を伝える国谷さんの熱のこもった言葉は、見る者の姿勢を正す力強さに満ちていた。
NHKで長く仕事をしてきたが、一貫してフリーランス。今でこそキャスターとして揺るぎない評価を得ているが、それを獲得するまでには、長い「キャリアの迷子」の時代があった。
「華々しいキャリアの女性に憧れたことも、目指したこともなく、ずっと“ご縁のあった場所”でふわふわと仕事をしていたんです」。20代の頃は、今の言葉でいう“意識高い系”では全くなかったという。
父親の転勤に伴い、高校時代までを米国、香港、日本で過ごした、いわゆる帰国子女。米国の大学を卒業後、帰国して京都の実家へ。週3回ほど英会話学校の講師をしながら久々に触れる日本文化の刺激を満喫していたが、次第にそんな生活が物足りなくなり、就職を決意する。
当時、関西で帰国子女が入社試験を受けられる会社はほとんどなく、「唯一面接してくれた」外資系生活用品メーカーに就職。しかし、1年たらずで辞めてしまう。
「今思えば、すごくチャレンジングな仕事をさせてもらっていました。マーケティングのアシスタントマネージャーとしていきなり責任を持たされて、贈答用の化粧石鹸を商品化していくのです。製造現場へ行ったり、広告を打ったり、さまざまな仕事をさせてもらうなかで、どこかに“たいして経験もないのにこんなことを言って、自分は何様なのか”という思いがありました。しかも当時の私は、商品を一つでも多く売るという仕事に意義を感じることができず…。それで、もったいないことに、あっさり辞めてしまったのです」
退社後は、ひとりでバックパックを背負って80日間の世界旅行へ。自由で気ままで世界が広がる――そんな旅行が大いに刺激になったのかと思いきや、「結局、ひとり旅は嫌いだなということが分かって帰って来ました。だってひとりで大きな荷物を抱えて、頼れる人もいなくて、大変じゃないですか(笑)」。結局、“自分探しの旅”にはならなかった。
仕事も続かない、やりたいことも見つからない――そんな国谷さんの運命を変えたのは、世界旅行から帰国後のある日、実家にかかってきた1本の電話だった。
「幼い頃、家族で香港に住んでいたときにNHKの特派員の方が近所に住んでいて、その方からの電話でした。“NHKで英語のニュースを読む人を探しているんですが、確かお宅には、英語の話せるお嬢さんがいましたよね”と。当時NHKは、夜7時のニュースの2カ国語放送を始めるために、英語ニュースの読み手や、原稿をすばやく英訳できる人材を探していたんです」
“来るもの拒まず”という意識で、国谷さんは姉と一緒に東京へ試験を受けに行き、2人とも合格。東京で姉と暮らしながら、英語ニュースの仕事をする生活が始まった。
得意な英語を生かせる仕事は刺激的ではあったが、ここでも「自分の不得手」にぶつかる。
「英語のニュースを読むアナウンス技術については評価されたのですが、“日本語のニュースを英訳する”という仕事がぜんぜんダメでした。帰国子女だったので、当時は日本のことがあまりよく分からない。日本のことをよく分かっていない人が、短い時間で日本語を英語に訳すというのは非常に難しいんです。これではいけないと思って、仕事の傍ら同時通訳の学校に入りました。同時通訳者になりたかったわけではなく、日本語の勉強をするにはいい方法だと思ったのです」
しかし1年半ほど通って、「自分は同時通訳者には向いていない」と痛感した。
「通訳が上手な人は、言われた言葉をどんどん英語に言い換えていくことができるんです。でも私は、言われたことの意味を深く考えてしまうタイプ。“さっきの話と矛盾しているのでは?”とか…。右から左に流せなくて、次の言葉が聞こえなくなってしまう。どうしても内容にこだわってしまう自分がいて、内容がよく分からないことはうまく訳せない。できないことが、すごく苦しかったです」
英語ニュースの仕事を通じて、「“日本のことをよく知らない外国人に向けて日本のことを伝える”という経験は、その後のキャスターの仕事で、“どんなテーマでも分かりやすく伝える”という訓練になったと思います」。
また、日本へ取材に来る外国人ジャーナリストの通訳をするなかで、取材先候補のリサーチや撮影場所探し(いわゆるロケハン)の仕事を引き受けることもあった。「彼らの取材やインタビューの手法、興味や関心の持ち方、記事のまとめ方などは非常に参考になり、結果として今の仕事に生きています」。
一方で、「仕事で輝きたい」というキャリア志向は相変わらずなかった。そのため20代も終わりを迎える頃、これらの仕事をすべて手放してしまうことになる。
「不評を買った経験」が自分を変えた 
せっかく入ったメーカーを退社後、縁あって始めた英語ニュースのアナウンスと翻訳の仕事。「何かをしたい」という強い目的意識はなかったが、英語という特技を通じて、少しずつ日本のことを理解し、日本語を習得できることがうれしかった。
28歳のとき、当時、留学していた夫と米国・ワシントンで結婚。博物館でボランティアをしたり、大学で短期の学科を受講したりしながら、日本の知り合いから頼まれれば取材リサーチの仕事をする、時間的にも精神的にもゆとりのある日々を過ごす。
その後、夫が働き始めたニューヨークへ。NHKの報道番組のためのリサーチを頼まれるようになり、取材の下準備や現地取材のコーディネートを引き受けるようになった。
1987年に、NHKで衛星波の試験放送がスタートする。国谷さんは、「衛星放送のニュース番組のニューヨーク発キャスターをやってみないか」と打診された。
日本で英語のニュースは読んでいたものの、日本語でのアナウンスの訓練を受けたこともなければ、テレビに顔を出したこともない。「とてもできません」と断った。
しかし、当時は衛星放送のアンテナを持つ家庭はごくわずかだったため、「ほとんど誰も見ていないし、出演するのは日本の早朝の時間帯だから」と説得され、初めて“キャスター”という仕事に携わることになる。30歳だった。
オフィスを改造した小さなスタジオで、スタッフ10人ほどのアットホームな雰囲気。放送開始後も反響はほとんどなく、「日本の人に見られている」という実感を持てないまま、慣れないなかで週に4回、1日1時間のニュース番組のキャスターをこなしていた。そんな国谷さんの仕事ぶりがNHK報道局のプロデューサーの目に止まり、8カ月ほど経った頃、NHK総合テレビで始まる新しいニュース番組のキャスターに抜擢される。
「夜9時からの新しいニュース番組で、国際担当の女性キャスターになってほしいと言われました。視聴者数が限られる衛星放送の番組から、いきなり何百万の人が見ているNHK肝いりのニュース番組へ。今ならそれがいかに責任の重い仕事かが分かるのですが、当時はよく分からずに、引き受けてしまったんです」
ちょうど夫が先に帰国していたので、そのことも背中を押した。
1988年、NHK総合テレビで始まった夜9時からの80分番組「NHKニュース・トゥデー」のキャスターの仕事を開始。しかしその直後から、「恥ずかしい毎日」が始まることになる。
「とにかくキャスターとしての経験が少ないので、生放送で臨機応変にカメラの前で対応することができず、間違った日本語の使い方をしては、視聴者の方に怒られる。日々、次々と飛び込んでくる国際ニュースを伝えるのですが、本当にその内容を理解していなければ、キャスターとしての未熟さが画面を通してすぐに伝わってしまうのです。視聴者から不評を買い、制作担当者にも迷惑をかけてしまいました」
半年後、番組が80分から60分に改編されることになったのを機に、国谷さんはキャスターを降板する。
「この経験を通して初めて、私は自分の能力のなさに気づかされたのです。それまで生きてきて、このときのように、自分が面と向かって否定されたことはありませんでした。すごく自分の誇りが傷つけられる経験ですし、みなさんの期待に応えられなかったという、ふがいなさを感じました」
人に認められるキャスターになりたい――31歳にして初めて意識した“なりたい自分”像。もう二度と、恥ずかしい思いはしたくない。誇りを持てる自分になる。その思いを胸に、自分を変えるための再チャレンジの日々が始まった。
「誰にも代わってほしくない」思いで働き続けた 
31歳で地上波の看板ニュース番組を降板したとき、キャスターの道を諦めることもできたが、国谷さんはそれを選ばなかった。「社会人として誇りを持って歩いていくには、挫折を挫折のままにしておくことはできない」と思ったのだ。
「一人前のキャスターとして認められたい、という強い意志を持った私に再びチャンスをくれたのは、衛星放送でした。まだ視聴者の少ない衛星放送という枠があったから、私はキャスターに再チャレンジすることができたのです。“ここで失敗したらもう次はない”という意識で4年間、衛星放送の国際ニュース番組のキャスターとして、必死になって仕事をしました」
担当したのは、毎週月曜から木曜の夜10時から各国のニュースを伝える1時間の番組「ワールドニュース」。番組の目玉は、生放送での外国人ゲストへのロングインタビューで、得意の英語力を存分に生かすことができた。さらに、キャスターに就任した直後に“激動の時代”が始まったことが、国谷さんの経験値を上げるかけがえのない機会となった。
時は1989年。その年の6月に中国で天安門事件が起こり、東ヨーロッパ諸国で社会主義政権が次々と倒され、11月にはベルリンの壁が崩壊した。91年には第一次湾岸戦争が起こり、その年の12月にはソビエト連邦が崩壊。歴史の教科書が次々と塗り替えられるような国際情勢を伝え続けるなかで、数え切れないほどの“場数”を踏むことができた。
「時代の大きな転換期で、世界中の目が国際ニュースに集まっていました。当時の衛星放送にはキャスターが数人しかいなかったので、私は通常の番組以外に数々の特番に出ずっぱり。さまざまな専門家を次々とインタビューしたり、討論の場を仕切ったり。日本に来る要人を片っ端からインタビューし、サミット取材にも行きました。大きな時代の節目にたまたま国際ニュースを担当したことによって、私にとって喉から手がでるほど欲しかった“経験”というものを数多く積むことができたのです」
連日、長時間にわたる生放送の番組に出続け、それ以外の時間は打ち合わせやインタビューの準備、取材に費やす。1日の睡眠時間は3時間が当たり前で、5時間取れれば「今日はよく眠れた」ほうだった。終わりの見えない激務の日々を支えたのは、「この稀有なチャンスを絶対にものにしたい」という強い思いだった。
「とにかくその頃は、眠い、疲れた、なんて感じるよりも、チャンスをいただけるだけでうれしくてうれしくて仕方がなかった。たとえ体調が悪くても、つらいとか、休みたいとは思わないんです。39度の熱があっても、吐きそうになっても隣にバケツを置いて、番組に出続けました。“誰にも代わってほしくない”という気持ちで、目の前のチャンスに対してとことん貪欲になれましたね」
体力の限界に挑戦しながら国際情勢を伝え続けて4年、「キャスターとしてようやく自信が持てるようになった」頃に舞い込んできたのが、1993年にNHK総合テレビで始まる『クローズアップ現代』のキャスターという大役。「自分は総合テレビでは通用しなかった」という苦い思いを払拭するチャンスが巡ってきたのだ。
「たった一つの伝えたいこと」を探り続けた
自分が挫折した総合テレビのキャスターとして再チャレンジの機会を得られたとき、引き受けることに迷いはなかったものの、「今度こそ失敗できない」という緊張感があった。
当時の『クローズアップ現代』は、毎週月曜から木曜の夜9時半からの30分番組。「フローのニュースでは伝えきれない内外の動きをせき止め、視聴者のより深く知りたいという欲求に応える」というコンセプトのもと、国内外の社会、政治、経済、スポーツ、芸能、文化…とジャンルを超えたテーマを扱う新しい報道番組だった。
「ずっと国際報道ばかりに携わっていた私にとって、扱うテーマに聖域はないという『クローズアップ現代』は全くの新境地であり、“地平線”が一気に広がりましたが、緊張感も何十倍になりました。見ている人の数が全く違いますし、その分、厳しい意見が届く機会も増えますから」
番組の制作者の顔ぶれも大きく変わり、これまで以上に身が引き締まった。
「衛星放送の頃は、小さなベンチャー企業のような雰囲気のなかで、少数の制作者が切磋琢磨しながら仕事をしていました。一方で『クローズアップ現代』は、NHKの組織を横断するような形でつくられる番組。報道局や制作局、全国の放送局や海外支局のほか、芸能や音楽番組の担当者からも提案が送られてくる。腕に自信のあるプロデューサーや記者たちが勢ぞろいしています。その人たちが集めてきた情報や、撮ってきた映像を、最後にバトンを受け取ってプレゼンするという役割を担うわけです。みなさんの思いをどこまで自分が背負いきれるのか、本当に伝えなければならないメッセージをちゃんと伝えられるのかということを自問自答して、その責任の重さを感じながら仕事を続けてきました」
『クローズアップ現代』のキャスターを務めた23年間、思い出深いテーマは数えきれない。なかでも、番組が社会を動かしたと感じられる放送は忘れがたい。
「例えば犯罪被害者支援の必要性など、番組で継続的に取り上げることで国の制度を変えることを応援できたテーマは、少なからずあります。『自死遺児』に焦点を当てたことも、その一つです。バブル崩壊後、日本経済が“失われた10年”の真っただ中にあった1998年に、年間の自殺者が3万人を超えました。リストラや倒産などによって命を絶ってしまう働き盛りの男性が急増したのです。その自殺した父親の子供たちが、どんなに苦しい思いをしているかに焦点を当てました。印象的だったのは、2001年に初めて番組で自死遺児を取り上げたディレクターの清水康之さんが、数年後にNHKを退社して自殺対策支援のNPOを作ったこと。彼はその活動を、自殺対策を国や地方自治体の義務とする自殺対策基本法の成立につなげたのです」
番組の冒頭に国谷さんがその日の放送テーマについて語り、前半の映像が流れた後に、スタジオでゲストにインタビューするのが基本的な構成だった。生放送なので、インタビューにも瞬発力や臨機応変な対応が求められる。相手から本音を引き出し、視聴者が気になる点にズバズバと斬り込む国谷さんのインタビュー力には定評があった。ゲストとの会話では、どのようなことを意識していたのだろうか。
「『クローズアップ現代』の26分の放送のなかで、スタジオで私がゲストにインタビューする時間は長くても8〜9分。最初にこれを聞いて、次にこんなことを聞いて…というふうに進めていけば、時間を埋めることは容易にできるんです。でもそのやり方では、内容が散漫になってしまって、印象に残らないことがあります」
国谷さんが意識していたのは、「本当に伝えたい、たった一つのこと」へ向かっていくインタビューだ。
「どんなコミュニケーションでも、人が本当に伝えたいことは一つだと思っています。この人が最も伝えたいことは何なのか、事前のインタビューでもそれをできるだけとらえるようにしました。本番ではその“一つ”をどれだけ多角的に――上から下から斜めから、いろんな角度から聞くかということを、ずっと心がけてきました。伝えたいメッセージを一つに絞り込んでいくことで、その人が伝えたいこと、ひいては番組が伝えたいことが、視聴者にしっかり届くのではないかと考えていました」
番組制作担当者との事前のコミュニケーションにも力を注いだ。
「取材の現場で何を感じたのか、番組では伝えられないけれど重要な情報としてどんなことがあるのか、事前の打ち合わせでは、一生懸命聴くようにしていました。それを知ることで、私の視点も複眼的になっていきます。また、長く取材をしている人たちには見えにくくなっている“視聴者はこう思うのでは”という視点を投げかけることで、放送当日の伝え方が変わることもありました」
番組制作の背景をできる限り知ろうとすることは、「自分の言葉で語る」という国谷さんの信条にもつながっている。
「私は小学生時代や大学時代をアメリカで過ごし、ニュース番組のキャスターは自分の言葉で語るものだと思って育ちました。ただそれは、“自分の意見を言う”こととは違います。私の個人的な意見ではなく、番組の作り手側として伝えたいことを、自分の思いのこもった言葉で語るということ。“このことについて考えてほしい”“これは大事な問題だ”という、番組として伝えたいメッセージをどこまで明確に、分かりやすく言えるか。キャスター本人が熱を持って話している言葉であれば、視聴者も“話を聞いてみよう”と思うのではないかと思っています」
「自分を責める女性」を増やしてはいけない
『クローズアップ現代』をはじめ報道の最前線に長く携わり、ダボス会議(世界経済フォーラム)では世界の第一線の専門家のパネルディスカッションを仕切る。働く女性たちが憧れる「カッコいい存在」である国谷裕子さんだが、「私は悪いロールモデルです」と自嘲する。「男性の長時間労働の働き方に合わせることで、キャリアを築いてきた」というのがその理由だ。その言葉の裏には、女性たちの働き方支援に対する強い思いがある。
働く女性を取り巻く大きなうねりを国谷さんが強く意識し始めたのは、2010年のこと。「女性の社会進出の遅れが経済成長の妨げになっている」という問題意識によって提唱された「ウーマノミクス」という言葉を初めて知ったことがきっかけだった。
「ウーマノミクスという言葉は今から十数年前から提唱されていたにもかかわらず、私は全く知らなかったのです。たまたま経産省の方から、『APEC(アジア太平洋経済協力会議)で女性と経済をテーマにした国際会議が行われるので、モデレーターをお願いしたい』と依頼され、その会議への参加を機に、女性の多様な働き方の支援がいかに大切かということを知りました。世界的なムーブメントになりつつあるそうした動きが、全く自分のアンテナに引っかかっていなかったことがショックでしたね。『クローズアップ現代』でも、そうした問題をきちんと吸い上げていなかったのです」
国谷さんの問題提起によって、2011年に初めて『クローズアップ現代』で「ウーマノミクス」を取り上げた番組を放送。他の先進国に比べて、結婚や出産で仕事を辞めてしまう女性が多い日本の問題点を指摘し、女性たちの活躍や働き方を支援することが経済を活性化させる――そんなメッセージを伝えた。国谷さんは、APECの会議で知り合った女性たちとネットワークを築きながら、働く女性を取り巻く問題を制作陣に提案し続け、番組化されることが増えていった。
身近な働く女性たちの声に気づかされることもあった。
「NHKの番組制作の第一線で活躍して産休・育休に入り、職場復帰した女性に局内でバッタリ会ったとき。“久しぶり!”と声を掛けると、“活躍できていなくて、すみません”と、自分のふがいなさを語るんです。出産前のように長時間働けず、自分は職場の重荷になっている、迷惑をかけている、育児も中途半端、と、罪悪感までも口にするのです。私みたいに長時間労働をいとわず働き続ける悪いロールモデルがいるから、男性中心の働き方に合わせるということにしか考えが及ばないのかもしれない。こんなふうに自分を責める女性を増やしてはいけない、と痛感しました」
番組で女性の働き方の問題に焦点を当てることによって、NHKでも女性の働き方を支援するための仕組みが整ってきたという。育休や時短勤務を長く取った女性が、一度は諦めていた管理職に昇進するといった事例も、一連のムーブメントのなかで生まれている。
『クローズアップ現代』のキャスターを退任した今、働く女性の応援につながることにも関わっていきたい、と語る。
「時代と真正面から向き合える仕事をしている」という喜びをかみしめながら、30代から50代までを仕事一筋で生きてきた国谷さん。世の中から見れば悪いロールモデルでも、私はこの仕事に全力投球し続けなければ気が済まなかった――そんな達成感を抱いているように見える。
「自分にとっての正解」を信じて突き進んできた人の、セカンドステージが始まる。  
 
国谷裕子の報道視点

 

国谷裕子氏が語る「報道の現場から世界を見て」 2016/9
世界がより多様化・複雑化する今、情報をフェアに伝えるということはますます難しくなってきている。日本のトップキャスターの1人として、時事問題に鋭く切り込む姿勢が高く評価されてきた国谷裕子さんも、公平な報道のあり方を常に模索してきた。23年間務めた報道番組「クローズアップ現代」のキャスターを今年3月で終えられた今、仕事に対する想いや、国内外のジャーナリズムの現状などについて伺った。
―これまで30年近く、キャスターとして報道の第一線で活躍してこられました。今どのように振り返りますか?
30歳すぎでキャスターになったので、他の人より遅かったのですが、今から思えばある意味で幸運なタイミングでした。1989年の天安門事件に始まり、湾岸戦争、ソ連崩壊という世界の地殻変動を目の当たりにし、いきなり千本ノックのように鍛え抜かれましたね。来る日も来る日も何が起きるかわからない。さらに衛星放送が始まったことで、どこにいても世界中の映像を見られるようになり、情報のグローバル化が進みました。NHK総合で「クローズアップ現代」(以下「クロ現」)が始まった93年も、非常に興味深い年でした。カンボジアでの国連PKOなど、国際社会の中での日本の役割の変化を強く意識させられ、経済面では、バブル崩壊後に初めて日本の地価が2年連続で下落した年でした。その後も国際社会で渦のように起きていることが、次々と日本経済や社会に影響していきました。私自身、キャスターとして最も衝撃を受けた事件は、9.11同時多発テロ事件です。「クロ現」は事件の2日後に放送したのですが、状況が把握できない中で何を伝えるべきか、皆で議論を重ねました。その時ブッシュ大統領が演説で“We are at war”と言ったのを受けて、冒頭の前説のキーワードは「見えない敵」にしようと思うと言ったら、それが番組のタイトルになりました。番組の核となる言葉を自ら提案できたこともあって、印象深かったですね。9.11後は米国の単独主義的行動が目立つようになりますが、世界のリーダーとしての地位も次第に不確実になっていき、アフガニスタン、イスラム過激派、アラブの春、中国の台頭や北朝鮮の問題など、世界の秩序が一層見えにくくなっています。その意味では、物事を大きなフレームで捉え、今何が起きていて、何が背景にあって、日本にとって何が重要で、どんな影響をもたらすのかを、早くから意識しつつ報道の扉を開くことができたのは、私にとって大きな意味がありました。
―情報のグローバル化により、従来は伝えられてこなかった、多様な人々の姿や声が届くようになりました。それをどのように報道に反映してこられましたか?
一つの物事には当然いろいろな立場、見方、価値観があります。特に情報のグローバル化が進むと、いかにして多面的な価値をきちんと認識し、伝え、その中で相互理解を深めていくのかが大切になります。そこに対してテレビが果たしてきた役割は大きいと思いますが、一方で、圧倒的な映像というのは、その力ゆえに人々の想像力を奪い、かえって物事を俯瞰するのを妨げたり、恐怖や憎悪を生み出してしまうパワーを持っています。切り取られた場面は一瞬であり、一部でしかないのに、視聴者の方々は映し出された映像が全てだと思ってしまいかねない。伝え手は常にそれを頭に置いておかないといけないのです。例えばイラク戦争 で米国が最初に攻撃したのは、バグダッドの放送局です。中継ができず、向こう側の情報が出なくなる。私たちに届くのは、米軍が重装備の車列で進軍していく様子であって、それはあたかも良い人が悪い人をやっつけに行くような光景なわけです。では、爆撃などの被害に遭っているイラク市民たちの声はどうなるのか。「クロ現」の場合は、冒頭1〜2分の前説で「今からご覧いただく映像は、全体の問題の中でこういう部分なんですよ」というのをきちんと説明することを心がけてきました。さらに映像にない部分や届けられていない部分の話をゲストの方とするとか、あえて意見の違う方々をスタジオに呼んで議論するとか、そうした複眼的な視点を番組の中で作るよう、制作陣と話し合いながら進めていました。これは非常に大事なことです。同じことでも立場によって全く見方が変わってきますから。
―視聴者にはそれがうまく伝わったと感じますか?
社会がより複雑化し、互いに不寛容になってきただけに、伝えることがどんどん難しくなったことは確かです。問題が複雑になるほど、誤解や対立が生じる可能性が出てくるので、多様な意見への配慮が欠かせません。一方、テレビですから、「ここだけは映さないで」と言われることもあります。本当はそこが一番大事だったりするのですが。そうした制約の中で、私自身がどれだけ熱を持って自分の言葉で伝えられるか、そして視聴者の目をいかに早く問題の核心部分に持っていけるかが重要でした。それでもいろいろな声が届きますが、私の中では番組に対する賛否が半々だったら良しと捉えていました。というのも、「わかりやすく伝える」よりも「問題の深さや複雑さを知ってほしい」という想いのほうが強いからです。私自身、伝えきれなかったと思って終わることが多い。ゲストの解説を聞きながら「そんな視点もあるのですか?」となって、予定外の方向へ話を広げていくこともあります。そういう意味では最後の最後まで番組作りには発見がある。そうした新しい視点を、視聴者の皆さんも一緒に発見していただけていたら嬉しいですね。
―ジャーナリズム全体をとりまく環境についてもお聞かせください。日本の報道の自由度ランキングが2010年の11位から今年は72位にまで落ちたとの発表がありましたが、実感はありますか?
具体的に圧力を感じるようなことはそれほどありませんでした。ただ、これは日本固有の文化かもしれませんが、世間の空気があるトーンで盛り上がった時 に、その逆を行くような厳しい質問をするとひどく批判されるという「風圧」は何度も感じました。例えば、1997年に来日したペルーのフジモリ大統領にインタビューした時です。当時、大統領は日本大使館人質事件を解決し多くの日本人を救ったことで、日本の恩人として大歓迎を受けていました。そんな中、私は大統領の人物像を浮き彫りにするには、ペルー国民の批判について触れないわけにはいかないと思い、一連の質問の中で「憲法改正によって権限を強化しようとして、ペルー国民に独裁的になっていると思われていますが」と聞きました。すると番組後に、視聴者や週刊誌から多くの批判の声が上がったのです。全く予想していなかったので正直驚きました。でもこうしたインタビューは、実は質問が重要なのです。というのも、ニュースになるような答えが返ってくることは滅多にありません。むしろ質問を投げかけることで、その問題を取り巻くさまざまな観点を情報提供できる。ですから、多様な声をぶつけるつもりで、角度を変えながら根掘り葉掘り聞いています。報道に関して原則を申し上げるなら、ジャーナリズムの役割は権力をチェックすることがその一つですが、現状ではチェックされる側の政府が放送の業務停止を命ずる法的な力を持っています。放送の業務についての判断は、本来、第三者的立場の人が行うべきなので、そもそもの構造に矛盾があると思っています。
―情報の受け手の変化についてはいかがですか?
南カリフォルニア大学のある教授によると、アメリカ人が1日に新聞を読む平均時間数は1978年の40分から、2015年には14分に減り、全世代において購読者が減っているそうです。日本もそうですが、今はネットでブログなど自分の好きなサイトを見て、自分の傾向にあった記事だけを選んで読む。それがSNSなどで拡散することで、ますます社会の分断が進んでいるそうです。また、米国人口の68%はオンラインニュースを見ていて、しかも大半の人はヘッドラインしか見ていない。三大ネットワーク局の夜のニュースを見る人も、この10年で半分になったと言われています。こうしたニュースへの関心の低下も相まって、商業的なジャーナリズムが苦境に立っているわけです。チャールズ・ルイスの創設した国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)などの非営利ジャーナリズムが台頭してきていますが、米国のようにそうした活動を資金援助する組織が多くない日本は、今後どうなっていくのか心配です。日本の大学生の読書量は1カ月に平均1冊以下だそうですし...。優れたジャーナリズムを育てるのは、良い意味でのクリティカルな読者や視聴者ですから、危機感を持っています。
―今後はどのような活動をしていかれますか?
まだ具体的には決めていませんが、個人的に大切だと思うテーマには積極的に関わっていきたいと思っています。今は特に国連のSDGs(持続可能な開発目標)に注目しています。貧困や環境、資源、ジェンダーなど17の目標と169のターゲットを掲げ、互いに関連する個々の問題に取り組むことによって、最終的に複数の課題解決へつなげ、持続可能な地球を作り上げようというものです。今の時代は、身近な問題を通してますます世界のことを考えないといけない。次世代を担う若い人たちには、SDGsを通して世界の問題を早いうちから意識して、自分は何ができるのか、自分の行動が将来的にどんな結果をもたらすのかなどを考え、想像できるメンタリティーを持ってもらいたいと思います。 
国谷裕子「ざらつきを残す問いの立て方」 2017/9/14
23年間、「クローズアップ現代」(NHK)のキャスターを務めた国谷裕子さん。幅広いテーマを扱うなかで、国谷さんは「わかりやすさよりも、ざらつきを残すこと」を心がけていたといいます。疑問を封じ込めたら、その場にいないのと同じ。答えや知識がなくても、萎縮せずに問いを発する。そんな国谷さんに「問う力」の磨き方を聞きました――。
実は「撮れなかったこと」が重要
「クローズアップ現代」のキャスターを長く続ける中で、私がいちばん大事にしてきたこと――それは予断を持たずに日々のテーマと向き合う姿勢でした。
テレビ番組を作るうえで最も恐ろしいのは、思い込みや先入観、偏見を自分でも気づかないうちに持ってしまうことです。それらが作り手の側にあると、物事の背後にある本質を見逃したり、本来は抱いてしかるべき素朴な疑問を素通りしてしまったりするからです。
番組では、記者やディレクターが、その日の企画・テーマに向けて何週間も前から取材を続け、さまざまな素材を編集してVTRを作っていきます。しかし、映像が前提となるテレビには、どうしても「撮れたこと」をベースに番組を構成してしまう傾向があるんですね。取材ができなかったこと、撮れなかった映像については、それがどれほど大事な視点であっても、切り捨てられてしまうところがあるのです。
見えるものだけが物事の全体ではない
その意味でキャスターに求められるのは、その「本当は取材したかったけれどできなかった何か」を本能的に捉え、「そこに最も大事な切り口があったのではないか」と問う力だと私は考えてきました。目の前に見えるものだけが物事の全体ではない。だからこそ、実際の番組の放送時には、導入部分でのコメントやゲストへのインタビュー、VTRへのコメントといった「言葉」によって、映像としては残されなかったもの、取材はできなかったけれど重要だと思われるものを補い、視聴者に意識してもらえるように心がけていました。
その役割を果たすために必要なのは、政治でも経済でもさまざまな社会問題でも、やはり事前に多くの勉強をして、全体を俯瞰(ふかん)して見る視点を持つことでした。
大量の資料を自宅に持ち帰る
「クローズアップ現代」の放送は月曜日から木曜日までの週4日間。毎週、木曜日の放送を終えると、私は記者やディレクターの方たちが集めた大量の資料を紙袋に入れ、自宅に持ち帰っていました。
情報をインプットする順番はまず新聞記事、次に一般的な雑誌記事、それから専門的な書籍に目を通します。そして、最後に番組のゲストとなる方の著作を読み、知識を深めていきます。最初に新聞記事から読むのは、視聴者がよく目にしている媒体だからです。
情報の整理は特にしませんが、大事なのは最初の資料を読み始めた際に自分が感じた疑問を、学びを深める過程において常に忘れないようにすること。なぜなら、専門家ではない私が新聞記事などを読んで最初に抱いた疑問は、視聴者が抱く疑問とも重なるはずだからです。
知識や情報というものは、増えれば増えるほどディテールが気になっていくものです。でも、番組において私が目指していたのは、一つの問題の本質の部分を、いかに柔軟に、俯瞰して提示できるかでした。物事の本質を見失わないようにするためにも、初めに抱いた疑問を重視する姿勢が大切だったのです。
「当たり前」を常に問う
物事に対する先入観や思い込み、固定観念を持つことの怖さを私に教えてくれたのは、多くのゲストの方々だったといえるでしょう。
例えばいまでも強く心に焼き付いているのは、「母の日」の企画で永六輔さんを番組にお呼びしたときのことです。
その日の打ち合わせで、番組で使用する母親への感謝のさまざまな形をVTRで見た後、永さんは、「生きているお母さんには赤のカーネーションを贈り、亡くなったお母さんには白のカーネーションを供えるのは酷な気がする。なぜ区別するの」と話されました。そして、放送の中では、構成をなさっていた生放送のバラエティー番組「夢であいましょう」での体験を話されました。
それは同じ「母の日」の放送で、番組の終わりに出演者が1人ずつ、母親へのメッセージを言う趣向があったそうです。ところが、その中に1人だけ、何も言わなかった人がいた。放送後に話を聞いてみると、その人は「自分には母親がいない。だから、一度も『お母さん』と言ったことがないんだ」とおっしゃった、と永さんは振り返りました。そのとき、永さんは「母親のいない人にとって、『母の日』はつらい日なのかもしれない」と、はっと気づかされたと言うんです。私はこの話を聞いたとき、自分がいつの間にか持っている思い込みというものが、いかに危ういものであるか、先入観の怖さを教えられた気がしました。
永さんの語ったこのエピソードが象徴するように、番組でのゲストとのやり取りを通して私が学んでいったのは、ときに素通りしそうになる「当たり前」に対して、「本当にそうだろうか」と常に問う姿勢の大切さだったように思います。物事に対して常に問いを持つ姿勢こそが、思い込みや先入観から自分を自由にしてくれる唯一の方法なのだ、と。
疑問を封じ込めたら、その場にいないのと同じ
もちろん、社会や組織の中でそのように問いを発するのは、一方で勇気が必要な行為でもあるでしょう。自分には知識のないテーマについて、専門家に質問を投げかけたら笑われるかもしれない。上司や同僚に「面倒な人だ」「うるさい人だ」と思われるかもしれない……そんなふうに感じて萎縮してしまう人も多いのではないかと思います。
私も最初はそうでした。父親の仕事の関係でアメリカでの暮らしが長く、日本で教育を受けた期間が短かった。さらにNHKの職員ではない私は、番組のスタッフの中で常に異質な存在でした。NHKのキャスターとして働き始めた当時の私はコンプレックスの塊でした。何かを疑問に感じても、それを疑問に感じているのは、日本のことを詳しく知らない自分だけなのではないか。そんなふうにいつも不安だったんです。
左は、アメリカにいたころから自宅の机にいつも置いている盾。「IT CAN BE DONE」(なせば成る)という言葉に励まされたことも。右は貧困や環境問題、ジェンダーの問題など、世界の幅広い課題を解決するために採択された国連のバッジ。
それでも、「知らないから」といって自分の中に生じた疑問を封じ込め、黙ってしまったら最後、その場にいないのと同じことになってしまいます。むしろ、知らないからこそ、知っている人に素朴な問いを投げかけられる。それを続ける中でだんだんと、「なんだ、自分だけが抱いた疑問じゃないんだ」と気づいていったんです。
会議では素朴な問いかけから、新たな議論が始まっていくことが無数にあったものです。組織や社会の中でのその人の付加価値とは、問うことによってつくり上げていくものなのだと、私は確信するようになりました。
カルロス・ゴーンの「問う力」
問う力――質問をするという行為は、一つの物事に対するさまざまな見方を浮かび上がらせます。
カルロス・ゴーンさんをインタビューした際、彼がこんなエピソードを紹介してくれたことがありました。彼は「今後、会社をどう成長させるか」というテーマでディスカッションをするとき、必ず「成長」という言葉の定義をその場にいる全員に質問するそうです。
なぜなら「成長」と一口に言っても、ある人は「1%」でも業績が伸びれば、それを成長と捉えるかもしれない。一方で別の人は「5%」でなければ、成長とは言えないと考えているかもしれないからです。
同じ問題意識を持っているように見える人たちでも、議論の前提となる基本的な言葉の定義すら共有していない場合が多々ある。そんな中で、「成長とは何か」という一つの質問が、みんなが「当たり前」と捉えていた物事の本質を浮かび上がらせ、後の議論を活発化させるというわけです。
わかりやすさよりもざらつきを残す
「いま」という時代は、私たちを取り巻く情報のあり方が、昔と比べて一変しています。SNSに情報が洪水のように流れ、個々人は立ち止まって考える余裕がなかなか取れない。気が付けば、自分と同じサークル、似た考えを持つ人々から発せられる情報に取り囲まれ、全く違う考え方に触れることが難しい環境に多くの人が追いやられています。
そのように人々が情報によって分断される中で、2016年のブレグジット(Brexit)やトランプ米大統領の当選といった政治の大きな流れも生まれていったように感じられます。だからこそ、私たちには幅広い情報を得ながら社会と向き合う姿勢、全体を俯瞰した情報を常に得ようとするリテラシーが、より強く求められているのではないでしょうか。
答えや知識がなくてもいい。何かおかしいと感じたとき、ふに落ちない気持ちを抱いたとき、議論の場で適切な問いを発する感性。それが「いま」という時代の教養なのではないか、とさえ私は感じています。
23年間の「クローズアップ現代」のキャスターを終えたとき、視聴者の方からいただいた感想に、「ざらついたものを残してくれたことが良かった」というものがありました。
私はこの感想がとてもうれしかったんです。「クローズアップ現代」は課題を課題のままに見せることを通して、みんなが議論するプラットフォームを作ろうとする番組だったからです。
テレビ番組の作り手は明快であることを善しとして、物事をわかりやすく見せようとしがちです。しかし一方で、私は「わからないものを、わからないままに提示すること」「難しさを難しさのままに見せること」が、番組を作るうえで非常に大切だと考えてきました。すっきりとしないものが胸に残るからこそ、もっとこの問題について考えてみよう、と人は思うようになるはずだからです。
立ち止まって考える時間が与えられると、私たちは物事にゆっくりと向き合い、そのことが「問い」を生じさせます。そうして生じた「問い」について、自分なりに考えてみようとするとき、人はすでに学ぶことの入り口に立っているのです。 
 

 

 
 

 

 
古舘伊知郎

 

 
古舘伊知郎
日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。元テレビ朝日のアナウンサーで、フリーになってからはニュースキャスターも務めた。古舘プロジェクト所属。
東京都北区出身。北区立滝野川第二小学校、千代田区立今川中学校(現:千代田区立神田一橋中学校)、立教高等学校(現:立教新座高等学校)、立教大学経済学部経営学科卒業。1977年、全国朝日放送(現:テレビ朝日、採用試験時はNETこと日本教育テレビ)にアナウンサーとして入社。面接にて広辞苑の丸暗記という特技を披露し、採用される。同年7月には『ワールドプロレスリング』担当に配属され、越谷市体育館での長州力VSエル・ゴリアス戦で実況デビュー。
1980年からは『ワールドプロレスリング』で山本小鉄とコンビを組む。「おーーーーーっと!」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「風車の理論」「エリート・雑草逆転劇」などの独特な表現は「過激実況」と呼ばれ、アントニオ猪木全盛期、新日本プロレスの黄金期を支えてきた。また、大発行部数を誇る週刊少年マガジンで連載される「異能戦士」にフルタチのキャラで頻繁に登場し、プロレスファン以外にも知られる存在となった。なお、フリーになるかならないかの頃に、フジテレビ『オレたちひょうきん族』の1コーナーである「ひょうきんプロレス」に覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」(宮田輝のもじり)として出演したこともある(「奮い立ち伊知郎」と名乗ったこともある)。しかし、NGを出してひょうきん懺悔室に送り込まれ、水を被り、正体を明かした。
1984年6月にテレビ朝日を退社後、大学時代の友人と芸能事務所「古舘プロジェクト」を設立。フリーになってからは、10年以上に渡ったワールドプロレスリングの実況を1987年3月に勇退、その後の1989年から1994年までのフジテレビのF1放送や、競輪における特別競輪(現:GI)決勝戦の実況中継、さらには、自らの一人芝居型講演会「トーキングブルース」(1988年開始)を始め、数々のテレビ番組に出演。そして、NHKと民放キー局5社で全てレギュラー番組を持った。1988年には映画『スウィートホーム』、1991年にはNHK連続テレビ小説『君の名は』に出演し、俳優業にも挑戦した。また、テレビ朝日『ニュースフロンティア』(1991年4月 - 1994年3月)という『ニュースステーション』のオンエアが無い土曜日の23時から放送されていた報道番組も一時期担当した。1994年 - 1996年には、NHK『NHK紅白歌合戦』の白組司会を担当、史上初の民放のアナウンサー出身の紅白司会者となった。
1987年7月、結婚。妻はJALの元客室乗務員。長女は吉田明世の同級生であり、吉田が幼少の頃より彼女とも親交がある。長男・佑太郎はThe SALOVERSのボーカリストを経て俳優として活動中である。その他に次女もいる。
プロレスファン以外の視聴者にも古舘の名が一躍認知されるようになった端緒は、1985年のフジテレビ『夜のヒットスタジオ』の司会抜擢であった。当時民放各局に乱立していた音楽番組の中でも抜きん出た格上の番組であり、そこにフリー転身から1年しか経たない古舘が抜擢されたことについて、当時の視聴者から危惧の声が上がっていたようだが、その当初の視聴者の反応も、当時の『夜のヒットスタジオ』の看板司会者であった芳村真理の強い後盾もあったためか聞かれなくなり、司会者としてのキャリアを上げる大きな契機となった。1988年に芳村は番組を勇退し、古舘自身も独立早々の苦境の時に最初に使って貰ったという恩義から、『夜のヒットスタジオ』、そして芳村に対しての強い敬意の念を抱いているようである(『SmaSTATION!!』に出演した際にこの点については述べている)。古舘の結婚式の仲人は芳村夫妻が務めており、芳村とは家族ぐるみの親交を続けている。
「トーキングブルース」は後述の事情により2003年を最後に開催していなかったが、2014年に復活することとなり、この模様は同年12月にテレビ朝日、BS朝日、並びにスカパー!・ケーブルテレビのテレ朝ch2で放送されることになり、テレ朝ch2では同作品とは別に、過去の講演を抜粋した「トーキングブルースレジェンド」の放送も決まった。古舘によると、「トーキングブルース」復活を促したのはテレビ朝日の早河洋会長だという。
1989年、アントニオ猪木がスポーツ平和党から参議院選挙に立候補した時には、「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」というキャッチコピーで応援した。
世界水泳では2001年の日本・福岡大会と2003年のスペイン・バルセロナ大会を2大会連続で特別実況し、世界陸上では1999年のセビリア大会から2003年パリ大会にかけて、女子マラソンの実況を担当した。
2004年4月5日、テレビ朝日にて『ニュースステーション』の後継番組に相当する『報道ステーション』の初代メインキャスター(アンカーマン)に就任。そのため、20年ぶりにテレビ朝日に勤務した。他局のレギュラー番組やコマーシャル出演を相次いで降板した。以後、後の降板まで仕事は基本的に『報道ステーション』に絞っていた(ただし、稀にではあるが、ゲスト出演を行ったり、テレビ朝日の特別番組に出演することもあった)。週刊誌のインタビューについても『報道ステーション』開始後は応じていなかったが、2014年には『AERA』(七月十四日号)の取材に応じている。『報道ステーション』担当後も日本テレビ『おしゃれカンケイ』のみ2005年3月まで出演を継続した(こちらについても『報道ステーション』専念のために降板を示唆し、番組は打ち切りとなった)。
古舘は2006年7月3日放送の日本テレビ『みのもんたの“さしのみ”』へのゲスト出演を最後にテレビ朝日以外での番組出演を、2008年5月6日放送のテレビ朝日『テスト・ザ・ネイション』を最後に『報道ステーション』以外の司会およびバラエティ番組の司会を『報道ステーション』降板後まで行わなかった。
2015年12月24日に『報道ステーション』の降板を発表。これは「現在のキャスター契約期間が同月で満了すること」と、「自ら新しい挑戦をしたい」とする古舘の意思を尊重してのものである。12月24日には降板説明記者会見を開き、「不自由な12年間だった。言っていっていいことと、いけないこと…大変な綱渡り状態でやってきた」「今日もずっとインターネット(の反応)を見ていたら、『古舘降板だってさ。やったぜ!』っていうのがありまして、一番印象に残りました(笑)。『ああ、そういう人はいっぱいいるんだなー』って…そういう人には『よかったですね』と言いたいですし、『育ててくれてありがとう』とも言いたいです」と記者団に向かって快活に答えた。
2016年3月31日の放送日を以って、『報道ステーション』を降板。
同年6月1日、恵比寿アクトスクエアで行われた公開トークイベント「微妙な果実〜トーキングフルーツ」で活動再開。
『報道ステーション』降板後初めて応じたインタビューにおいて、今後についてエンターテインメント分野中心の活動を宣言し、2020年東京オリンピック開会式の実況や紅白司会への再登板を目標として語った。同時に「報道のど真ん中はもうやらないし、やれない」としつつ「いつかニュースのサイドストーリーを扱ったような新しい番組をやりたい」とも語った。また、古舘の『報道ステーション』降板が表明された前年末時点において、『アサ芸プラス』(同年12月31日付)が「古舘が2016年の『第67回NHK紅白歌合戦』の総合司会を狙っているのでは?」と報じていた。
同年11月よりフジテレビにて『フルタチさん』、『トーキングフルーツ』を担当することが決定。なお同年7月、10月からのレギュラー番組が一切決まっていないと発言していた。レギュラー番組が中々決まらなかった状況について、女性誌記者が「その原因はテレビ局にとって古舘が高い買い物だと思われてしまったからです」と推測していた。古舘は当初簡単にレギュラー番組は決まると思っていた節もあったという。
人物・エピソード
古舘の独特の語り方は「古舘節」と呼ばれる。
生年月日が1954年12月7日であるが、その約10か月前の同年2月19日は「力道山・木村政彦VSシャープ兄弟」の試合が街頭テレビで放送され、日本中が熱狂した日であった。そのため古舘は父親に「親父はこの日にやったのか?」と訪ねたところ「試合を見たのははっきり覚えてるが、その日にやったかは覚えてない」と言われたという。そのため確定はしていないが、古舘は一応この日を「自分が受精した日」としている。
母親と実姉は喋り達者であり、古舘は喋る隙さえ与えられず無口な少年だった。古舘は小学生になっても人前で喋ることが苦手、朗読の時間は寝たふりをしていた。小学生の頃、健康優良児を目指して食べまくった結果”無口のデブ”になった。いつになっても越えられない優秀な実姉へのコンプレックスから出会ったのがプロレスであり、200名以上のプロレスラーを丸暗記、そこに立ちはだかったのが母親で外国の俳優・女優の名前を全部暗記していた。こうして始まったのが、どちらかが言えなくなるまで続ける映画俳優vsプロレスラ−の記憶勝負、この対決が喋ることへの目覚めだったとしている。
いずれも立教大学の先輩である徳光和夫(元日本テレビアナウンサー)やみのもんた(元文化放送アナウンサー)に憧れてアナウンサーになった。アナウンサー希望で就職活動を始めた頃にNHKの就職試験を受けたことがある。古舘が得意とするユーモア実況の原点は徳光だという。
中学校に上がった古舘はみのに憧れるようになっていた。彼のように喋れるようになりたいと、みのの母校・立教高校を目指し猛勉強、合格を果たした。ある時、みのと会える機会があり「君なら絶対にアナウンサーになれる」と適当にあしらわれた言葉をかけられたが、古舘にとっては人生を左右する一言となる。テレビ朝日内定後、古舘はみのが所属していた文化放送に通い、みののカバン持ちをして彼の技を盗んでいた。
テレビ朝日入社から半年が経過した1977年初夏、古舘はプロレスの実況に大抜擢され、迎えた放送日、テレビから流れる自分の声を聞き、その当時の感動は忘れられないという。
テレビ朝日退社からしばらくした後、偶然にも局アナ時代に世話になった先輩とすれ違うと「お前、絶対に3ヶ月で潰れるからな」と言われた。厳しい一言だったが古舘の糧となり、悔しさをバネに必死に仕事を掴んだとしている。
フリー転身を決めたのは、「自己評価と他者評価の違い」と述べている。
1984年2月11日、前年の引退からの復帰を宣言していた初代タイガーマスクが興したタイガージムのジム開きパーティに、「年来の友情」から、アナウンサーの立場を離れた「個人の資格」で参加し、司会を務めた。ザ・タイガーへの改名や、山崎一夫の新日本プロレス離脱&インストラクター就任などがその場で発表されたのだが、古舘の出席はテレビ朝日でも新日本も問題視しなかった。これは、テレビ朝日退社が既に公然の事実だったのと、「古舘は新日本および猪木に対して不利益なことはしないだろう」という信頼感による部分が大きかった。
1986年1月1日放送のフジテレビ『初詣!爆笑ヒットパレード』でヘリコプター中継を担当。当時のテレビ朝日本社に差し掛かった場面において、「『ニュースステーション』をくれ」と述べた。
実姉のことを幼少時から憧れ、アナウンサーの道に導いてくれたとしている。なお、実姉もアナウンサーを目指していた。
1991年、古舘の実姉が癌で他界する不幸に見舞われた。この時、それまで特に親しくなかった逸見政孝(元フジテレビアナウンサー)は、フリーアナウンサー同士で身内を癌で亡くしたという同じ経験を持つことから古舘にお悔やみの手紙を送った。ここから2人の間に交流が生まれ、逸見が癌で闘病中、古舘が日本テレビ『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』の司会を代行している。なお、逸見からは会見前に自身が癌であることを古舘に伝えられていた。告白を聞き、何も言えなかったという。逸見の見舞いにも訪れたとしている。
2012年5月28日、自身の母親が死去した。実姉と同じく癌によるものだった。古舘は母親の入院先は実姉の入院時と同じ病院を選んだ。実姉の癌が発見される前、体調不良を訴えて違う病院で診察を受けていたが、何度通っても返ってくる答えは「大丈夫」という言葉だけで「おかしい」と思ったら別の病院に切り替えたところで癌と分かった。発見が遅すぎたため「最初からその病院だったら姉は死なずに済んだかもしれない」と後悔していたことにもよる。
『報道ステーション』で多忙を極める中、実姉の時以上に、献身的に看病したという。同日夜、『報道ステーション』開始の数時間前に母親は息を引き取り、古舘は番組の打ち合わせ中にこれを局内で聞いたという。このため、実姉の時と同様、仕事で母の最期を看取ることはできなかった。その直後、母親が亡くなってから数時間後に始まった『報道ステーション』の生放送では、いつもと変わらぬ様子で、淡々とニュースを伝えた。
中学時代からの吉田拓郎のファン。拓郎とは自身が司会を務めた『おしゃれカンケイ』(2000年6月18日)で共演した。
THE ALFEEの高見沢俊彦とは親友で、高見沢は古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。「古舘伊知郎のトーキングブルース」のステージで使用する楽曲の提供を毎年行っており、それらをまとめたCDアルバムが発売されている。また、テレビ朝日時代の同期の南美希子も古舘のことを「いっちゃん」と呼んでいる。また、『夜ヒット』で司会コンビを組んだ芳村真理(上記の通り、古舘夫妻の結婚式の媒酌人も務めた)や加賀まりこからは「伊知郎さん(または伊知郎ちゃん)」と呼ばれている(ただし、両者共にこの呼び名で古舘を呼ぶのは番組出演以外の場のみで番組共演時は主に「古舘さん」の呼称を使っていた)。
叔父は、ラジオ時代の大相撲中継のアナウンサーだった。その叔父に憧れてアナウンサーの道を進んだという。
1994年・1995年の紅白において、両組司会コンビを組んだ上沼恵美子とは、この共演が原因で確執が生じたとされる。1996年の紅白における両組司会もこの2人を起用する方向で話が進み、古舘は続投したが、上沼は古舘との確執を理由に拒否したと伝えられている(紅組司会は松たか子に交代)。
2003年、『ニュースステーション』のメインキャスターを務めた久米宏は「後を受け継ぐ古舘さんに何かメッセージありますか?」と記者に尋ねられた際(久米の『ニュースステーション』降板表明会見より)、「いや、番組はなくなるって聞いていますから。存在しない番組に司会者が存在するわけないでしょ」と回答した。これに対し古舘は先述した『AERA』のインタビューで「(久米を)冷たい男だなと思いましたけど」「それから久米さん嫌いになったんですけど」と述べた。その後には「半分は大先輩だと思って尊敬している。半分は嫌いっていうところに落ち着くんだけど」と語った。ただし、その後久米は「いかにつらいか、大変さが手に取るように分かる。(最近は)見ていないけど、無意識のうちに避けているのかもしれない」「自分は家を土台から造った。自由に造って来た。でも、彼はその土台を壊す事をさせてもらえずに、建物を造る様にさせられている。その事に苦労していると思う」と古舘を気遣うコメントをしたことがある。
また、久米は「古舘君をはじめ、かなり人が勘違いしている。僕が『ニュースステーション』でかなりしゃべったというイメージを持っている方が多いんですが、ほとんどのニュースに関して、リード原稿は僕が読んでいたんです。僕が原稿を読んでいる時間が結構あったのを、フリートークだと思い込んで見ていた人がかなり多かった。このぐらいの時間、しゃべらないといけないんじゃないかと、後任者が思い込んだ可能性はあるんです。僕が本当にフリートークで話した時間は、短い時は2秒ぐらいですからね」とも述べている。
2005年4月 - 2016年3月に古舘が『報道ステーション』以外の番組への出演をほとんど行わなかった理由について、テレビ局関係者は「報道キャスターというイメージを守らなければならないなど様々あります。売れっ子である古舘を1番組だけに絞られると、当然、事務所側としては収益が少なくなる。その見返りとしてなのか、事務所が丸々『報ステ』の制作を請け負っている。これは、事務所にとっては大きい。所属事務所の「古舘プロジェクト」は、構成作家など制作陣も抱えていますからね。1回の放送で3000万〜4000万円、事務所に入っているのではないでしょうか。一説には、6000万円という声もあります。ロケからニュース原稿作りまでほとんど事務所所属スタッフを使っていますからね。だから、古舘は他の番組をやる必要がないわけですよ」と語っていた。
『報道ステーション』を受け持った時期の年収は、同番組以外からの物を含めて5億円程度とされる。12年間でのギャラ総額について、本人曰く「世田谷、一等地、50軒位」。
古舘が認める1番の司会者はみのもんたである。また、一目を置いている後輩アナウンサーはTBS所属の安住紳一郎であり、自分に出来ないところを多く見せてくれるとし、『ぴったんこカン・カン』では人気番組にも関わらず冒頭でゆっくり喋り視聴者を焦らす、これは自身にも出来ない調整だという。また、「みのもんたの2世」として名前を挙げているのは宮根誠司で、あざとさは誰にも真似出来ないと話す。その他、自身が視聴しているNHK総合テレビ『ニュース シブ5時』のメインキャスターを務めるNHK所属の松尾剛も気になる存在だと語っている。
「夜寝る時最後に思うことは何ですか?」との問いに「明日目が覚めた時には本当に感謝しようと思っている」、「どんな死に際がイイですか?」との問いに「死ぬ時は、自分で小さな声で実況したい」と発言。
2012年3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)発生から1年の節目にあたることから放送された『報道ステーション』特別版のエンディングで、前年末の番組が、福島第一原発が津波で壊れたのではなく地震によってどこかが損壊していたのではないかと追及したことを紹介し、その上で「今回このスペシャル番組でその追及をすることはできませんでした」と語った。さらに、日本には原子力村という村が存在し、産業がない地域が積極的に原発を誘致したと指摘した後、「その根本を徹底的に議論しなくてはいけない。私は日々の『報道ステーション』の中でそれを追及していく。もし圧力がかかって番組を切られてもそれは本望です」などと語ったことをLITERAの田岡尼は「『たんなるパフォーマンスだ』と冷ややかに嗤う者もいたが、それでもあのときの古舘は、プロレスになど持ち込めない“ガチ”勝負を挑んだはずだ」と評価している。
寝る前の1時間だけテレビを観ようという時には面白い番組を観てしまうと寝れなくなってしまうので、CSチャンネルの中から最も興味のない映画を探して観るという。飽きるとルールを知らない囲碁の番組を観るという。
『フルタチさん』初回放送の企画で脳の科学的分析を行ったところ、脳画像診断医の加藤俊徳に、お喋りの中枢と言われる「ブローカ野」が発達していると言われる。同箇所の断面積が通常の2倍あることが明かされ「ブローカ野が筋肉のように発達している」と加藤は述べた。ただ、整理整頓が苦手で方向音痴という分析結果もあることも明かされると、古舘は頷きながら「整理整頓しているうちに何しているか分からなくなる」と弱点も認識しているとした。
報道ステーション関連
『報道ステーション』開始は2004年4月だが、その3年位前から早河が古舘プロジェクトの会長に対し、「『ニュースステーション』の後を古舘でお願いしたい」という打診があった。スポーツ実況やバラエティ番組、「トーキングブルース」等々、娯楽もので生きていきたいという思いからその打診をずっと断っていたが、早河に「自由にあなたの絵を描いて」と言われたため最終的に引き受けた。降板する2年位前に早河に「辞めさせてほしい」と申し出たが、契約があと2年残っているということで、「もうちょっと頑張ってよ」と言われ踏み止まった。
『報道ステーション』のメインキャスター担当時、3年間自身の拘りから「今晩は」の挨拶をしなかった時期がある。この件に関し、視聴者から苦情が寄せられていたが、止めなかったという。しかし、プロデューサーから「いい加減にしてくれ」「もう無駄な拘りは止めてくれませんか」と怒られたため、それ以降態度を改め、挨拶をするようにしたと話している。
『報道ステーション』時代、視聴者から毎日自身のもとへ100件以上の電話・メール(本人曰く「95%以上が誹謗中傷」)が寄せられ、それら全てに目を通していることを明かしていた。古舘は「そりゃ傷つくよ、メッタ打ちされるからな」と言いつつも、そんな心ない声にも「強烈な俺のファンじゃないか。ありがとうありがとうって無理矢理言い聞かせる」と発言。新聞6紙(朝日・読売・毎日・産経・東京・日経)を購読・熟読していたとも話している。なお、『報道ステーション』時代、毎日息苦しい思い(鬱憤が溜まったとも)をし、帰宅は2・3時頃だったことも明かす。
古舘がニュースに対し個人的見解を述べるスタイルについても賛否あり、本人は「『お前の意見なんて聞きたくない』『ただニュースを淡々とやれ』と言われ続け、悪戦苦闘してきました。意見をちょっと言って引っ込めたり、引っ込め過ぎだと思って言ったりする『アコーディオン状態』に疲れた面もあります」と語っている。
『報道ステーション』時代末期では、各メディアで古舘の降板説が書き立てられていた(同時にテレビ朝日の早河会長との不仲説も囁かれた)。合わせて(正式降板発表後の報道も含めて)、後任候補には富川や宮根誠司、羽鳥慎一、みのもんた、池上彰、橋下徹、前任者(前番組司会者)・久米宏、さらに一部週刊誌ではTBSの現職アナウンサーにも関わらず古舘降板時(2016年3月末)にTBSを電撃退社し、同年4月からフリーになり、『報道ステーション』のキャスターに就任するという記事が出た安住紳一郎の名前までが挙げられる等、数々の名前が挙げられていた。古舘は2014年の「トーキングブルース」で降板説や後任と噂された宮根や羽鳥の存在に言及し、「誰が辞めるかっつうんだよ、ホントにバカヤロー!」とぶちまける一幕もあった。
古舘最後の出演となる2016年3月31日放送の『報道ステーション』では、番組終盤に約8分間に渡って視聴者に向けて挨拶した。古舘は降板理由について「窮屈になってきました」と明かした上で「自分なりのしゃべりや言葉で皆さんを楽しませたいというわがままな思いが強くなった」と告白。続けて「巷でですね、何らかの圧力がかかってやめさせられるということでは一切ございません。それが真相です」と安倍政権や放送法遵守を求める視聴者の会からの圧力を否定する主張をした。また、朝日新聞5月31日朝刊では「画面上、圧力があったかのようなニュアンスを醸し出す間合いを、僕がつくった感はある」と述べている。また、古舘は自身の報道姿勢について「空気は一方向に流れがち。だから、誰かが水を差さなければならない」という、コメンテーターとして『報道ステーション』に出演していた中島岳志が、かつて番組内で述べた文言を引用した上で「人間は少なからず偏っている。情熱を持って番組を作れば多少は番組は偏るんです」とそれらの報道姿勢を貫いた自身の理念を説明した上で、最後は「人の情けに掴まって、折れた情けの枝で死ぬ。浪花節だよ人生はの一節です。死んでまた再生します。みなさん、本当にありがとうございました!」と深々と頭を下げ12年のメインキャスター生活のピリオドを打った。
古舘は『報道ステーション』を担当したことについて新聞記者出身だった筑紫哲也、岸井成格と比較し「外交、政治、経済にくわしくもない、ど素人が、重い任を背負ってしまった」と述べている。
自身のメインキャスター就任が決まった際、前任者の久米から冷たい対応をされた時とは対照的に、自身の後任の富川に対しては、過去の仕事ぶりを褒め称え、視聴者にも「よろしくお願いします」と呼びかけたり、「悩んだ時は相談してほしい」など、熱いエールを送った。その一方で富川が司会を担当している『報道ステーション』については「時折見ている」としており毎日見ているわけではないことを述べ、その理由として「嫌な突っ込みじじいになっちゃうから」と述べている。なお富川とは、その後も交流を続けている。
全ての原稿を自らチェックして、オンエア直前にニュースを差し替えることも日常茶飯事で、30秒程度のストレートニュースすら気に入らなければ変更していたという。
『報道ステーション』降板後、じっとしていることが耐えられずまず映画を立て続けに30本拝見し、12年間ずっと新聞を読み、本も読んでいなかったので本も読んだが、3週間で不安になり喋りたくなったと話した。当初は半年から1年程休養しようとも思っていた。
同年10月にはラジオではあるが、毎週第4金曜日にニッポン放送『古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD』がスタートするにあたり、古舘は「なんと金曜夜10時から生放送!! ヤバイ!! 『報道ステーション』の裏だ」と話し、「ならば、ラジオブースの小さなモニター画面で生放送中の『報ステ』を観ながら、ニュースを伝えることから始めよう!! 『今、TVを観ている人は、音声多重でオレのラジオ聴いて!!』『今、ニッポン放送を聴いているリスナーは『報ステ』の画面だけつけて!!(音声なしで!!)。富川アナごめん!』これこそ、ラジオ・テレビの融合。ウィンウィンの関係だ」と笑いを交えながら語った。
その『オールナイトニッポンGOLD』初回放送で「『報道ステーション』に戻りたい気持ちになることがある」と発言した。
同年10月3日放送の『お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺』スペシャルにゲスト出演、『報道ステーション』降板以来のテレビ朝日出演を果たしている。
『報道ステーション』降板後、その裏番組『しゃべくり007』(日本テレビ)に初出演(同年10月31日放送)した際、『しゃべくり007』の存在が「嫌だった」と語った。
古舘語録
自らの実況スタイルを「亜流」と称するように、数々のキャッチコピーを編み出した。あらかじめ考え抜いた言葉を幾つも用意し、本番に臨んでいる。特に地方会場からの実況の場合を中心に、その土地にちなむ歴史、偉人、産業などの紹介をしそれを登場しているプロレスラーや技などにこじつけて実況するのも古舘流。特にCMに入る前に話す「この番組は金太郎の足柄山で有名な南足柄市市立体育館より実況生中継でお送りしております」などは恒例。
また、新日本プロレスがメキシコ遠征した際、『ワールドプロレスリング』で何試合も連続して実況を担当した古舘は、高地であるメキシコ特有の暑さと息苦しさも手伝ってハイな状態となり、この時一度だけプロレス実況における「恍惚の極みに達した」と語っている。
プロレスやF1の実況ではレスラーやドライバーのキャッチコピーに『顔面』というフレーズを多用していた。  
 
「報ステ」降板 2016 

 

またひとり安倍政権に批判の論陣を張るメディア人が消えた。24日、テレビ朝日の報道番組「報道ステーション」のメーンキャスター・古舘伊知郎が会見し、来年3月いっぱいで降板することを明らかにしたのだ。 
サバサバした表情で会見に現れた古舘は、「2年前から考えていた。急に心境が変わったことではない」と“円満降板”を強調。もっとも真相は不明で、古舘はつい最近まで、「オレ、絶対頑張るからな」と周囲に語り、“続投”に意欲を見せていたという。実際、後任について質問が飛ぶと、「ボクのようにあまり問題発言をしない人がいいんじゃないでしょうか」と自虐的に語り、「権力を監視し、警鐘を鳴らすのが報道番組。全く中立公正はあり得ないと思っている」とも語った。  
「古舘さんは原発報道をめぐって「圧力がかかって番組を打ち切られても本望」と発言したり、原発再稼働に向けて突っ走る政府に批判的な姿勢を強めていた。そんな最中の突然の降板劇です。むしろ何かあったと考える方が自然でしょう」(テレビ朝日関係者)  
報ステでは今年3月、元経産官僚の古賀茂明氏が番組内で「I am not Abe」と発言し、官邸からの“圧力”でコメンテーターを降板させられた。その古賀氏は古舘の降板をこう見ている。  
「古舘さんは「しゃべるのが命」という人だから、自分から降板するなんてありえないと思います。トークライブで原発の話をしようとしたら、台本を書き換えさせられたりと、報ステの番組はおろか、番組の外でも自由にモノを言うことができなくなっていたそうです。もう疲れちゃったんでしょう。古舘さんの方から辞めると言わせるように、テレ朝側が持っていったのでしょう」  
もはや、官邸にタテついて煙たがられているジャーナリスト、コメンテーターのクビ切り降板は珍しいことではない。  
古舘氏「追及で番組切られても本望」 2012/3/12
 「報ステ」原発報道に圧力かかったのか 
テレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」の古舘伊知郎キャスター(57)が2012年3月11日の原発事故特別番組で、「圧力がかかって番組を切られても本望」などと語り、波紋を広げている。古舘氏の原発報道に対する強い意気込みを反映したものとみられるが、発言が唐突なだけに、視聴者の間には戸惑いも広がっているようだ。
津波の前に配管断裂起きていた可能性追及できず後悔
3月11日夜に約2時間20分にわたって放送された特番は、古舘氏と歌手の長渕剛さんが東京電力福島第1原発の20キロ圏内の様子を伝えるのが主な内容だ。古舘氏は、津波で営業休止を余儀なくされている三陸鉄道の三陸駅(岩手県大船渡市)から生中継で出演し、番組の締めくくりのコメントで述べた内容が注目されている。
古舘氏によると、今回の特番について「後悔していること」が二つあるといい、ひとつが、
「あの牛の墓場を撮影して、皆様にお届けすべきだった」
こと。これは、20キロ圏内の酪農家が育てていた牛50頭の薬殺を余儀なくされ、死体が埋葬されている穴の中を、番組では「引き」の静止画でしか紹介していなかったことを指している。
「後悔していること」の二つ目が、原発についてだ。古舘氏は、11年12月28日の特番「メルトダウン 5日間の真実」で、津波が来る前に原発の配管に断裂が起こっていた可能性を指摘していたことに触れ、
「今回、このスペシャル番組で、その追及をすることはできませんでした」
と、配管の問題に切り込むことができなかったことに触れた。
その上で、
「原子力村という村が存在します。都会は、ここと違ってまばゆいばかりの光にあふれています。そして、もうひとつ考えることは、地域で、主な産業では暮らすのがなかなか暮らすのが難しいというときに、その地域を分断してまで積極的に原発を誘致した、そういった部分があったとも考えています」
と「原子力村」という言葉を使って、原発関連利権のあり方に疑問を呈した。そして最後に、
「その根本を、徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを、強く感じます。そうしないと、生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に、申し訳が立ちません。私は、日々の報道ステーションの中で、それを追及していきます。もし、圧力がかかって、番組を切られても、私は、それはそれで本望です」
と、原発問題が起こった構造を解明することに対する決意を述べた。この発言からは、今後「原子力村」から圧力がかかる可能性を示唆したと理解することはできるものの、現時点で圧力がかかっているかどうかは明らかではない。
「配管断裂説」の根拠はキセノン放出
原発事故をめぐっては、「津波で全交流電源が使えなくなった上、非常用電源も破壊されたため、炉心を冷却できなくなった」ことが原因だとされている。だが、年末の「報ステ」特番では、国外の観測データなどをもとに、津波が原発を襲った2時間半後の11年3月11日18時頃には、核分裂が原因で発生するキセノンが観測されたことを指摘している。これをもとに、キセノンを観測したノルウェーの専門家が
「建物が地震で破壊されていたのだろう。そうでないと、こんなに早くもれるはずがない」
と述べている。
日本国内でも、元原発設計者の後藤政志さんや田中三彦さんが、地震後、津波が来る前に配管が損傷した可能性を指摘している。前出のキセノンの観測以外にも、圧力容器の冷却水の水位が急激に落ちたことや、圧力容器が入っている格納容器内の圧力が急激に上がったことが、その理由として考えられている。
古館氏は、今回の番組でもこの点を掘り下げたかったようだが、何らかの理由でそれがかなわず、「後悔」している様子。それに加えて、今後、原発をめぐる構造的な問題を徹底的に追及する考えを明らかにした形だ。
なお、東京電力では、現時点でも
「重要な設備に地震による破損はなかったと考えている」
という姿勢を崩していない。 
「番組を切られても本望」古舘伊知郎が“原子力ムラ”に言及 2012/3/12
『報道ステーション』テレビ朝日
昨年の東日本大震災から1年となる3月11日、テレビ各局は軒並み震災特番を放送したが、その中で、テレビ朝日系『報道STATION スペシャル』での司会・古館伊知郎の発言が波紋を広げている。
話題になっているのは、番組の終了間際のエンディングトークの場面。震災で不通となった三陸鉄道南リアス線三陸駅のホームに立った古舘は、「この番組に関して後悔することがあります」と神妙な面持ちで語りだした。古舘はまず、“牛の墓場”となった牧場について撮影・放送しなかったことを「一つ目」の後悔として語り、その後に、「二つ目の後悔は原発に関してです」として、以下のように語った。
「『報道STATION』ではスペシャル番組として、去年の12月28日の夜、原発の検証の番組をお送りしました。津波で原発が壊れたのではなく、それ以前の地震によって一部、(福島)第1原発のどこかが損壊していたのではないかという、その追求をしました。今回、このスペシャル番組で、その追求をすることはできませんでした。“原子力ムラ”というムラが存在します。都会はこことは違って目映いばかりの光にあふれています。そして、もう一つ考えることは、地域で、主な産業では、なかなか暮らすのが難しいというときに、その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致した、そういう部分があったとも考えています。その根本を、徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか。私はそれを、強く感じます。そうしないと、今、生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません。私は日々の『報道STATION』の中でそれを追求していきます。もし圧力がかかって、番組を切られても、私は、それはそれで本望です。また明日の夜、9時54分にみなさまにお会いしたいです。おやすみなさい」
テレビ朝日の看板キャスターが生放送中に、原子力業界からの圧力で番組内容に変更があったことについて明確に認めるという異例の事態に、放送直後からネット上は紛糾。「古舘、よく言った」という賞賛だけでなく「今さらか」といった批判もあふれ、一夜明けた12日朝になっても活発な議論が続いている。
ともあれ、今後同番組内で「それを追及していく」とした古舘と『報道STATION』スタッフに“自由な報道”が許されるか否か、注意深く見守っていきたい。いずれにしろ、メインキャスターである古舘が自由に発言するために「番組を切られる」覚悟でカメラの前に立たなければならなかったという事実は、現在のテレビの報道番組が置かれた、極めていびつな構造を表している。  
テレ朝「報ステ」の原発報道に疑問 2015/4
テレビ朝日系ニュース番組「報道ステーション」の原発報道は、時に首をかしげたくなる場面がある。同じ対象を取材しているのに、解釈が全く違う報道に出くわすからだ。昨年秋には原子力規制委員会の会見でのやり取りを不適切に編集し、事実誤認を認めて謝罪したこともあった。その後、報道は改まったのか。取材班は3月24日に放映された報ステの特集番組「川内原発が再稼働目前 “地震想定”は大丈夫か」を分析した上で、テレ朝に「“反原発”に偏っていませんか?」と、質問状を送った。(原子力取材班)
報ステの特集番組は、昨年9月に規制委による審査に合格し、今夏にも再稼働が見込まれる九州電力川内原発(鹿児島県)を取り上げ、地震に関する審査の不十分さを指摘した。16分間ほどの長さで、報道ステーションのホームページでも公開されている。
冒頭、古舘伊知郎キャスターが東京電力福島第1原発事故に触れ、「地震による破損説でああいう過酷なものになっていったんじゃないか。番組も地震破損説の可能性を追い続けた。検証が行われていない中で、川内原発が夏にも再稼働を迎えようとしている」と問題提起した。
確かに、福島の事故で地震破損説はあった。しかし、国会、政府、民間、東電などがそれぞれ主体となった事故調査報告書の中で、地震破損説に触れたのは国会事故調のみだ。
しかもその後、規制委が9回の現地調査を実施し、コンピューターによる再現解析なども行った結果、国会事故調の地震破損説を科学的に否定した。
昨年夏に公開された第1原発の吉田昌郎所長(当時)の政府事故調による聴取、いわゆる「吉田調書」の中でも、東日本大地震の直後から津波襲来までの約50分間に、機器に損傷がないことを確認した経緯が記載されている。
これらの事実を無視し、報ステが自己の主張に固執するのは、客観性を欠いているのではないか。
特集の本題である川内原発の地震想定には、「重大な問題がある」と指摘している。だが、神戸大名誉教授の石橋克彦氏(応用地震学)という1人の学者の意見しか紹介していない。
石橋氏は「手続き的に全くすっ飛ばしている。まったく欠陥審査だと思う。審査をやり直さなくてはいけないと思っている」と断言する。
石橋氏によると、原発の新規制基準で定めているのは、(1)内陸地殻内地震(2)海洋プレート内地震(3)プレート間地震の3つあるが、九電は、内陸地震しか取り上げていないと主張。別の2種類の地震を検討対象にいれるべきであり、特にプレート間地震としては最大でマグニチュード(M)9の「南海トラフ地震」があり、川内原発では震度5弱が想定されているという。
石橋氏の指摘に対し、番組では、規制委の田中俊一委員長の記者会見でのやり取りを放映した。田中委員長は、審査が基準地震動(想定される最大の揺れ)で耐震性を考慮していることを説明した上で、「そっち(2種類の地震)を考慮していないということはない」と言明した。
基準地震動(原発施設周辺で起こる可能性がある最大の地震の揺れの強さ)で審査しているものを、報ステが指摘する「震度」に焦点を当てるのは論点が違うという意味だ。原子力規制庁の幹部も会見でテレ朝記者の質問を受けて、「(2種類の地震を)全く検討していないということではなく、スクリーニング(選別)している」と説明した場面が放映されている。
しかし放映には出ていない重要なやり取りがある。会見で、規制庁幹部は「プレート間、海洋プレート内地震については、非常に距離が遠く、敷地に大きな影響を与えることはないということで検討用地震として選定していない」「沖縄海溝にM9・1を想定した地震動を作っている」という見解を述べているのだ。
テレ朝広報部から届いた回答を紹介する。
まず福島の事故の地震破損説の固執について、「当社ではこれまで各事故調などの報告に基づき、津波が原因とする調査結果を適宜放送している」とした上で、「規制委の(地震破損説を否定した)報告書も承知している。一方で、報告書には『引き続き現地調査・評価・検討が必要である』との記載もあり、原発への地震の影響についての検証も必要だと考える」と説明した。
川内原発の地震影響については、石橋氏だけでなく「他にも複数の地震学者や専門家にも取材している。規制委の田中委員長はじめ規制庁幹部のコメントも放送している」と強調した。
“反原発”報道に偏っているのではという質問に対する明確な回答はなく、「地震大国における原発の安全性について、今後も多角的な論点からお伝えする所存です」と締めくくっている。
川内原発をめぐっては、報ステは昨年9月に放映したニュースで、大きなミスを犯した。
規制委の会見で、竜巻に関する質問を受けた田中委員長の回答を火山に関する発言として扱ったほか、記者とのやり取りを省略し、田中委員長が2つの質問への回答を拒んだように編集した。放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が「客観性と正確性、公平性を欠いた放送倫理違反」とする意見書を発表し、番組プロデューサーや担当記者ら計7人が減給や譴責(けんせき)処分になった経緯がある。
今回の特集番組では、明らかな誤報は認められないが、客観性や公平性という点でやはり疑問が残る。
取材班は今後も、他の局の番組や各新聞報道を含めて、原発報道をチェックしていきます。 
古舘伊知郎“離婚報道”直撃に堅実夫人がキッパリ否定 2016/1
3月末で12年間務めてきた『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスターを降板する、古舘伊知郎(61)。一部では、A子夫人(56)が古館に「報ステを辞めなければ別れる」と離婚届を突きつけていたとも報じられた。1月下旬、自宅から外出するA子さんを直撃した。
――女性自身です。A子さんが古舘さんに離婚届を突きつけたという記事に驚いて、事情を伺いに来ました。
「あれには、私たちもびっくりしているんですよ(笑)。離婚届なんて嘘です。離婚なんて、考えたこともありませんから。主人は家族思いで優しいし、夫としても素敵な男性ですよ」
笑顔でキッパリと否定した。ただ、夜の生番組を長年続けてきた古舘の体調は、やはり心配なようだ。
――『報ステ』卒業後はご夫婦で海外旅行の予定などは?
「海外旅行ですか? いいですね(笑)。でも、まだ3月まで番組がありますから。彼が大好きな仕事が一段落したら、2人でいっしょに楽しみながら考えていきたいですね」
――最後の生放送後には、ご主人にどんな言葉を?
「そうですね……『あなた、お疲れさま』ですかね」
終始、にこやかに応えてくれたA子さん。評判どおりの賢夫人ぶりだった。古舘の今後については、こんな声もある。
「TBSなど数局から『ミヤネ屋に対抗する番組を作りませんか?』と昼の帯番組のオファーが来ているそうです」(テレビ関係者)
新たな一歩を踏み出す古舘を、夫人はまた全力でサポートしていくに違いない――。 
古舘伊知郎が報ステ降板前に大言壮語! 2016/3
フリーアナウンサーの古舘伊知郎氏が3月末、12年にわたってキャスターを務めたテレビ朝日系「報道ステーション」を降板する。ここ最近の放送では、「(東京電力福島第1原発事故と甲状腺がんの)『因果関係がない』とするのは甚だ疑問」と訴えたり、ナチスを引き合いに出して緊急事態条項を盛り込んだ自民党の改憲草案に懸念を示したりと、「キャスターは反権力」と語った“古舘カラー”を色濃くにじませた報道が相次いでいる。
「もちろん日本で、ナチ、ヒトラーのようなことが起きるなんて、到底考えておりません。しかし、将来、緊急事態条項を悪用するような想定外の変な人が出てきた場合、どうなんだろう、ということも考えなければという結論に至り、私、1泊3日でワイマールに行ってきました」
18日の番組では、「憲法改正が徐々に視野に入ってきた」として、「独ワイマール憲法の“教訓” 『緊急事態条項』に警鐘…」などと題した古舘氏のドイツリポートを放送。ワイマール憲法とナチスの全権委任法を引き合いに出し、自民党の改憲草案に盛り込まれている緊急事態条項に警鐘を鳴らす内容だった。
古舘氏は現地から、「ワイマール憲法の『国家緊急権』の条文が、ヒトラーに独裁への道(全権委任法)を与えてしまった」「ヒトラーの国家緊急権行使を後押ししたのが、保守陣営と財界だった」などと、熱っぽくリポート。
途中、「強いドイツを取り戻す」「この道以外にない」と演説するヒトラーの映像や、強制収容所の様子、死体映像などを織り交ぜながら、ドイツのイエナ大教授が、自民改憲草案の緊急事態条項を「内閣の一人の人間に利用される危険性があり、とても問題」などと語るインタビューも放送された。
さらに、スタジオでは、早稲田大の長谷部恭男教授が「(自民草案の)緊急事態条項発動の要件が甘すぎる」「場合によっては、令状無しに怪しいと思われれば身柄を拘束されることも、理屈としてはありうる」などと自説を展開。特集は30分近くに及んだが、東日本大震災時の混乱を受けた議論の推移や、条項の必要性を説く識者の意見は紹介されなかった。
一方、東日本大震災から5年を迎えた3月11日には、福島の子供の甲状腺がんの現状を特集。福島県の大規模調査で166人に甲状腺がんか、悪性疑いという判定が出たことについて、古舘氏は「異常に多い」と指摘した。
番組では、手術を受けた女性や家族のインタビュー、複数の識者の話、チェルノブイリ取材などを交えながら、甲状腺がん患者の増加が「放射線の影響とは考えにくい」としている福島県の調査検討委員会の見解を疑問視。古舘氏は「(原発事故との)因果関係がないというのは甚だ疑問だ」と述べ、特集の終盤には「因果関係が分からないのであれば、因果関係があるんじゃないかという前提で、じっくり探っていくプロセスが必要ではないか」などと訴えた。
こうした報道に対し、「週刊新潮」は3月24日号で「いたずらに不安をあおるばかり」と批判。インターネット上では、がんが原発周辺の市町村で特に多く発見されているわけではないことや、がん発見が「異常に多い」とする見解には異論も根強いことなどを掘り下げていない番組内容を疑問視する声も上がっている。
24日の番組では、高市早苗総務相の「電波停止」発言に抗議するため、ジャーナリストの田原総一朗氏らが外国特派員協会で開いた記者会見を報道。古舘氏は「(番組編集に当たっての政治的公平や多角的な論点の提示を義務付けた)放送法4条は『倫理的規範』と認識している。現在の政権の考え方に沿う放送をやることが、放送法上の公平公正かというと、違うと考える」と述べ、田原氏らの訴えに同調する姿勢を示した。
昨年12月の降板会見で、「ニュースキャスターが意見を言ってはいけない、ということはないと思いますし、あるいはまた、偏っていると言われたら、偏ってるんです、私。人間は偏っていない人なんていないんです」と述べた古舘氏。卒業まで残りわずかとなり、その“舌好調”ぶりも、ラストスパートを迎えているようだ。果たして「もの申す」古舘氏の卒業企画の数々は、視聴者の共感を得られているだろうか。 
古舘伊知郎 都知事選出馬は断念も「石田純一よりマシ」と吐露 2016/7
石田純一(62)の出馬騒動で一躍注目を集める東京都知事選。そんな彼に批判を漏らしていた人物がいた。今年3月で『報道ステーション』(テレビ朝日系)を降板した古舘伊知郎(61)だ。
民進党関係者がこう明かす。
「実は、民進党の東京都連会長の松原仁衆議院議員(59)が都知事選の隠し玉として古舘さんの擁立を狙っていたんです。松原氏のオファーに古舘さんはギリギリまで『野党共闘で足並みがそろうなら』と前向きでしたが、最終的に踏み切れず出馬を断念しました。それなのに、古舘は石田さんについて『彼よりも自分のほうがマシだよ』と漏らしていたそうです」
6日、都内の自宅で古舘氏の妻に話を聞いたが、民進党からのオファーについて「知りません。何も聞いていません」と答えるのみだった。
「古舘さんは『俺の実力はこんなもんじゃない。60過ぎても一旗揚げてやる』なんて言うくらいの山っ気がある」
と前出の民進党関係者は言う。でも、そこまで言うなら自分が出馬すればよかったのに……。  
ついにバラエティ復帰する古舘伊知郎の「覚悟と勝算」 2016/10
2016年6月2日。古舘伊知郎は『報道ステーション』降板後、初の公の場となったトークライブ「トーキングフルーツ」で、最近若いスタッフから衝撃的な一言を受けたことを明かした。
「古舘さんって無口な方ですね」
80〜90年代の彼を知るものにとって、古舘は「おしゃべり」の権化のような人物ではあるが、確かに若い世代にとって古舘はキャスターのイメージが強いのだろう。スポーツ実況時代も、数々のバラエティ番組を司会していたことも、知らなくても無理はない。
「12年間ほとんどしゃべれなかったという思いもありますから」と、バラエティ復帰後はその鬱憤を晴らすように喋りまくっている古舘。松本人志はそれらの番組も見て「古舘さんの後は焼け野原が広がっていた」と評している。その松本が司会を務める『人志松本のすべらない話』にも出演し、見事「MVS(最優秀すべらない話)」を獲得した。
そんな古舘伊知郎が今期10月以降、いよいよ本格的にバラエティに帰ってくる。
長年にわたり高視聴率を維持する王者『鉄腕DASH』(日本テレビ)に対し、伊藤隆行による『モヤモヤさまぁ〜ず2』(テレビ東京)、藤井健太郎の『クイズ☆スター名鑑』(TBS)、加地倫三の『アメトーーク!』(テレビ朝日)という各局のバラエティのエースプロデューサーが作る番組が挑む大激戦となった日曜19時台。そこにフジテレビは古舘伊知郎を司会に迎えた『フルタチさん』を開始させるのだ。また、古舘は同じくフジテレビで復帰ライブと同名の深夜番組『トーキングフルーツ』も開始する。
そもそも古舘伊知郎とはどのような人物なのか。「無口」というイメージを持つような若い世代のためにも振り返ってみたい。
古舘伊知郎がテレビ朝日に入社することができたのはひとつの偶然があった。それは1980年のモスクワオリンピックだった。
テレビ朝日はこの五輪の独占中継権を獲得。その社運を賭けたプロジェクトのチーフアナウンサーに指名されたのが、プロレス実況で名を馳せた舟橋慶一だった。アントニオ猪木を「燃える闘魂」と初めて形容し、伝説の猪木vsモハメド・アリ戦を実況したアナウンサーだ。
舟橋はモスクワに連れて行く十数人のアナウンサーの選出や訓練も任された。だが、スポーツ実況のできるアナウンサーを上から十数人連れて行ってしまったら、他の番組が成り立たなくなってしまう。そこで舟橋は、局の上層部に「今度の採用試験で10人くらい採ってください」と頼み込んだ。新人に活路を見出すしかなかったのだ。
そこで採用されたのが古舘伊知郎を筆頭に吉澤一彦、渡辺宜嗣、佐々木正洋といった「花の77年組」と呼ばれる9人のアナウンサーだった。その中で舟橋がもっとも注目したのが古舘だった。
入社試験では様々なスポーツのVTRから2種目を選ばせ、実際に実況をさせた。古舘が選んだのはもちろんプロレス。実は古舘は大学時代から、プロレス実況をやっていた。休み時間になると親友の二人がプロレスごっこを始める。それに古舘が実況をつけて遊んでいた。やがてそれが評判になり、果ては学校内にあるチャペル前で“興行”まで行うようになった。そこには100人以上の“観客”が詰めかけたという。
入社試験で披露した古舘のプロレス実況は、まだ「ジャイアント馬場、16文であります」などという日本テレビの『全日本プロレス中継』流のスローテンポなものだったという。だが、その技術は新人の中で飛び抜けていた。
オリンピックへの準備もあって、古舘は入社1年目にして舟橋に代わり、プロレス実況を担当することになった。
肝心のモスクワ五輪は日本がボイコットしたことで、テレビ朝日にとっては受難となったが、結果的に古舘をはじめとした新人たちが育ったという意味では大きなものだった。
この頃のテレ朝のアナウンス部は封建的で厳しかったという。取材から帰って「お疲れ様〜」などと挨拶しようものなら檄が飛ぶ。「ただいま戻って参りました」とキチンと滑舌を意識して言えと叩きこまれた。
出前を取る時でもそうだ。普通に頼もうとすると「かけ直せ!」と先輩から怒鳴られる。「もしもし、こちら、テレビ朝日本館4階のアナウンス部であります。ざるそば5つ、繰り返します、ざるそば5つ」と、普段から常に実況口調で生活をしていたのだ。電車の中でもその車窓に映る風景を実況し、訓練していった。
舟橋は、古舘ら新人たちを六本木の交差点に連れて行った。そこで実況の練習をさせるためだ。それをテープに録って、近くの焼鳥屋で反省会まで行う。
「ここはこういうふうにしなきゃダメだ」「この表現はおかしいんじゃないか」と。
古舘への実況にも、舟橋からダメ出しが飛んだ。
「お前の感覚には色がないのか? 音がないのか? そして肌を感じるものがないのか? 五感で感じることを伝えていかなかったら、聞いてる人はイマジネーションがわかないんだよ」
古舘のプロレス実況に対しても、舟橋は「選手になりきって表現しろ」と指導した。
そうして鍛えられた滑舌や表現力と、独特な言い回しを武器にプロレス実況で一時代を築いた古舘は84年にテレビ朝日を退社し、フリーに転身した。
かつて日本テレビでプロレス中継を担当した徳光和夫はこのように語っている。
「プロレスはほとんど取材をせずにできる仕事なんです。他のスポーツはだいたいなんでも取材しなきゃなんない。取材したものを自分で咀嚼して、自分の言葉でアナウンスするっていうのが実況の原則なんですけれども、プロレスはレスラーが取材を嫌がるわけですよ。
それですから、いま映ってる画面をどういうふうにしゃべろうかっていうことで、言葉を組み立てなければならない。そのことが、ひとつやっぱりアナウンサーのしゃべりとしてのトレーニングになるわけです。
それが後に、古舘伊知郎とかですね、福澤朗とか、こういった連中もフリーになって、ある意味で喋り手、話し手として成功しておりますのは、プロレスをやってる、このことがですね、やっぱり彼らが言葉の魔術師といたしまして、今日あるんじゃないかなというふうに思うんでありますけれども」(※『徹子の部屋』2016年6月17日)
バラエティの世界に活動の場を移し、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の「ひょうきんプロレス」で覆面アナウンサー「宮田テル・アビブ」に扮し実況。また『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)など数多くの番組で司会者としての地位も確立。果ては『紅白歌合戦』の司会を3年連続で務め上げた。
さらにひとり語りの公演「トーキングブルース」などを開始。並行してF1やオリンピックなどのスポーツ実況も続けた。90年代、古舘はあらゆるところでしゃべり続け、確かな地位を築いていた。
「F1ブームもプロレスブームも、要は古舘ブームだった」
古舘に強く影響を受けたという上田晋也がそう語るように、プロレス、F1、『筋肉番付』、『SASUKE』、世界陸上、世界水泳と、次々と実況でブームを引き起こした。
だが、古舘はその場所にとどまることはなかった。
古舘伊知郎の座右の銘は「成長したいなら必殺技を捨てろ」(※水道橋博士:著『藝人春秋』)だという。その言葉通り、古舘はそれらの地位を捨て、2003年に『報道ステーション』のキャスターとなったのだ。
その4年前の1999年、現状に満足することがない古舘は、石橋貴明とのトーク番組『第4学区』で二つの具体的な夢を語っている。ひとつはマイク一本のトークライブを武道館のような大きな会場でやりたいというその頃の活動の場を追求したもの。だが、二つ目はまったく違うジャンルのものだった。
「二つ目はね、テレビで、カストロとかカダフィとか金正日とかに徹底的なロングインタビューやって、クリントン来たときに筑紫哲也さんが、すごく見事にインタビューしたような感じじゃなくて、もっと過激に切り込みながら、『撃ちてしやまん』の精神でインタビュー界の人間魚雷みたいになって、どうなんだと、あなたはここがおかしいとか、ここがすごいとか、そういうインタビューを放送すると。そういう二つのことをやりたいね」(※『第4学区』)
この頃にはもう「報道」の分野に過激に乗り込みたいという野望を既に口にしていたのだ。
古舘はさらに「お里が知れる」という言葉が好きだと続けている。通常この言葉は悪い意味で使われるものだ。だが、古舘は「いいこと」だと言う。
「お里」つまり、自分の好きなものや得意なものがある。そのうえで、自分の不得手なものを勉強して自分のものにしていくと、これまで自分がインプットしてきた「お里」と、新たにインプットされたものが融合される。
「そうなったときに、人間快感を覚えるじゃない。自分が新たに勉強したものが自分の得意技と融合するんだから。だから、古きをたずねて新しきを知る。温故知新とはよく言ったもんで、昔の自分と新たな自分が出会ってびっくりして対面するんだよ。そうなったときにものすごく大きくなるんだよ」(※『第4学区』)
新しいものと融合したときにこそ、「お里」が知れ、それが輝きを増していくのだ。
古舘は決して自分の思い通りにいかない「報道」の現場に苦しみながらも、キャスターを約12年務め上げた。
『報道ステーション』最後の出演時の挨拶で「つるんつるんの無難な言葉で固めた番組などちっとも面白くありません」と語った古舘。キャスター時代の苦悩や葛藤は古舘に深みのある凸凹を刻み、古舘の「お里」と出会い融合したに違いない。
12年間という壮大な前振りは効きまくっている。彼がバラエティに戻ってきたことでその風景が大きく変わっていくだろう。
古舘は「死んでまた再生します」とも語った。
古舘伊知郎がいよいよ自分自身の“実況”を始めたのだ。  
 
古舘伊知郎のエピソード

 

・新人アナウンサー時代、くだけた口調で出前の電話をかけて先輩に怒られた。
・新人アナウンサー時代、大井競馬場で全レースを実況練習をして、脳が実況モードから抜けなくなり、自宅に帰る自分を延々実況した。
・テレビ朝日時代、最初の3年間は基本に忠実にアナウンスしていた。
・「ワールドプロレスリング」の独特のフレーズを駆使した過激実況が話題になった。「おーっと」「燃える闘魂」「掟破りの逆サソリ」「名勝負数え唄」「人間山脈」「ひとり民族大移動」などの独特のフレーズは「古舘語」と呼ばれた
・独特なフレーズの殆どは事前に用意していた。
・タイガーマスクの入場曲「燃えろ! 吠えろ! タイガーマスク」のボーカルを担当。
・中継トラブルでオンエアに画が映らない状態でプロレス実況を数十分続けた事があった。
・テレビ朝日を退社して古舘プロジェクトを設立(=84年)。
・フリーになった時、テレビ朝日の大物プロデューサーに 「お前が1年でつぶれるのを楽しみにしてるぞ」と言われた(それが逆に励みになった)。
・フリーになって最初の800万円のギャラを連日のドンチャン騒ぎで1ヵ月で使い切った。
・テレビ「笑っていいとも!」のコーナー司会を担当。
・ドラマ「ヨイショ君」に主演(=85年)。
・テレビ「オールナイトフジ」に酔って乱入して下半身パンツ一丁で踊った事があるらしい。
・トークライブ「古舘伊知郎トーキングブルース」を開催(=88年〜)。
・映画「スウィートホーム」に出演(=89年)。
・全キー局のゴールデンタイムを制覇。
・3年連続で紅白歌合戦司会(=94年〜96年)。
・競輪の実況を担当(=97年〜)。
・世界陸上スペイン大会の女子マラソンの実況を担当(=99年)。
・00年大晦日に路上トークライブを開催、カウントダウンを行わずに世紀をまたいで喋り続けた。
・世界水泳日本・福岡大会とスペイン・バルセロナ大会の実況を担当(=01年、03年)。
・トークライブ「トーキング・ブルース」のテーマにシェイクスピアを選んで全37作品を読破。
・メガネ20〜30個が入っているメガネケースを常時携帯。
・難しい言葉を暗記するのが好き。
・立教大学経済学部客員教授に就任(=19年)。「現代社会における言葉の持つ意味」を担当。
・主な著書 「晴れた日には会社をやめたい」「えみちゃんの闘病記」「母なる映画、父なるビデオ」  
 
あいかわらずイケてない古舘伊知郎の権威主義

 

あいかわらず古舘伊知郎はイケていない。報道ステーションでの彼の態度は、ひたすらゴーマンで、中身がカラッポという印象。かつての名調子である例の「おーっと!」に代表される古館節もまったくやらないし(ウリはこれのはずなのだが?)。だから、そのイメージはきわめて悪い(にもかかわらず、そこそこの視聴率を上げているというのも面白い)。
今回、僕は「古館は『権威主義者』=強いものにはすり寄り、弱いものを侮蔑・切り捨てることによって、自らの権威をグレードアップさせていこうとする志向の持ち主=ゴーマンと卑屈の二元論者」という前提で、古館のパフォーマンスと、この権威主義について考えてみた(ただし、これは古館の魅力でもあるのだが)。古館はどうやって現在の階梯にまで上り詰めたのか?これを三回(プロレス編、F1編、報道ステーション編)に分けて分析してみたい。
プロレス実況中継でフルタチ節は完成
古館がブレイクしたきっかけはテレ朝アナウンサー時代、新日本プロレスの実況を担当したことにはじまる。ここで大げさな実況をすることで、彼のスタイルは世に知れ渡る。だが古館実況のもっとも特徴的な点は、一般に評価されるこの「大げささ」ではなく、むしろキャラクター設定のわかりやすさにあったといえるだろう。つまり、識別のつきにくいレスラーにすべてワン・フレーズで修飾語句を与え、その文脈でレスラーのキャラクターを組み立てるというやり方だ。アントニオ猪木なら「燃える闘魂」、アンドレア・ザ・ジャイアントなら「人間山脈」といった具合。番組の冒頭には、実況がおこなわれる会場のある都市の特徴を、ほとんどの場合、戦国武将の物語で紹介。さながら街全体が「戦いのワンダーランド」(これも古館が好んで使っていたセリフ)と化しているかのような演出をおこなっていた。これに「おーっと!」という「大げさ実況」が加わる。技の解説についても同様で、ほんとともウソともつかないエピソードを付け加えていた。半面、技術的な内容の詳細についてはほとんど語らなかった。だからプロレス素人のオーディエンスには、きわめてわかりやすい解説と映ったのである。
こうしたやり方が、全体としてきわめて単純化したドラマを組み立てることに成功する。ドラマにたとえれば、一般のドラマではなくかつての大映テレビ室の制作する「赤いシリーズ」(山口百恵が主演していたもの)や「スチュワーデス物語」などの「デフォルメと省略」を全面に展開するやり方。要するに単純化・定型化したキャラクターが、ありえない仰々しい設定の下に、ありえない仰々しい演技をするという演出手法をプロレスに持ち込むことで、プロレスの複雑性を極端に単純化し、実際のプロレス以上に「プロレス的」に演出することに成功したのである。それはプロレス上につくられた、もう一つのフルタチ・プロレス・ワールドに他ならなかった。
古館がプロレス実況をはじめた当初、プロレスファンは彼の実況には批判的だった。「ゆっくり試合を見せろ」「古館はうるさすぎる」「技術をあまりに知らないので、同じことをやたらと連呼している」などなど。しかしながら、古館は経験を積むにつれて知識も増やし、さらにはこういったファンを納得させるレベルにまで技術を向上させていく。
プロレスに飽きた古館
彼はその勢いに乗じて84年、テレ朝を退社、古館プロジェクトを立ち上げ、フリーのアナウンサーとしてスタートを切る。だが、この時点でひとつの逆転が起こる。その逆転とはプロレスと古館の関係だ。プロレスは猪木の全盛期、厳密には新日本プロレスの全盛期が過ぎ視聴率が低下。テレビ朝日金曜午後八時台というゴールデンタイムでの実況中継権も失い、またプロレス自体も他団体が乱立。地盤沈下を起こしていった。一方、古館の方といえば、例の古館節はすっかり世間に定着。他のアナウンサーまでがこのやり方をまねるようになるというほどカリスマと化していた。
すると、それまで猪木を尊敬しプロレスを絶賛していた古館は、次第にプロレス自体を見下すようになる。試合はメインイベントの中継のみしかやらなくなり、実況の回数それ自体が減っていく(変わってプロレスの実況をはじめたのはテレ朝アナウンサー辻義就(現辻よしなり)だった。辻は一生懸命フルタチ節をパクっていた。だが、彼にはフルタチ的なおどろおどろしさが無く、節回しの切れがなかった。また、ワンフレーズによるキャラクター設定もへたくそ、一方、情報量は古館より多かったために、辻の実況は、ストーリー性に乏しく、ともすればわざとらしさを助長することとなる)。こうなると古館自体もすっかりやる気をなくし、プロレスについての積極的な情報収集などは全くやらなくなる。実況は既存の古い情報だけで展開されリアリティを失っていった。その杜撰さは回を重ねるごとに増していき、プロレスファンでなくとも「ああ、こいつ、手を抜いているな」ということがはっきりわかるほど稚拙なものへと転じていったのだ。そして、古館は猪木の退場を理由に、プロレス界から足を洗っていく。
プロレス実況を降りて数年後。古館は「猪木との約束」というタテマエで、久々にプロレスの中継を行った。ただし猪木のタイトルマッチだけ。この試合の実況は、ただただゴーマン、猪木までもを見下した「エライ古館様が、プロレスなどという二流で下卑た、スポーツともエンターテインメントともつかないものの実況をしてやっている」という態度に溢れていた。「ああ、この人は強い人には卑屈に、弱い人にはゴーマンに対応するのだなあ」。
古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに上り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。前回は一介のアナウンサーがブレイクするきっかけ=「ホップ」となったプロレス実況について分析した。つまり、その図式は「あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)」というパターンだった。
第二回目はプロレスを捨てた後の第二弾、古館からすれば権威の階梯を駆け上る次の「ステップ」となったF1実況について考えてみたい。
迷走する役所
タレントとして様々な活躍をはじめた古館は、番組のレギュラーを獲得していった。「アッコ・古舘のアッ!言っちゃった」(後の「アッコにおまかせ」)「どっちDOTCH!!」「グッドジャパニーズ」といったバラエティ番組の司会・中心的存在として活躍をはじめるのだ。
ただし、これらはいずれも失敗する。「アッコ」では和田アキ子と全くそりが合わず、それどころか和田にどつかれっぱなしで、古館節のフの字も展開できないほど。つまり芸能界の「ゴッドねーちゃん・和田」の「権威」におされっぱなし。挙げ句の果ては、おべっかばかりをする古館に、和田が「なんで、あんたは、そうコロコロちゃんなの?(「コロコロちゃん」とは、相手の機嫌を読んで、立場をコロコロと変えるの意)とつっこまれる始末。全く掛け合いのできない状態になった古館は、番組から降りた。(この時、古館は和田の失礼な態度に怒ったために降りたと報道されたが、真実は不明)。つまり、和田とのコラボでは古館の「ゴーマンと卑屈の二元論」のうち、その卑屈さだけが助長され、みっともないことこの上ない姿を露わにしてしまったのだ。
「どっちDOTCH!!」はコンセプトが受けず、ワンクールで打ち切り。「グッドジャパニーズ」は身近な問題を視聴者と考えるという報道番組だったが、視聴者との直接意見交換というスタイルに、これまた古館は全く適応できず(電話で自らの心中を告白した視聴者に、みのもんたのように同情することができず、逆に不必要なツッコミを入れ、途中で相手に電話を切られたというシーンもあった。まあ、はっきり言って電話で対応した視聴者を見下していたという感が強い。「したり顔」で同情することもあったが、これも結局は見下しのもう一つの側面でしかなかった)、視聴率もさっぱりで、これまたワンクールで打ち切りとなっていいる。古館自体の行き場が無くなったように思えた。
「渡りに船」だったF1中継
そんなとき、古館節がきわめて有効、かつ古館がアイデンティファイ可能な仕事が古館に舞い込んでくる。それがF1の実況だった。88年からフジテレビがF1の中継を開始。古館は翌年の89年から実況担当となる。
これが見事にどんぴしゃり、ハマった。プロレスよりはるかにステイタスの高いF1。ヨーロピアンテイスト溢れ、しかも膨大なカネが投入され、なおかつ世界三大スポーツイベント(残りはワールドカップ・サッカーとオリンピック)のひとつ。ステップアップ、つまり自らの権威の階梯アップには十分のジャンルだった。だから古館は飛びついた。
やり方はプロレスと同じ。まず、F1パイロットそれぞれにキャラクターをワンフレーズで配置。たとえばナイジェル・マンセルは「荒法師」、ジャン・アレジは「スピード・ジャンキー」(”ジャン”の語呂合わせ)、ネルソン.ピケは「快楽ラテン走法」、頻繁に他車とぶつかるA.チェザリスは「サーキットの通り魔」、F1界唯一の女性にしてメチャクチャ遅かったドライバー、J.アマティは「動くシケイン」、そして後にチャンピオンとなるM.シューマッハーは「F1ターミネーター」だった。次に、これらキャラクターに、例によって戦国時代絵巻風ストーリーを展開する。ストーリーの中心に据えたのが当時マクラーレンに所属していたA.セナとA.プロストのバトル、あるいは確執だった。古館は徹底的にセナに加担、だからセナのキャッチは「音速の貴公子」と最大限の賛辞で形容された。一方、A.プロストには悪代官=越後屋の役割が振られた。だからプロストのキャッチは「顔面フランケンシュタイン」「微笑み黒魔術」であり、その走法には「偏差値走法」「勝ちゃあ、いいんだろう走法」などと、やり方の汚さをデフォルメさせるような表現がもっぱら用いられたのだった。
古館の実況はプロレス同様、例によってF1ファンからの非難を浴びる。「ルールを全然知らない」(はじめたばかりで、あたりまえなのだが)、「F1が持っている品を下げる」など。しかし、ここでも古館は勝利を収める。プロレスの時にはアントニオ猪木を神格化し、これを中心に物語を展開したように、F1ではセナを神格化し、セナを軸に実況を展開。そうすることでF1は我が国で空前のブームを迎えることになる。そう、ここでもプロレスと同様、F1とは別のフルタチ・F1・ワールドを展開し、結果としてこれが日本におけるF1ブームを牽引したのだった。セナが国民的なアイドルとなったことは言うまでもない。古館は再び「我が世の春」を迎えたのだ。古館は、プロレスなどという「下品」なスポーツでなく、世界が認めている「高尚」なF1で成功することで、さらにその地位をステップアップさせていったのだ。
例の図式でF1と決別
しかし、F1がバブル崩壊とともに、我が国でのピークを過ぎると、古館のいつもの癖が、また、はじまった。F1に飽きたと同時に、見切りをつけはじめたのだ。92年以降、次第に古館はF1実況から離れていき、レースを選ぶようになる。彼が実況するのは開幕戦、モナコ、サンマリノ(フェラーリのお膝元)、イタリア・モンツァ、そして鈴鹿と、おいしいところばかり。間違ってもハンガリーとかブラジルといった「辺境」で実況をするなんてことはしなくなった。そればかりか93年は実況すること自体が減ってくる。変わって実況回数が増えたのは早坂、三宅といったフジテレビアナだった(ちなみに三宅はF1で実況のスキルをどんどん上げていった)。
たまにしか実況しない、実況していないときにはおそらくレースを見ていないんじゃないか、と思わせるほど情報を収集しない。だから、実況内容を解説の今宮純に訂正されるシーンがしばしば現れた。そして94年、彼は、プロレス時と同様、これまたF1から完全に足を洗うタテマエを見つける。A.セナの事故死である。彼が作り上げたF1の主役が死んだのだから、もう義理は果たしたということなのだろうか。95年以降、古館はF1と一切の関係を切ったのだった。
しかし、この後、古館は仕事こそ継続するもののプロレスやF1で繰り広げたパーソナリティを展開できる場所を失っていく。「夜のヒットスタジオ」「おしゃれカンケイ」などで古館節は展開されこそしたが、番組自体がゲスト相手のアドホックな対応を要求されるものであり、そこにプロレスやF1のようなあやしげな戦国絵巻を展開するスペースは設けられていなかった。逆に、ここでは、このアドホックな対応がかえって「したり顔」のイメージで対応するというスタイルを生んでいくことになる。ゲストは常に持ち上げなければならない。その一方で戦国絵巻は繰り出せない。その結果、例の「コロコロちゃん」的な、場当たりなおべっかが連発されることになるのだ。で、その一方でゲストに無礼になってしまうような失言もやってしまうのだが、これは古館節の「デフォルメ」を基調とするスタイル上、どうしても出てきてしまうものでもあった。古館の語りは”上滑り”を繰り返す。番組が成立したのは古館とパートナーを組んだ吉村真理や渡辺満里奈の場所を押さえた、あるいは空気を読んだ対応があったからだったといってよいのではなかろうか(言い換えれば古舘自身は空気が読めていない)。
もちろん、お得意のスポーツ中継はスポット的に取り組んではいた。世界陸上、世界水泳、そして競輪。ただし、これらはあくまでもスポットゆえ、そもそも情報量が多くない古舘がスポットで実況をおこなっても、中身がどんどん薄くなるだけでやはり”上滑り”をしていた。本格的に取り組んでいたはずの競輪も、その「権威」からすると中途半端なのか(競輪は一部の人間にのみ熱狂的に支持されているに過ぎず、全国放送されるような競技ではない)、やっつけ的な仕事という印象はぬぐえなかった。
そんな古館に権威の階梯をさらに上昇させる、つまり「ジャンプ」する格好の転機が訪れる。それが久米宏の長寿番組「ニュースステーション」の後釜としての「報道ステーション」への起用だった。
あるジャンルの実況をはじめる→人気を博す→自らがビッグになる→担当するジャンルが下火になる→見下す→勉強しなくなる→適当にいいわけをして、その世界から離れる(あるいはそのジャンルを捨てる)という「フルタチ」パターンはこの時期に形成されたのだった。
古舘伊知郎というパーソナリティがメディアに登り詰めるに至ったエネルギー源である権威主義について考えている。今回は最終回。「報道ステーション」の古舘について考えてみたい。
報道ステーションの開始
2004年、古館は久米宏の「ニュースステーション」の後釜番組、「報道ステーション」のキャスターに抜擢される。名前こそ「ステーション」で同じだが、スタッフを自分の会社の「古館プロジェクト」のメンバーで固め、実質的に古舘の番組となった。伝えられるところによると、この企画を取り付けたとき、古館は「天下を取った」と叫んだとか。これが本当だとしたら、権威主義者=古館のホンネだったことになるだろう。彼にとってニュース・ショーは最終到達点。一介の局アナからプロレス中継、F1中継とステップアップし、ついに報道というメディアの本丸へ、しかも報道の歴史を変えたといわれる、あのニュースステーションの、そして久米宏の後任である。うれしくないはずはない。まさに「我が世の春」を迎えつつあったのである。
しかし、しかしである。開始された番組は当初、低空飛行で始まってしまう。なにかと久米と比較され、そしてすべてが低い評価。「あんなもん、やるんじゃなかった」と当初は思っていたかもしれない。だが、裏番組のNHKの「ニュース10」が終了とともに競合する番組が消滅したため、次第に視聴率は上がりはじめ、13%程度を維持するようになる(ただし、ニュースステーションは平均視聴率14%超だったので、これに比べると低い)。これで、番組は安定した。
しかしながら「報道ステーション」での古舘の評判は相変わらず悪い。で、批判として指摘される部分が、まさにその権威主義にあるといっていいだろう。本番組では古舘のパフォーマンスの背後に隠れていた権威主義が、結果としてベタに全面展開されるという構造になってしまったからだ。
「傲慢と卑屈の二元論」の図式が通用しない報道番組
古舘のパフォーマンスの醍醐味は、権威主義からくる「傲慢と卑屈の二元論」からなる。そのジャンルの権威にすり寄り、これを一方的にヨイショして、それ以外には手下や敵といった脇役の役割を振り、当該世界を極端に単純化、つまりデフォルメと省略を徹底させて、世界の複雑性を縮減し、シンプルでわかりやすい物語に変えてしまうところにある。プロレスの場合はアントニオ猪木とのその他であり、F1はA.セナとその他(悪役としてのA.プロスト)だった(つまり猪木ややセナという権威側に立ち、こちらには卑屈になるが、それ以外にはこれら権威を借りてゴーマンをかます)。こうすることで、そのジャンルについての、古舘によるもう一つのワールドが展開される。これこそが醍醐味だった。ただし、これはあくまでデフォルメと省略。エンターテインメントにはどんぴしゃりとハマるが、報道という事実を踏まえたもの、そして様々なジャンルを取り扱う複雑性を備えたものには適合性が悪い。このスタイルは「事実を恣意的にねじ曲げること」が前提となるからだ(昔からのプロレスマニア、F1マニアには評判が悪かったのはこういった事情による)。
また、お得意の「傲慢と卑屈の二元論」をあてはめる場所がない。誰にすり寄ればよいのかがわからないからだ(まさか首相の小泉や安倍にすり寄るなんて出来ないだろう)。その結果、すり寄る相手は恣意的に選択したポピュリズムに基づいた大衆となった。つまり「さしたる所得もなく、さしたる見解も持たない視聴者」を勝手に設定し、これに迎合するスタイルを取った。しかしながら、この卑屈になってすり寄る相手は猪木やセナのような、ナマの、そして権力を掌握している具体的な人間ではない。だから雛形がない。さらに古舘自身も、元々政治的信条はなく知識も見識も疎いので、このポピュリズムはしばしば偶有する。つまり例の「コロコロちゃん」になる。これに基づき「私はみなさんの味方ですよ」と、したり顔で媚びを売るようなパフォーマンスを展開する(パフォーマンスがこのパターンしかないので仕方がないのだけれど)。で、実際には本人は高額所得者なわけで、こうなるとどうしても「虎の威を借る狐」という偽善的なイメージばかりがクローズアップされてしまうことになるのだ。
また、出演する解説者にべったりというのも、この卑屈さを全面に展開したものと言える。とにかく解説者の言うことには全面的にひれ伏し、そちらの側に「荷担」する。そして、こちらでも虎の威を借る狐のように解説者の権威の立ち位置からドヤ顔でモノを言うのである(しばし解説者の意図をカン違いしているのだが)。
古舘のキャスターの資質を他のキャスターと比較してみる
こうなってしまうのは古舘のパフォーマンス・スタイルが報道に馴染まないためということだけによるものではない。加えて古舘が報道番組を仕切る「キャスター」としてはその資質を備えていないという側面も踏まえなければならない。
ここまでの古舘の方法論を、今回は他のキャスターたちとの比較で考えてみよう。ここでは村尾信尚、久米宏、大越健介、池上彰をとりあげてみたい。キャスターの資質を以下の四点からそれぞれ考えてみる。1.キャスティング能力:番組のネタを投げる=キャストすること。いいかえれば自らが他の登場人物に役割を振って、その場を仕切ること、2.情報量:取り上げる題材に対する知識量の多さ、3.情報の質:取り上げる題材に対する造詣の深さ、4.パフォーマンス能力。これらの資質をそれぞれに振ってみよう。
村尾信尚: 村尾は情報量も多くなく、情報を展開する力も弱く、パフォーマンス能力も凡庸だ。ただしキャスティング能力は抜群だ。そのことを本人も心得ているのか、個人的な論評はきわめて控えめで、専ら担当者に投げる。NEWS ZEROが落ち着いてみられるのは、ひとえに村尾のこのキャスティング能力、言い換えれば本人の「透明性」に依存するところが大きい。これによってZEROのスタッフが一体となったチームに見えてくるのである。一方、古舘の場合、キャスティング能力は低い。とにかく、最終的には自分が仕切らないとおさまらない。それゆえ、他のメンバーを引き立てるという状況を作れない。つまり「独り相撲」。だから古舘以外のメンバーの顔を思い浮かべにくい。
久米宏: キャスティング能力は抜群で、小宮悦子、若林正人、角澤照治、川平慈英といった出演スタッフがどんどん出世していった。ただし、情報量は多くはなく、情報質もあまり深くはない。久米が賢かったのは、自分がアナウンサー上がりであることを常に自覚し、ほとんどコメントしなかったことだ。つまり「無知の知」があった。その一方で、確信を持っているものについてはハッキリとコメントした。また、登場する解説者に対して同意できない場合、反論こそしないが、そのコメントをスルーしてしまうと言う「無言の抵抗」も行っていた。また、村尾同様、キャスティングをする中で場全体を盛り上げるというパフォーマンス能力を発揮。こういった美意識が久米宏ワールドを作り上げ、スタッフのチーム性を感じさせ、これが親密性に繋がって視聴者をニュースステーションに引きつけることに成功する。一方、古舘の場合、少ない情報、そして情報判断能力不在であるにもかかわらず、堂々とピント外れのコメントをしてしまう(パワポを知らなかったのは象徴的事件だった)。いうならば「無知の知を知らない」。これがただでさえパフォーマンス的にうるさい古舘の喋りを(まあ、これがウリなのだが)、内容的にもうるさいものにしてしまう。
大越健介: 大越はインテリだ。キャスターに必要とされる要素をほぼ満遍なく持ちあわせているバランス型。キッチリ情報を集め、言うときはいい、ふざけるときはふざけ(ウルトラセブンをゲストに呼び、インタビューしたこともある)、それでいて画面全体を久米同様、管理し続ける。東大卒かつ野球部のエースだったことが反映しているのだろうか。知力とキャスティング能力を併せ持っている、ザ・キャスターとでも言うべきパーソナリティだ。一方、古舘にはこういった総合力はない。
池上彰: 言うまでもなく「ミスター・ニュース」である。様々な要素を高いレベルで保持している。膨大な情報を単純化し、掘り下げ、わかりやすく、しかも時には危険や誤解を恐れず主張する。いわゆる「黒い池上」だが、古舘と違うのは、この”黒さ”が情報と見識に裏打ちされているところだ。だから視聴者は池上の解説に納得し、積極的にこれに接しようとする。一方、古舘の場合、わかりやすさはもっぱら単純化と繰り返しにある。大仰な口調でこれを繰り返すことだから、池上の理論的かつ要点を押さえたわかりやすい単純化とは質が根本的に異なっている。ちなみに池上に欠けているのは古舘同様、キャスティング能力だ。しかし、情報量と情報質、パフォーマンスを豪快に発揮することで完全に仕切ってしまう。だから、池上は正確にはキャスターではなく、やはり「ミスター・ニュース」なのである。
古舘にキャスターは無理
言うまでもないが、もともと古館の個性はアナウンスする中身=コンテンツではなくパフォーマンス=メディア性にある。まとめてみよう。古館の解説は、どんなときでもその情報量が少ない。つまり池上のように情報を頭にバンバン詰め込んで、データベースのように語るというタイプではなく、むしろ少ない情報を仰々しい定型化されたパターンで演出することで情報それ自体を単純化し、視聴者に「古館節」としてフィクショナルに聞かせるところが魅力なのだ。ということは、同じ相手に、同じパターンを何度も繰り返すことで、古館のパフォーマンスは威力を発揮する。だからこそプロレスやF1は見事にハマったのである。
ところがこの図式は基本的にフィクショナルなものに適用することで初めて成立するもの。これを報道でやってしまうと、ウソになる。ということはキャスティング能力×、情報量×、情報質×で唯一秀でている部分であるパフォーマンス能力も報道では生かすことが出来ない。つまり、全部×になってしまうのだ。結局、大衆に迎合したと思うような、それでいてきわめて凡庸というか、月並みな表現によるパフォーマンスが残るのみとなる(「こーいうことって、ほんとうにありうるんでしょうか?」みたいなフレーズが繰り返される)。また、主張したところで見識も何もないのでヘタに喋ると無知をさらけ出すことになる。そのくせ、したり顔がウリなので、結果として視聴者としては傲慢さばかりが鼻につくというように映ってしまうのだ。
僕は今回、古舘を辛口で分析しているが、個人的に古舘伊知郎というパーソナリティが嫌いではない。プロレス、F1ともにフルタチ・ワールドを堪能させてもらった1人である。ただ、これだけは指摘しておきたい。「古舘さん、あなたにニュースキャスターは無理ですよ!かつて渋谷ジャンジャンでやっていたトーキングブルースのような大仰なパフォーマンスに戻って、本領を発揮してください」と。でも、まあ権威好きなので、価値づけとしては報道ステーション>トーキングブルース。だからトーキングブルースには戻らないだろうなぁ。
それにもかかわらず、報道ステーションはそこそこ視聴率を上げている。なぜか?その答えは……なんのことはない。あの時間に競合する番組がない、ただそれだけのこと。実は僕はやむを得ず「報道ステーション」を見ることがあるのだけれど、それはあの時間ニュースがないから。で、見終わると、はっきり言ってウンザリする。同時に、古舘が「もったいないなぁ」とすら思ってしまう。
報道ステーションを潰すのは意外と簡単だ。裏で同じような報道番組をやればいいだけなのだから。たとえば同じ時間帯に池上彰がニュース・ショーを始めたとしたら……報道ステーションは一気に壊滅するだろう。 
 
古舘伊知郎談 2019/7

 

「遅熟」無口だった小学校時代
子供の頃は、おしゃべりじゃなかったんですよ。中学、高校くらいからですね。それまでは全然、しゃべらなかった。内圧が高まって、高校ぐらいから、思春期なんて言われる時期だからね、なんだかね。爆発した感じはありますね。
結果としては、それまでためといてよかったなと。まあ、幼稚園、小学校の頃から積極的にペラペラしゃべるタイプだったら、それこそ放電して、鬱憤(うっぷん)がたまらないから普通になってたかもしれないですよね。だから遅咲きというか、遅熟(ちじゅく)というか。早熟と反対で遅熟だったから、高校くらいからしゃべり出すのが楽しくなっちゃったんですよね。
高校時代で、男の学校ですから、取っ組み合いやったり、実況中継したりして、いろんなことをやってるうちに面白がられると、ものすごくなんか、自分が認められたっていうか。これといって特技はないんじゃないかと思っていたのが、そういう風にしゃべりが面白いと言われることが、無類に快感だったのを覚えています。
自分が小さい頃からの一連のプロレスを流れでね、力道山が活躍していたころのこと、それを一ファンとして実況風にしゃべり出したんですね。だから結構、みんなそうかもしれないけど、僕の場合はしゃべり出した高校の頃の快感とか、はっきり脳に記憶しています。
22歳で、局のアナウンサーになって、異例だったんですけど、入ったその年の夏にプロレスの実況をしたんですよ。先輩の、前の前の試合くらいでね。一番下っ端で、1試合、長州力対エルゴリアスの一戦というのを越谷体育館で実況したんですけど、それは中継録画で、「生」じゃないんですよ。それが僕のデビュー戦でした。
その時、中継録画で「生」じゃないので、それがオンエアになるのが少し(時間差を置いて)後になるんですよ。その時、新日本プロレスの慰安旅行につきあわされて、伊豆大島に行っていました。ゴルフ大会で先輩のアナウンサーのキャディーバッグを2つ両肩に担いで、30キロ、30キロ、トータル60キロ、今でも覚えてるの。苦行ですよ。
今はスポーツ実況アナウンサーも“民主化”されましたけど、まだ、封建的な時代だったんで。芸は盗めというんですよね、先輩のカバンを持って歩けと。だから先輩が朝まで飲むぞと言ったら付き合わされるし、カバン持って付き合うし、次の日ゴルフだから朝迎えに来いって言われたら寝ないで運転していくし、そんな時代でした。
今はもう大きく変わって、善しあしはいろいろあるけども。今の若い男子のスポーツアナとかかわいそうですね。BSだCSだネットTVだ、地上波だ、いろいろやる仕事があって、先輩のカバンを持って朝まで付き合わされて芸を盗むっていうの、1個もないと思いますよ。次々と放電するじゃないですか。
だから、あの時に僕はつらい思いをしてるけど、相当、蓄積されました。あの時こそ蓄電の期間、蓄電期だったなあって思います。それで、大島まで付き合わされて、夜は夜でレスラーと新日のフロントと、テレビ朝日のスタッフやアナウンサーたちがマージャン大会やるんですよ。で、俺は先輩の横について水割りを作る係なんですよ。で、ずーっと水割りを作って回るんですよ、一番下っ端だったから。
その夜、金曜夜8時。ワールドプロレスが始まるんですよ、その時に、(自分は)セミファイナルの“セミセミファイナル”を実況してるんで、それが途中から流れるんですよ。それ見たくて、先輩に恐々と「実況があるんで見に行っていいですか」と言ったら、早く帰って来い、水割り作る係なんだからと言われて。それで、相部屋の部屋にこっそり戻って、テレビをつけたら「実況・古舘伊知郎」って出たんですよ。もうね、その時の、大島の旅館の雑魚寝のところでね、背中に渦巻きが走ったんですよ、快感で。ゾゾゾゾ〜と。
若い時っていうのは、脳内麻薬の出方も分かるんですね。鋭敏というか。(プロレス中継では)顔なんて出ないんですよ、だけど名前がね、「古舘伊知郎」って公に乗ったのは生まれて初めてのことで、本当にしびれましたね。
それで自分の実況部分だけ聞いて、また戻って水割り作ってるんですけど、マドラー回してる時が気持ちいいの。さっきまで、嫌々やってたのに…。
今だったら、ゴルフ場での苦行をこなしていたら熱中症ですよ、何10キロものキャディーバッグかつがされて、また水割りかい? みたいな、スナックのママじゃあるまいしって。それが実況が流れた後の快感、テロップで(自分の名前が)出た時のうれしさ、自己顕示欲が満たされたら、ホント泉を回してる女神様みたいな、世界がグルンと変わりました。そういうことを時折思い出すようにしてるんですよ。
プロレス実況は言葉がはみ出せる
おじさんに小学校の時に、日本プロレスの後楽園ホールに連れて行ってもらったのが、プロレスの出会いだと思います、はい。
でも、プロレスだけがすこぶる好きってわけじゃなくて、自分はプロレスに向いてると思ったんですね。だからアピールしたんですよね、アナウンサーになってから。
NETのアナウンサーを受けて、合格して入ったら、「テレビ朝日」っていう風に4月1日の入社を持って改名したわけですけど、そのNETの試験を前の年に受けてる時にも、バレーボールとか水泳とかプロレスとか野球とか相撲とか、その中からやりたい種目を選んで、みんなの前で実況中継しろっていうのがあった。その時も迷うことなくプロレスを選んだし、どう実況したかというのを、今でも覚えてますね。
それはなんでかっていうと、他のスポーツが嫌いでプロレスが好きってわけじゃなくって、プロレスの実況に向いてると本能的に思っていたんですよ。なんでかと思って、若い時って理屈は考えないんだけども、言葉がはみ出させることができるという、場外乱闘の余地があると思ったことは事実だと思います。
ニッポン放送「ショウアップナイター」とかね、ラジオの野球中継だったら「3回の表ジャイアンツの攻撃、さぁ…」と、ガンガンあおれるじゃないですか、しゃべってないと放送事故になっちゃうから。テレビの場合というのは「ご覧の通りです」と言わなきゃいけないというね。「打った〜、大きい、大きい、入るか、入るか、入るか、取った〜、アウト〜!」なんて言わないわけだから。テレビだと「さぁ、フルカウントです、○○さん、どうですか」と解説に振って。で、打ったって、ご覧の通りですと黙ってから「センター前のフライ」くらいじゃないですか。「入るか、入るか、アウト〜!」っていうのがラジオなんですよ。
だから、やっぱりなんか盛り上げたいっていうかね、「一人ねぶた祭」って言ってたんだけど、自分でしゃべって自分が元気になって、だから、なんか、プロレスの方が言葉の場外乱闘ができる、エプロンサイドがある、いろんなむちゃくちゃしゃべりをしてもクラシカルな中にポップなものを入れたりもできるという。
僕、(プロレス中継を)10年やってたんで、低迷してた時も、ずっと。第2期プロレス黄金期っていう、村松友視さんが「私、プロレスの味方です」を書いたりね。それまでは、戦後の力道山のプロレスの伝統を引きずって、小柄な日本人と大柄なアメリカ人が戦って、最後はやられていた日本人がひっくり返して逆転劇をする。空手チョップをさく裂させる力道山、そういう外国人対日本人の図式を猪木さんがぶっ壊して、国際プロレスがつぶれてね、「はぐれ国際軍団」とか勝手に名前を作りましたけど、革命を起こしたり、下克上だったり、日本人同士の戦い、タイガーマスク登場、と。そういう風に戦いの図式がシフトした時は、僕がやってる10年の、残り3年くらいです。
その前は普通にやってるんですよ、普通にオーソドックスに。プロレスも、僕の実況も。めちゃくちゃになったのは、言葉の場外乱闘みたいになってるのは3年くらい、10年のうちの。でもそこが一番、(視聴者の)みなさんの印象に残っておられる。元々はタイガージェットシンもそうですし、ジョニー・パワーズ、スタン・ハンセン、ディック・マードック、もうちょっと後だけど、最後の方だけど、マスクド・スーパースターとか。
ジョニー・パワーズの8の字固め、あれは痛いっすよ。僕、岡山のターミナルホテルで、今はないですけども、そこのロビーで、冗談で「エイトロックかけてくれ」って言ったら、ジョニー・パワーズがかけてくれたんですよ、取材の一環で。ほんとにステップオーバーして、2週間くらい足のしびれが取れなくて。ふざけたんですね、キュッとステップしたんですよ、あれは痛かったなあ。要は4の字なんですけども。
テレ朝辞め不安をエネルギーに
1977年(昭52)にアナウンサーになりたくてテレ朝に入って、大喜びしていたら、自分が所属した会社がありえないオリンピック(80年モスクワ五輪)の放送権を得た。それが不運にも(ソ連のアフガニスタン侵攻で)日本も参加しないっていう低調なオリンピックになった。
男子水泳自由形1500メートル、1レーンから8レーンまで、全て東ドイツですってやってたんですよ。それを中継するテレ朝のつらさはなかったと思います。共産圏のオリンピックを中継してるわけですから。だけど、とんでもないことが起きた。
それは後で知ったことで、入社したのは男性アナウンサーが5人、女性は4人、トータル9人というのは前代未聞でした。今より入社が難しい時代で、僕の上の代なんか募集してなくて、男女合わせて男性1人のみとか、同期が1人もいない、自分以外いないっていう、そういうのが普通だったんですよ。そこに大量に9人が入れた。中堅からベテランがオリンピックシフトになると聞いて、レギュラーのスポーツプログラム、競馬とか、プロレスとか大相撲とか、そういうものに穴が開いたら困るから。その当時はありえない、オイルショックの後の1977年(昭52)に、男5人を入れてくれて、だから運が良かったんです。
(自分は)そのうちの1人で、どさくさで入ったようなもの。で、プロレスの実況をやって、そりゃあもう、調子に乗ったんですよね。そこで(会社を)辞めまして。まだ29歳でしたね。不安は、ありました。だから、不安をエネルギーに変えました。
いくら結婚してない、子供いない、独身貴族でも、やっぱり7年間、テレビ局にいて、つらい思いも、おいしい思いもしてるわけじゃないですか。固定給があって。だから、フリーなって売れなくなったらどうしようと。せっかくアナウンサーになれたのにとか…。そういう不安はあったけれど、やっぱり若くて調子に乗ってる時って、不安をエネルギーに変換して、不安がモチベーションになって頑張ろうって思うもの。
「お前、絶対1年でつぶれる」っていう風にプロデューサーに言われれば、絶対1年じゃなくって5年はつぶれないって。その言われたことをエネルギーにしたし、人を恨むこともエネルギーにしました。今思うと、そうやって意地悪言われたことって、すごいためになってるんですよね、頑張ろうと。祝福されたらちょっと、止まっちゃうじゃないですか。だから冷や水を浴びせられ続けたんで、続いた。
29歳でプロレスの実況でちょっと売れて、調子に乗って辞めるっていうことは、今と違って考えられない時代なんですよ。NHKで超〜有名になって、民放に雇われ、フリーになる方とかいますけどね。久米(宏)さんだって30歳超えて、大ヒット番組「ザ・ベストテン」とか、いろんな番組を当てまくった果てにフリーになってるわけですから。僕はちょっと若すぎて、プロレスの実況アナがフリーになるっていうことは、会社の中でも、何? って感じで、全く引き留められなかった。その後もプロレス実況を、1年か2年やったかな。だから、会社があまり評価してくれてなかったというのもこれ幸い。
エンターテインメントっていう都合の良い言葉はなかったんで、プロレスはスポーツなのか、真剣勝負か、八百長かっていう二言論の時代ですからね。真ん中のエンタメって言葉がないんですよ。いい言葉が見つかってない時代で、プロレスっていうのはちょっと中途半端な扱いで、金曜ゴールデンタイムで、ものすごい25%を超えるような視聴率をとってるから、コンテンツとしてはおいしい。
だけれども、どこかでプロレスをね、ちょっと、迫害するような偏見があったんですよ。面白いからあるプロレスラーのポスターを、アナウンス部にでっかく貼ると、すぐはがされて大相撲の番付になってましたからね。だから天井に貼ってやったんですよ、長州力の。そしたら次の日、はがされてました。やっぱり、まだそんな時代だったんですよ。
どちらかというと、プロレスの実況で、訳のわからない言葉遣いで俺が怒られたように、会社があまり俺を高く評価してくれないのに、外が面白がってくれたんですよね。雑誌の取材が殺到したり、テレ朝の広報に古舘を取材させろとかそういうのがいっぱい来ました。広報の人が「何でお前にこんなに来るの?」って。「お前が働きかけてるのか?」って言われて…。
働きかけるも何も…どうしたらいいんですかと。仕事しているだけですよと言ったんだけど、会社はちんぷんかんぷんだったと思う。だから退職届を出した時も「大丈夫かよ、オイ」で終わりでしたから。
編集局長に喫茶室に呼ばれましてね、当時の。「お前フリーなんだって? 大丈夫かよ? お前は独身だからよかったな」と。その若さで何事なのって心配されてましたから。だから、そういうのもモチベーションになりました。俺、全く評価されてないって(笑い)。辞めて不安はありました。結果的には、いつも安心できないというのがちょうど良い加減だったのかなあと思います。
F1実況で今でも強迫観念に
F1はプロレスの後に食いついた。面白そうなイベントで、またしゃべりたいっていう自意識の塊でした。で、それがやっぱりF1村のモータースポーツファンには嫌だったと思うんですよ。古舘がやって来て、しっかり住民票も、届け出も出す前に、訳のわからないことを…。
89年の開幕ブラジルグランプリかな、リオデジャネイロのネルソン・ピケ・サーキットで、F1実況デビューしたんです。その時ももう、F1のことあまり分からないで突入して、「フェラーリのナイジェル・マンセルがピットイン!」ってやるんです。それが9秒、8秒くらいか、ちゃんとコンマ何秒の世界を伝えなきゃいけないのに、まるで、30分超えてしまったら700円バックしなきゃいけないっていうピザの宅配員みたいに…って。ピザの宅配なんかより、後輪がセットされたかどうかを実況しろって(笑い)。ずっとピザの宅配とか言ってるし、そりゃあ、ファンは怒ると思いますよ。
多分、フジテレビに抗議電話1200本っていう金字塔じゃないですか。「古舘を黙らせろ」「お前のトークショーじゃないんだバカヤロー!」っていうのが、今のネットだったら炎上どころじゃないでしょう。あの当時、元祖炎上ですよ。
それで、ブラジルグランプリやって、F1を分からないって非難囂々(ごうごう)で、その後パリに行ったのかな。「夜のヒットスタジオ」の衛星生中継。で、その時にブラジルグランプリの散々な評判を聞いたんですよ。だから、ネット社会じゃなかったんで、すぐには入ってこない。結構、改心して、そうか! と。
まず、F1のモータリゼーション、モーターファンのために、ちゃんと住民票を移して、一生懸命勉強して、この地域になじむよう、努力してまいりますという態度に変えなきゃと、本当に心底思いました。一生懸命、川井ちゃん(F1リポーター川井一仁)とか、(モータージャーナリスト)今宮(純)さんとか(ノバエンジニアリング)森脇(基恭)さんとか、F1のプロ中のプロに教えてもらいながら、ヨチヨチ歩きながら苦手なモータースポーツを勉強して、1年か2年くらいたってからじゃないですかね、認められたというか。F1の日本グランプリでワーっと声援がきました。
だから、素直になるって、自分のウケ狙いじゃなくて、人に、要するに舌先のサーバント(召し使い)として奉仕するというか、はい、っていうのを痛感したんですよね。プロレスの時はもっと若かったから、F1の時の方が、調子づいていたらいけないと思いました。
あの時の脳の構造がいまだに僕の中に強迫観念で残ってますよ。よく話題にするんですけど、F1脳になってまだ抜けきれないというか、ちょっと特殊なんです。どうやって実況するかっていうと、(画面に)顔は映ってないので、フルフェースで完全にスモークでかぶるじゃないですか、誰が誰かわからない。だから、競馬の実況のように、ヘルメットの色と勝負服で馬を見分けるのと一緒です。だから、マシンのカラーリングと色柄と、スポンサーのステッカーの場所。頑張って何を実況するかというと、パーンとどっかでコースアウト、誰が誰を抜いた、ピャーッとスプーンカーブで接触、誰だ! って、瞬時に言わないと。
だけど、僕なんかが歯が立たないような、大学生のF1オタクの頭いい子がアルバイトで、当時の河田町のフジテレビに雇われててサブコントロールにいる。僕はポルトガルグランプリを現地で実況してる。世界各国から取材陣が来てるフォーミュラワンですから、小さいブース、小さいモニターで見てるんですよ。現場でしゃべってるから古舘は一番見やすいね、野球でいうゴンドラみたいなところでね、全部みられるんじゃないかと錯覚している人がいるかもしれないけど、ホームストレート脇の、ほんとカイコ棚みたいなところで、こっちブラジル、こっちフランスの、みんなうるさい中でワーワーしゃべっている。
こっちは日本語でしゃべって、そこでこんな小さいモニターでやってて、テロップが出ないんですから。そこで、「レイトンハウスがクラッシュ!」とか、やってるわけですよ。そうすると、僕よりも早く、東京・河田町のフジテレビの生中継のサブコントロールで、アルバイトしている学生がすぐ、(マウリシオ)グージェルミン!と、パーンとテロップ入れるんですよ。もう、F1オタクで分かっているから。でも、そいつに勝ちたいわけですよ、俺は。
だから、そいつがテロップを入れる前に言いたい。だから、勝った、負けたの繰り返しで、あとで確認すると、テロップ入る前に、俺が先に反応してるんですよ。でも、そんなの見てる人、何も関係ないですから。テロップが出て俺が遅れると、「古舘は分かってない」とF1村の人が面白がるんですよ。
まあ、そんなことばっかりやってましたね、7年間くらい。今でも強迫観念ありますよ、パーンと(言葉が)出てこなきゃならないと。インカムつけてヘッドセット着けてしゃべるわけですけど、中継車に乗ってるディレクターが、今、国際映像でそのあとプロスト撮ってるけど、膠着(こうちゃく)状態にあるから、今フジテレビの独自カメラは鈴木亜久里をとってるから実況しろと指示がくる。
そうするとモニターテレビには、国際映像がありますから、スペイン・グランプリやってたらスペインのテレビが撮ってるメインの国際映像が流れてる。それでも鈴木亜久里が走ってるように実況しなきゃいけないんですよ。目に見えてないんですよ。そういうのもやりました。
で、何番手かというのはモニターに、11番手鈴木亜久里とか、8番手アグリ・スズキって出てたら、「8番手鈴木亜久里、おそらく、ダンロップコーナーあたりか」と。日本では見えてるから、「古舘!なんで、『あたりか』とか言ってるの?」と言うんだけど、こっちにしてみたらブラインド実況ですから。だからそういう強迫観念も残ってるんですよ。
「夜ヒット」もスポーツ感覚
僕の中では「夜のヒットスタジオ」もスポーツ感覚で、あんまり変わらないです。
例えば、五木ひろしさん。常に演歌の王道を歩んできた五木ひろし…今日歌ってくれる歌…なんて、七五調でやったりする。これ、テンポを変えれば、猪木花道を入場してまいりました…と、一緒なんですよ。
テンポを速くすればスポーツ実況、テンポをゆっくりすれば七五調の歌の司会になるんで、何も変わってないですね。
あとはもう、(コンビを組んだ芳村)真理さんが時間を読まない人だから俺が時間を計算して、25秒で中森明菜インタビュー締めて、歌の方に。じゃ「難破船」歌ってください。これ以上やると、真理さん、難破しちゃいますよ、と。どうぞって。これスポーツ感覚ですよね、時間見て残り5秒とか。
だって、「夜のヒットスタジオ」なんか、いっぱい歌手を詰め込んで、2時間生放送で「デラックス」って名前がついてるわけだから、絶対に放送事故にならないように歌を全部紹介して、紅白歌合戦と一緒で、締めなきゃいけない。生で。もうね、すごいんですよ、ストレスが。だからスポーツ実況とあまり、速さもテンポ感も自分の中ではあまり変わらなかったですね。
疋田(拓)さんってプロデューサーの方が仕切って、カメラ割りから全部絵割りもやってました。ディレクターでスタジオを仕切ってたのが、今のポニーキャニオン副社長の井上信悟さん。仕込んだペンギンも仕切ってましたからね。下手、下手!って。ペンギン、分からないから…下手寄れって、ほら! って。(松田)聖子ちゃんの歌の前に、ペンギンいらねー、とかいろいろ言うんですよ。ペンギンに演出してるよ、って。まあ、テレビが一番良かった頃、花のディレクターでしたね。
それこそ、タモリさんとか、たけしさんとか、さんまさんとかね。バラエティー、お笑いの大御所はいっぱいいるし、とんでもないんですけど。ただ、テレビが良い時代に歩ませてもらったなという、今思えばほんと。
でも、その真っただ中にいる時、今が幸せの骨頂だとは思ってないですよね。未来も予見できてないし、ネットの予見もできてない、テレビって、その一番中心で見られている娯楽のメディアでしょって思ってるわけだから。今みたいにテレビも含めていろんなものが出てきて、多様性、多様化した時代をわかってないから、今思えば良い時代だった。その時は、あんまり思ってないですね。今ほんと思いますよね。
未開拓だった報道に興奮と不安
震えましたね。その、いろんなことをやってきたつもりで調子こいてたけど、考えてみたら報道っていうのは全く未着手でしたし、だから、ちょっと興奮しました。
あんまり、「古巣のテレ朝」というのは考えなかったですね、7年しかいなかったから。それより、未着手の、未開拓分野にいく興奮と、ときめきと超〜不安。やってないんだし、政治経済、得意じゃないんだから。だから、興奮と不安が本当に入り交じっていました。
しゃべりが過多の人間だから、報道なのに政治家とけんかになったりして大反省しました。黙りこくるようにしてね。でも、黙りすぎるとおかしいので、ちょっとしゃべるようにしたり。試行錯誤の12年でした。良い経験をしましたよね。(前番組の「ニュースステーション」の久米宏キャスターは)正直、うらやましかったですね。開拓者じゃないですか。NHK以外のニュース番組の中から、ニュースショーっていうのが民放で生まれた草分けじゃないですか。で、それを80年代前半くらいからやり始めるわけですよね。もちろん苦しい時期もあったけど、いろんな世界的な大きなニュースが流れて、事件が起きて、フィリピンの不正選挙とか大爆発とかね、そういうことでものすごく注目される。右と左、保守とリベラルがはっきりしてた時代でしたよね。
僕がやらせてもらった2004年はネットの台頭もあり、テレビ一極集中の時代ではなくなりつつあって、そしてニュースショーというのも言いたい放題でいいのかと。ニュースなんだから、脇を締めてかからないと大変な問題を引き起こすかもしれないということがありますよね。
「ニュースステーション」時代もいろんなことがありましたから。で、あとはさっき言ったように、右に対して左の座標軸から物を言ってりゃいいという時代でもなくなり、右と左、ずれましたよね。地殻が変動して、ズズズズーッて、移動して、今まで右側で言われてた人が、もはや左扱いされる。というくらい、地殻変動が起きて、世の中が変わったと思うんですよね。
今思うと楽勝の時代じゃないから勉強になりましたね。先人がすごかったから、とてもじゃないけどかなわないと思いながらやってたのが勉強になったし、少しは報道12年やると世の中のカラクリが見えてね、いろんなことがあるんだなと思うし、正しいことだけが正しいんじゃないんだと知る。世の中、薄いグレーゾーンがあってしかるべきで、きれいで、正義ばっかり唱えてたら正義原理主義になっちゃって、自分が成敗してやるみたいなね。
徹底的にネットで人をたたく時代にも、一部の人がなってるようだけど、僕はそういうの嫌なんで、いろんなことを報道時代に勉強させてもらった。今思うと、やっぱりMCやってる責任感といえば聞こえはいいけど、ものすごいわがままになってたし。もう、ディレクターとか制作陣とも毎日やりあってたし、迷惑かけたしね。古舘、お前の考えもあるかもしれないけど、こっちにはこういうニュースの伝え方があるんだよと。このタッチでやろうぜとか言ってるお前が憎い、という人もいっぱいいたと思う。だから、迷惑かけたなと、今思いますね。
今すっかり大人になりました。自分で言うのもなんですけど。やっぱり12年やって「報道ステーション」に埋没したわけで。土曜、日曜さえ使って取材に行ったり、原発問題やったり、ドイツ行ったり、いろいろやってたわけで、そういう意味では、すごく勉強になったし、苦労もして、埋没してたわけですね。埋没が良かったと思う。ただ、埋没が解けてシャバに出たら、甘いものが食いたくなって、血糖値下がってるんで。で、ちょっとバラエティーに出たり、10年ひと昔と言うけど、今、3年ひと昔だと思うんですよね。1秒、1秒、刹那、刹那の流れ方が早くなってるでしょ、(ネットの世代が)5Gになったら3時間の映画3秒で落として(ダウンロードして)くれるわけだから。
言ってみれば1時間が1秒ですよ、早いんですよ。絶対時間では12年報道やってたにすぎないけれど、「報道ステーション」を12年やって、やめさせてもらって、バラエティーに“里帰り”しようなんて思ったら大間違いでしたね。
やっぱりそれは、故郷を捨てて12年、違う場所で海外で頑張って、12年たって故郷に都合よく戻って、みんな元気? って言ったって、知らねーよ、お前、12年間こっちは、いろいろあったんだよと。お前の12年はテンポ早い時代だから、30年以上たってんだよというくらい、浦島太郎。だからバラエティーからずれていたというんですかね、感性が。そこは思い知らされましたね。報道やめてから。自分がやってたのは、ずいぶん昔のバラエティーなりスポーツなんで。
今の時代、テレビのありよう、作り方が変わってるじゃないですか。短いフレーズでパンと受けて、パンとコマーシャルに行ってとか、バラエティーを編集していくとか。ちょっと僕がアナログすぎたかなと。  
 
「報ステ」降板後の古舘

 

2017
古舘伊知郎「フルタチさん」1年で終了もフジが切れない理由 2017/9
フジテレビの10月改編発表会が4日、都内で行われた。
各スポーツ紙などによると、改編によりフリーの古舘伊知郎アナウンサー(62)を起用した「フルタチさん」が1年で終了。金曜7時枠で古舘キャスターの新番組「モノシリーのとっておき〜すんごい人がやってくる!〜」をスタートさせることが発表されたという。
「昨年11月にスタートしたばかりの『フルタチさん』。強力な日本テレビの裏番組である『ザ!鉄腕!DASH!!』と『世界の果てまでイッテQ!』にぶつけるべく午後7時から2時間ぶち抜きで放送し大きな期待を背負っていました。ところが初回視聴率は8%台といきなり低迷。4%台に落ち込んだこともあり、いつ打ち切りになってもおかしくなかったのです」(フジテレビ関係者)
視聴率の低迷は同局にとって“想定外”のようだったが、一部からは「数字が取れる要素がまったくなかった」との声もささやかれているという。
「古舘さんがやたら構成に口を出してきたそうなのです。企画も出すのですが、報道が長かったせいか今の若い人にはまったくウケない企画ばかり。それでも古舘さんの発言権は絶大なので、その企画が通ってしまうそうです。周囲からも同時期にスタートした深夜のトークバラエティー『トーキングフルーツ』をゴールデンに持ってきた方がよかったくらいだといわれるほどでした」(番組関係者)
にもかかわらず、フジテレビはまたしても古舘アナに新番組を用意。かなり気を遣っているようだが、そこには理由があるという。
「昨年3月に『報道ステーション』(テレビ朝日)のキャスターを降板してから、古舘アナはしばらく休養する意向でした。それをフジが“三顧の礼”どころか、破格の待遇で引っ張り出しました。そんな事情もあって、簡単にクビを切れない。新番組の数字が低迷しても、古舘アナはしばらく安泰でしょう」(テレビ局関係者)
それならば、古舘アナにはノビノビとやって視聴者を満足させてほしいものだが……。 
60歳でも"かわいい"を意識するオジサン 2017/9
トークバラエティ『おしゃべりオジサンと怒れる女』(テレビ東京)が面白い。古舘伊知郎、千原ジュニア、坂上忍という芸能界の「うるさがた」男性3人がレギュラー出演し、ゲストで来た女性の「怒り」を聞き、反論したり反省したりする。ほかの番組ではあまり観られない振る舞いで、妙なかわいさがあるのだ。今回、3人の中の最年長である古舘伊知郎さんに、自分を含めた「おじさん」が愛されるための振る舞い方について聞いた。
――『おしゃべりオジサンと怒れる女』(テレビ東京)は、ゲストの女性が抱えている「怒り」をぶつけられて、古舘さん、千原ジュニアさん、坂上忍さんという芸能界でも一家言あるタイプのホスト3人が戸惑ったり共感したりする珍しい番組です。特に古舘さんは、普段の番組ではMCが多いので、これまであまり観ることのなかった顔を見せているように思います。
【古舘】「ビッチ」とか「ハニートラップ」とか、言葉としては知っていても、また違った方向から意味を知ることができて面白いですね。毎回どういう方がゲストで来るのかも知らないので、下調べもしていません。僕はただ生徒のように聞いて、そのときの感覚で何か言えばいい。
――これまで「おしゃべり」が仕事だった古舘さんが、聞き役に回っているのが新鮮です。
【古舘】楽しいですよ。若いときは、「聞き上手にはなかなかなれないな」と思っていました。間が怖いのでしゃべっちゃうし、自我が強くてやっぱりしゃべっちゃうし、受けを狙ってしゃべっちゃうし。「聞き上手」というと、相手の目を見て話を聞いてあげるのが上手な人のことだとみんな思っているでしょうが、そういうテクニカルな話ではないんだそうです。本当の聞き上手というのは、「慈悲の精神」なんだ、と。相手の苦しみ、喜び、怒りをとにかく心から聞く。徹底的に無償で聞くことが聞き上手なんだそうです。ギブ・アンド・テークじゃなくて、徹底的に自分がgiver、つまり与える側になる。実は成功者と呼ばれる方々の中にも、takerではなくてgiverのほうが多いんだそうですよ。だから、自分も無心で聞きたいと思っています。できてはいないんですけどね。頭ではわかっているけど、それができるかというと難しい。長い道のりだと思います。
――番組でゲストが披露する怒りは、「『俺と寝ればいいことあるよ』と言ってくるセクハラ・パワハラおじさん」や、「自分のことしかしゃべらないチャラい男」など、男性に対するものもあります。それはどう思いながら聞いているんですか?
【古舘】「自分のことを言われてるのかな?」と思うときもありますし、その怒りを受け止めるのが62歳の初老のおじさんでいいのかな、とも思います。……今わざわざこういうこと言って、インタビュアーの方々に「初老だなんて、若く見えますよ」って言ってほしかったセコさもあるんですよ。
――気づかなくてすみません。
【古舘】そういう保険をかけるところが、クソジジイなわけです(笑)。女性たちのおじさんに対する怒りを聞いていて、反発してしまう気持ちもあるし、「それはわかんないなぁ」と思うときもあるし、「ここまで俺はひどくない」と思ういやらしい自分もいる。自分の心の中を検査しているようなもので、この番組は「心の人間ドック」でもあるんですよ。
――これまでに放送された回の中でも、「すぐうんちくを言いたがる、俺のこういうところがダメだって思ってるんだろ?」と、われに返って自虐的になる場面がありましたね。
【古舘】本気でそう思っている部分もあるし、「気を付けないとな」とも思っているんです。でも、これもまたいやらしい話で、そうやって先に自省することで「俺はちゃんと己のことを知ってますよ」って、免罪されようとしているところもある。親鸞の「善人なおもて往生をとぐ いわんや悪人をや」という言葉がありますが、自分の中の悪を知っているほうがまともなんだ、と思いたい。
――自分の欠点に気づいていないよりも、自覚しているほうがまだましだ、と。でも、仕事でもなんでも、年齢を重ねて経験を積むに従って、自分の中の基準が絶対化して、欠点に気づきにくくなりませんか? よくネット上では、世の中のそういう「おじさん」たちに振り回される若い人たちの怒りがぶちまけられています。
【古舘】確かに、経験則ばかりでやっていると、人に間違った指示をしてしまいがちですよね。そこに頼りすぎず、1〜2割は“遊び”の部分を作ったり、曖昧さや保留を認める気持ちを持ったりする必要があるんじゃないでしょうか。ドイツの政治家であるオットー・フォン・ビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言っています。何かを判断するとき、自分の経験だけに頼るのが愚者で、賢い者は他者の経験も含めた歴史に学ぶ、という意味ですね。経験は、自分が現世で生きている間に積んだものにすぎない。歴史を知らなければそこに凝り固まってしまって、自分だけを頼ってしまうようになる。変な言い方ですが、歴史という後ろの方向に顔を向けて、未来に後ずさっていくことこそ「前向き」なんじゃないかと最近は考えています。
――この番組でゲストの方の発言に反省したり、千原ジュニアさんや坂上さんと3人で笑いながら口げんかしたりしている姿を観ていると、今までの古舘さんとは少し印象が違って、なんというか「かわいらしい」と思うときがたまにあるんです。
【古舘】本当ですか。だとしたら、うれしいです。60歳すぎて「かわいい」って言われるなんて、そんなごちそうはないですよ。でも、そうなると次の収録が危険です。「かわいい」を意識しすぎて、欲にまみれて作為的にかわいらしさを出してしまうかもしれないから(笑)。
――番組タイトルに「おしゃべりオジサン」とありますが、「おじさん」でもかわいらしさって大事なんじゃないかと思います。年齢や性別を問わず、そういうかわいらしさを持っている人が、広く「愛される」んだろうなと。古舘さんも、いろんな人から愛されたいと思いますか?
【古舘】圧倒的に、愛されたいですよ。giverになるべきだと最初に言いましたけど、それは置いておいて、やっぱり一人ぼっちでいいとは思えない。本来ならば、人に与えていて、ふと気づいたら背中をツンツンつつかれて、それで初めて愛されてたんだと気づくのが理想なんでしょうね。愛されたい愛されたいと言っている場合じゃないだろうとは思うんですけど。
――でも、「おじさん」の中には、「愛されたい」と思うことが恥ずかしいと考えている人もきっといますよね。
【古舘】みんな照れてるんですかね。男は黙っているほうがいいとか、そういう価値観があるから。僕の場合は気質もありますけど、職業に感謝ですね(笑)。余計なことを言って反省したり後悔したりもできるし、愛されたいとも公言できる。でも、愛されるためには人から受け取るだけじゃなくて、自分から愛さないといけないんでしょうね。そのためにも、自分の経験に基づいて何かを決めつけるのではなく、遊びの部分を残しておきたいものです。 
2018
古舘伊知郎 崖っぷち俳優挑戦…MCレギュラー0本で異業種へ 2018/10
フリーの古舘伊知郎アナウンサー(63)が10月14日スタートのTBS系ドラマ「下町ロケット」に出演することを、一部スポーツ紙が報じた。
同ドラマは俳優・阿部寛(54)演じる主人公・佃航平率いる町工場「佃製作所」の面々が、度重なる困難を乗り越えていくストーリー。15年に放送された前作は平均視聴率18.5%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録するヒット作となった。
記事によると続編で古舘が演じるのは、佃製作所のライバル企業となる大手小型エンジンメーカー「ダイダロス」の社長・重田。技術力で戦う佃製作所の前に、安さを武器に立ちはだかるという役どころだ。
古舘がドラマに出演するのは91年のNHK連続テレビ小説「君の名は」以来、27年ぶり。民放で本格的にドラマ出演するのは初めてとなる。
「皮肉なことに、9月いっぱいで古舘さんがMCをつとめていた民放のレギュラー番組は0本になってしまいました。そんなときに俳優業のオファーで古舘さんにとっては願ったり叶ったりだったのではないでしょうか」(芸能記者)
古舘といえばテレビ朝日の局アナ時代、絶妙なプロレスの実況で一躍人気アナに。フリー転身後、04年4月から16年3月までテレ朝の看板報道番組「報道ステーション」のキャスターをつとめた。「報ステ」の卒業後、意気揚々とバラエティー番組のMCに復帰したのだが……。
「『報ステ』でキャスターをつとめていた間に、バラエティーの感覚が鈍ってしまったようです。現場スタッフとの感覚もズレていたのでなかなか視聴率が取れるような番組がつくれず、崖っぷち。MCとしては大物ですが、俳優としては新人同然。周囲に気を遣うなど、これまでと違う古舘さんを見せることができれば成功しそうですが……」(テレビ局関係者)
またまた話題になりそうな同ドラマだけに、自然に古舘アナの演技も注目を浴びそうだ。 
2019
古舘伊知郎 活躍の場広げる訳…客員教授就任にあった苦境の今 2019/3
フリーアナウンサーの古舘伊知郎(64)が4月から母校・立教大学経済学部の客員教授に就任することになり、27日に東京・池袋の同大で会見を行ったと各スポーツ紙が報じた。
各紙によると、古舘は2年生以上の全学部共通科目「現代社会における言葉の持つ意味」を週1回担当。定員は約300人で、古舘は「ことば」を中心に脳科学や仏教の観点からも考察。1977(昭和52)年に同大を卒業後も式典の司会などはたびたび行ってきたものの、教壇に立つのは初めてだという。
「古舘アナは04年から16年まで12年にわたって『報道ステーション』のキャスターをつとめていました。そのため高年齢層からは一定の支持を得ているものの、若者にとっては“遠い存在”です。学生に触れることで、今後の司会業のプラスになるといわれています」(テレビ局関係者)
「報ステ」降板後は続々と仕事が舞い込んでいたが、現在のMCレギュラー番組は「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」(NHK総合)のみとなっている。
「最近の古舘アナは活動範囲を広げていて、昨年10月期の『下町ロケット』(TBS系)では27年ぶりに連ドラ出演を果たしていました。彼は苦境をむかえているとしっかり把握しています。そのため客員教授就任のオファーも“渡りに船”とばかりに引き受けたようです」(芸能記者)
マシンガントークが売りの古舘アナがどんな“白熱教室”を繰り広げるのかが注目される。 
古舘伊知郎さん、母校の立教大学で初授業 2019/4
 「自我を出そうとする熱をちょっと鎮めてみたら?」と就活戦線に苦言
フリーアナウンサーの古舘伊知郎さんが4月16日、客員教授となった母校・立教大学(東京・池袋)で初の講義をした。科目名は「現代社会における言葉の持つ意味」。古舘さんは講義の中で、現代の学生らの就活戦線に対して矛盾を指摘した。
授業は、全学部の学生が受講の対象となる共通科目として開講され、284人の登録定員に対して1000人以上の履修希望があった。文字通りの”人気講義”だ。
「皆さんは選ばれし者だよ」と、笑いながら講義は始まる。
まずは、古舘”教授”自らの経歴をVTRで紹介。アナウンサーとしてスポーツ実況や報道キャスターを経験したことを踏まえた上で、自らを「最強のおしゃべりおっちゃん」と称し、「入社試験で広辞苑の丸暗記を披露した」と明かした。
自己紹介を終えて、講義は本題へ。
古舘さんが初回のテーマとして取り上げたのは、「仏教」「脳科学」「情報化社会」「言葉」の4つ。中でも最も多くのウェイトを占めたのが、仏教だった。
釈迦の生い立ちから話し始め、「自我」と「無我」の違いについては「自我はエゴ、無我は人を立てること」という自らの考えを説明。
古舘さんはさらに「『自分とは何か』って考える時に、『自我って何か』って考える時に、仏教って重要になってくるんです。自我をゼロにしろなんて極論を言っている訳じゃなくて、(例えば)悩みがあった時に仏教ってのは物凄く大切なんです」と学生らに説いた。
現代の若者の言葉の使い方についても、「言葉っていうのは、(読み方に)何が正解っていうのはないんですね。例えば両方あったり、新しい、もしくは間違った言い方の方が定着すれば、それが正しい言い方で僕なんかの古い言い方が間違えかもわからない。だからまさに、現代の言葉の使われ方も、仏教の精神で言えば”諸行無常”なんです。言葉っていうのは流行りですから」と、仏教に関連づけて持論を展開した。
現在の若者の”就活”に言及「はっきり言って大矛盾」
古舘さんが「あの時間が一番よかった」と振り返ったのが、授業終盤。6分間の質疑応答の時間だ。
学生から「古舘さんは、(仏教を引き合いに)自我を主張することを少し減らした方がいいとおっしゃいました。でも僕らの就職活動では今、自分とは何か、自らのアイデンティティを増やすことが求められています。それって、矛盾していませんか?」と質問された。
古舘さんはその質問に対し、「はっきり言って大矛盾ですよ。仏教が説いていることと、今の就職戦線は基本的に矛盾しています。そもそも仏教は、”本当は自分なんていない”と説いている。でも今の学生たちは確かに、どんどん自分で答えを見つけようとさせられて、(その事に)ヒートアップしている。だから、自我を出そう出そうとするその熱をちょっと鎮めてみたらどうかな?っていうことを私は言いたいんです。あと、(自分をよく見せる為に)ウィキペディアで情報をすぐ調べたりもいいけれど、そればかりじゃなくて例えば、”情報のラマダーン”として週に1回スマホを捨ててみたらいいんじゃないかと思う」と語り、学生たちに提言した。
「心のリゾート地を持った方がいい」
講義終了後、古舘さんはメディアの囲み取材に答えた。
授業の目的について「人生というのは過酷な旅。実社会に揉まれていく若い人にワクチンを打ちたい。心のリゾート地を持った方がいいと伝えたい」と語った。
「人間関係をはじめ、これからは怒涛のように悩みは襲ってくると思うんですよ。加えて労働は今後AIに取られるかもしれない。うかうかしてはいられない世の中だけれども...。人間、長い人生でずっと戦い続けていくのは無理なのだから、”戦うために休む”、”休むために働く”そして”働くために休む”、それでいいんです。仏教ってのは、”いい加減のススメ”なんです。だから就職戦線で加熱しすぎたら、仏教に戻ればいい。そして少し休んで、また戦いに戻ればいいんです...」
「初めて学生を評価する立場になります。どう評価しますか?」と私が聞くと、「評価は、数学のような正解がないから難しい。ただ字が汚くても情熱がこもっていると感じさせてくれれば、評価は高い。情熱を持って、思考を一生懸命している人を評価して上げたい」と明かした。
講義を受けた学生に話を聞くと、「最初はノートを取ろうとしたけど早々に諦めました。けど、仏教は自分に馴染みがないけど、戦ったらちゃんと休んでいいんだというのを聞けて、少し気持ちが楽になりました」と話した。
100分ノンストップの″古舘節”で説いた、”いい加減のススメ”。
メモは取れずとも、しっかりと彼らの心にワクチンは効いていたようだ。 
古舘伊知郎、マシンガントーク封印宣言!?「今は言葉を凝縮する時代」 2019/7
フリーアナウンサー、古舘伊知郎(64)が18年ぶりの単独著書「言葉は凝縮するほど、強くなる〜短く話せる人になる!凝縮ワード〜」(25日発売、ワニブックス、1512円)を出版することが9日、分かった。16年にテレビ朝日系「報道ステーション」のキャスターを卒業後初の著書。端的に話すことの大切さを、しゃべりすぎの反省を踏まえてつづった古舘は「“しゃべりの前科三犯”が言う重みを感じてほしい」とアピールした。
古舘がしゃべりすぎの自虐を織り交ぜ、新時代のトーク術を伝える。
単独では18年ぶりとなる著書「言葉は凝縮するほど、強くなる」は、マシンガントークの自身が短い言葉で端的に伝えるための会話術を“凝縮ワード”を交えて紹介。
2016年にテレビ朝日系「報道ステーション」のキャスターを卒業して12年ぶりにバラエティーに復帰した際、短い持ち時間で面白く話すことがテレビのトレンドになっていたことを実感。改めて自身のしゃべりを見つめ直したことから筆を取ったという。
持ち味のマシンガントークは衰え知らずだが、しゃべりすぎによる失敗や反省も赤裸々につづり、「さんざんしゃべりすぎて怒られてきて、ここ1年くらいは口に猿ぐつわをしている。長いしゃべりが時代遅れになったと宣言したので、楽になった」としゃべりの価値観の変化を明かした。
4月から母校の立大経済学部の客員教授に就任し、週1回、100分の授業を受け持っているが、「SNSを使いこなす学生は短いフレーズに慣れている。学生があくびをしたら『しゃべりが長い』という合図」と苦笑。端的に話すことの難しさも実感している。
「しゃべりにも流行があり、今は言葉を凝縮する時代。麻薬常習者が経験談を話すと説得力があるように、“舌先の常習犯”で“しゃべりの前科三犯”の僕が言う重みを感じてほしい」と古舘節で力を込めた。トークの達人でありながら、しゃべりの新境地を開いていく古舘のどん欲さをうかがわせる一冊だ。 
 
古舘伊知郎はなぜ「報道ステーション」を辞めたのか?

