治安維持法

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治安維持法と政治運動言論統制と文化運動近代日本の思想司法悪法ではなかった必要性を叫ぶ人犠牲者へ謝罪と賠償・・・
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雑学の世界・補考

治安維持法 1

[昭和16年(1941年)3月10日法律第54号] 国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。当初は、1925年に大正14年4月22日法律第46号として制定され、1941年に全部改正された。とくに共産主義革命運動の激化を懸念したものといわれているが、やがて宗教団体や、右翼活動、自由主義等、政府批判はすべて弾圧・粛清の対象となっていった。
法律の前身
1920年(大正9年)より、政府は治安警察法に代わる治安立法の制定に着手した。1917年(大正6年)のロシア革命による共産主義思想の拡大を脅威と見て企図されたといわれる。また、1921年(大正10年)4月、近藤栄蔵がコミンテルンから受け取った運動資金6500円で芸者と豪遊し、怪しまれて捕まった事件があった。資金受領は合法であり、近藤は釈放されたが、政府は国際的な資金受領が行われていることを脅威とみて、これを取り締まろうとした。また、米騒動など、従来の共産主義・社会主義者とは無関係の暴動が起き、社会運動の大衆化が進んでいた。特定の「危険人物」を「特別要視察人」として監視すれば事足りるというこれまでの手法を見直そうとしたのである。
1921年(大正10年)8月、司法省は「治安維持ニ関スル件」の法案を完成し、緊急勅令での成立を企図した。しかし内容に緊急性が欠けていると内務省側の反論があり、1922年(大正11年)2月、過激社会運動取締法案として帝国議会に提出された。「無政府主義共産主義其ノ他ニ関シ朝憲ヲ紊乱」する結社や、その宣伝・勧誘を禁止しようというものだった。また、結社の集会に参加することも罪とされ、最高刑は懲役10年とされた。これらの内容は、平沼騏一郎などの司法官僚の意向が強く反映されていた。しかし、具体的な犯罪行為が無くては処罰できないのは「刑法の缺陥」(司法省政府委員・宮城長五郎の答弁)といった政府側の趣旨説明は、結社の自由そのものの否定であり、かえって反発を招いた。また、無政府主義や共産主義者の法的定義について、司法省は答弁することができなかった。さらに、「宣伝」の該当する範囲が広いため、濫用が懸念された。その結果、貴族院では法案の対象を「外国人又ハ本法施行区域外ニ在ル者ト連絡」する者に限定し、最高刑を3年にする修正案が可決したが、衆議院で廃案になった。
また、1923年(大正12年)に関東大震災後の混乱を受けて公布された緊急勅令 治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件(大正12年勅令第403号)も前身の一つである。これは、治安維持法成立と引き替えに緊急勅令を廃止したことで、政府はその連続性を示している。
法律制定
1925年(大正14年)1月のソビエト連邦との国交樹立(日ソ基本条約)により、共産主義革命運動の激化が懸念されて、1925年(大正14年)4月22日に公布され、同年5月12日に施行。
普通選挙法とほぼ同時に制定されたことから、飴と鞭の関係にもなぞらえられ、成人男性の普通選挙実施による政治運動の活発化を抑制する意図など、治安維持を理由として制定されたものと見られている。治安維持法は即時に効力を持ったが、普通選挙実施は1928年まで延期された。 法案は過激社会運動取締法案の実質的な修正案であったが、過激社会運動取締法案が廃案となったのに治安維持法は可決した。奥平康弘は、治安立法自体への反対は議会では少なく、法案の出来具合への批判が主流であり、その結果修正案として出された治安維持法への批判がしにくくなったからではないかとしている。
1928年(昭和3年)に緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」(昭和3年6月29日勅令第129号)により、また太平洋戦争を目前にした1941年3月10日にはこれまでの全7条のものを全65条とする全部改正(昭和16年3月10日法律第54号)が行われた。
1925年(大正14年)法の規定では「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」を主な内容とした。過激社会運動取締法案にあった「宣伝」への罰則は削除された。
1928年(昭和3年)改正の主な特徴としては
「国体変革」への厳罰化 / 1925年(大正14年)法の構成要件を「国体変革」と「私有財産制度の否認」に分離し、前者に対して「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役若ハ禁錮」として最高刑を死刑としたこと。
「為ニスル行為」の禁止 / 「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」として、「結社の目的遂行の為にする行為」を結社に実際に加入した者と同等の処罰をもって罰するとしたこと。
改正手続面 / 改正案が議会において審議未了となったものを、緊急勅令のかたちで強行改正したこと。
があげられる。
1941年(昭和16年)法は同年5月15日に施行されたが、
「国体ノ変革」結社を支援する結社、「組織ヲ準備スルコトヲ目的」とする結社(準備結社)などを禁ずる規定を創設したこと。官憲により「準備行為」を行ったと判断されれば検挙されるため、事実上誰でも犯罪者にできるようになった。また、「宣伝」への罰則も復活した。
刑事手続面 / 従来法においては刑事訴訟法によるとされた刑事手続について、特別な(=官憲側にすれば簡便な)手続を導入したこと、例えば、本来判事の行うべき召喚拘引等を検事の権限としたこと、二審制としたこと、弁護人は「司法大臣ノ予メ定メタル弁護士ノ中ヨリ選任スベシ」として私選弁護人を禁じたこと等。
予防拘禁制度 / 刑の執行を終えて釈放すべきときに「更ニ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ虞アルコト顕著」と判断された場合、新たに開設された予防拘禁所にその者を拘禁できる(期間2年、ただし更新可能)としたこと。
を主な特徴とする。
廃止
1945年(昭和20年)の敗戦後も同法の運用は継続され、むしろ迫り来る「共産革命」の危機に対処するため、断固適用する方針を取り続けた。同年9月26日に同法違反で服役していた哲学者の三木清が獄死している。10月3日には東久邇内閣の山崎巌内務大臣は、イギリス人記者のインタビューに答えて、「思想取締の秘密警察は現在なほ活動を続けてをり、反皇室的宣伝を行ふ共産主義者は容赦なく逮捕する」方針を明らかにした。
1945年8月下旬から9月上旬において、司法省では岸本義広検事正を中心に、今後の検察のあり方について話し合いを行い、天皇制が残る以上は治安維持法第一条を残すべきとの意見が出ていた。ほか、岩田宙造司法大臣が政治犯の釈放を否定している。
1945年10月4日、GHQによる人権指令「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去に関する司令部覚書」により廃止と山崎の罷免を要求された。東久邇内閣は両者を拒絶し総辞職、後継の幣原内閣によって10月15日『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ基ク治安維持法廃止等(昭和20年勅令第575号)』により廃止された。また、特別高等警察も廃止を命じられた。
歴史的役割
当初、治安維持法制定の背景には、ロシア革命後に国際的に高まりつつあった共産主義活動を牽制する政府の意図があった。
そもそも当時の日本では、結社の自由には法律による制限があり、日本共産党は存在自体が非合法であった。また、普通選挙法とほぼセットの形で成立したのは、たとえ合法政党であっても無産政党の議会進出は脅威だと政府は見ていたからである。
後年、治安維持法が強化される過程で多くの活動家、運動家が弾圧・粛清され、小林多喜二などは取調べ中の拷問によって死亡した。ちなみに朝鮮共産党弾圧が適用第一号とされている(内地においては、京都学連事件が最初の適用例である)。
1930年代前半に、左翼運動が潰滅したため標的を失ったかにみえたが、以降は1935年(昭和10年)の大本教への適用(大本事件)など新宗教(政府の用語では「類似宗教」。似非宗教という意味)や極右組織、果ては民主主義者や自由主義者の取締りにも用いられ、必ずしも「国体変革」とは結びつかない反政府的言論への弾圧・粛清の根拠としても機能した。もっとも、奥平は右翼への適用は大本教の右翼活動を別にすれば無かったとしている。
奥平康弘は1928年(昭和3年)改正で追加された「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為」の禁止規定が政権や公安警察にとって不都合なあらゆる現象・行動において「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為」の名目で同法を適用する根拠になったと指摘している。不都合な相手ならば、ただ生きて呼吸していることでさえ「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為」と見なされ逮捕された。こうした弾圧は公安警察という組織の維持のために新しい取り締まり対象を用意することに迫られた結果という一面もあったといわれる。
また、治安維持法の被疑者への弁護にも弾圧・粛清の手が及んだ。三・一五事件の弁護人のリーダー格となった布施辰治は、大阪地方裁判所での弁護活動が「弁護士の体面を汚したもの」とされ、弁護士資格を剥奪された(当時は弁護士会ではなく、大審院の懲戒裁判所が剥奪の権限を持っていた)。さらに、1933年(昭和8年)9月13日、布施や上村進などの三・一五事件、四・一六事件の弁護士が逮捕され、前後して他の弁護士も逮捕された(日本労農弁護士団事件)。その結果、治安維持法被疑者への弁護は思想的に無縁とされた弁護人しか認められなくなり、1941年の法改正では、司法大臣の指定した官選弁護人しか認められなくなった。
治安維持法の下、1925年(大正14年)から1945年(昭和20年)の間に70,000人以上が逮捕され、その10パーセントだけが起訴された。日本本土での検挙者は約7万人(『文化評論』1976年臨時増刊号)、当時の植民地の朝鮮半島では民族の独立運動の弾圧に用い、2万3千人以上が検挙された。
日本内地では純粋な治安維持法違反で死刑判決を受けた人物はいない。ゾルゲ事件で起訴されたリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実は死刑となったが、罪状は国防保安法違反と治安維持法違反の観念的競合とされ、治安維持法より犯情の重い国防保安法違反の罪により処断、その所定刑中死刑が選択された。そこには、死刑よりも『転向』させることで実際の運動から離脱させるほうが効果的に運動全体を弱体化できるという当局の判断があったともされている。思想犯に転向を勧めるノウハウ、論破・説得術は、一種の芸術のような高レベルだったと言われている。また、時代が進むにつれ、「転向」のハードルは上がっていった。初期は、政治活動を放棄すれば思想を変えなくても転向と見なされたが、やがてそれでは不十分とされ、ついには「日本精神」を身に付けることが転向の要件とされた。ゾルゲ事件では他にも多くの者が逮捕されたにもかかわらず死刑判決を受けたのはゾルゲと尾崎だけだった。戦後ゾルゲ事件を調査したチャールズ・ウィロビーはそれまで持っていた日本に対する認識からするとゾルゲ事件の多くの被告人に対する量刑があまりにも軽かったことに驚いている。
とはいえ、小林多喜二や横浜事件被疑者4名の獄死に見られるように、量刑としては軽くても、拷問や虐待で命を落とした者が多数存在する。日本共産党発行の文化評論1976年臨時増刊号では、194人が取調べ中の拷問・私刑によって死亡し、更に1503人が獄中で病死したと記述されている。
さらに、外地ではこの限りではなく、朝鮮では45人が死刑執行されている。それ以外の刑罰も、外地での方が重い傾向にあったとされる。
その後
治安維持法を運用した特別高等警察を始めとして、警察関係者は多くが公職追放されたが、司法省関係者の追放は25名に留まった。池田克や正木亮など、思想検事として治安維持法を駆使した人物も、ほどなく司法界に復帰した。池田は追放解除後、最高裁判事にまでなっている。
1952年(昭和27年)公布の破壊活動防止法は「団体のためにする行為」禁止規定などが治安維持法に酷似していると反対派に指摘され、治安維持法の復活という批判を受けた。その後も、治安立法への批判に対して治安維持法の復活という論法は頻繁に使われている(通信傍受法(盗聴法)、共謀罪法案など)。
第二次世界大戦後は治安維持法については否定的な意見が主流といわれる。しかし、保守派の一部では、治安維持法擁護論もあり、また現在における必要性を主張する論者もいる。
1976年(昭和51年)1月27日、民社党の春日一幸が衆議院本会議で宮本顕治のリンチ殺人疑惑を取り上げた際、宮本の罪状の一つとして治安維持法違反をそのまま取り上げた。そこで、宮本の疑惑の真偽とは別に、春日は治安維持法を肯定しているのかと批判を受けた。
藤岡信勝は『諸君!』1996年4月号の「自由主義史観とはなにか」で「治安維持法などの治安立法は日本がソ連の破壊活動から自国を防衛する手段」と全面的に評価し、ソ連の手先と名指しされた日本共産党などから強い反発を受けた。中西輝政も『諸君!』『正論』などで、同様の主張を行っている(『諸君!』2007年9月号「国家情報論 21」。『正論』2006年9月号など)。
いずれも、反共主義の立場から「絶対悪としての共産主義」を滅ぼすためには当然の法律であったという肯定論である。  
 
治安維持法 2

 

1925年、日本で制定された「国体護持」のため社会主義など反国家政治運動取締りのための法。1928年、最高刑に死刑が加えられ、軍国主義強化に活用された。1945年、日本の敗北と共に廃止された。
大正デモクラシーが進展した結果、1925(大正14)年、加藤高明内閣で普通選挙法(日本)が成立したが、それと同時に治安維持法も制定された。国体(天皇制)の変革や、私有財産制の否定を目的とした結社とその運動を禁止することを法律として可能とした。具体的には、はじめは共産党(1922年結成)などの社会革命をめざす運動を取り締まるものであったが、次第に政府の政策を批判する自由な発言も取り締まりの対象となり、穏健な自由主義者や労働運動なども取り締まりの対象となっていった。また1928年の田中義一内閣は、勅令で最高刑に死刑を加え、軍部に対する反対運動や反戦活動を厳しく弾圧する手段とされた。日本の天皇制軍国主義体制を支える立法であったので、1945年、日本の敗北とともに撤廃された。
日本軍の山東出兵が行われている最中の1928(昭和3)年2月、日本で最初の普通選挙が実施され、政友会・民政党以外に、社会民衆党の4名を含む、いわゆる無産政党から8名が当選した。衝撃を受けた田中義一内閣は、3月15日に治安維持法違反として非合法の日本共産党員や無産政党員、労働運動指導者約千人を逮捕するという大弾圧を行った。翌年4月16日にも地下の共産党幹部を339名を逮捕、起訴した。「3月15日事件」は『蟹工船』(1929)などで知られる小林多喜二の『一九二八年三月十五日』に詳しく描かれている。小林多喜二自身も、のちの1933年、特高警察に逮捕され、拷問の上虐殺された。
 
治安維持法 3

 

1925(大正14)年3月29日第50議会で普通選挙法案が成立する。男子だけが対象だったとはいえ、平等な選挙権を保障する普選法の成立は、日本の憲政(政治)史上画期的なことだった 。 だが、普選法成立の10日前の3月19日、国会は治安維持法を成立させていた。
治安維持法は、「国体もしくは政体を変革し、または私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し、または情を知りてこれに加入したる者は10年以下の懲役または禁固に処す」(第1条)と規定されているように、国体(天皇主権体制)の変革や資本主義社会の基礎構造である私有財産制の否定(否認)といった思想ないし信条をもった者を取り締まり(逮捕・処罰)の対象とするものであった。
つまり、実際に政治活動や社会運動などの活動を行なったり、またはそれを行なわなかったとしても(活動家でなくても)、そういう思想・信条をもっていると警察当局が疑えば(実際にそうした思想等を信望していなくても)、逮捕・処罰できることになったのである。治安維持法は、さらに1928(昭和3)年に改正(改悪)され、死刑を含む極刑が追加され、それは、思想死刑法を意味する世界最大の悪法であった。
すなわち、国民にとって見れば、普選法という「あめ」とひきかえにして、治安維持法という「むち」をもって権力から統治(支配)されることを意味したのである。
護憲3派(政友会、憲政会、革新倶楽部)の政党が治安維持法を成立させたのは、1917年のロシア社会主義革命の成功に鼓舞(こぶ=奮い立たすこと)された世界的規模の反体制運動の高揚を危惧して、国内での社会主義思想や無政府主義思想を弾圧しようとする政治的目的があったからでる。
つまり、世界の趨勢(すうせい=成り行き 。流れ)と国内の普選獲得運動に押されて、もはや普選法によって選挙権を付与することを押しとどめることが出来ないという政治的状況に直面して日本政府が、ロシア革命を目の前にして最も恐れたことは、社会主義政党等の敵対する政党が普通選挙の実施により国会に進出することであった。
それをあらかじめ阻止するために普選法に先駆けて治安維持法を制定したわけである。
以後、治安維持法は猛威を振るい、反体制運動壊滅後の天皇制ファシズムが形成過程においては、反体制運動とは無縁の国民の自由と権利をも弾圧の対象に拡大して日本国民を追いつめ、国家総動員法をもって全資源を侵略戦争へと消費し、他国民に筆舌しがたい惨劇(さんじょう=むごたらしいありさま)と日本国民に惨憺(さんたん=いたましくて見るに忍びないさま)結果をもたらすことになるのであった。
代表的な自由弾圧法の一覧
法律名・制定(改正)年 / 適用対象 / 処罰・量刑
讒謗律 1875 / 皇室に対する名誉毀損 / 禁獄(きんごく)3月以上3年以下
新聞紙条例 1875 / 新聞雑誌党発行の届出制 / 発禁・罰金100円
集会条例 1880 / 政談(政治に関する談話・論談)集会(届出制) / 2円以上20円以下の罰金若くは11日以上3月以下の禁獄
保安条例 1887 / 自由民権運動家 / 東京からの追放
集会及結社法 1890 / 政党連合、支部設置の届出制 / 禁止
同法改正 1893 / 政談(政治に関する談話・論談)集会(届出制) / 警察官禁止
出版法 1893 / 出版届出・国憲(こっけん=国家を治める根本の法規)紊乱(びんらん=乱すこと)の禁止 / 発禁・差押・2月以上2年以下の懲役
軍機保護法 1899 / 軍事機密漏洩(ろうえい=もらすこと)・探知の禁止 / 罰金10〜50円
治安警察法 1900 / 結社・集会(届出制)、女子・学生の政治結社加入(禁止)、労働者の団結・ストライキ=同盟罷業の制約 / 禁錮1〜6月
行政執行法 1900 / 強制執行(治安妨害)の禁止 / 予防拘禁
新聞紙法 1909 / 新聞雑誌党発行の届出制、安寧(あんねい=世の中が平穏無事)秩序・風俗を害する記事の禁止、皇室冒涜・政体変改論禁止 / 発禁・禁固・罰金
治安維持法 1925 / 団体変革・私有財産制度否認の結社・運動の禁止 / 懲役・禁固10年以下
暴力行為処罰法 1926 / 団体・多衆の示威運動の禁止 / 刑法特則重罰
治安維持法改正 1928 / 団体変革・私有財産制度否認の結社・運動の禁止 / 懲役5年から死刑まで
軍機保護法改正 1937 / スパイ団・防空妨害の禁止 / 懲役6月から死刑まで
国家総動員法 1938 / 違反出版・機密漏洩の防止 / 罰金から懲役2年まで
同法改正 1941 / 経済統制違反 / 罰金から懲役2年まで
治安維持法改正 1941 / 再犯のおそれのある者の予防拘禁制を追加 / 逃亡者に1年以下の懲役
言論・出版・集会・結社等臨時取締法 1941 / 安寧秩序の保持。造言飛語(でま)の禁止 / 禁固・懲役
戦時刑事特別法 1942 / 人心動揺時の刑事犯罪 / 懲役1年から無期懲役・死刑
 
治安維持法 4

 

第2次安倍内閣は、昨2013(平成25)年10月25日、防衛・外交など日本の安全保障に関する情報のうち「特に秘匿することが必要であるもの」を「特定秘密」に指定し、取扱者の適正評価の実施や漏洩した場合の罰則などを定めた法律「特定秘密保護法」の法案を安全保障会議で了承を経たうえで閣議決定して第185回国会に提出し、同年12月6日に成立させ、12月13日に公布した。公布から1年以内に施行されることになっている(同法附則第1条)。これに対して、マスメディアなどが「特定秘密保護法反対」の大合唱を唱えている。その反対理由として一番よく耳にするのが「戦前の治安維持法(法律第54号)のように言論統制を行なう法律だ」というものである。
治安維持法は、全33条より成る(うち2条削除)治安警察法(明治33年3月10日法律第36号)とともに、戦前の有名な治安立法として知られている。先ず、最初に、予備知識として、上記2つの治安立法成立の目的を書いておこう。日清戦争後の資本主義の発展とともに労働運動は黎明期を迎え、労働組合期成会の結成(1897)を起点に労働組合運動の発足と争議の多発化に悩まされていた。また、海外からは社会主義運動の普及が始まった。明治政府は自由民権運動抑圧に用いた刑法270条や集会及政社法、治罪法などの諸法律では対応できないと考え労働運動の取締りなどを目的に新たな治安立法として制定(1900年)されたものが治安警察法(明治33年3月10日法律第36号)である。旧憲法下で,政治集会,結社,デモなどを取り締まり、政治結社・集会の届出,女子・教員・軍人などの政治結社加入禁止を定め,集会などの解散権を警察官に与えた。一方の治安維持法(1941年=昭和16年3月10日法律第54号)は、国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された法律であり、当初は、1925(大正14)年4月22日に法律第46号として制定され、1941(昭和16)年に全面改正されたものである。余談だが「治安警察法」(明治33年)の制定日と1925(大正14)年制定の「治安維持法」(昭和16年)の全面改正日が奇しくも今日と同じ3月10日である。
治安維持法は1925(大正14)年4月22日に公布され、同年5月12日に施行。普通選挙法とほぼ同時に制定されたことからよく「飴と鞭」の関係にもなぞらえられるが、なぜ両法は1925年(大正14)年3月の護憲三派による第1次加藤高明内閣による第50回帝国議会でほとんど同時に成立したのであろうか。普通選挙法も治安法も第一次世界大戦における民衆の政治化の所産である。普選運動は日清戦争に始まるが、全国的な要求運動は1919(大正8)年に盛り上がる。運動は1920(大正9)年春の第14回衆議院議員総選挙で普選反対を唱える党首原敬の政友会の圧勝に水を差されはしたものの、1922 (大正11)年春の第45帝国議会で、野党の憲政会と国民党(のちの革新倶楽部)との統一普選案が出来たことで復活する。一方労働者・農民の普選運動の高揚を背景に、1920(大正9)年には、日本社会主義同盟が結成され、1921(大正10)年春には当時は非合法な秘密結社日本共産党(第一次共産党)が生まれる。この動きを察知した司法省や内務省は原敬首相の意向のもとに「危険思想」取り締まりのための新しい治安立法に着手して、「過激社会運動取締法案」を第45回議会に提出するが野党や言論界の強い反対で審議未了となリ、普選法案と新治安立法案は相打ちする型となった。治安立法優先の政友会・官僚勢力路線と普選優先の野党路線の結合の道は関東大震災(1923年=大正12年9月1日)の直後に成立した第2次山本権兵衛内閣によって開かれた。普選主張の先頭に立つ逓信大臣・犬飼毅と治安立法の推進者で司法大臣の平沼騏一郎との間に、両者抱き合わせの相互承認が行われた。
山本首相は、普選実現を声明し、議会は大震災下の緊急勅令 「治安維持ノ為ニスル罰則ニ関スル件(大正12年勅令第403号)を承認した。同年12月に起きた虎ノ門事件の政治的責任から、山本内閣が総辞職した後、総選挙施行のため中立的な内閣の出現を望む西園寺公望の推薦によって登場した清浦奎吾内閣に対して、第2次護憲運動が起こり、選挙戦となった。衆議院の政友会、憲政会、革新倶楽部の三会派(いわゆる護憲三派)は普選を公約し、他方政府の与党・政友本党は「独立の生計」の条件付き普選を主張した。
「独立の生計を有する者」とは、事実上所帯主を意味し、有権者は30%以上減る。
選挙戦に圧勝した護憲3派の連立内閣は公約通り、普選法案を代50議会に提出した。天皇の諮問機関で、重要法案の事前審査権を持つ枢密院は官僚勢力の牙城であったが、普選法を承認するに際し、「思想ノ取締」を「必要条件」(平沼)とした。 一方枢密院は、同時に進行していた日ソ基本条約の審査にあたっても「過激思想」の流入を取り締まるため「最も有効凱切(非常に大切な。ぴたりと当てはまる)なる措置ヲ実施」せよと求めた。政府は2月20日の枢密院本会議の普選法案採決の前日に治安維持法案を衆議院に緊急上程した。明治政府は、枢密院の強要に屈して治安維持法案を提出したのではない。普選と治安維持を抱き合わせる・・・つまり、労働者・農民にも選挙権を与えるが、その政治的進出は極力抑制する・・・という山本内閣の方針は受け継がれ、治安維持法立案の作業は清浦内閣下ですでに始まっていた。政府原案は「国体もしくは政体ヲ変革シ、マタハ私有財産制度を否認スルコトヲ目的トスル」結社その他の行動を最高刑罰10年の重刑で取り締まるというものであったが、衆議院では「政体」の2字は専制的官僚機構への批判の自由まで束縛する恐れがあるとしたうえ、3月7日ほとんど全院一致で可決した(反対議員は18議員)。3月19日貴族院も可決した。
普選法は貴族院の抵抗でもめたが、ここで流産すれば「過激思想」が盛んになるという認識で一致した元老院西園寺公望や政府首脳の努力で、会期延長の末3月29日に成立した。普選法と治安維持法はどちらか一方が先に成立することは当時の政治力学上不可能であった。
第2次世界大戦前の治安維持法も後に改悪を重ねて悪法に成長していったが、当初はおとなしいものであった。先にも書いたように、治安維持法は同じ月に成立した普通選挙法と抱き合わせの「飴と鞭」の立法と云う説もあるが、むしろ、第1次世界大戦後のいわゆる大正テモクラシー運動が起こる中、1925(大正14)年1月のソビエト連邦との国交樹立(日ソ基本条約)を境に、共産主義・無政府主義(アナーキズム、中でも社会的無政府主義)による革命運動の激化が懸念されていた。そんな中、普通選挙法の施行により、このような考え方が日本で主流になり、国家体制に危機を及ぼさないようその対策という性格が強かったとの説もある。成立した主な条文の内容は,国体の変革または私有財産制度の否認を目的とした結社を取り締まることを中心とするものであった。従って、当時、法律が取り締まりの対象とした国内の第1次共産党は1924(大正13)年3月頃に解散していたのでさしあたり適用する対象もなくなっていたのだが・・・。この条文にある「国体」という言葉は、教育勅語に出てくる道徳的用語(国民の忠孝心が「国体の精華」であり「教育の淵源」である)で、法律用語としては内容がはっきりせず使い方でどうにでも解釈できる危険な言葉でもあった。
そして、1926大正15)年1月に京都帝国大学などが主体の左翼学生運動日本学生社会科学研究会(学連)に対して日本で最初の治安維持法が適用され学生38人が検挙される事件が起こった。前年12月に警察が出版法違反事件として検挙し立件出来ずに釈放したものを検事局が治安維持法違反事件に仕立て直したものだと言われる。この事件は当時の為政者層の思想・教育への危機感の大きさを象徴しているともいえる。この事件では司法省の張り切りぶりが目に付く。この事件を期に司法省は思想問題への取り組みを本格化させる。「学術研究の範囲を超越し苛も国体を変革し又は社会組織の根底を破壊せんとする言論をなし、若くはその実行に関する協議をなすに至りては毫も仮籍する所なく之を糾弾せざるべからず」(1926年5月警察部長会議における小山松吉検事総長の訓示『日本労働年間』1927年版)という徹底した抑圧姿勢に特徴がある。
警察の視察取締もこの京都学連事件以後、変化が見られ、警察当局が公然と学内に侵入し、学内取締も「他の一般社会運動に対すると何等異ならない状態に至った。ビラ撒布による検束(東大)、不法検束による警察の暴行事件(京大、九州歯科専門学校)などが頻繁に起こりはじめたという。
こうした中、1926 (大正15)年には 東京の共同印刷でのストライキが60日の大争議(いわゆる「共同印刷争議」)に発展する(徳永直による小説『太陽のない街』の大争議)、新潟県の小作争議が警官隊との衝突事件に発展する事件(木崎村小作争議)が起こるなど、この年の同盟罷業(ストライキ)は469件、小作争議は2751件で、前年に比べ飛躍的に増加していたという。
こうした情勢の中で秘密裏に共産党再建大会が開かれていた。そして、2年後の1928(昭和3)年2月に国政最初の普通選挙が行われ、共産党は政治的に活躍するが、学連事件の公訴審中に全国一斉の共産党員大検挙が行われる(三・一五事件)。
時の田中義一内閣は、第55回帝国議会に治安維持法改正案を上程し、治安維持法の改正を行って最高刑を死刑とし、共産党を中心する反体制勢力の壊滅を図ろうとしたが、死刑を含む刑罰の強化は、あまりにも弾圧的として野党や言論界の強い反対で改正案は審議未了となった。普通選挙法と新治安立法は相打ちする形となった。
しかし、田中は、議会の審議を経ずに、改正を強行し、緊急勅令「治安維持法中改正ノ件」(昭和3年6月29日勅令第129号)により改正法の公布をした(以下参考の※05のレファレンスコード:A03033700800に、罰則の強化の理由を「罰則が此の極悪なる犯罪に対し不適当不充分なるに由り」とする説明。この改正が、「議会の協賛を得るに至ら」ず、「緊急勅令の形式に依って実施された」ことが記されている。※5のレファレンスコード:A03021692600では、三・一五事件を契機として実施された第1次法改正の御署名原本。改正点が記載されており、主な改正点は、罰則を強化、最高刑を懲役10年から死刑もしくは無期懲役に、したこと、「結社の目的遂行の為にする行為」も処罰の対象に含めるようになったことなどが記されている。)。
同法改悪の第1点は、旧法1条の構成要件を国体変革と私有財産制度の否認とに分離し、国体変革の指導者に対しては死刑、無期、若しくは5年以上の有期懲役と刑罰を加重したことであり、その第2点は、新たに国体変革を目的とする「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者」に2年以上の有期懲役を科したことである。これにより、権力が危険と判断するすべての人を合法的に逮捕、処罰することができる根拠ができたわけである。
さらに政府は、全国主要府県の警察部にも特高警察を設置すると共に、特高警察と両輪的役割りを果たす思想検事(一般検察実務から独立した思想問題専従の特別部として設けられた)を新たに設け、出版法等諸法も治安維持法と結合させて治安立法の役割を担わせ、弾圧体制を一層強化させるなどして、日本共産党を壊滅に追い込んだ。
これは、田中・鈴木・原と政党内閣でありながら大正デモクラシーに批判的な人々が治安関係を占めた(田中は元陸軍大将、鈴木は社会運動弾圧で活躍した検事総長、原は鈴木とともに国本社会員)という矛盾に由来する政策であった。その後、治安維持法は政府批判をする者すべて弾圧の対象となっていき、国民の言論の自由を弾圧する悪法として猛威を振るい始めた。あたかも、日本は恐慌のさなか同盟罷業(ストライキ)や、小作争議の件数がますます増加の一途をたどった。治安維持法は、こうした労働者・農民の抵抗を弾圧し、後には宗教団体や、右翼活動、自由主義等まで弾圧をおこなう法的手段として機能していったのである。同法は、太平洋戦争を目前にした1941(昭和16)年3月10日にはこれまでの全7条のものを全65条とする全面改正(昭和16年3月10日法律第54号)が行われた。
1941(昭和16)年法は同年5月15日に施行されたが、その特徴は以下のようなものであった。
○全般的な重罰化
禁錮刑はなくなり、有期懲役刑に一本化したが、刑期下限が全般的に引き上げられたこと。
○取締範囲の拡大
「国体ノ変革」結社を支援する結社、「組織ヲ準備スルコトヲ目的」とする結社(準備結社)などを禁ずる規定を創設したこと。官憲により「準備行為」を行ったと判断されれば検挙されるため、事実上誰でも犯罪者にできるようになった。また、昭和3年6月29日勅令第129号では、過激社会運動取締法案にあった「宣伝」への罰則は削除されていたがその「宣伝」への罰則が復活した。
○刑事手続面
従来法においては刑事訴訟法によるとされた刑事手続について、特別な(=官憲側にすれば簡便な)手続を導入したこと、例えば、本来判事の行うべき召喚拘引等を検事の権限としたこと、二審制としたこと、弁護人は「司法大臣ノ予メ定メタル弁護士ノ中ヨリ選任スベシ」として私選弁護人を禁じたこと等。 予防拘禁制度 刑の執行を終えて釈放すべきときに「更ニ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ虞アルコト顕著」と判断された場合、新たに開設された予防拘禁所にその者を拘禁できる(期間2年、ただし更新可能)としたこと。
マスメディアは言論の統制を非常に恐れる。20世紀の日本における言論表現に自由とそれに対する規制は、1945(昭和45)年までの戦前・戦中時代、第2次世界大戦後の米軍占領時代、その後現在の3つの時期に分けられるであろう。その中の第2次世界大戦後米軍占領時代、やその後現在のことは省略し、その第1期、先に述べた戦前の明治憲法体制下でのことを少し書こう。
大日本帝国憲法では、「日本臣民は法律の範囲内において言論著作印行集会及結社の自由を有す」と定められたが、その自由はあくまで天皇から臣民に与えられたもので、近代民主主義社会の基本的人権としては保障されなかった。大日本帝国憲法下では、1909(明治42)年の新聞紙法、1925(大正14)年の治安維持法、1938(昭和13)年国家総動員法を柱に、1945(昭和20)年の敗戦まで、言論表現の自由は窒息させられた。同時に富国強兵の国策に共鳴した新聞が率先して、軍国主義世論を誘導、戦争の旗振り役を果たしてきた。しかし、そんな暗い谷間の時代でも、果敢な言論活動を繰り広げていた人たちはいたのである。1904(明治37)年の日露戦争当時歌人与謝野晶子は雑誌『明星』に「君死に給うこと勿れ」を発表、「旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事か」(旅順の城が陥落するか陥落しないかなんてどうでもいいのです)「すめらみことは戦ひに おほみずからは出まさね」(天皇陛下は戦争にご自分は出撃なさらずに)と言い切っている。
今これだけの反戦・天皇批判をどれだけの人、メディアが発表できるだろうか。
東洋経済新報時代の石橋湛山は当時の国策の主流であった「大日本主義」を批判し小日本主義を主張、1921(大正10)年に『大日本主義の幻想』を書き朝鮮・台湾・南樺太の放棄を主張し植民地政策からの絶縁を求めた。また、桐生悠々は明治末から昭和初期にかけて反権力・反軍的な言論(広い意味でのファシズム批判)をくりひろげ、特に1933(昭和8)年信濃毎日新聞時代に関東一帯で行われた防空演習を批判した社説『関東防空大演習を嗤(わら)ふ』で、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災に及ぶであろうこと、空襲は何度も繰り返されるであろうこと・・・等12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言した上で、「だから、敵機を関東の空に、帝都の空に迎へ撃つといふことは、我軍の敗北そのものである」「要するに、航空戦は...空撃したものの勝であり空撃されたものの負である」と喝破。この言説は陸軍の怒りを買い軍部に追われ、ミニコミ誌『他山の石』を出して、日米戦争の危険を警告している。
これらはいずれもジャーナリズム・世論の潮流に逆らう孤立した言論であった。
満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争期、記事掲載禁止が乱発され、真珠湾攻撃の1941(昭和16)年12月8日から軍事上の秘密だとして、気象に関する情報(天気予報)は一切、 新聞やラジオから姿を消したという。そして、嘘で固めた大本営発表は典型的なディスインフォメーション(虚報による世論操作)だった。報道管制は「示達」(当該記事が掲載された時は多くの場合禁止処分に付するもの。)「警告」(当該記事が掲載された時の社会状勢と記事の態様如何により、禁止処分に付することがあるかも知れないもの)「懇談」(当該記事が掲載されても禁止処分に付さないが、新聞社の徳義に訴えて掲載しないように希望するもの。)の3形式で進められ、一方的な示達、警告が圧倒的に多く、懇談はわずかであった。そして、法的根拠のない「懇談」は世論誘導のための内面指導としてマスメディアの積極的協力を得た。現代の記者クラブにも「懇談」は引き継がれ日常化しているという(『クロニカル週刊20世紀』メディアの100年)。
現在、われわれが住む日本の国には、戦後改正された『日本国憲法』があり、国民主権の原則に基づいて象徴天皇制のもと、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄と戦力の不保持という平和主義を定め、また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。又、基本的人権は、単に「人権」「基本権」とも呼ばれ、特に第3章で具体的に列挙されている(人権カタログ)。かかる列挙されている権利が憲法上保障されている人権であるが、明文で規定されている権利を超えて判例上認められている人権も存在する(「表現の自由」や「知る権利」、プライバシーの権利など)。そんな日本で、冒頭にも触れた「特定秘密保護法」が戦前の治安維持法に似ているという指摘がある。
今の日本は戦前の明治憲法制下絶対的な天皇制と軍国主義の日本とは基本的に違う。したがって、言論に関しても、露骨な言論統制はないし、公序良俗に反しないかぎり、言論の自由が許されている。ただ、逆に、先にも述べたような少々の圧力をかけられてもはっきりと真実を述べるだけの勇気あるマスメディアや人が昔のようにいるかに疑問があるくらいである。
治安維持法はすべての国民を対象にする法律だったが、特定秘密保護法は「我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定める」(第1条)ものであり、その対象は一般国民ではない。規制対象になる「特定秘密の取扱者」は主として国家公務員だが、政治家も含まれる。ここから、万が一漏れてはいけない国家秘密が漏れる危険性があると、同盟国であるアメリカが軍事機密を教えてくれないのだという。
尖閣諸島をめぐって中国が盛んに挑発を繰り返している昨今、これではいざというとき日米共同作戦も取れないだろう。秘密保護の法律はアメリカにもあるというが、どこの国にも国外へ洩れてはいけない国家秘密はあるだろうから、その漏えいは守らざるを得ないだろう。「報道の自由が侵害される」という誤解もある。「国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。」ことは第22条に記されており、報道機関は規制対象とはなっていない。
特定秘密保護法は「防衛」「外交」「スパイ」「テロ」と定めれれているが、対象について「その他」という但し書きが出てくるので、政府が無限に拡大解釈できる。秘密保護法は、何を「秘密」にするのか、政府が恣意的に決められる。第三者のチェックも無い。しかも、何が秘密なのかも秘密な為、「特定秘密」に触れたという理由で逮捕された被告人も、何故自分が捕まったのか被疑事実さえ分からない。・・・等々いろいろ心配されるのだが、結局のところ、今の政府・政治家や官僚のするところが、国民やマスコミから十分に信頼されていないところに、このような疑問の声が多く出てくる原因があるのではないだろうか・・・。
東日本大震災・福島第一原発事故以降、原子力発電稼働問題等を含め政府や官僚の言ったりしたりしていることを見ていても全く信用できない状況である。治安維持法も最初は、共産主義・無政府主義などが対象であったのだが、いつのまにか一般市民が弾圧のターゲットとなり、自由にものが言えない社会を作っていった。現行の政府は信頼できても、いつまた前民主党政権のような訳のわからない人達が政治を動かすことになるかもしれない・・・などと考えいると…さすがの私も不安にはなる。政府が情報を秘密にすることと、国民の知る権利とのバランスを維持することは難しい問題だ。私には、余り難しいことはわからないが、兎に角しっかりと国民が監視をしてゆかないといけないだろうね。 
 
治安維持法 5

 

なぜ政党政治は「悪法」を生んだか
特定秘密保護法の参院採決が間近に迫っている中、我々は歴史から何を学べるのか?*0 1925年に成立した治安維持法につきまとう「言論の自由を制限し、戦前の反体制派を弾圧した稀代の悪法」というイメージから一度距離をおいて、その成立・改正・運用を扱った本を読みました。「自由と民主主義を守るためには何が必要か」という問いに、治安維持法という歴史はどういう答えを提示してくれるのでしょうか。
本書の最大の特徴は「治安維持法の成立から廃止に至るまでの経緯を、政党の役割に着目して再検討することで、戦前日本の政党政治の特徴を描く」ところにあります。治安維持法はなぜ、護憲三派の連立政権である加藤高明内閣で「結社」をとりしまる法律として成立したのでしょうか?筆者は、既存研究で重視されていた治安維持法の作成・運用主体である内務省・司法省に加えて、政党という主体にも重点をおいた分析を展開していきます。
内務省、司法省、政友会、憲政会、革新倶楽部
戦前の内務省は行政警察的な側面が強く、「朝憲紊乱」「安寧秩序紊乱」といった曖昧な基準に基づいて集会の解散や結社の禁止という行政処分を予防的に下すことができました。故に筆者は、そのような行政処分と重複する新たな取締法の制定について内務省は消極的であったとします。もう一つの主管官庁である司法省においては、「犯罪を裁くには明確な法的根拠に則るべきだ」という法の支配の概念が根強く存在していました。また伊藤博文により組織された立憲政友会は、外来思想に対抗する手段として教育や宗教の力で国民の思想を健全な方向へと導く「思想善導」を掲げ、取締法の制定にも積極的でした。一方の憲政会は「思想善導」を政友会よりも早く打ち出していたものの、取締法の制定には反対の立場だったとされます。そして護憲三派内閣最後の1党である革新倶楽部は、犬養毅の「思想には思想をもって」という方針のもと、言論・出版・集会の自由を主張していました。このような各主体が存在していた中で、治安維持法はなぜ成立したのでしょうか?その問いにいく前に筆者は治安維持法以前の取締法についても言及しています。
治安維持法以前の取締法
結社に対する取り締まり、その始まりは明治期における民権運動とそれを担った政党に対するものでした。1880年の集会条例を始めとして、保安条例(1887年)、集会及政社法(1890年)、出版条例(1869年)、新聞紙条例(1875年)が制定されていきます。治安維持法以前に本格的に結社を規制した法律として1900年の治安警察法がありますが、結社の禁止処分は行政処分にとどまり、最も重い秘密結社罪でも最大1年の軽禁錮が課されるに過ぎませんでした。抑止力としては弱体であり、それ故に司法省は明確な規制根拠としての新たな取締法の制定を希求したのです。
相次ぐ思想事件、対外環境の変化、そして過激社会運動取締法案の挫折と教訓
法律的な空白に加えて、国内における思想状況の変化や対外環境の変化も治安維持法成立への駆動因となりました。1910年の大逆事件、1920年の森戸事件などの社会主義を背景とした思想事件や、1918年の米騒動という社会の不安定性を露にする事件が相次いで発生したのです。また1919年にはコミンテルンが成立し、共産主義に基づく世界革命の可能性が現実味を帯びていきました。このような状況に対して、原内閣は社会主義団体の監視強化、労働運動に対する融和、そして思想善導といった対策を実施しますが成果は乏しいものでした。その手詰まり感を背景として、1921年には過激社会運動取締法案が検討されるに至ります。既存の法律では共産主義者による国内での思想宣伝行為に対処できず、それを補うことを目的として成立が企図されました。しかしこの法案は貴族院において「朝憲紊乱」や「宣伝」の定義が曖昧であるとの批判(事実上の牛歩戦術)にさらされた挙げ句、国会閉会により廃案となります。しかしこのような失敗は、まさに治安維持法成立のために必要な条件と表裏一体であったと筆者は指摘します。すなわち、法案から曖昧な文言及び宣伝罪を排し、内務省と司法省が協力し、両院を説得し、政友会と憲政会を包摂する政権があることこそが治安維持法成立の必須条件であり、成立時の護憲三派内閣はまさにこれらの条件を満たしていたのです。
治安維持法成立前夜
1920年代の共産主義・社会主義団体の活動活発化の最中で起きたのが関東大震災でした。緊急勅令によって治安維持令が施行され、図らずも過激社会運動取締法案に類似の規制が実現することになります。同勅令はあくまでも緊急のものという認識が司法省にはありましたが、その中で決定打となったのが1923年の虎ノ門事件でした。それまでの社会主義勢力の伸長やソ連からの思想の流入に加えて、普通選挙の施行で想定される社会主義勢力の一層の勢力拡大とテロリズムの可能性が法律策定の理由となったのです。
さて、1925年の治安維持法の成立についてはこれまで二つの有力説が提示されてきました。一つは男子普通選挙を認める引き換えに「ムチ」としての治安維持法が制定されたとするもの、もう一つは同年の日ソ基本条約締結によるソ連との国交樹立から想定されたコミンテルンによる共産主義思想の宣伝を警戒したとするものです。しかし本書はそれらの説に一定の意義を認めた上で、憲政会と政友会が連立し衆議院と貴族院を糾合することが可能になったことが最大の成立要因であると指摘します。
司法省は当初、治安維持法で「宣伝」を取り締まることを目指していましたが、大正デモクラシーの時代にあっては言論の自由を直接取り締まることは困難を伴ったため、最終的に宣伝の拠点となる結社を規制することで同様の効果を得ようとしました。特に憲政会は自ら過激社会運動取締法に反対した経緯もあり、共産主義思想の宣伝についてはソ連との間でそれを取り締まる協定を結べばよいと考えていました。日ソ基本条約第5条にいわゆる「宣伝禁止条項」が挿入されたため、加藤内閣は治安維持法を「結社を取り締まる法律」として成立させる大義名分を得ることになります。
審議、そして成立
1925年2月19日、治安維持法案は第50回議会の衆議院に緊急上程されます。審議の過程では言論・出版の自由侵害の可能性が指摘されたのに加えて、過激社会運動取締法案の時と同様に「国体変革」「政体変革」「私有財産制度否認」といった言葉の定義が議論になりました。これらの言葉の定義が明確化されない限りは、合法的な政治改革がどこまで許容されるのかもまた判然とせず、政党活動や議会を通じた立法活動にすら影響を及ぼすとの危惧があったからです。
○治安維持法第1条
國体ヲ變革シ又ハ私有財產制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ處ス
前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
審議の結果第1条にあった「政体」という言葉は削除され、議会を通じた合法的な政治変革が取り締まられる恐れは減少しました。さらに清瀬一郎は、私有財産制度の否認について社会主義的な政策がどこまで合法と認められるのかを詳らかにしようとしましたが、内務省の山岡刑事局長は統一的な基準を示すことはありませんでした。若槻内相は「言論文章の自由の尊重」を強調し、政府答弁はその点では一貫したものでした。
1925年3月5日、衆議院本会議で治安維持法は可決され貴族院に送付されます。貴族院での審議についても、別件の貴族院改革につき憲政会との交渉の糸口を模索していた最大会派の研究会が摩擦を避けたため、過激社会運動取締法の時のように貴族院がストップをかけることはありませんでした。同年3月19日貴族院で法案可決、4月22日には公布されました。
護憲三派内閣と治安維持法(ここまでのまとめに代えて)
筆者は治安維持法成立の最大の要因は護憲三派内閣であったとします。「アメとムチ」説も「コミンテルン脅威説」も一定の正しさは持ち合わせているものの、そのような「理由」を背景とした上でなぜ議会がこれを可決できたのかというところに着目していると言えます。それはつまり、1憲政会と政友会の連立による議会での多数派形成、2政党を通じた司法省と内務省の架橋、3「宣伝ではなく結社を取り締まる法律」と位置づけることにより各党が「言論の自由」は確保されるとの共通の基盤を形成した、という3つの条件が重なって可能になったのです。また筆者は1925年段階における治安維持法の問題点として、「国体変革」という言葉の定義が曖昧でありその後解釈が書き換えられて拡大適用されたこと、結社の自由な活動を萎縮させる降下をもったことなどを指摘しています。
赤化宣伝
結社を取り締まる法律として成立した治安維持法は、本来赤化宣伝を直接取り締まるものではありませんでした。日ソ基本条約には「宣伝禁止条項」が含まれていましたが、同条項はあくまでも「政府の命令を受けた人間と政府から財政支援を受けた団体」が宣伝をすることを禁止したに過ぎず、コミンテルンが事実上ソ連政府と密接な関係をもっていたにも関わらず、その宣伝行為をも取り締まることは困難でした。まして幣原協調外交のもとでは、宣伝禁止条項の厳格な運用を達成することもできず、同条項は条約締結から1年を待たずに形骸化します。その結果、当局は治安維持法の適用対象拡大に動くことになります。
京都学連事件―治安維持法の初適用
1925年11月、同志社大学で軍事教育に反対するビラがまかれ、京都府特高課は京都地裁検事局検事正と協議の上で京都大学社会科学研究会の一斉捜索を決定します。内務省は若い学生の検挙に消極的でしたが、司法省は本件への治安維持法適用に積極姿勢を見せていました。予審の結果、本件では治安維持法第1条によるところの「結社罪」ではなく、第2条で定義されている「協議罪」*1 の適用が争われることになります。結果としては第一審において、「私有財産制度否認」を目的とした「協議罪」で有罪が宣告されます。治安維持法はその最初の事案において、投書の目的である「結社を取り締まる法律」としては機能しなかったのです。
3.15事件―治安維持法初の全国一斉検挙
日本共産党は1925年の上海会議でコミンテルンから再建を指示され、「君主制の廃止」をうたった27テーゼに基づいて活動を展開していきます。同テーゼが「君主制の廃止」を明記していたため、それまで曖昧だった共産主義が「国体変革」を禁止する治安維持法と一直線に接続されることになります。1928年の第1回男子普通選挙において、共産党は11名の党員を労農党から立候補させます。この公然とした活動は内務省を刺激し、治安維持法第1条の「結社罪」適用を目的とした全国一斉検挙につながることになります。
1928年3月15日、全国で1600名が一斉に検挙されます。ところが、共産党事務局長の家から押収された名簿に記載されていたのは409名であり、検挙者の大半は共産党に加入していないことが発覚します。さらに第1条の結社罪の定義においては、結社には「情ヲ知リテ」すなわち「結社の目的を知った上で」加入していることが要件となっており、名簿に名前があっても結社(加入)罪が成立しないケースさえありました。最終的な起訴数は488名となりましたが、治安維持法はその最初の大規模検挙から、怪しい容疑者を手当たり次第検挙するという「粗雑な運用」を許してしまったのです。
1928年の改正
この時の改正は2つの目的を持っていました。一つは結社罪の最高刑を死刑としたこと*2 、もう一つは目的遂行罪(結社に加入していなくても、国体変革等を目指す結社の目的に寄与する行動を罰するもの)の設定でした。特に後者について、改正後に拡大適用されて猛威を振るうことになります。
3.15事件は治安維持法の適用という意味では「失敗」だったとはいえ、共産主義勢力の伸長に対して政府が危機感を抱くには十分なものでした。田中内閣の原司法相と小川鉄道相は同事件を受けて治安維持法改正に積極的に動くことになります。1928年4月25日、治安維持法改正案は内閣に提出され、次いで第55特別議会で議論されることになります。大きな問題を孕んでいた目的遂行罪についてはほとんど議論されなかったものの、会期が短かったこともあって改正案は審議未了で廃案となります。
しかし、原法相は諦めませんでした。議会の承認を得ずに政府が制定する「緊急勅令」*3 を抜け道としたのです。その要件に鑑みて明らかな濫用であり、田中内閣は議会軽視との批判を受けますが、枢密院審査委員会第6回審査会において同勅令は5対3の僅差で可決されます。さらに本会議での審議が行われますが、このとき昭和天皇は枢密院史上初めて「如何程遅くなりても差支なし、議事を延行すべし」との要望を出しており、表決が1日延ばされました。しかしながら、最終的に反対5賛成24の賛成多数で緊急勅令は可決されます。そして事後の議会では目的遂行罪や法案改正以前に取り締まりを充実させることなどが議論されますが、議会多数を占める政友会は討議を打ち切り、賛成249反対170で事後承認が成立します。
改正後の運用
改正から3ヶ月後には民政党の浜口内閣が成立し政権交替が起きます。浜口政権は当初社会運動に対する取り締まりについて柔軟な姿勢*4 を見せますが、1930年2月の第三次共産党検挙を機に挫折します。同検挙においては共産党の外郭団体に目的遂行罪が適用され、治安維持法の拡大の一端を示しています。裁判の場でも目的遂行罪は存在感を示しました。1931年5月20日の大審院判決では、当人の活動が結社の目的に合致すると客観的に判断できれば(主観的な意図がなくても)目的遂行罪は成立するとの判断がくだされます。検察や警察による恣意的な運用が認められたも同然の判決でした。
1930年代に入り、治安維持法はその膨脹期に入ります。1928年から1940年にかけての検挙者数は6万5153人にのぼった一方で、起訴者数は5397名にとどまります。治安維持法の運用においては、起訴・裁判を通じた処罰よりも身柄拘束に重点が置かれていたことが窺えます。また31年から33年だけでこの期間の半分を占める3万9000人が検挙されますが、その背景には外郭団体への取り締まり強化がありました。目的遂行罪を積極的に適用して、結社罪の適用が難しい外郭団体の摘発を行っていったのです。
他にこの時期には、大量増加する起訴されない検挙者を対象として転向政策の充実を目指した改正も試みられました。司法省は思想犯の社会復帰を危惧し、予防拘禁も含めた協力な転向政策の実現を企図します。予防拘禁の導入は1934年改正案の中で司法省が最も重視した点の一つでしたが、特に貴族院で異論が噴出して同条項が削除されたため、小山内相らは両院協議会を開いて衆議院と貴族院の対立を先鋭化させることで法案を廃案に持ち込みます。不本意な法案が通過するよりもあえて廃案にする道を選んだのです。
宗教団体、右翼団体への適用
さらなる拡大適用の端緒となったのが、1935年の第二次大本教事件でした。公称40万人の信者が国家主義運動に参入することを恐れた内務省が取り締まりに踏み切ったのです。本件は共産主義活動ではなく国家主義運動に治安維持法が適用された唯一の事例であると同時に、宗教団体への取り締まりが本格化するきっかけとなりました。予審調書では出口王仁三郎が日本の統治者になることを目的としていたとの認定がなされ、内務省は「国体変革」の罪を大本教に強引にあてはめて宗教団体に治安維持法を適用する前例を作ったのです。その後仏教系・キリスト教系の団体が幅広く摘発されていきます。しかしながら国家主義運動を対象とした取り締まりはその本丸である右翼団体に及ぶことはありませんでした。各団体が「忠君愛国」を掲げて天皇制を奉じている以上、警察は限定的な指導を行うことしかできませんでした。
前年の1934年の改正案では国家主義運動の取り締まりが争点になっていましたが、松本警保局長が「右翼思想は共産主義と異なり体系化しておらず、思想として取り締まることが難しい。テロを起こした右翼は一時的に集まったに過ぎず(恒久的な結社ではない)一時的の現象」であると答弁するなどし、結局右翼対策は盛り込まれませんでした。またファシズム対策の一環として、1925年の成立時に削除された「政体変革」が政党の手で再度盛り込まれる可能性もありました。しかし筆者は、自らの合法的政治変革の可能性を守るために規制対象から「政体変革」を削除した1925年の段階の政党に対して、1930年代の政党は自らをテロから守るために「政体変革」を積極的に改正案に盛り込もうとしていたと指摘し、政党の凋落を如実にあらわしていると述べています。
ここまでのまとめ
内務省と司法省は法律と現状との間に齟齬を認めると、まず拡大解釈、ついで法改正を志向することで穴を埋めようとしました。2度に渡る改正の試みは失敗しましたが、目的遂行罪を中心とした摘発の増加により、共産党・その外郭団体共に1935年までにほぼ壊滅します。しかしその後も治安維持法は適用対象を拡大し、宗教団体、学術研究会(唯物論研究会)、芸術団体なども摘発されていきます。こういった適用対象の成立当初の目的を逸脱した拡大は思想検事たちも認めるところであり、だからこそ彼らは改正を志向しましたが、もはやその改正は誰かの政治的リーダーシップのもとに行われるものではありませんでした。思想検事の一人・中村義郎は、「制度というものの通弊で、ひとりでに増殖していく」と回顧しています。
筆者によれば、最大の問題は政党の凋落でした。1930年代の各党は政争に明け暮れ、治安維持法を制御できないばかりかそれに守ってもらおうとすらする有様でした。また陸軍の台頭についても筆者は言及しています。人民戦線事件の背景には陸軍皇道派の影響が指摘され、内務省は陸軍との関係で運用に恣意的にならざるを得なかったのです。
1941年の改正
1925年の成立、1928年の改正、そして1930年代の膨脹・・・治安維持法の中身に再び大きな変化が見られるのは1941年の改正でのことになります。起草に関わった司法官僚・太田耐造が「名は法律改正であるが、其の実質は全く新たな立法と云うに足る大改正である」と評したように、それは大幅な変貌をもたらすものでした。1941年の改正は現場からの要請を背景としていました。人民戦線事件に関しては裁判所が無罪判決をくだすこともあったため、起訴不起訴の基準を明確化してほしいという思想検事たちの要望があったのです。それに加えて、警察の強引な取り調べの防止や、
裁判所の令状を不要とする検事の強制捜査権の確立も目指されました。また社会的な背景としては、日中戦争の長期化に伴う厭戦気分が共産主義伸張に繋がることへの恐れや、右翼団体の勢力拡大への危惧もありました。
司法省が検討した改正案では、それまで目的遂行罪などを運用して取り締まってきた宗教団体などに対する取り締まり条項の明確化、罰則の強化、刑事手続きの特例付与(令状なしの召喚や勾留、二審制の導入による審理の迅速化など)、予防拘禁の導入が具体的な改正点として盛り込まれています。しかし改正の際に最大の問題となったのは、近衛文麿を中心とする新体制運動でした。ファシズムをヒントに立案された統制経済体制を主張していた大政翼賛会の成立に対し、観念右翼や財界から「幕府的存在」「共産主義」との批判が繰り広げられたのです。すなわち、統制経済体制の推進は治安維持法が禁じる「私有財産体制の否定」につながるのではないかとの疑念が呈されたのです。改正案の議論の過程で、平沼内相の「翼賛会は公事結社(政治活動の認められない結社)である」「私有財産制度の制限と私有財産制度の否定は異なる」という見解が表明されたため翼賛会は治安維持法の適用対象から外れますが、近衛の権力基盤としては挫折を余儀なくされます。
以上のような紛糾は伴ったものの、改正治安維持法は可決成立し、1941年3月10日に公布されます。
改正治安維持法の運用
検挙者数と起訴者数から見ると、30年代に比べて減少が見られると筆者は指摘します。特徴としては、民族独立運動と宗教団体の検挙が増え、全体的に起訴率が上昇し、科刑が長期化して執行猶予が減ったことがあげられます。また検挙の半分以上が目的遂行罪による摘発でした。太平洋戦争下における治安維持法運用にあたって著名なのは、ゾルゲ事件です。一連のスパイ活動の結果検挙されたゾルゲと尾崎秀実は、治安維持法、国防保安法、軍機保護法、軍用資源秘密保護法違反で死刑を宣告されます。治安維持法違反事件としては唯一死刑が科された事例ですが、直接の理由は国防保安法第4条2項の国家機密漏洩罪でした。治安維持法の観点からすれば、ゾルゲの罪状はコミンテルンのために活動したとする目的遂行罪にあたるものでした。
また改正治安維持法は新興宗教団体に対しても猛威を振るいます。宗派を問わず小規模新興宗教に対する摘発が相次ぎ、連合国のスパイ行為や非戦・反戦運動の疑いをかけられたキリスト教系宗教団体も積極的に取り締まられました。反戦思想すらも「国体を否定する」ものとして扱われたのです。宗教団体系の事件では検挙後早期に転向を表明する者も多くいましたが、創価学会創始者の牧口常三郎は転向を拒否して獄中死します。改正の目玉の一つであった予防拘禁も実施されます。全国唯一の予防拘禁所が豊多摩刑務所内に設置され、被拘禁者の隔離と改善が図られました。予防拘禁者の数は大戦末期の時点でも65名にとどまり大規模に運用されたとは言い難い面もありますが、非転向者の隔離は法治主義と人権の観点から見て大いに問題を孕んだものでした。
太平洋戦争の勃発後は、治安維持法以外の法律が猛威を振るった面もあると筆者は指摘します。開戦直後にできた「言論、出版、集会、結社等臨時取締法(通称:臨時取締法)」がそれであり、明治期に出来た出版法等に基づく言論規制をさらに強化するものでした。流言飛語に対する罰則規定もあり、それに依拠して東条政権は憲兵を動員して反戦的言論の取り締まりを行いました。同法違反による検挙者数は、例えば43年の数字では治安維持法によるそれを圧倒的に上回っています。
そして終戦間際には治安維持法最後の事件ともいえる横浜事件が起きますが、1945年9月に日本は無条件降伏し戦前日本の秩序維持の指針であった治安維持法はその存在意義を揺らがせます。
治安維持法と戦後
終戦直後も内務省・東久邇宮内閣は共産主義者を牽制するために治安維持法の温存を企図していました。しかし現場ではそれに基づく検挙が控えられ、45年10月にはいわゆる「人権指令」が出されて東久邇宮内閣は一連の取締法の撤廃を迫られます。後続の幣原内閣は10月13日に治安維持法の廃止を決定し、20年に及ぶ歴史の幕を閉じることになります。
東京裁判で検事役を務めた国際検察局のオランダ代表は、
治安維持法は本来、共産主義運動を取り締まるために制定されたことはほとんど疑いない。しかし、その規定は余りに漠然としているため、あらゆる運動、あらゆる意見の発表を取り締まるために用いられ得る
と治安維持法を評しています。
しかし、治安維持法的な法律は戦後も存在し続けました。GHQによる団体等規正令や暴力主義的破壊活動を規制する破壊活動防止法がそれにあたります。破防法は共産党の非合法活動に備えるという終戦直後特有の事情のもとに成立しましたが、今では組織的テロを防ぐための法律という顔を持つに至っています。その適用実績は戦前に比べると極めて少ないものですが、今後も慎重な運用が求められると筆者は指摘しています。
治安維持法とは何だったのか
当初治安維持法は、政党政治のもとで成立しました。しかし1930年代に入って政党は力を失い、治安維持法を制御できなくなるのみならずテロから身を守るために同法に保護を求める有様でした。では政党は何をすべきだったのでしょうか?筆者は、そもそも暴力や革命となる基盤となっていた結社を取り締まろうとして成立した治安維持法が、本来は暴力から保護されるべき言論へと対象を広げた事に問題があると指摘し、共産主義思想よりも不法な暴力や国家主義運動によるテロを取り締まるべきであったと主張しています。
冒頭の「自由と民主主義を守る上で何が必要か」という問いに対して筆者は、「現代社会においてまず尊重されるべきは個人の言論であり、そのためには思想、出版、結社の自由はみな大切である。そして個人の言論を不当に抑圧することは方法を問わず許されない。そのような結社はやはり規制されるべきである」との極めて常識的な結論に達しています。誰もが字面では分かっていることではありますが、治安維持法の辿ってきた歴史はこの「民主主義にとって当たり前のこと」が政党内閣下であっても容易に弾圧され得るという歴史の暗部を我々に示してくれているのではないでしょうか。
付記:特定秘密保護法案との関連について(この箇所は本記事執筆者の見方です)
今週にも参議院で採決が見込まれている特定秘密保護法案について、一部で治安維持法になぞらえて批判する見方があるようです。本書序盤に書かれているように、治安維持法はそもそも共産主義思想の拡大を防ぐために結社を取り締まる法律として成立しました。特定秘密保護法案のように機密漏洩を防止するものとしてはむしろ、この記事で紹介したような軍機保護法や国防保安法の方が内容や位置づけ的に近いのではないかと思います。「治安維持法」という言葉が持つ戦前期・戦中期の暗部を想起させる負の力に頼り、安易なラベル付けをして現在審議中の法案を批判するのは法案の中身に対する真摯な議論とは少し毛色が違うものなのかもしれません。
無論、治安維持法から得られる示唆もあるでしょう。本書(の紹介)で見てきたように、共産主義思想の拡大を防ぐために結社を取り締まる、という治安維持法の当初目的はなし崩し的に拡大解釈・適用されていきました。それは一重に、「国体変革」や「朝憲紊乱」といった条文中の定義の曖昧さが官僚組織に拡大解釈の余地を与えてしまったことや、政党政治が軍やテロリズムに萎縮し政争に明け暮れて堕落したことの結果でした。目的や内容の現法案との類似性というよりも、定義が曖昧な法律が政党内閣下で成立し、それを政治家がコントロールできずに官僚が恣意的に拡大運用を続けていった結果悲劇を招いたという過程こそが、現在議論されている法案を批評する時に我々が得られる示唆であるように思います。

*0:「現在における教訓とすべし」という意味で歴史を有用化することには若干のためらいもあることも付記しておきます。
*1:第1条で指定されている国体変革などの事項を目的とした協議を行うことに対し課される罪で、第1条より量刑は軽い
*2:ただし日本国内において治安維持法のみで死刑を執行されたケースは存在しない。治安維持法が適用された中で起訴者が死刑を科され唯一のケースはゾルゲ事件だが、本件については治安維持法違反ではなく国防保安法違反を理由として死刑が科された
*3:もちろん無条件に発動できるわけではなく、公共の安全を保持し災厄を避ける目的であること、議会が閉会中であること、緊急の必要性があることが要件とされ、また事前に枢密院の審査を受け事後に議会の承認を受ける必要がありました
*4:学生検挙者への寛容な処置、合法的な社会運動と共産主義運動の峻別、思想犯に対する取り扱いの改善 
 
治安維持法 6

 

治安維持法 (大正14・4・22法四六)
第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的卜テシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第二条 前条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処スル
第三条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第四条 第一条第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第五条 第一条第一項及前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトラ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ
第六条 前五条ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ軽減又ハ免除ス
第七条 本法ハ何人ヲ問ハス本法施行区域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦適用ス
附則
大正十二年勅令第四百三号ハ之ヲ廃止ス
第一条 国体を変革しまたは私有財産制度を否認することを目的として結社を組織しまたは事情を知りながらこれに加入した者は十年以下の懲役または禁固に処する。
2 前項の未遂罪はこれを罰する。
第二条 前条第一項の目的をもってその目的にある事項の実行に関して協議した者は七年以下の懲役または禁固に処する。
第三条 第一条第一項の目的をもってその目的にある事項の実行を煽動した者は七年以下の懲役または禁固に処する。
第四条 第一条第一項の目的をもって騒乱、暴行その他生命、身体または財産に害を加えるための犯罪を煽動した者は十年以下の懲役または禁固に処する。
第五条 第一条第一項および前三条の罪を犯させる目的で金品その他の財産上の利益を供与またはその申込みもしくは約束をした者は五年以下の懲役または禁固に処する。
2 事情を知りながら供与を受けまたはその要求もしくは約束をした者もまた同じ。
第六条 前五条の罪を犯した者が自首した時はその刑を軽減または免除する。
第七条 本法は何人を問わない。本法施行区域外において罪を犯した者にも適用する。
付則
大正十二年勅令第四百三号はこれを廃止する。
治安維持法 (一九四一年=昭和十六年)
第一章 罪
第一条 国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ三年以上ノ有期懲役ニ処ス
第二条 前条ノ結社ヲ支援スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役二処シ惰ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期懲役二処ス
第三条 第一条ノ結社ノ組織ヲ準備スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ五年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス
第四条 前三条ノ目的ヲ以テ集団ヲ結成シタル者又ハ集団ヲ指導シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ前三条ノ目的ヲ以テ集団ニ参加シタル者又ハ集団ニ関シ前三条ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス
第五条 第一条乃至第三条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議若ハ煽動ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ヲ宣伝シ其ノ他其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上十年以下ノ懲役ニ処ス
第六条 第一条乃至第三条ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フベキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ二年以上ノ有期懲役ニ処ス
第七条 国体ヲ否定シ又ハ神宮若ハ皇室ノ尊厳ヲ冒涜スベキ事項ヲ流布スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ無期又ハ四年以上ノ懲役ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ牢有期懲役ニ処ス
第八条 前条ノ目的ヲ以テ集団ヲ結成シタル者又ハ集団ヲ指導シタル者ハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ前条ノ目的ヲ以テ集団ニ参加シタル者又ハ集団ニ関シ前条ノ目的遂行ノ為にスル行為ヲ為シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス
第九条 前八条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同ジ
第十条 私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者若ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第十一条 前条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮に処ス
第十二条 第十条ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フベキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
第十三条 前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ば禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同ジ
第十四条 第一条乃至第四条、第七条、第八条及第十条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第十五条 本章ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス
第十六条 本章ノ規定ハ何人ヲ問ハズ本法施行地外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス
第二章 刑事手続
第十七条 本章ノ規定ハ第一章ニ掲グル罪ニ関スル事件ニ付之ヲ適用ス
第十八条 検事ハ被疑者ヲ召喚シ又ハ其ノ召喚ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
検事ノ命令因り司法警察官ノ発スル召喚状ニハ命令ヲ為シタル検事ノ職、氏名及其ノ命令ニ因り之ヲ発スル旨ヲモ記載スベシ
召喚状ノ送達ニ関スル裁判所書記及執達吏ニ属スル職務ハ司法警察官吏之ヲ行フフトヲ得
第十九条 被疑者正当ノ事由ナクシテ前条ノ規定ニ依ル召喚ニ応ゼズ又ハ刑事訴訟法第八十七条第一項各号ニ親定スル事由アルトキハ検事ハ被疑者ヲ勾引シ又ハ其ノ勾引ヲ他ノ検事二嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
前条第二項ノ規定ハ検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル勾引状ニ付之ヲ準用ス
第二十条 勾引シタル被疑者ハ指定セラレタル場所ニ引致シタル時ヨリ四十八時間内ニ検事又ハ司法警察官之ヲ訊問スベシ其ノ時間内ニ勾留状ヲ発セザルトキハ検事ハ被疑者ヲ釈放シ又ハ司法警察官ヲシテ之ヲ釈放セシムベシ
第二十一条 刑事訴訟法第八十七条第一項各号ニ規定スル事由アルトキハ検事ハ被疑者ヲ勾留シ又ハ其ノ勾留ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
第十八条第二項ノ規定ハ検事ノ命令ニ因リ司法警察官ノ発スル勾留状ニ付之ヲ準用ス
第二十二条 勾留ニ付テハ警察官署又ハ憲兵隊ノ留置場ヲ以テ監獄ニ代用スルコトヲ得
第二十三条 勾留ノ期間ハ二月トス特ニ継続ノ必要アルトキハ地方裁判所検事又ハ区裁判所検事ハ検事長ノ許可ヲ受ケ一月毎ニ勾留ノ期間ヲ更新スルコトヲ得但シ通ジテ一年ヲ超ユルコトヲ得ズ
第二十四条 勾留ノ事由消減シ其ノ他勾留ヲ継続スルノ必要ナシト思料スルトキハ検事ハ速ニ被疑者ヲ釈放シ又ハ司法警察官ヲシテ之ヲ釈放セシムベシ
第二十五条 検事ハ被疑者ノ住居ヲ制限シテ拘留ノ執行ヲ停止スルコトヲ得
刑事訴訟法第百十九条第一項ニ規定スル事由アル場合ニ於テハ検事ハ勾留ノ執行停止ヲ取消スコトラ得
第二十六条 検事ハ被疑者ヲ訊問シ又ハ其ノ訊問ヲ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
検事ハ公訴提起前ニ限リ証人ヲ訊問シ又ハ其ノ訊問ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
司法警察官検事ノ命令ニ因り被疑者又ハ証人ヲ訊問シタルトキハ命令ヲ為シタル検事ノ職、氏名及其ノ命ニ因リ訊問シタル旨ヲ訊問調書ニ記載スベシ
第十八条第二項及第三項ノ規定ハ証人訊問ニ付之ヲ準用ス
第二十七条 検事ハ公訴提起前ニ限リ押収、捜索若ハ検証ヲ為シ又ハ其ノ処分ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
検事ハ公訴提起前ニ限リ鑑定、通訳若ハ翻訳ヲ命ジ又ハ其ノ処分ヲ他ノ検事ニ嘱託シ若ハ司法警察官ニ命令スルコトヲ得
前条第三項ノ規定ハ押収、捜索又ハ検証ノ調書及鑑定人、通事又ハ翻訳人ノ訊問調書ニ付之ヲ準用ス
第十八条第二項及第三項ノ規定ハ鑑定、通訳及翻訳ニ付之ヲ準用ス
第二十八条 刑事訴訟法中被告人ノ召喚、勾引及勾留、被告人及証人ノ訊問、押収、捜索、検証、鑑定、通訳並ニ翻訳ニ関スル規定ハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外被疑事件ニ付之ヲ準用ス但シ保釈及責付ニ関スル規定ハ此ノ限ニ在ラズ
第二十九条 弁護人ハ司法大臣ノ予メ指定シタル弁護士ノ中ヨリ之ヲ選任スベシ但シ刑事訴訟法第四十条第二項ノ規定ノ適用ヲ妨ゲズ
第三十条 弁護人ノ数ハ被告人一人ニ付二人ヲ超ユルコトヲ得ズ
弁護人ノ選任ハ最初ニ定メタル公判期日ニ係ル召喚状ノ送達ヲ受ケタル日ヨリ十日ヲ経過シタルトキハ之ヲ為スコトヲ得ズ但シ巳ムコトラ得ザル事由アル場合ニ於テ裁判所ノ許可ヲ受ケタルトキハ此ノ限ニ在ラズ
第三十一条 弁護人ハ訴訟ニ関スル書類ノ謄写ヲ為サントスルトキハ裁判長又ハ予審判事ノ許可ヲ受クルコトラ要ス
弁護人ノ訴訟ニ関スル書類ノ閲覧ハ裁判長又ハ予審判事ノ指定シタル場所ニ於テ之ヲ為スベシ
第三十二条 被告事件公判ニ付セラレタル場合ニ於テ検事必要アリト認ムルトキハ管轄移転ノ請求ヲ為スコトヲ得但シ第一回公判期日ノ指定アリタル後ハ此ノ限二在ラズ
前項ノ請求ハ事件ノ繋属スル裁判所及移転先裁判所ニ共通スル直近上級裁判所ニ之ヲ為スベシ
第一項ノ請求アリタルトキハ決定アル迄訴訟手続ヲ停止スベシ
第三十三条 第一章ニ掲ゲル罪ヲ犯シタルモノト認メタル第一審ノ判決二対シテハ控訴ヲ為スコトヲ得ズ
前項ニ規定スル第一審ノ判決ニ対シテハ直接上告ヲ為スコトヲ得
上告ハ刑事訴訟法ニテ第二審ノ判決ニ対シ上告ヲ為スコトヲ得ル理由アル場合ニ於テ之ヲ為スコトヲ得、
上告裁判所ハ第二審ノ判決ニ対スル上告事件ニ関スル手続ニ依リ裁判ヲ為スベシ
第三十四条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノト認メタル第一審ノ判決ニ対シ上告アリタル場合二於テ上告裁判所同章ニ掲グル罪ヲ犯シタルモノニ非ザルコトヲ疑フニ足ルベキ顕著ナル事由アルモノト認ムルトキハ判決ヲ以テ原判決ヲ破毀シ事件ヲ管轄控訴裁判所ニ移送スベシ
第三十五条 上告裁判所ハ公判期日ノ通知ニ付テハ刑事訴訟法第四百二十二条第一項ノ期間ニ依ラザルコトヲ得
第三十六条 刑事手続ニ付テハ別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外一般ノ規定ノ適用アルモノトス
第三十七条 本章ノ規定ハ第二十二条、第二十三条、第二十九条、第三十条第一項、第三十二条、第三十三条及第三十四条ノ規定ヲ除クノ外軍法会議ノ刑事手続ニ付之ヲ準用ス此ノ場合ニ於テ刑事訴訟法第八十七条第一項トアルハ陸軍軍法会議法第百四十三条又ハ海軍軍法会議法第百四十三条、刑事訴訟法第四百二十二条第一項トアルハ陸軍軍法会議法第四百四十四条第一項又ハ海軍軍法会議法第四百四十六条第一項トシ第二十五条第二項中刑事訴訟法第百十九条第一項ニ規定スル事由アル場合ニ於テハトアルハ何時ニテモトス
第三十八条 朝鮮ニ在リテハ本章中司法大臣トアルハ朝鮮総督、検事長トアルハ覆審法院検事長、地方裁判所検事又ハ区裁判所検事トアルハ地方法院検事、刑事訴訟法トアルハ朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑事訴訟法トス但シ刑事訴訟法第四百二十二条第一項トアルハ朝鮮刑事令第三十一条トス
第三章 予防拘禁
第三十九条 第一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレタル者其ノ執行ヲ終リ釈放セラルベキ場合ニ於テ釈放後ニ於テ更ニ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ虞アルコト顕著ナルトキハ裁判所ハ検事ノ請求ニ因リ本人ヲ予防拘禁ニ付スル旨ヲ命ズルコトヲ得
策一章ニ掲グル罪ヲ犯シ刑ニ処セラレ其ノ執行ヲ終リタル者又ハ刑ノ執行猶予ノ言渡ヲ受ケタル者思想犯保護観察法ニ依リ保護観察ニ付セラレ居ル場合ニ於テ保護観察ニ依ルモ同章ニ掲グル罪ヲ犯スノ危険ヲ防止スルコト困難ニシテ更ニ之ヲ犯スノ虞アルコト顕著ナルトキ亦前項ニ同ジ
第四十条 予防拘禁ノ請求ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事其ノ裁判所ニ之ヲ為スベシ
前項ノ請求ハ保護観察ニ付セラレ居ル者ニ係ルトキハ其ノ保護観察ヲ為ス保護観察所ノ所在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事其ノ裁判所ニ之ヲ為スコトヲ得
予防拘禁ノ請求ヲ為スニハ予メ予防拘禁委員会ノ意見ヲ求ムルコトヲ要ス
予防拘禁委員会ニ関スル規定ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
第四十一条 検事ハ予防拘禁ノ請求ヲ為スニ付テハ必要ナル取調ヲ為シ又ハ公務所二照会シテ必要ナル事項ノ報告ヲ求ムルコトヲ得
前項ノ取調ヲ為スニ付必要アル場合ニ於テハ司法警察官吏ヲシテ本人ヲ同行セシムルコトヲ得
第四十二条 検事ハ本人定リタル住居ヲ有セザル場合又ハ逃亡シ若ハ逃亡スル虞アル場合ニ於テ予防拘禁ノ請求ヲ為スニ付必要アルトキハ本人ヲ予防拘禁ニ仮ニ収容スルコトヲ得但シ已ムコトヲ得ザル事由アル場合ニ於テハ監獄ニ仮ニ収容スルコトヲ妨ゲズ
前項ノ仮収容ハ本人ノ陳述ヲ聴キタル後ニ非ザレバ之ヲ為スコトヲ得ズ但シ本人陳述ヲ肯ゼズ又ハ逃亡シタル場合ハ此ノ限リニ在ラズ
第四十三条 前条ノ仮収容ノ期間ハ十日トス其ノ期間内ニ予防拘禁ノ請求ヲ為サザルトキハ速ヤカニ本人ヲ釈放スベシ
第四十四条 予防拘禁ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ本人ノ陳述ヲ聴キ決定ヲ為スベシ此ノ場合二於テハ裁判所ハ本人ニ出頭ヲ命ズルコトヲ得
本人陳述ヲ肯ゼズ又ハ逃亡シタルトキハ陳述ヲ聴カズシテ 決定ヲ為スコトヲ得
刑ノ執行終了前予防拘禁ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ刑ノ執行終了後ト維モ予防拘禁ニ付スル旨ノ決定ヲ為スコトヲ得
第四十五条 裁判所ハ事実ノ取調ヲ為スニ付必要アル場合ニ於テハ参考人ニ出頭ヲ命ジ事実ノ陳述又ハ鑑定ヲ為サシムルコトヲ得
裁判所ハ公務所ニ照会シテ必要ナル事項ノ報告ヲ求ムルコトヲ得
第四十六条 検事ハ裁判所ガ本人ヲシテ陳述ヲ為サシメ又ハ参考人ヲシテ事実ノ陳述又ハ鑑定ヲ為サシムル場合ニ立会ヒ意見ヲ開陳スルコトヲ得
第四十七条 本人ノ属スル家ノ戸主、配偶者又ハ四親等内ノ血族又ハ三親等内ノ姻族ハ裁判所ノ許可ヲ受ケ輔佐人ト為ルコトヲ得
輔佐人ハ裁判所ガ本人ヲシテ陳述ヲ為サシメ若ハ参考人ヲシテ事実ノ陳述若ハ鑑定ヲ為サシムル場合ニ立会ヒ意見ヲ開陳シ又ハ参考ト為ルベキ資料ヲ提出スルコトヲ得
第四十八条 左ノ場合ニ於テハ裁判所ハ本人ヲ勾引スルコトヲ得
一 本人定リタル住居ヲ有セザルトキ
二 本人逃亡シタルトキ又ハ逃亡スル虞アルトキ
三 本人正当ノ理由ナクシテ第四十四条第一項ノ出頭命令ニ応セサルトキ
第四十九条 前条第一号又ハ第二号ニ規定スル事由アルトキハ裁判所ハ本人ヲ予防拘禁所ニ仮ニ収容スルコトヲ得但シ己ムコトヲ得ザル事由アル場合ニ於テハ監獄ニ仮ニ収容スルコトヲ彷ゲズ
本人監獄ニ在ルトキハ前項ノ事由ナシト雖モ之ヲ仮ニ収容スルコトヲ得
第四十二条第二項ノ規定ハ第一項ノ場合ニ付之ヲ準用ス
第五十条 別段ノ規定アル場合ヲ除クノ外刑事訴訟法中勾引ニ関スル規定ハ第四十八条 ノ勾引ニ、勾留ニ関スル規定ハ第四十二条及前条ノ仮収容ニ付之ヲ準用ス但シ保釈及責付ニ関スル規定ハ此ノ限ニ在ラズ
第五十一条 予防拘禁ニ付キセザル旨ノ決定ニ対シテハ検事ハ即時抗告ヲ為スコトヲ得
予防拘禁ニ付スル旨ノ決定ニ対シテハ本人及輔佐人ハ即時抗告ヲ為スコトヲ得
第五十二条 別段ノ協定アル場合ヲ除クノ外刑事訴訟法中決定ニ関スル規定ハ第四十四条ノ決定ニ、即時抗告ニ関スル規定ハ前条ノ即時抗告ニ付之ヲ準用ス
第五十三条 予防拘禁ニ付セラレタル者ハ予防拘禁所ニ之ヲ収容シ改悛セシムル為必要ナル処置ヲ為スベシ
予防拘禁所二関スル規程ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム
第五十四条 予防拘禁ニ付セラレタル者ハ法令ノ範囲内ニ於テ他人ト接見シ又ハ信書其ノ他ノ物ノ授受ヲ為スコトラ得
予防拘禁ニ付セラレタル者ニ対シテハ信書其ノ他ノ物ノ検閲差押若ハ没取ヲ為シ又ハ保安若ハ懲戒ノ為必要ナル処置ヲ為スコトラ得仮ニ収容セラレタル者及本章ノ規定ニ依リ勾引状ノ執行ヲ受ケ留置セラレタル者ニ付亦同ジ
第五十五条 予防拘禁ノ期間ハ二年トス特ニ継続ノ必要アル場合ニ於テハ裁判所ハ決定ヲ以テ之ヲ更新スルコトヲ得
予防拘禁ノ期間満了前更新ノ請求アリタルトキハ裁判所ハ期間満了後ト雖も更新ノ決定ヲ為スコトヲ得
更新ノ決定ハ予防拘禁ノ期間満了後確定シタルトキト雖モ之ヲ期間満了ノ時確定シタルモノト看做ス
第四十条、第四十一条及第四十四条乃至第五十二条ノ規定ハ更新ノ場合ニ付之ヲ準用ス此ノ場合ニ於テ第四十九条第二項中監獄トアルハ予防拘禁所トス
第五十六条 予防拘禁期間ハ決定確定ノ日ヨリ起算ス拘禁セラレザル日数又ハ刑ノ執行ノ為拘禁セラレタル日数ハ決定確定後ト雖モ前項ノ期間ニ算入セズ
第五十七条 決定確定ノ際本人受刑者ナルトキハ予防拘禁ハ刑ノ執行終了後之ヲ執行ス
監獄ニ在ル本人ニ対シ予防拘禁ヲ執行セントスル場合ニ於テ移送ノ準備其ノ他ノ事由ノ為特ニ必要アルトキハ一時拘禁ヲ継続スルコトラ得
予防拘禁ノ執行ハ本人ニ対スル犯罪ノ捜査其ノ他ノ事由ノ為特ニ必要アルトキハ決定ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事ノ指揮ニ因リ之ヲ停止スルコトヲ得
刑事訴訟法第五百三十四条乃至第五百三十六条及第五百四十四条乃至第五百五十二条ノ規定ハ予防拘禁ノ執行ニ付之ヲ準用ス
第五十八条 予防拘禁ニ付セラレタル者収容後其ノ必要ナキニ至リタルトキハ第五十五条ニ規定スル期間満了前ト雖モ行政官庁ノ処分ヲ以テ之ヲ退所セシムベシ
第四十条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ付之ヲ準用ス。
第五十九条 予防拘禁ノ執行ヲ為サザルコト二年ニ及ビタルトキハ決定ヲ為シタル裁判所ノ検事又ハ本人ノ現在地ヲ管轄スル地方裁判所ノ検事ハ事情ニ因り其ノ執行ヲ免除スルコトヲ得
第四十条第三項ノ規定ハ前項ノ場合ニ付之ヲ準用ス
第六十条 天災事変ニ際シ予防拘禁所内ニ於テ避難ノ手段ナシト認ムルトキハ収容セラレタル者ヲ他所ニ護送スベシ若シ護送スルノ暇ナキトキハ一時之ヲ解放スルコトヲ得
解放セラレタル者ハ解放後二十四時間内ニ予防拘禁所又ハ警察官署ニ出頭スベシ
第六十一条 本章ノ規定ニ依リ予防拘禁所若ハ監獄ニ収容セラレタル者又ハ勾引状若ハ逮
捕状ヲ執行セラレタル者逃走シタルトキハ一年以下ノ懲役ニ処ス
前条第一項ノ規定ニ依リ解放セラレタル者同条第二項ノ規定ニ違反シタルトキ亦前項ニ同ジ
第六十二条 収容設備若ハ械具ヲ損壊シ、暴行若ハ脅迫ヲ為シ又ハ二人以上通謀シテ前条第一頂ノ罪ヲ犯シタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ処ス
第六十三条 前二条ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
第六十四条 本法規定スルモノノ外予防拘禁ニ関シ必要ナル事項ハ命令ヲ以テ之ヲ定ム
第六十五条朝鮮ニ在リテハ予防拘禁ニ関シ地方裁判所ノ為スベキ決定ハ地方法院ノ合議部ニ於テ之ヲ為ス
朝鮮ニ在リテハ本書中地方裁判所ノ検事トアルハ地方法院ノ検事、思想犯保護観察法トアルハ朝鮮思想犯保護観察令、刑革訴訟法トアルハ朝鮮刑事令ニ於テ依ルコトヲ定メタル刑事訴訟法トス
附則
本法施行ノ期日ハ勅令ヲ以テ之ヲ定ム(以下略)
第一章 罪
第一条 国体を変革する目的で結社を組織した者または結社の役員その他指導者の任務に就いた者は死刑または無期もしくは七年以上の懲役に処し、その事情を知っていて結社に加わった者または結社の目的遂行のためにの行為をした者は三年以上の有期懲役に処する。
第二条 前条の結社を支援する目的で結社を組織した者または結社の役員その他指導者の任務に就いている者は死刑または無期もしくは五年以上の懲役に処し、事情を知っていて結社に加入した者または結社の目的遂行のための行為をした者は二年以上の有期懲役を処する。
第三条 第一条の結社の組織を準備することを目的として結社を組織した者または結社の役員その他の指導者の任務に就いた者は死刑または無期もしくは五年以上の懲役に処し、事情を知っていて結社に加入した者または結社の目的遂行のための行為をした者は二年以上の有期懲役に処する。
第四条 前三条の目的をもって集団を結成した者または集団を指導した者は無期または三年以上の懲役に処し、前三条の目的をもって集団に参加した者または集団による前三条の目的遂行のための行為をした者は一年以上の有期懲役に処する。
第五条 第一条および第三条の目的をもってその目的にある事項の実行について協議もしくは煽動し、またはその目的にある事項を宣伝しその他その目的遂行のためにする行為をした者は一年以上十年以下の懲役に処する。
第六条 第一条および第三条の目的をもって騒乱、暴行その他生命、身体または財産に害を加える犯罪を煽動した者は二年以上の有期懲役に処する。
第七条 国体を否定しまたは神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜する内容を流布することを目的として、結社を組織した者または結社の役員その他指導者の任務に就いた者は無期または二年以上の懲役に処し、事情を知っていて結社に加入した者または結社の目的遂行のための行為をした者は一年以上の牢有期懲役に処する。
第八条 前条の目的をもって集団を結成した者または集団を指導した者は無期または三年以上の懲役に処し、前条の目的をもって集団に参加した者または集団に関して前条の目的遂行のためにする行為をした者は一年以上の有期懲役に処する。
第九条 前八条の罪を犯させることを目的として金品その他の財産上の利益を供与しまたはその申込みもしくは約束をした者は十年以下の懲役に処する。事情を知っていて供与を受けまたはその要求もしくは約束をした者もまた同じ。
第十条 私有財産制度を否認することを目的として結社を組織した者または事情を知っていて結社に加入した者もしくは結社の目的遂行のための行為をした者は十年以下の懲役または禁固に処する。
第十一条 前条の目的をもってその目的にある事項の実行に関して協議をしまたはその目的にある事項の実行を煽動した者は七年以下の懲役または禁固に処する。
第十二条 第十条の目的をもって騒乱、暴行その他生命、身体または財産に害を加える犯罪を煽動した者は十年以下の懲役または禁固に処する。
第十三条 前三条の罪を犯させることを目的とし、金品その他の財産上の利益を供与しまたはその申込みもしくは約束をした者は五年以下の懲役または禁固に処する。事情を知っていて供与を受けまたはその要求もしくは約束をした者もまた同じ。
第十四条 第一条および第四条、第七条、第八条および第十条の未遂罪はこれを罰する。
第十五条 本章の罪を犯した者が自首した時はその刑を軽減または免除する。
第十六条 本章の規定は何人を問わない。本法施行地以外(外地のこと)において罪を犯した者にもまた適用する。
第二章 刑事手続
第十七条 本章の規定は第一章に掲げる罪に関する事件について適用する。
第十八条 検事は被疑者を召喚しまたはその召喚を司法警察官に命令することができる。
2検事の命令により司法警察官の発する召喚状には、命令を出した検事の職名、氏名およびその召喚状を発した命令内容をも記載しなければならない。
3召喚状の送達に関する裁判所書記および執達吏に属する職務は司法警察官吏が行うことができる。
第十九条 被疑者が正当な理由なくして前条の規定による召喚に応じない時、または刑事訴訟法第八十七条第一項各号に規定する事由がある時は、検事は被疑者を勾引しまたはその勾引を他の検事に嘱託もしくは司法警察官に命令をすることができる。
2 前条第二項の規定は検事の命令によって司法警察官の発する勾引状に準用する。
第二十条 勾引した被疑者は指定された場所に出頭させた時より四十八時間内に検事または司法警察官がこれを尋問しなければならない。その時間内に勾引状を発せられない時は、検事は被疑者を釈放しまたは司法警察官によって釈放させなければならない。
第二十一条 刑事訴訟法第八十七条第一項各号に規定する事由がある時は、検事は被疑者を勾留しまたはその勾留を司法警察官に命令することができる。
2 第十八条第二項の規定は検事の命令によって司法警察官が発する勾留状に準用する。
第二十二条 勾留は警察官署または憲兵隊の留置場をもって監獄に代用することができる。
第二十三条 勾留の期間は二月とする。特に継続の必要がある時は地方裁判所検事または区裁判所検事は検事長の許可を受け、一月ごとに勾留の期間を更新することができる。ただし、通算して一年を越えることはできない。
第二十四条 勾留の事由が消滅しその他勾留を継続する必要がないと判断した時は検事は速やかに被疑者を釈放しまたは司法警察官によって釈放させなければならない。
第二十五条 検事は被疑者の住居を制限して拘留の執行を停止することができる。
2 刑事訴訟法第百十九条第一項に規定する事由がある場合には検事は勾留の執行停止を取り消すことができる。
第二十六条 検事は被疑者を尋問しまたはその尋問を司法警察官に命令することができる。
2 検事は公訴提起前に限り証人を尋問しまたはその尋問を他の検事に嘱託もしくは司法警察官に命令することができる。
3 司法警察官が検事の命令によって被疑者または証人を尋問した時は、命令した検事の職名、氏名および命令によって尋問した趣旨を尋問調書に記載しなければならない。
4 第十八条第二項および第三項の規定は証人尋問に準用する。
第二十七条 検事は公訴提起前に限り、押収、捜索もしくは検証しまたはその処分を他の検事に嘱託もしくは司法警察官に命令することができる。
2 検事は公訴提起前に限り、鑑定、通訳もしくは翻訳を命じまたはその処分を他の検事に嘱託もしくは司法警察官に命令することができる。
3 前条第三項の規定は押収、捜索または検証の調書および鑑定人、通訳または翻訳人の尋問調書について準用する。
4 第十八条第二項および第三項の規定は鑑定、通訳および翻訳に準用する。
第二十八条 刑事訴訟法中被告人の召喚、勾引および勾留、被告人および証人の尋問、押収、捜索、検証、鑑定、通訳ならびに翻訳に関する規定は別段の規定がある場合を除いて被疑事件についてはこれを準用する。ただし、保釈および責付に関する規定はこの限りではない。
第二十九条 弁護人は司法大臣があらかじめ指定した弁護士の中より選任しなければならない。ただし、刑事訴訟法第四十条第二項の規定の適用を妨げない。
第三十条 弁護人の数は被告人一人につき二人を越えてはならない。
2 弁護人の選任は、最初に定めた公判期日に関わる召喚状を受けた日より十日を経過した時はできない。ただし、やむを得ない理由がある場合で裁判所の許可を受けた時はこの限りではない。
第三十一条 弁護人が訴訟に関する書類の謄写をする時は、裁判長または予審判事の許可を受けることが必要である。
2 弁護人の訴訟に関する書類の閲覧は、裁判長または予審判事の指定した場所においてしなければならない。
第三十二条 被告が事件公判に付せられた場合は、検事が必要と認めた時は管轄移転の請求をすることができる。ただし、第一回公判期日の指定があった後はこの限りではない。
2 前項の請求は、事件が係属する裁判所および移転先裁判所に共通する直近上級裁判所でしなければならない。
3 第一項の請求があった時は決定があるまで訴訟手続きを停止しなければならない。
第三十三条 第一章に掲げる罪を犯した者と認めた第一審の判決に対しては控訴することができない。
2 前項に規定する第一審の判決に対しては直接上告をすることかできる。
3 上告は刑事訴訟法によって第二審の判決に対し上告する理由がある場合にできる。
4 上告裁判所は、第二審の判決に対する上告事件に関する手続きによって裁判をしなけれはならい。
第三十四条 第一章に掲げる罪を犯した者と認めた第一審の判決に対し上告があった場合、上告裁判所は、同章に掲げる罪を犯した者でないことを疑う余地のない顕著な事由があるものと認めた時は、判決をもって原判決を破棄し、事件を管轄控訴裁判所に移送しなければならない。
第三十五条 上告裁判所は、公判の期日の通知については刑事訴訟法第四百二十二条第一項の期間によらないことができる。
第三十六条 刑事手続きについては別の規定がある場合を除いては一般の規定の適用を受けるものとする。
第三十七条 本章の規定は第二十二条、第二十三条、第二十九条、第三十条第一項、第三十二条、第三十三条および第三十四条の規定を除く他、軍法会議の刑事手続きについてこれを準用する。
2 この場合において、刑事訴訟法第八十七条第一項とあるのは陸軍軍法会議法第百四十三条または海軍軍法会議法第百四十三条とし、刑事訴訟法第四百二十二条第一項とあるのは陸軍軍法会議法第四百四十四条第一項または海軍軍法会議法第四百四十六条第一項とし、第二十五条第二項中刑事訴訟法第百十九条第一項に規定する事由ある場合においてはとあるのは何時でもとする。
第三十八条 朝鮮では、本章中司法大臣とあるのは朝鮮総督、検事長とあるのは覆審法院検事長、地方裁判所検事または区裁判所検事とあるのは地方法院検事、刑事訴訟法とあるのは朝鮮刑事令にもとづいて定めた刑事訴訟法とする。ただし刑事訴訟法第四百二十二条第一項とあるのは朝鮮刑事令第三十一条とする。
第三章 予防拘禁
第三十九条 第一章に掲げる罪を犯し刑に処せられた者が、その執行を終わり釈放されるべき場合、釈放後においてさらに同章に掲げる罪を犯すおそれが顕著な時、裁判所は検事の請求によって本人を予防拘禁にする旨を命令することができる。
2 第一章に掲げる罪を犯し刑に処せられその執行を終わった者または刑の執行猶予の言い渡しを受けた者が、思想犯保護観察法によって保護観察に付せられた場合、保護観察中同章に掲げる罪を犯す危険を防止することを困難にし、更にこれを犯す恐れがあることが顕著な時は前項に同じ。
第四十条 予防拘禁の請求は、本人の現在地を管轄する地方裁判所の検事がその裁判所においてしなければならない。
2 前項の請求は保護観察に付されている者の場合は、その保護観察をする保護観察所の所在地を管轄する地方裁判所の検事がその裁判所においてしなければならない。
3 予防拘禁の請求をするにはあらかじめ予防拘禁委員会の意見を求める必要がある。
4 予防拘禁委員会に関する規定は勅令で定める。
第四十一条 検事が予防拘禁の請求をするには必要な取調べをしまたは公務所に紹介して必要な事項の報告を求めることができる。
2 前項の取調べをする時、必要な場合は司法警察官吏と共に本人を同行させることができる。
第四十二条 検事は本人が定住居を持たない場合または逃亡もしくは逃亡する恐れがある場合、予防拘禁の請求をするについて、必要がある時は本人を予防拘禁に仮収容することできる。ただし、やむを得ない事由がある場合には監獄に仮収容することを妨げない。
2 前項の仮収容は、本人の陳述を聞いた後でなければできない。ただし、本人が陳述をしないかまたは逃亡した場合にはこの限りではない。
第四十三条 前条の仮収容の期間は十日とする。その期間内に予防拘禁の請求がない時は速やかに本人を釈放しなければならない。
第四十四条 予防拘禁の請求があった時は、裁判所は本人の陳述を聞き、決定をしなければならない。この場合裁判所は本人に出頭を命令することかできる。
2 本人が陳述をしないかまたは逃亡した時は陳述を聞かないまま決定することができる。
3 刑執行の終了前に予防拘禁の請求があった時は、裁判所は刑の執行終了後といえども予防拘禁に付する旨の決定をすることができる。
第四十五条 裁判所は事実の取調べをするについて、必要な場合に参考人に出頭を命じ、事実の陳述または鑑定をさせることができる。
2 裁判所は公務所に照会して、必要な事項の報告を求めることができる。
第四十六条 検事は、裁判所が本人に陳述をさせまたは参考人に事実の陳述または鑑定をさせる場合には立会い意見を述べることができる。
第四十七条 本人の属する家の戸主、配偶者または四親等以内の血族または三親等以内の姻族は、裁判所の許可を受け補佐人となることができる。
2 補佐人は裁判所が本人に陳述させもしくは参考人に事実の陳述もしくは鑑定をさせる場合には立会い意見を述べまたは参考とすべき資料を提出することができる。
第四十八条 左の場合に裁判所は、本人を勾引することができる。
一 本人が定住居がない時
二 本人が逃亡した時または逃亡するおそれがある時
三 本人が正当な理由なくして第四十四条第一項の出頭命令に応じなかった時
第四十九条 前条第一号または第二号に規定する事由がある時は、裁判所は本人を予防拘禁所に仮収容することができる。ただし、やむを得ない事由があった場合は監獄に仮収容することを妨げない。
2 本人が監獄にいる時は前項の事由がない時でも仮収容することができる。
3 第四十二条第二項の規定は第一項の場合に準用する。 
第五十条 別段の規定がある場合を除いて刑事訴訟法中勾引に関する規定は第四十八条の勾引に、勾留に関する規定は第四十二条および前条の仮収容に準用する。ただし、保釈および責付に関する規定はこの限りではない。
第五十一条 予防拘禁に付しない旨の決定に対して検事は即時抗告をすることができる。
2 予防拘禁に付する旨の決定に対して本人および補佐人は即時抗告することができる。
第五十二条 別段の協定がある場合を除いて刑事訴訟法中決定に関する規定は第四十四条の決定に、即時抗告に関する規定は前条の即時抗告に準用する。
第五十三条 予防拘禁に付せられた者は、予防拘禁所に収容し改悛させるため必要な処置をしなければならない。
2 予防拘禁所に関する規定は勅令で定める。
第五十四条 予防拘禁に付せられた者は、法令の範囲内において他人と接見または信書その他の物を授受することができる。
2 予防拘禁になった者に対しては信書その他の物の検閲差押えもしくは没収または保安もしくは懲戒のため必要な処置を行うことができる。仮収容された者および本章の規定によって勾引状の執行を受け留置された者についても同じ。
第五十五条 予防拘禁の期間は二年とする。特に継続が必要な場合裁判所は決定をもって更新することができる。
2 予防拘禁の期間満了前に更新の請求があった時は裁判所は期間満了後であっても更新の決定をすることができる
3 更新の決定は予防拘禁の期間満了後確定した時といえども期間満了の時確定したものとみなす。
4 第四十条、第四十一条および第四十四条および第五十二条の規定は更新の場合に準用する。この場合、第四十九条第二項中監獄とあるのは予防拘禁所とする。
第五十六条 予防拘禁期間は、決定確定の日より起算する。拘禁されなかった日数または刑の執行のため拘禁された日数は、決定確定後といえども前項の期間に含まれない。
第五十七条 決定確定の際に、本人が受刑者である時は予防拘禁は刑の執行終了後に行う。
2 監獄にいる本人に対して予防拘禁を行おうとする場合は、移送の準備その他の事由のため特に必要がある時は一時拘禁を継続することができる。
3 予防拘禁の執行は本人に対する犯罪の捜査その他の事由のため特に必要がある時は決定を下した裁判所の検事は、本人の現在地を管轄する地方裁判所の検事の指揮によってこれを停止することができる。
4 刑事訴訟法第五百三十四条および第五百三十六条および第五百四十四条および第五百五十二条の規定は予防拘禁の執行に準用する。
第五十八条 予防拘禁に付された者が収容後その必要がなくなった時は第五十五条に規定する期間満了前といえども行政官庁の処分をもって退所させなければならない。
2 第四十条第三項の規定は前項の場合に準用する。
第五十九条 予防拘禁の執行をしないまま二年を経過した時は決定を下した裁判所の検事または本人の現在地を管轄する地方裁判所の検事は事情によりその執行を免除することができる。
2 第四十条第三項の規定は前項の場合に準用する。
第六十条 天災事変に際しては、予防拘禁所内において避難の手段がないと認めた時は収容された者を他所に護送しなければならない。もし護送する暇がない時は一時これを開放することができる。
2 開放された者は開放後二十四時間内に予防拘禁所または警察官署に出頭しなければならない。
第六十一条 本章の規定によって予防拘禁もしくは監獄に収容された者または勾引状もしくは逮捕状を執行された者が逃走した時は一年以下の懲役に処する。
2前条第一項の規定により開放された者が同上第二項の規定に違反した時は前項に同じ。
第六十二条 収容設備もしくは械具を損壊し、暴行もしくは脅迫または二人以上が共謀して前条第一項の罪を犯した者は三月以上五年以下の懲役に処する。
第六十三条 前二条の未遂罪はこれを罰する。
第六十四条 本法に規定するものの他予防拘禁に関して必要な事項は命令で定める。
第六十五条 朝鮮では、予防拘禁に関して地方裁判所のなすべき決定は地方法院の合議部において行う。
2 朝鮮では本書中地方裁判所の検事とあるのは地方法院の検事、思想犯保護観察法とあるのは朝鮮思想犯保護観察令、刑革訴訟法とあるのは朝鮮刑事令によって定めた刑事訴訟法とする。
付則
本法施行の期日は勅令で定める(以下略)
用語
○ 「治安維持法」 / 国体の変革、私有財産制度の否認を目的とする結社活動・個人的行為に対する罰則を定めた法律。一九二五年(大正一四)公布。二八年改正。さらに四一年全面改正。主として共産主義運動の抑圧策として違反者には極刑主義を採り、言論・思想の自由を蹂躙。四五年廃止。
○ 国体 / 主権または統治権の所在により区別した国家体制のこと。戦前における「国体」は主権も統治権も天皇にあり天皇国家を意味していた。
○ 神宮 / 伊勢神宮の略。または、一般的に全国に散在する「神を祀る宮」(お宮・神社)を総称する。戦前は、天皇国家護持のために神道を国家的宗教とし、「護国神社」や「お宮・神社」で繋がる国民の宗教的心情を利用して「靖国神社」へと結びついている。
○ 結社 / ある目的のために団体をつくること。戦前は「治安維持法」のように結社の自由を認めない法律によって思想弾圧を進めた。
「参考」 / 日本国憲法 第21条〔集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密〕
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○ 騒乱 / 社会を騒然とさせること。何を騒乱とするかの判断が曖昧で「治安維持法」で悪用し弾圧の対象とした。
○ 煽動(せんどう) / 特定の目的のために群衆を煽ること。何を煽動とするかの判断が曖昧で「治安維持法」で悪用し弾圧の対象とした。現在は「破壊活動防止法」がある。
○ 懲役 / 刑務所に拘置して一定の労役に服させる刑。無期と有期とがある。
○ 禁固 / 刑務所に拘置するだけで定役には服させない刑。無期と有期とがある。
○ 未遂罪 / 犯罪が未遂でも、これを罰する旨の規定がある場合に成立する罪。「治安維持法」では、この未遂罪が法制化されていた。
○ 被疑者 / 犯罪の嫌疑を受けた者でまだ起訴されない者。容疑者。
○ 召喚 / 裁判所が被告人・証人などに対し、公判期日その他一定の日時に裁判所または指定された場所に出頭を命ずること。その文書が召喚状。
○ 勾引(こういん) / 被告人・証人その他の関係人を一定の場所に引致する強制処分。召喚に応じない場合などに限り、勾引状によって行う。
○ 勾留 / 被疑者・被告人を拘禁する刑事手続上の強制処分。その文書が勾留状。
○ 拘禁 / 留置場・刑務所などに被疑者・被告人・受刑者などを継続的に拘束すること。
○ 監獄 / 死刑・自由刑の言渡しを受けた者および勾留された被疑者・被告人などを拘禁する施設。
○ 執行停止 / 裁判で、強制執行などを一時的に停止する命令を出すこと。
○ 公訴 / 刑事事件について検察官が起訴状を提出して裁判所の審判を求めること。
○ 尋問 / 裁判所などが、事件について証人・鑑定人・被告人などに口頭で問いただすこと。その内容を記述したのが尋問調書。
○ 押収 / 証拠物等の占有を取得する刑事上の処分。強制力を用いる差押えと強制力を用いない領置とがある。
○ 検証 / 証拠資料の事物などの在否および状態を裁判官などが直接確かめること。
○ 鑑定 / 学識経験など第三者が、裁判官の判断能力を補助するため、専門的見地からの判断を報告すること。それを行う人が鑑定人。
○ 責付 / 旧刑事訴訟法のもとで、裁判所が、被告人を親族などに預けて勾留の執行を停止した制度。現行刑事訴訟法の勾留の執行停止制度にあたる。
○ 保釈 / 未決勾留中の被告人を釈放すること。
○ 管轄 / 支配の及ぶ範囲。国家または公共団体が取り扱う事務について行える範囲。
○ 管轄裁判所 / 特定の事件について管轄権を有する裁判所。
○ 上告 / 刑事訴訟法上、高等裁判所による第一審または第二審の判決に対し、原判決の変更を求めるための上訴。
○ 訴訟手続き / 訴訟の当初からその終結に至るまでの一切の手続。
○ 第一審控訴 / 審級制度のもとにおいて最初に訴訟を受理する権限をもつ裁判所(第一審29裁判所)によってなされる審判。
○ 控訴 / 第一審の判決を不服とする場合に、その取消し・変更を直接上級裁判所に求める訴訟手続。
○ 控訴裁判所 / 控訴事件を審理する裁判所。
○ 移送 / 訴訟の手続において、事件の処理を他の裁判所に移すこと。
○ 予防拘禁 / 保安処分の一。刑期満了後も犯罪予防のため引き続き拘禁する処分。わが国では、第二次大戦中、「治安維持法」に違反した者について行われた。その処分決定を行うために審理を行ったのが予防拘禁委員会。
○ 執行猶予 / 刑の言渡しをすると同時に、一定期間その刑の執行を猶予し、その猶予期間を無事に経過したときは、刑の言渡しの効力を失わせる制度。
○ 保護観察 / 施設に収容せず指導監督などによって犯罪者の改善更生を図る制度。
○ 仮収容 / 囚人などを仮に監獄などに入れること。
○ 陳述 / 意見などを口頭で述べること。
○ 刑執行 / 裁判所が下した判決の罪を実行させること。
○ 立会い / 立ち会うこと。特に、後日の証拠のため、その場に臨席すること。
○ 抗告 / 下級裁判所の決定・命令に対して、当事者などが上級裁判所に起す不服申立て。
○ 抗告裁判所 / 抗告の当否を審理する裁判所
○ 改悛 / 前非を改め心をいれかえること。
○ 信書 / てがみ。書状。
○ 検閲 / 調べあらためること。特に、出版物・映画などの内容を公権力が審査し、不適当と認めるときはその発表などを禁止する行為をいう。戦前はこの検閲が法で認められていた。 [参考]日本国憲法第21条〔集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密〕
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
○ 差押え / 特定のものや権利について私人の事実上または法律上の処分を禁ずる行為。刑事訴訟上は押収の一つであり、強制力を用いてする場合をいう。
○ 没収 / 犯罪に関連する物の所有権を剥奪して国に移す刑罰。
○ 保安 / 保安処分のこと。社会に危険な行為をするおそれのある者から社会を防衛し、その危険性を矯正・治療するために刑罰を補充し、または刑罰に代えて用いられる処分。
○ 懲戒 / 不正または不当な行為に対し、制裁を加えること。
○ 懲戒処分 / 懲戒としてなされる処分。一般には免職・停職・減給・戒告および過料の類。
○ 逮捕状 / 被疑者を逮捕するために、検察官・司法警察員の請求により裁判官が発する令状。
○ 参考人 / 犯罪捜査のため捜査機関により取り調べられる者のうち、被疑者以外の者。
○ 補佐人 / 被告人の法定代理人その他一定の身分関係に在る者で、被告人の利益の保護に当るもの。
○ 司法大臣 / 現在の法務大臣の旧名称。
○ 司法警察官 / 警察官の内、犯罪事実を捜査し犯人を逮捕し、証拠を蒐集することを目的とする役割。その任務にあたる者が司法警察官吏。
○ 執達吏 / 「執行官」の旧名称で、主として裁判の執行、裁判所の発する文書の送達の事務を行う職員。
○ 検事 / 「検察官」の旧名称で、犯罪を捜査し、公訴を提起・維持し、裁判の執行を監督するほか、公益の代表者として一定の権限を有する行政官。検事総長・次長検事・検事長・検事・副検事の別がある。
○ 予審 / 戦前の制度で、事件を公判に付すべきか否かを決定する公判前の裁判官による非公開の手続。その審理を行う者が予審判事。日本国憲法施行とともに一九四七年廃止。
○ 憲兵 / 軍事警察をつかさどる軍人。旧陸軍では軍隊に関する行政警察・司法警察をもつかさどった。のち次第に権限を拡大して思想弾圧など国民生活全体をも監視するようになった。一八八一年(明治一四)設置。
○ 地方裁判所 / 下級裁判所の一つ。原則的な第一審裁判所。
○ 区裁判所 / 一九四七年までの旧制で通常裁判所の最下級。現在の簡易裁判所にあたる。
○ 上級裁判所 / 上級審の裁判所。例えば地方裁判所が事件の第一審を行なった場合にその控訴審を行う高等裁判所を指す。
○ 上告裁判所 / 上告審の裁判所、すなわち最高裁判所。
○ 軍法会議 / 陸海軍人を裁判する特別刑事裁判所。わが国では一八八二年(明治一五)設置、一九四五年(昭和二○)廃止。
○ 公務所 / 刑法上、公務員が職務を行うために設けられた場所。
○ 勅令 / 明治憲法下、帝国議会の協賛を経ず、天皇の大権により発せられた命令で、一般の国家事務に関して法規を定めたもの。
○ 命令 / 国の行政機関が制定する法の形式。法律を実施するため、または法律の委任をうけて制定される。政令・総理府令・省令および各外局で発する規則、並びに人事院規則・会計検査院規則など。
○ 思想犯保護観察法 / 治安維持法違反の罪に問われた者の再犯を防ぐため、その思想・行動を監視することを目的とした法律。1936年(昭和11)公布、45年廃止。
○ 刑事訴訟法 / 刑法の具体的実現を目的として一定の手続を規定する法。狭義には刑事訴訟法典(1890年(明治23)制定、1922年、48年に全面改正)をいう。
○ 軍法会議 / 軍人が軍人を裁く、軍の刑事裁判所である。沿革 : 明治15年東京に軍法会議が設置されたのが最初。大正10年「陸軍軍法会議法」「海軍軍法会議法」に全面改正された。裁判の対象 : 罪を犯した現役軍人、召集中の軍人、軍属であり、一般刑法の犯罪についても軍法会議の対象となった。
○ 血族 / 同じ先祖から出て血統のつづいている者。法律上はこれと同一視した者(養親子など)を含める(法定血族)。
○ 姻族 / 婚姻によりできた親戚。配偶者の血族。民法は三親等内の姻族を親族としている。
○ 朝鮮 / 日本が領有していた時の名称で現在の韓国・北朝鮮のこと。
○ 朝鮮総督府 / 日本領有当時(一九一○年以降)、京城(ソウル)におかれ、朝鮮総督を長官とした朝鮮支配のための最高行政官庁。
○ 朝鮮総督 / 朝鮮総督府の長官。
○ 地方法院 / 戦前の制度で、朝鮮・台湾・関東州および南洋群島などの植民地の司法制度として存在した裁判所。
○ 覆審法院 / 地方法院に対する上級裁判所。
○ 朝鮮刑事令 / 明治45年制令された植民地朝鮮における刑事事件関係の法令で四十七条まである。
○ 朝鮮刑事令第三十一条 / 上告ヲ為スニハ其ノ申立書ヲ原裁判所ニ差出シ且其ノ申立ヲ為シタル日ヨリ五日内ニ趣意書ヲ差出スヘシ (上告をするにはその申立書を原裁判所に差し出し、かつその申立をした日より五日以内に趣意書を差し出さなけれはならない)
○ 朝鮮思想犯保護観察令 / 日本の「思想犯保護観察令」を植民地朝鮮に適用した法令。  
 
治安維持法 7

 

戦争への道=治安弾圧
資本主義世界経済の破局的危機の中、大合理化・首切りと失業の嵐が吹き荒れ、労働者人民に対する飢餓・餓死・自殺の強制が文字どおりの虐殺攻撃として集中している。労働者人民が生きるために団結し、権力への怒りを闘いとして爆発させることを最も恐れる支配階級は、労働者人民を分断し、個別的反逆をも徹底して弾圧しながら、戦争とファシズムへの道を突き進んでいる。
日帝国家権力が死刑制度をあくまで維持・強化しながら、「被害者参加制度」「殺人事件の時効廃止」を通して「犯罪者」への憎悪をいっそう煽り立てていることは、その端的なあらわれである。何千・何万という労働者人民が連日路上に叩き出され「野垂れ死に」を強制されているにもかかわらず、その下手人たちに適用される「搾取罪」「支配罪」の類はブルジョア刑法には一切存在しない。その一方で必然的に増加する労働者人民の「非合法的」な実力決起には、「犯罪」のレッテルが貼り付けられて国家暴力によるリンチが加えられるのである。本質的にこれらのすべては、労働者階級の生きんがための闘いに対する弾圧なのだ。
死刑(制度)は、「国家に逆らう者、国家の役に立たないものは抹殺する」という、治安弾圧の頂点に位置する攻撃である。昨年導入された裁判員制度は、治安弾圧機構の一端を人民に担わせ、「国家に逆らう者」「社会秩序を乱す者」を見せしめとして死刑台に送り込むための制度に他ならない。
労働運動、学生運動、部落大衆や「障害者」大衆の差別糾弾闘争に対する弾圧が、全国で激化している。関東大震災時に朝鮮人虐殺の先頭に立った「自警団」を想起させる民間パトロール組織が行政の肝いりで各地に形成され、戦時中の「隣組」制度に比すべき相互監視システムが労働者人民の生活のすべてを覆い尽くそうとしている。職務質問の際の発砲―人民虐殺の日常化をはじめ、警察官や自衛官による権力を振りかざした暴行の激増に象徴される、官僚的軍事的統治機構のファシズム的改編と反人民的突出が急速に進行している。入管法(出入国管理法)が毎年のように改悪され、入国するすべての外国人の指紋採取と顔写真撮影の義務化が強行されるなど、差別主義・排外主義攻撃が強まっている。とりわけ朝鮮反革命戦争を見据え、マスコミをも総動員した在日朝鮮人民への差別キャンペーンとデッチあげ弾圧が横行している。
支配階級のおこなう戦争が常に「平和のため」という名目で強行されるように、これらの弾圧のすべては「社会の安全のため」を大義名分としている。だがそこで言われる「社会」とはあくまで階級社会のことであり、資本主義社会のことに他ならない。労働者階級を殺し合わせる戦争で自分たちだけが生きのびようとしている支配階級にとって、最も死活的なことは「城内平和」の創出である。戦争とは究極的には「労働者人民に銃を持たせること」であり、その銃が自分たちに向けられる可能性を排除できない限り支配階級は戦争に突撃できない。そのために彼らは国内における階級闘争を鎮圧し、労働者人民のあらゆる抵抗を叩きつぶすことを通して、人民を「国民」として統合することに全力を集中する。現在吹き荒れているあらゆる弾圧はその一環であり、戦争と一つのものとしてかけられている攻撃である。その意味でわれわれに「逃げ場」はないことを直視しよう。戦争に反対するためには弾圧との闘いを避けて通れない時代に、今われわれは立っているのである。
「非国民狩り」が始まった
「草の根ファシズム」という言葉があるように、戦争に向けた弾圧・監視体制の形成は上から押しつけられる「制度」としてだけではなく、労働者人民の「自発的」な参加と協力の「強制」を通して推し進められる。先に挙げた裁判員制度もその一環である。端的な例が、学園・教育現場における「日の丸・君が代」攻撃だ。天皇アキヒトがいみじくも「強制という形をとらないことが望ましい」と言い放ったように、そこにおいて学生・生徒はあくまでも「自分の意志で」侵略と虐殺の旗の前に直立しテンノー賛美の歌を歌うことを強要され、それが確認される瞬間まで、暴力を本質とするあらゆる形態での「指導」が貫徹される。その「自発的な意志」は何をもって確認されるのか。「指導される」ことにとどまらず「自ら指導する」側に回ること、すなわち彼(女)自身が先頭に立ち「立たない者」「歌わない者」を攻撃する側に回ることをもって、初めてその「自発性」は確認されるのである。まさに戦時下の「非国民」狩りそのものの攻撃が、全国で開始されているのだ。
こうした総体性を持った攻撃の前に、例えば「日の丸・君が代」が労働者人民にとって何であるのかということを問うことなく「強制」にだけ反対するような消極的な「抵抗」は、極めて無力であると言わねばならない。自分がいかなる立場に立ち、誰と共に生きようとしている存在であるのかということを明らかにすることによってのみ、テンノーを頂点とした国民統合の攻撃と対決することは可能になる。「従軍慰安婦」を強制された女性たちをはじめ、「日の丸」の下に虐殺されていった朝鮮・中国―アジア労働者人民の怒り、「日本人以上に日本人らしくする」ことを強要されたあげく「本土の捨て石」として虐殺されていった沖縄労働者人民の怒り、「民族の花園を荒らす雑草を根絶やしにせよ」として大量虐殺された「障害者」大衆の怒り、学校で、軍隊内で常に壮絶な差別にさらされながら「天皇の赤子」として死ぬことを強制されていった部落大衆の怒り、その怒りをわがものとし、断固として反革命国民統合と対決していこうではないか。
弾圧の激化が浮かび上がらせるものは、むしろそれに抗して不屈に闘う人々の存在である。「日の丸・君が代」処分を許さず、解雇攻撃と対決して闘う教育労働者がいる。何度弾圧されても解雇撤回を掲げ、〈職場に赤旗を立てる〉ために闘い続けている労働者がいる。〈反戦・反権力の砦〉=三里塚では、24時間365日をつらぬく機動隊や私服刑事の監視下で反対同盟各氏が悠然と営農を闘っている。「国家権力の腹の底」と言うべき監獄の内側においても、07年11月の徳島刑務所における暴動決起をはじめ、虐待・拷問に対する実力の闘いが湧きあがっている。いかなる「いじめ」や嫌がらせ、「社会」からの排除の恫喝によっても押さえつけることのできないこうした闘いの爆発を、国家権力は最も恐れている。弾圧は本質的には敵の弱さのあらわれであり、労働者人民の闘いに対する悲鳴に他ならないのだ。
組対法初適用攻撃を打ち砕こう
こうした中で08年5月13日、国家権力―福岡県警公安三課と筑紫野署は、「組織的犯罪処罰法」の「組織的詐欺」容疑で全国一斉数ヶ所の家宅捜索(ガサ)を強行し、全学連の同志たちを含む7名を不当逮捕した。「小回りの利く破防法」として1999年に制定された組対法(「組織犯罪対策関連三法」)が、左翼に対して初めて発動されたのである。国家権力は「革命的労働者協会福岡県委員会が障害者と共謀して生活保護他人介護料加算を詐取した」とデッチあげて革命党派と戦闘的「障害者」解放闘争を標的に定め、「共産主義革命を指向する対国家権力闘争の一環として障害者行政を糾弾…(起訴状の一節)」する組織は許さないとして、あからさまに「思想」「団結」そのものを対象とした組織弾圧へと踏み込んできたのだ。
被弾圧同志たちは、非妥協の完黙・非転向闘争と攻勢的獄中闘争で敵を圧倒し、不屈に闘いぬいている。08年9月に開始された組対法裁判においては、100の傍聴席を埋めつくす結集で福岡地裁を席巻した初公判を皮切りに、裁判長の強権的訴訟指揮を実力で打ち破る〈階級裁判粉砕〉の闘いが力強く前進している。この闘いに追いつめられた国家権力は、09年1月14日に闘われた第3回公判闘争における裁判所への抗議行動に「威力業務妨害」「建造物不退去」をデッチあげ、2月17日になって全学連伍代委員長をはじめ11名を令状逮捕(その後起訴)するという新たな弾圧を打ち下ろした。闘う仲間を裁判所が「刑事告訴」し自ら「裁く」という、「三権分立」のタテマエもかなぐり捨てたこの攻撃こそは、敵のあせりのあらわれに他ならない。
5・13組対法弾圧は、革命軍の3・1戦闘(三里塚人民抑圧空港本体を直撃した08年3月の迫撃弾攻撃)を尖端とする権力闘争の前進に身構えた反革命の密集であり、三里塚決戦を牽引力とした革命党の前進と戦闘的大衆運動の躍動に対する恐怖と憎悪に満ちた報復である。わが全学連は、「団結して闘うことは組織犯罪だ」とするこの画歴史的な攻撃を正面突破して闘いぬく。戦前治安維持法の流れを汲む組対法が、他ならぬわれわれの隊列を標的に初適用されたのだ。闘う者にとってはこれこそ誇りである。引き出した反動を粉砕してのみ革命は前進する。断固たる実力闘争・武装闘争の大爆発で、国家権力を打倒する闘いに進撃しよう。
戦前治安維持法弾圧との闘い / 血の敗北の教訓
戦前―戦中の日本では、「国体変革・私有財産制否定を目的とする結社・運動の取締」を掲げ1925年に制定された治安維持法によって7万人を越える労働者人民が逮捕・投獄され、特高警察の拷問や劣悪な監獄処遇によって無数の闘う人々が虐殺されてきた。当時の労働者人民は天皇制ファシズムに「だまされていた」わけでも「操られていた」わけでもなく、文字どおり命をかけて戦争に反対し闘った人々が全国至るところに存在したのだという事実を、われわれは忘れてはならない。にもかかわらずその闘いは敗北し、流されたおびただしい血の上に、「大東亜戦争」は遂行されていった。多くの労働者人民が「天皇の赤子」として死ぬことを強制され、朝鮮・中国―アジア全域で6千万もの人民が「日の丸」のもとに虐殺されたその同じ歴史が、われわれの眼前でもう一度繰り返されようとしている。このことを許さないためにも、われわれは過去の敗北を対象化し、それを突破する闘いを今こそ実現してゆかねばならない。
治安維持法成立の背景には、1917年ロシア革命勝利の波及を受けた労働者人民の闘いの高まりがあった。1918年には米価の暴騰に対する怒りが「米騒動」として全国で爆発。翌19年には朝鮮における3・1独立蜂起、中国における5・4運動と、日本帝国主義への闘いが燃えあがった。この熱気をうけて1922年3月に全国水平社が、そして7月には非合法下で日本共産党が結成される。帝国主義ブルジョアジーは危機感におののき、足下の階級闘争を鎮圧しつつ、シベリア出兵など革命ロシアへの反革命戦争に突撃していった。この過程で凶行されたのが、関東大震災時における朝鮮人・中国人の大虐殺である。支配階級は差別主義・排外主義を呼号し、日本の労働者人民を虐殺に動員することを通して、自らに迫る革命的危機を乗り切った。これに対し当時の階級闘争は、多くの日本民衆が「自発的」に朝鮮人虐殺に手を染めてゆくことを阻止することができなかった。このことはわれわれが何としても自己批判し突破してゆかねばならない負の歴史である。
この震災の際に緊急勅令として出された「治安維持令」や3・1蜂起に対する「制令第7号」が先鞭となり、新たな治安法としての治安維持法が準備されてゆく。植民地支配と朝鮮人虐殺・弾圧を通して作りあげられたこの治安維持法が、「国民の主体的な政治参加」を演出する「普通選挙法」と抱き合わせで公布されたことは、帝国主義ブルジョアジーの危機の深さとその人民支配の手法とを象徴的に物語っている。治安維持法が最初に適用されたのも、植民地における朝鮮共産党の活動に対してのことだった。「国体変革を目的とする結社・運動の取締」はそもそも選挙権さえ奪われていた植民地の人民の闘いへの弾圧から開始され、そこから「内地」における日帝足下労働者人民の上に拡大していったのだという経過は、徹底的に注目すべきだろう。
1926年のヨシヒト(「大正」テンノー)の死とヒロヒトの即位の過程で、日帝国家権力は2万人以上の労働者、農民、学生、朝鮮人等々を予防拘禁し、天皇制権力の打ち固めをはかる。「戦前の日本では誰も天皇に逆らうことができなかった」ということがよく語られるが、そのように多くの部分がテンノーへの屈服を強制されてゆく中でも当時の労働者人民は決して弾圧に沈黙していなかった。浜松日本楽器(1925年)や野田醤油(1927年)、鐘紡や富士紡(1930年)などで資本の合理化に対するストライキが命がけで闘い抜かれ、農村では小作争議が激発していた。全国水平社に結集して闘う部落青年は、兵隊にとられる際にも赤旗と荊冠旗で営門まで見送られ、門前で革命歌を高唱し激烈な反軍演説をおこなって、「天皇の監獄」たる軍隊当局に対し徹底的に闘う決意を叩きつけたという。こうした闘いに、治安維持法弾圧はむき出しの暴力として襲いかかった。1927年には金融恐慌が起こり、湧きあがる労働者人民の闘いを押しつぶして、当時の田中義一内閣は第一次山東出兵を強行。侵略への道を本格化させてゆく。
1928年におこなわれた普通選挙法にもとづく初の衆議院選挙では、無産政党(非合法下にあった共産党員は労農党から立候補)から八人の当選者が出て、労働者人民の闘いの前進が示された。こうした状況をうけて28年3・15、日本共産党に対する大弾圧が開始される。3・15弾圧では1600名近くが検挙され、483名が治安維持法違反で起訴された。この弾圧にも関わらず組織再建に向けて活動していた日共を翌年には4・16弾圧(700名逮捕)が襲い、295名が起訴された。特高(特別高等警察)による拷問は凄まじく、何人もの共産党員が小林多喜二のように虐殺される中で、多くの人々が拷問の後遺症に苦しみながら獄中で生き闘い、傷つき倒れていった。
だが、戦前労働者人民の闘いは、決してこうした弾圧や拷問によって敗北させられたわけではない。1928年の治安維持法改悪の際には「国体変革」=天皇制に対する闘いへの弾圧の徹底化として最高刑に死刑が追加されたが、実際に治安維持法違反で死刑を宣告された日本の左翼は戦後GHQによる同法の廃止に至るまで一人も存在していないのである。(その一方で植民地朝鮮においては、「国体変革」を企てたとして、記録されているだけでも45名が死刑を執行されている。また多喜二のごとく法律と無関係に虐殺された人々は無数に存在しており、「制度」としての死刑はそれに何倍する労働者人民が日常的に虐殺される現実の上に初めて成立していたものだったのだということは見ておかねばならない。このことは現在直下に通じている)。治安維持法の本当の「効力」は、死刑の恫喝をちらつかせた転向強要の武器としての側面にこそあったのだ。
権力が目をつけた人間はただ生きて呼吸していることさえ「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為」と見なされて逮捕されるという弾圧の激化に、「偽装転向」というごまかしの対応は通用しなかった。「転向」が本物であることを証明するために密告と売り渡しが強要され、組織はボロボロに蝕まれていった。1933年6月、当時の日共最高指導部だった佐野学と鍋山貞親が獄中から「転向声明」を発表すると、数百名の被弾圧者が一斉にこれに同調する組織的な「転向ブーム」が起こり、瓦解は決定的となった。治安当局はもはや「革命思想の放棄」だけでは充分でなく「日本精神を体得し実践の域に達する」までは転向と認めないとうそぶき、これにひれ伏す無数の転向者たちがテンノーへの忠誠を競い合う惨状が繰り広げられていった。この転向は、朝鮮・台湾などの植民地で不屈に闘いぬかれていた解放闘争にも計り知れない打撃を与えた。帝国主義本国における闘いの指導部のこうした大量脱落と屈服の上に、「大東亜戦争」は押し進められていったのである。
獄外の革命組織が壊滅し、日共が獄中にわずかの非転向指導部を残すのみとなった中でも、非妥協の闘いはなお存在した。帝国軍隊内でも反軍兵士が決起し、中国人民と共に大陸で反日帝武装闘争を闘いぬいた。筑豊や長崎の炭坑では、あらゆる記録から抹殺された歴史の中で、強制連行で徴用された朝鮮人労働者たちの実力決起が無数に闘いぬかれた。日帝敗戦間近の1945年6月には、秋田県の花岡鉱山で800名の中国人労働者が手に武器を取って蜂起した。だがこれらの闘いが、国家権力と対峙しうる〈ひとつの闘い〉として結合し爆発する日はついに訪れなかった。このように戦前の日本階級闘争が天皇制ファシズムとの〈決戦〉を一度も構えることができないまま敗北していった痛苦な歴史を、われわれは今こそ塗り替えてゆかなければならない。
小林多喜二の闘いと虐殺
「蟹工船」「党生活者」などの作品で知られるプロレタリア作家、小林多喜二が、スパイの密告により東京赤坂の路上で逮捕されたのは1933年2月20日のことだった。それから7時間後の午後7時45分、彼は特高警察の拷問により絶命した。青黒く腫れ上がった死体の全身には無数の傷跡が残されていた。享年29歳だった。
検察・警察は死因を「心臓マヒ」と発表。解剖を妨害し、通夜・告別式の参会者全員を検挙した。拷問による虐殺の事実を隠ぺいする一方、特高はその後の「横浜事件」など多くの弾圧で「小林多喜二の二の舞を覚悟しろ」という恫喝を行ない、拷問による「自白」デッチあげと転向強要を繰り返した。  彼の最初の作品「一九二八年三月一五日」は、同年同日に強行された共産党員の一斉検挙=3・15事件を題材としたものだった。北海道で銀行員として勤務しながらプロレタリア文学運動に参加し小説を書き始めていた彼は、小樽での弾圧と拷問の実態を目の当たりにし、「この事こそ書かねばならない。書いて、彼奴等の前に叩きつけ、あらゆる大衆を憤激に駆り立てなければならない」と決意。虐殺されるまでの5年間に、検閲や度重なる発禁処分と対決しながら多くの作品を発表し、労働者人民に強いられた搾取と貧困、その中から決起する労働者の闘いに襲いかかる治安維持法弾圧の実態を赤裸々に暴露した。特高警察はこの闘いに恐怖し、憎しみを込めて数時間にわたる拷問を加え続け、彼を虐殺したのである。
佐野・鍋山をはじめとする獄中日共指導部の大量転向が開始されたのは、多喜二の死からわずか数ヶ月後のことだった。特高による「見せしめ」がその過程に大きな影響を及ぼしたことは疑いを容れない。当時の特高係長安倍源基を頭目とした虐殺の下手人どもは戦後ものうのうと生きのび、要職を歴任した。多喜二の闘いを継承しその虐殺に報復することは、われわれの時代に残された任務である。
逮捕・流血を恐れぬ激闘に決起しよう
5・13―2・17弾圧で投獄された仲間たちは、戦前日共の敗北の突破をかけて「獄中を戦場に」闘いぬいている。机をひっくり返して拷問的取り調べに反撃し、指紋採取に名を借りた殴る蹴るの暴行に実力で対決し、繰り返される死刑執行に対しては獄中でのシュプレヒコール決起を敢行して周囲の獄中者人民の圧倒的共感を組織している。裁判闘争をめぐっても、「早期出獄」を自己目的化することによって屈服を深めていった戦前の闘いの敗北を総括し、「いかなる報復弾圧も受けて立つ」という「被告」団の決意を先頭に、「密室性・迅速化・重罰化」を特徴とする戦時司法への転換攻撃を実践をもって打ち砕く闘いが力強く前進している。労働者人民が〈徹底非妥協・実力闘争〉で反撃戦にたちあがったとき、弾圧はむしろ権力者自身の首をしめつけるくびきへと転化するのである。
この闘いに恐怖した福岡拘置所当局は2009年3月12日、東署134号(※完全黙秘をつらぬいて闘っている仲間たちのため、留置番号で呼称。以下同様)に対し、「検房」への抗議を口実に気絶するまで首を締め上げる暴行を強行。さらにこの獄中テロへの抗議のハンストにたちあがった東署134号・中央署55号に対し、鼻からチューブを挿入して中身不明の注入液を流し込む「強制給食」という拷問をおこなってきた。植民地支配下の朝鮮・中国をはじめ、全世界で幾多の闘う労働者人民を虐殺してきた手法そのままに、日帝国家権力は全学連戦士たちへの獄殺攻撃へと突撃しているのだ。弾圧の下手人たち、とりわけテロを確信とし、喜びとしている看守らを絶対に許すことはできない。
獄中の仲間たちはこの攻撃に一歩も引くことなく、さらに闘志と団結を打ち固め、反撃の闘いにたちあがっている。 たとえたった一人でも不屈に闘う戦士がいればそこから革命は必ず前進するということ。もしも自分が闘いの過程で虐殺されたとしても残された仲間たちは必ず報復戦を貫徹してくれるということ。このことを確信して闘うことで、獄中の仲間たちは日本階級闘争の歴史がこれまで生み出しえなかった新たな闘いの地平を日々切り開き続けている。この闘いを支えぬき、さらなる闘いを国家権力に叩きつけることによってのみ、全人民の闘いが、そして世界史の中で志半ばに倒れていった無数の戦士たちの闘いが「勝利」をつかみ取ることは可能となるのだ。〈戦争か革命か〉〈ファシズムかコミューンか〉いまや一切の中間的選択肢は存在しない。
権力との、ファシストとの、あらゆる反革命との、逮捕・流血を恐れぬ死闘戦に今こそ立ちあがろう。支配と抑圧、差別と迫害の存在するあらゆる場所から反撃の闘いを組織しよう。密集する反革命弾圧を打ち砕き、敵が全体重をかけた破壊攻撃を集中する〈反戦の砦〉=三里塚にすべての闘いの力を結集させて闘うことが、日帝足下での現在の階級攻防においては一切の前提である。すべての学友諸君に、「教育監獄」の鉄鎖を打ち破り、〈三里塚・組対法決戦〉の戦列へと合流されんことを訴える。全学連と共に闘おう。
ニーメラーの警句
ナチスが共産主義を攻撃したとき、私は多少の不安を感じたが、自分は共産主義者でなかったから何もしなかった。次にナチスは社会民主主義者を攻撃した。私はさらに不安を感じたが、自分は社民主義者ではなかったから何もしなかった。 それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、病人(「障害者」)がというふうにつぎつぎと攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、やはり私は何事も行わなかった。
そしてナチスはついに教会を攻撃した。私は牧師だったからそのとき初めて行動を起こした ―しかし、その時にはすべてが手遅れになっていた。
ナチスによって迫害され、強制収容所で8年間を過ごし、九死に一生をえたドイツのプロテスタント牧師マルティン・ニーメラーが、戦後になってから語った言葉である。「政治的無関心」はいけないという説教のネタとしてブルジョア民主主義者もしばしば引き合いに出す有名なフレーズだが、われわれが何よりもこの警句から教訓化すべきは〈一人に向けられた弾圧は全人民に向けられた弾圧〉であるということであり、かつ〈常に最もラジカルな立場で闘いぬくことによってのみ、弾圧に打ち勝つことは可能になる〉ということだろう。  
 
治安維持法と政治運動

 

第一章 治維法・特高・憲兵による弾圧 
第一節 治安維持法と特高警察 
治維法
戦時下日本のいっさいの政治的諸運動抑圧の法的中核となったのは治安維持法であった。同法によって一九二八年以来検挙されたもの六万人、起訴されたもの六〇〇〇人(その九五%以上は左翼関係)と戦争直後発表されたが、「同法の近来の運用は赤化の防止という本来の目的から離れ、民衆の思想に対する強権的圧迫と人権蹂躙に悪用された傾向が極めて濃い」(朝日新聞、一九四五・一〇・一四)といわれたように、治維法はもともと天皇制と資本主義制度に反対する共産党の弾圧を直接の目的とする法律であったが、後には社会民主主義・自由主義・一切の反政府運動、さらにそれらの思想そのものに適用されていった。一九二五年に公布され、一九二八年に緊急勅令で改正された治安維持法(旧法)は、「国体を変革することを目的として結社を組織したる者または結社の役員その他指導者たる任務に従事したる者」は死刑または無期ないし五年以上の懲役ないし禁錮(以前は最高一〇年)、「情を知りて結社に加入したる者または結社の目的遂行の為にする行為をなしたる者」は二年以上の懲役または禁錮とした。同法の解釈は「最大限度に拡張して」(一九四〇・五月の全国思想実務家合同における控訴院検事の発言)使われ、「取締の対象が自から思想そのものに向けられるに至」(ジュリスト、一九五二・七・一五、伊達最高裁調査官)り、目的遂行行為と認められる範囲は勝手に拡張され、共産党の中央部が破壊されたのちには、コミンテルンの目的遂行行為として取り扱われ「国体を変革することを目的とする結社」も、最大限に類推・拡張解釈されて、朝鮮民族独立運動や「類似宗教団体」(大本教・天理本道・燈台社等)もこれによって処罰された。治維法が画期的に拡張解釈して適用されるにいたった重要な契機は、一九三五年のコミンテルン第七回大会およびそれに関連する人民戦線方針関係文書の海外からの大量流入と全面的な日中戦争の開始であった。
この治安維持法を補充するものとして、一九三六年に思想犯保護観察法が公布施行された。保護観察とは、治安維持法の罪を犯した者に刑の執行猶予の言渡のあった場合、または訴追を必要としないため公訴を提起しない場合、さらに刑の執行を終わりまた仮出獄を許された場合、などに保護観察審査会の決議によって、「本人を保護して更に罪を犯すの危険を防止するため、その思想および行動を観察する」もので、担当者は保護観察所の保護司その他であり、本人にたいしては居住・交友・通信の制限、その他「適当な条件の遵守」を命ずることができたのである。
その後治安維持法の改正案は、再三にわたり政府によって議会に提出されたまま実現にいたらなかったが、ついに一九四一年三月に根本的に改悪して公布され(実施は五月)るにいたった。改正治維法(新法)は実体規定としては、(1)外郭団体を直接取締りの対象とする支援結社に関する処罰規定、(2)直接に国体変革の実行を担当せず、党再建の気運醸成を主要目的とする準備結社に関する処罰規定、(3)結社の程度にいたらない集団(グループ)に関する処罰規定、(4)類似宗教団体に関する処罰規定、(5)人民戦線方策採用の結果あらわれた、結社と関係のない国体変革の目的遂行に資する一切の個人的行為を処罰する包括的規定等を設け、その刑をさらに重くし、旧法になかった特別刑事手続に関する規定および詳細な予防拘禁に関する規定を新たに設け、全部で六五条(旧法はわずか七条)の法律となった。
予防拘禁制は、治維法違反者の将来の再犯の危険性を防止するため拘禁しておく制度であり、三・一五や四・一六で検挙された共産党指導者たちが非転向のまま刑期満了となるので、かれらを釈放して生ずる脅威を防ぎ、拘禁したまま転向を促進しようとするものであり、法文的には、治維法第一章に掲げられた罪を犯し刑に処せられた者がその執行を終わり釈放さるべき場合において釈放後にさらに同章に掲げる罪を犯すおそれのあること顕著な場合、および第一章の罪を犯し刑に処せられその執行を終わった者または刑の執行猶予の言渡を受けた者で思想犯保護観察法により保護観察に付せられた場合に保護観察によっても同章に掲げられた罪を犯す危険を防止すること困難でさらにそれを犯すおそれのあること顕著な場合などにいずれも検事の請求により裁判所の決定をもって言渡される保安処分である。この制度によって、政治的信念の変わらないかぎり終身拘禁されるわけで、このため非転向の共産党員は刑期が終わっても敗戦まで獄につながれた。なお、この予防拘禁制度を実施する施設として、予防拘禁所官制および予防拘禁委員会官制が、いずれも勅令をもって公布され、また予防拘禁手続令と予防拘禁処遇令が、いずれも司法省令として制定された。予防拘禁委員会は、予防拘禁の請求・更新・退所・執行免除などの場合に、その意見を求める諮問機関であり、全国二二個所におかれ、いずれも各地方裁判所検事局内に設置された。
治維法の発動にあたっては、逮捕・捜査・取調・留置・取締・スパイ工作・右翼の利用等において、非条理きわまる濫用や無恥な拷問がもちいられた。逮捕する場合には、身柄の保護処分としての行政検束(「泥酔者、瘋癲者、自殺を企てる者その他救護を要すと認むる者」を「翌日の日没」まで検束する制度、一九〇〇年制定の行政執行法第一条)を利用し、その時限がすぎると書類上だけで釈放して再検束し、あるいは違警罪即決処分(「一定の住居または生業なくして諸方に徘徊する者」を三〇日未満拘留。一九〇八年制度の警察犯処罰令、第一条)にあてはめて二九日間の拘留処分にし、期限がすぎると警察署を転々とタライ廻しにして留置をつづけた。
警察官の自由認定は、治維法による取締りの実施にあたっても大幅に認められていた。そして長期間の拘束の上で、手記を書かせ、それを根拠にして、治維法を適用することが行なわれた。治維法の「目的遂行」にあてはめるために、たとえば、いわゆる企画院事件で検挙されたある被疑者の場合には、彼が某大学で経済原論の講義をした際、参考書の一つとしてあげた中に共産主義的経済学者の著書があったのをとらえて、「国体を変革することを目的とした結社の目的遂行の為にする行為」としていた(海野普吉「治安維持法運用の跡を顧みて」、ジュリスト前出)。また、「私の一友人は治安維持法違反として、懲役二年、執行猶予五年の判決を受けた。判決文中で最も主要な証拠に援用されたのは、彼が他の友人達と協同で買い込んでいた本に、『ELM会』という判こうがおされていた事実であった。ELM会とは、北海道からきた仲間の一人が、故郷のにれをしのんでつけた名前である。ところが検事および裁判所にいわせると、それはマルクス、エンゲルス、レーニンの略字だとばかり、他にこれという証拠もなかったのに、共産党の一グループ活動と認定されたわけであった」(戒能通孝「暴力――日本社会のファシズム機構」)。さらに、いわゆる新興俳句事件で検挙された人たちは治維法によるデッチアゲについて左のような思い出を語っている(雑誌「俳句研究」、一九五四年一月号)。
「 ――治安維持法に抵触しそうな架空の犯罪の型を捏造しておいて、被疑者を無理やりにこれにあてはめるんですね。だから自句自解を書かせる場合でも、新興俳句作者は全部共産主義の信奉者であって、俳句を通じてマルクシズムを大衆に浸透させ、他日プロレタリア革命によって共産主義社会を打樹てようとするものだということが結論にならなければパスしないんですよ。――書いてゆくとどうしても共産主義は正しいという結論になる。またそうしなければむこうが承知しない。その上で俳句がそれとどう結びついているかということでね。ところがこっちはそんなこと常識以上に知りァせんしね。留置場へぶち込まれて参考書がないでしょう。あったところで、俳句雑誌以外は参考書を見て書いてはいけないというんだ。しかしそれがなければコミンテルンだの資本主義の発達史だのなんて書けないしね。そこでぼくはこっそり自宅から改造社の「社会科学辞典」をとりよせて、それを見ながら書いたね――手記を書いていると、おや、じぶんは共産主義者になったかな、という気がした。しかしどうも旨く書けないので、手記の見本をみせてもらったら、なかなか見事なものだった。それでわたしは共産主義者としでの自覚と認識を、そっくりそのまま借用したら、「お前はそんな偉いことをいう部類にはいらぬぞ」といわれた。ともあれ、わたしは手記の上では完全な共産主義者になり、そして結論で転向を誓った。…… 」
治維法は、一九四五年一〇月四日、日本帝国政府にたいする連合国最高司令官の覚書「政治、信教ならびに民権の自由に対する制限の撤廃」によって、思想犯保護観察法、同施行令、保護観察所官制、予防拘禁手続令、同処遇令等と一緒に、一切の条項を撤廃し、かつ即時その効力を停止すること、同時にこれらの法令などにより拘留・投獄ないし自由を制限されてる人びとを即時(一〇月一〇日までに)釈放することが指令された。一○月一二日の定例閣議は治維法の廃止を決定し、同法により刑に処せられた者は、「将来に向ってその刑の言渡を受けざりしものとみなす」こととなった(勅令七三〇号)。
その他の戦時弾圧法規
四一年三月に公布され五月から施行された「国防保安法」は、戦時下の国防上、外国にたいして秘匿することを要する軍事・外交・財政・経済などに関する重要な国家機密を保護するために制定された国防保安に関する一般法であり、政治的・思想的弾圧の手段として利用された。同法によって、刑法に定められた以外に特別に重い刑罰が課され、またそのために刑事訴訟法に規定する以外の特別の刑事手続が規定された。
四一年一二月の開戦直後に制定された「言論出版集会結社等臨時取締法」は戦時特別立法の一つとして、集会・集団運動・結社・出版等を行政官庁の許可制とし、それぞれの違反行為に厳罰をもって臨み、また時局に関する「造言飛語」「人心惑乱」行為を処罰するものであり、政府は各部面で自由に取り締まる権限をにぎることになった。同法の審議にあたって、一議員から「むしろ戒厳令を奏請し、これを適用する方が適当ではないか」と質問がでるほど苛酷な内容のものであり、たとえば「造言飛語」「人心惑乱」の事項を流布したものは懲役刑にされたが、その内容がたとえ事実で、確実な根拠にもとづくものであっても処罰されることになっていた。
四二年二月に公布された「戦時刑事特別法」は、戦時下の治安犯罪などにたいしきわめて重い罪を課するとともに、戦時下の刑事手続について特別の取扱い(同第二九条よって後述のとおりゾルゲ事件は上告棄却となった)を定めた特別立法であり、「戦時に際し燈火管制中または敵襲の危険その他人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合」の放火罪、「戦時に際し国政を変乱することを目的と」する殺人罪、戦時下の騒擾罪・公共防空妨害罪・公共通信妨害罪・ガス電気利用妨害罪・重要生産事業遂行妨害罪・生活必需品買占罪・往来妨害罪・住居等侵入罪・飲料水に関する罪などが、最高死刑・無期以下の懲役となった。つづいて同法の改正案が四三年一月から三月にかけて第八一回議会で激しい論議の対象となり、貴族院では委員会八回・小委員会二回のあと法相の特別言明があって可決され、衆議院では委員会一二回、懇談会四回のすえ、東条首相みずから委員会と本会議で濫用せぬよう万全を期する趣旨の特別声明があってようやく可決となり(反東条派約三〇名反対)、三月から施行された。改正は四ヵ条の追加であり、国政変乱目的の傷害・逮捕・監禁・暴行・脅迫罪を死刑・無期以下の懲役・禁錮に、騒擾その他治安を害すべき罪の実行についての協議・煽動を七年以下の懲役・禁錮としたが、とくに問題となったのは同法第七条の四の「戦時に際し国政を変乱しその他安寧秩序をびん乱することを目的として著しく治安を害すべき事項を宣伝したる者」を同じく七年以下の実刑に処するという「宣伝」行為処罰の規定であった。私有財産制度の否認もこの「安寧秩序びん乱」になることとされ(四一・一〇・二三、東京控訴院の河合事件判決)、「治安を害すべき事項」とは「国家社会公共の法的安全を害するおそれある事項」で、出版法規における「朝憲びん乱」「政体変壊」「安寧秩序びん乱」なども含まれるものとされた(四〇・一一・一四、大審院判例)。
特高警察
特高の歴史は、鮮血にまみれた人権じゅうりんの罪悪史であったが、「治安維持」の取締りにあたった特高警察は、いわゆる大逆事件の翌年、一九一一年に内務省がそれまで高等警察事務の一部であった危険思想取締りのため枢要地にとくに専任警部を配置することを勅令で決定し、大阪府に警察部長直属の高等課別室(翌年特高課に昇格)を、また警視庁の官房内の高等課を分課して社会運動の取締りだけを担当する「特別高等課」を設けたことに始まるものであり、一九一三年の警視庁官制の改正によって、特別高等警察・外事警察・労働争議調停の三部門を担当する課として明確な地位を獲得した(武野武治・赤枝清「特別高等警察史」、潮流、一九四六年四月号)。その後、日本共産党創立の翌年、一九二三年には主要九府県に特高課が創設され、つづいて一九二八年の三・一五事件のあと、残りの全府県に特高課が設けられ、また主な警察署に特高係が配置され、ここに全国的な特高組織網が確立し、思想警察を全国的に統轄する内務省警保局保安課は拡充強化された。府県の特高課長は警察部長とは別に直接に中央の保安課長と結びつき、府県特高課長の任免だけは内務省の保安課長(保安課長のみは勅任官)の人事に一任され、内務省の機密費も保安課長から直接に特高課長に工作費として送られていた(杉本守義「特高警察の組織と運用」、ジュリスト、一九五二・七・一五および八・一号)。
警視庁特高課の人員は、三・一五事件のころは、特高係・労働係に内鮮係・検閲係を加えて七〇人くらいであったが、その年の八月の増員で一挙に三八〇名となり、一九三二年六月には「特別高等警察部」に昇格して機構を拡充し、従来の係は課に昇格して、特高課(二・二六事件のあと、左翼担当の特高一課と右翼担当の特高二課に分かれた)・労働課・検閲課・外事課・内鮮課・調停課の六課となった。人員のいちばん多い時には約六〇〇名であった。特高一課の主任警部は八名、特高二課は六名(はじめは二名)で、主任警部はそれぞれ五名の部下(警部補一名、巡査部長一名、巡査二名)を使って活動した。特高係官には「検挙取調」をする係官と「視察」する係官とがあり、要視察人一人ひとりについて指紋・写真・記事をカード化して絶えず整備しており、甲種要視察人(現に運動をやっている者)は本庁で、乙種要視察人(転向していた者)はそれぞれの住所の所轄署の特高係が視察した。そのほか、メーデーその他状況に応じて予備検束する要注意人をきめてあった。また、大阪府特高課ははじめ約五〇名、のち一五〇名に増員された(大阪府では一九四三年に警察部を警察局に昇格させ、その下に治安部を設けて特高課を包含した)。各府県も、それぞれ数十名の係員を擁し、また下部の各警察署は、大きい署で七〜八名、小さい署では二〜三名の特高係員をもち、各署の特高主任は警部補がこれにあたっていた(小林五郎「特高警察秘録」)。特高警察官は治維法の実施にあたる第一線の部隊として、豊富な機密費を使って、常時調査・視察・取締りを担当し、尾行・逮捕・拷問の技術を習練し、国民のあいだにスパイ網をはりめぐらし、治維法・治安警察法・行政執行法などによって苛酷な弾圧をおこない、共産主義者はもちろん、のちにはいっさいの民主主義運動をも徹底的に取り締まり労農運動内部の攪乱工作にまでのりだした。(注)岩田義道や小林多喜二をはじめ残虐な拷問によって殺害された者も多い。

(注)一例として、静岡県特別高等課編の「特高教範」(一九四三年六月)の中の「視察内偵入門」と題された章の一部を抜萃して紹介すれば左のとおりである(雑誌「みすず」、一九六一年四月号による)。
第五視察内偵の方法
一、機構及運用
(一)外勤情報警察機能発揮
(二)民間情報網の設定
 (イ)各界に責任ある有力者を獲得すること
(三)特殊内偵線の設定
 (イ)人または物に対し適格なる情報を入手するために設ける。特殊の工作と工夫を要する。
(四)尾行内偵
(五)張込内偵
(六)関係方面との連絡
 (イ)憲兵隊 (ロ)鉄道、郵便局その他官署 (ハ)印刷所(謄写印刷所)常に連絡し、一部の余分を作ってもらう (ニ)書籍店(古本屋)各社書籍の売行状況 (ホ)各種団体等、なかんずく郵便局とはどうしても連絡が付かねば駄目である。
二、具体的方法
 1 対象者の肩書や門構に恐れてはならない。(自分は陛下の特高警察官である)
 2 対象人物の真意が何辺にあるかを引出すこと。(反って反対の主張をして見ることもよい)
 3 視察眼を敏感、緻密にすること。(表面は見ざるが如く、或は特に注意せざる如き態度をとり、またとぼけることもよし)
 4 人の前ですぐ手帳を出して記録せざること(関心あるが如く記録することも可なる場合あり、すなわち我に訴えるが如き場合)
 5 大胆にして細心
 6 左翼に対しては隠語または通称語を覚える
 7 人情の機微を掴むこと
 8 視察内偵は計画的継続的系統的になすこと
(一)右翼関係者(略)
(二)左翼関係者
彼等は物をいわぬ。従っていわしめて情報をとることは困難である。どうしても裏面内偵に重点が置かれねばならない。左翼人物は確信犯である関係で容易に転向するものではない。従って表面視察では駄目である。しかし、特に留意されたいことは、表面視察の状況を刻明に記録してもらいたい。何時誰が居たとか、何処で会ったとか、何処へ行っていたか等のことでよい。以下視察要領を掲げて見ると、(イ)熱意を持つこと、(ロ)内偵線を持つこと、(ハ)常時証拠品の蒐集に心掛けること、(ニ)証拠品及取調べに当りては、(1)証拠品第一主義で行くこと、(2)証拠品の湮滅を防止すること、(3)あせらぬこと、(4)証拠品は特高的に分析すること

また、大審院・控訴院・地方裁判所の検察局には、それぞれ専門の「思想係検事」(「思想実務家」)が配属されていたことは先に図示したとおりであるが、司法省ではさらに、一九三八年六月には「思想研究会」を設けて将来の思想事件に関する対策を講じ、判検事六名を選定し、三九年八月には全国控訴院別に思想ブロック会議を開いて対策をねり、四二年一月には大審院検事局思想部の機構を拡大した。司法省の思想関係執務参考調査資料として、刑事局「思想部報」「思想調査」「思想研究資料」(通巻六三冊、特集九九冊、一九二七〜一九四三年)、「思想資料パンフレット」(通巻一五冊、特集三九冊、一九三八〜一九四三年)、「思想月報」(一〇九冊、一九三四年〜一九四四年)、「思想特報」(一九四一年)、「思想内報」(一九四四年)など確認できるだけでも尨大な量が作られていた(小森恵「帝国憲法下における社会・思想関係資料」、みすず、一九六〇・一一〜六一・四月号)。
終戦後、全国の特高警察(前出の「陛下の特高警察官」)は廃止されたが、連合軍の指令にもとづいて日本政府が罷免した特高警察官の数は四、九五八名であり、同じく保護観察関係の官吏は九七七名であった(連合軍最高司令部、一九四五・一一・七発表)。一九四六年一月四日には、総司令部の命令にもとづいて公職追放に関する勅令が発布され、八年間以上または一九四一年三月以降四年間以上にわたって特高警察に従事した者でその期間中に警部以上の職を占めたことのある者、また特高警察または思想検挙に従事したあいだに、重要思想刑事事件(一九三七年の労農グループ事件、日本共産党事件、日本労評事件、一九三八年の教授グループ事件、日本共産主義者団事件、一九四一年の国際共産党事件、燈台社事件、一九四二年の日本聖公会事件、きよめ教会事件、東洋宣教会きよめ教会事件、一九四三年の第七日基督再臨団事件)の処理にあたって主要な役割を演じた者(実際の処分は警部以上)が、公職から追放されることになった。
検挙数
治安維持法による被検挙者総数は八万人に近いと思われるが、一九四三年までに検事局の受理した被疑者数は、「満州事変」以降一七、九二〇人、日中戦争以後六、四一七名(起訴一、六八六名)である(第32表参照。司法省「刑事統計年報」による。一九四四年以降は全国統計がない。また検事局受理人員には、検挙されながら検事の拘留状が発せられずに釈放されたもの、あるいは検察側と無関係に憲兵などによって検挙されたもの――救世軍の弾圧、沢田行政裁判所判事の検挙等――などを含まない。別に内務省警保局編「社会運動の状況」各年版によれば、治維法違犯事件検挙者数(および起訴者数)は一九三七年一三八六(二一〇)、一九三八年五五二(二一二)、一九三九年三二三(一五二)、一九四〇年六三二(一〇一)、一九四一年九三四(一五九)、一九四二年三二九(一四五)であり、また小林五郎「特高警察秘録」によれば、検挙者(および起訴者)は、一九三七年一、二九一(二一〇)、一九三八年五五三(二二一、一九三九年三八九(一五一)、一九四〇年七一九(一〇一)、一九四一年九〇一(一六一)、一九四二年三一七、一九四三年二八四、一九四四年二二〇、一九四五年九月末七九、となっている)。治維法によって起訴されたものの職業別および年齢別人員(前出「社会運動の状況」)は第33表および第34表のとおりであり、また治維法適用通常第一審判決科刑別人員調、(前出「司法統計年報」)は第35表のとおりである。終戦後、連合軍最高司令部の指令にもとづいて一九四五年一〇月二二日までに釈放された政治犯は五〇七名(連合国人・中立国人・白系ロシア人三九名をふくむ)、政治犯であって別に殺人罪、窃盗罪等により釈放されないままのもの三七名、司法省による保護観察を解かれたもの二、〇二六名であった(同年一一月七日、総司令部渉外局発表)。もちろん、取調中にあるいは獄中において死亡した犠牲者もたいへんな数にのぼった(その一部は、解放運動犠牲者合葬追悼会世話入会「解放のいしずえ」に掲載されている)。
なお、一九四一年一二月九日には、対米英宣戦布告にともなう非常措置として、「内偵中の被疑事件」の検挙二一六名(令状執行一五四)、要視察人の予防検束一五〇名、予防拘禁を予定するもの三〇名(令状執行一三)、計三九六名の非常検束がおこなわれた。 
第二節 流言飛語の取締り 

 

治安維持法は、本来、日本共産党をはじめとする政治結社の運動を弾圧することを目的としたものであったが、戦局の進展につれて、国民のあいだに戦争にたいする嫌悪感が増大し、厭戦から反戦の気分がつのり、天皇制にたいする反感が強まるにつれて、政治的支配権力の側では、集団的な政治活動のみでなく個別的な「不穏言動」や「造言飛語」――反戦・反軍・不敬・不穏の言辞・策動・投書・落書・演説・文書掲出・放歌等々――に深刻な脅威を感じて神経をとがらした。内務省警保局が「今後人の集るところ必ず共産主義運動あり」と感ずるようになったこと(内務省警保局編「社会運動の状況」昭和一六年版、八ページ)は、かれらの危機感をよくあらわすものであった。
内務省警保局や憲兵隊が反戦・反軍・不敬・不穏事件として、やっきになって探索し、弾圧した事件の数は、戦争が進むにつれて急激に増大し、警保局によってキャッチされた事件の数のみでも、第36表のように、月平均件数で日中戦争開始ころの一二〜三件が年を逐って二三件、二六件、三四件、五一件と増大する一方であった。一九四〇年版の警保局「社会運動の状況」には、「最近は落書投書言辞等いずれを問わず、悪戯的なものは全く影を潜め、内容すこぶる不逞悪質のもの多きに上るの状況」と記しているように、「不逞悪質」の言動が目立ってきた。また、憲兵隊によって摘発された戦争末期の流言の数と種類は第37表のとおりであった(池田一「太平洋戦争中の戦時流言」、社会学評論、第二巻第二号、一九五一年八月による)。以下に官憲の目にとまった言動のうちいくつかを年代順にあげておこう。
○岐阜・陶器画工・二四歳――「今度の支那との戦争は侵略的である。支那と戦争して領土を占領しても我々無産者には何等の利益等ない。結局戦争は資本家が金儲けするだけでこんな侵略的戦争は反対だ。早く止めて貰いたい。仕事がなくなるから。」(数回にわたり数名に宣伝、一九三八年二月、造言飛語罪で禁錮四ヵ月)
○和歌山・農業・五二歳――「今年は百姓は悲惨なものだ。連日の降雨のため麦や罌粟は皆腐ってしまった。これは今度の戦争で死んだ兵隊さんの亡魂が空中に舞っているから、その為に悪くなるのである。戦争の様なものはするものではない。戦争は嫌いじゃ。」(理髪店で話す、同年五月警察犯処罰令で科料一〇円)
○岐阜・畳職・五二歳――「こんなに働くばかりでは銭はなし税金は政府から絞られるし全く困ってしまった。それに物価は高くなるし仕事はなし、上からは貯金せよといって絞り上げる。実際貧乏人は困っている。よいかげんに戦争なんか止めたがよい。兵隊に行った人の話では全く体裁のよい監獄じゃそうな。兵隊もえらいしええかげんに戦争は止めたがよい。日本が敗けようと敗けまいと又どこの国になっても俺はへいへいといって従っていればよい。日本の歴史なんか汚れたとて何ともない。」(或一人に話す、同年九月、陸軍刑法第九九条違反で禁錮六ヵ月)
○福岡・理髪業・三一歳――「皇軍兵士が戦死する場合無意識の間に天皇陛下万歳を叫んで死ぬ様に新聞紙に報道されているが、それは嘘だ。ほとんど大部分の者は両親兄弟妻子恋人等親しい者の名前を叫ぶということだ。」(数名に話す、同年一〇月、陸刑九九条で禁錮五ヵ月)
○岡山・製繩職工・二四歳――落書「労働者諸君賃金待遇に不平はないか、資本家はもうけているぞ、ファッショ倒せろ、賃銀値上せろ、涸落政党打倒、戦争する軍事費で失業者にパン救済せよ。」(同年七月二個所に落書、三九年三月、不敬罪で懲役二年)
○東京・飛鳥山公園便所に落書――「正義を愛する者は戦争に参加するな。」(三八年九月、捜査中)
○山形・応召軍人妻・三三歳――「兵たいさん父さんおかいしてくださいおねがいです。母さん病きでねています。私はまいにつないでいます。ごはんないのでばはいやにいもおもらった父っやんおかいしください。兵たいさんめくんでください母っやんぜにかないています。」(同年一〇月、歩兵三十三連隊本部へ投書、説諭処分)
○北海道・農業(区長)六五歳――「農家ではこの忙しい時に兵隊には取られるし頼りとする馬も徴発され仕事をするに大支障がある。とにかく戦争等は早く終って貰いたいと念願している。もう戦争は嫌になった。」(三九年二月、産組事務所で数名に話す、戒飭)
○石川・学生――第四高校内三教室に不穏落書(黒板に白墨で)「………この社会的動乱の渦中、立って賢明なる諸君は苛酷なる搾取と残虐なる戦争とを事とするブルジョアジーの味方をするか、それとも人間性の尊重と共存共栄との社会主義社会の建設を目指すプロレタリアートの味方をするか(授業が始ったら消して下さい)」および不穏文書(教壇教師用机の前方に「侵略戦争絶対反対」、「ファシズム反対」の小紙片貼布)。(検挙送局)
○福島・農業女性・三八歳――「国家なんて虫の良い事ばかりするものだ。足袋もなくて働け働けといわれても仕方がない。それに増税だ何だと是では百姓がやりきれない。是も戦争がある為だから戦争なんて敗けてもよいから早くやめて貰いたいものだ。」(一九四〇年、厳諭)
○岐阜――四〇年四月、二名の家人を前に新聞掲載の皇太子の写真に、「こんな良い服や靴を着て何じゃ、我々国民があって初めてこんな良い服が着られるのだ、こんなもの何じゃ」といいつつ該新聞紙をクシャクシャに丸め、これでストーブ上の油を拭き廻したのち「こんな者は早く死んで了え」とストーヴの火中に投じた。(七月、不敬罪で送局)
○山梨・芸能人(石田一松)、三九歳――同年五月甲府の劇場において、「稼いでも稼いでも喰えないに、物価はだんだん高くなる、物価は高いのに子はできる、できた子供が栄養不良、いやにしなびて青白く、あごがつんでて目がくぼみ、だんだん細くやせてゆく、日本米は高いからパイノパイノパイ、南京米や朝鮮米でヒョロリヒョロリヒョロリ」なる歌詞の時事小唄を演奏した。(演奏中止、厳重戒飭)
○千葉・五九歳――同年八月、小学校の時艱克服聖戦完遂村民総動員大会の席上で、「我々は今子供を二人も戦争にやっているが、もう戦争も大概に止めて貰いたいものだ」と発言。(厳重戒飭)
○和歌山・警察署長あて投書(新聞の皇族写真同封)――「署長以下署員皆様この御写真を見て如何に思うか。新体制が叫ばれている折今日この二方の服装はどうだ。上等の高価の毛皮の襟巻を着て堂々と新聞紙上に出すではないか。下人民の手本となるべき人はこの様な派手なことをするとは陛下の赤子として立腹の至りだ。現下の国民はいかなる苦難を忍びつつあるか。我々の生活の有様を推察せられ前記御二方へ厳重御意見を直接宮中へ出されよ。なお新聞紙に反答せられたし。一市民より。」(同年一一月、捜査中)
○大阪・五一歳――「天皇陛下も人間なら我々も人間だ。天皇陛下が米を食べられるのに我々国民が米を食べられないはずはない。天皇陛下が米を食べられないのなら、自分も食わずに辛棒する。我々は銃後の産業戦士だ。このような事で銃後の治安もくそもあるか。」(一九四一年二月、米穀共同販売所で発言、不敬罪としで送局)
○長崎・海軍徴用工員二名・三二歳および二七歳――一九四一年四月、両名は公休日に郷里に行き帰途の列車内で「オイ皇太子殿下に会って来たか(子供の意)。」「皇太子殿下に会わんが皇后陛下に会って来たよ(女の意)。」……と不敬会話をなし居るを同乗の移動警察官が検挙。(徴用工員のため憲兵隊に引継)
○山梨・農業・三九歳――「先日自分の出した供出米が一俵不正だとかで村の連中がとやかくいうが、あの位の事が悪いなら何の法律でもよい罰してもらいたい。このように種々と窮屈になったのも戦争のためでこの戦争を誰が頼んだものではない。政府が勝手にやっておるのでこんな事が永く続けば銃後はやりきれぬ。」(同年八月、某宅で雑談、科料五円)
○新潟・教諭・三七歳――同年九月、農林学校三年生四二名にたいし作文授業中、与謝野晶子作「君死にたまふことなかれ」の歌を板書し、生徒に筆記させ、「天皇は身自ら戦の庭に立たぬのだから我々も戦死する必要はない」との趣旨で説明を加えた。(厳重戒飭)
○兵庫・工場寄宿舎舎監・四一歳――事変に応召して召集解除となったが、戦地より支那軍捕虜殺戮現場写真等を持ち帰り、一九四一年九月以降一〇月、職工にたいし継続して、前記写真を提示しつつ、皇軍を誹謗し反戦反軍言辞を弄す。(四二年一月、神戸区裁で禁錮六ヵ月)
○北海道・訓導・二二歳――四一年一〇月、主として校長にたいする反感より、校長宅不在中、奉安所鍵を持ち出して奉安所を開扉し、箱中より今上陛下御真影および教育勅語を持ち帰り、火鉢にてまず教育勅語に火をつけ、更に御真影を焼却した。(一一月、懲役三年判決)
○群馬・農業・四五才――「日本もハアどうすることもできなくなってしまっただからね、皇族だっても我々と同じ国民ではないか、宮様の御祝儀だなんてあってこともない騒ぎをして一体皇族なんてものは何をして食っているんだべ。」(同一〇月、区長宅の常会席上、二二名の前で発言、一一月不敬罪で送局)
○大分・日稼・四四才――一九四二年三月、常会席上班長から国債購入の勧誘を受けたのに対し、「自分達はその日稼の苦しい生活をしているものだ。こんな事は下の者に無理にいうより戦争を止めるのが一番良い。そうすれば国債を売付ける必要がない。無理に戦争に勝とうとするからこのような国債売までするのだ。早く戦争をやめてもらいたい。」(検挙)
○東京・代議士(尾崎行雄)八四才――同年四月の総選挙に応援弁士として五回演説した際の言辞、「優れた天皇陛下がお出になってもそのお方が御在世の間は実に良い仕事ができますが、その次のお方が必ずしも同じ様でない時には今度は度々悪くなります(注意)……明治天皇陛下の聡明な御方が御崩れになって今日は二代目、三代目(注意)……。」(強制収容、起訴決定、取調中)
○岡山・役場吏員・三八才――十数回にわたり町村長、農会、警察署長等に投書、「商人丸丸と肥り、農村子弟戦場に血を流す。」「米の供出を御命令になるのは良家が闇をしている事になる。農家の親分として言分がある。農家の子弟が戦場で血を流し商人が儲けている。御承知あれ。」(六月、言論出版集会結社等臨時取締法ならびに臨時郵便取締法違反として罰金一〇〇円)
○大阪・鉄工仕上工・二○才――六月中旬工場において八―九名にたいし、「こんな戦争は勝っても決して我々労働者には何の得にもならぬ。お上の人は闇をしてはならぬと強調しているが、その人達が何をしているのか判ったものではない。」「天皇陛下がなければこんな戦争をやる必要はない。」(一〇月、言論出版集会結社等臨時取締法一八条違反として略式命令により罰金五〇円)
○神奈川・農業・四九才――四一年六月、国民学校における故陸軍兵長の村葬に参列し、埋葬に行く途中、村長にたいし、「国家のため戦死された英霊を何故国民学校の裏門より出発せしむるか」と質したのに対し、村長が「正門には御真影奉安せられあり、恐れ多いから臣下として御遠慮中し上げる」と答えたのに対し。「恐れ多い恐れ多いといったって天皇は我々が食わせておくのではないか、遠慮なら仕方がない。」と不敬の言辞を弄した。(四二年一二月、不敬罪として送致)
○北海道・生徒・一九才――四二年七月、道路において梨本宮殿下の御宿舎を望見しつつ同僚にたいし、「梨本君まだ来ないのか」と不敬言辞を弄す。(不敬罪として送致)
敗戦が近づくにつれて、国民のあいだには、生活の苦しみにもとづく終戦の要望、徴兵・徴用・供出などにたいする反対、心理的サボタージュ、官僚・軍部・天皇家にたいする抗議・攻撃などを内容とする「不穏言動」はいっそう拡まり、たとえ小さなものであっても戦時下で相当の勇気を要するこれらの言動は、支配階級にとって最も危険な抵抗の表現として受け取られた。憲兵司令部の資料によれば、一九四四年の一年間に全国の憲兵隊があつかった「造言」の数は、六、二三二件にのぼり、うち大阪六二五件、京都四六四件、仙台四一二件、東京三四七件となっている。また内務省警保局の資料(後出)によれば、一九四四年四月から一九四五年三月までの一年間に「不敬、反戦反軍、その他不穏にわたる言辞、投書、落書」の件数は、六〇七件となっている(南博「流言飛語にあらわれた民衆の抵抗意識」、文学、一九六二年四月号)。同じ警保局資料によると、一九四五年一月から五月までの反戦反軍的言動は一三五件、不敬言動は四〇件となっている(内務省警保局保安課第一係「最近に於ける不敬、反戦反軍、其他不穏言動の状況」、一九四五年八月――林茂編「日本終戦史」上巻による)。(以下は両資料による)
警保局は、このうち反戦反軍的言辞の内容を分類してつぎのように述べている――「(イ)生活逼迫を訴えて戦争停止を希ふもの、(ロ)無条件降伏を為すも責任を問はるるのは戦争指導者のみにして下層国民の生活に現実以上の悲惨は齎されずと為し敗戦和平を希ふもの、(ハ)上層軍人の特権的生活に露骨なる憎悪感を示すもの、(ニ)戦禍の悲惨を訴へて降伏を希ふもの、(ホ)軍部は自らの無能無定見を陰蔽し只管敗戦の責任を国民に転嫁しつつありとするもの、(ヘ)我国の敗戦必至なりとして即時和平の交渉を希ふもの、等が圧倒的に多く、特に従来は(イ)(ロ)(ハ)(ニ)の内容のものが多かったのであるが、極最近に於てはそれに加へ(ニ)(ホ)(ヘ)の内容のものが相当増加しつつある。何れも軍部官僚等の特権階級は自ら戦争圏外の特等席に位置し乍ら無意味なる抗戦の犠牲を国民に強ひつつありとする階級的感情の自然発生と結合し居るものの多いことは注目を要する動向と思料されるのである。」また、各種の不穏な言動を検討した上で、その動機などについてつぎのように述べている――「先づその動機に於ては従来の如き一部性格異常者、不穏思想抱持者等の悪戯及び思想的動機に出たるものに加へて最近に於ては大衆一般の戦局悪化に伴う厭戦敗戦感と戦時生活の逼迫から自然発せる苦痛の中に根源を持つ具体的生活的動機のものが著しく増加して居る。従ってその内容に於ても極めて切実なものが多い。而かも何れも反戦反軍乃至厭戦敗戦的思想感情が斯種言動を一貫して居るといふ点にその特徴を窺ふことが出来るのである。特に極最近に至っては所謂其他不穏言動が愛国乃至憂国的動機より出たるもの、又は、施策に対する不満より政府或は官僚を誹謗せる類の内容のものから漸次厭敗戦色調の濃厚なるものに移りつつあると謂ふ実情は頽廃的自暴自棄に亘る歌詞歌謡の流行等と相俟って正に反戦反軍的思想感情の広汎なる〔ウン〕醸地を準備するものとして注目に値する傾向である。………之等は何れも言動として表面化し視察取締りの線に触れたる偶然のものに過ぎず、その根源には猶戦時下特有の政治的社会的重圧の下に沈黙を余儀なくされたる大衆の広汎なる不安動揺の存在を推測し得るといふところに事態の重要性があるものと思料されるのである。………意識的計画的なる態様のものが最近僅か乍らも増加の傾向にあり、又極めて素朴なる形なるも宣伝、煽動的意図に出でたる態様のものすら萌芽しつつあるといふことは、当面国民心理の不安動揺といふ客観的条件が存在するだけに厳重警戒を要するところである。」以下に若干の具体的事例を掲げる。
○福島・農業・四二才――「米もすっかり持って行かれ百姓は酷いものだ。戦争なんか勝っても負けても同じ事で百姓には関係がないそうだ。」(一九四三年一二月、隣人三名に流布、憲兵隊審理中)
○呉・無職女性・二八才位――「町内会でも疎開者として勧奨しておった某実業家の二号は旦那が策動して疎開せずに済むことに決ったそうな。疎開にも闇中情実があるらしい。」(一九四四年五月、巷間聞知したる憲兵に洩らす、憲兵諭示、他言を禁ず)
○京都・鋳掛職――「大体政府は二合七勺位の米で腹がふくれると思っているのだろうか。こんなひもじい目をするのなら戦争は勝っても負けてもどうでもよい。」(一九四四年六月、常会席上または自宅において知人等十数名に洩らす、警察検挙、送致)
○京都・大工・一八才――「徴用検査の通知は死んだものにでも来るのだから行っても行かなくてもよい。検査の時は番号を呼んで行って居らんものは赤線を引いて消すだけで、検査に行けば徴用が来るが、行かなかったら徴用にも行かなくともよい。」(一九四四年七月、知人数名に流布、聞知せる二名は徴用当日不参、警察検挙、送致)
○茨城・農業・五一才――「十俵の収穫しかない者に、二十五俵の割当があった場合にも完納するのか。完納するとすれば盗んで来るより仕方ない。こんなに無理を強いられるなら、米英の世話になった方が良いと思う。」(一九四四年八月、供麦常会に居合せた二九名に流布、反響大、警察検挙、送致)
○埼玉・農業・女性・四七才――「神社のお告げだ。今年海軍に志願すれば戦死する。」(一九四四年九〜一〇月、近郷町村一帯に流布、著しく海軍志願兵を消磨させ、特にH村は割当九名に対し志願者皆無、憲兵検挙、送致)
○東京・陸軍航空工廠工員・二九才――「軍はやられたり負けた事等はいつも発表しない。だから新聞等では解らない。」(一九四五年二月、電車内で同僚四名に流布、憲兵隊で厳諭始末書)
○埼玉・農業・五一才――「あんなに東京を焼いて了って天皇陛下も糞もない。戦に勝つから我慢しろと言やがって、百姓はとった米も自由にならぬ。骨が折れる丈だ。」(一九四五年三月、自宅付近で流布、憲兵検挙、事件送致)
○埼玉・村会議員――「沖縄も近く玉砕だ。この分では日本は負けだ。負け戦に貯金だ供出だと云うが馬鹿馬鹿しいことだ。」(一九四五年五月、部落常会席上で近隣約三〇名に洩らす、警察検挙取調)
○大分・農業・四九才――「敵が上陸したら国旗を出して歓迎する。」(一九四四年九月)
○不明――「日本が負けて天皇陛下はどうなるやろう。」「天皇陛下は淡路島でも貰うやろう。」「そんなことはない。どこか南洋か外国へ連れて行かれるのやないかと思うな。」(一九四五年、警察検挙)
○水戸連隊区司令官あて――「軍人諸君特に陸軍の軍人諸君は民衆の忠誠を認識せず、徒に威丈高に叱責これを咎むるのみ急にして敗戦の責任の己自身に存することを誤魔化さんとする傾向日を追うて顕著なり。……」  
第二章 無産政党その他の政治活動 

 

第一節 無産政党運動(一) 
日本無産党
一九三七年一二月および三八年二月に、いわゆる人民戦線事件として全国で計四八四名が検挙されたが、その内訳は、日本無産党関係二六五名、日本労働組合全国評議会関係一七四名(日無にも関係あるもの四二名)、労農派グループ三四名、教授グループ一一名であった。そして日本無産党は、「わが国体を変革し、私有財産制度を否認し、プロレタリアートの独裁によりて共産主義社会の実現せんことを目的とする結社にして、当面いわゆる反ファッショ人民戦線の統一強化を標榜するものなり」との定義にもとづき治維法第一条の結社として扱われることとなり、検挙一週間後に全評とともに結社禁止となった。しかし、この結社禁止の意図はむしろ司法省発表に述べられているように、「コミンテルンの人民戦線戦術以来、すべての共産主義者は極力社会民主主義団体に潜入し、もしくはその運動を利用すべくつとめているので、警察の取締ないし警戒の範囲もいきおいこれら団体にまでおよぼしてゆかねばならぬ情勢となってきたことであって、いまや民主主義自由主義等の思想は共産主義思想発生の温床となる危険性が多分にある」という点にあった。こうして社会民主主義の存在自体がこの時から否定されることになったのであるが、日無の運動はそれ自体もともと実体に乏しく、弾圧はむしろ思想的な面に重点があった。日本無産党は、もともと労働組合法など社会立法獲得のため全評(日本労働組合全国評議会)、東交(東京交通労働組合)、関消連(関東消費組合連合会)などを中心に組織されたカンパニヤ組織たる労農無産団体協議会が、戒厳令下の府議選を前にして政治結社に発展したものであるが、政党として社大党とのあいだに摩擦を生じ、内部から全農(全国農民組合)などの脱退を生んだため一応解体の上、あらためて再結成された同名の協議会が、みずから「反ファッショ統一戦線の推進力」になろうとしたが、社大党への無条件合同提案が拒否されて戦線統一を一応断念しつつ、一九三七年三月、社大党に対立する全国的政党として日本無産党と改称したものである。日本無産党は結党以後、「ファッショの撲滅」、「無産政治戦線の統一」等のスローガンをかかげ、四月の総選挙には三名を当選させ(得票数一〇万票)、日中戦争勃発後は、友誼団体を集めて物価対策委員会を開催し、八月には「時局に関する指令(第一号)出征兵士家族救援について」を発言するなどの活動をおこなった。検挙直前における同党の構成は、委員長加藤勘十、書記長鈴木茂三郎、東京府連会長高津正道、支部数は準備会をいれて四四、党員数は七〇四六名(うち八幡支部三〇五〇)といわれた。なお、一九三八年二月に起訴となった鈴木茂三郎は裁判の結果、四二年九月の第一審で懲役五年、四四年九月の第二審で懲役二年六ヵ月の判決を受け、四五年一一月の大審院で原判決破棄、免訴となった。
社大党の分裂と消滅
社会大衆党は一九三六・三七両年の総選挙で大躍進し、三七年四月の第二〇回総選挙では、当時の記録的な労働争議に示された、労働者のエネルギーにつきあげられて、当選者三七名(その約半数は最高点)、得票数九三万票となったが、七月の戦争勃発とともに「今次事変は日本民族の聖戦である」(戦時下運動方針)として「帝国主義戦争絶対反対」のスローガンを取り下げて侵略戦争への積極的支持を表明し、また綱領を改正して「我党は国体の本義に基き日本国民の進歩発達を図り、もって人類文化の向上を期する」とし、公然と階級的立場を放棄して、国家主義に転向し、人民戦線事件検挙後には、それに連座した党員を除名し、「階級運動をつうじて資本主義を改革せんとする社会運動の過去の理論を揚棄し、全体主義の理論をもって、勤労大衆を中心とする大衆的革新政党をさらに国民の党にまで発展せしめなければならない」(三八年大会一般方針)と、みずから労農無産政党であることを放棄した。一九三九年には、右翼団体の東方会と合同して「革新政党」を結成するとの共同声明まで発したが、旧日労(全労)系と旧社民(総同盟)系の両派が対立して、結局合同問題は失敗した。
一九四〇年二月、衆議院本会議における斎藤隆夫代議士の「支那事変は聖戦なりや」の質問演説が問題になると、社大党は、それが「事変の目的を晦渋にし、帝国不動の方針を中外に誤認せしむるものにして、又挙国的体制にも悪影響あり」として、議員除名懲罰の急先鋒となって軍部に追随した。党内ではこの決定をめぐり、旧日労系を中心とする麻生久書記長ら二一名の除名賛成派と、旧社民系を中心とする安部磯雄党首ら一三名の除名反対派が対立し、前者が多数で押しきった。このため斎藤処分の本会議に、安部・片山・鈴木・西尾・松永・米窪・岡崎・水谷・富吉・松本の一〇名は一斉に欠席して採決に参加することを拒否した。これらの反対派八名(安部党首は病気欠席として責任を追及せず松本治一郎は正式党員でないので社大党代議士会から脱退を要求)にたいし党本部は、「聖戦目的貫徹のために、我等は斎藤氏を断乎除名処分に付した。この党議を無視して態度を曖昧にし、故意に票決を回避したるものをそのまま党内に許すことは、わが立党の精神に照して、容認し能わざるところである」との声明を発して除名した。こうして社大党はますます軍部・ファシストヘの協力を強め、同年七月にいたり、近衛文麿を中心とするいわゆる新体制運動の提唱に呼応して、「内外の時局にかんがみ、政治の新体制を待望するは国内一致の世論なり、日本民族の興亡またこれが成否にかかる。しかしながら政治の新体制は自らにして成るものに非ず、国民決死の努力にまつ、わが党が率先党を解いてこれを推進せんとする所以なり」との解党宣言を発し、大政翼賛会・産業報国会運動の中に姿を没して太平洋戦争に協力した。
先に除名問題によって社大党から分裂した旧社民系の九代議士は松岡駒吉を加えて協議した結果、社大党を離党した安部磯雄を中心にして新党を組織することに決定し、日本労働総同盟を中心母体として、三月末新党準備会全国代表者会議を開き、五月はじめ「勤労国民党」を結成する準備中、突如「人民戦線運動に乗ぜられる危険性を最も多く有するもの」(内務大臣談)として結社禁止を命ぜられた。同党はけっして「思想的には社会主義により、組織的には事実上無産階級を地盤とする階級的政党を樹立せんと企図」(内相談)したものでないことは、次の新党結成基本方針によっても、また各議員のその後の活動や言論に徴しても明らかである。なお結社禁止時に、大阪等七府県では支部ができ、その他一〇数県で支部組織準備中であった。
新党結成の基本方針 (一九四〇・三)
我等は既に再三声明せる如く広く同憂具眼の士と提携協力して、真の国民の信頼に応ふるに足る清新にして発刺、然も強力なる新党を結成せんとする、此趣旨に基き、新党結成の基本方針を定むること次の如し。
一、国民の自立的協力に基礎を置く時局担当の党たること。
時局便乗に非ず、時局批判に非ず、国民の自立的協力に基礎を置いて積極的に時局を担当し、政戦両略の一致を文字通り具現せんとする党たること。
二、清新なる要素を包含する党たること。
議員中心に非ず、新進有為の人材を包擁し青年の意気を以て貫く真の革新政党たること。
三、門戸解放の党たることを厳に排し、広く同憂具眼の士と提携協力する党たること。
四、国民組織の推進力たるべき党たること。
国民各層を貫く国民組織の建設に積極的に協力し、国民の心の底から湧き上る自立的協力精神を喚起する党たること。
五、議会政治再建の党たること。
わが憲法の大精神に則り、議会の現状を打破し、之を真に国民生活に立脚する国民の議会たらしめ、以て聖業翼賛の実を挙げんとする党たること。
六、勤労国民の党たること。
勤労国民の伸張が国家民族の興隆発展と完全に一致することを確信し国民生活確保と資本主義改革を主張する党たること
七、聖戦目的貫徹に邁進する党たること。
叙上の大方針に立脚しつゝ近衛声明の表裏なき実現を通して聖戦目的貫徹に邁進する党たること。
綱領草案(四〇・五)
一、我等は国体の精華を発揚し国家民族の興隆と勤労国民の伸張を期す。
二、我等は資本主義を改革し、綜合国力の増進と東亜新秩序(又は世界新秩序或は国際正義)の確立を期す。
三、我等は勤労と科学を尊重する精神を昂揚し国民文化の向上を期す。  
第二節 無産政党運動(二) 

 

