往生

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往生要集 / 解説1・往生要集厭離穢土欣求浄土極楽証拠正修念仏助念方法別時念仏念仏利益念仏証拠往生諸行問答料簡
源信 / 源信和讃説経念仏仏教概観お葬式死生観臨終の行儀
源信9源信10源信11母への臨終説法源信僧都の母今昔物語集/よき子よき母源信和尚の教え源信の人間観往生要集の菩提心説往生要集のあの世とこの世往生要集の白毫観浄土十楽の思想的背景
善導 / 善導1善導2善導3善導の教え善導の入寂
往生礼讃 / 往生礼讃1往生礼讃2六時礼讃往生礼讃偈の旋律
往生礼讃偈 / 前序日没讃初夜讃中夜讃後夜讃晨朝讃日中讃後述
善導「往生礼讃」 / 往生礼讃因縁分安心起行作業一行三昧専雑得失摂受弟子現世利益結び・・・礼讃
諸話 / 往生伝善導大師の慨悔思想平家物語・・・
淨宗經典集要
 

雑学の世界・補考

往生 1

大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。
現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。
化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。
1.胎生 人間や獣のように母の胎(からだ)から生まれる事
2.卵生 鳥類のように卵から生まれる事
3.湿生 虫のように湿気の中から生まれるもの
4.化生 過去の業(ごう)の力で化成して生まれること。天人など
極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという意味。
本来の意義
往生の本来の意味は、仏になり悟りを開くために、仏の国に往き生まれる事である。よって、往生の本義は、ただ極楽浄土に往く事にあるのでなく、仏になる事にある。
必然性
何故仏国土に往生する事が、成仏の方法となるかというと、成仏には、仏の導きと仏による成仏への保証(授記)がなければならないからで、これらのない独自の修行は、阿羅漢(あらかん)や辟支仏(びゃくしぶつ)となる事は出来るが、それらになると二度と仏となる事が出来ない、と大乗仏教では考えられていた。
仏教のさとりは無我の証得である。自己の空無なる事を悟るためには、修行している事に「自らが」という立場があってはならない。自我意識が残る限り成仏は不可能とすれば、自我意識の払拭は自己自らでは不可能となる。ここに、成仏に逢仏、見仏を必要とする理由がある、というのが浄土門の立場である。
一般に「往生する」とは
往生とは極楽往生、浄土往生といわれるように、人間が死んで仏の国に生まれるから、一般的に死後の往生の意味である。しかも、往生する世界は仏の世界であり、そこに生まれる事は成仏する事である。
そこから意味が派生して、往生とは仏になる事と考えられ、往生は現実には死であり、さらに仏になることなので死んだら仏という考え方が一般化したと考えられる。中でも老衰やそれに伴う多臓器不全などの自然死による他界を大往生と呼ぶことが多い。
この往生の意味が、さらに俗化して「身のおきどころがなく、おいつめられた時」を往生するとなったと考えられる。  
 
往生 2

 

「往生」とは仏教の言葉です。
一般に、往生といえば、「困る」とか「死ぬ」という意味で使われています。
「今、来る途中、道が渋滞して往生した」とか
「山の中でエンジンが故障して往生した」とか、
「突然雨が降ってきて往生しました」など、
「困った」とか「弱った」ことを、「往生した」と言っています。
また「今朝、隣のお婆さん、往生したそうだ」とか「弁慶の立ち往生」など、死んだことを往生と言っております。きんさん、ぎんさんのように長生きした人が亡くなりますと、大の字をつけて「大往生」などと使っております。このように、世の中では「困る」ことや「死ぬ」ことを「往生」と言っておりますが、これは大変な間違いです。
字の上からも分かりますが、「往生」の「往」は往くという意味、「生」は生まれる、とか、生きるという字でありますから、「困る」とか「死ぬ」という意味はどこにも見当たりません。それどころか、その反対です。
では、仏教で往生とはどんなことを言うのでしょうか。「往生」には、二つの意味があります。
一つは、「生かされて往く」と読む往生と、「往って生まれる」という意味の往生です。まず、「往生」を「生かされて往く」といわれる意味から話をしましょう。
私たちの人生は難度海といって、苦しみ悩みの波が次から次とやってきます。一つの苦しみを乗り越えたと思ったら、次の苦しみがやってくる。この坂さえ乗り越えたならば幸せになれると信じて上ってみると、そこにはもっと急な坂道が待っている。死ぬまで苦しみ続けなければなりません。
これでは私たちは、一体何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、なぜ生きねばならないのか、分かりません。苦しみに耐えられず、「死んだほうがましだ」と自殺していく人も、日本だけでも年間3万人を超えています。
このような苦しい人生の海に、溺れ苦しんでいる私たちが、阿弥陀仏の本願に救い摂られ、「よくぞ人間に生まれたものぞ」と生命の大歓喜を獲て、一息一息が明るく楽しい人生に生まれ変わったことを「生かされて往く」往生と言われます。現在ただ今、絶対の幸福に生かされて往く身になったからです。
もう一つの「往って生まれる」という往生は、阿弥陀仏の本願に救い摂られて、大安心大満足の身になっている人が、死ぬと同時に、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、阿弥陀仏と同じ仏の身に生まれさせて頂けることを言います。
このように往生ということには、現在の往生と、死んでからの往生と、二つありますが、現在ただ今、往生できている人だけが、死んで往生させていただけるので親鸞聖人は、生きているときの往生を急げ、と叫び続けていかれました。
 
往生 3

 