 

きっかけは2014年9月5日放送での不思議なテロップ
小学生の作文のような稚拙な文章
番組ではスポーツ関連のニュース終了し、エンディングテーマ曲がフェードイン。ここで古舘伊知郎氏は、レギュラーの小川彩佳アナウンサーが夏休みの間、竹内由恵アナウンサーが代行で出演する旨を告げます。
テロップはこの場面で表示される。
テロップでは「原発関連のニュースをきょうも放送できませんでした」「時間がなくなったからです。申し訳ありませんでした」と2行に渡り原発関連ニュースを報じなかったことを謝罪した。
特に「時間がなくなったからです」の一節には、多くのネットユーザーからツッコミが入ることとなった。番組の予定を変更した場合、「放送時間の都合上、予定を変更してお送りしました」といった定型文的な固い言い回しのテロップが表示されるのが一般的である。また、「時間がなくなったからです」ほどではないが、「きょうも放送できませんでした」もやや口語調であり、日本を代表する報道番組のテロップとしては不可解である。
「報道ステーション」ディレクターとして、原発問題の取材を続けていた岩路真樹さんが自殺で亡くなったことを、ジャーナリストの今西憲之氏が自身のブログで明かしており、テロップは岩路さんへの追悼文なのではないか、といわれています。
「時間」は「じま」とも読めるため、「路真」(岩路氏の名前の一部)を意味しており、テロップは岩路さんへの追悼文なのではないか、というわけだ。仮にそうだとすると、テロップは「原発問題の取材を続けていた岩路氏が亡くなったため、原発関連のニュースをきょうも放送できませんでした」という意味となり、事情を知っている者には意味が通じる、一種の暗号的な追悼文となる。
とても正義感が強い人で、権力からの圧力をいちばん嫌っていた人。原発問題ではその後の福島がどれだけ危険か、現地で徹底的に取材をしていた。だが、もともと東電は『報ステ』のスポンサー。“反原発”企画が通りにくい現状に不満を抱いていた
古舘氏も同様に、原発に関わるニュースの扱いに制限があることを不満に思っているようで・・・
明らかに古舘も局サイドに不満があり『もうやめたい』と漏らしていた。11年ぶりに単独トークライブを再開するのは、『報ステ』後を考えた“就活”ともいわれている
2014/9/10 原子力規制委員会委員長の会見内容を誤って放送
『報ステ』は原子力規制委員会が鹿児島県の川内原発再稼働に事実上のGOを出す判断をした問題を取り上げ、規制委の田中俊一委員長の会見での受け答えを紹介したのだが、その中で、「竜巻のガイド(審査基準)を修正した」ことを「火山のガイド(審査基準)を修正した」と間違って報道した。また、「(川内原発は)火山活動の影響が及ばない」と判定した問題で、田中委員長は記者の質問に回答していたのに、同じ質問の繰り返しに「答える必要がありますか? なさそうだから、やめておきます」と拒否した部分だけを放映したことが判明。「反原発の方向へもっていこうと恣意的に編集した」というバッシングが巻き起こったのだ。
テレビ朝日の吉田社長が30日、「報道ステーション」の報道に関して謝罪。「恥ずかしい」
この問題については、BPOの放送倫理検証委が審議対象としたことを発表しています。またテレ朝は10月末に、報ステでの原発を巡る誤報で社員4人を処分したとのことですが…。
2014/9/11 朝日問題、慰安婦報道の検証番組をめぐる批判
朝日問題、慰安婦報道の検証番組をめぐる批判。朝日新聞が吉田証言の撤回を掲載してから一カ月以上も「報ステ」がこの問題にふれなかったことで「逃げているのか」という批判の声が巻き起こったが、9月11日に検証番組が放映されると、今度は内容に対して「謝罪していない」「開き直り」と苦情が殺到した。
2014/10/1 古舘氏がコメントし始めた途端CMに切り替わる珍事
1日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、司会の古舘伊知郎氏がコメントし始めた途端、突然CM映像に切り替わる珍事が起きた。
この日の番組では、衆議院本会議で安倍晋三首相が「再生可能エネルギーを最大限導入していくことは、安倍政権のエネルギー政策の基本であります」「再生可能エネルギーの導入目標については全体的なバランスを考慮して目標を設定して参ります」と、答弁する様子をVTRで放送。VTRからスタジオの古舘氏に映像が切り替わったが、古舘氏が「この国の政策を真に受けて捉える…と!」と、カメラ目線でゆっくり語ったが、ここで突然CMに映像が切り替わった。
報ステ」での中継で、古舘伊知郎氏がイラ立ちを見せる場面があった。中継での米国ワシントン支局長との会話が、一部成り立たない場面があり、古舘氏は「今度ゆっくり電話で話しましょう」と、話を切り上げた。
2014/11/26 仏像窃盗に「物質世界に執着はダメ」 古舘の「説教」に大反発
長崎県対馬市でまたしても起きた韓国人による仏像窃盗事件に日本中が激怒する中、ニュースキャスターの古舘伊知郎さんは、なぜかカメラに向かって仏の教えを説いた。「仏教ってのはそもそも生きる上で物質世界にとらわれている、その執着をダメだよっていう教えでもあるんですけどね」
「その大般若経のことは分かりませんけど、般若心経の有名なお経で言うと、『とらわれることから離れなさい』と『こだわることを忘れなさい』と。こだわらない心、とらわれない心、そういうことを教えてくれるんですよね」仏像が盗まれたと大騒ぎする日本人をたしなめるような発言に、違和感を覚えた視聴者は少なくないようだ。また、古舘さんは事件について、「仏像が盗まれたというニュースばかり」と指摘。「経典が盗まれたということは、あまり執着が薄いんですよ。一番肝心なことはそっちに書いているんですよね」という。続けて「物に執着する我々みたいなのが浮き彫りになるんです。皮肉にも」と語った。満足げに持論を述べた古舘さんだったが、視聴者からの賛同はあまり得られなかったようだ。ツイッターなどには納得できないという声がすぐに広がった。「仏像をくれてやれってこと?」「取ったもん勝ちの無罪か?」と、容疑者をかばっていると受け止めた人から批判を浴びた。「そもそも仏教では盗みを禁じてます」「仏教には不偸盗(ふちゅうとう)という戒律がありましてね」など、仏教の理解が浅いという指摘もあった。
2014/12/19 古舘伊知郎氏が「報道ステーション」で日本人のわがままを指摘
18日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、古舘伊知郎氏がアメリカとキューバの国交回復の話題について、わがままな日本人がいると語る一幕があった。番組では「犬猿の仲が一転 米・キューバが国交回復へ」と題し、アメリカとキューバの国交回復に向けた舞台裏に迫った。恵村氏は「相手が大きければ大事にし、小さければイジめるというのであれば、アメリカの大きな矛盾と言える」と非難した。すると古舘氏は、恵村氏が批難した“アメリカの矛盾した外交”について「わがままさだと思う」と話しはじめた。古舘氏は「アメリカほどのわがままさじゃないかもしれないけど、日本人の感覚として、キューバはキューバのままであって欲しいなとかね」「アメリカとうまくいってあのキューバならではの風情がなくなって、スタバとマックとスシローができちゃったらキューバのハバナに行きたくないとか、そういうわがままなこと言う人もいるわけですよ」と語った。
2015/1/29 ISIL(いわゆるイスラム国)特集に批判殺到
同番組はISIL側が「広報用」に制作し、公開し続けてきたプロモーション映像をふんだんに使用。海外メディアがこぞってこうしたプロモーション映像を報じることを自粛し続ける流れの中での逆行に、多くの視聴者から痛烈なコメントが殺到した。同武装組織の主張に同調する内容はもちろんのこと、最近では人質救出交渉の邪魔になるという懸念から、ISILに関して報じること自体に、自主的な規制を強く行っている大手メディア。マスコミ各社も慎重なスタンスで足並みを揃えつつある中だっただけに、衝撃が大きかったようだ。
そして2015年3月27日夜・・・
2015/3/27
決定的な出来事が。"テレビ朝日の「報道ステーション」に出演した元経済産業省官僚の古賀茂明さんが27日、自身の降板でキャスターの古舘伊知郎さんと議論になり「I am not ABE」と書いた紙を掲げる一幕があった。"
古賀さんは「テレビ朝日の早河(洋)会長と古舘プロジェクトの会長の意向で今日が最後ということになりました」と発言。古舘さんが「テレビ側から降ろされたというのは違う」と反論した。古賀さんはこれまで同番組にコメンテーターとして出演し、安倍政権に批判的な発言をしていた。この日の番組では「菅(義偉)官房長官をはじめ、官邸のみなさんからバッシングを受けてきた」と話した。古舘さんは番組の最後に「古賀さん自身のお考えは尊重するが、私としては一部に承服できない点があった」と反論した。
「官邸の圧力」のことよりも、番組での古賀vs古舘の“生バトル”ばかりがクローズアップされている。降板の舞台裏で、何があったのか。「3月6日の出演前に、古舘さんが私の楽屋に来て、(古賀氏の降板やプロデューサーの更迭などについて)『自分は何もしなかった。見て見ぬふりをしていました』と平謝りだったんです。それなのに番組では『そんなこと(降板や更迭)はない』と否定した。私がウソを言っていることになってしまいますから、この発言は放置できませんでした。CM中に、『古舘さんを悪く言うつもりはありません。どうして私を攻撃するんですか』と聞いたんです。古舘さんは『私は立場上、言わざるを得ません』とかたくなでした。私が降板について『古舘プロジェクトの佐藤会長の意向で』と言ったので、古舘さんは会社(古舘プロ)を守らなければならない一心だったのでしょう」
古賀茂明氏が真相激白 報ステCM中に古舘氏「私は立場上…」 元経産官僚の古賀茂明氏(59)による「報道ステーション」圧力降板“暴露”の余波が止まらない。菅官房長官が「放送法」を持ち出してテレビ朝日を牽制したこともあり、連日、新聞や週刊誌、ネットサイトがこの話題を取り上げ、「言論の自由の危機だ」「公共の電波の私物化だ」などと騒然だ。日刊ゲンダイはあらためて古賀氏に、今回の騒動の真相と真意を聞いた。
先月27日の放送から1週間。地方の講演先までメディアが古賀氏を追い掛けている。「騒ぎになったことはそんなに驚いてはいません。ただ、もっと本質的な議論が始まればいいと思っていました。権力による懐柔で、日本のマスコミのスリ寄りや自粛が進み、本当のことが言えなくなっている。そこに警鐘を鳴らすつもりでした」
2015/3/30 苦し紛れにお詫びコメント
30日に放送された、テレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」で古舘伊知郎キャスターが、27日の同番組にてゲストコメンテーターをつとめていた元官僚の古賀茂明氏が自身の降板を巡って古舘氏と異例の口論となったことをお詫びした。
菅官房長官は30日の記者会見で古賀氏の発言を、「全く事実無根だ。公共の電波を使った報道として極めて不適切だ」と批判。同日の放送ではその発言をニュースとして取り上げたうえで、古舘氏は「番組としては、古賀さんがニュースと関係ない部分でコメントしたこと。これについては残念だと思っております。そして、テレビ朝日としましては、それを防げなかったことに、テレビをご覧の皆様に重ねてお詫びをしなければならないと思っております」とテーブルに手をついて頭を下げた。
いよいよ打ち切り!?
「テレ朝も菅官房長官も自分たちにとって都合の悪いことを古賀氏に暴露されてしまったが、結局、形的に“責任”を取らされるのは古舘氏。古舘氏自身も原発問題などについて、自分の思ったように報道できないことに納得できない思いを抱えたままニュースを読んでいるというよりも、読まされているような状態。今回の騒動をきっかけに、以前からささやかれている打ち切り説が再燃することもありそうだ」(テレビ関係者)
去年夏ごろから番組打ち切りの話がチラホラ
テレ朝関係者は、局内で早河洋・会長兼CEO(最高経営責任者)が打ち切りを決断したとの話が広がっていると話している。その背景には、番組制作に携わる古舘プロジェクト(番組キャスター・古舘伊知郎の事務所)の力が大きくなりすぎていて、それに不満が募っていることもあるという。一方、古舘は、『AERA』(7月14日号でのインタビューで〈自分はもうこれだけやらせてもらっているから、べつに明日降ろされても幸せなしゃべり手人生だったと思えますからね〉などと降板を思わせる発言もしている。
その後も続くトラブル・・・古舘伊知郎氏の矛盾した発言にコメンテーターが冷静な指摘
コメンテーターのショーン・マクアードル川上氏が、アメリカをはじめとした、イランやサウジアラビア、イスラエルなど各国の思惑や利害が入り乱れて収拾がつかなくなっている中東の現状を解説した。すると古舘氏が「我々も、ほかに色いろ影響するから言えないかもしれませんが…」と発言に躊躇した様子をみせた後「これ、第何次中東戦争ですよね?」と、戦争という言葉を持ち出して現在の状況を例えた。この古舘氏のコメントにショーン氏は「そうですね」と同意をみせるも、直後に「戦争の定義というのは、国が存在していないと戦争にならないので」と説明し、古舘氏は納得の声をあげた。「シリアは国ではない」と言いつつも、現在の状態は「戦争」と比喩する古舘氏のこの矛盾したコメントに対して、ショーン氏が冷静に指摘する格好となった。
2015/4/3 「報道ステーション」が大変なことに
キャスター生命の崖っぷちに立たされた古舘伊知郎
3月27日に放送された、テレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」で、ゲストコメンテーターをつとめていた元官僚の古賀茂明氏が自身の降板を巡り古舘伊知郎キャスターと異例の口論となったことについて、その内幕を報じている発売中の「週刊文春」(文芸春秋)が流出したら古舘氏のキャスター生命が終わる2本のテープの存在を報じている。
3月27日に放送された、テレビ朝日系の報道番組「報道ステーション」で、ゲストコメンテーターをつとめていた元官僚の古賀茂明氏が自身の降板を巡り古舘伊知郎キャスターと異例の口論となったことについて、その内幕を報じている発売中の「週刊文春」(文芸春秋)が流出したら古舘氏のキャスター生命が終わる2本のテープの存在を報じている。
同27日の放送中、口論のやりとりの中で古賀氏は古舘氏を眼光鋭く睨みつけ「私、全部(古舘とのやり取りを)録音させていただきましたので、そういう風に言われるのであれば、全部出させていただきます」と恫喝めいた発言をしていた。その内容が気になるところだが、同誌によると、隠し撮りしたテープの1本目は同番組の2月25日の放送に関し、フランス紙・ルモンドの記事を紹介する際に、誤って違う日の記事を映してしまったため、放送後に古舘氏が担当者に『俺はヤクザと一緒だ。身体張ってやってんだ! お前らサラリーマンとは違うんだ」と怒鳴った時のもの。そして、2本目は別の日に、古舘さんが個室に番組スタッフを呼び出し「俺のバックには、組が付いている」と暴力団の実名を挙げて恫喝したものだと囁かれているというのだ。
自民党が報道ステーションに要請文書 / 渦中の報道ステーションにまたもや物議をかもしています。自民党が報道ステーションを担当するテレビ朝日のプロデューサーに、アベノミクスを取り上げた報道を批判し、公平中立な番組作りを求める文書を送っていたことが判明しました。番組でアベノミクス効果で「富裕層だけが潤っ・・・
民放連会長、自民の報ステ聴取に懸念表明「行きすぎだと思う」 / テレビ朝日系ニュース番組「報道ステーション」で、コメンテーターが官邸批判をした問題で自民党が同局幹部から事情聴取をしたことについて、民放連の井上弘会長は12日の…
報道の自由の危機に気付かない人々〜報道ステーション問題が示した本当の「危機」 古賀茂明と日本再生を考えるメールマガジン / 報道の自由の危機に気付かない人々〜報道ステーション問題が示した本当の「危機」 | 27日の放送後、何人かの記者から、「あの放送中に一度出そうとして、古館さんに止められて出せなかったフリップがありましたよね。あのフリップには何が書いてあったんですか?」という質問を受けました。
Mプロデューサーと恵村氏、古賀氏降板に新事実――報ステ、古賀vs.古舘論戦の裏側 / 放送の2日後(29日)に三重県松阪市での講演でも報道ステーションについて話す古賀芳明氏(左)。隣は松阪市市長。(撮影/横田一)官邸の圧力で「報道ステーション」の統括プロデューサーM氏と恵村順一郎氏と古賀茂明氏は同時期に更迭・降板されたのか否か。3月27日の同番・・・
古賀茂明氏が「報道ステーション」のギャラを暴露「安いですよ」 / 古賀茂明氏が25日のテレビ番組で、「報道ステーション」のギャラに触れた。「出演料安いですよ」「ここ(TOKYO MX)よりは高いかな」と明かした。具体的には明かさなかったが、3万〜5万円より若干高い程度だと予想できる・・・
古賀茂明氏 報道ステーション騒動の真相に言及「同じ被害者仲間」 / 古舘伊知郎キャスターが血相を変えた古賀茂明氏の報道ステーション降板事件。古賀氏は古舘さんについて「同じ被害者仲間なんです」などと真相を語った。「古舘さんに恨みはない。ただ『報ステ』関係者処分にはびっくり」とも・・・
2015/5/30 久米宏が報ステに苦言
元経済産業省官僚、古賀茂明氏(59)の、テレビ朝日系「報道ステーション」からの“降板”問題を思わぬ人が蒸し返した。同局の「ニュースステーション」のキャスターを務めた久米宏氏(70)が毎日新聞(30日朝刊)のインタビューに応じ、苦言を呈したのだ。
問題となった放送について、久米氏は毎日のインタビューに「ビデオを2回見返しても、(古賀氏が)何のことを言っているのかがよくわからなくて、ちょっと欲求不満でしたね」「あそこで打ち切っては、視聴者にはさっぱりわからない」と感想を語った。その上で「どういう経緯であの話になったのか。もし、僕が司会だったら、最後まで聞いたんじゃないですかね」と、古舘伊知郎キャスター(60)への批判ともとれる指摘をした。
さらに、自身が中曽根康弘政権に「かなり批判的な発言」をした結果、中曽根氏の地元での記者会見への参加を禁止されたという“武勇伝”を披露し、「番組制作上、面白くするためにあえて踏み出すことはあります」「中途半端だと面白くないし、やるなら徹底した方がいい」と持論を展開した。
2015/9/16 産経のアンケート調査が反政府に偏った報道ステーションを一刀両断
テレビ朝日の報道ステーションなどは、毎日、懸命に安保法案のネガティブキャンペーンを行っています。ちょっとやり過ぎではないかなぁ……と心配になるくらいに。しかし、その中心的な報道の一つが、例の「デモ」の映像です。「一般の方々がこんなに集まって……!」「若者たちも大勢集まって……!」ナレーションで煽り続けています。
しかし、そんな反政府に偏った報道を一刀両断にしたのがこの産経新聞の記事です。9月12日13日の両日にわたって実施された今回の調査では、デモ参加者たちが「どの政党を支持しているのか?」というシンプルな質問を投げかけました。その結果……
   共産党支持=41.1%
   社民党支持=14.7%
   民主党支持=11.7%
   生活の党支持=5.8%
要は、参加者全体の73.5%の人々が、上記4党の支持者……簡単に言うと、政党の上層部から集められた「動員」のメンバーだったことが分かったのです。もちろん、言うまでもなく、この「FNNの世論調査」に対してみんながみんな、正直に「はい、私は共産党員です!」と答えるわけがありません。実態の共産党員は少なくとももっと多いことが想定されるでしょう。ひょっとしたら、あのデモの8割以上の参加者が上記4党の党員であると理解できます。
報道ステーションなどは「普通の人が、こんなに集まっているんです!」と言い続けていますが、そのナレーションのウソを見事に暴いた調査といえるでしょう。少なくとも、共産党員が半数のデモ隊を「一般の方々の集まり」と称するのは無理があります。
2015/9/17 報ステの安保報道受け「スポンサーやめます」
美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長(70)が、テレビ朝日系報道番組「報道ステーション」のスポンサー契約を今月末で打ち切ることを自身のツイッターで明らかにした。
高須院長は16日に放送された報道ステーションの放送内容を受け、ツイッターで「失望しました。来月からスポンサーやめます」と表明。安全保障関連法案をめぐる同番組の報道姿勢が偏向していると判断したためという。同院によると、テレ朝との契約が切れる今月末で、CM出稿を打ち切るという。
高須院長は、別のツイッターユーザーが「今日の報道ステーションは完全に安全保障関連法案反対に偏ってるな。両方の意見をバランス良く報道するという原則を完全に放棄している」と書いたツイートを受ける形で意見を表明。
2015/12/24 古舘伊知郎、テレ朝『報道ステーション』キャスター来年3月に降板
古舘伊知郎氏が、メインキャスターを務めてきたテレビ朝日系『報道ステーション』(月〜金 後9:54)を来年3月31日の出演をもって降板することが24日、同局から正式発表された。同局によると、古舘キャスターから「現在の契約が終了する来年3月いっぱいで、出演を終了したい」と申し入れがあったといい、局側は慰留に努めたが、最終的に「新しいジャンルにも挑戦したい」という本人の意思を尊重し、了承したという。
古舘伊知郎、テレ朝『報道ステーション』キャスター来年3月に降板
 フリーアナウンサーの古舘伊知郎氏が、メインキャスターを務めてきたテレビ朝日系『報道ステーション』(月〜金 後9:54)を来年3月31日の出演をもって降板することが24日、同局から正式発表された。
「報道ステーション」と「朝日・毎日」は一度真剣に立て直された方がいい
 安保狂奏曲の調べが終わり、新聞各社の世論調査が明らかになりました。懸命に安保法案を叩き続け、ネガティブキャンペーンを繰り広げていた朝日・毎日新聞は、この結果を重く受け止め、真剣に反省した方がいいでしょう。そう。時代はもう変わっているのです。正直言って、この結果・・・
テレビ朝日「報道ステーション」のイスラム国(ISIL)特集に批判殺到
 このところ緊迫した状況が続く、ISIL(いわゆるイスラム国)による邦人拉致事件だが、そうした中、テレビ朝日系の『報道ステーション』が先日放送した内容に、多くの批判が相次いでいる。これは1月27日夜に放送された同番組で、一連の騒動を振り返りまとめたもので、この中で同番組はISIL側が「広報用」に制作し、公・・・
報ステ「降板」と「I am not Abe」発言との関係 「元経産」古賀氏が「(局)トップの意向」を解説
 元経済産業省キャリア官僚の古賀茂明氏がテレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーターを事実上降板する見通しになったことについて、2015年2月25日に東京・有楽町の日本外国特派員協会で開いた会見で、報道局長や経営陣の意向がその背景にあると指摘した。
「明らかに事実と異なる」 BPOがテレビ朝日『報道ステーション』川内原発報道を放送倫理違反と判断
 2014年9月10日放送のテレビ朝日『報道ステーション』で、鹿児島県薩摩川内市久見崎町にある九州電力の川内原子力発電所をめぐる原子力規制委員会の記者会見での質疑応答の内容を誤って伝えたことについて、放送倫…
解散発表当日、安倍首相が『報道ステーション』にだけ出演しなかった理由
  安倍首相が解散会見を行った11月18日、夜のニュース番組にちょっとした異変が起きた。 通常、解散のような大きな政治的決断をした後は、各局のニュース番組に首相自ら出演するのが慣例になっている。実際、この日の夜も安倍首相は『ニュースウオッチ9』(NHK)を皮切りに、『NEWS ZERO』(日本テレビ系)、『NEWS23』(TBS系)に立て続けに出演した。
『NEWS23』では景気に対する街の声を番組側が紹介したところ「厳しい」という意見のほうが多かったため、安倍首相が逆ギレする一幕もあったが、とにかくこれらの番組では、安倍首相自身が顔を出して、解散理由を述べていた。
ところが、その中で、安倍首相が出演しなかった番組がある。それは、古舘伊知郎がキャスターをつとめる『報道ステーション』(テレビ朝日系)。この日の『報ステ』のトップは解散ではなく高倉健の訃報で、冒頭から延々と高倉健の回顧特集が流された。かなりの時間が経ってから、ようやく解散のニュースになったが、共同会見の映像が放映されただけで、安倍首相の単独取材映像は1秒もなかった。
そんなところから、メディア関係者の間では「朝日嫌いの安倍首相が、嫌がらせでテレビ朝日だけ拒否した」「以前、『報ステ』に出演したときにいろいろ突っ込まれたため、古舘のインタビューは受けないと逃げたらしい」といった見方が広がっている。
たしかに、メディアに対する異常な検閲姿勢と批判されることを極度に嫌がる安倍首相ならありうる話。しかし、テレビ朝日の関係者によると、事情はまったく逆だという。
「テレビ朝日の政治部は安倍首相サイドに根回しして、他の番組同様、『報ステ』への出演の内諾を取り付けていた。ところが、古舘さんが『やらない』と拒否したらしいんです。政治部はせっかくお膳立てしたのに、とカンカンですよ」
なんと、袖にしたのは古舘側だったというのだ。たしかにいわれてみれば、テレビ朝日政治部は朝日新聞ほど安倍首相と関係は悪くない。早河洋会長、吉田慎一社長はむしろ、本サイトで既報のように、何度も官邸を訪ねるなど、安倍首相とべったりの関係を築いている。
では、古舘はなぜ拒否したのか。原因はまさにその安倍首相に恭順の意を示すテレ朝上層部との関係にあったようだ。
「安倍政権はメディアへの圧力を強めているため、テレ朝側としてはとにかく政権を刺激したくない。ところが、古舘さんはじめ、『報ステ』スタッフは安倍首相に批判的なため、あまり厳しい質問をしないように上層部が釘を刺した。それで、古舘さんが『だったらやる必要はない』という話になったらしい」(前出・テレビ朝日関係者)
これが事実なら、古舘の意気やよし!という感じだが、しかし、同時に俄然、信憑性を帯びてくるのが、『報ステ』打ち切り、古舘降板説だ。
本サイトでも報じたように、このところ、古舘とテレ朝の上層部、とくに早河会長との確執が取り沙汰されている。早河会長はもともと『ニュースステーション』のプロデューサーで、『報ステ』に古舘を抜擢した当事者だが、自局の看板ニュース番組の安倍批判、原発批判の路線転換を迫り、これに古舘が反発してきた。
今年4月、『報ステ』10周年パーティーで、挨拶に立った古舘はこんな挨拶をしている。
「早河社長から好きなようにやってくれ。何の制約もないからと言われて始めたんですが、いざスタートしてみると制約だらけ。今では原発の“ゲ”も言えない」 
そして、この不信感が決定的になったのが、川内原発の誤報・編集問題だった。誤報は軽微で編集も趣旨を歪めたものではなかったが、テレビ朝日は原子力規制委員会から抗議されるや、吉田社長自らが全面謝罪。『報ステ』プロデューサーにスタッフを減給処分にした。しかも、テレ朝は自らこの問題をBPOに持ち込んでいる。
「通常、BPOは視聴者や報道被害にあった人からの告発で審議入りになる。ところが、今回はテレ朝がどこよりも先に報告書を提出しているんです。上層部が『報ステ』の不祥事を捏造したようなものです。古舘さんはこういう仕打ちに非常に不信感をもっていて、周囲では来年の春に自ら辞めるという覚悟を決めたんじゃないかともいわれています」(『報ステ』スタッフ)
一方、早河会長側もポスト古舘の動きを着々と進めているという話もある。
「早河会長と安倍首相の仲をとりもったのは幻冬舎の見城徹社長なんですが、見城氏はバーニングプロ・周防郁雄社長の右腕的存在。その関係で、かなり前からバーニング傘下のプロダクション所属の宮根誠司か羽鳥慎一を古舘の後釜に据えようと動いているという話があります。川内原発問題で過剰対応をしたのも、早河会長の『報ステ』古舘潰しじゃないかと見られていますね」(前出・テレ朝関係者)
ようするに、今回の安倍首相拒否は、こうした暗闘の末に起きた古舘の覚悟の行動だったという可能性はあるだろう。
反権力的なスタンスをもつ数少ないニュース番組『報道ステーション』がどうなるのか、早ければ、来年の春にその答えがわかるはずだ。  
 

 

 
 
佐高信

 

 
佐高信  
日本の評論家、東北公益文科大学客員教授。元週刊金曜日編集委員。「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。先住民族アイヌの権利回復を求める署名呼びかけ人をつとめる。山形県酒田市出身。
父・兼太郎は茜舟(せんしゅう)の雅号を持つ書道家・教師で、支持政党は一貫して日本社会党(現・社会民主党)である。 山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1967年に大学を卒業後、郷里・山形県で高校教員となるが同僚女性(現在の妻)との出会いがあり、前妻と離婚し1972年に再度上京した。佐高の全面協力により書かれた評伝によると、次のような事情があったという。
「昭和四十二年の春、卒業と共に帰郷して庄内農高の社会科教師となる。ここで三年、教科書はいっさい使わず、ガリ版の手製テキストで通したため“赤い教師”の非難を浴びた、庄内工高に転じて結婚もしたが、同じく“赤軍派教師”のレッテルを貼られる。教育の現場に怒って県教組の反主流派でがんばるうちに、同僚教師と同志的恋愛に陥った。「佐高なんかのツラも見たくない」と反発する教師仲間は、陰湿に白眼視。母・千代は孫娘を抱いて死ぬと言い出し、佐高も自殺を思いつめる。四十七年八月、ついに辞表を出して上京」
上京後は総会屋系経済誌『現代ビジョン』編集部員を経て編集長となる。その後、評論家活動に入った(『現代ビジョン』誌については下の項目も参照)。
日本企業に関する批判的な評論で、『噂の眞相』(休刊に伴い、月刊『創(つくる)』に移行)に連載した「タレント文化人筆刀両断」は連載100回を超える。「佐高信の政経外科」をサンデー毎日に連載していたが、同誌に連載を断られたため『週刊金曜日』での掲載をごりおしした。
池波正太郎、藤沢周平の熱心なファン。『金融腐蝕列島』(角川書店、1997年)など高杉良の著書の解説を多く手がける。
第44回衆議院議員総選挙直前の2005年9月4日放送「サンデープロジェクト」(テレビ朝日)に『社民党応援団』として出演するなど、公然とした社民党支持者である。また、2007年3月まで新社会党の機関紙『週刊新社会』にコラム『毒言毒語』を連載していた。土井たか子らと“憲法行脚の会”を結成、加藤紘一との対談集会を開くなど護憲運動を行なっている。日本共産党には批判的で、九条の会への参加を呼びかけられた時は日本共産党の関係者が加わっていることを理由に拒否していた。 2005年3月、「マガジン9条」発起人となった。
小泉内閣・安倍内閣への批判から、「クリーンなタカ派よりはダーティでもハト派の方が良い」と、加藤紘一や野中広務、鈴木宗男ら自民党内の左派や旧竹下派人脈との関係を深め、ロッキード事件で失脚した田中角栄に関してもかつてはこき下ろしていたものの今では「ダーティなハト」として相対的に評価している。なお田中秀征については「クリーンなハト」としており、昔から親しい。
批評活動と自身の評価
批判の対象である保守系や共産党系の人びとでも佐高の企業批判を高く評価する人は少なくない一方で、その言動や姿勢を批判されることも多い。
小泉内閣の国民的人気を決定的なものにした2001年の大相撲内閣総理大臣杯授与での賛辞「痛みに堪えてよくがんばった、感動した」に対し、その後横綱・貴乃花は故障が続き最終的に引退に及んだことから、「小泉の発言が貴乃花を追い詰めた」と小泉を非難。その後は、新自由主義経済政策を批判している。
地下鉄サリン事件などオウム真理教が引き起こした凶悪事件に対し、破壊活動防止法の適用論議が巻き起こった際には、『ニュースステーション』の取材に、同法の適用を目指す公安調査庁に対し、「公安は薬害エイズ事件を引き起こした厚生省(当時)以下」と発言している。
1990年代の大銀行に対する公的資金の投入に対して、激しい批判をしたことで知られる。
小渕恵三・元首相に対し、「私の郷里の山形弁では、オブチのことをオブツと発音する」と発言。その後、「ある会合で向こうから寄ってきて『あなたのように批判してくれる方も必要だ』と握手を求めてきた。驚いたし、懐の深さを感じました」とコメントしている。
『週刊現代』での作家の米原万里との対談の中で、小泉純一郎・元首相とアドルフ・ヒトラーがともに、リヒャルト・ワーグナーの熱狂的なファンであることから、小泉をヒットラーと同一視するかのような言説を展開。また、小泉についてはワンフレーズポリティクスを多用したことから「小泉単純一郎」とも。
2009年4月4日から、保守派の論客で、かつて自身が酷評したこともある西部邁とともに政治家や思想家、評論家について語る『西部邁・佐高信の学問のすゝめ』(朝日ニュースター)に出演している。
さらに、『映画芸術』(編集プロダクション映芸)で441号(2012年10月30日発売)以降連載されている対談「連続斗論」にて、西部邁と映画やテレビドラマについて語っている(司会は寺脇研)。
連続テレビ小説『おしん』(NHK)について、「(おしんの奉公地に設定された)酒田周辺では、おしんよりもっと苦難を強いられた女性が沢山いる」として、作品に批判的である。
元第一勧業銀行広報部次長だった江上剛が第一勧業銀行元会長で総会屋事件に絡んで1997年6月に自殺した宮崎邦次の遺書に「佐高さんにほめられる銀行にしてほしい」と書かれていたことを明らかにした。
映画『ディア・ピョンヤン』を撮影したことが原因で北朝鮮への入国を禁止された映画監督・梁英姫(ヤン・ヨンヒ)に対して「いいじゃない謝罪文なんていくらでも書けば」と発言し(北朝鮮及び朝鮮総聯を批判するのでは無く)朝鮮総聯に対して謝罪文を書くことを勧めた。
人物評論の特徴、事例、変遷
本田宗一郎を評価し松下幸之助を酷評している。企業の世襲を、理由としている。そのため松下電器勤務経験を理由に弘兼憲史も批判の対象。
小泉純一郎、田中真紀子、小林よしのり、後藤田正晴、中坊公平などの評価に関しては、絶賛と酷評の両極端の文章を書いている。小泉が衆議院議員に当選以来一貫して唱え、最終的に実現に至る郵政民営化にはかつては賛成で、小泉を「信念の人」と評していたが、その後は反対に転じている。小泉内閣の経済政策に関しては、財務省に対し融和的であると断じている。広岡達朗、長嶋茂雄を批判したため、最近では日本球界関係でも知られるようになった。
小説家では藤沢周平や大岡昇平など民衆史観の持ち主を評価し、司馬遼太郎を全面否定する。司馬関連では、宮部みゆきと対談している。経済小説では安土敏や城山三郎を評価し、また、佐高が「会社に飼い慣らされ、社会との関係を見失った」労働者を呼ぶのに好んで使う「社畜」は、安土の造語といわれている。
タレント文化人〜シリーズではビートたけしや猪瀬直樹、かつては長谷川慶太郎に対して強い批判を連発している。
問題発言
1990年、日本社会党から出馬し当選したマドンナブームの一人長谷百合子(バー経営者)が、のちに1993年の総選挙で落選したあと小沢一郎の新進党に入党すると批判した。
日垣隆も「日垣を使うなら俺は降りる」と、佐高が雑誌に圧力をかけて回ったと告発した。呉智英も、同様の体験をしていると書いている。
また鳩山邦夫を批判する際、「変質者の代名詞のような蝶のコレクター」と書いたことが昆虫研究者などから批判された。また、他の執筆者(斎藤美奈子)からも批判されている。
2006年10月28日、鶴岡市にて「言論の自由を考える」と題した討論会が行われた際、加藤紘一宅放火事件を聞いて、「思うに『犯人』は小泉前首相ではないか。問答無用のやり方が受ける時代をつくってしまった。小泉さんは右翼を元気づけることしかしなかった」と発言した。
一方で、1970年代に連続企業爆破事件などの爆弾テロを実行した新左翼集団「東アジア反日武装戦線」を評して「爆弾テロが善行でないことは確かだが、なんの弁明も許されぬ悪業かといえば、それは断定できない」としている。池田大作名誉会長の意向のままに動くとされる創価学会・公明党批判を、自自公連立以降活発に行い、一部の対立する言論人に対しては創価学会系の『潮』(潮出版社)に執筆すること自体を批判材料にしている。佐高自身も以前は創価系雑誌『潮』『パンプキン』『第三文明』などに寄稿していたが、自自公連立を機に絶縁を宣言している(政教分離を尊重する建前から、当初は公明党の媒体のみ寄稿を中止していたが、まもなく創価学会系全般への寄稿を取りやめた)。
田原総一朗を権力者の「マイク」(インタビュー対象者の主張を拡声するだけ)として、田原の姿勢に対し執拗といえるほどの批判を展開。佐高と田原の確執は、1997年から1998年にかけて起こった山一證券の破綻、旧大蔵省の汚職事件、金融危機の際に旧大蔵省に対する批判が巻き起こった際、責任者である旧大蔵省幹部・長野厖士に対する田原の取材が「説得力があった」と結ばれていたことから、取材姿勢が大蔵側に迎合的だと佐高が批判し、田原が「自身のジャーナリストとしてのキャリアに対する全否定」と激しく応酬したことが発端。また、田原には仕事上の姿勢以外にも、「田原総一朗は自身の妻に『君が死んだら後を追うよ』と言っていた。妻の友人達は『いつ後を追うのか』と噂しているという」などと、今すぐ後を追えというような解釈も出来る批判を行い、これに対し田原は「佐高は私に死ねと言うのか!」と激怒したという。佐高は「言論人として言葉に責任をもてといいたいだけである」と反論した。ただし対談は拒んではおらず、2012年には毎日新聞社から『激突!朝まで生対談』を出している。
佐高が「小心者」として断罪した石原慎太郎との『週刊金曜日』誌上での対談は、梶村太一郎から「佐高氏とは面識もなく、なんの偏見もないが、この対談だけは、いくらなんでもひどすぎる」、「まるで青大将に睨まれた雨蛙が、捕って喰われるのではないかと脅えながら、相手にすり寄るだけのような体たらく」と対談内容を批判された。また、日垣隆も「卑屈な迎合ぶり」を指摘し、「やっていることは常に時代の引き戻し以外のものではなく、相手がいないときだけダジャレと自慢話を垂れ流し、相手が目の前にいるときは太鼓持ちになる」と書いている。石原との対談が実現したのは、東京都が当時推進していた銀行税を佐高が評価していたためである。佐高と石原は政治的信念を180度異にするが、大蔵省・銀行に対する認識では一致している。
「皇室コント事件」
2006年11月19日、『週刊金曜日』主催で「ちょっと待った! 教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民集会」が日比谷公会堂にて行われ、佐高が司会を務めた。この集会で演じられたコントが皇室に対する侮辱であるとして『週刊新潮』で取り上げられた。内容は悠仁親王を「猿のぬいぐるみ」に見立て「こんな子い〜らない」と放り投げる、以前前立腺癌を患った天皇をネタにしたというものだった。
佐高は『週刊新潮』の取材に対して「劇中で『皇室』なんて一言も言っていない」、「それは受け取る側の見方だからこちらがコメントする理由はない」とコメントした。しかし、最初に登場する上皇后美智子に扮していると思われる女性を演じた役者を「この会場のすぐ近く、千代田区1丁目1番地(=皇居のこと)にお住まいの高貴な方の奥様」と佐高自身が紹介しており、その役者も皇室典範の話題について触れている。
このコントを演じた劇団「他言無用」が多くの批判を受け、ホームページ上に「皇室をパロディーとした寸劇を上演」したことに対する謝罪文を掲載している。また、結果的に『週刊金曜日』は謝罪した。
「現代ビジョン」について
佐高は文筆・評論活動のスタート地点となった「現代ビジョン」という雑誌の性質を後に回想し、「はじめにびっくりしたのは、そうした雑誌は、雑誌を売って金をもうけるのでないということです。公称三万部といっても実売は三千もいっていない。九割九分が広告収入なのです。それも一流大企業のです。長い間、不思議でならなかった。あるとき気づいたのは、企業は(雑誌に)広告を出すメリットはないが、スネに傷持つ以上、出さないとデメリットがあるということです」と告白している。
同誌は、自社に広告を出すか、出さないかによって批判記事・賞賛記事のどちらを掲載するかを決める(また同じスペースでも、企業の規模に応じ広告料金はまるで違っていたという)という性質の雑誌で、佐高は10年近く勤務し、編集長に上り詰めた。 最終的には、職場内で後輩からの突き上げ団交に会い、人間関係のもつれとなって退職。
またオバタカズユキのインタビューに「…広告とタイアップした記事はたくさんあるわけで、どこぞの社長の提灯記事書けとかは日常茶飯事だからね。一方で批判記事というのも書いてはいたわな」 「総会屋云々のほうは、そういう雑誌にいたってことを隠してはいない」と答えている。
その後、佐高は2007年の「週刊金曜日」コラムなどで「総会屋雑誌とは謙遜して言っただけ」と弁明した。日垣も「これこそ総会屋雑誌の本流記事」と評する。 
 
「佐高信はいったい何様のつもりなのか。」片山貴夫 2007/12

 

佐高信さんに対する批判がめずらしく左派陣営よりされています。岡山の片山貴夫さんがその方です。
片山さんは佐高さんが社長を勤めている週刊金曜日や岩波書店の月刊誌「世界」に休職中外務省職員で作家の佐藤優(まさる)氏が連載をされていることを批判されています。
たしかに佐藤氏は正論、諸君!、SAPIOといった右派系の雑誌にも登場して、元外務省職員としての「国家主義者」いわゆるザインとしての国家を認める立場で執筆活動もされています。
そして産経のサイトやSAPIOなどで日本が国家としての外交政策はどうあるべきかということを論じております。
しかしながら、9条改憲、そして日本国憲法のすべては改めるべきではないという独自の主張もおこなっています。
片山氏はそんな佐藤氏が週刊金曜日や世界に連載者として登場するのがたえられないという立場であり、佐藤氏と週刊金曜日、世界編集部を批判されてきました。
そして同じ立場の岩波社員といわれる金光翔氏が雑誌インパクションに「佐藤優現象批判」の論文を出した結果、岩波書店で批判を受けていることに対しても怒り心頭になられています。
その批判の刃は佐高信週刊金曜日社長にも向けられました。

週刊金曜日代表取締役社長にして、編集委員の1人である佐高信は、いったい何様のつもりなのでしょうか。「頑迷になりがちな本誌の読者」と、自分の雑誌を読んでくれている読者に対し、あまりにも無礼な言辞を公然と書いています。編集委員の権限を濫用して、読者[層]を一方的に侮辱するような、思い上がった編集後記を書く佐高信は、一体何様のつもりなのでしょうか。「頑迷になりがちな本誌の読者」というのは、<護憲派である『金曜日』読者層>のことを、おそらく念頭においているのだと思います。加藤紘一のみならず鈴木宗男、さらには佐藤優までもが“まともな保守派”であるとして、彼らと積極的に連帯する一方で、(本来の)護憲派に対しては「頑迷な」人間として、腹の底から侮蔑している佐高信の本心がポロッと漏れたのです。「護憲派」を偽装表示する赤福ジャーナリズム『週刊金曜日』のボイコット(不買運動)を再度呼びかけます。それにしても、自分の雑誌の読者に対してまでも失礼なことばを吐く権利があると思い込むとは・・・・佐高信・・・人間エラくなったらお終いです。

「佐高信はいったい何様」、一言で言えば社長様です(笑い)
社長としてはやはり、部数を伸ばし社員に給料や賞与を払い会社を存続していかねばならないのです。いくら理想が高くても会社が存続しなければ社員は路頭に迷い、それまで支持してくれた消費者(お客さん)も落胆してしまうでしょう。
そのためにも購買者層を多様にすることは経営戦略として間違っているものとは思えません。
確か以前に「諸君!や正論読者に週刊金曜日を読ませるようにしなければ面白くない」そういう風に佐高さんは語っていたことがあります。
単に平和勢力、「真の護憲勢力」だけに読まれるだけの本ならばセクトのアジビラと同じだと思うのですがいかがでしょうか。
それでは
参考 / 「小連立もできないのか」佐高信
11月3日、水戸へ行った。「9条を守る茨城講演・学習会」主催で「城山三郎氏の遺言」という講演をするためである。改札口で新社会党の元参議院議員、矢田部理とバッタリ会う。彼は同時刻に別の会場で開かれる講演会の講師を迎えに来ていたのだった。
私を招んだ文芸誌『葦牙』の編集長、武藤功によれば、やはり同じ時刻にもう一つ同じような護憲の集会があるという。私はずいぶん前に武藤から、この日の講演を頼まれたが、他の二つはそれを知らなかったのか。何も、私が講演した会を主にせよと言うのではない。しかし、どうして同じ日の同じ時刻に分散して同じような趣旨の講演会を三つもやらなければならないのか。そうは思いたくないが、これでは、後で計画された集会は前から準備している集会を盛り上がらせないために挙行されたと疑われても反論できないだろう。
自民党と民主党の突如浮上した大連立構想に非難が集中している。私もそれを大野合と批判したが、改憲の側はそこまで無節操にやろうとしているのに、護憲の側は小連立もできないではないか。大体、それをやろうとすらしていない。水戸には今年の2月16日にも行って「JR20年を問う県民集会」で講演した。何年か前には矢田部から依頼を受けて護憲の集会で講演したこともある。こちらはそれぞれにつながりを持っているのに、水戸ではそれぞれがバラバラに動き、横の関係が断たれている。
かつて、官房長官だった野中広務は当時の自由党党首、小沢一郎に「悪魔にひれ伏してでも」と言って協力を求め、自自連立を成功させた。もちろん、それを良しとするのではない。しかし、護憲のためなら“悪魔”と手を組んでもとは思わないのか。それとも、同じ護憲派でも他の集会の主催者は悪魔以上に顔を合わせたくない存在なのか。「自分だけは正しい」とする、こんな状況で、果たして憲法が護れるのか。
「九条の会」が全国にいくつできたと『赤旗』は喧伝するが、「九条の会」の呼びかけ人が「憲法行脚の会」主催で講演しても一行も報じない。たとえば『社会新報』は「九条の会」の講演を大々的に報ずるのにである。
大連立を批判する前に護憲派は保守のそのしぶとさ、たくましさを学ぶべきだろう。 
 
評論 2014

 

自民党の曲者さえ惚れさせた村山富市 2014/8
「私、先生を尊敬します」
数年前、元首相の村山富市は機中で、キャビンアテンダントにこう声をかけられた。
村山が大分から羽田に向かう飛行機のエコノミー席に座っていたからである。
村山としては特別のことをしているつもりはなかった。首相も辞めたのだし、むしろ、スーパーシートに乗っているほうが落ち着かない。
そんな村山の飾らない人柄に、とりわけ癖のある政治家たちが魅せられた。
連立政権は“strange bed fellow”、すなわち奇妙な同衾者を生むと言ったのは、社会党と会派を組んでいた参議院議員の國弘正雄だが、自民党、社会党、そして新党さきがけの、いわゆる「自社さ政権」を支えた自民党の猛者の亀井静香や野中広務は、いっぺんで村山に惚れた。亀井など「オレはハトを守るタカだ」と吹聴する始末である。
1994年当時、下野した自民党が政権復帰を狙い、それまで敵対していた社会党の委員長をかついだ。
しかし、村山政権もそう簡単に誕生したわけではなかった。村山の属する社会党も左派と右派に分かれ、多数を占める右派は自民党を出た小沢一郎と通じていたからである。
亀井らが左派に支持されている村山をかつごうと主張しても、多くの自民党議員は、とんでもないと猛反対する。
強気の亀井でさえ、やはりダメかと思ったとき、大分選出の衛藤晟一が立ち上がった。
「村山さんが総理になったら一番困るのは私です。その私が、それは国のため、党のためになるのならと了解しているんだからいいじゃないですか」
選挙がどんなに大変なものか、議員はよく知っている。サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちればタダの人となる。
不利になることを承知の衛藤の発言で、議員総会は一瞬にして静かになった。
あるいは、衛藤が最も「村山惚れ」だったのかもしれない。
ところで、「本人が一番びっくり」の村山の首相就任である。ある証言録で村山はこう語っている。
「僕がこれは受けざるを得ないなと思ったのは首班指名選挙があってからだ。ここで首班指名を受けたら腹を決めてやらざるを得ないなとな。議会制民主主義だから、多数をとっている政党が首班を引き受けて政権を維持するのが憲政の常道だ。ましてや70名くらいしか持っていない社会党の委員長が総理になるということは常道に反する。けれども、こういう内閣が生まれたというのは、それなりの必然性があって生まれてきた。それならばこの内閣にはそれなりの歴史的役割が課せられているかもしれない。この内閣でなければできないことがある。それだけをやろうというので腹を決めた。だからこれは天命だ。やむを得ないな、という気持ちも全然なかったわけではないね」
阪神淡路大震災にも直面したが、村山は、最後の責任は自分がとると言って担当大臣に存分に行動させた。その姿勢がまた、亀井や野中らを惹きつけたのである。
「この内閣でなければ」の象徴が「村山談話」だろう。
私は村山と共著で『「村山談話」とは何か』を出した。この中で村山は、明治大学の学生時代に入っていた「至軒寮」の寮長、穂積五一について、
「私は、先生の思想を十分に理解できていたとは思わない。しかし、その宗教的社会主義のような雰囲気に共鳴していた。私が後に社会党に入党し、政治に人生を捧げるようになったのも、この至軒寮の経験が大きかったように思う」と語っている。
穂積は国家主義から出発して国家主義を脱け出るようになったが、大日本帝国のアジア解放を本気で信じていた。だから、台湾や朝鮮の独立運動を助け、何度か投獄されている。
穂積も捕まったときに特高から拷問を受けたが、朝鮮や台湾の人間に対するそれは比べものにならないくらい酷かった。
「なんであんなひどいことをするんだ」と穂積が抗議すると、
「アイツらは人間じゃない。人間だと思うからいらんことを言うんだ」と逆に怒鳴り返された。
戦後はアジアからの留学生の面倒を徹底的に見た穂積五一の影響下に「村山談話」は出された。穂積は保守の人であり、その穂積をいまなお敬慕する村山は、いわゆる“浮かれ革新”の人間ではない。
村山は穂積の人脈の広さをこう書いている。
「穂積先生は度量の大きい人で、先生を慕って、右翼から左翼、また意外な人物も出入りをしていた。五・一五事件に参加した国家主義者の三上卓、元共産党員の佐野学、水平社運動の指導者の西光万吉、さらには69連勝の双葉山を破った安藝ノ海といった人たちである。至軒寮からは戦後、各界に人材を多数輩出している。政界だけをとっても、元自民党参議院議員の金丸三郎と山本富雄両氏、元民社党委員長の塚本三郎、私をこの寮に紹介してくれた丸谷金保も北海道池田町長を経て、社会党参議院議員になった」
“ワイン町長”として知られる丸谷について村山は、2014年7月26日付『朝日新聞』夕刊の「惜別」欄で、
「雄弁家で、とにかく勉強熱心だった。役場の仕事にとらわれない発想は、そういうところから生まれたのだと思う」と語っている。
では、1995年8月15日に出された「村山談話」の一節を引こう。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて、痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます」
二年ほど前、私は村山と共に元自民党幹事長、加藤紘一の三女、鮎子の結婚式に出席した。加藤と同郷の私はともかく、村山が呼ばれたのは、やはり、加藤も「村山惚れ」の一人だからだろう。
90歳になった村山には、まったく、すれたところがない。卒寿を迎えてなお、初々しさが感じられる。
私は猫が好きなのだが、あるとき、村山に、「わしゃ、猫は嫌いじゃ」と言われたのが忘れられない。猫撫で声とか、猫だましとかに使われる猫が村山は嫌いなのだと思われる。 
論敵、櫻井よしことの呉越同舟 2014/9
『同い年事典』という本がある。私が生まれた1945年の項には、順に落合恵子、おすぎ&ピーコ、吉永小百合、アウン・サン・スー・チーらが並んでいる。櫻井よしこもそうである。
あるシンポジウムで同席して「櫻井さんと私は同い年です」と言ったら、「よけいなことは言わなくていいの」と叱られた。
最近、『民主主義の敵は安倍晋三』という対論集を出した私と、安倍の熱烈な支持者である櫻井との間に“交流”があると言ったら驚く人が多いかもしれない。
前述のシンポジウムまでは、共通の友人の吉永みち子を介して、「彼女の顔がテレビに映ると、即座にチャンネルを替えるか、瞬間的にスイッチを切る」と書いた私に、櫻井が「私だってそうよ」と反応するといった具合に火花を散らしていた。
日本弁護士連合会主催のそのシンポジウムが行われたのは、1996年の3月である。それが開催される3日ほど前、吉永から電話がかかってきた。
「みっちゃん、私、イヤ、代わって」と櫻井が悲鳴をあげているというのである。
私も、よく櫻井が引き受けたな、と思っていたのだが、誰が一緒なのか確かめずに引き受けたらしい。わかったとたんに「イヤ」となったわけである。しかし、もちろん、いまさら変更はできない。
吉永のアドバイスもあって、私は当日、少し早く行き、控室で隣の椅子を空けて彼女の到着を待った。そして彼女が現れるや「櫻井さん、こっち、こっち」と立ち上って声をかけたのである。
すると彼女も、吉永に「代わって」と言ったことなどおくびにも出さず、「あぁら、サタカさん、今日は会えるのを楽しみに来ましたのよ」と返した。さすがのキツネとタヌキである。
以降、時折り連絡し合って対談などをしてきた。当時、私たちは50歳そこそこだったが、興味深かったのは、そのシンポジウムの翌日の報道だった。『産経新聞』が「櫻井よしこ氏ら」で『朝日新聞』が「佐高信氏ら」、そして『読売新聞』が「佐高信氏、櫻井よしこ氏」だったのである。
お互いの共通の敵の一人は東京都知事を失格した猪瀬直樹だろうか。猪瀬を完膚なきまでに批判した櫻井の『権力の道化』(新潮社)にこんな一節がある。
「国民全員に背番号を振って、監視することの出来る住民基本台帳ネットワークが作られたとき、私は反対運動をおこした。監視社会では、自由な言論も主張もいずれ叶わなくなるという危機感を抱いたからだ。言論、表現の自由は万人に保障されるべきだと考え、私は佐高信氏にも共闘を呼びかけた。佐高氏は『噂の眞相』でこれ以上ない程の、と私自身が感じた、罵詈雑言で私を批判した人物である。私は氏の批判を快く思いはしなかったが、人間には情に基づいてのさまざまな見方がある。好悪の感情までは左右出来ず、正否の判断もまた、個々人で異なると考え、抗議はしなかった。そして、佐高氏にも、住基ネット反対で、共に働いてくれるように要請した。言論の自由を含めて、個人の自由の危機の前には、意見や感受性の相違を乗り越えて、自由を護るための協力が重要と考えこそすれ、佐高氏による櫻井批判を封じようとの気持ちなどはなかったのだ。そのような私の想いを、佐高氏は真っ正面から受け止め協力してくれた」
私と違って、猪瀬が櫻井の批判を抑えようとし、『新潮45』の当時の編集長に電話したことなどはこれ以上触れない。櫻井の著書を参照してほしい。“本物のニセモノ”の猪瀬と比較されても嬉しくないからである。猪瀬が都知事に立候補した時、私は『自分を売る男、猪瀬直樹』(七つ森書館)を緊急出版し、神田の東京堂書店で櫻井とトークショーを行った。
ところで、櫻井の要請に応えて共闘した様子を私は2002年春に『サンデー毎日』の連載「佐高信の政経外科」でこう書いている。
「拝啓 櫻井よしこ様
2002年2月23日のビラまきに誘って下さってありがとうございました。1年余り前の日本ペンクラブ主催のシンポジウム以来でしたね。翌24日付の『毎日新聞』には次のように書いてありました。
<ジャーナリストの櫻井よしこさんが代表を務める「国民共通背番号制に反対する会」が23日、東京・銀座で今年8月稼働予定の「住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)」によるプライバシー侵害を訴えた。女優の三田佳子さん、俳優の辰巳琢郎さん、評論家の佐高信さん、音楽評論家の湯川れい子さんら約20人も参加。櫻井さんは「(狂牛病対策で)ウシは10ケタで一生を管理されるようになった。人間は11ケタの番号で管理される」と危機感を訴えた。>
「私は番号になりたくない」とも櫻井さんは強調していましたが、参加者のオルガナイザー役だった作曲家の三枝成彰さんはともかく、三田さんは、私が遅れて打ち合わせの場に駆けつけた時、いささかならず驚いていましたね。私も、湯川さん以外はほとんど初対面で、いつも参加する集会とは違うなあと思いました。櫻井さんを含めて、『タレント文化人150人斬り』(毎日新聞社)でバッサリやった中谷彰宏さんまで加わっていたのだから、なおさらです。しかし、櫻井さんが電話で言ったように、その櫻井さんと私が並んで反対することに意義があるのですね。だから私も道行く人たちに、憲法観など正反対で、いわば“仇敵”の2人が一緒に反対しなければならないほど、とんでもない制度なのだと訴えました。(以下略)」
『俳句界』という雑誌で私がホストとしてやっている対談にも登場してもらったが、2010年6月号掲載のそれで櫻井は、自分はベトナムの野戦病院で生まれたと言い、それが生き方に影響を与えていると語っている。中国への反発はそこからなのかもしれない。
「ふるさと」は父方の祖母の実家の近くの大分県中津市。母親の故郷の新潟に移って長岡高校に入るが、長岡出身の山本五十六らに影響を受けた。真の侍だったというのである。「女に武士道を説かれてたまるか」と、ある保守派の評論家は言ったが、櫻井は、武士道は男性だけのものではない、と言う。
好きな俳句はという問いに彼女が挙げたのが中村草田男の「勇気こそ地の塩なれや梅真白」。カラスが好きで、その濡れ羽色を指して「ベルベットちゃん」と呼んでいるとか。やはり理解できない部分を含んでいるひとである。 
言行一致の政治家 小泉純一郎の魅力と罪 2014/10
小泉純一郎が首相になって間もないころ、『週刊宝島』の取材を受けた。そして、同誌の2001年5月30日号に「意外な同窓生たち」という記事が載った。
リードには「昭和42年度の慶應義塾大学の卒業アルバム。今から34年前、5千人以上の卒業者の中に小泉総理も名を連ねている。写真を見ていて驚いた。あんな人からこんな人まで、みんな同級生だったんですね」とあり、小沢一郎、浜四津敏子、岸井成格らと私の「当時と現在」の写真が掲載されている。小沢の肩書は「自由党党首」。浜四津は「公明党議員」である。私については「岸井氏とはゼミも一緒の仲。激辛評論家の風貌は昔から変わらず」とあり、岸井は「今やテレビの政治報道に欠かせない人物」だという。「一浪二留。ゼミ、サークルも不参加。謎の小泉総理の学生生活」と書かれている小泉とは、首相になる前に何度か会った。気取らない人柄に好感を持ったが、首相になってから、竹中平蔵と組んだそのエセ改革路線には真っ向からの反対者となり、直後に『小泉純一郎の思想』(岩波書店)というブックレットを出したりもした。
「小泉は入口を入ったらすぐ出口の人で奥行きはゼロ。だから私は小泉単純一郎と呼んでいる」
激しくこう批判したのだが、それまでは自民党の政治家の中でほめたことのある数少ない一人だった。
新党さきがけを武村正義らとつくった田中秀征が、まだ自民党にいて、宮澤喜一のブレーンといわれていたころ、宮澤に「秀征君が注目している政治家は?」と問われて、小沢、小泉、そして平沼赳夫を挙げた。いずれも宮澤に批判的だった人たちである。
宮澤がさらにその理由を尋ねると、田中は、「マスコミに媚びない」と答えた。
イメージ時代とかで、多くの政治家が少しでもマスコミに登場しようと浮き足立っている中で、「マスコミに媚びない」姿勢は貴重である。
小沢の場合は、自分の言うとおりにならないからマスコミを嫌っている側面もあったが、信念を貫いてマスコミを追わない小泉は、逆に、しばしばマスコミに追われた。
「国民に犠牲を強いる行政改革を主張する以上、永年在職議員表彰と、それに伴う特権は受けない」
在職25年を迎えた小泉が、2年前の自民党総裁選で公約した表彰辞退を衆議院事務局に通知して話題になった。「それに伴う特権」とは、月額30万円の特別交通費の生涯支給などだった。
小泉を含めてYKKといわれた盟友の山崎拓や加藤紘一も同じく表彰対象者だったが、辞退したのは小泉だけだった。
田中秀征が自民党を離党する前、『週刊東洋経済』に頼まれて、同誌の1992年3月14日号から3月28日号まで3週連続で「政治家と政治改革を斬る」という座談会をやったことがある。私が司会で、自民党から他に2人連れて来てほしいと田中に頼んだら、田中が小泉と武村を引っ張ってきた。
そのときの小泉の発言で印象に残ったのは、選挙は高校野球に似ていて、おカネを使って選手を集める私立の有名校がたいてい勝つが、そうではない公立高校が甲子園に出てくる場合もあるということだった。その発言から、ある意味での国民への信頼が伺われたのである。
ただ、当時は中選挙区制だった。その後、小選挙区制になって、風頼みのフラフラした政治家しか出てこなくなるが、小泉は派閥の解消を掲げる小選挙区制に反対して、派閥の効用を説き、小選挙区制になると総裁や党首の独裁になると力説していた。
私もその点では小泉と同意見だったが、小選挙区制になって小泉が総裁になるや、小泉は独裁的になり、刺客選挙などをやったのだから、したたかである。
座談会では、国会の証人喚問でテレビ中継を静止画像にしていることについて、「本人に任せればいいんだ」と言ったことが記憶に残っている。
静止画像にしなくていい、と当人が言えば、不自然でない中継が流れる。やましいところがなければ、そうするだろう。それを拒否すると、疑惑は深いと見られる。いやしくも、国民を代表する政治家なのだから、やはり本人の意思を尊重すべきだ、という小泉の意見は新鮮だった。こうすれば、“人権”も尊重される。
小泉とは、その後も何度か同席する機会があったが、西部邁と私がレギュラーのテレビ朝日の『田原総一朗の異議あり!』で、ゲストに小泉が来たとき、始まる前に、楽屋で西部が「オレ、ああいうタイプ、苦手なんだよな」と、ぼやいていて、案の定、番組の中で、「私は抽象論に興味はないんです」と小泉に一蹴されて、ムキになったのがおかしかった。
名うてのからみ屋の西部をも即座に打ち返すケレンミ味のなさを小泉は持っている。
「郵政省解体」を主張する小泉と、まず、大蔵省(現財務省)の分割からという私とは、官権政治打破の方法にかなりの違いがあったが、しかし、小泉のような政治家の存在は、ある意味で清々しかった。
『小泉純一郎の暴論・青論』では、「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」という細川ガラシアの辞世の歌を挙げ、引き際の大切さを表したこの歌に倣って、いつ引くことになってもいいよう、思い残すことなく仕事をしたい、と言っている。
これは小泉が首相になる前の覚悟だった。いま、細川護煕と共に脱原発を主張している小泉を見ると、ある因縁を感ぜざるを得ないが、小泉はあまり人を見る眼はないのだろう。後継者に選んだ安倍晋三や竹中平蔵を思えば、それは明らかである。
「人の面倒を見るには金がかかる。金集めと票集めは嫌いなんだ。その代わり、できる範囲で相談には乗る。人に縛られるのも、人を縛るのも嫌いなんだ」
口癖にこう言っていた小泉は、また、「ある程度、あいまいな部分を残しておくことの重要性は分かっている。しかし、ごまかしは嫌いだ。全部の人が賛成することなんてあるはずがない。みんなの顔色をうかがっていたら、自分がなくなってしまう。自分をなくしてまで政治家をやる必要があるのか」と言っている。
よかれ悪しかれ、その発言と行動が一致している数少ない政治家だった。 
護憲を貫いた女性初の社会党党首 土井たか子の正義 2014/12
11月25日、国会図書館の隣の憲政記念館で「土井たか子さんお別れの会」があった。土井と当選同期の森喜朗、小沢一郎、羽田孜が参列している。羽田は車椅子で、小沢は衆議院の解散が決まったのに駆けつけているのを見ると、同期生の親近感は党派を超えて厚いものがあるらしい。
私は元首相の村山富市、元衆議院議長の河野洋平、そして作家の落合恵子とともに「お別れの言葉」を述べた。
土井にもらった政論集『山の動く日』(すずさわ書店)に土井は「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ランコトヲ」という新島襄の言葉を書いてくれている。土井は旧日本社会党の委員長として、まさに山を動かした。
この「山の動く日」は与謝野晶子の次の詩に由来する。
   山の動く日来(きた)る
   かく云えども人われを信ぜじ
   山は姑(しばら)く眠りしのみ
   その昔に於いて
   山は皆火に燃えて動きしものを
   されど、そは信ぜずともよし
   人よ、ああ、唯これを信ぜよ
   すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる
   一人称にてのみ物書かばや
   われは女(おなご)ぞ
   一人称にてのみ物書かばや
   われは われは
1992年9月、『日本経済新聞』に連載した「私の履歴書」で、土井は1965年に神戸市の人事委員になった時のことを書いている。
当時30代半ばで同志社大学の講師だった土井は、市職員の採用試験にも立ち会った。
試験委員は、女性とみると、たいてい、「結婚してもやめませんか?」とか、「出産したらどうですか」と質問する。
それにカチンときた土井は、ある男性受験者に、「あなた、結婚してもやめませんか」と尋ねた。これには本人がキョトンとし、他の試験委員も変な顔をしたという。
そんな土井に当時の社会党委員長、成田知巳が白羽の矢を立てる。恩師の田畑忍に勧められても立候補を固辞していた土井は「憲法から政治が離れていく。選挙に出てくださいと言われて、逃げることばかり考えている自分がいかにも情けない。何のために今まで憲法の勉強をしてきたんだろう」と思うようになってついに出馬を決意した。
そして「女性初の」社会党委員長にまでなるわけだが、この時も、ある幹部が、「女を委員長にするほど社会党は落ちぶれていない」と吐き捨てたと言われる。
1989年の参議院選挙で、「山が動いた」時の土井人気は地鳴りがするようなものだったが、それについて、数人の記者と土井の秘書が勝手に話した記録がある。控えの部屋で聞いていた土井の注釈がカッコに入っているそれを、土井たか子半自伝『せいいっぱい』(朝日新聞社)から引こう。
「気さくだよね。買い物に行っても自分の財布からカネ払うし」(当たり前じゃ)
「庶民性。焼きいも屋を呼び止めるし、パチンコもやる。議員活動でも素人感覚をとても大事にする」(腹をすかせてクリームパンにかじりついていた私は、思わずむせそうになった)
「一方で良家の子女ふう。日本人は、その手の女性に弱い」(フーン)
「清潔感。カネにも男にも縁がない。たたいてもホコリも出ない」(知らないな。モテてモテて困っていた時期もあるんだから)
「なんといっても、女一匹、男社会で対等に渡り合うカッコよさ。女の時代にぴったりの役を演じている」(それって、男たちがウジウジしている反映でしょ)
「それにネアカなのがいい。社会党・左翼・労組といったら、ネクラの代名詞みたいなもんだもの」(わかる、わかる)
「本気で怒るでしょう。やさしさが受ける時代には、かえってあれがいいのよ」「話がわかりやすい。歯切れがいい。やるっきゃない、ダメなものはダメ、なんて流行語も生んだ」「カオもいい。ウタもうまい。ハナがある」(何よ、タレ目、大口なんて言っておいて)
「宝塚のイメージがあるでしょ。スターなのよ。変に女っぽくないし」
土井が私の父の葬儀に、わざわざ山形県酒田市まで来てくれたのは2003年春だった。私はそれを酒田警察に知らされた。当時、社民党党首だった土井の警護のために、警察はいろいろ手配をしなければならないのである。
それで来てくれることを知った私は、土井に弔辞を頼んだ。急のことでもあり、父とは面識のない土井は、さぞや困ったことだろう。
それはこう始まる。
<謹んで佐高兼太郎先生に哀悼の思いを捧げます。私はとうとう佐高兼太郎先生にお目にかかることができませんでした。しかし、不思議なことに一度もお目にかかることがなかったにも拘らず、ずーっと前からよく存じ上げているような気持ちを抱いておりました。それは、不正や理不尽なことには容赦しない辛口の評論でその名も高い佐高さんが、お父さまの話になるとまったく頭が上がらないことを知った頃からです。十年、いや、もっと前からになりましょうか。お父さまの話の度毎に親思いの「お父さん子」、「子ぼんのう」に対して「親ぼんのう」というにピッタリと思っておりました。>
その後、弔辞は、書家である父から贈られた色紙を大事にしていると続く。
その色紙には、映画監督で俳人の五所平之助の「生きることは一すじがよし寒椿」と書いてある。これを見ていると、「寒空に凛として紅い花をつける椿のすがすがしさに、寒さに負けるなよと励まされる気持ちでいっぱいに」なるという。
私は土井が亡くなった寂寥感を振り払うように土井との共著『護憲派の一分』(角川oneテーマ21)を読み返した。その「おわりに」に土井はこう書いている。
<佐高さんは常々、「クリーンなタカよりダーティなハトの方が良い」と言われています。“たか子のタカ”としては、何たることかと思っていましたが、私の尊敬する内村鑑三先生の、「最も悪しき平和は、最も良き戦争より良くあります」との言葉ともぴったり合うではありませんか。佐高さんは比喩が上手です。どうかこれからも警鐘を鳴らし続けてください> 
 
評論 2015

 

「戦争で得たものは憲法だけ」作家・城山三郎の歴史観 2015/2
 <昭和2年(1927年)7月24日、作家の芥川龍之介が前途に「ぼんやりとした不安」を感じて自殺しました。35歳でした。
それから1ヵ月近く後の8月18日に、作家の城山三郎が生まれています。同じく作家の石牟礼道子や吉村昭、あるいは藤沢周平も昭和2年生まれです。
昭和元年は1週間ほどしかないので、実質的には昭和2年が昭和元年ですが、城山や藤沢が生きていれば今年87歳で、昭和87年ということになります。>
これは近著『佐高信の昭和史』(角川学芸出版)の「はじめに」の書き出しだが、昨年末に書いたので、明けて今年、2015年になってみれば、昭和88年、米寿ということになる。城山三郎の生涯は、まさに、昭和とともにあった。
その城山三郎こと、杉浦英一(本名)は17歳で海軍に志願する。軍国少年として“志願”と思わされたことを口惜しく生きた城山に歴史観を尋ねると、
「私には戦争中の皇国日本史で育てられて、歴史に対する不信感が長くあったわけです。あの歴史は間違っていたとも言えるし、一方的であったとも言える。しかし、当時は100%正しいものとして教えられましたからね。それが戦後いろいろなものを読んで、歴史というものは史料によってずいぶんひっくり返るものだなと思った。非常に便宜的なものだし、歴史が必ずしも真実なり事実なりを伝えない。しかし、それが歴史になってしまうと非常に強い発言力を持つわけです。特に活字になると、ある権威を持ってしまう」
と答えてくれた。
代表作の一つの『鼠』(文春文庫)の中で「一度でよいから歴史に多寡をくくらすまい」と書いている城山らしい答である。
昭和の、特に前半は「戦争の時代」だった。特攻隊に“志願”して、皇軍と呼ばれた軍隊の実態を厭というほど体験させられた城山は、特攻は志願ではない、国家や社会によって志願と思わされた強制だと強調しながら、私との初めてのインタビューで、
「不確実、不確定の時代でわからないことが多いけれども、戦争になったら、元も子もなくなるということだけはハッキリした事実だと思うんです。だからとにかく勝つ負けるよりも先に、戦争を防ぐということ、戦争にならないようにするということしかないと思う。そういう意味では、戦争を前提にしたものの考え方にはついていけないし、戦争を前提にして人を煽りたてるようなことに対しては抵抗があります」
と断言した。城山はまた、
「戦争はすべてを失わせる。戦争で得たものは憲法だけだ」
と主張し、土井たか子や落合恵子とともに私がつくった「憲法行脚の会」の呼びかけ人にも加わってくれた。
同期の友人たちを含む多くの人の血を流して生まれた非戦の日本国憲法だという思いからだろう。
城山が亡くなったのは2007年の3月22日である。79歳だった。
城山の亡くなった日の翌々日の各紙コラムは軒並み、城山追悼で筆を揃えた。『朝日』の「天声人語」、『毎日』の「余録」、『産経』の「産経抄」、そして『東京』の「筆洗」である。他に私が見逃したのもあったかもしれない。『読売』はその前日に私が追悼文を書いたので、見送ったのか。
城山は知っている作家などが亡くなると、冥福を祈るつもりでその作品を読むのが常だった。私もそれに倣って、城山と私の対談『人間を読む旅』(岩波書店)を読み返すことにした。『城山三郎の昭和』(角川書店)の著者の私としては、これが角川文庫に入る直前だったことが悔やまれる。
「私のことを書くなんて」と照れつつも、城山は若き日に書いた同人誌などを貸してくれた。
城山は松下幸之助や田中角栄が嫌いだった。前記の対談で私が、
「太閤秀吉も好きじゃない?」と問いかけると、
「太閤以前はいいけど、太閤になってからダメだもの」と明快な答え。
そして「太閤にならない人」として本田宗一郎を挙げ、その意味をこう語った。
「要するに、自分の中に自分はタダの人だというのがあるんじゃないかな。どんどん自分が肥大していく人と、全然昔と変わらない人とがいる。夜食を食べるときに社員がみんな列をつくっていると、一番後ろにつく。俺は社長だとか、一番前に行くとか、全然そういうことを考えない人だから。いつもタダの人間というのが、僕はすごく大事なことだと思う」
葬儀なんか絶対にやるな、と本田は口やかましく言っていた。それでもやはり葬式をしたいと会社側が言ったら、夫人はそれをやわらかく、「あの人は家に帰ってきても心はいつも会社に行っていた。死んでやっと家に帰って来たのに、また会社にもっていかれては耐えられません。お断りします」と拒否した。
それでも会社は、「本田宗一郎に感謝する会」を3日間開く。東京は青山の本社ビルに初期のころからのバイクや車を並べ、誰でも立ち寄れるようにしたのである。他には、本田の写真と「おかげで私は幸せな人生をおくりました」という感謝の言葉しかない。何も知らずに入って来た若者たちも大喜びだったから、さぞや本田も本望だったろう。
私は城山作品を二つに分けたことがある。『真昼のワンマン・オフィス』や『望郷のとき』のような、いわば「無名の人間」描いたものと、『落日燃ゆ』や『男子の本懐』のような「有名の人間」を描いたものとにである。 
城山は「誤解された人間」に興味があると言ったが、同じように「誤解された人間」であっても「有名の人間」と「無名の人間」とでは、その受ける衝撃に違いがある。国の政策が変わって「鎖国」となり、そのまま異国メキシコに朽ち果てた100余名のサムライたちを描いた『望郷のとき』と、「戦争犯罪人」とされた広田弘毅を描いた『落日燃ゆ』の間には、大きな落差がある。
「棄てられる者」から「棄てる者」への、描く人物の変化は、著しい重心移動ではないかと尋ねると、「ウーン」と城山は唸って考え込んだ。
18歳も年下の私の青っぽい問いかけにも、そうした反応を示す人だった。そして、勲章拒否の護憲派の旗を一生降ろさなかった。 
産経新聞に『護憲』の広告 前社長 住田良能の男気 2015/2
辺見庸と言えば、左派系のジャーナリストで、とても『産経新聞』寄りではない。しかし、その辺見を『産経』の社長だった住田良能が熱心に入社を誘ったと聞いて私は驚いた。
辺見と私の対話『絶望という抵抗』(金曜日)で辺見はそれを明かしたのだが、「住田さんの誘い方には熱がこもっていて、いまでもよく覚えています。当時の産経は、やはり右寄りなんだけど、たとえば中国当局にべったりだった朝日とは違う独自の報道もしていた」と辺見は語り、「ぼくが中国で国外退去処分を受けて帰国したとき、ぼくの話をきちんと聞き、特集を組んだのは産経だけだったんです。朝日は新華社の引用ばかり」と続けた。
辺見は共同通信の北京特派員として、1987年に胡耀邦総書記の辞任に関する機密文書をスクープして追放されることになったのだが、結局、辺見は住田の誘いを断る。
「ぼくは古い人間で、会社を替えることには抵抗があったんです。だから断りました。でも住田さんには右左というイデオロギーとは違った次元で、ジャーナリストとしてのパッションを感じていましたし、人間的な魅力もありました。待遇は産経より共同のほうがいいわけです。なのに、共同で記者をしているぼくに『うちに来い』と言うくらいだから、住田さんはぼくを組織人ではなく個として見ていた。つまり、サシでやる気なんです。ぼくのような組織からはみ出す個に対しても、美意識からくる共感があったと思います。ただし、はっきり言っておきますが、最近の産経はダメです。危険な極右紙です。あれじゃ」
エキセントリックで幅がなくなった最近の『産経』を一番残念に思っているのは昨年の6月11日に亡くなった前社長の住田だろう。享年68。死因は多発性骨髄腫である。住田、辺見、そして私はほぼ同年輩になる。
住田の死を私は慶大同期で同じゼミだった岸井成格に知らされた。岸井はいま、TBSで「NEWS23」のアンカーをやっている。
私たちは何年か前からか、他に慶應同窓の友人を2、3人加えて月に1度くらいの割合で昼食を共にしていたのだが、2012年秋ごろから、住田は顔を出せなくなっていた。
それにしても、苦い逸話を思い出さずにはいられない。7年ほど前に岸井の大腸ガンが発覚し、大分進んでいたのだが、手術で奇跡的に助かった。そのことを住田に知らせようとし、「岸井が」と言ったら、間髪入れずに、「やはり、ダメだったか」と声を落としたのである。「いや、成功したんだ」と答えると、住田は、「よかった、よかった」と喜んだ。
もちろん、そのとき、住田はわが身に病魔が忍び寄っていることを知らなかったし、数年後に自分が亡くなるなどと思ってもいなかった。68歳はあまりに早い死である。
通夜に安倍晋三や石原慎太郎が駆けつけた住田と私の間にホットラインがあったと言ったら、驚く人が多いのかもしれないが、住田と私を結びつけたのは作家の高杉良である。慶應の同窓であることは後から知った。
産経新聞社長のイメージと違って、住田は異なる立場の人間と話すことを厭わなかった。
「憲法行脚の会」の呼びかけ人である私が、あえて『産経』に護憲の広告を出そうとし、住田に電話をかけると、即座に、「いいよ」と言う。
ところが、カンパに応じてくれた人たちに、そう持ちかけたら、反対の人が多く、私は窮地に陥った。幸い、カンパが予想より多く集まって『毎日』にも同じように広告を打つことで納得してもらったのだが、住田は住田で別の方から反発を食らったらしい。『産経』の読者である。「そんなに広告が欲しいのか、と言われたよ」住田はサラッとそう言って、私に笑いかけた。
護憲の広告を『朝日』にではなく、改憲の『産経』にという私のたくらみを面白がってくれるところが住田にはあった。
私のマスメディアへのデビューは『夕刊フジ』なのだが、私に連載させたりすることに読者からも抗議があったようである。しかし、住田は頓着しなかった。
2006年に『夕刊フジ』に「西郷隆盛伝説」を連載し、それは現在、同名のタイトルで角川文庫と光文社知恵の森文庫に入っているが、次に誰を書くかが話題になったとき、住田に、「福沢(諭吉)を書く気はないのか」と言われ、一瞬、虚を衝かれた感じになった。
住田には、福沢の創刊した『時事新報』を引き受けた形になっている『産経』の社長として、慶應義塾創立150年の2008年に何らかの顕彰をしたいという心づもりもあったらしい。
西郷についてもそうだったが、私はとりわけ福沢に関心を抱いて調べてみたことはなかった。塾の卒業生としての照れもあって、むしろ、意識的にそれを避けてきたとも言える。だから、拙著『福沢諭吉と日本人』(角川文庫)は住田が書かせた本である。
ここに、2013年7月30日発行の産経社内報『We』がある。住田良能追悼号である。
住田社長、名雪副社長としてコンビを組むことになる名雪雅夫がワルシャワ支局時代の思い出を書いている。当時、住田は外信部長だった。
1989年12月22日、ルーマニア大統領チャウシェスクの独裁体制が国軍のクーデターによって崩壊する。名雪は共同通信社の記者と共にルーマニアに入り、チャウシェスクの親衛隊に銃撃され、背中に銃弾がめり込んだ。頭にも裂傷を負う。共同通信の記者が「邦人記者銃撃さる」という一報を送った。住田は最初、「ウチがそこまで入っていれば立派なもの」などと言っていたが、第二報で、それが名雪と知って、狼狽する。
それから1時間ほどして、名雪自身から電話が入り、安心した住田は、「おまえ、毛がないから怪我なくてよかったな」と軽口を叩く。さすがに名雪もカーッとなって受話器をぶん投げようかと思った。しかし、名雪は、のちに住田が電話口で泣いていたことを知らされる。追悼文を名雪はこう結んでいる。
「気持ちを素直に出せず、憎まれ口になるところが、いかにも住田流なのだ。軽口をたたきながら涙をためている住田部長の姿を思い浮かべると、いまでも胸が熱くなる。合掌」
東京出身なのに、なぜか住田は熱烈な阪神(タイガース)ファンだった。 
安倍的“壊憲”を論破する 無敵の憲法学者 小林節 2015/7
6月4日の衆議院憲法審査会で、早大教授の長谷部恭男らと共に特別委員会で審議中の安保法案は憲法違反だと断じた慶大名誉教授の小林節の発言が波紋を呼んだのは、その卓抜な比喩のせいもあった。たとえば、戦争への協力を銀行強盗を手伝うことになぞらえて、小林はこう皮肉ったのである。
「(他国との武力行使は)一体化そのもの。長谷部先生が銀行強盗して、僕が車で送迎すれば、一緒に強盗したことになる」
その前に小林は、安保法案の本質について「国際法上の戦争に参加することになる以上は戦争法だ」と批判し、平和安全法制と名づけた安倍晋三首相や政府の姿勢を「平和だ、安全だ、レッテル貼りだ、失礼だと言う方が失礼だ」と斬り捨てた。
小林は改憲論者であり、私は護憲論者だが、安倍的“壊憲”論に危機感を深くしていることでは一致しており、最近とくに交友を深めている。
6月12日には神田駿河台の連合会館で「安倍“壊憲”政治をストップする!」という集会を開き、私と対談してもらった。
名うての改憲派の山崎拓(自民党元副総裁)と小林が、それぞれ、早野透(桜美林大教授)と私を相手に「安倍晋三の大暴走に猛抗議する」というキャッチフレーズの下にである。
主催は土井たか子や落合恵子と共に私がつくった「憲法行脚の会」。
ここに小林の「自民党改憲草案集中講義」というパンフレットがある。『日刊ゲンダイ』の連載をまとめたもので、かつて小林は自民党のブレーンだっただけに非常に説得力がある。
まず、自民党の改憲案は、要するに明治憲法に戻ろうとする「時代錯誤」の一語に尽きると批判する小林は、そもそも権力担当者を縛るのが憲法なのに、国民全体を縛ろうとする憲法観が大間違いだとし、まさに「大日本帝国の復活」を望む自民党の憲法マニア議員たちには「自分たち権力者が憲法を使って民衆をしつける」という姿勢が見え隠れすると指摘する。
小林はさらに、高名な「自民党の御用評論家」が次のような発言をしている場に少なくとも3回同席した、と語る。
「日本国憲法には『権利』という言葉が20回以上も出てくるのに『義務』という言葉はたった3つしかない。この権利偏重の憲法が今の利己的な社会をつくった……」
商工会議所や青年会議所でも同じような発言を聞いたが、これは大きな間違いである。
だいたい、憲法は国家権力の濫用から国民各人による幸福追求を守るためのものであって、そこに「権利」の規定が多く、国家に従う「義務」の規定が少ないことは当然だと説く小林の試験を受けたなら、自民党などの改憲派ならぬ壊憲派はすべて落第ということになる。
これは憲法観の違いなどではなく、憲法のイロハさえ知らぬということなのである。
法と道徳を混同している落第生たちは改憲案で「家族は互いに助け合わなければならない」と命ずる。
しかし、これはまったく余計なお世話で、憲法でこう規定したら、離婚は明白に憲法違反になってしまう。イロハさえ理解していないから、珍妙なことを大真面目に強調してしまう。
彼らは、わが国の憲法改正条件が特別に厳しいなどと言うが、これについても小林は次のように一蹴する。
「わが国の改憲手続き条件は他国と比較して特に厳しくはない。現にアメリカ合衆国憲法では、上下各院の3分の2以上による提案に加えて、全米50州の4分の3以上の州の承認を個別に得ることを条件としている。これは明らかに日本より厳しい」
一時、安倍首相は条件の引き下げに動いたが、小林はそれを“裏口入学”を図るものと断罪した。
私がホストの『俳句界』の対談でも小林節(ぶし)はクリアーだった。発売中の7月号掲載である。
小林は慶大助教授の時、自民党の勉強会に来て、彼らが「押しつけ憲法」に憤慨し、「明治憲法に戻ろう」と強調するのに対して、「押しつけられたのは、世界史の中で日本がクレイジーな振る舞いをしたからだ」と反論し、「愚かな戦をして負けることによって、いい憲法をもらった」と付け加えたら、彼らは逆上して、小林を「戦後教育の徒花」と非難したという。
彼らはよく、「アジアを侵略したのではない、アジアを欧米の植民地から解放したのだと主張するが、民族自決の時代になってアジアは独立したのであって、日本が独立させたわけではない」と小林は却下する。
「新しい侵略者として失敗しただけ。もし本当に彼らを独立させる気だったら、西洋人が横文字の言語とバイブルを持って行ったように、何で日本語と鳥居を持って行ったんだ。おかしいじゃないですか」
続けてこうまで論難したので、小林によれば「じじいたち興奮して」血圧が上がったという。
この間の百田尚樹を呼んだ自民党若手の勉強会を見れば、アタマに血がのぼっているのは「じじいたち」ばかりではないらしい。
世襲議員たちは、意見が合うと、「さすが一流大学の先生はいいこと言う」と同調し、合わないと、「小林さん、政治は現実なんだよ。あんたは現実知らないんだよ」と若造の代議士までが決めつけた。
本当に荷物をまとめて席を立ちたくなったが、そこで帰ったら負けだから、そこでは言わせておいた。
彼らの傲慢さは特権意識から出てくる、と小林は指摘する。
「彼らの育ちを想像したらわかるじゃないですか。塀に屋根がついているようなすごい屋敷に住んでいて、黒塗りの車がいつも止まっている。代議士(である父親)はほとんど東京に出ていて、選挙区には奥さんと子どもがいて、子どもが小学校に行こうとして遅れたら、秘書に『空いてる車で送って』ですよ。小学生から黒塗りの車で送迎されたら、感覚がずれちゃう。それから、母が命令調で使っているから、同じように成人の秘書や運転手をああだこうだと使うでしょう。人は背後の父親におじぎしているのに自分が偉いかのように錯覚しておかしくなっちゃう」
何も恐れずズバズバと指摘しているように見える小林だが、ひとり娘だけにはちょっと怯むという。 
論敵なのに嫌いな人間は同じだった西部邁 2015/12
率直に言って西部邁は敵対する人だった。いや、いまでも思想的に対立するところはある。そこに着目してCS放送「朝日ニュースター」が「学問のすゝめ」という対談番組を企画し、2009年の春から、それはスタートした。毎週土曜午後9時から約1時間。最初に思想家、次に本、そして映画を論じて3年続いた。かなり熱心なファンもいて、『思想放談』(朝日新聞社)以下、6冊の本になっている。
謳い文句には「保守・リベラルを代表する論客」とあるが、要するに右と左の激突を期待したのだろう。確かに西部と私は対立的な形で並ばされてきた。
たとえば、2000年の11月15日に参議院の憲法調査会で参考人として話した時、改憲賛成派が西部で、反対派が私だった。その時はそれぞれが意見を述べ、調査会の議員たちがそれぞれに質問するということだったので、直接討論はなかったが、新聞や雑誌で賛成と反対のコメントを並べられるといったことも何度かあった。そして遂にロングランの直接対決となったわけである。
私が西部と初めて会ったのは、1994年の10月20日である。徳間書店が出していた月刊誌『サンサーラ』の対談のホストをしていた私は、1995年1月号掲載の相手に西部を頼んだ。
西部は編集者に、「それはサタカの意志か」と尋ねたらしい。
そんな経緯もあって実現したのだが、私が西部に、「西部さんのようなお寺の子どもにとって、宗教は信仰ではなく生活ですよね」と問いかけたあたりから緊張がほぐれた記憶がある。西部が頷いてくれたからである。
それから15年。日本と世界の思想家について1回ずつ語ることにした「学問のすゝめ」では、最初の福沢諭吉からニーチェ、夏目漱石など関心をもつ思想家が重なっているのに驚いた。番外的に取り上げた美空ひばりでは好きな歌まで同じである。それで一緒にカラオケに行ったりしたのだが、まもなく、西部はしばしば、「サタカ君を左翼にしておくのは惜しい」と私を冷やかし、私も、「西部さんは保守にしておくのは惜しい」と笑って返すようになる。
私がサヨクかどうかは別にしてもである。
思想的には真反対だといわれている西部と私が、嗜好的にはよく似ているのだなと思ったのは、黒澤明について話していた時だった。
『世界』で、亡くなった人のことを書く「追悼譜」を連載していて、黒澤については書く気になれなかったけれども、木下恵介は迷いなく追悼しようと思ったと言ったら、西部はすぐに、「わかりますよ、それ」と応じてくれたのである。
「ある程度大人になると、黒澤のあの映画はっていう風に、身を乗り出してしゃべる気は起こらない」と続けた西部と私の遣り取りは『思想放談』に載っている。
「それは黒澤映画と切っても切れない三船敏郎について論じようという気になれないのと同じですよね」
そこで私がさらにこう同意を求めると、西部は、「あの人はひたすら吠えたててる感じだ」と受け、「言っちゃ悪いけど、奥行きはあまりないですね」という私の断定にも、「陰影がない」と共鳴してくれた。
あるいは黒澤ファンからは総スカンを食う2人の発言だろう。
映画をめぐる対話は、『モロッコ』から始まった。
「ワンウェイ・チケット」を持って彼の地に渡って、いまだけを生きる人たち。
片道切符だけでとういう生き方に憧れる点でも西部と私は共通している。いや、「憧れる」というより片道切符だけしか手にできない生き方を2人はしてきたのである。これからも、そういう生き方をして最期を迎えることになるのだろう。
好きな思想家が共通していると書いたが、それ以上に嫌いな人間が同じということで、2人は“同盟”している。
発言に体重がかかっていない、あるいはペラペラしゃべる口先だけの人間を侮蔑するという共通感覚をもっているのである。たとえば竹中平蔵であり、橋下徹。京セラの稲盛和夫の説教臭さも完膚なきまでに指弾した。
それを収録した『ベストセラー炎上』(平凡社)の「おわりに」に西部はこう記している。
「この両名、批判相手の著名度には意を払いません。たとえば、つまらぬこと限りなしと批判するしかない類の有名人の書物に対しては、トンデモナイ、クダラン、バカヤロウと、広言しないまでも、万已むを得ず公言してしまうのです。ただし、語気高くバカヤロウと怒鳴るわけではありません。この2人、自分も莫迦かもしれないとわきまえているものですから、発音に気をつけて、バ〜カ〜ヤ〜ロ〜ウと、できるだけ急がずに、できるだけ平らかに、発声するのです。そうすることによって生じる心の余裕を利用して、ユーモア(諧謔)の気味を(バカヤロウという嫌な言葉に)盛り込もうという心づもりなのでしょう」
また、西部は『西部邁と佐高信の快著快読』(光文社)の「あとがき」では、私が、「何の顔ばせあって、保守を自称して憚らない西部なんかと仲良く対談を続けるのか」と追及されることが少なくなかったのではないか、と心配している。西部にも、「左翼の佐高と談笑の絶えない語りをすることができるのは、西部が元左翼過激派としての痕跡を持ち長らえているからだ」という噂話が届くこと頻りだったからである。しかし、2人共、悪罵には慣れていた。
それで、西部が、「保守を自称する連中には馬鹿が多くて困りますわ」と言うと、私が「左翼でいることに満悦している者にも莫迦がわんさかいるよ」と返して笑っていたのである。
たしか、田中角栄を論じていた時、西部が自分も吃りだったと告白したので、私も中学になっても寝小便することがあったと言ったら、それをテレビで観ていた西部の兄が、幼時、1つの布団に寝ていた弟に自分の寝小便を押しつけたことがあったと懺悔したという。ほぼ60年後に明らかになった秘話で、西部と一緒に笑い合ったのが忘れられない。 
 
評論 2016

 

ケンカしながらわかり合う田原総一朗との不思議な関係 2016/3
ほぼひとまわり上の田原とのつきあいは、私が20代、田原が30代のころからで、40年余りになる。出会った時、田原はテレビ東京のディレクターで、私は『VISION』という雑誌の編集者だった。途中、何度かケンカ別れをしての40余年だが、『俳句界』の2015年1月号の対談で、田原はこんな打ち明け話をしてくれた。
「当時、僕は不倫をしてまして、実は佐高さんからもらう原稿料が、その不倫用で借りた部屋代になっていたんですよ」
1970年代の話だが、私は政財界の黒幕的人物を探し出してきて、田原に「斬り込みインタビュー」をしてもらった。対談料が「部屋代ちょうど」だったらしい。
「田原さんは、本当は知っているけど、知らないことを武器にして質問しますよね」
そのころを振り返って私がこう尋ねると、「今はそうだけど、当時は本当に知らなかった。でも、その方がプロは結構面白がって喋ってくれるんですよね」と田原は応じた。
そんな関係もあって田原は私が1977年に初めて出した本『ビジネス・エリートの意識革命』(東京布井出版、のちに『企業原論』と改題して現代教養文庫)に次のような推薦文を寄せてくれた。
「『仮面(マスク)』と『素顔』という表現を佐高はしている。それでは、どれが佐高信の『仮面(マスク)』で、どの顔が素顔なのか?
はじめて、佐高信に会ったときのことを思い出す。悩める、いささか年とった青年だった。その後、大勢の“悩める青年たち”がわたしのところに来た。その殆どは、もはや、悩まない。それこそ、『企業人のマスク』をつけている。佐高信の顔は、あいかわらずである。おさまらず、割り切らず、いかにもひよわそうに、しかし、したたかに『企業国家』を撃ちつづけている。
その佐高信が、インコーナー高め、ぎりぎりの鋭いシュートボールを投げた。バッターの、いや、つい『企業人のマスク』をつけそうになっている人間たちの心臓のあたりを鋭く抉(えぐ)るシュートの重い球である」
私が兄事したころの田原は、私へのこの過褒を借りれば、鋭いシュートボールを投げていた。それがそうではなくなったとして私は批判を始め、1998年3月15日号の『週刊読売』で最初の激突対談をした。
その時の空気は硬く、田原は「佐高さんと僕は大変親しい仲で、わかり合っていると思っていたのに、全然わかっていない。それで、改めて文句を言いたい」と切り出した。
私が「田原は核心を突かない安全パイだ」と批判したのに激怒したのである。ジャーナリストとしての自分の全否定だ、と口をとがらせた。
当時、大蔵省の証券局長で個人的スキャンダルも問題になっていた長野厖士(あつし)に田原は『現代』でインタビューしたのだが、尋ねるべきことを尋ねていないという私に、田原は自分が聞きたかった山一證券の倒産のことは聞いていると応酬した。
「もう少し骨があると思いましたよ」と私が不満を言うと、田原は、「まあ、いいや。やめよう。これで終わりね。そういうことです」と打ち切った。
そして曲折があって14年後の2012年に田原と私の『激突!朝まで生対談』(毎日新聞社)を出すに至る。その本の田原の「後記」を引こう。
「毎日新聞社から佐高信さんと対談して本にしないかと請われたとき、躊躇はしなかったが随分変わったことを考える人間がいるのだな、と興味を覚えた。
佐高信という人物は、私を批判することを売り物の一つにしている評論家である。私の批判を表紙にした本も何冊か出しているはずである。
佐高さんはかつては私を信頼してくれていたはずだ。私の錯覚だったのかもしれないが。そしていつから私の批判をしはじめたのかはよくわからないが、私は彼の批判文をわりあいに読んでいる。
私を信頼してくれていた時代も、批判するようになってからも、私の佐高さんに対する思いはほとんど変わっていない。
褒めるにしても、批判するにしても、私の言動を熱心に注目していてくれる。この国で私に最も注目してくれている人物ではないのかな。ときどき、こんな捉え方もあるのかと、批判を新鮮に感じることもある」
以下は略すが、確かに私は『田原総一朗よ驕るなかれ』とか、『田原総一朗への退場勧告(レッドカード)』と名づけた時評集を出し、田原と同年代の岩見隆夫から『サンデー毎日』のコラムで「言い過ぎではないか」と“教育的指導”を受けたことがあった。
『俳句界』での対談は『激突!朝まで生対談』の後で、『佐高信の一人一句』(七つ森書館)という本にまとめる時、こんな前書きをつけた。
「田原さんと私の関係は、たとえば水道橋博士などから驚かれている。私がどんなに激しく批判しても、田原さんは受け止めてくれるからである。それも40年の交友故か。阿波野青畝に『端居(はしゐ)して濁世なかなかおもしろや』という句がある」
田原は『生対談』の「後記」を「佐高さんは、面と向かうと笑顔を絶やさない。大きな声を出さず、激しい言葉も使わない。だが、笑顔の内側で、彼は大いに闘志を燃やしていたはずである。その闘志は充分に感じ取れた。だから私も燃えた。しかし、私はこの対談をきっかけに彼と仲よくなろうとは思わなかった。何の遠慮もなく、充分に言いたいことを言った。それがフェアプレーだと考えたからである」と結んでいる。今度、読み返してみて、憲法や原発をめぐって丁々発止の緊迫した対論をしていることに私も満足した。
『生対談』で田原は橋下徹を「おもしろい」と言い、私は怪しい奴だと批判したが、4年前の時点で田原はこう言っている。
「橋下徹と民主党が協力するというのはまずあり得ないと思います。前原誠司が橋下に興味を持っている、近づいているという噂もあるけれども、うまくいくかどうかはわかりません。橋下はやはり自民党と相性が合うと思います。もし橋下徹が石原慎太郎と組めば、自民党は2人と組むかもしれない。そうすると、政界再編が起きる可能性はある」
つい1週間前の2月29日、田原は鳥越俊太郎や岸井成格と記者会見して、総務大臣の高市早苗の居丈高な「停波」発言に「私たちは怒っている」という声明を発表し、「全テレビ局の全番組が抗議すべきだ」と批判した。
「田原総一朗、健在だな」と私はそれに拍手を送ったのである。 
『週刊こどもニュース』で読者を発見した池上彰 2016/4
『週刊金曜日』編『安倍政治と言論統制』(金曜日)所収の池上彰と私の対論は、「佐高さんの本を読んでいると、よく私への批判が書いてありますね」という池上の発言から始まる。
それまで面識はあったが、じっくり話したことのない私との対談を、正直言って、池上が引き受けてくれるとは思わなかった。しかし、反論したいところもあったのか、OKとなって、それはある日の午後11時から始まった。さすがに売れっ子で、予定はビッシリなのである。
たとえば私は池上を次のように批判した。
<2013年3月21日号の『週刊文春』に掲載されたジャーナリスト・池上彰の東京電力社長・廣瀬直己に対する「誌上喚問」を読んで、池上が“マスコミの寵児”となっている理由がわかった。
要するに、池上は徹底追及をしないのである。この寸止め感が一般の人に安心感を与えるのだろう。もちろん、東電社長も首までは取られないと思って、ここに出てきた。
「このインタビューは東電の宣伝広告にはなりませんよ(笑)」と池上は言っているが、結果的に『東電も精一杯がんばっていますよ」という“宣伝広告”になってしまった>
以下は拙著『タレント文化人200人斬り』(河出文庫)に譲るが、前記の対論で私は池上に、東電の社長に、なぜ原発について尋ねなかったのか、と問うた。
「答えは決まっているので」と池上は答えたが、やはり聞かなければならなかったのでは、と重ねて質すと、池上は、「廣瀬社長は火中の栗を拾うような形で社長になったわけです。そんな中でインタビューするとなると、つい『大変だな、この人』なんて思っちゃうんですよ。きっと私は弱いんでしょうね」と言ったので、私は、「そうすると、何かこっちが図々しいみたいになる(笑)」と返した。
その後も東電のお役所体質などについて触れたら、池上は、「いま、『ジャーナリストとして未熟だ』と叱られているんですね」と反省めいたことを口にしていたが、この率直さが池上人気の秘密でもあるのだろう。
あくまでもジャーナリストが本分であるとして、池上はテレビドラマに新聞記者役で出てくれと言われたのも断ったし、『徹子の部屋』や『情熱大陸』への出演も断ったという。
そんな池上が大尊敬しているのは筑紫哲也。池上のデビューの本のオビに推薦の言葉を書いてもらったし、彼にとっては殿上人のような存在らしい。
そんな筑紫を池上はこう語る。
「私からすると、『あの人は何を言っても許される』と見えるわけです。彼はジャーナリストであると同時に、『筑紫哲也のNews23』の場合は『異論!反論!OBJECTION』や『多事争論』という形で、自分の見解を伝えていました。これは何の問題もありません。そこで含蓄に富んだいろんな指摘には大変刺激を受けたし、尊敬もしていました」
池上と私の対論のタイトルは「偏らない意見って何? 今、ジャーナリストに求められるもの」だが、池上は、「偏らない意見なんてないでしょう」と言い切った。しかし、私が池上に感じている不満は、池上があまりに偏らなすぎるということである。
それについて尋ねると、「私はNHKに入ったときから徹底的にそれだけを叩き込まれました。要するに、『自分の意見を言ってはいけない』『NHKとして偏ったことを言っちゃいけない』『いろんな多様な意見を客観的に伝えていくんだ』ということです。私は評論家でもコメンテーターでもない。ジャーナリストですから、『事実を伝えるんだ』っていう形でずっと原稿を書いてきました。それがあるとき突然、『キャスターになれ』と言われたわけです。それでも、やっぱりあくまで私は『伝え手』であって、『自分の意見を言うべきでない』ということを徹底しています」と池上は告白した。
その番組が『週刊こどもニュース』である。
「NHKのニュースはわかりにくい。もっとわかりやすくしなきゃいけない」とずっと言っていたら「じゃあ、お前がやってみろ」とお鉢がまわってきた。
それで始めたら、大人、とりわけ高齢者が見るようになったのである。そこで池上は読者を発見した。
「だから、私のやってる仕事っていうのは啓蒙活動ですよ。本当に基礎の基礎の啓蒙活動をしているにすぎません。私の本や『週刊こどもニュース』で『初めて政治に興味を持ちました』という人が大勢いるんですね。『ああ、うれしいな』と思います。私はその仕事してるんだなって」と池上が自己規定したので、「それだけで満足はしてないでしょ?と」と挑発すると、「いや、誰かがやらなきゃいけない仕事ですよ」と応じた池上に、私は、「もちろん」と受けた。
すると池上は、「だから、私の仕事はそれです。社会に関心を持ったら、その後佐高さんや他のいろんな人の本を読めばいいわけです。誰かが基礎のところをやらなければいけません。他にやる人がいないから、私がやるしかないのかなって思っています」と答える。
そんな池上に私は、あえて、「でも池上さんはパレスチナ問題に情熱をかけているということは、やっぱり弱者や、無辜の民への思いがあるんでしょう。そうすると、解説からもう一歩出るべき時もあるじゃないですか」と迫った。
それに対する池上の返事は、「うーん。いやー、やっぱりそこで『私ごときが』って思うんですよ」だった。池上と私の違いは国民を信じ切れるかどうかなのかもしれない。
「苦労して判断材料ばかり提供することに虚しさはないのか?」と尋ねると、池上はこう答えた。
「材料を与えたら、国民や視聴者や読者に判断してもらえるだろうと思っています。何が正しいのかはともかく、長期的に見て、私たちのためになるような判断をきっと国民はしてくれると信じてます。短期的にはいろいろ迷ったり、変になったりするかもしれません。けれど、長期的に見れば、一人ひとりが自分で判断をし、何かを決めることこそ、民主主義の礎ですから。そのためにみなさんがニュースに関心を持ってくれることが大事だと考えています」 
なぜ、いま田中角栄がブームなのか? 2016/5
石原慎太郎が『天才』(幻冬舎)を著し、田中角栄を称揚したことに違和感を消せない。ほとんどすべての面で対極に位置していた人物だからである。
たとえば角栄は憲法改正を急ぐ必要はないと考えていたし、石原は現憲法を占領憲法と非難している。また石原は角栄の政敵の福田赴夫の派閥に属していた。この派閥の清和会が森喜朗や小泉純一郎を経て安倍晋三に受け継がれる。つまりはタカ派であり、田中や大平正芳らのハト派とは、特に中国との国交回復問題で激しく対立した。
私は『田中角栄』(中公新書)の著者、早野透と対談して『丸山眞男と田中角栄』(集英社新書)を出した。
早野は東大法学部で丸山ゼミに入っていたが、『朝日新聞』の記者になってから、丸山を囲むゼミ生の食事会に加わった時、丸山から、「田中角栄とはどういう男か?」と尋ねられたという。
「下品な俗物です」と言下に切り捨てる者もいたが、早野は「そうじゃありません。角栄は民主主義です。丸山先生の弟子ですよ」と反論したという。
「戦後民主主義の上半身は丸山がつくり、下半身は角栄が支えた」は早野の至言である。
早野は角栄を、民主主義者から更に進めて社会民主主義者とも言えると指摘しているが、石原を民主主義者とは言えない。その憲法観、ハト派とタカ派の違い、そして中国に対する態度で角栄と石原は正反対なのである。私は石原が角栄を礼讃することは角栄を侮辱するようなものだと思っている。
それは角栄が決死の覚悟で日中国交正常化のため中国を訪ねる数日前のことだった。「目白文化村」と呼ばれた東京新宿区中落合の石橋湛山邸に角栄は足を運んだ。そして玄関ホールで車椅子に乗った湛山に会う。湛山は首相辞任後も2度訪中したこの道の大先輩である。
特に2度目(1959年)は、長崎で日本の青年が中国の国旗を引きずり下ろす事件を起こした直後で、ピリピリした空気が漂っていた。湛山は後継首相の岸信介の反対を押し切って訪中し、周恩来と会って、国交回復の足がかりをつくった。
そんな湛山が、首相となって訪中しようとする角栄の話を聞き、「やっと自分の使命を果たせたと感じたようだった」と、湛山の孫の石橋省三が語っている。
1949年に中華人民共和国が誕生した。以後、自民党は画然と2つの流れに分かれた。イデオロギーを優先して、アカの中国とはつきあうな、と主張するグループと、いくらアカの国でも隣の大きい国とつきあわないわけにはいかないではないかという暮らし優先グループにである。暮らしは経済と言ってもいい。
後者のグループの象徴的政治家が角栄だった。1972年に首相となった角栄は外相の大平と共に日中国交回復をめざす。当時、反共イデオロギー優先のタカ派からのそれに対する反発はすさまじく、角栄も大平も暗殺を覚悟したほどだった。特に角栄の場合、支持者が心配して、選挙演説の時など、防衛のための大きな鉄板を用意したのである。
石原は『文藝春秋』の1974年9月号に「君 国売り給うことなかれ」を書いた。この「君」は角栄を指す。徹底的に角栄の邪魔をした石原だったが、それからわずか半年後、石原は東京都知事選に立候補することになった。それが正式決定して数日後の夕方、砂防会館の田中事務所に、「田中先生に面会したい」と初めての客が申し込んできた。
それが石原だった。石原は人目につかないようにやってきた。中曽根康弘から、「一度は角さんに挨拶に行った方がいい」と助言されたらしい。
門前払いを食わせてもいいところだが、角栄はそんなことはしなかった。
「よく来たな」と迎え、懇ろに応対して軍資金を渡した。
軍資金を渡す場合でも、田中は常々、「相手には心して渡せ。上から目線で、くれてやる、という気持ちが少しでもあれば、相手にもすぐ伝わって一銭の価値もなくなってしまう。受け取ってもらって、ありがたい。土下座する気持ちでいろ」と言っていた。
そして角栄は、帰ろうとする石原を呼びとめ、「足りなきゃあ、また、いつでも来いよ」と声をかけた。中澤雄大著『角栄のお庭番 朝賀昭』に描かれている話である。
「田中角栄って人は、世間では金権政治の権化みたいに思われてるけど、お金だけであれほど人の心をつかむことはないんですよ。お金だけで人は動かない。
角さんは、金によって人間が左右されるなんてことは1つも言ってないわけだよ。金を使ってきた人間だけど、金に使われてきた人間ではない。
角さんは金を使って自分の理想を実現させようとした。しかしいまの政治家は、ただ人を金で釣っているだけでしょう。金の奴隷なんだ。安倍(晋三)さんだって、美しい日本の国って言うけど、ただ金をばらまいたって、日本の美しい心なんていうのは取り戻すことはできませんよ」
これは参議院のドンといわれた村上正邦の『だから政治家は嫌われる』(小学館)の中の村上の発言である。
中曽根の側近だった村上は決して角栄に近かった政治家ではない。しかし、角栄の政治を“情”の政治として、次のような逸話を明かす。
佐藤栄作の長期政権の後、角栄は福田と争って首相となるわけだが、佐藤の腹心の保利茂は佐藤の意中の人が福田であることを知りながら、角栄を支持した。
それで、ある人が「あなたはどうして田中を推したのか」と尋ねると、保利はただ一言、「福田に老婆心なし」と答えた。
そして、角栄の唯一の宝物は老婆心で、政治にはこれが欠けてはならないのだ、と続けた。
その問答を聞いていた村上が、その人に「老婆心とは?」と質問すると、その人は、寒い冬に孫がコタツでうたた寝している時に、風邪を引いてはいけないと自分の羽織をかけてやる心だ、と解説してくれたという。
私は「田中角栄と石川啄木の共通点」という一文を書いたことがある。それは女の姉妹の中に男1人ということである。それが老婆心を育むことになったのかどうかは知らない。 
たくましい花 小池百合子 2016/7
「今日はどうぞいじめないでくださいね」
『サンサーラ』という雑誌の1993年3月号で対談した時、国会議員になってまもない小池はこう言った。しおらしくして見せるのである。彼女にとって、そうしたしぐさはお手のもの。もちろん、演技は自然で、テクニックであるというような風情は微塵も見せない。
小池は最初、細川護煕がつくった日本新党から出馬したが、彼女を政治の世界に引き寄せたのは『朝日新聞』のアフリカ記者として鳴らし、『朝日ジャーナル』の編集長もした伊藤正孝だった。小池はカイロ大学を出ている。そんな縁で伊藤と知り合ったが、伊藤は『朝日』の鹿児島支局で細川と一緒だった。伊藤の方が先輩である。
「細川と会ってくれないか」
トルコ風呂改称運動やエチオピア旅行、それに日本アラブ協会の再生などで、ずいぶんと世話になった伊藤に頼まれ、細川と会った小池は、そのまま、参議院議員への道を走り出すことになる。
考えあぐねて、ついに決意したことを夜更けの電話で伝えると、伊藤は、「ホッホー、そうか。やってくれるかあ。アッハーハーッ」と笑ったという。
その伊藤に小池は「製造物責任はとってくれますね」と念を押し、それから、迷った時には何度も夜中に電話をしてアドバイスを求めた。
伊藤は1995年に58歳で亡くなった。
多分、伊藤は細川と小池の“蜜月時代”しか知らずに逝ったはずである。亀裂後に相談したら、伊藤は何と言っただろうか。
「損失補填を受けた局に取材に行きました」
私は小池がテレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」のキャスターをしていた時、何度か会った。なかなかにスルドイことを言う。
証券スキャンダル発覚の渦中に、一晩でテレビ朝日、テレビ東京、そしてTBSをまわる羽目になったことがあった。彼女の番組を中座してTBSに行った。
あとでVTRを見たら、彼女は、「サタカさんは損失補填を受けた局に取材に行きました」などと言っていた。
『サンサーラ』の対談をした後に、彼女は衆議院に移ることになったわけだが、その選挙戦が始まろうとする時に、彼女の秘書から電話が来た。
「応援してもらえないか」というのである。のちに紹介する私の日本新党批判はまったく彼女に通じなかったらしい。
私はムッとしながら、同じ選挙区からは誰が立つのか尋ねてしまった。その時点では知らなかったからである。
「土井たか子さん」
「それじゃダメだ」
その前に、日本新党の彼女を応援できるか、と断ればいいのに、いつのまにか同じ選挙区からはと聞いてしまう自分の甘さに、電話を切った後で歯がみした。しかし、彼女はもちろん、秘書もなかなかにしたたかで、そこまで引っ張られてしまうのである。多分、彼女は私が隠れもなき土井シンパであることを知っていて頼んできたに違いない。
私は対談で「新しい政治家募集」という日本新党の広告を問題にした。
「闇献金を受け取らない人、堂々と嘘をつけない人、暴力団と関わりのない人、政治は力・力は数と思わない人……」など8つほどのスローガンが掲げられているが、半分に「ない」がついていて、ないないづくしではないか。そう尋ねると小池は苦笑いしながら、「そうですか?私たちは既成政治の否定から始まったので、どうしても『ない』になっちゃうんですよ……」と答えた。
「小池さん、こういうの好み?」と追及すると、彼女はとまどいつつ、「うーん。でも『政策がない』とか『やる気がない』というようなことは書いていないでしょう……」と受けたので、「いや、そこまでは言ってないよ、俺は。でも、そういうのは問わず語りと言うんだよね」と決めつけると、彼女は、「だから、『ない』の種類が違うんですよ……」と逃げた。
あれから二十余年。小池の逃げ方はもっと巧みになっただろう。
当時、小池は国会議員になって楽しいと言った。時代の変わり目、その変化を肌で感じるからだという。
「とにかくエキサイティングでクリエイティブですよ。もっとも収入が激減してヒーヒー言ってますけど」と笑った。
「そんなに激減した。今は清貧なんだ」と受けると、彼女はこう告白したのである。
「イエス。でも私は『政治改革モルモット』なんです。月々どれくらいかかるのか、みんなに知ってもらおうと思っているんです。何をして、どういうことにお金がかかって、またどういうことをもっとしたいのかを発信したい。今は政治家の自業自得というか、ギュウギュウギュウギュウしめつけばっかりでしょ?やっぱりお金がかかるところはかかります。電話代だって人を雇ったって、お金がかかるんだもの」
そんな彼女に、「どう、日本新党でいけそう?」と尋ねたら、「ええ、おもしろいと思います」と答えていたのだが、彼女はまもなく、細川と別れて、小沢一郎の側近となる。
そして、山口敏夫の息子の結婚式で、小沢と一緒に「瀬戸の花嫁」をデュエットしたのである。
♪若いと誰もが、心配するけれど
忘れられた政治家の山口も今回、都知事に立候補するのだから、縁は異なものと言うべきだろう。
細川、小沢、そして小泉純一郎と名だたる男たちの小池はブレーンとなった。側近の女と書くと別の意味になるが、その処世術には舌を巻く。もちろん、政党も渡り歩いた彼女に私は、「私はいま、どこの党かと秘書に聞き」という川柳を引いて皮肉ったこともある。しかし、ひとつの能力というか、才能ではあるだろう。
2010年春、小池は自民党の広報本部長のまま、参院選対本部の本部長代理になった。野党だった自民党の総裁は谷垣禎一。
小池は自民党らしくないもの、自民党の匂いのしないものがいいとして、キャッチコピーを「いちばん」にした。
今度、彼女は都知事選で一番になれるだろうか? 
自民党からリベラルの灯が消えた 加藤紘一の死 2016/9
2006年8月15日、山形県鶴岡市にある加藤の実家が右翼によって放火された。それを憂えて私は、新右翼と呼ばれる一水会の鈴木邦男と『創』の同年11月号で対談したが、「加藤紘一の紘一は八紘一宇から取ったんですよ」と言ったら、鈴木は驚いて、「知らなかった! そんなこと右翼の人たちは知らないんじゃないかなあ。『八紘一宇』を襲っちゃいけないよね」と応じた。
加藤と私は同郷であり、加藤の最初の後援会報は、経済誌の編集者時代に、酒田と鶴岡を中心とする庄内地方出身の在京学生が入る「荘内館」の先輩に頼まれて私が編集した。この寮には加藤の兄も在籍していた。
加藤に関わって一番困ったのは、あの「加藤の乱」の時である。未遂に終わって私も残念に思っているのに、TBS「News23」の当時のキャスター、筑紫哲也が、私のコメントを取れと指令を発し、探し出された私はマイクを向けられて、「加藤さんは早くに鶴岡を離れたが、もう少し長く日本海の寒風にさらされていたら、突っ込めたかもしれない」などと言った。胸中の悔しさを押し隠してである。
2015年6月12日、私が企画して「憲法行脚の会」は「安倍“壊憲”政治をストップする!」集会を開いた。東京は神田駿河台の連合会館に於てである。そこに登場してもらった元自民党副総裁の山崎拓は、話の結びにこう言った。
「今日はここに座っていて、大変違和感がありました(笑)。本来であれば、佐高信さんと親しい加藤紘一さんがわが党のリベラルの代表としてここにいたのではないかと思います。加藤さんがリベラル派の代表で、私が右派の代表で、ノンポリの小泉(純一郎)君(笑)とともに、YKKのトリオを組んでいました。今日は加藤さんが体調をくずして間に合いませんので、私が代わりに出てまいりました。このところ加藤さんに成り代わっている感じもあります。加藤さんは日頃、憲法9条堅持派です。私は改正派です。集団的自衛権は国民投票によるべきことであって、それを経て改正しなければならないという議論を私はしてきました。加藤さんは堅持派ですので、改正論をとっていない。それでも仲がよいものですから、お互いに気分を害することはまったくありません。そういうわけで、今日ここに私はまいりました。加藤紘一が座っていると思っていただければと思います」
保守の政治家には珍しく、加藤には市民感覚があった。自民党、社会党、新党さきがけの、いわゆる自社さ政権を、加藤は自民党の幹事長として支えたが、村山富市が首相だったあのころが一番思い出深いのか、加藤は娘の鮎子の結婚式に村山を招待した。村山の付き添い的に私も出席して、自民党からの客が少ないのに驚いたことを憶えている。
2001年の12月15日、酒田市に新設された東北公益文化大学の公開講座に、加藤は辻元清美と共に駆けつけた。その日は大雪で到着が危ぶまれたが、飛行機を列車に替え、途中からは車に乗って、ようやく開催時間に間に合ったという。
加藤の選挙区の酒田に辻元が出かけたのはNPO法案の成立で協力し合って以来、とりわけ親しくなったからだった。自民党の幹事長としてそれを成立させた加藤は、その後、NPO議員連盟を立ち上げ、自ら会長となる。
そんな加藤と私が初めて会ったのは、加藤が初当選したころで、加藤が33歳、私が27歳だった。私が勤めていた経済誌のボスが夕食代ぐらいを出していた若手の政治家や官僚の勉強会があり、加藤は田中秀征や熊谷弘、そして斎藤精一郎らと共にそのメンバーだったのである。
それで、「加藤の乱」の少し前、田中秀征と対談した時に、次期首相に加藤を推して、田中に驚かれたことがある。どちらかと言えば野党寄りの私が加藤を挙げたからだろう。
1984年に『夕刊フジ』に連載した「ドキュメント師弟」では、大平正芳と加藤を取り上げ、取材に協力してもらった。
加藤夫人の愛子は高崎の紙問屋の娘で、中曽根康弘の娘とは幼馴染みであり、中曽根は加藤の結婚式に出ている。それで、選挙に出るなら中曽根派でやれと言われたのだが、やはり、肌合いが違った。タカ派的色彩の濃い中曽根とは合わないのである。
中国問題に関心のあった加藤は、その問題で一番しっかりしていると思った大平の門を叩く。護憲のハト派という自分の立ち位置にも合ったのだろう。
そして、大平が首相になると、加藤は官房副長官として仕えた。
私が取材した時、加藤は、大平の強さで忘れられないのは、日中国交正常化を果たした田中(角栄)内閣の外務大臣として自民党総務会でタカ派(青嵐会の石原慎太郎、浜田幸一らが急先鋒)から集中砲火を浴びても屈しなかった姿だ、と言った。
「たとえ、この身は八つ裂きにされようと、私の信念は変わらない」と大平はタンカを切ったとか。
そんな話をしながら加藤は、「政策は今後とも勉強していけば、だんだん利口になっていくでしょう。選挙や国会運営の仕方も、経験を積めば、それなりにうまくなっていく。しかし、私がどうがんばっても、将来、大平さんに追いつかないだろうなと思うのは、あの強さですね」と、ちょっと不安そうな表情を見せた。
クールな優等生の加藤は、自分で何でもやれるからか、腹心をつくれないと言われた。
いつか、自民党の代議士だった白川勝彦が、加藤の関わったスキャンダルについて、すべてを打ち明けてくれれば弁護士の自分には対応策が考えられるのに、なかなか腹を割って話してくれないとこぼしていたこともある。
加藤は最期まで、自民党と公明党の連立に反対だった。その著『いま政治は何をすべきか』に加藤は「熾烈な宗教政党批判を繰り広げた自民党が公明党と連立するとは、あまりにもご都合主義ではないか」と書いている。
私は『自民党と創価学会』(集英社新書)で、自公連立こそが最大の野合だと指摘したが、保守本流の加藤にとっては、自公連立から日本の政治がおかしくなったと思っているのだろう。
安倍晋三の祖父で国権派の岸信介と対抗した民権派の石橋湛山の系譜を継いで、加藤はイラクへの自衛隊派遣に断固として反対した。
その加藤の死は、自民党からリベラルの灯が消えたことを象徴しているような気がしてならない。
カラオケが好きだった加藤は、一緒に行った時、私の目の前で南こうせつの「夢一夜」を歌っていた。 
「したたかと言われて久し」中曽根康弘 2016/12
中曽根康弘に関わって、中曽根より1歳下の伝記作家、小島直記に速達の絶交状を叩きつけられたことがある。拙著『佐高信の斬人斬書』(徳間文庫)の次の部分が小島の逆鱗に触れたのだった。
<戦争に行かなかった人や行っても悲惨な目に遭わなかった人ほどタカ派になる。「経営者の戦争体験」の取材をしていて、大和投資顧問会長の坂田真太郎の話になるほどと思った。坂田は学徒出陣で兵隊にとられ、入隊して「主計になる試験を受けたい者は前へ」と言われて、前へ出たら、下士官から猛烈な勢いで殴られた。主計というのは、つまり、経理係であり、前線に出なくてすむ。わが中曽根康弘クンは、その海軍主計少佐だった。>
これについて小島は、中曽根の弁護をするつもりはないが、自分も海軍主計大尉だったので「主計」そのものについての浅い斬り方を許せない、と激昂してきた。本来ならば、同期の戦死者に代わってあなたをブン殴るところだ、ともあった。
それに対して私は、問題の著書の別の頁の「若い人がもの知らずにアレコレ言うのを恫喝したら批評精神は死ぬ」という木下恵介の言葉を、ただ読み返すだけです、と返事を書いた。
小島がどんなに怒ろうとも、私は中曽根について「主計に逃げた」という印象を消せなかった。中曽根自身が『政治と人生』(講談社)で、海軍短期現役補修学生制度(いわゆる短現)に言及し、「陸軍に行くと一等兵から始めて上等兵の靴を磨かなくてはならないが、海軍の主計科は経理学校に入ると同時に中尉である」と書いているからである。
私は中曽根に1度だけ会ったことがある。『俳句界』の社長姜キ東(※キは王編に「其」)が、私がホストの対談に、俳句をつくる中曽根に出てもらえないかと言って来て、中曽根の側近をもって任じる村上正邦に紹介を頼んだ。数年前のことである。
だったら、中曽根が講演する明治記念館に来い、と言われ、指定された時間に出かけた。控え室での中曽根は黒ずくめの男たちに囲まれていた。私が入って行くと、彼らがみんな、場違いな奴が来たな、と硬い雰囲気で迎える。その時、村上が大きい声で「ああ、サタカさん、サタカさんは左だけどいい人だ」と叫んだ。
それで少しは場の空気もなごんだが、中曽根に紹介され、返事はあとで、と言われる。
結局、秘書から断りの電話が来たのだが、それまで、かなり激しく中曽根批判をしていただけに致し方ないだろう、と思った。
そう伝えると村上は、「何だ、中曽根も料簡が狭いな」と笑っていた。
中曽根の俳句は「まったくの自己流」である。東大法学部に入って「六法全書ばかり見ていると人間は水分がなくなる。水分を埋めるには俳句がいい」と思って句作を始める。水原秋桜子や中村草田男の句集は読んでいた。
○したたかと言われて久し栗をむく
○くれてなお命の限り蝉しぐれ
○眠り落つ妻の寝息や秋深し
こういった句を作った中曽根はまた、フランス語で『パンセ』を読んだ。
早野透の『政治家の本棚』(朝日新聞社)によれば、その一節をサミットで披露したら、フランスの大統領ミッテランが驚いたという。
中世のフランス語で書かれているから難しいのだが、中曽根は苦労して『パンセ』を3分の1ぐらい訳したとか。
中曽根は改憲派の総大将だが、1歳下で護憲派の宮澤喜一と『改憲vs護憲』(朝日文庫)の「憲法大論争」をしたことがある。企画したのは今春亡くなった元『朝日新聞』主筆の若宮啓文で、その若宮がいきなり秘話を明かして中曽根に迫った。
「これはあまり知られてないのですが、中曽根さんは改憲論を鮮明に打ち出す前の1949年の衆院本会議で、吉田(茂)首相を相手に『絶対平和主義と中立堅持は8千万民族の決意だ』と憲法擁護の演説をしたことがありますね」
中曽根はこう答える。
「それは、その通りなんですね。というのは、マッカーサーの占領中、朝鮮戦争が勃発する前、私は野党の民主党にいて、中立、中道、中産階級という三中主義を唱えたことがあります。当時、マッカーサーが『東洋のスイスになれ』なんて言ったときで、なにも占領下、アメリカの言うままに動く必要はない。我々は我々の自主性を持って中立でいるんだという意味で、占領政策に抵抗する意味もあって中立堅持の演説をし、同時に中産、中道ということも言ったんです」
しかし、朝鮮戦争が始まって、日本はアメリカに警察予備隊をつくらされ、アメリカから武器をもらって外国からの侵略に抵抗することになった。それで中曽根は「外国の侵略に対抗するものは防衛力であって、警察ではない。こういう欺瞞は許さん。できるだけ早期に、自分で自分の国を守る体制を正式につくり、早く米軍を撤退させて、独立を回復しよう」と主張するようになったという。
それにしても、一時的にせよ、中曽根が絶対平和の憲法を擁護する演説をしたことがあるというのは興味深い。若宮は「対談を終えて」で、宮澤が傾倒した石橋湛山を「平和憲法を高く評価し、冷戦初期の一時期を除いて、護憲の立場を鮮明にし続けた政治家」と規定しているが、中曽根は若き日に、自民党の総裁選挙で、岸信介ではなく湛山に投票したとも証言している。岸は戦争に責任のあった人であり、「我々はあの人たちの命令で戦争に駆り出されて、第一線で命がけで働いてきたんで、その責任を不問に付すことはできない」と精神的に葛藤していた。
「その後遺症で、岸さんが自民党の総裁になるときに、私の属していた河野(一郎)派は全部岸さんに入れたんだけれども、私は1人だけ対立候補の石橋湛山に入れた。そうやって心の葛藤を晴らしたのですね」
中曽根は田中角栄と同じ年である。最近、ロッキード事件は民間機疑惑の田中が本筋ではなく、軍用機疑惑の児玉と深い関わりを持つ中曽根が“主役”だったという証言がいろいろ出ている。田中は「キッシンジャーにやられた」と言ったらしいが、田中を嫌ったキッシンジャーは中曽根のことは気に入っていた。早野透と松田喬和という2人の元番記者が語った『田中角栄と中曽根康弘』(毎日新聞出版)がそのコントラストを浮かび上がらせている。
国家第一の中曽根は「市民」を嫌う。
「市民というのは、反権力のイデオロギー的虚像だ。パリコミューンの反逆の議論ですね。民衆蜂起というような」
こう語る中曽根は「私や自民党は庶民だ。地についたものは庶民だ。市民じゃないの、庶民なんです」と言い、こう結ぶ。
「私の根底にあるのは庶民なんです。市民ではない。江戸の庶民なんです」 
 