日本共産党
一九三五年三月の中央委員袴田里見の検挙以後、日本共産党は敗戦にいたるまで国内において全国的・統一的な指導部をもつことができなかった。一九二八年以降、共産党関係で治安維持法違反により検挙、起訴された数は、第38表のごとく、被検挙者合計七万五六八」名、うち一九三七年以後のもの四、五七八名であった(「日本共産党略史年表メモ(戦前編)」、前衛、一九六二年八月号)。検挙されて刑務所や予防拘禁所などの中で自由を奪われながら、節をまげずにたたかいを続けていた革命家たちは少なくなかった。中央委員国領伍一郎は四三年三月、同じく市川正一は四五年三月、獄死した。一九四一年に治維法が改悪され、予防拘禁条項が施行されたのにたいして、三・一五事件で党中央委員として検挙され当時千葉刑務所に服役中であった徳田球一は、左のような反対意見書を提出している(司法省刑事局「思想資料パンフレット特集」、一九四二年一二月、による)。
反対意見書(一九四一・六・一五)
             徳田 球一
第一、今度の治安維持法の改悪は正に日本帝国主義の収拾すべからざる破綻の自己暴露である。
日本帝国主義が是迄、凡ゆる手段を弄して、ただに死刑を含む最悪法を以て威嚇、痛責したのみならず、自ら人民に示した、自己の刑法に於て犯罪を構成する手段、而かも、それは殺人と云う最悪の酷烈な手段をも動員して、労働者、農民、勤務者、兵士、其他被抑圧人民層の解放に献身する共産主義者を暴圧して来たことは今更云ふまでもない。然るに、斯る狂暴な弾圧は、それ自身、その暴政政府の弱体化を如実に雄弁に物語るものであることは事実が立証している、而して、之を最も正確に感得するものは外ならぬ、労働者、農民、即ち弾圧されてゐる者である、だから愈々狂暴な振舞が増大すれば、する程、益々労働者、農民の解放闘争への、情熱は昂揚して行く、だから既に革命陣営を放棄した者にさへ、政府は繩を付けて一刻の油断もなく監視せざるのやむなきに至ってゐる、それが即ち「保護観察法」なるものの本質である。
然るに現下の帝国主義侵略強盗戦争は、中国革命への反革命的暴圧干渉戦争であるばかりでなく、世界帝国主義の断末魔の足掻としての世界再分割戦である為めに、終結すべき目当も付かず、且つ極めて大規模に急速に進展するので、其の浪費性と破壊性は、今や全く一切の経済的基本構成を急速に破滅化しつつある。日本帝国主義はこれを防止せんとして、独逸ファツショ、「ナチス」を「猿マネ」したが、それは却って一切を一層混乱と破壊とに導く以外に何物をも収め得なかった。斯くて政治的にも愈々収拾すべからざる破綻へ押し詰められて来た。それ故に帝国主義者の見るもの聞くものは一切合財、彼等自身への被抑圧人民層の襲撃の種とならざるものなきに至った。一度労働者、農民の不平不満が勃発せんか、身の置き所なきに至るべきは彼等自身最もよく知る所だ。何故なら、彼等の暴圧と残虐の所為は彼等自身最も能く知る所であり、且つ、その報酬の如何に高価であるべきかも彼等の熟知している所だからだ。斯くして周章狼狽した結果は前後左右を顧慮する能力を喪失し、自己の破綻を内外に大声疾呼するこの「治安維持法改悪」となったのだ。論より証拠、彼等自身、この法律を国防法と同格に取扱ひ、一切の刑事法施行の枠外に逸脱して、極めて酷烈な戦争的暴虐手段に訴へている。これは云ふまでもなく、自国内被抑圧人民層を敵国人と同一に、階級闘争を帝国主義戦争同様に取扱ってゐることを意味する。我が共産党への攻撃のみでは安心が出来ず、「個人」にまで襲撃しなければならず、あまつさえ、彼等自身、「転向者」として、「犬」として烙印した所の者さえも、「保護観察」してさへもあき足らず、更に「予防拘禁」しなければならなくなってゐる。茲に如何に深刻に労働者、農民の憤激がそして階級意識が昂揚すべき基本条件が備り、且つ彼等の頭上にそれがのしかかりつつあるかを彼等自身告白してゐることを見る。
それ故に、この法律の設定によって我々を威嚇し何等か得る所あらんと思考するならば、これ程馬鹿気たことは見付けるに至難であらう。全く情勢の急迫に狂人となりはててゐるのだ、若しさうでないと云ふならば、即時こんな馬鹿気た法律を撤廃するか少くとも、その実際運用を廃絶すべきである。
第二、この法律は労働者、農民、勤務者、兵士、その他被抑圧人民層の奴隷化政策の最後の保障だ。
「国家総動員法」及び之に付随した、所謂諸「統制法」は明に労働者、農民、勤務者、兵士、その他被抑圧人民層を奴隷化し牛馬化するものであることは贅言を要せぬ。然るに他方天皇専制、其宮廷、軍事、行政官僚、大地主(貴族)及び独占資本家等は其権力を極点迄拡張し、官権をあらん限り振り廻して、その利益の集積に熱中してゐる。独占資本家は軍閥、官僚、貴族、其他走狗、番犬、猟狗に超過利潤の余滴を与えつつ、超大スピードを以てその独占を拡大強化し、莫大の利益を収得し、今や却って、余りに急速に尨大化したために身動きも不自由となったばかりでなく、其支持物を急速に収奪した為めに、足下が極度に弱化し、ひょろつくに至った。斯くて愈々益々労働者、農民等被抑圧人民層の奴隷化政策を暴力的に強行せざるを得ず、労働者、勤務者は工場、職場に縛り付け、農民は土地に、其指定した耕種の耕作に固着せしめんとしてゐる、中小商工業者は収奪されて、労働者化し、貧農化し奴隷とならざるを得なくなった。それ故に猛然として全人民大衆が其暴圧吸血に反抗し、自己解放に躍進せざるを得ざるべきかは、必然且つ、不可避である、如何に三味線入り、太鼓囃しで「将来」を夢見ることを説き立てられても、何等の効のないことは、この事実の発展が立証してゐる。帝国主義者の「デマ」はここ十年、即ち満州戦争開始以来日一日と血の出る事実を以て暴露されてゐるからだ。帝国主義者自身、中国侵略戦争開始以来の所謂「統制」の大失敗を認めてゐる。
そして、このファッショ化(実は猿まね的にせ物それ故に一層残酷にして却って無効果的である)を合理化しようと焦慮してゐる。所がその合理化の「ラッパ」が鳴りつつある間に、事実は一層の大失敗を宣告してゐるではないか。物資は益々窮乏化し、人民は裸にされ、雨露に晒され、餓死の一歩手前に押し詰められつつあるではないか。斯くて奴隷化政策の強行は百八十度に転廻して、自己破滅への一大動力の勃発を結果せざるを得ざる素因を形成しつつあるのだ。其自業自得を暴力を以て無理矢理圧殺しようとする其の最後の努力こそこの法律であるのだ。然し圧力を加ふれば加へる程、その爆発力の強化することは必然であって、かかる狂的行為は結局自殺的なものなることは論証するまでもない。
第三、国際的には徹底的に内兜を見透さるるであろう。
中国侵略戦争の失敗、その戦略的敗所は今や全く全世界の周知の事実である。進むに進まれず、退くに退かれず、日に日に弱体化しつつある醜態は正に掩ふべからざる厳然たる事実だ、更に噴飯ものは所謂「日満支ブロック経済」なるものが日本帝国主義の土台を根こそぎ洗ひ去ってしまう一大動力であることだ。斯くては、日に日に近づきつつある対英米戦争の脅威に縮み上らざるを得ない、斯くて人民大衆の抑え難き反戦気運の高揚は帝国主義者を混迷させつつある。それ故に事実、対英米戦争に尻込みしつつあるに拘らず見え透いた大ぼらの「軍備充実」特に敵の嘲笑の的となる、敵勢力の超過小評価を以て、大衆への気休めを敢て為さざるを得なくなったのであるがそれ以上に其内兜をさらけ出し、自ら腰の抜けたことを広告しているのに外ならぬ、この法律ではないか。憐れと云うも愚だ。
第四、労働者、農民、勤務者、兵士、其他被抑圧人民大衆は益々自己解放に勇躍するであろう。
日本帝国主義の飽くことを知らざる残忍吸血施政は今や人民大衆をして自己解放の為めの、自己の掠奪せられたる一切の財産の奪還の為めの自己犠牲に身を投ずる以外に道なきを明にしてゐる、而して、この法律は、一層之を激成するに充分役立つであらう。自己の支配してゐる人民を「ナメタ」支配者が打ち倒されなかった例はない。外からか、内からかの別はあるにしても、今や日本帝国主義は内外から挾撃せらるべき莫大の素因をこの法律によって作り出してゐる。鹿を追う者は山を見ずだ。
第五、予防拘禁絶対反対!!刑期満了と共に無条件釈放を要求す。
公判廷に於て明にした如く、元来我々は罪がない所か、反対に社会に有害なのは現支配階級なのだ。今や天皇専制、其諸官僚、大地主貴族及び独占資本家はその存在を否定されねばならぬ、必然不可避の最後の段階にまで押し詰められてゐる。その所にこそこの上もない罪が存在するのだ。だから既に我々が犯罪者として懲役を課せられてゐること、それ自体が不当であるのだ。更にその刑期満了間近になってから「不定期刑」たる性質を有する予防拘禁に付せんとするに於てをや、言語道断だ、それも抑も「犯罪」と称する我々の行為の行はれたる当時に於て、この予防拘禁条項が存在したりしと云ふならば兎に角、釈放間近になってから、我々を目標として、かかる残酷極まる新設追加刑を執行せんとするに於て正に悪鬼も三舎を避ける仕打ではないか、社会的にも、政治的にも法律の基本的精神にも反すること夥しい。
然らば斯る暴虐を敢てして、我々の所謂「犯罪」と称せられてゐる治安維持法違反が防止せらるるや否や、否!!否!!既述の如く益々天皇、地主資本家の為めの治安を紊乱すべき基本条件こそ増大しつつあるではないか。斯る犯罪防止の基本的条件を堅持する能力なき者が何で「予防拘禁」をなす権利を有する者だ、少しは自己を顧みて事を行ふがよい。
拘禁中の処遇を見るに懲役的ではないか、殊にその労役を強制する点に於ては到底黙止し能わざる所だ、犯罪にもあらざる者に犯罪でさえ政治犯は禁錮であり、労役非課であるのに、真実の政治的行為に対して労役を強制するとは全くの不当、不法だ。而かもその点は法律になく勅令を以て規定するとは恥を知らざるも夥しいと云ふべきだ。労働は人間の必要欠くべからざる任務だと云ふならば先頭に現支配階級自体が破滅さるべきだ、何故と云って現支配階級こそ不労所得に座食し遊堕し社会を汚辱し、犯罪を誘発してゐるからだ。かかる者共を永久化し安泰化する為めに、労働者農民の為めの、そして之を通じての全人類の解放の為めに犠牲となった人々に対して、予防拘禁に於て労役を強制するとは全然の恥知らずの仕打だ、それだから、大衆の眼に触れる議会に於ける討議に付することを憚り、暗打的に勅令を以て合法化しやうと云ふのだ、斯くの如きは全く不法、不当だ。
聞く所によれば豊多摩刑務所の旧独居を拘禁所に仮用するとのことであるが、そこは極めて旧式の非衛生的檻房であって懲役にしても最悪の場所である、然るに、これを使用するとは全く言語道断だ、政府の仕打が如何に暴虐極まるものであるかは斯くて論証を俟たざる所だ。
予防拘禁絶対反対!!刑期満了と共に無条件釈放を要求す!!
国内における中央指導部が壊滅したあと、一九三六年九月にはモスクワから小林陽之助が帰国し、風早・守屋・松本・岡部らと連絡をつけてグループを作り、一〇月に人民戦線運動方針を発表、翌年八月には党再建グループを確立したが、一二月に検挙された。関西地方では、三六年七月、奥村・宮本らが中央再建準備会を結成し、八月に機関紙「赤旗」一号を発刊したが、一二月にいっせい検挙を受け、検挙一三〇〇余名、うち起訴二三五名を出した。一九三七年一二月には、竹中、春日らが関西地方で日本共産主義者団を結成し、翌年四月に機関紙「民衆の声」、六月に理論機関紙「嵐をついて」を発刊したが、九月に一五八名が検挙され、再建運動は挫折した。一九三九年一〇月には、阪神地方で岸本茂雄らが党再建グループを結成して工場労働者に働きかけたが、翌年九月に六〇余名が検挙された。また三九年一一月には、山代吉宗、春日正一、加藤、酒井らが京浜グループを結成して党再建活動に着手したが、翌年五月に四五名が検挙されて挫折した。岡部隆司らのグループ九〇名は四〇年六月に、神山茂夫、寺田貢らのグループ七〇余名は四一年二月に、それぞれ検挙を受けて挫折した(「前衛」前出号による)。
国外においては、一九三五年七月にコミンテルン第七回大会(参加六五ヵ国、五一〇名)が開かれ、日本共産党代表として野坂、山本、小林らがこれに参加し、日本代表野坂参三、市川正一は執行委員に選出され、野坂は片山潜のあとをうけ執行委員会幹部会員に選ばれた(コミンテルンは一九四三年五月に解散を決定)。これよりさき野坂は、三・一五事件で検挙されたが、眼疾手術のため仮出獄をかちとり、三一年一月に党中央委員に選出され、中央委員会の決定によりコミンテルン日本代表として非合法裡にモスクワに行き、名前を岡野進と改め、いわゆる三二年テーゼの起草に参加するなど四〇年までコミンテルンで活動した。コミンテルン第七回大会では日本代表として日本問題について「戦争と飢餓と無権利の支配制度」と題する報告をおこなった。その後同大会の決定と思想を日本の運動にもちこむことに努力し、三六年二月には田中(山本懸蔵)と連名で「日本の共産主義者への手紙」を発表し、またソ連内外で秘密文書を印刷し、論文やパンフレツトをアメリカその他を通じて日本に送りこむ仕事に従事した。アメリカヘは二回渡って日本の運動との指導・連絡にあたった。野坂の国外活動は計一六年、うちソ連が七年、アメリカが足かけ四年、中国が六年であった(「前衛」、一九六五年四月号)。一九四〇年四月には、中国共産党に協力し、日本帝国主義者の侵略とたたかうために中国の延安に向かい、以後そこで日本軍隊にたいする反戦・平和の宣伝活動をおこない、捕虜の民主的教育に従事した。日本人共産主義者同盟・日本人反戦同盟・解放連盟を組織・強化し、工農学校(労農学校)をつくった(野坂参三資料編纂委員会編「野坂参三のあゆんだ道」による)。同地で終戦までのあいだに発表した論文のうち、一九四〇年四月に執筆した「日本の革命的プロレタリアート当面の任務」、一九四三年五月の「解放日報記者に与えた書簡」、および一九四五年四月に延安でひらかれた中国共産党第七回大会に出席して日本共産党を代表しておこなった演説草稿「民主的日本の建設」の章節名および結語の部分を左に掲載する。
日本の革命的プロレタリアート当面の任務 (一九四〇・四)
一、日本の内外情勢
最近の日本内外の情勢は、日本における大衆運動の発展にとって有利な条件を生んでゐる。昨年八月における「反共枢軸」の崩壊は日本帝国主義を国際的孤立におとしいれ、次いでヨーロッパに勃発した帝国主義戦争と共に、日本の国難を倍加させ、その地位をますます不安にした。満蒙国境ノモンハンで日本軍の喫した殲滅的敗北は、日本の軍部をソヴェート赤軍に対する勝利の自信を失はせ、同時に彼等の「権威」と彼等に対する国民の「信頼」とをいちじるしくおとしてしまった。急速に「支那事変」を終結せんとする彼等の努力は、たとへば、最近、長沙その他の支那の戦線におけるごとく、かへって日本軍の惨敗をもって終ってゐる。一縷の望みをかけた汪兆銘の「中央政府樹立」も「事変の解決」にならぬことは、阿部前首相でさえ公然と認めざるをえなくなった。かうして「速戦速決」のスローガンで始められた日本帝国主義者の対支侵略戦争は、いまや彼等に見とおしのつかぬ長期戦となり、彼等はあたかも底なしの泥沼に落ちこんだ人間のごとく、はひあがらうとあがいて、ますます絶望的に全身を沈下させてゐる。
ひるがへって日本国内を見るに、破滅的な消耗的な長期戦の影響はあらゆる方面に現はれてゐる。平和産業の破壊、資源の涸渇、貿易の不振、正貨の蕩尽、インフレーションの進行、農村の荒廃と農産物収穫の減退、生産力増加率の低下、等々――これらすべては日本の戦時経済の上に危機と破綻がせまってゐることを、明らかに物語ってゐる。
これらの巨大な困難に面して、日本の支配階級内部における対立と葛藤は尖鋭化した。開戦二年半にして内閣は三たびかはり、政府の政策は不断に動揺し、政党は絶えず離合集散を繰返してゐる。かうして、政治的不安定は、戦争の長期化と共に、ますます深刻化し激化してきた。
戦争は日本の勤労国民大衆の生活を極度に悪化させた。軍部とその手先の気違ひじみた排外愛国主義的宣伝にだまされてゐた国民大衆の間にも、不安不満はたかまり、生活改善のための彼等の闘争は、血なまぐさい弾圧にもかかはらず、いちじるしく昂揚してきた。そのことは、昨昭和十四年(一九三九年)中の労働争議参加労働者の数が前年にくらべて二倍に激増した一事をもって証明しうる。
また、戦争に対する国民大衆の態度にも変化がきた。彼らの多くは「聖戦の目的」に深刻な疑惑をいだき、ある者は大軍需資本家の巨利を難じ、ある者は無条件の戦争終結を語り始めてゐる。かうして、政府の大がかりの「国民精神総動員」の宣伝にもかかはらず、国民の問における戦争熱は冷却し、疲労と厭戦と平和要望の気分は、都会と農村をとはず、国民の広汎な層に、ブルジョアジーの一部にさえ、ひろがってきた。
この間にあって、日本の共産主義者や階級意識に目ざめた労働者は、極度に困難な状態にも屈せずその力を結集し、その陣営を整備して、彼等におはされた使命――対支侵略戦争反対のために英雄的な闘争をつづけてゐる。この事実は敵によっても公然と認められてゐる。たとへば、昨年十月開かれた地方長官会議で、当時の内務大臣は訓示して、次のごとく述べてゐる。曰く……
「今後事態の推移如何によっては不穏矯激なる言動に出で、国策の遂行に不測の障害をおよぼす虞ある者なきを保しがたい。この間、左翼分子(すなわち共産主義者――筆者註)は今なほ、執拗なる策動を反覆しつゝあり、今後いかなる間隙に乗じて擡頭しくるやも計りがたい実状である」と。
以上にのべたすべての実情は、日本の革命的労働者の大衆的活動にとっての有利な条件であってこれはまた、彼等の正しい政策と行動が、戦争の将来に、日支の国民の運命に決定的な意義と重要性をもつことを示してゐる。
二、戦争宣伝に対する闘争
さて、上記の情勢の下にあって、われわれ日本の革命的労働者は何をなすべきであるか?
第一になすべきことは「聖戦」の本当の意義、その不正不義な掠奪戦争であることを、あらゆる方法と手段をもってうまずたゆまず、大衆の間に宣伝することである。いひかへれば、この戦争は日本の軍部、大財閥、大地主が支那の領土と資源を奪ひ、支那国民を奴隷化さんがためになされてをり、その戦争のために日本の勤労国民大衆の血が流され、汗がしぼられてゐること、これを卑近な具体的実例をもって、大衆のことばで、彼等に得心のゆくまで、説明すべきである。
かゝる戦争反対の思想的闘争において、われわれは次の点を特に強調しなければならぬ。
すなはち、軍部によって国民の間に流布されてゐる諸種の欺瞞的大義名分、たとへば「東亜永遠の平和」「新秩序建設」「善隣友好」「共同防共」「経済提携」その他のスローガンの一つ一つを笑殺するのではなくて、徹底的に曝露することである。殊に、今なほ日本の和平条件の基礎となってゐる近衛声明の侵略性と欺瞞性ならびに汪兆銘「中央政府」のロボット性が暴露されなければならぬ。
次に日本軍隊が「無敵」であり、世界に「冠絶」してゐるといふ国民の間に植ゑつけられてゐる神秘を打破することに努力する必要がある。日本の国民の少なからぬ部分は、日本軍は支那で常に「連戦連勝」してゐるものと信じられてゐる。故に、支那の戦線や満蒙の国境における日本軍敗北の実情を、ひろく知らせることによって、軍部の「威信」や力に対して大衆の不信を喚起させ、さうして、「日本の帝国主義者は、支那において将来を有せず、かつどんなことがあっても、有しえないことを」(『ソ同盟共産党史』日本語訳四六〇頁)大衆に了解させることができる。
いまの日本の支配階級は、支那の犠牲において、日英米の「ミュンヘン」を策し、ソヴェート同盟に反対する三国の帝国主義同盟を作らんとくはだててゐる。われわれは、かかる企図が日本の国民にとって最も危険な破滅的なものであることを説明し、警告すると共に日本はソヴェート同盟と善隣友好関係を結ぶべきことを宣伝する必要がある。
だが、以上のごとく「聖戦」の本質を暴露するだけでは十分でない。支那国民の抗日戦が日本帝国主義者の侵略に抗して自国の独立を防衛せんがためになされてゐる正義の戦いであること、また日支両国民は日本帝国主義者といふ共同の敵を有し、したがって両国民は相提携し、結合すべきことが宣伝されなければならぬ。
三、大衆の切実な要求のためにたたかへ
次に、われわれ日本の革命的労働者は、労働者、農民、勤労知識階級、小商工業者、その他すべての戦争の犠牲者の切実な経済的要求と踏みにじられた人権の擁護のための闘争を全力をあげて発展させる必要がある。そしてその闘争の形態と方法とは、今日存在するところの大衆運動発展の可能性に適応し、また部分的要求は大衆当面の必要と気分に適応しなければならぬ。いたづらに高度の「革命的」スローガンをかかげるのが、革命運動家の任務ではない。
右の見地から、大衆当面の要求として、つぎのごときものを一例としてあげうる。すなわち――
労働者に対しては、賃銀の増額、賃銀天引きの強制貯金反対、労働時間の短縮、解雇反対、強制的「産業報国会」反対、労働組合運動やストライキの自由、等々をあげうる。
農民に対しては、小作料引下げ、地主の土地取上げ反対、借金の支払猶予、強制的勤労奉仕反対、農民組合運動や、小作争議の自由、等々をあげうる。
勤労知識階級に対しては、給料の増額、技術者登録制度反対、学校の軍隊化反対、等々をあげうる。小商工業者に対しては、倒産者の救済、経済統制反対、等々をあげうる。
出征兵士の家族に対しては、人間なみの生活の保証、家族の生活の中心となってゐる兵士の即時除隊、等々をあげうる。
兵士に対しては、戦時手当の増額、ビンタ暴行の厳禁、農繁期の帰郷等々をあげうる。
四、政治的スローガン
上記のごとき大衆当面の諸要求を目的とする大衆闘争の発展段階に応じて、われわれはもっと重要な、政治的スローガンに大衆を動員する必要がある。しかし、戦争を即時止めよ、といふスローガンを大衆の前にかかげることが、未だ時期尚早であるとか、あるひは不可能の場合には、大衆の今日の窮乏は戦争のおかげであり、したがって、それからのがれでるみちはたゞ戦争を止めることであるといふ根本事実を、あらゆる方法をもって、大衆に説明し、理解させなければならぬ。言ひかへれば、われわれは次のごとき基本的な行動のスローガンをめざして大衆を蹶起させるための準備工作を、根気づよくしなければならぬ。そのスローガンは……
 戦争の即時終結!
 日本の全軍隊を全支那から即時撤退させよ!
 総動員法の撤廃!
 軍事費を国民生活安定費に振りかへよ!
 言論、出版、集会、結社の自由!
 軍部打倒! 戦争政府打倒!
 民主的人民政府の樹立↑
 平和と自由の日本の樹立!
 日支両国民の団結!
五、下からの勤労国民大衆運動
以上のごとき任務を遂行するには、日本の労働階級の前衛分子は、広汎な勤労大衆からの孤立化を克服するために、あらゆる努力を傾倒する必要がある。共産主義者と他の階級的に目ざめた労働者は現存する労働者、農民の諸団体内で活動をつゞけ、その団体上部に巣食ふ軍部の手先やダラ幹と積極的に闘争し、一般会員大衆と下部組織をダラ幹排撃の闘争にたゝせ、かうして下から労働階級の統一を達成すべきである。
また、政府や資本家によって、企業内に強制的に作られてゐる 「産業報国会」、その他の御用団体に対しては、その崩壊作用を促進するために、その団体内で賃銀の値上げ、あるひは他の生活改善の要求を提出して、それがたゞ軍部または資本家の利益をはかるための「労働者」団体であることを会員の前に暴露すべきである。
共産主義者と同情者は、広汎な勤労国民の有する種々の大衆団体内で、特にその下部組織内に不撓不屈の活動をつづけ、かうして国民各層のことなる要求と行動とを、戦争の即時終結、即時撤兵、軍部打倒、生活安定、自由民権といふ全勤労民共同の要求をかゝげる巨大な、下からの勤労国民大衆運動に、すなはち下からの人民戦線に合流統一させることに努力しなければならぬ。
現在、国民大衆の不満の増大という事実に面して、小ブルジョア的政治家が、いかにも「国民の友」であるかのごとき姿態を作ってきた。彼等の欺瞞に大衆がひっかゝらぬやうにわれわれは大衆に警告しなければならぬ。ではいかにして国民の敵と味方とを区別するか?  それは、対支侵略戦争、共産主義運動およびソヴェート同盟に対する彼等の態度いかんによって判断さるべきである。
六、共産主義陣営をかためよ
今日、日本労働階級前衛の分子に負はされてゐる最も重大な任務は、極く少数のボルシェヴィキ的中央部の下に、共産党の全組織を鋼鉄のごとくかためることである。このためには、一人一人の共産主義者が、いかなる困難にも屈せず、極度の非合法をまもりつゝ最大の英雄主義を発揮して、不撓不屈に活動することが必要である。共産主義者の小さい非合法グループを工場に、会社に、農村に、学校に、兵営に、軍艦に組織すると共に、合法的大衆組織を極度に利用しなければならぬ。合法的可能を最大に利用することによって、党と大衆との結びつきが維持され、保存され、党が強化されるのだ。
共産主義運動の台頭と共に、検事局は転向派(和製トロツキスト)と他の一切の醜類を駆使して例のごとく挑発行為を準備してゐる。スパイ、プロバカートルに対する仮借なき闘争は、また日本の共産主義者の重要な任務である。
日本の同志諸君! ロシアのボルシェヴィキは、一九〇五年の革命の敗北につゞく反動期と、それにつゞく世界戦争の時期において、いま諸君のなめてゐる困難に決して劣らぬ困難な条件の下に活動した。そしてボルシェヴィキはいかなる苦境にあっても、プロレタリア革命の勝利、共産主義の勝利に対する確信に微塵の動揺も起さなかった。彼等は極端な反動と果敢にたたかふと同時に、あらゆる種類の敗北主義的、解党派的、社会民主主義的潮流と徹底的な闘争を行ひつゝ、あらたなる革命の昂揚に、すなはち一九一七年にそなへて勢力を集結したのであった。さうして彼等は偉大なるレーニン、スターリンの指導の下に輝かしい勝利をえ、世界の六分の一の地上に有史以来最初の社会主義国家を樹立したのであった。
諸君!いま日本にも「一九一七年」は近づきつゝある。いな、われわれの力をもってこれを目前に近づけようではないか!
岡野進の解放日報記者に与えた書簡 (一九四三・五)
同志解放日報記者へ
私に対して提出せられた君の二つの問題――即ち「コミンテルン」の解散に関する意見と現下に於ける日本革命運動の任務に就き日本共産党中央を代表し次の如くお答をする。
日本共産党は「コミンテルン」の援助の下に在って生長したものであって、我々が危機に見舞はれた時「コミンテルン」が援助を与へて呉れなかった事は一度もない。例へば山川主義、福本主義の「左」又は「右」翼的傾向が発生せる際党が正確なる道に帰り得たのは「コミンテルン」の力に依るものである。特に一九二七年、一九三二年の日本革命の問題に関する一つの提案は、党を理論的に「ボルシェヴィキ」化の基礎の上に安定せしめた。それは日本の革命運動に基本的方針を与へたのみならず、又「ファシスト」の「テロル」の下に在って活動せる日本の共産主義者をして、党の背後に「コミンテルン」と世界の「プロレタリアート」が立って居ると感ぜしむることによって、無限の勇気と希望とを与へられたのである。然し乍ら日本の党と「コミンテルン」との組織的連りは、日本の極端なる警察政治と地理的困難のために、密接であり得なかった。特に「九・一八」以後かかる連絡は更に稀少となった。太平洋戦争以来は更に甚だしい。それ故に日本の党は極めて長い期間に亘って「コミンテルン」と正常なる聯繋を持つことが不可能であった。一切が独立して行はれてゐるのである。
此度の「コミンテルン」執行委員会主席団によって提議せられた、解散に対して私は日本共産党を代表して完全に同意し、且之の提議が時宜に適するものであることを認める。「コミンテルン」の解散は年若き日本共産党員に対しては或は意外の感を抱かせたかも知れない。何故ならば、「コミンテルン」は日本「プロレタリアート」の間に於て、崇高なる権威を持ってゐるからである。然し乍ら彼等は必ずや「コミンテルン」解散の巨大なる歴史的意義を認識するであらう。我が日本共産党は久しきに亘って「コミンテルン」の指導を受けなかったが而も大なる誤謬を犯すことなく、闘争を続けて来たのである。この事は「コミンテルン」の助けを受け得ない情況の下に於ても、猶正確なる闘争を遂行し得ることを証明してゐる。今や「コミンテルン」の解散は我々を若干の古き規約決議の中から解放し、我々日本共産党員をして自己の最高度の創造性を発揮し且真に民族的利益に結合せられた政策を大胆に実行する機会を与へた。それのみでなく「コミンテルン」の解散以後日本の党は新なる労働者大衆の吸収に於て、其他の労働者団体を統一する上に於て更に有利なる条件を有するに至った。例へば従来若干の進歩的労働者が党と「コミンテルン」との関係に拘泥し、党に協力しなかったとしても、斯くの如き障碍は今日既に存在しなくなった。このことは之等の進歩的労働者を更に容易に党に結びつけるであらう。
日本「ファシスト」軍部は常に日本共産党が「モスクワの走狗」であり「売国奴」であると罵り、「コミンテルン」を「赤色帝国主義」「世界革命の陰謀家」と称してゐる。而して此度「コミンテルン」の解散は之等の謡言と中傷を粉砕する上に大なる作用を有してゐる。其の結果一群の平和と自由を愛するが、而も嘗てこれらの悪意ある宣伝の影響を受けてゐる人々を吸収し、広汎なる反戦反軍部の人民戦線に参加せしめるため有利なる条件が加へられるに至った。
要するに今次の「コミンテルン」の解散は「マルクス、レーニン」主義を基礎とする、日本共産党のより民族化の問題に於て又反戦、反「ファシスト」軍部の闘争の展開に於て、極めて大なる推進力を与へたものである。それ故「コミンテルン」解散は日本の革命運動にとっての損失ではなく、更に之を発展に趨かしめるものである。我々共産主義者は必ず斯くの如くあらしめねばならない。
最後に私は「コミンテルン」の解散の結果、東方各国殊に中国と日本共産党が更に密接に合作し互に援助することの必要を痛切に感じ、此度幸運にも私は延安に来ることが出来た。此の機会に私は中国の同志達と之の目的を実現するために努力せねばならない。
日本共産党の当面の任務は軍部を打倒し即時戦争を停止せしめることである。之の目的のためには広汎なる人民を組織し、動員することが必要であり、而も之の様な人民戦線は戦前に於けるフランスの人民戦線よりも更に広汎であることが必要とされる。何故なれば第一に日本「ファシスト」は金融資本を代表するのみでなく、その中心的勢力は依然として封建的軍部だからである。日本に於て斯くの如き封建的勢力に反対する人民は著しく広汎に存在して居る、それ故にフランスよりもさらに広汎な人民戦線に参加するであらう。
第二に日本は現在戦争の環境の中に置かれて居り、此の戦争が犠牲にしてゐるものは単に勤労の大衆のみではなく、少数の軍閥を除く其他の一切の民衆は多かれ少かれ犠牲に供せられてゐる。それ故に之等犠牲者の大部分は我々の人民戦線に参加し得るであらう。此の点に於ても我々の人民戦線がフランス人民戦線の範囲に較べて更に広汎なものであることを知り得るであらう。極めて明瞭なことは、現在日本は政治的に絶対的な対立の状態を表現してゐる。その一方は少数の軍部と戦争に乗じて利益を得てゐる大財閥であり、他の一方は戦争の犠牲とせられてゐる広汎なる人民である。而も之の対立の状態は極めて不均衡であって、前者は小丘の如く、後者はさながら巨大なる山嶽の如くである。この二つの対比に依って日本の政治的情勢を説明するならば、疑ひもなくそれは日本の革命に極めて有利である。斯かる対立は一般的には過去に於ても潜在的状態に於て存在したが、その表現は猶十分尖鋭ではなかった。然し乍ら戦争の情勢の悪化と国内に於ける戦争機構の破壊の時期に於て斯かる対立は連続的普遍的に爆発するであらう。
日本共産党の任務は労働者農民「インテリゲンツィア」及び其他一切の反軍反戦的勢力を一つの巨大なる奔流に入らしめ、彼等の先頭に立つことであり、それ故に斯くの如き複雑にして相互に利益関係を有する階級を一個の勢力に団結せしめることが必要である。斯かる事柄は決して容易ではない。これをなさんがためには真正の「マルクス、レーニン」主義を把握することが絶対に必要であると共に又偉大なる組織の力を必要とする、私は信ずる我々の党は必ず之の任務を成し遂げるであらう。
斯かる人民戦線樹立の出発点は各階級人民大衆の蒙りつゝある苦痛と不満との解決である。今や日本人民は戦の故に最後の一滴の汗に至る迄無制限に搾取せられつゝある、彼等は今や飢餓と死亡の線上に在り、彼等の自由は完全に剥奪せられて居る。言論、集会等の自由が失はれたのみでなく職業、居住、移動の自由も亦失はれて居り、彼等の生活は一種の囚人の生活である。日本の都会と農村の大衆は涙と呻吟に充たされて居るが、而も之等の苦痛は軍部の宣伝と鎮圧によって抑圧せられて居る。軍部は言ふ「彼等の苦痛は英米のためである我々は聖戦を遂行してゐるのだ」と。極めて多くの者が現在も猶此の様な恥知らずな宣伝に欺瞞せられて居る。それ故に共産主義者は一切の方法を以て之等の人民に対し、正確なる真理を宣伝し解明し彼等に対して之の戦争が英米の侵略に反対する為ではなく、日本軍部と之に結托せる大財閥の利益の為に行はれて居ることを告げなければならない。同時に彼等の極めて微少なる日常的不満と苦難に対して断乎として闘争を徹底的に貫徹せねばならない。
以上述べた事柄は総て些細な事のやうであるが、而もそれは我々の人民戦線樹立の其処から出発せねばならない出発点である。所謂「小さな事柄から手をつける」といふのが共産主義の第一歩の知識である。我々が嘗て民衆獲得工作に於て充分なる成功を得ることの出来なかった主要な原因の一つは、我々がこの極めて簡単な真理を忘れ、高きにすぎて実際に即しない「スローガン」をかかげたところにある。結果は我々自身と民衆とを遊離せしめたのであった。
華北反戦同志の任務は日本軍に対して工作を展開することである。工作の方法は上述の原則から統一的に出発せねばならない。即ち兵士の当面の要求の為にも闘争することである。「スローガン」は高きを求めることなく兵士がそれに賛成し得、そのために立って完闘し得るところのものでなければならない。最も小さなものは最も好きものである。
民主的日本の建設 (一九四五・四)
第一 わが国における民主的諸勢力
序 中途妥協反対
1 人民の厭戦気分と反抗運動
2 日本共産党とその活動
3 旧「日本無産党」
4 旧「社会大衆党」
5 旧「民政党」旧「政友会」その他
6 国外反軍部団体
7 非民主的勢力――「穏健派」
第二 民主的日本の建設
1 戦争犯罪人の厳罰
2 封建的、反民主的制度の一掃
3 民主政治の実現
4 天皇と天皇制
5 教育の改革
6 永久平和の保証
第三 繁栄日本(戦後の経済問題)
結語 人民政府の樹立
以上に述べたいっさいは、わが国の勤労人民の要求であり、わが日本共産党目前の綱領である。これは、民主と繁栄の新日本建設の綱領である。この綱領の実現によってのみ、「日本を信頼することが出来、かつ永久平和を要望する諸国家の一成員として日本を認め得られる」(ルーズベルト大統領、一九四四年八月十二日演説)のである。このほかに道はない。
この綱領の実現は、「穏健派」の政府によってなされるものでは断じてない。それは、人民の利益と意志を真に代表する政府――共産党をはじめ民主的諸政党、諸政派の連合の上につくられた人民政府によって、はじめてなされる。それゆえに、われわれの当面の中心スローガンは、「人民政府の樹立」これである。そして、この政府は、広大な人民大衆の動員と闘争を基礎にして、はじめてつくられる。共産主義者ならびに、すべて平和と自由の愛好者は、彼らの職場職場において、目前の卑近な要求のために大衆闘争を組織し、この闘争の中においてわれわれの綱領を説明し、こうしてわれわれのスローガンの下に大衆の勢力を結集すること、――これが、われわれの当面踏み出さねばならぬ第一歩である。
同志諸君!
ヨーロッパのファシズムは絶滅された。東洋の軍部ファシズムが、ムツソリーニやヒトラーのあとを追う日は近づいた。東洋の憲兵と言われ、半世紀の間東洋を荒らし回った日本帝国主義から東洋諸民族が解放される日は近づいた。世界民主主義勝利の日は近づいた。
しかし、最近スチルウェル将軍の声明したごとく、日本の軍部との戦争は決して容易ではない。彼らは、その有利な戦略地勢を利用して、死にもの狂いになって抵抗するであろう。われわれの勝利の前にはなお多くの犠牲が必要である。さらに、勝利のあとにおいても、中国、日本、朝鮮、南洋諸国の将来には、いくたの困難な問題が残されている。われわれは決して楽しい夢を描いてはいけない。これらの諸国の民族が完全に解放されるためには、なおいっそうの努力と犠牲とが必要である。しかして、これらの諸民族の解放と将来の発展の上において、巨大な中華民族と産業的に一歩発達した日本民族との協力は、非常に大きな役割を果たすであろう。平和的な民主的な日本と協力することを、中国人民は決して拒絶しないであろう。
日本ファシスト軍部を打倒せよ!
中日人民団結万歳! 
第三節 非合法小グループの政治的活動 

 

内務省警保局の「社会運動の状況」各年版によれば、戦時下の全国各地において、きわめて多くの各種各様のグループが治安維持法違反として検挙されている。これを、地域別グループと学生グループ(文化運動は別掲)に分けて、主なものを摘記すれば左のとおりである。
地域別グループ
○名古屋――県庁公務員を中心とするグループ「金曜会」(一九三八年四月検挙)、五名。「赤旗」および海外よりのコミンテルン文献その他の研究会・演劇団「区整座」の結成と上演等。
○石川県――金沢一般労働組合を中心とするグループ(三八年六月検挙)、六名。同組合結成・ニュース発行・組合文庫設置・資本論研究会・社大党金沢支部結成による人民戦線運動等。
○愛知県――海員協会内のグループ(三六年一二月および三八年九月検挙)、七名。アメリカ共産党と連絡・印刷物入手・京浜グループ参加等。
○滋賀県――東洋レーヨン工場内の二つのグループ(三八年一二月検挙)、四名。それぞれ労働者一四名および一一名を影響下に組織、一方は労農派系、他方はコミンテルン新方針系。
○神奈川県――日産株式会社内のグループ(三九年三月検挙)、回読会。
○神奈川県――東京航空計器株式会社内のグループ(三九年六月検挙)、六名。親睦団体利用の待遇改悪反対・サボ・調査活動・同人雑誌のための「萌草会」(検挙時会員三〇〇名)設立・読書会・回読会等。京浜グループと意見交換したが接触打切り。
○東京――研究者・調査員のグループ(四〇年検挙)、五名(前年三名検挙)。唯物論研究会・外務省・出版社等の関係者。研究会・親睦的会合等。京浜グループと関連。
○富山県――魚津町のグループ(四〇年検挙)、七名。土建作業所人夫と接触、啓蒙、犠牲者救援等。
○新潟県――県庁内のグループ「緑会」(四〇年一月検挙)、一名(翌年除隊の二名検挙)。研究会活動。
○東京――旧全協土建関係者のグループ(四〇年一二月検挙)、二名。研究会活動。
○東京――「企画院事件」(四一年四月検挙)、一六名。研究会・親睦的会合等。
○長野・宮城県――産業組合内のグループ(四〇年一二月以降検挙)、長野県一九名、宮城県五名。研究会・講習会を通じての啓蒙等。
○大阪――「機械工の知識」社グループ(四〇年九月検挙)、八名、うち五名起訴。雑誌発行、啓蒙等。
○福岡県――北九州地方のグループ(四一年検挙)、一一名。読書会、研究会等。
○青森県――満州移民グループ(四一年一月検挙)、二九名。黒河に一〇〇〇戸の民主的共同経営的開拓移民団(青森郷)建設計画、そのためのレーニン「協同組合論」等の回読、啓蒙等。
○東京――城北地区靴工のグループ(四一年検挙)、一五名(翌年二名)。文化活動、啓蒙。
○東京――印刷工のグループ(四一年検挙)、九名、うち四名起訴。文化活動、親睦会。
○東京――国産精機株式会社内のグループ(四一年検挙)、一二名(翌年一名)、うち八名起訴。研究会その他啓蒙活動。
○東京――旧東交巣鴨支部のグループ(四一年検挙)、五名、うち二名起訴。同人雑誌発行、文学・新劇観賞による啓蒙。
○東京――旧全評芝地区分会のグループ(四一年検挙)、七名。研究会、観劇会。
○東京――丸善関係(M)グループ(四三年九月検挙)、八名。親睦会、左翼文献蒐集分配・販売。
○東京――学者研究者間のグループ(四二年四月検挙)、四名(前年三名)、研究会、原稿回覧等。
○京都――市役所内のグループ(四二年二月検挙)、五名。読書会、研究会。
○京都――京大出身者のグループ(四二年八月検挙)、五名。日本共産主義者団関係執行猶予者中心。研究調査活動、研究会等。
○神奈川県――平塚のグループ(四二年二月検挙)、一四名。「革命準備」。
○北海道――資本論研究会グループ(四二年八月検挙)、四名。研究会。
○北海道――北海道農業研究会(四二年一〇月検挙)、五名、(前年二名)。実態調査、研究発表等。
学生グループ
○東京――東大セツルメント関係(一九三七年検挙)、二一名。読書会、児童部林間学校等。
○香川県――「讃岐若草緑叢会」(三七年一二月検挙)、松山高校・高松高商の学生および労働者。機関誌「若草」発行。
○宮城県――東北大関係「杜の会」(一九三八年二月検挙)、二〇名学内文化運動、共青細胞組織等。
○京都――京大「ケルン」(三八年九月以降検挙)。学生運動の指導(学友会、研究会、文化団体等)、天野貞祐教授擁護運動等。日本共産主義者団と連絡。
○東京――唯物論研究会関係のインターカレッジ・グループ(三八年一一月検挙)、慶大三二名、農大一八名(翌年七名)、東京美校五名(翌年八名)、早大五名(翌年{二名)、東大三名(翌年二名)、東京外語一名(翌年二八名)。全国学生組織企図、神戸大水害視察調査、学内研究会、文化運動等。
○兵庫県――関西学院新聞部内のグループ(三九年一月検挙)、八名うち七名起訴。新聞による啓蒙宣伝。共産主義者団と連絡。
○長野県――松本高校内のグループ(三九年三月検挙)、九名、うち二名起訴。学生運動・読書会等。唯物論研究会と連絡。
○兵庫県――関西学院大学のグループ(三九年三月検挙)、一名起訴。唯物論研究会と連絡。
○東京――中大・法大のグループ(三九年三月検挙)、中大五名、法大二名。関係者中に陸軍航空本部に就職した者あるため東京憲兵隊で二名検挙。研究会活動・インターカレッジ関係。
○東京――東京学生消費組合のグループ(三九年一〇月検挙)、二名。機関紙「経営月報」発行・観劇会・映画鑑賞会・座談会等。
○東京――長野県須坂中学校出身者在京者のグループ(三九年一月検挙)、四名。同人雑誌「ヒムウィック」・研究会活動。
○東京――慶大内「経済科学研究会」グループ(三九年六月検挙)、七名。研究会活動。
○兵庫県――姫路高校「ヒューマニスト同盟」(四〇年三月検挙)、一七名。研究会・映画研究会・同機関紙「ルプランタン」創刊・神戸学生映画連盟での活動等。
○東京――東京高校内のグループ(三九年六月検挙)、一七名。研究会・労働者の中へ。唯物論研究会・インターカレッジと連絡。
○東京――東大内のグループ(四〇年六月検挙)、約一二〇名(五九名)。指導グループ結成、文献回覧、総長官選反対支持運動・総長激励(四〇〇名動員)、経済学部明朗化および粛学支持運動(五〇〇名動員)、野外教練費値下・軍教反対運動・各種研究会活動、学生消費組合・大学新聞・経友会・各教授演習の利用、等。日本共産党再建準備委員会と連絡。
○鹿児島県――第七高校内のグループ(四〇年七月検挙)、四名。研究会等。
○長野県――松本高校内のグループ(四〇年九月検挙)、三一名。研究読書会、学生自治運動等。東大先輩学生と連絡。
○東京――慶大「三田新聞学会」「文芸同好会」内のグループ(四〇年一月および二月検挙)、一一名。研究会活動等。
○東京――早大弁論部内のグループ(四〇年二月検挙)、五名。研究会活動等。
○京都――京大内のグループ(四一年一月検挙)、二八名、うち九名起訴。読書会活動等。
○京都――京都府立医大内のグループ(四一年七月検挙)、一四名、うち二名起訴。読書会・社会医学研究会。
○広島県――広島文理大・同高等師範内のグループ(四一年一月検挙)、七名、うち二名起訴。研究会等。
○佐賀県――佐賀高校内のグループ(四一年一二月検挙)、八名。読書会活動
○東京――日大内のグループ(四一年二月検挙)。同盟休校指導、親睦座談会、町工場少年工の啓蒙等。
○愛知県――早大同窓生親睦会関係(四一年一二月検挙)、二名。親睦。
○宮城県――東北大内のグループ(四二年二月検挙)、一〇名。研究会。
○兵庫県――明治学院内のグループ(四二年八月検挙)、八名。研究会、討論会開催。
○京都――京大医学部内の社会医学グループ(四二年九月検挙)、六名。研究会。
○東京―――慶大出身者の「丘友会」(四二年一〇月検挙)、四名。研究会。
○東京――中央大内の「耕人」グループ(四二年一〇月検挙)。七名。同人雑誌発行。
左翼学生運動によって検挙された学生の数を主要学校別にみれば第39表の通りである(内務省警保局「社会運動の状況」、各年版による)。
一九三四年ころから、主としてアメリカ共産党日本人部を通じて、その邦字機関紙「国際通信」をはじめ、各種のコミンテルン関係の印刷物(後には主として単独パンフレット)が郵送により、あるいはアメリカに入港した日本船舶の乗組員を通じ、さまざまの創意をこらした方法で国内に配布され、国内の社会運動に少なからぬ影響力をもった。ことに日中戦争勃発後においてもっとも活発におこなわれた。そのうち特高警察によって一九三七〜三九年に発見されたものだけでも、右のような量にのぼった(前出「社会運勧の状況」、各年版による)。
国内で海外印刷物の発見された地域は全国三八道府県にわたっており、地域別に発見部数をみると、神奈川一七三、東京一二三、兵庫九六、大阪八五、福岡二七などが多くその他、北海道三、東北地方二四、関東地方一三、中部地方四〇、近畿地方二五、中国地方二二、四国三一、九州一六、となっている。 
第四節 軍隊内の抵抗 

 

一九三七年一一月、当時華北に出征中であった一兵士(歩兵一等兵)から、秋田県の本籍地役場と小学校あてに、つぎのような内容の通信が送られきて、特高警察をあわてさせた。――「第一線部隊では気がスサンで、少しでもシャクにさわると突き殺すという現況です。東洋平和がどうとか、支那民国を緩和せんとか、そんな理論的な行動を主眼としては自分等の命が危い、戦争で死ぬのが名誉ではないのだ、勝って生きて帰るのが本領なのだ、敵の中には日本人、ロシア人等混って居った。同じような事例はめずらしいことではなかった。一九三八年になると、華中に出征中の一兵士から、熊本県の友人あてに「最新流行軍歌集」と題する印刷物が送られてきたが、その中には、「ああそれなのに」や「旅笠道中」などの流行歌のほか、「赤旗の歌」、「メーデー歌」などが掲載され、所々に、「日本軍閥打倒せ」、「即時撤兵」、「国民の苦痛を解放せよ」、「無意義な犠牲をするな」、「国内革命へ」などの共産主義的反戦スローガンがやや太字で挿入してあった。
中国戦場の日本軍部隊の中には、自傷・自殺・逃亡・行方不明・反抗・叛乱などがふえていった。たとえば、一九三九年二月、湖北省長台関に駐屯していた第三師団野砲三連隊十二中隊では、長期の戦地生活に激しい不安と不満を抱いていた三人の三年兵は、内地から転任してきた見習士官が内地での軍隊規律を強要することに反感をもち、見習士官に殴打を加えた。上部では三名を処罰しようとしたが、部隊内の三名にたいする声援の空気が強いので、不安な情勢を起こす気配を憂慮し、始末書だけで片付けざるをえなかった(鹿地亘編「反戦資料」二二一ページ)。
また国内でも、一九三八年五月から七月にかけて宮崎県庁構内その他において左のような二種類の反戦ビラ計六二枚が発見されたが、犯人は陸軍兵士であった。
その一
「打倒帝国主義  強盗戦争を止め召集兵を解除せよ、銃後は労力不足なり 義務たる召集者なるも兵隊と将校の待遇を差別なす、家庭的には兵隊が苦しい、貧乏の家庭召集者は解除せよ 戦争?長期戦に渡れば召集者の家は失業、横暴で矛盾した帝国主義を打倒せよ」
その二
「打倒帝国主義  現今の強盗戦争を止め召集者を解除せよ 働き盛りの男を取られ国民農民に労力不足なり 軍隊生活者曰く 戦争長期戦に及べば一家失業、横暴で矛盾した帝国主義を打倒」
右の犯行を自供した歩兵一等兵(二七才)は憲兵隊の取調べを受けたのち、一九三九年三月、師団軍法会議において、不穏文書臨時取締法第一条・陸軍刑法第九九条・刑法第三三五条によって、懲役一年六ヵ月の判決言渡を受けた。また、応召して兵站病院に在院中から従軍忌避の目的で針小棒大の虚言を弄し、右脚の膝関節の微痛を誇大して係医をだましたとして、三九年二月、師団軍法会議において懲役五ヵ月の判決言渡を受けた陸軍歩兵一等兵の事例もあるが、このような「犯罪」はかなり一般化していた(以上、前出「社会運動の状況」、一九三八〜九年版)。
一九四一年五月、横須賀の海軍航空技術廠の工員便所内に、「天皇機関説賛成、共産党万才、軍部横暴」などの落書をした一少年工員(一九才)は、海軍軍法会議において、少年法により不定期刑短期三ヵ月乃至一〇ヵ月の懲役に処せられた。同年七月には、山口県下で自分の野戦従軍談を鳶職の友人にした際、つぎのような内容を語ったため、不敬罪および陸軍刑法第九九条違反として送局され、禁錮三ヵ月となった事件があった。
――「一線ではとても不平が多い。皆が集まりゃ不平ばかり並べるが、そんな折に俺は発起人になって『それは今制度が悪い。戦争で一生懸命やって戦死しても天皇陛下へ忠義になりあせん。靖国神社へ祀られても、金鵄勲章を貰っても、何にもなるもんじゃない。天皇陛下はあってもなうても同じことじゃ。国家の為という名目のお蔭で良いことをする者も居る』といって兵隊等を煽ててやった。お前達が親分の為には命を投げ出すというが、まだその方がましだよ。戦死する前に天皇陛下万才というて唱えるちゅうが、そんなこという暇はない。あれは皆嘘じゃ」(同上一九四一年版)。
敗戦の色が濃くなるにつれて、軍隊の士気もくずれていった。国内で兵士が兵営に放火して全焼させる事件も起こった。戦線においても、銃殺の危険をおかす抵抗の事例がいくつもあらわれた。例えば、一九四三年はじめには、中国の山東省の日本軍守備隊で、日頃の不満を爆発させた兵士たちが暴動をおこし、隊長以下将校たちが隣県の本部まで逃げ出した事件があった。一九四四年六月のビルマにおけるインパール作戦では、軍司令官が後方の司令部から攻撃を命令しているのに、前線部隊はこれにそむいて退却をはじめ、このため作戦は中止された(歴史学研究会編「太平洋戦争史」W)。陸軍省兵務局の一課員が発表した講話筆記には、戦争末期における陸軍将兵の「軍紀」について左のように書かれていた(「偕行社記事」一九四五年三月号――鈴木健一「崩壊期の陸軍内部軍紀」、歴史学研究、一九五四年八月号による)。
「昭和十八年度犯罪中特に注意を要しまする点は、奔敵逃亡等、将兵の志気沮喪を表徴して居ります犯罪の急増せる事実であります。即ち奔敵二〇名、逃亡一〇二三名でありまして、陸軍総犯罪数の四分の一に達して居ります。而して昭和十四年の六六九名に比較します時、三倍に達して居ります。特に昭和十七年度に比して奔敵が六倍以上にも増加致して居るのであります。又昭和十九年度一月より七月迄の状況を見ますると、奔敵四〇名、逃亡一〇八五名でありまして、前年度一年間の犯罪数を既に超過して居りまする事実は、将兵の志気昂揚せざることを如実に表現して居りますもので、極めて注目を要する次第であります。………内地部隊に於て長期服務並に激烈なる戦場に勇戦奮闘することを忌ひ、幹部候補生志願者の減少して居ります部隊がありますことや、老年召集将校の服務、消極に堕して居りますのがありますこと等は、現在の軍隊に流れて居ります一部の空気とも見らるる所でありまして、誠に遺憾に存ずるのであります。………」
ここで軍当局によって最も憂慮されているのは「奔敵」すなわち、対戦中の中国側に進んで捕虜となることであり、これらの捕虜・逃亡兵を基盤にして中国奥地で展開した日本人の反戦活動については、次章を参照されたい。 
第三章 中国における日本人の反戦運動 

 

第一節 国民党地区
反戦同盟の成立まで
国民党地区における反戦運動は、日中戦争勃発直後国民党地区に潜入した鹿地亘の手によって、まず華南の桂林で組織された。運動のにない手は鹿地亘をのぞき、ほとんどが捕虜となった日本兵士であった。
国民党地区の日本無期捕虜は、はじめ洞庭湖畔の常徳の軍政部第二俘虜収容所に集められていた(第一収容所は西安にあり、八路軍から送られてくる捕虜を収容していた)。これらの捕虜将兵は、部隊が全滅に陥り重傷を負って捕えられたもの、中国軍後方に不時着した飛行士、また上官や古兵の虐待に対する憤懣から逃亡したもの、などで、この他に遭難した日本船の船員や日本人居留民も加わっていた。国民党政府ではこれらを捕えると日本側の情報をとった上、中国側の捕虜の取り扱いの寛大さを示す国際宣伝に供したのち、悪環境の収容所に放置していた(その後終戦に至るまで収容所捕虜から病死者を非常に多く出した)。さらに収容所おいては、腐敗した収容所長や関係吏員により自己の売名の手段としていろいろと利用され、また中国側へのオベッカから恭順をよそおう者だけが「反戦分子」として優遇されていた。他方、捕虜兵士のほとんどは、この日中戦争が日本の国土防衛と東洋平和のための戦いであり、日本の勝利を確信しており、捕虜となったことを最大の恥辱として自棄的な灰色の日を送っていた。そして軍隊の階級、性格、考え方の違いなどからそれぞれグループを作り、捕虜のなかの一部のボスに操られて互いにつのつき合っていた。
こうしたなかで、捕虜兵士達を反戦運動に組織すること、しかもこれを国民党のカイライではなく「日本人の自立した立場」から、戦争に反対し、日中の公正な講和をかちとり、日本の民主革命を目指すという活動を組織することに対しては、国民党政府内部の反対派による妨害がきわめて強く、最初から非常な困難があった。これらの障害を打開し運動を組織することができたのは、鹿地亘の努力・手腕と、中国側の郭沫若をはじめ、一部の関係吏員や軍の協力、支援によるものであった。鹿地亘の反戦同盟の計画は、一九三八年一二月に、ようやく蒋介石の批准をえ、ここに反戦同盟の組織化が着手された。なおこの国民党地区における反戦運動の記述は、鹿地亘「日本兵士の反戦運動」、同編「反戦資料」、およびこれらの文献の原資料である鹿地氏所蔵の大量の反戦運動関係資料のマイクロフィルム版によっている。
反戦同盟西南支部の活動
一九三九年に入り、収容所から選抜された捕虜が桂林に集められ、鹿地亘の手により同盟員としての訓練――日中戦争の真意と反戦運動の意議などについての教育をはじめ、政治教育や活動のための訓練がなされた。当時この桂林は中国の防衛線の主要拠点であるとともに反蒋介石の広州軍閥の本拠でもあって、反戦運動の組織化に有利な情勢下にあった。
一九三九年一二月在華日本人民反戦同盟西南支部が桂林で発足した。反戦同盟の本部は重慶におかれることになっていたが、それはまだ組織されておらず、この西南支部がまず第一に組織されたのである。本部代表は鹿地亘で、支部員は当初一〇名であった。彼等は内地において労働者、農民、職人、会社員、青年学校教官、警官、やくざ、など様々の前歴をもつもので、それに女子(戦地に送られチャブ屋勤めをしていた)が一名加わっていた。反戦同盟の結成の意図を西南支部成立大会宣言によってみると次のようである。
我らはここに在華日本人民反戦同盟西南支部の成立を宣言する。これは近く準備されている在華全日本人革命的反戦同志団結の先声である。その中国西南戦区に於ける支部である。東亜に於ける日本帝国主義の侵略戦争が中華民族の不屈の抗戦により、長期対抗状態に陥りつつ、侵略によって災害を蒙った諸国と日本との間の新たなる帝国主義戦争の危機が著しく濃化しつつある今日、既に百万に近い日本人民の血が流されて居り、中国の幾千万の人民が戦火の中に、殺戮と飢寒に陥れられて居り、その上に更に規模を大にした戦争の暗雲が極東に低迷しつつある今日――戦争挑起者自身の足許を覆し、人類の災害発展を防止、結束せしめることは我ら日本人の光栄ある責務に属する。(中略)
同胞諸君! 中国の友人諸君! 日本軍部とその侵略政府の冒険政策に反対する世界の反侵略友人諸君! 我々はかかる日本人民大衆の海外に於ける分遣隊として、ここに結成したことを諸君に告げる。我々の行動の出発に当り、当然我々は行動の基礎たるべき次の認識を明らかにして置かねばならぬ。第一に、今次中国の帝国主義侵略に対する堅決なる抗戦は、我ら日本人民の自由解放の目的と完全に一致する。随って中国の全民族が我らの革命目的、日本人民の解放に賛助し、援助される以上は、我々はこれを日本人民の友として、その抗戦を絶対に援助する。第二に、我々はあくまで日本人民革命の海外一支隊である。随って我々は当然国内革命運動の指揮を受ける。中国抗戦との協力に関しては勿論友軍としての行動統一のため、中国政府の指揮に服するが、同時に我々は日本人民革命の促進と完成と言う独自の目的を有する。
我々の行動の初歩的目的は左の如し。
第一、侵略戦争の即時停止、派遣軍の即時撤兵。
第二、軍事資本家、軍事冒険者の奴隷たる官僚政府打倒。
第三、完全なる民権の確立、言論、集会、結社、文化、教育の自由。
第四、戦争の破滅的条件下に呻吟する人民――労働者階級、農民の救済、これらの生活改善。
第五、戦争の犠牲者とその家族の生活の国家保障。
第六、それら一切の解決のため、完全なる民主的条件の下に、日本人民政府の樹立。
我々はかくて中国人民との協力の下に、この目的完徹のため一意邁進する。我々は世界の反侵略国家と人民とに友誼提携の手を差し延べる。我々は日本国内の人民革命の指導の下に、この組織を在華全日本人の規模へと拡大し、中国並びに世界の反帝国主義、反侵略的友人と日本人民との強力な結合的靭帯となる使命を遂行する。
西南支部は成立大会後、ただちに、鹿地亘ら同盟員六名をもって前線工作隊を編成し、南寧北方の崑崙関に出動した。一二月二九日工作隊は崑崙関の中国軍陣地の丘の上から日本軍陣地に向かって拡声器により最初の呼びかけを行なった。それは日本政府や軍部、財閥の戦争目的をばくろし、この戦争のために日中両国民は極度の苦しみをうけ、将兵は前途のない犠牲を強いられていること、日中両国民の友情について、犬死をするな、などの訴えであり、はじめ日本軍からは機関銃の威嚇射撃があったが間もなく止み、拡声器の反戦の声が響き渡った。この戦いで日本軍は退却した。
この活動は中国側に大きな反響を呼び起こした。各戦区から反戦同盟派遣の要請が殺到し、また各地の日本人の捕虜の間に反戦同盟支部結成の機運が起こった。そして一九四〇年五月延安に反戦同盟延安支部が結成されたのをはじめ、のちに記す八路軍や新四軍地区の日本人捕虜兵士による反戦運動にも影響を及ぼした。なおこの国民党地区と八路軍・新四軍地区との二つの反戦同盟の間では、重慶にある中国共産党の出先機関のルートを通じて、その後文書や資料の交換などの連絡がかわされたが、両者の進撃を危険視する国民党側の妨害や禁止にあって、連絡はほとんど断たれ、両同盟はその目標を同じくしつつも相互に独立して活動を進めていった。
西南支部の前線工作は一九三九年一二月から翌年三月まで統けられたが、三月南寧では日本軍の奇襲により国民党軍が潰滅し、前線工作のため従軍中の反戦同盟員のうち大山邦男、鮎川誠二、松山速夫の三名の犠牲者を出した。
西南支部はその後桂林で同盟としての教育、訓練を続け、同盟員も増加した。また中国後方の軍隊や民衆に日本人の反戦運動を宣伝する目的で劇団を編成し、鹿地亘の脚本による反戦劇「三人兄弟」を四〇年六月桂林で上演した。続いて巡回公演に移り七月には重慶で公演を行なったが、親日派首領の軍政部長・何応欽により「反戦は中国軍の士気に悪影響を及ぼす」という理由で上演禁止を命ぜられ、八月桂林に帰った。
反戦同盟重慶総部の活動
一九三九年一二月、桂林で西南支部が発足し活動に入ったのち、重慶では四〇年三月になって重慶総部の準備会が発足をみた。第一期同盟員は一六名であった。これは重慶郊外に設けられた軍政部第二俘虜収容所分所(博愛村)の捕虜日本人から鹿地亘が選抜し組織したものであるが、ここでもまた、西南支部の評判をみて自分が主導して反戦運動をはじめ、これを自己の喰物にしようとした第二収容所長の妨害など、さまざまな障害があった。重慶総部準備会では発足後政治教育や中国語の学習を行なったのをはじめ、機関紙「真理の闘い」を発行し、また交替で週一回重慶の日本向けラジオ放送(短波)に従事した。
一九四〇年七月、重慶総部と、「三人兄弟」巡演のため重慶に入っていた西南支部とが合同して在華日本人民反戦同盟の成立大会がもたれた。同盟の会長は鹿地亘で、重慶総部の同盟員は二一名、桂林支部は支部長・坂本秀夫をはじめ一七名となっていた。大会宣言や本大会で決定された反戦同盟の規約、綱領は次のようである。(日本人民反戦同盟資料、マイクロフィルム版第二巻による)。
在華日本人民反戦同盟成立大会宣言
(前略)今、戦争は三年を経過した。彼らがこの間戦争の道徳的仮面として提示したところを見よ。曰く、東亜新秩序。曰く、白人帝国主義によって支配されたる東亜住民自身の手に回復する。曰く、まことの中日親善の確立のためそれを破壊する赤色勢力を絶滅する等。それらの口号の下、彼れらは自からを「東亜の安定的勢力」と負称して来た。(中略)
我ら日本人民は決して彼らの欺瞞を信ずるものでない。日本人民は事実を見、事実を経験した。まさに彼らがふりまく光栄の幻影の裏に惨憺たる現実を痛感した。侵華戦争の準備期に於いて既に一部独占的帝国主義者らは、彼らの冒険政策を基として激烈なる政治的経済的不安を惹起しつつ、国内諸産業を犠牲にし、所謂重工業即ち軍事産業の独占利潤の機構完成を強行した。戦争の展開はまさにこの事実を露骨に特微づけた。所謂戦時経済の統制機構なる呼び方の下に、益々少数化される独占者の利益のために国内全産業は全く屈従せしめられた。準備期に於て既に人民は非常時なる絶対的理由によって耳目を封塞され、手足を縛されつゝ、日益しに増大する巨大な生活負担を強いられた。戦争の展開はこの事実を極端に特微づけた。一切の自由を喪失した飢餓の人民は国家総動員法なる国家の法律によって、生活資源そのものを奪い去られつつ帝国主義者の独占機構の中に有無を云はさず動員され、奉仕せしめられることとなった。
戦争は帝国主義者らの大陸独占の陰謀の発露である。同時に、戦争は帝国主義者らの国内に於ける独裁的支配確立の企図である。戦争は大陸人民を敵とし、その奴隷的屈従を強要して、惨憺たる血の地獄を展開した。同時に、戦争は日本国内人民を奴隷として独裁的秩序に奉仕せしめつつ血海に溺れさせた。(中略)
日本人民の先覚的部分は如上の事実を確認し、同時に又、敢然蹶起してこれと抗戦する中華民族の雄姿を目撃した。彼れらも又蹶起して、これと呼応し、共同の敵打倒のために、国内の暗黒的条件の下に、又戦地の死の困苦の中に人民の組織を努力した。反戦は帝国主義者の陣営内に於いて、否国内に於ける彼らの牙城に迫って、広汎に普遍化し始めた。まさに偉大なる中華民族の全面的抗戦は日本帝国主義をして施す術を失はしめつつある時に、日本人民の呼応、反戦争の革命的行動は日益しに彼らを内部に恐慌に陥れ始めた。
かかる日本人民の動きの海外に於ける部分として、我が在華日本人民反戦革命同盟会は、本日ここに成立を宣布することとなった。
成立に際して我らは宣言する。我等の血盟の由来によって明らかなる如く、我らの敵は東亜全民族の共同敵なる日本帝国主義である。我らは日本人民の海外に於ける革命的枝隊として、帝国主義者の発動する一切の侵略的行動と闘争しこれを打倒する。我れらは飢餓と死に曝されたる日本人民救済のため闘争する。中国抗戦を軸とする朝鮮・台湾等の東亜諸民族の光輝ある解放戦と呼応協同し東洋平和の奠定に邁進する闘争を通じて我々は実現さるべき自由・平等・友愛に基づく将来の東亜諸民族聯結の靭帯たらんとする。抗戦中国とその偉大なる最高領袖とに謹んで敬礼を送る。共同の陣線に不屈の解放戦を続くる朝鮮・台湾の革命的同志に同志の敬礼を送る。
欧戦の隙をつき、太平洋への戦火拡大によって大陸の窮境からの出路を日本帝国主義者が必死にもとめつつある今日こそまさに我らの協同の任務が決定的意義を有する時機である。
規約
〔目的〕 本会は侵略戦争に反対し、日本軍閥を打倒し、非侵略的国策並びに政権を樹立し、中国と協同して東亜の真正の平和を定むるを目的とす。
〔同盟員資格〕 本同盟の主旨に賛同し、その目的達成のために行動せんとする在華日本人は、すべて本同盟に参加する資格を有す。
綱領
(1)中華民族の自衛解放の抗戦と協力、日本帝国主義とその大陸に於ける一切の代理人撲滅。
(2)被圧迫人民を戦争の犠牲より救出、人民的意思に基づく民主的日本の建設。
(3)中日両民族提携、自由・平等・友愛に基づく遠東平和の確立。
(4)帝国主義戦争反対、真の平和を愛好する世界の人民的諸勢力と協同、人類の不幸絶滅。
一九四〇年九月、重慶総部は鹿地ら一一名で前線工作隊を編成し前線に向かった。そして同年一二月揚子江沿岸の宜昌前面に出動し、拡声器やメガホンをもって日本軍陣地に接近して呼びかけを行なった。それは、世界情勢からはじまって、日本の兵士が泥沼の戦争に狩りだされていること、そして内地の経済悪化や労働者、農民、留守家族の生活の窮状などを訴えたものであった。同時にまた日本軍陣地へ同様な内容のビラを撒布し、日本兵士との直接の声の交歓を実現した。さらに中国兵に対して「ニホンノキョーダイ!」、「テキハウシロダ!」など簡単な喚号教育にあたった。
日本軍陣地に対する呼びかけは、例えばつぎのようであった(「日本兵士の反戦運動」I、一六五〜九頁)。
日本兵士の兄弟諸君! ニュースだ! 皆よくきけ!
南寧、竜州方面の駐屯軍に突然撤退命令が出た。兵隊たちはわけのわからない命令に鼻をつままれて南寧を退却した。もう広大な桂南の平野にはたった一人の日本軍もおらん。軍部発言人は「戦略のため」と放送している。何処へいったか? 南寧を撤退した諸君の戦友はどこへやられたか? 警戒しろ! 兄弟たち!今に君らのところにもわけのわからぬ命令がくるぞ! (中略)。
司令官はみんなえらくなって凱旋する。安藤も帰ったぞ! 兵たいばかり死ぬまでだ。黙っていたらきりはない。五師団の兄弟のことはひとごとではないぞ! 兄弟よ、団結して帰国を要求せよ! 軍部の奴らにはっきり返辞させろ! ノモンハンでは何のため兄弟の血を流したか? むざむざ放棄するような桂南の野に、一年間もなぜ兄弟を殺しつづけたか? 内地の同胞も苦しみすぎた。兄弟も父母も飢えている。俺たちは奴らの出世のためや、権益をもうけてやるため、人民をこの上苦しめ、犬死させるのはまっぴらだ。今度こそ奴らの正体がはっきりのぞいた。人民は帝国主義どうしの食い合いにまきぞえになるな!
敵は後だ! 解放をもとめる支那の大衆、中華民族と協同して、戦争投機業者を東洋から追っ払ってこそ、東洋平和がくるぞ! 兄弟! 内地の兄弟と協力して闘え! 人民の敵を追っぱらえ!(国際問題について、鹿地旦)
おーい日本兵士諸君、聞えるか?! 俺は日本人民の一人として、君たちに話があるのだ。 君たちはまだ気がつかないか! 漢口付近にいた大部隊は何時の間にかいなくなった。海軍の飛行機も陸軍の飛行機も見えなくなった。いったい何処へいったんだ? おーい、日本兵士諸君!油断するな! 日本の戦争気狂いは性懲りもなくまた次の大戦争をたくらんでいるぞ!(中略)
おーい、奴らは百年戦争を本気でやる積りだぞ! アメリカと日本の権益争いだ! 権益とは何だ! 帝国主義者どもが金儲けする縄張りのことだ! 馬鹿馬鹿しい! 奴らの食い合いに生命を棄てるな! 犠牲になるのは人民だぞ! 平和主義のソ連に笑われるぞ! 四年も戦いぬいた支那民族に恥じろ! おーい、戦友、後方の占領地を見ろ! 大資本家の機械の下で日本の労働者と支那の労働者が、まっ黒にこきつかわれているぞ! 東亜新秩序の正体はこれだ! 支那の人民は我々の友達だ! 我々の敵ははっきりしたぞ! 一日も早く支那との戦争をやめろ! 敵は後だ! 兵士諸君は全員連名で部隊長に左の要求をつきつけろ! 侵略戦争絶対反対! 即時内地にかえせ! (同右、岸本勝)
この前線工作は四〇年一二月から翌年一月まで約一ヵ月続けられたが、この効果について鹿地亘「日本兵士の反戦運動」はつぎのように記している。「効果は二つの点で顕著にあげられた。ひとつは南京の傀儡政府と傀儡軍の擁立という当面の日本側の苦心を、宣昌方面では完全におしつぶし、中国軍側の士気をかきたてたことであった。第二には、日本軍第一線の将兵の間に深刻な影響を与え、それを怖れた日本軍側では、とうとう着手していた宣撫工作を放棄し、工作隊に集中砲火で対抗しなければならなくなったことである」(同書T一八六ページ)。この前線工作はまた蒋介石等から感電が送られるなど中国側に大きな反響を起こした。
他方、西南支部でも同年九月第二回の前線工作隊を編成して(隊員は六名)広東方面に出動し、約三ヵ月間にわたり前線工作を行なった。そしてこうした日本人の手による反戦活動は、中国の民衆や兵士に対し、日本軍兵士もまた政府・軍部の侵略戦争に狩り出された犠牲者であることを身をもって理解させることになり、彼等の日本軍捕虜に対する憎しみの態度を変えさせるのにも役立った(日本軍は彼等の憎悪の的であり、捕虜将兵も後送の途中しばしば殺害されたのである)。
しかし、国民党地区における反戦運動はこれをもって終りをつげた。一九四〇年三月南京における汪精衛のカイライ政権成立を一つの契機として、国民党内部に対日妥協・降服派の勢力が増大し、これと同時に、四一年一月安徽省南部において国民党軍が新四軍部隊を襲撃し、将兵九〇〇〇人を殲滅、軍長葉挺を捕えた「安徽省南部事変」(皖南事件・新四軍事件)をはじめ、統一戦線を破壊する動きがひん発し、反共体制が強まった。
なお新四軍内にも日本人の捕虜兵士によって反戦同盟の新四軍グループが作られていたが、右の事件で国民党軍にほとんどのものが殺された。
反戦同盟の活動もこうした動きのはねかえりを受け、国民党によって共産党と同様の危険分子と見なされるようになった。さらに捕虜関係の中国吏員らによる同盟組織の破壊工作が激しくなり、これに操られて同盟員の脱走事件が発生するなど同盟内部のごたごたも生ずるにいたった。
そして反戦同盟は一九四一年八月、国民政府軍事委員会政治部より「思想妥当ならざるものあり………」などの理由をもって突然解散を命じられ、重慶総部と桂林支部の全同盟員――重慶総部七名、桂林支部一六名――が鹿地亘から切り離され、手錠と鎖をかけられた上、貴州鎮遠の第二捕虜収容所へ送られた。西南支部発生以来約二年のことであった。この解散命令は当時「小新四軍事件」といわれ、中国人の支持者の怒りと同情を集めた。鹿地はこの解散処置に抗議し奔走したが及ばず、同年八月重慶の国民党政府の政治部内に鹿地研究室を設けることのみが許可され、それによって日本の政治、経済、軍事の情報分析などに従事した。その後四三年八月にはこの研究員に収容所から旧同盟員の幹部三名を研究員として引き取った。
収容所内での活動
一九四一年八月、貴州鎮遠の収容所(通称「和平村」)に送られた反戦同盟員は、他の捕虜が彼等の思想の影響を受けることを警戒した管理者によって隔離・監視状態におかれたが、同盟員は収容所内で和平村訓練班を自主的に組織し、困難な条件の下で政治や経済問題、世界情勢などについての研究会をもち、互いに学習を続けた。また同年一二月にはこの旧同盟員のうち六名が英国大使の希望により工作隊を編成してシンガポールヘ派遣されることになったが、国民党側の引きのばしによって出発手続きがはがどらぬうち、四二年三月シンガポールは陥落した。このため工作隊派遣の目的地は印度のデーリーに変更されたが、結局国民党の妨害のため中止となった。
一九四二年から終戦時にかけて、旧反戦同盟員は収容所内において、既存の捕虜グループや新来の捕虜兵士に働きかけ、捕虜の日常生活の改善を目的とする「新生活協会」(会員は百数十名)、さらに「和平村日本民主政治研究会」、「和平村教育部隊」、「和平村日本民主革命工作隊」などの組織を次つぎに編成し、グループ活動を統けた。
また旧同盟員達は新来の捕虜兵士から部隊や内地の状況を座談会などを設けてくわしくききとり、それにもとづいて戦時下の農村や工場の実態など各種の調査報告を作成し、これらは鹿地研究室に届けられて情報資料として発表された。さらにこれらの調査や自己の研究にもとづいて、「農村、工場出身の兵士達へ」、「労働強化に喘ぐ農民に訴える」、「祖国日本の子等はこうして死んで行く」等々、内地生活の窮状や軍部・上官の腐敗などを暴露した、日本向け放送テキストや宣伝ビラ、パンフレットを作成した。「一九四二年初頭から四四年半ばに至る二年半の間、鎮遠から重慶に送られてきたそれらの労作はおおよそ百五十種以上に」達した(「日本兵士の反戦運動」U三五四ページ、これらの資料は、「反戦資料」およびそのマイクロフィルム版に収録されている)。なお収容所は四四年一二月、日本軍の攻勢のため貴州鎮遠から重慶近郊の鹿角郷に移動したが、この移送の難行から旧同盟員を含む多くの病死者を出したのをはじめ、収容所内での病死者はあいつぎ、捕虜兵士はきわめて苦しい生活を送った。
終戦後、一九三九年反戦同盟結成以来の同盟員で生存していた者(第一期同盟員)は、鹿地を除いて二○名であった――収容所一六名、鹿地研究室三名、他の収容所一名。この他、和平村訓練班への参加者(第二期同盟員)が一七名――第二収容所一六名、鹿地研究室一名。さらに国民党政府の公認を経ていない未公開同盟員が八名(軍政部集中営収容)あり、同盟員は総数四五名となっていた。また外廓団体として、平和の友の会会員が一〇〇名(第二収容所)、民主同志会中の航空兵グループが一九名(軍政部集中営などに収容)あった。これらの広い意味での反戦同盟員は、日本の降服直前において約一七〇名といわれる。これらのうち第一期同盟員二〇名の年令、前歴をみると、年令は二〇代から四〇代まででうち三〇代がほとんどを占めており、旧軍隊内での階級は一等兵、上等兵、伍長など、そして戦前の職業では工場労働者や店員がもっとも多く、以下農業、商業、小学校教員、会社事務員、自動車運転手、石工、船員などとなっており、また学歴は小学校卒が過半数を占め、残りは中学、実業学校などの卒業、中退者となっていた(以上一九四五年一二月現在の状況、反戦資料マイクロフィルム版第五巻による)。これらの反戦同盟員は終戦の翌年四六年三月国民党政府により帰国が許可され、同年五月内地に帰還した。 
第二節 八路軍および新四軍地区 

 

一九三七年七月、日中戦争が勃発するとともに、中国共産党と国民党との合作協定により、中国赤軍は国民革命軍第八路軍として改編され、華北において抗日戦争に参加した。また国内戦当時華中および華南にあった赤軍遊撃隊が同年一二月同様にして国民革命軍新編第四軍に改編され、華中、華南において抗日の戦いを展開した。以下に記すのはこれらの地区における日本人の反戦活動の模様であるが、さきにみた国民党地区の状況にくらべると、中国共産党・八路軍の捕虜工作、捕虜教育はさわめて意識的、組織的であり一貫性をもっていた。これに応じて反戦運動も、八路軍や新四軍に従軍しつつ、終戦にいたるまでさまざまの方法をもって組織的にねばり強く展開された。以下の記述は主として反戦同盟記録編集委員会編「反戦兵士物語」(一九六三年九月刊)によっている。
日本兵士覚醒連盟の活動
一九三九年一一月、華北の山西省林県麻日村において、日本兵士覚醒連盟(注)が結成された。この連盟は傷を受けたりして八路軍の捕虜となった日本兵士によって組織されたもので、華北においてはじめての日本人反戦団体であり、発起人は小林武夫、高木敏雄ら七名であった。覚醒連盟宣言はつぎのように記している(同連盟発行のパンフレット「反歌」第一号―一九四〇年四月―掲載、鹿地亘「反戦資料」マイクロフィルム版第三巻所収)。
覚醒聯盟宣言
日本ファシスト軍閥が暴虐なる侵略戦争を開始してより既に三歳、対中国侵略の徒らなる犠牲になりしもの百万の同胞百二十億の血涙の財のみに止まらず。重檻の囚人のそれにも勝る苛酷なる重圧に喘ぐ者独り戦場の兵士のみならず。虚偽と捏造を以って我が幾千万の同胞を翻弄し更に鮮台其の他植民地人民の窮迫の苦悩たるや実に其の極に達せり。幸ひにも一歩先んじて真理を学び得る機会を得たる我々は、茲に覚醒聯盟を組織し、民族自衛の為に、而して飽く迄も国際的被圧迫者解放の一貫精神に基き邁進中の正義的中国軍の援助の許に、日本軍兵士を喚醒せしめ、以って之と反戦運動上の連繋を保ちつゝ反侵略的工作の進行を加強し、云々。
(注)「名称ははじめ”めざまし”連盟とよんだ。理由は、一歩さきにめざめた私たち連盟員が、その後やってくる多くの兵士たちをめざめさせる使命を背負っているという単純なものだった。しかし”めざまし”とよぶのはどうも感じがぴったりこない、ということから間もなく”覚醒(カクセイ)連盟”に改称した」(前掲「反戦兵士物語」一五四ページ)。
日中戦争勃発以来一九四四年一一月までの間、八路軍の捕虜となった日本軍将兵の数は二四〇七名に達したといわれるが、これら将兵はいうまでもなく日中戦争を「聖戦」と教育され、勝利を確信していた。そして捕虜となるのを帝国軍人の最大の恥辱として最後には自爆用の手榴弾を手に死を選べという教育を叩き込まれてきた。それが重傷をうけたりして自決しそこね、とるにたらぬ「匪賊」だと宣伝されている八路軍の捕虜となった将兵の多くは、殺せと抵抗し、自殺や脱出を図り、また自暴自棄になったり、絶望状態に陥ったが、八路軍との生活のなかで、捕虜の人間的な正当な取扱いや八路軍と中国民衆との結びつきを体験するうちに次第に考え方をかえるようになり、日本軍のやり方とひきくらべて、日本が宣伝している東洋平和の聖戦に対して疑問を抱くようになる者が生じた。捕虜の兵士で原隊復帰を望むものはすべて送りかえされたが、当初、八路軍の捕虜教育にダマされまいとし、反戦運動に従事している日本人に対しても「非国民」、「国賊」と憤激していた彼等のなかからこの戦争が侵略戦争であること、政府・軍部・財閥の手によって国民が戦争に狩りだされ犠牲を強いられていることなどを知らされるうちに、反戦活動に投じる者が生まれ、運動が組織されて行ったのである。
覚醒連盟の活動は八路軍の組織的な指導と援助のもとに行なわれ、最前線における日本軍小部隊の陣地やトーチカ内の兵士に向かって、八路軍は捕虜を優待する、兵士は侵略戦争の犠牲者だ、戦いを止めて一日も早く内地に帰ろう、などの呼びかけやビラまきを行ない、あるいは新たな捕虜兵士の世話などに従事した。
覚醒連盟の組織は、一九三九年一一月華北の山西省に最初の連盟が成立してのち、四一年八月に冀南支部(河北省の南部地区)および冀魯予支部(河北、山東、河南の各省にまたがる地区)が結成された。冀南支部の支部員は当初三名で、のち一〇名となった。この他一九三九年から四二年にかけて太行、太岳、晋東南、山東の各支部が結成された。連盟支部は計六支部に広がり、連盟員数も増加した。そして一九四二年八月、この覚醒連盟は日本人反戦同盟華北連合会に組織統一された。
在華日本人反戦同盟の活動
一九〇四年五月、延安に在華日本人反戦同盟延安支部が結成された。これは中国共産党および当時延安に入った岡野進(野坂参三)の指導のもとに、捕虜となって延安に送られていた森健、春田好夫、市川常夫によって組織されたものである。反戦同盟の本部はさきに記したように重慶にあった。延安支部設立にあたっての宣言文はつぎのようである(前掲「反戦物語」八一ページ)。
我々は、北支の戦線で、中国国民革命軍第八路軍のために捕虜にされた日本兵士の一部である。多くの戦友と同様に、我々もまた、北支にくるまでは、この支那事変は「東洋平和の確立」「日支共存共栄」等をめざす「聖戦」であると信じ、勇躍出征したのである。だが、戦場を馳駆(ちく)すること数ヵ月にして、我々の信念はぐらついてきた。軍部の宣伝とはまったく反対に、中日両国民の血と涙によって、日本の軍部と財閥の「楽土」が北支の地に作られている事実を、我々の目でみたのである。その後、我々は、時と場所とをことにして、八路軍の捕虜となった。同軍によって我々は敵としてではなく、兄弟として取扱われ、また種々のことを見聞きするにつれて、我々の目は「聖戦」の真相をハッキと見きわめることができた。(中略)
我々は、異国の山野に骨をさらし、寒暑とたたかい、疾病にくるしみ、日夜悪戦苦闘をつづけた。だが、このなかから我々は何をえたか? また、銃後の国民大衆は何を得たか? ぼう大な軍事費、増税、物価騰貴、統制につぐ統制、中小商工業者の破綻、労働の強化、農村の荒廃、抑圧と弾圧、自由と民権の剥奪。これが国民の大多数にあたえられたものだった。だが、他の一面を見よ! 財閥は巨万の富をつくり、軍部は政治を独裁しているではないか! これが「聖戦」の名において行なわれているのだ。(中略)
聞け! 四億五千万の中国民衆の憤怒と怨恨の声を。見よ! 祖国の擁護と民族の自由独立のために、老いたるも若きも、男も女も武装してけっ起せるさまを。彼らの敵は何者か? 中国の領土をおかし、彼らの兄弟を殺戮し、彼らの平和な生活を破壊し、彼らの自由と独立をじゅうりんする日本の軍閥と財閥なのだ。彼等は、決して日本の民衆を敵としなかったし、また今後も同じ抑圧者の下にしんぎんする兄弟として、手を握ってくれるのだ、熱く両手でしっかりと。(中略)
日本帝国主義打倒のたたかい、これこそ真にわが国民が生命をなげだしてたたかうにあたいする聖戦なのだ。これが真にわが国民と国を愛する者の任務であり、義務である。我々が今日、率先して、第八路軍の地域に、在華日本人反戦同盟支部をつくるにいたった趣旨も、じつに右の任務と義務とをはたさんがためである。支部創立にあたって、我々は中日両国民解放の聖戦のために身を捧げることを誓い、これをここに断固として宣言する。
侵略戦争を即時中止せよ!
中国全土から日本軍隊全部を即時撤退せよ!
軍部打倒、戦争政府打倒!
中日人民団結万歳!
中日人民の共同闘争万歳!
その後反戦同盟の組織は、一九四一年二月に晋察冀支部、冀中支部(河北省中部、支部員は当初六名)が成立し、四二年三月から一一月にかけて華中の新四軍地区に蘇中(支部員は当初五名)、蘇北(同六名)、淮北(同四名)、淮南(同五名)の各支部が成立した(その後この四支部の統合的指導機関として華中地方協議会が四三年五月に作られた)。この他四二年中に、晋西北、浜海、魯中、魯南、清河、膠東の各支部が成立した。また一九四三年には反戦同盟晋冀魯予地区協議会が、同年七月には山東地区協議会が、それぞれ結成された。一九四四年には反戦同盟支部数は一七――延安一、晋西北一、晋察冀一、冀中一、太行一、太岳一、冀南一、冀魯予一、山東五、新四軍四、となっていた(「在華日本人民反戦同盟の宣伝活動」一九四四年三月日本人民解放連盟華北地方協議会――鹿地亘「反戦資料」マイクロフィルム第三巻所収による)。
なおこの反戦同盟員のなかから一九四一年から四三年の間に、判明したものだけでも二五名の犠牲者を出した。これらは、八路軍に従軍中日本軍の銃弾にたおれたもの、あるいは日本軍隊当時の疾病が根治せず、それが再発悪化して病死したもの、などであった。
一九四二年八月延安において、華北日本人反戦団体代表者大会(全華北反戦大会)ならびに華北日本兵士代表者大会が開催された。
華北日本人反戦団体代表者大会
この大会は華北に散在している反戦運動の組織を統一結集し、運動をさらに高めて行くことを目指したもので、反戦連盟および覚醒連盟の各団体・支部のこれまでの活動報告と質疑を行なったのち、華北における反戦同盟と覚醒連盟とを一本にまとめた「在華日本人反戦同盟華北連合会」の結成を決定した。さらに以下に掲げるような代表者大会の大会宣言を発し(この大会宣言は前線の日本軍将兵に向かってまかれた)、反戦同盟華北連合会の今後の活動の基本方針をまとめた工作方針書や連合会の綱領、規約を討議・決定した(大会宣言綱領とも「反戦兵士物語」による)。
大会宣言
日本の同胞諸君! 日本の兵士諸君!
われわれは、諸君とおなじ日本人として、日本の兵士として、華北日本人反戦団体大会をひらいたことを諸君に知らせ、かつ大会の名において諸君にかたりたい。聞いていただきたい。現在、日本の軍部や政府は、中国と太平洋の戦争について、勝った勝ったとつねに宣伝し、また将来も永久に勝ちつづけるだろうと宣伝している。だが、はたしてそうだろうか?(中略)
ヒトラーがかたづけられたとき、アメリカ、イギリスその他の国は、その強大な武力の全部を太平洋に集結して、日本に打撃をあたえるだろう。その場合、日本がどんなに頑張ったところで勝ち目はない。そして、東条一派の日本のファシスト軍部が、ヒトラーの後をおうことは絶対にまぬがれない。しかも、その日がくるのもちかい将来である。その日がきたとき、わが日本の国民がどんなに悲惨な目にあうかは想像以上のものがある。われわれは、そんな目にあいたくない。まして、この戦争は日本の軍部や大資本家が自分たちの利益のためにやったのだからなおさらである。日本の国民は、こんな不正な戦争の犠牲になることを拒絶する。
それでは、このような破滅の運命からわが国と国民を、どうしてすくいだすことができるか? それにはただ一つの方法しかない。すなわち、戦争の張本人である日本の軍部をたおして、人民の利益をまもる政府をつくり、この政府によって戦争をただちにやめさせ、アメリカ、イギリス、中国その他の国と公正な講和をむすぶことである。こうしてこそはじめて、現在の戦争の苦しみと、せまりつつある破滅からまぬがれることができるのである。
このような状態のもとで、日本の軍部の手からのがれ、八路軍および新四軍にきた日本の兵士たちによってつくられた反戦団体十数個の代表者が、延安にあつまり、八月十五日から二週間にわたって大会をひらいた。この大会で、いままで北支に分散していたこれらの団体を統一してつよい連合会をつくり、この大きな力をもって、日本の軍隊内にいる兵士や日本の人民の自覚をうながすために、全力をつくすことをちかった。
同胞諸君! 兵士兄弟諸君!
われわれは軍部をたおすためにあくまでたたかう。なぜなら、軍部をたおすことこそ日本人民の幸福をもたらすことだからである。この五ヵ年いらい、どんなに多くの親たち、子供たち、兄弟たちが、大陸に、海に、おびただしい血をながしたことか! また故国において、どんなに多くの同胞がくるしみ、またくるしぬられているか! そして、こうした莫大な精神的、肉体的、物質的犠牲をはらいながら、われわれははたしてどんな恩恵をうけただろうか? 諸君! われわれがこういう悲惨からぬけだし、累卵の危機にある日本に、平和と幸福をもたらすためには、軍部とたたかい、一日もはやく戦争をやめるよりほかはない。そしてわれわれ全日本人が、真に正義を愛する日本人の名において、かたく団結してたつならば、かならず勝利するだろう。くりかえしてちかう。われわれはこの大会において、自由と平和の新日本を建設するために、あくまでもこの戦争に反対し、日本の軍部とたたかうであろうことを。
一九四二年八月二十九日    華北日本人反戦団体代表者大会
在華日本人反戦同盟華北連合会綱領
一、この中日戦争は日本の軍部と大資本家がおこした不正義の侵略戦争であり、日本兵士の生命を犠牲にし日本人民の生活をおびやかす戦争である。したがって、われわれは、この戦争に反対し、日本軍を全占領地から撤退させるためにたたかう。
二、日本兵士の大半はこの戦争を正義の戦争と信じさせられ、知らないうちに軍部の道具と化している。したがってわれわれは、日本兵士に戦争の本質を知らせ、さらにかれらの政治的自覚をうながすためにたたかう。
三、軍部は日本人民を圧迫し犠牲にして他国を掠奪する野蛮な侵略者であり、現在の政府は軍部独裁の戦争政府である。したがってわれわれは、これら人民の敵をたおし、平和と自由と幸福とをもたらす人民の政府を樹立しなければならないことを日本兵士に確信させるためにたたかう。
四、中日両国人民をはじめ朝鮮、台湾および南洋諸国の人民は、ともに日本軍部に圧迫されている犠牲者である。したがってわれわれは、全東洋の人民と団結して共同の敵、日本の軍部に反対する共同闘争をおこない、真の東洋平和を建設するためにたたかう。
五、われわれは以上の目的を実現するために、華北における中国軍の抗日戦を積極的に援助する。
反戦同盟の任務、活動
前記大会で決定された「工作方針書」(「反戦兵士物語」所収)によってみると次のようである。
一、反戦同盟の性質、任務「反戦同盟は、現在の日本帝国主義者の中国にたいする侵略戦争に反対し、日本軍を中国より撤退させるために努力することを中心任務としていて、この任務を逐行するために努力することを決意したものによって構成されるものである。………反戦同盟の対象(または相手)は、華北における日本兵士であり、同盟の第一の任務は、かれらの政治的自覚をうながして、日本軍隊の崩壊をはやめることにある。これが広範な反ファシスト戦線において反戦同盟にあたえられた分野である。………反戦同盟が、以上の任務を連行するためには、反戦の意識にもえ、かつ能力ある闘士が必要である。こういう闘士を多数訓練し養成することは、反戦同盟の重要な第二の任務である」。
そして、これまでの活動については(工作方針書の「反戦団体の成果と弱点」より)――
………わが日本人反戦同盟および覚醒連盟は、その大部分が創立後日がなお浅いのにもかかわらず、また、さまざまな困難があったにもかかわらず、相当の成果をおさめている。第一に、三年まえには、華北における反戦団体は、わずかに覚醒連盟一個にすぎなかった。ところが、こんにちでは、八つの反戦団体支部をもつまでになっている。第二に、八路軍と新四軍をたすけて、日本軍にたいする宣伝工作・捕虜工作・対中国民衆工作に従事し、相当の成果をあげた。このことは、とくに晋東南覚醒連盟、山東支部、晋察冀支部などについていうことができる。第三に、反戦の闘士を相当数、訓練し養成した。このことは、とくに延安支部についていうことができる。
反戦団体は、以上のような重要な成果をあげてはいるが、若干の弱点をもっていることもみとめなければならない。その主要なものはすなわち、第一に、反戦団体の本質と任務にたいする明確な規定が、ある程度欠けていた。そのために、反戦団体と共産主義団体とを混同し、反戦団体に共産主義団体の任務をおわせるという結果にみちびいた。第二に、日本軍隊の具体的、かつ精密な調査研究をおこなって、日本軍隊の実情と兵士の意識と要求に適応した工作の方針と方法をたてることを十分にしなかった。このために、対日本軍工作の効果は減じた。第三に、同一目的をもち、また、同一軍隊内にありながら、華北の各反戦団体相互のあいだに、緊密な連絡と組織の統一とがなかった。
二、反戦同盟の活動内容 反戦同盟の活動は大体つぎのようであった。(1)宣伝工作、(2)同盟員の思想、理論教育や工作能力の養成、(3)新来者(捕虜)に対する工作――捕虜の生活に対する援助、八路軍の捕虜政策の真意や日中戦争の本性についての教育、反戦同盟の紹介など、(4)八路軍の対日本軍工作への援助――対日本軍宣伝物の作成、日本軍から鹵獲した軍事資料など日本文献の整理、八路軍の敵軍工作部員や兵士に対する簡単な日本語の会話・スローガンなどの教育工作、、戦闘中における捕虜工作。
これらの活動のうち最も重要な宣伝工作についてみるとつぎのようであった(工作方針第二「宣伝」の項から抜萃)。
同盟の第一の任務は、華北における日本軍隊内の兵士に政治的宣伝をおこなって、かれらの戦闘意志をくじき、戦闘力をよわめ、これによって日本軍隊の崩壊をはやめることにある。すなわち、日本軍隊にたいする宣伝工作こそ、同盟の第一の重要任務である。しかし、このもっとも重要な宣伝工作は、同時に、もっとも困難な工作でもある。すなわち、ながいあいだの愛国主義的教育、とくに、軍隊における反動教育をうけた日本兵士にたいして、しかも対峙している敵軍のなかからよびかけて、かれらの考えや気分をかえ、政治的進路をかえようとする困難さはいうまでもない。宣伝工作におけるこの客観的困難性が、過去においてわれわれの宣伝効果がすくなかった一つの原因である。(中略)
<過去における宣伝の欠点>
過去において、覚醒連盟、反戦同盟の手によるほか、その他の抗戦団体すべてをふくめて、われわれの側からおこなわれた日本軍にたいする宣伝は、じつにおおくの数量にたっしている。それにもかかわらず、この宣伝によって、日本兵士が政治的自覚をよびおこした結果、自発的に闘争を組織したり、あるいは中国軍に集団的に自発的に投降したなどという実例はない。このことは、われわれの宣伝の影響が大きくないことをものがたっている。ただ、われわれの成果としてあげられることは、「八路軍は捕虜を殺さない」ということが、すでに、華北の日本軍隊内にひろく知れわたっていることである。しかし、これも、われわれの文書による宣伝の結果というよりは、むしろ、八路軍、新四軍の捕虜政策の実際宣伝の結果であるといわなければならないだろう。いままでのわれわれの宣伝の根本的な欠点は、宣伝の相手である日本軍隊内の実情、兵士の気持や要求に合致した内容の宣伝をおこなうことを十分しなかった点にある。
<今後の基本的宣伝方針>
こんにち、戦争は正義だ、と信じている日本兵士も、一面においては、極度に圧迫され東縛されている軍隊生活に、物質上、精神上、おおくの不満をもっている。また、おもに肉体的苦痛や懐郷心からくる厭戦気分ももっている。われわれは、こうした兵士の気分をただしく知り、かれらの不満や厭戦気分をさらに助長し、激励して、ついには、現在の生活改善のための闘争にかれらをたちあがらせる方向に、今後の宣伝の重点をおかなければならない。こうした闘争に兵士を決起させることは、現在の日本軍隊の実情からみて可能である。このことは、こんにちまで日本の軍隊内におこった集団的な上官反抗事件や、兵士の自殺、逃亡、自発的投降などのほとんど全部が、軍隊内の日頃の苦痛や矛盾を原因として発生しているという事実だけでも説明される(以下略)。
三、宣伝の内容 1 兵士を生活改善のための闘争へ決起させる宣伝。さきの基本的宣伝方針のなかで述べられているように、これが一九四二年八月の反戦大会以後、当面のもっとも中心的な宣伝とされた。これには後に掲げるところの、華北日本兵士代表者大会で作成された「日本兵士の要求書」が活用された。2 厭戦気分の強化―懐郷心をつよめること、悲観気分をあおること、「御身大切」意識をつよめること、八路軍は捕虜を殺さない。3 政治的自覚の喚起。「これは、いますぐ兵士を行動にたちあがらせるような宣伝ではないが、反戦事業にとっては、究極の目的達成のための根本的な意義をもっている」。その内容としては――戦争の本質を説明すること、兵士の階級意識をよびさますこと、日本政府や軍部の宣伝を反駁暴露すること、反戦同盟や日本人の生活状態を知らせること。
四、宣伝の種類、その具体的方法 日本軍にむかっての宣伝は主に、ビラやパンフレット、新聞を散布する、あるいは慰問袋を送りとどける、メガホンや電話を使って直接に呼びかける、などの方法によって行なわれた。また一時は延安から毎週二回日本兵士や居留民にたいする日本語放送も行なわれた。
1 宣伝ビラ ビラは宣伝工作の中心的な手段とされた。「一九四三年に発行したビラの総数は、八路軍地区で八三万部、新四軍地区で二〇万部にのぼった。各地で毎月五、六種だされた。内容は一般に日本兵士の生活上の要求、時事問題の解説に関するもの、故郷を回想し厭戦気分をおこさせるようなものであった。ビラを散布する方法は……武装宣伝隊を組織して、トーチカ付近に散布する方法が一番効果的であった。宣伝品の効果は、いろいろとあらわれた。ビンタをやめろ! というビラを散布してから、ある中隊ではビンタをとらぬよう訓示がでた。また悪評の将校を批判したビラをだすと、その将校はおとなしくなった。反戦同盟のビラは日本軍隊内で多くの兵士に読まれていることが捕虜の話からわかった」(「反戦兵士物語」七ページ)。
2 慰問袋 「宣伝ビラについで多くつかわれたのは〃慰問袋〃だった。〃慰問袋〃は兵士によろこばれ歓迎された。〃慰問袋〃を通じ、反戦同盟と日本兵士の間で手紙のやりとりがなされ、交歓することができた。……内容は主として日用品だった。食料品は、毒がはいっているのではないかと警戒されるので、石鹸、タオル、日記帳、下着類などを送った」(同七〜八ページ)。この慰問袋は毎年二、三回、毎回九〇〇〜一五〇〇個送られた。
3 通信工作 「やりとりされた手紙の内容は、年賀状、慰問袋、戦死者への慰霊状、警告文など多様であった」。しかしそれに対する日本兵士からの返信は、第一に軍隊内で厳禁されたために少なく、さらに「返信を受け取る方法がむつかしいことや、日本軍の移動のはげしいことなどから、長期にわたっての手紙の交換は数例の成功をみたにすぎなかった。手紙で大きな効果をあげたのは.反戦同盟員が自分の原隊や戦友にだす手紙だった」(同八ページ)。この返信は少ないばあいで一〇分の一、多いばあいには三分の一あった。冀南支部では百数十通出したうち返信が四二通あり、そのうちののしっているものが五分の三、感激しているもの五分の二という状況だった。
4 呼びかけ 前線陣地、トーチカ内の日本兵士に対する呼びかけの目的は「日本兵と直接話すことにより、感情的に接近することに主眼がおかれていた。したがって話の内容は、反戦同盟や盟員の紹介、時局や日本軍内部の状態についての意見交換、待遇改善について……などであったが、原隊にたいするときは、故郷のことや、戦友の消息などについて語りあうこともすくなくなかった。呼びかけは、拡声器などもってない状態だったので、メガホンで話すため、百メートル、または五十メートルぐらいまでトーチカに接近しなければならないので、危険が大きかった。……呼びかけは、直接話しあうので、まずくすると口論になることが多く、〃売国奴〃とののしられると、すぐやりかえす始末になったりした。しかし、太行支部の鎌田君のように、呼びかけたトーチカに同じ故郷の友人がいて、涙を流して話しあうような場面もあり、再三呼びかけを行なっているうちに、親しく話しあえるようになったり効果をあげるようになっていった」(同八ページ)。この呼びかけは各地で毎年二〇回から三〇回行なわれた。呼びかけに当っては一般にまず歌を一回うたい、または口笛を一回吹き、その後呼びかけるという方法がとられたが、これに対して日本軍の一斉射撃が集中されるばあいもあった。例えば晋察冀支部では三二回の呼びかけのうち一一回打ってきた。しかし太行支部では二四回やったが一回も打たれなかった。
一九四二年八月前記の反戦大会とならんで華北日本兵士代表者大会が開催された。この大会は「華北における日本兵士および下士官によって構成され、日本軍隊内外の兵士および下士官の人権および利益の擁護と向上をはかるを以て目的とする」(同大会規約第一条)もので、「本大会の主旨に賛成する日本兵士および下士官のすべては、その所属部隊を代表して大会に出席することを得る」(第二条)となっていた。また大会の性質については「兵士大会は、日本軍兵士が痛感している物質的、精神的諸要求のために闘争するよう活動することが主要任務である。だから、軍隊生活に不満をもつ兵隊ならば、だれでも歓迎して大会に参加させる」(反戦同盟華北連合会工作方針書による)とされていた。大会の事務執行機関としては大会常任委員会が設けられ、その議長には大山光義氏、ほか委員六名が決定された。この兵士代表者大会には、華北に駐屯するほとんど大部分の日本軍部隊の出身者からなる兵士、下士官、下級将校ら五三名が参加し、兵隊の日常生活や上官に対する不満、要求など兵隊の生活をどうしたら改善できるかを討議し、これにもとづいて次に掲げるような日本兵士の要求書を作成した。なお、さきにみた国民党地区の反戦同盟においても、期せずして同じ内容をもった「日本軍兵士の要求」を作成し、宣伝していた(鹿地亘「日本兵士の反戦運動」I一七二ページ)。
華北各部隊の戦友諸君にうったう
親愛なる戦友諸君! 自分たちは、諸君とおなじ日本の兵隊であります。自分たちは、きゅうくつな軍隊をみずからとびだしてきたものや、戦闘の結果やむなく八路軍へきたものであります。しかし、いまでは、八路軍のなかで敵としてではなく友人として待遇され、自由なほがらかな生活をおくっております。戦友諸君! 諸君も知っているように、いくら地方では一人前の男としてみとめられているものでも、一たん軍隊にはいったら一文のねうちもなく、すべてが命令だ、軍紀だとばかり、口答えはいっさいゆるされないのであります。(中略)
この文句のいえない戦友諸君にかわっておおっぴらに文句をいい、自分たち日本兵士すべての生活をよくすることを相談するために、自分たちはこんど延安で兵士大会をひらきました。そこで自分たちは、この戦友全体の希望や、要求を代表して、この大会で相談した結果、あらゆる方面にわたって兵隊のいいたいこと、希望することを二百二十八ヵ条(うち中心要求百二十一条)をえらびだしました。この要求や希望は、みんながいっしょになって上官にかけあわなければ実現しません。では、どんな方法でかけあったらよいでしょうか? この方法も、自分たちはよくかんがえて相談した結果、要求といっしょにつくりました。戦友諸君! 諸君もみんなでわたしたちのつくった要求書をよくよんで相談し、勇敢に上官に提出してもらいたい。小隊、中隊の兵隊みんながかたまって、いっしょにかけあったら、かならずこれは実現します。たとえ、全部はきいてくれなくとも、半分位はきっと実現されるにちがいありません。自分たちもこの実現のために、あくまでもがんばり諸君をどこまでも援助します。(以下に掲げるものは各項目のうちの中心要求である)
一 給養に関して
(イ)俸給と貯金  貯金の強制をやめて、兵隊の自由にさせてもらいたい。兵隊および下士官の俸給と戦時手当を二倍にしてもらいたい。
(ロ)食物  飯を腹いっぱいくわせてもらいたい。代用食と減食をやめてもらいたい。前線の兵隊には乾物ばかりでなく、魚や、季節のものをくわせてもらいたい。兵隊の意見をとりいれて献立表をつくり、そのとおり実行してもらいたい。〔(ハ)酒保、(ニ)下給品の項は省略〕
(ホ)被服  被服や兵器検査のときに、つまらないことに文句をつけてビンタをとるのはやめてもらいたい。代用衣袴の支給は新品にしてもらいたい。靴下、襟布、石ケン、靴ヒモなどは、兵隊の要求に応じて支給してもらいたい。
(ヘ)恤兵品、慰問袋  慰問袋は前線と後方、将校と兵隊の区別なく、平等に支給してもらいたい。〔(ト)娯楽の項は省略〕
二 軍紀、教育、私刑にかんして
(イ)軍紀と敬礼  軍人勅諭中の「公務のほかはねんごろにとりあつかうべし」という規律をかたくまもり、私用のことまで「上官の命令だ」ということを乱用しないようにしてもらいたい。欠礼しても制裁をくわえないょうにしてもらいたい。軍隊語の使用を強制せず、地方弁を自由につかわせてもらいたい。
(ロ)精神訓話  将校自身もまもれないようなおもしろくない精神訓話をやめてもらいたい。
(ハ)教育と訓練  古兵と初年兵は兄弟である。兄は弟をいじめず、親切に指導してもらいたい。内務班教育をゆるくしてもらいたい。勅諭、典範令などの丸暗記を強制するのはやめてもらいたい。演習時間をもっとみじかくしてもらいたい。
(ニ)進級と功績  二年兵以上のものをいつまでも、一等兵のままでおかないようにしてもらいたい。将校個人の感情や利害によって兵隊の進級、功績を左右するようなことをやめてもらいたい。貯金の多少とか、娯楽時間中の行動によって、兵隊の成績のよしあしを決定するようなことは、やめてもらいたい。
(ホ)罰則と懲罰  兵器や被服が破損した場合に、懲罰をくわえないようにしてもらいたい。兵隊を処罰するときは、戦友の陪審をゆるしてもらいたい。将校や憲兵の不法行為を大目にみず、規定どおりに処罰してもらいたい。
(へ)侮辱と暴行  つまらないことで、兵隊をいじめるようなことをやめてもらいたい。兵隊を侮辱したり、ビンタをとることはいっさい禁止し、もし、これに違反したものは厳罰に処してもらいたい。
(ト)憲兵にたいして  職権を乱用して、外出先とか、飲食店で兵隊を説教したり、ビンタをとったりするようなことをやめてもらいたい。職権を乱用して、無銭飲食をすることをやめてもらいたい。
三 書簡、外出にかんして
(イ)書簡  書簡の発信、受信のさいの検閲をゆるくしてもらいたい。自分のかきたいことは、自由にかかせてもらいたい。写真その他の品物を自由に内地へおくらせてもらいたい。内地からの軍事郵便物を無料にしてもらいたい。
(ロ)外出  外出の手つづきを簡単にしてもらいたい。日曜日、祭日および毎日夕食後は外出の自由をあたえてもらいたい。兵隊の外出時間を将校とおなじようにながくしてもらいたい。外出さきでの敬礼、ビンタ、説教をやめてもらいたい。
(ハ)休暇  勤務下番者には、一日の休みをあたえるよう、規定をかえてもらいたい。討伐、作戦後は二、三日の休日をあたえてもらいたい。二年以上の勤務者には、三ヵ月の休暇と休暇手当をあたえる規定をはやく実行してもらいたい。農繁期には、家の手つだいをするために、二週間のあいだ、故郷にかえしてもらいたい。
(ニ)面会  面会人からもらったものを面会所で自由にたべたり、班内にもってかえったりすることをゆるしてもらいたい。面会所内の敬礼をいっさいやめてもらいたい。
四 読書、会合と政治にかんして
新聞や書籍を自由によませてもらいたい。兵隊の懇親をはかるために戦友会をつくることをゆるしてもらいたい、「軍人は政治に干与することを得ず」という規則をやめて、現役軍人にも選挙権をあたえてもらいたい。
五 軍事行勤にかんして
(イ)警備  下番なしの連続勤務をやめてもらいたい。守則(特別守則)の丸暗記を強制しないようにしてもらいたい。勤務はすくなくとも四交代以上にして、とくに冬季は三十分以内にしてもらいたい。前線部隊と後方部隊との警備交代をもっとはやくしてもらいたい。
(ロ)行軍と宿営  全治していない病人を、討伐につれていかないようにしてもらいたい。落伍者をなぐったりせずに、馬にのせるようにしてもらいたい。予備弾薬および寝具は、馬ではこび、かるくしてもらいたい。休憩時間を確実にし、一時間に十五分、馬のおおいときは休憩時間をもっとながくしてもらいたい。設営準備をはやめ、できるだけはやくやすませてもらいたい。
(ハ)戦闘  戦闘中むりな命令を兵隊におしつけないようにしてもらいたい。
(ニ)略奪、暴行、殺傷、放火  抵抗しない支那人に、しかも兵隊のこのまない殺傷を、度胸だめしだといって強制しないようにしてもらいたい。
六 傷病兵にかんして
傷病兵をはやく入院させてもらいたい。上官と兵隊とを区別せず、荒治療をやめて、親切にやってもらいたい。寝室および給養を、将校とおなじようにしてもらいたい。病人には俸給以外に特別手当を支給してもらいたい。傷病兵はすべて内地に送還してもらいたい。
十一 兵役制度および入営にかんして
(イ)徴兵  検査官、憲兵の横柄な態度、言語を禁止してもらいたい。検査のときの服装、頭髪を自出にさせてもらいたい。徴兵の下検査をやめてもらいたい。検査場への往復旅費および日当を支給してもらいたい。
(ロ)入営  入営するときの服装を自由にさせてもらいたい。入営のために、家族が生活にこまる場合には、入営を免除してもらいたい。入営は一家族から一人だけにしてもらいたい。
(ハ)召集  臨時召集、および充員召集は、すくなくとも十日以前に本人に知らせるようにしてもらいたい。帰還兵の再召集をやめてもらいたい。
(ニ)帰還と除隊  帰還の確定した兵隊を、最後の討伐だといって、ひきださないようにしてもらいたい。在営年限を従前どおり二年にして、満期除隊を確実に実行してもらいたい。家族の生活のくるしいものは、特別にはやくかえしてもらいたい。
十二 職業と生活保証にかんして
在隊中、勤め人、職工などは現役兵、召集兵にかかわらず、入隊前の給料を全額支給し、その他の独立営業者や農民にも入隊前の収入全額を政府から支給してもらいたい。在隊中は会社の仕事をしなかったという理由で、一般のものよりも昇給がおくれたり賞与がすくなかったりすることがないようにしてもらいたい。
十三 出征家族にかんして
(イ)生活保証  出征家族にたいしては日用品(食料品、綿布など)をほかの家よりも、優先的に配給してもらいたい。扶助料を召集解除と同時にやめずに、本人の就職するまで支給してもらいたい。出征家族のものが病気をした場合いには、全治するまで、医療費はもとより、生活費も支給してもらいたい。
(ロ)遺家族にたいする賜金  戦死者の一時金をおおくし、また公債はやめて現金で支給してもらいたい。将校と兵隊の遺家族にたいする賜金および待遇は同等にしてもらいたい。遺家族の扶助料を、もっとふやしてもらいたい。
(ハ)諸負担の軽減、家族の現地慰問出征家族にたいする電燈料、水道料などを全廃し、また乗車、乗船賃を半額にしてもらいたい。水利組合費、附加税、戸数割などの公課を全廃してもらいたい。
(ニ)小作料の軽減、土地取上げその他にかんして  出征家族が要求するだけ肥料を配給してもらいたい。小作料を軽減してもらいたい。出征家族にたいしては、米、麦、豆などの穀類の強制買上げをやめてもらいたい。出征家族にたいする土地取上げをやめてもらいたい。出征家族の強制移転をやめてもらいたい。出征家族の船、自動車、馬、干草などの徴発をやめてもらいたい。(十四、国庫にたいする要求以下は省略)
この要求書はパンフレットに作られ、反戦同盟の手で前線において撒布され、日本軍守備隊にとどけられて、兵士の間にかなり広く読まれ、ゆきわたった。そして、上官の初年兵いじめを止めさせるような効果をもたらしたばあいもみられた。
なおその後も引続いて一九四三年三月晋東南地区において晋冀魯予反戦同盟大会および兵士代表者大会が、同年七月には山東反戦同盟大会および兵士代表者大会が、それぞれ開催された。
日本人民解放連盟の結成
一九四四年一月、延安において反戦同盟華北連合会拡大執行委員会が開かれたが、この委員会において、野坂参三は、反戦同盟を発展的に解消してより広い政治綱領をもった解放連盟を結成することを提唱し、これによって同年二月、反戦同盟は「日本人民解放連盟」へと改組された。これは日中戦争開始以来一九四四年にいたる世界情勢の変化、あるいは中国や太平洋地域における戦争状勢の変化、ことにナチス・ドイツの敗北が濃厚となり、太平洋地域でも米軍の反攻が激化し、中国戦線では日本軍の戦力はジリ貧状態となり将兵の士気も低下したという、新たな情勢に対応して、これまでの日本兵士に対する戦争反対の運動からさらに進んで日本国民全体の「解放」を目ざして準備すべきだという主旨によるものであった。すなわち連盟の綱領(草案)は次のようであった(「反戦兵士物語」所収)。(1)戦争の終結と講和――ただちに戦争をやめよ、すべての占領地から日本の軍隊と軍艦は撤退せよ、交戦諸国と公正な講和を締結せよ。(2)恒久平和、(3)繁栄の経済政策、(4)軍部独裁の打倒、(5)自由、民主の政治、(6)人民生活の改善、(7)兵士、水兵とその家族の生活保証、(8)人民政府の樹立。
なお解放連盟の組織状況をみると、一九四四年四月において支部一三、連盟員総数二二三名――延安支部七五名、以下晋西北七、晋察冀一六、冀中七、冀南一五、冀魯予一三、太行二九、太岳一一、浜海一五、魯中九、魯南七、清河六、膠東一三、となっていた。(「現代中国事典」は連盟員総数は終りの時期には約一千名に達したと記している――中国研究所編一九五九年刊、五八六ページ)。
(注)上記のような前線における反戦活動の展開とともに、一九四一年五月、日本工農学校が延安に創設され(校長・野坂参三)、多くの捕虜将兵が入学・参加していたが、この活動については省略する。  
第四章 ゾルゲ事件 

 

第一節 検挙と事件の内容  
一九四二年六月司法省は、「国際諜報団事件」の取調べが一段階し、その中心分子たるリヒアルト・ゾルゲ〔ドイツ人、ソ連国籍〕、ブランコ・ド・ヴーケリッチ 〔ユーゴスラヴィヤ人〕、宮城与徳、尾崎秀実、マックス・クラウゼン〔ドイツ人〕ら五名にたいし、国防保安法・治安維持法・軍機保護法各違反等の罪名で予審請求の手続きをとったことを発表するとともに、「本諜報団はコミンテルン本部より赤色諜報組織を確立すべき旨の指令を受け昭和八年秋我国に派遣せられたるリヒアルト・ゾルゲが、当時既にコミンテルンより同様の指令を受け来朝策動中なりしブランコ・ド・ヴーケリッチ等を糾合結成し爾後順次宮城与徳、尾崎秀実、マックス・クラウゼン等をその中心分子に獲得加入せしめ、その機構を強化確立したる内外人共産主義者より成る秘密諜報団体にして十数名の内外人を使用し結成以来検挙に至るまで長年月に亘り、合法を擬装し巧妙なる手段により、我国情に関する秘密事項を含む多数の情報を入手し、通信連絡その他の方法によりこれを提報しいたるもの」と説明した。これが「ゾルゲ」事件について公表された最初のものであった。被検挙者の中に当時著名なジャーナリスト・中国問題の専門研究者であり近衛文麿の側近の一人であった尾崎秀実、衆議院議員四回当選・総理大臣秘書官・汪政府顧問等の経歴をもつ犬養健、外務省および内閣嘱託の西園寺公一、「盟邦」ドイツの大使館内に重要な地位をえていたゾルゲその他のドイツ人などがふくまれていたことから、この事件の発表は支配層内にも大きな衝撃を与えるものであった。
関係者の検挙は四一年九月、警視庁特高一課と外事課の共同による和歌山県下での北林夫妻の検挙にはじまり、一〇月中旬に尾崎、ついでゾルゲらが検挙され、ひきつづき四二年四月までに合計三五名(うち外国人四名、女性は六名)の被検挙者が出た。内務省警保局によれば、このうち「諜報機関員」一七名、「情を知らざる者」一八名であった。ゾルゲの訊問調書によれば、彼の直接の協力者は尾崎・宮城・ヴケリッチ、しばらくのあいだギュンター・シュタイン(積極的同調者)、技師としてクラウゼンだけであったという。「諜報機関員」一七名の氏名、年令、職業、検挙年月日は左の通りである。
       年令 職  業  検挙年月日
北林 とも  五七 洋裁業   四一・九・二八
宮城 与徳  四〇 洋画家     一〇・一〇
秋山 幸治  五三 無職      一〇・一三
九津見房子  五三 会社員     一〇・一三
尾崎 秀実  四二 満鉄調査部嘱託 一〇・一五
水野  成  三三 坂本記念会支那百科辞典編集員 一〇・一七
リヒアルト・ゾルゲ  四八 フランクフルター・ツアイトング日本特派員 一〇・一八
マックス・クラウゼン 四四 螢光複写機製造業 一〇・一八
ブランコ・ド・ヴケリッチ 三八 アヴァス通信社通信補助員 一〇・一八
川合 貞吉  四二 会社員(大日本再生製紙) 一〇・二二
田口右源太  四〇 ロープ原料商     一〇・二九
アンナ・クラウゼン 四三 無職(マックス・クラウゼンの妻) 一一・一九
山名 正美  四一 会社員(東亜澱粉)  一二・一五
船越 寿雄  四一 支那問題研究所長 四二・一・四
河村 好雄  三三 満州日日新聞上海支局長 三・三一
小代 好信  三四 会社員(博道社洋紙店) 四・一一
安田徳太郎  四五 開業医、医学博士    六・八
検察側の調査によれば、本機関は、ソ連擁護のためにコミンテルンの手により日本国内に設置され、ソ連共産党中央委員会および赤軍第四本営に直属して日本の政治、外交、軍事、経済等の機密を探知し、これをソ連共産党最高指導部すなわちソ連政府最高指導部に提報していた秘密諜報集団であり、その主要な任務は、日本の対ソ攻撃からのソ連の防衛ないし日本の対ソ攻撃の阻止に役立つ諜報の探知蒐集であり、その中には、一九三三年末ゾルゲの渡日前にソ連首脳から与えられた一般的任務、三五年ゾルゲが報告のため約二〇日間モスクワに滞在した際に上部から与えられた具体的任務、随時無電によって与えられた指令、および対日諜報機関設置後日本国内に発生した重要事件にもとづいて本機関みずから課した任務があった。蒐集した情報を無選択にモスクワに通報したものではなく、豊富適確な資料を集め、これを総合判断して一定の結論を出しそれに意見を付して報告していた。蒐集した主要な情報は三四年七月から四一年一〇月まで一〇〇項以上(約四〇〇件)にわたり、これを無電または伝書使による写真フィルムの手交によっておこなっていたという。無電による発信回数(および語数)は三九年五〇回(約二万三千語)、四〇年六〇回(約二万九千語)、四一年二一回(約一万三千語)にのぼったが、東京の上空をとびかうこれら暗号文の電報は検挙にいたるまで日本の官憲はついに本体をつきとめることができなかった。日本における活動期間は一九三三年から四一年まで約八年にわたっているが、グループが強力な組織となって機能が発揮できるようになったのは三六年の秋ごろからであった。組織のメンバーはすべてどこの国の共産党員でもなく、また諜報活動以外、政治的性質をもった宣伝や組織機能に従事することは固く禁じられており、どんな個人や団体にもけっして政治的な働きかけをしないという方針は忠実に守られたが、ただ一つの例外は、近衛グループの中で対ソ平和政策をとらせるように努力した尾崎の積極的な行動であった。検察側が事実に反してゾルゲらをコミンテルン本部の指令にもとづく諜略組織ときめつけたのは、赤軍やソ連を治安維持法にいう結社とすることができないためであったといわれる。事件後、オットーは四二年にドイツ大使の地位を失い、北京に去った。
グループを指導していたリヒアルト・ゾルゲは、何代も前から学者の家柄で、第一インターナショナルのすぐれた活動家であり、マルクスやエンゲルスの友人であったフリードリヒ・アルベルト・ゾルゲの孫であるが、父が油田の技師をしていたロシアのバクーで生まれ、のち一家とともにドイツに引きあげ、第一次世界大戦に召集されて軍隊に入り、再三負傷して入院中に社会主義者の感化を受け、独立社会党員としてドイツ革命に積極的に参加し、創立とともにドイツ共産党に入党するとともにハンブルク大学で政治学博士の学位をえた。一九二五年にモスクワに移り、ソ連国籍をえてソ連共産党に入党した(リヤザノフからマルクス・エンゲルス研究所入りを求められたこともあり、ゾンターの名で出した著書「ドイツ帝国主義」は広く読まれ、日本訳もある)。上海で数年間情報活動をおこなったのち、ヒトラーが政権を獲得した三三年の九月にドイツ新聞社の特派員として日本に来た。東京に着いてからは猛烈な勢いで日本研究をおこない、検挙された時には古事記、源氏物語などの英訳もふくめ、千余冊の研究書とみずから作成した多数の精密な統計表が残され、押収されたタイプ原稿はビール箱に二、三杯あったという(司法省の空襲ですべて焼失)。また各地を巡遊して調査研究し、その成果の一部は「フランクフルター・ツアイトング」や「ゲオポリティーク」誌等に発表され、ドイツにおいてすぐれた日本研究者として名声をえていた。一方駐日ドイツ大使(その前は大使館附陸軍武官)オットーの深い信任を獲得し、大使館附情報官として大使館内の最高スタッフとなった(彼らの全情報の約六割はドイツ大使館からえられたものであったという)。こうした専門的知識と精密な調査にもとづいて彼は適確な判断を通報することができた。その代表的な例はヒトラーのポーランド侵入とソ連に対する侵略準備の情報であり、侵略開始の日時まで知らせ(しかしスターリンはそれを無視してしまったという)、また日本が南進策をとり太平洋開戦に戦力を結集しているとの情報を正確に伝えたことであった。そしてこれらの情報の提供にたいして、ソ連最高首脳部からと推定される祝賀、感謝のメツセージを無電でしばしば受け取っていたとゾルゲは書いている。この情報活動は、彼を中心とする国際共産主義者たちが戦争に反対し世界の平和を守るためにおこなったものであり、したがって当時世界における唯一の社会主義国ソ連を帝国主義国家の侵略から守るための闘いが中心となっていた。検事の訊問にたいして、「私をはじめ私のグループは決して日本の敵として日本に渡来したのではありませぬ。また私たちは一般のいわゆるスパイとは全くその趣を異にしているのであります。英米諸国のいわゆるスパイなるものは日本の政治上、経済上、軍事上の弱点を探り出し、これに向って攻撃を加えんとするものでありますが、私たちはかような意図から日本における情報を蒐集したのではありませぬ。私たちはソ連と日本との間の戦争が回避される様に力を尽してもらいたいという指令を与えられたのであります」と答えている。日本の対ソ攻撃の計画が中止され、日本軍の南進作戦が決定的になったあと、ゾルゲは日本における任務はすでに終了したとして、日本を離れて新しい任務につくことについて指令を求めるむねの電報を打電しようとしたが、その電文原稿を執筆した翌朝に検挙された。なおゾルゲは日本にいても党費はきちんと納めていたというが、コミンテルンとは直接の関係はなく、組織的には赤軍第四本部に所属していたらしい。
尾崎秀実は、多少国士的な漢詩人でありジャーナリストであった父とともに、幼少年期一八年を植民地台湾で送り、若いころから民族問題・中国問題を体験的に肌で接していたが、一高から東大に入学した直後、第一次共産党検挙事件と大震災後の白色テロ事件にあって社会問題の研究に志ざし、大学院に残って中国革命への関心を深めた。大阪朝日新聞社に就職して社会部から支那部に移り、細川嘉六らと中国革命研究会をもったりしたあと、待望の上海支局詰となった。上海では魯迅をはじめ中国の進歩的な知識人たちと交際し中国の文化運動に参加し、在留邦人たちの「日支闘争同盟」などとも密接に結びついた。上海においてアグネス・スメドレーやゾルゲとのむすびつきもでき、社命で帰国したのち、本拠を日本に移したゾルゲと再会し、親密な関係に入った。尾崎は当時すでにすぐれたジャーナリストであり、中国問題の専門家として言論界に重きをなし、また近衛内閣の有能なブレーンとして首相官邸内にデスクをもち、秘書官室や書記官長室に自由に出入りしえたし、政界上層部の動向に直接ふれることのできる地位にあった。尾崎にたいする今日の評価はきわめて多様であるが、彼の英雄的ともいうべき努力の中心は戦争を避け社会主義を防衛しようとする必死の抵抗であった。彼はたしかに情報を収集する活動を意識的におこなったが、それも彼のことばによれば政治的な便宜のための手段の一つにすぎなかった。彼がゾルゲに提供したといわれる情報も、新聞社の特派員や在外公館の手に入れる秘密情報と大差ないものであり、むしろ彼は情報収集者であるまえに一個の独立した情報源であり、彼の政治判断や見通しによってゾルゲの活動に協力したのである。彼がゾルゲと深い関係を結んだのも、彼独自の「東亜協同体」論も、日本民族の将来を思いなやんで求めた結果であった。将来ソ連や新中国と提携してゆく場合に予想される日本国内の変革について、彼は労働者階級を主体とする階級闘争によってではなく、もっぱら既成政治勢力内部の工作によって上からなしとげることができるし、またそうあってほしいと考えていたようにみえる。
なおこの事件に関連して、四二年六月に上海において「中国共産党諜報団事件」として中西功、西里竜夫ら一〇名(うち中国人三名)が検挙された。  
第二節 判決とその後 

 

事件の取調べは四一年五月に予審に移され、ゾルゲと尾崎の予審は四二年一二月に終わり、翌四三年五月末に東京地裁の法廷で第一回公判が公開禁止ではじまった。弁護にあたったのは官選弁護人一名だけであった。尾崎の公判は超スピードで進められ、ひらかれた公判はわずか七回にすぎなかった。九月には別掲のような判決が下された(小代以下の判決はそれぞれ数ヵ月おくれた。宮城と河村は審理中に獄死した)。ゾルゲ、尾崎、クラウゼン、ヴケリッチの四名は国防保安法・軍機保護法・軍用資源秘密保護法・治安維持法違反であり、その他の者はこれらのうち一ないし三法の違反として処罰された。大審院に上告した者もすべて弁論なしに検事の意見を聴いただけで戦時刑事特別法第二九条によりその理由なしとして上告棄却された。ゾルゲの場合は上告趣意書が法定期間におくれたため、四四年一月に上告棄却となり、尾崎は同年四月に上告棄却となっていずれも死刑が確定し、同年一一月七日、二人は処刑された。ヴケリッチと水野と船越は終戦の年に獄中で病死し、北林は釈放直後に死亡した。
前にもふれたように、ゾルゲは赤軍第四本部に所属しその指令を受けていたのであり、この組織がコミンテルンの指令にもとづく諜報組織であってコミンテルンの目的遂行に協力する意図で活動したとして処断することは事実に反することであったが、それは、治安維持法で処罰の対象とする「国体を変革することを目的」とする結社というのは、日本共産党やコミンテルンについてはいえるにしても、ソ連や赤軍をもそのような結社と見ることは不可能であったからであり、戦時下における法の過大な類推解釈であったとみられる。治維法違反とならず、国防保安法・軍機保護法・軍用資源秘密保護法だけでは、彼らを「利敵行為」として処断する根拠は薄くなるからであろう。また適用された国防保安法(四一年五月施行)・軍機保護法(三七年および四一年改正)・軍用資源秘密保護法(三九年施行)・治安維持法(四一年三月改正)などの法律の該当項目は、ほとんど一九三七年以降に改正・追加されたものであるのに、たとえばゾルゲの犯罪事実には一九三〇年以来の諸件がふくまれており、これら法律施行前の行為も「施行の後に為されたる爾余の所為とは、それぞれ包轄一罪の関係にあるを以って……各その所為の全部につき改正法を適用」 (判決文)したのである。これは、四一年の治維法改正にあたって、罰則の適用を犯罪時法によらず、判決時法によることを付則第二項で規定したことによるものであり、法施行以前の行為が法施行後の犯行と包轄一罪として処理されたことは、戦時下において罪刑法定主義の原則が無視されていたことを示すものである。
リヒアルト・ゾルゲ   死刑    四四・一一・七執行
尾崎 秀実       死刑    四四・一一・七執行
マックス・クラウゼン  終身    四五・一〇・九釈放
ブランコ・ド・ヴケリッチ 終身   四五・一・一三獄死(網走)
小代 好信       十五年   四五・一〇・八釈放
田口右源太       十三年   四五・一〇・六釈放
水野 成        十三年   四五・ 三・二二獄死(仙台)
山名 正美       十二年   四五・一〇・七釈放
船越 寿雄       十年    四五・ 二・二七獄死
川合 貞吉       十年    四五・一〇・一〇釈放
久津見房子       八年    四五・一〇・八釈放
秋山 幸治       七年    四五・一〇・一〇釈放
北林 とも       五年    四五・ 二・九釈放直後死亡
アンナ・クラウゼン   三年    四五・一〇釈放
安田徳太郎       二年(執行猶予五年)
西園寺公一       一年六ヵ月(執行猶予二年)
菊池 八郎       二年
宮城 与徳       公訴棄却  四三・ 八・二獄死(巣鴨)
河村 好雄       公訴棄却  四二・一二・一五獄死(巣鴨)
敗戦後四五年一〇月になって、獄中の生存者八名は他の政治犯たちと一緒に釈放され、ながいあいだ国民の眼からとざされていた事件の内容がようやく明らかになりはじめた。ゾルゲ事件の関係資料は、旧特高関係者にとっては公職追放の理由になるのでほとんど焼却ないし秘匿された。「祖国を救うために命を賭けて行動した愛国者」尾崎秀美にたいしては一周忌につづいて追悼講演会が盛大に開催され、彼の獄中書簡集「愛情はふる星のごとく」はベストセラーともなって広範な読者を獲得した。
マッカーサー占領軍司令部はゾルゲ事件生存者に関心をむけ、その態度はしだいに保護から看視にかわった。一九四九年二月、アメリカ陸軍省は「極東における国際スパイ事件」なる極東軍司令部の報告書(ウィロービー報告)を発表し、「これは米国内のスパイ活動に注意せよと警告することを目的としたもので、共産主義に同情を示すアメリカ人を警告するよう」語ったが、その中にアグネス・スメドレーとギュンター・シュタインの名が挙げられたことから、社会的な物議をかもした。発表の一〇日あまり後、ロイヤル長官は、事件発表は一部広報部員の手違いであったと発表し、前年にできたゾルゲ事件真相究明会は閉鎖され、スメドレーにスパイの罪を負わすことは不正であり誤りであることが言明された。これにたいして、アメリカ下院の非米活動調査委員会は五一年五月、日本からの報告書に責任ある総司令部情報部長ウィロービー少将に喚問状を送り、また吉河光貞特審局長も非米活動委員会に出席してウィロービーとともに詳細な証言をおこなった。なお、アメリカ陸軍省のゾルゲ事件発表に関してアメリカの一新聞社説は次のように論じた――「帝国主義の日本政府が暴力とサギと惨虐によって大東亜共栄圏なるものをつくり上げようとしていた時に、この政府をスパイしようとする志願者が多数現われたとしてもそうふしぎがるにはおよばない。かかる帝国主義の方向をたどりつつあった日本を神聖化しようとすることは、その結果がすでに証明しているように、日本にとっても悪いことである。スパイ活動の対象となった当時の日本政府のため涙を流すなど全く無益なことである」(ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン、一九四九・二・一二)。
一九六四年九月には、ソ連の代表的な諸新聞が、「共産主義者にして諜報員、英雄であった同志リヒアルト・ゾルゲ」をしきりに紹介しはじめた。それはいわゆる「中ソ論争」の盛んだったさなかであり、スターリンの個人崇拝批判の強調と関連していた。九月下旬にはフランスの映画監督イブ・シャンピの映画「ゾルゲ博士、あなたは誰か?」(日本名では「真珠湾前夜」)がモスクワではなばなしく封切られた。一一月六日、ソ連最高会議幹部会はゾルゲに「ソ連邦英雄」の称号を授与する布告を発表した。六五年一月には、ゾルゲに協力した三人にソ連邦勲章が授与され、ドイツ民主共和国に在住するマックス・クラウゼンには「赤い旗」勲章、アンナ・クラウゼンには「赤い星」勲章、ユーゴスラヴィヤ人ヴケリッチには「第一級愛国戦争」勲章が与えられた。またアンナ・クラウゼンにはドイツ民主婦人同盟名誉章が授与された。
終りに、この事件の資料編集にあたった小尾俊人は次のように書いている――時が移り「冷い戦争」が過去の悪夢として歴史の額縁にはまったときにこそ、ゾルゲ・グループは、いかなる社会的立場からも偏見もて見らるることなく、ただその心情的主体的動機と、行動のヒロイズムと、悲劇的終末とが大きく映し出されるようになるかも知れない。それは、人類史の記憶すべき一時代のシンボルとして、人びとの心を永遠にかき立てることとなるかも知れない、と。ゾルゲ事件についてはいまだに不明な点が多い。
(関係資料として主なものに、みすず書房刊「現代史資料」の「ゾルゲ事件」(一−三)、一九六二年刊三冊、同附録「現代史資料月報」(一−三)があり、詳細な「関係文献目録」が同書第三冊に載っている。またその後、右目録の作成者尾崎秀樹の「ゾルゲ事件」、一九六三年刊、および「尾崎秀実のえらんだ道」、文芸春秋、一九六五年二月号、がある。また外国における評価の例として、Dr. Franz Krahl, Aus dem Schatten getreten. Neues Deutschland, 18. Okt. 1964.) 
 
言論統制と文化運動

 

第一章 言論・出版・学問研究にたいする弾圧 
第一節 情報局と文化統制法規 
戦時下における言論・出版・文化の統制と抑圧の中央機関でありマスコミ政策の決定機構であったのは情報局(一九四〇年発足、その前身は内閣情報委員会から発展した内閣情報部)である。
一九三六年七月、二・二六事件による戒厳令下に、最初の国家的中央情報機関たる内閣情報委員会が設立された。同委員会は、情報に関する重要事務の「連絡調整」を具体的任務とするものであったが、従来のような内務省による出版警察権や逓信省による通信警察権を通じてのいわば消極的な公安保持に止まらず、より積極的な統制をねらいとしていた。それは形式としては、内閣書記官長を委員長とし、内務省警保局長・陸軍省軍務局長(新聞班の直属上部機関)・海軍省軍事普及部委員長をふくむ七人の常任委員と、各省次官級の委員で構成される委員会であるが、それにはまた、三名の軍人をふくむ一〇名の常勤事務官が配属されて実務を担当していた。日中戦争勃発後、三七年九月にこの内閣情報委員会は改組し強化されて内閣情報部となった。その職務も、[官制」化され、従来の「連絡調整」のほか、「各庁に属せざる情報蒐集、報道及啓発宣伝の実施」が加わった。内部組織においても情報部長(勅任官)以下の事務局(専任職員二三名)の比重が高まり、新たに情報官が設けられて活動の中心となった。そして一二名の常勤情報官のうち五名は軍人によって占められ、軍部の指導力の増大を示していた。三九年の官制改正では、さらに「国民精神総動員に関する一般事項」が職務に加えられるとともに職員数も約二倍に増加した。
第二次近衛内閣は内閣情報部を一段と整備強化して、四〇年一二月に情報局を正式に発足させた。この機構改革にあたって、はじめは、「総力戦態勢を整備する」ため「挙国的世論の形成を図る」目的で、従来の外務省および陸軍省の情報部・海軍省軍事普及部・内務省警保局図書課・逓信省電務局無線課の事務をすべて新情報局に統合する方針であったが、この一元化」は失敗に終わり、軍関係は大本営報道部として残り、内務省も新聞紙法・出版法にもとづく取締りおよび処分権はついにゆずらず、総動員法第二〇条による取締り権(その発動が新聞紙等掲載制限令)も情報局と内務省警保局とのあいだに兼官制度をおくことですまされた。それにしても、新しくスタートした情報局は左のような広範な職務を担当し(官制第一条)、総裁以下一官房五部一七課に計一六〇余名の職員を擁する統制機関となった。
1 国策遂行の基礎たる事項に関する情報蒐集、報道および啓発宣伝
2 新聞紙その他の出版物に関する国家総動員法第二〇条に規定する処分(掲載の制限または禁止)
3 無線電話による放送事項に関する指導取締
4 映画・蓄音機レコード・演劇・演芸の国策遂行の基礎たる事項に関する啓発宣伝上必要なる指導および取締
情報局の最も重要な部局は、新聞雑誌の用紙統制の実権を握り、報道一般に関する指導と取締りを担当する第二部、そのなかでも第一課と第二課であり、それは現役軍人によって完全に掌握されていた(第二部には、鈴木中佐ら二名の軍人をふくむ七名、兼任をいれれば一六名の専任情報官が配置された)。情報局の職員配置および系統は第2図の通りであった(この図表をふくめ、本節は、香内三郎「情報局の機構とその変容」、文学、一九六一年五月号、および内山芳美・香内三郎「日本ファシズム形成期のマス・メディヤ統制」、思想、一九六一年七月号によるところが大きい)。一九四三年三月の「行政簡素化」のための改正で、情報局の第四部と第五部は合体して四部制となり、新たに「基本事項の企画審議および大本営との連絡」を担当する官房審議室が新設され、翌年それは増員された。四四年一月の改正では、戦時資料室(国内動向と敵国動向の調査)が設けられ、専任情報官二九名が三八名に、専任属四一名が五一名に大幅増員され、四五年四月の改正(五月実施)によって、永年懸案の、陸軍省報道部・海軍省軍務局第四課・外務省および大東亜省の対外宣伝の仕事が情報局に移された。(情報局職員配置および系統図)
情報局の下部組織として半民間的な日本新聞会や日本出版会(その前身日本出版文化協会)があり、また外郭団体として大政翼賛会文化部・大日本言論報国会・日本編集者協会・出版報国団・文学報国会など各文化部門の多数の組織を擁していた(情報局官制の廃止は一九四五年一二月)。
統制法規については、日中戦争勃発までは伝統的な出版法(一八九三年公布、一九三四年改正)と新聞紙法(一九〇九年公布)による納本・届出義務と「安寧秩序」に関する発売頒布禁止・差押の規定が主たるものであり、二・二六事件の厳戒令下に公布された不穏文書臨時取締法(三六年六月公布)によって、「治安を妨害すべき事項を掲載したる文書図画」の発行責任者明記と納本義務違反を処罰することになったていどであった(この法律の政府原案は右の文書を出版した者に実刑を課すものであったが、議会の猛反対に会って結局骨抜きになった)が、実際には大幅な拡張解釈がおこなわれた。
国家総動員法の公布(一九三八年四月)は言論統制の上でも画期的な意味をもつものであった。同法は「総動員業務」を入れ、勅令によって新聞紙その他の出版物の掲載を制限禁止する権限を政府に与えること(第二〇条)とした。同条は、新聞紙法および出版法の特別規定として、従来の「軍事・外交」のみでなく,「一般治安」や「財政金融」に関しても、事前に言論統制しうるものとした。軍事上の秘密については、同じ頃、軍機保護法の改正(三七年八月)と軍用資源秘密保護法の公布(三九年三月)がおこなわれた。
一九四〇年二月、議会における衆議院議員斎藤隆夫の質問演説中に軍を侮辱した点があったとして攻撃を受け、三月に議員を除名されるにいたったことは、明治憲法に保証されている議場内での言論の自由すら奪われたことを示していた。
四一年に入ると、新聞・出版関係においては、先の国家総動員法第二〇条にもとづいて勅令で新聞紙等掲載制限令(一月)が公布された。同令は、総動員業務に関する官庁の機密や、軍機保護法・軍用資源秘密保護法の規定による軍事上の秘密を掲載することを禁止し、また外交に関し重大な支障を生ずるおそれある事項・外国にたいし秘匿することを要する事項・財政経済政策その他国策の遂行に重大な支障を生ずるおそれある事項などを掲載制限または禁止する権限を首相に与えた。つづいて国家総動員法が改正され、これにもとづいて、記事のみでなく事業全体の動員を可能にする新聞事業令(四一年一二月公布)が施行され、さらに一年あまりおくれて出版事業令(四三年二月公布)ができた。またこれらの全面的な背景として、治安維持法の改正(前出)、国防保安法(四一年三月)、言論出版集会結社等臨時取締法(四一年一二月)、戦時刑事特別法(四二年二月)等がつぎつぎと整備されていった。一二・八開戦直後の臨時議会で制定された「言論集会結社等臨時取締法」は、言論も結社も集会もすべて許可制にし、新聞紙法による出版物の発行も許可事項とされた。そして出版物の発売・頒布が禁止された場合は、同一人または同一社発行の他の出版物の発行停止もできるという乱暴な規定がつくられた。そして、うっかり敗戦の事実や戦局の見通しをしゃべると「時局に関し造言飛語をなしたる者」として二年以下の罰金に処せられたり(第一七条)「時局に関し人心を惑乱すべき事項を流布したる者」として一年以下の懲役もしくは禁錮または一○○○円以下の罰金に処せられる(第一八条)のである。 
第二節 出版・雑誌統制 

 

書籍・雑誌その他の出版にたいする統制は、(1)検閲当局の編集者との「懇談」・協力の要請からはじまり、編集方針への指示、編集内容への警告、事前検閲、官製原稿の掲載や特定テーマの採択強要、掲載差し止、執筆禁止、発行許可制、編集陣への容喙、編集者から執筆者の検挙にまでおよんだ編集過程への干渉、(2)発行されたものの検閲、記事削除、発売禁止、編集者・執筆者の起訴、さらに(3)用紙割当権を握ることによっての物的条件からの圧迫、そしてついには、(4)戦時企業整備の名による出版社そのものの統合整理・解体、雑誌の改廃・統合、直接政治力の発動による出版社の廃業強要、など各種の方面から狡猾かつ強力に実施され、言論の弾圧から圧殺にまで進んでいった。そしてその全過程を通じて、情報局は「思想戦の参謀本部」として、出版文化協会(のちの日本出版会)は「現地軍の司令部」(いずれも奥村情報局次長のことば)として働いたのである。
編集への干渉
一九三七年七月、警視庁は「時局に関する記事取扱方に関する件」として新聞雑誌等に通牒を発し「反戦または反軍的言説をなしあるいは軍民離間を招来せしむるがごとき事項」の掲載を禁止し、つづいて内務省警保局は警視庁特高部長および各府県警察部長あてに「時局に関する出版物取締に関する件」を通達したが、その中には特に取締りを要するものとして「北支事変に関する一般安寧禁止標準」(一一項目)が規定されていた(その内容については新聞統制の項参照)。一〇月には出版関係五四社と検閲当局の「出版懇話会」が発足し、これが戦時下出版統制の強化される端緒となった。同会は内務省図書課長を名誉理事長に推戴し、毎月一回内務省で懇談をおこなったが、そこでは毎回内務省警保局図書課から具体的な「内示」があり、検閲の際発売禁止にふれる恐れのある事項がそのつど提示・説明された。他方、軍報道部は四大総合雑誌の編集者を集めて、「四社会」(のち「六社会」)をつくり、懇談の形式で軍の方針の説明や情報の交換をおこなうようになった。同年一一月には「世界文化」グループ、一二月には「労農派グループ」、翌年二月には「教授グループ」の検挙がおこなわれ、「人民戦線」事件の直後には内務省から各雑誌社にたいして、被検挙者の原稿は内容の如何を問わず雑誌その他への掲載を禁止するむねの通牒が出され、「中央公論」一二月号に掲載された大森義太郎の映画批評などが削除を受けた。またこれを機会に、問題になった筆者の著書は、新刊と再刊を問わず、今後原則的に発行を許さぬこととし、都下の約三〇の代表的出版社の編集関係者を集めた「出版懇話会」の席上、主催者の警保局図書課は〃具体的に〃岡邦雄・戸坂潤・林要・宮本百合子・中野重治・鈴木安蔵・堀真琴の七名をあげて、雑誌への原稿掲載を見合わせるよう内示した。他方、「出版懇話会」を通じて出版業者に時局教育をおこない、発行前の著書の出版相談すなわち内検閲の制度を開くこととした。三八年八月、内務省図書課は子供雑誌の浄化が不十分であるとして雑誌社代表に厳重警告を発し、九月には、総合・婦人・大衆娯楽雑誌社代表約三〇名を招いて検閲当局の根本方針を指示し、同じく一〇月には少年少女・幼年雑誌三〇余社の代表に、(1)国体の本義に則り敬神・忠孝の精神昂揚に努める、(2)奉仕・勇気・親切・質素・謙譲・愛情の美風を強調、(3)指導を子供の実際生活に即しておこなう、(4)艱難困苦に堪える美風を涵養、(5)新東亜建設のため日満支提携融合をとくに強調する、など、具体的な方針を指示した。
三九年四月、文部省は各校から申請中の教科書のうち二四種を却下することに決定したが、その中には、ゴールズワージー・ビアーズ・ハーディ・クライスト等が含まれていた。同五月には、警視庁検閲課が、たとえ事変前に検閲をへて合法的に出版されたものでも、現下の国情と相いれぬものは今後適当に処分する方針を決定した。一一月、文部省は、小学校の国史教科書について、(1)皇室中心の記述態度を一そう徹底して国体明徴の完全をはかること、(2)敬神崇祖の教材を増補すること、(3)日本文化の自主性と抱擁性を強調し外国文化への追随的傾向を訂正する、(4)英雄偉人の伝記・逸話を興味本位や枝葉末節主義に基いて取扱うのをやめ全体の動向を把握させる、などの点に修正改訂を加えることに決定した。四〇年からは小学校が国民学校と改称されるにともなって教科書は一新されることとなり、その編集方針もきめられた。なお同年一月には図書館協会が、早大教授津田左右吉著「支那思想と日本」の推薦を取り消した。
四〇年八月、内閣情報部の情報局への昇格がきまるとともに、内務省警保局図書課の事務は大部分情報局に移管されることになった。情報局は、さらに「出版事業新体制」確立のため東京出版協会と日本雑誌協会を解散させ、さらに両協会のほか中等教科書協会・青年学校教科書協会・全国書籍商組合・「家の光」(産組)や「青年」(大日本青年団)などを含む公益団体雑誌協会の六団体を統合して社団法人「日本出版文化協会」を結成し、これを出版界再編成の中心とすることになった。会長その他の役員は官選、機関決定事項は主務官庁の認可なしには効力を発生しないのであり、事実上情報局の下請機関にほかならなかった。一二月に創立された同協会の目的は、「日本文化建設並に国防国家確立に関する出版文化事業の使命を遂行し、斯業の適応なる運営を図り、以て出版報国の実を挙ぐること」とされ、業務・文化の二局をおき、業務局は事業統制・用紙配給・書籍配給など六課を設けた。同協会は出版企画の事前審査をするため企画届制をとったが、これは用紙の割当制と結合して事実上、出版の全面的な許可制を意図するものであった。同じ一二月に、総動員審議会は新聞紙等の掲載制限に関する勅令要綱等を決定し、言論出版の統制は一そう強化されることになった。従来の掲載禁止処分は専ら新聞紙法第二三条および出版法第一九条によって内務大臣がおこなってきたが、情報局の成立を機会に、総動員法第二〇条を発動して掲載禁止・制限の範囲を明確にすることになったのである。
一九四一年二月には、情報局は水野広徳・馬場恒吾・清沢冽をふくむ総合雑誌の「執筆禁止リスト」を内示し、「中央公論」二月号の座談会における発言を理由に馬場恒吾は以後執筆の自由を奪われ、つづいて三月には、非協力とみられた出版者にたいしては購読者カードの提出を通達し、五月には総合雑誌にたいし、来月から毎月一〇日までに編集プランと予定執筆者リストの事前提出を通達した。六月には雑誌と書籍の全編集者を包括する統一組織として「日本編集者協会」が設立された(一二月発足)。会員は二〇〇名を越え、内部対立をもちながらも編集者の戦争協力団体としての性格を明確にしていった。一〇月、情報局は経済雑誌編集長懇談会において、(1)国防国家の経済体制を作るのだという新しい経済理念を確立して書くこと、(2)東亜共栄圏はできるとの信念の下に書くこと、(3)政府にまかせるという気持を国民に持たせること、(4)日本の食糧問題について不安を与えぬこと、などの指示をおこなった。一一月には、各雑誌の毎月の発売日が情報局によって勝手に決定された。四一年一二月、「太平洋戦争開始の日に全国的に検挙がおこなわれて宮本百合子をはじめ多くの執筆陣が逮捕され、その翌日に情報局二課は各雑誌社代表を非常召集して「記事差止事項」を指示し、一般世論の指導方針として、「まことにやむをえず起ち上った戦争であることを強調すること」などを発表した。同じ月内に、「言論出版集会結社等臨時取締法」(前述)が議会を通過し、施行された。
四二年一月に警視庁特高第二課長は、高倉テル・今中次麿・横田喜三郎・田中耕太郎などをふくむ二〇余名の執筆さし止めを総合雑誌に伝え、これ以後総合雑誌の常連執筆者は誌上から姿を消し顔ぶれは一新した。同年秋の細川嘉六論文をきっかけにして、「改造」編集部は全員更迭、編集方針は一八〇度転換をよぎなくされた。
四二年春、日本出版文化協会が「事前審査に対する態度」として出版業者に通知したものの要点は左の通りであった。
助成するもの――(1)時局下、特に政治性の豊かなもの。(2)すなわち国民の資質を健全強靭明朗ならしめるもの。(3)各出版部門別に見て水準以上の価値を持つと認められるもの。
抑制するもの――(1)イデオロギーの誤れるもの。(2)有閑低徊趣味。(3)俗悪便乗主義。(4)類書関係から見て特殊性なきもの。(5)初版古きため今日の情勢に適応せざるもの。
抑制の方法――(1)不承認。(イ)訂正すれば改めて審査可能のもの(ロ)発禁あるいはこれに類するものは出版中止の勧奨。(2)部数制限
四三年に入ると、英米語の雑誌名が禁止となり、二月から「サンデー毎日」は「週刊毎日」に、「エコノミスト」は「経済毎日」に「ユーモアクラブ」は「明朗」に、そして翌月「キング」は「富士」と改題された。
四三年三月には、「大日本言論報国会」が徳富蘇峰を会長として創立され、つづいて「日本出版文化協会」が転化した「日本出版会」の創立総会がおこなわれたが、これは国家総動員法にもとづく出版事業令による統制団体であり、その主な事業として決定したのは、(1)出版企画その他出版事業の運営に関する統制指導、(2)出版事業の整備に関する指導、(3)出版物用紙その他の資材の配給機関の統制指導、等であった。出版文化協会の時代にはまだ会員出版社の自主性を尊重する建て前であったが、出版令になると出版社や編集者の自主性などは全くみられなくなった。五月には雑誌「教育」編集部が弾圧され、「中央公論」七月号はすでに刷り上がっていたのが陸軍報道部の強迫によって休刊を余儀なくされ、報道部への出入りを禁止され、編集部を更迭せざるをえなくなった。七月「大日本出版報国団」結成、九月には日本出版会がすべての出版書籍にたいして審査制をとり、従来六%ていどであった不承認件数を三〇%に引き上げ、今後出版の企画届出に原稿またはゲラ刷の事前提出を強化し、同時に良書でも不急とみなせば不承認とする方針を決定した。
先の「改造」に掲載された細川論文と結びつけて特高の手で捏造されたいわゆる「横浜事件」によって、四三年五月から雑誌編集者の逮捕がはじまっていたが、四四年一月には、改造社(七名)、中央公論社(八名)、日本評論社(五名)、岩波書店(二名)などの編集者多数が検挙された(人数は、それ以前および以後の検挙者をふくむ)。この事件は五月に入るといっそう拡大し、中央公論社へは神奈川県特高課主任以下数名の特高係が二回にわたって編集室に押し入り無断で重要書類を運び去り、暴言をもって威嚇し、そのあと社長以下幹部たちは警察に召喚されて三日から五日にわたって拷問に等しい取調べを受けた。検挙された人たちは野蛮極まる拷問をうけ、四名が獄死し、二名は釈放後まもなく病死した。つづいて七月には情報局第二部長は中央公論社と改造社の代表を招致し、「営業方針において戦時下国民の思想指導上許し難い事実がある」として「自発的廃業」を申し渡した。一方、一月から各雑誌の表紙に「撃ちてし止まむ」と刷りこむことを命ぜられ、三月に日本出版会は企画審査方針を強化し、従来の発行承認・不承認のほか発行一時停止の取扱いをおこなうこととした。五月には日本出版会に「企画編集者資格選衡委員会」が設置され、新聞記者の登録制に対応して「編集者の公的性格を明らかにするため」、編集者資格ができ、敗戦までに二二〇〇名余が承認登録された。内務省警保局は、新聞紙法にもとづく新聞雑誌のこの一年間を通じての創刊、廃刊数は、創刊三六四種、廃刊一三七八種(前年度は創刊二二三種、廃刊八〇九種)と発表した。
一九四五年六月、「出版非常措置要綱」が公布されたが、これによって用紙割当制の徹底的改革とともに、「現行の査定手続はこれを中止し、会員をして毎期企画予定表を提出せしめ」、「指導調査をおこないたる上、発行承認」されることになった。 (和泉あき編「年表・戦争下の文化・文学関係統制とその反応」文学、一九五八年四月号。小田切進編「昭和一〇年代の文学・芸術年表」、文学、一九六一年五月号。布川角左衛門「戦時の出版統制」文学、同上号。日本ジャーナリスト連盟編「言論弾圧史」。黒田秀俊「血ぬられた言論」。美作太郎・藤田親昌・渡辺潔「言論の敗北」。「中央公論社七十年史」。「岩波書店五十年」。などによる)。  
検閲・削除・発禁

 

従来から「革命」とか「共産党」「天皇制」などの字句は検閲によって伏字(××印)にされる慣行になっていたが、一九三六年九月の全国特高課長会議において伏字の逆効果が論議され、伏字一掃の方針が決定された。すなわち、今後は伏字になるような字句を使用する文章自体が許されなくなり、そのような場合には〃該当ページあるいは論文全体の削除か〃単行本あるいは雑誌自体の発禁(発売禁止)の処分を受けることとなったのである。発禁は安寧禁止と風俗禁止に分かれており、出版法および新聞紙法による発禁処分の検閲には一般的標準と特殊的標準があった。前者は記事そのものについての標準であり、後者は出版の目的や頒布先等の条件をいうものであった。また、発禁という言葉には、文字通り発売頒布を禁ずるということのほかに、出版物の掲載記事にたいして何らかの行政処分がとられる場合も含めて使われることがある。後者の場合としては、取締当局の規定では、新聞記事の掲載差止(後述)のほか、削除処分・注意処分・分割還付などの処置に分類されていた。削除処分は不良個所を削除して発行を許可するもの、注意処分は地方庁を通じて発行者を厳重戒飭するもの、分割還付とは不良個所を切除して禁止差押の処分を解き還付するという処置であった。
三七年九月号の「中央公論」は、矢内原忠雄の巻頭論文「国家の理想」が国情を無視する不穏思想(キリスト教的反戦人道主義)であるとの理由その他で削除処分を受け、同じく「改造」の大森義太郎「飢ゆる日本」が禁止、「中央公論」の大森義太郎「映画時評」も削除されたことは前にも述べた。翌年一月から二月にかけて、矢内原忠雄の講演パンフレット「民族と国家」および「民族と平和」が安寧秩序をみだすという理由で発禁処分となり、大内兵衛「財政学大綱」は著者起訴の理由で休刊を命ぜられた。この一月にはまた、雑誌「唯物論研究」が「学芸」と改題して新発足することを余儀なくされ、まもなく発禁、廃刊され、文芸雑誌「人民文庫」は連続発禁処分を受けたため廃刊となった。
三八年二月に岩波書店は「岩波文庫」の白帯物(社会科学部門)、とくにマルクス主義のものを「自発的に」絶版にせよとの命令を受けた。そのうち、「今後の増刷を見合わせる分」としては、マルクスの「猶太人問題を論ず」「資本論初版抄」「賃銀・価格および利潤」「賃労働と資本」「哲学の貧困」、エンゲルスの「住宅問題」「自然辯証法」「反デューリング論」「原始基督教」、両者共著の「フォイエルバツハ論」「芸術論」「ドイッチェ・イデオロギー」、レーニンの「唯物論と経験批判論」「ロシアに於ける資本主義の発展」、カウツキーの「基督教の成立」「資本論解説」、ルイゼ・カウツキーの「ローザ・ルクセンブルグの手紙」、ローザ・ルクセンブルグの「経済学入門」「資本蓄積論」、リヤザノフの「マルクス・エンゲルス伝」等があり、また刷本があっても増製本を見合わせる分としては、マルクスの「フランスに於ける内乱」、エンゲルスの「家族・私有財産及び国家の起源」「空想より科学へ」、レーニンの「帝国主義」「何を為すべきか」「カール・マルクス」「ゴオリキーヘの手紙」等があった。この時はまだ発売禁止処分ではなかったが、四〇年九月には発禁を命ぜられ、紙型も押収されて正式に処分を執行された。なお文学ものについては、前年秋にジイドの「ソヴエト旅行記」が削除を、三八年二月には田山花袋の「蒲団・一兵卒」が軍人侮辱の理由で、つづいて「アミエルの日記(六)」が「日本のミカドの勅書」の字句で次版から削除を命ぜられた。同二月号の婦人公論にのった川上幸子「遺児を抱いて飢餓と貞操の嵐に立つ私」も禁止となった。三月には天野貞祐の著書「道理の感覚」が、軍事教練にたいする批判の点について憲兵隊からの干渉があり、絶版処置がとられた。八月には、「中央公論」三月号掲載の石川達三の小説「生きてゐる兵隊」は「虚構の事実をあたかも事実のごとく空想して執筆したのは安寧秩序をみだすもの」との理由で発禁となった上、新聞紙法違反として作者・発行人・編集人・印刷人が起訴され、作者と編集人は禁錮四ヵ月(執行猶予四年)、発行人と印刷人は罰金の判決をうけた。
三八年一〇月、河合栄治郎の著書、「社会政策原理」、「ファシズム批判」、「時局と自由主義」、「第二学生生活」の四著が「安寧秩序をみだすもの」として発売禁止処分となり、河合は四著者の発行人である日本評論社鈴木利貞とともに、翌年二月、出版法第二七条の安寧秩序びん乱の条項に該当するものとして起訴に決定した。三九年四月には、武者小路実篤の著作「その妹」が廃兵の問題で一部削除を命ぜられた。さらに芥川竜之介の「侏儒の言葉」が軍人侮辱のかどで次版改訂、徳富蘆花の「自然と人生」も「国家と個人」の篇が削除、フロベールの「ボヴァリー夫人」が削除および次版改訂となった。
四〇年一月に津田左右吉の著書の件で岩波書店主岩波茂雄は検事局に呼び出されて尋問され、二月には津田の著書「古事記及日本書紀の研究」「神代史の研究」「日本上代史研究」「上代日本の社会及び思想」の四著が発禁処分をうけ、つづいて三月に津田と岩波とは出版法第二〇条に該当するものとして正式に起訴に決定した。この事件は四一年に二一回の公判があり、四二年五月に津田禁錮三ヵ月、岩波禁錮二ヵ月、いずれも執行猶予二年間の第一審判決があり四四年一一月の控訴審は時効により免訴となった。
四〇年七月には、内務省は左翼関係出版物をすべて一掃する方針をきめ、三〇余社の出版物一三〇余種を発禁処分に附し、同時に出版元および新古書店を一斉検索し、発禁書の押収をおこなった。四一年三月には右の大禁止処分にもれたものを追加処分し、たとえば岩波文庫では、ローザ・ルクセンブルグの「資本蓄積再論」、ソレルの「暴力論」、が発禁処分となった。文芸作品についても発禁処分が続出し、丹羽文雄「中年」、徳田秋声「西の旅」、里見ク「愛と智と」、織田作之助「青春の逆説」、林芙美子「初旅」、長田幹彦「悲しき結婚」等が相ついで「風俗壊乱」に問われ、また「モーパッサン選集」が時局下有害無用とみなされて続刊中止を勧告された(九月発禁)。横光利一「婦徳」、徳田秋声「一基の花」は巻末に禁止本の広告を記載した理由で発禁となった。都新聞に連載中の徳田秋声「縮図」も九月に禁止となって中断された。「中央公論」三月号の巻頭論文の予定であった高木八尺の「アメリカ極東政策史」は親米的態度の理由で撤回を命ぜられ、同五月号の前商工大臣小林一三の随筆「大臣落第記」は、不謹慎極まる文章として全文削除を受けた。
四二年三月には、日本評論社発行の三木清編「現代哲学辞典」や河合栄治郎「学生と哲学」等にたいして情報局は絶版を「勧告」した。雑誌「改造」八・九月号連載の細川嘉六「世界史の動向と日本」は情報局長によって激しく論難され、雑誌は発禁処分を受け、筆者は検挙された(これがキッカケでデッチあげられたいわゆる横浜事件については前出)。一一月には「改造」に掲載された丹羽文雄の「報道班員の手記」が発禁、四三年一月の「東大陸」にのった中野正剛の「天下一人を以て興る」も禁止。同三月には「中央公論」に連載中の谷崎潤一郎「細雪」が「時局の重大性を弁えざるもので、国民の士気を沮喪せしめる」との理由で以後連載禁止(これ以後谷崎は敗戦まで作品発表断念)、また同誌六月号掲載の岸田国士の戯曲「かへらじと」にたいして陸軍が硬化、公文書で「軍人精神を攪乱し、軍の士気に影響を与えるところ甚大」として厳重抗議しついに全文削除となり、同誌編集部の陸軍報道部への出入りが禁止された。「中央公論」七月号は発禁を予想して休刊した。「婦人公論」一〇月号において、戦争未亡人の問題を扱い、再婚できる事情にあるものは再婚するのがよいと述べた商大教授金子鷹之助の文章は、すでに検閲も無事通過したものであるにかかわらず、出征兵士の志気をくじき靖国の英霊を辱かしめるものとして陸軍の怒りを買い、編集部は責任を追及されて情報局に始末書を提出し、謝罪文を掲載させられ、またそれを理由に用紙割当を削除された。四四年に入ると雑誌「教育」が廃刊を要請され、「改造」は六月号、「中央公論」は七月号が印刷を完了したところを公刊がさしとめられ、以後強制廃刊となった。
内務省警保局長の署名となっている発売禁止通達書によって、一九四三年中に、「安寧秩序維持」に触れるものとされて処分された単行本のリストを抜萃すれば以下の通りである。一月、黒岩一郎「野戦風呂」(皇軍の威信を害うおそれあり次版改訂)、尾崎慎治「駐軍戦記」(戦死者の火葬場面の描写および統帥部の命令を論議する記述は不穏当につき次版改訂)、高須芳次郎「物語大日本史・本紀、列伝」(皇室の尊厳を害うごとき記事本版改訂)、安岡正篤「世界の旅」(ヒトラーとムッソリーニの感情の衝突を表示し、英国側の宣伝文句を引用せる点不穏当につき次版改訂)、「ベルツの日記・第二部上」(大阪の第四師団を劣悪なる札付となすは軍を冒涜し威信を失墜せしむるおそれあり、ロシヤの旅順占有記事は対独国交上支障あり、また韓国併合は日本が軍事上の目的によってなしたと記すは安寧上不良、次版改訂)。二月、伊藤猷典「鮮満の興亜教育」(朝鮮民族独立云々の記事は朝鮮統冶上有害と認められ、また満州国は行政面のみ独立性を有すとなす記事は日満国交上不良)、保利清「義肢に血の通うまで」(負傷状態を記述せるも厭戦思想醸成のおそれあり次版改訂)、「戦争製造者を語る・ル大統領とチャーチル」(「汪政権が参戦するも戦に大影響するとも思われず」となすは汪政権の軍事力を過少評価し対重慶関係に悪影響あり)、三島助治「悲憤十年」(昭和五、六年頃の行動者の激情を煽情的筆致をもって紹介しまた非合法的方法に非ざれば憂国の誠心は達せられずとなしまた司法権の神聖を冒涜するがごとき記述あるにより)、南方熊楠「南方随筆」(エタの南北朝の字句、次版改訂)」「軍神加藤少将正伝」(ハワイ空襲に関する開戦前の準備行動を記せるも程度軽微につき次版改訂)。三月、友枝宗達「戦う独逸」(日独伊三国同盟は利害関係により成立せりとなすは国交上支障あり次版改訂)、井上克己「百姓道場」(過去の農村の窮乏を露骨に記し内容悲惨にして時局下不適当)、室戸漁業協組「高知県室戸町の漁業」(わが漁船の季節別哨戒地点を推知せしむるおそれあるにより)、白鳥省吾「満支戦・詩と随筆」(わが国策を誹謗しいたずらに抗日を叫ぶ支那人の詩を紹介しあるにより)。四月、吉田絃二郎「孤島」内田百間「王様の背中」(反戦的反社会的記述多く小国民向図書としては支障あり、本版改訂)、栗井家男「兵隊物語」(兵士の応召前の生活を描けるも筆致如実にしてかえって悪影響を及ぼすおそれあり次版改訂)。五月、山口清人「もし東京が爆撃されたら」(必勝態勢を阻害するやのおそれある記述および対ソ外交上支障ある記述、次版改訂)。六月、野口米次郎「伝統について」、(民主主義を日本に適用せんとする記述、次版改訂)、根本円通「今すぐ役に立つ幸運姓名の付け方」(両陛下の御称号を姓名学的に解釈し天皇陛下大正天皇の御いみなを使用することにより凶運に見舞わる等の記事を掲げ不謹慎極まるもの)、橘孝三郎「大東亜戦の本質」(わが政治不信および大東亜戦の前途に対する悲観論、次版改訂)、津久井竜雄「日支国交史論」(日支事変は日本の帝国主義的侵略なりとなす記述)。七月、西村貞次「万葉集伝説歌謡の研究」(天智天皇の妻争いに言及せるは不敬、南北朝の字句、次版改訂)、馬場秀夫「ソ連の底力」(工業社会主義化の成功を賞揚的筆致にて記述、次版改訂)。八月、林信一「我々傷つくとも」(傷痍軍人の暗い気持を描写、次版改訂)。九月、アーネスト・サトー「幕末維新回想記」(当時の英国外交が明治維新の大業成就に特に寄与せるがごとき筆致あるにつき)。
(前掲のほか、福岡井吉「発禁昭和小史」、出版ニュース、一九六一年三月上旬号。小田切秀雄「発禁通達書、最もけがれた歴史資料」、日本読書新聞、一九五七年一二月二日号。などによる)
用紙統制・企業整理

 

戦争が進むにつれて物資の不足から用紙の節約・使用制限が次第に強化されたが、紙をはじめとする出版資材の統制は同時に物の面からの出版界統制の手段として最大限に利用された。政府当局は、「用紙の統制は必ずしも公平たるを要しない。公平とはデモクラシーである。断じて公平たるを要しない」と広言していた。まず一九三七年一一月、商工省は東京出版協会の幹部を招き、業界全体の問題として用紙の節約を要望し対策を求めたのにたいし、同協会と日本雑誌協会は用紙節約に対する答申書を商工大臣に提出した。年末には、金使用規則が公布され、装幀のための金箔使用が禁止され、翌年からは印刷製本機械や断截庖丁が製造禁止ないし制限となり、やがて針金・糸・洋紙等の主要製本資材の統制に進んでいった。
用紙については三八年七月、企画院が消費制限案を決定し翌月からこれを法的に強制することになった。これによると、雑誌については三七年九月以降の使用量実績にたいし一率二〇%の節約を実施するのであり、月使用量一万ポンド以上の雑誌社に適用されるものであったが、これに該当する雑誌社は六七社、うち主な九社の使用量は雑誌用紙総消費量の約七六%を占めていた。八月に商工省から公布された新聞雑誌の用紙制限令は先に公布された輸入品等に関する臨時措置にもとづくものであり、翌九月商工省は日本雑誌協会および日本公益雑誌協会にたいして用紙使用高の削減を命ずる通牒を発した。三九年七月には商工次官通牒として「雑誌用紙の使用制限率強化に関する件」が発せられたが、これは三七年七月からの一年間に一二万ポンド以上を使用した雑誌について、使用量の多いものほど節約率を高くし、二一%から二五%までの五段階に分けて実施するものであったが、翌八月の商工省令でさらに二〇%から二五%の供給制限をおこなうことになった。これは事変前にくらべて四〇%から四五%の削減である。
四〇年五月の閣議で新たに「新聞雑誌用紙統制委員会」の設置がきまり、用紙の使用制限がいっそう強化されるとともに、これまで企画院と商工省が中心となっていた用紙の統制業務はすべて新委員会の事務を管掌する内閣情報部に移されることになった。これによって用紙の割当制度は言論統制として出版統制と統一されるに至ったのである。一一月に用紙規格規則が、一二月には用紙配給統制規則が公布された。
内閣情報部の出版界統合再編成プランが進行し、「用紙割当の合理化」を一つの主要任務とする「日本出版文化協会」が発足したのは四〇年一二月であり、「新聞雑誌用紙統制委員会」の承認による「出版用紙配給割当規程」によって、用紙の割当が開始されたのは四一年六月であった。割当てる用紙は、各出版業者の過去の実績を基礎にする通常割当と、それ以上を必要とする場合の特別割当(申請の大部分は否決された)とに分けられ、さらに前者は、業者が企画届を出すだけで自主的使用にできる分(基準割当)と、企画審査を経なければ使用できない分(査定割当)とに分かれており、第一回の割当(四一年七月〜九月)においては、基準割当と査定割当との割合は、書籍については八対二、雑誌については九対一とした。すなわち、ここではまだ、過去に実績ある業者にとってはそれほど大きな制約とはならなかった。ところが第二回の割当(同一〇月〜一二月)では、雑誌は据置であるが、書籍については六対四となり、第三回(四一年一月〜三月)になると逆に四対六に改め、ついに第四回の割当(同四月〜六月)では基準割当を全廃して通常割当をすべて査定割当にしてしまった。また書籍はすべて発行承認制とし、一つ一つの書籍に承認番号を与え、その番号を本の奥付に印刷しなければならないことにした。雑誌については発行承認制にはしなかったが、毎号企画届を事前に提出することを義務づけた。こうして書籍の出版はすべて許可制となり、その死命を制する用紙の割当権は、協会を通じて、情報局が実権を握る新聞雑誌用紙統制委員会に掌握されたのである。用紙の割当は、業者はその決定を受けた分の配給切符を協会から受け取ってこれを現物化する方式をとったが、用紙事情の悪化とともに割当総量も次第に制限されていった。第一回の割当(時期は同前)の場合の割当総量を一〇〇とすると、第二回は七七、第三回は七一、第四回は六五、と圧縮された。こうして、協会(後には総動員法による統制団体たる日本出版会)の査定によって、協会の役人が時局下で望ましくない出版と認定すれば用紙は与えられず、その出版は差止められ、また不急不用と認められた場合も用紙は配給されず、手持ち用紙による出版だけがかろうじて承認された。四二年三月には、さらに用紙の全面的統制がはじまり、以後用紙割当量は急角度で削減され(第40表参照。黒田秀俊「血ぬられた言論」による)、四四年の「中央公論」への割当は四一年の十分の一以下に減配されるに至った。こうして雑誌のページ数は縮小に縮小を重ね、「中央公論」のページ数は、三八年一月特大号が八三六ページ、三八年度普通号の平均が五四〇ページであったのが、用紙割当制限によって急速に減ページされ、普通号の平均ページ数では、三九年五二〇、四〇年四〇〇、四一年三〇〇、四二年二七〇、四三年一四〇、四四年一〜四月一〇四、五月からは六二〜六四ページと減少し、同じく「東洋経済新報」についてみると、四三年五月から従来の建ページ三二を一六ぺージに減じ、四五年三月からは表紙とも八ページ、六月からは四ページになってしまった。ページ数のみでなく、雑誌附録はなくなり、座談会・対談などが多くなり、表紙も変わった。なお、出版事業統制令に準拠して、文協は改組され、四三年三月に統制機関としての「日本出版会」が設立され、「印刷文化協会」は社団法人に改組された。四二年一一月から板紙の割当配給制も実施され、四三年一月から書籍の外函が廃止となり(五月から強制)、三月から物品税法改正で一〇〇〇円以上の手持用紙が課税の対象となった。また日本出版会は書籍出版企画規制を指示し、用紙の重点配給を強化した。四四年六月からは、新雑誌の購入は必ず古雑誌類と交換で販売する方法を採用し、農商省は戦時出版物規格を告示し、九月から原則としてA版・B版とも5号・6号の二種に限定され、一一月には印刷能力減退の対策として出版会は表紙色刷の制限(指定四一誌以外は一度刷)を実施した。四五年三月には用紙の現物化と確保のため一括荷受機関として「日本出版助成会社」が設立された。
四五年六月には「出版非常措置要綱」が公布されたが、これによって従来の実績による用紙の割当を停止し、国防軍事・軍需生産・食糧増産・啓発宣伝・戦時生活に必要な出版物中とくに重要なものにたいしてのみ用紙の特別割当をおこなうことになった。出版界はすでに麻痺状態であり、敗戦はもう目前に迫っていた。戦争末期における出版事情の一端を示すものとして、普通出版物(出版決および予約出版法によるもので、官庁出版物を除く)の各年次の納本数(発行点数)をみると、一九四一年―二万九二〇四、(うち単行本一万七九三六。以下同じ)、四二年―二万四二一一、(一万五二一一)、四三年―一万七八一八(一万二三六九)、四四年―五四三八(四九六五)、四五年―八七八(八七五)であった。
雑誌統合・企業整理

 

戦局が深刻化するにつれて、雑誌の統合・改廃、出版社の統合・整理が強力におし進められた。それ以前から内示・発禁などの編集権への干渉、治維法や新聞紙法による取締り、男子就業禁止令による徴用、さらに用紙の割当等を通じて「好ましからざる」雑誌や出版社への攻撃と淘汰がおこなわれていたが、四一年からは直接に雑誌の統合改廃が要請され、また四三年からは出版社そのものの統合改廃が強行されたのである。
雑誌統合の手初めは婦人雑誌であった。警視庁検閲課は、四一年七月に都下五〇余種の婦人雑誌業者を招き婦人雑誌を一〇種内外に整理統合する方針を伝え、つづいて各種雑誌に及ぶこととなり、同人雑誌約八○種にたいしては「自主的」統合をすすめて八種に統合した。結局、婦人雑誌の八〇誌を一七誌(主婦之友は八誌吸収)に、経済雑誌では一二一誌が三三誌に、教育雑誌一五四誌は二九誌に、美術雑誌の三九誌は八誌に、映画雑誌の二五誌は九誌に、現在二〇〇余種による文芸雑誌は五分の一から一〇分の一に、それぞれしぼられることになった。統合整理の方式としては、その部門の雑誌全部に一応廃刊届を出させ残す雑誌を指定して一定期間内に他の数雑誌を買収させる方式、その部門の全雑誌を廃刊させて新しい雑誌を創刊させる方式(美術雑誌の場合)、自発的に話し合いによって同種・同傾向の雑誌を統合させる方式(講談社が「雄弁」と「現代」を統合)などがあった。これらの統合の実施にあたっては日本出版文化協会が直接に推進的な役割を演じた。
雑誌の統合整理は戦争末期に至ってさらに急テンポに進んだ。四四年三月、今までの総合雑誌六誌(中央公論・改造・日本評論・文芸春秋・公論・現代)のうち三誌(公論・現代・中公)、時局雑誌二六誌のうち七誌(週間朝日・週刊毎日・その他)、国民大衆雑誌は二誌(富士・日の出)、婦人雑誌は三誌(主婦之友・婦人倶楽部・新女苑)、文芸雑誌約二〇〇誌のうち六二誌、小国民雑誌四一誌のうち六誌、計八三誌が残存することに決定した。「改造」は時局誌部門へ、「文芸春秋」は文芸誌部門へ、「日本評論」は経済専門誌部門へ、それぞれ転換させられていずれも総合雑誌から除外され、「中央公論」は婦人公論を吸収することを条件にして総合誌に残された。四四年五月までで雑誌の統合整理は大体完了したが、結局残った総数は、国民雑誌系列二五八誌が八八誌に、職能雑誌一三三六誌が七一六誌に、特殊雑誌四二三誌が一九二誌になり、計九九六誌となった。この間「教育」その他多くの雑誌は、用紙の割当がなくなったため刊行が不可能となり「自然に」消えていった。一九三七年以降各年末における新聞雑誌数は第41表の通りである。(雑誌のうち学術雑誌のようなものは「出版法」、時事問題に関係するものは「新聞紙法」の制約を受けた)。
次に出版社自体の統合整理については、国家総動員法にもとづき四三年二月に公布された「出版事業令」(勅令)と同施行規則(閣令・内務省令・文部省令)が推進力となった。出版事業令は、出版事業主にたいし事業の譲渡または譲受・会社の合併・事業の廃止または休止を命ずる権限(第四、五条)を主務大臣(首相および内相)に与えたものであり、同時に出版事業の綜合的統制運営を図り、出版事業に関する国策の立案および遂行に協力することを目的とする団体の設立を命じうる(第六条以下)、こととした。同令にもとづいて内閣は日本出版文化協会にたいし、現在の会員を参加資格者として新団体「日本出版会」の設立を命令し、設立委員四三人を任命した。こうして日本出版文化協会は改組強化され、「日本新聞会」とならび法的根拠をもつ統制団体として特殊法人「日本出版会」が三月に設立されたが、同会の主要事業の一つは出版企業の整備であった。政府は五月に同会の統制規定を告示したが、これによって同会会長には出版社の支配人・編集長など経営担当者の変更をなしうる権限を与えられた。つづいて情報局・内務省は、日本出版会にたいし企業整備について通牒を発した。当時すでに出版社の自主的な廃業・統合の気運が進んでいた。日本出版協会は政府の意向によって一〇月に「企業整備本部」を設置し、一一月の閣議で決定した「出版事業整備要綱」にもとづき企業整備のため出版社の性格を判定審議する「日本出版会資格審議会」が情報局で開催された。出版界の統合整理は四三年一二月から翌年春にかけて強力に進められ、整理のほぼ終わった四四年五月には、整理前の日本出版会の会員総数三六六四社、うち書籍のみ発行するもの二二四一社、雑誌二〇一七社であったものが、書籍のみ発行するもの二〇三社、雑誌九九六社に整理されることになった。実施にあたっては相当強硬の手が打たれ、東条総理大臣と安藤内務大臣の連名で出された譲渡の命令書にしたがわない出版社にたいしては出版事業廃止の命令書が手交された。つづいて七月には中央公論社と改造社が「戦時下国民の思想指導上許しがたい事実がある」として命令による「自発的」廃業をおこなって解散し、出版界の企業整理はここに「完成」した。
出版業と関係の深い印刷業については、四一年一〇月に「日本印刷文化協会」が設立され、四三年三月には社団法人に改組されて、各種印刷工業の一元的統制をはかるとともに企業整備を推進した。四四年一一月には日本印刷業綜合統制組合が創設された。出版物の配給・取次業については、日本出版文化協会の指導監督の下に書籍雑誌その他の出版物の一元的配給をおこなうため四一年五月に資本金一千万円の「日本出版配給株式会社」(日配)が文協・大取次店・出版社からの役員をもって発足し、四三年一二月には書籍雑誌小売業整備推進会を設置したが、四四年八月から同社を統制会社に、また各都道府県の出版物小売商組合を統制組合に改組することが農商省から指令され、同社は四五年三月、出版物末端配給機関整備要綱をを実施することになったが、すでに空襲等による罹災や輸送の混乱などによってその機能はいちじるしく低下しており、戦争末期に同統制会社の扱った書籍点数は一ヵ月平均四〇点にすぎなかった。用紙については、洋紙製造会社をすべて網羅した「洋紙共販株式会社」が四〇年末に、「日本和紙統制株式会社」と厚紙共販会社も四一年に設立された。 
第三節 新聞・放送・映画・芸能統制 

 

新聞統制
一九三七年七月の蘆溝橋事件直後、近衛内閣は新聞通信各社代表ら四〇名を「招致」して協力を要請したが、それと同時に陸軍・海軍・外務各大臣の命令による軍事・外交関係事項の掲載制限権を規定した「新聞紙法」第二七条が、各省令により相ついで発動され、軍事・外交関係事項はあらかじめ許可をえたもの以外は掲載を禁止され、禁止範囲はその後陸海軍両省が作成した「新聞掲載禁止事項の標準」「新聞掲載事項許否判定要領」によって詳細に規定され、その上臨時的な「通達」による制限が加えられた。従来検閲を担当してきた内務省のほかに、「陸軍省新聞班」(のち「情報部」)、「海軍省軍事普及部」、「外務省情報部」などが大きな権限を握って登場した。一方、内務省警保局が同八月に警視庁特高部長・各府県警察部長あてに送った通達「時局に関する出版物取締に関する件」では、「現下の情勢に鑑み特に取締を要すると認めらるる事項」として一一項の「北支事変に関する一般安寧禁止標準」が規定されており、その中には、「一、我国の対外方針に関し政府部内特に閣僚間に於て意見の対立し居れるが如く揣摩臆測する論議、二、国民は政府の対外方針を支持し居らずあるいは民心相離反して国論統一し居らずとなすが如き論議、三、国民の対支強硬決意は当局の作為により偽作せられたるものにして国民の真意は戦争を恐怖しまたは忌避せんとするの傾向ありとなすが如き論議、四、政府のとりきたりたる対支方針もしくは事変の経過等を批判するにあたり根本的に誤謬ありとなしあるいは事変を歪曲して殊更に非難しもって国論統一に支障をきたしあるいは対外関係を不利に導くが如き論議」などをあげ、従来の検閲が新聞紙法および出版法にもとづく安寧秩序びん乱と風俗壊乱という抽象的な取締りにたいして、具体的な検閲標準が作られた。もともと、これらの「検閲」とは別に、警保局は、「示達」(当該記事が掲載されるときは多くの場合禁止処分にするもの)、「警告」(当該記事が掲載されるときは時の社会情勢と記事の態度如何によって禁止処分にすることのあるもの)、「懇談」(当該記事が掲載されても禁止処分にはしないが新聞社の徳義に訴えて掲載しないよう希望するもの)の三段階にわたる処分を予告した「掲載差止」ができていたのである。
三八年五月、近衛内閣の改造についての予測記事をのせたことが、国内外に悪影響を及ぼすとの理由で「東京朝日」・「報知」など四〇紙が発売頒布禁止となった。同七月、内閣情報部は、内務・外務・陸軍・海軍の四省の関係者を集めて「新聞指導要領」(係官のための基準で公表は許されなかった)を作成した。その中には、「現在の戦局ないし時局に関し余りに楽観的印象を与うるがごときことを避け長期持久堅忍不抜の信念を鼓吹すること」、「国民生活への影響等を記述するに当りては国民に急激なる衝動を与えざるごとく注意すると共にこの難局を突破せば前途に大なる光明をもらすものなることを強調すること」などとあった。こうした「内面指導」が取締りと平行して大きな役割を演じたのである。
このころから、新聞にとって決定的意味をもつ用紙の統制、供給制限がはじまった。三八年六月の消費制限品目の中に紙が入り、七月、商相は有力新聞社代表に用紙節約を要請し、つづいて八月に商工省から公示がおこなわれたが、その内容は、新聞用紙は王子・北越両製紙から買い付ける年間数量を一二%削減することであった。三九年六月には新聞巻取用紙供給制限規則が公布された。同七月に全国の代表的新聞四四紙が出したイギリス大排撃の共同宣言は、当時の国策にたいする新聞の同調的立場を公表するものであった。四〇年一月の第七次「新聞指導要領」である「支那中央政府成立に関する新聞記事取扱方針」は、「汪精衛を中心とする新中央政府は真に帝国と提携して共に新東亜の建設を分担せむとするものなるをもって帝国としてはその成立発展に全幅の協力を与うべきものなるむねを理解せしむるに努むること、ただし新政府の成立はあくまで支那側自体の自発的創成に係り我方の工作により樹立せらるるものなるがごとき印象を与えざるよう厳重注意すること、汪精衛の人格・識見および青年層における声望ならびに同志の団結力および活動力等汪政権の強靭性に関する報道の紹介に努めその一面の脆弱性についてはなるべく触れざるよう留意すること」と指示した。同年二月に情報部が作成した「新聞指導方策について」は、新聞を時局に即応させるため営業部門を押えることが鍵であるとし、従来商工省が処理している新聞用紙供給制限を内閣に引き取り、これによって新聞に「にらみを利かすこと」を期待したが、その実現が、五月に情報部に新設された「新聞雑誌用紙統制委員会」であった。六月、参謀総長閑院宮は、言論機関の功績を認め、いっそうの協力を求めるため各社代表三五名を大本営陸軍部に招集した。四〇年までの新聞・出版物処分件数は第42表の通りである(内務省警保局「出版警察報」の数字。後出の高木・福田論文による)。
四一年一月、「新聞紙等掲載制限令」が公布され即日施行となった。従来の掲載禁止処分はもっぱら新聞紙法第二三条および出版法第一九条によって内務大臣がおこなっていたのを、情報局の成立を機会に、国家総動員法第二〇条(政府は勅令で新聞紙その他の出版物の掲載禁止・制限・差押えができる)を発動して掲載禁止・制限の範囲を明確にしたものである。これによって、「総動員業務に関する官庁の機密」、「軍機保護法(三七年八月改正)の規定による軍事上の秘密」、「軍用資源秘密保護法(三九年三月公布)の規定による資源の秘密」の掲載が禁止されるとともに、総理大臣に「外交に関し重大なる支障を生ずるおそれある事項」(新聞紙法第二七条の強化)、「外国に対し秘匿することを要する事項」「財政経済政策の遂行に重大なる支障を生ずるおそれある事項」の制限・禁止権が与えられ、実質的には情報局がその取締権を握ることになった。つづいて三月に公布された「国防保安法」は、軍事はもちろん外交・財政・経済その他について「国家機密」を指定し、これを侵したものを極刑に処する法律であった。大政翼賛会組織局宣伝部はさらに民間各種の宣伝事業と広告界を一元的に統一するために、日本宣伝文化協会をあっせんして設立することとなった。
四一年一二月、真珠湾攻撃の翌日、情報局における非常召集の「懇談会」において、警保局図書課から左のような「記事差し止め事項」が発表された(畑中繁雄のメモによる)。
○一般世論の指導方針として
一、今回の対米英戦は、帝国の生存と権威の確保のためまことやむをえず起ち上った戦争であると強調すること
二、敵国の利己的世界征覇の野望が戦争勃発の真因であるというように立論すること
三、世界新秩序は八紘一宇の理想に立ち、万邦おのおのそのところをえせしむるを目的とするゆえんを強調すること
○具体的指導方針として
一、わが国にとって戦況が好転することはもちろん、戦略的にも、わが国は絶対優位にあることを鼓吹すること。
二、国力なかんずくわが経済力に対する国民の自信を強めるよう立論すること、しかして、与国中立国はもとよりとくに南方民族の信頼感を高めるよう理論をすすめること
三、敵国の政治経済的ならびに軍事的弱点の暴露に努め、これを宣伝して彼らの自信を弱め、第三国よりの信頼を失わしめるよう努力を集中すること
四、ことに国民の中に英米に対する敵愾心を執拗に植えつけること、同時に英米への国民の依存心を徹底的に払拭するよう努力すること
○この際とくに厳重に警戒すべき事項として
一、戦争に対する真意を曲解し、帝国の公明な態度を誹謗する言説
二、開戦の経緯を曲解して、政府および統帥府の措置を誹謗する言説
三、開戦にさいし、独伊の援助を期待したとなす論調
四、政府と軍部との間に意見の対立があったとなす論調
五、国民は政府の指示に対して服従せず、国論においても不統一あるかのごとき言説
六、中満その他外地関係に不安動揺ありたりとなす論調
七、国民の間に反戦・厭戦気運を助長せしむるごとき論調に対しては、一段の注意を必要とする
八、反軍的思想を助長させる傾きある論調
九、和平気運を助長し、国民の士気を沮喪せしむるごとき論調(対英米妥協、戦争中止を示唆する論調は、当局の最も忌み嫌うところである)
十、銃後治安を攪乱せしむるごとき論調一切
さらにそれに追いかけて「言論出版集会結社等臨時取締法」が公布され、結社や集会とともに、新聞紙法による出版物の発行も許可制にされた。また、国家総動員法にもとづき、「出版事業令」に一年あまり先だってほとんど同文の「新聞事業令」が公布施行された。同勅令は、新聞事業主にたいし事業の譲渡または譲受・会社の合併・事業の廃止または休止を命ずる権限を主務大臣(内地では首相および内相)に与えるとともに、新聞事業の綜合的統制運営を図り、新聞事業に関する国条の立案および遂行に協力することを目的とする団体の設立を命じうることとした。(その団体の事業の中には、出版事業の場合とちがって、「新聞記者の登録」もふくまれていた)。同令にもとづいて、四一年五月に結成されたばかりの社団法人新聞連盟は、「日本出版会」とならぶ統制団体「日本新聞会」にとって代られ、同会は新聞社の整理統合を強力に進めることとなった。日中戦争勃発後におこなわれた「悪徳不良紙」の整理とその後の二三流弱小紙、区内新聞・業界紙の整理の段階とは質的にちがって、これ以後全国的な新聞社の整理が進んだ。「読売」と「報知」の合併、「大毎」と「東日」の統合などをふくめ、日刊紙七三九紙は四二年四月までに一〇八紙(のちには五四紙)に減少していった。大新聞中心主義が明確化し、地方新聞については「一県一紙」(四〇年末までに千葉・鳥取・群馬・富山で実現)への制限が進められていった。(強行は四五年三月)。
四三年一月には、元日号にのった中野正剛の「戦時宰相論」で朝日新聞が発禁となり、四四年二月には「竹槍事件」で毎日新聞が発禁になった。中野の「戦時宰相論」は、非常時の首相は廉潔で私生活も清楚であれ、国民の声を聞け、独断専行を避けよと諸葛孔明や桂首相を例にあげて抽象的に論じたにすぎないものであったが、このため中野は執筆禁止となり、東方会は全国的に一斉検挙され、中野は警察に「任意同行」された。起訴して葬れと厳命する東条首相と証拠不十分で反対する検事総長とのあいだに激論があり、議員を拘留するための衆議院の許諾がないため予審判事は令状を蹴って釈放したが、中野は遺書を残して割腹自殺し、令状請求を却下した小林健治予審判事は、報復的に召集令状を受けたのである。その後、反東条的右翼政治団体の結社禁止、検挙に関する記事は一切掲載禁止となった。「竹槍事件」の原因となったのは朝刊第一ページにのった七段ぬきの二つの記事、一つは「海洋戦の攻防は海上において決する。本土沿岸に敵が侵攻し来るにおいては、もはや万事休すである」、もう一つは「竹槍ではまにあわぬ、飛行機だ、海洋航空機だ。敵が飛行機で攻めてくるのに、竹槍では戦えない」という趣旨のものであり、同紙は発禁処分となり、陸軍は執筆者の厳罰をせまり、毎日新聞の陸軍報道部出入禁止をいいわたした。執筆記者新名丈夫はこのために懲罰召集の「赤紙」を受けて丸亀連隊に入営させられたのである。
四二年に各新聞社は検閲部なるものを新設したが、そのころ以後当局検閲はますます強化された。記事掲載禁止の具体的事例を示せば次の通りである。まず天候の記事は写真とともに、運輸通信省軍用資源秘密保護規則別表抵触として差押処分、天気予報はもちろん風向・風速・雲形・潮の干満も不許、傘をさしている写真も、晴れた日が続くというのも気象管制実施法にひっかかる。空襲や疎開の記事も、たとえば「空襲による家屋その他の建造物の被害ならびに復旧状況に関する記事、写真を掲載せざるよう」(四二年四月)、「空襲関係の広告は罹災地の移転広告・死亡広告とも各一日一件、移転広告の場合は旧所在地は出さず移転先のみ記すこと、死亡広告は爆死の事実は表示せず単に葬儀関係の報道に止むること」(四四年一二月)。「治維法事件検挙に関する記事は当局発表以外一切」(四二年九月)、「キリスト教三派の結社禁止および右教会派に属する教会の設立認可取消処分ならびにこれに関連する記事は一切」(四三年四月)が掲載禁止。経済関係では、自家用保有米と年令比、(四一年二月)、金銀在高・現送・買入量・同予想(同三月)、石油貯蔵額・同能力・輸入状況・綿花・綿糸布の在荷量(四二年一月)、価格調整補給金(四三年四月)、工業の企業整備(同五月)、工場疎開、徴用(明朗な美談を除く)、予算委員会の内容、在華敵産処理方針、中国人労働者の内地移入等、工場の新設、移転・労働者数(四三年九月)、米穀現在高・需給、外米輸入量・買付値段(四四年三月)。大東亜建設審議会の審議内容(四二年二月)、最高戦争指導会議の構成・開催の事実(四四年八月)、邦人のソ連領内における見聞の記事は一切発表不可。日米間のハル・野村交渉の特電は事前検閲によって、「二人はまず握手を交し」が対米親和感で削られ、「会談は一時間」は交渉緊迫感で削られ、「交渉はなお続行されるだろう」が前途見透しの観測記事で削られ、結局六〇数行のうち三行半だけが許可となった。「皇軍後退用語」は禁止され、「戦略展開」や「作戦上の転進」となり、「戦時生活」の「戦時」は「平和」に対する語で不適当として「戦争生活」と改められた。武勇談の中で使ったA少尉、S曹長等も英語だから日本語にすべしと原稿がつっ返された。四〇年八月六日の原爆も名称掲載を禁止され「新型爆弾」と呼ばれ、防空総本部から、(1) 壕内待避がやはり有効である。(2) 火傷のおそれあり、身体の露出部を少なくせよ、(3) 敵の一機にも油断するな、と発表した。そしてこれが最後の記事指導通達となった。
新聞用紙の統制は前にもふれた通り、三八年八月、実績月間一〇〇〇連以上を使用する新聞五一社にたいし商工省告示をもって九月から一二%の消費制限が命ぜられ、翌三九年八月からはこの制限は消費量に応じて一五〜一二・五%に拡大され、また四〇年七月からは制限はさらに一〇%方ふやされ、四一年七月からは四〇%以上の制限率強化となり、従来制限を免れていた月使用量一〇〇〇連以下の小新聞も制限を受けるようになった。このため三七年に六億九千万ポンドであった新聞巻取紙の消費量は四一年には五億三千万ポンドに四分の一ほど減少した。こうして新聞の種類とともにページ数も削減されてゆき、三八年七月まで二〇ページであった有力紙の朝夕刊ページ数は、四一年四月には半分の一〇ページとなり、七月には夕刊の二ページ制がはじまり、一〇月には夕刊は週三回に、四四年三月には全国一斉に夕刊が廃止され、朝刊もついに二ページ建になっていった。組方も一ページ一三段であったものが四〇年一月からは一五段、最後は広告なしの一六段制になった。
なお新聞紙にたいする検閲機関は、一、検閲官庁―内務省・情報局・検事局・警視庁・府庁(警視庁検閲課・府県特高課)、二、特別検閲官庁―郵便検閲(郵便法第一六条、安寧秩序・風俗壊乱記事所載の場合没収)、軍検閲(三七年七月陸軍省令第二四号、同八月海軍省令第一二号による命令事項、軍機保護法による秘密事項の監視)、憲兵検閲(軍機保護法その他軍の安寧について軍人以外の者にたいする取締り、海軍軍法会議法第六条)となっていた。
(前掲のほか、内山芳美・香内三郎「日本ファシズム形成期のマス・メディア統制」(一)、思想、一九六一年七月号。高木教典・福田喜三、同上(二)、思想、同一一月号、碧川喜代三「検閲記者の日記」、月刊読売、四六年三月号。横田省己「言論はどう弾圧されたか」、朝日評論、四九年三月号。松下芳男「三代反戦運動史」、一九六〇年刊。新名丈夫著「政治」、一九五六年刊。などによる)。 
放送・通信統制
ラジオ放送は、制度上は民法にもとづく社団法人・日本放送協会によって運営されていたが、実質上は初めから国家管理下におかれ逓信省を通じて強い統制を受けていた。しかし戦争開始以後、情報局の放送協会にたいする「指導」は強まり、政府は番組編成についていっそう積極的な介入を進め、一九三四年には全国中継放送網の中で東京を中央局とする組織の一元化をおこない、また番組編成の最高方針を審議する放送審議会と、全国中継番組の実際的編成をおこなう放送編成会を設置した。三八年一〇月に、放送内容の「時局認識を図る」ため勅令によって「放送考査官」(東京・大阪両逓信局無線課に配置)が設けられ、三九年七月には、放送番組編成の綱領・重点などを協議し、毎月の編成方針を決定する機関として、逓信省と内閣情報部の共同の「時局放送企画協議会」が設置され、これがのちには情報局の指導下に番組編成に重要な役割を演ずることになった。他方、短波全波の受信機は禁止され、その取締りは強化し、国民の耳から海外放送を一切遮断した。またニュースを担当する通信社については、日本放送協会の融資の形で新しい「同盟通信社」を設立し、既存の連合通信社と電通を吸収して、一九三六年には完全な国家的独占通信社となっていた。三七年度の示達書には、「その社(同盟通信社)は、国策に照応し、公正なる報道を普及して、内国民思想を指導し、健全なる世評の作興に務め外海外世論を啓発し、国際的了解の増進に寄与する使命を荷う国家的機関なるを以て」、同社の事業を助成するため一五〇万円を交付すると書かれていた。翌三八年度にはこの助成金は二五〇万円に、三九年度は三〇〇万円、四〇年度は三九〇万円にと、尨大な金額に膨脹していった。同社はまた、株式の半分を保有する「電通」(通信部が同盟通信社に吸収されたのちは純広告代理業)を左右し、これを通じて新聞社収入の半額以上をまかなう広告収入に力をのばし、多くの新聞を財政面から統制した。
映画統制
一九三七年の事変勃発から一週間、すばやくも内閣情報委員会は日本ニュース実写映画連盟の代表者たちを集めて、ニュース映画による挙国一致への協力を求めた。つづいて八月に内務省は「国民精神総動員」を強化するため映画製作者等に製作方針の方向転換を希望する指示を出し、映画製作各社はすべての作品の巻頭に「挙国一致」「銃後を守れ」などのタイトルを入れることを決定した。九月、内務省は軍事映画とニュース映画に関して映画業者に警告を発し、応召者の家庭悲劇を誇張して扱うなど思想的悪影響のあるもの、第一次上海事変のニュース映画を蘆溝橋事件以後の事変ニュースのごとく扱うもの、洋画の航空場面のつなぎ合わせごまかし等を不可とした。三八年七月、映画検閲当局は「時局にふさわしからざる」映画の続出にかんがみ、取締り方針の峻厳化を声明し、各社シナリオ作家を内務省に集めて日本精神の昂揚を要望した。同月、映写機への鉄鋼使用が禁止され、一一月から外国映画の輸入の許可制が実施された。三九年一月、警視庁は映画脚本等の事前検閲を強化し時局にそわぬものの上映を禁止することとし、一方、文部省は文化映画の認定官をおくとともに「優秀映画」に文部大臣賞を授与することになった。
三九年四月には、内務省と文部省との連合により三三年に設置された「映画統制委員会」や翌年設置の「財団法人大日本映画協会」を母胎としての「映画法」が公布(一〇日施行)された。新聞・出版を除き、文化諸分野のうち映画についてまっさきに、しかも結局唯一のものとして、積極的統制指導のための全面的統制法規が作られたことは注目に値することであり、映画の与える影響力の大きいことを示している。同法は、検閲による統制と「強制上映」等による積極的利用を法制的に統合したものであり、前者については、映画法第九条と同法施行規則第一四〜一五条によって、従来からの検閲(内務・税関検閲と輸出検閲)のほかに劇映画の製作開始前脚本届出を義務づける二重検閲制を規定した。また同法による映画製作・配給業者の許可事業制(第二条)と指定業種従事者の登録制(第五条)は、興行時間等の制限権(第一七条)や製作種類数量制限・配給・興行にたいする命令権(第一八条)とともに、全面的な映画統制権を内相と文相に与えるナチスばりの規定であった。あわせて外国映画の上映制限(第一六条)や文化映画・ニュース映画の強制上映(第一五条)も規定された。映画法の条文ではまだ漠然としていたものが、同法施行規則(三九年九月三省令で公布、そのご四〇年九月、一二月、四一年六月に改正)では明確にされていた。たとえば同規則第二七条では、「映画法第一四条第一項(行政官庁の検閲に合格したものでなければ上映できないとの規定)の規定により検閲したる映画にして左の各号に該当するときは之を不合格とす。一、皇室の尊厳を冒涜し又は帝国の威信を損するおそれのあるもの、二、朝憲びん乱の思想を鼓吹するおそれあるもの、三、政治上・軍事上・外交上・経済上その他公益上支障のおそれあるもの、四、国策遂行の基礎たる事項に関する啓発宣伝上支障のおそれあるもの、(この項は改正で追加された)、五、善良なる風俗をみだし国民道義を頽廃せしむるおそれあるもの、六、国語の醇正を著しく害するおそれあるもの、七、製作技術著しく拙劣なるもの、八、その他国民文化の進展を阻害するおそれあるもの」となっていた。映画法の実施にともなって劇映画脚本の事前検閲が一〇月から実施された。検閲制度の確立によって不合格は激減し、四〇年以後は切除件数も少なくなり(第43表参照。内務省警保局の統計。高木・福田前掲論文による)、検閲は表面的には映画統制の主座からひき下がった。(それにしても厳格な検閲をおそれ、しかも巨額な製作資金を要する営利用の映画の中で戦争中も「切除」がつづいていたことは見落としえない)。むしろより重要な意味をもち出したのは、四〇年に実施された「文化映画」と「ニュース映画」の強制的上映であった。一二月、文部省は演劇映画音楽改善委員会を設置し、また映画法第一九条による映画委員会官制が勅令によって公布された。四〇年四月には、国策会社「日本ニュース映画社」が四社を合併して成立し、翌年五月官製の社団法人「日本映画社」が発足した。
四〇年八月、新興映画の秋季製作予定の武田麟太郎作「大都会」菊地寛作「黒白」、川口松太郎作「春告ぐる嵐」などが、内務省の脚本事前検閲で難航をつづけた。日本映画事業連合会製作部会では、今後映画化希望の原作について製作意図と根拠を検閲当局へ提出し、許可をえた上で初めて原作者から権利を獲得して脚本執筆に着手するよう原作物事前検閲の具体案を決定した。四一年八月、情報局は、大日本映画協会の首脳部にたいして映画の国家管理的な徹底的統制を断行するむねを申し渡し、「民需にまわすフィルムは一フィートもない」と称して非軍事映画にたいしては資材の面から迫害と禁圧をはかった。一〇月には映画監督亀井文夫が、陸軍報道部の後援で作成したにもかかわらず上映を禁止された「戦う兵隊」をはじめ「小林一茶」、「富士の地質」などの作品のために治維法違反被疑で逮捕され、一年間の拘禁ののち起訴猶予となって保護観察処分に附せられた。そして映画法によって監督の免許は剥奪され、東宝から免職された。武漢作戦の記録映画「戦う兵隊」は内務省の検閲却下にあって公開できなくなり、「小林一茶」は「文部省認定」をはずされた。「小島の春」と「小林一茶」は監督協会賞に選ばれたが、文部省の横槍でうやむやとなり、その後、同協会そのものが解散させられた。一二月にはアメリカ映画の上映が停止され、在日のアメリカ映画八支社が閉鎖された。六大都市では二時間半興行が実施され、劇映画の製作本数が制限された。四二年には、フランス映画・イタリア映画計五本が上映禁止となり、情報局に大東亜共栄圈宣伝文化映画製作委員会なるものが設置され、内務省は劇映画三社との連絡会議において敵愾心高揚映画の製作を要望した。
一方、四〇年四〜五月ころから映画用生フィルムの不足が深刻化し四一年から映画の製作本数も制限された。映画法による製作制限がおこなわれるまでの製作本数は、毎年五〇〇本を越え、一社平均年一〇〇本を製作していたが、四一年度の封切劇映画は合計二四四本で、例年の半数にも達しなかった。このうち一七一本は上半期に封切られ、下半期に封切られたものは八三本にすぎない。これは生フィルムの割当の減少によるものである。その後はさらに生フィルムはもちろん、セットをたてるための木や紙や釘までたらなくなり、世界屈指の映画多産国日本の映画も生産減をつづけ、一九四四〜四五年の製作本数は平年の一〇分の一に低下した。一九四四年には総数四六本、四五年は八月までにわずか二二本が製作されただけであった。
映画会社の企業統合も推進され、四二年一月に「日活」「新興」「大都」の各映画社が統合され、情報局が重役を指名して「大日本映画製作株式会社」(大映)が発足し、一〇社あった劇映画製作会社の三社(松竹、東宝、大映)への統合が完成した。三月、情報局は各社へ国民映画賞製作の助成金として脚本執筆製作にそれぞれ二一〇〇円ずつ交付した。新たに創設された社団法人映画配給社は四月から全国二三〇〇の映画館を紅白二系統に分けて配給の全国的一元化を実施することとなった。四三年には文化映画製作業者二〇〇数十社の三社への統合が完成する。四四年一月には、大日本映画協会が改組され、製作、配給、興行の一貫的な統制機関として強化されて四五年六月に映画公社が設立、発足した。
(前掲のほか、岩崎昶「映画史」、一九六一年刊。同「統制・抵抗・逃避―戦時の日本映画」、文学、一九六一年五月号。瓜生忠夫「映画法の周辺」、潮流、一九四八年一月号。日本映画雑誌協会「昭和一七年映画年鑑」。などによる)
芸能統制
「文化統制」はさらに「能狂言」から「宝塚少女歌劇」、「浪曲」に至るまで、各種各様の部面に及んだ。以下にその主なものをあげておこう。
「事変」直後の三七年八月、警視庁保安部は「松竹」その他興行界の代表を招致し、時局を反映した興行物について取り扱い上の注意をうながし、内務省は「事変下の娯楽機関の戦時体制の確立、国民精神総動員強化のため」、映画とレコードの製作方針の方向転換を希望した。三九年一月、警視庁は演劇台本等の事前検閲を強化し、時局にそわぬものの上演を禁止することにした。同三月、外務省は宝塚少女歌劇団がサンフランシスコで上演予定の「唐人お吉」は日米間の感情を害するとして上演中止を命じた。五月には警視庁保安課が、能狂言「大原御幸」の所作事が時局がら不敬のおそれがあるとして上演中止方を警告した。九月のロシア・オペラ、バレー団の上演は、警視庁から「事変下資金統制の建前上、外国劇団の招聘は面白くない」との理由で禁止を命ぜられ、今後もこの種の外国劇団は一切公演禁止の方針となった。一二月、文部省は演劇・映画・音楽等改善委員会を設置した。なお、「映画法」に対応する「演劇法」の制定も企図されたが、これは実現にいたらなかった。
四〇年二月に「警視庁興行取締規則」が発令されたが、これは従来の「興行場及興行取締規則」が強化改正されたものであった。新規則によって、興行者、技芸者、演出者はそれぞれ許可申請を提出することを命ぜられ、三月から実施された。五月には「聖戦完遂」に即応するため関東在住の全浪曲家を打って一丸とする「日本浪曲協会」が結成されたが、浪曲協会ばかりでなく、東京講談組合・東京落語協会・講談落語協会の三者が合同して「講談落語協会」となり、その他東京漫談協会・帝都漫才協会その他三曲・舞踊・邦楽・奇術・大神楽などの協会があった。技芸者はこれら警視庁公認の協会に所属しない限り「技芸者の証」(一種の鑑札)が与えられず、したがって出演ができないことになった。関東の日本浪曲協会にたいして関西には浪曲親友協会があったが、内閣情報部は東西協会の幹部・浪曲作家・文壇人から構成される「浪曲向上会」を作らせた。同会は浪曲番付を廃止しその業者に利益を保証するため雑誌「浪曲」を発行するとともに、浪曲読物の大転換をはかり、文壇の大家に浪曲台本の新作を委嘱し、愛国精神の横溢した文芸的読物(「愛国浪曲」)を浪曲家に与える企画をたてた。愛国浪曲の発表大会は一一月におこなわれたが不評のため一回ぎりとなった(関西から打合せ会に出席した広沢虎吉は、政府側役人や文壇諸大家を前にして、「こういう新作台本は私は甚だ不得意で、やれといわれてもやれまへん、芸人は自分の持っている芸を大切にして、その芸でお国に御奉公すればこそ愛国であって、戦争ものを読んだからというてそれが何の愛国だっしゃろ」と述べたという――中川明徳「太平洋戦争と浪曲界」文学、一九六二年四月号による)。この年九月、帝国劇場(帝劇)が内閣情報部の本部となって閉鎖された。一〇月、警視庁は「技芸者協会」を結成させ、技芸者の許可制度を実施し、大阪では一一月演行予定の歌舞伎「河内山宗俊」が大阪府保安課によって上演を禁止された。一一月、人形劇団プークが解散を命ぜられた。
四一年一月、情報局と大政翼賛会宣伝部は帝劇講堂に国会議員を招待して愛国浪曲を聞かせたが、政府は浪曲の大衆的影響力が大きいこと(たとえばラジオで四二年の演芸の総放送時間九六八時間のうち、浪曲は四五二時間を占めていた)から、浪曲の統制に力をいれ、五月には浪曲向上会のあっせんで「浪曲作家協会」が生誕した。この年三月には、技芸者許可制度の実施以来初の出演禁止行政処分が、喜劇俳優高屋朗・漫才東ヤジロー・キタハチの三名に言い渡された。四月、情報局は「移動演劇連盟」を結成させ、移動演劇の内容の組織的指導と配給の一元化をおこなうことになった。八月には警視庁はお盆興行に関連して、「吉良のお常」「凉風一夕噺」や劇中に歌われる「私のダイアナ」など今後一切興行を許可しないこととし、その他二、三が注意をうけた。同九月から文部省、内務省はレコードの取締りにのり出し四三年には情報局によって、一〇〇〇曲にのぼる英米楽曲の演奏が禁止され、ジャズ・レコードも禁止された。四四年三月になると、「決戦非常措置令」が発令され、その一つ「高級享楽停止に関する具体要綱」にもとづいて、東西の歌舞伎座をはじめ全国一九ヵ所の大劇場の一斉閉鎖が決定して全国約四〇〇興行場が閉鎖され(のち少数再開許可)、翌四月には第二次決戦非常措置令によって演劇興行はすべて二時間半以内、入場料五円以下に制限された。浪曲界では終戦前に東西両協会が一本化して「日本浪曲会」となった。 
第二章 学問研究にたいする弾圧 