往生とは、この世を去ったのち、他の世界に往って生まれ変わる事を言います。端的に、死ぬことを往生と指すこともあります。死後、念仏の功徳によって阿弥陀仏の国土である極楽浄土へ往って生まれ変わる事をさしています。死者が極楽浄土へ往き生まれ変わることで仏になり、悟りを開くことを願った行為です。そのため、極楽浄土へ往き生まれ変わることだけでなく、極楽浄土で生まれ変わることで仏になることを願う事にあります。往生はインドで生まれた考え方で、中国や日本、チベットなどに伝わった仏教(大乗仏教)の中の成仏の方法論に一つになります。
死者が念仏により極楽浄土で生まれ変わる往生を願う事を「願生(がんしょう)」や「願往生」と言います。また、往生を願う人、往生する人を往生人(おうじょうにん)と呼びます。
往生を願う浄土の種類によって呼び方に違いがあります。
・ 阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを「極楽往生」
・ 弥勒菩薩の兜率天に往生することを「兜率天往生」
・ 観音菩薩の補陀落山に往生することを「補陀落往生」
・ 薬師如来の浄瑠璃世界に往生することを「浄瑠璃往生」
と呼びます。
また、釈迦の霊山や無勝荘厳国に往生するものや毘盧遮那仏の蓮蔵世界に往生するものなどもあります。  
 
往生 4

 