評論 2017

 

黴菌恐怖症の新大統領ドナルド・トランプ 2017/1
やはりトランプは引いてはいけないジョーカーだった。
メキシコへの工場建設をめぐって、GMやトヨタを名指しで批判するトランプに右往左往する企業のトップを見ながら、私は1人の傑出した経営者を思い出していた。倉敷レイヨン(現クラレ)の社長だった大原総一郎である。背景や事情が違うとはいえ、大原には次のような反骨精神があった。
1963年ごろ、まだ国交を回復していなかった中国向けのビニロン・プラント輸出で、大原は多くの反対や右翼のいやがらせを受けた。
しかし、彼は自分の考えを曲げず、1年半にわたる粘り強い説得工作によって、時の首相の池田勇人や、ワンマン吉田茂、それに実力者の佐藤栄作などを説き伏せ、このプラント輸出を認可させる。
共産主義の中国に対する警戒感もあって、アメリカや台湾の反対は猛烈だった。
この時の思いを、大原はこう述べている。
「私は会社に対する責任と立場を重くすべきだと思うが、同時に私の理想にも忠実でありたい。私は幾何(いくばく)かの利益のために私の思想を売る意思は持っていない」
これは、対中プラント輸出を思いとどまれば、アメリカや台湾から商談がくる。その方がずっといいではないかと、彼を翻意させようとする財界人に対する答でもあった。
大原の根底には、中国に対する戦争責任があったのである。
企業の社会性を考えていた大原とは対照的に、トランプには社会的責任といった観念はまったくと言っていいほど、ない。
『トランプ自伝』(相原真理子訳、ちくま文庫)で、こう言っている。
「差押え不動産を購入するため、外部投資家の資金による基金を設立することは、結局やめにした。自分がリスクを負うのはかまわないが、大勢の人の資金に対して責任をもつのは気が進まない。投資家の中には必ず友人も何人か含まれることになるので、なおさらだ。同じ理由で、自分の会社を上場しようと考えたことは一度もない。自分に対してだけ責任をとればいいという立場にいたほうが、意思決定をするのがずっと楽だ」
この自伝は、取引、つまりカネ以外のことはほとんど出てこないので、読み通すには忍耐を要する。
ようやくカネ儲け以外の小説のことが出てきたと思ったら、ベストセラー作家のジュディス・クランツの『愛と哀しみのマンハッタン』という作品の話で、「私も登場人物の一人」だからだった。
先ごろの記者会見で、気に入らない質問には答えないという姿勢を示したマスコミについては、1987年刊のこの自伝で「私はマスコミに登場するのが好きだと世間からは思われているが、実はそうではない。もう何度となく同じ質問をされているし、自分の個人生活について話すのは苦手なのだ。しかしマスコミにとりあげられることが取引の際に役立つことがわかっているので、取引について話すのはかまわない」と言っている。
『トランプ自伝』を読んでいて、私はリクルートの創業者、江副浩正を連想した。企業に批判的な情報を含まない広告と、それを含む情報の違いがわからない江副と私はインタービューの際に論争したが、トランプも批判には拒否反応を示す。
『自伝』の中でトランプは「なるべく早く帰るよ、とドニー(当時9歳の息子)に言ったが、彼は時間を教えてと言い張る。どうもこの子は私の性格を受けついでいるらしい。ノーという答は絶対に受けつけないのだ」と当惑気味に洩らしている。
しかし、トランプは大統領になっても、批判や気に食わない意見には「ノー」と言い続けるのだろう。
なぜかと考えていて、彼が黴菌(ばいきん)恐怖症であることを知って、なるほどと思った。
佐藤伸行の『ドナルド・トランプ』(文春新書)によれば、彼はその強迫神経症を「政敵の流したデマだ」と否定したことがあるが、実は『金のつくり方は億万長者に聞け!』(扶桑社)という自らの著書で告白しているという。
黴菌に対する不安から、トランプは人と握手するのを厭がり、渋々した後で、こっそりその手を何かで拭ったりするとか。
そして、前掲書で、こう打ち明けているのである。
「握手というのは恐ろしい習慣だ。よくあることだが、ひどい風邪かインフルエンザか、病気にかかっている人がやって来て、『やあトランプさん、握手したいんですが』と言ったりする。そうやって黴菌が広がっていくのは医学の常識じゃないか。握手じゃなくてお辞儀で済ませる日本の習慣がうらやましい」
日本にはたいてい悪口を言うのに、この時だけは日本を羨ましがっている。それほど黴菌が怖いのだと指摘した上で、佐藤はトランプをアドルフ・ヒトラーになぞらえる。
実際、トランプは選挙集会で支持者に右手を挙げさせ、ヒトラー式敬礼を促したような場面もあったという。
トランプにとって批判や敵対者は“黴菌”なのだろう。それほどに恐怖の対象であり、「ノー」と言い続けなければならない存在なのだ。
たとえば、オバマに対する攻撃などは偏執的だった。その出生疑惑と彼がムスリムであるというデマをしつこく流したのである。出生証明書に宗教を記載する欄などないのだが、トランプは「オバマの出生証明書の宗教欄にはイスラムと書かれているかもしれない」とも言ったりした。
こうした例を挙げた上で佐藤は、ヒトラーも黴菌恐怖症だったという説があるとし、セバスチャン・ハフナーの『ヒトラーとは何か』(赤羽龍夫訳、草思社)の次の一節を引く。
「ヒトラーにあっては、彼の性格、彼の個人的本質の発展とか成熟ということが全然みられないのである。彼の性格は早くから固定してしまった。より適切にいえば、とまってしまった、ということなのだろう。そして驚くべきことに、ずっとそのままで、何かがつけ加わるということはないのだ」
これはトランプも同じであり、ハフナーはヒトラーを「自己批判能力が完全に欠如している」と断定して、さらにこう続ける。
「ヒトラーはその全生涯を通じてまったく異常なまでに自分にのぼせ上り、そもそもの初めから最後の日まで自己を過大評価する傾向があった。(中略)ヒトラーはヒトラー崇拝の対象だっただけでなく、彼自身がその最も初期からの、そして最後までつづいた、最も熱烈な崇拝者だった」
佐藤はヒトラーをトランプに置き換えても違和感はないとしているが、超大国アメリカに「ナルシスト政権」が誕生してしまった。 
痛覚なき石原慎太郎の“無意識過剰” 2017/3
3月3日の石原慎太郎の記者会見を見ていて、石原について評論家の江藤淳が言った「無意識過剰」は当たり過ぎるほどに当たっているなと思った。都知事だった自分の責任とかはほとんど意識にのぼらないのである。「みんなで決めた、みんなで決めた」と言うなら、都知事は要らないのではないか。
一橋大学では先輩で、文壇では後輩の城山三郎が、私が石原と対談したと言ったら、「すれてないだろう」と石原を評した。
確かに威嚇したりする感じではない。
石原とは『週刊金曜日』の2000年7月7日号で対談したのだが、大体、石原の思想とは対極の同誌に出てくるところが「すれてない」証しだろう。石原の「三国人」発言を問題視する「石原やめろネットワーク」の共同代表だった私は、都庁の一室で石原と向かい合った。石原は私に、「今日は何ですか。あなたは何の評論家なの。専門は経済?社会一般?」と尋ね、私が、「政治経済です。今日は私が聞くんですよ(笑)」と遮らなければならなかった。
好奇心旺盛なのである。
「月刊誌『正論』のなかで石原さんは、日本民族は厳密に言えば単一民族ではないかもしれないと言っていますが」と切り出すと、石原は、「日本は非常にアメリカに近い国です」と答える。それで、「戦争中、穂積八束とか井上哲次郎などの当時としては今の石原さんみたいな立場、いわゆるタカ派に括られる人たちが、むしろ混合民族説を強硬に主張していたわけです」と続けると、石原は、「八紘一宇、大東亜戦争の正当化のために?」と聞き返す。
知らなかったわけだが、それを素直に出す石原に、私は拍子抜けしてしまった。たたらを踏んだ感じになったのである。そこから論争を始めようと思っていたのに、肩透かしを食って、激しく詰め寄ることができなかった。そのため、『週刊金曜日』の過激な読者から私が責められることになってしまった。
この時、石原は田中角栄について、「角栄には言葉も戦略もあったけど欲があった人ですな。やっぱり金権で日本を駄目にしたのはあの人ですよ」と言っていたが、およそ15年で180度評価を変え、『天才』などと持ち上げることになる。
「無意識過剰」の石原の次の発言も引いておこう。
「結局僕は国のためにずいぶん尽くしたつもりだったけど、国が僕を袖にしたなという感じでね。いつも報いられずにね。だから僕は『国家なる幻影』という長いアンチメモワールを書いたときに最後の章だけ、『ふり向いてくれ、愛しきものよ』って、チャンドラーとかハメットみたいな題を付けたんだよ。それが実感だったですね。それで4年たって都知事選があったときに、東京都は国家を表象して、いいところ、悪いところが東京のなかに先鋭的に出るでしょう。これを1つのとっかかりにすると国が動くかもしれないと思って今やってますけどね」
これに対して私が、「国家というのも永遠の幻影みたいなものなんじゃないですか」と皮肉を言っても、石原は「それはそうかもしれないね」と頷くばかり。
これが三島由紀夫なら、猛烈に反駁してきただろう。
三島とは1970年秋のこんな遣り取りがある。
矢崎泰久著『情況のなかへ』(現代教養文庫)によれば、『話の特集」の編集長だった矢崎に石原が、「三島さんと近く『毎日新聞』で公開書簡を交換する。そのあと『話の特集』で彼と対談してみたい」と言ってきた。しかし、その後読んでみると、論点が離れていて、論争にはなっていない。それでも、2人の対談はしばらくやられていなかったし、論点をしぼればおもしろいと思ったので、三島に電話すると、こんな答が返ってきた。
「ぼくは、いやしくも文学者です。政治屋に堕落した人間とは口もききたくないという心境です。石原君が文学者として話したいというなら、多少の余地はあるかも知れないけれど、新聞を読んだ限りでは、もう彼は別世界の人間だ。接点がない以上、この対談は無意味ですよ。文学者のぼくが、石原君との同席に耐えられません」
評価を変えて田中角栄を礼讃した石原が、創価学会の池田大作に一杯食わされたことがあると『国家なる幻影』(文藝春秋)で告白している。
石原が参議院議員に当選した時、すでに『巷の神々』で知遇のあった池田からお祝いをしたいという招きがあって、柳橋の料亭『稲垣』に出かけた。
その席で同世代の矢野絢也(公明党書記長=当時)らを紹介され、池田は、「これからは君たちのような若い人たちの時代だから」と大いに持ち上げてくれた。
ところが、その後、池田は学会員の経済人が集まる「社長会」に行き、遅参の言いわけのつもりか、こう言ったというのである。
「いや今まで石原慎太郎が当選したんで一席持ってやったが、石原とか今東光とか、あんな奴らが国会に出てくるようじゃ日本も終わりだな」
『国家なる幻影』には細川護煕評も出てくる。細川内閣の官房長官の武村正義が、細川という人物がわからなくなって、「つまり、どんな人間なんでしょうね」と石原に尋ねた。石原は即座に、「ああ、あれは魚だよ」と答えたという。その意味はこうだった。
「魚というのはな、痛覚がないんだ。釣り上げて真っ二つに切り裂いても、骨を抜いても、血は流れていかにも無残そうに見えるが、彼等は一向に痛くはないんだよ。それと同じだよ。あの男には痛覚が全くない。つまり人間としての相手に対する謝意がないのだ。感謝でも陳謝でも、とにかく謝意というものを一切持ち合わせない人間なんだよ」
他人のことはよく見えるということだろうか。いま私には、責任意識のない石原が細川と重なって見える。
石原と親しい亀井静香が面と向かって、「あなたの小説は、強者の論理で貫かれているから共感を呼ばないんだ」と言ったというが、知己の言だろう。 
男をドキッとさせる4日違いの姉さん、落合恵子 2017/3
あの日は、小さいながら断乎として護憲の旗を掲げ続ける社民党に対する弾圧があまりにひどいではないかという記者会見をしていた。当時まだ社民党にいた辻元清美だけを秘書給与問題で逮捕したことに抗議してである。
大橋巨泉、私、そして三木武夫元首相の妻・三木睦子と並んでいて、少し遅れてやって来た落合恵子が三木の隣にすわるなり、小声で囁いた。
「生前、父が三木(武夫)先生に大変お世話になりまして……」
すると、それを包み込むように、「すべて承知しております」と三木が遮った。
婚外子として生まれた落合が父のことは語りたくないのに、やはり、ここはと切り出した言葉を、それ以上言わなくていいと、スッと引き取った三木を「さすが」と思うと同時に、『あなたの庭では遊ばない』という小説まで書いている落合が、あえてそう言った胸の裡を思って、私は「ウーン」と唸った。
しかも、その遣り取りは私にしか聞こえていないのである。落合には叱られるかもしれないが、世代の違う2人の名優の真剣勝負を見たような気持ちで、私は記者会見の本題に頭が戻るのに、しばらく時間がかかった。
三木睦子は、夫より彼女を総理にした方がよかったのではないかといわれた傑物、もしくは傑女である。私も大好きな女性だったが、あるいは落合がその後を継ぐことになるのかもしれない。同じ敗戦の年の生まれで、4日だけ姉さんの彼女とは、護憲、反原発等の市民運動を共に進め、『週刊金曜日』の編集委員も一緒にやっている。
ある時、私は講演に行って、「落合恵子は男を泣かせるワルイ女です」と話し始めた。
その前に落合が講演をし、いのちいっぱいに生きる女のひとの手紙を紹介しながらの話に、思わず熱いものを眼にあふれさせてしまったからである。
落合はまた、「男をドキッとさせる女」でもある。知り合って25年ほどになるが、その間、私は何度、彼女にドキリとさせられたかわからない。
たとえば、私が解説を担当した落合の作品集『恋人たち』(講談社文庫)の「オールド・ファッションド・ラブソング」で、70歳の楠見洋之輔は、亡妻である綾子の、あなたのおかげで私はひとり遊びという遊びを覚えたという声を聞く。
――あなたのいない時間を待ち時間にしないためです。
こう言われて、洋之輔は答えられない。
――男のひとって、群れて遊ぶのが好きでしょう?
そう突っ込まれて、ようやく、
――そうかな。そうとも言い切れないんじゃないか。それは、ひとにもよるだろう。
と返したが、軽く、また、
――でも、大方は群れて遊んでいるわ。麻雀だってゴルフだって。ひとり旅が得意なのも、どちらかというと、女のひとですよ。
と叩き込まれる。
男が群れて遊んでいる間に、女は自分と向かい合い、深いひとり遊びをしているという言葉には、ゴルフも麻雀もやらない私も、黙って頷くしかない。
「ひとり遊び」の極北に位置しているように見える俳人の尾崎放哉でさえも甘い、と言われた時は、ドキリを通りこして、口も利けないほどのショックを受けた。
『週刊金曜日』1996年3月22日号の座談会「俳句という表現法」で、私が“流浪の俳人”放哉に触れると、落合はこう指摘したのである。
「放哉に何を重ねるかも一人ひとり違いますが、私は放哉の句には帰るところを作らない覚悟のすごさがあるように思います。が、一方それは、あの時代、多くは男だから許容された放浪とも言えるでしょう」
それに対して「ノラともならず教師妻」の杉田久女は違う。
「つまり、放哉は妻を捨てても、仕事を捨てても許されているんです」
落合の言葉に私は黙るしかなかった。
「男はロマンを求めて荒野に出ると言いますが、女は荒野に出る前に、大方、芽を摘まれたり、潰されたり、切り捨てられる場合が多い。もちろんブレーキをかけてしまう自分もいるのかもしれないけど、荒野に出たくても出ていけない状況がある。男性の場合は、反逆しても、最終的にはその反逆もすばらしいと公認されるんです。女性の場合、反逆したら、最後まで全否定されがちですね」
こうした状況を少しでも変えようと、落合は東奔西走しているのだが、しかし、彼女は「正しいだけ」のひとではない。
そのシンボルがタバコで、もちろんそれが身体によくないとわかっていながら、チェーンスモーキングしている。
落合と私は『岡部伊都子集』(全5巻、岩波書店)を共同して編んだが、岡部というひとは、自らの身をけずって燃えるローソクのようなひとだ、と落合は言った。
しかし、彼女自身が自らの火で周囲を明るくしているのである。その火の熱さを私は、ハラハラする思いで見ている。
とはいえ、たまたま同じ年の同じ月生まれの私を彼女は逆に「ハラハラする思い」で見ているのだろう。何せ彼女は、たった4日でも「姉さん」であるからだ。
「俳句という表現法」に続いて同年6月21日号掲載の『週刊金曜日』でやった座談会「短歌という表現法」でも、私の知らない世界を示されて、私は沈黙するしかなかった。
落合は道浦母都子の「囚われのわれにも巡り来る生理 女なること果てしなく忌む」を挙げ、自分もデモに行って突然生理になった時のことをこう語っている。
「一緒にスクラムを組んでいる男と向こう側にいる機動隊は同じ男なんだ」
そのことが大きな実感として迫って来て、自分はこうした場合、やはり、女のひとにしかSOSを発せないと感じたという。
「今だれしも俯くひとりひとりなれ われらがわれに変りゆく秋(とき)」という道浦の歌も好きな歌として落合は挙げている。
2007年暮に落合は親友を亡くした。「きついところのある人で、強い人で、でも、すごくピュアな女性だった」という。その彼女がいつか電話で落合に言った。
「現代のエリートって、わたしはこう思うのよ。学歴とか、そんなんじゃなくて、闘い続けられる人のことなのよ。同時にミッションを捨てないでいられる人なのよ。そういうエリートになっていこうよ」
私との共著『朝焼けを生きる』(七つ森書館)で落合はこのエピソードを披露し、「かつ、揺れる自分も持っていないと」と結んでいる。 
 

 

 
 
コメンテーター

 

 
筑紫哲也
(1935 - 2008) 日本のジャーナリスト、ニュースキャスター。朝日新聞社記者、朝日ジャーナル編集長、TBSテレビ『筑紫哲也 NEWS23』メインキャスター、早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授(専任扱い)、立命館大学客員教授、市民団体・自由の森大学「学長」などを歴任した。また、雑誌『週刊金曜日』編集委員、『潮賞』(雑誌『潮』)「ノンフィクション部門」選考委員も務めていた。
1935年(昭和10年)、大分県日田市生まれ。静岡県立沼津東高等学校および東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
大学在学中はグリークラブに所属していた。卒業後は朝日新聞社に入社、政治部記者、琉球(現在の沖縄県)特派員、ワシントン特派員、外報部次長、編集委員などを歴任した。政治部時代には当時内閣総理大臣の三木武夫の番記者を務め、自民党ハト派との人脈と親交を広げた。入社同期に轡田隆史がいる。
朝日新聞外報部デスクとして『さて今週は、閑話・徹子と記者クラブ』(1977年(昭和52年)11月6日放送)にゲスト出演した後、1978年(昭和53年)4月から1982年(昭和57年)9月までテレビ朝日『日曜夕刊!こちらデスク』のメインキャスターを務めた。同時期、朝日新聞社のCMで『日曜夕刊!こちらデスク』のパロディ番組『夕刊タモリ!こちらデス』(現在の『タモリ倶楽部』の前身)の司会者だったタモリと共演した。
司会者を務めていた頃、“宇宙人と交信しました”というニュースを伝えた。伝えた日は1979年(昭和54年)4月1日だった。エイプリルフールのジョークとして伝え、すぐに「ウソです」と言ったが、直後に抗議の電話が殺到し、生放送中に抗議の電話に応対する事態となった。この件については後に新聞(スポーツニッポン1979年(昭和54年)4月3日付け)で取り上げられた。
1984年(昭和59年)から1987年(昭和62年)まで、雑誌『朝日ジャーナル』の編集長を務めた。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」の連載で、当時の若者のリーダーたちにインタビューし、対談を通じて時代の気分を探ろう・表し出そうと試みた。この連載などで新人類なる言葉は世に広がった。シリーズ「日常からの疑問 こんなものいらない」の代表記事は『現代無用物事典』および『こんなものいらない事典』(いずれも新潮社)として出版され、話題を呼んだ。1984年4月からTBSラジオで筑紫哲也ニュース・ジョッキーのパーソナリティを務める。
ニューヨーク勤務の1989年(平成元年)夏、再度TBSからの打診を受け朝日新聞社を退社。同年10月に『筑紫哲也 NEWS23』を開始することとなる。
『筑紫哲也 NEWS23』キャスターとして
1989年(平成元年)10月から、TBSのニュース番組『筑紫哲也 NEWS23』(現・NEWS23)のメインキャスターを務める。評論(特にコラムコーナー「多事争論」)が人気を集める。ウォルター・クロンカイトを尊敬しており、クロンカイトに倣って『NEWS23』のエンディングでは決め台詞「―では、今日はこんなところです。」を使用していた。
彼のジャーナリストとしての社会的な発言には、毀誉褒貶・賛否両論あったが、ニュースキャスターとしての手腕はこの番組で確実となり、以降は『ニュースステーション』のキャスター・久米宏と並び民放ニュースキャスターの顔として広く認知された。久米宏とは平日夜のニュース番組の視聴率を激しく争ったが「広島東洋カープのファン」という共通点があったため、日刊スポーツの企画で1991年(平成3年)の西武ライオンズとの日本シリーズを仲良く観戦している。久米は「筑紫さんは戦争の歴史を刻んだ沖縄と広島に心を寄せ、地方球団、市民球団のカープを愛していました。筑紫さんは、"反中央"、"反権力"という自分の性格をカープに重ねたのではないか」と述べている。
1993年(平成5年)、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとしての業績に対して、第30回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞。
1995年(平成7年)のいわゆる「TBSビデオ問題」(TBSのワイドショー『3時にあいましょう』のスタッフがオウム真理教幹部に坂本堤へのインタビュー映像を事前に視聴させた事実が発覚。坂本堤弁護士一家殺害事件の一因であるとして、TBSへの非難が集中した)では、『筑紫哲也NEWS23』でTBSの対応に疑問を呈し続けた。当時のTBS社長・磯崎洋三が過ちを認めた1996年(平成8年)3月25日の記者会見の後、その日の「多事争論」にて『TBSは今日、死んだに等しいと思います』と発言し、TBSを批判した。
1998年(平成10年)11月19日には、訪日したビル・クリントンアメリカ大統領をTBSの『筑紫哲也NEWS23』に招いてタウンホールミーティング風のインタビューとディスカッションを行った。
2003年(平成15年)4月10日に福岡ドームで井上陽水・武田鉄矢らが中心となって開催されたコンサート「ドリームライブ in 福岡ドーム」のオープニングで「多事争論」の収録を行った。
国会議員の年金未納問題を批判していたが、2004年(平成16年)5月13日放送分の『NEWS23』で、自身の年金未納が発覚(1989年から92年6月までの2年11か月)を謝罪し、翌日から一時期番組の出演を見合わせた。
2005年(平成17年)9月11日、TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、メインアンカーとして参加し、元『ニュースステーション』の久米宏とは14年ぶりの共演となった。「乱!総選挙2005」の視聴率は、民放で第1位だった。
晩年
2007年(平成19年)5月14日放送の『NEWS23』で初期の肺癌であることを告白、治療に専念するため『NEWS23』への出演を一時休業した。同年10月8日には休業後初めて番組に復帰。以降はスペシャルアンカーとして数ヶ月おきに番組へ出演。最晩年には出演時にニット帽をかぶるようになった。
2008年(平成20年)に「テレビジャーナリズムの確立に多大の貢献をした」として日本記者クラブ賞を受賞。
2008年(平成20年)11月7日午後、肺癌のため東京都内の病院で死去した。享年74(満73歳没)。真裏の報道番組同士のライバル関係にあった久米宏、古舘伊知郎らが自らの番組でその死を悼んだほか、追悼特別番組が放送されるなどその死は大きく報じられた。法名は無量院釋哲也。2008年(平成20年)12月19日、東京都内のホテルで別れの会が行われた。
没後
死去後の遺産相続の際に7000万円の申告漏れを東京国税局から指摘され、そのうちの海外口座の4000万円は意図的な資産隠しを行ったとされ重加算税を含む約1700万円の追徴課税となった。
2013年1月、BS-TBSにおいて、ドキュメンタリー『筑紫哲也 明日への伝言〜「残日録」をたどる旅』が放映されることとなった。
評価
リベラル派文化人の代表的存在だが、報道姿勢について賛否が分かれることも多かった。その一方で野村秋介と親交があり、それを阿川佐和子に驚かれたことがあるように、保守的姿勢の人物に対しても許容している側面があり、これ以外にも筑紫と親交の深かった保守系の政治家やジャーナリストも多く、筑紫の葬儀には保守派の大物議員や有名ジャーナリストの参列も見られた。元内閣総理大臣小泉純一郎はイラク戦争でアメリカを支持していたので対極の立場にあったが、上杉隆によれば、プライベートでは首相官邸に小泉を訪ね、オペラ談義に花を咲かせることもあったのだという。また、過去の行き過ぎた言動や報道姿勢を反省する側面もみられていた。
鳥越俊太郎、堺屋太一、田原総一朗、立花隆らはオピニオンリーダー、ジャーナリストとしての筑紫を高く評価している。
大田昌秀(元沖縄県知事)は朝日新聞記者の時代から沖縄問題を積極的に報道し続け、『NEWS23』の番組内でも何度も在日米軍基地問題を取り上げた筑紫の死に際して「沖縄にとってかけがえのない恩人を失い、大きなショックを受けている」とコメントを発表した。
『NEWS23』でサブキャスターを務めた草野満代は「テレビの世界では、ドキュメンタリー番組をコンスタントに作り続けることが難しい状況が続いています。でも『NEWS23』ではよく、20分くらいのドキュメンタリーを入れこみました。ほかのニュースをカットしてでも、ドキュメンタリーを伝える場を守り続けたのが筑紫さんです」と評している。
井上陽水は「日曜夕刊!こちらデスク」で自身の楽曲「傘がない」の歌詞の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」を取り上げた回を視聴し「ジャーナリズムに身を置きながら、ジャーナリズムを突き放して見ることができる。ある意味で、ユーモアがわかる人なんだ」と感じたことを話している。それもあって同番組の最終回に出演し、「傘がない」を含んだ3曲を歌唱した。その後も井上は「NEWS23」に楽曲提供をしたり、筑紫と麻雀をするなど、親交を深めていった。なお、筑紫と井上には政治や家庭などの立ち入った話はしないという暗黙の了解があった。井上は「筑紫さんの功績のひとつは、ユーモアの大切さを意識されていたことだと思います。この真面目な国では、深刻そうに語ることが求められて、ちょっとした笑いや諧謔(がいぎゃく)も『不真面目だ』とか言って、許されないところがありますから。ユーモアを口にしたり受け止めたりするには、余裕がないとできません。番組では、『なかなか面白い冗談を言うな』という感じではかならずしもなかったのですが、ユーモアがもつ可能性に注目していた、という意味で特別だったと思います」「政治家なんかにしてもね、筑紫さんならということで出演した方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。鷹揚で優しいからなのか、どんなものでもまずは肯定しようとするスタンスがあったようにも思います」「筑紫さんは『観察者』だったと思います。へたに才能があると『演者』になろうとして、観察者にはなれない。自分が演じるのではなく、演じている誰かを見たり、世の中に紹介したりするという意味で、観察者のプロだったといえるのかもしれません」と評している。
自己のスタンス
田勢康弘によると、筑紫は「少数派であること、批判されることを恐れずに、多様な意見や立場を登場させることで、社会に自由な風気を保つこと」を自身の報道姿勢としていた。2008年、筑紫が病床から『NEWS23』スタッフへ向けて送った手紙にこの考えが表されている。
「近ごろ「論」が浅くなっていると思いませんか。その良し悪し、是非、正しいか違っているかを問う前に。ひとつの「論」の専制が起きる時、失なわれるのは自由の気風。そうならないために、もっと「論」を愉しみませんか。 2008年夏 筑紫哲也 」
田原総一朗から「右翼から諸悪の根源だとこてんぱんにいわれてますね」と冷やかされた際に「それを名誉に思わなければいけません」と答えるなど、自己のスタンスを貫いた。 
 
羽鳥慎一

 

日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。埼玉県上尾市出身。元日本テレビアナウンサー。現:株式会社TakeOFF所属。身長182cm。愛称は福澤朗命名によるバード。
小学生の時、神奈川県横浜市に転居。 
横浜市立境木中学校、神奈川県立横浜平沼高等学校時代は野球部所属(中学はセカンド、高校ではアンダースローの投手、2年まではオーバースロー)。後に2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得する鈴木尚典(当時横浜高校)と対戦し、2打席連続三振を奪ったことがある(『ズームイン!!SUPER』に鈴木がゲスト出演した際に、三振を奪った場面の貴重な映像が流された)。エースとして夏の神奈川大会5回戦まで進出した実績がある。
一浪を経て早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。
日本テレビへ1994年4月に入社。志望動機は野球の実況をしたかったためで、第一志望の放送局が日本テレビであった。なお、同年フジテレビに入社したのは、同じ早稲田大学の佐野瑞樹であり、佐野とはフリー転身後にフジテレビ『ボクらの時代』(2015年2月8日放送)で共演を果たしている。
入社後は『ズームイン!!サタデー』(以下『ズムサタ』)、『ズームイン!!SUPER』(以下『ズームイン!!』)の司会やプロ野球中継の実況、NNN24の朝のニュース枠『モーニングライブ』のキャスター(平日担当)、『ものまねバトル』の総合司会などを担当する。
2009年に第30回NNSアナウンス大賞テレビ部門大賞受賞。
2009年12月31日放送のNHK『第60回NHK紅白歌合戦』にFUNKY MONKEY BABYS(後述)の応援でゲスト出演。この出演について、上司から「裏でダウンタウン(『ダウンタウンのガキの使い大晦日年越しSP!!絶対に笑ってはいけないホテルマン24時』)が頑張ってるけどしっかりね」と言われたことやノーギャラ出演だったことを明かしている。
2011年3月31日を以って日本テレビを退社。その後はフリーとなる。当初、フリーになることは考えていなかったという。2011年1月27日の退社表明会見では、「40という人生の節目に、自分の可能性を試してみようと思い決断しました。柔軟に、体力もあって、いろいろ動けるうちに挑戦してみようという思いがあります」とコメントした。新人時代から番組に関わっており思い入れが強かった『ズームイン!!』の終了が決まったことも退社の理由の1つだったという。その後、『情報満載ライブショー モーニングバード』の司会に就任することが決定。退職直後の起用は放送界の慣例を覆す異例の登板であると報道されたが、テレビ朝日社長の早河洋は会見で「日本テレビの氏家齊一郎会長(当時)をはじめ、関係者の寛大なご判断があった。大変感謝しています」と日本テレビの理解が得られたためと述べた。当初、このオファーに本人も迷ったが『ズームイン』のスタッフに励まされ、受けることを決めた。また、羽鳥のこの離れ業でフリー転身後の身でも他局からの仕事を請けやすくなったという向きもある。
フリー転身後は『情報満載ライブショー モーニングバード!』→『モーニングバード』→『モーニングショー』、『未来シアター』の司会などを務めている。局アナ時代から担当していた『人生が変わる1分間の深イイ話』、『ぐるぐるナインティナイン』にもフリーの立場で出演継続している。これ以外にも『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』など古巣・日本テレビの特別番組に多く起用されており、2011年10月からは『1番ソングSHOW』にも起用された。羽鳥の重要な番組での相次ぐ起用に日本テレビ内から不満の声もあるが、女性アナウンサーの流失や器用な男性アナウンサーが育成できていないため、やむを得ず羽鳥が起用されているとの報道がある。
an・an調査による2006年度「好きな男性アナウンサーランキング」では1位。オリコン調査による「好きな男性アナウンサーランキング」では長年TBSの安住紳一郎に次いで2位だったが、安住が殿堂入りした2010年には初の1位となった。
2013年6月20日、前年を以って司会を退いた小倉智昭の後任として、『サントリー1万人の第九 "10000 Freude"』の新司会者になる事が発表された。現在(2016年7月時点)では、テレビ東京系列の番組の出演歴がない。
2013年9月に一人暮らしをしていた父親が、近くに住んでいた姉がたまたま数日連絡を取らなかった間に死亡したため、孤独死になったと公表している。
人物
中学(横浜市立境木中学校)・高校時代は、野球部に所属。中学はセカンド、高校ではアンダースローの投手、2年まではオーバースローだった。横浜平沼高校の野球部時代に、後に2年連続でセ・リーグ首位打者を獲得する鈴木尚典(当時横浜高校)と対戦し、2打席連続三振を奪ったことがある。ただし、その後の3打席で3安打を打たれた。エースとして夏の神奈川大会4回戦まで進出した実績がある。
1996年、元キャビン・アテンダントの女性と結婚、1年後に長女が誕生したものの、2012年5月2日に離婚。娘の親権は女性側が持つという。フリー転身により羽鳥が多忙になったことによって家族と過ごす時間が減り、妻がアロマセラピーインストラクターとしての仕事が軌道に乗りはじめたことで、互いの仕事を優先することとなった。娘は母が仕事をすることに理解を示しており、離婚についても「父親(羽鳥)と会えなくなる訳ではない」と反対はしていなかったという。
2012年8月にテイクオフ社長主催の会食で知り合い同年11月頃より渡辺千穂と交際、2013年4月23日放送の『モーニングバード!』の冒頭で交際を公表。約2年の交際期間を経て2014年8月18日に渡辺と結婚。2016年1月末に女児が誕生。
渡辺が2016年下期のNHK連続テレビ小説『べっぴんさん』の脚本を担当、総合テレビの『べっぴんさん』本放送の裏番組に『モーニングショー』があり、デイリースポーツと毎日新聞は「夫婦対決」と取り上げた。
日本テレビ時代の年収は1000万円程度だったという。一方、フリー転身後は局アナ時代の年収を3週間程度で稼ぐ程の収入を得るようになった。
フリー転身後に応じた週刊誌(2011年発売)のインタビューにおいて、日本テレビ『ZIP!』(自身が2代目男性司会者を務めた『ズームイン!!SUPER!』の後継番組)をよく視聴していることや後輩で同番組メインキャスターである桝太一にアドバイスをしていることを明かした。
同期である藤井貴彦に対し、「自分がフリーになる時は1番最初に藤井に伝える」と述べていたが、結果的にこの約束は破ることとなり、藤井はこのことに傷ついていると話している。
アナウンサー同期である木佐彩子(元フジテレビ所属)にかつて好意を持っており、日テレの社員食堂のカードを買う暗証番号は最後まで「0526」(木佐の誕生日にかけたもの)にしていた。なお、木佐本人にも暗証番号の件は伝えたが、本人は苦笑いだったという。
現在(2017年時点)、昼の時間はジムに通っており、ジム内のテレビで映されているTBS『ひるおび!』をよく視聴している。また、1日1食(昼)が基本という(過去には朝食も取っていた時期がある)。  
男性フリーアナで一人勝ち? 羽鳥慎一アナの安心感 2016/10/17
激戦が繰り広げられている朝8時台のワイドショーにおいて、テレビ朝日系『羽鳥慎一モーニングショー』が存在感を増している。9月第3週の平均視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)では7.7%となり、民放No.1を記録した。この時間帯は長らく『スッキリ!!』(日本テレビ系)と『とくダネ!』(フジテレビ系)の2強だったが、今年に入り『モーニングショー』が視聴率で上回ることが増えているのだ。そして、同番組意外にも複数の番組で司会を務める羽鳥アナは、40代の男性フリーアナとしてはテレビ界においてまさに“ひとり勝ち”状態となっている。このまま“大御所フリーアナ”の道へと突き進んでいくのだろうか?
“バード”の愛称でお茶の間でも親しまれる羽鳥アナは、1994年に日本テレビに入社後、『ズームイン!! SUPER』などの司会やプロ野球中継などを経て日テレの“看板アナ”となった後、2011年、40歳の時にフリーに転身。直後にテレビ朝日系『情報満載ライブショー モーニングバード!』の司会に異例のスピードで起用され、現在は『モーニングバード』と同枠で歴史ある“モーニングショー”の名を冠した前述の『羽鳥慎一モーニングショー』をはじめ、局アナ時代から続く『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)や『あのニュースで得する人損する人』(日本テレビ系)、『チカラウタ』(日本テレビ)、そして『橋下×羽鳥の番組』(テレビ朝日系)など、単発番組も含め多くの番組でメイン司会を務めている。
「『人生が変わる』は局アナ時代からMCを務めていましたが、古巣の日テレさんの仕事がいまだに続いているのは、羽鳥さんの誠実な人柄があるからこそでしょうね。自ら尊敬すると語るナインティナインさんとは、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の「ゴチになります!」で長年共演し、フリーになった今でも同企画の進行役を務めています。かつてレギュラーだった江角(マキコ)さんがクビになった際、羽鳥さんは人目もはばからずに号泣して、矢部(浩之)さんが『司会者失格や!我慢せなあかん』と叱咤したという“名場面”もありました。そうしたエピソードにも羽鳥さんの優しい性格が出ていると思います」(エンタメ誌編集者)
羽鳥アナのアナウンス力や番組進行力はかねてより高い評価を受けていたが、他局の人気アナウンサーと比べると派手さには欠け、どちらかというと“地味”な印象もある。とは言え、同世代もしくは年下の男性フリーアナたちが苦戦する中、レギュラー番組の本数や人気など、羽鳥アナに今もっとも勢いがあることは事実である。『橋下×羽鳥の番組』は、玄人向けの内容から視聴率自体は苦戦しているようだが、実際に観ている人たちからは「面白い」という声が聞こえるなど、内容への評価は高い。彼が支持を受ける理由はどこにあるのだろうか?
「羽鳥さんは、決して大げさなことを言わずに、手堅く確実なことだけを話します。他のゲストよりも前に出たり、でしゃばったりもしません。そうした姿勢が、視聴者に信頼されているのだと思います。『モーニングショー』前番組の『モーニングバード』は視聴率的にも苦戦していましたが、たとえば番組内企画の「そもそも総研」ではその時々の事件や問題の背景をフリップなどを使って丁寧に、わかりやすく、真面目に検証していくなど、ある意味“地味”な努力がジワジワと視聴者に支持されはじめました。この企画でも、羽鳥さんは進行はテレビ朝日の解説委員・玉川徹さんに任せて、自分はあくまで一視聴者の目線で、玉川さんに質問を浴びせるという役割に徹しています」(前出・編集者)
日本テレビから独立して早5年。普通の男性フリーアナなら、“なじんだ局以外でよく見る”という当初の目新しさも薄れ、仕事も落ち着いてくる時期なのだろうが、ここにきて全盛期に入った感がある羽鳥慎一アナ。それも局アナ時代に培ったアナウンス技術、バラエティ番組で鍛えた現場対応力、そしてそれらの能力を活かしながら、番組全体を見渡して、番組の“面白さ”を最優先させる(=自分が前にでない)という“総合力”が、お茶の間に信頼を持って受け入れられた結果だと言えるだろう。羽鳥アナは今、本人も尊敬すると言う大先輩・徳光和夫アナに続く、大御所男性フリーアナへの道を歩みはじめているようである。  
羽鳥慎一 7億円稼いでも娘に2万円…元妻ボヤく“どケチ不満” 2018/1/10
「もちろん話し合って決めた養育費は毎月もらっているわよ。でもね……あの人って本当にケチなのよ(笑)」
ポカポカ日和となった昨年12月上旬の深夜、都内の沖縄料理店に女性の声が響き渡っていたという。声の主は人気フリーアナウンサー・羽鳥慎一(46)の元妻・A子さん(46)だ。
羽鳥は96年に元客室乗務員のA子さんと結婚したが、12年5月に離婚。長女(20)の親権はA子さんが持つことになり、慰謝料や養育費についても話し合って決めるとされていた。だが離婚から3カ月後の12年8月、脚本家の渡辺千穂さん(45)と知り合った羽鳥は、同年11月から交際を開始。14年8月に再婚し、16年1月に女児(1)が誕生していた。
現在は朝の情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日系)をはじめ、『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)などで司会を担当している羽鳥。昨年12月8日に発表された「好きな男性アナウンサー」ランキングでも堂々の1位に輝いている。ただそんな大活躍の裏側で、元妻がひそかに不満をぼやいていたという。
「今でこそ人気キャスターとしてふんぞり返っているけど、彼のファッションをアドバイスしていたのはすべて私なの。もともと田舎者で、ファッションセンスは皆無に近い男。私がアドバイスしなかったら、ここまで人気になったか分からないわ!」
真偽はさておき、店内はA子さんの独壇場。羽鳥の金銭感覚の話になるとさらにヒートアップし、冒頭のドケチ発言が飛び出したという。さらにA子さんは、こんな発言も。
「7億円近く稼いでいるくせに、娘の20歳の誕生日に送ってきたのが2万円の図書カードだったの!たった2万円よ、信じられないでしょ!」
当初は和気あいあいとしていたが、最後は居合わせた客も全員凍りついてしまったという。
「とはいえ羽鳥さんは養育費もきちんと払っていますからね。長女へのプレゼントは欠かしていないようですし、2万円の図書カードにしたって20歳の娘の金銭感覚を考えれば妥当でしょう。A子さんはドケチぶりを漏らしていましたが、言葉の端々から『あんな稼ぐんだったら簡単に別れるんじゃなかった』という未練も感じました」(前出・居合わせた客)
今やもっとも売れている男性アナといっても過言ではない羽鳥アナ。離婚から早や5年、思わぬところで“遺恨”が残っていたようだ――。 
羽鳥慎一のバランス感覚 2019/2/23
羽鳥モーニングショーの「そもそも総研」で玉川徹が炎上商法の漫才師・村本を取材し、「テレビは真実を伝えるものではなく、安心させる道具だ」と言われてショックを受けていた。
この番組がネットで評判になり、羽鳥が「黒い本性全開」などと批判されているので、今日、録画を見てみたら、笑ってしまった。羽鳥にそんな印象は全然持たなかったし、宇賀アナが泣いてるようにも見えなかった。テーマとして、つまらないことをやってるなあというのが感想だ。
そもそも村本の炎上ツイッターは「真実」を伝えているのか?炎上したら議論のきっかけになるという論法は単なる無責任でしかない。人を殺して「人はなぜ人を殺してはいけないのか?」と言えば、議論にはなるだろう。議論のきっかけになるなら無責任も許されるとする者が、テレビは真実を伝える道具じゃないと主張するとは、馬鹿馬鹿しいにも程がある。自分の言葉に責任を持ちなさいと諭すのは、相手が子供ならやってもいいが、いい年こいたおっさんにそんなことから諭すのは無駄だ。
『ゴーマニズム宣言』は尖った言論に見えるかもしれないが、無責任に、意図的に、摩擦係数を高くしているわけではない。『ゴー宣』には、編集部からの徹底したファクト・チェックが入ってくる。わしも思いつくままに表現しているわけではなく、資料としての専門書を読んでいるし、編集者も資料に当たって、ファクトチェックする。真実を伝えたいのだから、反射神経のみで描いてるわけじゃないのだ。
沖縄の住民投票でも、原発問題でも、厚生省の統計データ改ざんでも、何でもテレビでやればいい。視聴率を取るのは玉川徹のアイデア次第じゃないか。無責任発言の村本にお伺い立てる必要がどこにある?
自分の生活に直結しない社会問題に、人々が関心を持たないのは当たり前だ。みんな、忙しいんだ。フリーランスの奴は自分の提供する話題に人々が乗ってこないと、人々が悪いと言いたくなるのは、わしとて同じだ。だがそれは「愚民思想」だと自分の肝に銘じなければならない。
テレビは人を不安にさせたり、考えさせるストレスを与えれば、視聴率は取れない。視聴率をまず取らなければ始まらない。読者のストレスを快感に変える努力を、わしは何十年間もやってきたが、テレビマンも同じ努力をすればいいだけだ。
羽鳥慎一が村本の無責任発言に「違うと思う」と言い張った根性は大したものだ。羽鳥はプロの覚悟を持っている。羽鳥は橋下徹と組んでた時は、橋下の強引さに引きずられていたが、今のモーニングショーでは、抜群のバランス感覚だと褒めておく。この番組は他の報道番組より、快感とストレスのバランスが優れていて、スタッフも優秀だと思う。 
『モーニングショー』転覆危機! 新アシスタントに“ド新人”起用 2019/3/5
テレビ朝日系の朝の情報番組『羽鳥慎一モーニングショー』が、3月いっぱいで降板、退社する宇賀なつみアナに代わり、4月1日より新人の元乃木坂46・斎藤ちはるアナウンサーを、新アシスタントに起用することが明らかになった。
斎藤アナは昨年7月16日まで乃木坂に在籍。3月に明治大学文学部を卒業予定で、同局入社が内定している。現在アシスタントを務める宇賀アナも、入社日当日から、『報道ステーション』の気象キャスターに大抜擢を受けているが、さすがに入社早々、情報番組の進行担当に起用されるのは異例中の異例だ。
「民放局の場合、入社後、最低でも3カ月は研修期間に充てるのが通例。早ければ、7月から担当番組をもつケースもありますが、一般的には徐々に慣らしていき、改編期の10月から本格的にデビューさせる場合が多いです。宇賀アナのケースは天気担当でしたから、用意された原稿を読めばよかったわけですが、研修を吹っ飛ばして番組進行をド新人に任せるというのは前例がないんじゃないでしょうか。明らかに話題性優先の起用になります」(女子アナウオッチャー)
近年、女子アナに関しては、どの民放局も無名の新人より、ミスコンやタレント出身者を“即戦力”として採用することが多くなった。話題性はもちろんだが、場慣れしている点やルックスのよさは大きな魅力だ。日本テレビは斎藤と同じ元乃木坂の市來玲奈アナを昨年4月に採用。いきなり、『行列のできる法律相談所』、『news zero』といった人気、注目番組の担当に起用したが、それでも6カ月間の研修期間をしっかり経てのものだった。入社日に『モーニングショー』担当となる斎藤アナの場合は、放送終了後、ほかの新人アナと共にトレーニングに参加すると思われるが、アナウンサーとしての基本ができていないまま、番組進行にチャレンジすることになる。
「『モーニングショー』は羽鳥アナと宇賀アナの人気に支えられています。そのうちの一人である宇賀アナがいなくなるわけですから、相応の新担当を付けるべきだったのですが、テレ朝は話題性、人気重視に走ってしまいました。アイドルをやっていたからといっても、番組進行なんて未経験ですから、羽鳥アナに過剰な負担がかかるのは目に見えています。若年層が見る番組ならともかく、この時間帯の主たる視聴者層は主婦、高齢者。元アイドルのネームバリューは、ほとんど通用しないと思います。まして、斎藤アナの知名度は、市來アナより劣りますし、視聴者的には『誰?』ってことになりかねません。宇賀アナ目当てで見ていた視聴者は、裏番組に乗り換える可能性も高いでしょうね」(テレビ関係者)
『モーニングショー』は、同時間帯の民放横並びで、2017年、18年と2年連続でトップを取っている人気情報番組で、真の王者『あさイチ』(NHK総合)の視聴率を上回る日もあるほど。しかし、こんな人事をしていたのでは、自ら転覆するようなもの。他局にとっては、『モーニングショー』を追い抜くビッグチャンス到来といえるかもしれない。 
新元号「全否定」の『羽鳥慎一モーニングショー』に批判 2019/4/3
新元号が「令和」に決まり各メディアがこぞって特集を組む中、『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)での新元号の取り上げ方が「異常だ」との声が上がっている。
発表から一夜明けた4月2日の放送では、コメンテーターからゲスト解説者に至るまで、そろって「令和」に否定的、あるいは嫌悪感を表すという場面が終始続いた。重苦しい雰囲気に耐えかねたのか、司会の羽鳥慎一が思わず「心が折れそうなので何か前向きな意見をお願いします」と、アシスタントの女子アナに助けを求める場面もあった。
「人によって肯定否定それぞれ意見があるのは当然ですが、スタジオの全員が全員、否定的というのはいかがなものでしょうか。今回の改元に関しては多くの人が明るい話題として捉えていると思いますので、肯定的に扱わないまでも、せめてバランスを取った方が良かったという印象です」(番組制作関係者)
特集では、まず「令和」以外の候補が紹介され、「(候補に上がっていた元号案の方が)申し分なかった」とゲスト解説者が熱弁。名物コメンテーター≠ニして知られるテレビ朝日社員の玉川徹氏は「保守の方々は歴史や伝統と言うが、これまでの漢書由来ではなく国書(万葉集)由来の元号にした時点で伝統じゃない」といった趣旨の発言をしている。
「『令和』の『令』がお上≠ゥらの『命令』を連想するのでイメージが悪い、といった論調でスタジオ内が統一されていましたね。中でもジャーナリストの青木理氏は極論が目立ちました。元号の話から、彼らの言うところの天皇制≠フ是非にまで話を広げるのは、脱線を通り越しているような気がしました」(同・関係者)
ネットユーザーの多くも同様に感じたようで、以下のようなコメントを寄せている。
《「令和」に批判的な専門家呼んでくるあたり実に汚い》
《青木の不満そうな表情w》
《どうせ何に決まってもケチ付ける気だったんだろ?》
《最初からずっとダメ出しと嫌味、愚痴ばっかり》
《「令」のついた名前の人もたくさんいるのに、批判している人は配慮がないのかね》
《結局、政権批判がしたいだけに見えるんだけど》
「令和」には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味が込められている」との談話だが、改元前からすでに心を寄せ合う≠フが難しくなっているようだ。  
 
玉川徹

 

テレビ朝日報道局コメンテーター室コメンテーター。元リポーター・ディレクター。
宮城県出身。仙台第二高校、京都大学農学部農業工学科卒業。1989年同大学大学院農学研究科修士課程修了後、テレビ朝日入社。報道局主任として『内田忠男モーニングショー』、『サンデープロジェクト』、『ザ・スクープ』、『スーパーモーニング』等のディレクターを経て、『情報満載ライブショー モーニングバード!』のコメンテーターを務める。2015年9月よりテレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』のレギュラーコメンテーターを務めている。  
玉川徹が『モーニングショー』で「ネトウヨの正体」を追及! 2018/12/29
27日に放送された『羽鳥慎一モーニングショー』で、テレビ朝日社員の玉川徹氏のコーナー「そもそも総研」が話題になっている。というのも、普段、ネット右翼から目の敵にされている玉川氏自らが、「そもそもネトウヨとはいったい何者なのだろうか?」とのテーマで取り上げたからだ。
「私もネトウヨのかたからいっぱい言われているらしい」「反日だとかパヨクだとか」と話す玉川氏。まず、番組VTRでは、本サイトでもお伝えしたように、「余命三年時事日記」なるネトウヨブログの扇動によっていわれのない懲戒請求を大量に受けた弁護士のひとり、北周士弁護士にインタビュー。現在、北弁護士は懲戒請求をした全員に損害賠償を求めた訴訟の提起、あるいは謝罪と和解を呼びかけている。
北弁護士は、「懲戒請求者は一番若い人で40歳。一番上の人で70代」と把握していると話す。玉川氏は「僕のイメージだと、そういうふうなことをする、いわゆるネット右翼という人は、ある種若くて引きこもったり、そういう人だというイメージがあったんですけど」というが、北弁護士が会った人は、多くは50〜60代で、職業も会社経営者や医師など、それなりに社会的地位が高い人というのだ。
さらに、玉川氏はネトウヨ雑誌「ジャパニズム」(青林堂)の元編集長で、自身も「かつてネトウヨだった」と自認する古谷経衡氏にもインタビューをした。古谷氏は以前から、ネトウヨは巷間思われている「若者の貧困層」という説に異を唱え、独自の調査で「実態は40代の富裕層が多い」などと主張してきた。
玉川氏が「よく私も反日とかパヨクとか言われてるらしいんですけど、いったい(ネトウヨは)私のどこが反日だと思って(いるのか)。(自分は)日本のことを考えて話しているんですね」と尋ねると、古谷氏はこう語った。
「まずネット右翼と呼ばれる人たちがいわゆる反日、まあ左翼の変化形がパヨクなわけですけれども、それが敵認定するときの基準というのは、韓国と中国と朝日新聞、この3つ、これが嫌いかどうかです。単純にこれだけ。一個でも好きだったら反日。一個でも好きだったらパヨクです。それだけ。思想とかイズムはないんですよ」
実のところ本サイトの編集部にも、ネトウヨの“捨てアド”からしょっちゅう頭の悪いメールが届くが、まあ、この古谷氏の分析はあたっていると言えるだろう。あえて具体的に紹介はしないが韓国・朝鮮人、中国人に対する差別語を用いた内容や、「朝日の別働隊」とか「お前ら反日を叩き潰してやる」というような中身のない中傷(?)がほとんどだからだ。
また、番組では古谷氏の分析として、実際にはネトウヨの数は多くはないが、ネットで声が大きいことで、これを世論だと勘違いしたメディアが抗議を恐れ、自粛や忖度することの危険性が指摘された。そして、スタジオでは玉川氏が、「ネット右翼に過剰に反応しても意味はない」「テレビにしろメディアにしろ、それから講演とかね、そういうようなのもちょっと電話かかってくるかもしれないけど、大したことではないんで、そういうので恐れずちゃんとやりましょう、われわれは、という(自戒の)意味を込めて」と締めくくった。
実際、ネトウヨたちの“電凸”と呼ばれる抗議等によって、リベラル系識者の講演会が中止に追い込まれたり、日本軍の戦争犯罪をめぐる映画上映会に圧力が掛けられたりという事例が、近年相次いでいる。だが、こうした下劣な行為に怯えて、メディアが伝えるべきことを伝えず、言論が萎縮してしまったら、それこそ連中の思う壺だろう。
いま、ネトウヨたちは「『そもそも総研』ネトウヨ特集は玉川氏の私怨」なる意味のわからないことをほざいているようだが、玉川氏の「過剰に反応しても意味はない」「恐れずやる」という結論は、メディア人としてはまっとうな宣言といえる。
ただ、本サイトとしてはひとつ物足りなさを感じたのも事実だ。というのも、番組では、ネトウヨの個人的なプロフィールを探ることに注力されたが、その一方で、安倍政権との親和性についてはまったく触れられなかったからだ。
本サイトでは何度もお伝えしているが、そもそも自民党は下野時に「自民党ネットサポーターズクラブ」(J-NSC、通称ネトサポ)なるネット有志の別働隊を組織。そのメンバーを自称するアカウントが政敵のネガティブキャンペーンを連呼すると同時に、中国・韓国へのヘイトを連発する傾向にあることを指摘してきた。ようは、自民党はネトウヨを組織化することで、ネット工作をしてきたわけである。
また、それまでネット上でクダを巻いていたネトウヨたちが、現実の路上に出て、ヘイトスピーチやヘイトクライムを犯している事実も置き去りにされている。そして、在特会に代表されるそれらヘイト市民運動の関係者らが、片山さつき・地方創生相や、“生産性がない”発言の杉田水脈衆院議員や和田政宗自民広報副本部長など、安倍首相の覚えがめでたい政治家たちと昵懇であることも忘れてはならない。他にも在特会との関係が裁判所からも認定された稲田朋美元防衛相、在特会関係者とのツーショットが海外からも批判を浴びた山谷えり子・元国家公安委員長などあげていけばキリがない。つまり、安倍政権の政治家たちはずっと、ネトウヨからヘイト団体への連なる流れと一緒に歩んできたのである。
そして、これは言うまでもないことだが、ネトウヨの大部分は安倍政権を支持している。番組では、古谷氏が2014年衆院選での次世代の党(その後「日本のこころを大切にする党」などへ移行し、政党としては消滅)への比例得票数から、ネトウヨの数はだいたい200万人ほどであると分析していたが、実際には、ネトウヨの全てが次世代の党に投票したわけではない。むしろ、安倍自民党に投票した者たちのほうが多いと考えるのが自然だろう。
その意味では、『モーニングショー』は、ネトウヨのプロファイリングやその影響力の推測だけで終わらせるのではなく、逆に、現政権がいかにネトウヨに接近してきて、あるいは内閣自身がネトウヨ化しているかについても、きっちりと言及してほしかったところだ。
いずれにせよ、たとえネトウヨが“ノイジーマイノリティ”だとしても、その言説が差別やデマを垂れ流すものであることに変わりはなく、過小評価すべきではない。そして、実態としていかに少数であろうが、ネットというひとつの空間においては、残念なことに「市民権」を得ており、政権との相乗効果で新聞・テレビなどの論調にも明らかに一定の影響を及ぼしている事実を受け止めなくてはならない。
ネトウヨの言うことにいちいち耳を貸さなくてもよいが、無視すれば際限なく悪意は広がる。弁護士に対する大量の懲戒請求事案は、そのひとつの例ではなかったか。ネトウヨたちが徹底的に間違っていることを、しっかり示していくのがメディアの役割だろう。 
テレ朝・玉川徹氏、「恋の評論家」を気取る 2019/4/12
「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)のコメンテーターで、何かと物議を醸す発言でおなじみの玉川徹氏が、恋の評論家を気取ったとして話題になっている。
4月10日の同番組では、新海誠監督が3年ぶりに手掛ける映画「天気の子」(7月19日公開予定)の初出し映像を放送。ここでコーナー担当の野上慎平アナは「大人になってこんなにときめくんだとか、こんなにせつないんだっていうのを(前作の)『君の名は。』では感じさせてもらえたんですが、じゃあ『天気の子』ってどんなストーリーなんだろう」と、盛り上げトークだ。
続けて野上アナは「玉川さん、若い男女の恋の物語、玉川さんにも刺さりますよ!」と大胆な振り。それに対して玉川氏はゆっくりした口調で「やっぱりねえ、恋っていうのは一番こう、今の現代にあっては、自分をエクスパンドできる唯一のものだね」と“ドヤ顔”で語り、隣にいた元AERA編集長の浜田敬子氏は「恋評論家!」とはやし立てていた。
それに対して野上アナが「玉川さん、染みますね。兄さんと呼びたい」とヨイショすると、玉川氏も「そうでしょ。呼んでいいよ」と、ご満悦の表情に。ここで司会の羽鳥慎一が「気持ち悪いでしょ?」と、いつもの調子で茶化し、アシスタントの斎藤ちはるアナは新人らしく「いえいえ」と否定するというお約束の展開となっていた。
このやり取りで発した玉川氏の発言について、海外在住経験を持つライターが指摘する。
「“恋評論家”としての発言はともかく、気になったのは『自分をエクスパンドできる』という箇所ですね。玉川氏はおそらく、自分自身を高めたり成長させるという意味で『エクスパンド(expand)』という単語を用いたのでしょうが、この文脈だと『精一杯がんばる、全力を出しきる』という意味になり、玉川氏が意図していた意味は持たないのです。この場合にはインプルーブやデベロープといった単語を使うべき。『可能性を広げる』という文脈ならエクスパンドも使えますが、玉川氏は“自分”を主語にしているので、やはりエクスパンドを用いるのは不適切ですね」
玉川氏は、自身の英語力をエクスパンドしたほうがいいのかもしれない。 
米国の対中追加関税、玉川徹氏「米国民が払う」は正しいか? 2019/5/12
羽鳥慎一モーニングショーはパネルのニュース解説が比較的丁寧なので良く見る。無論、バイアスが掛かっているのは承知の上だ。が、テレ朝社員でレギューラーコメンテーターの玉川徹氏は、筆者とは主義こそ異なるが、少々天邪鬼で執拗なところなど結構似ているかも、と常々憎からず思っている。
その玉川氏、5月10日の番組では今回米国が中国に対して課すに至った追加制裁関税15%分について、「国民が払うんでしょう」とコメントし、上がった分は結局は米国民の負担増になるのだから、何でこんなことをするのか理解できない、ときっと続けたかったらしい様子を滲ませた。
この発言、確かに一理ある。しかし一理しかない。図らずもこの発言は、彼に一連の米中対立の理解が不足し、問題を皮相的にしかとらえていないことを露呈したと筆者は思う。それを具体的にいえば、一つ目は関税の理解、二つ目は引き上げに伴う米国国民への影響、そして三つめは米国の真の狙いだ。
先ずは関税。筆者とて専門的な知識がある訳ではないが、関税自主権の重要性や関税の目的が財政収入と自国産業保護にあることくらいは知っている。日本や中国や朝鮮の近代史は、砲艦外交によって列強に結ばされた不平等条約の一つである関税自主権を取り戻す歴史だったといっても過言でない。
その関税自主権に基づいて設定した関税から得られた収入を国家は財政の原資にする。ちなみに日本は発展途上国と異なり、関税収入は国税のわずか2%程度の1兆円弱とされる(但し、輸入品に係る消費税を含めると5兆円ほど)。これは、農畜産品以外の工業製品がほとんど無税に近いことによる。
そして重要なのが、関税を掛けることによって輸入品が国内市場を席巻することを抑制し、自国の産業を保護して育成する機能だ。それは輸入品の価格を高くして輸入量を減少させ、それまで高コストゆえに輸入品と競争できなかった国産品の生産販売を増大させることを狙いとする。
次に米国民への影響。これは自国産業の保護育成機能と大いに関係する。普通は卸値を下げるが、仮にそうしない場合について、判り易い(かどうか自信がないが)例えに置き換えて考えてみたい。
今回の追加制裁関税15%は22兆円分の輸入品が対象とされる。これが現状の関税10%を含むものかどうか定かでないが、ここでは10%を含んでの22兆円と仮定し、それを単価が2.2兆円(2x110%)の10種類の製品と置いてみる。
報道によれば15%upの対象となる製品は家具や家電などのようだから、現状でもこれら10種類の製品それぞれに、価格が2.3兆円と少し高いベトナム品と、価格が2.4兆円と大分高い米国国内品が市場に存在すると仮定する。両方とも中国品より高いので今までほとんど売れていない。
今回中国品に15%の制裁関税が追加されると価格はそれぞれ2.5兆円(2x125%)になるので、ベトナム品にも米国品にも価格競争力が出て来る。その結果、10種類の製品の内、3種類だけは25%関税の中国品が売れ続けるものの、5種類はベトナム品が売れ始め、2種類は米国製品が売れるようになると仮定する。
その場合、22兆円だった米国民の支払い額はどうなるか。中国品に2.5x3=7.5兆円 ベトナム品に2.3x5=11.5兆円、そして米国品に2.4×2=4.8兆円が支払われ、その合計額は23.8兆円で22兆円と比べ1.8兆円増える。よって25兆円になって米国民の支払いが3兆円増える訳ではない。これが一つ重要。
そして何より見落としてはならないのは米国製製品の復活。これこそ自国産業の保護育成目的の発揮といえる。つまり4.8兆円分の米国製品の売上に見合う付加価値が米国に創出されるのだ。それは雇用創出による従業員所得と企業の利益増加を意味する。トランプは繰り返しこれをいうので、日本企業も米国での生産を増加させるし、鴻海精密の郭台銘も米国への投資を表明した。
付加価値とは極々簡単にいえば売上高から変動費(数量の増減に比例し増減する原材料費やエネルギー費など)を引いたもの。対象品が家具や家電だからここでは低めに見積もって仮に25%としても、創出される付加価値額は1.2兆円(4.8x25%)になる(変動費が米国で調達されるなら応分の付加価値が増えるが煩雑なのでネグる)。
勿論、関税が25%になっても10種類の中国品がそのまま売れ続けることになれば、玉川氏のいうように15%の関税増加分3兆円(2.x10x15%)は米国民が支払う。が、この3兆円にしても決してトランプ大統領の懐に消える訳でないことをお忘れなく。
それは、一旦は米国の国庫に入るものの、国民に対して種々のサービスやあるいは減税などの形で戻って来るからだ。つまり、対象製品の購入者の負担増分がそのまま米国財政の収入増となって、米国民全体に広く薄くばら撒かれる。それはそれで結構なことだろう。
最後は今回の追加制裁関税の米国の真の狙い。これは古森義久氏の軒をお借りした5月10日の筆者の投稿「トランプがんばれ!米国が設置した「危機委員会」の声明を読む」に書いた米国の危機委員会(CPDC)の活動ぶりと4月2日の声明に述べられていることを読めば明らかだ。
表向きは米国が貿易と経済で中国に好き放題させてきた過去を改めることにある。が、真の狙いは中国共産党一党独裁体制の崩壊に相違いない。声明が「習が舵取りをしようとしまいと、中国共産党が権力を握っている限り、その政権は米国の破壊をその中核の目標として持つだろう」と断じていることが何より雄弁にそれを物語る。
だからトランプ大統領はこの問題の解決を急がないのだろう。米国民に支持を訴えて根気強くこの問題の根本解決を図ろうとしているように筆者には見える。それは国連の制裁決議を各国に厳に守らせ、北朝鮮の糧秣が尽きて金正恩が白旗を揚げるのを待っているのと同様だ。
以上によって玉川徹氏の述べた「国民が払う」がかなりいい加減であると知れる。マスメディアのコメントとして正しいといえない。今後はよくよく勉強してから発言して欲しいと願う。 
『意味はあるのか』 安倍総理のトランプ大統領“おもてなし”を批判 2019/5/27
27日放送の『モーニングショー』(テレビ朝日系)で、コメンテーターの玉川徹氏が来日中のドナルド・トランプ大統領に対し、安倍晋三総理大臣を中心に「おもてなし」をしていることについて独自の理論で苦言を呈し、物議を醸している。
番組では、トランプ大統領が来日後、六本木からヘリコプターで千葉県内のゴルフ場でゴルフを楽しみ、安倍総理がカートを運転するなどしてもてなしたこと、そして昼食にアメリカ産の肉などを使った特製ハンバーガーを出したことなどが紹介される。
これについて玉川氏は、まずトランプ大統領がヘリで千葉に向かったことに触れ、「六本木にヘリポートがある。あそこはカリフォルニア州。アメリカの軍隊のヘリで日本の国内で移動する。それを日本の総理が現地でお迎えする。ここにすべてのことが象徴されている」
などと、不満を見せる。発言に司会の羽鳥慎一は露骨に嫌悪感を顕わにし、ゲストの田崎史郎氏が「それを否定すると日米安保条約を否定することになる」と制す。しかし、玉川氏はこの後も基地などについて不満を述べた。
見かねた羽鳥が話を先に進めるが、玉川氏は安倍総理がトランプ大統領に対し、大相撲観戦や炉端焼き店でもてなしたことについて、
「これだけおもてなしをして、仮に日本が思うように進むのなら税金使ってやるのも意味があるのかと思うけど、トランプ大統領ってそういう人じゃないですよね」
と噛み付く。これに羽鳥が「そこは難しい。じゃあ、やんなきゃいいのか」と反論すると、
「だったら、やるべきことはそこじゃなくて、タフな交渉をやるべきじゃないのか」
と批判する。羽鳥は「交渉方法の1つでは」と食い下がると、玉川氏は「それが効くか?」と笑う。「ゴルフやって相撲見せて炉端焼きを見たからよろしくねというわけではない」と反論した。
コメンテーターの石原良純はおもてなし手法に疑問を示しながらも、「トップ同士の信頼関係が外交に反映されないことはない」と話し、田崎氏が「今回の来日された目的は天皇陛下の即位に伴ってお祝いに来られたということで、国賓としてもてなしている。貿易の話をしに来たわけではない」とコメント。貿易の話をトランプ大統領がツイートしていることについては、実際は話をしていない可能性が高く、「大統領選再戦へのアピールではないか」とし、玉川氏を「黙らせる」形となった。
玉川氏の「本当にもてなしに意味があるのか」発言に、ネットユーザーは「日本人の心を持っているとは思えない」「天皇陛下をお祝いに来ているのだからもてなすのは当然」と怒りの声を上げる。また、「外交する上でトップ同士の信頼関係は必要」「いい印象を積み重ねることは決して無駄にならない」と反論が上がり、中には「人をもてなしたことがないから平社員なのでは」という厳しい声や、「韓国のムン大統領が完全無視されたから嫉妬しているのでは?」と穿った見方をするネットユーザーもいた。
一方で、安倍総理に常日頃から批判を浴びせている層からは「その通りだと思う」「税金の無駄にしか思えない」「政権しか得をしない」など、擁護の声が上がった。
様々な声があるが、国賓として迎えている友好国の大統領をもてなすことは、日本の国民性を考えると当然のこと。タフな交渉をやるべき相手であるからこそ、信頼関係を深めておくことも重要だろう。
それを「外交で有利にならないのなら意味はない」とバッサリ切り捨てしまうのは、批判されても致し方ないだろう。 
羽鳥慎一がテレ朝・玉川徹氏の“マウンティング”を完無視 2019/5/28
5月28日放送の情報番組「羽鳥慎一 モーニングショー」(テレビ朝日系)で、MCを務めるフリーアナウンサーの羽鳥慎一が、テレビ朝日社員でコメンテーターの玉川徹氏のマウンティングを冷静にスルーした。
玉川氏といえば、歯に衣着せぬ発言が問題となり、ネット上でも度々炎上。共演者に対しても忖度はなく、自分の意と反する発言には反論をぶつけてきた。28日の放送では、羽鳥アナの発言に異を唱えた。
問題のやり取りは、高齢ドライバーの危険運転を取り上げているときに起こった。番組では、80代の高齢者が運転する車が、赤信号を無視するなど暴走していた動画を紹介。このドライバーは認知症の疑いがあるといい、認知機能が落ちた人に車の運転をやめさせる方法についてトークが展開された。
その問題から派生し、玉川氏は「認知機能が落ちていても、どうやったら車が動いて、運転することができるのか、わかっているんですよね。(動画の80代の高齢者は)シートベルトしているんですもの」と不思議がると、羽鳥アナは「無意識にやっているんでしょうね、きっと」と推察。ところが、玉川氏は「無意識とは違う。意識はあるので、無意識とは違うんだけど」と否定し、「自分が過ごしてきた中で忘れてないものは忘れてない」と持論を展開。羽鳥アナは反論することなく、冷静にスルーした。
「無意識には玉川氏のいう“意識がない”という意味のほか、“意識しないでしてしまうこと”という解釈もあります。無意識のうちにいつもの道を歩いている経験などは、誰にでもあるはずです。でも、だからといって、意識を失っているわけではない。羽鳥アナが言おうとしたのも、この“無意識”でしょう。玉川氏は“自分が過ごしてきた中で忘れてないものは忘れてない”と解釈していますが、それこそ、羽鳥アナの指す無意識と同じです。羽鳥アナも端からかみ合わないのを察知して、玉川氏の反論を無意識のうちにスルーしたのではないでしょうか」(週刊誌記者)
今年4月15日の「日刊ゲンダイDIGITAL」で、「僕は悪役をやるので、羽鳥さんは善玉に徹して下さい」と、過去に羽鳥アナに話したことを明かした玉川氏。でも、無理に悪役になる必要もないのでは? 
産婦人科の負担増に「ラーメン屋は客が多くても困らない」 2019/6/12
12日に放送されたワイドショー番組『モーニングショー』(テレビ朝日系)で、「妊婦加算」について取り上げられたが、テレビ朝日コメンテーターの玉川徹氏の発言が物議を醸している。
この日、番組では18年度に導入されたものの、19年1月から凍結されていた「妊婦加算」が来年度から復活することが紹介された。妊娠中の女性が医療機関を受診すると、追加料金がかかる「妊婦加算」だが、妊婦が医療機関を利用すると、胎児に影響が出ないよう安全な薬や診察方法を使うなどの特別な配慮が必要なことや、ほかの診療科が妊婦を避け、どんな症状であっても「産婦人科で診てもらってください」と帰してしまい、結果的に産婦人科医の負担が増えてしまうといった制度の背景が取り上げられた。
番組では「妊婦加算」を疑問視するような姿勢で報じていたが、玉川氏はその中で産婦人科医の負担が増えることについて、「産婦人科の負担が増えるってことだけど、産婦人科としてはいいんじゃないの? だって患者さんが来なければ報酬が増えないんだから。もうかってるわけじゃないか」とコメント。さらに「例えばラーメン屋さん(を)やってて、いっぱい客が来過ぎて負担ってことはないと思うんですよね。忙しいって言ったって限界があるわけで。診療時間しか診れないわけだから」と「妊婦加算」が導入された背景について異を唱えていた。
これに対し、視聴者からは「普通産婦人科とラーメン屋一緒にして考えるか?医者の仕事はサービス業じゃない」「人の命をよくラーメン屋に例えられるな…。」「ラーメン屋と違ってただ客が増えるわけじゃない。その分リスクも増えるってことなんだけど」という声が集まっている。
「『妊婦加算』は多くの人が気づかないうちに導入されたこともあり炎上した制度ですが、産婦人科医の負担が大きくなっているのは事実。玉川氏は『忙しいって言ったって限界がある』と言いましたが、外来は昼間だけでもお産は24時間あり、産科医は激務をこなしています。今回の玉川氏の発言に内情を考えていないという指摘も多く集まっており、『とんちんかん』『勉強して出直して』という厳しい声も集まっています」(芸能ライター)
「妊婦加算」の再開に反対するはずが、ネットからは猛反発を喰らってしまったようだ――。  
玉川徹氏 パトカー“幅寄せ”動画に「小役人の小さな権力」 2019/7/12
テレビ朝日の玉川徹氏が12日、同局「羽鳥慎一モーニングショー」(月〜金曜前8・00)に生出演。警視庁のパトカーが首都高でバイクに対し“幅寄せ”ともとれるような運転をする様子などを撮ったドライブレコーダーの映像について言及した。
番組では、バイクの運転手によるドライブレコーダーの映像を検証。映像では、午前零時ごろ、バイクが枝川出口付近でパトカーを追い抜こうとした瞬間、パトカーがウインカーを一瞬出しただけで幅寄せともとれるような方法で車線を変更。拡声器で「てめえ、ナメてんじゃねえぞ、こらあ」と罵声を浴びせ、バイクに追い越しをさせないようにパトカーは2車線にまたがる形で走行し「降りろ、もう高速。高速降りるまで抜かせねえかんな」と強い口調で命じた。そして、バイクだけを高速道路から降ろし、パトカーはそのまま高速道路を走り去った。
司会の羽鳥慎一アナウンサー(48)が「この前、香川の丸亀署の署員がリサイクルショップに行って“立ち入り検査するぞ”って言ったのとちょっと似てる感じがしますね」と話すと、玉川氏は「似ていますね。あれは皿が割れてて“買い取りません”って(店員が)言ったら、“お前らが割ったんだろう”と。“割ったくせに買い取らないとはなんだ”って話」と同調。「自分の問題でムカついた時に、その自分の権力をもって嫌がらせをして、自分の優越的な地位で、自分の感情を収めようとするってことですよね、丸亀署は。今回のパトカーどっちか分かりません。もしかしたら自分がゆっくり走ってんのに、パトカーを抜いてくるとは何事なのかっていう感情なのか、それとも後ろにいるのが分からないで車線変更したら来たので“なんだコイツ”っていうただそれだけのムカつきなのか」と言い、「どっちにしても何らかのことで感情的にムカついたんですよね。小さな権力をかさにして嫌がらせをしたってこと。小役人の小さな権力に基づいた嫌がらせって一番格好悪いこと」と指摘した。さらに「何のためにパトロールしているんだろう、警視庁。これちゃんと答える義務がありますよ」と強い口調で話した。  
 
尾木直樹

 

日本の教育評論家。法政大学特任教授。臨床教育研究所「虹」主宰。愛称は、「尾木ママ」。
滋賀県坂田郡伊吹町(現:米原市)生まれ。高松第一高等学校を経て早稲田大学教育学部卒業後、高校・中学校教諭、東京大学教育学部非常勤講師などを歴任。教員生活22年間を経て1994年に教員を退職。同年、臨床教育研究所「虹」を設立。東日本大震災後の被災地に何度か足を運び、教育や子育て支援活動にも取り組んだ。2011年7月2日、故郷の滋賀県米原市の「まいばらふるさと大使」に任命され、講演先の大津市で委嘱式が行われた。
早稲田大学大学院客員教授、法政大学キャリアデザイン学部教授、法政大学教職課程センター長・教授などを経て、2017年4月から法政大学特任教授。これまで200冊を超える著書を上梓し、講演会は若年層を中心に超満員となっている。
人物
父は気象庁の技官、母は小学校の教師であった。また、教師を目指す契機となったのは母であった。
高校1年の時、体育が苦手な生徒に蹴りを入れる体罰を行う体育教師へ体罰をやめるよう授業中に抗議し、口論の末、その後は体育の授業をボイコットしていた。
教師時代に「教師の立場では現代の教育現場を変えられない」と感じ、評論家となった。
女性のような物腰や柔らかい口調(いわゆるオネエ言葉)から「尾木ママ」という愛称で呼ばれている。ちなみに、「尾木ママ」の名付け親は明石家さんまである。彼自身はいわゆる「オネエ」ではないが、この口調は教師時代に女子生徒の進路の悩みから恋の悩みまで、交換日記にアドバイスを書いて渡していたとき、感性を高めるために染み付いたものであるという。
平和安全法制に反対を表明している。
2016年(平成28年)1月15日に起きた軽井沢スキーバス転落事故に法政大学の尾木ゼミの学生12人中10人が巻き込まれ、4人が死亡(3人が即死、意識不明だった1人は18日に死亡)、6人が重傷となった。ゼミ生のうち残る2人は予定が合わず翌日に現地合流する予定であった。また、この事故の犠牲者15人のうち運転手を除く全員が大学生であり、平成最悪のバス事故であった。
28歳の時に運転免許を取得。取得以来、無事故でゴールド免許だったが、2016年に娘婿にブレーキの遅さを指摘されたり、車庫入れがうまくできなくなったりしたため運転を控えていた。高齢運転者による交通事故の報道が相次いでいることもあり、2019年には運転免許証を武蔵野警察署に自主返納している。
発言
2014年8月31日、『軟式高校野球の準決勝。四日間に渡る延長50回は残念・残酷』と題し、同件について「こんなバカな試合をやらせるとは 教育機関なのかどうか」「残酷ショーさせた高野連に緊急見解を求めます」「まさか 精神論や武士道 おっしゃらないでしょうね」などと日本高等学校野球連盟への怒りをあらわにし、今後高野連に対し見解を求める意向を明らかにした。
佐野研二郎が考案し手掛けた東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムのデザイン料が200億円にも上るというデマがインターネット上で拡散され、ネットユーザーから非難が集中する騒動が起こったが、このデマの発端は2015年8月18日の尾木のブログではないかとJ-CASTニュースが指摘した。実際には、公募の中から東京五輪・パラリンピック組織委員会が採用したエンブレムのデザイナーに支払われる対価は著作権譲渡などによる100万円であり、その他に受け取る対価はない。尾木はブログ上で「素人にはよくわからないのですが...」としたうえで「東京オリンピックのエンブレム デザイナーにはいるお金 200億!と言われ 私たちもエンブレム入りのグッズ買えば料金の中にはデザイン使用料が入っているのではないのでしょうか!?」などと記していた。J-CASTニュースの取材に対しては「情報番組で(誰かが)話していたのを聞き、驚いてブログに書いた。その際、オリンピックのエンブレム使用料は(売上の)4〜5%で、グッズなどに(エンブレムが)使用されると200億円くらいデザイナーに入ると言っていた」と釈明している。また、その後ブログにて本人が謝罪を行っている。ただし、J-CASTニュースによればその内容と完全に合致する発言がなされた情報番組は確認されていない。なお、この件に関連して前日の8月17日には、『デザインのトレースは泥棒。人の車盗んだも同然!本人に謝罪無しとは…』と題して当事者間に割って入り、佐野を咎める発言をしていた。 
尾木ママという日本をだめにする教育評論家 2015/3/2
尾木直樹という教育評論家がいます。通称尾木ママといい、お姉キャラで教育問題でテレビに出ています。
私はこの人の発言に違和感を持っています。
それは鹿児島県伊佐市の大口高校の難関高校合格に報奨金制度に関しての意見です。
もうこの問題をご存知の方も多いと思いますが、伊佐市の大口高校では志願者が減っていき、定員割れが続いていました。
もし、廃校にでもなれば伊佐市に住んでいる子供たちの進学の選択肢が狭まり、人口減少に繋がると判断した市長は、5年間で5000万円の予算を計上し、市議会で難関大学に合格したら報奨金を支払うという制度を可決しました。
尾木ママはこの制度に教育の何たるかをわかっていない制度とかみついたのです。
お金で教育は語れません。それは正論です。
でも、過疎化していく地方都市で人口流出は大問題です。すこしでも子供たちの教育環境を整えて、この地に住み続けてもらう努力を地方自治体はしなければならないのです。
正論を振りかざし、地方の努力を批判するなど、地方自治体のユニークな考えをつぶそうとしているとしか思えません。
伊佐市は鹿児島県と熊本県と宮崎県の県境にある人口27000人ほどの小さな市です。
ここにある県立大口高校は定員割れが続き廃校の危機にあります。
当然士気も低くなり、教育熱の高い鹿児島県民としては他の選択を選ばざるを得ない状況が続いています。
この市の子供たちの多くは伊佐市外の高校に行っているのです。
そのために市は対策として難関大学たとえば東大や早稲田慶應などに合格したら、報奨金の100万円を支払うという制度を考えたのです。
地方はなぜ人口流出するかといえば、地元に住みたくても仕事がないから、仕事を求めて都心部へ行くのです。
日本全国では東京に集まり、九州では福岡に集まります。
人が減るからまた経済が落ち込み、企業や商店が撤退し、雇用機会が減少という働き口がないためにやむなく故郷を捨てなければなりません。
でも、子供には教育だけは受けさせてあげたいという親の願いは日本人共通だと思います。
ハワイの移民で日系移民が稼げるようになるとそのお金を子供の教育にあてたと聞きます。
中華系の移民はその金で商売をし、土地を買えるようになったら土地を買ったとされています。
小泉首相の演説で有名になった長岡藩の米100俵の話でも分かるように日本人は教育というものを大切にしてきました。
併合して日本領になった台湾や朝鮮半島全土の学校を作り、その子弟の教育に尽力しました。
だから、台湾も韓国も戦後経済成長ができたのです。もし、日本が欧米のように領土にした場所に教育を施さなかったら今でも台湾や韓国は貧しい国だったはずです。
台湾はそのことを十分にわかって感謝してくれていますが、韓国はそのことはおくびにも出さずに文句ばっかり言っています。
人の教育というのはどれだけ気の長い話になるのかを理解せねばなりません。
話を元に戻します。
鹿児島県伊佐市の大口高校ですが、誰が喜ぶと思いますか?
受験生?
いいえ、受験生を持つ親たちです。
日本政府は外国からの留学生には返還不要の奨学金を生活費込みで支払っていますが、普通の日本人はそれがなくて困っています。
私も3人の子供育てましたが、教育費に一番お金がかかりました。
長男は一浪しましたが本人も努力して早稲田大学へ合格し、卒業後金融系の会社に勤めています。昨年結婚し、8月には子供が誕生する予定です。
親として子供が努力している時に、「お金がないからそれは無理」とは言いたくありません。
何とか工面して学費や東京での生活費を出してあげたいと思っています。
それは自分も自分の親からそうしてもらったからだと思います。そうでなかった人もいるとは思いますが。
自分が住んでいる高校に行って一所懸命に勉強すれば、親の負担を軽減でき、さらに自分も目指す大学に進学しやすくなると思えば、地元の高校に通うでしょう。
そんな生徒がたくさん入ってきたら、先生方も本気を出して子供たちを教育するでしょう。地域の人たちも真剣に応援するでしょう。
郷土ぐるみで応援された子供たちは自分の志望校に行くときに、故郷の恩を心で感じながら勉強するのです。
そうやって学んだ学生が世に出たら、「世のため人のため」に生きる人が増えるのではないでしょうか。
教育問題は単純には割り切れません。そしてきれいごとで済まされるものではありません。
尾木ママの地方の努力を実態も知らないで表面だけで批判する態度に強烈な違和感を持っています。
7年ほど前ですが、黄柳野高校という不登校生徒を受け入れる高校である事件が起きました。
それは、高校内に喫煙室が設けられていたということでした。
朝のワイドショーに出ていた尾木ママはこのことを教育の風上にも置けない愚行だとけちょんけちょんにけなしていました。
この件から私は尾木ママに対して強い不信感を持っていたのです。
それは、この高校自体が全国の不登校生徒の受け皿として設立された全寮制の学校で、落ちこぼれを出さないように教育に力を入れている学校だったのです。
自分の高校の評判が落ちるといけないから、問題児を切り捨てる高校が多い中、その受け皿として作られた高校だったのです。
いわば必要悪の存在です。ないならないに越したことはないのです。
しかし、不登校児童が問題になる中、きれいごとではなく真っ向から教育に立ち向かっていると思っています。
他の高校を追われ編入してくる生徒の大半が喫煙経験を持っています。
でも、いじめなどで不登校になっていた喫煙習慣のない生徒もいます。
それが教室や廊下や便所などで喫煙するような状態が普通であれば、喫煙習慣のなかった生徒までが喫煙するようになるのです。
だから、この時の校長は隔離政策を取りました。
喫煙したいものは喫煙してよい、但し、決められた場所でするようにと作られたのが喫煙室だったのです。
これはまず、喫煙している生徒と喫煙しない生徒を分離する効果がありました。
喫煙が日常的なものではなく、非日常であるということをわからせたのです。
さらに、喫煙する場所を決めるということで今までルールを守らなかった生徒にルールを守る習慣をつけさせるのです。
そして一定の社会的ルールの中で生活をすることを身につけていくのです。
しかし、この時も尾木ママは「学校自体が法律を破って子供たちに喫煙を認めるということはどういうこと!」と避難していました。
ここにいる子供たちは普通の高校では居場所のなかった生徒たちだったのに、その現実を見ないできれいごと、正論だけで批判していたのです。
この校長は、先日ここで書いた台湾のアヘン問題を児玉・後藤コンビがどう解決したかを知っていた人だと確信しています。
尾木ママはさらに道徳教育を学校で教科にすることも反対しています。
こういう耳触りのいい、そして人当たりの良い論調で人々の心を惑わし、正論だけで語って現実に対処せず、国家というものがあって私たちが無事に暮らしていけるということを無視する教育者やそれに同調する人たちが増えてくることに危機感を持っています。
国家や国旗を押し付けるなという教員が存在する限り、我が国の教育は正常化しないでしょう。
なぜならば、学問をするのは私個人のためでなく、身につけた学問により世のため人のために尽くすことだからです。
これらは吉田松陰先生をはじめ、北里柴三郎博士など日本を代表する偉人が常々口にされてきたことです。
尾木ママはこの国旗や国歌問題の時には一切前に出てきません。政治的に発言したのは道徳を教科に格上げするときに反対を言ったくらいだとみています。
そうやって正体を明らかにしていませんが、垣間見る言動からは左翼的思想が見え隠れすると思うのは私だけでしょうか? 
尾木ママ、業界内での悪評…すぐ感情的になり暴言、おネエ系と真逆 2016/6/27
「尾木ママ」こと、教育評論家の尾木直樹氏が批判に晒されている。
尾木氏は自身のブログで、北海道の小学2年生、田野岡大和君が行方不明になった事件について、父親に対し次のように批判の記述を繰り返した。
「7歳の子どもを北海道の山中に車で放置するとは! なんという虐待!?」(5月29日)
「こんな状況に置いた親は厳しく批判されるべきです。警察にも間違いなく逮捕されることでしょうね!」(同31日)
「これは置き去りそのものが真実なのか。失礼ながら疑いたくなってしまいます…」(6月3日)
これらの辛辣な発言をめぐってインターネット上で炎上し、尾木氏は謝罪に追い込まれた。
尾木氏がブログ上に並べた大和君の父親を非難するコメントは、普段テレビ番組で披露するおネエ系のトークとはまったく異なる。その違いに驚きの声も上がったが、尾木氏は熱くなると表現が過剰になる“瞬間湯沸かし器”の素顔を持っているという。
「直情型というか、よく言えば正義感が強いというか。我々が尾木ママに取材を求めると、辛辣なコメントをすることがあって、『これを報道していいですか?』と尋ねると、尾木ママは『やっぱり……』と一気にトーンダウンすることがあります」(テレビ局関係者)
たとえば、2012年の夏の高校野球の大会期間中、出場校の栃木・作新学院高校の部員が暴行と強盗で逮捕、広島・広島工業高校の部員が強制わいせつで逮捕される前代未聞の事件が起きたときのことだ。
「あるメディアが尾木ママに取材したところ、『甲子園大会自体を中止にすべきだわね!』とコメント。それを報道していいか尋ねると、『それはちょっと……』と言い過ぎたことを反省して、別のコメントに替えたことがあったそうです。確かに出場校の部員による事件は前代未聞の不祥事ですが、だからといって関係のない部員、他の出場校まで巻き込んで全体責任を問うて、大会自体を中止にすべきと提言するのはいかがなものでしょうか」(別のテレビ局関係者)
ほかにも、あるメディアが別件の教育問題で尾木氏に取材しようと電話したところ、「今忙しい!」と即刻断られてしまったこともあるという。
「テレビ番組で見せるおネエ系の言動とは違ったので、そのメディア側はビックリしたそうです。ときに感情的になり、暴走してしまう素顔を知っているメディア関係者は、北海道の事件で尾木ママが謝罪したことに『やっちゃったか』『案の定』と妙に納得したのではないでしょうか」(同)
尾木氏は20日に放送された『橋本×羽鳥の新番組(仮)』(テレビ朝日系)で、前大阪市長の橋下徹氏から「あれは尾木さん、教育者としてはダメです」と批判された。尾木氏は謝罪し、「あの後の私のブログ、ものすごく丁寧です」と反省を示した。
「テレビ局関係者の間では、『教育評論家としてどうなの?』と疑問を抱き始め、敬遠の姿勢を見せている番組もあります。口は災いのもとですね」(同)
特異なキャラクターで親しまれているだけに、自らの舌禍で価値を下げてはもったいない。 
橋下徹"尾木ママは荒れた学校を見てみろ" 2017/11/15
毎日新聞が行った大阪府立高等学校に対するアンケートの回答では、回答した学校の6割で「地毛登録」を行っているとのこと。さらに、このアンケートの回答によれば地毛が茶色の場合に黒染め指導する学校はないようだ。地毛の色はそのまま認めるということ。
まあ、そもそも地毛登録というのは地毛が茶色の子供にまで黒髪を強制することがないようにするものだから、地毛登録をしながら地毛が茶色の場合に黒染め指導するというのはおかしな話だね。つまり地毛登録制度は子供たちを守るためのものであって、それがない方が、地毛が茶色の子供が黒染め指導されるリスクが高くなる。
教育評論家の尾木直樹さんは、この地毛登録制度について「生徒の身体的特徴や遺伝に関わる情報を収集するものでプライバシーの観点から問題がある」なんて軽薄なコメントを出していたけど、地毛登録制度がある方が、地毛が茶色の子供が守られることへの思いが及ばない。さらに「強制的に黒髪にさせても教育上効果がない」とコメントをしているけど、これは教育現場の現実について全く悩みのないコメントだね。尾木さん、本当に教育現場で仕事していたのかね。
尾木さんは気付いていないのか、知らないのか、学校現場には次のような悩みが現実に存在する。
大阪府内の中学校や例の懐風館高校では、生まれつき髪が茶色でも黒く染めさせる指導をしていたという報道がある。ここは報道が錯綜しており、生まれつきの髪が茶色ならその色を認めて黒く染めさせてはいないとの報道もある。
いずれにせよ大阪の教育現場の教員に話を聞いてみると、生まれつき髪が茶色の子供がさらに茶色に染めてきてトラブルになることが多いらしい。明らかに茶色に染めているのにそれを指導すると地毛だと主張する。確かに地毛は茶色で、学校側も地毛の茶色は認めるけれど、さらなる上乗せの茶色染めは認めない。このような指導なら一概に学校が悪いとは言えない。懐風館高校の訴訟の件は、まだ生徒側の主張しか報道されていない。この段階で今回の件を断じるのは非常に危険だ。これから学校側の主張も出てくるので双方の主張をしっかりと見てから現実の問題について悩むべきだ。学校側は指導に問題がなかったと主張しているので、自称インテリが一斉に批判しているような単純な案件ではなさそうだ。双方の主張をしっかりと見ていきたい。懐風館高校を批判している自称インテリの主張を見ると、学校現場の現実の悩みには何ら思いを寄せていない感じだね。学校現場からのヒアリングもせずに批判だけしている。地毛が茶色の子供がさらに茶色に染めている教育現場の状況など全く想像もできないんだろう。
さらに現場の意見としては、もし生まれつきの茶色はOKだとしたら、多くの子供や保護者が、「自分(この子)は生まれつき茶色だ」と言ってくる懸念がある、とのこと。まあ端的に言えば、嘘を付いてくるということだね。子供や親を信用していないのか! と言われるかもしれないけど、これが大阪における現実なんだよね。
もちろん大阪の学校の全て、大阪の保護者全てがそういうわけじゃない。だけど学校がいわゆる荒れていて、指導が大変な学校では、そのような子供や保護者が多くいるということも大阪の現実なんだ。
髪の色なんかにこだわるな! グローバルな時代では髪の色はバラエティーに富むのが当たり前だ! そんな意見は誰でも言えるもっともなこと。
しかし大阪の荒れた学校で、子供の非行と髪の茶色がリンクしていることも間違いない事実。髪の色なんか関係ない! と言っている人たちは、しっかり勉強してきた人たちや進学校で育ってきた人たちが多いよね。そういう学校では髪の色も、髪型も、服装も自由であって何の問題もないんだろう。どんな髪の色であろうが、どんな髪型であろうが、どんな服装であろうが、そういう学校の子供たちはやることはちゃんとやるからね。
じゃあ、荒れている学校はどうなのか? 子供たちを校則で縛るな! と言っている人たちには、こういう学校をぜひ見てもらいたいよ。おそらく荒れている学校の現実を知らずに、髪の色は自由にしろ! なんて言っているんだろう。
生徒が学校に来ない、授業を聞かない、生徒同士のケンカ、そして生徒による教師への暴力などが常態化している学校を立て直すのはほんとにしんどいことだ。これらは現場の先生が日々闘ってくれている。そんな学校での指導方法の要は、髪の色と服装を正すことと挨拶の徹底から。こんなところから、徹底して指導しなければならない現実がある。
こういう指導方法については賛否があるだろう。しかし、現場の先生がそのような指導方法に効果があると言っている以上、教育指導の素人である僕などの政治家が口を挟むわけにはいかない。明らかにおかしいだろ! という指導方法でない限り、現場の先生の裁量を尊重することが重要だ。
いつも朝日新聞や毎日新聞は現場の声を聞け! と言っているのに、いざ問題が起きると現場の声に任せるな! 現場に任せたトップが悪い! と批判するんだよね。ほんとご都合主義。
自由が大事だ! 自由を認めろ!! と単純に言う人たちは、あらゆる人間が何もしなくてもルールを守り、自らを律する人間であり、そんな人間を信じることが重要だと、きれいごとばかり言うことが多いよね。こういうきれいごとを言う人たちは、善人ぶっているのか、世間を知らないのか。自由を謳歌できる社会を維持するためには、各人が必死に努力して他人の自由を侵害しないようルールを守る必要がある。つまり自由を享受するためには自らルールを遵守する努力が必要なんだよ。だからこそ教育現場ではルールを守らせる教育が重要なんだ。
大阪の荒れた学校で髪の色を自由にしたら学校現場は収拾がつかなくなるだろう。だから学校現場で生徒の髪の色にこだわることは理解できる。実際、僕も中学2年の夏休みに、オキシドールで脱色したら、2学期の始業式のときに用務員室に連れて行かれて白髪染めで真っ黒にされたよ。でも今考えると、髪の色の指導は僕が通っていた中学校では必要だったんだと改めて思う。
じゃあ「元々の地毛が茶色だからそれは認めろ!」という主張についてはどうか? おそらく僕が通っていた中学校でそんなことを認めたら、一斉に地毛茶色の主張が出てくるね。本当は地毛は黒なのに、嘘の地毛茶色主張。親が子供をコントロールできていない家庭が多かったし、さらには親までが嘘の地毛茶色主張をしそうな環境だった。
僕が中学校のときと今の大阪の学校現場の状況は異なるだろうし、今の学校現場を僕自身つぶさに現認したわけじゃないけど、それでも荒れた学校がまだ多く存在するということはよく耳にする。髪の色の指導は全く不要というわけではないんだろう。
さらに学校現場での髪の色、髪型、服装の自由を認めると、それ以外にどこまで自由を認めるべきなのかという問題にもぶつかる。ピアスは? 装飾品は? それこそタトゥーは? 全て自由にしたらいいじゃないか! という意見もあるだろう。アメリカなんかは結構自由だよね。日本のインターナショナルスクールもそんな感じ。
それはそれで一つの方向性だろうけど、でも日本の学校がアメリカのやり方に全て合わせる必要はないし、大阪の荒れた学校であらゆる自由を認めたら、現場はお手上げ状態になるだろう。
完全に自由を認めることができる学校もあれば、完全な自由を認めることができない学校もあるんだ。そもそも自由って、楽なもんじゃない。むしろしんどいよ。全て自分で律していかなければならないからね。 
尾木直樹の現在は?ブログ炎上の理由はなぜ&詐欺被害金額は? 2018/11/8
教育評論家としてテレビなど多くのメディアに取り上げられ、本を出版するほど注目されていた尾木直樹(愛称:尾木ママ)さんですが、最近あまりバラエティ番組などで姿を見ないため、現在何をしているのか気になります。少し前には詐欺被害にあったことで話題となったので詳細が知りたいです。また、尾木ママといえば度々のブログの炎上で話題となりましたが、なぜブログが炎上してしまったのか理由も深掘りしていきたいと思います。
尾木直樹の現在は?
少し前まではバラエティ番組によく出演していた尾木直樹さんですが、現在も頻繁にテレビ番組に出演されているようです。
ただ、テレビ番組といっても最近は教育評論家として教育系など問題について議論をする番組などによく出演をしているみたいです。
昔から朝や昼の時間帯を中心にニュース番組などに教育評論家として出演をしていた尾木直樹さんですが、近年はNHKで教育を専門に扱う番組にも出演するなどより教育評論家としてテレビで活躍することが多くなったように感じます。
また、昔と変わらず現在も教育を中心に様々な本を出版しているようです。
尾木直樹さんは2017年に法政大学キャリアデザイン学部を退官し、現在は法政大学の特任教授でありますし、臨床教育研究所「虹」の所長も務めているようです。
現在も尾木直樹さんは教育について勢力的に活動をしていました!
尾木直樹のブログ炎上の理由はなぜ?
尾木直樹さんのブログは度々炎上をしますが、炎上の理由に関しては複数の理由があると思います。
ただ、その中でも1番大きな理由としては尾木直樹さんのブログには若干感情的、短絡的な点がみられるということだと思います。
何度か炎上している尾木直樹さんのブログですが、かなり炎上したのは北海道の男児置き去り騒動です。
炎上の理由としては男児の発見の前後で尾木直樹さんが発言を一転させたことやあまりにも行き過ぎた発言をしてしまったことです。
また、東京オリンピックのエンブレムに関しては「エンブレムをデザインした佐野研二郎さんに200億円が入る」という尾木直樹さんの勘違いによってデマ的な発言をしてしまい大炎上しました。
尾木直樹さんは歯に衣着せぬ発言で良い評価もされていますが、それが行き過ぎて厳しい批判をされることも多々あるのは事実です。
尾木直樹さんが詐欺被害に!?被害金額は?
尾木直樹さんは2018年7月17日にネット上で詐欺被害にあったことをブログで報告しました。
詐欺の種類としてはハッキング詐欺で被害額は2万8千円だそうです。
パソコンでサッカーのワールドカップの決勝戦を見ようとしていたところパソコンがハッキングされたことが表示され、その表示の指示どおりに電話をかけたそうです。
そうしたところセキュリティーの対策の費用を払うためにクレジットカードかプリペイドカードの番号を要求されたそうで、尾木直樹さんはプリペイドカードで2万8千円を払ってしまったそうです。
結果的に振り込め詐欺だということが判明したそうですが、尾木直樹さんは2万8千円の詐欺被害にあいました。

ここまで尾木直樹さんの現在を中心にまとめてきましたが、尾木直樹さんには厳しい意見も多いですが、尾木直樹さんが取り上げた物事の議論が活発化するなど良い点もたくさんあります。 
尾木直樹はきれいごとで評判最低? 2018/11/10
教育評論家としてテレビに出演され、多くの本も出版されている尾木直樹(愛称:尾木ママ)さんですが「きれいごとが多くて嫌い!」といった意見があるみたいです。また、「すぐに感情的になる!」といった意見や「短絡的すぎる!」といった厳しい意見もあるみたいです。その一方で「歯に衣着せぬ発言が好き!」といった意見もあり尾木直樹さんの評判は大きく分かれています。ということで評判についてまとめていきたいと思います。
尾木直樹はきれいごとが多くて嫌い?評判最低?
尾木直樹さんについての評判ですが、一定数の人からは厳しい意見もあります↓
人によって発言の捉え方などに差は出ますが、検索欄に「尾木ママ きれいごと」というキーワードが出るほど尾木直樹さんの発言に対して綺麗事だと感じている人は多いということでしょうか?
確かに歯に衣着せぬ発言で人気の教育評論家である尾木直樹さんですが、自身のブログでは度々炎上をし、ブログにたくさんの批判がくるということもあるようで尾木直樹さんに対する批判は多いようです。
特に北海道の男児置き去りの騒動では尾木直樹さんの発言が男児が発見される前後で一転したことや騒動に対してあまりにも行き過ぎた発言をしてしまったことでブログは大炎上。事件によって尾木直樹さんのブログが炎上したこともニュースになるほどで、尾木直樹さんは後に謝罪までしています。
他にも東京オリンピックのエンブレムについては「エンブレムをデザインした佐野研二郎さんに200億円が払われる」といった勘違いによるブログを書き、大きな物議を醸しました。
このように尾木直樹さんに対して批判的な意見や「嫌い」といった感情をもっている人がいることは事実のようです。
尾木直樹のことが好き?評判は?
「嫌い」といったマイナス的な意見も多い尾木直樹さんですが、「好き」といったプラスの意見が多いことも事実です。
尾木直樹さんの優しさや問題に対して持論をしっかりと展開する点などが好意的に捉えられているようです。
確かに尾木直樹さんのブログの閲覧者数は半端ない数がおり、尾木直樹さんが投稿する記事に関しては必ず「いいね!」やコメントなどリアクションがあるので、かなり多くの人が尾木直樹さんに注目していることがわかります。
自身の意見をきちんと言える点は本当に素敵だと思います。

ここまで尾木直樹さんの評判についてまとめてきましたが、万人から好かれることなど誰しもあり得ず、必ず批判的な意見も出ます。むしろ良い評判と悪い評判の両方があること自体が当たり前だと思います。尾木直樹さんは炎上などもしますが尾木直樹さんの発言の内容に注目が集まり、その内容に関して議論が活発化していることは事実です。 
尾木ママの「教師による暴力反対」という“思考停止”に批判続出! 2019/1/29
1月15日に東京・町田市で発生した50代教師による男子生徒への暴行問題をめぐり、教育評論家の“尾木ママ”こと尾木直樹氏への批判が続出しているという。この問題では生徒側が再三にわたって教師を挑発し、ついにキレた教師が生徒に手を出したという経緯が判明。それゆえ世間では教師に同情する声も多く、寛容な処分を求める署名は5000筆を突破している。その一方で、理由は何であれ教師による暴力や体罰はNGという意見も少なくない。
後者の立場にある尾木氏は1月23日に、「体罰とは【身体に加える有形力】」というタイトルでブログを更新。アメリカでは体罰に関して、保護者から体罰を与えることを認められた生徒のみを対象に、パドルを使ってでん部を1〜6回叩くという定義があるとし、教育委員会への報告義務があると説明した。その上で、そういった体罰既定のない日本では「規定無い有形力の行使は単なる暴力・暴行にすぎません」と糾弾したのである。
さらに「警察により逮捕も可能です!」と体罰に関して警鐘を鳴らし、「感情論ではなく もう一度 冷静に考え直したいですね」と問題を提起した。その主張に対してアメリカ在住経験のあるライターが疑問を呈する。
「たしかに全米19州では州法で体罰が定義されており、その法律に従って年間10万件以上の体罰が行われています。しかしそういった事実をもって、今回の件を『教師による体罰は法律違反』といった観点で捉えるのは、短絡的ではないでしょうか。尾木ママの主張に対しては『5000筆の署名を無視するのか!』との批判が殺到していますし、なによりアメリカの事例を挙げるのであれば、実際の高校ではどうなっているかを紹介しないのは一面的すぎます」
同ライターによると、今回の問題がアメリカで発生したら、教師が生徒を殴るまでに至らなかった可能性が高いという。契約社会のアメリカでは教師と生徒の両方が様々な規則に拘束されており、言葉を含むあらゆる暴力行為は厳に禁じられている。そして今回のような生徒による挑発は明らかな規則違反であり、高校内に常駐している警察官(スクールポリス)により制圧され、時には手錠を掛けられることすらあるというのだ。
「アメリカの学校における“定義”を例に出すのであれば、その定義によって生徒側も縛られていることにも触れるべき。アメリカなら今回の生徒による挑発は“授業妨害”とみなされ、警察官による逮捕も十分にありえます。しかし尾木ママの指摘はそういった生徒側の責任を無視しており、教師の暴力という一点のみに注目して批判している。これは『暴力反対』にこだわり過ぎた思考停止ではないでしょうか」(前出・ライター)
もちろん尾木ママの指摘に賛同する保護者もおり、この問題を巡ってはしばらく、喧々諤々の論争が続きそうだ。 
 
寺脇研

 

日本の元文部官僚。京都造形芸術大学教授。映画評論家。官僚時代にはゆとり教育の広報を担った。文部省NO.1の論客でならした。福岡県福岡市出身。
当時九州大学医学部講師で後に鹿児島大学医学部小児科教室教授となる医師・寺脇保の長男として生まれる。母方の祖父も小児科学の医師で九州大学医学部長や九州大学総長、久留米大学学長等を務め勲一等を受けた遠城寺宗徳。遠城寺は父・保の師でもある。10歳まで福岡で過ごした後、父の鹿児島大学医学部への赴任に伴い鹿児島県に転居。
1965年、ラ・サール中学校に首席合格(中学の同級生に俳優・タレントの池畑慎之介(ピーター)がいた)。1971年にラ・サール高校を卒業後、高校卒業時の成績は250人中230番台であったが、卒業式では卒業生総代として答辞を述べた。その内容は
「中学から入った150人の生徒は、卒業時は120人になった。成績の悪い生徒を追放して実績をとる。それでもこの学校を素晴らしいと言えるのか。」
というものだったため、翌朝の地元紙には「造反答辞」と報じられた。高校卒業後は現役で東京大学に入学、法学部に進学した。
1975年、東京大学法学部を卒業し、文部省にキャリア官僚として入省し、1992年には職業教育課長就任。広島県に教育長として出向(1993年-1996年)した後、文部省に復帰した。事務次官有力候補者が任命される官房三課長には就かなかったものの、大臣官房政策課長を経て、いわゆる中二階ポスト(局次長・審議官・部長)である大臣官房審議官(生涯学習政策担当)に就任した。この間、同省の推進した「ゆとり教育」政策に関して、マスコミの前面に出て同省の見解を説明するスポークスマン的な役割を担った(ゆとり教育に関わる点の詳細は後述)。
2002年、大臣官房審議官から外局である文化庁文化部長に異動となった。2006年4月、同省の事務方より退職勧奨を受けるが、小坂憲次文部科学大臣に慰留されたこともあって辞職せず、中二階ポストから寺脇のために新設された課長級に当たる大臣官房広報調整官に就任するという異例の降格人事となった。その後、2006年11月10日付で文部科学省を辞職した。現在は東大卒の元文部官僚との冠付きで関西ローカル番組によく出演している。この他、北海道芦別市にある星槎大学通信制課程共生科学部の客員教授も務めている。
教育
文部省・文部科学省在任中は、初等中等教育政策に深く関わったことから、教育に関する著作が数多い。また、在任時には「ミスター文部省」と呼ばれていた。
そのため、「ゆとり教育」を中心としたこれら一連の政策への批判が高まるとともに、個人としても批判を受けることが多くなった。元産経新聞論説委員の高山正之からは、小尾乕雄・鳩山邦夫と並んで、日本の教育を崩壊させた張本人だと批判されている。
2002年の文化庁への異動は、文部科学省が批判をかわすためであったが、文化庁への異動後も「ゆとり教育」肯定の立場から発言を続けた。
2006年の文部科学省退官直前には、「今後も教育や文化について、民間の立場から取り組んでいく」と述べている。その後は「ゆとり教育」推進の立場からの発言や著作を続けた、2009年からはNPOカタリバが主宰する高校生支援・キャリア学習プログラム「カタリバ大学」の学長を務める。また2007年には、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し、開校後は理事を務めている。ちなみにこの学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。また、朝鮮学校の高等学校等就学支援金対象除外に反対する「無償化連絡会大阪」の賛同人も務めている。同年からは京都造形芸術大学でマンガ学科の教授に就任した。9月にはゆとり教育の見直しが進んでる状況に自身の現場経験から沈黙を破り異議を唱える本を出版した。
2017年の文部科学省における再就職等規制違反という天下り問題では官僚を早期退職させる仕組みが原因だとして、(1) 官庁が再就職に関与すること (2) 本人が在職中に求職活動をすること (3) 再就職した者が離職後2年間の期間に元勤務した官庁に働きかけをすること――の3点さえ守れば再就職は許すべきだとして、騒いでいる人は問題視しすぎとしている。さらに国立大学法人(従来の国立大学)への現役出向まで「天下り」として禁止すべきだと主張した自民党議員を国立大学法人を含む独立行政法人への現役出向は合法なのに感情的になっているとして批判した。  
文科省官僚 寺脇研のこと 2008/7/26
本日は文科省官僚の寺脇研(現・文化庁文化部長)について書いてみよう。いわゆる「ゆとり教育」の推進者として、保守派の間ではこの人はとにかく評判が悪い。私も、日本の教育をダメにした「戦犯」の一人だと思っている。
で、なんで寺脇のことを当ブログで取り上げるかというと、彼は高名な映画評論家でもあるからだ。ダメな「本業」とは裏腹に、この「副業」の方はなかなかの仕事ぶりを示していて、特に日本映画に対する知識と造詣には無視できないものがある。マイナーな作品にも丹念に目を配り、広島県教育長時代(注:この時期に広島県の中高生の偏差値は急降下したらしい ^^;)には地元でピンク映画を観ているとスキャンダルになりかねないというので(爆)、東京出張時には勤務終了後にピンク映画館に入り浸ってまとめて鑑賞していたというエピソードは有名(笑)。多少左がかった部分があるにしても、少なくともつまらぬ提灯記事や知識不足の「感想」しか垂れ流せない「映画売文家」よりはずっとマシな、骨のある評論家であると思っていた・・・・少なくとも数年前までは。
以前、政府が旗を振って推進していた「日韓友情年2005」とかいう、よく意味のよく分からないイベントに文化庁もタッチしていたせいか、彼自身も近年やたら韓国映画を持ち上げるようになったのには呆れる。まあ、以前にも書いたけど、韓国映画にも確実に良いものはあるし、俳優にも存在感のある人材が多い。ただし、総体的なレベルでは今の日本映画の敵ではない。秀作・佳作の数では邦画の圧勝だ。特に韓国は政府が力を入れて助成しているにもかかわらず、やっと「あの程度」である。
そんな韓国映画を、いくら文科官僚としての「立場」があるとはいえ、手放しで褒めそやすのはいかがなものか。しかも彼は映画芸術誌407号で「30数年にわたって観続け、支持し続けてきた日本映画、今や弁護しづらくなってしまうほどのていたらくにあると思う。いったい何がダメなのかと考え込んでいたのだが、韓国映画を見ていくにつれ、日本映画の問題点が明瞭になってくる気がするのである」とまで書いている。たぶんその「弁護しづらくなってしまうほどの日本映画」とは「世界の中心で何とやら」だの「踊るナントカ捜査線」だのといったシャシンのことだと思うが、我が国で韓国ものがメジャーになるずっと前から韓国映画を観ていた私から言わせれば、大部分の韓国映画は、その「弁護しづらくなってしまうほどの日本映画」のレベルにも達していない。
ひょっとして彼は「いや、オレが持ち上げている韓国映画とは、一部の上質の作品のことだ。韓流スターが雁首並べているだけの下世話なシロモノのことではない」と弁明するのかもしれない。でも、彼がやたらと絶賛するイ・チャンドンやキム・ギドクといった「一部の韓国の映画作家」の作品群は、どう贔屓目に見ても上等なシャシンではない(まあ、イ・チャンドン作品には良いものもあるが)。それどころか「韓国映画の後進性」の「図式」を如実に示しているような、観ていて苦笑するようなものばかりである。
結局、彼がそれまで日本映画を重要視していたのは、たぶん彼の中に「邦画は欧米映画よりも劣った存在である」という認識が最初からあり、欧米映画という「権威」に対する「反・権威」としての表明に過ぎなかったのだろう。ちょうどサヨクが「反・権力」ばっかりにウツツを抜かすのと同じだ。ところが近年アジア映画という「第三勢力」が台頭し、しかもその中の韓国映画や中国映画に反日的なテイストを持つ作品が散見されたため、根がサヨクな彼は「日本映画も権威であり、アジア映画こそが反・権威である」と合点してしまったのではないか。つまりは「アジア映画に良いものがあるから評価する」のではなく「アジア映画だから評価する」ってことだろう。物事を客観的に見ることができない−−−これぞ「サヨク」の特質であり、彼はその代表と言える。
なお、私は映画祭のパーティ会場で彼と何度か言葉を交わしたことがある。会った感じは、なかなかいい人のようでした・・・・けどねぇ・・・。 
 