 

満州への侵略が開始されるとともに、民主的・自由主義的な学者とその学説にたいする迫害が強まり、一九三三年に滝川事件――京大滝川幸辰教授の講演「復活に現われたるトルストイの刑罰思想」と発禁になった著書「刑法読本」「刑法講義」が、右翼から攻撃されて議会で問題となり、大学側の抗議にかかわらず閣議決定で休職となり、法学部の教授、助教授、講師、助手、副手三九名が連袂辞表提出、八教授免官、学生委員検挙等――、一九三五年には美濃部事件――貴族院議員美濃部達吉博士の天皇機関説が、軍部と右翼の強迫を受け、「憲法撮要」等三著書が発売禁止、二著改訂命令、不敬罪・出版法違反で取調、貴族院議員・学士院会員辞任、ピストル狙撃で負傷、政府声明でこの学説の講義禁止宣言――がおこった。一九三六年には、さきの「日本資本主義発達史講座」につづいて「日本封建制講座」を企画中の平野義太郎・山田盛太郎・小林良正ら五名の研究者が、他の「文芸街」・「文芸評論」・「社会評論」・「時局新聞」などのメンバー二九名といっしょに戒厳令下に検挙された(いわゆる「コム・アカデミー事件」)。
日中戦争勃発以後、学問と大学にたいする干渉はいっそう強化された。東京帝大教授矢内原忠雄の特別講義「満州問題」(のち刊行)にたいして軍事教官は聴講しないよう学生に伝えていたが、一九三七年九月号の「中央公論」に執筆した論文「国家の理想」などが右翼学者によって攻撃されて削除を受け、同教授は一二月に大学を追われた。(翌年、著書「民族と平和」および「民族と国家」発禁)。この月「人民戦線事件」の一環として検挙された「労農派」同人との関連で、一九三八年二月には、「教授グループ」として、東大教授大内兵衛・同助教授有沢広己・脇村義太郎ら一一名が治安維持法違反で検挙された(「人民戦線事件」第二次検挙)。大学の現職教員がこれほど大量に検挙されたのは初めてのことであった。起訴された帝大教授たちは休職処分を受けたが、多くは六年にわたる長い裁判闘争ののち、一九四四年八月の第二審で無罪の判決が下った。しかし東大内田総長の辞表勧告を拒否すると、大学は罷免を強行した。内務省警保局はこれら人民戦線派検挙者の執筆原稿の雑誌その他への掲載を禁じ、大内兵衛著「財政学大綱」は休版を命ぜられた。なお「人民戦線事件」第一次検挙に「労農派」として検挙された中には、向坂逸郎、大森義太郎、猪俣津南雄らが含まれていた。四一年の第一審で、山川均(五年)・荒畑寒村(三年)・向坂逸郎(三年)・青野季吉(三年)・高橋正雄(執行猶予)の判決を受け、猪俣・大森は第一審の審理中に、「教授グループ」の南謹二は第二審の審理中に病死した。
東大教授河合栄治郎はもともとマルクス主義反対の学者であり、かつては文部省の「学生思想善導」の仕事をした自由主義者であったが、五・一五事件や国家主義運動にたいして勇敢な批評を加え、一九三八年一〇月に「ファシズム批判」「時局と自由主義」「改訂社会政策原理」「第二学生生活」の四著書が発売禁止処分となり、翌年初め警察署の取調べを受けた。大学は休職処分となり、二月には出版法違反で起訴された。第一審は無罪、第二審では「我が国民の道義心を壊乱するの虞ありて安寧秩序を妨害する文書」四種を発行させたことにより、出版法第二七条によって、罰金三〇〇円(前二著につき各一〇〇円、後二著につき各五〇円)の判決を受け、大審院では上告棄却となって罰金刑が確定した(四三年六月)。
一九四〇年には、日本古代史の碩学・早大教授津田左右吉に矢が向けられた。これより先、東大法学部の「赤化帝大教授」たちが右翼からの攻撃を受けていたところに津田博士が新設の東洋政治思想史の特別講師に迎えられて同学部の講壇に立ったことをきっかけにして攻撃の的となった。一月、同博士が前年「中央公論」に発表した論文「日本に於ける支那学の使命」が「帝大粛正期成同盟」なる団体から一三個所の不穏字句を指摘され、ついに大学を辞任せざるをえなくなった。つづいて二月に、「神代史の研究」「古事記及日本書紀の研究」(いずれも一九二四年出版)「日本上代史の研究」(一九三〇年出版)「上代日本の社会及び思想」(一九三三年出版)の四著書は発売禁止となり、翌日、出版者とともに出版法違反で起訴された。公判は傍聴禁止となって四一年から四二年にかけて開かれ、結果は「古事記及日本書紀の研究」のみが有罪となり、「神武天皇より仲哀天皇に至る御歴代天皇の御存在に付疑惑を抱かしむるの虞ある講説を敢てし奉り、以て皇室の尊厳を冒涜する文書を著作し」たとの理由で、出版法第二六条によって、禁錮三ヵ月執行猶予二年(罰金は刑法施行法の改正で廃止)の判決を受けた。その後控訴がおこなわれ、放置されたまま時期を経過し、一九四四年一一月、時効によって免訴となった。なお、これより先、決戦教学刷新の方針から閉鎖された文化学院前校長西村伊作は、不敬罪および言論出版集会結社等臨時取締法第一八条(人心惑乱の罪)違反で四三年九月に起訴されている。
これら大学教授にたいする迫害・追放と表裏をなして、大学の自治にたいする干渉も進められた。一九三三年の東大配属将校増員問題などが端緒となり、一九三八年から三九年にかけて、陸軍大将荒木文部大臣をはじめ、しばしば各帝大総長を招致して大学自治にたいする監督権を強化しようとし、(朝日新聞社「大学の自治」)、あるいは総長・学部長の選挙や教授の任免方式の改革を要請し、あるいは問題になった教授たちの処分の促進をせまり、さらに大学に軍事教練を必修化させ、大学の学生自治運動を弾圧した(三八年二月、東大セツルメント閉鎖、四〇年四月、東京学生消費組合解散)。検挙された東北大学助教授宇野弘蔵は、裁判所で無罪となり、四一年一月の教授会は復職を議決し、復職の辞令が発せられたが、その直後「依願免官」となった。学生の自治・民主化の運動、研究会活動の弾圧として規模の大きかったのは、一九四〇年の天皇東大行幸問題に関連しての東大事件(学生約一二〇名検挙)と一九四三年の大阪商大事件(教授学生約一〇〇名検挙)であった。後者の商大事件では、追放教職員一一名(うち検挙四名)、起訴者三三名がでた。なお司法省の調査によれば、三七年から三九年までの学校教員の思想犯による処罰は、大学二一名(うち起訴九名。以下同じ)、高校一名(一名)専門学校五名(二名)、中学校一六名(五名)であり、三七年より四〇年までの左翼学生検挙者は五二五名、起訴者六七名、その一九二五年以来の合計数は検挙五三七七名、起訴四五四名であった(司法省刑事局「最近に於ける左翼学生運動」、思想研究資料特集第八五号、四一年五月発行)。
(この項は前掲の諸資料のほか、田中耕太郎・末川博・我妻栄・大内兵衛・宮沢俊義「大学の自治」、一九六三年刊。大内兵衛・有沢広己・脇村義太郎・美濃部亮吉・高橋正雄「二十年前」、世界、一九五八年四月号。家永三郎「大学の自由の歴史」、一九六二年刊、などによる)
大学の枠外の研究者集団にたいする弾圧の代表的なものは、一九三九年の`「唯物論研究会」の弾圧であり、その他、一九三七年の、「世界文化」、一九四一年の「教育科学研究会」などの関係者の検挙事件などがあった。
唯物論研究会は、一九三二年一〇月、岡邦雄・三枝博音・戸坂潤らを中心に、「唯物論の研究に重大な意義をみとめる研究家の研究団体」として成立した。発起人の中には長谷川如是閑・小泉丹・小倉金之助などがあり、会員の中でも自然科学者が多かった。初めは哲学・自然科学が中心で、政治的色彩のない大衆団体として、機関紙も新聞紙法によらず社会問題の時事的扱いをさけたが、しだいに社会科学・芸術論・文化問題に拡がり、マルクス主義の哲学的理論的研究とその普及化をおこなう唯物論者の研究団体の役割を演じ、唯物論哲学の発展にとって中心的な役割を果したのみならず、とくに「歴史科学」(三二・五〜三六・一二)と「経済評論」(三四・九〜三七・一〇)が姿を消したあと、社会科学の諸分野でのユニークな水準の高い業績を生み出し、反動的風潮の進む中で、非科学的精神・日本主義イデオロギイとのたたかいや、唯物論・マルクス主義理論の普及、あらゆる文化・思想現象の科学的解明の上で大きな役割を演じた。開いた研究会数四七一回、機関誌七三冊、刊行した「唯物論全書」(「三笠全書」をふくむ)六六冊に上った。一九三七年末の「人民戦線事件」のあと、主力会員に執筆禁止令が出されたことから、三八年一月には、定期的研究集会の中止、機関誌編集方針の改革、幹事長(岡)と事務長(戸坂)の辞任を決定したが、「教授グループ」の検挙のあと、幹事会は会の解散にふみ切り、雑誌、「学芸」の出版所に形を変えた。しかし同誌も一二月号は禁止となり、一一月に幹部二四名が検挙され、うち一四名が起訴された(つづいて翌年地方支部など一二名、翌々年一五名、検挙)。終りころの会員数約二〇〇(最盛時二五〇)、機関誌発行部数約一五〇〇(最盛時四〇〇〇)であった。特高警察は、唯研自体をコミンテルンおよび日本共産党の目的遂行の結社と決定し、治維法第一条第一項後段を適用した。なお唯研は若干の幹事の個人的接触を通じて都内各大学の研究会その他の多くの学生グループと関係をもち、さらに関西地方の諸大学などにもつながりをもっていたが、唯研幹事の総検挙と同時に、東大・慶大・早大・農大・美校・外語などの学生六三名が検挙された(座談会「唯物論研究会の足跡」おょび社会経済労働研究所「唯物論研究会、その意義と歴史と成果」、唯物論研究(1)、四七年一〇月)など。
これより先、京都においては、同志社大学予科教授新村猛・真下信一・大阪相愛女専講師中井正一らを中心に、従来からあった「美批評」を改組して雑誌「世界文化」を創刊し、その後さらに週刊紙「土曜日」(最高発行部数七〇〇〇)を発行し、これらを通じてフランスその他の反ファシズム・人民戦線文化運動などの紹介や、京都地方での音楽・映画等の文化運動をおこなった。一九三五年から三七年にかけて「世界文化」は第三四号まで(毎号一〇〇〇ないし一五〇〇部)、「土曜日」は二一号まで(毎号二〇〇〇ないし七〇〇○部)発行された。このグループは、三七年一一月から翌年にかけて検挙され、数名の起訴者を出した。またこれとほぼ同じ時期に、このグループとの若干の関連をもちつつ、京大の学生たちを中心に「学生評論」が発行され、二次にわたって検挙を受けている。
教育科学研究会は、雑誌「教育」を通じて、城戸幡太郎・留岡清男を中心とする同誌の編集者たちと全国の読者たちとの接触が生まれ、これが「生活学校」や生活綴方運動などに参加した現場の教師と研究者との結集に進み、一つの教育運動(「教育の現実への肉迫」とそれにもとづく「ヒューマニスティツクな教育の建設」)として発展したものである。一九三七年春に会として発足して以来、機関誌「教育科学研究」をもち、三九年から全国研究集会を開くなど、少壮児童心理学者の児童学研究会や、保母を中心とする保育問題研究会を姉妹団体としつつ、活発な活動を展開した(菅忠道・海老原治善「戦時下の教育運動」)。しかし戦争下の反動化の中で近衛新体制への協力方向が打ち出されるなどの動揺の中で、一九四〇年二月の山形での村山俊太郎の検挙からはじまった「北日本国語教育連盟」(北方性教育運動)関係者三一名の検挙(九名起訴)、「北海道綴方教育連盟」(生活綴方運動)関係者五五名の検挙(一二名起訴)、「生活学校」グループ三名の検挙(全員起訴)、さらに四一年から四二年にかけて「生活図画」グループ二六名(起訴一八名)、新潟地方一六名(起訴八名)、水戸地方九名(起訴五名)、静岡地方一二名と検挙が拡大する中で、四一年八月以降「教育科学研究会」、「綴方生活」、「生活学校」などの関係者が全国一斉に検挙され(約三〇〇名)、四三年には、自ら保育報国隊の結成をくわだてながら解散した「保育問題研究会」の関係者たちにも検挙の手が及んだ。雑誌「教育」も文部省や警視庁の干渉を受け、用紙割当を停止されたため四四年三月をもって強制的に休刊させられた。このころ城戸幡太郎、留岡清男らの自由主義者も弾圧を受け、翌四五年一月ころには幼稚園や託児所の保母たちも検挙された。
言語運動としては、山形で斎藤秀一(雑誌「文学と言語」の発行「国際ローマ字クラブ」結成、海外エスペランチストとの交流、等)が一九三八年、東京でマルタロンド(三月会、エスペラントの定期研究会)が一九四〇年に検挙された。
このほか個人的研究者にたいする弾圧としては、三七年九月に講演内容に反軍的言動があったとして東京憲兵隊の取調べを受けた後藤朝太郎や、「企画院事件」(一九四〇年および四一年検挙)や「ゾルゲ事件」(四二年検挙・前述)で捕えられた研究者たち、「横浜事件」(四二〜四五年検挙。前述)に関連して投獄された細川嘉六をはじめ、満鉄調査部・世界経済調査会等の研究者たちなどがある。満鉄調査部については、四一年八月に「満州国」の治安維持法が制定され、その直後の「合作社事件」、「満州評論」グループ、ゾルゲ事件関連者の検挙などにつづき、四二年九月に第一次(二九名)、四三年六月に第二次(一〇名)の憲兵隊による調査部関係検挙がおこなわれ、逮捕はされなかったが調べられたり、調査部から鉄道の現場へ追放された者を加えると、関係者は約八〇名に上った。うち二一名が起訴され、一九四五年五月の判決によって、二名が懲役五年(執行猶予五年)、二名が三年(執行猶予四年)、その他は一年(執行猶予三年)となり、その間に、劣悪極まる満州監獄の中で西雅雄・大上末広・発智善次郎・佐藤晴生・守随一の五名が獄死し、渡辺雄次は出獄後病死した(伊藤武雄著「満鉄に生きて」、一九六四年刊。児玉大三「秘録・満鉄調査部」、中央公論、一九六〇年一二月号)。  
第三章 教育運動 

 

第一節 戦前における教育労働者運動
教育労働者運動の概況
日本教育労働者組合(教労)は一九三〇年一一月東京、神奈川の現職教員二〇数名を組合員として非合法のうちに結成されたが、翌年五月日本一般使用人組合(官公庁、デパート、市場等の下級使用人の組合)、日本映画従業員組合、日本医務労働者組合と合同し、日本労働組合全国協議会(全協)の一般使用人組合教育労働部として再組織された。
そのころには組合員は十数倍になり、全国各地に支部が設けられその組織拡大に、新教の機関誌「新興教育」は大きな役割をはたした。しかし、一九三三年二月四日から数次にわたる長野県の教員一三八名にのぼる検挙、同年七月から八月にかけての全国的な三三二名検挙など、相次ぐ弾圧によって教労運動もついに壊滅した。この間、新興教育研究所は、その機関誌「新興教育」で教労運動の方向を明らかにし、活動の指針となるような論文を掲載したり、国際的な運動の経験、各地の経験の交流、新興教育の理論的問題の啓蒙、反動的教育政策の暴露などを展開する一方、現場の教師の先進的な教育実践「教育内容の自由化」、「教育の実際生活化」、「教育と社会の結合」の記録を集録、交流し多くのすぐれた教材研究や、全協教労長野支部編「各科教授方針批判」、同支部編「修身科無産者教授教程」、新教同盟準備会編「小学校における各科教授方針」などを生みだすなかだちとなり、さらに、教授方法・教材の取り扱いだけではなく、教育方法においても、分団教授法、グループ研究法のすぐれた要素を発展させ、あるいは作業主義教育、労働教育、郷土教育、生産教育などのもつ進歩的な内容をとり出すことにも努力していた。
教労運動の壊滅のあと、教育の面でのファシズムに対する最後の抵抗となったのは、生活綴方運動に代表される良心的な教師の教育実践であった。「全国各地ではファシズムの嵐の中で、地道な教育実践が続けられ、文集の交換や研究雑誌の交流、討論によって、教師たちは手を結びあおうと努力した。教員組合運動はもちろん労働運動全体が沈黙し、屈服させられていたとき、その良心的な意図と必死の努力にもかかわらず、その運動はファシズムに対する抵抗の力を失いがちであった。そして一九四〇年二月に始まる『北方教育』、『生活学校』同人の検挙、一九四三(昭和一八)年から翌年にかけての教育科学研究会のメンバーの検挙によって、日本の教育の中に残されていた先進的な教員の運動は圧殺されてしまい、良心の灯は一人一人の教師の心の中でともされなければならなかったのである」。(注1) たとえば「生活学校」誌上では次のような問題提起がおこなわれた。「現行カリキュラムに対する良心的な教師たちの不満が、綴方を全教育を統括する王座にまで祭りあげてしまった。その気持はよくわかる。僕もやはりその経験をもつ。……子どものことを思えば、そうしてくれる教師に頭が下がる。しかしそれに没頭して、良心的な教師がそれによって良心を満足させ、もっと本質的な解決方決のため力を尽すことを忘れてしまったら、それは反動的な意味をもつようにさえなるだろう。では本質的なことは何か。それは政治的な解決への努力だ」(戸塚廉「旅の感想」、「生活学校」誌一九三七年一二号新収)と。
(注1) 日本教職員組合編「日教組一〇年史」、一九ページ。なお、教育運動全体の記述についでは、とくに次の著作に負うところが多い。「岩波講座、現代教育学5、日本近代教育史」(岩波書店、一九六二年二月刊)。菅忠道、海老原治善編「日本教育運動史、3、戦時下の教育運動」(三一書房、一九六〇年一二月刊)。
教育者グループの活動組織と活動家の検挙
教労運動壊滅以後における教育者グループの活動組織と活動家の検挙状況については、次のごとく述べられている(司法省刑事局「生活主義教育運動について、思想研究資料特輯第九七号」、一九四三年八月による)。
北日本国語教育聯盟
(一)結成経過 東北地方は縷々冷害凶作に襲われ、農村の窮乏甚しく、従って文化の程度低く、児童の生活環境も悪かった為児童の生活指導という問題が教師の前に現実的な必要を以て迫っていた。斯様な事情から東北地方に於ては、早くから各県に、左翼的傾向を持った綴方教師によって綴方を中心とする生活教育研究のグループが結成せられ、「北方教育」(秋田)、「実践綴方地帯」(宮城)、「綴方文化」(福島)、「綴方環状線」(岩手)等の機関紙を発行し、又教室に於ける実践の結果たる児童文集を交換して、相互に研究並に実践の刺激を図って来た。斯くの如き状態に在った時、昭和九年の大凶作が起り、之に刺激せられて、右の生活教育研究グループの指導的地位にあった鈴木銀一、国分一太郎等の左翼分子が主となり、東北社会のマルクス主義的分析の基礎の上に、教育理論を形成して「北方性教育」と称し、之を指導理論として同年二月宮城、福島、秋田、山形四県の綴方教師を糾合し「北日本国語教育連盟」を結成して、其の理論の啓蒙普及に乗り出した。翌昭和一〇年六月には青森、岩手二県の綴方教師も之に加入し、茲に於て東北地方に於ける生活教育研究の小グループは全部此の連盟に統一せられたのである。当時の連盟の委員は、
鈴木銀一(宮城)、佐々木正(宮城)、木下竜二(福島)、佐々木太一郎(秋田)、加藤周四郎(秋田)、国分一太郎(山形)、土崎兼房(青森)、三上斉太郎(青森)、高橋啓吾(岩手)、永沢一明(岩手)、
(二)活動
(1)機関紙「教育北日本」の発行、(2)講習会、協議会等の開催、(3)「教育・国語教育」、「綴方生活」、「工程」等の中央諸雑誌に投稿宣伝、
(三)検挙状況
(1)検挙年月、昭和一五年二、一一、一二月。昭和一六年九、一〇、一一、一二月。(2)検挙人員三一名、(3)起訴人員九名。
北海道綴方教育連盟
(一)結成経過、北海道においても一部左翼的教員は、昭和八年頃より個々に綴方を中心とする生活教育を実践して来たが、東北地方を始めとし綴方集団簇生の全国的傾向に刺激せられ、綴方教師中の左翼分子、
坂本亀松、小坂佐久馬、小鮒寛、小笠原文次郎
等が主唱者となり、昭和一〇年八月札幌市に於て広く道内の左翼的傾向の綴方教師を糾合して「北海道綴方教育連盟」を結成した。連盟の目的は同人相互に生活主義綴方の実践を刺激し且之が普及を図るに在る。
(二)活動
(1)研究会、講習会、座談会の開催、(2)機関誌「綴方林」及「同人通信」の発行、(3)児童文集「北見文選」の発行、
(三)検挙状況
(1)検挙年月、昭和一五年一一月。昭和一六年一、四月。(2)検挙人員 五五名 (3)起訴人員 一二名。
生活図画関係グループ
(一)結成経過、生活図画教育は、旭川師範学校図画教師熊田満佐吾が、昭和八年半ば頃より同校美術部員に対し所謂「発展的リアリズム」に基く絵画の創作を指導し、其の創作指導の過程を通じて部員を共産主義的に啓蒙したるに始まり、後に熊田の啓蒙を受けた部員が教壇に於ける図画の授業に其の指導方法を実践し、且熊田を中心とするグループを結成して、相互に研究及実践を刺激し又其の教育方法の宣伝普及を図るに至ったものである。
(二)組織及活動
(1)「ロンド」昭和一一年三月結成、メンバーは本間勝四郎外五名、
(2)「シアル」昭和一二年三月結成、メンバーは片岡静夫外三名
(3)「うずまき」昭和一三年八月結成、メンバーは木元幸吉外三名、
(4)「新ロンド」昭和一五年一月右の三グループを解消し其の全員を以て新に結成したるものである。
右のグループはいずれも生活図画及生活主義綴方の研究並に其の実践を刺激することを目的としたもので、其の活動も、(イ)研究発表、(ロ)実践の結果たる児童作品の相互批評、(ハ)機関紙の発行等に止まる。尚昭和一六年一月生活図画理論の啓蒙普及の目的を以て「新ロンド」を母胎とし広く道内の図画教育に熱意ある教員に呼びかけて、「北海道図画教育連盟」を結成することを企てたが、熊田検挙の為実行するに至らなかった。
(三)検挙状況
(1)検挙年月、昭和一六年一、九月。昭和一七年二月。(2)検挙人員二六名(内プロレタリア絵画関係四名)、(3)起訴人員一八名(内プロレタリア絵画関係四名)。
「生活学校」グループ
(一)結成経過 雑誌「生活学校」は野村芳兵衛を中心とする東京市所在「池袋児童の村学校」内「児童の村生活教育研究会」の機関紙として昭和一〇年一月創刊せられ、昭和一一年八月「池袋児童の村学校」閉鎖後は扶桑閣の営利雑誌として引継がれ、昭和一三年八月迄刊行せられた月刊雑誌である。発行部数は二五〇部乃至八○○部で、読者の三分の二以上が東北及北海道の小学校教員である。
当初は野村芳兵衛が主幹、戸塚廉(元「新教」メンバー)が編輯主任で、主として野村の意見に基き編輯されたのであるが、昭和一一年初頃より戸塚が編輯の実権を握り、殊に同年八月扶桑閣の営利雑誌となって以後は専ら戸塚が、松永健哉(元「新教」メンバー)、黒滝雷助(元「教労」メンバー)、増田貫一(元「教労」メンバー)、石田宇三郎(元「教労」メンバー)等の左翼分子と編輯グループを結成して編輯方針を協議し、執筆者も右の外北村孫盛、浦部史、槙本楠郎、増渕穣、大矢輝昭、大矢恒子、高倉輝、村山俊太郎、国分一太郎等元「新教」、「教労」メンバーたる左翼分子が大半を占むるに至った。
其の編集方針は総合的な生活主義教育論の建設、宣伝普及であった。彼等は「新教」、「教労」の運動を反省批判した結果、其の左翼的政治偏向の誤謬を排し、文化運動の独自性、合法性、大衆性、左翼運動に於けるインテリの役割等を考慮し、殊に人民戦線方策の採択を知るに及んで益々自己の運動方針の正当なることを確信し、生活主義運動に乗り出したのである。
(二)活動 彼等の活動は雑誌「生活学校」の編輯、執筆による啓蒙活動を主とするもので、其の外に昭和一一年八月及昭和一二年七、八月の二回に至り北海道及東北地方に開催せられたる講習会、座談会に講師として出席して小学校教員に生活主義教育理論を啓蒙したことがあるに止まる。
(三)検挙状況
(1)検挙年月、昭和一五年一二月。(2)検挙人員、三名。(3)起訴人員、三名。  
第二節 戦時体制下の教育と教育運動 

 

戦時体制下の教育
一九三七年八月には「国民精神総動員実施要綱」が閣議決定され、九月には文部・内務両次官あて「国民精神総動員実践要綱」がだされて、国民精神総動員週間とか、防火週間とか、あるいは農村商工産業週間とかいう「週間」が毎月おこなわれ、そのなかで「部落町会隣組」などの国民精神総動員の下部単位の組織化がおこなわれた。一方、学校教育の場では「国民精神総動員と学校教育」(一九三八年一月)という文部省の指導パンフレットによって、勅語奉読をともなう行事の強化と時局教育の導入とともに各教科ごとに総動員教育が強調されることになった。
こうした国民精神総動員による国民教化と教育の軍国主義化をはかりながら、他方では軍需工業側からの生産力拡充要求、また軍部側からの軍事能力近代化にともなう教育内容および制度改革の要請が切実なものとなった。木戸文相は、「上論を拝して」総裁以下六五名の委員からなる教育審議会を発足させたが、その第二回総会では「今月の一一日の閣議におきまして男子に対して青年学校を義務制といたす方針を決定」(同上)したことが報告され、今後はその内容についてこの審議会で検討してほしいという申し入れが行なわれた。一年六ヵ月の在営年限では「今日の兵器の非常に改善されている所の時代の兵の訓練としてはどうしても不足」(「教育審議会諮問第一号特別委員会整理委員会会議録」)なので、といって「二年を超える期間を設けるということは却って国民の国防観念、兵役に対する観念上面白くないというような点も考えられて」(同上)、そのかわりに勤労青年の教育の画期的拡充の名のもとに兵士養成の義務化がきまった。一九三七年一二月から四一年一〇月までの四年間審議がつづけられ七つの答申がだされたが、三八年一二月答申の「国民学校、師範学校及幼稚園に関する件」による国民学校の出現と、青年学校の義務化以外はさしたる制度上の改革をうみださなかった。
一九三八年三月に成立した国家総動員法は、その第一条で「国家総動員とは戦時に際し国防目的達成のため国の全力を最も有効に発揮せしむる様、人的物的資源を統制運用するを謂う」と規定し、教育もまた精神の総動員とともに、その人的資源培養の役割をになわされることになった。そして、軍需工業を核とする重化学工業の発展と、戦線の拡大化にともなう軍要員の増大は、次のようなさまざまな矛盾を教育の上にももたらすことになった(「日本近代教育史」、「岩波講座、現代教育学5」所収二九一〜二頁)。
第一の矛盾は熟練工不足問題からおこった。このため一九三七年には機械工養成所が単独設立され、翌年にはそれでも不足して、全国各府県の工業学校に機械工養成所が付設され、商工省には技能者養成所、逓信省では航空技術者養成所という具合に、そのときどきの緊急の要求に応じてこの種の教育機関が正規の学校教育の体系外に続々と発生しはじめたのであった。
第二に、この熟練工不足問題の深刻化につれ、他方では未成年労働者の増加が重化学工業において非常な勢いですすむことになった。女子未成年労働者の増加もいちじるしくなった。このことから支配階級を悩ます問題が発生してきた。そのひとつは、かれらの労働時間が一日男女とも一〇時間から一四時間をこえ、当然のことながら、これは青年労働者の体位の低下をひきおこした。
それだけでなく、身体の発育をかたよらせ、結核患者を急増させていった。当時「過労を防げ」という結核予防のポスターがはられたことも典型的矛盾の露呈した姿であろう。また他面では軍需景気による未成年者の収入増加となり、これが「浪費」と結合し、また家族の労務動員による家庭環境の悪化によって、青少年の不良化、犯罪の増加がめだっていき、いわゆる青少年問題が発生した。補導の強化、そのための協会の設置、あるいは児童読物の浄化がその対策として内務省からだされたが、戦争体制の根元がなくならないかぎり、これらの問題は、拡大再生産にむかっていった。
第三に、こうして大量の青年が軍隊や工場に労働者化していく現実は、昭和初期の農村問題とはちがった仕方で新たな問題を農村になげかけることになって、独占資本とりわけ軍部をいらだたせる現象がめだってきた。「農村の子弟は小学校卒業と同時にその七割までは職を求めて都会に出て、適令になって帰村するので壮丁の体格および風紀は思ったより悪いようである。これをこのまま放置する時は由々しき問題となるので政府としては今後とも農村に仕事を与えてその子弟が都会に走らないようにするのが肝要である」(杉山陸相「由々しき問題」、「大毎新聞」一九三六年四月二二日付)という意見もでてきた。だがこれも戦時経済がつづくかぎり不可能なことであった。また「本年度は結核が多いことは寒心すべきことだ。それに無学無知の青年の多いのには驚いた。これは農奴制の結果ではないかと思われる」(山形県「渡辺聯隊司令官徴兵検査について」、「東京朝日新聞」地方版、一九三七年八月一日付)という半封建的寄生地主制への批判さえうまれたのである。そしてこのことの打開のために、上からの農村機械化、共同経営化の問題などが提起されたが、そのみちは、軍需工業第一主義の政策の下では、農業機械の供給は不可能であるし、共同化も資金面でゆきづまるし、寄生地主制の解体を指向する政策は天皇制軍隊の基礎をくずすことも意味するから、事実上手のうちようがなかった。
在来の陸軍幼年学校だけでなく、少年航空兵、戦車兵、通信兵学校などの軍関係少年兵士の養成機関が独自の教育要求からうまれ、生徒たちを引き抜くことによって中等教育体系に変質を与えていくことになった。さらに植民地満州の安定をめざす武装農民兵としての青少年義員軍を尖端とする拓植教育の進展もめだった。また各種学校における大陸科、支那語科の新・増設がみられ、青年学校義務制と工場事業場技能者養成における産業と軍事の問題、体力向上のための管理策など新しい教育問題を生みだしていった。
学校教育は次第にたんなる兵員養成や労働力供給の予備的存在から、直接的なそれへと転化しはじめた。一九三八、三九年の近衛・平沼内閣のもとでの荒木文相時代にこの傾向が一層濃厚となった。その第一が勤労動員の強化であった。一九三八年は、応召農家の援農作業を中心とする開墾と植林が主なものであったが、三九年には木炭不足解消のための木炭増産勤労報国運動が展開された。この年を契機に「夏休み」の呼称が廃止され、「業を休むの観念を棄てて心身鍛錬の本義に則」るという理由で、「夏季及冬季心身鍛錬」の期間とされることになった。そして、「青少年学徒に賜りたる勅語」にこたえるという理由もかねて「学徒隊」が結成されることになった。さらに一九四〇年になると、飼料開発、空閑地利用の食糧増産などが加わった。この段階では主として農業における食糧増産が主であったが、四一年の「国民勤労報国協力令」が公布されてから軍需工業への動員がはじまった。その第二は、一九三九年五月以降のノモンハン事件の軍部の反省をへて、精神訓練だけでなく「機械化等物質的戦備」をこなしうる軍事能力の向上がいちだんと要求され、それにしたがって強化とともに総合化がめざされるようになった。つまり中等学校から大学にいたる教練もその範囲をひろげ、航空、海洋、機甲、馬術、通信にいたるまでになった。さらに防空訓練も加わり女子には救護作業が必須となった。これらのいわば基礎として、体育が重視され、一九三九年には体力章検定がおこなわれるようになった。またこの年永年の懸案であった中等学校入学選抜としての学科試験が廃止され、これにかわって「体位、口答、内申」によることになったが、これも受験勉強が体位を低下させるという理由のためであった。
教育審議会は一九四一年一〇月をもって審議が完了し、新たな戦争完遂のための戦時教育の展望をふくめて、大東亜建設審議会がその任にあたることになった。四二年五月その第二部会が「大東亜建設に処する文教政策」を発表した。それによると「皇国民の教育錬成方策」としては「教育に関する勅語を奉戴し、大東亜建設の道義的使命を体得せしめ、大東亜における指導国民たる資質を錬成」することがめざされていた。一九四三年九月、政府は「現状勢下における国政運営要綱」を閣議決定し、国内態勢強化方策については(1)航空戦力増強、(2)2食糧自給国内防衛を目標とし、「1徴兵猶予の停止、2理工系学徒の入学延期、3理工系学校の拡充、4法文系大学高度の統合整備、5義務教育八年制の延期、6徴用の強化、7女子動員の強化等を決定し、軍要員、軍需生産要員の給源の造成を期待した」(文部省「学制八十年史」、三九四頁)。そして、この基本方針のもとに次のような措置がとられることになった。すなわち、中学校四年修了での上級進学制、一九四五年からの中学四年制、中学の入学定員据え置き、増設・増科は工業、農業、女子商業に限定、男子商業学校の転換措置がなされた(「国民教育に関する戦時非常措置に就て」一〇月二五日)。また、青年学校の授業は「可成縮減し一層生産増強に資すること」(「青年学校教育の臨時措置に関する件」一一月六日)。高校、大学、高専の入営延期は取り止めとなり、文科入学定員は「三分の一」に削減、入学制限をはかることになった(「教育に関する戦時非常措置に基く学校整備要項」一二月二一日)。また、教員確保のため「就職義務」が強化され、学徒動員も「在学期間中一年に付き概ね三分の一相当期間」がこれにあてられることになった。一方、一九四四年秋から「学徒出陣」が始められ、「校門即営門」といわれるようになった。また他方では、国内の労働力不足は決定的となり、「学徒動員」によるほか軍需生産さえ困難となってきた。ために一九四四年一月「緊急学徒勤労動員方策要綱」が実施され、さらに二月の「決戦非常措置要綱」の閣議決定では年間を通ずる常時動員および学校工場方式もだされた。七月には動員学徒の一日一〇時間勤務の原則が一二時間まで延長され、深夜業が中学三年以上の男女にも課せられることになった。
一九四五年、戦局は最後の局面を迎え、東京大空襲による被害もいちじるしくなった。三月「決戦教育措置要綱」が決定し、「国民学校初等科を除き、学校に於ける授業は昭和二〇年四月一日より昭和二一年三月三一日に至る間、原則として之を停止すること」となった。三月現在七割に及ぶ学徒が動員された。五月には「戦時教育令」がだされ、「我が国学制頒布以来茲に七十有余年今や戦局の危急に際し教育史上未曽有の転換を敵前に断行せんとす」る文部大臣訓令がだされた。児童・生徒をそのまま「国土防衛」の名において学校報国隊の組織がめざされた。アメリカは広島に原爆を投下した。この地に動員されていた教員および学徒九五二〇名がその生命を失い、三九九四名が傷病を背負わされた。「なかでも建物強制疎開作業に出動するため、大田河畔に集合朝礼中の広島市内学校の学徒は原爆により全滅したと伝えられ」(前掲「学制八十年史」四〇三頁)た。
戦時体制下の教育運動
一九三九年八月、法政大学に教育科学研究全国協議会がもたれたが、「今日の国民教育の実践者たちは、最早教育学者に理論の貧困は訴えてはいない。彼等は国民教育の最小必要量を測定し、それを充足することを彼等みずから実践の中に求めている。したがって彼等の衷心より求めているものは、各地方に分散する教育実践家たちの連絡であり、協同であってしかもこのことが最も今日欠如することを痛感しているのである」と報告され、横へのつながりを求める教師のエネルギーが感ぜられた。このことは翌年になって一そう明白になった。第二回全国協議会では、「その後、東京の本部の外に、地方に支部が続々と増設されて、一年をまたぬうちに会員はざっと一〇〇〇名ばかりになった」と報告された。
教育科学研究会は一九三三年に創刊された雑誌「教育」が契機となり、城戸幡太郎、留岡清男を中心とする編集者側と読者側との間に接触が生じ、これが生活学校・生活綴方運動などの現場の教育実践家を結集しながら、一つの教育運動として生長したものであった。教科研には多数の研究者、現場の教師が参加したが、その共通の地盤となったものは「教育の現実への肉迫、真実の追求、リアリティーヘ」ということ、それにもとづく「ヒューマニステックな教育の建設」の意欲であった。留岡は教育研究について「研究は社会問題的認識――それは教育を支え、あるいは阻害する社会的経済的条件との関連で教育問題を把握すること――を欠いてはならず、その発展は教育運動化の方向をたどるべきであり、その教育運動の性格はそれ自身政治活動(教育政革の政策化)とならなければならない」と考えていた。教科研の運動は教育内容・方法の問題関心と教育・政策への志向を基本的性格としてすすめられた。その綱領は、(1)教育の科学的企画化、(2)教育刷新の指標確立、(3)教育研究の協同化、(4)地方教育文化の交流、(5)教育者の教養の向上であり、運動の重点は教育事実の科学的把握におかれ、これまでの教育学の観念的傾向と教育実践の技術的偏向とを排し、さらに教育計画の樹立による政策的改革を意図した。このように教科研運動は、「研究と現場の教育実践の結合を運動の基礎においた点に、教育から政治へ、政治から教育へというサイクルを運動化し、運動がその全過程において主導性をもつという構想を民間教育運動にもたらした」(日本教育運動史」3、二二八ページ)点において、意義があった、会は一九三七年頃から四〇年にかけて活溌な活動を展開したが、相次ぐ弾圧により多数の会員が拘引され、四一年にはその組織を解散せざるをえなかった。
当時、教科研運動にみられたような、潜在的な教師のエネルギーを反体制的な闘いの集団に組織するには、指導的な中核体が欠けていたし、多くの教師たちは、体制に順応するか、もしくは手さぐりでバラバラの形で、職場の教育課題にとりくまねばならないという苦境のなかにたたされていたのである。
他方で、教育科学研究会と同時期に発足した日本青年教師団は、東亜協同体理論にうらづけられながら、さしあたりの仕事として、青年教師の待遇問題を手がかりに複雑な性格をはらんだまま出発した。かれらは「顧みて国民教育現状は如何であるか、教育系統の学校志望者は激減し、殊に師範学校の入学志望者は地方によっては殆んど絶無に近い情勢にありと報ぜられ、また教育界内部においては、転出続出して全国的に教員の不足を来たし、ために教員の労務は著しく過重となり、その上これに伴って、二学級一教員、学級人員の増大、無資格者の採用等教育力の驚くべき低下を予想せしむる現象が各方面に現れつつある」とし、ここから「教師の物心両方面における生活条件改善向上の問題を、一般与論に反映さすべく、一大運動を展開せしむ」とした。しかし、この組織も一九四一年一二月末に解散を言い渡された。「大東亜戦争に突入して一億一心を必要とする今日、教員の待遇問題などを口にし筆にする教育団体の存在は許さないという理由」からであった。 
第三節 中小工業徒弟教育と技術教育運動 

 

わが国における青少年労働者の訓練養成は、もっぱら徒弟制度に依存していた。もしそれを一般に考えられていた「教育」の概念からすれば、中小工業にはほとんど教育といえるものが行なわれていなかったということができる。たとえば一九三八年一〇月一日に実施された東京市青年調査によれば、一般男子青年層(一二〜一九才)は六一万五二七四人で、そのうち青年学校入学該当者三六万九七〇二人(総数の六〇・一%)、そしてその青年学校入学該当者中在学者は僅に三万三一四〇人、八・九%にしかすぎなかった。しかも、青年学校入学該当者の従事する職業のうち、圧倒的多数を占めるものは工業(約二二万人、五八・四%)で、次位以下の職業を大きく引きはなしていた。したがって、前記青年学校在学者三万三〇〇〇人中の六割約二万人位が工業少年であったと推定されるが、そのうちには大工場の青少年工も含まれているから、中小工業徒弟であって青年学校を利用していたものは、ほとんどいうに足りないという現状であった。しかも、そのいうに足りない中小工業徒弟を収容教育していた公立青年学校の教育内容がまたはなはだしく不徹底を極めたもので、その原因、理由については、(1)学校施設の不備、(2)教師に兼任者多く青少年教育にたいする熱意研究心の欠除、ことに職業科教師に人をえなかったこと、(3)教科の中心をなし、かつ生徒の最も有用と認める職業科に人をえなかったため、その授業に生徒が殆んど興味をもちえなかったこと等が指摘されていた(藤井次郎「勤労青年に対する教育施設の実情について」、労働科学研究、第一六巻八号)。
かくして、公立青年学校に通学する青少年徒弟の多くは業主との諒解なく、自ら困難を忍び学費を自弁し、非常な期待をもって登校したのであるが、そこで行なわれている教育が、まったくかれらの予期に反したものなので、長時間労働による疲労と、通学に好意を示さない環境の圧迫が加わって、教育効果はとぼしく、したがってそれが出席率に影響し、また中途に学を断念するものも甚だ多いという実情であった。ただ僅に彼らの通学の希望をつなぐ一つの教科があった。「それは教練科である。この教練科に対しては、彼ら自身非常に有用なものとは思っていないのであるが、而もなお最も多く興味を持ちつづけているのである。その理由としては、教練科の授業が非常に熱心に行なわれていることにもあるが、そのことよりもこの教科の魅力がレクリエーションの代用をなすことにある。何等の慰安娯楽施設をもたぬ中小工業徒弟を長時間にわたる朔漠極まる工場生活から解放し、心機一転英気を養わせるものは、同年輩の青年が揃って喇叭にあわせて行進したり、思い切って声高らかに軍歌を合唱したりすることのできる教練である。教練を慰安娯楽の代用とみなすことは問題であるが、最も強くレクリエーションを求めてえざる徒弟が、その欲望の一端を教練の中に充さんとする気持にたいしては満腔の同情を表せざるをえない」。(大内経雄「中小工業の徒弟教育」、社会政策時報、第二八三号、一九四〇年七月号)とのべられている。公立青年学校の教育はかくのごとくであった。
かくして、東京市で約三〇万、全国においてはおそらく二〇〇万をこえる中小工業徒弟が、教育的には全く放任の状態にあった。一九三七年七月に創立された日本技術教育協会は、一時的な熟練工養成でなしに、重化学工業の発展に照応するよう国民教育全体の制度・内容を綜合技術教育の理念にそってかえようとする運動を展開した。
かつての教労、新興教育運動などに参加した人達によって組織されたこの日本技術教育協会が、太平洋戦争下にのこした主な業績は、次の三つであったといえる(「日本教育運動史3」、三一書房一六七頁以下)。
その第一は、日本技術教育協会が設立後、最初に手がけた、高等小学校における「職業実習の教育的組織化の運動である。この運動が当時の高等小学校の「職業実習」の実践に与えた影響は、川崎市および東京のわずかな高等小学校にかぎられていたといえるが当時、職業指導運動の一環としておこなわれていた「職業実習」のありかたについて、一つの新しい方向をしめしたものである。
第二には、日本技術教育協会の指導による大森機械工業徒弟学校の運営である。これは東京市大森区内にある中小の機械工場が共同して、見習工養成施設としてもうけたものであり、その設立および教育は、日本技術教育協会の指導のもとにおこなわれた。当時(一九三九年)国家総動員法第二二条の規定によって工場事業場技能者養成令が公布され、技能者の養成が事業主に義務づけられ、中小企業者が技能者の養成を実施しなくてはならなくなったとき、この大森機械工業徒弟学校の実践は、中小企業の共同養成方式に代表的なモデルを提供したものといわれている。
第三に、「技能者養成テキスト」の編集である。これは、さきの高等小学校の職業実習の経験および大森機械工業徒弟学校の実践を基礎として編集されたものであり、日本技術教育協会のしごととして、当時の工場内技術教育に与えた影響はもっとも大きなものであった。というのは、当時、工場事業技能者養成令の公布をみながら、適当な技能者養成用テキストは皆無といってよい状態であったからである。さらに、敗戦を間近にひかえた一九四五年三月には、海軍航空本部の教本の編集をひきうけ、出版するにいたっている。
高等小学校生徒の職業実習
職業実習を「技術教育」の一環として位置づけようとしたのは、日本技術教育協会である。一九三七年(昭和一二年)に、日本技術協会の北村孫盛が中心となって、川崎の高等小学校の職業実習を調査分析し、職業実習を「技術教育」の一貫として理論づけた。それによると、
(1)生産力拡充政策の根幹をなす熟練工および技術者養成問題を、国民教育の面において研究対策すべき重要問題の一つとして職業実習を認識する、
(2)職業実習は、見習工教育の有力な基礎として、またその初歩的段階であり、見習工教育を全面的に促進せしめる戦略地点である、
(3)職業実習は、国民教育改革の、とくに内容の改造および八年延長案の教育のありかたをしめすものである、
との観点にたって、当時、増加してきていた工場実習を意義づけた。こうした意義づけは、職業紹介法の制定によって、転換をせまられている学校職業指導にとって、理論としてはうけいれられる素地をもっていた。というのは、職業紹介法の制定によって、学校職業指導のうけもつ領域が、(1)職業の基礎的陶冶と、(2)個性環境の調査と国家の要求する産業への選職指導とにワクずけされ「職業実習」も「職業的技能の基礎的陶冶」の一方法として位置づける考えかたが芽ばえていたからである。もちろん、日本技術教育協会の理論構成者たちの頭の中は、「生産的労働と教育の結合」による人間形成という、ソビェトの教育のありかたが去来していたであろう。というのは、前にかかげた文献にも、それをにおわせる文章がみられるし、同協会編の雑誌「技術と教育」にも「綜合技術教育」という言葉がしばしば使われている。……
〔だがしかし〕日本技術教育協会のイデオローグたちの主観的な意図はどうあったにせよ、職業実習の実際は、生産力拡充という国策遂行によって左右されざるをえなかった。というのは、高等小学校生徒をひきうける大多数の中小企業では、相かわらず、単純作業に実習生を配置して、生産をあげることを意図したし、学校側では、そうした単純作業の技能を身につけることを、国策遂行の立場から当然のこととし、それをもって「職業的技能の基礎陶冶」の役わりをになうものとした。
大森機械工業徒弟学校
東京都大森区内の中小の機械工場は、かねて大森機械工業同志会という同業組合を結成し、業者間の協力と懇親をはかっていたが、労働力不足がいちじるしくなってきた一九三八(昭和一三)年一二月に、大森機械工業徒弟委員会を設立するにいたった。そして、見習工の募集とその共同養成、共同寄宿舎、栄養食共同炊事所および病院の経営をおこなうことになった。この委員会の運営に日本技術教育協会が積極的に参加し、とくに見習工の教育を意図する大森機械工徒弟学校は、日本技術教育協会のイニシアチブのもとに経営された。この徒弟学校の養成期間は、五ヵ年で、これを本科三ヵ年(技術者養成令に準拠)、高等科二ヵ年(青年学校令に準拠)にわけている。本科は一学年定員四五〇名であり、生徒は委員会に加わっている中小工場で働く少年工をもって構成されている。その工場数は一九三九(昭和一四)年末で六五工場におよび、そのうち、技能者養成令に定める指定工場数九であり、使用職工数三〇名以下の部品下請の個人経営工場が多くをしめている。かかげられた目標をみると本科においては「熟練工としての基礎的一般的な知識技能の修練ならびに社会人としての生活指導」をするとあり、
これにつづく高等科は「本科において獲得せる基礎の上に、技術的には工作機械、内燃機関、化学工業機械、兵器等特殊機械の機能、構造、工作法等に精通せしめ、工場技術者としてその資質を向上せしめ、同時に工場指導員としての資格を得せしむる」にあるとしている。ここにかかげられた目標は、当時の中小の機械工場に必至とされる「多能工」養成を目ざしたものであり、大森機械工業徒弟学校が大森地区の中小工場に籍をおく少年工を対象としたかぎり、当然のことであった。しかし当時の「多能工」養成を主張する山口貫一、大内経雄、富塚清などが、欧米における技術教育の熱心な紹介者であったのにたいし、日本技術教育協会のイデオローグたちは、ソビエトの「総合多能工教育」の日本版として、徒弟学校による「多能工」養成を考えていたといえる。(中略)はっきりいえることは、意図のいかんにかかわらず、徒弟学校の教育は、客観的には中小工業向きの使いやすい「多能工」養成にすぎなかったといえる。 
第四章 宗教運動 

 

第一節 宗教統制
「満州事変」以降、多数の新興宗教結社(いわゆる「類似宗教団体」)がにわかにその勢力を拡大したが、一九三五年から三九年にかけて、「大本教」(皇道大本教団、起訴六一名)をはじめとして、「ひとのみち教」(起訴七名)、「天津教」(検挙一五名、起訴一名)、「天理本道」(検挙三七四名、起訴二三七名)、「天理神之口明場所」(検挙一四名、起訴六名)、「天理三輪講」(検挙一三名、起訴九名)、「三理三腹元」(検挙一八名、起訴一〇名)、と、それぞれ不敬事件(大本教と天理教系四派は、治安維持法違反ならびに不敬事件・結社禁止)として検挙された。一方、宗教諸団体、とくにキリスト教、仏教等において、その教理・宗義等における反国体的言説・思想が厳密な調査検討を受けるものが少なくなく、それらの団体の内外から排撃・刷新を呼ぶ声も強まり、その「自由主義」「国際主義」「現状維持的平和主義」などが攻撃を受けた。とくにプロテスタント派の多くのクリスチャンをはじめ多くの宗教者が、反戦・非戦や不敬(神社不参拝・神棚不祀・宮城遙拝拒否・その他)の言動について「要注意」となり、それらのことに関連して教団内の内紛や「棄教」・「キリスト教の日本化」(「世界に比類のない日本精神を樹立せしむるものは、基督教でなくてはならない」藤原藤男)や教会の自給独立(外国からの経済的支援離脱)などの動きも起こり、キリスト教報国会なるものも姫路に出現した。仏教においてもたとえば三九年八月には日蓮正宗関係の一雑誌が神祇の尊厳を冒涜する記事のため発禁処分を受け、同一二月に宮崎県の浄土宗の一住職が「世に善き戦争なく、悪しき平和なし」「無謀の戦は一年に於て数年の事業を毀つ」等の聖句を寺前に掲出して警察に抹消させられた。
これより先、三八年三月には大阪憲兵隊の特高課長が、大阪のキリスト教牧師たちに、天皇とキリスト教の神との関係、勅語とバイブル、神社参拝などについて一三項目の質問状を発して回答を求めており、四月には憲兵隊から教会にたいして、「キリスト者がわが国体に対して忠良であるなら、教会に大麻を奉斎してもらいたい」と申し入れた。立教大学では、配属将校が、礼拝堂の十字架を破壊する事件もあった。
三九年三月に成立し四〇年四月から施行された「宗教団体法」は、「宗教団体または教師のおこなう宗教の教義の宣布もしくは儀式の執行または宗教上の行事が安寧秩序を妨げ、または臣民たるの義務に背くときは主務大臣〔文部大臣〕はこれを制限しもしくは禁止し、教師の業務を停止しまたは宗教団体の設立の認可を取り消すことを得」(第一六条)ときびしく規定し、また司法省の執務資料によれば「法律の定むる各種の規定に拠るべきことはもちろんであるがその根本理念はあくまでも民族的信念たる皇道精神に基礎を求めねばならぬと確信する。右の皇道精神とは国家皇室を中心とする臣民道を指すのであって、これと相容れない宗教は必ずや皇国において発展することは出来ないであろう」とされ、事実上信教の自由は著しく拘束されるにいたった。
さらに当時の通俗小説や映画などには、宣教師や日本人牧師などを悪意的にスパイとして扱ったものすらしばしばあらわれるようになったが、四〇年七月末には救世軍本営がスパイ容疑で憲兵隊の取り調べを受けた。救世軍はロンドンに万国本営を置いており、たまたま天津問題で国内の対英感情の悪化があふられていたことが背景になった。東京憲兵隊は救世軍司令官植村益造以下四名(うち一名イギリス人)を防諜上の容疑で引致し、一週間拘束して取り調べた上釈放し、陸軍省発表をおこなった。その後も数名の士官を不拘束のまま取り調べたが、確証なく、憲兵隊当局は文部省を通じて、自発的に万国本営から離脱し、軍隊模倣の称呼を廃止し、防諜上危険のおそれある組織を変更することなどを救世軍司令官等に誓約させた。救世軍日本本営では、二名のイギリス人幹部を帰英させ、イギリスの本営との一切の関係を絶ち、名称も「救世団」と変更して再発足することになった。同じ年九月、賀川豊彦は日本基督教会宣教師小川清澄とともに、反戦平和的講演・評論のため東京憲兵隊に検挙されたが、疑い晴れて釈放された。
宗教団体法の施行にともなって、プロテスタント各教派は同法にもとづく教団としての認可をうる準備を進めたが、文部省側では、教会数五〇、信徒数五〇〇〇以上をもたない教派は正式に認可できないとの意向を表明し、またプロテスタント全教派の合同が「新体制」に即応するゆえんであるとの見解が政府から伝えられた。救世軍事件はこの動きを促進させた。自発的合同のためには時期尚早との内部の意見もあったが、四一年六月には三三のプロテスタント諸教派の合同体として日本基督教団が成立し、当局の公認を受けた。
これは日本聖公会(アングロ・カソリック)とセヴンスデー・アドヴェンチスト教会の二派だけを除いた大合同であった。教団に加わらなかった右二派は、以後宗教団体としてもちうる庇護の特権をもちえず、地方警察の直接監視下におかれることになったばかりでなく、「信条を有せざる基督教団との無条件合同は聖公会の拠って立つ所と相もとる事明白なり。教会にしてキリストの啓示を基とするにおいては之が信条を無視する事能はざればなり」として合同に反対した佐々木鎮次ら六人の監督は内部一信徒総代から「思想謀略戦の観点より」「敵国たる米英に対し軍事上の利益を与うるものとして」告発せられるに至った。教派の大合同は政府にとって統制を容易にし、戦争目的遂行の上意下達に役立つものであったが、信仰の自由はこれによって大きく束縛されざるをえなかった。各教会には「決戦態勢下基督教会実践要綱」「戦時布教方針」「決戦態勢宣言」等がつぎつぎと伝達され、太平洋戦争開戦にあたっては「基督者は祖国のため結束して祈祷に努むべし」の檄文が送られた。  
第二節 プロテスタントと無教会派 

 

キリスト教団体にたいする直接的組織的弾圧は燈台社からはじまった。在日本燈台社(Watch Tower)は在米燈台社総本部の日本支部として一九二七年に結成されたキリスト教系の宗教結社であり信者二七〇余名、機関紙「黄金時代」の継続購読者約三〇〇〇であった。同社は一九三三年に幹部数名が不敬罪容疑で検挙され、機関紙・単行本も大量に発禁処分を受けたことがある。三九年一月、社員三名が徴兵または召集されて入営したが、かれらは上官に対し、「ヱホバ以外の被造物に礼拝することは神ヱホバの厳に禁ずる所なれば、今後宮城遙拝、御真影奉拝等の偶像礼拝は絶対に為し能わざる」むね、また、「天皇は元来宇宙の創造主ヱホバに依り造られたる被造物にして、現在は悪魔の邪導下にある地上の一機関に過ぎざるが故に、天皇を尊崇し、天皇に忠誠を誓う等の意思は毛頭なき」むね等を公言し、さらに馬術訓練は神意に反する流血行為の演練なりとしてその出場命令を抗拒し、ついには、兵営生活が神ヱホバの神意に反すとの理由で脱営し、また自己の支給兵器を神意に反する殺人器なりとして返納を申し出るなど、「不敬不遜の言辞を弄し」また軍事教練不応等の行動を重ねたものとして、それぞれ所轄憲兵隊により不敬罪ならびに軍刑違反として検挙された。これにたいし同社幹部は、ヱホバの忠信者が当然とるべき標準的態度であり、右行為は軍部に対する徹底証言となった等と賞揚し、そのむねを宣伝吹聴してとくに宣明運動の積極的展開方を指令し、各地方証者等もこれを契機とし運動はいちじるしく活発さを加え、東京・兵庫・朝鮮・台湾の各地をはじめ、全面的に顕著な教勢伸長をみた。これにあわてた内務省および警視庁当局は、司法省および憲兵隊当局とも連絡協議の上、検挙方策を考究して調査をおえ、治維法違反ならびに不敬罪をもって三九年六月下旬、北海道ほか一八府県において主幹者明石順三以下九一名、朝鮮総督府で三〇名、台湾総督府で九名、総計一三〇名を一斉検挙するに至った。押収証拠品は、単行本三〇余種・小冊子三五種・機関紙二五五点・秘密機関紙二二〇点・聖書研究一〇〇点・英独朝鮮文出版物二八〇余種・その他の物件一〇〇〇余点に上った。検察当局は同社を、「燈台社教理による世界支配体制変革の一環として我国体を変革し、いわゆる地上『神の国』を建設することを究極の目的とし、同教理に基く証言宣明行為によりて我国民の国体観念を腐蝕せしむると共に現存秩序の混乱動揺を誘発することを当面主要の任務とする結社なり」と定義して治維法違反に問うこととし、五三名が起訴され、死亡、応召各一名を除き五一名にたいして四一〜四二年に第一審判決(明石順三は懲役一二年)が下り、うち二九名が控訴した。治安警察法第八条第二項により同社は内務大臣から結社禁止を命ぜられた。また一斉検挙後、燈台社再建運動として、熊本県で五名、(うち三名起訴、一名病死)、新潟県で一名(起訴)が検挙されている。
キリスト教信者の葬儀にたいする干渉もおこなわれた。四〇年五月から七月ころ、佐賀県では戦病死したカトリック信者の一歩兵上等兵の遺族はキリスト教合同村葬を懇請したが、村当局は時局がら仏式を妥当であるとして承認せず、仏式で執行したため遺族は別にキリスト教葬をおこない、福岡県でも、戦病死したカトリック信者の一砲兵一等兵の公葬につき遺族は村当局の決定した神式に反対してキリスト教葬を希望して紛議を生じたが、警察署の調停により神式の村葬執行前に親族間のキリスト教式私葬がおこなわれた。日米開戦から一ヵ月あまりたった四二年一月、聖教会系で当時日本基督教団(前述)の看板を掲げていた北海道函館の教会の牧師補小山宗祐の自決事件がおこった。同氏は、隣組が輪番制で毎朝ゆくことにしていた護国神社参拝を拒否したとして訴えられ、憲兵隊と警察の取調べを受けて起訴され、判決が出る前に未決監房で自殺してしまった。絞殺されたのではないかと疑う者もあったが、当局の発表では自決であった。四二年四月、名古屋の聖ペテロ教会(聖公会系)の一牧師は隣組常会において事変公債の購入割当が協議された際、「購入割当ということは町内や隣組の平和をみだす因である。われわれは公債の割当は御免こうむりたい。この公債は金のある人や事業で金をもうける人が購入するのが当然だ」と述べて割当を拒否しまた防空作業に出動せず、銃後奉公会費の拠出を拒んだ。
右の小山牧師補の所属した旧聖教会は一九三六年まではホーリネス教会といわれており、同教会はその年末から「日本聖教会」と、「きよめ教会」(および東洋宣教会きよめ教会」=旧きよめ教会正統派)の二団体に分裂したのであるが、前者(教会一九七、宣教者二五三、信徒一万六三五〇。一九四二年七月現在内務省調)が日本基督教団第六部として、後者(教会一○七、宣教者一四○、信徒七三六一。同上)が同第九部として合同したのは四一年六月のことであった。これら元ホーリネス系の教会の牧師(信徒二万五〇〇〇人、日曜学校会徒三万人、教会一六四、巡回伝道所三〇〇、牧師・伝道師二五〇人)に対する大規模な検挙が二六府県にわたって四二年六月におこなわれた。日本基督教団第六部では会長車田秋次(神田教会)聖書学校長米田豊・財務部長小原十三司(淀橋教会)・総務部長安部豊造(杉並教会)をはじめ「聖教会」系の五六名、日本基督教団第九部では会長斉藤源八・海外伝道部長森五郎(上海教会)・大阪教会工藤玖三等の幹部をはじめ「きよめ教会」系の五五名、および「きよめ教会」の分派(尾崎派)の一二名、が全国各地で検挙された。検挙とその後の裁判の法的根拠となったのは、治安維持法第七条・治安警察法第八条・宗教団体法第一六条等であった。取調べにあたっては、「伊勢大神宮を偶像として見るか」「天皇はさばかれるか」等の質問が使われた。結局、聖教会関係では四四年一二月の公判において、禁錮二年(未決通算)二名、体刑三年(執行猶予五年)六名、同二年(執行猶予三年)四名、同一年(執行猶予二年)一名(求刑は体刑七年一名、同六年三名、同五年四名、同三年四名、同二年一名)、「きよめ教会」系では体刑三年六ヵ月(名古屋)一名、執行猶予一六名の判決があり、上告すればかえって実刑になるから損だとの意見を拒否して上告したまま終戦となり、生存者は解放された。地裁の判決は東京より重く、外地はいっそうひどかった(朝鮮では終身刑)。その間に五名が獄死し、二名は死の直前釈放されて直ぐ死亡した。小出明治は上告も却下され、病中服役延期願も許されずに実刑に処されたまま、遺族は突然死亡を知らされ、「獄衣はくれられないから全裸で死体を渡す」と告げられて裏口から引き取ったが、脳天に二ヵ所ナタでなぐりつけられたらしい傷跡があったという。また「きよめ教会」の工藤玖三は八○才をこえて牢死した。また元ホーリネス教会は、いずれも四三年四月、内務省の命令によって教会結社許可取消しの通達書が発せられ、教会は解散させられ、集会所は閉鎖された。
日本セブンスデー・アドベンチスト教団(キリスト再臨団。内務省調によれば、教会一八、宣教者三二名(外国人四)、信徒一一〇〇名)は、四三年九月に全教師および信徒の有力者が検挙され、四四年六月に解散処分をうけた。また四一年から四二年にかけて、「耶蘇基督之新約教会」関係で、東京、愛知、高知、兵庫、静岡の各地で計四三名が治維法違反として検挙された(起訴二二名)。
無教会派クリスチャンでは、「プレマス・プラズレン」のグループが、四一年九月に大阪で八名、四二年三月に東京関係者六名が検挙され、それぞれ起訴された。
無教会派の東大教授矢内原忠雄は、三七年におこなわれた藤井武第七周年記念講演において、「日本の理想を生かす為めに、一先づ此の国を葬って下さい」と述べたことをとがめられて東大を辞任したあと、各地で広く研究会・講演会をひらくとともに個人雑誌「嘉信」に力をそそいで不屈な信念を守った。三九年一一月の「基督教徒大会」へ松井陸軍大将が出席して挨拶したことについては、「その陸軍大将は南京事件当時の最高指揮官であった。南京陥落の時に、アメリカのミッションで建ててゐる基督戦の女学校に対して、一つの大きな間違が犯された。若しもさういふ事実を基督教徒大会の主催者が知らなかったとするならば、之は甚しき怠慢である。知ってゐたとするならば、何という厚顔無恥であるか。その事件の責任者たる者は、手をついて基督教会の前に謝らなければならない。基督教徒大会は、日本の基督教徒の名に於いて謝罪を要求すべきではないであろうか。それを全民衆が起立して迎へるとは、之ほど逆さまの事がありますか」(「嘉信」、四〇年一月号)と述べ、また、「歴史を辿ってみれば、欧米諸国だけが支那を半植民地化する政策をとったといふやうな事は言へません。西洋だけが間違を犯したのであると考へるのは、学問的にも歴史的にも成り立たない勝手な議論であります」(同六月号)と断言し、「風はいつ迄も吹くにあらず、火はいつ迄も拡がるのではない。焼跡に残って、燦然として輝くものは基督者の信仰である。神の審判は行われ、神の経綸は遂行せられる。我らは信仰によって之を見、之に一身を托して平静である。義は必ず不義に勝ち、建設は必ず破壊に勝ち、神の国は必ず世に勝ち、キリストの栄光は必ず顕揚せられるであらう」(同四一年八月号)とした。「嘉信」にたいしては何回となく発禁・削除・注意等の処分が加えられ、四二年一二月には用紙の割当を全廃されたが、圧迫にひるまず、用紙を他から入手して刊行をつづけた。四四年六月、警視庁は「嘉信」の廃刊を命じたが、これにたいし矢内原は、名前だけ「嘉信会報」と改め、「雑誌は廃刊になっても伝道は廃すべからず。印刷の出来る間は印刷により、印刷が出来なくなれば謄写版により、謄写版も出来なくなれば筆写回覧の方法によりても、キリストの福音は宣べ伝へられねばならないのである」との決然たる態度をとり、謄写版をもって敗戦に至るまでついに一月も欠くことなしに刊行を継続した。敗戦直前の七月の「嘉信会報」には、「余が己の為めに願ふところは三つある。第一は、余の名の天に在る生命の書に録されてあらんこと之である。第二は、天に召される日まで余の信仰の純粋に保たれんこと、之である。第三は、余の言の保存せられて後世に証とならんこと、之である」としていた。
また、矢内原忠雄が「私の最も敬愛する福音の証者」と呼んだ浅見仙作は、一八六八年新潟の農家に生まれ、単身北海道に渡って開墾に従事し、五年後に五〇町歩の墾成地地主となり村会議員や郵便局長になったが、石狩川の氾濫で無一物となって洗礼を受けてキリスト者になった。そのごカリフォルニアに出稼ぎに行って日雇や人夫となり、帰国後は浴場業を営んだりして、主に農民や床屋や郵便集配人などを対象に各地に伝道したが、かれの発行していた伝道紙「喜の音(よろこびのおとずれ)」は日中戦争にかんする筆禍事件で一九三七年一〇月に廃刊せざるをえなくなった。そのご七五才になった浅見は反戦思想の疑いで四三年七月に札幌警察に検挙され、翌年二月まで二〇〇余日のあいだ零下一五度の地下コンクリート監房に留置された。札幌地裁の公判では、「天皇統治が千年王国の建設に際して廃止せらるべきものとなす国体を否定すべき内容のものなることを知悉しながら該教理の宣布を目的とする集団を結成」といわれ、「平素反戦思想を抱き、且つ我国の国体に反するキリスト教を信じ、幾度説諭しても翻意することなく、亦自分が信ずるのみならず、集会を開き同思想を鼓吹し、剰え日本全国から満鮮地方まで巡歴して同思想を宣伝し、尚月刊雑誌や印刷物を頒布して益々その思想を昂揚せんとするものであって、治安維持法第七条及び第八条に抵触するもの」として四年を求刑され、懲役三年の判決を受けたが、直ちに大審院に上告した。(控訴は治維法第三三条で許されなかった)。大審院では三宅正太郎裁判長係りで四五年三月事実審理に附すとの言渡しがあり、その結果、第一審を誤判とし、無罪の判決が六月に下された。この裁判は「旧憲法下におけるわが国の裁判官の名誉を保持し得たものとして特筆すべきもの」(斉藤秀夫「裁判官論」)といわれ稀有の例であった。
(前出「社会運動の状況」各年版のほか、安倍豊造「受難の記録」、日本評論、一九五〇年八月号。鈴木義男「安倍牧師の手記を読んで」、同上号。米田勇「大東亜戦争下における基督教の弾圧」、思想、一九五九年二月号。家永三郎「戦時下の個人雑誌思想、一九六四年一月号。横山貞子「キリスト教の人びと」。思想の科学研究会編「転向」、中巻。長清子「浅見仙作」、世界、一九六五年八・九月号などによる) 
第五章 芸術運動 

 

第一節 新劇
わが国における新劇運動のメッカともいうべき築地小劇場は、一九三三年の改築後は「新協」「新築地」両劇団をはじめとする新劇公演によって経営され、両劇団の中心メンバーによる管理委員会が管理してきたが、建築物の大改装を要するようになったのを機会に、土地建物の所有者であった土方家から買収し、資本金八万円の株式会社築地小劇場を創立して改築にあたることになり、三九年一一月工事完了して開場した。戦争下において、わが国新劇の代表的二大劇団であった「新協劇団」と「新築地劇団」は、他の進歩的文化団体がそれぞれ弾圧を受けて活動の衰微した中にあって、本拠である築地小劇場の舞台を中心に活発な公演活動を展開し、関西をはじめ朝鮮などへも巡業し、またしばしば都市大劇場へも進出し、さらに映画会社と提携して映画を製作したほか、各地に後援会を設けて観客組織を強化してしばしば座談会・講演会等を開催し、また地方の新劇団体にたいしても指導的な影響力をもった。この両劇団にたいして、一九四〇年八月、大規模な弾圧がおこなわれ、両劇団とも即刻解散することを強要されるとともに、劇団員・後援会員をふくめて全国的な検挙を受けた。検挙されたのは、東京では、新協劇団関係の村山知義・久保栄・滝沢修ら二六名、新築地劇団関係の八田元夫・千田是也・岡倉士朗ら一四名、大阪で新協劇団関西後援会の四名、新築地劇団大阪後援会の四名、大阪協同劇団の馬渕薫ら二名、広島で新協劇団広島後援会の九名、静岡で新協・新築地両劇団後援会の八名、島根で山陰新協後援会の一〇名、京都で新協、新築地両劇団後援会関係の三名、総計八○名(まもなく釈放されたものを除く)であった。劇団関係者(テアトロ社をふくむ)のうち起訴されたのは一四名(四二年七月の判決では、それぞれ二〜八年の刑、執行猶予三〜四年)である。
新協劇団は、日本プロレタリア演劇同盟(プロット)加盟の左翼劇場(プロット解散後は中央劇場)を母体とし、村山知義の「新劇大同団結の提唱」にもとづいて一九三四年に結成されたものであり、長田秀雄、秋田雨雀、村山知義からなる幹事会と滝沢修らの総務課(四〇年六月改組)を中心として組織され、全国に二一の後援会(約一二〇〇名)をもっていた。三七年の「事変」以後の主要な公演としては、トルストイ「アンナ・カレニナ」(杉本良吉演出)久板栄二郎「北東の風」(村山知義演出)、島崎藤村「夜明け前」第一・二部(久保栄演出)、張赫宙「春香伝」(村山演出)、久保栄「火山灰地」前・後篇(久保演出)、キングスレー「デッド・エンド」(村山演出)、オニール「初恋」(同上)、久板栄二郎「千万人と雖も我行かん」(同上)、ゲーテ「ファウスト」第一部(久保演出)、久板栄二郎「神聖家族」(村山演出)、本庄陸男「石狩川」(同上)、長田秀雄「大仏開眼」(伊藤道郎演出)、ヴェデキント「出発前半時間」、(松尾哲次演出)、真船豊「遁走譜」(千田是也演出)などがあり、公演延日数三六九日、三九年一年間だけで八一日、約七万人の観客を動員した。その他、映画会社と提携して、「初恋」(東宝)、「空想部落」(南旺映画)、「多甚古村」(東宝)、「煉瓦女工」「奥村五百子」(東京発声映画)などの映画に出演し、また講演会・座談会等を三一回おこなっている。
新築地劇団は、土方与志のあとを追って築地小劇場を脱退した薄田研二・丸山定夫・山本安英らにより一九二九年に結成された劇団で、のちには同じくプロツトに加盟して活動し、その解散後、新劇の大同団結には劇団としては加わらず、薄田幹事長以下石川尚・和田勝一・八田元夫ら(岡倉士朗・山川幸世らは解散直前に、千田是也らはその前に脱退)の幹事会を中心として組織され、全国に一二の後援会(約二〇〇〇名)をもっていた。三七年の「事変」以後の主要な公演としては、山本有三「女人哀詞」(山川幸世演出)、藤森成吉「渡辺華山」(岡倉士朗演出)、八木隆一郎「嗤ふ手紙」(千田是也演出)、長塚節「土」(岡倉演出)、三好十郎「彦六大いに笑ふ」(山川演出)、ゴーリキー「どん底」(同上)、アーサー「ジャーナリスト」(千田演出)、イプセン「幽霊」(青山杉作演出)、豊田正子「綴方教室」(岡倉演出)、藤森成吉「江戸城明渡」(山川演出)、高倉テル「子もり良寛」(千田演出)、真船豊「黴」(久保田万太郎演出)、シェークスピア「ハムレツト」(山川・岡倉演出)、伊藤貞助「金銭」(岡倉演出)、梅本重信「武蔵野」(同上)、豊田正子「喧嘩」(石川尚演出)、上泉秀信「ふるさと紀行」(八田元夫演出)和田勝一「海援隊」(同上)、水木洋子「早春」(石川演出)、中本たか子「建設の明暗」(岡倉演出)、三好十郎「浮標」(八田演出)、真山青果「坂本竜馬」(岡倉演出)などがあり、公演延日数三七三日、三九年一年間だけで九九日、約七万人の観客を動員した。その他、松竹と提携して随時映画出演をしていたが、三九年からは南旺映画と団体契約して「空想部落」に、また日活映画と契約して「海援隊」に出演し、講演会・座談会等を七回おこなった。
前述したように、四〇年八月の一斉検挙と同時に、両劇団の即時解散が強制されたが、当時の新聞には、両劇団代表者二名を警視庁に招致「自発的解散をしょうようしたところ両氏とも快諾しそれぞれ劇団員にはかった結果、新協劇団は二二日、新築地劇団は二三日いずれも解散を決議」という虚偽の報道が強制掲載された。事実は、この弾圧にたいして予想される全国的反対運動を起こさせないよう、みずから前非を悔悟反省したという声明書き発表させるために両劇団の首脳者である長田秀雄・薄田研二の二人を検挙しなかったのであり、それぞれ劇団の緊急総会を開いてみずから解体した形をとったが、そのころ右二名を除く劇団員は警察署に逮捕されていて総会など開けるはずはなかったのである。つづいて各地の後援会も、それぞれ「当局のしょうよう」によって解散した。地方劇団についても同様であり、両劇団につづき「大阪協同劇団」、「劇団制作派」(大阪)、[劇団ドウゲキ」(大阪)、「大阪人形座」、「岡山演劇集団」、「北陸新劇協会」(金沢)、「エランヴィタール小劇場」(京都)等も警察の「しょうよう」によって「自発的」に解散した。演劇雑誌「テアトロ」も発行停止となり(一二月同社解散)、その編集責任者は起訴され、人形劇団プークには解散命令が出された。新劇後援会関係者の検挙はその後もつづいた(たとえば四一年に聖路加病院看護婦グループ二名、旧東交巣鴨グループ四名等)。
築地小劇場も四○年一一月には国民新劇場と時局向きに改名したが、依然としてそこを根城とする新劇小劇団の活動はつづけられた。保釈で出てきた劇団員たちの多くは営業停止の令状を渡され、活動不可能となってていたが(「興業取締規則第九七条によりその業務を停止す、右相達す、警視総監」、「映画法第六条により演技の業務に従事することを停止す、右相達す、内務大臣」)それにふれない人たちも加わって、四二年二月には、「瑞穂劇団」(宇野重吉・信欣三・北林谷栄ほか。はじめ農山漁村文化協会直属、のち日本移動演劇連盟専属)、「文化座」(井上演劇道場から分立、山村聡・鈴木光枝ほか)、「苦楽座」(薄田研二・丸山定夫・徳川夢声ほか)などが活動をはじめた。鑑札をもらえず「営業停止」になった人たちも、新劇以外には出演を許された者もおり、他人の名義にかくれて仕事をした人たちもあった(村山知義・千田是也など)。国民新劇場においても、それが四五年三月にアメリカ空軍の爆撃で焼失するまでの間に、約二〇の新劇劇団が九〇余の戯曲を上演し、その他歌舞伎・新派・児童劇団を含めて月平均二五〜三三回の公演が空襲警報に中断されながらつづけられた。四四年には「俳優座」(千田是也・青山杉作・東野英治郎ほか)が発足し、つづいて「芸文座」(東宝劇団部、滝沢修・宇野重吉ほか)が旗上げ公演をもった。文学座は情報局からその指令下の劇団になるよう「しょうよう」されたが、それを拒否した。苦難な条件の中においても、いくつかの芸術性をもつ舞台が上演された。文学座は岩下俊作「富島松五郎伝」(里見ク演出)、真船豊「鶉」(久保田万太郎演出)、飯沢匡「北京の幽霊」(長岡輝子演出)、真船豊「田園」(千田是也演出、名義上は真船)、森本薫「怒涛」(久保田演出)を、瑞穂劇団は知切光才「左義長まつり」(久保田演出)、「北斗星」(千田演出、名義は真船)、伊藤貞助「高原農業」(千田演出、名義は里見)、文化座は三好十郎作、佐々木隆演出の諸作品や和田勝一 「牛飼の唄」、苦楽座は真船豊「見知らぬ人」(真船演出)、三好十郎「夢の巣」(里見演出)、松竹国民移動劇団は真山青果「平将門」(鈴木英輔演出)をそれぞれ上演した。
「移動演劇」運動は、もともと戦力増強のために内務省の「演劇の浄化と統制」方針にそい、大政翼賛会文化部の提唱を受け、情報局の指導と援助の下におこなわれたものであったが、全国の農村・漁村・鉱山・工場・学校など広い範囲にわたって尨大な観客層を集めて展開され、戦争の後期には演劇界の主流になっていた。「日本移動演劇連盟」は四一年五月に結成され、はじめは松竹・東宝などの七団体であったが、四二年から「瑞穂劇団」などが加盟し、その後、「文学座」「文化座」「前進座」「井上演劇道場」なども参加し、四三年三月には社団法人に組織化された。観客動員数も、四二年は二二二万、四三年は二九八万、四四年四五八万に上った。苦楽座は「桜隊」、俳優座は「芙蓉隊」としてそれぞれ移動演劇隊に編成替えされ、文化座、文学座、芸文座なども移動演劇に移っていった。「桜隊」は広島で原爆を受け、丸山定夫ら全員が爆死したことは、「上海事変」での呉淞クリークにおける友田恭助の戦死とともに、日本の新劇に加えられたいたましい戦争の爪跡であった。
なお地方では、新劇後援会を中心として演劇活動その他広範な文化運動を展開した名古屋の「映壇社」グループ関係で三九年から四〇年にかけて計四二名が検挙され、「劇団新潟」関係では四〇年五月と九月に計一〇名が検挙されている。東京では日大・慶大の学生たちによる劇団「青麦座」関係で三九年一一月四名が検挙された。
(前出「社会運動の状況」各年版のほか、雑誌「文学」連載の「戦時下の文学・芸術」の宇野重吉・山川幸世・松尾哲次・千田是也・菅井幸雄・佐々木隆の記述、同誌一九六一年五月、八月、六二年四月号。岡倉士朗・木下順二編「山本安英舞台写真集」所収の「文献による日本新劇史」、一九六〇年刊、などによる) 
第二節 文学 

 

一般に文学の分野においては、後述する俳句・短歌の場合や地方の小文学サークルの場合を除けば、組織的な形をとった抵抗の運動というべきものはまったく見られず、個々の作家の孤独な動きに止まった。個々人の抵抗という場合でも、多くは芸術至上主義的な韜晦の形か、あるいは公然たる時局への妥協と協力の「擬装」をとっておこなわれ、とくに後者の場合は客観的には侵略戦争の下請に転落し、軍国主義「国策」の推進に大きく役立たせられた。
文学作品にたいする発禁・削除については、先に「言論弾圧」の項でみた通りであるが、一九三七年六月の島木健作「再建」と翌三八年三月の石川達三「生きている兵隊」の二つの発禁事件は、たんなる行政処分ではなく、それに対応する三八年の火野葦平「麦と兵隊」の文壇的成功や「ペン部隊」の従軍(内閣情報部の要請による陸軍班一四名、海軍班八名の作家たちの漢口攻略戦への従軍)などの動きと結びついて、文学にたいする軍国主義支配の強化、多くの作家における純粋な文学精神の喪失、すなわち片岡良一の名付けた「反動文学の時代」あるいは「暗い谷間」のはじまりを象徴するものであった。それ以後「文壇」は、政府の思想統制に乗せられて、無抵抗で従順な戦争協力ヘとまっしぐらに転落していった。
三八年一月には武田麟太郎らの雑誌「人民文庫」が連続発禁のため廃刊となり、旧プロレタリア作家たちによって作られた「独立作家倶楽部」も解散した。四〇年には紀元二六〇〇年奉祝芸能祭祝典がおこなわれ、文芸家協会会長として情報部参与になった菊池寛発案の「文芸銃後運動」(講演会開催・傷病兵士慰問)が全国を遊説し、年内に一〇万人以上の聴衆を動員した。この年八月、山本有三は連載中の「新篇路傍の石」を「ペンを折る」の一文をもって中止した。「文壇新体制準備委員会」(九月)、「日本文学者会」(一〇月)、「日本文芸中央会」(同上)、「女流文学者会議」(一一月)、「日本俳句作家協会」(一二月)、「大日本歌人会」(四一年六月)、「大日本詩人協会」(同上)などの国策協力団体がつぎつぎと作り出された。地方にも多数の翼賛文化団体が発足し、情報局推進の文芸家協会主催「文芸銃後運動」がふたたび四一年春から翌年初めにかけておこなわれた。一方、文芸作品の発禁、削除が続出した。
四一年一二月、太平洋戦争開始とともに全国的検挙があり、宮本百合子ら多くの人が逮捕された。一方「大東亜戦争の理想を中外に宣揚するため」に、作家・詩人・歌人・俳人・評論家・国文学者が集まって大政翼賛会において「文学者愛国大会」を開催し、全国の文学者を打って一丸とする強力な組織を実現することを決議した。この組織の実現は情報局と翼賛会の主導のもとに準備が進められ、四二年五月に政府の外廓団体「日本文学報国会」(機関紙「日本学芸新聞」、のち「文学報国」)が創設(発会式は六月)された。新会員は約三〇〇〇名、小説・評論随筆・詩・短歌・俳句・国文学・外国文学・劇文学の八部会から成り、役員は情報局・翼賛会が指名し、予算の大部分は政府の助成金であった。文芸家協会は右の報国会に合流するため解散した(解散時会員四一三名)。報国会のおこなった事業は、「大東亜文学者大会」(四二年から四四年まで年一回づつ)の開催、「愛国百人一首」「国民座右銘」の選定、辻小説・辻詩の制作、文芸報国運動講演会の開催などであった。四三年三月には徳富蘇峰を会長とする「大日本言論報国会」の発会式がおこなわれた。同月、谷崎潤一郎の「細雪」が掲載禁止となり、その後まもなく前翼賛会文化部長岸田国士の「かへらじと」が削除となり、岩上順一が検挙された。
こうしたきびしい戦争下にみられた数少ない文学的抵抗としては、「三月の第四日曜」(四○年)「明日への精神」(同)など短篇小説や評論・感想ですぐれた仕事をし、その後は書かぬことで屈しない心を示した宮本百合子、同じく「歌のわかれ」(三九年)「斎藤茂吉ノート」(四〇年)などの中野重治、「壷井繁治詩集」(四二年)の壷井繁治、「暦」(四〇年)などの壹井栄、「火山灰地」(三七・八年)の久保栄、「光を掲げる人々」(四三年)などの徳永直、「石狩川」(三八年)などの本庄陸男、詩の小熊秀雄、金子光晴、「歴史文学論」(四二年)などの岩上順一、「現代文学論」(三九年)、などの窪川鶴次郎、文学批評における除村吉太郎などがあり、軍国主義に妥協せずに良心的作品を残した「風雪」(三八年)の阿部知二、「根なし草」の正宗白鳥、「明月」(四二年)などの野上弥生子、また発表をあてにせずに芸術性を失わぬ作品を書きためていた永井荷風、谷崎潤一郎その他の人々があった。雑誌としては、「批評」・「現代文学」・「文化組織」などの中での屈折した芸術的活動があった。
地方の文学サークル・同人雑誌グループで検挙されたものに、「開戦地帯社」および「あぶし社」(北海道函館。三八年二月検挙)「西三無産者芸術連盟」(愛知県。同六月検挙)、「東海文学社」(静岡県。同八月検挙)、秋田県の小サークル(同一〇月検挙)回覧雑誌「人間鍛冶」(東京。三九年一二月検挙)、「神戸詩人クラブ」(四〇年三月七名検挙)、「南方文芸」(香川県。同三月、高松高商学会など一二名検挙)、「文芸庭園」(群馬県桐生。同九月六名検挙)「信州文学」(長野県飯田。四一年一二月検挙)、「浪曼文学研究会」(神奈川県。同一一月以降二二名検挙)、「イズバ」(愛知県。同九月五名検挙)、「仙台詩人懇談会」(同一一月三名検挙)、「国民詩歌協会」(広島県。同一二月検挙)などがあった。
(別掲のほか、特集「戦争下の文学・芸術」、文学、一九六一年五月・八月・一二月・六二年四月号の諸論文。和泉あき編「戦争下の文化・文学関係統制とその反応」、文学、一九五八年四月号。小田切秀雄編「講座日本近代文学史、第五巻、戦時戦後の文学」、一九五七年刊。などによる) 
第三節 俳句・短歌 

 

短詩型文学に加えられた最初の弾圧は、川柳にたいしてであった。一九三七年一二月に雑誌「川柳人」の同人たちが検挙された。「川柳人」は井上剣花坊が一九二六年に創刊した「大正川柳」の改題継続したものであり、主宰者は剣花坊の未亡人井上信子で、特別賛助員六名、賛助員一七名、維持同人二三名、編集同人七名、および誌友をもって組織され、他の川柳雑誌「きやり」「北斗」「川柳時代」など四六誌(六部分は剣花坊の門弟が主宰)と交渉をもっていた。かれらの作品は川柳であるだけに直截に反戦的傾向を示していた。たとえば左の通りである。
   手と足をもいだ丸太にしてかへし   鶴   彬
   射抜かれて笑って死ぬるまで馴らし  堤 水叫坊
   退却が待ち遠しい銃をかついでいる  中山仮面坊
   からくりを知った人形へ鞭が鳴り   岡本 嘘夢
俳句にたいする弾圧は、主として反伝統派の総称たる「新興俳句」派の弾圧であったが、そのトップを切ったのが「京大俳句会」事件であった。同会は京都大学および第三高等学校の学生らによって古くから存在しいわゆる伝統俳句の陣営に属していたが、一九三三年から機関紙「京大俳句」を発行し、いわゆる新興俳句運動と提携して、無季(季題無用)、規準律(五・七・五の一七字定型と、その定型を全く無視する自由律の中間の型で、一七字定型の精神をできるだけ維持しながら自由な形式をとるもの)を提唱してリアリズムを標榜し、また三七年以降いわゆる「戦争俳句」の実践を俳壇に率先しておこなった。京都に中心をおき、東京・京都・大阪・神戸にそれぞれグループをもち、句会・研究会を開催するとともに機関誌を発行し、検挙時の会員は四八名であった。このうち、京都在住の平畑静塔・波止影夫・仁智栄坊ら六名が、四〇年二月に検挙され、さらに五月から八月にかけて西東三鬼ら七名が各地で検挙されて京都に連行された。検挙総数は警保局調によれば一五名である。検挙にあたって犯罪証拠となったのは、主としてリアリズムに関する俳論であったらしいが、彼らの作品を例示すれば左の通りである。
   軍橋もいま難民の荷にしなふ     平畑静塔
   あなたいゐない戦勝の夜を嬰児は眠る 波止影夫
   タンク蝦蟇の如く街に火を噴きつ   仁智栄坊
   塹壕に一つ認識票光る        西東三鬼
検挙された人たちのうち三名が治安維持法によって起訴され、約一年後に禁錮二年執行猶予三年をいいわたされ釈放された。
四一年二月には、「土上」・「広場」・「俳句生活」・「日本俳句」など「新興俳句」派にたいする一斉検挙がおこなわれた。このうち「土上」は、高浜虚子の主宰する「ホトトギス」から脱退して無季定型による「生活俳句」運動を展開したグループであり、そのうち島田青峰(編集発行人)・東京三(のち秋本不死男)・古家榧子ら三名が検挙された。「広場の会」は、もと古俳諧の研究グループによって結成され、有季定型の花鳥諷詠俳句を発表していた「句と評論社」が、その後無季定型による「生活俳句」運動を展開し、三八年から改称した会であり、機関紙「広場」を発行していたグループであるが、そのうち藤田初己(編集発行人)・細谷碧葉ら五名が検挙された。「俳句生活」は、荻原井泉水の主宰する自由律俳句の「層雲」の江東支部から発展したもので、「層雲」脱退後「旗社」を作り、以後他のグループと合同して「プロレタリア俳人同盟」「俳句発行所」「俳句の友社」をつぎつぎ結成し、三四年以後「俳句生活」となったものであるが、そのうち栗林一石路・橋本夢道(編集発行人)・神代藤平・横山林二ら四名が検挙された。「日本俳句」も、「層雲」を脱退して「生活俳句」を目指して結成された「生活派」の発展したもので、このグループからも一名検挙された。以上のように四つの雑誌に拠る計一三名の俳句作社が一斉に検挙され、うち七名が「コミンテルンおよび日本共産党の各目的遂行の為にする行為」で治維法によって起訴され、四三年一一月にいずれも禁錮二年執行猶予三年の判決を受けた。島田青峰は六七才の老体で早稲田署に検挙され、肺結核が再発して留置場で朝四時すぎに喀血したのに昼すぎまで手当もせずに放置され、ようやく夕刻近くに帰宅を許されたが、その後一度も立つことができぬまま死んでいった。
   戦争へゆくかも知れぬ落葉焚く    京 三
   戦死者の子と見るシネマ人斬らる   京 三
   陽あたりの渦のなか真実はつねに暗い 框 子
   人の群地に這い重工業咆哮す     框 子
   三等待合室鋭き眼きらりと覗き去る  初 己
   鉄工葬をはり真赤な鉄うてり     碧 葉
   公傷の指天にたて風の中       碧 葉
   はげしい感情を戦争へゆく君に笑っている 一石路
   煙草も砂糖もない店のガラス壺の埃    一石路
   炉火明りにめし食うざりりと漬菜の氷れるを噛み 藤平
   物価騰貴下のおはち干し夏草の花かよ   林 二
以上四誌のほか、定型・自由律の両派を含め新興俳句の総合雑誌として「天香」が四〇年四月に創刊されたが、編集同人がすべて検挙されたため、同誌も三号限りで廃刊となった。なお、進歩的な俳人の検挙にあたっては俳壇の内部から当局へ密告・指示していた人物が存在し、検挙されなかった多くの俳人も脅迫的な注意を受けていた。
このほか、山口県宇部の「山脈会」(月刊「山脈」を五〇〜二〇〇部発行。四一年一一月、一〇名検挙)や鹿児島の「きりしま」(四三年)など全国各地で句壇にたいする弾圧がおこなわれた。
弾圧と裏はらに、国策協力の団体「日本俳句作家協会」が四〇年一二月に結成され、翌年内部不統一のためこっそり解散したが、四二年五月に「日本文学報国会」俳句部会になった(同部会は終戦後、四五年九月の理事会で、新会員三名の入会を認めた上で解散を決議した)。
短歌にたいする弾圧の主要なものは、雑誌「短歌時代」の同人である歌人たちにたいする弾圧であった。同誌はプロレタリア短歌運動の系統をひき、「無産者歌人連盟」(一九二八年結成、機関誌「短歌戦線」)、「プロレタリア歌人連盟」(二九年結成、機関誌「短歌前衛」のち「プロレタリア短歌」)、「短歌クラブ」(三二年創刊)、「短歌評論」三三年創刊)と変遷・発展してきたグループが日華事変勃発下の情勢のなかで三八年五月に改題して創刊されたものであり、全国に約五〇名の同人をもち、京都・横浜・川崎・東京滝野川などに支部組織があった。このうち指導的地位にあった渡辺順三が四一年一二月九日に開戦時の非常措置(前述)によって逮捕され、つづいて四二年三月には同誌の編集同人であた高橋喜惣勝ら一〇名が一斉に検挙された(起訴は六、七名)。「短歌時代」はそれ以前の四〇年三月に廃刊しており、四月から「潮」と改題して八月まで発行し、また四一年六月から同じグループによってて「新胎」が発行されたが、それも一〇月で廃刊となった。
   裁判所より帰りて おそく食う飯の つめたく堅く歯に泌みるなり。
   人と人と 殺戮しあう悲惨さを ラジオは誇る如く告げおり。
   渡辺 順三
   歌よみて牢にも入りぬわが余生あるべくあらばよきうたを詠め
   たもちえしいのちつきんと焼あとに鍋釜を掘る吐息かなしく
   小名木綱夫
地方の短歌グループについても、長野県下の「いはひば」(毎月三五〇部発行)関係で六名が四一年一二月に、川崎工場地帯を根拠とする「京浜短歌会」(作品相互発表・合評・研究会・合同見学等)関係で三名が四二年にそれぞれ検挙されている。
「大日本歌人協会」にたいして、同会名誉会員太田水穂・理事斎藤瀏・吉植庄亮の連名で、新体制に即応し思想的誤謬を是正するため同会を解散すべしとの勧告状が四〇年一〇月に提出され、翌月の臨時総会は激論ののち発展的解消を認めることとなった。四一年六月あらたに「大日本歌人会」が発足し、全国数万人の歌人の中から「時局認識に徹底していること」を条件として七〇〇余名を会員に厳選した。四二年五月には「日本文学報国会」ができ、短歌部会が設けられ、「愛国百人一首」の選定などを担当した。
(前掲の「社会運動の状況」のほか、座談会「俳句事件」、俳句研究一九五四年一月号。特集「弾圧以降・戦時下俳句史」俳句、一九六一年一二月号。司法省刑事局「左翼俳句運動概観」(思想資料パンフレット特集)、一九四二年六月。「日本プロレタリア文学大系」第八巻、一九五五年二月刊。などによる) 
第六章 出版活動 

 

第一節 横浜事件
細川嘉六の検挙と泊事件
細川嘉六の「世界史の動向と日本」という論文が雑誌「改造」にかかげられたのは、一九四二年の八・九月号の誌上であった。その論旨は「わが国の目指す『東亜新秩序』の建設は、旧来の植民地支配政策ではいけない。民族の自由と独立を支持するソ連の新しい民族政策の成功に学べ」というにあった。筆者自身も、終戦後の一九四五年一〇月九日付の朝日新聞紙上で「この論文は新しい民主主義を主調としたもので、大東亜戦争に突入した日本が、将来いかにしたら悲惨な目にあわずにこの難局をきりぬけることができるかという憂国の至情にかられて筆をとったものです。当局は、論文中にある弁証法とか、生産力とかいう言葉は赤だというて責めあげましたが、誰がみてもこの論文から共産主義的主張がでてこぬことがわかると、こんどは私の友人たちを検挙し、友人たちの口から。細川は赤だといわせようとしたのです」と語っている。
ところが、内務・情報局の検閲さえもパスしたこの論文が、はからずも軍報道部の忌諱にふれることになった。一九四二年九月、六日会の席上陸軍報道部の平櫛少佐が、この論文は擬装共産主義を煽動するものであるとして次のように弾劾し、これと同時に、谷萩陸軍報道部長も同主旨の意見を「日本読書新聞」に執筆した。
筆者の述べんとするところは、わが南方民族政策においてソ連に学べということに尽きる。南方現地において、日本民族が原住民と平等の立場で提携せよというのは民族自決主義であり、敗戦主義である。しかもその方式としてはソ連の共産主義民族政策をそのまま当てはめようとするもの以外のなにものでもない。かくてこの論文は日本の指導的立場を全面的に否定する反戦主義の鼓吹であり、戦時下巧妙なる共産主義の煽動である。一読驚嘆した自分は、早速このことを谷萩報道部長に報告すると同時に専門家にも論文を審議させたところ、自分と全く同じ結論をえた。……
このような論文を掲載する改造社の真意を聞きたい。その返答いかんによっては、自分は改造社に対しなんらの処置を要請する考えである。かような雑誌の継続は即刻取りやめさせる所存である。
細川論文を掲載した雑誌「改造」は、すでに配本済で読者の手にわたってしまっていたにもかかわらず、発売禁止処分となり、また、大森編集長ほか一名はこのため引責辞職した。
当の論文の筆者である細川嘉六も、四二年九月一四日検挙された。その検挙の意図はもちろん「世界史の動向と日本」の「共産主義的傾向」を追及することにあった。ところが、細川とは関係なしに進行していた神奈川県特高による満鉄グループと、「泊事件」関係者の取調べの交叉線上に、細川の名前が浮かびあがり、検察と特高の「謀略のピラミッド」の頂点に、細川は立たされることになった。
一九四二年七月、富山県の東北隅、北陸本線沿いの泊(とまり・今では朝日町の一部)でささやかな宴会が開かれた。泊は細川の郷里で、たまたま法要で帰省する折、ちょうど新著の「植民史」が東洋経済新報社から出版された当座のことでもあり、その出版の記念をもかねて、日頃かれの執筆や研究に何かと力になってくれる若い人たちをねぎらう主旨で、細川嘉六をはじめ、その若い友人八人が集まった。
ところがその記念に一行中の西尾が全員をカメラにおさめた一枚の写真が、一年もたたないうちに「運命の導火線」となった。四三年五月、神奈川県特高は、西沢、平館の検挙による家宅捜索の際にこの写真を発見し、それを「ネタ」にして、共産党再建準備会としての「泊会議」と、この会議に参加して再建に暗躍する「細川グループ」という一連の物語の構成に自信をえ、五月二六日本村、相川、小野、加藤、西尾の五人を一斉に検挙し、その前すでに検挙されていた西沢、平館ら満鉄グループとの結びつきを、写真の示す「泊会議」という事実によって確認し、両者を合体させて、「細川グループ」をつくりあげたのである。当局のいうところの「泊会議」なるものが、いかにしてつくりあげられたものであるかについては、当時の被疑者の一人であった小野康人の次の手記によって知ることができる(美作太郎外著「言論の敗北」、一〇九〜一一六ページ)。
私が治安維持法に違反していると警察で勝手に認定した最も具体的な理由は、私が雑誌「改造」を編集していたということ、および雑誌「改造」の執筆家の一人である細川嘉六を中心に、「細川グループ」という非合法組織を組織し、それの発展として「細川」の郷里である富山県新川郡泊町所在紋左旅館で、日本共産党再建準備会というものを結成したという、まったく根も葉もない、虚構の事実に立脚しているものでありますが、ちょうど二年六ヵ月という長い期間、私は、この根も葉もない理由のために自由を奪われ、あまつさえ、世人のとうてい想像できない、言語に絶する拷問の責め苦に会って、正に死の一歩手前を彷徨させられてきたのであります。私は、自分が、そういう拷問をうける当然の理由があったのなら、今日敢えて、これを言語に絶するなどとは考えないのであります。ところが、彼等検察当局が私に加えた鞭は、まったく虚構そのものに立脚するものであったのでありますから、これは、単なる主義や主張の問題ではなく、人道の問題としても飽くまでも究明すべき問題だと、確信するものであります。‥‥
先ず第一に述べなければならないことは私が検挙当時抱いていた考え方でありますが、総合雑誌「改造」の編集者としての私は、けっして共産主義を信奉していたものではなく、むしろ日本の軍閥・官僚の恣意によって強行されている大東亜戦争を、本当の民族解放の聖戦たらしめんとする純情から、編集と云う職域によって粉骨していた愛国主義者であったのであります。
私が細川氏の宅に出入りするようになった主観的な動機は、以上のような私の愛国の熱情に出発するものであって、実に出鱈目の多い世の評論家の中で細川氏が断然勝れ、その所説も本当に国と民族の将来を憂えているところに出発していたからであります。私は、それ故、細川氏のような人の論文を「改造」誌上に掲げることは、私の職域奉公を完遂するものだと確信していたのであります。細川氏も、私のこうした熱意を愛し、単なる雑誌記者としてより以上に私を愛してくれましたが、細川氏から私は、共産主義の何ものをも教えられたことはないのであります。
従って、泊町に細川氏に招かれて行ったのも、まったく、交友を更めるための宴会以外ではなく、事実、泊町では非常に御馳走になり、楽しい一日をすごして帰って来たのであります。
ところが、それが、共産党再建準備会となり、さらに、昭和十七年の八・九月の「改造」に掲げた細川氏の論文が、私たちの共産運動の具体的な犯罪事実として詰問されたのであります。彼等が私にこういう無茶な犯罪事実を押しつけた情況を五項目に亘って述べます。
(一) まず、私を自宅から拘引して行った昭和十八年の五月二十六日のことですが、私を拘引に来た警察官は神奈川特高課の平賀警部補、赤池巡査部長、他巡査一名でありましたが、長谷川検事の拘引令状を見せ、三人でどかどか私の家に上がって、まず私を巡査が連れ出して、付近の渋谷警察署の特高室に連れて行き、その後で家中を捜して、押入れから学生時代読みふるした左翼本を百四、五十冊及びその他手紙や原稿の書きふるしを捜し出し、大きな風呂敷包み四個にまとめて、私はこの風呂敷包みとともに横浜の寿警察署に連行されたのです。
寿署に着くと、最初、講堂に連れこまれて、小憩の後、正午頃平賀警部補が取調べを開始しました。形の如く最初は住所、姓名を訊ねましたが、それが終ると、「お前は共産主義を何時信奉したか?」と問われたのです。
「自分はかつてそういう考え方をしたこともあったが、十年も前からまったく、共産主義からは離れている」。と答えました。すると、「うん、なかなか、手ごわいぞ。シラを切っても、泊会議はどうした? 河童〔細川のあだ名〕はどうした? 証拠は十分あるんだ。」といって、「まあ、こっちへちょっと来てもらおう」、と、私を同行の巡査と二人で武道場に連れていったのです。すると、従来の態度とはまったく変った、犬殺しのような態度になって、「やい、てめえは、甘く見てるな」。
と強圧的に私をそこに押し倒し、私が絶対嘘を言ってないと辯解してもきかばこそ、最初竹刀でやたらになぐっていましたが、その中、竹刀をバラバラにほごして、巡査と二人で無茶苦茶に打ちさらに靴で蹴り、言うにたえない悪口雑言を吐いて、約一時間、拷問をつづけたのでした。そしてへとへとになった私の手をとって、その訊問調書というのに、
(問)お前は共産主義を何時信奉したか?
と書いてある次に
「答」として
「ハイ申し訳ありません」
という一句を自分で入れ、私の名を書かせ、無理やりに拇印を押させたのです。
私は、余りの無茶にただあきれるだけで何とも言いようがありませんでした。
……調べるのではなくまったく拷問に終始しているのに、何一つ言いもしないことを私が白状したことになって聴取書というのに書いてあるのですから、驚きます。たとえば、
(問)泊で何を話したか?
という問の次に、私はただ、宴会しただけで、色々政治の話なども出たが、何もこみいった話などしない、と答えたのに、
(答)として
「政治の中核体に就いて色々熟議しました」
と、書きこむのであります。……
私はもうあきらめました。まったく、話にもなにもならないのであります。万目の見るところ単なる自由主義のジャーナリストにすぎない「山浦貫一」が、唯物史観の立場から執筆していたり五・一五の被告の「橘彦三郎」が執筆していると、右翼思想を利用して民衆の暴動化を企てる意図の下に、その執筆を依頼したことになったのですから、これはまったく狂人でなければ、最初から無茶苦茶に罪に陥し入れようとする意図にはめこもうとしている以外、考えられませんでした。それで私もあきらめて、もう言うなりになってしまったわけです。
「日本共産党再建準備活動」という手記を書かせられ、平賀がこれを調書に書きあらためて検事局に廻して、刑務所に昭和十九年四月六日に送られ、起訴されたのです。
その間、六日ほど、私は昭和十八年の十二月末から二十年の一月初にかけて、長谷川検事の取調べを受けましたが、まだ警察にいる時だったので、全面的に否認したら何んな拷問を受けるか知れないという恐怖から、原則的に共産主義は肯定しました。しかし、共産党再建だとか、山浦貫一が共産主義者だとかいうことは否認して来ました。
そして拘置所に移ってからは、川添という検事に取調べを受けましたが、この時は全的に否認したにも拘らず「山根検事」によって起訴され、一年二ヵ月まったく取調べがなく、独房で餓死の一歩手前まで追い込まれ、さらに予審廷では、「石川予審判事」の取調べを受けて、全的に否認し、判事が、
「被告はそれでは何故警察で認めたか」
と詰問したのに対し、以上の如き拷問の事実を挙げて、彼らが勝手につくった事件であることを強調して来た次第です。ところが予審決定書を見ると、まったく私の陳述は無視されて、検事の公訴状がそのままの決定書となっているので、法廷ではさらにこれを反駁して否認したのでありますが、昭和二十年九月十五日、八並裁判長より懲役二年、執行猶予三年の判決を言い渡されたのであります。これが私の二ヵ年半の事件の詳細でありますが、まったく虚構以外の何ものでもないこういうでたらめによって、真剣に働いていた国民をかくの如く言語に絶する状態に置くことが果して出来るものかどうか、いや、事実出来たのであります。私は単なる私憤からではなく、彼等を徹底的に究明することを希望するものであります。
事件の拡大と編集者の大量検挙
満鉄グループと泊事件関係者を追求することによって、「細川グループ」をつくり上げた神奈川県特高は、このグループの人的なつながりをたどり、一九四三年七月一日になって、細川嘉六の著作上の仕事を手伝っていた中央アジア協会の新井義夫を捕え、たまたまかれが昭和塾に関係していることがわかると、検挙の手はさらに昭和塾方面に伸び、七月三一日には浅石晴世(中央公論社)が、ついで一〇名が検挙された。
「泊会議」の出席者のうち一名は中央公論社、二名は改造社の編集者であり、また昭和塾関係検挙者のうちの二名も中央公論社の編集者であった。そこで、神奈川県特高の目は自ずから編集者グループの上に集中した。そこには、わが国の言論の進歩的な面を代表し知識階級に広範な影響力をもつ総合雑誌の発行所と、社会科学や思想の領域ですぐれた書籍を送り出してきた出版社が浮かびあがってきた。さらにまたそうした各社の編集者を横につないで活動しはじめている日本編集者会がある。この種の経営と組織に対する軍部の攻勢が日ましに強まった時点に立って、神奈川県特高は今や雑誌社、出版社の編集中枢に向けて探索と追求の手をのばしたのである。
中央公論社関係――一九四四(昭和一五)年一月二八日、小森田一記(当時日本出版会)、畑中繁雄、青木滋(当時翼賛壮年団)。藤田親昌、沢赳の五名、前に検挙されていた木村享、浅石晴世、和田喜太郎三名を加えて計八名。
改造社関係――同じく四四年一月二八日、小林英三郎、水島治男、若槻繁、青山鉞治(当時海軍報道部)、一ヵ月おくれて三月一二日に大森直道(細川嘉六の論文掲載の責任をとって退社、上海満鉄支局に在勤中、現地で逮捕護送さる)の五名。前に検挙されていた相川博、小野康人を加えて計七名。
日本評論社関係――四四年一一月二七日、美作太郎、松本正雄、彦坂竹男(当時退社日本出版会勤務)。翌四五年四月一〇日、鈴木三男吉、渡辺潔計五名。
岩波書店関係――四四年一一月二七日、藤川覚、翌四五年五月九日に小林勇の二名。
朝日新聞社関係――四四年六月三〇日、酒井寅吉。
また、神奈川県特高の描いた構想の一環として、愛国労働農民同志会、政治公論社関係の事件があり、一九四三年八月頃田中正雄がつづいて一〇月二一日に広瀬健一が検挙されている。以上で総数四八名であった。逮捕された人たちは横浜市所在の各警察留置場に拘禁され、そこできびしい取調べをうけた。その取調べについては次のごとく述べられている(前掲書、一二一〜一二三ページ)。
第一に、各編集者の所属する各出版社内での雑誌と書籍の編集出版の仕事が、共産主義の偽装された宣伝活動であるとされた。
このため「中央公論」、「改造」、「日本評論」などの各雑誌の毎号の論文と出版された書籍の編集意図の中に共産主義立場からの反戦・平和・自由と革命の要素が追求された。社内の幹部会、理事会、編集会議、研究会、懇親会、喫茶店その他での事務上の打ち合わせはもちろん、ハイキングや社内の同好雑誌までが「共産主義的意図」によるものとされた。
たとえばだれかが社内の編集会議をすませた二次会の席上、一杯機嫌で軍の竹槍戦術を批評し、「あんなことをしていたら日本は敗けるよ」。といったとする。するとそれは共産主義的敗北主義の発言ということになるのだった。この追求が極端になると、それは不合理どころか滑稽でさえあった。たとえば、その頃日本評論社が出版していた「新独逸国家大系」の翻訳は、ナチス・ドイツの公認のもとにナチズムを体系的に解説宣伝しただけのものであり、それは戦後出版界の戦争責任による追放が起こったとき、該当書の筆頭にのぼったファシズム文献であったのであるが、戦時下神奈川特高の猜疑と無知は、この翻訳ものをすら被疑事実の中に数えたてたようなありさまであった。
第二に、日本編集者会が共産主義者を指導分子とする左翼的大衆組織であるとされた。検挙された各社の編集者は社内の仕事で最も活動的であったように、この編集者の団体に対しても―とくにその結成と活動の初期に―それぞれ「新体制」への期待を抱きつつ最も積極的であったが、そのようなかれらの影響力はすべて「共産主義的」であったのだから、したがって編集者会もいきおい「共産主義的」とされねばならなかった。
第三に、同盟通信社をバックとする新出版社設立の動きが、共産主義宣伝のための新しい足場固めと認められた。日本編集者会の結成と前後して、伊藤愛二(千倉書房)がその伯父に当たる同盟通信社長古野伊之助に新しい出版社の設立意図があることを小森田一記(中央公論社)、藤川覚(岩波書店)、美作太郎、彦坂竹男(以上日本評論社)に告げ、かれらの協力を要請したとき、一同はみな賛成した。そのためには各人の所属する職場との関係を清算して、自由に活動できる態勢をとる必要があったので、かれらはそれぞれ理由を構えて退社手続をとり、さし当たり同盟通信社の出版部所属として「日本出版社」の設立活動に従事することとなった(美作だけは日本評論社をやめず、したがってこの計画から幾分遠のくこととなった)。これは遂に設立を見ずにおわったが、この計画に参画した編集者の意図は、日毎に追いつめられてちぢこまっている既成出版社内の雰囲気にあきたらず、古野伊之助という人物の力のもとに、もっと時代に即応した、指導的な出版事業を開始し、国家的な危機を幾分でも正しい方向にそって解決したいという「善意」にほかならなかったし、それだけにまた「新体制」への甘い期待に促がされた、御多聞に洩れない心理と通じるものがあった。そしてただそれだけのものに、特高はあえて、「共産主義的」という烙印を押したのである。
第四に、警察権力の狙いは、単に個々の編集者を断罪することに限られていず、かれら編集者を抱擁するそれぞれの雑誌社・出版社の経営主体に向けられていた。中央公論社の嶋中雄作社長、改造社の山本実彦社長の二人は、その思想と行動において「共産主義的」であるか、あるいは少なくとも共産主義に親近しこれを幇助する者として、検挙までには至らなかったが常に攻撃目標とされていた。「お前たちのようなけしからん編集者を雇うておく社長のことだ、ろくでもない奴にきまっている」というのが特高の放言であった。この点において、神奈川県特高は中央公論社、改造社、日本評論社、岩波書店などが「共産主義的傾向ある反時局的出版社」であるという権威づけられた凡説を当時の世間に流しただけでも、これを暴力でつぶしにかかった軍部ファシズムの下僕として、実にけなげな忠勤をはげんだわけであった。
判決と被疑者の釈放
終戦時、横浜事件の犠牲者のうちで、一九四四年(昭和一九)初めまでに検挙された人たちのほとんどは、もう刑務所で、二、三年にわたる未決拘留生活を送っていたし、同年夏以後に捕えられた人びとの多くは、警察の留置場に止められたまま、栄養失調と衰弱の極に連していた。前者の大半は、書類の体裁を調えるためだけの予審終結決定をうけ―それも裁判所に出廷せず、未決監の中でごく短い時間に書類をつくられた者も多かった―邪魔もの扱いで釈放された。その後、裁判は一九四五年九月から一〇月にかけて行なわれ、懲役二年・執行猶予三年から四年の判決をうけている。そして一〇月六日以降の裁判は、治安維持法廃止のために、解消してしまった。ここで、その間の事情について、泊事件の一関係者(前掲手記と同一人)に関する判決文を掲げておこう。
主文
被告人を懲役弐年に処す、但し本裁判確定の日より参年間右刑の執行を猶予す
理由
一、犯罪事実
被告人は大正十四年三月東京都神田三崎町大成中学校第四学年を修了し昭和三年四月法政大学予科に入学昭和六年三月同大学予科を卒業したる後一時実兄□□□□の営む□□業を手伝い居りたるが昭和十年四月同大学英文学部に入学し昭和十三年三月同学部を卒業するや直に東京都芝区新橋七丁目十二番地改造社に入社し同社発行の雑誌「大陸」、「改造時局版」、「改造」並に改造社出版部の各編輯部員として昭和十八年五月二十六日検挙せらるる迄勤務して居りたるが前記法政大学予科に在学中当時の社会思潮の影響を受けエンゲルス著[社会主義の起源」マルクス著「賃労働と資本」「労賃価格及利潤」等の左翼文献を繙読したる結果終に昭和五年末頃には共産主義を信奉するに至り昭和七年初頃日本「プロレタリヤ」作家同盟東京支部員に推薦せられ左翼文化運動に従事したる経歴を有するものなるところ「コミンテルン」が世界「プロレタリアート」の独裁による世界共産主義社会の実現を標榜し世界革命の一環として我国に於ては革命手段に依り国体を変革し私有財産制度を否認し「プロレタリアート」の独裁を通して共産主義社会の実現を目的とする結社にして日本共産党は其の日本支部として其の目的たる事項を実行せんとする結社なることを知悉し乍ら孰れも之を支持し自己の職場の内外を通して一般共産主義意識の啓蒙昂揚を図ると共に左翼分子を糾合して左翼組織の拡大強化を図る等前記両結社の目的達成に寄与せむことを企図し
第一、昭和十七年七月中旬頃開催せられたる雑誌「改造」の編輯会議に於て相川博が細川嘉六執筆に係る「世界史の動向と日本」と題する唯物史観の立場より社会の発展を説き社会主義の実現が現在社会制度の諸矛盾を解決し得る唯一の道にして我国策も亦唯物史観の示す世界史の動向を把握してその方向に向って樹立遂行せらるべきこと等を暗示したる共産主義的啓蒙論文を雑誌「改造」の同年八月号及九月号に連続掲載発表を提唱するや被告人は該論文が共産主義的啓蒙論文なることを知悉しながら之を支持し編輯部員青山鉞治と共に、八月号の校正等に尽力して該論文(昭和一九年地押第三七号の二四の八頁乃至二九頁同号の二五の一六頁乃至四七頁)を予定の如く掲載発表し以て一般大衆の閲読に供して共産主義的啓蒙に努め
第二に、前記細川嘉六が曩に発表したる「世界史の動向と日本」と題する論文等により昭和十七年九月十四日治安維持法違反の嫌疑にて検挙せらるるや同年十月二十日頃西尾忠四郎より細川嘉六家族の救援に資する為出捐ありたき旨要請せらるるや即時之を快諾し同月二十五日頃東京都赤坂区葵町「満鉄」東京支社調査室に於て金二十円を西尾忠四郎に依託して細川家の救援に努めたる等諸般の活動を為し以て「コミンテルン」及日本共産党の目的遂行の為にする行為を為したるものなり
二、証 拠
一、被告人の公判廷に於ける供述
一、被告人に対する予審第二、二四回訊問調書の記載
一、本件記録編綴の相川博に対する予審第四回被告人訊問調書謄本の記載
一、被告人に対する司法警察官第十六回訊問調書の記載
三、法律の適用
治安維持法第一条後段、第十条刑法第五四条第一項前段第十条 第六十六条 第六十八条第三号 第七十一条 第二十五条
昭和二十年九月十五日
横浜地方裁判所第二刑事部
裁判長判事  八並 達雄  印
判   事  若尾  元  印
判   事  影山  勇  印 
第二節 個人雑誌による思想的抵抗 

 

日中戦争以後、殊に大平洋戦争期においては、多少とも進歩的色彩を保持し、広範な社会的影響力をもつと考えられる総合雑誌は廃刊され、もしくは「思想雑誌」であることをやめて「時局雑誌」への転身をよぎなくされた。そうした時期にあってあくまで「思想」を公表しつづけようとするものにとり、もはや商業雑誌、新聞の紙面を借りる可能性は失われ、みずから個人雑誌を発行して、その紙面に自分の「思想」を述べる以外に方法はなくなった。しかも、個人雑誌といえども、非合法の秘密出版でないかぎり、当局の弾圧を免れえなかったのであるが、それでも「他山の石」(発行者、桐生悠々)「古人今人」(同生方敏郎)、「近きより」(同正木〔ヒロシ〕)「嘉信」(同矢内原忠雄)等の個人雑誌上において、合法的方法による思想的抵抗が試みられ、殊に後の二誌は、敗戦の最後まで抵抗の筆鋒をゆるめず、活字印刷が不可能になれば騰写版をつかっても刊行を断念しなかった。
桐生悠々は、一八七三年金沢に生まれ、東大卒業後は終始ジャーナリストとして博文館、下野新聞、(宇都宮)、大阪毎日新聞、大阪朝日新聞などに勤め、主筆として招かれた「信濃毎日新聞」の論説で乃木大将殉死事件を批判して筆禍事件を起こして追われ、「新愛知」主筆に招請されてからもしばしば筆禍事件を起こして一〇年後ふたたび「信濃毎日新聞」に戻ったが、一九三三年八月に社説「関東防空大演習を嗤う」の筆者として軍の圧力で退社してから四一年九月に歿するまでの八年間、名古屋で個人雑誌「他山の石」を発行してリベラリストとしての抵抗をつづけた。雑誌は月二回刊、会員制で、月額、維持会員二円、普通会員一円、学生は五〇銭、三四年六月に創刊号を出した時には桐生は六二才であった。同誌は何回もの「発禁」や「差押え」を受けたが、「記事削除」の場含には、「この原稿が活字に拾われ組まれたのちに愛知県警察部長より、日支戦争に関しては、一切論及することを許されず、唯政府のなすところを傍観せよというが如き趣旨の達示があったので、ここに遺憾ながらこの全文を抹消する」と明示し(三七年七月)、発禁にたいしては、「一筋の藁の行方でも流れの方向を示す」といい「この位の筆禍は本懐そのものです」(同一二月)と会員読者によびかけた。かれは自分宛にも雑誌を郵送し、それによっていち早く処分の有無を確かめ、処分のたびに愛知県警察部特高課に出かけて詰問した。「記者に残されているのは、地下に潜ることだが、余りにも老いている」とも記した。四〇年には毛沢東とエドガー・スノウとの会談の内容を伝え日本軍は全く包囲されていること、戦争が進むにつれ日本人の捕虜・武器・弾薬等を捕獲する可能性を中国に与えるであろうこと、捕虜となり、武器を奪われた日本の将兵は歓迎され優待されるであろうという毛沢東の言をとりあげ、「この言を想起して、深くかえりみるところがなくてはならない」と結んだ。四一年一月には、アメリカと戦端を開くのは、「無謀の極」であるとし、「一国の運命を掌中にする政府ならびに軍部は、強がりばかりをいわず、国民に『臣道の実践』を一方的にのみ要求せず、みずからもまた『輔弼の臣』としての責務を果せ」と呼びかけ、同三月には、「勝った国家群も敗けた国家群も、いずれも疲弊の極に達するだろう。その時こそ、彼らは初めて彼らの愚に目ざめるだろう」とのべていた。四一年八月には、病気のため流動物ものどを通らず死を予感しつつ、廃刊の辞として、「やがてこの世を去らねばならぬ危機に到達致居候故小生は寧ろ喜んでこの超畜生道に堕落しつつある地球の表面より消え失せることを歓迎致居候も、唯小生が理想したる戦後の一大軍粛を見ることなくして早くもこの世を去ることは如何にも残念至極に御座候」と書き、編集後記の結びのことばは、「国民としてよりも、世界の公民として、言いかえれば現在よりも寧ろ未来に於て住みたいと思うものであります」とあった(判沢弘「桐生悠々」、世界、一九六五年九月号による)。
以下、家永三郎「戦時下の個人雑誌」(思想・一九六四年一月号)により、「近きより」、「嘉信」二誌の内容、発行経過について摘記すると次のごとくである。なお、個人雑誌によると戦時下の思想的抵抗については、家永三郎著「歴史と教育」(大月書店刊)所収、「大平洋戦争下の思想的抵抗」をも参照されたい。「近きより」は最近復刻して単行本として発行されている。
「近きより」
正木〔ヒロシ〕は明治二十九年の生まれ、大正十一年東京帝国大学法学部を卒業し、教員やジャーナリストを経て弁護士となったが、もともと画家になろうと思っていたくらいで、法律家を職業とする意図で法学士となったわけではなく、早くから人生や社会の問題と真剣に取り組んできた人物であって、満州事変以後のファッシズムの風潮の高まりに「堪え難い憤りを感じ」昭和十二年四月個人雑誌「近きより」を創刊した……。「近きより」は四六版仮綴で、ページ数は物資の窮迫とともに減じ、用紙の配給も停止されたが、岩波茂雄が特に紙を提供して発行を継続させ、昭和二十年一月までは八ページ、同年二・三月、四月の二号は四ページ、空襲で自宅の罹災した五月にも二ページの活版印刷による発行が続けられ、七月、八月および降伏後にいたるまで藁半紙表裏一枚の騰写版印刷による刊行が行なわれている。発行部数は最も多いときには一万に達し、芦田均、清沢洌、川路柳虹、森田草平、田辺元らの著名な人々が多数熱心にこれを支持していたが、特に大審院判事犬丸厳、東京控訴院判事丁野暁春ら裁判官の間に支持者の多かったことが、事大主義的な取締官憲に無言の威圧を加え、弾圧を躊躇させる一の条件となっていたかとも推測されるのである。
その内容には「国は主権、領土、人民、之に加ふるに伝統より成る。故に人民の幸福を忘れて忠君あるべからず。逆に云へば民を疎略にする者は不忠の臣なり」という民主主義論理の逆説的表現や、「社会制度の不合理なために生ずる違法を個人の全責任に転化する傾向が強い。不合理に対する緊急避難、正当防衛が叫ばれねばならぬ」という抵抗権の主張等、きびしい言論統制下で他に見ることのできない文字にみちみちており、一々紹介のいとまがないほどであるが、就中東条内閣に対する正面からの攻撃は、「近きより」のクライマックスを示すものであり、十九年六月の巻頭言に「挙国戦時に没頭し、他事を顧る遑なく、只管国内の静謐を念とするに乗じ、俄か職権に陶酔して民衆を賎民視する者あり。同胞の困窮を逆用して私利を貪る者あり。その他獣心獣欲に耽り、神国の面目を傷つく者尠なからず。正義が国の生命なるを信ずる我等は、彼等の横行を黙視するに忍びざれど、今戦ひ酣にして、彼等の不忠不臣を膺懲するを便とせず。されど神国の正義は没すべからず。いつの日にか彼等に鉄鎚の下るを見ん。憂国の至情に燃ゆる同胞よ。来るべき日の為めに、彼等非国民の非行を綿密詳細に記録し置くべし」という火を吐くような文字が堂々と書きつらねられていた。十九年九月には茨城県下における警察官の被疑者拷問致死事件を取り上げた二八ページの特集号を発行し、一身の危険を顧みず、官憲の非違を勇敢に摘発したのであるが、戦後の八海事件、菅生事件、三里塚事件、丸正事件等における正木の活発な裁判批判は、ここにその端を発している。……
「嘉信」
矢内原忠雄は明治二十六年の生まれ、大正六年東京帝大法科大学を卒業、同年九月母校の経済学部に招かれ、十二年以来教授として植民政策講座を担当し、マルクス主義経済学の帝国主義理論を用いて、台湾・満洲その他の植民地支配の実態につき科学的分析を加え、すぐれた成果を多く世に問うていたが、一面内村鑑三の門下生として無教会キリスト教を信仰し、きびしい宗教的信念を以て社会に対する警世家としての側面をも有する人物であった。昭和七年満洲視察中乗っている列車が匪賊の襲撃を受けたが、ふしぎに難を免れたので神の加護を痛切に感じ、これを報告する趣旨の印刷物を出した。同年十一月発行の「通信」がそれで、その後不定期ながら月一回位の間隔で刊行をつづけ、十二年十二月までに四十九号を刊行した。……
十二年十月の第四十七号に「神の国」と題する藤井武第七周年記念講演速記が掲げられたが、その内に「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」という一節があり、これがかねてから矢内原の批判的言論を憎んでいた権力者の乗ずるところとなり、同年十二月彼は帝国大学教授を辞任するのやむなきにいたった。
矢内原はこれを機会に新しい道を進むべく決意し、辞職のあいさつを載せた四十九号を以て「通信」を廃刊し、十三年一月「嘉信」の創刊号を発刊した。彼自ら「キリスト教主義の月刊雑誌」と呼んでいるように、「嘉信」は……最初から時事問題を論ずるのを主目的とした雑誌ではなく、「ヨハネ黙示録講義」「アモス書大意」「マタイ伝について」というような聖書の研究が最も重要な内容を成している。しかし、師内村の場合と同様に、矢内原においても、神の福音に対する熱烈な信仰は現実の歴史の動向に対する燃えるような関心と不可分に結びついており、侵略戦争の進展と国民の自由の抑圧強化という不義不正の現実を眼前にして、これに対し神の義を説くことなしに聖書の文字の世界の内にのみ沈潜することは、彼の烈々たる正義感が許さなかったのであった。「キリスト教主義」の雑誌である「嘉信」は、こうしてファッシズムに対する基督者の牢固たる抵抗の精神をくりひろげる場所となったのである。…… 例えば十五年一月号に掲げられた「第二イザヤ書講議第三講」には、十四年十一月三日東京青山で開かれた「基督教大会なるもの」の席上、某陸軍大将(松井岩根を指す)の挨拶があり、「司会者は大将閣下の臨席を非常に光栄とし、一同起立して大将を壇上にお迎えする事を要求、一同起立したということである」が、「その陸軍大将は南京事件当時の最高指揮官であった。南京陥落の時に、アメリカのミッションで建てている基督教の女学校に対して、一つの大きな間違いが犯された。若しそういう事実を基督教徒大会の主催者が知らなかったとするならば、之は甚しき怠慢である。知っていたとするならば、何という厚顔無恥であるか。その事件の責任者たる者は、手をついて基督教会の前に謝らなければならない。基督教徒大会は、日本の基督教徒の名に於いて謝罪を要求すべきではないであろうか。それを全民衆が起立して迎えるとは、之ほど逆さまの事がありますか」という、日本軍の蛮行に対する峻烈な弾劾を行っているし、……
随処に権力悪に対する勇敢な批判が試みられているのである。したがって発売禁止・削除・注意等の処分が何回か加えられただけでなく、十七年十二月には用紙の割当を全廃され、十九年六月には警視庁よる廃刊の強要を受けるにいった。矢内原は、用紙を他から入手し、圧迫にひるむことなく刊行をつづけ、一応警視庁の面子を立てるために、二十年一月以後は名前だけ「嘉信会報」と改め、「雑誌は廃刊になっても伝道は廃すべからず。印刷の出来る間は印刷により、印刷が出来なくなれば騰写刷により、騰写刷も出来なくなれば筆写回覧の方法によりても、キリストの福音は宣べ伝へられねばならないのである」という決意を示し、その言葉どおり、「会報」第二号から騰写刷を以て敗戦まで八号、一月も欠くことなく刊行を継続した。さすがに戦局の急迫以後現実への具体的批判は迹を絶ち、非状な心境が吐露されるにいたったけれど、とにかく不屈の勇気を以て敗戦の日まで刊行を継続した点では、「近きより」とならんで壮観をきわめている。二十年九月「嘉信」の名に復して、ふたたび活字印刷となり、戦後も月刊ではないがその刊行が続けられた。 
 
近代日本の思想司法 / 検察権と国体

 

はじめに
本稿の目的は、公権力の特質と原理との関わりのなかで、思想係検事の思想と行動を検討することで、思想検察の存在意味を明らかにすることである。その考察を通じて、1930、40年代における司法の思想司法化の意味を探りたい。
これまで、治安維持法や思想犯保護観察法1)といった制度の立案・運用実態の検討のなかで、思想係検事の思想や行動は位置づけられてきた。周知の通り、思想検察は、治安維持法や思想犯保護観察法を共産主義者の転向輔導政策のために大いに活用した。戦時期に治安維持法体制の構築が思想検察の主導のもとで飛躍的に進展したことは、奥平康弘、荻野富士夫の研究で明らかになっている2)。奥平は、歯止めのない治安維持法の拡張解釈と度重なる法改定の背景には、転向輔導政策の膨張があったことに注目し、この転向輔導政策に基づいた法運用が思想検察のヘゲモニー確立の大きな要因となったことを明らかにしている。戦前の治安維持法体制がGHQ によって解体されても、思想弾圧の責任者として断罪された特高警察に比べて、思想検察は公職追放にあったのちに、比較的早いうちに公職に復帰し、戦後の治安法制の一翼を担っている。このことを奥平は戦後社会が治安維持法体制を総括していない事例として紹介している3)。この奥平の指摘は、戦前・戦後の治安法制の連続性を考える上で重要である。思想検察それ自体に着目したのが荻野の研究である。荻野は思想司法の形成と展開、そしてその帰結を跡づけることで思想司法の全体像を描き出している。思想検察は、思想犯罪の起訴、裁判、行刑、保護観察といった司法処理において一貫して指導的な立場にあった。荻野もまた奥平同様に、人権指令のもとで治安維持法体制が解体されたなかでも思想検察は公安検察に衣装替えして生き残ったことを指摘している4)。このことは、戦後の政治社会が思想検察という存在を十分に批判できなかったことを意味していよう。
奥平、荻野の研究によって治安維持法の暴力性が明らかにされているが、ではこうした暴力装置である検察が思想司法化した意味とは何であろうか。治安体制の本質が暴力にあるとしても、その暴力の内実が問われなければならないだろう。本稿は、国家の暴力装置として描かれてきた検察を転向輔導政策にみられるように、思想・精神を取締りの対象にした新たな暴力の行使主体として捉えたい。その上で、本論考は、検察の思想司法化を20世紀的な思想潮流、そして公権力の特質と原理との関わりのなかで検討する。その考察から近代日本における司法権の独立の意味を考える必要がある。というのも、近代日本では司法権が検察権の優位性のもとにあったことを思想検察の存在がつまびらかにしていると考えるからである。
渡辺治は、大正期に激化した社会運動に対して、社会政策的な立場から立法措置によって社会権を承認し、階級闘争を体制内化しようとした内務官僚の国家再編構想に比べて、司法官僚は大正デモクラシーの原因を国民思想の悪思想化にみて、治安維持法の拡張的適用によって威嚇主義的に社会運動を弾圧することで危機を克服しようとしたと指摘している5)。三谷太一郎は、平沼騏一郎率いる検察が「司法権の独立」のイデオロギーのもとで、政党内閣制による行政権の統一性を阻む政治勢力として台頭したことに注目し、陪審法が検察権力を制御することで、帝国憲法体制の統合主体たることを政党に保障する「政治制度」であったと論じている6)。いずれの研究でも、司法官僚(ないし司法権力)は大正デモクラシー運動や政党政治と対立した非選出的政治勢力として捉えられているだけで、公権力の特質や原理との相関性のなかでの検察の存在意味は明らかにされていない。以上のような研究状況のなかで、小幡尚は政治史的な観点から一線を画して、「人間の改造」を目的にした転向輔導政策のもとで、治安維持法が運用された必然性を司法官僚の教育刑論の検討から明らかにしている7) 小幡の論攷は、生存権確保を国家目的とした牧野英一の文化国家論が教育刑論の思想的母胎であったことを示唆するものであった。こうした小幡の研究は、威嚇主義とされていた司法官僚の治安構想を刷新するものであり、近代日本における思想検察(思想司法)の意味を考える上で重要である。
本稿では公権力の特質と原理の解明という問題視座を重視した上で、これまで注目されていなかった司法官僚の思想、特に、教育刑論や法思想を帝国憲法の基本理念(国体)との相関性において検討することで、思想検察の存在意味を、言い換えれば、司法の思想司法化の歴史的意味を問題にしたい。そして、この考察から、近代日本の司法権の特質が検察権の卓越性にあった歴史的必然性を明らかにしたい。なお、本稿では、思想検察の思想と行動の検討に力点をおいているため、治安維持法や思想犯保護観察法の立法過程における思想検察の位置づけ、法制度の運用の実態分析に関しては他日に期したい8)。 
T 思想検察と治安維持法 

 

1928年の3・15事件の段階では、思想犯罪の捜査、検挙の主導権は特高警察にあった。しかし、3・15事件後に大審院と各控訴院の検事局、主要な地裁検事局に思想係検事が置かれ、思想部が創設されたのちは、思想検察は思想犯処理のノウハウを身につけていく。30年以降に、思想係検事を招集して開かれるようになった思想実務家会同は、管内思想情勢の報告や共産党取締りの方針、転向政策などの実務を協議する場として機能していた。思想検察は社会運動全般を否定していたわけではなかった。そのことは思想実務家会同の議論にあらわれていた。
1934年の思想実務家会同で注目すべきは、国家主義運動の取締りの方針をめぐる議論である。共産主義については、国体変革を掲げ、コミンテルンの支援を受けた社会の敵という枠組みが自明の前提とされており、特段の対立点はないが、国家主義の取締方針については意見が分かれていた。東京控訴院検事局の森山武市郎は、昨今の思想情勢から私有財産制度の否認をめざす運動の取締りの重要性が増加しているとし、原則として右翼団体への取締りは、左翼団体に対する取締りと平等を期さなければならないことを主張した上で、「犯罪を構成するや否やは、単に其の標榜する主義如何にのみ拘泥することなく、主張の実質に付き考察を加ふるの要あることは右に同じ9)」と述べ、右翼団体の活動を総体的に調査して治安維持法違反に当たるかを判断すべきとしていた。これに対して、東京地検の次席検事である平田勲は、右翼団体の主張は私有財産制度の否認ではなく制限であるといい、右翼団体が治安維持法の対象になるのは、非合法的な手段に訴えた場合のみであると主張する10)。平田が共産主義に比べて、興隆極める国家社会主義運動に対して寛容であったのは、「世界の現状は従来の自由経済に対し統制経済、議会主義に対し独裁主義、国際主義に対し国家主義の傾向が台頭しつつあり。資本家階級、政府部内に於ても亦然り。文章に依て表現せられたるところを抽象的観念的に解釈すれば法に触るることも現に実際上は処罰せられず、之が既に社会通念と一致せる証拠なり11)」と、国家社会主義が抗えない世界的潮流であるという考えが前提にあったからである。また、刑事局長の木村尚達も、「現在の資本主義制度に修正を要すべき点あることは何人も異論なき所なるべし。急激非合法なる改革に非ずしてこの修正、改良の論をも制圧して仕舞ふことは社会の進歩を阻害する結果となる12)」と述べているように、私有財産制度の制限は「社会の進歩」として捉えられていた。
思想実務家会同では、右翼団体の非合法的な運動に対しては厳格に対応すべきとしつつも、私有財産制度の制限を目的とした政治団体に対しては治安維持法の適用はないとする意見が多かったのである。このように、私有財産制度の制限は「社会の進歩」として認識されており、そのことから国家社会主義の運動に対する取締りは消極的なものになった。多くの日本主義運動、国家社会主義運動は一君万民の国体の名のもとで国家統制経済の実現を政治目標にしていた。平田のような国家社会主義の擁護とは一線を画し、右翼、左翼に対して法の平等な運用を説いていた森山でさえ、「但し資本主義制度の本質的欠陥は識者の等しく認め、資本家の先覚者又自認するところなるを以て、其の検察は特殊の例外を除くの外苛察に渉らざる様注意することを要すべし13)」と述べているように、思想検察は30年代の社会問題を資本主義の弊害として認識しており、合法的な手段によって資本主義制度を修正する必要性は認めていたのである。以上のことから、思想検察は一方では、共産主義運動に対しては徹底した弾圧を図りながらも、他方では、私有財産制度の制限などの社会改良は容認していたといえる。
治安維持法の対象は、社会運動そのものではなく、「君主制の撤廃」などの国体変革を志向する無政府主義や共産主義という「思想」それ自体だったのである。そのことは、思想犯罪、思想犯の構成要件の問題と深く関わっていた。司法省刑事局思想部の司法書記官の大竹武七郎は、社会運動が非合法運動として取締りの対象になるのは、その社会運動が目標としている社会やそれを実現するための手段が、現在の法律及び道徳観念からみて許容できないと判断された場合であるという14)。ここで重要なのは大竹が合法/ 非合法の基準として道徳観念を持ち出している点である。この精神・思想の領域が思想犯を構成する要件となっていた。大竹は、従来の国事犯、政治犯と思想犯の相違を次のようにいう。
思想犯に於きましては階級観念、貧富両階級の対立と云ふものを基調としてゐるかと云ふ点に於て特色があるのであります。政治犯に於きましては要路の大官を暗殺するとか、上流階級の者を暗殺すると云ふ事はありますけれども、併しながら是は政権争奪とか、政策を云々して自己の政策に相反する者を殺害すると云ふのであつて、階級観念、近頃やかましく云はれて居ります所の、階級観念に基てゐるのではありません15)。
国事犯、政治犯と思想犯を区別する基準とは階級観念の存否であった。これは思想検察が要人を暗殺するテロ行為よりも、共産主義という「思想」を危険視していたことのあらわれである。特定の思想や動機が犯罪成立の要件とされたことは近代法の基本原理からみて大きな逸脱であったといえる。すなわち、治安維持法の運用は、物理的外形的な側面への統制・規律といった近代法の基本原則から逸脱するものであった。治安維持法の拡張解釈とそれを追認するかのように行われた法改正の背景には、ソ連や中国をはじめとする国際共産党の活動に対する思想検察の警戒感があった。国事犯や政治犯の取締りは、中心人物の検挙と組織が行う非合法的な行動を取り締まればよかったが、共産党が指導する運動は工場、鉱山、農村、大学に組織・細胞を作り、横断的に浸透・拡大していくため、その取締り方法も包括的な規模になった。
このような共産主義は外から侵入してくるウイルスという隠喩で表現されていた。長崎控訴院検事の江橋修は、「私は危険思想は一種の黴菌と考へる、我々は日常幾百の黴菌を呼吸するけれども身体健全養生に志す者には黴菌は暴威を奮ふことは出来ない16)」と述べ、国民が「日本建国の精神」を自覚することが危険思想の進入を防ぐ方法であると説いていた。では、思想検察は外部から侵入してくる共産主義思想にいかにして対処しようとしたのか。治安維持法が行為ではなく思想を取締りの対象にしたのは、「然らば此の危険思想の外部よりの侵入は絶対に防ぎ得ないであらうか、今日の如く国際関係が非常に緊密になりロンドン東京間の電話が直通して、ノーチラスが北極から無電を飛ばす時代に然も各国の問題となつて居る思想を撲滅することは殆ど不可能とせねばならない、茲に注意を要することは之等の危険思想に付それが一つの科学的文献として渡来するものと之れを直接の行動に移す云ふ種類のものとは截然たる区別を要する」からであった17)。要するに、共産主義思想が単なる学問的好奇心の満足で終わるか、直接行動に帰結するかを予測できないことから、犯罪行為の発端となる精神・思想をまえもって取り締まるという予防法的な観点から治安維持法は運用されたのである。
このように、思想検察が共産主義思想をテロ行為よりも害悪視したのは、共産主義思想の感化力を怖れていたからである。だからこそ治安維持法の取締対象は当初から、行為の源である精神・思想であり、外部から侵入した共産主義思想に感化された精神をもとに戻すことが求められたのである。治安維持法の立案者であった古田正武は、講習会で、「それから被害の法益から申しますると治安に危険のある状態を惹起した者を直ちに取締るのが目的で、現実に被害の発生したことを取締るのは本法の目的として居る所ではないのであります18)」と述べ、治安維持法の独自性を強調していた。つまり、古田は当初から他の治安法制と根本的に性格を異にする刑罰法規として治安維持法を考えていたのである。このことは、治安維持法で規定された国体概念にみられよう。国体概念は、一方で、統治権の総覧者が何人にあるかといった法制上の意味、つまり、主権の所在の意味する法制上の概念でありながら、他方で、その主権の所在が天皇にあることは「歴史的事実」として説明されていた。古田が「此憲法の第一条又は第四条に依つて初めて定められた事ではない、憲法以前我大日本帝国の建国以来の実蹟である、而して又将来恒久に天地と共に其の窮まりない事は吾々大日本帝国の国民の確信でありまして、此統治の関係は寸毫の紛更をも許されない所であります19)」と述べているように、第1条=国体規定は大日本帝国の基本理念(歴史の法理=自然法)に由来しており、そして、現に国民が皇室に対して尊崇の念を抱いていることが法の支配が貫徹されていることの根拠とされていた。このように歴史的精神的な観念として解された国体概念が、テロ行為よりも国民思想の赤化を危険視する治安観を醸成したのである。 
U 思想検察と転向輔導政策 

 

1 帝国憲法の基本理念と教育刑論 
41年の治安維持法の全面改正によって、懲役刑か禁固刑かの選択が廃止され、懲役刑のみとなった。禁固刑が廃止されたことの意味は大きい。懲役刑は破廉恥罪に対して科せられ、それゆえ社会復帰のために定役による技術習得を強いられる。禁固刑は、利己的な動機に基づく破廉恥罪とは区別されているため、定役は科せられず、ただ身体の自由を奪われるだけの名誉拘禁である。禁固刑が廃止されたことは、思想犯罪が破廉恥罪とされたことを意味する。41年の新治安維持法は、転向輔導政策を要とした治安維持法の拡張的運用を立法措置によって追認するものであった20)。1925年以来、治安維持法が拡大解釈・拡大適用されていったのは、転向輔導政策の進化に起因している。つまり、思想犯の摘発ではなく、その教化改善による社会復帰が新たな課題として浮上し、その課題に応える形で転向輔導政策の組織化・合理化が行われていったのである。
36年に成立した思想犯保護観察法は転向輔導政策の画期であったいえる。要視察人・特別要視察人制度という思想犯に対するこれまでの監視体制は、肉親や親族といった身元引受人による視察が中心で転向を積極的に誘発するにはあまり効果的ではなかった。だが、思想犯保護観察法の成立で、保護観察所、保護観察審査会、保護団体、寺院、教会、病院、保護者が連携して、組織的に転向を誘導あるいは維持できる視察体制が可能となった。治安維持法に違反した者で、執行猶予者、起訴猶予者、満期釈放者、仮釈放者が保護観察の対象となったのである。
思想犯保護観察法を立案し、司法大臣官房保護課長として同法の運用にも深く関わった森山武市郎は同法の意義を次のように述べていた。
要するに、思想犯人に対する保護観察は、単に消極的に本人の思想及び行動を観察するに止まらず、本人を積極的に指導誘掖して正道に復帰せしめ、または正道に止まらしむることを目的とする。而して、思想犯人に対する保護観察の積極的内容は、その思想の完成と生活の確立とを計る点に存する。思想を完成せしむる為めには、本人をして国体及び財産制度等に関する正確なる認識を得しめねばならぬ。また生活を確立せしむる為めには、本人が正業に従事し得るの基礎を與へねばならぬが、この点については、職業の輔導、技術の再教育、職業の紹介、就学及び復校の配慮等が考慮される21)。
このように思想犯保護事業法の目的は、思想教化と生活支援をトータルで行うことで、思想犯を社会復帰させることにあった22)。検察、行刑、保護を通じて、転向を積極的に確保していくための制度的な環境が整備されたのである。しかし、思想犯の転向が課題となるには当然のことながら、思想犯が教化可能であるという観念が根底になければならない。では、なぜ確信犯であるはずの思想犯が教化改善の対象とされたのか。
思想犯保護観察法の思想的背景となっていたのは、教育刑主義であった。周知の通り、刑罰の本質を教育とし、正義に対する応報の実現よりも社会防衛を重視したのが教育刑論であった。小幡尚は、行刑の現場に教育刑論が定着していたことが、行刑と治安維持法の転向輔導政策の一体化を促進する要因となったと指摘している23)。行刑教育を経て、出所後にも保護観察によって転向を持続的に確保するという発想は教育刑論から生まれていた。司法省行刑局長を努め、行刑累進処遇令の制定施行などの行刑改革に取り組んだ正木亮は、思想犯保護観察法の制定について、「この時に当つてわが司法当局は敢然として確信犯に対する教育教化の可能性を是認するところの立法に成功したのである。(中略)従来刑事学界に於て教育刑の暗礁であるとさへされて居たこの教化不能の概念が思想犯を中心とする司法当局の立法によつて何なく打破された24)」と述べていた。すなわち、思想犯保護観察法の制定は、確信犯の教化不能性の概念を破棄させる契機として捉えられていたのである。では、教育刑論の限界点であった教化不能の概念を破棄させたものとは何であったのか。
司法省検事局思想部の初代部長を努め、戦後には最高裁判事にも任命された池田克は、「一時は共産党運動に狂奔しても、反省の機会が與へられると、その胸奥に再び油然として国体観念が湧き上つて来ること、これは我国のみに存する尊貴なる特殊性の然らしむる所でなければならぬ。数年来、思想犯人が続々として転向するに至つた根本要因を、此処に求めずして何処に求むることが出来よう25)」と述べていた。日本人である限り、その内面には国体観念が宿っているという確信が思想犯の教化可能性の根拠となっていたのである。つまり、確信犯の教化不能の概念を棄却せしめたのは、君民一体の国体思想であったといえよう。国家総動員体制への国内体制の移行に伴って、国体観念がより鼓舞されるようになるが、この国体観念がまさに行刑教育の推進力となっていた。
正木は、行刑の基本となるべき日本精神について、「八洲民生の慶福を増進することが、天皇統治の洪範であることを宣明せらるるところに日本精神の大本が日本国民の最後の一人に対してまでも仁愛の精神を以て臨ませらるるものである26)」と述べ、帝国憲法の告文に明示された臣民の慶福を増進することが行刑の基本精神であると説いていたのである。このことは、正木が「民を愛すること子の如く而して之を教ふれば之に従ふとの大御心を行刑の上より拝察し奉れば行刑の向ふべきところ只罪囚と雖之を改善教化以て 大君に前を死を以て奉公し奉るべき日本国民に導くことにあるのみである27)」というように、行刑の目的が受刑者の更生による再犯防止から、国家有為の人材の育成へと深化したことを意味していた。国体とは、天皇と臣民との協力関係に基づいて国を繁栄させてきた「歴史的事跡」であり、その社会進化の永遠性は、同時に現在から未来に渡って実現し続けられなければならない理念である。30年代の行刑教育は、君民一体の国体理念から導き出されていたのである。つまり、天皇と臣民との協力関係こそが国の大本であったからこそ、刑罰の目的は正義に対する応報ではなく、行刑教化による「臣民育成」とされたのである。
では、行刑教化の起爆力は何に求められたのであろうか。平沼騏一郎のもとで司法省に一大派閥を形成し、思想司法の基礎を築き上げた塩野季彦は、行刑局長時代に、教育刑論者であった正木を重用して28)、仮釈放審査規程・少年行刑教育令・行刑累進処遇令などの行刑改革を行った。塩野は人格第一主義を提唱し、受刑者の模範となる刑務官の人格陶冶を重視していた。塩野は、「大酒家の子弟から犯人が生れ、不良なる家庭より窃児の出ることは吾人の屡々経験するところであるが、それは子弟が、その父又は兄の素行に同化される結果である。この同化力こそ行刑教化の源泉であらねばならぬ29)」と、劣悪な社会環境に同化したがゆえに人は犯罪行為に至るのだと考えた。したがって、刑務官の人格への同化が行刑教化の原動力であることから、「職責を盡すべき点から今後の刑務官吏は知識の向上を図る必要が生じ人格陶冶の点から受刑者の師表たる行動を表示すべき責任を生ずるのである30)」と、刑務官の道徳的修養を強調したのである。このように人格による「同化力」が行刑教化の源泉とされたが、それは思想犯保護事業においても同様であった。
保護観察の第一線で働く東京保護観察所嘱託保護司の田村一郎は、「嘱託保護司の行ふ保護観察は、個人教育の性質を有すると同時に、一種の感化教育と名づけられる特殊教育の性質を持つのである31)」と述べ、感化教育の一種である保護観察では、「保護司の人格的感化」だけが完全な転向を確保できるという32)。そのためには、保護司が自己陶冶によって心を明澄にすることが求められた。田村が「観察するとは心を読むことである、人の心を読むとは如何なる意味かと云ふに、読むとは知るのみでなく気持を感得することを含んでゐる。転向者の話を聴く際に注意すべきことは、正しく聴くことである。正しく聴くとは転向者の考へてゐる通りに、感情の動いてゐる通りに、又意志の動きのある通りに聴くことで、言語を聴くのでなく、其の言葉の奏する本なる思想感情意志をそのまゝに(その通りに)聴くこと33)」と述べているように、保護司が自己を無化し思想犯に同化することが教化の第一歩であるとされていた。つまり、教育としての保護観察では、自己を空しくすることで、保護司と思想犯の精神が同化融合して「日本的真我」に達することがめざされたのである34)。
このように、人格の「同化力」こそが転向の原動力であったことから、ある意味で刑務官や保護司の人格修養が受刑者の人格陶冶以上に重視されていたのである。そして、革命の主体であるはずの思想犯が保護の対象とされたのは、思想犯もまた元来は国体観念を内面に宿した臣民であるとみなされたからであった。帝国憲法の基本理念(君民一体の国体)は、祖宗の意思=法に従って天皇と臣民とが協力して社会を進化発展させていくことにあった。それは公権力が法を独占していること、つまり、法に基づいた社会を構築し続けているという現実的な成果に公権力の正当性が求められることを意味していた。言い換えれば、臣民の保護は公権力の生存本能に根ざしたものであったといえる。天皇と臣民との権利義務関係は、こうした君民一体の国体の理念のなかで意味づけられていた。つまり、天皇と臣民との協力関係が国の大本であるからこそ、思想犯は是が非でも皇祖皇宗の意思=法に従属した主体=臣民へと再教育されなければならなかったのである。このように、思想犯を保護し、行刑教育、保護観察といった手段を活用して、臣民に育成することは、それ自体、公権力の正当性に関わる問題であったのである。
2 文化国家の展開と社会改良
検察、裁判、行刑、保護といった司法プロセスの最終局面である保護事業を国家事業として社会化する契機となったのが、39年の司法保護事業法の成立であった。司法保護事業法によって、保護団体の整理拡充と司法保護委員制度の確立が実現された。特に、司法保護委員制度は、地域社会の名望家を司法保護委員として登用することで、司法保護事業に対する社会の理解を醸成する狙いのもとで考え出された制度であった。つまり、司法保護事業法は民間の司法保護委員に国家資格を与えて、国が事業経営者に補助金を交付する制度であり、それは社会的資源を効果的に活用することで司法保護事業を展開するものであったのである35)。
司法保護事業法の立案者である森山が「司法保護事業の本質は再犯防遏ではなく、所謂国家有用の材を養ふ、本当の忠君愛国の精神に燃える日本人に錬成する、臣道実践を為すに適当なる人を作る、斯う云ふ臣民育成の事業と変つて来た36)」と述べているように、司法保護事業法の目的は「臣民育成」にあった。そして、その先には受刑者が復帰すべき社会そのものの改良が視野に入れられていた。犯罪発生の根本原因として社会環境が議論の俎上にあげられていた。森山は、「現代に於ては、犯罪の原因が主として個人的要素に存するか或は主として社会的要素に存するかは見解の岐るゝ所であるとしても、主として個人的原因に基くと称せられる犯罪に於ても、其の事情を全面的に且つ徹底的に考察すれば、其の処には常に社会的環境が遠因又は近因となつてゐることが認められて居る」といい、ゆえに社会は犯罪前歴者の社会復帰に協力する道徳的責任があると述べる37)。森山が社会の責任を強調したのは、社会の協力なくしては保護事業は機能しないからであった。社会に同化させることで、教化改善を図る司法保護事業の最大の障害は、応報感情にまみれた社会であったのである。社会の「同化力」が転向のための最大の要件であると考えられていたがゆえに、社会の包摂性、寛容性を醸成することが課題とされた。
思想検察は当初から保護事業の国家事業化を志向していたが、保護事業が公共性を獲得するためには、犯罪前歴者を保護する社会的意義を、君民一体の国体の原理から弁証しなければならなかったのである38)。「社会力」によって犯罪前歴者を臣民に教化改善することは、社会の道徳的義務であるとされたが、その論拠として、「我国に於ては、罪ある者の処遇に関する最高の理念は、既に述べたやうに上古より現代に至る皇室の御仁愛の中にはつきりと現れて居る。御仁愛合に洽ねく、従て万民一家の如く結び合へる国柄であるが故に、国民は互に手を携へ扶け合ひつゝ忠義を尽し奉ることを最高の倫理とするのである39)」といった君民一体の国体論が援用された。すなわち、森山が「しかるに此の家族主義の体制と家族主義の精神こそ、実に我国に於ける司法保護事業の根本基調であります。我国の司法保護の事業は、三千年来の国民的美風であり国民的信念であるところの家族主義を、その精神的基礎として居るのであります40)」と述べているように、司法保護事業の正当性の根拠は、国家の根本原理たる君民一体の国体に求められたのである。森山は、個人の自然な応報感情を超越する社会の共同性を国体の理念のなかに再発見することで、司法保護事業の社会化を試みたといえる。
衆議院での司法保護事業法の審議のなかで、司法保護の精神の普及方法について、森山は、「今回ノ司法保護事業法案ノ中ニ織込ンデアリマスル司法保護委員ノ制度ハ、所謂司法保護事業ノ社会化、普遍化ヲ図ツタモノデゴザイマスシテ、今マデノ如ク司法保護事業ヲ専門ニヤツテ居ラレル方以外ニ、各地方ノ有識者ニ委員ヲ御願致シマシテ、津々浦々各市町村ニ洩レナク保護網ヲ張ツテ行カウ、斯ウ云フ趣旨ノ下ニ作ラレルノガ司法保護委員ノ制度デゴザイマス41)」と述べていた。司法保護事業法が施行されたことで、地方裁判所の区域ごとに検事正を会長とした司法保護委員会が組織され、各保護区におかれた司法保護委員が区司法保護委員会を組織し、保護区のなかの様々な社会機関と緊密に提携して区特有の問題に対処する体制が構築された。司法保護委員によるネットワーク、つまり、保護網が全国に張り巡らされたのである。こうして、司法保護委員制度に向かって国民が動員され、道徳的責任を広めることで社会の改良がめざされたのである。
では、なぜ思想犯保護観察法、司法保護事業法は社会の協力なくしては機能しないと森山は考えたのか。森山は思想係検事であるとともに、労働法に関する論文で博士号を取得し、明治大学で労働法を教える法学者としての顔を持っていた。森山はドイツ労働法の父として名高いフーゴ・ジンツハイマーの影響を受け、「社会力に依る直接の法の創造並びに管理」の思想である、「法における社会的自定の理念」を提唱していた42)。森山は、多様な要因を含んだ紛争には、硬直的な制定法よりも、条理や慣習法といった社会的規範を法として認めて柔軟に対処したほうが現実的であると考えていたのである。社会立法は「社会力」に依拠することで、実効性を備えることができるとされたのである。このような洞察が、社会立法の原動力=社会の改良という問題視座を森山に抱かせたのである。
森山は、思想犯保護観察法、司法保護事業法を、単なる治安法制としてではなく、犯罪前歴者の生活支援という社会政策的観点から案出された社会立法として位置づけていた43)。このことは思想犯保護観察法、司法保護事業法は、「社会力」に依拠することで実効性が担保されることを意味していた。だからこそ、いかにして法的実効性の源泉たる「社会力」を醸成するかが問題になったのである。しかし、「社会力」醸成のための社会改良は、司法保護事業の目的である「臣民育成」を達成するためという目的合理性からのみ割り出された発想ではない。森山は、国家の政治形態は文化の進歩のなかで警察国家、法治国家、社会国家と進化を遂げ、「最近の謂はゆる文化国家に於きましては、政治は国民に対する愛護の観念を相当に強く表現して居る44)」と述べて、文化国家を20世紀の政治社会の進歩として積極的に位置づけていた。それは、「最近の法治国においては、国家の権力の発動に於ては、民に対する愛護の念、この事が究極の根拠になつてゐるものである45)」と、国家権力の正当性根拠を国民愛護(保護)に求めることを意味していた。そして森山は、文化国家における法律の役割を「その終局の念願とするところは明朗な社会を作り出すことに存する46)」として、国民愛護(保護)のためには文化的社会の構築が必要であるとしていたのである。社会権などの社会本位の権利を重視する文化国家として国家の形態が転換しつつあった20世紀の政治社会のなかで、社会の文化的改良が要請されていたといえる。
1920年代から生存権の保障を国家の役割とする文化国主義が台頭し47)、権利濫用の禁止の法理や信義誠実の原則といった19世紀の市民法の基本原則であった契約の自由、私的所有権を制限する法理が、近代日本の法体系の根本原理として位置づけられるようになっていた48)。そして、1917年に臨時教育会議において「国体の本義」、「我国固有の淳風美俗」に則った法律制度の整備が必要とされ、臨時法制審議会で民法と刑法の改正事業が開始された。そこで策定された民法改正要綱では、家族に対する戸主の監督・保護に関する権利・義務の明記や妻の財産に対する夫の管理権・使用収益権の廃止といった従来の戸主権に対する制限が規定された。また、刑法改正要綱では不定期刑、保安処分の新設や執行猶予・仮釈放の条件が緩和されるなど新派刑法学の教育刑思想がより反映された49)。このような民法・刑法改正事業は、大正期から大審院で私権制限の法理として用いられるようになった信義誠実の原則や権利濫用の禁止の法理に基づく法改正事業であったといえよう。また、契約の自由を制限する法理であった信義則は、学説判例において認められていなかった国家の公法上の不法行為に関して、損害賠償責任を構成する法的根拠とみなされていたのである50)。生存権確保のために私権を制約する信義則は、法の究極の目的である社会と個人の調和、つまり、正義公平の実現を志向していた。すなわち、私人の権利保護よりも社会公共の福利を優先するのが20世紀の人権原理であった。
このような社会的潮流のなかで思想検察の存在形態も規定されていたのである。帝国憲法及び旧民法、行政裁判法には、国家の賠償責任を認める明文規定は存在しなかった。治安維持法の立案者でもあった司法官僚の古田正武は、刑事事件で上告または再審における無罪、通常訴訟手続きにおける無罪の判決を受けた被告人に対する損害賠償を定めた国家賠償法の立法化を主張していた。古田は、「殊に現今の法理に於ては、国家は権力の主体である。其の権力行為の結果として、一個人に損害を加へることがあつても、国家はそれを賠償する義務を負ふとは解されて居らぬ。併し正義公正の観念に照して何等か慰藉の途を講ずることが適当と考へられる。即国家の一種の恩恵的行為又は贈与に類する行為と解するのを適当とするであらう51)」と、国家の公法上の行為に関しても正義公正の実現という観点から刑事補償を行うべきとしていたのである。刑事補償法(1931年)の成立は、正義公平の観念(信義則)が国家無答責の法理を超える最上位の法理として認定された事態であったといえる。しかし、国家による賠償はあくまでも恩恵ないし贈与とされているように、国家が正義公平の観念(信義則)に従い国民に対して損害賠償を行うのは、国民に賠償請求の権利があることを承認したからではなく、あくまでも法の占有という公権力の本分(生理)に基づくものであったのである。つまり、国家権力の法の独占は、現実に社会のなかで法を実現していることによって証明されるため、公法上の賠償責任を国家が負うことは、信義則の目的たる正義公正の実現を国家目的として包摂する上でも必要なことであった。したがって、30年代に国民の生存権保護を正当性の根拠とした国家権力(文化国家)が社会に現前した事態は、法の独占という公権力の構成原理からして避けられない展開であったといえよう。 
V 起訴便宜主義と法の解釈者 

 

周知の通り、40年に入ると戦時司法体制の構築のもとで検察権限が拡大される。塩野季彦は日本法理研究会を立ち上げ52)、日本法理に基づく戦時司法体制の構築をめざした。日本法理研究会において、司法の目的は「日本法の道義的実体の具現」として位置づけられ、そこから「日本刑事手続の使命は日本法律秩序の基礎を為してゐる道義則を維持展開することに依つて、国家の安泰を期し、国民生活の安寧福祉を保護増進するにある」とされた53)。道義の実現を法の目的とした日本法理から罪刑法定主義は相対化されていたのである。東京帝国大学教授の小野清一郎をはじめ、判事や検事、その他の司法実務家が起草した戦時刑事手続要綱試案は、検察の強制捜査権の確立、弁護権の制限、訴訟手続きの簡易迅速化、控訴審の停止など検察権限を拡大強化するものであった54)。このような日本法理研究会による戦時司法体制研究が司法制度改革の基礎となったのである55)。
もともと近代日本では、明治期から検察実務のなかで起訴便宜主義が定着していた56)。起訴・不起訴、起訴猶予の決定を検察官の裁量権とした便宜主義は、学説上は認められていなかったが、実務者サイドではむしろ自明の理であった。日本ほど起訴便宜主義を広汎に活用している国は大陸法系の諸国や英米法系の諸国でも類例がなかった。つまり、起訴不起訴の決定を検察官の完全な自由裁量に任せる起訴便宜主義の慣行は、日本独自の伝統であったのである。学説上は法定主義が主流であったにもかかわらず、司法大臣や検事総長の訓令・訓示において繰り返し起訴猶予処分の活用が推奨されているように、起訴便宜主義の活用は拡大の一途を辿った57)。犯罪者としてのレッテルをはらずに社会に復帰させたほうが更生という点では好ましいという刑事政策的な見地から、起訴猶予の弾力的運用が行われていたのである。広汎な起訴猶予裁量は、検察官が犯罪者の司法判断を実質的に決定してしまうことに等しい。いわば、起訴便宜主義の伝統は、戦前において検察官が法の解釈者として裁判官に優越していたことを示唆していよう。
では、捜査、逮捕、起訴、公判、行刑、保護観察の司法処理を検察に独占せしめた、その検察権の卓越性は何によって担保されていたのだろうか。このことを思想検察の最高実力者と目されていた平沼騏一郎の法思想をみていくことで明らかにしたい。周知の通り、平沼は大審院次席検事として大逆事件で指揮をとったことで有名である。また、平沼は、検事総長、大審院長、司法大臣を歴任し、司法省の最高実力者として君臨し、また国本社を発足させて、政界、官界、軍部の人材を糾合し、一大政治勢力をつくり、政党政治を牽制し、自由主義思想を排撃した典型的な復古的観念右翼である。しかし、本章では、政治的な立ち位置よりも、大正期の少年法、刑事訴訟法の改正、民法・刑法改正事業などを先導した司法官としての平沼の法思想に着目したい。
大浦事件を契機に、起訴便宜主義に対する社会的批判が強まった58)。そのなかで検察実務の慣行であった起訴便宜主義を立法措置によって法文化にしようとする動きが活発化し、大正期の改正刑事訴訟法の成立で起訴便宜主義は訴訟の原則として法文化された。司法省主導のもとで、検察実務の実態に合わせるように、刑事訴訟の原則は法定主義から便宜主義へと転換したのである。
平沼は改正刑事訴訟法の起草委員の一人として起訴便宜主義の法文化に関与していた。平沼が「便宜主義ニ従ヒ訴追ヲ為スニ当テハ専ラ理義ヲ開明シ之ヲ基礎トシテ公訴ノ範囲ヲ決サセルヘカラス、而シテ理義ニ従フハ抽象的概念ニ依リ事ヲ断スルヲ以テ足レリトセス、必スヤ個々ノ場合ニ臨ミ各般ノ事情ヲ顧ミテ宜キヲ制セサルヘカラス59)」と述べているように、便宜主義とは検察官の恣意的判断に基づいた公訴決定ではなく、犯人の性格や年齢、境遇や犯罪の情状といった個人的社会的文脈を十分に斟酌した上で、公訴の是非を決定することを推奨するものであった。平沼は、条文にこだわらずに社会的事情を斟酌して起訴の範囲を決定することを説いたが、では、起訴便宜主義の正当性の根拠を何に求めていたのか。平沼は、「我皇国に於きまして所謂徳を以て治める、法律はこれを助くるの道具であるといふことは、古へから徹底した観念であります60)」として、皇祖皇宗の神勅に示された徳治(道義)こそが制定法を支える基礎観念(法)であると考えていた。この法=徳から法律を運用(解釈)していくことが司法官の職分であった。すなわち、「所で吾々御同様の任務になつて居りまする刑罰法令の運用、刑罰法規はこれは法律の一種に違ひないが、これを運用する上に於きまして、是迄申述べました観念(徳―筆者注)を頭に入れて置かぬければ相成らぬ61)」というように、平沼は法=徳に基づいた法律運用を説いていたのである。平沼派の塩野が主催した日本法理研究会においても、「法は即ちのり、みことのりであつて勅命に外ならない。司法権は実に勅命たる法に惟れ遵ひ国民生活に於ける道徳関係を顕現するものであつて、行政権其の他の諸権限の干渉を許さず飽く迄も独自の運営に委ねられなければならない62)」と、法は天皇に淵源するものとして捉えられていた。このように法=徳(国体)の解釈を独占する存在としての検察の自己定置が、起訴便宜主義を支えていたのである。
国家権力の正当性根拠である法(国体)の解釈者たることが、準司法機関としての検察の存在理由であったといえる。戦前日本においては、司法権の独立とは、検察権の独立、すなわち、法の解釈者としての地位の保障を意味していたといえよう。平沼主導のもと検事局は、1909年の日糖事件を画期に、シーメンス事件、大浦事件、帝人事件といった政治的事件の摘発を通じて司法部における政治的優位性を確立させ、政党、軍閥、官僚閥に並ぶ一大政治勢力として日本政治のなかに確固たる地歩を築いていた63)。また、大逆事件をはじめ3・15事件、4・16事件といった思想犯罪の司法処理の各局面で、思想係検事が主導的な役割を担ったことで、法の解釈者としての地位はより強固なものになっていた。司法における検察の政治的優越性は火をみるより明らかであったのである。では、思想犯保護観察法、司法保護事業法の制定にみられるように、法の解釈者である検察が社会改良の主体に転轍した必然性はどこにあるのか。
平沼の国本運動が通常の国家改造運動と異なるのは、精神改造に力点がおかれ、国家制度の改革を否定していた点であろう。平沼は、明治維新を「国民的復古精神の発露」として捉え、昭和維新もそうした復古運動の延長線上に位置するものとしていた。すなわち、「今日は法律観念の革新の時機であります。東西とも左様でありますが、この革新の時機に当たりましては倍々吾々は互に切磋琢磨致しまして、正に復へるといふ心掛がなければならぬ。この正に復へるといふことは我国に於ける所の古来の道である。即ちこれに復へるのである64)」と、古来の法である徳へと帰還する運動こそが革新であり、法の解釈者である司法官はまさに法の革新(徳の復古)を担う者として位置づけられていたのである。
平沼は、古来の法を建国の精神として、「要するに建国の精神は端的に云はば道義立国と解すべきものであらう。道義は天地の大道である。天地生々化育の徳は万物皆之に浴せざるなく、人類は勿論、禽獣蟲魚草木孰れも其の大道によつて生息するのである。道義が天地自然の理で覆はざる所なきものたるは明で、切言すれば人類は唯だ之を遵守し奉行するに過ぎない65)」という。すなわち、建国の精神である道義は、人類を含めた生物界を支配する天地自然の理であるがゆえに、人類にはその理に従うことしか許されていないとされたのである。したがって、道義の快復とは人為性を排すること、つまりは、自由主義や共産主義といった西欧近代なるものに染まった国民精神を陶冶することで達成されるものであった。平沼の昭和維新は、オルタナティブな国家構想に基づいた革新運動ではなかった。むしろそういった社会制度の改革という外在的で人為的な当為それ自体を超克すること、つまり、社会主義や自由主義など一切の外在的なものを拒絶するという否定的な行為を徹底することが昭和維新であった。だから、現実の政治過程のなかでは、企画院事件をフレームアップすることで革新官僚を駆逐し、大政翼賛会の公事結社化によってその政治性を否定したように、平沼は明文改憲をも追求した近衛新体制運動に抵抗する現状維持派でしかなかったのである。周知の通り、平沼の政治手法は、検察権力を利用して様々な政治的事件をフレームアップし、社会不安を醸成することで政変を起こし政治目的を実現する方法であった。このような手段を平沼がとったのも、法=徳は、代議制といった間接的な手段ではなく、個人が臣民である限り内に秘めている精神に直接訴えることでのみ顕現されるものと捉えられていたからである。
法の解釈(建国の精神の復古)が革新とされたことから、検察が法の解釈を独占することは、おしなべて社会変革の権利を独占することを意味していたのである。思想司法とは、まさに法の解釈者という自己定置を前提として、どのような思想・行為が革新に値するかを判断する最終審級としての検察の存在形態を最もよくあらわしていた。しかし、このような社会変革の権利の独占は、検察をして唯一の社会変革の主体として社会に対峙させることを意味していたのである。 
おわりに 

 

近代日本では、司法権の独立とは検察権の独立を意味していた。起訴猶予が検察実務のなかで日常的に行われていたように、裁判を経る前に事実上の司法処分がなされていたのである。このことは、戦前日本の司法において、検事局が実質的な裁決者として君臨していたことを意味している。検察実務の慣行として定着していた起訴便宜主義は、大正刑事訴訟法において法文化されたが、世界でも類例のない起訴便宜主義が確立された要因を、天皇と臣民との関係性を規定した国体の理念に求めることができる。帝国憲法の基本理念である君民一体の国体理念は、天皇と臣民が協力して国土の保持と臣民の幸福を増進し、社会を発展させることにあった。この君民一体の国体は、主権や人権といった近代原理を制限する法理でもあったのである66)。国体が主権・人権の制限原理として確立したのは、帝国憲法が祖宗の時代からの法理念の成文化であったことに基因している。なぜなら、帝国憲法は主権者たる天皇の意思によって一方的に制定された欽定憲法であったが、それは祖法の継受を意味していたことから、天皇と臣民は祖法に制限された義務主体とされたのである。そして、法の支配(国体による拘束)を受けるがゆえに、天皇と臣民の協力関係は憲法以前的なアプリオリな関係とされた。であるから、国体を変革ないし否定することは、祖宗の時代から連綿と継承されてきた天皇と臣民との協力関係を否定すること、つまり、法の破壊を意味していたのである。
検察は、法の解釈者として、日本の司法で重要な位置を占めていた。そして、検察は、思想犯罪という法をめぐる闘争を経験することで法の解釈者としての位地をより強固なものにし、その最終的な帰結が司法全体の思想司法化であったのである。臣民の育成を目標にした思想犯保護観察法、司法保護事業法の成立は、治安法制がもはや転向輔導政策の限界を突破して、人間の改造にむけて再編されたことを意味していた。このことは検察が物理的暴力の行使者だけではなく、精神・思想を統制し改造する暴力の保有者であったことを示していよう。しかし、再犯防止といった治安目的を超えて、人間の改造に向かった思想司法は、社会それ自体の改良まで射程に入れなくてはならなかったのである。思想犯を含めた犯罪前歴者の更生には人格陶冶と生活扶助といった物心両面からの援助が行われたが、究極的に教化の決定因となるのは刑務官や保護司の人格、さらにいえば社会それ自体がもたらす「同化力」(感化力)であった。そこで、犯罪前歴者が同化する社会そのものの包摂性を高めるために、社会全体の改良がめざされたのである。
しかし、このような司法の動向は、社会権(生存権)保護のための社会の文化的発展を志向する文化国家へと国家の役割が転換していた政治社会の動向でもあった。すなわち、法の役割が私的所有権や契約の自由の保護から、社会公共の利益の実現に転換し、生存権保護のために自由権を制約する信義誠実の原則や権利濫用の禁止の法理が登場したのである。こうした社会的潮流のなかで社会の文化的改良が要請されていたのである。近代日本の主権的権力は、法の継受・独占が正当性の根拠であったため、信義則といった新たな法理もまた大日本帝国の国体理念に摂取されたのである。このことは、国家が国民の生存権保護のために、積極的に社会に介入することを示唆していたが、ここで留意しなければならないのは、その国家による国民の生存権保護が、あくまでも国家の贈与ないし恩恵とされていたことである。国家の国民に対する生存権保護は、むしろ法の占有という公権力の生理に基づいた反射行動ごときものであった。要するに、法理念に基づいて社会を創造しているという現実的成果が統治の正当性の根拠であるがゆえに、国家は国民の生存権保護を実行するのである。このことに、法の解釈者である検察が社会改良の主体として社会に現前した必然性がある。すなわち、法の独占といった法に基づく社会の構築が公権力の正当性根拠であるがゆえに、法の解釈を独占した検察が社会変革の権利を独占するのは必然であった。これは革命主体ですら例外なく法に服する主体として教化対象にされることを意味していた。そして、その社会革新は法=建国の精神の復古によってのみ実現するとされ、制度改革よりも精神の改造が重視されたのである。
戦後の治安法制の担い手に思想係検事が再登場できた社会的土壌は、精神改造の成果ともいえるだろうか。また、自民党の一党優位体制が長年続いた一端に、国民の共産主義に対する恐怖感があったことは否定できない。この共産主義思想に対する恐怖感は、戦前の治安維持法制が醸成したものだろうが、社会のほうに思想検察に抵抗する原理がなかったのは、思想検察が社会変革の権利を独占することで、社会の自己革新力を奪ってしまったからともいえよう。
国家と国民との権利義務関係を君民一体の国体理念のなかでしか説明できなかった近代日本社会の歴史性が、戦前司法の思想司法化を促し、戦後改革のなかで思想係検事を延命させたのである。さらにいえば、戦時期の治安維持法制の暴力性が、権力による人間改造の顛末であったことにも注視しなければならない。以上のような見解を踏まえて、戦後司法の展開、特に検察司法の展開をみていくことが重要であるが、このことについては今後の課題としたい。  
注 

 

1)思想犯保護観察法の制定過程及び政治的背景については、主に菊田幸一「思想犯保護観察法の歴史的分析(1)」(『法律論叢』第44巻5・6号、1971年10月)、同「思想犯保護観察法の歴史的分析(2)」(『法律論叢』第45巻1号、1972年1月)、荻野富士夫「治安維持法成立・『改正』史」(荻野富士夫編『治安維持法関係資料集』第4巻、新日本出版社、1996年)を参照。また、思想犯保護観察法の延長線上で制定された司法保護事業法に関しては、山田憲児「司法保護と更生保護」(『更生保護と犯罪予防』第14巻第1号、1979年6月)、安形静男「更生保護史考(1)─(10)」(『犯罪と非行』第96─113号、1993年5月─1997年8月)を参照。
2)思想司法については、奥平康弘『治安維持法小史』(岩波現代文庫、2006年)、荻野富士夫『思想検事』(岩波書店、2000年)、荻野富士夫「治安維持法成立・『改正』史」(荻野富士夫編『治安維持法関係資料集』第4巻、新日本出版社、1996年)が詳しい。
3)奥平同上、288頁。
4)荻野富士夫前掲『思想検事』、200頁。
5)渡辺治「日本帝国主義の支配構造」(『歴史学研究』別冊、1982年11月)。
6)三谷太一郎『政治制度としての陪審制』(東京大学出版会、2001年)。
7)小幡尚「昭和戦前期における行刑の展開と思想犯処遇問題」(『歴史学研究』第719号、1999年1月)。
8)奥平、荻野の治安維持法研究が明らかにしている通り、転向輔導政策の実効性を担保していたのは、拷問や長期の勾留といった物理的暴力であることは看過できない。本稿では紙幅の都合上、今後の課題とするほかないが、治安体制の本質を理解するには、転向輔導政策の思想的背景だけでなく、思想犯に対する様々な暴力の行使の有り様を、法律の運用実態の分析を通じて解明する必要があることを注記しておきたい。
9)『社会問題資料叢書第1輯第44回配本 昭和9年5月思想実務家会同議事録 昭和10年6月思想実務家会同並司法研究実務家会同議事速記録』(東洋文化社、1975年)94頁。
10)同上、95頁。
11)同上、95─96頁。
12)同上、104頁。
13)同上、94頁。
14)大竹武七郎「思想犯罪の取締法規」(『保護時報』第17巻9号、1933年9月)3─4頁。
15)大竹同上、5頁。
16)江橋修「現代思想と共産主義批判」(『保護時報』第15巻10号、1931年10月)7頁。
17)江橋同上、6頁。
18)古田正武「治安維持法」(1925年5月)(荻野富士夫編『治安維持法関係資料集第1巻』、新日本出版社、1996年)216頁。
19)古田同上、206頁。
20)41年の治安維持法の全面改正では予防拘禁制度が設けられた。予防拘禁制の立案者であった太田耐造が「予防拘禁は思想犯人中の非転向分子に付之を社会より隔離して悪思想の伝播を防止し、以て国家治安に対する将来的危険を防遏する事を主眼とし、同時に厳格なる紀律其の他の強制手段に依り改悛の機会を与へて其の悪思想を矯正せんとするものである」と述べているように、予防拘禁制度においても転向輔導が念頭におかれていた(太田耐造「思想犯予防拘禁制度概論(1)」〈『法曹会雑誌』第20巻9号、1942年9月〉11頁)。
21)森山武市郎「思想犯保護観察法に就て」(『法曹会雑誌』第11巻5号、1936年5月)7頁。
22)東京保護観察所の長谷川瀏が「然るに訓令たる執務規範に至つては殆んど観察の部面は遮蔽せられて、保護の積極面のみが露呈されてゐるのである」と述べているように、思想犯保護観察法の運用では生活扶助なども考慮されていた(長谷川瀏「保護観察所の任務を再吟味して」(1)〈『昭徳』第6巻4号、1941年4月〉29頁)。
23)小幡尚前掲「昭和戦前期における行刑の展開と思想犯処遇問題」14頁。
24)正木亮「思想犯保護観察法生る」(『刑政』第49巻7号、1936年7月)三頁。
25)池田克「思想犯人教化の経験批判(下)」(『警察研究』第7巻12号、1936年12月)28頁。
26)正木亮「新体制と行刑の再認識」(『刑政』第54巻1号、1939年1月)10─11頁。
27)正木同上、16頁。
28)正木が実際に担当したのは仮釈放審査規程、行刑累進処遇令であった(『塩野季彦回顧録』(塩野季彦回顧録刊行会、1958年)690─695頁)
29)塩野季彦「累進処遇と人格第一主義」(『刑政』第47巻2号、1934年2月)9頁。
30)塩野同上、9頁。
31)田村一郎「教育としての保護観察」(『昭徳』第8巻6号、1943年6月)25頁。
32)田村同上、26頁。
33)田村同上、30─31頁。
34)田村同上、31頁。
35)森山は当初、司法保護事業法による保護観察実施を中心に行う執行官庁の設置を構想していたが、日中戦争の長期化による軍事費の増大によって官庁設置の案は見送られた。
36)森山武市郎『司法保護委員叢書4 最近の司法保護思潮』(司法保護協会、1941年)12頁。
37)森山同上、11頁。
38)日本少年保護協会、輔成会、昭徳会が合同開催した37年の全日本司法保護事業大会で、大会会長の塩野季彦が、「司法保護事業ハ其ノ歴史古ク、当事者ノ苦心ハ寔ニ深甚ナルモノガアルニ拘ラズ、従来不幸ニシテ、社会ノ理解少ク、社会ノ協力ヲ得ルコトニ至ツテハ更ニ乏シキヲ嘆カシムルモノガアツタノデアリマス」と述べているように、受刑者に対する偏見もあり、司法保護事業に対する社会の理解は乏しかった(〈全日本司法保護事業連盟編『司法保護叢書第7輯 昭和12年全日本司法保護事業大会報告書』、1938年〉22─23頁)。司法保護事業の法制化には、司法保護事業に対する社会的理解を広め、社会の支持協力を得ることが最も必要であったのである。
39)森山前掲、『司法保護委員叢書4 最近の司法保護思潮』12頁。
40)森山「我国の司法保護事業の現勢と展望」(『少年保護』第3巻2号、1938年2月)23頁。
41)司法大臣官房保護課編『司法保護資料第18輯 第74回帝国議会司法保護事業法議事速記録』(1939年)41頁。
42)森山「労働立法と法に於ける社会的自定の理念(1)」(『法曹会雑誌』第3巻9号、1925年9月)67頁
43)『社会問題資料叢書第1輯第54回配本・合本 昭和11年6月思想実務家会同議事速記録 昭和11年11月思想実務家会同議事速記録』〈東洋文化社、1976年)82頁。
44)森山「我国の司法保護事業の現勢に就て」(『少年保護』第3巻1号、1938年1月)27頁。
45)森山同上、30頁。
46)森山「法に於ける愛護思想の展開」(『保護時報』第20巻1号、1936年1月)4頁。
47)文化国家論の代表的な提唱者である牧野英一は、法治国から文化国への変遷を「国家は、法律に依り、個人の生存を確保し、その行動を保育助長すべく行動せねばならぬものとされることになつたのである。さうして、国家の具有する、絶対的な権力といふことは、そこにはじめて、その合理性を明かにし、その倫理性を完うし、さうして、その文化性を発揮することになるのである」として意義づけて、生存権の確保・助長という文化目的のもとで国家の絶対性を説いていた(牧野英一「行刑の国家理論的思想的意義」〈『刑政』第48巻1号、1935年1月〉23頁)。
48)帝国憲法下における生存権の確立については、拙稿「大日本帝国憲法の基本理念と「生存権」─1920年代─40年代の法学者の議論を中心にして─」(『歴史学研究』第869号、2010年8月)を参照。
49)内藤謙『刑法理論の史的展開』(有斐閣、2007年)381頁。
50)拙稿前掲「大日本帝国憲法の基本理念と「生存権」」9頁。
51)古田正武「所謂「国家補償法」に就て」(『警察研究』第2巻1号、1930年1月)86頁。
52)日本法理研究会については、白羽祐三『「日本法理研究会」の分析』(中央大学出版部、1998年)が詳しい。
53)日本法理研究会編『日本法理研究会叢書特輯4 日本刑事手続要綱』(日本法理研究会、1943年)6頁。
54)日本法理研究会編『日本法理研究会叢書特輯3 戦時司法体制研究要綱』(日本法理研究会、1941年)54─59頁。
55)吉川経夫・内藤謙・中山研一・小田中聰樹・三井誠編『刑法理論史の総合的研究』(平文社、1994年)、747─748頁。
56)起訴便宜主義の歴史については、三井誠「検察官の起訴猶予裁量(1)─(5)」(『法学協会雑誌』第87巻9・10号、91巻7号、9号、12号、第94巻6号、1970年10月―1977年6月)が詳しい。
57)法学界では起訴便宜主義は、法制上の根拠がないため、解釈論としては否定されていた。しかし、起訴法定主義論者も立法論、政策論としては起訴便宜主義を是認していた。そのなかで牧野英一はもともと起訴便宜主義には好意的で、大浦事件を契機に解釈論として起訴便宜主義説を明確に主張するようになった。
58)大浦事件に端を発した起訴便宜主義をめぐる論争については、三井誠「「大浦事件」の投げかけた波紋」(『神戸法学雑誌』第20巻3・4号、19711年3月)が詳しい。
59)平沼騏一郎『新刑事訴訟法要論』(日本大学出版部、1923年)85頁
60)平沼騏一郎「法治に就て(承前)」(『刑政』第36巻11号、1923年12月)12頁。
61)平沼同上、12頁。
62)前掲日本法理研究会編『日本法理研究会叢書特輯4 日本刑事手続要綱』14頁。
63)平沼率いる司法部と政党政治との関係については、三谷太一郎前掲『政治制度としての陪審制』参照。
64)平沼前掲「法治に就て(承前)」18頁。
65)平沼「昭和維新」(『教化の資料』第2輯 、文部省、1929年)3頁。
66)国体の近代的性格については、国体が主権・人権という近代原理を実質的に機能させるための「個人」創出イデオロギーであったことを論じた、住友陽文「イデオロギーとしての『個人』─教育勅語と教育基本法のあいだ─」(『日本史研究』第550号、2008年6月)、信義誠実の原則や公共の福祉といった人権制約原理は帝国憲法の基本理念である国体のなかで醸成されたことを論じた、拙稿前掲「大日本帝国憲法の基本理念と「生存権」」がある。 
 
治安維持法は悪法ではなかった

 

戦前、治安維持法というものがあった。秋霜烈日なる国家権力が大衆を恣意的に取り締まる手段として利用したとして、戦後では典型的な悪法として有名だが、本当にこの法律は悪法だったのか。
治安維持法の目的はもともとは共産主義の蔓延を防ぐことにあった。共産主義者はインターナショナルであるから、国家を否定し、革命によって国家を転覆させることをねらっていた。生まれたばかりの当時の共産主義は国家のみならず国民にとっても恐ろしい存在だったのである。当局がこうした思想の蔓延に神経をとがらせたのはしたがって当時の状況を考えれば当然といえる。(ナショナリズムよりもインターナショナルが怖い。これはその後の歴史が証明した。ナチスドイツよりもスターリン、ポルポトの方がはるかに多人数を殺している。それも自国民を!)
確かにこの法律をよく見てみるとその対象は「國體ヲ變革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」とあり、決してやみくもに国民を弾圧をするのではなく、あくまでも国家を転覆させようと活動していた共産主義者の跋扈を取り締まるための法律であったことがわかる。
しかしこの法律は後に一人歩きし、拡大解釈されることにより、あるいは法そのものが改正されることにより、国家にとって不都合な組織や人を弾圧するための手段となってしまった。本来法の対象者が共産主義者のみであったはずなのが、国策に都合の悪い意見を言う者すべてにまで拡大されてしまったのである。
私はだから治安維持法というものは法の存在よりは運用に問題があったと思っている。そもそも「治安維持法」という名前が悪かったのだ。たとえば「共産主義蔓延防止法」などという名称だったらもっと本来の目的に合った運用がなされていたかもしれない。(そもそもなぜ法律に”共産主義者”などと銘記できなかったのか。もし銘記されていれば拡大解釈の余地もなかったのではないか)
今でこそ借りてきたネコのように人畜無害になってしまった共産主義であるが、当時のそれはおそらく現代のオウムを何十倍にもしたような危険思想であった。彼らの主張どおりに暴力革命が起こり、政府が転覆されれば日本は戦後の東欧諸国のようにあっというまにソ連によって赤化され、あるいは列強の干渉にあい、国家はめちゃくちゃ、当然国民生活もめちゃくちゃとなっていただろう。第二次大戦は連合国対枢軸国ではなく、共産主義国対資本主義国の対決となっていたかもしれない。(当然日本は共産圏に属してソ連と共にアメリカと戦うことになった)つまり日本が共産圏に取り込まれていれば戦後の冷戦が先取りされて熱戦となっていた可能性も高いのである。
治安維持法は少なくとも日本に革命が起こり、日本が共産圏に取り込まれるのを防止する役割は果たした、と私は思う。こうした思考を推し進めていくと、治安維持法=悪と頭から決めつけてしまうのは歴史の歪曲ではないか、とさえ考えるのである。
戦後は骨抜きにされたとはいえ破防法が制定され、暴力的マルクス=レーニン主義の跋扈に一定の歯止めは掛けられた。そして’90年代になり、それまでのイデオロギーと無関係のオウム真理教という狂信的カルト集団が出現すると今度は「オウム新法」が制定され、一定の法の網が被せられた。(オウム真理教の取り締まりは破防法の本来の趣旨とは合致していなかったため)
要するに世の安寧を保つためにはいつの時代でも何らかの”治安維持法的法律”が必要なのである。今後の日本でかつての共産主義思想やオウム真理教に代わる新たな社会的脅威が出現しないとは限らない。そうした事態に対応するためにも、”臭いものにはフタをする”的発想でいたずらに治安維持法を嫌悪するのではなく、戦前になぜこういった法律が作られねばならなかったのか、なぜ運用を誤ったのか、などといった検証を行うことも必要なのではないだろうか。 
 
治安維持法の必要性を叫ぶ人がいる

 

Twitterのタイムラインを見て久々に愕然とした。「彼らには治安維持法が必要」と言っている人を見つけたのだ。この問題はぜひ「民主主義は大切だ」と思う人に時間をかけて読んでもらいたいし、内容を理解した上で、自分の意見を拡散してもらいたい。
彼らとはSEALDsのことらしい。文脈は不明だし、どれくらい真剣に「治安維持法が必要」と言っているのかもよく分からない。
「治安維持法」を知らない人がいるかもしれない。第二次世界大戦中に言論弾圧のために用いられた法律だ。もともと共産主義と天皇制批判を取り締まる為の法律だったのだが、後に拡大され全ての政府批判が封じられたのだ。当時、第二次世界大戦は聖戦だと信じられていたので、それに疑問を持つ事は許されなかった。
拡大しつつあった戦争に対する庶民の反発を怖れた政府は投票権を拡大し普通選挙の実施に踏み切った。自分たちの選んだ政治家が決めたことならば多くの国民が従うと考えたからだ。一方で国民の政治意識が体制転覆に傾く事を怖れた政府は、普通選挙の実施と同時に治安維持法を成立させた。当時の脅威は共産主義の台頭だった。選挙権がない人が政府転覆に傾くのを怖れたのではないかと考えられる。関東大震災の際に発布された治安維持に関する緊急勅令なども参考にされた。
いったん作られた法律は後に拡大解釈されることになる。これが現在の憲法改正反対派が危惧している日本の歴史だ。決して単純に被害妄想を膨らませている訳ではない。
これが「問題だ」と思うのはなぜかを説明したい。現在の左派は安倍政権さえ倒せば戦争法案の危機は去り、立憲主義が守られると信じている。しかし、実際にはそれはあまりにも単純なものの見方と言わざるを得ない。「民主主義への疑い」を持っている一般国民は意外と多いのだ。この人たちを説得しなければ民主的なプロセスで国民の権利を制限する法律が通りかねないのである。
だが、現在の左派にそうした危機感はない。国政レベルでは「一致団結して安倍政権を倒す」などと格好のいい事を言っているが、地方ではまったくまとまりがなく、民主党が自民党を含む体制派の応援をするなどということは珍しくない。
ではなぜ治安維持法が必要という人が出てきたのだろうか。もともとは日本をアメリカが主催する「国際警察団」に引き込みたかった「ジャパンハンドラー」と言われる人たちがきっかけになっている。彼らは「中国が日本を狙っている」というイメージを植え込む事で、日本人たちの「目を覚まさせよう」としたのだ。実際に尖閣諸島を巡る争いが起きたので、これを最大限に利用した。
同時に、当時の民主党政権に対して「中国・韓国の意を汲む在日政党だ」という印象操作が施された。この結果右派雑誌には「このままでは日本は民主党によって中国に売られる」というような言説が見られるようになる。これを阻止するためには、憲法第九条を改正して軍隊を持たなければ、中国に侵略されると考える人が出てきたのだ。
治安維持法や緊急事態条項を支持する人たちが出てきたのは、このようなバックグラウンドによるものだと思われる。彼らは国内での争乱は中国や韓国の影響を受けた人たちの陰謀だと考えているのだろう。あれは民主的なデモではなく売国的な争乱行為なのだ。
だが、彼らを説得するのは難しい。実際に中国は野心を持っているからだ。ただし、彼らが挑戦しているのは日本ではなくアメリカを中心とした国際秩序だと考えられる。いわゆる「ジャパンハンドラー」はこれをアメリカの問題ではなく、日本の問題に転移することに成功したのだ。
しかし、アメリカは「梯子はずし」を始めた。防衛省に近いシンクタンクは、中国が尖閣諸島を侵略した際にアメリカが「巻き込まれれば」アメリカ本土へのサイバー攻撃を含めた反撃があるだろうと考えている。「わずか5日で陥落する」とレポートは結論づけている。だから放置しておけというわけだ。アメリカとしては日本の「ナショナリズム」が刺激されるのは好ましくないと考え始めているのだ。
ジャパンハンドラーとしては「中国の胸囲を煽れ」と推奨しているだけなので、特に結果責任は取らない。日本政府も仄めかしているだけだ。しかし、それを真に受ける人たちが出ているのだ。こうしたメッセージは1世代をかけて流布したので、すぐさまに修正することはできない。かといって真に受けて中国に喧嘩を売ると、防衛した自衛隊員だけが殺されて「日本の判断で決めたことだろう」と言われかねない。特に安倍政権だけを非難しているわけではない。野田政権が尖閣諸島を国有化した際に、中国の意向にあまりにも無頓着でアメリカ当局を呆れさせたという話も出ている。
この問題が深刻に思える点は、中国への脅威論の矛先が、国内の同胞(彼らは「反日勢力」だと思われているのだろうが)に向かう所ではないかと思われる。外国の干渉が国内の民主主義を蝕むというのは、多くの植民地で見られる現象だ。さすがにジャパンハンドラーたちが「国民の分断」を画策したわけではないと思うのだが、結果的にそのようになってしまう。
その結果、90年前に政府に押しつけられた法律を自ら欲しいと願うような人が表れるのだ。植民地の悲劇としか言いようがない。 
 
治安維持法犠牲者へ謝罪と賠償

 