今日は、『往生』と言う題を出させて頂きました。仏典の中には、至るところにこの往生という言葉が出て参ります。親鸞聖人がお書き下さいました漢文のご著書、和文のご著述の中にも、蓮如上人の御文章にも、往生という言葉が、至るところに気を付けてご覧になりますと出て参ります。仏典読誦の最後は『願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国』という句で結ばれています。
ところが最近感じることは、往生という言葉が、浄土真宗の方々におきましても、薄らいで行っているのではなかろうか、また一般のご法話におきましても、往生ということにふれられたお話しが極めて少なくなってきているのではなかろうかと思うのです。現実の人生という限られた枠内で、私どもの心をどのように始末するか、そういうようなお話しが多くなって参りますが、これも確かに大事なことです。しかし現在ただ今をよそにして、往生という問題を、往生の何たるかを、捉えるということではいけないと思います。現在ただ今こそ、私どもの命を正しく間違いのない状態で受け取っていただくと言うことが、殊に浄土真宗の教えをお聞きになっているみなさまにとって極めて大事なことと思うのであります。
思いますに、人間の目に見えたところという観点で世界を眺めますと、科学とともに現実的、物質的、それは同時に時間と空間という枠の中の現象に現代人の関心が集中して参りましたので、その観点から往生という問題が疎んじられ、関心が薄くなってきたのではなかろうかと思われます。
しかし、私は浄土真宗の信心というものは、往生という事に対するしかとした命の御受取りがなければ、それは浄土真宗の教えを誠に受け取られたお方とは思いません。いつぞやも申したと思うのですが、この前、金治勇先生がお亡くなりになりまして、色々な弔辞をいただいたのですが、その中に、最後に、安らかにお眠りくださいという言葉で終わっておるのがありましたが、その気分は分りますが、それでは往生は寝に行くのか、お浄土は寝室かとなってしまいます。いよいよこれから大いなる活動の出発点という、そういう未来に対する広大無辺な、宇宙的な壮大な展望を、私どもは信心と共に與えられるところに、仏教の仏教たる所以があるのです。人間感情だけでことを処理して、それで誠に達しられるかというと、決してそうではないと思います。
仏教は、現実から宙に浮いたお話しではなしに、現実の人間のひとつひとつを押えまして、一歩一歩辿るべき正しい方向へ辿らせていただくところに仏法の道を味合わせていただくことが出来る、誠に私どもの命に頂戴することが出来るのでありまして、決して現実離れした夢のお話しを聞いて楽しむと云う様なこととは、全く本質を異にしたものであることを私どもは心得ておかねばなりません。
第一に思うことは、私ども自身、これは一体何者であろうか、私ども自身の命というものを現在いただいて生きているのですけれど、一体このままでよいのであろうか。私どもはいささかその点に気がついて参りますと、己自身を振り返らざるを得ないものです。そういたしますと人間というものは実にちっぽけな存在で、身体の上においても、心の上においても、有限な限られたものより己のことを思うことができない、そういう存在であることを先ず感じます。私どもの身体は有限でございますから、生まれて参りましたなら必ず死なねばならない、もうこれははっきりとした有限なるものの姿でございます。しかし、それだけなのであろうか。私どもの日々をつかさどっている、この私の命と心というものは一体どのような働きをしているものであろうか。そういう点に触れて、私ども己を振り返ってみます時に、仏様が私どもにお示しくださいました迷いという世界に生きている私であり、その迷いの中に私の心が動いておる、結局人間というものは、あるべからざる自己を固執して所謂エゴを中心として離れられない生き物でございます。
私は戦争に参り、挙げ句の果てはシベリアへ四年抑留されまして、いやもう戦争ほど馬鹿げたものはない、生きて帰って来ましたが、戦後五十年、戦争は止みませんね。ソ連が崩壊するとたちどころにバラバラに分かれ、どういう分かれ方かというと、結局エゴが、民族という形になって分かれていくのです。日本人も中国人もアメリカ人も、みんな平等な人間であると、心では解っているのですが、実際のところ私どもの命がどのように働いているのか、どうしても民族中心という葛藤が現れてくる。他国との協調ということができない。最近もユーゴーのサラエボで非常に悲惨な戦争が起ったことは、みなさんも新聞などで既にご存知と思います。恐らくこのままでは、人類から戦争は絶対になくならないと思います。
また、人類は、自己中心のエゴから自然を破壊するのです。一言で言えば人間の欲です。自然が破壊されれば、人類が人類自身を破壊することになってくる、これは目に見えたことです。人間は理性が発達して、色々科学的な思考が現れてきておりますが、結局大きく眺めてみますと、理性が欲望に負けております。欲望が優先しています。欲望に支配されて、理性が動いている。だから、公害とか汚染とか自然破壊が日々続いております。こういう筋道を変えずにこのまま進みますと、悲しいことですが人類は滅亡する時が来ると言わざるを得ません。
しかし現在、人類の歴史はせいぜい数百万年でございまして、あの恐竜でも何億年も前の生き物ということですから、人間の歴史は短いものです。その中で私どもが築いてゆかねばならない人類の進歩発展、豊かなる人類生活の形成という所に本当に精神を集中して、真剣に考えねばならぬ時と思うのですが、そのようになっておりません。このことは、私どもよくよく考えねばならないと思います。そんな人類全体の大きなことを言わずとも私どもの家庭というものひとつさえ、穏やかに豊かに幸せに暮らしておるかと申しますと、悲しいかな、これまたそうは参らぬのです。
みなさまに、人生は楽なところか、難しいところか、とお尋ねしたら、異口同音に難しいところです、とおっしゃると思います。そのように自らが自らを疎外するような出来事がどうして起ってくるのか、これは結局先程から申しております迷いの世界に私どもが、自己中心に動いておるゆえ、それが微妙に関係し合い、反発し合って人生の難しさをつくり出しておる其の根元に、まず私どもは気付かせてもらわねばならぬ。それを気付かずに人生の苦しさだけから、逃れようとするところに、迷信というものが起る。迷信というものは、必ずお金と結び付いております。迷信に入り込むことの出来ぬ性格の人は、悲しい自殺を遂げられる。私どもは何としても、事柄の源、根源というものから気付いて参らねばなりません。
親鸞聖人のお言葉を少し引かせて頂きますが、みなさん自身の心を顧みられて、私は清い人間です、と申し得られる方が何人おいででしょうか。別に悪いことはしておりません。と誰しも思いますけれど、私のその心の底には、親鸞聖人のお言葉で、『欲も多く、怒り腹立ち、そねみ、ねたむ心多くひまなくして、臨終の一念に至るまで、とどまらず消えず絶えず』とおっしゃっておられる。実際これは、そんなことはありません、と申したいが申せませんな。現にこの私、確かに欲も多く怒り腹立ち、嫉み妬む心多くひまなくして、しかもこれが一時のものならまだしも、臨終の一念に至るまで、止まず消えず絶えず、と聖人がよくもおっしゃったと私感じ入るのですが、これは『一念多念証文』の終わりの方に出て来るお言葉です。その私どもの現実の中に先程から申します、迷いの世界というものを、己自身の中に気付いてみなければならない。その迷いの世界から救われる道が、仏法です。その迷いを脱して、悟りに向わしめられ、運ばしめられるのが、仏道であり、ここに真の救済というものがあるのです。
もうひとつ、私どもが反省して置くべき事は、現代の私どもはややもすると、死ねばおしまいという観念が非常に強く根ざしておりますね。死ねば焼いて灰になる、灰になったら何もなくなる。それで万事が消滅と、こういう観念です。しかし、これは、人間の目に見えた限りはそうかも知れませんが、例えば私どもが氷塊を見ている。氷は融けたら無くなります。けれども、私が気付かない水が、そこに形を変えて現れております。とにかくいかに科学的と申しましても、人間の見るところは、時間と空間に制約され、拘束された理解しか持ち得ないのです。ただ人間の常識に思うことだけを、己の信条にしているということは、もう一度考えてみなければならないのではございませんか。
往生ということは、昔の方は、伝統的に、現代人と違いまして、命が変化しながら変わる永続性というものに関する観念を持たれた。ですから、迷いというものも、ただこの世だけのものではない、命終わって後に現れる迷いの恐ろしさ、そういうものが感じられていたのです。親鸞聖人が比叡山を下りて、六角堂に百日参籠されて、これは恵信尼文書にございますが、『その暁出でさせたまいて、後世のたすからんずる上人にあいまいらせんと』、それで法然上人の所へお行きになられたのですね。後生の助かる、そういうところに真の救済の世界があることに、昔の方々は案外伝統的に敏感であったと思うのです。現代人には、極めてそれが薄くなっている。死ねば終いと言う、人間の目に見えただけがすべてではない、もっと私どもはよく目を開いて見なければならない。
仏教と言うものは、宇宙論的な教えです。釈尊の教えは現実を超えて大いなる宇宙的真理に目覚められたお方の教えでございまして、その教えを受けた私どもですから、私どももまた小さな人間の常識の中だけに止まっておるという立場を超えねば、真の命の喜びというものに達することはできないのではないでしょうか。