ゆとり教育の真実 出口汪/寺脇研 2010/10  
1 時代が変わる。だから教育も変わらねばならない
“脱近代”を見越した「ゆとり教育」
出口  最初からいきなり本題に入ってしまいますが、基本的に僕は「ゆとり教育」には大賛成だったし、今でもその考えは変わっていません。ただ、現状としては、ゆとり教育とはだいぶ違う方向に、国全体が動いていっているように思います。寺脇さんは文部科学省にあって、ゆとり教育の中心的な推進役というイメージが強いのですが、当時、ゆとり教育についてどのような考えをお持ちだったのでしょうか。
寺脇  今は、「ゆとり教育」と呼ばれていますけれども、文科省としては、ゆとり教育と呼んでいたわけではないのです。ゆとり教育というのは、いい意味でも悪い意味でもマスコミが貼り付けたレッテルですね。ゆとり教育は、長い時間と多くの方々の知恵と経験を結集して検討した結果、導き出された教育政策でした。すなわち、生涯にわたって学習する、その一環が学校教育である、という考え方に立った教育改革が必要であること、そのために知識重視型ではなくて経験重視型の教育方針のもとで生きる力をはぐくみ、ゆとりある学校づくりを目指すこととしたのです。あとでお話しますが、「時代が変わる」ことが、その根底にあります。経過を簡単に説明すると、ずいぶん前になりますが、中曽根内閣の時代、1984年に、臨時教育審議会(臨教審)という総理大臣の私的諮問機関が設置されました。当時、京大の学長をされていた岡本道雄先生を会長に、加藤寛先生とか、石井威望先生とか、当時のそうそうたる知識人をお迎えし、塾や予備校の先生から、PTAの代表から、いろいろな人からお話をうかがって、3年間議論しました。その結論がこうだったわけです。だから、いわゆるゆとり教育で、教科書がどうなるとか、土曜日を休みにするかとか、あるいは「総合的な学習の時間」をやるのか、というようなことは、いわば教育改革における「下部構造」なんですね。大切なのは、ゆとり教育の最大の背景、「時代が変わる」ということなのです。20世紀まで世界を支配してきた近代というものが、終わりを迎えつつある。今では「脱近代」の時代になったというのは当たり前の話になってきていますけれどもね。少なくとも、中曽根総理までの時代は20年先を見越した議論をしていたわけです。すなわち、世界は近代においてずっと続いてきた成長の限界を迎える。だから、このことを見据えた未来計画が必要だということです。すでに、ヨーロッパでは1972年に、イタリアのシンクタンクのローマクラブが、「成長の限界」というレポートを発表しています。成長には限界があるということは、当時から鋭い人たちは見越していた。で、日本でも、当然日本もそうなるだろうという認識の中で「絵」を描いたわけです。近代が脱近代していく、という壮大なストーリーの中での教育改革の検討だったのです。ゆとり教育はこの検討の中から生まれたのです。臨教審で検討した内容を、そのあとさらに、中央教育審議会でかみ砕いて議論していったわけです。このへんが、いわゆる「上部構造」ですね。私が文科省の役人として担当していたのは、この「上部構造」とさっきの「下部構造」の中間くらい、言葉で言えば「中間構造」ですね。たとえば、現場で教育していくときに、何故こんな教育をするのか、という誰もが疑問を持つ部分があります。それは時代が変わるから、という答えの部分。このへんをわかりやすくまとめて社会に送り出すというようなことです。2002年くらいから本格的にゆとり教育が進められたときに、上部構造と中間構造で積み上げてきた議論が、全部すっ飛んでしまって、下部構造の議論ばかりに注目が集まるようになりました。台形の面積の公式がなくなったとかなんとか、そんな下部構造の議論ばかりになって。本来だったら、文部省がリードしなければならない上部構造や中間構造の部分について、もっともっと議論が必要だった。もっとも、上部構造については政治家がやらなきゃいけなかったのですが。しかし、小泉内閣がやめてしまったわけです、上部構造の議論を。だから、小渕内閣までは、「成長は限界に達する」ということを前提において教育政策も考えていたのだけれど、小泉さんは、「竹中理論」で、リーマンショックまで成長への夢を追いかけていました。だから、上部構造のそれまでの議論の方向が変わってしまったわけです。そうすると、文科省っていう中間構造が揺らいでしまって、下部構造が批判にさらされると、もう、立ちすくんでしまい、きちんとした中間構造の機能を果たせなくなってしまいました。そのために、最初に目指したことがうまく運ばなかったというのが「図式」だと思います。
出口  今、お話をお聞きしていて、なるほどなって思う点がいくつかあります。僕は当時予備校で講師をしていたのですが、「ゆとり教育大賛成」を公言していました。で、今の上部構造の問題ですけれども、僕にもそれがずっと頭にありました。これはよく言われることですけれども、日本の今の教育のもともとの原点というのは蘭学にあるのです。かつて日本は鎖国していて、かろうじて日本に入ってくる西洋の学問というのは、すべてオランダ語で書かれていました。だから、オランダ語を翻訳し、その内容を吸収することが学問であるという流れがずっと続いていて、それが結局は、近代においても、あらゆる西洋のものを結果だけをとりあえずは吸収していこうという土壌を作ることになったのです。そこで、小・中学校においては、その結果を吸収するための訓練として、計算とか、暗記、模写っていうようなことをやってきた。そういった流れが底辺にあって、第二次世界大戦で日本が負けた後に、アメリカに追いつけ追い越せで、同じことをより過度にやったのだと思います。その結果、団塊の世代あたりで、すさまじい競争の中で、勉強をすることが人間性をおかしくするというような、普通ではあり得ない状況になりました。本来勉強というのは、人間性を豊かにするものであって、子どもたちに生きる力をつけるためのものというか、よりよく生きるための武器を与えることが教育だと思います。それなのに、何か勉強することが、人間性を阻害するというような、まったく本来とは異なった状況になってしまったと思うのです。それで、教育に対する考え方や施策を切り替えるタイミングが、いくつかあったはずなのに、たとえば、日露戦争が終わった後とか、第二次世界大戦の後とか。しかし、ことごとくそのタイミングを見失っていって、もうどうしようもない状況に放置されることになってしまった。おそらくあの時にゆとり教育、まあ言葉は違うかもしれないけれども、そうしたものに切り替えないと、日本の教育というのはどうにもならないような状況にあったと思います。
「次の時代のための教育」という視点が重要
寺脇  鋭いご指摘ですね。第二次世界大戦のことはおいておくとして、今、「日露戦争の後」とおっしゃった。その時に実はやろうとしたのですよ。ええ、切り替えようとしたのです。私たちの大先輩というか、明治時代後期の文部省の役人で、さまざまな教育改革に立ち合った澤柳政太郎さん。私もあまり詳しく知らなかったのです。私がゆとり教育で批判の嵐にさらされるようになってから、「どうもあなたは澤柳さんと同じことをやっている」という人がいるので、その澤柳さんのことを調べてみると、まったく同じなのです。幕末から明治の文明開化の時代には、そのときの教育が一番時代に合っていてよかった。だから以来、それでやってきました。しかし、日本が一応近代化を達成して、日露戦争に勝利した時点で、新たな時代のための教育に切り替えていくべきではないかという議論が出たのです。当時の文部官僚で、局長だったようですが、それが澤柳清太郎さんです。澤柳さんが中心になって走り回って議論をまとめていこうとするのだけれど、結局、それじゃだめだと、今のゆとり教育批判のような状態になって、澤柳さんもやっぱり文部省を追われて去って行きました。その先が違うのですけれどね。私は追われた後は、ただの浪人ですが、澤柳さんはその後、国立大学の学長を経て、成城学園を作るのです。文部省が教育政策を変えないのだったら、自分の考えている教育をここでやろうということで作ったのが、成城学園なのです。
出口  歴史の専門家ではないので、わからないことはたくさんありますが、僕のイメージとしては、結局あの時も、そうした動きをつぶしたのはやっぱり政治だったと思います。要は日露戦争が、大勝利ということで思想的な大宣伝をしてしまっている。引っ込みがつかなくなった中で、本当に国威高揚してしまって、軍国主義へと流れていく。ちょうど曲がり角だったのではないかなと思います。そういった流れの中で、ゆとりよりも優秀な軍人を養成するというような知識重視型の教育が、ますます強力に進められていってしまったのではないかというイメージを持っています。
寺脇  おっしゃるとおりですね。日露戦争から第一次世界大戦あたりの時代に、本来ならひとつ、近代化に区切りがつくところだったのです。帝国主義でやっていくと、こんな戦争ばっかりしてしまう。そして近代の科学力で戦争をやっていったら大変なことになってしまうということに、みんなが気づいたのです。だから、もうこんなことはやめて、平和共存しようじゃないかと考えたのですが、最近のゆとり教育批判が、高度経済成長からバブルの夢が忘れられないように、日露戦争大勝利の夢が忘れられなくて、腰が重くなった。ところが、日露戦争大勝利と言っても、もう、本当にぎりぎりのところで、もうちょっと続けていたら負けるぐらいの、ほとんど国力の限界まで行っている中でやっていたわけです。
出口  あれは、実際は停戦に近い、お互いに戦争を継続するだけの体力がなかったということだと思いますね。
寺脇  だから、そういうことの中で、いわゆる日本の帝国主義的膨張っていうのはこれぐらいにしておいて、考え方を切り換えましょう、ということだったわけでしょう。ところが、やっぱりそこが、政治あるいはメディア、まあ上部構造を動かすのは政治ですし、下部構造を動かすのはメディア、世論になりますからね、そこに押し切られたっていう感じでしょうか。
出口  そういう話をお聞きしたら、本当に似ていますね。その時代と今、教育もありとあらゆることも。興味深いですね。
寺脇  確かに近代というのは、まだあの時代では資源もたくさんあったし、世界もまだまだ発展途上というか、発展の余地がおおいにあったから、それは、ある程度は仕方がなかったと思います。で、勝手に発展を目指した結果、人類は、第二次世界大戦という大変な惨禍を招き、4000万人くらいの人びとを死なせてしまった。そんなことをやったしまったわけです。大変な数ではありますが、でも考えようによっては4000万人で済んでいるわけです。だけど、今度は、成長の限界があるにもかかわらず、新自由主義経済とかあるいは従来の高度成長経済、すべての国が成長することを目指して突進していけば、もう今度は、4000万人どころの話じゃない。下手すれば地球が滅亡するくらいの災いを招くことになるかもしれない、その瀬戸際なのだ、そういう不安がでているのです。
「大きな教育」には新しい「大きな政府」が必要
出口  教育の話からちょっとそれてしまうかもしれませんが、今の政治状況の中で、たとえば「大きな政府」、「小さな政府」って言われることがありますね。小泉内閣では小さな政府を目指しました。僕は小さな政府というのは、この時代を考えた時にあり得ないことだと思います。なぜかといいますと、ひとつは環境問題というものがものすごく大きな問題になってしまっているということです。環境問題は小さな政府では解決できません。これはもう企業論理でも駄目であって、大きなもので統制していかないと、地球を守ることはできないのです。もうひとつが高齢社会です。高齢化がどんどん進むとなると、労働人口は減って行き、医療や福祉、年金などいろいろな問題がもっと深刻化します。ですから、これも小さな政府じゃどうしようもない。無駄なものは当然削減しなければなりませんが、教育も含めて、ある程度大きな政府を作っていかないと、これから先の時代には対応できないと思います。
寺脇  そのとおりですね。
出口  なのに小さな政府構想に行ってしまった。
寺脇  それは、小泉政権の間違いですね。で、ややこしいのは、いまだに「小さな政府」と言うほうがかっこいいと思っている人が多いこと。この前も、「みんなの党」が言っていました。しかし、民主党政権は単なる小さな政府ではだめで、もっと合理的な考え方が必要だということがよくわかっていました。それが、鳩山前総理が言った「新しい公共」という考え方です。小泉内閣は、大きな福祉をやるためには、大きな政府が必要だから、これからは小さな政府で福祉も小さくしようと考えたのです。福祉はどんどん削減されていった。福祉の縮小はしようがない、自己責任でおやりなさいみたいな話になってしまった。これでは、出口さんがおっしゃるとおり、日本の社会はもたないです。
出口  そうです。無理ですね。
寺脇  それで、鳩山さんが言った「新しい公共」です。これは「大きな政府で大きな福祉」なんだけれども、この大きな政府っていうのが、今までのような、いわゆる専業の役人、あのフルタイムの役人が、全部を受け持つ大きな政府だとしたら、これはもう財政的にもたない。そこで、コアな部分は、縮小した霞ヶ関なり、官庁なり、専業の役人が担当して、本当に必要な部分を、民間が担当するという「大きな政府」です。民間というのは、小泉さんの言うような民間企業ではなくて、民間人がやって行くということです。わかりやすく言うと、たとえば教育のことに関してなら、教育はとても重要だから、大きな教育が必要だと考えるわけです。しかし、今までは、大きな教育というのは、文科省が中心になって、教育委員会だ、学校だ、免許持った先生だ、そういう人が全部を仕切っていて、その人たちが認めたものしか、教育ではないとしてやってきたわけですね。しかし、これから必要なのは、大きな教育を担うときに、たとえば出口さんが開発した教育メソッドのような、民間にこんな知恵があるなら、じゃ、これを取り入れたらいいじゃないか、あるいは民間人で、教員免許は持っていないけれど、学校の授業を手伝いたいという人がいれば、この人にも入ってもらえればいいじゃないか、というように考える。ただ、コアな部分は、それはやっぱりある程度、公的な流れがなければいけないから、文科省も必要だし、教育委員会や学校っていう枠組みも必要でしょう。だから、コアは小さくしていって、大きな教育をやらなきゃいけない部分を、もっと国民を信頼して協力してもらってやっていこう、というのが、実は鳩山政権の考え方だったのです。そういうことが全然国民に伝わらない。
出口  今のお話には本当に大賛成というか、同じ考えです。政治ないしマスコミにも大きな問題があると思います。と同時に、かつての自民党政権がそうだったのですが、政府というのが、あまりにも説明能力を持っていないのではないかと思います。たとえば、なぜ小さな政府が駄目かということも、きちんと説明すれば国民はわかるはずです。一番わかりにくいのが、「財源がない」という財政問題です。本当にないのか、僕たちにはわかりようがないのです。要は一般会計以外に特別会計があって、二つの財布を持っているとして、官僚は、表の財布だけ見せて、裏ではお金を隠しているとか、いろんなことを言われているけれども、これは本当なのかどうなのか、実態を知りようがないというのが大きな問題だと思います。それで、イメージだけが先行してしまう。で、マスコミがわーっと面白おかしくやっていくという構図です。ですから、まずは本当のことを全部きちんと伝えてくださいっていうのが、正直な思いですね。
マスコミの情報は、いつも正確で公正中立なのか
寺脇  マスコミについても、大きな公共サービスをやるために必要なのは、大きな政府か小さな政府かの議論と同じような問題があるのです。これだけの時代になって、国民の知的レベルも高くなりました。昔に比べれば、学歴も高くなったわけです。だから、「大きな情報」が必要なのですね、今の社会。ところが、大きな情報を提供するときに必要なのは、大きなマスコミじゃないのです。それはマスコミ自身も勘違いしています。官僚と同じで、自分の力を知らずにうぬぼれてしまって。官僚が、俺たちがいなきゃ大きなサービスが担えないと思っているみたいに、大新聞の人や全国ネットの放送局の人たちも、俺たちじゃなきゃ、国民の知る権利に応えられないって勘違いしているのです。そこで、彼らの役割をある程度まで縮小して行きます。新聞社や放送局が提供する情報も一定程度必要で、その存在は間違いなく重要です。でも、それ以外の部分で、市民が情報がほしいというときに、そういうことに対応して情報を収集したり分析したりしているミニコミであるとか、ネットなどを通したミニコミであるとか、あるいはオンブズマンみたいな形に整えてほしい情報についての公開をピンポイントで求めていくとか、そういう情報伝達の流れを作って行くことが必要です。情報をマスコミだけに頼っていると、マスコミの記者に興味のないことは全然伝わってこなかったりするのです。
出口  しかし、本当に正確な情報が伝わらないというのは、これはどうしてなのでしょうか。やっぱりマスコミだけでなく官僚も情報を隠しているということなのでしょうか。
寺脇  それは両方ですね、いっしょですね。今、記者クラブ問題が提起されているのは、まさにそのことなのです。官僚とマスコミが記者クラブ制度の中で癒着している。
出口  そこで情報がコントロールされてしまう。
寺脇  それを崩していかなきゃいけません。官僚制だけを壊していってもダメで、マスコミのシステムを見直して行かないといけません。そういうふうに指摘しているのは田中康夫さんだけですけれども、政治家では。「政官」の癒着とか、「政官財」の癒着みたいなことが言われますが、そこに「報」が入っているのです。報道の「報」です。だから、「官報」の癒着っていうのは記者クラブ制度だということで、田中さんは記者クラブ制度を長野県知事時代にやめたわけですね。
出口  それはもう大賛成です。やっぱり記者クラブっていうのは大きな問題を持っていますね。
寺脇  つまりそれは、出口さんが、「こういう教育をすべきです」というように提案しても、「教育委員会でもなければ文科省でもなければ、学校の校長でもない人間が何を言ってるんだ」みたいに言われるのと同じように、マスコミの世界でも、たとえば1人のジャーナリストが何か言うと、「どこの会社にも所属してないような、ただの一介のフリージャーナリストが何を言ってるんだ」と言われる、そのようなことが起こっていたのです。
出口  そうですね。僕個人も実感することがあります。たとえば、これまで、教育に関してさまざまな提案をしたり、発言したり、教材を開発してきました。まったく新しい教育メソッドの『論理エンジン』は、私立の学校だけでも250校が採用しています。これは、日本の教育史上ありえないほどのことだと思います。というのは、『論理エンジン』を採用するということは、単にたくさんある教材のひとつを採用するということではなくて、「すべての文章は『論理』で解ける。『論理』の理解・習得が読解力や表現力を育てる」という『論理エンジン』の考え方に、すべての先生が賛同して教えなくてはいけないっていう、ものすごいことなのです。でも、ほとんどのマスコミはこうした動きを取り上げることはしません。なぜかと言えば、僕に対して、予備校の講師というイメージが強くあって、僕が何をやっても、まともには取り上げないという風潮があるからだと感じています。
寺脇  そうやってレッテルを貼ってしまうのが簡単だからです。それは文科省だって同じことですよ。新しい教育メソッドが出てきたときに、「それは誰が考えたのか」というようなことにこだわる場合があるのです。たとえば、朝の10分間読書運動っていうのがあって、あれは千葉県の私立高校の一教員が考えついて、ご自分が勤務する学校でやったことなのです。朝と午後の10分間、読書をするという運動です。それがだんだん広がって、口コミで広がって行きました。まあそうは言っても数は知れている。で、それを、これはいいことだからって、文科省へ持って行きました。そうすると、「そんな一高校教員が、ましてや私立の一高校教員が言っているようなことが何だっていうんだ」という調子です。それに、10分間読書の「ミソ」は、何を読んでもいいというところにあるのです。文科省推薦の本を10分間読みなさい、じゃなくって、偉い人の伝記でなくても何でもいい、野球小説みたいなものでもいいということでやっているわけです。しかし、文科省は、そんなものはだめだと言って取り合ってくれない。初等中等教育局でそれこそ門前払いされて、当時私が勤務していた生涯学習局においでになった。「これはすごくいいことですね。だけど学校じゃなかなか取り入れないでしょうね。でも、学校以外のところで社会教育としてやっていくという道はあると思うし、いずれ学校でもこういうことの価値に気づくでしょうね」みたいなことを私は言いました。それから何年も経って、読書運動が始まって10年くらい経ってから急に、文科省は、学校側にすり寄ってきました。そして、朝の10分間読書運動はものすごい数の小・中学校に広がって行きました。だけど、最初のところでは、中身の検討をすることもなしに、「そういうことをお前が言ってきても・・・・・・」と、いうようなことをやっている。もうあらゆるところに同じようなことがあるということです。
「○×式教育」では人材が育たない
出口  また、ゆとり教育に話が戻るのですが、「総合的な学習の時間」、それから「生きる力をはぐくむ」っていう基本理念、ああいう考え方には僕はすごく賛成でした。僕もゆとり教育について実際の現場の声をいろいろ聞いていたのですが、最初は現場の先生もすごく混乱したようです。ようやくそれが理解できたとき、先生が自分で頭を使わなきゃだめだと思い至ったのです。しかし、経験が足りなかったり指導力がなかったりという先生も多いわけですね。そんな中でも、意欲のある先生というのは、いろいろな工夫をして面白いことをやってきました。ようやくちょっと形になりそうになったときに、またガチャッと国の方針が大きく変わってしまう。難しい上に効果が出るかどうかわからないものをやっても仕方ないと考える先生もいれば、積極的に進めていてすごく残念がっている先生も多いのです。ですから、もっと続けていたら、いろいろな面白いことが起こってくるだろうなあって、僕は思っていました。
寺脇  それはもう、政治の責任ですね。小泉・安倍内閣のときに、ゆとり教育の重要な背景を直視することなく見直しが指示され、文科省もそれに動かされていったわけです。近代っていうのは、「○×式教育」というのが相当有力なのです。完全に有力とまではいきませんけれどもね。いくら近代といっても○×式だけでいいわけはないのですから。ただ、○×式はすごく有効なわけです。どっちをとるか、どこへ行くかという時に、多数決をとって、少数派は多数派に従って行くことによってまとまって、国や社会が発展すると考えるわけです。この考え方で発展すると信じてやってきたわけです。しかし、脱近代という中で、成長が限界に陥ってきたときに、この状況の中でみんなが平和共存して行かねばならないということを考えると、「○×式で切り捨てられてしまう少数派」という考え方に目を向けなければいけなくなりますよね。そうすると、○×式のものの考え方のパーセンテージを下げて行かなきゃいけない。逆に言うと、○×式でない考え方を育てて行かなければいけないのです。「総合学習」っていうのはまさにそういうことです。たとえば、「CO2を削減するのはいいことですか、悪いことですか?」って○×式で聞いたら、誰でも○って答えますよね。CO2が削減されないほうがいいなんていう人はいません。ところが、「あなたは冷房を使いたいですか、使いたくないですか?」って聞いたら、使いたいほうに○をつける人が多いでしょう。それでは矛盾するわけですよ。その中で、冷房をどれくらい我慢するのか、CO2削減についてどんな戦略をたてて行くのかということを考えなければいけない。○×式ではとうてい対処できないのです。
出口  そうですよね。今のお話で、僕もいくつか頭に浮かんでくることがあります。たとえば、今のマスコミの世論調査が、まさに○×式ですよね。米軍基地の普天間移設問題に賛成か反対かと聞けば、みんな反対って言いますよ。でも、そんなふうに賛成か反対かを表明すればいいというような単純な問題ではないと思います。ところが、もうそこで、世論・国民はみんな反対しているとドーンとやってしまって、なんかこう世論操作して流れを作ってしまうように感じるのです。
寺脇  そうです、そのとおりです。内閣支持率なんかまさにそうですよ。管内閣を支持しますか、しませんかって、そんなことを聞いているわけでしょう。
出口  そうですよ、そんな単純なことではないですよね。
寺脇  だから、それはマスコミが、「○×式マスコミ」から抜けきっていないということです。このごろになって、さすがに、世論調査で、もう毎週のように内閣支持率を調べるのはいかがなものかって話が出てきたじゃないですか。そりゃ出てきますよ。それは結局マスコミが○×式をやめていないからです。マスコミは、ゆとり教育がいいのか悪いのかみたいな○×式的なことを言うけれど、そんな簡単なものじゃない。そのゆとり教育的な部分を、入れていかなきゃいけないファクターと、そうではないファクターがあるのです。ゆとり教育になったからといって、たとえば、掛け算の九九を暗記するのをやめますって言っているわけじゃないのですから。
出口  今の○×式のことですけれども、先ほど、日本は模倣型の教育をずっとやってきたというお話をしました。で、結局模倣型って何かっていったら、あらゆる学習を、情報としてしかとらえていないというものです。となると、そこから総合学習という発想は湧いてこないのです。これを知っているか知っていないか、○か×かという、もう、全部分断された情報というか、その典型的なものが、異論はあると思いますが、学習指導要領だと思っています。これは、大きく変えなきゃだめだと思います。というのは、文科省が、たとえば、中学1年の英語はこれだけのことを教えなさいと決めてしまう。でも、国語では、どんな情報を与えていいかわからないから、とりあえずは、その学年にふさわしい文章を並べておく。あとは先生がどう教えようとかまわない、何を教えても教えなくても別に問題は起こってこない、というのが国語という教科になってしまっていると思います。こうやって、バラバラな情報の集まりというふうに、学習内容が分断されるのです。その結果○×式で学力を測ることになるという面もあります。また、国社数理外の学習がばらばらであって、さらに小中高と連続しなくなってしまうという問題も起こっていると思います。
寺脇  それはそのとおりですね。小・中・高の分断、「小の理科、「中の理科」、「高の理科」というようなことになってしまっています。 
2 生涯にわたって学ぶために学校では何が必要なのか
誤解された学習指導要領
寺脇  たまたま昨日、文科省の大先輩の方が書いた、『戦後日本教育史』っていう本が送られてきたので、読んでみました。その中にあったのですが、私がゆとり教育を説明するときに、たとえば台形の公式が学習指導要領の小学校5年のところに、前は載っていましたが、もう載らなくなりましたと言ったら、大騒ぎになったというのです。「台形の公式よ、さようなら」などというふうに。それはどういうことかというと、学習指導要領に対する大きな誤解があるからです。文科省側は、これは最低限、あとはもうどんどん、つまり、極端に言えば、これさえやればあとは先生方が自由に教えていいのです、いろいろなことを教えていいのですと言っている。ところが、現場の先生方は、これ以上は教えてはいけないというふうに解釈して指導しています。そのことは、まあちょっと歴史的な流れがありまして、文科省に責任があるわけですが。これだけを教えていれば後は自由に教えてよい、だったものですから、1950年代から60年代、特に60年代から70年代にかけて、政治的偏向教育っていうものが、全国的に行われてしまったのです。何を教えてもいいのだからと、歴史教育ではマルクスで共産党が正しいみたいなことを教えたり。当然、これは何とかしなければならないということになりました。社会科で好き勝手なことを教えられたら困りますから。理科などは何を教えても特にかまわないのですが。結局、文科省自身が自分の首を絞めてしまった形なのですが、その偏向教育を防ぐために、学習指導要領に書いてあること以外はやっちゃいけないと受け取られるようなことを、その場しのぎで言ってしまったのです。それを教育現場がそのまま受け取ってしまい、誤解へと進んでしまったのです。だから、学習指導要領は、変えるべきというよりは、本来の姿を徹底すべきですね。これはもう、これさえやっておけば、たとえば、掛け算の九九をやります。みんなこれやってくださいね、小学校2年生でやります、と。そのうえで、小学校2年生で台形の面積をやったってかまわないのです。どんどん発展して行っていい。子どもたちがやりたいというそれだけの知的好奇心と、それから学力がついてくれば、「ちょっと難しいことやってみるか」とやったって、全然かまわないのです。それが、指導要領を超えることをやっちゃいけないかのような錯覚を生んでしまった。それを正していかないといけません。
出口  二つのポイントがあると思います。一つが、最低限これだけはやらなきゃいけないという学習内容の明確化。次に、特に、歴史などであまりにも極端なことを教えてはいけないということ。歴史に関しては人それぞれいろいろな解釈、いろいろな価値観があると思います。しかし、僕は、日本の場合はやっぱり憲法があるわけだから、憲法において戦争を放棄して、永久の平和を目指そうとうたっている限りは、その憲法に違反するような内容を教えてはいけないと思います。どんなに思想の違いがあっても、です。最低限のことをきっちりやって、それを実感させたりどんどん発展させたりとなると、学習の内容は減らさなきゃだめでしょうね。今は、それが学力低下の元凶と言われて、どんどん学習内容を増やす方向になってしいました。それは本来の寺脇さんの考える学習指導要領とは違うわけですよね。
寺脇  出口さんは「学習」っていう言葉をお使いになるけど、「教育」っていう言葉を、みんなが使いたがるわけです。今、出口さんは「学習を増やした」とおっしゃったけど、文科省は「教育を増やした」と言って威張っているわけです。やっぱり授業時間が少なすぎるので増やしましたとか、教科書を厚くしましたとか。「教育」をいくら増やしても、子どもに学力もつかなければ、生きる力もつかないのです。「学習」が増えれば、生きる力も、能力もつくわけですよ。そこがはき違えられていて、子どもに足りないことがあるって言ったら、「教科書を厚くすればいいのです。学校の授業時間を今まで5時間だったのを6時間にすればいいのです」という話になる。そうではなくて、子どもの持っている24時間っていうものがあるわけですから、その24時間の中の、たとえば学校で教育を受ける時間が6時間あるとするならば、その6時間を7時間にするということを考えるのではなく、それ以外の時間にどういう学習をしていくのか、それを考えなければならないということです。もちろん、場としての学校はあってもいいのです。たとえば、先生の側が与える時間が6時間あるけれども、あと、子どもたちが自分の学びたいことを学ぶ時間が1時間か2時間あって、トータル8時間の学校です、ということなら。考え方を切り替えない限り、学校の授業時間が増えるっていうのは、模倣をしなさいっていう時間が増えて行くにすぎないのです。
出口  おっしゃるとおりですよね。
寺脇  先生が、たとえば「この文章はこういう意味なんだから、これを覚えなさい、こういう時はこうなる」と言うのではなくて、「ちゃんと自分で論理的に考えてみなさい」というように指導することが学習でしょう。それを、先生の言うことを覚えなさいというように、先生が一方的に教え込む時間を、いくら増やしたって意味はないということなのです。
出口  ただ、問題はありますね。たとえば、僕が「教育をこう変えるべきではないか」と提案すると、先生も学校も賛同してくださるのですが、そこで必ず出てくるのが、「授業時間数が減っているのに、教科書が、指導要領が、これだけはやらなきゃいけないとしているので、とてもじゃないけど余裕はなく、それ以外のものはいいと思ってもできません」というのが、今の日本の教育の中で、支配的になっているわけです。
寺脇  ちょっと不思議でならないのが、小・中学校ならばまだわかるのですが、高校に問題があるのです。高校の学習指導要領ってお読みになったことがあるでしょう。
出口  はい、あります。
寺脇  何も書いてないじゃないですか。法的拘束力がある文部省告示の学習指導要領なのに、もう高校のものなんて、途方にくれるくらい簡単にしか書いていない。そして、申し訳ないけど、自分で考えるっていうことを先生方がしようとしない。そして、「いや、こんなに退行的なことでは困ってしまうから、もうちょっと何かいいものはありませんか」って言うから、学習指導要領の指導書みたいな分厚いものが出てきてしまうのです。
出口  教科書会社の問題もけっこう大きいかもしれませんね。
寺脇  ええ。教科書にも、また教科書の指導書があるでしょう。教科書のいわゆる「虎の巻」っていうものがあったりします。教科書会社にもおっしゃるとおり問題がある。教科書がいかにおかしいかっていうと、今年の4月にメディアが大騒ぎしましたね。2011年から学習指導要領が変わって、ゆとり教育と決別して、学習内容が増え、教科書が分厚くなるみたいなことを言って、テレビで教科書の目方なんか測って、もう本当におかしなことをやっているじゃありませんか。ゆとり教育とは全然決別していないのだけれど、教科書の目方が増えることは事実です。で、何で目方が増えるかというと、教科書会社が、今度は目方を増やす競争をしているわけです。厚い教科書が売れるだろうと考えているのです。これはどうしようもないなと思ったのは、教育基本法の改正がありましたね、安倍内閣のときに。私は、必ずしもいいところばかりでもないし、悪いところばかりでもないと思うけれども、その中で、安倍さんは「美しい国日本」をスローガンに立ち上げて、日本の伝統を学べよと主張している。それは私も賛成。民主党の政権だって賛成でしょう。じゃあ教科書に何がどういうふうに出てきているかっていうと、小学校の5年生くらいの教科書に、世阿弥の心とかいって出ているわけです。あるいは歌舞伎の歴史とか。そんなふうに教科書に書いてあれば、子どもたちが歌舞伎や能、狂言が好きになったり、誇りに思ったりすると考えているとする考え方がおかしいです。むしろそれは、ゆとりを作る中で、土曜、日曜が休みになり、一方、総合学習の時間では、日本の文化に親しむなどさまざまな試みがなされ、子どもたちが、歌舞伎や能や狂言に触れる機会も飛躍的に増えているわけです。そういう変化の中で、今、小さい子どもたちが、能や狂言や歌舞伎に親しむ度合いっていうのが、僕らの子どものころに比べるとうんと広がっている。だけど、それを教科書に載せて覚えこませないと、わかったことにならないという考え方、それがおかしいと思います。
学習の「量」より「メソッド」に期待
寺脇  出口さんがお作りになった『論理エンジン』は、結局は「メソッド」なわけですね。教科書会社もメソッドっていうものを考えればいいのに、それをやらない。うがった見方をすれば、教科書が厚かったら価格を高くできるからじゃないかと思うくらい、目に見える量にして増やさないと、意味がないという考え方があるようです。本当に大事なのは、目に見える量ではなくって、いかに的確に子どもの能力を高め、子どもの生きる力を高めて行くことにつながるかだと思います。だから、学校が”メソッドを採用する”ということは、簡単には進まないと思いますね。形に見える分厚いものだと、これをいかにもやりましたっていう感じになるのですけれども、「考え方を変えればこういう教育ができる」、というようなものは、なかなか見えにくいものです。だから、それにお金を使うのはどうだろう、そういうことはありそうです。
出口  僕の、今やっている仕事というか、具体的な「絵」というのは、国語という考え方を捨てて、論理の理解とか、日本語における論理力というものをしっかり身につけようということです。たとえば、人の話の筋道をきちんと理解するとか、筋道をたてて話すとか、文章を筋道を立てて読み、それをまとめて説明し、筋の通った文章を書いて行くという、こうしたものをきちんと学んでいくということです。これが、コンピュータにおけるOSにあたるものかなと思っています。言語処理能力と言えばいいでしょうか。これを高めると、OSに乗っかって、初めていろいろな学習が動いて行くという考え方です。となると、今の国社数理外とか、小中高っていう分断した考え方を、全部取っ払って考えないとできないのです。すべての学校や教科の共通点をOSとして取り扱うことによって、小中高と分けることなく連続してずっと論理力を鍛えこむことができるし、それにのっかって、日本語を使うあらゆる教科の理解を促して行きます。こういうことをやっています。
寺脇  いや、本当に大事なことですよ。「論理力とはコミュニケーション能力」と言ってもいいでしょうね。要は、何を相手に伝えるのか、それから相手の何を理解するのか。そのために必須な能力ですね。日本の国語教育というものが、字句の意味を学ぶ訓詁学みたいになってしまって、漱石が出てくれば、これはこういう意味だっていうことを教える。でもこれだけでは、人にものを教える面白さも伝わる面白さもなくなってしまう。それこそ文科省教育の悪いところだって言われたりします。たとえば、「春の小川がさらさらいくよ」って“さらさら”じゃなくて、他の表現じゃいけないのか、というような疑問に対して、「いや、さらさらだ」、みたいに答えてしまう、そんなところですね。国語っていうか、言語っていうのは、ものを伝える媒体で、手段ですよね。その手段を目的化してしまって、国語力とかいうわけのわからないものに閉じこめてしまったということなのです。
出口  そうですね。おっしゃるとおりです。そうするともう、国語はセンス・感覚の教科だ、というふうに思い違いしてしまいます。
寺脇  だから、日本の英語教育が間違っていたということは、もう誰でもがわかっているのに、国語教育も同じことをやってきたということが理解できていないのですよ。
出口  これを本当に進めようと考えたら、今の教科書とか、さまざまな枠組みでは実現が難しくなっている。それとやっぱり、物事を全部情報としてとらえる考え方っていうのも変えていかなきゃだめですね。そういう意味では、生きる力をはぐくむ総合学習っていうのは、僕は絶対になくしちゃならないものだと思います。
寺脇  総合学習はさっき言ったように○×式ではない考え方にしていくものです。さっき私は、ゆとり教育というのは、メディアが付けた名称だと言いましたが、じゃ文科省的には何なのかって言うと、まあ別に公式に定めた名称はないですけれども、私に言わせれば、臨教審の流れから、「生涯学習」です。つまり、それまでの、学校で詰め込みます、終わった瞬間一切学びませんでした、なんていうことじゃなしに、生涯にわたって学んでいく、その基礎を学校が提供するということです。あえて国語以外の教科で話すなら、美術、あるいは音楽がありますね。これも授業時間数が減ったわけです。いわゆるゆとり教育の中で。理科とか数学の先生は授業時間数が減った、イコール学力が下がると思っている。じゃ、音楽の先生や美術の先生がそう思っているかと言うと、実はそうじゃないですね。美術とか音楽というものは、もう明らかに生涯にわたって親しむものじゃないですか。学校を卒業してまで数学をやる人はまずいないけれど、学校を卒業しても、ほとんどの人は音楽とは縁が切れないし、美術とも縁が切れない。だとするならば、ここで中学校の授業時間が1時間減ったことを問題にするのではなくて、全体の中で、生涯学ぶということに通じる新たな視点で考えていかなくてはならない。小学校の図画工作、中学校の美術、高校の美術って切り分けていたのじゃだめなのです。つまり、生涯を考えるというときに、教育を小中高で分断していたらおかしいわけです。ここで、「流れ」を作って、その流れをずーっと生涯にわたって通して行くという考え方が必要です。今まではそこに、「堰」があって、「ダム」があって、つまり、小学校が修了するとここで一段落、中学校で一段落みたいなことがあり、今度は高校を卒業したらここで一段落で、もう後はやらなくてもいいやなんて思ってしまうことがあるでしょう。そこで、美術の学習や楽しみ方を「流れ」として作っておけば、高校を卒業しても、いろいろなすばらしいことに出合うことができます。  
出口  おっしゃるとおりですよね。ただ、そうやって全部分断してしまった、そのさらに前にある原因というのが、さっき言ったように、物事を情報としてしかとらえていないような後進型の教育になっていることではないでしょうか。だから、情報を減らせばゆとりであって、今度学力が落ちたようだから情報を増やせば学力が伸びるっていうような、おかしな考え方がどこかにあったんじゃないかなって思いますね。
寺脇  何で分断してしまう堰があるのか、これはおかしいですよね。でも、その背景は単純なのです。近代の教育プロセスの中で、最初は、全員行けるのが小学校までだったから、ここで一つの区切りを作って、ここまでにこの力をつけましょうとやっていました。次は、中学校までみんな行けるようになったからと、ここで堰を作った。しかし、いまやほとんど全員が高校まで行くのだから、途中に堰を作る必要なんかないのですよ。
出口  やっぱり、時代の変化がすごく大きいっていうことなのですね。一つが、日本が近代化に成功して、今度は模倣じゃなくて、自分たちが世界の最先端で物を作っていかなきゃだめだという状況があります。さらにもう一つ、さっきおっしゃったように、発展型っていうのは、もう時代に即さないというか、過度に物を生産することはイコール自然を破壊することになります。となると方向転換をして行かなければなりません。昔は大学というのは一部のエリートしか行きませんでした。で、一部のエリートが実際に物事を決めて、大多数の国民は無知でもかまわなかった。それに従えばよかったのですね。しかし、今はすべての国民が、高度な現代社会を理解して、正しい判断をし、社会にかかわっていく義務があると思います。だから、こうした時代での教育はかつてと全然違ってくるはずだと思いますね。
寺脇  今おっしゃったことは両方とも正しいですね。最先端と言う時に、頭の古い人たちは、だからトヨタなんだPanasonicだとか言うけれど、最先端にも限界があるわけですよ。トヨタがいくら自動車のトップメーカーだからといっても、空を飛ぶ自動車なんか作れやしないのです。自動車がまだ発展の余地があったころは、日本が最先端を行っていたということはあるんだけれど。頭打ちになってくれば追いついてきますよ、みんな。これ以上発展のしようがないのだから追いついていく。しかし、日本が最先端まで行ける分野はまだいっぱいあります。たとえば高齢化の最先端を日本が行っているわけですから、高齢化に対応するサービスとか商品は必要でしょう。あるいは、少子化も日本が世界の先頭を走っているのですから、それに対応する新しい考え方やものが必要でしょう。さらには環境技術とか。まだいっぱい発展することがあるわけです。だから、日本は世界中で自動車を作る競争をしている時代から決別して、そういう必要性が高く発展が求められているところへ乗り出して行きましょう。あるいは農業国家と言われるような国には、農産物を大量生産する技術を開発しましょう。それから、日本みたいに国土が狭く農産物がたくさん作れないところは、今までになかった新しい品種、価値の高いすごい作物を作ることでやりましょうとか。そういうことになってくるのですね。だから、模倣の仕様がないのです。創造しなきゃいけないのですよ。
論理力が日本語を「創造するための言語」に変える
出口  そうですね。でも、今、教育がそれにまったく対応できてないというのが現状だと思います。
寺脇  だから、国語だって英語だってそうなのです。国語はなんとなく空気みたいなものだから、みんなありがたみがあんまりわかってないけれど、日本の英語は、まさに読み書き中心主義で、何年勉強しても聞くことや話すことができないじゃないですか。あれは模倣のための言語としてあったわけで、読めればよかったのですね。まさに読むことが一番大事だったのでしょう。
出口  そうですよね。蘭学をずっと引きずっていますよね。
寺脇  出口さんが最初のほうでおっしゃったように、蘭学にしても、明治になってヨーロッパの言葉を学んだにしても、「模倣するための言語」だった。これからは「創造するための言語」にならなきゃいけない。だから、論理力が必要なのです。日本語を、「創造するための言語」にするために、です。通る企画書を書くとか、勝つプレゼンテーションをするとか、まさにそのような力をつける教育を進めていかなければならない。
出口  日本語でものごとを理解して考える力ですね。あるいはコミュニケーションする能力。
寺脇  そうです。相手に理解させる力です。
出口  国際社会の中でこのことが必要になってきています。日本語のスキルができてないのに、いくら英語を学習してもだめですね。
寺脇  そうです。英語は、母語でない限りは、基本的にはトランスレートするための手段です。もともとこの世に生まれた瞬間から、英語でものを考える人はいないわけですから。私たちは母語である日本語で考えるわけです。その母語が、創造するものでなければいけないのに、伝達する手段になっている。たとえば、漢字をたくさん覚えなさいみたいな考え方っていうのは、要するに、トランスレートするためには漢字をたくさん知っていれば便利だからです。しかし、そういうことではなくて、極端に言えば、漢字はたくさん知らなくても、表現能力が高ければいいのではないかということじゃないでしょうか。
出口  今の時代でちょっと心配に思うことがあります。僕は言語には「論理の言葉」と「感情語」があると考えています。何も論理の言葉が一番大事だと言うのではありませんが。ところが、論理の言葉というものを習得する機会を、今の子どもたちは持っていないのです。昔などは、思想関連の本を読んだりとか、議論したりとか、そういう機会がたくさんあった。しかし、今は子どもたちは議論しないし、あるいは、硬い評論などを読むことはないでしょう。また、文学を読まずに、携帯小説みたいなものを読む。文章書いても、メールでは絵文字なんかが多い。このへんは全部感情語ですね。で、漫画とか音楽とか、それは、良い悪いじゃなくて、そういうものがあふれかえっている。今の子どもたちというのは、論理の言葉を習得する場を全く持っていないのです。その結果、国語は、非常に恣意的なものになってしまっています。となると、論理的に言葉を使いこなすことができないような、こういった世代が、参政権を持って、世論を形成して、政治を作っていく。これをどこかで断ち切らないと、日本の国というのは滅んでしまうのではないかと思うのです。
寺脇  そのとおりですね。教育に総合学習みたいなものがないころは、同学年の同じクラスに同じような力を持った子どもがいて、先生から、ある程度論理を教わったかもしれないけれど、使う機会がないじゃないですか、同級生同士だったら。絵文字で済んでしまうわけだし、流行語使って仲間うちの言い方で不便はないわけです。だから、総合学習の一つの存在理由というのは、たとえばですね、子どもたちが職場体験をします、保育園に行くとします。そのときに、保育園訪問のお願いの手紙を書くことから始まる。とにかく保育園の先生と、コミュニケーションをとらなくてはいけなくなる。そうすると、仲間うちの言葉では通じないということがわかります。世の中はこうなんだっていうことを知って帰ってくるわけです。そういう場を作らないと、表現方法だけ教えても、使わなきゃ伸びないわけでしょう。
出口  ですから、総合学習で、社会のいろいろな所でいろいろな経験した子どもたちは、論理の大切さを発見したり、使い方を学習したりします。そういう生きた経験をすることが必要だということとともに、きちんとそれを訓練する場が必要だと思うのです。でも、今の教育の中で、あるいは子どもたちの環境の中で、本当に日本語をしっかりと訓練・習得する場がどこにもないというのが、すごく大きな問題です。そこに、僕が『論理エンジン』というプログラムをどうしても作らねばならないと考えた理由のひとつは、そこにあります。
寺脇  小・中学校は基礎教育だからまだいいとして、高校になったらもうドラスティックにね、うちの学校はこういう教育をやりますと、私たちはこういう教育をやりますと、外部にどんどん広報することが必要だと思うのです。高校にこそ斬新な、冒険的なメソッドがどんどん現れてこなきゃいけないと思うのに、逆ですね。高校は、センター試験でいい点数をとるようなメソッドにしか関心がないでしょう。今、出口さんの『論理エンジン』を採用している学校というのは、受験系の学校、つまり受験ばかり気にしている学校と、そうでない学校がありますが、どちらでしょう。
出口  両方です。どちらも採用しています。受験勉強の場合は、実際に論理力を鍛えていくと成績が上がるんですよ。それも、国語だけじゃなくて、あらゆる教科の成績が上がる。特に国公立大入試の場合、2次試験の記述力・論述力対策が必要だということで、『論理エンジン』を使えばとても力がつく。だから、進学実績を上げるということで導入する学校が多いのです。でも一方で、進学校ではない学校でも、導入しているところがあります。これはよく言われることですが、就職する生徒は当然で、専門学校に行く生徒のほうが、大学に進学する生徒よりも早く社会に出ていくことになります。社会に入ったら、他者との間でコミュニケーションをしていかなきゃだめですから、論理力が必要になります。ここに着目して『論理エンジン』を採用するのだと思います。
寺脇  大学に入る生徒だって、いつかは社会に出て行くわけですからね。論理力が必要だということです。これはよくわかりますよ。
社会に出ることを想定した学校の教育
寺脇  センター試験で高得点を取ることだけを目指している高校っていうのは、公立の進学校に多いわけです。つまり、センター試験をクリアするところまでが学校の責任だと思っているのです。今おっしゃったようにもう一歩踏み込めばいいのですが。センター試験は○×式っていうか選択式で、記述を求めたりしません。しかし、その先には当然、2次試験があり、その試験の中では論理力が問われます。あるいはさらにその先、大学院を受けるときなどは、もうまさに論文作成能力です。論理力がモノを言う世界です。社会に出るところまで見込んで指導している高校はいいのですが、とりあえず大学に入れておけばいいと考える高校では、センター試験対策の時間を確保するために、世界史などをすっとばすことがあります。そういうところはおそらく、出口さんのメソッドは取り入れようとしないでしょうね。
出口  『論理エンジン』を採用している公立高校で、センター試験対策のために世界史をやらないというようなところはないでしょうね。
寺脇  とにかく合格実績をあげようとしますよね。しかし、公立高校だから教材導入の予算がないっていうことはないですね。公立の小中学校の場合は、新しい教材を採用しようと思っても予算がない。これはわかります。しかし、公立の地方の進学校というのは、予備校のような機能を持った組織を備えていますよね。それは、どうやって運営されているかというと、もちろんそれに、税金は支出されていません。そういう学校には、後援会とか、校友会とかいうところがあります。ここがお金を集めます。たとえば、高校野球で、甲子園に出るっていうと1千万とか2千万とかすぐ集まるじゃないですか。つまり、スポーツの強い学校には、甲子園に行くなりインターハイに行くという時にはお金が集まるのです。同じように進学校には進学対策用のお金が集まるのですよ。その集まっているお金を、何に使うかは別にして、勧められた教材などの導入を断る理由として、お金がないといっているのにすぎないのだと思いますよ。本当にそれが生徒に必要だと考えたら、集まっているお金を利用して、それを採用するということです。
出口  いいことをお聞きしました(笑)。そうですね。今、中学校はちょっといろいろな問題があって難しいようですけれども、高校はたしかにそうですよね。
寺脇  中学校だって、それこそ有名な学習塾のSAPIXに課外授業を頼んだりしているところもあるじゃないですか。杉並区立の和田中学校がそうですね。大阪では、橋下府知事の強い希望で、SAPIXに授業を担当してもらおうって言っていますね。SAPIXの代わりに、たとえば出口さんの新教材や他の指導組織の導入もありじゃないですか。それを、中身を検討しないでSAPIXならオッケーみたいな話になっていて、これは変ですよ。
出口  おっしゃるとおりですね。
寺脇  誠実じゃないです。和田中は一つの中学校だから、藤原先生が、SAPIXがいいと思ってとってきた、それはそれでいいでしょう。校長の決定だから。じゃ、大阪中の学校がSAPIXと連携するなんていうのは変な話で、各学校が、どこに頼むか、何を採用するかということを十分に考えて、比較検討して、このメソッドがいいと思えばそれを入ればいいのですよ。
出口  おそらくそういう比較も検討もしていないと思いますね、今は。
寺脇  だから、やるんだったらきちんとね。私は、中学校くらいまでは、学校だけの力でなんとかしてほしいと思っていますが、外部のサポートを受けるということも悪いことではないでしょう。でも、それを一律にしたら変でしょう。だって、大阪だって、新しい住宅地にある中学校もあれば、下町の古くからの商業地域の中学校もあって、環境や保護者の考え方がそれぞれ違う。それなのに、同じメソッドでいいかどうかはわからないじゃないですか。
出口  ましてや、単に進学実績を上げるためだけのメソッドっていうのは、これはちょっと問題だと思いますね。
寺脇  そうですよ。多くの公立高校は、センター試験で何点取るかということに目が行っちゃっているわけです。だから、出口さん的な考え方を、進学選択に結びつけなければならない。自分の偏差値に合えばどこでもいいみたいな生徒に論理力なんかあるわけないじゃないですか。自分は、たとえば宇宙の仕事をしたい。宇宙の仕事をしたいので、宇宙に関係する、こうした勉強ができる○○大学工学部を受けたいっていうふうに考えなきゃいけない。それなのに、生徒だけではなく学校も、センター試験の点数で、この点数ならあそこは大丈夫だから受けなさい、みたいな指導をしてしまう。全く論理的ではないですよね。だから、出口さんがおっしゃったように、論理力が身につくということは、高校生に即して言うならば、なぜ自分は○○大学の○学部を受けるのかということを、論理的に人に説明できるようにならなきゃいけないっていうことですよね。
出口  そうですね。本当に、いろいろな意味で、日本の教育っていうのは、抜本的に考え直さなきゃだめな時期にきています。
寺脇  もう本当に考えなきゃいけない。高校なんですよ、問題が多いのは。小中学校は、私自身もいろいろ言っていますが、実は、小学校ではもうゆとり教育の成果っていうのがどんどん出てきているし、中学校でも、小学校の流れ、延長で出てきた。問題は、高校が、○×式や、それこそ模倣型から抜けていないことなのです。
出口  おっしゃるとおりですよね。もう一つ思ったことがあります。たとえば、かつて、安倍首相が、「美しい日本」と盛んに言い、道徳教育が必要とも言われました。僕も、日本の伝統文化を理解するとか、あるいは、道徳心をきちんと子どもたちに植え付けるというのはすごく大事だと思います。でも基本的に僕は今のやり方には反対ですよ。なぜかと言えば、一人ひとりの子どもが、自分の頭でものごとを正しく理解し、正しい判断ができる力がついて初めて、道徳心とか、美しい日本と思う気持ちが起こってくると考えているからです。それが、その力をつけることを全くせずに、安易に道徳心とか、日本の伝統文化を学ぼうというようなことを教育に入れてしまうと、これは権力者の思うままになってしまうことにもなりかねない。かつて、こういう失敗をしたはずです。道徳心や日本の伝統文化は、教育にどうしても入れたいことではあるのですが、入れるならば、先行して、もしくは、同時並行でもいいから、しっかりと子どもたちが論理的に物事を考え、正しい判断力をつけるという教育を徹底してやるべきだと思いますね。
寺脇  そのとおりですね。それが大前提です。だから、安倍さんたちが言っていることというのは、それこそ論理性がないと言いたくなります。
出口  そう思いますね。自分の固定観念だけで政策を考えているような気がしますよね。 
3 「総力戦」で教育していく態勢が必要
論理が無ければ、道徳も根付かない
寺脇  たとえば小学生に、私も授業させてもらうことがある小学校で、お年寄りに席を譲りなさいということを、道徳として教えます。でも、ちょっと待ってほしい。なぜ、お年寄りに席を譲らなければいけないのか、そういう話が出てこないのです。小学生に理解させるために、たとえば、私はこういうふうに言います。 「ここにおにぎりが1個あります。私と、たとえば出口さんがいます。で、私は今ご飯を食べたばっかりで、お腹がいっぱいだとします。出口さんは、もう2日も何も食べていない。このおにぎりをどうしますか」と。2人で半分ずつ分けて食べるのか、出口さんが食べるのか、私が食べるのかって聞いたら、まあ、当然、出口さんが食べるべきだってみんな言いますよ。それと同じように、さっきのお年寄りに席を譲る話は、「ここに空いている席が一つあります。きみが座るのかいいのか、それともおじいさんが座るのか、どっちですか」と問います。そして、「きみは、揺れる電車の中でも立っていられるだけの足腰を持っています。おじいさんは持っていません。だからおじいさんが座るのがいいんじゃないでしょうか」というように論理的に考える方向にもっていきます。ところが、これには道徳関係の人たちは怒りますよ。そんなの理屈じゃなくて道徳の問題だろう、って。だけど、論理的なものがついてこないと子どもたちには根付かない。戦前の人たちだって、何も道徳心だけで子どもに言っていたわけじゃなく、論理的に正しいかどうか、きっと頭の中で計算していたのだろうと思います。
出口  もう一点あると思います。それは、論理力とほとんど表裏一体だと思っているのですが、想像力が大切だということです。その子どもが、満員電車の中で必死で立っているおじいさんの気持ちをどれだけ自分に近いものとして実感できるか。想像力さえあれば、自分は平気なんだけど、おじいさんは大変なんだろうな、という思いで席を譲れると思います。
寺脇  それは、総合学習でよくやります。まあ、あそこまでやらなくてもよいのにと思うこともありますが。総合学習で、老人体験などをやります。お年寄りになるとどれだけ体が動かなくなるのかという体験学習です。手足に重りなどをつけて動きにくくしたり、あるいは目が不自由になるとどうなるのかというブラインド体験をしたりします。そういう中で理解していきます。それは、論理に加えて体験が必要だということです。つまり、生理的感覚というものを持たずに、バーチャルで生きていたら、それは理解できないということですよ。
平等が保障されて「自由」な競争が実現する
出口  こんなふうにいろいろお話していると、やはり、教育には政治が結びついているという気がしてきますね。
寺脇  具体的にどんな教育をするのかということは下部構造です、最初に言ったように。で、政治は上部構造と結びついています。だから、日本の教育が不幸なのは、戦後、与党自民党と野党社会党の二大政党の時代、いわゆる「55年体制」の時代に、世界を巻き込んだ冷戦構造の投影の中で、社会主義革命か、保守自由主義かという対立がありました。それが、教育の上部構造に持ち込まれていた時代が長かったことです。ですから、上部構造との関係を断ち切ろうという意識が、中間構造である文科省の中にあったわけです。しかし、今に至っては、どう考えても、社会主義革命なんか起こるわけがないでしょう。そうすると、今の二大政党制の中で、両方ともちゃんと責任政党として、この社会を維持しようという考え方を持つのならば、今こそ、上部構造と下部構造、教育現場を結び付けて行かなければならないのです。
出口  僕が中学生の時だったと思います。社会科で、資本主義と共産主義があって、要は資本主義というのは、自由だけど平等がない。共産主義は、平等だけど自由がない。では、どっちがいいか、なんてことを先生に聞かれたことがありました。僕はどっちも必要だと考えたのですが、今思えば、あの時の先生の質問はおかしかったと思っています。というのは、自由も平等も両立するものだからです。もっと言うならば、何もしない人も一生懸命働く人も、同じように平等に扱うというのではなくて、要は、それぞれに必要な機会を平等に与えたかどうかだと思うのです。
寺脇  そうですね。
出口  その上でじゃないと、自由競争ってありえないと思います。同じような条件の中で競争して初めて、自由競争というものが成り立つし、その平等な条件っていうのは、社会が保障しなければだめなものです。たとえば、教育について言えば、実際には、お金を持っているところと、お金を持っていないところは、平等の教育を受けてはいません。で、不平等な状況の中で自由競争です。そして、負けたら「お前のせいだ」と言われるのは、ちょっと話が違うのではないかと思います。
寺脇  私の個人的な考えですけれども、自由と平等っていうのは、次元が違うのです。自由というのは、基本的に目的ですよ。目指すものです。これに対して、平等というのは、手段でしょう。通過地点でしょう。まず平等が実現して次に何がくるかといえば、それは自由の実現で、自由が実現して次にくるのは何かっていったら、それは自由に何かをするということです。いろいろな何かができるのです。共産主義がうまくいかなかったのは、どこの国でもそうだけれども、平等が実現したその後、何が起こるかと考えたときに、何も希望がないわけですよ。それは、平等を目的にしているからなのです。 
出口  実は、僕は本当の平等というのはあり得ないと思っているんですよ。平等にしようと思ったら、すべての人々に平等に分配するための大きな組織が必要になってきますね。組織は上下関係で成り立っていますから、その中で上位にいる官僚が組織を、そして社会を支配する力を持ってしまう。平等ではなくなるわけです。
寺脇  そうですね。それで政党に幹部ができるみたいな、特別な階級の誕生です。
出口  それでは平等にはなり得ませんよね。
寺脇  今、共産主義で統治されている北朝鮮が平等社会ではないということは、もう誰にでもわかっているじゃないですか。金正日と、飢えている農民が同じで平等なわけがない。だからそれは、治める民を平等にしているという錯覚、つまり民は、自分たちは平等に扱われているのだから、支配者がいることに納得するというような、むしろ封建主義的構造ですよね。
出口  だから、平等っていうのは、これからの社会では現実的な目的ではないのですから、平等な条件とか機会の中で、自由な競争ができる社会を、どうやってつくって行くか考えていかなければならないのです。
寺脇  そうですね。日本でも、一時期、教育をだめにしてしまったのは平等思想でした。つまり、全員が東大を目指ことができる、それがいいことだと錯覚しました。また機会平等も勘違いされているのです。全員に東大を受験する機会を与えることが平等だって勘違いしているのです。
出口  大きな勘違いですね。
望むところ・ことに挑戦できるチャンスを与える
寺脇  東大に行きたい人、たとえば、ある集団の100人中20人東大に行きたい人がいて、この20人に東大を受けるチャンスを与えるということはすごくいいことです。しかし、受けたいと思っていない人に受けるチャンスを与えて、「平等でうれしいだろう」と言ったって、「冗談じゃないよ」ということになる。「僕は、農業で日本一になりたいと思っているのに、なんでこっちに行く勉強をしなきゃいけないの」と、いうことがあるわけです。さっきちょっと触れましたけど、日本の農業って、ものすごく可能性を持っています。成長産業ですよ。私はしみじみ思いますね。今から20、30年前に、優秀な人材がもっともっと農業関係に向かうような筋道を作っていたら、今はすごいことになっていたのだと。ところが、みんな東大目指せって言って、東大に行けなかった人間がここに行き、あっちにいき、希望どおりの系統や大学に進学できなかった人も少なくなかった。そういう経過の中でさえ、日本の農業が今日世界から大きく注目されている。だから、もっと前から、生徒が希望する大学や学部に行くという指導をしていたら、日本の農業はもっとすごいことになっていたと思います。そして、みんながそれを誇りに思うことで、ますます農業は進展していきます。ところが、全員が東大に行けるはずだみたいな妄想の中で、行きたくもない生徒にまで、東大に行くためにセンター試験を受けて高得点を取りなさい、高校受験生には、普通科の進学校に行きなさいみたいなことを言っていたわけです。機会の平等っていうのは、同じところに行けるという機会を与えるのではなくて、その人が望むところに行く機会を与えるということだと思います。
出口  そういう意味でも、極端なことを言うようですが、すべての学校を無料にした方が面白いなと思います。高校も予備校も関係なく。それはもう、生徒が好きなところを選べばいいとするのです。そうなれば、各高校も予備校もそれぞれ独自の教育というものを打ち出してくると思います。そして、各高校や予備校は、教育の結果として、進学実績や教育効果などについて責任をとらなければならない。それが本当の平等じゃないかと思いますね。
寺脇  実は、今の民主党政権で、私と文科省副大臣の鈴木さんの本の中でも言っているのですが、それに一歩近づいているわけですよ。どういうことかと言うと、高校授業料無償化、それから子ども手当です。
出口  僕は大賛成ですね。
寺脇  それで、子ども手当を考えるときに、たとえば、子ども手当を全部フリースクールに使えば、フリースクールが無料化したのと同じことじゃないか、そういう理解をどうしてできないのかと思います。そのへんが曖昧にされたまま、ただお金がばらまかれているというような議論になっている。
出口  親がパチンコに使ったらどうするのかというような議論ですよね。
寺脇  そういう話になってしまうのですね。はっきりアナウンスしなきゃいけないんですよ。子ども手当を、まだ完全にはいきませんが、子ども手当を出します。高校授業料を無償化します。公立高校の無償化だけでなく、私立高校も、さらに補助したりしますから、無償に近くなります。少なくとも前よりはかなり安くなります、と。ところが、塾とか、フリースクールなど、高校以外のところで学ぶ人にはそうした恩恵は行きません。今度の子ども手当はそういう人たちのところにも行くようにするという筋道なのです。そういうサインをはっきり示すことが必要です。それで国民的コンセンサスを得ていきます。だれでも、どこで学ぼうとも、学ぶ権利を保障することが、まさに機会平等なのだというコンセンサスです。
出口  そうですよね。だからそのへんも、政府の説明がちょっとへたというのでしょうか、単に税金の無駄遣いをやっているんじゃないか、バラマキじゃないかと批判されています。しかし、これはバラマキなどではなく、日本の社会の構造をどう変えるかという問題です。日本の将来を、コンクリートのパノラマみたいに描くか、「発展」にしがみつかない新しい社会構造を作っていくかというビジョンの問題だと思います。
寺脇  そのビジョンは、昔だったらエリートが作っていたのですが、今はみんなが責任を持って政治に参画する時代です。そういう中で選挙の結果、民主党が政権を担当することになったのです。民主党の政策を十分に理解し、責任を感じて、批判や協力を行っていくべきではないでしょうか。
出口  そうですよね。おっしゃるとおりですよね。
論理力がつけば、情報の取捨選択・比較ができる
出口  ゆとり教育を推進してきて、その後、見直しを検討したのは、小泉内閣のときでしたか?
寺脇  教育再生会議ですね。これは、安倍内閣のときです。2006年に設置されました。小泉さんはね、もう教育に関心がなかったのです。全くなかったのですが、小泉さんは、別段教育を曲げたわけじゃないし、ゆとり教育をやめろと言ったわけでもないのです。小泉さんは本当に論理性がなくて、国会で「ゆとり教育でいいのか」って聞かれると、「いやあ、僕の子どものころは、ゆとりばっかりだったから、こんな小泉になってよかったでしょう」みたいなことを国会で答弁する能天気な人です。ただ、経済政策を、今後の成長を期待して旗を振ったから、政治が脱近代を考えることをストップしてしまったったわけですよね。
出口  そうですよね。その教育再生会議のメンバーを見て愕然としました。僕から見ても、安倍内閣に都合のいい人だけを、マスコミ受けする人だけを集めたっていう感じでした。
寺脇  そのとおりです。
出口  あれはもう本当に意味なかったなあと思っています。
寺脇  そうです。あれは全然意味がなかった。さすがに、保守陣営からも意味のなかったものだと言われています。まさに、お友達政治っていうものの極みですね。それはもうはっきりわかっていた。中曽根さんが選んだ臨教審のメンバー、小渕総理が選んだ、2000年の教育改革国民会議のそのときのメンバー、それから安倍さんが選んだメンバー、比べてみたら、もう全然違う。
中曽根さんのときには、いわば、横綱・大関・関脇が並んでいるような番付、というか顔ぶれ。で、小渕さんのときだって、横綱・大関・関脇のような顔ぶれですよ。ところが、安倍さんの教育再生会議っていうのは、もう平幕から十両みたいな人たちの集まりでしたからね。 
出口  僕もそういうイメージを持ちました。
寺脇  しかも、さっき言ったように、中曽根さんのときは3年かけて検討したわけですよね。丸3年。で、小渕さんから森さん、小渕・森政権の時の、教育改革国民会議っていうのは、それでも1年以上かけてやった。教育再生会議にいたっては、実質数か月でゆとり教育の見直しなどの報告書を作ったのです。
出口  これからの日本のビジョンとして、教育をどの方向に持っていくかという点については、どこがどのように考えていくのでしょうか。
寺脇  この次は文科省の鈴木副大臣にこの席に座って欲しいと思いますが、鈴木さんは、さらに一歩進んだことを考えているんです。つまり、中教審のようなトップの人たちの議論も、もちろんもう一度やってもらう。責任ある立場の専門家の人たちの意見集約と同時に、です。国民も責任を持つべきだとする考え方に立つならば、国民も議論に参加してもらいます。国民が知らないところで議論が進み、いつのまにか政策が決まったなんてことにならない環境も整備されました。「文部科学省(政策エンジン)熟議カケアイ」という名称のサイトがあります。インターネットで「熟議カケアイ」と入力すればすぐアクセスできます。ここを国民全部にオープンにして、たとえば、「学校の先生というのはどういう資質が必要だと思いますか」ということについて、大々的に国民から意見を求めているのです。で、こういう意見がこうあったと、集約・分析して、それを政策論議の際の参考にします。かつ、中央教育審議会みたいな、そういう専門家の意見も聞きます。そして最後は、政治が、それこそ上部構造であるところの政治が、責任を持って判断しようという仕組みを、今作ろうとしているのです。このことも、もっと国民に周知徹底しなきゃいけないのですが、周知という点では、政府はマスコミに比べればその力がとても弱いのです。マスコミに頼るところが大きいのが現状です。ところが、たとえば、鳩山さんが総理として、「私は東アジア共同体もやりたい。新しい公共も作りたい。教育はこのように変えたい。沖縄はこうしたい」って言った場合、このうち沖縄のことだけが報道されてしまうということになるのですね。思うように情報が伝わらないのです。
出口  本当に、マスコミも大きな問題を持っていると思いますが、現状ではマスコミの力を上手く利用してやっていくしかないと思います。
寺脇  これから先、まさに、論理教育が重要になるのは、論理力がつくと、当然、メディアについてのリテラシーも高まるからです。何かを知りたい、理解したいと思っても、面倒なことはしたくないと思えば、みんなテレビのニュースしか見ないわけでしょう。しかし、論理力がつくということは、他人の言っていることが理解できるようになるということだから、接するメディアも情報も広がります。たとえば、誰かのブログを読んでみようというようなことになっていくじゃないですか。そうすると、テレビで言っていることとは違うことが、ここには書いてあるぞっていうことが出てくる。そして、この人が言っていることとテレビが言っていることと、いったいどっちが正しいのか、ということを考えるようになります。
出口  そうですよね。そういう意味では、メディアのほうがどんどん多極化しているようで、すごく好ましい傾向だと思います。
国民のあらゆる力を結集して教育に向き合う
出口  ズバリ、寺脇さんとしては、日本の教育というのは、たとえば、政治とか、文科省も含めて、やっぱりこのままじゃいけないという、そういう気持ちがやはり強いのでしょうか。
寺脇  このままじゃもちろんいけないですよね。いけないと考えるから、変えようとして中曽根さん以来、25年にもわたって変えようとしているのに、いろいろと抵抗勢力がはびこったりして、なかなか進まないという状況です。
出口  現状としては、いい方向にあるのでしょうか。
寺脇  方向としては良い方向に行っていますが、不十分というのが現状です。だから、不十分な部分をこれから補ったり直したりしていかなきゃいけない。最初のほうで話が出ましたが、新しい大きな政府を作らなきゃいけない。つまり、教育に関しては、新しい大きな政府です。これが「新しい公共」なんですね、鳩山さんの言うところの。文科省の役割というのを狭めていって、文科省の役人も減らしていって、文科省の指図するところも減らしていく。だけど、それは教育を縮小するということではありません。文科省がカバーできない部分は、「国民のあらゆる力を結集」する、そうした「大きな政府」を作っていくという方向に向かうということです。
出口  大賛成ですね。もう一度、文科省のトップとして寺脇さんに戻っていただいて……。
寺脇  いえいえ、私が戻らなくても、鈴木副大臣の考えていることと、私の考えていることはほぼ同じですからね。これからも、民主党が政権を担当し続ける限り、鈴木さんは教育政策の中心にいるわけだし、新しい教育政策も着々と進んでいくと思います。さっき出口さんがおっしゃった、すべての教育を無償化していくというベクトルがあるじゃないですか。すべての教育を無償化していくというベクトルは、明治からはじまって、進んでいったのですが、戦後、中学校まで無償化したところでストップして、高校から先は、それはできないとしていたのを、今度一気に踏み込み、高校無償化というところまでいきました。ということは、もうちょっとこれが先まで行って、大学だってそうなるかもしれない。本当に学ぶ意欲と、大学で学ぶに足る能力を持っている人には、無償になるくらいの奨学金を出していくということはあり得ると思います。ただ、大学に行って、勉強もしないで、卒業証書だけもらおうという人まで無償にするのはいかがなものかと思いますが。ただ、そういう方向へ進んでいく流れはできていると思います。まさに今、総力戦で教育をしていく態勢が必要です。小学校くらいだったら、近所のおじさんおばさんだって学校に行って手伝えます。高校となると、やっぱり、メソッドとしてきちんと入っていかないといけません。門外漢の人間が安易に入っていって、高校生の国語の授業を1時間やったってどうしようもないわけですから。
出口  そうですね。まだ日本の教育っていうのは、絶望する必要はないということですね。
寺脇  絶望する必要はまったくありません。希望はすごくありますよ。ただ、それを、小泉さんにしたってそうですが、ブレーキをかけてしまうものが出てくることもあるでしょう。それはしようがないですよ。三歩進んで二歩下がる。鈴木副大臣もよく言うのですが、明治維新だって、十年かかったと。つまり、大政奉還が成っても西南戦争が終わるまでは、やっぱりゴタゴタしていたわけじゃないですか。だから、そうすぐに、世の中が180度変わることはないのですから、まあ時間をかけて。だけど、方向が逆走しないように注意しないといけません。メディアの責任はすごく重いですね。ゆとり教育をやめたとか、ゆとり教育を180度転換したというのは大誤報なわけです。そんな大誤報を垂れ流しているのですよ。文科省の基本方針は一貫しています。いくら政治が強いときでも、安倍内閣のときですら、安倍総理自身が国会答弁で「方針を転換するわけではない」と言っています。教育再生会議だって、今の教育改革の流れはいいが、心配な点がいっぱいあるから見直しをすると言っているのです。そういうことをマスコミが正しく伝えないものですから、逆走しているかのように見えますが、実は逆走していないのです。だから、流れとしてはいいのですよ。ただ、その流れが速かったり遅かったり、ちょっとそこにストップがかかったりということがありますが。文科省も変わっています。20年以上前、外部の人が文科省を訪ねたときは、話もろくろく聞いてくれなかったのが、今ではもう担当部署に入って行けて話を聞いてくれる。そういうふうに変わってきているじゃないですか。そうすると、10年後には、もっといろいろな新しいことが起こってくると思います。
出口  ゆとり教育は、僕にとっては、方向性としては全く間違ってないと思うので、それが、実際に成果を生むように、さまざまな点で、もう一回考え直さなきゃいけないと思いましたね。
寺脇  それは最初に言ったように、上部構造と中間構造のほうがぶれてしまったので、下部構造の先生たちが動揺してしまった結果、うまくいかなかった。だからそれをもう一度、上部構造から立て直していって、こういうことでやるんですよと、ちゃんとお話しする。先生たちにも、「なるほど、世の中がこう変わるから、そういうようにやらなきゃいけないのか」と、得心してもらって指導にあたっていただくということが大事だと思います。
出口  そうですよね。わかりました。今日は本当にありがとうございました。 
 
池上彰

 

日本のジャーナリストである。名城大学教授、東京工業大学特命教授、東京大学定量生命科学研究所客員教授、日本大学文理学部客員教授、立教大学客員教授、信州大学・愛知学院大学経済学部特任教授、元京都造形芸術大学客員教授、特定非営利活動法人日本ニュース時事能力検定協会理事、毎日新聞「開かれた新聞」委員会委員。かつてはNHKで、社会部記者やニュースキャスターを歴任。記者主幹だった2005年で退職したことを機に、フリーランスのジャーナリストとして各種メディアで活動している。
生い立ち
1950年、長野県松本市に生まれ、東京都練馬区で育つ。池上家のルーツは松本で、祖父の代に東京に移り住んだ。父は東京で就職し、転勤先の松本で母と出会い、彰が生まれた。父親は銀行員。子供の頃の愛読書は『クオレ』だった。また、父親が池上が小学生の時に買って帰り、「読め」と言って手渡したのが『君たちはどう生きるか』であり、2017年同書が新装版となって刊行された際にまえがきを寄稿した。小学生の時に、地方新聞記者の活躍を描いた『続地方記者』(1962年、朝日新聞社)と出会った事と、東京都立大泉高等学校在学中に、広島抗争に於いて暴力団と対決した中国新聞記者がモデルのドラマ『ある勇気の記録』(NETテレビ(現・テレビ朝日))を観たことがきっかけで、記者を志すようになる。慶應義塾大学経済学部へ進学後、当時は学園紛争の真っ只中であったが、自身が目の当たりにした紛争と、報道される内容とのギャップに違和感を覚え、正しい報道をすべく実家の購読誌でもあった朝日新聞社をはじめとした新聞社と、日本放送協会(NHK)への就職を希望した。しかし「これからはテレビの時代」という想いと、日本放送協会の記者になれば必ず地方勤務から始まることが決めてとなり、最終的に日本放送協会への入社を決める事となった。
NHK時代
1973年、日本放送協会(NHK)に記者として入局。
「実はNHKを受ける前、コネがなければダメと言われ某テレビ局を断念したのです。でも門前払いされたおかげでNHKに入り今の自分を築くことができた。」
同期にはアナウンサーの宮本隆治、大塚範一がいる。入局当初から「初任地は小さな町で」「通信部への転勤」を自ら希望し、松江放送局、広島放送局呉通信部などで勤務した。松江放送局では3年間勤務し、記者が少なく一人ひとりの担当が多いという事情もあり島根県警察本部・松江警察署・松江地方裁判所・広島高等裁判所松江支部・松江市役所・日本銀行松江支店を担当し、結果的に検察・警察・裁判所および地方の県政・統治機構を学び、日本という国の仕組みを「ミニ国家」である地方から学ぶことができたとしている。1976年のロッキード事件ではNHKの全国各局から若手記者が招集され、池上も松江放送局から取材の応援に加わった。呉通信部では記者2人と更に少なく、カメラマンとしての役割やラジオ放送の原稿執筆なども行なった。また、呉通信部勤務では取材中に暴力団に囲まれるという『ある勇気の記録』さながらの体験もしたという。
1979年8月より東京放送局報道局社会部に異動し警視庁・気象庁・文部省・宮内庁などを担当する。東京異動1年目は3つの区役所と9つの警察署だけをひたすら回るという任務をこなし、2年目からは社命により警視庁の殺人・強盗・放火・誘拐の専門記者となり、1980年8月の新宿西口バス放火事件や、1982年2月のホテルニュージャパン火災、日本航空350便墜落事故などを取材した。1983年5月に発生した日本海中部地震でも、実際に事故や事件、震災の現場に自ら赴いた。1985年8月の日航ジャンボ機墜落事故では、池上が都内で書いた第一報を当時の松平定知が7時の定時ニュースで伝えている。この事故をテーマにしたドラマ『クライマーズ・ハイ』(2005年12月 NHK)で、劇中で使用された当時の実際のニュース映像中で取材中の池上を確認できる。
1989年4月から『ニュースセンター845』、1991年からは『イブニングネットワーク』のキャスターをそれぞれ担当する。この時に(これまで自らも記者として書いていた)ニュース原稿とは「こんなにわかりにくくて、つまんないのか!」と衝撃を受けたことが非常に大きな転機となる。原稿を書き換えられるデスクの立場でもあったことから、池上は自分が読むニュース原稿をわかりやすく修正するようになり、また『ニュースセンター845』では、番組の最後に何気なくダジャレを交えることもあった。更に1994年から退職する2005年まで『週刊こどもニュース』で、ニュースに詳しい「お父さん」役として編集長兼キャスターを担当する。ニュースについての解説本『これが「週刊こどもニュース」だ!』(2000年集英社文庫)も注目を集めた。週刊こどもニュースの担当について池上は、番組を通じてニュースってのはこんなにわかりやすくできるんだよということを示せばいろんなところに影響力を及ぼすんじゃないか、大人が見てくれるんじゃないか、という思いがあったという。
2005年3月、定年前でNHKを退職しフリーランスのジャーナリストに転身した。もともと池上はNHKでジャーナリストとしてのキャリアを全うするため解説委員になることを望んでいたが、解説委員長から「解説委員というのはある専門分野をもっていなきゃいけない。お前には専門分野がないだろう」と言われ、解説委員への望みを絶たれたことが退職の契機になった。また記者出身であったことからテレビに出て恥をかくより原稿を書いていた方が楽しく、原稿書きに専念したい、という思いが当初はあったとしている。
フリーランス転身後
退職後は活動の場を広げ、2005年8月6日放送の日本テレビ『世界一受けたい授業』で民放初出演を果たす。以降、『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)など、報道・情報系の番組に多数登場している。
2008年10月からは、『学べる!!ニュースショー!』(テレビ朝日)に、ニュース解説者としてレギュラー出演し、分かり易く丁寧な語り口が幅広い世代から好評を得て、徐々に人気を集める事となる。同番組が2009年秋に終了した後は、各局で池上を解説者として迎えた同様のコンセプトの番組が次々制作された。尚、『学べる!!ニュースショー!』の復活を望む声が多く寄せられたため、特番として不定期放送されるようになり、2010年春から『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』(以下『学べるニュース』と略記)と番組名を変えてレギュラー化した。
2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙の選挙特別番組『池上彰の選挙スペシャル』(テレビ東京系・BSジャパン)で総合司会を担当。2010年12月31日から翌年1月1日未明にかけて放送された『そうだったのか!池上彰の学べるニュース 年またぎ6時間半スペシャル!!』では、「事前収録分と生放送を織り交ぜながらニュース解説だけで年を越す」というコンセプトのもとで、総合司会から生放送パートのニュース解説役まで務め上げている。2011年12月31日には、前回より1時間長い『そうだったのか!池上彰の学べるニュース 年またぎ7時間半スペシャル!!』が放映された。
2010年10月6日に発売された浜田省吾の音楽DVD『僕と彼女と週末に』では、日本の近代史から現代史に於ける各テーマをまとめた100ページ余りの解説文を寄稿、2011年1月4日にはテレビ東京系で映画「サウンド・オブ・ミュージック」ハイビジョン完全復元版を放送した際にナビゲーターを務める など、ジャーナリストの域を超えた活動にも取り組んでいる。
一方では並行して「朝日新聞」に全国紙の紙面を比較・論評するコラム「池上彰の新聞ななめ読み」を連載。他にも、著書の執筆や雑誌・ニュースサイトへの連載等、多忙を極め、次第にジャーナリストとしての活動や体調に支障を来すようになった。そのため2011年1月12日に、「今後は取材・執筆活動に専念したい」と同年3月いっぱいで全てのテレビ・ラジオ番組への出演を休止することを発表する。同月19日には、番組降板の理由に「ニュースを分かりやすく解説する番組が増えてきたこと」を挙げたうえで、「(番組で定期的にニュースを解説するという)私の役割は終わった。今後は一(いち)ジャーナリストに戻ります」と公言した。実際には、降板予定直前の2011年3月に東日本大震災が発生したため、同年4月まで『学べるニュース』や震災関連番組へ連日出演し、生放送のスタジオ進行・解説にとどまらず被災地に赴き自ら取材を行っている。
2011年5月1日には、ジャーナリスト代表として「毎日新聞」の第三者機関である「『開かれた新聞』委員会」の委員に就任する。尚、競合誌である「朝日新聞」の「新聞ななめよみ」の連載も続けている。
その後はテレビ東京系を中心に不定期放送の特別番組へ出演。同年9月以降は、大学での公開講義に資料映像を連動させた冠番組が、同局やBSジャパンで相次いで放送されている。2012年10月には、同局の「特別ニューヨーク特派員」に任命されるとともに、2012年アメリカ合衆国大統領選挙をめぐる取材を同国各地で担当。同年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では同局系の開票特別番組『池上彰の総選挙ライブ』でメインキャスターを務めた。
2012年2月1日付で、東京工業大学の学内共同研究教育施設・リベラルアーツセンターの専任教授に着任した。これを打診された際に職員に対して、(同校卒の)菅直人のような人間を再び輩出しないことが目的なのかと尋ね、苦笑いされたとしている。
同年4月からは、同大学で社会科学系科目の一部を受け持つかたわら、古巣・NHK(Eテレ)の新番組『メディアのめ』でテレビ番組へのレギュラー出演を本格的に再開。その一方で、特別番組への出演や、信州大学・京都造形芸術大学での教授職も続けている。
2013年には、前年放送の『池上彰の総選挙ライブ』(前述)が高く評価され、第5回伊丹十三賞を受賞。4月18日の授賞式では、別番組でアフリカ・中東地域の国連難民キャンプを取材した経験から、賞金(100万円)の全額を国際連合世界食糧計画WFP協会に寄付することを発表した。また、6月23日の東京都議会議員選挙に於ける東京MXテレビ開票特別番組『首都決戦2013 池上彰の都議選開票速報』と、7月21日第23回参議院議員通常選挙のテレビ東京開票特別番組『池上彰の参院選ライブ』でそれぞれメインキャスターを務めた。
2014年には、第18代東京都知事・猪瀬直樹の辞職に伴う東京都知事選挙の公示直前(1月6日)に、第79代内閣総理大臣を務めた細川護煕と会食。会食後に細川が無所属での立候補を表明したことから、全国紙の一部で「細川から池上に出馬を打診した」「池上が細川に立候補を促した」という旨の記事が掲載された。これに対して、池上は『朝日新聞』同月31日付朝刊の連載コラム「池上彰の新聞ななめ読み」の中で、「中立であるべき立場のジャーナリストが、選挙で特定の人物に立候補を促すことは、決してやってはいけない行為」という見解を基に記事の内容を否定。「細川から立候補を打診されたが、投開票の当日(2月9日)にテレビの特番(テレビ東京系列の開票特別番組『池上彰の都知事選ライブ』)へ出ることを理由に断った」「細川には、一部週刊誌での報道を基に、立候補の意思を確認しただけに過ぎない」として、池上へ直接取材せずに、伝聞調で記事をまとめていることに対しても苦言を呈した。結局、池上は当初の予定通り、2月9日に『池上彰の都知事選ライブ』でメインキャスターを担当。4月からは、愛知学院大学の特任教授へ就任するとともに、テレビ朝日の新しい冠番組『ここがポイント!!池上彰解説塾』(『学べるニュース』シリーズの姉妹番組)にレギュラーで出演している。
その一方で、2014年2月10日には、テレビ朝日の開局55周年を記念した約3時間の冠番組『池上彰が選ぶ 日本を変えたニュース55年史』をテレビ朝日系列で放送。同年4月12日には、テレビ東京の開局50周年特別番組『池上彰のJAPANプロジェクト』でキャスターを務める。
2014年8月、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事(8月5・6日)についての感想および論評を示すことを内容とした「朝日新聞は謝罪するべきだ」とする批判記事を同新聞のコラム「新聞ななめ読み」8月29日付に掲載しようと原稿を提出したところ、その前日28日になって「掲載できない」とする連絡が飛び込み、池上はこの連載の中止を申し出た。しかし、朝日新聞の対応につき、社外だけでなく、同社に属する記者からもtwitterを通じた批判があがり、同社は、同日夜に池上に対し「掲載したい」と連絡をつけた。9月4日朝刊に、池上の執筆した記事を全文掲載し、自身のコメントを「おことわり」として加えることで池上は掲載に承諾した。この回以降の執筆については「全くの白紙」としている。その後、朝日新聞は、9月11日、木村伊量社長が行った記者会見(別件であるいわゆる吉田調書問題について謝罪するもの)のなかで、本件を言論封殺と批判されたことが「思いもよらぬ批判」だったとした上で、判断は杉浦信之取締役編集担当によるものだったとした。また池上本人は、この一連の出来事について「言論封殺」と批判的に報道したメディアの中にも同様の事例は多数あるとして、「その新聞社の記者たちは『石を投げる』ことはできないと思うのですが」と書いている。
第2次世界大戦の終戦から70年目に当たる2015年には、「朝日新聞」が1月30日付朝刊から「新聞ななめ読み」の掲載を再開。池上自身は、4月1日付で名城大学の特別講師へ就任する一方で、大戦に関する解説・ドキュメンタリー番組へ相次いで出演している。8月1日に日本テレビ系列で放送された『戦後70年特別番組 いしぶみ〜忘れない。あなたたちのことを〜』(広島テレビ制作)では、NHKの記者時代に原爆問題を取材していた縁でナビゲーターを務めた。
2016年3月31日付で東京工業大学を定年退職し、同年4月から東京工業大学リベラルアーツ研究教育院特命教授及び名城大学教授に就任。
同年10月13日、池上と『池上彰の選挙ライブ』のチームが第64回菊池寛賞を受賞。
9月9日に徳島文理大学教授の八幡和郎がFacebookに本件について語る中で池上の冠番組の取材を受けた際「番組の方針で、番組では八幡の意見ではなく池上の意見として紹介したい」と言われた、と話した。八幡の発言を受け有本香、高橋洋一らも同様の事があったとしたが、池上は全面的に否定している。
人物
読書や新聞スクラップ、地図収集、ダジャレが趣味で、海外に行くと必ずその国の地図を購入する。酒は飲まない。テレビ出演が多いが、「本が“本”業」と述べており、「本“も”書いている」よりも「テレビ“にも”出ている」と言われる方が嬉しいという。ダジャレに関しては評判が悪く、番組スタッフに「やめてください」と言われてもめげずに言い続けるという。 TRF、ZARDのファンである。
宗教関連の本を多数執筆している。
インターネットについては、情報収集の目的で積極的に活用する一方で、比較的自身の露出には消極的な姿勢を取っている。個人としては、公式ブログやTwitter・Facebookの公式アカウントなどを一切持っていない。その一方で、『週刊こどもニュース』のディレクターだった杉江義浩が運営(現在は松本知恵が運営)する「池上彰ファンクラブ」および同クラブの公式サイトを公認。インターネット向けにコラムを掲載したり、ニコニコ生放送の番組に出演するなど、表現の場として裾野を広げている。
ドイツの女性革命家ローザ・ルクセンブルクの言葉「両側から燃え尽きるロウソクでありたい」を座右の銘としている。「全力でいろいろなことに当たりたい」という意味である。
NHK記者時代から、一貫して「難しく思われがちな社会の出来事を、なるべく分かりやすく噛み砕く」というスタンスを持っている。ほかにも「国際問題は地図を見れば分かる」という持論を繰り返し唱えている。『そうだったのか!池上彰の学べるニュース』において、右翼・左翼といったデリケートな用語の解説を行ったり、2010年の参議院選挙の特別番組『池上彰の選挙スペシャル』において、日本遺族会や創価学会、日本教職員組合、全特といった政党の支持母体を取り上げたりしたこともある。
大平正芳を、特徴的な口調の「アー、ウー」を除いて記録すると、理路整然とした文章となることを理由に、歴代で最も聡明な総理大臣として挙げている。また細川護熙首相であった当時、自らと同じく、新聞スクラップが趣味であることに親近感を抱いていた。
朝日新聞阪神支局襲撃事件については、「政治や社会のあり方を批判するのは、日本を良くしたいから。それを「反日」って何? 怖い時代に入りつつあるのかな、と思ったよね」と、インタビューに答えている。2008年5月3日の「第21回言論の自由を考える5・3集会」(朝日新聞労働組合主催)では司会を務めた。
「売国」という言葉については、「日中戦争から太平洋戦争にかけて、政府の方針に批判的な人物に対して使われた言葉。問答無用の言論封殺の一環です」とし、少なくとも言論報道機関は使うべき言葉ではないとしている。また、言論報道機関は両論併記するべきであるが、朝日新聞は論調に反する意見も載せているのに対し、読売新聞、産経新聞の2紙について、それができていない、と批判している。
集団的自衛権に関する安全保障関連法案について、自身が賛成か反対かを明らかにしていなかった。その理由として、自身の影響力から自身の意見によって世論がなびいてしまうことがあれば健全ではないからだとしている。
時事ニュース解説
ニュース解説で多用する「いい質問ですねぇ!」は2010年、ユーキャンの主催する「新語・流行語大賞」の上位10位入りした。池上によると、この言葉が使われるケースは2つあり、1つは番組の流れ上、本来解説したい話題から離れてきている時に、本筋に戻せるような質問がされた時。もう1つは、質問そのものによって、池上自身がそのニュースに対しての認識を新たにする場合である。梶原しげる(文化放送出身のフリーアナウンサー)も、「素朴な疑問を投げかけてくれた聞き手への感謝の言葉である」と分析している。
梶原は、池上の話術の特徴として、「『アメリカは強いなあ』と北朝鮮は心配した」などさまざまなものを擬人化した上で直接話法を多用していること、さらに聞き手の好奇心を刺激し解説に引き込ませるために質問したくなる話を用意していることなどを挙げている。
自身の人気については「単なるバブル」と冷静に捉えつつも、「ニュースを知ろうとするきっかけになったのであれば望外の喜び」としている。テレビでの解説は、最大公約数的にならざるを得ず、深く掘り下げられないことは、本を執筆する動機になるとしている。テレビでの解説は「起承転結」で言うところの「結」を最初に持ってくることで、移り気な視聴者の興味を引くようにしているのに対し、講演会ではじっくり聞いてもらうため、起承転結の通りに話すと述べている。
騒動・#いけがmetoo
2018年9月7日、フジテレビ系列で放送された「池上彰スペシャル」にて、政権批判をした「一般人の小中学生」との触れ込みの少女が、実は芸能プロダクションに所属する子役だった事が判明し、インターネット上で炎上した。
さらに、この事件をきっかけとして八幡和郎が自身のTwitterとFacebookで、番組スタッフから「池上の番組の方針で、番組では八幡さんの意見ではなく池上の意見として紹介しますがご了承いただけるでしょうか」と言われ断固拒否したエピソードを紹介した。他、宮下研一、坂東忠信、有本香、高橋洋一なども同様の経験があるとSNSに投稿した。上杉隆は、報われる事の少ないフリーランスの取材には「XX君の取材によると」とクレジットを打ってあげてくださいと訴えたところ、池上はこう返した「尺(時間)の関係でそこまではできない」。
この「他人の見解を自分のものとして盗んでいる」という疑惑は、セクシャルハラスメントや性的暴行を告発する運動「#MeToo」を真似て、「#いけがmetoo(#イケガmetoo とも)」というハッシュタグを用いて、被害の声を上げる者がSNSで続出している。なお、池上はこの疑惑を否定している。 
 
田原総一朗

 

日本のジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。ドリームインキュベータ社外取締役。元東京12チャンネル(現・テレビ東京)ディレクター、元映画監督。日本国際フォーラム参与、政策委員。公益財団法人日印協会顧問、一般社団法人外国人雇用協議会顧問、NPO法人万年野党会長。芸能事務所のブルーミングエージェンシーと業務協力。田原節子は妻、その妹に古賀さと子。
近江商人の末裔。第二次世界大戦中は、人並みな軍国少年で「海軍兵学校を経て海軍に入り、特攻隊員として戦闘機に乗り敵の軍艦にぶつかって死ぬ」のが夢だった。敗戦当時、それまで習ってきた価値観が180度ひっくり返ったことに対して、「そうか、世の中に絶対なんてないんだ。偉い人の言うことは信用できない」と感じたという。
1941年、彦根市立城東国民学校(現:彦根市立城東小学校)に入学。
1943年、学区整理により彦根市立佐和山国民学校(現:彦根市立佐和山小学校)に転校。
1947年、学制改革により新設された彦根市立東中学校に入学(1950年に卒業)。
1953年、滋賀県立彦根東高等学校を卒業。作家を志して上京し日本交通公社(現JTB)で働きながら早稲田大学第二文学部日本文学科(夜学)に在籍。文学賞に何度か応募したが箸にも棒にもかからず、さらに同人誌の先輩に才能がないと二、三度「宣告」を受けたことで意気消沈していたところで、同世代の石原慎太郎・大江健三郎の作品を読み、「これはダメだ、全く敵わない」と作家を目指すことを断念。志望をジャーナリストに切り替え、3年間でほとんど通っていなかった二文を辞めた。
1956年早稲田大学第一文学部史学科に再入学し、1960年に卒業。
ジャーナリスト志望だったため、NHKや朝日新聞、日本教育テレビ(現:テレビ朝日)などのマスコミを手当たり次第受けたがどれにも受からず、11社目にして初めて合格した岩波映画製作所に入社。カメラマン助手をつとめる。
幼少期より相撲が大好きで、非常に強かった。
東京12チャンネルディレクター時代
1964年、東京12チャンネル(現:テレビ東京)開局とともに入社。ディレクターとして、『ドキュメンタリー青春』(東京ガス1社提供の番組で、田原を含め3人が交代で演出していた)、『ドキュメンタリーナウ!』などの番組を手がける。田原がTVドキュメンタリーを撮っていた時代は、NHKの吉田直哉らの『日本の素顔』、日本テレビの牛山純一の『ノンフィクション劇場』、村木良彦、宝宮正章らのTBSのドキュメンタリー番組などが主流で、当時開局したばかりの「東京12チャンネル」は、インディーズ的存在であった。田原はそれを逆手にとって「過激な題材」を元に、「やらせ的な演出をして、その結果としておきる、スタッフ、出演者、関係者に生じる葛藤までを、全て撮影する」手法をとり、話題を呼んだ。当時、田原が親交があった清水邦夫や内田栄一に「筋書き」を書いてもらい、出演者にそのとおり「行動」してもらう場合もあった。この田原の「確信犯的」な手法は映画監督の原一男に影響を与えている。
ジャズピアニスト・山下洋輔が「ピアノを弾きながら死ねるといい」といったため、田原はバリケード封鎖されていた大隈講堂からピアノを持ち出して山下に弾かせることを考えた。中核派から分裂した組織「反戦連合」のメンバーたちが運びだし、そのピアノを山下が演奏した。後の作家、高橋三千綱や中上健次、北方謙三、山岳ベース事件で殺された山崎順もピアノを運んだという。また、このイベントは立松和平のデビュー作『今も時だ』という短編小説も産み出している。
著書『私たちの愛』によると、以下のような過激なドキュメンタリーを撮影していた。
ニュージャージーのマフィアが経営する店で「この玉突き台の上でうちの売春婦とやったら取材を受ける」と言われ、30人に囲まれて黒人娼婦相手に本番ショーを行った。
役者・高橋英二 のガン治療手術から死去にいたるまでの撮影では、病室である国立がんセンターに取材拒否されたため、内緒で撮影。さらに右腕の切断手術が必要になり、手術の場面を撮影。手術直後、高橋は、自分の女性マネージャーが好きなのでセックスしたいと言い出し、車に連れ込んだが、女性が抵抗して果たせなかった。そのシーンも、そのまま撮影。また、本人の望むまま、国会議事堂に散弾銃を発砲するシーンも撮影。高橋はスターになるが、死去。遺体を棺桶に入れ、霊柩車で運ばれるまで撮影した。
全共闘くずれのヒッピーたちが、全員全裸で結婚式をやることになった。余興として花嫁が列席者全員とセックスをする。スタッフも全裸で撮影していたが、花嫁がスタッフともセックスしたいと言い出したため、田原はみずから彼女とセックスし、そのシーンを撮影させた。この「日本の花嫁」は、ゴールデンタイムで放映された。レポーター役の武田美由紀(当時・原一男の同棲相手)と原一男と、二人の間に生まれた子ども(当時、生後3ヶ月)の3人が、全国各地の若者のカップルを訪ね歩く番組であった。
「『わたしたちは……』〜カルメン・マキの体験学入門」という番組で、カルメン・マキが日記(小説的日記)で、「わたしたちは三畳の部屋に住んでいた」と書いていた。だが実際は、彼女は母親と一緒に住んでいた。そのため、カルメン・マキと同じく「天井桟敷」にいた支那虎という男と、アパートを借りて同棲させた。そして、日記の記述のとおり、「二人で裸でパンを食べさせ」、日記の結末にあるとおり「二人で海に行かせた」。当時天井桟敷のスターだったカルメン・マキに変な男がついたということで、寺山修司が怒り、寺山と支那虎は口論して支那虎は退団したが、そのシーンまで撮影した。なお、支那虎は、その後、田原の作品の助監督をつとめた。
「出発(その1)〜少年院をでたMの場合」、少年院で撮影してくれる少年を探したがなかなかみつからず、ようやく見つけた少年を、スタッフの安田哲男が保証人になって退院させた。
映画監督として
1971年には、ATG映画にて、『あらかじめ失われた恋人たちよ』(桃井かおり・加納典明主演・彼らのデビュー作)の制作・監督を務める(劇作家の清水邦夫との共同監督)。
助監督だった尾中洋一(のち脚本家)によれば、劇映画初体験の田原は、「アップ撮り」「カット割り」「右目線、左目線」も分からなかった。「よーいスタート」も田原がかけられないので、尾中が担当した。そのまま、田原を無視して「2日目から実質、尾中が監督」で撮影を続けたところ、ある夜、田原が遠くに行き、闇で「ばかにするな−」と叫んだ。だが、そのまま田原を無視して撮影は続いた。「羽咋の駅前で、売春婦と出会って抗議集会」というシーン撮影では警察の撮影許可も取らず、出演しているのは大半は単なる通行人。なお、石橋蓮司や緑魔子は、「無能な監督・田原」に怒っていたという。共同監督の清水邦夫は、ほとんど現場にこず、東京の舞台で行われたリハーサルを演出しただけだった。当時のATG映画は、監督が資金を出して製作する方式であり、田原と清水はスポンサーであった。 猫の死体が映るシーンは、出演者の加納典明が子猫を実際に水に漬けて殺したものであり、撮影で動物虐待が行われていた。
「のんすとっぷ24時間」
1975年、矢崎泰久らと日本ジャーナリストクラブ(JIC)を立ち上げる。その資金集めのため、新宿コマ劇場にて「のんすとっぷ24時間」という討論会(司会:中山千夏)を行い、撮影して、自分が勤務している東京12チャンネルに「番組」として売却した。このイベントが「朝まで生テレビ」の原型となったという。テーマは「戦後30年・酷暑・おしゃべりと、うたと、けんかと」と題され、8月13日10時から14日の10時まで24時間にわたり公演された。
「原子力戦争」
1976年には、原子力船むつ問題を扱った映画「原子力戦争」 をATG製作で映画化・公開した。映画は原田芳雄扮するヤクザが原子力発電所をめぐる利権争いに巻き込まれるという原作を曲げたものであった。問題作とも評され、田原は発表時脅迫されたという。著書「原子力戦争」では、底辺の人々(反対運動、賛成運動の人々、原子力潜水艦の技術者など)に取材した。だが、実際にものごとを決めているのは、「社会の上部の政治家や官僚だ」と気がつき、その後、政治家や官僚について取材していく「契機」となったという。『原子力戦争』の内容は、国会でも話題となり、大手広告会社の逆鱗にふれ、田原は東京12チャンネルを辞職したといわれる。なお現在の田原の原子力発電に対する姿勢は東日本大震災後においても「将来的には廃止が望ましい」としつつも「あと二十年は原発を維持すべきだ」と主張する等原発容認派に転向しており、自己のツイッターの中でも「日本の原子力発電所の技術は世界有数」と日本の原子力技術を賞賛する発言している。
フリージャーナリストとしての活動
1977年1月に東京12チャンネルを退社して、フリーランスとなりジャーナリストの道へ進む。東京12チャンネル時代の後輩には小倉智昭がいた。『文藝春秋』での田中角栄インタビュー(1974年に同誌に掲載された立花隆の『田中角栄・金脈と人脈』に対する反論)や『トゥナイト』の三浦インタビューなどで徐々に知名度を上げる。
政治、ビジネス、科学技術と幅広い執筆活動を続けるが、次第に政治関係に執筆活動のスタンスを移し、テレビでは1987年より「朝まで生テレビ!」、1989年4月より「サンデープロジェクト」(2010年3月終了)討論コーナーの司会・出演を務める。また、ラジオでは2007年10月から「田原総一朗 オフレコ!」(2011年3月以降は週1回放送から月1回放送の「田原総一朗 オフレコ!スペシャル」)のパーソナリティを務めている。「サンデープロジェクト」終了後は、2010年4月から始まったBS朝日の「激論!クロスファイア」に出演。青春出版社の月刊誌「BIG TOMORROW」で連載を持つ。また、1989年からテレビ朝日系の選挙特別番組「選挙ステーション」第2部(討論コーナー)で司会を務めている。
2002年4月より早稲田大学大隈塾塾頭、2003年6月よりドリームインキュベータの社外取締役を務めている。
2009年1月、「フォーラム神保町」主催禰による「田原総一朗ノンフィクション賞」の創設が発表された。また「田原総一朗のタブーに挑戦!」というポッドキャストの番組を持つ。
テレビ朝日系の番組に出演することが多いが、所属事務所は日本テレビ系のニチエンプロダクションである。
2015年12月9日には憲政記念館において、辻元清美議員の「政治活動20年へ、感謝と飛躍の集い in 東京」という政治資金規正法に基づく政治資金パーティーに参加している。 
 
小倉智昭

 

日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ。元東京12チャンネル(現:テレビ東京)アナウンサー。身長は173cm。体重は75kg。趣味、特技はゴルフ。東京都練馬区在住。既婚。元オーケープロダクション取締役で、現在はオールラウンドに所属。
帝国石油の技術者だった父親と、鹿児島市出身の母親のもと、当時の父の赴任先だった秋田県 に生まれた。小学2、3年生の時に東京・新宿へ移り、小学4年生から再び秋田へ。中学進学後再び東京へ移った。祖父は宮大工。
世田谷区立梅丘中学校出身。「友達を多くつくるために、勉強よりも体を鍛えること」という父親の方針のもとで育ち、子供の頃からスポーツ好きだった。そのため陸上競技の記録を伸ばすことばかり夢中になり、成績は体育だけが跳び抜けて良く、それ以外は平凡なものであった。陸上では世田谷区大会で優勝したことがある。中央大学附属高等学校では陸上部に所属。高校生時代は100m走で10秒9の記録を出したこともある。ある日父が学校に「陸上部辞めたら学校も辞めなければいけないんでしょうか」と相談しに来たことを聞き、これをきっかけに勉強と陸上の両方を頑張るようになった。大学進学時、そのまま中央大学に進学するものと思われていたが「スペイン語を学びたい」と言い出し(当時の中大にはスペイン語学科が無かった)、また中央大学には「陸上部で嫌いだった先輩が行ったから」という理由で進学せず、上智大学を受験するも不合格。最終的に獨協大学外国語学部フランス語学科へ進学した。獨協大学でも陸上部に所属し陸上競技会に出場した後、東京都陸上競技連盟から国体出場の通知を受けたこともある。しかし大学陸上部は2年で退部。足を怪我したことや、当時バンド活動で十分稼げるようになっていたからだという。バンドではボーカルとベースを担当、デパートの屋上のビアガーデンでビートルズの曲を演奏するアルバイトをやっていた。幼い頃から吃音症に悩まされ、また秋田出身であることから訛りもひどかったこともあり後にアナウンサー職に就いたのは、吃音を克服するため、あえて喋ることを仕事とする道を志したためであるという。
東京12チャンネルアナウンサー
アナウンサー試験では文化放送は1次選考、フジテレビは最終選考で不合格。最終的に東京12チャンネル へアナウンサーとして入社した。入社試験に合格した決め手は、フリートーク試験のお題が競馬だったからだと言う(当時東京12チャンネルが、競馬のアナウンサーが欲しかったみたいだったからとも話している)。高校生のころ東京都府中市に住んでいたことで 当時から競馬をやっていたため競馬に詳しかったことから『競馬中継』実況アナウンサーとして活躍し、毎週土曜日午後のワイド番組『ザ・ロンゲストショー』の中で競馬中継を担当した。予てから小倉の実力を認めていた山城新伍が司会を務める『独占!男の時間』にも起用された。競馬ファンから「競馬中継なら小倉」と言わしめるほどであったという。
しかしながら、競馬実況アナウンサーとして周囲より早く出世したことや、後輩への競馬実況術を指導したことが当時のスタッフや同僚アナウンサーから反感を買い、さらに当時人気番組である一方で「ワースト番組」上位にも挙げられていた『独占!男の時間』への出演を巡り(最初は競馬コーナーのみの担当だったが、その人気からレギュラー出演となった)、上層部と衝突を起こすようになる。
フリー転身
大橋巨泉が『大橋巨泉の日曜競馬ニッポン』(ニッポン放送)をスタートさせるにあたり小倉を起用することを決め、巨泉のスカウトに乗る形で29歳のときに東京12チャンネルを退社し、フリーアナウンサーとして大橋巨泉事務所(現:オーケープロダクション)に所属した。このとき前妻と離婚した。フリーランス転身後は仕事が入らず鳴かず飛ばずの状態が続いた。当時について小倉は「税金なんか当たり前、養育費も公共料金の支払いも滞納が続いた」「質屋と古本屋には本当にお世話になった」という状態が続き、電気・ガス・水道は止められ、電車賃が払えずアパートまで歩いて帰宅し、電車賃を工面するため開店前の古本屋を叩き起こしては本を売り現金化する日々が続いた。「前妻の父が学者で、本を出すのに金がかかるから」「子供の指の手術代に」などと理由を付けて同僚から金を借りたこともあった。時折、父親から食べ物の差し入れがアパートのドアノブに引っ掛けてあり飢えを凌いだ。また、給料の前借りが日常的であったことから「バンスの小倉」とあだ名を付けられた。
その後、古巣であるテレビ東京の『タミヤRCカーグランプリ』での軽快で個性的なナレーション(自称「小倉のお兄さん」)で小中学生からの注目を集め、さらに『小川宏ショー』のリポーター、『アイ・アイゲーム』(フジテレビ)や『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送)のナレーションが転機となる。『RCカーグランプリ』や『HOWマッチ』では甲高い声と早口で洒脱なナレーションで名前を知られた。当時のキャッチフレーズは “七色の声を持つナレーター” であった。
また、ラジオパーソナリティとしても頭角を現し、文化放送『とことん気になる11時』(1984年 - 1987年)、『小倉智昭の時計の針はいま何時?』(1987年 - 1991年)、『小倉智昭のニュースアタックル』、『小倉智昭の夕焼けアタックル』(1992年 - 1999年)など、平日の帯ワイド番組に長期に亘って出演した。
フリー転身後もしばらくの間は、公営競技のレース実況を手掛けており、競馬以外でも日本選手権オートレース(第10回、第13回)、第36回日本選手権競輪などで実況を担当している。
司会者として
ラジオパーソナリティでの話術ぶりを評価され、『キャッチ』(日本テレビ、1989年 - 1992年)、『ジョーダンじゃない!?』(フジテレビ、1992年 - 1993年)、『どうーなってるの?!』(フジテレビ、1993年 - 1999年)などのワイドショーに次々にメイン司会で起用され、着実に足場を固めて行く。
そして1999年4月にスタートした『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)で、司会者としての地位を確実なものにした。就職活動当時の1970年、小倉はフジテレビジョンが第一志望であり、入社したら朝のワイドショーを担当したいと入社面接時に話していたが不合格に終わったため、『28年来の願いが叶った』と、番組スタートの記者会見の場で語った。
『とくダネ!』の裏番組だった『はなまるマーケット』(TBS)には出演できないため、2000年に『はなまるマーケット』の姉妹番組として深夜に放映された『ウラまるカフェ』(TBS)にゲスト出演して薬丸裕英とのトーク共演を果たしている。
『とくダネ!』の裏番組『あさイチ』(NHK総合テレビ)を強く意識していると述べている。『あさイチ』の初代キャスターを務めた有働由美子(元NHKアナウンサー)とは、コンサートで顔を合わせることもあるが、あまり口を利かないという。小倉は有働をライバル視していた。小倉が2017年5月30日放送のNHK総合テレビ『ごごナマ』で有働のことをライバルと公言した後、有働は小倉に「ライバルなんて言っていただいて光栄です」と手紙を送った。小倉はこの手紙を宝物として飾っている。
『とくダネ!』の司会を務める立場として、2010年春にNHKが行った総合テレビにおける『連続テレビ小説』の放送時間を8時15分から8時に繰り上げた改編に不満を持っている。
マラソンに対する造詣は深く、フジテレビ系列のマラソン中継(北海道、大阪・名古屋の両女子と東京、並びに国際千葉駅伝)のゲスト兼応援団長をダブルで出演している。
Sagooooワークス調べの「実は朝から見たくない朝の顔」(100人調査)ではジャスト半数の50票を獲得し1位に輝いた。見たくない理由として「とにかく偉そうな上から目線の言い方が不愉快ですから。朝からどころか1日中見たくないのが、この人ではないでしょうか」、「自分がどんなに嫌われているのか知っているのか? 性格の悪さが前面に出ている」。2016年に行われた『VenusTap』の全国の既婚女性500人を対象に「あなたが嫌いな情報番組の司会者は誰ですか?」というアンケート調査 では2位の坂上忍に大差をつけて1位になった。
2016年5月13日、初期の膀胱がんを公表し、翌週の5月16日から手術のため1週間休養。17日手術、21日に退院し、23日に番組復帰を果たす。
2016年7月28日、『とくダネ!』の放送回数が4452回となり、同一司会者による全国ネット情報番組としての最多放送回数を達成した。
2018年11月5日放送の『とくダネ!』で、同週いっぱい休養することを報告するとともに、膀胱がんによる膀胱全摘手術をすることを明かした。11月12日にいったん復帰。11月26日放送の『とくダネ!』で、膀胱全摘出手術を行うため翌27日から長期休養に入ることを明かした。
私生活
1976年のフリー転身当時、小倉には多額の借金があり最初の妻と離婚。38歳の時、15歳年下の女性と再婚(現在の妻は当時女子大生で大学卒業と同時に結婚)。最初の妻との間には子がいるが、現在の妻との間には子はいない。
プロ野球・埼玉西武ライオンズファンであり、清原和博のファンでもある。西武ドームのシーズンシートを購入している。2009年には本拠地開幕戦始球式に参加した。プロ野球のクライマックスシリーズ(CS)には消極的な考えである。
暴言・失言等
メジャー移籍した上原への暴言
2009年4月9日『とくダネ!』の放送中、ボルチモア・オリオールズに移籍した上原浩治投手の初登板を中継していた場面で、「オレ、上原って、1シーズン(昨シーズン?)は自分で演出してダメになってたと思うんだよね」との暴言をつぶやき、翌10日のオープニングでも「巨人は出してくれなかった。それでちょっと腐っちゃったな」と勝手な自説を展開し、「ボルティモアはとっても安い買い物をした」と語った。
闇社会との関係
2011年8月24日に出演した『とくダネ!』で、闇社会を容認すると受け取れる発言をし、ネット掲示板などで批判が多数寄せられた。8月26日、同番組で、釈明をした上で誤解があったら申し訳ないと謝罪した。かつて警察庁暴力団対策課長を務めていた参議院議員の小野次郎は小倉の発言を不適切であるとして、謝罪と番組降板を求めた。
潰瘍性大腸炎患者を差別する発言
2012年9月27日に『とくダネ!』の放送の中で、「潰瘍性大腸炎」(全国に11万人以上の患者がいる厚生労働省指定の難病)の悪化で2007年9月12日に辞任した安倍晋三(内閣総理大臣第1期時代、病気を理由に辞任)の自民党総裁選出馬について、共演者の田中雅子が「辞め方が...。1年で、もうお腹痛くなっちゃって辞めちゃったということで…」と発言し、この発言に続けて小倉が「(安倍の2007年の病気による辞任は)ちょっと子供みたいだったと思うよ」と発言し、続けて田中は「そうなんで すよ、そうなんですよ」と発言した。小倉と田中が、厚生労働省指定の「難病」である潰瘍性大腸炎を、単なる「腹痛」と軽視して、潰瘍性大腸炎に罹患する患者全体に対する誤解を生む差別的発言をしたことに対して、「好き好んで病気になる人がいますか?」「難病だし、苦しんでる人がいるのに」「同じ病気の私は複雑な気持ち」といった批判や疑問が相次いだ。 同年10月1日同番組の放送で、「さて、ここでお詫びをさせていただきたいと思います。先週の木曜日、自民党の安倍新総裁の体調に触れた際、潰瘍性大腸炎という難病であるにもかかわらず不適切な表現をしてしまいました。もちろん、病気に苦しむ方を傷つけるつもりはありませんでした。お詫びをさせていただきます。では続いてお天気です。アマタツッ!」と安倍については言及しないままで謝罪をした。
■体罰に関しての見解の報道
J-CASTテレビウォッチは、2013年1月11日付の配信記事で、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部に所属する生徒が自殺した問題に関して、『スポーツに一家言持つ小倉智昭キャスターはそうしたコメンテイターたちに比べると「規律重視」派のようだ。けさは「勝つことを目指すのは人格形成に役立つ」と勝利志向主義の意義を力強く訴え、別の段では、体罰について「もちろんよくないが、目をつぶってもいいんじゃないという体罰もあるかもしれない」と、一定の宥和的な態度を示した』と、小倉の体罰に関する見解を消極的容認派ではないかという解釈のもと、報道した。
■レディー・ガガに対しての暴言
2014年12月3日の『とくダネ!』海外ニュースコーナーでは、ガガが過去に披露した奇抜な衣装をVTRで紹介。小倉は呆れ顔で「名前変えたほうがいいよ。レディー・バガ」とばっさり。これには、ガガファンや一部視聴者が、不快感を露わに。ネット上では「『とくダネ!』が、ガガ様を嘲笑ってる」「小倉に謝ってほしい」「小倉ってそんなに偉いんですか?」といった声が見受けられた。
■庄司哲郎への資金提供
『週刊文春』(2016年9月8日号)に覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された庄司に小倉が資金提供をしていたと報じられた件に関し、「つらい…自分のがん告知より悲しかった」と述べた。 
 
宮根誠司

 

日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者。テイクオフ所属。島根県大田市出身。元朝日放送(現:朝日放送テレビ)アナウンサー。
局アナ時代
島根県立大田高等学校卒業後、浪人生活を経て関西大学経済学部に入学。大学卒業後の1987年、朝日放送へ入社。元々アナウンサーを志してはいなかったが、就職活動中にふと立ち寄った就職課で朝日放送の募集掲示を見て軽い気持ちで応募し、面接でのトークが成功して採用された。新人時代はアナウンサーとしての基礎知識がなくなかなか担当番組がもらえずニュース読みを続けたという。
朝日放送テレビ『おはよう朝日です』(以下、おは朝)に代打で出演したことが転機となり、同番組のリポーターになった。その後、1990年4月からメインキャスターが先輩の岡元昇になったのを機に、2017年現在番組史上唯一の男性サブキャスター(ただし放送上は、岡元と共に事実上のダブルメインキャスター)となり、1994年からは『おは朝』の単独司会を務める。
フリー転身後
2004年3月末で朝日放送を退社。同年4月より、フロム・ファーストプロダクション大阪支社に所属し、フリーとなる。やしきたかじんが朝日放送の社長らを説得したことがフリーになる決め手となったという。また、たかじんだけでなく、笑福亭鶴瓶からもフリー転身の催促を受けていたこともフリー転身のきっかけである。
フリー転身後も局アナ時代からレギュラー出演していた『おは朝』、『食べて元気!ほらね』にはフリーの立場でしばらく引き続き出演。
2005年4月から1年間、毎日放送『っちゅ〜ねん!』にレギュラー出演。さらに同年11月からは読売テレビ『激テレ★金曜日』で司会を務め、テレビ大阪(TVO)を除く在阪準キー局全てでレギュラー番組を持った。
読売テレビでのレギュラー番組『ミヤネ屋』が全国ネット化し、全国的に知名度を上げた(後述)。
以降の宮根は在京キー局発の全国ネットのテレビ番組に、決して頻度は多くないもののゲスト出演するようになる。なお、テレビ朝日系列(古巣・朝日放送を除く)は2009年3月18日放送の『ワイド!スクランブル』VTR出演のみで、テレビ東京系列全国ネット番組の出演歴は、テレビ大阪制作を含めてもない。
2010年3月を以って『おは朝』を降板した。
2006年7月31日から、金曜のみの放送だった『激テレ』をリニューアルし、新たに月 - 金の帯番組『情報ライブ ミヤネ屋』(以下『ミヤネ屋』)をスタートさせた。『ミヤネ屋』のスタートに伴い、平日は『おは朝』と掛け持ちで朝と夕方の生番組の司会を務めることとなる。宮根は『ミヤネ屋』の第1回で、キー局である日本テレビの本社(日テレタワー)に行って『午後は○○おもいッきりテレビ』本番終了後に、司会のみのもんた本人と対談し、第2回では『ザ・ワイド』(2007年9月末で終了)の司会草野仁と対談した。宮根が、みの・草野と共演した番宣用スポットも制作された。
2007年10月1日からは『ミヤネ屋』が関東地区・長野県を除いて、『ザ・ワイド』の後番組として13:55 - 16:43(金曜のみ16:50)の枠に移動し、ネット番組に昇格した。2008年1月7日からはテレビ信州でも放送開始し、同年3月31日からは日本テレビでも放送開始した。これによって、全国ネット番組となった。
2008年の『鳥人間コンテスト選手権大会』では、「チームミヤネ屋」のパイロットとしてプロペラのない機体で飛行距離を競う滑空機部門に出場。300m越えを目標とし、301.30mで有名人新記録を樹立した。
2009年3月22日、東京マラソンに参加。宮根は参加前に『ミヤネ屋』内で「4時間30分を切らなければ丸刈りにする」と宣言した。しかし結果は正式記録で5時間56分09秒(スタートライン通過までのロスタイムを除いた参考記録で5時間40分)。目標を果たせなかったことから、翌日の生放送中にバリカンを入れられ丸刈り頭になった。
2012年1月6日発売『女性セブン』にて、再婚前から交際していた飲食店経営の女性との間に、再婚後に生まれた隠し子がいることが報じられた。2004年6月頃に出会い、交際。2007年春頃、飲食店を経営している16歳年下の女性から妊娠したことを告げられ、2008年2月に女児を出産、宮根は認知。宮根は番組冒頭で、この報道を認めて謝罪した。
2012年12月16日にフジテレビの選挙特別番組『FNN総選挙2012 ニッポンの決意 JAPAN'S DECISION』でメインキャスターを務める。自身初の選挙特番のメインキャスター担当となった。
2017年6月17日に沖縄開催した『AKB48 49thシングル 選抜総選挙』では結果発表に初めて関わって第7位の結果を発表していた。
新事務所設立
2010年3月末でフロム・ファーストプロダクションとの契約を解消。これに伴い『おは朝』を降板。3月1日に東京都で設立した事務所であるテイクオフ(TakeOFF)へ4月1日付で移籍した。フリー転身当初からマネージャーを務めた横山武が代表を務める会社である。宮根は所属第1号タレントであり共同出資者でもある。
同月より、在京キー局制作番組初のレギュラー番組としてフジテレビにて『Mr.サンデー』(フジテレビ・関西テレビ共同制作)を開始。また、『おは朝』で共演したクマガイタツロウ・たつをと共に「宮根誠司と2T」を結成し、初代エンディングテーマソング「Hey!Mr.サンデー」の作詞・作曲・歌唱を担当している。
人物
現在の家族構成は、妻と娘一人。一人っ子で兄弟は居ない。身長173cm。
ゴルフ、野球、ギターを趣味としている。
局アナ時代、フリーになりたかったがテレビ局に言いだせなくて悩んでいた時、たかじんに相談したことがあった。半年後、たかじんから電話があり料亭に呼び出された。料亭の個室に入ると、そこにはたかじんとテレビ局の社長がいた。そして、たかじんが社長に「こいつテレビ局を辞めてフリーになりたがってるんですよ」と言ってくれた。これが決め手となり宮根はフリーになることができた。
「島根のみのもんた」と称され、ステレオタイプの関西人像を唱えたり、大阪でも特異な人物を「大阪のおばちゃん」と関西代表にすることがある。だが、父親は大阪府出身であるものの、自身は島根県の出身であり、生粋の関西人ではないので近畿方言、関西弁ではない発音をすることがある。これらのことにより、「ニセ関西人」と批判されることもあり、2009年には『週刊文春』でその批判に対するインタビューが行われたことがある。
学生時代からタモリのファンで追っかけをしていた。浪人時代にタモリのライブを観たことがあり、ニッポン放送『タモリのオールナイトニッポン』も熱心に聴いていた。2014年1月13日、フジテレビ系『笑っていいとも!』のコーナー「テレフォンショッキング」に出演し、タモリと初めて対面した(通常は自身が司会を務める『ミヤネ屋』が大阪・読売テレビから生放送を行っている関係で出演できないが、この日は高校サッカー・決勝の中継で休止だったため出演できた)。ローカル時代と全国ネット化後で変化がないことを明かしている。
『NHK紅白歌合戦』の司会が目標であると語っている。
俳優やお笑いタレントのワイドショー進出について、「僕らの職場がなくなる」と述べている。
自身が尊敬する先輩アナウンサーとして古舘伊知郎を上げており、あの人には絶対に足下にも到底及ばないと話している。しかし、古舘が『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスターを2016年3月に降板する事を正式に発表された際、自身が後任候補に名前が上がった際、司会を務める『ミヤネ屋』では翌日の冒頭で「こんにちは。『報道ステーション』です。あっ、間違えちゃった!」と話すなど、当初は前向きとも取れる発言をしていた(最終的に後任にはテレビ朝日アナウンサーの富川悠太に決定した)。その後、『解決!ナイナイアンサー』(日本テレビ系)にゲスト出演した際には「自分には無理」と振り返り、(報道が出たことについて)「なぜ名前が出ていたのか分からない。自分にはできない。」と話した上で、「自分には無理だなと思った。」そのきっかけは、古舘や『報ステ』のスタッフとの飲みの席だったといい、「その緊迫感は半端なかった」「これが本当にテレビと向き合う人の姿勢。自分には無理。」と考えるに至ったという。ただ、実際にオファーが来ていたとしても「基本は無理」と繰り返し、続けて「あとはコレだけですが」と指でお金のマークを作って笑いを誘った。更に、同じく出演した日本テレビアナウンサー桝太一から「古舘さんの凄さって何ですか?」と問われ、「知識が深い、(言葉を)かまない、情報処理能力が速い」と最後まで古舘の凄さを語った。
2016年11月6・13日放送分の『ボクらの時代』(フジテレビ系)でその古舘とテレビ初共演。宮根が局アナとして所属していた朝日放送の後輩・赤江珠緒の結婚披露宴の場で、2人で飲んでベロベロになり、その後古舘の車に乗った瞬間、「古舘さん、いい車乗ってまんな」と言い、続けて「年間、なんぼ稼いでる?」といきなり年収を聞いたという。古舘は「それで好きになりました。“なんだコイツ!?”みたいな。」と、逆に宮根が好印象だったと語っている。その『僕らの時代』に出演した際に古舘は「宮根君に出て欲しい」と直々に宮根にオファーしたともされている。
「スタジオの一歩外に出ると、普通の人になる。そのギャップが耐えられないときがある。」と語っている。また、自身の出演番組は一切観ないという。
2015年の「嫌いなアナウンサーランキング」で1位を獲得したことがある。また、週刊文春の「嫌いなアナウンサーランキング」の男性部門では、一位の常連である。さらに、同誌の「嫌いなキャスター&コメンテーター」部門ランキングでも一位になったこともある。 
 
須田慎一郎

 

日本のジャーナリスト。
東京都世田谷区下馬出身、小学2年の秋に親の仕事の都合で足立区へ転居。東京都立上野高等学校および日本大学経済学部卒業。経済界記者などを経て、フリーとなる。
主張
財務省幹部を名乗る匿名の人物からの伝聞として、禁煙推進の裏には巨大な利権があると主張している。
2017年の加計学園の獣医学部設置に関しては、今治市による設置申請が文部科学省から認められず、第1次安倍政権でも却下されているなど、規制官庁の思惑だけで「岩盤規制」がおこなわれていたと主張し、この問題を告発した文科省事務方トップであった前川喜平が「正義の告発者」でないのは明らかであると述べている。また、週3回も出会い系バーへ通う時間があるなら、今治市を訪問し「地域の実情に目を向けるべきだったのではないだろうか」と批判している。
人物
高校時代のニックネームは「社長」。また、『たかじんのそこまで言って委員会』、『ビートたけしのTVタックル』に出演後から、司会者であるやしきたかじんやビートたけしからその強面にちなみ、「おじ貴」と名付けられた。
『そこまで言って委員会NP』の中で、「馬淵澄夫は高校の一年先輩で、よく殴られた」と語っている。
高橋洋一と長谷川幸洋の共著によると、須田は強面だが人間性としては極めて丁寧である。これは出会う人すべてが取材対象であるという信念のためであるという。
10年来のAKB48のファンで、以前は高橋みなみのファンでもあった。2011年6月に開催された『AKB48 22ndシングル 選抜総選挙』でも1票を投じており、高橋が7位であることに憤慨していた。高橋の卒業後は西野未姫を推しメンとし、『AKB48 45thシングル 選抜総選挙』にて西野に票を投じたが結果が伴わず、西野を推しメンしている事の禊をテレビ番組内で『恋するフォーチュンクッキー』を全力で踊った。またその前は、ザ・リリーズの親衛隊のメンバーでもあった。
大阪市阿倍野区に居住していたことがあり、毎年大晦日には釜ヶ崎を訪れている。
大谷昭宏とは20年以上の知り合いで、須田の結婚式では大谷が仲人を務めた。
「取材の一環」で抗争中の暴力団組長を取材した際に、同乗していた高級車をヒットマンに銃撃されたが、防弾ガラスで一命を取り留めた事を『たかじんNOマネー』の最終回で語った。 
 
細川隆一郎

 

(1919 - 2009) 日本の政治記者・評論家・コメンテーター、タレント・ラジオパーソナリティである。第79代内閣総理大臣の細川護熙は遠い親戚関係に当たる。
福岡県小倉市(現:北九州市)生まれ、熊本県出身。東京府立四中(現:東京都立戸山高等学校)、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。学位は政治学士(早稲田大学)。
憲法改正論者であり、「マッカーサーの押しつけ憲法だ。自主憲法を持たなければ独立国とはいえぬ。」(『毎日新聞』2009年10月7日朝刊、26面より引用)が信条であった。 内外問題研究会」を主宰していた。
毒舌の話術を生かし、ワイドショーのコメンテーターとして活躍し、タレントとして政治と関連の薄い分野でも活躍した。1996年6月11日からはタレントとして吉本興業に所属したこともあった 。
1919年 - 1月1日:誕生。
1942年 - 早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。
1942年9月 - 大阪毎日新聞社東京本社(『東京日日新聞』発行元。のちの毎日新聞社東京本社)に入社。
同年10月:陸軍東部通信本部に配属されて硫黄島へ出征する。
1945年9月1日 - 新聞記者として復職。毎日新聞東京本社経済部、政治部記者として勤務。
1963年 - 神戸支局長着任。
1966年 - 東京本社政治部長就任。政界汚職粛正のため、「日本政治への提言」を半年にわたり連載。
1967年 - 前年の黒い霧事件の時に「日本政治への提言」を連載していたことで「日本新聞協会賞」を受賞。
1968年 - 東京本社編集局次長就任。
1970年 - 中部本社編集局次長就任。
1973年 - 東京本社編集顧問。年末、同社定年退職、以後、政治評論家となる。
1980年 - 6月12日早朝に大平正芳首相の死去を、逸早く文化放送の自らの番組内で伝えたことにより「文化放送社長賞」を受賞。
1986年 - 『岸信介伝』、『政争・ニューリーダー論』の著書で第6回日本文芸大賞特別賞を受賞した。父の日にちなんで毎年日本で最も理想的お父さんを選ぶイエローリボン(ベストファーザー)賞を受賞。
1988年 - 日本きものコンサルタント協会より和装文化賞受賞。
2003年 - 脳梗塞を発症し、発見が遅れたため左半身麻痺が残り、元来からの持病であった黄斑変性が進行して失明した。頑固な性格のため、実際の症状で要介護認定が最高位にも関わらず、介護認定の面談で実際より重度でない事を告げ、かつ仕事を続ける事を頑なに守ったため、娘の細川珠生が、著作の口述筆記や一般紙の読み聞かせ等のサポートをしていた。
2009年8月25日 - 老衰のため死去。90歳没。告別式は2009年9月1日に東京都大田区の池上本門寺で営まれ、親交が深かった鳩山由紀夫民主党代表(後の首相)が弔辞を読み上げた。また同年9月28日には、お別れの会が東京・内幸町の日本プレスセンターで行われ、鳩山首相、中曽根康弘元首相も出席した。最後の仕事は死去した三日前に放送されたラジオ番組であり文字通り生涯現役を貫いた。
エピソード
趣味は小唄、日本舞踊、空手、ゴルフ、スキー、水泳、アイスホッケー、野球等スポーツ全般。
豪放磊落を売っている一方で、対談で相手が強気に出られると逆に宥めの側に回ったりするところもあった。
早稲田大学時代は空手部の主将を務めていた。
72歳くらいのときに霊能士に「100歳まで政治評論をしている」といわれた。
政治すごろくゲーム「政界立志伝」の監修をしたことがある。
1980年代〜1990年代にはテレビのバラエティ、クイズ番組に多数出演していた。
かなりの数の評論家が首相を辞任して数年後から高く評価しだしていた田中角栄について自著「総理の通信簿。」ではそれまで以上に政界に金権政治をもたらしたとして唯一総合評価で1を付けている。
反共組織として擁護していたが「皇太子に祝福(合同結婚式)を受けさせる」と統一教会のトップの文鮮明に言われたことについて「まったく話になりません。・・皇室を侮辱するものです。・・失礼極まりない、余計なお世話もいいところです。」と文の不敬に激怒している。 
 
田崎史郎

 

ジャーナリスト出身の日本の政治評論家で、駿河台大学客員教授。
福井県坂井郡三国町(現:坂井市)生まれ。福井県立藤島高等学校を卒業後、中央大学法学部法律学科へ入学する。大学2年時に三里塚闘争へ参加し、凶器準備集合罪で逮捕のうえ13日間留置される。
1973年3月、同大学を卒業後、同年4月、時事通信社に入社。経済部を経て、1975年に浦和支局に異動を命じられたが、少数派の労働組合に所属していたことを理由にした左遷で不当労働行為であるとして会社を提訴。その後、3年3か月後に政治部へ異動することを条件に和解。
1979年に政治部に異動となり、大平正芳内閣総理大臣の番記者になる。以後、新自由クラブ、外務省担当を経て、1982年4月人事にて、田中派を担当。以来、ずっと平成研究会を中心にして政治記者として活動し、並行して、整理部にて、整理部長、編集局総務としてトータル8年勤務し、解説委員に異動。2006年から解説委員長となり、以後、民放キー局の報道、ワイドショー、バラエティ番組にて政局解説として出演する様になる。
2010年6月30日付人事にて、定年後の再雇用にて引き続き勤務し、再雇用契約が終了後に特別解説委員の肩書で再度、会社と契約し。
2018年6月末付けにて、内規の68歳に達し、特別解説委員を退職。以後、フリーの政治評論家として、メディアでの言論活動を継続している。2019年1月から駿河台大学客員教授。
人物
2013年、自民党の政党交付金から組織活動費名目で資金提供を受け、同年から2015年にかけては安倍晋三らと懇談しており、安倍本人と自民党に対し擁護や理解を示す発言も多いことから、反政権色の強いメディアであるLITERAなどからは「田崎スシロー」等の蔑称による揶揄を受けることもある。
小沢一郎との関係
田中派の担当記者になって以来、小沢一郎とは毎晩のように呑む間柄だったが、1992年1月以来、小沢から一方的に遠ざけられ、取材できない状態になったという。1993年に成立した細川内閣で最大の実力者となった小沢について、マスメディアが伝える小沢像は虚像であり、自分の知っている小沢の実像を伝えたいとの思いから、田崎は『文藝春秋』1994年10月号に「小沢一郎との訣別」と題した記事を発表した。
1982年の自由民主党総裁選挙の際に小沢が田中派支持下の中曽根康弘を評して「担ぐ御輿は軽くてパーがいい」と発言したことや、小沢が自由民主党幹事長時代に海部俊樹総理を評して「海部は本当に馬鹿だな。宇野の方がよっぽどましだ」と発言したことなど、小沢のこれまでの数々のオフレコ発言を明かして話題になる。小沢サイドからは何の反応もなかったが、日本新聞協会は時事通信に対してオフレコを破ったことの事情説明を求めた。時事通信はオフレコを破った田崎に対して、2週間の出勤停止、その分の給与の減額、翌年の賞与の減額という処分を下した。
田崎は、相手に取材できなくなるならオフレコ破りはしないほうがよいという立ち位置であった。すでに小沢からは何の通告もなく一方的に無視されて事実上の取材拒否となっており、オフレコ破りをしても何の障害もない状態であったため、オフレコ破りをしたと主張している。田崎は、小沢から取材拒否されるようになった原因について、自身の諫言を小沢が嫌ったことや、小沢の政敵となった梶山静六と自身が親しくしていたことなどを推測している。
田崎史郎だけでなく三浦瑠麗らにも自民党本部から金が! 2018/12/1
 2017年度の政治資金収支報告に支出記載
昨日、総務省が公開した2017年分の政治資金収支報告書だが、またもテレビでおなじみのコメンテーターらに自民党からカネが流れていたことがわかった。
そのひとりが、東京大学講師の三浦瑠麗氏だ。
三浦氏といえば、『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)で披露する、鼻で笑いつつ繰り出す「上から目線」トークがなぜかウケて、『ワイドナショー』(フジテレビ)などテレビでおなじみの論客になったが、そんな三浦氏の名前が、今回公表された自由民主党本部の収支報告書の支出欄に登場。昨年11月9日に「遊説及び旅費交通費」の名目で8万7580円を自民党本部が三浦氏に支払っているのである。
調べてみると、三浦氏は約8万円が支払われた約10日前にあたる2017年10月29日に自民党山口県連が主催した「政経セミナー」に参加。三浦氏は講師として「新勢力均衡時代の訪れ」をテーマに講演しており、山口新聞10月30日付けの記事には〈米国や中国、北朝鮮との関係など国際情勢を踏まえ、憲法9条や非核三原則を巡る議論などに自民党が攻めの姿勢で取り組んでいく必要性を説いた〉とある。自民党から支払われた金は、この講演会絡みのものである可能性が高い。
10月29日といえば、自民党が圧勝した衆院選からわずか1週間後のこと。そんなタイミングに、よりにもよって安倍首相が所属する自民党山口県連で、憲法9条について講演をおこなっていたのだ。
しかも、三浦氏は「中学生が9条を読むと、自衛隊は違憲にも読める」(日経ビジネスオンライン2017年8月3日付)と、まるで安倍首相の「ほとんどの教科書に自衛隊が違憲であるという記述がある」という主張を強化するような主張をしたり、安倍首相による憲法9条に自衛隊を明記する改憲案にも「自衛隊を認知させることだけでも大きな意味がある」(「WEB RONZA」2017年11月22日付)と述べている。
ようするに、衆院選の圧勝によって本格的に憲法改正に乗り出そうとする安倍首相の地元・山口県で、三浦氏は改憲への気運を高める“応援活動”に勤しみ、その対価を自民党から受け取っていたと考えられるのである。
そもそも、三浦氏はこれまで巧妙な安倍政権擁護を繰り出してきた人物だ。たとえば、安保法制に対しては〈解釈改憲には「一定の筋の悪さ」が付きまとっています〉と政権側にひと言申したフリをしつつ、安保論議は法律論に押し込めるべきではない、安倍政権は憲法論議に正面から向き合わなかったのは画期的などと最終的には安倍政権の立憲主義破壊を肯定。森友問題でも近畿財務局の職員が自殺したことを「この問題っていうのは人が死ぬほどの問題じゃないんですよ」と発言して公文書改ざんを矮小化し、加計問題では大企業優遇の経済政策を引き合いに出しながら結果的には“トヨタもいいんだから加計も問題ない”という論を展開した。
こうして人気の論客としてメディアに登場しては安倍政権をアシストしてきた三浦氏が、自民党からカネを受け取っていたとは──。
しかし、自民党からカネが支払われていたのは、三浦氏だけではない。今年、特別解説委員を務めていた時事通信社との契約が解除された田崎史郎氏だ。
田崎氏は『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)や『ひるおび!』(TBS)、『とくダネ!』『直撃LIVE グッディ!』(ともにフジテレビ)などに出演しては、官邸の代弁者のごとく政治報道を解説している“安倍応援団”の筆頭株であり、安倍首相と会食を繰り返していることでも有名。ネット上では寿司を一緒に食べる間柄を揶揄して“田崎スシロー”などとも呼ばれている。
だが、その田崎氏にも、三浦氏と同じ昨年11月9日、自民党本部が「遊説及び旅費交通費」の名目で8万3780円を支出しているのである。
昨年といえば、田崎氏はやはりテレビで安倍首相の擁護を繰り返し、加計問題で「総理のご意向」文書が出てきたときも「行政文書ではない、ただの文科省内のメモ書き」「菅さんたちは言った覚えがないから怪文書」と強弁。安倍首相が森友・加計問題の追及から逃げるために臨時国会冒頭で衆院を解散したときも「大義は、安倍政権の力を強めること」などと言い出す始末だった。
こうした徹底した安倍政権擁護の一方で、その安倍自民党から田崎氏にはカネが支払われていたのである。
しかも、田崎氏に自民党からカネが支払われたのはこれが初めてではない。本サイトでは例年お伝えしてきたが、2016年分の収支報告書でも自民党は5月9日に田崎氏に対して6万8980円を支出。さらに、2013年分の「自民党本部政党交付金使途等報告書」でも、この年、自民党本部は4回に分けて田崎氏に対して合計26万360円を支出している。個別には、13年5月9日に8万1740円、同6月3日に5万6140円、同10月4日に6万8740円、そして同10月31日に5万3740円。いずれも名目は「組織活動費(遊説及旅費交通費)」である。言うまでもなく、政党交付金の原資は国民の血税だ。
2013年といえば、前年末の衆院選で自民党が大勝し政権が交代、第二次安倍政権が本格始動した年だ。おそらく田崎氏は、自民党が政治活動の一環として催した勉強会、集会、政治資金パーティなどで講演等をおこない、その報酬もしくは交通費を受け取ったと思われる。実際、5万3740円を受け取った10日前の2013年10月20日には、やはり自民党鳥取県連が20年ぶりに開催した政治資金パーティに出席、〈安倍政権の経済政策などを題材に講演〉したことが確認されている(毎日新聞13年10月21日付鳥取版)。ようするに、田崎氏は自民党のカネと支援者集めに協力していたのである。
だが、三浦氏にしても、田崎氏にしても、昨年に支払われていた金額は前述したように約8万円。地方の講演であれば、交通費や宿泊費などで終わってしまう額だ。一方、田崎氏の講演料の相場は30〜50万円といわれている。一体、この差は何を意味するのか。
「田崎氏にかぎらず、自民党が評論家やジャーナリストなどに講演を依頼するときは、高額ギャラを支払うと政治資金収支報告書に記載されるため、旅費や宿泊費レベルの金額にすることが多い。ただし、別のかたちで見返りを与えるんです。たとえば、情報提供や政府関係の役職への抜擢、さらには、政治資金収支報告書報酬に記載されない別の仕事を依頼して報酬を支払うケースもあるようです」(全国紙政治部記者)
今回公表された自民党本部の政治資金収支報告書では、ほかにも『NEWS23』(TBS)のキャスターである星浩氏にも「遊説及び旅費交通費」の名目で6月16日に7万1580円が、さらに6月2日には安倍応援団のひとりであるノンフィクション作家の門田隆将氏に8万180円が支払われている。
星氏は自民党からカネが支払われた後に安倍首相が『NEWS23』に生出演した際も、森友・加計問題を厳しく追及。つまり、自民党の講演会などを引き受けたとしても線引きをし、ジャーナリストとして当然の問題追及をおこなっている点では、三浦氏や田崎氏、門田氏とは違うといえるだろう。
ジャーナリストや評論家の看板を掲げ、テレビをはじめ新聞、雑誌などのメディアで安倍政権をヨイショする一方で、自民党からカネを受け取る。こうした“自民党のスポークスマン”の言論は、はたして信用に値するものなのか。視聴者はよく考えたほうがいいだろう。
 
山口敬之

 

元TBS報道局の社会部及び政治部の報道記者、報道特集プロデューサー、ワシントン支局長。一般財団法人日本シンギュラリティ財団代表理事。政治団体「日本シンギュラリティ党」代表。
東京都出身。慶應義塾大学経済学部卒業後、1990年にTBS入社。報道部に配属され、報道カメラマン、ロンドン支局、臨時プノンペン支局、社会部、政治部、報道特集プロデューサーを経て、2013年からワシントン支局長。
2015年4月23日付でワシントン支局長を解任され、報道局から営業局へ異動した。2016年5月30日付でTBSテレビを退社し、ジャーナリストと兼業でアメリカ系シンクタンク研究員に転身した。
2016年1月15日、政治団体「日本シンギュラリティ党」代表に就任。同年3月、一般財団法人「日本シンギュラリティ財団」を設立し、代表理事に就任(共同代表に齊藤元章)。スーパーコンピュータ開発会社PEZY Computing顧問。
活動
韓国軍慰安婦について
いわゆるライダイハンに関連して、ワシントン支局長時代の2015年、米国立公文書記録管理局(NARA)の公文書から、ベトナム戦争の際、サイゴン(現ホーチミン)に韓国兵限定で使用する「トルコ風呂」と呼ばれる慰安所を設置してベトナム人女性に売春させていた事実が判明したとして、『週刊文春』(2015年4月2日号)に韓国軍慰安婦の存在について発表した。同記事で第47回大宅壮一ノンフィクション賞候補。
「準強姦」事件被疑
事件概要
2015年4月3日、当時TBSの政治部記者でワシントン支局長だった山口の一時帰国中に伊藤詩織と東京都内で会食。同日深夜から4日早朝にかけてレイプドラッグなどにより準強姦の被害を被ったと伊藤が訴えた。ニューヨーク・タイムズは、山口が首相との関係性に基づく優位な取り扱いを受けた有無があったかの疑義を前置きしつつ、中村格が山口の逮捕を捜査員が準備している中で逮捕を中止させたと週刊新潮において認めたと報じている。2016年と2017年の二度の不起訴処分となった。
事件までの経緯
2013年9月、山口がニューヨークにある国連総会の取材滞在時に、現地のピアノバーに勤務していた伊藤と出会った。当時ワシントン支局長であった山口に伊藤は「ジャーナリズムの仕事がしたい」と訴え、その後メールにて数回におよびTBSのニューヨーク支局のインターン生になるために山口を通じての面談の依頼を始めた。当時は募集がなかったが、山口の紹介で日本テレビのニューヨーク支局でのインターンが決まっている。その後、2014年9月に入り、山口氏に伊藤氏よりメールにて「就活中のため、ワシントン支局のプロデューサーのポジションを紹介してほしい。」と連絡が入り、事件となった2015年4月3日(金)に恵比寿にて会うことになった。
捜査開始と逮捕の中止
2015年4月9日に伊藤は原宿警察署に被害を相談、同月30日に高輪警察署が準強姦容疑で告訴状を受理し、捜査を開始。
一度目の不起訴処分
2016年7月22日、約1年4ヶ月に渡る捜査の末、東京地検が嫌疑不十分で不起訴処分とした。
二度目の不起訴処分
2017年9月21日(公表は22日)、市民からなる東京第六検察審査会が「慎重に審査したが、検察官がした不起訴処分の裁定を覆すに足る事由がなかった」とし、不起訴相当と議決した。
手記公開による攻防
2017年10月18日、伊藤が2015年の準強姦被疑事件を綴った手記『Black Box』を出版し、24日には日本外国特派員協会で会見を行った。 これに対して2017年10月26日発売の月刊Hanadaに、山口の反論手記「私を訴えた伊藤詩織さんへ」が掲載された。
民事訴訟
2017年9月28日、望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして、伊藤が山口を相手に1100万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。現在民事係争中である。山口は伊藤の主張を真っ向から否定している。裁判の第1回口頭弁論は2017年12月5日に東京地裁で行われ、山口と山口の弁護士を含む被告側は、全員欠席した。 
 
松本人志

 

日本のお笑いタレント、漫才師、司会者、映画監督、作家、コメンテーター。お笑いコンビ・ダウンタウンのボケ担当。相方は浜田雅功。愛称は松っちゃん(まっちゃん)。妻は伊原凛。吉本興業[東京本部]所属。
兵庫県尼崎市出身である。小学校、中学校の同級生に浜田雅功と高須光聖がいる。中学時代のあだ名は、まっつん、まつひと、手焼き煎餅である。浜田と共に吉本総合芸能学院の1期生として入学した。入学当初から浜田とコンビを結成した。コンビ名は何度か変わったが、最終的にはダウンタウンとして舞台やテレビ番組に出演することになった。1987年4月に開始した初の看板番組『4時ですよーだ』を皮切りに、翌年には深夜のコント番組『夢で逢えたら』で東京に進出した。『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』、『ダウンタウンのごっつええ感じ』等では出演の他番組の企画、構成も行う。1993年から1995年にかけて、『週刊朝日』に連載していた自身のエッセイ(「オフオフダウンタウン」)が『遺書』及び『松本』として単行本化された。それぞれ250万部、200万部を売り上げた。
2001年10月4日より、ラジオ番組『放送室』を高須と共に開始し、2009年3月28日の番組終了まで約7年半に渡り放送された。2007年、企画、脚本、監督、出演の四役を務めた映画『大日本人』を発表し映画監督としてデビューをした。日本での公開に先立ってカンヌ国際映画祭の「監督週間」に招待された。これに伴い、2008年の東京スポーツ新聞社主催・「第8回ビートたけしのエンターテインメント賞」で話題賞を受賞。
2004年から『人志松本のすべらない話』(通称:すべらない話)のホスト及び企画、2009年からは大喜利の祭典『IPPON グランプリ』の大会チェアマンとして出演し、あまり知名度の無いお笑い芸人の才能の発掘や若手芸人の育成にあたる役割も担っている。『すべらない話』では、関西での活動を中心としていた小籔千豊や、矢野・兵動の兵動大樹がMVSを受賞し全国区へとブレークするきっかけを作り、『IPPON グランプリ』では、『R-1ぐらんぷり』『爆笑レッドカーペット』等をきっかけにブレイクしたバカリズムの大喜利能力の圧倒的な高さを発掘した。
2010年6月、左股関節に股関節唇損傷を患い、股関節の手術を受けるため1〜2カ月程度の休養を発表した。その後、8月18日収録の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』で仕事復帰。同年10月15日にNHK総合でテレビでは実質的に9年振りとなるコント番組『松本人志のコント MHK』が放送、翌10月16日に同局のドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』で「松本人志スペシャル」が放送された。
2013年、『リンカーン』の『説教先生』で、Twitterを開始。2017年5月23日には、南原清隆とツーショットが話題になった。
2015年12月、第18回みうらじゅん賞を受賞。
人物
1998年より、髪型を左分けから坊主頭に変えた。2014年の秋以降は白髪を隠す目的で髪の毛をグレーに染めていたが、すぐ色が落ちてしまうという理由で冬頃からは金色に染めている。 親友は放送作家のさだと三又又三、 結婚後に筋トレを始めたが、「バイオハザードシリーズ」などの登場人物の体型への劣等感がきっかけと語っている。
エピソード
「笑いと悲しみは紙一重・表裏一体」という考えを持っている。『ごっつええ感じ』のコント「トカゲのおっさん」や、映画『大日本人』は笑いとペーソスを両立させた作品となっている。 貧乏だった少年時代の話を松本は心から面白いと思って披露しても、悲しい話として同情を受けてしまうことがあるという。『ごっつええ感じ』の頃は、ハードな下ネタやグロテスク・バイオレンスなネタなど狂気的なほどのブラックな笑いを度々見せていた。その後はそういった類の笑いへの興味は大分無くなっている。理由は「過去のコントを見返した際に『今観直してもやっぱり面白い』と思えたのはブラックな笑いではなかったから」と語っている。 また、単純に年齢・芸歴を重ねたことや、結婚し家庭を持ったこともきっかけではないかとも自己分析している。『松本人志のコント MHK』では図面に描いた通りにやる「良質」なコントを目指したという。
「面白いやつの条件」として「ネクラ・貧乏・女好き」を挙げている。「面白い奴とは自分ひとりの世界を持っている奴のことであり、実はネクラな奴が多い。面白い奴とはどこか冷めた奴のことである」と論じている。 その一方、明るい性格に関しては「明るい奴は社交的で楽しいが、笑いの内容が薄く飽きられやすい。身内を楽しませるだけで終わってしまう」とも論じている。 「貧乏」は、松本自身があまり裕福な家庭で育ってなかったこともあり、「遊び道具のない子供は、自分でそれを作ろうとする。結局、想像力が豊かになり、頭を使って遊ぼうとするのだ」とコメントしている。「女好き」については、「女好きの奴は口がうまい。そう、しゃべりが達者」であることを理由としている。
尊敬する芸人と公言している人物は藤山寛美、桂枝雀(2代目)、志村けん、島田紳助。藤山寛美・2代目桂枝雀については、「芸人は寛美さんや枝雀さんのように常に作品を作っていかなければならない。僕はそういう人になりたいと思う」と語っている。また就寝前に携帯音楽プレイヤーで2代目桂枝雀の落語を聴きながら眠りに就く事が良くあるとも語っている。島田紳助は紳助・竜介時代に、ダウンタウンの芸風の方向性を松本に問いただすと、模索中ながらもある程度の確信がある旨を明かし、後に紳助は、ダウンタウンの漫才の方向性が正しかったことに衝撃を受け、これが紳助・竜介を解散するきっかけになった。また自身の著書『遺書』においても「もしこの世にテレビがなく、ラジオだけだったとしたら、このオッサンは間違いなく天下を取っているだろう」と紳助を評している。 
 
後藤謙次

 

日本のジャーナリスト、アンカーマン。元共同通信社記者、編集局長。東京都出身。「政治コラムニスト」「政治ジャーナリスト」の肩書きでも活動している。白鴎大学特任教授。
1968年 - 東京都立八潮高等学校卒業。
1973年 - 早稲田大学法学部を卒業。共同通信社に入社し、函館支局、札幌支社編集部などに勤務。
1982年 - 共同通信社本社政治部、首相官邸、自民党(旧田中派担当)、外務省、野党担当、自民党クラブキャップ、首相官邸クラブキャップなどを担当。
1997年 - 同社編集局編集委員兼論説委員。
2002年 - 同社政治部部長。
2004年 - 同社論説副委員長兼編集委員。
2005年
 3月28日 - 『イブニング・ファイブ』『JNNイブニング・ニュース』(TBSテレビ)にコメンテーターとして出演(2006年5月9日まで)。
2006年
 6月 - 同社編集局長。
2007年
 10月23日 - 編集局長から総務局付・局長同等に異動。10月末で共同通信社を退社。
 12月3日 - 『筑紫哲也 NEWS23』(TBSテレビ、2008年3月31日より『NEWS23』)にメインキャスターとして出演(2009年3月27日まで)。
2009年
 3月30日 - 『総力報道!THE NEWS』(TBSテレビ)にアンカーとして出演(2010年3月26日まで)。
 4月4日 - 『オールスター感謝祭'09春超豪華!クイズ決定版』(TBSテレビ)に出演。自身初のバラエティ番組出演となった。
2010年 - フリーランスに転身。
2018年 - 「ギリギリセーフ」発言で炎上。
人物
共同通信社政治部記者時代には、竹下登や野中広務の番記者を長く担当。竹下が結成した三宝会では世話人を務めた。
座右の銘は「進む・退く・止まる」。 
 
辛坊治郎

 

日本のニュースキャスター、シンクタンク経営者である。読売テレビアナウンサー→理事・報道局解説委員長(局長待遇)などを経て、株式会社大阪綜合研究所代表を務める。また、読売テレビ時代より芦屋大学客員教授も務める。読売テレビ時代には、情報番組のプロデューサーを務めたこともある。住友ファイナンスエイシア社長を務めた辛坊正記は実兄。
男2人兄弟の二男として鳥取県米子市で生まれた。7歳年上の兄(辛坊正記)がいる。しかし、鳥取での生活はわずか2ヶ月だったため全く記憶にないという。小学校入学前までは、自衛隊員だった父親の転勤に伴って全国を転々とし、物心がついたころから大学時代までは埼玉県入間市で過ごした。なお、辛坊家のルーツは大阪府岸和田市にあり、自身の出身地を岸和田(大阪)としているプロフィールも見られる。青春時代は埼玉県で生活していたため、2006年当時においても自身のルーツが大阪という感覚を持っていなかったと語り、外部の環境は埼玉県であるが家庭内においては関西文化の生活様式であったため、本人曰く「自分は根無し草のようなもの」とのこと。
入間市立豊岡中学校時代にテレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を見ていた時、停電になったためラスト15分を見ることができなかった。放送していたTBSに結末を電話で聞いたところ、親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決めた。
埼玉県立川越高等学校では航空部と英語部に所属。1浪の後早稲田大学法学部に進学。
大学3年時に司法試験を受けるが不合格。その後、夏休みを挟んだ3ヶ月間、西ヨーロッパ・モロッコ・トルコなどを旅した。4年次の就職活動で埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事の内定も受けた。ある日、大学の就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集のチラシを見て、受けるだけで1000円もらえたことから受けたところ、受験者1300人の中から7次試験の最終面接3名まで残った。フジテレビの入社試験は担当希望の番組を訊かれた際に「リビング11(お昼の通販番組)を担当したい」と答えてしまい落ちたが、12月に大阪の読売テレビから突然電話があり、「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われたため、読売テレビを受け合格。埼玉県の上級職・住友商事・読売テレビの3つ選択肢があったが、読売テレビに決めた。本人は、自身の講演会で「始業時間が朝10時と一番遅かったから」と冗談を飛ばしている。
アナウンサー
大学卒業後の1980年(昭和55年)、読売テレビにアナウンサーとして入社。『ズームイン!!朝!』の大阪キャスターを8年間担当。スポーツコーナーで、森たけしと共に阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「難儀やなぁ」は、1987年(昭和62年)新語・流行語大賞流行語部門の銀賞を受賞する。1989年(平成元年)には、森たけしと歌った阪神タイガース応援歌『負ける気せんね』をリリースした。
1985年8月、東京へ出張して『ズームイン!!朝!』にて夏季休暇で不在だった徳光和夫の代理キャスターを務めていた週の8月12日に日本航空123便墜落事故が発生し、日本テレビマイスタから日航機事故関連情報を伝えた。
1990年(平成2年)4月より夕方のローカルニュース『ニューススクランブル』のキャスターとして活躍する傍ら、1991年(平成3年)1月から1992年(平成4年)3月まで『ウェークアップ!』の司会を務めた。その後1993年(平成5年)に退社した羽川英樹に代わり、新たな読売テレビの看板男性アナウンサーとなった。
1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災関連のニュースも担当した。当時、読売テレビは2日間(48時間)にわたって震災の報道特番を行い、辛坊はその48時間にわたって読売テレビのスタジオでキャスターを務めた。
解説委員
1997年(平成9年)から報道局解説委員となり、同年1997年(平成9年)7月から1998年(平成10年)7月までの1年間は、ペース大学研究員としてニューヨークに駐在、アメリカのメディア事情を研究した。
帰国後は報道部チーフプロデューサーへ就任し、同職と並行する形で『報道特捜プロジェクト』のキャスターや、関西ローカルの『元気モンTV』『あさイチ!』ではコメンテーターなどを担当。『元気モンTV』『あさイチ!』ではチーフプロデューサーを兼任しながら出演し、中元綾子(当時読売テレビアナウンサー)をメインキャスターに据えたことや、辛坊自身の「日本一よく分かるニュース解説」のコーナーが人気となり、同時間帯視聴率トップにするなどの実績をあげた。
2000年(平成12年)には報道局情報番組部長に就任し、初の著書で前述のメディア事情をまとめた「TVメディアの興亡」を刊行。
2001年(平成13年)10月から日本テレビ『ズームイン!!SUPER』開始に伴い、新聞ニュース解説(兼サブ司会)に起用されたことから、東京での単身赴任生活を始めた。2003年(平成15年)7月からはそれまで特番だった『たかじんのそこまで言って委員会』がレギュラー昇格となり、やしきたかじんとともに司会を担当、毎週(現在は隔週)金曜日午後に読売テレビ本社第1スタジオでの収録のため帰阪していた。さらに2005年(平成17年)4月からは桂文珍に代わって同局の報道番組『ウェークアップ!』の後番組の『ウェークアップ!ぷらす』の司会を担当。その影響で『ズームイン!!SUPER』の月・火は当時多摩大学助教授の野田稔(後に読売新聞特別編集委員の橋本五郎)となったため、出演は水・木・金の出演に短縮され、2009年(平成21年)4月から読売テレビ本社で『SUPER SURPRISE』(金曜日は「たかじんのそこまで言って委員会」もしくは「SUPER SURPRISE なるほドットJAPAN」の収録)に出演することになる。それによりズームインは水・木出演(金曜日は日本テレビ解説委員の畑山篤に変更)とさらに短縮されたが、2010年(平成22年)3月26日の放送をもって降板した。ズームイン出演の後期は大阪にいることが多くなったことから、東京滞在中はホテル暮らしの生活であった。本人の話では早朝からズームインに出演し、大阪に移動して夜7時から生番組(当時)に出演していたため、1日に16時間以上勤務しているとコメントしていた。
その間、2004年(平成16年)より、芦屋大学客員教授を務める。
2009年(平成21年)10月1日付けで岩田公雄の後任として読売テレビ報道局解説委員長に昇格した。
2010年(平成22年)3月29日から、かつて『ズームイン!!朝!』や『あさイチ!』で共演した森と共に平日早朝のローカル情報番組『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任、8年半ぶりに読売テレビの早朝番組のメインキャスターとして復帰すると同時に、週6本の生放送に出演することになった。4月に実兄との共著「日本経済の真実―ある日、この国は破産します」を出版し、28万部のベストセラーとなった。
読売テレビを退職
2010年(平成22年)8月、翌月末をもって読売テレビを退職し、10月よりシンクタンクの研究員になる旨が報道され、自身がキャスターを務める『朝生ワイド す・またん!』にて記事を取り上げ本人からも公表された。退職日は2010年(平成22年)9月30日。退職後は自身が設立したシンクタンクである大阪綜合研究所へ移籍。退職後も番組出演を続けている。
2016年4月から、TBS系列のバラエティー番組『直撃!コロシアム!! ズバッと!TV』で、他局系列の番組に初レギュラー出演を果たす。
主に大阪府を中心とした近畿地方の政治・経済・文化、およびアジア・太平洋地域における環境・観光・民族文化・経済開発についての研究・調査・およびそれを基とした講演活動などを行う。
2019年3月29日をもって、放送開始当初から出演してきた『朝生ワイド す・またん!』を卒業。
ヨットで太平洋の横断
2013年6月、全盲のヨットマンだった岩本光弘をサポートする形で福島県いわき市の小名浜港をスタートし、8月にアメリカ合衆国のカリフォルニア州サンディエゴでゴールをする予定であった。ヨットは間寛平がアースマラソンのときに使ったエオラス号を使用する。企画・発案はアースマラソンのサポートスタッフでもあった比企啓之。6月21日にクジラと思われる生物と衝突して、ヨットが浸水し、同日7時45分に118番通報する。その後10時間近く救難艇で漂流したのち、同日18時14分に海上自衛隊のUS-2(救難飛行艇)に救助された。
人物
メディア研究の経験などから、芦屋大学客員教授や関西大学非常勤師(東京に単身赴任前まで)、読売テレビ寄講講義(俗にいう「冠講座」)として、立命館大学客員講師を務め、臨時で母校の早稲田大学でも講師を務めた経験もある。また、レギュラー番組の合間に、メディアや報道の裏側を題材とした講演なども行っている。
その他、マリンジャーナリスト会議から「2014年MJCマリン賞スポーツ/アドベンチャー部門」に岩本とともに選ばれている。以前の遭難後、海難救助のボランティア組織を応援するために青い羽根募金に協力している。NNN系列アナウンサーの最高賞であるNNSアナウンス賞の最優秀賞を受賞している。
京都府亀岡市の茨木台に別荘を持っている。
2014年10月26日に行われた大阪マラソンに参加し、4時間55分47秒のタイムで完走した。
十二指腸癌闘病 / 2012年(平成24年)12月19日に大阪市内の病院で、十二指腸の腫瘍(後に初期の十二指腸癌と判明)を摘出する手術を行った。病院には前日18日に入院したが、手術当日も『す・またん!』に病院から直行して通常通り出演し、「私、病院からやってきました。今日(19日)手術なんだよ。テレビ出て解説してる場合じゃないだろ」と明るい調子で司会進行していた。手術は無事成功したが、大事を取ってその週のレギュラー番組への出演を見合わせ、翌週に完全復帰した。  
 
青山和弘

 

日本テレビ放送網報道局政治部所属の元報道記者・元ニュースキャスター。現在は、日本テレビホールディングス経営戦略局グループ推進部に所属。
千葉県流山市出身。
早稲田高校、東京大学文学部社会心理学科卒業。
1992年4月入社。同期に大神いずみ、松本志のぶなど。同年10月に報道局社会部(警視庁担当)に配属される。ここでは主に、殺人や誘拐といった事件の取材を担当。
1994年5月から報道局政治部(首相官邸担当)に異動。当時の羽田孜首相、村山富市首相の番記者となる。自社さ連立政権(村山内閣)誕生の瞬間に立ち会う。
1995年5月にコロンビア大学大学院東アジア研究所客員研究員となる。
1996年6月から報道局政治部連立与党担当になる。民主党の立ち上げや、当時の自民党・山崎拓政調会長を取材する。
1998年7月から再び報道局政治部の首相官邸担当。当時の自民党・野中広務官房長官の番記者。
1999年12月には編成局編成部に異動、2001年9月に報道局キャスター室兼政治部担当として『ズームイン!!SUPER』などの報道キャスター。その後、政治部野党キャップ、自民党キャップを経た後、現場を離れ、『NEWS ZERO』のデスクを担当。2007年12月から政治部国会・官邸キャップ。自民党から民主党への政権交代、東日本大震災の政府対応などを取材。
2011年7月を以て外報部に異動、同年8月にNNNワシントン支局の支局長に就任した。オバマ政権、アメリカ大統領選挙などを取材。
2011年10月22日、日本テレビアナウンサーの松尾英里子と入籍し再婚した。
2014年1月、日本テレビ解説委員。『news every.』火曜日にレギュラー出演。
2016年、日本テレビ国会官邸キャップ。伊勢志摩サミットや森友・加計問題など取材。森友問題では自民党鴻池参議院議員の記者会見を設定した。
2018年「恩讐と迷走の日本政治」を出版。安倍首相や立憲民主党枝野代表ら、与野党双方にパイプを持つ記者としてその肉声を公開。
2018年9月、日本テレビホールディングス経営戦略局グループ推進部に異動。日本テレビグループの太陽光発電事業の整理などを担当。
青山和弘 降板報道の真相 2018/9/4
青山和弘に降板報道
「NEWS ZERO」の男性キャスターとして内定が決まっていた青山和弘さんに、降板報道が出ています。詳しい内容が、こちら
「10月からの番組リニューアルに伴い、『NEWS ZERO』の新メインキャスターに就任する有働由美子アナ(49才)が激震に見舞われている。同番組に内定していた男性キャスターが突然、“降板”することになったのだ。なぜ鳴り物入りの男性キャスターが突然異動になったのか──。青山氏は東京大学文学部卒業後、1992年に日本テレビに入局。報道局政治部で頭角を現し、政治部のエースとして知られる。「安倍晋三首相からの信頼も厚いと評判です。ワイドショーやバラエティー番組にも出演、難しい政治の話をわかりやすく解説してくれると女性ファンも多い。第二の池上彰さんになれると言われるほどです」(前出・日テレ関係者)青山氏は日テレの局員と結婚後離婚。2011年に別の日テレ局員と再婚し、現在2児の父で子煩悩でも知られる。」
青山和弘さんは政治部のエースとして活躍されており、安倍首相からの信頼も厚く、わかりやすい解説が評判で、視聴者からも人気があったようで。
そんな青山和弘さんに、なぜ内定が決まった後に、降板させられてしまったのでしょうか。
降板理由は?
気になる降板理由ですが、青山和弘さんに“セクハラ騒動”があったようです。
「その青山さんに女性局員に対する深刻なセクハラ騒動が起きました。泥酔した20代の女性局員に無理矢理肉体関係を強いたと疑われています。当初、女性局員はほとんど記憶がないことから、訴えることをためらっていましたが、自分と同じような被害にあった女性が他にもいると知り、日本テレビ内でセクハラやパワハラに対処する部署に訴え出たそうです。事実関係を確認し、お互いの事情聴取も経た上で、今回の降板、異動となった。局内では箝口令が敷かれています。大きな痛手です」
日本テレビ局内でも、同じような被害にあった女性が他にもいたようで、事実関係を確認した結果、降板と部署を異動させられることとなったようだ。
これが事実であるなら、セクハラでは済まされないと思いますが・・・
気になるのが、被害にあった女性は「ほとんど記憶にない」といっているが、なぜ記憶にもないのに、関係を迫られたと言えるのか疑問に思います。
事実関係を確認した結果、今回の対応になったということで、青山和弘さん自身も認めたということでしょうが、なにかスッキリしないといいますか、納得いかない部分が多いです。
結婚相手
今回の降板報道で話題となっている青山和弘さんですが、青山和弘さんは一度離婚を経験し、2011年に再婚されています。
再婚相手は日本テレビの局員のようですが、ネット上では結婚相手を特定されていました。
青山和弘さんの再婚相手は、元日本テレビアナウンサーの松尾英里子さんです。
松尾英里子さんは、2006年に日本テレビに入社し、アナウンサーとなりました。
2011年に『NEWS ZERO』で青山和弘さんと入籍したことを発表した松尾英里子さんは、2012年に日本テレビを退社し、フリーアナウンサーとなります。
2人の子供ですが、男の子が1人、女の子が1人いるようです。
2児の母親として育児をしながら、フリーアナウンサーとして活動されています。 
 
櫻井よしこ

 