1 論点
1925 年3月に施行され、1945 年10 月に法廃止された治安維持法(the Public Order Maintenance Law)は、国家権力によって支配体制に抵抗する国民に対してあらゆる暴虐と陵辱が加えられた最悪の人権弾圧法で、自由権規約第7条、第18 条に違反しています。
特別高等警察と憲兵に嫌疑をかけられ取調べを受けた人たちは数十万に及び、礼状なく連行、逮捕、拘束され、殴打などの暴行と脅迫を受け、釈放後は監視されました。身柄を送致された者は、国内で75681人、植民地・朝鮮で11681 人、裁判に付された者は、国内で5162 人、朝鮮で4464 人です。捜査段階で官憲の拷問等の暴虐によって殺された人は、国内では小林多喜二を始め95 人以上に及び、長期拘禁中の反復的な拷問、虐待、栄養失調、不衛生な環境などによる疾病等で獄死した人は360 人余です。社会主義者、宗教者、学者、文化人など思想信条を超えた広範な人々が犠牲者となりました。
治安維持法は「国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的に結社を組織し、これに加入したものは10 年以下の懲役又は禁固に処す」とした法律ですが、1928 年に最高刑は死刑とされました。疑いをかけた者は片端から警察署に連行し、令状なしで検束、家宅捜索、長期勾留し、当時の刑法でも禁止されていた拷問、陵辱によって自白を強要し、治安維持法容疑へと令状を切り替えていったのです。とりわけ女性犠牲者に対する官憲の取調べではレイプが日常化するなど言語を絶するものでした。なかには全くのデッチ上げで60 余人(いまだに正確な総数はわからない)もの研究者・編集者が逮捕され、残虐な拷問(女性には耐え難い辱かしめを加えた)を加えられ、獄死者4名、衰弱釈放後の死者1名、負傷者32 名、失神体験者12 名という被害が生まれました(「横浜事件」)。戦後になってようやく再審が行われたが、横浜地方裁判所は、有罪・無罪の判定をしないまま「免訴」としました。理由は「『不敬罪』で告発された被告の裁判中、不敬罪が廃止となったから、検事の公訴権は消滅、裁判のそれ以上の進行は不可能」ということでした。免訴にすることによって、裁判のやり直し、事件を捏造した国家の犯罪・責任を認めることを回避したのです。
治安維持法犠牲者は国からの謝罪も名誉回復も補償もなく今日に至っています。多くは亡くなられていますが、一刻も早い謝罪と補償を求めています。
2 自由権規約委員会の勧告・懸念は「なし」。
政府に規約遵守を強く勧告してくださるよう要望します。
拷問禁止条約第1回日本審査で出された「総括所見」では、次のように明記されています。パラグラフ11「戦時における条約の適用の事例が欠落している」と指摘し、パラグラフ12では「拷問や虐待に匹敵する行為が時効の対象になっていることに懸念を抱く」「時効が重大犯罪の取調べや訴追を妨げていることに懸念を抱く」「締約国は時効に関する規定を見直し、条約に定められた義務に完全に沿うようにしなければならない」「拷問の試みや共犯、共謀を行ったいかなる人物の行為を含め、拷問や虐待に関する行為は時効に関係なく取調べや訴追、処罰を行うことができる」と明記しています。
3 日本政府の対応
当時、侵略戦争遂行のために国家として反対者を封じる行為は当然のことであり、最も深刻な人権侵害であるという認識は全くありませんでした。その残滓が今も根強く、治安維持法の権力犯罪の実行部隊となった特高警察だった人たちは、戦後まもなく釈放され、政府の要職につき、その後の政治に大きな影響を与えてきました。一方で、政府は、治安維持法は戦前のことであり、政府として責任を持つのは1979 年の自由権規約批准以降のことであると考えています。国際ルール(「戦争犯罪及び人道に反する罪に時効不適用に関する条約、1970 年効力発生)では、戦争犯罪と人道に反する罪には時効がないとされていますが、日本はこの条約の採択で棄権をし、批准をしていません。治安維持法弾圧で人道に反してきたことを歴史的・道義的に認めていないのです。
4 意見
第2次世界大戦が終わって68 年が経過しましたが、今なお日本は戦争の清算ができていません。従軍慰安婦、強制労働など侵略戦争で犯した過ちをしっかりと清算してこそ、21 世紀を平和と人権の世紀とすることができます。戦前の治安維持法による人権侵害は従軍慰安婦などの植民地支配した人々への人権侵害と裏表にあたるものです。これまでの歴史に真摯に向き合い、過去の過ちを繰り返さないために、旧権力によって侵された自国民はもとより、加害と侵略を蒙った諸国民への謝罪と賠償を行うことは当然のことと思います。第二次大戦後のドイツ、イタリアなどはその典型事例です。「平和と民主主義」の名において、侵略と加害国の日本と戦った中華人民共和国が侵略と加害の尖兵となった下級日本兵の戦争と人道の罪を「連帯のための寛容政策」によって許し、アメリカやカナダが居留日本人の強制収容に謝罪してその補償政策をとったことも現代人権史における輝かしい事跡です。しかし、明治憲法の天皇制軍国主義から日本国憲法の平和と民主主義の政治に転換した日本では、治安維持法犠牲者や、侵略と植民地支配により生命、身体、財産、文化等に甚大な被害を受けた諸国民に対して、謝罪も賠償もしていません。侵略戦争で犯した過ちをしっかりと精算し、二度と同じ過ちを繰り返さないためには、自由権規約委員会からの勧告など国際的な世論が大きな力になると確信します。
5 解決のための提言
私たちは、治安維持法による弾圧犠牲者の侵害された自由および名誉を含む人権の救済を目的とする組織(League Demanding State Compensation for the Victim of the Public Order Maintenance Law)です。1974 年以来、毎年国会請願署名を提出してきました。積み上げた署名数は合計で840 万筆をこえています。地方議会での意見書採択も42 都道府県の389 市区町村に広がっています。一刻も早く「治安維持法犠牲者国家賠償法」の立法化を実現することとともに、私たちが40 年近く、毎年取り組んでいる請願事項を実現することが第1 歩です。次の3点です。
1 国は、治安維持法が人道に反する悪法であったことを認めること。
2 国は治安維持法犠牲者に謝罪し、賠償を行うこと。
3 国は治安維持法による犠牲の実態を調査し、その内容を公表すること
国際水準の視点から、日本の人権状況と自由権条約の実施状況を厳正に審査してくださることをお願いいたします。 
 

 


 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
共謀罪
 

 

共謀罪
1.何らかの犯罪の共謀それ自体を構成要件(ある行為を犯罪と評価するための条件)とする犯罪の総称。米法のコンスピラシー(Conspiracy)がその例である。
2.日本の組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(通称:組織犯罪処罰法)6条の2が規定する組織的な犯罪の共謀罪の略称。これを新設する法案は、一度2005年8月の衆議院解散により廃案。同年の特別国会に再提出され、審議入りしたが、2009年7月21日衆院解散によりふたたび廃案となった(経緯の詳細は#審議の経過を参照)。
コンスピラシー
コンスピラシー(Conspiracy、陰謀)とは、何らかの目的(反社会的なものという含意を伴うというのが通常の理解である。)を達成するために秘密裏に行動することを決意することをいう。アメリカ合衆国対シャバニ事件(1994年)において、アメリカ合衆国最高裁判所は、「議会はコモン・ローのコンスピラシーの定義を採用することを意図した。すなわち、共謀により刑事責任を負うべき状況を作出することであり、それ以外の決意をすることを犯罪としたものではない…。」と判示している。
この判示は、陰謀が、それが実行に移されるのを待つまでもなく、犯罪となり得ることを示唆している。アメリカ合衆国では、法律用語としてのコンスピラシーは、複数の人間が関与することを必ずしも要求しない。多くの国で、殺人の陰謀などを明白に犯罪と規定している。
カリフォルニア州では、処罰可能なコンスピラシーとは、最低2人の人間の間で犯罪の実行を合意することであり、加えて、その内最低1人がその犯罪を実行するために何らかの行為をすることである。この行為は徴表的行為(overt act)と呼ばれ、日本の共謀共同正犯とは異なり、実行の着手は要件とされず、予備行為や、さらにその前段階の金品の授受、電話をかけるなどの行為も含まれる。犯人全員に、同一の刑罰を、合意した犯罪を自ら実行したときと同程度の重さで科して処罰することができる。このことの例として、双子の姉が妹を殺害させようとして2人の若者を雇った事案であるハン姉妹殺人謀議事件(Han Twins Murder Conspiracy case)がある。 共同謀議とも。
日本の共謀罪
意義
組織的な犯罪の共謀罪(そしきてきなはんざいのきょうぼうざい)は、組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(以下「本法」)案6条の2所定の、一定の重大な犯罪の共謀を構成要件とする犯罪をいう。
日本の刑法は、未遂罪は「犯罪の実行に着手」することを構成要件としており(同法43条本文)、共同正犯(共謀共同正犯)も「犯罪を実行」することを構成要件としているために、組織的かつ重大な犯罪が計画段階で発覚しても、内乱陰謀(同法78条)などの個別の構成要件に該当しない限り処罰することができず、したがって強制捜査をすることもできない。しかし、2000(平成12)年11月に国際連合総会で採択された国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約)が、重大な犯罪の共謀、資金洗浄(マネー・ロンダリング)、司法妨害などを犯罪とすることを締約国に義務づけたため、同条約の義務を履行しこれを締結するための法整備の一環として、本法を改正して組織的な犯罪の共謀罪を創設する提案がなされた(日本国政府の説明による)。
関連条文及び法案
関連する条文及び法案は以下の通り。
条文
○ 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律(平成11年法律第136号)
(定義)第二条  この法律において「団体」とは、共同の目的を有する多数人の継続的結合体であって、その目的又は意思を実現する行為の全部又は一部が組織(指揮命令に基づき、あらかじめ定められた任務の分担に従って構成員が一体として行動する人の結合体をいう。以下同じ。)により反復して行われるものをいう。
○ 国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約
第二条 用語 この条約の適用上、
(a)「組織的な犯罪集団」とは、三人以上の者から成る組織された集団であって、一定の期間存在し、かつ、金銭的利益その他の物質的利益を直接又は間接に得るため一又は二以上の重大な犯罪又はこの条約に従って定められる犯罪を行うことを目的として一体として行動するものをいう。
(b)「重大な犯罪」とは、長期四年以上の自由を剥奪する刑又はこれより重い刑を科することができる犯罪を構成する行為をいう。
(c)「組織された集団」とは、犯罪の即時の実行のために偶然に形成されたものではない集団をいい、その構成員について正式に定められた役割、その構成員の継続性又は発達した構造を有しなくてもよい。
第五条 組織的な犯罪集団への参加の犯罪化
1 締約国は、故意に行われた次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる。
(a) 次の一方又は双方の行為(犯罪行為の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。)
(i) 金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のため重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意することであって、国内法上求められるときは、その合意の参加者の一人による当該合意の内容を推進するための行為を伴い又は組織的な犯罪集団が関与するもの
(ii) 組織的な犯罪集団の目的及び一般的な犯罪活動又は特定の犯罪を行う意図を認識しながら、次の活動に積極的に参加する個人の行為
a 組織的な犯罪集団の犯罪活動
b 組織的な犯罪集団のその他の活動(当該個人が、自己の参加が当該犯罪集団の目的の達成に寄与することを知っているときに限る。)
(b) 組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の実行を組織し、指示し、幇助し、教唆し若しくは援助し又はこれについて相談すること。
2 1に規定する認識、故意、目的又は合意は、客観的な事実の状況により推認することができる。
3 1(a)(i)の規定に従って定められる犯罪に関し自国の国内法上組織的な犯罪集団の関与が求められる締約国は、その国内法が組織的な犯罪集団の関与するすべての重大な犯罪を適用の対象とすることを確保する。当該締約国及び1(a)(i)の規定に従って定められる犯罪に関し自国の国内法上合意の内容を推進するための行為が求められる締約国は、この条約の署名又は批准書、受諾書、承認書若しくは加入書の寄託の際に、国際連合事務総長にその旨を通報する。
法案
○ 犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案【政府案】
(組織的な犯罪の共謀)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。
○ 修正案【与党案・2006年4月21日国会提出】(太字は政府案からの修正点)
(組織的な犯罪の共謀)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動(その共同の目的がこれらの罪又は別表第一に掲げる罪を実行することにある団体に係るものに限る。)として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に資する行為が行われた場合において、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も 、前項と同様とする。
3 前二項の規定の適用に当たっては、思想及び良心の自由を侵すようなことがあってはならず、かつ、団体の正当な活動を制限するようなことがあってはならない。
○ 再修正案【与党再修正案・2006年5月19日国会提出)】(太字は政府案からの修正点)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的な犯罪集団の活動(組織的な犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期五年以上の懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪又は別表第一(第一号を除く。)に掲げる罪を実行することにある団体をいう。)の意思決定に基づく行為であって、その効果又はこれによる利益が当該組織的な犯罪集団に帰属するものをいう。)として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合において、当該各号に定める刑に処する。ただし、死刑又は無期若しくは長期五年以上の懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪に係るものについては、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減刑し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も 、前項と同様とする。
3 前二項の規定の適用に当たっては、思想及び良心の自由並びに結社の自由その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に制限するようなことがあってはならず、かつ、労働組合その他の団体の正当な活動を制限するようなことがあってはならない。
○ 修正案【民主党案・2006年4月27日国会提出】(太字は政府案からの修正点)
第六条の二 次の各号に掲げる罪に当たる行為(国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約第三条2(a)から(d)までのいずれかの場合に係るものに限る。)で、組織的犯罪集団の活動(組織的犯罪集団(団体のうち、死刑若しくは無期若しくは長期五年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪又は別表第一第二号から第五号までに掲げる罪を実行することを主たる目的又は活動とする団体をいう。次項において同じ。)の意思決定に基づく行為であって、その効果又はこれによる利益が当該組織的犯罪集団に帰属するものをいう。第七条の二において同じ。)として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、その共謀をした者のいずれかがその共謀に係る犯罪の予備をした場合において、当該各号に定める刑に処する。ただし、死刑又は無期の懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪については、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期五年を超え十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為(国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約第三条2(a)から(d)までのいずれかの場合に係るものに限る。)で、組織的犯罪集団に不正権益(組織的犯罪集団の威力に基づく一定の地域又は分野における支配力であって、当該組織的犯罪集団の構成員による犯罪その他の不正な行為により当該組織的犯罪集団又はその構成員が継続的に利益を得ることを容易にすべきものをいう。以下この項において同じ。)を得させ、又は組織的犯罪集団の不正権益を維持し、若しくは拡大する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。
3 前二項の適用に当たっては、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあってはならず、かつ、会社、労働組合その他の団体の正当な活動を制限するようなことがあってはならない。
論点
理論的には、従来の刑法学の体系との整合性が問題となる。一方、実際的な観点からは、共謀罪の創設によって市民の権利・自由が過度に制約されるのではないかという点が問題となる。
以下、個別の論点となるが、日本の国民がどの程度まで組織的犯罪の早期阻止を必要としており、どの程度まで市民的権利を犠牲として自らも捜査の対象とされる危険を甘受する覚悟をしているのかという、政策選択の問題に行き着くともいえよう。
実行行為概念との関係
理論的には、実行行為(構成要件を実現する現実的危険性をもつ行為)概念を中心とした従来の刑法学の体系との整合性が問題となる。
○ 反対派の意見
共謀罪の創設によって主要な犯罪類型のほとんど(2006年1月の時点で619個の犯罪が共謀罪の対象となるとされる)が、実行行為が存在しなくても処罰可能となるため、「正犯にせよ共同正犯にせよ狭義の共犯にせよ、実行行為に直接つながる行為をすることによって、法益侵害(構成要件の実現)の現実的危険性を引き起こしたから処罰される」という従来の刑法学の基本的発想が崩れてしまう可能性がある。
○ 賛成派の意見
反対論は組織要件が厳密化していることを無視した議論である。また、組織的な犯罪が、綿密な計画の下に役割分担をして実行されるという特質を有し、実行された場合の被害が多大であることから、実行に至る前に検挙・処罰する必要性が高く、このような犯罪の共謀に限って処罰の対象にすることは、日本の刑事法の在り方とも整合的であるという。日本の現在の刑事法においても、一定の罪の予備・陰謀、あおり等を処罰の対象にしているのである。
立法事実の有無
新しい法律や犯罪を設ける前提として、立法事実の有無(そのような法律を必要とするような事実が法の管轄の及ぶ範囲に存在するかどうか)が問題となりうる。
○ 賛成派の意見
政府や与党といった実質的に影響力をもつ範囲の賛成派は、基本的には立法事実が存在しないことを認めつつ、条約の締結にあたって条文を遵守するべきという立場にたっている。その一方で、例えば、地下鉄サリン事件や、米国の9.11テロ事件を想定し、個人犯罪を前提とした現行刑法が想定してこなかった集団犯や組織的大規模破壊行為について、対応する法律を作るべきだとする主張がある。特に、地下鉄サリン事件の直後に、警察による厳しい取締りがあり、刑事訴訟法や刑法の「謙抑性」の精神に反すると批判されたが、警察の断固たる取締りが「第三のサリン事件を予防しており」個人犯罪における「刑事法の謙抑性」が、集団犯、大規模破壊犯においては、却って大規模な人権侵害事件を引き起こす原因になる。との意見もある。現行刑法は基本的に単独犯を想定しており、特に実行行為を観念しない予備罪はその傾向が強い。大規模テロ行為のように大人数が組織的に犯罪を実行するケースを想定していないため、個々の予備行為について実行者と関与者を特定し個別に検挙してゆくことになる。しかし、大規模組織では犯罪計画の立案という共謀段階の人員と、計画の実行という予備・実行段階の人員では乖離が見られる。オウム真理教のように教祖の直属の弟子が実行犯なら「殺人予備罪」で対処できるが、9.11テロなどのように首謀者とテロリストに直接の面識などないケースでも殺人予備罪で対処できるのか疑問である。
○ 反対派の意見
共謀罪における立法事実に関する命題は、国内の平穏な治安を維持するために着手以前の共謀の段階での処罰を必要とするような事実が存在するかどうか、ということである。この点について、法案の前提となった法制審議会での議論では立法事実はなく条約締結が提案理由となることが明示され、法案の提案理由においても立法事実についての言及は無い。つまり、共謀罪には立法事実が存在しない。立法事実は存在しない以上、共謀罪は必要なく、条約締結のために必要であるとしても、少なくとも立法事実がないことを前提として越境性を条件とした内容とするべきであるとする。また、大規模テロなどについてはすでに殺人予備罪があるので共謀罪がなくとも対応できるとし、その他、個別の立法事実があればそれに沿った形で個別の犯罪についての予備罪の共謀罪の適否を論ずるべきであるとし、賛成派の出す具体例の重大さと法案の適用範囲の広範さの落差について批判する(関連する論点:#重大な犯罪の定義)。さらに、地下鉄サリン事件に代表される大規模テロの防止については、情報の事前入手が可能であるかどうかが決定的な問題であるとする。すなわち、(是非の問題はあるが)日本の公安警察は情報さえ事前にあれば微罪や別件による強制捜査によってテロに対処してきたのだから共謀罪がなくとも問題はなく、逆に情報が入手できなければ共謀罪があったところで動きようがないという意味で無駄であり、テロは共謀罪の立法事実とはならないという批判がある。
適用される団体や組織の定義の問題
従来より組織犯罪処罰法第2条(#条文)の定義する団体はさまざまな形態をとりうる組織犯罪集団をカバーするべく、その実質から団体や組織を認定するよう広範な形で定義されていて、政府案における共謀罪の対象となる団体や組織はその形式がそのまま踏襲されている。
これまでの組織犯罪処罰法においては、限定列挙された少数の犯罪について、しかも既遂のものについての加重処罰を定める範囲としてこうした定義を用いてきたが、共謀罪政府案では広範な犯罪についての共謀段階についても同じ定義を用いたため、適用団体や組織の範囲が論点となった。
○ 反対派の意見
労働組合の闘争計画の立案や市民団体の各種抗議行動の立案などが組織的な威力業務妨害の共謀とされるなどして集会・結社・表現の自由を制約してしまう。あるいは居酒屋でそりの合わない上司を叩きのめしてやりたいなどと冗談を言って憂さを晴らせば組織的な傷害の共謀とされるなどして私生活上の自由を制約してしまう。また、著作権法により著作権や著作隣接権、著作者人格権の侵害が対象となることから、ネット上でのファンクラブ活動やゲームのユーザグループの活動において私的使用目的の改変のための情報交換が、権利侵害の証拠なしに共謀罪とみなされうるといった萎縮効果がおこりうる。共謀罪の対象となる団体についての構成要件それ自体を法的に分析すれば、とくに与党修正案の場合は居酒屋での冗談程度のものは排除されるという点については賛同説のいうとおりとも考えられるが、捜査というものは捜査機関にとって事実関係が不明であるからこそ行われることを考えると、居酒屋での冗談であっても、関係者が被疑者と目されて捜査の対象となり、捜索差押を受けるとか逮捕されるといった種々の権利・自由の制約を受けたり、あるいは社会的評価の低下に見舞われる危険が常に残る。また、本来正当な目的の活動の団体や企業が犯罪目的の団体と化する場合と、正当な目的の活動の団体がたまたま対象犯罪にあたる内容を共謀したが違法性に気がついて着手せず取り止めた場合の区別も、政府案や当初の与党修正案においてはできていない(この点については与党再修正案では一定の前進が見られる)。その危険は、ある程度までは運用により回避できるであろうが、運用の妙に依存するのでは独裁者の慈悲にすがるのと同じであり、根本的な解決とはならない。
○ 賛成派の意見
そもそも、正当な争議行為・合法な市民運動は刑法35条によって違法性が阻却され処罰されない。民主党修正案では、共謀罪の適用団体を極めて限定的に規定しており、通常の労働組合や市民団体が犯罪実行を「主たる目的」としていないのは明白であるのに、反対派は法案の文言を無視して、市民団体への適用可能性に拘っている。居酒屋の「冗談」は共謀罪に言う「共謀」にあたらないのは明白である。そもそも「捜査」の対象になるであろうという推測自体が疑わしい。捜索、差押えには裁判所が発行する「令状」が必要だが、そもそも明白に適用除外される「居酒屋での冗談」に犯罪の嫌疑があると認定されるわけもなく、令状が発行される可能性は極めて低い。正当な目的の活動団体が、たまたま犯罪行為を共謀し、検討の結果違法と判明した事例について、自民党の中間案に問題があったのは反対論の言うとおりだが、自民党自体がその非を認めて、民主党案に賛成している。議論が古い。
共謀の定義の問題
共謀罪における共謀とは具体的には何か、ということも論点となっている。政府見解は、共謀罪における共謀と共謀共同正犯における共謀が同じものであるとする。それを前提として、既遂の犯罪における共謀共同正犯の認定と同様に実行行為の伴わない共謀を認定することがはたして妥当か、という議論でもある。
○ 反対派の意見
共謀共同正犯については謀議が存在すらしない場合にも成立するとされるように拡大解釈がすすみ、共謀の概念が広がりすぎている。わいせつ画像の投稿が行われた画像掲示板の管理者が通りすがりの投稿者との具体的なやりとりがないにもかかわらずわいせつ物公然陳列の共謀共同正犯であるとして有罪とされた下級審判例が存在し、また2003年の最高裁判例において暴力団組長について、武装護衛の組員の銃刀法違反に関して目配せすらないのに黙示の共謀が認められ共謀共同正犯が成立したとされる最高裁判例が存在する。共謀罪においてもこうした共謀概念の拡大はそのまま踏襲されることとなり、国会審議においても、目配せやまばたきが共謀となるとの政府答弁があった。このため、嘘の供述をもとに作られたストーリーで冤罪が起きる危険があり、それは犯罪行為が行われていない前提の共謀罪ではより深刻なものとなる。
○ 賛成派の意見
共謀罪の基礎には昭和三十年代の暴力団紛争において(後に、映画化され極道映画ブームの元になった一連の抗争事件)、犯罪実行に自ら加わらない暴力団の組長など「黒幕」処罰を目的として確立された共謀共同正犯という判例理論があり、当時、学会から、拡大処罰の可能性がある、連座制の復活だ、近代刑法の基本原則たる個人責任を没却する、との批判があったが、半世紀後の今日にわたるまで、そのほとんどが暴力団にのみ適用されてきている。今日、共謀罪反対派の反対論は、当時の批判に類似している。反対派のいう黙示の共謀の判例については、もともと、組員を支配して手足のように使いながら犯罪の実行には自ら加わらない組長を逮捕する法理として共謀共同正犯が発展してきた事を思えば、不当な拡大解釈とはいえない。それに、暴力団における、組長と組員の強固な事実上の支配関係を前提とした法理である事から、一般人への拡大は半世紀ほとんど行われていない。
重大な犯罪の定義
国際組織犯罪防止条約および法案における重大な犯罪の定義の既存の刑法をはじめとする刑罰制度との整合性についても、他の論点と関連した論点となっている。
国際組織犯罪防止条約の審議過程において、重大犯罪の定義は最も難航した項目の一つである。当初は各国でそれぞれの刑罰制度にあわせてその内容を定義できることとなっていた上、日本政府は長期4年以上の自由刑を重大犯罪の定義とすることに強く反対していた。これは、日本の刑罰法規では法定刑が幅広く、微罪も重大犯罪も同一の犯罪とした上で判例で量刑の相場が決まっていく、という状況があるためである。
○ 反対派の意見
重大犯罪の定義については独自の定義を行った上で条約については留保や解釈宣言をするべきであるとする(条約の留保の可能性については次の論点に譲る)。重大犯罪の定義としては、民主党修正案にあるように法定刑の長期の部分を引き上げるほか、1999年組織犯罪処罰法別表を修正せずそのまま適用する、という案が存在する。論理的には、共謀罪を修正することなく、共謀罪の対象犯罪について個別に検討して長期4年未満と長期4年以上の2つの犯罪に構成要件などから分割していくという形で適用範囲を重大な犯罪に限定する方法もありうることになるが、現時点ではそのような検討の存在は知られていない。
○ 賛成派の意見
共謀の対象となる犯罪はあくまで重大な犯罪に限定されていると主張する。共謀罪は、組織的な殺人等(本法3条)やその予備(本法6条)の処罰を加重する要件と同じ組織性の要件を採用しており、この要件は、暴力団等の組織的な犯罪集団の構成員にのみ適用されている。「共謀」とは、特定の犯罪を実行しようという具体的かつ現実的な合意をすることをいい、居酒屋で個人的に意気投合した程度では特定の犯罪が実行される危険性のある合意に当たらず共謀とはいえない。したがって、一般の国民の日常生活上の行為が共謀罪の要件に該当することは考えられないという。
条約の留保
民主党修正案に固有の論点として、国際組織犯罪防止条約の留保は可能か、というものがある。国際組織犯罪防止条約それ自体は、ごく一部に留保を禁じている条項があるが、そのほかはウィーン条約法条約に基づいた留保が可能である。
○ 反対派の意見
条約の留保は国会の承認後も政府による批准書の寄託までは可能であるとする。また、重大犯罪の定義として条約とは別の定義をしても、「長期四年以上」を「長期五年を越え」に変更する程度は、そもそも重大犯罪の定義は国連加盟国の間でも審議過程で対立があった部分だから、条約の趣旨・目的に反するものではない、とする。また、団体の要件として越境性を加える修正についても、条約と一体である「公的記録のための解釈的注」が、問題の条文は越境性を国内法化において要求しないという意味であって、条約の適用範囲を変更するものではないとしていることから、必要となる留保は条約の趣旨・目的に反するものではない、ないし国内法において越境性を要求しても条約の留保は必要ない、とする。なお、越境性を要件とする修正については、国際NGOやその他の国際キャンペーン、そこまででなくても越境的連帯に基づいた国際的な交流をもつ多くのNGO・各種共同行動参加組織・サイバーグループ等にとっては救済となっておらず、むしろ妥協的なものであるとして廃案を求める立場からの批判も存在する。また、アメリカ合衆国も一部の州で州に関する越境性のない共謀を条約の条件で犯罪としていないことから批准にあたって留保していることが新たに判明している。アメリカのような主要国でさえ留保している条約を留保できないはずがない。
○ 賛成派の意見
政府は、条約の批准について留保を付さない形のものについて国会承認を得たので日本政府としての留保は不可能であるとし、あるいは民主党修正案が必要とする留保は条約の趣旨と目的に反している、とする。政府案あるいは与党修正案を支持する立場からは、これまで条約を締結した120を超える国の中で、民主党が言うような留保をした国はなく(なお、一時民主党が指摘していたウクライナの問題があるが、外務省の調べによると、ウクライナは留保をしているのではなく、条約より広い共謀罪があるとのことである。)、民主党の案によると5年以下の懲役の犯罪で犯罪組織の典型犯罪までもが抜け落ちていくため、世界の中で我が国だけがこのような留保をつけておいて国際社会に顔向けができるのだろうか、という批判が存在する。アメリカ合衆国における留保は実質的にはささいな問題であり、実際にはほとんどの部分で共謀罪が有効であるため、無視するべきである。
共謀段階で自首した犯人に必要的減刑・免除を与えるべきか?
○ 反対派の意見
市民団体・人権擁護組織・労働組合・NGOなどの中からは、同様の法理を含む過去の治安法制や顕示行為等の規定をもつ海外の共謀罪の適用経緯や、自首による必要的減刑・免除になる規定の存在から判断して、与野党修正案のような文言上の修正をたとえ加えても、通信傍受・盗聴など捜査段階での中立性は確保されずに「密告社会」化が起こってしまうこと、また将来的に「組織犯罪」の名の下に社会運動や抗議行動に対する共謀罪の「濫用」が起こるリスクがあることなどから、共謀罪は認められないとする意見も出されている。戦前の日本は処罰の早期化による治安強化の考えを拡大解釈し、『治安維持法』という悪法を作り出したことで汚点を残した経歴がある。
○ 賛成派の意見
犯罪は共謀→予備→実行行為の3段階に分類しうるが。実行行為の段階で自首すると必要的減刑・免除となる。例えば、殺人を共謀し、ピストルを購入し(殺人予備段階)、ピストルで被害者に重傷を負わせても(殺人実行行為段階)、反省して被害者を病院に搬送し被害者を救命すれば必要的減刑・免除される。ところが、反対派の主張どおり共謀罪の必要的減刑・免除を廃止すると。共謀の段階で自首しても実行犯を前提とした刑法総論の規定が適用されない結果、必要的減刑・免除をえられなくなる。例えば殺人を共謀したが、怖くなって自首しても必要的減刑・免除は得られない。反対説は共謀段階での自首に必要的減刑・免除を与えず。犯罪実行着手後の自首については必要的減刑・免除与えるわけだが、これはより犯罪結果発生の危険が大きい実行犯の自首・中止犯のみを優遇しており不合理である。また、実行行為段階の「自首」や「中止犯」は必要的減刑・免除になっているが。すでに密告社会になっているのだろうか。「治安維持法」は、条文上において国体に反対する思想、あるいは共産主義に基づく結社の自由を明文で否定しているが、共謀罪法案は犯罪実行を主とした目的とする団体が重大な犯罪実行を共謀し、一部の共謀者が予備行為に出た場合を問題としている。条文の趣旨も適用対象も制定された時代背景もまったく異なる。
そもそも条約批准に共謀罪は必要なのか
共謀罪はそもそも国際組織犯罪防止条約を批准するために立法化されるという前提だったが、第164回国会の会期末近くになって、新たな論点として、そもそも批准目的の共謀罪は不要ではないかという新たな論点が浮上している。これは、国連薬物犯罪事務所(UNODC)が作成した「国際組織犯罪防止条約を実施するための立法ガイド」の内容に関係する。具体的には、パラグラフ51として英文で
The options allow for effective action organized criminal groups, without requiring the introduction of either notion-conspiracy or criminal association-in States that do not have the relevant legal concept.
となっている部分の解釈である。仮訳は
これらの選択肢は、関連する法的概念を有していない国において、共謀又は犯罪の結社の概念のいずれかについてはその概念の導入を求めなくても、組織的な犯罪集団に対する効果的な措置を取ることを可能とするものである
となっている。
○ 反対派の意見
国連の立法ガイドの without 〜 either A or B は両否定である。従って、現行の組織犯罪処罰法で足りると考えて共謀罪も参加罪も作らないまま条約を批准することは許容される。
○ 賛成派の意見
外務省は、仮訳が正しく、これは共謀罪と参加罪の片方のみ不要とする内容であるとする。そもそも、条約にどう規定されているかがまず重要であるが、条約上、共謀罪と参加罪の双方又は一方を犯罪とする義務があることに疑いはない。立法ガイドがこれを覆すわけがなく、立法ガイドも、少なくともどちらかを選択する義務があることを当然の前提とし、片方を選択すればもう片方は選択しなくてもよいという意味で書かれたものである。このことは、立法ガイドを作成した国連の「UNODC」からも確認されている(外務省のホームページより:念のため、「立法ガイド」を作成した国連薬物犯罪事務所(UNODC)に対してご指摘のパラグラフの趣旨につき確認したところ、UNODCから、同パラグラフは共謀罪及び参加罪の双方とも必要でないことを意味するものではないとの回答を得ている)。
政府案ないし与党修正案に賛成を表明している主な団体・企業
○ 政党 自由民主党 / 公明党
○ マスコミ 読売新聞 / 世界日報
政府案ないし与党修正案に反対を表明している主な団体・企業
○ 政党 民進党 / 日本共産党 / 社会民主党
○ 法曹団体 日本弁護士連合会、及び各地の弁護士会 / 青年法律家協会 / 自由法曹団
○ 刑法学者54人(連名の声明文)
○ 国際連合NGO グリーンピース・ジャパン / アムネスティ・インターナショナル日本支部 / ピースボート / 反差別国際運動日本委員会 / 自由人権協会
○ ジャーナリスト団体・マスコミ労働組合 日本ペンクラブ / 日本ジャーナリスト会議 / 日本マスコミ文化情報労組会議 / 出版流通対策協議会 / 日本新聞労働組合連合 / 全国労働組合総連合(全労連)
○ その他の地方政党、市民団体・市民団体連合体・NPO、宗教団体、アーティスト、著名人
憲法行脚の会 / 共謀罪に反対する表現者たちの会 / 盗聴法(組織的犯罪対策法)に反対する市民連絡会 / 共謀罪新設反対 国際共同署名 / ZAKI(野崎昌利。作曲家、編曲家) / 櫻井よしこ / 大谷昭宏 / 竹熊健太郎 / 共謀罪新設法案の廃案を求める市民団体共同声明 呼びかけ18団体(日本消費者連盟、ふぇみん婦人民主クラブなど)、2006年10月26日現在賛同360団体
( 新社会党本部 / みどりのテーブル / かりゆしクラブ / 日本国民救援会中央本部・神奈川県本部・藤沢支部 / 日本国際ボランティアセンター / 新日本婦人の会西宮支部くすのき班・島根県浜田支部・藤沢支部 / 日本ジャーナリスト会議 / 全日本年金者組合涌谷支部 / ピースボート / 日本キリスト教会横浜長老教会靖国問題委員会 / 日本キリスト教協議会平和・核問題委員会 / 日本キリスト教団神奈川教区・核問題小委員会 / 日本キリスト教婦人矯風会 / 日本山妙法寺 / ソウル・フラワー・ユニオンなど )
○ 各種団体 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派) / 日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)
審議の経過
2004年2月20日、第159回国会(常会)で内閣提出法律案として提出される。その後継続審議。
2005年8月8日、第162回国会(常会)における衆議院解散により廃案。
2005年10月4日、第163回国会(特別会)に内閣提出法律案として再提出される。継続審議。
2006年4月21日、第164回国会(常会)法務委員会での審議入り。同日、与党修正案提出。
2006年4月27日、民主党修正案提出。
2006年5月19日、与党再修正案提出(4月21日修正案は撤回)。
2006年6月1日、与党、民主党修正案の受け入れを発表。一方、法務大臣が民主党修正案では条約批准が不可能であるとし、さらに与党の委員会理事から次期国会での改正を前提とした受け入れであることが示唆された。
2006年6月2日、民主党は次期国会で改正される可能性があるとして、この日の委員会での採決を拒否。与野党間での協議は決裂し、与党は今国会での法案成立を断念した。
2006年6月16日、与党は法務委員会で法案を継続審議とすることを議決した。その後、与党第三次修正案(正式な議案とはなっていない)について議事録に添付することを議決した。法的には全ての修正案は廃案に。
しかし、2007年1月19日安倍晋三首相は首相官邸で長勢甚遠法相と外務省の谷内正太郎事務次官と会談し共謀罪創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案について、25日召集の通常国会で成立を目指すよう指示したが、第166回国会、第167回国会とも審議に入らないまま継続審議となる。
2009年7月21日衆議院解散、第171回通常国会閉幕により廃案となった。
野田内閣になった2012年1月3日に政府が5月末までに共謀罪を創設する方針を国際機関に伝達したと、産経新聞で報じられた。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
「共謀罪」 現代の「治安維持法」

 

テロ対策は口実。すでにある法整備で対応できるし、国際条約批准に必要ない。実行行為でなく「相談・計画」を取り締まるのが共謀罪。対象となる犯罪は676と極めて多く、詐欺や窃盗、道交法違反なども含まれる。どこかの建物の塀にビラを貼る行為も「建造物損壊罪」だとして対象になることもありうる。「みんなで手分けしてビラを貼ろう」と相談したら、それだけで「建造物損壊の共謀」の罪に問われることにもなりかねない。高江などの政府に反対する運動を弾圧するにはもってこいの法律。「組織的犯罪に限る」というが「犯罪のためにつくられた二人以上の組織」と無限低に認定できる。そして、「謀議」を捜査するには盗聴、密告奨励など不可欠になる。犯罪を未然に防ぐという口実で、そうした捜査の対象はどこまでも拡大する。「オリンピックのため」という言葉にだまされたら、治安維持法の復活、戦争する国づくりと一体のとんでない「レガシー」を残すことになる。廃案以外にない。
共謀罪新設法案 名前を変えても本質変わらぬ [赤旗]
安倍晋三政権が、国民の強い批判で3度も廃案となった共謀罪を導入する組織犯罪処罰法改定案を、今度は「テロ等準備罪」と名前を変え、20日召集の国会に提出することを表明しています。昨年の臨時国会でTPP協定、年金カット法、カジノ法などを次々強行したことに続き、人権を侵す危険な共謀罪法案の4度目となる国会提出を行い、なんとしても成立させようとする―。安倍政権の強権・暴走姿勢はあまりに異常です。
「テロ対策」理由にならず
政府は、共謀罪導入の理由に▽国際的なテロ犯罪の取り締まりの緊急性▽国際機関から法整備を求められている―ことを挙げます。
しかし、もともと“国際的な取り締まり”というのは、麻薬取引など国境を越えた犯罪の取り締まりを目指したもので、テロを直接の対象にしていません。テロの取り締まりについても、日本にはテロ資金提供処罰法など対応できる法律はすでに複数あります。テロには、殺人罪など刑法規定も適用されます。それらの法律の多くには、計画・準備段階でも処罰対象にする規定もあり、共謀罪がないと対応できないことはありません。
国際機関からの法整備の要請も、「共謀罪」にあたる規定を一律に設けよというのではなく、国際的組織犯罪防止条約に適合した法的対応を求められているもので、各国の実情に応じた立法をすればいいわけです。なにがなんでも共謀罪規定を設けるため「国際的要請」を持ち出すやり方は、ご都合主義以外の何物でもありません。
共謀罪の本質は、「犯罪を行うことを相談、計画した」というだけで処罰をするところにあります。政府は、資金準備など「準備行為」をしたという要件を新たに付け加えるから「相談、計画」だけで処罰をされることはないと説明します。しかし準備行為は極めてあいまいで、相談参加者の1人が「準備」をすれば適用されるとしています。これでは、他の「参加者」にとっては「準備行為をしなくても犯罪とされる」ことには変わりありません。「組織的犯罪に限定されている」といいますが、その組織も既成の組織だけでなく、その犯罪のためにつくられた集団(2人以上)も該当するとされています。どうにでも拡大解釈することは可能で、なんの限定にもならないのは明白です。
政府は、一定の範囲の重い犯罪(4年以上の懲役または禁錮に該当する場合)の全てに「共謀を罰する」規定を入れることを検討しています。そうなれば676に及ぶ犯罪に適用され、不当な取り締まりや冤罪が引き起こされる危険が、いっそう大きくなります。
歴史の逆行を許さない
近代の刑罰法は、単なる発言だけでは、犯罪を実行するかどうかは不明のまま思想・信条を処罰する危険があるので、刑罰は犯罪行為が実行された場合のみを対象とする原則を確立してきました。共謀罪はこの流れに逆行します。また、「共謀」を犯罪行為とし、実行行為でなく相談・準備を取り締まることは、捜査方法としても盗聴やGPS利用など事件に関係ない人の人権までも侵害されかねません。密告が奨励され、冤罪を多発させる恐れも増大します。
「戦争する国」づくりと一体で共謀罪導入を狙う安倍政権の暴走を許さないたたかいが、急務です。
共謀罪なしで国連越境組織犯罪防止条約は批准できます [日弁連]
共謀罪の基本問題
○ 政府は、共謀罪新設の提案は、専ら、国連越境組織犯罪防止条約を批准するためと説明し、この立法をしないと条約の批准は不可能で、国際的にも批判を浴びるとしてきました。
○ 法務省は、条約審議の場で、共謀罪の制定が我が国の国内法の原則と両立しないことを明言していました。
刑法では、法益侵害に対する危険性がある行為を処罰するのが原則で、未遂や予備の処罰でさえ例外とされています。ところが、予備よりもはるかに以前の段階の行為を共謀罪として処罰しようとしています。
○ どのような修正を加えても、刑法犯を含めて600を超える犯罪について共謀罪を新設することは、刑事法体系を変えてしまいます。
○ 現在の共謀共同正犯においては、「黙示の共謀」が認められています。共謀罪ができれば、「黙示の共謀」で共謀罪成立とされてしまい、処罰範囲が著しく拡大するおそれがあります。
○ 共謀罪を実効的に取り締まるためには、刑事免責、おとり捜査(潜入捜査)、通信傍受法の改正による対象犯罪等の拡大や手続の緩和が必然となります。
○ この間の国会における審議とマスコミの報道などを通じて、共謀罪新設の是非が多くの国民の関心と議論の対象となり、共謀罪の新設を提案する法案を取り巻く環境は、根本的に変わっています。
国連越境組織犯罪防止条約は締約国に何を求めているのでしょうか
○ 国連越境組織犯罪防止条約第34条第1項は、国内法の基本原則に基づく国内法化を行えばよいことを定めています。
○ 国連の立法ガイドによれば、国連越境組織犯罪防止条約の文言通りの共謀罪立法をすることは求められておらず、国連越境組織犯罪防止条約第5条は締約国に組織犯罪対策のために未遂以前の段階での対応を可能とする立法措置を求められているものと理解されます。
条約の批准について
○ 国連が条約の批准の適否を審査するわけではありません。
○ 条約の批准とは、条約締結国となる旨の主権国家の一方的な意思の表明であって、条約の批准にあたって国連による審査という手続は存在しません。
○ 国連越境組織犯罪防止条約の実施のために、同条約第32条に基づいて設置された締約国会議の目的は、国際協力、情報交換、地域機関・非政府組織との協力、実施状況 の定期的検討、条約実施の改善のための勧告に限定されていて(同条第3項)、批准の適否の審査などの権能は当然もっていません。
国連越境組織犯罪防止条約を批准した各国は、どのように対応しているのでしょうか
○ 第164回通常国会では、世界各国の国内法の整備状況について、国会で質問がなされましたが、政府は、「わからない」としてほとんど説明がなされませんでした。この点について、日弁連の国際室の調査によって次のような事実が明らかになりました。
○ 新たな共謀罪立法を行ったことが確認された国は、ノルウェーなどごくわずかです。
○ アメリカ合衆国は、州法では極めて限定された共謀罪しか定めていない場合があるとして国連越境組織犯罪防止条約について州での立法の必要がないようにするため、留保を行っています。
○ セントクリストファー・ネーヴィスは、越境性を要件とした共謀罪を制定して、留保なしで国連越境組織犯罪防止条約を批准しています。
新たな共謀罪立法なしで国連越境組織犯罪防止条約を批准することはできます
○ 我が国においては、組織犯罪集団の関与する犯罪行為については、
1. 未遂前の段階で取り締まることができる各種予備・共謀罪が合計で58あり、凶器準備集合罪など独立罪として重大犯罪の予備的段階を処罰しているものを含めれば重大犯罪についての、未遂以前の処罰がかなり行われています。
2. 刑法の共犯規定が存在し、また、その当否はともかくとして、共謀共同正犯を認める判例もあるので、犯罪行為に参加する行為については、実際には相当な範囲の共犯処罰が可能となっています。
3. テロ防止のための国連条約のほとんどが批准され、国内法化されています。
4. 銃砲刀剣の厳重な所持制限など、アメリカよりも規制が強化されている領域もあります。
以上のことから、新たな立法を要することなく、国連の立法ガイドが求めている組織犯罪を有効に抑止できる法制度はすでに確立されているといえます。政府が提案している法案や与党の修正試案で提案されている共謀罪の新設をすることなく、国連越境組織犯罪防止条約の批准をすることが可能であり、共謀罪の新設はすべきではありません。
「共謀罪」浦部法穂 [法学館憲法研究所顧問]
『犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の構成要件を変えた「テロ等準備罪」を新設する法案の概要が判明した。対象となる犯罪は殺人や覚醒剤の密輸など676に上っており、政府は最終的な内容を詰める与党協議を経たうえで、通常国会に提出する見通しだ。「共謀罪」法案はこれまで2003〜05年に計3回、国会に提出されたが、野党や世論の反発でいずれも廃案になった。共謀の概念が広く、「市民団体や労働組合も処罰される」といった懸念が出たためだ。2020年の東京五輪などを控え、政府は過去の法案を修正。世界各地でテロが相次ぐ中でテロ対策を強調したうえ、適用の対象を「組織的犯罪集団」に限定することにした。さらに、犯罪を実行するための「準備行為」を要件とする。具体的には資金の調達や現場の下見を想定している。政府は、国際組織犯罪防止条約の締結を目指しており、そのためには国内法の整備が必要だとして、通常国会の会期中の成立を目指す方針だ。条約の規定に従うと、対象となる「懲役・禁錮4年以上の重大な犯罪」は計676に上る。恐喝や偽証なども含まれ、過去の「共謀罪」法案と同様に対象犯罪が多くなる。このため、対象犯罪の絞り込みを求める方針の公明党との協議の行方が法案提出前の焦点になるほか、国会でも野党の批判が予想される。』
上記は本年1月7日付け「朝日新聞」の記事である。読者諸氏はこの記事を読んでどう感じられたであろうか?
実際に犯罪行為が行われることがなくても、あるいは具体的な犯罪行為が行われる危険性が実際に発生しなくても、複数の人間がなんらかの犯罪行為を行おうと話し合ったなら、その「話し合い」それ自体を罪として処罰する「共謀罪」については、上記記事にあるとおり、これまで3回国会に提出され3回とも廃案となったものである。それを安倍政権は、今度は本気で通そうとしているのだ(昨年秋の臨時国会でも法案提出の動きはあったが、見送られた)。しかし、上記記事の論調はどうだろう?《今回政府が提出しようとしている法案は、東京オリンピックを控えたテロ対策のもので、適用対象も限定し、犯罪の準備行為を要件とするなど要件も厳格化している点で、過去3回廃案になったものとは違う》。そんなふうに読めると思うのは、私だけだろうか? この記事以外に、「共謀罪」の問題点等を指摘する記事や解説や社説は、今日(1月10日)までのところ掲載されていない。「朝日新聞」にしてこの程度である。政府の言っていることをほぼそのまま記事にしただけ。これでは、多くの国民は、《オリンピックもあるし、世界中でテロが横行しているし、こういう法律も必要だろう》と、うなずいてしまうであろう。私の目についたかぎりでは、「東京新聞」が1月6日付けの「新共謀罪を考えるQ&A」という囲み記事で「『話し合いは罪』変わらず」と題して法案の問題点を分かりやすく解説していたほか、1月7日付け「信濃毎日新聞」は「『共謀罪』法案 危うさは変わっていない」とする社説を掲載、また同じ日の「琉球新報」も「共謀罪提出へ 監視招く悪法は必要ない」と題する社説を掲載していた(なお、「神戸新聞」は昨年秋の法案提出の動きの際に「『共謀罪』法案 副作用への不安は大きい」とする社説を載せている[2016.9.3])。しかし、全国紙は「朝日」にしてこのありさまである。あれだけ問題点が指摘され3回も廃案になった法案が、今度はすんなりと通ってしまいそうな状況である。
日本政府は「共謀罪」について、2000年の国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」を批准するために絶対必要なのだと説明してきた。この条約が締約国に「共謀罪」の立法化を要求しているからだ、という。その関連条項は、つぎのような規定である。
【第五条】
1 締約国は、故意に行われた次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる。
(a)次の一方又は双方の行為(犯罪行為の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。)
(i)金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のため重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意することであって、国内法上求められるときは、その合意の参加者の一人による当該合意の内容を推進するための行為を伴い又は組織的な犯罪集団が関与するもの
ii)略(組織的な犯罪集団の犯罪活動等への参加についての規定)
これを見ると、「共謀罪」を立法化しなければ批准できない、という政府の説明は、もっともなようにみえるかもしれない。しかし、それは真っ赤なウソである。締約国に特定の立法措置を義務づけている国際条約で、その義務づけられた立法措置をしないまま日本が批准しているものが、現に存在するのだから。たとえば、「人種差別撤廃条約」は締約国に対し、「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」、「人種差別の扇動」等につき、処罰立法措置をとることを義務づけており(第4条(a)、(b))、日本も1995年にこの条約を批准しているが、日本ではいまだこのような差別表現等を処罰する立法措置は講じられていない。表現の自由を保障する憲法に抵触する可能性があるとして、この規定については「留保」したうえで批准しているのである。つまり、条約上義務づけられた立法措置をしなくても、条約の批准はできるのである。だから、「共謀罪」を立法化しなければ「国際組織犯罪防止条約」を批准できないというのは、大嘘もいいところなのである。
「共謀罪」は、まだ何の実害も、あるいはその危険性すら発生しない段階で、「話し合い」をしただけで罪になる、という点では、差別表現等の規制以上に表現の自由の保障に抵触するものだといえる。差別表現等の場合には、それによって傷つく人が現実にいるという意味では、それ自体が実害をもたらすともいえるのに対し、「共謀」の場合には、それだけでは何の実害も生じないのだから、表現の自由ということでいえば、より慎重になるべきものだといえる。それなのに、差別表現の場合には条約上義務づけられていても処罰立法はできないと言い、「共謀」の場合には条約上義務づけられているから処罰立法を作らなければならないと言う。これは要するに、差別表現は処罰したくないが「共謀罪」は何としても作りたい、と言っているにほかならない。憲法だの国際的義務だの、都合の良いほうを都合の良いように持ちだしているだけなのである。
それでも、《「テロ」の脅威から国民を守るために「共謀罪」は必要だろう、「テロ」が起きてからでは遅いんだから》と思う人は多いかもしれない。あるいは、《自分はテロ集団とは関係がないし、そういう連中とテロの相談をするなんてことは絶対にありえないことだから、「共謀罪」ができても別に何の不利益もない。むしろ、テロの脅威から守られるのなら歓迎すべきことだ》というあたりが、「一般の人」の感覚なのかもしれない。菅官房長官は、そういう「一般の人」が対象になることはあり得ない、と断言したことでもあるし……。
しかし、「共謀罪」の対象は、テロやテロの準備行為に限定されているわけではなく、冒頭に引用した記事にあるとおり、その対象犯罪は676もの数になる(法定刑が長期4年以上の懲役・禁固とされている犯罪)。
たとえば、どこかの建物の塀にビラを貼るなどという行為も、「建造物損壊罪」だとして対象になることもありうるのである。だから、「みんなで手分けしてビラを貼ろう」と相談したら、それだけで「建造物損壊の共謀」の罪に問われることにもなりかねない。単に相談しただけだったら、もしかしたら有罪にはならないかもしれない。あるいは、不起訴ということになる可能性もないわけではなかろう。しかし、「共謀罪」容疑での捜査・取調べは可能である。つまり、相談した、話し合った、というだけで、警察は強制捜査に乗り出すことができることになるのである。「共謀罪」の本当の狙いと本当の怖さは、ここにある。
そしてまた、「共謀罪」を立件するためには、「○月○日にどこそこでこういう内容の謀議がなされた」という証拠をつかむ必要があるが、その「謀議」はそもそもが仲間同士の「内輪」のものだから、「外」からの捜査だけでそういう証拠をつかむのは、ほとんど不可能だといってもよい。ではどうするか?電話やメールを盗聴(読?)する。あるいは部屋や車に盗聴器を忍ばせる。内部の人間に見返りを約束して「たれ込み」させる。あるいは潜入捜査。等々、「共謀罪」の立件のためには、こういう捜査手法が不可欠になる。だから、「共謀罪」ができれば、捜査当局はこれらの捜査手法を堂々と用いることができるようになる。そして、もう一度言うが、捜査そのものは、結果として有罪になるケースに限定されるものではない。
そもそも、「共謀罪」必要論の根拠とされている「国際組織犯罪防止条約」は、テロ対策を目的としたものではない。それは、マフィアや日本でいえば暴力団などの組織による国際的な資金稼ぎや資金洗浄を各国の協調によって断ち切ることを、そもそもの目的として締結されたものである。先に引用した第5条が、単に「重大犯罪を行うことの合意」とせずに「金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のため」という限定を付しているのは、そのためである(この限定は、同条約の他の条文でも繰り返し明示されている)。
「オリンピック」と「テロ対策」という「マジック・ワード」に騙されて、権力側の「何でもあり」を許してしまっては、後悔という「レガシー」が残るだけである。 
 
「共謀罪」断固反対 / 治安維持法と同類

 

共謀罪とは、具体的な犯罪について、2人以上の者 が話し合って合意することだけで処罰することができる犯罪のことです。
政府がこれまで提案していた共謀罪法案は、 長期4年以上の懲役・禁固等を定める600を 超える罪を対象とする広範なものです。 法案は条約締結に 必要な範囲を越えています。
日本政府は、すでに締結した国際的な組織犯罪の防止に 関する国際連合条約1が「重大な犯罪」について共謀罪を設 けることなどを求めていることから、この条約を批准する ために必要だとして、共謀罪法案を国会に提出しようとし ていると報道されています。
この条約は、もともとマフィアなど経済的利益を目的と する組織犯罪を対象にしていましたが、2001年の9・11 のテロ事件を契機に、テロ対策のために利用しようという 動きが出てきました。 2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向 けて、政府は、テロ対策として共謀罪制定が必要であると 説明することが予想されます。しかし、この条約の本来の 目的は、国際的な組織犯罪の防止ですから、テロ対策とは 直接関係ありません。 しかも、政府がこれまで提案してきた共謀罪の規定は、 国際的な組織犯罪やテロ行為の共謀だけを対象とするので はなく、600を超える重大とはいえないものを含む犯罪を 合意の段階で処罰しようとするものであり、市民の自由な 生活を大きく脅かすおそれがあります。
既遂行為を処罰するのが 日本国内の基本原則であり、 それ以前の行為を処罰するのは例外。
犯罪は、人の内心で生まれ、共犯の場合は共犯者との合 意を経て、準備され(「予備」段階)、実行に着手され(「未遂」 段階)、そして、実行されて結果が生じます(「既遂」段階)。
我が国の刑法は、「既遂」処罰を原則としています。法律 で保護された利益(法益)を現実に侵害して、結果が発生し た場合に処罰することとしているわけです。
「未遂」は、特に法律で定められた場合に処罰されるので あり、例外的なものといえます。このように未遂を例外扱 いし、刑罰の減軽を認めていることから、「罪を犯そうとす る危険な意思」を処罰するのではなく、「法益侵害の危険性 を発生させたこと」を処罰すると考えられています。 「予備」の処罰は、未遂よりも更に例外的で、殺人・強盗・ 放火などの重大な犯罪に限って規定されています。現在、「予 備」の一種である「共謀」の処罰は、いわば「危険な意思」の 処罰といえますが、このような処罰の対象となっているの は、内乱の陰謀罪・私戦陰謀罪など極めて特別な場合に限 られています。
一挙に600を超える共謀罪を 新設するのは我が国の刑法の 基本原則を否定 このように我が国の国内法の基本原則は、「既遂」の処罰 を原則とし、「未遂」は例外的、「予備」は更に例外的、「共謀」 に至っては極めて特別な重大な法益侵害に関するものに限 って処罰するというものです。 しかし、共謀罪法案で一挙に新設して処罰しようとして いる犯罪の数は600を超えています。
この中には、窃盗罪 の中の万引きや詐欺罪の中の釣り銭詐欺やキセル乗車など のように犯罪の態様としては決して重大とは言えないよう な犯罪も含まれます。
建造物損壊罪のように、未遂も予 備も処罰されていないのに、共謀罪だけが新設される犯罪 もあるのです。 これは、「未遂」「予備」「共謀」を例外とする我が国の刑法 の原則に合致しません。国際的な組織犯罪の防止のために 「重大な犯罪」について共謀罪を設けるという条約締結の目 的からみても広すぎるでしょう。
また、共謀罪の規定には別の弊害もあります。そもそも、 人と人とが犯罪を遂行する合意をしたかどうか、合意の内 容が犯罪にあたるかどうかの判断はたいへん難しいといえ ます。人と人との合意の有無は、その場にいない第三者か ら見て、すぐに分かるものではないからです。 このように第三者から見て分かりにくい段階から処罰する ことにすると、捜査機関の判断によって恣意的な検挙が行わ れたり、日常的に市民のプライバシーに立ち入って監視する ような捜査がなされるようになるかもしれません。
これでは 市民の人権に及ぼす弊害が余りにも大きいと考えられます。
合意だけで処罰?―日弁連は共謀罪に反対します
【共謀罪の骨子】
1 長期4年以上の刑を定める犯罪について(合計で600以上)
2 団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行 われるものの(組織犯罪集団の関与までは求められていない)
3 遂行を共謀(合意)した者は
4 原則として懲役2年以下の刑に処される。
5 死刑、無期、長期10年以上の処罰が科せられた犯罪の共謀 については懲役5年以下の刑に処される。
6 犯罪の実行の着手より前に自首したときは、刑を減免される。
市民運動団体や労働組合、 会社などの団体の活動も 処罰が可能に
過去に国会に提出され、3度廃案となった政府の共謀罪法 案では、「団体の活動」の共謀の処罰が可能でした。 団体には、市民運動団体や労働組合、会社組織なども含 まれます。
例えば、労働団体が、ストライキをして、その 際に工場のロックアウトを計画したりすれば、逮捕監禁罪 の共謀罪が成立し得ることになります。 そうすると、捜査機関が、市民運 動団体や労働組合などについて、共 謀罪の容疑があるとしてその構成員 を検挙するなど、恣意的に運用され る事態も予想されます。
共謀罪のために室内盗聴、 潜入捜査等の新たな捜査手法が 導入される可能性も
共謀罪は、人と人とのコミュニケーションそのものが犯 罪行為となるので、共謀罪を検挙し、立証するためには、 通信傍受(盗聴)が有効と考えられることも予想されます。 また、通信傍受に限らず、共謀罪を検挙・立証するために、 会話傍受(室内盗聴)が導入されたり、警察官が組織の中に 入って情報収集する潜入捜査などが導入されるおそれもあ ります。 さらに、政府がこれまで提出していた共謀罪法案には、自 首すれば自首した者の刑を減軽または免除する規定があり、 警察の捜査の在り方が根本から変わる可能性もあります。
共謀罪法案がなくても 条約は批准できます
国境を越えた組織犯罪への対応は必要であり、本条約は 早期に批准されるべきでしょう。先進国では、日本と大韓 民国だけが批准していないのも事実です。 この点、政府は、共謀罪法案を成立させなければ本条約 を批准できないと説明してきましたが、そのようなことは ありません。
日弁連が調査した限りでは、この条約を批准した各国と も、その国の法制度で既に条約を満たしているとするか、 多少の法整備をするなどして批准している国がほとんどで す。つまり、各国の国内法の原則に合わせた立法がなされ ればよく、それは日本でも同じです。 さらに、この条約については、共謀罪を制定することなく、 条約の一部について留保をしたり、解釈宣言(自国による条 約の解釈を示す一方的な宣言)をするなどの柔軟な対応に よって、批准が可能であると考えられ、現にそのようにし ている国もあります。
日本には、すでに、重大な法益を侵害する犯罪などに、 例外的に、陰謀罪が8、共謀罪が15、予備罪が40、準備罪 が9存在しており、判例上も一定の要件を満たした場合に 共謀共同正犯として犯罪に共謀した者を処罰することも認 められています。
それだけでなく、我が国においては、テ ロ関連条約のうち 「核によるテロリズムの行為の防止に関 する国際条約」を除く全てを批准しており、条約上の行為を 国内法で犯罪と規定しており、そこでも未遂以前の段階か ら処罰できる体制が整っています。
例えば、アメリカ合衆 国では適法に銃を所持することが可能ですが、我が国では、 銃砲刀剣類所持等取締法により、銃砲や刀剣の所持自体が 厳しく規制されています。これらにより、実質的には、組 織犯罪集団による重大な犯罪については、未遂以前に処罰 することができ、条約の批准は十分に可能となっています。 さらに600を超える共謀罪を新設する必要はないのです。 2017/1 
 
平成の治安維持法・共謀罪法案の国会提出に反対しよう!

 

通常国会へ提出必至の情勢
昨年8月、朝日新聞が臨時国会への提案を検討と報じた。その発信源は法務省ではなく、官邸である。政府は、9月に臨時国会への法案の提案はひとまず断念した。1月4,5日官房長官と首相がそろって、法案の国会提案を最終調整中と報じた。私たちは、通常国会の予算明けには必ず提出されると見て反対の動きを準備しなければならない。
提出予定とされる法案では、「組織犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」(以下「新法案」という)を新設し、その略称を「テロ等組織犯罪準備罪」とする。新法案を2003年の政府原案と比較すると、適用対象を「団体」とされていたものを「組織的な犯罪集団の活動」とし、団体のうち,その結合関係の基礎としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期4年以上の懲役若しくは禁固の刑が定められている罪等を実行することにある団体をいうと定義された。また、犯罪の「遂行を二人以上で計画した者」を処罰することとし、「その計画をした者のいずれかによりその計画にかかる犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の当該犯罪の実行の準備行為が行われたとき」という要件を付した。対象犯罪の範囲については、自民党と公明党の間で協議が続いている。
しかし、ここに示されている修正は、対象犯罪の限定を含めて、もともと条約が適用対象を制限するために認めていた条件を具体化したものであり、また2006年に第三次与党修正案(以下「与党修正案」という)としてまとめられていたものとほとんど変わらず、何ら目新しい提案ではない。
なぜ共謀罪に反対してきたのか
どのような行為が刑罰の対象とされるかを定める要件を犯罪の「構成要件」と呼ぶ。刑法は犯罪構成要件にあてはまり、正当防衛などの違法性を否定する事由や心神喪失などの責任を否定する事由がない場合に、人を処罰すると定めている。つまり、犯罪構成要件に当たるような行為をしない限り、人は処罰されることはない。犯罪構成要件は、国家が刑事司法を通じて市民社会に介入するときの境界線を画すものといえる。近代刑法の父とされるアンゼルム・フォイエルバッハの言葉とされる「法律なければ犯罪なし、法律なければ刑罰なし」は罪刑法定主義と犯罪構成要件の人権保障機能を端的に表している。
約600以上の犯罪について共謀の段階から処罰できる「共謀罪法案」の本質的危険性は、この境界線である犯罪が成立する要件のレベルを大幅に引き下げ、どのような行為が犯罪として取締りの対象とされるかをあいまいにし、国家が市民の心の中にまで監視の眼を光らせ、犯罪構成要件の人権保障機能を破壊してしまうところにある。
盗聴捜査の拡大を招く危険
共謀罪は人と人との意思の合致によって成立する。したがって,その捜査は,会話,電話,メールなど人の意思を表明する手段を収集することとなる。そのため,捜査機関の恣意的な検挙が行われたり,日常的に市民のプライバシーに立ち入って監視したりするような捜査がなされるようになる可能性がある。既に産経新聞は8月31日の「主張」において、「(共謀罪)法案の創設だけでは効力を十分に発揮することはできない。刑事司法改革で導入された司法取引や対象罪種が拡大された通信傍受の対象にも共謀罪を加えるべきだ。テロを防ぐための、あらゆる手立てを検討してほしい。」とまで述べている。
秘密保護法には既に共謀罪が導入されている
私たちは、2013年12月に成立した「特定秘密保護法」が市民の知る権利を制限し、国にとって不都合な事実を明らかにする内部告発やこれを報ずるジャーナリズムに大きな萎縮効果をもたらし、民主主義の機能不全をもたらすことを指摘してきた。この秘密保護法にも、共謀や煽動を罰する規定が既に盛り込まれていた。秘密保護法違反の共謀罪が通信傍受(盗聴)の対象とされれば、政府の違法行為や腐敗を暴く内部告発・調査報道は極めて困難となる。
組織犯罪集団の関与を要件にしたら大丈夫?
旧法案では、適用対象が単に「団体」とされていたが、新法案では、「組織的犯罪集団」とされ、その定義は、「目的が長期4年以上の懲役・禁錮の罪を実行することにある団体」とされる。しかし、もともと適法な会社や団体でも、犯罪を犯したときに、共同の目的があれば、組織犯罪集団という認定は可能である。その認定は一次的には捜査機関が個別に行うため、法律の解釈によっては処罰される対象が拡大する危険性が高い。
例えば、いま高江ではヘリパットの建設に抵抗して、市民が座り込みを続けているが、これに対して警察は全国から機動隊を動員して警察権を濫用し、多数の市民を負傷させ、また不当逮捕・勾留している。原発の再稼働に抗議するような活動についても同様に組織的犯罪集団の活動と見なされ、摘発の対象とされる可能性がある。このような行為を未然に一網打尽にする意図が今の政府には明らかに存在している。政府の修正によって、人権侵害の危険性が除かれたとは到底評価できない。
準備行為を要件としても、曖昧さは解消されない
「新法案」では、冒頭で述べたように、準備行為を処罰条件とした。しかし、預金を下ろしたり、メールを送っても準備と言われかねない。十分に限定されたと見ることはできない。合意の成立だけで犯罪の成立を認めた当初の政府案は、あまりにも犯罪構成要件が広汎かつ不明確であって、刑法の人権保障機能を破壊しかねず、条約に「悪のり」したものであっただけで、新法案による修正は当然のことをしただけであるといわざるをえない。
共謀(合意)の対象となる犯罪としての「重大な犯罪」を限定したら
旧政府案では、条約の規定通り、「重大な犯罪」を「長期4年以上(の懲役又は禁固)」の犯罪としていた。対象犯罪が我が国では619(当時 現時点では676)に上った。民主党修正案では、「長期5年超」の犯罪に限定することとし、対象犯罪を約300(当時)に止めた。「新法案」では、この点は完全に政府案に逆戻りしている。2007年にまとめられた自民党の小委員会案ではいくつかの案を例示しているが、そのうちの一つの案では約140にまで絞り込んでいた。条約は、処罰の対象となる犯罪が刑罰の重さのみで規定されており,法定刑の幅の広い我が国の刑法体系にこれを形式的に当てはめたため、対象犯罪が多数に及んだ。公明党との協議で対象犯罪は半減されるとの報道もある(1月17日毎日新聞)。しかし、それでも自民党の小委員会案にすら及ばない。
1925年治安維持法制定時には濫用のおそれのない完璧な法案と宣伝された
今でこそ、治安維持法は稀代の悪法とされる。しかし、法制定の時には濫用の危険性のない完璧な法案と政府によって説明・宣伝された。このことは、共謀罪法案についての、現在の政府の説明の真偽を測る上で、重要な事実である。治安維持法は、国体の変革(天皇制を廃止し共和制にすること)と私有財産制度を否定すること(社会主義や共産主義が念頭に置かれている)を目的とする結社を取り締まることを目的とした法律である。1925年法では、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」が主要な内容であった。
ここで確認しておかなければならないことは、治安維持法は、天皇制と私有財産制を守ることを保護法益とし、これらに悪影響を与える組織団体を結成したり、これに加入することを犯罪としたことである。議会に提案された法案は、「国体若ハ政体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」とされていた。
政府は、「私有財産制度を否認する」は先行して国会に提案され、野党やメディアの反対によって廃案となった「過激社会運動取締法案」の定められていた「社会の根本組織の変革」よりはるかに狭く、「国体若ハ政体ヲ変革シ」は「安寧秩序紊乱」よりはるかに狭い、と説明した。
また、「過激社会運動取締法案」には言論表現の自由を侵害する危険のある宣伝罪が盛り込まれていたが、これらの取締は、新聞紙法、出版法、治安警察法に譲り、結社の取締りに重点を絞ったと説明された。さらに、過激社会運動取締法案と異なり、すべての犯罪は「目的罪」であり、「国体若ハ政体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ」為される行為に処罰を限定するので、警察の権限濫用は大幅に抑えることができると説明されたのである 。過激社会運動取締法案があまりにも広汎で限定を欠いていたことが、相対的に新たな治安維持法が限定されたもののように、見える効果を生んだのである。
議事録から、抜き出してみる。
「朝憲紊乱の中、国体と政体を根本から変革する、一応是だけを朝憲紊乱の中から抜きましたから、歩合で云いますと一二分の歩合の外ありませぬ。七八分は除外して新聞紙法、出版法以下の法律に依って、取締らなければならぬことになるのであります。
次に安寧秩序の問題であります。安寧秩序と申しますれば、申上げるまでもなく現今の法律関係、明文にありまする総ての法律関係、正に以上に法律の解釈から来た所の秩序問題にも這入る、洵に広いものです、それでありますから共俊之を移し来ったならば突に危険である、唯々備に私有財産の根本を破壊すると云うだけを持って来ましたから、安寧秩序は本当の一部です、単に一部です、一部持って来ただけです。」
と、こんな具合である 。
1924年、第二次護憲運動に伴って成立した護憲三派による第一次加藤高明内閣は、普通選挙を実現したほか、日ソ間の国交を樹立した。ソビエトと国交を結ぶ一方で、共産主義運動が国内に波及することを防ごうとする意図が立法の背景にあったと説明される。最近、中澤俊輔氏による「治安維持法 なぜ政党政治は「悪法」を生んだか」(12年 中公新書)が発刊された。この本には「稀代の悪法は民主主義が生み、育てた」という刺激的な帯が付されている。しかし、1925年の法提案時に、同書が正しく指摘するように、すでに「言論表現集会結社の自由を侵害する。合法的な改革まで不可能にする。穏健な社会主義や社会民主主義まで拡大適用されかねない」などの正当な批判がなされていたのであり(同書52−53頁)、治安維持法を民主主義が生み出したという見方は、警察・内務省と司法省などの治安機関などの働きかけと、前記のような議会に対する説得工作を過小評価しており、正確性を欠く評価といわざるを得ない。つまり、当時の議会の大勢は、司法省と内務省の練りに練った法案にだまされたのだと評価することが正しい歴史総括であるように思われる。
国連越境組織犯罪条約5条との関連では、治安維持法は、経済的な組織犯罪ではなく、政治的な団体を念頭に置いた参加罪であったといえる。ただ、その準備段階の行為を捉えて刑事規制をしようとしている点では、共謀罪と治安維持法には重大な共通点がある。そして、17年通常国会に再提案されようとしている政府新法案は、「あまりにも広汎な処罰範囲を網羅していた03年共謀罪法案を改め、準備行為を処罰条件とし、組織犯罪集団の関与を要件とし、さらに公明党との協議に基づいて対象犯罪を大幅に絞り込んで、濫用を防止することとした」と宣伝されている。このような宣伝方法も、1925年治安維持法と1922年過激社会運動取締法案の関係を彷彿とさせる。国民と国会は、決してこのような耳あたりの良い説明にだまされてはならない。
治安維持法と共謀罪との共通点と相違点
治安維持法は、日本共産党、その周辺団体、合法的無産政党から、大本教や創価学会、天理教、キリスト教などの宗教団体、学界、雑誌編集者、企画院のような政府機関にまで、その適用が拡大されていった。その過程をまとめることは別の機会に譲りたいが、治安維持法と共謀罪法案は、団体の構成員を処罰しようとする団体規制法であるという点で共通している。処罰範囲が拡大され、不明確になり、拡大適用すれば、体制に抵抗する団体に対する一網打尽的弾圧を可能にする手段となりうる点も、共通している。共謀罪は、処罰時期の前倒しそのものであるが、治安維持法における目的遂行罪、団体結成準備罪なども、処罰可能時期を早めるものであった。治安維持法は適用範囲が拡大する傾向が顕著であったが、共謀罪法案も、法案の起草時には、立法事実はなく、条約批准のためだけに必要と説明されていた。そして、法案の成立がテロ対策に必要不可欠とされるだけでなく、法案が可決される前から、産経新聞などは共謀罪の捜査のために通信傍受が必要などと言い始めており、適用範囲の拡大が既に始まっている。
相違点としては、共謀罪は具体的な犯罪の準備が処罰条件とされているが、治安維持法では、団体の結成・準備、目的遂行のための行為全体がすべて処罰対象とされた。しかし、治安維持法は国体変革・私有財産否認という目的限定があったが、共謀罪は、676にも及ぶ犯罪の実行を目的とする団体であればよく、目的面の限定はより希薄である。より拡大解釈の余地が大きいとも言える。
いずれにしても、共謀罪法案には、「平成の治安維持法」と呼ぶことのできる、広汎性と強い濫用の危険性が潜在している。このような共謀罪創設法案を成立させ、安倍政権の手に渡すことは、戦争への道を掃き清めるものと言うほかない。
条約批准のために共謀罪制定は不可欠ではなく、共謀罪法案の提案に反対する
このように、新法案は条約がもともと予定していた限定条項を盛り込んだだけであり、ほとんど限定とならない。むしろ、与党の修正案の段階からも大幅に逆戻りしている。越境組織犯罪条約については、日本政府は異常なほど律儀に条約の文言を墨守して、国内法化をしようとした。むしろ、一部の法務警察官僚は、批准を機に過去になかったような処罰範囲の拡大の好機ととらえた節がある。もしかすると、アメリカ政府との間で、アメリカ並みの共謀罪を作るという合意があったのかもしれない。
しかし、世界各国の状況を見る限り、日本の政府案のような極端な立法をした国はほとんど見つけられない。そもそもこの条約は各国の法体系に沿って国内法化されればよいのである。「共謀罪」新設法案は、わが国の刑事法体系の基本原則に矛盾し、基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすおそれが高く、また、導入の根拠とされている「越境組織犯罪防止条約」の批准にも、この導入は不可欠とは言えないとする立場を日弁連は確認してきた。日本の法制では、組織犯罪対策法や暴力団対策法など組織犯罪を未然に防ぐための多様な制度を備えているのであり、国連越境組織犯罪条約の批准にも、この導入は不可欠とは言えないとするのが、日弁連の立場だ(2006年9月14日日弁連意見書)。
政府が、10年前に成立させられなかった修正案よりも、さらに後退した「新法案」を出してくるならば、私たちはこれに真正面から反対の声を上げ、安倍政権の監視社会化を強め、人々を萎縮させ、民主主義を窒息させる野望を挫かなくてはならない。 
 
共謀罪 治安維持法の反省なし 2017/2

 

日本共産党の藤野保史議員は2日の衆院予算委員会で、政府が今国会への提出を狙う「共謀罪」法案は違憲立法だと追及し、提出を断念するよう強く求めました。
政府が「共謀罪」法案が必要な理由に「テロ対策」を挙げていることについて、藤野氏は、日本では▽すでに13本の条約を締結している▽未遂段階で処罰できる規定が66ある▽銃や刀剣、サリン等の所持自体が禁じられている―ことを指摘しました。
安倍晋三首相が1月26日の衆院予算委で、「爆弾を持ち込む、あるいは武器を持ち込んでハイジャックをして、そして建物に突っ込むという計画」を例に挙げたことについて藤野氏は、首相の挙げた「爆弾を使う」「武器を持ち込む」行為は現行法で取り締まることができると述べました。安倍首相は「今の法体系には穴がある」と強弁するばかりで、まともに答えられませんでした。
藤野氏の質問に金田勝年法務相は、「共謀罪」の処罰対象となる「犯罪の合意」の有無を判断するのは、捜査段階では捜査機関だと認めました。
市民の運動を「テロの脅威」
藤野氏は、反原発の集会やメーデーなどの動向を写真付きで掲載した警察庁の広報誌『焦点』(写真左)を示し、市民運動を「テロの脅威」とみなして情報収集・監視の対象としている警察の実態を告発。反原発集会を「原子力施設に対するテロの脅威」として「警備対象」の一番初めに挙げていると批判しました。
藤野氏は、一般の人々の思想・良心までが広く処罰の対象とされた戦前の治安維持法の問題を追及。当時の政府が同法の対象は限定されると説明していたにもかかわらず、「実際は労働運動だけでなく、宗教者、自由主義者、学生のサークルまでが弾圧の対象となった」と強調しました。
藤野 対象が次々と拡大され、最後は普通の人も対象になった。この歴史をどう認識しているか。
首相 戦前の旧憲法下の法制であり、現憲法で内心の自由を侵害することはない。
藤野 思想・良心の自由を考える際の原点が治安維持法だ。共謀罪の議論にも直結する。その認識はないのか。
藤野氏は「戦前の歴史があるからこそ、今の憲法がある」と強調。戦前、法律で禁止された拷問が実際には横行した反省から、「思想・良心の自由」(19条)や「適正手続きの保障」(31〜40条)を憲法上の原則にまで高めたことを指摘し、「こうした認識が安倍政権には決定的に欠けている」と批判しました。
安倍政権下で監視社会進む
藤野氏は、安倍政権下で秘密保護法や拡大盗聴法が強行され、モノ言えぬ監視社会づくりが進んでおり、「共謀罪はその仕上げともいうべき違憲立法だ」と厳しく指摘。「国民はこのようなごまかしを許さない。共謀罪の提出を断固阻止するため、国民と共に全力を尽くす」と強く主張しました。 
 
組織的な犯罪の共謀罪に関するQ&A [法務省]

 

これは、犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案により新設されることとなる組織的な犯罪の共謀罪に関するものです。
Q1 なぜ、今、組織的な犯罪の共謀罪を新設するのですか。
平成12年11月、国連総会で、一層効果的に国際的な組織犯罪を防止し、及びこれと戦うための協力を促進することを目的とする「国際組織犯罪防止条約」が採択されました。この条約は、昨年9月に発効しており、我が国としても、早期に加入することが重要です。
この条約は、国際組織犯罪対策上、共謀罪などの犯罪化(注)を条約加入の条件としています。しかし、我が国の現行法上の罰則には組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀行為を処罰する罪がないので、「組織的な犯罪の共謀罪」を新設する必要があるのです。
(注)その他、マネーローンダリング罪、司法妨害罪等の犯罪化等が義務付けられており、今回、現行法では足りない罪の新設等の法整備も行います。
Q2 組織的な犯罪の共謀罪の新設によって、何か良いことがあるのですか。
「組織的な犯罪の共謀罪」の新設によって、国際組織犯罪防止条約に加入することが可能となり、一層強化された国際協力の下で我が国を国際組織犯罪から守ることができるようになります。
また、国内で現実に発生している組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪について、これまでは、例えば共謀に参加した者が自首した場合など確実な証拠が入手された場合であっても、実際に犯罪が実行されなければ検挙・処罰することができませんでしたが、共謀段階での検挙・処罰が可能となり、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪から国民をより良く守ることができるようになります。
Q3 どのような行為が、組織的な犯罪の共謀罪に当たるのですか。一般国民にとって危険なものではないですか。
「組織的な犯罪の共謀罪」には、以下のような厳格な要件が付され、例えば、暴力団による組織的な殺傷事犯、悪徳商法のような組織的詐欺事犯、暴力団の縄張り獲得のための暴力事犯の共謀等、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀行為に限り処罰することとされていますので、国民の一般的な社会生活上の行為が本罪に当たることはあり得ません。
すなわち、新設する「組織的な犯罪の共謀罪」では、第一に、対象犯罪が、死刑、無期又は長期4年以上の懲役又は禁錮に当たる重大な犯罪に限定されています(したがって、例えば、殺人罪、強盗罪、監禁罪等の共謀は対象になりますが、暴行罪、脅迫罪等の共謀では、本罪は成立しません)。
第二に、(1)団体の活動として犯罪実行のための組織により行うことを共謀した場合、又は(2)団体の不正権益の獲得・維持・拡大の目的で行うことを共謀した場合に限り処罰するという厳格な組織犯罪の要件(注)が課されています(したがって、例えば、団体の活動や縄張りとは無関係に、個人的に同僚や友人と犯罪実行を合意しても、本罪は成立しません)。
第三に、処罰される「共謀」は、特定の犯罪が実行される危険性のある合意が成立した場合を意味しています(したがって、単に漠然とした相談や居酒屋で意気投合した程度では、本罪は成立しません)。
(注)組織的犯罪処罰法における組織的な殺人等の加重処罰の場合と同じ要件であり、実際の組織的犯罪処罰法の組織的な殺人等の適用事例も、(1)暴力団構成員等による組織的な殺傷事犯、賭博事犯、(2)悪徳商法のような組織的詐欺事犯及び(3)暴力団の縄張り獲得、維持のための業務妨害、恐喝事犯等に限られています。
Q4 共謀罪が設けられると、通信や室内会話の盗聴、スパイによる情報取得などの捜査権限が拡大され、国民生活が広く監視される社会になってしまうのではないですか。
「組織的な犯罪の共謀罪」には、厳格な要件が付され、例えば、暴力団による組織的な殺傷事犯、悪徳商法のような組織的詐欺事犯、暴力団の縄張り獲得のための暴力事犯の共謀等、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀行為に限り処罰することとされていますので、国民の一般的な社会生活上の行為が本罪に当たることはあり得ません。
また、組織的な犯罪の共謀罪の新設に際して、新たな捜査手段を導入するものではありません。したがって、他の犯罪と同様に、法令により許容された範囲内で捜査を尽くして適正な処罰を実現することで、国民の生命、身体、財産を組織犯罪から保護することとなります。
Q5 国際組織犯罪防止条約に基づく法整備なのですから、組織的な犯罪の共謀罪の対象を国際的な犯罪に限定すべきではないのですか。
国際組織犯罪防止条約は、国際的な組織犯罪に対処するための国際協力の促進を目的としていますが、組織犯罪に効果的に対処するため、各締約国が共謀罪を犯罪とするに当たっては、国際的な性質とは関係なく定めなければならないと規定しており、このような国際性を要件とすることはできません。
実際問題としても、例えば、暴力団による国内での組織的な殺傷事犯の共謀が行われた場合など、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪から国民を守る必要が高いものについては、国際的な性質を有しないからとの理由で処罰できないというのは、おかしな話です。 
 
「共謀罪」に関する法務省見解 2006/5

 

共謀罪について、法務省がそのHP上にコーナーを設けています。
2006年4月19日には、従前より掲載されていた一般的なQ&Aに追加して「『組織的な犯罪の共謀罪』に対する御懸念について」と題するコーナーを新設しています。
衆議院において審議中の法案について、このようなコーナーが新設されること自体、異例のことであり、市民の懸念が多いことの反映だと思います。日弁連はすでに「共謀罪与党修正案についての会長声明」(2006年4月21日)を公表していますが、法務省のHPで挙げられた点に絞って、以下のとおり疑問点を指摘いたします。
1.共謀罪の成立範囲のあいまいさは払拭されていません
【法務省の説明】
「そもそも「共謀」とは、特定の犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意をすることをいい、犯罪を実行することについて漠然と相談したとしても、法案の共謀罪は成立しません。
したがって、例えば、飲酒の席で、犯罪の実行について意気投合し、怪気炎を上げたというだけでは、法案の共謀罪は成立しませんし、逮捕されるようなことも当然ありません。」
どのような合意があったときに、共謀罪にいう「共謀」といえるのでしょうか。法務省は国会答弁において、共謀罪における共謀は共謀共同正犯理論におけるそれと異ならないと答弁しています。そして、先の特別国会で法務大臣は、共謀は黙示の連絡でも、目配せでも成立すると答弁しているのです。(2005年10月28日の南野法務大臣の答弁)
そうすると、たとえ飲酒の席でも、具体的に犯罪の方法や日時を決めれば共謀罪は成立することになるはずであり、ホームページの説明でも、共謀罪の成立範囲のあいまいさは払拭されていません。
与党修正案においては、合意に加えて、「犯罪の実行に資する行為」が必要とされました。「犯罪の実行に資する行為」とは犯罪の実行に何らかの影響を与えた行為を広範に含みうるもので、犯罪の準備行為よりもはるかに広い概念です。犯罪実行に直接因果関係のない、精神的な応援などもこれに含まれる可能性があります。少なくとも、犯罪の実行の「予備行為」ないし「準備行為」が行われたことを明確に要件とするべきです。
2.処罰の対象となる「団体」の範囲が不明確なままです
【法務省の説明】
「法案の共謀罪は、例えば、暴力団による組織的な殺傷事犯、悪徳商法のような組織的な詐欺事犯、暴力団の縄張り獲得のための暴力事犯の共謀など、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪を共謀した場合に限って成立するので、このような犯罪以外について共謀しても、共謀罪は成立しません。」
この法案には、「団体」「組織」への言及はありますが、「組織犯罪集団」が関与する行為との限定はありません。このような説明をするのであれば、むしろ端的に、「組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪」に限定することを法文上明らかにすべきです。
共謀罪の成立する犯罪の数は実に619を超えるとされています。これらの犯罪が組織犯罪集団の関与する重大犯罪といえるでしょうか。
日本政府は、条約の審議過程においても重大犯罪を長期4年の刑期をメルクマールに決めることに強く反対し、同じような反対意見は多くの国からも寄せられていました。条約の制定後の各国の国内法化の実情を見ても、長期5年を基準とした国も存在します。組織犯罪集団の関与する「重大犯罪」に限定するのであれば、法文上で対象犯罪を限定することが必要です。
与党修正案は、団体の活動に定義を加え、一定の犯罪を行うことを共同の目的とする団体によるものに限定するとしています。しかし、この修正案においては、「共同の目的」が団体の本来的な目的であることは要件とされていません。また、あくまでも「団体の活動」に着目しており、「団体」が一定の犯罪を行うものであることを要件としていません。この点でも団体の範囲がどこまで限定されているのかは明確になっていません。処罰範囲を限定する目的の修正であるならば、法の文言上も、一義的にそのようにしか理解できない文言とすべきです。
過去において、暴力行為の処罰等に関する法律や凶器準備集合罪なども暴力団に適用するための法規であるとして提案され、国会においても説明されながら、結果として広範な市民的活動に適用されるに至ったことを忘れてはなりません。
日弁連は、このような修正案によっても、法案の適用対象が組織犯罪集団の関与する場合に明確に限定されたものとは評価することはできません。
3.一般的な社会生活上の行為が共謀罪に問われる可能性は残っています
【法務省の説明】
「国民の一般的な社会生活上の行為が法案の共謀罪に当たることはありませんし、また、国民同士が警戒し合い、表現・言論の自由が制約されたり、「警察国家」や「監視社会」を招くということもありません。」
法案の適用対象が以上に述べたように、組織犯罪集団の関与する場合に限定されていない以上、国民の一般的な社会生活上関与する会社や市民団体、労働組合などの行為が共謀罪に問われる可能性は残っていると言わざるを得ません。
また、この法案においては、共謀罪は、実行の着手前に警察に届け出た場合は、刑を減免することとなっています。
このような規定があれば、犯罪を持ちかけた者が、会話を録音などして、相手の犯罪実行の同意を得て警察に届け出た場合、持ちかけた側の主犯は処罰されず、これに同意した者だけの受動的な立場の者の方だけが処罰されるようなことになりかねません。
法務省が、監視社会を招くことはないとするなら、この密告奨励になりかねない規定を削除すべきです。
共謀罪の証拠は人の会話とコミュニケーションそのものです。昨年衆議院法務委員会に招致された刑事法研究者(大学教授)も、共謀を立証するためには、通信傍受捜査の拡大が必要である旨を公述されています。同参考人は、4月25日の読売新聞においてもこの法案の制定が必要であるとの立場のインタビュー記事において、同様のコメントをされています。今後、共謀罪が成立した場合、共謀罪の捜査のために電話やメールの傍受の範囲が拡大される危険があります。その危険は、まさに「警察国家」「監視社会」の危険にほかなりません。  
 
「共謀罪」に関する法務省見解 2006/10

 

「組織的な犯罪の共謀罪」の創設が条約上の義務であることについて
○ 国際組織犯罪防止条約第5条は、締約国に対し、重大な犯罪(長期4年以上の罪)の共謀(共謀罪)又は組織的な犯罪集団の活動への参加(参加罪)の少なくとも一方を犯罪とすることを明確に義務付けています。
(参考条文)第5条  組織的な犯罪集団への参加の犯罪化
1 締約国は、故意に行われた次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる。
(a) 次の一方又は双方の行為(犯罪行為の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。)
(i) 金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のため重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意することであって、国内法上求められるときは、その合意の参加者の一人による当該合意の内容を推進するための行為を伴い又は組織的な犯罪集団が関与するもの
(ii) 組織的な犯罪集団の目的及び一般的な犯罪活動又は特定の犯罪を行う意図を認識しながら、次の活動に積極的に参加する個人の行為
a 組織的な犯罪集団の犯罪活動
b 組織的な犯罪集団のその他の活動(当該個人が、自己の参加が当該犯罪集団の目的の達成に寄与することを知っているときに限る。)
○ この点、我が国の現行法には、一部の犯罪を除いて、犯罪の共謀を処罰する規定はありませんし、組織的な犯罪集団の活動への参加を一般的に処罰する規定もありません。
したがって、我が国の現行法は、条約第5条が定める義務を充たしておらず、「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることなくこの義務を充たすことはできないと考えています。
○ なお、この点に関連して、「国連の担当事務局が作成している『立法ガイド』によれば、共謀罪と参加罪のいずれも設けないことが許されるのではないか。」との指摘がありますが、「立法ガイド」の記載は、共謀罪又は参加罪の少なくとも一方を犯罪とすることを明確に義務付けている条約第5条の規定を前提として、共謀罪を選択した国は参加罪を設ける必要はなく、参加罪を選択した国は共謀罪を設ける必要はないことを述べたものに過ぎず(「立法ガイド」を作成した国連の担当事務局も、我が国の照会に対し、このような理解が正しい旨回答している。)、この指摘は当たらないと考えています。
現行法のままでも条約を締結できるのではないかとの指摘について
○ 条約第5条は、多種多様な組織犯罪を一層効果的に防止するために、すべての重大な犯罪の共謀又は重大な犯罪を行うことを目的とする組織的な犯罪集団の活動への参加の少なくとも一方を犯罪化することを義務付けています。また、この義務を履行するための犯罪を設けるに当たっては、「犯罪行為の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。」ものとし、未遂罪や既遂罪とは独立に、犯罪の実行の着手以前の段階で処罰することが可能な犯罪を設けることを義務付けています。
○ この点、我が国の現行法には、実行の着手以前の段階の行為を処罰する規定として、例えば、殺人予備罪、強盗予備罪などの予備罪や、内乱陰謀罪、爆発物使用の共謀罪などの共謀罪等が設けられており、また、一定の場合に殺人等の犯罪の実行の着手以前の段階の行為に適用されることがある特別法の規定として、公衆等脅迫目的の犯罪行為(テロ行為)の実行を容易にする目的で資金を提供する行為を処罰する規定や、けん銃等の所持を処罰する規定なども設けられています。
しかし、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪には多種多様な犯罪があり、現行法上、予備罪、共謀罪等が設けられているのはその中の一部のみに過ぎません。
※ 例えば、犯罪組織が行うことが容易に想定できる詐欺罪や人身売買に関する犯罪等については、現行法上、予備罪も共謀罪も設けられておらず、犯罪組織が振り込め詐欺を行うことを計画したり、売春組織が人身売買を計画している場合にも、予備罪や共謀罪で処罰することはできませんし、上記のような特別法により処罰できるわけでもありません。
さらに、いわゆる共謀共同正犯は、犯罪行為の実行の着手を前提とするものであり、実行の着手以前の行為を処罰するものではありません。
○ このように、我が国の現行法は、条約第5条の義務を充たしていませんので、この義務を充たすためには、「組織的な犯罪の共謀罪」を新たに設けることが必要であり、これがなければ、国際組織犯罪防止条約を締結することはできないと考えています。
国際組織犯罪防止条約の交渉過程での共謀罪に関する政府の発言について
○ 最近、「国際組織犯罪防止条約の交渉過程で、我が国政府が、『すべての重大な犯罪の共謀を犯罪とすることは、我が国の法的原則と相容れない』と発言していた。」旨の指摘があります。
この点については、これまでの条約及び法案についての国会審議においても、与野党の議員の質問に対して詳しく答弁されていますが、その経緯は以下のとおりです。
○ 条約交渉の初期の案文では、共謀罪について、対象となる「重大な犯罪」の範囲が定まっておらず、また、処罰の対象を「組織的な犯罪集団の関与するもの」に限定することも認められていませんでした。
○ そこで、我が国は、当時の案文のままでは我が国の法的原則と相容れないとの意見を述べるとともに、共謀罪について、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を加えるべきことなどを提案しました。
○ その後、この提案に基づく協議の結果、共謀罪について、「国内法上求められるときは、組織的な犯罪集団が関与するという要件を付することができる」旨の規定が条約に取り入れられることとなりました。また、「重大な犯罪」の範囲についても、長期4年以上の犯罪と定まりました。
○ このように、「我が国の法的原則と相容れない」との発言は、交渉当初の条約の案文を前提としたものであり、その後の交渉を経て採択された現在の条約の規定について述べたものではありません。
○ 法案の「組織的な犯罪の共謀罪」は、こうした経過で採択された条約第5条の規定に基づき、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀に限って処罰の対象としており、我が国の刑事法の基本原則に反するものではないと考えています。
国際組織犯罪防止条約の交渉過程での参加罪に関する日本の提案について
○ 条約交渉の初期の案文では、共謀罪については、組織的な犯罪集団の関与の有無にかかわらず、すべての重大な犯罪の共謀を対象としているという問題点がありましたし、参加罪については、特定の犯罪行為との結び付きがない「犯罪集団の活動への参加」を一般的に処罰の対象としているという問題点がありました。
○ そこで、我が国は、当時の案文のままでは我が国の法的原則と相容れないとの意見を述べた上で、共謀罪については、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を加えるべきことを提案するとともに、参加罪については、特定の犯罪行為と参加する行為との結び付きを要件とした、別の類型の参加罪の選択肢を設けることを提案しました。
○ しかし、この別の類型の参加罪を設けるとの提案については、犯罪となる範囲が不当に狭くなるなどの指摘があり、結局、各国に受け入れられませんでした。
○ 他方、共謀罪については、我が国の提案に基づいて、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を付することができるものとされました。
○ そこで、既に一定の重大な犯罪については共謀罪が設けられている我が国の法制との整合性を考慮し、組織的な犯罪集団の関与する重大な犯罪の共謀に限って処罰する「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることとしました。
参加罪を選択しなかった理由
○ 条約第5条は、参加罪について、組織的な犯罪集団の犯罪活動に参加する行為を犯罪とするだけではなく、犯罪活動以外の「その他の活動」に参加する行為についても、自己の参加が当該犯罪集団の目的の達成に寄与することを知っている場合には、これを犯罪とすることを義務付けています。
○ しかし、我が国においては、このように、必ずしも特定の犯罪との結び付きのない活動に参加する行為自体を直接処罰する規定の例がありませんので、そのような法整備を行うことについては、慎重な検討が必要であると考えられます。
○ これに対して、条約第5条の定める共謀罪は、「重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意すること」を犯罪とするものですが、このように特定の犯罪を実行することの共謀を処罰の対象とすることについては、刑法第78条の内乱陰謀罪や、爆発物取締罰則第4条の爆発物使用の共謀の罪など、現行法にもその例がありますので、我が国の法制にもなじむと考えられます。
○ このようなことから、政府としては、条約第5条の義務を充たすための法整備を行うに当たり、参加罪ではなく、もう一方の選択肢である重大な犯罪の共謀を犯罪とする法整備を行うことが適当であると考え、組織的な犯罪集団の関与する重大な犯罪の共謀に限って処罰する「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることとしました。  
 
「共謀罪」法務省と日弁連の見解 2006/10

 

「『組織的な犯罪の共謀罪』の創設が条約上の義務であることについて」
法務省の見解
法務省は、国連越境組織犯罪防止条約は共謀罪又は組織的な犯罪集団の活動への参加の少なくとも一方を犯罪とすることを明確に義務付けているが、我が国の現行法には、一部の犯罪を除いて、犯罪の共謀を処罰する規定はなく、組織的な犯罪集団の活動への参加を一般的に処罰する規定もないとして、「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることなくこの義務を充たすことはできないとしています。
日弁連の見解
1 国内法の基本原則を尊重すべきこと
国連越境組織犯罪防止条約第34条第1項には、「締約国は、この条約に定める義務の履行を確保するため、自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置(立法上及び行政上の措置)をとる。」と規定されています。国連が各国の国内法起草者向けに作成した立法ガイドには、次のような記載があります。「国内法の起草者は、単に条約文を翻訳したり、条約の文言を一字一句逐語的に新しい法律案や法改正案に盛り込むよう企図するよりも、むしろ条約の意味と精神に主眼を置くべきである。」「したがって、国内法の起草者は、新しい法が国内の法的な伝統、原則、および基本法と合致するものとなることを確保しなければならない。」(43パラグラフ)
このように、締約国は条約の文言をなぞって、共謀罪や参加罪を立法化する必要はなく、条約の精神に忠実であれば、かなり広い範囲の裁量が認められています。
また、44パラグラフでは、「本条約によって義務付けられる犯罪は、締約国の国内法、または議定書により導入される法の他の規定と連係して適用してもよい。したがって、新しい犯罪が現行の国内法と合致することを確保するよう努めなければならない。」とされています。新立法が国内法の体系に整合的であることが求められているのです。我が国は、同条約に付属された「人身取引」に関する議定書及び「銃器」に関する議定書の双方を批准できる国内法をすでに備えていることは特筆されてよいことです。
2 共謀罪、参加罪の名称にとらわれないで、犯罪の実質で判断するべき
立法ガイドの51パラグラフは非常に重要なことを述べています。「本条約は、世界的な対応の必要性を満たし、犯罪集団への参加の行為の効果的な犯罪化を確保することを目的としている。本条約第5条は、このような犯罪化に対する2つの主要なアプローチを同等のものと認めている。第5条第1項(a)(@)および(a)(A)の2つの選択肢は、このように、共謀の法律(conspiracy laws)を有する諸国もあれば、犯罪結社の法律(criminal association laws)を有する諸国もあるという事実を反映するために設けられたものである。これらの選択肢は、共謀または犯罪結社に関する法的概念を有しない国においても、これらの概念を強制することなく、組織犯罪集団に対する実効的な措置を可能とする。」
つまり、英米法の共謀罪(コンスピラシー)や、大陸法の参加罪(結社罪)の概念をそのまま導入しなくても、同条約5条の要件を満たすことが可能であることを立法ガイドは認めているのです。
3 組織犯罪に関わる重大犯罪について、未遂に至る前に処罰可能でなければならないことが求められている
それでは、求められている法制度の条件は何なのでしょうか。国連越境組織犯罪防止条約第5条1項(a)は、「犯罪行為の未遂または既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。」と規定し、立法ガイドの62パラグラフでも、「上記の犯罪はいずれも、犯罪行為の未遂または既遂にかかわる犯罪とは区別される。」とされています。組織犯罪に関わる重大犯罪について、未遂に至る前に処罰可能でなければならないことが求められています。
したがって、我が国の法制度の中で、共謀罪や参加罪という名称にとらわれるのではなく、組織犯罪集団の関与する重大犯罪について未遂以前に犯罪が可罰的とされ、犯罪を未然に防止するための処罰規定がどのように整備されているかを実質的に検討していく必要があることとなります。
「現行法のままでも条約を締結できるのではないかとの指摘について」
法務省の見解
法務省は、日弁連の指摘について、我が国の現行法には、実行の着手以前の段階の行為を処罰する規定として、例えば、殺人予備罪、強盗予備罪などの予備罪や、内乱陰謀罪、爆発物使用の共謀罪などの共謀罪等が設けられており、また、一定の場合に殺人等の犯罪の実行の着手以前の段階の行為に適用されることがある特別法の規定として、公衆等脅迫目的の犯罪行為(テロ行為)の実行を容易にする目的で資金を提供する行為を処罰する規定や、けん銃等の所持を処罰する規定なども設けられていることを認めています。
しかし、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪には多種多様な犯罪があり、現行法上、予備罪、共謀罪等が設けられているのはその中の一部のみに過ぎず、例えば、犯罪組織が行うことが容易に想定できる詐欺罪や人身売買に関する犯罪等については、現行法上、予備罪も共謀罪も設けられておらず、犯罪組織が振り込め詐欺を行うことを計画したり、売春組織が人身売買を計画している場合にも、予備罪や共謀罪で処罰することはできないとしています。
日弁連の見解
1 国連越境組織犯罪防止条約の求めている共謀罪の対象犯罪の範囲
政府提案は、条約の定める長期4年以上の刑期の定めのある全ての犯罪について共謀罪を制定するというものであり、与党修正案も、その中から過失犯と結果的加重犯などを除くだけで約600という対象犯罪は変わりません。
重大犯罪の定義として、国連越境組織犯罪防止条約は刑期をメルクマールとした規定を設けましたが、この点は加盟国間に深刻な対立のあった討議事項で、日本政府はリスト方式を主張し、これに賛同した国も少なくありませんでした。
同条約第5条第3項は、「1(a)(@)の規定に従って定められる犯罪に関し自国の国内法上組織的な犯罪集団の関与が求められる締約国は、その国内法が組織的な犯罪集団の関与するすべての重大な犯罪を適用の対象とすることを確保する。」と定めています。この第3項は、締約国が、国内法で組織犯罪集団が関与するものに限定した場合、犯罪構成要件において、組織犯罪集団の関与を定めるだけでなく、対象犯罪の選択に当たっても「組織的な犯罪集団の関与するすべての重大な犯罪を適用の対象とする」ことを確保すれば、必ずしも同条約第2条の重大犯罪の定義に従う必要はないことを示していると考えられます。
このように、同条約第5条第1項(a)(@)の適用対象となる重大犯罪については組織的犯罪集団の関与する重大犯罪に限定することも可能であり、この選択肢をとったときには、国連事務総長に通報するだけで十分であり、条約の留保や解釈宣言を要しないのです。
組織的犯罪集団の関与する重大犯罪の範囲をさらに絞り込めば、同条約第5条第1項(a)(@)の選択肢をとった上で、現行法の範囲で十分という見解も成り立つ余地があるといえます。
2 新たに共謀罪を制定したことの判明している国はごくわずかである
第164回通常国会の終盤の国会審議においては、国連越境組織犯罪防止条約に基づいて新たに共謀罪を制定した国が、具体的にどのような法制度を設けたかについて質問がなされましたが、政府は何もわからないという答弁に終始しました。同条約の批准に当たって、新たに共謀罪を制定した国として、政府は国会議員からの問い合わせに対して、ノルウェーとニュージーランドの2ヶ国しか例を挙げていません。
同条約の締約国会議に提出された国連薬物犯罪事務所事務局が作成した「事務総長が受理した通知、宣言、留保に関する報告書」によると、同条約第5条の履行に関して報告を行った48ヶ国のうち、少なくとも5ヶ国(ブラジル、モロッコ、エルサルバドル、アンゴラ、メキシコ)は、同条約第5条第3項の追加要件について、組織犯罪集団の関与を要件としながら、組織犯罪集団の関与する全ての重大犯罪を適用対象としていないことを自認しています。
これらの国々は、犯罪防止条約が求めている国内法化していないことを自ら認めていることになりますが、事務総長に報告していない国々の中にも同条約の求めている国内法化をしていない国はある程度有ると考えられます。このレベルの批准であれば、我が国はすぐにでも可能であるはずです。
3 組織犯罪集団の関与する国内で立法事実がある特定の犯罪に限定すべきである
どうしても未然防止のための立法の必要性があるというのであれば、法務省が日本国内で立法の必要があると説明している組織的詐欺罪と人身売買罪に限定して組織犯罪集団の関与を要件として予備罪を新設することについて検討する余地はあると思われます。
「条約の交渉過程での共謀罪に関する政府の発言について」
  「条約の交渉過程での参加罪に関する日本の提案について」
  「参加罪を選択しなかった理由」について
以上の3つの文書は国連越境組織犯罪防止条約の起草の過程について述べたもので、相互に関連しますので、一括して反論します。
法務省の見解
○ 法務省は、条約交渉の初期の案文では、共謀罪については、組織的な犯罪集団の関与の有無にかかわらず、すべての重大な犯罪の共謀を対象としているという問題点があり、参加罪については、特定の犯罪行為との結び付きがない「犯罪集団の活動への参加」を一般的に処罰の対象としているという問題点があった。そこで、我が国は、当時の案文のままでは我が国の法的原則と相容れないとの意見を述べた上で、共謀罪については、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を加えるべきことを提案するとともに、参加罪については、特定の犯罪行為と参加する行為との結び付きを要件とした、別の類型の参加罪の選択肢を設けることを提案した。しかし、この別の類型の参加罪を設けるとの提案については、犯罪となる範囲が不当に狭くなるなどの指摘があり、結局、各国に受け入れられなかった。他方、共謀罪については、我が国の提案に基づいて、「組織的な犯罪集団が関与するもの」という要件を付することができた。
また、「重大な犯罪」の範囲についても、長期4年以上の犯罪と定まった。こうした経過で採択された条約第5条の規定に基づき、組織的な犯罪集団が関与する重大な犯罪の共謀に限って処罰の対象としており、我が国の刑事法の基本原則に反するものではないと考え、我が国の法制との整合性を考慮して共謀罪を選択したとしています。
○ 法務省は、参加罪を選択しなかった理由について、条約第5条は、参加罪について、組織的な犯罪集団の犯罪活動に参加する行為を犯罪とするだけではなく、犯罪活動以外の「その他の活動」に参加する行為についても、自己の参加が当該犯罪集団の目的の達成に寄与することを知っている場合には、これを犯罪とすることを義務付けている。しかし、我が国においては、このように、必ずしも特定の犯罪との結び付きのない活動に参加する行為自体を直接処罰する規定の例がないので、そのような法整備を行うことについては、慎重な検討が必要であると考えられる。これに対して、条約第5条の定める共謀罪は、刑法第78条の内乱陰謀罪や、爆発物取締罰則第4条の爆発物使用の共謀の罪など現行法にもその例があるので、我が国の法制にもなじむと考え、組織的な犯罪集団の関与する重大な犯罪の共謀に限って処罰する「組織的な犯罪の共謀罪」を設けることとしたと説明しています。
日弁連の見解
1 国連越境組織犯罪防止条約第5条の起草経過の概要
国連越境組織犯罪防止条約について議長提案された原案には、ほとんど限定のない共謀罪と結社参加罪の提案がなされていましたが、イギリス政府からオプション2として、参加罪について「参加して行為する」類型の修正参加罪が提案されました。
法務省が認めているように、平成11年3月に開催された第2回アドホック委員会において、日本政府代表団は「日本の国内法の原則では、犯罪は既遂か未遂段階に至って初めて処罰されるのであり、共謀や参加については、特に重大な犯罪(certaingrave crimes)に限定して処罰される。したがって、すべての重大な犯罪(serious crimes)について、共謀罪や参加罪を導入することは日本の法原則になじまない」「それゆえ、参加行為の犯罪化を実現するためには、国内法制度の基本原則の範囲内で実現するほかない」としたうえで、1共謀罪については、「組織的な犯罪集団の関与する」という要件を加えることを提案し、2参加罪については、参加する行為がその犯罪行為の成就に貢献することを認識しつつなされたものであることを要件とする新しい類型の参加罪の規定を設けるよう提案し、さらに、33条1項(a)と(b)の間に「国内法の原則に従って」というフレーズを加えることを提案しました。
このうち、2の提案について、日本政府は「3条1項(b)の(@)と(A)は、英米法系あるいは大陸法系の法体系のいずれかに合致するものとして導入されるように考案されている。条約をさらに多くの国が受け入れられるようにするためには、世界各国の法体系が英米法、大陸法という2つのシステムに限定されていないことから、第3のオプション、すなわち、『参加して行為する』ことを犯罪化するオプションを考慮に入れなければならない」という提案理由を述べていました。この提案は、我が国においては幇助犯や共謀共同正犯によってこのような行為は既に可罰的であるから、条約を批准することができるという考え方に基づくもので、この提案によれば、日本で国内法を新たに新設する必要はなくなると考えていたことがその提案の文脈から読み取れます。
ところが、その後、この提案は、米国らとの非公式会合において協議され、なぜか、日本政府は、平成12年1月に開催された第7回アドホック委員会において、1及び3を盛り込み、2を削除し、イギリス提案を少し修正した修正案を自ら提案し、その案が条約の最終案となっています。ただ、イギリス提案と日本政府の提案は、自己の参加が犯罪〔日本案〕もしくは組織犯罪集団の目的〔イギリス案〕の達成に寄与することを認識して組織的な犯罪集団のその他の活動に参加する行為の犯罪化を求めている点で共通しています。組織犯罪集団の目的は最終的には犯罪の遂行ですから、日本案とイギリス案の差異はそれほど大きくはありません。
法務省は、前記の2について、「別の類型の参加罪の規定を設ける点については、処罰の範囲が不当に狭くなるとして各国に受け入れられませんでした」と主張していますが、公開されている公電で報告されている公式協議の記録にはそのような記載は見当たらず、しかも、公電については以下に述べるような重大な疑義があり、国会で真剣な審議を行うためには、さらなる事実関係の解明が必要です。
2 第2回アドホック委員会会合について解明されるべき点
まず、日本政府が提案を行った第2回公式会合について国連越境組織犯罪防止条約第3条に関する重要な協議内容が明らかにされていません。
日本案が提案された第2回アドホック委員会の議事録は、大使から外務大臣に宛てた平成11年3月31日発信の公電に記載されていますが、最も肝心な部分が開示されていません。それは、前記の日本提案について、米国政府代表団らが評価を下している部分です。同公電本文13頁には米国等の代表団の反応として、「(伊、米)これは、サブパラ(a)及びサブパラ(b)(A)=参加罪=とどこが異なるのか明らかにされる必要がある」と記載された後8行にわたって、公開された会議の内容であるにもかかわらずマスキングされており、公開されていません。
マスキングされている部分には、日本の提案もイギリス提案も大差がないという趣旨の米国やイタリアの見解が示されていた可能性があります。そうだとすれば、日本政府が、なぜこのオプションを放棄して共謀罪の立法化を選択したのか説明がつかなくなってしまいます。この非開示部分を公開することも我が国の国内法化の選択の根拠を知る上で、不可欠なものであるといえます。
3 第7回アドホック委員会会合について解明されるべき点
次に、第7回会合において、日本政府による別の類型の参加罪の提案を撤回した公式・非公式協議の内容が非公開とされています。
日本が、前記2の提案を撤回した交渉の経過は全く公開されてません。日本政府代表団は、日本提案とイギリス提案との一本化のために、米国政府代表団らと非公式会合を持っています。この非公式会合の結果は、大使から外務大臣に宛てた平成12年2月16日発信の公電に詳細に記載されていますが、肝心な内容について書かれた部分11ページ分が非開示とされています。
政府は、米国以外のいかなる国と交渉したのか、米国らとの間での協議はいかなるものであったのか、それについて日本政府は代表団にいかなる指示を与えたのか、これらについて全て明らかにする必要があるのは言うまでもありません。これらについて一切明らかにならないまま、一方的に「処罰の範囲が不当に狭くなるとして受け入れられなかった」と説明をされても、直ちにそれの説明を受け入れることはできません。
また、日本政府は、第7回アドホック委員会において、日本政府代表団が前記2を撤回した案を提案した過程とそれに関する協議の内容についての公式会合の経緯を明らかにしていません。同会議の議事録は、大使から外務大臣に宛てた平成12年2月17日発信の公電には、わずか13行しか記載されていません。この点の詳細は、平成12年2月16日発信の公電に詳細に記載されていますが、2頁分の文書がマスキングされており、その内容は明らかとされていません。
また、フランス及びコロンビアから、「同案について十分に理解ができていない」として態度を留保する発言がなされ、日本と米国が議場外で説得し、留保を撤回したと公開された文書には報告されていますが、特にフランスがいかなる疑義を抱いていたのか、それに対して日本と米国がいかなる説得をしたのかについて全く明らかにされていません。
以上のとおり、法務省のホームページに10月16日に掲載された各文書の説明は、公式及び非公式での協議の経過を明らかにしないまま、その経過を説明するものですが、その説明が正確かどうかを検証することができないものとなっています。  
 
共謀罪(テロ等準備罪)法案の問題点

 

1 法案の内容
これまで共謀罪法案は2003、2004、2005年の3度国会に提出されましたが成立には至っていません。ここでは最後の政府提出案とその後の修正案、また近時の報道を前提に法案の内容を見ていきます。
1-1 2005年(平成17年)政府提出案
2005年(平成17年)第三次小泉内閣の時代に3度目の法案提出となった「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」において、共謀罪については以下のように規定されています。
(組織的な犯罪の共謀)
第六条の二
次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。
この条文によれば、共謀罪として処罰されるのは、
1. 4年以上の懲役・禁錮の犯罪が
2. その犯罪行為を実行するための組織により行われる場合に
3. その犯罪を実行しようという具体的・現実的な合意をすること
となります。しかし、2005年から2006年の国会継続審議の中で与党が修正案として提出した法案の最終形では下記のようになっています。
第六条の二
次の各号に掲げる罪に当たる行為で、組織的な犯罪集団の活動(組織的な犯罪集団(団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が死刑若しくは無期若しくは長期五年以上の懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪又は別表第一(第一号を除く。)に掲げる罪を実行することにある団体をいう。)の意思決定に基づく行為であって、その効果又はこれによる利益が当該組織的な犯罪集団に帰属するものをいう。)として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、その共謀をした者のいずれかによりその共謀に係る犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合において、当該各号に定める刑に処する。ただし、死刑又は無期若しくは長期五年以上の懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪に係るものについては、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減刑し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も 、前項と同様とする。
3 前二項の規定の適用に当たっては、思想及び良心の自由並びに結社の自由その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を不当に制限するようなことがあってはならず、かつ、労働組合その他の団体の正当な活動を制限するようなことがあってはならない。
この条文は、2005年提出の政府原案と比べて、下記の点が変更となっています。
1. 組織の定義について、一定の重大犯罪の実行を目的とするものに限定した。
2. 対象となる犯罪について、組織の意思決定に基づき、その効果・利益が組織に帰属するものに限定した。
3. 共謀罪成立には、共謀だけでなく、共謀者のいずれかが犯罪準備行為を行うことが必要とした。
この3回目の法案提出以降、何度か法案提出の動きがあったものの実際には提出されていません。この法案を原案としつつ、その後の政府与党内の検討を経て修正された法案が提出されるものと思います。
1-2 与党修正案の可能性
この記事を執筆している2017.1.17時点の報道によれば、政府自民党党は強い懸念(特に連立与党である公明党)に配慮し、上記法案の内容よりも犯罪構成要件を厳しくした内容に修正して法案提出する予定と報じられています。
条文を見ないとその実質はわかりませんが、下記のような修正が行われるようです。
1. 共謀罪成立の要件として具体的な準備行為を必要とする
2. 共謀罪の対象となる犯罪を原案の676から300程度に減らす  
2 問題点(論点)
2-1 共謀罪新設の必要性(立法事実)はあるのか
立法事実とは、その法律を制定する根拠となる事実であり、その法律の合理性を支える社会的、経済的、政治的、科学的事実です。
もう少し簡単な言い方をすると、その法律が必要とされる理由となるような事実、そしてその法律の目的や手段が正当で合理的なものだと言える理由になるような事実のことです。
共謀罪(テロ等準備罪)を新設する組織犯罪処罰法改正案について言えば、テロ犯罪が発生する具体的な危険があること、また、それが認められたとしてテロ犯罪の具体的な危険に現行法では十分対処できず共謀罪(テロ等準備罪)新設が必要であること、あるいは、その他特別な事情(国際関係等)により共謀罪(テロ等準備罪)新設が必要不可欠であること等です。
また、法改正の必要性が認められたとしても、その法改正の内容がその必要性・目的に照らして必要最低限の合理的なものになっているかも問題になります。
2-1-1.テロ対策の必要性
1 テロの不安
諸外国で頻発するテロ事件に関する報道を日々目にすれば、日本においてもテロ犯罪対策は必要だと感じるのは当然だと思います。また、国際テロ組織が日本を敵として認定したことや、日本で過去に起きた地下鉄サリン事件の例を想起すれば、日本がテロ犯罪に無縁ではないと考えるのも無理はないことです。
こした不安からすれば、2020年のオリンピック・パラリンピック開催との関係でテロ対策の必要性を主張する安倍首相の言葉に同意する人たちもいるでしょう。
安倍晋三首相は十日、共同通信社との単独インタビューに応じ、政府が通常国会に提出する方針を固めた「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案に関し、成立させなければテロ対策で各国と連携する国際組織犯罪防止条約が締結されず「二○二○年東京五輪・パラリンピックが開催できない」と指摘。2017.1.11付東京新聞紙面より
しかしながらまず、以前よりも日本国内でテロが起きる現実的危険性が高まっているのかどうかについて、慎重に検討する必要があります。諸外国でテロが頻発しているから、日本国内でもテロが起きる可能性は高いだろうという抽象的な推測だけでは、国民の権利を制限する法改正の基礎となる立法事実とは言えません。現実にその危険性が高まっていることを示す事実が必要です。
これについては、少なくとも議論の際に問題となるようないわゆるテロ行為が行われた事実や、その計画が発覚したというような事実は、私の知る限りではありません。もちろん、国際情勢と無関係に考えることも出来ませんが、かといって諸外国でテロが頻発しているからというだけでは国内法の立法事実には足りません。具体的な国内におけるテロの危険性の「現実的」危険性を改正を推進する側が証明しなければなりませんが、それについて明確な説明はまだされているとは言えません。
今後の国会での議論・答弁を見ていくしかないでしょうが、現在のところは共謀罪(テロ等準備罪)の必要性の基礎となるようなテロの現実的危険性は無いように思えます。実際、これまでの法務省の説明においても、このようなテロの危険を前提にした立法の必要性はほとんど説明されず、後程述べる条約との関係での必要性のみが強調されてきたように思います。
2 現行法でテロ対策は不十分なのか
さらに、仮にテロの現実的危険性が高まっているとして(あくまでも仮定ですが)、共謀罪(テロ等準備罪)が存在しない現在の日本は、テロ対策が不十分なのでしょうか。
現行法も既遂→未遂→予備→共謀と法益の重要性に応じて処罰規定を用意している
日本の刑法は、原則として法益侵害(法によって保護される利益、例えば生命・身体・財産等への侵害)が生じて(既遂)初めて犯罪が成立することを原則としています(原則として既遂処罰)。しかし、共謀罪(テロ等準備罪)新設が必要だとする立場からは、テロによって重大な結果が生じる前に摘発・処罰できなければ実効あるテロ対策は行えないということなのでしょう。
一方、日本の刑法には既遂犯処罰の例外として、法益侵害の結果が発生していなくても、その犯罪行為にとりかかり(実行の着手)があれば、法益侵害の危険性を発生させたとして処罰できる未遂犯処罰の規定があります。結果が発生する前に摘発しても一定の行為があれば摘発・処罰できます。例えば、殺人罪、放火罪、往来危険罪等をはじめとした多くの犯罪に未遂処罰の規定があります*2。しかし、テロ対策を強調する立場からすれば、それでもまだ足りない、ということなのでしょうね。実行の着手があってから摘発するのでは間に合わないと。とすれば、テロ犯罪として重大な法益侵害をもたらすような犯罪については、実行の着手がある前、つまり犯罪の準備段階でも摘発・処罰できるような法整備が必要だという主張につながります。
ところが、日本の刑法では、既遂・未遂処罰以外に、一定の重罪についてはその犯罪の準備を行う「予備」を例外的に処罰しています。例えば殺人予備罪、放火予備罪、内乱予備罪等です*3。これらは犯罪の実行に至らなくても、犯罪の予備行為を直接処罰できるものです。多くのテロ犯罪の準備行為は、殺人予備罪や放火予備罪によっても摘発・処罰は可能です。
もちろん、予備罪の成立には、その犯罪を犯す目的とともに、犯罪の実行に実質的に役に立つ準備行為が必要なので、共謀罪(テロ等準備罪)新設を主張する立場からは、それではダメなのだ、行為がなくても罰することが出来なければ足りないのだ、という主張が聞こえてきそうです。ただ、先ほど見たように、政府与党は共謀罪(テロ等準備罪)法案成立のために、「共謀罪成立の要件として具体的な準備行為を必要とする」という法案の修正を行うと報道されています。とすれば、予備罪で対応できる内容と実質的には変わらないのではないでしょうか。逆にそうではないとすると、要件追加される「具体的な準備行為」には大きな意味はないことを自白するようなものです。
また、具体的な準備行為を必要とせず「共謀」のみで成立する犯罪が現行刑法にもあります。特別重大な法益侵害の危険性のある犯罪行為については「共謀」そのものを犯罪として処罰する、という考えです。具体的には内乱陰謀罪(78条)、外患陰謀罪(88条)、私戦陰謀罪(93条)です。
現行刑法では、原則既遂を処罰、例外的に未遂を処罰、さらにより例外として予備を処罰、そして本当に特別な場合にのみ共謀を処罰するものとしており、それらの違いは各犯罪によって侵害される法益の重要性や大きさ等を主な基準としているのです。
しかし、共謀罪(テロ等準備罪)法案においては当初、600を超える犯罪について「共謀」を犯罪として処罰するものとして一気に範囲を拡大しようとしています。現時点(2017.1.17)の報道では、政府与党は対象犯罪を300程度まで減らす方向で調整中とのことですが、それでも今までの刑法のあり方からすれば、相当な範囲の拡大です。テロ犯罪対策として抑止・検挙・処罰すべきなのは、我々がテロという言葉で思い浮かぶような無差別殺人、大量殺人であり、直接これらと関係のない犯罪にまで拡大する必要はないはずではないでしょうか。
銃刀法、さらには共謀共同正犯理論によっても準備に参加した者を処罰できる
また、日本は銃砲刀剣類所持等取締法という銃砲や刀剣の所持を厳しく取り締まる法律があり、実際も諸外国に比べて厳しい運用が行われているのは周知の事実です。これによっていわゆる実際の殺人等の実行行為にいたらない、いわゆるテロ行為の準備行為を取り締まることも十分可能です。
加えて、刑法には明確な規定はないものの、判例によって共謀共同正犯理論が確立されており*4、これによれば共謀に参加しただけで直接実行行為を行っていない者の処罰も実際に行われています。
テロ防止に関連する国際条約で国内法上の犯罪を規定
さらに、テロ防止に関連して13の国際条約を締結し*5、そのうち1つを除きすべての条約を批准して、条約上の行為を国内法上の犯罪として規定しています。これらの犯罪の中には未遂以前の段階で処罰可能なものが含まれており、テロ対策として、実行行為に至る前の準備段階で摘発・処罰できる体制があります。
これほどに、重大犯罪や国際テロ犯罪について、実行行為に至る前の準備段階でも摘発・処罰できる法がある現状であり、加えて近年においていわゆるテロ犯罪やテロ犯罪の準備段階について摘発された例は私の知る限りありません。これまでの法体制で対応できないような現実が我々の前に存在すると言える状況ではない、と私は思います。
2-1-2.国際組織犯罪防止条約第5条は立法事実となるのか
1.共謀罪を新設しないと条約が批准できないのか
国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国際組織犯罪防止条約(パレルモ条約))は、「重大な犯罪」について共謀罪を設けることなどを求めています。
第5条  組織的な犯罪集団への参加の犯罪化
1 締約国は、故意に行われた次の行為を犯罪とするため、必要な立法その他の措置をとる。
(a) 次の一方又は双方の行為(犯罪行為の未遂又は既遂に係る犯罪とは別個の犯罪とする。)
(i) 金銭的利益その他の物質的利益を得ることに直接又は間接に関連する目的のため重大な犯罪を行うことを一又は二以上の者と合意することであって、国内法上求められるときは、その合意の参加者の一人による当該合意の内容を推進するための行為を伴い又は組織的な犯罪集団が関与するもの
(ii) 組織的な犯罪集団の目的及び一般的な犯罪活動又は特定の犯罪を行う意図を認識しながら、次の活動に積極的に参加する個人の行為
a 組織的な犯罪集団の犯罪活動
b 組織的な犯罪集団のその他の活動(当該個人が、自己の参加が当該犯罪集団の目的の達成に寄与することを知っているときに限る。)
(以下略)
これを受けて政府与党は、共謀罪を設けなければこの条約5条の求める義務を充たせずこの条約を批准することができない、としています。安倍首相が先ほど引用した共同通信のインタビューで「成立させなければテロ対策で各国と連携する国際組織犯罪防止条約が締結されず」と言うのも同じ趣旨です。
ところで、法務省の説明などを読んでも、共謀罪(テロ等準備罪)の立法事実として政府与党が主張しているのは、テロの現実的危険性が高まっているという事柄ではなく、「この条約を批准しなければ国際的に批判され、批准するためには共謀罪新設が必要」ということが専ら言われています(前述したテロ発生の現実的危険性がないにも関わらず、テロ対策として共謀罪を新設しようとするその姿勢に強い疑問を感じますが、ここでは一旦置きます)。
しかし、政府与党が成立させようとしている共謀罪(テロ等準備罪)を国内で規定しなければ、本当にこの条約を批准することができないのでしょうか。
国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約第34条は、これに関する規定をしています。
第三十四条 条約の実施
1 締約国は、この条約に定める義務の履行を確保するため、自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置(立法上及び行政上の措置を含む。)をとる。(以下略)
つまり、日本は日本の法律の基本原則を逸脱するような措置をする必要はないのです。もし共謀罪(テロ等準備罪)が日本の刑法体系を逸脱したり矛盾したりするなら、条約批准のためにそのようなものを設ける必要はない、と条約は言っているのです。そして、後ほど述べる通り、共謀罪(テロ等準備罪)は日本の法律の基本原則に反します。
そもそも各国が行う条約の批准について、国連がその適否を審査するわけではなく、またこの条約上も締約国会議が審査するともされていません。つまり、各国が一方的に批准の意思表示をすれば足りるので、現状で批准の障害となるものはありません。この条約を批准していない先進国はごくわずかであり、批准しないと国際的に批判を受ける可能性はあります。しかし、批准できないのは国内に共謀罪がないからではなく、内閣が国会の承認を経て批准の意思表示を行わないからに過ぎません。
また、この国際組織犯罪防止条約以外の条約で、各国に立法措置を求めているにもかかわらず、日本はその立法措置を行わないまま条約を批准しているものすらあります。例えば、人種差別撤廃条約です。この条約は「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」「人種差別の扇動」等について処罰立法措置をとることを義務づけていますが、日本はこれを留保したまま条約を批准しています *6。ヘイトスピーチを処罰するような法律は日本にはありませんが、この条約を政府は批准しているのです。なぜ、国際組織犯罪防止条約についてだけ、共謀罪を成立させないと批准できない、と言い張っているのでしょうか。極めて疑問です。
2.諸外国の例
それでは、国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約を既に批准している他の国は、各国内で包括的な共謀罪の法整備を行っているのでしょうか。もしそうであれば、日本政府が共謀罪の新設を行わなければ条約を批准できないというプレッシャーを国際社会から受けていると言えなくもないかも知れません。
これについては、日弁連が調査をしています。それによれば、米国、ブラジル、モロッコ、エルサルバドル、アンゴラ、メキシコも、組織犯罪の関与する重大犯罪の全てについて共謀罪の対象としていないことを認めているそうです。特に米国においては、州刑法の中には共謀罪が極めて限定的で条約の要求する処罰範囲が確保されていないことを前提にしつつ、州での立法をせずに批准に際し留保(条約の特定の規定に関して自国についての適用を排除・変更する目的をもって行われる一方的宣言)を行っています。
3.国際組織犯罪防止条約はテロ対策ではない
そもそも、共謀罪(テロ等準備罪)新設の理由としている国際組織犯罪防止条約は、テロ対策を念頭に置いて成立した条約ではなく、マフィア等の国際組織犯罪への対処を目的としたものでした。条約の採択は2000年(平成12年)であり現在とは国際情勢が大きく異なります。アメリカで起きた9.11のテロ事件も2001年の出来事であり、条約採択後のことです。
条約の中身を見ても、犯罪収益の洗浄や司法妨害等についての対処が中心となっており、テロリズムに焦点は当てられてはいません。しかも、2020年東京でのオリンピック開催が決定したのは2013年で、それ以前に政府与党は共謀罪法案を3度国会に提出しています。そもそも、国内でのテロ対策という理由は共謀罪の立法事実としてはほとんど考慮されてこなかったのです。
にもかかわらず、その後の諸外国でのテロの蔓延や、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催にあたりテロ対策が重要だとして、この条約を引き合いに出すのは、あまりにもご都合主義です。
4.国民への欺瞞だけでなく国際社会への欺瞞でもある
政府は長年にわたり、共謀罪を新設しなければ国際組織犯罪防止条約を批准できない、としてほとんどの先進国が批准しているこの条約を批准しないできました。しかし、これまで見てきた通り、共謀罪新設なしに条約を批准することは可能であり、諸外国の例からも共謀罪がないことを理由に批准しないことには合理性はありません。他の条約においては留保の上批准をしているにもかかわらず、この条約だけ批准しないのは一貫性を欠いています。共謀罪新設の根拠としてきたこの条約に対する態度は、共謀罪新設という目的のために条約を利用しているのではないかという疑義すら感じます。
このような態度は日本国民を欺くのみならず、強力を求める国際社会への欺瞞ですらあると私には感じられます。
2-1-3.結論:立法事実の存在は疑わしい
このように見ていくと、
1. 日本国内においてこれまでになかった新たなテロの現実的危険性は確認できない。
2. 現行法においても重大犯罪の準備行為について摘発・処罰は十分可能。
3. 国際組織犯罪防止条約は包括的な共謀罪(テロ等準備罪)の新設なしに批准可能である。
ということから、共謀罪(テロ等準備罪)を新設する法改正を行うような立法事実はない、つまり法改正をする必要はないと考えられます。  
2-2 刑法の基本原則や憲法との関係
次に、共謀罪(テロ等準備罪)と刑法の基本原則や憲法との関係を検討します。
2-2-1.刑法の基本原則と憲法
1.内心を処罰する共謀罪(テロ等準備罪)
刑法は、処罰の対象を外部から客観的に認識できるような「行為」のみに限定し、何かを心の中で考えただけの場合それが例え「悪い」内心であっても処罰しないとしています。これは憲法19条で思想・良心の自由を絶対的に保障している日本国憲法の大原則が基礎にあります。
共謀は、二人以上の犯罪を行うという意思の合致ですが、それが共謀罪(テロ等準備罪)に該るかどうかを決めるのは、その合意の内容です。その合意の内容とは、人の内心にのみ存在するものである以上、共謀罪(テロ等準備罪)は内心そのものを処罰の対象とするものと言わざるを得ません。これは絶対的自由を保障する憲法19条の思想・良心の自由と真っ向から矛盾します。
2.危険性のない段階で処罰
また、先に見たように、刑法は既遂処罰を原則とし、例外として未遂を罰し、より例外的なものとして予備を罰し、非常に重大な法益に対するものについてだけ共謀を罰しています。これは、「悪い」内心が内心にとどまらず行為として表れた場合でも、それを直ちに罰するのではなく、法益侵害やその可能性がない限り罰しない、という刑法の姿勢を表しています。
なぜなら、刑罰を科するということは、人の自由・権利を強力に制限するものであるため、できるだけ必要最低限のものに限らなければならない、という「刑法の謙抑性」の考え方に基づいているものです。これは、フランス人権宣言の時代からある近代法の基本原理の一つです。より有り体に言えば、なんでもかんでも犯罪にすべきではなく、犯罪にしなくて済むものは犯罪にすべきではなく他の手段を使うべきだ、といったものでしょうか。
この考え方に基づいて、日本の刑法はきちんと法的侵害の度合い、危険性に応じて、既遂→未遂→予備→共謀といった順に原則→例外という体系をとって犯罪を規定しています。
しかし共謀罪(テロ等準備罪)はこの原則を無視して、一気に「共謀」を広く罰するように変更しようとしています。これは近代刑法の原則に真っ向から対立するものです。
3.要件を加えても問題は解決しない
過去の修正案と現時点での報道を踏まえると、当初「共謀」のみをもって犯罪が成立するように規定していた政府与党も、「共謀」だけではなく、「共謀者のいずれかが犯罪準備行為を行うこと」を要件に加えるものとしました。これで一見、内心のみを処罰するものとは異なると主張できるように見えます。
しかしこの犯罪準備行為は過去の法務省の説明によれば「犯罪の実行に向けた具体的な行為」とされているだけで、法益侵害の危険性との関連で設定される要件ではありません。つまり、要件として加えられる準備行為自体が持つ法益侵害の危険性は問わないといのが政府の見解です。一方で、刑法が例外的に罰する予備罪における予備行為については、法益侵害の危険性が高まったことを客観的に判断する必要があることは学説判例の蓄積によって確立しています。
つまり、準備行為が必要との修正がされたとしても、それは予備罪におけるような法益侵害の危険性が問題とならないことから、「共謀」があったとさえすれば、どのような行為でも「準備行為」だと認定されてしまう危険性があるのです。
結局のところ、「共謀」の中身との関係で何らかの行為を捉えれば共謀罪(テロ等準備罪)が成立するとされかねない曖昧な要件に過ぎず、このことからすれば、この要件を加えたところで「共謀」という人の内心にのみ存在するものを直接処罰しようとする共謀罪(テロ等準備罪)の本質は変わりません。
4.誰かが準備すれば処罰される可能性
政府与党案によれば、共謀があり、共謀者のいずれかが犯罪準備行為を行えば、共謀に加わった者は処罰されるものとしています。しかしながら、先にみたように「犯罪準備行為」は法益侵害の危険性が高まったかどうかと無関係な要件であり、何を行えばこれに該当するのかは曖昧です。
そのような中で、人の内心にある「共謀」に着目して検挙されたある人が、自分が認識していなかった「犯罪準備行為」をメンバーの誰かがしただけで、共謀罪として処罰されるのが政府与党案です。これによれば、たとえば30人のグループで何か相談があった中で、その中の1人の行った行為を「犯罪準備行為」と認定すれば、共謀罪となる可能性すらある、ということです。
共謀罪をテロ等準備罪と言い換えて、犯罪準備行為を要件に加えたとしても、「共謀」とされる話し合いに加わっただけで何らの準備行為に関わっていない人間からすれば、「準備罪」ではなく「共謀罪」そのものであり、内心そのものに着目してそれを処罰するものになってしまいます。
2-2-2.結論:法体系を揺るがし人権を侵害しかねない
日本の刑法が、予備罪ですら例外中の例外とし、共謀を罰するのは数個の犯罪に過ぎないとしているのは、近代刑法の原則や日本国憲法の保障する思想良心の自由をしっかりと踏まえた上でのことです。
これに対し、共謀罪(テロ等準備罪)は、現時点で政府与党が言うような準備行為の要件を加えたとしても、結局は法益侵害の危険性が高まったかどうかとは無関係な、内心そのものへの処罰という性質を免れないと思います。これでは日本の刑法の謙抑性、日本国憲法における思想・良心の自由をとは相容れないものとして許されないのではないかと思います。
そして、先に述べた国際組織犯罪防止条約第三十四条では「自国の国内法の基本原則に従って」とあるのですから、この条約を理由に共謀罪(テロ等準備罪)を新設する理由にはならないということも、ここで重ねて言えます。  
2-3 現実問題として全ての人に関係が生じそうな捜査の問題
2-3-1.監視、盗聴という捜査手法が正当化される
ここまでは、共謀罪(テロ等準備罪)が内心そのものを処罰するのと変わらないという点や、その成立要件が曖昧であることなどを書いてきましたが、それよりも最もこの法案が成立した場合に心配されるのは、共謀罪(テロ等準備罪)摘発のための捜査に関してです。
通常の犯罪捜査においては、何がしかの客観的な犯罪結果や、外から認識できる犯罪行為を追っていくことになります。それは例えば犯罪被害の状況であったり、犯罪現場に残された容疑者の痕跡(持ち物や足跡、指紋など)から、容疑者を追っていき特定していくという手法です。捜査官が追うのは、もちろん、証人や容疑者本人からの証言、自白等もありますが、その主なものは外から認識できる犯罪結果や犯罪行為等の証拠、つまり、客観的に痕跡が残るものです。
しかし、共謀罪(テロ等準備罪)は、共謀、つまり話し合いをして犯罪を実行することを合意したことそのものが犯罪となるので、その捜査の対象は話し合いそのものとなります。とすれば、捜査当局が「組織犯罪集団」との疑いを持つ集団に対しては、日常的に監視し、あるいは話し合い自体を盗聴しなければ、有効な捜査はできません。そしてまた、共謀の段階では、具体的な行為によって法益侵害の危険性は高まっていないので、共謀そのものを危険なものとして捜査対象とするしかないとも言えます。
とすれば、実際に危険があるかどうかもわからない段階で、捜査機関が「組織犯罪集団」との疑いをもちさえすれば、監視や盗聴が正当化される可能性が高いということです。
2-3-2.2016年刑事訴訟法改正による盗聴対象の拡大との関係
2016年に刑事訴訟法が改正される以前は、盗聴という捜査手法は、薬物、銃器、組織的殺人などいわゆる暴力団関係の組織犯罪4類型を対象とする捜査に限定されており、なおかつ、通信事業者の常時立ち会いが義務付けられていました。ところが昨年の改正によって、盗聴の対象となる犯罪は窃盗、詐欺、恐喝、逮捕監禁、傷害等の一般的な刑法犯を含む広い範囲にまで拡大されました。さらに、通信事業者の立ち合いも不要となっています。
この法改正自体、1999年に世論の反対に配慮して適用対象を限定せざるをえなかったものを、2016年になって解除したものと言え大きな問題がありますが、さらに、今回の共謀罪(テロ等準備罪)が成立すれば、より盗聴は蔓延ることになるでしょう。通常の犯罪の場合は、その犯罪に関わる嫌疑等との関連で盗聴の必要性等が少なくとも勘案されますが、共謀罪は共謀そのものが犯罪行為とされるため、盗聴の必要性は容易に認められてしまう可能性が高いからです。
2-3-3.司法取引制度との関係
また、同改正で成立したものの中に司法取引制度があります。これは、他人の犯罪の立証に協力する代わりに自分の罪の減免をしてもらうよう検察官と合意をするものです。
共謀罪(テロ等準備罪)はその性質上、話し合い内容を立証する場合に、共謀に参加したとされるものの証言は重要なものと扱われるでしょうが、司法取引制度と共謀罪(テロ等防止罪)の自首減免制度を悪用すれば、虚偽の密告と自白をすることで、誰かを共謀罪へと陥れることも不可能ではありません。一方で、このような場合に、冤罪にさらされる側は犯罪事実がないことの反証をすることは容易ではありません。
共謀罪(テロ等準備罪)と司法取引の組み合わせは、新たな冤罪の強力な温床となる可能性があると思います。  
2-4 一般人には関係ないという説明について
テロ等準備罪についての政府与党の説明の中に、「一般人は対象外」というものがあります。
政府が検討しているのはテロ等準備罪であり、従前の共謀罪とは別物だ。犯罪の主体を限定するなど(要件を絞っているため)一般の方々が対象になることはあり得ない
しかし、組織犯罪集団の構成員であるとか、犯罪予備・共謀をしたのだとか、そのような認定を当局からされるまでは誰もが「一般人」です。一方で、そのような認定を当局からされてしまえば、その途端に菅官房長官のいうような「一般人」ではなくなるわけです。
ここで大切なことは、当局の認定というのは裁判を経た有罪判決ではない、ということです。裁判手続きを経て有罪判決を受ける前に、テロ等準備罪の捜査の対象となるかどうかを認定するのは、主に警察当局であり、その認定は正式な裁判手続きではない多分に恣意が入る可能性のあるものです。
そもそも、テロ防止を目的としてテロ等準備罪を新設するのである以上、その対象は暴力団や暴力団の構成員ではありません。テロリストです。そして諸外国のテロ事件の例を見れば、テロリストは一般人と変わらぬ生活をしていることも多いです。そのようなテロリストをテロ等準備罪で摘発するためには、一般人にも広く嫌疑をかけるしか方法はありません。つまり、テロ等準備罪は本来、一般人を捜査の対象とすることを認めなければ意味のないものなのです。
誤った起訴がされても必ず無罪になる、冤罪は発生しない、という脳天気な裁判所への信頼を前提にしたとしても、先の述べたように、共謀罪(テロ等防止罪)は、捜査手法として監視と盗聴を広く求めるものです。もし、百歩譲って「一般人」が直接の捜査対象にならないとしても、監視・盗聴は犯罪事実だけを対象とするものではなく、多くの犯罪事実とはならない行動や会話をも対象とせざるを得ないものなので、「一般人」も警察当局からの監視を常に受けてしまう可能性もあります。
いずれにせよ、「一般人は対象外」という説明は欺瞞です。加えて、先に述べた刑訴法の改正を見てもわかるように、世論の反対が強い事項については、最初は小さく立法しておいて後で対象を拡大しなし崩し的に何でもできるようにする、というのは従前からの手法とも言えます。一度、法案が通過したら、それを廃止するのはおろか、拡大を止めることも難しくなるのは容易に想像できるはずです。 
3 まとめ
以上見てきたように、共謀罪(テロ等準備罪)については、テロ対策という観点からも必要性は非常に疑わしく、さらに、国際組織犯罪防止条約との関係でも新設の必要性はありません。
他方、共謀罪(テロ等準備罪)が新設されれば、現在聞こえているような修正を加味したとしても、日本国憲法の思想良心の自由や、刑法の基本原則と対立し、曖昧な要件の下で幅広い犯罪を成立させる可能性のある危険なものです。
そして何よりも、共謀罪(テロ等準備罪)の新設は、昨年の刑訴法改正とも相まって、国民生活に対して加速度的に盗聴による捜査が入り込んだり、冤罪を増やしてしまうような結果を招く危険性が非常に高いと思われます。
何よりも、立法に関しては、その立法の本来の目的、建前ではなく法案を何としても通過させたい勢力の思惑をよく理解する必要があります。それは主観的な思い込み、推測では足りませんが、法案の提出過程や修正過程を追って行けばわかるはずです。
この記事の中で、最初に修正前の政府案を上げたのは、この共謀罪(テロ等準備罪)の目的がどこにあるのかが良くわかるから、という意味もありました。再度ここに掲載します。
(組織的な犯罪の共謀)
第六条の二
次の各号に掲げる罪に当たる行為で、団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行を共謀した者は、当該各号に定める刑に処する。ただし、実行に着手する前に自首した者は、その刑を減軽し、又は免除する。
一 死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪 五年以下の懲役又は禁錮
二 長期四年以上十年以下の懲役又は禁錮の刑が定められている罪 二年以下の懲役又は禁錮
2 前項各号に掲げる罪に当たる行為で、第三条第二項に規定する目的で行われるものの遂行を共謀した者も、前項と同様とする。
ここには、共謀罪成立を願う側の望みが端的に表れています。彼らは、ほとんど対象を限定せずに、共謀罪が成立するものとしたかったのです。
それは、誰もかれもを犯罪で罰したいからとは限りません。犯罪そのものの成立よりも、「共謀が行われているのではないか」という嫌疑の下に広く捜査活動を行える根拠が欲しいのかも知れません。もちろん、いざとなれば立件できますが、そうでなくてもターゲットを決めれば、盗聴・監視を合法的に行えるような法的基礎を手に入れたい、その執念が、今この高い政権支持率の中で今結実しようとしているのです。
共謀罪(テロ等予備罪)の成立によって不当に人権を制約される可能性のあるのは、いわゆる左翼、労働組合、社会運動等に関与している人々だけではありません。あなたが右翼であれ、特別な政治的立場を自覚していない人であったとしても、もしこの法案が成立したなら、この2017年を日本社会が暗い方向へと向かった年として思い出すことになるかも知れません。
繰り返しますが、テロ対策という建前とは関係なく、この共謀罪(テロ等準備罪)は、政府当局がその気になりさえすれば国民の誰を監視対象にしても許されるとするものです。誰でもです。あなたがどんな政治的立場にあろうと、まっとうに暮らしていようとです。  
 
「共謀罪」は必要か

 

朝日新聞の2017年2月7日付朝刊に「「共謀罪」は必要か」と題して、平岡秀夫氏(弁護士、元法相)が反対、板橋功氏(公共政策調査会研究センター長)が賛成とそれぞれの立場から論じています。平岡氏の主張は、私も共謀罪に反対する立場だからということもありますが、非常に論理明快でわかりやすいものです。しかし、板橋氏の主張は、あまりに飛躍が大きすぎて、何故、「共謀罪」なのかということが全く伝わってきません。(板橋氏という方については、今回、この朝日新聞の記事で初めて知りました。何故、朝日新聞が賛成派としてこの板橋氏を選んだのかはよくわかりません。)
板橋氏の主張の骨子は次のとおりです。
1 「国際組織犯罪防止条約」はテロ防止のためテロ情報を得るために必要だ。しかし、この条約に加盟しただけではテロは防止できない。
2 この条約の締結にあたっては、共謀罪か組織犯罪参加罪のどちらかを制定しなければならない。共謀罪の方が権利侵害の度合いが少ない。
3 「テロ等準備罪」はいろいろと歯止めがあるので問題はないし、あっても国会で議論すれば足りる。
4 五輪はともかくISに日本は名指しされている。
国際組織犯罪防止条約締結のためには共謀罪が必要という論理は政府側からも出されていますが、そもそも関連性はありません。義務づけられているというのは政府の一方的な説明だけで、条約締結国においては共謀罪でなければならないというような認識はありません。
「「共謀罪」の口実 破たん」(赤旗新聞2017年1月26日)
「安倍晋三首相は参院本会議で25日、今国会で提出を狙う「共謀罪」(テロ等準備罪)法案について「テロを防ぐ『国際組織犯罪防止条約』を締結するため」と説明しながら、187カ国・地域が結んだ同条約によって「新たに国内法(共謀罪)を整備した国は、ノルウェー、ブルガリアがある」と述べ、2カ国しか示せませんでした。日本共産党の小池晃書記局長への答弁。 国際組織犯罪防止条約は2003年5月に国会が承認したものの、政府は「条約を実施するための国内法」がないとして締結していません。」
要は政府が勝手に条約を締結していないだけなのですが、その点はさておくとして、テロ防止のためには国際組織犯罪防止条約も共謀罪も必要だというのですが、この法律によって具体的にどのようにしてテロの発生が防止できるのかということが全く伝わってきません。政府答弁も同じなのですが、根本的に何故、この条約と法律によってテロが防止できるのかということが具体的な説明が一切、欠落しているというのが一番の大きな問題なのです。
こういった捜査方法によって端緒をつかみ、そして具体的な証拠を得て、この段階(共謀の準備行為)で逮捕するのだ、というものがありません。例として上げられている預金を引き出す、レンタカーを借りるが準備行為として上げられていますが、これをいかなる前提のもとに逮捕するのかということです。
しかも現行犯でなければ後日、預金を引き出した後、レンタカーを使った後に証拠をそろえて逮捕状の請求をすることになりますが、テロを防止するためには預金引出後の遠くない時期に逮捕ということができなければ共謀罪は必要ありません。要は普通にテロのための準備(爆弾の製造のための原材料の入手など)があれば当然、現行法でも逮捕できます。それ以前の段階、預金を引き出したり、移動のための車を借りれば準備だというのですが、捜査機関はどの段階で捜査を開始するのでしょうか。その方法は何ですか。たれ込みですか、それとも盗聴ですか。
ISに狙われていると言ってみても、安倍政権が米国に追随して集団的自衛権の行使だ、戦闘地域への海外派兵だなんてやっているから狙われているということを全く無視した立論は問題で、テロを防ぐため(だけではありません、「等」にはテロ以外のすべてが含まれます)にとにかく怪しい行為があれば捜査の対象としてしまうということに共謀罪の本質があるわけです。
米国トランプ大統領が中東など7カ国からの入国禁止の大統領令を出しましたが、その理由がテロリストの入国を阻止するというものですが、これがテロ防止には何の役にも立たないだけでなく、かえって反米感情を醸成していることは、今や誰の目からみても明らかなのですが、テロの発生を防止するためには何が必要なのかという視点が完全に欠落し、感情にまかせた政策を実施しているという状況です。トランプ氏の怖いところは本気でテロ防止に役立つと考えているところで、その点では安倍政権がテロを口実に使っているという点では180度違います。
あくまでテロは口実です。板橋氏の主張に全く説得力がないのはそのためです。今回は、「共謀罪」を内容をほとんど変えていないのに「テロ等準備罪」とあたかもテロ名目しているだけなのは、誰も承知していることです。 
 
共謀罪がなければ東京オリンピックは開催できない

 

それは共謀罪で「怪しい」というだけで国民をしょっ引くということ
安倍内閣は今年になってから、廃案になった共謀罪を再び国会に提出するとしています。しかも、共謀罪を「テロ等組織犯罪準備罪」という名称に変えるという悪質さです。「廃案になった共謀罪が「テロ等組織犯罪準備罪」で復活するという謀略 「偽称名:テロ準備罪」をよろしく」
さらにここにきて安倍総理はとんでもないことを言い出しています。何と共謀罪を成立させなければ東京オリンピックが開催できないというのです。共同通信のインタビューに答えています。
共謀罪では廃案になってしまったことから、通りのいい名称として「テロ等組織犯罪準備罪」などと命名しただけでなく、さらに安倍氏はその共謀罪がなければ東京オリンピックが開催できないなどという根拠もないことを言い出すのですから、酷すぎます。中身は変わっていないのに名称だけ変える手法は国民欺しのテクニックの1つですが、今回ばかりは多くのマスコミの報道が「共謀罪」を用いているのはまだ良心的です。
それにしてもオリンピックを開催するとテロの標的になるのですか。オリンピックはそんなに危険なものだったのですか。危険なオリンピック開催ではあるけれど、共謀罪が成立するとテロを100%、防ぐことができるんですか。その意味するところは結局、テロ対策の名の下に、「怪しい」ということになればどんどんと捜査当局がしょっ引く(逮捕)ということです。共謀罪は、その「怪しい」というレベルでしょっ引けるようにするところに意義があるということを安倍氏は表明しているのです。というよりも共謀罪がなければオリンピックが開催できないなどという発言自体が暴言で、その目的は共謀罪を導入したいが、テロ等組織犯罪準備罪という名称をつけて国民を誤魔化そうとしたのですが、なかなか誤魔化せない、それ故に、テロの危険があるなどと言わなければならなくなってしまったという程度のものなのです。
本当にオリンピックの開催がテロを呼び込むのだったら、オリンピックなんて危なくて開催しなくてもいいのです。
それにしてもよくもこれだけ恥ずかしいレベルの発言ができるものかと驚かされます。安倍氏のレベルの低い発言は今に始まったわけではありませんが、今回の発言もトップクラスです。ただ一番恐ろしいのは、その程度の発言が日本国内ではまかり通ってしまっていることです。
オリンピックも東京開催が決まったときはお祭り騒ぎで、オリンピック開催に反対などと言おうものなら国賊扱いでした。東京オリンピックは最初から利権がらみの金食い虫だったわけで、カネの問題もいつの間にか忘れ去られようとしています。「東京オリンピックに1兆8000億円が必要だとわかっていたら招致に賛成しましたか?」
今や3兆円にまで膨らんでしまったわけですが、当初は3000億円だったのですから10倍も膨らむという異様さです。始まりもいい加減でしたが、今なおオリンピックに浮かれているとしたら考え物です。 
 
今国会で大きな焦点「共謀罪」 賛成派・反対派の意見

 

20日から始まる国会で政府与党が成立を目指す、いわゆる“共謀罪“法案。共謀罪とは、テロや詐欺などの組織犯罪について“計画した段階“で罪に問うことのできるというものだ。
共謀罪が初めて国会で審議されたのは今から14年前、小泉政権の時代だ。その後3度にわたり法案をが提出されたものの、いずれも廃案に追い込まれた。当時、「サラリーマンが居酒屋で雑談しただけで犯罪につながると判断され、逮捕されるのではないか」と、国民からも強い懸念を抱かれたためだ。そこで今回、政府与党は「共謀罪」を「テロ等準備罪」に差し替えて、法案を提出することにしたのだ。
菅義偉官房長官は16日の会見で「現在政府が検討しているのはこのテロ等の準備行為があって初めて罰する、いわばテロ等の準備のための法案であって、従来の共謀罪とは全く違う」と語った。
政府は2020年の東京オリンピック・パラリンピックを控え、2000年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」を締結したい考えだ。この条約は重大犯罪の共謀を犯罪とすることを義務付けており、菅官房長官は「すでに187の国と地域が締結している。G7をみても締結していないのは日本だけ。国際社会と協調してテロを含む組織犯罪と戦うためにはこの条約を締結する必要が不可欠と考えている」としている。
これまでの法案では「共謀罪」の対象を「団体」としていたが、今回の「テロ等準備罪」では「組織的犯罪集団」と限定。犯罪計画を話し合うだけではなく、そのための資金をATMで引き出すなどの“準備行為”があって初めて罪に問うとしている。問題は、対象となる犯罪が「676」にも及び、テロ行為だけではなく強盗・傷害・公職選挙法に至るまで幅広いことだ。
与野党からの批判を受け、対象となる犯罪を「100」程度減らす方向で調整を進めているが、民進党の山井和則国対委員長が「やはり冤罪も含めて一般の人がそういう疑いをかけられるリスクが高まるのではないかとか、国民から非常に大きな不安が出ている」と話すなど、野党は反発姿勢を強めている。
賛否両論寄せられる“テロ等準備罪法“について、その必要性を強調するのは、テロ対策や危機管理などに詳しい公共政策調査会研究センター長の板橋功氏。国連に加盟している国のほとんどが国際組織犯罪防止条約を批准していることを挙げ、日本が共謀罪に関して後進国だと指摘。また、ISが日本を名指ししていることなどからも、「テロなどの組織犯罪を防止するために日本も国際協調を取っていかないといけない」と話す。
一方で、日弁連共謀罪法案対策本部の海渡雄一弁護士は「条約を批准すべきという点に関しては同じ」としながらも「すでに日本では組織犯罪処罰法や暴対法があり、テロ対策の条約も批准している。爆発物や化学兵器についても予備段階で取り締まることができる法律も出来ている。これだけ広範な、600以上もの共謀罪を作る必要はないだろうと考えている」と指摘。
「実際の犯罪の実態に即した議論をすべきで、人身売買予備罪や組織的詐欺予備罪などではなく、懲役4年以上の刑を定める全ての犯罪について共謀の段階から処罰するというのはいくらなんでも行き過ぎではないか。国民が不安に思うような行為で未遂以前の段階が処罰できていないものがあるのかどうかという議論をすべきだと思う」とした。
すでに共謀罪に関する法制度が導入されている国ではどのようなことが起こっているのだろうか。
ドイツでは共謀の危険のある者には盗聴による捜査が合法となっており、無関係な人の会話も盗聴される可能性から、プライバシー保護が問題となっている。また、アメリカではテロ被害者向けローンを詐取しようとした弁護士が罪の軽減を目的に嘘の証言をした事件で、テロ被害者まで共謀罪で逮捕、実刑判決受けたケースもある。こうしたことから、日本でも無実の一般人の生活が影響を受ける可能性もあるのが共謀罪との批判が高まっているのだ。
これについては板橋氏も「テロ対策や組織犯罪対策の法律は大体が人権やプライバシーだとかを制限するもの。自由や安全というもののバランスを考えながらやっていかないといけない。国民の理解を得られるように議論していく。そこに歯止めが必要ならそこに対しても議論して歯止めをかけていく。居酒屋談義もできないような可能性があるならば排除しなければいけない」と話す。
海渡氏は「メールのやり取りだけで成立、犯罪として“終わり“になっていて、逃れるためには密告するしかない。犯罪は無くならない。日本人の国民性には合わない」とした。
今国会でどのような議論がなされていくのか、国民一人一人が見守る必要がある。  
 
「共謀罪」Q&A 

 

Q1.「共謀罪」を新設する理由は何ですか。
国際的な犯罪組織によるテロ事件、薬物密輸入事件、女性や子供の人身売買事件、集団密航事件が多発しています。これらの組織的犯罪集団の犯罪を防止し、市民の生命、身体、自由を護るために、2000年11月、国連において「国際組織犯罪防止条約」が採択されました。
日本は、2003年5月に、自民・公明・民主・共産の賛成で、国会で承認されました。この条約の中に「共謀罪」を新設することが義務付けられているのです。
日本も、国際社会の一員として、この条約を早期に締結して、国際社会と協力して国際的組織犯罪を防止しなければならないと思います。
Q2.各国の条約の締結状況は、どのようになっていますか。
現在の締結国数は、121カ国となっており、未加盟国はキューバ、北朝鮮、イラン、イラクなどです。
G8諸国の締結状況は、次のとおりです。
アメリカ  締結済み(H17.11)
イギリス  締結済み(H18.2)
フランス  締結済み(H14.10)
カナダ   締結済み(H14.5)
ロシア   締結済み(H16.5)
ドイツ   議会承認済み(国内手続を終了し、近く締結の予定)
イタリア  議会承認済み(国内手続を終了し、近く締結の予定)
G8諸国で国内手続すらも終了していない国は日本のみということになりました。組織的犯罪の防止という国際社会の責務を果たすために、一日も早く条約を締結すべきだと考えています。
Q3.この条約を締結しなかったら日本はどのような不利益を受けるのですか。
国際的な組織犯罪から、我が国の国民を守ることが出来なくなります。具体的には、外国から共謀罪についての捜査共助や犯罪人引き渡しの要請があった場合に、法案の共謀罪が新設されていれば、外国からの要請に応じて捜査共助や犯罪人の引き渡しを行い、国際社会と協力して組織的な犯罪の防止に取り組むことが出来るようになります。
このように、共謀罪を含む本条約が締結されない場合、組織的な犯罪を防止しようという国際的なネットワークから日本が脱落し、組織的犯罪の大きな“抜け穴”となりかねません。
Q4.共謀罪の新設について、不安や批判がありますが、どのような理由によるものでしょうか。
政府の法案では、すべての「団体」が共謀罪の対象となると解釈される余地がありました。そのため、健全な活動をしている民間の会社や労働組合、NPOなどの市民団体の活動も共謀罪の対象となり処罰されるのではないかとの不安が広がりました。
又、共謀罪は、犯罪実行の意思の合意だけで成立し、外形的な行為は必要とされません。そのため、単なる“目くばせ”や“ウィンク”などでも共謀罪が成立することになり、捜査当局の乱用を許すことにならないかとの批判がなされました。
Q5.公明党は、共謀罪の新設に賛成と聞いていますが、これらの国民の不安や批判に対してどのように考えているのですか。
Q4の不安や批判は、公明党としても全く「そのとおり」と考えます。
そこで私達は、国民の皆様の不安や批判を解消するために、政府の法案を次のように修正し、与党案として提出しました。修正の第一は、共謀罪の対象となる「団体」を「組織的な犯罪集団」に限ることを条文上明らかにしました。これによって、一般の会社や労働組合やNPOなどの市民団体が共謀罪の対象とならないことが明確になりました。修正の第二は、共謀罪として処罰するためには、単に「合意」だけではなく「犯罪の実行に必要な準備その他の行為が行われた場合」(オーバートアクト)を要件としました。即ち、単に共謀をしただけの段階にとどまる場合には処罰をすることができず、更に進んで実行に向けた外部的な行為が行われた場合にはじめて処罰の対象とすることにしたのです。これによって、単なる“目くばせ”や“ウィンク”では処罰することはできず、又、捜査当局による恣意的な捜査の乱用も防げるものと思っています。
Q6.組織的犯罪集団について、共謀罪を新設する必要性を説明して下さい。
組織的犯罪集団によって犯罪の実行が決定された場合には、単独で犯罪実行の決意をした場合に比べて犯罪実行の可能性が格段に高いと言えます。従って、組織的犯罪集団の犯罪から国民の生命、身体、自由、財産を未然に防止するためには、犯罪の実行を待つまでもなく「共謀」の段階で処罰する必要があります。
Q7.組織的犯罪集団とは、どのような団体ですか。
テロ集団・暴力団・振り込め詐欺集団などが考えられます。
Q8.オーバート・アクトについて説明をして下さい。
与党修正案の「実行に必要な準備その他の行為」とは、一般的には次の要件が必要となると考えています。即ち
1 共謀が成立した後の
2 共謀の段階を超えた(共謀する行為とは別の)
3 犯罪の実行のために「必要な準備行為」又は「これに準じるような行為」
を考えています。
具体的には、例えば「ある場所にレンタカーで赴き、そこで凶器を用いて殺人を実行する」という共謀がなされた場合、犯行現場の下見をする行為、凶器を購入する行為、犯行現場に赴く行為などは「実行に必要な準備その他の行為」に該当し得ると考えられます。また、共謀がなされた後、犯行現場の下見をするために共犯者との集合場所に赴くためのレンタカーを予約する行為なども同様に「実行に必要な準備その他の行為」に該当し得ると考えられます。
Q9.現行刑法では共謀罪は例外的なケースとして認められています。
しかし、共謀罪が新設されて615個もの罪に適用されるとすると、原則と例外が逆になってしまうのではないでしょうか。
御指摘の通り、犯罪は「実行の意思」と「実行行為」があってはじめて成立するというのが原則です。しかし、共謀罪は犯罪実行の合意だけで成立し、実行行為は必要とされません。現行刑法でも、内乱罪や外患罪などの重大な犯罪について例外的に共謀罪が認められています。
新設された共謀罪が615個の罪に適用されることになると、原則と例外が逆転するのではないかとの疑問は、もっともだと思います。しかし共謀罪の対象となる団体を組織的犯罪集団に限定し、一般の国民や団体はその対象とならないこととしています。従って、新設される共謀罪は「組織的犯罪集団に限って例外的に適用される犯罪」と言うことが出来ると思います。
Q10.民主党は共謀罪の新設に賛成なのでしょうか
民主党も賛成です。
Q11.民主党も修正案を提出したと聞いていますが、与党案とどこが違うのでしょうか。
基本的には、与党修正案と同じく、共謀罪の対象となる犯罪をできるだけ限定しようと努力されています。しかし、与党修正案の「団体性の限定」と「オーバートアクト」の外に、次の二つの要件を要求しているところに根本的な違いがあります。その一つは、共謀罪の対象となる犯罪を「長期5年を超える懲役若しくは禁錮の刑が定められている罪」としている点です。この点、政府案では「長期四年以上の懲役又は禁錮の刑が定められている罪」とされています。民主党はこの「長期5年超」の要件を追加することによって、共謀罪の対象犯罪の数を政府案の615個から300個に減らすことが出来るとしています。二つ目は、「国際性」即ち、2つ以上の国にまたがる犯罪であることを要件としています。従って、例えば日本国内で犯罪を実行することを共謀しただけでは、共謀罪は成立しないことになります。
Q12.民主党案の「長期五年超の罪」や、「国際性」を要件とすることは、条約に違反するのでしょうか。
「長期5年超の罪」や「国際性」を共謀罪の成立要件とすることは「国際組織犯罪防止条約」に違反します。従って、もしも、この要件を付加したならば、日本はこの条約を締結することが出来なくなってしまいます。
それでは、この点について、条約に従ってもう少し具体的に説明したいと思います。
<長期5年超の罪> について
条約では、共謀罪の対象となる「重大な犯罪」とは「長期4年以上の自由を剥奪する刑」と規定されています。従って、「長期5年超の罪」を要件とすることは、明確に条約に違反することになります。又、「長期5年超の罪」とした場合には「長期5年以下の罪」が共謀罪の対象から外れることになってしまい、暴力団などによって行われる次のような典型的な組織犯罪が適用対象から外れてしまうという、不当な結果となります。
・賭博場開帳等図利 ・人身買受け ・児童売春周旋
・ヤミ金融業者の高金利の契約 ・集団密航者を入国等させる行為
・組織的な常習賭博 ・向精神薬の輸入等 ・臓器売買等
<国際性> について
条約では「国際的な性質・・・とは関係なく定める」と規定されています。従って、「国際性」を要件とすることは、この条件に明確に違反することになります。
Q13.条約を締結した121カ国の中で「長期5年超の罪」や「国際性」を要件としている国はあるのでしょうか。
ありません。日本だけがこの要件を付加した場合には、国際社会からの批判を免れないと思います。
Q14.共謀罪はとても恐ろしい法律だと思っていましたが、国民の生命、身体、自由、財産を犯罪集団から守るための法律だと言うことがよくわかりました。
しかし、まだまだ私のように誤解しておられる方が多いと思います。政府はこの法律の内容について、もっと国民に理解をしてもらうように努力をすべきだと思いますが、いかがですか。そのとおりです。共謀罪は、国民を弾圧するための法律ではなく、組織的犯罪集団の犯行から国民の権利を守るための法律だということを御理解いただいて、大変嬉しく思います。
どんなに良い内容の法律であっても、国民の皆様の御理解がなくては成立しません。政府も私達与党議員も、もっともっと十分に説明をし、国民の皆様の不安や疑問を解消してゆく努力が必要だと思います。 
 
「共謀罪」論議で浮き彫りになった矛盾

 

衆議院予算委員会、参議院予算委員会を舞台に「共謀罪」(政府呼称は「テロ等準備罪」)に関する集中した質疑が行なわれています。この国会での「重要法案」と言われながらも、金田勝年法務大臣が答弁に窮することも多く、時に安倍首相が援護・弁明にまわる場面が見られる等、「共謀罪はなぜ過去3回廃案になったのか」(2017年1月21日)を踏まえて準備を重ねてきたようにはまるで見えません。
法案審議始まる前なのに・・・"共謀罪"で法相不安な答弁(2017年2月2日)
2日の衆議院予算委員会は、金田法務大臣を巡って紛糾しました。
「過去に提出した(法案)は(対象となる犯罪に)過大なものを求めていたのではないか」(民進党 緒方林太郎 議員)
政府が今の国会に提出する方針の「テロ等準備罪」を新設する法案。過去3回提出された、いわゆる「共謀罪」法案より、今回は対象とする犯罪の数を絞るという政府の方針に対し、これまで対象を拡大しすぎていたのかと追及する緒方議員。しかし、金田法務大臣は・・・
「当時の経緯を、突然の質問で承知はしていません」(金田勝年 法相)
昔のことは分からないと答弁した金田大臣。最後は安倍総理が答弁に立ち、事態を収束させました。
「当時の経緯を承知していません」と法務大臣が予算委員会で答弁することに驚きましたが、金田大臣が組織的犯罪防止条約(TOC条約)と共謀罪との関わりや、過去の立法過程と国会審議上の問題点を問われて、何ひとつ的確に答えられない事情を正直に告白した場面でした。連日、共謀罪をめぐる国会論戦が続いていますが、2月6日の日本経済新聞社説が一石を投じました。
「共謀罪」は十分な説明なしには進まない(2017年2月6日)・日本経済新聞
2020年の東京五輪対策やテロ防止を過度に強調したり、条約上絞り込めないと明言していた600超の対象犯罪を半数程度に削る姿勢を見せたり、政府側の対応はあいまいで二転三転している。
イメージの悪さを払拭する必要からか、「共謀罪とはまったく違う」「発想を変えた新たな法律だ」との説明も聞かれた。だが共謀罪とまったく違うなら肝心の条約が締結できなくなってしまう。こうなると一体何を目指しているのかさえよく分からない。
犯罪の共謀を罰する規定は、現行制度でもすでに爆発物取締罰則や国家公務員法などに13あるという。問題は共謀罪を新たに設けるということより、条約に便乗するような形で幅広く網をかけようとしてきた政府側の姿勢であることを指摘しておきたい。
各国が一致して組織犯罪を封じ込めていくという条約の意義は大きい。これに加わらないと、外国との容疑者引き渡しが滞るなど不利益があることも理解できる。
ただ条約の重点は本来、資金洗浄や人身取引などの組織犯罪に置かれている。もちろんテロも組織犯罪の一つで、同じような対策が有効だが、「テロのため」だけを強調すると本質からずれてしまわないだろうか。
一部を引用しましたが、「共謀罪とはまったく違う」と言うのなら、そもそも条約締結ができなくなってしまうという指摘は、『「オルタナティブ・ファクト」と「共謀罪と呼ばないトリック」』 (2017年1月31日)を書きながら、私も感じていたことです。法案の国会提出前から浮き彫りになってきた議論に苛立ったのか、法務省は報道各社に異例の文書を配布しました。
法務省、共謀罪は「提出後に議論を」=異例の見解、民進反発
法務省は6日、「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案に関し、「国会に提出した後、所管の法務委員会においてしっかりと議論を重ねていくべきものと考える」とする異例の見解を文書で発表した。民進党は国会での質問を封じようとする動きとして強く反発、金田勝年法相に撤回と謝罪を求めた。
見解は「法案は現在検討中で、与党協議も了していない」と指摘し、「成案を得た後に充実した議論を行うことが審議の実を高め、国民の利益にもかなう」とした。
これに対し、民進党の山井和則国対委員長は記者団に「質問封じだ。国会で答弁できないことを棚に上げて、質問をやめてくれというのは前代未聞だ」と述べ、法相を批判。「辞任要求をせざるを得ないかもしれない」と言及した。
国会論戦の歴史の中でも、たしかに「前代未聞」の出来事です。今回の予算委員会での論戦は、法案は未提出とはいえ、「過去3回も廃案となった法案」を「手直し」をして、組織的犯罪防止条約批准をめざした国内法として整備するというものです。「影も形ない」どころか、すでに過去の国会審議によって、重要な論点は十二分に確認されています。政府が重要法案と位置づけておきながら、いまだに「与党協議未了・法案作成中」であるからこそ、懸念の解明も含めた大きな議論になっているのです。
それを「法案について成案を得て国会に提出した後、所管の法務委員会において、しっかりと議論を重ねていくべきものと考える」(法務省)と記述した文書を報道各社に配布することで、暗に予算委員会の議論に注文をつけるという行為は、カジノ法案等のスピード審議に慣れきった政権下での「ゆるみ」と「おごり」を示してはいないでしょうか。
この「勘違い文書」だけではなくて、予算委員会の法務省の準備は、極めて稚拙で合理性を欠いていると指摘しておきたいと思います。その典型例が、共謀罪をめぐる国会での議論で政府側が裁判例としてあげた昭和42年6月5日の「東京高裁判決」についてだと感じています。
共謀罪の審議優先 「成人18歳」の民法改正案は見送り(2017年1月27日)・東京新聞
政府が「共謀罪」と同じ趣旨で創設を目指す「テロ等準備罪」を巡り、二十六日の衆院予算委員会では、ハイジャックテロを具体例に共謀罪の本質を問う議論が交わされた。安倍晋三首相は、テロを計画した十人のうち一人が航空券を予約すれば、残り九人もテロ等準備罪で「一網打尽にできる」と強調。民進党の山尾志桜里氏は、一人の行為で計画のみにかかわった残り九人全員が適用対象になり「本質は変わらず、共謀罪のままだ」と指摘した。
テロ等準備罪は、航空券を予約するという「準備行為」が処罰の条件に追加されている。首相は「テロ組織にはそれぞれ役割がある。予約する人もいれば、資金を調達する人もいる。予約したら『準備』とみなし、ほかの人を含め、一網打尽にできる。テロを未然に防げる」と力説した。
現行の法律でも武器の調達などの準備行為があれば予備罪として処罰できるが、首相は「実際に武器を持って現場に行こうとする段階でなければ捕まえられない場合がある。そこにちゃんとふたを閉めるのが、今回のテロ等準備罪だ」と必要性を説いた。
山尾志桜里議員に対して、安倍首相は「今までの判例であれば、例えば、もう実際に武器等を持っていよいよ現場に行こうとしている段階でなければ捕まえられないわけです」(1月26日衆議院予算委員会)と答弁しています。「航空機をハイジャックするために10人のうちの1人が航空券を購入する行為」をめぐる議論は、現行法の「航空機の強取等に処罰に関する法律」の予備罪の適用の可否について、参議院予算委員会に引き継がれました。
「裁判例では、『予備罪の予備とは、構成要件実現のための客観的な危険性という観点から見て、実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性が認められる程度の準備が整えられたことを要する』とされていて、空港に向かって出発する行為や、あるいは航空券を航空機強奪の目的で購入する行為がそのようなものに当たると認められない限り予備とは認められないものと承知しています」(福山哲郎議員に対する安倍総理の答弁・1月30日参議院予算委員会)
福山議員は刑法のコンメンタール(逐条解説書)3冊を引用して、「航空機の強取等の処罰に関する法律」で「航空券購入で予備罪を適用できる」と明記していると質問しています。
「先ほど申し上げた『42年の東京高裁判決』を、その後もそれを使いながら解釈をしている側面がありまして、空港に向かって出発する行為や航空券を航空機奪取の目的で購入する行為がこのようなものにあたると認められない限り、予備とは認められないものと承知をしております。(同 金田法務大臣の答弁)
昭和42年6月5日の東京高裁判決とは、「三無事件」(さんゆうじけん)と呼ばれるクーデター計画の共謀事件で、破壊活動防止法(政治目的殺人陰謀罪)が初めて適用され、一審で有罪判決が下された事件です。ここで言う「陰謀罪」は「共謀罪」はほぼ同一で、「陰謀あるいは、共謀というのは、ある犯罪を計画して実行しようとして具体的に相談すること」(2015年10月8日法務委員会大林宏刑事局長)と、かつての国会答弁でも示されています。
「単なる予備罪では適用のハードルが高いから共謀罪が必要だ」と力説するために、過去の事件から予備罪適用が認められなかった裁判例をわざわざ探してきたのが、この昭和42年東京高裁「三無(さんゆう)事件」判決です。しかし、事件内容を見ると、「共謀罪創設の必要性」を証明するものではありません。
この事件では、60年安保後の1961年12月から翌年2月にかけ、警視庁公安部による摘発で22人が逮捕され、18人が起訴されて、8人が有罪となっています。ヘルメット、防毒マスク、ライフル2丁、車両等を用意して、「クーデター計画」を謀議していたことで、破壊活動防止法が初適用されて「一網打尽」になり、陰謀罪で有罪となっています。包括的な共謀罪は存在しなくても、 「一網打尽」に逮捕・拘束した後に、破防法の陰謀罪(=共謀罪)で有罪としているのです。
検察は予備罪も成立すると主張しましたが、東京高裁は、実行行為着手前の行為が予備罪として処罰されるためには、「当該基本的構成要件に属する犯罪類型の種類、規模等に照らし、当該構成要件実現(実行の着手もふくめて)のための客観的な危険性という観点からみて、実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性の認められる程度の準備が整えられた場合たることを要する」と判示し、これを退けています。
昭和42年東京高裁判決を読むと、クーデター計画の謀議は存在したことを認めたものの、内容は綿密性を欠いて現実的ではなく計画実行が行なえるものではなく、「実質的に重要な準備がなされたとはいいがたい」として、重大犯罪とまでは認められないという判断でした。
したがって判決では、予備行為は「犯罪の具体的決意もしくは犯人2人以上の場合における犯罪の具体的合意の程度をこえ、実行着手に至るまでの間における実践的準備行為をいうものであることは異論を見ない」としています。「犯人2人以上の場合における犯罪の具体的合意」とは共謀のことですので、高裁の判示は共謀より進んだ行為に関するものなのです。
また、この判決は保護法益に言及しています。「予備行為の可罰性が認められるのは重大犯罪に限定されるべきだ」として、予備罪の成立にあたっては政府側が繰り返し引用した「実質的に重要な意義を持ち、客観的に相当の危険性の認められる程度の準備が整えられた場合たることを要する」という判断の枠組みを示しています。
さらに同判決は、「殺人用の毒物を購入すれば予備罪は成立するが、毒物と一緒に混ぜる砂糖をまず用意したからといって、予備罪は成立しない」という例示をしていますが、これはわかりやすく、ハイジャック犯が航空券を購入すれば準備行為であることは明らかであり、航空機強取等の処罰に関する法律(ハイジャック防止法)の予備罪で処罰することは可能なのです。
ちなみに「航空機強取等の処罰に関する法律」(昭和45年5月18日)は、「よど号ハイジャック事件」を機につくられた特別立法であり、「三無事件」の東京高裁判決(昭和42年6月5日)の時には存在していません。事件の摘発は1961年でしたから、時系列から考えても首を傾げてしまいます。
法務大臣のみならず、安倍首相にも再三答弁させた「昭和42年東京高裁の裁判例」を持ち出した法務省側の準備不足と稚拙さは、目を覆うばかりです。刑事法制を根幹から転換しようとする立法を手がけるには、あまりにずさんではないでしょうか。迷走は極まり、2月7日午前の衆議院予算委員会で法務大臣が前日の「共謀罪をめぐる文書」を撤回し、謝罪しています。
共謀罪めぐる文書撤回=「提出後に議論」は金田法相指示(2017年2月7日)
金田勝年法相は7日の衆院予算委員会で、「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を創設する組織犯罪処罰法改正案をめぐり、「提出後に法務委員会で議論すべきだ」とした文書を撤回すると表明した。同文書に対し、野党は「予算委員会での質問封じだ」と反発していた。
法相は答弁で、自ら文書の作成を指示したことを認めた。その上で「不適切であり、撤回し、おわびする」と述べた。
これに先立ち、法務省は衆院予算委理事会で、文書を撤回する方針を伝えた。
私たちが経験した、共謀罪をめぐる10年以上前の議論は、きちんと野党側の論者に共有されて、論点を浮き彫りにしています。今後の国会論戦に注目したいと思います。 
 
戦争法(安保法制)下の共謀罪
  なぜ、いま、「テロ等組織犯罪準備罪」なのか

 

1.共謀罪の概要
朝日新聞の報道(このブログの最後に転載)をもとに、新共謀罪法案の要点をまとめると下記の5点になる。
(1)「組織的犯罪集団に係る実行準備行為を伴う犯罪遂行の計画罪」
条文にはテロという文言はないが通称として「テロ等組織犯罪準備罪」を用いる。
(2)対象となる犯罪は、「4年以上の懲役・禁錮の罪」。罪種は600を超える。
(3)対象は「組織的犯罪集団」。「組織的犯罪集団」の認定は捜査当局が個別に行う。
(4)犯罪の「遂行を2人以上で計画した者」を処罰。計画をした誰かが、「犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の準備行為が行われたとき」という要件が必要。
(5)法案提出の理由
・越境組織犯罪条約(国際組織犯罪条約)
「国境を越える犯罪を防ぐため、00年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」がある。日本も署名し、国会は03年に承認したが、条約を締結するには共謀罪を含む国内法の整備が必要。」
・オリンピック警備
「 念頭にあるのは、4年後の東京五輪・パラリンピックだ。政権幹部の一人は「テロを防ぐためなら国民の理解を得られる。目の前に東京五輪を控えているのに、何もやらないわけにはいかない」とチャンスとみる。」
2.新共謀罪法案の問題点(日弁連)
上記のような新共謀罪について、日弁連は会長声明で以下のような批判を展開した。(声明はこのブログの最後に資料として掲載)
そもそもの大前提として、刑事法の基本は既、遂の行為を処罰するものであり、共謀罪はこの「刑事法体系の基本原則に矛盾し、基本的人権の保障と深刻な対立を引き起こすおそれが高い」とした。つまり、「話し合う」こと(実行そのものではなく、共謀や計画すること)は、言論・表現の自由という基本的人権によって保障されるものであって、これを実行行為と同等に扱って犯罪とするのは、基本的人権の侵害であると批判したのである。その上で、個々の論点について以下のように批判した。
対象となる犯罪がかつての共謀罪法案を大幅に上回るということ。2007年自由民主党小委員会案では、対象犯罪を約140から約200にまで絞り込んでいたが、提出予定新法案では、600以上の犯罪を対象に。また、民主党2006年修正案では、犯罪の予備行為だけでなく対象犯罪の越境性(国境を越えて実行される性格)を要件としたが、提出予定新法案は、越境性を要件としていない。
犯罪の「遂行を2人以上で計画した者」を処罰とし、旧共謀罪よりも要件を厳格にしているような印象を与えているが、「『計画』とはやはり『犯罪の合意』にほかならず、共謀を処罰するという法案の法的性質は何ら変わっていない。」ということ。また、「『組織的犯罪集団』を明確に定義することは困難」であり、「『準備行為』についても、例えばATMからの預金引き出しなど、予備罪・準備罪における予備・準備行為より前の段階の危険性の乏しい行為を幅広く含み得るものであり、その適用範囲が十分に限定されたと見ることはできない」と批判した。
越境組織犯罪条約(国際組織犯罪条約の批准にとって共謀罪は必須の国内法であるという旧共謀罪当時から政府が繰り返してきた主張について、日弁連は、条約は、経済的な組織犯罪を対象とするものであり、テロ対策とは本来無関係であると批判した。
こうした日弁連の批判は当然のことであり、私は特にこの批判につけ加えることはない。以下では、こうした法案の条文に即した共謀罪法案の批判とは視点を変えて、法執行の現状や司法の構造的な問題、そして民衆による抵抗権や民衆的な自由の観点から、法案がもたらすであろう問題に絞って、共謀罪の制定は絶対に許すべきではないことを述べておきたい。
3.捜査機関の捜査、逮捕・勾留の大幅な拡大
以下では日弁連の批判とは別の観点から、新共謀罪法案の問題について述べておく。
共謀罪が成立するとした場合、従来犯罪ではなかった多くの行為が犯罪とみなされることになる。とりわけ注目しなければならないのは、あらかじめ警察などが、実行行為がない段階から、複数人が刑法に抵触するかもしれない行為を相談していることを察知して監視するということができなければ、検挙に繋らないという点である。つまり警察などは、かなり早い段階から捜査(内偵)を実施することになるし、こうした活動を「共謀罪の疑い」とか「共謀罪犯罪を未然に防止するため」などとして公然と予算や人員の配置などの措置をとることができるようになる、ということである。たとえば、交通事故を未然に防ぐために安全運転のキャンペーンをやる。空き巣や盗難を防ぐための戸締りキャンペーンをやる。こうした「安全・安心」のキャンペーンに町内会などが動員される。現在でも「テロ犯罪を未然に防ぐため」と称したキャンペーンが展開されているが、こうしたことが共謀罪という従来は犯罪ではなかった行為(言論)を犯罪とすることで、どのようなことになるのだろうか。
原発反対運動で共謀罪が適用される?(ひとつの想定)
たとえば、原発の再稼動反対集会があったと仮定しよう。この集会で「再稼動を断固として阻止しょう!」という発言に皆が拍手喝采する。どうすれば再稼動を阻止できるか、可能な行動であれ「夢」のような不可能に近い話しであれ、あれこれの議論が自由になされるかもしれない。集会の最後に、「再稼動を阻止する闘いを貫く」という集会決議文が採択される。集会決議などは、実現可能かどうかは別にして、威勢のいい元気な内容になることもよくあることだ。
こうした「阻止」の主張を皆が集会で議論することは果して共謀だろうか?この集会を主催した団体は「組織的犯罪集団」だろうか?あるいは、この集会が「阻止」を決議したということは、この集会そのものが「犯罪の実行のための資金又は物品の取得その他の準備行為」といえるのだろうか。たぶん、この段階ではまだ「共謀」が成り立っているのかいないのか不明瞭に違いない。しかし、警察は、この集会で主張された原発再稼動「阻止」を文字通りその言葉通りに実行される可能性があり、これはれっきとした「テロ」だと判断したらどうなるだろうか?どのような行為が「テロ」なのかは警察が自由に判断できる。警察は、実際に「阻止」の行動をとるために計画を具体的に立て、必要な資金や物品などを調達するかもしれず、そうなれば共謀という立派はな犯罪になると考えて行動するだろう。共謀罪で検挙できるようなことになるかならないかを事前に判断するために、警察は捜査や監視の活動に着手することになるだろう。もし警察が、何らの具体的な行動もなされていない段階であっても、集会を監視し、将来実力で「再稼動阻止の行動に出る可能性がありうる」とみなし、この阻止行動の内容には、傷害罪とか逮捕・監禁罪とか建造物等損壊とか電子計算機損壊等業務妨害などいずれも懲役4年以上になりうる犯罪が含まれるかもしれないと判断するかもしれない。こうした可能性が少しでもあれば、警察は、実際に共謀罪での検挙を視野に入れて本格的に捜査することになるかもしれない。
こうして警察は、この集会の主催団体や参加者たちを監視して、共謀するかどうかを常時見張ることになる。「共謀」はコミュニケーションだから、会話や通信を見張り、共謀の「証拠」をつかまなければならない。共謀罪の捜査の基本は、人びとの行動を見張り、人間関係を把握し、相互の会話や通信の内容を把握して、検挙に必要な情報を収集するということだ。コミュニケーションを見張る有力な方法は盗聴捜査だろう。2裁判所に盗聴捜査の令状を請求することになるが、警察は例の集会の決議文を証拠として、共謀罪の容疑があるので盗聴捜査をしたいと裁判所に令状の発付を申請することになる。裁判所は、共謀罪を前提に、共謀罪がなかった時にはできなかった監視の捜査を認めることになるかもしれないし、本人の知らないうちに携帯のGPS機能を警察が利用する3、潜入捜査を行なうなどに着手するかもしれない。いずれにせよ、共謀罪で検挙するには、ターゲットになっている人びと(つまり私たちだが)に悟られてはならないから、秘密裡に監視することになる。
そして、ある日突然、この集会の主催者や集会参加者が何ひとつ具体的な実行行為もないのに、共謀罪で検挙されることになる。逮捕するためには逮捕状を裁判所に請求する必要がある。警察は私たちの通信の記録や会話の記録を提出して、共謀罪の「容疑がある」ということで逮捕状を請求できる。これまでは犯罪ではなかったから、単なる「相談」だけでは逮捕できなかったわけだが、共謀が犯罪となったために、裁判所は、共謀罪の容疑の可能性があれば逮捕状を発付する。マスコミは警察発表を鵜呑みにして、「原発テロ」などと報じるかもしれない。
逮捕された私たちは、話し合ったりメールでやりとりした記録を示されて、共謀の事実を白状するように迫られるかもしれない。原発のシステムをハッキングするとか、敷地に侵入して制御室を占拠するとか、所長を捕まえて吊るし上げようとか、….確かに話し合いはしたが、皆酒飲んで、Lineとか使って気炎を吐いていただけだと言っても、酒を飲んでの上でのヨタ話ということを証明するものは何もないし、実行するつもりはなかったということを証明できるものも何もない。唯一、話し合った威勢のいい内容だけが明確な「証拠」として残っている。
警察は23日私たちを勾留して取調べたが、その後、「起訴猶予」として釈放してしまう。裁判になれば、警察の捜査や逮捕が正当だったのかどうか、共謀罪の解釈や適用が妥当だったかどうかを裁判で争うこともできるのだが、起訴されることがなければ、警察の権力行使の妥当性はあいまいなままにされる。こうして、警察は、司法による判断を巧みに回避しながら、逮捕の特権をフルに利用して勾留と尋問を繰り返し、自らの裁量で法を解釈・適用し続けることが可能になる。
実は警察の思惑は、共謀罪の摘発そのものにあるのではなく、共謀罪を巧みに利用して、原発に反対する運動を弾圧しようとしたのかもしれない。共謀罪が成立したお陰で、警察はこれまでやれなかったような段階からターゲットを監視できるようになり、逮捕・勾留の権力とマスコミへの情報操作をフルに駆使して、運動を弾圧する道具として共謀罪を利用できるようになる。
あるいは、実際に実行行為のための作戦会議を行ない、そのための具体的な準備をしていたとしよう。こうした具体的な実行行為に必要な資材などの準備には加わらなかったとしても、この団体にカンパしたり、こうした実行行為のためにアイディアを提案したり、行動の意義づけを与えるような立場でアドバイスしたりした者たちもまた、共謀罪の容疑に問われる可能性がある。したがって、多かれ少なかれ「違法行為」を含むと疑われる何らかの具体的な行動を想起させるような発言したり、ネットで意見を述べるなどした者もまた、共謀罪の対象になりうる。どの範囲までを共謀罪の対象にするのかは、警察などの裁量ということになる。長期の勾留と過酷な取調べをし、マスコミが逮捕のキャンペーンを展開するが、裁判せずに「釈放」というこれまでの警察の弾圧手法が、共謀罪によってかなり広範囲に適用可能になる。
こうして、私たちは、どのような場合に共謀罪が適用されるかわからないから、逮捕・勾留を恐れて、カンパをしなくなり、発言や主張を抑制してしまうかもしれない。真面目な言論の自由だけでなく、冗談すら言えなくなり、活動を支える資金すら絶たれるかもしれない。
今のところ上に述べた共謀罪が成立した社会の物語はフィクションだが、警察が恣意的な法解釈によって正当な市民の運動や労動運動を弾圧する事例は今現在でも日常茶飯事で起きていることだ。この事態がより頻繁に容易に引き起されるようになる、これが共謀罪が成立した社会の姿だということである。
4.国会審議が全てではない
新共謀罪法案は通常国会に上程予定だという。法案反対運動は、戦術的にいえば国会の多数派でもある与党をどのように巻き込みつつ、法案の成立を断念させるかというところにあるが、現実の国会における与野党の駆け引きのなかで、廃案にすべき法案が、修正の上可決成立してしまう場合が少くない。共謀罪の危険性は、法の条文上の歯止めと思われる文言では阻止できない。法を実際に執行する警察などによる基本的人権侵害行為を合法的に許す手段になるところに最大の問題がある。廃案以外の選択肢はない法案である。しかし、こうした「法案」をめぐる国会での攻防では、上で述べたような法を巧妙に利用した警察などによる監視や捜査権限の合法的「濫用」がもたらす民衆的な自由の権利に対する深刻な抑圧と侵害を視野に入れた反対運動にはなりにくいという側面がある。というのも、法案の審議では、警察などの捜査機関は権力の濫用はしないという大前提を置いて議論されるからだ。未だ成立していない法律をどのように警察が行使するのかを議論するとしても、それは事実に沿った議論にはならず「想定問答」の域を出ないものにしかならない。
しかし、警察などが権力を最大限濫用しつつ反政府運動などを弾圧してきた(そして今もしている)事実は、運動の担い手たちによって繰返し指摘されてきた事実だが、この事実に切り込むことが国会の審議では極めて不十分である。したがって、反対運動にとって重要なことは、国会審議における法案の「条文」をめぐる解釈や「条文」の意味をめぐる議論を越えて、実際に、法を執行する権力(警察など)がとってきた権力の濫用そのものを問うことが必要であり、権力の濫用を完全に封じ込めるような根本的な警察や司法の制度変革の運動をどのように展開できるかが鍵となる。これは、戦前の治安立法が警察に与えた強大な権限への反省をふまえて、国会の議論ではなく、実際に民衆的な自由の行使としての様々な運動の場面で、自分達の言論・表現の自由を防衛するようなスタンスを、自分達の運動の現場で確立することだろうと思う。
5.最大の課題は、正義のためにやむをえず法を逸脱することをどのように考えるのか、にある。
法案反対運動のなかでは、往々にして、運動の側は常に憲法が保障する言論・表現の自由の権利に守られており、違法な行為は一切行なっていないのに、権力が法を濫用して不当な弾圧をしかけてくる、という前提がとられる。しかし、現在の状況は、こうした遵法精神を前提とするだけで運動が正当化されるという狭い世界に運動を閉じこめていいのかどうかが問われている。いやむしろ現実の運動は、警察や政府にとっては「違法」、わたしたちにとっては正当な権利行使、としてその判断・評価が別れる広範囲の「グレーゾーン」のなかで、民衆の抵抗権の確立のために戦ってきたのではないだろうか。
例えば、エドワード・スノーデンによる米国の国家機密の意図的な漏洩や、ジュリアン・アサンジやウィキリークスなどによる組織的な国家機密の開示運動は、いずれも違法行為である可能性が高い。彼らとその支援者の活動は、新共謀罪の適用もありうるような行為といえるかもしれない。彼らは敢て法を犯してでも、実現されるべき正義があると考えて行動し、この行動に賛同し支援する人びとが世界中にいるのだ。私たちは、彼らが違法な行為を行なったからという理由で、その行為を否定したり、法の範囲内で行動すべきだ、と主張すべきだろうか?私はそうは思わない。むしろ彼らの「違法」な行為によって、隠蔽されてきた国家の犯罪といってもいい行動が明かになったのではないだろうか。
例えば、2014年に台湾では、中国との間の自由貿易協定に反対して学生たちが国会を長期にわたって占拠するひまわり運動が起きた。ほぼ同じ頃、香港でも行政長官選挙などの民主化を要求して長期にわたって街頭を占拠する雨傘運動が起きた。それ以前に、米国の格差と金融資本の支配に反対して2011年にウォール街占拠運動が起きた。2010年から12年にかけて、チュニジア、エジプトなどからアラブに拡がった「アラブの春」と呼ばれる広場占拠と反政府デモが続発し、これらがギリシアにも波及してこれまでには全く想像できなかった左派「シリザ」が政権をとった。スペインでもウクライナでも反政府運動は、多かれ少なかれ「違法」な行為を内包しており、それが警察の介入を正当化してきたが、しかし、私は、こうした警察の介入を法と秩序を維持する上で正しく、法を逸脱した反政府運動が間違っているということにはならないと考えている。むしろ、法を執行する権力が、同時に合法・違法の判断を下す権限を独占し、法を口実に、民衆的な自由の権利を「犯罪化」しようとすることが世界中で起き、こうした法を隠れ蓑に民衆の権利を「犯罪化」するやりかたへの大きな抵抗運動が起きているということではないだろうか。
そして、日本も例外ではない。沖縄の辺野古や高江での米軍基地建設反対運動では多くの逮捕者を出している。阻止のための実力行使も行なわれている。私は、そのような行為を「言論」による闘いに限定すべきだとして否定すべきだとは思わない。あるいは、福島原発事故直後から5年にわたって経産省の敷地の一角を占拠してきた経産省テント広場は、政府や警察にすれば違法行為である。彼らの解釈によって違法とされたからといって、それを私たちもまた受け入れなければならないのだろうか?むしろ経産省前テントを強制的に撤去した政府の実力行使こそが言論・表現の自由を侵害する行為だと私は考える。
ここで想起したい古い事件が二つある。ひとつは、1930年代に起きたいわゆる「ゾルゲ・スパイ団事件」である。主犯格とされたリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実は、治安維持法、国防保安法などの罪に問われ、1941年に死刑判決を受けて処刑される。ゾルゲも尾崎も確信犯として「スパイ」を行なったことが明かになっており、権力のでっちあげ事件ではない。国家機密を敵に提供したのだから犯罪者として処罰されても仕方がないというべきなのか、それともたとえ犯罪とされることであっても、自らの思想や良心に沿って正義を貫くことが必要であって、彼らの行為にこそ正義があり、法には正義がない、と判断すべきなのか。私は後者の立場をとりたい。この観点からすると、スノーデンの事件はまさに現代のゾルゲ事件ともいえるものだ。ゾルゲグループはソ連に情報を提供したわけだが、スノーデンはどこか特定の国ではなく、グローバルな民衆の世界に情報を提供したという違いがあるだけで、ともに、国家による平和を毀損しようとする犯罪に立ち向かおうとしたことでは同じ質のものであったといえる。むしろ今の私たちにはゾルゲや尾崎、あるいはスノーデンに該当するような人物が不在であることの方が大きな痛手だとはいえないだろうか?
古い事件の二つ目は、1911年、明治天皇暗殺計画容疑で幸徳秋水ら12名が処刑された大逆事件である。この事件は、「明治天皇暗殺計画」であって、実行行為はない。幸徳はいわばイデオローグとして、暗殺に共謀したことが罪に問われたものだ。この事件は、現代の共謀罪が指し示す未来がどのようなことになるのかを示唆するものともいえる。まさに「話し合う」ことが罪になった典型的な事件である。幸徳の有名な『帝国主義論』では明治天皇を平和な君主として持ち上げたが、後に「日本政府が恐るるは、経済問題ではなく、非軍備、非君主主義に関する思想の伝播」であって、こうした思想は「自然に青年の頭脳を支配する」と考えるようになっていた。そして「爆弾のとぶと見てし初夢は 千代田の松の雪折れの首」というざれ歌も詠むが、これが警視庁のスパイによって察知されて「幸徳伝次郎不穏ノ作歌」として注視される。死刑判決を受けた後に獄中で書き続けて処刑後に出版された『基督抹殺論』では、キリストに仮託して天皇制の虚構を暴こうとしたと思われる議論を展開した。彼は実際には明治天皇暗殺計画には途中から関わりをもたなくなったにもかかわらず、弁明も転向もせずに処刑された。
歴史は繰り返さない。しかし、権力は過去の教訓や経験の蓄積から多くのことを学び、現状において利用可能な手法を再生したり復活させようとする。この権力の構造的な記憶装置をあなどることはできない。新共謀罪法案はこの典型的な例ではないかと思う。これに対して、反政府運動の側は、歴史の過ちを引き合いに出すだけでは十分ではないだろう。むしろ、歴史を踏まえつつ、民衆的自由を実現できる社会を新たに創造することを視野に入れた運動を生み出すことがなければならないと思う。 
 
共謀罪を「テロ準備罪」に名称変え 国会提出

 