さて、只今申しましたように、私ども自身の心の清らかでない迷いをお感じになったお方は、何とかしてもっと清い心になりたいものだと重い立たれることは、正しいことであり当然のことと思うのであります。つまり言葉を変えますと、自分の迷いを自分の努力で超えようとする。こういう思いをお持ちになるということは、当然であると思います。しかしながら、なかなかこういうことは、単なる思いで果たされるものではないのでありまして、もしそれを、実際にやってみようとお思いになるお方があるならば、これは仏教でも、聖道門という門戸が与えられていますから、そこへ行って励んでみられるのもけっこうですが、ただしその時は、命がけ、己を捨てるという心根をもって向われるのでなければ、不可能なことだと思います。家庭生活をして、一方に欲の楽しみを願いながら、自分の力で自分の迷いを超えようというようなことは、あまりにも勝手過ぎます。
迷いと言うものは、そんなに根の浅いものではございません。しかし、これは人間として一度はそんな思いが起ってきても決して無理なことではないと思います。そういう志をお持ちになるということ自体が尊いことであると思うのです。しかし、実際におやりになってみてお分かりになることですが、私はいつも喩えとして申すのですが、自分が今乗っている板を、自分の手で持ち上げることが出来ましょうか。私どもは今迷いという板の上に乗っているのです。その迷いの中から、奮い起す力というものは、迷いの汚れを拭い得ないものになる、自分が乗っておる板を自分で持ち上げるような矛盾を、私どもはきっと身に染みて感じざるを得ない時がやってくる。親鸞聖人が二十年のご修行の後、叡山降りられたというのは、やはりこういう矛盾をお感じになられたのではなかろうか。到底私どもの思っておるような生易しい求道ではなかったと思います。それでいて、やはりこういう悩みをお持ちになったのです。その時代に、法然上人が既に早く浄土の教えをお説きになっていられた。吉水の草庵で、念仏の教えをお説きになっておられたということは、親鸞聖人もずっと以前からご存知だったのです。しかし、おいそれと良いことを聞いたからすぐに行くというようなことをなさるお方ではなかった。ご自身でいよいよ行かざるを得ないところまでやってみられて、そして遂に歩みを法然上人の所へ向けられた。六角堂で百日、観音様に参籠されたと同じ様に、また百日の間、降る日も照る日も欠くことなく法然上人のところへお出掛けになって、教えをお聞きになった。これほどの厳しさがなければ、浄土真宗の道は歩めません。他力の易しい教えだから、誰でもおいそれと行けるようにお思いであるならば、これは誤まりです。そんな生易しいものではない。
人間の迷いというものそれ自体が、私どもの気付かないほど根深いものでありますから、その私どもが辿るべき道は、決して噂とか、或いは話とか、何かの書物に書いてあったとか、そんなことで仏法の道を辿るのではない。みなさん、己自らを偽ってはなりません。決して夢を見ているのではなく、己を偽ることなく、己を見詰めながら、己が行かざるを得ない方向に歩みを進める、そこに仏道の辿りというものがあることを確信したいのであります。その時の法然上人のお教えは、念仏の教えでありましたが、現代的に言い換えてみますならば、私どもは現に迷いの世界に蠢いておるものでございますが、不思議というか有り難いというか、言葉では言い尽くせませんが、私どもは宇宙の真理というものの外に、出ることの出来ないものなのです。いかに迷っておりましても、この私どもは宇宙的真実というものに包まれておる。そのことを今まで気付くことが出来なかった。その真実のお働きが、光寿無量即ち光明と寿命となって、私どもの上に働き続けて、そして私どもの命を摂め取ってくださる、この道が念仏の教えに外ならないということになります。
どうしてこのようなことが私どもに起るのか。不思議と言えば不思議、また何と有り難いことかと思われるのですが、真理というものは、末徹った真実そのもの、常に全体を包んでいるものです。これは西洋の人でありますが、ヘーゲルというドイツの哲学者をみなさまもご存知と思いますが、その著書の中でに、『真実なるものは全体なり』という言葉がありますが、これは動かぬ言葉だと思います。部分的なものの中に真実はない。それが真実であれば、日本の国でもアメリカでも、アフリカでも何処へいっても、それは変わりのない働きを私どもの上に及ぼし続けるものである。それを今お釈迦様がしかと体験され、実感され、体得された、それが即ち光寿二無量であったのです。その光というのは言うまでもなく、人間の目に見える光ではありません。しかし、私どもの心の闇を照らして、心の闇を包んでおられる。この事が気付かれた時ああそうであったかと、心の目が開ける。開眼と言ってもよろしいでしょう。その私どもの命に開眼をもたらすものですから、それは闇を抱いて闇を破る光なのです。ですから、これを光明と申されておる。しかもこの光明は、永遠の真実から現れ起ったものですから、それは、無限のものであり、永遠のものである。そこに光寿無量という実感が現れて参ります。そのことを私ども今現にお聞きしておるのです。しかし私どもの煩悩は根深いですから、常に真実の働きを遮ろうとします。その私どもが遮っておる迷いの中で、真実が尚且つ止むことなく、私どもに働きかけておる、摂取不捨とか、摂取光中とか申す事実を気付かして頂くのが、浄土真宗の教えであります。
そしてそのことに一度開眼されますと、私どもは今までのような思いに止まっておることが出来ないのです。前に述べた柔軟心というような徳を頂きます。なお聖人は現生十種の益として本典信巻に讃えておられます。だからといって煩悩を離脱したのではありません。煩悩を抱きながら光明に摂取されて明るく有り難い境涯を恵まれるのです。それを聖人は『正信偈』に『譬如日光覆雲霧、雲霧之下明無闇』と讃じられました。実に巧みな譬えです。しかもこの境涯に入る時、光明の摂取は私を離れ給うことなく必ず浄土へ達する真実道に乗ぜしめられるのです。これを正定聚の分に入ると言われました。そして忝けなくも弥勒に同じ諸仏に等しとさえ嘆じられたのです。この正定聚の分人こそ真実信心の人です。されば、真実信心の人は必ず往生を遂げ真実浄土のさとりを得るのです。
ここに往生浄土の重大性を確と思わねばなりません。往生という二文字は翻訳語ですが、往という字があるので何か遠いところに往くように思われる。しかし往生の本来の意味は、世界が変わる∞境涯が転じる≠ニいう義をもつもので決して空間的にある処からある処へ往くという意味ではありません。蓮如上人がこの世の厭わしさを『あわれ死なんとおもわばやがて死なれなん世にてもあらばなどかこの世に住みはんべりなん』と言われ、続いて、『ただ急ぎても参りたきは、極楽浄土、願うても願いえんものは無漏の仏体なり』と仰慕したもうています。その徳を『仏智より賜りながら、先生より定まれる死期を急がんも愚に惑いぬるかと思いはんべるなり』と誡めておられます。往生浄土のところにおいて、究極の悟りの世界に私どもは入られて頂く恵みを、この身に持って生まれさせていただいたのです。
そのために人間に生まれてきておるのである、そのことに気付かせていただくことは、これは今まで解決できなかった問題をも解決してくださる、開眼というほかないと思うのであります。従って往生ということは、どうぞ間違いなくお受け取り願いたい、究極の悟りにいることであり、そこに救済の究極点があるということ、本当の救済ということは、往生とともに、仏とひとつの身にならせて頂く、皆さまもよくご存知の、足利浄圓先生という方がいつも、仏様はひとつになりたい、ひとつになりたい、と言っておられる、とおっしゃっておられたのが今でも耳の底に残っております。
宇宙的な真実というものは、そうなんでしょう。身体を持っている限りはまず間違いのない道に、私どもを乗せてくださる、大悲の大道という、間違いのない道に乗せて下さる時を、正定聚と申され、その道に乗せていただけば、必ずや涅槃の仏様と同体の世界にまで、いやがおうでも、運ばれて行くのです。それが正定聚という、もう決して退転はせぬ、脱線はせぬ、後戻りはせぬ、そういう心でございます。
私どもその道に乗った以上は、もはやそれは仏様のお手元に行ったのも同然であるという、その喜びを親鸞聖人は『末灯抄』には、『正定聚の人は弥勒に同じ、如来に等し』と申されたのです。正定聚の人、その位にあるその時の状態が、信心でございますから、その道を私どもは南無阿弥陀仏といただくのです。阿弥陀仏の真実の御働きに身を委ねる喜びが、南無阿弥陀仏と口に出る。そういうおおけなき恵みの中に、私どもは現在ただ今摂め取られておる身の上であることを、喜ばねばなりませんとともに、その救済の究極点、そこから真の働きに入る、大いなる働きの出発点でもある。還相回向というのは、みなさまご存知でしょうが、その味わいもそこから出て来るのでありましょう。
色々と申し上げたいこともありますが、今日、往生という題のもとに、そのような私どもを末徹って救われる筋道を申し上げたかったのでございます。色々な点からそれに合わせて色々な恵みを、喜びの味わいをお聞き取りを頂いたことです。どうぞ、根本の筋道をしかと念頭に置いて、往生という輝かしい未来を仰いで頂きたいと思います。
 