日本の政治活動家、ジャーナリスト、インターネット番組のニュースキャスター。国家基本問題研究所理事長、言論テレビ株式会社会長(代表権なし)、「21世紀の日本と憲法」有識者会議代表、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」共同代表。本名は櫻井良子。1994年4月に「櫻井よしこ」の活動表記に改めた。
生い立ち
ベトナム民主共和国・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。敗戦後、大分県中津市に住んだ後、母親(小千谷市出身)の郷里に近い新潟県長岡市に転居した。新潟県立長岡高等学校卒業後、慶應義塾大学文学部に進学するが中退し、ハワイ大学マノア校歴史学部を卒業。
ジャーナリスト・言論活動
英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』東京支局などを経て、1980年5月から1996年3月まで日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターを務めた。1993年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞。1995年に薬害エイズ事件を論じた『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』で第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。なお、薬害エイズ事件で櫻井から追及された安部英は無罪判決を受け、櫻井は名誉毀損で訴えられた。
『「21世紀の日本と憲法」有識者懇談会』(民間憲法臨調)代表。2007年12月、国家基本問題研究所を設立し、初代理事長。2012年10月、インターネットテレビ「言論テレビ:櫻LIVE」を始める。2014年10月、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」を、2015年8月には「平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム」を結成。2015年3月末、日本青年会議所にて「グローバルリーダー育成塾」を創設し塾頭。また「永住外国人地方参政権に反対する国民フォーラム」発起人、「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」呼びかけ人でもある。
メディア出演
『報道2001』(フジテレビ)や『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)などの討論番組に、不定期で出演している。『新報道プレミアA』(フジテレビ・関西テレビ)ではレギュラーコメンテーターを務めた。
発言
歴史認識
歴史事実委員会の委員の一人として、『ワシントン・ポスト』2007年6月14日号に、米下院121号決議の全面撤回を求め慰安婦動員に日本政府や旧日本軍の組織的・計画的強制連行はなかったと主張する意見広告「THE FACTS」を出した。決議は後に採択された。
平成19年(2007年)には南京事件を歴史的事実に基づかない政治的創作として描く映画『南京の真実』の賛同者に名を連ねた。
沖縄戦における集団自決に関する大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判の大阪高等裁判所の判決(2008年10月31日)に対して、判決文の「大江氏の記述は真実性の証明があるとはいえない」、「資料で両隊長の直接的な自決命令は真実性が揺らいだ」としつつ、「各記述や前提の事実が真実でないと明白になったとまではいえない」と訴えを退けたことについて、「深刻な論理矛盾」、「世の中に通用しない曲がった理屈」、「真実を知る努力を十分にしていない」と批判した。
新しい歴史教科書をつくる会の市販本『日本人の歴史教科書』(2009年5月発売)に寄稿した。また、平成20年(2008年)3月29日、「つくる会『沖縄問題』緊急シンポジウム」に講演者、パネリストとして出席した。
世界
平成19年(2007年)長崎市長射殺事件で殺害された伊藤一長長崎市長の反米・反核平和志向に対して「長崎市長として核兵器を投下した米国を批判するのも十分にわかる。」と理解を示した。
中国共産党に対しては、その体制、少数民族への弾圧、環境問題やコピー製品氾濫などの視点から厳しい姿勢をとっている。著書『異形の大国 中国』の冒頭では、「隣に中国という国が存在することは、天が日本に与え給うた永遠の艱難である」とした。また、北康利との対談で、「中国は日本と仲良くする気はありませんから。仲良くする気がない国と仲良くしようというのは卑屈」と発言。
ジャーナリズム
信奉するアンカーパーソンは、ロバート・ダンカン・マクニール。
皇室
皇室には「2660年、125代の歴史がある」と考えている。皇室典範改正問題では、旧皇族皇籍復帰派であり、女系天皇容認には絶対反対の立場を取る。悠仁親王誕生以前は「男系女子である愛子内親王を皇位につけ、代を繋げる間に、旧皇族に皇籍復帰して頂き、その後に傍系継承を行い、皇室の男系継承の伝統を守るべき」と主張していた。ちなみに帝国憲法時代でも一旦離脱(臣籍降下)した皇族の復帰は認められていない。
昭和天皇が靖国神社へ親拝しなくなった理由を「三木武夫の私的参拝発言が原因であり、A級戦犯合祀問題は全く関係ない」と長年主張してきた。平成18年(2006年)7月に、昭和天皇が靖国神社へのA級戦犯合祀に不快感を示したとされるメモ(富田メモ)が発見された事については、メモの信憑性を疑っており、また「政治に利用してはならない」等として、メモの影響で公人の靖国神社参拝に影響が出ることを懸念した。その後も信憑性についての疑いを捨てず、富田メモに関しては検証が必要と日本経済新聞に公開を求める主張を行い、首相による靖国参拝を支持する立場も堅持している。
徳仁親王妃雅子について、「西欧的な感覚を持つ」などとして皇室の担い手としての適性を危ぶみ批判する意見を表明したことがある。
女性天皇の誕生は男系天皇制の下でも可能であるとしている。女系天皇の実現については、「愛子様が成人し鈴木さんという男性と結婚なさったと仮定する。男女にかかわらずお子さんに恵まれれば、第一子が即位し、女系天皇第一号となる。その時点で天皇家は、半分鈴木天皇になる」と述べている。
国籍法改正・外国人参政権
外国人参政権付与法案を「亡国への第一歩」として反対しており、この件について民主党の「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」による勉強会に招かれ、参政権を得るには帰化をさせるべきで特別永住者については歴史的経緯を考慮して国籍取得の条件を簡素化する必要があるとする論を述べ、参加した議員からは「極めて共鳴した」(蓮舫)、「おおむね私の認識と同じだ」(牧義夫)と共感された一方、岡田克也からは「(私が在日韓国人の立場だったら)『選挙権を得たければ国籍を捨てろ』といわれたら許せない」との反論も出た。一時間あまり熱弁をふるったが、議連からは面と向かって「ご意見はわかりました。しかし、外国人参政権付与は進めます」と言われた。
平成20年(2008年)12月8日に改正された国籍法に対して、日本の危機、国会の司法への盲目的な追従、政治家の怠慢により他国の失敗事例をまねた、と酷評した。
選択的夫婦別姓制度
選択的夫婦別姓制度について、「選択的夫婦別姓制度導入法案の源をたどれば、その考えは戦後の占領政策の下で行われた徹底的な家制度の破壊にいきつく」などとして反対している。
原子力発電
福島第一原子力発電所事故後の平成23年(2011年)7月14日、産経新聞社主催の第256回全国縦断「正論」鹿児島講演会で講演し、「核をつくる技術が外交的強さにつながる。原発の技術は軍事面でも大きな意味を持つ」と主張し、「原発を忌避するのではなく、二度と事故を起こさないようにする姿勢こそ必要」と強調した。
平成24年(2012年)12月8日、福島県郡山市の福島県双葉郡8町村の議員研修会で講演し、「年1ミリシーベルトの除染基準は古里再生のために緩和すべきだ」、「放射線には幅広い意見があるが、政治家は事実を見るべきだ。人類が持つ科学的事実は広島、長崎、チェルノブイリの疫学データしかない。国連科学委員会や国際放射線防護委員会は100ミリシーベルト以下の影響に有意性はないと結論付けている」、「科学的根拠のない年1ミリシーベルトを除染の基準にして大量の土砂を積み上げ、自分たちで新たな問題をつくり出している。大人は年20ミリシーベルト、子どもも10ミリシーベルトまでは大丈夫と、国の責任で言わなければならない。町村議は住民と一緒にうろたえていてはいけない」と発言した。
沖縄基地問題
2014年11月9日、沖縄県知事選の最中に沖縄県豊見城市で行われた講演会で、「中国の脅威の最前線に否応なく立たされている沖縄を『力強い砦』にしないといけない」「中国に侵略されないような『防人』になって、もう一回、日本を盛り立てる」と、沖縄県の住民が防人になることを望む発言した。
その他
福田康夫については「親中派」とみなし、平成19年(2007年)の自由民主党総裁選挙で福田が選出されると、「日本の国益を損ねる媚中外交が開始される」として政権発足前から懸念を表明した。
田母神俊雄の航空幕僚長更迭について、「文民統制、曲解された日本の解釈」(週刊新潮 2008年12月11日号)、「誰もわかっていない文民統制」(WiLL 2009年2月号)などの記事において、「文民統制」をキーワードに田母神を批判した朝日新聞や「政府見解」に従わせようとする日本政府を批判した。選挙に選ばれたヒトラーも文民統制により軍を支配したものと言え、自衛官を村山談話をはじめとした政府見解に従わせ、政府が自衛官の思想も行動も統制するということは正しい姿ではないと主張した。
オーストラリア人の記者と結婚したが、3年で離婚した。
2009年4月、週刊新潮にて、CO2削減に予算を投入するのは日本国の富の無駄遣いであるとする一部研究者の考えを紹介し、「CO2は温暖化の原因ではないと考えるのが合理的だ」とする旨の見解を主張した。
日本経済を再建し、中国の覇権拡大を阻止するためには、TPPへの参加は絶対に必要としている。
共謀罪、住民基本台帳ネットワークシステム・住民票コードには反対で「国民共通番号制に反対する会」共同代表を務める。同会には斎藤貴男や佐高信も参加していた。
朝日新聞の報道姿勢には常に批判的であるが、その一方で赤報隊事件については「言論には飽くまでも言論で応じるべきで、卑劣な脅迫や家族への攻撃は断じて許せない。」と「赤報隊」を糾弾。その上で、「言論の自由こそ民主主義国日本の根本であることを、改めて強調したい。」と主張している。
2014年4月13日、仏教系の新宗教である新生佛教教団の開教60周年記念大会が開催され、「今、なぜ憲法改正が必要か」と題した講演にて「日本人の価値観に沿った憲法をつくらなければならない」と主張した。
日本の外交に関して、2002年以降の北朝鮮、韓国、中国に対する日本外交は失敗を続けており、外務官僚主導による外交にその問題の根があるとしている。特に北朝鮮との拉致問題に関する交渉では、セオドア・ルーズベルト大統領の発言、「外交は大きな棍棒片手に優しい声で」(棍棒外交)を引き合いに、力(強い圧力や制裁)の裏付けの無い善意や妥協では国益は守れないとの認識を示し、外務省の宥和的な交渉に負の側面があるとした。
池田佳隆が2006年、政界進出前に刊行した『誇り高き国 日本 この国に生まれて本当に良かった』の同著には櫻井が「絶賛」の帯を寄せている。
批判
1996年、薬害エイズ事件についての記述を巡って安部英医師より毎日新聞などとともに名誉棄損で訴えられる。訴訟は一審が棄却、二審で逆転、損害賠償を命ずる判決が出たのち、安部の無罪判決の後の平成17年(2005年)6月に最高裁で再逆転・棄却となり原告の敗訴が確定した。ただし、最高裁の判決理由は、「真実と信じたことに相当の理由がある」というもので櫻井の記述が真実であると認めたものではなく、安部の弁護団は、櫻井の取材方法は捏造に近いと主張している。この直前から本名ではなく「――よしこ」のペンネームを使用するようになった。
同年10月、横浜市教育委員会主催の教師向け研修会で、福島瑞穂の慰安婦問題に対する姿勢について批判した。福島瑞穂によれば、櫻井から福島に対して「福島さんに対して実に申し訳ないことをしました。講演をしたときに、うっかり口がすべって、『従軍慰安婦の問題について福島さんももう少し勉強をしたらどうですか』と言ってしまったのです。本当に申し訳ありませんでした」という内容の謝罪を行ったという。なお、同研修会では「従軍慰安婦は存在しなかった」という趣旨の話をしたことで、その後に櫻井が講演予定をしていた主催者へ「人権」を掲げる団体が抗議運動をしたため、主催者が講演の中止を発表するに至った。『読売新聞』は社説(2008年2月3日付)で言論の自由を妨害された事例として、この件を取り上げている。もっとも福島は、櫻井とのそのような遣り取りは存在せず、講演録を見せられて心底驚いたと「創」1997年4月号で述べている。
1997年、喘息患者の死亡はβ2刺激剤ベロテックの心臓への副作用が原因であり、これは薬害エイズ事件に続く薬害事件だと主張した(ベロテック問題)。櫻井は文藝春秋1997年6月号に、「喘息患者がつぎつぎに死んでゆく」と題した記事を掲載し同時に自らがキャスターを務める『NNNきょうの出来事』でも取り上げた。さらに、同誌9月特別号にて「NHKがごまかした『喘息薬害』」と続けて取り上げた。
池田信夫は「一種のaffirmative actionでメディアによく登場するが、中身はでたらめ」と評し、また櫻井が住民基本台帳ネットワークにおいて「国民共通番号制に反対する会」の代表になっている活動について、「システムの中身も知らないでヒステリックに騒いだため、左翼の残党がこれに乗って『監視社会』反対運動を始めた」などと自身のブログ内にて櫻井の活動をたびたび批判している。
2015年9月28日、9月27日に民主党からNHK日曜討論において岡田克也代表らに関する発言に事実誤認があったとして撤回と謝罪を求め批判された。櫻井は番組中で岡田克也が外相時代に集団的自衛権は必要と発言したとして180度意見が変わったと批判したが、岡田は外相時代にそのような発言はしていなかった。櫻井は30日に発言は野党の幹事長時代だったと反論を発表したが、民主党はそのような事実はないとして再度撤回と謝罪を求める再質問状を送った。これに対して櫻井は「再度の回答は不要」との返答を民主党へ送った。 
櫻井よしこ氏「憲法改正なくしてわが国の再生はない」 2019/5/3
ジャーナリストの櫻井よしこ氏は3日、都内で開かれた改憲派の集会で講演し、「令和の時代、立派な日本国としての歩みをさらに強めなければならない。憲法改正なくして、わが国の本当の意味の再生はない」と述べた。発言の詳細は次の通り。
「(先の大戦の)敗戦のとき、私たちは日本国の国柄を根底から潰されてしまいかねなかった。皇室が廃止され、わが国の国柄が全く違うものに作り替えられるような危険が現実にありました。もし、そのようなことになっていたら、今の日本国はあり得ません。この危険を避けるために、先人たちは涙をのんで、本当に無理無体な占領政策を受け入れました。その筆頭が現行憲法です」
「だれが読んでも現行憲法は日本民族の憲法ではない。どこに日本の文化の薫り、伝統の片鱗(へんりん)があるのでしょうか。まったく別物です。それを承知でこれを受け入れました。そして、ようやくわが国は天皇陛下や皇族、皇室を存続させることができました。私たちは先人たちがどんな悔しい思いをして、今の憲法を受け入れたか。それを忘れてはなりません」
「にもかかわらず、(現行憲法制定から)70年以上がたった今、私たちは一文字も憲法を変えることができていません。あまつさえ、世の中には今の憲法で良いんだという声が、まだ半分近くある。先人たちがどんなに悔しい思いをしたのか。それだけでなく、どれだけ苦労して、敗戦のあの荒廃の中からわが国を守り通そうとし、そして、守ってきたか。この貴重な体験を本当に思い出し、今こそ令和の時代、新しく大和の道を歩もう。私たちは私たちなんだ。日本は日本なのである。立派な日本国としての歩みをこれからさらに強めなければならない。令和に込められたこの意味を、もう一度、日本国憲法の悲しくも悔しい歴史と重ね合わせて考えるべきときだと思います」
「『憲法改正のために党を作るんだ』。それが自民党の立党の精神です。自民党を支える人々の気持ちはその立党の精神を支えているのではないですか。しかし、自民党は衆参両院で改憲勢力と呼ばれる議席を3分の2以上持ったことは安倍政権までありませんでした。ですから、憲法改正ができなかった。今、初めて自民党・与党は憲法改正することができる状況にあるのです」
「ならば、なぜやらないのか。なぜ憲法審査会は全く働かないのか。自民党だけではないです。公明党もそうです。日本維新の会もそうですよ。みんなそうです。そして、その他の野党は、もっとそうだと思います。憲法改正なくして、わが国の本当の意味での再生はないです。昭和20年に敗戦を迎え、22年にこのくだらない憲法が作られた。今、もう一回立て直すときなのです」
「最終的に(憲法改正を)決めるのは国民の私たちだ。この国の新しい未来を構築していくためには、なんとしてでも憲法改正を発議していただきたい。民主主義を信じ、国民を信じるための議論をこそ、政治が発信してほしい。そうすれば、本当にまじめで国を思う日本国民が一生懸命に考えて、この国の未来のために一番良い選択をする。その能力と意思を私たちは持っています。憲法審査会を一日も早く動かしていただいて、そして日本国の新たな可能性を、素晴らしい令和の時代を一緒に切り開いていきたいと思います」 
櫻井よしこ【美しき勁(つよ)き国へ】改憲で令和乗り越えよ 2019/6/3
平成時代の幕開けはベルリンの壁の崩壊と天安門事件だった。ソ連崩壊は社会主義陣営の限界を露呈し、天安門事件は自由や人権の徹底弾圧なしには存続不能な中国共産党の異形さを暴露した。
日本は米国一強時代の下で安寧の30年を過ごした。自然災害は多発したが総じて豊かで平和な時代だった。しかしこの平和は日本自身が勝ちとったものではなく、米国の庇護(ひご)によって実現されたと言ってよい。
令和の時代に、日本がこれまでと同様の平和と繁栄を享受するには尋常ならざる努力が必要だ。令和の幕開けに北朝鮮がミサイルを発射したことは日本の足元の状況がどれほど切迫しているかの象徴ではないか。貿易戦争に始まる米中対立は、劇的な和解の可能性はゼロとはいえないものの、恐らくより本格的な対立へと深まっていくと思われる。それは価値観の対立であり、ルールを守る国と守らない国の長期の戦いであろう。その中で日本の選択は米国につくこと以外にないが、その米国が日本の自立を要求している。
迅速な憲法改正と、国家としての自立度を確実に高めることが肝要だ。米中対立の深まりが予想される中で、足元の危機対応は待ったなしだ。
6月2日時点で、中国海警局の大型艦船4隻が52日連続、尖閣諸島の接続水域に侵入中だ。沖縄県石垣市の市議は、4隻は日々、24時間尖閣の接続水域を航行し、度々領海に侵入する、その危機を全国民が共有しなければならないと警告する。
中国船は大型化し、5000トン級2隻と3000トン級2隻の計4隻が領海につながる接続水域で日本の船を監視する形になっている。船体は厚い鉄製、30ミリ砲で武装している船もある。彼らが所属する中国海警局は昨年7月に中国軍事委員会の人民武装警察部隊に編入された。日本の領土をうかがう中国艦は能力も所属も軍である。
対する海上保安庁の船は1500トン規模、速度を優先して船体は軽くしておりその分もろい。砲は20ミリ。現場の士気は高くとも、これで中国の脅威に対処できるのかと懸念するのは当然である。加えてわが国には「尖閣無策」(元在沖縄米海兵隊政務外交部次長、ロバート・エルドリッヂ氏)とでも呼ぶべき、中国への恐れがある。尖閣無策は現地沖縄で最も濃厚である。
尖閣諸島周辺で漁をした漁船が5月24日、石垣島に戻る途中、中国艦に1時間余り追尾された。前後左右を海保の船に警護されて逃げ切ったが、沖縄県知事の玉城デニー氏は「中国公船がパトロールしている。故意に刺激することは控えなければならない」と地元漁民側を批判した。
無法に日本を刺激しているのは中国側であり、玉城氏の本末転倒振りは甚だしい。
日本国の「無策」は日本の安全保障問題に直結する台湾についても同様だ。台湾情勢は、これまでのどの局面に比べても厳しい。来年1月の台湾総統選挙で台湾人の政党である民進党が国民党に敗れれば「政権交代を超えて、台湾から中国へと祖国交代になる」(元駐日大使、許世楷=きょ・せいかい=氏)。
そのとき、習近平国家主席は事実上の中台統一を進めるだろう。尖閣だけでなく、日本全体が非常なる困難に陥る。
朝鮮半島も危機だ。中国は2005年、北朝鮮の日本海側最北の港、羅津を50年間租借した。12年には羅津から南に約100キロ、北朝鮮全土につながる交通網を備えた三大都市の一つ、清津の港の30年間の使用権を得た。日本近接の済州島は沖縄に近い状況だ。大量の中国マネーが投入され、各所の土地が買収されている。
南北朝鮮の動静は流動的だが、朝鮮半島に対する中国支配の枠組みは出来上がりつつある。つまり、日本海を中国の海とする拠点作りが進んでいるといえるだろう。
日本を取り巻く状況を見れば、攻めも守りも強化しなければならない。憲法改正が急がれるゆえんだ。
それなのになぜ憲法改正は進まないのか。米中両大国のさまがわりで、国際力学が大変化する緊急事態のこの局面で、なぜ、政治は動かないのか。最大の責任は立憲民主党にある。同党代表の枝野幸男氏らの理屈は理屈になっていない。
枝野氏らは国民投票法改正案の質疑はおろか採決にも応じない。国民投票法で認められているCMを一層規制しなければならないという。だが、現行の国民投票法は、投票日の14日も前からCMを禁じている。これで十分ではないか。むしろ憲法については十分論じてきたとはいえない日本だけに、できるだけ多くの議論と情報を有権者に届ける方がよいと私は考える。
強調したいのは国民投票法改正案とCM規制は何ら関係がないことだ。国民投票法改正案は3年前、有権者ができるだけ投票しやすくするためにコンビニエンスストアなどでも投票できるようにした公職選挙法改正と同じ内容である。
加えてこの国民投票法を制定したのは、当時の民主党の枝野氏らではないか。かつて自らが了とした内容を、なぜいま否定するのか。理屈も筋も通らない反対は、憲法改正を阻止するためであろう。もしそうであるなら、国民を信頼していないということだ。憲法改正の国民投票は、国民主権の行使である。枝野氏らは国民に主権を行使する機会を与えないのか。国民を信じないのか。それで何が民主か、何が立憲か。
自民党にも大きな責任がある。これまでの選挙で自民党は憲法改正を公約した。安倍晋三首相も繰り返し憲法改正を公約した。そもそも憲法改正は自民党立党の精神である。その価値観ゆえに国民の多くは自民党を支援している。発奮して安倍内閣の下で改正を実現して令和の課題を乗り越えよ。 
安倍総理応援団の櫻井よしこ氏に公職選挙法違反疑惑 2019/7/15
安倍総理に太いパイプを持つジャーナリストの櫻井よしこ氏は、法律(公職選挙法)違反をしても見逃されると思っているのだろうか?こんな疑問がふつふつと湧き起こってきたのは、参院選公示を9日後に控えた6月25日。「安倍・麻生忖度道路発言」で国交副大臣を辞任し、新潟選挙区での再選が危ぶまれている塚田一郎参院議員の支援集会に駆け付けた櫻井氏の応援演説を耳にした時のことだ。
公職選挙法235条第2項(虚偽事項公表罪)は、特定の候補を当選あるいは落選させるために、虚偽の事実を公にしたり、事実をゆがめて公にすることを禁じている。しかし櫻井氏の演説は、勝手に争点を設定した上で相手候補の打越さく良氏が訴えてもいないことを実際に発言したかのように紹介したり、打越氏の記事を歪曲し、レッテル貼りをした上に現実認識能力への疑問呈示もしていた。少なくともそのように聞こえる演説だった。これは公選法違反ではないだろうか?
石崎とおる衆院議員は櫻井よしこ氏の演説を要約し、「相手候補(打越さく良氏)は天皇制を否定する。自衛隊を否定する。大変、赤い候補」と打越氏を中傷する発言! 「これを伝えることが選挙運動」とデマの拡散を呼びかけ

支援集会の締めは、櫻井氏や塚田氏ら関係者が一堂に介しての「勝つぞ」コール。関係者らが並ぶ会場前方に移動してカメラを構えた瞬間、発声役の石崎とおる衆院議員(新潟1区で落選して比例復活)が、次のような櫻井氏の演説絶賛の総括的挨拶をして、再びビックリ仰天した。
「今日、いただいた櫻井先生のお話をまわりに伝えないと、選挙運動とは言えません。ぎゅっと凝縮いたしますと、『塚田一郎さんはどんな人なのか』と言われた時に『本当はいい人、塚田一郎さん』と広めていただきたいと思います。(中略)そして相手候補は天皇制を否定する。自衛隊を否定する。大変、赤い候補なのです。これをしっかり伝えていかなければなりません。
残り少ない日数となりましたが、この度の参議院選挙、新潟選挙区は塚田一郎必勝のために、みんなで渾身を込めて戦い抜くことを誓って、勝つぞコールにいきたいと思います。それではいきます。『塚田一郎勝つぞ』(3回繰返し)」
相手候補への批判に根拠はあるのか!? 櫻井よしこ氏の大衆煽動選挙の巧妙な手法

櫻井氏と石崎氏の発言は、公職選挙法違反(虚偽事項公表罪)の疑いがあるのではないか。公選法違反の疑いがある櫻井氏の問題発言は「『自衛隊をなくして皇室をなくす』という打越さん」という以下の部分だ。
「(参院選の)新潟の場合は塚田さんと打越さんの一騎打ちです。この(会場の)中で『自衛隊をなくして皇室をなくす』という打越さんがいいと思う人はいるはずがない。(参加者から『そうだ!』『負けてられないよ!』という声)。
負けてられないけれどもお父さん、今ね、調査すると、打越さんの方が少し有利なのですって。恥ずかしくない? (参加者から『恥ずかしい!』との声)
だから、これを一日も早く逆転しないといけない。逆転して、そして、さらに彼女に打ち勝って選挙の当日にはすごい票差でこっちが勝たないといけない。(拍手)皆さん、打越さんに聞きましょう。『あなたは皇室のことをどうなさるおつもり?』『自衛隊を解散するのですか?』。聞いて下さい。だって共産党が一生懸命支援をしている」
言っていることがムチャクチャである。櫻井氏の大衆煽動選挙の手法を整理しよう。1)参院選の争点が「自衛隊解散」や「天皇制廃止」であるかのように自ら設定、2)打越氏が自衛隊解散と天皇制廃止を主張しているかのように指摘、その理由として共産党の支持をあげる。3)リードを許している対抗馬の塚田氏への投票で逆転勝利をおさめようと呼び掛ける、というものだ。
打越さく良候補本人も否定、陣営関係者も聞いたことがない「自衛隊解散や天皇制廃止」発言!? 櫻井氏は「公選法違反でない」というなら打越氏が「自衛隊をなくして皇室をなくす」と発言した根拠を示す必要がある

もちろん実際に、自衛隊解散と天皇制廃止の是非が参院選新潟選挙区の争点となり、打越氏が自衛隊解散や天皇制廃止を訴えていれば、櫻井氏の演説は何の問題もない。しかし打越氏が発表した政策(公約)にも集会での演説でも、自衛隊解散や天皇制廃止の主張を見聞きすることはなかった。櫻井氏は「だって共産党が(打越氏を)一生懸命支援をしている」と強調したが、実際、共産党の国会議員が打越氏の集会で応援演説をしたのを聞いたが、その時にも自衛隊解散や天皇制廃止の主張が出ることはなかった。
打越選対関係者に「自衛隊解散や天皇制廃止を訴えたことはありますか」と問い合わせたが、答えは「聞いたことはない」だった。打越候補本人にも確認したが、「自衛隊や天皇制の専門家でないので、自衛隊解散や天皇制廃止を訴えたことはありません」と答えた。
ちなみに打越氏が出馬会見で明らかにした5本柱の政策は、1)格差と差別のない社会、2)地域経済の躍進、3)原発ゼロ、4)暮らしの安心・安全確保、5)新時代の平和政策、であった。
結局、櫻井氏は、打越氏が共産党を含む野党が支援する統一候補になった事実をベースに、自分の頭の中で妄想を膨らませて、現実には存在しない打越氏の発言政治思想(「自衛隊をなくして皇室をなくす」)を作り上げ、その自分の妄想を打越候補自身の発言思想であるかのように聴衆に思い込ませるデマ応援演説をしたのだ。
櫻井氏が「公職選挙法虚偽事項公表罪違反にはならない」と反論するのなら、打越氏発言(「自衛隊をなくして皇室をなくす」)の日時や場所や状況など具体的根拠を示す必要がある。そうしない限り、嘘を垂れ流して特定の候補を落選あるいは当選させることを禁ずる公選法違反濃厚の疑いを晴らすことはできないだろう。「『ジャーナリスト』の肩書を使いながら嘘を垂れ流して安倍自民党候補を当選させようとする選挙運動家」と批判されても仕方がないだろう。
7月14日に櫻井氏は二度目の応援演説を上越市で行って塚田氏への支持を訴えたが、その後に直撃して打越氏発言の根拠を聞いたが、櫻井氏は打越氏発言を口にしたこと自体を否定、具体的根拠を示すこともなかった。
さらに朝日新聞慰安婦報道問題で、慰安婦問題全体を朝日が捏造したと思わせる巧妙な話術で「打越さんは極めてリベラルで左。信用できない」と決めつけての中傷

櫻井氏の公職選挙法違反の疑いがある問題発言は、他にもあった。慰安婦報道についてスリカエ(入れ替え)論法を使って、打越氏の記事内容を歪曲、「極めてリベラルで左」というレッテル貼りと現状認識能力への疑問呈示もしていたのだ。
二番目の問題発言部分は、次の通りだ。やや長くなるが、注目ポイントは、打越氏執筆記事中の「(全体的な)慰安婦朝日新聞捏造説」と、「吉田清治氏慰安婦報道の朝日新聞撤回・謝罪」のスリカエ(入れ替え)をしていることで、ここでも会場の参加者と掛け合いをするなど、大衆煽動選挙の手法を使っていた。
「今度の参院選挙でも塚田さんは圧倒的に勝たないといけない。(拍手)打越さんという方、立派な頭のいい弁護士さんなのだと思うのです。私は、打越さんがどういうことを仰っているのかをやっぱりきちんと調べようと思いまして、彼女のいろいろ書いたもの、発信したものを見てみました。
おかしなことが書いてあるのです。これは、2016年9月21日付のネットサイト『LAVE PIECE CLUB』というところに打越さんが書いてありますね。ここで慰安婦の問題について書いています。『かなりリベラルと信頼する友人たちからも“慰安婦って朝日新聞の捏造なのでしょう”と言われてビックリすることも多い』と彼女は書いています。これは、2016年9月21日のネットサイト『LAVE PIECE CLUB』に書いたものです。
さあ朝日新聞といえば、慰安婦問題で大誤報をしました。で、『間違っていた』ということを彼らは認めましたよね、それが2014年8月5日と6日の紙面です。本当に、こんなに一面も二面も三面も使って大検証をしました。
朝日新聞が報道した慰安婦関連記事、吉田清治さんという職業的詐欺師がいた。朝鮮半島に行ったことはないのに、息子さんがちゃんと言っています。『うちのオヤジは済州島なんか行ったことがありません』。にもかかわらず、『戦時中、軍に命令されて済州島に行って若い女性たちを慰安婦狩りをして、何百人も泣き叫ぶ女性たちを連れて行って慰安婦にした』という嘘を書いた人が吉田清治さん。
朝日新聞がこのことを大きく取り上げた。そこから慰安婦問題に対する本当に深刻な誤解が始まったのです。朝日新聞はこの吉田清治さんに関する一連の記事の全てを虚偽であるとして訂正をして取り消しました。これが2014年8月5日と6日です。
ところが打越さんの書いた先ほどの記事、これは2016年9月21日です。朝日新聞は2014年8月に取り消している。ところが彼女は、それから2年以上後に2016年9月になって、自分の友達が『慰安婦問題、朝日の捏造でしょう』ということを書いたのをビックリしたと言っている。でも2年以上も前に朝日新聞が大訂正をした。『慰安婦問題、吉田清治、嘘でした』と訂正したことに対して、彼女はどう思っているのでしょうか。『お友達が「朝日新聞の捏造でしょう」と言ったことにビックリした』と書いているのです。そんなこと(朝日新聞の捏造でしょう)は当たり前で、(打越氏が)ビックリしたことに私たちの方がビックリした。(参加者から『バカじゃないの』の声)
打越さん自身がやっぱりすごくリベラルで左で、現実を見ることを拒否しているのかも知れないとさえ、私は思いました。
いずれにしましても、この共産党を含めた野党が応援する打越さんの政治的立場というのはどこまで信用して良いのか。打越さん自身が極めてリベラルで左かかっている考え方を、どこまで私たちは支持できるのか。信用も出来ないし、支持もできないのではないかしら?(大きな拍手)」
櫻井氏の打越氏批判は外形上の類似性を利用して実質的に異なるものを同じものと見せかけるスリカエ論法

外形上の類似性を利用して実質的に異なるものを同じものと見せかけるスリカエ論法である。以下の二つの主張は一見、同じように見えて実際は異なるものである。
1)打越氏が驚いた「慰安婦は朝日新聞の捏造なのでしょう」というリベラル派友人の慰安婦朝日新聞捏造説
2)櫻井氏紹介の「吉田清治氏関連慰安婦報道の朝日新聞訂正謝罪」
朝日新聞は吉田清治氏関連の慰安婦報道を訂正・謝罪したが、慰安婦報道全体を誤報と認めたわけではない。例えていえば、「朝日マンション」の一室が詐欺師集団に使われていたことを不動産販売業者が認めたとしても、全棟が詐欺師集団の拠点であるかのように決めつけられたら事実誤認の風評被害ということになるだろう。櫻井氏のやっていることはまさにそれである。
吉田証言を朝日は訂正した。しかし、従軍慰安婦問題の他の記事すべてを撤回したわけではなく、もちろん、従軍慰安婦の存在を否定したわけでもない。また、吉田証言を扱ったのは朝日だけでなく、産経なども過去に扱っていた。そして、吉田証言の記事をもって、慰安婦問題報道が始まったのではない。ひとつの誤報をもってすべてが間違っていると決めつけるのは、典型的なデマゴーグの手口のひとつである。
1)の打越氏執筆記事中の「慰安婦朝日捏造説」は慰安婦報道全体を指しており、2)の「朝日新聞訂正謝罪」の対象は「吉田清治氏関連慰安婦報道」であるのに、櫻井氏は実質的には異なるものを入れ替えて同一視しながら「(全体的な慰安婦朝日捏造説否定の打越氏が)ビックリしたことに私たちの方がビックリした」と呆れてみせ、「すごくリベラルで左」というレッテルを貼った上で、「現実を見ることを拒否しているのかも知れない」と現実認識能力に疑問符をつけたのである。現実の認識に問題があるのはどちらだろうか。
「一室が詐欺師集団の拠点であったことから『マンション全棟が詐欺師集団のアジトだ』と妄想(拡大解釈)する事実誤認の風評が広がっている」という現実を前にした時、打越氏のようにビックリする方が普通ではないか。打越氏がビックリしたことにビックリした櫻井氏の方こそ、「現実認識能力の乏しいすごい右(極右)」と指弾されても仕方がないのではないか。
慰安婦問題全体を捏造と聞こえたのは「あなたの誤解」!? 自らは「捏造」とも「慰安婦問題はなかった」とも口にせず、聴衆を印象操作する話術は公選法違反の疑い

そんな櫻井氏を「勝つぞ」コールで集会が終わった後、直撃してみた。
横田一「今、慰安婦問題全体が(朝日新聞の)捏造のように仰りましたが、朝日新聞の…」
櫻井氏「いいえ、『誤報だ』と私は言いました」
横田「全体が誤報であるかのように、慰安婦問題が存在していないかのような…」
櫻井氏「違う。違う。ちゃんと聞いてください。彼女(打越さく良氏)がそのネットワークの中で、『自分のリベラルな友達が「朝日の捏造でしょう」と言ったと、そのことにビックリした』と言ったでしょう。彼女が書いていることです」
横田「それは慰安婦問題全体を意味して(捏造と)言っていることじゃないですか。朝日が誤報と認めたのは吉田清治さんの部分だけじゃないですか。全体が誤報であるかのように今のお話で聞こえたのですが」
櫻井氏「それはあなたの誤解です」
横田「そういうふうに聞こえるのではないですか?」
櫻井氏「聞こえません。私は言っていません」
横田「慰安婦問題全体は認めるのですか。存在は認めるのですか」
櫻井氏「慰安婦がいたことは認めますよ」
横田「そういう言い方をしていないじゃないですか」
(控え室の中に入ってドアを閉められ、回答を聞けず、質疑応答終了)
櫻井氏は「あなたの誤解」と主張したが、実際には櫻井氏の話を聞いた参加者から「(打越氏は)バカじゃないの」の声が飛び出していた。打越氏は「慰安婦全体に対する朝日新聞捏造説」に驚いて批判的立場を明らかにしただけなのに、櫻井氏は反論材料になりえない「(限定的)吉田清治氏慰安婦報道の朝日新聞訂正謝罪」を引っ張り出して、見かけ上の類似性を利用するスリカエ(入れ替え)論法で論破したかのような印象を与えたのである。どちらが真実に近いのかは、櫻井氏の関連発言部分や直撃場面の動画や打越氏のネット記事を見ることで、判断することができる。
櫻井氏は安倍首相の発言を自ら主宰するインターネット番組「言論テレビ」で紹介、月刊誌「Hanada」8月号でも「安倍総理、大いに語る」と題するロング対談もしているが、「ジャーナリストの肩書を使った大衆煽動家ではないのか」「事実にもとづいて論を展開するジャーナリストといえるのか」について、国民(有権者)は参院選前に見極める必要があるだろう。 
 
安住紳一郎

 

TBSアナウンサー。TBSテレビ編成局次長待遇(2019年7月1日付)。北海道帯広市生まれ。美幌町、芽室町育ち。北海道帯広柏葉高等学校、明治大学文学部文学科卒業。中学校国語科の教員免許、話しことば検定1級をもつ。姉は柏倉早智子(北海道の高校教師、チアリーディング指導者、チアリーディング元日本代表)。女優の原千晶は従妹にあたる。
明治大学文学部在学中は齋藤孝ゼミナールに所属。齋藤とは後に『情報7days ニュースキャスター』で共演する(齋藤はレギュラーコメンテーターとして出演)。
当初は姉と同じ教師を志望し、教育実習も済ませた上で就職する高校も決まっていた。大学の掲示板でアナウンサー募集のポスターをたまたま見かけたことがきっかけとなり、「教師とアナウンサーには『一対多数のコミュニケーション』という共通項があり、教師になるための勉強につながる」と考え、記念受験のつもりでアナウンサー試験を受けることにした。TBS(現・東京放送ホールディングス)、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日のアナウンサー試験を受けたが、日本テレビは書類選考で不採用。テレビ朝日は最終選考前に不採用。TBSとフジテレビは第一次を通過したが、フジテレビは連絡が取れずに不採用となり、TBSのみ最終選考で合格した。1997年4月にアナウンサーとしてTBSに入社、同期にはアナウンサーの伊藤隆太・小倉弘子、他職では石丸彰彦(ドラマプロデューサー)、竹内由布子がいる。2004年10月1日より組織改編でTBSテレビへ出向、2009年4月1日のTBSグループの放送持株会社移行の際に同社へ自動的に転籍。
2003年に放送された日曜劇場『GOOD LUCK!!』では本人の名をもじったパイロットの「安住龍二郎」役として起用され、俳優デビューを果たした。その前にも2002年の冬クールに放送された『木更津キャッツアイ』最終回、同年夏クールに放送された『ぼくが地球を救う』の2作品にも本人役で出演していた。また、2006年5月から7月に放送された『愛の劇場・吾輩は主婦である』では、回想シーンに登場する若き日の夏目漱石を演じている。2004年に母校・明治大学の入学式でOB代表の祝辞を述べた。
2000年代からTBSの看板アナウンサーとして活躍し、オリコンが実施した「好きな男性アナウンサーランキング」で5回連続1位になり、2009年に殿堂入りを果たした。
高所恐怖症。ミントタブレットを食べて息を吐きながらバンジージャンプを跳び、見事成功させ克服した。  
安住紳一郎の現場の評判は最悪だった!  2015/12/26
古舘伊知郎さんが『報道ステーション』を降板することが発表され、後任候補に羽鳥慎一さん、宮根誠司さんなどの名前が出ていますが、もう一人、急浮上しているのがTBSの局アナ・安住紳一郎さんなんだとか。

「これまでも、バーニング系に移籍して『報ステ』をやるという噂は流れたことがありますが、たんなる噂の域を出なかった。でも今回の安住起用説はテレ朝の重役クラスから洩れ伝わってきている。その点がどうも気になりますね」(スポーツ紙記者)
たしかに安住の場合、宮根や羽鳥よりも“意外性”“注目度”は大きい。本人にとっても、TBSを退社しフリーに転身するには、これ以上のタイミングはないだろう。
だが、この安住起用説に対して顔を曇らせるのが、TBSの現場スタッフたち。しかも、「安住さんが辞めたらTBSの顔がいなくなる」などと心配しているのではない。「あの人に伝統ある報道番組の看板なんて、とても務まらない」と口をそろえるのだ。
「もちろん、アナウンサーとしての技術は評価しています。咄嗟の判断力もあるし、番組司会にあたっては細かくチェックを繰り返す。すごく真面目だと思う。でも、その分すぐにイライラして、ストレスを下の人間にぶつけるんです。だから現場での評判はよくない」(番組制作スタッフ)

安住さんが人に当たり散らすタイプだったとは、かなり意外です。
画面から伝わる勝手なイメージではそんなタイプだとは思いませんでした。
ただ、画面からもマジメさ、不器用さが伝わりますし、長く人気を集め、今年42歳というベテランの域に入ってる安住さんが、ひたすら謙虚なワケもないのかも…。
そもそも安住さん、独立しますかね?
以前“元カノ”が安住さんのイロイロを暴露した際、安住さんが独立について語ったことについても話しており、それによると安住さんは「この人気がいつまで続くかわからないよ。忙しくて給料も上がらないけど、サラリーマンでいたほうが安心」と話していたそうです。
安住紳一郎は干されていた!原因は女性トラブルで「生の報道番組は任せられない」
こういうところからも、安住さんのマジメで用心深く慎重派なところが伺えます。
この“元カノ”も明かしていますが、安住さんは報道志望です。
平日午後に放送されていた報道番組『ジャスト』が終了した際、今後も報道番組を希望したものの、地方で接待を受けた女性とトラブルがあったことから、上層部に「生の報道は任せられない」と拒絶された過去があるそうです。
そんな過去を乗り越えキャスターに起用された『新・情報7days ニュースキャスター』で、安住さんの“負の面”が露わになってしまったとか。

「とにかく上層部と視聴者からの評価を気にするんです。『嫌われるんじゃないか』と神経をすり減らしていて、とくに第一回目の放送直前なんて、現場スタッフを次から次へと怒鳴り散らしていた。それを見ていたたけしさんが呆れて『アンタが仕事ができるのはよくわかったから』と諌め、ようやくおとなしくなったということがありました」(同前)
つまり、いくら本人が報道を志向しても「性格上、向いていない」と言うのだ。古舘も多いときには1日600件ものクレームの電話が入り、「そういうときはヘコみます」と語っていたが、「そんなの、安住さんに絶対に耐えられるはずがない」と前出のTBS番組制作スタッフは苦笑いを浮かべる。

安住さんは’97年にTBSに入社し程なく人気アナウンサーとなりましたが、’03年の日経エンタテインメント!の6000人が回答したアンケートで、約8%の人が<嫌いなアナ>に選び、安住さんは3位に入ったことがありました。
8%という数字は結構堪えたようで、この結果を“元カノ”に愚痴るほど落ち込み、こちらの本には「必ず近くに8%派はいるはずだ」と書いています。
“元カノ”が語ったところによると、安住さんはネガティブ思考なところがあるそうですし、確かに上司や視聴者の反応を必要以上に気にしそう。
そしてそんな安住さんが、ニュースを読んだりたけしさんにつっこむ以外で自分の意見をきっちり述べるアンカー的役割は、やはりできないような気がします。
安住さんも42歳で年齢的にもフリー適齢期ではありますが、そんな風潮に惑わされず、たまにはずーっとサラリーマンな人気アナウンサーがいてもいいのでは。 
 
 
 
マスコミ批判

 

 
言論・出版界の論調から日本の現在を検証する
検証(1)
1 はじめに
わたしは7.で、なぜ私が「ヒトの社会システムの進化の系統樹の存在」を重要だと考えるか、その理由をストレートに説明してきました。ところが、日本のメディアや出版物にあらわれる論調を例にとって別の角度から考えると、もっと明瞭に説明できることもあるし、それだけでなくこれまでの説明では抜け落ちていることもあることが分りました。この節を読んでいただければご理解いただけると思います。毎年のことですが、わが國のかかえる基本的なテーマを中心に将来を考える企画が年末、年始のメディアで集中的に取り上げられるので、それから始めましょう。
2 「関口宏のサンデーモーニング」(1/4/04)JNN系テレビ
(1)日本人の自立に向けた岸井成格のキタキツネモデル
この番組で、毎日新聞編集委員の岸井成格は日本人の自立に向けたキタキツネモデルを展開しています。その内容は、岸井自身が毎日新聞(1/6/04)で紹介しているので、それを引用しましょう。
中心テーマは「日本人のヘソの緒」と題して、日本が本当に自立した国家、国民になれるのか、という疑問と、特にアメリカとの関係で、自立するにはどうすべきなのか、について議論になった。
キタキツネの厳しい子離れ、親離れの生態をモチーフに、対米依存から抜けられない日本、抜けさせない米国という構図で、ペリー来航から第二次大戦の敗戦までの第1ステージ、敗戦からイラクへの自衛隊派遣に至る戦後58年間の第2ステージに分けて日米関係を洗い出してみた。今年はペリー来航、日米修好150周年の節目の年にもあたる。
多様性の面で日本はアメリカに追いつけないかもしれない、という意見も出ていましたが、「文明の進歩を支える基本原則」(1.6.)から考えれば当然の考えです。一方、対米依存から「抜けさせない米国」という、独立国の人間らしからぬ甘えた認識はいただけませんが、アメリカの庇護のもとの生き続ける日本、という見方には全く異論はありません。
(2)キタキツネモデルに対するコメンテーターの反応
この番組にコメンテーターとして出席していたのは、日本総合研究所理事長寺島実郎、福山大学教授田中秀征、法政大学教授田中優子、アジア経済研究所地域研究センター参事酒井啓子、ジャーナリスト江川詔子、北里大学教授養老孟司の面々でした。
岸井の意見は「ヒトの社会システムの進化」をもとに考えれば自明のことです。にもかかわらず、最初にあげた三者は積極的な支持はしませんでした。自国を美化したいナショナリズムに駆られたのか、あるいは、「アメリカは単に自己の利益を追求しているだけで、日本のことを自分のこととして考えてくれているわけはない」(後述)、というよくある「甘えの構造」に毒されているのかもしれません。養老孟司にいたっては何をコメントしているのかわたしには意味不明でした。そもそもこの人は科学者の世界における英語偏重をとなえ、日本人は日本語で論文を書くのが当然と主張する変わったひとです(毎日新聞11/10/02)。岸井の論を当然のこととして支持したのは酒井と江川だけでした。ちなみに、寺島実郎は三井物産戦略研究所所長を兼ねています。日本総合研究所は財団法人で、内閣府や経済産業省、国土交通省などから多くの依託研究を受注しており、政府・官僚と密接な関係にあると言えるでしょう。田中秀征は元衆議院議員で経済企画庁長官をつとめました。アジア経済研究所は通商産業省の特殊法人としてスタートし、後に日本貿易振興機構と統合し、現在は独立法人となっています。酒井啓子は、出版文化賞をとった「イラクとアメリカ」(岩波書店)の著者です。わたしも読みましたが素晴しい内容でした。時節柄、あちこちのテレビ番組でコメンテーターとして発言していますが説得力があります。酒井啓子や江川詔子こそ上で提案した「政策審議官」になってもらいたい人たちです。養老孟司は東大医学部名誉教授で、ベストセラー「バカの壁」の著者です。このひとを紹介する番組をNHKで見たことがありますが、その時もかれの言うことはよく理解できませんでした。
「バカの壁」については7.10.でふれます。岸井成格は前三者の発言を聞いて困惑の表情を浮かべていましたが、口惜しい思いをしたのでしょう、毎日新聞(1/6/04)の記事はつぎのような文章で終わっています。
翌5日朝「スタンバイ」を終えて、毎日新聞社の新年会に顔を出した。政治記者の先輩から「きのうの番組は良かった。視聴者は判断材料を待っている。歴史を振り返ることが一番大事だ。毎週はムリでも月1回は歴史の検証ができないか」と激励された。
私自身もサンデーモーニングのインターネットサイトにさっそく賛成のメールを送りました。われわれはお互いに常に注意し、見のがすことなくプラスの種を育てマイナスの芽を摘んでいかねばなりません。
(3)寺島実郎のナショナリズム
寺島実郎の姿勢は、イラク自衛隊派遣・対米外交についての岡崎久彦(元駐タイ大使・外交評論家)とのテレビ対談(サンデープロジェクト、朝日テレビ、2/22/04)で確認できました。「アメリカへの過剰期待と過剰依存の中ではこの國の進路は開けない」という見出しはよいのですが、内容が中庸から外れています。もちろん日米協調を説く岡崎の主張が正論だ思いますし、長いタイムスパンで考える歴史的視点の重要性を指摘する控えめなコメントをした星浩(朝日新聞編集委員)にも好感が持てました。
寺島の考えは彼の近著である「脅威のアメリカ 希望のアメリカ」を読めば正確にわかります(【文献43】)。日本を代表する商社マンが政府・官僚と一体となってアメリカに対抗しようとする気配が濃厚に感じられ、まるで戦前の大東亜共栄圈のプロパガンダに似た雰囲気です。「上から下」への後追い国家に特徴的な一種のナショナリズムです。しかも彼の展開するアメリカ脅威論は明らかに誇張されています。たとえば、アメリカの「力の外交」を象徴する話として、ペリーが幕府に対して開国を迫る国書とともに白旗を手渡し、「フィルモア大統領の通商を求める国書を拒めば、戦闘を始める。和睦を乞う場合は白旗を掲げよ」という意図であった、という説が事実であるかのように紹介されています(【文献43】p.16)。しかし、この説が依拠する史料は明らかな偽文書でありこの説は誤りであると断定されています(【文献32】p.110)。また、GPS(全世界衛星測位システム)に必要な軍事衛星を日本に無料で解放している理由は、日本に対抗衛星を打ち上げさせないために他ならない(【文献43】p.100)という意見も被害妄想もいいところでしょう。無料で解放されているものを使うか使わないかは日本が下した自由な判断の結果ではありませんか。しかも、それを使えることは日本の利益です。さらに、アメリカの力に対抗してアジアにおける日本の存在感を示し、アジアのカネはアジアで使おうというアジア重視の外交政策の主張(【文献43】p.165)はまったく自分を見失っています。以下に津本陽の主張を紹介していますが、外交には冷徹なギブ・アンド・テークの精神が必要で自己中心的な甘えは許されません。いつも相手の立場に立って考えればわかることで、自国の利益を計るのはお互い様です。こちらの利益を真っ先に考えてくれないやつは敵だ、というのではフェアーではないでしょう。
3 津本陽が語る「変革期のリーダーシップ」論(1/1/04)毎日新聞
(1)うれしい驚きだった津本陽の考え
歴史小説家である津本陽(つもと・よう)の「変革期のリーダーシップ」論(毎日新聞1/1/04)は、正直いってうれしい驚きでした。その訳は、僭越ながら多くの点で私と共通の認識を述べておられるからです。主な論点を紙面から抜粋して紹介しましょう。
─小泉首相からは「どういう國にするんだ」という気概というか、強いメッセージは伝わってきませんか─やはり今のマスコミの力が大きいでしょうね。一般大衆はテレビを通じて政治家を知るし、小泉首相は大衆のとらえ方がうまいと思いますね。今は、小説でも分りやすいものが売れる。分りやすい主張を受け入れる人が多いと思います。平穏な時代が58年も続き、物を考える習慣が国民の大多数から薄らいで来ている。小泉首相は確かにこういう人たちを引っ張っていく魅力があります。しかし小泉首相は一つの問題を提示した時に、なぜこうなったか、そのためにどういう下地があったかといったことを国民に分りやすく説明されることが少ない。物を考える習慣が国民の大多数から薄らいで来ている傾向があるためでしょうか。国民はその場その場の、あの簡潔なメッセージで体をかわされている感じがします。
─今の政治家は、津本さんが扱った歴史上の人物とは違いますか。今、リーダーには何が必要でしょうか─外交上で冷徹なギブ・アンド・テークの精神、気概がいまひとつ薄いと思いますね。「明日死ぬか」という時代に生きた戦国の武将は情報を必死で集め、今どうすべきかという現実認識を持っていた。リアリストでないと生きていけない時代だった。今は平穏な時代に生まれて生きているから、それ以上の激しい状態を想像できない。
─(今の政治家で)有望株は見当たりませんか─これから、外国と苛烈な交渉を行ない対等に渡り合えるかどうか。やはり憲法9条の改正問題など、真剣勝負になってくる。米国と対等以上にギブ・アンド・テークの交渉ができる人が日本の代表者として出てこないといけない。(小選挙区制になって2世、3世議員が多くなって)どうも先行きが気がかりです。
─なぜ人材が出ないのでしょうか─経済でずいぶん調子良く勝たせてもらった分、ちょっと政治の面をおろそかにしたということでしょう。核の傘に入った状態が長い間続き、緊張感がなくなったためでしょうか。
─教育の問題がありますね─先祖から伝わった考えを、学校教育で教えなかったことが大きい。我々の時代は、飯も食えず。17、18歳で空襲を受け、爆弾が落ちてきて人が死ぬ経験もしてきた。敵が上陸してきたらみんなやられると思っていた。終戦後も2000万人が餓死するという新聞の見出しが出る時代だった。そういう少年時代に遭遇した人と、食べることに困っていない人とでは人生観が根本的に違ってくる。親から子、孫に伝えないといけないことがたくさんあったが、戦後、教育方針が変えられ、そこが断絶してしまった。
─映画「ラストサムライ」などで、武士道が注目されています─西郷隆盛は「一国の名分を立てるには國が倒れても戦わないといけない時がある」と言っている。強国の意志に屈して自国を全うしようとすれば、強国にもばかにされ、いずれは敗亡の道を歩むということです。昔の人は士の精神、信義と廉恥に反したことには生命を懸けても防ぐという精神だった。政治は上に立つ者が非常に清廉でないといけない。上が私欲を図ると下も図り、国民が利欲に走る。それでは非常時に國をまとめ外患に向かい、戦うことができない。今の世の中は悪いことがばれれば頭を下げて済ませているだけのように思う。
津本陽は1929年生まれで学徒動員で働いていた工場で空襲にもあっておられます。私は1935年生まれで学徒動員は免れました。しかし、国民学校のときに空襲にあい、新制中学の一期生となり、多感な時代にアメリカ民主主義教育をたたきこまれました。その結果、國のすべてのことは国民ひとりひとりに責任があると考えています。その辺の感覚は津本陽よりも強いかもしれません。朝鮮戦争が始まった年に高校に進学しています、それ以後の日本は戦後5年間の日本とは明らかに違います。朝鮮戦争でもうけさせてもらったからでしょう。
4 竹田青嗣の連続対談「自由の行方」(1/7/04から3回)毎日新聞
哲学者で文芸評論家、明治学院大学教授の竹田青嗣の「自由の行方」と題する連続対談が3回にわたって毎日新聞誌上に掲載されました。ここでは最初の2回の対談について考えます。
(1)哲学者の仕事は人間の「生き甲斐」を具体的に示すことではないのか
第1回の対談の相手は哲学者で京都精華大学助教授西研(にし・けん)でした。竹田は言います。
このところ、「公正なルールに基づいた社会」や「市民社会の中での自由」とは何か、考えています。今の社会は行き過ぎた資本主義の矛盾に直面しており、近代社会が原理として持っていた、自由を解放することで人間の本質を開花させるという理念が見失われている。
教育の問題に入るために、二人の基本的な立場を確認してみます。つまり、近代社会とは、人類史上初めて現れた、いわばフェアなルールに基づいてだれでもゲームをできるような社会である、と。ゲームとは、人の営みや生き方というほどの意味です。一人一人が合意によって作られたルールによって、対等なプレーヤーとして、権利を行使し合えるということ。フェアなゲームができる社会であるためには、それに見合ったルールやシステムが必要で、そのような考え方の原理を初めて作り出したのが近代哲学でした。
近代社会は、そんな基本的な原理、好ましい原理を持ったのですが、一方で富の不平等な分配、環境破壊など、矛盾もかかえている。
現代社会の矛盾は、長く近代の弱点を考えさせたのだが、むしろ近代社会の原理には大きな功罪があって、いまその双方をはっきりと受けとめ直す必要があると思う。万人が享受できるフェアなルールゲーム、という構想で始まったはずの近代社会は、むしろ新しい支配や抑圧の形を生み出して、その本来の本質をほとんど発揮できていない。どのような条件を作り出せば、もとの考え方をすこしずつ実現していけるのか。このところわれわれは、この課題に沿って、少しずつ考えを進めてきた。哲学は長いスパンで考える。でも、飛ばさないで必ず一段ずつ積み上げていくのが原則だ。
西は、教育社会学者の苅谷剛彦の話した19世紀の米国の教育事情を紹介したあと次のように発言しています。
教育の機会均等という理念が生まれ、その理念の下で学校制度ができていったということですな。当時の米国の中には、学校を出て知識を身につけると社会で大きな活躍ができる、という雰囲気が労働者にも資本家にもあったようです。「だれにでも教育の機会があり、社会で活躍できるチャンスがある」と信じられる社会では、革命は現実性をもちえない。
翻って、現在の日本の教育界を見渡してみると、勉学の意味がハッキリしなくなるとともに。階層化が進んできています。かっては、親よりも高い学歴を身につければ、社会的な活躍の場が広がると期待できました。しかし高校全入、大学進学率5割の時代になると、勉学の見返りが期待できるのは一部の生徒だけになる。今の高校生は、社会に出てゲームに参加することが期待できる層と、将来を描きにくい層とに二極化しつつあると感じます。
わたしの正直な感想は、ネガティブの驚き、です。竹田青嗣の動機は「哲学」という学問体系をつくることなのでしょう。「近代社会の原理」などと切り出されると、「はじめに原理ありき」とはどういうことか、といぶかしく思います。この対談には、わたしが重要なキーワードとして使ってきた言葉、「文明の進歩を支える基本原則」、「人間社会のパラドックス」、「国家の社会成熟度」、「ヒトの社会システムの進化の系統樹」、「正しい動機」、「天職」、「後追い国家」、「上から下へ」、「下から上へ」、あるいは類似の概念は一切出てこないことからも私が違和感を感じる理由が分ってもらえると思います。哲学とは「生き甲斐」を考えることではないのでしょうか。われわれ市民が考える動機は、「いかに生きるか」という苦悩であり、哲学者に哲学を学ぶことではありません。この傾向は、昔から日本の大学人に向けられている批判です。象牙の塔もいいところです。
(2)鷲田清一による「よく生きるための哲学」
実は、ちょうど1年前に大阪大学教授鷲田清一による、「よく生きるための哲学」と題する一文(日経「今を読み解く」欄1/5/03)が私の気持ちを見事に代弁してくれているので一部を紹介します。
哲学はいま、市民の<希望>と<失望>のあいだで揺らめいている。迫りくる環境破壊、国家財政の破綻、高齢化社会における医療や介護の仕組み、家族や学校、地域社会や企業のあり方など、いまわたしたちの日常生活が直面している問題の多くが、重度の「制度疲労」に陥っていて、社会生活の基本的な考え方(フィロソフィー)じたいを根本から洗いなおさないかぎり、問題は何一つ解決しないと多くの人が感じている。
社会生活の新しいフィロソフィーがこのように具体的なかたちで求められているのに、しかしいざ、それに見合うような、カンフル剤といってもいい刺激に満ちた「哲学」的嗜好を参照しようと関連書物を手に取っても、難解な術語だらけで現実の問題からあまりにも隔たって感じられるか、反対に、記述は平易だがそのぶん問題も水割りされていて、時代を深くえぐる未知の思考の荒野が広がっているとはとても感じられないといった、もどかしい想いにとらわれるひともまた、多いのではないだろうか。
もともと公民の教養の基礎として位置づけられていた「哲学」は、大学での研究の一環として位置づけられるようになってから、諸科学の基礎理論としての専門的性格をより濃くしていった。そして「あの人の生き方には哲学がある」といった言い回しが、学問外のものとして遠ざけられていった。「哲学」は、学問の基礎という面と、世界観についての素人談義といったふうに、二極分解していったのである。明治という時代に西欧から「哲学」を輸入したこの國では、とりわけこの傾向が強い。
哲学にいま求められているのは、その市民化ということなのだとおもう。たとえば行政職につくということが市民が一人でも多く「幸福」になれるよう社会の運営に携わることだとすれば、(あたりまえのことだが)ひとにとって「幸福」とは何かという基本的なフィロソフィーがなければ仕事はできない。そのために、たとえばフランスでは、「哲学」の学習を上級公務員志願者に義務づけている。それに先だって一般の中等教育でも、哲学の授業にかなりの時間を割いている。
自分(たち)が直面している困難や不安をその根っこに立ち返って問い、次にそれをひとつの社会的な問題提起にまで組み上げる、そのために日常使っている言葉を論理的に研ぎ澄ませるということが、いま市民ひとりひとりに求められているのだとおもう。その意味で、「哲学」はまだ始まっていない。「哲学」がこの國で市民生活の武器になりうるかどうか、それがいま験されている。
なんだか、われわれのISISの仕事に対して最高の激励をもらったような感じで、心底うれしくなります。
閑話休題、西の「勉学の見返り」という発言も、「後追い国家」の思考習慣に特有の発想から出ていると思います。また、対談の最後に出てくる竹田のつぎの発言は、竹田が依然として「上から下へ」の思考習慣にどっぷりと浸かっていることを想像させます。
最近、企業研修での哲学講義の依頼などもあるのですが、企業でも、何のために、だれのために、働くのか、その意味を考え直そうとしているのを感じます。我々としては短兵急に処方を示すのではなく、物事の根っこに目を据えて考えていきたいですね。
(3)共感を覚えた相手は「下から上」の鶴見俊輔
第2回の対談の相手は哲学者で思想家の鶴見俊輔(つるみ・しゅんすけ)でした。それは第一回の内容とは全く対照的であり、それだけに、私のポジティブな驚きの反応は強く、若干の批判は抑えられるほどでした。その理由は、構成を担当した毎日新聞の有本忠浩の書いている対談の説明を読めばわかります。
「血肉化した民主主義とは何か。『思想の科学』などで活躍した鶴見俊輔さんは江戸期の思想家や庶民を振り返る。対談の2回目は日本の近代化を問いかけることになった。今回、竹田さんは聞き役に徹した。」
つまり、わたしが共感を覚えた相手は鶴見俊輔であり、竹田青嗣ではなかったのです。だから、この対談はわたしには特別に意味深いものでした。鶴見俊輔の意見は、私の展開した「ヒトの社会システムの進化の系統樹」、「後追い国家の運命」、「上から下へ」対「下から上へ」、のパラダイムによって明快に整理できますし、「文明の進歩を支える基本原則」、「人間社会のパラドックス」、「国家の社会成熟度」、「正しい動機」、「天職」についても共感してくれる仲間だと思います。鶴見俊輔は言います。
竹田青嗣─01年の「9・11」以後、イラク戦争も起こり、世界の先行きがますます見えにくくなっていると思います。今後、私たちの歩んでいくべき道筋を探るうえで、改めて民主主義とは何か?とその原義に戻って考える必要を感じます。戦後の民主主義思潮を代表される鶴見さんに、まず、そのあたりのお考えをうかがいたい。
鶴見俊輔─私は明治国家ができあがった後に、日本の知識人が作ったデモクラシーの考え方は基本的に頼りにならないものだったと思っています。その画期は、日露戦争に勝利した1905年です。ここから以後今日まで、大体100年、日本の民主主義は「作る民主主義」ではなく、「作られた民主主義」だったと思うのです。 
竹田─「戦後の知識人は頼りにならない」、あるいは「作る民主主義」とおっしゃいました。それは例えば何を指すのでしょうか。
鶴見俊輔─歴史を少しさかのぼってみましょう。江戸中期から後期に、大阪にあった町人出資の学校、懐徳堂に学んだ富永仲基という人がいます。世界を見渡しても、同時代の思想家の中で頭抜けた存在だったと思っています。 
竹田─懐徳堂は18世紀初めから19世紀半ばごろまで続いた学校ですね。そこに「作る民主主義」の芽を見る、ということでしょうか。
鶴見俊輔─彼は、坊さんはたくさんお経を読むけど、ブッダはこんなのたくさんの話をしたのか?と疑問を投げるんです。20歳前の町人がそれを言えるというのはすごいことですよ。後の歴史の尺度で見ると当たり前のことでも、その時代や状況では見えにくいこと、言いにくいことを言うのが優れた歴史家、思想家の条件です。つまり、みずからの体験を血肉として思想化するんだ。しかも彼がそれを言える基盤が社会にあったに違いないんだ。国定忠治を、今の言葉でいえば若いツバメにした上州(群馬県)の宿場の女性、菊池お徳にしたってそうです。(中略)
竹田青嗣─さきのお話と考え合わせると、日本の民主主義の根が、ある時点からずっとダメになってきたと。鶴見さんの観点は、かってこういう良質な感覚が生きていたが、という論法で今の時代を相対化しようとされているのだと思います。それも一つの方法と思いますが、少し具体的に、現在の社会制度、思想の場面から、では現在我々がどういう場所に立脚点を持つべきか、についても触れていただきたいのです。
鶴見俊輔─日本の近代にしても明治以前に根がないとだめ。成功のツケが1905年に来た。日露戦争に勝利して、その後はずっと、脆弱な知識人による学習型の民主主義なんですよ。 
竹田─学習型の民主主義とは何でしょうか。
鶴見俊輔─指導者の養成方法がこの100年変わらないんだ。つまり、天皇制、文部省(文科省)、東大の三つを頂点にした形があって、その型は今に至っても基本的には変わっていないんですね。「国家社会」というでしょう。その時、国家の中に社会が取り込められている。国家を作り出すのが社会という考え方がなくなっている。(中略)
竹田青嗣─先住民の知恵に対する敬意、またその知恵の継承を親子2代が紹介、表現したことへの共感ということですね。(米国の文化人類学者のアルフレッド・クローバーの妻が書いた米国先住民・イシの伝記、その娘のル・グィンの書いた『ゲド戦記』について鶴見が述べたことを指す)
鶴見俊輔─そうです。そのことは、日本人がアイヌや沖縄、在日韓国・朝鮮人とどう向き合うかということにも通じています。彼らの文化や伝統を含め、多様な考え方に対して日本人がどう向かい合うのか。それは日本社会に希望の灯を見いだせるかどうかの大切な要素でもあります。与えられた民主主義ではない、作る民主主義。これは、吉野作造の民本主義に通じるものです。
ここからは、竹田の自己弁護、それに対して鶴見が年齢の違いのせいにして対立をぼかしたとでもいえるものです。私は賛成できません。生年でくらべると、鶴見は1922年、竹田は1947年、私はちょうどその中間の1935年です。問題は、年齢よりも幼年時代の教育でしょう。鶴見俊輔の紹介には、「15歳で渡米、プラグマティズムを学ぶ。」とあります。
竹田青嗣─おっしゃることはわかりますし、共感する部分もあります。ただ私としては、近代や文明の弱点から引き算する形で現在と未来を考えたくない、と思っているのです。
鶴見俊輔─竹田さんは若いから、今にひきつけて問題の核心やそれに対する方法論を求めようとされる。それはよく分ります。ただ私はもう人生の最終局面ですからね。二人の考え方におおきな違いはないとおもいますよ。竹田さんが例えば、デカルト、ルソー、カント、ヘーゲルらをもう一度とらえ直すように。
竹田─そう理解して頂くとありがたいです。
鶴見俊輔─それとね、日本では、ともすると年月と共に考え方が進歩するという幻想があるんです。これも国家が植えつけたものです。時間がそのまま進歩と取り違えられるエスカレーターから降りて考えないといけない。少なくとも頭の中ではね。菊池お徳、富永仲基など、明治以前にああいう人が出たという社会の土壌やその条件を探索すべきだと思います。それが学者の任務ではないでしょうか。
(4)竹田青嗣の自己分析
竹田青嗣が対談のまとめに書いていることから、わたしが彼に対してネガティブな印象をもった理由が理解できました。ただ、彼が鶴見俊輔の意見に率直に耳を傾ける態度には好感を覚えました。全文を引用しましょう。
社会変革の思想が、イデオロギーやドグマ的思考から自由であるために何が必要か、というのが私の考えの出発点になっている。そういう場所からは、ふつうの人間の生活感度に原点を置く鶴見さんの思想は、常に戦後日本のリベラリズムの指針的存在だった。そこで、鶴見さんが現在の時点で抱かれている民主主義のビジョンがあるだろうか、というのが私の興味だったが、しかしこの問いかけはやや性急だったかもしれない。
鶴見さんのデモクラシー感覚は、生活の中の“人間的なもの”にその根をさぐるが、これを思想の言葉に変換することに危険がつきまとうので、独自の禁欲がある。私のほうは哲学の悪癖で、新しい原則や公準を作り出すための試行錯誤のほうについ心が向く。そういう違いが話の中にも出ているようだ。ここにはないが、アメリカをよく知る鶴見さんの、現在のアメリカは行き迷っているが日本よりも早く覚醒(かくせい)するかもしれない、という言葉が印象に残った。
アメリカは旧世界の構造の上に市民社会を作った西欧と異なり、デモクラシーの思想を一から始発した國で、マイナス面も出ているが、簡単に否定できない優れた面も多く持っている。今のアメリカがどうかということ以上に、近代そして現代社会の推移の鍵をにぎる主役の一人として、その社会制度をとらえる観点が、今、いっそう必要だと思う。
そうなのですよ。私は、竹田青嗣さんににこのホームページを是非読んで頂きたいと思います。例えば、アメリカは「ヒトの社会システムの進化の系統樹」の頂点に位置する國であり、他の「旧世界」の國と並べて考えるのは間違いだ、ということを認識して頂けると思うからです。また、鶴見俊輔さんにも是非読んで頂きたいと思います。全体キリスト教に対するエラスムスの批判は、富永仲基が仏教に対して疑問を抱いたのと同じ動機からでたものであり、かつアメリカ民主主義の発展はキリスト教の理神論の発展と密接な関係があるからです。
(5)若干の私の反論
また、上で「日本では、ともすると年月と共に考え方が進歩するという幻想があるんです。これも国家が植えつけたものです。」と発言されていますが、一国の社会の紆余曲折は「人間社会のパラドックス」のパラダイムで考えればあたりまえのことと考えられます。私は楽観主義者で、より長い時間のスパンで考えれば確実に進歩していると思っています。哲学者には現実の社会をリードする大きな役割があること、そのためには楽観的ないし理想主義的な見方が不可欠だと思います。
もうひとつ苦情を表明させていただければ、対談の途中に出てくる次のやりとりには賛成できません。
竹田青嗣─ところで、米国は出発のころは、民主主義の理念を純化した形で体現しようとしたと思います。今はそれが必ずしもうまくいっていない面はありますが、デモクラシーは今も世界で価値があるとお考えですか。
鶴見俊輔─「9・11」の後に、ブッシュ大統領が、我々米国人は十字軍だ、と言った。これを聞いて、私はブッシュの代表する「キリスト教」は人を殺していばっている宗教だと思った。私がこれまで81年間、キリスト教信者にならなかったことを自祝しました。
ブッシュは一政治家にすぎず、アメリカの知性やアメリカ宗教を代表する人物とは考えられません。このことは広く認識されています。実際、あの直後にライス大統領補佐官は発言が不適切であることをブッシュに伝え、以後ブッシュはあの発言をひかえ、時には否定さえしているのです。このようなことが起こったのはこの時だけではありません。ブッシュ大統領は連邦最高裁で審理中のミシガン大入試のマイノリティー(人種的少数者)優遇措置について「人種的偏見を解消しなければならないが、間違った手段を用いてはならない」と反対する意見を(1/15/03)に発表しました。これに対し、パウエル国務長官とライス大統領補佐官は4日後のテレビ番組で優遇措置を支持し、部分的に容認する考えを示しました。これに対し、ホワイトハウスは直ちに同日の午後、マイノリティー教育を進める教育機関に対する支援策を発表しました。日曜日の発表は異例であり、黒人高官2名の発言が影響を与えたと見られているのです(毎日1/21/03)。これがアメリカ民主主義の底力といえるでしょう。
5 小泉首相の自衛隊イラク派遣
(1)津本陽の小泉批評
歴史小説家津本陽(つもと・よう)が語る「変革期のリーダーシップ」論を上に紹介しましました。その中で、小泉首相についてつぎのようにのべています。「平穏な時代が58年も続き、物を考える習慣が国民の大多数から薄らいで来ている。小泉首相は確かにこういう人たちを引っ張っていく魅力があります。しかし小泉首相は一つの問題を提示した時に、なぜこうなったか、そのためにどういう下地があったかといったことを国民に分りやすく説明されることが少ない。」
(2)今国会の首相施政方針演説「イラクの復興支援とテロとの戦い」
小泉首相のこの特徴は多くの人が表明している批判です。例えば、小泉が今国会の首相施政方針演説の中で述べている「イラクの復興支援とテロとの戦い」(日経1/20/04)にそのことは顕著に現れています。関係のある部分を引用してみましょう。
イラクに安定した民主的政権ができることは、国際社会にとっても中東にエネルギーの多くを依存する我が国にとっても極めて重要です。国際社会がテロとの戦いを続けている中で、テロに屈して、イラクをテロの温床にしてしまえば、イラクのみならず、世界にテロの脅威が広がります。イラク人によるイラク人のための政府を立ち上げて、イラク国民が希望をもって自国の再建に努力することができる環境を整備することが、国際社会の責務です。(中略)
戦後我が国は多くの國から援助を受けて発展し、今や世界の国々を支援する立場になりました。日本の平和と安全は日本一国では確保できません。世界の平和と安定の中に、日本の発展と繁栄があります。イラクの復興に、我が国は積極的に貢献してまいります。
その際、物的な貢献は行なうが、人的な貢献は危険が伴う可能性があるから他の國に任せるということでは、国際社会の一員として責任を果たしたとはいえません。資金協力と自衛隊や復興支援職員による人的貢献を、車の両輪として進めてまいります。(中略)
人的な面では、イラクが必ずしも安全といえない状況にあるため、日頃から訓練を積み、厳しい環境において十分に活動し、危険を回避する能力を持っている自衛隊を派遣することにしました。武力行使はいたしません。戦闘行為が行なわれていない地域で活動し、近くで戦闘行為が行なわれるに至った場合には活動の一時休止や避難等を行ない、防衛庁長官の指示を待つこととしています。安全確保のため、万全の配慮をします。(中略)
世界各国が協力してイラク復興を支援するよう、今後とも外交努力を重ねるとともに、中東和平に尽力し、アラブ諸国との対話を深めます。
アフガニスタンにおけるテロとの戦いは依然として続いています。昨年12月にリビアが大量破壊兵器の開発計画の廃棄と即時の査察受け入れを決定したことは、大きな意義を有するものです。北朝鮮を含め、他の國にも責任ある対応を強く期待します。テロの防止根絶および大量破壊兵器の不拡散に向けた国際的取り組みに引き続き積極的に参画してまいります。
津本が指摘するように、「なぜこうなったか、そのためにどういう下地があったか」、がストレートに分りやすく明瞭にのべられていません。最初に強調すべきことが最後の文章にでてくるのはいただけません。重要なキーワードも使われていません。上の7.3.3)で示したアーミテージ米国務副長官の発言の方がはるかに説得力がありますから、比べて見て下さい。
(3)私ならこう書く「施政方針演説」
私が施政方針演説を書くとすれば、その内容の骨子はつぎのようになるでしょう。
[1]21世紀はアメリカにおける同時多発テロで幕を明けた。世界平和を考える視点が一変したのである。アメリカはこの事件を契機に、大量破壊兵器を保有する可能性のある独裁国家の存在が世界平和に対する緊急の脅威であると考え、この問題を解決することの重要性を国連を通じて国際的に訴えた。
[2]イラクについては、この問題の緊急性の認識は、同時多発テロを受けた当事国のアメリカとそれ以外の國では越えられない温度差があった。国連の承認を得られないまま、アメリカは、持てる世界最大のハードパワーを単独行使してサダム・フセイン政権を打倒した。
[3]戦争は短期間に終わった。しかしイラクには、民族や部族間の対立、イスラム教宗派の対立、歴史的に外部の力に頼ってきた政治構造、アラブ人における主体的責任意識の欠如(バーナード・ルイス著「イスラム世界はなぜ没落したか?」臼杵陽監訳、今松泰・福田義昭訳、に対する山内昌之の書評、日経7/27/03)など多くの障害があり、イラク人による民主主義政権は短期間に実現しそうにない。戦後統治の失敗によるとはいえ、駐留軍はテロの被害を受け続けており、アメリカは苦境にある。アメリカがハードパワーを行使したことの正否はしっかり議論していく必要があるが、ここに至ってアメリカのこれまでの努力が水泡に帰すことは世界平和にとって大きな損失であることは明白である。
[4]現在のイラクの状況は、これまで無かった全く新しい事態である。我が国として友邦米国を精神的に支えるため自衛隊や一般からの志願者を派遣して復興支援にあたることは、日米安全保障条約の精神から当然であり、米国単独行動主義が巻き起こした国際的対立の緩衝剤にもなるであろう。
[5]我が国は紛争の解決に武力を行使しないことを憲法で定めている。これを変えるつもりはなく、これまで国外におけるいかなる戦争行為にも参加してこなかった。第二次大戦終了後、その恩恵を最大限に受けてきたことは事実である。しかし、戦争放棄を宣言するだけで自国の安全が守られるわけではない。アメリカの傘に依存していることは、米国軍人の生命によって日本国民の生命が守られていることであり、われわれにできることを懸命に模索しなければならない。それに生命をかけることが必要なときに躊躇することがあってはいけない。
[6]イラクでは現在外国の軍隊に対するテロが止む気配はなく、我が国が派遣する自衛隊にも人的被害が出ることを覚悟せねばならない。日本人が武力行使を放棄したのは、自分の生命を失うことを怖れたからではない。むしろ、紛争解決の方法として悲惨な結果をともなう戦争ではなく、みずからの生命の安全を賭してでも別の方法を模索する道を選択したのである。我々は、自由と民主主義による世界の平和のためには命も惜しまないことを世界は知るであろう。
[7]アメリカに対するテロの背景には、イスラエルがパレスチナとの平和共存を無視し、武力を背景に一方的に利益を追求し、パレスチナ人に将来の希望を全く抱かせない中東情勢がある。そのイスラエルと一緒に悪いことをしている、イスラエルの同盟国アメリカ、という認識が一般的である。この問題の解決に努力することは、フセイン政権の打倒以上に世界の平和にとって重要な課題であると考えている。
この骨子の精神は、政府のイラクへの自衛隊派遣命令に対する専門家(東大教授久保文明、経済同友会憲法問題懇談会委員長高坂節三、中東調査会客員研究員大野元裕)の意見(日経1/23/04)とも大筋で一致しています。
(4)戦争放棄の憲法を持つ日本人に与えられている責務
最後にもう一度念を押したいのは、憲法第九条の「国権の発動たる戦争、国際紛争を解決する手段としての武力による威嚇叉は武力の行使、の永久放棄」についてです。このことを宣言するのは、「われらの安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼してゆだねることを決意したからだ」と憲法前文で表明しています。しかし実際は、憲法の作成にかかわった米国との日米安全保障条約に全面的に頼ってきたわけです。ありていに言えば、自国や他国に関係なく「自由を守るためには命も惜しまない」アメリカの市民のソフトパワーと、それを実現できるアメリカのハードパワーの傘で守られてきたのです。第二次大戦後もひきつづき多くのアメリカ兵の命が失われてきた現実があるのです。このことを誠実に、かつ厳粛に受け止めるならば、「戦争放棄を宣言しているから・・・はできない」とネガティブな発言をくり返したり、傘の下に安住することはできません。「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」なら、国際平和に貢献するための方法を精力的に検討し、ポジティブで具体的な仕事をして実績をあげるのが日本のやるべきことです。そのためには「いざというときには命も惜しまない」覚悟を表明することがアメリカに対する信義です。世界が日本に期待しているのは、「犠牲者の数を減らすための戦争」に参加することではなく、「戦争による双方の犠牲者の数を減らす」仕事で実績をあげることです。 
検証(2) 

 

─毎日新聞の科学環境部による「理系白書」企画─
ここで毎日新聞の「理系白書ワイド」の企画の関連記事を取り上げて見ましょう。これは02年1月から03年4月まで続いた全10部、68回にわたる「理系白書」の夕刊科学面での連載が終了したあと全国版で展開されたものです。
「理系白書」の内容は再構成・加筆されて、毎日科学環境部著「理系白書」(講談社)として出版されたようです。この本は毎日新聞でつぎのように紹介されています(毎日新聞11/6/03)。「世間にはあまりなじみのない大学や企業の研究室に入り込み、研究・開発の現場と、日本の科学技術を支える人たちの心のうちを取材しました。発明をめぐる技術者の不遇、博士の就職難、女性研究者をめぐる差別の現状なども取り上げて問題提起し、大きな反響を呼びました。単行本『理系白書』は、技術者研究者のほか、ビジネスマンや受験生にも広く読まれています」。日経(8/3/03)にはつぎのように紹介されています。「理系出身者の社会的な位置づけを冷静に分析している。理系出身は文系出身に比べ生涯所得が5千万円も少なく、官僚の技官の出世は局長どまりと、日本における理系の悲哀を、浮き彫りにする。戦後日本の驚異的な経済成長を支えてきたのは主に科学者技術者であるにもかかわらず、貢献に見合うだけの評価と報酬を受けてこなかったという。同書は、日本が科学技術立国を目指すならば、『理系人を積極的に登用し、その待遇を改善する』ことが欠かせないと主張する」。皆さんはこれを読んで「至極もっともでよく解る、問題にすることは何もない」思ったのではありませんか。私もうっかり見過ごすところでした。
これから日本のメディアの思考形式のどこが問題なのかを説明しましょう。よく考えないと問題のポイントを見つけられないから注意して考えてください。最初に「理系白書」の関連記事について書かれた内容の問題点を指摘し、最後に総合的な考察と毎日新聞科学環境部の人びとに伝えたいメッセージをまとめました。
1 「理系白書」企画の動機
まず、この企画が取り上げられた動機を見てみましょう。夕刊の「理系白書」連載あけに科学環境部の元村有希子が書いた「記者の目」欄の『理系人よ カラを破れ』と題する記事です(毎日新聞5/7/03)。ちなみに元村は大学で心理学を専攻し、89年に入社、01年から毎日新聞の科学環境部で仕事をしています。
「理系は報われない」。彼らの中にくすぶる根強い不満感を検証しようと、連載は始まった。(中略)「金融、政治・・・いまの日本は文系が理系の足を引っ張っている。なのに報酬は文系がはるかに高い」。(中略)米国では、事務職よりも博士号を持った技術職の社会的地位が高い。努力に見合った報酬も保障される。片や日本では、博士号まで取って針路が決まらない人は3割に上る。(中略)米国で働く日本人ポスドク(博士研究員)男性は、理系の人生を「18歳で、世の中から隔離された純粋培養が始まる。人によっては一生、人里離れた“工学部刑務所”で育っていく」と例えてみせた。「内気で世間知らず」という理系人のイメージが、こうした環境から生まれる。
(1)毎日新聞科学環境部 元村有希子の意見
これに対して元村が考えていることが以下の文章です。
そんな時でも「この仕事が好きだから」という答えが返ってくる。出世や評価とは無縁の「究める生き方」もあるだろう。ただ、その控えめな態度が「黙々と働く理系人」のイメージを固定させてきたのではないか。好きな仕事ならばこそ、周囲の評価と注目を得てさらに上を目指せばよい。(中略)「文か理か」にこだわっては、物事が運ばない時代になったことを痛感する。科学の進歩に倫理の問題は避けられないし、社会を説得する交渉力、表現力、文章力も欠かせない。現状では十分とはいえないが、理系人が、それらを獲得すれば強い。からに閉じこもらず欲張れば、理系人は社会を変えられると私は思う。そしてそれは社会の要請でもある。
元村が言いたいことは、『もっと野心と自信を持って』とか『社会活気づける契機に』という大見出しに現れているし、本文の最初に出ているつぎの要約からもわかります。
大学の研究者、博士を目指す若者、女性科学者、企業の技術者たちを取材し、そのひたむきさに励まされた。彼らは、異口同音に「この仕事がすきだから」と語った。すてきなことだ。でもこれからは、野心を持ってほしい。それが、自身を向上させ、先の見えない社会を活気づける契機にもなる。
(2)私の意見
この記事を読まれた研究者、技術者、それを目指す若者たちへ、私から先輩としての忠告をします。一般の皆さんも一緒に考えてください。
私の意見(1)「この仕事がすきだから」が我々理系人にとって唯一つの正しい動機であることを忘れてはいけません。それが君の天職だから、それだけが君を幸せに導いてくれるのです。
「黙々と働く理系人」でなければ新しい発見へと導かれることはありません。元村の言う「出世、周囲の評価や注目」は結果であり目的ではないのです。富と名誉を求める「野心」は虚栄心であり、君に正しい動機を見失わせる最大の雑音です。「からに閉じこもらず欲張れ」などの虚言に踊らされてはいけません。この道を選択した人の動機の中にたとえ少しでも「出世、周囲の評価や注目」「野心」が含まれている人は必ず途中で脱落します。
私の意見(2)「交渉力、表現力、文章力」の重要性は相手次第で変わります。君の成し遂げた成果が直ちに認められるとは限りません。君が仕事をするとき、天職に忠実であるためには「出世、周囲の評価と注目」を無視しないといけない場面が必ず出てきます。健全な社会は、そういう君を励ましつづけ支えることができます。
私の意見(3)元村は、さも「理系人のため」に、「理系の中にくすぶる根強い不満感を検証する」と言っています。しかし、いつの間にか「欲張れば、理系人は社会を変えられる」「それが、自身を向上させ、先の見えない社会を活気づける契機にもなる」と、「社会のため」に変わっています。これは「上から下」を見る官僚の視点と同じです。「下から上」に研究者・技術者の幸福を考える視点ではないのです。君たちは、日本が後追い国家であることを冷静に判断し、日本だけでなく世界中を職場にしてクレジット・サイクルを追求すればよいのであって、國のことなど考えてはいけません。
クレジット・サイクルとは、君の成し遂げた成果を元手にして君がしたい仕事がもっとし易くなる環境を手に入れることで、サミュエル・コールマンが日本の科学者のために書いた著書(【文献31】)の中で強調しています。君たちの労働市場のグローバル化、自由化を実現すること、それだけが後追い国家日本を変える道なのです。「この仕事がすきだから」の理系人はすでに立派に仕事をしているのです。「上から下」を見ているものに「もっと自信を持って」と言われる筋合いはありません。
私の意見(4)日本のマスメディアや大学関係者をはじめとするオピニオン・リーダーたちの陥りやすい欠点は、明治開国以来の永年にわたる後追い国家特有の思考形式にとり残されたままで、現時点になってもそのことを理解しない人が多いことです。そこから抜け出せない理由は、権力者とコネを作ることが自分たちの目先の利益につながるからです。「下から上」の立場で発言せねばならない責任が投げ捨てられるのです。権力者とは、金の集まるところ(税金を管理する政府です)で金の使い道をきめる立場にいるヒト(官僚、とくに財務省の官僚)です。元村は官僚と一緒になって「上から下」の論理を展開していることに注意しなければなりません。「理系人の問題」は、一つの題材として利用しているにすぎないのです。
目先の利益とは何かを説明しますと、文科省の審議会に加わって政府のお墨付きを手に入れ、それを元手に講演をしたり本を出版したりして社内の立場を固めることです。元村は理系の大学院で本格的な研究をしたこともなく01年に科学環境部に配属されたばかりなのに、「理系白書」の仕事をして政府の科学技術・学術審議会の研究計画・評価分科会の研究評価部会の委員となり、平成15年度(02年度)の科学技術振興調整費の使用について中間・事後評価に加わっているのです。このように、オピニオン・リーダーには官僚に取り込まれてしまう危険が常につきまとっているのが現実です。
元村が「官僚と一緒になって『上から下』の論理を展開している」証拠は、「人里離れた“工学部刑務所”」の例えの引用です。じょれは、大学教授を非難することで自分たちの不作為の責任を国民の目からそらしている官僚の常套手段です。元村は、自分で深く考えることもせず、それをそっくり真似ているのです。そのことは次の「理系白書シンポジウム」の報道で白日のもとにさらされます。
2 「理系白書シンポジウム」
毎日新聞科学環境部主催、NPOサイエンス・コミュニケーション協力の「理系白書シンポジウム」の報道を見てみましょう(毎日新聞7/26/03)。司会は副部長の瀬川至朗と元村有希子記者です。産官学のパネリストというのが、キリンビール商品開発研究所嗜好リサーチグループリーダー横向慶子、内閣府大臣官房審議官(生涯学習政策局担当)有本建男、東大教養学部長浅島誠、東京薬科大生命科学部教授深見希代子、科学ジャーナリスト林衛の5人です。このシンポジウムは、まさに後追い国家日本を象徴するイベントと言っていいでしょう。何故でしょうか、その理由を説明しますので考えてください。
(1)このシンポジウムが、後追い国家日本を象徴するイベントである理由
第一は、毎日新聞環境部の行なったパネリストの人選です。ヒトの社会システムの進化の頂点にいるアメリカなら、ここに科学アカデミー、NIH、NSFなどのトップ、大統領の科学補佐官、われわれの知的社会研究所のような独立・非営利のシンクタンクの代表、あるいはScience紙のエディターなど國の科学政策立案に実質的にたずさわる人たちが並んでいるでしょう。彼らは、全て過去に研究の経歴があり理系の学位を持っているでしょう。上のパネリストの中で理系の博士号を持っているプロの研究者は横向と2人の大学教授ですが、彼らは長期的な視野に立って國の科学政策を批判したり具体的な政策形成への影響力をもつことによってパネリストに選ばれている訳ではありません。また一般の人が考える、直接科学政策に携わっている人とは、文科相や内閣府や文科省の数多くの審議会に参加する有識者と呼ばれる連中、あるいは國から運営の予算までもらっている学術会議のメンバーと思うでしょう。しかし、彼らもパネリストの中にはいません。彼らも國の科学政策を責任をもって考えている人たちではないから、居ても居なくても同じです。このことを不思議に思う人もいませんし、主催者もそのことで責められることがない気楽さです。アメリカならこのようなシンポジウムには誰も来ませんよ。
第二に、何故そのことに疑問もいだかず大勢の人が参加するのでしょうか。その理由は、それがこの國で繰り返されていることであり、国民が慣れてしまっているからです。後追い国家日本において
政策立案をまかされているのは官僚です。それでいて、官僚は責任を問われる立場にはありません。形式的に民主主義国家である日本で、政策形成に責任のあるのは建前として政治家だからです。しかし、政策形成リーグがない日本では、政治家は官僚に頼って丸投げするしかありません。税金の支出によって議員の公設秘書や政策秘書に雇われているのが
どんな人かをみれば一目瞭然です。だから、官僚の中でもトップにいる有本がいれば他のパネリストは重要ではない、主催者もこのシステムの中にどっぷり浸かっていてそれを利用するだけです。実際、このシンポジウムは官僚である有本が政策について説明し、他のパネリストの訴えを聞いたり質問に答えるという形式で進行しています。その有本は、京大理の修士卒であって研究の経歴は無く理系の博士号も持っていないのです。有本自身、科学政策を考えることが自分の天職であるという動機から科学政策を立案し、その実績によって現在の地位を獲得したわけではありません。国家公務員試験に良い成績で合格しただけです。そんな人が國の科学政策を担わされているのです。後追い国家日本ではこのことを不思議に思う人は少なく、問題にもされない。有本は自分が非難される理由など無いと言うでしょうし実際その通りです。全てはシステムのなせるワザなのです。
(2)日本の官僚の文系支配
日本の官僚制の著しい特徴の一つは、過去に研究の経歴があり理系の学位を持つ人が著しく少ないことです。イギリスでは大きな部分をしめています。イギリスも後追い国家ですが、社会システムの進化の系統樹の上ではアメリカにもっとも近い場所にいます。理系の研究者の何が重要なのか、文系の研究者と比較して以下にまとめました。
─自然は絶対であり、絶対者に教えを乞い自分の考えの正否の判定をゆだねる謙虚な姿勢が人格の基礎になる。自然は神である。
─自然を研究する土俵は世界共通であり、投稿論文のピア・レビューを通じて自分の思考態度のひとりよがりが厳しくチェックされる。
─絶対者は自然だけであり、派閥に属することが活動を阻害する場合は一匹狼として自立する道がある。個人として独立する勇気が鍛えられる。
日本の官僚の文系支配について有本はシンポジウムの中で次のように話しています。
ちょっと言いにくいが、霞ヶ関は圧倒的に文系支配でしょう。でも理系も自分たちだけで組む面もあった。総合科学技術会議が内閣府で発足した時、総理の周辺にいるのは人文系の方々が多いので、最初のころは、科学技術の説明をするのに大変時間がかかりました。今はバリアは低くなりましたが、対立構造ではなく仲間を広げるというマインドが大事です。
研究を専業としない理系人がたくさんいてもいい。経営や知財、産学連携、マスコミや行政職でもいい。例えば霞ヶ関の技術系官僚の半分ぐらいは、大学や研究所、企業から採用し、また戻るのはどうか。21世紀には理系の職業の選択肢が増えるよう、政策で誘導していくことが大事だ。
(3)すべての出発点は、シンクタンクの育成と政策形成リーグの形成である
しかし、「研究を専業としない理系人がたくさんいてもいい。」と言う発言はアメリカを観察した結果にすぎません。問題は、どのようにしてそれに近づくかではなく何故アメリカが自然にそうなったか、です。「理系の職業の選択肢が増えるよう、政策で誘導していくことが大事だ。」という彼の発言は、正に「上から下」の後追い国家のやる典型的な発想で正しい道ではありません。
大事なことは、「文明の進歩を支える基本原則(1.7.)をきちんと理解し、人間の個性の多様性を尊重し、才能を見つけ育てることの重要性を社会が認識することです。教育の視点を「教える」ことから「見出す」ことにシフトしなければならない。これが「上から下」から「下から上」への発想の転換なのです。理系のプロの研究者の中に國の科学政策の案作りに強い興味を示すものを見い出し社会が育てる仕組みが大切です。一般の人の下からの努力と、彼らを積極的に政策形成に参加させること、それが科学政策だけでなくすべての面で、複雑な社会を自然な形で自己触媒的に変革する持続可能なシステムを生むのです。「また戻るのではどうか」ではなく、採用する道はすでに開かれています。人事院が02年度の年次報告(国家公務員白書)で勧告しているように、問題は採用の人数が少ないことです。官僚は積極的に動かなくてもだれからも責められませんし不作為を謝ることもしない、かれらは国民が政治家を責めるのを見ているだけです。
何度も繰り替えしますが、いま日本が最も緊急に必要とするものは、当ISISのようなシンクタンクの育成であり、政策形成リーグの形成です。
3 有本審議官が述べる「國の科学技術政策」
國の科学技術政策について有本がシンポジウムで述べていることを見てみましょう。
21世紀は世界中が知識社会になる。全米科学審議会が5月、米の科学者・技術者確保に関する提言をした。今まで米は世界の優秀な人材をどんどん受け入れてきたが、各国が呼び戻し始めた。これを深刻に受け止めて政策を転換し、自国民を養成すべく、米政府全体で取り組むという。
日本の科学技術基本計画は、5年間で24兆円の投資、大学施設の大幅な改善、競争的資金の倍増などをうたい、停滞した部分に政治の光があたった。今年、第3期計画に向けた準備が始まる。目玉は急激な少子化の中での人材の育成・確保になると思う。
人材育成で最大の問題は、大学院教育の貧困だ。得意分野では知識も技術もあるが、少し別の領域になるともう使えない。日本の教授は院生を研究室で抱え込み、教授の論文を作るための研究労働者として扱っているのではないか。
後追い国家の官僚はいつも上を(社会システムの進化を遂げたアメリカを)向いていなければいけないから首が痛くなって大変でしょう。同情はしますが、勇気をもって真実を伝えないと誤った印象を国民にあたえ、みずからの信用を失うばかりか、かえって我が国の発展を妨げることになります。
(1)協力するマスメディアと繰り広げる官僚の自己宣伝
何故このような気休めが言えるのでしょうか。それが間違いあるいは誇張であることを説明しましょう。
第一に、「各国が優秀な人材を呼び戻し始めた」というが、アメリカに対抗し、呼び戻す力のある國はありません。中国やインドをはじめとするアジア諸国の経済成長が技術者に新しい労働市場を提供しているのは事実ですが、アメリカの人材養成能力が低下している訳ではありません。
第二に、「全米科学審議会が5月、米の科学者技術者確保に関する提言をした」、というのはScience誌やNature誌にも報道されていない類いのことです。明らかな誇張です。9・11同時多発テロ以来、外国人研究者の入国審査に時間がかかるのが研究の重大な障害になっているのは困る、という指摘があっただけです。
第三に、「これを深刻に受け止めて政策を転換し、自国民を養成すべく、米政府全体で取り組む」といった大袈裟な政策の転換は無いしその必要もないでしょう。
第四に、「日本の科学技術基本計画は、5年間で24兆円の投資、大学施設の大幅な改善、競争的資金の倍増などをうたい」と言いますが、それがアメリカに対抗できるものでないことは本人が一番よく知っているはずです。たしかに、第二期科学技術基本計画(01年〜05年)で競争的資金を倍増したのは事実で、年間6千億円になりました(日経12/24/01)。しかし、アメリカの医学関係の競争的経費を分配する国立衛生研究所(NIH)が取り扱う予算額だけでも年間3兆3千億円に達し、それだけで日本の科学技術予算の総額に匹敵するのです(日経1/6/03)。
第五に、「人材育成で最大の問題は、大学院教育の貧困だ」、「少し別の領域になるともう使えない」と決めつけ、「日本の教授は院生を研究室で抱え込み、教授の論文を作るための研究労働者として扱っている」と、相も変わらぬ大学教授批判を繰り返しています。
日本の大学については7.4.に詳しく書きましたので是非お読み下さい。はっきり断言しておきますが、大学院教育の貧困の責任を教授におっかぶせるのは全くの筋違いで間違いです。誰かを非難することで自分を正当化し自分の責任を国民の目からそらすのは官僚の常套手段です。これまで、大学人が反論しないことをいいことにして教授を非難してきたのです。「上から下」の後追い国家日本で社会は官僚の言にまどわされ、永年にわたってこのような大学批判を繰り返してきました。この企画にかぎらず、毎日新聞の記者も官僚と一緒に「上から下」を見る誤りを繰り返してきました。これに対し大学関係者として出席している浅島誠も深見希代子も何一つ反論していません。自分とは関係が無いと言わんばかりです。
(2)日本の「大学院教育の貧困」
ここで「大学院教育の貧困」についてハッキリと説明しておきましょう。
アメリカが「ヒトの社会システムの進化の系統樹」の上で最高の位置を占めている理由は「下から上」に國ができたからです。日本も含め他のすべての後追い国家では、すべてが「上から下」にならざるを得ないのです。このことがもっとも深刻な影響を与えるのが教育と研究なのです。国家ができる前に事実上の州があり、その前に完全な自治権をもつ植民地の行政府があり、アメリカの各植民地の市民はいちはやく大学を設立したのです。
ハ−ヴァ−ド大学、イェール大学(6.4.)、ペンシルヴェニア大学(6.5.)、コロンビア大学、プリンストン大学(6.6.)などです。アイヴィーリーグの名前で知られるこれらの大学の存在は「道徳を全般的に向上させ、公徳心が社会的な慣わしとなる効果をあげ」(6.6.)ましたが、とりわけひとりひとりの天職の掘り起こしに忠実でした。これこそ教育なのです。天職は神の意志の体現ですから、男女の区別、人種の区別、国籍の区別を考えることはありません。そして、ひとりひとりの天職である「研究への情熱」の上に研究の成果が築かれるのです。つまり、研究はまったく個人的なものなのです。アメリカでは個人のために組織を作るので研究がのびるのです。
「上から下」の後追い国家の日本ではまず組織を作り、その中に個人を置いていきます。ここに大きなちがいがあるのです。アメリカでは自然に自律的にできるのに、日本では何から何まで政府(官僚)が指図しないとできないシステムになっています。このシステムの典型がロシア共産主義社会でした。現在の北朝鮮独裁国家もそうです。そういう形でスタートした國は、そのことを自覚して出直さない限りいつまで経っても改革のかけ声を上げていなければならないし、結局は永久にアメリカに追いつくことはできません。
4 理系人のクレジット・サイクル(アメリカの大学の場合)
個人の一般的な研究のキャリヤーは、アメリカでは大学を卒業した理系の場合つぎのようになります。研究を野球のようなスポーツ、俳優や音楽家のめざす芸術、などに置き換えてもおなじことです。つぎの(1)から(5)です。
(1)scholarshipの獲得
大学を卒業後も研究を続けたいものは、親の世話にならず経済的に自立することが社会のコンセンサスで、いわば「院生市場」に自分を上場する。ここで学生と教授の相互評価がおこなわれる。教授の持っているカードは、教授の研究費から支出できる奨学金(学生生活をおくるのに十分な額で、返還義務のないほんとうのscholarship。授業料も支給される)と研究指導・生活指導・進路指導を含む総合的な指導能力である。つまり、学生が指導教授に望むすべてのことである。自分の研究費のうちどれほどの額を院生の採用にまわすかは教授自身の判断で決まる。学生の持っているカードは人物評価と知的能力で、共通試験や在学中の成績、推薦書などである。評価の高い教授には希望者が殺到するし、優秀な学生には教授の方から勧誘がくる。取引が成立すると、学生は奨学金を提供してくれた教授の研究室でその分野の勉強をし、研究を行ない、いろいろな人との交流を深める。研究者のクレジット・サイクルの第一段階である。もちろん、この段階で振り落とされる学生も少なく無い。能力が低いとすべてが自費である。ただし重要なことは、多くの学生がscholarshipをもらっている事実である。
評価の高い研究成果を短期間にあげることは指導教授と院生の共通の目標であり、それぞれのクレジット・サイクルを登るのに役立つ。学生が能力を発揮すればそれだけ学位を早くとれるし、研究能力の評価は指導教授の書く推薦書に反映される。良い推薦書をもらうことの重要性は、クレジット・サイクルの最後までついて回る。指導教授は自身の評価を高め、より多くの競争的資金を獲得でき、より大規模な研究ができる。研究成果があげられなければサイクルは下降に向かう。
「個人に天賦の才能を伸ばすチャンスを与えることは、この世で神意を実現することであり、市民社会の厳粛な義務である」という共通の社会認識がある。したがって、教授に提供される競争的資金や公的な奨学金が社会の必要に応じて注意深く判断されて用意される。民間の奨学金もある。國の科学政策形成の議論には研究者が主体的にかかわり、議論の過程は逐一公表される。したがって、院生は社会から応援を背に受けていることを実感しており、将来への不安をかかえる若者が勇気を出してチャレンジする励ましになる。もちろん失敗するものは多いが、そこから更に別の道をチャレンジするようアドバイスを受けるのである。
(2)学位の取得
科学者の仕事として評価される業績をあげ、Ph.D.(Doctor of Phylosophy)の学位を受けるとプロの研究者とみなされる。プロ棋士なら入段である。社会における評価はあがる。それだけに学位審査は厳正である。午前と午後にまたがる口頭試問があり、論文の審査には地域の大学からもエキスパートが参加する一方、指導教官は加わることができない。M.D.(Doctor of Medicine)は医療に対する学位で、基礎的な自然科学の能力に対するものではなく位置づけはそれより低い。いろいろな理由で研究者になることを途中でやめる者はMasterの学位を取る。理系ではプロの研究者に雇われて研究の補助をするTechnicianの職を選ぶこともできる。研究のプロの仕事は大変すぎて好きではないが、実験をするのは楽しくてうまい人もおり、これはこれで研究には必要であり重要な人材である。
(3)ポスドク
独立する前に1年ないし数年間、国内あるいは国外の研究室において博士研究員(ポスドク、Postdoctoral Fellow)の職につて修行する。ボスと共同研究をして研究業績を増やし、異なる分野へ研究の視野を広げていく。博士研究員のポジション(生活費と研究費が提供される)は、ボスとなる人の研究費から支出されるのが一般的だが、例えば医学分やではNIHからも競争的資金として直接本人に提供され、このいずれかで研究活動の質はかなり左右される。本人が自前で競争的資金を得た場合は、ボスの研究費は節約できるので歓迎され市場の評価は高い。したがって評価の高いボスにつき良い成果を早く得る可能性が高くなる。この場合は研究の自由度も増える。ここでも、共同研究で良い成果をあげることがそれぞれのクレジット・サイクルを上っていくのに必要だから、ボスも博士研究員も良い研究成果を得るために必死に努力することになるが、おのずと役割分担はある。両者の関係は一様ではなく様々なパターンがある。いずれにしても業績が挙がらなければサイクルは下がるしかない。
ハーヴァード大学では、特に評価の高い学位取得者にはJunior Fellowというscholarshipが与えられ、世界の好きな研究室に入り好きな研究ができる費用(渡航費、生活費と研究費)が提供される。ある意味ではSenior Fellowよりも評価は高い。ちなみにSenior Fellowとは大学にいるノーベル賞受賞者に与えられる称号である。
(4)独立して自前の研究室をもつこと
クレジット・サイクルのつぎのステップは、独立して自前の研究室をもつことである。そのためにはまず、例えば助教授、準教授、教授などの大学(または研究所)のポジションに応募して手に入れ、講義などの義務を果たすことで生活費とオフィッスを確保する。立派な研究業績とボスの推薦状に高い人物評価を書いてもらえることが有利に働くのは勿論である。大学のポジションは、最初は終身制ではなく任期制で、tenure-track(終身的身分につながるコース)とそうでないものがある。自分のしたい研究を行なうための研究費は競争的資金に応募して獲得し、直接の研究費と人件費(Technicianや博士研究員をやとい院生を採用する)を手に入れる。獲得した資金のうち一定の割合(20〜30%)は大学に納める。良い業績を挙げれば競争的資金を得るのが容易になり、より優秀な博士研究員や院生をより多く採用でき、それに応じて必要となる広い研究スペースも提供される。
(5)独立した研究者がめざすクレジット・サイクル
研究業績をあげ研究者としてのキャリアーを追求する人は、教育義務の内容も変わり量も減る。人格、研究業績、指導力が認められれば終身的身分(tenure)が与えられる。終身的身分の教授は競争的資金を得ているかぎり在籍して研究を続けることができる。給料や退職の時期などは大学と本人の交渉で決められる。研究が活発に行なわれている大学、評価の高い研究機関が集中している地域にある大学、など研究に有利な大学に移ることもできる。給料の額は第一の判断基準ではない。
一方、大学が必要とする研究者の能力は研究だけではない。教育の内容も一般教育、専門教育、大学院教育と多様であり、人事・予算など大学運営にかかわるさまざまな仕事、政府や社会に対する科学政策の提言、など上記の7.4. 1)で説明した通りである。したがって、大学では研究者の多様な能力が必要に応じて養成される。結局、一人の研究者の仕事は本人の能力に応じて特化していき、より高い能力を持つものがそれぞれの地位を占めていくことになる。かくて、学長、学部長、などのトップは必要な見識を持ち、大学だけでなく社会全体に対して指導性を発揮する能力を持つようになるのである。
(6)個人ベースであり、「能力」に応じて上下するクレジット・サイクル
これで分るように、アメリカにおける研究活動のクレジット・サイクルは、最初から最後まで個人ベースで行なわれます。研究の本質が個人ベースである以上当然そうでなければいけないのです。社会が「下から上」にできあがると、自然にこのような合理的で持続可能な形ができあがるのです。競争的資金を獲得するための評価、あるいは専門誌に投稿する研究論文のピア・レビュー(研究仲間による審査)などは、研究を天職と考えるものが集まって自発的に行なっていることであり、ごく自然に、細心の注意を払ってフェアーに行なうようお互いに注意しあうようになります。また、教授になれば、自分と同じように研究を天職とする院生や博士研究員を助け教育することも自然におこなわれるし、逆に彼らから評価を受けることになります。
最も大切なことは、クレジット・サイクルは本人の「能力」に応じて上下するものであり、「地位」や「資格」「年功」に対して与えられるものではないことです。これは研究に限ったことではありません。人間の能力は多様であり年齢によっても変化するので、その能力に応じたさまざまな勤務形態が自然に用意されるのです。7.4.1)で説明したように大学に求められる機能は多様であり、しかも動的に変化するものです。「下から上」の社会では、動的で複雑ではあるが合理的な組織が自然にできあがります。問題が出てくると自律的に解決されていきます。中味がはるかに複雑なだけで、組織の形成、運営の趣旨は野球の大リーグと同じです。頂点のメジャーリーグにいる人はひとにぎりで、その下に3A、2A、1Aが大きな三角形を形成します。毎年大勢の若者が参加しますが三角形の形は変わりません。つまり、逆にやめていくひとも多く動的平衡を保ているのです。これが組織に活力をあたえます。アメリカにおける競争は誰もが納得できる自然なかたちの競争であり、「上から下」の國でよく見られる、なにか別の動機から競争をあおる類いのことではないのです。動機は最初から最後までそれを天職とする人びとの幸福の追求なのです。
5 理系人のクレジット・サイクル(日本の大学の場合)
これに対し「上から下」の日本の社会では、複雑な組織である大学(あるいは社会)を官僚が上から眺めて政策を考えるので、問題を素早く発見することも、合理的な政策を考えることも、的確な施策を実施することも難しいのです。朝令暮改にちかい場当たり的な政策、やたらにプロジェクトを立ち上げて研究費というニンジンの獲得競争をあおるのが研究を進歩させると考える勘違い、無作為の連続だといっていいでしょう。7.5.1)に説明した通りなのです。
選挙に結びつかないことには政治家も無関心です。この事情は、上に述べたアメリカの研究者のキャリヤーと対比するかたちで日本の理系研究者のキャリヤ−を見ていけばすぐに分ります。今日に至るまで永い間、アメリカでは「日本には満足な大学院は存在しない」と思われています。その通りで、後追い国家の現実がはっきりと浮かび上がるでしょう。下の(1)と(2)です。
(1)実質的には教育ローンである大学院の奨学金、ゼロに近いscholarship
以下の内容は文系・理系に共通である。あらかじめ希望する教授(または大学院担当資格のある助教授・専任講師)のオーケーを得て関係の大学院を受験する。大学院には二種類あり、修士課程までしかないところと修士課程の上に博士課程があるところがある。後者は一貫制の博士課程として取り扱われ、区別する必要がある場合はそれぞれ博士課程前期、博士課程後期とよばれる。
試験に合格してから、進学を許可された者が希望すれば、成績上位の39%のものが日本育英会の奨学金を得る(2年間の総額は一律204万円、授業料の52万円を差し引くとちょうど100万円で月額4万1千円になる)。修士課程を終わり面接試験に合格して博士課程にすすむものは希望すれば全員が日本育英会の奨学金を得るが、実際に得ているのは44%にすぎない(3年間の総額は一律421万円、授業料の52万円を差し引くと265万円で月額7万4千円になる)。家庭の経済的困窮度の高いものは授業料免除を受けるが院生全体の5%にすぎない。注目すべきことは、これらの奨学金はすべて貸与(つまり教育ローン)であり、しかも入学前ではなく入学後にしか決まらない。アメリカのように返還義務のない、ほんとうのscholarshipが入学前に決まるのとでは大きな差がある。しかも奨学生のうち、修士の40%、博士の5%は利子も払わねばならない。だから希望しない者も沢山でてくる。親がスネを提供するわけであるが、こうなると教育の機会均等から遠ざかることになる。これまでは、博士の学位を得てから2年以内に大学あるいは公共性の高い研究機関に就職すると在職期間の長さに応じて返還が免除される特典がったが、この措置は04年度から廃止されてしまう。またティーチングアシスタント(TA)、リサーチアシスタント(RA)の報酬による支援もいつのまにか予算が減額されている。
修士課程または一貫制博士課程の最初の2年間にすぐれた研究業績をあげた院生は、博士課程または一貫制の博士課程の3年目から日本学術振興会の特別研究員ーDC(教育ローンでない正真正銘のscholarship(2年または3年間、月額20万1千円)をうけることができる。これには年額150万円の研究費もついている。ただしその枠はきわめて限られており、03年度の採用は7124名の応募に対し、その13%弱の905名にすぎず採用は旧帝大に集中している。博士課程在籍者全体の1%強にすぎない。これでは奨学金の意味はなく賞である。過度の競争は意味が無い。
(2)博士号を得たものがめざすポジション
特に理系の場合、博士にふさわしい業績をあげたものが目指す一般的なポジションは、日本の大学の助手、日本学術振興会の博士研究員、あるいは外国の博士研究員である。実際的に可能性が高いのはアメリカの博士研究員である。日本学術振興会の特別研究員─PDの場合、月額37万円の生活費と年間150万円の研究費が支給される。院生時代とは別の研究室で研究する条件がついている。03年度の採用は、4500名の応募に対し文理あわせて15%強の705名にすぎず、これも旧帝大に集中している。これではあまりにも少なすぎて有効な労働市場を形成することはできない。少なくとも3倍〜5倍は必要である。日本学術振興会には、特別研究員─SPD(月額45万8千円の生活費と年間300万円の研究費が支給される)もあるが、03年度の採用は336名の応募に対し11名にすぎず例外中の例外で意味は無い。
上記のようにアメリカの場合は研究を目指すもののクレジット・サイクルがごく自然に描写でき(1)から(5)で完結しました。しかし、日本ではまだ(2)の途中のこの場所で行き詰まってしまって先にすすめないのです。たとえば難関の助手になるということがどういうことか、このことは日本の国立大学の悪名高い講座制と密接な関係があり7.4.2)で詳しく説明した通りです。
6 「理系白書シンポジウム」の隠されたテーマ
さて、理系白書シンポジウムにもどりましょう。このシンポジウムの開催に協力したNPOのサイエンスコミュニケーション(サイコム)代表の榎木英介と有本のやりとりが実はこのシンポジウムの隠されたメインテーマが何であるかを明らかにしています。
(1)このシンポジウムを共催したNPO代表の榎木英介が言いたいこと
榎木─大学院生が増えた結果、質が低下したという意見がありましたが、増やしたのはだれですか。増やした責任を取っていただけるのかお尋ねしたい。もちろん、院生自身の努力も必要ですが、國の補助金を得るため、質が低くてもいいから人を集めている現状があるのでは。
有本─日本が人材をどう確保しようかと、政策レベルで本気になりだしたところに「責任をとってくれ」というやりかたをすると、うまくいきません。転換期をどう乗り切るか。若手研究者が絶望しないよう一緒になって支援し、世の中にどう送り出し、世界と競争できるようどんなデザインを描くのか。そういう視点で取り組んでみたいものです。
両者の発言とも、私が言っている「上から下」の後追い国家を理解していただくのに格好の材料になります。私のコメントを書く前に、毎日新聞の「提言」欄で榎木が元村に語っていることを紹介しておきましょう(毎日新聞2/2/04)。ちなみに彼は、1971年生まれ、東大大学院で発生生物学を学び、神戸大医学部に学士入学、2月の時点で6年ということです。
私は、研究者を目指して大学院博士課程まで進んだが、進路を変えた。大学院重点化政策によって「研究者の卵」が倍増し、増えないポストを奪い合う状況のなか「資格でも取らないと食べていけない」と感じたからだ。医学部に学士入学したころ、同じ焦りと問題意識を抱いている人の多さに驚いた。サイコムは、科学を担うこうした人材に、社会の一員として知識や能力を発揮してもらう支援をしたい。社会に対しては、玉石混淆の情報の洪水の中から、本当に必要なものを整理して伝えるナビゲーター(道案内役)でありたい。そうした努力を「邪道」「余計なもの」と見がちだった古い体質も変えていきたいと思う。
彼はサイコムを立ち上げた動機を次のように説明しています。
科学と社会とが分断されている。隔たりは大きい。私は、この距離をどう縮めるか考えてきた。科学や研究者は社会の一部であるはずなのに、その意識が研究者自身に乏しく、社会の方も手を差し伸べようとはしない。両者がコミュニケーションする必要性を痛感し、研究者やその卵たちが集まってサイコムをつくり、このほど法人格を得た。
今後のサイコムの目標は次のように述べられています。
研究は誰にでもできる作業ではないから、彼ら(社会のことか)に代わって研究をするのだ。成果は社会に返すのが当然である。従来の科学コミュニティーには、そうした発想がなかった。返す方法も知らなかった。それでよしとされてきた。この現状をすぐに変えなければならない。具体的には、大学や学会ごとに、研究の成果を理解し、社会に伝えられる専任の広報担当を置くことを提言したい。それが生み出す負の影響についても社会に説明できる倫理観と能力を持った人材の登用が必要だ。彼(彼女)に権限と予算を与え、社会とつなぐ窓口になる努力を始めるべきだ。
(2)私からサイコム代表の榎木英介へのアドバイス
これを読むと私はおもわず顔をしかめてしまいます。彼には発言内容に直接レスポンスするよりも、このISISのホームページを読んでもらって感想をききたいと思います。自立するということがどういうことか、生きる哲学を考えてほしいのです。「科学と社会の乖離」でかれが言いたい内容が理解できないのですが、どうやらこれには毎日新聞科学環境部も一枚のっているらしくて「科学と社会の仲介役必要」という大見出しをつけて田中耕一との「理系白書」新春対談を報じています(毎日新聞1/5/04)。しかし、これは対談で田中が話したことのメインテーマではありません。
7 「大学院重点化政策」
ここで問題になっている「大学院重点化政策」について考えておきましょう。「上から下」の後追い国家である日本、そこで官僚が作り上げる科学政策の実態があきらかになります。
(1)日本の国策という「大学院重点化政策」とは何か
イギリスをはじめ後追い国家群は、「科学研究・科学技術」でアメリカに大差をつけられており、国際競争力を維持するため国策として大学院の定員を増やし博士号の取得を奨励している。日本も例外ではない。しかし、このことについて一般の人が気がつく変化とは、肩書きが「A大学教授」から「A大学大学院教授」に長たらしくなった教授の出現だけである。
(2)校費の25%増額の見返りに約束させた院生の採用増
上の7.4.2)で説明したように、日本の大学の大学院の研究科は、新制大学になってから胴体である大学の学部の上にくっつけられたもので煙突式という。その理由はそれらを担当するメンバーが同じだからである。従って、予算や人事のような実質的な運営は学部教授会で行なわれ、研究科会議の機能はごく狭い範囲に限られていた。
「大学院重点化」を認められた研究科(組織)は、講座あたりの修士課程入学生を少なくとも5人、博士課程の入学生を少なくとも2人採用することを約束する。その見返りは校費の25%増額である。学部教授会を廃止し運営を研究科会議に一本化したので肩書きが変わる理屈である。しかし、これは見かけ上のことで、教官の配置はそのままであるから実質変わったことと言えば、予算が25%増えるかわりに大学院の入学者を沢山採用する義務を負わされたことである。これを実施する責任は、従来度通り講座(組織)の教授である。
(3)一大学にすぎない東大の概算要求が国の政策になった不思議
まことに不可解なことは、この政策が國レベルで審議決定されたものではなく、東大が平成3年度(91)の概算要求として出したものを文科省が採用する形をとっていることである。即ち、これは官僚養成大学である東大と官僚との間の密室審議の結果であると言える。大学人ですら正確に「大学院重点化」を説明できる人が少ない理由はここにある。その後、旧帝大を中心にこれが普及したが、あきれたことに、予算の25%増額は途中で廃止され、院生の採用増の義務の見返りは「A大学大学院教授」という肩書きだけとなってしまった。
(4)「大学院重点化」政策の結末
結果はどうだったか。地方の大学院から中央の大学院へ向かう院生の流れができる。榎木英介が証言する通り、東大など中央の大学院の入学者のレベルが低下した。たとえば、阪大では書類審査で落とされるものが、京大では受験までいくが落とされ、そして東大では合格する(実際にあったケース)。レベルの低下した大勢の院生の世話をさせられるのは、講座制のもとでは助教授や助手や博士課程の院生である。とうぜん、それは助教授や助手の研究を阻害される結果になるので、研究熱心で能力のあるものは地方の大学に移っていく(実際にあったケース)。官僚のやる不自然な「上から下」の政策のよくやる失敗である。この場合の「下から上」の政策とは、「研究をしたい」学生を捜し出し援助することである。お金を餌にして釣ることではない。
もう一つの結果は、とうぜん起こる博士取得者の就職難です。文部科学省がまとめた「教育指標の国際比較」(03年度版)によると、日本の博士号取得者の数は1980年から1999年にかけて2倍以上の伸びを示し、年間1万3千人に達しており、いまや人口比にするとアメリカの2万人より多いのです。しかし博士の約3割が仕事につけない事態になっています(毎日新聞11/6/03)。この打開策として、有本や「科学技術白書」(03)が提言(毎日新聞)しているのが異分野に飛び出していくことですが、これはアメリカの真似にすぎません。上の6)で指摘したように、結局、毎日新聞の「理系白書」シリーズは、「大学院重点化」が生み出した社会的ひずみに対する官僚の「上から下」のキャンペーンの応援をしているのです(毎日新聞7/26/03、11/6/03、3/10/04)。パネリストの一人である科学ジャーナリストの林も同類で、シンポジウムでまたぞろ次のような大学批判をくりかえしています。
一つの技術を身に着けただけで博士号、という大学院教育が問題。これが、企業の研究開発にも影響しています。博士なら当たり前のはずの最先端の研究者と対等に議論できる実力と、自らテーマを見つけられる能力の不足が企業で問題になっています(毎日新聞7/26/03)。
これらの意見がなぜ筋違いであるのか、「大学院重点化政策」のどこが悪いのか、については上の7.4.と7.5.に書いたことや、上の4)と5)で述べた研究者のクレジット・サイクルの日米比較を考えてもらえばよくわかるはずです。皆さんも是非お考えください。キーワードは「下から上」対「上から下」です。
日本の博士号取得者はたしかにふえました。しかし、大学院在学者の数を日本とくらべるとアメリカは9倍、イギリスは2倍弱、フランスと互角といったところです。人口比にするとアメリカは5倍弱、イギリスは4倍弱、フランスは2倍弱です。これが何を意味するかについてもあわせてお考えください。国立大学法人化にともなう自由化で講座制を敷く根拠は自動的になくなりますから、予算の25%増額だけが法人化後の最初の04年度の運営交付金に反映されるだけで、いずれ院生の採用増の責任の所在は不明確になってしまうでしょう。官僚がとりしきる日本の科学政策についても7.5.とあわせてもう一度考えてください。
8 毎日新聞の科学環境部のひとたちに言いたいこと
最後に毎日新聞の科学環境部のひとたちに申し上げたい。いうまでもなく新聞は社会の公器であり発信する記事の内容については社会にたいして大きな責任があります。私がここで問題にしたいのは、あなた方が一貫して繰り返している国立大学教授に向けられた侮蔑的な批判です。もう少し深く考えて、日本が「上から下」の後追い国家、官僚国家であることを正しく認識して、その上で発言してほしいのです。官僚の科学政策がどのような結果をもたらしているかを正しく理解してください。そうすれば、官僚が、自ら生み出した問題点を国民の目からそらすために大学教授批判をくりかえしていること、自己弁護に終始している官僚の姿に気がつくはずです。そして、なにが起こっているのかを正しく認識しないで官僚の尻馬にのって大学人を軽々しく批判し、官僚を擁護している自分の姿に気がつくでしょう。
私は、あなたがたがこのISISのホームページ、あるいはそこに引用されている文献を読んで考えていただきたいのです。社会のことは何でもそうですが、だれかをスケープゴートにしてすべての責任をそこに押し付けることを結論とすれば、それ以上深く考えないことになります。すこし考えれば、すくなくとも「上から下」の官僚の視点でもの事を考えることが間違いであることがすぐ分るはずです。私は、日本の最大の欠陥は官僚国家である、と繰り返し書いてきましたが、同時にすべての責任を官僚に押し付けて議論を終わっているいるわけではありません。そこから一歩踏み込んで考え、ISISのような非営利・独立のシンクタンクが集まった政策形成リーグを作ることが最も重要なことだと主張し、みずから立ち上がっているのです。
あなた方の一貫した「上から下」の報道姿勢は、イージーゴーイングで社会に対して何の影響力も持たないのです。6.6.で述べたように、「下から上」の國のアメリカ人は聖職者、役人、教授たちが権力にすり寄るということをよく承知しており、社会の支配階級を形成する知識エリートに対する根深い警戒感は建国当時からあり、今も失われていません。事実の報道ではなく、真実の報道をするには、少なくとも基本的なことがらについてあるレベル以上の知的理解が前提になります。1.10.に書きましたキャサリン・グラハムのことを考えていただきたいのです。おなじ国立大学の報道でも日本経済新聞の記事は国民の側に立ったもので、大学批判も的確で私にもよく理解できます。量質ともに毎日新聞を圧倒しています。不思議なことに、このことは科学関連の記事にかぎらないのです。比較して考えてみて下さい。 
 
朝日新聞2014

 

「不都合な真実に頬かぶりする朝日」 8/7
「朝日新聞」の綱領には「不偏不党の地に立って言論の自由を貫き」、「正義人道に基いて国民の幸福に献身し」、「真実を公正敏速に報道」するなどの美しい言葉が並んでいる。  
だが同紙の慰安婦報道を検証すれば、綱領は誇大広告の域を超えた虚偽声明に思える。朝日が「国民の幸福に献身し」、「真実を公正敏速に報道」した事例はどこにあるのかと問わざるを得ない。  
朝日の慰安婦に関する誤報と、それを指摘されても訂正しない頑なな姿勢こそが、過去、現在、未来の日本国民を不名誉と不幸の淵に追いやるのである。韓国人を激怒させた挺身隊=慰安婦という報道の誤りを幾度指摘されても、朝日は未だに訂正せず、頬かぶりを続ける。  
このような朝日によって、シンクタンク「国家基本問題研究所」(国基研)の意見広告が事実上の掲載拒否に遭っている。  
6月20日、政府は河野談話作成経過に関する検証報告を発表したが、同報告は、詳しく読めば読むほど不十分な内容だった。そこで国基研は、さらなる検証が必要で、河野洋平氏と談話作成に深く関わった内閣外政審議室長らを国会に招致し、説明を求めるべきだと考え、「『河野談話』の検証はまだ終わっていません」と題する意見広告を作成した。  
同広告の主旨は以下のとおりだ。  
慰安婦問題を巡って「セックススレーブ(性奴隷)20万人」という事実無根の中傷が世界中に広まっており、検証はなされて当然だった。  
しかし、その内容は、河野氏と外務省の謝罪外交の失敗を覆い隠すものであり、これでは、汚された日本人の名誉は回復されない。  
平成4年1月の訪韓で、宮澤喜一首相は8回も謝罪したが、その時点で慰安婦強制連行の有無を政府は調べていなかった。  
「私は女の狩り出しを命じた」(吉田清治氏)というありもしない証言と朝日新聞の誤報で激高した韓国世論におもねって、政府はその場しのぎで謝った。  
国益と名誉を回復するために、談話作成に責任を負う河野氏と外務省関係者の国会での説明が不可欠だ。  
「スペースがない」  
読売、朝日、毎日、産経、日経の全国紙5紙に右の意見広告掲載を国基研が申し入れたのが7月4日だった。朝日を除く4紙は7月17、18、19日のいずれかに広告を掲載した。ところが朝日だけ、7月29日現在、掲載に至っていない。  
その間の7日に、朝日から国基研宛に質問状が届いた。意見広告の文中に1「平成4年1月の訪韓で、宮澤喜一首相は8回も謝罪」、2「朝日新聞の誤報で激高した韓国世論」とあるが、裏付け資料はあるかとの問いだった。  
国基研は、1 については「平成4(1992)年1月18日の朝日が報じている」と回答した。同日朝刊のコラム「時時刻刻」で朝日自身が、宮澤喜一首相が「『謝罪』『反省』に8回も言及した」と明記している。  
2 についてはこれ以上ないほど、確かな証拠がある。当欄でも複数回指摘したが、植村隆記者が、平成3年8月11日、ソウル発の記事で慰安婦とは無関係の女子挺身隊を慰安婦と結びつけて以下のように報道した。  
「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、1人がソウル市内に生存していることがわかり、『韓国挺身隊問題対策協議会』が聞き取り作業を始めた」  
植村記者が取り上げた右の女性がその3日後、ソウルで記者会見した。彼女は金学順という実名を公表し、生活苦のために14歳で親に売られたと語った。  
金学順氏は、勤労奉仕の若い女性たちで構成する挺身隊とは無縁の人だ。従って、彼女が女子挺身隊として戦場に連行された事実はあり得ない。そもそも、女子挺身隊の若い女性たちが連行され慰安婦にさせられた事実は、一例もない。全くない。にも拘わらず、貧しさ故に親に売られた金学順氏を材料にして、植村記者は日本と日本軍を貶める偽りを報じたのだ。この誤報を朝日は社説及び天声人語で取り上げ、拡散した。  
国基研はこのようなことを指摘して朝日の問いに答えた。すると、パタリと音沙汰がなくなったのである。意見広告掲載について他紙との事務手続きが進む中で、朝日だけがなしのつぶてとなった。  
そこで国基研が問い合わせると、「(国基研の希望する)7月17、18の両日は広告スペースがない」との回答だった。国基研は、いつでもよいからスペースがある時点での掲載を希望する旨伝えたが、7月29日現在、朝日からの連絡はない。恐らく、これからもないのであろう。朝日は事実上、掲載を拒否したのである。これを世間では頬かぶりという。  
まるで朝日と双子  
それにしても、世界には同類がいるものだ。アメリカのリベラル紙「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)も都合の悪い事実を指摘されると、朝日同様、頬かぶりする。  
米ジョージタウン大学教授のケビン・ドーク氏は、今年3月2日のNYTの社説に反論を送った。社説は「安倍氏の危険な修正主義」との題で、安倍首相が「南京大虐殺」を否定し、慰安婦への謝罪をご破算にするつもりだと非難する内容だった。  
これらは事実でない。そこでドーク氏は、1安倍首相は南京大虐殺を否定していない2一国の首相に対してこのような事実誤認の非難は許されない3安倍首相の発言や、首相が象徴するものは、近隣諸国とりわけ中国を戸惑わせるかもしれないが、軍事行動を取っているのは日本でなく中国である4日本は60年以上、民主主義を貫く信頼に値する国だ─などと書いて投稿した。  
3月10日、NYTから質問が届いた。氏の文章の後に、「それでも彼(安倍首相)は(放送作家でNHK経営委員の)百田尚樹氏と共著を出版し、共著本で百田氏は南京大虐殺は捏造だと語っている」とつけ加えてもよいかというのだ。何が何でも安倍首相を「歴史修正主義者」として貶めたいとの意図が読みとれる、姑息な手法である。  
「百田氏の見解は首相と無関係」としてドーク氏が拒否したのは当然だった。しかし、これっきりNYTからはなしのつぶてとなったのだ。  
NYTは日本政府から抗議を受けて、小さな、そしてどう見ても不十分な訂正記事は出したが、ドーク氏の投稿に関しては無視が続いた。そこでひと月余り後、氏が問い合わせると、「投稿を掲載するスペースがない」と回答してきた。まるで朝日と双子のようだ。  
自らの嘘や事実誤認に頬かぶりする恥知らずのメディアが、洋の東西を問わず跋扈していることを心に刻みたい。 
「慰安婦報道を22年放置した朝日新聞は廃刊し謝罪すべし」 8/23
8月5、6両日、「朝日新聞」が自社の慰安婦報道を検証し、報道の一部は虚偽だったとして、記事を取り消す旨を発表した。日本軍や政府が女性たちを強制連行したという慰安婦報道のいわば旗振り役だった「朝日」の検証はしかし、極めて不十分で責任逃れの感を否めない。  
「朝日」の主張を支えてきた柱の一つが吉田清治氏(故人)の、軍命によって済州島に出掛け「女の狩り出し」を命じたという「告白」証言だった。  
この話は、しかし、1992年3月には現代史家の秦郁彦氏が現地調査で虚偽であることを報じている。にも拘わらず、「朝日」はその後、今日まで吉田証言を放置し、約22年後のいま、ようやく取り消したのである。  
この間、「朝日」の慰安婦報道には私も、西岡力氏ら少なからぬ人々も批判や反論を展開してきた。そうした批判に頑なに背を向け、22年間放置したことの説明はない。  
もう一つ、「朝日」があまりにも長い間、頬かぶりした問題がある。植村隆元記者の記事である。氏は91年8月11日の「朝日新聞」(大阪版)で「日中戦争や第二次大戦の際、『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』のうち、一人がソウル市内に生存」という記事を書いた。  
同記事は慰安婦として名乗り出た女性についてのスクープだったが、挺身隊が慰安婦にされたという内容が韓国世論を激しく刺激しないはずがない。  
女子挺身隊は主として15歳から24歳までの女性が構成する真面目な勤労奉仕隊である。慰安婦とは何の関係もない。にも拘わらず、植村氏は両者を結び付けた。  
氏の記事を具体的に想像してみよう。中学を卒業したばかりの少女から20代前半までのうら若い女性たちを外国の軍隊が戦場に連行し、売春を強制したということだ。これでは世論が怒りで沸騰するのは当然である。  
時間がたつにつれ恐ろしいほどの悪影響を及ぼした事実誤認を書いただけでなく、植村氏の記事には極めて重要な、決定的ともいうべき情報が欠落していた。その重要情報の欠落は状況から判断して意図的と言われても弁明出来ないのではないか。  
前述の記事で氏が報じた女性は、記事が出た3日後の8月14日にソウルで実名、金学順を明らかにして記者会見し、「生活苦のために14歳で母親にキーセンの検番に40円で売られた。3年後、17歳で検番の義父に、また売られ、日本の軍隊のある所に行った」と語った。彼女は同年12月6日に日本政府を訴えた。東京地方裁判所に出した訴状にも家が貧しく14歳でキーセンになったと書いている。  
植村氏は上の提訴から約20日後の12月25日、金氏の大きなインタビュー記事を再度報じた。  
「日本政府を相手に提訴した元従軍慰安婦・金学順さん返らぬ青春恨の半生」との見出しが躍るこの記事でも金氏が親に売られた事実は書かれていない。  
親に売られた気の毒な身の上に同情しない人は居ないが、そのことと日本軍による強制連行は無関係だ。記者会見および訴状から、彼女は挺身隊とは無関係だ。にも拘わらず、植村氏はこの2つの点に全く触れていない。訂正記事も出していない。  
「朝日新聞」は同件をどう説明したか。当時は女子挺身隊と慰安婦は混同されており、植村氏も誤用したと書いている。「朝日」のこんな説明を受け入れるわけにはいかない。  
かつて、文藝春秋社はユダヤ人ホロコースト問題で雑誌「マルコポーロ」を廃刊にした。「朝日」の慰安婦報道の罪深さを考えれば「朝日」こそ廃刊し、日本人だけでなく韓国国民にも謝罪すべきである。その上で新たな陣容で新しい新聞を立ち上げるのがメディアの良心というものだろう。 
“慰安婦誤報”を32年間放置したメディアの死に弔辞を送る 8/26
「朝日新聞が死んだ」──8月5日、6日両日の紙面で従軍慰安婦問題について、連日2面にわたる“遺言記事”を掲載し波紋を呼んでいる。32年前に慰安婦問題の火付け役となった証言を偽証と位置づけ、世紀の大誤報であることをようやく認めたのだ。日韓関係の悪化に拍車をかけたメディアの死に何を思うのか?  
弔辞  
まさかこんな形で、朝日新聞が、大マスコミの看板を下ろす日が来るとは思いもよりませんでした。あまりにも急な別れで、言葉もありません。  
忘れもしません。8月5日に突然、「慰安婦問題を考える」と題して、慰安婦報道に寄せられたさまざまな疑問の声に答えたのが、最後の言葉でした。あなたは過去に、“慰安婦問題の先鞭”として、強制連行に直接、携わったという吉田清治氏の証言を、82年9月2日大阪本社版朝刊で紹介しましたね。  
「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」  
というセンセーショナルな見出しとともに、吉田氏の証言を掲載。トータルで16回にわたって、広く慰安婦問題を世に訴えかけました。  
〈(朝鮮)総督府の五十人、あるいは百人の警官と一緒になって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって女性を殴り、蹴り、トラックに詰め込む〉  
〈吉田さんらが連行した女性は、少なくとも九百五十人はいた〉  
こうした発言は世界に発信され、韓国は、今も既成事実として、日本に謝罪と賠償金を求めています。  
ところが、この期に及んで、読者に向けてこのように説明しましたね。  
〈吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした〉  
なぜ32年間も外交問題に発展した発言を検証もせず放置してきたのでしょうか?理解に苦しみます。  
それもこれもあなたの頑固な性格が招いてしまったのかもしれません。90年代には、周囲の指摘に耳を貸さず、「挺身隊」と「慰安婦」の違いを混同したこともありましたね。  
〈太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる〉(92年1月11日付)  
これも20年以上が経過してからようやく釈明したのですから、あなたらしいやり方と言えます。  
〈女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した『女子勤労挺身隊』を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました〉  
最後まで謝罪をせずに“誤用”と言い切るのですから、その意固地ぶりには脱帽です。  
91年8月11日の朝日新聞大阪本社版では、元朝日新聞の植村隆記者が韓国の支援団体が聞き取りした元慰安婦の体験談を、録音テープを聞いただけで、  
「思い出すと今も涙元朝鮮人従軍慰安婦戦後半世紀重い口開く」  
という“スクープ記事”に仕立て上げたこともありましたね。  
かつて「クオリティペーパー」と言われていたあなたの発言は、常に世論をリードしてきました。今でも販売部数760万部を誇り、その影響力は国内外に絶大なものがあります。  
あなたがこれまで16回も吉田証言を取り上げたことで、慰安婦問題は韓国でも広く知られるようになり、韓国政府や慰安婦支援団体は、「天下の朝日新聞」に背中を押されて、「外交問題」として日本に痛烈な抗議を展開しています。  
今では韓国内だけではなく、米国にまで慰安婦像が設置され、「日本軍が強制連行して性奴隷にした20万人の婦女子が慰安婦に──」などという大風呂敷を広げた主張が碑文に盛り込まれ、世界中に喧伝されています。  
93年には日本軍による強制連行を裏付けるような文書は発見できなかったにもかかわらず、元慰安婦へのおわびと反省の意を表して、政府は河野談話を発表しました。96年の国連人権委員会のクマラスワミ報告では、慰安婦制度を「性的奴隷制」と指摘されましたし、日韓両国の中学歴史教科書にも、「慰安婦強制連行」が書き加えられて、子供たちは日本軍の“非道行為”を学びながら育ちました。  
創刊から135年、「社会の公器」としての役割を終え、どうか安らかにお休みください。合掌
「不都合な史実に向き合わない『朝日新聞』は廃刊せよ」 8/28
8月5、6日の紙面で、「朝日新聞」は吉田清治氏(故人)の「慰安婦強制連行」の証言を虚偽とし、関連記事を取り消すと発表した。  
世紀の大誤報を報じた朝日の紙面から伝わってきたのは、しかし、反省なき自己弁護だった。5日の1面、「慰安婦問題の本質直視を」と題した杉浦信之編集担当の主張が、朝日の利己的視点を余すところなく伝えている。  
氏は、「『慰安婦問題は朝日新聞の捏造だ』といういわれなき批判」が起きていると書いた。事実はその真逆で、いわれなき批判を浴びているのは、過去と現在の日本人と日本国である。このままいけば、恐らく未来の日本人も日本国も、いわれなき批判を浴びせられ続けるだろう。被害を受けているのは日本国民と日本国のほうで、朝日ではない。  
杉浦氏は「慰安婦問題は朝日の捏造」ではないと言うわけだが、果たしてそうか。同問題で日本が世界中から非難され始めたそもそもの理由は、日本政府や軍が組織的に女性たちを強制連行したとされたからだ。日本非難の最大の根拠、女性たちを「強制連行」したと書いたのが朝日だった。軍命で部下と共に済州島に行き、泣き叫ぶ女性たちを強制連行したという吉田氏を1982年、最初に紹介したのも朝日だった。以来、16回も吉田氏について報じたそうだ。その一部、92年1月23日夕刊の「窓・論説委員室から」のコラム、北畠清泰氏の一文だ。  
「吉田さんと部下、10人か15人が朝鮮半島に出張する。総督府の50人、あるいは100人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む」「国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、1年2年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います」  
歴史に無知蒙昧  
包囲、木剣、監禁、集団強姦、その果てに女性全員の死。恐ろしい証言だ。事実なら、絶対に許されない。  
しかし、右記事の約3年前の89年8月14日に吉田証言は出鱈目だと、韓国の女性記者・許栄繕氏が済州新聞で述べていた。にも拘わらず、朝日は92年に前述の記事を掲載したのだ。  
このあとすぐ、4月30日には秦郁彦氏も現地取材に基づいて吉田証言は嘘だと産経新聞に書いている。  
ところが朝日はその翌月、5月24日にまたもや吉田氏の韓国への「謝罪の旅」を懲りもせず報じたのだ。  
「1942年(昭和17年)、『山口県労務報国会下関支部』の動員部長になり、国家総動員体制の下、朝鮮人を軍需工場や炭鉱に送り込んだ。朝鮮半島に船で出かけては100人単位でトラックに詰め込んだ。3年間で連行、徴用した男女は約6,000人にのぼり、その中には慰安婦約1,000人も含まれていた、という」  
80年代に当の韓国現地新聞が嘘だと断じた吉田氏の主張を、90年代になっても、恰も事実であるかのように朝日は伝え続けたわけだ。だがそれだけではない。  
『週刊新潮』が96年5月2・9日合併号で吉田氏を追及し、証言は嘘だったという告白を引き出した。吉田氏は語っている。  
「秦さんらは私の書いた本をあれこれ言いますがね。まあ、本に真実を書いても何の利益もない」「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか」  
本人の告白を受けてからは、朝日は歯切れが悪い。97年3月31日の紙面で、吉田氏が済州島で女性205人を無理矢理連行した、とする本を出版したことに触れて、「この証言を疑問視する声が上がった」、しかし、「真偽は確認できない」とするにとどめている。強制連行の「生き証人」、吉田氏を温存し続けたいという朝日の切望が滲み出ていると思うが、どうか。  
それにしても、朝日人士は揃いも揃って歴史に無知蒙昧なのだろうか。日本統治下において朝鮮半島の警察官の多くは朝鮮人だった。吉田氏が語った100人規模の警官は、実際に動員していればその殆どが朝鮮人警察官のはずである。彼らが、同胞の女性たちが木剣で叩かれ強制連行されることを許すはずがない。それがどれほどあり得ないことかを、朝日人士は見抜けなかったのか。  
「職業的詐話師」と秦氏が喝破した吉田氏の嘘を、2014年までの32年間、事実上放置した朝日は、その間、捏造の「強制連行」説の拡散を黙認したと言われても仕方がない。朝日批判は「いわれなき」どころか、十二分の証拠があるのである。  
杉浦氏は朝日元記者への「名指し」の「中傷」についても主張しているが、これも受け容れられない。件の元記者、植村隆氏は、91年8月11日、挺身隊と慰安婦を結びつけて報じた張本人だ。当時は研究が不十分で、両者を混同した「植村氏の記事には意図的な事実のねじ曲げはない」と朝日は主張するが、到底信じられない。その詳細は8月7日号の本誌当欄で詳述したので、そちらを参照してほしい。  
壮大なすり替え  
杉浦氏は、慰安婦問題の本質は女性たちが「自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたこと」だとも書いた。たしかに慰安婦の女性たちは本当に気の毒だ。二度とこのようなことは繰り返さないと日本国民は決意している。しかし、日本が非難されているのは、軍と政府が女性を強制連行したとされているからだ。その強制連行説を吉田氏が捏造し、朝日が報道して32年間実質的に放置した。それがすべての始まりである。  
だが、いま、朝日は軍の強制連行から、普遍的価値としての女性の尊厳へと壮大なすり替えを行っている。  
誤魔化しは好い加減にすべきであろう。杉浦氏の言説に見る論点ずらしは、朝日全体の特徴でもあろうか。8月13日の社説「戦後69年歴史を忘れぬ後代の責務」は、昨年8月15日の全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の演説への批判だった。朝日社説子は、首相が「アジア諸国への加害」に触れなかったことに関して、「不都合な史実には触れない」「歴史書き換えの一歩が潜んでいるのではないか」と批判した。  
この言葉こそ、朝日新聞に相応しい。朝日は自社の報道が生み出した「不都合な史実」に向き合うべきだ。朝日が持ち上げた吉田証言は96年、国連のクマラスワミ報告、07年、アメリカ下院の対日非難決議などで証拠として採用され、国際社会における対日非難の土台となっている。  
史実を曲げてまで日本を深く傷つけた朝日は、全力で国際社会に事実を伝えたうえで、廃刊を以てけじめとすべきだ。きちんとけじめをつけられないとすれば、朝日再起の道は、本当にないだろう。 
「福島第一原発の「吉田証言」で「朝日」と「産経」が全面対立」 8/30
3・11で福島第1原子力発電所所長として過酷な現場を指揮した吉田昌郎氏の調書をめぐって、「朝日新聞」と「産経新聞」が正反対の報道をした。「朝日」は5月20日、「所長命令に違反原発撤退」の大見出しで、「所員の9割に当たる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロメートル南の福島第2原発へ撤退していた」と報じ、「産経」は8月18日、「命令違反の撤退なし」の見出しで朝日を全面否定した。  
生前の吉田氏に長時間の取材をした門田隆将氏が、朝日報道が国際社会に投げ掛けた波紋について語った。  
「朝日報道の結果、国際社会のメディアは福島第1で命懸けで働いた人々は実は逃げていた、『福島原発事故は日本版セウォル号だった。職員の9割が無断脱出』(韓国、エコノミックレビュー)などと非難し始めました。朝日はなぜ事実を曲げてまで日本をおとしめたいのかと考えてしまいます」  
非公開の吉田調書を独自入手した上での両紙の報道がなぜ、これほど違うのか。「幹部社員を含む所員9割の『命令違反』の事実」(「朝日」5月20日朝刊2面)はあったのか否かを焦点に、両紙の報道を比べてみる。  
朝日が命令違反が起きたとしたのは2011年3月15日のことだ。11日に大地震と大津波が起き、12日には1号機が水素爆発した。14日には3号機が爆発した。そして2号機も危機的状況に陥ったのが15日午前6時すぎだった。指揮本部の免震重要棟からも脱出しなければならないときだと判断した吉田氏は「各班は、最少人数を残して退避!」「(残るべき)必要な人間は班長が指名」と大声で指示した(門田隆将『死の淵を見た男』PHP研究所)。結果、職員の多くが第2原発に移った。朝日はその場面に関する吉田証言を以下のように報じた。  
「本当は私、2F(福島第二)に行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに着いた後、連絡をして、まずはGM(グループマネージャー)から帰ってきてということになったわけです」  
これらが朝日の「所長命令に違反原発撤退」という見出しになり、「幹部社員を含む所員9割の『命令違反』」があった、東京電力はこの事実を隠し続けていたとの報道になった。  
他方、「『全面撤退』明確に否定」の見出しで、朝日報道を否定した産経は、前述部分の吉田証言をより詳細に以下のように引用している。  
朝日が報じた「線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」の段落の後に、吉田氏は続けて次のように語っていたというのだ。  
「線量が落ち着いたところ(場所)で1回退避してくれというつもりで言ったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していては死んでしまう。よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しい」  
2Fならマスクなしで体を休めることも可能だ。2F退避の判断は正しかったと言って職員を評価し、命令違反との認識など毛頭ないではないか。  
吉田氏は、「撤退」という言葉は「使いません、『撤退』なんて」と言い、「本店から逃げろというような話は」と問われ「全くない」とも明言した。  
氏が「撤退」と言ったかのように非難した菅直人氏らについて、「アホみたいな国のアホみたいな政治家、つくづく見限ってやろうと思って」と反発し、菅氏を「あのおっさん」「馬鹿野郎と言いたいですけども。議事録に書いておいて」とも語っている。  
ここまで読めば、慰安婦問題と同じく、朝日はまたもや事実を歪曲したと言われても弁明できないだろう。朝日も主張するように、政府に、吉田調書の全面公開を求めたい。 
朝日新聞、一部黒塗りで掲載へ週刊新潮の広告 2014/9/4
「週刊新潮」を発行する新潮社は3日、朝日新聞から9月11日号(4日発売)で同紙を批判する内容の新聞広告について、一部を黒塗りにすると連絡があったことを明らかにした。朝日新聞は従軍慰安婦問題に関する報道を批判した先週号の週刊新潮について、広告の掲載を拒否していた。黒塗りになるのは「売国」「誤報」との文言。一方、従軍慰安婦問題の報道に関し朝日新聞を批判した先週号の広告を掲載拒否された週刊文春は、11日号(同)でも批判記事を掲載。発行元の文芸春秋は同紙から広告の黒塗りの連絡があったかについて「個別の案件で回答できない」としている。  
朝日新聞、週刊文春と週刊新潮の伏せ字広告掲載 2014/9/4
朝日新聞は東京本社発行の4日付朝刊で、同紙を批判する記事を載せた週刊文春と週刊新潮の9月11日号(4日発売)の広告について、一部の文字を伏せた状態で掲載した。名古屋本社と大阪本社発行の紙面でも週刊新潮の広告で伏せ字があった。対象となったのは、政府事故調査・検証委員会による東京電力福島第1原発・吉田昌郎元所長の「聴取結果書(吉田調書)」や、朝日新聞社元幹部の中国出張などに関する記事の見出しで、週刊文春では「不正」「捏造(ねつぞう)」、週刊新潮では「売国」「誤報」の文字が黒丸や白丸で伏せられていた。朝日新聞はこれまで、従軍慰安婦問題に関する同紙の報道を批判した先週発売の週刊文春と週刊新潮の広告掲載を拒否していた。  