かつては(1999年3月)政府自ら国連の条約起草委員会起草の会議で(行為を罰する刑法体系の中に犯罪の「謀議」や「内心」を罰する罪条を加えることは)「日本の法体系に合わない(なじまない)」といっていた。
注;<国際組織犯罪防止条約> 複数の国にまたがる組織犯罪を防ぐため、各国が協調して法の網を国際的に広げるための条約。重大犯罪の共謀や、犯罪で得た資金の洗浄(マネーロンダリング)の取り締まりを義務付けている。国連総会で2000年11月に採択。12月にイタリア・パレルモで条約署名会議が開かれ、日本も署名した。政府は「共謀罪」の法整備が条約締結の要件だとして組織犯罪処罰法改正を目指すが、成立に至っていない。世界180以上の締結国全てが法整備したわけではないとの指摘もある。条約の規定は、懲役・禁錮4年以上の犯罪を対象としており、計676になる。
共謀(きょうぼう)とは、2人以上の者が相談して、悪事などをたくらむことである。
政府(法務省)や政権与党(自民党・公明党)は2006年の通常国会(第164回国会=06年1月20日から6月18日までの150日間)で成立を目指している共謀罪とは、「(1)長期4年以上の刑を定める犯罪について、(2)団体の活動として、当該行為を実行するための組織により行われるものの、(3)遂行を共謀した場合に成立し、これに原則懲役2年以下(死刑・無期・長期10年以上の犯罪については懲役5年以下)の刑を科し、犯罪の実行着手前に自首した者は刑を減免するというものである。
政府等は、00年12月に国連総会が採択、3年後の03年5月14日に日本の国会が批准を承認した「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(略称 国際組織犯罪防止条約)を日本の政府が批准するための国内法整備の一環として、共謀罪の新設を意図し、「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」、03年の通常国会に上程したが、その後、衆議院の解散に伴う廃案や多くの重大な問題、つまり人権侵害の虞(おそれ)が各方面から指摘されたため継続審議になったという経緯がある。
その問題法案が06年通常国会で再び上程され、今日、与党が強行採決をしてでも成立を画策している。
すなわち、長期4年以上の刑を定める犯罪は、刑法上殺人、強盗などの重大(凶悪)な犯罪に限定されず、現行法上、合計で619以上を数えるが、当然、そのすべてが対象となり、処罰の対象となる団体についても、例えば国際テロ集団や暴力団、マフィアなどの組織犯罪集団に限定されておらず、犯罪構成要件がきわめて曖昧(あいまい)である。
それ故、広く一般の政党、NPO(nonprofit organization〕非営利組織。政府や私企業とは独立した存在として、市民・民間の支援のもとで社会的な公益活動を行う組織・団体)などの市民団体、原発反対や環境を守るためのマンション建設反対する一般の住民運動ばかりか、労働組合、宗教団体、企業などの諸活動も処罰の対象になる。
その上、準備や実行以前の共謀、つまり犯罪の準備や実行行為は全く必要なく、2人以上の合意だけで犯罪が成立することになるので、人が心の中で思ったこと、考えたことを処罰することになり、基本的人権の一つである、内心や思想信条の自由が侵害される(思想の取締の対象となる)ことにもなる。
京都弁護士会は、共謀罪が成立する可能性(おそれ)がある事例として以下のケースをあげている。
1.新商品の企画会議で、ルイ・ヴィトンに類似する商品を販売することを話し合った場合、商標法違反で商標権侵害罪の共謀罪が成立。 
2.労働組合の執行委員会で、誠実に団体交渉に応じようとしない会社への対応として、交渉が終わるまで社長を帰さないぞと話し合った場合、組織的犯罪処罰法《監禁罪》違反で組織的監禁罪の共謀罪が成立。
3.税理士事務所で、会社の社長が利益を隠すために経費の水増しなどを相談し、税理士が私の方でできることは考えますと応えた場合、法人税法違反で法人税法違反の共謀罪が成立。
4.マンションの建設に反対している住民団体が、10日後に建設を強行する旨の情報を得た会合で、工事を阻止するために多数の住民で座り込みをすることを話し合った場合、組織的犯罪処罰法(威力業務妨害罪)違反で組織的威力業務妨害罪の共謀罪が成立。 
5.大学の生物実験室で、大学教授が人クローン胚を人または動物の胎内に移植することを話し合った場合、クローン規制法違反でヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律違反の共謀罪が成立。
6.選挙終盤の選対会議で、票を伸ばすために電話作戦の強化を話し合い、知り合いを通じ、アルバイト代を支払ってでも電話掛けを依頼することを話し合った場合、公職選挙法違反で買収罪の共謀罪が成立。
これは、刑罰を国民に科す場合は、明確な構成要件を必要不可欠とする近代刑法の根幹原則(罪刑法定主義)を崩壊させることを意味している。
共謀罪は犯罪を共謀する行為、つまり話し合いや、相談自体を処罰するのであるから、その証拠は共謀という事実、いいかえれば「言葉」(言論)が証拠になるため、犯罪捜査機関(警察や検察)は言葉の証拠収集が必要となる。
言葉を証拠化するためには、電話や会話の録音・防犯ビデオの映像、共謀に参加した者の証言が必要である。そのための手っ取り早い手段が、盗聴、盗撮、尾行、潜入捜査や警察権力が危険視する団体の中にスパイ捜査官を送り込み犯罪を持ちかけて罪に陥れる、「おとり捜査」となる。つまり、警察による盗聴や盗撮等が一般市民の日常性格の中に深く浸透することになるのである。
現在、都会の繁華街等で、会話者の顔の認識システムと高性能マイクを連動させた監視カメラが設置されているが、それが全国の街角に設置されることにもなる。さらには、密告が奨励される結果ともなる。密告を推奨するための装置も準備されている。それが、実行前に自首(じしゅ=犯人が自ら捜査機関に出頭すること。刑法上は犯罪事実または犯人がだれであるかが発覚する前に、犯人が自らの犯罪を捜査機関に申告すること)した者は刑を減免される(軽くし、あるいは免除する)という規定である。
それを証拠に警察等は、自白(被疑者・被告人による自己の犯罪事実を容認する供述)をとるため、国連をはじめとする国際機関から「えん罪」(無実の罪)の温床となっている野蛮な施設であるとして、その廃止を迫られている警察の留置場(代用監獄)で、厳しい取り調べを行うところとなる(えん罪のオンパレードともなる)。
警察(国家権力)による監視社会がここに完成するわけである。これこそ共謀罪新設の権力(政府・与党)の最終目的である。
批判を受けて政府(法務省)は、ホームページ(「組織的な犯罪の共謀罪」に対する御懸念について(2006/4/19))で「共謀罪が適用されるのは、暴力団のような組織的な犯罪」「仲間で漫然と相談したり、居酒屋で意気投合したりするくらいでは共謀罪は成立しない」と説明しているが、法律はいったん成立すれば、一人歩きし、法執行者(捜査当局)によって都合よく拡大解釈(乱用)される恐れがあることは歴史が如実に物語っている。
さらに怖いのは国民の自主規制である。仮に政府がその意図であれば、法律に「組織的犯罪集団」しか対象にしないと明確に規定しなければならない。それでこそ、近代刑法の根幹原則(罪刑法定主義)に適(かな)うとういうものである。
それをしないで、単にホームページでの記載ですませようとするところに、政府の真の狙(ねら)いを垣間見ることができる。
かつて世界最大の悪法といわれた治安維持法(別名;自由死刑法)ですらその構成要件は、「国体ヲ変革スルコトヲ目的」とか「私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的」と一定限定されていた。だがしかし、警察権力と裁判所(裁判官)の果てしない拡大解釈、あまつさえ同法「目的遂行ノ為ニスル行為」との規定は、「マルクス主義、社会主義に共鳴するものについて、彼が食事するのも、歩くのも、『目的遂行ノ為ニスル行為』とみなしうる」という解釈(乱用)によって、権力が危険と判断するすべての人を合法的に逮捕、処罰してきたのである。
そため、共産主義者ばかりか、いささかでも権力に逆らう者、あるいは侵略戦争に疑問を持つ者までが取り締まりの対象となった。つまり、同法は法自体の問題と権力自由自在の解釈で、権力が危険と判断するすべての人を合法的に逮捕、処罰したわけである。その結果、国民は権力批判のすべて自由が剥奪され、挙げ句の果て無謀な侵略戦争に狂奔(きょうほん)することになった。
かかる歴史をふまえて、日本弁護士連合会(日弁連)をはじめ、全国の各弁護士会が反対の声明、意見のほか、多くの法律家団体や市民団体が共謀罪の新設に反対の声をあげている。
また、与党側が「共謀罪」について06年4月28日の委員会採決を提案するという緊迫した情勢のなかの4月26日午前、民主、共産、社民の野党3党の国対委員長会談を国会内で開き、「共謀罪」を柱とする組織犯罪処罰法改正案や、医療制度改革関連法案の委員会審議で、政府・与党が早期採決を目指しているとの認識で一致、3党で結束して対抗していくことを確認している(民主党の渡部恒三国対委員長は「与党は衆院千葉7区補選で負けたので、国会審議では逆に強行突破をはかろうとしてきている」と指摘、これに共産、社民両党も同調した)。
同日午後、「共謀罪」に反対する超党派国会議員と市民の緊急集会が参院議員会館で開かれ、国会議員や市民ら約150人が参加して会場がいっぱいとなり、入れなかった人100人を超えた。
集会では、民主党の高山智司衆院議員の司会で、日本共産党の仁比聡平参院議員、民主党の平岡秀夫衆院法務委理事、社民党の福島瑞穂党首・参院議員ら十数人の国会議員が、世論を盛り上げ、共謀罪をなんとしても廃案に追い込もうと次々決意を表明した。
仁比議員は「野党の合意なしに与党だけで質疑に入るというルール破りのやり方にも共謀罪の反民主性が浮き彫りになっている。衆院で絶対に強行を許さない、参院で審議をしないようがんばりたい」と語り、平岡議員は、与党が突然「共謀罪」の質疑を持ち出し、野党に準備する時間も与えないで、採決まで主張していることを批判。「28日に与党が採決することに断固として反対していきたい」と述べ、福島議員は「共謀罪は近代刑法の大原則を壊すもので、許すことはできない」と強調した。
同夜、日弁連と大阪弁護士会の主催でそれぞれ東京と大阪で共謀罪反対の集会が開かれ、日弁連集会には市民500人が参加、民主党、日本共産党、社民党の国会議員の発言の後、指揮者の外山雄三氏、グリーンピース・ジャパンの星川淳事務局長、アムネスティ・インターナショナル日本の寺中誠事務局長、全国労働組合総連合(全労連)の寺間誠治組織局長らが共謀罪のような危険な法律を通してはならないとそれぞれ訴えた。
これまで、共謀罪の必要性を認めたうえで、「共謀罪の規定があいまいなため、組織犯罪だけでなく、市民団体や労働組合も対象にされかねない」と指摘し、「対象を絞って出し直せ」と主張してきた朝日新聞は06年4月28日付「社説」で、「ここは原点に戻って考えてみたい。そもそも共謀罪をつくろうという背景には、暴力団やマフィアによる国際犯罪に対抗するため、6年前に国連で採択された国際組織犯罪防止条約がある。日本も署名したが、加盟国になるためには共謀罪などの国内法を整備する必要がある。この条約の本来の趣旨を生かすには、いくつかの国にまたがる組織犯罪に限定するだけで十分だろう。共謀罪をつくるにあたっては、乱用の余地を残してはならない。国民の権利を大きく侵害しかねないからだ。(犯罪構成要件を)「組織的犯罪集団」と対象を厳しく限定した民主党案(概要)を軸に、国会でじっくり論議してもらいたい」と論じた。 
さらに、日本ペンクラブの井上ひさし会長、高橋千劔破常務理事らは06年5月15日東京都内で記者会見し、「共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める」との声明を発表、井上会長は、「選挙で選ばれた私たちの代行人と選挙で選ばれてもいない高級官僚が乱暴に私たちの税金を使っている。共謀罪は私たちの財布の中だけでなく、私たちの心の中にまで手を突っ込んでくる法律です」とのべまた。なお、ペンクラブが共謀罪について声明を出すのは、05年10月に続いて2度目である。
政府は2017年1月5日、「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案を1月20日召集予定の通常国会に提出する方針を固めた。共謀罪に関する国内法整備は、政府が2000年に署名した国際組織犯罪防止条約を締結するための条件。187の国・地域が締結済みで、日本も国際機関から早期対応を迫られている。安倍晋三首相は5日の自民党役員会で「テロ準備罪という形の法案を出す」と明言。菅義偉官房長官も記者会見で「国際社会と協調して組織犯罪と戦うため条約締結が不可欠だ。法整備はしっかり進める必要がある」と強調した。
自民党の二階俊博幹事長は1月10日の記者会見で「(政府が)提案をする以上は、できれば今国会でということに、当然なる」と1月20日からの通常国会での成立を目指す考えを示した。二階氏は「この問題については常に慎重に運んでいこうと思うが、テロ対策をしっかり講じておかなければいけないことも事実だ」と指摘。「誤解を呼ばないように配慮しながら、結論を円満に見いだしたい」と述べた。
共産党の小池晃書記局長は10日の記者会見で、「共謀罪」を創設するための組織犯罪処罰法改正案について、「思想信条、表現の自由など基本的人権を侵害するもので、治安維持法の現代版とも言えるような大悪法だ」と述べ、廃案に追い込むため全力を挙げる方針を示した。
安倍首相は参院本会議で1月25日、「テロを防ぐ『国際組織犯罪防止条約』を締結するため」と説明しながら、187カ国・地域が結んだ同条約によって「新たに国内法(共謀罪)を整備した国は、ノルウェー、ブルガリアがある」と述べ、2カ国しか示せなかった。日本共産党の小池晃書記局長への答弁。国際組織犯罪防止条約は2003年5月に国会が承認したものの、政府は「条約を実施するための国内法」がないとして締結していないが、小池氏は、日本がすでにテロ防止のための13本の国際条約を締結し、57の主要重大犯罪について、未遂より前の段階で処罰できる国内法をもっていると指摘。「共謀罪」を留保しても条約締結の壁にはならないと強調し、政府の言い分が成り立たないことを浮き彫りにした。
政府が国会提出をねらう共謀罪法案について、刑事法研究者が2月1日、反対する声明を公表した。葛野尋之(一橋大学教授)、高山佳奈子(京都大学教授)、田淵浩二(九州大学教授)、本庄武(一橋大学教授)、松宮孝明(立命館大学教授)、三島聡(大阪市立大学教授)、水谷規男(大阪大学教授)の7氏が呼びかけていたもので、144名(2月3日現在)1の研究者が賛同した。声明では、共謀罪法案は「犯罪対策にとって不要であるばかりでなく、市民生活の重大な制約をもたらします」と批判している。反対理由として、(1)テロ対策立法はすでに完結している(2)国連国際組織犯罪防止条約の締結にこのような立法は不要(3)極めて広い範囲にわたって捜査権限が濫用されるおそれがある(4)日本は組織犯罪も含めた犯罪情勢を改善してきており、治安の悪い国のまねをする必要はない(5)武力行使をせずに、交渉によって平和的に物事を解決していく姿勢を示すことが、有効なテロ対策―の5点を挙げている。この中で、「共謀罪」の新設は、共謀の疑いを理由とする早期からの捜査を可能とし、人が集まっているだけで容疑者とされ、市民の日常的な通信がたやすく傍受されかねず、歯止めのない捜査権限の拡大につながるおそれもあると告発している。
市民と野党が力を合わせて、共謀罪の国会提出を阻止しようと2月6日、「共謀罪反対!国会前行動」が衆院第2議員会館前で行われた。市民、国会議員、弁護士、学者など約100人が参加し、「共謀罪新設反対」とこぶしをあげた。主催は、「秘密保護法」廃止へ!実行委員会です。毎月6日に、同法廃止の行動をしています。事務局団体のひとつ、日本出版労働組合連合会・事務局長の前田能成(よしなり)さんは、「秘密法と共謀罪はセットの問題です。必ず阻止する決意で取り組みます」と語った。市民団体の代表らがリレートーク。総がかり行動実行委員会の高田健さんは、「秘密法強行採決の時を超えるような、巨大な運動を全国でつくりあげよう」と訴え、弁護士の海渡雄一さんは「反対の声は日増しに強まっていると感じています。共謀罪阻止のカギは世論です」と語り、青山学院大学教授の新倉修さんは「研究者も共謀罪の国会提出に反対するアピールを出しました。力を合わせて廃止を勝ち取ろう」と呼びかけた。
「テロ等準備罪」の衆院予算委員会での審議を巡り、法務省は2月6日、「法案は現在検討中で与党協議も終了しておらず、関係省庁と調整中。法案ができた後に専門的知識のある法務省刑事局長も加わって充実した議論を行うことが審議の実を高め、国民の利益にかなう」とする異例の見解を報道機関向けに配布した。
法務省は「(金田勝年)法相の答弁に当たってのスタンスを理解してほしい」と趣旨を説明。しかし、予算委は政府のあらゆる活動に影響を与える予算案を審議する性質上、審議対象に制限はないとされ、民進党は「質問封じだ」として金田法相に撤回と謝罪を求めた。文書を配布した法務省の松本裕秘書課長に、報道陣が、報道する際の配慮を求めているのか尋ねると、「そうではない」と述べた。民進党の山井和則国対委員長は、報道陣に「一般市民が対象にならない、ということは国民に宣伝し、自分たちに不利な内容が知れ渡ると困るから、国会で取り上げるなというのは、ひどい話だ。法相の辞任要求もせざるを得なくなるかもしれない」と述べた。武蔵大・永田浩三教授(メディア社会学)は、「法相が国会で説明責任を果たしていないことが問題。安倍政権は、法案を提出してしまえば数の力で押し切ることを続けており、提出前に批判しないでというのはおかしい」と話した(2017年2月7日配信『東京新聞』)。
金田法相は7日の衆院予算委員会で「国会に対して審議のあり方を示唆するものと受けとめられかねないもので不適切だった。このような事態を招いたことについて深くおわびする」と謝罪し、文書の撤回を表明した。金田氏は同日の記者会見で、文書について「予算委員会で私が答弁してきたことを整理して自分自身に向けた思いをメモしたもので、法務省の担当記者に理解してもらうためにしたためたもの」と説明。自分の指示で作成、配布したことを認めた上で「マスコミを通じて国会に対し、審議のテーマに注文をつけるといった意図はまったくなかった」と釈明した。辞任は否定した。これに先立って同日行われた衆院予算委理事会では、同省の辻裕教官房長が「適切ではなかった」として文書を撤回し、謝罪した。野党側は理事会でも「立法府に対する言論弾圧だ」と抗議を強め、金田氏の責任を問う構えだ。理事会で民進党は「あたかも質問のあり方に問題があるかのような主張で、報道機関に対する不当な干渉、印象操作の意図をうかがわせるもので、決して許されない」と抗議した。野党筆頭理事の民進党の長妻昭氏は理事会後、記者団に「金田氏自らの文書の撤回と謝罪を求める。対応を注視したい」と、金田氏に今後の辞任要求も含めて追及する考えを示した。
共産党の宮本岳志議員は7日の衆院予算委員会で、「予算委員会はそれこそ基本的な政策判断について政府の見解、姿勢をただす場であり、具体的な法律論でも、国民の生活と権利に重大な関わりをもつあらゆることを議論する場だ」と反論し、「“法案が出てくるまでは審議するな”と言わんばかりの、あからさまな国会審議のあり方への介入だ」と批判。その上で「法務大臣としての資質が問われる重大問題だ。このような大臣のもとで『共謀罪』法案を提出することなど到底許されない」と非難した。
共産党の穀田恵二国対委員長は7日、金田法相の文書撤回、謝罪したこと受け、考え方そのものを撤回していないことが重大問題だと主張し、野党間で協議し金田法相に辞任を求めるべく協議していく考えを示した。穀田氏は、「自分の思いを述べたものだ」と答弁していることを示し、「結局のところ、政府による国会での審議のあり方に対する介入であり、国会審議を空洞化させることを狙っていることに他ならない」と指摘。金田法相に国会審議に対する認識が欠如していると述べ、「大臣の資格が問われる問題だ。同時に、このような大臣のもとで共謀罪法案を提出するなど到底許されない」と強調した。
民進党は2月8日午前の衆院予算委員会理事会で、「金田勝年法相は辞任に値する。出処進退を適切に判断して欲しい」と辞任を要求した。民進の笠浩史国会対策委員長代理はその後の記者会見で「言論封じで謝罪して済む話ではない。今日の予算委終了後に野党国対委員長会談を開催して対応を協議したい」と述べた。一方、自民、公明両党の幹事長らは同日朝、東京都内で会談し、文書について「国会軽視と取られかねず、厳に慎むべきだ」との考えで一致。その後、自民の二階俊博幹事長が菅義偉官房長官に「緊張感をもってやってもらいたい」と電話で申し入れた。自民の竹下亘国会対策委員長は会談後、「行政府が立法府の発言を封じると受け止められかねないことをやるのはいかがなものか」と記者団に述べた。
民進、共産、自由、社民の野党4党は8日夕、国対委員長会談を開き、閣僚として不適格として金田法相の辞任を求める方針で一致した。会談後、民進党の山井和則氏は記者団に「国会での質問封じを行い、基本的な質問にさえ答弁できない。法相の資質に著しく欠ける」と批判。共産党の穀田恵二氏も「国会を軽視し、国民の意思を踏みにじるやり方に大きな問題がある」と断じた。 
 

 

 
 

 

 
特定秘密保護法
 

 

特定秘密の保護に関する法律
[平成25年12月13日法律第108号] 日本の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものを「特定秘密」として指定し、取扱者の適性評価の実施や漏えいした場合の罰則などを定めた日本の法律である。通称は特定秘密保護法。秘密保護法、特定秘密法、秘密法などとも呼ばれる。
2013年(平成25年)10月25日、第2次安倍内閣が閣議決定をして第185回国会に提出し、同年12月6日に成立し、同年12月13日に公布され、2014年(平成26年)12月10日に施行した。
法律の内容
この法律は、日本の安全保障に関する事項のうち特に秘匿を要するものについての行政機関における「特定秘密の指定」、特定秘密の取扱いの業務を行う者に対する「適性評価の実施」、「特定秘密の提供」が可能な場合の規定、「特定秘密の漏えい等に対する罰則」等について定め、それによりその漏えいの防止を図り、「国及び国民の安全の確保に資する」趣旨であるとされる。
特定秘密の管理に関する措置
特定秘密の指定
「特定秘密として指定できる情報」および「特定秘密の有効期間(上限5年で更新可能)」を規定する。
○第1号 - 防衛に関する事項(改正前の自衛隊法別表第4に相当)
イ.自衛隊の運用又はこれに関する見積もり若しくは計画若しくは研究
ロ.防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報
ハ.ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ.防衛力の整備に関する見積もり若しくは計画又は研究
ホ.武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物の種類又は数量
ヘ.防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法
ト.防衛の用に供する暗号
チ.武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの仕様、性能又は使用方法
リ.武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法
ヌ.防衛の用に供する施設の設計、性能又は内部の用途
○第2号 - 外交に関する事項
イ.外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容のうち、国民の生命及び身体の保護、領域の保全その他の安全保障に関する重要なもの
ロ.安全保障のために我が国が実施する貨物の輸出若しくは輸入の禁止その他の措置又はその方針
ハ.安全保障に関し収集した条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報その他の重要な情報
ニ.ハに掲げる情報の収集整理又はその能力
ホ.外務省本省と在外公館との間の通信その他の外交の用に供する暗号
○第3号 - 特定有害活動の防止に関する事項に関する事項
イ.特定有害活動の防止のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ.特定有害活動の防止に関し収集した国際機関又は外国の行政機関からの情報その他の重要な情報
ハ.ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ.特定有害活動の防止の用に供する暗号
○第4号 - テロリズム防止に関する事項
イ.テロリズムの防止のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ.テロリズムの防止に関し収集した国際機関又は外国の行政機関からの情報その他の重要な情報
ハ.ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ.テロリズムの防止の用に供する暗号
適性評価の実施
特定秘密の取扱いの業務を行うことができる者は、「適性評価により特定秘密を漏らすおそれがないと認められた職員等」に限定される。
適正評価の対象事項
1.テロリズム等との関係
2.犯罪・懲戒の経歴
3.情報の取扱いについての非違歴
4.薬物の濫用・影響
5.精神疾患
6.飲酒についての節度
7.経済的な状況
特定秘密の提供
どのような場合に特定秘密を提供できるかを規定。
1. 安全保障上の必要による他の行政機関への特定秘密の提供
○特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲その他特定秘密の保護に関し必要な事項について協議。
○安全保障上の必要により特定秘密を提供。
○B省の長は、特定秘密の保護に関し必要な措置を講じ、職員に特定秘密の取扱いの業務を行わせる。
※ 警察庁長官が都道府県警察に特定秘密を提供する場合には、特定秘密の保護に関し必要な事項について、警察庁長官が都道府県警察に指示。
2. 安全保障上の特段の必要による契約業者への特定秘密の提供
○特定秘密の取扱いの業務を行わせる役職員の範囲その他特定秘密の保護に関し必要な事項を契約に定める。
○安全保障上の特段の必要により特定秘密を提供。
○契約業者は、特定秘密の保護に関し必要な措置を講じ、役職員に特定秘密の取扱いの業務を行わせる。
3. その他公益上の必要による特定秘密の提供
上記のほか、行政機関の長は、次の場合に特定秘密を提供することができる。
○各議院等が行う審査・調査で公開されないもの、刑事事件の捜査その他公益上特に必要があると認められる業務において使用する場合であって、特定秘密の保護に関し必要な措置を講じ、かつ、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたとき
○民事訴訟法第223条第6項又は情報公開・個人情報保護審査会設置法第9条第1項の規定により、裁判所又は審査会に提示する場合(いわゆるインカメラ審査で提示する場合)
漏えいと取得行為に対する罰則
(漏えい行為への処罰)
○特定秘密の取扱いの業務を行うことができる者が特定秘密を漏らしたときは、10年以下の懲役に処し、又は情状により10年以下の懲役及び1000万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。(第23条第1項)
 ○過失により漏らした時は2年以下の禁錮又は50万円以下の罰金に処する。(同条第4項)
○公益上の必要により特定秘密の提供を受け、これを知得した者が特定秘密を漏らしたときは、5年以下の懲役に処し、又は情状により5年以下の懲役及び500万円以下の罰金に処する。(同条第2項)
 ○過失により漏らした時は1年以下の禁錮又は30万円以下の罰金に処する。(同条第5項)
○故意の漏えい行為の未遂罪は罰する。(同条第3項)
(取得行為への処罰)
○外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、次の手段により特定秘密を取得した者は、10年以下の懲役に処し、又は情状により10年以下の懲役及び1000万円以下の罰金に処する。(第24条第1項)
1.人を欺き、人に暴行を加え、または脅迫する行為
2.財物の窃取または損壊
3.施設への侵入
4.不正アクセス行為
5.その他の特定秘密の保有者の管理を侵害する行為
○故意の取得行為の未遂罪は罰する。(同条第2項)
○手段が単独で犯罪の場合には原則として併合罪となる。(同条第3項)
(共謀、教唆、煽動)
○特定秘密の取扱いの業務を行うことができる者が特定秘密を漏らすに当たり、または第24条第1項の特定秘密を取得するにあたり、それを共謀、教唆、煽動したものは、5年以下の懲役に処する(第25条第1項)。
○公益上の必要により特定秘密の提供を受け、これを知得した者が特定秘密を漏らすにあたり、それを共謀、教唆、煽動したものは、3年以下の懲役に処する(同条第2項)。
(減軽)
○第23条の漏えい行為、第24条の取得行為に当たり、行為が未遂に終わった場合において共謀犯が自首したときは、刑を減軽しまたは免除する。(第26条、必要的減軽)
(国外犯)
○第23条の漏えい行為は、日本国外において行った者にも適用する。
○第24条の取得行為および第25条の共謀、教唆、煽動は、刑法第2条(すべての者の国外犯)を適用する。
その他(適用解釈・検討規定)
パブリックコメントでは「その他」として「本法を拡張解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害することがあってはならない」と規定していた。
国会提出された案では「取材の自由に十分に配慮しなければならない」という文言が追加されている。
この法律の適用解釈として「この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。」(第22条第1項)を規定し、また報道の自由との関係から「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。」(第22条第2項)を規定し、取材行為は原則として違法性が阻却されることとした。
施行後5年までに特定秘密を保有したことのない行政機関は、請求により政令で定められた場合を除いて、特定秘密を指定できなくする規定(附則第3条)が設けられた。また、これまで自衛隊法に基づいて指定されていた防衛秘密は特定秘密とみなされ(附則第6条)、防衛秘密に関する規定は削除された(附則第5条)。
公益通報者保護法との関係
公益通報者保護法との関係について、主に3つの観点からの議論がある。
第一に、政府による違法行為などに関する事実について通報する者が、保護されるのかという点。森まさこ国務大臣の答弁によると、政府による違法行為などは特定秘密にならない。
第二に、通報対象事実に当たる情報が特定秘密に指定されることがあるのか、その場合、当該事実を通報する者は保護されるのかという点。政府参考人の答弁によると、通報対象事実に当たる情報が特定秘密に指定される可能性がある。その場合でも、当該事実の通報者は、公益通報者保護法の適用を受ける。
第三に、特定秘密保護法に規定する特定秘密漏えい罪等の犯罪行為の事実について、当該事実を通報する者は保護されるのかという点。保護されるための前提として、公益通報者保護法に基づく通報対象事実の対象に、特定秘密保護法を加える必要があり、公益通報者保護法の別表の規定に基づく政令を改正する必要がある。
経過

 

旧民主党による秘密保護法検討
2010年(平成22年)9月に尖閣諸島付近で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件において、海上保安庁職員(当時)の一色正春が船上で撮影した映像を、旧民主党・菅政権の了承を得ないまま同年11月4日にインターネットで公開した。この映像公開を琉球新報・読売新聞・産経新聞・日本経済新聞などは肯定的に評したものの、朝日新聞・毎日新聞・北海道新聞・東京新聞・中日新聞・沖縄タイムス・北國新聞など様々な報道機関からこの映像公開に対し『仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反する行為であり、許されない』(朝日新聞)、『流出の裏に、日中関係の修復に水を差そうとする意図があったのだろうか。ゆゆしき問題である』(北海道新聞)、『国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた「倒閣運動」でもある』(毎日新聞)、など否定的な声が上がり、日本政府の外交機密・情報・危機などの管理体制や法整備の甘さが指摘された。
菅直人内閣総理大臣は公開翌日の2010年(平成22年)11月5日午前の閣僚懇談会で、馬淵澄夫国土交通大臣に「情報管理の徹底と、事実関係の確認をするように」と述べ、流出の経緯などについて調査し、原因究明を図るよう指示した。また、同日夜には首相官邸で記者団に対し、「国の情報管理がしっかりとした形になっていないことに危機感を強く覚えた」と述べた。この映像公開事件を受け、旧民主党の内閣官房長官・仙谷由人は同年11月8日の衆議院予算委員会で「国家公務員法の守秘義務違反の罰則は軽く、抑止力が十分ではない。秘密保全に関する法制の在り方について早急に検討したい」と述べ、秘密保護法の制定に前向きな姿勢を示し、検討委員会を早期に立ち上げる考えを示した。その後、2011年(平成23年)8月に有識者会議が「秘密保全法制を早急に整備すべきである」とする報告書をまとめ、民主党政権が国会提出を目指していた。
プロジェクトチーム
第2次安倍内閣は、2013年(平成25年)8月27日に、同法案の概要を自民党「インテリジェンス・秘密保全等検討プロジェクトチーム」(座長町村信孝)に提示し、パブリックコメントについて了承を得た。
パブリックコメント
内閣官房では、2013年(平成25年)9月3日から9月17日までの15日間、パブリックコメント「特定秘密の保護に関する法律案の概要」を受け付けた。これは内閣官房内閣情報調査室による任意の意見募集であった。パブリックコメントは誰でも何回でもコメントを提出可能。募集の結果は同年10月4日に公開された。意見件数90,480件。内訳は、意見提出フォーム・電子メール88,603件、郵送484件、FAX1,393件。意見内容は、賛成側の意見が11,632件、反対側の意見が69,579件、その他の意見が9,269件。
閣議決定と国会提出
自民党は特定秘密保護法案の閣議決定に先立ち、国家安全保障会議(日本版NSC)創設の為の法案を第185回国会に提出、2013年(平成25年)10月25日に衆議院本会議で審議入りした。10月25日、政府は「特定秘密保護法案」を閣議決定。同日夜の記者会見で、内閣官房長官の菅義偉は、今国会で成立を目指すと述べた。
国会における審議
2013年(平成25年)11月7日から衆議院で審議に入った。民主党が11月19日に対案を提出。与党は日本維新の会、みんなの党と修正協議し、最終的に合意。11月26日に自民・公明・みんなの賛成多数で可決し(4名が造反、維新は採決欠席)、衆議院で可決。翌27日に参議院で審議入り。12月5日、参院国家安全保障に関する特別委員会において、与党が質疑を打ち切って採決。与党の賛成多数で可決された。なお、可決されたのかどうかを疑問視する記事も存在する。民主党は同日、「厚生労働委員長の解任決議案」「厚生労働大臣の問責決議案」「特別委員長の問責決議案」を提出、翌6日に内閣不信任決議案を提出して法案の成立を遅らせようと対抗したが、6日夜、参議院本会議で与党の賛成多数で可決され、成立した。なお、秘密保護法案を審議中の参院本会議議場に靴が投げ込まれる事件が発生している。審議時間は衆院で約46時間、参院で22時間の合計約68時間であり、過去の重要法案の審議時間と比較して短かった。
裁判
2015年(平成27年)11月18日に東京地裁で、フリージャーナリストや編集者ら42人が国を相手に法律の無効確認と損害賠償を求めた訴訟が行われた。 原告は「特定秘密保護法は表現や報道の自由を侵害し憲法違反」「秘密指定で行政機関への取材が難しくなり、取材や報道自体が萎縮する」と主張したが、谷口豊裁判長は「取材活動が制約されたとは認められない」「原告らの利益を侵害していない」として原告敗訴の判決を言い渡した。 さらに無効確認を求める訴えは「具体的な被害がなく抽象的だ」として審理せずに却下した。
国家秘密に関連するこれまでの日本の法律・法案
1954年(昭和29年)の日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(通称「MSA秘密保護法」)では、「特別防衛秘密」について保護上必要な措置を講じることに加えて「特別防衛秘密を探知や収集をした者」および「特別防衛秘密を他人に漏らした者」に対しての刑事罰が規定されている。
1985年(昭和60年)には、国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案 (通称「スパイ防止法」)が第102回国会で議員立法として提出されたが、第103回国会で審議未了で廃案となった。
2011年(平成23年)にも、国家秘密の管理体制強化を目指す「秘密保全法」が検討されたが、この時は法案の国会提出は見送られており、また内閣法制局から「法の必要性(立法事実)が弱い」と指摘されていた。
反応

 

日本国内の反応
国内の世論調査
○共同通信が2013年(平成25年)10月26・27日に実施した電話による世論調査では、「賛成」35.9%、「反対」50.8%、内閣支持率は60.7%であった。約1ヶ月後、同年11月24日に発表した世論調査では、賛成意見45.9%、反対意見41.1%であった。法案成立直後の同年12月8・9日の世論調査では「このまま施行すべき」9.4%、「修正すべき」54.1%、「廃止すべき」28.2%で、内閣支持率は47%に下がった。安倍晋三首相の靖国神社参拝を受けて実施した同年12月28・29日の世論調査で、内閣支持率は22、23両日の前回調査から1.0ポイント増の55.2%となった(不支持率32.6%)。
○毎日新聞が2013年(平成25年)11月9日・10日に実施した電話による世論調査では、反対が59%、賛成は29%であった。
○産経新聞とFNNが2013年(平成25年)11月16・17日に実施した合同世論調査では、「必要だと思う」が59.2%に対し、「必要ではない」は27.9%となった。「今国会で成立させるべき」は12.8%、「今国会での成立は見送るべき」は82.5%となった。法案成立後の同年12月14・15日に行われた合同世論調査では、臨時国会での成立について「良かった」が27.3%、「良くなかった」が66.2%だった。法律の必要性については、「必要だと思う」が50.5%と半数を占めた。第2次安倍内閣に対する支持率は発足後初めて5割を切った。
○朝日新聞が2013年(平成25年)11月30日〜12月1日に実施した電話調査(有効回答1001人)では、「今国会で成立させるべき」とした人が14%だったのに対し、「継続審議にすべき」が51%、「廃案にすべき」が22%であった。法案成立翌日の12月7日に行われた緊急調査では、成立への賛否について賛成24%、反対51%だった。国会審議については、「不十分だ」が76%、「十分だ」が11%であり、成立に賛成の層でも59%が「十分でない」と回答した。
○日本経済新聞が2013年(平成25年)11月22〜24日に実施した世論調査の結果は、賛成26%、反対50%であった。
○テレビ朝日の報道ステーションが2013年(平成25年)11月30日・12月1日に実施した世論調査では、「支持する」が28%、「支持しない」が41%となった。
○日本テレビが2013年(平成25年)12月13日〜15日に実施した世論調査では、国会で成立した特定秘密保護法を「支持する」が23.1%、「支持しない」が56.8%となった。
各党の反応
与党
自由民主党 - 自民党「インテリジェンス・秘密保全等検討プロジェクトチーム」(座長町村信孝)で法案を了承。
なお自民党内では、1987年(昭和62年)に「スパイ防止法」に反対する意見書に連署した12人の一人である村上誠一郎が、今回も基本的人権の根幹に関わる問題とし反対している。一方、当時同様に反対した谷垣禎一は今回反対していない。また、幹事長の石破茂は自身のブログで、国会議事堂周辺で行われている反対デモ(後述)を「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において変わらない」と批判した。外交部会会長の城内実は国際連合人権高等弁務官の表明した、人権が制限されることへの懸念(#日本国外の反応参照)について「なぜこのような事実誤認の発言をしたのか、調べて回答させるべきだ。場合によっては謝罪や罷免(の要求)、分担金の凍結ぐらいやってもいい」と発言したという。副幹事長の河野太郎は自身のブログで朝日新聞などの反対論に対して反論している。自民党は法律公布後の12月13日、一部新聞報道への反論文書(「特定秘密保護法に関する誤った新聞報道への反論」)を作成し、同党所属の全議員に配布した。公明党 - 公明党の特定秘密保護法案に関する検討プロジェクトチーム(座長大口善徳、初会合2013年9月17日)は「知る権利」「報道の自由」への配慮などの修正を求めていたが、政府の一定の譲歩を受けて、10月18日に法案の最終案を了承した。
野党
賛成、修正協議で合意
日本維新の会、みんなの党。両党の中には反対している議員もいた。
日本維新の会の共同代表石原慎太郎はこの法律を時代に即した非常に重要なものであると評価し、それに反対する意見は「被害妄想」「流言飛語」「ヒステリー現象」であるとしている。また、石原はイスラエルの情報機関であるモサドを絶賛し、この法律を利用して日本にもモサドのような情報機関を創設することを主張している。
対案を提出
民主党 - 政府の原案、および与党と日本維新の会、みんなの党の修正案に反対しており、保護すべき対象を外交と国際テロ防止に関する情報に限ることを柱とした対案を提出している。幹事長の大畠章宏は東京・銀座での街頭演説で「マスコミもこぞって、特定秘密保護法案については反対しよう、という声を上げている。あとは、国民のみなさんの声をあげてください」と述べている。法案成立後、代表の海江田万里は、「これで終わったとは思っていない。政府側にも一部新たな法案を出すという話があり、それに対して民主党は対案を出す。国民に与える悪い影響を少なくするために努力する」と話した。
反対姿勢
○日本共産党、生活の党、社会民主党。 日本共産党は、2013年(平成25年)12月2日のしんぶん赤旗の記事で「(特定秘密保護法案)推進の陣容を見てみると、日本の侵略戦争で戦犯容疑者となった政治家や特高(特別高等警察)官僚の息子や孫、娘婿が目立つ」「安倍晋三首相の祖父は、太平洋戦争開戦時の東条英機内閣で商工大臣を務め、東京裁判でA級戦犯容疑者とされた岸信介氏」「日本への核兵器持ち込みを認めた日米核密約の当事者である祖父を安倍首相は、秘密保護法の闇に隠そうとしている」「戦犯・特高人脈は、「秘密保護法案」の源流を象徴している」と述べ、特定秘密保護法案を推進する安倍晋三・町村信孝・中川雅治らの出自を問題視した。また、その前日の記事で、国防保安法と特定秘密保護法には複数の共通点があると主張している。
○社民党副党首の福島瑞穂は国会論戦の中で担当大臣の森雅子に対して、同法の適性評価について都道府県警の対象者の規模を政府として試算したのかどうかを質問し、森は試算していないと答えた。その後、同法を所管する内閣情報調査室が作成した「論点ペーパー集」が12月24日に開示され、同文書によれば都道府県警29000人を適性評価の対象にすると試算したと明記されていた。社民党機関紙「社会新報」では、連載記事「特定秘密保護法の闇を撃て」が掲載された。
○参議院議員の山本太郎(無所属)が提出した特定秘密保護法案に関する質問主意書に対する内閣答弁書(2013年11月22日付)に、特定秘密を指定する行政機関の長として、廃止機関があったことについて、同法反対派のジャーナリスト・田中稔がツイッターで取り上げた。
○また、山本は2013年(平成25年)12月3日夜に国会議事堂前で「(採決阻止のためには)採決の日に、議員を国会に入れなきゃいいんですよ」、「議員会館や国会に議員が入れないくらい人が集まれば、阻止できる可能性がありますよね? 1000人と言わず、1万人と言わず、10万人と言わず、100万人ぐらいの人が国会周辺に集まりましょう」と特定秘密法案廃案を訴えるデモ隊に対してスピーチし、市民で国会を「包囲」し採決自体を物理的に「阻止」する案を提案した。
各界の反応
賛成意見
○憲法学者で東京大学教授の長谷部恭男は、2013年(平成25年)11月13日に開かれた衆議院国家安全保障に関する特別委員会に与党側の参考人として出席し、「特別な保護に値する秘密をみだりに漏えい等が起こらないように対処しようとすることは、高度の緊要性が認められるし、それに必要な制度を整備するのは、十分に合理的なことでありえる」と法案に賛意を示し、秘密の指定については法案通り、専門的知識を持つ各行政機関が「個別に指定していくしかない」と述べた。また、朝日新聞記者の高橋純子との対談では、今ある法律で十分ではないかという問いに「今までは各役所がそれぞれ首相に情報を上げていたが、テロ活動や重大犯罪から国を守るためには各役所が情報を持ち寄り、連携して対策を打たなければならない。秘密が守られることで情報を集めやすくなる」、秘密の範囲については、「常識的に考えて、秘密の範囲が際限なく広がることはない」と答えている。また、「社会の萎縮」については、「制度の外側から心配しても状況は変わらない。情報を外に出せるルートを作るよう政府と交渉すべき」と話している。
○経済学者の池田信夫は、特定秘密保護法は「スパイ防止法」で、どこの国にもあるとした上で、日本にこのような法律が存在しなかったことが、日米両国の防衛協力にとって障害になっていると述べている。『朝日新聞』をはじめとした法案反対の論陣については、多くが誤解に基づくもので根拠は無いとし、朝日新聞の『異議あり 特定秘密保護法案』については、「朝日が大はしゃぎだが、日本のメディアは国家権力と闘って来たのか、沖縄密約事件も暴いたのは一記者だ」と日本ビジネスプレスで批判した。一方で、安倍政権による成立までの動きは拙速だったとし、また法案では特定秘密の指定基準をチェックする第三者機関について明記されておらず、判断の微妙な部分を政令に委ねているとして、監視は必要であると述べている。
○危機管理評論家の佐々淳行は、「軍事小国である日本は、情報の迅速、正確な収集を進める必要があるが、秘密保護が不徹底で情報が漏れやすい。これは他国に情報提供を拒まれる原因であり、秘密保護法は必要悪だ」と述べている。榊原英資によれば、元アメリカ合衆国国務長官のヘンリー・キッシンジャーは、「日本では秘密が守られないので、重要な機密情報は伝えられない」と述べたことがある。
○元陸上自衛官(システム防護隊隊長、1等陸佐)で株式会社ラックの「サイバーセキュリティ研究所」所長の伊東寛は、「法案は必要だと思うし、むしろ遅すぎたと思う」と語り、「外国政府が、日本の安全に関わると思ったとしても、『秘密を守れない』と見られれば、秘密を渡してくれるのかという疑問を持ってしかるべきだ」としている。また、罰則について、最高刑が懲役10年以下では軽すぎるとも語っている。
○元航空自衛官の潮匡人は、アメリカでは「防諜法」ないし「スパイ防止法」と訳すべき連邦法があり、機密漏洩には死刑を含む刑罰を定めていながら漏洩が起きているため「秘密の保護は容易でない」とし、むしろ「こうした法律がこれまで(日本に)なかったことが不思議である」と述べている。しかもこの法律が施行されても、多くの判決が執行猶予となるとし、「こんな緩い法律で、本当に特定秘密を保護できるのか」「新たにスパイ防止法を整備すべきではないのか」と提言している。また、日本のマスコミが「民主主義が死ぬ、戦争になる」などと過剰に国民の心配を煽ったとしている。
○元大蔵省官僚で経済学者の高橋洋一は、「守秘義務に関連する法律や情報公開法、公文書管理法でも、守秘義務事項や公開対象外の情報は永久に秘密であり、秘密保護法における秘密指定の範囲は、現行の情報公開法第5条や公文書管理法第16条などに規定されている不開示情報と比較して具体的である」、「特定秘密は情報公開法の公開対象とならない情報の部分集合であり、現行法ですでに開示されている情報は特定秘密に当たらない」、「秘密指定が適切かどうかを監視するチェック機関(18条3項、19条)は従来(情報公開法や公文書管理法)のチェック機関よりも有効に機能する」としている。また、前述の佐々淳行と同様に、特定秘密保護法は必要悪としている。
○大阪大学大学院国際公共政策研究科長の星野俊也は、特定秘密保護法に賛成の立場をとっている。
○統一教会が賛成を表明した。
反対意見
○朝日新聞は特定秘密保護法案についても安倍政権を余す所なく批判してきた、と中国メディアは報じている。
○法廷メモ訴訟で知られる明治大学特任教授のローレンス・レペタは「特定秘密保護法は、政府の下半身を隠すものだ」と題する意見を「週刊金曜日」に発表した。
○元外交官の佐藤優は、週刊金曜日の福島瑞穂とのインタビューの中で『今回の特定秘密保護法案は多くの公務員の「配偶者や家族が外国人かどうか」を調べる。実際は、特定の国の人と結婚している人はバツ。いまの日本の政治体制からすると、中国人や韓国人、ロシア人、イラン人などと結婚している外務省員は全員、特定秘密保護法案が定める適性評価に引っかかる。特定秘密保護法案は人種差別条項』と批判している。
○革労協とみられる「革命軍」と名乗る団体から、2013年(平成25年)11月28日に発生した横田基地ゲリラ事件(爆発テロ)の犯行声明が、都内の報道機関に同年12月4日までに届いた。同犯行声明が、今の政権(第2次安倍内閣)がアメリカと連携して軍事演習を行ったり特定秘密保護法案を制定しようとしたりしている事を批判し今回の発射を「怒りの鉄つい(槌)だ」としている事が報じられている。
○女優の藤原紀香は懸念と法案への反対を表明し、パブリックコメントを提出した。
○現役の某中央省庁官僚であり小説『原発ホワイトアウト』を上梓した若杉冽(仮名)は、「いずれ特定秘密だらけになり、国民の知らない間にあらゆる物事が決まる社会になってしまう」と主張。“知る権利や報道の自由への「配慮」”、“第三者機関の設置「検討」”という文言について「典型的霞ヶ関用語。本気でやるなら“義務”と書く。官僚たちは始めからそんな気はない」と批判している。若杉によれば法案は首相の「ペットマター」(その人がペットのように大切にしている案件)だという。
○元検察官の郷原信郎は、「法案自体に問題があるとは言えないが、現行の刑事司法の運用の下で濫用された場合に、司法がそれを抑制することは期待できない」として反対している。
○福島県で行われた公聴会では、全ての参考人が反対または再考を求めた。この翌日に衆議院の、10日後には参議院の国家安全保障に関する特別委員会で採決が行われた。
○漫画家の小林よしのりは、「公務員への罰則が強化されれば、(隠す必要のない映像情報を隠したために起きた)尖閣諸島中国漁船衝突映像流出事件のようなこともなくなる」として反対している。
○静岡県弁護士会に所属する弁護士の藤森克美は「特定秘密保護法は違憲」として、静岡地裁に提訴した。
○日本の元通産官僚・古賀茂明は、特定秘密保護法を恐怖の3点セットの一つとして批判している
○人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは、内部告発者やジャーナリストに対する保護を明示し、特定秘密の定義も安全保障に著しい脅威となる情報に限定すべきとしている。一方、市民的及び政治的権利に関する国際規約などの国際規約に反しない範囲での情報を保護することについては、反対していない。
○弁護士の早田由布子は、ベトナム戦争に介入するきっかけになった米艦艇への攻撃は米国の自作自演だった。イラク戦争の根拠とされた大量破壊兵器の保持も実際には無かったというのが通説だ。こうした情報も特定秘密保護法にされれば漏らした役人は最高懲役10年が科せられ、市民が調べるだけで罪が問われかねず、情報が闇に葬られてしまう。
○チェック機関として、内閣官房に内閣官房長官をトップに府省庁の事務次官級が参加する内閣保全監視委員会を新設、内閣府には特定秘密の管理状況を検証、監察する審議官級の独立公文書管理監を新設、将来は局長級に格上げする。また情報保全監察室も設けられる。秘密指定権限を持つ19の行政機関には内部通報の窓口を設ける。しかし、行政機関の長が指定する特定秘密について、行政機関の手足が本当に独立して監視できるのか怪しい。
中立意見
○作家の竹田恒泰は、どんな路線で政策を進めるにせよ、情報は国民が正しく判断するために欠かせないものという考えから、いつまでも秘密指定を続けられることと、秘密指定の妥当性を調べる第三者機関の実効性がはっきりしないことを理由に、慎重姿勢を取っている。また法案成立後はその点を修正するための改正が必要であるとしている。
○2004年から2006年まで内閣法制局長官を務めた弁護士の阪田雅裕は、反対意見の1つである「漏洩した秘密の内容が明らかにされないまま被疑者が裁かれる可能性がある」との懸念について、「そもそも罪刑法定主義の大前提から考えて、漏洩した秘密の中身が知らされないまま被疑者が訴追されるようなことはあり得ない」とし、特定秘密保護法案に法律としての構造的な問題はないとの見方を示した。
○都留文科大学非常勤講師の瀬畑源(せばた・はじめ)は、特定秘密保護法の成立を受けて、「政府から独立した監視機関について法文に組み込まれていない。施行までの間に、少しでも濫用されない仕組みを組み込むべき」、「国民からの批判が、『拙速で説明不足』であることの不安からきている以上、政府は施行までの準備に関する情報を素早く公表して、意見を受けて修正すべき」、「国民は情報公開法の改正や公文書管理法の改正を行うよう要請し、知る権利の拡大に努めるべき」としている。
○甲南大学法科大学院教授で弁護士の園田寿は、一部マスコミは「秘密保護法のテロリズムの定義には『強要するための活動、殺傷するための活動、破壊するための活動』の3類型がある」と主張しているが、これは「又は」と「若しくは」の用法を読み違えているためであり、正しく読めば『強要するための活動』を含まない2類型であると指摘している。
デモ活動
○『「秘密保護法」大集会実行委員会』主催のもと、2013年(平成25年)11月21日に日比谷野外音楽堂で反対集会が開かれ、約1万人(主催者発表)が集まった。12月6日にも日比谷野外音楽堂で反対集会が開かれ、約1万5000人(主催者発表)が参加した。
○革命的共産主義者同盟(革共同)・日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)は、2013年(平成25年)11月26日に「さようなら原発集会」に結集した市民らと共に国会・首相官邸前で10時間ほど反対デモを行った。
○革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)は、2013年(平成25年)11月21日・22日に反対デモと集会を行った。
○2013年12月6日には国際基督教大学で、「秘密保護法を考える全国学生緊急大集会」が開催され、約300人の学生が参加した。
○「秘密保護法」廃止へ!実行委員会の海渡雄一は、世界人権デーと同じ12月10日の施行を許さないと反対宣言をしている この他にも、反原発集結と同様に国会議事堂前に集まって即時廃案を求める動きが行われている。
国外の反応
肯定的反応
○アメリカ合衆国国務省副報道官のハーフは、2013年(平成25年)12月6日の記者会見で、日本で特定秘密保護法案が成立したことについて「情報の保護は同盟における協力関係で重要な役割があり、機密情報の保護に関する政策などの強化が前進することを歓迎する」と述べた。
○AP通信は「中国の軍事力増強に対抗するために強い日本を望む米国は、法案可決を歓迎している」と報じた。
○ウォール・ストリート・ジャーナルは、駐日アメリカ大使館首席公使のカート・トン(en:Kurt Tong)が、法案成立により日本が「より強力な同盟国」となると本国は評価していると報じた。
否定的反応
○中国共産党は、中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』において、「秘密保護法は日本の平和憲法の精神を破壊」と題し全面的に批判した。また、朝日新聞などの秘密法に否定的な日本メディアに対し、賛辞を送っている。
○ニューヨーク・タイムズは「Japan's Illiberal Secrecy Law」(日本の反自由主義的秘密法)と社説にて批判した。
○ワシントン・ポストは「Japan secrecy law stirs fear of limits on freedoms」(日本の秘密法は自由が制限される不安をかき立てる)とする記事を掲載。
○しんぶん赤旗は、ブルームバーグ(電子版)が12月2日付けのコラムで「日本の秘密保護法はジャーナリストをテロリストに変える」と、石破茂の反対デモをテロ行為になぞらえた発言も引きながら第2次安倍内閣を批判。執筆子は「もし私が官僚とビールを飲みながら不適切な質問をすれば、手錠をかけられてしまうのか」と、治安維持法や米国愛国者法に共通する要素があると見ている。その上で「安倍政権を止めるのはテロリスト……失礼、ずばりと意見を述べる国民次第だ」と結んでいる、と報じた。
○韓国の新聞ハンギョレは“自民党が暴走した、スパイ防止法案の1980年代から30年、明らかに日本は右傾化している”と東京発の特派員電で論評した。
○シュピーゲル電子版は「日本で、内部告発者を弾圧する、異論の多い立法が成立した」と報じた。
○フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングは「日本が報道の自由を制限 我々はフクシマの原発事故を報道することが許されるのであろうか?」と題する解説記事を文芸面に掲載した。
○国際連合人権理事会は表現の自由担当特別報告者フランク・ウィリアム・ラ・ルー、健康への権利担当特別報告者アナンド・グローバーが「法案は透明性を脅かす」と表明した。国際連合人権高等弁務官のナバネセム・ピレーも、法案にはいくつかの懸念が十分明確になっておらず、成立を急ぐべきではないと表明した。
○ヒューマン・ライツ・ウォッチが特定秘密保護法案について「秘密指定の権限や情報漏洩の処罰が広範囲過ぎ」、「公益を守るため見直しが必須」と表明した。
○日本外国特派員協会は「報道の自由及び民主主義の根本を脅かす悪法であり、撤回、または大幅修正を勧告する」と表明した。
○元アメリカ国防次官補・モートン・ハルペリンは共同通信のインタビューに応え、「知る権利と秘密保護のバランスを定めた国際基準を逸脱している」「過剰な秘密指定はかえって秘密の管理が困難になる」と法案を批判した。
○国境なき記者団は、「世界報道の自由度ランキング 2014」で特定秘密保護法を理由に2013年(平成25年)の53位から59位にランクを下げた。なお「世界報道の自由度ランキング 2015」、そして2016年版でも特定秘密保護法を理由にランクを下げている。
日米の秘密保護を比較した日本の問題点
米国では市民が直接に政府機関に秘密解除請求できるが、日本では市民に秘密解除の請求権が無い。米国では行政の非効率や過誤の隠蔽に批判防止の目的など不当な秘密指定を禁止しているが、日本では禁止するのは違法な秘密指定だけで不当な秘密指定を禁じる規定が無い。米国では省庁間上訴委員会が25年超の秘密指定について承認する役割を持つが、日本の内閣保全監視委員会は監視される立場の内閣情報調査室が事務を行い中立性に疑問が残る。
集団的自衛権根拠の秘密指定
2014年(平成26年)10月6日衆議院予算委員会で、首相の安倍晋三は、集団的自衛権に関し、行使の条件となる武力行使の新三要件に達したとの判断に至った根拠となる情報が、特定秘密保護法に基づく特定秘密に指定され、政府の監視機関に提供されない可能性があるとの考えを示した。内閣府に設置予定の特定秘密の監視機関「独立公文書管理監」に対して「十分な検証に必要な権限を付与することを検討している」と述べたが、各行政機関の長が管理監に、特定秘密に指定されていることを理由に情報提供を拒むことも可能と説明した。その場合「管理監に理由を説明しなければならないことを運用基準に明記することを検討している。管理監に提供されない場合は極めて限られる」と述べた。
会計検査院の会計検査権限との関係
2013年(平成25年)9月、会計検査院は本法が成立すれば秘密指定書類が会計検査に提出されないおそれがあるとし、憲法の規定上の問題を内閣官房に指摘して条文の修正を求めたが、幹部同士の話し合いを経て条文の修正をしない代わりに内閣官房が各省庁に通達することで合意し本法は成立した。日本国憲法第90条は会計検査院の憲法上の権限として「国の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し」と定めている。
その後、会計検査院が特定秘密保護法で秘密指定された書類を取り扱う可能性がある職員の身辺を調べる「適性確認」を2015年(平成27年)から独自に実施していることが報じられ、プライバシー侵害の懸念がある調査が法的根拠がないまま実施されるという法制定段階では想定していなかった制度の不備が指摘された。
2015年(平成27年)12月25日、内閣官房は会計検査院から要請があった場合は、秘密指定を受けた書類を提供するよう求める通達を出した。
2016年(平成28年)2月10日の衆議院予算委員会で衆議院議員の階猛は、特定秘密保護法10条1項(行政機関への特定秘密の提供の拒否を定める規定)が会計検査院にも適用されるのか質問したのに対し、首相の安倍晋三は「かからないことではない」と適用対象であり会計検査院に対しても法律上拒否可能であるとの考えを示した上で、実務上は提供を拒否することはないとの見解を示し、法務大臣の岩城光英も「第10条1項は検査院にも適用される」と説明し、内閣官房の通達を踏まえ「秘密事項の提供の取り扱いは何ら変更はない」と実務上では提供を拒まないものと説明した。
情報監視審査会による報告
情報監視審査会は、「行政における特定秘密の保護に関する制度の運用を常時監視するため特定秘密の指定・解除及び適性評価の実施状況について調査を行うとともに、委員会等が行った特定秘密の提出要求に行政機関の長が応じなかった場合に、その判断の適否等について審査を行う機関で」あり、施行日に衆議院及び参議院にそれぞれ設置され、2015年(平成27年)2月26日に委員が選任されて以降、行政機関から説明を聴取したり、内閣衛星情報センターに委員を派遣するなど活動を行った。
情報監視審査会は、特定秘密や不開示情報の提供を受けることができる一方で、会議や会議録は原則非公開となっているが、2016年(平成28年)3月30日には各議院の議長に「平成27年年次報告書」を提出した。同年4月1日には衆議院本会議で衆議院情報監視審査会会長が、同年4月6日には参議院本会議で参議院情報監視審査会会長が、それぞれ報告書の概要を説明した。
提出された「平成27年年次報告書」では、特定秘密の名称について内容を表す具体的な名称とするよう求めたほか、これまで及び今後1年以内に廃棄する特定秘密を報告するよう求めた。  
 
秘密保護法とは? なぜ国会は迷走したのか

 

どんな法律なのか?
法案は、防衛、外交、スパイ防止、テロ活動防止の4分野で、安全保障に支障を来す恐れのある情報を「特定秘密」に指定することが柱。指定された情報は公開されず、その秘密を漏らした公務員や民間業者らには最長で懲役10年の罰則を設けている。指定期間は一部例外を除き「60年を超えることができない」とした。
そもそもなぜ必要とされたのか?
直接の契機となったのは、一足先に2013年通常国会で成立し、12月4日に発足した日本版NSCだ。外務、防衛などの「4大臣会合」を中核に、安全保障に関する情報を集約するとしている。産経新聞は外国との情報共有のために秘密保護の枠組みが必要と解説している。
「人材育成や人的ネットワークづくりは一朝一夕でできるはずはない。当面は高い情報収集力を持つ米英両国のNSCなどとの情報共有を進めるしかないのが現状だ。これまで日本の情報保全態勢は国際的に「情報漏洩(ろうえい)への意識が低い」と評価され、情報共有の妨げになってきた。それだけに、野党の一部が現行の国家公務員法(懲役1年以下)や自衛隊法(同5年以下)で漏洩は防げると主張するが、欧米並みの情報保全態勢を整備することが急務だった。」
もともと自民党は秘密保全の法整備に積極的だった。自衛隊員によるソ連への情報漏洩などが問題になった後、1985年に「国家秘密法(スパイ防止法)案」を国会に提出したが、「知る権利を侵す」などの批判が相次ぎ、廃案となった。
国会で再び機運が高まったのは、2010年9月に尖閣諸島付近で起きた中国漁船と海上保安庁巡視船との衝突事件が契機だった。海上保安庁職員が船上で撮影した映像をインターネットで公開したことから、民主党政権の仙谷由人官房長官(当時)が、秘密保全法制を「早急に検討する」と積極的な姿勢を示していた。2011年8月に有識者会議が「秘密保全法制を早急に整備すべきである」とする報告書をまとめ、当時の民主党政権が国会提出をめざしていた。
なお、安倍政権は当時のビデオについて、「法案が想定する特定秘密に当たらず、秘匿の必要性はない」との政府見解をまとめたと報じられている。
「知る権利」の侵害
法案の第22条には、以下のような「知る権利」への「配慮」が記されている。
「第二十二条 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。
2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。」
この規定が不十分だとして、日本新聞協会は以下のように反対している。
「特定秘密の漏えい、取得を働きかける行為も処罰対象として残されており、報道機関の正当な取材が運用次第では漏えいの「教唆」「そそのかし」と判断され、罪に問われかねないという懸念はなくならない。取材・報道の自由は侵害しないとの明文規定を盛り込むべきだ。 (中略) 政府や行政機関の運用次第で、憲法が保障する取材・報道の自由が制約されかねない。結果として、民主主義の根幹である「国民の知る権利」が損なわれる恐れがある。その点に関して強い危惧を表明する。」
「知る権利」への侵害は報道機関にとどまらないとの指摘もある。
「報道関係者の取材活動や一般市民による情報公開要求も、「共謀、教唆、煽動」とみなして処罰するなど、国民すべてが対象となり、犯罪者とされる危険性をもっています。法案が成立すれば、多くの国民の「知る権利」とプライバシーの権利が侵害される重大な危険にさらされる可能性があります。」
官による情報の独占
秘密の範囲が際限なく拡大することへの懸念も強い。
「行政機関が国民に知られたくない情報を「特定秘密」に指定して、国民の目から隠してしまえるということです。例えば、国民の関心が高い、普天間基地に関する情報や、自衛隊の海外派遣などの軍事・防衛問題は、「防衛」に含まれます。また、今私たちが最も不安に思っている、原子力発電所の安全性や、放射線被ばくの実態・健康への影響などの情報は、「テロリズムの防止」に含まれてしまう可能性があります。これらが、行政機関の都合で「特定秘密」に指定され、主権者である私たち国民の目から隠されてしまうかもしれません。」
1972年の沖縄返還を巡る密約問題で、外務省職員から情報を入手したとして逮捕された元毎日新聞記者の西山太吉氏は、以下のように疑問を投げかけた。
「米国の公文書公開にあわてた外務省は(密約に署名した)吉野文六・元外務省アメリカ局長に口止めし、1200トンの外交文書を焼却した。機密の処理なんて、外務省は恣意的にどんなことでも処理できる。30年たったら開示するなんて、だれが証明できる。途中で不都合なものは全部破り捨てる。これが自民党政権下における秘密の処理の実態だ。日本の現実としてよく知っておかなければいけないことだ。」
このほか、特定秘密を取り扱う公務員や民間人に「適性評価」として、外国への渡航歴やローン返済状況、精神疾患の通院歴などを調査することが盛り込まれており、プライバシーの侵害ではないかと批判されている。
国会はなぜ迷走したのか?
与党の自民・公明両党は、2012年12月の衆院選、2013年7月の参院選で続けて過半数の議席を獲得しており、与党単独でも法案を可決・成立させることができるが、野党から「強行採決」との非難を避けるため、野党の一部と修正協議に応じ、みんなの党、日本維新の会を含めた4党で修正案をまとめた。
修正協議では閣僚らによる秘密指定が妥当なのか、検証できる第三者機関の設置が焦点になったが、「設置を検討」との文言にとどまったことや、秘密の指定期間が実質最長30年から「60年」に後退した。
合意したはずの維新、みんな両党も、合意内容などを巡って党内で反発が強まり、維新は11月26日の衆院本会議の採決を棄権。みんなの党も衆院本会議で賛成したが3人の「造反者」を出したため、分裂を避けたい思惑もあり参院から棄権に回った。「慎重審議」を求める声もあるが、与党は法案を巡る混乱を年明けからの予算案審議に持ち込みたくないため、会期延長を2日と小幅にとどめ、会期内に確実に成立させる方針をとった。 
 
秘密保護法の問題点

 

プライバシーの侵害
秘密保護法には、「特定秘密」を取り扱う人を調査し、管理する「適性評価制度」というものが規定されています。
調査項目は、 ローンなどの返済状況、精神疾患などでの通院歴…等々、プライバシーに関する事項を含め、多岐にわたります。
秘密を取り扱う人というのは、国家公務員だけではありません。一部の地方公務員、政府と契約関係にある民間事業者で働く人も含まれます。
その上、本人の家族や同居人にも調査が及ぶこととなり、広い範囲の人の個人情報が収集・管理されることになります。
「特定秘密」の範囲
「特定秘密」の対象になる情報は、「防衛」「外交」「特定有害活動の防止」「テロリズムの防止」に関する情報です。
これはとても範囲が広く、曖昧で、どんな情報でもどれかに該当してしまうおそれがあります。「特定秘密」を指定するのは、その情報を管理している行政機関ですから、何でも「特定秘密」になってしまうということは、決して大袈裟ではありません。行政機関が国民に知られたくない情報を「特定秘密」に指定して、国民の目から隠してしまえるということです。
例えば、国民の関心が高い、普天間基地に関する情報や、自衛隊の海外派遣などの軍事・防衛問題は、「防衛」に含まれます。また、今私たちが最も不安に思っている、原子力発電所の安全性や、放射線被ばくの実態・健康への影響などの情報は、「テロリズムの防止」に含まれてしまう可能性があります。これらが、行政機関の都合で「特定秘密」に指定され、主権者である私たち国民の目から隠されてしまうかもしれません。
その上、刑罰の適用範囲も曖昧で広範です。どのような行為について犯罪者として扱われ、処罰されるのか、全く分かりません。
マスコミの取材・報道の自由への阻害
「特定秘密」を取得し漏えいする行為だけでなく、それを知ろうとする行為も、「特定秘密の取得行為」として、処罰の対象になります。
マスコミの記者、フリーライター及び研究者等の自由な取材を著しく阻害するおそれがあります。正当な内部告発も著しく萎縮させることになるでしょう。
国会・国会議員との関係
秘密保護法では、国会・国会議員への特定秘密の提供を厳しく制限し、国会議員も刑事罰の対象に含めるなど、国会議員の権限や国会の地位との関係でも非常に大きな問題があります。
いま、日本で必要なことは、国民を重要な情報から遠ざけ、疎外する秘密保護法をつくることではなく、情報の公表・公開を進めること、情報管理を適正化するシステムを作ることであると、日弁連は考えます。 
 
特定秘密保護法は「治安維持法」ではなく「スパイ防止法」である

 

防衛・外交などの「特定秘密」を指定する特定秘密保護法案は衆議院を通過したが、参議院では自民党の石破幹事長の失言を野党が追及し、12月6日に会期末を控えてぎりぎりの駆け引きが続いている。朝日新聞を先頭に、メディアは「特定秘密保護法反対」の大合唱だが、そのほとんどは誤解である。
一番よくある誤解は「戦前の治安維持法のように言論統制を行なう法律だ」というものだ。治安維持法はすべての国民を対象にする法律だったが、特定秘密保護法は「我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定める」(第1条)ものであり、その対象は一般国民ではない。
規制対象になる「特定秘密の取扱者」は主として国家公務員だが、政治家も含まれる。政治家の情報管理はいい加減で、2001年の同時多発テロのときは田中真紀子外相が国防総省の避難先を記者会見でしゃべってしまった。これでは作戦を事前に日本に教えると漏れてしまうので、アメリカが軍事機密を教えてくれないのだ。尖閣諸島をめぐって中国が挑発を繰り返している今、これではいざというとき日米共同作戦が取れない。
「報道の自由が侵害される」というのも誤解である。報道機関は第22条で除外されており、規制対象ではない。特定秘密の取扱者の秘密漏洩を「共謀し、教唆し、又は煽動した者」(第25条)は処罰されるが、これは今の国家公務員法や自衛隊法と同じで、特定秘密保護法で新たに処罰の対象になるわけではない。
外交機密の漏洩で有罪になった事件として有名なのは、1972年の「西山事件」だ。これは沖縄返還の際の密約を毎日新聞の西山太吉記者が社会党に渡した事件だ。これを社会党が国会で質問したとき、その文書を外務省に見せたため、情報源(外務省の局長秘書)が特定され、彼女とともに機密漏洩を「教唆」した罪で西山記者も逮捕された。
この事件は「特定秘密保護法の危険性」の例としてよく出てくるが、逆である。西山記者は現行法で逮捕されたのだから、今でもメディアの機密漏洩は処罰できる。違うのは罰則が国家公務員法や自衛隊法から特定秘密保護法に変わって、最高刑が重くなることぐらいだ。
この事件以降、記者が起訴される事件は日本では起こっていない。2001年に読売新聞が報じた外交機密費流用事件では、外務省の要人外国訪問支援室長が外交機密費7億円以上を私的なギャンブルなどにあてていたことが判明し、彼は詐欺罪で逮捕された。このときも読売が報じた情報は「外交機密」だったが、検察は起訴しなかった。
海外の例では、ニューヨーク・タイムズが国防総省のベトナム戦争についての機密文書を掲載したペンタゴン・ペーパー事件や、ワシントン・ポストがニクソン大統領のスキャンダルを暴いたウォーターゲート事件が有名だ。いずれも重大な国家機密であり、その漏洩は違法だったが、メディアは起訴されなかった。それは報道された内容の公益性が高く、機密として守るに値しないと司法当局が判断したからだ。
つまり報道の自由を守るのは、テロの定義がどうとかいう法技術論ではなく、それが本物のスクープかどうかなのだ。西山事件でも外務省は「密約はなかった」という答弁を繰り返したので、これも国家公務員法違反(虚偽答弁)である。毎日新聞社は闘うべきだったが、西山記者が秘書と「情を通じた」と起訴状に書いた検察の脅しに負けて、西山記者を退職に追い込んだ。問題は法律ではなく、記者を守れない経営陣である。
「原発反対運動が取り締まりの対象になる」ということもありえない。特定秘密は、防衛・外交・特定有害活動・テロリズムの4分野に限定されている。「財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者」(第25条)は処罰されるが、これは現行の刑法や不正アクセス禁止法とほとんど同じだ。
新たに規制の対象になる民間人は、公務員の家族や友人、それに官庁の委託業務で特定秘密にアクセスする企業の社員である。自衛隊については今でも企業に守秘義務があるが、他の官庁では曖昧なので、特定秘密の取扱者が制限され、「適性評価」をして守秘義務が課せられる。これは民間企業のやっているセキュリティ対策と同じで、官庁のほうが遅れている。
こういうスパイ防止法は、どこの国にもある。日本でも中曽根内閣のころから何度も国会に提出されたが、野党やメディアの反対でつぶされた。民主党政権でも同様の法案が検討されたので、これが日米防衛協力の障害になっていることは民主党も知っているはずだ。上にみたように、メディアのあおっている不安には根拠がない。
しかし安倍首相がこのような国防の根幹にかかわる重要法案を臨時国会に提出し、わずか1ヶ月で成立させるのは拙速である。これは国家安全保障会議(日本版NSC)が12月4日に発足するのに合わせたのだろうが、両方とも一刻を争う法案ではない。
特定秘密の指定基準は第三者機関でチェックすることになっているが、法案では明記されていない。必要以上に広い範囲の情報を特定秘密に指定し、それにアクセスする人を逮捕するようなことがあってはならない。この法案はそういう微妙な部分を政令にゆだねているので、今後も監視が必要だ。 2013/12
 
蘇る治安維持法とその時代 

 

特定秘密保護法案が、国会で可決・成立した。13日に公布され、1年以内に施行される。無理が通って道理が引っ込んだ結果、特定秘密を漏らした役人だけでなく、その内容を探ろうとした民間人まで処罰されることになった。国民には、何が秘密なのか分からないというのだから、あちこちに地雷を敷設されたようなもの。誰もが犯罪者になりうる社会の到来だ。かつてこの国では、同じような法律が制定され、国家が国民をがんじがらめに縛りつけた時代があった。
政府が秘密を指定し、それが正しいかどうかのチェックも政府が行うという。これほど権力側に都合のいい話はあるまい。どんなに否定しても、恣意的運用が横行することは目に見えている。法案審議の最後になって、「保全監視委員会」だの「情報保全監察室」だのといった訳の分からないチェック組織の名前がいくつも出てきたが、しょせんは付け焼刃。国民の目を欺くための思いつきにすぎない。嘘や隠蔽が、あたかも官僚の特権のごとく語られてきたこの国で、今度は法律がその間違った権利を保証するのである。
「参院の審議を通じて(法案への懸念)払拭に努めていきたい」。「丁寧に議論し、どこかの段階で終局に至る判断をしないといけない」。いずれも安倍晋三首相の国会答弁だ。参院での審議時間が衆院の半分程度に終わったことを見ても、この発言が真っ赤な嘘だったことは明白。さらに、委員会採決の前提となる地方公聴会の開催を委員長の職権で強行し、採決になだれ込むなど、自民、公明はやりたい放題の国会運営に終始した。慎重審議を求めた8割といわれる国民の声は、あっさりと否定された形だ。憲法を軽んじる政権だけに、「主権在民」など、はなから頭にないのだろう。
なぜこれほど反対の声が強い法案を性急に通したのか。第一に考えられるのは、予算審議を含めた政治日程を逆算しての結果だろう。来年1月からは通常国会。経済対策を含めた来年度予算案の審議が焦点となるが、4月の消費税率8%への引き上げに備え、大盤振る舞いが予想される。臨時国会では、東日本大震災を受けて、災害に備えて道路や橋などを計画的に点検・補修することなどを盛り込んだ「国土強靭化基本法」が成立している。
自民党が描く国土強靭化とは、10年間で200兆円の税金を投入し、土建国家の再構築をすることだ。1,000兆に及ぶ借金を抱えたこの国に、そんなカネがあるはずもなく、つまりはまた国債発行で賄うということになる。政府は「国土強靭化政策大綱」の案をまとめたが、案の定、鉄道や高速道路といった交通大動脈の代替ルート整備が盛り込まれている。消費増税に加え、ムダな公共事業の乱発となれば、国民の政権への批判が増大する。当然支持率は下がる。6割に上る高い支持率があるうちに、最大の懸案事項を片付けておきたかったというのが本音だろう。
危ないのはそれから先である。安倍晋三という強権政治家が最終的に狙っているのは「憲法改正」。年明けからは、その前段として、集団的自衛権の行使を容認する方向で事を進める構えだ。集団的自衛権をめぐっては、戦争放棄を定めた憲法9条との兼ね合いで「行使は許されない」という憲法解釈が確立されてきた。集団的自衛権の行使が「国を守るための必要最小限の範囲を超える」と解されるためだ。これに関しては歴代の内閣法制局長官らが同様の国会答弁を積み重ねてきたという経緯がある。
平和を守るために積み重ねられた歴史を、「戦後レジームからの脱却」などといって簡単に踏みにじることが許されるとは思えないが、安倍首相には通用すまい。すでに要となる内閣法制局長官に、集団的自衛権行使を容認する小松一郎(前駐仏大使)氏を就任させており、着々と布石を打ってきているのだ。歴史を軽んじる首相の姿勢が、国を危険な方向に導きつつあることを再認識する時期が来ている。安倍晋三がやりたいのは「戦争」なのである。
集団的自衛権の行使容認を実現した後は、なし崩し的に9条を軸とする憲法改正に向けて進むはずだが、これには時間がかかる。しかし、安倍氏が念願の国防軍を創設するためには、憲法改正が避けて通れない。直近で確実視される国政選挙は、3年後となる平成28年夏の参院選。衆院の任期は同じ年の12月までとなっており、国民はこの間、選挙で安倍政権を倒すことができない。逆に、安倍氏には平成28年までの3年間しか時間がないということになる。国家安全保障会議(日本版NSC)、特定秘密保護法案、集団的自衛権の行使容認、憲法改正と国防軍創設・・・・・。どこまで暴走を許すのか、国民の意思が問われている。
ところで、特定秘密保護法案が審議されていた参議院の本会議場で、傍聴席から靴を投げ込んだ45歳の男性が警視庁に現行犯逮捕された。国会の外では、法案に反対するデモに参加していた男性ふたりが、公務執行妨害などの疑いで逮捕されている。暗い世相を予感させる出来事だったが、秘密保護法案が成立した今の時代背景と、極めて似た状況があったことを思い起こす必要があろう。
大正12年(1923年)9月、首都圏を巨大地震が襲う。関東大震災の発生だった。死者10万5,385人、全潰全焼流出家屋29万3,387戸。壊滅的打撃を被った日本だったが、首都再建に向けての槌音を響かせるまでに時間はかからなかった。国を挙げての「復興」だ。そして、その2年後、ある法律が制定される。「治安維持法」である。
大正14年(1925年)4月に制定された同法は、共産主義拡大の抑止を目的にしたもので、資本主義と国体(天皇主権)に反対する運動を取り締まることに主眼を置いていた。その後、国際社会での日本の立場が変わるとともに、立法趣旨が拡大解釈されるようになり、昭和16年(1941年)3月に前面改正。政府批判をする勢力すべてが弾圧の対象となった。中国と泥沼の戦争を続けていた我が国が、米・英などの連合国を敵に回し、太平洋戦争を始めた年でもある。
平成23年3月の東日本大震災、国を挙げての復興への歩み(関東大震災の折のスピードはないが)、対中・韓との摩擦、震災から2年後の「特定秘密保護法」・・・。いずれもかつて治安維持法が制定された頃の流れに酷似している。下は、治安維持法の法案審議が途中で打ち切られたことを報じる大正14年の朝日新聞夕刊の紙面だ。審議打ち切り、強行採決―平成25年に現出した光景とまったく同じであることに、愕然とした。
「いつか来た道」。そう言って今の世の中に懸念を示すだけでは、済まなくなっている。秘密保護法案を成立させようとする強権政治に真っ向から立ち向かったのか?戦前と同じ過ちを犯してはいないか?報道に携わる者すべてに、歴史が問いかけている。もちろん国民にも。 2013/12 
 
治安維持法制定時の新聞を見て実感、この国はまた同じ時代を繰り返す

 

議員会館前で反対の声をあげる市民たち
永田町駅で電車を降りる。日時は2013年12月6日午後7時30分。議員会館前の舗道には、すでにおおぜいの市民が集まっていて、「特定秘密保護法絶対反対!」「安倍政権の暴挙を許すな!」「戦争のできる国にしてはいけない!」などと書き込んだ手作りのプラカードを掲げながら、シュプレヒコールを叫んでいる。安倍首相の写真をヒトラーになぞらえたデザインのチラシを手にしている年配の女性がいた。「これはどこで入手したんですか?」と訊ねれば、「自分で作りました」との答えが返ってきた。こうしたユーモアや(サウンドデモなどの)センスは、かつての安保や成田闘争などのデモにおいては、決定的に欠けていた要素だ。
……と書いたけれど、1956年生まれの緑川南京に、安保や成田闘争の実体験があるわけではない。あくまでも推測だ。そして同時に、少しやり過ぎなのでは、と思うことも事実だ。デモはどうしても過剰になるけれど、ナチスや大日本帝国への安易ななぞらえは、法案に反対する思想や意志を矮小化してしまうと思うのだ。少なくとも彼は、日本をまた戦争当事国にしたいとは思っていない。多くの人を苦しめたいとも思っていない。保守においても右翼においても、そんな人はまずいない。彼らは彼らなりに平和を求めている(はずだ)。ただその方法論と歴史観が問題なのだ。
延々と続く人々の列に沿って参議院会館前から衆議院会館前までを歩いたけれど、列はまだ途切れない。この一角だけでも1000人以上はいるだろう。ただし(メディアからはデモ隊などと呼称されているが)行進するわけではない。だって今夜にでも参院で、ほぼ1週間前の衆院と同様に強行採決が行われるかもしれないのだ。つまり秘密保護法案は成立目前だ。ならばこの時点で法案の危険性や矛盾や不備を訴える相手は、もはや一般国民ではない。最終的に法案成立を決める国会議員たちだ。
だから議員会館前に集結した市民たちは、通りを挟んだ国会議事堂に対して、必死に反対の声をあげる。世代的には圧倒的に年配者が多い。これも大学生が中心だった安保や成田闘争とは大きな違いだ。
バッグからカメラを取り出した南京は何回かシャッターを押してから、しばらくその場に佇んでいた。とはいえ周囲の人たちと一緒になって声をあげるわけではない。昔から集団行動は苦手だった。周囲と同じタイミングで同じ動きができないのだ。どうしてもずれてしまう。だから子ども時代にはフォークソングが嫌いだった。自意識過剰過ぎるせいもあるのかもしれない。大学生のころに一度だけ母校の野球の試合を見るために神宮に行ったことがあるけれど、最前列に陣取った応援団から当然のように応援の声をあげることを強要されるので、嫌気がさして途中で帰ってしまったことがある。応援しながらでは試合に集中できないし、何よりも音痴なので人前で歌いたくない。
でも今夜は帰らない。まだ帰る気にはなれない。人込みは苦手だけどここに来た。叫んだり歌ったりはできないし原稿の締め切りも抱えているけれど、とにかく今夜はこの場にいようと思う。
結局、法案はこの日の深夜に可決された
法案は結局、この日の深夜に可決された。その直後に配信された朝日新聞の記事をネットから引用する。
「国の安全保障の秘密情報を漏らした公務員や民間人に厳罰を科す特定秘密保護法が6日深夜の参院本会議で、自民、公明両与党の賛成多数により可決、成立した。秘密の範囲があいまいで、官僚による恣意(しい)的な秘密指定が可能なうえ、秘密指定の妥当性をチェックする仕組みも不十分だ。国民の「知る権利」が大きく損なわれるおそれがある。」
こうした議論は初めてではない。1985年の国会で自民党は、国家秘密法(スパイ防止法)案を議員立法として衆議院に提出した。ただしこのときは、日本社会党や公明党や日本共産党など当時の野党が強硬に反対を主張し、また自民党内で造反する議員も現れ、12月の閉会に伴って法案は廃案となった。
でも今回は成立した。法案の内容はほぼ同じだ。だから南京は考える。この28年間で(つまり自分が20代後半から現在に至るまでのあいだに)社会の何が変わったのか。どのように変化したのか。法案成立の夜から数日後、教えている大学のジャーナリズム論の授業で、南京は学生たちに質問した。一人が手をあげた。
「インターネットです」
なるほど確かに。ジュリアン・アサンジのウィキリークス事件が示すように、ネットを媒介にした機密漏洩リスクの増大は、国家にとって大きな脅威となっている。でもそれだけではない。ネットの影響は他のメディアにも及ぶ。
28年前までは、テレビと新聞と書籍や雑誌の時代だった。今はそこに、パソコンだけではなくスマートフォンなどの携帯電話やタブレット型端末なども加わった。いわばメディアの身体化だ。この帰結としてメディアの競争原理が増幅された。広告収入の減少やマーケットの縮小に危機感を抱いた既存メディアは、不安や恐怖を煽る傾向をこれまで以上に加速させる。総体としてのメディアの影響力は、28年前とは比べものにならないほどに増大した。ところがリテラシーへの意識や関心はほとんど変わっていない……。
ここまで説明してから、南京はふいに沈黙した。学生たちはどうしたのだろうというような表情で、じっと話の続きを待っている。大きく息をついてから、南京は再び話し始めた。メディアは今後も進化し続ける。ならば楽観的な要素はまったくない。間違いなく今後はもっと悪化する。
この28年間で変わったもうひとつの要素
この28年間で変わった要素のもうひとつは、テロという言葉や概念に対しての認識だ。1985年以前にもテロはいくらでもあった。ただしこの時代のテロリズムには、政治的弱者の最後の手段としての示威行為的な気配が残されていた。でも日本では1995年の地下鉄サリン事件(サリン事件がテロか否かであるかについてはとりあえず措く)、そして世界では2001年のアメリカ同時多発テロ以降、そんなニュアンスは綺麗さっぱり消えた。テロは何よりも卑劣であり、危険や邪悪の代名詞として使われるようになった。
つまり絶対悪だ。
だからこそテロ対策やテロ防止などを理由にされると反対しづらい。危機を煽るメディアの報道と相まってテロへの不安や恐怖ばかりが増大し、対策としての監視強化や管理統制が整合化される。治安や安全保障などの言葉をまぶした法律や委員会が雨後の筍のように増殖する。実際に秘密保護法成立の根拠として、テロ対策的なレトリックは頻繁に使われた。要するに「伝家の宝刀」だ。でもこの宝刀は抜きっ放し。テロ警戒中などの貼り紙やステッカーをいたるところで目にするようになった。街の監視カメラと同じように、増えれば増えるほど不安や恐怖が強くなる。こうして負のスパイラルが加速する。
差し出された新聞の見出しに呆然とした
授業終了後、早稲田大学の4年生で南京の授業をモグって聴講している杉森祐幸が、「先生これ見てください」と言いながら、手にしたスマホを南京の目の前に差し出した。何で学生のスマホを見なくてはならないんだ。僕の携帯はガラケーだからバカにしているのか。
「違いますよ。写真を見てほしいんです。治安維持法成立直前の新聞を大学の図書館で検索して、その見出しを撮影したんです」
言われてしぶしぶ見た。次の授業の準備があるから忙しいのに。でも見ると同時に呆然とした。(1)の見出しは「世論の反対に背いて治安維持法可決さる」。そして(2)は「無理矢理に質問全部終了」。どちらもどこかで目にしたばかりのフレーズだ。思わず南京は訊いた。
「……本当にこれは当時の新聞の見出しなのか?」
「当時です」
「ここ数日の見出しと変わらないじゃないか」
「まだあります」
言いながら杉本は、画面に当てた指をスライドさせながら次の写真を見せる。ガラケーしか持たない南京は、この気取ったような指の動きがどうにも憎らしいのだけど(しかも操作するときの顔も何となくドヤ顔に見える)、今はそんなことを言っている場合じゃない。(3)の見出しは「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ」。……伝家の宝刀? 一瞬だけ過去と現在がさらに入り混じったような感覚に襲われて混乱したけれど、続く小見出しの「社会運動が同法案のため抑制せられることはない」との記述で理解できた。要するに法案を拡大解釈して国民を縛ることなどありえないと(政権は)主張しているのだ。
これを見て実感した。時代はまた繰り返す
治安維持法が成立した時期は、大正デモクラシーの全盛期だ。このときの首相は護憲派のシンボル的存在であり、ロシアとの国交回復の立役者でもあった加藤高明(憲政会)だ。だからこそ政府は、ロシアの無政府主義や共産主義思想の流入に神経を尖らせた。そうした時代背景をベースにすれば、(4)の見出し「日露国交回復の日に『赤』の定義で押し問答〜定義はハッキリ下せぬが、この法案だけは必要だと言う治安維持法委員会」の意味はより明確になる。「アカ」(共産主義者)は当時、やはり国家に害を為す「絶対的な悪」の代名詞だった。ちょうど今の「テロ」のように。
……数秒だけ沈黙してから、「ここまで同じ状況だとは思わなかったな」と南京はつぶやいた。神妙な表情で杉森はうなずいた。
「いろんな人が日本はまた同じ時代を繰り返すって言っていたけれど、今ひとつピンとこなかったんです。でもこれを見て実感しました。この国はこの先どうなるのでしょう」
「……ボクはもう50代半ばを過ぎたから」
南京が不意に言った。
「もし戦争が始まっても、もうさすがに前線に行くことはないはずだ」
杉森は首をかしげる。南京が何を言おうとしているのかわからない。
「行くのはおれたち若い世代ということですか」
「そうなるね。仕方がないよ。この政権をあれほどに支持したのだから」
「支持したのは俺たちの世代だけじゃないです」
「選挙に行かないのが悪い」
「いや先生、今は誰が悪いとか悪くないとか論ずべきではなくて……」
「うるさいうるさい。とにかく悪いのはおまえたちだ!」
そう言ってから南京は、両手両足を奇妙な仕草で振りながら教室を飛び出した。どうやらパニックになったらしい。その後姿を見送りながら杉森は、こういう人はいつの時代にも一定数いたのだろうなと考えた。ぎりぎりまではそれらしく頑張るけれど、最後の瞬間にだらしなく取り乱して保身に走る。あるいは忘れたふりをする。
……とにかく何とかしなければ。スマホをポケットにいれながら杉森は思う。だってここは他人の家ではない。自分たちが暮らしている自分たちの家なのだから。遠くで南京の悲鳴が聞こえる。どうやら階段から転げ落ちたらしい。 2014/1
 
秘密保護法案は現代の新たな治安維持法 2013/12

 

盗聴も自由になる警備公安警察に市民は弾圧される
自民党の石破茂幹事長が、秘密保護法案に反対する市民のデモを「テロと本質的に変わらない」とブログで表明しました。これは一昨日のエントリー「政府のレッテル貼りで一般市民をテロリストにする秘密保護法案は日本を民主国家でなくする」の中でも批判している通り、石破茂幹事長のこの表明は秘密保護法案の危険な本質を端的にあらわしたものです。
国民から大きな批判を受けた石破茂幹事長は、このテロといった文言は撤回しましたが、一方でデモについて「本来あるべき民主主義とは相容れないものである」と改めてブログに明記しています。こうした石破茂幹事長の言動にもみられるように、秘密保護法案は弾圧立法です。この弾圧立法としての性格が最も秘密保護法案の危険な点であるということを、ジャーナリストの青木理さんが、11月24日に都内で開催された「特定秘密保護法に反対する表現者と市民のシンポジウム」の中で指摘していますので、その発言要旨を紹介します。

秘密保護法案は現代のあらたな治安維持法 (ジャーナリスト/青木理氏)
秘密保護法案は、安倍政権の右傾化とセットで語られることが多く、それは決して間違いではないと思っていますが、この秘密保護法をもっとも必要とし推進しているのは警察官僚であるという問題を考える必要があります。
民主党政権のときもほぼ同じような法案の成立を狙っていましたが、それは裏で糸を引っ張っているところがあるからです。それは内閣情報調査室です。
秘密保護法案をめぐって裏で糸を引っ張っているこの内閣情報調査室というのは、通称、「内調」と言っていますが、せいぜい200人規模の組織でたいした能力もないところではあるのですが、基本的には警察官僚の出島なんですね。警察官僚の中でも警備公安警察のトップクラスの官僚たちでほぼ構成されて、必ずトップには警備公安警察の官僚が座り、その下には警備公安警察あがりの警察官たちがいます。内閣情報調査室は、基本的には警備公安警察の出先機関で、ここが今回の法律の事務局になっているのです。
そういう視点で見てみると、今回、外交や防衛のために秘密保護法が必要と表向きは言っているのですが、この秘密保護法は、どの官僚にいちばん使い勝手がいいかと言うと警察官僚になるのです。警察官僚にいちばん使い勝手がいい法律になっているという点が重大なのです。
たとえば、ほかの省庁においては大臣が秘密を指定することになっているのですが、警察は警察庁長官が秘密を指定することになっているのです。警察庁長官というのは警察官僚の頂点の人間がなるわけです。つまり完全に警察の内部で完結するのです。外部のチェックがまったく入らないのです。
そして、秘密保護法案にテロ対策がなぜ途中で忍び込まされたかという問題です。テロ対策という名目がつけば、警察に関する情報のほぼすべてが秘密になってもおかしくないのです。ほかの外交とか防衛などの情報はある程度は秘密が限定されます。ところが、テロ対策という名目になると、ありとあらゆる警察に関する情報を全部、秘密にしかねないのです。
たとえば、警察が必死に隠していてこれは今でも全容が分からないのですが、自動車ナンバー自動読み取り装置、通称「Nシステム」ですね。こんな情報などは確実に特定秘密になるでしょう。
また、この法案を中心にすすめた警備公安警察の人員や組織形態、どんな事務所があってというようなことも確実に特定秘密になるでしょう。つまり、警察がいちばん使い勝手がよくできているのです。
そして、秘密保護法による個人の資格審査の調査を公安警察が請け負うことになります。そうすると国民のあらゆる階層の官僚と一般人の交友や男女関係、酒癖まで公然と合法的に犯罪の事実の有無は無関係に調べるお墨付きを与えることになり、盗聴も自由にできるようになります。
この秘密保護法でいちばん強化されるのは治安、警察権力なのです。治安維持、つまり内政におけるところの治安維持です。私は言葉遊びでも何でもなく、今回の秘密保護法は本当の意味での新たな治安維持法になると思っています。 
 
特定秘密の保護に関する法律 [解説]

 

■第1章 総則
第1条 目的
(目的)
第一条 この法律は、国際情勢の複雑化に伴い我が国及び国民の安全の確保に係る情報の重要性が増大するとともに、高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴いその漏えいの危険性が懸念される中で、我が国の安全保障(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めることにより、その漏えいの防止を図り、もって我が国及び国民の安全の確保に資することを目的とする。
1 趣旨
本条は、本法の目的を明らかにするものである。
2 内容
(1) 「国際情勢の複雑化に伴い我が国及び国民の安全の確保に係る情報の重要性が増大する」
本法の制定に至る状況の認識を明らかにするものである。
冷戦期の米ソ両陣営の二極構造が終焉し、一部の国が新たに影響力を増大させるなど、国家間の関係が多様化するとともに、国際テロ、大量破壊兵器の拡散等の新たな課題が生じている。
このように複雑化する国際情勢の下では、国家又は非国家の主体による国及び国民の安全を脅かす活動を予見することが困難となるため、これらの活動に関する情報を収集・整理・活用するとともに、我が国及び国民の安全を守るための情報が我が国の脅威となる国や国際テロ組織等に漏えいすることのないようその保護を図りつつ友好国等と共有することが、我が国及び国民の安全の確保のために一層重要となっている。
なお、「我が国及び国民の安全」については、下記(5)参照。
(2) 「高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴いその漏えいの危険性が懸念される」
上記(1)と並んで、本法の制定に至る状況の認識を明らかにするものである。
外国情報機関等から工作を受けた公務員による情報漏えい事案が従来から発生していることに加え、近年においては、高度情報通信ネットワーク社会の発展に伴い、各行政機関において膨大なデジタルデータが作成されている中、標的型サイバー攻撃の脅威といった新たな脅威が発生しており、政府の保有する情報がネットワーク上に掲出されれば、極めて短期間に広がるおそれがあるなど、ひとたび情報が漏えいすると、その被害は甚大なものとなる。
このように、本法の制定は、上記(1)で述べた情報の重要性の増大と、情報漏えいの危険性の懸念を背景としている。
(3) 「我が国の安全保障(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であること」本法制定の必要性を明らかにするものである。
ア 「我が国の安全保障(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)に関する情報」
平成23 年8月にとりまとめられた秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議の報告書は、「特別秘密」(注:報告書では、本法の「特定秘密」に相当するものを「特別秘密」と呼称している。)として取り扱うべき事項について、@国の安全、A外交、B公共の安全及び秩序の維持の3分野を対象とすることが適当であるとしている。報告書を踏まえ、その後の立法化作業のための検討の中で、本法の対象とすべき秘密の範囲として真に必要なものを抽出・検討したところ、本法の別表に規定する「防衛に関する事項」、「外交に関する事項」、「特定有害活動の防止に関する事項」及び「テロリズムの防止に関する事項」の4分野を対象とすることとし、本条においては、これら4分野に関する情報を我が国の安全保障に関する情報と総称している。
すなわち、我が国の安全保障に関する情報は、我が国が講ずる措置等の手の内に関する情報や、我が国が有する能力等に関する情報を含むところ、これらの情報を入手することができれば、その間隙をついたり、対抗措置を講じたりして我が国が効果的な措置を講ずることができなくすることができることから、我が国に脅威となり得る外国やテロ組織等が入手を図ろうとする情報であり、常に漏えいの危険に晒されている。また、仮に、一般の秘密と同程度の管理しか行われない状態が続けば、我が国が友好国等から安全保障に関する情報を得ることが困難となり、安全保障を確保するための我が国自身の能力が低下するばかりでなく、国際的な協力・連携が阻害されることによって我が国と友好国に共通して脅威となり得る国家やテロ組織を利することとなり、我が国の安全保障に大きな影響をもたらすことになる。このため、本法では、我が国の安全保障に関する情報について、厳格な保護措置の対象とすることとしている。
ここで、安全保障とは、一般に、外部からの侵略等の脅威に対して国家及び国民の安全を保障することを意味するとされている(浅野貴博君提出「我が国の安全保障戦略と環太平洋経済連携協定(TPP)の関係等に関する質問主意書」(内閣衆質179 第26 号))。本法の政府原案においては、括弧書きの定義は置かずに、単に「安全保障」と規定し、一般的な意味における安全保障を指すものとしていたところである。
しかしながら、本条は、衆議院における与野党(自由民主党、公明党、日本維新の会及びみんなの党をいう。以下同じ。)協議により、「(国の存立に関わる外部からの侵略等に対して国家及び国民の安全を保障することをいう。以下同じ。)」との文言が追加されて「安全保障」が本法上定義し、かつ、「国の存立に関わる」との文言によって、本法にいう「安全保障」は一般的な意義における安全保障よりも限定的なものとする修正が行われた。
ここにいう「国家及び国民の安全」を更に明確化すると、行政機関の保有する情報の公開に関する法律(平成11 年法律第42 号。以下「情報公開法」という。)第5条第3号及び行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(平成15 年法律第58 号。以下「行政機関個人情報保護法」という。)第10 条第2項第1号において、「国の安全」との文言が用いられており、本法の「安全保障」の定義における「国家及び国民の安全」も情報公開法及び行政機関個人情報保護法でいうところの「国の安全」と異なるところはない。その意義は「国家の構成要素である国土、国民及び統治体制が害されることなく平和で平穏な状態に保たれていること、すなわち、国としての基本的な秩序が平穏に維持されている状態」をいい、具体的には、「直接侵略及び間接侵略に対し、独立と平和が守られていること、国民の生命が国外の脅威等から保護されていること、国の存立基盤としての基本的な政治方式及び経済・社会秩序の安定が保たれていることなどが考えられる」とされている(総務省行政管理局編「詳解情報公開法」60・61 頁、総務省行政管理局編「解説行政機関等個人情報保護法」35 頁)。
したがって、本法にいう「安全保障」には、外部からの侵略に対する我が国の防衛や、外国の政府との交渉、協力等による我が国及び国民の安全の確保が含まれるとともに、
○ 外国の情報機関が防衛装備品の性能や外交交渉の対処方針に関する特定秘密を始めとした政府が管理する情報等を不正な方法で入手する場合や、我が国に対して害意を有する外国等が我が国に対して使用されれば甚大な被害を生じるおそれのある大量破壊兵器関連物資を不正な取引により入手する場合
○ 9.11 同時多発テロのような大規模な破壊を伴うものはもとより、政府高官の暗殺や無差別爆弾テロといったテロ活動が行われる場合には、国としての基本的な秩序の平穏が脅かされることになるため、後述の特定有害活動やテロリズムによる被害の発生・拡大の防止も本法にいう「安全保障」に含まれる。
しかしながら、本法にいう「安全保障」の範囲はあくまでも国としての基本的な秩序の平穏に関するものに限られ、例えば、サイバー攻撃により金融システムや水道等の重要インフラが機能しなくなるような事態が発生すれば「国家及び国民の安全」が害されたと言い得るが、個々の国民や企業が経済的な利益を逸失したり、犯罪行為の被害に遭ったりしたからといって、直ちに「国家及び国民の安全」が害されたことにはならない。
また、自然災害や事故への対処に関する情報については、当該情報そのものが、その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるものとして特定秘密に指定されることはない。これは、人為的に発生するものではない自然災害等に関する情報は、その漏えいを防止したとしても、発生を防止できるものでなく、また、外国やテロ組織等が関係情報を入手したとしても、対抗措置が講じられ、自然災害等への対処に直ちに支障が生じるといった性格のものではないからである。
イ 我が国の安全保障に関する「情報」
第3条第1項に関する解説2(3)イ参照。
ウ 我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものを「収集し、整理し、及び活用する」
政府において安全保障に関する情報を収集・整理・活用する重要性が増大している中、政府部内で情報共有が促進されるためには、秘密保護に関する共通ルールの確立が必要である。特に、平成25 年12 月4日に発足した国家安全保障会議の審議をより効果的に行うためにも、秘密保全に関する法制が整備されていることが必要である。
また、外国との情報共有は情報が各国において保全されることを前提に行われるものであることに鑑みても、秘密保全に関する法制の整備は喫緊の課題であり、本法は、このような必要性の下、制定された。
(4) 我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものの「保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定める」
本法の規定内容を要約したものである。
(5) 「我が国及び国民の安全の確保に資すること」
本法の窮極の目的が「我が国及び国民の安全」の確保に資することにある旨を明らかにするものである。
なお、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成15 年法律第79 号。以下「武力攻撃事態対処法」という。)や情報公開法等の他の立法例には「国及び国民の安全」と規定されているが、本法では、「外国」という語も数多く用いているため、本法の他の箇所も含め「国及び国民の安全」の「国」が我が国を指すことを明確にするため、「我が国」と規定している。
また、「国」には抽象的な意味のほか領土や国民も含むものと解されているが、武力攻撃事態対処法において、「国民の保護」を強調するためにあえて「国民」という用語を用いている(同法第1条)ところ(礒崎陽輔「武力攻撃事態対処法の読み方」9頁)、本法も国民の安全の確保を重視する観点から、あえて「国民」を明示して規定している。
第2条 行政機関
(定義)
第二条 この法律において「行政機関」とは、次に掲げる機関をいう。
一 法律の規定に基づき内閣に置かれる機関(内閣府を除く。)及び内閣の所轄の下に置かれる機関
二 内閣府、宮内庁並びに内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第四十九条第一項及び第二項に規定する機関(これらの機関のうち、国家公安委員会にあっては警察庁を、第四号の政令で定める機関が置かれる機関にあっては当該政令で定める機関を除く。)
三 国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項に規定する機関(第五号の政令で定める機関が置かれる機関にあっては、当該政令で定める機関を除く。)
四 内閣府設置法第三十九条及び第五十五条並びに宮内庁法(昭和二十二年法律第七十号)第十六条第二項の機関並びに内閣府設置法第四十条及び第五十六条(宮内庁法第十八条第一項において準用する場合を含む。)の特別の機関で、警察庁その他政令で定めるもの
五 国家行政組織法第八条の二の施設等機関及び同法第八条の三の特別の機関で、政令で定めるもの
六 会計検査院
1 趣旨
本条は、本法における「行政機関」の定義を設けるものである。
2 内容
(1) 本法における「行政機関」の範囲及び単位に関する考え方本法における「行政機関」は、情報公開法、行政機関個人情報保護法及び公文書等の管理に関する法律(平成21 年法律第66 号。以下「公文書管理法」という。)に規定する「行政機関」と同様の範囲及び単位のものとしているところ、その考え方は以下のとおりである。
ア 「行政機関」の範囲
情報公開法においては、政府の諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにすべく、国政を執行する全ての行政機関を同法の適用対象とするため、第2条第1項に規定する範囲を「行政機関」としたものであり(「詳解情報公開法」17 頁)、行政機関個人情報保護法第2条第1項及び公文書管理法第2条第1項においても、同様の趣旨から同法の「行政機関」の範囲を情報公開法と同一としている(「解説行政機関等個人情報保護法」10 頁、「改訂逐条解説公文書管理法・施行令」9・10 頁)。
本法は、政府が、安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、これを適確に保護する体制を確立した上で収集し、整理し、及び活用することが重要であることに鑑み、当該情報の保護に関し、特定秘密の指定及び取扱者の制限その他の必要な事項を定めるものであることから、情報公開法、行政機関個人情報保護法及び公文書管理法と同様に、全ての行政機関を範囲に含めることとしている。
イ 「行政機関」の単位
情報公開法においては、行政文書の開示請求は府、省、委員会又は庁が処理するべきこととされるが、施設等機関(国家行政組織法(昭和23年法律第120 号)第8条の2)及び特別の機関(同法第8条の3)の中には、その置かれている行政機関からの独立性や組織の実態に即し、これを独立の対象機関とすることが適当なものがあり得ることから、これらの機関のうち政令で定めるものについては、その置かれている行政機関から分離し、独立の対象機関とするとの情報公開法制の確立に関する意見(行政改革委員会行政情報公開部会平成8年12 月16 日)を受け、情報公開法第2条第1項第4号及び第5号において、施設等機関及び特別の機関のうち、その置かれている行政機関からの独立性や組織の実態に即し、同法上の「行政機関」として、府、省、委員会及び庁と同様に扱うことが適当なものを政令で定め、「行政機関」とすることができるとされている(「詳解情報公開法」20・21 頁)。このような考え方については、行政機関個人情報保護法第2条第1項第4号及び第5号及び公文書管理法第2条第1項第4号及び第5号においても同様である(「解説行政機関等個人情報保護法」11 頁、「改訂逐条解説公文書管理法・施行令」11・12 頁)。すなわち、情報公開法、行政機関個人情報保護法及び公文書管理法においては、他の行政機関からの独立性や組織の実態をメルクマールとし、府、省、委員会及び庁レベルの行政機関を、情報公開、個人情報保護及び公文書管理の各事務を行う「行政機関」の基本的な単位としているものと考えられる。
本法と情報公開法、行政機関個人情報保護法及び公文書管理法は、それぞれ秘密の保護、情報公開、個人情報の取扱い及び公文書管理と規律する分野は異なるものの、行政機関が保有する情報の取扱いに係るものであることは共通しており、特定秘密として指定される情報も、通常は、文書にそれが記録され、管理されるものであることから、特定秘密の指定、情報公開法に基づく開示・不開示の判断及び文書管理という一連の取扱いを、同一の行政機関の長が、秘密の保護及び国民への説明責任を果たすという観点から行うことが重要である。このため、本法における「行政機関」についても情報公開法、行政機関個人情報保護法及び公文書管理法の「行政機関」と同様のものとしている。
(2) 各号に規定される行政機関(平成26 年4月1日現在)
ア 第1号
○ 「法律の規定に基づき内閣に置かれる機関」として、内閣官房、内閣法制局、高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部、都市再生本部、構造改革特別区域推進本部、知的財産戦略本部、地球温暖化対策推進本部、地域再生本部、郵政民営化推進本部、中心市街地活性化本部、道州制特別区域推進本部、総合海洋政策本部、宇宙開発戦略本部、総合特別区域推進本部、復興庁、原子力防災会議、国家安全保障会議、国土強靱化推進本部、社会保障制度改革推進本部
○ 「法律の規定に基づき内閣の所轄の下に置かれる機関」として、人事院
イ 第2号
○ 内閣府
○ 宮内庁
○ 「内閣府設置法(平成十一年法律第八十九号)第四十九条第一項及び第二項に規定する機関(これらの機関のうち、国家公安委員会にあっては警察庁を、第四号の政令で定める機関が置かれる機関にあっては当該政令で定める機関を除く。)」として、公正取引委員会、国家公安委員会、特定個人情報保護委員会、金融庁、消費者庁
ウ 第3号
「国家行政組織法(昭和二十三年法律第百二十号)第三条第二項に規定する機関(第五号の政令で定める機関が置かれる機関にあっては、当該政令で定める機関を除く。)」として、総務省、公害等調整委員会、消防庁、法務省、公安審査委員会、公安調査庁、外務省、財務省、国税庁、文部科学省、文化庁、厚生労働省、中央労働委員会、農林水産省、林野庁、水産庁、経済産業省、資源エネルギー庁、特許庁、中小企業庁、国土交通省、観光庁、気象庁、運輸安全委員会、海上保安庁、環境省、原子力規制委員会、防衛省
エ 第4号
○ 警察庁
情報公開法、行政機関個人情報保護法及び公文書管理法のいずれも警察庁を政令で規定しているところ、本法は第5条第2項等に警察庁が「行政機関」であることを前提とした規定を設けているため、法律で規定している。
○ 警察庁を法律で規定した結果、「内閣府設置法第三十九条及び第五十五条並びに宮内庁法(昭和二十二年法律第七十号)第十六条第二項の機関並びに内閣府設置法第四十条及び第五十六条(宮内庁法第十八条第一項において準用する場合を含む。)の特別の機関」については政令で規定していない。
オ 第5号
「国家行政組織法第八条の二の施設等機関及び同法第八条の三の特別の機関で、政令で定めるもの」として、特定秘密の保護に関する法律施行令(平成26 年政令第336 号。以下「施行令」という。)第1条において、情報公開法等と同様、検察庁を規定している。
カ 第6号
会計検査院。会計検査院については、内閣に対し独立の地位を有するものの、国の収入支出の決算の検査を行うに当たり対象機関の保有する特定秘密を取り扱うことが想定されるため、情報公開法等と同じく本法の適用対象とすることとしている。
(3) その他
独立行政法人については、国が自ら主体となって直接に実施する必要のない事務を実施する機関であって、特定秘密を国から独立して保有することが想定されないため、行政機関には含めないこととしているが、適合事業者(第5条第4項から第6項まで及び第8条)として本法の適用対象となり得る。さらに、地方公共団体についても、第10 条に基づき提供を受けた場合を除き、特定秘密を指定したり保有したりすることが想定されないため行政機関には含めないこととしているが、都道府県警察については、警察庁の所掌事務を遂行する上で警察庁長官の指示を受けて特定秘密の取扱いの業務を行うことが想定されるため、一定の範囲で本法の適用対象とすることとしている。  
■第2章 特定秘密の指定等

 

第3条第1項 特定秘密の指定
(特定秘密の指定)
第三条 行政機関の長(当該行政機関が合議制の機関である場合にあっては当該行政機関をいい、前条第四号及び第五号の政令で定める機関(合議制の機関を除く。)にあってはその機関ごとに政令で定める者をいう。第十一条第一号を除き、以下同じ。)は、当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報であって、公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの(日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(昭和二十九年法律第百六十六号)第一条第三項に規定する特別防衛秘密に該当するものを除く。)を特定秘密として指定するものとする。ただし、内閣総理大臣が第十八条第二項に規定する者の意見を聴いて政令で定める行政機関の長については、この限りでない。
1 趣旨
本項は、特定秘密の指定の要件について定めるものである。
2 内容
(1) 「行政機関の長(中略)は、当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報であって、公になっていないもののうち、その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの(中略)を特定秘密として指定するものとする。」
本法では、本法の附則第4条の規定による改正前の自衛隊法(昭和29年法律第165 号。以下単に「改正前の自衛隊法」という。)上の防衛秘密と同様、実質秘(「非公知の事実であって、実質的にもそれを秘密として保護するに値すると認められるもの」(最高裁昭和53 年5月31 日決定))の中から特定秘密に該当するものを抽出・明確化するための手段として、行政機関の長による特定秘密の指定という制度を導入しており、指定に当たっては、
@別表該当性
A非公知性
B特段の秘匿の必要性
の3要件を充足することを要することとしている。すなわち、まず、指定の裁量の幅を狭めるために類型的に秘匿の必要性が高いと認められる事項を限定列挙した別表各号に該当するものに関する情報に指定の対象を絞った上で、実質秘のうち、特段の秘匿の必要性があるもののみに更に絞り込んで、特定秘密に指定するものである。
したがって、上記の3要件を満たし、行政機関の長が指定をしたものが特定秘密となる。
なお、第18 条において、政府は、我が国の安全保障に関する情報の保護等に関し優れた識見を有する者の意見を聴いた上で、特定秘密の指定に関し、統一的な運用を図るための基準を閣議決定により定めるものとされており、「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準」(以下「運用基準」という。)が平成26 年10月14 日に閣議決定された。内閣の下にある行政機関の長は、この運用基準に従って指定を行うこととなる。また、行政機関の長は、同条第4項に基づき、特定秘密の指定について改善すべき旨の内閣総理大臣の指示に服することとなる。
(2) 「行政機関の長(当該行政機関が合議制の機関である場合にあっては当該行政機関をいい、前条第四号及び第五号の政令で定める機関(合議制の機関を除く。)にあってはその機関ごとに政令で定める者をいう。第十一条第一号を除き、以下同じ。)」
本項は、第2条に規定された行政機関の単位ごとに特定秘密の保護を行うことを前提に、保護の対象となる特定秘密について、各行政機関の長が指定を行うこととしている。
なお、行政機関の中には、その任務・所掌事務の内容に鑑み、その意思決定を構成員の全会一致又は多数決にかからしめて判断の適正化を図る合議制の機関が存在するが、特定秘密の指定に係る不適切な判断は我が国及び国民の安全の確保や国民の知る権利に悪影響を及ぼす可能性があり、指定に当たっては適正な判断が強く求められるため、本項は、合議制の行政機関については、特定秘密の指定に係る意思決定を当該行政機関自体に行わせることとしている。
また、施行令第1条において行政機関として規定している検察庁については、施行令第2条において、行政機関個人情報保護法と同様、最高検察庁にあっては検事総長、高等検察庁にあってはその庁の検事長、地方検察庁にあってはその庁の検事正、及び、区検察庁にあってはその庁の対応する簡易裁判所の所在地を管轄する地方裁判所に対応する地方検察庁の検事正を行政機関の長として規定している。
(3) 「当該行政機関の所掌事務に係る別表に掲げる事項に関する情報であって」
特定秘密の指定の要件の1つとして、別表該当性について定めるものである。
ア 「当該行政機関の所掌事務に係る」
ある情報の別表該当性や特段の秘匿の必要性は、当該情報を所掌する行政機関の長でなければ判断できないと考えられる。例えば、ある機械部品に関する計測値が、防衛の用に供する武器の性能を示し、別表第1号チに該当するか否か、また、これが特段の秘匿の必要性を有するものであるか否かは、分担管理事務を所掌する行政機関の長の中では防衛大臣でなければ判断できないと考えられる。また、仮に当該情報が特定秘密に指定されるものであれば、当該情報を所掌する行政機関の長がその保護について第一義的な責任を負うべきである。このため、本項において、行政機関の長が特定秘密に指定することができる情報を当該行政機関の所掌事務に係るものに限定することとしている。
したがって、例えば、ある行政機関が、他の行政機関の所掌事務に係る情報であって、特定秘密として保護すべきではないかと思われるものを入手した場合には、当該情報を入手した行政機関の長は、自ら指定をするのではなく、関係行政機関の協力について定めた第20 条に基づき、当該他の行政機関に連絡するなどの適切な対応をとることが期待される。
ただし、ある文書中のある記載内容が、複数の行政機関の所掌事務に係る情報である場合には、当該記載内容を複数の行政機関がそれぞれの所掌事務の観点から特定秘密に指定することはあり得るが、その場合にも、第20 条に基づき、関係行政機関が協力して適切な対応をとることとなる。
イ 「別表に掲げる事項に関する情報」
(ア) 指定の対象
特定秘密の指定の対象は、情報であり、個々の文書や物件ではない。したがって、特定秘密の指定の効果は、個々の文書や物件にとどまるものではなく、情報を記録又は化体する媒体の異同にかかわらず、客観的に同一性があるもの全てに及ぶものである。すなわち、特定秘密の指定の対象たる情報の異同は、句読点、助詞、助動詞その他の表現上の異同や、媒体、表現形式によって影響を受けるものではなく、内容が同一であるか否かによって判断される。これは、特定秘密の指定を受けた情報において、秘匿を要する本質は、その内容にあるのであって、その表現形式や媒体による影響を受けるものではないからである。この点については、防衛秘密の指定の対象である「事項」と同様である。
なお、秘匿の必要性に照らして内容が同一であると考えられる限り、現存しないが将来出現することが確実であり、かつ、完全に特定し得る情報や、複数の情報を集合的に捉えたものも、本項で特定秘密の指定の対象となる情報であるといえる。例えば、適合事業者に武器の試験を行わせる場合に、試験結果が生ずれば直ちにこれを特定秘密として保護させることができるようにする必要があるのであれば、当該試験結果をあらかじめ特定秘密に指定して第5条第4項に基づき適合事業者に通知をしておくことも可能である。また、当該試験の結果に複数の計測値があるときに、これら全ての計測値が当該武器の性能を示すものであるため秘匿の必要性があるのであれば、特定秘密の指定の対象は、個々の計測値である必要はなく、例えば、「○○ミサイルの△△性能を示す××試験の計測値」といった情報をあらかじめ指定をしても差し支えない。
(イ) 「事項」と「情報」
防衛秘密制度においては、防衛秘密の指定の対象は「事項」と規定していたが、「事項」は個々の秘密の内容そのものとそれらを一定のまとまりで捉えた秘密の類型とのいずれの意味をも持ち得るものであるため、本法においては、両者の区別が明確となるよう、指定、提供、保護等の対象となる個々の特定秘密の内容そのものを「情報」と、別表に規定される特定秘密の類型を防衛秘密制度と同様に「事項」と、条文上書き分けることとしている。これを受け、本項においては「別表に掲げる事項に関する情報」との表現を用いているが、「関する」との文言により、防衛秘密制度に比して別表第1号に掲げる事項との関係で秘密の範囲が変わるわけではない。
(ウ) 「別表に掲げる事項」
運用基準U1(1)において、本法の別表に掲げる事項の範囲内でそれぞれの事項の内容を具体的に示した事項の細目を示し、特定秘密の指定の際の別表該当性の判断は、この細目に該当するか否かにより行うものとしている。この事項の細目は、我が国が現在保有している情報のうち特定秘密に指定することとなり得るものを可能な限り網羅したものであるが、仮に将来的に追加すべき事項の細目が出現した場合には、閣議決定により運用基準を改訂することとなる。
(4) 「公になっていないもの」
特定秘密の指定の要件の1つとして、非公知性、つまり、不特定多数の人に知られていない状態であることを定めるものである。
「公になっていないもの」との概念は、公にされたか否かとは別個の概念と解すべきであり、例えば、特定秘密に該当する情報を壁新聞に掲載して公道の傍らの掲示板に掲示する行為は、特定秘密を公にした行為であるが、たまたま警察官がこれを早期に発見して撤去し、誰の目にも触れなかった場合には、当該情報は「公にされた」ものの、いまだ「公になっていないもの」として、非公知性の要件は失われないものと解される。他方、例えば、特定秘密として指定した情報と同一性を有する情報が、報道機関、外国の政府その他の者により公表されていると認定する場合には、たとえ我が国の政府により公表されていなくても、「公になっていないもの」との要件を満たさず、当該特定秘密の指定は解除されることとなる。
(5) 「その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要であるもの」
特定秘密の指定の要件の1つとして、特段の秘匿の必要性について定めるものであり、ここでいう「特に秘匿することが必要であるもの」は、改正前の自衛隊法第96 条の2第1項の「特に秘匿することが必要であるもの」と同じであり、単なる秘匿の必要性だけでなく、秘匿度が通常以上に高いものであることをいう(平成13 年10 月25 日外交防衛委員会における中谷防衛庁長官答弁)。このような必要性がある場合としては、例えば、その情報が漏えいすれば、防衛、外国の政府等との交渉又は協力、特定有害活動の防止、テロリズムの防止その他安全保障のために我が国が実施する施策、取組等に関し、これらの計画、方針、措置その他の手の内やこれらのための我が国の能力が露見し、対抗措置が講じられ、我が国に対する攻撃が容易となったり、外国の政府等との交渉が困難となったり、、外国の政府その他の者との信頼関係や我が国の秘密保護に関する信用が著しく損なわれ、今後の情報収集活動や当該外国の政府等と安全保障協力等が滞ったりするなど、我が国の安全保障に著しい支障を与える事態が生じるおそれがあるため、特に秘匿することが必要である場合が考えられる。
(6) 「日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法(昭和二十九年法律第百六十六号)第一条第三項に規定する特別防衛秘密に該当するものを除く。」
日米相互援助協定等に伴う秘密保護法(昭和29 年法律第166 号。以下「MDA秘密保護法」という。)上の特別防衛秘密は、日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(昭和29 年条約第6号。以下「日米相互防衛援助協定」という。)等に基づいて米国から供与された装備品等に係る秘密という限られた情報について、本法で規定する秘匿の必要性の観点からは別個の観点で、日米相互防衛援助協定等に基づく必要な措置として保護されるものであって、本法上の特定秘密とは性格を異にしている。
このため、特別防衛秘密の保護については、引き続き、MDA 秘密保護法によることとすることが適当であると考えられることから、本法においては、改正前の自衛隊法第96 条の2第1項と同様に、MDA 秘密保護法第1条第3項に規定する特別防衛秘密に該当する情報を特定秘密として指定する情報から除くこととしている。
(7) 「ただし、内閣総理大臣が第十八条第二項に規定する者の意見を聴いて政令で定める行政機関の長については、この限りでない。」
衆議院における与野党協議により、特定秘密を指定できる行政機関の長について、第18 条第2項に規定する我が国の安全保障に関する情報の保護等に関し優れた識見を有する者の意見を聴いて定める政令で限定することを可能とするよう追加する修正が行われた。当該修正は、特定秘密の範囲が際限なく拡大することを防止し、本法の適正な運用を確保するための一つの仕組みとして理解されており、各行政機関における平成26 年6月時点の特別管理秘密の指定及び保有の状況や特定秘密の指定の見込み等を踏まえ、各行政機関とも協議の上、特定秘密を指定できる行政機関の長限定することとし、施行令第3条において、指定をしない行政機関の長を定めている。このことにより、具体的には、@国家安全保障会議、A内閣官房、B内閣府、C国家公安委員会、D金融庁、E総務省、F消防庁、G法務省、H公安審査委員会、I公安調査庁、J外務省、K財務省、L厚生労働省、M経済産業省、N資源エネルギー庁、O海上保安庁、P原子力規制委員会、Q防衛省及びR警察庁の長が指定を行う行政機関の長とされた。
なお、本項に基づき政令で定める行政機関の長については、特定秘密の指定をすることはできないこととなるものの、本法でいう行政機関には該当し、第2章以外の部分については適用対象となることから、特定秘密について我が国の安全保障上の必要による特定秘密の提供を受けることや適性評価を実施することは可能である。
 【平成25 年11 月28 日 参・国家安全保障に関する特別委員会】
○東徹君 じゃ、次の質問に移らせていただきますけれども、当初政府から示されました法律案では、特定秘密の指定権限を有する行政機関の長の範囲について限定はされていませんでした。これでは政府は何でも秘密にできてしまうというほかならず、福島県の地方公聴会でも意見が出されたように、原発事故が起きた際、きちんと県民がその状況を知らなかったというような事態が今後も生ずるのではないか、政府に対する不信感が募ってきているということなんですね。だからこそ、与党に対して指定秘密を指定する行政機関の長の範囲を限定するよう修正協議を行ってきたところであります。
本修正案の附則第三条におきましては、特定秘密を指定する権限を有する行政機関の長の範囲に限定する際に有識者の意見を聴いてというふうに規定をされ、有識者の意見を聴くものというふうにされており、一定の限定は掛かるものの、ちょっとこれでは不十分ではないのかなというふうに思います。国民の不信感を払拭するために、まずはこの法案を広く国民にも理解してもらえる法案とすることが大事というふうに考えます。
この法案の条文上、特定秘密を指定する権限を有する行政機関の長の範囲を内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、そういったところに限定することができないのかどうか、もう一度改めてお聞きしたいと思います。
○副大臣(岡田広君) お答えをいたします。
特定秘密の指定権者を内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣に限定した場合、現在、安全保障に関する情報の収集に当たっている警察庁や公安調査庁において適切な保全措置を講じることができないと考えております。新たに設置される予定の国家安全保障会議の審議をより効果的に行うためにも、三大臣に限らず、安全保障に関し特に秘匿することが必要なものについては各行政機関において指定できるようにするなど、秘密保全に関する共通ルールを確立する必要があると考えます。
また、ただいま東委員御指摘のように、特定秘密とは無縁の行政機関の長を当初から除外すべきではないかということに関しましては、維新との政党間協議によりまして衆議院での修正がなされ、法案第三条にただし書を追加し、内閣総理大臣が有識者の意見を聴いて政令で定める行政機関の長を特定秘密の指定権者から除外することとしたほか、附則第三条により、法律の施行後五年間特定秘密を保有したことがない機関として政令で定めたものについては、内閣総理大臣が有識者会議の意見を聴いて行政機関の定義から除外することができる仕組みを設けております。以上です。
(8)その他
運用基準U1(4)では、特定秘密を指定するに当たって、行政機関の長が遵守すべき事項として、
ア 3つの要件の該当性の判断は、厳格に行い、特定秘密として保護すべき情報を漏れなく指定するとともに、当該情報以外の情報を指定する情報に含めないようにすること。
イ 公益通報の通報対象事実その他の行政機関による法令違反の事実を指定し、又はその隠蔽を目的として、指定してはならないこと。
ウ 国民に対する説明責任を怠ることのないよう、指定する情報の範囲が明確になるよう努めること。
を明記している。
第3条第2項及び第3項 指定の記録と特定秘密の表示等
(特定秘密の指定)
第三条
2 行政機関の長は、前項の規定による指定(附則第五条を除き、以下単に「指定」という。)をしたときは、政令で定めるところにより指定に関する記録を作成するとともに、当該指定に係る特定秘密の範囲を明らかにするため、特定秘密である情報について、次の各号のいずれかに掲げる措置を講ずるものとする。
一 政令で定めるところにより、特定秘密である情報を記録する文書、図画、電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られる記録をいう。以下この号において同じ。)若しくは物件又は当該情報を化体する物件に特定秘密の表示(電磁的記録にあっては、当該表示の記録を含む。)をすること。
二 特定秘密である情報の性質上前号に掲げる措置によることが困難である場合において、政令で定めるところにより、当該情報が前項の規定の適用を受ける旨を当該情報を取り扱う者に通知すること。
3 行政機関の長は、特定秘密である情報について前項第二号に掲げる措置を講じた場合において、当該情報について同項第一号に掲げる措置を講ずることができることとなったときは、直ちに当該措置を講ずるものとする。
1 趣旨
第3条第2項及び第3項は、行政機関の長が、特定秘密の指定をしたときに、指定に関する記録を作成するとともに、指定をした特定秘密の範囲を明らかにするために措置を講ずることについて定めるものである。
2 内容
(1) 第2項「政令で定めるところにより指定に関する記録を作成する(中略)ものとする」
第3条第1項に関する解説2(3)イ(アで述べたとおり、特定秘密の指定の対象は情報であり、特定秘密に指定された情報であるか否かは句読点、助詞、助動詞その他の表現上の異同や、媒体、表現形式によって影響を受けるものではなく、内容が同一であるか否かによって判断されることから、かかる情報の内容と指定が行われた事実を行政機関の長が明らかにし、これを把握するとともに、有効期間の設定、解除その他当該特定秘密の保護のために必要な措置を可能とするため、行政機関の長は、指定をしたときには、指定に関する記録を作成するものとしている。
具体的には、施行令第4条において、特定秘密の指定及びその解除を適切に管理するための帳簿(以下「特定秘密指定管理簿」という。)に、指定をした年月日、指定の有効期間及びその満了する年月日、指定に係る特定秘密の概要等を記載し、又は記録することにより行うものとしている。
(2) 第2項「当該指定に係る特定秘密の範囲を明らかにするため、特定秘密である情報について、次の各号のいずれかに掲げる措置を講ずるものとする。」
ア 「当該指定に係る特定秘密の範囲を明らかにするため」
本法は、特定秘密を本法に定める厳格な保護の対象とし、その漏えい等に国家公務員法(昭和22 年法律第120 号)等に基づく守秘義務違反よりも重い罰則を科すものであることから、指定された情報とそれ以外の情報を明確に区別できるようにすることは、特定秘密を適確に保護する観点からも、また、開示できる文書を公開すること等により政府の有するその諸活動を国民に説明する責務を全うする観点からも、極めて重要である。このため、行政機関の長は、指定をしたときには、特定秘密である情報について、特定秘密の表示(第1号)又は当該情報を取り扱う者への通知(第2号)を行うものとしている。
なお、防衛秘密制度においては、改正前の自衛隊法第96 条の2第2項第1号又は第2号に定める標記又は通知が指定の要式行為とされ、これらの措置を講じたことをもって指定行為は完了するものとされていたが、本項第1号及び第2号の措置はそのような要式行為としての性格を有するものではなく、指定行為は、行政機関の長が指定をしたとき、実際には、行政機関の長が、当該行政機関の決裁手続に従い、指定の決裁文書に決裁をしたときに完了することとなる。
イ 第1号「特定秘密である情報を記録する文書、図画、電磁的記録(中略)若しくは物件又は当該情報を化体する物件」
「文書」とは、文字その他の符号をもって一定の情報を表示した書類等の物件であり、「図画」とは、形象を表示した物件で、写真、設計図、映画のフィルム等を含むものである。また、「電磁的記録」とは、サーバー等の記憶媒体上になされた記録そのものを指し、「(特定秘密である情報を記録する)物件」とは、文書及び図画を除いたあらゆる物件のことであり、録音テープ、フロッピーディスク、デジタル情報を蓄積している電子機器等を含む。本法では、特定秘密が記録された電磁的記録がUSB メモリー等の外部記録媒体に記録されている場合には、電磁的記録そのものに表示の記録をするほか、当該外部記録媒体に表示をすることがあることから、文書、図画、電磁的記録に加え、「(特定秘密である情報を記録する)物件」を明示することとしている。
ウ 第1号「特定秘密である情報を記録する(中略)電磁的記録」及び「電磁的記録にあっては、当該表示の記録を含む。」
「表示」とは、外部へあらわし示すこと、又は図表にして示すことをいう(新村出編「広辞苑」第6版2,395 頁)とされているが、電磁的記録に表示をした場合、特定秘密の表示もまた電磁的記録であり、当該特定秘密である情報を記録する電磁的記録が記録媒体に保存されている状態では認識できない、すなわち外部へあらわし示されていないが、これがその用に供される際等に電子計算機等の画面に表示された場合には、認識できるものとなり、当該特定秘密の指定に係る特定秘密の範囲を明らかにすることができる。このため、特定秘密の表示に、電磁的記録にあっては当該表示の記録を含ませることとしている。
エ 第1号「政令で定めるところにより」
施行令第5条において、特定秘密の表示は、特定秘密文書等(特定秘密である情報を記録する文書、図画、電磁的記録若しくは物件又は当該情報を化体する物件をいう。以下同じ。)の区分に応じ、その見やすい箇所に印刷、押印その他これらに準ずる確実な方法等によりするものとしている。
オ 第2号「特定秘密である情報の性質上前号に掲げる措置によることが困難である場合」
ある情報が有体物に記録され、又は化体されている場合には、物理的には特定秘密の表示を行うことが可能であるが、特定秘密の指定の対象はあくまでも情報であるため、特定秘密の表示を行うことができない場合が存在する。
例えば、ある情報が有体物に記録され又は化体されている場合であっても、当該物件が小さすぎて表示を付すスペースがない場合など、物理的に表示をすることが困難である場合があるが、これに限らず、第5条第4項に基づき適合事業者に特定秘密を保有させるときのように、現存しないが、将来出現することが確実かつ完全に特定し得る情報で、出現すると同時に保護を与えなければならない場合には、「特定秘密である情報の性質上前号に掲げる措置によることが困難である場合」として、通知により特定秘密の範囲を明確にすることとしている。
カ 第2号「政令で定めるところにより」
施行令第6条において、通知は、特定秘密である情報について指定の有効期間が満了する年月日及び特定秘密の概要を記載した書面により行うものとしている。
(3) 第3項「当該情報について同項第一号に掲げる措置を講ずることができることとなったときは、直ちに当該措置を講ずるものとする」
上記(2)オで述べたとおり、第2項第2号に基づく通知は、同項第1号に基づく特定秘密の表示によることが困難な場合に行うものであり、特定秘密の範囲を明らかにする方法としては特定秘密の表示による方が、当該情報を見たときに直ちにそれが特定秘密であることを認識することができるため、優れていると考えられることから、これが可能となった場合には直ちに特定秘密の表示を行うものとすることとしている。
なお、施行令第7条において、本項の規定により特定秘密の表示を行ったときは、特定秘密指定管理簿にその旨を記載し、又は記録するものとしている。
第4条第1項〜第6項 特定秘密の有効期間
(指定の有効期間及び解除)
第四条 行政機関の長は、指定をするときは、当該指定の日から起算して五年を超えない範囲内においてその有効期間を定めるものとする。
2 行政機関の長は、指定の有効期間(この項の規定により延長した有効期間を含む。)が満了する時において、当該指定をした情報が前条第一項に規定する要件を満たすときは、政令で定めるところにより、五年を超えない範囲内においてその有効期間を延長するものとする。
3 指定の有効期間は、通じて三十年を超えることができない。
4 前項の規定にかかわらず、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務を全うする観点に立っても、なお指定に係る情報を公にしないことが現に我が国及び国民の安全を確保するためにやむを得ないものであることについて、その理由を示して、内閣の承認を得た場合(行政機関が会計検査院であるときを除く。)は、行政機関の長は、当該指定の有効期間を、通じて三十年を超えて延長することができる。ただし、次の各号に掲げる事項に関する情報を除き、指定の有効期間は、通じて六十年を超えることができない。
一 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物(船舶を含む。別表第一号において同じ。)
二 現に行われている外国(本邦の域外にある国又は地域をいう。以下同じ。)の政府又は国際機関との交渉に不利益を及ぼすおそれのある情報
三 情報収集活動の手法又は能力
四 人的情報源に関する情報
五 暗号
六 外国の政府又は国際機関から六十年を超えて指定を行うことを条件に提供された情報
七 前各号に掲げる事項に関する情報に準ずるもので政令で定める重要な情報
5 行政機関の長は、前項の内閣の承認を得ようとする場合においては、当該指定に係る特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置を講じた上で、内閣に当該特定秘密を提示することができる。
6 行政機関の長は、第四項の内閣の承認が得られなかったときは、公文書等の管理に関する法律(平成二十一年法律第六十六号)第八条第一項の規定にかかわらず、当該指定に係る情報が記録された行政文書ファイル等(同法第五条第五項に規定する行政文書ファイル等をいう。)の保存期間の満了とともに、これを国立公文書館等(同法第二条第三項に規定する国立公文書館等をいう。)に移管しなければならない。
1 趣旨
特定秘密はこれを厳格に保護する必要があるが、一方で、無制限に特定秘密が指定されたり、特定秘密の指定が解除された後に、特定秘密であった情報が記録された行政文書等が不適切に廃棄されたりし、国民が後に何が特定秘密として指定されていたかを検証することができないような事態は適切ではない。そこで、本条では、有効期間に関する詳細な規定を設けることとしている。
2 内容
(1) 第1項
ア 「行政機関の長は、指定をするときは(中略)有効期間を定めるものとする」
本法においては、特定秘密の指定の要件を欠くに至った場合には、指定を行った行政機関の長に対し、速やかに指定の解除を行うことを法律上義務付けることとしている(第4条第7項に関する解説参照)。
しかしながら、別表該当性、非公知性、特段の秘匿の必要性という特定秘密の指定の要件のうち、特に特段の秘匿の必要性については、秘密を取り巻く諸情勢を踏まえた専門的・技術的判断を要する。例えば、ある自衛隊の装備品の性能(例えば空対空ミサイルの性能)に関する情報の秘匿の必要性については、当該装備品に用いられている技術水準の進展のみならず、諸外国が保有する対抗手段の能力(例えば、戦闘機の運動性、ステルス性等)等の様々な情勢を踏まえて判断する必要がある。また、他国の政府から信頼関係に基づき入手した国際テロ組織の動向に関する情報の秘匿の必要性を判断するに当たっては、相手国政府における当該情報の取扱い状況も勘案する必要がある。
このように、特定秘密の指定の解除には各種情報を収集した上で総合的かつ高度な判断を要するところ、特定秘密は、その漏えいを防止するため、取扱者を限定するなど厳格に管理されており、そのアクセスが限られている。このため、特定秘密の指定の要件充足性に仮にも漏れが生じることがないよう、特定秘密ごとに指定の理由の再検証を行うまでの有効期間を設定し、定期的にこれを確認することを法律上義務付けることとしている。
イ 「当該指定の日から起算して五年を超えない範囲内において」
特定秘密の指定の有効期間については、個々の情報に応じて特定秘密の特質が異なり、これに伴い指定の要件充足性の再検証のために適切な期間も異なることから、法律で一律の期間を規定することは適切ではない。しかしながら、あまりに長期の有効期間が設定される場合には、指定の速やかな解除の義務付けを補足するという有効期間設定の趣旨にもとることとなるため、本法では、有効期間満了時に要件を満たす場合には更新することを可能としつつ、設定できる有効期間に上限を設けることとしている。
そして、その上限として規定する期間については、特定秘密の対象分野の中で、防衛分野において中長期にわたる装備品の取得や更新を含めた防衛態勢の構築を期間を定めて計画的に行うことを制度化しており、その見積りや計画の多くが5年ごとに作成されるものであることから、特定秘密の有効期間の上限を5年とすることとしている。
なお、施行令第8条において、指定の有効期間が満了したときは、特定秘密であった情報を記録する文書、図画、電磁的記録若しくは物件又は当該情報を化体する物件にされている特定秘密の表示の抹消をした上で、指定有効期間満了表示をすること、当該指定の際に通知を受けた者及び当該特定秘密について指定をした行政機関の長から提供を受けた者に対し、当該指定の有効期間が満了した旨を書面により通知すること並びに当該指定の有効期間が満了した旨等を特定秘密指定管理簿に記載し、又は記録することとしている。
(2) 第2項
ア 「行政機関の長は(中略)有効期間を延長するものとする。」
有効期間満了時に指定の要件充足性を確認した結果、なお指定の要件充足性が認められた場合に、当該指定の有効期間を延長することにより当該指定を維持させるものである。
なお、運用基準V1(1)において、時の経過に伴い指定の理由に係る特段の秘匿の必要性を巡る状況が変化している中、更に当該指定の有効期間を延長するときは、書面又は電磁的記録により、その判断の理由を明らかにしておくものとし、特に、慎重な判断を要する場合を列挙している。
イ 「政令で定めるところにより、」
施行令第9条において、特定秘密の指定の有効期間を延長したときは、当該指定の際に通知を受けた者及び当該特定秘密について指定をした行政機関の長から提供を受けた者に対し、当該指定の有効期間を延長した旨及び延長後の当該指定の有効期間が満了する年月日を書面により通知すること並びに当該指定の有効期間を延長した旨等を特定秘密指定管理簿に記載し、又は記録することとしている。
(3) 第3項〜第6項
第3項から第6項までの規定は、政府原案における第3項が、衆議院における与野党協議により修正されたものである。
ア 政府原案
政府原案においては、公文書管理法において行政文書の保存期間の当初の設定期間は原則として最長で30 年とされていること、諸外国における行政文書の国立公文書館等への移管の期間の目安が30 年とされていることなどから、特定秘密の指定は30 年が原則であるとの基本的な考え方の下で、指定の有効期間が通じて30 年を超えることとなるときは、指定を行った行政機関の長が指定の要件を満たしているか否か確認するだけではなく、内閣として指定を延長することの適否を承認することとしていた。これは、情報公開法第1条及び公文書管理法第1条にも規定されているとおり、政府は、「その諸活動を」「国民に説明する責務」を有していることを踏まえ、特定秘密の指定が長期間にわたって継続している場合には、その指定をした行政機関の長の判断だけにかからしめるのではなく、内閣として、より高次の立場から指定を継続することの適否を検証する機会を設けることが適切であると考えられるからである。
 【政府原案】
(指定の有効期間及び解除)
第四条
3 行政機関(会計検査院を除く。)の長は、前項の規定により指定の有効期間を延長しようとする場合において、当該延長後の指定の有効期間が通じて三十年を超えることとなるときは、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務を全うする観点に立っても、なお当該指定に係る情報を公にしないことが現に我が国及び国民の安全を確保するためにやむを得ないものであることについて、その理由を示して、内閣の承認を得なければならない。この場合において、当該行政機関の長は、当該指定に係る特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置を講じた上で、内閣に当該特定秘密を提供することができる。
イ 衆議院における与野党協議による修正
(ア) 第3項及び第4項について
指定の有効期間の上限を原則として30 年とすることを規定している。その上で、通じて30 年を超えた有効期間の延長は、内閣の承認にかからしめることとされた。
さらに、30 年を超えて延長した場合であっても、各号に規定した一定の情報を除き、通じて60 年を超えることができないこととされた。
当該修正は、特定秘密が恣意的に拡大することを抑止するために設けられたものと理解されている。
なお、通じて30 年を超える有効期間の延長を内閣が承認するか否かの判断は、通じて60 年を超える場合ではなくても、運用基準V1(4)において、第4条第4項各号に掲げる事項に関する情報であることを基本とし、特に慎重に行うものとするとしている。また、内閣の承認の下で指定の有効期間が30 年を超えて延長された後も、5年を超えない範囲内においてその有効期間を定め、さらに延長する場合にはその都度、第4項に基づき内閣の承認を得なければならない。(特定秘密の指定・解除・有効期間については別添1参照)
 【平成25 年11 月29 日 参・国家安全保障に関する特別委員会】
○井上哲士君 そこで、四党の修正案提案者にお聞きするんですが、この修正では指定の有効期限の上限を原則六十年とされました。報道を見ている限り、協議の中で維新の会やみんなの党から六十年という提案はされていないようなんですが、修正協議の中で一体誰が六十年ということを言われたのか、そしてなぜ五十年でも七十年でもなく六十年になったのか、それぞれお答えいただきたいと思います。
○衆議院議員(桜内文城君) お答えします。
この有効期間の延長の上限についてでありますけれども、私ども、元々最初の政府案におきまして問題視しておりましたのが、三十年を原則上限とするという文言であったんですけれども、そこから内閣の承認があれば無限に延長できるというような制度の立て付けになっておりましたので、それはさすがにいかぬだろうということで、何かしら上限を設けるべきだということを主張いたしました。
その際、特に六十年ということによほど意味があるわけではありませんけれども、三十年というのがまず原則とすれば、そこから毎年五年ごとに内閣の承認を得て延ばしていくとしても、普通に考えましてやはり倍が、倍の六十年というものが上限にふさわしいのではないかということで、そこは与党との話合いの中で今回六十年を、延長する場合であっても六十年を上限とするというふうな形になっていった次第でございます。
そして、その際、私どもの方は、単にその上限を設ける、政府案が無限に延長できるという立て付けだったものですから、上限が必要だということと併せて政府に修正案として申入れをいたしましたのが、三十年を超えて延長した場合に内閣の承認が得られなかった場合、あるいは有効期間がその後やってきてそれで指定が解除される場合、いずれもこれはやはりそのまま国立公文書館に移管されずに廃棄されるものがあってはいけないと、やはり検証に堪える、歴史的な意味でも検証に堪えるものとする必要があるということで、全て公文書館に移管するというふうな形の修正をお出しいたしまして、これは与野党で合意したところでございます。
○井上哲士君 つまり、維新の会が六十年を提案したという理解でいいんですか。
○衆議院議員(桜内文城君) 上限を設けろということがメーンの主張でありまして、その年限が五十年なのか六十年なのかというところは与野党の話合いの中で出てきた数字です。ちなみに、そのときに私の記憶では、与野党で話合いをする中で、アメリカの例を取れば七十五年が一応の上限になっているという例を聞きまして、それよりも短いものにしようというふうな修正協議の中身であったと記憶しております。
○井上哲士君 各党そういう認識でよろしいんでしょうか。今のでいいますと誰が提案したのかよく分からないのですが、いかがでしょうか。
○衆議院議員(大口善徳君) 今、桜内委員がおっしゃったように、アメリカの方は二十五年、それから五十年超、七十五年超と、こういう節目節目があります。それで、例えば、スパイの場合です、要するに人的な情報源の場合ですね、今三十歳としたならば三十年後は六十歳で御存命なわけですよね。さらに、六十年後であってもこれは御存命の場合があると、あるいはその家族があるということで、やはり人的な情報源というものは、これは例外は認めざるを得ないんですね。ですから、アメリカも七十五年超の場合も認めているんです。
そういうことで、三十年でまず区切ると。三十年を超えた場合は内閣の承認が必要であると。その場合は、そして六十年で更に絞ると。三十年、三十五年、ずっと五年ずつ内閣の承認を必要とする。六十年になりますと、これは七項目なんですが、これ、私が質問しまして、総理も答弁していただきましたけれども、三十年の段階でもこの七項目を基本とするという形でやらさせていただいています。
いずれにしましても、半永久的に延びるということはいかがなものかと、こういう御指摘があって、維新の会さんからそういうお話もありましたので、それを踏まえて、アメリカの制度も踏まえてやらせていただいたと。ちなみに、イギリスは百年超というような基準もございます。以上です。
 【平成 25 年12 月5日 参・国家安全保障に関する特別委員会】
○和田政宗君 これは、修正合意した政党同士で必ずやるという固い決意を国民の皆様にも示したいというふうに私は思っております。
本法案の修正議決、これ衆議院のものでございますけれども、秘密の期限について、六十年で原則指定解除となりますけれども、七項目の例外が設けられました。しかしながら、例外については行政の裁量で拡大解釈のおそれがあります。更に絞り込むべきと考えますが、いかがでしょうか。
○政府参考人(鈴木良之君) お答えします。
特定秘密の指定の有効期間を通じて六十年を超えて延長しようとする場合、当該特定秘密の指定を延長しようとする行政機関の長がその該当性を判断した上で内閣の承認を得ることとなり、例外が恣意的に拡大解釈されるおそれはないものと考えております。
また、例外的に六十年を超えて特定秘密の指定を延長することができる場合として、暗号や人的情報源に関する情報等に加えまして、これらに準ずるもので政令に定める重要な情報を規定をしておりますが、例外的に六十年を超えて延長できる場合についての規定であることに鑑みまして、同規定は極めて限定的に解すべきと考えておりまして、また現時点ではこれに該当するものは想定しておりません。
○和田政宗君 ちょっと、政治家の発言として、そして大臣の発言として聞きたいんですが、同じ質問、大臣いかがでしょうか。
○国務大臣(森まさこ君) 今審議官の方でお答えをさせていただいたとおりでございますけれども、五年以内のものが三十年、三十年で原則公文書館に移管、そしてその後の六十年の場合の七項目でございますけれども、これはしっかりと内閣の承認を得てまいりますので、例外が恣意的に拡大解釈されるおそれはないものというふうに考えております。
そして、具体的に絞り込むべきではないかというような御意見でございますけれども、これは極めて限定的に解すべきと考えておりますし、これについても有識者会議の皆様の御意見を聴いてしっかりと適正に運用をしてまいりたいと思います。
(イ) 第5項について
通じて30 年を超える有効期間の延長について内閣の承認を得るために、有効期間の延長の承認を求める閣議において、閣議室で当該特定秘密が記録された文書等を回覧することを予定している。このため、当該特定秘密を保有する行政機関の長が一定の保護措置を講じた上で、内閣に特定秘密を提示することができる旨を定めるものである。
内閣に提示する際の保護措置については、施行令第10 条において、特定秘密文書等をそれが外部から見ることができないような運搬容器に収納し、施錠した上で、延長の承認を得ようとする行政機関の長が、当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員のうちから指名するものに当該運搬容器を携行させることとしている。
(ウ) 第6項について
特定秘密が記録されている行政文書についても、公文書管理法の適用を受け、特定秘密の指定が解除され、当該行政文書の保存期間が満了した場合に、歴史公文書等に該当するものは、国立公文書館等に移管されることとなる。
さらに、本法では、30 年を超えて有効期間を延長することについて内閣の承認が得られなかった場合には、当該指定に係る情報が記録された行政文書ファイル等を、保存期間満了後に国立公文書館等に移管することとされた。
30 年にわたって特定秘密に指定された情報が記録された文書であることを踏まえると、当該情報が記録された文書は、通常、歴史公文書等に該当するものと考えられる。その上で、当該修正により、内閣の承認を得られなかった場合、関係文書を国立公文書館等に移管するとあえて明記したのは、不承認の結果、特定秘密であった情報が明らかになることをおそれた行政機関が、恣意的な判断でこれを廃棄することを防止することにあると理解されている。
さらに、当該修正の趣旨に鑑み、運用基準V3(1)において、指定の有効期間が通じて30 年を超える特定秘密に係る情報であって、その指定を解除し、又は指定の有効期間が満了したものを記録する行政文書のうち、保存期間が満了したものは、公文書管理法第8条第1項の規定にかかわらず、すべて歴史公文書等として国立公文書館等に移管するものとされている。また、運用基準V3(2)において、指定の有効期間が通じて30 年以下であるが25 年を超える特定秘密を記録するものについては、当該行政文書に長期間にわたり特定秘密に指定された情報が記録されていることを踏まえ、当該行政文書が歴史資料として重要なものでないか否か特に慎重に判断するものとしている。
第4条第7項 解除
(指定の有効期間及び解除)
第四条
7 行政機関の長は、指定をした情報が前条第一項に規定する要件を欠くに至ったときは、有効期間内であっても、政令で定めるところにより、速やかにその指定を解除するものとする。
1 趣旨
本項は、指定を行った行政機関の長に対し、指定の理由を欠くに至った場合には速やかに指定を解除して、その外形を除去する義務について定めるものである。
2 内容
(1) 「行政機関の長は、指定をした情報が前条第一項に規定する要件を欠くに至ったときは(中略)速やかにその指定を解除するものとする」
指定後に非公知性又は特段の秘匿の必要性を欠くに至った場合、何らの措置を待つまでもなく当然に指定の効力は消滅することになる。しかしながら、仮に効力消滅後も外形上指定が継続した場合、必要以上に秘匿されることとなり、国民の知る権利との関係で問題が生じ、ひいては本法制に対する国民の信頼が損なわれるおそれがある。そこで、特定秘密の指定の要件を欠くに至ったときは、指定の外形の除去が確実かつ速やかに行われることを確保するため、指定を行った行政機関の長に対し、速やかに指定の解除を行うことを法律上義務付けることとしている。
また、特段の秘匿の必要性を巡る状況の変化、情報公開・個人情報保護審査会による答申、独立公文書管理監による監察・是正等により、指定された特定秘密の一部を特定秘密として取り扱うことを要しなくなる場合が生じ得る。このような場合には、当該部分を指定の対象から外し、当該部分を記録した文書等から特定秘密の指定の外形を速やかに除去することが必要となる。特定秘密の指定の一部解除を行うことについては、本法、施行令、運用基準において明記されていないが、特定秘密の指定及び解除という制度に内在するものとして、指定された特定秘密の一部を特定秘密として取り扱うことを要しなくなった場合には、行政機関の長は元の指定を維持したまま、その一部を解除することができるものと解される。なお、仮に一部解除が適当な状況において、いったん指定を全部解除し、改めて必要部分を再指定するとすれば、実質的に同一の情報であるにもかかわらず、有効期間の延長に内閣の承認を得るまでの期間である通算30 年の積算をやり直すこととなり、不適切である。 なお、改正前の自衛隊法には、防衛秘密の指定の解除制度は設けられていないが、指定の要件を欠くに至ったときは速やかに標記の抹消等の措置を講ずることとされており(自衛隊法施行令(昭和29 年政令第179 号)第113 条の12)、実質的には解除と同等の制度が設けられている。
(2) 「有効期間内であっても」
第4条第1項から第6項までの規定に関する解説2(1)アで述べたとおり、特定秘密の有効期間は、特定秘密の指定の要件充足性に仮にも漏れが生じることがないよう定期的にこれを確認することを法律上義務付けることとしたものであり、有効期間内であれば指定の要件を欠いても指定を継続することを許容するものではない。上記(1)のとおり、指定の要件を欠くに至った場合、何らの措置を待つまでもなく当然に指定の効力は消滅することになるのであって、その場合には、有効期間内でも指定を解除し、指定の外形を除去すべきことは当然である。その上で本項では、このことを確認的に規定し、指定の理由を欠いた場合に指定の解除が確実かつ速やかに行われるよう万全を期することとしている。
(3) 「政令で定めるところにより」
施行令第11 条において、指定を解除したときは、特定秘密であった情報を記録する文書、図画、電磁的記録若しくは物件又は当該情報を化体する物件にされている特定秘密の表示の抹消をした上で、指定を解除した旨の表示をすること、当該指定に係る通知を受けた者及び指定をした行政機関の長から当該特定秘密の提供を受けた者に対し、当該指定を解除した旨及びその年月日を書面により通知すること並びに当該指定を解除した旨等を特定秘密指定管理簿に記載し、又は記録することとしている。
第5条第1項 行政機関における特定秘密の保護措置
(特定秘密の保護措置)
第五条 行政機関の長は、指定をしたときは、第三条第二項に規定する措置のほか、第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、当該行政機関において当該指定に係る特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲を定めることその他の当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置を講ずるものとする。
1 趣旨
本項は、行政機関の長が、指定をしたときに、当該行政機関において講ずる特定秘密の保護措置について定めるものである。
2 内容
(1) 「第三条第二項に規定する措置のほか」
第3条第2項に定める特定秘密を明確化するための措置は、指定された特定秘密の範囲を明らかにするという独自の意義を持つと同時に、これにより特定秘密の保護にも資するものであることから、本項においても当該措置「のほか」と規定するものである。
(2) 「第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、当該行政機関において当該指定に係る特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲を定めること」
下記(4)の「特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置」の例示であり、特定秘密ごとに、指定の都度、その取扱いの業務を行わせる職員の範囲を指定することを下記(4)の政令で規定する。
(3) 「特定秘密の取扱いの業務」
「特定秘密の取扱い」とは、特定秘密である情報を記録する文書、図画、電磁的記録若しくは物件又は当該情報を化体する物件の作成、運搬、交付、保管、廃棄その他の取扱い及び特定秘密の伝達に係る事務をいい、「業務」とは、人の社会生活上の地位に基づいて反復・継続される行為をいう。
本法においては、行政機関、都道府県警察及び適合事業者において安全保障上の必要により特定秘密が取り扱われる際には、特定秘密の取扱いの業務として行われることを前提として特定秘密の取扱者の制限や罰則に関する規定を置いており、特定秘密の取扱いの業務を行う者は、特定秘密を取り扱うこと自体を担当業務とされれば、特定秘密を取り扱うことの頻度、程度や、特定秘密を取り扱うことが常態的であることは必ずしも必要とされるものではない。
(4) 「当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める措置」
施行令第12 条第2項において、同条第1項の規定に基づき定めた下記の措置の実施に関する規程に従い、指定をした特定秘密に関しこれらの措置を講ずることとしている。
@ 特定秘密の保護に関する業務を管理する者の指名(第1号)
A 職員に対する特定秘密の保護に関する教育(第2号)
B 特定秘密の保護のために必要な施設設備の設置(第3号)
C 第11 条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちからの特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲の決定(第4号)
D 特定秘密を取り扱う場所への立入り及び機器の持込みの制限(第5号)
E 特定秘密を取り扱うために使用する電子計算機の使用の制限(第6号)
F 前2号に掲げるもののほか、特定秘密文書等の作成、運搬、交付、保管、廃棄その他の取扱いの方法の制限(第7号)
G 特定秘密の伝達(特定秘密文書等の交付以外の方法によるものに限る。第18 条第8号において同じ。)の方法の制限(第8号)
H 特定秘密の取扱いの業務の状況の検査(第9号)
I 特定秘密文書等の奪取その他特定秘密の漏えいのおそれがある緊急の事態に際し、その漏えいを防止するため他に適当な手段がないと認められる場合における焼却、破砕その他の方法による特定秘密文書等の廃棄(第10 号)
J 特定秘密文書等の紛失その他の事故が生じた場合における被害の発生の防止その他の措置(第11 号)
K 前各号に掲げるもののほか、特定秘密の保護に関し必要なものとして運用基準(第18 条第1項の基準をいう。以下同じ。なお、運用基準については第18 条第2項に関する解説参照。)で定める措置(第12号)
運用基準U6において、本規程には、
○ 上記措置及び特定秘密の保護に関する業務の実施体制の構築その他特定秘密を適切に保護するために必要な事項を定めるものとすること。
○ 施行令第12 条第1項第2号の職員に対する特定秘密の保護に関する教育について、当該規程が定められた行政機関に属する本法第11 条各号に規定する者を含めて実施することその他必要な事項を定めるものとすること。
○ 緊急の事態における施行令第12 条第1項第10 号の廃棄について、危機管理及び公文書の管理に万全を期するため、次に掲げる事項その他必要な事項を定めるものとすること。
・ 廃棄をする場合には、あらかじめ行政機関の長の承認を得ること。ただし、その手段がない場合又はそのいとまがない場合には、廃棄後、速やかに行政機関の長に報告すること。
・ 廃棄をした場合には、廃棄をした特定秘密文書等の概要、同号の要件に該当すると認めた理由及び廃棄に用いた方法を記載した書面を作成し、行政機関の長に報告すること。
・ 上記の報告を受けた行政機関の長は、当該廃棄をした旨を内閣保全監視委員会及び内閣府独立公文書管理監に報告すること。
を規定しており、また、行政機関の長は、規程を定めようとするときは、あらかじめ、その案を内閣総理大臣に通知するものとしている。
施行令第12 条第1項第10 号の緊急の事態に際する廃棄については、例えば、有事などの際、自衛隊の航空機が不時着し、運搬中の特定秘密が記録された文書等が奪取されるおそれがある場合等緊急やむを得ない極めて例外的な場合においては、特定秘密が漏えいすることを防止するため、行政文書の保存期間満了前に特定秘密が記録された文書等を廃棄することが全く否定されるものではないと考えられる。このため、公文書管理法第3条の「特別の定め」として、施行令第12 条第2項において、同条第1項第10 号に係る規程に従い、同号に掲げる措置を講ずることとしたものである。
第5条第2項及び第3項 都道府県警察における特定秘密の保護措置
(特定秘密の保護措置)
第五条
2 警察庁長官は、指定をした場合において、当該指定に係る特定秘密(第七条第一項の規定により提供するものを除く。)で都道府県警察が保有するものがあるときは、当該都道府県警察に対し当該指定をした旨を通知するものとする。
3 前項の場合において、警察庁長官は、都道府県警察が保有する特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲その他の当該都道府県警察による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項について、当該都道府県警察に指示するものとする。この場合において、当該都道府県警察の警視総監又は道府県警察本部長(以下「警察本部長」という。)は、当該指示に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその職員に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。
1 趣旨
第5条第2項及び第3項は、警察庁長官が指定をした場合において、当該指定に係る特定秘密で都道府県警察が保有するものがあるときの措置について定めるものである。
2 内容
(1) 第2項「警察庁長官は」
警察における特定秘密の指定については、国内外の関係機関と情報交換を行い、全国警察の関連情報を集約し、分析評価を行っている警察庁のみが適切な判断を行うことができると考えられることから、都道府県警察が収集した情報を含め、警察庁長官が警察における特定秘密の指定を行うこととしている。
(2) 第2項「指定をした場合において、当該指定に係る特定秘密(第七条第一項の規定により提供するものを除く。)で都道府県警察が保有するものがあるとき」
本項は、警察庁長官が、都道府県警察から提供を受けた情報について指定をしたときを念頭に置いたものである。
都道府県警察は行政機関たる警察庁とは別の機関であるが、両者は、国の警察機関であるか、都道府県の警察機関であるかの差異はあるものの、いずれも、警察法(昭和29 年法律第162 号)上、公共の安全と秩序の維持に当たるという同一の責務を負っているものであり、同一の行政機関において上下関係にある部局と同様に、当該情報は都道府県警察においても秘匿の必要性があることに変わりはない。したがって、本条第2項及び第3項において警察庁長官は、都道府県警察から提供を受けた情報について指定をしたときは、当該都道府県警察に対して指定した旨を通知するとともに、当該特定秘密の保護に関し必要な事項を指示することとし、当該都道府県警察において、当該指示に従い、保護の措置を講ずることを定めることとしている。
(3) 第3項「都道府県警察が保有する特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲」
下記(4)の「当該都道府県警察による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項」の例示であり、特定秘密の取扱いの業務を行わせる提供先の都道府県警察の職員の範囲等の警察庁長官による指示事項を下記(4)の政令で規定する。
(4) 第3項「当該都道府県警察による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項」
施行令第13 条において、施行令第12 条第1項各号に掲げる措置、保有する特定秘密についての表示・通知、有効期間が延長された際の通知並びに有効期間が満了した際及び指定が解除された際の特定秘密の表示の抹消等の措置の実施に関する事項を規定している。
(5) 第3項「当該都道府県警察に指示する」
例えば、具体的なテロ計画(特定秘密)を警察庁が入手した場合、警察庁長官は、テロの未然防止のために講ずる警備実施や関係者の追跡等の措置について、警察法第16 条第2項に基づき、関係都道府県警察を指揮監督することとなるが、これに伴い特定秘密の保護のための措置についても、必要な指揮監督を都道府県警察に行うこととなる。このような指揮監督を具体化するものとして、本項において、警察庁長官は、当該特定秘密の保護に関し必要な事項について、「当該都道府県警察に指示するものとする」ことを規定している。
本法において、特定秘密の保護に関し講ずる措置は、あくまで都道府県警察の責務として行う事務であることから、「命令」ではなく「指示」という用語を用いている。
第5条第4項〜第6項 適合事業者における特定秘密の保護措置
(特定秘密の保護措置)
第五条
4 行政機関の長は、指定をした場合において、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために特段の必要があると認めたときは、物件の製造又は役務の提供を業とする者で、特定秘密の保護のために必要な施設設備を設置していることその他政令で定める基準に適合するもの(以下「適合事業者」という。)との契約に基づき、当該適合事業者に対し、当該指定をした旨を通知した上で、当該指定に係る特定秘密(第八条第一項の規定により提供するものを除く。)を保有させることができる。
5 前項の契約には、第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、同項の規定により特定秘密を保有する適合事業者が指名して当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる代表者、代理人、使用人その他の従業者(以下単に「従業者」という。)の範囲その他の当該適合事業者による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項について定めるものとする。
6 第四項の規定により特定秘密を保有する適合事業者は、同項の契約に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその従業者に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。
1 趣旨
第5条第4項から第6項までの規定は、行政機関の長が指定をした場合において、適合事業者に、当該指定に係る特定秘密を保有させることができること及びその場合の措置について定めるものである。
2 内容
(1) 第4項「行政機関の長は、指定をした場合において(中略)契約に基づき、当該適合事業者に対し、当該指定をした旨を通知した上で、当該指定に係る特定秘密(第八条第一項の規定により提供するものを除く。)を保有させることができる」
第3条第1項に関する解説2(3)イ(アで述べたとおり、本法においては、現存しないが、将来出現することが確実かつ完全に特定し得る情報も、特定秘密の指定の対象となる情報となる。第5条第4項は、このような情報について、契約に基づき、適合事業者(下記(3)参照)に、指定をした旨を通知した上で、保有させることができる旨規定するものである。具体的には、例えば、適合事業者に、武器等の試験を行わせる場合や武器の部品等の物件を製造させる場合であって、試験結果が生じ、又は物件が製造されると同時に保護を与えなければならないときに、直ちにこれを特定秘密として保護させることができるようにする必要があるとき等を念頭に置いている。このような場合、行政機関は、指定をした時点において、当該特定秘密に係る情報を保有しておらず、また、当該行政機関から適合事業者への特定秘密の提供もないことから、特定秘密を保有する行政機関の長が、契約に基づき、適合事業者に当該特定秘密を提供する場合について規定した第8条とは別途、規定を設けることとしたものである。
(2) 第4項「その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために特段の必要があると認めたとき」
本項に基づき、特定秘密を適合事業者に保有させることができる場合について定めるものである。
「特段の必要がある」とは、特定秘密を適合事業者に保有させなければ、当該行政機関の所掌事務の遂行が立ち行かないような、いわば非代替性が認められることをいう。
(3) 第4項「物件の製造又は役務の提供を業とする者で、特定秘密の保護のために必要な施設設備を設置していることその他政令で定める基準に適合するもの(以下「適合事業者」という。)」
本法で特定秘密を保有させ又は提供することができる行政機関及び都道府県警察以外の事業者の基準について定めるものである。
施行令第14 条において、施行令第12 条第1項各号に掲げる措置と同等の措置の実施に関する規程を定めており、かつ、当該規程に従ってこれらの措置を講ずることにより、特定秘密を適切に保護することができると認められることとしている。
(4) 第4項「契約に基づき」
ここでいう「契約」は、行政機関と適合事業者との間で、第5項に規定する特定秘密の保護に関し必要な事項について定める、いわば秘密保護契約であり、行政機関と物件の製造又は役務の提供について直接の契約関係にない下請業者に特定秘密を保有させる必要がある場合には、当該特定秘密の取扱いに関する秘密保護契約は、当該下請業者と直接締結する必要がある。
(5) 第5項「第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、同項の規定により特定秘密を保有する適合事業者が指名して当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる代表者、代理人、使用人その他の従業者(以下単に「従業者」という。)の範囲」 下記(6)の「当該適合事業者による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項」の例示であり、特定秘密の取扱いの業務を行わせる提供先の適合事業者の従業者の範囲を定めること等の、本項の契約で定めることを下記(6)の政令で規定する。
(6) 第5項「当該適合事業者による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項」
施行令第15 条において、施行令第12 条第1項各号に掲げる措置と同等の措置、保有する特定秘密についての表示・通知、有効期間が延長された際の通知、有効期間が満了した際及び指定が解除された際の特定秘密の表示の抹消等の措置並びに当該特定秘密の取扱いの業務を行う従業者について、第12 条第1項第3号に規定する事情があると認められた場合における行政機関の長に対する報告その他の措置の実施に関する事項を規定している。  
■第3章 特定秘密の提供

 

第6条 他の行政機関への特定秘密の提供
(我が国の安全保障上の必要による特定秘密の提供)
第六条 特定秘密を保有する行政機関の長は、他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために当該特定秘密を利用する必要があると認めたときは、当該他の行政機関に当該特定秘密を提供することができる。ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、この項の規定により当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない。
2 前項の規定により他の行政機関に特定秘密を提供する行政機関の長は、当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲その他の当該他の行政機関による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項について、あらかじめ、当該他の行政機関の長と協議するものとする。
3 第一項の規定により特定秘密の提供を受ける他の行政機関の長は、前項の規定による協議に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその職員に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。
1 趣旨
本条は、行政機関の長が、我が国の安全保障上の必要により、他の行政機関に特定秘密を提供することができること及びその手続その他の事項について定めるものである。
2 内容
(1) 第1項「特定秘密を保有する行政機関の長は」
本条に基づき、特定秘密を他の行政機関の長に提供する主体について定めるものであり、「特定秘密を保有する」とあるとおり、行政機関の長が自ら指定した特定秘密を提供する場合のみならず、当該行政機関が他の行政機関の長から提供を受けた特定秘密を第三者たる他の行政機関に提供する場合も含む。ただし、後者の場合については下記(3)参照。
(2) 第1項「他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために当該特定秘密を利用する必要があると認めたとき」
本条に基づき、安全保障上の必要により特定秘密を他の行政機関の長に提供することができる場合について定めるものである。
防衛秘密制度について規定する改正前の自衛隊法においては、防衛省・自衛隊の秘密を保護するため、同省を中心とした防衛秘密の保護について規定し、自衛隊の任務遂行上特段の必要がある場合に限り他の行政機関の職員に防衛秘密の取扱いの業務を行わせることができることとしていた。しかしながら、我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、その取扱いについての政府の共通のルールを定めるものであるという本法の性格から、本法では、本条により、安全保障上の必要により行政機関相互間で特定秘密を提供できることとし、特定秘密の政府内における共有と活用が円滑に行われるようにしている。
本項においては、この安全保障上の必要を「他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために当該特定秘密を利用する必要がある」と規定している。これは、提供先となる他の行政機関が、その安全保障に関する所掌事務を遂行するため、当
該特定秘密を利用する必要がある場合のことであり、本項では、更に「(前略)のうち別表に掲げる事項に係るもの」として、このような所掌事務をより限定・明確化している。
このような安全保障上の必要により提供を受けた場合、提供を受けた他の行政機関も、その安全保障に関する所掌事務を遂行するために、その職員に当該特定秘密を反復・継続して取り扱わせる必要があり、また、このような取扱いの業務を行う職員は外国の情報機関等の諜報活動の対象となる可能性が高いと考えられる。このため、本法においては、下記(5)以下に述べるとおり、提供を受けた他の行政機関においても、特定秘密を取り扱う職員を適性評価により特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者のみに制限するなど特定秘密の保護に関し必要な措置を講ずることとしている。これにより、特定秘密を提供する行政機関にとって、提供の手順と提供後に講じられる保護措置が明らかとなり、特定秘密の共有と活用が促進されるものと考えられる。
なお、本項においては、「(前略)認めたとき」としており、提供する行政機関の長が、提供先となる他の行政機関が、その安全保障に関する所掌事務を遂行するため、当該特定秘密を利用する必要があるか否かを判断することとしている。
(3) 第1項「ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(中略)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない」
行政機関の長が、他の行政機関の長から提供を受けた特定秘密を第三者たる他の行政機関に提供する場合には、指定をした行政機関の長が当該特定秘密の保護について第一義的な責任を負うことから、その同意を得ることとするものである。すなわち、例えば、行政機関Aの長が、その指定に係る特定秘密を、直接又は行政機関X、Y、Z・・・(X、Y、Z・・・のいずれも特定秘密に指定していない場合)を介して、行政機関Bに提供し、当該特定秘密を行政機関Bの長が行政機関Cに提供する場合には、行政機関Bの長は行政機関Aの長の同意を得る必要がある。
(4) 第1項「当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、この項の規定により当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)」
本規定中の括弧書きは、行政機関Aの長が、その指定に係る特定秘密aを行政機関Bに提供したところ、これを行政機関Bの長も特定秘密bに指定をした場合、その後、行政機関Aの長が特定秘密aかつbを行政機関Cにも提供するときには、行政機関Aの長は、特定秘密bの指定をした行政機関Bの長の同意を得る必要はないことを定めるものである。すなわち、本規定でいう「当該保有する行政機関」は行政機関Aを、「当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関」は行政機関Bを、「当該特定秘密」は特定秘密a かつbを、それぞれ指す。
第3条第1項に関する解説2(3)アで述べたとおり、ある文書中のある記載内容が、複数の行政機関の所掌事務に係る情報である場合には、当該記載内容を複数の行政機関がそれぞれの所掌事務の観点から特定秘密に指定することはあり得るところ、特定秘密が複数の行政機関の間を流通し、かつ、そのうちのいくつかの行政機関がそれぞれの所掌事務の観点から重ねて指定をした場合、当該特定秘密を新たに他の行政機関に提供するには指定をした全ての行政機関の長の同意を得なければならないとすれば、各行政機関の長は、自らが指定をした特定秘密を提供した後、他のどの行政機関が特定秘密に指定しているのか把握した上で、指定をした全ての行政機関の長の同意を得なければならず、事務が繁雑となって、行政機関相互間での特定秘密の共有を阻害することになりかねない。このため、このような場合には、自らが特定秘密に指定する以前に指定をしていた行政機関の長の同意を得れば足りるものとすることが合理的であると考えられるため、本規定中の括弧書きを置くこととしている(提供に際して他の行政機関の長の同意が必要な場合の説明については別添2参照)。
(5) 第2項「当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲」
下記(6)の「当該他の行政機関による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項」の例示であり、特定秘密の提供を受けた行政機関において当該特定秘密の取扱いの業務を行わせる職員の範囲を指定すること等の事項を下記(6)の政令で規定する。
(6) 第2項「当該他の行政機関による当該特定秘密の保護に関し必要なものとして政令で定める事項」
施行令第17 条において、施行令第12 条第1項各号に掲げる措置、保有する特定秘密についての表示・通知、有効期間が延長された際の通知並びに有効期間が満了した際及び指定が解除された際の特定秘密の表示の抹消等の措置の実施に関する事項を規定している。
(7) 「前項の規定による協議に従い、当該特定秘密の適切な保護のために必要な措置を講じ、及びその職員に当該特定秘密の取扱いの業務を行わせるものとする。」
本条に基づき提供された特定秘密は、提供を受けた行政機関において、改めて指定をされることなく、直ちに特定秘密として取り扱われることとなる。
第7条 都道府県警察への特定秘密の提供
第七条 警察庁長官は、警察庁が保有する特定秘密について、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために都道府県警察にこれを利用させる必要があると認めたときは、当該都道府県警察に当該特定秘密を提供することができる。
2 前項の規定により都道府県警察に特定秘密を提供する場合については、第五条第三項の規定を準用する。
3 警察庁長官は、警察本部長に対し、当該都道府県警察が保有する特定秘密で第五条第二項の規定による通知に係るものの提供を求めることができる。
1 趣旨
本条は、警察庁長官が、その所掌事務の遂行上必要がある場合に、都道府県警察に特定秘密を提供することができること及びその手続その他の事項について定めるものである。
2 内容
(1) 第1項「警察庁長官は」
第5条第2項及び第3項に関する解説2(1)参照。
(2) 第1項「警察庁が保有する特定秘密」
警察庁長官が自ら指定した特定秘密を提供する場合のみならず、警察庁が他の行政機関の長から提供を受けた特定秘密を含む点については、第6条第1項と同じである。
(3) 第1項「その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために都道府県警察にこれを利用させる必要があると認めたとき」
本条に基づき、安全保障上の必要により特定秘密を都道府県警察に提供することができる場合について定めるものである。
本項は、第6条第1項の規定と規定振りが異なっているが、これは、第5条第2項及び第3項に関する解説2(2)で述べたとおり、警察庁と都道府県警察とは、警察法上、公共の安全と秩序の維持に当たるという同一の責務を負っているものであり、特定秘密の指定も警察庁の所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するためのものであり、提供を受ける都道府県警察の観点からその必要性を判断する必要がないから、「他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち」と規定する必要がないためである。
(4) 第2項
第5条第2項及び第3項に関する解説2(3)から(5)参照。
(5) 第3項
本法では、特定秘密を保有する行政機関の長等がこれを提供できる場合を規定していることから、警察庁長官が、都道府県警察が保有する情報を特定秘密に指定し、第5条第2項に基づき警察本部長に通知した場合に、当該特定秘密の提供を求めることができ、この場合には、当該都道府県警察は当該特定秘密を警察庁に提供することができる旨を定めるものである(第10 条第2項に関する解説参照)。
第8条 適合事業者への特定秘密の提供
第八条 特定秘密を保有する行政機関の長は、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために、適合事業者に当該特定秘密を利用させる特段の必要があると認めたときは、当該適合事業者との契約に基づき、当該適合事業者に当該特定秘密を提供することができる。ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、第六条第一項の規定により当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない。
2 前項の契約については第五条第五項の規定を、前項の規定により特定秘密の提供を受ける適合事業者については同条第六項の規定を、それぞれ準用する。この場合において、同条第五項中「前項」とあるのは「第八条第一項」と、「を保有する」とあるのは「の提供を受ける」と読み替えるものとする。
3 第五条第四項の規定により適合事業者に特定秘密を保有させている行政機関の長は、同項の契約に基づき、当該適合事業者に対し、当該特定秘密の提供を求めることができる。
1 趣旨
本条は、行政機関の長が、その所掌事務の遂行上必要がある場合に、適合事業者に特定秘密を提供することができること及びその手続その他の事項について定めるものである。
2 内容
(1) 第1項「特定秘密を保有する」
行政機関の長が自ら指定した特定秘密を提供する場合のみならず、当該行政機関が他の行政機関の長から提供を受けた特定秘密を含む点については、第6条第1項と同じである。
(2) 第1項「その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために、適合事業者に当該特定秘密を利用させる特段の必要があると認めたとき」
本条に基づき、安全保障上の必要により特定秘密を適合事業者に提供することができる場合について定めるものである。
本項は、第6条第1項の「他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち別表に掲げる事項に係るもの」との規定と規定振りが異なっているが、これは、適合事業者への特定秘密の提供は、特定秘密を保有する行政機関の所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するためのものであり、提供を受ける適合事業者の観点からその必要性を判断する必要がないことから「他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち」と規定する必要がないためである。
また、本項で「特段の必要がある」と規定しているのは、第5条第4項と同様、特定秘密を適合事業者に保有させなければ、当該行政機関の所掌事務の遂行が立ち行かないような、いわば非代替性が認められることをいい、印刷や製本のように、当該行政機関で行うことが可能である場合は、「特段の必要」がないということになる。
(3) 第1項「契約に基づき」
第5条第4項の「契約」と同じく、秘密保護契約であり、行政機関と物件の製造又は役務の提供について直接の契約関係にない下請業者に特定秘密を保有させる必要がある場合にも、当該特定秘密の取扱いに関する秘密保護契約は、当該下請業者と直接締結する必要がある。
(4) 第1項「ただし(中略)同意を得なければならない。」
第6条に関する解説2(3)参照。
(5) 第2項
第5条第4項〜第6項に関する解説2(5)及び(6)参照。
(6) 第3項
第7条第3項と同様、本法では、特定秘密を保有する行政機関等がこれを提供できる場合を規定していることから、第5条第4項に基づき、行政機関の長が、適合事業者に特定秘密を保有させた場合に、当該特定秘密の提供を求めることができ、この場合には、当該適合事業者は当該特定秘密を行政機関に提供することができる旨を定めるものである。
第9条 外国の政府又は国際機関への特定秘密の提供
第九条 特定秘密を保有する行政機関の長は、その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために必要があると認めたときは、外国の政府又は国際機関であって、この法律の規定により行政機関が当該特定秘密を保護するために講ずることとされる措置に相当する措置を講じているものに当該特定秘密を提供することができる。ただし、当該特定秘密を保有する行政機関以外の行政機関の長が当該特定秘密について指定をしているとき(当該特定秘密が、第六条第一項の規定により当該保有する行政機関の長から提供されたものである場合を除く。)は、当該指定をしている行政機関の長の同意を得なければならない。
1 趣旨
本条は、行政機関の長が、我が国の安全保障上の必要により、外国の政府又は国際機関(以下「外国の政府等」という。)に特定秘密を提供することができることを定めるものである。
2 内容
(1) 「特定秘密を保有する行政機関の長」
行政機関の長が自ら指定した特定秘密を提供する場合のみならず、当該行政機関が他の行政機関の長から提供を受けた特定秘密を含む点については、第6条第1項と同じである。
(2) 「その所掌事務のうち別表に掲げる事項に係るものを遂行するために必要があると認めたとき」
本条に基づき、安全保障上の必要により特定秘密を外国の政府等に提供することができる場合について定めるものである。
本項は、第6条第1項の「他の行政機関が我が国の安全保障に関する事務のうち別表に掲げる事項に係るもの」との規定と規定振りが異なっているが、これは、外国の政府等への特定秘密の提供の場合、安全保障上の必要により提供するものであるか否かは、行政機関の長が当該特定秘密を提供する目的によって判断すべきものであるためである。
(3) 「この法律の規定により行政機関が当該特定秘密を保護するために講ずることとされる措置に相当する措置を講じているもの」
特定秘密は、安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものであり、本法に定める厳格な保護の対象とされ、その漏えい等に国家公務員法等に基づく守秘義務違反よりも重い罰則を科されるものであることから、外国の政府等に提供した場合にもこれが適確に保護されることが確保されるよう、行政機関の長が特定秘密を提供することができる外国の政府等を、第5条第1項、第11 条等に基づき行政機関が講ずることとされている措置に相当する措置を講じているものに限定するものである。
外国の政府等に特定秘密を提供するに当たり、このような措置が当該外国の政府等において講じられることを確認する方法としては、まず、「秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との協定」を始めとする、近年我が国がいくつかの国と締結している秘密保護協定により提供する方法が考えられる。秘密保護協定においては、秘密情報の提供を受ける締約国政府において、これを提供する締約国政府により与えられている保護と実質的に同等の保護を与えること等を約していることから、これにより提供する場合には、本法の規定により行政機関が講ずる保護措置に相当する措置が外国の政府等においても講じられると認めることができる。
また、秘密保護協定による場合以外であっても、特定秘密を提供する行政機関の長が、当該外国の政府等における秘密保護制度を知悉した上で、当該外国の政府等との間で、当該特定秘密について、本法の規定により行政機関が講ずる保護措置に相当する措置を講ずることを書面等により確認する方法によって提供することも考えられる。
(4) 「ただし(中略)同意を得なければならない。」
第6条に関する解説2(3)・(4)参照。
第10 条第1項 行政機関の長による公益上の必要による特定秘密の提供
(その他公益上の必要による特定秘密の提供)
第十条 第四条第五項、第六条から前条まで及び第十八条第四項後段に規定するもののほか、行政機関の長は、次に掲げる場合に限り、特定秘密を提供するものとする。
一 特定秘密の提供を受ける者が次に掲げる業務又は公益上特に必要があると認められるこれらに準ずる業務において当該特定秘密を利用する場合(次号から第四号までに掲げる場合を除く。)であって、当該特定秘密を利用し、又は知る者の範囲を制限すること、当該業務以外に当該特定秘密が利用されないようにすることその他の当該特定秘密を利用し、又は知る者がこれを保護するために必要なものとして、イに掲げる業務にあっては附則第十条の規定に基づいて国会において定める措置、イに掲げる業務以外の業務にあっては政令で定める措置を講じ、かつ、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたとき。
イ 各議院又は各議院の委員会若しくは参議院の調査会が国会法(昭和二十二年法律第七十九号)第百四条第一項(同法第五十四条の四第一項において準用する場合を含む。)又は議院における証人の宣誓及び証言等に関する法律(昭和二十二年法律第二百二十五号)第一条の規定により行う審査又は調査であって、国会法第五十二条第二項(同法第五十四条の四第一項において準用する場合を含む。)又は第六十二条の規定により公開しないこととされたもの
ロ 刑事事件の捜査又は公訴の維持であって、刑事訴訟法(昭和二十三年法律第百三十一号)第三百十六条の二十七第一項(同条第三項及び同法第三百十六条の二十八第二項において準用する場合を含む。)の規定により裁判所に提示する場合のほか、当該捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する者以外の者に当該特定秘密を提供することがないと認められるもの
二 民事訴訟法(平成八年法律第百九号)第二百二十三条第六項の規定により裁判所に提示する場合
三 情報公開・個人情報保護審査会設置法(平成十五年法律第六十号)第九条第一項の規定により情報公開・個人情報保護審査会に提示する場合
四 会計検査院法(昭和二十二年法律第七十三号)第十九条の四において読み替えて準用する情報公開・個人情報保護審査会設置法第九条第一項の規定により会計検査院情報公開・個人情報保護審査会に提示する場合
1 趣旨
本条は、行政機関の長が、我が国の安全保障以外の公益上の必要により、特定秘密を提供する場合について定めるものである。
2 内容
(1) 見出し「その他公益上の必要による特定秘密の提供」
特定秘密を提供する必要がある場合は安全保障上の必要によるときに限られるものではなく、国会での審議、犯罪の捜査、裁判、情報公開、許認可手続等のために安全保障以外の公益上の必要により、国会、捜査機関、裁判所、他の行政機関、地方公共団体等の機関等に特定秘密を提供することが必要となる場合があり得る。
そして、安全保障以外の公益上の必要があると認められる業務において使用する場合には、反復・継続して特定秘密を取り扱う可能性が高くない中で、これらの機関等の職員等に一律に適性評価を行わせるのは困難としても、提供する行政機関にとっては、当該特定秘密が漏えいすれば、その安全保障に関する所掌事務の遂行に著しい支障を与えるおそれがあるため、本条において列挙した場合にのみ、安全保障以外の公益上の必要により特定秘密を提供することとしたものである。
(2) 柱書「第四条第五項、第六条から前条まで及び第十八条第四項後段に規定するもののほか(中略)次に掲げる場合に限り」
本法では特定秘密を保有する行政機関の長等がこれを提供できる場合を規定していることから、行政機関の長は、
○ 第4条第5項に基づき通じて30 年を超えて有効期間を延長する場合の内閣への提示
○ 第6条から第9条までの規定に基づく安全保障上の必要による提供
○ 第18 条第4項後段に基づく内閣総理大臣への特定秘密である情報を含む資料の提出
以外には、本項に基づく場合に限って特定秘密を提供することを定めたものである。
(3) 柱書「提供するものとする」
政府原案では「提供することができる」としていたが、衆議院における与野党協議により修正された。
国会に対する特定秘密の提供をめぐり、国会において必要な保護措置が講じられた場合、原則として、「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがない」と認められ、国会に特定秘密を提供することとなるが、「提供することができる」との規定は、特定秘密の提供が行政機関の長の裁量であるかのような誤解を与えるものであったため、「提供するものとする」と修正し、行政機関の長による特定秘密の提供が義務であることを明確にしている。
(4) 第1号
本項各号においては、行政機関の長が、本項に基づき特定秘密を提供する場合を列挙している。各号列記の考え方は、第1号においては、行政機関の長が、提供の都度、@イ若しくはロの業務又は公益上特に必要があると認められるこれらに準ずる業務において当該特定秘密を利用する場合であり、A提供先において当該特定秘密を保護するために必要な措置が講じられ、B我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認められるという要件を満たしているか否かを判断する場合を規定しており、第2号から第4号までにおいては、法律上、特定秘密を含む文書等を提示することが義務付けられ、かつ、当該文書等が提供先から第三者に開示されないことが担保されている(したがって、行政機関の長が、提供の都度、要件を充足しているか判断する余地のない)、いわゆるインカメラ審査において、特定秘密を提供することが想定される場合を規定している。
ア 「次に掲げる業務」
(ア) 「イ 各議院又は各議院の委員会若しくは参議院の調査会が(中略)行う審査又は調査であって(中略)公開しないこととされたもの」
国会の本会議又は委員会若しくは参議院の調査会の審査又は調査であって、秘密会とされる場合を規定している。
国会法(昭和22 年法律第79 号)第104 条では、行政機関は、報告又は記録の提出を求められたときは、その求めに応じなければならない(第1項)としつつ、一方で、その求めに応じないときは、その理由を疎明しなければならず(第2項)、さらに、国家の重大な利益に悪影響を及ぼす旨の内閣の声明があった場合には報告又は記録の提出をする必要がないとされており(第3項)、かかる報告又は記録に特定秘密が含まれる場合、その性格に鑑みれば、これを公開する形で提供することは、国家の重大な利益に悪影響を及ぼすものとして、最終的には声明を出すことになるものと、通常、考えられる。
しかしながら本法は、国会において特定秘密を保護するために必要な措置(下記エ参照)が講じられることとなれば、行政機関の長は、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認められないごく一部の例外(下記カ参照)を除き、国家の重大な利益に悪影響を及ぼすものではないとして、国会法第104 条第3項に基づく声明を出すことなく、国会の求めに応じ、秘密会に特定秘密を提供することとするものである。したがって、本号に基づき特定秘密を提供するに当たっては、提供の要件を満たす必要があるが、本法は、憲法第62 条の適用を変更するものではなく、むしろ同条に規定されるいわゆる国政調査権に資するものである。
(イ) 「ロ 刑事事件の捜査又は公訴の維持であって、刑事訴訟法(中略)第三百十六条の二十七第一項(中略)の規定により裁判所に提示する場合のほか、当該捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する者以外の者に当該特定秘密を提供することがないと認められるもの」
刑事事件の捜査又は公訴の維持であって、当該捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する警察等の捜査機関の職員、検察官等以外の者に当該特定秘密を提供することがない場合を規定している。
刑事訴訟法(昭和23 年法律第131 号)においては、公務員若しくは公務員であった者本人又は当該公務所から職務上の秘密に関するものであることを申し立てたときは、当該監督官庁の承諾がなければ押収することができない(第103 条、第222 条第1項)との規定があり、行政機関の長は、裁判所や捜査機関に対し、特定秘密が記録された文書等の押収を拒むことが可能である*1。
一方で、特定秘密の漏えい事件等の捜査において、捜査機関が漏えい等の対象となった特定秘密の内容を承知していなければ、例えば、被疑者の具体的な漏えい行為等を特定するための取調べを有効に行うことができないなどの支障があり、捜査の遂行のために、捜査機関の求めに応じ特定秘密を提供することが必要と認められる場合がある。このような場合には、特定秘密を使用等する職員の範囲を制限したり、特定秘密が記録された文書等の管理について特段の配慮をしたりするなど、行政機関から提供された特定秘密を保護するための措置が捜査機関において講じられることを要件として、捜査機関に特定秘密が提供される必要がある。
また、この種の秘密漏えい事件の刑事裁判においては、いわゆる外形立証の方法がとられており、秘密の内容そのものを明らかにしないまま*2 実質秘性を立証することが通例である*3 が、検察官が特定秘密の内容を承知していなければ、適切に公訴を提起することができず、あるいは、有効な外形立証を行うことができないなどの支障があり、公訴の提起及び維持のために、検察官の求めに応じ特定秘密を提供することが必要と認められる場合がある。このような場合には、検察官において、裁判所に特定秘密を含む証拠の取調べを請求しないこととするほか、特定秘密を保護するための措置が検察官において講じられることを要件として、検察官に特定秘密が提供される必要がある。
なお、刑事訴訟法第316 条の27 第1項(同条第3項及び同法第316条の28 第2項において準用する場合を含む。)の規定により、公判前整理手続又は期日間整理手続において裁判所が特定秘密を含む証拠の提示を命じる場合があり得るが、提示(提供)を受けた裁判所は何人にも当該証拠の閲覧又は謄写をさせることができない旨規定されている(刑事訴訟法第316 条の27 第1項後段)。
したがって、かかる検察官による裁判所への提示のほか、当該捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する者以外の者に当該特定秘密を提供することがないと認められ、その他所要の保護措置が講じられている場合には、裁判所以外の第三者に開示される懸念はないと考えられる*4 。
以上を踏まえて、刑事事件の捜査又は公訴の維持の業務において特定秘密を利用する捜査機関及び検察官に対しては、刑事訴訟法第316条の27 第1項の規定により裁判所に提示する場合のほか、当該捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する警察官、検察官等以外の者に当該特定秘密を提供することがないと認められる場合に限って、特定秘密の保護措置を講じ、かつ、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めたときは、特定秘密を提供することができることとしている。
なお、「捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する者」には、例えば、特定秘密の漏えい事件の捜査に直接に従事する都道府県警察の職員のみならず、当該捜査を指導調整する警察庁の職員を含み、また、文書の鑑定等に従事する都道府県警察の科学捜査研究所の職員等も含まれる。
イ 「公益上特に必要があると認められるこれら(同号イ又はロ)に準ずる業務」
上記アに「準ずる業務」としては、まず、法律の規定において検査や調査のために資料等の提出を求めることができる旨規定されている業務が考えられる。例えば、会計検査院法(昭和22 年法律第73 号)第25条では、会計検査院の実地検査を受けるものは、これに応じなければならないとされ、また、同法第26 条では、検査の際は帳簿、書類その他の資料若しくは報告の提出の求めに応じなければならないとされている。また、国家公務員法第17 条、第87 条及び第91 条ではそれぞれ、人事院が行う人事行政に関する調査、勤務条件に関する行政措置要求の調査、及び不利益処分の不服申立てについての調査について規定し、第100 条第4項で、この場合等の職員の守秘義務と秘密の公表に関する所轄庁の長の許可の規定を全面的に排除している。したがって、これらの検査等は「公益上特に必要があると認められるこれらに準ずる業務」に該当するといえる。
また、上記のような法律上の明文規定はないが、提供を受ける者がその業務を行う上で特定秘密の提供を受ける必要があると認められるもので「公益上特に必要があると認められるこれらに準ずる業務」に該当するものとして特定秘密を提供する場合としては、例えば、自衛隊法の治安出動の要請などの際に、内閣総理大臣と都道府県知事との間で間接侵略の可能性など、措置決定前に、機微な情報を共有する場合などが考えられる。
ウ 「当該特定秘密を利用し、又は知る者の範囲を制限すること、当該業務以外に当該特定秘密が利用されないようにすること」
下記エ又はオの提供先において提供を受けた特定秘密を保護するために必要なものとして「附則第十条の規定に基づいて国会において定める措置」又は「政令で定める措置」の例示である。
エ 「当該特定秘密(中略)を保護するために必要なものとして、イに掲げる業務にあっては附則第十条の規定に基づいて国会において定める措置」
本号に基づく提供の要件の1つとして、上記ア(ア)の国会の秘密会に特定秘密を提供する場合における特定秘密の保護措置について規定している。
政府原案においては、このような場合における保護措置についても、他の場合におけるものと同様、政令で定めることとしていたが、衆議院における与野党協議により、国会の秘密会に特定秘密を提供する場合については附則第10 条に基づいて国会において定めることとされた。
オ 「当該特定秘密(中略)を保護するために必要なものとして(中略)政令で定める措置」
本号に基づく提供の要件の1つである国会の秘密会に特定秘密を提供する場合以外の場合における特定秘密の保護措置として、施行令第18条において、当該特定秘密を利用し、又は知る者に、その利用し、又は知る情報が特定秘密であることを認識させるための表示等を規定している。
カ 「我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがない」
本号に基づく提供の要件の1つとして、当該提供により、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないことを規定している。
国会等の提供先において必要な保護措置が講じられた場合、原則として、特定秘密を提供することとなるが、例えば、外国の情報機関から提供された情報であって、第三者に提供することについて、提供者の承諾が得られていない情報等、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがあると判断せざるを得ない場合など、例外的な場合には、特定秘密を提供しないときがあると考える。
(5) 第2号「民事訴訟法(中略)第二百二十三条第六項の規定により裁判所に提示する場合」
民事訴訟におけるインカメラ審査において特定秘密を提供する場合について規定している。
民事訴訟手続において、裁判所は、公務員又は公務員であった者を証人として職務上の秘密について尋問する場合には、当該監督官庁の承認を得なければならないとされており(民事訴訟法(平成8年法律第109 号)第191 条第1項)、その場合、証人は証言を拒むことができ(第197 条第1項第1号)、また、これらの者に鑑定人として職務上の秘密について意見を述べさせる場合についても、第216 条により第191 条第1項及び第197条第1項第1号が準用され、監督官庁の承認を要するとともに、鑑定人は鑑定を拒むことができるとされている。
また、文書提出命令の申立てがあったときは、公務員の職務上の秘密に関する文書について、当該文書が民事訴訟法第220 条第4号ロの「公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの」に該当するときは、文書提出命令の対象とされていない。
裁判所は、当該文書提出命令の申立てに係る文書が民事訴訟法第220 条第4号イからニまでに掲げる文書(公務員の職務上の秘密に関する文書でその提出により公共の利益を害し、又は公務の遂行に著しい支障を生ずるおそれがあるもの(同号ロ)等)のいずれかに該当するかどうかの判断をするため必要があると認めるときは、文書の所持者にその提示をさせることができるとされているが、この場合、何人も、その提示された文書の開示を求めることができないとされている(民事訴訟法第223 条第6項)。
したがって、文書提出命令の申立てがなされた場合であって、裁判所が、民事訴訟法第223 条第6項の規定により、特定秘密が記録された文書について行政機関に提示を求めた場合は、当該特定秘密は同項の規定により保護されることが担保されていることから、当該行政機関の長はこれを提示、すなわち提供することになる。
なお、裁判所は、公務員の公務上の秘密に関する文書について民事訴訟法第220 条第4号に掲げる文書であることを原因とする文書提出命令の申立てがあった場合、当該文書が同号ロに掲げる文書に該当するかどうかについて、監督官庁の意見を聴かなければならず(同法第223 条第3 項本文)、監督官庁が、当該文書の提出により国の安全が害されるおそれ等の同条第4項各号に掲げるおそれがあることを理由として当該文書が同法第220 条第4号に掲げる文書に該当する旨の意見を述べたときは、裁判所は、その意見について相当の理由があると認めるに足りない場合に限り、文書の提出を命ずることができる(同法第223 条第4項)とされている。したがって、特定秘密が記載された文書について、裁判所に文書の提出命令の申立てがされた場合、裁判所が民事訴訟法第220 条第4号ロに掲げる文書に該当するとの監督官庁の意見に相当の理由があると認めるに足りないと判断したときに限り、当該文書について文書提出命令が出されることになると考えられる*5 。なお、訴訟の当事者である行政機関の長等が当該命令に従わなかったときは、裁判所は当該文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができるとされ(第224 条第1項)、訴訟の当事者ではない行政機関の長等が当該命令に従わなかったときは、裁判所は決定で20 万円以下の過料に処するとされている(第225 条第1項)ところ、通常、行政機関の長は、当該命令の理由を踏まえて、第4条第7項に基づき特定秘密の
指定を解除することとなるものと考えられる。
(6) 第3号「情報公開・個人情報保護審査会設置法(中略)第九条第一項の規定により情報公開・個人情報保護審査会に提示する場合」
情報公開・個人情報保護審査会によるインカメラ審査において特定秘密を提供する場合について規定している。
特定秘密が記録されている行政文書についても、情報公開法の適用を受け、開示・不開示の判断は、情報公開法に基づいて行われるが、特定秘密は、その性質上、通常、情報公開法上の不開示情報に該当し、不開示と判断されることが想定される。
そして、当該不開示決定について不服申立てがあったときは、行政機関の長は、情報公開・個人情報保護審査会に諮問しなければならないとされ(情報公開法第18 条)、情報公開・個人情報保護審査会は調査審議において必要があると認めるときは、諮問庁に対し、行政文書の提示を求めることができるとされている(情報公開・個人情報保護審査会設置法(平成15年法律第60 号)第9条第1項)。この場合においては、何人も、その提示された行政文書の開示を求めることができないとされている(同項)。
したがって、情報公開・個人情報保護審査会設置法第9条第1項の規定により、特定秘密を含む行政文書等の提示を求められた場合は、当該特定秘密は同項の規定により保護されることが担保されていることから、当該行政機関の長はこれを提示、すなわち提供することになる。
(7) 第4号「会計検査院情報公開・個人情報保護審査会に提示する場合」
情報公開・個人情報保護審査会設置法第9条第1項の規定が会計検査院法第19 条の4において読み替えて準用され、会計検査院情報公開・個人情報保護審査会が、会計検査院長の諮問に応じ、情報公開法に基づく開示決定等についての不服申立てについて調査審議することとされていることから、第3号とは別途規定している。
*1 なお、「公務員又は公務員であった者が保管し、又は所持する物」(刑事訴訟法第103 条)に当たらない物件を捜査機関が押収した後に当該押収物件に特定秘密が含まれていることが判明したとき、当該特定秘密は捜査機関が当該特定秘密を保有する行政機関の長から提供を受けたものに当たらないため、当該情報を含む押収物件の送致を始めとした取扱いに、本法律上の制約はない。また、「公務員又は公務員であった者が保管し、又は所持する物」(刑事訴訟法第103 条)に当たる物件に特定秘密が含まれていた(職務上の秘密に関するものであった)場合であって当該監督官庁が押収を承諾したとき、被押収者は「公務員又は公務員であった者」であって当該監督官庁(特定秘密を保有する行政機関の長)ではないと解される。この場合、当該特定秘密は捜査機関が当該特定秘密を保有する行政機関の長から提供を受けたものに当たらないため、当該特定秘密を含む押収物件の送致を始めとした取扱いに、本法律上の制約はない。ただし、押収後に当該押収物件に特定秘密が含まれていることが判明した場合に、刑事訴訟法第103 条に基づき、秘密である旨の申立てがなされ、監督官庁の承諾を得られなかったときは、当該差押えは無効となり、差押対象物件は、当該公務員等に返還されなければならない。
*2 これまでの秘密漏えい事件に関する実務を踏まえれば、特定秘密の漏えい等の事件の逮捕状や起訴状等においては、例えば「○○に関する特定秘密が記録された文書を漏らし」などと記載することにより、逮捕の理由が被疑者に告知され、また、被告人に対し防御権の範囲が明示されることになると考えられる。
*3 本法違反の罪を問う裁判は、公開で行われることとなる。また、公判廷で明らかにされた証拠に基づき裁判がなされるものである。これまでも秘密漏えい事件の刑事裁判において、立証責任を全うしつつ、かつ、秘密の内容が明らかになることを防止するために、秘密にする実質的理由として当該秘密文書等の立案・作成過程、秘指定を相当とする具体的理由等を明らかにすることにより、実質秘性を立証する、いわゆる外形立証の方法がとられている。このようなこれまでの裁判例に照らせば、個別事件における判断は裁判官の自由心証によるものではあるものの、一般論として、特定秘密の漏えい事件においても、外形立証の方法により、当該特定秘密の内容そのものを明らかにせず、特定秘密性を立証することが可能であると考えられる。
*4 特定秘密を含む証拠に係る刑事訴訟法第316 条の26 に基づく証拠開示決定については、検察官において特定秘密を明らかにすることができない理由を疎明することにより、証拠開示決定に至らない場合も考えられるが、仮に証拠開示決定がなされて、これが確定した場合には、
○ 基本的に、開示を受けた弁護人や被告人に対し当該特定秘密を保護することを求めることはできないものと認められ、非公知性を維持することが困難となる
○ 裁判所が、インカメラ審査を行った上で、当該特定秘密を秘匿する必要性はこれを開示する必要性に及ばないものと判断したのであり、そのような司法の判断が行われた以上、行政機関の長としても、特段の秘匿の必要性があるとは言い難い
ことなどから、行政機関の長は、当該証拠開示決定の理由を踏まえて、第4条第7項に基づき特定秘密の指定を解除することとなり、検察官は、その解除を待って、当該証拠を被告人・弁護人に開示することとなる。
そして、裁判所による法令に基づく訴訟行為については、刑法第35 条の正当行為として違法性が阻却され、犯罪は成立しないところ、上記の場合における裁判所の証拠開示決定も、刑法第35 条の正当行為に該当するため、当該裁判所の裁判官が特定秘密の漏えい行為の教唆罪(第25 条)として処罰されることはない。
なお、仮に、検察官の手持ち証拠である特定秘密を含む証拠について、刑事訴訟規則(昭和23 年最高裁判所規則第32 号)第192 条に基づく証拠提示命令がなされて、これが確定した場合には、通常、刑事訴訟法第316 条の26 に基づく証拠開示決定の場合と同様、非公知性を維持することが困難となることから、行政機関の長は、第4条第7項に基づき特定秘密の指定を解除することとなり、検察官は、その解除を待って、当該証拠を裁判所に提示することとなる。
*5 なお、この場合、裁判所は法令に基づき特定秘密の開示を命じるものであり、刑法第35 条の正当行為に該当するため、当該裁判所の裁判官が特定秘密の漏えい行為の教唆罪(第25 条)として処罰されることはない。
第10 条第2項 警察本部長による公益上の必要による特定秘密の提供
(その他公益上の必要による特定秘密の提供)
第十条
2 警察本部長は、第七条第三項の規定による求めに応じて警察庁に提供する場合のほか、前項第一号に掲げる場合(当該警察本部長が提供しようとする特定秘密が同号ロに掲げる業務において利用するものとして提供を受けたものである場合以外の場合にあっては、同号に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、警察庁長官の同意を得た場合に限る。)、同項第二号に掲げる場合又は都道府県の保有する情報の公開を請求する住民等の権利について定める当該都道府県の条例(当該条例の規定による諮問に応じて審議を行う都道府県の機関の設置について定める都道府県の条例を含む。)の規定で情報公開・個人情報保護審査会設置法第九条第一項の規定に相当するものにより当該機関に提示する場合に限り、特定秘密を提供することができる。
1 趣旨
本項は、警察本部長が、特定秘密を提供する場合について定めるものである。
2 内容
(1) 「第七条第三項の規定による求めに応じて警察庁に提供する場合のほか」
警察本部長は、第7条第3項の規定による求めに応じて警察庁に提供する場合以外には、本項に基づく場合に限って特定秘密を提供することができることを定めたものである。
(2) 「当該警察本部長が提供しようとする特定秘密が同号ロに掲げる業務において利用するものとして提供を受けたものである場合以外の場合にあっては、(本条第1項第1号)に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、警察庁長官の同意を得た場合に限る」
都道府県警察が特定秘密を保有するのは、@第5条第2項に基づき保有する場合、A第7条に基づき警察庁長官から提供を受けた場合、及びB本条第1項第1号ロに基づき特定秘密の漏えい等の刑事事件の捜査において行政機関の長から提供を受けた場合である。
このうち、Bの場合については、提供に当たって、当該行政機関の長が、捜査又は公訴の維持に必要な業務に従事する者に特定秘密を提供することを前提に提供を行っており、例えば、捜査のため都道府県警察から検察庁に特定秘密を提供することも当然に予定されたものであることから、改めて、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがあるかどうか判断する必要はない。
他方、@及びAの場合については、いまだそのような判断は行われておらず、かつ、そのような判断は、国内外の関係機関と情報交換を行い、全国警察の関連情報を集約し、分析評価を行っている警察庁のみが適切な判断を行うことができると考えられる。このため、B以外の場合により都道府県警察が保有する特定秘密を、第10 条第1項第1号に掲げる場合に警察本部長が提供するときには、我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、警察庁長官の同意を得た場合に限ることとしている。
(3) 「都道府県の保有する情報の公開を請求する住民等の権利について定める当該都道府県の条例(中略)の規定で情報公開・個人情報保護審査会設置法第九条第一項の規定に相当するものにより当該機関に提示する場合」
都道府県の情報公開条例に基づき、都道府県の情報公開審査会等におけるインカメラ審理において、特定秘密を提供する場合について規定したものである。
(4) 「当該条例の規定による諮問に応じて審議を行う都道府県の機関の設置について定める都道府県の条例」
都道府県の情報公開審査会等の設置根拠が情報公開条例以外の場合を想定して規定したものである。
第10 条第3項 適合事業者による公益上の必要による特定秘密の提供
(その他公益上の必要による特定秘密の提供)
第十条
3 適合事業者は、第八条第三項の規定による求めに応じて行政機関に提供する場合のほか、第一項第一号に掲げる場合(同号に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、当該適合事業者が提供しようとする特定秘密について指定をした行政機関の長の同意を得た場合に限る。)又は同項第二号若しくは第三号に掲げる場合に限り、特定秘密を提供することができる。
1 趣旨
本項は、適合事業者が、特定秘密を提供する場合について定めるものである。
2 内容
(1) 「第八条第三項の規定による求めに応じて行政機関に提供する場合のほか」
適合事業者は、第8条第3項の規定による求めに応じて行政機関に提供する場合以外には、本項に基づく場合に限って特定秘密を提供することができることを定めたものである。
(2) 「(本条第1項第1号)に規定する我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないと認めることについて、当該適合事業者が提供しようとする特定秘密について指定をした行政機関の長の同意を得た場合に限る」
我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがないか否かの判断を適合事業者が行うことは不可能であり、そのような判断は指定をした行政機関が行うことが適当であると考えられるため、適合事業者は、指定をした行政機関の長の同意を得た場合に限り、提供できることとしている。
(3) 「第三号に掲げる場合」
適合事業者となる業者としては、武器等の製造等を行う民間企業が考えられるが、これら企業が情報公開・個人情報保護審査会に特定秘密を提供することは想定されない。しかしながら、民間企業の他にも、例えば、情報通信研究機構や宇宙航空研究開発機構等の独立行政法人等の保有する情報の公開に関する法律(平成13 年法律第140 号)に基づく独立行政法人等(第2条第1項)が、情報収集衛星の研究開発、製造等の委託を受け、情報収集衛星の画像、暗号等に関する特定秘密を保有する場合があり得、この場合には、当該独立行政法人等は、当該特定秘密が記録された同法に規定する法人文書(第2条第2項)を保有し、同法に基づき、これに対する開示決定等に関して異議申立てがあった場合には、情報公開・個人情報保護審査会に諮問することがあり得る。そのような場合を念頭において、本項では、本条第1項第3号に掲げる場合における特定秘密の提供を規定している。  
■第4章 特定秘密の取扱者の制限