往生 5

 

他の世界に往いって生しょうを受けることを、往生といいます。
一般的には、迷いの世界から浄土へ往くことが往生とされます。
浄土に往って生を受けることから、往生=仏様になること、のように受け止められています。
往き先はどこ?
往生といえば極楽往生が有名ですが、行先は極楽浄土に限りません。極楽浄土は阿弥陀様が主宰する浄土で、他の仏様が主宰する浄土もあります。
お薬師さんの浄土へ行くのであれば浄瑠璃往生じょうるりおうじょう、観音様の浄土へ行くのであれば補陀落往生ふだらくおうじょう、弥勒さんの浄土へ行くのであれば、兜率天往生とそつてんおうじょう、となります。浄土はまだ色々とあります。
十方にも浄土があり、どこへ往くか願いにしたがって往生する十方往生と言うのもあります。
方向 / 名称 / 仏様
東 / 香林刹 / 入精進仏
東南 / 金林刹 / 盡精進仏
南 / 楽林刹 / 不捨楽仏
西南 / 宝林刹 / 上精進仏
西 / 華林刹 / 習精進仏
西北 / 金剛刹 / 一乗度仏
北 / 道林刹 / 行精進仏
東北 / 青蓮華刹 / 悲精進仏
下 / 水精刹 / 浄命精進仏
上 / 欲林刹 / 至誠精進仏 
往生の方法は?
浄土へ往く方法として一番有名なのは、なんといっても南無阿弥陀仏とお念仏を唱えて、その功徳によって極楽へ往く方法です。念仏往生と言われています。
お念仏を唱える以外の方法もあります。いろいろな善行を行って、その功績によって浄土へ往く方法です。諸行往生しょぎょうおうじょうと言われます。
前二者を組み合わせた助念仏往生じょねんぶつおうじょうと言われるタイプもあります。お念仏+いろいろな善行、をして往生します。
仏様の名前を聞き信じて往生する、聞名往生もんみょうおうじょうと言うのもあります。
また、特異な方法ですが、断食や埋身、入水、焼身といった方法で往生しようとする、異相往生と呼ばれるものもあります。
このほかにも、往生のタイミングや、どのような状況下で往生するかで分類する、往生説もあります。
往生ぎわが悪い?
往生は、死をきっかけとして説かれることが多いので、この世を去ること、死ぬことを意味するようになります。
さらに転じて、あきらめる、おとなしくなる、困り果てる、閉口する、などの意味となって、土壇場になって、なかなかあきらめがつかないことを"往生ぎわが悪い"と言うようになりました。
なお、往生は他の世界に生まれ変わることですから、地獄への往生も有り得るわけです。
 
往生 6

 

「往生」とは読んで字のごとく、生まれ往くと書いて往生と書きます。
どこに生まれ往くのか、お浄土へ生まれ往くことです。
それは間違いなく阿弥陀さまのおはたらき一つで、この私が命終わると同時に、お浄土へ生まれ仏とならせていただくことです。
ご門主さまが宗祖親鸞聖人のご遺徳と偲ぶ御正忌報恩講のご親教(法話)でこのように述べておられます。
(以下抜粋)
浄土真宗の特色は、この世ではなく、お浄土での成仏に向かってこの人生を歩むことですから、まずはこの世を、阿弥陀如来のはたらきを受けて精いっぱい生きることです。
阿弥陀如来は光明無量、寿命無量ですから、空間と時間に限りがない如来さまであり、智慧と慈悲の如来さまです。
そして、阿弥陀如来がいらっしゃる国土が、お浄土です。
それは、私たちがいる娑婆世界を超えていますから、阿弥陀如来も、お浄土も、そのはたらきも、直接見ることはできません。
そこで、阿弥陀如来の智慧と慈悲は、お名前である「南無阿弥陀仏」という人間界の言葉、お念仏となって、私の所に届けられました。
自分の欲望に任せたままでは、迷いの人生を繰り返し、どこへ迷いこんでしまうかわからない人間です。
この私を捨ててはおけないというお慈悲、「南無阿弥陀仏」が私の心に届くことが信心ですが、私の育てた心ではありませんから、他力の信心です。
他力の信心が因、種となって往生成仏というこの世の根本問題が解決されます。
阿弥陀如来の救いは、釈尊、お釈迦さまの説法である経典によって、ご本願としてこの世にあらわれ、その真意が七高僧をはじめ多くの方によって次第に明らかにされました。
それを受けて親鸞聖人が私たち凡夫にふさわしい教えとして開かれたのが、浄土真宗です。
と述べられました。
私は、命についての問いをどれくらいもっているでしょうか。
大切な方の死を通して、気付くことが多いかもしれませんが、どこまでいっても我が事として見ることができないのではないでしょうか。
「ご先祖さまは迷っておられないでしょうか?」
といった事をよくご相談いただきます。
私たちがお聞かせいただくお念仏は、間違いなく仏とならせていただく教えです。
自分の都合中心に物事を考え、捉えていくと、大切に思っていたはずの亡き方にさえその責任を押し付け、自分以外の何かにその原因を求めてしまう人間の心の弱さが見えてきます。
ご親教(法話)でもお話されているように、自分の欲望に任せたままでは、どこへ迷いこんでしまうか分からないのが私の本当の姿ではないでしょうか。
もしかすると、迷っていることすら気付かずに過ごしているのがこの私です。
先に亡くなられた方が迷っているのではなく、迷っているのは今生きている私たちだと気付くことが肝要です。
そんな私が命終わるときに仏となることができるのか。
全ての命を受け止めて、どんな命であっても必ず救いとり、仏とならせると呼び続けてくださるのが南無阿弥陀仏です。
南無阿弥陀仏に出遇えた私の人生はどのように変わっていけるでしょうか。
いづれ命終わる時、私も全ての命も往生させていただく。
お浄土へと生まれ行く命を今いただいているのです。 
 