朝刊の9面に載った『週刊新潮』の広告には、一部に「●●」と黒塗りでつぶされた箇所が。同誌では朝日を批判する特集を組んでおり、「売国ご注進」という箇所と、ノンフィクション作家・門田隆将氏のコラム「吉田調書”誤報”で朝日はもはや生き残れない」が問題視されたようです。また、11面の『週刊文春』の広告でも「美人秘書と中国●●出張していた若宮啓文前主筆」と黒塗りにされたと見られる箇所があります。 
「反省なき朝日のダブル吉田ショック」 9/4
「朝日新聞」が「ダブル吉田ショック」に見舞われている。責任あるメディアとして朝日がこのダブルショックから立ち直るには、相当の覚悟と努力が要るだろう。  
吉田ショックの第1は、慰安婦問題の元凶、吉田清治氏の虚偽発言だ。日本軍が女性たちを強制連行し慰安婦にしたという事実無根の捏造を吹聴した吉田氏を、朝日が大きく取り上げ、その嘘を実に32年間放置した。嘘は韓国や中国に利用され、アメリカで慰安婦像の建造が続く中、遂に朝日は8月5、6日、吉田証言は虚偽だった、記事16本を取り消すと発表した。32年間の頬かぶりの末に、虚偽だと認めざるを得なかった。これが第1の吉田ショックである。  
第2の吉田ショックは、東京電力福島第一原発の吉田昌郎元所長と東電社員らにまつわる歪曲報道の発覚である。  
朝日は5月20日、非公開の政府事故調査・検証委員会による吉田所長の調書をスクープし、朝刊1面トップで「所長命令に違反、原発撤退」「福島第一所員の9割」などの見出しで報じた。「11年3月15日朝、第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、10キロ南の福島第2原発へ撤退していた」との内容だ。  
命令違反と断じた根拠として朝日は、「本当は私、2F(福島第2)に行けと言っていないんですよ。福島第1の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが」という吉田所長の証言を引用している。  
2面では、「担当記者」の木村英昭氏が「再稼働論議、現実直視を」として「暴走する原子炉を残し、福島第一原発の所員の9割が現場を離脱したという事実をどう受け止めたら良いのか」「吉田氏は所員の9割が自らの待機命令に違反したことを知った時、『しょうがないな』と思ったと率直に語っている」と書いた。  
朝日報道で評価一変  
「命令違反」で「現場を離脱した」無責任な東電社員や下請け企業の従業員らが動かす原発など信用出来ない、再稼働は許さないという強い意思が読みとれる。  
同じ紙面の他の記事も、「待機命令に反して所員の9割が第二原発へ撤退」という表現を繰り返し、しかし、東電はこうしたことを報告書に記さなかった、「幹部社員を含む所員9割の『命令違反』の事実は葬られた」と報じている。  
朝日報道は、国際社会の評価を一変させた。原発事故に対処した人々はそれまで、困難なミッションに果敢に立ち向かった勇気ある人々として世界中で賞賛されていたのが、「実は逃げていた」「福島の原発は日本版セウォル号だった」などと蔑まれ始めた。  
こうした中、8月18日、「産経新聞」も調書をスクープし、朝日報道を真っ向から否定した。「『全面撤退』明確に否定」「命令違反の撤退なし」など、朝日とは正反対の見出しで報じたのだ。  
吉田所長に長時間取材して『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP研究所)を書いた門田隆将氏は、現場を取材すれば、命令違反で所員が逃げるなどあり得ないとわかると強調する。  
過日、雑誌『正論』誌上での鼎談で氏はこう述べた―「NHKにしても共同通信にしても原発に食い込んでいる記者、ジャーナリストは一発で朝日報道が嘘だとわかっていました。現場の人たちはもちろん、そうです」。  
同じ吉田調書に基づきながら、なぜ両紙の報道は正反対になるのか。産経を読むとその理由が明らかになる。朝日は吉田所長の発言の一部しか伝えていなかったのだ。たとえば、朝日が引用した前述の「本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ」の発言の後、吉田所長はこう質問されている。  
―所長の頭の中では1F(福島第1)周辺で(退避せよ)と……。  
吉田所長は次のように答えた。  
「線量が落ち着いたところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、考えてみればみんな全面マスクしているわけです。何時間も退避していては死んでしまう。よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しい」  
2Fの選択を正しいと評価しているではないか。所長は憤然と語る。  
「逃げていないではないか、逃げたんだったら言えと。本店だとか官邸でくだらない議論をしているか知らないですけども、現場は逃げていないだろう」  
所員が自分の命令に違反して撤退したなどとは、所長は全く考えていない。それどころか繰り返し、彼らの勇気を讃えている。3号機の爆発直後、所員を危険な現場に送り出さざるを得なかったときのことだ。  
「注水の準備に即応してくれと、頭を下げて頼んだ。本当に感動したのは、みんな現場に行こうとするわけです」  
日本人非難を旨とする  
朝日、産経両紙の詳細な報道を読めば、どう見ても、吉田証言を途中で切って命令違反だと結論づけた朝日よりは、吉田証言の全体像に基づいて命令違反はなかったとした産経のほうが信頼出来る。  
朝日の手法は歪曲報道の典型である。全体像の一部を切り取って、そこだけを拡大して報道すれば、事実とかけ離れた内容になり得る。この種の歪曲はしてはならないと、記者は早い段階から通常は教わるものだ。  
政府はこれまで吉田調書を非公開としてきたが、2つの新聞が既に報じたことから、9月にも全文公開に踏み切ると発表した。  
命がけで危険な作業を担った所員を不当に貶める朝日報道の実態は産経報道が明らかにしたと思うが、調書全面公開で朝日の歪曲報道はより鮮明になる可能性がある。朝日にとって第2の吉田ショックであろう。  
2つの吉田証言を巡る朝日流報道に共通するのは、日本を不当に貶めていることだ。事実を出来る限り公正に報ずるというメディアの責任を放棄して、日本と日本人非難を旨とする反日イデオロギーに凝り固まっているのではないかとさえ疑わざるを得ない。  
さて、もうひとつの吉田所長の重要証言にも注目したい。彼は、巨大地震に襲われてから津波が押し寄せるまでの56分間、1Fの原発には水漏れも機器の損傷もなかった、異常が発生すれば警報が鳴るが、それもなかったと明確に語っている。これは、国会事故調査委員会(すでに解散)の田中三彦元委員など一部の人々が、地震で配管が破断したと主張してきたことを全面的に否定するものだ。1Fは地震にも耐えられなかったとして原発反対を唱える人々の主張は、現場にいた吉田所長の証言によって否定されたわけだ。政府の吉田調書全面公開を待ちたいと思う。 
いまだに慰安婦誤報を謝罪しない 朝日新聞幹部の責任問題に発展するから? 9/5
慰安婦問題の誤報を「謝罪すべきだ」とした池上彰さんの連載原稿については、朝日新聞は、掲載拒否の誤りを認めて謝罪した。しかし、慰安婦誤報そのものについては、いまだに謝罪がないのはなぜなのだろうか。  
「過ちを訂正するなら、謝罪もするべきではないか」。拒否から一転掲載された池上彰さんの連載「新聞ななめ読み」では、朝日新聞の慰安婦報道検証記事についてこう苦言を呈した。  
世論の7割「誤報が日本の評価を貶めた」  
朝日新聞は、検証記事で、吉田清治氏が慰安婦の強制連行を証言したとする一連の報道に誤りを認め、それらを取り消した。池上さんは、これに対し、遅ればせながら過去の報道を朝日が自己検証したことを評価した。「裏付けできなければ取り消す。当然の判断です」として、朝日が報道を訂正したことも支持している。  
しかし、そこに謝罪の言葉がなかったことについては、「せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫びがなければ、試みは台無しです」と嘆いた。  
さらに、池上さんは、検証記事そのものも不十分だったことを強く指摘した。それは、産経新聞が1992年に吉田証言に疑問を呈したとき、朝日は証言の裏付けがないことに気づいていながら、そのときになぜ訂正・謝罪をしなかったのか、についての検証がなされていないからだ。  
朝日が今になって訂正したことについては、「遅きに失したのではないか」と厳しく批判している。  
慰安婦報道の誤りが長年放置されたことについて、読売新聞の世論調査によると、国際社会における日本の評価に「悪い影響を与えた」と思う人が71%にも達している。それだけ不満が強いわけだ。  
にもかかわらず、木村伊量(ただかず)社長ら朝日の幹部が誤報したことすらいまだに謝罪しないのはなぜなのか。92年ごろの時点で訂正しなかった理由について、検証作業で分からなかったのか。  
名誉棄損による集団訴訟の動きが出る?  
こうした点について、朝日新聞社の広報部に取材すると、次のようなコメントが返ってきただけだった。  
「読者にお伝えしなければならないと判断した事柄については、当社の紙面や朝日新聞デジタルでお知らせします」  
謝罪しない理由については、憶測の範囲を出ないものの、経済学者の池田信夫さんはブログで、「それは謝罪したら、木村社長の進退問題になるからだ」と指摘した。池上彰さんの原稿問題に至っては、社内からはツイッターでの批判を超えて責任を問う声まで高まっていると報じられており、さらに謝罪しづらい雲行きになっているのかもしれない。木村伊量社長が記者会見して説明するのも、ハードルが高そうだ。  
とはいえ、報道の誤りを放置したことの責任を問う声は、社外からも確実に高まっているようだ。  
週刊新潮の2014年9月4日発売号によると、法曹やマスコミの関係者から朝日に対して集団訴訟を起こそうという動きが出てきた。慰安婦の強制連行があったかのような誤報による名誉棄損で損害賠償などを求めるというのだ。記事では、10〜20人の新聞購読者からなる原告団を結成し、1年後にも訴訟を起こすことを検討しているとする。さらに、100万人単位で補助参加人の署名を募ることも考えているという。  
ネット上では、日本軍兵士らの遺族らの被害を訴えれば、十分訴訟になるのではないかとの声も出ている。 
「朝日が支えた『河野談話』を潰せ」 9/11
『オックスフォード・ハンドブック国際法の歴史』(オックスフォード大学出版会)最新版の記述に、福井県立大学教授で「救う会」の副会長、島田洋一氏は驚愕した。  
「『奴隷売買者(slavers)』の項に近現代の代表例として日本軍の慰安所が記述されていたのです。オックスフォードの概説書は、国際法を学ぶ世界の研究者が参照する権威ある書物です。そこに慰安婦が現代の奴隷売買の唯一の例として記された。しかも、『当時奴隷制を禁じる慣習法はなかった』という日本政府の抗弁が卑怯な言い逃れだとばかりに脚注に書かれています」と島田氏。  
右の政府弁明は98年6月、国連人権委員会の「現代的形態の奴隷制」最終報告書、通称マクドゥーガル報告に際して行われたものだった。  
奴隷制は行動の自由も金銭的自由も与えず人間を物として扱う制度であり、慰安婦は断じてそれに該当しない。その点を曖昧にして、奴隷制を禁じる法律はなかったなどという的外れの説明は有害無益である。  
国益をかけて真実を主張する勇気もないこの無責任な弁明は、外務省と内閣府の男女共同参画局の共同作業から生まれたと考えられる。先の公務員人事で、男女共同参画局長に、武川恵子氏が就任した。一見地味に見える局だが、国際社会に発信するメッセージの作成に極めて重要な役割を果たす部署なのである。武川局長と外務省の動きを、歴史の事実と日本の名誉に関わる問題として注視し続けなければならないゆえんである。  
国際社会に広がった慰安婦の「強制連行と酷い扱い」での対日非難は、朝日が今日まで強力に支え続ける河野談話が基になっている。にも拘わらず、国内にはまだ、河野談話は見直すべきではないという考え方が少なくない。そう主張する人々には、国際社会で日本がどのように非難されているかをまず知ってほしい。  
荒唐無稽な話  
96年4月、国連人権委員会で採択されたクマラスワミ報告は河野談話を引用し、慰安婦を「日本軍の性奴隷制度」と断じ、これまた朝日が喧伝した吉田清治氏の体験談も多用している。共に信用出来ない河野、吉田両氏の談話と言説に依拠するクマラスワミ報告の生々しい記述は、何も知らない国際社会の善意の第三者を日本への憤怒の情に駆り立てた。  
そこには「連行された村の少女たちは非常に若く、14歳から18歳が大半だった」、慰安婦の個室の多くは「広さ91センチ×152センチ強」で「1日60人から70人の相手をさせられた」、「軍医は兵隊が女性たちに加えたタバコの火傷、銃剣の刺し傷、骨折などはほとんど診なかった」などと書かれている。  
朝鮮人の少女が抗議すると、「中隊長ヤマモト」が「剣で打て!」と命令し、「私たちの目の前で彼女を裸にし手足を縛り、釘の突き出た板の上に転がし、釘が彼女の血や肉片で覆われるまでやめなかった。最後に彼女の首を切り落とした」と、元慰安婦チョン・オクスン氏が証言している。チョン氏はさらにもう一人のヤマモトもこう言ったと主張する。  
「お前ら全員を殺すのは、犬を殺すより簡単だ」「朝鮮人女が泣いているのは食べていないからだ。この人間の肉を煮て食わせてやれ」  
性病の拡散防止のため、「殺菌消毒」として「少女の局部に熱した鉄の棒を突っ込んだ」、揚げ句、日本軍は「この守備隊にいた少女の半数以上を殺害」したとも語っている。  
こんな荒唐無稽な話は、日本人は誰も信じない。この種の行状は日本民族のそれではない。右の証言がチョン氏の体験に基づくとしたら、それは朝鮮民族や、陸続きで幾百年も朝鮮を支配した中華文化の反映ではあり得ても、断じて、日本人の行いではない。  
古来、日本人はどんな罪人に対しても、朝鮮民族や漢民族とは異なり、これ程野蛮な責め苦を与えたことはない。英国人女性旅行作家、イザベラ・バードは『コリアと近隣諸国』で朝鮮の刑罰を「残酷な鞭打ち、罪人は死ぬまで鞭打たれる」と描写した。朝鮮に長期間滞在し、李王朝の高宗と親交のあった米国人宣教師、H・B・ハルバートは「(鞭打ち刑には)巨大な櫂状の棒が使われ、猛烈な勢いで振りおろされて囚人の脚の骨を砕く」と書いた。  
朝鮮統治において日本人は朝鮮人の刑罰の凄惨さに驚き、罪人処罰の方法を緩和し、朝鮮統治開始から10年後の1920年4月には鞭打ち刑を廃止した。だが、国連報告は、日本人には考えられないおぞましいばかりの刑罰を、日本軍が子供のような少女たちに与えたと決めつけているのだ。この恥辱に私たちは耐えられるのか。  
だが、これとてクマラスワミ報告の一部にすぎず、同報告は英語圏の対日非難の序章にすぎない。  
諸悪の根源  
先に触れたマクドゥーガル報告は、クマラスワミ報告の2年後に出された。同報告は慰安所は「レイプ・センター」で、「奴隷にされた女性たちの多くは11歳から20歳」「毎日強制的にレイプ」「厳しい肉体的虐待」で「生き延びた女性はわずか25%」と明記、これは日本の「人道に対する罪」だと断定し、責任者を特定して訴追せよ、国連人権高等弁務官が乗り出し、他国も協力し、訴追の立法化を進めよと勧告した。  
朝日が吉田証言に頬かぶりを続けた32年間に、河野談話を確固たる拠り所として、最悪の状況が生まれたのだ。中国と韓国が手を結び、アメリカでの対日歴史戦が加速した。07年に米下院が採択した対日非難決議にも河野談話が引用された。オランダ、カナダ、EUの非難決議も同様だった。そしていま、ワシントンの保守系シンクタンク、ヘリテージ財団の上級研究員でさえ、「日本軍による女性の強制連行は事実」と主張する。  
8月29日には、サンフランシスコの中華街に、中国系住民らによって新たに慰安婦像を設立する準備が進行中であることが明らかになった。対日歴史戦で、韓国系団体を統合して中国が前面に躍り出たのだ。  
同じ日、国連人種差別撤廃委員会も慰安婦の人権侵害問題で最終見解を発表し、日本政府に元慰安婦と家族に誠実な謝罪と十分な補償をし、責任者を法的に追及せよと求めた。この最終見解を軽視して、またもや好い加減な弁明をしてはならない。その場合、日本は国連によって未来永劫、法的責任を問われることになる。外務省と男女共同参画局は、その恐ろしい程の深刻さを認識せよ。  
河野談話という日本政府の正式談話を取り消さない限り、私たちはありとあらゆる国際社会の非難を浴び続ける。正確な事実を発信して、たとえ幾年かかっても河野談話を潰さなければならない。当然、諸悪の根源である河野談話を支え続けた朝日も許されない。 
朝日新聞 誤報「痛恨の極み」…記事取り消し、異例の会見 9/12
東京電力福島第1原発事故を調べた政府事故調の吉田調書を巡る朝日新聞の報道は11日、報道機関のトップが記事の取り消しと謝罪の記者会見を開く異例の事態に及んだ。会見に臨んだ木村伊量(ただかず)社長は「(報道がなければ調書が)世に知らされることがなかったと意義を大きく感じていただけに、誤った報道になり痛恨の極み」と口を真一文字に結んだ。
社長、報道陣200人を前に  
東京・築地の朝日新聞東京本社で開かれた会見には、報道陣約200人が集まった。  
会見には、編集担当の杉浦信之取締役と、知的財産・広報・ブランド推進・環境担当の喜園(よしぞの)尚史(ひさし)執行役員が同席。冒頭、木村社長が座って経緯を説明する文章を読み上げ、途中で3人が起立して「読者と東電の皆さまに深くおわびします」と6秒間頭を下げた。  
政府事故調が吉田昌郎元所長(故人)を聴取した調書を巡り、5月20日朝刊の1面トップで「所長命令に違反原発撤退」と報じた。記者の資質が誤報を招いたのではという質問に、木村社長は「チェック体制はどうだったか……」と一瞬言葉を詰まらせ、「第三者委員会だけでなく(いろいろ)検証し、委員会(の検討結果)を踏まえて結論を出したい」と述べた。  
所員が逃げ出したような印象を記事が与えたとの指摘には、杉浦取締役は「意図的ではない」と強調した。  
報道後、週刊誌などから「誤報」と指摘され、抗議してきた。しかし、先月に産経新聞などが吉田調書を入手し、朝日新聞の報道を否定する記事を掲載するようになってから記事の点検を始めたといい、喜園執行役員は「抗議の根底が崩れたので、抗議文は撤回します」とした。  
一方、過去の従軍慰安婦報道にも質問が集中。木村社長は厳しい口調で「8月5日付の検証紙面でおわびすべきだったと反省している」と話した。自発的な検証能力について問われると、「大変、厳しいご指摘だ。いろんなご批判を頂戴している。我々の立場は8月5日の紙面で示したが、さらに検証を続ける。自浄能力があったかどうかも、痛切な反省に立って検証していく」と語った。  
吉田調書と慰安婦問題の報道の影響による購買停止について問われ、喜園執行役員は「具体的にはこの場で申し上げないが、通常よりは多い」と明かした。  
池上さんコラム掲載問題…「編集担当に委ねた」  
記者会見では、ジャーナリストの池上彰さんの連載コラム「新聞ななめ読み」をいったん不掲載にした経緯について、杉浦信之取締役編集担当が「自分の判断だ」と述べた。  
ななめ読みは当初8月29日朝刊掲載予定で、池上さんが朝日新聞の慰安婦報道検証を取り上げたが、朝日新聞は前日に不掲載を決めた。杉浦取締役は「過敏に判断しすぎた。判断が間違っていた」と話し、下を向いた。  
木村伊量社長は「内容は朝日に厳しいものとの報告を受けたが、編集担当の判断に委ねた」と述べた。週刊誌記者から「木村社長の判断もあったのでは」と質問が出たが「私の指示ではない」と強い口調で述べ、改めて杉浦取締役が「私自身の判断」と言う場面もあった。  
記事のどの部分を問題視して不掲載としたかについても質問が飛んだが、杉浦取締役は答えなかった。  
朝日新聞は今月4日朝刊で読者へのおわびや池上さんのコメントとともに「ななめ読み」を掲載し、6日朝刊では市川速水報道局長名で、おわびと経緯を説明する記事を載せた。
韓国、速報はせず朝日新聞の慰安婦問題謝罪で 9/12
朝日新聞が11日、慰安婦に関する誤報について初めて謝罪し、日韓関係などに及ぼした影響に関しても検証する方針を明らかにしたことについて、韓国の聯合ニュースは速報で伝えず、事実関係のみを報じた。  
慰安婦に関しては敏感に反応する韓国メディアの対応としては異例といえる。  
朝日新聞が紙面で、慰安婦をめぐり「強制連行」があったとする過去の報道の一部を取り消したことについて韓国メディアでは、誤報そのものを問題視せず朝日新聞の釈明や主張を肯定的に評価しようとする報道が目立っていた。  
韓国政府も事実上、朝日新聞の「慰安婦報道」を対日外交における圧力材料として利用してきた経緯がある。朝日新聞の11日の記者会見に関して正式なコメントを出していないが、対応が注目される。 
朝日新聞「慰安婦」「吉田調書」…社長、誤報認め謝罪 9/12
東京電力福島第1原発事故を調べた政府の事故調査・検証委員会(政府事故調)による吉田昌郎(まさお)元所長(故人)の聴取結果書(吉田調書)を巡り、朝日新聞が5月20日朝刊で「所員の9割が吉田氏の待機命令に違反し、福島第2原発に撤退した」と報じた問題で、同社の木村伊量(ただかず)社長が11日記者会見した。「その場から逃げ出したような間違った印象を与える記事と判断した」として記事を取り消すとともに謝罪。自身の進退にも触れ「私の責任は逃れられない。編集部門の抜本改革など道筋がついた段階で速やかに進退を判断する」と述べた。  
検証後「進退を判断」  
過去の従軍慰安婦報道について「慰安婦狩り」をしたとする吉田清治氏(故人)の証言を取り消すなどした検証記事(8月5、6日朝刊)で謝罪がなかったことなどに批判が出ていることについても、木村社長は「誤った記事で訂正は遅きに失したことを謝罪したい」と、この問題で初めて謝罪した。一方で、自身の進退を問う理由は「言うまでもなく吉田調書報道の重みだ」と述べ、慰安婦報道の問題より大きいとの認識も示した。  
会見は東京・築地の同社東京本社で行われた。木村社長らによると、吉田調書を巡る当初の報道では、調書に吉田元所長が「福島第1原発の近辺への退避を指示した」との証言があるのに加え、独自に入手した東電の内部資料には福島第1原発内の線量の低い場所で待機するよう指示したとの記述があったとして、福島第2原発への退避を「待機命令違反」と報じたと説明。ただし、この指示が所員に伝わったかどうかは、当時の所員から一人も取材で事実を確認できないままだったという。吉田元所長が調書で否定している「撤退」という言葉を記事で使ったことについては、「約10キロ離れた福島第2からはすぐに戻れないため『撤退』と表現した」と説明した。  
しかし、8月に入って他の新聞社が「命令違反はなかった」との報道を始め、社内で検証したところ、吉田氏の指示が多くの所員に伝わっていなかったことが判明したという。杉浦信之取締役編集担当は「当初は吉田氏の指示があったという外形的な事実だけで報道したが、所員が命令を知りながら意図的に背いて退避したという事実はなかった。秘匿性の高い資料で直接目に触れる記者やデスクを限定して取材を進めた結果、チェック機能が働かなかった」と釈明した。 
朝日、社説や天声人語でも謝罪…吉田調書など 9/13
東京電力福島第一原発事故を巡り、所長の命令に反して所員の9割が原発から撤退していたとする記事を朝日新聞が取り消すなどした問題で、朝日は13日朝刊の社説や1面コラムで、改めてこの問題について触れ、それぞれ謝罪した。  
1面では、朝日が抗議書を送っていた新聞社や雑誌などに謝罪したことも明らかにした。また、「誤報」により誤った印象が海外に広まったことへの対応として、木村伊量ただかず社長名のおわびを、英語版に加え、韓国語、中国語にも翻訳し、外国語サイトに掲載した。  
社説では、原発事故の吉田昌郎まさお元所長(昨年7月死去)の調書に関する記事を過去の社説でも取り上げていたことを挙げ、「社説を担う論説委員室として、読者や関係者の方々にかさねて深くおわびします」と謝罪。いわゆる従軍慰安婦報道についても「1997年に一度検証をしながら、吉田清治氏の証言を虚偽だと断定し取り消せなかったのは、反証となる事実や異論への謙虚さが欠けていたからではないか」と記した。  
1面コラム「天声人語」でも謝罪。慰安婦報道について「池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった」などとした。 
「慰安婦」「吉田調書」偽りの謝罪 2014/11
朝日新聞社が九月十一日、記者会見を開き東京電力福島第一原発事故をめぐり政府の事故調査・検証委員会がまとめた吉田昌郎元所長の「聴取結果書(調書)」に関する記事を誤りと認めて取り消しました。  
会見に臨んだ木村伊量社長は「所員の九割が吉田氏の待機命令に違反し撤退した」とする五月の報道を否定し「東電社員がその場から逃げ出したかのような印象を与える間違った記事になった」として記事そのものを取り消し「読者及び東電福島第一原発で働いていた所員の方々をはじめ、みなさまに深くおわびいたします」と述べました。  
私がまず気になったのは朝日新聞が誰に謝っているのかということでした。彼らはまず「読者と東電所員」に謝っています。しかしこの出来事の本質を考えると、まず謝るべきは日本国民全員だったのではないでしょうか。確かに東電と所員は朝日報道に直接巻き込まれて濡れ衣を着せられたわけですから、彼らへの謝罪は当然だと思います。  
しかし、朝日新聞の記事によって「福島の英雄」たちは実は怖くて逃げ出していたのだ、と世界中の外国のメディアは発信しました。今年四月に韓国で起こった大型旅客船「セウォル号」の転覆・沈没事故になぞらえ、「韓国のセウォル号に匹敵する責任放棄だ」と報じた外国メディアもありました。セウォル号では事故後、乗客を置き去りにして船長はじめ乗員が逃げたという失態が起きましたが、それと命を懸けて事態の収拾に尽くした「福島の英雄」が同列視され貶められたのです。これは日本人全体の名誉に関わる問題です。その意味で朝日報道の罪は重く、まず彼らは日本国民全員に謝罪すべきだったのです。
相変わらずの自己弁護  
記者会見を受けた翌日十二日朝刊を見ても言い訳と自己弁護は相変わらずでした。なぜこんなことになったのか、という経緯の説明では、機密を扱う記者の数を絞り込んだため、チェック機能が働かなかった─と説明しています。しかし、ジャーナリズムを掲げる新聞社としてこんな説明は通用しないでしょう。特ダネやスクープを手掛ける際、出来る限りの少人数の精鋭で、絞り込んで取材に臨むのが常だからです。  
ニューヨーク・タイムズを出し抜いてウォーターゲート事件をスクープした際、ワシントン・ポスト紙で核心を掴んで取材したのは二人だけでした。その二人が厳しい二重三重のチェックを互いに課しながら、情報の真偽を確かめ事実を確定し、積み上げてスクープをものにしたのです。そうした事例と比べると今回、朝日が「取材源を秘匿するため、少人数の記者での取材にこだわるあまり、十分な人数での裏付け取材をすることや、その取材状況を確認する機能が働かなかった。紙面掲載を決める当日の会議でもチェックできなかった」とした説明が如何にお粗末か。もしこれが本当なら朝日の記者は、たとえ精鋭であっても情報の真偽すら確認する能力を有しないということになります。  
朝日が「撤退した」と述べた東電職員は六百五十人にのぼり、福島フィフティーと呼ばれた人は実際には六十九人を数えました。だから総勢七百人以上の現場関係者がいることになる。ところが、ジャーナリストの門田隆将氏は、朝日は誰一人としてインタビューをしていないと指摘します。  
さらに記事の作成過程も問題だらけです。確かに吉田所長の調書には《私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2F(福島第二原発)に行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと》という件が出てきます。  
しかし、その前後を読んで見ると、調書はこうなっています。  
《本当は私、2Fに行けと言っていないんですよ。ここがまた伝言ゲームのあれのところで、行くとしたら2Fかという話をやっていて、退避をして、車を用意してという話をしたら、伝言した人間は、運転手に、福島第二に行けという指示をしたんです。私は、福島第一の近辺で、所内に関わらず、線量の低いようなところに一回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、2Fに行ってしまいましたと言うんで、しょうがないなと。2Fに着いた後、連絡をして、まずGM(幹部)クラスは帰って来てくれという話をして、まずはGMから帰ってきてということになったわけです。いま、二号機爆発があって、二号機が一番危ないわけですね。放射能というか、放射線量。免震重要棟はその近くですから、これから外れて、南側でも北側でも、線量が落ち着いているところで一回退避してくれというつもりで言ったんですが、確かに考えてみれば、みんな全面マスクしているわけです。それで何時間も退避していて、死んでしまうよねとなって、よく考えれば2Fに行った方がはるかに正しいと思ったわけです。いずれにしても2Fに行って、面を外してあれしたんだと思うんです。マスク外して…》  
つまり、吉田所長は2Fに行けと言っていないけれども、行くとしたら2Fかという話をした。それが、伝言ゲームのように2Fに行け、と伝わった。そこで幹部から帰ってくることにした─というわけです。  
朝日の記事ではこうしたくだりは悉く削られています。吉田所長は「考えれば2Fに行った方がはるかに正しい」─とも語っていますが、それも記事にはありませんでした。実際に1Fに戻って仕事をしている幹部もいました。逃げたのであれば戻っては来ないでしょう。最後まで読めば、誰もがわかる。なのに、朝日は吉田所長の「2Fに行った方がはるかに正しい」というのは事後的な感想に過ぎず、必ずしも必要なデータではないと考えて盛り込まなかったと説明しましたが言い逃れです。  
当時、原発の二号機が危機的な状況にあるという認識が吉田所長には強くありました。もし、ここでサブチャン(圧力抑制室)が爆発などしようものなら、強い放射能が拡散されてしまう。その時に第一原発の屋外などに職員がいようものならとても危険だ。第二原発に行った方が良かったと考えたわけでしょう。それが「(1F周辺で)何時間も退避していて、死んでしまうよね」という発言になったのです。  
一方で、今いる免震棟は屋外よりも一番安全な場所ではあっても食べ物も足りない、トイレもないという過酷な状況が続いていました。限界に近い状況のなかで、踏みとどまって頑張っている職員、主としてホワイトカラーの人達をこのまま残しておくのが妥当なのか。自分自身が撤退する気は毛頭無いが、必要な人数だけ残して、それ以外の人達は今のうちに安全なところへ退避させたほうがいいのではないかと考えて、決断するわけですね。  
調書には、最初四十人くらい行方不明者が出たと聞かされたとき「本当に行方不明になったら自分はここで腹括って死のう」と考えたという件がありました。吉田所長らは死ぬ覚悟をしていたのです。  
予想外の困難に命がけで立ち向かった人達に対して「逃げた」─それも所長の命令に違反して─という報道は人間的に許せない。朝日の記者の人間教育はどうなっているのか、とさえ考えてしまいます。反原発のためなら、人間の名誉や誠実さなどは無視しても良いのか、という思いもこみ上げてきます。何よりもまず全体状況を把握したうえでの判断がない。なぜか。それは自分達の思惑に沿って報道することを優先したからだと言わざるをえません。  
記事の取り消しが遅れた理由を見ても朝日の説明は狡猾だと感じました。他社は報道したけれども肝心の調書を全て持っていない。自分達は調書を持っている。だから自分達の判断が正しいという考えは変えずに訂正しなかった─というのです。  
吉田氏と事故調との間には調書を公開しないという約束がありました。政府には吉田氏との約束を守らなければいけないという思いが、当然、あるわけです。従って公開しないだろう、公開できないだろうから他社は入手出来ないだろう。従って朝日新聞の判断を出しても否定されることはないだろうと考えていたとしか思えません。その一方で紙面では政府に吉田調書を公開せよ、と突きつけているわけです。こうした姿勢は公正ではありません。尊大で狡い姿勢だと思います。
他人事で論じて欲しくない  
吉田調書をめぐる報道と慰安婦をめぐる報道は根本的にとてもよく似ています。ある特定の意図がまずあって、それに向けて見合った事実を当てはめていく─そのために公正な判断は後回しにされてしまうという共通点です。  
九月十四日付朝刊に星浩特別編集委員が「(日曜に想う)事実と正直に向き合いたい」と題して次のようなことを書いています。  
《政治記者の仕事は、取材でできるだけ多くのファクトを集め、寝る前の風呂に入る時に、日本の明日、一週間後、一カ月後、一年後、十年後がどうなるかを考える。それを毎日、更新していくことだ…(中略)…だから、今回の慰安婦問題と「吉田調書」報道の記事取り消しは、悔しくてしようがない。慰安婦問題の吉田清治氏の証言が事実かどうか、なぜもっと早く点検できなかったのか。吉田調書を、なぜ思い込みを捨てて淡々と読み込めなかったのか。池上彰氏のコラム掲載を見合わせたことも併せて、私たちは猛省しなければならない》  
星氏は今回の二つの問題を完全に自分とは切り離しているようです。「なぜもっと早く点検できなかったのか」とありますが、他人事のように言わないでほしい。朝日を代表するコラムニストがなぜ、これまで点検しなかったのか、というのが私達の抱く当然の疑問です。  
私自身の体験でいいますと、一九九六年秋に横浜で開かれた教職員の講演会で「慰安婦は強制連行ではない」と講演したことがありました。当時は朝日の主張がまかり通っていた時代で、かなり激しいバッシングにあいました。私の発言が正しいことは、今は広く認識されていますが当時はそうではなかった。事実をいっているのに散々叩かれ、排除される。慰安婦の強制連行は間違いない、日本が悪い、こうした方々を助け、賠償しなければならない。こういう主張が大手を振ってまかり通っていたのです。では、このように主張した人達は例えば秦郁彦氏の研究に目を通していたのか。事実は何かとまじめに考えてきたのか、といえば決してそうではありませんでした。  
秦氏の調査結果は九二年に、またその前に済州新聞の女性記者のレポートも明らかにされていました。私はそれらを読み「慰安婦は強制連行ではない」と確信し、その他の取材ももとにして発言していました。では朝日の人たちはどうだったのでしょう。「朝日新聞」という看板の影に隠れて、秦氏の研究などに真摯に目を通すことがなかったのではないでしょうか。星氏は「事実をできるだけ集めて考える」という記者としての教育を受けたそうですが、朝日がやってきたことはそれとは逆で一方の事実だけを集めて論陣を張っていたといわざるを得ません。
未だ謝罪なき慰安婦報道  
慰安婦問題についても記者会見で木村社長らは謝罪しました。しかし、この謝罪は記事を撤回することが遅れたことに対するお詫びに過ぎません。撤回したのは吉田清治氏の証言を取りあげた記事だけで、それ以外の記事に対するお詫びはありません。また八月五日と六日の両日に掲載された検証特集記事の中身について、会見では「自信を持っている」と述べています。国際社会の対日非難や日韓関係に与えた影響や禍根などは第三者委員会に委ねるということで、朝日自身の反省などは全く語られませんでした。特に批判を浴びている植村隆記者の記事には全くといっていいほど触れず、真摯な反省は伝わって来ませんでした。  
勤労女子挺身隊と慰安婦を結びつけた植村隆元記者の記事は意図的に「挺身隊は慰安婦ではない」という事実に目をつぶったとしか言いようがないものです。八月の検証特集記事で、朝日は、慰安婦について十分な学問的研究がなされていなかったと強調しました。しかし、あの当時生きていた韓国の人達は、勤労女子挺身隊と慰安婦が全くの別物だということは常識として知っていました。それは誰かに確認すれば簡単に確認できる類いの話です。吉田清治氏の吹聴した済州島の女性狩りもそうです。前川惠司氏のように朝日新聞にいながら自分が聞く限り、嫌がる女性を強制的に連れて行って慰安婦にした例は全くありません─といった記者もいたわけです。朝日社内でも強制連行はなかった、という意見があったわけです。そう考えると植村氏の報道は意図的な捏造だとしか考えられません。
報道ステーション検証の問題点  
同じ朝日系のテレビ朝日の報道ステーションは記者会見があった当日に慰安婦問題の特集を放送していました。朝日新聞が慰安婦報道で誤報を認め謝罪した─という内容でしたが、番組では名乗り出た慰安婦として金学順さんを報道していました。しかし、金学順さんが女子挺身隊と全く関係がなく、家が貧しく十四歳の時にキーセン学校に親から四十円で売られたこと、さらに十七歳のときにキーセン宿のオーナーによって日本軍のいる慰安所にまた売られたことなどは一切触れずじまいでした。  
彼女はそのことを訴状にも書いていましたし、一度たりとも「自分は女子挺身隊の一員だったが騙されて慰安婦として強制連行された」とは言っていませんでした。ここは朝日が作り上げた部分ですが、朝日新聞もテレビ朝日も頬被りしたままです。  
植村氏が挺身隊と慰安婦を結びつけ、強制連行したと書いた。このことがどのような感情的な反発を韓国側にもたらしたのか。これも記者会見で説明はありませんでした。小学校を卒業したくらいの女の子から二十代前半のうら若き女性達を強制連行して軍の慰み者にしたと書いたのですから、それが事実ならどこの国の人だって怒る話です。  
朝日新聞は今になって慰安婦問題は女性の人権問題であると言い始めています。確かにその通りです。慰安婦という存在を日本は未来永劫作らない、繰り返さない。繰り返してはいけないという思いはほぼ全員が共有しているといってよいでしょう。慰安婦として売られた貧しい女性達に対する同情もほぼ全員が共有しています。  
しかし、日本がこのことで責められる唯一の理由はそれが軍などによる組織的な強制連行だったということと、もうひとつは十二、三歳のいたいけな少女まで対象にしたという二点があるからです。これはいずれも朝日がつくり出した事実無根の─捏造と言っていいでしょう─物語によってもたらされたものです。そこのところを無視して女性の人権問題だというのは明らかに論点のすり替えです。  
女性の人権問題であるということは万人が認める話ですし、日本人は皆反省しているといっていいでしょう。ただ、女性の人権問題だという以上、中国や韓国、米国やドイツなどにも同じような話はあって見逃すことはできないはずです。占領中の在日米軍も然り。朝鮮戦争の米軍も、ベトナム戦争における韓国軍など、同じような話は少なくないわけで、同様に反省を求めていかなければ筋が通らない。日本だけが批判されるのは、紛れもなく朝日がつくり出した前述の二点が原因だと強調したいと思います。その種を蒔いた朝日は全く答えていないのです。  
朝日新聞は慰安婦を性奴隷だと規定したクマラスワミ報告は吉田清治証言だけで成り立っているのではない、という論法を取っています。これも自己弁護以外の何者でもありません。クマラスワミ報告の出発点も紛れもなく日本軍による強制連行と、挺身隊と慰安婦を混同したことに原点があります。  
朝日が審議を委ねるという第三者委員会にはどのような人が集められるのか。リベラルで朝日寄りの識者らが集められて朝日の「自己弁護」に利用されたり、都合の良い結論が導かれるようでは見識が問われることになるでしょう。
本末転倒の朝日報道  
ジャーナリズムにおいては事実を事実のままに伝えることが大事です。コップを上から見ると丸く見えるが横から見ると四角に見え、視点を変えて斜め上から見るとコップの全体像となる円柱に見える。このように、視点を工夫することで実態を言葉で伝えていくのがジャーナリズムです。  
しかし、朝日はそういう努力をしていないように思えます。むしろ、自分達の信じるひとつのイメージを故意に作り上げようとするのが、朝日新聞なのではないでしょうか。  
結論があって、そこに到達するために報道をしている感じがします。事実を伝えるよりも先にイデオロギーを伝える、そのために事実を活用している。どうしても本末転倒に思えます。  
私は先月号の座談会で朝日新聞のしたことは廃刊に値するといいました。その気持ちに変わりはありません。  
しかし、大事なことは廃刊が目的ではないのです。問うべきは十分な反省もできないで、きちんとしたジャーナリズムができるのか、ということなのです。  
はじめは英文も出していませんでした。後に会社のウェブで公表しましたが、朝日新聞は日本の名誉を傷つけたことをもっと真摯に受け止め「日本に批判が集中している慰安婦問題で、私達は致命的な誤報をしました。日本のメディアとして非常に恥ずかしいことだ」というメッセージを自ら世界に発信すべきだと思います。  
今、韓国では「右翼から攻撃されている朝日新聞を何とか助ける方法はないか」といった議論が起きているそうです。反日の旗を掲げる韓国メディアに擁護される朝日の姿が朝日問題を象徴しているようです。日本のメディアとして、朝日新聞の存在意義はどこにあるのかと問いたい思いです。  
池上彰さんの原稿掲載が中止になった─誰が見てもおかしな判断ですが─時、多くの朝日の記者が疑義を唱えたそうです。良いことですが、「では、疑義を唱えた朝日の人は慰安婦問題についてどう考えているのか」と思ってしまいます。  
三十二年間もの長期にわたって事実を正さずに頬被りできる感覚自体が新聞社としてどうなのか。吉田証言について事実に真摯に向き合えと朝日新聞は訴えてきました。その自分達は事実にこれほどの長期間、頬被りできる。そして今なお自己弁護に明け暮れている。「この新聞は果たして大丈夫なのか」という思いが強まるのは当然です。 
朝日新聞に文春の「黒塗り」広告東電社長人事「誤報」指摘に反発? 2011/5/26
読売新聞が東京電力次期社長の名前を誤報した問題が、週刊誌の広告に飛び火した。週刊文春が誤報の背景を解説する記事で、朝日新聞も同様に誤報をしたと指摘。これが朝日の反発を招いたのか、朝日新聞に掲載された文春の広告では、朝日の名前が「黒塗り」にされたのだ。  
朝日新聞は、広告の原稿を黒塗りされた状態で受け取ったと説明しているが、読売新聞に掲載された広告は、どういう訳か黒塗りされていない。  
「『西沢俊夫新社長』読売●●はなぜ間違えた」  
毎週木曜日の新聞各紙の紙面には、木曜日発売の週刊文春、週刊新潮などの広告がいっせいに掲載される。通常、両誌は朝日新聞と読売新聞には同じサイズで広告を出稿するので、同じ内容の広告が両紙に載るはずだ。ところが、2011年5月26日朝刊は違った。「『西沢俊夫新社長』読売朝日はなぜ間違えた」という見出しがあるが、これが朝日新聞では「『西沢俊夫新社長』読売●●はなぜ間違えた」と、いわゆる「黒塗り」の処理がされていた。  
文春の記事は、読売新聞が5月20日朝刊の1面トップで「東電社長に築舘氏」と題して掲載した記事が「想定外の大誤報」(文春)になった背景を報じたもの。読売新聞の記事では、「原発事故の責任を取って清水正孝社長(66)が辞任し、後任に築舘勝利常任監査役(69)を宛てる人事も固めた」と報じたものの、同日午後の決算会見では、西沢俊夫常務(60)が6月末の株主総会で昇格する人事が発表された。読売新聞は、5月21日朝刊1面に、「20日朝刊で『東電社長に築舘氏』との記事を掲載しましたが、誤りでした。おわびします」との「おわび」を掲載し、誤報を明確に認めている。  
だが、文春の記事では、朝日新聞も同様の誤報をしていたと指摘。記事では、「読売関係者」と名乗る人物が、読売の誤報の背景を「現場の記者は反発したものの、ある編集委員がネタを掴(つか)んで押し込んだようです。記事では東電の最終赤字が1.5兆円と書かれていますが、実際は1.2兆円」と解説する中で、朝日新聞についても、「実は、朝日も同日の夕刊で社長人事と赤字額を同じように間違えていました」と言及している。  
次期社長人事「誤報」と言えるかは微妙  
誤報を指摘された5月20日の夕刊(東京本社4版)を見ると、1面に掲載された「東電、赤字1.5兆円」という見出しの記事で、清水社長の退任の意向についても触れている。その中で、次期社長について、「後任には元副社長の築舘勝利常任監査役(69)、武井優副社長(61)らがあがっている」と、断定的な表現を避けてはいるものの、西沢氏ではない名前を挙げている。赤字の額は実際とはズレがあるものの、人事についての表現が「誤報」と言えるどうかは微妙だ。  
ある朝日新聞OBは、「誤報」とまで言われるのは心外だといった反発が、今回の「黒塗り」の背景にあるのでは、と推測する。  
もっとも、朝日新聞広報部では、「黒塗り」の経緯について、「お尋ねの広告は、広告主が作成したものです。内容については広告主にお尋ねください」と説明する。元々「黒塗り」された状態で広告が出稿されたとの主張だ。広告主といえば普通は文春を指すと思われる。文春は読売と朝日と別々に広告を作って出稿するという不思議なやり口をしたことになる。
毎日新聞がサンデー毎日の広告「黒塗り」掲載 2014/2/18
新聞紙面に載った週刊誌の広告の一部が「黒塗り」されることは珍しくないが、そのほとんどが性的表現に関するものだ。  
ところが、2014年2月18日の毎日新聞朝刊掲載の広告では「人し」という意味不明な単語が載った。しかもその広告は、自社で発行している「サンデー毎日」のもので、「自社の広告が『黒塗り』になる」という異例の事態だ。  
舛添氏の女性蔑視発言を特集 / 2月18日の毎日新聞朝刊に掲載された広告とサンデー毎日3月2日号の目次。「人殺し」の部分が黒塗りになっている  
毎日新聞に載ったサンデー毎日の広告では、一番右の目立つ部分に東京都の舛添要一知事の写真を載せ、「『任せていいのか』列島を覆う『二大』不安」「声に出して読むと恥ずかしい『舛添語録』」「『生理中の女は異常』『人しは女がうまい』」といった大見出しや小見出しを掲げた。  
実際に販売されているサンデー毎日の誌面でも同様の見出しを確認できる。当然ながら誌面は黒塗りになっておらず、広告の黒塗りの部分が「人殺しは女がうまい」だったことがわかる。  
記事では、舛添氏が過去に行った女性蔑視ともとれる数多くの発言を特集。その中に「これが舛添語録だ」というコーナーがあり、舛添氏が雑誌「BIGMAN」(世界文化社)1989年10月号で 「人殺しがうまいのも実は女の方なんですよ。たとえば、中国の動乱で、今の状況で3000人殺せば片付くといったら、ケ小平は弾圧を3000人でとどめるわけ。もし、女が指揮者だったら、カッとなってもっと多くの人民を殺していたかもしれない」と発言したことが紹介されている。この発言から見出しを取ったようだ。  
サンデー毎日のウェブサイトでも「人し」  
新聞に広告を掲載するためには、各社が定める「広告掲載基準」を満たす必要がある。毎日新聞社広告局がウェブサイトで公表している基準では、「全般規定」の項目の中で、「紙面の体裁をそこない品位を落とす広告表現、意図や目的が不明瞭な広告は掲載しません」と定めている。その一例として「公序良俗、社会道義、モラルに反する内容」「他者を誹謗しまたは中傷、冒涜する内容」が挙げられている。また、「人権」の項目には、「個人の信用・名誉を尊重しなければならないことは当然ですが、著名人の場合であっても度を超した表現については改稿を求める場合があります」とある。  
「人殺し」という表現は、これらの基準に抵触すると判断された可能性もある。ただ、広告局が表現を改めるように求めた結果の「黒塗り」なのか、サンデー毎日編集部が自主規制する形で最初から「黒塗り」の原稿だったのかは明らかではない。この点について、毎日新聞社社長室の広報担当者は「ノーコメント」。  
ただ、朝日新聞に掲載された広告や、サンデー毎日のウェブサイトに掲載されている中吊り広告でも「人し」となっている。真相は不明だが、広告審査でサンデー毎日ウェブサイトの書き換えが指示されるとは考えにくく、黒塗りは編集部の自主規制の可能性もある。
 
放送倫理基本綱領

 

放送倫理基本綱領
1996(平成8)年9月19日制定
(社)日本民間放送連盟と日本放送協会は、各放送局の放送基準の根本にある理念を確認し、放送に期待されている使命を達成する決意を新たにするために、この放送倫理基本綱領を定めた。
• 放送は、その活動を通じて、福祉の増進、文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。 放送は、民主主義の精神にのっとり、放送の公共性を重んじ、法と秩序を守り、基本的人権を尊重し、国民の知る権利に応えて、言論・表現の自由を守る。
• 放送は、いまや国民にとって最も身近なメディアであり、その社会的影響力はきわめて大きい。われわれは、このことを自覚し、放送が国民生活、とりわけ児童・青少年および家庭に与える影響を考慮して、新しい世代の育成に貢献するとともに、社会生活に役立つ情報と健全な娯楽を提供し、国民の生活を豊かにするようにつとめる。
• 放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持し なければならない。 放送は、適正な言葉と映像を用いると同時に、品位ある表現を心掛けるようつとめる。また、万一、誤った表現があった場合、過ちをあらためることを恐れてはならない。
• 報道は、事実を客観的かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の努力を傾けなければならない。放送人は、放送に対する視聴者・国民の信頼を得るために、何者にも侵されない自主的・自律的な姿勢を堅持し、取材・制作の過程を適正に保つことにつとめる。
• さらに、民間放送の場合は、その経営基盤を支える広告の内容が、真実を伝え、視聴者に役立つものであるように細心の注意をはらうことも、民間放送の視聴者に対する重要な責務である。
• 放送に携わるすべての人々が、この放送倫理基本綱領を尊重し、遵守することによってはじめて、放送は、その使命を達成するとともに、視聴者・国民に信頼され、かつ愛されることになると確信する。  
日本民間放送連盟 放送基準 
民間放送は、公共の福祉、文化の向上、産業と経済の繁栄に役立ち、平和な社会の実現に寄与することを使命とする。
われわれは、この自覚に基づき、民主主義の精神にしたがい、基本的人権と世論を尊び、言論および表現の自由をまもり、法と秩序を尊重して社会の信頼にこたえる。
放送にあたっては、次の点を重視して、番組相互の調和と放送時間に留意するとともに、即時性、普遍性など放送のもつ特性を発揮し内容の充実につとめる。
1.正確で迅速な報道
2.健全な娯楽
3.教育・教養の進展
4.児童および青少年に与える影響
5.節度をまもり、真実を伝える広告
次の基準は、ラジオ・テレビ(多重放送を含む)の番組および広告などすべての放送に適用する。ただし、18章『広告の時間基準』は、当分の間、多重放送には適用しない。
条文中「視聴者」とあるのは、ラジオの場合「聴取者」と読みかえるものとする。
第1章 人権
(1) 人命を軽視するような取り扱いはしない。
(2) 個人・団体の名誉を傷つけるような取り扱いはしない。
(3) 個人情報の取り扱いには十分注意し、プライバシーを侵すような取り扱いはしない。
(4) 人身売買および売春・買春は肯定的に取り扱わない。
(5) 人種・性別・職業・境遇・信条などによって取り扱いを差別しない。
第2章 法と政治
(6) 法令を尊重し、その執行を妨げる言動を是認するような取り扱いはしない。
(7) 国および国の機関の権威を傷つけるような取り扱いはしない。
(8) 国の機関が審理している問題については慎重に取り扱い、係争中の問題はその審理を妨げないように注意する。
(9) 国際親善を害するおそれのある問題は、その取り扱いに注意する。
(10) 人種・民族・国民に関することを取り扱う時は、その感情を尊重しなければならない。
(11) 政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する。
(12) 選挙事前運動の疑いがあるものは取り扱わない。
(13) 政治・経済問題等に関する意見は、その責任の所在を明らかにする必要がある。
(14) 政治・経済に混乱を与えるおそれのある問題は慎重に取り扱う。
第3章 児童および青少年への配慮
(15) 児童および青少年の人格形成に貢献し、良い習慣、責任感、正しい勇気などの精神を尊重させるように配慮する。
(16) 児童向け番組は、健全な社会通念に基づき、児童の品性を損なうような言葉や表現は避けなければならない。
(17) 児童向け番組で、悪徳行為・残忍・陰惨などの場面を取り扱う時は、児童の気持ちを過度に刺激したり傷つけたりしないように配慮する。
(18) 放送時間帯に応じ、児童および青少年の視聴に十分、配慮する。
(19) 武力や暴力を表現する時は、青少年に対する影響を考慮しなければならない。
(20) 催眠術、心霊術などを取り扱う場合は、児童および青少年に安易な模倣をさせないよう特に注意する。
(21) 児童を出演させる場合には、児童としてふさわしくないことはさせない。特に報酬または賞品を伴う児童参加番組においては、過度に射幸心を起こさせてはならない。
(22) 未成年者の喫煙、飲酒を肯定するような取り扱いはしない
第4章 家庭と社会
(23) 家庭生活を尊重し、これを乱すような思想を肯定的に取り扱わない。
(24) 結婚制度を破壊するような思想を肯定的に取り扱わない。
(25) 社会の秩序、良い風俗・習慣を乱すような言動は肯定的に取り扱わない。
(26) 公衆道徳を尊重し、社会常識に反する言動に共感を起こさせたり、模倣の気持ちを起こさせたりするような取り扱いはしない。
第5章 教育・教養の向上
(27) 教育番組は、学校向け、社会向けを問わず、社会人として役立つ知識や資料などを系統的に放送する。
(28) 学校向け教育番組は、広く意見を聞いて学校に協力し、視聴覚的特性を生かして、教育的効果を上げるように努める。
(29) 社会向け教育番組は、学問・芸術・技術・技芸・職業など、専門的な事柄を視聴者が興味深く習得できるようにする。
(30) 教育番組の企画と内容は、教育関係法規に準拠して、あらかじめ適当な方法によって視聴対象が知ることのできるようにする。
(31) 教養番組は、形式や表現にとらわれず、視聴者が生活の知識を深め、円満な常識と豊かな情操を養うのに役立つように努める。
第6章 報道の責任
(32) ニュースは市民の知る権利へ奉仕するものであり、事実に基づいて報道し、公正でなければならない。
(33) ニュース報道にあたっては、個人のプライバシーや自由を不当に侵したり、名誉を傷つけたりしないように注意する。
(34) 取材・編集にあたっては、一方に偏るなど、視聴者に誤解を与えないように注意する。
(35) ニュースの中で意見を取り扱う時は、その出所を明らかにする。
(36) 事実の報道であっても、陰惨な場面の細かい表現は避けなければならない。
(37) ニュース、ニュース解説および実況中継などは、不当な目的や宣伝に利用されないように注意する。
(38) ニュースの誤報は速やかに取り消しまたは訂正する。
第7章 宗教
(39) 信教の自由および各宗派の立場を尊重し、他宗・他派を中傷、ひぼうする言動は取り扱わない。
(40) 宗教の儀式を取り扱う場合、またその形式を用いる場合は、尊厳を傷つけないように注意する。
(41) 宗教を取り上げる際は、客観的事実を無視したり、科学を否定する内容にならないよう留意する。
(42) 特定宗教のための寄付の募集などは取り扱わない。
第8章 表現上の配慮
(43) 放送内容は、放送時間に応じて視聴者の生活状態を考慮し、不快な感じを与えないようにする。
(44) わかりやすく適正な言葉と文字を用いるように努める。
(45) 方言を使う時は、その方言を日常使っている人々に不快な感じを与えないように注意する。
(46) 人心に動揺や不安を与えるおそれのある内容のものは慎重に取り扱う。
(47) 社会・公共の問題で意見が対立しているものについては、できるだけ多くの角度から論じなければならない。
(48) 不快な感じを与えるような下品、卑わいな表現は避ける。
(49) 心中・自殺は、古典または芸術作品であっても取り扱いを慎重にする。
(50) 外国作品を取り上げる時や海外取材にあたっては、時代・国情・伝統・習慣などの相違を考慮しなければならない。
(51) 劇的効果のためにニュース形式などを用いる場合は、事実と混同されやすい表現をしてはならない。
(52) 特定の対象に呼びかける通信・通知およびこれに類似するものは取り扱わない。ただし、人命に関わる場合その他、社会的影響のある場合は除く。
(53) 迷信は肯定的に取り扱わない。
(54) 占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない。
(55) 病的、残虐、悲惨、虐待などの情景を表現する時は、視聴者に嫌悪感を与えないようにする。
(56) 精神的・肉体的障害に触れる時は、同じ障害に悩む人々の感情に配慮しなければならない。
(57) 医療や薬品の知識および健康情報に関しては、いたずらに不安・焦燥・恐怖・楽観などを与えないように注意する。
(58) 放送局の関知しない私的な証言・勧誘は取り扱わない。
(59) いわゆるショッピング番組は、関係法令を順守するとともに、事実に基づく表示を平易かつ明瞭に行い、視聴者の利益を損なうものであってはならない。
(60) 視聴者が通常、感知し得ない方法によって、なんらかのメッセージの伝達を意図する手法(いわゆるサブリミナル的表現手法)は、公正とはいえず、放送に適さない。
(61) 細かく点滅する映像や急激に変化する映像手法などについては、視聴者の身体への影響に十分、配慮する。
(62) 放送音楽の取り扱いは、別に定める「放送音楽などの取り扱い内規」による。
第9章 暴力表現
(63) 暴力行為は、その目的のいかんを問わず、否定的に取り扱う。
(64) 暴力行為の表現は、最小限にとどめる。
(65) 殺人・拷問・暴行・私刑などの残虐な感じを与える行為、その他、精神的・肉体的苦痛を、誇大または刺激的に表現しない。
第10章 犯罪表現
(66) 犯罪を肯定したり犯罪者を英雄扱いしたりしてはならない。
(67) 犯罪の手口を表現する時は、模倣の気持ちを起こさせないように注意する。
(68) とばくおよびこれに類するものの取り扱いは控え目にし、魅力的に表現しない。
(69) 麻薬や覚せい剤などを使用する場面は控え目にし、魅力的に取り扱ってはならない。
(70) 鉄砲・刀剣類の使用は慎重にし、殺傷の手段については模倣の動機を与えないように注意する。
(71) 誘拐などを取り扱う時は、その手口を詳しく表現してはならない。
(72) 犯罪容疑者の逮捕や尋問の方法、および訴訟の手続きや法廷の場面などを取り扱う時は、正しく表現するように注意する。
第11章 性表現
(73) 性に関する事柄は、視聴者に困惑・嫌悪の感じを抱かせないように注意する。
(74) 性感染症や生理衛生に関する事柄は、医学上、衛生学上、正しい知識に基づいて取り扱わなければならない。
(75) 一般作品はもちろんのこと、たとえ芸術作品でも過度に官能的刺激を与えないように注意する。
(76) 性的犯罪や変態性欲・性的倒錯を表現する場合は、過度に刺激的であってはならない。
(77) 性的少数者を取り上げる場合は、その人権に十分配慮する。
(78) 全裸は原則として取り扱わない。肉体の一部を表現する時は、下品・卑わいの感を与えないように特に注意する。
(79) 出演者の言葉・動作・姿勢・衣装などによって、卑わいな感じを与えないように注意する。
第12章 視聴者の参加と懸賞・景品の取り扱い
(80) 視聴者に参加の機会を広く均等に与えるように努める。
(81) 報酬または賞品を伴う視聴者参加番組においては、当該放送関係者であると誤解されるおそれのある者の参加は避ける。
(82) 審査は、出演者の技能などに応じて公正を期する。
(83) 賞金および賞品などは、過度に射幸心をそそらないように注意し、社会常識の範囲内にとどめる。
(84) 企画や演出、司会者の言動などで、出演者や視聴者に対し、礼を失したり、不快な感じを与えてはならない。
(85) 出演者の個人的な問題を取り扱う場合は、本人および関係者のプライバシーを侵してはならない。
(86) 懸賞募集では、応募の条件、締め切り日、選考方法、賞の内容、結果の発表方法、期日などを明らかにする。ただし、放送以外の媒体で明らかな場合は一部を省略することができる。
(87) 景品などを贈与する場合は、その価値を誇大に表現したり、あるいは虚偽の表現をしてはならない。
(88) 懸賞に応募あるいは賞品を贈与した視聴者の個人情報を、当該目的以外で利用してはならず、厳重な管理が求められる。
第13章 広告の責任
(89) 広告は、真実を伝え、視聴者に利益をもたらすものでなければならない。
(90) 広告は、関係法令などに反するものであってはならない。
(91) 広告は、健全な社会生活や良い習慣を害するものであってはならない。
第14章 広告の取り扱い
(92) 広告放送はコマーシャルによって、広告放送であることを明らかにしなければならない。
(93) コマーシャルの内容は、広告主の名称・商品・商品名・商標・標語、企業形態・企業内容(サービス・販売網・施設など)とする。
(94) 広告は、児童の射幸心や購買欲を過度にそそらないようにする。
(95) 学校向けの教育番組の広告は、学校教育の妨げにならないようにする。
(96) 広告主が明らかでなく、責任の所在が不明なものは取り扱わない。
(97) 番組およびスポットの提供については、公正な自由競争に反する独占的利用を認めない。
(98) 権利関係や取り引きの実態が不明確なものは取り扱わない。
(99) 契約以外の広告主の広告は取り扱わない。
(100) 事実を誇張して視聴者に過大評価させるものは取り扱わない。
(101) 広告は、たとえ事実であっても、他をひぼうし、または排斥、中傷してはならない。
(102) 製品やサービスなどについての虚偽の証言や、使用した者の実際の見解でないもの、証言者の明らかでないものは取り扱わない。
(103) 係争中の問題に関する一方的主張または通信・通知の類は取り扱わない。
(104) 暗号と認められるものは取り扱わない。
(105) 許可・認可を要する業種で、許可・認可のない広告主の広告は取り扱わない。
(106) 食品の広告は、健康を損なうおそれのあるものや、その内容に虚偽や誇張のあるものは取り扱わない。
(107) 教育施設または教育事業の広告で、進学・就職・資格などについて虚偽や誇張のおそれのあるものは取り扱わない。
(108) 占い、心霊術、骨相・手相・人相の鑑定その他、迷信を肯定したり科学を否定したりするものは取り扱わない。
(109) 人権侵害や差別の助長につながるかたちで、個人情報を調査・収集・利用するものは取り扱わない。
(110) 風紀上好ましくない商品やサービス、および性具に関する広告は取り扱わない。
(111) 秘密裏に使用するものや、家庭内の話題として不適当なものは取り扱いに注意する。
(112) 死亡、葬儀に関するもの、および葬儀業は取り扱いに注意する。
(113) アマチュア・スポーツの団体および選手を広告に利用する場合は、関係団体と連絡をとるなど、慎重に取り扱う。
(114) 寄付金募集の取り扱いは、主体が明らかで、目的が公共の福祉に適い、必要な場合は許可を得たものでなければならない。
(115) 個人的な売名を目的としたような広告は取り扱わない。
(116) 皇室の写真、紋章や、その他皇室関係のものを無断で利用した広告は取り扱わない。
(117) 求人に関する広告は、求人事業者および従事すべき業務の内容が明らかなものでなければ取り扱わない。
(118) テレビショッピング、ラジオショッピングは、関係法令を順守するとともに、事実に基づく表示を平易かつ明瞭に行い、視聴者の利益を損なうものであってはならない。
(119) ヒッチハイクなどの特殊な挿入方法は、原則として放送局の企画によるものとする。
第15章 広告の表現
(120) 広告は、放送時間を考慮して、不快な感じを与えないように注意する。
(121) 広告は、わかりやすい適正な言葉と文字を用いるようにする。
(122) 視聴者に錯誤を起こさせるような表現をしてはならない。
(123) 視聴者に不快な感情を与える表現は避ける。
(124) 原則として、最大級またはこれに類する表現をしてはならない。
(125) ニュースで報道された事実を否定してはならない。
(126) ニュースと混同されやすい表現をしてはならない。特に報道番組のコマーシャルは、番組内容と混同されないようにする。
(127) 統計・専門術語・文献などを引用して、実際以上に科学的と思わせるおそれのある表現をしてはならない。
第16章 医療・医薬品・化粧品などの広告
(128) 医療・医薬品・医薬部外品・医療機器・化粧品・いわゆる健康食品などの広告で医師法・医療法・薬事法などに触れるおそれのあるものは取り扱わない。
(129) 治験の被験者募集CMについては慎重に取り扱う。
(130) 医業に関する広告は、医療法などに定められた事項の範囲を超えてはならない。
(131) 医薬品・化粧品などの効能効果および安全性について、最大級またはこれに類する表現をしてはならない。
(132) 医薬品・化粧品などの効能効果についての表現は、法令によって認められた範囲を超えてはならない。
(133) 医療・医薬品の広告にあたっては、著しく不安・恐怖・楽観の感じを与えるおそれのある表現をしてはならない。
(134) 医師、薬剤師、美容師などが医薬品・医薬部外品・医療機器・化粧品を推薦する広告は取り扱わない。
(135) 懸賞の賞品として医薬品を提供する広告は、原則として取り扱わない。
(136) いわゆる健康食品の広告で、医薬品的な効能・効果を表現してはならない。
第17章 金融・不動産の広告
(137) 金融業の広告で、業者の実態・サービス内容が視聴者の利益に反するものは取り扱わない。
(138) 個人向け無担保ローンのCMは、安易な借り入れを助長する表現であってはならない。特に、青少年への影響を十分考慮しなければならない。
(139) 不特定かつ多数の者に対して、利殖を約束し、またはこれを暗示して出資を求める広告は取り扱わない。
(140) 投機性のある商品・サービスの広告は慎重な判断を要する。
(141) 宅地建物取引業法、建設業法により、免許・許可を受けた業者以外の広告は取り扱わない。
(142) 不動産の広告は、投機をあおる表現および誇大または虚偽の表現を用いてはならない。
(143) 法令に違反したものや、権利関係などを確認できない不動産などの広告は取り扱わない。
第18章 広告の時間基準
(144) コマーシャルの種類はタイムCM、スポットCMとする。
<ラジオ>
(145) タイムCMは、次の限度を超えないものとする。ニュース番組および5分未満の番組の場合は各放送局の定めるところによる。
5 分番組 1分00秒
10分番組 2分00秒
15分番組 2分30秒
20分番組 2分40秒
25分番組 2分50秒
30分番組 3分00秒
30分以上の番組 10%
(1) 番組内で広告を目的とする言葉、音楽、効果、シンギング・コマーシャル(メロディだけの場合も含む)、その他お知らせなどは、コマーシャルとする。
(2) 共同提供、タイアップ広告などは、タイムCMの秒数に算入する。
(146) PTの1番組に含まれる秒数の標準は次のとおりとする。
10分番組 2分00秒
15分番組 2分40秒
20分番組 3分20秒
25分番組 3分40秒
30分番組 3分40秒
上記以外の番組は各放送局の定めるところによる。
(147) ガイドは各放送局の定めるところによる。
<テレビ>
(148) 週間のコマーシャルの総量は、総放送時間の18%以内とする。
(149) プライムタイムにおけるCM(SBを除く)の時間量は、下記の限度を超えないものとする。その他の時間帯においては、この時間量を標準とする。ただし、スポーツ番組および特別行事番組については各放送局の定めるところによる。
5 分以内の番組 1分00秒
10分以内の番組 2分00秒
20分以内の番組 2分30秒
30分以内の番組 3分00秒
40分以内の番組 4分00秒
50分以内の番組 5分00秒
60分以内の番組 6分00秒
60分以上の番組は上記の時間量を準用する。
(注) プライムタイムとは、局の定める午後6時から午後11時までの間の連続した3時間半を言う。
(1) タイムCMには、音声(言葉、音楽、効果)、画像(技術的特殊効果)などの表現方法を含む。
(2) 演出上必要な場合を除き、広告効果を持つ背景・小道具・衣装・音声(言葉、音楽)などを用いる場合はコマーシャル時間の一部とする。
(150) スーパーインポーズは、番組中においてコマーシャルとして使用しない。ただし、スポーツ番組および特別行事番組におけるコマーシャルとしての使用は、各放送局の定めるところによる。
(151) スポットCMの標準は次のとおりとするが、放送素材の音声標準は民放連技術規準による。
素材/スポットの種類 音声
時間 音節数
5 秒 3.5秒以内 21音節
10秒 8秒以内 48音節
15秒 13秒以内 78音節
20秒 18秒以内 108音節
30秒 28秒以内 168音節
60秒 58秒以内 348音節
その他は各放送局の定めるところによる。 
放送倫理・番組向上機構 (BPO)
日本放送協会(NHK)や日本民間放送連盟(民放連)とその加盟会員各社によって出資、組織された任意団体である。理事会、評議員会、事務局と3つの委員会(放送倫理検証委員会、放送と人権等権利に関する委員会(放送人権委員会)、放送と青少年に関する委員会(青少年委員会))によって構成されている。ロゴマークは、錯視図形『ルビンの壷』の要領で、BとPの文字で横を向いた人の上半身を浮かび上がらせたものである。
目的と立場
BPO規約第3条「目的」において「本機構は、放送事業の公共性と社会的影響の重大性に鑑み、言論と表現の自由を確保しつつ、視聴者の基本的人権を擁護するため、放送への苦情や放送倫理上の問題に対し、自主的に、独立した第三者の立場から迅速・的確に対応し、正確な放送と放送倫理の高揚に寄与することを目的とする」と掲げている。
2007年6月20日衆議院決算行政監視委員会において、民放連の広瀬道貞会長(当時)は「放送事業者は、いわば、BPOの判断というのは最高裁の判断みたいなもので、ここが判断を出したら、いろいろ言いたいことはあっても、すべて守っていく、忠実に守っていく、そういう約束の合意書にNHK及び民放各社がサインをしてBPOに提出しております」と述べている。審理にあたっては当事者双方の意見聴取を行い、主張の正当性についての証拠確認、証人尋問、補充調査等は行わない。
2007年12月4日衆議院総務委員会において、BPOの飽戸弘理事長(当時)は「BPOの役割は、番組を監視して罰するところではないということもやはり国民の皆さんにしっかりと、あくまでも放送事業者自身が自主的にさまざまな問題を解決していく、そのためにBPOは応援していく、視聴者と放送局の仲介をするところであるということを国民の皆さんにも周知して知っていただくということが必要だと思います」と述べている。
設立経緯
旧郵政省に設置された『多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会』が1996年12月に出した報告書の中で、「視聴者の苦情に対応するための第三者機関を設けるべき」との意見が盛り込まれたことを受け、NHKと民放連が1997年5月に『放送と人権等権利に関する委員会機構』(略称:BRO)を設置した。BROのもとに第三者の有識者で構成される「放送と人権等権利に関する委員会」(略称:BRC)が置かれた。
後にBROは機能強化のため、「放送番組委員会」及び「放送と青少年に関する委員会」を擁する放送番組向上協議会と2003年7月に統合することで、現在の放送倫理・番組向上機構(BPO)に改組された。
一方、2009年7月に佐藤勉元総務大臣は放送協議会総会でBPOに対して独立性の高い機関ではなく業界関係者による組織のため、お手盛りであるといった問題点を指摘している。
沿革
○ 1965年 - 1月に日本放送協会(NHK)、日本民間放送連盟(民放連)、日本民間放送労働組合連合会(放送連合)の三者により、放送連合内に『放送番組向上委員会』(第一次)を設置。
○ 1969年 - 放送連合が3月24日を以て解散し、これに伴い『放送番組向上委員会』も解消。5月29日、NHK及び民放連によって、新たに『放送番組向上協議会』が任意団体として設立され、同協議会内に「放送番組向上委員会」(第二次)を設置。
○ 1997年 - 5月1日、NHK及び民放連(当時の会長は氏家齊一郎)により、『放送と人権等権利に関する委員会機構』(BRO)が任意団体として設立され、6月9日、BROによって「放送と人権等権利に関する委員会」(BRC)を設置。
○ 2000年 - 4月1日、「放送番組向上委員会」内に「放送と青少年に関する委員会」を設置。
○ 2002年 - 「放送番組向上委員会」が3月末を以て解散。翌4月、『放送番組向上協議会』内に「放送番組委員会」を設置。
○ 2003年 - 『放送番組向上協議会』とBROがNHK及び民放連により統合され、7月1日、現在の放送倫理・番組向上機構(BPO)を設立。また、「放送番組委員会」、BRC、「放送と青少年に関する委員会」の3委員会をBPOが継承。
○ 2007年 - 5月12日、「放送番組委員会」が「放送倫理検証委員会」に改組。
組織概要
理事会
最高意思決定機関は「理事会」で、理事長と理事9名の計10名で構成される。理事長は、放送事業者の役職員及びその経験者以外から理事会で選任され、 理事は、同様に放送事業関係者以外から理事長が3名を選任、設立母体であるNHKと民放連がそれぞれ3名を選任している。なお、政府からの独立性を理念の一つとしているため、放送事業を所管する総務省との人的・財的繋がりは無い。
評議員会
放送事業者及びその関係者を除く7名以内で構成され、BPO内の『放送倫理検証委員会』、『放送と人権等権利に関する委員会』、『放送と青少年に関する委員会』の3つの委員会の委員を選任する権限を有する。
事務局
事務局は理事会の統轄下にあり、更に本事務局が下記の3つの委員会を統括、他に視聴者応対と総務を統括する。
委員会
放送倫理検証委員会
2007年に設置された放送番組の倫理を高め、質の向上を図るための審議を行う委員会で視聴者から寄せられた意見(後述)を基に、放送番組の取材・制作のあり方や番組内容に関する諸問題について審議を行い、必要に応じて「意見」を公表してゆく。また、虚偽の内容により視聴者に著しい誤解を与えた番組が放送された際には当該番組について審理を行い、「勧告」や「見解」を公表、当該放送局に再発防止策の提出とその報告を求められる権限を有する。
審理の結果、意見・勧告・見解がなされた事案
○ TBSテレビ『みのもんたの朝ズバッ!』不二家関連の2番組に関する見解(2007年8月6日) - TBS『みのもんたの朝ズバッ!』
○ FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」に関する意見(2008年1月21日) - フジテレビ『FNS27時間テレビ みんな なまか だっ!ウッキー!ハッピー!西遊記!』
○ テレビ朝日『報道ステーション』マクドナルド元従業員制服証言報道に関する意見(2008年2月4日) - テレビ朝日『報道ステーション』
○ 光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見(2008年4月15日)
○ NHK教育テレビ『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』第2回「問われる戦時性暴力」に関する意見(2009年4月28日) - NHK『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』
○ 日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』裏金虚偽証言放送に関する勧告(2009年7月30日) - 日本テレビ『真相報道 バンキシャ!』
○ 最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見(2009年11月17日)
○ TBSテレビ『報道特集NEXT』ブラックノート詐欺事件報道に関する意見(2010年4月2日) - TBS『報道特集NEXT』
○ 参議院議員選挙にかかわる4番組についての意見(2010年12月2日) - 信越放送『SBCニュースワイド』、長野朝日放送『abnステーション』、TBS『関口宏の東京フレンドパークII』、BSジャパン『絶景に感動!思わず一句 初夏ぶらり旅』
○ 日本テレビ 「ペットビジネス最前線」報道に関する意見(2011年5月31日) - 日本テレビ『news every.サタデー』
○ 日本BS放送『"自"論対論 参議院発』に関する意見(2011年6月30日) - 日本BS放送『"自"論対論 参議院発』
○ 情報バラエティー2番組3事案に関する意見](2011年7月6日) - テレビ東京『月曜プレミア!主治医が見つかる診療所』、毎日放送『イチハチ』
○ 東海テレビ放送『ぴーかんテレビ』問題に関する提言(2011年9月22日) - 東海テレビ『ぴーかんテレビ』
○ テレビ東京『ありえへん∞世界』に関する意見(2011年9月27日) - テレビ東京『ありえへん∞世界』
○ TBSテレビ『白熱ライブ ビビット』「多摩川リバーサイドヒルズ族 エピソード7」に関する意見(2017年10月5日) - TBSテレビ『白熱ライブ ビビット』
○ 東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)『ニュース女子』沖縄基地問題の特集に関する意見(2017年12月14日) - TOKYO MX『ニュース女子』
○ フジテレビ『とくダネ!』2つの刑事事件の特集に関する意見(2018年2月8日) - フジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』
旧放送番組委員会時代
○ 『発掘!あるある大事典II』問題に関する有識者委員の「声明」(2007年2月7日) - 関西テレビ『発掘!あるある大事典II』
放送と人権等権利に関する委員会
1997年に設置。2008年まではBRCという略称が用いられ、主に放送人権委員会と呼ばれている。放送番組によって名誉やプライバシーなどの人格権を侵害された個人及び団体を、無料で救済するための委員会。放送によって権利を侵害されたと考える当事者からの「申立て」に基づき審理、権利侵害の有無や放送倫理上の問題の有無を判断する。判断結果は、「見解」または「勧告」としてまとめられ、申立て人と当該放送局に通知された後に公表、委員会の「見解」「勧告」は広く一般に周知されるよう、当該放送局で放送することが義務付けられている。
また、苦情申立て人と当該放送局の間に立ち当事者間の話し合いを要請し問題の解決を図る「仲介・斡旋」も行っており、これによって「勧告」などの委員会決定に至ること無く解決した事例も多く存在している。
原則として申立てることが出来るのは、権利を侵害されたと考える個人またはその直接の利害関係人だけであり、その他にも現時点で係争中の事案や損害賠償請求を目的としたもの、BPO加盟社以外の放送局の番組などは審理の対象とならない。
勧告(人権侵害、あるいは重大な放送倫理違反があるとされた事案)
○ 自動車ローン詐欺事件報道(第12号・2000年10月6日) - 1999年9月13日に放送された伊予テレビ(現:あいテレビ)の『キャッチあい』の中で詐欺事件の舞台として自動車販売店が映像に出た際、映像の選択、ぼかし処理、字幕スーパーの表現などが不適切であったため、販売店が特定されてしまい視聴者に容疑者とあたかも共犯関係にあるかのような印象を与えたとして、少数意見が付記された人権侵害と認定された。
○ 熊本・病院関係者死亡事故報道(第17号・2002年3月26日) - 2000年8月6日に放送されたテレビ朝日の『週刊ワイドコロシアム』で、熊本県で起きた交通事故について保険金殺人の可能性が高いと報道したことについて、十分な裏付けがないまま報道。当事者への配慮に欠けていたとして、少数意見が付記された人権侵害と認定された。
○ 中学校教諭・ 懲戒処分修正裁決報道(第22号・2004年5月14日) - 2003年10月14日に放送された北海道文化放送の『UHBスーパーニュース』内の「今日の特集」コーナーで、中学校教諭へのセクハラによる懲戒免職処分が北海道人事委員会の裁決で停職処分に修正されたことを批判的に報道した際に、具体的事実関係及び懲戒処分とその修正過程を客観的に調査し、教諭側の主張を丁寧にフォローすることを怠ったとして、少数意見が付記された人権侵害と認定された。
○ 国会・不規則発言編集問題(第23号・2004年6月4日) - 2003年9月15日に放送されたテレビ朝日の『ビートたけしのTVタックル』の中で、編集ミスにより藤井孝男(放送当時は自民党衆議院議員)参議院議員が北朝鮮拉致問題に関する国会審議中に不規則発言を行ったかのように放送されたとして、人権侵害と認定された。
○ 産婦人科医院・行政指導報道(第25号・2005年7月28日) - 2005年1月25日に放送されたNHK名古屋放送局の『ほっとイブニング』と、NHKラジオ第1・中部ブロックにおける報道の中で、愛知県の豊明市の産婦人科医が受けた行政指導について、当該指導を受けた時期を明示せずl現在も違法行為を行っているかのように報道されたとして重大な放送倫理違反と認定された。
○ バラエティ番組における人格権侵害の訴え(第28号・2006年3月28日) - 2005年6月25日に放送された関西テレビの『たかじん胸いっぱい』において、女優でタレントの杉田かおるが元夫で実業家の鮎川純太との結婚生活を振り返るトークを展開した際、元夫の私生活を明け透けに披露して名誉を傷つける発言を行った。また、7月9日の放送でも6月25日の放送回で杉田が披露したトークに基づき、他の出演者が再び元夫の鮎川の名誉を傷つける発言を行ったとして人権侵害と認定された。バラエティ番組への勧告措置はこれが初めてのことであった。
○ 徳島・土地改良区横領事件報道(第39号・2009年3月30日) - 2008年7月23日に放送されたテレビ朝日の『報道ステーション』において、徳島の土地改良区横領事件に野中広務元衆議院議員が関与しているかのように報道した。事実ではないとして、補足意見・少数意見が付記された重大な放送倫理違反と認定された。
○ 保育園イモ畑の行政代執行をめぐる訴え(第40号・2009年8月7日) - 2008年10月19日に放送されたTBSの『サンデージャポン』内のコーナー「みなさんのためのワイドショー講習」の中で、イモ畑を所有する保育園とその関係者らが高速道路の建設における大阪府の行政代執行に反対する抗議活動を行っている模様を報じた際、まるで園児らを盾に使ったかのように報道した。また、番組コメンテーターらもこのVTRに基づき当該保育園の責任者を批判する発言をしたとして、重大な放送倫理違反と認定された。
○ 割り箸事故・医療裁判判決報道(第41号・2009年10月30日) - 2008年2月13日に放送されたTBSの『みのもんたの朝ズバッ!』のコーナー「ズバッ!8時またぎ」の中で、1999年7月に起きた杏林大病院割りばし死事件をめぐる民事裁判の判決報道で、判決時の事実認定とは異なる再現映像を制作し放送、番組コメンテーターらもこのVTRに基づき当該医師を批判する発言を行ったとして名誉棄損には当たらないものの、重大な放送倫理違反と認定された。
○ 無許可スナック摘発報道(第47号・2012年11月27日) - 2012年4月11日に放送されたテレビ神奈川の「tvkNEWS930」の中で無許可営業のスナックの摘発を報道した際、軽微な罰金刑であるにも関わらず被疑者のプライバシーを詳らかに放送し、そのことで被疑者やその家族に多大な苦痛を与えたとしたため、放送倫理上重大な問題があると認定された。
○ 大阪市長選関連報道(第51号・2013年10月1日) - 2012年2月6日に放送された朝日放送の「ABCニュース」の中で大阪市交通局の不正に関する報道をした。しかし、その内容は事実ではなく申立人の名誉を著しく害した。よって放送倫理上重大な問題がありと認定された。
○ バラエティ番組における謝罪会見に関する報道(第55号・2015年11月17日) - 2014年3月9日に放送されたTBSの「アッコにおまかせ」内で当時ゴーストライター疑惑を持たれた作曲家の謝罪会見が取り扱われ、番組内でその人物の聴覚障害を詐病と決めつけ放送した。そのことで申立人の名誉を毀損したとして人権侵害と認定された。
○ 出家詐欺報道(第57号・2015年12月11日) - 2014年5月14日に放送されたNHKの『クローズアップ現代 追跡"出家詐欺"〜狙われる宗教法人〜』で必要な裏付け取材をしないまま申立人を事件の関係者として報道し、重大な放送倫理違反と認定された。
○ ストーカー事件再現ドラマ(第58号・2016年2月15日) - 2015年3月8日に放送されたフジテレビの「ニュースな晩餐会」で実際にある食品工場内のいじめ事件とそれに派生するストーカー事件が取り扱われた。その放送の中で根拠も事実ないのに申立人を首謀者と断定して放送し、申立人の名誉を著しく既存したとして人権侵害と認定された。
○ 世田谷一家殺害事件特番(第61号・2016年9月12日) - 2014年12月28日に放送されたテレビ朝日の『世紀の瞬間&未解決事件 日本の事件スペシャル「世田谷一家殺害事件」』内で申立人が専門家の意見に賛同したように著しく報道し、そのことで申立人は周りから非難を浴びた。本件放送はは過剰な演出と恣意的な編集によって申立人に対して公正さと適切な配慮を欠いていたとして放送倫理上重大な問題ありと認定された。
○ 調査報告 STAP細胞 不正の深層(第62号・2017年2月10日) - 2014年7月27日に放送された日本放送協会『NHKスペシャル』での特集番組である。同番組では場面転換のわかりやすさ、場面ごとの趣旨の明確化などへの配慮を著しく欠いた編集の結果「STAP細胞とされるES細胞は若山研究室の元留学生が作製し、 申立人の研究室で使われる冷凍庫に保管されていたものであって、これを申立人が何らかの不正行為により入手し混入してSTAP細胞を作製した疑惑がある」とする誤った事実摘示について「名誉毀損の人権侵害が認められる」。また、同放送が放送される直前に行われた取材活動について、取材を拒否する申立人を追跡し、過剰な取材による騒動や負傷が発生するなどの行為には「放送倫理上の問題」があったとして、小保方晴子氏に対する重大な名誉棄損とともに放送倫理違反として認定された。
見解(放送倫理違反、ないし放送倫理上問題があるとされた事案)
○ サンディエゴ事件報道(第1号 - 第4号・1998年3月19日) - TBS、テレビ朝日、テレビ東京(NHKのみ「問題なし」)
○ S幼稚園報道(第5号・1998年10月6日) - NHK
○ 帝京大学ラグビー部員 暴行容疑事件報道(第6号 - 第10号・1999年3月17日) - 日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日(TBSとテレビ朝日は「問題なし」)
○ 隣人トラブル報道(第11号・1999年12月22日) - フジテレビ・関西テレビ『スーパーナイト』
○ 援助交際ビデオ関連報道(第13号 - 第15号・2001年1月30日) - 名古屋テレビ、テレビ愛知、中京テレビ
○ インターネットスクール報道(第16号・2002年1月17日) - 日本テレビ『NNNきょうの出来事』
○ 出演者比喩発言問題(第18号・2002年9月30日) - テレビ朝日・朝日放送『サンデープロジェクト』
○ 女性国際戦犯法廷・ 番組出演者の申立て(第20号・2003年3月31日) - NHK『ETV2001』
○ 山口県議選事前報道(第21号・2003年12月12日) - テレビ山口『TYS夕やけニュース21』
○ 喫茶店廃業報道(第26号・2005年10月18日) - 毎日放送『VOICE』
○ 新ビジネス“うなずき屋”報道(第27号・2006年1月7日) - テレビ東京『日経スペシャル ガイアの夜明け』
○ エステ店医師法違反事件報道(第31号・2007年6月26日) - 日本テレビ『NNNニュースD』、『NNN Newsリアルタイム』、『NEWS ZERO』
○ 高裁判決報道の公平・公正問題(第36号・2008年6月10日) - NHK『ニュースウオッチ9』
○ 群馬・行政書士会幹部不起訴報道」(第37号・2008年7月1日) - エフエム群馬
○ 拉致被害者家族からの訴え(第43号・2010年3月10日) - テレビ朝日『朝まで生テレビ!』
○ 上田・隣人トラブル殺人事件報道(第44号・2010年8月5日) - テレビ朝日『報道ステーション』
○ 大学病院教授からの訴え(第46号・2011年2月8日)- テレビ朝日・朝日放送『サンデープロジェクト』
放送と青少年に関する委員会
2000年に設置された、放送が青少年に与える影響やかかわり方などを視聴者から寄せられた意見・苦情(後述)などに基づき審議することなどを通して、青少年が視聴する放送番組の向上を目指す委員会。主に青少年委員会と呼ばれている。委員会は審議結果を「見解」、「提言」、「声明」などにまとめて公表、放送局に対して回答を要請したり、改善を求める。
見解・提言
○ バラエティー系番組に対する見解 - 2000年11月29日の記者会見で、フジテレビのバラエティー番組『めちゃ×2イケてるッ!』の1コーナー「七人のしりとり侍」とテレビ朝日のバラエティー番組『おネプ!』の1コーナー「ネプ投げ」について、「しりとりゲームで間違えた人を罰ゲームと称してメッタ打ちにしており、“暴力的でいじめを肯定している”」(前者)、「女性を投げる際に下着や肌を意図的に見せるのは、“セクシュアルハラスメントや女性蔑視に当たる”」(後者)との苦情に基づく「見解」を発表した。これを受けて、フジテレビとテレビ朝日の両テレビ局は2000年末を以て当該コーナーを中止した。
○ 「消費者金融CMに関する見解」について - 2002年12月20日の記者会見で、多くの視聴者から「消費者金融のテレビCMの多くは、宣伝効果を上げるよう若者向けに親しみやすく制作されていたり、また、CMソングは幼児が覚えて口ずさめるほどリズミカルに作曲されている点などが、“お金が無ければ借りればよい”という誤ったメッセージを青少年に伝えるものだ」という懸念があった旨を発表、BPOは民放連及び加盟各社に対し、民放連の定める「児童及び青少年の視聴に十分、配慮する時間帯」である17時から21時までの時間帯は消費者金融CMの放送自粛などを要望した。
○ 「血液型を扱う番組」に対する要望 - 2004年12月8日の記者会見で、民放の複数のテレビ番組で取り扱われた血液型による性格判断について、視聴者から「非科学的である」、「学校や職場で血液型による差別意識が生じている」といった苦情が寄せられたのを受けて、テレビ各社に対し民放連が定める放送基準の「第8章 表現上の配慮」54条に基づき、放送内容についての配慮を要望した。
○ 注意喚起 児童の裸、特に男児の性器を写すことについて - 2008年4月11日、以前から「視聴者の意見」に男児の全裸や性器を修正せずに映すことに対する批判意見が年々急増していることを鑑み、たとえこれらのシーンを“家族的シーン”として放送したものであっても、インターネットなどで児童ポルノに転用される恐れがあるとの見解を示し、テレビ各社に注意喚起を行った。
○ 青少年への影響を考慮した薬物問題報道についての要望 - 2009年11月2日、この年の夏に芸能人による薬物事件が多発したことを受け、各テレビ局の報道について薬物使用に関して警告などを促さずに興味を持たせる報道が見られるとして、テレビ各社に「極めて慎重な配慮」を要望した。
フジテレビの「生爆烈お父さん27時間テレビスペシャル!!」 - 2013年10月22日、『FNS27時間テレビ (2013年)』において男性タレントが女性アイドルグループ・AKB48のメンバーにプロレス技を掛けると共に暴行したとされる問題について、「バラエティー番組も『人間の尊厳』『公共の善』を意識して作られるべき」との見解を示した。
放送局への回答の要請
○ 2003年1月、アニメ『機動戦士ガンダムSEED』において、主人公のキラ・ヤマトとフレイ・アルスターが肉体関係を持ったと暗示させる表現について「戦争が人々を破壊していく極限状況のもとでは、人は如何にもろい存在なのか」ということを表現するのに必要なキャラクターであると説明している。
○ 2003年2月及び3月、アダルトゲーム原作のアニメ番組『らいむいろ戦奇譚』について性行為を想起させるシーンが含まれているため、他の放送局では深夜時間帯に編成されていたものを夕方6時からの放送に編成したサンテレビに対し回答要請を行ったが、同局は「深夜枠に空きが無かったため、枠が空いていた時間帯に編成しました」と回答、その後同局は3月末の番組終了及び改編を以て、当該番組を含め2枠あった夕方時間帯のアニメ番組枠を全て廃止する措置をとった。
○ 2004年10月、フジテレビのバラエティ番組『はねるのトびら』の中で放送されていたコント「村田さなえ」のキャラクター設定(特定のジュース以外のものを飲むとアレルギーを発したり、興奮すると体がかゆくなり血が出るまでかきむしってしまう等)がアトピー患者や食物アレルギー患者を笑いのネタにしているとの視聴者からの苦情を受け、同局への回答を要請した。これを受けて同番組は公式ホームページ上に番組プロデューサー名で謝罪文を掲載、当該コントを一旦休止しキャラクター設定を変更した上でコントを再開した。
○ 2009年6月、サンテレビの深夜番組『今夜もハッスル』について、全編を通して猥褻な内容の番組であり中高生も夜更かしをする週末の深夜0時台に放送するには不適切であるとの視聴者からの苦情を受け、同局への回答を要請した。これを受けて6月末、サンテレビは間髪入れずに同番組の打ち切りを決定、1983年からおよそ26年続いたお色気番組の制作から一度は撤退したものの翌2010年10月、放送時間帯を約1時間半繰り下げた上でかつて同局で放送されていた『おとなの子守唄』を装い新たに復活させる形で再開した。
○ 2009年8月31日に放送されたテレビ朝日の特撮番組『仮面ライダーディケイド』の最終回において、主人公のディケイドと他の仮面ライダーが対峙するシーンの途中で放送を終了、その直後に劇場版仮面ライダーディケイドの告知をしたことについて、「(子供に)散々期待をさせておいて、それを裏切った」という旨の批判的な意見が多数寄せられていることを受け、2009年10月に同局に対し回答要請を行った。同局の早河洋社長は同月29日の定例記者会見の中で、「私どもの考え方としてはテレビシリーズの結末と映画の告知の境目がはっきり分かるようにすべきで、演出方法は不適切だった」と謝罪した。その後の再放送分の最終回では、該当部分を再編集し劇場版との連動部分を直接的な告知にならないように改変している。
中立性に対する疑義、批判
放送法遵守を求める視聴者の会の小川榮太郎事務局長は「放送事業者自身のコントロール下にある任意団体であるBPOとテレビのマッチポンプによるチェックしかない。構成員の多くが左派、リベラル系であることは国民不在の機関だと言わざるを得ない」として、「国民に広く認知するように運動を始めたうえで、BPOの解散と、国民の声を反映した新たな独立規制機関の設立」をすべきであると主張している。
中立性に対する疑義や、審査基準の不透明さから存在意義に対する疑問の声も聞かれる。委員の選任方法にも不透明さを否めず、沖縄の反基地運動を批判的に報道したニュース女子を「放送してはいけない番組を放送した」、「重大な放送倫理違反があった」などと厳しく“断罪”する一方で、2017年の国会報道や衆院選番組の野党擁護報道について、視聴者から「偏りすぎている」などの意見が相次いだにもかかわらず、審査対象として取り上げずに黙認してきた姿勢はダブルスタンダードとも批判されている。潮匡人も「本来は国民が納得できる公平な放送環境づくりが役割であるはずなのに、一部の政治活動に“お墨付き”を与える存在になってしまっている」と指摘し、上念司も「リベラルに甘く、それへの反論には厳しいダブルスタンダードがある。中立性を担保できず、国民不在の組織であり続けるのならば、新たに放送を監視する枠組みが必要となる」と述べている。
視聴者の意見
前述した通り、「放送倫理検証委員会」や「青少年委員会」では視聴者からの指摘を基に当該番組とその放送局への勧告などを行っているが、BPOが本来取り組む事案である放送倫理、権利侵害、名誉棄損などとはおおよそかけ離れた的外れな意見や強引なこじつけによるクレームも多数寄せられている。掲載している意見内容についてBPOは、「BPOの考え方を示すものではない」としている。実際にこれらのクレームによって、前述したようにいくつかの番組及びコーナーが打ち切られたり、内容変更を余儀なくされる事例も頻発していることから、別の視聴者からの「視聴者意見への反論」も併載されている。
備考
○ 2007年9月21日、埼玉県警朝霞警察署が青少年委員会副委員長を大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕し、BPOはこの件について9月26日に公式サイトで理事長によるコメント文を発表、その後10月3日にこの副委員長を解嘱とする措置をとった。
○ BPOのCMは各局の自己批評番組のほか、民放では主に民放連に加盟するテレビ・ラジオ各局でCM枠の空いた時間帯に放送される。NHKではテレビでは番組の合間にたまに放送されており、ラジオでは第1放送で主に日中、毎時55分からの時間帯で告知することがある。また、公式サイトでもテレビ放送版の15秒版と30秒版の2つのバージョンを見ることができる。なおコマーシャルソングはテレビ・ラジオとも同じだが、歌詞が若干異なっている。
○ 雑誌「SAPIO」2015年5月号と2016年9月号において、テレビ局スタッフのインタビューとして「テレビ局はBPOを非常に恐れている。『BPOに申し立て』と報じられた時点で番組スポンサーが嫌がるので、審議入りが決まると負けになる」「番組制作の現場ではBPOの話題はタブー。BPOがあるため現場が萎縮しているという声もある」とする記事が掲載された。
○ 雑誌「週刊プレイボーイ」2016年11月28日号において、あるキー局のプロデューサーは「BPOも検閲機関にならないよう気をつけている。審議を経て番組に意見を言う際も、『下品な内容で視聴者を不快にさせないよう気をつけましょう』といったやわらかい表現で声明を出しているのだが、それを読んだ各局の制作現場は、自身の番組がBPOで問題にされないようBPOが指摘した以上の自主規制をするようになっている」と述べている。また、BPOがモンスタークレーマーの武器にもなっている、とも語っている。 
評価
マスコミの倫理綱領 報道に生かされているか? 2002/1/20
Q. 「社会の木鐸(ぼくたく)」であるべきマスコミには、「倫理綱領」というものがあるそうですが、最近の報道で生かされていますか。 
A. 報道関係者には、誤った情報や一面的な情報で国民を誤導せず、時流や世相に警告も発する「社会の木鐸」の責任があります。日本新聞協会の「新聞倫理綱領」や、日本民間放送連盟と日本放送協会の「放送倫理基本綱領」を、この責任をはたすための指針としてみると、同時多発テロ事件とその後の報道は、みずから決めた指針に照らしてさえ問題の多いものだったといえます。
その端的なあらわれが、十月七日のアフガニスタン空爆での報道です。日本新聞協会(加盟百十二社)自身の調査でも、空爆開始時点の六十一本の社説と論説はすべて空爆支持、軍事行動の正当性を主張していました。アメリカの空爆を批判したのは全国紙では「しんぶん赤旗」だけという状況です。
一つひとつのニュースの扱いの点でも、「しんぶん赤旗」が一面で報じたイタリア二十五万人、ロンドン四万人、ベルリン三万人の反戦集会(十月十六日付)や、ニューヨーク・マンハッタンでの数千人の反戦集会(十月九日付)などは、商業紙では黙殺に等しく、テレビの方でもNHKなどは、米国防総省提供映像で残虐な精密誘導兵器の性能紹介にたっぷり費やす時間はあっても、「誤爆」の犠牲者や家族の苦しみ、世界の反対運動などを報道する時間は、ほとんどないという状況でした。
「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」(新聞倫理綱領)、「放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない」(放送倫理基本綱領)などの基本的な視点が、実際にはなおざりにされているのが現状です。 
「国民の知る権利を奪った」BPOに放送倫理を語る資格なし
『ニュース女子』はテレビ番組制作会社が作ったものを放送局が購入し、放映している番組である。多くのニュース番組が事実の一部をそのまま放映するのに対して、『ニュース女子』は女性と識者のやり取りを中心として、事実の核心にできるだけ迫ることを目的にしている。
そもそも、地上波テレビ番組の多くが「事実の核心部分の報道を避けている」と視聴者からよく指摘される。それは、本当に知りたい核心部分が常に曖昧だからだ。一方、放送を視聴する側にとっては「当たり障りのないこと」は既に知っており、むしろ「核心部分があやふやではなく、批判を受けやすい裏側」を知りたいのである。この矛盾を解消するために、放送局内部に「番組審議会」などを設置し、ギリギリの内容でも放送ができるようにしている。それが本来の存在理由であろう。
従来、多くのマスコミが沖縄を中心として「基地反対運動は善、米軍や自衛隊は悪」という報道スタンスを続けてきた。それに対して、『ニュース女子』では忌憚(きたん)のない意見交換の材料として、制作会社がロケを行った。実際、数人の方が「顔も名前も隠さず」に取材を受け、「基地反対運動で暴力が振るわれ、比較的大勢の人が知っている」という趣旨のコーナーを放映したのである。
この放送について、放送倫理・番組向上機構(BPO)は、視聴者から指摘があったとして、放送倫理検証委員会で審議入りした結果、番組内容に「重大な倫理違反があった」と認めた。その判断は番組内容そのものが事実かどうかより、番組を放送した地上波テレビ局が「チェックを怠った」というものであり、かつ放送界内部の資料ではなく、社会に対して事案を公表した。また、自身の名誉を毀損(きそん)されたとして、市民団体の共同代表も「人権侵害」を訴え、BPOの放送人権委員会が審理を行い、人権侵害があったと結論づけた。
その後、朝日新聞が「『ニュース女子』打ち切りへ」というフェイクニュースを流し、筆者もこの報道に振り回された。事実は、番組を購入していた約30の放送局のうち、何局かが購入をやめたということであった。本論評は上記の事実に対して、主として倫理面から考察を加えたものである。
まず、現代社会で共通して守るべきものは法律であり、これは国民を代表する国会で決まる。放送に関しては放送法があり、その第4条では番組を編集するにあたって、「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実を曲げないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と、具体的に4つの規制を明記している。
筆者が自著『正しいとはなにか?』(小学館)で示したように、法律を守ることは「倫理」とは無関係なので、BPOの放送倫理検証委員会は法律で決めていないことを審査することになる。そのとき、審査が恣意(しい)的にならないために倫理規定、つまり「放送倫理基本綱領」を定めなければならない。
倫理綱領は1996年9月19日に定められているが、この倫理綱領は、あくまで放送局側の特定の検討機関において恣意的に決定されたものであり、放送によって知る権利を得る視聴者の参加がない。したがって、倫理綱領の成立過程自体が「非倫理的」なのである。
特に、倫理綱領では放送法第4条で定められていること以外の思想や行動などが記されている。だが、国民が定めた放送法を超える基準を、放送局側だけで決めることができるという理論は示されていない。
もともと「倫理」の「倫」というのは「相手」という意味であり、相手(倫)のことわり(理)を守ることが基本である。倫理の黄金律の一つに「相手のしてほしいことをしなさい」というのがあるが、まさにそれを示している。
したがって、BPOは『ニュース女子』の問題に対して視聴者にアンケートなどの調査を行い、視聴者(倫)が求めるものと異なったことを放送したかどうかを審査することしか許されないはずである。それに、審査に当たった委員が、視聴者より際立って「倫理的に優れている」という証明もなされていない。
第二に、今回の沖縄基地反対デモに関しての報道で人権侵害を訴え、審査で認められた市民団体の共同代表は外国人である。外国人の日本国における「人権」の中に「日本の国防に関する行動の権利」が与えられているか、それが法律的に与えられているのか、倫理的に与えられているかを明確にしなければならない。
もし、法律において、外国人が日本国内で反日的な言動をすることが許されていなければ、法律に基づき処罰されるはずである。法律的に許されている場合は「倫理的に許されるか」検討が必要だが、今回の決定にそれは含まれていない。
また、今回の審査に当たった委員の中に弁護士や、特に倫理的な活動で社会の評価を受けた人(例えば、学術論文、倫理関係の受賞、著作)が少ないことも問題である。先述の通り、もともと「倫理」とは、「法律」と全く異なるものである。だから、法曹関係者は、一般的に倫理について全くの「門外漢」である。法に触れるなら法で処理すべきであり、法に触れないなら法曹関係者は無知であろう。
また、BPOは第三者機関とはいえ、NHKと民放各局など放送関係機関が設立した「内部組織」であり、外部の承認などを得ているわけではない。したがって、審査内容などを積極的に外部に公表する必要はなく、あくまで内部での参考にとどめるべきである。
2017年3月下旬、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が発足から10年を迎え、行われた記念シンポジウムで発言する川端和治委員長(中央)
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会の記念シンポジウムに登壇する委員ら=2017年3月
以上の点で、現在のBPOは「倫理」という名前を含んでいるものの、倫理とは全く異なる組織である。規定に基づく審査方法は倫理に反し、委員の選任も恣意的であり、審査結果の公表自体も趣旨に合致していない。倫理とは基本的に論理的でなければならず、『ニュース女子』の審議のように、情緒的なやり方が続けば、わが国の報道に悪影響を与えるだろう。仮にも「倫理」を標榜(ひょうぼう)するなら、関係者は自己批判を行い、辞任すべきである。
放送は特定の権利を与えられている機関が、地上波や衛星波などを通じて独占的に実施している。ところが現在、視聴者である国民が最も困っているのは、地上波が当たり障りのない放送、保身的な報道に終始して「国民の知る権利を奪っている」ことだ。
BPOの勧告を受けた『ニュース女子』が、番組で取り上げた対象はあくまで「デモ行為」であって「個人」ではない。「デモ行為」の事実や、正当性などが個人に及んでいないにもかかわらず、人権問題として取り上げられ、放送の受益者たる視聴者の権利が一切検討されていないことは大きな問題である。
したがって、『ニュース女子』をめぐるBPOの放送倫理の審査が「放送局の論理、保身、社会に対する隠れみの」として実施されたことを考えれば、BPOは倫理的に解散が必要である。いや、自主解散する以外にないと思う。 
BPO、「とくダネ!」2特集に放送倫理違反と判断 2018/2
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は8日、フジテレビの情報番組「とくダネ!」が放送した刑事事件に関する2つの特集について「放送倫理違反があったと判断した」とした。
今回、同委員会が意見を発表したのは、1つは昨年7月27日放送の「医療PJ『さい帯血医療』“医学博士”が“ヤミ治療”に関与か」。医師免許のない松山市の民間研究所理事長が患者を診断したなどとして逮捕された事件を放送時、容疑者とは別人のインタビュー映像を使用していた。もう1つは同8月28日放送の「父親は元京都府知事 エリート府議を美人妻が“DV告訴”」。京都府議の男性が書類送検される前に、書類送検されていたように報じていた。
同委員会は「事実に反する報道で誤った情報を視聴者に伝えた2つの特集は、放送倫理基本綱領や日本民間放送連盟放送基準に抵触し、放送倫理違反があったと判断した」との意見を発表。「いずれの特集でも、その制作過程で誤りに気づいて修正するチャンスがあったにもかかわらず見逃されてしまったことから、刑事事件報道の原則を再確認するとともに、番組スタッフの連携の力をさらに高めるよう求めた」とした。 
 
やらせ報道「悪の出家詐欺」

 

公共放送の役割 
社会の健全な発達に必要不可欠な番組制作を行っています 
ニュース報道番組 正確で幅広い情報が得られます 
教養教育番組 知的好奇心を満たすことができます 
娯楽番組 多様な価値観に触れたり生活に活力が得られます
週刊文春『スクープ速報』 2015/3/26  
NHKの看板報道番組である「クローズアップ現代」に、やらせの疑いがあることが週刊文春の取材でわかった。  
やらせの疑いが指摘されているのは、昨年5月14日に放送された「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」。「出家詐欺」とは、お寺で得度(出家の儀式)を受ければ戸籍上も法名への変更が可能となる制度を悪用したもので、宗教法人と結託して多重債務者を別人に仕立て上げ、ローンや融資を騙し取る詐欺の手口のこと。  
番組は、滋賀県の寺を舞台に実際に起きた詐欺事件の概要を報じた後に、出家詐欺が社会に蔓延している現状をリポートした。大阪社会部の記者が出家詐欺のブローカーの事務所を突き止めてインタビューを行い、事務所を訪れた多重債務者とブローカーの会話を隠し撮りしたシーンも放送された。 記者は、事務所を後にする多重債務者を追いかけ、路上で直撃インタビューも試みている。  
だが、番組でブローカーとして登場した人物はこう証言した。  
「私はブローカーでもありませんし、出家詐欺に携わったことも一度もありません。番組に登場するブローカーは架空の人物で、NHKの記者に依頼されて私が演技したものです」  
この人物と多重債務者として番組に登場した人物は古くからの知人で、その知人からNHKの記者を紹介されて撮影に協力したという。NHKの記者と多重債務者として登場した人物も元々の知り合いだった。  
NHK広報局は、週刊文春の取材に対してこう回答した。  
「今回の番組は、十分取材を尽くして制作したものであり、やらせやねつ造があったとは考えていません」  
NHKの番組は視聴者からの受信料で作られている。NHKは指摘を受けた点についてきちんと調査し、視聴者に詳細に結果を報告するべきだ。 
「クローズアップ現代」やらせ報道 2015/4/4  
NHKの報道番組「クローズアップ現代」などで記者の指示によるやらせがあったと週刊文春が報じた問題で、昨年5月に放送された番組内で「出家詐欺」ブローカーの活動拠点とされた事務所の借り主が3日、大阪市内で記者会見し、リポートしたNHK記者や多重債務者として登場した男性と以前から面識があったことを明らかにした。  
リポートに関する複数の人物が記者の知り合いだったことになり、何らかの演出があった疑惑がさらに強まった。  
番組でブローカーとされた男性は「ブローカーの経験はない」としてNHKに訂正を要求している。  
活動拠点とされた事務所は大阪市内にあり、借り主は会社経営者の40代男性。借り主は番組で多重債務者とされた男性と約10年前に知り合い、平成25年2月に事務所を借りた。男性には事務所の鍵を貸していたという。  
NHK記者は数年前に男性から紹介され、「2、3回食事をした」という。男性については「さまざまな肩書を持っており、知る限りでは多重債務者ではないと思う」と語った。  
NHK広報局は詳細は調査中としている。  
VTRの検証必要  
日本テレビで多数のドキュメンタリーを手がけた水島宏明法政大学社会学部教授の話「放送では、多重債務者がブローカーに相談した後、外に出たところを記者が追いかけ、インタビューした流れになっている。その順番通りに撮影が行われたかどうかが重要なポイント。VTRにはタイムコードという情報が残されている。関係者のヒアリングだけでなく、物証として残るVTRを調べるべきだ」 
NHK「クローズアップ現代」“やらせ”指摘で中間報告 一部で誤り認める 2015/4/9  
NHK「クローズアップ現代」で“やらせ”があったと出演者が指摘している問題で、NHKは4月9日、中間報告を公表した。番組中の撮影場所を「活動拠点」とコメントしたことについては「誤りであり、裏付けが不十分であった」と認めたが、その他の点では記者と出演者の話が大きく食い違っているとして、さらに調査するという。  
問題になっているのは昨年5月に放送した「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」。多重債務者を出家させて名前を変えさせ、金融機関から住宅ローンをだまし取る手口の実態を追った内容だ。  
これに対し、番組中で詐欺のブローカーとして紹介された男性が、NHK記者から「ブローカー役になって債務者とやりとりする演技をしてほしい」と依頼された“やらせ”があったとして、NHKに訂正放送を求めている。  
NHKは記者や出演者から聞き取りなどを実施。男性は、撮影当日に大阪市内のホテルのカフェで打ち合わせた際に「ブローカー役を演じるよう依頼された」と答えたのに対し、記者は「演技の依頼はしていない」と一貫して否定し、大きく食い違っているという。  
ただ、記者がビルの1室を訪れる場面で「看板の出ていない部屋が活動拠点でした」とコメントしている部分については、裏付けが不十分で、誤りだったことを認めた。  
NHKは今後、関係者の話が食い違う点を中心に調査を進めるほか、番組の構成や演出に過剰な点はなかったかなどについても調べ、改善策を盛り込んだ調査報告書を早期に公表するとしている。  
NHKやらせ指摘問題 2015/4/9  
NHKの報道番組「クローズアップ現代」でやらせがあったと指摘されている問題で、NHKは9日、中間報告を発表し、番組内で大阪市内のビル一室を「ブローカーの活動拠点」とコメントしたことについて、「裏付けが不十分だった」と誤りを認めた。一方、記者の指示によるやらせについては関係者の話が食い違っており、今後も検証を続けるという。  
問題となっているのは、昨年5月14日に放送された「追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜」。ブローカーを介した多重債務者が、出家して名前を変えることで融資などをだまし取る手口を紹介。週刊文春は今年3月、番組内で詐欺に関わるブローカーとして匿名で紹介された大阪府内の男性が「記者に頼まれて架空の人物を演じた」と証言する内容の記事を掲載した。  
男性は今月1日、「ブローカーをしたことはなく、犯罪者のように放送されたことに憤りを感じる」として、NHKに訂正報道を求めていた。
NHK捏造問題、頑なに「やらせ」を認めず「過剰な演出」 2015/4/28  
幕引きのための調査報告書  
昨年5月に放送されたテレビ番組『クロ−ズアップ現代 追跡“出家詐欺”〜狙われる宗教法人〜』内で多重債務者に出家の斡旋を行っているブローカーとして登場した男性が、「自分はブローカーではなく、NHK記者の指示で“役柄”を演じた」と告発していた問題について、NHKは4月28日、調査報告書を公表した。  
結論としては、「事実の捏造につながる、いわゆる『やらせ』はなかったものの、裏付けがないままこの男性をブローカーと断定的に伝えたことは適切ではなかった」などとしている。NHKは番組を担当した記者の停職3カ月をはじめ、その上司や役員などの処分を決定。組織としての幕引きへと向かった格好だ。  
番組内容と制作過程の乖離  
番組では、出家詐欺の当事者とされるブローカー・A氏との接触に成功し、彼の事務所でインタビューを行っていた。取材当日は偶然にも多重債務者・B氏がやって来て、出家詐欺を相談する様子を撮影することに成功。しかも、その映像は隣のビルからの隠し撮りという準備の良さだ。さらに事務所から出てきたB氏にも話を聞いており、本来であればスクープであった。  
しかし実際は、B氏と記者が旧知の間柄で、A氏はB氏の知り合いだった。事務所もまたB氏が撮影用に調達したものでありニセの事務所だった。A氏は調査報告書が出た後も、自身がブローカーであるとは認めていない。  
報告書は、基本的に記者の証言や主張を受け入れるかたちでまとめられている。記者がA氏をブローカーだと思い込んでいたこと、役柄や演技の指示はしていないという主張が認められ、取材・撮影の手法に問題はあったが、「事実の捏造につながる、いわゆるやらせはなかった」と判断しているのだ。  
しかし、放送された内容と報告書にある制作過程を客観的に比べてみた時、「やらせはなかった」という結論には納得できないものがある。  
なぜなら、やらせには捏造だけではなく、いくつかのヴァリエーションがあるからだ。実際よりも事実をオーバーに伝える「誇張」、事実を捻じ曲げる「歪曲」、あるものをなかったことにする「削除」、逆にないものをあるかのようにつくり上げる「捏造」が、いずれもやらせに該当する。だが、報告書は捏造だけをやらせと認識しており、その狭い定義に該当しないということで、「やらせはなかった」と言い張っているのだ。  
上記に照らせば、この番組では取材側の都合に合わせた、いくつかのやらせが行われていた。それらを報告書は、やらせではなく「過剰な演出」と呼んでいる。いわば一種の「言い換え」である。  
やらせと過剰な演出の間  
かつて、テレビ番組のやらせが大問題となったことが何度もあった。1985年、『アフタヌーンショー』(テレビ朝日系)で、制作側が仕組んだ暴行場面が放送された「やらせリンチ事件」。92年、『素敵にドキュメント 追跡! OL・女子大生の性24時』(朝日放送系)で、男性モデルと女性スタッフに一般のカップルを演じさせたケース。同年、『NHKスペシャル 奥ヒマラヤ・禁断の王国ムスタン』での「やらせ高山病」シーン。その後も2007年に、『発掘!あるある大事典2』(関西テレビ系)で捏造問題が起きている。いずれも番組自体が打ち切りになったり、テレビ局トップの責任が問われたりしてきた。  
もしNHKが今回、『クロ現』におけるやらせを認めた場合、ダメージは相当大きいものになるだろう。なぜなら同番組はやらせとは無縁であるべき報道番組であり、NHKの看板番組の一つでもある。その影響を考えれば、是が非でも報告書から「やらせ」という言葉を排除し、あくまで「過剰な演出」という着地を目指した可能性は十分にある。  
筆者は『クロ現』という番組自体は高く評価している。社会的なテーマを掘り下げ、内容の質をキープしながらデイリーで伝え続けていることに敬意を表したい。それだけに、今回のような番組づくりは残念であり、当事者である記者には憤りを感じる。番組のみならずNHKという公共放送、さらにテレビジャーナリズム全体に対する信頼感を大きく損なったからだ。  
今回の報告書では、この記者が関わった他の番組でもB氏を登場させていることに触れている。しかし、その内容について詳細な検証は行っていない。あくまでも、この番組における過剰な演出を指摘することで終わっている。果たして、それでいいのか。  
また、くだんのA氏も「今後は、BPO(放送倫理・番組向上機構)の手続きにおいて、私の名誉が回復されるよう努めていきます」というコメントを出している。もしもBPOがこの番組の審議入りを認めることになれば、この問題の本質に迫る“第2章”が始まるかもしれない。 
「過剰な演出」多数でも「やらせ」ではない 2015/4/28  
NHK報道番組「クローズアップ」現代に「やらせ」があったとされる問題で、NHKは2015年4月28日、調査委員会(委員長・堂元光副会長)による調査報告書を発表した。取材を担当した大阪放送局の男性記者(38)の停職3か月を筆頭に、大阪報道局・報道局専任部長の減給など計15人の処分が決まった。籾井勝人会長(72)ら役員4人も報酬の一部を自主返納する。  
「クロ現」をめぐっては、番組内で「ブローカー」として紹介された男性A氏(50)が「記者からブローカーを演じるように言われた」ことなどで「真実と違う報道で人権を侵害された」として4月21日に放送倫理・番組向上機構(BPO)に審理を申し立てている。報告書では「やらせ」を含め、A氏の主張の多くを否定したが、それ以外の「過剰な演出」が多数指摘されている。  
ブローカーと断定するには「裏付け不足」  
問題とされたのは、14年5月14日に放送された「追跡『出家詐欺』〜狙われる宗教法人〜」。多重債務者がブローカーを通じて出家し、名前を変えることで多重債務者であることを分からないようにして金融機関から不正に融資を受ける手口に迫る内容だ。14年4月に関西ローカルの「かんさい熱視線」で放送された内容をベースにしている。  
報告書によると、「事情通」として記者と付き合いがあるB氏に対して記者が「出家詐欺に詳しい人物はいないか」と相談を持ちかけ、B氏は「自分自身が近く出家の相談に行くつもりだ」としてA氏を紹介した。B氏は多重債務者だ。記者は相談の様子を撮影したいと考え、B氏経由でA氏にも了承を得た。番組ではA氏に「ブローカー」とテロップが入ったが、この点をA氏は「自分はブローカーではなく、記者に演技するように依頼された」と最も問題視している。  
この相談の様子は、19分間にわたって映像素材に残っていた。報告書によると、記者がA氏と会うのは2回目。撮影前に記者、A氏、B氏の3人が合流し、タクシーで撮影現場に向かう途中で30分程度カフェに立ち寄っている。こういったことから、  
「以前に一度しか会っていない相手にいきなりブローカーを演じさせるのに、この程度の時間で打ち合わせが済むとは考えられない」  
「A氏は、自身のそれまでの知識や体験に基づき、演技の指導などを受けることなく出家詐欺の手口を詳細に語ったと考えるのが妥当である」  
と結論づけている。こういったことを根拠に「やらせ」は行われなかったと判断されたが、ブローカーに近い人物や関係者という水準を超えて「実際の『ブローカー』であると断定し放送でコメントするには、それ以上の裏付けがなければならない」と、裏付け取材不足を指摘した。  
撮影開始直後に記者が「よろしくお願いします。10分か15分やり取りしてもらって」  
ただ、映像素材の中には別の面で「やらせ」が疑われかねない部分があった。相談場面の撮影が始まると、記者は「よろしくお願いします。10分か15分やり取りしてもらって」と話し、相談が終わると「お金の工面のところのやりとりがもうちょっと補足で聞きたい」と話しかけていた。報告書では、素材を確認した結果として「記者がやりとりの文言を指定したり、新たな内容を付け加えさせた事実はなかった」と結論付けているが、「自らに都合のよいシーンに仕立てようとしたのではないかという疑念を持たれかねず不適切だった」とも指摘している。  
それ以外にも、多数の不適切な点が指摘されている。相談が行われた部屋はB氏の知人が借りており、B氏が鍵を預かっていたが、番組では「活動拠点」だと説明していた。この点は4月9日発表の中間報告でも指摘されており、同日放送の「クロ現」でも陳謝している。  
番組の構成も問題視された。放送された番組は(1)番組側がブローカー(A氏)の存在を突き止めてインタビューする(2)多重債務者(B氏)がブローカーのもとを訪れて相談する(3)相談後にカメラが多重債務者を追いかけて問いただす、とう内容だった。  
記者がB氏に相談を持ちかけたことで今回の取材が始まったという経緯からすると、番組の筋書きは事実と異なる。だが、記者は「ネタ元の話をそのまま見せることに抵抗があった」などとして、上記筋書きに沿った取材メモを作成して取材デスクや制作チームに報告し、納得させていた。  
報告書では、こういった点についても、  
「実際の取材過程とは異なる流れを印象づけるものであった」として、「過剰な演出が行われた」と指摘した。  
記者以外の目によるチェックも働かなかった。撮影現場には記者、A氏、B氏が3人そろって姿を見せている。筋書きどおりならば3人が一緒に登場するのは不自然なはずだが、カメラマンやディレクターは特に記者と2人の関係について確認しなかった。  
これに加えて、上司は取材メモの内容を信用したこともあって、試写で不自然な点に気付くことができなかった。 
NHKクロ現 「出家詐欺の活動拠点」は誤り 「ブローカー」の証拠確認できず 2015/4/29  
昨年5月に放送したNHKの「クローズアップ現代」について「やらせ」があったなどとの指摘を受け、NHKは4月28日、内部の調査委員会の報告書を発表した。その中で、事実の捏造につながる「やらせ」はなかったものの、出家詐欺のブローカーの「活動拠点」とした部分は誤りで、「ブローカー」と伝えた男性についてもそう断定できる裏付け証拠はなかったことを明らかにした。また、放送では、NHKの記者がブローカーの存在を突き止めてインタビューを行い、取材時にたまたまブローカーの元を訪れた多重債務者が相談している様子を撮り、相談後に多重債務者を追いかけて問いただすという構成になっていたが、実際の取材過程とはかけ離れていたことも判明した。  
問題となった放送は、昨年4月25日関西ローカルで放送された「かんさい熱視線」と同年5月14日全国放送された「クローズアップ現代」で、いずれも「追跡“出家詐欺” 〜狙われる宗教法人〜」というタイトルがつけられていた。クローズアップ現代で問題となった場面では、「私たちは出家を斡旋するブローカーの一人が関西にいることを突き止めました」というナレーションとともに、ブローカーの「活動拠点」とされる部屋に記者が入り、ブローカーとされる男性にインタビュー。その後、多重債務者の男性がブローカーに相談に訪れた様子をビルの外部から隠し撮りしたような場面が流れ、相談終了後に帰ろうとした男性を記者が追いかけて問いただす場面があった。ブローカーとされる男性も多重債務者の男性も、放送では匿名で登場し、顔にはモザイクが入れられ、音声も変えられていた。  
NHKの調査報告書によると、多重債務者の男性は取材時にたまたまブローカーを訪れた人物ではなく、担当記者の長年の取材協力者で、ブローカーに相談に行く場面の取材について事前に了解していた。記者は、この多重債務者の男性からブローカーとされる男性の紹介を受け、ブローカーと信じて取材していたが、ブローカーとして活動していたことの裏付けはとっていなかった。今回の調査でも「ブローカー」としての裏付け証拠は確認できなかった。ブローカーの「活動拠点」として報じた部屋も、実は多重債務者の男性の知人が借りていた部屋にすぎず、ブローカーの活動拠点としての実態はなかった。  
NHKの外部委員3名(弁護士2名、憲法学者1名)も、調査情報の開示を受け、「出家詐欺のブローカーとして実際に活動していたことを確証し得る証拠・証言(それを確定的に否定する証拠・証言も)、現時点では存在しない」「真実、出家詐欺のブローカーであるとは断定し得ないにもかかわらず、『ブローカーの存在を突き止めた』と断定し、問題のシーンを放映したことは、視聴者に誤った印象を与えたものと言わざるを得ない」との見解を示した。  
今回の問題は、今年3月中旬に週刊文春が最初に報道。ブローカーとして報道された男性は4月1日、NHKに訂正放送を求め、21日にBPO(放送倫理・番組向上機構)放送人権委員会に申立てをした。NHKによると、男性は「NHKの判断がこのような結果になったことは、とても残念ですし、強い憤りを感じます。今後は、BPO=放送倫理・番組向上機構の手続きにおいて、私の名誉が回復されるよう努めていきます」というコメントを出した。 
 
報道の自由度

 

報道の自由度ランキング 2015
2015年の報道の自由度ランキングを掲載しています(対象: 180ヶ国)。各国のメディアに与えられる報道の自由度を表す。報道の自由に対する侵害について、法的支配やインターネット検閲、ジャーナリストへの暴力などの項目で調査されており、侵害度が大きいほど指数は高くなる。調査期間は、2013年10月15日~2014年10月14日
順位 / 名称 ・ 指数 / 前年比 / 地域
 1位 / フィンランド 7.52 / − / ヨーロッパ
 2位 / ノルウェー 7.75 / +1 / ヨーロッパ
 3位 / デンマーク 8.24 / +4 / ヨーロッパ
 4位 / オランダ 9.22 / -2 / ヨーロッパ
 5位 / スウェーデン 9.47 / +5 / ヨーロッパ
 6位 / ニュージーランド 10.06 / +3 / オセアニア
 7位 / オーストリア 10.85 / +5 / ヨーロッパ
 8位 / カナダ 10.99 / +10 / 北米
 9位 / ジャマイカ 11.18 / +8 / 中南米
10位 / エストニア 11.19 / +1 / ヨーロッパ
11位 / アイルランド 11.20 / +5 / ヨーロッパ
12位 / ドイツ 11.47 / +2 / ヨーロッパ
13位 / チェコ 11.62 / − / ヨーロッパ
14位 / スロバキア 11.66 / +6 / ヨーロッパ
15位 / ベルギー 11.98 / +8 / ヨーロッパ
16位 / コスタリカ 12.26 / +5 / 中南米
17位 / ナミビア 12.50 / +5 / アフリカ
18位 / ポーランド 12.71 / +1 / ヨーロッパ
19位 / ルクセンブルク 13.61 / -15 / ヨーロッパ
20位 / スイス 13.85 / -5 / ヨーロッパ
21位 / アイスランド 13.87 / -13 / ヨーロッパ
22位 / ガーナ 15.50 / +5 / アフリカ
23位 / ウルグアイ 15.94 / +3 / 中南米
24位 / キプロス 16.52 / +1 / ヨーロッパ
25位 / オーストラリア 17.03 / +3 / オセアニア
26位 / ポルトガル 17.11 / +4 / ヨーロッパ
27位 / リヒテンシュタイン 17.67 / -21 / ヨーロッパ
28位 / ラトビア 18.12 / +9 / ヨーロッパ
29位 / スリナム 18.20 / +2 / 中南米
30位 / ベリーズ 18.54 / -1 / 中南米
38位 / フランス 21.15 / +1 / ヨーロッパ
49位 / アメリカ 24.41 / -3 / 北米
51位 / 台湾 24.83 / -1 / アジア
60位 / 韓国 26.55 / -3 / アジア
61位 / 日本 26.95 / -2 / アジア
152位 / ロシア 44.97 / -4 / ヨーロッパ
176位 / 中国 73.55 / -1 / アジア
179位 / 北朝鮮 83.25 / − / アジア
180位 / エリトリア 84.86 / − / アフリカ  
「報道の自由度」ランキング、日本はなぜ61位に後退したのか? 2015/3
国境なき記者団が発表する「世界報道自由度ランキング」で、2015年に日本が順位を61位まで下げたことが大きく報じられた。その理由は何なのか。言論・報道の自由が保障されている「はず」の日本に対して、なぜそのような評価がなされるのか。その背景を考察したい。
世界報道自由度ランキングとは?
「国境なき記者団」(Reporters Without Borders)は、世界の報道の自由や言論の自由を守るために、1985年にパリで設立された世界のジャーナリストによるNGOである。活動の中心は、世界各国の報道機関の活動と政府による規制の状況を監視することであり、その他にも、世界で拘束された記者の解放や保護を求める運動や、戦場や紛争地帯で危険に晒された記者を守る活動など、幅広い活動が展開されている。
その中心的な活動である世界各国の報道機関と政府の関係についての監視と調査の結果をまとめた年次報告書が「世界報道自由度ランキング」(World Press Freedom Index)である。これは2002年から開始された調査報告書であり、世界180か国と地域のメディア報道の状況について、メディアの独立性、多様性、透明性、自主規制、インフラ、法規制などの側面から客観的な計算式により数値化された指標に基づいたランキングである。つまり、その国のメディアの独立性が高く、多様性、透明性が確保されていて、インフラが整備され、法規制や自主規制などの規制が少ないほど、メディア報道の自由度が高いとされる指標である。
世界的なトレンドは?
2002年から2015年までの間で13回発表されているが、国際的には、フィンランド、ノルウェー、デンマークなどの北欧諸国の報道がランキングの上位を占めてきた。一方で、毎年の変動はあるものの、アメリカやイギリス、フランスといった先進国は、その時代情勢によって10位代から40位代の中間よりやや上位を推移している。また、中国や北朝鮮、ベトナム、キューバといった社会主義諸国のランキングは170位代前後を推移し、常に最下位レベルである。中東のシリアやイラン、アフリカで紛争の続いたソマリアやスーダンなどのランキングも常に最下位レベルである。このように、国家の体制により、または国内の政治情勢により、政府とメディアの関係は大きな影響を受け、メディア報道の自由度が決まってくるという考え方である。同報告書では、2014年に報道の自由が世界的に低下したとされており、その一因をイスラム国やボコ・ハラムなど過激派組織の活動によるものと指摘している。
日本の評価は?
日本のランキングは2002年から2008年までの間、20位代から50位代まで時代により推移してきたが、民主党政権が誕生した2009年から17位、11位とランキングを上げた。2008年までの間は欧米の先進諸国、アメリカやイギリス、フランス、ドイツと変わらない中堅層やや上位を保っていたが、民主党政権誕生以降、政権交代の実現という社会的状況の変化や、政府による記者会見の一部オープン化もあり、2010年には最高の11位を獲得している。
しかしながら、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故の発生の後、2012年のランキングでは22位に下落、2013年には53位、2014年には59位を記録した。そして今年2015年にはついに過去最低の61位までランキングを下げる結果となった。自由度を5段階に分けた3段階目の「顕著な問題」レベルに転落した状況である。
なぜ日本の順位は後退したのか?
世界報道自由度ランキングのレポートでは、日本の順位が下がった理由を解説している。ひとつは東日本大震災によって発生した福島第一原発事故に対する報道の問題である。例えば、福島第一原発事故に関する電力会社や「原子力ムラ」によって形成されたメディア体制の閉鎖性と、記者クラブによるフリーランス記者や外国メディアの排除の構造などが指摘されている。
戦争やテロリズムの問題と同様に、大震災や原発事故などの危機が発生したときにも、その情報源が政府に集中することにより、「発表ジャーナリズム」という問題が発生する。政府が記者会見で発表した情報をそのまま鵜呑みにして報道する姿勢である。また、同様に戦場や被災地など危険な地域に自社の記者を派遣しないで、フリー・ジャーナリストに依存する「コンプライアンス・ジャーナリズム」の問題も重要である。メディアとしての企業コンプライアンスによって、危険な地域に自社の社員を派遣できないという状況から、危険な地域に入るのはフリー・ジャーナリストばかりになるという構造的問題である。
このような日本のメディアの状況下で一昨年に成立した特定秘密保護法の成立が日本の順位下落に拍車をかけた形である。特定秘密保護法の成立により、戦争やテロリズムに関する特定秘密の存在が自由な報道の妨げになるという評価である。日本が置かれる国際状況や、日本国内の政治状況が大きく変化している現在こそ、日本のメディア、ジャーナリズムに自浄作用と改革が求められている。  
日本は世界61位。日本のマスメディアが抱える三大問題とは? 2015/7
皆さんは知っているだろうか?2015年度、国境なき記者団が発表したMedia Freedom Rankingで、日本は去年から順位を2つ下げ、世界ランキング61位となった。この順位は韓国を一つ下回り、先進5カ国(G5)の中では最下位である(ドイツ12位、イギリス34位、フランス38位、アメリカ49位)。
毎年発表されるこのランキングは、ニュース報道の偏り、報道機関やジャーナリストの発言の自由に対する制限、そして報道機関が政府から独立しているかなど、様々な項目で得点付けされ、合計得点が低い国ほどメディア機関の健全度が高いことになる。日本の得点は26.95点で、5段階評価の中で3番目の『顕著な問題がある』という評価を受けた。
しかし、『顕著な問題がある』と言われても、実際何が問題なのか、マスメディアはそのことを決して報道してくれない。NHKでは日本のメディアランキングを報道したが、ただ単に順位を発表しただけに過ぎず、日本のメディアが抱える問題点について詳細を述べることはなかった。今回はこの記事を通して、日本のマスメディアが抱える三つの主要な問題点を紹介したい。
1. Ownership (報道機関の所有者)
国営以外の放送事業は必ず所有者がおり、その所有者が多数の情報機関を所有することは、ニュースの多様性を著しく低下させる原因となる。メディアの原則として、それぞれの報道事業(テレビ、新聞、ラジオ)は、お互い距離を置き、監視しあうことで健全な報道機関を築くこととされている。
だが、日本では読売新聞社が日本テレビを保有するなど、当たり前のように主要な報道機関が密接に結びついている極めて悲惨な現状だ。こういったメディア形態はクロスオーナーシップと呼ばれ、アメリカなどでは禁止されている。日本では、一度鳩山政権時に原口総務大臣がクロスオーナーシップを撤廃することを会見で表明した。
しかし、テレビ局と新聞社は一切このことについて報道はせず、その時からマスコミによる鳩山政権に対する攻撃が過激化した。結果として、鳩山政権は退陣を余儀なくされ、クロスオーナーシップ撤廃への道は閉ざされてしまったのである。
2. Advertisement (広告)
メディア機関の最大の収入源は広告である。そのため契約会社のイメージを悪くするような報道をすることは、報道事業にとっては自分の首を絞めることと同じである。そのため、スポンサー契約をしている企業のイメージダウンにつながるニュースは『報道できるニュース』の枠から外され、事実上世の中から抹消される。
2013年に、ホテルや百貨店などでの食品偽装事件が相次ぎ大きな社会問題となったが、ことの発端となったのは国内有数のテーマパークが偽装表示を発表したことからだった。阪急阪神ホテルズの社長が辞任に追い込まれるほどの重大な事件だったのにもかかわらず、このテーマパークの食品偽装は一部の報道機関が小さく報道したのみにとどまり、ほぼ『なかったこと』にされてしまった。
なぜこのようなことが起きるのだろうか?それは、民放テレビ局はスポンサーであるこのテーマパークから莫大な広告費をもらっているため、このテーマパークのイメージを崩すような報道を避けることは暗黙の了解となっているのだ。皮肉なことに、このテーマパークが報道事業のスポンサーである限り、このテーマパークは日本国民にとって永遠に『夢の国』であり続けるわけである。
3. Sourcing (ニュースの情報源)
報道機関はどうやって世界中で分刻みに起こっているニュースをあつめてくるのだろうか?世界規模の報道機関でさえも、世界中にくまなく記者を張り込ませることは不可能である。そのため、時事通信といった通信会社からニュースを購入するのが一般的である。ニュースの購入は放送事業を成り立たせるためには必要不可欠なことではあるが、様々なメディアの媒体が同じニュースを違うように報道する状態を生んでしまう。各報道機関は通信会社からニュースを購入するほか、専属の記者が警察、行政機関、会見などを通してニュースのソースを得る。
ここで問題視されるのは、そのような機関から得たニュースは、情報提供者によってすでに情報操作されているということだ。これもまた報道するうえで避けらないことなのかもしれないが、日本が抱える問題は、これよりもはるかに根深いところにある。
『記者クラブ』という言葉を耳にしたことはあるだろうか。記者クラブとは日本の主要な報道機関が属する組織のことで、警察内や官公庁に記者室をもち、クラブに所属する記者だけが独占的に情報を入手できる組織形態になっている。そのため、海外のメディアやフリーランスの記者は記者クラブに所属できないことがほとんどで、報道の自由は完全に失われている。
記者クラブ制度は、大手報道機関ニュースの内容が一律化するだけでなく、官僚と大手報道機関の記者の癒着も深めてしまうのだ。記者クラブ自体は海外にも存在するもの、日本の記者クラブ制度は特有のもので、日本のMedia Freedom Rankingを著しく下げている一つの原因であることは言うまでもない。
こういった問題点は、決してマスメディアでは報道されず、私たちは日々『放送できるニュース』だけを真実として受け取り、世の中を理解しようとしている。日本でお昼時にテレビのチャンネルを回すと、どこもまったく同じニュースを取り上げていることに気づく人も多いだろう。ある人はそれを『お昼番組はどれも同じでつまらない』と言うかもしれない。
しかし、『つまらない』の一言でまとめてしまってよいのだろうか。つまらない理由は、どのテレビ局も同じニュースを報道するからであり、同じニュースを報道するのは、上記で述べた問題が存在するからである。この問題は私達が考える以上に根深く、容易に改善できる問題ではないが、国民が自国の抱える問題を認識することが改善への大きな一歩になると私は信じている。 
報道の自由度、日本は72位 国際NGO「問題がある」 2016/4/20
国際NGO「国境なき記者団」(本部・パリ)は20日、2016年の「報道の自由度ランキング」を発表した。日本は、対象の180カ国・地域のうち、前年より順位が11下がって72位だった。特定秘密保護法の施行から1年余りを経て、「多くのメディアが自主規制し、独立性を欠いている」と指摘した。世界的にも報道の自由は損なわれつつあるという。
日本は10年には11位だったが、年々順位を下げ、14年59位、15年は61位だった。「国境なき記者団」はかねて、取材の方法しだいで記者も処罰されかねない特定秘密法に疑問を呈してきた。14年12月に同法が施行された後、メディアが自主規制に動くのは、「とりわけ(安倍晋三)首相に対してだ」とした。
「良い状況」「どちらかと言えば良い」「問題がある」「厳しい」「とても深刻」の5段階では、日本は「問題がある」に位置づけられた。
ランキングは、インターネットへのアクセスなども含めた「インフラ」や「メディア環境と自主規制」といった独自の指数に基づいてつくる。世界全体で、テロの脅威とナショナリズムの台頭、政治の強権化、政治的な影響力もあるような富豪らによるメディアの買収などを背景に、「報道の自由と独立性に対する影響が強まっている」という。
国・地域別の自由度では、最上位にフィンランドなどの北欧諸国が目立ち、北朝鮮、シリア、中国などが最下位グループに並ぶ傾向に変わりはなかった。(パリ=青田秀樹)
報道の自由度ランキング(カッコ内は前年順位)
   1 フィンランド(1)
   2 オランダ(4)
   3 ノルウェー(2)
   4 デンマーク(3)
   5 ニュージーランド(6)
 16 ドイツ(12)
 18 カナダ(8)
 38 英国(34)
 41 米国(49)
 45 フランス(38)
 72 日本(61)
 77 イタリア(73)
148 ロシア(152)
176 中国(176)
177 シリア(177)
178 トルクメニスタン(178)
179 北朝鮮(179)
180 エリトリア(180)
       2016年    2015年   2014年
日本    (072) 28.67 (061) 26.95 (059) 26.02
韓国    (070) 28.58 (060) 26.55 (057) 25.66
中華人民共和国 (176) 80.96 (176) 73.55 (175) 72.91
アメリカ   (041) 22.49 (049) 24.41 (046) 23.49
イギリス  (038) 21.70 (034) 20.00 (033) 19.93
ドイツ    (016) 14.80 (012) 11.47 (014) 10.23
フランス  (045) 23.83 (038) 21.15 (039) 21.89
ロシア   (148) 49.03 (152) 44.97 (148) 42.78  
報道自由度.日本は72位 特定秘密法影響し大幅後退 2016/4/20 
国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)は20日、2016年の世界各国の報道自由度ランキングを発表、日本は特定秘密保護法などの影響で「自己検閲の状況に陥っている」として、前年の61位から72位に大幅に順位を下げた。
RSFは「特に(安倍晋三)首相に対する批判などで、メディアの独立性を失っている」と指摘した。
RSFは2002年から180カ国・地域を対象にランキングを作成。日本は10年の11位から毎年順位を下げ、12年に22位、14年は59位だった。
日本が順位を下げた背景として、11年3月の東日本大震災後、外国メディアやフリーランスに対する情報開示が不十分だったとの指摘がある。各国メディアから批判の声が上がった秘密保護法の施行に踏み切ったことも悪影響を与えたという。
1〜3位はフィンランド、オランダ、ノルウェー。主要国では英国が38位、米国が41位、フランスが45位、ロシアが148位。東アジアでは台湾が51位、韓国が70位、中国が176位、北朝鮮が179位。最悪の180位はエリトリアだった。 
報道の自由度 日本をはじめ世界で「大きく後退」 2016/4/20
国際的なジャーナリストの団体「国境なき記者団」は、各国でどの程度、自由な報道がなされているかを分析した「報道の自由度」についての報告をまとめ、日本をはじめ世界全体で「状況は大きく後退した」と指摘しました。
パリに本部を置く「国境なき記者団」は、世界各国の「報道の自由度」について、毎年、報道機関の独立性や法規制、透明性などを基に分析した報告をまとめランキングにして発表しています。
20日発表されたランキングで日本は、対象となった180の国と地域のうち72位と、前の年の61位から順位を下げました。これについて「国境なき記者団」は、おととし特定秘密保護法が施行されたことなどを念頭に、「漠然とした範囲の『国家の秘密』が非常に厳しい法律によって守られ、記者の取材を妨げている」と指摘しました。
ランキングでは、北欧のフィンランドが6年連続で1位となった一方、中国は176位、北朝鮮は下から2番目の179位で、最下位は東アフリカのエリトリアでした。
また、中米でジャーナリストへの暴力が相次いでいることや、ポーランドなどヨーロッパの一部で国営メディアへの規制が強化されたことなどを挙げ、世界全体の傾向として「状況は大きく後退した」と指摘しています。
そのうえで「メディアによる自主規制も増えている。独立した報道を守っていけるかどうか、先行きは、ますます怪しくなっている」と警告しています。
ランキングは
ことしの「報道の自由度」ランキングで、上位10位となったのは次の国々です。
1位フィンランド、2位オランダ、3位ノルウェー、4位デンマーク、5位ニュージーランド、6位コスタリカ、7位スイス、8位スウェーデン、9位アイルランド、10位ジャマイカ。
一方、下位10位の国は以下のとおりです。
171位キューバ、172位ジブチ、173位ラオス、174位スーダン、175位ベトナム、176位中国、177位シリア、178位トルクメニスタン、179位北朝鮮、180位エリトリア、最下位のエリトリアについて「国境なき記者団」は、「20年以上、独裁政権によって自由な報道を行う機会が存在していない。イサイアス大統領は締めつけを緩めるつもりはなく、報道の自由の略奪者だ」と厳しく批判しています。
このほか、主な国と地域の順位です。41位アメリカ、45位フランス、51位台湾、70位韓国、148位ロシアとなっています。 
「報道の自由度72位、恥ずかしい」民進・岡田代表 2016/4/22
(報道の自由度ランキングで日本が72位となったことに)極めて恥ずかしい結果。安倍政権になって相当ひどいことが行われていると海外から見られている。官房長官は報道の自由は極めて確保されていると言っている。報道の自由の対象は権力者である総理や官房長官だ。当事者が大丈夫だと言っているのはまったくパロディーでしかない。
報道の自由度ランキング、日本は72位で専制君主の開発途上国並み 2016/4/22
国境なき記者団(Reporters Without Borders)は20日、2016年度版の「報道の自由度ランキング」を公表し、1位はフィンランド、2位はオランダ、そして3位はノルウェーとなったことを明らかにした。
米国は先進工業国中では最下位となる41位となった。一方、日本に至っては72位になるなど、報道の自由度の面においては、専制君主の開発途上国並みとなった。他方、報道の自由がそもそも保障されていない中国は180位中の176位、北朝鮮は179位となった。
報道の自由度ランキングで上位にランキングしたのは、西欧とニュージーランド、オーストラリア、カナダといった国々で、その次は、東欧やアフリカなどの国々がランキングする格好となった。
国境なき記者団では、米国が41位と悪い結果となったのは、政府による個人情報収集や、外国におけるスパイ活動、テロ防止のための報道の自由の制約、更に、NSAの内部情報漏洩事件により機密情報の管理が厳格化していることなどを挙げ、米国内のジャーナリストは連邦法の元では保護の対象にはならない状況となっていることを指摘している。
また、報道の自由度の面においては、専制君主の開発途上国並みのスコアとなった日本については、日本のマスメディアは強大な権利を行使しているが、政府に対してはべったりで国家機密を暴こうという態度は見えないとし、マスコミ各社では、福島原発事故問題、皇室問題、国防問題の全てが国家機密として扱われており、報道の対象にはなってはいないとしている。また、報道の自由の法制面で保証は、十分には確約されておらず、当局が捜査権を行使した場合には、ジャーナリストの身分は保証されないとも指摘している。 
国境なき記者団
言論の自由(または報道の自由)の擁護を目的としたジャーナリストによる非政府組織である。1985年、フランスの元ラジオ局記者ロベール・メナールによってパリで設立された。
世界中で拘禁されたジャーナリストの救出、死亡した場合は家族の支援、各国のメディア規制の動きへの監視・警告が主な活動としている。2002年以降、『世界報道自由ランキング』(Worldwide press freedom index) を毎年発行している。2006年11月には「インターネットの敵 (Enemies of the Internet) 」13カ国を発表し、2014年現在には19カ国が挙げられている。
近年では、中国のYahoo!とGoogleに対して、インターネットの検閲をしないように要請したことがある。2008年4月には、メナール事務局長が北京オリンピックの聖火リレーを、実力を以って妨害した事で話題になった。8月には開会式に合わせて駐フランス中国大使館前でデモを計画したが、計画は認められずシャンゼリゼ通りでの実行に切り替えている。
2009年6月のイラン大統領選挙に関して、マフムード・アフマディーネジャード大統領(当時)の陣営による検閲や報道関係者の取締りが行われたとして、選挙結果の不承認を各国に呼びかけている。
一方、日本に対しては従来から記者クラブ制度を「排他的で報道の自由を阻害している」と強く批判しているほか、2011年の福島第一原発事故に関連した報道規制や秘密保護法などの政府情報開示の不透明さに対して警告を発している。
世界報道自由ランキング
2002年以降、毎年14の団体と130人の特派員、ジャーナリスト、調査員、法律専門家、人権活動家らが、それぞれの国の報道の自由のレベルを評価するため、50の質問に回答する形式で指標が作成される。その指標を基づいて発行されたリストが世界報道自由ランキング (World Press Freedom Index) である。
日本の順位
日本も2010年(民主党政権の鳩山内閣当時)まで一桁台の指標が続き世界の中でもトップクラスの順位を誇っていたが、近年の東京電力福島第一原子力発電所事故をはじめとした報道の不透明さや、政府などから開示される情報量の少なさ、記者クラブ制度の閉鎖性、2013年(第2次安倍内閣当時)には政府情報の隠弊を可能にしたとも受け取れる特定秘密保護法の制定などを理由として、年々指標を下げ続けており順位も11位から2016年(第3次安倍内閣)にはついに72位まで落としている。また、右図から見ても日本は「問題な状態」に指定されていることが分かる。先進国の中では特に悪い状態で、G7の中では最下位まで転落した。
しかし、上位にマスコミやインターネット網が未発達で評価が困難な国が多数ある。例えば2016年度では、貧富の差が世界一激しくジニ係数は世界一のナミビアが17位、人口が53万人のスリナムが22位、人口が18万人のサモアが29位、人口が53万人のカーボベルデが32位、人口が32万のベリーズが36位、人口が10万人のトンガが37位、人口が41万人のマルタ46位などとなっている。また国家元首が不在で独立した政府が無いアンドラが33位、2015年にクーデターがあり政情が不安定なブルキナファソが42位、政情不安で混乱が続いているコモロが50位、政府機能は麻痺状態のハイチが53位となど理解しがたい順位がある。
日本も2012年の22位から2013年の53位と政権交代しただけで突然悪化していること、産経新聞記者が起訴された韓国が日本より上位の70位にあること、報道管制が厳しい香港が69位にあるなど、ランキングの信用性、公平性に大きな疑問がある。
 
放送法順守を求める視聴者の会

 