 

第11 条 特定秘密の取扱者の制限
第十一条 特定秘密の取扱いの業務は、当該業務を行わせる行政機関の長若しくは当該業務を行わせる適合事業者に当該特定秘密を保有させ、若しくは提供する行政機関の長又は当該業務を行わせる警察本部長が直近に実施した次条第一項又は第十五条第一項の適性評価(第十三条第一項(第十五条第二項において準用する場合を含む。)の規定による通知があった日から五年を経過していないものに限る。)において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者(次条第一項第三号又は第十五条第一項第三号に掲げる者として次条第三項又は第十五条第二項において読み替えて準用する次条第三項の規定による告知があった者を除く。)でなければ、行ってはならない。ただし、次に掲げる者については、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることを要しない。
一 行政機関の長
二 国務大臣(前号に掲げる者を除く。)
三 内閣官房副長官
四 内閣総理大臣補佐官
五 副大臣
六 大臣政務官
七 前各号に掲げるもののほか、職務の特性その他の事情を勘案し、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができるものとして政令で定める者
1 趣旨
本法では、特定秘密の漏えいを防止するため、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏えいするおそれがないと認められた者のみに特定秘密の取扱いの業務を行わせ、これ以外の者を特定秘密の取扱いの業務を行う者からあらかじめ除外する適性評価制度を導入することとしている。
本条は、特定秘密の取扱いの業務は、適性評価により特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者でなければ行ってはならない旨を定めるとともに、例外的に、適性評価を受けることなく、特定秘密の取扱いの業務を行うことができる者を定めるものである。
2 内容
(1) 「特定秘密の取扱いの業務」
「特定秘密の取扱いの業務」とは、@行政機関の職員が、安全保障上の必要により、当該行政機関の長が指定した特定秘密を取り扱う場合、及びA行政機関若しくは都道府県警察の職員又は適合事業者の従業者が、我が国の安全保障上の必要により提供を受けた特定秘密を取り扱う場合がある(特定秘密の取扱いの業務については第5条第1項に関する解説2(3)も参照)。
外国情報機関等が秘密を入手しようとする場合、行政機関に所属する職員の職務内容や役職から入手を企図する秘密にアクセスすることができると認められる者を選定し、組織的かつ計画的な工作を行うのが通例であり、実際に過去の情報漏えい事件の多くは、外国情報機関等からの働き掛けに応じて秘密を漏えいしたものである。そこで、本法では特定秘密の取扱いを反復・継続して行う、取扱いの業務を行う場合を適性評価の対象とし、特定秘密の漏えいの防止を図ることとしている。
(2) 「当該業務を行わせる行政機関の長若しくは当該業務を行わせる適合事業者に当該特定秘密を保有させ、若しくは提供する行政機関の長又は当該業務を行わせる警察本部長が直近に実施した次条第一項又は第十五条第一項の適性評価」
第12 条第1項及び第15 条第1項に関する解説参照。
(3) 「第十三条第一項(第十五条第二項において準用する場合を含む。)の規定による通知があった日から五年を経過していないものに限る。」
第12 条第1項に関する解説参照。
(4) 「次条第一項第三号又は第十五条第一項第三号に掲げる者として次条第三項又は第十五条第二項において読み替えて準用する次条第三項の規定による告知があった者を除く。」
ひとたび適性評価により特定秘密を漏らすおそれがないと認められた者であっても、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情がある者として適性評価の対象となる者については、引き続きこの者に特定秘密の取扱いの業務を行わせることは特定秘密の漏えいの防止を徹底する観点から適当ではない。したがって、第12 条第1項第3号及び第15 条第1項第3号に掲げる者に該当するものとして告知した者については、特定秘密の取扱いの業務を行わせることはできないこととしている。
(5) 「ただし、次に掲げる者については、次条第一項又は第十五条第一項の適性評価を受けることを要しない。」
本条は、各号に定める者については、それぞれ次の理由から、例外的に適性評価を受けることなく、特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとしている。
なお、各号に定める者については、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないかどうかの観点から評価を行う適性評価の対象とはしていないが、漏えい行為に関する罰則については、他の職員等と同様に適用される。
ア 行政機関の長(第1号)
行政機関の長には、国務大臣をもって充てられる場合のほか国務大臣以外の国家公務員をもって充てられる場合(内閣法制局長官、宮内庁長官、警察庁長官、検事総長等)がある。いずれの場合であっても、行政機関の長は、当該行政機関の事務を統括し、その所掌事務を遂行しているところ、仮に、適性評価の結果、行政機関の長が特定秘密を漏らすおそれがないと認められなかった場合、当該行政機関の長は、その所掌事務遂行のために必要な特定秘密の取扱いの業務を行うことができず、必要な職責を果たすことが困難となる。そもそも、本法においては、特定秘密の指定や適性評価等について、行政機関の長がこれを実施することとしており、このような行政機関の長の職責の重大性から、その任命に当たっては、特定秘密の取扱いの業務を行う蓋然性を考慮することが合理的に期待される。したがって、行政機関の長については、適性評価の対象とすることは適当でない。
ところで、本法では、行政機関の長について、第3条第1項で「行政機関の長(当該行政機関が合議制の機関である場合にあっては当該行政機関をいい、(中略)第十一条第一号を除き、以下同じ。)」と規定し、行政機関が合議制の機関である場合にあっては、当該行政機関自体を行政機関の長としている。これは、合議制の機関は、その任務・所掌事務の内容に鑑み、その意思決定を構成員の全会一致又は多数決にかからしめて判断の適正化を図るものであるところ、特定秘密の指定や適性評価の実施についても同様であるからである。
一方、特定秘密の取扱いの業務を行うことができる者を定める本条各号では、適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができる自然人たる「者」を定めるものであることから、合議制の「機関」は論理的に含まれ得ない。したがって、本条第1号に規定する行政機関の長とは、各省大臣、各委員会の委員長及び各庁の長官となり*6 、合議制の機関については、各委員会の委員長、人事院総裁、会計検査院長が行政機関の長となる。
イ 国務大臣(第2号)
内閣総理大臣及び内閣総理大臣により任命された国務大臣で組織される内閣において、内閣の意思決定その他の活動は閣議によることとされ(内閣法(昭和22 年法律第5号)第4条第1項)、内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負うとされている(憲法第66条第3項)。閣議においては、内閣の重要政策に関する基本的な方針その他の案件が議題となり、特定秘密の取扱いの業務を行うことが当然に想定されるところであり、また、30 年を超える指定の延長に際して内閣に承認を得る際には、閣議に出席する国務大臣は特定秘密に触れることとなるため、仮に、適性評価の結果、国務大臣が特定秘密を漏らすおそれがないと認められず、特定秘密の取扱いの業務を行うことができないこととなった場合、当該国務大臣は当該閣議に参画することができず、内閣が連帯して責任を負うことができない事態が生じる。また、このような国務大臣の職責の重大性から、内閣総理大臣は国務大臣を任命するに当たって、特定秘密の取扱いの業務を行う蓋然性を考慮することが合理的に期待される。
したがって、国務大臣を適性評価の対象とすることは適当ではない。
ウ 内閣官房副長官及び副大臣(第3号及び第5号)
内閣官房副長官及び副大臣(以下「内閣官房副長官等」という。)は、それぞれ、内閣官房長官、大臣が不在の場合にあらかじめその命を受け、その職務を代行することとされており(内閣法第14 条第3項、国家行政組織法第16 条第3項)、仮に、適性評価の結果、内閣官房副長官等が特定秘密を漏らすおそれがないと認められず、特定秘密の取扱いの業務を行うことができないこととなった場合、当該内閣官房副長官等は、それぞれ内閣官房長官、大臣の職務を代行することができず、代行すべき国務大臣の職責を果たすことができないおそれがある。
また、このような内閣官房副長官等の職責の重大性から、これらの者を任命するに当たって、特定秘密の取扱いの業務を行う蓋然性を考慮することが合理的に期待される。
したがって、内閣官房副長官等を適性評価の対象とすることは適当ではない。
エ 内閣総理大臣補佐官(第4号)
内閣総理大臣補佐官は、内閣法第22 条第2項において、「内閣総理大臣の命を受け、国家として戦略的に推進すべき基本的な施策その他の内閣の重要政策のうち特定のものに係る内閣総理大臣の行う企画及び立案について、内閣総理大臣を補佐する」と規定され、内閣総理大臣のブレーンとして、内閣の重要政策に関し、内閣総理大臣の思考及び判断を助けるものとされている。したがって、その職務は内閣総理大臣との一体性が強く、職務の遂行に当たっては内閣総理大臣の直接の指揮監督を受け、また、取り扱う内容は内閣の重要政策であることが前提となっており、仮に、適性評価により特定秘密を漏らすおそれがないと認められず特定秘密の取扱いの業務を行うことができないこととなった場合、内閣総理大臣に対する補佐を十分に全うすることができなくなる。
また、内閣総理大臣補佐官の任免は、内閣総理大臣の申出により、内閣において行う(内閣法第22 条第5項)とされており、上記のような内閣総理大臣補佐官の職責の重大性から、内閣総理大臣は、内閣総理大臣補佐官の任命の申出を行うに当たって、特定秘密の取扱いの業務を行う蓋然性を考慮することが合理的に期待される。
したがって、内閣総理大臣補佐官を適性評価の対象とすることは適当ではない。
オ 大臣政務官(第6号)
大臣政務官は、特定の政策及び企画に参画することとされており、大臣政務官は、大臣及び副大臣と共に、意思決定を行うなど当該行政機関の運営に責任を有している*7 。これら三者は特定秘密を共有することが当然に想定されるところであり、仮に、適性評価の結果、大臣政務官が特定秘密を漏らすおそれがないと認められず、特定秘密の取扱いの業務を行うことができないこととなった場合、当該大臣政務官は当該行政機関における意思決定に参画することができず、当該行政機関の運営に支障が生じるおそれがある。
また、このような大臣政務官の職責の重大性から、大臣政務官を任命するに当たって、特定秘密の取扱いの業務を行う蓋然性を考慮することが合理的に期待される。
したがって、大臣政務官を適性評価の対象とすることは適当ではない。
カ 職務の特性その他の事情を勘案し、適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができるものとして政令で定める者(第7号)
アからオに掲げる者のほか、適性評価を受けることなく特定秘密の取扱いの業務を行うことができる者としては、施行令第19 条において、合議制の機関を構成する職であって、就任について国会の両院の同意等によることを必要とするもののうち、特定秘密の取扱いの業務を行う見込みが高いと考えられる、国家公安委員会委員、公安審査委員会の委員長及び委員、原子力規制委員会の委員長及び委員並びに都道府県公安委員会委員を規定している。
*6 国家行政組織法(昭和23 年法律第120 号)第10 条は、「行政機関の長の権限」として「各省大臣、各委員会の委員長及び各庁の長官は、その機関の事務を統括し、職員の服務について、これを統督する。」と定めている。また、行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律(平成15 年法律第58 号)は、「行政機関の長」の定義は設けていないが、「行政機関の長」とは、各省大臣、委員長及び長官等とされている。
*7 これに対し、事務次官は、政務三役の意思決定に基づき行われる政策の実施、個別の行政執行等の事務責任者とされている(「衆議院議員柿沢未途(みんな)提出事務次官の役割に関する質問に対する答弁書について(内閣衆質173 第35号))。   
■第5章 適性評価

 

第12 条第1項 行政機関の長による適性評価の実施
(行政機関の長による適性評価の実施)
第十二条 行政機関の長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、その者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないことについての評価(以下「適性評価」という。)を実施するものとする。
一 当該行政機関の職員(当該行政機関が警察庁である場合にあっては、警察本部長を含む。次号において同じ。)又は当該行政機関との第五条第四項若しくは第八条第一項の契約(次号において単に「契約」という。)に基づき特定秘密を保有し、若しくは特定秘密の提供を受ける適合事業者の従業者として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(当該行政機関の長がその者について直近に実施して次条第一項の規定による通知をした日から五年を経過していない適性評価において、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認められるものを除く。)
二 当該行政機関の職員又は当該行政機関との契約に基づき特定秘密を保有し、若しくは特定秘密の提供を受ける適合事業者の従業者として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該行政機関の長がその者について直近に実施した適性評価に係る次条第一項の規定による通知があった日から五年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者
三 当該行政機関の長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの
1 趣旨
(1) 適性評価制度
前章の第11 条において特定秘密の取扱いの業務は、適性評価により特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者でなければ行ってはならない旨規定しているが、第5章では、第12条以下、適性評価の実施手続等について規定している。適性評価は、特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった行政機関若しくは都道府県警察の職員、又は適合事業者の従業者(以下「職員等」という。)について、行政機関の長又は警察本部長が実施することとなるが、適性評価のための調査では、評価対象者のプライバシーに関わる情報を取得することから、適性評価の実施に当たって、あらかじめ、評価対象者に対し、調査事項等を告知した上で、その同意を得て実施することとしている。また、調査事項を法律上明記して限定しており、例えば、個人の思想・信条や適法な政治活動や労働組合等の活動について調査してはならないこととなる。さらに、適性評価の結果や適性評価の実施に当たって取得する個人情報を、本法に規定する懲戒事由等に該当する疑いがある場合を除き、特定秘密の保護以外の目的のために利用・提供してはならないとしている。
さらには、こうした適性評価制度の運用がプライバシーに配慮して行われるよう、第18 条第2項に規定する有識者の意見を聴いた上で、適性評価の実施に関する基準を作成するとともに、適性評価の実施状況は、国会等に報告、公表されることとなっている。また、本法では、第22 条第1項において、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならないと明示しており、適性評価の実施に当たっても、国民の基本的人権を不当に侵害することがないようにしなければならない。
(2) 本項の趣旨
本項は、行政機関の長が実施する適性評価の対象となる者を
○ 当該行政機関の職員又は適合事業者の従業者として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(第1号)
○ 当該行政機関の職員又は適合事業者の従業者として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該行政機関の長がその者について直近に実施した適性評価に係る通知があった日から5年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者(第2号)
○ 当該行政機関の長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの(第3号)
と定めるものである。
2 内容
(1) 「行政機関の長は(中略)実施するものとする。」
本項は、第1に、職員等について適性評価を実施する者が当該行政機関の長である旨を規定している。
本法では、その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがある情報を特定秘密として指定し、これを保護するための措置として、特定秘密の取扱いの業務を行う者に対する適性評価を実施することとしている。適性評価は、職員等について特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏えいするおそれがないかどうか評価し、そのおそれがないと認められた職員等のみが特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとして、特定秘密の漏えいの防止を図るものであり、行政機関の長が指定した特定秘密を保護するための措置の一環と位置付けられる。
また、適合事業者における特定秘密の取扱いの業務は、当該特定秘密を保有する行政機関の所掌事務遂行上特段の必要がある場合に、物件の製造又は役務の提供を業とする者と行政機関との契約に基づく一時的なものであり、特定秘密の保護の責任が当該特定秘密を提供する行政機関の長にあることに変わりはない。したがって、特定秘密を取り扱わせる行政機関の長が適合事業者の従業者を含む職員等の適性評価を実施することとしている。
なお、適合事業者が複数の行政機関と契約を締結する場合、各行政機関の長が、それぞれ自ら提供する特定秘密の取扱いの業務を行うこととなる従業者についての適性評価を実施することとなる。
適性評価の実施の方法として、施行令第20 条において、本項又は第15条第1項の規定による適性評価の実施に当たっては、評価対象者に第12条第2項各号に掲げる事項に関する質問票を交付し、これらの事項についての記載を求めるほか、運用基準で定めるところにより、本項(第15 項第2項において準用する場合を含む。)の調査を行うものとすることを規定している。また、運用基準において、質問票の様式を定めている。
警察本部長による都道府県警察の職員についての適性評価の実施については、第15 条に関する解説参照。
(2) 「次に掲げる者」
本項は、第2に、行政機関の長が適性評価を実施する者として次の三者を規定している。
ア 職員等として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(第1号)
「特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれる」とは、直ちに取扱いの業務を行うべき個別具体の必要性が生じている状況のほか、職員等が配置されたポストにおけるこれまでの取扱いの業務の実態その他の事情に照らして、取扱いの業務を行う蓋然性が認められる状況も含まれる。本号では、「当該行政機関の職員」等として「特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者」が適性評価の対象とされており、出向、併任により、当該行政機関の職員等として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者が含まれる。
なお、括弧書により、「当該行政機関の長がその者について直近に実施して次条第一項の規定による通知をした日から五年を経過していない適性評価において、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認められるもの」を本号から除いているが、本号から除かれる者としては、例えば、特定秘密の取扱いの業務を行っていた職員が取扱いの業務を行わない職に異動し、その後、再び取扱いの業務を行う職に転任することとなったが、その間、同一の行政機関等において勤務し続けている場合がある。これは、現に取扱いの業務を行っているか否かにかかわらず、当該行政機関等において、人事管理情報等に基づいて、適性評価の調査事項に関する当該職員の変化を一定程度把握することが可能であると考えられるからである。一方、適性評価を実施した行政機関の職員でなくなり、他の行政機関の職員となった者等については、本号括弧書には該当せず、当該者については、改めて適性評価を実施することになる。
イ 職員等として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該行政機関の長がその者について直近に実施した適性評価に係る通知があった日から5年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者(第2号)
適性評価については、下記ウのとおり、直近の適性評価の実施時期にかかわらず、再度適性評価を実施することを可能としているが、必ずしも、すべての者に状況の変化があり、随時に適性評価がなされるとは限られず、定期的な見直し期間を設定しない場合、長期間にわたって適性評価がなされないままとなる者が生じる可能性が否定できない。
したがって、本法では、行政機関の長が適性評価の見直しを行うまでの期間を設定し、評価対象者の行動や状況の変化にかかわりなく、定期的に適性評価を実施することを法律上義務付け、これにより適性評価が適時適切に見直されるよう措置している。
適性評価の定期的な見直しの期間の設定に当たっては、適性評価制度の実効性を確保する必要があることはもちろんであるが、これをあまりに短くすることは、適性評価を実施する行政機関に相当の負担を強いることとなることから、そのバランスを考慮する必要がある。諸外国においては、最も秘匿性の高いレベルの秘密情報の取扱者に係る適性評価について、概ね5年以内に適性の見直しを行うこととなっている。
これらのことから、適性評価は、長くとも5年以内に定期的な見直しを行うこととしている。
ウ 当該行政機関の長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの(第3号)
本条第2項で規定する調査事項は、評価対象者の日常の行動や活動に密接に関わるものであり、日々変化することも予想されることから、適性評価により特定秘密を漏らすおそれがないと認められた者であっても、状況の変化がみられ、適性評価を改めて行う必要があると認められる場合には、随時これを行うことができるようにすることが適当である。
そこで、本項第3号では、適性評価を実施した後に「引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情がある」者について、当該評価対象者の状況の変化に応じ、改めて適性評価を実施することを可能とし、併せて、第11 条において、本項第3号に該当し、評価対象者となる者の特定秘密の取扱いの業務の制限について規定し、特定秘密の漏えいの防止に万全を期することとしている。
第3号に掲げる者は、直近に実施された適性評価において特定秘密を漏らすおそれがないと認められた者である点において第2号に掲げる者と同様であるが、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があることから、適性評価の実施に当たっては、その旨を評価対象者に告知することとし(第12 条第3項第3号)、この告知があった者は、特定秘密の取扱いの業務を行ってはならないものとしている(第11 条柱書)。
(3) 本項各号の関係
職員等が特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった場合には、本項第1号により、一方、特定秘密の取扱いの業務を現に行っており適性評価から5年経過後も引き続きこれを行うことが見込まれる場合には、同項第2号により、適性評価を実施することとなる。したがって、職員等が特定秘密の取扱いの業務を行う場合には、通常、第1号又は第2号のいずれかの適性評価を受けることとなる。
一方、第3号による適性評価は、直近に実施された適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者について、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情がある場合に実施するものである。
例えば、第1号に基づく適性評価を実施し、特定秘密を漏らすおそれがないと認められた後、実際に特定秘密の取扱いの業務に就く前に、又は取扱いの業務に就いた以降に、疑いを生じさせる事情があると判明した場合には、第1号ではなく第3号に該当し、その者が特定秘密の取扱いの業務を行うためには、第3号に基づく適性評価が必要となる。また、第2号に基づく適性評価を実施し、特定秘密を漏らすおそれがないと認められ、現に特定秘密の取扱いの業務を行っている場合で、当該者に疑いを生じさせる事情がある場合についても、第3号に基づく適性評価が必要となる。
第12 条第2項 適性評価の調査事項
第十二条
2 適性評価は、適性評価の対象となる者(以下「評価対象者」という。)
について、次に掲げる事項についての調査を行い、その結果に基づき実施するものとする。
一 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及び同居人(家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)
二 犯罪及び懲戒の経歴に関する事項
三 情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項
四 薬物の濫用及び影響に関する事項
五 精神疾患に関する事項
六 飲酒についての節度に関する事項
七 信用状態その他の経済的な状況に関する事項
1 趣旨
本項は、行政機関の長が適性評価を実施する場合に、評価対象者本人について調査を実施すべき事項を規定し、これらの事項の調査の結果に基づいて評価を実施すべき旨を定めるものである。
2 内容
(1) 特定秘密を漏えいするおそれと調査事項
特定秘密の取扱いの業務を行う者がこれを漏えいするおそれは、
○ 職員等が自発的に特定秘密を漏えいするおそれ
○ 職員等が働き掛けを受けた場合に影響を排除できずに特定秘密を漏えいするおそれ
○ 職員等が意図せず(過失により)特定秘密を漏えいするおそれ
の3つに分類することができると考えられる。
上記のそれぞれのおそれを示唆するものとして、調査を実施すべき事項として次のものが考えられる。
ア 職員等が自発的に特定秘密を漏えいするおそれ
職員等の行動又は職員等が置かれた状況から、特定秘密を漏えいすることにより得られる利益が、特定秘密を漏えいすることによる不利益に比べ大きいと考えられる者は、自発的に特定秘密を漏えいするおそれがあると評価し得る。
例えば、テロ活動に自ら関与したり、テロ組織を支援している者は、自発的に特定秘密を漏えいするおそれが高いことは言うまでもない。また、借入金が多額の場合、情報入手を企図する外国情報機関等から資金提供を誘因として、情報提供を求められる可能性があり、逆に収入に比して多額の消費を行っている場合には、特定秘密の漏えいによって当該原資等が得られた可能性が否定できない。したがって、これらの事情があるか否かを確認する事項として、特定有害活動及びテロリズムとの関係に関する事項や信用状態その他の経済的な状況に関する事項といった事項を調査することとしている。
イ 職員等が働き掛けを受けた場合に影響を排除できずに特定秘密を漏えいするおそれ
職員等が自発的に特定秘密を漏えいする事情がなくとも、情報入手を企図する外国情報機関等が、特定秘密の漏えいの働き掛けを行った場合に、職員等がこれを排除できず、秘密を漏えいせざるを得なくなる場合がある。
例えば、配偶者の本国に所在する家族に危害を及ぼす、あるいは外国に職員等が有する資産が不利益を被る可能性を示唆するなどし、外国情報機関等が漏えいを働き掛けることが考えられる。こうした状況にあるか否かを確認するためには、評価対象者の家族又は同居人の国籍や住所を含め、評価対象者が外国とどのような関係を有しているかを、また、これを基に、評価対象者本人が不当な働き掛けを受けるおそれがあるか否か、あるいは、現に働き掛けを受けていないかを調査する必要がある。
このため、特定有害活動及びテロリズムとの関係に関する事項といった事項について調査することとしている。
ウ 職員等が意図せず(過失により)特定秘密を漏えいするおそれ
特定秘密の漏えいを防止するためには、常に、その保護について規定する各種の規範を理解し、自己を律して特定秘密の保護を適切かつ確実に行う必要があるところ、これを期待できない者に特定秘密の取扱いの業務を行わせれば、たとえ本人に故意がなくとも漏らしてしまうことになりかねない。
具体的には、規範意識が欠落していること、合理的な行動をとるべく自己を律して行動することができないこと、注意力が不足していることなどが、行動又は状況に具現している者については特定秘密を漏らすおそれがないとは認められないものと考えられることから、犯罪及び懲戒の経歴に関する事項、情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項、薬物の濫用及び影響に関する事項、精神疾患に関する事項、飲酒についての節度に関する事項、信用状態その他の経済的な状況に関する事項といった事項を調査することとしている。
(2) 特定秘密を漏えいするおそれと調査事項
本法では、行政機関の長が適性評価を実施する場合に、評価対象者本人について調査をすべき事項として以下の事項を規定している。適性評価は、あらかじめ本法に規定する調査事項について調査を行う旨告知した上で、評価対象者の同意を得て実施するものである。したがって、本法に規定する調査事項以外の事項について調査を行ってはならず、例えば、評価対象者の思想、信条及び信教や、適法な政治活動や市民活動、労働組合の活動について調査してはならない。
なお、適性評価は、調査事項について調査した結果に基づき実施することとされており、調査により明らかとなった当該評価対象者の個別具体的な事情を十分に考慮して、総合的に判断する必要があり、以下の事項に該当する事実があることをもって、特定秘密を漏らすおそれがないと認められないと直ちに判断されるものではない。
ア 特定有害活動(公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるものをいう。別表第三号において同じ。)及びテロリズム(政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動をいう。同表第四号において同じ。)との関係に関する事項(評価対象者の家族(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。以下この号において同じ。)、父母、子及び兄弟姉妹並びにこれらの者以外の配偶者の父母及び子をいう。以下この号において同じ。)及び同居人(家族を除く。)の氏名、生年月日、国籍(過去に有していた国籍を含む。)及び住所を含む。)
「特定有害活動及びテロリズムとの関係」は、次の3つの場合が考えられる。
第1は、評価対象者が特定有害活動やテロリズムそのものを自ら行ったり、自らは特定有害活動やテロリズムを行ってはいないものの、支援を行ったりするなど特定有害活動やテロリズムに関わったと認められる場合である。評価対象者自身が特定有害活動やテロリズムに関わったことが認められる場合、再び特定有害活動やテロリズムの実行のために、特定秘密を漏らすおそれが高い。
第2は、評価対象者が特定有害活動やテロリズムを行う団体の構成員となっていたり、特定有害活動やテロリズムを行う団体を支援していると認められる場合である。特定有害活動やテロリズムを行う団体として、例えば、外国情報機関等やテロ組織が考えられるが、これら団体は、外国情報機関等であれば我が国の防衛計画や安全保障政策に関する重要事項を、また、テロ組織であればテロ活動を実行するために重要防護施設の警備実施状況といった特定秘密を入手しようと企図しており、評価対象者がこれら団体の構成員である場合は当然のこと、これら団体を支援している者である場合には、特定秘密を取り扱ったときに、自発的にこれら団体に対して、特定秘密を漏らすおそれが高い。支援の形態としては、当該団体が、特定有害活動やテロリズムを行っていることを認識しながら、当該団体の活動を容易にするために金銭的な支援を行っている場合や活動拠点を提供する場合等様々な形態が考えられる。
第3は、特定有害活動やテロリズムを行う団体又は個人から、特定秘密の漏えいについての働き掛けを受けた場合に、協力せざるを得ない関係になっている場合である。その形態としては、例えば、団体等が多大の金銭の提供を行う、配偶者の本国に居住する親族に対し危害を及ぼす可能性を示唆するなど様々な形態が考えられる。
また、評価対象者本人の行動や活動を調査するだけでは、その端緒を得ることは難しいと言わざるを得ないことから、評価対象者との関わりが深い直近の家族及び同居人について、最小限度の事項、具体的には、氏名、生年月日、国籍及び住所を調査し、評価対象者について、外国の情報機関等による働き掛けがないかを調査するための参考とすることとしている。これは、評価対象者の家族等に外国籍の者や帰化歴がある者がいる場合には、これらの者が当該評価対象者と密接な関係にあることを利用して、当該外国や原籍国の情報機関等が当該評価対象者に特定有害活動やテロリズムへの関与を働き掛ける可能性も否定できないためであり、外国との関係があることをもって、特定有害活動及びテロリズムとの関係があると直ちに判断されるものではない。
なお、「特定有害活動」については下記(3)、「テロリズム」については下記(4)参照。
イ 犯罪及び懲戒の経歴に関する事項
「犯罪及び懲戒の経歴」とは、評価対象者が過去に罪を犯し、有罪の判決(刑の言渡し(執行猶予が付いたものを含む。)又は刑の免除の言渡し)を受けた経歴及び懲戒処分を受けた経歴をいい、「犯罪及び懲戒の経歴に関する事項」として、評価対象者が過去に罪を犯し、有罪の判決を受けたことがあるか又は懲戒処分を受けたことがあるか、ある場合には、罪を犯した、又は懲戒処分を受けた時期、動機、背景等を調査する。
なお、懲戒に関する経歴については、行政機関の職員及び都道府県警察の職員の場合には、国家公務員法や地方公務員法(昭和25 年法律第261 号)による懲戒処分をいい、訓告や厳重注意等のいわゆる指導監督上の措置はこれに含まれない。同様に、適合事業者の従業者の場合には、就業規則に基づく懲戒処分をいい、例えば、制裁に至らない上司による業務上の指導などはこれに当たらない。
特定秘密の取扱いの業務を行う者としてその保護のための措置を適切かつ確実に講ずることが求められるところ、犯罪又は懲戒の経歴があるという事実は、評価対象者の規範を遵守する意識や注意力が十分でないかもしれないことを強く示唆すると考えられることから、こうした事実が見受けられる者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合、特定秘密を漏らすおそれが高いと評価し得る。
ウ 情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項
「情報の取扱いに係る非違の経歴」とは、故意・過失を問わず職場の服務規程、文書管理規則その他の規則における情報やシステムの管理に関する部分に違反し、職業上の懲戒処分や懲戒処分には至らない指導監督上の措置(訓告、厳重注意等)を受けた経歴をいい、「情報の取扱いに係る非違の経歴に関する事項」として、評価対象者がこうした懲戒処分や指導監督上の措置を受けたことがあるか、ある場合には、当該違反事実を起こした時期、動機、背景等を調査することが考えられる。
特定秘密の取扱いの業務を行う者として、その保護のための措置を適切かつ確実に講ずることが求められるところ、評価対象者の秘密情報の取扱いに関する各種の規範の遵守状況は、評価対象者の情報保護に対する意識や注意力の有無を直接的に表しており、犯罪や懲戒事由に当たらなくても、例えば、
○ 適正な手続によらず秘密情報を複製すること。
○ 認められていない記録媒体に情報を保存すること。
○ 秘密情報を示唆する内容をブログ、電子掲示板その他のウェブサイトに掲載し、又は投稿すること。
といった行動が見受けられる者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合、特定秘密を漏らすおそれが高いと評価し得る。
エ 薬物の濫用及び影響に関する事項
本項目は、評価対象者が、所持・使用等が禁止されている薬物を所持したり使用したりしたこと、疾病の治療のための薬物を用量を著しく超えて服用したことがあるかといったことを調査する。
特定秘密の取扱いの業務を行う者として、その保護のための措置を適切かつ確実に講ずることが求められるところ、違法薬物を濫用したり、疾病の治療のための薬物を定められた用量を著しく超えて服用したりする場合には、評価対象者の規範を遵守する意識や自己を律して行動する能力が十分でないかもしれないことを示唆していることから、このような薬物の濫用及び影響が見受けられる者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合、特定秘密を漏らすおそれがあると評価し得る。
オ 精神疾患に関する事項
本項目では、具体的には、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患により自己の行為の是非を判別し、若しくはその判別に従って行動する能力を失わせ、又は著しく低下させる症状を呈しているかといったことを調査する。
特定秘密の取扱いの業務を行う者として、特定秘密の保護のための措置を適切かつ確実に講ずることが求められるところ、一定の精神疾患の症状が見られたりするという事実は、自己を律して行動する能力が十分でない状態に陥るかもしれないことを示唆しており、特定秘密を漏らすおそれがあると評価し得る。
なお、本調査の結果、精神疾患に関し、治療やカウンセリングを受けたことがあるとの事実をもって、特定秘密を漏らすおそれがないと認められないと直ちに判断するものではないことは言うまでもなく、必要な場合には専門医の所見を求めながら、精神疾患の具体的症状や治療の経過、再発の可能性等を踏まえ、個別具体的に判断することとなる。
カ 飲酒についての節度に関する事項
本項目では、飲酒を原因として、けんかなどのトラブルを引き起こしたり、業務上の支障を生じさせたりしたことがあるかといったことを調査する。
特定秘密の取扱いの業務を行う者として、その保護のための措置を適切かつ確実に講ずることが求められるところ、飲酒により、けんかなどの対人トラブルを起こすなどの問題をくり返し起こしているという事実は、評価対象者の自己を律して行動する能力が十分でないかもしれないことを示唆しているほか、外国の情報機関等から、特定秘密の漏えいについての働き掛けの材料となるなどの可能性も否定できないことから、こうした事実が見受けられる者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合、特定秘密を漏らすおそれがあると評価し得る。
キ 信用状態その他の経済的な状況に関する事項
本項目は、評価対象者に住宅、車両及び耐久消費財の購入並びに教育といった一般的な目的とは異なる目的による借入れがあるか、金銭債務の不履行があるか、自己の資力に照らし不相応な金銭消費があるか、過去に自己破産したことがあるかといったことを調査する。
過去の情報漏えい事案には、経済的な事情を動機とするものがあったことに鑑みると、住宅や車両の購入といった一般的な目的とは異なる目的で多額の債務を抱えている者は、特定秘密を漏らすおそれがあると評価し得る。また、自己の資力に照らし不相応な金銭消費が見られる場合は、特定秘密の漏えいにより不正な収入を得ている可能性も否定できない。
さらに、特定秘密の取扱いの業務を行う者として、その保護のための措置を適切かつ確実に講ずることが求められるところ、金銭債務の不履行があったり、自己の資力に照らし不相応な金銭消費が見られるという事実は、自己を律して行動できないかもしれないこと等を示唆すると考えられることから、こうした事実が見受けられる者が特定秘密の取扱いの業務を行った場合、特定秘密を漏らすおそれがあると評価し得る。
(3) 特定有害活動の定義
本法では、「公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動、核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動その他の活動であって、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるもの」を特定有害活動と定義している。
ア 「公になっていない情報のうちその漏えいが我が国の安全保障に支障を与えるおそれがあるものを取得するための活動」であって、「外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるもの」
いわゆるスパイ活動等のことであり、その取得の対象となる情報としては、主として政府の保有する情報で国及び国民の安全を確保する観点から保護すべきものが想定されるが、民間が保有する機微な情報でその漏えいが国及び国民の安全の確保に支障を与えるおそれがあるもの、例えば、大量破壊兵器関連の技術情報も含まれ得る。
イ 「核兵器、軍用の化学製剤若しくは細菌製剤若しくはこれらの散布のための装置若しくはこれらを運搬することができるロケット若しくは無人航空機又はこれらの開発、製造、使用若しくは貯蔵のために用いられるおそれが特に大きいと認められる物を輸出し、又は輸入するための活動」であって、「外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるもの」
大量破壊兵器関連物資の拡散を助ける活動等のことであり、例えば、大量破壊兵器(核兵器、生物兵器及び化学兵器)及びその運搬手段としてのミサイル並びにこれらの関連物資の国際的な取引のうち、我が国を含む国際社会において定められた枠組に反するものをいう。これらの物資については、その無秩序な拡散が、我が国を含む国際社会の平和と安全にとって脅威であることから、いくつかの国際的枠組によってその国際的取引が制限されている。
ウ 「その他の活動」であって、「外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのあるもの」
「特定有害活動」として、いわゆるスパイ活動及び大量破壊兵器関連物資の拡散を助ける活動等を具体的に列挙しているが、外国の利益を図る目的で行われ、かつ、我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのある活動は、これらに尽きるものではなく、様々なものが考えられる。例えば、
○ 北朝鮮による拉致問題に見られるような、外国の工作機関が日本人を拉致する活動
○ 外国における騒乱や戦乱において、国外の在留邦人の避難を妨害する活動
○ 我が国において反乱団体その他の非合法活動を行う団体を組織し、又はこれらの団体に資金や兵器等を援助する活動
○ 脅迫、贈賄などの不当な手段を用いて政府高官に公務において一定の行動をとらせる活動
等の我が国及び国民の安全を著しく害し、又は害するおそれのある活動を外国の関係機関が自国の利益を図るために行うことが想定されるが、これら様々な活動は、時々の国際情勢等の状況に応じてなされたり、また、我が国政府の対応の裏をかくべく、予想外の活動がなされることが想定されることから、あらかじめこれらの活動を全て本法に規定しておくことは困難である。このため、本法では、「その他の活動」として規定している。
(4) テロリズムの定義
本法において「テロリズム」とは、政治上その他の主義主張に基づき、
@国家若しくは他人にこれを強要し、
又は
A社会に不安若しくは恐怖を与える
目的で
㋐人を殺傷し、
又は
㋑重要な施設その他の物を破壊する
ための活動をいい、人の殺傷又は重要な施設等(例えば、国会・政府・裁判所の建物、空港などの交通施設や通信インフラその他の社会インフラ等がこれに当たる。)の破壊活動であることがその要件となる。
従来から政府は、質問主意書に対する答弁等において、一般には、「テロリズム」とは、特定の主義主張に基づき、国家等にその受入れ等を強要し、又は社会に恐怖等を与える目的で行われる人の殺傷行為等をいう、と説明している。第12 条第2項第1号においては、「テロリズム」を「政治上その他の主義主張に基づき、国家若しくは他人にこれを強要し、又は社会に不安若しくは恐怖を与える目的で人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」と定義しているが、これは、この政府答弁における「特定の主義主張」、「国家等」、「その受入れ等を強要」、「恐怖等」及び「人の殺傷行為等」の意味するところを明確にするため、それぞれ、「政治上その他の主義主張」、「国家若しくは他人」、「これを強要」、「不安若しくは恐怖」及び「人を殺傷し、又は重要な施設その他の物を破壊するための活動」と厳密に規定したものである。
第12 条第3項及び第4項 適性評価の手続
第十二条
3 適性評価は、あらかじめ、政令で定めるところにより、次に掲げる事項を評価対象者に対し告知した上で、その同意を得て実施するものとする。
一 前項各号に掲げる事項について調査を行う旨
二 前項の調査を行うため必要な範囲内において、次項の規定により質問させ、若しくは資料の提出を求めさせ、又は照会して報告を求めることがある旨
三 評価対象者が第一項第三号に掲げる者であるときは、その旨
4 行政機関の長は、第二項の調査を行うため必要な範囲内において、当該行政機関の職員に評価対象者若しくは評価対象者の知人その他の関係者に質問させ、若しくは評価対象者に対し資料の提出を求めさせ、又は公務所若しくは公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる。
1 趣旨
第3項は、適性評価の実施に当たり、あらかじめ評価対象者に対し告知した上でその同意を得ることとする旨及び評価対象者に告知すべき事項として、
○ 第2項各号に掲げる事項について調査を行うこと
○ 職員に本人や関係者に質問させ、本人に資料の提出を求めさせ、又は公務所若しくは公私の団体に照会して報告を求めることがあること
○ 第1項第3号に該当する者として適性評価を実施しようとする場合は、その旨
を定めるものである。
第4項は、行政機関の長が、第2項の調査を実施するため、必要な範囲内において、当該行政機関の職員に評価対象者若しくは評価対象者の知人その他の関係者に質問させ、若しくは評価対象者に対し資料の提出を求めさせ、又は公務所若しくは公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる旨を定めるものである。
2 内容
(1) 第3項 「評価対象者に対し告知した上で、その同意を得て実施」
調査の実施に当たっては、質問票に必要事項を記載させたり、面接を行ったりすることにより、本法に規定する調査事項について自己申告させることを予定しており、その際には、適性評価の実施目的や調査事項について評価対象者が理解し、同意することが前提となる。
仮に、評価対象者の明示的な同意を得ないまま、行政機関の長等が関係者に質問し、又は公務所や公私の団体に照会して個人情報を取得することとなれば、評価対象者は自らについて調査が行われることを知ることができないことから、調査について不安を感じ、適性評価制度そのものに不信感を抱くおそれがあり、その結果、適性評価制度の円滑な実施に支障が生じかねない。加えて、行政機関の長等が関係者に質問し、公務所や公私の団体に対し照会を行ったとしても、評価対象者が明示的に同意していなければ、質問を受けた関係者や照会を受けた公務所や公私の団体がこれに応じることをためらうことも見込まれ、やはり適性評価の円滑な実施が確保できなくなるおそれもある。
以上のことから、適性評価の円滑な実施とその実効性を確保するためには、適性評価の実施を評価対象者の明示的な同意に係らしめることが必要であると考えられる。
なお、諸外国の適性評価においても、その手続の開始に当たって評価対象者の同意を取得することとしている。
各事項を告知した上で、同意を得ることとしている趣旨は、次のとおりである。
ア 第2項各号に掲げる事項について調査を実施すること(第1号)
同意を取得することとした理由に鑑みると、同意を有意なものとするためには、適性評価に当たって、本法に規定する範囲で個人情報を取得し(評価対象者本人が提供するもの及び関係者への質問や公務所又は公私の団体への照会により取得したものを含む。)、これに基づいて適性評価が実施されることを評価対象者が認識した上で同意がなされる必要がある。
イ 本人や関係者に質問し、本人に資料の提出を求め、又は公務所若しくは公私の団体に照会して報告を求めることがあること(第2号)
上記アに加え、評価対象者本人の同意があることにより、質問を受けた関係者や照会を受けた公務所又は公私の団体がその回答に当たって、より適切に対応することが可能となる。
ウ 第1項第3号に該当する者として適性評価を実施しようとすること(第3号)
第1項第3号に該当する場合、評価対象者に特定秘密の取扱いの業務を行わせないという措置(第11 条本文括弧書)を講ずる必要があり、評価対象者本人においても、特定秘密の取扱いの業務を行うことのないよう、第1項第3号に該当していることを告知する必要がある。
(2) 第3項 「あらかじめ、政令で定めるところにより」
施行令第21 条において、告知及び同意は書面により行うものとすることを規定するとともに、運用基準において、その様式を定めている。
(3) 第4項「第二項の調査を行うため必要な範囲内において、当該行政機関の職員に評価対象者若しくは評価対象者の知人その他の関係者に質問させ、若しくは評価対象者に対し資料の提出を求めさせ、又は公務所若しくは公私の団体に照会して必要な事項の報告を求める」
適性評価のための調査は、評価対象者から質問票の提出を受けた上で、面接等により評価対象者から説明を受けたり、質問票に記載された事項を確認する必要がある場合等に評価対象者から資料の提出を受けたりすることが考えられるが、行政機関の長が正確かつ必要十分な情報を把握し、かつ、適正に評価するためには、評価対象者の上司等に対し質問を行ったり、医師等の専門家の所見を求めたりすることが必要となる場合も想定される。このため、本法では、行政機関の長が、調査に必要な範囲内において当該行政機関の職員をして職場の上司や同僚といった評価対象者をよく知る関係者に質問させたり、公務所又は信用情報機関、医療機関といった公私の団体に照会し、報告を求めたりすることができることとしている。本法の規定により、報告を求められた公務所等は罰則等によりこれを強制されることはないが、原則として、報告すべき義務を負うものと解される。
また、本人の同意を得ていることを示した上で照会が行われることになるので、公務所等が本人の同意があるにもかかわらず回答しないことはないものと考えられる。
なお、「公務所」とは、国家機関のほか地方公共団体の機関をいい、「公私の団体」とは、学校、病院、医院・診療所、商工会議所、会社、組合等社会的機能を営む団体が広く含まれる。
また、行政機関以外への照会については、運用基準W5(5)において、調査のための補完的な措置として、必要最小限となるようにしなければならないこととしている。
第13 条 適性評価の結果等の通知
(適性評価の結果等の通知)
第十三条 行政機関の長は、適性評価を実施したときは、その結果を評価対象者に対し通知するものとする。
2 行政機関の長は、適合事業者の従業者について適性評価を実施したときはその結果を、当該従業者が前条第三項の同意をしなかったことにより適性評価が実施されなかったときはその旨を、それぞれ当該適合事業者に対し通知するものとする。
3 前項の規定による通知を受けた適合事業者は、当該評価対象者が当該適合事業者の指揮命令の下に労働する派遣労働者(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和六十年法律第八十八号)第二条第二号に規定する派遣労働者をいう。第十六条第二項において同じ。)であるときは、当該通知の内容を当該評価対象者を雇用する事業主に対し通知するものとする。
4 行政機関の長は、第一項の規定により評価対象者に対し特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかった旨を通知するときは、適性評価の円滑な実施の確保を妨げない範囲内において、当該おそれがないと認められなかった理由を通知するものとする。
ただし、当該評価対象者があらかじめ当該理由の通知を希望しない旨を申し出た場合は、この限りでない。
1 趣旨
本条は、適性評価を実施した場合において、行政機関の長が評価対象者や適合事業者に対し行う適性評価の結果の通知や、特定秘密を漏らすおそれがないと認められなかった旨を通知する場合に行う理由の通知等について定めるものである。
2 内容
(1) 第1項「適性評価を実施したときは、その結果を評価対象者に対し通知する」
第1項は、行政機関の長は、適性評価を実施したときは、特定秘密を漏らすおそれがないと認められたかどうかの結果を評価対象者に通知しなければならない旨を定めるものである。
適性評価は、行政機関の長がその職員や適合事業者の従業者に特定秘密の取扱いの業務を行わせようとしたことを契機として、評価対象者本人が通常把握されることを想定していないプライバシーに関わる情報についても行政機関の長が取得する制度であり、適性評価の実施に当たってこれらの情報を取得することについて評価対象者の明示的な同意をあらかじめ取得することとしていることに鑑みると、結果の通知も必要であると考えられる。
また、特定秘密を漏らすおそれがないと認められた評価対象者に、評価結果を知らせず特定秘密の取扱いの業務を行わせると、評価対象者は、適切な手続に基づいて特定秘密の取扱いの業務を行っていないのではないかとの不安や疑念を抱く可能性がある。
さらに、適性評価の結果、特定秘密を漏らすおそれがないと認められなかった場合には、行政機関の長は、評価対象者を特定秘密の取扱いの業務を行うことのない職へ転任させたりするなど、特定秘密の取扱いの業務を行うことのないよう必要な措置を講ずることとなるが、評価結果を通知せずにこうした措置を講ずるとすれば、その理由の分からない評価対象者が混乱するおそれがある。
(2) 第2項「適合事業者の従業者について適性評価を実施したときはその結果を、当該従業者が前条第三項の同意をしなかったことにより適性評価が実施されなかったときはその旨を、それぞれ当該適合事業者に対し通知する」
第2項は、行政機関の長は、評価対象者が適合事業者の従業者であるときは、適性評価の結果又は適性評価の実施に同意しなかったことにより適性評価が実施されなかったときはその旨(以下これらを「適性評価の結果等」という。)を当該適合事業者に通知しなければならない旨を定めるものである。
これは、適合事業者自身が、自らの従業者のうち特定秘密を漏らすおそれがないと認められた者を把握していなければ、誰に特定秘密の取扱いの業務を行わせるかを判断できないからである。
(3) 第3項「前項の規定による通知を受けた適合事業者は、当該評価対象者が当該適合事業者の指揮命令の下に労働する派遣労働者(中略)であるときは、当該通知の内容を当該評価対象者を雇用する事業主に対し通知する」
第3項は、評価対象者が適合事業者の指揮命令下に労働する派遣労働者である場合に、前項の規定による通知を受けた適合事業者は、当該通知の内容を、当該評価対象者を雇用する事業主(以下「派遣元事業主」という。)に対し通知するものとする旨を定めている。
適合事業者は、特定秘密に係る物件の製造等を行うに当たり、自ら雇用する者のみならず、派遣労働者に特定秘密の取扱いの業務を行わせる場合があり得るが、そのような場合、当該派遣労働者については適合事業者の従業者として適性評価が実施される。そして、適性評価の結果等は、第2項の規定により適性評価を実施した行政機関の長から適合事業者に通知されることとなるが、派遣労働者の適性評価の結果等は、派遣元事業主においても、特定秘密の保護を図る一環としてこれを当然に把握する必要がある。
すなわち、労働者派遣契約の締結に当たっては、派遣労働者が従事する業務の内容を定めることとされているが(労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律(昭和60 年法律第88 号)第26条第1項第1号)、当該業務内容には、業務に必要とされる能力、行う業務等を具体的に記載することが必要とされていると解されており、派遣労働者に特定秘密を取り扱わせることも明示されるものと考えられ、派遣元事業主は、派遣労働者の適性評価の結果等を把握した上で、適合事業者に当該派遣労働者を派遣したり、必要に応じ、特定秘密の取扱いを要しない他の業務に従事させたりする必要がある。また、将来、適性評価を行った同一の行政機関の特定秘密を取り扱うこととなる業務に派遣労働者を従事させる場合には、既に行った適性評価の結果等を利用し、派遣の可否を判断する必要もある。
このように、派遣元事業主に対しても、自らの雇用する派遣労働者の適性評価の結果等が通知される必要があるが、適性評価を受けるべき派遣労働者とその派遣元事業主の双方を知り得る立場にあるのは、適合事業者であり、本法においては、行政機関の長から適性評価の結果等の通知を受けた適合事業者が、当該通知に係る派遣労働者を雇用する派遣元事業主に通知を行うこととしている。
(4) 第4項「第一項の規定により評価対象者に対し特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかった旨を通知するときは、適性評価の円滑な実施の確保を妨げない範囲内において、当該おそれがないと認められなかった理由を通知するものとする。ただし、当該評価対象者があらかじめ当該理由の通知を希望しない旨を申し出た場合は、この限りでない。」
第4項は、評価対象者に対し特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかった旨を通知するときは、行政機関の長は、適性評価の円滑な実施の確保を妨げない範囲内において、その理由を通知するものとし、その例外として、評価対象者があらかじめ理由の通知を希望しない旨の申出をした場合にはこれを通知しないこととすることを定めるものである。
仮に、結果のみを通知され理由が分からないとすれば、評価対象者には、適性評価制度に対する不信感が生じ、制度の信頼性が損なわれかねないことが、理由の通知を義務付けた理由である。ただし、理由の通知を希望しない者についてまで、理由を通知しなくとも、制度の信頼性は損なわれないと考えられる。
一方で、例えば、理由が具体的に通知された場合、適性評価制度の詳細な評価基準を推測することが事実上可能となり、特定秘密を漏らすリスクがあることを隠そうとする者を利することにもなりかねない。また、適性評価制度においては、行政機関の長が評価対象者の知人その他の関係者に質問したり、公務所又は公私の団体に対して照会して報告を求めたりすることがあるが、情報源を明らかにしないことを条件に回答が得られる場合もあり、そこで情報源等を明らかにすれば、以後質問や照会に対する協力が得られず、適性評価制度の円滑な実施の確保の妨げとなることもある。
このため、理由の通知は、適性評価の円滑な実施の確保を妨げない範囲内において行うこととされている。
なお、第2項において、評価対象者が適合事業者の従業者である場合には、行政機関の長は、適性評価の結果等を当該適合事業者に通知しなければならないとしているが、評価対象者が特定秘密を漏らすおそれがないと認められなかった理由は、適合事業者がその従業者のうち誰に特定秘密の取扱いの業務を行わせるかを判断する上で必要のないものであることから、適合事業者に通知することとはされていない。
第14 条 行政機関の長に対する苦情の申出等
(行政機関の長に対する苦情の申出等)
第十四条 評価対象者は、前条第一項の規定により通知された適性評価の結果その他当該評価対象者について実施された適性評価について、書面で、行政機関の長に対し、苦情の申出をすることができる。
2 行政機関の長は、前項の苦情の申出を受けたときは、これを誠実に処理し、処理の結果を苦情の申出をした者に通知するものとする。
3 評価対象者は、第一項の苦情の申出をしたことを理由として、不利益な取扱いを受けない。
1 趣旨
本条は、適性評価の結果その他実施された適性評価について評価対象者がすることができる、苦情の申出等について定めるものである。
2 内容
(1) 第1項及び第2項「評価対象者は、(中略)適性評価の結果その他当該評価対象者について実施された適性評価について、書面で、行政機関の長に対し、苦情の申出をすることができる」、「行政機関の長は、(中略)苦情の申出を受けたときは、これを誠実に処理し、処理の結果を苦情の申出をした者に通知するものとする」
第1項は、評価対象者は第13 条第1項の規定により通知された適性評価の結果その他当該評価対象者について実施された適性評価について、書面で、行政機関の長に対し、苦情の申出をすることができる旨、第2項は、行政機関の長は、苦情の申出を受けたときは、これを誠実に処理し、申出の内容に応じた処理の結果を苦情の申出をした者に通知しなければならない旨を定めるものである。
適性評価は、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないかどうかを評価するものに過ぎず、人事評価又はその他の能力の実証を行うものではない。また、適性評価は、評価対象者の権利義務を変動させるものでもないことから、適性評価は「処分その他の公権力の行使」には該当しない*8 。したがって、行政機関の長が実施した適性評価の結果、評価対象者が特定秘密を漏らすおそれがないと認められなかったとしても、行政不服審査法(昭和37 年法律第160 号)の不服申立て又は行政事件訴訟法(昭和37 年法律第139 号)の取消訴訟の対象とはならない。
一方で、適性評価の結果、特定秘密を漏らすおそれがないと認められなかった場合、行政機関の長は、その職員に特定秘密の取扱いの業務を行わせることはできず、必要に応じ、特定秘密の取扱いの業務を行う職に就かせない、現に就いているときは別の職に転任させるといった措置を講ずることが想定される。このように、適性評価の結果は、職員等に事実上の影響を与えることが否定できないが、行政不服審査法等の対象とならないことから、適性評価制度の実効的かつ円滑な実施を担保するためには、適性評価に対する職員等の苦情に弾力的に対応できる一定の措置を講ずる必要がある。
また、
○ 適性評価は、評価対象者本人が通常把握されることを想定していないプライバシーに関わる情報についても行政機関の長が取得する制度であることから、本人の理解を得て円滑に実施する必要があること
○ 適性評価の実施側と評価対象者の間において、事実関係の認識等に齟齬が生じることも考えられ、苦情の申出を受け、必要に応じ、適性評価の判断について行政機関の長が再検討することも必要と考えられることから、苦情に対応するための仕組を設けることは、適性評価の結果及び理由の通知と相まって、適性評価制度の実効的かつ円滑な実施を担保することに寄与するものと考えられる。
そこで、適性評価の結果その他当該評価対象者について実施された適性評価について、苦情の申出制度を設けている。
(2) 第3項「評価対象者は、第一項の苦情の申出をしたことを理由として、不利益な取扱いを受けない。」
第3項は、評価対象者が、苦情の申出をしたことを理由として不利益な取扱いを受けない旨を定めるものである。
仮に、苦情を申し出たことによって、行政機関の長や適合事業者が、苦情を申し出た評価対象者に対し、解雇、減給、降格、懲戒処分、労働契約内容の変更の強要、昇進又は昇格の人事考課において不利益な評価を行うこと、自宅待機命令、不利益な配置変更等の人事上の差別的取扱いの作為又は不作為、専ら雑務に従事させるなど就業環境を害することといった不利益な取扱いをすることになれば、評価対象者が苦情を申し出ることをためらうことになり、本法において評価対象者の苦情に適切に対応する制度を設けた趣旨を没却することになる。
そこで、評価対象者が苦情の申出をしたことによって不利益な取扱いを受けない旨を規定している。
*8 特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められたとしても、実際にいつどのような特定秘密の取扱いの業務を行うこととなるかは、行政機関の長又は適合事業者が判断するのであって、この判断と独立して当該者が自由に特定秘密の取扱いの業務を行う資格や権利が付与されるわけではない。逆に、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかったとしても、資格や権利を失うわけではない。また、特定秘密は、行政機関の所掌事務の遂行のために取扱いの業務を行う必要性が生じるものであり、本法制においては行政機関の長、警察本部長又は適合事業者が特定秘密の保護のために必要な措置を講ずるとしており、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められたことをもって評価対象者に個別具体的な義務が課されるわけでもない。逆に、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかったとしても、個別・具体的な義務が解除されるわけでもない。
第15 条 警察本部長による適性評価の実施等
(警察本部長による適性評価の実施等)
第十五条 警察本部長は、政令で定めるところにより、次に掲げる者について、適性評価を実施するものとする。
一 当該都道府県警察の職員(警察本部長を除く。次号において同じ。)として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(当該警察本部長がその者について直近に実施して次項において準用する第十三条第一項の規定による通知をした日から五年を経過していない適性評価において、特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認められるものを除く。)
二 当該都道府県警察の職員として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該警察本部長がその者について直近に実施した適性評価に係る次項において準用する第十三条第一項の規定による通知があった日から五年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者
三 当該警察本部長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの
2 前三条(第十二条第一項並びに第十三条第二項及び第三項を除く。)の規定は、前項の規定により警察本部長が実施する適性評価について準用する。この場合において、第十二条第三項第三号中「第一項第三号」とあるのは、「第十五条第一項第三号」と読み替えるものとする。
1 趣旨
本項は、警察本部長が実施する適性評価の対象となる者を
○ 当該都道府県警察の職員として特定秘密の取扱いの業務を新たに行うことが見込まれることとなった者(第1号)
○ 当該都道府県警察の職員として、特定秘密の取扱いの業務を現に行い、かつ、当該警察本部長がその者について直近に実施した適性評価に係る通知があった日から5年を経過した日以後特定秘密の取扱いの業務を引き続き行うことが見込まれる者(第2号)
○ 当該警察本部長が直近に実施した適性評価において特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められた者であって、引き続き当該おそれがないと認めることについて疑いを生じさせる事情があるもの(第3号)
と規定し、行政機関の長による適性評価の実施等について定めた第12 条から第14 条(第12 条第1項並びに第13 条第2項及び第3項を除く。)の規定を準用する旨及び準用に当たって所要の読替えを行う旨を定めるものである。
2 内容
(1) 第1項「警察本部長は、(中略)次に掲げる者について、適性評価を実施するものとする。」
本項は、都道府県警察の職員についての適性評価は、当該都道府県警察の警察本部長が実施することを定めるものである。
警察法では、都道府県警察は、都道府県の区域につき警察法第2条の責務に任じるとされ(警察法第36 条第2項)、警察職務の遂行は都道府県警察が行うものとする一方で、国の警察機関たる国家公安委員会及び警察庁が国の公安に関する警察運営をつかさどるなどとされ(警察法第5条、第17 条)、テロの未然防止やテロリストの検挙といった警察の責務を果たすために、警察庁長官が特定秘密を都道府県警察に提供し、提供を受けた当該都道府県警察は当該特定秘密の取扱いの業務を継続して行うことが警察法上も予定されており、都道府県警察における特定秘密の取扱いの業務は、適合事業者の場合のような一時的なものとは異なっている。
また、警察本部長の判断や措置が、国家的視野に基づき、また、国及び国民の安全を守る観点から見ても不合理なものとならないことは、警察本部長の国家公務員法上の位置付けや任免によっても担保されている。すなわち、警察本部長や警備部門を統括する警備部長等の警視正以上の警察官は、国家的視野から警察事務を遂行することを確保するため、国家公務員とされており(警察法第56 条第1項)、その任免も、国家公安委員会が行う(警察法第49 条第1項、第50 条第1項)こととされている。
このように、都道府県警察は、特定秘密の指定を行うことはないものの、特定秘密の取扱いの業務を行うことが予定されており、また、警察本部長が、警察庁長官の指揮監督の下に、国家公務員として都道府県警察を統括する責任者としての立場にあることに鑑みると、警察本部長は、警察庁長官が行う適性評価と同一の水準の適性評価を行うことが可能であるほか、都道府県警察の職員の実態をより的確に把握し得るのは警察本部長であることから、その職員の適性評価は警察本部長が行うことが適当である。
なお、警察本部長の適性評価については、警察本部長が自ら実施することは必ずしも適当とは考えられないことから、警察本部長が国家公務員であり、その任免も国家公安委員会が行うことに鑑み、警察庁長官が実施することとしている(第12 条第1項第1号)。
政令委任事項については、第12 条第1項に関する解説2(1)参照。
(2) 第2項「前三条(第十二条第一項並びに第十三条第二項及び第三項を除く。)の規定は、前項の規定により警察本部長が実施する適性評価について準用する。この場合において、第十二条第三項第三号中「第一項第三号」とあるのは、「第十五条第一項第三号」と読み替えるものとする。」
警察本部長が行う適性評価について、第12 条から第14 条までを準用することを定めたものである。ただし、適性評価の対象者について規定する第12 条第1項は準用の対象から除外している。また、国の行政機関の長と異なり、警察本部長が適合事業者に特定秘密の取扱いの業務を行わせることは想定されないことから、適合事業者や派遣元事業主に対する適性評価の結果等の通知について規定する第13 条第2項及び第3項を準用の対象から除外している。
第16 条 適性評価に関する個人情報の利用及び提供の制限
(適性評価に関する個人情報の利用及び提供の制限)
第十六条 行政機関の長及び警察本部長は、特定秘密の保護以外の目的のために、評価対象者が第十二条第三項(前条第二項において読み替えて準用する場合を含む。)の同意をしなかったこと、評価対象者についての適性評価の結果その他適性評価の実施に当たって取得する個人情報(生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。以下この項において同じ。)を自ら利用し、又は提供してはならない。ただし、適性評価の実施によって、当該個人情報に係る特定の個人が国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第三十八条各号、同法第七十五条第二項に規定する人事院規則の定める事由、同法第七十八条各号、第七十九条各号若しくは第八十二条第一項各号、検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)第二十条各号、外務公務員法(昭和二十七年法律第四十一号)第七条第一項に規定する者、自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第三十八条第一項各号、第四十二条各号、第四十三条各号若しくは第四十六条第一項各号、同法第四十八条第一項に規定する場合若しくは同条第二項各号若しくは第三項各号若しくは地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第十六条各号、第二十八条第一項各号若しくは第二項各号若しくは第二十九条第一項各号又はこれらに準ずるものとして政令で定める事由のいずれかに該当する疑いが生じたときは、この限りでない。
2 適合事業者及び適合事業者の指揮命令の下に労働する派遣労働者を雇用する事業主は、特定秘密の保護以外の目的のために、第十三条第二項又は第三項の規定により通知された内容を自ら利用し、又は提供してはならない。
1 趣旨
本条は、行政機関の長及び警察本部長が、特定秘密の保護以外の目的のために、一定の場合を除き、適性評価の結果や適性評価の実施に当たって取得する個人情報を自ら利用し、又は第三者に提供してはならない旨、適合事業者及び派遣元事業主が、特定秘密の保護以外の目的のために、行政機関の長から通知された内容を自ら利用し、又は第三者に提供してはならない旨を定めるものである。
2 内容
(1) 第1項「特定秘密の保護以外の目的のために、評価対象者が第十二条第三項(前条第二項において読み替えて準用する場合を含む。)の同意をしなかったこと、評価対象者についての適性評価の結果その他適性評価の実施に当たって取得する個人情報(生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。以下この項において同じ。)を自ら利用し、又は提供してはならない。ただし、適性評価の実施によって、当該個人情報に係る特定の個人が国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第三十八条各号、同法第七十五条第二項に規定する人事院規則の定める事由、同法第七十八条各号、第七十九条各号若しくは第八十二条第一項各号、検察庁法(昭和二十二年法律第六十一号)第二十条各号、外務公務員法(昭和二十七年法律第四十一号)第七条第一項に規定する者、自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)第三十八条第一項各号、第四十二条各号、第四十三条各号若しくは第四十六条第一項各号、同法第四十八条第一項に規定する場合若しくは同条第二項各号若しくは第三項各号若しくは地方公務員法(昭和二十五年法律第二百六十一号)第十六条各号、第二十八条第一項各号若しくは第二項各号若しくは第二十九条第一項各号又はこれらに準ずるものとして政令で定める事由のいずれかに該当する疑いが生じたときは、この限りでない。」
第1項は、行政機関の長及び警察本部長が、特定秘密の保護以外の目的のために、本法又は政令で定める場合を除き、適性評価に関する個人情報を、自ら利用し、又は第三者に提供してはならない旨を定めている。
行政機関個人情報保護法第8条第1項は、本来の利用目的以外の目的のために保有個人情報を自ら利用し、又は第三者に提供することを禁止しているが、その例外として、同条第2項において、例えば、「行政機関が法令の定める所掌事務の遂行に必要な限度で保有個人情報を内部で利用する場合であって、当該保有個人情報を利用することについて相当な理由のあるとき」には、本来の利用目的以外の利用が認められている。
適性評価において取得される個人情報は、通常の人事管理上保有される個人情報以上に深く評価対象者のプライバシーに関わるものを含んでおり、慎重な取扱いが求められるところ、上記のように例外的にせよ、目的外の利用・提供が認められるとすれば、評価対象者は自らの個人情報が、特定秘密の保護以外の目的のために、例えば人事評価において利用・提供されるのではないかといった懸念を払拭できず、適性評価の実施に当たって、また、実施後も、不信感や不安感を抱くおそれがある。また、こうしたプライバシーに関わる情報を取得して行う適性評価の実施について同意をしなかった事実や、このような情報を取得した上で決定された適性評価の結果についても、目的外の利用・提供が認められれば同様の懸念が生じる。
そこで、本法においては、適性評価の実施に当たって取得する個人情報等について、許される目的外利用・提供の範囲を行政機関個人情報保護法第8条第2項よりも狭め、下記例外を除く一切の目的外利用・提供を禁止したものであり、本項は、行政機関個人情報保護法第8条第2項の特則と位置付けられる。
ただし、適性評価において調査する事項には、国家公務員法等に規定する欠格条項、分限処分又は懲戒処分(以下「懲戒処分等」という。)の対象となる事由等と関係を有する事項があることから、その調査により懲戒処分等に該当する事由等が明らかになることも想定される。仮に、このような情報を、懲戒処分等のために利用・提供することも禁止することとした場合、行政機関の長及び警察本部長において、懲戒処分等に該当する事由等の存在を認識しながら、何らの措置を講ずることができず、結果として、職務を遂行することについての適格性を欠く者をその職位にとどまらせるという不合理な事態が生じることとなる。したがって、適性評価の実施によって、本項又は本項に基づく政令に列挙する懲戒処分等に該当する疑いが生じたときに限って、個人情報の利用・提供が例外的に認められている。
「これらに準ずるもの」として、施行令第22 条において、国家公務員法第81 条第2項の規定に基づく人事院規則で定める降任、免職若しくは降給の事由、自衛隊法施行令第63 条の規定による降任若しくは免職の事由又は地方公務員法第27 条第2項の規定に基づく条例で定める休職若しくは降給の事由若しくは同法第29 条の2第2項の規定に基づく条例で定める降任、免職若しくは降給の事由を規定している。
なお、本項は、行政機関個人情報保護法第8条第2項の特則であり、同条第1項に規定する「法令に基づく場合」には、利用目的以外の保有個人情報の利用・提供が可能であることに留意する必要がある。また、本項により目的外利用・提供が制限される個人情報は、適性評価の実施に当たって取得した個人情報であり、行政機関の長が適性評価の実施以前から保有していた人事管理のための情報等はこれに含まれない。
(2) 第2項「適合事業者及び適合事業者の指揮命令の下に労働する派遣労働者を雇用する事業主は、特定秘密の保護以外の目的のために、第十三条第111二項又は第三項の規定により通知された内容を自ら利用し、又は提供してはならない。」
第2項は、適合事業者及び派遣労働者の派遣元事業主が、特定秘密の保護以外の目的で、適性評価の結果等を自ら利用し、又は第三者に提供してはならない旨を定めている。
第13 条第2項及び第3項の規定により、適合事業者や派遣元事業主は、適性評価の結果や適性評価の実施に同意をしなかったことが行政機関の長から通知されることとなるが、これらの情報について目的外の利用・提供が可能となれば、評価対象者が適性評価制度に対して不信感・不安感を抱くおそれがあることは前述のとおりであり、適合事業者及び派遣元事業主においてもこれを慎重に取り扱う必要がある。
第17 条 権限又は事務の委任
(権限又は事務の委任)
第十七条 行政機関の長は、政令(内閣の所轄の下に置かれる機関及び会計検査院にあっては、当該機関の命令)で定めるところにより、この章に定める権限又は事務を当該行政機関の職員に委任することができる。
1 趣旨
本条は、行政機関の長は、第5章に定める権限又は事務を当該行政機関の職員に委任することができる旨を定めるものである。
2 内容
本条は、適性評価の効率的な実施を図るため、行政機関の長の適性評価に関する権限又は事務を当該行政機関の職員に委任することができることとするものである。
施行令第23 条において、当該権限又は事務のうちその所掌に係るものを、国家公務員法第55 条第2項の規定により任命権を委任した者(防衛大臣にあっては、自衛隊法第31 条第1項の規定により同法第2条第5項に規定する隊員の任免について権限を委任した者)に委任することができる旨規定している。
なお、内閣の所轄の下に置かれる機関である人事院及び会計検査院については、政令ではなく当該機関の命令(人事院規則、会計検査院規則)で委任を受ける職員の範囲が定められる。
行政機関の長が、当該行政機関の職員に委任することができる権限又は事務とは以下のとおりである。本条の規定により委任を受けた職員は、自らの名によって、行政機関の長から受任した権限又は事務を行うことになる。
(1) 権限
当該行政機関の職員に評価対象者若しくは評価対象者の知人その他の関係者に質問させ、若しくは評価対象者に対し資料の提出を求めさせ、又は公務所若しくは公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めること(第12 条第4項)
(2) 事務
○ 適性評価を実施すること(第12 条第1項)
○ 適性評価を実施するに当たり本法に規定する調査事項について調査を行うこと(第12 条第2項)
○ 適性評価を実施するに当たり本法に規定する調査事項について調査を行うことなどを評価対象者に対し告知した上で、その同意を得ること(第12 条第3項)
○ 適性評価の結果を評価対象者に対し通知すること(第13 条第1項)
○ 適合事業者の従業者に対して適性評価を実施したときはその結果を、当該従業者が同意をしなかったことにより適性評価が実施されなかったときはその旨を、それぞれ当該適合事業者に対し通知すること(第13条第2項)
○ 評価対象者に対し特定秘密の取扱いの業務を行った場合にこれを漏らすおそれがないと認められなかった旨を通知するとき、当該おそれがないと認められなかった理由を通知すること(第13 条第4項)
○ 苦情の申出を受けたとき、これを誠実に処理し、処理の結果を苦情の申出をした者に通知すること(第14 条第2項)  
■第6章 雑則

 

第18 条 特定秘密の指定等の運用基準等
(特定秘密の指定等の運用基準等)
第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。
2 内閣総理大臣は、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。
3 内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を前項に規定する者に報告し、その意見を聴かなければならない。
4 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関し、その適正を確保するため、第一項の基準に基づいて、内閣を代表して行政各部を指揮監督するものとする。この場合において、内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施が当該基準に従って行われていることを確保するため、必要があると認めるときは、行政機関の長(会計検査院を除く。)に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求め、並びに特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施について改善すべき旨の指示をすることができる。
1 趣旨
本条は、政府が、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めること等について定めるものである。
なお、第18 条第1項及び第2項(変更に係る部分を除く。)は、附則第1条により、本法の公布の日(平成25 年12 月13 日)から施行され、これらの規定に基づき、平成26 年10 月14 日に、「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し統一的な運用を図るための基準」が閣議決定された。
2 内容
(1) 第1項「特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定める」
特定秘密の指定と解除は、本法に規定する要件に基づき行われることとなり、また、適性評価についても、本法に規定する調査事項について、本法に規定する手続を経て行われる。しかしながら、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価は、原則として、各行政機関の長が行うこととされていることから、基準を定めることにより、政府一体となって統一的な運用を図ることが求められる。また、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施については、特定秘密の保護のみならず、国民の知る権利及びその保障に資する報道又は取材の自由、政府の有するその諸活動を国民に説明する責務、適性評価の評価対象者のプライバシーの保護などの観点からも特に重要であるため、運用基準において本法の運用に当たって留意すべき事項として本法の拡張解釈の禁止並びに基本的人権及び報道・取材の自由の尊重等を定めている。
(2) 第2項「我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を聴いた上で、」
上記(1)の運用基準の重要性に鑑み、これを定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者、すなわちこれら各分野の外部の有識者の意見を聴くこととしたものである。
内閣総理大臣が外部の有識者の意見を聴く場として、「情報保全諮問会議」が開催されている(「情報保全諮問会議の開催について」平成26 年1月14 日内閣総理大臣決裁)。
(3) 第2項「その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。」
衆議院における与野党協議の結果、内閣総理大臣が運用基準案を作成し、閣議の決定を求めなければならないことと修正された(政府原案では、運用基準は、政府が作成することとしていた。)。
【政府原案】
(特定秘密の指定等の運用基準)
第十八条 (略)
2 政府は、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を聴かなければならない。
(4) 第3項及び第4項
衆議院における与野党協議の結果、
○ 内閣総理大臣は、毎年、特定秘密の指定等の実施状況を有識者に報告し、その意見を聴かなければならないこと
○ 内閣総理大臣は、運用基準に基づいて行政各部を指揮監督し、必要があると認めるときは、行政機関の長に対し、特定秘密の提出等を求め、特定秘密の指定等について改善すべき旨の指示をすることができることが追加された。
なお、内閣総理大臣は、内閣法第6条により、閣議にかけて決定した方針に基づいて、行政各部を指揮監督することとされているところ、第4項の行政各部に対する指揮監督は、閣議の決定を経た運用基準に基づいて行われることとなる。
特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の適正を確保するための事務の公正かつ能率的な遂行を図るため、運用基準により、内閣に内閣保全監視委員会を設置した。内閣保全監視委員会は、内閣総理大臣が本条第4項に基づき、行政各部を指揮監督するに当たり、行政機関の長に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求めることができ、必要があると認めるときは是正を求めるものとしている。内閣保全監視委員会は内閣官房長官を長とし(内閣官房内閣情報調査室の事務のうち、特定秘密の保護に関する制度に関する事務を担当する国務大臣が置かれたときは、当該国務大臣を長とする。)、インテリジェンス・コミュニティーの事務次官級を中心に構成される。
第19 条 国会への報告等
(国会への報告等)
第十九条 政府は、毎年、前条第三項の意見を付して、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告するとともに、公表するものとする。
1 趣旨
本条は、政府が毎年、第18 条第3項の有識者の意見を付して、特定秘密の指定及び解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告し、公表するものとすることを定めるものである。
2 内容
本条は、衆議院における与野党協議により追加されたものである。
第18 条第3項が、内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を有識者に報告し、その意見を聴かなければならない旨規定し、本法の運用状況を外部の有識者が監視することとしているところ、本条は、特定秘密の指定・解除等について、これに対する有識者の意見を含め、国会に報告することにより、本法の運用状況について、国会の関与を明らかにし、民主的統制を確保することとしている。
具体的には、運用基準X5において、行政機関の長は、毎年1回、次に掲げる事項を内閣保全監視委員会に報告すること、内閣保全監視委員会は当該報告等を取りまとめ、国民に分かりやすい形で取りまとめた概要を付して内閣総理大臣に報告すること等を定めている。
(ア) 行政機関の長が指定をした特定秘密の件数及び過去1年に新たに指定をした特定秘密の件数(運用基準U1(1)に規定する本法の別表に掲げる事項の内容を具体的に示した事項の細目ごと。(イ)及び(ウ)において同じ。)
(イ) 過去1年に指定の有効期間の延長をした件数
(ウ) 過去1年に指定を解除した件数
(エ) 特定秘密であった情報を記録する行政文書ファイル等を過去1年に国立公文書館等に移管した件数
(オ) 特定秘密であった情報を記録する行政文書ファイル等を過去1年に廃棄した件数
(カ) 過去1年に廃棄した特定行政文書ファイル等の件数
(キ) 過去1年に処理した運用基準4(2)ア(ア)に規定する行政機関の通報窓口に対する通報の件数
(ク) 過去1年に適性評価を実施した件数(警察庁長官にあっては、警察本部長が実施した適性評価の件数を含む。(ケ)及び(コ)において同じ。)
(ケ) 過去1年に適性評価の評価対象者が本法第12 条第3項の同意をしなかった件数
(コ) 過去1年に申出のあった本法第14 条の苦情の件数
(サ) 過去1年に行った適性評価に関する改善事例
(シ) その他参考となる事項
第20 条 関係行政機関の協力
(関係行政機関の協力)
第二十条 関係行政機関の長は、特定秘密の指定、適性評価の実施その他この法律の規定により講ずることとされる措置に関し、我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものの漏えいを防止するため、相互に協力するものとする。
1 趣旨
本条は、関係行政機関の長が、本法の規定により講ずることとされる措置に関し、相互に協力するものとすることを定めるものである。
2 内容
(1) 「関係行政機関の長は、特定秘密の指定、適性評価の実施その他この法律の規定により講ずることとされる措置に関し(中略)相互に協力するものとする」
本法では、特定秘密の指定と解除、適性評価の実施は各行政機関の長が実施することとしているが、各行政機関における統一的な運用を図るため、第18 条第1項において運用基準を定めることとしている。また、本法では、行政機関の長は、自ら保有する特定秘密を安全保障上の必要から他の行政機関に提供する旨の規定が置かれている。しかしながら、行政機関の長が他の行政機関と関係する場合は、これらに尽きるものではないため、関係行政機関の長は、特定秘密の指定、適性評価の実施その他この法律の規定により講ずることとされる措置に関し、相互に協力するものとしている。
具体的には、ある行政機関が、他の行政機関の所掌事務に係る情報であって、特定秘密として保護すべきではないかと思われるものを入手した場合(第3条第1項に関する解説2(3)ア参照)や、ある行政機関において特定秘密の取扱いの業務に従事していた職員が、他の行政機関に出向し、当該他の行政機関においても特定秘密の取扱いの業務に従事することとなるため、当該他の行政機関の長が適性評価を実施する場合等における協力が想定される。
(2) 「我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものの漏えいを防止するため」
第1条の「我が国の安全保障(中略)に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるもの(中略)の漏えいの防止を図り」と同義であり、関係行政機関の長は、本法の目的を達成するため相互に協力すべきものであることを示したものである。
第21 条 政令への委任
(政令への委任)
第二十一条 この法律に定めるもののほか、この法律の実施のための手続その他この法律の施行に関し必要な事項は、政令で定める。
1 趣旨
本条は、本法各条に委任規定を持たない事項であって本法の実施に必要なものについて、政令で定めることを定めるものである。
2 内容
政令には、法律の具体的な委任に基づいてその委任の範囲内で法律の所管事項を定める委任命令と、法律の規定を実施するために必要な事項を定める実施命令があるが、本条は、本法に関する実施命令について規定したものである。
本法の規定を実施するために必要な事項としては、各条ごとの必要性から当該条文に政令への委任を明記しているもの以外にも、法全体の実施に関する事項であって政令で定めるべきものがあり得ることから、本条を置いたものである。
施行令において、実施命令として、第3条第3項の規定により同条第2項第1号に掲げる措置を講じたときは、特定秘密管理簿にその旨を記載し、又は記録するものとすること(施行令第7条)、指定の有効期間の満了に伴う措置(施行令第8条)、特定秘密の提供の際の通知(施行令第16 条)等を規定している。
第22 条 この法律の解釈適用
(この法律の解釈適用)
第二十二条 この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。
2 出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする。
1 趣旨
本条は、本法の拡張解釈を禁止し、また、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならないこととするとともに、出版又は報道の業務に従事する者の取材行為は、法令違反等と認められない限りは、正当な業務行為とすることを規定し、本法の解釈適用の準則を示すものである。
2 内容
(1) 第1項「この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず」
本法では、秘密の指定及びその解除、適性評価の実施、罰則等について、適切な運用の確保を図るために必要な制度設計を行っているものの、個々の特定秘密そのものを条文に規定することは不可能であり、罰則についても、漏えいの教唆罪や不正取得罪は、一定の要件を充たす場合は、行政機関の職員や適合事業者の従業者以外の者も処罰対象になり得、更に適性評価制度は新たに導入されるものであることから、MDA 秘密保護法第7条と同様の規定を本法に置き、政府として本法の適切な運用に万全を期すべきことを明らかにすることとしたものである。
(2) 第1項「この法律の適用に当たっては(中略)国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない」
本法は、
○ その漏えいが我が国の安全保障に著しく支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿することが必要である事項を特定秘密として指定し、厳正な保全措置を講ずること
○ 特定秘密の漏えいの教唆罪や特定秘密を欺罔等により取得する行為を処罰することとしていること
などから、国民の権利利益の中でも、「国民の知る権利」、「報道の自由」及び「取材の自由」との関係で緊張関係が生じる可能性がある。特に、「報道の自由」は、「報道機関の報道は、民主主義社会において、国民が国政に関与するにつき、重要な判断の資料を提供し、国民の「知る権利」に奉仕するものである。したがって、思想の表明の自由とならんで、事実の報道の自由は、表現の自由を規定した憲法21 条の保障のもとにあることはいうまでもない」(最高裁昭和44 年11 月26 日大法廷決定)とされ、国会においても、「真実を報道することは憲法21 条で認める表現の自由に属する」(昭和47 年4月5日衆議院予算委員会における高辻正巳内閣法制局長官)と答弁されており、報道の自由は憲法第21 条の表現の自由の一環として位置付けられている。また、「取材の自由」についても、「このような報道機関の報道が正しい内容をもつためには、報道の自由とともに、報道のための取材の自由も、憲法21 条の精神に照らし、十分尊重に値するものといわなければならない」(最高裁昭和44 年11 月26 日大法廷決定)とされている。したがって、本法の罰則が拡張して解釈され、政府の保有する様々な情報を入手しようとする報道機関の正当な活動が制限されるようなことは許されるものではない。このため、本法には、「この法律の適用に当たっては、これを拡張して解釈して、国民の基本的人権を不当に侵害するようなことがあってはならず、国民の知る権利の保障に資する報道又は取材の自由に十分に配慮しなければならない。」と特に明記している。
(3) 第2項「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為」
「出版又は報道の業務に従事する者」とは、不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせることや、これに基づいて意見又は見解を述べることを職業その他社会生活上の地位に基づき、継続して行う者をいい、フリーのジャーナリストもこれに含まれる。また、政党や宗教団体等の機関誌については、通常、報道に該当し、出版又は報道の業務に従事する者の取材行為として処罰対象になるものではない。学術的研究に従事する者の調査行為等については、当該研究者が不特定かつ多数の者に対して客観的事実を事実として知らせることや、これに基づいて意見又は見解を述べることを職業その他社会生活上の地位に基づき継続して行う場合は、「出版又は報道の業務に従事する者の取材行為」に該当する。
(4) 第2項「専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限りは、これを正当な業務による行為とするものとする」
報道機関による通常の取材行為は、本法の処罰対象となるものではない。このことは、「報道機関が公務員に対し根気強く執拗に説得ないし要請を続けることは、それが真に報道の目的からでたものであり、その手段・方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、実質的に違法性を欠き正当な業務行為」であるとされている最高裁決定(外務省秘密漏えい事件最高裁決定(昭和53 年5月31 日))からも明らかである。
本法では、こうした最高裁決定の趣旨を踏まえ、出版又は報道の業務に従事する者の取材行為については、「専ら公益を図る目的を有し、かつ、法令違反又は著しく不当な方法によるものと認められない限り」、すなわち通常の取材行為である限りは、刑法第35 条の正当な業務による行為に該当し、処罰対象とならないことを、より明確に規定している。
例えば、報道関係者による、@夜討ち朝駆け、A複数回、頻繁にわたるメール、電話、直接の接触、B個人的関係などに伴うコミュニケーション又は飲食、Cたまたま入室可能な状態となっていた部屋に入り、閲覧可能となっている状態のパソコン画面あるいは紙媒体の特定秘密を閲覧、D裏向きで机上に放置されている情報を裏返して閲覧、写真撮影を行うこと、E省エネモードになっているパソコンをワンタッチすることで起動して、パスワード等の設定されていないデータを閲覧、F特定秘密取扱業務者の関係者及び周辺者に対する取材、G特定秘密取扱業務者に関係の深い部局担当者への取材、H特定秘密を知得しているであろう政治家への取材、I特定秘密取扱業務者の家族への取材、J適合事業者への取材等は、処罰対象とはならない(平成25 年年11 月12 日衆・国家安全保障に関する特別委員会における森国務大臣答弁。)。 
■第7章 罰則

 

第23 条 漏えい罪
第二十三条 特定秘密の取扱いの業務に従事する者がその業務により知得した特定秘密を漏らしたときは、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする。
2 第四条第五項、第九条、第十条又は第十八条第四項後段の規定により提供された特定秘密について、当該提供の目的である業務により当該特定秘密を知得した者がこれを漏らしたときは、五年以下の懲役に処し、又は情状により五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する。第十条第一項第一号ロに規定する場合において提示された特定秘密について、当該特定秘密の提示を受けた者がこれを漏らしたときも、同様とする。
3 前二項の罪の未遂は、罰する。
4 過失により第一項の罪を犯した者は、二年以下の禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
5 過失により第二項の罪を犯した者は、一年以下の禁錮又は三十万円以下の罰金に処する。
1 趣旨
本条は、特定秘密の取扱いの業務に従事する者(以下「取扱業務者」という。)及び取扱業務者以外の者であって、第4条第5項、第9条、第10 条又は第18 条第4項後段の規定により提供された特定秘密を当該提供の目的である業務により知得したもの(以下「業務知得者」という。)による故意の漏えい、同未遂及び過失による漏えいに対する処罰について定めるものである。
なお、本法と国家公務員法等の他の法律の罰則の比較については、別添3参照。
2 内容
(1) 特定秘密の漏えいの処罰についての基本的な考え方
本法において、取扱業務者、業務知得者及びこれらいずれにも該当しない知得者の間では、その身分に応じて、特定秘密の保護に関して求められる責任の有無及び程度が異なるため、処罰の有無と処罰する場合の法定刑に差異を設けている。
(2) 他罪との関係
行政機関又は都道府県警察の職員が特定秘密を故意に漏えいした場合、第1項又は第2項の漏えい罪が成立するほか、国家公務員法等の守秘義務違反罪が成立することがあるところ、その場合、両罪は観念的競合(刑法第54 条第1項前段)の関係に立つものと考えられる。
(3) 第1項
ア 「特定秘密の取扱いの業務に従事する者」
第5条第1項に関する解説2(3)で述べた「特定秘密の取扱いの業務」に従事する者であり、具体的には、
○ 特定秘密の指定をした行政機関の長及び当該行政機関の職員
○ 第6条第1項に基づき特定秘密の提供を受けた行政機関の長及び当該行政機関の職員
○ 第5条第2項の通知を受け、又は第7条第1項に基づき特定秘密の提供を受けた都道府県警察の都道府県公安委員会の委員、警察本部長及び職員
○ 第5条第4項に基づき特定秘密を保有し、又は第8条第1項に基づき特定秘密の提供を受けた適合事業者の従業者
であって、特定秘密の取扱いの業務に従事するものである。
取扱業務者は、特定秘密を我が国の安全保障上の必要により取り扱うものであることから、特定秘密を厳格に保全することがその職務上特に強く求められる。したがって、取扱業務者による特定秘密の漏えいは、他の者による場合と比べ、法的非難が大きく、最も重い法定刑(下記エ参照)を科すこととしている。
イ 「知得した」
MDA 秘密保護法に規定する「知得」と同義であり、無形的な事項すなわちある事実又は情報を知っている状態をいう(町田充「防衛秘密保護法解説」50 頁)。
ウ 「漏らした」
MDA 秘密保護法に規定する「漏らす」と同義であり、特定秘密たる情報を口頭、電話、放送等により告知し、若しくは文書、図画、電信等によって伝達し、又は特定秘密たる情報を含む文書、図画、物件を交付することであり、相手方をして了知させることを必要とせず、知り得る状態に置いたことをもって足りる(「防衛秘密保護法解説」46 頁)。
エ 「十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する」
特別防衛秘密を取り扱うことを業務とする者による故意の漏えい罪(MDA 秘密保護法第3条第1項第3号)及び営業秘密の故意の開示等の罪(不正競争防止法(平成5年法律第47 号)第21 条第1項第4号ないし第6号)の法定刑がいずれも10 年以下の懲役であることとのバランスに鑑み、取扱業務者による故意の漏えい罪の法定刑も10 年以下の懲役とすることとしている。
この点、改正前の自衛隊法は、漏えいがもたらす影響として、自衛隊の任務遂行への支障という点に着目し、同法の他の罰則とのバランスも考慮して防衛秘密を取り扱うことを業務とする者による漏えい罪の法定刑を5年以下の懲役としているが、本法は、国及び国民の安全の確保に対する脅威という漏えい行為の本質的な性格に着目するものであり、その結果として改正前の自衛隊法と異なる法定刑を定めることに合理性は認められると考えられる。
また、過去の秘密漏えい事案においては金銭的対価を伴うものが少なくないため、罰金刑を任意的に併科することとし、現行法上10 年以下の懲役に対する選択的併科刑としての罰金刑は1,000 万円以下とするのが一般的であることから、本法もそれに倣うこととしている。
オ 「特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする」
本項の罰則の目的は、取扱業務者から特定秘密が流出することを阻止することにあり、いったん本法に基づき業務により特定秘密を知得してその保全下に置いた者であれば、その後の漏えい行為は、たとえそれが当該業務を離れた後のものであっても本法により処罰すべきであるため、そのような漏えい行為を処罰することとしている。
他方、行政機関若しくは都道府県警察の職員又は適合事業者の従業者が業務によりある情報を知得した後に当該業務を離れ、又は退職し、その後に当該情報に対して特定秘密の指定があった場合、当該者は一度も取扱業務者として当該特定秘密をその保全下に置いていないため、その後の漏えい行為は本法による処罰の対象とはならない。ただし、この場合、特定秘密の指定はなくても、国家公務員法等の秘密に該当しているときは、行政機関又は都道府県警察の職員による漏えい行為は、国家公
務員法等により処罰され得る。
(4) 第2項
ア 「第四条第五項、第九条、第十条又は第十八条第四項後段の規定により提供された特定秘密について、当該提供の目的である業務により当該特定秘密を知得した者」
取扱業務者以外の者であって、本法に基づき提供された特定秘密を当該提供の目的である業務により知得したものである。すなわち、ここでいう提供は、
○ 行政機関の長が、指定の有効期間を通じて30 年を超えて延長することについて内閣の承認を得ようとする場合において、内閣に当該特定秘密を提示するとき(第4条第5項)
○ 行政機関の長が、外国の政府等に特定秘密を提供する場合(第9条)
○ 行政機関の長、警察本部長又は適合事業者が、安全保障上の必要以外の公益上の必要により特定秘密を提供する場合(第10 条)
○ 行政機関の長が、内閣総理大臣の求めに応じ、特定秘密である情報を含む資料の提出をする場合(第18 条第4項後段)における特定秘密の提供である。
これらの業務知得者が漏えいした場合であっても、特定秘密の性質から、我が国の安全保障に与える影響は取扱業務者による漏えいと異なるところはない。他方、法的非難の程度については、業務知得者も、所定の保護措置が講ぜられたことを前提に提供された特定秘密を知得した者であり、これを保全する義務を有するものの、特定秘密の提供を受けることにより初めて、その保全義務を負うこととなるという点において、平素の業務において常に特定秘密を保全する義務を有している取扱業務者と比較して、特定秘密を漏えいした場合の法的非難は低いものと言わざるを得ない。したがって、業務知得者が特定秘密を漏えいした場合については、国家公務員法等の一般的な守秘義務(その違反に対する罰則は1年以下の懲役等)よりも重い法定刑を科すものの、取扱業務者よりも軽い法定刑(下記ウ参照)を科すこととしている。
なお、改正前の自衛隊法においては、防衛秘密を取り扱うことを業務とする者以外の者による漏えい行為を処罰の対象としていない。しかしながら、防衛省・自衛隊の秘密を保護するために同省を中心とした秘密保護について定めた防衛秘密制度とは異なり、本法は、我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものについて、その取扱いについての政府の共通のルールを定めるものであり、取扱業務者以外の者が特定秘密を知得することとなる場合も含め、特定秘密を保有する行政機関の長等がこれを提供できる場合を規定するとともに、提供された特定秘密の保護措置を講ずべきことを定めている。したがって、取扱業務者以外にも、本法に基づき業務により特定秘密を知得する者がいるのであれば、その者による漏えい行為も本法の処罰対象とすることが適当であり、業務知得者を処罰対象としている。
イ 「知得した」及び「漏らした」
上記(3)イ及びウ参照。
ウ 「五年以下の懲役に処し、又は情状により五年以下の懲役及び五百万円以下の罰金に処する」
自由刑については、取扱業務者による故意の漏えい罪の法定刑を10年以下の懲役としたことを踏まえ、MDA 秘密保護法とのバランスに鑑み、5年以下の懲役とすることとしている。
罰金刑については、現行法上5年以下の懲役に対する選択的併科刑としての罰金刑は500 万円以下とするのが一般的であることから、本法もそれに倣うこととしている。
エ 「第十条第一項第一号ロに規定する場合において提示された特定秘密について、当該特定秘密の提示を受けた者がこれを漏らしたときも、同様とする」
第10 条第1項第1号は、「特定秘密の提供を受ける者」の「業務」に必要があると認められる場合であって特定秘密の提供を受けるときについて定めているところ、同号ロの規定に基づき提供を受ける者は捜査を行う警察等の捜査機関又は公訴の維持を担当する検察官であり、裁判所が直接提供を受けることはない。しかしながら、当該特定秘密を検察官が刑事訴訟法第316 条の27 第1項の規定により裁判所に提示することがあるところ、これにより提示された特定秘密を知得した裁判官及び裁判所職員による漏えい行為についても本法の処罰対象とすることが必要であることに変わりなく、これらの者を処罰対象としたものである。
オ 業務に従事しなくなった後の処罰について
本項には、第1項の「特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった後においても、同様とする」に相当する規定を置いていないが、これは、本項では、漏えい行為の主体を「当該提供の目的である業務に従事する者」とせず、「当該提供の目的である業務により当該特定秘密を知得した者」と規定しており、当該者が当該業務に従事しなくなった後に漏えいをした場合にも処罰されることが明らかであり、そのような場合の処罰について別途規定する必要がないためである。
(5) 第3項
国家公務員法では秘密の漏えい行為の未遂は処罰対象とされていないが、本法では、故意の漏えい行為の未遂は、特定秘密の漏えいの危険を現実化させる悪質性の高い行為であり、処罰対象とすることが適当であるため、これを罰することとしている。
「未遂」とは、漏えいの実行に着手したが、相手方に知り得る状態に至らなかった場合であり、この実行の着手時期については、行為の様態や客体等を踏まえ、個別具体的な事例に則して判断する必要があるが、例えば、特定秘密を記録した文書を郵送のため投函したものの、直後に検挙されて当該文書が相手方に到達しなかった場合などが想定される。
(6) 第4項
取扱業務者による過失漏えいを罰するものである。
特定秘密の性格に照らせば、過失による漏えいであっても、我が国及び国民の安全の確保に大きな影響を及ぼすことは、故意による場合と変わりがない。そして、本法に基づき業務により特定秘密を知得した者は、その業務に応じ、特定秘密を厳格に保護し漏えいを防ぐ責任を有していると考えられるから、国家公務員法では過失による秘密の漏えいは処罰対象とされていないが、本法では、このような者に対して、漏えいを防ぐ注意義務を認め、過失による漏えいを処罰することとしている。
「過失により」とは、漏えいの認識のないまま不注意により漏えいの結果を引き起こした場合であり、例えば、特定秘密が記録された文書を公園のベンチに置き忘れ、自己以外の者が知得するに至った場合などが想定される。
自由刑については、取扱業務者による故意の漏えい罪の法定刑を10 年以下の懲役としたことを踏まえ、MDA 秘密保護法におけるバランスを参考にして、2年以下の禁錮とすることとしている。
罰金刑については、1年以下の禁錮に対する選択刑との均衡を図る必要があることから、MDA 秘密保護法におけるバランスを参考にして、50 万円以下としている。
(7) 第5項
業務知得者による過失漏えいを罰するものである。
当該行為を処罰対象とすること及び「過失により」の意義については上記(6)参照。
自由刑については、取扱業務者による過失漏えい罪の法定刑を2年以下の禁錮としたことを踏まえ、MDA 秘密保護法とのバランスに鑑み、1年以下の禁錮とすることとしている。
罰金刑については、1年以下の禁錮に対する選択刑としての罰金刑は、現行法上30 万円以下とするのが一般的であることから、本法もそれに倣うこととしている。
(8) その他の者の処罰について
以上に対して、本法では、取扱業務者と業務知得者のいずれにも該当しない特定秘密の知得者(例えば、取扱業務者又は業務知得者に対する取材活動により特定秘密を知得した者や、特定秘密が記録された文書等が含まれた物件の拾得等により特定秘密を知得した者等)については、漏えいの処罰の対象としていない。そもそも、これらの者が特定秘密に触れるのは、取扱業務者又は業務知得者が特定秘密を故意又は過失により漏えいしたとき等の例外的な場合に限られ、これに触れた者が、取扱業務者又は業務知得者と同様に特定秘密を保全することを前提にこれを知得したものとはいえないことから、その者に守秘義務(保全のための法的義務)を課すことはできず、したがって、その者による更なる漏えい行為を法的非難の対象として処罰することとはしない。もっとも、これらの者が取扱業務者又は業務知得者に働き掛けるなどして特定秘密を不正に入手した場合には、これを提供した取扱業務者又は業務知得者による漏えいの教唆罪又はその手段によっては不正取得罪が成立し得る上、取扱業務者又は業務知得者についても漏えい罪が成立し得ることから、その段階において特定秘密の漏えいを抑止することができるものと考えられる。
第24 条 不正取得罪
第二十四条 外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為により、又は財物の窃取若しくは損壊、施設への侵入、有線電気通信の傍受、不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為により、特定秘密を取得した者は、十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪の未遂は、罰する。
3 前二項の規定は、刑法(明治四十年法律第四十五号)その他の罰則の適用を妨げない。
1 趣旨
本条は、外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で、本条に定める不正な方法により特定秘密を取得した者に対する処罰について定めるものである。
2 内容
(1) 不正取得の処罰についての基本的な考え方
特定秘密の保全状態からの流出には、取扱業務者又は業務知得者による漏えい行為の処罰では抑止できない取得行為を原因とする場合がある。
まず、取扱業務者等に対する欺罔により適法な伝達と誤信させ、あるいは暴行・脅迫により特定秘密を取得する場合には、働き掛けの対象となった取扱業務者等には漏えいの故意がないなど、漏えい行為の処罰が困難な場合がある。また、財物の窃取、不正アクセス又は特定秘密の管理場所への侵入等、管理を害する行為を手段として特定秘密を直接取得する場合には、漏えい行為が介在しないため、漏えい行為の処罰ではこれを抑止できない。
これらの不正取得行為は、国家公務員法では処罰対象とされていないが、特定秘密を保全状態から流出させる点で、違法の程度が取扱業務者又は業務知得者による漏えい行為と同様であると認められる行為であり、取扱業務者又は業務知得者によるものでないということのみをもって処罰の対象とならないとすれば、特定秘密の保護を目的とする本法の趣旨を損ねることになる。
なお、改正前の自衛隊法における防衛秘密については、外部者による不正取得行為を処罰の対象としていないが、自衛隊内部の規律を直接的な目的としている自衛隊法とは異なり、本法は特定秘密の漏えいの防止を目的としていることから、その保全状態を脅かす外部者による不正取得行為も処罰の対象とすることが適当であると考えられる。
(2) 第1項
ア 「外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的で」
衆議院における与野党協議により追加され、不正取得行為の目的を限定することとされた。これにより、例えば、真に報道目的で不正取得行為を行ったとしても本条では処罰されないこととなった。
 【平成25 年11 月29 日 参・国家安全保障に関する特別委員会】
○仁比聡平君 もう一つ、その修正案にかかわって、今日会議録をもう一回読んで問題があればまた伺いますから、ちょっと別の点で伺いたいんですけど、刑罰適用の関係なんですよ。二十四条、新しい、これによって不正取得罪が目的犯とされたわけですよね。
この目的犯の目的が「外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途に供する目的」というふうになっているんですが、これ、一体どういう意味なんですかね。
先ほど、前の質疑で、スパイ防止を目的とするというふうに森大臣答弁されたんですが、それならそう書きゃいいんだけど、そう書いていないでしょう。どういう目的なんですか、これ、構成要件の意味というのは。
○衆議院議員(大口善徳君) スパイ等の目的ということですね。
それで、これは修正協議で維新の会さんの方から、やはりこのスパイ目的のあるものについてはもうしっかり罰すべきだと、こういう御提案があったんですよ。要するに、国際社会の標準からすると、外国の利益を得る目的という場合は、この手段が、取得行為自体が違法でない場合においてもスパイ目的であれば、特定秘密を取得した場合これはもう罰すべきだと、これがまあ一つの世界標準だと、こういうお話があったんです。
ただ、私どもは、そうではなくて、それでは、これ逆提案なんですが、もうこの取得行為につきましてはスパイ等の目的がなければもう罰しないと。ですから、手段が、例えば暴行であればこれは暴行罪、傷害罪、それから施設への侵入だとこれは住居侵入罪、あるいは不正アクセスの場合ですと不正アクセス防止法違反と、こういうふうに手段でもう罰すればいいと。ですから、こういう目的がなければ、その取得行為についてですね、たとえ違法な取得行為であってもこれは罰しない。その違法な手段において、ただ住居侵入とか器物損壊とかそういうもので罰しようと、こういう形で、目的犯という形で絞らせていただいたわけです。
それで、外国の利益若しくは自己の不正の利益を図り、又は我が国の安全若しくは国民の生命若しくは身体を害すべき用途の目的という形で、違法目的に絞ってこの取得行為というものを限定をさせていただいたわけでございます。
○仁比聡平君 限定したって何かしきりにおっしゃるんですけど、この「害すべき用途に供する」ってどういう意味なんですか。
○衆議院議員(大口善徳君) ですから、特定秘密のこの情報を、例えば外国の利益を図るという場合は外国にその利益を提供すると、あるいは、自己の不正な利益ということはその特定秘密のその情報というものを自分の利益を図るために提供すると、こういうような目的ですね。
ですから、逆に言えば、報道目的等のために違法な手段でやった場合は罰せられないということです、この取得行為ではね。
イ 「人を欺き(中略)その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為」
本項の不正取得行為の規定ぶりについては、行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律(平成25 年法律第27号。以下「番号法」という。)第70 条の個人番号を保有する者の管理を害する行為により個人番号を取得した者に対する罰則や、不正競争防止法第21 条第1項第1号の営業秘密の保有者の管理を害する行為により営業秘密を取得した者に対する罰則において、情報等を取得する行為について違法性が高いものを列挙する方法を取っている最近の立法例に倣い、特に違法性の高い行為を列挙して規定している。
具体的には、本項においては、番号法第70 条及び不正競争防止法第21 条第1項第1号と同様に、「人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為」を規定するとともに、特定秘密を「保有する者の管理を害する行為」(以下「管理侵害行為」という。)を規定している。
ここで、管理侵害行為については、番号法第70 条及び不正競争防止法第21 条第1項第1号においては、「財物の窃取」、「施設への侵入」、「不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)」を例示しつつ、「その他の(個人番号を)保有(する)者の管理を害する行為」と規定している。これは、今後の情報通信技術等の急速な進歩によって可能となるハイテクを用いた悪質な手口にも適切に対応できるよう、限定列挙ではない形で規定したものである(経済産業省知的財産政策室「逐条解説不正競争防止法(平成23・24 年改正版)」(以下「逐条解説不競法」という。)185 頁)とされるところ、本項においても、これに倣い、管理侵害行為を、一定の例示を置いた上で「その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為」と規定している。
他方、本法においては、特定秘密の保護は国民の知る権利との関係で、処罰の対象となる不正取得行為の構成要件がより明確なものとなるようにする必要がある。そこで、本法においては、番号法第70 条及び不正競争防止法第21 条第1項第1号において例示されている「財物の窃取」、「施設への侵入」、「不正アクセス行為」に、特定秘密を取得するために用いられるおそれがあり、かつ、他の法律によっても処罰される悪質な行為であることが明らかである「財物の(中略)損壊」及び「有線電気通信を傍受する行為」を例示として追加し、これらの行為による特定秘密の取得が処罰の対象となることを例示するとともに、番号法等とは異なった手段を用いて特定秘密の入手を図ることが想定される本法の管理侵害行為を具体的に明らかにすることとしている。
ウ 「人を欺き、人に暴行を加え、若しくは人を脅迫する行為」
不正競争防止法第21 条第1項第1号「詐欺等行為(人を欺き、人に暴行を加え、又は人を脅迫する行為をいう。)」と同義であり、刑法上の詐欺罪、強盗罪、恐喝罪の実行行為である、欺罔行為、暴行、脅迫に相当する(「逐条解説不競法」178 頁)ものである。欺罔行為等により特定秘密を記録する文書等の占有を得る場合のほか、特定秘密を口頭で聞き出す場合なども含まれる。
エ 「財物の窃取」
有体物の占有という管理に対する侵害行為を処罰の対象とするものであり、不正競争防止法第21 条第1項第1号「財物の窃取」と同義であって、刑法上の窃盗罪の実行行為に相当するものである(「逐条解説不競法」184 頁)。
オ 「財物の(中略)損壊」
刑法第261 条の器物損壊罪の実行行為に相当するものである。例えば、内部者等の施設に入ることを許された者による、保管庫の錠を破壊して特定秘密が記録された文書や図画の写真を撮影する行為や、電気器具のプラグの差し込み口(コンセント)の一部を破壊し、内部に盗聴器を設置する行為が含まれる。
カ 「施設への侵入」
施設における保管という管理に対する侵害行為を処罰の対象とするものであり、不正競争防止法第21 条第1項第1号「施設への侵入」と同義であって、刑法上の建造物侵入罪の実行行為に相当するものである(「逐条解説不競法」179 頁)。
「施設」とは、物的設備のほか、それを動かしていく人及びこれらによって運営される事業活動の全体を指す(吉国一郎他編「法令用語辞典」第9次改訂版347 頁)。
キ 「有線電気通信の傍受」
「有線電気通信」とは、送信の場所と受信の場所との間の線条その他の導体を利用して、電磁的方式により、符号、音響又は影像を送り、伝え、又は受けることを(有線電気通信法(昭和28 年法律第96 号)第2条第1項)、また、「傍受」とは、現に行われている他人間の電気通信について、その内容を知るため、当該電気通信の当事者のいずれの同意も得ないで、これを受けることをいうとされており(犯罪捜査のための通信傍受に関する法律(平成11 年法律第136 号)第2条第2項)、本法においてもこれと同義である。有線通信は、通信手段ないし通信内容の伝達経路そのものが閉鎖的性質を有し、通信の秘密を保持するのにふさわしいものであって、当事者も秘密が保持されるものと期待しており(法務省刑事局「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の解説」39 頁)、有線電気通信法においても有線電気通信の秘密を侵した者は処罰される(有線電気通信法第9条及び第14 条)。例えば、特定秘密を保管する施設外において有線電気通信を傍受する行為が含まれる。
ク 「不正アクセス行為(不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成十一年法律第百二十八号)第二条第四項に規定する不正アクセス行為をいう。)」
不正競争防止法第21 条第1項第1号と同様、不正アクセス行為の禁止等に関する法律(平成11 年法律第128 号)第2条第4項に定義される「不正アクセス行為」を意味し、具体的には、ネットワーク(電気通信回線)に接続されたコンピュータについて、ネットワークを通じて他人の識別符号又はアクセス制限機能による特定利用の制限を免れることができる情報若しくは指令を入力して、アクセス制限機能による当該コンピュータの利用制限を免れ、その制限されている利用を実行し得る状態にさせる行為である(「逐条解説不競法」185 頁)。
ケ 「その他の特定秘密を保有する者の管理を害する行為」
「財物の窃取若しくは損壊」、「施設への侵入」、「有線電気通信の傍受」、「不正アクセス行為」に類する管理侵害行為をいい、上記イで述べたとおり、今後の情報通信技術等の急速な進歩によって可能となるハイテクを用いた悪質な手口にも適切に対応できるよう、限定列挙ではない形で規定したものであるが、現時点でも、例えば、住居侵入に当たらない場合であって、施設の管理者の同意を得ずに特定秘密を取り扱う会議室に盗聴器を置き、特定秘密を取得する行為や、行政機関の高官の秘書が、特定秘密が記録された文書が保管されている金庫の鍵を開け、在中しているその文書を取り出し、その場で写真に納めて特定秘密を取得する行為などが考えられる。
コ 「取得した」
不正競争防止法における営業秘密の「取得」と同じであり、自己又は第三者が、特定秘密を知得すること(再現可能な状態で記憶すること)又は特定秘密が化体された有体物(特定秘密を記録する記録媒体等又は特定秘密が化体された物件)を占有することをいう(「逐条解説不競法」186 頁)。
サ 「十年以下の懲役に処し、又は情状により十年以下の懲役及び千万円以下の罰金に処する」
特別防衛秘密の探知・収集罪(MDA 秘密保護法第3条第1項第1号)及び営業秘密の取得罪(不正競争防止法第21 条第1項第1号)の法定刑がいずれも10 年以下の懲役であることとのバランスに鑑み、特定秘密の不正取得罪の法定刑も10 年以下の懲役とすることとしている。
また、不正取得罪は金銭的対価を得る目的で敢行されることが類型的に想定されるため、罰金刑を任意的に併科することとし、現行法上10年以下の懲役に対する選択的併科刑としての罰金刑は1,000 万円以下とするのが最も一般的であることから、本法もそれに倣うこととしている。
(3) 第2項
不正取得行為は漏えい行為と同様に特定秘密を漏えいさせる高い危険性を有することから、同行為の未遂も処罰することが適当であるため、本法ではこれを罰することとしている。
「未遂」とは、不正取得行為の実行に着手したが、取得するには至らなかった場合であり、例えば、特定秘密を記録した文書等を強取しようとして特定秘密の取扱いの業務に従事する者に暴行を加えたが、当該特定秘密を記録した文書等を奪えなかった場合などが想定される。
(4) 第3項
不正取得罪(未遂も含む。以下本項に関する解説において同じ。)が成立する場合、詐欺罪(刑法第246 条第1項)、暴行罪(同第208 条)、脅迫罪(同第222 条)、恐喝罪(同第249 条第1項)、強盗罪(同第236 条第1項)、窃盗罪(同第235 条)、建造物侵入罪(同第130 条)、建造物損壊罪(同第260 条)、器物損壊罪(同第261 条)、有線電気通信法違反の罪(同法第14 条、第9条)、不正アクセス行為の禁止等に関する法律違反の罪(同法第11 条、第3条)の構成要件にも該当することがあるところ、本項は、本条の罰則がこれらの罪の罰則の適用を排除するものではなく、不正取得罪と別個にこれらの罪が成立し、観念的競合(刑法第54 条第1項前段)として最も重い刑により処断されることを明らかにするとともに、不正取得罪がこれらの罪の特別減軽類型になるものではないことを明らかにするものである。したがって、不正取得罪と強盗罪が成立する場合、強盗罪の刑である5年以上の有期懲役により処断されることになる。本項と同様の規定は、不正競争防止法第21 条第7項及び割賦販売法第49 条の2第4項にも置かれている。
第25 条 共謀罪、教唆罪及び煽動罪
第二十五条 第二十三条第一項又は前条第一項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、五年以下の懲役に処する。
2 第二十三条第二項に規定する行為の遂行を共謀し、教唆し、又は煽動した者は、三年以下の懲役に処する。
1 趣旨
本条は、故意の漏えい行為又は不正取得行為(以下「漏えい行為等」という。)の共謀、教唆及び煽動に対する処罰について定めるものである。
2 内容
(1) 漏えい行為等の共謀、教唆及び処罰についての基本的な考え方
その漏えいが我が国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれがある特定秘密は、ひとたび漏えいが発生すると、我が国及び国民の安全に及ぼす影響は甚大であり、その漏えいを未然に防止するためには、刑罰による抑止を図る必要がある。共謀、教唆、煽動は、特定秘密の漏えいの結果をもたらす危険性の大きい行為であることから、本法の処罰対象とし、特定秘密の漏えいの未然防止を図ることとしている。
(2) 「共謀」
改正前の自衛隊法第122 条第4項の「共謀」及び刑法第78 条の「陰謀」と同義であり、2人以上の者が漏えい行為等の実行を具体的に計画して、合意することをいう。必ずしも、実行の細部にわたることを要しないが、漏えい行為等の実行についての抽象的、一般的な合意をするだけでは足りない(大塚仁他編「大コンメンタール刑法」(以下「大コンメ」という。)第2版第6巻38 頁)。
取扱業務者又は業務知得者ではない者のみで漏えい行為を共謀した場合、特定秘密の流出の現実的危険性に乏しいため、本罪は成立しない。
漏えい行為等の共謀をした者がそれらの行為等を実行した場合、本罪は漏えい罪又は不正取得罪に吸収される(「大コンメ」第2版第6巻39 頁)。
(3) 「教唆」
改正前の自衛隊法第122 条第4項の「教唆」及びMDA 秘密保護法第5条第3項の「教唆」と同じく独立教唆のことであり、漏えい行為等を実行させる目的をもって、人に対して、当該行為を実行する決意を新たに生じさせるに足る慫慂行為をすることをいう(「大コンメ」第2版第5巻523 頁)。
独立教唆は、教唆とは異なり、被教唆者による漏えい行為等の実行の着手を要さない。また、教唆行為、すなわち人に漏えい行為等を実行する決意を生ぜしめるに適した行為があれば、それだけで独立犯としての教唆が成立し、その教唆の結果、被教唆者が漏えい行為等を実行する決意を抱くに至ったことも要しない(「大コンメ」第2版第5巻524 頁)。
なお、MDA 秘密保護法及び日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法(昭和27 年法律第138号)(以下「刑事特別法」という。)においては、特別防衛秘密及び合衆国軍隊の機密の漏えい行為等の独立教唆について、「教唆された者が教唆に係る犯罪を実行した場合において、刑法総則に定める教唆の規定の適用を排除するものではない。」旨を規定している(MDA 秘密保護法第5条第4項、刑事特別法第7条第3項)。しかしながら、刑法総則の規定は特別の規定がない限り他の法令の罪についても適用されるのであって(刑法第8条)、上記規定は注意規定にすぎず、独立教唆を規定する改正前の自衛隊法を含む他の法令の多くが同様の規定を置いていないことも踏まえ、本法では規定していない。
(4) 「煽動」
改正前の自衛隊法第122 条第4項の「煽動」及びMDA 秘密保護法第5条第3項の「せん動」と同義であり、漏えい行為等を実行させる目的をもって、人に対して、当該行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢のある刺激を与えることをいう(「大コンメ」第2版第5巻525 頁)。
客観的に人に実行を決意させるか既存の決意を助長させるような性質の刺激を与えれば成立し、実際に決意を生ぜしめたか、あるいは、決意を助長させたことを必要とせず、煽動の内容たる意思表示が相手方の認識又は了解し得べき状態に置かれることをもって足り、相手方が現実に認識又は了解することを必要としない。また、煽動の相手方は、特定少数者では足りず、不特定又は多数人であることを要する(「大コンメ」第2版第5巻526 頁)。
(5) 第1項「五年以下の懲役に処する」
取扱業務者による故意の漏えい行為を対象とする共謀・教唆・煽動は、業務知得者による故意の漏えい行為を対象とする共謀・教唆・煽動と比べ、法益侵害の危険が高いと考えられるため、より重い法定刑を定めることとしている。
そして、取扱業務者による故意の漏えい罪及び不正取得罪の法定刑のうちの自由刑を10 年以下の懲役としたことを踏まえ、MDA 秘密保護法とのバランスに鑑み、5年以下の懲役とすることとしている。
(6) 第2項「三年以下の懲役に処する」
取扱業務者による故意の漏えい行為を対象とする共謀・教唆・煽動の法定刑を5年以下の懲役としたことを踏まえ、MDA 秘密保護法とのバランスに鑑み、3年以下の懲役とすることとしている。
第26 条 自首減免
第二十六条 第二十三条第三項若しくは第二十四条第二項の罪を犯した者又は前条の罪を犯した者のうち第二十三条第一項若しくは第二項若しくは第二十四条第一項に規定する行為の遂行を共謀したものが自首したときは、その刑を減軽し、又は免除する。
1 趣旨
本条は、自首による刑の必要的減免を定めるものである。
2 内容
(1) 自首減免についての基本的な考え方
取扱業務者又は業務知得者による特定秘密の保全状態からの流出という結果が発生する前の自首を促し、実害の発生を未然に防止することができるよう、刑法第42 条第1項の特則として自首による刑の必要的減免を規定したものであり、改正前の自衛隊法第122 条第5項と同趣旨の規定である。
(2) 「第二十三条第三項若しくは第二十四条第二項の罪を犯した者又は前条の罪を犯した者のうち第二十三条第一項若しくは第二項若しくは第二十四条第一項に規定する行為の遂行を共謀したもの」
故意の漏えい行為の未遂罪(第23 条第3項)、不正取得行為の未遂罪(第24 条第2項)及び取扱業務者若しくは業務知得者による故意の漏えい行為等の共謀罪(第25 条)である。
漏えい行為等の教唆罪及び煽動罪(第25 条)については、教唆も煽動も特定秘密の保全状態からの流出という結果が発生する前の行為ではあるものの、被教唆者又は被煽動者が漏えい行為等を実行するとしないとにかかわらず処罰することとした同条の趣旨に鑑み、本条の対象とはしていない。
(3) 「自首」
刑法第42 条第1項の「自首」と同義であり、犯人が自発的に捜査機関に自己の犯罪事実を申告し、その訴追を求める意思表示をいう。
第27 条 国外犯処罰
第二十七条 第二十三条の罪は、日本国外において同条の罪を犯した者にも適用する。
2 第二十四条及び第二十五条の罪は、刑法第二条の例に従う。
1 趣旨
本条は、漏えい罪、不正取得罪、共謀罪、教唆罪及び煽動罪の国外犯処罰について定めるものである。
2 内容
(1) 国外犯処罰についての基本的な考え方
特定秘密の保護を徹底するためには、漏えい等に係る国外犯処罰規定を設けることが適当であると考えられるところ、本法が特定秘密の漏えいの防止を目的とするものであり、その保全状態を脅かす行為であれば処罰の対象とするのが適当であることから、すべての者の国外犯を処罰対象とする保護主義を採用するのが本法の目的に合致すると考えられる。
また、「国際法上一般には、とくに外国人の国外犯のうち、内乱、外患誘致、通謀利敵または破壊活動など、内国の安全、領土保全または政治的独立を害する『政治的基本秩序を害する罪』(外国人に対し刑罰をもって規制するのもやむをえないという事情があれば、スパイ活動、外交・領事機関での偽証、出入国管理法令・関税法違反に関する共同謀議も含む)」(山本草二「国際法(新版)」236 頁)が保護主義の適用対象となると解釈されているところ、本法の特定秘密は、我が国の安全保障に関する情報のうち特に秘匿することが必要であるものであり、その漏えいが国及び国民の安全を害するものであるため、特定秘密の漏えい行為等に保護主義を適用することは国際法上も許容されるものと考えられる。
そこで、保護主義を採用し、全ての者の国外犯を処罰することとしたのが本条である。
なお、改正前の自衛隊法においては、防衛秘密の漏えいについて日本国民以外の者による国外犯が現実的には想定し難いことから、日本国民の国外犯のみを処罰対象とする属人主義を採用するにとどまっているが(改正前の自衛隊法第122 条第6項)、本法における特定秘密は、防衛のみならず外交、特定有害活動の防止及びテロリズムの防止の分野にまで秘密の範囲を拡大するものであり、我が国の在外公館において外交に関する特定秘密を取り扱うことが見込まれることも踏まえると、日本国民以外の者による国外犯が敢行される事態が現実的なものとして十分想定されると考えられる。
(2) 第1項「日本国外において同条の罪を犯した者にも適用する」
第23 条の罪は、取扱業務者又は業務知得者による漏えい行為を処罰するものであり、犯罪主体が限定されているところ、刑法第2条は、日本国外において当該罪を犯した「すべての者」に適用することとする国外犯規定であるため、そもそも犯罪主体が限定されている第23 条の罪については、「刑法第二条の例に従う」と規定するのではなく、「日本国外において同条の罪を犯した者にも適用する」と規定することとした。
(3) 第2項「刑法第二条の例に従う」
第24 条及び第25 条の罪は、何人についても成立し得る罪であることから、日本国外において当該罪を犯した「すべての者」に適用することとするために、「刑法第二条の例に従う」と規定することとした。  
■附則

 

附則
(施行期日)
第一条 この法律は、公布の日から起算して一年を超えない範囲内において政令で定める日から施行する。ただし、第十八条第一項及び第二項(変更に係る部分を除く。)並びに附則第九条及び第十条の規定は、公布の日から施行する。
1 趣旨
本条は、本法の施行期日について定めるものである。
2 内容
本法を円滑に施行するためには、政令及び統一的な運用を図るための基準の制定、各行政機関における内部規則の作成等を行う必要があり、防衛秘密制度の創設に係る改正自衛隊法が公布の日(平成13 年11 月2日)から起算して1年以内に施行していることを踏まえ、本条は、公布の日から起算して1年を超えない範囲内において政令で定める日から施行することとしている。
ただし、衆議院における修正により、特定秘密の指定等の運用基準の策定に係る第18 条第1 項及び第2項、指定及び解除の適正の確保に係る附則第9条並びに国会に対する特定秘密の提供及び国会におけるその保護措置の在り方に係る附則第10 条の規定は、公布の日から施行することとされた。これは、運用基準の策定や特定秘密の指定等について独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置等については、本法の施行までに行うことが必要であることから、公布の日から施行されることとなったものである。
なお、特定秘密の保護に関する法律の施行期日を定める政令(平成26 年政令第335 号)において、本法の施行期日は、平成26 年12 月10 日とされている。
附則第2条 経過措置
(経過措置)
第二条 この法律の公布の日から起算して二年を超えない範囲内において政令で定める日の前日までの間においては、第五条第一項及び第五項(第八条第二項において読み替えて準用する場合を含む。以下この条において同じ。)の規定の適用については、第五条第一項中「第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、当該行政機関」とあるのは「当該行政機関」と、同条第五項中「第十一条の規定により特定秘密の取扱いの業務を行うことができることとされる者のうちから、同項の」とあるのは「同項の」とし、第十一条の規定は、適用しない。
1 趣旨
本条は、本法の経過措置について定めるものである。
2 内容
本法が施行されてから、各行政機関が特定秘密の取扱いの業務を行う職員等に対する適性評価を一通り完了するまでには相応の期間が必要となることを踏まえると、第11 条の規定を他の規定と同時に施行した場合、行政機関の事務の遂行に支障が生じることになる。このため、第11 条の規定については、他の規定よりも適用が開始される時期を遅らせることとし、その具体的時期は、特定秘密の取扱いの業務を行う職員等が最も多い防衛省が職員等に対する適性評価を一通り完了するのに必要と考えられる期間を踏まえ、公布の日(平成25 年12 月13 日)から起算して2年を超えない範囲内において政令で定めることとしている。
附則第3条 施行後五年を経過した日の翌日以後の行政機関
(施行後五年を経過した日の翌日以後の行政機関)
第三条 この法律の施行の日(以下「施行日」という。)から起算して五年を経過した日の翌日以後における第二条の規定の適用については、同条中「掲げる機関」とあるのは、「掲げる機関(この法律の施行の日以後同日から起算して五年を経過する日までの間、次条第一項の規定により指定された特定秘密(附則第五条の規定により防衛大臣が特定秘密として指定をした情報とみなされる場合における防衛秘密を含む。以下この条において単に「特定秘密」という。)を保有したことがない機関として政令で定めるもの(その請求に基づき、内閣総理大臣が第十八条第二項に規定する者の意見を聴いて、同日後特定秘密を保有する必要が新たに生じた機関として政令で定めるものを除く。)を除く。)」とする。
1 趣旨
本条は、施行日から起算して5年を経過した日の翌日以降における第2条の規定の適用について定めるものであり、本法施行後5年の間に、特定秘密を保有したことがない機関として政令で定めるものを第2条で規定する行政機関から除くこと、その請求に基づき、内閣総理大臣が第18 条第2項に規定する有識者の意見を聴いて、特定秘密を保有する必要が新たに生じた機関として政令で定めるものは第2条で規定する行政機関に含まれることを定めるものである。
2 内容
衆議院における与野党協議により追加されたものであり、特定秘密を指定する行政機関を限定することにより、特定秘密の恣意的な指定を防止し、本法の適正な運用を確保するための一つの仕組みとして理解されている。行政機関の限定については、本条のほか、本則第3条第1項ただし書に規定されているが、本条は、本法の施行状況を5年間確認した上で、特定秘密を指定したり、提供を受けたりした実績のない行政機関を本法でいう行政機関から除外するものであり、本条に基づいて除外された行政機関については本法の適用対象とはならないこととなり、特定秘密について我が国の安全保障上の必要による特定秘密の提供を受けることや、特定秘密の取扱いの業務を行う者について行う適性評価を実施することもできないこととなる。ただし、一度除外された行政機関についても、情勢の変化等により、特定秘密を指定したり、提供を受けたりすることとなることも想定されることから、そのような場合には、政令により、改めて本則第2条の行政機関に追加することができることとされている。
附則第4条 自衛隊法の一部改正
(自衛隊法の一部改正)
第四条 自衛隊法の一部を次のように改正する。
目次中「自衛隊の権限等(第八十七条―第九十六条の二)」を「自衛隊の権限(第八十七条―第九十六条)」に、「第百二十六条」を「第百二十五条」に改める。
第七章の章名を次のように改める。
第七章 自衛隊の権限
第九十六条の二を削る。
第百二十二条を削る。
第百二十三条第一項中「一に」を「いずれかに」に、「禁こ」を「禁錮」に改め、同項第五号中「めいていして」を「酩酊して」に改め、同条第二項中「ほう助」を「幇助」に、「せん動した」を「煽動した」に改め、同条を第百二十二条とする。
第百二十四条を第百二十三条とし、第百二十五条を第百二十四条とし、第百二十六条を第百二十五条とする。
別表第四を削る。
1 趣旨
本条は、本法の施行に伴い自衛隊法の一部について所要の改正を行うものである。
2 内容
(1) 防衛秘密に関する規定の削除(第96 条の2、第122 条及び別表第4の削除)
防衛秘密制度を本法の特定秘密制度に移行させることに伴い、防衛秘密に関する規定である自衛隊法第96 条の2、第122 条及び別表第4を削除するものである。
(2) その他の規定の整備(目次、第7章の章名等の改正、用語用字の改正)
防衛秘密に関する規定の削除に伴う規定の整備として、自衛隊法の目次及び第7章の章名について所要の改正を行うとともに、同法第123 条以降の条を繰り上げ、本条による改正の機会に同法第123 条第1項及び第2項の用語と用字について、その内容を変更することなく最新のものに改めるものである。
附則第5条 自衛隊法の一部改正に伴う経過措置
(自衛隊法の一部改正に伴う経過措置)
第五条 次条後段に規定する場合を除き、施行日の前日において前条の規定による改正前の自衛隊法(以下この条及び次条において「旧自衛隊法」という。)第九十六条の二第一項の規定により防衛大臣が防衛秘密として指定していた事項は、施行日において第三条第一項の規定により防衛大臣が特定秘密として指定をした情報と、施行日前に防衛大臣が当該防衛秘密として指定していた事項について旧自衛隊法第九十六条の二第二項第一号の規定により付した標記又は同項第二号の規定によりした通知は、施行日において防衛大臣が当該特定秘密について第三条第二項第一号の規定によりした表示又は同項第二号の規定によりした通知とみなす。この場合において、第四条第一項中「指定をするときは、当該指定の日」とあるのは、「この法律の施行の日以後遅滞なく、同日」とする。
1 趣旨
本条は、本法の施行に伴い防衛秘密に関する経過措置について定めるものである。なお、罰則に関する経過措置は次条に定めている。
2 内容
改正前の自衛隊法第96 条の2第1項に規定されていた防衛秘密として防衛大臣が指定をする際の要件は、第3条第1項に規定される特定秘密として防衛大臣が指定をする際の要件に包含されるものであり、また、別表第1号に関する解説1で述べるとおり、同号に掲げる事項は改正前の自衛隊法別表第4に掲げられていた事項を継承するものであることから、防衛秘密制度を本法の特定秘密制度に円滑に移行させるため、本法の施行日の前日において改正前の自衛隊法第96 条の2第1項の規定により防衛秘密として指定されている事項については、施行日において防衛大臣が特定秘密として指定した情報とみなすこととするとともに、改正前の自衛隊法第96 条の2第2項第1号又は第2号の規定による標記又は通知については、施行日において防衛大臣が当該特定秘密について第3条第2項第1号又は第2号の規定によりした表示又は通知とみなすこととしている。
ただし、本条の規定により特定秘密とみなされる防衛秘密には有効期間が定められていないことから、防衛大臣が本法の施行の日以後遅滞なく施行日から起算して5年を超えない範囲内においてその有効期間を定めることとしている。
なお、指定の有効期間の起算日は施行の日となるが、施行日一日で有効期間を定める作業ができないおそれがあることから、有効期間の設定は、施行の日以後遅滞なく行うこととしている。
また、施行令附則第4条において、附則第4条を受けて、自衛隊法施行令の関連規定を削除することに伴う経過措置として、自衛隊法施行令第113 条の8の規定により防衛秘密管理者が講じた防衛秘密の表示をする措置を、防衛大臣が当該情報に係る特定秘密文書等についてした特定秘密表示とみなすことなど必要な経過措置を規定している。
附則第6条 自衛隊法の一部改正に伴う罰則に関する経過措置
第六条 施行日前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による。旧自衛隊法第百二十二条第一項に規定する防衛秘密を取り扱うことを業務とする者であって施行日前に防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなったものが、その業務により知得した当該防衛秘密に関し、施行日以後にした行為についても、同様とする。
1 趣旨
本条は、本法の施行に伴い防衛秘密の漏えい行為に係る自衛隊法に規定する罰則が廃止されることから、罰則に関する経過措置について定めるものである。
2 内容
(1) 「施行日前にした行為に対する罰則の適用については、なお従前の例による」
本法の施行に伴う自衛隊法の一部改正により防衛秘密の漏えい行為に係る罰則が廃止されることから、本法の施行前に行われた防衛秘密の漏えい行為については、改正前の自衛隊法における防衛秘密の漏えい行為に係る罰則を適用することとするものである。
(2) 「旧自衛隊法第百二十二条第一項に規定する防衛秘密を取り扱うことを業務とする者であって施行日前に防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなったものが、その業務により知得した当該防衛秘密に関し、施行日以後にした行為についても、同様とする」
防衛秘密を取り扱うことを業務とする者が本法施行後も引き続き当該防衛秘密を取り扱うことを業務とする場合、本法施行時に附則第5条の規定により当該防衛秘密が特定秘密にみなされる結果、当該者は「特定秘密の取扱いの業務に従事する者」(第23 条第1項)に該当することとなり、当該者がその業務により知得した防衛秘密に関する本法施行後の当該者による漏えい行為及びその他の者による共謀・教唆・煽動行為等については本法の罰則が適用されることになる。
それに対し、防衛秘密を取り扱うことを業務とする者が本法施行前に防衛秘密を取り扱うことを業務としなくなった場合、本法施行時に附則第5条の規定により当該防衛秘密が特定秘密にみなされても、当該者は「特定秘密の取扱いの業務に従事する者」又は「特定秘密の取扱いの業務に従事しなくなった」(同項)者のいずれにも該当せず、当該者がその業務により知得した防衛秘密に関する本法施行後の当該者による漏えい行為及びその他の者による共謀・教唆・煽動行為については本法の罰則が適用されないと解される。そこで、本条は、このような行為について改正前の自衛隊法の罰則を適用することとするものである。
附則第7条 内閣法の一部改正
(内閣法の一部改正)
第七条 内閣法(昭和二十二年法律第五号)の一部を次のように改正する。
第十七条第二項第一号中「及び内閣広報官」を「並びに内閣広報官及び内閣情報官」に改める。
第二十条第二項中「助け、」の下に「第十二条第二項第二号から第五号までに掲げる事務のうち特定秘密(特定秘密の保護に関する法律(平成二十五年法律第百八号)第三条第一項に規定する特定秘密をいう。)の保護に関するもの(内閣広報官の所掌に属するものを除く。)及び」を加える。
1 趣旨
本条は、特定秘密の保護に関する行政各部の施策の統一保持上必要な企画・立案及び総合調整に関する事務を内閣情報官に掌理させるため、内閣法(昭和22 年法律第5号)について所要の改正を行う旨を定めるものである。
なお、施行令附則第5条において、本条による内閣法の改正に伴う内閣官房組織令(昭和32 年政令第219 号)の所要の改正を行っている。
2 内容
(1) 本法に基づく特定秘密の保護に関する行政各部の施策の統一性保持上必要な企画・立案及び総合調整に関する事務を内閣官房が所掌することについて
本法において、特定秘密の指定等の個別の事務は各行政機関が行うが、新たな漏えいの脅威に対応するための法令改正、特定秘密の指定・解除、適性評価の評価基準等の統一の運用基準の作成等の政府全体として行うことが必要となる企画・立案及び総合調整の事務が発生すると見込まれるところ、これを内閣の事務を助ける事務(内閣補助事務)として行う必要がある。
(2) 内閣官房において本法に基づく特定秘密の保護に関する行政各部の施策の統一性保持上必要な企画・立案及び総合調整に関する事務を所掌すべき者
本法の施行に伴って発生する事務を処理するためには、特定秘密の取扱いに係る高度に専門的な知見を要するところ、このような知見を有する者は、内閣官房においては内閣情報官をおいて他にない。そもそも情報業務においては、知る必要のある者のみに秘密情報に対するアクセスを可能とするとともに、そのような者に当該情報が確実に共有されることが肝要であるところ、内閣情報官は、平素から常に本法の対象となる安全保障に関する事項のうち特に秘匿を要するものに接しており、その専門的知見を活かして、特定秘密の保護と情報の収集調査が相互に阻害することがないよう、本法の施行に伴う運用基準の作成や様々な総合調整を適切に行うことが可能である。
(3) 内閣法の一部を改正する必要性
これまでも、内閣情報官が事務を掌理する内閣情報調査室が、カウンターインテリジェンス機能の強化に関する基本方針(平成19 年8月9日カウンターインテリジェンス推進会議決定)の施行に関する連絡調整を行うなど、内閣情報官は、内閣法第12 条第2項第6号に掲げる「関する事務」として、政府における安全保障に関する重要な秘密を保護するための措置について一定の役割を果たしてきた。
しかしながら、これらの措置は、あくまで国家公務員法等の各法に基づく守秘義務を法的な基盤とし、いわば関係省庁の申し合わせにより行ってきたものであり、内閣情報調査室が行ってきた業務も、このような関係省庁の一つとして、庶務を行ってきたものにすぎない。
これに対して、本法は、特定秘密の保護に関する共通のルールを法律で定めるものであり、その施行に伴って発生する事務は、これまでのいわば関係省庁の申し合わせとして行う措置の庶務とは性格を異にした、企画・立案及び総合調整に関する事務であることから、これを現行の内閣法によっては内閣情報官が所掌することができると解することは困難であると考えられる。このため、上記(2)で述べたとおり、当該事務は内閣情報官が所掌することがふさわしいことから、内閣法第20 条第2項を改正し、内閣情報官が本法の施行に伴って発生する企画・立案及び総合調整に関する事務を所掌することとするものである。
(4) 内閣情報官が所掌する事務
本法に基づく特定秘密の保護に関する行政各部の施策の統一保持上必要な企画・立案及び総合調整に関する事務として、例えば、以下のような企画・立案及び総合調整の事務が発生すると考えられる。
ア 技術の進展等に伴う新たな漏えいの脅威に対応するための法律又は政令の改正(内閣法第12 条第2号)
イ 漏えい事案が発生した場合における特定秘密の管理徹底のための政府方針の閣議決定(内閣法第12 条第3号)
ウ 特定秘密の指定・解除、適性評価等の統一的な運用基準の作成・変更(内閣法第12 条第4号)
エ 運用に当たって生じた法令や運用基準の解釈上の疑義への対応(内閣法第12 条第5号)
附則第8条 政令への委任
(政令への委任)
第八条 附則第二条、第三条、第五条及び第六条に規定するもののほか、この法律の施行に関し必要な経過措置は、政令で定める。
1 趣旨
本条は、附則第2条、第3条、第5条及び第6条に規定するもののほか、本法の施行に関し必要な経過措置について、政令で定めることを定めるものである。
2 内容
本法の施行に関し必要な経過措置として、附則第2条、第3条、第5条及び第6条に規定するもの以外に、防衛秘密を本法の特定秘密制度に移行させるために必要な経過措置で政令で定めるべきものがあり得ることから、本条を規定するものである。施行令において規定している事項については、附則
第5条に関する解説2参照。
附則第9条 指定及び解除の適正の確保
(指定及び解除の適正の確保)
第九条 政府は、行政機関の長による特定秘密の指定及びその解除に関する基準等が真に安全保障に資するものであるかどうかを独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置その他の特定秘密の指定及びその解除の適正を確保するために必要な方策について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。
1 趣旨
政府は、特定秘密の指定・解除について、独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置等について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずることを定めるものである。
なお、附則第9条は、附則第1条により、本法の公布の日(平成25 年12月13 日)から施行されている。
2 内容
衆議院における与野党協議により追加されたものであり、本法の適正な運用を確保するための仕組みと理解されている。本条の解釈については、平成25 年12 月5日に自由民主党、公明党、日本維新の会及びみんなの党が以下の合意をした。
合意事項
自由民主党、公明党、日本維新の会及びみんなの党は、特定秘密保護法案に関する実務者による協議の結果、下記の項目の合意に至ったことを確認する。

1.附則9条に基づき設置する『独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関』とは、18 条4項に基づく『行政各部に対する内閣総理大臣の指揮監督』とは全く異なるものである。附則9条の立法趣旨は、18 条4項とは別途、特定秘密の指定及びその解除等の適正を確保するため、独立性の高い第三者機関を設置すべきということにある。
2.従って、総理答弁で表明された内閣官房『保全監視委員会』の設置は、あくまでも18 条4項に基づくものであって、附則9条に基づき設置する『独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関』とは異なるものである。
3.本法案成立後、施行までに、附則9条の『独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関』として、内閣府に情報保全監察に関する機関を政令(または立法措置が必要な場合には立法)により設置する。
4.上記機関の所掌事務としては、内閣府設置法3条、4条3項及び本法案附則9条に基づき、以下に掲げるものを規定する。
@各行政機関による個別の特定秘密の指定及び解除の適否を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。
A各行政機関による個別の特定秘密の有効期間の設定及び延長の適否を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。
B特定秘密の指定等の状況を含む、各行政機関による特定秘密の記録された行政文書の管理を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。
C特定秘密の指定等の状況を踏まえつつ、各行政機関による特定秘密の記録された行政文書の廃棄の可否を判断すること。
D特定秘密の有効期間の延長等の状況を含む、各行政機関による特定秘密の記録された行政文書の保存期間の設定を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。
E特定秘密の指定解除後の国立公文書館等への移管を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。さらに、上記機関よりも高度の独立性を備えた機関への移行についても、内閣府設置法(49 条〜64 条)等の改正の検討を進める。
5.政府から特定秘密の提供を受ける場合における国会での特定秘密の保護に関する方策についての附則10 条の規定に基づく検討に当たっては、特定秘密を取り扱う関係行政機関の在り方及び特定秘密の運用の状況等について審議し及びこれを監視する委員会その他の組織を国会に置くこと、国会において特定秘密の提供を受ける際の手続その他国会における特定秘密の保護措置全般について早急に検討を加え、本法施行までに結論を得るものとする。
以上
この合意事項を踏まえた措置については、本法の国会審議において、政府から次のとおり答弁した。
 【平成25 年12 月5 日 参・国家安全保障に関する特別委員会】
○室井邦彦君 (略)まず、四党協議で、本法案成立後、施行までに、附則九条の独立した公正な立場において検証する、そして監察することのできる新たな機関として、内閣府に情報保全監察に関する機関を政令により設置することが確認されたとのことでありますが、政府としていかに新たな機関を設置しようとしているのか、これは官房長官にお聞きをしたいと思います。
○国務大臣(菅義偉君) 政府としては、四党協議の結論に従いまして、本法案成立後、施行までに、まずは内閣府に二十人規模のお尋ねをいただいた情報保全監察室、仮称を設置をし、業務を開始することとしたいと考えます。さらに、その上で、政令又は立法措置が必要な場合には、立法により、できる限り早期に情報保全監察室を局へ格上げすることをお約束をいたします。
独立性の高い第三者機関を設置をする必要があると承知しており、したがって、情報保全監察室、仮称の所掌事務として、例えば各行政機関による個別の特定秘密の指定及び解除の適否を検証及び監察し、不適切なものについて是正を求めること、各行政機関による個別の特定秘密の有効期間の設定及び延長の適否を検証及び監察をし、不適切なものについては是正を求めること等、独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関としての業務を想定をいたしております。
○室井邦彦君 第二問。四党協議によれば、上記機関よりも高度の独立性を備えた機関への移行についても……(発言する者あり)ちょっと黙っておいて。内閣府設置法等の改正の検討を進める、このことが確認されたとのことだが、例えば公正取引委員会と同様、高度の独立性を備えた機関に移行するのかどうか。
○国務大臣(菅義偉君) 附則第九条の、独立した公正な立場において検証し、及び監察をすることのできる新たな機関とは、法的にも高度の独立性を備えた機関であるべきと考えています。
したがって、内閣府に設置される情報保全監察に関する機関の実際の業務遂行の在り方等を検証しつつ、(略)法的にも高度の独立性を備えた機関への移行について内閣府設置法等の改正の検討を進めてまいりたいと考えます。
 【平成26 年3月6日 参・予算委員会】
○国務大臣(森まさこ君) 政府としては、特定秘密保護法附則第九条に規定する新たな機関として、総理が御答弁申し上げましたとおり、本法の施行までに、内閣府に審議官級の独立公文書管理監(仮称)と、その下に二十人規模の情報保全監察室(仮称)を設置し、業務を開始することになっております。さらに、その上で、政令又は立法措置が必要な場合には立法により、できる限り早期に情報保全監察室(仮称)を局へ格上げすることをさきの臨時国会においてもお約束したところでございます。
また、修正案提案者は国会審議において以下のとおり答弁した。
 【平成25 年12 月4 日 参・国家安全保障に関する特別委員会】
○衆議院議員(桜内文城君) この附則九条に基づいて設置いたします独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関は、委員御指摘のとおり、本法案十八条四項に基づく行政各部に対する内閣総理大臣の指揮監督とは全く別物であると考えております。そして、今日、今ほど総理が御答弁された内閣官房に設置されるであろう保全監視委員会とも別物でございます。
附則九条の立法趣旨は、委員も御指摘になりましたけれども、本法案の十八条四項に基づき内閣総理大臣又はその直属のスタッフである内閣官房が特定秘密の指定及び解除に関する基準を作成し、行政各部の運用を指揮監督する以上、内閣総理大臣又は内閣官房によるチェックは自己監査にすぎず、決して独立した公正な立場において検証し、及び監察するものとは認められないことから、特定秘密の指定及びその解除等の適正を確保するため、別途独立性の高い第三者機関の設置が必要不可欠ということになります。
以上に鑑みれば、附則九条に基づき設置する独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関については、その検討に当たっては、有識者の御意見を伺うとともに、諸外国の制度、特に米国の省庁間上訴委員会や情報保全監察局を参考としつつ、本法案成立後、施行までに設置すべきものと考えております。
具体的には、米国情報保全監察局と同等の独立性と権能を有する内閣府情報保全監察局を政令により設置することを検討していきたいと考えております。その所掌事務としては、内閣府設置法三条、四条三項及び本法案附則九条に基づき、最低限以下に掲げるものを想定しております。
一、各行政機関による個別の特定秘密の指定及び解除の適否を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。二、各行政機関による個別の特定秘密の有効期間の設定及び延長の適否を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。三、特定秘密の指定等の状況を含む各行政機関による特定秘密の記録された行政文書の管理を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。四、特定秘密の指定等の状況を踏まえつつ、各行政機関による特定秘密の記録された行政文書の廃棄の可否を判断すること。五、特定秘密の有効期間の延長等の状況を含む各行政機関による特定秘密の記録された行政文書の保存期間の設定を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。六、特定秘密の指定解除後の国立公文書館等への移管を検証及び監察し、不適切なものについては是正を求めること。
これに加えて、米国省庁間上訴委員会と同等の独立性と権能を有する独立行政委員会として、例えば内閣府情報保全監察委員会の設置についても、本法案成立後、施行までに具体的な検討を進めてまいりたいと考えております。
検討の結果、内閣府設置法等の改正を必要とするのであれば、しっかりと法的措置を講ずることとし、より独立性の高い第三者機関の設置を実現してまいりたいと考えております。
上記の合意事項や国会審議を踏まえ、内閣府本府組織令等の一部を改正する政令(平成26 年政令第337 号)により、内閣府に、本法附則第9条に規定する独立した公正な立場において、特定秘密の指定及びその解除並びに特定秘密である情報を記録する行政文書の管理の適正を確保するための検証、監察等に関する事項を総括整理する官職として独立公文書管理監を設置するとともに、検証、監察等の実務を担う組織として、内閣府訓令により情報保全監察室を設置した。
これら独立公文書管理監等の具体的な事務や各行政機関との関係については、運用基準X1〜3において、
・独立公文書管理監は、行政機関の長に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出若しくは説明を求め、又は実地調査をすることができること
・独立公文書管理監は、検証又は監察の結果、必要なときは、行政機関の長に対し、是正を求めるものとすること
・行政機関の長は、独立公文書管理監に対し、特定秘密指定管理簿の写しの提出、特定秘密である情報を記録する行政文書ファイル等の管理に関する報告を行うこと
等を定めている。
また、特定秘密の指定等の適正を確保する一環として、運用基準X4においては、特定秘密を取り扱う者が、特定秘密の指定等が本法等に従って行われていないと考えるときに行政機関の長又は独立公文書管理監が設置する窓口に通報することができる制度を定めている。この制度においては、指定の必要性や理由を承知しているなど専門的な知見があり、通報に適切に対応できること、不適切な指定等があった場合に指定の解除等の措置を迅速に行えることといった理由から、通報しようとする者は、まずは各行政機関の窓口に通報することを原則としているが、通報しようとする者が、行政機関の窓口に通報すれば不利益な取扱を受けると信ずるに足りる相当の理由がある場合などには、各行政機関への通報を経ることなく、独立公文書管理監の窓口に通報することができることとしている。さらに、通報者の個人情報等を漏らさないこと、通報者に対して通報を理由に不利益な取扱いをしてはならないことなどを定め、通報者の保護を図っている。
附則第10 条 国会に対する特定秘密の提供及び国会におけるその保護措置の在り方
(国会に対する特定秘密の提供及び国会におけるその保護措置の在り方)
第十条 国会に対する特定秘密の提供については、政府は、国会が国権の最高機関であり各議院がその会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定める権能を有することを定める日本国憲法及びこれに基づく国会法等の精神にのっとり、この法律を運用するものとし、特定秘密の提供を受ける国会におけるその保護に関する方策については、国会において、検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする。
1 趣旨
国会に対する特定秘密の提供については、政府は、国会が国権の最高機関であり各議院が規則を定める権能を有することを定める日本国憲法及びこれに基づく国会法等の精神にのっとり、この法律を運用するものとし、特定秘密の提供を受ける国会における特定秘密の保護に関する方策については、国会において、検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすることを定めるものである。
なお、附則第10 条は、附則第1条により、本法の公布の日(平成25 年12月13 日)から施行されている。
2 内容
本条は、衆議院における与野党協議により追加されたものである。政府が本法を運用する際には、国会が国権の最高機関であり各議院がその会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定める権能を有することを定める日本国憲法等の精神にのっとることを明記するとともに、本則第10 条において、衆議院における与野党協議により、特定秘密の保護のための措置は国会において定めるものとされたことから、本条は、特定秘密の提供を受ける国会におけるその保護に関する方策について、国会において検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずることを定めることとされた。
これを踏まえ、議員立法により国会等の一部を改正する法律(平成26 年法律第86 号)が成立し、本法の施行に合わせて、衆議院・参議院にそれぞれ、情報監視審査会を設置することとされた。
別表第1号 防衛に関する事項
(第三条、第五条―第九条関係)
一 防衛に関する事項
イ 自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究
ロ 防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報
ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ 防衛力の整備に関する見積り若しくは計画又は研究
ホ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物の種類又は数量
ヘ 防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法
ト 防衛の用に供する暗号
チ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの仕様、性能又は使用方法
リ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法
ヌ 防衛の用に供する施設の設計、性能又は内部の用途(ヘに掲げるものを除く。)
1 趣旨
本法の別表は、第3条第1項に基づき行政機関の長が特定秘密の指定をするに当たり、その裁量の幅を狭めるために、類型的に秘匿の必要性が高いと認められる事項を限定列挙したものである。また、第3条第1項に関する解説2(3)イ(ウで述べたとおり、運用基準U1(1)において、本法の別表に掲げる事項の範囲内でそれぞれの事項の内容を具体的に示した事項の細目を示し、特定秘密の指定の際の別表該当性の判断は、この細目に該当するか否かにより行うものとしている。この事項の細目は、別表各号に掲げる事項に関し我が国が現在保有している情報のうち特定秘密に指定することとなり得るものを可能な限り網羅したものであるが、仮に将来的に追加すべき事項の細目が出現した場合には、閣議決定により運用基準を改訂することとなる。
本号は防衛に関する事項について定めるものであり、防衛秘密となり得る事項を限定的に規定している改正前の自衛隊法別表第4に掲げられている事項を継承するものである。
2 内容
(1)「イ 自衛隊の運用又はこれに関する見積り若しくは計画若しくは研究」
ア 「自衛隊の運用」
「自衛隊の運用」とは、自衛隊の運用に係る命令、行動状況その他の運用状況や運用実態をいう。
また、本号の対象は、防衛出動時における自衛隊の運用が対象となるのは当然であるが、それに限られるものではない。
イ 「(自衛隊の運用)に関する見積り若しくは計画」
自衛隊の運用に関する計画、及び当該計画を作成するために必要又は有用な内外の諸情勢その他の事項に関する分析評価又は予測をいう。
なお、第1号イ(及びニ)の「計画」が内外の諸情勢等に関する緻密な「見積り」に基づいて作成され、両者に一体性が認められることから、見積りと計画が本号では規定されている。一方、第2号ロでは「方針」を、第3号イ及び第4号イでは「計画」を規定しているが、「見積り」についての規定はない。これは、これら方針や計画が、それぞれ安全保障情勢、テロ情勢等を踏まえて作成されるものの、安全保障情勢、テロ情勢等に関する「見積り」との一体性が必ずしも強いものとはいえないためであるが、これらの情勢に関する見積りについても、それぞれ第2号ハ、第3号ロ及び第4号ロにより別途、指定の対象となり得る。
ウ 「(自衛隊の運用に関する)研究」
自衛隊の効率的かつ効果的な運用に資すること等を目的として行う運用に関する各種の研究をいう。
エ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、自衛隊の具体的な対処要領や活動状況等、自衛隊の運用の態勢、関心事項等の手の内が明らかになることから、相手国が我が国を効果的に侵攻するための計画を策定することが可能になり、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。
このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(2)「ロ 防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報」
ア 「情報」
第3条第1 項に関する解説2(3)イ(アで述べたとおり、本法においては、指定、提供、保護等の対象となる個々の特定秘密の内容は「情報」と規定され、別表に規定される特定秘密の類型は「事項」と規定されているが、別表第1号ロ並びに後述の第2号ハ、第3号ロ及び第4号ロに規定する「情報」は、後者の「事項」、すなわち特定秘密の指定の対象となり得る事項の1つの類型である。
イ 「防衛に関し収集した電波情報」
防衛に関して収集した通信情報(COMINT)、電子情報(ELINT)及び宇宙飛翔体情報(TELINT)をいう。
ウ 「(防衛に関し収集した)画像情報」
防衛に関して、人工衛星、航空機、ヘリコプター等を利用して地表面等の観測や撮像を行った結果として得た画像情報及び当該画像情報を処理・分析して得られる情報をいう。
エ 「(防衛に関し収集した)その他の重要な情報」
「電波情報」や「画像情報」と同等程度に重要と判断されるその他の情報をいい、例えば、専用の資機材、人的情報源、情報収集について特別な知識・技能を備えた人員により収集した情報などが該当するが、これらに限定されるものではない。なお、運用基準U1(1)の別表第1号ロ関係の事項の細目では、細目a として電波情報その他情報収集手段を用いて収集した情報を、細目b として外国の政府又は国際機関から提供された情報で相手方により特定秘密相当の保護措置がなされるものを、細目c として a 又はb を分析して得られた情報を規定している。
オ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうために、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりすることとなり、我が国を防衛するために適時に適切な対応をとることができず、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(3)「ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力」
ア 「情報の収集整理」
「防衛に関し収集した電波情報、画像情報その他の重要な情報」の収集整理に関する活動状況、態勢及び方法等をいう。ここで、「活動状況」とは、どこで、何を対象に情報の収集整理を行っているのか等、情報業務の実施状況をいい、「態勢」とは、情報の収集整理を行っている部局の組織、定員、器材等をいう。また、「方法」とは、情報の収集整理の対象となる各個別目標に対していかなる資源を割り当て、どのような手法・技法を用いて情報の収集整理を行っているのか等、情報業務の実施に係る要領、技術、手法等をいう。
イ 「(情報の収集整理)の能力」
能力的にどのような情報を収集整理することができるか、及びどのような情報を収集整理することができないかをいう。具体的には、電波情報の場合には、自衛隊が情報を収集整理することが可能又は不可能な通信網等、画像情報の場合には、自衛隊が情報を収集整理することが可能又は不可能な地域、場所等が挙げられる。
なお、この事項には、防衛省の情報の収集整理に関する能力の他に、防衛省に防衛に関する情報を提供する他の行政機関や外国の政府等の能力が含まれ、情報収集衛星システムの撮像能力等の性能もこれに該当し得る。
ウ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうために、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりすることとなり、適時に適切な対応をとることができず、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(4)「ニ 防衛力の整備に関する見積り若しくは計画又は研究」
ア 「防衛力」
侵略を排除する国家の意思と能力を表すものとして、侵略を未然に防止し、万一侵略を受けた場合にはこれを排除する機能を有するものであり、自衛隊の部隊の規模や編成、装備品等の種類や数量等、我が国を防衛する上で必要な人的、物的その他の能力の総体をいう。
イ 「防衛力の整備」
現在の防衛力の問題点、将来の国際情勢や軍事科学技術等の動向等を踏まえ、部隊の改編、装備品等の整備等により我が国及び国民の安全を確保するために適切な防衛力を構築又は維持することをいう。
ウ 「防衛力の整備に関する見積り若しくは計画」
防衛力の整備を行うために作成する計画及び当該計画を作成するために必要又は有用な内外の諸情勢等に関する分析評価又は予測をいう。防衛力の効率的かつ効果的な整備のためには、そのための計画が必要であるが、当該計画を作成する上で内外の諸情勢に関する緻密な見積りが必要であることから、本号は計画と見積りを一体的に規定している。
エ 「(防衛力の整備に関する)研究」
現在の防衛力の問題点、将来の国際情勢や軍事科学技術の動向等に関する分析を踏まえた将来の防衛力の在り方の検討に資する研究をいう。
オ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、現在の我が国の防衛力の問題点に加えて、将来的な防衛力の方向性が明らかになることから、相手国が我が国の防衛力の弱点をつく効果的な作戦の遂行や軍事力の構築を行うことが可能になり、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
なお、本号に該当する事項は、現在の我が国の防衛力の問題点や将来の防衛力の方向性を明らかにする内容を含み得るため、特定秘密の対象となり得ると考えられるが、多額の予算を必要とする防衛力の整備について国民の理解を得る観点等から、防衛力の整備に関する計画の概要については、中期的な観点から防衛力を整備するための政府の方針である「中期防衛力整備計画」や各年度の予算において公表されている。
(5)「ホ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物の種類又は数量」
ア 「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」
「防衛の用に供する」とは、自衛隊の作戦行動等(作戦行動及び情報収集、物資の輸送・補給、装備品等の修理等の作戦行動に密接な関連を有する諸活動をいう。以下同じ。)に用いることを意味する。「防衛の用に供する物」としては、具体的には、例示されている武器、弾薬、航空機の他に、船舶を含み(第4条第4項第1号参照)、また、これらと同等の保護に値するものである、車両、装備品の構成部品、プログラムが記録された電子部品等がこれに該当する。
イ 「防衛の用に供する物の種類又は数量」
各部隊等や各機関若しくは自衛隊が全体として保有している装備品等の種類又は数量をいう。
ウ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、個別の部隊等又は自衛隊全体の戦闘能力や継戦能力等が明らかになることから、相手国が自衛隊の部隊等の弱点を踏まえた作戦を実施することが可能となり、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(6)「ヘ 防衛の用に供する通信網の構成又は通信の方法」
ア 「防衛の用に供する通信網の構成」
「防衛の用に供する」については上記(5)ア参照。
自衛隊の作戦行動等の際に用いる通信網の拠点、経路又はその容量等をいう。
イ 「防衛の用に供する通信の方法」
有線・無線を問わず自衛隊が発受する防衛の用に供する通信の方法をいう。
ウ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、相手国が通信内容を傍受することが容易となり、自衛隊の作戦行動等の詳細が明らかになるおそれがあること、また、相手国が通信網を破壊することにより自衛隊の通信を妨害することが可能になることから、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(7)「ト 防衛の用に供する暗号」
ア 「防衛の用に供する暗号」
「防衛の用に供する」については上記(5)ア参照。
「暗号」とは、通信内容等を秘匿するための手段をいい、具体的には暗号のアルゴリズム、鍵等を意味する。
「防衛の用に供する暗号」とは、自衛隊の作戦行動等の際に用いる暗号を意味する。
イ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、相手国は、傍受した自衛隊の通信内容を解読し、自衛隊の作戦行動等の詳細を知ること、また、収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置を講ずることが可能となることから、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(8)「チ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの仕様、性能又は使用方法」
ア 「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」上記(5)ア参照。
イ 「仕様」
装備品等の形状、構造、品質等をいう。
ウ 「性能」
装備品等がその目的に従って使用された場合に発揮する特性や能力をいう。
エ 「使用方法」
装備品等の物理的な操作方法のみならず、その装備品等の本来の目的にかなった最も有効適切な操作方法をいう。
オ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、装備品等が発揮し得る能力等が明らかになり、相手国が対抗措置を講ずることが可能となるため、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
研究開発段階にある装備品等についても、その仕様、性能又は使用方法が漏えいした場合、近い将来において自衛隊が作戦行動等に使用される蓋然性が高い装備品等が発揮し得る能力等が明らかになるため、装備品等とあわせて本号の対象と含めることとしている。
(9)「リ 武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物又はこれらの物の研究開発段階のものの製作、検査、修理又は試験の方法」
ア 「武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供する物」
上記(5)ア参照。
イ 「製作の方法」
装備品等又はそれらに用いられる部品、システム等を製作するために必要な知識又は技術をいう。
ウ 「検査の方法」
装備品等若しくはそれらに用いられる部品、システム等を検査するために必要な知識若しくは技術又は当該検査の評価基準若しくは結果として得られるデータをいう。
エ 「修理の方法」
装備品等若しくはそれらに用いられる部品、システム等を修理するために必要な知識若しくは技術又は当該修理の結果として得られるデータをいう。
オ 「試験の方法」
装備品等若しくはそれらに用いられる部品、システム等の試験を行うために必要な知識若しくは技術又は当該試験の評価基準若しくは結果として得られるデータをいう。
カ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、装備品等が発揮し得る能力等が明らかになり、相手国が対抗措置を講ずることが可能となるため、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
研究開発段階にある装備品等についても、その製作、検査、修理又は試験の方法が漏えいした場合、近い将来において自衛隊が作戦行動等に使用される蓋然性が高い装備品等が発揮し得る能力等が明らかになるため、装備品等と併せて本号の対象と含めることとしている。
(10) 「ヌ 防衛の用に供する施設の設計、性能又は内部の用途(ヘに掲げるものを除く。)」
ア 「防衛の用に供する施設」
「防衛の用に供する」については上記(5)ア参照。
自衛隊の作戦行動等の際に用いる施設(土地、建物及びその付属施設をいう。建物及びその付属施設の用途に従って当然に存在する若しくはその効用を増す器材等、例えば電気回線、通信回線若しくは警備システム等(武器、弾薬、航空機その他の防衛の用に供するものを除く。)を含む。)をいい、具体的には、作戦行動の際に指揮所として使用される施設等が挙げられる。なお、自衛隊が所有している宿舎又は厚生施設等の施設は、含まれない。
イ 「設計」
防衛の用に供する施設の構造(内部的な組立て及び材質)又は当該施設に求められている強度をいう。
ウ 「性能」
防衛の用に供する施設がその用途に従って使用された場合に実際に発揮される特性、強度又は能力(施設の設計目的が達成されているか)をいう。
エ 「内部の用途」
防衛の用に供する施設の内部、例えば、ある区画(部屋)がいかなる目的で使用されているかをいう。
オ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、防衛の用に供する施設の防護能力等が明らかになることから、相手国が当該施設の弱点を踏まえた作戦を実施することが可能となり、我が国の防衛に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
別表第2号 外交に関する事項
(第三条、第五条―第九条関係)
二 外交に関する事項
イ 外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容のうち、国民の生命及び身体の保護、領域の保全その他の安全保障に関する重要なもの
ロ 安全保障のために我が国が実施する貨物の輸出若しくは輸入の禁止その他の措置又はその方針(第一号イ若しくはニ、第三号イ又は第四号イに掲げるものを除く。)
ハ 安全保障に関し収集した国民の生命及び身体の保護、領域の保全若しくは国際社会の平和と安全に関する重要な情報又は条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報(第一号ロ、第三号ロ又は第四号ロに掲げるものを除く。)
ニ ハに掲げる情報の収集整理又はその能力
ホ 外務省本省と在外公館との間の通信その他の外交の用に供する暗号
1 趣旨
本号は、外交に関する事項として総称される、外国の政府等との交渉又は協力その他安全保障のために我が国が実施する措置に関して類型的に秘匿の必要性が高いと認められる事項を限定列挙したものである。
2 内容
(1) 「イ 外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容のうち、国民の生命及び身体の保護、領域の保全その他の安全保障に関する重要なもの」
ア 「交渉又は協力」
「交渉」とは、様々な問題について話し合いを通じて相互の利益の調整を行うことをいい、「協力」とは、同一の目的に向かって何らかの形で調整しながら行動することをいう。
イ 「方針又は内容」
「方針」とは、外国の政府等との交渉又は協力において我が国が達成すべき目標及びそれらを実現するための方策である。また、「内容」とは、安全保障に関する外国の政府等との交渉の過程や協力の具体的内容に関する事項である。
ウ 「国民の生命及び身体の保護、領域の保全その他の安全保障に関する重要なもの」
安全保障に関する「外国の政府又は国際機関との交渉又は協力の方針又は内容」であっても、通常、協議日程、議題、結果概要等は特段の秘匿の必要性があるものではない。そこで、外国の政府等との「交渉又は協力の方針又は内容のうち」、「安全保障に関する重要なもの」と規定することにより、類型的に秘匿の必要性が高いと認められる事項を列挙することとしている本法別表の趣旨により沿ったものとし、また、例示として「国民の生命及び身体の保護」及び「領域の保全」を規定することにより、「安全保障に関する重要なもの」の具体的内容を明らかにすることとしたものである。
エ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報のうち、
@ 外国の政府等との交渉の方針に関する情報が漏えいした場合、我が国の安全保障に係る交渉の手の内が明らかになるため、関係国が対抗措置や妨害措置を講ずることが可能となり、我が国の利益の実現が困難になる可能性がある
A 外国の政府等との交渉の内容に関する情報が漏えいした場合、交渉過程の詳細が明らかになることにより、交渉相手国との信頼関係が損なわれ、率直な意見交換を行うことが困難になるなど、その後の当該交渉相手国との交渉に支障が生じる。また、交渉過程が第三国にも明らかになるため、今後行われる第三国との同種の交渉においても我が国が望ましい結果を得ることが困難になる可能性がある
B 外国の政府等との協力の方針又は内容に関する情報が漏えいした場合、当該協力の手の内が明らかになるため、関係国が対抗措置や妨害措置を講ずることが可能となり、当該外国の政府等との信頼関係が損なわれ、その後の安全保障に係る協力が困難になる可能性がある
このため、我が国の安全保障に関する外国の政府等と交渉又は協力に重大な支障を来す可能性があり、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(2) 「ロ 安全保障のために我が国が実施する貨物の輸出若しくは輸入の禁止その他の措置又はその方針(第一号イ若しくはニ、第三号イ又は第四号イに掲げるものを除く。)」
ア 「貨物の輸出若しくは輸入」
イの「安全保障のために我が国が実施する(中略)措置」の例示である。
イ 「安全保障のために我が国が実施する(中略)措置又はその方針」
安全保障に関して我が国として独自に講ずる様々な措置又はその方針である。
本事項は、例えば、国際連合安全保障理事会の決議(以下「安保理決議」という。)に基づき外国に対して制裁措置を講ずる場合などにおいて、本号イの外国の政府等との協力の方針又は内容との間で事項に重複する部分があるかのようにも見える。例えば、一定の物資の輸出禁止を加盟国に求める安保理決議を受けて、我が国においても当該物資の輸出を禁止した場合、友好国から情報を得て当該物資の我が国を経由した密輸出を防止するための措置を講ずれば、当該措置は安保理決議に基づく輸出禁止に抜け穴が生じないようにするための協力であると同時に、我が国の輸出禁止の実効性を確保するための措置でもあり得る。
しかしながら、本号イの外国の政府等との協力に関する事項は、我が国の政府と外国の政府等とが様々な対応を一致して、又は役割分担の下に実施するに際して、それらの対応の総合的な実効性を確保すべく、我が国の政府と外国の政府等との間で信頼関係を維持し、協力の手の内が明らかになることを防止するために秘匿すべき事項である一方、ロの安全保障のために我が国が実施する措置に関する事項は、外国の政府等と協力して行う場合だけでなく、我が国が単独で実施する場合も含め、我が国が実施する措置そのものの実効性を確保すべく、当該措置の手の内が明らかになることを防止するために秘匿すべき事項である。したがって、上記の例に見られるように、我が国の対応が同号イとロのいずれにも該当する場合があるとしても、これら各号に規定している事項には概念的な重複があるわけではない。
なお、本事項において第1号イ及びニ、第3号イ並びに第4号イで「計画」又は「研究」と規定している事項に相当する事項、すなわち、安全保障のために我が国が実施する措置について、とるべき措置の手順等を事前に作成したもので計画に相当するものや、様々な事態を想定して効率的かつ効果的に措置を講ずるための検討で研究に相当するものを、本事項においては措置の「方針」と規定している。これは、安全保障を実現するために外国の政府等との交渉又は協力以外で国が講ずる措置は、例えば他国を非難する声明の発出、禁輸措置等多岐にわたるため、必ずしもこれらの措置の「計画若しくは研究」と規定することが適切ではないためである。
ウ 「(第一号イ若しくはニ、第三号イ又は第四号イに掲げるものを除く。)」
第1号イ、同号ニ、第3号イ又は第4号イに該当する情報の中には、「安全保障のために我が国が実施する(中略)措置又はその方針」にも該当し得るものがあるが、これらは、その性格から「外交に関する事項」とするよりも、第1号イ若しくはニ、第3号イ又は第4号イに掲げる事項として取り扱うことが適切であると考えられる。このため、これらについては本事項から除くこととしている。
エ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、安全保障のために我が国が講ずる措置の手の内が明らかになるため、関係国等が対抗措置や妨害措置を講ずることが可能となる。このため、当該措置の実施に重大な支障を来す可能性があり、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(3) 「ハ 安全保障に関し収集した国民の生命及び身体の保護、領域の保全若しくは国際社会の平和と安全に関する重要な情報又は条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報(第一号ロ、第三号ロ又は第四号ロに掲げるものを除く。)」
ア 「情報」
別表第1号に関する解説2(2)ア参照。
イ 「安全保障に関し収集した(中略)重要な情報」
安全保障に関し外務省本省、在外公館、内閣の重要政策に関する情報の収集調査等を所掌する内閣官房その他の行政機関が収集した情報のうち、重要なものをいう。「重要な情報」については別表第1号に関する解説2(2)エ参照。
ウ 「国民の生命及び身体の保護、領域の保全若しくは国際社会の平和と安全に関する」
本事項は、政府原案では「安全保障に関し収集した条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報その他の重要な情報」と規定されていたが、衆議院における与野党協議により、「重要な情報」を「国民の生命及び身体の保護、領域の保全若しくは国際社会の平和と安全に関する」ものに限定して規定し、「安全保障に関し収集した(中略)条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報」との例示については別途規定する(下記エ参照)よう、修正された。
エ 「安全保障に関し収集した(中略)条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報」
安全保障に関し収集した情報であって、秘密保護協定(第9条に関する解説2(3)参照)等の国際約束に基づき提供され、保護することが必要なものである。
オ 「(第一号ロ、第三号ロ又は第四号ロに掲げるものを除く。)」
第1号ロ、第3号ロ又は第4号ロに該当する情報の中には、「安全保障に関し収集した(中略)重要な情報又は条約その他の国際約束に基づき保護することが必要な情報」にも該当し得るものがあるが、これらは、その性格から「外交に関する事項」とするよりも、第1号ロ、第3号ロ又は第4号ロに掲げる事項として取り扱うことが適切であると考えられる。このため、これらについては本事項から除くこととした。
カ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうために、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりする
こととなり、我が国が適時に適切な対応をとることができず、我が国の安全保障に関する外国の政府等との交渉若しくは協力又は安全保障のために我が国が実施する措置に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(4) 「ニ ハに掲げる情報の収集整理又はその能力」
ア 「情報の収集整理」
本号ハに掲げる情報の収集整理に関する活動状況、態勢及び方法等をいう。「活動状況」、「態勢」及び「方法」については別表第1号に関する解説2(3)ア参照。
イ「(情報の収集整理)の能力」
意義については別表第1号に関する解説2(3)イ参照。
ウ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうために、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりする
こととなり、我が国が、外国の政府等と交渉若しくは協力を行い、又は安全保障上の措置を講ずる際に、適時に適切な対応をとることができず、安全保障に関する外国の政府等との交渉若しくは協力又は安全保障のために我が国が実施する措置に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(5) 「ホ 外務省本省と在外公館との間の通信その他の外交の用に供する暗号」
ア 「外交の用に供する暗号」
「暗号」については別表第1号に関する解説2(7)ア参照。
「外交の用に供する暗号」とは、外交に係る諸活動の際に用いる暗号を意味する。
イ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、相手国は、傍受した通信内容を解読し、我が国の外国の政府等との交渉若しくは協力又は安全保障上の措置の手の内等の詳細を知ること等が可能となり、また、他国との信頼関係が損なわれることから、安全保障に関する外国の政府等との交渉若しくは協力又は安全保障のために我が国が実施する措置に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
別表第3号 特定有害活動の防止に関する事項
(第三条、第五条―第九条関係)
三 特定有害活動の防止に関する事項
イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「特定有害活動の防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ 特定有害活動の防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報又は外国の政府若しくは国際機関からの情報
ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ 特定有害活動の防止の用に供する暗号
1 趣旨
本号は、特定有害活動の防止に関して類型的に秘匿の必要性が高いと認められる事項を限定列挙したものである。(特定有害活動の定義については、第12 条第2項の規定に関する解説2(3)参照。)
2 内容
(1) 「イ 特定有害活動による被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「特定有害活動の防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究」
ア 「(特定有害活動の防止)のための措置」
特定有害活動への適切な対処を確保するため、治安機関がとるべき措置をいう。
イ 「(特定有害活動の防止のための措置)に関する計画」
アの「措置」の手順等をまとめた計画をいう。
ウ 「(特定有害活動の防止のための措置)に関する(中略)研究」
アの「措置」の効率的かつ効果的な対処に資すること等を目的として行う研究をいう。
エ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、特定有害活動に対処する治安機関の能力、態勢又は関心事項が明らかになることから、外国の情報機関等が治安機関の手の内を踏まえた効果的な攻撃を実施することが可能となり、我が国における特定有害活動の防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(2) 「ロ 特定有害活動の防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報又は外国の政府若しくは国際機関からの情報」
ア 「情報」
別表第1号に関する解説2(2)ア参照。
イ 「特定有害活動の防止に関し収集した(中略)重要な情報」
特定有害活動の防止に関し警察庁等の治安機関、内閣の重要政策に関する情報の収集調査等を所掌する内閣官房その他の行政機関が収集した情報のうち、重要なものをいう。「重要な情報」については別表第1号に関する解説2(2)エ参照。
ウ 「国民の生命及び身体の保護に関する」
本事項は、政府原案では「特定有害活動の防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報」と規定されていたが、衆議院における与野党協議により、「重要な情報」を「国民の生命及び身体の保護に関する」ものに限定して規定し、「特定有害活動の防止に関し収集した(中略)外国の政府若しくは国際機関からの情報」との例示については別途規定する(下記エ参照)よう、修正された。
エ 「特定有害活動の防止に関し収集した(中略)外国の政府若しくは国際機関からの情報」
特定有害活動の防止に関し収集した情報であって、外国の情報機関や治安関係の国際機関等から提供された情報である。
オ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうため、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりする
こととなり、適時に適切な対応をとることができず、我が国の特定有害活動の防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(3) 「ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力」
ア 「情報の収集整理」
本号ロに掲げる情報の収集整理に関する活動状況、態勢及び方法等をいう。「活動状況」、「態勢」及び「方法」については別表第1号に関する解説2(3)ア参照。
イ 「(情報の収集整理)の能力」
意義については別表第1号に関する解説2(3)イ参照。
ウ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうために、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりする
こととなり、適時に適切な対応をとることができず、我が国の特定有害活動の防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(4) 「ニ 特定有害活動の防止の用に供する暗号」
ア 「特定有害活動の防止の用に供する暗号」
「暗号」については別表第1号に関する解説2(7)ア参照。
「特定有害活動の防止の用に供する暗号」とは、特定有害活動の防止に係る諸活動の際に用いる暗号を意味する。
イ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、相手方は、傍受した通信内容を解読し、特定有害活動に対処する治安機関の活動等の詳細を知ることが可能となり、また、収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置を講ずることが可能となることから、我が国の特定有害活動の防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
別表第4号 テロリズムの防止に関する事項
(第三条、第五条―第九条関係)
四 テロリズムの防止に関する事項
イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ テロリズムの防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報又は外国の政府若しくは国際機関からの情報
ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力
ニ テロリズムの防止の用に供する暗号
1 趣旨
本号は、テロリズムの防止に関して類型的に秘匿の必要性が高いと認められる事項を限定列挙したものである。(テロリズムの定義については、第12条第2項の規定に関する解説2(4)参照。)
2 内容
(1) 「イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究」
ア 「(テロリズムの防止)のための措置」
テロリズムへの適切な対処を確保するため、治安機関がとるべき措置をいう。
イ 「(テロリズムの防止のための措置)に関する計画」
アの「措置」の手順等をまとめた計画をいう。
ウ 「(テロリズムの防止のための措置)に関する(中略)研究」
アの「措置」の効率的かつ効果的な対処に資すること等を目的として行う研究をいう。
エ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、テロリズムに対処する治安機関の能力、態勢又は関心事項が明らかになることから、テロ組織等が治安機関の手の内を踏まえた効果的な攻撃を実施することが可能となり、我が国におけるテロリズムの防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(2) 「ロ テロリズムの防止に関し収集した国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報又は外国の政府若しくは国際機関からの情報」
ア 「情報」
別表第1号に関する解説2(2)ア参照。
イ 「テロリズムの防止に関し収集した(中略)重要な情報」
テロリズムの防止に関し警察庁等の治安機関、内閣の重要政策に関する情報の収集調査等を所掌する内閣官房その他の行政機関が収集した情報のうち、重要なものをいう。「重要な情報」については別表第1号に関する解説2(2)エ参照。
ウ 「国民の生命及び身体の保護に関する」
本事項は、政府原案では「テロリズムの防止に関し収集した外国の政府又は国際機関からの情報その他の重要な情報」と規定されていたが、衆議院における与野党協議により、「重要な情報」を「国民の生命及び身体の保護に関する」ものに限定して規定し、「テロリズムの防止に関し収集した(中略)外国の政府若しくは国際機関からの情報」との例示については別途規定する(下記エ参照)よう、修正された。
エ 「テロリズムの防止に関し収集した(中略)外国の政府若しくは国際機関からの情報」
テロリズムの防止に関し収集した情報であって、外国の情報機関や治安関係の国際機関等から提供された情報である。
オ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうため、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりする
こととなり、適時に適切な対応をとることができず、我が国のテロリズムの防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(3) 「ハ ロに掲げる情報の収集整理又はその能力」
ア 「情報の収集整理」
本号ロに掲げる情報の収集整理に関する活動状況、態勢及び方法等をいう。「活動状況」、「態勢」及び「方法」については別表第1号に関する解説2(3)ア参照。
イ 「(情報の収集整理)の能力」
意義については別表第1号に関する解説2(3)イ参照。
ウ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、
@ 収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置が講じられ、じ後必要な情報を入手することが困難となる
A 情報の提供国等との信頼関係を損なうために、じ後必要な情報を入手することが困難となる
B いかなる情報を情勢判断の指標等として収集整理しているかが明らかになり、情報操作を施され、不適切な情報を信頼することになったり、情報業務の間隙をつかれたりする
こととなり、適時に適切な対応をとることができず、我が国のテロリズムの防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
(4) 「ニ テロリズムの防止の用に供する暗号」
ア 「テロリズムの防止の用に供する暗号」
「暗号」については別表第1号に関する解説2(7)ア参照。
「テロリズムの防止の用に供する暗号」とは、テロリズムの防止に係る諸活動の際に用いる暗号を意味する。
イ 特定秘密の対象とする必要性
これらの事項に関する情報が漏えいした場合、相手方は、傍受した通信内容を解読し、テロリズムに対処する治安機関の活動等の詳細を知ることが可能となり、また、収集対象となる情報に係る保全強化等の対抗措置を講ずることが可能となることから、我が国のテロリズムの防止に重大な支障を来す可能性がある。このため、これらの事項については、特定秘密の対象となり得る事項とする必要がある。
 

 

 
 

 

 
 

 

 
諸話
 

 

治安維持法体験 / 松谷さんが語った治安維持法
今日3月15日は、民主主義と人権に関心を持つ者にとって忘れてはならない日。思想弾圧に猛威を振るった治安維持法が、本格的に牙をむいた日である。
多喜二の小説「1928年3月15日」で知られるこの日の午前5時、全国の治安警察は一斉に日本共産党員の自宅や、労農党本部、無産青年同盟、無産者新聞社などを家宅捜索し1568名を逮捕、その内484名を起訴した。第1次共産党弾圧である。被逮捕者に対する拷問が苛烈を極めたことはよく知られている。皇軍の戦地での恥ずべき蛮行と並んで、天皇制政府の醜悪な側面を露呈させた恥部といってよい。
悪名高い治安維持法は、男子普通選挙法(衆議院議員選挙法改正法)とセットで、1925年3月に成立し、同年4月22日施行となった。その第1条は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」であった。後に、法「改正」を重ねて刑は死刑を含むものとなる。
「国体ヲ変革シ」とは、天皇制を否定して国民主権原理にもとづく民主主義国家を建設しようという思想と運動を意味している。これが犯罪、しかも死刑に当たるというのだ。
「私有財産制度ヲ否認スル」とは、生産財を社会の共有にすることによって格差や貧困のない社会を目ざそうということ。これも危険思想故に犯罪とされた。天皇制政府が誰と結託していたかを雄弁に物語っている。
治安維持法は、「3.15」「4.16」、そして多喜二を虐殺した。まずは共産党に向いた治安維持法の牙は、社会民主主義者にも、自由主義者にも、平和主義者にも、労働・農民運動家にも、そして宗教者にも生け贄の対象を拡大していった。そのために、民衆は「滅多な口を利いてはならない」と政府を恐れた。その民衆にさらに容赦なく、天皇制政府は思想統制を強め、過酷な弾圧を続けた。
民衆の立場から、その実態を掘り起こす優れた作業がいくつも公にされているが、その一つとして、松谷みよ子の「現代民話考」の一巻、「銃後」に「思想弾圧」がある。
「現代民話考」は、広い分野にわたって全国の民間伝承を採話したもので、全12巻に及ぶ。初版は立風書房だが、今は筑摩文庫で復刻されているようだ。その第6巻(第2期・T)が「銃後 思想弾圧・空襲・沖縄戦・引き上げ」となっている。なお、第2巻(第1期・U)が「軍隊 徴兵検査・新兵のころ」というもの。民衆の伝承が、これほど戦争に関わるものになっているのだ。
以下は、「銃後」の前書きに当たる「銃後考」の抜粋である。戦争の時代を生き抜いた知性と良心が語る言葉である。児童文学者としての優しさに満ちた感性が、強靱な理性に支えられたものであることがよくわかる。
「安維持法の名のもと思想統制が進められ、労組、農民組合などの運動に参加する人びと、自由人、社会思想を持つ人びとが検挙され、凄じい拷問がくりひろげられた。昭和8年、小林多喜二が築地署で特高による拷問で死亡した事件は心ある人びとに大きな衝撃を与えた。そしてこれらの思想弾圧があってこそ、天皇を神とし、大東亜を共栄圈とする思想も、銃後の思想統一もゆるぎないものにつくりあげられていったのである。その意味で今回、第一章を思想弾圧・禁止とした。」
「あの当時、非国民の恪印は死とつながる恐怖であった。日本国民のあるものは、幼い日からの軍国教育によって、ある者はしんそこ日本は神国であると信じ、大東亜共栄圈の理想を共有した。しかし、ある人びと、前述したクリスチャンや、思想的にこの戦争は正しくないと感じ、何等かのかたちで抵抗した人びともいる。‥無垢の愛に地をたたき、狂うほどの悲しみをあらわにした。「息子を返せ! 東条のバカヤロー」「天皇のヤロウー どんなにしたってきかないから!」これらの言葉が官憲に聞えたらどうなるか、当時を生きた人なら誰でもが知っている。また、福島の‥は、貧農の母が髪ふり乱し「おらの息子を連れて行くな」と出征の行列に泣きすがったと伝える。庶民の心のほとばしりを私は大切に思うのである。」
437頁のこの書には、かなり長い「あとがき」がある。松谷みよ子の息遣いが聞こえてくるようだ。「ちょっと気になること」として、「一つの花」事件の顛末が書かれている。「一つの花」とは、小学校の教科書に載った短編小説の題名。作中のおおぜいの見送りのない出征風景が「捏造」として、産経の批判のキャンペーンにさらされたことが「事件」である。
これを松谷は、「『一つの花』における見送りのない出征風景はこのように、見送りのない出征−戦争の悲惨−アカ、という図式をはめられ、新たなる伝説をつくりあげられていく。バカバカしいことながら、笑ってはすまされないことであった。」
としたうえで、こう続けている。
「先日、京都へ行ったとき、国旗掲揚、君が代が教育の場で強制されてきた、となげく声を聞いた。これは他県ではずいぶん前から聞かされたことであった。国旗があがる間、どこにいてもぱっと直立不動の姿勢をとらされるという話も聞いた。また、昭和61年11月10日には、天皇在位60年を奉祝して、二重橋前から銀座、日本橋などに提灯行列、日の丸、天皇陛下万歳のさけびで湧いた。偶然通りかかった知人は、戦時中のシンガポール陥落の提灯行列を思い浮べ、歳月が40年前に逆戻りしたような恐ろしさを覚えたという。この前の戦争が、天皇を現人神と神格化し、平和を希求する思想をアカときめつけて全国民を戦争への道に駈り立てていった、そのことはすでにあきらかである。この道は、いつかきた道、戦後だ戦後だといっているうちに、あたりの風景は戦前に変りつつあるのではないか。そして、風景を塗り変えようとする手と、「一つの花」事件とが無縁のものとは考えられないのである。国家機密法が繰り返し上程されようとしていることとも無縁ではない。
いま、なにかが水面下で不気味にふくれあがりつつある。「一つの花」見送りのない出征事件は、いまから8年前になる。しかし遠い地鳴りのようなこの出来事を、私たちは忘れてはなるまい。一つ、一つの事件、それはごく小さく、とるに足りぬもののように見える。しかし、その小さな出来事が積み重なることによって、私たちの感性はいつしか馴らされ、気がついてみれば戦争への道をふたたび歩いている。そういうことがないとどうしていえようか。「ねえ、あのとき、どうして戦争に反対しなかったの?」子どもたちにそう問われることのないように、私たちは、常にするどく、感性を磨かねばと思う。卵を抱いた母鳥のように。」
松谷みよ子さんは、2月28日に永眠された。あらためて、警世の人を失ったことを悔やまざるを得ない。この書が上梓されたのは1987年4月であった。松谷さんがたびたび言及している国家機密法(自民党側はこれを「スパイ防止法」と呼んだ)は、1985年に国会上程されて廃案となり、87年ころには再提出が懸念されていた。いま、これに替わって特定秘密保護法が成立してしまった。また、産経の役割は相変わらずである。
松谷さんの言をかみしめたい。「小さな出来事の積み重ねに感性を馴らされてはならない」。しかし、今や安倍政権の所為は、「小さな出来事の積み重ね」の域を超えている。今を再びの戦前とし、後世に再びの「治安維持法・思想弾圧」の伝承を語らせる歴史を繰り返してはならない。 
 
治安維持法体験 / 治安維持法の犠牲者 西川治郎さん

 

戦争法案を阻止しなければ 過去学び憲法の大切さ実感
治安維持法違反で2度逮捕された経験を持つ106歳の西川治郎さんを、日本共産党のわたなべ結参院大阪選挙区候補が1日、貝塚市内の自宅に訪ねました。治安維持法犠牲者国賠要求同盟が西川さんの経験を聞き取る企画で、インタビュアーをわたなべさんが務めました。
わたなべ お会いできて光栄です。私は1981年生まれで34歳です。
長生きできる時代ではなく
西川 うれしいね、34歳の人が参院選に打って出ようというのは。これから1〜2年が非常に大事で、いまなんとか戦争法案を阻止しないといけない。そのためにもうちょっと生きて、様子を見たいという気持ちでいます。それが長生きのコツだと思っています。
わたなべ 戦争法の問題が出てきて、若い人たちも過去の戦争のことなどを学んで、憲法の大切さを実感しています。西川さんのお生まれになった当時はどうでしたか。
西川 私は漁師の村に生まれました。8人きょうだいの6番目でした。家は漁師ではなく、魚を干物や塩漬けなどに加工していました。村の子どもたちは、ほとんどが小学校を卒業すると紡績会社へ働きに行って、故郷へ戻ってくる人はいません。いまのように長生きできる時代ではありませんでした。日清戦争や日露戦争で日本は勝った形になっています。神の国と言われるだけのことはあると当時の国民は思ったのでしょう。宗教家をはじめ、みんなが大政翼賛でした。
わたなべ 戦争に日本が突き進んでいった時、どんなことをお感じになられましたか。
満州事変容認にストで反対
西川 私が左翼化した最初の原因は、日本が満州国をつくったことです。私はクリスチャンとして、YMCAの学生運動に参加していました。左翼運動が盛んになってきて、どう対抗しようかとできたのが、社会問題を勉強するSCM(スチューデント・クリスチャン・ムーブメント)というものでした。毎年の大会では、社会問題研究の幾つかのテキストを出して、中には資本論そのものを研究課題にする学生も出てきました。私の直接の指導者だった学生部長はSCM運動の中心人物でしたが、東大の学生たちと1カ月ぐらいで資本論3冊を読み上げたという、ものすごい研究グループもありました。それから1年後に満州事変がありました。指導者たちの大部分がキリスト教の大きな活動場所ができたと、軍に協力する形で満州事変を容認しました。学生たちはそれに反対して、会議をストライキで潰してしまった。宗教運動と言いながら、左翼運動そのものと同じ形で動いていました。私はストライキの責任者に選ばれたんです。そのことで、私は宗教運動だけど左翼運動として目をつけられた。
わたなべ 左翼の運動と思い込まれたんですか。
絵に描いたような大政翼賛
西川 自分でも左翼運動の一角だと思っていました。クリスチャンたちは戦争への疑問は持つだけは持っていたと思う。しかし、教会も礼拝の前に東方遥拝をして、天皇の無事を祈っていました。絵に描いたような大政翼賛ですよね。
わたなべ 西川さん自身が「この戦争はおかしい」と思ったのはなぜなんですか
西川 満州事変なんていうのはまともなものでないということは、クリスチャンとして分かりました。ところがYMCAの責任者や指導者たちは、戦争の指導者が天皇だということには触れようとしない。
動けなくなるまでたたかれ
初めて治安維持法で逮捕されたのは東京で、1934(昭和9)年のことでした。経過は、1932(昭和7年)に「日本戦闘的無神論者同盟」という、文化活動の一翼の団体に参加しました。これはスターリンの活動の一部でした。当時は日本の社会運動の規範は、ソビエトから出たことがたくさんあったんです。そういう理論をまともに扱った無神論者同盟は、憲兵には、普通の文化活動よりも共産党や日本共産青年同盟に近いものと思われていたわけです。ですから東京で検挙された時は、いきなり「共産主義者だろう。天皇陛下に反対するんだろう」です。前年には小林多喜二が警察での拷問で死亡しています。私の場合もゴーンゴーンと10日間ぐらい動けなくなるまで、桜の棒でたたかれました。もう少しいったら内出血でどうにかなっていたかもしれないんだけれど、特高がそういう無茶をすることは許されていた。40年(昭和15年)ごろになると、戦況の行方もあって、共産主義の系統はとにかく抑留する、刑期が終わっても、なんとしても世間へ出さないという政策をとりました。
ビラ1枚だけで懲役2年に
2回目の検挙がその時でした。共産主義グループの中心メンバーが刑期を終えて出てきた。共産党再建のために何かやるだろうと思われていました。たまたまときを同じくして、私の友人のグループが勉強会をやるというビラを出したんです。そのビラを私も1枚もらいました。これを理由に検挙された。懲役2年という実刑を受けることになりました。その時は暴力は受けなかったけれど、ひどい不衛生の中でした。
わたなべ たまたまそういう時期にビラを受け取っただけなんですね。
西川 国民の中に戦争に対する不安や、母親を中心に「戦争が早く終わってほしい」「戦争は怖い」という気持ちが充満していたことも事実です。戦争が進むにつれて、はじめは村のみんなで行列をつくって兵隊を送ってくれたのが、知らない間に行って、知らない間に骨箱だけ帰ってきたという形でしょう。さすがに日本が負けると思っていた人はどこまでいたかは分からないけどね。
両親や祖父母が守った憲法
日本は戦争には負けないと、子どもに至るまで思わせる。けれど戦争が終わってアメリカ兵が食料をいっぱい持って、チョコレートを子どもにも渡せるというのを見て、日本の場合は、一週間の食料といっても乾パンぐらいを持っただけで、行ったところで自前で食料をということですから、こんな戦争に日本は勝てるはずないと思いました。
わたなべ いま国会前でたくさん声を上げている若い人たちや、大阪でも若い人たちが頑張っています。みんな共通して言うのが、戦前戦中にたくさんの人が命を懸けてたたかってこられて、戦後も両親や祖父母らが守り抜いてきてくれた憲法と平和を、自分たちの代で壊されたくない、責任があるんだと、いま声を上げてるんです。これからを生きていく若い人たちに、どんなことを伝えたいですか。
政治参加の機会拡大に望み
西川 学者でもない私が偉そうにものを言えるわけではないけれど、共産党の綱領の世界観、歴史観は何度読んでも間違いない。この党の指導に頼り、しかし他者の世界観も認めないといけない。大変な世の中に出くわして大変だと思います。生活や職場の保障が、日本は特別に面倒になっている。しかし18歳で政治にものを言える機会もできたんだし、そういう望みを広げて、しっかり生きていってほしいと思いますね。青年には仕事や男女関係やいろんな問題はあるけれど、いまここで安倍政権を存続させると、将来、仕事や勉学でも不安な状態が続くのではないか。ここらで友だちとも話し合って、デモにいっぺん行ってみるような、ちょっと突飛なことであってもしてみてほしい。「戦争する国」にするとしないとでは大変な違いですから。
安倍内閣退陣を見てみたい
「しんぶん赤旗」を見ると、16歳の学生が「18歳になったら選挙に行けるんだから勉強したい」と言ったりしています。うれしいですね。安倍内閣を退陣に追い込む状態を見たい。わたなべさん、参議院議員になって頑張ってください。
わたなべ ありがとうございます。来年7月が私の挑む選挙ですが、安倍政権をそれまでに退陣させたいと思います。
インタビューを終えて わたなべ結
満州事変の時に、キリスト教徒としておかしいと思われたのがすごい。当時の教育や、社会が全体として戦争に突き進んでいく中で、自分の考えをしっかり持っていたことに驚きました。だから特高に捕まっても屈することなく貫いて生きてこられたのだと思います。太平洋戦争に突き進む前年には、周りに「もう戦争は嫌だ」という雰囲気があったと言われました。ずっと戦争していますからね。思っていても口に出せない中で、西川さんは客観的な目を持っていたのだと思います。すごく前を向いて生きておられる姿に、驚くと同時に生きる姿勢を見せてもらった気がしました。3分の1ほどの年齢の私に、「長生きしてください」とおっしゃいました。来年は当選を報告できるように頑張りたい。 
 