往生際 1

 

死に際。ついにあきらめなければならなくなった時の態度や決断力。「往生際が悪い」
往生際が悪い
決断力がない。あきらめきれない。決めかねられずにぐずぐずしているときに、よく使われる。本来は仏教語で、「往生」は死ぬこと、「際」は境目のこと。つまり、「往生際」とは、この世からあの世へ行く間際、またそのときの様子を表し、転じて「往生際が悪く、なかなか負けを認めようとしない」のように、あきらめの悪い意味に用いられる。
勝負に負けたものが、負けを認めない主張をしたり、陰で相手の悪口を言ったりすること /  負け犬の遠吠え ・ 負け惜しみを言う ・ 強がりを言う ・ 虚勢を張る ・ 強気をよそおう ・ 潔くない ・ 空威張りする ・ 減らず口をたたく ・ 往生際が悪い ・ 素直に負けを認めない ・ 引かれ者の小唄 ・ 引かれ者の鼻歌
潔くないさま / 男らしくない ・ 女々しい ・ 往生際が悪い ・ ウジウジしている ・ 恋々とする ・ 悪あがきする ・ 未練がましい ・ 引き際が良くない ・ 執着する
勝負において、負けることが明らかな状態にもかかわらず、それを潔く認めないさま / 往生際が悪い ・ 悪あがきの ・ 決断力のない ・ 諦め切れない ・ 負けを認めない ・ 最後が見苦しい ・ 諦めが悪い ・ 潔くない ・ 諦めの悪い ・ 負けを受け入れない ・ 負け惜しみを言う ・ ジタバタする ・ 敗北を認めない ・ 無敵くんの ・ 最後まで抵抗する ・ 大人気ない ・ 男らしくない ・ 見苦しい ・ しつこい  
往生際が悪いしぐさの心理学
たとえば、トランプなどのゲームをやっている時に、自分が負けても認めないで、往生際の悪い人がいます。実は、このような人は、あまりにも勝ち負けにこだわる価値観を持っている人です。ですから、負けることを認められず、往生際が悪くなるのです。また、人間として未成熟で、物事を受け止める器が小さいため、現実を受け止めることができない人物でもあります。したがいまして、トランプなどのゲームであっても、往生際が悪い人は、日常生活でも、仕事でも、非常に往生際が悪く、なかなか現実を認めようとしません。そして、自分の間違いも認めず、他人のせいにばかりします。ですから、周囲からは迷惑な人とレッテルを貼られやすいです。
以上のことから、往生際の悪い人は、現実をリアルに受け止める訓練をおこなう必要があるでしょう。もっと現実を観察し、現実を見つめ続けるのです。自分の意図しない結果もありますし、自分が見たくない現実もあるでしょう。それでも、現実は現実なのですから、しっかりと受け止める必要があります。もちろん、現実を受け止める訓練をおこなっていけば、次第に、器が大きくなっていきますから、大切なのは、訓練を続けるかどうかにかかってきます。
しかし、問題なのは、往生際の悪い人に、現実を受け止めることが必要と教えてあげても、往生際が悪いため、そのことすら認めようとしません。ですから、人生の窮地に追い込まれて、自発的に反省する機会を待たないといけないのがほとんどです。やはり、人の心を変えるのは、神様に任せるしかないというところでしょう。 
 
往生際 2

 