放送法順守を求める視聴者の会 1
この度、憂いを同じくする民間人7名が呼びかけ人となり、「放送法遵守を求める視聴者の会」(以下「視聴者の会」)を発足し、本日11月14日付産経新聞に、15日、読売新聞に一面全面広告を掲載。同広告ではTBSニュース23のメインキャスター岸井成格氏の放送法違反である疑いの非常に濃厚な発言を明確、詳細に批判し、国民に違法な報道への注意を喚起しました。また、視聴者の会では、TBS、岸井氏宛公開質問状を近く正式に投函する予定。  
報道番組の現状 
当会の調査によると、安保法制成立直前1週間の各局報道番組の法案への賛否の放送時間比較は、NHKニュースウォッチ32%:68%(賛成:反対、以下同)、日本テレビNEWS ZERO10%:90%、テレビ朝日報道ステーション5%:95%、TBS NEWS23 7%:93%、フジテレビあしたのニュース22%:78%など、常軌を逸した偏向報道となっています。特定秘密保護法、集団的自衛権の閣議決定など重大なトピックではほぼ同じ極端な偏向が繰り返されてきました。この現状を短期間に是正しない限り、国民が正しい政治判断を下すことは不可能です。 そこで視聴者の会では、以下の目標を実現するまで活動の手を絶対に休めません。  
目標 
テレビ事業者は放送法の規制下にあります。放送法第4条は以下の4項目を放送事業者に遵守するよう求めています。私達は、放送事業者が、この第4条を遵守し、重大な政治的争点で公正な放送時間配分(概算で4:6程度までの範囲内)を守らざるを得ない国民的な強い思潮を早期に作りだすことを唯一最大の目標とします。  
放送法第4条  
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。  
二 政治的に公平であること。  
三 報道は事実をまげないですること。  
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。  
行動方針 
1視聴者の会は、例えば「放送法に罰則規定を設ける」「放送局の解体」などの激しい争点になる主張を行わず、現行の放送法4条の遵守のみを求めてゆきます。  
2当会は、会として特定の政治的立場や主張を持ちません。特定の政治的主張を通したくてこの運動をしているのではありません。視聴者の会のキーワードは「国民の知る権利」です。偏向報道はまさしく「知る権利」の重大な侵害に他なりません。当会は「知る権利」を守ることに活動を特化します。  
3当会は新聞メディアは対象としません。新聞には完全な言論の自由が保障されています。今回の我々の会が問題にするのは放送法に規制された放送局のみです。  
4政治家の関与・賛同は厳に御断りし、一般国民の声のみを結集します。  
今後の活動 
本日の新聞広告掲載に続き、矢継ぎ早に各種広報を始めキャンペーンを展開します。違法性ある報道を国民の皆様に知らせ続けるホームページの更新、各界有識者の賛同者の募集、大規模な署名活動を展開してまいります。報道番組の公平化が早期に達成されるまで、皆様の力強い御賛同、御支援をお願いいたします。  
すぎやまこういち(代表/作曲家) / 渡部昇一(上智大学名誉教授) / 渡辺利夫(拓殖大学総長) / 鍵山秀三郎(株式会社イエローハット創業者) / ケント・ギルバート(カリォルニア州弁護士・タレント) / 上念司(経済評論家) / 小川榮太郎(事務局長/文藝評論家) 
放送法順守を求める視聴者の会 2
日本の任意団体。通称「視聴者の会」。  
放送法遵守を求める視聴者の会は、国民主権に基づく民主主義のもと、政治について国民が正しく判断できるよう、公平公正な報道を放送局に対して求め、国民の「知る権利」を守る活動を行う団体であるとしている。特定の政治的思想は持っておらず、いかなる立場の政治的主張であろうと、アンバランスで極端に偏向した姿勢での報道は許されないと考え、政治的立場がどうあれ公正な報道姿勢が守られていない限り、マスコミに対してその是正を求めてゆくことを会の方針としている。会の目的は放送局やニュース番組を糾弾することではなく、視聴者の立場から放送局に対し、放送法第4条を遵守し公平公正な報道により、国民の「知る権利」を守るよう求めてゆくことであり、公平公正な報道が実現されることのみが目的である。放送法に罰則を設けるなどの法改正は求めておらず、放送局が現行の放送法第4条を遵守しさえすれば、法改正の必要は無いという立場をとっている。特定の政治家や政治団体との関係は持っておらず、そのような関係を厳に断りながら運営する方針である。新聞については法的規制は無いため、新聞の主張内容や報道姿勢を監視する運動は行っておらず、あくまで対象は放送法の規制下にある放送事業者のみである。
沿革  
2015年に第3次安倍内閣によって提出され、国会で議論された平和安全法制について、同年9月16日放送の「NEWS23」(TBSテレビ)にて、番組のアンカーである岸井成格が「安保法案は憲法違反であり、‟メディアとしても”廃案に向けて声をずっと上げ続けるべき」と発言した。この岸井の発言に対し、  
○ 「放送事業者は、国内放送及び内外放送の放送番組の編集に当たっては、次の各号の定めるところによらなければならない(第4条)」「政治的に公平であること(第2号)」「意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること(第4号)」と記された放送法第4条1から4項に違反する可能性がある  
○ 国民がマスコミによって「知る権利」を奪われかねない  
と主張し、すぎやまを代表とする7人の文化人が呼びかけ人となり、同年11月1日付で「放送法遵守を求める視聴者の会」が設立された。  
呼びかけ人のひとりであるケントは、9月22日付のブログで自身が「NEWS23」にVTR出演した際にオンエアに悪質な印象操作があったと述べており、  
○ 「「さすがはTBS、見事な編集だな〜!」と、久しぶりに感服しました」「「ケントは頭がおかしい」と反射的にツイートする人たちの、テレビを通じた印象操作のされっぷりが見事すぎる」  
と、不満を述べていた。  
視聴者の会は、同年11月15日に産経新聞、11月16日に讀賣新聞の朝刊にて、安保法制におけるNHKや民放キー局が制作している報道番組での賛成反対両論放送時間を集計し円グラフで比較、「NEWS23」「報道ステーション」「NEWSZERO」で90%以上の時間が反対意見に割かれていると述べ、メディアが反対派に偏った報道をしている、と主張した上で、放送事業者に対し放送法第4条の遵守を求める意見広告を出した。さらに、同年11月26日に記者会見を行い、事務局長の小川は  
○ 「検証を進めると、印象として言われる「偏向報道」という言葉では手ぬるい、違法的な状況が蔓延している。メディアは本来、さまざまな見解を伝え、事実と国民を媒介するものではないか」「強調したいのは、(保守派論客と呼ばれる)呼びかけ人の政治的見解を報じてほしくて会を始めたのではない、ということ。逆に、われわれの主張を全テレビ局が90%、賛成したり称賛したりするような状況は異常だ」「しかし、90%以上が政府や法案をあの手この手で叩き続けるのも異常だ。むしろ、国民の判断を奪う政治宣伝のレベルに達している。この現状は、政治的立場を超えて、誰もが問題視せざるをえない状況ではないか」  
と述べた。  
その後、視聴者の会は、岸井、TBSテレビ、総務省に対し放送法第4条を遵守するよう求める公開質問状を送った。12月22日付で、TBSテレビと総務省は視聴者の会からの質問状に対する返答を公表した。  
総務省の高市早苗大臣は、  
○ 他方、一つの番組のみでも、例えば、1.選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合、2.国論を二分するような政治課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として「政治的に公平であること」を確保しているとは認められないと考えております。  
と回答している。  
しかし、岸井本人からの返答は無かった。これに対し、視聴者の会は  
○ 甚だ残念であります。岸井氏は放送局に属するニュースアナウンサーではなく、そもそもが毎日新聞の主筆まで務めた、現代を代表する「言論人」です。言論人とは、ついには、一個の個人の言葉の力のみに依って立つべきであり、その意味で、無回答という回答さえもTBSに代行させたのは、自ら、言論人の矜持を根底から放棄したに等しいと言えるのではないでしょうか。また、氏は、今日まで、政治家など他者に対して、極めて厳しい要求を突き付け続けてきた「実績」をお持ちです。自らが社会的な批判にさらされた時には、自分が過去、他者に要求してきた所に顧み、恥ずかしくない言動を取られるべきではなかったでしょうか。当会は、(TBS)社からの回答はなくとも、個人としての資格による岸井氏の回答はあるだろうと期待していました。TBSに「無回答という回答」を代行させた氏に対して、強い失望を禁じ得ません。  
とのコメントを出した。  
その後、2016年1月15日に、岸井が「NEWS23」のレギュラー出演を降板することが発表されたが、TBS広報部は「(昨年9月の)騒動以前に岸井さんと話し合っていたこと。政治的圧力や意見広告などは全く関係ありません」と説明したが、4月以降から新たにTBSテレビと「スペシャルコメンテーター」として専属契約をした事が発表され、「NEWS23」や「サンデーモーニング」、「選挙特番」を含め横断的に出演する事が決定。この事象に対し、事務局長の小川が共同通信のインタビューに回答したが、記事には使用形跡が無かったため、個人Facebookのフィードにて、  
2.TBSテレビ専属のスペシャルコメンテーターとしてならば、番組の中で同じ発言した場合、問題はないという認識でよいか? の問いに、  
○ 「勿論、番組全体が放送法第4条に則った論点の多角的提示を行った上で、個人としてのジャーナリストや言論人が同様の発言をするなら何ら問題はない。しかし「テレビ局専属のスペシャルコメンテーター」という岸井氏の新たな肩書は、放送事業者の組織人を意味するので、従来の毎日新聞社員の立場よりも発言の自由は制限されるのではないか。自由で強い発言をしたければ個人の資格に立つべきだ。」  
3.「報道ステーション」古館氏、「クローズアップ現代」(NHK)の国谷氏、岸井氏の3氏が降板、テレビの変化をどうお感じか? の問いに、  
○ 「万一、我々の活動と3氏の降板とに何らかの関係があるならば遺憾である。我々は多角的論点の提示を求めているので、特定のキャスターの降板を求めたつもりはない。寧ろ、局として放送法4条遵守に向けて、国民に見える形で取り組んでほしかったし、発言のカラーの強いキャスターを降板させるより、彼らを留任させた上で、論点を多角的に打ち出して、論争的でエッジの効いた報道番組を作ってもらいたかったというのが本音だ。」  
との回答をしたと公表した。
評価  
産経新聞社ワシントン駐在客員特派員兼論説委員の古森義久は、視聴者の会の意見広告を受けて自身のコラムにて、「NEWS23」では岸井も他の出演人物たちもすべて安保法案への反対の立場を一貫して示し続け、安保法案可決前後2週間、同法案への賛成側の主張や動きは全く報じられなかったことを指摘している。しかも、岸井は単に意見を述べるコメンテーターではなく、放送局側を代表する立場にあり、そのTBS代表が堂々とすべてのメディアに対して安保法案の廃案を求め続けるべきだという特定の主張を表明したことは明らかに放送法違反として映ると批判している。  
視聴者の会による意見広告を掲載した産経新聞は、視聴者の会の主張は視聴者として当然抱く疑問であり、公開質問状も回答できないような複雑な内容ではないため、岸井は自らが思うところを堂々と述べたらいいだけであり、返答できなかったということは岸井自身も自らの発言に問題があったと考えているのではないかと評している。また、岸井だけに問題があるのではなく、番組を仕切るキャスターにも、番組の責任者であるプロデューサーにも、そして番組を放送しているTBS自体にも責任があると批判した。さらに、メディアが視聴者に対して傲慢になっているのは、「単なる倫理規定」「従わなくても罰則はない」と制作者側が放送法を軽んじている姿勢に問題があるとし、「権力に対してチェック機能を果たすのがメディアの役割であり、批判するのであれば意見が偏っていても構わない」という「勘違いの正義感」も背景にあるのではないかと主張した。
批判  
視聴者の会の意見広告に対し、日本ジャーナリスト会議は、「安保法に対する国民の反対の声を伝えたもので放送法違反ではない。岸井氏への不当な攻撃はメディアの萎縮効果を狙ったもので、不当な攻撃を許さない」と声明を発表した。  
同年12月6日に日比谷野外音楽堂で行われた、安全保障関連法に反対する集会にて、岸井と大学の同じゼミ生で評論家の佐高信が、  
○ 「渡部昇一とか、例の愛国者擬きの人達が呼び掛けた意見広告で、全部がNEWS23のアンカー、岸井成格に対する個人攻撃だった」  
と批判し、自身が前社長で論説委員を務める「週刊金曜日」1069号(2015年12月25日)にて「右派市民運動による言論攻撃」として批判した。  
同年12月15日に砂川浩慶立教大学社会学部准教授、元「GALAC」(放送批評懇談会)編集長でジャーナリストの坂本衛、アジアプレス・インターナショナルの綿井健陽が日本外国特派員協会にて、「「放送法の誤った解釈を正し、言論・表現の自由を守る」ことを呼びかけるアピール」の記者会見を行い、記者からの「与党及び政府が活動支援しているのか?」の問いに対し、  
○ 「はっきりした証拠は見つからないが、放送に対して政府与党が強力に圧力をかけているのと同調するような意見広告が新聞に載っており、繋がってるのかなと思うが、色々な意見はあっていいので、批判したいのはあくまでも政府なので、その間違いを正したい。(坂本)」「日本のマスメディアが"安倍政権を支持するメディア"と、"ちゃんと批判するメディア"に二分している。この1年間で安倍さんが出演したテレビ局は限られて、日本のマスメディアは新聞とテレビが系列関係にあるので、安倍さんに近いグループだけで、視聴者の会が近いメディアに意見広告を出稿しており、安倍政権支持のメディア論調と、活動家らのネットの発言内容は非常に似通っている。(砂川)」「放送における"公平中立"というのは、いかなる政治家にも、経済界にも干渉されない、支配されない、影響されないという"自主独立の確保"だと思う。(綿井)」  
とし、視聴者の会の主張と手法を批判した。 
すぎやまこういち  
(椙山浩一、1931 - ) 日本の作曲家、編曲家。日本作編曲家協会常任理事、日本音楽著作権協会評議員。  
○ 名義にひらがなを使用しているのは、「椙山」を読める人が少なかったため。初期の曲の一部ではクレジットを漢字表記にしていた。  
○ 演歌について「演歌こそ日本民族の音楽である、という権威付けは間違いである」「音楽芸術の面から見れば、瀧廉太郎から始まりすくすくと育っていた日本の音楽文化に、暗黒時代を築いたと断言してよい」「我々コンポーザーの間でも演歌を歌とは認めても、音楽的には優れた美しいものと認めている人は少ないのではないか」と否定的な見解を自著に記している。  
○ 趣味はクラシックカメラとゲーム(ビデオゲームに限らずさまざまなおもちゃ)の収集、読書と食べ歩き。 カメラの収集家としても著名で、カメラ雑誌でクラシックカメラや特殊なカメラに関する記事の執筆も手がける。  
○ 2ちゃんねらーであることを公の場で明らかにしている。2007年の「教科書改善の会」シンポジウムにおいて、「2ちゃんねるを見ている」と発言し、会場にいた人々に「2ちゃんねるを見たことがあるか」と質問したところ、ほとんどが中年以上であったにも関わらず多数の人が手を挙げた。さらに「アサヒる」という言葉をそのままの解釈で披露した。  
○ ゲーム好きであり、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長などを務めている。また、嫌煙の風潮に反発し、「喫煙文化研究会」を設立し、代表に就いている。  
主張と立場  
○ 国家基本問題研究所評議員、教科書改善の会賛同者、「国籍法の是正を求める国民ネット」代表委員、歴史事実委員会委員、「安倍総理を求める民間人有志の会」発起人などを務め、その一員として活動を行っている。  
○ 政治家に対する直接的な支援としては、松原仁・稲田朋美・城内実などの応援曲の作曲を手掛けたほか、2012年には稲田に計250万円(夫人・之子名義のものを含めると計450万円)、安倍晋三に計160万円、中山成彬に130万円、中山恭子に80万円、赤池誠章に50万円を献金するなど、金銭面での支援もおこなっている。  
○ 慰安婦問題や南京事件についても、たびたび否定的な態度を表明している。ニューヨーク・タイムズ紙やワシントン・ポスト紙に、「南京事件の被害者が30万人という説、およびそれに基づく日本軍の虐殺行為は事実として認められない」という趣旨の意見広告を載せようとし、一度は断られたが、2007年6月14日付ワシントン・ポスト紙に歴史事実委員会名義で「THE FACTS」(慰安婦問題について強制性はなかったとし、アメリカ合衆国下院121号決議案採択阻止を目指す目的の意見広告)が掲載された。これを主導し、広告費全額を負担したのはすぎやまである。決議案は採択されたが、すぎやまは「広告掲載を受けて当時の下院採決には十数人しか出席しなかった。広告には効果があった」と主張している。  
○ 2010年、三橋貴明、西村幸祐らとともに、「日本人による日本人のためのメディア」という趣旨のもと、“メディアを監視する”ウェブサイト「メディア・パトロール・ジャパン」を立ち上げ、コラムを執筆している。5月、藤井厳喜と西村幸祐が鳩山由紀夫を「公職選挙法違反」の容疑で告発した際、署名の中にすぎやまも名を連ねた。2015年には放送局に放送法遵守を求める「放送法遵守を求める視聴者の会」を興した。  
発言  
○ 過去において、古くは天皇制を論議することから憲法改正問題、集団的自衛権問題、有事法制問題など多くの論議のタブーが存在し、政治家はもちろんのこと、どれほど多くの国民を思考停止状態に追い込んできたことだろう。この非核三原則を論議すること自体を封殺しようとする人々は、全体主義政治体制に憧れを持っている人々なのだろうか?  
○ 武器というものは全て悪いものだという発想は、まさに憲法九条そのものです。  
○ 福田康夫首相の退陣表明は中国や韓国から惜しまれた。ギョーザ事件では中国内で同じ事件があったのに、中国の要請通り発表を控えるほどの『媚中派』だったからだ。尖閣諸島や竹島問題など国家間のせめぎ合いがある。次期首相は中韓に嫌がられても国益を優先する保守政治家を望む。  
○ 今の日本国内は“日本軍vs反日軍の内戦状態”にあると、私は思っている。 
渡部昇一  
(1930 - ) 日本の英語学者、評論家。上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)博士。称号・名誉学位はミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)名誉博士。公益財団法人日本財団評議員。山形県鶴岡市出身。昭和23年山形県立鶴岡中学校(旧制)卒業、昭和24年山形県立鶴岡第一高等学校(現:山形県立鶴岡南高等学校)卒業を経て、同年に上智大学文学部英文学科に入学。上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了を経てドイツのミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)大学院博士課程修了。自著によると極貧の状態で大学を卒業し、奇跡的にヨーロッパの大学に留学し、学位を取ることができたという。ミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)哲学博士(Dr.Phil. 1958年)、オックスフォード大学留学、ミュンスター大学(ヴェストファーレン・ヴィルヘルム大学)名誉哲学博士(Dr.Phil.h.c. 1994年)。ヨーロッパから帰国して10年ぐらい経った助教授の頃、フルブライト・ヘイズ法によるアジアからの訪問教授プランによって渡米、4つの州の6つの大学で半学期ずつ講義を行う。上智大学講師、助教授、教授を歴任して退職。上智大学より名誉教授の称号を受ける。専門の英語学以外にも歴史論、政治・社会評論を著している。内面の充実を求める生活のさまざまなヒントとアイデアを示した著書『知的生活の方法』はベストセラーとなった。また、大島淳一のペンネームでジョセフ・マーフィーの成功哲学を日本に紹介した。主な役職としては、インド親善協会理事長、日本財団理事、グレイトブリテン・ササカワ財団(日本財団のイギリスにおける機関)理事、野間教育財団理事、イオングループ環境財団評議員、エンゼル財団理事、「日本教育再生機構」顧問等。政治・歴史に関する評論については、保守系オピニオン誌である『正論』や『諸君!』『WiLL』『voice』『致知』などへの寄稿が多い。近年は魂の存在を肯定する発言を行なうなどスピリチュアリズムに関する著作を出版している。  
近現代史論  
○ 盧溝橋事件は中国共産党の陰謀である、戦前の学校で習った歴史の見方の方が正しかったと主張している。  
○ 南京事件に関しては、「ゲリラの捕虜などを残虐に殺してしまったことがあったのではないか、こういうゲリラに対する報復は世界史的に見て非常に残虐になりがちだ」と殺害の事実は認めているものの、「ゲリラは一般市民を装った便衣兵であり、捕虜は正式なリーダーのもとに降伏しなければ捕虜とは認められない。虐殺といえるのは被害者が一般市民となった場合であり、その被害者は約40から50名。ゆえに組織的な虐殺とはいえない」と虐殺行為は無かったと主張している。WiLL2007年4月号では、松井日記の南京についての記述を根拠に、「南京大虐殺は無かった」と主張している。  
○ 「ヒトラーやムッソリーニ、二・二六事件の青年将校らは共産主義者である」と主張している。  
○ 慰安婦問題に関しては、朝日新聞の吉田清治や吉見義明に関連しての報道や日本の弁護士の日本政府への訴訟、日本政府の安易な謝罪などが重なったことが原因で騒動になったもので、国家による強制や強制連行はなく、捏造であることが証明されているとしている。2007年、日本文化チャンネル桜社長(当時)の水島総が代表を務める「慰安婦問題の歴史的真実を求める会」がアメリカ合衆国下院による対日非難決議案(アメリカ合衆国下院121号決議)に対して作成した抗議書に賛同者の一人として署名した。抗議書が駐日アメリカ合衆国大使館へ手渡された同年7月13日、渡部は記者会見で「(対日非難決議案にあるように)朝鮮半島で20万人もの女性をかき集め、トラックで運べば暴動が起きる」と述べ、決議を非難した。  
○ 沖縄戦における集団自決問題について、「実際には積極的に日本軍に協力した沖縄の人々が復帰後、左翼メディアに煽動され、歴史で騒げば金が出ると考え、堕落した結果である。」と述べた。また戦時中「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓をもっとも強く鼓吹したのは朝日新聞であったことは看過できないとしている。  
○ 戦後の“反日的左翼”の起源を、公職追放など占領政策によって利益を得た「敗戦利得者」および「コリア系」の出自を持つ人々に求め、彼らが東京大学、京都大学などの主要大学、朝日新聞などにポストを占めることで戦後の教育界、言論界は歪められたとしている。  
○ 対米協調主義であり、満州にアメリカを関わらせなかったことが失敗であったとして、現在の対中外交にもアメリカを関わらせるべきであるとしている。  
論争  
○ 南京事件についての主張は、現代史家の秦郁彦から批判されている。さらに秦は、渡部が『ドイツ参謀本部』において内容のみならず写真までも洋書から盗用していると主張している。  
○ 1980年『週刊文春』誌上で、小説家の大西巨人に対し、息子2人が血友病であり高額な医療費助成がなされていることから、「第一子が遺伝病であれば第二子を控えるのが社会に対する神聖な義務ではないか」と問題提起し、大きな論争を巻き起こした。  
○ 教科書誤報事件への批判などで朝日新聞・毎日新聞と激しく対立。  
○ 皇位継承問題に関しては男系主義者の立場を採っており、この点では小林よしのりと思想的に対立する。  
○ WiLL2008年7月号の日下公人との対談において、「…ですが美智子様が皇室に入られたために、宮中に仕えていた女性がみんな辞めてしまったそうです」と発言したことについて宮内庁より説明を求める抗議を受けている。宮内庁によれば、そのような事実はなく「その根拠,理由などを承知したく」渡部に要求している。また、同誌において渡部は「ですから、皇太子殿下が一番大切な時期にイギリスに4年も留学なさったというのは、長すぎます」と発言している点についても宮内庁は「当時の徳仁親王殿下が英国に留学なさったのは、昭和58年6月から昭和60年10月までの約2年間です」とその発言が正確性を欠いたものであることを指摘している。  
○ 自著にて「適度の放射能とは、実際にどのくらいか。著者はおそらく毎時20ミリシーベルトと毎時50ミリシーベルトの間にあるのではないかと推定している。」としているが、50ミリシーベルトは原発作業員の年間被曝限度であり、浴び続けると約6分で嘔吐などの急性症状が出る程の線量である。  
○ 『諸君!』誌で1984年新年号から始まったロッキード裁判批判キャンペーンの中で、冒頭陳述の意味や、「証拠能力」と「証拠の証明力」の区別を知らず、裁判記録さえ読むことなく自らの妄想を元に批判したと立花隆に批判された。なお、渡部は立花との公開論争の後、この件に関して沈黙を続けていたが、2012年2月に、渡部が1985年9月から『致知』において毎月連載している「歴史の教訓」において、立花の批判に再反論し、要望があればいつでも立花との議論に応じる構えを見せている。なお、これに対する立花からの反応は現在の所無い。 
渡辺利夫  
(1939- ) 日本の経済学者(経済学博士)。拓殖大学学事顧問・前総長・元学長、東京工業大学名誉教授、日本安全保障・危機管理学会会長。専門は開発経済学、アジア経済。山梨県甲府市生まれ。  
1975年 筑波大学助教授。1980年 経済学博士(慶應義塾大学、学位論文『開発経済学研究 : 輸出と国民経済形成』)。1985年 同教授。1988年 東京工業大学工学部教授。2000年 同大学定年退官、東京工業大学名誉教授。拓殖大学国際開発学部教授、同学部長。2005年 拓殖大学学長。2013年 拓殖大学学長退任。 
鍵山秀三郎  
(1933 - ) 株式会社ローヤル(現 イエローハット)の創業者。また、日本を美しくする会の相談役でもある。掃除をテーマにした活動・講演を全国各地で行なっている。東京都に生まれる。1952年 岐阜県立東濃高等学校を卒業。1953年 デトロイト商会に入社。1961年 デトロイトを退社、ローヤルを創業、社長に就任する。1998年 社長を退任、相談役に就任する。2008年 同相談役を辞任。  
○ 理想の会社像を追求し凡事を徹底せよ / 年商900億円を超えるカー用品販売会社、イエローハット。50年前の1962年に産声をあげた同社は、鍵山氏が自転車の行商からスタートさせた。1976年に卸売りから小売りへと業態転換し、1997年に東証一部に上場。翌年、鍵山氏は経営の第一線から退き、鮮やかな事業承継を果たした。78歳の現在はNPO法人「日本を美しくする会」の相談役として、日本全国で清掃活動と講演を行っている。同氏は「理想の会社像を追求し続けたからこそ、現在のイエローハットがある。もし売上や利益を追いかけていたら、途中で潰れていた」と語る。 
ケント・シドニー・ギルバート  
(1952 - ) アメリカ・カリフォルニア州の弁護士。また、日本で外国人タレント、俳優、著作家として活動。ヴィ・ネットワーク・システムズ代表取締役。アイダホ州に生まれ、ユタ州で育つ。1970年にブリガムヤング大学に入学。翌1971年に末日聖徒イエス・キリスト教会のモルモン宣教師として初来日。1980年、経営学修士号(MBA)、法務博士号(JD)を取得し、国際法律事務所に就職。企業に関する法律コンサルタントとして再び来日し、弁護士業と並行して英会話学校『ケント・ギルバート外語学院』を経営する傍ら、タレント業に携わる。1989年10月1日、宮崎県高鍋町の「町民の日記念式典」で「おもしろ大国ニッポン 私が見た日本観と不思議なこと」の文化講演を行う。2015年、アパ日本再興財団による『第8回「真の近現代史観」懸賞論文』の最優秀藤誠志賞を受賞。『日本人の国民性が外交・国防に及ぼす悪影響について』と題した論文は日本人の誠実さなどを「世界標準を圧倒する高いレベル」と評価した上で、その国民性が「軍事を含む外交の分野では、最大の障害になる」等と指摘したものであった。  
発言  
○ 憲法9条について / 1988年に刊行した『ボクが見た日本国憲法』(PHP研究所)の中では、「僕は改正する必要はないと思うな」、憲法9条は「理想」とした上で、「理想は変えない方がいい」と語っていたが、2015年に日本会議が主催した集会においては、「(9条を堅持するのは)怪しい新興宗教の教義です」と述べ、憲法9条改正を支持する立場を取っている。  
○ 朝日新聞問題 / 2014年、いわゆる従軍慰安婦問題について誤報があったと朝日新聞が認めた事について、「必死の努力を続けてきた韓国人は赤っ恥をかかされた」「報告書を提出したクマラスワミに死んでも消せない汚点が歴史上に残っちゃった」「国連人権委員会の調査内容がいい加減だったことまでバレちゃった」等、自身のブログでコメントした。  
○ 国歌と愛国心について / 愛国心という言葉に強いアレルギー反応を示す日本人が意外と多いと述べ、「『愛国心=右翼=軍国主義=ファシズム』のような刷り込みがよほど強いのでしょうね。」と述べる。国旗や国歌は、自国のものであっても他国のものであっても誰もが無条件で大切に扱うべき存在だと述べ、「君が代」を教えない一部の教育委員会や校長は「国歌を歌えない日本人」を意図的に育てているとしか思えないと述べた。自身が東京マラソンに出場した際に六本木男声合唱団倶楽部の一員として「君が代」を歌ったが、その肝心の場面が放送されなかったとして、アメリカでは大きなイベントの時は必ず開会セレモニーがあり、その中で国歌の斉唱もしくは独唱と星条旗の掲揚は必要不可欠であり、その場面もテレビで放送されると述べた。東京大学などの国立大学の卒業式で「日の丸」や「君が代」を一切使わない事について、「留学生に配慮して」は全く理由にならないと述べ、逆に留学生が日本という国家や国民に対して、最大限の「配慮」と「感謝」をするべきと主張した。  
○ 韓国ソウル中央地検による産経支局長起訴について / 言論の自由に対するすごい弾圧であり、長すぎる出国禁止はいわば監禁であり、在宅起訴なんて完全にやりすぎと述べ、発展途上国や独裁政権のやり方であるとし、「韓国の政治の未熟さを全世界にさらしているようなもの」「子供っぽい。恥ずかしい行為の極み。」と述べた。引用元の韓国紙や記者が処罰されず、引用した加藤達也 (ジャーナリスト)前ソウル支局長は名誉毀損で在宅起訴するなんて明らかに公平性を欠いていると述べ、スケープゴートにされたとしか考えられないと述べた。また、米国では言論の自由がとても大切にされており、この程度のことで起訴されるなんてありえないと述べた。  
歴史認識  
○ 2013年出版の『不死鳥の国・ニッポン』の中で「〈日清戦争から日露戦争、第二次世界大戦にかけて、どのような歴史的経緯があったにせよ、日本が朝鮮半島や中国大陸、東南アジア諸国を「侵略」し、悲惨な戦争を繰り広げたことは事実である。(中略)また、その当時の日本人の多くが中国人や朝鮮人を差別し、彼らを民族的に見下しながら虐げていた事実を、一部の日本の年配者は否定していない。第二次世界大戦の終戦までに日本が行っていたことは国家として、そしてその国の国民である日本人として、歴史の必然であったとしても、負の遺産として顧みることは無駄ではないと思う。と発言している。  
○ いわゆる「従軍慰安婦の強制連行」は、最初は小説内の創作であり、それが反日的プロパガンダによっていつの間にか歴史的事実として世界中に認識されたとしている。歴史の真実を伝える側が、「歴史修正主義者」として非難されてきたと述べた。  
○ 日本が東南アジア諸国や中国大陸で「侵略戦争を行った」という話も創作された話としており、戦後占領政策の一部としてGHQが世界中に広めたプロパガンダであるとしている。嘘が暴かれることを「わが祖国・米国も喜びはしない。」としているが、戦後70年を迎えるにあたりそろそろ日本は近現代の間違った歴史認識の修正を堂々と主張すべきと述べた。  
○ 2014年に米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨンが発表した、いわゆる「従軍慰安婦の強制連行」が嘘である事を報告した記事「日韓問題: 第二次世界大戦中、韓国人男性が臆病者だったとでも言うつもりか?」を、日本語に翻訳してブログに投稿。  
○ 世界抗日戦争史実維護連合会は日本だけを対象として貶める反日宣伝工作機関であるとして、南京大虐殺30万人や慰安婦強制連行20万人などの虚偽を拡散することは、人種差別等を撤廃する公民権法の趣旨に反しているので、アメリカ合衆国はこのような活動を取り締まれるよう法改正するべきであると提言しており、当該団体が戦争真実を擁護するならば中国共産党による日本人虐殺の通化事件、国民党軍による通州事件、黄河決壊事件等も擁護するべきであると主張している。 
上念司  
(1969- ) 日本の経済評論家、著述家。東京都生まれ。中央大学法学部法律学科卒業。大学時代は弁論部の辞達学会に所属。大学卒業後に日本長期信用銀行、臨海セミナーに勤務、その後独立。2007年、勝間和代と「株式会社監査と分析」を設立し、取締役・共同事業パートナーに就任。2011年の東日本大震災を受け、勝間と共に「デフレ脱却国民会議」を設立し、事務局長に就任。同年4月27日には記者会見を行い、震災対策として震災国債を日本銀行の買いオペ対象とすることを要求した。希望日本研究所客員研究員としても活動。  
中央大学辞達学会の後輩でもある憲政史研究家の倉山満とパートナーを組んで活動する事が多く、株式会社「監査と分析」取締役・共同事業パートナー、希望日本研究所所長としても協力関係にある。また、2013年に倉山が設立したYouTube「チャンネルくらら」では、開設当初から頻繁に共演し、日常的なパートナー関係にある。経済学者である浜田宏一の特別講義を2010年に受講した。このことについて、「浜田宏一に師事し薫陶を受けた」としている。自身の著書『「日銀貴族」が国を滅ぼす』は、経済学を本格的に教授してくれた浜田がいなければ生まれなかったとも述べている。サイドビジネスとして、渋谷と秋葉原にてフィットネス・ジムを経営している。  
主張  
○ 白川方明総裁までの日本銀行の政策を強く批判していた。2011年の時点で、 円高是正のために、日本銀行が目標を定め持続的な金融緩和を継続させることが必要であるとしていた。  
○ 「デフレ時にデフレ政策をやるとデフレを助長する」とする主張については「大抵『相対価格』と『一般物価』の違いが抜け落ちている。相対価格の変化をいちいち『デフレ政策』『インフレ政策』と定義し、その良し悪しを判断するやり方は、原因と結果を取り違えている」と指摘している。  
○ 日本のデフォルト(国家破産)懸念について「日本のように変動相場制を採用している国の自国通貨建ての債務においてのデフォルトは起こり得ない」「国家破産というものが固定相場制特有の現象であり、固定相場制の問題は相当に根が深い」と述べている。  
○ 日本の財政再建と災害対策について「デフレを脱却しないまま増税しても税収は増えず、財政再建はできない。 民間の投資が活発化するまで大胆な金融緩和と財政出動を続けることである。 緊縮財政による財政再建には理論的根拠がないばかりか、却って財政を悪化させる。金融緩和と財政出動を併用して早期にデフレ脱却を図るとともに、災害などの大きなリスクの顕在化に備えて国土を強靭化しなければならない」と述べている。消費税増税については「絶対に阻止しよう」「いくら増税しても税収は増えない」と主張し、財務事務次官の木下康司が増税を推進する首謀者であるとして、インターネット上でコラージュ等を用いて連日批判した。  
○ 日本の経済成長について「経済学的思考に立脚し『世界全体が栄えることによって自国が栄え、自国が栄えれば世界全体も栄える』ということこそ真実である。だからこそ、世の中の問題を解決するための方法として、経済全体のパイを拡大することが重要である」と述べている。  
○ アベノミクスについて、2013年に参議院予算委員会で開かれた2013年度予算案に関する公聴会で、「大胆な金融緩和に加え、景気の下支えには政府の財政出動が必要」「私たちが一番恐れるべきはデフレだ。アベノミクスの第1の矢は極めて正しい」と発言した。  
○ 原発について「大飯原発の再稼働に反対している人たちは、中国の原発の稼働停止を求めないと何の意味もない」「中国をはじめとした周辺諸国の原発・核兵器がなくならない限り、放射能の恐怖から逃れることはできない」「放射能のリスクを文字通りゼロにしたいなら、 周辺諸国の脱原発問題は避けて通れないはずである」「ひたすら日本の原発の再稼働反対だけを唱えるのは完全なダブルスタンダードである」と述べている。  
○ 中華人民共和国の情勢について、著書『悪中論』では中国経済に関するさまざまな統計・指標を収集し、中国の2013年の現状をデータから推計することを試みた。 
小川榮太郎  
(1967- ) 日本の文芸評論家。私塾「創誠天志塾」塾長。東京都出身。大阪大学文学部卒業、埼玉大学大学院修士課程修了。専門は近代日本文学、19世紀ドイツ音楽。主な論文に『福田恆存の「平和論論争」』、『川端康成の「古都」』など。私塾「創誠天志塾」では塾長を務め、若い人たちを指導している。2009年に民主党の鳩山由紀夫を中心とする政権が誕生した事で「このままでは日本がとんでもないことになる」と思った経緯から安倍晋三を再度内閣総理大臣にする運動(「安倍晋三総理大臣を求める民間人有志の会」)を始める。この運動では、安倍を総理にする戦略を大局から細目へと立案した20ページほどの戦略プランを立て、下村博文を通じて安倍に渡ったと話している。2015年、著書『小林秀雄の後の二十一章』の出版を祝う会が開催され、首相の安倍晋三が出席し、あいさつする。2015年、「放送法遵守を求める視聴者の会」の呼びかけ人の一人(他には渡部昇一、すぎやまこういちなど。)として同会の記者会見に出席し、NHKと民放計6局の平和安全法制の審議に関するテレビ報道のあり方などを批判した。  
主張  
○ 歴史的仮名遣 / 歴史的仮名遣(正仮名遣い)を用いており、「正しい日本語を残すという意味で大事だと考えているから」と話している。正仮名遣いは800年以上も前(2015年現在)に確立している国語の「論理」であるとして、放置しておくと正仮名遣いは完全に消滅してしまうと予測している。GHQによる占領期に表音主義が導入された事について用言の活用が表記から消えてしまうとして、最終的には政治的な判断で、元に戻す必要があると話している。  
○ 憲法改正 / 制定過程に根本的な問題があるとしており、GHQによる占領期に制定されたことを踏まえ「当時の主権者はGHQで、その中身もGHQが英文で起草した」「憲法は国民が主権者として制定したと宣言している。これは嘘のストーリー」「本当の主権者が憲法の中身を書いていない事実は重い」として自主憲法制定の必要性を主張している。その一方で、「現実的には自主憲法制定は難しい」「逐条改正するほかないが、最優先すべきは9条だ」と指摘。9条については、「不安定な国際社会の中で、国家一番の責務は自衛できるかどうか」「陸海空軍がなければ自衛はできないのに、憲法には自衛隊の規定すらない」として、「9条2項で『自衛隊を保有する』と明記し、自衛権を行使できるようにしなければならない」と主張。2015年開催された「憲法改正を実現する九州大会」におけるシンポジウムでは、「政治日程に憲法改正が上がるのは画期的なことで、この好機を逃してはならない」「平和について、わめいている人たちこそが一番平和にふまじめな人たちであり、堂々と国民に本当の話を浸透させる必要がある」と話した。櫻井よしこによる「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の代表発起人の1人。 
 
NHKの報道姿勢

 

安倍総理誕生でNHK報道にも影響? 会長が“お友達”の危険性 2013/1
安倍晋三総理誕生でNHKの報道姿勢には注意を払わないといけない…。
そんな声がマスコミ関係者の間から聞かれる。安倍総理は次々に“お友達”をトップに送り込み、報道などに介入する可能性が出てきたからだ。
その前兆は'07年6月、第一次安倍内閣のときのNHK経営委員長人事にみられた。新経営委員長に選ばれたのは、富士フイルムホールディングス社長の古森重隆氏。経営委員長はNHKの経営委員から互選されるが、一般紙はすでに経営委員長が決まる前から「古森氏決定」と報道していた。安倍側のリークだが、これに首を傾げる政・財界関係者は少なくなかった。なぜこうなったのか。それは安倍総理の取り巻きに理由があった。古森氏はJR東海・葛西敬之会長らとともに、安倍氏を囲む『四季の会』の主力メンバーだったのだ。
他にも安倍氏には『さくら会』がある。同会は今年に入ってすでに3回、会合が開かれた。「三菱重工業など三菱グループ主要企業の経営者の他、日立製作所の中西宏明社長、東電の取締役で、前NHK経営委員長の数土文夫氏ら豪華なメンバーが名前を連ねている」(財界事情通)
いまのNHKを牛耳っているのはJR東海人脈。松本正之会長('11年1月就任。任期は3年のため'14年1月で任期切れ)は元JR東海社長・副会長を歴任してきた。JR東海・葛西会長の側近である。その松本会長もきわめてきな臭い人事を行っている。「'04年5月に松本氏がJR東海社長になったとき、副社長をつとめた盟友の石塚正孝氏をNHKに連れてきた。肩書きは『特別主幹』で松本会長をサポートするのが目的。ただ実際は“裏広報”的な役割を担っていたようです」(財界関係者)
昨年辺りまでのNHKはトヨタが食い込んでいたが、パワーバランスが変わってきた。'06年に入局し、今年4月に退任した専務理事放送総局長の金田新氏はトヨタ(専務)から送りこまれた。しかし、次期会長の有力候補だった金田氏は権力闘争に敗れる。そして、いまやJR東海出身者が権力を持ち始めているのだ。そんな折、葛西会長と懇意である安倍復権となれば、NHKを牛耳ることは赤子の手をひねるようなものだ。それほど今のNHKは、免疫力が低下している。
痴漢や大麻所持、インサイダー等、そのぬるま湯的体質はあまりにもひどいといえる。そして報道も弱くなっている。現場の記者から報道局長あたりまで、上を見ながら取材し、原稿を書いている。すっかりサラリーマン体質になってしまった。「組織が脆弱化しているときに安倍超タカ派内閣が支配すれば、NHKは安倍個人や内閣の悪口や批判ができなくなる」(テレビ業界事情通)
今後、NHKの報道は期待できない可能性がある。いまや信頼できるのは、ツイッターなどの個人発メディアだけ?  
NHK経営委員に“お友達”ズラリ 安倍政権の露骨すぎる言論介入 2013/10
「皆サマ」から「安倍サマ」のNHKにする気なのか。安倍政権が示したNHK経営委員の人事案には、首相の“お友達”がズラリ。経営委はNHKの最高意思決定機関で、会長の任命権など強い権限を持つ。来年1月に任期が切れる会長人事をにらみ、日本最大の放送機関を「安倍カラー」に染めようとする狙いはミエミエだ。秘密保護法案で国民の「知る権利」や「報道の自由」を奪おうとする中、安倍のさらなる露骨な言論介入は民主主義への挑戦である。
NHKの経営委員は国会同意人事だ。衆参両院に提出された新任委員の顔ぶれは、JT顧問の本田勝彦氏(71)、哲学者の長谷川三千子氏(67)、小説家の百田尚樹氏(57)、海陽中等教育学校長の中島尚正氏(72)の4人。安倍とは全員親密な仲で、思想的にも極めて近い。よくもまあ、これだけ偏った考えの持ち主を集めたものだ。
「本田氏は安倍支援の保守系財界人の集まり『四季の会』のメンバー。東大生の頃に小学3、4年生だった安倍氏の家庭教師を務めた。東大卒後に当時の日本専売公社に入社し、00年にJT初の生え抜き社長となり、06年まで務めました」(経済ジャーナリスト)
長谷川氏は「オンナは子を産み育てよ」がモットーで、少子化を口実に家父長制の復権を公然と唱える保守論客だ。
百田氏は「永遠の0」や「海賊とよばれた男」のベストセラー作家で、安倍も作品の愛読者のひとり。「探偵!ナイトスクープ」の構成作家という経歴から、単なる「おもろいオッチャン」と思ったら大間違い。いわゆる「自虐史観」を一貫して批判し、ある月刊誌で「安倍政権の最も大きな政策課題は憲法改正と軍隊創設」と言い切ったバリバリの軍国主義者だ。
中島氏が校長を務める「海陽学園」は次世代のリーダー育成を掲げる全寮制の中高一貫校。副理事長を務めるJR東海の葛西敬之会長は、本田氏と同じ「四季の会」の一員だ。葛西氏は財界きっての原発推進論者で、NHKの松本正之会長に不満タラタラだという。
「『アイツは国益に反する放送をしてけしからん』とボロクソに言っている、と雑誌に書かれました。松本会長はJR東海の元副会長で、葛西氏自身が3年前にNHKに送り込んだ。脱原発に転じた小泉元首相が『NHKが震災後に放送した海外ドキュメンタリーを見たのがきっかけ』と発言したのも、元部下への不満に火をつけた。中島氏は、葛西氏の意向に従った“松本降ろし”の刺客でしょう」(財界関係者)
恐ろしいのは、これだけ保守色の強い面々がNHKの首根っこを掴んだことだ。会長選任には経営委員12人のうち9人の同意が必要だ。新任4人が反対すれば「拒否権」が発動される。
安倍やその取り巻きの意に沿わない会長は、簡単に葬られてしまう。
「つまり、安倍首相や偏った思想の“お友達”が、NHKトップの人事を左右し、公然と公共放送を乗っ取ろうとしているのです。狙いはひとつ。放送法第1条に定められた『不偏不党』の原則をかなぐり捨て、NHKの報道姿勢を権力の思うがままに操ること。安倍色に染まった会長の下で、原発推進の一大キャンペーンや、反中反韓の偏向報道だって始まりかねません。戦中の大本営発表を想起させる言論封殺の危機なのに、大手メディアの追及は鈍すぎます。民主主義の基盤である『言論の自由』を抹消する動きを、絶対に許してはいけません」(元NHK政治部記者で元椙山女学園大教授の川崎泰資氏)
安倍ファッショは、すでに始まっている。 
NHK籾井会長がKO寸前!安倍政権“お友達人事” 2014/2
慰安婦問題などについて個人的見解を就任会見で披露したことが問題視されている籾井勝人NHK会長(70)が、19日に参院総務委員会でボコボコにされた。共産党の吉良佳子氏(31)は「任にふさわしくない」と切って捨て、結いの党の寺田典城氏(73)も「続けるのは困難ではないか」と辞任要求をした。
籾井会長の周辺は常に騒がしかった。矢継ぎ早に繰り出される質問に対応するため、事務方スタッフが資料を持って動き回る。籾井氏は委員長の指名を待たず、答弁するなど平常心を失っていた。答弁も「放送法に基づいてやっていく」を繰り返すばかり。
問題となっているのは「(慰安婦は)どこの国でもあったことですよ」「政府が右ということを、左というわけにはいかない」などの発言だ。後日、籾井会長は取り消していた。この日、日本維新の会の片山虎之助氏(78)が「取り消して、個人的見解は変わったのか」と聞くと、「変わっていません」ときっぱり。すぐに周囲に促され、「個人的な思想をここで言うのは控えたい」と修正した。
また、片山氏は「会長としてNHKをこうしたいとか何か思いはないのですか」と質問。籾井会長はペーパーに目を落としながら、「放送法に基づいて…」と相変わらず。議員らから「こりゃ駄目だ」とため息が漏れた。
もはや籾井会長はノックアウト寸前といった感じだ。永田町関係者は「安倍首相のお友達人事ということで、野党は籾井氏の首を取ろうとしている。少しでも安倍政権にダメージを与えたい狙いがある」と指摘。
籾井氏の辞任は安倍政権にとって大打撃なのは自民党もわかっている。自民党議員は「あまり騒ぐと現場の職員がかわいそうだ。ほどほどにすべき」と沈静化を図っている。
NHK関係者は「またアンチNHKのデモが起きますよ。結構、こたえるんですよね」と嘆いている。 
NHK・籾井会長退任で“犬猿の仲”報道局は「ホッ」と一息…… 2017/1
NHK籾井勝人会長の退任に、ホッと胸をなで下ろす局員がいる。局内で対立がささやかれた、報道局のスタッフだ。政府の意向に寄り添った数々の問題発言や、ハイヤーの私的利用など批判を受けた籾井会長だが、中でも緊張関係にあった報道スタッフは「一息ついた形」としている。
「『クローズアップ現代』の国谷(裕子)キャスターが降板させられたことで、籾井さんへの反発はかなり強まっていましたからね」(同)
国谷降板問題は2014年7月、番組に菅義偉官房長官が出演した際、国谷キャスターが安保関連法案について食い下がって質問を続けたところ、官房長官が不機嫌な態度となり、その後、国谷キャスターが番組を降板することになったものだ。
籾井会長が明らかに政府寄りの姿勢を見せていたため、さらにNHKの報道姿勢も問われたが、番組を制作していた現場サイドではそれ以降、籾井体制への反発心が強まっていたという。
「ただ、そうしたスタッフは“X”マークが付けられ、人事に響くというウワサも広まりました。実際、籾井会長についての不満を局内で言えば、烈火のごとく上司に叱られる者もいましたよ。国谷キャスターの降板に反対した職員が、急に態度を変えて何も言わなくなったということもあったんです」と同スタッフ。
そんな恐怖政治がNHKを包んでいたせいか、局内では籾井会長への不満がタブー化していたという話もある。
NHKの諸問題を取材するフリーライターの田所敏夫氏は「同じく政府の反発を招いたテレビ朝日の『報道ステーション』の古舘伊知郎氏の降板が決まったのも、同じ流れだったと聞きます。国谷さんが降板させられたのと同日、TBS『報道特集』の顔、金平茂紀さんも執行役員を解任。この方も、政府に厳しい見方をしていた人。NHKのみならず、テレビ界に政府の圧力がかけられていたと見た方が自然」とする。
ただ、NHKでも反対意見はあったようで、2年前、経営委員会を退任した下川雅也理事は、「NHKに対する信頼が揺らいでしまっています。自主・自律が公共放送の生命線という認識は、戦前の根本的反省から生まれています。政府が右と言っても左と言う勇気を持ちませんでした。それがどれだけ悲惨な結果を招いたことか」と、政府追従の危機感を募らせていた。
しかし、昨年は高市早苗総務大臣が国会の衆議院予算委員会で「放送局が政治的公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる」という可能性に言及し物議をかもしている。
前出・田所氏は「NHKには労働組合もありますが、ここも経営陣に対しての実質な対抗力はない状況。視聴者から番組内容に関する意見の窓口があっても、直接担当部署に伝えられなかったり、まるで体質を改善する仕組みがないんです」と明かす。
次期会長にはNHK経営委員の上田良一氏が就任するが、その体質は変わるのか。田所氏は「籾井さんはもともと三井物産の副社長で、上田さんも三菱商事の副社長だった人。どちらの会社も与党べったりの企業なので、大して変わらない」とする。
「三菱商事は、傘下の三菱航空機が力を入れて開発している小型航空機MRJを大量に輸出するプランで、政府や官僚にロビー活動しているんです。このタイプの小型航空機は、日本国内であまり需要がないので政府もその意をくむはず。上田さんは穏健な人なので、籾井さんみたいに問題発言はない安全運転型でしょうし、籾井時代のように経営委員に露骨な右寄りの識者を集めたりまではしないと思いますが、本質は今までと同じ、政府寄りのまま」
それこそ右や左というのではなく、NHKには政府の声より国民の声を報道してほしいものだが……。 
NHK「籾井節」衰えず 会長最後の会見 2017/1
NHKの籾井勝人会長は19日、最後の定例記者会見を開いた。24日に任期満了を迎え、NHK会長としての会見はこれが最後。籾井会長は3年間の任期を振り返り、「まっすぐな生き方を貫くことができた」と語った。歴史認識などを巡る数々の失言で世間を騒がせた籾井氏。この日は体調を崩しながらの会見だったが、「籾井節」は健在だった。
「体調が悪いので、30分で」
「会長は体調が悪いので、30分でお願いします」。最後の定例会見は、進行役のアナウンスから始まった。風邪を引いたらしく、昨日から具合が悪いという籾井氏。体調を問われると「破裂しそうですよ」とこぼした。
籾井氏は「とてもハッピーだった」と振り返ったが、最後は断念した受信料引き下げの話になると、語気を荒らげた。
「経営委員会が値下げを認めなかったことは理解しがたい。放送センター建て替え計画が具体化した段階で見直すとしてきた約束と、これまで守ってきた収支均衡の原則を覆すほどの根拠があったのか」
籾井氏は止まらない。「非常に残念」と強い口調で訴え、「お金が余ったら返すのが原則」とも話した。
後任会長の上田良一氏については「ああだ、こうだ、と言うのは差し控える」と言葉少なだったものの、「改革を推進してほしい」とエールを送った。
NHKの会長職は上田氏まで4代連続で外部からの登用が続いている。籾井氏は「できるだけ早くプロパー(生え抜き)が会長を担えるようなNHKにしてほしい」と語った。
「私は悪いことはしていません」
会見中、就任直後の失言やハイヤーの不適切な利用について聞かれると、色を成して反論した。
「国会でも取り消した。みなさんから、わあわあ言われる筋合いはない」
「いまだにハイヤーとか言っているのはどうしてかわからない。私は悪いことはしていません」
職員の受信料の着服問題などについて質問されると、「なんでもかんでも発表すればいいというものではない」と断言。隣に座る坂本忠宣理事が慌てて「その件については調査中」と取りなす場面もみられた。
三井物産出身の籾井氏は、2014年1月にNHK会長に就任。国内外での経営経験の豊富さを買われての抜てきだった。
ところが、就任会見で従軍慰安婦問題をめぐり、「戦時下では他国でもあった」と発言し、批判されたことがある。「緊張感を持たせるため」として就任初日に10人の理事全員に辞表を提出させたことなども波紋を広げ、朝の番組で異例の謝罪に追い込まれた。
国際放送やネット活用で実績も
その後も私的なハイヤー利用をめぐる不適切な請求手続きなど、騒ぎが相次いだ。NHK予算案の国会承認は、籾井氏が会長になった2014年度から3年連続で全会一致で承認されず、慣例が崩れた。
ならば、籾井氏は「お騒がせ会長」と評価しておけばよいのだろうか。
任期中、国際放送の強化やインターネットの活用にも取り組んだ。受信料収入が過去最高となるなど業績は改善。受信料は2017年10月から3%引き下げることを提案していたが、「中長期的な影響が明らかでない」として2017年度は見送られる方針となった。
「蓋棺事定(がいかんじてい=人の評価は棺おけに蓋をしてから定まる、という意)」。籾井氏は就任前のインタビューで座右の銘について、こう答えていた。
最後の会見に詰めかけた記者はざっと70人ほど。席が足りず、急きょ空いたスペースに椅子が並べられるほどの盛況ぶりだった。 
退任した名物会長が今だから明かす 2017/2
前NHK会長の籾井勝人氏(もみい・かつと)(73)が20日、産経新聞単独のインタビューに応じた。3年の在任中は型破りな発言で常に物議を醸してきた“名物会長”。1月24日の退任後、メディアの取材に初めて応じて自らの仕事や発言を振り返った。
もう少し言葉を選んでいれば…
−−平成26年1月の就任記者会見で、国際放送をめぐり「政府が右というものを左というわけにはいかない」と発言するなど、言動が度々、物議を醸してきた
「今にして思えば、もう少し言葉を選んで話せば、ああいうことにはならなかったと思うんですが…。まあ、(就任会見で)質問した記者に『籾井に失言させよう』という意図があったんじゃないの? という感じはしないでもない。ただ、それを言ってもせんないことです」
「今だったら、ああいう言い方はしませんよ。でも、就任初日ですからね。(記者が)手ぐすね引いているところに、『ほら、キター』っていうようなもんだったでしょう。発言した内容については…おっしゃる通り、物議を醸したので、国会でも取り消しています。しかし、最後まで問題視され続けた」
「国際放送について『政府が右というものを左というわけにはいかない』と発言したのは、尖閣諸島のことが頭の中にあったからなんですよ。政府は、尖閣を『日本固有の領土』としているわけです。NHKの国際番組基準には、重要な政策や国際問題については、日本の公式見解を正しく伝えるよう明記されています。だから、政府の立場を伝えなくてはいけないと言いたかった。しかし、(発言の中の)『右』『左』という言葉が(メディア側にとって)使いやすかったんじゃないでしょうか」
−−個人としては、尖閣諸島は日本固有の領土との認識か
「そう思います。竹島だってそうです。竹島も全く同様ですよ。私は今、無職で、NHK会長は辞めましたから」
−−記事にするが
「いいですよ。堂々と胸を張って」
−−放送内容について自分の考えを主張したことはあったか
「それはないですよ」
−−政府からの圧力あるいは、NHK内に政治を忖度(そんたく)した動きはあったか
「本当にないと思いますよ。NHKはいつも厳しい目で見られているわけだから、注意しなければいけないし、あからさまに忖度があるように見えてもいけないでしょう」
−−改めてNHK会長を務めた3年間を振り返ると
「自分なりにやらなければいけないことを実感し、理解するまである程度の時間はかかりました。私がやらなければと感じたのは、格好良く言うと『企業文化を変える』ということでした。前例踏襲のままでは、ますます時代の流れに追いつけなくなってしまう」
「ただ、会長が大声で『変えよう』といえば済む話ではありません。職員の話を聞き、問題意識を共有してもらうことが大切です。ささいなことかもしれませんが、形式的だった理事会に加え、局長クラスも交えた会合を設けたり、職場のキャビネットをなくしてペーパーレス化を進めたり…。『何だ、そんなことか』と思われるかもしれないが、こうして働き方を少しずつ変えることで、ものの考え方も変っていくと思ったのですよ」
−−自身の実績についての評価は
「大事にしてきたことは、僕の考え方を含め、役職員の考えをどう経営に反映していくかということ。仕事とは、みんなで一緒にやっていくものです。僕の基本的な物事の考え方は『蓋棺事定(がいかんじてい)』という言葉です。杜甫の詩ですが、人間の評価は棺にふたをされて初めて決まるということです」
−−一緒に仕事をした職員に今、どんなことを思うか
「それはもう、感謝しかないですよ。(NHKに)素人(の会長)が来たわけですから。放送について私が口を出すことはほとんどありませんでした。ただ、『ネットや国際放送を充実させよう』ということはいえる。実行するのは職員です。職員が心からやる気を持ってやってくれれば物事は動いていくんです。今、言いたいことがあるとすれば、変えることを恐れるなということですね」
受信料値下げ なぜ実行できない
−−では、3年間で、最も悔やまれることは
「いやー、特にありませんね。ただね、僕は全てのことは納得しているんですが、今回の受信料の値下げが(NHKの最高意思決定機関である経営委委員会の承認を得られず)実行できなかったことは、全く理解できないですね」
「『たった50円では意味がない』という指摘もありますが、僕に言わせれば、『今回は、50円』。様子を見て、また余裕が出れば下げればいい。それに、これは予算ですから、何にお金がいるのかをはっきりさせないといけない。『将来、何かにお金がいるかもしれないから、いただいた受信料をためておかなくてはならない』という理屈は、NHKにはないと思います」
「例えば(東京・渋谷の)放送センター建て替えは大プロジェクトですから、余ったお金を積み立てさせていただいたわけです。今後、仮に何千億円というお金が必要になったら、また新たに積み立てればいいんですよ」
−−上田良一現会長は、かつて役員らに値下げを主張していたと聞いているが
「僕は直接、彼から聞いていない。上田さんの考えは、上田さんに聞いていただくのがいいと思う。あの(受信料値下げ見送りの)件は(合議体である)経営委員会全体の考えです。僕は本当に、納得できていません」
「ただ、NHKの予算は経営委の議決をへないといけませんから、これはこれで、仕方がないということです。ぜひ、議事録を読んで、値下げをすべきでなかったかどうか、検討していただけるとありがたいですよ」
−−1月4日に行なった局内向けあいさつで、職員給与の改善について言及していた。上田良一現会長に対し、職員の賃上げを求めたことはあるか
「言いましたよ。短い引き継ぎの中で言っただけですから、特にリアクションは求めていません。あとは、彼がどうするか。給料の話は、経営委員にもしています」
「例えば民放と比較して、NHKは3割近く低い。民放と同水準にすべきだとは思わないが、今なぜ、下げなければならないのか。これは全く理解できない。NHKを志望する学生は減っています。給料だけが理由とはいわないが、民放と比べて安いのなら、民放のほうに行く若者はいますよね」
−−山形放送局記者が住居侵入と強姦致傷の容疑で逮捕された。不祥事が続いている
「その件について僕はよく分かりませんが、まず、犯罪と不祥事は分けて考えた方がいいと思います。山形の件は、個人の資質、法令順守意識の問題だと思います。一方、着服やタクシー券の私的利用はガバナンス(企業統治)の側面が大きい」
−−NHKに期待したいことは
「NHKは受信料で成り立っています。一番大事なことは、いい番組を作ることです。予算が許す限り、ある程度お金が掛かっても良い番組を作る。自然ものとかが典型例ですよね。そして、放送法に掲げられているように、自主・自律、不偏不党、公平・公正を貫くことです。いろんな人がいますから、難しいことですが、バランスをとってやっていかなければいけません。これからもそうしたことは貫いてほしいです」
由紀さおりに感激
−−会見で芸能の話題に言及することも多かった
「僕、(出身が)福岡でしょう? 芸能界の福岡県人の集まりがあって、顔を出すことがあるんです。歌手も俳優さんもいらっしゃいますが、基本的にお笑いの方が多いんですよ。見ていて思うのは、本当に大変な仕事だなと。ギャグ一つウケるかどうかで、沈むか、浮くか。本当にね、頭が下がりますよ」
「正直を言うと、以前はそれほど関心はありませんでしたが、(交流することで)目からうろこが落ちたんです。だから、芸能人には、尊敬の念があるんです。それをもって、籾井は『芸能界好き』といえばそうですがね(笑い)」
−−「会えてよかった」という芸能人はいるか
「…もう会長じゃないから言ってもいいと思うんですが、由紀さおりさんですね。僕、(三井物産時代の)25歳の独身のとき、オーストラリアに留学していたんです。由紀さおりさんが『夜明けのスキャット』で初出場した1969年の紅白歌合戦を、僕は翌70年に、メルボルンで見たんですね。彼女は確か、19歳だったと思うけれど、『こんなに声のきれいな美人がいるのか』と思って、早く日本に帰りたくなったんです(笑い)。去年、ある賞のときにお会いして、感激しましたね」
「このことがあったから言うわけではありませんが、本当に、ハッピーで楽しい3年間でした。いろんな経験をさせていただいて、自分の中では本当に貴重な3年間でした。そういう意味では、最初の記者会見で口が滑ったどうの、ということは大したことじゃないですよ」
今後は芸能界入り?
−−退任から1カ月弱。どう過ごしているのか
「一言でいえば、途方に暮れています。朝起きて、行くところがないわけですよ。今までは決まった予定で動いていたから。今は、自分で何をするか決めなければいけない。そういう意味では、サラリーマンというのは、ある意味では楽だなと思いましたね。先日、ある書類に職業を記入する欄があって、『無職』と書きました。私は今、無職です」
−−1月19日の最後の記者会見では、インフルエンザを発症していたが
「非常に申し訳なかったです。本人としては『つらい』という意識はなかったんですが…。(当日のことは)覚えていないんです、あんまり。(新聞記事に会見での発言が)出ているのを見て、『俺、こんなこと言った?』というくらいで…。大変、皆さんにご迷惑をおかけしました」
−−今後、どういうことに取り組むのか。芸能界入りか
「いやいや。芸能界は、とってもとっても、厳しいところだと思っていますから、そう軽々とは…」
「決まっていることはないです。今、考えているのは、自分の決められることをやろうと思っています。いろいろ書かれて、ゴルフから3年間、遠ざかっていましたから、もう1回やろうというのが一つ。腕はもう、戻らないかもしれませんが。それから、趣味の小唄をまたやろうと思っています」
「仕事については今のところ、全くノーアイデアです。これは自分じゃ決められませんからね。ただ、僕のところに好んで声をかける人がいるでしょうか。3月で74歳ですからね。ただ、もう74だから仕事をやる気がない、とは書かないでくださいよ(笑い)。もし、自分が何か役に立つようなことがあればね」
−−時事問題などについてメディアなどで発信していく考えは
「経営など自分の経験したことなら構いませんが…。例えば、(米大統領の)トランプさんについて、とかになったらね…。意見は言えますよ。でもね、それは僕が言う話じゃないでしょう?」
「トランプさんについては、移民の問題は横に置いておいて、彼は『メーク・アメリカ・グレート・アゲイン』というスローガンに沿ってやっているわけですよね。最近、一番大きかったのは、(2月の日米首脳会談後の)共同声明で、尖閣諸島が日米安保の対象と明記されたことです。今までなかったでしょう。日本はこれだけでも大ハッピーですよ」 
「籾井降ろし」とNHK「腐敗」の真実
不思議なことにリベラル派からは「政権癒着」と国会でつるし上げを食らい、同時に逆の極端な保守派からは「反日」と叩かれることもあるNHK。
NHKについては、あまりにも外側から妄想で語られることが多いので、私はあえてNHKの真の姿と課題を知ってもらうことにします。
2014年1月25日、私は渋谷にある放送センターの自席で業務を続けたまま、NHKの館内共聴回線でテレビ画面に映し出される、籾井勝人NHK新会長の初会見に何げなく耳を傾けていました。
私が最初の会見で受けた印象は、籾井会長という人はずいぶんとよく喋る人だな、というものでした。私が働き始めたころのNHK会長は、NHK専務理事から昇進した川原正人氏でした。2008年まで20年間、NHKの会長には、NHK内部からの叩き上げの人間が就任する時代が、長く続きました。
だいたいが組織の人間というのは、現場にいるころはよく喋りますが、偉くなって責任が重くなってくると、舌禍を恐れて口が重くなるものです。
それに比べると組織の外部から来た籾井会長のリップサービスは、いささか無防備に過ぎるように感じられました。最初のうちは、僕が注意深く聞いていなかったせいでしょう、籾井会長がよく喋るのは、総合商社でのキャリアが長かったせいだろう、くらいに甘く考えていたのです。
ところがその初会見の直後、報道各社から一斉に籾井新会長の発言内容に対する激しい責任追及の声が高まり、私も新会長の発言を再検証することになりました。事態は2月27日の衆議院総務委員会での質疑応答にまでもつれ込む大騒動に発展したのです。
当時は特定秘密保護法が安倍政権により強行採決されたばかり。マスコミ各社が、これは報道の自由を損なうとして厳しく批判しているさなかでした。
その特定秘密保護法に関するNHKの報道姿勢が政府寄りではないか、と指摘された際に、籾井新会長は、
「まあ一応通っちゃったんで、言ってもしようがないんじゃないかと思うんですけども」
「あまりカッカする必要はない」
と発言しました。
報道機関としては特定秘密保護法が施行されると、自由な取材活動が制限されて、真実の報道が難しくなるわけですから、NHKの会長は自らにとって重要な問題と認識して、責任ある発言をすべき立場だったのです。
それにもかかわらず、籾井会長の発言はずいぶんと軽はずみでした。
また時の政権の施策に対して、公正中立な立場からしっかりとした検証を行うという重要な任務が公共放送にはあります。それをはなから放棄しているような籾井会長の姿勢がマスコミ各社から問題視されたとも言えるでしょう。
さらに、
「政府が『右』と言っているのに我々が『左』と言うわけにはいかない」
この発言は衝撃的でした。安倍首相が右を向けと言えば、ハイと無条件に右を向く。そんな政権与党に言われるままの人物に、不偏不党であるべきNHKの舵取りを任せて大丈夫なのか。動揺が走りました。
国のリーダーに言われるままの放送を行うということは、北朝鮮や中国の国営放送と同じような放送局になることを意味しています。
先の大戦の時、日本の報道機関はすべて軍部によりコントロールされていました。NHKから新聞各社まで、軍部に都合の良い片寄ったニュースだけを、そのまま報道するように強要されていたのです。
軍部が率いる時の政権の方針を、国民は正しいものだと信じ込むようになり、いつのまにか洗脳されていきました。そして結果的に報道機関は、悲惨な戦争を長期化へと誘導する旗振り役を果たしてしまったのです。
逆に戦後、サンフランシスコ講和条約が結ばれるまでの7年間は、GHQが決めたプレスコードで管理され、戦勝国側に不都合な報道は禁じられていました。原爆の被害の大きさや、国民の貧窮について語ることさえ許されませんでした。
この苦い経験を生かして今の放送法は作られました。放送局は時の政権から干渉されない独立した編集権を持ち、不偏不党で公正中立な報道をすることを、その精神としたのです。  
残念なことに籾井会長の発言は、この編集権の独立という報道の自由にとって重要な概念を、もののみごとに吹き飛ばした感があると思います。
国会に呼び出されて以降は、さすがに饒舌な籾井会長も言葉をつつしむようになり、何を質問されても、
「放送法に従って粛々と」
としか答弁しないようになりました。しかし一連の発言については、
「考えを取り消したわけではないが、申し上げたことは取り消した」
と答弁しています。つまり事態が収拾した後も、安倍政権に追従するという籾井会長の考え方そのものは、何ら変化しないことを確認したのです。
籾井会長はさらに、直属の部下である理事たちを全員集めて辞表を提出させ、それを一時的に預かるという極めて異例な儀式を行いました。これにより理事たちは籾井会長に生殺与奪を握られ、事実上の絶対服従を誓わされたのです。
理事たちは直接ニュースや番組を作りませんが、これらを作る現場の管理職トップの人事権を握っているので、その影響はないとは言えません。
そもそもNHKの会長は、経営委員会という会議で選任します。NHKの経営委員会というのは、株式会社に例えれば株主総会のようなものです。委員になるのは衆参両議院の承認を得て内閣総理大臣に指名された有識者など12人です。籾井会長を専任した時の委員は、作家の百田尚樹氏らでした。経営委員会の委員を指名するのが首相ですから、NHK会長の選任が時の政権に左右されやすいのは、今に始まった状況ではないと言えるでしょう。
ただし時の政権の意向が、すぐさまニュースや番組に反映されるわけではありません。NHKの現場で働く記者やディレクターは、会長の指示をそのまま受け入れるとは限らないからです。
2016年4月14日に始まった熊本地震に伴う原子力発電所関連の報道について、籾井会長がNHK役職員らに対して、
「(国や電力会社の)公式発表をベースに伝えるように」
と指示したことが各紙に伝えられました。これに対し4月25日に、NHKの労働組合である日放労の中央委員長はただちに声明を出し、
「公共放送として、報道にあたってベースとするものは、取材してわかった事実であり、判明した事実関係である」
とする見解を発表しました。公式発表をただ流すのではなく、記者たちが自らの取材で事実関係を追求していく調査報道の姿勢を強く示したのです。
7月13日には、天皇陛下に遠くないうちに譲位のお気持ちがあることを、NHKは7時のニュースで独自のスクープとして報道し、世間を驚かせました。
これは全く官邸の意向に沿うものではありませんでした。この直後、官邸や宮内庁の高官は憮然とした表情でインタビューに答え、そのような事実はない、と当初は全面否定していました。
しかし実際には8月8日の天皇陛下ご自身のビデオメッセージで、このスクープが事実であることを示されたのです。
NHKには放送法とは別に、内規として国内番組基準というものがあります。そこには「何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論の自由と表現の自由を確保」することが謳われています。
何人からも干渉されずとは、時の政権、圧力団体その他のあらゆる干渉を受け付けず、「事実と己の良心のみに基づいて」判断することだ、と私は教えられました。
視聴者からの受信料で成り立つNHKの番組は、国内の放送に税金を一切使っていません。政府から独立して自主的な取材を綿密に行い、独自に事実関係を検証し、良いものは良い、悪いものは悪いと放送するためです。
取材結果によっては、時には上司はもちろんのこと国家権力からの反発も覚悟の上で、屈することなく真実を述べる存在でなければならないのです。
それが出来るかできないかは、ひとえにNHKで働くスタッフや職員一人ひとりのジャーナリズム精神と矜持にかかっていると言えるでしょう。
報道機関に不当な圧力をかけて萎縮させているのでは、と一部から批判された安倍首相本人は、その批判に対してこう答えています。
「私の圧力ごときに萎縮するような頼りないマスコミであっては困る」
実に挑発的な表現ですが、まさに政治権力とジャーナリズムは、常に真剣勝負なのだと再認識する一言でした。
政権による報道への介入を批判する態度はもちろん大切ですが、そもそも国家権力というものはいつの時代も、報道に介入したがるものだという認識を持たなければいけません。その上で政治的な圧力に負けないように、自分の足元を見つめ直し、タフなものへと固めていくことの方がより重要ではないでしょうか。ジャーナリストとしてブレない態度が求められているのです。
2017年1月24日に、籾井会長は任期満了を迎えます。
籾井会長は解任され、現在経営委員を務める上田良一氏が新しいNHK会長の座に着くことになりました。首相が直接指名した経営委員出身ですから、安倍政権の意向をより強く反映した人物であることが予想されます。
NHKは一歩間違えれば、政権与党あるいは安倍首相の私的な広報組織に成り果てる危険性と、今もなお隣り合わせです。
現場のスタッフや職員一人ひとりが高い志を持ち続ける限り、NHKを健全な報道機関として保ち続けることは可能だと思っています。 
 
テレビ朝日株主総会 2017/7

 

テレビ朝日株主総会大荒れ!  2017/7/2
 経済部長を左遷した「官邸忖度人事」と幻冬舎・見城社長の「番組審議会解任」要求
政権に批判的な記者やアナウンサー、コメンテーターを報道番組から次々に追いやるなど、着々と“安倍政権御用化”が進んでいるテレビ朝日だが、去る6月27日に行われたテレビ朝日ホールディングスの株主総会が“大荒れ”だったらしい。総会の終盤、早河洋会長が切り上げようとしたところで、例の、麻生太郎財務相を追及していた経済部長を報道局から追放した“官邸忖度人事”についての質問が飛び出したという。
「早河会長が『ではそろそろ』と言って終わりにしようとしたとき、株主のひとりが手を上げて、M経済部長の異動人事を強く批判したのです。受けた早河会長は、株主が具体的に質問しているにもかかわらず『質問をまとめてください!』などと言うなど、明らかに苛立っていましたね」(テレビ朝日関係者)
本サイトで先日お伝えしたように、この人事は、テレビ朝日で政権を追及してきた経済部長のM氏が、報道とは関係のない「総合ビジネス局・イベント事業戦略担当部長」なるポストへ異動になるというもの。M部長は古舘伊知郎キャスター時代、“『報道ステーション』の硬派路線を支える女性チーフプロデューサー”として有名だった女性だ。2016年に『報ステ』で手がけた特集「独ワイマール憲法の“教訓”」は、その年の優れた番組に贈られるギャラクシー賞の大賞(テレビ部門)を番組として受賞している。
だが、それゆえにM氏は官邸やテレ朝上層部から睨まれてきた。2015年、ISによる後藤健二さん、湯川遥菜さん人質事件が起きたさなか、ISを刺激する安倍首相の発言を批判して、コメンテーターの古賀茂明氏が「“I am not ABE”というプラカードを掲げるべきだ」と発言したことに官邸が激怒。菅官房長官の秘書官が番組幹部に恫喝メールを送りつけるなど圧力をかけて、古賀氏を降板に追い込んだことがあったが、このとき、古賀氏らといっしょに同番組から外されたのがM氏だった。
しかし、M氏は経済部長に異動になってからも、森友問題などでは、経済部として財務省をきちんと追及する取材体制をとっていたという。いま大きな問題になっている金融庁の“2000万円報告書”問題でも、麻生財務相の会見でこの問題をはじめて追及したのはテレビ朝日経済部だった。その後も、会見の度に、報告書問題を質問。また、麻生大臣が11日、「報告書を受け取らない」としたときの会見には、M部長自ら出席。報告書の内容を「政府のスタンスとちがう」と言い訳した麻生財務相に、「報告書のベースは金融庁が作っている」「夏の税制改正要望に証券税制の優遇を入れるという意図があったのではないか」と鋭い追及をしていた。
そんななかにおいて、テレ朝上層部がM部長を報道局から追放し、イベント関連の新設部署へ異動させるという内示が出たため、局内外で「こんな露骨な人事、見たことない」「安倍政権からなんらかの圧力があったのではないか」という声が上がっていたのである。再びテレ朝関係者が語る。
「株主の追及は厳しいものでした。『報道でギャラクシー賞までとった人を、現役世代のうちに畑違いの部署に異動させるというのは普通なのか。不自然ではないか。他にこうした事例があるなら実例をあげてほしい』、『以前も元政治部長が新設の部下が一人もいない営業マーケティング担当へ飛ばされたというが、株主として、局長一人きりの局なんてものは事業の合理性の見地から納得できない』と畳み掛け、M部長の異動先に部下は何人いるのか?などと質問したのです」
この株主からの質問に対して、早河会長が「質問をまとめてください!」と苛立ちを見せたのは前述したとおり。株主から「今のが質問ですよ」と返され、早河会長の指名で人事局担当の藤ノ木正哉・専務取締役が答えるのだが、これがまた回答にならないものだったという。テレ朝中堅社員が証言を継ぐ。
「藤ノ木専務は『個々の人事異動については回答を差し控えるが、組織の活性化と社員のスキルアップ、経験領域の拡大につながることを意図した人事異動として実施した』と。ようは一般論で対処したんだけど、経済部長まで務めた人間の総合ビジネス局への異動が“当人のスキルアップのため”なんていうのは、建前としてもありえない。前の経済部長は政治部長に栄転してますし、その前もネットニュース関連を統括するクロスメディアセンター長になってますからね。当然のように、質問者の株主は『全然答えていない』と批判。他の株主からも『答えろ!』『そんな話じゃないだろ!』と怒号が飛ぶなど、会場は騒然としました」
あげく、経営陣の煙を巻く回答に業を煮やした株主が、最後にテレ朝の若手局員たちへ向かって「M部長にかならずもう一度報道の現場に戻ってきてほしい。そう株主が申していたとお伝えください!」とマイクで直接呼びかけ、拍手が起きるなど、今年のテレ朝総会は異例の展開で幕を閉じたという。
いずれにしても、『報ステ』などでテレ朝のジャーナリズムを牽引してきたM氏を報道局から外すという異常な人事は、まさに「安倍政権を忖度した見せしめ」と言わざるを得ないが、それを株主総会で追及されてもなお「スキルアップ」「組織の活性化」などと平然と言い放つテレ朝経営陣の厚顔には呆れるほかない。
しかも、株主総会で顕現したテレ朝の“安倍政権忖度”はこれだけではかった。総会の質疑応答のなかで、テレビ朝日の放送番組審議会メンバーの資質を問う質問も株主から出されたのだが、とりわけ強く追及されたのが、放送番組審議会の委員長を務める見城徹・幻冬舎社長についてだ。
周知のとおり、見城社長は、安倍氏をヨイショする書籍を多数手がけ、第二次政権誕生以降も面会を繰り返したり、携帯電話でやり取りをするなど、本人も「安倍さんの大ファン」を公言する“政権応援団”の強力な一員。早河会長と安倍首相をつなげたのも見城氏だといわれている。放送番組審議会は〈放送法に定められた機関で、番組内容の充実・向上を目指すことを目的〉とするというが、いわば見城氏は、放送法が定める「不偏不党」を保つため番組の内容をチェックするその役割から、もっとも報道倫理的に遠い人物のひとりだと言わざるを得ないだろう。
最近では、例の『日本国紀』(百田尚樹)の“コピペ問題”をめぐり、これを批判した作家・津原泰水氏の実売部数を晒す暴挙に出て、世間から大きな顰蹙を浴びたのも記憶にあたらしい。見城氏は表向きには謝罪をし、Twitterの終了やテレビ朝日と提携するAbemaTVの冠番組『徹の部屋』を終了したものの、問題視されているテレ朝放送番組審議会委員長については当面、辞任する予定はないという。
もっとも、見城氏の“放送番組審議会委員長としての資質”は、ここ数年の総会で繰り返し問われてきたのだが、今年はなんと「経営幹部が『事前質問があったので一括して答える』として、株主の質問時間の前にあらかじめ回答を述べてしまった」(前出・テレ朝中堅社員)のだという。
あきらかに、追及を抑制しようという意図が丸見えだが、その回答の内容も「見城委員長は豊富な事業経験を持つお方」「多岐にわたる深い知見」「多角的な視点から有意義な意見を頂戴している」と礼賛し、「放送番組の適正をはかる職責を果たしている」と委員長続投を明言。さらにはこんな予防線まで張ったという。
「見城氏をめぐっては早河会長も相当ナーバスになっていたらしく、だからこそ事前に策を講じたんでしょう。実際、わざわざ『番組審議会以外の場でそれぞれのお立場でなされたご発言については、当社はコメントする立場にない』なんて加えていましたからね。その後、質疑応答のなかで株主が、『“実売部数晒し”で多くの作家から非難されている。見城氏のような倫理基準に従ってテレ朝が番組を作っていることは、作家のドラマ原作引き上げや番組出演拒否などボイコットに発展する可能性もある』と指摘、テレ朝側が解任にすべきだと提言したんですが、広報担当の両角晃一取締役は冒頭の“事前質問に対する回答”を繰り返すだけ。まともに聞き入れようともしませんでした」(前出・テレ朝中堅社員)
この期に及んでも、安倍首相と近い見城氏をかばい続けざるをえない早河会長ら経営幹部。これこそ“安倍政権忖度”を強めるテレ朝の現況を証明しているだろう。
安倍政権を追及してきた記者やプロデューサーを報道から放逐する一方で、政権をヨイショする出版社社長をまるで“守護神”のように崇め、どんな不祥事を起こそうが不問に付す。その目線はもはや「知る権利」を持つ視聴者に向いているとは到底思えない。テレビ朝日上層部は、いったいどこまで安倍政権にシッポを振り続けるつもりなのか。 
テレ朝亀山新社長「テレビはまだできることある」 7/2
テレビ朝日の定例社長会見が2日、都内の同局で行われ、亀山慶二新社長(60)が出席した。
先月26日の株主総会を持って社長に就任。今回が社長として初の会見となった。
亀山社長は冒頭であいさつを述べ「角南前社長から視聴率、広告売上ともに民放第2位という状態でバトンを受けた形です」とし、「国民共通の財産である公共の電波を使用させていただく事業者ですので、引き続きコンテンツを最重視して参ります。人材と資金を最大限投入して、視聴者の皆さまの喜怒哀楽に資する多様な番組をお届けすること、正確で迅速な編集取材、報道に努めていく」と話した。
また「視聴者の皆さまに安心してコンテンツを送り続けるためには、収益基盤を強固にしなければならない。デジタル時代の到来は、テレビの広告市場を縮小させているのではないかという見方はあるが、私個人としては、その結論はまだ早いのではないかと感じています。テレビはまだまだできること、やっていないことがあると思っている。せっかく与えていただいたチャンスですので、社長としてさまざまなトライアルを促していきたい」と意気込みを語った。 
見城徹
(1950 - ) 日本の編集者、実業家。株式会社幻冬舎を創業し代表取締役社長(現任)として同社を上場させた(後にMBOにより上場廃止)。株式会社ブランジスタ取締役。エイベックス株式会社取締役(非常勤)。
1950年12月29日、静岡県清水市(現:静岡市清水区)生まれ。
慶應義塾大学法学部卒業後、廣済堂出版に入社。自身で企画した初めての『公文式算数の秘密』が38万部のベストセラー。
1975年、角川書店に入社。『野性時代』副編集長を経て、『月刊カドカワ』編集長に。編集長時代には部数を30倍に伸ばした。つかこうへい『蒲田行進曲』、有明夏夫『大浪花諸人往来』、村松友視『時代屋の女房』、山田詠美『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』、景山民夫『遠い海から来たCOO』の5つの直木賞作品を担当し、森村誠一『人間の証明』、五木寛之『燃える秋』、村上龍『トパーズ』等々のベストセラーを手がけた。このカドカワ時代に、坂本龍一、松任谷由実、尾崎豊など、芸能人、ミュージシャンとの親交を培った。41歳で取締役編集部長に昇進。
1993年、取締役編集部長の役職を最後に角川書店を退社。部下5人と幻冬舎を設立、代表取締役社長に就任。設立後、五木寛之『大河の一滴』『人生の目的』、石原慎太郎『弟』『老いてこそ人生』、唐沢寿明『ふたり』、郷ひろみ『ダディ』、天童荒太『永遠の仔』、梁石日『血と骨』、向山貴彦『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』、村上龍『13歳のハローワーク』、上大岡トメ『キッパリ!』、木藤亜也『1リットルの涙』、山田宗樹『嫌われ松子の一生』、劇団ひとり『陰日向に咲く』の14作のミリオンセラーをはじめ、小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言・戦争論1 - 3』、白川道『天国への階段』、細川貂々『ツレがうつになりまして。』、村上龍『半島を出よ』、渡辺淳一『愛の流刑地』、宮部みゆき『名もなき毒』など、ベストセラーを送り出した。
2008年、旧株式会社ブランジスタの取締役に就任。
2010年6月からはエイベックス・グループ・ホールディングス株式会社の非常勤取締役を務めている。
2011年、株式会社ブランジスタの取締役会長に就任。
2013年、秋元康、エイベックスの松浦勝人、サイバーエージェントの藤田晋らと女性向け雑誌「DRESS(ドレス)」を発売するために株式会社giftを設立(3億4200万円の赤字を出して2015年に売却)した。
2015年、第28回日本メガネベストドレッサー賞・経済界部門を受賞。
逸話
・幻冬舎のマークに描かれている「槍を高くかざした人間」のモデルは見城本人で、自らポーズをとって描かせたものである。
・夜を徹して『ダディ』を校正、校了してその足で郷ひろみとゴルフをしに行ったところ、郷がホールインワンを出した。この時、見城はダディがミリオンセラーになることを確信したという。
・20代のころ、既に大作家となっていた石原慎太郎と仕事がしたいと思った見城は、『太陽の季節』と『処刑の部屋』を全文暗記して石原との初対面に臨んだ。これには石原も「わかった、もういい。お前とは仕事をするよ」と苦笑したという。
・容姿への劣等感、学生運動での挫折、若くして運動の中に散った日本赤軍の奥平剛士らのような存在への負い目が自身を駆り立てていると常々語っている。
・太田出版元社長の高瀬幸途は友人であり、見城の著書『編集者という病い』の編集を手掛けている。
・NMB48の須藤凜々花の熱烈なファンであることを公言していた。 
幻冬舎・見城徹社長の“実売数晒し”に批判噴出… 2019/5
出版界の大物が、作家たちから集中砲火を浴びる事態になっている――。
ことの発端は、作家の津原泰水氏が、『日本国紀』(百田尚樹/幻冬舎)を批判したことを理由に幻冬舎での書籍出版が一方的に中止にされたと公表している件だ。幻冬舎社長の見城徹氏は16日、自身のTwitter上でこの件について次のように投稿した。
「こちらからは文庫化停止は1度も申し上げておりません。担当者はずっと沈黙していましたが、あまりのツイートの酷さに『これでは私が困ります』と申し上げたところ『それでは袂を分かちましょう』と言われ、全く平和裡に袂を分かったのが経緯です。他社からその文庫が出る直前に何で今更?」(原文ママ、以下同)
「津原泰水さんの幻冬舎での1冊目。僕は出版をちゅうちょしましたが担当者の熱い想いに負けてOKを出しました。初版5000部、実売1000部も行きませんでした。2冊目が今回の本で僕や営業局の反対を押し切ってまたもや担当者が頑張りました。実売1800でしたが、担当者の心意気に賭けて文庫化も決断しました」
津原氏は自身のTwitter上で、原稿もほぼ完成していたなかで幻冬舎の担当者から一方的に出版中止の連絡を受けたメールのエビデンスを公表しているが、津原氏は見城氏の発言を受け、次のように困惑の声を上げている。
「俺にも確認できない実売部数晒しとか始めちゃって、まるで格闘家が試合前のパフォーマンスで大怪我してるみたいな状態なわけですよ」
「実売部数晒しが、こいつ売れないぞ、拾っても無駄だぞ、ざま見ろって自爆テロのつもりだったとしても、刷り部数が1万行ったら万歳三唱の時代に、そう悪い数字でもなかったりする。頑張れば黒字ラインに持っていけた筈。そんなん無理だって云うなら出版社畳めばって話だ。何がしたかったんでしょう?」
さらに見城氏の“実名晒し”への批判は広がり、Twitter上では別の作家たちからも多数のコメントが上がっている。
「見城さん、出版社のトップとして、これはないよ。本が売れなかったら『あなたの本は売れないからうちでは扱わない』と当人にいえばいいだけ。それで文句をいう著者はいない。でも『個人情報』を晒して『この人の本は売れませんよ』と触れ回るなんて作家に最低限のリスペクトがあるとできないはずだが」(作家・高橋源一郎氏)
「信じられないこと 出版社の社長が自社で出した本の部数が少ないと作家を晒しあげる。ふつう編集者や営業は、一緒に作った本が売れなかった時『力が及びませんでした、残念です』というものだよ。もちろん同じことを作家は編集者たちに思っている。見城氏は作家ばかりでなく、自社の社員もバカにしている。商品としての本は、作家だけじゃない、編集者、デザイナー、営業、みんなで作るものじゃないか。もちろんこんな業界の基本のキを知らないわけがない。これじゃあ売り上げが悪いならでてけ、という単なる場所貸し会社じゃないか」(作家・倉数茂氏)
「やはりここまで来たら日本の作家は『幻冬舎とは仕事をしない』ということを宣言すべきだと思います」(思想家・内田樹氏)
「やり過ぎだろう。見るに耐えない」(作家・平野啓一郎氏)
こうした反応を受け見城氏は17日、ツイッターで「編集担当者がどれだけの情熱で会社を説得し、出版にこぎ着けているかということをわかっていただきたく実売部数をツイートしましたが、本来書くべきことではなかったと反省しています。そのツイートは削除いたしました。申し訳ありませんでした」と謝罪。しかし、ネット上では以下のように見城氏への批判が続出し、騒動は収まりそうにない。
「ここから本を出すことは恥ずかしいと、まともな作家たちは思い始めている」
「津山氏に対して失礼しすぎます」
「見城徹には他者へのリスペクトなんかないでしょ。どうやったら“金づる”が見つかるか、その“金づる”を逃さないようにするかしか考えてないし」
「ケンカ見城 悪名は無名に勝ると言ってたのに。詭弁と謝罪か。がっかり」
「お得意の『情熱』を正当化するなって」
「見城社長は津原氏に対して、直接目の前で頭を下げるべきだ」
出版業界関係者は語る。
「見城さん個人はナイスな人ですよ。石原慎太郎や村上龍、森村誠一など、名だたる大物人気作家たちから絶大な信頼を得て、これまで無数の大ベストセラーを生み出してきた剛腕編集者であることは、誰もが認めるところです。人脈は出版界にとどまらず、サイバーエージェント社長の藤田晋氏やGMO代表の熊谷正寿氏などの経営者、芸能界の重鎮でバーニングプロダクションの周防郁雄社長、さらには安倍晋三首相をはじめとする政治家など、錚錚たる顔ぶれとあつい親交があります。その“大物っぷり”はハンパなく、以前見城さんがあるキー局の番組にゲストとして出演した際には、その局の幹部連中がずらりとスタジオに顔をそろえて観覧していたと聞きます。ただ、“情にあつい”といえば聞こえがいいのですが、かなりの“身びいき”なことでも知られており、自分の仲間に批判的な人を容赦なく攻撃してしまう面もあります。最近では“盟友”百田尚樹氏が、俳優の佐藤浩市が雑誌のインタビューで安倍首相を揶揄したと勘違いして佐藤を批判し、それに乗っかって見城さんもTwitter上で佐藤を攻撃して世間から失笑を買っていましたが、その“熱い情熱”が間違った方向に行ってしまうことが、しばしば散見されます」
また、別の出版業界関係者はこう語る。
「これほど毀誉褒貶が激しい人も珍しい。“そのときどきで権力や勢いを持っている人物にすり寄って、金儲けしているだけ”“自分が権力者だと思い込んで、自分に酔っている”という声もあり、見城さんを嫌っているというか、近づかないようにしている人が多いのも確かです。幻冬舎でも、見城さんのワンマンなやり方や、自分より優秀な人が台頭してくると潰そうとする性格に嫌気がさして辞めた優秀な編集者を何人も知っています。もっとも、本人はワンマン経営者であることを自任しているくらいなので、改善される見込みはないでしょう。ただ、見城さんの日頃の発言や著書、さらにいろんな評判を聞く限り、やっぱり“売れる作家=良い作家”という信条の持ち主だという印象は拭えません。もし作家にリスペクトの気持ちがあれば、勝手に実売を公に晒すなんていう行為は想像もつかないでしょうし、作家を商売の道具くらいにしか考えていないのではないかと感じます。自分の会社が作家に批判されたからといって、その作家の部数が低いとでも言いたいかのような発言をするなど、言葉は悪いですが“クズ編集者”ですよ」
出版界の大物だけに、業界での評価も分かれるようだ。 
幻冬舎・見城社長「実売数晒し」で謝罪 作家ら一斉反発 2019/5
「初版5000部、実売1000部も行きませんでした」――。幻冬舎の見城徹社長のツイッターでの発言をめぐり、多くの作家が不快感をあらわにしている。
同社と対立する作家の書籍の「実売数」を明かす発言をしたことに、「『この人の本は売れませんよ』と触れ回るなんて作家に最低限のリスペクトがあるとできないはず」とひんしゅくを買っている。
騒動のきっかけは、作家の津原泰水(つはらやすみ)氏が2019年5月13日、百田尚樹氏の著書『日本国紀』(幻冬舎)を批判したため、自著が出せなくなったとツイッターで主張したためだ。
津原氏は幻冬舎から文庫本『ヒッキーヒッキーシェイク』の出版を予定していたが、『日本国紀』がネットの情報を無断引用していると指摘したところ、出版が急遽取りやめになったとしている。
一方、幻冬舎は16日のJ-CASTニュースの取材に、『日本国紀』を批判するのは止めるよう依頼したのは事実としつつ、「『お互いの出版信条の整合性がとれないなら、出版を中止して、袂を分かとう』と津原氏から申し出がありました」と反論する。
その後、津原氏は幻冬舎の担当者とのメールのやりとりをツイッターで公開し、同社の反論は事実無根だと訴えた。担当者からのメールには「『ヒッキーヒッキーシェイク』を幻冬舎文庫に入れさせていただくことについて、諦めざるを得ないと思いました」などと書かれている。
津原氏のメール公開などを受け、見城氏自身がツイッターで「こちらからは文庫化停止は一度も申し上げておりません」と改めて反論し、「メールのやり取りの全文も何らかの形で明らかになるでしょう」と"予告"した。
さらに、津原氏が幻冬舎から出版した過去の著書を挙げ、自身は反対していたとも明かしている。
「津原泰水さんの幻冬舎での1冊目。僕は出版を躊躇いましたが担当者の熱い想いに負けてOKを出しました。初版5000部、実売1000部も行きませんでした。2冊目が今回の本(編注:『ヒッキーヒッキーシェイク』の単行本)で僕や営業局の反対を押し切ってまたもや担当者が頑張りました。実売1800でしたが、担当者の心意気に賭けて文庫化も決断しました」
見城氏の「実売晒し」ツイートを受け、多くの作家らが反発している。
作家の高橋源一郎氏は、「見城さん、出版社のトップとして、これはないよ。(中略)『個人情報』を晒して『この人の本は売れませんよ』と触れ回るなんて作家に最低限のリスペクトがあるとできないはずだが」
映画史研究家で、著書を多数持つ春日太一氏は、実倍数を公表することで「腰が引ける出版社や書店が出てくる可能性がある」として、 「どれだけ争っているとしても、『著者が他社でも仕事できにくくするよう率先して仕掛ける』ようなことはしない。それが出版社としての矜持だと思っていました。が、見城徹は明らかにその一線を越えたように私には映ります。芸能界や映画界のように出版界はなってほしくない。危惧します」
作家の岡田育氏は「『実売数の大きな作家は業界全体に大きな発言権を持つ ≠ 実売数が少ない作家には発言権がない』『本を売るのは出版社の仕事なので出した本が売れない責任は主に出版社にある』今日は皆さんにこれだけ憶えて帰ってもらいたいと思います」
そのほか、平野啓一郎氏や藤井太洋氏、‏深緑野分氏、福田和代氏、葉真中顕氏など多数の作家らが異議を唱えている。
(17日13時追記)見城氏は17日12時50分に、ツイッターを更新。先のツイートを削除し、お詫びした。
「編集担当者がどれだけの情熱で会社を説得し、出版に漕ぎ着けているかということをわかっていただきたく実売部数をツイートしましたが、本来書くべきことではなかったと反省しています。そのツイートは削除いたしました。申し訳ありませんでした」  
百田尚樹『日本国紀』批判したら「文庫出せなくなった」 2019/5
作家・百田尚樹氏の著書『日本国紀』(幻冬舎)を批判したら、自著が出せなくなった――。作家の津原泰水氏がツイッターでこんな訴えをしている。
同氏は幻冬舎から文庫本の出版を予定していたが、『日本国紀』の問題点を指摘したところ、出版が急遽取りやめになったとしている。一方、幻冬舎は取材に対して、「事実ではありません」と反論する。
津原氏は2019年5月13日、ツイッターで「幻冬舎から文庫出せなくなった」と明かした。その後の投稿によれば、幻冬舎文庫から19年4月に刊行予定だった小説『ヒッキーヒッキーシェイク』が、同年1月ごろに突如、出版中止を告げられた。
理由については、担当者を通じて「『日本国紀』販売のモチベーションを下げている者の著作に営業部は協力できない」と説明され、津原氏は「ゲラが出て、カバー画は9割がた上がり、解説も依頼してあったんですよ。前代未聞です」と憤りを隠さない。
津原氏はツイッターで、『日本国紀』がネットの情報を無断引用しているとたびたび指摘しており、「同じ幻冬舎から本を出す作家の立場から、世間に謝罪すべき(ならば浮かぶ瀬もある)と提言した。百田氏にもそうコメントしました。何故か返事は無いままです」ともつづっていた。
なお、『ヒッキーヒッキーシェイク』は、2016年の文学賞「織田作之助賞」の最終候補作に残った作品。一連の経緯から幻冬舎から出版できなくなったとしているが、19年6月に早川書房から刊行予定だ。
幻冬舎総務局は5月16日、J-CASTニュースの取材に「文庫化を一方的に中止したという津原氏のご主張は、事実ではありません」と回答。出版中止は、津原氏からの申し出だったという。
「2018年末から2019年初にかけての、津原氏の『日本国紀』に関する膨大な数のツイートに対し、担当編集者として『さすがにこれは困ります』という旨、ご連絡を差し上げたのが年初のことです。そして、担当編集者と津原氏が電話で話をする中、『お互いの出版信条の整合性がとれないなら、出版を中止して、袂を分かとう』と津原氏から申し出がありました」
「尚、津原氏のご指示で、制作に関する関係各所への連絡は担当編集者が行い、それまでに制作に要した経費は弊社ですべて負担いたしました。また、津原氏からの出版契約の更新不可のお申し出を受諾し、その後、他社で文庫化される際のロイヤリティも放棄しております」  
見城徹「やましいことは一切ない」──『日本国紀』への批判に初言及 2019/5
<コピペや盗用が指摘される百田尚樹の65万部ベストセラーについて、版元である幻冬舎の見城徹社長が初めて口を開いた>
百田尚樹の『日本国紀』は、65万部のベストセラーとなった一方で、インターネット上のフリー百科事典「ウィキペディア」からのコピペや他文献からの盗用を巡る指摘が後を絶たない。版元の幻冬舎は昨年11月の初版発売から重版を重ねるたびに、公表することなく修正も繰り返している。
5月28日発売のニューズウィーク日本版「百田尚樹現象」特集で、幻冬舎社長・見城徹が『日本国紀』を巡る一連の問題について、初めてインタビューに口を開いた。
インタビューは5月10日、東京・北参道の幻冬舎社内で収録した。なお、小説家の津原泰水が、『日本国紀』を批判したことで、作品を幻冬舎文庫から出版できなくなったと公表するのはこのインタビュー後なので、その点についての質問はない。計20ページに及ぶ「百田尚樹現象」特集のうち、見城へのインタビューの一部を抜粋する。
――見城徹の目からみた作家・百田尚樹の評価は?
「百田さんの小説は読みやすいと言われるけど、単純ではない。裏打ちとしてあるのは彼の文章学であり、人間に対する見方、考え方だ。それをエンターテイメントに落とし込んで、かつ人の心に沁みこむように書けるというのは、並の作家ではできない」
――では、『日本国紀』をどのような本として認識しているのか。
「『日本国紀』は百田尚樹という作家の作品であり、百田史観による通史だ。百田尚樹という作家が、日本という国の歴史をこう捉えたということ。これがはるかに大事なんだよ。まさに叙事詩だ。彼は歴史家じゃなくて作家。作家によって、新しい日本の通史が書かれるという興奮のほうが大きい。僕は百田尚樹がどんな政治信条の持ち主でも出しましたよ」
――右派の本が売れているから、ビジネス戦略として『日本国紀』を出したのか。
「そんなことは1ミリも思っていない。僕にはビジネス的に右派が売れているから右派の本を出そうという考えは全くない。右派的な本や雑誌ばかりが売れるのはどうかと思っている。もちろん、売れることは大事だ。売れる本があるから、全く売れないと分かっていても世に必要な本が出せる。僕が元日本赤軍、極左の重信房子の本を何冊も出していることから分かるでしょう。その時は批判なんて来なかった。僕は右でも左でもない。見城という『個体』だよ」
――では、なぜ売れたのか。
「売れている理由は明確でしょ。百田さんの史観と文章によって、歴史はこんなに面白いのか、というのが分かるからだ。特に12章以降の戦後史はこの本のハイライトで面白い」
右派的な歴史観が強く打ち出される戦後史が面白い、と言われてうなずくことはできないが、見城の分析はデータを見る限り、ポイントを押さえていることが分かる。全国のTSUTAYAとTポイント提携書店のPOSデータを分析するサービス「DB WATCH」によると、『日本国紀』は刷り部数相応に売れており、百田のオピニオン系の書籍も数字が動いている。ここから「強いファン層」が存在し、歴史観に共鳴していることは推測できる。であればこそ、初版以降、多くの修正が出たことについてどう考えるか。百田本人は特集のインタビューで「初版の読者には申し訳なかったという思いがある」と言い、正誤表も「あってもいい」と語っているが、見城はどうか。
――初版から指摘を受けるたびに、明示することなく修正していることが問題視されている。
「この程度の修正はよくあることでしょ。校正をいくら重ねても出てしまうもので、版を重ねて修正するのはどの本でも当たり前のようにあること。うちの本にも、他社の本にもありますよ。今の修正なら、僕の判断で(正誤表は)必要ない、と決めました」
担当編集者の高部真人も同席し、こう付け加えた。
「校正について言えば、普通の本の3倍以上はやっています。通史で全部のファクトを細かくチェックしていけば、校正だけで5年はかかります。監修者の協力も得て、一般書としての最高レベルでやりました。それでもミスは出てしまう。それは認めるしかありません」
――ウィキペディアからのコピペ、他文献からの盗用があったのではないかという指摘についても幻冬舎から反論や見解を出していない。
「こちらにやましいことは一切ない。ある全国紙から何度も、コピペ問題について取材依頼が来ましたが、応じるまでもなく、どうぞ好きに書いてくださいというのがこちらの考え。ウィキペディアを含めてさまざまな文献を調べたことは当然、あったでしょう。だけど、そこからのコピペで、これだけ多くの読者を引きつけられるものは書けない。この件も百田尚樹だから批判が出るのでしょう。(首相の)安倍さんと近いとか、そんなことが大きな理由じゃないですか」 
首相公邸で安倍首相と会食!? 見城社長の最大の問題は権力との癒着だ 2019/5
『日本国紀』(百田尚樹)を批判した作家・津原泰水氏の文庫本出版中止問題で、津原氏の実売部数を晒すなどの暴挙に出た見城徹・幻冬舎社長だが、さすがに白旗をあげざるをえなかったようだ。19日深夜にはTwitterを閉鎖。20日には、AbemaTVでもっていた冠番組『徹の部屋』で改めて津原氏に対して謝罪したうえ、同番組の終了を宣言した。見城氏としては個人的な言論活動を一旦やめることで“けじめ”を示したつもりなのだろう。
しかし、見城氏は実売晒しについては謝罪しているが、同社が津原氏の『日本国紀』批判を抑え込もうとして、その文庫本を最終的に出版中止にした問題については、なんの謝罪もしていない。本来は、この表現の自由の侵害こそが今回の騒動の本質であるにもかかわらず、だ。
さらに、見城氏にはもうひとつ、批判されるべき大きな問題がある。それはほかでもない、安倍首相との“癒着”だ。
そもそも見城氏といえば、第一次政権放り出し後、野にくだった安倍氏と急接近。首相再就任にも大きな貢献をしたことで知られる。安倍氏とは行きつけのスポーツクラブで知り合ったという見城氏だが、その後、急速に親しくなり、2012年には首相に返り咲くための応援団を買って出る。そして、自民党総裁選前には『約束の日 安倍晋三試論』(小川榮太郎/2012年9月)を自社から刊行し、大々的に新聞広告を打つなどして安倍首相を援護射撃した。大規模な広告展開を仕掛け、ベストセラーに仕立てる手法は幻冬舎商法と揶揄される戦略だが、それが成果をあげたのか本はベストセラーに。安倍は首相への返り咲きに成功した。
実際、安倍首相自身、「ここまでこれたのは見城さんのおかげだ!」と発言している。この発言は、2013年9月に見城氏が主催した若手IT経営者たちとの食事会で出たものだったが、第二次政権発足以降、この会に限らず見城氏は積極的に自分の人脈と安倍氏を引き合わせている。見城氏が安倍首相との間をとりもったひとりが、テレビ朝日の早河洋会長だ。
さらに一方で、前述の小川榮太郎氏や百田尚樹氏、山口敬之氏ら安倍応援団の著書を節目節目で出版し安倍政権をアシストし続けてきた。今回の部数晒しツイート問題の発端になった百田氏の『日本国紀』も、その本質は安倍改憲を後押しするプロパガンダ本だ。
まさに“べったり”という表現がぴったりな応援団ぶりだが、この癒着が問題なのは、見城氏がただの出版社社長ではないからだ。見城氏はテレビ朝日の放送番組審議会の委員長も務めており、同局の報道番組に睨みを利かせてきた。
実際、見城氏は『報道ステーション』に対して審議会で「政権批判だけでなく評価もすべき」という趣旨の発言をしたと報道されたこともあるし、その後、『報ステ』や『羽鳥慎一モーニングショー』などテレビ朝日のさまざまな報道・情報番組で政権に批判的な出演者が降板させらたり、政権批判報道が減った背景にも関係していたのではないかといわれている。
時の権力者とべったりの人物が番組審査などすれば、放送の独立、報道の自由なんて保てるはずがない。裏で特定の政治勢力とつながっている人物を「放送番組審議会委員長」の職に就かせてチェックさせるというのは、それこそ放送法違反ではないのか。
しかも、見城氏の安倍首相へのすりよりは、時を経るにつれてどんどん露骨になっている。2017年衆院選の際には告示日2日前、『徹の部屋』に安倍首相を生出演させ、「すごくハンサムですよ。内面が滲み出ているお顔ですよ」などと歯の浮くようなヨイショを連発。AbemaTVはテレ朝が40%を出資するネット放送局だが、見城氏は一方でテレ朝の番組審議会委員長をつとめながら、系列のネット番組で“放送法逃れ”の露骨な安倍PRをやってのけたのだ。
また、先日、実売部数晒しの少し前には、映画『空母いぶき』で総理大臣役を演じた佐藤浩市に“安倍首相を揶揄した”と言いがかりをつけた。佐藤はこれまでの役柄や映画での役作りについて語っただけだったが、百田氏や阿比留瑠比氏ら安倍応援団とともに発言を歪曲して騒ぎ、〈最初から首相を貶める政治的な目的で首相役を演じている映画など観たくもない〉と攻撃。“安倍首相の親衛隊”ぶりを見せつけたのである。
もっとも、この佐藤浩市への攻撃については、ネットでは「安倍応援団の誤爆、切り取り」との批判が殺到、爆笑問題などからも「またうるさいね、あの親父たちは。佐藤さんがちょこっと言ったことをヘンなふうに自分なりに解釈してさ。ギャーギャー騒ぐんだな」「安倍さんをチョットでも悪く言うとワーッみたいなね」とからかわれる始末だった。
しかし、当の見城社長はこうした状況になんの恥も感じていなかったらしい。実はこの騒動の最中も、見城社長は安倍首相と密かに会い、会食していた可能性が高い。
それは5月15日夜のこと。見城社長がTwitterで佐藤浩市を攻撃した3日後、津原氏の文庫本出版中止問題で批判を受けて〈訴訟するのは気が進まないが、訴訟するしかなくなる〉と強気のツイートを投稿した当日、そして、津原氏の実売部数晒しをする前日のことだ。
新聞各紙が報じている「首相動静」を見ると、5月15日、安倍首相は午後7時頃からの赤坂の寿司屋で秋山光人日本経済社特別顧問らと会食を早々に切り上げ、7時30分には公邸に戻った。その後には「末延吉正東海大教授らと食事」と記されている。
ちなみに、末延氏といえば、安倍首相の地元山口の後援企業の御曹司からテレ朝の政治部長になった人物で(その後に退職)、現在もテレ朝の『大下容子ワイド!スクランブル』などでコメンテーターを務め、安倍首相を擁護しまくっている典型的なマスコミ内の政権応援団の一人だ。末延氏の会食だけでも大いに問題ありだが、この食事に、どうやら見城社長も同席していたらしいのだ。
しかし、前述したように、首相動静には「末延氏“ら”」とあるだけで、見城氏の名前はない。全国紙の官邸詰め記者が当日の状況をこう解説する。
「首相動静は報道各社の総理番が一日中、総理に張り付いて報じるわけですが、首相官邸(公邸)には番記者たちが目視できないように首相と面会できる“ルート”が存在し、“面会はあったと思われるがそれが誰だかわからない”ということがしばしば起こる。その場合は、官邸スタッフに確認をとって、非公式に名前や素性を教えてもらうわけです。15日夜のケースもそうで、入った時はまったくわからなかった。ところが、夜10時、公邸から黒いアルファードが出てきたので“誰かと会っていたたようだ”となった。すると、一人は末延さんだと公表したんですが、もう一人については『中小企業の社長だ』としか言わず、最後まで明かそうとしなかった。周辺からは『食事会を主催したのは見城社長』という情報もあったんですが、官邸が頑として名前を明かさなかったため、活字にできなかった」
しかし、見城氏の同席はひょんなことから確度の高い情報がとれた。それは、15日夜10時6分、首相公邸から出てきた「黒いアルファード」だ。首相番記者はこういう場合、必ず車のナンバーを控えている。そして、本サイトの記者がそのナンバーを入手し、渋谷区千駄ヶ谷にある幻冬舎本社に確認に行ったところ、駐車場にまさにそのナンバーの車が停めてあったのだ。
「中小企業の社長」という官邸のレクチャーと考え合わせると、この日、見城社長が安倍首相との食事会に同席していたというのはほぼ間違いないだろう。
それにしても、首相動静から、見城氏の名前だけが隠されているのはいったいなぜなのか。当初は、佐藤浩市を安倍首相に成り代わって攻撃したことに“お褒めの言葉”でももらうための食事会だったため秘密にしたのか? と穿った見方をしたが、そういうことではなさそうだ。
というのも、見城氏は第二次政権発足当初こそ、首相動静に名前が何度か出てきていたが、2014年7月を最後に、一切、首相動静に載らなくなったからだ。見城社長と安倍首相が会わなくなったわけではない。例の“組閣ごっこ”など、見城社長が安倍首相と頻繁に面会していることは明らかだ。にもかかわらず、首相動静には載らないのである。
そこで、官邸に対して、15日夜に見城氏が公邸を訪問した事実の確認と、名前を伏せた理由を問いただしてみた。しかし、帰ってきた答えはこうだった。
「総理が誰と面会したなどについてはわかりません。報道の首相動静を見てもらうしかない。そもそも報道室の業務に含まれていませんので、そうした面会は記録しておらず、逐一メモにとる等も行っておりません」(官邸報道室担当者)
「総理がひとりひとり誰と面会したかということについては回答できません。なお、警備都合上、入館のための訪問予約届は管理しますが、その一日の業務が終わり次第破棄しています。また、仮に破棄前であっても、個人情報ですので入館記録についてはお答えしません」(官邸事務所担当者)
見ての通り、「記録していない」「お答えできない」の一点張りである。言っておくが、総理大臣は一国の政治の最高権力者であり、いつ、どこで、誰と会っていたかという事柄は、当然、公共の正当な関心事であって隠されることなどあってはならない。いったい、官邸は国民の知る権利を何だと思っているのだろうか。
しかも、この訪問者の名前を一律で明かしていないという回答は、ただの建前にすぎない。官邸担当記者が語る。
「官邸は訪問者本人、もしくは安倍首相から名前を伏せろ、という指示がない限り、訪問者の素性を教えてくれることが多い。もちろん非公式にですが。つまり、見城氏の場合は、ある時期から完全にシークレット扱いになっているということでしょう」
では、なぜ、見城氏がシークレット扱いになっているのか。それはおそらく、見城社長が前述したように、テレビ朝日の放送番組審議会の委員長を務めていることと関係があるのではないか。
実は、安倍首相と関係の深い見城氏がテレビ朝日の番組審議委員長をやっていることに、批判の声が上がり始めたのが2014年の後半。翌年には週刊誌でも見城氏がテレビ朝日の番組審議委員会で圧力をかけたという報道がなされた。これは、首相動静に見城氏の名前が載らなくなっていった時期とほぼ一致する。
「ネットなどでも、安倍首相と会食を繰り返す応援団がテレビ朝日の番組審議委員長を務めているのはおかしいという批判が上がりました。そのため、面会の事実を伏せるようにしたんじゃないでしょうか。番組審議委員長の椅子というのは見城氏にとっても、安倍首相にとっても、世論操作のために最も利用価値のあるものですから」(週刊誌記者)
もっとも、その後、安倍一強体制がさらにエスカレート。安倍政権の横暴やお友だち優遇がまかり通るようになるにつれ、見城社長も安倍首相との関係を隠そうとしなくなり、『徹の部屋』やTwitterで露骨に安倍首相との関係を誇示するようになった。
今回の佐藤浩市攻撃や実売部数晒しはまさにその驕りの結果だと言えるだろう。
見城社長は結局、その露骨な言動によって批判の集中砲火を浴び、Twitter閉鎖と『徹の部屋』の終了に追い込まれた。
だが、だからといって、見城社長が安倍首相の“名代”として、メディアに影響力を行使する状況は変わったわけではない。Twitterと『徹の部屋』は終了するが、テレビ朝日の番組審議委員長を辞任するという動きは聞こえてこないからだ。
これからはむしろ、安倍首相との関係は水面下に隠されるかたちで、巨大メディアに隠然とした力を発揮していくのだろう。本サイトは引き続き、幻冬舎・見城徹社長の動向を注視していくつもりだ。 
ニュースの現状とメディアの役割 テレビ朝日・経済部長 松原文枝氏
政経フォーラムに、テレビ朝日・経済部長の松原文枝氏にお越しいただき、ニュースの現状とメディアの役割についてお話をいただきました。
松原氏は、メディアの役割について「権力を監視すること」「視聴者のための報道を行うこと」だと述べられました。世の中の不条理を報道することで、権力を持つものへの抑止力につながったり、真実の報道を通じて、社会で何が起きているのかを正確に掴むことが重要であると実感しました。また、視聴者の心に深く響く番組を創り出す必要性やテレビ視聴の平均時間が平日は159.4分、休日は214分であることからも、メディアの影響力が非常に大きいということです。
私たちは、報道そのものを鵜呑みにすることなく、真実を見抜く目を養いながら日々のマスコミ報道と向き合っていくことが大事です。 
テレ朝が“忖度”人事か…安倍政権追及の経済部長を更迭 6/23
テレビ朝日で来月1日発令の人事異動が21日内示され、社内に衝撃が走っている。安倍政権を厳しく追及してきた経済部長の女性A氏(52)が報道現場から外され、イベント関係の新設ポストへ“左遷”されるというのだ。
「A氏の異動先は総合ビジネス局で、イベント事業戦略担当部長です。わざわざ新しいポストをつくってまでとは、会社もやることが露骨。もっと酷い閑職も検討されたそうです。経済部長から非現業の部署への異動は異例です。前任者は政治部長になり、前々任者もネットニュース部門の長であるクロスメディアセンター長になっています」(テレ朝社員)
テレ朝の経済部長といえば、昨年4月、財務次官のセクハラを告発した女性記者を守った上司でもある。あれから1年。ほとぼりが冷めた今になっての懲罰人事かと思いきや、それだけではないようだ。
A氏の前職は「報道ステーション」のチーフプロデューサー。古舘伊知郎(64)がキャスターだった頃に、原発や安保法制の問題など政権が嫌がるテーマにも鋭く切り込んでいた。
「I am not ABE」で官邸の逆鱗に触れ、元経産官僚の古賀茂明氏(63)がコメンテーターを降板させられた2015年4月に、A氏も報ステを外されている。
経済部長となった後も「森友問題について財務局OBに話を聞く座談会」を企画したり、「武器輸出」について特集したりと、政権に厳しいニュースを経済部として報じてきていたという。そうした姿勢が会社に疎まれたのか。
「A氏は報道機関として『権力の監視』を当たり前のようにやっていただけです。2016年には『ワイマール憲法の教訓』という企画で、ギャラクシー賞の大賞をテレ朝で初めて受賞しています。自民党憲法草案にある緊急事態条項の危険性に警鐘を鳴らす特集でした。それなのに“粛清”人事ですか。テレ朝の報道は終わりました」(前出の社員)
今回の人事についてテレ朝広報部は、「通常の人事異動の一環です。なお、社内における職位(担当部長)については、変更はありません」とコメントした。
昨年、NHKでも政権忖度人事で森友スクープ記者が左遷されたが、テレ朝も同じだとしたら、安倍政権下のテレビ局の萎縮は尋常じゃない。  
テレビ朝日が2000万円報告書問題で麻生財相を追及した
 「報ステ出身の経済部長」を報道局から追放! 6/23
本サイトでも継続的にレポートしてきたように、安倍首相と蜜月関係にある早河洋会長のもと、“政権御用化”が進行しているテレビ朝日だが、ここにきて、またぞろ、政権の不正を追及してきた報道局幹部をパージする“政権忖度人事”が行われた。
「経済部部長・Mさんに、7月1日付人事異動の内示が下ったんですが、これが前例のない左遷人事だったんです。M部長の異動先は総合ビジネス局・イベント事業戦略担当部長。今回、わざわざ新たに作った部署で、部長と名ばかり。これまでの部長は政治部長やセンター長になっているのに、これはもう嫌がらせとしか思えません」
M部長は古舘伊知郎キャスター時代、“『報道ステーション』の硬派路線を支える女性チーフプロデューサー”として有名だった女性。経済部長に異動になってからもその姿勢を崩さず、森友問題などでは、経済部として財務省をきちんと追及する取材体制をとっていたという。
「財務省や麻生太郎大臣の会見は、経済部が中心なので、不正や政策の問題点を追及する質問なんてほとんどやらないんですが、Mさんが部長になった頃から、テレ朝は複数の記者を投入して、踏み込んだ質問をするようになった。ごくたまにですが、重要な局面では、Mさん自身も会見に出て、質問していました」(全国紙経済部記者)
いま、大きな問題になっている金融庁の“2000万円報告書”問題でも、麻生財務相の会見でこの問題をはじめて追及したのは、テレビ朝日経済部だった。その後も、会見の度に、報告書問題を質問。また、麻生大臣が11日、「報告書を受け取らない」としたときの会見には、M部長自ら出席。報告書の内容を「政府のスタンスとちがう」と言い訳した麻生財務相に、「報告書のベースは金融庁が作っている」「夏の税制改正要望に証券税制の優遇を入れるという意図があったのではないか」と鋭い追及をしていた。
しかし、こうしたテレビ朝日の追及に、麻生大臣が苛立ちを示すケースもしばしばで、2000万円報告書問題では「テレビ朝日のレベルの話だからな」「またテレビ朝日か」「テレビ朝日のおかげで不安が広がった」「おたくのものの見方は俺たちとぜんぜん違う」などと、名指しで恫喝することも少なくなかったという。
そんなさなかに、M部長が聞いたこともない部署に飛ばされる人事の内示が出たため、局内外で「こんな露骨な人事、見たことない」「安倍政権からなんらかの圧力があったのではないか」という声が上がっているのだ。
実際、M部長の異動の裏に、テレ朝上層部の安倍政権忖度があったのは間違いない。
そもそもM部長は、『報道ステーション』のチーフプロデューサー時代から、官邸とテレ朝上層部に目の敵にされてきた。実は、『報ステ』のチーフPを外されたのも、官邸の圧力だったといわれている。
2015年、ISによる後藤健二さん、湯川遥菜さん人質事件が起きたさなか、ISを刺激する安倍首相の発言を批判して、コメンテーターの古賀茂明氏が「“I am not ABE”というプラカードを掲げるべきだ」と発言したことに、官邸が激怒。菅官房長官の秘書官が恫喝メールをテレ朝上層部に送りつけるなど、圧力をかけて、古賀氏を降板に追い込んだことがあったが、このとき、古賀氏らといっしょに同番組から外されたのが、M氏だった。
「Mさんがチーフプロデューサーをつとめていた時代、『報ステ』は政権の不祥事や原発問題に果敢に踏み込んでいました。上層部からの圧力にも身を盾にして現場を守っていた。早河さんや当時の篠塚(浩)報道局長らは苦り切っていて、Mさんを外す機会を虎視眈々と狙っていた。そこに、古賀さんの発言があって、官邸から直接圧力がかかったため、古賀さんを降板させた少しあとに、Mさんを政治家とは直接関わることが少ない経済部長に異動させたというわけです」(テレビ朝日局員)
しかし、M氏は経済部長になってからも、官邸や局の上層部からマークされ続けていた。
昨年4月、財務省・福田淳一事務次官(当時)の女性記者へのセクハラ問題が勃発したときは、官邸がM氏に責任をかぶせるフェイク攻撃を仕掛けていたフシがある。周知のように、福田次官のセクハラは、「週刊新潮」(新潮社)がスクープしたものだが、告発した女性記者の一人がテレ朝の経済部記者で、M氏はその女性記者の上司だった。そのため官邸は「Mが女性記者をそそのかして告発させた」という情報を拡散させたのだ。
「たしかに当時、官邸に近い政治部記者が『Mが福田次官をハメるため女性記者に「週刊新潮」への音源提供をそそのかした』なるストーリーを口々に語っていました。週刊誌が調べてもそんな事実はなくて、官邸幹部が吹き込んだフェイク情報だったようですが……。官邸はこういう情報操作と同時に、テレビ朝日にも『Mをなんとかしろ』と相当、圧力をかけていたようですね。テレ朝としてはそのときにすぐに左遷するのは露骨だったので、タイミングをみはからっていたんでしょう」(週刊誌記者)
そして、冒頭で紹介したように、麻生大臣の会見などで、2000万円報告書問題を厳しく追及しているさなか、M氏の人事が内示されたのだ。
言っておくが、M部長は特別、過激なことをしていたわけではない。組織の秩序を乱したわけでもないし、不祥事を起こしたわけでももちろんない。政策や政権の不正をチェックするという、ジャーナリズムとしてはごく当たり前の取材・報道をしようとしただけで、10年前だったらなんの問題にもならなかっただろう。
ところが、テレビ朝日は、M氏を報道局から追放し、前例のない人事を行ったのだ。どう見ても「政権に忖度して政権批判者を追放する見せしめ人事」を行ったとしか思えないだろう。
しかも、恐ろしいのは政権批判に踏み込む報道局員を飛ばす、こうした人事がいまや、テレビ局で普通になっていることだ。テレ朝でも同様のケースがあった。解説委員として、ときには政権批判に踏み込むことで知られていたF元政治部長が、3年前に突然、部下が一人もいない営業マーケティング担当局長という新設のポストに異動させられている。
他局でも、政権批判に踏み込むデスクや記者が次々とメインの政治取材から外されており、その結果、官邸や記者クラブでは、政権の言い分を代弁する記者ばかりになり、会見でも安倍政権を追及するような質問は、ほとんど出なくなった。そして、普通に権力のチェックをしようとする数少ない記者たちは「空気を読めないやつ」「面倒臭いやつ」として取材体制から排除されていく。
NHK、フジテレビ、日本テレビだけでなく、テレビ朝日やTBSでも同じことが起きているのだ。この国のテレビはいったいどこまで堕ちていくのだろうか。 
 
忖度文化史

 