政府による言論封殺を導く「放送法遵守を求める視聴者の会」広告

 

1 「放送法遵守を求める視聴者の会」の広告は政府による言論の制限を求めている
2015年11月14・15日の産経新聞と読売新聞に、すぎやまこういち(代表)、渡部昇一、ケント・ギルバート、小川榮太郎(事務局長)氏らが呼びかけ人となり「放送法遵守を求める視聴者の会」が発足し、全面広告が掲載された。
この広告ではTBSニュース23のメインキャスター岸井成格氏が放送法違反である疑いが濃厚な発言であると指摘した。この広告では、テレビ事業者は放送法の規制下にあり、放送法第4条の「一 公安及び善良な風俗を害しないこと。二 政治的に公平であること。三 報道は事実をまげないですること。四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」の規定を遵守することを求め、政府の施策に反対する報道を牽制したものである。しかし、放送法の4条は法的な拘束力がなく、倫理的な規範であると解するのが、通説的な見解である。この広告の放送法の解釈には根本的疑問がある。この点は、6項で詳しく紹介する『クローズアップ現代』出家詐欺報道についてのBPO見解において、詳細に説明されている。
2 ペンタゴン・ペーパーズ事件
まず、報道の社会における役割について考えてみよう。政府の政策を批判することは報道の使命である。このことをアメリカと日本の行った戦争の歴史から具体的に考えてみたい。
『ベトナム秘密報告 米国防総省の汚い戦争の告白録』(1972 サイマル出版会)によると、アメリカ軍がベトナムに本格的に介入するきっかけになった1964年8月の、北ベトナム海軍によるトンキン湾の魚雷攻撃事件の2回目はまさしくこのペンタゴン・ペーパーズの中に「アメリカ側で仕組んで捏造した事件だった」と暴露されている。
ペンタゴン・ペーパーズとは、アメリカ国防総省がベトナム戦争の実情についてまとめられた極秘レポートである。この報告書の公開とウォーターゲート事件によってベトナム戦争は終結したと言われる。
1971年、ダニエル・エルズバーグらがコピーを作成してニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者などにこれを手渡した。ニューヨーク・タイムズは特別チームを作り、1971年6月13日から連載で記事を掲載した。ニクソン大統領は司法省に記事差し止めを命じ、連邦地方裁判所にニューヨーク・タイムズを提訴した。1971年6月30日アメリカの連邦最高裁は「政府は証明責任を果たしていない」という理由で政府の差止請求は却下された。
近代戦争においては、戦争遂行に国民の同意が必要である。ウソの情報で国民の同意を得ようとしたことが、内部告発と勇気ある報道によって明らかにされたのである。米連邦最高裁のフーゴ・L・ブラック判事の意見は次のように述べている。「自由で拘束されない新聞のみが、政府の欺瞞を効果的にあばくことができる。そして自由な新聞の負う責任のうち至高の義務は、政府が国民を欺き、国民を遠い国々に送り込んで異境の悪疫、異国の銃弾に倒れるのを防ぐことである。」(1971年6月ニューヨークタイムス事件最高裁判決における同判事意見より)
エルズバーグ氏らは1971年6月窃盗、1917年スパイ法違反(国家秘密の漏洩)などの罪で起訴された。起訴罪名の合計刑期は115年に達する重罪起訴であった。エルズバーグは「責任あるアメリカ市民としてこれ以上この秘密を隠し続けることに荷担できない」との声明を発表した。政府がカルテの窃盗や令状なしの盗聴を繰り返していたことが判明し、連邦地裁判事は「政府の不正」があったとしてこの刑事起訴を却下した。
3 満州事変は関東軍の謀略によって始まった
1931年9月18日、柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道の線路が爆破された。関東軍はこれを中国軍による犯行と発表することで、満州における軍事行動と占領の口実とした。しかし、この事件は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐らが仕組んだ謀略事件であった。同日の午後10時20分ころ、中華民国奉天(現在の中華人民共和国遼寧省瀋陽市)の北方約7.5キロメートルにある柳条湖付近で、南満州鉄道(満鉄)の線路の一部が爆発により破壊された。まもなく、関東軍より、この爆破事件は中国軍の犯行によるものであると発表された。このため、日本では、太平洋戦争終結に至るまで、爆破は張学良ら東北軍の犯行と信じられていた。しかし、実際には、関東軍の部隊によって実行された謀略事件であった。
事件の首謀者は、関東軍高級参謀板垣征四郎大佐と関東軍作戦主任参謀石原莞爾中佐である。爆破を直接実行したのは、奉天虎石台(こせきだい)駐留の独立守備隊第二大隊第三中隊(大隊長は島本正一中佐、中隊長は川島正大尉)付の河本末守中尉ら数名の日本軍人グループである。現場には河本中尉が伝令2名をともなって赴き、斥候中の小杉喜一軍曹とともに、線路に火薬を装填した。関東軍は自ら守備する線路を爆破し、中国軍による爆破被害を受けたと発表するという、自作自演の計画的行動であった。
4 批判するメディアはバッシングによって沈黙させられた
しかし、このことは徹底的に隠された。半藤一利氏によれば、大阪朝日新聞は、高原操編集局長の下で、柳条湖事件について「この戦争はおかしいのではないか、謀略的な匂い、侵略的な匂いがする」と報道していた。
在郷軍人会などが組織した激しい不買運動を受け、部数を減らす。奈良県下では一紙も売れなくなる。そして、10月12日の役員会議で高原編集局長は次のように述べたことが憲兵調書に記録されている。
「今後の方針として、軍備の縮小を強調するのは従来のごとくなるも、国家重大の時に際し、日本国民として軍部を支持し、国論の統一を図るは当然のことにして、現在の軍部及び軍事行動に絶対批判を下さず、極力これを支持すべきこと」(半藤一利・保坂正康『そして、メディアは日本を戦争に導いた』2014 東洋経済新報社)
5 多くのメディアは事実を知りながら中国への敵意を煽った
多くのメデイアは中国側の非道を強く訴えた。とりわけ東京日日新聞(現毎日新聞)は中国に対する敵意をあおり立てた。さらに、衝撃的な事実がNHKの取材によって明らかになった。柳条湖が関東軍の謀略であることは、全国紙の記者には政府からひそかに耳打ちがされていたというのである。このことは、20011年にNHKスペシャルの中で放映されている。東京朝日新聞も事変当初には慎重な報道を行っていたが、緒方竹虎編集局長は陸軍参謀本部作戦課長であった今村均と接触し、料理屋で食事をしながら、事変が関東軍による謀略であることを打ち明けられながら、現地の在留邦人の悲惨な状況を見れば、謀略を企てたこともやむを得ないという説得に「あーそうですか、初めてよくわかった」と応じ、それ以降論調を転換させたという。(今村均の証言)
また、「のちに報道部長になる谷萩(那華雄)大尉というのがおりまして、記者クラブでわれわれに話してくれたんですよ。実は、あれは関東軍がやったんだよ。」ということをこっそり耳打ちしてくれました。」(石橋恒喜 東京日々新聞記者の証言 NHKスペシャル取材班編著『日本人はなぜ戦争へ向かったか』メディアと民衆・指導者編 2015 新潮社)
6 『クローズアップ現代』報道についてのBPO見解が示す放送法の正しい解釈
2015年4月28日、総務大臣はNHKに対し、『クローズアップ現代』について文書による厳重注意をした。番組内容を問題として行われた総務省の文書での厳重注意は2009年以来であり、総務大臣名では2007年以来である。
総務大臣は、厳重注意の理由は「事実に基づかない報道や自らの番組基準に抵触する放送が行われ」たことであり、厳重注意の根拠は、放送法の「報道は事実をまげないですること。」(第4条第1項3号)と「放送事業者は、放送番組の種別及び放送の対象とする者に応じて放送番組の編集の基準を定め、これに従って放送番組の編集をしなければならない。」(第5条第1項)との規定だとした。
「しかし、これらの条項は、放送事業者が自らを律するための「倫理規範」であり、総務大臣が個々の放送番組の内容に介入する根拠ではない。このことは、放送による表現の自由は憲法第21条によって保障され、放送法は、さらに「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること。」(第1条2号)という原則を定めている。しばしば誤解されるところであるが、ここに言う「放送の不偏不党」「真実」や「自律」は、放送事業者や番組制作者に課せられた「義務」ではない。これらの原則を守るよう求められているのは、政府などの公権力である。」
「放送による表現の自由を確保する」ための「自律」が放送事業者に保障されているのであるから、放送法第4条第1項各号も、政府が放送内容について干渉する根拠となる法規範ではなく、あくまで放送事業者が自律的に番組内容を編集する際のあるべき基準、すなわち「倫理規範」なのである。逆に、これらの規定が番組内容を制限する法規範だとすると、それは表現内容を理由にする法規制であり、あまりにも広汎で漠然とした規定で表現の自由を制限するものとして、憲法第21条違反のそしりを免れないことになろう。」
「当委員会は、2007年に設置されて以来、番組内容に問題があると判断した場合には、勧告・見解や意見を公表して放送局と放送界全体に改善を促してきたが、これを受けて各放送局は社内議論を深め、正確な放送と放送倫理の向上のための施策を定めるという循環が生まれてきている。政府もまた、このような放送の自由と自律の仕組みと実績を尊重し、2009年6月以降は、番組内容を理由にした行政指導は行わなかった。今回、このような歴史的経緯が尊重されず、総務大臣による厳重注意が行われたことは極めて遺憾である。
また、その後、自民党情報通信戦略調査会がNHKの経営幹部を呼び、『クロ現』の番組について非公開の場で説明させるという事態も生じた。しかし、放送法は、放送番組編成の自由を明確にし「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」(第3条)と定めている。ここにいう「法律に定める権限」が自民党にないことは自明であり、自民党が、放送局を呼び説明を求める根拠として放送法の規定をあげていることは、法の解釈を誤ったものと言うほかない。今回の事態は、放送の自由とこれを支える自律に対する政権党による圧力そのものであるから、厳しく非難されるべきである。当委員会は、この機会に、政府およびその関係者に対し、放送の自由と自律を守りつつ放送番組の適正を図るために、番組内容に関しては国や政治家が干渉するのではなく、放送事業者の自己規律やBPOを通じた自主的な検証に委ねる本来の姿に立ち戻るよう強く求めるものである。」(2015年11月6日 放送倫理検証委員会(委員長 川端和治 BPO)NHK総合テレビ『クローズアップ現代』“出家詐欺”報道に関する意見)
このような見解こそが放送法の4条の正しい理解である。
7 自由で妨害を受けないメディアこそ民主主義社会の基礎である
この問題について、国際的な人権基準はどのように述べているだろうか。自由権規約19条に関する規約人権委員会の一般的見解は、民主主義社会における人権の擁護のメカニズムを説明している最重要の文書である。自由権規約委員会は、規約の条項についての委員会の解釈を示すために一般的意見をまとめているが、2011年に委員会は、規約19条についての一般的意見34を公表している。この中で、メディアの表現の自由について次のように述べている。
「13. 自由で検閲も妨害も受けない報道機関又は他のメディアは,いかなる社会においても,意見及び表現の自由,ならびに規約上の他の権利の享有のために不可欠である。これは民主主義社会の基礎の1 つである。規約は,メディアがその機能を果たす前提となる情報を受け取ることのできる権利を包含する。市民,立候補者及び選出された代表者の間の,公的及び政治的問題に関する情報及び考えの自由な伝達は不可欠である。これは,自由な報道及び他のメディアが,公的問題について検閲も制約もなく論評でき,世論に伝達できることを意味する。公衆もこれに対応する権利としてメディアの発信を受け取る権利を有する。」
「14. 締約国は,種族的及び言語的少数者の構成員を含むメディアの利用者がさまざまな情報及び考えを受け取る権利を保護する方法として,独立した多様なメディアを奨励するために格別の配慮をすべきである。」
「16. 締約国は,公共放送サービスが独立性を保って事業を営むことができるようにすべきである。これに関連して,締約国は,彼らの独立性と編集の自由を保障すべきである。また締約国は,彼らの独立性を損なわない方法で資金を提供すべきである。」
「39. 締約国は,マスメディア規制に対する立法及び行政による枠組みが,第 3 項の規定と整合性のとれたものであることを確保しなければならない。規制のためのシステムは,さまざまなメディアによる報道が競合する態様にも留意しつつ,活字・放送セクターとインターネットとの間における相違を考慮しなければならない。第3 項が適用される特定の事情にあたる場合を除いて,新聞及び他の活字メディアの発行を許可しないことは,第19 条と両立し得ない。このような特定の事情には,外のものとより分けることができない特定の内容が第3 項において禁止されることが合法とされる場合を除いて,特定の出版物に対する禁止を含むものではない。(中略)地上波及び衛星による視聴覚事業など,限られた能力を持つメディアを介して行う放送に関するライセンス制度は,利用権及び周波数が,公共放送局,商業放送局及びコミュニティ放送局の間において利用権及び周波数の平等な割り当てに応じられるようにしなければならない。そのようなことをまだ定めていない締約国は,放送申請を審査しライセンスを与える権限を持つ,独立かつ公的な放送認可機関を設立することが望ましい。」
「40. 委員会は,一般的意見 10 における見解である,「現代のマスメディアの発展によって,すべての人の表現の自由についての権利に干渉するようなメディアによる支配を阻止するために,効果的な措置をとることが必要である」ことを改めて表明する。国家は,メディアを独占支配してはならず,メディアが複数存在する状況を推進しなければならない。したがって,締約国は,情報源及び見解の多様性にとって有害であり得る独占的状態において私的に支配されたメディア・グループによる不当なメディアの独占又は集中を防止するために,規約と整合性をもって,適切な対策を講じなければならない。」(日弁連訳)
8 メディアの自由を守ることは市民の知る権利を守ること
政府が報道の内容に基づいて、介入することは検閲や妨害に当たることは明白である。政府には、独立した多様なメディアを奨励する責任がある。公共放送にも、独立性と編集の自由が認められるべきであり、放送の管理は行政が行うのではなく、独立の機関が行うべきであるとしている。また、情報源及び見解の多様性にとって有害であり得る独占または集中を避けることが必要であるとしている。
メディアの自由を守ることは私たち市民の知る権利を守ることである。いま、政府・総務省が行っていること、「放送法遵守を求める視聴者の会」が広告において求めていることは、多様なジャーナリズムを抹殺しようとする危険な動きである。マスメディアの中の抵抗力は戦前と比べても、まだまだ強いと信じたい。心ある市民が、勇気あるメデイアを支えるような関係を作り、放送法の誤った解釈を糾し、マスメデイアの表現の自由の圧殺を食い止めなければならない。  
 
「共謀罪」反対声明

 

共謀罪が継続審議とされたことについての日本弁護士連合会会長談話 2005/11
本日、第163回特別国会が終了し、共謀罪の創設を含む「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」は、衆議院において継続審議となった。
国会が、この法律案に対し慎重審議の姿勢を示し、採決に至らなかったことについては一定の評価をするものであるが、この法律案に盛り込まれた共謀罪の危険性についての懸念が、本国会の審議過程において、与党議員も含む衆議院法務委員会の多くの委員から相次いで表明されたにもかかわらず、この法案が廃案でなく継続審議となったことについては、当連合会としては遺憾の意を表明せざるを得ない。
共謀罪は、「長期4年以上の刑を定める犯罪」(極めて広範な619以上もの犯罪)について、「団体の活動として」「当該行為を実行するための組織により行われるもの」の「遂行を共謀した者」を、「犯行の合意」というどのようにも解しうる曖昧かつ不明確な基準によって処罰するものであって、犯罪の準備行為も不要とされ、組織的犯罪集団の行為である必要さえないものである。
これは、刑法の謙抑性に鑑み、法益を侵害する行為を処罰することを基本原則とするわが国の明治以来の刑法体系を崩すものであるとともに、「行為」でなく「意思」や「思想」を処罰することに通ずるもので、思想・信条の自由、表現の自由、集会・結社の自由などの基本的人権に対する重大な脅威となるものである。
また、共謀罪の捜査は、具体的な法益侵害行為を対象とするのではなく、会話、電話、電子メールなどのあらゆるコミュニケーションの内容を対象とせざるを得ないために、自白への依存度を強めるとともに、犯罪捜査のための通信傍受に関する法律の適用範囲の拡大や、電子メールのリアルタイム傍受の合法化も予測され、わが国の監視社会化に拍車をかけるおそれもある。
当連合会は、あらためて、刑法の基本原則とその人権保障機能に反するものとして、このような共謀罪の制定に強く反対することを確認するとともに、政府および国会が、国連越境組織犯罪防止条約の国内法化に際しては、この法律案に拘泥することなく、越境組織犯罪の防止というこの条約の本来の趣旨・目的とわが国の刑事法制の基本原則に立ち返り、いやしくも、市民の基本的人権を不当に制限することのないよう抜本的な見直しを行うことを強く求めるものである。 2005年11月1日
共謀罪与党修正案についての日弁連会長声明 2006/4
本日、衆議院法務委員会は、共謀罪導入のための法律案について審議入りし、与党から修正案が提案された。
この修正案は原案に比べれば、一部にその適用範囲をせばめようとする部分はあるものの、この間一貫して当連合会が指摘してきた問題点は解決されていない。
第1にこの修正案は、あくまでも団体の「活動」に着目して限定を加えたものであって、必ずしも、「団体」がどこまで限定されているかは明らかでない。現実に過去に犯罪を遂行してきた事実も要件とされていない。団体の一部の構成員が一定の犯罪の共謀を行ったことのみをもって、団体に犯罪目的ありと解釈される可能性がある。むしろ端的に、文字通りの組織犯罪集団が関与する場合に適用範囲を限定するべきである。
第2にこの修正案においては、共謀に加えて、「犯罪の実行に資する行為」が必要とされている。この概念は、犯罪の準備行為よりもはるかに広い概念であり、犯罪の実行にはさしたる影響力を持たない精神的な応援などもこれに含まれる可能性があり、共謀罪の適用場面において、ほとんど歯止めにならない。少なくとも、犯罪の実行の「準備行為」が行われたことを明確に要件とするべきである。
そもそも、本法案は、もともと下記のような問題点を有しており、この点は修正案でも解消されていない。
第1に、本法案が導入しようとする共謀罪は、犯罪が実際に発生する以前、関係者が犯罪を起こすことを合意したことのみで処罰できるとするものである。刑法では、予備行為を処罰する犯罪でさえ殺人罪等ごく一部に限られていたのであり、本法案は、このような刑法の体系を根本から覆すものである。
第2に、対象犯罪が619にも及び、あまりに広範な内容となっている。現実に組織犯罪集団が行うと予測される犯罪類型に限定して立法することは可能である。
第3に、本法案は、国連越境組織犯罪防止条約に基づいて作られたものであるが、同条約は、国境を越える性質を持った組織犯罪を防止する目的で起草されたものである。条約の批准を一部留保するなどの方法によって、我が国の国内法として、国境を越える犯罪に限って適用する旨を規定することは、条約の趣旨に反するものではない。
第4に、自首した者の罪を減免するという規定が盛り込まれているが、この規定は、一旦共謀に加わった者は、犯罪の実行をやめることを合意してもそれだけでは共謀罪の適用を免れることができず、さらに警察に自首する以外に刑罰を免れる手段がないことを示している。この点は共謀罪の本来的な問題点を如実に示すものであると同時に、共謀を持ちかけた側のみが自首により刑罰を免れることがあり得るという点で、この規定自体にも問題がある。
以上の通り、この修正案がいくつかの点で限定を加えた姿勢については一定の評価はしうるものの、この法案がもともと有している多くの問題点は是正されておらず、当連合会は、この法案には強く反対し、その抜本的見直しを求め、運動を継続・強化していくものである。
2006年4月21日 日本弁護士連合会   会長 平山 正剛
共謀罪新設法案に反対し、与党による強行採決の自制を求める 2006/5
いままさに日本の法体系に、さらにこの国の民主主義に、共謀罪という黒い影が覆いかぶさろうとしている。自民・公明の両与党は衆院法務委員会において、一両日中にも共謀罪導入のための法案の強行採決を行なうつもりだという。
私たち日本ペンクラブは、文筆活動を通じ、人間の内奥の不可思議と、それらを抱え持つ個々人によって成り立つ世の中の来し方行く末を描くことに携わってきた者として、この事態に対して、深い憂慮と強い反対の意思を表明するものである。
いま審議されている共謀罪法案は、与党が準備中と伝えられるその修正案も含めて、どのような「団体」であれ、また実際に犯罪行為をなしたか否かにかかわりなく、その構成員がある犯罪に「資する行為」があったとされるだけで逮捕拘禁し、厳罰を科すと定めている。法案の「団体」の限定はまったく不十分であり、また「資する行為」が何を指すのかの定義も曖昧であり、時の権力によっていくらでも恣意的に運用できるようになっている。
このような共謀罪の導入がこの世の中と、そこで暮らす一人ひとりの人間に何をもたらすかは、あらためて指摘するまでもない。民主主義社会における思想・信条・結社の自由を侵すことはもちろんのこと、人間が人間であるがゆえにめぐらす数々の心象や想念にまで介入し、また他者との関係のなかで生きる人間が本来的に持つ共同性への意思それ自体を寸断するものとなるだろう。
この国の戦前戦中の歴史は、人間の心象や意思や思想を罪過とする法律が、いかに悲惨な現実と結末を現出させるかを具体的に教えている。私たちはこのことを忘れてはいないし、また忘れるべきでもない。
そもそも今回の共謀罪法案は、国連総会で採択された「国連越境組織犯罪防止条約」に基づいて国内法を整備する必要から制定されるというものであるが、条約の趣旨からいって、人間の内心の自由や市民的活動に法網をかぶせるなど、あってはならないことである。にもかかわらず、法案は六百にもおよぶ法律にかかわり、この時代、この社会に暮らすすべての人間を捕捉し、その自由を束縛し、個々人の内心に土足で踏み込むような内容となっている。
このような法案に対しては、本来、自由と民主を言明し、公明を唱える政党・政治家こそが率先して反対すべきである。だが、与党各党はそれどころか、共謀罪の詳細が広く知れ渡ることを恐れるかのように、そそくさとおざなりな議論をしただけで、強行採決に持ち込もうとしている。こうした政治手法が政治それ自体への信頼を失わせ、この社会の劣化を招くことに、政治家たる者は気がつかなければならない。
私たちは、いま審議されている共謀罪に強く反対する。
私たちは、与党各党が行なおうとしている共謀罪強行採決を強く批判し、猛省を求める。
2006年5月15日 社団法人日本ペンクラブ 会長 井上ひさし
共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明 2017/2
政府は、これまでに何度も廃案となっている共謀罪を、「テロ等準備罪」の呼び名のもとに新設する法案を国会に提出する予定であると報道されています。しかし、この立法は以下に述べるように、犯罪対策にとって不要であるばかりでなく、市民生活の重大な制約をもたらします。
1. テロ対策立法はすでに完結しています。
テロ対策の国際的枠組みとして、「爆弾テロ防止条約」や「テロ資金供与防止条約」を始めとする5つの国連条約、および、その他8つの国際条約が採択されています。日本は2001年9月11日の同時多発テロ後に採択された条約への対応も含め、早期に国内立法を行って、これらをすべて締結しています。
2. 国連国際組織犯罪防止条約の締結に、このような立法は不要です。
2000年に採択された国連国際組織犯罪防止条約は、国際的な組織犯罪への対策を目的とし、組織的な犯罪集団に参加する「参加罪」か、4年以上の自由刑を法定刑に含む犯罪の「共謀罪」のいずれかの処罰を締約国に義務づけているとされます。しかし、条約は、形式的にこの法定刑に該当するすべての罪の共謀罪の処罰を求めるものではありません。本条約についての国連の「立法ガイド」第51項は、もともと共謀罪や参加罪の概念を持っていなかった国が、それらを導入せずに、組織犯罪集団に対して有効な措置を講ずることも条約上認められるとしています。
政府は、同条約の締約国の中で、形式的な基準をそのまま適用する共謀罪立法を行った国として、ノルウェーとブルガリアを挙げています。しかし、これらの国は従来、予備行為の処罰を大幅に制限していたり、捜査・訴追権限の濫用を防止する各種の制度を充実させたりするなど、その立法の背景は日本とは相当に異なっています。ほとんどすべての締約国はこのような立法を行わず、条約の目的に沿った形で、自国の法制度に適合する法改正をしています。国内法で共謀罪を処罰してきた米国でさえ、共謀罪の処罰範囲を制限する留保を付した上で条約に参加しているのです。このような留保は、国会で留保なしに条約を承認した後でも可能です。
日本の法制度は、もともと「予備罪」や「準備罪」を極めて広く処罰してきた点に、他国とは異なる特徴があります。上記のテロ対策で一連の立法が実現したほか、従来から、刑法上の殺人予備罪・放火予備罪・内乱予備陰謀罪・凶器準備集合罪などのほか、爆発物取締罰則や破壊活動防止法などの特別法による予備罪・陰謀罪・教唆罪・せん動罪の処罰が広く法定されており、それらの数は70以上にも及びます。
一方、今般検討されている法案で「共謀罪」が新設される予定の犯罪の中には、大麻栽培罪など、テロとは関係のない内容のものが多数あります。そもそも、本条約はテロ対策のために採択されたものではなく、「共謀罪」の基準もテロとは全く関連づけられていません。本条約は、国境を越える経済犯罪への対処を主眼とし、「組織的な犯罪集団」の定義においても「直接又は間接に金銭的利益その他の物質的利益を得る」目的を要件としています。
3. 極めて広い範囲にわたって捜査権限が濫用されるおそれがあります。
政府は、現在検討している法案で、(1)適用対象の「組織的犯罪集団」を4年以上の自由刑にあたる罪の実行を目的とする団体とするとともに、共謀罪の処罰に(2)具体的・現実的な「合意」と(3)「準備行為」の実行を要件とすることで、範囲を限定すると主張されています。しかし、(1)「目的」を客観的に認定しようとすれば、結局、集団で対象犯罪を行おうとしているか、また、これまで行ってきたかというところから導かざるをえなくなり、さしたる限定の意味がなく、(2)概括的・黙示的・順次的な「合意」が排除されておらず、(3)「準備行為」の範囲も無限定です。
また、「共謀罪」の新設は、共謀の疑いを理由とする早期からの捜査を可能にします。およそ犯罪とは考えられない行為までが捜査の対象とされ、人が集まって話しているだけで容疑者とされてしまうかもしれません。大分県警別府署違法盗撮事件のような、警察による捜査権限の行使の現状を見ると、共謀罪の新設による捜査権限の前倒しは、捜査の公正性に対するさらに強い懸念を生みます。これまで基本的に許されないと解されてきた、犯罪の実行に着手する前の逮捕・勾留、捜索・差押えなどの強制捜査が可能になるためです。とりわけ、通信傍受(盗聴)の対象犯罪が大幅に拡大された現在、共謀罪が新設されれば、両者が相まって、電子メールも含めた市民の日常的な通信がたやすく傍受されかねません。将来的に、共謀罪の摘発の必要性を名目とする会話盗聴や身分秘匿捜査官の投入といった、歯止めのない捜査権限の拡大につながるおそれもあります。実行前の準備行為を犯罪化することには、捜査法の観点からも極めて慎重でなければなりません。
4. 日本は組織犯罪も含めた犯罪情勢を改善してきており、治安の悪い国のまねをする必要はありません。
公式統計によれば、組織犯罪を含む日本の過去15年間の犯罪情勢は大きく改善されています。日本は依然として世界で最も治安の良い国の1つであり、膨大な数の共謀罪を創設しなければならないような状況にはありません。今後犯罪情勢が変化するかもしれませんが、具体的な事実をふまえなければ、どのような対応が有効かつ適切なのかも吟味できないはずです。具体的な必要性もないのに、条約締結を口実として非常に多くの犯罪類型を一気に増やすべきではありません。
そればかりでなく、広範囲にわたる「共謀罪」の新設は、内心や思想ではなく行為を処罰するとする行為主義、現実的結果を発生させた既遂の処罰が原則であって既遂に至らない未遂・予備の処罰は例外であること、処罰が真に必要な場合に市民の自由を過度に脅かさない範囲でのみ処罰が許されることなどの、日本の刑事司法と刑法理論の伝統を破壊してしまうものです。
5. 武力行使をせずに、交渉によって平和的に物事を解決していく姿勢を示すことが、有効なテロ対策です。
イスラム国などの過激派組織は、米国と共に武力を行使する国を敵とみなします。すでに、バングラデシュでは日本人農業家暗殺事件と、日本人をも被害者とする飲食店のテロ事件がありました。シリアではジャーナリストの拘束がありました。安保法制を廃止し、武力行使をしない国であると内外に示すことこそが、安全につながる方策です。
こうした多くの問題にかんがみ、私たちは、「テロ等準備罪」処罰を名目とする今般の法案の提出に反対します。
呼びかけ人 葛野尋之(一橋大学教授) / 高山佳奈子(京都大学教授) / 田淵浩二(九州大学教授) / 本庄武(一橋大学教授) / 松宮孝明(立命館大学教授) / 三島聡(大阪市立大学教授) / 水谷規男(大阪大学教授) 
 
「共謀罪」報道 2017

 

1/5
「筆洗」 1/5 東京新聞
105年前の春に26歳の若さで逝った石川啄木は、こう言い残したとされる。「俺が死ぬと、俺の日誌を出版したいなどと言ふ馬鹿な奴が出て来るかも知れない、それは断つてくれ、俺が死んだら日記全部焼いてくれ」
実際に焼却しようという動きがあったが、それに立ちはだかったのが、啄木の未完の原稿などを保管していた函館図書館の岡田健蔵だった
岡田は「職務上の責任感と、啄木が明治文壇に重要な存在である点から絶対にその焼却に反対する」と言い、「死守する覚悟」で守り抜いた。一世紀を経て、私たちが名作『ローマ字日記』を読むことができるのは、岡田のおかげなのだ(ドナルド・キーン著『石川啄木』)
そういう「職務上の責任感」を発揮する人物は、いなかったのか。アフリカの南スーダンで国連平和維持活動に参加する陸上自衛隊の部隊が、日報を廃棄していたという。現地で大規模な武力衝突が起きた際のことを記録した文書を消し去っていたのだ
廃棄ばかりではない。政府や電力業界の幹部たちが核燃料サイクル事業の今後について話し合った「五者協議会」にいたっては、議事録すら作っていなかったという。大切な会議の記録もなしに、後からどう検証をしようというのか
問われているのは、記録を作り、守ることへの覚悟と責任感だけではない。未来への覚悟と責任感だろう。
1/6
共謀罪提出へ 監視招く悪法は必要ない 1/6 琉球新報
罪名を言い換える印象操作をしても悪法は悪法だ。思想・信条の自由を侵す危うさは消えない。
安倍晋三首相はテロ対策強化を名目に「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を今月20日召集の通常国会に提出する方針を固めた。
2020年の東京五輪・パラリンピックを見据え、国際的なテロに備えるために法整備が必要だと説明する。しかし、現行刑法でも予備罪や陰謀罪など処罰する仕組みはあり「共謀罪」の新設は必要ない。
治安維持法の下で言論や思想が弾圧された戦前、戦中の反省を踏まえ、日本の刑法は犯罪が実行された「既遂」を罰する原則がある。しかし共謀罪とは、実行行為がなくても犯罪を行う合意が成立するだけで処罰する。日本の刑法体系に反するものである。
通常は共謀が密室で誰も知らないところで行われることを考えると、合意の成立を認定することは難しい。いかなる場合に合意が成立したのかが曖昧になり、捜査機関の恣意(しい)的な運用を招く恐れがある。捜査機関の拡大解釈で市民運動や労働組合が摘発対象になる可能性もある。
共謀罪を摘発するための捜査手法として尾行のほか、おとり捜査や潜入捜査が考えられる。それだけでなく2016年5月に通信傍受法を改正して、組織犯罪だけでなく一般犯罪まで傍受対象範囲を広げている。15年6月には裁判官の令状があれば、捜査機関が本人が知らないうちにGPS機能を利用した位置情報を取得できるようになった。法制審議会では室内に盗聴器を仕掛ける室内盗聴の導入についても議論している。
法務省は「共謀段階での摘発が可能となり、重大犯罪から国民を守ることができる」と必要性を訴えるが、むしろ国民のプライバシーが根こそぎ政府に把握される恐れがある。
政府は今回、罪名を「共謀罪」から「テロ等組織犯罪準備罪」に言い換え、対象を「組織的犯罪集団」に限定したと説明する。しかし、合意の成立だけで犯罪が成立するという点は変わらない。
組織犯罪処罰法案が成立すれば、既に成立している特定秘密保護法などと組み合わせて、戦前の治安維持法のように運用される恐れがある。戦前のような監視社会に逆戻りさせてはならない。  
安倍政権「共謀罪」大義に東京五輪を“政治利用”の姑息 1/6 日刊ゲンダイ
何でもかんでも「五輪成功のため」は通らない。安倍政権は今月20日召集の通常国会で、「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を提出する方針だ。3年後の東京五輪開催に合わせ、「テロ対策」の性格を前面に打ち出そうと必死で、悪名高い名称を「テロ等準備罪」に変えたが、しょせんは姑息な手段だ。悪評ふんぷんの共謀罪の成立にまで、五輪の政治利用は絶対に許されない。
共謀罪は、実際に犯罪を犯していなくても相談しただけで罰せられてしまう。極論すれば、サラリーマンが居酒屋談議で「うるさい上司を殺してやろう」と話しただけで、しょっぴかれる可能性がある。権力側が市民の監視や思想の取り締まりに都合よく運用する恐れもあり、03、04、05年に関連法案が国会に提出されたものの、3度とも廃案に追い込まれた。
五輪の成功を名目に、こんなウルトラ危険な法案を懲りずに通そうというのだから、安倍政権はイカれている。
東京五輪は確かに重要なイベントです。とはいえ、開催期間は1カ月にも満たない。その短期間のテロ対策という理由だけで法案を成立させては、将来に大きな禍根を残すことになるでしょう。権力による過度な監視が許されれば、プライバシー権や表現の自由、報道の自由を不当に侵害することになる。安倍政権は、『五輪成功のため』という理由をつけて、国民が反対しづらい空気をつくっているようにも見える。結果、メディアの感覚までも鈍ってしまっています」(聖学院大の石川裕一郎教授=憲法・フランス法)
「五輪成功」にかこつけて、希代の悪法成立を許してしまうのか。メディアの真価が今こそ問われている。
1/7
「共謀罪」法案 危うさは変わっていない 1/7 信濃毎日新聞
うわべを取りつくろっても、危うい本質は変わっていない。
「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案である。政府が、20日召集の通常国会に提出する方針を固めた。
犯罪を実行しなくても、話し合い(謀議)をしただけで処罰の対象にする。それが共謀罪だ。捜査に不可欠な盗聴や監視によってプライバシーや内心の自由が侵され、市民運動の抑圧につながる危険性をはらんでいる。
法案は2000年代に3度、国会に提出され、いずれも廃案になっている。20年の東京五輪が近づき、テロ対策を前面に出して再び立法化の動きが強まった。
今回の改正案は、罪名を共謀罪ではなく「テロ等組織犯罪準備罪」に変え、適用対象を「組織的犯罪集団」に絞った。謀議だけでなく一定の「準備行為」があることも構成要件に加える。
とはいえ、共謀を処罰することに変わりはない。法務省は、適用対象は極めて限定されると説明するが、組織的犯罪集団かどうかの認定は捜査機関に委ねられる。
何が準備行為にあたるかも明確でない。改正案は、資金や物品の取得を挙げた。拡大解釈、恣意的な判断の余地は依然大きい。
米軍基地や原発に反対する運動をはじめ、政府の方針に異を唱える市民の活動が標的にされないか。乱用の懸念は消えない。
国連は2000年、「国際組織犯罪防止条約」を採択した。政府は、この条約を締結するには共謀罪の新設が不可欠としてきた。
日弁連は共謀罪に反対する意見書を出している。条約の締結に新たな立法の必要はないと指摘。現行法でも重大犯罪には予備罪や準備罪が定められ、組織犯罪を未然に防ぐ措置がとられていることを理由に挙げた。
条約は本来、マフィアや暴力団による経済犯罪への対処を目的にしたものだ。テロ対策は、後付けで持ち出されたにすぎない。
日本はテロ防止に関わる国連の条約をすべて締結している。国際的な要請として、さらに共謀罪を導入しなければならない理由は見いだしにくい。
共謀罪の対象になる犯罪は600を超す。実行行為を罰する刑事法の基本原則が崩れ、プライバシーや内心の自由を守る盾としての役割が損なわれかねない。
五輪やテロ対策という大義名分に共謀罪の危うさが覆い隠され、市民への監視強化が進められようとしていないか。裏側にあるものを見据える必要がある。
まず公務員不作為的謀議ただせ 1/7 日刊スポーツ
5日の自民党役員会で首相・安倍晋三は「共謀罪」の成立要件を絞り込んだ「テロ等組織犯罪準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を通常国会で提出・成立を目指す考えを示した。突如この法案が出てきた背景には20年の東京五輪・パラリンピック開催がある。しかし同法案は「国民の思想や内心の自由を侵し、監視社会を招く恐れがある」と過去、小泉政権時に3回も廃案に追い込まれている。国民に反対の声が多いカジノ法案も強引に通した政権だけに、慎重論がある公明党や野党が態度を硬化させることは必至だ。
なぜかと言えば犯罪の準備段階でも罪に問えるため、政府に批判的な会合や会議すら処罰の対象になり、監視社会と同時に恐怖社会や密告社会を生みかねないとの懸念が強い。また警察や司法当局など取り締まる側が「謀議をしていた」と認定するだけで犯罪になるため、反対勢力が弾圧を受ける可能性が高い。
この法案議論の際に念頭に置いていただきたいのは、5日付東京新聞の筆洗が指摘する記録の大切さだ。環境省が「汚染土議事録」を削除しただの、防衛省が陸上自衛隊の部隊が南スーダンで国連平和維持活動に参加する日報を廃棄し、現地での大規模な武力衝突の記録を消してしまう、政府や電力業界幹部らの核燃料サイクル事業の今後について話し合った「五者協議会」は議事録すらないというが、いずれも関係者が謀議し削除や破棄を決めたり、議事録を取らないことに決めた謀議の犯罪性は問われないという現実も承知していただきたい。公務員の不作為的謀議をまずただすところから始めるべきではないのか。
共謀罪の審議優先 「成人18歳」の民法改正案は見送り 1/7 東京新聞
政府は、共謀罪の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案の審議を優先させようと、成人年齢を現行の20歳から18歳に引き下げる民法改正案の今の通常国会への提出を見送る方針を固めた。「大人」の定義を変更する民法の成人年齢引き下げは、国民生活への影響が大きい重要法案。法務省は今の国会への提出を予定していたが、政府・与党は共謀罪法案の今国会成立に意欲を示しており、同じ衆院法務委員会で審議される民法改正案は次の臨時国会への提出を目指す。
安倍晋三首相は組織犯罪処罰法の改正について、26日の衆院予算委員会で「新しい法律を整備しないと条約を締結できない」と述べ、国連の国際組織犯罪防止条約を締結するために必要だと強調した。
今国会の会期は6月18日まで。6月から7月にかけては東京都議選が予定されているため、大幅な会期延長は難しいとみられている。民法の成人年齢が引き下げられると、18歳、19歳でも親の同意なしで契約を結べるようになるため消費者被害の拡大が懸念される。さまざまな意見があることなどから、政府は相当の審議時間が必要だと考えており、組織犯罪処罰法改正案の後に審議する時間はないとみている。
民法の成人年齢を巡っては、法制審議会(法相の諮問機関)が2009年10月に「18歳に引き下げるのが適当」と答申。自民党の特命委員会も15年9月、できる限り速やかに引き下げるべきだと提言した。
1人の行為で全員検挙 民進「共謀罪のまま」
政府が「共謀罪」と同じ趣旨で創設を目指す「テロ等準備罪」を巡り、26日の衆院予算委員会では、ハイジャックテロを具体例に共謀罪の本質を問う議論が交わされた。安倍晋三首相は、テロを計画した10人のうち1人が航空券を予約すれば、残り9人もテロ等準備罪で「一網打尽にできる」と強調。民進党の山尾志桜里氏は、1人の行為で計画のみにかかわった残り9人全員が適用対象になり「本質は変わらず、共謀罪のままだ」と指摘した。
テロ等準備罪は、航空券を予約するという「準備行為」が処罰の条件に追加されている。首相は「テロ組織にはそれぞれ役割がある。予約する人もいれば、資金を調達する人もいる。予約したら『準備』とみなし、ほかの人を含め、一網打尽にできる。テロを未然に防げる」と力説した。
現行の法律でも武器の調達などの準備行為があれば予備罪として処罰できるが、首相は「実際に武器を持って現場に行こうとする段階でなければ捕まえられない場合がある。そこにちゃんとふたを閉めるのが、今回のテロ等準備罪だ」と必要性を説いた。
山尾氏は「ほかの9人は準備行為をしなくても検挙の対象になる。検挙されるのはテロを共謀したから。『準備罪』という新しい衣装を着け、『テロ等』という新しい帽子をかぶせても、生身の体は共謀罪のままだ」と批判した。
テロ等準備罪では犯罪の主体をテロなどを計画する「組織的犯罪集団」に限定したことを理由に、首相は「(共謀罪と)全く違う」と強調するのに対し、山尾氏は「過去の共謀罪でも、組織的犯罪集団だけが対象で、一般の方々は対象になることはあり得ないと、法務省も閣僚も繰り返し言っている」と反論した。 
 1月11日〜

 

共謀罪 人権脅かす懸念拭えぬ 1/11 京都朝日新聞
強権と乱用の懸念が拭えない。
政府は、「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出する方針を明らかにした。
共謀罪は、犯罪を実行に移す前に計画に加わっただけで処罰する。捜査機関の拡大解釈による人権侵害の恐れが問題となり、国会で3回廃案になった経緯がある。
政府は2020年の東京五輪・パラリンピックに備えたテロ対策のためと強調するが、聞こえてくる中身は従来の危うさが消えないままだ。またぞろ土壇場になって与党の「数の力」で押し通すのでなく、速やかに全容を国民に説明すべきであり、国会で徹底的に問題点を洗い出す必要がある。
共謀罪が特異なのは、対象となる犯罪が広いことだ。政府が法案の下敷きとする国連の国際組織犯罪防止条約は、懲役・禁錮4年以上の犯罪としており、国内では計676に及ぶ。殺人や窃盗、詐欺のほか業務上過失致死など組織犯罪と関連が薄いものも含まれる。懸案の絞り込みは与党内でも議論できておらず、とりあえず網をかぶせるというのでは乱暴すぎる。
適用対象は、以前の「団体」から「組織的犯罪集団」とし、計画だけでなく資金集めなど具体的な「準備行為」を要件に加える方向のようだ。だが何が該当するのか曖昧で線引きも難しく、捜査機関の恣意(しい)的な解釈を排除しがたい。市民団体などが自らも対象になり得ると警戒するのは無理もない。
反対する日弁連は、従来政権で検討されていた、国境をまたぐ犯罪に要件を限る議論が立ち消えになっていることも批判している。政府は条約締結のため法整備が不可欠とするが、条約が掲げるのは越境的な組織犯罪の封じ込めであり、政府のより大きな狙いは国内にあるのではという疑念だ。
安倍政権は、特定秘密保護法をはじめ政府の裁量や捜査機関の権限を広げる法整備を相次ぎ進めてきた。電話やメールの傍受も法改正で比較的軽微な犯罪にまで拡大している。今回も五輪開催やテロ対策を前面に掲げれば、国民の批判が高まりにくいという計算を感じざるを得ない。
現在でも殺人など一部犯罪を準備段階で処罰する規定があり、既存法を駆使すれば条約に対応でき、他国の例をみても締結は可能という指摘もある。
多様化するテロは法整備だけで防げるものでない。情報収集や捜査手法面の連携や力量の向上こそ急ぐべきだろう。
共謀罪 危うさは解消していない 1/11 高知新聞
名称を変え、適用対象などを絞っても、捜査当局による乱用の恐れは拭えず、市民活動や思想・信条の自由を脅かしかねない。
政府が、そんな危うさのある「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出する方針を固めた。
共謀罪は重大犯罪の実行行為がなくても、謀議に加わるだけで処罰できるようにするものだ。日本の刑事法制はごく一部の例外を除いて、実行された犯罪を裁くのが原則で、共謀罪の幅広い適用は大きな転換につながる。
政府は2003年から05年にかけて、国会に新設のための法案を3度提出した。だが、国民の強い反発によって、いずれも廃案となった経緯がある。
今回は、20年の東京五輪・パラリンピックに向けたテロ対策の強化を前面に押し出し、罪名を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更する。過去の法案では単に「団体」としていた適用対象も「組織的犯罪集団」に限定する、としている。
さらに、単なる共謀だけでなく、資金の確保など犯罪を実行するための「準備行為」も構成要件に加える方向だ。どれもが厳しい批判を踏まえた見直しだろう。
だが、組織的犯罪集団に当たるかどうかを判断するのは、あくまで捜査当局だ。準備行為の具体的な内容も明確とはいえない。しかも、対象となる犯罪は法定刑が懲役・禁錮4年以上の676に上るという。
見直しによって装いを変えても、捜査当局が恣意(しい)的に判断する余地は大きく残っているといわざるを得ない。職権乱用による人権侵害の危険性は解消されないままだ。
共謀罪の新設へと動くきっかけになったのは、2000年の国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」だ。政府は批准するためには、共謀罪を含む国内法の整備が必要だと繰り返し説明している。
これに対し、日本弁護士連合会は条約の批准に「新たな立法は必要ない」との立場だ。これまでに180カ国以上が批准しているが、多くの国は国内法を整備しなかったり、多少の法整備で済ませたりしたとも指摘している。
欧米をはじめ世界各地でテロが頻発し、一般市民が集まる場所を標的にするケースも増えている。日本人が巻き込まれる事件も起きた。テロを未然に防ぐための取り組みを強化する必要があるのは確かだろう。
ただし、共謀罪の新設が果たして必要なのか。捜査当局が犯罪の謀議を把握するためとして、市民の日常会話や電話、メールの傍受などを強めていくことは容易に想像できる。国による監視が一段と強化される社会につながる恐れは大きい。
私たちの自由や権利に深く関わる問題だ。国会の審議では必要性の有無や問題点について徹底的に議論しなければならない。政府、与党の採決強行などを容認できないことはいうまでもない。
テロ準備罪 国際連携に成立欠かせぬ 1/11 産経新聞
政府は、今月召集される通常国会に、テロ対策として「共謀罪」の名称を「テロ等組織犯罪準備罪」とし、構成要件も変えた組織犯罪防止法の改正案を提出する。
共謀罪を盛り込んだ法案は野党などの反対で、これまでに3回廃案となっている。昨年9月の臨時国会でも、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の関連審議を優先させるなどとして、法案提出が見送られた。
同様の及び腰は、もう許されない。3年後には東京五輪・パラリンピックの開催も控えている。今国会での成立に向け、政府与党は覚悟をもって臨んでほしい。
中東や欧米、南アジアなどで、テロの脅威は増している。日本人の犠牲者も出ている。国内の施設が標的となることも可能性として想定すべきである。
国連は2000年、国際社会でテロと対峙(たいじ)するため「国際組織犯罪防止条約」を採択した。各国に共謀罪を設けることを求めて批准の条件とし、すでに180カ国以上が締結しているが、共謀罪を持たない日本は先進7カ国(G7)で唯一、締結に至っていない。
国際社会がテロの事前情報を得ても受け取ることができない。受け取ってもこれに対処すべき法令がない。情報収集に寄与するための根拠法もない。テロと戦う国際連携の「弱い環(わ)」となっている。それが日本の現状である。
過去の反対意見には「居酒屋で上司を殴ると相談しただけで処罰されるのか」といった声や、市民運動の弾圧に適用されないかなどの懸念があった。このため改正案の適用対象は従来の「団体」から「組織的犯罪集団」と限定し、構成要件には犯罪の合意に加えて具体的な準備行為を加えている。
民進党の蓮舫代表は「3回廃案になった法案がほとんど中身を変えずに出てくるのは立法府の軽視だ」と早くも反発しているが、中身は大きく変わっている。その是非を吟味することが、立法府の仕事であろう。
過去の反対論には、既遂の犯罪を処罰の対象とする日本の刑法の原則に反するとの意見もあった。では、テロが起きるのを待てというのか。無差別に無辜(むこ)の人々を対象とするテロは、未然に防がなくては意味がない。
テロリストは、法の成立も施行も待ってくれない。だからこそ、急がなくてはならない。
1/13
共謀罪新設法案 1/13 しんぶん赤旗
名前を変えても本質変わらぬ
安倍晋三政権が、国民の強い批判で3度も廃案となった共謀罪を導入する組織犯罪処罰法改定案を、今度は「テロ等準備罪」と名前を変え、20日召集の国会に提出することを表明しています。昨年の臨時国会でTPP協定、年金カット法、カジノ法などを次々強行したことに続き、人権を侵す危険な共謀罪法案の4度目となる国会提出を行い、なんとしても成立させようとする―。安倍政権の強権・暴走姿勢はあまりに異常です。
「テロ対策」理由にならず
政府は、共謀罪導入の理由に▽国際的なテロ犯罪の取り締まりの緊急性▽国際機関から法整備を求められている―ことを挙げます。
しかし、もともと“国際的な取り締まり”というのは、麻薬取引など国境を越えた犯罪の取り締まりを目指したもので、テロを直接の対象にしていません。テロの取り締まりについても、日本にはテロ資金提供処罰法など対応できる法律はすでに複数あります。テロには、殺人罪など刑法規定も適用されます。それらの法律の多くには、計画・準備段階でも処罰対象にする規定もあり、共謀罪がないと対応できないことはありません。
国際機関からの法整備の要請も、「共謀罪」にあたる規定を一律に設けよというのではなく、国際的組織犯罪防止条約に適合した法的対応を求められているもので、各国の実情に応じた立法をすればいいわけです。なにがなんでも共謀罪規定を設けるため「国際的要請」を持ち出すやり方は、ご都合主義以外の何物でもありません。
共謀罪の本質は、「犯罪を行うことを相談、計画した」というだけで処罰をするところにあります。政府は、資金準備など「準備行為」をしたという要件を新たに付け加えるから「相談、計画」だけで処罰をされることはないと説明します。しかし準備行為は極めてあいまいで、相談参加者の1人が「準備」をすれば適用されるとしています。これでは、他の「参加者」にとっては「準備行為をしなくても犯罪とされる」ことには変わりありません。「組織的犯罪に限定されている」といいますが、その組織も既成の組織だけでなく、その犯罪のためにつくられた集団(2人以上)も該当するとされています。どうにでも拡大解釈することは可能で、なんの限定にもならないのは明白です。
政府は、一定の範囲の重い犯罪(4年以上の懲役または禁錮に該当する場合)の全てに「共謀を罰する」規定を入れることを検討しています。そうなれば676に及ぶ犯罪に適用され、不当な取り締まりや冤罪が引き起こされる危険が、いっそう大きくなります。
歴史の逆行を許さない
近代の刑罰法は、単なる発言だけでは、犯罪を実行するかどうかは不明のまま思想・信条を処罰する危険があるので、刑罰は犯罪行為が実行された場合のみを対象とする原則を確立してきました。共謀罪はこの流れに逆行します。
また、「共謀」を犯罪行為とし、実行行為でなく相談・準備を取り締まることは、捜査方法としても盗聴やGPS利用など事件に関係ない人の人権までも侵害されかねません。密告が奨励され、冤罪を多発させる恐れも増大します。
「戦争する国」づくりと一体で共謀罪導入を狙う安倍政権の暴走を許さないたたかいが、急務です。
「潮流」 1/13 しんぶん赤旗
いよいよというときに使う、とっておきの手段は「天下の宝刀」。そう答えた人が3割超も―。数年前の国語に関する世論調査でこんな結果が表れました
正解の「伝家の宝刀」は家に代々伝わる大切な刀が転じ、ここぞというときの“切り札”を意味します。何度も抜くようでは、使い方がまちがっています。しかし意図的に誤用する人が昔からいました
「治安維持法は伝家の宝刀に過ぎぬ」。あの悪名高き戦前の弾圧法が施行される直前、当時の東京朝日新聞は警視庁当局の見解を伝え、そんな大見出しをつけました。さらに「社会運動が同法案のため抑圧せられる事はない」と
世間の人が心配するほどのものではないと安心させ、警保局長は「純真な運動を傷つけはせぬ」と断言。しかしそれが国民を欺くものであったことは、主権在民や反戦の考えをもっただけで逮捕され、拷問され、殺された数々の犠牲者が証明しています
いままた安倍首相は治安維持法の現代版といわれる共謀罪を国会に出そうとたくらんでいます。姑息(こそく)にも名前を変え、成立なしに東京五輪は開けないと脅しながら。「犯行」を話し合っただけで罰せられる中身は変わらず、矛先は生活や平和を守る市民の運動まで
「一般の方々は対象外」という菅官房長官。では、彼らが取り締まる対象とは。それは歴史が雄弁に物語っています。秘密法や戦争法、盗聴法につづく共謀罪。誤った「国家=天下の宝刀」を次々に抜く政権。行き着く先はふたたび破滅の道です。
1/14
テロ等準備罪 犯罪の対象が広すぎる 1/14 毎日新聞
過去に3度廃案になった「共謀罪」を盛り込んだ法案が、成立要件を絞り込み、罪名を言い換えて国会に出されようとしている。
組織的な重大犯罪を計画、準備した段階で処罰の対象とする「テロ等準備罪」だ。政府は、同罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法の改正案を20日召集の通常国会に提出する。
実際に犯罪が行われ、結果が生じなければ罪には問わないというのが刑法の基本的な原則だ。法案が成立すれば、その体系は大きく変わる。
懸念されるのは、対象犯罪が676にも及ぶことだ。罪名にある「テロ行為」に関わる罪は、殺人や航空の危険を生じさせる行為、毒性物質の発散など167に限られる。
覚醒剤の輸出入や強盗、詐欺など幅広い罪が対象となっている。現行刑法にも、準備段階の犯罪を罰する規定はあるが、あくまで例外だ。
国会提出前に、与党内で法案審査が行われる。まずそこで、徹底的に問題点を洗い出すべきだ。
国連総会で2000年、国境を越える組織犯罪へ対処するため、国際組織犯罪防止条約が採択され、03年に発効した。政府は条約に署名し、国会も承認した。テロなど組織犯罪を国際的な連携で阻止するのは当然で、日本もその輪に加わるべきだ。
日本が今に至るまで条約を批准していないのは、国内法が未整備のためだ。条約は、「4年以上の懲役」が科せられる刑など重大な犯罪について共謀罪を設けることを各国に求めている。政府はこれに対応するため、03年以後、「共謀罪」法案を繰り返し、国会に提出してきた。
過去の法案は、適用対象を単に「団体」としていたため、市民団体や労働組合などが捜査の対象になり得るとして、反発を招いた。
今回、政府は適用対象を暴力団など「組織的犯罪集団」に限定した。犯罪を行おうとする合意(計画)だけでなく、凶器の購入資金の調達など準備行為が行われることも犯罪成立の要件に加えた。だが、要件の詳細な定義は明らかになっていない。捜査当局による一方的な事実認定によって市民の人権が侵害される可能性はいまだ払拭(ふっしょく)されたとはいえない。
罪名に「テロ」を盛り込みながら、「等」を入れたところが法案のポイントだ。テロ以外の犯罪にも広範に網がかけられている点がやはり最大の論点になる。
自民、公明両党には、対象犯罪の絞り込みを模索する動きがある。だが、対象犯罪を限定すれば条約の要請を満たせない、というのが政府の立場だ。一方、日本弁護士連合会は、日本の刑事制度下で条約の批准は可能だと主張する。対立点がある以上、拙速な議論は許されない。
共謀罪 内心の自由を脅かす 1/14 東京新聞
話し合っただけで罪に問われる−。それが共謀罪の本質だ。準備行為で取り締まりができるテロ等組織犯罪準備罪の法案が通常国会に提出される予定だ。内心の自由を脅かさないか心配になる。
「行為を取り締まるのではなく、思想を取り締まるものだ」−。戦前の帝国議会である議員が治安維持法についてこんな追及をしたことがある。明治時代に刑法ができたときから、行為を取り締まるのが原則で、例外的に共謀や教唆、未遂なども取り締まることができた。
治安維持法はこの原則と例外を逆転させて、もっぱら思想を取り締まった。共謀罪も原則と例外の逆転の点では似ている。
犯罪の準備段階で取り締まる罪は実に676にものぼる。詐欺や窃盗でも対象になる。道交法違反なども含まれる。では、それらの犯罪の「準備」とは具体的にどういう行為なのだろうか。676の罪でその定義をするのは、ほとんど困難であろう。
むしろ、共謀罪を使って、捜査機関が無謀な捜査をし始めることはないのか。そもそも共謀罪は国際的なマフィアの人身売買や麻薬犯罪、マネーロンダリング(資金洗浄)などをターゲットに国連が採択した。
それら重大犯罪には既に日本の法律でも対処することができる。政府は新設を求めるが、もう国内法は整っているのだ。日弁連によれば、国連はいちいちそれらをチェックすることはないという。つまり共謀罪を新設しなくても条約締結は可能なのだ。
政府はむしろ2020年の東京五輪を念頭にテロ対策強化の看板を掲げている。だが、この論法もおかしい。例えばテロリストが爆弾を用いる場合は、企(たくら)んだ段階で処罰できる爆発物使用共謀罪が既に存在する。テロは重大犯罪なので、法整備も整っているわけだ。政府は「テロ」と名前を付ければ、理解が得やすいと安易に考えているのではなかろうか。
合意という「心の中」を処罰する共謀罪の本質は極めて危険だ。600以上もの犯罪の「準備」という容疑をかけるだけで、捜査機関は動きだせる。「デモはテロ」と発言した大物議員がいたが、その発想ならば、容疑をかければ、反政府活動や反原発活動のメンバーのパソコンなどを押収することもありえよう。
共謀罪は人権侵害や市民監視を強めるし、思想を抑圧しかねない性質を秘めているのだ。
「個人の尊厳」に重大な脅威 1/14 しんぶん赤旗
「内心処罰」変わらず
安倍政権が、20日から始まる通常国会に提出を狙う「共謀罪」法案に、法律家や市民、メディアから批判が強まっています。
安倍晋三首相や菅義偉官房長官は、「一般人は対象にならない」などとして批判をかわそうとしています。しかし、「一般人は対象にならない」という法的な保障が示されたわけではありません。「運用」上のことなら、結局、政府や警察の恣意(しい)的権力行使の歯止めにはなりません。
何より、共謀罪の最も危険な本質は、犯罪は行為であり、思想や言論は処罰しないという近代刑法の根本原則を覆すことです。共謀罪という特別な犯罪類型を新たに創出するものではなく、幅広く一般犯罪について「共謀」段階から処罰の対象にするものです。そのため700近い犯罪について共謀罪が成立すると指摘されているのです。
国民を監視
犯罪の計画や相談、合意をしただけで処罰することは、警察をはじめ国家権力が日常的に国民を広く監視することになります。
「個人の尊厳」と基本的人権が国家権力によって不断に脅かされる状況となります。共謀罪は、憲法の基本的人権の尊重との関係で、重大な問題をはらみます。とりわけ、市民運動団体や政党の活動に重大な侵害、萎縮的影響をもたらす恐れがあります。
処罰の対象
突発的に犯罪が発生することもありますが、犯罪は通常、何らかの原因で動機がつくられ、決意をもたらし、相談と犯罪の合意(共謀)、計画、準備を経て、実行され、結果が発生します。刑法は、そのすべてを処罰の対象とはせず、殺人罪であれば生命という法益の侵害結果の発生(既遂)を処罰し、現実的危険の発生(未遂)について個別に処罰します。
準備や相談では、実際に実行に移されるかもわからず、危険があるといっても抽象的で、重大犯罪(殺人など)について例外的に予備罪が処罰される体系になっています。そこにいきなり大規模に「共謀罪」処罰を持ち込もうというのですから、まさに大転換です。未遂罪や予備罪が処罰されない罪について、共謀罪を処罰する理由を説明できるのでしょうか。
資金だけで
政府は、相談=共謀のほかに「準備行為」を必要とすれば限定になるとしています。しかし、「準備行為」とは非常に漠然と幅広いものです。
「予備罪」ならば、犯罪の実行にふさわしい危険を備えたものであることが必要とされます。例えば、殺人罪なら、包丁や拳銃を調達するなどです。
しかし「準備行為」は、昨年9月の共謀罪法案の政府資料で「予備罪の予備のように一定の危険性を備えている必要性はなく」とされ、「資金又は物品の取得」で足りるとされています。
これでは共謀に加え「ATMでお金をおろす行為」があれば処罰されます。お金をおろすこと自体は犯罪ではありえず、客観的危険性もないので、結局は、共謀に基づき犯罪をする意思を持っていることで処罰することになるのです。
 1月16日〜

 

「共謀罪」提出へ 危険な本質は変わらぬ 1/16 北海道新聞
政府は犯罪行為を計画段階で摘発できる「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を通常国会に提出する方向だ。
罪名を「テロ等組織犯罪準備罪」に変更し、成立要件として実行に向けた謀議のほか現場の下見などの「準備行為」を加えた。対象は「組織的犯罪集団」とする。
共謀罪関連法案は過去3度提出され、いずれも廃案になった。今回は2020年の東京五輪・パラリンピックに向けたテロ対策を掲げ、政府・自民党から成立への強い意志を示す発言が出ている。
しかし捜査機関の恣意(しい)的な解釈を許し、個人の内心や思想が処罰対象となりかねない危険性は変わらない。法案提出に反対する。
法案の危うさの1例として専門家は、銀行でお金を引き出しただけで逮捕される恐れを挙げる。
「お金を引き出す目的」という内心を、捜査機関が「テロの資金調達のため」とみなせば、準備行為の容疑として成立してしまう可能性がある。本当の目的は生活費だったとしてもである。
しかも適用対象となる懲役・禁錮4年以上の犯罪は詐欺や恐喝なども含めて676に上るという。
罪名にある「等」は準備の目的はテロに限らないという意味だ。
「組織的犯罪集団」も拡大解釈が可能だろう。
さまざまな組織、犯罪を対象に大きな網を広げ、狙いをつけて一網打尽にできる内容ではないか。
沖縄では米軍基地反対運動リーダーの山城博治沖縄平和運動センター議長が昨年10月以来、反対運動に絡み器物損壊などの容疑で3度逮捕され勾留が続く。支援者から「弾圧」との批判も出ている。
共謀罪が、国の政策に反対する運動を展開する労組や市民団体に適用されないと言い切れようか。
そもそも、共謀罪は国連で00年に採択された国際組織犯罪防止条約締結に必要な国内法整備というのが政府の主張だ。
だが、現行法でも殺人予備罪や凶器準備集合罪など重大犯罪を事前に摘発できる規定があり、テロ対策や条約締結のための共謀罪は必要ないと日弁連は指摘する。
それを安倍晋三首相は共同通信のインタビューに「成立させないと東京五輪を開催できない」と断言した。論理の飛躍も甚だしい。
特定秘密保護法、安全保障関連法に続き、憲法の基本的人権や平和主義の原則をゆがめる重大な法案を国民の審判も経ずに強引に成立させる―。こんな手法がみたび繰り返されてはならない。
「共謀罪」 監視社会への懸念が募る 1/16 朝日新聞
「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案が20日召集の通常国会に提出される見通しとなった。
テロが世界各地で頻発する中、2020年の東京五輪・パラリンピックを見据えて対策を強化するのが狙いだ。
テロを未然に防ぐ対策を政府が講じることは必要だろう。問題は、「監視社会」になる懸念が拭えないことだ。
共謀罪は過去に3度、廃案になった経緯がある。
当初提出していた政府案は、重大犯罪の謀議に加わっただけで罪に問われる内容だった。
犯罪の実行を罰するのが原則の日本の刑法体系を覆すだけではない。拡大解釈で、市民団体などが摘発の対象になりかねないとの批判が高まり、廃案に追い込まれたのである。
こうした経緯を踏まえて共謀罪の構成要件を改め、罪名を「テロ等準備罪」に変更し、対象を「組織的犯罪集団」に限定して改正案を提出する予定だ。
単なる共謀だけでなく「準備行為」も要件に加えるという。
政府は、180カ国以上が締結する国際組織犯罪防止条約に基づいて各国と連携するには、法整備が不可欠と強調する。
安倍晋三首相も「一般の方々が対象となることはない」と理解を求めている。
新たな罪名や適用対象を見れば、当初案とは懸け離れ、限定的なようにも見える。
一方でテロ等という表記や、組織的犯罪集団、準備行為の定義は極めて曖昧と言わざるを得ない。
国際テロ組織や暴力団などを、そうした組織に想定しているのは確かだろう。
だが、犯罪集団や準備行為を認定するのは捜査機関だ。加えて、組織犯罪処罰法改正案が対象とする犯罪はあまりにも多い。
対象は懲役・禁錮4年以上の刑を科すことができる重大犯罪としているものの、その数は600を超える。中には、業務上過失致死傷罪といった組織犯罪と関連が薄いものも含まれる。
恣意(しい)的に解釈すれば、適用対象が限定されるどころか拡大解釈され、権力の乱用につながる恐れは十分にある。
共謀罪に反対する日弁連などは、米軍基地や原発への反対運動が対象になる可能性があるとしているが、決して的外れとは言えないだろう。
昨年12月には、捜査で電話やメールを傍受できる通信傍受の対象犯罪を大幅に拡大する改正通信傍受法が施行された。
共謀罪を新設する改正法が成立すれば、通信傍受の活用が一層進み、組織にとどまらず、個人の人権が侵害される恐れが強まるのは想像に難くない。
共謀罪については、与党の公明党内部からも慎重論が出ている。
当初案から変更点があったとはいえ、問題点は実質的に解消されていない。
政府は3度廃案になった事実を重く受け止める必要がある。数の力を背景にした強引な国会運営は許されない。
「共謀罪」提出へ 危うい本質は変わらず 1/16 沖縄タイムス
罪名を変えても本質は変わらない。
政府は、過去3度廃案となった「共謀罪」を「テロ等準備罪」に言い換えた組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出する方針だ。
2人以上で犯罪を計画、準備した段階で処罰できる危うい法案である。
日本の刑事法体系は「既遂」を原則とする。法案はこれに矛盾するもので、思想信条や表現の自由といった憲法で保障された基本的人権を侵害することにつながりかねない。戦前、戦中に思想弾圧し、多くの逮捕者や死者も出した治安維持法を思い起こさせる。
法案は対象犯罪を「懲役・禁錮4年以上の刑が定められた重大な犯罪」としているが、万引や釣り銭詐欺など必ずしも重大と言えない窃盗罪や詐欺罪を含めると、676にも上る。
「テロ等準備罪」としているにもかかわらず、テロに関する罪は全体の4分の1にしかすぎない。
法案の必要性を政府は2020年の東京五輪・パラリンピックを口実にしている。世論の批判をかわしたい狙いがあるのだろう。
政府は過去の法案で適用対象とした「団体」を「組織的犯罪集団」に変え、資金の調達や犯行現場の下見など犯罪を実行するための「準備行為」など成立要件をより限定したと言っている。
だが、それらを判断するのは捜査当局だ。
共謀について過去の国会審議で法務省が「目くばせでも相手に意思が伝えられるかなと思います」と答弁したことからも明らかなように、捜査当局の拡大解釈や恣意(しい)的運用の危険性が高まる。

政府が「共謀罪」創設の理由としてきたのは、国連総会で2000年に採択された「国際組織犯罪防止条約」である。もともと複数の国にまたがるマフィアなどによる経済犯罪を防ぐために各国が捜査協力するための条約だ。
180カ国以上が締結しており、日本も署名はしているが、政府は「共謀罪」を盛り込んだ法整備ができていないため条約締結に至っていないと説明する。
これに対し、日本弁護士連合会は06年と12年の2度にわたって立法に反対する意見書を発表。16年には法案を国会に提出することに反対する会長声明を出して批判する。
日弁連の調査によると、批准国は、その国の法制度で条約の要件を満たしているとするか、多少の法整備をする国がほとんどで、「共謀罪」の導入は不可欠とはいえないと指摘している。

日本の刑法にはすでに一定の重大な犯罪には、陰謀罪、共謀罪、予備罪、準備罪などが整えられている。政府の説明に説得力はない。
仮に法が成立すれば、密告が奨励され、互いに監視し合う息苦しい社会になる恐れがある。法案は、特定秘密保護法などと抱き合わせれば、市民や労働組合の米軍基地に対する抗議活動を弾圧しかねない。個人の自由や人権を侵害する「平成の治安維持法」になる懸念が消えない。
1/17
共謀罪は世界の常識 1/17 産経新聞
いわゆる「ロス疑惑」の主人公、三浦和義氏は、妻一美さんの銃撃事件について、日本では無罪が確定している。ところが平成20年2月、米自治領サイパン島に滞在中、ロサンゼルス市警に逮捕された。容疑の一つは、日本の司法制度にはない共謀罪だった。
カリフォルニア州法によれば、2人以上による犯罪行為の共謀を立証すれば、実行犯を特定する必要はないという。三浦氏はロスに移送された直後に自殺した。裁判が行われていれば、共謀罪について日本でもう少し理解が深まったかもしれない。
もっとも、政府がこれまで創設をめざしてきた共謀罪は、米国の法律とはまったく違う。あくまでテロなど重大犯罪を謀議する団体が対象である。それでも、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法の改正案は、野党などの反対で3回も廃案になってきた。
「居酒屋で同僚に『上司を殴る』などと相談しただけで処罰される」。こんな誤ったたとえ話がまかり通ってもきた。そこで政府は、適用対象を暴力団など「組織的犯罪集団」に限定して明文化した。共謀罪の名称も「テロ等準備罪」に改めた。テロ対策は、3年後に開催を控えた東京五輪・パラリンピックの最大の課題となっている。少しの猶予も許されない。
テロ組織に対応する国際組織犯罪防止条約は、共謀罪を盛り込んだ国内法の整備を締結の条件としている。締結していないのは、先進7カ国では日本だけだ。それどころか、国連加盟国のなかでも11カ国にすぎない。
テロの事前情報がやりとりされるネットワークからはずれ、蚊帳の外に置かれたままでいいはずがない。共謀罪を敵視する政党やメディアは、日本が孤立を深めテロの標的となるのを座視せよ、とでもいうのか。
1/18
「共謀罪」法案 立法の必要性はあるか 1/18 秋田魁新報
2020年東京五輪・パラリンピックに向け、政府はテロ対策などを強化するため「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を、今月20日召集の通常国会に提出する方針だ。犯罪の謀議に加わっただけで処罰対象となる共謀罪を盛り込んだ改正案は過去3度にわたり国会で廃案となっているが、今回の改正案では罪名や構成要件などを見直して成立を図るという。
日本の刑法は着手された犯罪(未遂含む)を罰するのが原則である。しかし、今回の改正案では過去に審議された共謀罪と同様に犯罪の計画段階で摘発できる上、構成要件などの定義が曖昧なため人権侵害の恐れがあると日弁連などは指摘する。国会では問題点を洗い出し、立法の必要性について徹底的に審議する必要がある。
今回の改正案では、罪名を共謀罪ではなく「テロ等組織犯罪準備罪」に変更し、適用対象は「組織的犯罪集団」に限定。単なる謀議だけでなく、犯罪を実行するための資金や物品調達などの「準備行為」を構成要件に加えた。
しかし、組織的犯罪集団や準備行為の認定は捜査機関に委ねられることになり、恣意(しい)的な運用に対する懸念は依然払拭(ふっしょく)できない。例えば改正案では組織的犯罪集団について「目的が4年以上の懲役・禁錮の罪を実行することにある団体」と規定しているが、各弁護士会は「そのような団体を明確に定義することは困難であり、解釈によっては適用対象が拡大する危険性が高い」と指摘している。
民進党などの野党は、テロ等組織犯罪準備罪の対象となる犯罪の多さも問題視する。政府が当初適用を想定していたのは懲役・禁錮4年以上の犯罪全てで、その数は殺人や窃盗など676に上っていたからだ。
最近になって政府は、公明党への配慮からテロの手段となり得る犯罪を中心に200〜300程度まで絞る方向で検討を始めた。国会召集を目前にして対象犯罪の絞り込みもできていないのは、改正案が不完全なものであるという証しだろう。
罪名変更などからは、五輪やテロ対策を前面に掲げれば国民の批判をかわせるという政府の思惑も透けて見える。
政府は、テロ対策で各国と連携を強化するには国連が00年に採択した国際組織犯罪防止条約の締結が不可欠で、締結の要件として共謀罪などの法整備が必要と主張する。しかし日弁連は、組織犯罪については計画段階で取り締まることができる法律が既に整備されているとして「新たな立法をしなくても条約を締結することは可能」と指摘。現行法を駆使すればテロ対策にも対応できるとしている。
今回の改正案が成立すれば捜査機関の権限が一層拡大し、通信傍受の強化などによって監視社会につながるのではないかと危ぶむ声が根強い。国会では慎重な審議が強く求められる。
共謀罪 対象絞っても懸念拭えぬ 1/18 山陽新聞
20日召集される通常国会の大きな焦点の一つに、「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案が浮上している。テロ対策強化に向けて政府が提出する意向で、当初案より対象が絞られる見通しだが、人権侵害などにもつながりかねないとの指摘もあり、慎重な対応が必要だ。
共謀罪は重大犯罪を実行していなくても、謀議の段階で罪に問われるものである。2003〜05年に計3回、国会に提出された。だが、適用対象を単なる「団体」と規定していたため、「一般の市民団体や労働組合なども対象になる恐れがある」という批判が野党や国民から高まり、いずれも廃案となった。
こうした経緯を踏まえて打ち出す今回の改正案は、適用対象を「組織的犯罪集団」に限定し、罪名は「テロ等組織犯罪準備罪」に変えた。単なる共謀だけでなく、拳銃の購入資金を用意するといった「準備行為」も要件に加えた。適用のハードルを高くして、国民の抵抗感をやわらげたい思惑のようだ。
しかし、対象犯罪の範囲はあまりにも広い。政府の原案では「懲役・禁錮4年以上の犯罪」としていて、計676に上る。実行を計画しようのない犯罪も含まれており、与党の公明党が「対象が広すぎる」との懸念を示しているのも当然だ。政府はテロの手段となり得る167の犯罪を中心に200〜300程度まで絞る方向という。
共謀罪をめぐる論議は、00年に国連総会で採択された「国際組織犯罪防止条約」を受けて始まった。これまでに180カ国以上が条約を締結済みだが、日本は先進7カ国の中で唯一、未締結のままである。締結に向け、政府は「20年の東京五輪・パラリンピックを見据え、各国と連携して国際的なテロに備えるためにも国内法の整備が必要だ」と主張する。
世界各地でテロ事件が後を絶たず、被害は日本人にも及んでいる。人々の安全を守るための備えが重要なことは言うまでもない。
それでも不安視する声は少なくない。日本弁護士連合会は、組織的犯罪集団や準備行為の認定は捜査機関が個別に行うため、恣意(しい)的な解釈が行われかねないと懸念する。謀議を突き止めるため、盗聴や監視カメラなどによってわれわれの日常のプライバシーも侵害されるのではとの心配が拭えない。市民生活の安全を守るはずのものが、監視社会につながったのでは本末転倒だ。日弁連は現行法のままでも組織犯罪を計画段階で取り締まれるから、条約締結に共謀罪は必要ないとしている。
国会の審議では、共謀罪の必要性の有無も含めた徹底した議論が望まれる。現行法ではテロ対策にどのような不備があるのかを専門家の意見も交えながら、具体的な質疑を通して明らかにしてもらいたい。国民もしっかり議論の行方を注視したい。
1/19
共謀罪法案 人権脅かす危険除けぬ 1/19 茨城新聞
政府は「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出する。2000年に国連で採択された国際組織犯罪防止条約に加盟し、各国と連携してテロ対策を強化していくには共謀罪が不可欠と強調している。安倍晋三首相は「加盟できないままでは、20年東京五輪・パラリンピックが開催できない」と述べた。殺人や詐欺などの犯罪は実行して初めて処罰の対象になるが、共謀罪では、2人以上が犯罪を計画した段階をとらえ、たとえ実行しなくても処罰する。これによりテロなどの重大な犯罪を未然に防ぐことができると法務省などは説明する。しかし捜査機関による乱用に対する懸念は根強い。
過去に3度も廃案となった法案は共謀罪で摘発する対象を単に「団体」としたことで野党や日弁連から「市民団体や労働組合も対象になる」と批判を浴びた。そこで、提出予定の法案は対象を暴力団などの「組織的犯罪集団」に限定。資金調達や下見といった「準備行為」を処罰要件に加え、罪名も共謀罪から「テロ等準備罪」に変えた。政府は「従前の共謀罪とは別物。一般の人が対象になることはない」とする。本当にそうか。野党は対決姿勢を強めており、共謀罪が適用される676もの犯罪を絞り込む動きもある。だが、そのような修正をしても、表現の自由など基本的人権を脅かす危険を除くことはできないだろう。
罪名を変えても、共謀を罰するという本質は変わらない。また「共同の目的が重大な犯罪」とされる組織的犯罪集団に対象を絞るというが、会社や市民団体も含まれる余地がある。過去に会員制温泉リゾートクラブを運営する会社が経営難で返還の見込みがないのに預託金を集め、実質オーナーが組織的詐欺の罪に問われた事件があった。
社員の多くに詐欺の認識はなかったが、上層部が詐欺目的の組織に変えたと最高裁は認定、有罪が確定した。まともな会社が犯罪集団に変質したという例だ。犯罪集団か否か、あるいは変質したかを判断するのは捜査機関で、反原発や反基地の団体に網が掛けられる恐れも指摘されている。
準備行為という要件の追加にしても一見、運用を厳格にしたように見えるが、そうではない。共謀・計画の疑いがあれば、準備行為はあろうとなかろうと、捜査機関は家宅捜索など強制捜査に踏み切ることができる。あくまで起訴して処罰するための要件にすぎず、強制捜査の過程で捜してもいい。恣意(しい)的な運用の可能性を拭い切れない。
さらに共謀の疑いをつかもうとすれば、特定の団体やメンバーを常時監視下に置くことが必要になり、電話やメールの内容を傍受したり、街中の防犯カメラから映像を拾い行動確認を行ったりする。改正通信傍受法の施行により対象犯罪は大幅に拡大され、薬物、銃器犯罪など従来の4類型に組織的な詐欺や窃盗など9類型が追加された。
共謀罪が適用される犯罪の数は「懲役・禁錮4年以上」という国連の犯罪防止条約の規定に基づく。業務上過失致死や傷害致死といった事前に計画できない罪を削るなど絞り込みは可能とみられる。ただ、さらなる通信傍受の対象拡大や日常的な会話を拾う会話傍受導入検討など「監視社会」の強化につながるのは避けられそうにない。
「共謀罪」は必要か 人権を脅かす懸念拭えず 1/19 福井新聞
過去に3度も廃案となった「共謀罪」が形を変えて20日召集の通常国会に提出される。安倍晋三首相は国連の国際組織犯罪防止条約の加盟に不可欠とし「このままでは20年東京五輪・パラリンピックが開催できない」と強調する。捜査機関の職権乱用や拡大解釈の懸念が根強い中で、基本的人権を脅かす法整備は本当に喫緊の課題なのか。
政府が会期内成立を目指すのは組織犯罪処罰法改正案。中心は共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」の新設だ。罪名を変更し世論の批判をかわす狙いが透けて見える。首相が五輪を持ち出すのも通しやすい環境づくりであろう。
共謀罪が通常の犯罪要件と異なるのは、2人以上が犯罪を計画した段階で処罰対象となることだ。法務省が主張するように、テロなどの重大な犯罪を未然に防ぐ意味では不可欠なようにみえる。だが、捜査機関が乱用すれば監視社会を超え「警察国家」や「密告社会」になりかねない。
廃案を繰り返した法案は共謀罪で摘発する対象を単に「団体」としたことで野党や日弁連から「市民団体や労働組合も対象になる」と批判を浴びた。そのため政府は対象を暴力団など「組織的犯罪集団」に限定。資金調達や下見など「準備行為」を処罰要件に加え、罪名も共謀罪から「テロ等準備罪」に変えたのだ。
菅義偉官房長官は「従前の『共謀罪』とは別もの。一般の人が対象になることはあり得ない」とする。これも危うい論理だ。
共謀罪が適用される犯罪の数は「懲役・禁錮4年以上」という国連の犯罪防止条約の規定に基づく。適用対象は676に及ぶが、政府は公明党が慎重なことや野党の反発、世論の不安感をかわすため、テロの手段となり得る犯罪を中心に200〜300程度まで絞る方向で検討している。
しかし、修正をしても共謀を罰するという本質は変わらず、表現の自由などを脅かす危険性を拭えない。対象を「共同の目的が重大な犯罪」とされる組織的犯罪集団に絞るというが、会社や市民団体も含まれる余地、また反原発や反基地の団体がターゲットになる懸念も指摘される。
共謀・計画の疑いがあれば準備行為とは関係なく捜査機関が強制捜査に踏み切ることができ、恣意(しい)的運用の可能性が払拭(ふっしょく)できない。常時監視は電話やメールの内容傍受、街中の防犯カメラによる映像確認などにも及ぶ。昨年12月の改正通信傍受法施行で対象は大幅に拡大し、組織的詐欺や窃盗など9類型が追加された。
日弁連は、現行法にも共謀罪の規定や予備罪があるとして「条約批准は可能」と指摘する。法務省は「現行法は一部のみに過ぎず、条約の義務は満たしていない」との見解だが、国連要請という「外圧」を利用しているのは明らかだ。
20年には国連の犯罪防止・刑事司法会議も50年ぶりに日本で開かれる。批准を急ぐ政府の思惑で国民の人権を縛ってよいのか。傍観者であってはならない。
「政界地獄耳」 1/19 日刊スポーツ
年頭に発表された国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)の17年世界人権年鑑は90カ国以上における人権状況をまとめたものだが、米大統領にトランプが就任することや欧州での大衆迎合主義的な政策を掲げる政治家の台頭が人権への「深刻な脅威」だと警告している。
代表のケネス・ロスは「人種差別や外国人嫌悪、女性蔑視、移民排斥に積極的で雇用を守り、文化的な変革を避け、テロリストの攻撃を防ぐために必要だと考えられるものは実行する。そして人権を無視すれば、独裁政治の道を突き進む可能性が高くなる」(ハフィントンポストより抜粋)とする。不寛容政策の要注意人物はトランプのほかにシリアのバッシャール・アサド大統領、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領となっている。いずれも十分過ぎる理由があるが、不寛容な時代は多様性を認めない社会への憧憬(しょうけい)が、つまり独裁政治が政治指導者の中に価値観の中にあることを強く示唆する。
今後欧州で拡大する可能性の高い右派の台頭を懸念するものだが、HRWの指摘は我が国の政治の潮流とも一致する。安倍政権が突然、共謀罪を持ち出したことはこれに当てはまるといえる。首相・安倍晋三は「共謀罪の成立なしに五輪は開けない」と発言しているが、五輪開催のための共謀罪ではなく、五輪を利用した共謀罪の側面のほうが大きそうだ。共謀罪成立による密告社会や、隣同士まで監視する社会づくりは人権に対しての深刻な脅威に他ならない。元外務省で首相公邸連絡調整官として安倍夫人の世話をしていた安倍側近の1人、宮家邦彦は五輪のテロ対策には「基本的人権の制限もやむを得ない」とテレビで解説している。来年の世界人権年鑑には安倍の文字が躍るのだろうか。
共謀罪法案 厳格な歯止めが必要だ 1/19 山陰中央新報
政府は「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を20日召集の通常国会に提出する。2000年に国連で採択された国際組織犯罪防止条約に加盟し、各国と連携してテロ対策を強化していくには共謀罪が不可欠と強調している。安倍晋三首相は「加盟できないままでは、20年東京五輪・パラリンピックが開催できない」と述べた。
殺人や詐欺などの犯罪は実行して初めて処罰の対象になるが、共謀罪では2人以上が犯罪を計画した段階をとらえ、たとえ実行しなくても処罰する。これによってテロなどの重大な犯罪を未然に防ぐことができると法務省などは説明する。ただ、捜査機関による乱用に対する懸念も根強い。
過去に3度も廃案となった法案は共謀罪で摘発する対象を単に「団体」としたことで野党や日弁連から「市民団体や労働組合も対象になる」と批判を浴びた。そこで提出予定の法案は対象を暴力団などの「組織的犯罪集団」に限定。資金調達や下見といった「準備行為」を処罰要件に加え、罪名も共謀罪から「テロ等準備罪」に変えた。
政府は「従前の共謀罪とは別物。一般の人が対象になることはない」とする。本当にそうか。野党は対決姿勢を強めており、共謀罪が適用される676もの犯罪を絞り込む動きもある。だが、そうした修正をしても、表現の自由など基本的人権を脅かす危険をは残るだろう。
罪名を変えても、共謀を罰するという本質は変わらない。また「共同の目的が重大な犯罪」とされる組織的犯罪集団に対象を絞るというが、会社や各種の団体も含まれる余地はある。過去に会員制温泉リゾートクラブを運営する会社が経営難で返還の見込みがないのに預託金を集め、実質オーナーが組織的詐欺の罪に問われた事件があった。
社員の多くに詐欺の認識はなかったが、上層部が詐欺目的の組織に変えたと最高裁は認定、有罪が確定した。まともな会社が犯罪集団に変質した例だ。犯罪集団か否か、あるいは変質したかを判断するのは捜査機関で、幅広く網が掛けられる恐れも指摘されている。
準備行為という要件の追加にしても一見、運用を厳格にしたように見えるが、そうではない。共謀・計画の疑いがあれば、準備行為はあろうとなかろうと、捜査機関は家宅捜索など強制捜査に踏み切ることができる。あくまで起訴して処罰するための要件にすぎず、強制捜査の過程で捜してもいい。恣意(しい)的な運用には歯止めをかけなければならない。
さらに共謀の疑いをつかもうとすれば、特定の団体やメンバーを常時監視下に置くことが必要になり、電話やメールの内容を傍受したり、街中の防犯カメラから映像を拾い行動確認を行ったりするだろう。改正通信傍受法の施行によって対象犯罪は大幅に拡大され、薬物、銃器犯罪など従来の4類型に組織的な詐欺や窃盗など9類型が追加された。
共謀罪が適用される犯罪の数は「懲役・禁錮4年以上」という国連の犯罪防止条約の規定に基づく。業務上過失致死や傷害致死といった事前に計画できない罪を削るなど絞り込みは可能だ。
1/20
「共謀罪」法案 危険な本質は変わらない 1/20 北海道新聞
通常国会がきょう召集される。焦点の一つになりそうなのが、いわゆる「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案。政府は後半国会での提出を目指しているが、何しろ過去に3度も廃案になったいわく付きの法案である。
多少手直ししても、実行行為がない共謀などの段階で数多くの犯罪を処罰しようとする危険性は変わりない。法案提出を見送り、同時に共謀罪も最終的に断念すべきだ。
3年後に迫った東京五輪・パラリンピックへの備えというのであれば、別の手だてで検討を進めればいい。
共謀罪は2003年以降、3度国会に提出され、いずれも野党の強い反対に遭って廃案になった。昨年秋の臨時国会でも提出が検討されたが、結局見送っている。
昨年は罪名を「共謀罪」から「テロ等組織犯罪準備罪」へ、対象も「団体」から「組織的犯罪集団」へ修正する方針だった。構成要件についても、共謀だけでなく「実行の準備行為」を新たに加える考えを示していた。
提出されれば4度目となる法案では、さらに対象犯罪の数を減らすことなどが検討されているとみられる。
これまでの法案では、一気に676もの犯罪が共謀だけで処罰可能になったが、200〜300まで絞り込む方向だという。それでもかなりの数になる。乱用されてしまったら、国民の人権を損なう危険性は同じだろう。
当たり前のことながら、犯罪は基本的に実行に移さなければ罪には問われない。重大な結果をもたらしかねないようなケースでは、今の刑法などでも「予備」や「準備」、「陰謀」といった手前の段階で処罰可能だが、例外中の例外のケースだ。
もし共謀罪が導入されれば理屈の上では、多くの犯罪が計画だけで摘発可能になってしまう。捜査の進め方によっては、極めて危険な社会になりかねない。
内密に行われる共謀や準備を突き止めるためには、通信や会話の傍受などに頼ることになるだろう。日弁連は「市民のプライバシーに立ち入って監視するような捜査」の危険性を訴えているが、的外れとは思えない。
共謀罪の議論が始まったのは「国際組織犯罪防止条約」がきっかけだった。政府は批准に共謀罪が必要と訴えてきたが、日弁連はなくとも可能だという立場だ。
さらに日本はテロ防止関連の条約をかなり批准しており、対策は進んでいるとも日弁連は主張している。
いずれにしても国際的なテロ対策と条約、共謀罪との関連について、国民の理解が深まっているとは思えない。
刑法の原則と例外をひっくり返すような立法措置は到底認め難いし、もし反対はあっても数の力で押し切れるともくろんで提出するとしたら、もっての外だ。
共謀罪 国民の理解が不可欠だ 1/20 デイリー東北
政府は「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を、20日召集の通常国会に提出する方針だ。改正案は、テロのような組織的な重大犯罪の発生を防ぐため、計画や準備段階での摘発、処罰を目的とする。テロ対策強化を目指す国際条約締結に欠かせず、2020年の東京五輪・パラリンピックに向け成立を急ぐ必要があるというのが政府の見解だ。
共謀罪は、人権侵害などを懸念する世論の反発などを受け、過去3度国会で廃案になっている。今回の改正案に関し、政府は構成要件を厳格化したとして「一般人は対象にならない」と強調する。罪名も「共謀罪」から「テロ等準備罪」に変えている。それでも国民の間には適用の判断が捜査機関に委ねられ、犯罪とは無縁の市民団体の活動まで監視され、摘発されないかという心配が根強い。
「共謀罪」法案が提出されたとしても、国会審議では、対象範囲や犯罪構成要件を明確にした上で、捜査側の職権乱用の恐れや現行法との関係など、多くの疑問や問題点を国民が十分に理解し、納得できるまで議論を重ねることが不可欠だ。
国連は2000年、国にまたがる組織犯罪を防ぐため国際組織犯罪防止条約を採択、180カ国以上が締結している。日本は未締結で、政府は締結には「共謀罪」の整備が必要とする。
改正案は適用対象を「組織的犯罪集団」に限定し、共謀だけでなく拳銃購入資金の用意など準備行為も要件にした。条約が求める対象犯罪は懲役・禁錮4年以上の676に上るとされたが、テロと関係する犯罪などに大幅に絞られそうだ。
しかし捜査側による拡大解釈の心配が消えるわけではない。逮捕・起訴に至らなくても「犯罪集団」の疑いがあるとして家宅捜索や事情聴取されることがあれば、市民団体や労働組合の政府批判などの活動が制約される可能性は否定できない。
対象が拡大した改正通信傍受法との関係も見逃せない。密室での共謀容疑を立証するため通信傍受の利用が進み、プライバシー侵害が増えないかという不安も生じる。殺人や放火罪@預始@、爆発物取締罰則@預終@などには実行前の予備行為を罰する規定があり、凶器準備集合罪のように組織暴力を事前に処罰する刑法の条文も存在する。現行法でも対応できるという指摘にも一定の説得力はあろう。
テロ対策や五輪の成功はもちろん重要課題だ。ただ市民生活への監視が強まり、息苦しい社会になってしまうようでは本末転倒と言うほかない。
共謀罪法案 1/20 宮崎日日新聞
修正しても乱用の懸念残る
政府は「共謀罪」の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を通常国会に提出する。2000年に国連で採択された国際組織犯罪防止条約に加盟し、各国と連携してテロ対策を強化していくには、共謀罪が不可欠と強調している。
殺人や詐欺などの犯罪は実行して初めて処罰の対象になるが、共謀罪では、2人以上が犯罪を計画した段階をとらえ、たとえ実行しなくても処罰する。これによりテロなどの重大な犯罪を未然に防ぐことができると法務省などは説明する。しかし捜査機関による乱用に対する懸念は根強い。
「準備」も処罰要件に
過去に3度も廃案となった法案は、共謀罪で摘発する対象を単に「団体」としたことで、野党や日弁連から「市民団体や労働組合も対象になる」と批判を浴びた。
そこで対象を暴力団などの「組織的犯罪集団」に限定。資金調達や下見といった「準備行為」を処罰要件に加え、罪名も共謀罪から「テロ等準備罪」に変えた。
政府は「従前の共謀罪とは別物。一般の人が対象になることはない」とする。本当にそうか。野党は対決姿勢を強めており、共謀罪が適用される676もの犯罪を絞り込む動きもある。だがそのような修正をしても、表現の自由など基本的人権を脅かす危険を除くことはできないだろう。
罪名を変えても、共謀を罰するという本質は変わらない。また「共同の目的が重大な犯罪」とされる組織的犯罪集団に対象を絞るというが、会社や市民団体も含まれる余地がある。
犯罪集団か否か、あるいは変質したかを判断するのは捜査機関で、反原発や反基地の団体に網が掛けられる恐れも指摘されている。
準備行為という要件の追加にしても一見、運用を厳格にしたように見えるがそうではない。共謀・計画の疑いがあれば、準備行為はあろうとなかろうと捜査機関は家宅捜索など強制捜査に踏み切ることができる。あくまで起訴して処罰するための要件にすぎず、強制捜査の過程で捜してもいい。恣意(しい)的な運用の可能性を拭い切れない。
監視社会強まる恐れ
さらに共謀の疑いをつかもうとすれば、特定の団体やメンバーを常時監視下に置くことが必要になり、電話やメールを傍受したり、街中の防犯カメラから映像を拾い行動確認を行ったりする。改正通信傍受法の施行により対象犯罪は大幅に拡大され、薬物、銃器犯罪など従来の4類型に組織的な詐欺や窃盗など9類型が追加された。
共謀罪が適用される犯罪の数は「懲役・禁錮4年以上」という国連の犯罪防止条約の規定に基づく。業務上過失致死や傷害致死といった事前に計画できない罪を削るなど絞り込みは可能とみられる。
ただ、さらなる通信傍受の対象拡大や日常的な会話を拾う会話傍受の導入検討など、「監視社会」の強化につながるのは避けられそうにない。
 1月21日〜

 

テロ準備罪法案 極論排して冷静に検討したい 1/23 読売新聞
テロや組織犯罪の芽を摘み、国民を守る重要な基盤となる法案だ。確実に成立させたい。
政府は今国会に、組織犯罪処罰法改正案を提出する。組織的な重大犯罪の計画・準備段階で処罰する「テロ等準備罪」の新設が柱だ。
過去に3度廃案となった「共謀罪」の創設法案を基にしている。共謀罪法案には、団体や共謀の定義が不明確で、捜査権が乱用されかねないとの批判があった。
今回は罪名を変更し、処罰対象をテロ組織や暴力団、振り込め詐欺集団など「組織的犯罪集団」に限定した。具体的な「犯行計画」だけでなく、資金調達や下見などの「準備行為」を犯罪の構成要件に追加し、厳格化した。
捜査当局の恣意しい的な法運用に対する有効な歯止めとなろう。
菅官房長官は「一般の方々が対象となることはあり得ない」と強調する。政府は、この点を繰り返し丁寧に説明し、国民の懸念の払拭に努めねばならない。
改正案は、テロ対策などでの国際協力を定めた国際組織犯罪防止条約の加入に必要なものだ。条約は187か国・地域が締結している。先進7か国(G7)で批准していないのは日本だけである。
2020年には東京五輪が控えている。国際連携を強め、テロ対策を拡充することが急務だ。
現行法には殺人予備罪などがあり、テロ等準備罪を設けなくても対処は可能だとの意見もある。だが、計画・準備段階で処罰できる規定は一部の犯罪にしかない。
当面の焦点は、政府・与党による対象犯罪の絞り込みである。
政府は、懲役・禁錮4年以上の刑が科される676の「重大な犯罪」から、組織犯罪との関連性が薄い罪などを除外し、300程度に減らすことを検討している。「対象犯罪が多すぎる」との公明党の主張に配慮したものだ。
多くの国民の理解を得て成立を図るには、やむを得まい。
政府内には、過度の絞り込みは条約締結に支障を招くとの指摘も出ている。捜査や他国との協力の実効性を維持する観点からも、慎重に検討することが大切だ。
疑問なのは、民進党が改正案への反対姿勢を強めていることだ。蓮舫代表は、「権力による監視に使われないか」「(犯罪の)名前を変えるだけでは到底理解できない」などと発言している。
条約が03年に国会で承認された際には当時の民主党も賛成した。民進党は、改正案の必要性について冷静に議論してもらいたい。
1/24
「ヘンリーには言うな」 1/24 岩手日報
「ヘンリーには言うな」。実に奇妙なボブ・ディランの歌がある。ノーベル文学賞を受けた詩人には難解な歌詞が多いが、この曲も謎めいている
土曜日の朝、俺は出かけた。川で、街角で、大衆食堂で、出会った誰もが口々に言う。「ヘンリーには言うな」。馬や牛まで同じ言葉を発する。しまいには、俺も独り言を言った。「ヘンリーには言うな」
ヘンリーとは何者なのか。なぜ彼に、何を言ってはいけないのか。答えは語られない。全く意味は不明だが、ディランの反権力にヒントがあろう。勝手に読み解けば、ヘンリーは権力に通じた人物で、密告を皆恐れている。監視社会への警鐘ではなかろうか
ファンに笑われそうな推理をしたのは、今の社会も一歩間違うと監視が強まるからだ。三たび廃案になった「共謀罪」の法案が、また国会に出る。名前を変え、対象の犯罪も減らし、テロ対策だとしている
それでも、犯罪を計画しただけで罰せられる危うさは変わらない。疑いをつかむために電話やメールの内容を傍受され、防犯カメラで行動を確認される。「一般の人は対象にならない」と、本当に言えるのだろうか
歌でディランは「リンゴにハエがたかってる」と繰り返す。fly(ハエ)には密告などが「飛び交う」意もある。あちこちにヘンリーがいる社会は何とも息苦しい。
「共謀罪」 五輪名目の危険法容認できない 1/24 愛媛新聞
通常国会は衆院の代表質問が始まり、本格論戦に突入した。またも政府が提出しようとしている「共謀罪」法案は、大きな焦点の一つだ。
犯罪を計画するだけで刑事処罰の対象となる「共謀罪」。政府は、罪名と構成要件を変えた「テロ等準備罪」創設を柱に、組織犯罪処罰法改正案の提出で調整している。東京五輪・パラリンピックのテロ対策を主張して成立を急ぐが、共謀罪はこれまで3度国会に提出され、人権侵害を生む恐れがあるとして、いずれも廃案になっている。
法案は、犯罪の実行を罰することが原則の日本の刑法体系を根底から覆す。名を変えてもその危うい本質に変わりはない。安全な五輪やテロ防止といった聞こえのよい口実を目くらましに、問題の多い法の成立を押し通すことは断じて許されない。
当初の政府案は犯罪の謀議に加わっただけで処罰対象としていた。政府は国民の反発をかわすため、適用対象を「団体」から「組織的犯罪集団」に限定、拳銃の購入資金を用意するといった犯罪の「準備行為」を新たな要件として追加した。だが、何をもって「組織的犯罪集団」とし、どの時点で「準備行為」とみなすか、定義は実に曖昧。捜査機関の恣意的な判断が入り込む余地は大きく、冤罪の温床となる懸念が拭えない。
政府は、当初676としていた対象犯罪に関しても、慎重姿勢の公明党に配慮して「テロの手段となり得る犯罪」を中心に200〜300程度に絞る方向で検討中という。だが、数を減らしても、特定秘密保護法とセットで運用され、何が犯罪か分からないまま処罰されかねないことを強く危惧する。
法が成立すれば厳しい監視社会が待つ。昨年対象が拡大された改正通信傍受法と合わせ、会話、電話、メールなどの個人の日常的なやりとりが捜査対象となり、思想の自由やプライバシー権など憲法が保障する基本的人権が侵害される恐れがある。にもかかわらず、テロの動向を見ると、組織でなく個人の犯行が目立っており、肝心な法の実効性すら疑わざるを得ない。
安倍晋三首相は代表質問を受け、法整備を前提とした国際組織犯罪防止条約の締結が五輪に不可欠だと強調した。しかし、世界180以上の締結国全てが「共謀罪」を設けているわけではない。日本には「予備罪」など組織犯罪集団の重大犯罪を計画段階で取り締まることができる法律が既にある。この条約以外にも国連のテロ対策に関連した国際的な条約は13件あり、日本は国内法を整備するなどして既に全てに対応している。条約締結に新法が必要だという根拠も疑わしい。国連の要請だとして「外圧」を都合よく利用することは許されない。
首相は法案について施政方針演説でひと言も触れなかった。批判を避ける計算が透ける。なし崩しを許さぬよう、国会には問題点の徹底追及を求める。
 1月26日〜

 

テロ等準備罪 国際条約締結を急がねば 1/26 北国新聞
政府が通常国会に提出する「テロ等準備罪」に、野党などが反対している。過去に3度廃案になった「共謀罪」は「居酒屋で上司を殴るという話をしただけで処罰される」などと曲解され、世論の支持が広がらなかった。
テロ等準備罪は共謀罪の創設法案を基にしていることもあり、当時と同じように「内心の自由が脅かされる」「心の中が罰せられる」などと批判する声がある。共謀罪を廃案に追い込んだ「成功体験」にならい、国民の不安をあおる狙いが透けて見える。
だが、共謀罪が初提出された2003年当時と現在では、社会情勢が大きく変わっている。欧州でイスラム過激派による爆弾テロが相次ぎ、日本でも2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、テロ対策の強化が急がれる。
2000年の国連総会でテロや麻薬取引など重大な国際犯罪を防ぐための「国際組織犯罪防止条約」が採択され、既に180カ国以上が締結した。条約は国境を越える組織犯罪に対処するため、重大犯罪について共謀罪などを設けることを各国に求めているが、日本は法整備が遅れているために取り残されたままである。
テロ組織が日本でテロを計画・実行しようとした場合、現行の法律だけで対処するのは難しい。パリ同時多発テロで、フランスなど欧米各国は新たな犯行を計画する「テロ予備軍」の摘発に全力を挙げている。テロ防止の国際的な取り組みが広がる中で、日本が抜け穴になりかねない現状を改め、国際条約締結を急ぎたい。
共謀罪は対象となる団体や共謀の定義がはっきりしない点が問題視された。その反省からテロ等準備罪は、対象となる犯罪主体をテロ組織や暴力団などの「組織的犯罪集団」に限定した。さらに対象犯罪を676とした政府原案を修正し、減らす方向である。
捜査機関による拡大解釈や恣意的運用を、それほど不安がる必要はあるまい。メディアも監視の目を光らせている。テロのような重大犯罪の方がはるかに恐ろしく、これに備える法整備を今国会で済ませておきたい。
1/27
「共謀罪」法案 本当に必要な法律なのか 1/27 神戸新聞
やっと議論が始まった。昨日の衆議院予算委員会のやりとりを聞いた実感である。テーマは「テロ等組織犯罪準備罪」を盛り込んだ組織犯罪処罰法の改正案だ。
改正案は過去3度、国民や野党の反対で廃案となった。犯罪を実行しなくても、相談しただけで処罰の対象となる「共謀罪」の新設が含まれていたからだ。
政府は東京五輪・パラリンピックに向けてテロ対策を充実させるとし、過去の法案から適用条件を絞り込み、罪名を「テロ等〜」に変更して国会に出そうとしている。
犯罪の相談や計画だけでは罪とせず、資金調達などの準備行為が必要とされる。それでも日本弁護士連合会(日弁連)を中心に、捜査機関の職権乱用と市民社会の監視の恐れを危惧する声が広がる。テロ対策の名の下で適用条件や罪名を変えても、中身は従来の「共謀罪」と同じだという主張である。
国会は国民の疑念に、誠実に向き合うことが求められる。十分な審議がないままに議論が打ち切られ、採決が強行されるようなことはあってはならない。
現在、政府が法案の作成を進めている段階だ。安倍晋三首相は国際社会と連携してテロと戦うために、国際組織犯罪防止条約を締結する必要があると訴える。締結には国内法の整備が欠かせず、そのための新しい法案だとする。
これに対し、日弁連は新たな法律をつくらなくても条約締結は可能との立場だ。すでにある準備罪や予備罪などで、犯罪の準備段階の罪を問うことができると訴える。
昨日の予算委員会で、ようやくこの点が質問に取り上げられた。日本が国際条約の締結に際し、必ずしも国内法を整備していない点も指摘された。例えば、ヘイトスピーチを刑罰で規制するよう求める人種差別撤廃条約などだ。
政府は対象となる犯罪を絞り込んでいるとされる。一方、法務省はホームページなどで犯罪を絞り込めば条約が締結できなくなると主張しており、矛盾が生じている。
法律は一度できてしまえば、時の権力によって都合よく運用される可能性がある。国会は慎重に審議を進めなければならない。本当に必要な法律なのか。政府ははぐらかさずに筋の通った説明をすべきだ。
1/28
共謀罪法案 危うさ隠す政府の姿勢 1/28 信濃毎日新聞
「共謀罪」を新設する組織犯罪処罰法の改正をめぐって、法案提出前から国会で激しい論議が起きている。重要な論点の一つが、国際組織犯罪防止条約を締結するには法制化が不可欠とする政府の説明である。
条約は2000年に国連で採択された。国際的な組織犯罪を防ぐため、重大な犯罪の共謀、または犯罪集団の活動への参加を処罰することを締約国に義務づける。
この義務を国内法は満たしていないと政府は言う。一方、日弁連は、条約の締結に新たな立法は必要ないと指摘している。
思想でなく行為を罰する。それが刑法の根本にある考え方だ。既遂の処罰を原則とし、例外的に未遂罪がある。実行に至らない段階で処罰することは、例外中の例外として認められるにすぎない。
話し合っただけで処罰の対象にすることは、内心に踏み入り、思想を取り締まることにつながる。刑法の原則を覆し、著しい人権侵害を招く恐れがある。
幅広い犯罪に共謀罪が適用されれば、未遂罪さえ定められていない犯罪が共謀罪で処罰されるような矛盾も起きかねない。刑法の法体系は土台から崩れてしまう。
条約は〈自国の国内法の基本原則に従って、必要な措置をとる〉と明記している。憲法や刑法の原則に反する法整備が求められているわけではない。
日弁連はまた、重大な組織犯罪を実行前の段階で処罰する規定は既にあると指摘する。殺人や放火は予備罪が定められ、凶器準備集合罪は暴力犯罪を準備段階で処罰できる。ハイジャック防止法にも予備行為を罰する規定がある。
なぜ、さらに幅広く共謀罪を設けなければならないのか。政府の説明は十分な根拠を欠く。
共謀罪法案は2000年代に3度、国会で廃案になった。今回は罪名を「テロ等準備罪」に改め、一定の準備行為があることも要件に加える。「共謀罪と呼ぶのは間違い」だと安倍晋三首相は言うが、共謀が処罰の対象になることに変わりはない。
テロ防止に条約締結は極めて重要とし、「締結できなければ東京五輪を開けないと言っても過言ではない」とも述べた。ただ、条約は本来、マフィアなどによる組織犯罪の防止を目的にしたものだ。条約締結と五輪に向けたテロ対策はただちには結びつかない。
共謀罪の危うさを覆い隠すかの姿勢が見え隠れしている。惑わされず、国会の論議に注意深く目を向けていく必要がある。
1/29
「筆洗」 1/29 東京新聞
若い刑事が取調室で容疑者に大声でどなる。机を叩(たた)く。「さあ、白状しろ」。もう一人の温和な老刑事が「そう興奮しなさんな」となだめる。容疑者に優しく声をかける。「カツ丼でも食べるか」
1970年代の刑事ドラマにはこんな場面がよくあった。容疑者はやがて温和な刑事に心を開き「旦那、実はあっしが…」。今こうして書くと出来の悪いコントみたいだが、心理的効果を利用した有名な説得方法である。「良い刑事と悪い刑事」という。人は悪い刑事への恐怖心によって、良い刑事にすがるようになり、協力的になるそうだ
自民、公明両党には古い刑事ドラマのファンがいるらしい。話は捜査当局の拡大解釈によって人権侵害のおそれが消えぬ組織犯罪処罰法改正案である
慎重論もあったはずの公明党だが、公明党の井上幹事長は最近、今国会提出を容認する考えを示した。政府がやや譲歩し、改正案にある「共謀罪」の対象を半分程度に絞り込む姿勢を示していることと関係があるのだろう
おっかない法案を政府と自民党が乱暴に言い出し、それを公明党がなだめて、国民が受け入れやすい方向で修正、成立を図る。両党の「十八番」の国会対応で、国民の方もそれで何となく納得しているのだとすれば、2人の「刑事」の効果である
公明党には温和なお顔の先生が多い。なるほど、あの役が似合ってしまう。
「斜面」 1/29 信濃毎日新聞
敗戦の色が濃くなった1944年のきょうの出来事。当時の論壇をリードしてきた二大総合雑誌の発行元、改造社と中央公論社の現・元編集者が神奈川県特高警察に一斉摘発された
その前段でこんな事件もあった。国際政治学者の細川嘉六が、日頃世話になっていた編集者、研究者を招いて富山県の旅館で懇親会を開いた。浴衣姿で撮った記念写真を入手した特高は「共産党再建準備会」と決めつけ、写真に写った人物を相次ぎ摘発した
一連の事件で約60人が逮捕され、4人が獄死した。戦時下最大の言論弾圧は横浜事件と総称される。拷問を加えて自白を強要、治安維持法違反をでっち上げた。この法律で多用されたのが「協議罪」だった。組織に加入しなくても意思を通じ合ったというだけで処罰できる。警察の判断で適用を広げた
心の中を取り締まり、多くの冤罪(えんざい)を生んだ苦い教訓だ。だからこそ戦後は、話し合ったことをもって犯罪とする共謀罪に抑制的だった。政府は過去3度、共謀罪を新設する法案を国会に出したが、「内心の自由を侵す」との批判を浴び、いずれも廃案になった
今度は看板を「テロ等準備罪」と書き換え、今の国会に提出する。対象を限定したという。「政府がいくら市民団体は関係ないと言っても、法ができればどこまで広がるか」。横浜事件元被告の遺族の共謀罪への憂いは今回も通じる。
「共謀罪」法案 名称変えても危惧残る 1/29 中国新聞
またしても浮上したか、との感が拭えない。犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」を含む組織犯罪処罰法改正案を、政府は今国会に提出する方針だ。
構成要件を改め、名称も「テロ等準備罪」に変えるという。しかし共謀罪を新設する法案はこれまでに3度、廃案となってきた経緯がある。国会では今回も、提出前から激しい論戦が繰り広げられている。
そのやりとりからは、東京五輪・パラリンピックのテロ対策を大義名分とすることで批判を避け、成立を急ぐ政府の姿勢がのぞく。国民の監視など権力乱用の懸念は拭えていない。法案の提出は考え直すべきだ。
この新たな立法措置を急ぐ理由として政府は、2000年に国連で採択された国際組織犯罪防止条約を挙げてきた。日本は国内法が未整備として締結していない。締結には共謀罪が必要で、この条約によって初めて、各国と連携したテロ対策を強化できると政府は強調する。
安倍晋三首相は「条約を締結しなければ、東京五輪・パラリンピックを開催できない」とまで述べ、成立への意欲を示す。しかし、締結には本当に共謀罪が欠かせないのだろうか。
日本弁護士連合会は、新たに法を作る必要はないと主張する。現行法で対応でき、条約締結も可能という。実際、共謀罪を制定していないまま、条約を締結している国もあるというではないか。だとすれば、これまでの政府側の説明は何だったのかということになる。
共謀罪でなければ、条約を締結できないとしてきたはずの政府が今度は、構成要件を絞ったテロ等準備罪に衣替えするという。つまりは共謀罪でなくてもよかったのかと、野党側が整合性をただすのも無理はない。
無論、組織的なテロ犯罪を防ぐ必要性は誰もが認めていよう。世界中から大勢が集まる五輪ともなれば、標的にする集団が現れる恐れはある。「テロ対策が喫緊の課題だ」という首相の発言に異論はない。
だからといって、国民への監視を強め、思想を取り締まるような社会にすることは許されない。表現や言論の自由といった権利侵害の危険が高まる。
共謀罪の対象となる犯罪を、政府は「4年以上の懲役・禁錮を定めている罪」としており、その数は676にも上る。
「対象が広すぎる」との世論や、法案提出に慎重な公明党の意向も酌んで、200〜300に減らすよう調整を進めている。これによって公明党は提出容認へと態度を変えるようだ。
テロ等準備罪は、実行の準備行為があって初めて処罰の対象になるとして、「共謀罪と呼ぶのは全くの誤り」と首相は強弁した。だが、犯行の計画や共謀だけで処罰されるという本質が変わるのかどうか。市民の危惧を晴らすためには、一層の説明が欠かせない。
テロ対策に絞ったとしているが、新たな名称に添えた「等」には注意を要する。時の政府や捜査機関の拡大解釈によって、適用範囲が際限なく広げられる危険があるからだ。
処罰の対象とする「組織的犯罪集団」の認定にしても、捜査機関による恣意(しい)的運用の恐れは消えず、企業や市民団体も対象とされかねない。
危うさの消えぬ法案である。
共謀罪の本質 1/29 琉球新報
記者になって間もないころ、自治体に情報公開請求をすることになった。先輩記者から「〇〇等の案件について、と『等』を入れるのがポイントだ」と助言を受けた
「等」を入れると、対象の範囲が広がり、資料の質が高まり、量も増すのがその理由だった。「お役所用語」というのはそういうものなんだと妙に納得した覚えがある
国会で「共謀罪」の趣旨が盛り込まれた「テロ等準備罪」が審議されている。ここに出てくる「等」が気になって仕方ない。代表質問で山本太郎議員が「等」が示す犯罪の範囲をただした
安倍晋三首相は「一般の人が対象となることはあり得ない」と答弁した。「等」の中にさまざまな狙いが潜んではいないか。素直に「テロ準備罪」とすればいいのにと思うのだが、役所の用語に対するこだわりは強い
片や沖縄防衛局はオスプレイ墜落の第一報で、名護市に「墜落」と伝えていた。その後「不時着水」に修正した。言葉の言い換えで事故を矮小(わいしょう)化し、印象操作を図るのもお役所の手法か
警察は辺野古や高江での基地建設に反対する市民らを動画撮影している。運動のリーダーの山城博治さんが勾留されて3カ月以上たつ。政府は「テロ等準備罪」で「市民団体は対象外」とするが、「反政府組織」かどうか誰が判断するのか。すでに監視・人権侵害が起きている中、「等」への疑念が拭えない。
1/31
テロ準備罪 丁寧に国民の理解求めよ 1/31 産経新聞
政府与党は、開会中の国会で「テロ等組織犯罪準備罪」を新設する、組織犯罪防止法の改正を目指している。
テロ準備罪は、過去に3回廃案になった「共謀罪」の名称と構成要件などを変えたものだ。改正案の適用対象は、従来の「団体」から「組織的犯罪集団」と限定し、構成要件には、犯罪の合意に、具体的な準備行為を加えている。
東京五輪・パラリンピックを3年後に控え、時間的猶予はない。必要不可欠な法改正に向けて、政府与党には丁寧な説明を、野党にはいたずらに政争の具としないことを求めたい。
国連は2000年、国際社会でテロと対峙(たいじ)するため、「国際組織犯罪防止条約」を採択した。各国に共謀罪を設けることを求めて批准の条件とし、すでに180カ国以上が締結している。
だが、共謀罪を持たない日本は先進7カ国(G7)で唯一、締結に至っていない。国連加盟国で未締結国は日本を含め、イランやソマリア、南スーダンなど、11カ国にすぎないという。
日本は、テロと戦う国際連携の「弱い環(わ)」となっているのが現状であり、安倍晋三首相は衆院代表質問で「条約を締結できなければ東京五輪を開催できないと言っても過言ではない」と述べた。
共謀罪への過去の反対論には、居酒屋で上司を殴る相談をしても処罰されるのかといった極論や、市民運動の弾圧に適用されないかなどの懸念があった。
テロ準備罪と名を変えた法案は構成要件を厳格化したが、「一般市民に対する権力の乱用につながりかねない」(民進党)、「国民の思想や内心を処罰の対象とする違憲立法」(共産党)など、反対論の中身は変わっていない。
一方で安倍首相も衆院代表質問で「テロ等準備罪はテロ等の準備行為があってはじめて処罰の対象となるもので、共謀罪と呼ぶのは全くの間違いだ」と述べた。
法案成立を目指すあまりの発言だろうが、共謀罪の必要性を説いてきたのは自民党である。過去の法案を全否定するような物言いは整合性を問われる。国民に分かりやすい議論を展開してほしい。
法案の提出には、対象罪種を絞り込むことで公明党も容認する見通しだ。何より、国民をテロから守ることを目的とする法律だ。廃案の繰り返しは許されまい。
 2月1日〜

 

共謀罪準備行為なければ逮捕できない 政府、方向転換も根拠示さず 2/1 東京新聞
「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案について、政府は31日の参院予算委員会で「犯罪の合意だけでなく準備行為がなければ逮捕・勾留できないように立法する」との考え方を示した。過去の共謀罪審議で政府が「(準備行為がなくても)共謀の疑いがある時点で強制捜査は可能」としてきた見解を方向転換した形だが、根拠は明らかにしなかった。 
準備行為は例えば、2人以上が殺人などに合意し、犯行のためにATMでお金を下ろすなどの行為。2006年の共謀罪の国会審議では、共謀罪を処罰するための条件として「実行に資する行為(準備行為)」を加えた与党修正案について、自民党の柴山昌彦氏(現首相補佐官)が「(準備行為がなくても)逮捕などの強制捜査ができるという理解でいいか」と質問した。
法務省の大林宏刑事局長(当時)は「嫌疑があれば(強制)捜査を行うことは可能だが、準備行為がなければ起訴はできない」と答弁。与野党から、まず共謀の容疑で逮捕してその後の捜査で準備行為を見つけ出すのではないかといった懸念が出ていた。社民党の福島瑞穂氏はこの日、政府が検討中の案でも「準備行為がなくても共謀の疑いがあっただけで逮捕・勾留できるのではないか」とただした。法務省の林真琴刑事局長は、逮捕などの強制捜査の令状や起訴状でも準備行為の認定が必要だとし、「証明しなければ、令状請求ができず、請求しても却下される」と強調した。
神戸学院大の内田博文教授(刑法)は取材に「お金や物を用意するなど日常的な行為が犯行の準備行為に当たるかを認定するのは捜査官。捜査側が都合よく解釈する懸念が残る」と話した。
2/2
「共謀罪」 前提から説明し直せ 2/2 朝日新聞
「共謀罪」をめぐる論戦が国会冒頭から交わされている。
政権は「テロ等準備罪」と名称を変え、適用要件を厳しくしたうえで、創設のための法案を提出する構えだ。だが政府答弁には乱暴さやゆらぎが目につく。国民の理解はなお遠い。
代表例は安倍首相である。
衆院本会議で「法整備しなければ五輪を開けないといっても過言ではない」と述べた。招致段階を含め、初めて聞く話だ。
同予算委員会では、過去に提出された共謀罪法案について、「組織的でなくても、ぱらぱら集まって話をしただけで罪になるわけです」と、従来の政府見解と全く異なる答弁をした。
いま検討中の法案の厳格さを強調したかったのだろうが、共謀罪をめぐる長年の議論の前提をくつがえす発言である。
問題の所在や経緯をしっかり理解したうえで、首相は法案の提出を指示しているのか。賛否の立場をこえて、疑念を感じた人も多いだろう。
政府が共謀罪の創設を唱えてきたのは、00年採択の国際組織犯罪防止条約に加わるためだ。朝日新聞の社説は、国際協調の意義を認めつつ、立法措置が必要だとしても、ふつうの人の生活や人権を制約することのないよう、限定的なものにしなければならないと主張してきた。
政府は今回、(1)対象を団体一般から「組織的犯罪集団」に限る(2)摘発には、重大な犯罪の実行にむけた「準備行為」がなされることを必要とする――という二つのしばりを加え、さらに「重大な犯罪」の範囲も絞り込む考えを示している。
方向性は妥当だが、具体的な条文案は明らかになっておらず、「恣意(しい)的な取り締まりにはつながらない」という説明を受け入れられる状況ではない。
そもそも、「重大な犯罪」の定義は条約で定められていて、絞り込みは不可能というのが、政府の一貫した立場だった。これとの整合性はどうなるのか。
間違っていたというのなら、あわせて重ねてきた「共謀罪を導入しなければ条約に加盟できない」などの答弁にも、あらためて疑義が生じよう。
テロ対策はむろん重要な課題だが、組織犯罪の類型は麻薬、銃器、人身取引、資金洗浄と多様だ。それを「テロ等準備罪」の「等」に押しこめてしまっては、立法の意義と懸念の双方を隠すことになりかねない。
誠実な説明と情報公開を通じて議論を深め、合意形成を図ることが肝要だ。看板を替え、五輪を名目に成立を急ぐような態度は、厳に慎まねばならない。
共謀罪捜査に通信傍受も 法相「今後検討すべき」 2/2 東京新聞
衆院予算委員会は2日午前、安倍晋三首相と全閣僚が出席して、2017年度予算案に関する基本的質疑を続けた。金田勝年法相は、犯罪に合意することを処罰対象にする「共謀罪」と趣旨が同じ「テロ等準備罪」の捜査を進めるため、電話の盗聴などができる通信傍受法を用いる可能性を認めた。
通信傍受法は、憲法が保障する通信の秘密を侵す危険が指摘され、捜査機関が利用できる対象犯罪が限定されている。金田氏は、テロ等準備罪を対象犯罪に加えるかどうかについて現時点では「予定していない」としつつ、「今後、捜査の実情を踏まえて検討すべき課題」と将来的には否定しなかった。
これに対し、質問した民進党の階猛氏は「一億総監視社会がもたらされる危険もある」と懸念を示した。
政府はテロ等準備罪について、犯罪の合意だけでなく、準備行為がなければ逮捕・勾留しないと説明しているが、準備行為については捜査機関が判断するため、拡大解釈の恐れが指摘されている。
通信傍受法は、犯罪捜査のために裁判所が出す令状に基づき、電話や電子メールの傍受を認める法律。1999年の成立時には、通信の秘密を侵害する懸念を受け、薬物・銃器犯罪、集団密航、組織的殺人の4類型に限定されていた。しかし昨年12月、殺人や放火、詐欺、窃盗、傷害、児童買春など対象犯罪が大幅に増えた改正法が施行された。さらに幅広い犯罪の合意を処罰するテロ等準備罪が対象犯罪に加われば、通信傍受の件数が大幅に増えることが予想される。
テロ等準備罪の捜査では捜査当局が犯罪の話し合いや合意、準備行為を把握し、ある特定の団体の構成員を日常的に監視する必要がある。テロ等準備罪の捜査で通信傍受を活用することになれば、捜査当局が監視できる市民生活の範囲が大幅に広がる恐れがある。
<通信傍受法> 通話開始から一定時間聴き、犯罪関連の通話と判断した場合に限って継続して傍受できる。令状の容疑でなくても対象犯罪などに関する通信は傍受できる。2000年の法施行から15年までに傍受した10万2342件のうち82%が犯罪に関係のない通話。傍受したことや、記録の閲覧や不服申し立てができることを本人に通知するが、犯罪に関係のない通話相手には通知されない。
2/3
共謀罪捜査に通信傍受も 無関係な「盗聴」拡大の恐れ 2/3 東京新聞
犯罪に合意することを処罰対象とする「共謀罪」と趣旨が同じ「テロ等準備罪」を設ける組織犯罪処罰法改正案について、金田勝年法相は2日の衆院予算委員会で、捜査で電話やメールなどを盗聴できる通信傍受法を使う可能性を認めた。実行行為より前の「罪を犯しそうだ」という段階から傍受が行われ、犯罪と無関係の通信の盗聴が拡大する恐れがある。
テロ等準備罪を通信傍受の対象犯罪に加えるかどうかについて、金田氏は現時点では「予定していない」としながらも、「今後、捜査の実情を踏まえて検討すべき課題」と将来的には否定しなかった。質問した民進党の階(しな)猛氏は「一億総監視社会がもたらされる危険もある」と懸念を示した。
通信傍受法は、憲法が保障する通信の秘密を侵す危険が指摘され、捜査機関が利用できる対象犯罪が限定されている。テロ等準備罪の捜査は、犯罪組織による話し合いや合意、準備行為を実際の犯罪が行われる前に把握する必要があり、通信傍受が有効とされる。
関西学院大法科大学院の川崎英明教授(刑事訴訟法)は「盗聴は共謀罪捜査に最も効率的な手法。将来的には対象拡大を想定しているはずだ」とみる。
川崎教授は「テロ等準備罪に通信傍受が認められれば、例えば窃盗グループが窃盗をやりそうだという段階から傍受できる。犯罪と無関係の通信の盗聴がもっと広く行われるようになる」と指摘。傍受したことは本人に通知されるが、犯罪に関係ない通話相手には通知されないため、「捜査機関による盗聴が増え、知らないうちにプライバシー侵害が広がる」と危ぶむ。
沖縄の新基地建設反対運動に対する警察の捜査に詳しい金高望弁護士は「警察は運動のリーダーを逮捕した事件などで関係者のスマホを押収し、事件と関係ない無料通信アプリLINE(ライン)や、メールのやりとりも証拠として取っている。将来的には、通信傍受で得られる膨大な情報を基に共謀罪の適用を図ることも考えられる。テロ対策の名目で、あらゆる情報や自由が奪われる恐れがある」と話す。
<通信傍受法> 犯罪捜査のために裁判所が出す令状に基づき、電話や電子メールの傍受を認める法律。2000年の施行時には薬物、銃器、集団密航、組織的殺人の4類型に限定されていたが、昨年12月、殺人や放火、詐欺、窃盗、児童買春など対象犯罪を9類型に増やす改正法が施行された。00年から15年までに傍受した10万2342件のうち、82%が犯罪に関係のない通話だった。
2/4
「共謀罪」論戦 衣の下のよろい隠せぬ 2/4 北海道新聞
政府が今国会提出を予定している組織犯罪処罰法改正案を巡る論戦が早くも活発化している。
新たに創設する犯罪の名称を従来の「共謀罪」からテロ等組織犯罪準備罪とし、実行に向けた謀議のほかに資金調達などの準備行為を犯罪成立の構成要件に加えた。
取り締まり対象も「団体」から組織的犯罪集団に変更する。適用対象の犯罪も現在の676から300弱に絞り込む方向だ。
これらの修正により政府は、過去3度廃案になった法案とは「全く別物になる。一般市民が対象になることはない」と言う。
だが看板と装いを変えても個人の内心が処罰対象となりかねない懸念は拭えない。やはり共謀の認定が捜査の核心になるからだ。政府の説明は不誠実極まりない。
共謀罪創設は、国連が2000年に採択した国際組織犯罪防止条約加盟のための国内法整備として必要だと政府は説明してきた。
過去の法案審議は13年の東京五輪開催決定のはるか前の時期で、政府も目的に「五輪のテロ対策」を前面に出してはいなかった。
ところが、安倍晋三首相は今国会になって突如「条約を締結できなければ五輪を開けないと言って過言ではない」と言い切った。
本当にそう考えるなら、誘致活動や国政選挙の際に共謀罪創設を公約すべきだった。ご都合主義のような物言いは慎んでほしい。
衆参の予算委員会では「ハイジャックテロを共謀した10人のうち1人が航空券を予約した」という事態を想定して議論になった。
首相は予約した1人のほか残る9人もテロ等準備罪で「一網打尽にできる。(現在は)武器を持って現場に行こうとする段階でないと捕まえられない」と強調した。
だが野党側は、このケースでは「航空機の強取等の処罰に関する法律」の予備罪を適用できるとの刑法の解釈を紹介し、反論した。
この事例のように重大犯罪は事前に摘発できる法体系が整備されており、条約締結のための共謀罪は不要と日弁連は主張する。首相答弁は粗雑と言わざるを得ない。
罪名を「テロ等」とひとくくりにして網を広げるところに捜査当局の拡大解釈の余地が生まれ、市民団体や労組の活動まで犯罪とされかねない危険が潜む。
金田勝年法相は、捜査で電話傍受などができる通信傍受法の適用対象とすることも「検討すべき課題」と述べた。犯罪捜査と無関係な盗聴が拡大し、「監視社会」につながる恐れがある。
「共謀罪」普通の団体も対象の恐れ 「性質一変」の場合は法相見解 2/4 東京新聞
衆院予算委員会は3日、安倍晋三首相と全閣僚が出席する3日間の基本的質疑を終えた。「共謀罪」と同じ趣旨で政府が創設を目指す「テロ等準備罪」について、金田勝年法相は、普通の団体が性質を一変させた場合、組織的犯罪集団として処罰対象になり得ることを認めた。首相や金田氏らはこれまで、処罰対象について「一定の犯罪を行うことを目的とする集団に限定し、一般市民が対象となることがあり得ないよう法案を検討している」と説明してきた。
2日の質疑で、民進党の階(しな)猛氏が「一般市民も(組織的犯罪団体の)活動に関与し得る場合があるのではないか」と追及。金田氏は「正当な活動を行っていた集団が、団体の意思決定に基づいて犯罪行為を反復継続して行うよう性質が一変したと認められなければ、組織的犯罪集団と認められることはない」と述べ、普通の団体でも性質が変わったと認められた場合は処罰対象となる可能性を否定しなかった。テロ組織や暴力団、薬物密売組織に限らず、市民団体や労組、会社なども捜査機関の解釈次第で「組織的犯罪集団に変質した」と認定されれば、処罰対象に含まれる恐れが改めて浮き彫りになった。
例えば、市民団体が基地建設による自然破壊を防ぐため工事車両を止めようと座り込みを決めれば組織的威力業務妨害を目的とする組織的犯罪集団、労組が「社長の譲歩が得られるまで徹夜も辞さない」と決めれば、組織的強要を目的とする組織的犯罪集団と認定される可能性がある。
3日の質疑では、政府が示した現行法で対処できない事例についても議論があった。首相は、テロ組織が殺傷能力が高い化学薬品を使って大量殺人を計画し、化学薬品の原料の一部を入手した場合、サリン等防止法の予備罪では、サリン以外の薬品に対処できないと説明。民進党の山尾志桜里氏は「サリン以外の薬品は政令で指定できる。具体的に穴があるなら、総理の指示で明日にでも追加指定すればいい」と指摘した。
共謀罪先取りの監視 2/4 しんぶん赤旗
共謀罪(テロ等準備罪)では、誰が捜査の対象となるのかを決めるのは警察です。岐阜県大垣市では、平穏な生活を送る市民たちを警察署が「過激な集団」に仕立てあげる事件が起きています。共謀罪捜査の先取りともいえる大垣署市民監視事件をみてみました。
「元来、過激な運動を起こす上鍛治屋地区」「今後、過激なメンバーが岐阜に応援に入ることが考えられる。身に危険を感じた場合はすぐに110番してください」
これらの発言は岐阜県警大垣署の警備課課長らのもの。中部電力の子会社「シーテック」が作成した同社と同署の打ち合わせの議事録に記録されていました。
打ち合わせは2013年8月から14年6月にかけて4回行われました。シー社が計画する風力発電所建設に対する住民運動をつぶす相談です。
建設計画に批判的だったのは、大垣市上石津町の上鍛治屋地区の自治会長だった三輪唯夫さんと住職の松島勢至さんです。2人は勉強会を開いたり、シー社に情報公開を求めることで騒音や低周波被害、日照、シカやイノシシなどの獣害などの影響を検証していました。
ところが大垣署員は、2人について「自然に手を入れる行為自体に反対する人物」とレッテル貼り。過去にゴルフ場の反対運動に加わっていた情報をシー社と共有していました。
さらに大垣署員は、発電所計画と無関係だった近藤ゆり子さんと、住民訴訟を多数手がける「ぎふコラボ西濃法律事務所」の名前を持ち出します。
「このような人物とつながると、やっかい」「事務所との連携により、大々的な市民運動へと展開すると御社の事業も進まない」「平穏な大垣市を維持したい」(同議事録)と、シー社への露骨な肩入れと住民運動を危険視します。
直接介入を狙う
大垣署は相談のたびごとに、妄想をエスカレートさせ、松島さんらがさらに“危険人物”に仕立て上げられていきます。
3回目の相談からは、同法律事務所の事務局長だった船田伸子さんが4人目の“メンバー”に勝手に加えられます。船田さんは3人とは友人ですが、風力発電とは無関係でした。
松島さんと三輪さんの活動は、地元の生活環境を守るための平穏な住民運動です。
ところが大垣署の手にかかると「今回の行動は、来年の統一地方選挙に向けて動き出した気配がある。共産党の株を少しでも上げることに利用したいのでは」などと、あたかも党利党略かのように描き出されます。
さらに「(危険を感じたら)すぐに110番してください」と、直接介入する機会を狙っていたのです。
シー社の議事録は、14年に報道で明るみにでました。
被害者4人は昨年12月、岐阜県に損害賠償を求めて提訴。第1回の口頭弁論は岐阜地裁で3月8日の予定です。
発電所計画は現在、「全面的に計画を見直す」として、中止した状態です。
松島さんは「僕は、風力発電で生活を脅かされるのがいやなだけ。勉強会をやってよかったと思っている。警察は、近藤さんらを無理やり、引っ張り込んで大がかりなストーリーを描いている」と批判します。
今国会に共謀罪法案の提出を狙う安倍晋三首相は「一般の人が対象となることはあり得ない」とのべていますが、野党の追及を受け、説明の矛盾が明らかになってきています。
近藤さんは「ヘリパッド建設に反対する市民が、テレビ番組『ニュース女子』では“ある勢力の手先”のように描かれた。こうした手法が政府の常とう手段だし、事件に仕立てていくのが共謀罪だと思う」といいます。
 2月6日〜

 

「共謀罪」は十分な説明なしには進まない 2/6 日経新聞
テロや組織的な犯罪を、実行する前の計画段階で処罰する「テロ等準備罪」の新設を目指し、政府が組織犯罪処罰法の改正を検討している。いまの国会に法案を提出し、成立を図る構えだ。
この法案は国際組織犯罪防止条約を締結するための前提として、各国に整備が義務付けられた法律という位置づけだ。
これまでは「共謀罪」法案として3度国会に出されたが、「処罰対象が不明確で、恣意的に運用されかねない」といった批判が強く、いずれも廃案となった。
こうした経緯を踏まえた結果であろうが、法案提出の前から始まっている国会の論戦では理解に苦しむ場面が多い。
2020年の東京五輪対策やテロ防止を過度に強調したり、条約上絞り込めないと明言していた600超の対象犯罪を半数程度に削る姿勢を見せたり、政府側の対応はあいまいで二転三転している。
イメージの悪さを払拭する必要からか、「共謀罪とはまったく違う」「発想を変えた新たな法律だ」との説明も聞かれた。だが共謀罪とまったく違うなら肝心の条約が締結できなくなってしまう。こうなると一体何を目指しているのかさえよく分からない。
犯罪の共謀を罰する規定は、現行制度でもすでに爆発物取締罰則や国家公務員法などに13あるという。問題は共謀罪を新たに設けるということより、条約に便乗するような形で幅広く網をかけようとしてきた政府側の姿勢であることを指摘しておきたい。
各国が一致して組織犯罪を封じ込めていくという条約の意義は大きい。これに加わらないと、外国との容疑者引き渡しが滞るなど不利益があることも理解できる。
ただ条約の重点は本来、資金洗浄や人身取引などの組織犯罪に置かれている。もちろんテロも組織犯罪の一つで、同じような対策が有効だが、「テロのため」だけを強調すると本質からずれてしまわないだろうか。
そもそも国民の権利の侵害につながる懸念を持つ法案である。「本当に条約を締結するために不可欠なのか」「どの程度、処罰対象を限定することが可能か」といった疑問点も多い。
まさかカジノ法のときのような、駆け込み的成立を狙っているわけではなかろう。ここはまずは腰を据えて、分かりやすく説明していく必要がある。
「日報抄」 2/6 新潟日報
独裁者「ビッグブラザー」が支配するその国では、国民の行動はすべて思想警察の監視下に置かれている。無論、思想や言論の自由などなく、日記をつけることすら許されない−初版から70年近くたつ、英作家ジョージ・オーウェルの近未来小説「1984年」が、いま米国で売れているという。「批判的なメディアを敵視するトランプ政権の発足が影響しているとみられる」と先日の本紙が報じていた
米国といえば、前政権下では、政府の情報機関が通信を傍受し、膨大な個人情報を集めていたことが暴露された。小説の世界を地でいくような傍受活動は、テロ対策の一環とされたが、内外の批判で制限が加えられた
とはいえ、一度植え付けられた不信は容易には消えない。エキセントリックな言動が耳目を集める新大統領が、自らへの批判を封じる手段として通信監視に乗りだしはしまいか。「1984年」リバイバルの文脈は、そんなふうにも読み解ける
対岸の火事と傍観してもいられない。国会では「テロ等準備罪」を新設した組織犯罪処罰法改正案をめぐる与野党の論戦が続いている。対象犯罪が多岐多様にわたり拡大解釈による捜査権乱用が懸念されている
昨年の法改正で、捜査で電話やメールを傍受できる対象犯罪が大幅に増えたことが疑念に輪を掛ける。盗聴が横行しないか。監視社会につながらないか。「1984年」ブームが、いつ日本に飛び火してもおかしくない。そんなことを思わせる昨今の雲行きである。
「共謀罪」の創設 2/6 しんぶん赤旗
法案の国会提出は許されない
安倍晋三政権が開会中の通常国会に提出を狙う「共謀罪」法案の危険性が国会での野党の追及で次々と明らかになっています。安倍首相らは「テロ対策」のためであり、「一般の人が対象になることはない」と繰り返しますが、予算委員会の審議で、政府側は「テロ組織」の定義すらまともに説明できません。こんな状態で、国民の思想や良心の自由、人権にかかわる重大法案を持ち出すこと自体、異常です。安倍政権は法案の国会提出を断念すべきです。
歯止めのなさ浮き彫りに
安倍政権が「テロ対策」の名目で共謀罪を新設するために国会に出そうとしているのは、組織犯罪処罰法改定案です。この法案は2000年代初めから3回にわたり国会に提出されたものの、実際の犯罪行為がなくても、相談や計画しただけで処罰される危険な内容に、“内心を取り締まるのか”と国民の強い反対が広がり、3度とも廃案に追い込まれたものです。
今回、安倍政権は、共謀罪ではなく「テロ等準備罪」にしたとか、対象を絞り込むなどといって過去の共謀罪とは違うとさかんに強調しますが、野党議員の国会質問は、危険な本質に変わりがないことを浮き彫りにしています。
政府は、処罰対象は「組織的犯罪集団」に限ると説明し、その集団は、テロ組織、暴力団、薬物密売組織と例示しています。しかし、日本共産党の藤野保史衆院議員の質問に、金田勝年法相は「それ以外のものも含まれる場合がある」とした上、なにが「共謀」にあたるか判断するのは捜査機関と述べました。安倍首相も組織的犯罪集団の「法定上の定義はない」と認めました。これは事実上、警察などに判断をゆだねるというものです。いくら、労働組合や市民団体、民間企業が対象にならないよう法文上明確にする、といっても歯止めになる保証はありません。
警察はこれまでも、原発反対の幅広い市民運動などを監視対象にして情報収集を繰り返してきました。法相は、他の野党議員の追及に、共謀罪をめぐる捜査の中で、電話やメールなどの盗聴を可能にした「通信傍受法」を使うことを将来的に検討することも認めました。共謀罪の創設で、犯罪に関係のない国民の人権・プライバシーが侵される監視社会への道が一層強まることは否定できません。
「テロ対策」という口実は崩れています。日本はすでにテロ防止のための13の国際条約を締結し、57の重大犯罪について、未遂より前の段階で処罰できる国内法があります。政府が持ち出す国際条約も「テロ対策」が目的ではありません。東京五輪の開催を理由にして国民を欺き、思想・内心を取り締まる違憲の法律を成立させようというのは、極めて悪質です。
「治安維持法」再来を阻み
戦前の日本で、思想・言論弾圧に猛威をふるった治安維持法も、法案提出の際は“労働運動をする人が拘束されるようなことをいうのははなはだしい誤解だ”と政府は説明しました。しかし、実際は労働運動はじめ宗教者、学生、自由主義者など幅広い人たちが弾圧の対象になりました。この痛苦の過ちを繰り返してはなりません。
100人を超す刑法研究者が法案反対声明を出すなど批判は広がっています。この声を無視し暴走することは絶対に許されません。
予算委員会における「テロ等準備罪」に関する質疑について 2/6 法務省配布
○ 予算委員会における「テロ等準備罪」に関する質疑については、以下の点に配慮すべきである。
(1) 「テロ等準備罪」に関する法案は、現在、提出を検討している閣法であること
(2) 法案について、現在、検討中であり、与党協議も了していない状況にあること
また、関係省庁との調整中であること
予算委員会における「テロ等準備罪」に関する質疑については、それが基本的な政策判断に関わるものであれ、具体的な法律論に関わるものであれ、ことは法案に関するものであり、かつ、同法案が上記のような状況にあることからすれば、成案を得た後に、専門的知識を有し、法案作成の責任者でもある政府参考人(刑事局長)も加わって充実した議論を行うことが、審議の実を高め、国民の利益にもかなうものである。
○ 建設的な議論を進めるためには、委員からの質問通告として、極めて大まかな項目の要旨のみでは不十分であり、答弁の準備が適切にできる程度のお尋ねの方が答弁が充実するものと考える。
○ 加えて、本日のように、TOC(国際組織犯罪防止)条約の解釈という外務省の所管事項にわたるお尋ねがある場合には、所管の外務大臣が登録されることにより、答弁が充実するものと考える。
○ 以上を踏まえて、法案について成案を得て国会に提出した後、所管の法務委員会において、しっかりと議論を重ねていくべきものと考える。  
 
2/7
共謀罪 法相答弁二転三転 2/7 しんぶん赤旗
「共謀罪」法案をめぐる6日の衆院予算委員会の審議で、金田勝年法相の答弁が二転三転して審議が再三止まり、政府説明の矛盾が改めて浮き彫りになりました。
焦点となったのは、共謀罪を「国際組織犯罪防止条約を締結するために必要」とする政府の説明について。民進党の緒方林太郎議員は、安倍首相が「(共謀罪創設の)目的は二つだ」として▽国際組織犯罪防止条約の批准▽テロ対策の穴を埋める―を挙げた(3日、衆院予算委)答弁を引用。条約は「金銭的利益その他の物質的利益を得る」目的の重大犯罪への対処を求めている一方、「テロ」とは「政治上その他の主義主張に基づ(く)」もの(秘密保護法の規定)だと指摘し、両者が重なる部分は非常に少ないとして、当初の政府説明との矛盾を追及しました。
金田法相は「条約の解釈は外務省の所管だ」などと明確に答えず、審議がストップ。緒方氏はこの問題について政府の統一見解を求めました。
民進・階猛議員は、「合意に加え、実行準備行為があって初めて処罰の対象となる」との説明を追及。「合意+実行準備行為」と現行刑法の犯罪4類型(既遂罪、未遂罪、予備罪、準備罪)や共謀罪との違いを尋ね、「政府説明は、新しい犯罪類型をつくるということか」と迫りました。
金田法相は、4類型や共謀罪との違いを説明できませんでした。
階氏は、ある行為が実行準備行為にあたるかは、共謀段階から捜査しなければ判断できないとして、「任意捜査は、共謀だけの段階でもできるのか」と聞きました。金田法相は、そのことを否定しませんでした。
階氏は、逮捕については、共謀だけの段階ではできないと政府が明言していることに触れ、任意捜査についても同様に明言しない矛盾を指摘。共謀だけで捜査できるのならば「実態は共謀罪の可能性が高い」と強調しました。
2/8
共謀罪論戦 疑問に正面から答えよ 2/8 茨城新聞
「テロ等準備罪」を巡る国会論戦で安倍晋三首相は「共謀罪と呼ぶのは誤りだ」と何度も繰り返した。政府の言い分はこうだ。犯罪に合意したら処罰する共謀罪とは全く違う。合意に加え下見などの実行準備行為がないと逮捕できない。適用は暴力団など「組織的犯罪集団」に限られ、一般の人が処罰されることはあり得えない。
さらに国際組織犯罪防止条約を締結し、2020年東京五輪・パラリンピックに向けテロ対策を進めるのに不可欠と訴える。ところが野党が「計画段階で処罰するなら共謀罪と変わらない」とし、現行法でテロに対処できない理由や一般の人が処罰されない根拠などをただしても「法案を検討中だから」と詳しく説明しようとしない。
特に法相の答弁はひどい。「検討中」とかわしたり、用意された書面を棒読みしたり。質問とかみ合わず、たびたび審議が中断した。法務省は「法案提出後に、しっかりと議論を重ねていくべきだ」との見解を文書で発表。法相自身の指示というから、前代未聞だ。文書は撤回されたが、野党は反発を強めている。
法案の必要性や基本的な立て付けについて、きちんと説明しないのは不誠実と言うほかない。しかも憲法で保障された表現の自由など基本的人権に大きな影響を及ぼしかねない法案であり、政府は多くの疑問や指摘に正面から答えるべきだ。
政府は過去に3度、共謀罪の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を提出した。しかし重大な犯罪に合意しただけで実行しなくても処罰する共謀罪に「内心の自由を侵す」と批判が噴出。適用対象を単に「団体」としたことから「市民団体や労働組合も対象になる」と反対が渦巻き、いずれも廃案に追い込まれた。
それを踏まえ今回、共謀罪からテロ等準備罪に罪名を変えるなど一連の修正を施した。また重大な犯罪は「4年以上の懲役・禁錮の罪」と条約に定めがあり、削れないとしてきた676もの対象犯罪も半分以下に絞り込む検討を進めている。
共謀罪の色合いを薄め、テロ組織や暴力団でなければ処罰されないと力説。加えて「テロ組織が殺傷力の高い化学薬品の原料を入手した」「複数の航空機を乗っ取り高層ビルに突っ込ませようと計画して航空券を予約した」など三つの事例を挙げ「現行法では的確に対処できない」とした。
金田法相 責務忘れた「質問封じ」 2/8 朝日新聞
閣僚の責務と使命を忘れ、国会、そしてその国会に代表を送りこんでいる、主権者たる国民を愚弄(ぐろう)した話である。
衆院予算委員会で「共謀罪」をめぐる質疑が続いていることを受け、金田法相が「導入のための法案が国会に提出された後で、担当局長も加わって、法務委員会で議論すべきだ」とする文書を事務当局にまとめさせ、報道機関に配布した。
きのうになって「国会に対して審議のあり方を示唆するものと受けとめられかねず、不適切だった」と述べ撤回・謝罪したが、それで済む話ではない。
法相によると、問題の文書は答弁に臨む「自分自身に向けたメモ」だったという。
たしかに、法案の詳細が固まっていない段階では説明できない点もあるだろう。細部にわたる質問には、官僚の手助けを受けたほうが正確な回答ができるという事情も理解できる。
しかし、だから今はまともな答弁をするつもりはない、というのでは考え違いも甚だしい。
共謀罪に関する法案は、この国会の最大の論点のひとつだ。人権と治安にかかわる問題で、国民の関心も高い。
与野党を問わず国会議員が政府の考えをただすのは当然で、それに誠実に向き合い、説明を尽くすのが閣僚の務めである。質疑を通じて疑問や批判がどこにあるかを見きわめ、法案づくりに反映させることは、政府にとっても有益なはずだ。
それなのに、自由な議論を否定するような態度を見せ、自らの正当性を記者に訴えるとは、閣僚としての資質が疑われる。指示されたとはいえ、そんな法相をいさめもせず、文書を作って配布した法務省の役人の状況対応能力の欠如にも驚く。
法相の主張が著しく説得力を欠く理由に、安倍政権の国会運営の強引さも挙げられる。
特定秘密法や一連の安保法制がそうだったように、国会での論戦を通じて数々の問題点が浮上しても、一定の審議時間がくれば質疑を打ち切り、数の力で成立させる。それがこの内閣と与党が重ねてきたやり方だ。
こうした強権的な体質を棚にあげて、「法案が提出された後に充実した議論を行うことが、審議の実を高め、国民の利益にもかなう」などと訴えても、言葉通りには受け取れない。
共謀罪をめぐるこれまでの答弁は、首相をふくめ、過去の政府見解との整合を欠き、都合のいい内容に終始している。加えて、この「質問封じ」だ。
国民の理解を得るまでの道のりは、はるかに遠い。
共謀罪論戦 国民の懸念拭う説明を 2/8 山陰中央新報
「テロ等準備罪」を巡る国会論戦で安倍晋三首相は「共謀罪と呼ぶのは誤りだ」と何度も繰り返した。政府の言い分はこうだ。犯罪に合意したら処罰する共謀罪とは全く違う。合意に加え下見などの実行準備行為がないと逮捕できない。適用されるのは暴力団など「組織的犯罪集団」に限られ、一般の人が処罰されることはあり得えない。
さらに国際組織犯罪防止条約を締結し、2020年東京五輪・パラリンピックに向けテロ対策を進めるのに不可欠と訴える。ところが野党が「計画段階で処罰するなら共謀罪と変わらない」と指摘し、現行法でテロに対処できない理由や一般の人が処罰されない根拠などをただしても「法案を検討中だから」と詳しい説明はない。
特に法相の答弁はひどい。「検討中」とかわしたり、用意された書面を棒読みしたり。質問とかみ合わず、たびたび審議が中断した。法務省は「法案提出後に、しっかりと議論を重ねていくべきだ」との見解を文書で発表。法相自身の指示というから前代未聞だ。文書は撤回されたが、野党は反発を強めている。
法案の必要性や基本的な立て付けについて、きちんと説明しなければ不誠実だと言われても仕方ない。しかも憲法で保障された表現の自由など基本的人権に大きな影響を及ぼしかねない法案であり、政府は多くの疑問や指摘に正面から答えるべきだ。
政府は過去に3度、共謀罪の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を提出した。しかし重大な犯罪に合意しただけで実行しなくても処罰する共謀罪に「内心の自由を侵す」と批判が噴出。適用対象を単に「団体」としたことから「市民団体や労働組合も対象になる」と反対が渦巻き、いずれも廃案に追い込まれた。
それを踏まえ今回、共謀罪からテロ等準備罪に罪名を変えるなど一連の修正を施した。また重大な犯罪は「4年以上の懲役・禁錮の罪」と条約に定めがあり、削れないとしてきた676もの対象犯罪も半分以下に絞り込む検討を進めている。
共謀罪の色合いを薄め、テロ組織や暴力団でなければ処罰されないと力説。加えて「テロ組織が殺傷力の高い化学薬品の原料を入手した」「複数の航空機を乗っ取り高層ビルに突っ込ませようと計画して航空券を予約した」など三つの事例を挙げ「現行法では的確に対処できない」とした。
しかし要を得ない答弁が目立つ。化学薬品の事例を巡り「サリン等人身被害防止法の予備罪を適用できる」との指摘に、法相は「判例で予備に当たると言い難い場合がある」と述べた。そんな判例はなく「判例的な考え方」と言い繕ったが、最後は答弁を訂正した。
航空機乗っ取りについても、野党は有力な学説を引いて「ハイジャック防止法の予備罪を適用できる」とした。政府は「予備罪に当たらないこともある。テロ等準備罪には間違いなく当たる」と反論したが、なぜ予備罪を適用できないかは具体的に説明しなかった。
東京五輪開催に向けてテロ対策が重要なのは分かる。それだけに国民の懸念を拭うよう、きちんと正面から答え、丁寧に説明すべきだ。
2/9
「共謀罪」審議迷走 懸念に誠実に向き合え 2/9 秋田魁新報
「共謀罪」の構成要件を変えて政府が今国会への提出、成立を目指している「テロ等準備罪」を新設する法案を巡る議論が、提出前から迷走している。
既に衆院予算委員会で審議が進んでいるが、法案を所管する法務省が「法案提出後に、所管の法務委員会でしっかり議論を重ねていくべきだ」とする異例の文書を発表。野党が「(予算委での)質問封じだ」と反発したのを受け、金田勝年法相(衆院秋田2区)が自身の指示で文書を作成したことを認め、文書を撤回し謝罪した。
民進党など野党4党は「行政府が立法府の議論の在り方に注文を付けるのは前代未聞だ」などとし、金田氏の法相辞任を要求した。菅義偉官房長官は金田氏に誠実に対応するよう注意したという。
これまでの予算委の審議では、金田氏の答弁が二転三転するなど安定せず、審議が中断する場面が目立った。
予算委は国の基本方針全般を議論するのが慣例で、質問内容に制限はない。まして共謀罪法案は、犯罪を行うことに合意しただけで処罰するものとして「内心の自由を侵す」「恣意(しい)的に運用されかねない」などの批判が相次ぎ、過去3度廃案になった経緯がある重大な案件だ。
今回は、合意に加えて犯罪の「準備行為」を行った場合に限定。適用対象も従来の「団体」から「組織的犯罪集団」に変え、構成要件を厳格化したという。だが、法案に対する懸念は根強く活発な審議が必要なはずだが、金田氏の対応は議論の深化に背を向けるものだ。これでは国民の理解が得られないことを肝に銘じるべきだろう。
予算委の審議では安倍晋三首相が前面に出て、2020年の東京五輪・パラリンピックに向け、テロ対策を進めるには法整備が必要だと強調。国会が03年に締結を承認した国際組織犯罪防止条約を批准するには、共謀罪の創設が不可欠と説明する。
政府は、条約が懲役・禁錮4年以上の刑が科される犯罪を対象とするよう求めているとして、共謀罪の適用範囲をこれまで676の犯罪としてきた。だが、対象が広すぎると懸念する公明党に配慮し、テロに関わる200〜300の犯罪に絞り込む方針に転換。条約上、絞り込めないという従来の説明と異なっており整合性が問われる。
日弁連などは条約に関する国連立法ガイドを基に、共謀罪を創設しなくても、組織的犯罪集団に対し有効な措置を講じることで条約を批准できると指摘している。そもそも法案が必要なのかという疑義であり、政府は説明責任を果たすべきだ。
首相は犯罪構成要件に準備行為を加えたことで、これまでの共謀罪とは全く別だと訴えるが、何を準備行為とするかは捜査機関の判断に委ねられ、乱用の恐れは消えない。過去の議論も踏まえ、政府は懸念や疑問に誠実に答える必要がある。
「北斗星」 2/9 秋田魁新報
金田勝年法相の座右の銘が「汝(なんじ)、何のためにそこにありや」であることは、氏が大臣に就任した際に小欄で紹介した。今も座右の銘で変わりないと思う
この言葉、金田氏が秋田高校に在学中、当時の鈴木健次郎校長が事あるごとに生徒に熱く訴えた。「いつなんどき、どこで誰にこの問いが発せられても、即座に断言のできる自覚ある生活者であってほしい」と続く。人生の指針としている卒業生も多い
「テロ等準備罪」を巡る国会審議で金田法相が窮地に立っている。野党の質問に立ち往生した揚げ句、「議論は改正案が国会に提出された後にした方がいい」との文書を記者向けに出し、野党から「議論から逃げるのか」と猛反発を食って撤回、謝罪する始末である
法案も固まっていないのにあれこれ具体的に問われても答えようがないよ、という気持ちは分からなくもない。しかし文書で配るとは言い訳がましい。「大臣、それは逆効果ですよ」と止める部下がいなかったのも残念だ
金田氏をよく知る人は、「頭が良くて、あれでいて人が良いものだから、野党の質問に正面から答えようとして結局窮する。もっと大所高所から見解を述べればいいのになあと思う。官僚との意思疎通も十分にできていないのではないか」と心配する
国際テロを防ぐ新たな法律が絶対に必要で、それを仕上げるために自分がいるのだと確信するなら、ばかを演じてでも立ち向かえばいい。恩師は分かってくれると思う。
「共謀罪」混迷 金田法相には荷重すぎる 2/9 福井新聞
今国会最大の焦点となっている法案なのに「成案を得た後に法務省刑事局長も加わって議論するのが国民の利益にかなう」として質疑回避を狙った閣僚がいる。金田勝年法相である。理由は簡単だ。質問に十分答えられるだけの知識も能力もないからである。
「共謀罪」の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を巡って、国会審議が続いている。
金田氏は野党側の厳しい質問に対し、答弁に窮する場面が何度もあった。審議がたびたびストップ。官僚の書いた答弁書を棒読みする光景は熟議に程遠く、それだけでも立法府の権威を損ねるものだ。メディアの論調も厳しい。よほど困ったのだろう。そこで前述の珍文章となったのだ。
この文書は事務当局にまとめさせ、法務省記者クラブに配布した。国会で「質問封じだ」と問題視されると、「国会に対して審議のあり方を示唆するものと受け止められかねず、不適切だった」と撤回、謝罪した。野党が責任を追及しているが、「辞任の資格」は十分にあるのではないか。
法相に多少同情するならば、確かに改正案は中身が固まってはおらず、3月の提出が検討されている。詳細を説明するには無理があるのは事実だ。しかし、それも言い訳になろう。
そもそも「共謀罪」は過去3度廃案になっている。重大な犯罪に合意しただけで実行しなくても処罰できるため、「内心の自由を侵す」「市民団体や労働組合も対象になる」と世論の反発が渦巻いた。捜査機関の拡大解釈による乱用が懸念されたからだ。
今回はイメージを刷新し名称を「テロ等準備罪」に変更、対象犯罪も676から200〜300程度に絞る方向だ。世界でテロが多発し、2020年東京五輪・パラリンピックに向けた安全対策に不可欠という論理である。さらには「国際組織犯罪防止条約」を締結するために国内法が必要として理解を求める。
安倍晋三首相は質疑で声高に「共謀罪と呼ぶのは誤りだ」と強弁を繰り返す。▽犯罪に合意しただけで処罰する共謀罪とは全く違う▽合意に加え下見などの実行準備行為がないと逮捕できない▽適用は暴力団など「組織的犯罪集団」に限られる▽一般の人が処罰されることはあり得ない−というのがその理由である。
そう断じるなら、法案の必要性や基本的な枠組みをしっかり説明する責務があるのは当然のこと。
ところが、野党が「計画段階で処罰するなら共謀罪と変わらない」と指摘し、現行法でテロに対処できない理由や一般人が処罰されない根拠をただしても「法案を検討中だから」と逃げている。過去の政府見解との整合性も問われる上、準備行為が具体的に何を指すのかも定かでない。
法案は憲法が保障する表現の自由や基本的人権を侵しかねない重大な問題を内包している。またぞろ数の論理と強権的な手法で法案を押し通すのはごめんだ。
清少納言は平安中期に名随筆「枕草子」を 2/9 福井新聞
清少納言は平安中期に名随筆「枕草子」を著した人である。学者・歌人の家に生まれ、幼少のころから文才を発揮。自身が詠んだ和歌も百人一首に選ばれている
「夜をこめて鳥の空音(そらね)ははかるともよに逢坂(おうさか)の関はゆるさじ」。まだ夜が明けぬうちに鶏の鳴きまねをしてだまそうとしても、私の関所は簡単に通しませんよ
清少納言を訪ねた藤原行成(ゆきなり)が「明日は物忌みがあるから」と早々に帰ってしまった。翌朝早く「昨夜は鶏の鳴き声にせかされて」と言い訳をした行成に歌を返した
漢文の教養が深い彼女は「函谷関(かんこくかん)の鶏鳴」の故事を引用した。逃亡する孟嘗君(もうしょうくん)は函谷関に着いたが、関所は一番鶏が鳴かないと開かない。そこで部下に鳴きまねをさせてまんまと通過、命拾いした
この故事にちなんで、行成のごまかしを見抜いた清少納言の当意即妙ぶりは見事である。それに引き換え、何ともふがいないのが「共謀罪」をめぐる金田勝年法相の対応だ
従来の要件を強化する「テロ等準備罪」の国会審議に対し「法案提出後に議論すべきだ」という文書を作成。野党の追及逃れ、質問封じと批判された
清少納言と行成は仲が良く大事に至るはずもないが、共謀罪は国民も監視社会への懸念を抱いている。「鳥の空音」でだまし通せると思ったらとんでもない。答弁もしどろもどろで、法相の辞任要求は致し方ない。
金田法相 「答弁できぬ」が問題だ 2/9 毎日新聞
謝罪すれば済む話ではない。「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案に関して金田勝年法相が「国会提出後に議論すべきだ」とする文書を法務省に作成させて報道機関に公表し、わずか1日で撤回した問題である。
要するに文書は「まともに答弁できないから国会での質疑はしばらく勘弁してくれ」と言っているのに等しい。「質問封じ」は国会軽視であるとともに、法相の勉強不足を自ら認めているようなものだろう。
確かに法案はまだ国会に提出されておらず、与党協議も終えていない。だが今の政権は、与党が了承しさえすれば、国会提出後は多くの問題が残っていても数の力で成立させる強引な手法を何度も使ってきた。
組織的な重大犯罪を計画、準備した段階で処罰の対象とする今回の改正案は刑法の体系を大きく変えるものだ。提出前から野党が政府に問いただすのは当然だ。
安倍晋三首相は先の代表質問で、テロ対策だと強調し、法整備ができなければ「東京五輪・パラリンピックを開けないと言っても過言ではない」と述べている。本当に開催できないのかどうかは別として、政権としても優先課題と見ているはずだ。
にもかかわらず、なぜこんな文書を出したのか。国会での質疑を見れば理由は明らかだ。法相が再三、答弁につまずいているからである。
例えば、改正案は国際組織犯罪防止条約を批准するために必要不可欠なのかという問題がある。
政府は従来、条約を批准するためには「4年以上の懲役」が科せられる重大犯罪について「共謀罪」を新設する必要があると説明してきた。
今回は「共謀罪」を「テロ等準備罪」と言い換え、成立要件も絞り込むという。では仮に大幅に対象犯罪を減らした場合、それでも批准は可能と言うのなら、これまでの説明との整合性はどうなるのか。
あるいはテロに対してはハイジャック防止法の予備罪など現行法で対応できないのか。野党側が具体的に質問するほど法相の答弁はしどろもどろとなり、法務省の事務方が耳うちする場面も相次いだ。
かつて「大事な話なので事務方から答弁させます」と国会で答えて失笑を買った閣僚がいた。野党が法相を狙い撃ちしているのは確かだが、驚くほどの自信のなさだ。
同時に指摘すべきは、これまで明らかになった数々の疑問が国会提出後には解消されるのか、つまり政府側は国民の納得できるような答弁ができるかどうかという法案自体の問題だ。与党内の協議は議論の中身が国民に見えにくくなる。今後も国会で質疑を続けるのは当然だ。
共謀罪と法相 真摯に閣僚の責務尽くせ 2/9 山陽新聞
閣僚として何とも軽率というか、その真意さえ測りかねる行動である。
衆院予算委員会で議論されている「テロ等準備罪」を新設する法改正案を巡り、金田勝年法相が「法案が国会提出後、所管の法務委員会でしっかりと議論すべきだ。その方が国民の利益にかなう」とする文書を法務省にまとめさせ、報道機関に配った。
民進党など野党が「立法府の議論を封じるものだ」と猛反発し、金田法相は文書を撤回し、謝罪した。「注文をつける意図は全くなかった」と釈明している。事務方によると、法相から「答弁のスタンスを説明したい」と指示を受け、作成したという。
報道機関に自分の心境を知ってもらいたかったのか。それとも暗に、予算委の質疑に配慮を求めようとしたのか。法案提出前であっても、安倍政権が今国会で成立を目指す重要法案である。予算委で活発に議論するのは当然で、担当閣僚の法相には真摯(しんし)に答える責務があるはずだ。民進など野党4党は辞任を要求する方針で一致した。
与党の公明党からも「撤回し、謝罪するくらいなら、変な文書は出さない方がいい」と批判され、自民党の二階俊博幹事長が「緊張感を持って国会対応に当たるべきだ」と政府に求めたのは当然と言えよう。
テロ等準備罪は、過去に野党や国民の反発で3度廃案になった「共謀罪」を修正したものである。犯罪の構成要件を厳格化し、適用対象を「組織的犯罪集団」に限定した。安倍晋三首相は「共謀罪と呼ぶのは誤りだ」と繰り返し、2020年の東京五輪・パラリンピック開催に向け、必要な法律だと強調する。
だが、国民の基本的人権が侵害されないか、捜査機関が恣意(しい)的に運用しないかなど、従来の懸念は拭えていない。日弁連や刑事法学者らの一部も反対している。
だからこそ、国会での徹底した論戦で、与党はなぜ共謀罪が必要なのかを、野党はどこに問題があるのかを、国民に明らかにする必要がある。法相であれば、多くの疑問に堂々と真正面から答え、理解を求めねばなるまい。
ところが、法相の対応はお粗末と言うしかないものだった。答弁が二転三転して審議がたびたび中断し、質問を「検討中」とかわすことも多い。安倍首相が助け船を出す場面も見られる。閣僚としての適格性に疑問符がついても仕方あるまい。
先の国会では環太平洋連携協定(TPP)の承認案を巡り、強行採決を示唆する農相の問題発言など、与党の数の力に頼った閣僚の慢心が目についた。法相の「質問封じ」も論戦を軽んじる慢心からではなかったのか。
直近の世論調査では、テロ等準備罪の新設に対する賛否は真っ向から割れている。与党は必要性の根拠を具体的な説明で示すべきだ。
法相文書問題 三権分立侵しかねない 2/9 中国新聞
「共謀罪」の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を巡る国会論戦で、金田勝年法相が作成を指示した文書は国会審議への介入と受け止められても仕方あるまい。きのう民進党など野党4党が辞任要求で一致したが、法相本人の謝罪と撤回で政権は乗り切りたい腹積もりだ。
しかし、今国会で与野党が真っ向から対立する組織犯罪処罰法改正案について、このまま国会答弁できるのか、甚だ心もとない。それでも東京五輪とテロ対策を前面に掲げて、説明もそこそこに法案成立へ突き進むようなら、由々しき事態だ。
文書は「予算委におけるテロ等準備罪に関する質疑について」と題し、6日に法務省が報道機関向けに発表した。それによると、法案は検討中で与党協議も終わっていない段階であり「成案を得て国会に提出した後、所管の法務委員会において、しっかり議論を重ねていくべきものと考える」としている。
法相はまずもって、予算委員会の役割と権限をご存じないようだ。予算委は国の基本方針全般にわたって議論するのが慣例で、質問内容には制限がない。「法案が出てくるまでは審議お断り」と言わんばかりの文言は、国会軽視であり三権分立を侵しかねない内容だろう。
法案の細かい説明はできなくても、現職閣僚なら法案の趣旨は現段階でも説明がつくはずだ。本来なら堂々と臨めばいい。文書に記されたことは国会答弁で説明すべきであり、わざわざペーパーにして報道機関に配る意図が理解できない。
テロ等準備罪について、法相の答弁は二転三転してきた。質問とかみ合わず、たびたび審議が中断したこともある。要領を得ない答弁が際立つのだ。
化学薬品の事例を巡って「サリン等人身被害防止法の予備罪を適用できる」との指摘に、法相は「判例で予備に当たると言い難い場合がある」と述べた。そのような判例はなく「判例的な考え方」と言い直したが、最終的には答弁を訂正した。
航空機乗っ取りについても、野党は有力な学説を引いて「ハイジャック防止法の予備罪を適用できる」とした。政府は「予備罪に当たらないこともある。テロ等準備罪には間違いなく当たる」と反論したが、なぜ予備罪を適用できないかは具体的に説明できずじまいだった。
総じて法相は重要法案に関わる閣僚としては資質に疑問符が付くと言わざるを得ない。なぜこんな人物を起用したのか。
国会の存在意義をゆるがせにする動きはほかにもある。安倍晋三首相自身もそうだ。先月の施政方針演説では「憲法施行70年の節目に当たり」という表現を用い、憲法審査会で改憲について具体的な議論を深めようと訴えた。行政府の長である首相が時期まで切って立法府に決断を迫る構図ではあるまいか。
さらに首相は同じ演説で「ただ批判に明け暮れたり、言論の府である国会の中でプラカードを掲げても何も生まれません」と野党を皮肉った。これも首相の公式発言とは思えない挑発的なものである。
与党で決めれば全てOKという慢心はないか。いずれにしても、首相や政府は多くの疑問や指摘に正面から答えるべきだろう。それこそが首相の言う「建設的な議論」であるはずだ。
【法相の文書】共謀罪への不安が膨らむ 2/9 高知新聞
「テロ等準備罪」の国会審議を巡り、法務省が異例の見解を公表し、与野党から批判の声が上がる事態となっている。
現在法案を検討中であることなどを理由に「法案提出後に、所管の法務委員会でしっかりと議論を重ねていくべきだ」と文書にして報道機関に配布した。金田法相の指示で作成し、法相も手を入れたという。
国会からの批判は当然だ。行政府が立法府の議論の進め方に注文を付けたに等しい。「質問封じ」と取られても仕方あるまい。
言うまでもなく、国会は法案の有無にかかわらず政府の姿勢や国政の課題を幅広く論議する場だ。憲法で国政調査権も認められている。
ましてテロ等準備罪は、政府が「共謀罪」の構成要件を厳格化して創設を目指しているもので、今通常国会の焦点の一つである。国民の関心も高い。
だからこそ、代表質問や衆院予算委員会でも取り上げられてきた。法相がこの期に及んで国会を軽視するかのような対応を取ったことは閣僚としても、国会議員としても見識が問われる。
共謀罪は重大犯罪を実行しなくても、謀議に加わるだけで処罰できるようにするものだ。捜査機関による乱用の懸念は強く、法案は過去3回廃案になってきた。
ところが安倍政権は名称をテロ等準備罪に変え、組織犯罪処罰法改正案を提出する構えだ。2020年東京五輪・パラリンピックをテロの脅威から守るために法整備が必要と主張している。
これまでの批判も考慮し、676に上る対象犯罪を200〜300程度に絞るという。首相は「犯罪の合意があっても実行準備行為がなければ逮捕できない」との見解も示している。
だが、依然、乱用の恐れは消えていない。既存の法で対応できるとの意見もある。野党は「対象犯罪の選別は国際組織犯罪防止条約上できない」とした過去の政府答弁書との整合性も追及している。
極めて重要な論議にもかかわらず金田法相は国会答弁に窮し、誠実に答えない場面が目立っていた。加えて今回の文書である。法相がこれでは、法改正の中身や運用にも不安が膨らむ。
本人は謝罪と撤回をしたが、与党からも厳しい意見が出ている。野党は辞任を要求している。安倍首相の任命責任も問われよう。
安倍政権では昨年10月、環太平洋連携協定(TPP)承認案を巡り、山本農相が強行採決の可能性に言及する発言をし、国会が紛糾したばかりだ。閣僚によるこうした言動からは「自民1強」「安倍1強」と呼ばれる政治状況下でのおごりを感じざるを得ない。
特定秘密保護法や安保関連法、いわゆる「カジノ法」などの審議で、国民の不安を十分解消しないまま数の力で押し切る動きが続いている。誠実な対応は政権、与党全体に求められている。
「共謀罪」文書撤回 目に余る法相の国会軽視 2/9 西日本新聞
陳謝と撤回で済まされる問題ではなかろう。憲法が「国権の最高機関」と位置付ける国会の審議を一体、何と心得ているのか。法相の国会軽視は看過できない。
法務省が「予算委員会における『テロ等準備罪』に関する質疑について」という文書を同省記者クラブ所属の報道機関に配布した。
「テロ等準備罪」に関する法案は現在検討中であり、関係省庁とも調整中である。従って法案が国会に提出された後に所管の法務委員会で議論を重ねるべきだ−。
驚くべき文書というほかない。予算委員会で「共謀罪」を巡る質疑は打ち切り、法案提出後に法務委員会で審議した方がよい、と指南する内容である。ご丁寧に、その方が「審議の実を高め、国民の利益にも叶(かな)う」と注釈している。
行政府の一員である法務省はいつから立法府の審議の在り方に立ち入り、注文できるようになったのか。国会軽視にとどまらず、三権分立の原則にさえ抵触しかねない逸脱ではないか。
この文書は、金田勝年法相の指示で作成されたという。法相は衆院予算委員会で「共謀罪」の問題点をただす野党の追及にたじろぎ、答弁に窮する場面が目立つ。その予算委で法相は「答弁を整理して自分自身に向けた思いを記者に理解してもらうためだった」と釈明したが、全く理解できない。
トップの法相に指示されたとはいえ、こんな疑問だらけの文書を作成して配布した法務省事務方の見識と感覚も疑わざるを得ない。
法相は謝罪して文書を撤回したが、野党は「質問封じだ」と反発し、法相の辞任を求めている。
「共謀罪」に関する政府案は過去3度も国会で廃案になった。今度は名称を「テロ等準備罪」と変更し、構成要件も厳格化するというが、組織犯罪を計画段階から処罰する趣旨は同じだ。
お門違いの文書は図らずも、野党の追及に困惑し、国民の理解も進まない現状に苦慮する法相と法務省の姿をあぶり出した。国会で徹底審議が必要な法案であることも改めて教えてもらった。
共謀罪政府答弁 2/9 宮崎日日新聞
説明不十分で不安拭えない
「テロ等準備罪」を巡る国会論戦で、安倍晋三首相は「共謀罪と呼ぶのは誤りだ」と繰り返している。野党が「計画段階で処罰するなら共謀罪と変わらない」と指摘し、現行法でテロに対処できない理由や一般の人が処罰されない根拠などをただしても、政府側は「法案を検討中だから」と詳しく説明しようとしない。
法案の必要性や基本的な立て付けについて、きちんと説明しないのは不誠実と言うほかない。しかも憲法で保障された表現の自由など基本的人権に大きな影響を及ぼしかねない法案であり、政府は疑問や指摘に正面から答えるべきだ。
反発強まる法相文書
特に金田勝年法相の答弁はひどい。「検討中」とかわしたり、用意された書面を棒読みしたり。質問とかみ合わず、たびたび審議が中断した。
法務省は「法案提出後に、しっかりと議論を重ねていくべきだ」との見解を文書で発表。法相自身の指示というから、前代未聞だ。文書は撤回されたが、野党は反発を強めている。
政府は過去に3度、共謀罪の新設を柱とする組織犯罪処罰法改正案を提出した。しかし重大な犯罪に合意しただけで実行しなくても処罰する共謀罪に「内心の自由を侵す」と批判が噴出。適用対象を単に「団体」としたことから「市民団体や労働組合も対象になる」と反対が渦巻き、いずれも廃案に追い込まれた。
それを踏まえ今回、共謀罪からテロ等準備罪に罪名を変えるなど一連の修正を施した。
共謀罪の色合いを薄め、テロ組織や暴力団でなければ処罰されないと力説。加えて「テロ組織が殺傷力の高い化学薬品の原料を入手した」「複数の航空機を乗っ取り高層ビルに突っ込ませようと計画して航空券を予約した」など三つの事例を挙げ「現行法では的確に対処できない」とした。
準備の定義あいまい
だが要を得ない答弁が目立つ。化学薬品の事例を巡り「サリン等人身被害防止法の予備罪を適用できる」との指摘に、法相は「判例で予備に当たると言い難い場合がある」と述べた。そんな判例はなく「判例的な考え方」と言い繕ったが、最後は答弁を訂正した。
航空機乗っ取りについても、野党は有力な学説を引いて「ハイジャック防止法の予備罪を適用できる」とした。政府は「予備罪に当たらないこともある。テロ等準備罪には間違いなく当たる」と反論したが、なぜ予備罪を適用できないかは具体的に説明しなかった。
さらに捜査機関の判断一つで、市民団体などが組織的犯罪集団と認定されかねないという懸念は、いまだに拭えない。
準備行為が具体的に何を指すのかも定かになっていない。
五輪とテロ対策を前面に掲げ、説明もそこそこに法案成立に突き進むようであれば、とても国民の理解は得られまい。
「共謀罪」審議 改正案の必要性を問え 2/9 南日本新聞
「テロ等準備罪」と罪名を変えた「共謀罪」を構成要件にする組織犯罪処罰法改正案を巡る審議が混迷の度を増している。
特に、野党の質問にまともに答えられない金田勝年法相の失態は目を覆うばかりだ。
そんな折、「改正案は国会提出後に議論すべきだ」とする文書を記者クラブで部下に配らせた。野党が「質問封じ」と猛反発すると撤回に追い込まれた。
文書には、「法務省刑事局長も加わるのが国民の利益にかなう」「条約の解釈の質問は、外相が出席登録することで充実する」というくだりもあった。
自分の答弁はおぼつかないから法案提出後に刑事局長や外相に聞いてほしい−。そう述べているに等しい。
懸念された「法相リスク」の露呈である。法相の任にかなうのか、疑問を抱かざるを得ない。
計画段階で処罰する「共謀罪」法案は過去3回廃案になった。捜査機関の拡大解釈や乱用への世論の危惧が大きいからだ。
それだけにたとえ法案提出前であっても、法の趣旨や必要性などを丁寧に説明すべきである。その責任は法相にあることを金田氏は肝に銘じてもらいたい。
改正案は罪名を変えるだけではない。適用対象も範囲が漠然とした単なる団体から「組織的犯罪集団」に限定する。犯罪の構成要件も共謀だけでなく「準備行為」を加える。
その上で政府は、(1)改正案を成立させて国際組織犯罪防止条約を結ばないと、テロなどに狙われやすくなる(2)現行法ではテロに対処できない(3)過去の廃案法案より対象犯罪を減らしても条約は締結できる−などと主張する。
これらについて政府にただすべき論点は数多い。
676あった対象犯罪を200〜300に絞るというが、「対象犯罪の選別は条約上できない」とした過去の政府答弁書との整合性はどうとるのか。
サリン等人身被害防止法やハイジャック防止法の予備罪など現行法でテロに対処できない理由や、組織的犯罪集団でない一般の人が処罰されない根拠は何か。
テロ等準備罪がなければ条約を本当に締結できないのか。
こう考えると、そもそも新たな「共謀罪」法案は必要なのかという大きな疑念が湧く。
政府が、東京五輪・パラリンピックとテロ対策を前面に法案成立に突き進んでも、国民の理解は得られまい。金田氏も答弁力が改善しないなら、民進党などが求める「辞任」が現実味を帯びよう。
野党が辞任要求 金田法相“バカ丸出し”ルーツと地元の評判 2/9 日刊ゲンダイ
8日、ついに4野党から辞任要求を突き付けられた金田勝年法相。共謀罪の審議でマトモに答弁できず、揚げ句に「審議は法案提出後に」と求める文書の作成を法務官僚に指示し、中身が問題視されると、撤回――。見るに堪えないドタバタぶりだが、金田大臣は一橋大卒の元大蔵官僚で経歴は秀才そのもの。絵に描いたようなエリートがなぜ“バカ丸出し”なのか。
金田大臣の入閣は論功行賞による“在庫一掃”だ。昨年の参院選、野党統一候補に苦戦した東北6県で、地元・秋田だけ自民が勝利。その“ご褒美”に参院2期、衆院3期目にしてようやく初入閣を果たしたが、本人は身の程知らずというか、用意されたポストに不満タラタラ。
「出身官庁の財務相をやりたかったようです。最近の法相は、大臣待機組の解消ポストといわれるほど軽量級の扱いになっています。もともとプライドの高い人だけに、法相ポストをハナからなめており、もちろん必死で共謀罪の勉強をすることなどない。おまけに常に上から目線で、他人を見下しがちだから、官僚のペーパーをそのまま読むことをよしとしない。生半可な知識しかないのに、出しゃばって“断定”したりするから手に負えません。答弁に矛盾が生じ、野党が反発するのは当然ですよ」(政界関係者)
地元秋田の政界関係者もこう言う。
「07年の参院選で金田さんは落選しました。自民王国の秋田ではよほどのことです。これは、彼の傲慢な態度が有権者の反発を買ったからです。常に自分は大物だと見せたがる。諭すような話しぶりで、相手を小バカにするんです。国会の答弁を見ていても、普段そのままといった感じです」
金田大臣は8日、「私もしっかりと誠心誠意、職責を果たす思いで臨んでまいりたい」と反省したが、もう遅い。クビを洗って待つほかない。
2/10
テロ準備罪と法相 法案の成立に適任なのか 2/10 産経新聞
「テロ等準備罪」を新設する「組織犯罪処罰法改正案」の国会審議が紛糾している。
法務省が「法案提出後に議論を深めるべきだ」などとする文書を報道機関に配布したことが問題となり、金田勝年法相は自ら文書の作成を指示したことを認めて、謝罪、撤回した。金田氏は国会審議で度々答弁に詰まり、「検討中」「法案ができた後に説明したい」などと繰り返してきた。いわば、自らの説明能力欠如の言い訳を役人に作らせたようなものだ。質問封じを企図したものと受け取られても仕方がなく、その資質が問われるのも当然である。
国連は2000年、国際社会でテロと対峙(たいじ)するため、「国際組織犯罪防止条約」を採択し、各国に共謀罪を設けることを批准の条件として求めた。国連加盟国で未締結国は日本を含め、イランやソマリア、南スーダンなど11カ国にすぎない。共謀罪の適用対象や構成要件を厳格にした、テロ等準備罪の新設は、条約の批准に欠かせない。安倍晋三首相は国会審議で、「条約を締結できなければ東京五輪を開催できないと言っても過言ではない」と述べた。
それほど大事な法案であると認識するならば、法相には丁寧な説明を十分に尽くす能力が必要不可欠だ。法案に反対する野党は質疑に立ち往生する法相を作為的に標的としてきたきらいもあるが、それにたじろぐようでは、担当閣僚として適任とはいえまい。
法務省が6日、文書を配布した際、報道各社からは「誰に向けた何のための文書か」といった戸惑いと反発の声が上がったという。もっともな反応である。
法相の指示があったとして、唯々諾々と文書を作成し、配布した法務省も、想像力をあまりに欠いている。今日の事態は十分に予測できたろう。
ただ、混乱の責任の所在を法相と法務省だけに求めるわけにはいかない。政府、自民党は過去に3回廃案になった共謀罪について、必要性を説いてきた。それなのにテロ等準備罪の新設を目指すあまりか、過去の法案を否定するような物言いに終始しては、整合性を欠き答弁に苦しむことになる。
国民をテロから守るための必要な法案であるからこそ、丁寧な説明で理解を得てほしい。 
 2月11日〜

 

テロ準備罪法案 金田法相の言動は緊張感欠く 2/11 読売新聞
重要法案の担当閣僚として、自覚と責任感を欠いていないか。金田法相は、十分な準備をして国会審議に臨むべきだ。
政府は今国会に、テロ準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案を提出する。国民の理解を広げるには丁寧な審議が欠かせないが、金田氏の軽率な言動が水を差している。
その典型が、金田氏の指示で、法務省が改正案について「国会に提出した後、法務委員会において議論を重ねるべきだ」との文書を報道機関に配布したことだ。
文書は、改正案に関する政府と与党の協議が完了しておらず、成案になっていないと強調する。答弁準備のため議員の質問通告を充実させることも注文している。
衆院予算委員会で金田氏が適切に答弁できないことを責任転嫁しているような内容だった。
本格的な審議は、改正案の提出後に、関連条約の解釈を所管する岸田外相らが加わって行うのが望ましいのは確かだが、提出前の議論が排除されるものではない。
野党から「国会での質問封じだ」などと反発され、金田氏は文書の撤回と謝罪に追い込まれた。公明党の「不謹慎の極みだ」といった批判もやむを得まい。
そもそも、金田氏が国会審議で野党から集中攻撃を受けているのは、本人の答弁の拙さに起因する側面が否定できない。
過去に3度廃案となった「共謀罪」との違いを問われた際、「当時の経緯は承知していない」と答えたことには驚かされる。
これはテロ準備罪の最も肝心な点である。しっかりと積極的に説明せねばならないはずだ。
質問と答弁がかみ合わない応酬が続き、予算委員長に「質問が分からない時は答弁しないで」と注意されたこともある。
これでは、改正案に対する国民の不安の払拭はおぼつかない。法相としての資質が問われかねない。もっと緊張感を持って答弁することが求められよう。
改正案では、捜査権の乱用に対する懸念を排除するため、対象犯罪を当初の676から大幅に絞り込む方針だ。
政府は過去の審議などで、国際組織犯罪防止条約の批准の要件を満たさなくなるとして、「いずれかの罪を除外することは適当ではない」と説明していた。
従来の答弁との整合性をどう取るのか。対象犯罪を減らすことで、条約批准に支障は生じないのか。国会では、こうした点について、実のある論議を望みたい。
共謀罪文書問題 法相の資質が問われる 2/11 徳島新聞
金田勝年法相の資質には、首をかしげざるを得ない。
「共謀罪」の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を巡り、国会での「質問封じ」を狙うような文書を発表し、批判の的になっている。
金田氏は衆院予算委員会で改正案に関する野党の質問を受けて、たびたび答弁に窮していた。
そんな状況で、法務省が突然、「予算委におけるテロ等準備罪に関する質疑について」と題した文書を、報道機関向けに出したのである。改正案に関して「国会に提出した後、所管の法務委員会において、しっかり議論を重ねていくべきだ」という内容だ。
法相に対する野党からの集中的な質問や追及をかわそうという狙いは明白である。
金田氏は翌日の記者会見で、自身の指示によって文書を作成したと認め、撤回し謝罪した。
答弁能力に欠け、窮地に陥ったからといって、「改正案の提出後に議論を」と報道機関に理解を求めるとは、考え違いも甚だしい。
「テロ等準備罪」新設は、今国会の大きな焦点である。重大な犯罪の実行行為がなくても、準備行為があれば処罰できるようになるからだ。
謀議に加わっただけで処罰される「共謀罪」から名称や内容が変わるにしても、捜査機関の拡大解釈や恣(し)意(い)的な運用によって、人権が侵害される懸念は拭い切れない。市民団体などが神経をとがらせるのも無理はなかろう。
「共謀罪」法案は世論の反発が強く、過去3回も廃案になった経緯がある。国民の関心が強い法案について、提出の前から国会で論議を始めるのは、何ら不自然なことではない。
金田氏の行為は言論の府である国会を軽視しているように映る。予算委で陳謝したが、それで済むものではあるまい。法務省側も、法相の思慮を欠いた指示をおかしいと考えなかったのか。
政府、与党内からも金田氏の行動に苦言が寄せられた。野党からは法相辞任を求める声も上がっている。
政府は、2020年東京五輪・パラリンピックのテロ対策のためには、国際組織犯罪防止条約の締結が必要だとして、前提とする改正法案の成立を図る構えである。対象犯罪は当初676だったが、公明党などの意向も踏まえて、200〜300程度に絞る方向だ。
野党は「対象犯罪の選別は国際組織犯罪防止条約上できない」とした過去の政府答弁書との「矛盾」を問題視している。当然の疑問であろう。
言うまでもなく、テロ対策は大切だが、既存の法律で対処できるとの指摘もある。
テロとは直接関係のない犯罪も、実行前から幅広く取り締まれるようになれば、冤(えん)罪を誘発する恐れもある。
「テロ等準備罪」の新設によって、息苦しい監視社会にしてはならない。 
 
治安維持法犠牲者が語る共謀罪 小松ときさん・中西三洋さん

 

国会で、「治安維持法の再来」といわれる共謀罪新設法案が審議されるなか、治安維持法の犠牲者たちが中心となって設立した「治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟」は、国として被害者に謝罪し、国家賠償するよう求め、国会請願を毎年続けています。戦前、数十万人もの人々を弾圧した治安維持法で、実際に検挙され拷問を受けた犠牲者に体験を聞きました。
いま100歳。若人に伝えたい
100歳の小松ときさんは、仲間のストライキの応援に行ったという「罪」で特高警察に検挙されました。1929年のことです。前年の28年、天皇制政府は治安維持法の最高刑を死刑に改悪し、この年だけで3426人を検挙しました。
留置場では「誰から指図されたか、名前を言え」などと聞かれ黙っていると、殴る、けるの拷問を受けました。鼻血が出て顔中が真っ赤に。32年、今度は戦争に反対するビラを配布した「罪」で再び検挙、拷問を受けます。小松さんはトイレのためにもらえる懐紙を大事に取っておき、拾った鉛筆で短歌を書きとめました。「留置場生活の記念に、懐に隠してこっそり持ち出した」短歌には、当時の心境がつづられています。
「血にそみし 畳みつるわが胸は 憎しみのほのお燃えたちにけり」
小松さんは留置場で、妊娠していることに気がつきます。身重の体に拷問を受けていた小松さんが詠んだ歌。
「弾圧の さ中にはらみし吾子なれば プロレタリアの鉄の意志持て」
出獄後、無事に長女を出産しますが、夫(画家の故・小松益喜氏)も治安維持法で捕まっており留置場でした。「子どもを抱えて、金はないし仕事もない。一歩外へでたら、アカだアカだって差別を受けて仕事もなかなか見つからない。どうしたらいいか、途方にくれたわ。でも石にかじりついてでも子どもは育てようと思ったわね」
日本の敗戦。戦後も「新日本婦人の会」結成にたずさわるなど、民主運動の先頭に立ってきました。
「今、昔に戻ってきているような気がするのよ。また、ああいう時代がくるような。今の若い人は、戦争前よりかしこくなってると思うわよ。でも、かしこくなるだけじゃだめ。やっぱり行動しないとね」
道なき道を切り開き続け、今、100歳です。「若いみなさん、どうか、後を引き継いでください」
自由なき時代再現される
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟会長の中西三洋さん(88)は、マルクス主義を勉強する兄の影響を受けました。「『資本論』を読んだのは16歳の時。バツバツ(伏字)が入っていた。『世の中は変わる、変えなきゃいかん、労働者は搾取されている』ってことに目覚めたんだ」
上京した中西さんは、一年くらいあちこちの町工場を転々とした後、東芝に勤めるようになりました。
「初めて労働者になったぞって確信を持ったよ」
中西さんの仲間は、「戦争反対のストライキを計画している」と、疑われていっせいに検挙されました。1938年の10月のことです。中西さんは、たまたま床屋に行っていて難を逃れました。
「軍事工場の工員を集めて学習会なんてやってたせいで、特高から目をつけられてたんだな。群馬に逃げたけど、つけられてたんだね。泊めてもらっていた友人の家が、警官に取り囲まれていて、捕まったよ」
特高の拷問を受けました。「イスに座らせて後ろ手に手錠をかけられて、モモを竹刀で両側からぶったたく。モモが真っ黒に内出血してね。パンパンに膨れ上がる。ぶったたく、ぶん投げる。意識不明になるでしょ。意識が戻ると留置場の天井が見える。『ああ、おれは生きていた。殺されなかった』ってことを自覚するんだよ」
治安維持法を体験した中西さんの心配は共謀罪です。「共謀罪は治安維持法と同じだよ。何の自由もない真っ暗な時代が再現されてしまう。団結して食い止めないと」 
 
横浜事件

 

1942〜45年、中央公論や改造社、朝日新聞社などの言論・出版関係者約60人が「共産主義を宣伝した」などとして神奈川県警特別高等課に治安維持法違反容疑で逮捕された事件の総称。拷問による取り調べで4人が獄死したほか、約30人が有罪判決を受けた。元被告らが86年から4度にわたり再審請求したが1次、2次は棄却。3次と4次は再審を認めたものの、いずれも治安維持法の廃止などを理由に有罪、無罪を示さない「免訴」の判決が言い渡された。
2
太平洋戦争中の昭和17年(1942)に起きた言論弾圧事件。神奈川県特高警察が雑誌「改造」の細川嘉六の論文を共産主義的として細川やその知人らを検挙、さらに関連の出版関係者を逮捕し、治安維持法違反として起訴した。拷問により数名の死者を出し、「改造」「中央公論」は廃刊させられた。
3
第二次世界大戦中の1942年から1945年にかけて生じた、雑誌に掲載された論文がきっかけとなり、編集者、新聞記者ら約60人が逮捕され、約30人が有罪となり、4人が獄死した事件である。戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求をし続けた。
2005年に再審が開始され、罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴判決が下された。
経緯
1942年、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が、「共産主義的でソ連を賛美し、政府のアジア政策を批判するもの」などとして問題となり、『改造』は発売頒布禁止処分にされた。そして9月14日に細川が新聞紙法違反の容疑で逮捕された。
捜査中に、同著者と『改造』や『中央公論』の編集者などが同席した集合写真(相川博、小野康人、加藤政治、木村亨、西尾忠四郎、西沢富夫、平館利雄)が同著者の郷里・富山県泊町(現・下新川郡朝日町沼保)の料亭旅館「紋左(もんざ)」で見つかり、日本共産党再結成の謀議をおこなっていたとされた(「泊事件」)。実際は細川が1942年7月5日、出版記念で宴会を催した際の写真であったとされている。1943年に改造社と中央公論社をはじめ、朝日新聞社、岩波書店、満鉄調査部などに所属する関係者約60人が次々に治安維持法違反容疑で逮捕され、神奈川県警察特別高等課(特高)は被疑者を革や竹刀で殴打して失神すると気付けにバケツの水をかけるなど激しい拷問をおこない、4人が獄死(神奈川県警察の管轄事件であったために横浜事件と呼ばれるようになった)。『改造』『中央公論』も廃刊となった。
判決が下ったのは玉音放送がされた直後、即ち法が廃止される1ヶ月前の1945年8月下旬から9月にかけての駆け込み言い渡しで、約30人が執行猶予付きの有罪とされた。GHQによる戦争犯罪訴追を恐れた政府関係者によって当時の公判記録は全て焼却され、残っていない(遺族が再審請求に提出した証拠の「確定判決書」はアメリカ国立公文書記録管理局に保存されていた物の謄本である)。当時手を下した元特高警察官30人が告訴され、うち3人が有罪となったが、日本国との平和条約発効時の大赦により全員免訴となった。また裁判官・検察官に対しては何らの処分もされていない。
真相については現在でも不明な部分が多く、言論弾圧的な側面だけではなく反東條英機の有力な重臣であった近衛文麿の失脚を期したものではないかと推測される場合もある。というのは、近衛の側近・後藤隆之助の主宰した「昭和塾」で細川嘉六が講師をしていた関係で、塾からも逮捕者がでているからである。
弁護側の主張
有罪判決を受けた関係者・遺族は次のように主張して、まったくのでっち上げ(フレームアップ)だと主張しており、名誉回復を求めていた。
○当時非合法の秘密結社でなければならなかった共産党を再結成しようとする人間が、会合の写真などを撮る理由はない。
○同著者の論文も軍情報局の検閲を通過していたため弾圧の理由はなかったはずだ。
無実を訴え続けた元被告人やその家族、支援者らは再審請求を繰り返していた。1986年に第1次、1994年に第2次再審請求の審査が行われたがいずれも棄却された。しかし、元中央公論編集者の妻ら元被告人5人の遺族が1998年に申し立てた第3次再審請求で横浜地裁は2003年に再審開始を決定した(横浜地決平15・4・15、判時1820・45)。
検察官の即時抗告申立てに対し東京高裁は抗告審(2005年3月10日)で、警察官の拷問を認定した確定判決から、
○被告人らに対しても相当回数にわたり拷問を受け、虚偽の自白をしたと認められる
○自白の信用性に顕著な疑いがある
○横浜事件の有罪判決は、自白のみが証拠であるのが特徴
○自白の信用性に疑いがあれば、有罪の事実認定が揺らぐ
と認定した。「再審は事実認定の誤りの是正が基本。法解釈の誤りを理由にするのは、再審の本質と相いれない」ことを理由として検察側抗告を退け、横浜地裁の再審開始決定を支持した。東京高検は最高検と協議した結果、特別抗告を断念。再審開始が確定した。
他界した元被告人らの遺志を受け継いで再審を請求した遺族らは、「無罪の一言を聞くのはもちろん、なぜ横浜事件がつくられたのかを解明することが大事だ」と語った。これは再審が無罪を認めるだけではなく、治安維持法がどのような法律であったか、どれだけ多くの人がその害をこうむったのかを解明して、司法の犯罪と日本の戦争責任を明らかにすべき裁判であることを強調したものである。
○一審の横浜地裁は、2006年2月9日、「ポツダム宣言廃止とともに治安維持法は失効し、被告人が恩赦を受けたことで、刑訴法337条2号により免訴を言い渡すのが相当」と判決する。
○控訴審の東京高裁では、事実審理を行う前提となる論点であるところの、免訴判決に対して無罪判決を求めて控訴しうるかについて争われ、2007年1月19日、「被告人は刑事裁判手続きから解放され、処罰されないのだから、被告人の上訴申し立てはその利益を欠き、不適法」として、控訴を棄却した。弁護団は即日、最高裁に上告した。
○最高裁判所第二小法廷は、2008年3月14日、「再審でも、刑の廃止や大赦があれば免訴になる」として遺族らの上告を棄却した。
2008年10月に開始が決定された第4次再審第一審の横浜地裁は、2009年3月30日、第3次最高裁判例を踏襲し、免訴を言い渡した。ただし、事件の被告が無罪である可能性を示唆した上で、「免訴では、遺族らの意図が十分に達成できないことは明らか。無罪でなければ名誉回復は図れないという遺族らの心情は十分に理解できる」と述べ、刑事補償手続での名誉回復に言及した。これを受けて原告側は控訴せず、今後刑事補償手続に移ることを明らかにした。
本件に適用される旧刑事訴訟法での控訴期限である4月6日までに元被告・検察の双方が控訴しなかったため、免訴が確定した。2009年4月30日に第4次再審請求の元被告遺族が、刑事補償の請求手続きを横浜地裁に行った。遺族は、地裁が補償決定に際して事件が冤罪と判断することを期待すると記者会見で述べている。
2010年2月4日、横浜地裁は元被告5人に対し、請求通り約4700万円を交付する決定を行った。審理を担当した横浜地裁の大島隆明裁判長は決定の中で、特高警察による拷問を認定し、共産党再建準備とされた会合は「証拠が存在せず、事実と認定できない」とした。その上で確定有罪判決が「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論づけた。再審で実体判断が行われた場合には無罪判決を受けたことは明らかであるとして、実質的に被告を無罪と認定し、事実上事件が冤罪であったことを認めた。
本件について、その判決要旨が2010年6月24日付の官報並びに読売新聞、朝日新聞、しんぶん赤旗の3紙に横浜地裁の名前によって公告された。
再審遅延に対する国家賠償請求
免訴判断が示された後、元被告の遺族2人が「国側による裁判記録の処分により、再審請求が遅延して名誉回復に障害を来した」として、1億3800万円の損害賠償を求める国家賠償請求を東京地方裁判所に提訴した。2016年6月30日、東京地裁は検察官や裁判官が元被告に対する拷問を認識しながら自白を前提に起訴・判決をおこなった点や、裁判資料を処分した点についてはいずれも違法と認めたものの、国家賠償法の制定以前の事案であるとして請求を棄却した。7月11日に遺族側は判決を不服として東京高裁に控訴した。  
 