ヒラリー・クリントン支援者の往生際の悪さに辟易
昼夜、トランプ氏の勝利に反対し、デモを行うヒラリー支援者。例え、人種差別的な発言や女性蔑視をしていても、最終的にはアメリカ国民が選んだ大統領です。自分達の意志が届かなかったとは言え、民意に反して暴動を起こすのは、はたして正当な権利と言えるのでしょうか。
人種的な偏見や性差別の権化と呼ばれているトランプ氏ですが、多くのマイノリティー票と、50%以上にもなる女性票が集まったのも事実です。彼の当選を告知したのは、FOXニュースだけではなく、AP通信でも行いました。しかし、そのAP通信のアナリストによると、ヒラリー氏はまだ完全には敗北していないそうです。
デモを行う輩といい、開票結果にケチをつけるアナリストといい、最後まで物言いの付く2016年大統領選挙です。
どちらがなっても同じ
共和党か民主党かで、多少は政策も異なるでしょうが、アメリカが共産主義国にコンバートするわけではなく、基本的には同じことの繰り返しです。人種差別が無くならないのは、何も今に始まったことではなく、マンハッタンのカナル・ストリートを挟んだイタリアンタウンとチャイナタウンは、今現在もギャングの抗争が続いています。ブルームバーグ氏がNY市長になってからは、少し下火にはなりましたが、それでもコリアンタウンとブラックタウンは仲が悪いですし、偏見はアメリカ人の日常からはなくなりません。
ブラックモスレムの狂信者だったマルコムXは、聖地メッカへ巡礼して初めて、白人に対する恨みを捨てて、人種の壁を乗り越えられたのです。基本的にアメリカ人は、国外へ出て広い世界を目の当たりにするまでは、井の中の蛙と言えるほどに何も知らない田舎者です。戦地へ赴いた軍人の方が、よほど国際的な感覚を身に着けており、人種的偏見を持っていません(勿論、中にはゴリゴリの差別者もいますよ。しかし、よほどでなければそんな奴には逢いません)。
今回の選挙を見ていると、トランプ氏が大統領になれば、それだけで国が滅びそうな雰囲気に包まれています。では、今デモを行っている人達は、海外に対して何ら偏見はないのでしょうか。誰もが肩を組んで、歌って踊って酒を酌み交わす事が出来る世界が、海の向こうには広がっているとでも思っているのでしょうか。
映画のワンシーンのように、白人の金持ち娘と黒人の女の子が、仲良く笑いながらカフェテリアで食事をすることなどはありません。多少はあっても、ピアノの鍵盤のように、エボニーとアイボリーには僅かな隙間があるのです。個人的には親友になれたとしても、それが全ての人種に対して波及するかと言えば、残念ながら現時点では不可能です。
それからすれば、トランプ氏が大統領になろうが、ヒラリー氏がなろうが、それほどの違いはないのです。ラッパーの厳つい兄ちゃんや姉ちゃんが、文系のクラシックしか聴かないお坊ちゃんやお嬢様と交流することがないのと同じです。白人の本音を聞いたことのない日本人は、何故か彼らを美化して見ているようですが、有色人種を毛嫌う白人は何も珍しい存在ではありません。そして、それはヒスパニックにも、チャイニーズにも、コリアンにも言えることです。
ハリウッドセレブの大ウソつき
ドナルド・トランプ氏が大統領に選ばれれば、国外へ退避すると言った俳優やミュージシャンがいました。彼が選ばれる確率が低かったので、心にも無い戯言を発したのでしょうが、言った限りは実行してもらいたいものです。少なくとも、トランプ氏はこの選挙期間中には一度も言葉を曲げていません。
AP通信のアナリストが言うように、万が一開票に問題がありヒラリー氏が逆転で大統領になる事があるとすれば、マドンナさんはヒラリー支援者全員にフェラチオをしてくれるのでしょうか?今でこそ、ただの冗談だと言えますが、何とも品性を疑う発言でした。もともと品性とは無関係の、好き放題が出来るミュージシャンや俳優だからこそ言えることで、少なくとも社会的責任を負う人の言葉ではありません。
それほどアメリカに絶望し、自由が踏み躙られたと感じるのなら、英語圏の他国にでも移住すればいいことです。その覚悟すらなく、ただ悪戯に民衆を先導してデモを誘発するのは、芸術を志す者にはあるまじき行いです。自国民の民意すら承服出来ないなら、民主主義など取らなければ良いのです。
アメリカ人の往生際の悪さは、見ていて胸くそが悪くなります。そして、またこれがアメリカ全土に拡散し、必要のない暴力を生むのです。それはもはや、ドナルド・トランプとは関係のない場所で始まっています。結局は、自由を建前にしたエゴでしかなく、これこそがまた新たな偏見の口火となるのです。
愛が勝つなら愛で説得すればいい!
"Love trumps hate." 「愛は憎悪に勝る」
レディー・ガガさんがプラカードを掲げて叫んだ言葉でした。もしも、偏見ではなく“愛”こそが何よりも勝る力なら、即刻トランプ叩きを止めて、“愛”の力でトランプ氏の胸の内を変えるべきです。この数日、反対派が行っているのは、トランプ氏が使ったのと同じ言葉による差別であり、ただの鬱憤を晴らすための暴力でしかありません。愛が大切だと言う割には、全く乖離した行動を取る彼らに、もはや「愛」だの「平等」だのを語る資格はありません。
大勢に不満があるから実力行使に及び、暴力をも正当化するのが彼らの言う民主主義なら、結局は中国政府のチベット政策や北朝鮮と同じです。暴動さえ起こせば、政府は真剣に民衆の声に耳を傾けるといったシステムが、この数世紀で人々の心の中にインプットされてしまったようです。とどのつまりが、暴力こそが問題の解決方法でしかなく、いつの時代も最後は暴力に頼らなければならなくなるのです。
愛があるなら平和的に説得すれば良く、愛があれば心の壁は超えられるでしょう。それこそ、マルコムXが最後に辿り着いた境地です。愛を歌うミュージシャンが、言論の自由を逆手に取って、暴力を助長するような言動を続けていては、本末転倒と言うべきなのではないでしょうか。
終わりに
予算委員会で議長席に詰め寄る野党議員然り、沖縄の基地移設に反対するプロ市民然り、または自由を叫びながら反論者の意見は聞こうともせずに恫喝する学生運動家然り、本来は暴力を反対する人々が、もはや暴力の虜と化しています。この度の大統領選挙でも、トランプ氏に投票した人達は、彼を支持することで反対派から嫌がらせや虐めに遭ったと聞きます。そしてその代償が、隠れ支持者による、トランプ勝利となって現れたのではないでしょうか。