安倍総理の元家庭教師、平沢氏のことば
「私が安倍晋三さんの家庭教師で教えてたんです。なぜ教えてたかっていうと、冷蔵庫の中のもの飲み放題で。安倍晋三さんがしっかりしてるのは私が教えたからで、私が教えてなかったら今頃網走の刑務所に入ってたかも知れないよ。」
○ 世界中に向けたとんでもない迷言>>>「汚染水は完全にブロックされている。世界で最も厳しい安全基準がある」「健康問題については今までも現在もそして将来も全く問題がないことをお約束します」
○ 2007年の参議院選で「私か小沢一郎さんのどちらが首相にふさわしいか」といったのち、結果は大惨敗。
○ 2002年には「憲法上はね原子爆弾だって問題ではない。小型であれば」 戦争放棄を謳い、被爆国の日本での発言とは到底思えない。
○ 2013年の講演では「若いころ、映画監督になりたいと思っていた。私が政治家に固着していなかったらゴッドファザー4を撮っていたかも」 自信過剰というか勘違いも甚だしい、呆れて言葉が出てこない。
○ 最近記憶に新しいのは「我が軍は」 自衛隊はお前が所有している物じゃない。将軍にでもなったようなつもりか? 
安倍晋三首相の名言集
○ 父(安倍晋太郎)の遺志を継ぎ、父が成し得なかったことを何としてもやり遂げたい。(1991年衆院選出馬時)
○ 我が国が自衛のための必要最小限度を超えない実力を保持するのは憲法によって禁止されていない。そのような限度にとどまるものである限り、核兵器であると通常兵器であるとを問わず、これを保有することは憲法の禁ずるところではない。(衆院特別委)
○ 憲法草案の起草にあたった人たちが理想主義的な情熱を抱いていたのは事実だが、連合軍の最初の意図は、日本が二度と列強として台頭することのないよう、その手足を縛ることにあった。(「美しい国へ」)
○ 侵略戦争の定義は定かはでない。政府が歴史の裁判官になって単純に白黒つけるのは適切でない。(国会)
○ 日本の歴史がひとつのタペストリー(つづれ織り)だとすると、その中心に一本通っている糸はやはり天皇だと思うのです。(「安倍晋三対論集」)
○ 少し若すぎるのではないか、もう少し待った方がいい、とのアドバイスもあったが、国民の多くの期待を受け止め、立候補を決意した。戦後生まれの私たちの世代がいよいよ責任を担う時がやってきた。(総裁選出馬時の会見)
○ 占領時代の残滓を払拭することが必要です。占領時代につくられた教育基本法、憲法をつくり変えていくこと、それは精神的にも占領を終わらせることにもなる。(自由新報)
○ 従軍慰安婦は強制という側面がなければ(教科書に)特記する必要はない。この強制性については全くそれを検証する文書が出てきていない。(1997年5月、衆院決算委員会)
○ 現憲法の前文は何回読んでも、敗戦国としての連合国に対する詫び証文でしかない。(「安倍晋三対論集」)
○ 偏狭なナショナリズムとは、外国の国旗を焼き、破ることだ。こういう国に日本はなってはならない。(2006年9月、自民党九州ブロック大会)
○ ちなみに私の名前の安部晋三の晋三は、松下村塾の塾生の一人であった高杉晋作の晋から取っています。今の日本にとっても、志ある国民を育て、品格ある国家をつくるために教育の再生が何よりも大切ではないでしょうか。(ライブ・トーク官邸より)
○ 格差とかアジア外交とかは、もともと朝日新聞がつくり出した争点。格差なんていつの時代でもある。(再チャレンジ推進会議にて)
○ それは「責任」ですかね。(2006年12月、「2006年を漢字一文字で表すと?」との質問への回答)
○ 私は、コップの水が減ったとは考えず、まだこんなにあると考える。(2007年1月、日本記者クラブ)
○ そのまんま東氏は再チャレンジに成功した。自分の再チャレンジ政策はそういうものなんだ。(2007年1月、首相公邸)  
安倍晋三問題発言
「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」
2007年7月、マスコミからの取材に応じるアメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュ(右)と安倍原子爆弾の保有・使用2002年2月、早稲田大学での講演会(非公開)における田原総一朗との質疑応答で、「小型であれば原子爆弾の保有や使用も問題ない」、と発言したと『サンデー毎日』 (2002年6月2日号)が報じて物議を醸したが、安倍は同年6月の国会で「使用という言葉は使っていない」と記事内容を否定し、政府の“政策”としては非核三原則により核保有はあり得ないが、憲法第九条第二項は、国が自衛のため戦力として核兵器を保持すること自体は禁じていないとの憲法解釈を示した岸内閣の歴史的答弁(1959年、1960年)を学生たちに紹介したのであると説明した。
民主党を「中国の拡声器」
民主党を「中国の拡声器」2002年5月19日中国・瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件に関して、日本国外務省の不手際を調査するため中国を訪問した民主党を、テレビ番組において「中国の拡声器」と批判した。安倍は2日後の5月21日、参議院外交防衛委員会において、民主党の激しい反発に遭い、発言を撤回した。
土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」
土井たか子と菅直人に対し「マヌケ」2002年10月19日広島市・岡山市の講演において「1985年に韓国入国を図り逮捕された辛光洙(シン グァンス)容疑者を含む政治犯の釈放運動を起こし、盧泰愚政権に要望書を出した人たちがいる。それが土井たか子、あるいは菅直人だ」「この2人は、スパイで原さんを拉致した犯人を無罪放免にしろといって要望書を出したという、極めてマヌケな議員なんです」と発言した。この発言は両議員から抗議を受け、同月21日の衆院議院運営委員会の理事会で取り上げられ、社民党の日森文尋衆院議員が抗議した。また、土井党首も記者団に「人格とか品格の問題にかかわる」と不快感を示した。
結局、安倍が自らの発言を「不適切」と認めたことで、同月25日の衆院議院運営委員会の理事会にて決着した。大野功統委員長が安倍に「適切さを欠く表現があったと思われるので注意して欲しい」と伝え、 安倍は「官房副長官という立場を考えると、不適切な発言だったので、今後十分注意する」と述べたという。
その後、大野委員長が、このやりとりを理事会で報告し、民主、社民両党も了承した。なお、父・晋太郎は外務大臣在任中の1984年4月25日、衆院外務委員会において、日本社会党の土井たか子議員が、韓国の在日韓国人政治犯の釈放に向け日本政府の尽力を求めたことに対し、「私も外務大臣となって2年近く、韓国の外務大臣や要人と会うたびに、この政治犯の取り扱いについて人道的な配慮を加えてほしいということをしばしば申し入れて、今日に至っている」と述べ、「内政干渉にわたらない範囲内で人道的配慮を韓国政府に絶えず求めていきたい」「この7月に行われる外相会談でも、(土井)委員の要請を十分踏まえて対応する」と答弁している。
『ジェンダーフリー推進論者はポルポト』2005年5月
『ジェンダーフリー推進論者はポルポト』2005年5月、ジェンダーフリー推進論者について、「カンボジアで大虐殺を行ったポルポトを思い出す」と発言した。
ときわ台駅での警察官の殉職東武東上線ときわ台駅で自殺しようとした女性を救おうとして殉職した、警視庁板橋署の巡査部長を2007年2月12日夜に弔問した際、故人の勇気ある行為を讃えるコメントで、名前を2度にわたって間違えた。
首相公邸連絡調整官(妻・昭恵の補佐員)と混同したのでは、と言う声が上がっている。
これについて、作家の吉川潮は産経新聞のコラムで「『名前ぐらい、ちゃんと覚えて行け!』と叱りたくもなる」「総理の人間性にも問題があるのではないかと思ってしまう」と批判している。
「捜査当局において厳正に捜査が行われ、 真相が究明されることを望む」
長崎市長射殺事件2007年4月17日、長崎市長射殺事件が発生し長崎市市長伊藤一長が射殺されると、安倍は「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」との短い総理談話を発表した。国際連合事務総長や与野党の党首・幹事長らが民主主義に対するテロや暴力を強く非難する声明を発表する中、安倍の談話が簡単なコメントに留まったことから、与野党から総理談話が不十分ではないかと疑問視する意見が出された。
この指摘に対し、安倍は「こういうことで互いを非難するのはやめた方がいい」などと応えたため、批判の声が殺到した。一方で、安倍サイドからメディアへの批判もなされている。
『WiLL』によれば射殺事件について『週刊朝日』が2007年5月4日・10日合併号の広告で「長崎市長射殺事件と安倍晋三首相秘書との『接点』」という大見出しを掲載した。
射殺犯と秘書に関係があるとするものであるとして、安倍は直ちに「言論テロ」と抗議し、朝日新聞は夕刊社会面に同誌山口一臣編集長の訂正記事を掲載したが、安倍は誠意の不足を理由として追及を止めず、週刊朝日は全国紙4紙に謝罪広告を出すことになった。この件について森喜朗は次のように述べている。
抗議するときは、中身だけではなく広告の見出しに対してもすべきだと学びました。(後略) 安倍総理は「これが真実なら総理を辞め、政治家も辞める」とまで言いました。
その発言は、やや不用意で政治家はそんなに軽いものじゃない、と思わないでもないのですが、ある意味あの発言により、国民はどちらが真実を語っているのか、察したんじゃないでしょうか。朝日新聞は安倍総理を就任直後から叩いてきた。
これは例の「朝日・NHK問題」でやられたから余計過激に反応しているのでしょう。
「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望」
石川遼2007年5月23日、「安倍首相自身が『会ってみたい』と対面を希望し」 ていた杉並学院高等学校の石川遼との会談が実現し、安倍は総理大臣官邸にて揮毫を手渡したが、石川は5月25日から中間テストを受ける予定であり、大事な時期に総理大臣官邸に呼びつけた安倍に対し批判がなされた。
さらに、参議院議員選挙に向けた話題づくりとして、投票権すらない高校生を利用してよいのかといった指摘がなされた。この問題に対し、直木賞を受賞した作家の重松清は「『教育』を政策の柱に掲げる首相が、平日に高校生を官邸に呼びつけるというのは、やはりスジが通らない」と批判し、安倍が「真実一路」と記された色紙を石川に渡したことについて「この言葉を真に渡すべき相手、他にいるんじゃないですか?」と評した。なお、「真実一路」とは安倍内閣の農林水産大臣であった松岡利勝の座右の銘でもある。
「私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」
2007年の参議院選挙2007年参院選期間中の講演等で「(今回の選挙で)私と小沢さん、どちらが首相にふさわしいかを国民に問いたい」といった発言を繰り返した。選挙の結果、自民党は惨敗したが首相続投を表明し、自民党内からも批判の声が相次いだ。
「お嬢さんを無惨に殺された本村さん」
2008年の衆議院補欠選挙2008年4月、山口県第2区の衆議院議員補欠選挙にて、岩国市で自民党公認候補の山本繁太郎を支援する演説を行った際に、光市母子殺害事件の被害者家族について「光市の街頭演説には本村さんがいらっしゃいました。本村さんは私に『頑張ってください、山本さんを応援しています』とおっしゃった。本村さんは山本繁太郎さんに賭けたのです。」 と発言した。さらに、犯罪被害者支援問題について「お嬢さんを無惨に殺された本村さん。そのお嬢さんの遺影を持って私の所にやってきて『どうか安倍さん、この法律を通してください』と涙ながらに訴えたのです。」と発言した。しかし、本村洋は「演説で名前を出されて本当にビックリしました。(山本候補を応援した事実は)まったくありません」と否定しており、犯罪被害者支援問題についても「陳情したのは私ではない。遺影とかは出していませんが、小泉総理にお願いに行ったことはあります。安倍さんには光市での演説のときに初めて(聴衆の一人として)お会いしました」と説明した上で、安倍の演説について「私がいないところでそういう発言をされたことはどうかと思います」と語っている。安倍晋三事務所では「『お嬢さんを殺されたお母さん』と明確に述べたのであって、本村氏のことを述べたものではありません」と反論しており、本村との面識については「光市における街頭演説後、安倍が会場の多くの聴衆とマスコミの中で本村氏と挨拶をし、安倍が本村氏と会話をした」と主張している。そのうえで、この問題を報道した文藝春秋に対し抗議文を送付した。
野次「日教組どうするの!」
2015年衆議院予算委員会において野次「日教組どうするの!」2015年2月23日の衆議院予算委員会において、民主党議員の質問中に、質問内容と全く関係なく「日教組どうするの!」という野次を飛ばし続けた。
これについて、「なぜ日教組と言ったかといえば、日教組は補助金をもらっていて、教育会館から献金をもらっている議員が民主党にいる」などと理由を説明した。しかし、後にそれが事実に反することを指摘され、「私の記憶違いにより、正確性を欠く発言を行ったことは遺憾で訂正申し上げる。申し訳ない」と、それが誤りであることを認め撤回した。
一方、野次で質疑を遮ったことについては謝罪などのコメントはしていない。
自衛隊について「我が軍」
自衛隊について「我が軍」と発言2015年3月20日、参議院予算委員会で自衛隊に関する質問への回答の中で自衛隊について「わが軍」と発言した。  
2015
自衛隊機の緊急発進急増も嘘 2015/5/15
 まるで“サイコパス”安倍首相の安保法制会見の詐術を検証
平然と嘘をつき、罪悪感が皆無で、自分の行動の責任をとる気が一切ない――。これは反社会的人格・サイコパスの特徴らしいが、もしかしたら、この男こそ典型ではないのか。そんな恐怖を覚えたのが、5月14日の安倍首相の記者会見だった。
「アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか? 漠然とした不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。その不安をお持ちの方に、ここで、はっきりと申し上げます。そのようなことは絶対にありません」「ですから『戦争法案』などといった無責任なレッテル貼りはまったくの誤りであります」
閣議決定した安保法制関連11法案について、安倍はこんな台詞を吐いたのだ。
改めて断言しておくが、今回の安保法制は明らかにアメリカの戦争に日本が協力するための法整備である。
まず、「自衛隊法」と「武力攻撃事態対処法」の改正では、日本が直接攻められたときに限っていた防衛出動を「密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」した場合にも拡大。武器の防護についても、自衛隊は米軍や他国の軍隊の武器を防護できるように変更される。これでなぜ、「アメリカの戦争に巻き込まれることなど絶対ない」と言い切れるのか。
そもそも、ついこの間、この男は米議会の演説で、「この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう」「今申し上げた法整備を前提として、日米がその持てる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです」と、アメリカの戦争への全面協力ができる体制をつくることを宣言したばかりではないか
アメリカには戦争に協力しますよ、と言いながら、日本ではアメリカに巻き込まれることはない、日本を守るためだ、と嘘をつく。まさに、二枚舌としか言いようがない。
また、安倍は会見で「『海外派兵が一般に許されない』という従来からの原則も変わりません。(略)そのことも明確にしておきたいと思います」と断言していたが、今回の法改正では、「周辺事態法」が「重要影響事態安全確保法」に改められ、これまで「日本周辺」と定めていた地理的制約が外される。いわゆる“地球の裏側まで”自衛隊派遣が可能になるのだ。
しかも、後方支援の対象は米軍以外の外国軍にも広げられ、派遣については国連決議も必要でなく、国会の手続きも緊急時は事後承認を認めている。また、新設される「国際平和支援法」では、国会の事前承認があれば自衛隊をいつでも海外に派遣できるようになるし、国連決議も必要としない。これで「従来からの原則は変わりません」と言い切るのだから、厚顔としかいいようがない。
さらに驚いたのは、「いずれの活動においても武力の行使は決して行いません」「あくまでも紛争予防、人道、復興支援。燃料や食料の補給など、わが国が得意とする分野で国際社会と手を携えてまいります」などと言っていたことだ。 
もちろんこれも真っ赤な嘘である。今回の自衛隊法改正では、米軍やその他の国の軍隊への弾薬提供、戦闘機への給油活動も認められるようになり、自衛隊は明らかに武力行使に関与するようになる。安倍は会見でその事実を意図的に伏せたのだ。
こうした嘘、まやかしは、集団的自衛権と安保法制がなぜ必要なのか、という説明でも用いられていた。安倍首相は会見の冒頭で、
・アルジェリア、シリア、チュニジアで日本人がテロの対象となった。
・北朝鮮が数百発の弾道ミサイルと核兵器を開発している。
・自衛隊機の緊急発進(スクランブル)の回数が10年前と比べて実に7倍になっている。
の3点をあげ、「これが現実です。私たちはこの厳しい現実から目をそむけることはできません」と、言いきった。
だが、冷静に考えてみて欲しい。アルジェリアやシリア、チュニジアで起きたテロは自衛隊で防げるのか? 以前、本サイトでも報じたとおり、自衛隊の機関紙「朝雲」ですら、自衛隊による人質救出は非現実的で無責任と批判している。次にあげた北朝鮮のミサイル開発も集団的自衛権や今回の法改正とはなんの関係もない。個別的自衛権で対応できる案件だ。
さらに、「自衛隊機の緊急発進(スクランブル)の回数が10年前と比べて7倍」というのは完全なまやかしだ。たしかに、2014年のスクランブル回数は943回で2004年の141回の7倍弱。しかし、それはもっとも少ない年と比較しているだけで、1980年から1990年代はじめまでは常に毎年600回から900回のスクランブルがあった。その後、2000年代に100回から300回に減少していたのが、2013年に突如、急増。24年ぶりに800 回台をマークしたのだ。これはむしろ、安倍政権になって無理矢理スクランブルを増やしただけだろう。実際、2013年も2014年も増えているのはスクランブルだけで、領空侵犯されたケースはゼロである。
また、安倍はもうひとつ、よく口にする詐術のレトリックを用いていた。日本近海で日本のために警戒監視任務に当たっている米軍が攻撃を受けても、自衛隊は何もしない、海外の紛争地帯から邦人が米軍の船で避難する途中で他国から攻撃を受けても自衛隊は助けに行けない、「本当にこれでよいのでしょうか?」、というヤツだ。
佐藤優も指摘していたが、そもそも日本近海で米軍が攻撃を受ける、日本人救出のために米軍が船を出すという状況は、すでに戦争状態に突入しているということであり、明らかに現行法、個別的自衛権で対応が可能なのだ。これについてはさんざん批判を受けているのに、今も平気で、集団的自衛権、安保法性改正の根拠にするというのはいったいどういう神経をしているのだろうか。
しかし、安倍のスゴイところは、こうしたウソを平気でつけるところなのだ。ありもしない脅威を煽り、集団的自衛権とは関係のない案件を引き合いに出して、国民を騙そうとする。集団的自衛権については、いわゆる新3原則で「厳格な歯止めをかけ」「極めて限定的に」行使できるようにしたと胸を張るが、この新3原則のトップにある「日本の存立が根底から覆される事態」がどういう事態なのかの説明は一切ない。
そして「アメリカの戦争に巻き込まれることはない」と断言した根拠は、日米の合意の中に「日本が武力を行使するのは日本を守るため」と明記されているからというのだから、ほとんど笑い話だ。
だが、その安倍が一瞬だけ本音をのぞかせたことがあった。それは質疑応答で、自衛隊員のリスク増加について聞かれたときの発言だ。安倍は「自衛隊発足以来、今までにも1800名の方々が、様々な任務等で殉職をされております」「自衛隊員は自ら志願し、危険を顧みず、職務を完遂することを宣誓したプロフェッショナルとして、誇りをもって仕事にあたっています」と発言したのだ。
戦争派遣と災害救助での殉職を同列に並べるのも酷い話だが、それ以上に、安倍が「自衛隊員だったら死ぬのは覚悟の上」と考えていることがよくわかる。
実際、この安保法制が可決され、集団的自衛権が発動されるようになれば、自衛隊から戦死者が続出する事態になるだろう。戦闘行為に参加しないというが、実際の戦争ではむしろ、補給路を断つために後方支援の部隊を攻撃するのが常で、後方支援部隊の犠牲者の方が圧倒的に多いのだ。
しかも、自衛隊はこれで近いうちにもっとも危険な中東に派兵されることになる。安倍は今回の会見では「ISILに関しましては、我々が後方支援をするということはありません」と語っていたが、こんなものは嘘っぱちだ。昨年7月の閣議決定では、「中東やインド洋も事態が発生する地域から排除できない」としているし、自民党の高村正彦副総裁もNHKの番組で「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態は世界中どこでもありうる」と述べている。安倍自身も中東のホルムズ海峡が機雷で封鎖されるといった程度のケースを「日本の存立が根底から覆される事態」と言及してきた。ようは、時の政権の判断でどうにでもなるのだ。
かけてもいいが、イスラム国との戦争が長引けば、必ず自衛隊が投入される事態がやってくる。そして、この戦争で自衛隊員の戦死者が続出した次は、日本の民間人がテロの対象となり、日本国内でもテロが頻発するようになる。
しかし、どんな事態になったとしても、安倍首相は絶対に責任をとろうとはしないだろう。むしろ、嬉々として「日本の自衛隊員の尊い死を無駄にするな」「テロは許せない。絶対に報復する」と戦争をエスカレートさせる口実に使うはずだ。
この“サイコパス”政権の暴走を止める方法はないのだろうか。 
安保法案答弁でも嘘とヤジ… 2015/5/29
 安倍晋三は小学生時代から嘘つきだったという新証言が・・・
これではNHKが中継を躊躇したのもうなずける。
安全保障法案の国会審議が26日から始まっているが、NHKは初日の中継をしなかった。各方面からの批判を受けて翌27日からはようやく一般国民も論戦が視られるようになったが、分かったのは、とにかく安倍晋三首相の答弁がデタラメで、とてもまともな議論になっていないということだった。何を聞かれても正面から答えずに話をそらす。明らかな嘘をさも本当のように言い張る。バカの一つ覚えのように同じ答弁を繰り返す。
例えば「専守防衛」について。政府はこれまで「相手から武力攻撃を受けたときに初めて防衛力を行使」する受動的なものだと説明してきた。それが今回の安保法制では、日本が直接攻撃されていない場合でも「わが国と密接な関係にある他国」が攻撃を受け、新しい3要件を満たせば、自衛隊が集団的自衛権を行使して反撃できる、としている。単純に言えば、日本が攻撃されていなくても、自衛隊が反撃できるという話だ。これに対して民主党の長妻昭代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか?」と質したが、安倍は「まったく変わりはない」と即座に否定するのだった。
「(他国が攻撃された場合でも)わが国の存立が脅かされる事態なのだから、これを防衛するのは、まさに専守防衛」というのが理由だというが、これで納得する国民はいるのだろうか。そもそも新3要件の最初にある「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される」事態(存立危機事態)とはいったいどういう事態で、誰がどう判断するのか? 安倍の答えは驚くべきものだった。
まず、存立危機事態とは「国民に、わが国が武力行使を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」で、判断基準については「さまざまな要素を総合的に考慮し、客観的合理的に判断する」というのである。だ・か・ら、「国民に、わが国が武力行使を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」とはいったいどういう状況で、誰がどう判断するのかを聞いているのに、安倍はいっさい答えず、同じ答弁を延々と述べる。聞いているこっちの方がイライラする。
要するに、安倍は根拠がなくてもまったく気にならないのだ。得意の「アメリカの戦争に巻き込まれない」論は国会答弁でさらにバージョンアップした。「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない。そうした批判がまったくの的外れであったことは歴史が証明している」「戦争法案というのはまったく根拠のない、無責任かつ典型的なレッテル貼りであり、恥ずかしいと思う」とまで言い切った。根拠がないのはいったいどっちだ。バカの一つ覚えといえば、「一般に海外派兵は認められていない」も耳タコだ。集団的自衛権行使が認められても、自衛隊が他国の領土、領海、領空で武力行使することはないと言いたいらしい。20日の民主党・岡田克也代表との党首討論でも「海外派兵は一般に禁止されている」「我々は、外国の領土に上陸して、まさに戦闘作戦行動を目的に武力行使を行うことはしない、とハッキリ申し上げておきたい」とキッパリそう言い切っていた。
ところが、安倍が執心するホルムズ海峡での機雷掃海について問われると、「『一般』の外だ。例外的に認められる」と言い出すしまつ。あるいは、「米軍の艦船が相手国の領海で襲われたら、自衛隊は何もしないのか?」と聞かれると、安倍は「極めて重要な当てはめをしていく」と武力行使の可能性を否定しない。平気で矛盾したことを言い切るのも、安倍答弁の特徴だ。
新安保法制によって自衛隊の活動範囲は全地球に及び、武器制限も大幅に緩和される。当然、自衛隊員が人を殺し、殺されるリスクは格段に高まる。ところが安倍はそれを絶対に認めようとしない。「自衛隊員の安全に十分に配慮しており、危険が決定的に高まるといった指摘は当たらない」「後方支援は危険を回避して活動の安全を確保した上で実施する。新たな仕組み(新安保法制)はリスクとは関係がない」。
安倍の理屈は、自衛隊の活動は安全な場所に限定し、危なくなったら退避するから安全だというものだが、その一方でこんなことも言っているのだ。「PKOや災害派遣など、自衛隊員は限界に近いリスクを負っている。新たな任務も命がけのものだ」。つまり、自衛隊はすでに危ない任務を負っているので、それ以上の新たなリスクが増えるわけではない、と言いたいようだ。だが、前者の「危険な場所で活動しないから安全だ」(絶対安全)と後者の「現状より危険は増えない」(相対安全)では、まったく意味が違うのは言うまでもない。
そうかと思うと、「日米同盟が強化されると抑止力が高まり、(自衛隊が)攻撃される可能性がなくなる」といった珍妙なことを言い出したりもする。要は、自衛隊員の命などうでもいいと思っているのだ。その本音が出たのが「木を見て森を見ない」発言だ。野党が自衛隊員のリスクについてしつこく質問してくることに対して、自民党の役員会で思わずそう漏らしたという。そして、ついに国会の答弁でも「(自衛隊員の)リスクはないとは言っていないが、日米同盟の強化によって国民全体のリスクは減少していく」と言い始めた。国民全体(森)の安全が保たれるのだから、自衛隊員(木)のひとりやふたり死んでも構わないという発想だ。
しかも、安倍本人が目の前にいる野党の質問者をやり込めることに夢中で、自分の発言が自衛隊員の命をないがしろにしていることに気づいていないから呆れるばかりだ。逆ギレや不適切発言もはなはだしい。「アメリカの戦争に巻き込まれるリスクがあるか」という再三の質問には「日米同盟強化でリスクが増えるとお考えか」と逆質問し、「なぜ、これほど急ぐ必要があるのか」という質問に答えられず、逆に「何か起こってからは遅いでしょう。あなたはそう思いませんか」と聞き返す。
民主党の辻元清美議員が質問の趣旨を述べていると「早く質問しろよ」とヤジまで飛ばすしまつである。こうした状況を見かねた政治学者の山口二郎氏が、ツイッターでこうつぶやいていた。〈安倍の頭は、安保法制の審議に耐えられるだろうか。だが考えようによっては、何も考えないからこそ、論理の破綻や矛盾に苦痛を感じず、一定時間をかみ合わない答弁で過ごして平気だともいえる〉。
平然とウソをつき、罪悪感が皆無で、自分の行動の責任をとる気がいっさいない。以前、本サイトが指摘したサイコパス(反社会的人格)がまた証明されてしまったようだ。このサイコパス的性格は、どうやら安倍の生育過程で培われたようなのだ。そのヒントになるのが元共同通信記者で政治ジャーナリストの野上忠興が「週刊ポスト」(小学館)に連載している「深層ノンフィクション 安倍晋三『沈黙の仮面』」だ。安倍家取材40年の野上が安倍の幼少期からの生い立ちを追い、その人格形成の過程を描いている。
問題の平気でウソがつける性格は、実は小学校時代からのものだったようだ。安倍には2歳年上の兄がいる。この兄弟の性格が対照的で、夏休みの最終日、兄は宿題の日記ができていないと涙顔になっていたが、安倍は「宿題みんな済んだね?」と聞かれると、まったく手をつけていないにもかかわらず、「うん、済んだ」と平然と答えたという。ウソがバレて、学校側から1週間でさらに別のノート1冊を埋めて提出するようにと罰が出ても、本人がやらず、安倍の養育係だった女性が代わりにやってあげていたというのだ。一般人の子どもはウソをついたら必ず代償があると教育されるのが普通だ。ところが、安倍にはその経験がなかった。罪悪感が皆無で、自分のウソに責任をとらないまま、大人になってしまったようなのだ。
野上のリポートには、他にも興味深いエピソードが数多く出てくる。例えば、安倍の成蹊大学時代の恩師のこんな言葉だ。「安倍君は保守主義を主張している。思想史でも勉強してから言うならまだいいが、大学時代、そんな勉強はしていなかった。ましてや経済、財政、金融などは最初から受け付けなかった(後略)」。では、安倍の保守思想はどこから来たのか。
よく言われるのが、幼い頃、祖父の岸信介邸に押しかけた安保反対デモの中で「おじいちゃんは正しい」との思いを心に刻んだという話だ。野上氏のリポートには、これに加えて、家庭教師だった平沢勝栄(現自民党代議士)に連れられて東大の駒場祭に連れて行かれた時の話が出ている。当時は佐藤(栄作)内閣で学生運動が盛んな時期だった。駒場のキャンパスも「反佐藤」の展示や看板で溢れていた。そんなムードに、安倍は学生運動=「反佐藤」「祖父の敵」を感じたという。
このすりこまれた「左翼=身内の敵・おじいちゃんの敵」という生理的嫌悪感が、今も辻元らを相手にすると頭をもたげ、ついムキになってしまうということらしい。国会答弁も、保守的な政治スタンスも結局、ようは小学生の幼稚なメンタリティの延長……。こんな薄っぺらい男の薄っぺらい考えによって、日本は「戦争をする国」に引きずられていくのだろうか。 
「あなたの子供が戦争で死ぬ」 2015/6/3
 ついに女性週刊誌までが安倍政権と安保法を批判し始めた!
ヤジに怒号、嘘とごまかしに言い切り、噛み合わない議論。茶番ともいうべき安保法案の国会審議が続いている。この国会中継を見て、安倍政権はやはり、国民を戦争に引きずりこもうとしてるんじゃないのか、と不安に思い始めた国民も多いはずだ。
だが、マスコミの動きは相変わらず鈍い。テレビは官邸の圧力に怯えて一部の番組以外はほとんど報道自体を放棄しているし、読売や産経などは安倍政権に尻尾をふって逆に安保法案の宣伝役を買って出ている有様だ。男性週刊誌も部数につながらないからか、安保法制を本格的に批判しようというところはほとんどない。
ところが、そんな中、意外なメディアが安保法案を俎上にあげ、戦争へと突き進む安倍政権に対して真っ向から“反対”の論陣を張り始めた。普段は芸能人のゴシップばかり追いかけている女性週刊誌、たとえば、「女性自身」(光文社)は6月2日号でこんなタイトルの記事を掲載した。
「あなたの子供が“アメリカの戦争”に命を捨てる!」
この記事、タイトルだけでなく、内容もかなり踏み込んだものだ。政治評論家の森田実のコメントをメインに構成されているのだが、森田は安保法案の本質をこう指摘する。「(11本の安全保障関連法案は)自衛隊が状況に応じて戦争ができる、あるいは戦争に加担できるように整備されています」
安保法案は「戦争ができるための法」と言い切る森田。森田のスタンスは保守でありながら、護憲主義者でもある。その森田は、武力攻撃の判断基準が曖昧なのは、時の政権が勝手に解釈して自衛隊の武力行使を容認できようにするためだとして、法案成立に躍起になる安倍政権の“ウラの思惑”をこう指摘するのだ。
「日本はファッショ政治に向かって動きだしたと言えますね。その政治が目指しているのは米国への従属です。つまり、今回の法案は、日本国民のためではなく、すべては米国のための安保法制なのです」
安保法案は日本国民を守るものではなく、“米国の戦争”に加担できるようにするための法。その証左として4月に安倍首相が行った米国議会での「安保法案を夏までに成立させます」という国際公約、さらにはアーミテージ元国務副長官の「日本の自衛隊が米国人のために命を掛けることを宣誓した」という発言を取り上げ、今回の法案の本質は、米国のために日本も戦争をする、命も投げ出すものだと、厳しく批判する。
だが、森田の批判は安倍政権だけに止まらない。それがナショナリズムに対する警鐘と、その後に続く恐怖のシナリオだ。
「ひとたび戦争が始まり、戦地で自衛隊員が1人でも死ねば、世間の空気は一気に変わってしまう。国民は敵国に対して“この野郎!”となるでしょう。そして大マスコミは敵国憎しで世論を煽る。ナショナリズムというのは一度感情に火がついたら抑えられなくなる。戦前もそうでしたから」
そして、森田は安保法案が成立すれば将来的に徴兵制が施行され、子供たちが戦場に送られる可能性もある。それをさせないためには母親たちが反戦の意思表示をすべきだと主張するのだ。
「今からでも遅くはない。多くの女性が立ち上がれば、戦争法案も覆せる可能性があると思います」
もっとも、女性向けのメディアがこういう報道をすると、保守系メディアや御用評論家たちから必ず返ってくるのが「女子供に向けた情緒的な誘導」「現実を見ない幼稚な意見」という反応だ。おそらく今回も連中はそういう論理で、この報道を軽視し、なきものにしてしまうのだろう。
だが、こうした上から目線の詐術に騙されてはいけない。本サイトで何度も指摘しているように、情緒的で非現実的なのは、安倍政権のほうなのだ。集団的自衛権容認、そして安保法は、安倍首相の「日米同盟を“血の同盟”にする」「アメリカ人が血を流している以上、日本人も血を流さなければ対等な関係になれない」というきわめて個人的な思い込みから出発したものであり、日本にもたらされる現実的なメリットはなにもない。安倍首相は逆に、現実の国際政治においてさまざまなメリットをもたらしてきた「憲法の制約」を捨て、わざわざアメリカの戦争に巻き込まれ、テロの標的になるような状態をつくりだそうとしているのだ。しかも、その一方で、戦場に送り出すことになる自衛隊に対してなんの現実的なケアもしていない。
連中と比べれば、安保法制が国民ひとりひとりに、そして自分たちの子供に将来、何をもたらすのか、という視点で警鐘を鳴らしているこの「女性自身」の記事の方がはるかに、冷静で現実的だ。実際、こうした安倍政権批判をしている女性週刊誌は今回の「女性自身」だけではない。
「戦争を知らない安倍首相へ――」(「週刊女性」主婦と生活社/2014年9月2日号)、「安倍政権V2で主婦のタダ働きの4年が始まる!」(「週刊女性」2014年12月9日号)、「イスラム国 安倍首相とネット愚民『2つの大罪』」(「女性セブン」小学館/2015年2月12日号)、「海外から見た『安倍政権の暴走』安倍さんは世界で“女性蔑視”だと思われている」(「女性自身」2015年4月21日号)……。
しかも、各誌とも、こうした記事が読者アンケートで上位を占めるようになっているという。
「戦争に加担する」ことが「現実的な大人の選択だ」と信じるバカな連中がどんどん幅を利かせるようになったこの国で、もしかしたら、女性たちだけは少しずつその生活者の目線で何が「現実的」なのかを見極め始めているのではないか。安倍政権がいくら「日本国民の生命を守るため」「自衛隊のリスクは高まらない」といっても母親は騙せない。女性を、そして女性週刊誌を侮ってはいけない。 
憲法改正 「いつまでぐだぐだ言い続けるのか」
 佐藤幸治・京大名誉教授が強く批判
日本国憲法に関するシンポジウム「立憲主義の危機」が6日、東京都文京区の東京大学で開かれ、佐藤幸治・京大名誉教授の基調講演や憲法学者らによ るパネルディスカッションが行われた。出席した3人の憲法学者全員が審議中の安全保障関連法案を「憲法違反」と断じた4日の衆院憲法審査会への出席を、自民党などは当初、佐藤氏に要請したが、断られており、その発言が注目されていた。
基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、「(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がど うなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない」と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で「いつまで日本はそんなことをぐだぐだ言い続けるんですか」と強い調子で、日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した。
戦後作られた日本国憲法はGHQ(連合国軍総司令部)の押し付けとも言われる。しかし、佐藤氏は「日本の政府・国民がなぜ、軍国主義にかくも簡単にからめとられたかを考えれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作っていたはずだ」と述べた。
佐藤氏は、神権的観念と立憲主義の両要素を含んでいた明治憲法下の日本が、憲法学者、美濃部達吉の「天皇機関説」の否定を契機に「奈落への疾走を 加速させ」、太平洋戦争に突入していった歴史を説明。終戦の日の1945年8月15日は、明治憲法下の日本が、大正デモクラシーのような一定の成果を上げながら、どうしてひたすら戦争に突き進んでいったかについて、根本的な反省を加え、日本のかたちの抜本的な再構築に取り組むスタートとなるべき日だったと指摘した。
また、アジアの人々に筆舌に尽くしがたい苦しみを与えたことも踏まえ「悔恨と鎮魂」を伴う作業が必要だったと話した。第二次世界大戦後、各国では、大戦の悲劇を踏まえ、軍国主義を防げなかった憲法の意義をとらえ直す動きが起こったという。佐藤氏はその結果、
(1)憲法制定権力として国民が、統治権力による権力の乱用を防ぐ仕組みを作る
(2)基本的人権の保障を徹底する
(3)「戦争は立憲主義の最大の敵」という考えから、平和国家への志向を憲法に明記する??などの原則が強調されることになり、日本国憲法にはその特質がよく表れているとした。
パネルディスカッションでは、違憲とは言えないかもしれないが、憲法の精神には反していることを示す「非立憲」という言葉が話題になった。これま で、特に政治家の行動を戒めるために使われてきた言葉という。樋口陽一・東大名誉教授は、憲法改正の要件を定める憲法96条を改正し、国会発議のハードルを下げる「96条改正論」や、政府・与党による安保法制の提案の仕方そのものが「非立憲の典型」と批判した。 
最後に、筆者の考え抜いた末に穿ちすぎかもしれないが疑問をひとつ紹介しておく。どうも、先の敗戦国・日本政治の裏側には、常に日本を完全な独立国にさせるのは危険だと云う国際社会、特に米韓に確信的な意思が存在しているように思える。この米韓において、確信的に存在する「日本の非独立国」の力の具現化したものが、永遠に居続ける米軍ではないのだろうか。我々の目には鮮やかに見えてこない「日本の非独立国」を制御している力学が働いているようで仕方がない。
安倍や高村の動きを見ていると、その「日本の非独立国」に関与する米韓シンジケートのような臭いを感じるのだ。韓国の大統領が大袈裟に対日批判を展開するのは、米韓シンジケート隠しの感もある。また、気風の良かった小泉純一郎、佐久間と云う地検特捜部長、安倍首相、高村副総裁‥等、米韓による「日本の非独立国」というテーゼの表れのように思えて仕方なくなる昨今だ。
序でに思い出したが、サンフランシスコ条約締結の方向性が明確化された時点で、その条約締結の見返りに、韓国初代大統領・李承晩が引いた、「李承晩ライン」も 、米韓の「日本の非独立国」コントロールというシンジケートを想起させる。 
日を追うごとに無知蒙昧さらけ出す 安倍と隷米仲間たち
あと1週間も一連の安全保障関連法案の国会審議やったら、安倍政権は無茶苦茶になるのではないだろうか。つい、そのように思うほど、ことごとくの答弁が支離滅裂になり、学級崩壊の中学校みたいになって来ている。正直、詭弁な法理まで持ちだし、言ってもいない事まで、最高裁判決が言っているような嘘にまで言及している。なぜ、こんなにAの質問にBを答え。Cの質問に、Dを持ちだすのか、前述のように異なる法理であるにも拘らず、最高裁判決が出ていると煙に巻こうと試みる。ついでに、イライラを募らせ、野次や汚い言葉まで飛び出す。まったく、憲法論議なんかが出来る状態の頭がないのに、論議するのだから、ハチャメチャになるのは当然だ。
安倍は、外遊のたびに「法の支配」を枕詞のように使って、気に食わない国を批難することが多いが、我田引水の閣議決定で憲法解釈を捻じ曲げ、たかが一内閣如きが、憲法を歪曲解釈するのだから、驚きだ。「法の支配」を最も無視しているのが自分だと云う疑問をさらさら持っていないのが恐ろしい。さらに、その正当性を理論づける根拠に、田中耕太郎最高裁長官が「アメリカ様の困るような判決はありませんし、全員一致でご要望の判決に至ることを保証しますよ」と、米軍の尻の穴を舐めた最高裁砂川判決を持ちだしたのだから、アウトだろう。本当に、心から憲法の解釈をちゃぶ台返ししたいのであれば、堂々と改憲で臨むのが日本人の心に響くのだ。彼らは日本人じゃないと怒りたくもなる。
今日の憲法解釈に関わる自民党側の発言をザックリと調べてみても、猛烈に焦り出した姿が浮き彫りになっている。ただ、内心、安倍内閣の動きはヤバイよなと思っている自民党議員が、本当はかなりいることも窺える。谷垣などは、言葉では安倍に同調しながら、目は困ったと、正直に有権者に語っている。役どころだから仕方ないと云う官僚のような物言いで、まったく情けない。しかし、ここまで、同じ党内の議員らが、反主流の立場を打ち出さないのは、あまりにも奇妙だと最近思うようになってきた。
報道によると、村上誠一郎は堂々と日弁連の「安全保障関連法案反対集会」に出席し、「戦前のドイツの民主的なワイマール憲法は、時の政府の恣意(しい)によって曲げられた。日本も民主主義の危機にある」「これまでの憲法解釈を180度転換するような、しかも不完全な法案を短時間で通していいのか」等と強く主張したが、自民党には、まだまだ、心は村上議員と同じですと云う卑怯者が肩身の狭い思いをしているのだろう。問題は、なぜ彼らが公に、反対の意思表示が出来ない状況があるのか? と云う問題だ。村上議員は集会後のインタビューで「弁護士会の集会は初めて。あまりにも自民党は世論をばかにしている。ファシズムの芽は摘まなきゃいけないと思って出た」と笑顔を見せた。異議を唱える議員は党内に広がらないのか、との質問にはこう答えた。「内心そう思っている議員はいるんだよ。だけど、選挙とポストを握られてるから本音を言えないわけよ」。つまり、金とポストを握られているので、自分の政治信条と異なることを平気で選択する議員が増えたと云う事だろう。
ただ、その問題点は、安倍政権以前の自民党政権でもあったわけだから、それ以外の理由が、安倍官邸の隠密諜報があると考えるのが自然かもしれない。世界の対外諜報機関、“CIA,M16,モサド、FSB(KGB)”並みとはいかないだろうが(笑)、官邸内に自民党議員行動監視機関のようなものがあって、自民党の衆参国会議員は、その言動を24時間監視されている可能性もある。この組織は、チクリも報奨制度があったりして、酒の席の冗談交じりの話まで、機関に筒抜けなのかもしれない。つまり、自民党自体は、既に「動物農場化」してしまったとようにさえ見える。村上議員は、小沢一郎が言うように、“個人の力で選挙に勝てる政治家じゃないと、本気の政治は出来ない”を実践している議員なのだろう。
もう自民党議員らの言うことは、ヤケクソ気味にまでなっている。砂川裁判が、どのような経緯()で判決が導かれたにも関わらず、「その最高裁の判決の法理に従って、何が国の存立をまっとうするために必要な措置かどうか、ということについては、たいていの憲法学者より私の方が考えてきたという自信はある。」(高村)と不法行為によって導かれたバレバレの最高裁判決にしがみ付くのだから、内閣法制局の無理やり法理の苦しさが滲んでいる。想像だが、内閣法制局も、官僚としてのポジションをかけた賭けに出ているのだろ う。
自民党議員らの、ムチャクチャ発言は後を切らない。稲田偽物っぽい弁護士だが“憲法解釈の最高権威は最高裁にある。その最高裁判決に書いてある。判断するのは、憲法学者でも内閣法制局でもない。最高裁のみが憲法解釈の最終的な判断ができると憲法に書いている。憲法学者が何を言おうとも、きちんと(嘘をごまかし)説明していかないといけない。“とまたまた田中耕太郎暗躍判決にしがみつく。
また、この最高裁判決は自衛権があることを認めたからといって、判決はあくまで、米軍と基地に関する裁判で、展開する法理は必ずしも拘束力があるかないかにまで言及していない。砂川裁判で最高裁は、統治行為に関して事情的判決を出したに過ぎず、逆に憲法判断を避けたものなのだから、憲法議論の中で持ちだしても、まったく拘束力はないし、そもそもが米軍支配下でビビりまくっていた行政官僚機構の一部門化している最高裁らしい、事情判決を出したに過ぎない。法理も糞もあるものか!
毎日が面白い記事を二本読んだが、高村と枝野の論戦記事は、高村は内閣法制局が用意したメモをつっかかりながら棒読みしていたので、論戦と云えるかどうかは疑問だ。面白い記事は、自民党の憲法審査会への出席を断った佐藤京大名誉教授が、東大で開かれた憲法学者らによる「立憲主義の危機」パネルディスカッションに出席し、強い調子で、日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した件に関する報道だ。 
2016
拉致問題、TPP、ガソリン代…  2016/4/11
 マスコミが報じない安倍首相の辞任級スキャンダル
マスコミが報じない安倍首相のスキャンダルがネット上でいくつも話題となっている。拉致問題をめぐり、「私の言っていることが違うなら辞任する」と啖呵を切ったが、やはりウソをついていた疑惑や、「TPPに反対したことはない」という発言にまつわる矛盾、民進党の山尾志桜里議員の倍以上の地球13周分のガソリン代疑惑、だ。
安倍首相「バッジをかける」発言に疑惑―自民党市議のブログから発覚
2002年10月、拉致被害者5人が「一時帰国」した際、当時、官房副長官だった安倍首相が「帰国した被害者5人を、北朝鮮に戻さないように体を張って必死に止めた」というのはウソ―「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)元副代表の蓮池透さんが、その著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(講談社)で指摘した問題は、国会でも追及された。これに対し、安倍首相は激昂、今年1月12日の衆院予算委員会で「ウソはついていない」「私の言っていることが違っていたら国会議員を辞める」に言ってのけたのだった。
「私は、この問題について、利用したことも、うそをついたこともございません。ここに平沢議員がおられますが、当時は、この五人の被害者を北朝鮮に戻すということがいわば流れだったんですよ、実際。流れだったわけでありますが、私は断固として反対をしました。当時、平沢さんも反対をいたしました」
「私が申し上げていることが真実であるということは、バッジをかけて申し上げます。私の言っていることが違っていたら私はやめますよ、国会議員をやめますよ。それははっきりと申し上げておきたいと思います」
ところが、安倍首相は当初、「とにかく一度北朝鮮に戻って、子供を連れて帰国するべきだ」と主張していた、つまり上記の国会答弁と矛盾するということが、自民党札幌市議・勝木勇人氏の過去のブログの記述から発掘され、追及記事・動画がネット上で拡散されているのである。勝木氏は2003年1月30日のブログで、安倍首相から聞いた話として、以下のように書いている。
拉致被害者の話になり、地村さんたちには、最初、「とにかく一度北朝鮮に戻って、子供を連れて帰国するべきだ」という話をしたそうです。しかし、地村さんたちは、この申し入れを断固拒否したそうです。「一度、戻ったら、二度と帰国はできない」ということだったそうです。「私(安倍)他、政府の人間がたくさん同行すれば、変なことにはならないでしょう」と言うと、「みんなで一緒に行っても、突然銃をもった者が部屋に入って来て、我々を引き離そうとしたら、どうしますか? 安倍さんたちは、その場で何ができますか?自衛隊も一緒に行ってくれるなら話は別ですが、」と言われ、結局、彼らの言うとおりにしたそうです。
現在、上記の部分は勝木氏のブログから削除されているが、ネットユーザーらによってウェブ魚拓で問題の部分は保存されており、前出の「家族会」元代表の蓮池さんも「やっぱり」と、これらの投稿を自身のフェイスブックでシェアしている。安倍首相は、蓮池さんのことを陰謀論者呼ばわりした上、上記のように「自らがウソをついているならば、議員辞職する」と息巻いたのだが、そこまで言ったのならば、その責任を取るべきではないだろうか。
TPPをめぐる発言でもウソ
安倍首相の信頼性を疑うべき発言は他にもある。今月7日、衆院TPP特別委員会で民進党の柿沢未途議員の質問に対し、安倍首相は「私自身はTPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから、まるで私が言ったかのごとくの発言は謹んで貰いたい」と答弁した。だが、平成25年2月23日、安倍首相は記者会見で以下のように発言している。
これだけでも、少なくとも、「TPP反対と言ったことは、ただの一度もない」というのは、無理があるだろう。自民党のポスターでも、過去「TPP断固反対」と書いていた。生活の党の山本太郎参議院議員もこのポスターを今月3日のNHKの日曜討論で紹介。「自民党は毎日エイプリルフール」と批判した。
安倍首相も、地球13周分のガソリン代を請求
安倍首相の「天敵」山尾志桜里・民進党政調会長が長を務める「民主党愛知県第7区総支部」ガソリン代計上問題で、攻勢を強める自民党だが、一方で安倍首相が代表を務める「自民党山口県第4選挙区支部」も2011年から2014年にかけ、500万円から600万円近くものガソリン代を計上していたことを、今月6日、日刊ゲンダイが報じた。同紙が自民党山口県第4選挙区支部収支報告書をもとに調査したところ、2011年と2012年分のガソリン代は、地球13周分に匹敵するものだったのだという。山尾議員のガソリン代計上問題を報じた週刊新潮も、今月7日発売の同誌で、菅義偉官房長官のガソリン代を追及。さらに安倍首相のガソリン代にも「注目している」という。
マスメディアは追及を
これらの一連の問題は、以前ならば、マスコミも連日、テレビ等で追及するような爆弾ネタである。ところが、高市総務大臣の「停波」発言に象徴されるような、安倍政権の露骨なメディアへのけん制もあってか、ネットや週刊誌、夕刊紙での追及にくらべ、あまりに大人しい。テレビの昨今の及び腰について、民放キー局の関係者は「とにかく、必要以上に『バランス』をとることに、報道局上層部は神経を尖らしている。自民党だけを批判することは難しい状況です」と、筆者に話してくれたが、追及すべき問題を追及することは、「政治的公平性」とは別問題だ。むしろ、追及すべきことをしないならば、それこそ「政治的公平性」が失われる。マスコミ関係者らは、安倍政権のウソやスキャンダルについて、大いに追及すべきである。 
「私は立法府の長」言い間違え? 2016/5/18
 話題の発言、実は初めてじゃなかった。
「私は立法府、立法府の長であります」。国会で飛び出した安倍晋三首相の発言が話題を集めている。発言があったのは5月16日の衆議院予算委員会。民進党の山尾志桜里議員の質問に答えている最中だった。
山尾氏は、民進党が提出した保育士の給与を上げる法案を国会で議論しないことを批判。「この場でぜひ一歩でも前に進めようと、対案を議論するべきだと、おっしゃること、できないんですか」
安倍首相の発言が飛び出したのはここだ。
「山尾委員はですね、議会の運営ということについて少し勉強していただいたほうがいいと思う訳なんですよ。議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります」
背後に座っていた石破茂地方創生担当大臣。首相の発言に驚いたような顔をして、首相を見上げた。
山尾氏は、安倍首相の間違いを指摘することはなく、次の話題に移っていった。だが、ネット上には見逃さない人たちがたくさん。
実は、安倍首相が「立法府の長」と発言するのは初めてではない。2007年5月11日、「日本国憲法に関する調査特別委員会」でも述べている。
憲法改正議論をめぐって、民主党の簗瀬進参院議員(当時)が「総理が国民とともに議論をするとおっしゃったその言葉と全く矛盾する対応を現場がしている。これどう思うんですか」と追求すると、こう答えた。
「それは、正に参議院のこの委員会の運営は委員会にお任せをいたしておりますから、私が立法府の長として何か物を申し上げるのは、むしろそれは介入になるのではないかと、このように思います」
簗瀬氏は、この場で、安倍首相の間違いを正している。
「先ほど憲法尊重擁護義務の話がございましたけれども、総理大臣として現在の憲法を尊重し擁護をすると、これは憲法にちゃんと明記されている。しかも、三権分立というものがあります。国権の最高機関として定められているのは国会である。そして、その国権の最高機関と分立する形で立法府のほかに内閣があり司法があって三権が成り立っているんです。あなたはそういう意味では行政府の長であります」 
安倍晋三はなぜ伊藤哲夫、椛島有三の舎弟となったのか? 2016/05/20
 「塚本幼稚園」の狂気 
私の親戚、というか叔母夫婦だが、・・・田舎を飛び出して住み着いたのが大阪市の当時は東淀川区、現在は淀川区の「塚本」なる土地であった。大阪というには、尼崎的でである。東海道線の大阪駅と尼崎の間の駅が塚本駅である。大阪市のなかで長く発展から取り残されたような土地で梅田に近いので水商売の女性とか、またヤクザ者がやたら多い土地柄であった。基本的には今もそうだろう。私にの従兄弟たちはだから「塚本小学校」に行った。本来は共産党勢力が強く自民党など無に等しいような気風であった。・・・・・・・
しかし、・・である。世の中わからないものである。このスラムのような土地に、・・・・である。
「生長の家原理主義」の「塚本幼稚園」なるものが、このような場所にあるのだ。
これは最近、「日本会議の研究」で知ったことだ。それによると、『この写真は大阪護国神社で「同期の桜を歌う会」に参加した「塚本幼稚園」に園児たちが参加した園児たちが参加した様子をとらえた動画のキャプチャである(写真有)。この塚本幼稚園、・・・・写真は園児たちが「教育勅語」を唱和しているシーンである。さらに「教育勅語」に続き、戦時歌謡の「日の丸行進曲」や「愛国行進曲」などを歌唱している。
しかし戦前の黒革の「生命の実相」を掲げて(柄にもなく微笑んで)講演する「稲田朋美」と「愛国行進曲を咲和する塚本幼稚園」の間には極めて太い関係があるのだ。』
幼稚園児に「同期の桜」を歌わせ、「教育勅語」を唱和させるというのが、「生長の家原理主義」の教育観、ひいては国家観であるわけだ。でもよりにもよって「塚本」とは微苦笑させられる。
要するに、「日本会議」と単純に考えてしまうが、その運営主体、実施はかって「生長の家」学生運動の出身で「長崎大学正常化運動」で左翼学生を打倒した椛島有三は事務総長の「日本青年協議会」である。さらに「生長の家」の元広宣部長の伊藤哲夫、これも右翼学生運動出身だが、・・の「日本政策研究センター」が安倍政権、すなわち自民党を支えているわけである。
さらに外務省を支配しているのが元「生長の家学生会全国総連合」の委員長(早稲田)であった土橋士朗、現在の名前が高橋史朗である。
安倍晋三がなぜ伊藤哲夫、椛島有三の舎弟となったのか?
椛島有三、伊藤哲夫も「生長の家」の学生運動、右翼運動の出身で1970年安保の「当事者」である。いわばその時点で左翼学生と対決することが原点でもあった。「生長の家」はいつの間にか、せんぜんの国家神道支配の軍事警察、家父長的家族制度への回帰を目指す窮極の保守反動となて以来、60年安保での祖父の岸信介への社会からの猛攻撃を見て、左翼憎悪の精神を叩着こまれた安倍晋三にとって、あたかも思想上からも「天上人」の如き崇拝の念を土橋士朗も含め、椛島有三、伊藤哲夫に対し抱くにいたったことはそのある意味、自然であった。
「生長の家」の政治運動はかって村上正邦など総裁選出まで影響力を行使するほどの自民党有力議員を支配下に置き、かなりの力を有していた。「生長の家」自体は政治から表向き手を引いても、生長の家出身者による「日本青年協議会」、「日本政策研究センター」などを通じて実質的に政治行動を行っているといえる。
安倍晋太郎の息子であり、岸信介の孫、その弟が佐藤栄作という「華麗なる妖怪ファミリー」の「運命の子」?であったという安倍晋三は学歴は精彩を欠いた。つてで神戸製鋼に入社して政治家には乗り気ではなかった.だが60年安保の左翼憎悪の深層心理、南平台の岸信介の自宅で過ごした子供時代を懐かしむことによる戦前回帰思想、
・・・・60年安保の猛烈な左翼学生運動に戦慄した安倍晋三が左翼学生と戦い勝利するという「生長の家」の学性運動出身者に無上の価値を見出したこと、大臣経験もなく当選回数も少ない安倍の右翼的資質を見ぬいて支えようとする椛島有三、伊藤哲夫などの結果として舎弟!となって椛島、伊藤らの政治目的に奉仕することになったのも、けだし成り行き任せとはいえないものがある。
生長の家原理主義運に参画する稲田朋美、百地章などの安倍政権関係者。
また引用させていただくと
『安倍政権を支える「日本会議」の事務総長の椛島有三も、安倍の筆頭ブレーンと目される伊藤哲夫も、内閣総理大臣補佐官の衛藤も、南京大虐殺事件の登録素子の政府行動を担っ土橋(高橋)士朗も、全員が「生長の家」の出身者である。だが「生長の家」自体は1983年から政治運動から撤退している。
その路線変更を良しとしない古参信徒たちが今、教団に反旗を翻し、「生長の家原理主義」を展開中であり、その運動に稲田朋美や百地章など、安倍政権と深すぎるつながりを持つ政治家その他が参画している。(生長の家原理主義運動は、塚本幼稚園の事例のように、政治だけでなく市民社会で、ファナティック、狂信的な右翼的風潮を醸し出している』
まことにヤバイ(苦笑)現在の日本の情勢である。安倍は日本青年協議会た日本政策研究センターの「改憲テイムテーブル」を100%忠実に実行しているに過ぎない。しょせん椛島有三、伊藤哲夫の安倍は舎弟なのであるから。
日本を支配するのは日本会議というより、生長の家原理主義の倒錯しきった時代錯誤の狂気である。信者の数では取るに足らない「生長の家」だが、その右翼学生運動の「成果」が今頃になって出ている、わけだろう。日本の非常事態である。 
安倍首相が 今度は「私はリーマンショックなんて言っていない」! 2016/5/31
 ネットではとうとう「ホラッチョ」の称号が
本気でこの人、どうかしちゃったんじゃないだろうか。昨日30日に配信されたロイターの記事によると、安倍首相は同日夕方に開かれた自民党の役員会で、こんなことを言い出したらしい。
「私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」
……まさかの「俺、そんなこと言ってないもん!」発言。まさに、ぐうの音も出ないとはこのことだろう。予想の斜め上をゆくウソつきっぷりが壮絶すぎて、相手を絶句させてしまう、この破壊力はすごい。
さすがにこのニュースには、ネトウヨや冷笑系の温床でもある2ちゃんねるでさえ「もういいよ安倍…」「記憶喪失かな?」「こんなアホが首相の国って…一体…」と、安倍首相に呆れるコメントが続出。ついには「ホラッチョ安倍」と呼ばれてしまうという有り様だ。ちなみに安倍首相は、同じロイターの報道によると「俺、言ってない」発言のあと、「中国など新興国経済をめぐるいくつかの重要な指標で、リーマンショック以来の落ち込みをみせているとの事実を説明した」と“言い訳”したのだという。いや、それも“リーマンショック前の状況に似ている”って言ってるようなものなのだが。
だいたい、G7の席上で「リーマンショック直前の洞爺湖サミットでは危機を防ぐことができなかった。私は、その轍を踏みたくない」と言って各国首脳に資料を配ったのはこの人だし、「世界経済は分岐点にある。政策対応を誤ると、危機に陥るリスクがあるのは認識しておかなければならない」と主張したのもこの人だ。
こうしたG7におけるもろもろの発言は、どう考えても「世界経済はリーマンショックの前と似た状況」という認識を示しているもので、これの報道を誤りだと言うなら、産経や読売新聞といった安倍応援団の国内保守メディアはもちろんのこと、世界のマスコミが“誤報”を流したことになる。そんなバカな!
そもそも、「リーマンショック前の状況」だからという理由で与党は消費税率引き上げの延期を言い出したはずだが、当の首相が「言ってないし、認識を示してもない」と言い張るなら、一体、増税延期の根拠をどうするつもりなのだろう。
まあ、この人が稀代の大嘘つきであることは、すでに自明の事実ではある。挙げ出すとキリがないが、たとえば、安倍首相は今年4月にも衆院TPP特別委で、「TPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから」と発言した。しかも、2012年総選挙時の「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない」という自民党ポスターを突きつけている目の前で、である。
このような言動を見るかぎり、公然とウソをつくことに慣れすぎて、「公人はウソは言ってはいけない」という正常な感覚さえ失ってしまっているのだろう。だが、国内メディアは黙らせられても、世界はどうか。こうしてG7での発言を議長国の首相が平然と否定したことが各国に伝えられたら、それでなくても呆れられているのに、ますます信用をなくし、相手にされなくなるのは必至だ。
安倍首相はよく「国益」と口にするが、はっきり言って、その国益を損ねている最大の原因がこの人にあることは、もはや間違いないだろう。 
議事録改ざん 繰り返す安倍政権の危険性  2016/6/13
 安倍首相「私は立法府の長」発言だけじゃない!
 都合の悪い議事録を次々改ざんする安倍政権の危険性
またも安倍政権が議事録に“勝手な修正”を行ったことが発覚した。先月5月16日に開かれた衆院予算委員会で、安倍首相は民進党の山尾志桜里政調会長の質問に対し、「議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります」と答弁。言わずもがな、安倍首相は「行政府の長」であって、総理大臣とは思えない無知っぷりを露呈させたが、議事録ではこれが「議会については、私は行政府の長であります」と修正されているのだ。
ちなみに、安倍首相はこの答弁のなかで「国会は国権の最高機関として誇りをもってですね、いわば立法府とは、行政府とは別の権威としてどのように審議をしていくかということについては、各党各会派において議論をしているわけでございます」とも答弁していたが、この部分も「いわば行政府とは別の権威として」と、議事録から立法府発言が削除されている。
もともと何が言いたいのかさっぱりわからない答弁ではあったが、それでも議事録とは“そのままの発言”が残されなくては意味がない。しかも、本サイトで追及したように、この安倍首相による「立法府の長」発言は、たんなる言い間違いなどではなく、三権分立さえ軽んじる安倍首相の本質が露わになった事案だ。議事録から発言を削除する場合、与野党代表者の合意が必要になるが、この修正にどのような手続きがあったかは不明。だが、勝手に修正したとなれば、“歴史の改ざん”にほかならない。
しかし、安倍政権にとって、議事録の改ざんはいまにはじまった話ではない。昨年9月17日に開かれた参院平和安全法制特別委員会では、安保法制を採決させるために、自民党議員が鴻池祥肇委員長を“人間かまくら”で取り囲み、ヒゲの隊長こと佐藤正久自民党筆頭理事などは抗議する野党議員に暴力さえ振るった。そのような、何が起こっているのか誰にもわからない状態で法案を強行採決させてしまったことは記憶に新しい。とても民主的な手続きとは思えない下劣な方法で採決されてしまった安保法案だが、当然、参院事務局が作成した未定稿の議事録でも「速記中止」と記され、鴻池委員長の発言は「……(発言する者多く、議場騒然、聴取不能)」となっていた。
だが、同年10月に公表された議事録では、「委員長復席の後の議事経過は、次のとおりである」という説明書きが加えられ、「質疑を終局した後、いずれも可決すべきものと決定した。なお、(安保法制について)付帯決議を行った」と、本来なら委員会で読み上げられなくてはいけない付帯決議までもが議事録に記載されていた。もちろん、委員会当日のVTRを何度見返しても、鴻池委員長が付帯決議を読み上げている声などまったく聞こえない。この議事録と現実の委員会の様子が大きくかけ離れているのは一目瞭然である。
安倍首相はこの改ざん問題について、「参院の運営だから参院で決めている」と説明したが、野党は無論、この議事録に反発。合意など得られていないまま“公式発表”とされてしまったのだ。
さらに、同じく安保法制をめぐる国会審議の場で質問を行うなかで、社民党副党首の福島瑞穂議員が「戦争法案」と発言(15年4月1日参院予算委員会)したことにも、自民党は議事録修正を要求。福島議員は、「戦争法案」について〈安倍総理と私は、戦争法案という言葉をめぐって議論をしており、これを他の言葉に置き換えたら、議論そのものが成り立ちません。削除や修正要求には応ずることは、できません〉と反論し、実際に議事録には「戦争法案」の発言は修正されることなく残ったが、こうした発言の削除・修正の要求が出てくること自体が、自民党の歴史修正主義、議論を封じ込めようとする姿勢をよく表している。
このように、政権に都合の悪い話が議事録から削除され、言い換えられれば、どんな議論が行われたかはおろか、いかに醜いやり方でも法的手続きを踏んだと事実をねじ曲げられる。安保法制がそうだったように、どんな暴走だって後付けで許されていくだろう。たとえば、ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』では、歴史の改ざんを国家が主導して行い、主人公ウィンストン・スミスは議事録などの記録を体制側の都合のいいように修正する役割を負っていた。当然ながらその国には改ざんされた歴史しかなく、それが正しいものなのか検証することもできない。──このままこの国が議事録の改ざんを日常茶飯事として行うようになれば、その先には、『1984年』のような世界が待っているはずだ。 
見るもおぞましい展開になってきた 2016/10/7
 ヒラメ集団自民党 「安倍サマ忠誠合戦」の薄気味悪さ
いよいよ末期的だ。これが独裁でなくて何なのか。降ってわいたような安倍首相の総裁任期延長が、早くも決まってしまった。
自民党は5日、総裁任期の延長について議論する「党・政治制度改革実行本部」の役員会を開き、現行の「連続2期6年まで」の任期を延長する方針を固めた。先月、初会合を開いたばかりで、まだ2回目の役員会である。議論も何もあったもんじゃないが、次回の役員会か全体会合で、「連続3期9年まで」に延長するか、任期制限を撤廃するかの2案いずれかに決定するという。年内に総務会で正式決定し、来年3月の党大会で了承してシャンシャンという流れだ。
本部長を務める高村副総裁は会合の終了後、記者団に「(任期を)延ばすことに異論は出なかった」と話した。都道府県連からも意見を募集しているが、現時点で反対意見はないという。そこが不気味だ。
「安倍首相個人のために党のシステムを変えてしまう。異論が出ないなんて、昔の自民党なら考えられないことです。国民人気が非常に高かった小泉政権の時でさえ、2期までという任期制限は守った。組織としてのガバナンスが利かなくなっているとしか思えません。任期を延長しても総裁選を実施するのだから問題ないという意見もありますが、事実上、自民党総裁が日本の首相という状況下で、党内の都合だけで長期独裁を認めるようなことになれば、さすがに問題があるでしょう。知事のように、有権者から直接選ばれて再選を重ねるのとはワケが違います」(政治評論家・有馬晴海氏)
安倍の任期は2018年9月までだが、延長が決まり次の総裁選で勝てば、少なくとも21年まで続けられることになる。
独裁と任期延長は表裏一体
古今東西、独裁者と呼ばれる者が必ず試みたのが、任期の撤廃だ。いったん手にしたら、死ぬまで手放したくない。それが権力の魔力なのだろう。だからこそ、近代国家の多くが、権力の集中に期限を設けてきた。米国は憲法で大統領は「通算2期まで」と決められているし、安倍がバカにする中国でさえ、国家主席の任期は「連続2期10年まで」の規定がある。
北朝鮮や中央アジア、アフリカ諸国では国家元首の任期規定がない国が多く、そのことが、独裁政治が横行する要因になってきた。ロシアのように連続3期を禁じていても、メドベージェフ首相との“タンデム体制”で終身独裁体制を狙うプーチン大統領の例もある。合法的に政権を奪取したら、手段を選ばず任期を延長する――。首相に就任した後、大統領の職能も自分に移し、最後は無期限の総統になったヒトラーもそうだった。
安倍がもくろむ任期延長も同じことだ。日本の場合、内閣総理大臣の任期は憲法に定められていない。自民党総裁の任期延長が、首相の任期延長ということになる。歯止めが利かなくなったモンスターの暴走はとどまるところを知らない。
今国会冒頭の所信表明演説では、安倍が「海上保安庁、警察、自衛隊の諸君」に対し「この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか」と呼びかけるや、自民党議員が一斉に立ち上がって拍手を送ってみせた。まるで北朝鮮かナチスの党大会だと野党議員は驚き、呆れていたが、実際そういう政党になってしまっているのが今の自民党なのである。この際いっそ、自民党総裁の名称も「総統」にあらためてはどうか。
反対意見を言えず黙って従うしかない恐怖政治
 「総統が命令する、私たちは従う」
これは、ナチス政権でゲーリングが提唱したスローガンのひとつだが、現状を表すのに、これほどふさわしい言葉もないだろう。安倍のかけ声に右向け右で、異論は出ない。憲法も無視し、党則でも何でも変えてしまう。所信表明演説でのスタンディングオベーションは、そうした従属の一端でしかない。政治ジャーナリストの山田厚俊氏が言う。
「スタンディングオベーションが自発的なものならまだしも、号令一下、自民党議員が一斉に従う様子は異様でした。安倍首相への忠誠心を見せるためなのか、何も考えていないのか知りませんが、個人崇拝に近くなっている。安倍首相が言うことは何でも正しいのか。支持率が高ければ何をしても許されるのか。個人崇拝は独裁につながります。国会議員は国民の代表だという基本的なことを忘れ、自民党は官邸の意向ばかり気にするヒラメ集団になっている。幹事長以下、官邸の指示に従う下請け機関に成り下がっています。政府と与党の関係にも、議会にも緊張感がなくなれば、政権のやりたい放題になるのも当然です」
議院内閣制の大先輩である英国では、議会の開会式に毎回、伝統的なセレモニーが行われる。黒杖官と呼ばれる女王の使者が下院の議場に入ろうとすると、鼻先でドアがバタンと閉められるのだ。これは、国王といえど議会への勝手な立ち入りは許さないという矜持、そして議会の独立性を示すものである。行政の長に対して立法府が言われるままに従うなど、かの地では有り得ないことなのだ。
ところがこの国では、権力亡者の独裁者に巨大与党がひれ伏し、擦り寄る。おぞましい光景の裏には、構造的な要因が根を張っている。
「今の政治状況を招いたのが小選挙区制の弊害なのは間違いありません。候補者個人の力量よりも、どこの党から出るかが当落に大きく影響するようになり、カネと公認権を握る党本部の力が強まった。とりわけポストの差配もする総裁=首相には権力が集中します。入閣待機組が増えればなおさらで、余計なことを言って嫌われたくないから、誰も意見しなくなる。小泉元首相が『今の自由民主党には自由も民主もない』と言っていましたが、そういう一種の恐怖政治がはびこっているのは確かです。小選挙区制によって、かつては自民党内で競い合っていた派閥も力を失い、人材が育ちにくくなっている。政権交代可能な政党があれば、もう少し緊張感も生まれるのですが、野党がどうしようもないから、比較してマシという理由で自民党が選ばれ続けている。野党の体たらくに乗っかっているのが安倍政権で、小選挙区制による権力集中構造の恩恵を二重にも三重にも受けていると言えます」(有馬晴海氏=前出)
任期延長は自民党劣化の象徴
安倍個人のキャラクターの問題もある。昨年の総裁選では、出馬しようとした野田聖子を全力で潰しにかかった。かつては「首相官邸も口出しできない聖域」とされた自民党税調も、言うことを聞かない会長を更迭。公認権をチラつかせて無力化し、イエスマンを後釜につけた。憲法が邪魔だと思えば、内閣法制局の長官をスゲ替え、憲法解釈を変えさせる。幹部人事を握られた官僚組織も平身低頭だ。歯向かう者には容赦なく、茶坊主を重用、ルールをねじ曲げてでも自分のやりたいことを通す。これほど破廉恥なまでに権力を振りかざす首相はいなかった。我慢の利かない幼稚園児並みだ。
自民党に自浄作用が期待できない以上、野党がしっかりしなければダメなのだが、解散権を乱用する狂乱首相を前になす術なし。このままではどうなってしまうのか、想像するだに恐ろしい。
「選挙が近づけば、自民党内はますますモノを言えなくなり、安倍首相の任期延長に賛意を示す声ばかりになるでしょう。ただ、4年近くやってきて政策的な成果は何もないのに、あと5年も安倍首相のままでいいと本気で思っているのでしょうか。現状維持がせいぜいで、口先だけのポピュリズム政治が続くことになる。国民はそんなことを望んでいないはずです。それに9年も同じ人が総理総裁を続ければ、代わる人材がいなくなって、ますます独裁が進む。それは民主主義が破壊されていくことと同義です」(山田厚俊氏=前出)
鳥肌が立つような忠誠合戦をいつまで続けるつもりなのか。総裁任期延長は、自民党の劣化の象徴でもある。 
機動隊員の沖縄差別は「土人」発言だけじゃない! 2016/10/20
 「バカ」「シナ人」…差別意識を助長させる安倍政権
沖縄への信じがたい蛮行が明らかになった。政府によって強行的に米軍ヘリパッドの建設工事が進められている沖縄県の高江で、建設反対派として抗議運動を行っていた芥川賞作家・目取真俊氏に対し、機動隊員が「触るな、土人」などと発言していたのだ。このときの動画や音声はYouTube上にアップされているが、たしかに機動隊員が巻き舌で「触るなクソ、どこ掴んどるんじゃ、このボケ」と威嚇し、そのあと吐き捨てるように「土人が」とたしかに言っている。
言うまでもなく「土人」は「野蛮」「未開人」という意味で使われる蔑視の言葉であり、差別用語として認識されているものだ。沖縄県警によるとこの機動隊員は大阪府警から派遣された人物で、県警は19日、発言を認めて謝罪した。菅義偉官房長官も慌てて「許すまじきこと」とコメントしている。
しかし、今回の差別発言は、ひとりの機動隊員が「うっかり言ってしまった」という問題ではない。実際、8月の時点から機動隊員が反対派市民に「バカ」「気持ち悪い」「おまえなんか殴る価値がない」などと暴言を吐いていることが確認されており、今回の「土人」発言が飛び出した際にも、別の機動隊員が「黙れ、コラ、シナ人」と発言していたことが発覚しているからだ。
本サイトではこれまで何度も追及してきたように、現在、高江では、機動隊による反対派市民への弾圧が苛烈を極め、機動隊員が反対派市民をロープで身体拘束するという逮捕・監禁罪に該当するような違法行為までまかり通っている。そうしたなかで、同時に警察が差別発言を平気で口にしていることは、決して無関係ではない。
たとえば、米軍では戦地で躊躇なく人を殺すため、兵士たちに「相手は人間ではない」と教え込むが、そのために現地に住む人々を差別視することを叩き込まれてきた。そして、ベトナム戦争時や、まさに占領期の沖縄で、米兵は住民たちを「Gook」、すなわち「土人」と呼んできたという事実がある。
相手は自分よりも劣った「土人」なのだから何をしても許される。──国家権力は暴力を正当化するため、差別感情を利用し、兵士たちにすり込んできたのだ。いま、沖縄で横行しているのは、これとまったく同じことなのである。
歴史を振り返れば、太平洋戦争においても沖縄は「本土」からの差別に晒されていた。熊本憲兵隊が1927(昭和2)年に作成した『沖縄事情』内の文書では、「遅鈍悠長」「犠牲的精神ハ皆無」「盗癖アリ」「向上発展ノ気概ナシ」などという県民への偏見が綴られているという(琉球新報1999年4月11日付)。これは1923(大正12)年の沖縄連隊区司令部報告の引き写しであり、〈偏見に満ちた沖縄人観が軍内部で引き継がれ、固定化されたことをうかがわせる〉ものだ。
さらに、沖縄の軍備強化を謳った1934(昭和9)年の『沖縄防備対策』では、県民に軍隊の補完を要請する一方で、〈軍事思想警察は、国家思想が確固としない彼らには行えない。憲兵の配置が必要〉などと“県民の監視”の必要性を説いている。その後、沖縄が本土決戦準備のための時間稼ぎという“捨て石”にされた背景に、沖縄県民への蔑視、偏見がなかったとは言えないだろう。
こうした差別が、米軍基地を一方的に沖縄へ押し付けるという「構造的差別」につながり、現在の高江のように、公権力は暴力と差別をセットにして市民を弾圧している。そして、戦時下では軍人たちが沖縄への偏見を露わにしたが、その役割はいま、政治家に移った。
現に、橋下徹とともに安倍首相との距離を縮める松井一郎大阪府知事は、問題の「土人」発言について〈ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。〉などと機動隊員を擁護。よりにもよって差別を肯定したのだ。
また、鶴保庸介沖縄担当相も、沖縄への露骨な差別感情を隠そうとはしない。鶴保沖縄担当相は就任早々「沖縄の振興策と基地問題は確実にリンクしている」「予算額を減らすのは当然。消化できないものを無理やりお口開けて食べてくださいよでは、全国民の血税で使われているお金を無駄遣いしているという批判に耐えられない」などと、沖縄を馬鹿にしているとしか思えない言葉を吐いたからだ。
このような発言に、沖縄タイムスは〈沖縄の人たちを見下すような意識が見え隠れする〉〈「無理やりお口を開けて…」という表現は、県民を侮蔑した例え〉と社説で強く批判、琉球新報も安倍首相の任命責任に言及し〈信頼を失った沖縄担当相の更迭を判断すべき〉と迫った。しかし、安倍首相が鶴保沖縄担当相の発言を問題視することはなく、もはや“失言”とさえ認識していないのだ。
機動隊員による「土人」発言は、安倍政権が民主主義や基本的人権さえ奪って圧制しようとしている沖縄への態度があって、そこから生まれているものだ。つまり、「土人」という差別発言は、政権の心情の発露でしかない。
そして、忘れてはならないのは、今回問題となった機動隊員が大阪府警から派遣されていたように、「本土」が暴力と差別に加担しているということだ。今月17日には、映画監督の高畑勲氏やジャン・ユンカーマン氏らが名を連ね、警視庁の機動隊員が高江に派遣されているのは違法だとして東京都都監査委員事務局に対し住民監査請求書を提出したが、「本土」からこそ、高江での暴力と差別を許さない空気を広げていかなくてはならないはずだ。 
「土人」発言の背景 2016/10/26
 警官に極右ヘイト思想を教育する警察専用雑誌が!
 ヘイトデモ指導者まで起用し差別扇動
安倍政権が沖縄県高江で強行している米軍ヘリパッド建設をめぐり、大阪府警の機動隊員が反対派市民に「ボケ、土人が」「黙れコラ、シナ人」などと差別発言をした事件で、府警は「軽率で不適切な発言で警察の信用を失墜させた」として発言者2名を懲戒処分にした。しかし、これは2名の機動隊員がたまたま差別思想をもっていたという話ではない。実は、警察組織の中では、こうした沖縄差別、外国人差別は日常化しており、今回の一件はそれがたまたま露呈したにすぎない。全国紙の公安担当記者がこう解説する。
「警察組織内部、とくに警備や公安の間で、沖縄の基地反対派への差別的な悪口がかわされるのは、けっして珍しい話じゃない。彼らは、基地反対派にかぎらず、共産党、解放同盟、朝鮮総連、さらには在日外国人などに対しても、聞くに堪えないような侮蔑語を平気で口にする。我々の前でもそうですからね。これにはもちろん理由があって、警察では内部の研修や勉強会、上司からの訓示など、さまざまな機会を通じて、警察官に市民運動やマイノリティの団体、在日外国人などを『社会の敵』とみなす教育が徹底的に行われるからです。その結果、警察官たちには、彼らに対する憎悪、差別意識が植え付けられていく。軍隊ではよく、敵国の人間を自分たちとまったくちがう下等な生物扱いをして兵隊の戦意を煽るといいますが、それとまったく同じやり方ですね」
「月刊BAN」2016年11月号  実は、こうした警察の“差別思想養成教育”の存在を裏付けるような話をキャッチした。警察では「専門の雑誌を使って、極右ヘイト思想を警察官に植え付けている」というのだ。その専門の雑誌というのは「BAN」(株式会社教育システム)。聞きなれない名前だが、警察官しか読むことのできない警察官のための月刊誌だという。
「『BAN』は警察官専用の『29万人のための総合教養情報雑誌』というフレコミで、警官の昇進試験の対策本を出版している警察の天下り会社が発行しています。警官ならば、直接購入もできますが、そのほとんどは各警察署の図書係を通じて購入するシステムです。たしか警察の図書係を通じて買うと、割引になるんじゃないですかね。各警察署で推薦、斡旋もしていますし、いわゆる警察の“推薦図書”“専用雑誌”ですね」(警察関係者)
ところがその“警察推薦専用雑誌”の最新号、2016年11月号を調べてみると、とんでもない人物が寄稿していることがわかった。同号は「どうする沖縄 米軍基地の今後」という特集を組んでいるのだが、あの恵隆之介氏が寄稿しているのだ。
恵氏といえば、沖縄出身のジャーナリストを自称しているが、元海上自衛隊で基地反対派に“デマ攻撃”を仕掛けてきた人物。たとえば、先の沖縄県知事選では“翁長氏の娘は北京大学に留学”“その娘の婿は中国太子党出身”などとメディアで語っていたが、当時、翁長氏の娘は「埼玉の小さな大学」におり、未婚だった。
しかも、今回の機動隊による「土人」「シナ人」差別発言についても、恵氏はFacebookでこんな投稿をしていた。
〈昨年、翁長知事は国連人権委員会で「沖縄人は先住民、自決権を尊重せよ」と自己差別的発言をしました。要するに自らを一種の「土人」とアピールしたのです。今度は大阪府警の機動隊員が基地反対派左翼に「土人」と発言しただけで「差別」ですって?〉
「土人」の意味を強引にすり替えることで、かえって自身の差別意識をさらけ出している恵氏だが、恐ろしいのは、警察推薦の雑誌がこんなトンデモな言論を放つ人間を堂々と起用していることだろう。もちろん内容も推して知るべしで、くだんのFacebookで恵氏は「BAN」に書いた記事をこう紹介している。
〈私は幸運にも本日発売の全国警察官雑誌「BAN」沖縄特集にその実態を書きました。要するに恩知らずの左翼をグサリと批判しました。沖縄に派遣されて基地反対派に罵声を浴びせられながらも必死に国家秩序維持に頑張る警察官諸兄に大きなエールとなると確信します。〉
恵氏の文章が警察官の沖縄差別、基地反対派への憎悪を煽ることになるのは確実だが、「BAN」のこうした偏向記事は同号だけの話ではない。バックナンバーを見てみると、執筆者や登場人物には、極右、ヘイト言論人がずらり。そのラインナップは「正論」(産経新聞社)や「WiLL」(ワック)と同じ、いや、「ジャパニズム」(青林堂)レベルの“ネトウヨ雑誌”かと見紛うほどなのだ。以下、ざっと挙げてみよう。まずインタビューの人選からして、その傾向がモロに出ている。数々の歴史修正発言を繰り返し、沖縄ヘイトにも定評のあるネトウヨ作家の百田尚樹氏(15年9月号)、大物保守論客でこれまた歴史修正主義者である渡部昇一上智大学名誉教授(14年11月号)に西尾幹二電気通信大学名誉教授(14年9月、8月)、近年では報道弾圧活動も行っているイエローハット創業者・鍵山秀三郎氏(14年7月)、嫌韓ヘイト本や歴史修正本を量産している呉善花拓殖大学教授(14年2月)。
外国人に対する差別意識の植え付けと思しき記事もある。たとえば、16年9月号で「初めて明るみに出る『在日』外国人犯罪の実態」と題した記事を寄稿しているのは、ネトウヨ雑誌「ジャパニズム」常連の元警視庁通訳捜査官・坂東忠信氏。坂東氏は「BAN」の常連でもあるのだが、今年10月発売の著書『在日特権と犯罪』(青林堂)のほか、これまで多くの反中嫌韓本・ヘイト本を上梓してきた。
また、「BAN」を購入できるのは警察職員のみにもかかわらず、歴史認識の特集が多いのも特徴的だ。14年11月号の特集「『慰安婦問題』って何?――反日を加速させる韓国といかに付き合うか」は、タイトルからしてネトウヨ雑誌さながら。寄稿者は“慰安婦問題は存在しない”が持論の「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)会長・西岡力氏、「平成文化チャンネル桜」キャスターで最近積極的に沖縄ヘイトを展開している大高未貴氏らである。
歴史認識に関しては、15年6月号から同年12月号にかけても複数執筆者による「戦後70年シリーズ〜戦後史はここから始まった〜」なる連載を行っているのだが、その執筆陣は、戦前の修身教育復活を提唱する小池松次氏、戦後日本や憲法への攻撃を繰り返す作家の吉本貞昭氏、そして保守系コミンテルン陰謀史観でおなじみの倉山満氏だ。さらに、日本最大の極右団体「日本会議」に関わる人物の姿までちらつく。たとえば年始の特集では、2年連続(「平成27年 躍進する日本」「平成28年 輝け日本」)で新田均皇學館大学教授が登場。14年3月号では高橋史朗明星大学教授が「立ち直りに欠かせない『親学』」なる記事を寄稿している。両者は日本会議の事務方的存在といわれる元生長の家活動家グループだ。
他にも、「BAN」の過去3年間の寄稿者をあげていくと、一色正春氏(元海上保安官)、潮匡人氏(評論家)、加瀬英明氏(外交評論家)、河添恵子氏(作家)、黄文雄氏(評論家)、渡邉哲也氏(経済評論家)……などなど、タカ派国防論者から日本スゴイ本やヘイト本著者、日本会議代表委員、さらにはネトウヨツイッタラーまで勢揃い。しかし、一番驚かされたのは、06年11月号の特集「外国人犯罪の現場」だ。なんとこの特集に、近年のヘイトデモの中心人物のひとりである瀬戸弘幸氏を登場させ、持論を展開させているのだ。
瀬戸氏はネオナチ思想に傾倒し、在特会の桜井誠元会長や、主権回復を目指す会代表の西村修平氏らとともに、「行動する保守」を名乗る運動を牽引してきたキーパーソンで、「NPO外国人犯罪追放運動」なるヘイト団体の顧問も務めている。2010年代に各地のヘイトデモが社会問題化するなか、警察はなぜヘイトスピーチの被害者ではなくヘイトデモ隊を守るのかと批判が殺到していたが、ヘイトデモの代表的存在が警察専門誌に登場していたのだとすれば、それも納得がいく。
それにしても、極右言論界とヘイト界隈をごった煮にしたようなこんなトンデモ編集方針の雑誌を、中立公正であるべき公務員の警察が組織をあげて推薦し、図書係を通じて購読を斡旋していたというのは、今更ながら問題の根深さを感じずにはいられない。いや、警察はたんにこの雑誌を斡旋していただけではない。「BAN」の発行元である株式会社教育システムは、前述したように警官の昇進試験の対策雑誌や警官向けの専門書を出版している会社なのだが、同社には多数の警察OBが天下りしている。そして、同社の代表取締役に名前を連ねているのは、元神奈川県警監察官室長のT氏なのだが、このT氏は神奈川県警時代、不祥事事件で、逮捕、起訴されているのだ。
この不祥事は、県警の外事課警部補が覚せい剤使用を打ち明けたにもかかわらず、本部長の指示により組織ぐるみで事実をもみ消しそうとした事件。当時“警察の警察”とよばれる監察官の室長の役職にあったT氏は不祥事を正す立場にありながら、具体的な隠蔽工作を主導したとされ、本部長の共犯として執行猶予付きの有罪判決を受けた。そんな人物に、警察の昇進試験対策の出版物を取り扱う会社を任せ、半独占的に警察に出入りする権利を与えているというのは、さすが身内に甘い警察というしかないが、いずれにしても、この天下り会社と警察組織の関係を考えると、同社が発行している「BAN」の内容は、当然、警察上層部の意向を反映したものと言えるだろう。右派界隈の外国人差別や沖縄差別の意識を刷り込み、現場の警官の士気を高める――。
しかも、「BAN」のケースは、氷山の一角にすぎない。前述したように、警察組織内では差別意識を植え付けるような講演や勉強会が日々行われており、その結果として、今回の高江で「土人」「シナ人」発言が出てきたのだ。あらためて指摘しておくが、差別発言を行った機動隊員を処分するだけでは問題は解決しない。この警察の構造的問題の根源を断たねば、その弾圧や暴力の矛先はますます市民に向かっていく。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。 
2017
安倍首相が国会答弁で「云々」を「でんでん」と読み大恥!  2017/1/25
 他にも中学生並みの言い間違い連発、その理由とは?
昨日24日におこなわれた参院代表質問において、またも安倍首相の口からトホホな発言が飛び出した。それは民進党の蓮舫代表への答弁で起こった。安倍首相の「国会でプラカードを掲げても何も生まれない」発言に対し、蓮舫代表は自民党も国会で下野時代にプラカードを掲げていたことを突っ込んだのだが、これに安倍首相は猛然と、このように反論した。
「これは一般論であって、民進党のみなさんだとは一言も申し上げていないわけであります。自らに思い当たるフシがなければ、これはただ聞いていただければいいんだろうと、このように思うわけであります!」
野党批判となるとヒートアップするのはいつものことだが、昨日もこう喋っているうちにハイテンションに拍車がかかった安倍首相。そして、意気揚々とおなじみの「ご指摘はまったくあたりません」なる決めゼリフをぶちかまそう……としたのだが、その前に耳を疑う言葉が出てきたのだ。
「訂正でんでんというご指摘は、まったくあたりません」
訂正……でんでん? まさか元お笑い出身の性格俳優のこと? いや、この流れで意味がわからないし。……あ、もしや「云々」を「でんでん」と読んだとか?? それ、にんべんないし、そもそも「でんでん」なんて言葉ないし!
と、ここまで整理するのに要した時間は約30秒。しかし、テレビのなかの安倍首相は、漢字を読み間違ったことにもまったく気付かぬまま答弁をつづけたのだった。得意気に、かつあまりにも堂々と「でんでん」と発した口ぶりから察するに、安倍首相はこれまでも「云々」は「でんでん」と読むと勘違いしたまま齢62歳までやってきたのだろう。実は、安倍首相にはこれまでにも「漢字に弱すぎないか?」という疑惑があがっていた。
たとえば、以前、安倍首相が読む手元の答弁書がクローズアップされて週刊誌に掲載されたことがあったが、そこには「表(あらわ)そう」という小学校で学ぶ漢字にまで読み方が記されていた。
また、2013年4月に開催された「ニコニコ超会議2」で迷彩服に身を包み戦車に搭乗するなど大はしゃぎしたとき、安倍首相は自民党ブースの寄せ書きボードに「成長力」と書いたのだが、そのとき、「成」の字のはらいと点が書かれておらず、「もしかして安倍首相は漢字が書けないの?」とネット上で話題を呼んだこともあった。
もちろん、間違ったまま漢字を覚えてしまうといったミスは誰しもあるだろう。だが、彼は曲がりなりにも総理大臣なのである。さらにもうひとつ言えば、間違ったまま覚えていたとしても、あれだけ側近がいるのだから「それは“でんでん”ではなく“うんぬん”です」と注意してやれよ、という話である。
もはや、安倍首相はこんな恥ずかしい言い間違えすら、誰もとがめることができないくらいに「裸の王様」化しているということだろうか。実際、安倍首相は過去に、他人から間違いを指摘されても、まったく直そうとせずにそのまま言い間違いを続けたこともあった。
たとえば、昨年5月16日、安倍首相はやはり国会で自信満々に「私は立法府の長、立法府の長であります!」と間違った発言。翌日17日にも「立法府の私がお答えのしようがない」と同じ間違いを繰り返した。じつは、安倍首相は同年4月にも「私が立法府の長」と言い、その場で「立法府ではなく行政府」と指摘を受けている。
さらには2007年5月にも「私が立法府の長として……」と発言したが、そのときは民主党(当時)の簗瀬進参院議員が安倍首相に三権分立を説明し、「あなたはそういう意味では行政府の長であります」と正している。つまり、再三にわたって「あなたは立法府の長ではなく行政府の長ですよ」と注意を受けてきたのに、誤りをあらためることが一切なかったのである。
人から間違いを指摘されても、誤りを絶対に認めないし、それを直そうとはしない。安倍首相のこの傾向は、たんなる用語の使い方や読み方だけの話ではない。その政策や外交においても、失敗や暴走をけっして認めようとせず、「俺のやったことは正しい」「俺の政策はすべて成功した」といいはり、逆に批判意見を力で押しつぶしてきた。
そういう意味で、「でんでん」発言は安倍首相の教養のなさだけでなく、その危険性もよく表しているというべきだろう。 
危うし安倍スキャンダル? 2017/2/14
国有地払下げ事件が発覚
ネットにすごい情報が飛び交っている。日刊ゲンダイで確認したのだが、朝日新聞やロイター通信までが報道している。「危うし安倍スキャンダル」を連想しても不思議ではない。国有地払下げ事件の発覚である。国有地払下げを特別配慮したとなると、これは権力の乱用しか考えられない。教育勅語を園児に暗唱させている学校法人だと、日本会議とも連なる。本日の議会とメディアの力量が問われる春一番になるのか。 
朝日・ロイター・日刊ゲンダイが報道
日刊ゲンダイの後追い記事がネットで大炎上中である。久々の一大スキャンダルの発覚と、国民誰しもが感じるだろう。朝日が2月9日付で、大きく報道しているという。ロイター通信は、朝日の前か後ろか、筆者にはわからないが、追及次第では政権の命運を左右する、世紀の政治スキャンダルに発展しかねない。報道によると、この国有地払下げ事件は、実に荒っぽく大胆である。小選挙区制下の3分の2議席は、腐敗を招き寄せる。拙著「小選挙区制は腐敗を生む」(エール出版)で指摘した通りである。官邸かその周辺からの意向を、国有地を管理する財務当局も抵抗は出来ない。
10分の1の格安価格
相場の10分の1の値段という。1平方15万円相当の国有地8870平方、約13億円相当を、大阪府の森友学園という学校法人が、わずか1億3400万円で手に入れたという重大な疑惑である。荒っぽくも、大胆不可解な国有地の分捕り・払下げ事件であろうか。いかなる釈明も通用しそうもない。背後関係を徹底して洗うことで、真相を暴くことは容易であろう。
安倍夫人が名誉校長
繰り返される安倍外遊に、ぴったりと寄り添う夫人が、学園の名誉校長ということから、国有地の格安払下げ疑惑を、一段と深めさせている。政治的圧力を裏付けている。安倍夫人が動いたものか、彼女の意向を首相秘書官が代行したものか、首相自身の間接的口利きに周辺が動いたものか。そうでもない限り、10分の1の格安値段での国有地の払下げは考えられない。あるいは森友学園は、安倍後援会メンバーなのかどうか。政治献金の有無はどうか。闇献金組なのかどうか。疑問は膨らむばかりである。
総長は日本会議幹部
この学園の総長は、安倍内閣を背後で操作する日本会議の幹部ということも、国有地払下げ事件の疑惑を深めさせているようだ。安倍夫人の名誉校長と学園総長が日本会議幹部と、あまりにも政治的な役者がそろい過ぎている。この顔ぶれで払下げを要求されると、国有地管理当局も腰が引けるのかもしれないが、さりとて10分の1という格安での払下げは無理だ。上からの、さらなる大きな力がないと不可能であろう。内部告発の行方も注目される。
教育勅語を暗唱させる右翼教育機関
園児に教育勅語を暗唱させている!これも驚きである。教育勅語は、国家神道と帝国憲法と肩を並べる、戦後否定された戦前の「神がかりのカルト・狂信的な天皇制国家主義」を構成する3大原理の一つである。
ロイター通信は「学園のカリキュラムは、戦前の日本を想起させる」と適切な表現で報じた。安倍・日本会議お手本の学園ゆえの、格別の国有地払下げの可能性も高い。徹底した、さらなる取材と議会の追及が不可欠であろう。
園児が「教育勅語」唱える、大阪の幼稚園で戦前教育 [ロイター]
大阪にある塚本幼稚園は一見すると、普通の幼稚園に見える。だが同園のカリキュラムは戦前の日本を思い起こさせる。安倍昭恵首相夫人も訪問した塚本幼稚園幼児教育学園は、日本の伝統や文化に重点を置いたカリキュラムのなかで、3−5歳の幼児に、愛国心を育むことを目的としている。制服を着た園児たちは毎朝、日本国旗の前で国歌を歌い、1890年に発布された「教育勅語」を復唱する。教育勅語は第2次世界大戦後、米軍を含む連合国軍総司令部(GHQ)によって廃止された。多くの人が、日本の軍国主義をあおる一助となった、服従と道徳心の源であると教育勅語を捉えていた。
日本政府は1947年、戦後の平和憲法の自由主義的で民主主義的な価値を強化すべく、教育基本法を施行した。
塚本幼稚園は15年前から教育勅語を導入。ただし、園職員はナショナリズムを刺激する意図はないとしている。「よく言われるナショナリズムと、私たちが教育のなかで進めようとしている、愛国主義や日本主義をもっと高らかに世界各国に広めていこうとすることは、全く違う」と、籠池泰典園長は話す。
籠池氏は、安倍政権と関係が近いナショナリストの民間団体「日本会議」の大阪支部長でもある。
塚本幼稚園で園児たちが習うのは、和楽器や武道、将棋などだ。軍事基地へ「遠足」にも行く。籠池園長は、子どもたちが他国の脅威に対する自国防衛に備えるため、他の教育施設でも自分たちのカリキュラムを導入することを期待していると語る。
日本に危機が及ぼうとするなら戦わねばならず、そのためには戦争放棄を規定する憲法第9条の改正が早急に必要だと、同園長は主張する。
憲法改正は与党・自民党の主要政策課題の1つだ。安倍政権はすでに集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈を変更している。塚本幼稚園の案内パンフレットによると、来年には小学校も開校予定で、安倍首相夫人が名誉校長に就任するという。専門家からは、安倍首相夫人がこうした学校の運営に携わることに驚きを感じるとともに、国際社会における日本の地位の変化を示すものとの声も聞かれた。
テンプル大学日本校のマイケル・チュチェック非常勤教授は、夫人が首相の代理として見られることがしばしばあると指摘。第1次安倍内閣では、学習指導要領に愛国心教育を盛り込むため、教育基本法が改正されている。
「日本の防衛を日本自身に担わせることで、駐留米軍を削減もしくは撤退させたいというトランプ次期米大統領の思惑と、日本を強い国にしたいという安倍首相の思惑が一致したと多くの人は考えているようだ」とチュチェック非常勤教授は語る。
地元市議の執拗な追及で表面化
報道だと、この事件・疑惑は、地元の市議の執拗な正義の追及がベースになっている。あんちょこな、ためにする疑惑事件報道ではない。右翼の腐敗と関連しているようでもある。新聞も野党も、5年目についに大魚を目の前にして、どう処理するのか。朝日・日刊ゲンダイの国内メディアのほか、外国通信社も同時取材して、官邸の圧力を跳ね返す布陣も、注目の的である。
大魚は、まだ新鮮さを残して、生きている。時効にかかっていない。大阪府警や大阪地検も注目しているだろう、巨大政治スキャンダルである。訪米で、大損外交を演じてきた首相夫妻の心臓を破裂させるのであろうか。読売・産経の報道ぶりが、どんなものか。とくと見聞しなければならない。ジャーナリストの責任である。 
墓穴を掘った神道改憲軍拡首相 2017/2/18
ネットで大炎上している大阪の国有地払下げ重大事件について、2月17日の衆院予算委員会で野党・民進党議員の追及がさく裂、これに改憲軍拡首相が慌てふためいて興奮、キレる事態が起きた。
問題過ぎる神道小学校の民族差別文書問題を、大阪府が行政指導をする事態を、籾井が辞めたNHKでさえも報じた。どうやら改憲軍拡首相の開き直り答弁が、墓穴を掘ってしまった春一番と受け止めた国民は、多いはずだ。
「事実なら首相・国会議員を辞める」と公約
信じがたい破格の値段で、民族差別をする神道小学校に、国民の資産を預かっている財務省が、広大な国有地を払い下げた重大事件は、間違いなく政治がらみである。違うと考える国民はいないだろう。
麻生財務大臣の口利きも想像される。安倍と麻生の二人三脚内閣という格別の事情もあるが、自民党内の空気は、久しく病んでしまっている。内心、ほくそ笑んでいる実力者と入閣待望組の永田町である。新たな追及材料が噴き出るだろう。それに大阪には、首相追及のプロが控えている。新たな材料がを、神社神道の日本会議が封じ込められるか?「わたしや妻、事務所は一切関わっていない。関わっていれば、首相も国会議員も辞める」と議会で答弁した。内外に公約してしまったのだ。
人間という動物は、痛いところをつつかれると、動揺して、その分、精神が混乱して、言ってはならない言葉を口にしてしまう。それを改憲軍拡首相が演じた、2月17日の春一番ということになろう。この首相答弁を、どう報じた新聞テレビが報じたか?それが、日本の言論の現状を証明することになる。賢明な国民は、このことで新聞購読を止めたり、進んで講読することになるだろう。
自ら深い仲を認めた心臓(晋三)
報道によると、既に安倍内閣1期目の場面で、問題の神道小学校という奇妙な学校を運営する日本会議幹部と深い関係が出来ていたことを認めた。察するに、右翼教育に熱心な安倍ファンということになる。「安倍晋三小学校」と命名したいと申し出たという、この右翼人士との深い仲は、尋常ではないだろう。自ら疑惑を認めたようなものである。安倍答弁によって、今度は国民が興奮している。国民は改憲軍拡に反対している。これはトランプと会談を終えた後も変わっていない。創られた内閣支持率に翻弄される国民ではない現在である。それは先の東京都の区長選挙で証明されている。無党派が動けば、自公は弾き飛ばされる今である。特定秘密保護法・戦争法と次は共謀罪である。相次ぐ憲法違反に日本弁護士や憲法学者の怒りは、ただ事ではない。
何ら関与否定の証拠を示せず
心臓は、問題の日本会議幹部との深い仲を認めた。ことほど関係は深く、否定することが出来なかった。もう疑惑はこれで十分である。そして肝心要の疑惑事件と無関係である、との清廉潔白の証拠は、何一つ示すことが出来なかった。右翼スキャンダルは、既に指摘したように、手口が大胆不敵である。露骨なのだ。権力の乱用に無神経である。議会とメディアが健全であれば、即座に事件の真相にたどり着ける。いまは、その入り口に到達した場面である。
追及材料を提供した首相と財務省
一般の組織や人間が、新しく学校を新設するとなると、途方もない時間がかかる。役所の壁は厚い。与党政治屋を裏工作の要員として駆使しても、それでも簡単ではない。それなのに、この安倍ファンであるはずの、日本会議メンバーの神道小学校設立と、広大な国有地の、タダみたいな値段での国有地払下げについて「一切関わっていない」といわれて、ハイそうですか、とは国民が奴隷人間でない限り困難だろう。この政治スキャンダルは、安倍夫妻が関係していることも発覚している。国会追及の最後の場面では、参考人招致や国会証人喚問が待ち受ける。これを3分の2の権力乱用で押し切れるか。財務省は、不動産鑑定士や大阪航空局の積算という新たな事実を、国会答弁で明らかにして、追及材料を野党に提供してくれた。血税をはたいている大事な国会開会中である。不正腐敗を許してはならない。野党の奮起を望む。
創価学会と朝日新聞に注目
7月都議選に総力を傾注している宗教政党が、共謀罪や天皇退位問題のように、安倍擁護に徹することが出来るのか。対して、野党の総力結集で、日本会議の裏は容易に取れるという事案でもある。「朝日に勝った」とトランプに吹聴したという日本国首相である。国民は、その朝日にも期待をかけている。朝日は本当に死んでしまったのかどうか、そのことも国民は注視している。墓穴を掘った心臓の高鳴りが、列島に響いているようだ。 
逃げる安倍・深まる疑惑 2017/2/25
神道小学校への国有地払下げは大胆すぎる犯罪
2月24日の衆院予算委員会などでの一連の安倍答弁、財務省理財局長答弁で判明したことは、嘘と隠蔽で逃げ切りを図ろうとする心臓の醜態ぶりをさらしている。神道小学校への国有地払下げは、権力の乱用の下で具体化した重大な犯罪である。疑惑は深まるばかりである。野党が結束して追及すれば、心臓の逃げ切り策は失敗するだろう。それにしても大胆すぎる腐敗政権を裏付けて余りある。
理財局長が政治的圧力を事実上、認める答弁
8億円もの国有地値引きするための積算を、国交省大阪航空局にさせるという手口は「異例」だと財務省の佐川理財局長が答弁した。この「異例」答弁から、腐敗政権が、神道小学校への不当な国有地払下げに対して、政権が総がかりで対応したことが判明した。政府上げての、巨額過ぎる国有地値引き払下げ作戦の存在を浮かび上がらせている。そこにおいて、財務省・国交省まで動かした大がかりな「権力の乱用」を浮き彫りにしている。このことが、明白に浮かび上がってきた。
安倍夫人が名誉校長辞任
人間は愚かである。特に権力者はこの罠にかかる。事件が露見して、次々と問題を指摘されて、初めてことの重大性に気付く? あわてて安倍夫人は、教育勅語を教える「瑞穂の国」という時代がかった小学校の名誉校長を辞める、と首相の口から答弁させた。夫唱婦随なのか、疑惑をこれまた容認したことになる。口八丁の夫人が、珍しく沈黙していることも、事件の深さを裏付けているだろう。夫妻そろっての支援に、官邸はおろか財務省も国交省も付き合わされた、という政治圧力の構図が見えてきた。
森友学園に責任を押し付ける策略
首相夫妻そろって絶賛していた森友学園に対して、心臓は突如、戦略を変更した。「安倍晋三小学校」の名前を勝手に使って「けしからん」と怒りだしたのだ。これも滑稽千万で、外野の観客席を沸かせてしまった。誰が知恵をつけたものか、上手の手から水が漏れてしまったことに気付かないのか?不勉強な野党を、これでごまかせると勘違いしたものか。傍らで、渋い表情を見せる麻生財務大臣も、事態の深刻さに心臓が止まりそうである。それとも?
全生庵に逃げる
知らなかったが、金曜日は「プレミアムフライデー」というのだそうだ。「仕事止め」のお触れを出す日本政府である。変われば変わった日本であろうか。当人は、そそくさと座禅を組むことで知られる「全生庵」に逃げた。これも珍しい。神社信仰の神風に効果が出ないので、仏教の禅に救いを求めたものか。ともかく安倍家の重大な危機を内外に印象付けてしまった。ちなみに、仏教の本意は、人間の生と死を追及した思想・哲学であろう。現生利益など存在しない。正しくは仏学である。儒学もまた、君子の仁愛を説いて、その結果としての民衆の信頼を基としている統治論である。権力乱用は、人と人・人と自然の在り方を追及した儒学において、到底許されない行為である。民衆は新たな賢者、民衆をいつくしむ君子を選択する権利を手にできる。民主政治の下では、これを議会と言論が担っている。
野党がまともなら逃げ切り不可能
改めて言及するまでもない。野党が結束して議会の主導権を握ることで、この政権を退陣に追い込めるだろう。解散に追い込むのであるが、その前に本事件を天下に知らしめる責任がある。ひるまず徹底して追及しなければならない。ネットブログは炎上していて止まない。
森友学園、安倍昭恵夫人の名誉校長就任「承諾得ていた」 217/2/27
 安倍首相は「フェアじゃない」
2月27日の衆院予算委員会は、大阪の学校法人「森友学園」(籠池泰典理事長)の国有地の取得経緯や安倍昭恵・首相夫人の名誉校長就任問題について、安倍晋三首相がこの日も釈明に追われた。
また、森友学園が運営する「塚本幼稚園」(大阪市淀川区)の運動会で、安倍首相を称賛したり、中国や韓国を非難したりする内容の選手宣誓を園児にさせていたことが、大西健介氏(民進党)によって紹介され、安倍首相は「適切ではない」と述べた。
やりとりの概要は、以下の通り。
テレビ東京が公開した映像によると、安倍昭恵氏は2015年9月、森友学園が運営する「塚本幼稚園」で、籠池園長とともに保護者の前に現れ、「教育講演会」と書かれた壇上に上がった。
『安倍昭恵氏』
籠池園長、副園長の熱い思いを聞いて、この瑞穂の国記念小学院で、何か私もお役に立てればいいなあと
『安倍昭恵氏』
こちらの教育方針は大変、主人も素晴らしいと思っていて
『安倍昭恵氏』
先生からは「安倍晋三記念小学校」という名前にしたいと当初は言っていただいてたんですけども、主人が「総理大臣というのは、いつもいつもいいわけではなく、時には批判にさらされることもある」「もし名前をつけていただけるのであれば、総理大臣を辞めてからにしていただきたい」ということで
2017年2月23日の衆院予算委員会で、安倍首相はこう答弁していた。
『安倍晋三首相』
妻は、講演の前の待合室で名誉校長になってくださいと言われたが断っていた。しかし、突然その場で籠池さんからそのように紹介され、拍手をされた。
『安倍晋三首相』
その場で「お引き受けできない」と言うことはできなかったわけであります。
『安倍晋三首相』
その後、これはお引き受けできないとお話ししたが「父兄の前でああおっしゃったのだから引き受けてもらわないと困りますよ」ということで引き受けた。その後、先方から何ら説明もなかった。 
やっぱり思想的に共鳴! 2017/3/2
 森友学園・籠池理事長の娘が安倍首相のブレーン団体のシンポジウムで講演の予定
安倍夫妻の関与が疑われている学校法人森友学園の国有地格安払い下げ問題。安倍首相はいまごろになってまるで森友学園や理事長の籠池泰典氏が「何の関係もない学校、一面識もない団体」であるかのように弁明しているが、これはとんでもない大ウソだ。実際、ここにきて、森友学園や籠池理事長が、安倍首相の極右ネットワークの一角を形成していることを証明する事実が発覚した。
いま、ネット上に「シンポジウムin芦屋 これからの歴史教育を話し合おう」と題された一枚のチラシの画像が出回っている。これは、「日本の歴史文化研究会」なる団体の主催のもと、今月3月19日に兵庫県芦屋市で催される「第50回記念講座」の告知だ。そこで「パネリスト」として記載されている人物のひとりに、聞きなれた苗字が見当たる。籠池町浪(ちなみ)氏。肩書きは「瑞穂の国記念小學院準備室長」。そう、彼女は籠池理事長の娘で、塚本幼稚園の教頭も務めている人物である。
この期に及んで、人前で教育論を語ろうという厚顔無恥ぶりもすごいが、ポイントは、このシンポの共催団体だ。そこには「日本教育再生兵庫」とある。これは、日本教育再生機構の地域組織だ。日本教育再生機構といえば、新しい歴史教科書をつくる会から分派した団体。子どもたちに愛国心を押し付ける道徳教育の充実を掲げ、歴史改竄主義の育鵬社歴史教科書の採択運動を展開するなど“極右教育”を推進している。理事長は、あの八木秀次麗澤大教授だ。
八木氏といえば、ご存知、安倍首相の“極右教育政策”におけるブレーン中のブレーン。安倍政権のもとで首相の諮問機関「教育再生実行会議」の委員を務め、昨年、官邸が生前退位の有識者会議ヒアリングメンバーにもねじ込んだ日本会議系の学者である。実際、安倍首相自身、2012年に日本教育再生機構が主催した大阪での集会に出席しているのだが、実はこのとき松井一郎大阪府知事も参加しており、安倍首相と維新の蜜月を支えるのに一役買っているとも言われている。
その安倍首相の息がかかった集会で、何が行われるのかは明白だ。シンポのお題目は「これからの歴史教育を話し合おう」だが、これはつまり、南京事件や慰安婦などの歴史を否定する運動の一環であり、そこで森友学園に見られるような極右洗脳教育が宣伝されるのは火を見るより明らかだ。
事実、森友学園は、塚本幼稚園の運動会で園児に「日本を悪者として扱っている中国、韓国が心あらため、歴史教科書で嘘を教えないようお願いいたします」と言わせているし、町浪氏自身、「別冊正論」(産経新聞社)27号のインタビューでこのように語っていた。「左の人は(教育)勅語を先の大戦に結び付けて軍国主義を思わせようとします。でも、教育とは結局は勅語の十二徳目に行き着きます。(略)日本では日教組など左翼勢力が教育勅語や国旗を敵視、否定するのは、日本人のまとまりを阻害し、日本を弱体化させることが真の狙いなのではないでしょうか」
まいどのことながら、この種のネトウヨ並みの妄想も大概にしてほしいが、ようするに、籠池氏の娘が安倍首相の息のかかった極右教育団体に関与している事実は、森友学園が安倍首相の極右人脈と完全に一体化していることの証左だろう。
しかも、この集会には籠池氏の娘のほかにもう一人、見逃せない人物が参加を予定している。兵庫7区選出の自民党・山田賢司衆議院議員だ。山田議員は2012年の衆院選で安倍チルドレンとして初当選。14年8月に行われた自民党のヘイトスピーチ対策等に関する検討PT初会合では、こんなトンデモ&ヘイト発言で注目を浴びた。
「国連に“チンコロ”しているのはどんな団体か。ネットで調べると、ほとんどが朝鮮総連など朝鮮系の団体だ」「右翼車両よりもむしろ左翼のほうがうるさい。取り締まりや、排除をすべきではないか」
安倍首相のブレーンが実質的に仕切る集会に、籠池理事長の娘と安倍チルドレンが仲良く参加……。やはり、今回の国有地問題は、安倍首相が印象づけたいように「私たちはたまたま名前を利用されただけの被害者」という話ではありえないのである。
森友学園問題で、安倍首相は尻尾切りと口封じに必死だが、騙されてはならない。安倍首相を個人崇拝し、ヘイトと軍国教育をぶちまける幼稚園の問題は、安倍首相の極右思想が実を結び、この国がグロテスクなファシズムに覆われていることの象徴的な“事件”である。安倍首相の極右教育ネットワークも含め、今後もこの問題を徹底追及していく必要がある。
森友学園ネタ 「どの新聞がどう報じないか」を読む密かな愉しみ 2017/3/3
それにしても『安倍晋三記念小学校』という字面は何度読んでも強烈だ。
『三波伸介の凸凹大学校』以来のインパクトである。
懐かしのバラエティー番組は置いといて、「森友学園」ネタが盛り上がっている。2週間前にはこんな書かれ方だった。
《少し前まで政治家や中央官庁が名前を連ねるニュースならば「こんなおいしいものはない」とばかり各紙社会部が飛びついてスクープ合戦を繰り広げたものだ。大阪ではニュースになっているようだが、東京では伸び悩みだ。》(「日刊スポーツ」「政界地獄耳」2月18日)
この社会面コラムタイトルは「首相の疑惑追及なぜ伸び悩む」。
野次馬的な新聞の読み方を推奨したい私としては「なぜ報じないのか!」と怒るのもいいけど、「どこが報じないのか?」とニヤニヤして読み比べることもオススメしたい。
「とりあえず取り上げました」感がすごい読売新聞
例をあげよう。安倍政権を支持している(と思える)「産経新聞」「読売新聞」の報じ方がとにかく面白いのだ。
森友学園ネタの初出は2月9日の「朝日新聞」。「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」。
「読売新聞」が報じたのはその9日後。
2月18日に「国有地売却で首相『関係していたら辞める』」と初めて報じ(東京版)、その次は6日後。「国有地 8億円安く売却 評価額より 大阪の学校法人に」(2月24日)。
国会で議論になったので「とりあえず取り上げました」感がすごい。
産経新聞は2月18日に「国有地売却 差額に波紋」と社会面(東京版)で初出し。そのあと森友学園絡みで目立って面白かった記事が、「民進、公聴会サボる」(2月23日)。
《民進党の辻元清美、玉木雄一郎両衆院議員が21日に開かれた衆院予算委員会の中央公聴会を“無断欠席”していたことが22日、分かった。(略)大阪府豊中市の国有地が学校法人「森友学園」に売却された問題の「追及チーム」メンバーとして現地を視察していた。》
そ、そこ!?
こういう切り口での「森友学園」の登場の仕方だった。読み比べの醍醐味である。
首相の「意向」と「威光」、そして「忖度」
私は前々回のこのコラムで「安倍首相の"朝日に勝った"発言」を取りあげた。最近の朝日は元気がないのでは? とも書いた。今回の森友学園ネタは"朝日の逆襲"にも思える。新聞好きとしてはウオッチしたい展開だ。
安倍政権を支持する新聞と批判的な新聞。私はどちらがあってもいいと思う。どちらも読むと違いが浮き彫りになって便利だからだ。たとえば「今、政権側にとって何が厄介なのか」は、むしろ親政権側の新聞を読んだ方がわかる。他と比較してあまり報じられていないものに注目すればよいのである。それが現在は森友学園ネタなのだ。
さて、この森友学園問題。最大の興味は「首相の関与があったのか、なかったのか」。
首相は先月17日の衆院予算委員会で「妻が名誉校長になっているのは承知している。私や妻が(売却に)関係していたとなれば、首相も国会議員も辞める」と述べた。
ここで、読み方が同じ2つの漢字をあげたい。「意向」と「威光」。
首相が関与していればもちろん「意向」。これは無いと首相は否定している。
では、誰かが首相の「威光」を利用したことは無かったのか?これが私にとっての興味である。
さらに言えば、ここ数年「忖度(そんたく)」というキーワードがよく出てくる。
2014年11月、安倍首相がTBSの『NEWS23』に出て「街の声」が偏っているとイラッとするや、数日後に自民党から在京のテレビ局に(この後おこなわれる)衆議院選挙は「中立公平に報道すべき」という要望書がおくられた。
これは首相の「意向」かもしれないし、周囲の「忖度」かもしれない。そのあとテレビ局がビビったことを考えると「威光」はあったと思える。
(※現在のテレビの選挙報道姿勢については「真の争点に焦点を合わせ、主張の違いを浮き彫りにする挑戦的な番組が目立たず、残念」という見解が出た。「選挙報道の公平性、量で判断せず BPOが初見解」「日本経済新聞」2月7日)
果たして今回、同じ構図(意向、威光、忖度)が森友学園に対してあったのか、なかったのか。冒頭で紹介した記事のように「こんなおいしいものはない」と新聞が活気づかなければウソだ。
最後に言うと、「安倍晋三記念小学校」で気になるのは教育勅語でも国粋主義でもなく、国語の授業で「云々」を「でんでん」と読ませるのか? という点です。
とても気になります。 
安倍首相「妻のことだからムキになっているかも」 野党の追及に猛反論 2017/3/7
大阪の学校法人「森友学園」(籠池泰典理事長)の国有地取得の経緯や新設される小学校の名誉校長に安倍昭恵・首相夫人が就任していたことをめぐり、民進党など野党は3月6日、参院予算委員会の集中審議で安倍晋三首相や財務省・国交省などを追及した。
この日質問に立った民進党の福山哲郎議員は、森友学園が新設を予定している小学校校舎について、これまでに国が5640万円の補助金を交付していることを指摘。建築物の木造化を図る国交省のプロジェクトで支援対象となっていた。
福山氏は「この建物は、認可が下りなければ解体して原状回復」になる場合もあると、この支出を問題視。
また、平成29年度年の予算案に国有地の売買代金が計上されていないと指摘。「国の収入で入るべきものが予算書に何も記載がない。歳入欠陥になるのでは」と、見積もった国交省を追及した。
これに対し、国土交通省の佐藤航空局長は以下のように回答した。
「空港整備勘定の歳入は、テロや感染症などが発生した場合には空港使用料収入が大きく減少し、歳入欠陥となるリスクがある。土地売却収入等の自己財源については、従来より収入を堅く見積もることにしている」
「本件土地については、収入を堅く見積もる観点を踏まえ、売却代金は10年分割払いとされているが、契約上は前払いが可能であり、平成28年度中に全額が支払われる可能性があることから平成29年度予算には記載されていない」
加えて、石井国交大臣も「予算案を作ったときは森友学園の問題は全く浮上していない」「従来からのやり方に応じて、歳入は堅く見積もる原則に基づいてやっている。年度途中で実際に収入が入った場合は、決算で反映させる。従来から同じやり方をやっている」と答弁した。
これに対し、福山氏は「堅く見積もって歳入に入れないというのは、誰が判断するのか。予算書は、役人のそれぞれの部局で恣意的に決めて歳入の数字が固まるのか」「もともとの契約書で合意されているものを抜いておいて、3月には入るかもしれないと。予算書が信用できない」「歳入欠陥だ。こんな馬鹿げた行政手続きがありますか」と厳しく追及。
政府・自民党が参考人招致に応じないことについても、「全く解明する気がない」と強く批判した。
福山氏「近畿財務局、財務省が忖度するでしょう」
 安倍首相「昭恵の名前は印籠じゃない」
また福山氏は、「本当はご家族のことを言いたいタイプではないのですが…」と述べた上で、「昭恵夫人に恥かかせたのか、安倍首相に恥をかかせたのか、近畿財務局だって、財務省だって、忖度(そんたく)するでしょう」と、昭恵氏が新設予定の小学校の名誉校長に就いていたことで、国有地の売買などに影響を与えたのではないかと問うた。
これに対し、安倍首相は「名誉校長に安倍昭恵という名前があれば、印籠みたいに恐れ入りましたと、なるはずがないんですよ」と反論。山本一太・予算委員長が「簡潔に答弁を」と諭される場面もあった。その後、安倍首相は「私と妻がまるでかかわっているかのごとく、まるで大きな不正、犯罪があったかのごとく言うのは大きな間違いだ」と、色をなして強く述べた。
これに対し、福山氏は「私は『昭恵夫人は被害者かもしれない』と申し上げたんです。犯罪者扱いなんかしていない。それこそ印象操作だと私は思いますよ。何をそんなムキになっているんですか?」と返した。
その後の質疑でも共産党の辰巳孝太郎議員から「なにムキになっているんですか」と問われた安倍首相は、「若干、妻のことだからムキになっているかもしれないが、私や妻が許認可に関わったかのごとく印象を与えるのはどうかと思う。それを前提に質問するのは遺憾だ」と、野党の質問姿勢を批判した。
自民党、森友学園の籠池理事長の参考人招致を拒否
自民党の松山政司・参院国対委員長は7日、民進党の榛葉賀津也・参院国対委員長と国会内で会談。野党が求めている籠池泰典理事長らの参考人招致を拒否した。共同通信などが報じた。
松山氏は「違法性はなく、現時点で参考人招致は必要がない」と主張。これに対し、榛葉氏は「納得できない」として、引き続き招致を迫る構えだと時事ドットコムは伝えている。
野党は籠池氏のほか、国有地払い下げの交渉時に財務省の理財局長だった迫田英典・国税庁長官、近畿財務局長だった武内良樹・財務省国際局長らの招致も要求している。
国会招致拒否の自民に国民唖然 もう逃げ切りは通じない 2017/3/10
揉みくちゃにされながら、9日、報道陣150人を相手にぶら下がりに応じた「森友学園」の籠池泰典理事長。あれが教育者か――と呆れ返った国民も多いはずだ。
「教育勅語のどこが悪い」「報道は無礼千万」「立派な人材をつくる教育は、もう少し温かい目でみるべきだ」と、質問には答えず、言いたいことを一方的にまくし立てた。なぜか、朝日新聞を目の敵にしていた。その揚げ句、まるで自分は被害者だとばかりに、今回の疑惑発覚について「これは4年ほど前から仕組まれてきたことだ」と、理解不能のことを口走る始末である。いったい誰が4年もかけて仕組むというのか。国有地を8億円も安く入手したのも、幼児に教育勅語を暗唱させているのも、自分がやったことではないか。安倍首相を応援するネトウヨは、朝日新聞を敵視し、妄想と謀略史観に取りつかれた連中が多いが、ほとんど籠池理事長も同じ発想である。
籠池理事長は日本最大の右翼組織「日本会議」の主要メンバーだが、しょせん「日本会議」も、このレベルということか。
それにしても、この男は、デタラメのオンパレードだ。ウソにウソを重ねている。
問題の国有地に建設している小学校の「建築費」まで、役所に虚偽申請していた。〈国交省には23億8400万円〉〈関西エアポートには15億5000万円〉〈大阪府には7億5600万円〉と申請。補助金や助成金がもらえる「国交省」と「関西エアポート」には少しでもカネを多く手にしようと高く、逆に財務内容を問われる「大阪府」には低く申請していたのだから、デタラメにも程がある。
さらに、経歴まで偽っていた。
本当は「関西大商学部卒、奈良県庁入庁」なのに、「関西大法学部卒、旧自治省入省、奈良県庁出向」と大阪府に届け出ていた。こうなると、もう教育者ウンヌン以前の問題である。

どうして、こんな男に国有地が8億円もディスカウントされて払い下げられたのか、本当に政治家の関与はなかったのか。国民の疑問はまったく解消されていない。
真相を解明するには、籠池本人を国会に呼び、話を聞くしかない。日経電子版の調査でも、70%が「国会に参考人招致すべきだ」と答えている。これだけ疑惑が噴出しているのだから当然である。
ところが、安倍政権は「民間人の招致は慎重であるべきだ」などと拒否しているのだから、どうしようもない。国民の財産である「国有地」が8億円も不当に安く売り払われたのである。国会が事実を解明するのは当たり前ではないか。「民間人だから」という屁理屈は通用しない。
それでも安倍自民党が籠池理事長をかばい、参考人招致を拒否しているのは、同じ穴のムジナだからだ。安倍首相は一度は籠池理事長のことを「私の考え方に共鳴している方」と同志だと認めている。もともと、政権の支持基盤である「日本会議」を通じて、安倍首相と籠池理事長は、理想の国家観を共有する仲間同士である。
「安倍政権が国会招致を拒否しているのは、籠池理事長を国会に呼んだらなにを口にするか分からないと恐れているからでしょう。と同時に、安倍首相も多くの自民党議員も、籠池理事長の教育方針を悪いと考えていないのだと思う。その象徴が、教育勅語に対するスタンスです。多くの国民は、籠池理事長が園児に教育勅語を暗唱させることに強い違和感を覚えている。教育勅語の本質は、いざとなったら天皇のために死ね、だからです。国家総動員体制を正当化するために利用され、戦争につながった。子どもに道徳を教えるのなら他のテキストを使えばいい。ところが、稲田防衛相は『日本が道義的国家を目指すその精神は取り戻すべきだ』と国会答弁で教育勅語を称賛している。自民党全体が籠池理事長の教育方針にシンパシーを感じている裏返しでしょう」(立正大名誉教授・金子勝氏=憲法)
いまや自民党議員約240人が「日本会議」の国会議員懇談会に名を連ね、閣僚の大半がメンバーである。これでは「日本会議」の幹部である籠池理事長の国会招致に動くはずがない。
国民は逃げ切りを許さない
どんなに野党が「国会招致」を要求しようが、安倍自民党は籠池理事長の招致を拒否するつもりだ。
これまで、小渕優子や甘利明など大臣のスキャンダルが浮上しても支持率が下落しなかった安倍首相は、森友問題も、参考人招致を拒否しつづけていれば、いずれ世間は忘れると計算しているらしい。
しかし、逃げ切れると思ったら大間違いだ。この疑惑は、小渕や甘利が辞任した「政治とカネ」の疑惑とは、次元が違う話だからだ。
安倍政権が右翼組織「日本会議」と深くつながっていることや、稲田朋美を筆頭に「教育勅語」を礼賛する自民党議員が多いことがバクロされ、国民の政権を見る目は確実に変わりつつある。最新の日経電子版の世論調査は、「内閣を支持する」36%、「支持しない」63%と逆転している。
「幼児が運動会の選手宣誓で『安倍首相ガンバレ』『安保法案、国会通過よかったです』と籠池理事長に言わされている映像を見て、心ある国民は、こんな時代錯誤の教育をしている学校法人があるのかと衝撃を受けたはずです。しかも、安倍首相の昭恵夫人が新設小学校の名誉校長に就き、なぜか国有地が8億円も値引きされて払い下げられている。そのうえ、官僚は『資料は破棄した』の一点張り。どんな国民だって『これはおかしい』『なにか裏にある』と分かりますよ。国会で多数を握っている安倍首相は、これまで同様、強行突破すればいいと考えているようですが、国民は真相が解明されるまで、疑惑を忘れることはありませんよ」(金子勝氏=前出)
これまで安倍官邸の顔色をうかがってばかりいた民放各社が「森友学園」問題を一斉に報じているのは、視聴率が取れるからだ。それだけ国民の関心が強いということである。今度ばかりは、安倍自民党の逃げ切りシナリオは通用しない。
籠池理事長を呼べば安倍政権は崩壊へ
こうなったら、野党は絶対に腰砕けになったらダメだ。ここで安倍政権を倒せなかったら、民進党が政権を奪取することは永遠にない。そう思うべきだ。
政治評論家の本澤二郎氏が言う。
「鑑定価格9億5600万円の国有地が、わずか1億3400万円という不当な安値で払い下げられていた最大の疑惑は、極右思想を共有する仲間内で国有地が私物化されていたのではないか、ということでしょう。安倍首相が『腹心の友』と呼ぶ極めて親しい加計孝太郎氏が理事長をつとめる『加計学園』が新設する大学にも広大な市有地が無償で譲渡されている。大手メディアには、こうした視点がありませんが、鋭い国民は『なにかおかしい』『仲間うちでおいしい思いをしているのではないか』と疑いはじめている。野党が国民の支持を得るのは、いましかない。国民の立場に立って、安倍政治のカラクリを徹底的に追及すべきです」
籠池理事長を国会に呼び、洗いざらい話させれば、安倍政権はガタガタになるに違いない。それほど、この疑惑の闇は深い。安倍1強体制は崩壊に向かいつつある。 
森友疑惑の元凶は復権をかけた安倍ポチ財務官僚の忖度? 2017/3/13
奇々怪々の森友学園問題の元凶は何なのか。小学校予定地を視察した小沢一郎・自由党代表はこう語った。
「地中のゴミの含有率など不可解な算定で、お役所仕事とは思えない前例のないスピードで進んでいる。政治家の関与などの背景があったはずだ」
背景と言えば籠池氏と安倍首相夫妻、稲田防衛相夫妻などとの“交友”が思い浮かぶが、それだけではない。実は、国有地払い下げの手続きが進められた2014〜16年ごろは、消費増税をめぐる政争で財務省がかつてないほど“惨敗”していた時期だ。ジャーナリストの山田厚史氏はこう分析する。
「安倍官邸に対して恩を売って巻き返しを図りたいという意思が働いた可能性は十分に考えられる」
“消費増税”による財政再建が宿願の財務省は、経産省主導の安倍政権下で苦杯をなめ続けてきた。安倍首相は14年11月、消費税率の8%から10%への引き上げを1年半延期すると表明した。16年6月にも「新しい判断」と称して増税をさらに2年半再延期。このときは麻生太郎財務相や稲田朋美政調会長(当時)らが「衆院を解散して信を問うべき」と主張して首相と対立した。
こうした攻防の水面下では、財務官僚が政治家に必死の“レク攻勢”をかけていたという。財務省関係者がこう語る。
「安倍首相が外遊に出かけるとき、麻生財務相と財務官僚が飛行機に乗り込んでまでレクをしていた。稲田氏の元へも官僚が頻繁に通って説得し、結果として彼女は増税派に傾いたと言われています」
劣勢の財務官僚が省を挙げて政権に取り入ろうとしていたときに、森友学園の案件が近畿財務局に持ち込まれていたのだ。官僚の“忖度”が最大限発揮されたことは想像に難くない。
「15年7月から16年6月まで財務事務次官だった田中一穂氏は第1次安倍政権で経産省出身の今井尚哉氏と共に首相秘書官を務めた人物。今、菅義偉官房長官と共に官邸を牛耳る今井氏に対抗するため、安倍首相の意向を忖度しまくる。“御用聞き”にならざるを得なかった。また、当時の理財局長だった迫田英典氏は安倍首相と同じ山口県出身で、国税庁長官に出世しました」(前出の財務省関係者)
小沢氏とともに森友学園を視察した森ゆうこ参院議員(自由党)がこう語る。
「最後は官僚が“トカゲのしっぽ切り”で責任を押し付けられるかもしれない。視察のとき、近畿財務局の担当者らに『最後は死人が出ますよ』と話したら、本気で怖がっていました。公的な記録が破棄されても官僚は必ず“メモ”を残している。真相が闇に葬られる前に早く表に出してほしい」 
森友学園問題の真相は財務省による「忖度」ではないか 2017/3/14
学校法人「森友学園」(大阪市)が大阪府豊中市の国有地を評価額より大幅に安く取得した問題で、森友学園が小学校の設置認可を求めた申請を取り下げた。学園理事長の籠池泰典氏は、理事長を退任する意向を示したが、国有地売却を巡る「政治家の関与」は否定した。
14億円相当の国有地が実質200万円で売却された不可解な経緯に、政治家の関与があるのではないかと、野党は厳しく追及してきた。森友学園の要望が次々と実現した背景に、政治家の口利きがないというのはあり得ないとする見方が広がる一方で、それを示す確たる証拠は未だに出てきていない。安倍晋三首相は「私と家内、事務所も一切関わっていないと申し上げた。もし関わっていたら私は政治家として責任を取る」と明言している。
本稿は、安倍首相など閣僚級の政治家の関与はなかったのだろうと考える。むしろ「安倍首相に近い」とされる保守系の団体からの強い要求を、財務省が首相の意向を「忖度」して認めていったように思われる。しかし、安倍首相を支持しているとされる保守系の団体が、日本社会で不思議な影響力を持っているとするならば、それは「政治家の口利き」のような単純な話よりも、はるかに根が深く、嫌な問題になってくるのではないだろうか。
地方レベルの「政治家と保守系団体」の日常の付き合いとは
森友学園と政治家が、実際にどこまで接触していたのかを推測してみるところから始めてみたい。一般的に考えて、日常レベルで様々な接触があったと考えるのが自然だ。日本の地方政治の日常を見れば、運動会など学校行事等に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すのはよく知られていることだ。特に、自民党や維新の会のような「保守」であれば、一応思想的にも近い。塚本幼稚園に顔を出し、「教育方針が素晴らしい」などリップサービスを交えた来賓祝辞もしていた政治家がいたことは、容易に想像できることである。
筆者は、大学のキャンパスが大阪にあるので、大阪の地方自治体・議会と若干なりとも交流がある。そこで、「維新の会」についての話を聞くことがある。ご存じの通り維新の会は、「既得権打破」「二重行政打破」を強く主張したきた。一方、「日本会議」のような、いわゆる「新しい保守」系の団体は、最近までいわば「マイナー」な組織に過ぎなかった。そういう意味で、同じくマイナーな存在同士であった、維新の会の地方議員と接近するのは容易に想像できる話だろう。
維新の会は地方レベルではいろいろなバックグラウンドを持つ議員がいる。自民党から維新に移ったコテコテの「土建屋政治家」の古株議員もいれば、若手には、流行りの言葉でいえば「オルタナ右翼」のようなレベルの議員も少なくないようだ。彼らと「新しい保守」系の団体とは、思想的な親和性もあり、互いに警戒することはほとんどなく、むしろ惹かれ合うように接近していったように思われる。
今回の件で、橋下徹元大阪市長や松井一郎大阪府知事など、維新の会のトップレベルと森友学園の深い関係が噂されている。しかし、それは松井知事の「面識がある程度」という説明を、素直に受け取っていいのではないだろうか。むしろ、それ以前の現場レベルでの、日常の付き合いがかなり密接にあったと考えるほうがいい。
地方政治家、鴻池氏、近畿財務局は動かず財務省理財局で土地取得は決められた
しかし、そんな日常的な付き合いが割と気楽に続いているうちに、森友学園側が「小学校を設置したい」と、いろいろな政治家に言い出すようになった。最初は地方議員に陳情を繰り返し、話がなかなか進まないと鴻池祥肇元防災担当相のような国会議員に陳情をしていったということだ。「学校の認可・設置に関する政治家への陳情」というだけならば、どこの地方でもよくあることで、「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」程度のことなら、別に珍しい話ではないだろう。ただし、今回はそれとは別次元の、土地取得に関するあまりに不可解な話がある。これについては、よくある話と片付けるわけにはいかないものである。
今回の件に関しては、鴻池事務所に対する籠池理事長の「陳情報告書」の記録が出てきている。そこには、鴻池元防災相の元秘書・黒川治兵庫県議会議員(自民党)や、中川隆弘大阪府議会議員(維新の会)らの名前が出てくる。彼らは、再三再四に渡って、籠池理事長から「鴻池事務所につないでほしい」と依頼を受けていた。そして、「相談に乗ってあげてよ」という形で、鴻池事務所につないだという。ここまでは、まだ通常の陳情の範囲内だ。
しかし、2016年3月に森友学園が、杭打ち工事を行う過程で新たな地下埋蔵物が発見されたことをきっかけに、資金不足のために土地を賃貸することから、突然購入に方針転換してからは、陳情攻勢のしつこさが尋常ではなくなった。報告書には、「うちはコンサル業ではありませんので」「うちは不動産屋と違いますので。当事者同士で交渉を!」「どこが教育者やねん!」「大阪府の担当者は、土地以外の(生徒募集)を一番懸念されているようですが」などと、籠池理事長のあまりにしつこい陳情に、鴻池事務所が呆れかえっていた様子が記されていた。
そして、籠池理事長は、要求に応じない近畿財務局を飛び越えて、財務省理財局を訪れて直談判に及んだ。その際、理事長は鴻池事務所にアポ取りを依頼したが、断られていた。しかしノーアポで理財局に乗り込み、ゴミ処理代を8億1900万円とする内諾を得て、評価額9億5600万円の国有地を、1億3400万円で購入したのである。
要するに、籠池理事長は地方・国の様々な政治家に接触し、近畿理財局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。理事長が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのである。つまり、地方議員も鴻池元防災相も、ルールに従って事務的に対応していた近畿理財局を動かすことはできなかったのだし、そもそも動かす気がなかったように思われる。全ては財務省理財局で決められたのであり、そこに政治家の関与、それも鴻池元防災相を超える「大物」が関与したかに焦点が絞られることになる。
安倍首相があえて保守系学校法人の土地取得に関与するとは考えられない
要するに、突き詰めると「安倍首相夫妻が森友学園の土地取得に関与していたか」が焦点となるわけだ。しかし、筆者は「現時点では」安倍首相夫妻の直接的関与はなかったと考えている。安倍首相は、第一次政権(2006年9月〜2007年9月)をわずか「365日」の短命政権に終わるという失敗を経験している。その一因は、「年金未納問題」や度重なる閣僚の「スキャンダル」などで支持率が低下し、求心力を失ったからだ。筆者は、スキャンダルが頻発したに背景には、「教育基本法改正」など、首相が保守的な信念を貫こうとして、左翼勢力を本気で怒らせたからだと考えている。
安倍首相は、2012年12月に政権復帰するにあたって、この第一次政権期の失敗から様々な教訓を得ていた(本連載2015.3.5付)。それは、政敵に隙を与えないために、「守り」を固めるということだ。例えば、首相は、自身の保守的な思想信条を表明するのに、非常に慎重である。もちろん、「特定秘密保護法」(2013.12.6付)、「安保法制」(2015.9.19付)など、「やりたい政策」を実現してきた。それでも、「アベノミクス」による経済重視を打ち出して、愚直に政策実現を目指した第一次政権期と比べれば、相当に慎重に振る舞ってきたのだ(2014.12.18付)。
そんな慎重な安倍首相が、保守系の学校法人の土地取得に関与するなど、危ない橋を渡るはずがないと思うのだ。本人ではなくても、スタッフが関与したというかもしれないが、本人以上にスタッフが慎重なはずで、ありえないことだ。もし本当に関与しているならば、即刻「内閣総辞職」に値する愚行であろう。
従って、森友学園が「安倍晋三記念小学校」という名称を使って寄付集めをしたことに抗議したことや、「何度も何度も断ったのに、しつこかった」という首相の国会での説明は、嘘を言っていると決めつけることはできないと思う。日頃の首相の慎重な行動から理解できる範囲のものだ。
一方、安倍昭恵夫人が、森友学園の小学校の名誉校長に就任し、講演会でその教育方針を賛美したことは、軽率であったと言わざるを得ない。しかし、擁護するわけではないが、端的に言えば、夫人が世間知らずで「天然ボケ」のお嬢様だったというだけの話だ。これも一般論になるが、政治家やその関係者に講演や取材の依頼は日々いろいろ来るものである。事務所は、相手の思想信条などあまり考慮せずに引き受けることはある。逆に、依頼を断るのは案外に難しいものである。
そして、講演になれば、目の前に座っている人たちに、ある種の「リップサービス」をすることはよくあることだ。例えば、首相・閣僚レベルでも、有名な森喜朗氏の首相在任時の講演での発言「日本は神の国」や、麻生太郎財務相が「ナチスの手口をまねたらどうかね?(会場から笑いが起こった)」と口が滑ったりしたような話である(2013.8.30付)。
それは、森氏や麻生氏が時代錯誤なとんでもない思想信条の持ち主だというより、その言葉だけ取り上げず、講演の前後の文脈も併せて聴けば、目の前の人を単純に笑わせただけだとわかる。安倍夫人の発言も、そういう類の話で、「今後気を付けてください」という厳重注意で済む話だ。それが直ちに、首相夫妻の土地取得やその他の便宜への関与の証拠というわけではない。「アッキード事件」というのは、明らかに限度を超えているだろう。
保守派は影響力があるという「空気」を断ち切らなくてはならない
そうすると、誰が関与して森友学園の国有地取得が実現したのかだが、基本的には政治家は誰も「口利き」はしていないのではないだろうか。財務省理財局が、籠池理事長の直談判を自らの判断で受け入れてしまったのだ。要は、籠池理事長が安倍首相と「近い関係にある」と思い、安倍首相の意向を「忖度」して、理財局の判断だけで話を通してしまったのではないだろうか。
これも一般論から入りたいと思うが、日本社会では、「うるさい人」がやってきたら、いちいち理屈で抵抗しないで、できるだけ触らない、関わらないということで話を通してしまうということがよくある。まして、権力を持つ人がバックにいるとなれば、なおさらである。
籠池理事長が財務省理財局に直接乗り込んできて、「安倍首相がバックにいる」とか、あることないことを言って圧力をかけたことは容易に想像できる。理財局からすれば、本当に首相がバックにいるのかどうかはわからない。しかし、杓子定規に断った後で、本当に首相が出てきたら面倒な話になってしまう。
麻生財務相が国会で「適切に処理した」と再三答弁しているように、国有地の売却自体は、財務省理財局の権限でできるもので、違法ではないのだろう。だから首相などに確認することもなく、通したということだろうか。それならば、至って「日本的な話」だということになる。
しかし、もう一歩踏み込んで考えると、話はもっと深刻なものになるかもしれない。安倍政権が長期政権化していき、次第に首相が特定秘密保護法、集団的自衛権から共謀罪、そして憲法改正へと「やりたい政策」を着実に進めていくようになると、それを支持する「日本会議」など保守派が、なんとなく政界に影響力を持っているような「空気」が流れているように思える(2016.11.8付)。
前述のように、政治家は地方でも中央でも、日常の活動において、日本会議の関連など保守的な団体に「いい顔」を見せて、その思想信条を素晴らしいなどと「リップサービス」を繰り返すようになっている。その空気は、中央の官僚組織の中心である財務省までもが、強く感じるようになっているのではないだろうか。そして、安倍首相に何も頼まれているわけではないのに、きっと首相が望むことだと「忖度」してやったことだとすれば、物事は単なる「政治家の関与」よりも、より根深く、面倒なものになるのではないだろうか。
さらに言えば、籠池理事長と財務省が接触した時期は、安倍首相と財務省が「軽減税率」を巡って激しい攻防戦を繰り広げた後であった(2015.12.22付)。そして、首相がノーベル経済学賞の受賞者を官邸に招き、「消費増税延期のお墨付き」を得ようとした時期でもある(2016.4.12付)。財務省と首相の関係が悪化していた時期だったといえる。財務省が首相のご機嫌を取り、関係改善のために行ったことが、「首相を支持する保守的な団体の国有地取得に便宜を図ること」だったとすれば、大問題であろう。
おそらく、この問題は籠池理事長の辞任と、小学校の認可申請取り下げで、幕引きを図る方向に向かうのだろう。安倍首相など「政治家の関与」も、確たる証拠は出てこないだろう。しかし、野党は追及の手を緩めるべきではない。前回論じたように、この機会に、自民党と保守派の不適切な関係を絶たせるべきである(2017.2.28付)。単なる政治家のスキャンダルという以上のより深刻な問題が、日本社会の地方の現場レベルから、中央政界・官界にまで静かに広がりつつあることを、見逃すわけにはいかないのではないだろうか。 
森友事件の「忖度」が示す日本の変わらぬ「國體」 2017/3/14
森友学園の事件は国会で審議するような問題ではないが、稲田防衛相にも延焼して社会部ネタとしてはおもしろくなってきた。本丸の安倍首相は「もし関わっていたら私は政治家として責任を取る」と明言しているので、常識的には(少なくとも意図的には)彼は関与していなかったと思われる。
だが9億5000万円で取得した土地の「ゴミ処理代」が8億2000万円というのは、いかにも不自然だ。国有地を売却したのは財務省の理財局だが、これについて橋下徹氏が「財務省の忖度ではないか」という古風な表現をしていたのがおもしろい。『大辞林』によれば、忖度(そんたく)とは「他人の気持ちをおしはかること」で、その「他人」はかなり目上の人だ。この場合はもちろん首相である。
森友学園の籠池理事長は国有地を安く払い下げてもらうために理財局に直接かけあったようだが、そのとき「名誉校長」である安倍昭恵氏の名前を利用したことは想像に難くない。実際には首相との関係はなくても、理財局の担当者が首相の意図を「忖度」した可能性はある。財務省にしてみれば国家予算100兆円の中ではゴミのような案件で、うるさい右翼を黙らせる「口止め料」としては安いものだ。
この話を聞いて連想したのは、丸山眞男が引用した大正12年末の摂政宮狙撃事件のとき、関係者が責任を取ったエピソードである。
「内閣は辞職し、警視総監から道すじの警固に当った警官にいたる一連の「責任者」(とうていその凶行を防止し得る位置にいなかった)の系列が懲戒免官となっただけではない。犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、卒業した小学校の校長並びに彼のクラスを担当した訓導も、こうした不逞の輩をかつて教育した責を負って職を辞したのである(『日本の思想』)。」
ここで問われたのは、狙撃した犯人の刑事責任でもなければ、テロを防げなかった警備担当者の責任でもない。彼らを辞職に追い込んだのは、摂政(昭和天皇)や国民の怒りをおしはかる自発的な「忖度」の連鎖だった。
丸山はこの事件について「『國體』という名で呼ばれた非宗教的宗教がどのように魔術的な力をふるったかという痛切な感覚は、純粋な戦後の世代にはもはやない」と書いたが、こうした「忖度」は現代の日本にもある。「國體」を示す記号が、天皇から首相に変わっただけだ。このような「無限抱擁」に実定法で歯止めをかけることはきわめて困難だ。それを動かしているのは法を超える「空気」だからである。 
森友学園 籠池理事長を取材した作家「役人の手心で問題が」 2017/3/14
13日、インターネット上で森友学園の籠池理事長のインタビューを公開したノンフィクション作家が市民団体の集会に参加し、今回の問題について、「国や大阪府の役人が手心を加えていなければ問題は起きていなかった」と指摘しました。
このなかで、ノンフィクション作家の菅野完氏は、森友学園が運営する幼稚園で一部の保護者から「トイレを我慢するよう指導を受けている」といった苦情が寄せられたことについて、「実際に保護者を取材すると、子どもたちが日常的に虐待を受けていたことは明白だ」と指摘しました。
さらに、今回の問題については、「国や大阪府の役人が手心を加えていなければ問題は起きていなかったと思う」とみずからの考えを述べたうえで、「役人が法にのっとったプロセスを無視し、小学校の認可を無理に行おうとしたとしか考えられない。世論を敏感に察して対応を変える姿勢は、まさに全自動忖度(そんたく)機だ」と、国や大阪府の対応を批判しました。
森友学園問題の真相は財務省による「忖度」
学校法人「森友学園」(大阪市)が大阪府豊中市の国有地を評価額より大幅に安く取得した問題で、森友学園が小学校の設置認可を求めた申請を取り下げた。学園理事長の籠池泰典氏は、理事長を退任する意向を示したが、国有地売却を巡る「政治家の関与」は否定した。
14億円相当の国有地が実質200万円で売却された不可解な経緯に、政治家の関与があるのではないかと、野党は厳しく追及してきた。森友学園の要望が次々と実現した背景に、政治家の口利きがないというのはあり得ないとする見方が広がる一方で、それを示す確たる証拠は未だに出てきていない。安倍晋三首相は「私と家内、事務所も一切関わっていないと申し上げた。もし関わっていたら私は政治家として責任を取る」と明言している。
本稿は、安倍首相など閣僚級の政治家の関与はなかったのだろうと考える。むしろ「安倍首相に近い」とされる保守系の団体からの強い要求を、財務省が首相の意向を「忖度」して認めていったように思われる。しかし、安倍首相を支持しているとされる保守系の団体が、日本社会で不思議な影響力を持っているとするならば、それは「政治家の口利き」のような単純な話よりも、はるかに根が深く、嫌な問題になってくるのではないだろうか。
地方レベルの「政治家と保守系団体」の日常の付き合いとは
森友学園と政治家が、実際にどこまで接触していたのかを推測してみるところから始めてみたい。一般的に考えて、日常レベルで様々な接触があったと考えるのが自然だ。日本の地方政治の日常を見れば、運動会など学校行事等に地方政治家や国会議員が、選挙対策として顔を出すのはよく知られていることだ。特に、自民党や維新の会のような「保守」であれば、一応思想的にも近い。塚本幼稚園に顔を出し、「教育方針が素晴らしい」などリップサービスを交えた来賓祝辞もしていた政治家がいたことは、容易に想像できることである。
筆者は、大学のキャンパスが大阪にあるので、大阪の地方自治体・議会と若干なりとも交流がある。そこで、「維新の会」についての話を聞くことがある。ご存じの通り維新の会は、「既得権打破」「二重行政打破」を強く主張したきた。一方、「日本会議」のような、いわゆる「新しい保守」系の団体は、最近までいわば「マイナー」な組織に過ぎなかった。そういう意味で、同じくマイナーな存在同士であった、維新の会の地方議員と接近するのは容易に想像できる話だろう。
維新の会は地方レベルではいろいろなバックグラウンドを持つ議員がいる。自民党から維新に移ったコテコテの「土建屋政治家」の古株議員もいれば、若手には、流行りの言葉でいえば「オルタナ右翼」のようなレベルの議員も少なくないようだ。彼らと「新しい保守」系の団体とは、思想的な親和性もあり、互いに警戒することはほとんどなく、むしろ惹かれ合うように接近していったように思われる。
今回の件で、橋下徹元大阪市長や松井一郎大阪府知事など、維新の会のトップレベルと森友学園の深い関係が噂されている。しかし、それは松井知事の「面識がある程度」という説明を、素直に受け取っていいのではないだろうか。むしろ、それ以前の現場レベルでの、日常の付き合いがかなり密接にあったと考えるほうがいい。
地方政治家、鴻池氏、近畿財務局は動かず財務省理財局で土地取得は決められた
しかし、そんな日常的な付き合いが割と気楽に続いているうちに、森友学園側が「小学校を設置したい」と、いろいろな政治家に言い出すようになった。最初は地方議員に陳情を繰り返し、話がなかなか進まないと鴻池祥肇元防災担当相のような国会議員に陳情をしていったということだ。「学校の認可・設置に関する政治家への陳情」というだけならば、どこの地方でもよくあることで、「政治家が相談に乗る」「役所の担当者を紹介する」程度のことなら、別に珍しい話ではないだろう。ただし、今回はそれとは別次元の、土地取得に関するあまりに不可解な話がある。これについては、よくある話と片付けるわけにはいかないものである。
今回の件に関しては、鴻池事務所に対する籠池理事長の「陳情報告書」の記録が出てきている。そこには、鴻池元防災相の元秘書・黒川治兵庫県議会議員(自民党)や、中川隆弘大阪府議会議員(維新の会)らの名前が出てくる。彼らは、再三再四に渡って、籠池理事長から「鴻池事務所につないでほしい」と依頼を受けていた。そして、「相談に乗ってあげてよ」という形で、鴻池事務所につないだという。ここまでは、まだ通常の陳情の範囲内だ。
しかし、2016年3月に森友学園が、杭打ち工事を行う過程で新たな地下埋蔵物が発見されたことをきっかけに、資金不足のために土地を賃貸することから、突然購入に方針転換してからは、陳情攻勢のしつこさが尋常ではなくなった。報告書には、「うちはコンサル業ではありませんので」「うちは不動産屋と違いますので。当事者同士で交渉を!」「どこが教育者やねん!」「大阪府の担当者は、土地以外の(生徒募集)を一番懸念されているようですが」などと、籠池理事長のあまりにしつこい陳情に、鴻池事務所が呆れかえっていた様子が記されていた。
そして、籠池理事長は、要求に応じない近畿財務局を飛び越えて、財務省理財局を訪れて直談判に及んだ。その際、理事長は鴻池事務所にアポ取りを依頼したが、断られていた。しかしノーアポで理財局に乗り込み、ゴミ処理代を8億1900万円とする内諾を得て、評価額9億5600万円の国有地を、1億3400万円で購入したのである。
要するに、籠池理事長は地方・国の様々な政治家に接触し、近畿理財局にも掛け合ったが、国有地を安く購入することはできず、財務省理財局訪問のアポ取りさえ断られていた。理事長が理財局に直談判して、初めて森友学園の要求が通ったのである。つまり、地方議員も鴻池元防災相も、ルールに従って事務的に対応していた近畿理財局を動かすことはできなかったのだし、そもそも動かす気がなかったように思われる。全ては財務省理財局で決められたのであり、そこに政治家の関与、それも鴻池元防災相を超える「大物」が関与したかに焦点が絞られることになる。
安倍首相があえて保守系学校法人の土地取得に関与するとは考えられない
要するに、突き詰めると「安倍首相夫妻が森友学園の土地取得に関与していたか」が焦点となるわけだ。しかし、筆者は「現時点では」安倍首相夫妻の直接的関与はなかったと考えている。安倍首相は、第一次政権(2006年9月〜2007年9月)をわずか「365日」の短命政権に終わるという失敗を経験している。その一因は、「年金未納問題」や度重なる閣僚の「スキャンダル」などで支持率が低下し、求心力を失ったからだ。筆者は、スキャンダルが頻発したに背景には、「教育基本法改正」など、首相が保守的な信念を貫こうとして、左翼勢力を本気で怒らせたからだと考えている。
安倍首相は、2012年12月に政権復帰するにあたって、この第一次政権期の失敗から様々な教訓を得ていた(本連載2015.3.5付)。それは、政敵に隙を与えないために、「守り」を固めるということだ。例えば、首相は、自身の保守的な思想信条を表明するのに、非常に慎重である。もちろん、「特定秘密保護法」(2013.12.6付)、「安保法制」(2015.9.19付)など、「やりたい政策」を実現してきた。それでも、「アベノミクス」による経済重視を打ち出して、愚直に政策実現を目指した第一次政権期と比べれば、相当に慎重に振る舞ってきたのだ(2014.12.18付)。
そんな慎重な安倍首相が、保守系の学校法人の土地取得に関与するなど、危ない橋を渡るはずがないと思うのだ。本人ではなくても、スタッフが関与したというかもしれないが、本人以上にスタッフが慎重なはずで、ありえないことだ。もし本当に関与しているならば、即刻「内閣総辞職」に値する愚行であろう。
従って、森友学園が「安倍晋三記念小学校」という名称を使って寄付集めをしたことに抗議したことや、「何度も何度も断ったのに、しつこかった」という首相の国会での説明は、嘘を言っていると決めつけることはできないと思う。日頃の首相の慎重な行動から理解できる範囲のものだ。
一方、安倍昭恵夫人が、森友学園の小学校の名誉校長に就任し、講演会でその教育方針を賛美したことは、軽率であったと言わざるを得ない。しかし、擁護するわけではないが、端的に言えば、夫人が世間知らずで「天然ボケ」のお嬢様だったというだけの話だ。これも一般論になるが、政治家やその関係者に講演や取材の依頼は日々いろいろ来るものである。事務所は、相手の思想信条などあまり考慮せずに引き受けることはある。逆に、依頼を断るのは案外に難しいものである。
そして、講演になれば、目の前に座っている人たちに、ある種の「リップサービス」をすることはよくあることだ。例えば、首相・閣僚レベルでも、有名な森喜朗氏の首相在任時の講演での発言「日本は神の国」や、麻生太郎財務相が「ナチスの手口をまねたらどうかね?(会場から笑いが起こった)」と口が滑ったりしたような話である(2013.8.30付)。
それは、森氏や麻生氏が時代錯誤なとんでもない思想信条の持ち主だというより、その言葉だけ取り上げず、講演の前後の文脈も併せて聴けば、目の前の人を単純に笑わせただけだとわかる。安倍夫人の発言も、そういう類の話で、「今後気を付けてください」という厳重注意で済む話だ。それが直ちに、首相夫妻の土地取得やその他の便宜への関与の証拠というわけではない。「アッキード事件」というのは、明らかに限度を超えているだろう。
保守派は影響力があるという「空気」を断ち切らなくてはならない
そうすると、誰が関与して森友学園の国有地取得が実現したのかだが、基本的には政治家は誰も「口利き」はしていないのではないだろうか。財務省理財局が、籠池理事長の直談判を自らの判断で受け入れてしまったのだ。要は、籠池理事長が安倍首相と「近い関係にある」と思い、安倍首相の意向を「忖度」して、理財局の判断だけで話を通してしまったのではないだろうか。
これも一般論から入りたいと思うが、日本社会では、「うるさい人」がやってきたら、いちいち理屈で抵抗しないで、できるだけ触らない、関わらないということで話を通してしまうということがよくある。まして、権力を持つ人がバックにいるとなれば、なおさらである。
籠池理事長が財務省理財局に直接乗り込んできて、「安倍首相がバックにいる」とか、あることないことを言って圧力をかけたことは容易に想像できる。理財局からすれば、本当に首相がバックにいるのかどうかはわからない。しかし、杓子定規に断った後で、本当に首相が出てきたら面倒な話になってしまう。
麻生財務相が国会で「適切に処理した」と再三答弁しているように、国有地の売却自体は、財務省理財局の権限でできるもので、違法ではないのだろう。だから首相などに確認することもなく、通したということだろうか。それならば、至って「日本的な話」だということになる。
しかし、もう一歩踏み込んで考えると、話はもっと深刻なものになるかもしれない。安倍政権が長期政権化していき、次第に首相が特定秘密保護法、集団的自衛権から共謀罪、そして憲法改正へと「やりたい政策」を着実に進めていくようになると、それを支持する「日本会議」など保守派が、なんとなく政界に影響力を持っているような「空気」が流れているように思える(2016.11.8付)。
前述のように、政治家は地方でも中央でも、日常の活動において、日本会議の関連など保守的な団体に「いい顔」を見せて、その思想信条を素晴らしいなどと「リップサービス」を繰り返すようになっている。その空気は、中央の官僚組織の中心である財務省までもが、強く感じるようになっているのではないだろうか。そして、安倍首相に何も頼まれているわけではないのに、きっと首相が望むことだと「忖度」してやったことだとすれば、物事は単なる「政治家の関与」よりも、より根深く、面倒なものになるのではないだろうか。
さらに言えば、籠池理事長と財務省が接触した時期は、安倍首相と財務省が「軽減税率」を巡って激しい攻防戦を繰り広げた後であった(2015.12.22付)。そして、首相がノーベル経済学賞の受賞者を官邸に招き、「消費増税延期のお墨付き」を得ようとした時期でもある(2016.4.12付)。財務省と首相の関係が悪化していた時期だったといえる。財務省が首相のご機嫌を取り、関係改善のために行ったことが、「首相を支持する保守的な団体の国有地取得に便宜を図ること」だったとすれば、大問題であろう。
おそらく、この問題は籠池理事長の辞任と、小学校の認可申請取り下げで、幕引きを図る方向に向かうのだろう。安倍首相など「政治家の関与」も、確たる証拠は出てこないだろう。しかし、野党は追及の手を緩めるべきではない。前回論じたように、この機会に、自民党と保守派の不適切な関係を絶たせるべきである(2017.2.28付)。単なる政治家のスキャンダルという以上のより深刻な問題が、日本社会の地方の現場レベルから、中央政界・官界にまで静かに広がりつつあることを、見逃すわけにはいかないのではないだろうか。 
加計学園疑惑
岡山県に本拠を置く加計学園グループ。複数の大学、幼稚園、保育園、小中高、専門学校など様々な教育事業を配下に収める一大教育グループで、現理事長の加計孝太郎氏は、安倍首相の30年来の親友だ。
首相は加計氏のことを「どんな時も心の奥でつながっている友人、腹心の友だ」と、昭恵夫人は加計学園が運営する認可外保育施設の「名誉園長」を務めていた。
親友が経営する大学を、政府が国家戦略特区に定めて規制緩和。本来、認可されるはずのない新学部の設置を認め、約37億円の市有地がこの大学に無償譲渡されることになった。
経緯
加計学園はもともと、10年前から今治市に岡山理科大獣医学部キャンパスの新設を申請していたのだが、文科省は獣医師の質の確保を理由に獣医師養成学部・学科の入学定員を制限しており、今治市による獣医学部誘致のための構造改革特区申請を15回もはねつけてきた。ところが、第二次安倍政権が発足すると一転、首相は2015年12月、今治市を全国10番目の国家戦略特区にすると決め、16年11月には獣医学部の新設に向けた制度見直しを表明するなど、開校に向けた制度設計を急激に進めた。
今年1月4日、国が今治市と広島県の国家戦略特区で獣医師養成学部の新設を認める特例措置を告示、公募を開始した。募集期間は僅か1週間。案の定、応募したのは加計学園だけ。首相を議長とする国家戦略特区諮問会議は、1月20日、同学園を事業者として認可し、今治市はこれを受け、市有地約17万m2(約37億円)を加計学園に無償譲渡することを決定した。
周辺
首相の側近的役割を務めた官僚の加計学園天下り。
行政による隠蔽疑惑。[「(文部科学省)国家戦略特区等提案検討要請回答」、その内容及び省庁の回答などすべて「非公表」とされている。]
感想
直接的な金銭授受はなくとも、経緯の本質は「収賄」「あっせん収賄」と同じ。
官邸は「事実ではない」と根拠も示さず切り抜けようとしている。政権が事実認定する、「政権が言うことが事実であり、正しい」というやり方は、大昔の独裁政治の論法では。
前川発言の背景
2014年発足の内閣人事局が、霞が関の幹部人事権の全てを握るようになり、全省庁が完全屈服の状態になった。  
 
伊藤詩織

 

日本のフリージャーナリスト、映像作家。
1989年、神奈川県で生まれた。建築関係の父、専業主婦の母、妹、弟がいる。9歳の時にモデルの仕事を開始。2014年、ニューヨークでジャーナリズムを学ぶ。
Shiori名義でフリーランスのジャーナリスト活動を開始。2017年10月18日、伊藤詩織名義で文藝春秋から告発本『Black Box』を発表。
「2018年度ニューヨーク・フェスティヴァル」において、ディレクターを務めた「Undercover Asia: Lonely Deaths」(チャンネルニュースアジア制作)がドキュメンタリー部門銀賞、カメラ担当の「Witness - Racing in Cocaine Valley」(アルジャジーラ英語版、放送日:2017年2月5日、監督:Lali Houghton、Nick Ahlmark)がスポーツ&レクリエーション部門銀賞を受賞した。「Witness」はペルーで毎年行われる改造オートバイレースに情熱を傾けるペルー軍兵士の密着ドキュメント、「Undercover Asia: Lonely Deaths」は孤独死を扱っている。
2018年、ロンドンでハナ・アクヴィリン(Hanna Aqvilin)と一緒にドキュメンタリー制作会社Hanashi Filmsを立ち上げた。社名は二人の名前からとっており、真実のストーリー(Hanashi)を伝えるのがモットー。
「準強姦」訴訟
事件概要
2015年4月3日、伊藤が自身の就職やアメリカの就労ビザについての相談のため、東京都内で当時TBSの政治部記者でワシントン支局長であった山口敬之と会食。同日深夜から4日早朝にかけて飲酒後、薬を盛られたなどとして、ホテルでの準強姦の被害を訴えている。2016年と2017年の2回の不起訴処分になった後、現在民事係争中。伊藤と山口の主張は真っ向から対立している。
事件までの経緯
ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を専攻していた伊藤と山口が出会ったのは2013年秋頃の頃で、伊藤が働くピアノバーに客として訪れた山口に報道関係の仕事がしたいと頼み込んだことから交流が始まった。その後、トムソン・ロイターのインターンをしつつ働く伊藤が、山口に「以前山口さんが、ワシントン支局であればいつでもインターンにおいでよといってくださったのですが、まだ有効ですか?笑」と問いかけ、山口は「インターンなら即採用だよ。プロデューサー(有給)でも、詩織ちゃんが本気なら真剣に検討します。」と答えている。最終的に恵比寿の居酒屋で落ち合い話を詰めることになった。居酒屋で串焼き5本、瓶ビール2本のシェア、グラスのワインを1杯を飲み食いした。山口は安倍晋三総理や鳩山由紀夫元総理の人脈話を披露するだけで、就労の話はまったくしなかったという。さらに鮨屋に移動。伊藤はその鮨屋の2回目のトイレで気分が悪くなっており記憶が途切れ途切れになった。本来、伊藤はワインを3本も空けても平気とする上戸であり、不自然に悪酔いしたのは山口がデートレイプドラッグを盛ったのではと推測している。伊藤は、警察から聞き込み捜査の結果を「二人で一升近く飲んだそうです。簡単なつまみと太巻き以外は何も頼んでおらず、ほとんどお酒だけ。これならならどんなにお酒に強い人でも酔っ払います」と聞いているが、「記憶が無いのでわからないが、自分ではとても信じられない」と主張している。
事件
伊藤はタクシーに乗り込んだ後、山口と寿司が美味しかったなどという話や仕事の話をしていた。伊藤が駅で降ろしてくれと指示したが、山口は「まだ仕事の話があるから、何もしないから」と言いホテルに向かうように運転手に指示している。運転手は山口が伊藤を抱きかかえるようにホテルに連れ込んだと証言しており、2018年1月23日の弁論でもこのホテルの防犯動画が物的証拠として提出された。伊藤の意識が戻ると、全裸で仰向けの伊藤に山口が跨っている状態であった。伊藤が抵抗してトイレに逃げ込む時、避妊具をしていない山口の陰茎が見えたと語り、幾度かの応酬を経た後に伊藤はホテルから去ったと主張している。一方、山口は「トイレに立って、戻ってきて私の寝ていたベッドに入ってきました。その時はあなたは飲みすぎちゃったなどと普通に話をしていました」とメールで反論している。伊藤は警察の「山口氏の聴取は行ったがポリグラフにかけても反応はない」という捜査報告に対しても疑問は募るばかりと述べている。
1回目の不起訴処分
2015年4月9日に伊藤は警視庁に相談、高輪警察署は同月末に準強姦容疑で告訴状を受理し、捜査を開始。6月初めに逮捕状が発行されたが、2016年6月8日、成田空港において山口を逮捕する直前に、当時の警視庁刑事部長中村格が執行の停止を命じ、逮捕は行われなかった。2016年7月22日、約1年4ヶ月にわたる捜査の末、東京地検が嫌疑不十分で不起訴処分とした。
週刊新潮での告発と記者会見
2017年5月18日と同月25日の2週にわたり、週刊新潮が伊藤の証言に基づき事件を報じた。2017年5月29日、伊藤が検察審査会に不服申し立てを行い、「詩織」と名乗り、顔を出して記者会見を行った。この直後に山口は、自身のFacebookで「法に触れることは一切していない」と反論した。
2回目の不起訴処分
2017年9月21日(公表は22日)、市民からなる東京第6検察審査会が「慎重に審査したが、検察官がした不起訴処分の裁定を覆すに足りる事由がなかった」とし、不起訴相当と議決した。
手記公開による攻防
2017年10月18日、伊藤詩織名義で2015年の「準強姦」被疑事件を綴った手記『Black Box』を出版。24日、日本外国特派員協会で会見を行い、日本における性暴力被害の課題を訴えた。
民事訴訟
2017年9月28日、望まない性行為で精神的苦痛を受けたとして、伊藤が山口を相手に1100万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。2017年12月5日、民事訴訟第1回口頭弁論が行われた。
国会での動き
2017年6月2日、衆議院本会議で民進党の井出庸生が事件に言及、国会でも議論された。2017年11月21日、森裕子参議院議員らの呼びかけで、野党国会議員による「準強姦事件逮捕状執行停止問題を検証する会」が発足した。2018年1月29日、衆議院予算委員会の傍聴席に伊藤が現れ、希望の党の柚木道義の質疑を傍聴した。なお、この質疑において、議院運営委員会が山口の氏名公表を禁じる決定をしたため、伊藤の氏名だけが公表される形になってしまった。 
世界メディアでの報道
MeToo(ミートゥー)の広がりを受け、伊藤の証言やインタビューが、複数の世界メディアで報道された。  
伊藤詩織氏「やめてと言った」 元記者への賠償請求訴訟 2019/7/8
ジャーナリストの伊藤詩織さん(30)が、元TBS記者の山口敬之氏から性暴力を受けたとして慰謝料など1100万円の損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が8日、東京地裁で開かれた。伊藤さんが出廷し「(山口氏と)会食中に目まいがして、気付いたらホテルで暴行されていた。『やめて』と言って、体を守るのに必死だった」と証言した。午後は山口氏の証人尋問が実施される。
伊藤さん側は、平成27年に就職先の紹介を受けるため山口氏と飲食した際に記憶をなくし、ホテルで乱暴されたと主張。山口氏側は「同意に基づいており不法行為は一切ない」と反論している。
東京地裁は、伊藤さんの記者会見での発言などで社会的信用を奪われたとして、山口氏が1億3000万円の損害賠償を求めた訴訟も併合して審理している。 
「週刊新潮」の伊藤詩織VS官邸ベッタリ記者の記事 2019/7/12
発売中の「週刊新潮」に「伊藤詩織さんVS安倍官邸ベッタリ記者の法廷対決」という特集記事が載っている。
総理ベッタリ山口敬之が月額42万円の顧問料をもらっていたのは、菅官房長官の関与があったかららしい。TBSを辞めたあとに、何もしないで毎月42万円の収入がある身分になれたのだから呆れる。裁判所が出した逮捕状を握りつぶした中村格は、菅官房長官の秘書官だったという。
どういう経路でレイプ事件がもみ消されたのかは誰にでも想像がつく。「週刊新潮」、良い記事を書いてくれている。
「ホテルの証拠ビデオ」はわしも見たが、都ホテルの玄関前に停まったタクシーから、延々と伊藤詩織氏が降りて来なくて、山口が降りた後に、また後部座席に入り込んで、引きずりだそうと格闘しているらしく、その時間は15分か20分くらいだっただろうか?やたら長かった。
やっと伊藤氏を抱きかかえた山口が降りてくると、伊藤氏は身体がくの字に曲がって、酔っぱらった伊藤氏の足下の感覚はほとんど空中浮揚のような状態だっただろう。やっぱりレイプ・ドラックの可能性は否定できない。
裁判での山口側弁護士が伊藤詩織氏に行う尋問を読んだが、「レイプ時の様子をとことん思いだせ!」と迫る苛烈なもので、ほとんどセカンドレイプ状態だ。まさにこれを恐れて、レイプの被害者は泣き寝入りしてしまうのだ。将来、法廷の場でのセカンドレイプの参考書として、活かすべきだろう。
わしも山口に訴えられている立場なので、裁判闘争的には、余計なことは描いてくれるなと釘を刺されている。もちろん小学館の中澤氏や、弁護士さんには感謝してるし、勝ってほしい。だが、「週刊新潮」の記事や、裁判記録を読むと、腹が立ってどうしても厳しく描きたいという衝動が抑えきれない。「SPA!」の法律関係の専門家も、わしの立場を考慮して、ファクト・チェックを入れてくれるし、多分、困らせているとは思う。
でも腹が立って描きたい衝動を抑えられない。今後も、レイプについて、『ゴーマニズム宣言』で描きたいことはいっぱいある。レイプの被害者が、泣き寝入りするような野蛮な時代はもう終わらせよう。伊藤詩織氏は戦っている。その後ろに多くの被害女性がいる。今までわしは多くの女性に支えられてきたのだから、恩返しのつもりで、被害女性を応援しよう。 
 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

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