横浜事件と司法の責任 

 

裁判所が自らの過去に向き合うことが求められた判決が、東京地方裁判所で言い渡されました。太平洋戦争中、編集者など60人あまりが逮捕された「横浜事件」です。戦時中最大の言論弾圧と言われるこの事件。えん罪には司法が関与していたことが明らかになっていますが、今回の判決で過去の自分たちの責任を認めたのは、一部にとどまりました。裁判所は自分たちの歴史とどう向き合うべきか、考えます。
お伝えするポイントは3つです。
横浜事件とはそもそもどのような事件だったのでしょうか。そして司法にどんな問題があったのでしょう。さらに今回の判決で裁判所は自らの責任をどこまで認めたのでしょうか。最後に司法は過去の検証にどのような姿勢で臨むべきでしょうか。
横浜事件とは
横浜事件は昭和17年、当時の雑誌「改造」に掲載された論文が摘発されたことがきっかけでした。その後、当時の治安維持法に違反したとして、編集者や言論人など60人以上がつぎつぎと逮捕されました。多くが拷問を受けて、4人が獄中で死亡しています。雑誌は休刊に追い込まれました。当局は自由な言論が戦争の障害になると考えたのです。横浜事件は戦時中の最大の言論弾圧と言われていますが、今日ではすべて、えん罪だったことが明らかになっています。
異例の経緯と司法の責任は
被告は多くが終戦前後に有罪とされましたが、現在はすでに再審・刑事裁判のやりなおしが行われ、実質的に無罪と判断されました。不当に拘束されたことに対する補償金、「刑事補償」も支払われています。それでも遺族が裁判を起こしたのは、裁判所が警察だけでなく、えん罪に関わった裁判所自身の責任を認めないのはおかしい、と考えているからです。この事件での司法の問題とは何だったのでしょう。元被告の人たちや遺族は、昭和61年に最初の再審請求を行います。ところが戦争直後に行われた裁判の記録が、ほとんど行方不明でした。
かつて事件の弁護を担当し、戦後日弁連会長も務めた海野普吉(うんの・しんきち)弁護士は、戦後まもなく、横浜地裁で次のような光景を目撃していました。「裁判所の裏で事務官がたくさんの書類を燃やしていました。ぼくが何の書類ですかと言ったら、苦い顔をして答えませんでした」。保管すべき記録を、裁判所が自ら燃やしていという証言です。
もう1つの問題は戦争直後の粗雑な審理です。わずかに残されていた記録の1つ、ある被告の判決文を見ると、判決用紙4枚。理由が書かれているのはわずか3枚です。すでに戦争は終わっていたのに、被告が拷問を受けたと訴えても、検察も裁判所も耳を傾けず、多くは1回で審理を終え、短い判決で有罪にしていたといいます。昭和63年、裁判所は再審請求を退けます。その理由は「裁判記録が残ってないから」などというものでした。
「自分たちで廃棄しながら、記録がないから認めないのはあんまりだ」と、元被告の人たちは最高裁まで争いますが、認められません。
その後平成15年になって、第三次再審請求がようやく認められます。しかし、事件からおよそ60年。申し立てた元被告の方々は全員すでに亡くなっていました。
その後、裁判所は「刑事補償」の支払いを決めた決定の中で「検察や裁判所にも過失があった」ことなどを認めます。しかし遺族の一部は、「時間がかかり、最近まで再審を認めなかったのも裁判所の責任だ。自らの誤りを判決ではっきり認めるべきだ」と改めて裁判を起こしたのです。
判決は何を認めたか
裁判ではここまで見てきた事件の経緯が、そのまま裁判の争点になりました。判決はまず、「検察や裁判所は拷問が行われたことを知りながら、十分検討せずに有罪を言い渡した」と、戦後すぐの裁判が不十分で違法だったと認めました。さらに記録の焼却についても「裁判所の職員の関与によって、連合国軍が進駐する頃に廃棄されたと推認できる」と関与を認めました。一方で、1回目の再審請求を記録がないからなどと退けた裁判所の責任は認めませんでした。損害賠償についても「戦後すぐの違法行為は、国に賠償責任を負わせる法律がスタートする前で、国が責任を負う根拠がない」と認めませんでした。
判決は全体として、戦後すぐまでの行為に対しては、責任を一定程度認める一方、比較的最近、つまり再審を認めなかった経緯については判決文でも詳細に触れられていませんでした。個別の審理に関わる部分への検証は、腰が引けた印象です。訴えを起こした遺族からみれば、えん罪も、記録の消却も、そして再審が認められなかったことも、すべて一連の行為です。別々に判断することが、そもそも妥当だったのでしょうか。遺族は判決には納得できないと控訴する方針です。
司法の問題は過去にも
どうして司法は過去への検証に消極的なのでしょうか。そして、過去の歴史と、どのような姿勢で向き合うべきなのでしょうか。法の番人であるはずの裁判所が、個別の審理の内容ではなく、明らかに不適切な手続きなどで公正さに重大な疑問を抱かせるケースは、これまでも明らかになっています。
その1つが、昭和40年代にかけて、ハンセン病の患者の裁判を隔離された「特別法廷」で開いていた問題です。このケースでは、患者を差別的に扱った疑いが強く、最高裁判所事務総局は調査委員会を作って、現地で調査を行いました。そして今年4月に「患者の人権と尊厳を傷つけたことを深く反省する」と謝罪しました。検証が不十分だという声もありますが、最高裁がみずから調査を行って謝罪したのは、極めて異例です。
裁判所は過去の問題とどう向き合うべきか
裁判所が過去の検証に消極的な理由の一つは、「司法権の独立」への配慮があるためとみられます。裁判の公正さを保つため個別の審理には立ち入らない。後からであっても、干渉につながることはすべきでない、という考え方です。しかし、そもそも審理の公正さを疑わせるケースまで放置すれば、司法そのものの信頼を損なうことにもなりかねません。問題が明らかになれば、ハンセン病の「特別法廷」のように、今後も最高裁が「調査委員会」を作ることも検討すべきではないでしょうか。
裁判官は戦後、政治家や公務員と違い、ごく一部を除いて公職を追放されず、そのまま新たな司法の担い手となりました。そして現在、憲法は「司法権の独立」だけでなく、「裁判官の身分の保障」も定めています。しかしそれは、司法が独善的に振る舞うことを許しているわけでは、決してありません。強い権限を持ち、憲法で守られているからこそ、誤りがあれば、積極的に検証し、自らを正していくことが求められていると思います。 
 
横浜事件を考える 

 

「横浜事件」という事件はない
「横浜事件」(註1)という、事件はないんですよ。普通、事件というと犯罪が行われて、犯罪に関わった人の名前などをつけて「〇〇事件」と呼びますが、横浜事件だけは特殊でして、これは、犯罪を検挙すべき警察が起こした「事件」なんです。
○ 発端は「改造」に載った論文と伺っています。
その前に、アメリカから帰ってきた川田さんというご夫妻が、アメリカで共産党に属していたというでっち上げで、まずいきなり捕まりまして(註2)、いろいろ調べられて、結局何でもないんですけども、相当な拷問があった。それが1942年で、それに始まって1945年にかけての一連の事件です。事件の数でいうと、十あまりあるんです。その総体が、全部でっち上げであったということがわかったところから、「横浜事件」とネーミングされるんです。
○ 共産主義を広めようとしている、という嫌疑が共通なんですか?
捕まった人を調べて、友達だとか、年賀状を送った先を、とりあえず検挙してみる。捕まえる時には、容疑をいろいろ言うんですが、最終的に裁判になった時には、(初めの理由が)消えちゃったりして、相当いい加減なんです。とにかく治安維持法違反(註3)であることだけは間違いない。
どういう嫌疑か、本人も家族も会社もわからない
中央公論の私の父たちが関わったとされるのは、共産党再建(註4)という謀議があったとされている件です。これは細川嘉六さんを囲む編集者たちの集まりで撮った写真が一枚、たまたま別件で逮捕した人の所から出て来たんですね。(註5)その写真にのっている奴をとりあえず捕まえろということになって、これがそうですね(本に掲載されている写真を見せながら)。富山県の泊温泉に集まっている。
○ ここに写っているのは7人ですね?
まずその7人を捕まえて、その上司、同僚、友人と、最終的に90人までいっちゃうんですよ。細川さんが書いた論文は、検閲は通るんですけれども(註6)、発表された途端に「けしからん」と言い出す奴が軍部の側にいまして、そのために警察が慌てるわけですね。慌てて、さかのぼって発禁にしたりなんかする。そういうことでマークされたんですね、細川さんが。で、そういう時に、その細川さんが写っているこの写真が、見つかるわけですよ。(註7)これはさっきの川田さんの繋がりで、川田さんご夫妻の友人(同僚)関係が捕まって(註8)、そこを叩いていくとまた友人関係が出て来るわけですよ。次々と横に広がっていく。で、大分先のところで一枚の写真が出て来た、見たら、これは大物だということになって、これをとりあえず捕まえろと。
そこで、はっきりと「共産党再建のための謀議を泊温泉でやった」というでっち上げをするわけですね。酒飲みに行っただけの話なんですけれども。それで、今度は、この友達がまた全部捕まるわけですよ。ここに写っている木村さんという人の上司が、うちの父だったんですよ。木村さんが捕まった時は「何で捕まったのかね〜?」と心配をしていた。「さっぱりわからないね」と。
○ お父様は、どういう役職だったんですか?
父はその当時は中央公論社の出版部長だったんですね。木村さんは出版部員だったんです。それで彼は細川さん担当だったんで、細川さんの論文を運んだりいろいろしていたわけですね。そんなこともあって、お世話になっているというんで、細川さんに呼ばれた。それが逮捕のきっかけになったんです。そこからは、横へも縦へも行くわけですよ。上司を捕まえろということになって、父も捕まりました。「共産党再建の謀議があった」。そのことは社内でも認識されていたんだろうと、追及されるわけですね。父親は全く知らないということで突っぱねるんですが、早速そこで拷問が始まるわけですよ。
○ その時、中央公論社の編集部全員が捕まったわけではないですよね? 捕まえるかどうかの区分けはあったんでしょうか?(註9)
区分けは、特高にしかわかりません。父は個人的に木村さんの家にも遊びに行っているような親しい上司ですから、そういうこともあったんでしょう。僕も顔をよく知っている、家族もつき合っている関係でしたから。親父はちょうどスキーに行っていて、スキー場から旅館に帰って来たら、旅館の玄関に特高が数名隠れていて、スキー靴を脱ごうとした途端に飛びかかられて、そのまま連れて行かれちゃったんです。父親のスキーと荷物を、一緒に行っていた中央公論の営業にいた人が、朝になってうちに運んで来まして、その時、スキー場で捕まったのは、親父1人でしたが、あちこちで一斉にそういう検挙があったようです。
○ その当時、何で捕まったのかということはわかっていたんですか?
全然、わかんない。誰もわかっていないんですよ。
○ どういう嫌疑か、家族にも会社にも知らされなかったんですか?
そうでしょうね。知らされると、押収するべき資料が隠されてしまうということがあるでしょうから、何も知らされないわけですよ。
○ 裁判所の令状があるわけでもなく?(註10)
あの頃は令状なんてあったんですかね。ないんじゃないですか。とにかくいきなり泥足のまま家へ入って来て、二階まで泥足のままで上がって来たんで、僕は怒った覚えがあるんですよ。僕が小学4年生の1月です。我が家は出版関係ですから、いろいろと寄贈される本があって、中央公論の本もあって、親父は本持ちでしたから、廊下なんかにず〜っと本棚があったんですけれど、その本が全部叩き落されているんで、びっくりしたんですよ。
○ 家での捜査は本だけだったんですか? 何か押収されたりは?
いや、本だけでしたね。幸いにして、(共産党関係の)左翼の文献はなかったらしいですけど。
○ もし、そういう本があったら?
あったら、そこで新しい罪状が加わるでしょうね。
一年間の拘留、拷問、会社も退職
父はちょうど1年間捕まっていました。
○ お母様は捕まったことをご家族に話されなかったそうですが。
僕には「お父さんは満州へ取材に行ってるの」と言ってました。その2年ぐらい前に実際に満州へ行ってますから、そういえば納得すると思ってたんでしょうが、毎日風呂敷包み持って出かけてりゃ、怪しいと思いますよ。ご近所の手前もありますから、そういうことにしておこうと思ったんじゃないですか。当時「非国民」という言葉は致命的ですからね、生きていく上で。僕もうすうす怪しいと思いながら、自分でも近所に対しては知らん顔していました。
○ 近所の方に陰口を言われたりというような記憶は?
いや、ないですね。うちの父親は近所づき合いのいい人だったんですよ。町会をあげて潮干狩りに行ったりね、ハイキングに行くような時に先頭に立っていたような人でしたから。勘づいた人も、ほとんどみんな貝のようになっていたんだろうと思います。後になってみるとわかるんですけれども。木村さんが捕まった時、木村さんの奥さんがうちの父親のところに来たそうですよ。「木村が捕まってしまったんですけれど、何かおわかりになりますか?」「さっぱりわかりません」「わかりませんね」という話になるわけですよ。
○ いつくらいまでわからなかったんですか?
ずっとわかんないんですよ。何があったのかわかったのは戦後で、それまではみんな振り回されていたんですよ。横浜の警察に持って行かれちゃったんで、母親は毎日面会に行ってましたけど、面会はできない。差し入れだけできる。後でわかったのは、差し入れはどうやらみんな食われちゃったらしいということですけどね、特高警察に(笑)。
○ お父様は拷問のことはお話されていましたか?
随分してました。竹刀で、それもわざと糸をほぐして先がバラバラにササラ状態になったやつで叩く。そして言うんだそうです、「小林多喜二の二の舞になりてえのか」(註11)。失神すると冬でもバケツの水をかけて、気がつくとまた竹刀です。帰って来た時は、父親の背中は傷だらけになっていましたから。1年間の拘留で、拷問のピークからは結構時間が経っていたと思うんですけれども。やっぱり痕が残っていましたね。一番多かったのは股かな。紫色の痣だらけでした。下に割った薪を、三角に尖った薪を並べて、その上に正座させといて、石を抱かせるんです、重い石を。典型的な拷問ですよ。それで「こういうことがあっただろう」「誰それはもう白状しているんだ」「お前だけが言っていないんだ」というようなことを言って、どんどん自白に追い込むわけですよ。
○ 何を言わせたいんですか、特高は?
「木村が何をしていたか知っていただろう」「相談に乗っただろう」「木村を援助したんじゃないか」「日本共産党の再建に繋がるということを知っていてお前は援助したんだろう」というようなことを認めさせようとするわけですね。筋書きはできちゃっているんですよ。逮捕当時は、父親は編集長です、「中央公論」の。若くして、40代の初め頃、編集長にされちゃったんです。その前の編集長の畑中繁雄さんがちゃんとした方で、雑誌の表紙に「撃ちてしやまん」という標語を刷らなかったんですよ。(1943年3月号から)全雑誌が「撃ちてしやまん」という標語を印刷することになっていたんです、大きい字で。それを「そんな馬鹿馬鹿しいことをやったって何の意味もない」って言って、印刷しなかったんですよ。それがためにクビが飛んだんですね、編集長のクビが。そういうナンセンスなことがあったわけで、それで父親が、若くして編集長になった。
○ そうすると中央公論社は、言うことを聞かないというイメージはあったわけですね。
マークはされてるんです。捕まったところはみんなマークされていたんですよ。(註12)中央公論でしょ、改造でしょ、日本評論でしょ、それから、岩波書店と朝日新聞も入っているんですよ。みんな誰かしら捕まっているんです。
○ 見せしめ的な。
もちろん、もちろん。たぶんね、これは推測ですけども、これらの雑誌を出しているところを廃刊に追い込むっていう狙いがあったんだろうと思うんです。事実、廃刊になるわけですから、中央公論と改造は。廃刊になるまいと思って必死でしたけどね、会社の方は。うちの母親が「こういう事情で捕まりました」と会社へ報告に行ったわけ。報告に行ったらば、逮捕の前日の日付で辞表を書いてくれと言われて。
○ 社長から?
あの名社長が言ったんですよ、嶋中雄作さんが。さすがに堪えかねて、返事を保留にして帰って来て。面会に行って、どうしましょうと聞いたら、父は「退職金、もらっとけ、もらっとけ」って。
○ 退職金はお幾ら位だったんですか?
それを元手に戦後、出版社をやるんで、それなりに結構なお金は出たと思いますが。手切れ金ですよ。「もらっとけ、もらっとけ」と言ったけれど、やっぱり、父親は許してなかったんですね。だって、その時40代半ばでしょう。死んだのは92ですけど、92になる年に、どっかドライブしようと家族で都内をドライブしたんですよ。ちょうど丸ビルがなくなるというのが話題になっていた時で、父が勤めていた当時、中央公論は丸ビルにあったんですよ、そしたら戦後初めて丸ビルに行ってみようって言って、それまで考えてみたら全然行ってないんですよ。行ったら中央公論の特定の部門がまだ残っていましてね、5階の昔の事務所のところに。そこを開けて、覗き込んで「実はここに昔いたんですよ」と懐かしそうに見てました。僕は側にいてね、ちょっと感慨無量でしたけどね。なにしろ、そのフロアでうちの母親とも出会って、結婚してということがあるもんですから。社内結婚第1号だったんですよ。
○ 辞表を書かせて、会社を救おうということだったんでしょうが、結局、潰されちゃうわけですよね?(註13)
そう。雑誌は潰されました。自由な言論が気に入らなかったんでしょうね。
神奈川県の特高は手柄を焦っていた
これは神奈川県の特高がやっている仕事だっていうことが重要だと思うんですよ。東京の特高じゃないんです。神奈川県の特高は手柄を立てていなかったんですよ。東京の特高は結構色んなことをやっていて、小林多喜二を捕まえて殺したりなんかしてますけど、神奈川県はいい手柄を立てていなかった。だから横浜に帰って来た交換船というのはいいエサだったわけですよ。で、そこから始まって、東京の色んな連中を検挙できるっていうことになって勇み足になったわけですね。
○ 手柄を立てることで特高の上層部が出世をしたりとかあったんでしょうか?(註14)
当然あったでしょうね。ただ、さすがに勇み足だということはわかっていたんでしょうね。看守の中に結構同情する人間が現れてね。うちの父親なんかも非常に世話になったんですよ。検事調べになったら否定しなさい、引っくり返しなさい」という秘策を授けてくれたのは土井さんという看守なんですよ。
○ ひっくり返すというのは何を?
それまでに手記を書かされているわけですよ。自白したことにされてるわけね。父親もその辺になるとね、突然曖昧になっちゃうんですけれども。まあそれはやむを得ないと思うんだけれど。つまり(拷問で)人事不省状態にまで追い込まれて、健康だったんで「最後まで意識を失わなかった」って言ってるけど、でも、結構怪しかったと思うんですね。その(拷問と人事不省の)挙げ句、拇印をつかされている。それは敵の書いた作文に拇印をつかされているわけですよ。最終的には手記を書けと言われて、みんなそうなんですよ。書いても気に入らないと突っ返されるわけですよ。お前は自白じゃこんなこと言わなかったじゃないかと、もっとちゃんと書けと。それでどうしても書かないと、できてる作文を持って来て「このように書け」と。そのやりとりで1年かかるわけですよ。それで、それができあがると検事調べになる。結局、うちの父親は検事のところで全部引っくり返して、「そんなことありませんでした。共産党員だったこともないし、そういうものにも関与していない」ということを言ったら、即日そこで「じゃあもう帰す」ということになった。
○ それまで自白をしたり手記を書いたりしてるわけですよね? でも釈放された。
釈放ではなく起訴猶予というんでしょうか、不起訴というんでしょうか。それは何人もいるんです。90人捕まってですね、裁判になったのは30人ですから。30人は結局、自白をしたということになっちゃったわけですよ。引っくり返しきれなかったんでしょう。裁判になったら引っくり返す、検事調べで引っくり返すということを、監房と監房の間で「(秘密)レポ」が回ったりしてね、細川さんからの手紙が来たりなんかするんですよ。そういうのを看守が運んでるんだね、きっとね。(本を読み上げる)「1944年7月初め頃から、被拘置者間の「秘密レポ」が可能になった。「下肚に力を入れよ、暴言を吐くな」」という細川の言葉を木村さんが受け取るんですよ。これ木村さんの文章にも書いてありますけどね。それで今度は木村さんは、予審に際しての申し合わせを全員に送ってるんですよ。「拷問の事実を暴露しろ」と、「泊会議が虚構であること」「自分たちは民主主義者で、共産主義者ではない」。この三つをみんなで口裏合わせようということをね(註15)。廊下を「レポ」が動いているんですよ。面白いね。
○ 不思議な気がしますよね。
あまりにもひどいでっち上げだっていうことを看守は全部知っていたわけじゃないですか。わざと(泊グループのメンバーが)行き合うように、運動場の出入りなんかをタイミング合わせたりしてたんじゃないですかね。よくそういう時に顔を合わせるという話をしてましたから。

註1 / 横浜事件
神奈川県警察部特別高等課(特高)が、検挙した十余りの事件の総称で、被害者が横浜各地の警察署・拘置所に拘束され、横浜地裁が裁判にあたったため「横浜事件」と呼ばれる。「米国共産党員事件」「ソ連事情調査会事件」「党再建準備会グループ事件」「政治経済研究会事件」「改造社並びに中央公論社内左翼グループ事件」「愛政グループ事件」などがある。氏名が確認されているだけで、編集者・研究者ら64人、未確認者を合わせると90人に及ぶ人が逮捕され、約30人が起訴・有罪(懲役2年、執行猶予3年)となった。虚偽の自白をさせるための拷問で4人が獄死、保釈直後の死者1人、負傷者は30人以上。背景に、1941年10月のゾルゲ事件の尾崎秀実逮捕で倒れた近衛文麿内閣後、近衛勢力打倒のため、そのブレーン機関である昭和研究会に関連する細川嘉六氏や研究者、官僚、企業人を検挙したという説もある。特高(特別高等警察)は、無政府主義者による天皇暗殺計画とされた大逆事件(幸徳事件)を受け、1911年(明治44年)、警視庁に、従来より存在した政治運動対象の高等警察から分かれて、社会運動対象の特別高等警察課が設置されたのが始まり。
註2 / 川田さんというご夫妻
1942年9月11日、外務省の外郭団体の世界経済調査会で、資料室長をしながらアメリカ班で研究をしていた川田寿氏と定子夫人が神奈川県特高に検挙された。1942年は日本の敗色が兆し始めた頃だが、報道統制、偽りの大本営発表で大多数の日本人はその変化にまだ気づいていなかった。川田氏は満州事変以来の日本の中国侵略に反対し、ニューヨーク寄港の日本艦隊乗組員に反戦ビラを手渡したりしたが、夫妻が共産党員になったことはない。1943年1月には夫妻の同僚、知人、親族や、無関係の帰米者も検挙され、世界経済調査会の同僚でソ連研究班員の高橋善雄氏は獄死、他は不起訴、釈放になる。川田夫妻は1回だけの公判で有罪となる。「犯罪事実」のうち、日本共産党再建やスパイ活動は消え、在米時代の活動のみが治安維持法違反とされた。
註3 / 治安維持法
国体(皇室)や私有財産制を否定する運動を取り締まることを目的として制定された日本の法律。1925年(大正14年)に制定され、1941年(昭和16年)に全面改訂され、1945年10月15日に廃止される。治安維持法による検挙者は官庁統計でも10万人近く、朝鮮、満州、台湾でも適用された。全被害者への謝罪と補償、国による全犠牲者の調査・公表を求める治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟が1968年に結成され、現在も活動を続けている。
註4 / 共産党再建
日本共産党は1922年(大正11年)に結成されるが、創設当初から治安警察法(1900年・明治33年、労働運動を取り締まるために制定)などの治安立法により非合法活動であった。(大日本帝国憲法29条で法律の範囲内で言論、著作、印行、集会および結社の自由を有するとされたが、不敬罪・出版法・新聞紙法・治安警察法・治安維持法などが制定され、それらの立法に基づく制約が本条による自由の保障に優先したことから、現代的意味における言論の自由・表現の自由・出版の自由・結社の自由は存在しなかった)1935年(昭和10年)3月に最後の中央委員だった袴田里見氏が検挙され、日本共産党中央部は完全に壊滅したことが公式に確認されている。
註5 / 細川嘉六さんを囲む編集者たちの写真
1942年7月5〜6日、富山県の泊町の料理旅館「紋左」に、同町出身の細川氏が近著『植民史』の印税で、日頃世話になっていた編集者・研究者を招待し、「紋左」の中庭で記念写真を撮った。細川嘉六氏の他、満鉄調査室の平館利雄氏と西沢富夫氏、中央公論社の木村亨氏、元東洋経済新報で東京新聞に移った加藤政治氏、改造社の相川博氏と小野康人氏の計7名が写り、撮影者は満鉄調査室の西尾忠四郎氏。(この8名は全て検挙され、拷問の末、有罪となった)
註6 / 検閲
1940年、戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的に、各省に分かれていた情報事務を統合して「情報局」(内閣直属の機関)が設置され、新聞・書籍・脚本・フィルム・レコード・絵画彫刻の検閲を行った。著作物は、出版法(1893年・明治26年制定)による文書、図書を発行した時は発行3日前に内務省に製本2部を納本する必要があった。内容が皇室の尊厳を冒涜し、政体を変改しその他公安風俗を害するものは発売頒布を禁止し、鋳型および紙型、著作物を差し押さえ、または没収し得た。情報局は紙の配給権を掌握しており、新聞・出版物の言論統制をすることが容易であった。
註7 / ある人のところで見つかる
ソ連研究会に参加していて捕まった満鉄調査室の平館氏と西沢氏の検挙時の家宅捜索で、「紋左」での記念写真を押収。(残されたアルバムには慰安旅行のスナップ写真も貼られていた)
註8 / 川田さんご夫妻の友人(同僚)関係で捕まって
1942年9月の川田寿氏逮捕の繋がりで、1943年1月、川田氏の同僚のソ連研究班員の高橋氏が捕まる。(ソ連研究会には、陸軍、海軍、満鉄調査室、外務省などが参加していたが、特高は研究者を検挙し、陸海軍将校の参加には触れず、ソ連に有利な資料を収集、宣伝した「ソ連事情調査会事件」とした) 1943年5月11日、高橋氏の上司の益田直彦氏とソ連研究会に参加していた満鉄調査室の平館氏と西沢氏が捕まり、「紋左」での記念写真から、1943年5月26日、他5名が捕まる。(細川嘉六氏は既に『改造』に載った論文が理由で1942年9月14日に検挙されていた)
註9 / 捕まえるかどうかの区分け
1944年1月29日、改造社と中央公論社の現・元編集者が一斉検挙された。改造社は、海軍省嘱託の青山鉞治氏、元「改造」編集長の水島治男氏、編集者の小林英三郎氏、若槻繁氏も捕まる。(細川論文掲載時の編集長の大森直道氏は退社して外務省上海大使館報道部嘱託となっていたため、1944年3月12日に上海で検挙) 中央公論社は、日本出版会に移っていた元「中央公論」編集長の小森田一記氏、その後の編集長の畑中繁雄氏と、検挙時の編集長の藤田親昌氏、編集者の沢赳氏、翼賛壮年団に移っていた青木滋氏も捕まる。
註10 / 裁判所の令状
近代国家は強制処分(逮捕・勾留・捜索・押収など)の多くについて令状主義(裁判官が事前に発した令状に基づかなければならない)を採用するのが一般的。捜査機関が捜査に名を借りて権限を濫用し、不当に人権を侵害することを予防する目的を持つ。しかし、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降、ブッシュ元大統領は令状を取らない大規模な通信傍受を米国家安全保障局(NSA)に認めていたことが、2005年のニューヨークタイムズのスクープで明らかになる。2013年、スノーデン氏のリークにより、NSAは令状なしに米国人の国内通話の内容を傍受でき、分析員の判断によって大規模な収集および閲覧がされていることも明らかにされた。NSAは、世界各国(アメリカの同盟国を含む)の要人などへの盗聴を行っていたことがリークされ、大きな国際問題になっている。
註11 / 「小林多喜二の二の舞になりてえのか」
小林多喜二(1903年(明治36年)〜1933年(昭和8年)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家。1929年に発表された『蟹工船』は戦中も戦後も多くの国に紹介されている。1933年、共産青年同盟中央委員会に潜入していた特高警察のスパイ三船留吉の手引きで、張り込んでいた特高により逮捕。築地警察署では、小林を寒中丸裸にして、握り太のステッキで打ってかかった。警察当局は「心臓麻痺」による死と発表したが、遺族に返された小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていたが、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。『ドキュメント横浜事件』(資料刊行会)の被害者の口述書でも、特高は「お前らの一人や二人殺すのは朝飯前だ。小林多喜二がどうして死んだか知っているか」と絶叫しながら拷問を加えたという。
註12 / 捕まったところはみんなマークされていた
出版関係は、中央公論社、改造社、東洋経済新報(検挙時は東京新聞)、日本評論社、岩波書店、朝日新聞の編集者が捕まり、敗戦がなければ、朝日新聞社の同僚や、大阪毎日新聞にも広がった可能性が高く、読売新聞外報部次長・論説委員だった鈴木東民氏も、1944年9月22日、『改造』の小林英三郎氏との関係で磯子署に召還され、休職処分・執筆停止・東京退去で起訴猶予となった。
註13 / 結局、潰されちゃう
1942年細川氏が検挙され、「改造」が発売禁止になると、「改造」は、編集長・大森直道氏と、細川氏の担当編集者の相川氏が退社し、その他の編集部員も総入れ替えとなっていた。(その後、相川氏は1943年に、大森氏は1944年3月に検挙される)1944年7月10日、東条内閣の閣議を経て、内閣情報局の改造社、中央公論社への解散命令(自発的廃業を勧める)により、両社は解散させられる。理由は「戦時下国民の思想指導上許しがたいものがある」というもの。
註14 / 特高の上層部が出世
神奈川県警の平城国義・特高課長は1944年6月、島根県警部長に栄転、1945年8月時点では情報局情報官に、拷問の指揮者の松下英太郎警部は警視となり、1945年4月には寿警察署署長に、のち藤沢署署長になり、柄沢六治警部補は警部に昇進した。(神奈川特高の暴走の背後には内務省、司法省、情報局の追認や激励もあったという) 東京地裁で予審判事の尋問を受けていた細川氏も、1943年5月の神奈川県警の「泊事件捏造」以後、1944年10月、横浜地裁に身柄が移され、容疑も治安維持法第五条「共産主義の啓蒙・宣伝の禁止」違反から、第一条「国体の変革」と第十条「私有財産制度の否認」違反に切り替わった。
註15 / みんなで口裏合わせよう
1944年10月、予審尋問で、細川氏は全否認し、暴行による自白の強要を主張し反撃し、泊グループの他のメンバーも予審では手記の否定・訂正をした。 
戦後の「冤罪究明・無罪獲得」のための再審裁判

 

○ 起訴されたのは30人位で、1945年8月下旬から9月にかけて執行猶予付きの有罪になる。その1ヶ月後(10月15日)に、検挙・起訴のもととなった治安維持法が廃止になります。 それで、有罪という判決は残るものの、牢屋に入れられるという状態ではなくなる。
戦後はね。そこで、事実無根だっていうことで更に突っぱねるかっていう相談をしてるんですけども、戦後になって自由になっているのに、頑張って何の得があるのかっていう議論をしたらしいんですよ。みんな、共産党員も牢屋から出て来て、仕事し始めているわけですから。俺たちも仕事しようよということになっちゃうわけ。その後、何人かの人が拷問した特高刑事を訴える(註16)ということがあって、裁判で有罪を勝ち取るんですけど、判決が出たとたんに(サンフランシスコ講和条約の)恩赦で、彼らは一日も服役しないですんだと、これはあとからわかったんですけど。そして何年か経ってから「俺たち有罪判決受けてんだよ、前科がついてるらしいよ。これ何とかしなきゃ」って言うんで再審請求になるんですよ。1986年になってからね、突然のように木村さんから電話がかかって来て「お父さんにも会いたいんだよ」という話になって(註17)。僕は木村さんに会って、再審請求運動の最初の頃、一緒に泊温泉に行ったり、いろいろ手伝いましたけどね。
○ そこからもまだ長いんですよね?
長いんです。
○ 1986年に、第一次の再審請求をして、結局、最高裁に行くのが2008年でしたね。
86年から2010年までかかるんですね(註18)。24年かかって、第一次(再審請求)から四次まで、三次と四次は並行してましたが。一次と二次はほとんど門前払い(再審の棄却)だったんですね。三次で一応、再審が受理(開始)されたんですけれども、免訴になっちゃったんですね。「有罪判決を下した裁判は、なかったこととする」という不思議な判決になるわけですよ。で、こりゃおかしいぞ、ということで、その後、第四次で「事件の内部に踏み込んで審議し、その虚構を解明し、横浜事件は特高警察と当局によって捏造された権力犯罪であったこと」がやっと明らかにされるわけです。それが2010年の2月。刑事補償請求の訴えに対して法律上、満額の決定を得た。だからそれは無罪であるということとイコールであるんですね。
○ でも微妙な判決ですよね。はっきり無罪だと言うわけではない。
それまでの先輩たちの顔を潰さないような判決をうまく考えたんですよね。
○ 先輩っていうのは、地裁、高裁、最高裁とそれまでの判断をしてきたところですよね。
そうそう。
○ でも訴えた方たちは、冤罪で捕まって無罪だっていうことを言って欲しいし、何でそんな事件が起きたのか、二度と同じような冤罪事件が起きないために事実関係をはっきりして、責任もはっきりして欲しいと主張されたわけでしょう?
やっとそれはね、法廷でそういうことが話し合われるという状況に、第四次ではなるんですよ。 
○ 結局、特高は思い込みの捜査をした、拷問で自白を強要した、捕まった人達は何も悪いことをしていない、(泊会議の)嫌疑は事実無根だったということで「実質的に被告を無罪」「事実上冤罪」という、日本的な不思議な決着の仕方ですよね。
賠償請求には応じるから、応じる根拠を(無罪だとはっきり)言わないけれども、そういうこと(無罪)であるっていう話ですよ。
日本の捜査の自白主義の問題
○ お父様は1年間投獄されて。
投獄とは言わないですね、拘置されていたんですね。警察に留置されてから、拘置所で拘置されていたんです。その間、警察にいる前半は拷問、拘置所に行ってからは「手記を書け」って、毎日責め立てられているという状態。
○ 拷問の期間っていうのは何日間位なんですか?
人によってまちまちみたいですよ。「わかりました、吐きます」って言っちまったら(拷問は)すぐ終わるし。(自白したら)有罪になるから、拘置は続いて裁判になるまで引っ張られちゃうでしょうけれども。
○ 今でも自白を強要するっていうのは日本の捜査・司法の一番の問題で(註19)、他に証拠がなくても自白で通す。それから自白したら楽になるからっていう形で冤罪事件が起こる。全く同じ構図が今でも続いていますね。
告げ口したら許してやるっていうことをね、散々言われるもんですから。「誰それは、お前がやったと言っているぞ」っていう、これは切り札になるわけですね。そうすると、本当はそうじゃないと思いつつも、そうかもしれないと思い始めるんですよ。これが、僕ね、一番(問題が)大きいと思うの。戦後、(拘置所から)出て来た連中がね、友達づき合いしなくなっちゃうんです、みんな。戦争中はあんなに一生懸命一緒に仕事してた連中が、お互いに不信感を持ってるんです。木村さんがね、戦後、(拘置所から)帰って来てすぐにね、うちへ来たんですよ。その時も「誰それが白状した」「誰それがなんとかした」っていうようなことをね、愚痴って帰って行った。で、うちの父親も散々それは警察に言われたと。だからみんな疑心暗鬼になっちゃって。誰も信用できない。
相互不信をテーマに戯曲を書いた
戦後になってからのそれが長いんだね。僕はそれをテーマに4本芝居書きましたけど。どこまで信じられるのかっていうね。最後の最後まで行くと、もう信じられない。ぶどうの会に書いた『ニコライ堂裏』(1962年)っていう芝居もそうです。その不信感をテーマに書いたんです。誰かを傷つけたかもしれないという思いに捕らわれている「一出版人」が、戦後の経済的に相当しんどい時期に、中小出版社があぶくのように消えてなくなるという状況の中でね、お金を借りて歩いたりしているんですが、そのお金を貸さないということの中に、実は「横浜事件」が絡んでいて。つまり「あんたに一生を駄目にされたということがあるから、今、あんたを助けることはできないんだ」みたいな、そういうどうしようもないところに話が行ってしまう人間関係を描いたんです。
○ それは、実話ですか?
似たような話があって。
○ お父様の?
いや、親父だけじゃないですけどね。親父も、戦後、出版社をやっていましたし、当時の中央公論の仲間たちもそれぞれ色んな出版社をやってたんですね。そういうところがくっついてみたり、離れてみたり、裏切られてみたり。
○ モデルは何人かいらっしゃるんですね。
うん、いろいろいる中で。僕が書けば親父の話だろうと思われちゃうけど(笑)。親父が(芝居を)見て、「俺、あんなことしねえよ」なんて言って(笑)。
○ お褒めの言葉はなかったんですか?
「よくやってるよな」って言ってましたけどね。それから民衆舞台に書いた『日本の言論1961』(1967年)。これは中央公論の例の『風流夢譚』事件(註20)、あれにぶつかった連中がみんな「横浜事件」のことを思い出したって聞いたんですよ。中央公論は即座に退くんですね、あのような目に遭いたくないって。
○ 記憶として残ってたっていうことですよね。
そうそう、残ってたんですね。そういう波紋の部分を書きたくってね、『日本の言論1961』っていう芝居を書きました。あの場合は、嶋中さんの奥さんが刺されるっていう事件に発展しちゃったものだから、尚更、怯えちゃって、そのことについては社内では喋らんっていう感じになっちゃったみたいですね。あの時、相当頑張っていた京谷さんという編集者が、その後、辞めてテレビの方に行ってから僕はつき合いがあって、いろいろな話を聞いたんだけれども。本当にすごい怯え方で。
○ 身の危険という?
身の危険というか、会社がなくなっちゃうっていう。ああいう問題が起こると広告を引きあげられちゃうだろうし、やっぱりね、新聞社・出版社は広告で息の根が止められますからね、簡単に。
○ 右翼に脅迫されるとか、右翼に刺されるとかじゃなくて。
そこまで行かなくても、広告主が怯えちゃったらそれっきりですからね。それとやっぱりね、中で「闘うべきだ!」って言う人間がいたりすると、それが火元になって、内部抗争が起きて来てね、結構、大変だったみたいね。そんな話を聞いて、そこはちょっと伏せておいて、フィクションとして「何かが起きた時に、昔の事件が影を差してきて、言うべきことも言わずに終わってしまう、これで言論人たちなのか?」っていうような芝居を書いたんですよ。
○ お父様は何か言ってらっしゃいましたか、『風流夢譚』事件や中央公論社に対して。
一貫して、「だらしねえ」とか言ってました。それから『村井家の人々』 (1994年)はもっと後になって、息子の世代が、テレビのディレクターになってまして。
○ それはご自分と重ね合わせて?
うん、重ねてはいるんですね。90年代のマスコミで、(横浜事件のようなことが)全部過去のこととして片付けられているというような状況の中で、その問題をもう一回、描いてみようということで、青年劇場が上演した芝居です。「かつて横浜事件という事件があった」というドキュメントをやろうということになって、主人公が担当させられて、いい機会だと父親が張り切って、昔のことを一生懸命喋り始める。で、カメラ回してるわけですけども、得体の知れないところから「あの番組なくなったから」という話になる。「今、そんなことやったって意味がない」というふうに押し切られてしまう。
○ ちょうど、再審裁判をされている時期ですよね?
そうそう。再審を話題にしたんです。再審されているっていうことが、新聞報道なんかでも扱いが悪いでしょ? 小さいんですよ、記事が。テレビなんかでも、当然、追っかけていいのに、追っかけないみたいなことがあって、その苛立ちで書いたんだと思います。それ以外にNHKで『父の記念日』(1959年)っていう作品を作って、これは『ニコライ堂裏』とほとんど同時期で、内容的にも一緒です。あとラジオドラマを一本作っています。それから再審請求を応援しようというんで、『証言・言論弾圧横浜事件』(1990年)っていう映画を作っているんです。僕の本で橘祐典さんが監督したんですけど。どうやって、でっち上げが行われたか、どういう拷問を受けて、結局「うん」って言わされちゃったかっていう話を1人1人掘り起こして行った、まだ皆さん生きていましたからね。
○ ドキュメンタリーなんですか?
ドキュメンタリーです。あと、最初の憲法劇の中にも書きました。一番最初の憲法劇は僕が作ったんです。『今日私はりんごの木を植える』(1983年)。名古屋(愛知憲法会議5.3集会)で作ったんですが。その時、横浜事件のようなことが起きたらどうなるか、という話をエピソードとして、結構大きく扱いました。
○ 権力からの弾圧があって、人間不信を増幅させるようなことを仕掛けて来る。
仕掛けて来るわけですね。そうするとやっぱり「みんなと一緒だ」っていうんじゃなくて、「俺は1人だ」になってくるわけですよ。その時の心細さというか。「人間ってつくづく弱いものだ」と思ったって、父親がよく言ってましたけどね。父親もたぶん、拇印を押させられたところでね、誰かを名指しでやったと言っちゃってるんですよね。そういう人に対しては戦後、顔向けできないから。それから自分のことを名指した人間とも、もう口をきかないという関係になっているわけで。
○ 交流が残った方もいらっしゃいましたか? 例えばその木村さんとかとは?
まあ若干ありましたね。でもまあね、木村さんの方は来づらかっただろうね。「藤田さんを捕まえるきっかけは自分が作っちゃった」と思ってるから。でもそういう気持ちを超えて、戦後もつき合いがありましたしね。
事前検閲と、事後検閲
○ お父様が戦後になって作られた出版社はどういう出版社だったんですか?
文化評論社っていうんですよ。後に「文化評論」っていう同名の雑誌を共産党系の出版社が出していますけど、あれとは無関係で。「文化評論」っていう雑誌を戦後、何年間か続けるんですけれども。日本の昔の、戦中の検閲は、事前検閲なんですよ。これを出してもいいかどうかっていうところで検閲するわけですよ。だから印刷しないうちに、なくなることもあるわけですよ。発禁(発売禁止)は別ですよ。発禁は、発売されてからですから、もう印刷されている。戦後になったら、日本を占領しているアメリカは「なんでも自由に作っていいよ」って言って、作ったものに対して検閲するわけですよ。全部、事後検閲なんです。で、昭和20年代のほとんどの雑誌が、これでやられてるんですよ。倉庫いっぱい、印刷されたものができちゃってから、廃棄処分しろって言われる。占領軍の命令ですから、なんとも致し方ない。父のところも、雑誌が、次々と事後検閲でやられて、結局続かなくなっちゃったんですよ。
○ 何が駄目だったんですか?
やっぱり、明らかに共産党っていう。例えば高倉輝(註21)なんかの論文を載っけるわけですよ。あれなんかはやられたんだと思うね、やっぱり。
○ 戦争中も戦後も共産党は駄目ってことでは一貫してるんですね。
そうです。戦後はアメリカにとっては、米ソ対立の(地理的な)最先端ですから、日本は。
○ 裁判の過程で明らかになって行った事実というのはあるんですか?
全貌は誰にも見えていないんですよ。大体、逮捕者が90人もいたなんて誰も知らなかった。再審裁判の中でカウントしてったら、そこまで増えちゃった。最初は40数名ですよ。それ位だと思い込んでいて。全貌は、たぶん、特高だって分かっていないと思いますよ。ついでにあいつも捕まえて、っていうことで、どんどんどんどん広がって行っちゃったんですから。

註16 / 拷問した特高刑事を訴える
1947年、細川氏を代表とする33名が、28名の特高を告発した。告訴参加を断った十数名の1人岩波書店の小林勇氏は「拷問は確かにひどかった。けれども彼ら特高などは、拳骨のようなものであって、拷問させたのは誰だ。治安維持法を作ったのは誰だ。その根源を退治しなくては拳骨をなぐり返してみても意味がない。しかも、自分たちをひどい目に合わせた司法の手に、その仲間のことを訴える。それは矛盾ではないか。そして俺は今、一分の時間も惜しんで働かねばならない。こう考えたのだった」と著書で述べている。実際、被告訴人は特高に限られ、警視正(署長クラス)以上のものは含まれず、司法省の池田克・刑事局長は最高裁判事となり、1963年まで在職。中央公論社、改造社の廃業命令時の唐沢俊樹内務次官は、戦後、衆議院議員となり、岸内閣の法相をつとめた。町村金五警保局長は参議院議員となり、田中内閣の自治相、国家公安委員長、北海道開発長官となった。保安課長、検閲課長であった金井元彦氏は兵庫県知事、のち参議院議員となった。金井氏の後任知事となった坂井時忠氏は、事件当時、検閲課雑誌担当主任であった。有罪判決を準備した石川勲蔵予審判事も、判決に当たった八並達雄判事も、1975年のテレビ番組のインタビューで、公正に審理したと答えた。
註17 / 木村さんからの電話
改造社の小野康人氏の妻・貞氏は「1986年(昭和61年)早春、木村亨氏から横浜事件の再審裁判についてのお電話をいただきました。木村氏のお話は、そのための資料を集めている、ということでした。(中略)当時、国家秘密法案が、前年の国会でいったん廃案になった後、その修正案が準備されており、いつまた提出されるかわからないという状況にありました。国家秘密法は『スパイ防止のため』と宣伝されていましたが、その本質は戦前の軍機保護法、国防保安法、治安維持法を引き継ぐものにほかなりませんでした」と著書で述べ、中曽根内閣によって出されていた国家秘密法案の阻止も再審請求の動機とされた。
註18 / 86年から2010年までかかるんですね
1945年10月15日、治安維持法が廃止。1986年、第一次再審請求。1994年、2次再審請求。1998年の第3次再審請求で、横浜地裁は2003年に再審開始を決定。2005年、東京高裁は「拷問の事実、虚偽の自白、自白のみが証拠」を認め、有罪の事実認定が揺らぐ」と認定し、再審開始が確定した。2006年、一審の横浜地裁は治安維持法失効を理由に「免訴」を言い渡す。(免訴では有罪判決を下さないだけで、無罪とはならない)2007年の東京高裁も2008年の最高裁も「免訴」を理由に棄却。2008年10月、第4次再審第一審開始が決定。2009年3月30日、横浜地裁も、免訴を言い渡したが、事件の被告が無罪である可能性を示唆した上で、「免訴では、遺族らの意図が十分に達成できないことは明らか。無罪でなければ名誉回復は図れないという遺族らの心情は十分に理解できる」と述べ、刑事補償手続での名誉回復に言及した。原告側は控訴せず、刑事補償手続きに移り、4月6日免訴が確定した。2010年2月4日、横浜地裁は元被告5人に対し、請求通り約4700万円を交付する決定を行った。特高警察による拷問を認定し、共産党再建準備とされた会合は「証拠が存在せず、事実と認定できない」とした。その上で確定有罪判決が「特高警察による思い込みや暴力的捜査から始まり、司法関係者による事件の追認によって完結した」と認定し、「警察、検察、裁判所の故意、過失は重大」と結論づけた。再審で実体判断が行われた場合には無罪判決を受けたことは明らかであるとして、実質的に被告を無罪と認定し、事実上事件が冤罪であったことを認めた。(ただし、拷問が原因で死んだ5人や60人を超す他の被害者については未決のまま)
註19 / 自白を強要されるっていうのは日本の捜査・司法の一番の問題
2013年5月、国連拷問禁止委員会で「日本は自白に頼りすぎではないか。これは『中世』の名残である」と日本の刑事司法制度への批判があった。自白のみを証拠とする捜査・司法は、常に、自白の強要・冤罪が問題となり、最高検察庁は2006年から、一部の事件の取り調べで録音・録画の試行を始めたが、一部だけでは検察にとって都合のいい部分だけを証拠にできるため、「取り調べ全過程の録音・録画(可視化)」を日弁連などは求めている。
註20 / 『風流夢譚』事件
「中央公論」に掲載された深沢七郎氏の小説『風流夢譚』の中に皇太子・皇太子妃が民衆に斬首される描写があり、1961年、右翼団体の少年が嶋中社長宅に行き殺傷事件を起こし、雅子夫人は重傷、側にいた家政婦が死亡した。
註21 / 高倉輝(タカクラ・テル)の論文
高倉輝(1891年・明治24年〜1986年・昭和61年)は、劇作家、小説家、政治家、著述家。ロシア革命の影響を受け、河上肇によってマルクス主義に接近。戯曲や翻訳を手がけ、やがて著述家として独立。1932年(昭和7年)以後、再三検挙され、戦後、1945年10月に釈放されるとともに日本共産党に入党。1946年衆議院議員に当選。1950年マッカーサーは日本共産党の非合法化を示唆し、高倉は1950年6月全国区から参議院議員に当選したが、翌日マッカーサー指令により公職追放となった。公職追放の指令は1952年のサンフランシスコ平和条約の発効とともに解除された。 
治安維持法がひどくなるきっかけだった

 

○ いつくらいから締め付けが厳しくなっていったんでしょう?
ひとつは1941年に治安維持法が全面改訂されて、それまで共産主義弾圧だけだったのが、宗教団体も右翼団体も自由主義も、とにかく政府を批判するものは全部対象になる。あそこは明らかに(ひどくなる)きっかけですよね。その次の年からですからね、神奈川県特高の一連の検挙活動が始まるのは。
○ その前も、「新聞紙条例」が更に「新聞紙法」に改悪され、「出版法」も、戦争が悪化するごとに締め付けが厳しくなって行きました(註22)。
今、日本政府が出している「特定秘密保護法案」というのが、戦中の「軍機保護法」にそっくりだと言われています(註23)。秘密かどうかは取り締まる側にしかわからなくて、捕まった人は捕まった理由すらわからない。裁判も秘密だから、裁判に異論を差し挟むこともできない。そういう懸念が指摘されています。こうした流れは、アメリカの「テロとの戦い」と関連しているようで、自衛隊法改訂(註24)の中で「特定秘密」が指定されたのは2002年です。2003年の「個人情報保護法」や「有事関連3法」などでも(註25)、報道の自由や表現の自由に関わる懸念が出されました。その後、自衛隊の「情報保全隊」(註26)の市民監視も、イラク戦争の中で明るみに出ました。そして、「盗聴法」(註27)や、「共謀罪新設」(註28)と「特定秘密保護法」を連動させれば、治安維持法より厳しい監視国家になるのではないかと危惧され、これらは、今後の改憲問題にも重なって来るのではないかと言われています。重なるね、絶対重なるね。当時は憲兵隊があったでしょ。憲兵隊が、警察は何もたもたしてるんだと言って、民間の人まで検挙し始めるでしょ(註29)。特高はもちろんあるんですよ。特高の巡査が張り付いて歩き、尾行するというような状況が大正時代にはあったわけですから。そういう流れの中で、警察と憲兵隊が競争で検挙率を上げて行くみたいなね状況があったと思うんですよ。やり過ぎて大杉栄や伊藤野枝を殺しちゃったりいろいろするわけですけど(註30)。
○ 怖いのは、「治安を維持する」とか「軍事機密を保護する」とか、「テロリストに対抗するために」(註31)作られた筈なのに、どんどん一般市民を対象に広がる点です。当時はいつくらいから不自由な感じがあったんでしょうか。まだお小さかったと思いますが。
小学生でしたからね。中野正剛が死んだ時に(註32)、父親が僕の小学校の先生のところに遊びに行ったんです。すると先生がいろいろと聞きたがって。出版の人に会えるのが嬉しくていろいろと聞くんです。中野正剛が死んだのはなぜだろうなんて話題を語っていたことを思い出すんですね。いろいろ知る立場にはいたんですよ。岸田(國士)さんが大政翼賛会の文化部長になった時(註33)、今、いろいろ資料を読んでみると、みんな期待しているんですね。岸田さんが防波堤になってくれると思って期待して送り出したんですよ。
○ 岸田さん自身もそういうふうにおっしゃっていますよね。
そういうつもりはあったんですよ。だけど、そんな甘い話じゃなかったってことになるわけだけど。この間、森本薫の『怒濤』(註34)を演出するんで読み直してみたら、結構ね、森本薫なりに闘ってるのね。昭和19年の上演ですからね。空襲の中で上演してるんですよね。で、『桃太郎』の絵本を読むシーンが出て来るんですよ。そのシーンの最後に日清戦争が起こる。そこがね見事に一幕の中で繋がっているんですよ。資料を見たらね、日清戦争の起こった後になって『桃太郎』は発表されるんです。でも、そこへ持って来てるんですね。やってるんだよ、結構、森本さんは。
○ 直接的には言わないけれど、「鬼退治」ってことですよね?
そう。「鬼退治が、日清戦争の火付けになったんじゃありませんか?」っていう小さい炎をあげているんですね。
○ でも、そこが日本の言論・表現の限界なのでは?
限界だよ、実際には役に立ちゃしない(笑)。
○ 陰ながら小さな抵抗はしても、それが大同団結して抵抗するとかにならない。例えば、ナチスに対する戦後のユダヤ人の団結力。徹底的に許さない、責任は絶対負わせる。そういうことが、ない(笑)。
ないね、ないよ。ほんとに(笑)。
「泊会議」なき、「泊事件」
○ 神奈川県の特高にしても薄々、これはでっち上げで、あまり意味がないことだとわかっていたんじゃないかと思えるんですが(註35)。
もちろん、わかっていたでしょ。
○ だから罪滅ぼし的に看守が「秘密レポ」を回したりしたんじゃないでしょうか。
もちろん、もちろん。だから看守にさえ同情されるような存在だったってことですよね。それでね、「泊事件」は裁判に持ち込むと、メンバーが起訴される時には、もう「泊会議」が消えちゃってるんですよ。
○ えっ、どういうことですか?
「泊事件」はなくて、違う罪名になってるんですよ。わけわかんない。
○ そんな裁判が許されるんですか?
(本を読み上げる)「敗戦の年、45年9月15日、泊事件の被告6人の一括裁判が行われた。「泊会議」についてはあれだけ問題にして容疑者たちを責め立てておきながら、判決書からは跡形もなく消し去られていた。「泊会議」なき泊事件判決である。敗戦で周章狼狽、戦犯追及を恐れた裁判所が、関係資料・記録を焼却しつつ、8月22日から27日の間に予審終結決定書から最大の虚構を削除して、あとはそのまま判決としたのであった。」 このいい加減さね。だから、でっち上げの証拠を消しちゃったんでしょう。それで今度、これを理由にして、証拠がないからっていうんで、再審請求を却下するわけですから。
○ 抵抗のしようはなかったんでしょうか? 現在進行形の問題として考えた場合、こういう事態を起こさないようにしたいと。
ですよね。
○ 何で捕まったかわからない。
けど、捕まった。
○ 証拠がない。
敵の作文にハンコつかない限り、殺されるかもしれないという恐怖の中で、ハンコをつかざるを得なくなっちゃう。事実殺されてしまったのも、父の部下でいたんですから。みんな朦朧とした中で拇印ついてるわけね。抵抗のしようがないね、これ。そういうことを可能にする、法律の段階で、枠組みを許しちゃいかんってことだよね。
○ そうですよね。令状がなくても、証拠がなくても、捕まえられるっていう特権を特高は持ってる、憲兵隊は持ってる、軍部も持ってる。そういう特権をまず与えちゃいけないってことですよね、絶対に。
戦後の自由は、本当に自由?
○ 戦後になって日本では、出版の自由もあり、言論の自由もあり、結社・集会の自由もありますが、戦前・戦中・戦後の流れの中で、ふじたさんはそれをどう評価されますか?
いや〜、「本当に自由かな?」っていうね。自由なつもりでいるんだけど、自分で自由じゃなくしているところが、どっかあるじゃないですか。例えばこの「お題」は触れない方がいいと思ったりするってことがあるじゃないですか。
○ 戦争が終わってすぐの時からそう思われてました?
いや、あの時はね、やっぱり『赤いりんご』(註36)ですよ(笑)。やっぱり。りんごの歌がシンボルね。青空と赤いりんごがシンボルでね。
○ でも「黙って見ている」、「何にも言わない」(笑)。表現しない。
ほんとだね(笑)。やっぱり、なんだろうね、触れちゃいけないものがありますものね。父親なんて生きている時、たぶんあったと思うのね。「お互いに傷つけ合ったっていう過去は触れないように」みたいなことはあったと思うんですよ。
○ 日本だけじゃなく、軍や秘密警察の弾圧のあった国、現在でもある国では同じですよね。戦後になって「ああ良かった」みたいな感じはあまりなかったのでしょうか?
僕、ずっと放送作家やってたから、そうするとね、やっぱりNHKの考査室は何遍もお世話になってますから(笑)。
○ そうか、検閲はあったわけですね(笑)。
検閲はあるんだよ(笑)、やっぱり、自主規制と言う「検閲」がね、今だって。何本も「ちょっとこれ預からせてくれませんか」っていうのがあったよね。日の目をみないテレビドラマとかありますよ。で、それを芝居でやったっていうことはありますけどね。芝居は自由ですよ。赤字さえ覚悟すれば(笑)。
○ 例えば、何が放送できなかったんですか?
日韓条約の締結(註37)が問題になっていた時に、NHKで『風雪』(註38)(というドラマ)をやった時かな。中山晋平をテーマにして、関東大震災の避難先の場面を設定して、『枯れすすき』が大流行するんですよ。その背景にあった事件として「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマで、朝鮮人が殺されるという背景を、伝聞としてちょっと語ったんですよ。そしたら「これはカットしてくれ」って言ってきてね。朝鮮人暴動(註39)の話のところが問題になった。「これ、事実だったんですから」「証拠があるんですから」って言っても、「それはわかってるけども、今、政治状況、そうじゃないんだ」って言われて。だからしょうがなくてね、カットせざるを得なかった。それからね、沖縄の返還(註40)の頃に、沖縄出身の兵隊が復員して来ないという話があって。熊本の連隊に入ったんですね。この兵隊はどこに行ったんだって家族が探しているっていう記事を熊本日々新聞で読んで、それを材料にして『翔びたてば鳥小(トゥイガー)』(註41)を書いた。還って来ない沖縄の兵隊が戦争中をどう生きてきて、戦後をどう生きて、最終的には死んでしまうんだけど、それを新聞記者の眼で追いつめて行くっていう作品を書いたんです。その中では朝鮮人の慰安婦が殺される事件とかも書いてあるし(註42)、沖縄の戦前の政治的な位置と戦後の位置みたいなところまで書き込んであるわけ。そしたらNHKは青くなって「これ放送したら、ちょっと問題になりますから」って言ってね。
○ 全然変わんないですね(笑)。
全然変わんないですよ。
○ 今とも変わらないし(註43)、戦前と戦中とも変わらない。
全部、繋がってるんですよ。要するに自主規制するわけね。何故、自主規制するかっていうと、やっぱりそれは、放送免許の根っこを政府に握られているじゃないですか。予算があるじゃないですか。そういうものを握られてるからNHKはすぐビビるんですよ。その他にも作品の中で「ピカドン」という言葉を使ったら、すっ飛んで来られたりしたしね。「ピカドンっていう言葉を使わないで下さい」って。
○ 今は(「ピカドン」は)大丈夫ですよね、たぶん。
そういうようなことが戦後になってもありましたから。何かっていうと権力に対してひれ伏してしまう体質っていうのが、色んなところに残ってるんじゃないですかね。まあ、それらは全部、芝居ではやりましたから。芝居は自由ですよ。だけども、その自由は限定付きでね。その芝居、中継(放送)してくれるかって言ったら、してくれないでしょう、きっと。
「検閲何してるんだ」と軍部が言い始めた
○ 「改造」に書いた細川さんの論文にしても、検閲は通っていたんですよね。
通ってるんですよ。そうすると「検閲何してるんだ、こんなもん通しやがって」って軍部が言い始めたから、やられちゃったんですよ。
○ 軍部が言い始めた理由っていうのは何だったんですか?
(本を読み上げる)「情報局の検閲を通過した細川論文(「世界史の動向と日本」)前半部分を掲載した「改造」八月号は、7月25日に発売された。すると、狂信的右翼・箕田胸喜(原理日本社・日本精神文化研究所)一派の田所広泰が細川論文誹謗の怪文書をばらまき始めた。後半部分掲載の九月号は、これももちろん情報局の検閲をパスして8月25日に発売された。ところが9月7日、陸軍報道部主催の「六日会」(毎月定例の総合雑誌批評会(註44))で平櫛孝少佐が細川論文を激しく非難した」 平櫛さんが広げたんですよね、陸軍報道部で。(本を読み上げる)「同論文は世界史の発展過程を考察し、その流れからみて、日本はアジア諸民族に対し欧米帝国主義の亜流になってはならず、その自主・自立を尊重せよと述べ、ソ連の民族政策の成功等が例示されていた」「これに対し平櫛少佐は“日本の南方民族政策において、ソ連の民族政策に学び、原住民と平等の立場で提携せよ、というのは民族自決主義で敗戦主義だ。日本の指導的立場を否定する反戦主義で、戦時下、巧妙な共産主義の宣伝である”と論難した」「ついで谷萩那華雄陸軍報道部長が「日本読書新聞」の談話で、同趣旨の非難をし、このような共産主義宣伝論文の「改造」掲載が許されたのは“検閲の手ぬかり”とのべた」「あわてた警視庁は「改造」を発売禁止、細川を治安維持法違反容疑で検挙した」
○ うーん。
これはちょうどアメリカ帰りの川田夫妻の検挙の三日後なんですけれど、全く無関係なんです、実は。後になって繋がってくるんですけど、ここでは無関係で、別の事件なんですね。
○ これ、客観的に観て、例えば現在から「世界史の動向と日本」の論文を観た時に、「共産主義的」であるのか。どうなんですか?
全然、そうじゃないんです。全然そうじゃないってことは再審裁判の中で認められました(註45)。何を考えていたんでしょうね、っていう話だよね。何でもいいんですよ、結局、理由がありさえすれば。「あの面倒な奴を黙らせろ」っていう話ですよ。頭のおかしいのが陸軍報道部のトップにいれば、世の中がそっちに流れて行くんですよ。一握りの人間が動かしていたんだからね。僕ですら、谷萩(陸軍報道部長)っていう名前を覚えてますよ、小学生でしたが。それは父親を通じて聞いてますものね。だって総合雑誌の編集者なんて、彼らと年中、飲んでなきゃいけないんですよ。飯食ってるんです(註46)。彼らと仲良くしなきゃいけないんです。何を言われるかわかんないんです、ちょっと足が遠のくと。だから全部、取り巻きになっているわけですよ、総合雑誌の編集者たちが。家で「今日は谷萩がなんとか言ってね、」みたいな話をして。僕が名前を記憶しているくらいですから。だから、陸軍報道部とのつき合いが、かなり日常生活になっていたんじゃないですか。
○ 私はそこに至る過程を知りたいんですよね。お小さくて覚えていらっしゃらないかもしれませんが。 
それは僕が生まれていない頃からの過程ですよ、そりゃ。「大逆事件」(1911年・明治44年)から何からずっと含めて、もう「オッペケペ」(1989年・明治22年)(註47)以来のことじゃないですか?ちょっとめぼしいやつはみんな尾行がついてましたからね。今日から練習なんだけど『ブルーストッキングの女たち』(註48)を名古屋でやるんですよ。読み返してみるとやたらに尾行が出て来るのね。事実そうだったらしいね。資料を見るとやっぱり出て来るんですよ。尾行をいかにまくか。あれじゃね、おちおち喋れませんよね。何喋ったって、全部通報されちゃうんだから。
○ 隣組はどうでしたか?
うちの場合はね、そこのところは敵に回るようなことはなかったですけれども。普通は大変ですよ、そりゃ。特高が来て、ガサ入れしてったなんていったら、当然、ご近所ではどういう目で見られるかわからないし、回覧板だって、そこの家、飛ばされちゃったりする状況が出て来るでしょう、きっと。あの頃っていうのは、町会の締め付けっていうのが大きいですから。
○ 隣組の仕組みも、共謀罪は似ているんですよね。
そうですね。これはしかし、江戸時代の「五人組」まで溯りますからね(註49)。日本人の体質的部分になっちゃっているからね。
○ 日本人は江戸時代からあまり変わっていないんですよね。「お上」と政府を呼ぶように、国民主権が根付いていない。
変わってない、変わってない。

註22 / 「新聞紙条例」が更に「新聞紙法」に改悪され、「出版法」も締め付けが厳しくなる
「新聞紙条例」1875年(明治8年)自由民権運動の高揚するなか、新聞・雑誌による反政府的言論活動を封ずるため制定された。1883年(明治16年)に改訂・強化され、1ヶ月以内に47紙が廃刊。前年の355紙が、年末には199紙に激減し、俗に「新聞撲滅法」とも称された。「新聞紙法」1909年(明治42年)制定。「新聞紙条例」改正案が議会に提出されるが、政府側はこれを逆手に取り、統制を強化する形で「新聞紙条例」を廃止し、「新聞紙法」を制定させた。 「出版法」1893年(明治26年)に制定。検閲などを政府が行えることを定めた。1925年(大正14年)にはラジオ放送の開始にあわせ、放送禁止事項が制定された。1938年(昭和13年)には、総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる「国家総動員法」が定められ、新聞紙法第27条においては軍事・外交のみならず一般治安や財政金融に関しても統制できるものとした。1940年(昭和15年)、情報局が設けられ、新聞統制が進められていった。1949年、「新聞紙法」「出版法」は廃止になる。
註23 / 「特定秘密保護法案」と戦中の「軍機保護法」の類似
2013年秋の臨時国会に日本政府が提出している「特定秘密保護法案」は行政機関のトップが「特定秘密」を指定するが、その妥当性を審査する仕組みや原則開示の規則もなく、行政機関のトップが永久に延長を行うことが可能で、自衛隊の情報保全隊や公安警察なども関わることが想定され、防衛秘密も「特定秘密」に統合される。特定秘密の指定事項は4分類。(1)防衛(2)外交(3)特定有害活動の防止(「その他の活動」の言葉もあり、広く市民活動が制限される)(4)テロリズムの防止(「政治上その他の主義主張に基づき、国家もしくは他人にこれを強要」する活動も含まれる)。秘密漏えいの罰則は懲役10年以下。国会議員も最高5年の処罰規定があり、国会での問題追求も出来なくなる恐れがあり、罰則は情報を知ろうとした市民にも適用され、漏えいの「そそのかし」「あおりたて」「共謀」も最高5年の処罰規定があり、調査活動を行う研究者や作家、市民団体のメンバー、ジャーナリストが罪に問われかねない。現行の国家公務員法の守秘義務で足りるとの指摘もあり、安倍首相の国会答弁では「「過去15年間で公務員による主要な情報漏えい事件は5件(うち3人は起訴猶予や不起訴処分)」だけと答えている。日弁連、ペンクラブ、報道関係、消費者団体、アムネスティ・インターナショナル日本、多くの憲法学者や刑事法学者が反対し、短期間であったがパブリックコメントの募集には9万件の意見が政府に寄せられ、その8割が反対だった。
「軍機保護法」は、日清戦争後、1899年に制定される。1941年12月の「宮沢・レーン事件」では、宮沢弘幸氏が、「樺太に旅したときに偶然見かけた根室の海軍飛行場を、友人のレーン夫妻に話した」ことで「軍機保護法」違反で、逮捕され、懲役15年の実刑判決が確定。拷問と過酷な受刑生活で結核になり、敗戦後、釈放されたが、27歳の若さで亡くなった。裁判は秘密保持のため非公開で、判決文は破棄されるか、伏せ字だらけ。詳しい内容が判明したのは一九九〇年代。小樽商科大の荻野富士夫教授が、戦中の内務省の部内冊子「外事月報」に、地裁判決の全文が掲載されているのを見つけてわかった。戦局が厳しくなると「観光でたまたま撮影した風景に軍事施設が写っていた」といったような軽微な理由で、次々と一般市民が逮捕されるようになった。
註24 / 自衛隊法の「特定秘密」
2002年、自衛隊法改訂の中で「特定秘密」が指定され、それ以来今まで、公文書館に移されたものは1件もない。2007年から2011年までの5年間で指定された文書は約5万5000件。保存期間を過ぎ廃棄された秘密文書は6割の約3万4000件。廃棄件数を年ごとにみると、2007年は2300件、2008年は3000件、民主党に政権交代後の2009年は9800件、2010年は1万600件、2011年は8600件と3〜5倍に増えている。「公文書管理法」が適用されないため、防衛省の課長級以上の担当者の判断で秘密文書を廃棄することが訓令で認められている。一般の行政文書の場合、保存期間(30年未満)終了後か、使われなくなった時点で公文書館に移すか廃棄する。廃棄には首相の同意が必要。防衛秘密漏えいの罰則は現在5年以下の懲役で防衛省職員だけでなく、兵器産業など民間の契約業者にも適用される。
註25 / 2003年の「個人情報保護法」や有事関連3法など
2003年1月22日に、劇作家協会は「表現の自由に関する緊急アピール」として、「個人情報保護法案」「人権擁護法案」「青少年有害社会環境対策基本法案」と有事関連3法案に反対した。いずれも報道規制に繋がるとマスコミでも大きな反対議論が起こり、「個人情報保護法」と有事関連3法(武力攻撃事態対処関連3法)は法制化されたものの、「人権擁護法案」と「青少年有害社会環境対策基本法案」は廃案になったまま。
註26 / 自衛隊の情報保全隊
2003年、防衛省における情報保全能力強化を目的とし、陸上・海上・航空自衛隊に編成された。2007年、日本共産党が陸自情報保全隊の内部文書を公表し、医療費負担増反対や年金改悪反対の運動、春闘まで監視対象になり、市民団体や労働組合、地方議会、報道機関、高校生のグループまでを監視し、参加者の名前や写真を記録していたことが明らかになり、「プライバシー権侵害」、「肖像権侵害」と批判された。2009年、統合幕僚長直轄の部隊に再編される。2013年、自衛隊情報保全隊による国民監視の差し止めと損害賠償を求める訴訟の控訴審で、元陸上自衛隊情報保全隊長の鈴木健氏が「一般市民も対象であったこと」「日本中のすべての自衛隊のイラク派遣に反対する運動が対象になりうること」「自衛隊のイラク派兵に反対する署名を市街地で集める活動も自衛隊に対する外部からの働きかけに当たり、監視対象になりうること」「監視対象となる団体・個人をまとめた文書があること」など、広い範囲を監視対象として、それを記録していることを初めて認めた。
註27 / 盗聴法
1999年「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律」(略称 / 通信傍受法。マスコミなど反対派は盗聴法と呼ぶ)は、憲法の「通信の秘密」を侵害するものとして反対を受けたが成立。廃止を求める国会請願署名は約23万になり、野党の多くが選挙で公約に盗聴法廃止や凍結をかかげ、国会では盗聴法廃止法案が計11回提出された。その結果、盗聴法が2000年に施行されながら、警察は2001年まで盗聴法の適用をせず、2002年に初めて2件、その後は年に2件〜11件で推移。2011年の盗聴捜査報告では、はじめて盗聴令状請求が2件却下され、令状発付件数25件のうち、16件で犯罪関連盗聴が0。そのうち2件は盗聴数が0となり、犯罪無関係盗聴率が91%とはじめて90%をこえた。
註28 / 共謀罪新設(創設)
2004年、法務省は「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」を国会に提出して、共謀罪の新設を求めた。犯罪の実行や準備すら伴わない(「目くばせ」を含む)「合意(共謀)」に適用され、「行為」に対してではなく、考え・話すという合意で処罰することは「思想」を処罰することに限りなく等しいと批判され、合計で600以上の犯罪について適用されるため、従来の刑事法体系を破壊し、捜査では「人々の会話や電話・メールの内容」が監視され、盗聴の拡大が懸念される。実行前に自首した場合、刑が減免され、悪用されれば、会話の相手による密告やおとり捜査的な方法で、一方のみが処罰されることもありうる。共謀罪を必要とする国内事情 (立法事実)がないことは法務省も認めており、目的とされる国連越境組織犯罪防止条約も、共謀罪の新設なしに批准が可能と指摘されている。衆院解散で廃案になり、4国会で継続審議となるが、2014年の通常国会に再提出される可能性がある。また、共謀罪法案の部分を切り離した「コンピュータ監視法」が2011年6月17日に成立。プロバイダ等に対して、裁判所の令状を要することなく、メールの履歴部分(通信記録)の保全を要請することができるようになり、1通の令状で LAN などの電子回線で結ばれている他の全てのコンピュータを捜索出来るようになった。2012年11月に日本はサイバー犯罪条約に正式に加盟したので、今後、加盟国から捜査共助の要請があれば、犯罪の罪種等による限定なく、メールの履歴部分(通信記録)について、裁判所の令状によって、リアルタイムで監視することができるようになる。街中に沢山ある監視カメラに顔の認識システムと高性能マイクを連動させれば、街頭の会話からも共謀罪が立証できるようになり、国民全体を監視する社会になる危険性が指摘され、特定秘密保護法案との連動の危険性も指摘されている。
註29 / 憲兵隊
憲兵は、1881年(明治14年)、憲兵条例により設置され、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し、主として軍事警察を掌り、兼て行政警察、司法警察も受け持つ。
註30 / 大杉栄や伊藤野枝を殺したり
関東大震災直後の1923年(大正12年)9月16日、アナーキストの大杉栄・伊藤野枝と大杉の甥・橘宗一の3名が憲兵隊に連行・殺害された。主犯は憲兵大尉・甘粕正彦らとされる。
註31 / 「テロリストに対抗するために」
2001年9月11日のNYでのテロ行為に対して「愛国者法(Patriot Act)」が作られるが、テロリズムの定義を拡大し、法執行機関の権限が適用される行為の範囲は大幅に拡大された。私服の警官が反戦グループや動物愛護・環境保護団体、平和マーチに潜入して、これらの団体に所属する人々や参加者の情報を収集した。米国内には約3千万台の監視カメラが設置され、国民の映像が撮られ、空港のセキュリティは厳しくなり、搭乗拒否リストに1歳半の女の子がテロリストと間違えられて掲載され、航空機から降ろされるという事態も起きている。
オバマ大統領も、2011年、愛国者法の重要な3つの条項、テロ容疑者が移動するのに合わせて令状を取り直さなくても場所を変えて盗聴することを認める条項、連邦裁判所の令状を取った上で捜査に必要と思われるあらゆる記録(帳簿、記録、書類など)を集める権限を米連邦捜査局(FBI)に与える条項、特定の組織に属さない「一匹狼」テロリストと疑われる人物の追跡を当局に認める条項を4年間延長した。
註32 / 中野正剛が死んだ時
中野正剛(1886年・明治19年〜1943年・昭和18年)大正・昭和期のジャーナリスト、政治家。右翼政党の東方会総裁、衆議院議員。東條英機首相が独裁色を強めるとこれに激しく反発するようになる。中野は東久邇宮稔彦王を首班とする内閣の誕生を画策するが、1943年、中野をはじめとする東方同志会(東方会が改称)他3団体の幹部百数十名が検挙された。中野の逮捕は、中野がある青年に「日本はかならず負ける」といったという風説に基づくものだったが、この中野の逮捕は強引すぎるものとして世評の反発を買った。結局、中野は嫌疑不十分で釈放されるが、その二日後、自宅1階の書斎で割腹自決する。自決の理由はいまだに不明で、一説には、徴兵されていた息子の「安全」との交換条件だったとも言われている。遺書には「俺は日本を見ながら成仏する。悲しんでくださるな」と書き残されていた。
註33 / 岸田(國士)さんが大政翼賛会の文化部長に
岸田國士(1890年・明治23年〜1954年・昭和29年)日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家。代表作に、戯曲『牛山ホテル』、『チロルの秋』、小説『暖流』、『双面神』など。1940年(昭和15年)大政翼賛会文化部長に就任するが、1942年、大政翼賛会の官僚化を不満とし、組織改編を機に、文化部長を辞任する。大政翼賛会は、1940年から1945年6月13日まで存在していた日本の公事結社(総裁は内閣総理大臣)。すべての政党が自発的に解散し大政翼賛会に合流し、1942年には傘下組織である日本文学報国会が結成。大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合。大日本言論報国会も結成された。
註34 / 森本薫の『怒濤』
森本薫(1912年・明治45年〜1946年・昭和21年)日本の劇作家・演出家・翻訳家。代表作に『華々しき一族』『女の一生』など。『怒濤』は1944年(昭和19年)初演。細菌学の巨人・北里柴三郎を主人公に、さまざまな苦難に見舞われながらもそれに立ち向かう、怒涛のごとき半生を描いた伝記劇。日清戦争は、1894年の東学党の乱で、清が朝鮮からの依頼で出兵し、日本も天津条約や日本の公使館を守るという口実で出兵し、内乱終結後も日本と清は共に兵を朝鮮国内に留めていたために、朝鮮半島(李氏朝鮮)をめぐる権力争いとして起こる。
註35 / でっち上げで、あまり意味がない
「情報局」の検閲を通っていた細川論文を、共産主義を宣伝するものだと批判し、細川氏逮捕のきっかけを作った陸軍報道部員の平櫛孝氏は「大きな眼でみて、それがお国のためにならないことに気づかなかった自らの不明を恥じいるばかりである」「こちらにはそれほどの自覚がなくとも、世間には『はしゃぎすぎ』ということばもある。たしかに、私たちは、はしゃぎすぎていたのだ。しかし、石を投げられた側にとっては、生死にかかわる大事件であったろう。当時の肩いからした軍部と、それに立ち向かう手段を持たなかった民間言論機関との関係はまさにこのようなものであった」と著書に記している。
註36 / 「赤いりんご」
『リンゴの唄』は、日本で戦後映画の第1号『そよかぜ』(1945年・昭和20年)の挿入歌として発表され、戦後のヒット曲第1号となった。作詞 / サトウハチロー、作曲 / 万城目正。
註37 / 日韓条約の締結
1965年(昭和40年)日本と大韓民国との間で結ばれた条約。「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」(通称日韓基本条約)。日本の韓国に対する莫大な経済協力、韓国の日本に対する一切の請求権の解決、それらに基づく関係正常化などの取り決めがある。なお竹島(韓国名独島)問題は紛争処理事項として棚上げされた。 
註38 / 『風雪』
1964年からNHKで放映されたオムニバス歴史ドラマの1本(全76回)。幕末から大正時代までの近代化の歴史を虚実とりまぜて描くシリーズ。『枯れすすき 中山晋平』は1965年9月9日放映。脚本はふじた氏、演出は渡辺一男氏。『船頭小唄(枯れすすき)』は1923年(大正12年)に発表された。作詞 / 野口雨情、作曲 / 中山晋平。「おれは河原の枯れすすき おなじお前も枯れすすき どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき」
註39 / 朝鮮人暴動
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災では、報道機関が機能不全に陥り、混乱に乗じて朝鮮人(「不逞鮮人」)による暴動が発生したなどの不確かな情報から自警団によって、朝鮮人虐殺事件が関東各地で発生し、被害者には日本人もいた。亀戸事件、甘粕事件、朴烈事件の遠因ともなる。9月2日午後8時には海軍無線送信所から「付近鮮人不穏の噂」の打電があり、9月3日午前8時以降には内務省警保局長から「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内において、爆弾を所持し、石油を注ぎて、放火するものあり、すでに東京府下には、一部戒厳令を施行したるが故に、各地において、充分周密なる視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加えられたし」と電文が打たれた。内務省出身で朝日新聞の営業局長だった石井光次郎氏(後の吉田内閣の運輸大臣)は1日の夜のことを著書に「正力君(警視庁官房主事だった正力松太郎氏(後の読売新聞社主)から、『朝鮮人がむほんを起こしているといううわさがあるから、各自、気をつけろということを、君たち記者が回るときに、あっちこっちで触れてくれ』と頼まれたということであった」と記している。
註40 / 沖縄の返還
1972年(昭和47年)、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還されたことを指す。1951年に署名されたサンフランシスコ講和条約では、一定の自治を沖縄に認めたが、最終的な意思決定権はアメリカが握ったままで、1950年の朝鮮戦争、1960年のベトナム戦争の中、アメリカは沖縄各地に基地や施設を建設し、爆撃機拠点および後方支援基地とした。1969年に行われた日米首脳会談で、安保延長と引き換えに沖縄返還を約束したが、非核三原則の拡大解釈や日本国内へのアメリカ軍の各種核兵器の一時的な国内への持ち込みに関する秘密協定など、アメリカの要求を尊重し、米軍基地も県内に維持したままだった。(様々な密約は、1971年の毎日新聞の西山記者のスクープと逮捕・有罪後、表には出なくなるが、2000年以降の米公文書館での秘密指定解除などにより、西山氏の報道が裏付けられることになる。政権交代後、2010年に、外務省も沖縄返還や60年安保関連の外交文書を公開することを決め、公開された文書により「アメリカ政府が負担すべき米軍基地の施設改良費6500万ドルの肩代わり密約」が存在していたことが明らかになり、核持ち込み密約も米公文書や米側の証言、佐藤栄作氏宅で見つかった合意議事録などから広義の密約があったと認めた)
註41 / 『翔びたてば鳥小(トゥイガー・とぅいぐゎー)』
鳥小(とぅいぐゎー)はウチナーグチ(沖縄方言)で「鳥ちゃん」というような意味。1982年、エルム企画で初演。1983年、戯曲として発表され、1984年、名劇協と名演会館の協同企画で上演される。
註42 / 朝鮮人の慰安婦
1937年、盧溝橋事件が勃発し、日中全面戦争がはじまり、日本軍は1937年末から大量の軍慰安所を設置し始めた。麻生徹男軍医の回想の中で性病検診の際に「8割朝鮮人、2割日本人」と記述があり、1938〜39年頃、華中81軒の慰安婦の多くが朝鮮人女性であった。1941年、太平洋戦争が勃発すると日本軍は占領した各地に慰安所を造っていく。慰安婦の移送は軍需輸送の一環に組み込まれ、陸軍では人事局恩賞課が窓口となった。慰安所が置かれたのは北は千島列島から南はインドネシアまで西はビルマから東はニューブリテン島まで「戦争のために日本軍が派遣されたところには、慰安所が設置された」ともいわれる。
註43 / 今とも変わらないし
2001年、NHKの「戦争をどう裁くか・問われる戦時性暴力」で、慰安婦問題などを扱う民衆法廷が取り上げられた。放送前に、維新政党・新風などがNHKに放送中止を求め、街宣車などによる抗議行動が行われ、番組は4分カットされた40分が放映された。放送後、自民党の故・中川昭一氏が伊藤律子・番組制作局長に会い「実は内部で色々と番組を今検討している最中です」との報告を受ける。また「「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク」は「主催団体名や肝心の判決内容が一切紹介されなかったばかりか、法廷に対する不正確な誹謗や批判が一方的に放送された」と公開質問状をNHKに渡した。2009年、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は、「改変経過がNHKの自立性に疑問を持たせ、放送倫理上問題があるという認識で一致した」として「審議」入りを決定し、「NHKの予算等について日常的に政治家と接している部門の職員が、とりわけそれら政治家が関心を抱いているテーマの番組の制作に関与すべきではない」との意見書を発表。
註44 / 「六日会」(毎月定例の総合雑誌批評会)
「六日会」は「情報局」との懇談会が発展し、改造、中央公論、日本評論、文牽春秋など六社で構成された。情報局のメディア統制は太平洋戦争初期の「言論の統制」から「言論の構成」へ質的に転換していった。禁止・示達という一方的、強制的な言論統制から、情報局が「懇談・依頼・説明・内面指導」とさまざまな形で新聞社に働きかけて、両者が協働、一体化してよりソフトに、より高度な方法での言論指導にあたるのが「言論の構成」である。「内面指導」とは情報局、陸海軍報道部などが新聞社幹部といろいろな問題について懇談し新聞社側の態度を決定させ、これを取り締まりの基準とするもの。具体的な方法としては、当時の代表的な新聞−東京朝日、東京日日、読売、都、報知、中外、国民、同盟通信の八社に対して、編集局長会議、政治、経済、社会部長会議を開催し、情勢や政策を説明し記事取材の内面指導を行っていた。これは法的な措置ではないが、これに反した場合は発禁や注意を受けたため、報道の手足を別の形でしばった。また一歩進んだ「直接指導」では、軍による命令があり、それに反した場合は威嚇、脅迫、暴力的な恫喝が容赦なく加えられた。
註45 / 「世界史の動向と日本」の論文は「共産主義的」でなかった
第二次再審裁判の際に、細川論文が共産主義的啓蒙論文ではないことを論証した二つの鑑定書が証拠として提出された。また、註35の平櫛氏の著述も第四次再審裁判の際に証拠として提出された。
註46 / 飯食ってるんです
現在でも首相とマスコミの懇談会(会食)は頻繁に開かれている。また、日本の特殊性として「記者クラブ」制度があり、政府・官僚の流す情報をマスコミがそのまま横並びで記事として、批評や解説なしに通信社的な「ストレートニュース」を流す。記者クラブでは、加盟社以外の記者会見参加を認めないケースがみられるなど、記者クラブ以外のジャーナリストによる取材活動が差別されており、OECDやEU議会などから記者クラブの改善勧告を受けている。また、ほとんどの記者クラブは専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。光熱費などの運営費も負担しないケースも多い。福島第一原発事故後に、電力会社とマスコミの食事会や旅行などが問題になったが、批判・検証の対象から、マスコミが利便を受けている状況で、国民の側に立った報道が可能なのかという問題が指摘されている。
註47 / 「オッペケペ」
1889年(明治22年)川上音二郎が寄席で歌い、1891年以降、全国的に流行。「権利幸福嫌いな人に自由湯(自由党・じゆうとう)をば飲ませたい。オッペケペ、オッペケペ、オッペケペッポ、ペッポッポー」などの歌詞が人気を博した。
註48 / 『ブルーストッキングの女たち』
1983年に初演された宮本研の大正モダニズムの時代精神を描いた代表作のひとつ。平塚らいてうらが日本初の女権宣言を行った、婦人文芸雑誌「青鞜」からタイトルがとられた。平塚らいてう、神近市子、伊藤野枝、尾竹紅吉、松井須磨子などが実名で登場、彼女らと関わった大杉栄、辻潤、島村抱月、荒畑寒村、甘粕憲兵大尉らの男たちとの人間模様が描かれる。
註49 / 江戸時代の「五人組」まで溯ります
「隣組」は、1935年(昭和10年)に整備。兵士の壮行行事、遺族・留守家族への救援活動などを通して、町内会・隣組の組織と機能が強められた。1938年「交隣相助、共同防衛」の目的をもった隣組制度が制定され、1940年強化され、5軒から10軒の世帯を一組とし、団結や地方自治の進行を促し、戦争での住民の動員や物資の供出、統制物の配給、空襲での防空活動などを行った。また、思想統制や住民同士の相互監視の役目も担っていた。1947年、GHQにより解体された。「五人組」は1597年(慶長2年)豊臣秀吉が治安維持のため、下級武士に五人組・庶民に十人組を組織させたのが始まり。江戸幕府もキリシタン禁制や浪人取締りのために制度を継承し、さらに一般的な統治の末端組織として運用した。近代的自治法の整備とともに五人組は法制的には消滅したが、第二次世界大戦中の隣組にその性格は受け継がれた。 
「横浜事件」もアメリカの公文書館の資料を証拠にした

 

○ 「横浜事件」の政府関係者は、敗戦で自分達が戦争犯罪者になる可能性があったから、「泊事件」の証拠とかを全部処分してしまった。遺族の方は再審裁判を起こす際に、アメリカの国立公文書記録管理局(註50)に保存されていた謄本(全文写し)を使って裁判した。日本には残っていなくて、何でアメリカに残っていたんでしょうか?
アメリカは戦後の占領下で、とにかく全部押さえて行ったからね。燃やされちゃった部分ももちろんありますけど。アメリカはその辺、すごいですね。
○ 「公文書管理法」(註51)は、福田政権の時、2009年に、やっとできた。それまで閣議決定の議事録すらなくて、東日本大震災が起こった後に、「閣議決定の議事録ないの?」という話になって(笑)。
「議事録を作る」「それを残す」「開示請求に対して開示ができる」。ある程度秘密があっても、何年か後には原則開示という文書の管理の仕方、行政の管理の仕方という思考方法が日本人にはなかったということなんですよね。そう、思考がないんですよ。長いものにはず〜っと巻かれてきたから。巻かれっ放しが当たり前になっちゃってきた歴史があるからさ。
○ 「横浜事件」の裁判ひとつ起こすにしたって、アメリカの公文書を頼りに、遺族の方は、やっとそれで証拠を出せた。
よく見つけたものだと思いますね。
○ これからはしっかり情報開示のルール、行政側を縛るルール作りをやっていかないと駄目だと思います。
何をもって秘密とするかというあたりが、我々の手の届かないところに行っちゃうと大変なことになる。
○ 「メーデー事件」(註52)の時に、ふじたさん自身が捕まって留置所に入れられて、お父様が面会に来られて。心配されてました?
「人の名前出すなよ」って(笑)。「ああこれだ〜」と思って。二重橋前でもって頭殴られて、何針縫ったかな、どこかの病院に担ぎ込まれたんですよ。それで縫合手術をして送り返された。そしたら、ちゃんと次の日の朝、警察が現れた。カルテが全部、押収されたらしいです(笑)。後になって聞いたんだけど。
○ それで何日位、留置されてたんですか?
留置期間いっぱい、勾留期間いっぱい、いたんですから、21日間かな。手帳なんか持ってるでしょ? 色々な名前が書いてあるじゃないですか。これやっぱり、ちゃんと警察は(それらの人のところに)行きましたよ。そういうところは、全然、変わってないなと思った。
○ 今も、脱原発関係(註53)や、生活保護の支援団体(註54)に、市民の権利を脅かす形で、逮捕や、捜査・押収が行われ、名簿や住所録を押さえるということがされているようですしね。最後に、今後の劇作家協会や、劇作家の方々に伝えたいことがあれば、お願い致します。
最近、こういうことを素材にする仕事をする人が、いなくなっちゃったな、と思いますね。テーマ主義にこだわっているわけじゃないんですけど。
○ 社会問題というのは、本当は面白い、書くテーマとしては非常に豊かな素材なんですけどね。
僕、やっぱりね、戦後すぐに新劇なるものを観て、観たのが焼け跡の東京で『女の一生』(註55)だったんですよ。その次に観たのが田中(千禾夫)さんの『雲の涯(はたて)』(註56)だったんですよ。芝居って、時代をきちんと映せるんだっていうね、その感動で今でも芝居をやってるんですよ。井上(ひさし)さん(註57)なんか、割に近かったんじゃないかな、年も一緒だしね。あの人は本当にアンテナの広い、とんでもない人だったけれども、やっぱり非常に共感出来るところに、あの人はいたな。    [了] 

註50 / アメリカの公文書記録管理局
「アメリカ国立公文書記録管理局(NARA)」は米政府の書類と歴史的価値のある資料を保存する公文書館。国際条約、外交文書、議会記録、連邦裁判記録、大統領メモ、国勢調査、破産報告、軍隊記録、特許書類などあらゆる公的資料が保存されている。米国連邦政府下の独立機関で、米議会の決議書、大統領の布告や行政命令、連邦行政規則集などを発行する義務がある。保管所は全国に33箇所置かれており、本館と運営部門はワシントンD.C.にある。1934年に国立公文書施設を創立。国立公文書館の情報保全監察局が、妥当な機密指定かどうかを監視し、局長は政府各機関からNARAへ移管命令が出せる権限や、監察権や機密の解除請求権を持つ。1966年情報公開を促す「情報自由法」で、機密解除は10年未満に設定され、上限の25年に達すると、自動的にオープンになる。大統領は「大統領記録法」で、個人的なメールや資料、メモ類が記録され、その後は公文書管理下に置かれる。行政機関は機密指定が疑わしいと、行政内部で異議申し立てが奨励され、外部機関に通報する権利もある。
註51 / 「公文書管理法」
福島第一原発事故後、市民からの情報請求で、日本政府の閣議決定の議事録がないことが報道され、1885年(明治18年)の制度開始以来、議事録保存が明文化されていないことが判明した。(当時内閣官房長官だった枝野氏は「有事の際は録音し混乱のなかでも事後的な記録作成に役立つように備えるべきだった」と述べている) 日本の情報公開制度は歴史が浅く、1999年に「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(情報公開法)が制定された。しかし不開示規定があり、特定秘密保護法案の検討過程も、法案の内容に触れる部分は、「公にすることにより、国民の間に混乱を不当に生じさせる恐れがある」とされ、ほとんどが黒塗りだった(国会提出前の法案についても同様の扱いがなされている)。民主党政権は2011年4月に情報公開法改正案を提出し、この不開示理由を削除していたが、改正案は2012年末の衆院解散で廃案となった。また、年金記録問題などずさんな公文書の管理が明らかとなり、2009年に「公文書等の管理に関する法律」(公文書管理法)が制定されたが、文書未作成・違法廃棄などへの罰則規定がなく、行政による懲戒処分のみである。更に、アメリカの国立公文書館の職員が2500人であるのに比して、日本は僅かに42人と、今後、新たな文書保存施設の整備や職員の大幅な増員、文書管理の専門家育成なども急務とされる。
註52 / 「血のメーデー事件」
1952年5月1日、皇居前広場で発生した、デモ隊と警察部隊とが衝突した騒乱事件。GHQによる占領が解除されて3日後で、デモ隊からは1232名が逮捕され、うち261名が騒擾罪の適用を受け起訴された。裁判は検察側と被告人側が鋭く対立したため長期化し、1970年の東京地裁による一審判決は、騒擾罪の一部成立を言い渡したが、1972年の東京高裁による控訴審判決では、騒擾罪の適用を破棄、16名に暴力行為等の有罪判決を受けたほかは無罪を言い渡し、検察側が上告を断念して確定した。
註53 / 脱原発関係
2011年の原発事故以後、脱原発のデモが各地で行われ、東京では2011年9月に大規模なデモがあった際に、十数名が逮捕されたが、多くは歩道と車道を警官が無理に誘導する混乱の中で起きた。また、関西では2012年、JRの構内をデモの参加者が歩いただけで、逮捕された。市民の抗議活動に対する警察の過剰な姿勢は以前からあり、2008年には、当時の麻生首相の豪邸を見に行く「リアリティツアー」があり、約50名の小規模な行動で、特に隊列を組むこともなく歩いていたところ、渋谷駅前を出発してからわずか5分程度で、3名が逮捕された。
註54 / 生活保護の支援団体
2013年10月、生活保護の申請同行支援を積極的に行っている支援団体3ヶ所が、大阪府警察本部警備部によって家宅捜索を受けた。行政窓口では、違法な理由で「相談扱い」で追い返す「水際作戦」が後を絶たず、同行支援がなければ生活保護が受けられない困窮者が多数いる。捜索差押令状には、令状の差押対象物件として「会に関する活動方針、規約、規則、会員名簿、住所録、機関紙誌、名刺、会員証、写真その他組織実態、会費運用状況及び生活保護に関する取り組みなど明らかにする文書類及び物件」という、被疑事実とは関係のない記載があり、容疑とされた不正受給とは関係のない行政への不服審査請求に関する集約表や大会決定集などが押収された。
註55 / 『女の一生』
1945年4月初演、空襲警報の鳴る中、渋谷東横映画劇場で上演された。森本薫作。戦後1946年11月に再演する時初演台本を戦後版へ改訂。杉村春子主演で950余回の上演回数を誇り、文学座を代表する作品となる。
註56 / 田中千禾夫さんの『雲の涯(はたて)』
田中千禾夫(1905〜1995)。劇作家、フランス文学者。代表作に、『おふくろ』『教育』『マリアの首』など。『雲の涯(はたて)』は1947年、疎開先の鳥取で書かれた作品。
註57 / 井上ひさしさん
井上ひさし(1934年〜2010年)は、日本の小説家、劇作家、放送作家。日本劇作家協会・初代会長。放送作家として『ひょっこりひょうたん島』など、小説家として『手鎖心中』『吉里吉里人』など、劇作家として『日本人のへそ』『雨』『化粧』『頭痛肩こり樋口一葉』『國語元年』『父と暮せば』『紙屋町さくらホテル』『ムサシ』『組曲虐殺』など。沖縄戦を題材にした『木の上の軍隊』の上演が予定されていた。作品のためにあらゆる資料を集める博覧強記ぶりでも有名で、蔵書20万冊を「遅筆堂文庫」に寄贈。「九条の会」の呼びかけ人でもある。
 
「横浜事件」報道

 

横浜事件発覚から再審決定までの経緯
1942年 9月 「改造」論文をめぐり細川嘉六を逮捕
1943年 7月 1日 細川嘉六の著作上の仕事を手伝っていた中央アジア協会の新井義夫を逮捕。
1943年 7月31日 捜査は昭和塾方面に延びて、浅石晴世(中央公論社)が、ついで10名を検挙。神奈川県特高は日本の言論の進歩的な面を代表し知識階級に広範な影響力をもつ総合雑誌の発行所と、社会科学や思想の領域ですぐれた書籍を送り出してきた出版社と編集者グループをねらい打ちにした。
1944年 1月29日 中央公論社関係 小森田一記(当時日本出版会)、畑中繁雄、青木滋(当時翼賛壮年団)、藤田親昌、沢赳の5名(すでに検挙されていた木村享、浅石晴世、和田喜太郎3名を加えて計8名)。
1944年 1月29日 改造社関係 小林英三郎、水島治男、若槻繁、青山鉞治(当時海軍報道部)、1ヵ月後の3月12日に大森直道(細川嘉六の論文掲載の責任をとって退社、上海満鉄支局に在勤中、現地で逮捕される)の5名(以前に検挙されていた相川博、小野康人を加えて計7名)。
1944年11月27日 日本評論社関係 美作太郎、松本正雄、彦坂竹男(当時退社日本出版会勤務)に翌45年4月10日に逮捕された鈴木三男吉、渡辺潔を含めて計5名。
1944年11月27日 岩波書店関係 藤川覚と翌45年5月9日の小林勇の2名。
1944年 6月30日 朝日新聞社関係 酒井寅吉。
1945年 8月15日 ポツダム宣言受諾、日本敗戦
1945年10月15日 治安維持法廃止
1947年 4月 元被告ら拷問の特高警察官30人を告発
1949年 2月 横浜地裁、元特高幹部3人に有罪判決
1952年 4月 最高裁で特高幹部3人の有罪確定
1986年 7月 横浜地裁へ第1次再審請求
1988年 3月 同地裁が請求棄却
1988年12月 東京高裁が即時抗告を棄却
1991年 3月 最高裁が特別抗告を棄却
1994年 7月 横浜地裁へ第2次再審請求
1996年 7月 同地裁が請求を棄却
1998年 8月 同地裁へ第3次再審請求
1998年 9月 東京高裁が第2次請求の即時抗告を棄却
2000年 7月 最高裁が第2次請求の特別抗告を棄却
2001年10月 第3次請求で横浜地裁が、大石真・京大教授(憲法)に鑑定依頼
2002年 3月 横浜地裁へ第4次再審請求
2002年 5月 大石教授、鑑定書を提出
2003年 4月 横浜地裁再審決定(検察即時抗告)
2005年 3月 東京高裁即時抗告棄却決定(検察特別抗告断念)
2005年 7月 再審の公開をめぐり検察側と弁護団が対立、横浜地裁は公開を決定
     10月 横浜地裁で再審開始(10月17日)
     12月 第2回公判(結審)
2006年 2月 免訴の判決
2007年 1月 東京高裁;控訴棄却の判決
2008年 3月 最高裁;上告を棄却(14日)
2008年10月 横浜地裁;第4次再審請求再審開始決定
2009年 2月 横浜地裁;第4次再審請求再審初公判・結審
2009年 3月 横浜地裁;免訴の判決(30日) 
1942(昭和17)年から終戦直前にかけ、雑誌「中央公論」編集者ら60人以上が「共産主義を宣伝した」などとして、治安維持法違反容疑で神奈川県警察部特高課(特高)にでっち上げで逮捕された戦時下最大の言論弾圧事件の総称。
30人以上が起訴され、多くは終戦直後に有罪判決を受けた。4人が獄死。警察官3人が戦後、拷問を加えたとして有罪が確定した。
編集者だった木村亨(きむら・とおる)さん、満鉄調査部員だった平舘利雄(ひらだて・としお)さん、改造社社員だった小林英三郎(こばやし・えいざぶろう)さん、日本製鉄社員だった高木健次郎(たかぎ・けんじろう)さん、古河電工社員だった由田浩(よしだ・ひろし)さんらの元被告の遺族が冤(えん)罪を訴え、再審を請求した。
再審請求は4次にわたり、3次請求で横浜地裁は第1次再審請求から28年後の03年4月、旧刑事訴訟法下で有罪が確定し、死亡した元被告の再審は初めての再審開始を決定したが地検が即時抗告した。
東京高裁は05年3月、元被告らの自白は拷問(「裸にして縛り上げ、正座させた両足の間に太いこん棒を差し込み、膝の上に乗っかかり、ロープ、竹刀、こん棒で全身をひっぱたき、半失神状態に……」 )によるものだったと認定、「拷問による自白は信用性がない疑いが顕著で、無罪を言い渡すべき新証拠がある」と指摘し、横浜地裁の再審開始決定を支持(確定)した。 
横浜地検は、最高裁への特別抗告を断念、これにより、治安維持法違反で有罪判決が確定してから60年余り経過し、裁判記録のほとんどが失われた異例の再審開始決定が確定し、すべて他界している元被告5人について、横浜地裁で再審公判が始まり、を訴え続けた元被告たちは、元被告の遺族たちには新たな希望が広がった。
裁判記録がないことから、再審で審理する「犯罪事実」は弁護団が復元した原判決の内容とされた。
また、再審の公開をめぐり検察側と弁護団が対立したが、横浜地裁は05年7月、公開を決め、公判は05年10、12月に計2回開かれた。
公判では元被告らが生前に証言したビデオが上映され、遺族らの証人尋問も行われ、「十分な審理をせずに有罪判決を言い渡したうえ、再審請求を退け続けた司法の責任を認めて謝罪してほしい」などと訴え、弁護側は「特高警察の拷問で強いられた自白に基づく起訴事実は虚偽(ねつ造)で、元被告らは誤判の被害者」と強調、司法の責任や治安維持法の問題点を認定した上で無罪を言い渡すよう求めた。
「公判では1989年に収録された故木村亨さんらの証言ビデオ「横浜事件を生きて」が証拠として再生され、元被告の遺族4人が証言した。木村さんはビデオの中で、人権を無視した特高警察の拷問を厳しく非難、「人権というものは勝ち取るものだ。横浜事件の再審請求を通じて古い日本を捨て、新しい『人権日本』に生まれ変わらなくてはならない」と語っている。また、木村さんの妻、まきさん(56)は「(夫は)パンツのみで丸太の上に正座させられ、竹刀や木刀、荒縄などで拷問された」と証言。特高が「小林多喜二はどうして死んだか知っているか。小林のようにしてやる。天皇に逆らった者はこうしてやる」などと罵倒(ばとう)し、「気絶してもはげしい拷問を繰り返し、夫は腕をつかまれ『私は共産主義者である』などと書かれた紙に無理やり母印させられた」と詳細に話した。」
検察側は、治安維持法の廃止などを理由に裁判を打ち切り、免訴を言い渡すよう求めた。これに対して弁護側は、「再審公判は元被告の不名誉を晴らす手続きであり、免訴は妥当ではない」と反論した。
06年1月9日、横浜地裁松尾昭一裁判長は、「免訴では原判決の誤りを不問に付すことになり、元被告らの名誉回復は望めないとする」弁護側の主張については「相当の重みを持つ」と理解を示しながらも、検察側の主張にそって、「刑事補償法は免訴でも無罪と同じような補償を認めている」と指摘した上で、「免訴でも無実の罪に問われ無念の死を遂げた被告らから名誉回復や刑事補償の法的利益を奪うことにはならない」として、治安維持法が廃止されたことなどを根拠に、無罪か有罪か判断せずに裁判の手続きを打ち切る形式的な判決を意味する免訴を言い渡した(判決要旨)。
メーデーで掲げたプラカードの内容が不敬罪に当たるかをめぐる「恩赦で公訴権(刑事訴訟法上、検察官が公訴を提起し裁判を請求しうる権利)が消滅した以上、有罪、無罪の判断に踏み込めない」との48年5月26日のいわゆる「プラカード事件」最高裁大法廷判決(最高裁判所刑事判例集2巻6号529頁)に沿ったものでもある。
一方、当時の取り調べで拷問が行われた事実に言及して、「訴訟記録が廃棄され、確定判決が残っていない事態もあってかなりの時間を要し、被告らが死亡して再審裁判を受けることができなかったのは誠に残念」と述べた。
元被告ら5人の潔白は完全に証明されなかったため、弁護団は「裁判所が特高警察と検察の言うままに違法な判決を言い渡した反省は、みじんも見られない」との声明を発表。
86年の第1次再審請求から弁護団長を務めてきた森川金寿(きんじゅ)弁護士(92)は、再審から20年。待ち望んだ判決だったが、「非常に残念。日本の司法はこの程度なのかと落胆した。人権に配慮したとは到底言えない、歯切れの悪い判決だ」と語った。
環(たまき)直彌(検察官5年、弁護士11年、裁判官25年定年まで勤め、また弁護士になる)主任弁護人は「違法な判決だ。『免訴でも、無罪と思っていればいいじゃないか』という内容になっており、慰めにごまかされるわけにはいかない」と述べ、10日控訴した。
免訴を言い渡された元被告は次の通り(敬称略)。かっこ内は再審請求人。
   中央公論社社員木村亨(妻まき)
   改造社社員小林英三郎(長男佳一郎)
   日本製鉄社員高木健次郎(長男晋)
   満鉄調査部員平舘利雄(長女道子)
   古河電工社員由田浩(妻道子)
再審控訴審の第1回公判が06年11月9日、東京高裁であり、阿部文洋裁判長は弁護側の証拠請求を退け、一審・横浜地裁で審理された証拠も取り調べない意向を示した。公判は実体審理をせずに06年12月7日の次回公判で結審した。
07年1月19日の東京高裁は、メーデーで掲げたプラカードの内容が不敬罪にあたるかをめぐる48年5月26日のいわゆる「プラカード事件」最高裁大法廷判決(最高裁判所刑事判例集2巻6号529頁)を引用して、免訴に対する実体審理の要求や無罪主張の上訴は違法と指摘、一審・横浜地裁が治安維持法の廃止などを理由に裁判手続きを打ち切る「免訴」を言い渡したため公訴権が消滅しているとして、「被告による上訴の申し立ては利益を欠き、不適法だ」と控訴を棄却した。
弁護団は元被告の名誉回復のため無罪が言い渡されるべきだとして、最高裁に上告した。
08年3月14日、最高裁第2小法廷は、「有罪判決が確定した後に大赦を受けるなどした場合は免訴とすべきで、免訴判決に対しては上訴できない」と述べ、元被告5人(全員死亡)の上告を棄却した。
これで、治安維持法の廃止と大赦(恩赦の一種)を理由に、有罪か無罪かの判断に踏み込まないまま裁判手続きを打ち切る「免訴」が確定した。
第2次世界大戦末期、共産主義を宣伝したなどとして、神奈川県警特高(カナトク=神奈川県警特別高等警察の略で、残虐さをもって怖れられた特高のなかでも神奈川県警特高の拷問は苛酷をきわめた)が治安維持法を適用し、評論家や出版社社員ら約60人を逮捕したでっち上げ(事実と違うことを、いかにも本当らしくこしらえる。捏造〔ねつぞう〕すること)事件の総称で、戦前最大の言論弾圧事件(カナトクは横浜事件のでっち上げで表彰された)。
なお、事件は、東条英機のふところ刀(懐刀=機密に参与する腹心の部下)といわれていた内務次官唐沢俊樹のシナリオで、反東条勢力の近衛文麿とその側近グループを、昭和研究会や昭和塾(昭和研究会の外部組織背の青年教育機関)を口実に潰すのが狙いだったという説(唐沢黒幕説)もある。
「唐沢俊樹(からさわとしき;1891〜1967)=長野県生まれ、東大卒後内務省に入り欧米留学、和歌山知事等を歴任、1932(昭和7)年の5・15(ごういちごう)事件後は進んで治安維持担当の内務省警保局長に就任、1936(昭和11)年の2・26(ににろく)事件の責任をとって辞任したが、1939(昭和14)年第36代阿部信行内閣の法制局長官として復権し、1940(昭和15)年には貴族院勅選議員となる。この間、日本共産党中央委員会の壊滅作戦や大本教、創価学会に対する徹底的な弾圧、憲法学者美濃部達者の「天皇機関説」を不敬罪として告訴(天皇機関説事件)するなど一連の思想弾圧政策を指揮した。戦後、1951(昭和26)年公職追放から解除されるや郷里の長野4区から総選挙に立候補、2度の落選を経て1955(昭和30)年に当選(以後4回当選)。1957(昭和32)年第56代岸信介内閣(第1次岸内閣 改造内閣)の法務大臣に就任、1965(昭和40)年11月3日、勲一等瑞宝章(ずいほうしょう)を授与される。」
1942(昭和17)年総合雑誌『改造』8〜9月号に掲載された細川嘉六(57)の論文「世界史の動向と日本」は、内務省の事前検閲(けんえつ=公権力が書籍・新聞・雑誌・映画・放送や信書などの表現内容を強制的に調べることで、戦前には公然と行われていたが、日本国憲法第21条でこれを禁止している)は通過していたが、これに対して陸軍報道部長谷萩那華雄陸軍大佐が、「政府のアジア政策を批判するもの」と文句をつけ、共産主義宣伝論文であると批判した。
これが事件の始まりであった(このとき、戦争傍観の雑誌と目をつけられていた『中央公論』も「撃ちてし止まむ」の陸軍〔戦時〕標語を掲載しなかったことを理由にその責任を追及された)。
改造(社)
1919(大正8)年4月、山本実彦(さねひこ)創立の改造社が創刊した総合雑誌で、世界的なデモクラシーの発展と1917年11月のロシア革命を背景に、大正時代に起きた日本の自由主義・民主主義的な風潮とそれを盛り上げた運動で、護憲運動や普通選挙運動をはじめとして、労働運動・社会主義運動などが高揚した、いわゆる大正デモクラシーの思潮を背景に進歩的な編集方針をとり、文芸欄にも力をそそいだことから多くの読者を獲得し、2大総合雑誌として「中央公論」とならぶまでになる。またキリスト教社会主義者の賀川豊彦や、マルクス主義者の山川均、河上肇らに誌面を提供し、バートランド・ラッセルやアインシュタインなど西洋の知識人の紹介にも積極的にとりくんだ。
特に定価1冊1円で発売された改造社の円本は出版界に旋風を巻き起こし、文庫本でも岩波に対抗し1929(昭和4)年から発行を始めた。初期の文庫本は布装に紙のカバーが付き、岩波のそれより装丁は上で値段も安いものだったが、やがてただの紙表紙になった。
横浜事件の弾圧で解散を余儀なくされたが、戦後46年1月に復刊された。しかし部数が伸びず、経営難から編集部全員解雇をめぐる労働争議がおこって、1955(昭和30)年2月号で廃刊となった。
細川嘉六(ほそかわかろく)
1889年9月27日〜1962年12月2日;富山県生まれの社会評論家。東京帝国大学を経て大原社会問題研究所に入り、米騒動、植民地問題研究に労作を残した。これら研究成果は、この分野に先鞭をつけた名著である1941(昭和16)年刊行の『植民史』に著されている。45年に日本共産党に入党し、47年・50年参議院議員に当選したが、アメリカ帝国主義批判演説をして、51年マッカーサー(GHQ)により公職追放され、後にアジア問題研究所を主宰、マルクス・エンゲルス全集刊行会監訳者などをつとめた。
これを口実に特高は、1942年9月1日に改造を発売禁止処分とし、同月4日に細川を新聞紙法違反の容疑で逮捕、また細川の知人や関係者が次々と検挙、これに前後して、川田寿夫妻もアメリカ共産党の指導の下に日本共産党再建の活動を行ったとして逮捕、川田の勤務先の世界経済調査所や満鉄東京支社ソ連事情調査所の関係者も検挙された。
満鉄東京支社ソ連事情調査所の捜索で押収されたのが1枚に記念写真であった。それは細川が、その著書『植民史』の出版記念に郷里である富山県泊町(現朝日町泊)の紋左(もんざ)旅館に中央公論社や改造社の編集者を招待したときのものであった。特高は、なんの証拠もなく、その写真を根拠に日本共産党再建の関係者を次々と逮捕、細川も東京から横浜に移送され、容疑も新聞紙法違反から治安維持法違反に切り替えられた。
もともと細川と川田の事件は別ものであったが、1枚の写真が世紀のでっち上げ事件、つまり戦前最大の言論弾圧事件のフレームアップに利用されたのである。
1944年1月29日には、改造や中央公論の編集者も共産党の宣伝に関わったとして、さらには細川の関係していた昭和塾関係者をも検挙され、同年7月末には、リベラルな伝統をもつ出版社の改造社と中央公論社が政府から強制的に解散させられ(7月10日に内閣情報局が自主的廃業を申し渡す)、さらに日本評論社や岩波書店・朝日新聞の編集者も検挙された。
そもそもでっち上げの事件であったため、有罪に持ち込むためには虚偽の自白が必要となる。そのため自白を強いる拷問は凄惨(せいさん=目をそむけたくなるほどいたましく、ひどくむごたらしいこと)を極め、中央公論社の浅石晴世、和田喜太郎ら4人が獄中で死亡、さらに出獄直後に心神衰弱がもとで1人が死亡し、傷害を負った者は32人を数え、結局、敗戦前後(1945年8月末から9月)に約30人が懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受け、刑が確定した。  
そして「非国民」を排除していった大日本帝国の行き着いた先は、侵略による他国民に対する虐殺と、自国民にもたらした惨憺たる状況であった。
拷問した3人の特高警察官は被告たちに人権蹂躙(じゅうりん)の罪(特別公務員暴行傷害罪)で告訴され、最高裁で有罪(実刑判決)となったが、いわゆる講和条約締結の恩赦により、結局、投獄さることはなかった。
仮に横浜事件の判決が1か月でも延びていたら、戦悪名高い「治安維持法」をはじめとして戦前の治安立法が戦後民主化政策の下で1945年10月15日に廃止されたのであるから、裁判は打ち切り、免訴となったのは明らかであった。
しかし判決は、敗戦直後の混乱の中、ばたばたと45年9月までに言い渡された。実際、事件の端緒になった細川嘉六らの裁判はその時点まで続いていたため免訴になった。細川は公訴事実を否定して手抵抗戦していたのである。
同じ事件の被告たちのわずか1か月の差の明暗であったが、それゆえ、『日本政治裁判史録』(編集代表者・我妻栄)の横浜事件の章で「終戦直後の司法処理はほとんど検事調書を認めたスピード審理、やっつけ公判と攻撃されても仕方がない」と批判されるところとなる。
過去2回の再審請求では、元被告らは「拷問で虚偽の自白を強要された」と冤(えん)罪を主張し、事実関係を争ったが、裁判所は、当時の裁判記録が米軍進駐時の混乱時に焼却されて存在しないことなどから請求を棄却した。
しかし、ポツダム宣言を受諾した時点で世界最大の悪法の一つであった治安維持法は効力を失ったため、少なくとも、ポツダム宣言受諾後に判決を受けた元被告は無罪か免訴とすべきだである。そのため、元被告らは98年、事実関係だけでなく、治安維持法自体の効力を問うという法令適用の誤りを中心的な争点として第3次請求を申し立てた。
第1次再審請求から28年後の03年4月15日横浜地裁は、元被告の5人遺族らが申し立てた第3次再審請求に対し、検察側の「再審制度は事実誤認に対する救済のための制度で、法の解釈・適用に関する問題は再審理由とはなり得ない」「同法は勅令で廃止されるまで有効だった」との主張を退け、「本件で有罪判決の根拠とされた治安維持法1条、10条は、思想の自由などを定めた宣言と抵触し、同年8月14日の時点で実質的に効力を失うに至った」と指摘、地裁が選任した大石真・京大教授(憲法)がまとめた「ポツダム宣言受諾と同時に失効した」とする鑑定書と同様の判断を示し、「ポツダム宣言受諾によって同法は実質的に効力を失っており、元被告らには免訴を言い渡すべき理由があった」として、再審の開始を認める決定を出した(決定要旨)。
05年10月17日、治安維持法違反罪での有罪判決から60年がたち、戦犯追及を恐れて戦後、書類を焼却したりするなどして訴訟記録のほとんどが失われた異例の再審(旧刑事訴訟法下で有罪判決が確定し、死亡した元被告の再審は初めて)が横浜地裁(松尾昭一裁判長)で開かれ、弁護側は死亡した元被告5人の無罪判決を求めた。
検察側は冒頭、治安維持法が廃止されたことなどを理由に裁判手続きを打ち切る「免訴」を主張。「実体審理は許されず免訴を言い渡すべきだ」と述べ、これに対して、弁護団の森川金寿団長は「再審公判で、特高警察の暴力の犠牲になった元被告の汚名をそそぎ、名誉回復に全力を尽くす」と陳述した上で、弁護団は「横浜事件の起訴事実は虚偽。元被告らは拷問の被害者で、誤った裁判の犠牲者だ。いかなる意味でも刑事責任を問われる理由はない」と述べ、無罪判決を求めた。
判決原本が残っていないため、松尾裁判長は審理する「犯罪事実」を、05年3月の東京高裁決定が合理性を認めた弁護団による復元判決の内容とするとした。検察側は異議を申し立てなかった(なお、再審公判も通常の公判と同様に人定質問、起訴状朗読から始まる。だが、当事者が死亡し、起訴状に相当する資料が残っていないため、書記官が元被告の名前を読み上げ、起訴状は、実際に検察官が読み上げる方法と、裁判長が代読し、検察官に了承を求める方法とがある)。
再審公判は05年12月12日、元被告らが生前に証言したビデオの証拠調べなどを行い、結審した。
06年1月9日、横浜地裁松尾昭一裁判長は、第3次再審請求に対し、検察側の主張にそって、治安維持法が廃止されたことなどを根拠に、無罪か有罪か判断せずに裁判の手続きを打ち切る形式的な判決を意味する免訴を言い渡した。
09年3月30日、横浜地裁大島隆明裁判長(09年2月に初公判があり、結審)は、第4次再審請求(59年死去した「改造社」の元社員、小野康人さん。同氏は、小野さんは、共産主義を啓蒙〈けいもう〉する論文の編集に関与したなどとして神奈川県警特別高等課に逮捕され、45年9月に懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。請求は、小野さんの次男新一さん〈62〉と、長女斎藤信子さん〈59〉が申し立てた)に対して、戦後に同法が廃止されたことなどを理由に、有罪か無罪かに踏み込まずに裁判手続きを打ち切る「免訴」を言い渡した。
一方で判決は(「事件はでっち上げ」との弁護側主張に対する判断は示さないまま)「免訴は、名誉回復を望む遺族らの心情に反することは十分に理解できる」と言及したうえで、免訴確定後に刑事補償請求をすれば、有罪か無罪かについて判断が決定で示されることから「一定程度は免訴判決を受けた被告の名誉回復を図ることができる」と述べた。
08年10月の再審開始決定で横浜地裁大島隆明裁判長は、裁判記録がないことから、再審で審理した「犯罪事実」は、小野さんの口述書など弁護団らが復元した特高警察による拷問で虚偽の自白をしたとする小野さんの口述書などを挙げ、有罪の根拠とされた小野さんの自白を「拷問によるもので信用性は認められない」と述べたうえで、特高が「(当時は非合法の)共産党再建の準備集会」とした富山県泊町の旅館での宴会について「秘密会合とうかがわれる様子はない」と、事件が捜査当局による「でっちあげ」疑いを強く指摘し、「無罪を言い渡すべき新証拠」と認定し再審開始を決定、小野さんの無罪を示唆していた元の判決を言い渡した裁判所の対応を批判していた。
第4次再審請求で、裁判を打ち切る免訴判決が確定した元被告・小野康人さん(59年死去)の弁護団は09年4月16日、治安維持法違反容疑で逮捕、拘置された約2年2か月間の刑事補償として、980万円を今月30日に横浜地裁に請求することを決めた。横浜事件の元被告の中で、刑事補償を請求するのは初めて。
刑事補償法は、元被告の拘束日数に応じ、1日当たり1000〜1万2500円を補償すると定めている。有罪か無罪かを判断しない免訴の場合でも、「免訴とする理由がなければ、無罪判決を受けるべき場合」については補償を認めている。同地裁は08年10月の再審開始決定で、小野さんの口述書などを「無罪を言い渡すべき明確な新証拠」と認定している。
■1945
中央公論社員木村亨 1945/10/9 朝日新聞
「当局の云うことを否認すると裸にして 5・6回投げ飛ばして置いてから太さ指三本位のロープで打ったり、椅子をこわして作った木刀で頭、背中を殴り足腰を蹴る‥‥また竹刀をバラバラにしたもので肩や背を打ち革のスリッパで顔を叩いたりして失神状態にでもなると用意して置いたバケツの水をぶっかけて気をとり戻すと兼ねて用意して置いた筋書きどおり調書や手記を目の前に突き付けて承認しろという」 
被疑者の1人であった小野康人の手記
私が治安維持法に違反していると警察で勝手に認定した最も具体的な理由は、私が雑誌「改造」を編集していたということ、および雑誌「改造」の執筆家の1人である細川嘉六を中心に、「細川グループ」という非合法組織を組織し、それの発展として「細川」の郷里である富山県新川郡泊町所在紋左旅館で、日本共産党再建準備会というものを結成したという、まったく根も葉もない、虚構の事実に立脚しているものでありますが、ちょうど2年6ヵ月という長い期間、私は、この根も葉もない理由のために自由を奪われ、あまつさえ、世人のとうてい想像できない、言語に絶する拷問の責め苦に会って、正に死の一歩手前を彷徨させられてきたのであります。
私は、自分が、そういう拷問をうける当然の理由があったのなら、今日敢えて、これを言語に絶するなどとは考えないのであります。ところが、彼等検察当局が私に加えた鞭は、まったく虚構そのものに立脚するものであったのでありますから、これは、単なる主義や主張の問題ではなく、人道の問題としても飽くまでも究明すべき問題だと、確信するものであります。‥‥
先ず第1に述べなければならないことは私が検挙当時抱いていた考え方でありますが、総合雑誌「改造」の編集者としての私は、けっして共産主義を信奉していたものではなく、むしろ日本の軍閥・官僚の恣意によって強行されている大東亜戦争を、本当の民族解放の聖戦たらしめんとする純情から、編集と云う職域によって粉骨していた愛国主義者であったのであります。
私が細川氏の宅に出入りするようになった主観的な動機は、以上のような私の愛国の熱情に出発するものであって、実に出鱈目の多い世の評論家の中で細川氏が断然勝れ、その所説も本当に国と民族の将来を憂えているところに出発していたからであります。私は、それ故、細川氏のような人の論文を「改造」誌上に掲げることは、私の職域奉公を完遂するものだと確信していたのであります。細川氏も、私のこうした熱意を愛し、単なる雑誌記者としてより以上に私を愛してくれましたが、細川氏から私は、共産主義の何ものをも教えられたことはないのであります。
従って、泊町に細川氏に招かれて行ったのも、まったく、交友を温めるための宴会以外ではなく、事実、泊町では非常に御馳走になり、楽しい1日をすごして帰って来たのであります。
ところが、それが、共産党再建準備会となり、さらに、昭和17年の8・9月の「改造」に掲げた細川氏の論文が、私たちの共産運動の具体的な犯罪事実として詰問されたのであります。彼等が私にこういう無茶な犯罪事実を押しつけた情況を5項目に亘って述べます。
(1) まず、私を自宅から拘引して行った昭和18年の5月26日のことですが、私を拘引に来た警察官は神奈川特高課の平賀警部補、赤池巡査部長、他巡査1名でありましたが、長谷川検事の拘引令状を見せ、3人でどかどか私の家に上がって、まず私を巡査が連れ出して、付近の渋谷警察署の特高室に連れて行き、その後で家中を捜して、押入れから学生時代読みふるした左翼本を百4、50冊及びその他手紙や原稿の書きふるしを捜し出し、大きな風呂敷包み四個にまとめて、私はこの風呂敷包みとともに横浜の寿警察署に連行されたのです。
寿署に着くと、最初、講堂に連れこまれて、小憩の後、正午頃平賀警部補が取調べを開始しました。形の如く最初は住所、姓名を訊ねましたが、それが終ると、
「お前は共産主義を何時信奉したか?」
と問われたのです。
「自分はかつてそういう考え方をしたこともあったが、10年も前からまったく、共産主義からは離れている」。
と答えました。すると、
「うん、なかなか、手ごわいぞ。シラを切っても、泊会議はどうした? 河童〔細川のあだ名〕はどうした? 証拠は十分あるんだ。」
といって、
「まあ、こっちへちょっと来てもらおう」、と、私を同行の巡査と2人で武道場に連れていったのです。すると、従来の態度とはまったく変った、犬殺しのような態度になって、
「やい、てめえは、甘く見てるな」。
と強圧的に私をそこに押し倒し、私が絶対嘘を言ってないと辯解してもきかばこそ、最初竹刀でやたらになぐっていましたが、その中、竹刀をバラバラにほごして、巡査と2人で無茶苦茶に打ちさらに靴で蹴り、言うにたえない悪口雑言を吐いて、約1時間、拷問をつづけたのでした。そしてへとへとになった私の手をとって、その訊問調書というのに、
(問)お前は共産主義を何時信奉したか?
と書いてある次に
「答」として
「ハイ申し訳ありません」
という一句を自分で入れ、私の名を書かせ、無理やりに拇印を押させたのです。
私は、余りの無茶にただあきれるだけで何とも言いようがありませんでした。
……調べるのではなくまったく拷問に終始しているのに、何一つ言いもしないことを私が白状したことになって聴取書というのに書いてあるのですから、驚きます。たとえば、
(問)泊で何を話したか?
という問の次に、私はただ、宴会しただけで、色々政治の話なども出たが、何もこみいった話などしない、と答えたのに、
(答)として
「政治の中核体に就いて色々熟議しました」
と、書きこむのであります。……
私はもうあきらめました。まったく、話にもなにもならないのであります。万目の見るところ単なる自由主義のジャーナリストにすぎない「山浦貫一」が、唯物史観の立場から執筆していたり5・15の被告の「橘彦三郎」が執筆していると、右翼思想を利用して民衆の暴動化を企てる意図の下に、その執筆を依頼したことになったのですから、これはまったく狂人でなければ、最初から無茶苦茶に罪に陥し入れようとする意図にはめこもうとしている以外、考えられませんでした。それで私もあきらめて、もう言うなりになってしまったわけです。 (以下略)
注) 泊町 / 富山県北東部、下新川(しもにいかわ)郡朝日町の中心地区で、親不知(おやしらず)の険を控えた北陸街道の宿場町として発達した加賀藩領で藩政初期には笹(ささ)川河口付近にあった(旧泊町)が、津波の被害で現在地に移った。
2001

 

参議院法務委員会 2001/3/17
○(社民党)福島瑞穂君
次に、横浜事件について御質問いたします。現在、戦中最大の言論弾圧事件と言われている横浜事件の第3次再審請求が行われています。この事件では、1942年から44年にかけてジャーナリストや研究者など60から70名の人が逮捕され、過酷な拷問を受けています。その結果、4名の人が獄死、1人が出獄直後に死亡しています。現在、この事件の被害者と遺族の方は、事件は特高警察のでっち上げであり、事件は戦争に反対、批判的な良心的な人々の声をつぶすために仕組まれたものであるとして再審請求をしております。事件はもう半世紀以上前のことで、被害者も次々に亡くなっています。第3次再審請求は1998年8月14日に行われております。そのとき、再審請求人は8名でしたが、そのうち被害者2名の方が再審請求後亡くなられ、現在、被害者の方は1人、83歳になっておられます。そういう意味では、非常に早急に解決しなければならない問題だと思いますが、横浜事件、この再審請求されている事件の判決及び訴訟記録はないと言われておりますが、なぜないのでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)
この横浜事件に関する記録につきましては、おっしゃるとおり、その判決書きあるいは記録が存在しない部分があるようでございます。ただ、しかし、その理由につきましては現時点では判明しておりません。
○福島瑞穂君
第1次再審請求事件における木村さんに対する第1審決定はこう述べています。「当裁判所の事実取調べの結果によれば、太平洋戦争が敗戦に終わった直後の米国軍の進駐が迫った混乱時に、いわゆる横浜事件関係の事件記録は焼却処分されたことが窺われる」となっております。これは、戦災によって消失したものなのか、あるいは焼却処分によって焼却したものなのか。どうなんでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)
ただいまお尋ねの点につきましては、その廃棄された経緯あるいは廃棄の方法がどういうものであったかなど、今確実なことを申し上げるような資料は残念ながら持ち合わせておりません。
○福島瑞穂君
自治大学校史料編集室作成、昭和35年12月5日、山崎内務大臣時代を語る座談会というものが、昭和35年9月6日、行われております。その資料によりますと、公文書は焼却するという事柄が決定的になり、「内政関係は地方総監、府県知事、市村長の系統で通知するということになりました。これは表向きには出せない事項だから、それとこれとは別ですが、とにかく総務局長会議で内容をきめて、陸海軍にいって、さらに陸海軍と最後の打ち合わせをして、それをまとめて地方総監に指示する」、「15日以後は、いつ米軍が上陸してくるかもしれないので、その際にそういう文書を見られてもまづいから、一部は文書に記載しておくがその他は口頭連絡」をして焼却するということの話し合いがなされたということの書面があります。それなどをもとに第1次再審請求事件の第1審判決は焼却処分にされたことがうかがわれるというふうにしたと思います。当事者にとってみれば、再審請求をする際に判決あるいは訴訟記録がないわけです。自分の責任に全くよらずに、恐らく裁判所も認定したように焼却処分に、戦後の中で焼却処分、だれかが焼いちゃったんだろうという中で、本人の再審請求の権利というものについてはいかがお考えでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)
一般的にお答え申し上げますけれども、終戦前後のいろんな混乱期で裁判の記録というのが外地における裁判も含めて紛失、なくなっているものというのはかなり数多くございます。そういう場合でありましても、何らかの方法で裁判が実際にあったというふうなことが認められるというふうな場合につきましては、これはやはり刑事訴訟法上の再審なりそういうものについて、できるだけそういうことが実現するように検察当局としても努めているものと承知しております。
○福島瑞穂君
有名な吉田巌窟王事件など、訴訟記録が存在しないけれども判決があるケース、これは戦火や保存期間の満了によりたまたま訴訟記録が紛失しているケースですが、その場合には再審請求がちゃんと行われています。しかし、この横浜事件については、再審が棄却あるいは第3次請求は今遅々としてなかなか進まないという、そんな状況です。検察庁法4条は検察官は公益の代表者というふうに規定をしております。むしろ、検察官の方が本人たちの訴訟記録がないというようなことを越えて積極的に再審請求へ向けて訴訟追行をすべきだと考えますが、いかがでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)
一般論としてお答えいたしますと、もちろん検察官は再審請求の理由があると考えるときには積極的に再審請求をみずから申し立てて、誤った裁判の是正に努めているところでございます。ただ、いずれにいたしましても裁判自体の存在あるいは記録の喪失その他でおよそ資料がない、そういう段階で検察官が再審請求の理由があるというふうなことを認めるということは、これは現実問題としては非常に難しいことであろうと考えております。
○福島瑞穂君
ただ、ほかの人の資料をもとに判決文を再現をしたりとか、再審請求の人たちは努力をしているわけです。例えば、拷問による自供を再審請求人の木村さんは文書にしておりますけれども、拷問による自供は無効として再審請求を認める、そういうことはできないのでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)
個別の具体的な事件を前提にしてのお尋ねについてはお答えを差し控えたいと存じますけれども、先ほども申し上げましたとおり、検察官といたしましては刑事訴訟法の定める再審の理由があると判断する場合にはみずから再審請求を申し立てるという運用に努めているところでございます。
○福島瑞穂君
ポツダム宣言を受諾するのは8月14日なんですが、それ以降も治安維持法に基づいて裁判が行われております。9月15日にも治安維持法違反で懲役2年、執行猶予3年の判決などがずっと出ておりますが、国体の変革に伴って治安維持法そのものが失効していた当時の判決に瑕疵があった、問題があったということは言えないのでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)
ただいま委員御指摘の点につきましては第3次再審請求の理由とされていると承知しておりまして、具体的な事件の内容にかかわることでございますので答弁は差し控えたいと存じますが、いずれにいたしましても、当時、治安維持法で8月15日以降も若干の裁判があったようには認められます。
○福島瑞穂君
私は、きょうなぜこの質問をしたかといいますと、やはり当事者にとって余りに不利益な裁判であったのではないかと思うことです。治安維持法が当時の明治憲法に違反したのではないかというふうにも思いますし、仮に治安維持法の有効性を認めたとしても、これは無罪となるべきケースではないかという気もいたします。特高警察の人3名は拷問をやったことで有罪判決も戦後受けておりますし、もう少し何が客観的事実であったのかということがなされてもいいのではないかと思います。アメリカで、戦争中に日系アメリカ人の人たちがキャンプに強制収容される、あるいはその前の段階として夜間における外出禁止令が出ます。そのことについて、当時それに違反して逮捕され刑務所に行った日系アメリカ人の人たちが戦後再審請求をアメリカで行います。そのときに、アメリカではきちっと事実調査をし、日系アメリカ人に対するそのような処置は当時の偏見である、戦時下におけるヒステリーで、日系人に対する偏見からそういう日系人に対する夜間外出禁止令あるいはキャンプへの収容が行われたと。よって、夜間外出禁止令に違反して逮捕された日系人の有罪判決は無罪、要するに再審請求の結果、無罪であるということで名誉の回復も行われました。例えばスミソニアン博物館の中に「日系アメリカ人とアメリカ憲法」などという展示もありますけれども、そういう形で、戦争中に行われたこと、随分前に行われたことでも客観的に真実は何だったのか、それによって汚名を着せられた人の名誉回復や無罪判決をきちっとかち取っていくというようなことは日本においても非常に必要ではないかと思って質問をしました。ぜひこの再審請求がアメリカにおけるのと同じようにきちっと進むことを期待しますし、他の再審請求についてもぜひ公益の代表者として頑張ってくださるように期待して、私の質問を終わります。  
2002
『大石真教授の鑑定意見書について(当面の所見)』 2002/5/27 
今般、2002年5月27日付けで横浜地方裁判所に提出された大石真教授の鑑定意見書は、その結論および理由とも全面的に支持できるもので、同教授の研鑽と見識に敬意を表したいと思う。
すなわち鑑定意見書は、わが国が1945年日8月14日連合国のポツダム宣言を受諾し、以後連合国の占領管理体制の下に置かれることになったことによって、大日本帝国憲法を始めとするわが国内法秩序には直ちに重大な影響・効果が生じたものと解されるのであり、ポツダム宣言が標榜する国民主権・民主主義等の原則に適合しない旧憲法の諸条項は、天皇自らが同宣言を受諾したことによって法規性を失い、神権天皇制の「国体」の保持を法益とした治安維持法もまた、同日以降失効したものと結論している。
このような見解は、わが横浜事件第3次再審請求の被告・弁護団の年来の主張の正当性を裏付けるものであり、再審開始の展望に大きく途を開くものと喜びたい。  以上
横浜事件第3次再審請求弁護団    団長 弁護士 森川 金寿
横浜事件の再審開始を求める研究者声明(発起人・賛同者111人) 2002/12/18
横浜事件は、当時の代表的雑誌『改造』掲載の論文が共産主義の宣伝であり、当該論文執筆者の主催した出版記念旅行が共産党再建の謀議とされたことなどを契機に、雑誌編集者をはじめ60名以上が1942年から45年にかけて治安維持法違反容疑で検挙されると共に、当時の代表的出版社である改造社、中央公論社が強制的に閉鎖させられた事件である。
現在、横浜事件は、1998年8月及び2002年3月に申し立てられた2つの再審請求が横浜地方裁判所に係属している。この再審請求に強い関心を持ち、その経緯に注目している私たち研究者は、横浜地方裁判所が速やかに再審開始決定を行うことを求めるものである。
第1に、共産主義運動という横浜事件の「犯罪事実」自体が、特高警察による創作であった。かかる運動が存在しなかったことは、現在ではほぼ一致して承認されている上、当時の特高警察部内でも、警視庁は事件の構図を疑問視していたといわれる。
この点で、横浜事件は、帝国憲法の下でさえその正統性に強い批判のあった治安維持法に関係する事件の中でも、最悪の部類に属する「戦前の司法の諸悪を凝集した事件」なのである。
第2に、横浜事件の被検挙者は激しい拷問を受け、獄死者4名、釈放直後の死者2名という、他の治安維持法関係事件と比べてもきわめて悲惨な犠牲を出している。
拷問の存在は、戦後、部分的には裁判所も認めるところとなり、特高警察官3名が有罪判決を受けた。横浜事件で適用される旧刑事訴訟法485条7号には、職務犯罪の主体として「警察官」は含まれていない。だが、日本国憲法の下では、警察官による職務犯罪の存在をも再審理由とされた(刑事訴訟法435条7号)。旧刑事訴訟法も日本国憲法の趣旨に従って解釈すべき以上(日本国憲法の施行に伴う刑事訴訟法の応急的措置に関する法律2条)、警察官による職務犯罪の存在も、再審理由として扱われなければならない。
加えて、横浜事件は被検挙者の供述に基づいて事件が拡大されたものであり、一部でも拷問による虚偽自白の存在が認められる以上、事件全体の構図が崩れることにもなるのである。
第3に、関係者に対する予審・公判は、戦時中とはいえきわめてずさんかつ拙速で、1945年8月15日の敗戦後もそれに基づく有罪判決が繰り返された。これは、戦後の課題である民主化・言論の自由をはじめとする人権尊重の理念と相容れるものではない。
そもそも、天皇制国家から民主主義国家への理念転換と民主化・言論の自由などの人権尊重を求めるポツダム宣言の受諾により、天皇制国家を維持するための最大の言論弾圧法規である治安維持法は当然に失効すべき運命にあった。また、言論の自由の保障が要求される以上、治安維持法違反とされる行為も、もはや違法ないし可罰性のある行為とは評価し得ない。それゆえ、訴訟自体を免訴で打ち切るか、無罪とされるべきであった。
さらに、ずさんな手続を裁判所が強行することは、近代的裁判である以上、到底許される事態ではない。実際、同時期の治安維持法事件でも、争う機会を得た結果、1945年10月15日の治安維持法廃止により免訴判決を受けた被告人もいる。拙速な訴訟運営の有無により判決結果が2分されることは、法令の効力如何にかかわらず、平等原則に反する差別的取扱いである。
治安維持法の適用に拘泥し、ずさんな審理・有罪判決をすることが許されないことはもちろん、そのような有罪判決を放置しておくこと自体も、「戦後」の課題である民主化・人権尊重の理念とそれを受けた日本国憲法の精神に反する。
第4に、治安維持法の廃止により、予審・公判中の関係者は免訴判決を受け、既に有罪判決を受けた関係者には後に大赦が行われた。しかし、大赦は刑の言い渡しの効力を将来に向かって失わせるもので(旧恩赦令3条)、有罪判決があった事実を完全に消滅させるものではない。関係者の完全な名誉回復のためには、有罪判決そのものを取り消さなければならない。       
21世紀を迎え、「国民のための開かれた司法」の確立が急務であることは、衆目一致している。真に国民のための開かれた21世紀司法を目指すには、まず、20世紀の負の遺産を克服することから始められねばならない。横浜事件は、まさに戦前の天皇制司法による負の遺産の典型である。裁判所自らが戦後民主化の理念とその具体化である日本国憲法の理念に思いをいたし、過去の誤りを正し、それを克服することこそ、新世紀の裁判所に最もふさわしく、かつ最も強く求められていることなのである。
以上の理由から、私たち研究者は、横浜事件各再審請求に対する速やかな再審開始決定を求めるものである。  
横浜地方裁判所刑事第2部 御中  
2003
この事件で有罪判決を受けた元被告のうち、拷問による虚構の自白した最後の生存者だった板井庄作(いたいしょうさく)は、第3次再審請求の決定直前の2003(平成15)年3月31日、肺炎のため86歳で死去した。
板井は大分県出身。東京帝国大電気工学科を卒業、逓信省電気庁(現経済産業省)に技師として勤務している時に仲間と作った「政治経済研究会」が共産主義の宣伝活動とみなされ、1943(昭和18)年9月、治安維持法違反容疑で逮捕され、裁判では意見陳述の機会すら与えられず、敗戦後の1945(昭和20)年8月30日、懲役2年、執行猶予3年の判決を言い渡されていたのである。
3次の請求で、元被告への証人尋問が行われたことはなく、「一度も言い分を聞いてもらえず、犯罪者として一生を終えるのは耐えられない」と悔しさを口にしていた板井は2001(平成13)年2月8日、再審理由補充書を提出するため、弁護団とともに横浜地裁を訪れ、「過去の過ちが正されなければ、これからも同じ過ちが繰り返される」「生き残りは僕だけになった。死ぬに死ねない」と語っていた。
板井の陳述書には、「特高警察は板井さんの頭髪をつかみ『おまえのような奴らは殺して構わないのだ』と床にねじ伏せ、土足で踏み付けた。さらに木刀で殴打。『共産主義者です』と書いた紙に母印を押させた」とある。
第3次請求をした元被告の遺族と弁護団は03年4月15日午前11時前、横浜市中区の横浜弁護士会館で記者会見し、国連で人権侵害を訴えた5年前に亡くなった雑誌編集部員、中央公論社の故・木村亨の妻まきは、涙ぐみながらに亨が愛用していた赤と緑色の格子模様のシャツを着て、「(夫は)私とここにいます」と胸を指した後、「生涯にわたり事件を問い続けた精神力(夫の)はすごい。生きていてほしかった」「名誉回復だけではなく、司法の戦争責任を問う裁判。これからがスタートで、身が引き締まる。本人ではないので、その時代の空気を知っているわけではないが、がんばりたい」と再審にかける決意を語るとともに、「初めて人間としての良心が感じられる決定が出ました」とも話した。
また、第1次請求からの弁護人を務める森川金寿は「1次請求から約20年の間に、当初生存していた元被告6人全員が亡くなった。もし生きていたら大変な感慨を受けたと思う」と語った。 
再審開始決定を受けて 声明 2003/4/15
横浜地裁第2刑事部は横浜事件第3次再審開始請求事件について、本日、大石眞鑑定等を新証拠として、1945年(昭和20年)8月14日のポツダム宣言受諾により同宣言と相容れない「治安維持法」は直ちに失効し、それゆえ、同日以降治安維持法違反の理由でなされた有罪判決には免訴を言い渡すベき再審理由があるとして再審開始を決定した。
この決定は、数次にわたる再審請求を重ねてきた横浜事件被害者である元「被告人」達に対する初めての再審開始決定である点で画期的な裁判であり、再審無罪への展望を大きく切り拓くものと言える。
決定は、敗戦当時のわが国が連合国のポツダム宣言を受諾したことの持つ重大な憲法的意義を的確に捉えた初めての司法判断であるという点において、また、刑事再審手続の門戸を広げ、事実誤認の冤罪事件のみならず法令の解釈の誤り、適正手続の欠陥についても再審の道を開いた点において、一層画期的な裁判ということができる、すでに原判決から60年近くが経過していること、有罪判決を受けたかつての「被告人」達はことごとく死去してその遺族が再審請求を引き継ぐことを余儀なくされていること等の事情を勘案すれば、検察側は本日の決定に服して速やかに再審開始を確定させるべきであり、請求人ら及び弁護人らはそのことを強く要求する。
請求人ら及び弁護人らは、再審公判において、横浜事件の真相と獄死まで招いた暴虐な拷問捜査の実態を明らかにするため全力を尽くしたい。
2003年4月15日   横浜事件第3次再審請求請求人 横浜事件第3次再審請求弁護団
「横浜事件」の再審開始決定について(談話) 2003/4/16
 社会民主党全国連合   幹事長  福島瑞穂
1. 昨日、横浜地裁は第2次世界大戦中に治安維持法違反の容疑で多数の出版人らが逮捕された言論弾圧事件、「横浜事件」の第3次再審請求で、ポツダム宣言受諾後の1945年8月末から治安維持法の廃止勅令が出された同年10月までの期間に有罪判決を受けた元被告5人について、再審を開始する決定を下した。決定は、ポツダム宣言の受諾によって治安維持法が失効したと認め、事実認定の誤りを是正するえん罪事件にとどまらず、法令の解釈の誤りや適正手続きについて再審の道を開いた点で画期的である。
2.報道によれば、横浜地方検察庁が今回の決定に対し、即時抗告を検討するとされている。戦後の研究者の間では、「横浜事件」は完全なでっち上げ事件であったとする見解が主流であること、無罪を主張したまま亡くなられ、遺族が再審請求を引き継がざるを得ないなどの事情を勘案すれば、検察は控訴によって面子の維持を図るのではなく、速やかに再審を確定すべきである。
3.決定は、治安維持法の効力を争ったものであるとは言え、事件から60年近くが経った現在でも、戦時下の人権・言論弾圧の実態について全容が解明されていないことを浮き彫りにした。政府により、有事の名の下での新たな戦時法制が準備されている今だからこそ、戦前・戦中の権利侵害や抑圧の事実が司法の手により解明されることを、強く望む。
「聖戦」の御旗の下、抑圧が激しさを増していく時期の事件だった 2003/4/17 朝日新聞
「共産主義者は殺してもいいことになっているんだ。小林多喜二(03年は多喜二虐殺から70年。生誕100年)は何で死んだか知っているか!」「多喜二の二の舞いを覚悟しろ」と、まず拷問死した作家の名前を出す。「この聖戦下によくもやりやがったな」などと、裸にして角材の上に正座をさせ、失神するまで暴行をする。あるいは逆さづりにして強打する。戦前の思想取り締まり警察の特高による拷問のやり方である。記録も多く残っている。天皇制国家体制に抵抗(批判)する「思想犯」は、そのころ人間ではなかった。「非国民、不逞(ふてい=勝手に振る舞うこと。道義に従わないこと)のやから(連中。やつら。もっぱら悪い意味で用いる)、天皇へ弓を引く大逆(たいぎゃく=人の道にそむく最も悪いおこない。主君や親を殺すことなど)の徒であった」。治安維持法違反で逮捕された1人で評論家の青地晨(あおちしん)が後に回顧している。家族も疎開先で「非国民」の妻子だとわかって家主に追い出された。
2004
2005
東京高裁 「横浜事件」の第3次再審請求即時抗告審 (決定要旨) 2005/3/10
治安維持法1条、10条については、1945年10月15日公布の「治安維持法廃止等ノ件」と題する勅令によって廃止されたとするのか、それ以前に実質的に廃止されたと認めるのか学説上の争いがある。実質的廃止を認めるとしても、その時点を45年8月14日、日本国政府が連合国に対しポツダム宣言受諾を通告した時とするのか、同日、天皇が終戦の詔書を発した時とするのか、あるいは9月2日、降伏文書に署名がなされた時とするのかなど、その見解はさまざまであると考えられ、いずれを正当として採用すべきであるか、にわかに決しがたい。
免訴を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見した場合に当たる、として再審を開始した原判断を是認することはできない。しかし、請求人らが主張する他の再審理由の主張が理由あるものと認められるから、原決定の結論は是認することができる。
横浜事件関係者を取り調べた司法警察官3名は、特別公務員暴行傷害罪により1952年に最高裁で有罪判決が確定しており、これが直ちに木村亨ら(5人の元被告)について旧刑訴法四八五条七号に該当するとはいえない。しかしその確定判決の存在により、木村亨らおよび他の横浜事件関係被告人が告訴するに当たって提出した、告訴状の付属書類である各口述書写し、および「警察官における拷問について」と題する書面写しや陳述書等の信用性を否定することが極めて困難になったといわなければならない。多数の告訴事実から、拷問が取り調べの中で例外的出来事であったとみるべきではない。
有罪確定判決を受けた司法警察官3名は、木村亨らのうち、高木健次郎を除く4名に対する拷問にも直接関与している。そして、木村亨らは、いずれもが治安維持法違反被疑事件により警察官に引致された直後ごろから、警察署留置場に拘置されている間、その取り調べ中、相当回数にわたり、拷問を受けたこと、そのため、やむなく虚偽の疑いのある自白をし、尋問調書に署名押印したことが認められる。
虚偽の疑いがある自白部分は、外形的行為というよりは、国体を変革することを目的とし、私有財産制度を否認することを目的とする結社であるコミンテルンおよび日本共産党の目的遂行のために、個々の行為を意思をもってなした−など、主観的要件等に関するものであったと考えられる。
そして木村亨らは終戦後しばらくして、拘置期間が長期にわたっている中で、予審判事らの示唆に応じ、寛大な処分を得ることを期待して、いずれも犯罪事実をほぼ認めて、予審終結決定を得、公判廷においても、起訴事実を認めて、執行猶予付き判決を得たことが認められる。したがって、木村亨らのいずれの自白も、主観的要件等に関しては、信用性のない疑いが顕著である。
横浜事件の関係被告人の残されている判決によると、被告人の自白が挙示証拠のすべてであることが特徴であり、そのために被告人の自白の信用性に顕著な疑いがあるとなると、直ちに本件各確定判決の有罪の事実認定が揺らぐことになるのである。
以上の理由により、3名の司法警察官に対する判決写し、木村亨らの口述書写しを含む31通の口述書写し、「警察における拷問について」と題する書面写し、および陳述書等は、木村亨らに対し、無罪を言い渡すべき新たに発見した明確な証拠であるということができる。
そうすると、木村亨らについては、いずれも旧刑訴法485条6号の事由があるので、この点で、本件各再審請求は理由がある。したがって、本件各再審請求について再審を開始するとした原決定は、結論において正当であり、本件各即時抗告の申し立ては、結局、理由がない。よって、旧刑訴法466条1項により本件各即時抗告を棄却することとし、主文の通り決定する。
横浜事件・第3次再審請求東京高裁の即時抗告棄却決定に対する弁護団声明 
本年3月10日東京高裁第3刑事部は、かねてより検察官から提出されていた横浜地裁の再審開始決定(2003年4月15日付)に対する即時抗告を、棄却する決定を下した。
この決定の中で東京高裁は、横浜地裁の原決定が理由としていた、ポツダム宜言の受諾にともない治安維持法1条・10条は実質的に失効したなどとする見解には疑問があり、にわかに是認することができないとした上で、原決定が判断を留保した再審理由3―すなわち、確定判決が根拠とする元被告人木村亨らの自白は拷問の結果得られたもので、信用性を欠くから、同氏らは無罪とされるべきではないかという問題提起―等について、進んで審査・判断を加え、その結果、同氏らに対しては当時の捜査官憲(神奈川県警特高課の司法警察官ら)から、治安維持法違反の行為の「自白」を得るために言語に絶する激しい拷問が繰り返されたこと、また、それによって、同氏らが「国体変革等を目的とした結社であるコミンテルンや日本共産党の目的遂行のためにする行為を行った」とする虚偽の自白調書が作成され有罪判決の決定的な証拠とされたこと等の事実が認められるとし、それゆえ、同氏らには旧刑訴法485条6号の事由があるので、再審が開始されて然るべきでありこれと結論を同じくする原決定は正当だと判断した。
今般の決定は、原決定が憲法学者の鑑定を経るなどして慎重に審理・判断した、ポツダム宣言受諾による治安維持法の失効の判定には疑問があるとした点には批判の余地を残したものの、1986年の第1次再審請求以来本件に関わったいずれの裁判所も踏み込めなかった、上記再審事由の審査について真正面から積極的に取り組み、特高官憲の非道な拷問による自自強要の事実とそれによる「事件」の虚構性を認定し、元被告人らが求めてやまなかった再審手続の開始と「横浜事件」の真相究明に途を開いた点において、画期的な司法の快挙と評価することができる。
われわれは、わが国戦後司法の健在を証した今般の決定を諸手を挙げて歓迎し、担当裁判官らの見職と勇気に敬意を表するとともに、今後の再審公判に全力を挙げて取組むことによって、元被告人木村氏ら全員の無罪判決を獲ち取り、併せて戦前日本のファシズム体制の暗部に解明のメスを加えることを誓うものである。
2005年3月10日   横浜事件第3次再審請求弁護団
日本弁護士連合会会長談話 2005/3/10
東京高等裁判所第3刑事部は、本日、いわゆる横浜事件の第3次再審請求事件につき、平成15年4月15日に横浜地方裁判所がした再審開始決定に対する検察官の即時抗告を棄却する旨の決定をした。
この決定は、前記の横浜地裁決定を是認するものであるが、再審開始の理由について変更したうえ棄却決定をしたものである。即ち、横浜地裁決定がポツダム宣言受諾により治安維持法が実質的に失効し刑の廃止があったものであり免訴を言い渡すべき明確な証拠を新たに発見した場合にあたるとした判断については、にわかに是認することはできないとしつつも、それにかえて、確定判決が拷問ないしその影響下になされた自白に基づくものであって、拷問を加えた警察官らに対する有罪判決等は、旧刑事訴訟法第485条第6号により無罪の判決をなすべき新たに発見した明確な証拠である旨を述べ、この点で、再審請求は理由があるものと判断した。
本決定は、原決定においては判断しなかった証拠による事実認定の判断に踏み込み、横浜事件における再審請求人らが悲願として求めていた冤罪の主張を正面から認めて再審開始を認めたものであり、画期的な判断である。
昨年、東京高裁の袴田事件決定、福岡高裁宮崎支部の大崎事件決定と、再審請求を否定する高裁決定が続いた中で、本決定は、無辜の救済という再審の理念を実現した決定として、全面的に評価することができる。そして、今後も、裁判所において、横浜事件について十分審議し、真に無辜の救済が果たされることを期待するものである。
2005年(平成17年)3月10日   日本弁護士連合会 会長  梶谷 剛
横浜事件再審公判に関する日本共産党の主張=権力犯罪の実態を明らかに 2005/10/19 しんぶん赤旗
太平洋戦争中の特高警察による大規模な言論弾圧―横浜事件で、不当にも治安維持法違反で有罪判決をうけた元被告の名誉回復を求める再審公判が、横浜地方裁判所で始まりました。
あまりにも遅すぎた再審開始ですが、特高警察が拷問をしてつくりあげた虚偽の自白を唯一の証拠にした有罪判決(1945年8〜9月)の誤りを問う流れになっていることは、非常に注目されます。元被告の無実を証明して名誉回復をはかることはもちろん、権力犯罪の実態を明らかにして、2度と繰り返すことのないようにしていくことが必要です。
拷問による虚偽の自白
横浜事件の元被告・遺族が、最初に再審請求をおこしたのは、1986年のことです。そのときは、再審請求に必要な判決書謄本の添付がないという形式的な理由で、認められませんでした。
しかし、横浜事件の判決書などがなくなったのは、裁判所が関係書類を焼却したためです。連合軍の日本占領が始まった時期で、言論弾圧・人権侵害を追及されることを恐れていました。第3次再審請求(98年)にたいして再審開始を認めた横浜地裁の決定(03年4月)は、「請求人の責めに帰すべきでない特殊な事情」があるとして、“門前払い”を改めました。
さらに、05年3月10日の東京高裁の再審開始決定は、有罪判決の唯一の証拠が特高警察官らの拷問による虚偽の疑いのある自白であり、無罪判決が相当だとして、再審請求を理由あるものと判断しました。拷問を行った特高警官3人が特別公務員暴行傷害罪で有罪判決(最高裁)をうけていたことも、明確な証拠になると認めています。
こうした流れの中で始まった再審であるのに、検察側は、治安維持法違反の「犯罪」だが、同法は45年10月に廃止され、有罪判決を受けた被告人も同年10月に大赦を受けており、旧刑事訴訟法の規定どおり「免訴」を言い渡すべきだと主張しました。「免訴」とは、無罪かどうかを判断せずに裁判を打ち切るということです。
これは、形式論で裁判を終結させ、虚偽の自白を強要した特高警察の拷問の実態や、自白だけを証拠にして有罪判決を出した裁判の誤りを隠そうとするものです。検察側の主張にたいし弁護側が、「臭いものにフタをする態度だ」と批判し、きちんと「過程を検証すべきだ」と主張したのは当然です。
違法な取り調べによる冤罪(えんざい)事件は、戦後も後を絶ちません。留置場や刑務所での虐待、暴行も問題になります。これをなくすには、拷問による自白強要の誤りを根本的に反省することが、大前提です。横浜事件をしっかり検証することは、権力機関による人権侵害を防いでいく上でも、重要な意味をもちます。
思想を処罰する危険
再審公判で弁護側は、治安維持法について、人の思想そのものを処罰対象とした点に特徴があり、拷問による自白追及の危険を内包していたと指摘しています。まったく違法性を問えない行動でも、「危険思想」とのかかわりを自白させれば処罰できるからです。
この危険は、けっして、過去のものではありません。小泉内閣が新設を狙っている「共謀罪」は、犯罪行為をしなくとも、相談し合意しただけで処罰できるようにするものです。思想そのものを処罰対象にすることにつながります。  
2006

 

「社説」 2006/2/10 朝日新聞
長く拘置所に閉じ込められた人たちが解放されるのは敗戦の直後だ。連合国軍の進駐が迫ると、責任の追及を恐れたのか、裁判所は形だけの公判を開き、執行猶予付きの有罪判決を乱発した。 拷問に手をそめながら戦後は口をぬぐった警察官だけでなく、それを容認した裁判官や検察官にも責任がある。横浜事件は治安維持法の存在する旧憲法下で起きた。戦争を遂行するための言論統制だった。もちろん、現在とは状況が大きく異なる。 だが、過去の誤りをきちんと見つめようとしない現在の裁判所にも、どこか危うさが感じられる。 今でも密室での取り調べには、無理な自白を強要する恐れがつきまとう。捜査当局は逮捕、勾留(こうりゅう)によって自白を得ようとする。否認すれば、裁判所は長期にわたって保釈を認めない現状がある。 裁判官が勾留請求を却下する率は1%にも満たず、捜査当局の言いなりではないのか、と指摘されている。判決までに被告が保釈される率は、70年代には50%を超えていたが、現在は10%台にまで下がっている。 日本の裁判所が、人権感覚を磨いていくには、横浜事件などを防げなかった過去に向き合って、謙虚に教訓をくむことが不可欠だ。再審の控訴審には、そうした姿勢を求めたい。
「編集手帳」 2006/2/10 読売新聞
有罪の確定から約60年が過ぎ、関係者の多くは他界している。当時の裁判記録もほとんど残っていない。「眼の見える者は眼をつぶされ…」た弾圧の実態は解き明かされないまま、血なまぐさい闇に溶けていくのだろう。新聞も眼をつぶされ、口を封じられ、「横浜事件」では言論弾圧を傍観する立場に甘んじている。裁判に終止符が打たれたのちも事件の記憶は、言論に携わる者の胸を刺す歴史の棘(とげ)でありつづける。
「社説」 2006/2/10 毎日新聞
司法府には、実体審理が行われなかったことで、重い課題が残されたと言えよう。特高警察の拷問の実態などに限らず、当時の裁判手続きのずさんさなど弾圧に関与した司法の責任の所在も、明らかにされなかったからだ。ポツダム宣言の受諾によって治安維持法は自動的に廃止されたとの考え方もできたはずなのに、終戦後も次々に有罪を言い渡した理由や、裁判資料が廃棄された経緯も、解明されねばならない。裁判員制度の導入に先立ち、司法当局には戦前からの司法の過ちを謙虚に反省し、積極的に断罪する姿勢が求められている。今後も冤罪被害者の救済には果敢であってほしい。改めて指摘するまでもなく、「横浜事件」は悪法の極み、治安維持法と特高警察による人権弾圧のすさまじさ、恐ろしさを象徴している。個人情報保護法の施行をはじめ言論への規制が強まる折、人権を守ることの大切さをかみしめつつ免訴判決に至る事件の経緯を後世に語り継ぎ、教訓をくみ取る努力を続けていきたい。
「社説」 2006/2/10 西日本新聞
1941(昭和16)年に改定治安維持法が公布されて以降、国民はいよいよ自由にものが言えなくなった。戦局が日一日と険しさを増していく中で特高が市民の「思想と言動」に虎視眈々(たんたん)と目を光らせる、暗うつな世相だった。 横浜事件で元被告らが拷問を受けた元特高警察官3人は戦後告発され、1952年に有罪が確定している。これは、元被告らが拷問を受けてやむなく虚偽の自白をした可能性が強いということを物語るものでもあった。 この事件については戦後、多くの研究が行われ、「でっちあげ」だったということがほぼ定説になっている。 それだけに今回の再審判決では、戦後の混乱期のさなかにあった当時の司法が「過ち」をしたかどうかについて、60年以上も後の司法が踏み込んでみせるか注目されていた。今回は、それを聞くことはできなかった。 それでも、横浜事件についてはこれからも繰り返しその意味を問い、決して歴史のひだに埋もれないようにしたいと考えている。 「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」(憲法19条)「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」(同21条)。これは、横浜事件のような悲劇を2度と繰り返さない決意でもあるからだ。
「社説」 2006/2/10 河北新報
拷問に次ぐ拷問によって、無実の人を犯罪者にでっち上げる。戦時中、いわゆる特高警察によって摘発された横浜事件は「権力犯罪」の典型的なケースだろう。治安維持法違反の罪で有罪が確定した元被告5人の再審で、横浜地裁は9日、免訴の判決を言い渡した。同法の廃止などを理由に、冤罪(えんざい)だったのかどうかの実質的な判断を見送ったことになる。これでは治安維持法でいわれなき罪に問われた人の本当の救済は、事実上できないことになるのではないか。廃止された法律であろうとなかろうと、冤罪だったのかどうかは再審できちんと判断されるべきだ。法の精神である正義の実現にかなうこととはとても思えない。免訴によっても、悪法を使って権力が無実の人を徹底的に弾圧した事実は変わらない。権力犯罪はいつ起きるか分からず、国民が自ら監視していかなければならないことを、横浜事件は深く教えている。
「社説」 2006/2/13 東京新聞
この事件の再審は単に有罪判決を取り消せばよい、というものではない。自由にものを考え表現できなかった、明治憲法下の日本の異常さを再認識し、自由を基本とする現憲法の尊さを確認する機会だった。60年余に及ぶ関係者の苦闘を思えば、たとえ結論は免訴でも、判決理由の中で編集者らが無実であると明言する方法もあったはずだ。そもそも司法も言論弾圧に一役買っていたことを忘れてはならない。「悪法も法なり」とはいえ、裁判官は治安維持法を無批判に適用し、敗戦後も有罪判決を出し続けた。横浜事件では、責任追及を恐れたのか、裁判所自ら資料を焼却しながら「裁判記録がない」と再審請求を何度も退けたのである。「戦争遂行に協力しただけでなく過ちに向き合おうとしなかった」との批判をきちんと受け止めた言葉に判決文の中で接したかった。  
2007
「社説」 2007/1/20 東京新聞
横浜事件 元被告の無念胸に刻み
被害を受けた人たちと心の通い合う司法でないと、法の威信は失墜し「法の支配」の基盤が揺らぐ。“人権の最後の砦(とりで)”としての使命を果たすためには、過去と率直に向き合う姿勢が必要だ。戦時下最大の言論弾圧事件とされる横浜事件の再審は、東京高裁でも「無罪」ではなく、「既に治安維持法は廃止されている」との形式論で裁判を打ち切る「免訴」だった。多くの研究などで拷問による冤罪(えんざい)だったのは明らかなだけに、この結論は残念だ。雑誌編集者ら数十人が「共産主義を宣伝した」などと治安維持法違反で逮捕され、有罪判決を受けた。4人は特高警察の激しい拷問で獄死した。敗戦後になっても裁判所は有罪の判決を出し続け、被告とされた人たちは長い間、解放されなかった。事件をでっち上げた警察、容認した検察官だけでなく、司法も加担したとの批判を免れない。釈放後、元被告たちは無罪判決による名誉回復を求めて何度も再審請求したが請求棄却が繰り返され、やっと再審判決が出たときには全員死亡していた。昨年(06年)2月の横浜地裁判決には事実経過などに対する弁解めいた言及こそあったものの、司法としての真摯(しんし)な反省は感じ取れなかった。その言及さえ高裁判決は批判しているように読める。1963年、いわゆる巌窟(がんくつ)王事件の再審無罪判決の際、名古屋高裁の裁判長は強盗の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を50年間着せられてきた被告に「先輩が犯した過ちをひたすら陳謝する」と頭を下げた。こうした謙虚さこそが信頼を深めるのである。治安維持法は戦争遂行のための旧憲法下の思想統制法だ。人権を尊重する現憲法下では横浜事件のような弾圧は起こりえないと考えたい。だが、法体系が変わっても、法の執行者が過去の過ちを見つめていないと人権は大きな影響を受ける。司法は国家統治機構の一翼とし治安に関する責任の一端を担う一方、「人権の砦」として大きな役割を負うが、現実には捜査当局や行政を十分チェックできないなど厳しい指摘がある。教育現場で日の丸・君が代に対する敬意を強制され、教育基本法改正で愛国心養成が導入されようとしている。国民の内心に対する公権力の介入が強まりそうなだけに、人権を守る最後の砦としての役割はますます重要だ。法の運用、執行を担う人たち、とりわけ最終関門である司法の関係者は、冤罪の被害者の無念を胸に刻み込んでほしい。
「社説」 2007/1/20 読売新聞
[横浜事件再審]「法律や判例を重視した判決だ」
厳格な法手続きに沿った判決と言えるが、元被告側からは「あまりに形式主義的な判断だ」という反発の声が上がった。戦時下の大規模な言論弾圧事件である横浜事件の再審控訴審で、東京高裁は「無罪」を求める元被告側の主張を退ける判決を言い渡した。「無罪でなく免訴だ」という結論は、横浜地裁の1審判決と変わらない。控訴棄却は「免訴の判決に対しては、上訴できない」とした最高裁の判例に沿ったものだ。「この判例は通常裁判で示された判断で、無罪が確実視される再審裁判に適用すべきでない」とした元被告側の主張は受け入れられなかった。東京高裁は、1審の横浜地裁が「免訴にする理由さえなければ」として元被告らの「無罪」を示唆したことについて、「そのような説示をすること自体が問題」だとする考えも示した。裁判を打ち切る「免訴」では、実体審理はできないのだから、有罪か無罪かについては、いささかなりとも述べるべきではないということなのだろう。だが、横浜地裁があえてそう説示したのは、判決は法に従って出さざるを得ないものの、その一方で、元被告らの思いを少しでもくみ取ろうとした結果だったかも知れない。あくまで法律的な考え方に沿った今回の判決に対して、元被告らの弁護団は、「再審開始決定などとの間に大きな落差がある」などと批判している。横浜事件で最初に再審開始を決めた横浜地裁の決定は異例の内容だった。判例によれば、再審請求は事実関係に重大な修正を迫る証拠が見つかった場合に初めて認められる。だが、地裁は「治安維持法はポツダム宣言受諾の時点で事実上失効した」という法律解釈をすることで、再審開始を決定した。東京高裁の裁判長は、それに対して疑義を唱えつつも、過去に最高裁が退けた元被告側の主張を受け入れる形で、やはり再審開始を決めている。この事件では、終戦前後の混乱の中で判決などの訴訟記録が紛失していることなどについて、司法の責任を追及する議論がある。再審請求審の各裁判官は、そうした批判を重く受け止めて、法律や判例にとらわれない思い切った判断を示した、という見方もある。ただ、治安維持法は戦後廃止され、元被告らには大赦があった。法律ではそうした場合、免訴を言い渡さなければならない。1審の横浜地裁も、その決まりを曲げる訳にはいかなかった。元被告側の上告に対し、最高裁は何を言うのか、注目したい。  
2008
2009
『司法のねつ造』無罪主張 横浜事件4次再審初公判 検察側、免訴求める 2009/2/18 東京新聞
戦時下最大の言論弾圧「横浜事件」の第四次再審請求の再審初公判が09年2月17日、横浜地裁(大島隆明裁判長)で開かれた。弁護側は「事件は当時の司法当局によるねつ造であり、元被告は共産主義運動とは無関係だった」として無罪を主張。検察側は従来通り、治安維持法の廃止を理由に裁判手続きを打ち切る免訴を求めた。即日結審し、判決は3月30日。
再審公判が始まった元被告は、雑誌「改造」の元編集者小野康人さん(1959年に死去)で、同誌に掲載された評論家細川嘉六氏の論文「世界史の動向と日本」の編集にかかわり、共産主義運動に加担したとして、45年9月に治安維持法違反罪で懲役2年、執行猶予3年の判決を受けていた。このため、小野さんの次男新一さん(62)と長女斎藤信子さん(59)が再審を求めていた。
弁護側は新証拠として、元被告らが拷問の被害などを訴えた証言ビデオを上映。「中央公論」元編集者の橋本進氏と駿河台大名誉教授(歴史学)の荒井信一氏が証人として出廷し「事件は虚構である」と証言した。
公判の最後に証言台に立った新一さんが小野さんの口述書を朗読、斎藤さんが母の故・貞さんの供述書を朗読し、特高警察による凄惨(せいさん)な拷問の様子を明らかにした。斎藤さんは「差し入れた着物が血に染まって返ってきた」などと話した。
大島裁判長は職権で、元被告らの供述書や手記などこれまでの再審請求の訴訟記録を証拠として採用。有罪判決の裁判記録が失われていることについて、「保存していることが不都合であることから(裁判所が)破棄したと推認され、誠に遺憾」と述べ、裁判所の責任にも言及した。
元被告ら全員他界 遺族ら拷問“再現”
横浜地裁で開かれた横浜事件の再審初公判では、元被告の証言を集めたビデオが上映されたほか、遺族が元被告の供述書などを朗読し、激しい拷問の様子が再現された。弁護士たちは「司法が言論弾圧の過ちを認める最後の機会になる」と涙ながらに訴えた。
「裁判の名に値しない裁判で有罪判決を受けたことは、どうしても納得できない」。小野さんの妻貞さん(1995年に死去)は証言ビデオの中で、厳しい表情で当時の司法を糾弾した。
ビデオでは、元被告が震える声で拷問の様子を訴えた。「棒を並べた上に座らされ、歩けなくなるまで殴られた」「(拷問死した)小林多喜二を知ってるだろうと何度も言われた。生きて帰れないと思った」。判決から64年を経て、元被告約30人は全員が他界した。
新一さんは口述書の朗読で、両足を縛ってつるされる、竹刀で何度もぶたれるなど、父が受けた激しい拷問を明かした。新一さんは閉廷後、「父の気持ちを想像して読んだ。無罪判決が出るよう、一石投じる思いだった」と話した。
別の元被告の遺族らが申し立てた第3次請求は08年3月に最高裁で免訴が確定。しかし、主任弁護人の佐藤博史弁護士は「免訴ならば何のための再審なのか。無罪こそが正義にかなう」と声を詰まらせた。大川隆司弁護士も「誤判によって損なわれた司法の名誉は、無罪判決によって初めて回復される」と述べた。
一方、検察側は実体審理が行われることに反対しなかったが、免訴をあらためて求めた。佐藤弁護士は閉廷後、「検察は血の通った意見を述べてほしかった」と批判した。
「横浜事件」の第4次再審請求横浜地裁判決要旨
免訴判決は、事後の事情による公訴権の消滅を理由に被告を刑事裁判手続きから解放するもので、手続きから一刻も早く解放されることが被告にとって利益であることなどから、「免訴の理由がある場合は免訴判決が言い渡されるべきだ」というのが確立した判例だ。
被告の遺族らは、再審で無罪を得ることで名誉回復を図ろうとしており、その結論のみを望んでいると言っても過言ではない。免訴判決では、遺族らの意図が十分に達成されないことは明らかで、このような遺族らの心情自体は証拠に照らせば容易に理解できるが、ほかの再審の場合も含めて整合的に考察しなければならない。再審でも再び有罪とされる可能性もあり、審理打ち切りによる被告の利益が存在することは、通常の訴訟手続きの場合と同様と解される。
横浜事件の歴史的背景、後に拷問が認定された確定判決の存在、事件記録が故意に廃棄されたと推認されることなど、一般の再審と異なる特殊事情があったとしても、免訴の理由がある場合に通常と異なる取り扱いを認める理由になるとは言えない。
免訴判決により、有罪の確定判決が効力を失う結果、被告の不利益は、少なくとも法律上は完全に回復される。刑事補償法は、免訴判決を受けた者も、無罪判決を受けるべきと認められる理由がある時に補償を認めている。
今後、行われるであろう刑事補償請求の審理では、免訴の理由がなければ無罪かという判断をすることになる。同法は、補償の決定が確定した時、申し立てにより速やかに決定の要旨を官報や新聞に掲載して公示しなければならないと規定している。無罪判決の公示と全く同視することはできないが、一定程度は名誉回復を図ることができると考えられる。
横浜地裁再審決定の骨子
1.ポツダム宣言の受諾により、治安維持法は全面的に失効したとはいえないが、刑罰を定めた条項は思想の自由などを求めた宣言に抵触し、実質的に効力を失った。
2.再審理由である「免訴を言い渡すべき場合」には、刑の実質的な失効の場合を含む。その限りで再審開始には理由がある。
3.犯罪とされる行為の後に法が失効したに過ぎず、弁護人が主張している「無罪を言い渡すべき場合」には当たらない。
横浜事件再審 冤罪の責任は司法にも 2009/3/31 東京新聞
冤罪(えんざい)に関する責任の一端は司法にもある。そのような自覚のもとに横浜事件と向き合うことで、過去の清算以上の意味が生まれる。司法関係者は「独立」を盾に過ちの検証を怠ってはならない。横浜事件第四次再審の焦点は判決で元被告の無罪を宣言するか否かだった。根拠法の治安維持法の廃止を理由にした免訴では、元被告の名誉が十分回復せず、遺族の無念も晴れないからだ。しかし、裁判所は法の建前に従い免訴を再度言い渡すにとどまった。遺族らの心情に理解を示し、刑事補償手続きの中で事実上、無罪判断を示すことを示唆したが、問題先送りの観は免れない。やはり本舞台である再審の判決で戦時中のいまわしい歴史にきちんと向き合ってほしかった。この事件では共産主義宣伝を理由に1942年から45年にかけ約60人が検挙され、拷問で4人が死亡した。
証拠は拷問の結果の自白だけだが、起訴された人々はずさんな裁判で次々有罪とされた。裁判所が戦争終了後もあわただしい審理で有罪判決を安易に出したことや、不都合な事実を隠すために記録を処分したことも分かっている。摘発した特別高等警察(特高)に司法も協力して思想弾圧の一翼を担ったといえる。戦後、その責任を取った裁判官はほとんどいない。政治、行政、軍事などの責任者はさまざまな形で責任を追及されたが、司法に関しては戦前と戦後の断絶が必ずしもなされていないのである。こうしてみると横浜事件は決して昔の話ではない。まして現時点でも、司法が警察、検察に対するチェック機能を十分果たしていないとの指摘がある。時折明らかになる冤罪の中には司法の手で防げたはずのものもあろう。検察は、一昨年、鹿児島の公選法違反事件、富山の強姦(ごうかん)事件など冤罪が生まれた要因を検証、自白偏重の捜査からの脱却を目指している。無実の人を誤って罪に陥れる主因が警察、検察の捜査と検察の公判遂行であるのはもちろんだが、裁判所の側に責任がまったくないとは言い切れまい。司法関係者は「裁判官の独立」や、証拠の判断が裁判官に任せられている「自由心証主義」に寄りかかり、誤った裁判に対する反省を怠っていないだろうか。司法も過ちを検証し、教訓をくみ上げて継承しないと冤罪の根絶は難しい。
責任果たしたのか 2009/3/31 神奈川新聞
第2次世界大戦中の言論弾圧事件として知られる「横浜事件」。その四度目の再審請求に基づく裁判が横浜地裁であり、元被告にまたも「免訴」が言い渡された。元被告を有罪とした原判決を批判しながらも、罪の有無を判断せず裁判を打ち切るという結論である。事件記録がわざと消却されたと思われる、などと裁判の特殊性を認める一方で、判決はかつての司法の責任には触れなかった。再審とは、本来救済の場として設けられたものではなかったか。これでは市民に開かれた、分かりやすい司法とは言えまい。長い再審裁判の歴史は、元被告の名誉を取り戻すための真相の解明に加え、どんな時代にも揺らいではならない司法の在り方を問う歩みでもあった。免訴判決がその足取りを確かにする契機になるか疑問と言わざるを得ない。横浜事件では、共産党再建を企てたとして大勢の編集者らが治安維持法違反容疑で逮捕され、同法が敗戦直後に廃止されるまでの短い間に約30人が次々と有罪判決を受けた。取り調べ中の拷問による死者も出た。再審を求める動きは1986年に始まり、3度目の請求でようやくその願いが実現した。しかし、2008年に最高裁で元被告の罪は問わないという免訴が確定。有罪のぬれぎぬを着せられた元被告を救済するのが再審と信じてきた原告側を落胆させた。ただ、地裁が4度目の請求を受け昨年秋にあらためて再審を始めると決めた際、裁判長は元被告の無罪を強くにじませた。逮捕されるきっかけになった社会評論家の論文に「共産主義を広める目的があったとは思えない」とするとともに、実質的な審理を行わずに有罪判決を下した当時の裁判所の手続きを「拙速で、ずさん」と批判、事件がでっち上げられた可能性を示唆した。判決でも元被告を取り調べた警察官が拷問を加えた罪で有罪となったことや、保存されているべきはずの事件記録がないのは「わざと破棄されたと推測される」などと、この裁判が一般的な再審とは異なることは認めた。そのうえで「免訴判決は、無罪判決を得ることで元被告の名誉回復を図ろうとする遺族らの意図にそぐわないことは明らか」と述べもした。にもかかわらず、判決は先に免訴とした最高裁の判断を踏襲するにとどまった。遺族にすれば、素人には分かりにくい法律論をいじっただけとの思いが強いだろう。肉親の名誉回復を長年願い続けてきただけに、「何と報告すればいいのか。怒りが込み上げる」「司法は人間としての判断を下せないのか」などと語った。何事においても、信頼を得るにには過去の過ちに率直、謙虚でなければならない。司法の責任に及び腰の判決が残念でならない。
横浜事件免訴 事実を見ずに幕引きか 2009/3/31 北海道新聞
戦時中最大の言論弾圧とされる「横浜事件」の第4次再審請求の判決で、横浜地裁は死亡した元被告の遺族に免訴を言い渡した。 ほかの元被告側が起こした3次請求審判も08年3月に免訴判決が確定している。無罪判決による完全な名誉回復を、という関係者の願いはかなわなかった。残念だ。 1942年から敗戦直前にかけて起きた事件である。雑誌編集者や新聞記者ら60人余りが、「共産主義を宣伝した」として治安維持法違反容疑で逮捕され、4人が特別高等警察の拷問で獄中死した。特高警察が事件をでっち上げた、というのは戦後の研究でも定説だ。拷問による捏造(ねつぞう)で、無罪だとする元被告側の訴えを認めるのか、検察側の主張通り審理を打ち切って免訴とするかが、再審の焦点だった。地裁は08年10月の再審開始の決定で、拷問で虚偽の自白をさせられたという元被告の口述書を「無罪を言い渡すべき新証拠」と認定した。当時の審理を「拙速で、ずさんだった」とも指摘。裁判所が不都合な事実を隠そうとして記録を破棄した可能性も取り上げるなど、初めて司法の責任にも触れた。ところが、判決は司法の責任など事件の実態にはほとんど踏み込まなかった。「怒りが込み上げる」。裁判後の会見で元被告の遺族がそう述べたのも、当然だろう。免訴の理由については、有罪の根拠となった治安維持法の廃止と大赦で有罪判決の効力は失われたという最高裁の判断に沿った。一方で、免訴で元被告の不利益は法律上完全に回復、刑事補償で一定程度の名誉は回復できると述べた。法律論ではそうかもしれないが、元被告は有罪が確定したまま死亡している。有罪の事実は消えない。誤った判決から罪なき人を救うのが再審だとするなら、無罪言い渡しで名誉回復を図るのが筋ではなかったのか。判決の中で実質無罪をにじませることもなく、法律解釈を優先した裁判所は元被告のみならず、司法の名誉回復を果たすという格好の機会をも逸したといえよう。治安維持法は改正を重ねながら対象をほぼ無制限に広げ、国民の思想取り締まりに猛威を振るった。「天下の悪法」と呼ばれるゆえんだ。横浜事件はその象徴的な事件だ。国家権力が事件をでっちあげ、無実の人間を拷問で犯人に仕立てた。司法がなぜそんな過ちを犯したのか。事実と向き合おうとせず、幕引きを図る姿勢は残念でならない。捏造は、先の鹿児島県の選挙違反事件に見られたように決して過去の話ではない。そこを忘れてはならない。
横浜事件 なぜ司法の責任に向き合わぬ 2009/3/31 愛媛新聞
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」に加担した責任に、裁判所が最後まで目をつぶった印象を受ける。元被告の遺族が起こした第四次請求の再審判決で、横浜地裁は裁判の打ち切りを意味する免訴を言い渡した。再審請求の動きはほかになく、再審は終結する可能性が高い。今後は刑事補償請求の審理を通じた名誉回復に焦点が移る。が、潔白を主張して無罪判決を求めた遺族でなくとも納得しにくい結論だ。一番の理由は、過去のあやまちに向き合わず幕を引こうとする司法の姿勢にある。事件では、共産党再建運動をしたなどとして、雑誌「改造」編集者ら60人が神奈川県の特高警察に逮捕された。言論や思想統制で悪名高い治安維持法違反容疑だ。うち30人以上が起訴され、多くは敗戦後1カ月もたたない混乱のなかで有罪とされた。拷問の死者も4人を数える。驚くのは裁判所の行動だ。元被告らによると、大半がたった1日の裁判で判を押したように有罪判決を受けた。「起訴事実を認めれば執行猶予にする」と裁判所にもちかけられた人もいるという。裁判所が記録を焼却したことも見逃せない。いいかげんな判決を乱発した暗部を葬り去った疑いを強くする。それが再審開始も遅らせた。戦後の研究で事件はでっち上げだったことが定説となっている。そのため問われたのは、かつて罪に問われたことが法令の改廃で罪でなくなったという法律論ではない。犯罪とされた事実があったか、なかったのかに尽きる。だが判決はあまりに形式的で、真相解明にほど遠い。治安維持法は戦後に失効しており、刑事訴訟法に従い免訴とする判断を誤りとはいえない。別の再審請求では最高裁で免訴が確定しており、今回は踏襲したかたちだ。法律論としてはそれで正しくとも、裁判所の責任が不問のままだし、なにより元被告の汚名がすすがれない。「免訴判決は遺族らの意図が十分に達成されないことになるのは明らか」と述べた判決も承知していよう。だからこそよけい残念になる。問題は決して過去のものではない。富山県で無実の男性が有罪判決を受け、服役した事件を思い出す。再審では虚偽の自白を強いた取調官の証人尋問を却下、刑事司法の構造的問題は追及されずに終わった。裁判所も冤罪(えんざい)を見抜けなかったが、ここでも結果的に責任に目をつぶった。まもなく裁判員裁判が始まる。そんないまになってなお裁判所が無謬(むびゅう=理論や判断にまちがいがないこと)神話にとらわれているなら、司法制度改革のめざす「身近で開かれた司法」は望めるだろうか。司法は重い十字架を背負ったことを自覚するべきだ。
横浜事件 司法が背負う過ちの歴史 2009/4/3 朝日新聞
昨年ブームになった小説「蟹工船」の作者、小林多喜二は1933年、特高警察の拷問で殺された。戦前の治安維持法のもとで、共産主義を広めたとして弾圧されたのだ。こうした言論弾圧の中でも最大とされるのが、戦争中の横浜事件だ。敗戦までの3年間に、雑誌編集者ら約60人が神奈川県警特高課に検挙された。総合雑誌の編集会議で、論文の掲載に賛成する。逮捕された評論家の家族を助けるためカンパをする。そんな行為が「犯罪」としてでっちあげられ、半数が有罪判決を受けた。4人は獄死した。元被告らは名誉を回復するためにこの23年間、再審裁判による無罪宣告を求めてきた。その第4次再審請求で横浜地裁は今週、「無罪」ではなく単に裁判を打ち切るという「免訴」を言い渡した。再審請求では3次で再審の扉が開いたが、最高裁は昨年、免訴の判断をした。治安維持法は戦後廃止され、元被告らは大赦を受けた。これは有罪判決当時の刑事訴訟法に照らし、免訴とすべき場合にあたるという解釈からだ。今回の判決もそれを受け継いだ。もはや再審による無罪判決は期待できないとみるしかない。元被告の遺族らは控訴せず、刑事補償手続きで、事実上の無罪を認めさせる道を探るという。元の有罪判決は敗戦直後の45年9月にあわただしく言い渡され、連合軍の進駐前に、裁判所関係者が記録を燃やしたとみられている。拷問にかかわった特高警察の幹部は戦後、有罪判決を受けた。しかし、当時の裁判官や検察官は責任を追及されなかった。「弁護人を含め司法関係者全員が職責にもとる行為の結果、ぬれぎぬを強いた事件だ。『被告人は無罪』という言葉で初めて犠牲者は救済され、司法の信頼も回復される」。再審公判でこう弁護人が訴えたのは当然だ。戦前の日本の裁判所は、政府のチェック機能を十分に果たしていなかったばかりか、軍国主義の弾圧から国民を守ることも放棄していた。この戦時司法の歴史を、いまの裁判所がきちんと総括し、教訓にする。それが正義というものだろう。4次請求の再審決定の中で、横浜地裁の大島隆明裁判長が、64年前の有罪判決を「ずさんな処理」と批判し、裁判記録の紛失についても「不都合な事実を隠そうとした可能性が強い」と指摘したのには、救われる思いがした。大島裁判長は判決でも、「免訴では名誉回復を望む遺族らの心情に反する」と理解を示した。裁判官の中にも、過去を直視する姿勢が芽生えたと信じたい。刑事補償の申請を受けたら、裁判所は早く決定を出すべきだ。その中で、冤罪と弾圧にかかわった過去への反省を国民に向けて明確にしてほしい。  
2010
横浜地裁;横浜事件、無罪の判断 地裁、元被告に刑事補償認める 2010/2/4
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」の再審で、有罪か無罪かを判断せずに裁判を打ち切る「免訴」判決を受けた元被告5人について刑事補償を認める決定があった。決定は、神奈川県警特別高等課(特高)の当時の捜査について「極めて弱い証拠に基づき、暴行や脅迫を用いて捜査を進めたことは、重大な過失」と認定。検察官も「拷問を見過ごして起訴した」、裁判官も「拙速、粗雑と言われてもやむを得ない事件処理をした」としたうえで、「思い込みの捜査から始まり、司法関係者による追認により完結した」と事件を総括した知った上で、事件の発端のひとつは、特高警察が42年の富山県泊町(現・朝日町)での会合を、「日本共産党の再建準備会」とみなしたことだった。決定はこの会合について「遊興の会合だった可能性が高く、再建のための会議という事実は認定できない」「治安維持法の廃止など免訴にあたる理由がなければ、無罪判決を受けたことは明らか」と述べ、実質的な「無罪」とし、5人の遺族が請求した通りの補償総額約4700万円とした。検察側は抗告しないので86年に初めて再審請求して以来、初めて司法により元被告の名誉回復が図られる。再審で無罪判決が言い渡された場合と同様に、今回の補償決定は官報や新聞に公示される。なお、09年3月に横浜地裁であった4次の再審判決を担当したのは、今回の決定と同じ大島裁判長だったが、判決の中で、刑事補償の請求があれば実質的な無罪判断を出す可能性を示唆していていた。 刑事補償法は、法の廃止や大赦などの免訴となる理由がなければ無罪判決を受けたと認められる場合には、補償金を支払うと定めているが、認められたのは、いずれも故人で、元中央公論社出版部の木村亨さん▽元改造社編集部の小林英三郎さん▽旧満鉄調査部員の平舘利雄さん▽元古河電工社員の由田浩さん▽元改造社編集部の小野康人さん。5人は治安維持法違反で45年に有罪判決を受けた。  
2011

 

2012
横浜事件で国家賠償を提訴 「裁判長期化」と遺族 2012/12/21 共同通信
「横浜事件」で、判決書など訴訟記録が焼却されたため裁判の長期化を余儀なくされたとして、再審で「免訴」の判決が確定した元被告2人の遺族が12年12月21日、計1億3800万円の国家賠償を求め東京地裁に提訴した。弁護団によると、横浜事件をめぐる国家賠償訴訟は初めて。訴えを起こしたのは、元中央公論編集者木村亨さんの妻と元南満州鉄道(満鉄)調査部員平舘利雄さんの長女。木村さんの妻まきさん(63)は記者会見で「夫が拷問を受けた悔しさは消えない。国家賠償訴訟で名誉を回復してほしい」と話した。  
2013
横浜事件の損賠訴訟、国が争う姿勢 東京地裁で弁論 2013/2/21 日経新聞
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で、再審で免訴判決が確定した元被告2人の遺族が約1億3千万円の損害賠償を国に求めた訴訟の第1回口頭弁論が13年2月21日、東京地裁(菅野雅之裁判長)であった。被告の国側は請求棄却を求め、争う姿勢を示した。原告は、元中央公論社社員の故木村亨さんと元南満州鉄道(満鉄)調査部員の故平舘利雄さんの遺族。訴状によると、2人は1943年、「共産主義を宣伝した」として神奈川県の特高警察に逮捕され、拷問で得られた自白を証拠に45年9月、治安維持法違反罪で有罪が確定。再審で08年3月、有罪か無罪かを判断せずに公判を打ち切る「免訴」が最高裁で確定した。原告側は「裁判記録の焼却で再審が長期化し、免訴判決だったため2人の名誉回復が果たされなかった」などと主張。国側は「明治憲法下では国の賠償責任はなく、裁判所の免訴判決にも違法性はない」と反論する答弁書を提出した。  
2014
2015
2016

 

横浜事件の救済 国や司法の責任は重い 2016/7/3 北海道新聞
戦時下最大の言論弾圧とされる「横浜事件」を巡る訴訟の判決で、東京地裁が元被告2人の遺族による国家賠償請求を棄却した。判決は、特高警察による過酷な拷問や、公正な捜査や審理を怠った検察官、裁判官の対応を違法と認定した。ところが、国の責任については「国家賠償法が施行される前の行為だった」として認めなかった。国賠法がなかった時代の違法行為だから、国は賠償責任を負わないという理屈だが、これでは、被害者側に泣き寝入りを強いるような判断ではないか。国や司法は、重い責任をきちんと自覚すべきである。事件は、1942〜45年に起きた。雑誌の編集者や新聞記者ら約60人が「共産主義を宣伝した」として治安維持法違反容疑で逮捕され、多くが有罪判決を受けた。戦後の研究では、事件は特高の捏造(ねつぞう)だったというのが定説だ。元被告2人は、存命中の86年に再審を請求したが棄却された。死後、遺族の請求でようやく再審が認められたが、有罪、無罪を判断しないまま裁判を打ち切る免訴が確定している。有罪の根拠となった治安維持法の廃止などが、免訴の理由だ。こうした事態を招いたのは、裁判所側の問題が大きい。86年の再審請求が退けられたのは、訴訟記録がなかったためだ。地裁は今回の判決で、「訴訟記録は裁判所職員の関与で、判決後ほどなく廃棄されたと推認できる」と認定した。戦後のどさくさの中、裁判所が不都合な記録を消し去った疑いがあるが、判決にそれへの批判の言葉はなかった。「身内」に甘いと見られても仕方ない。再審制度は、誤った裁判で有罪が確定した人を救済するのが目的だ。無罪を言い渡し、しっかりと名誉回復を図るのが筋である。このため、遺族側は今回の訴訟で免訴の違法性もただした。しかし、判決は「(免訴により)有罪判決の効力がなくなり、法律上の不利益は回復された」と述べ、違法性はないと結論付けた。公正・公平を最も大切にすべき裁判所が、「誤判」を認めることに消極的では、国民の信頼は得られまい。遺族側は、判決を不服として控訴する方針という。国賠法の未整備を根拠に、責任を避け続ける国の姿勢は真摯(しんし)とは言えない。控訴審では遺族側の訴えに謙虚に耳を傾けるべきだ。
東京地裁「横浜事件」国賠認めず 「法施行前の責任なし」 2016/7/1 東京新聞
戦時中最大の言論弾圧とされる「横浜事件」で有罪判決を受け、再審で免訴が確定した元被告2人の遺族が、国に計1億3800万円の損害賠償を求めた国家賠償訴訟の判決が、30日、東京地裁(本多知成裁判長)であった。判決は特高警察による拷問や、裁判記録の廃棄を「違法行為」と認定。一方で公務員の違法行為について、当時は国に賠償責任を負わせる法律の施行前だったことから「国が責任を負う根拠がない」として、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。訴えたのは、出版社「中央公論社」社員だった故木村亨さんの妻まきさん(67)と、南満州鉄道(満鉄)調査部員だった故平舘利雄さんの長女道子さん(81)。判決は、当時の特高警察による取り調べについて「竹刀で多数回殴りつけるなど拷問で自白を強制しており、違法行為だったことは明らか」と指摘。「拷問の事実を認識しながら、2人の有罪判決を確定させており、検察官や裁判官にも不十分で違法な対応があった」とした。また、保管が義務付けられた裁判記録が存在しないことについては「裁判所職員による何らかの関与の下、廃棄されたと推認できる」との判断を示した。その上で「当時は公務員の違法行為について国に賠償責任を負わせる法律が施行(1947年)前で、国が責任を負う根拠がない」として、国の賠償責任は認めなかった。原告側は、有罪、無罪を判断しないまま再審公判を打ち切った免訴判決の違法性も主張したが、判決は「再審で無罪判決を得ることで2人の名誉回復が実現できると考える遺族の心情は理解できるが、免訴判決で有罪判決は効力を失い、法律上不利益は回復された」と退けた。判決によると、木村さんと平舘さんは1943年5月、治安維持法違反容疑で神奈川県警察部特別高等課(特高)に逮捕され、有罪判決が確定。2人の死後、再審で免訴判決が2008年に確定し、横浜地裁は10年に刑事補償を認める決定を出した。
原告「生きている限り闘う」
判決後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した木村まきさんは「司法の犯罪は、司法自らの手で裁かれなければならない。生きている限り闘っていきたい」と気丈に語った。2012年12月の提訴から3年半。計18回に及んだ口頭弁論での準備書面や証人尋問の内容に自信を持っていただけに「勝訴を確信していたのに逃げられた。司法の姿勢を疑わざるを得ない」と憤った。「おかしいぞ」「ふざけるな」。午後1時10分、東京地裁611号法廷で請求を棄却する判決が言い渡されると、法廷内に怒号が飛び交った。地裁正門前では弁護士が「不当判決」と書かれた紙を掲げた。
東京地裁 最大の言論弾圧・冤罪事件「横浜事件」遺族の請求棄却 2016/6/30
先の大戦下で最大の言論弾圧・冤罪事件とされる「横浜事件」の元被告=再審で免訴確定=の遺族2人が、裁判所が訴訟記録を焼却したことで長期の再審闘争を強いられたなどとして、国に計1億3800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決があった。原告は、1945(昭和20)年9月に治安維持法違反罪で有罪判決を受け、2008(平成20)年に再審で免訴が確定した木村亨元被告の妻と、2009年に免訴が確定した平舘利雄元被告の長女。元被告2人は再審開始決定前に死去していた。本多知成裁判長は「取り調べで違法な拷問があったことは明らかで、訴訟記録を裁判所職員が廃棄したことも推認できるが、国家賠償法前施行の公務員の行為であり、国は賠償責任を負わない」として、請求を棄却した。 
2017
「斜面」 2017/1/29 信濃毎日新聞
敗戦の色が濃くなった1944年のきょうの出来事。当時の論壇をリードしてきた二大総合雑誌の発行元、改造社と中央公論社の現・元編集者が神奈川県特高警察に一斉摘発された。その前段でこんな事件もあった。国際政治学者の細川嘉六が、日頃世話になっていた編集者、研究者を招いて富山県の旅館で懇親会を開いた。浴衣姿で撮った記念写真を入手した特高は「共産党再建準備会」と決めつけ、写真に写った人物を相次ぎ摘発した。一連の事件で約60人が逮捕され、4人が獄死した。戦時下最大の言論弾圧は横浜事件と総称される。拷問を加えて自白を強要、治安維持法違反をでっち上げた。この法律で多用されたのが「協議罪」だった。組織に加入しなくても意思を通じ合ったというだけで処罰できる。警察の判断で適用を広げた。心の中を取り締まり、多くの冤罪(えんざい)を生んだ苦い教訓だ。だからこそ戦後は、話し合ったことをもって犯罪とする共謀罪に抑制的だった。政府は過去3度、共謀罪を新設する法案を国会に出したが、「内心の自由を侵す」との批判を浴び、いずれも廃案になった。今度は看板を「テロ等準備罪」と書き換え、今の国会に提出する。対象を限定したという。「政府がいくら市民団体は関係ないと言っても、法ができればどこまで広がるか」。横浜事件元被告の遺族の共謀罪への憂いは今回も通じる。  
 

 

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