言葉の暴力で非難を浴びたトランプ候補は、ヒラリー候補を支持する者の暴力によって、大統領に選ばれたのです。そんな彼らが、また1861年を再現しようとしています。さらに、ここに及んでもまだ、開票結果を再考しようとする者がいます。
どこまでも争い事が好きな彼らに、世界平和など夢のまた夢でしょうね。 
往生際が悪い、アメリカのマスコミ。
米大統領選、クリントンはまだ勝つ可能性がある / ニューズウィーク 2016/11/11 
一部の激戦州の票は今カウント中、既に勝敗が決したとされる州や僅差の州では再集計が必要な場合もあり、12月の選挙人投票ではクリントンがトランプと引き分ける可能性もある。その場合は議会がどちらかを大統領に選ぶ。先例もある
AP通信によると、木曜日の時点で、ニューハンプシャー、ミシガン、アリゾナの3つの州では選挙人の獲得数が拮抗している。もし民主党候補のヒラリー・クリントンがそれらの州を制して合計31人の選挙人を新たに獲得したとしても、大統領の当選に必要な過半数の270人には届かず、279人を獲得したドナルド・トランプを上回ることはない。
だがAP通信のアナリスト・マイケル・マクドナルドは、ウィスコンシン州でトランプが勝利したとする同社の集計結果を疑っている。彼はフロリダ大学の教授も兼務し、USエレクションズ・プロジェクトを率いて日々選挙データを集計してきた。仮にクリントン側にウィスコンシンでの勝利が舞い込み、接戦の3つの州も制することができれば、選挙人の獲得総数は両候補とも269票の同点となり、トランプとの引き分けに持ち込める。
「クリントンはウィスコンシン州で勝っているかもしれない」とマクドナルドは言った。「メディアが当確を出したからといって、それが本当の選挙結果だとは限らない」
彼は、不確定要因として不誠実な選挙人の存在を指摘する。11月8日に選ばれた選挙人団は、形式的とはいえ12月の選挙人投票を経て最終的に大統領を選ぶ。問題は、稀に、どの候補に投票するかの誓約を破る選挙人が出てくることだ。非営利組織フェア・ボートによると、1787年の選挙人団設立以来、不誠実な選挙人は157人いたことがわかっている。
選挙人投票でタイも
もし12月の選挙人投票でトランプとクリントンの獲得票数が引き分けになれば、大統領を決めるのは議会。クリントンの勝機もある。ペンシルベニア州フィラデルフィアにある国立憲法センターによると、過去に2度、1800年と1824年にそうしたケースがあった。
アリゾナ州務長官は木曜日、開票率99.9%の時点で、クリントンの45.3%に対してトランプは49.64%の票を獲得し、得票数の差は8万5257票だと発表。一方、州当局は本誌の取材に対して、水曜日の時点で期日前投票や暫定投票などによる62万7000票が未集計だと語った。マクドナルドは「(アリゾナの結果は)不確実な要素が十分にあり、クリントンがトランプを逆転する可能性が残っている」と言う。(米ケーブルテレビCNNの集計結果によると、アリゾナ州はトランプが制した)
AP通信によると、ニューハンプシャー州では開票率100%の時点でクリントンの得票率は47.5%、トランプは47.3%だった。ただしクリントンの勝利は確定ではない。両候補の得票差がたった1614票のため、誤差の範囲としてトランプが再集計を求める可能性がある。再集計が認められるのは得票率の差が20%以内の場合だ(CNNによると、ニューハンプシャーではクリントンが勝利した)。
ミシガンで追いつく?
ミシガン州務長官は、開票率100%の時点でクリントンの得票率は47.3%、トランプが47.6%、得票差は1万3107票だと発表した。同州は12年の大統領選で2675票の暫定投票(投票資格などをチェックする必要があるものなどまだカウントされていない票)があったと伝わるため、今回もそれと近い数字になる見込みだ。とはいえ仮にそれだけの票が加わったとしても、ミシガン州では得票差が2000票かそれ以下にならなければ自動的な再集計を行わないため、必ずしも再集計の要件には達しない。それでもマクドナルドはこう言う。「一定の暫定投票はあるはずだから、クリントンはミシガンでトランプに追いつけるかもしれない」
そうなれば残るのは、AP通信がトランプの勝利を伝えたウィスコンシン州だ。両候補の獲得票数の差が僅か2万7257票であることからも、マクドナルドはその結果を疑っている。同州で再集計が行なわれるのは得票率の差が0.5%以内の場合だが、多くの暫定投票が集計されていない状況を踏まえれば、再集計が必要になる可能性があるとみている。
とはいえクリントンはすでに敗北を認めた。それでも彼女は大統領になれるのだろうか。「敗北宣言に法的拘束力はない」というのは国立憲法センターの会長兼CEOのジェフリー・ローゼンだ。彼はその最たる例として、2000年の大統領選挙で民主党候補のアル・ゴアが、いったんはジョージ・W・ブッシュへの敗北を認めたが、後に敗北宣言を撤回してフロリダ州で票の数え直しを求めたエピソードを挙げた。当時は再集計の結果、わずか537票差でブッシュが勝った。
マクドナルドは、トランプが大統領選を制した可能性が高いと認める一方、僅差が伝わる州では得票数を正確に数えて結果を明らかにしなければならないと言った。「何としてもダブルチェックが必要だ」.マックス・カトナー

アメリカのマスコミは、日本とは違い支持する候補をはっきりと打ち出す。この点は、日本と全く違う。日本で、同じようなことをやったら大騒ぎになるだろう。票の数え直しなど、全く意味がない。これだけ、設備が進んでいる時代でひっくり返るほどの間違いなど考えられない。こうしてみると、往生際の悪さだけが際立ってくる。 
韓国・朴槿恵大統領、往生際の悪い退陣表明 2016/11
 「進退は国会に任せる」と最後までしがみつく
一大スキャンダルで窮地に追いやられた韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領がさらなる一手を打ち出した。11月29日、朴大統領が自らの進退について「私の大統領職の任期短縮を含む進退問題を国会の決定に任せる」と発表、”事実上の辞任”をにおわせたのだ。
実業家で朴大統領の長年の友人である崔順実(チェ・スンシル)氏が大統領府から国家機密を受け取り、また彼女が多額の不正資金授受に関与していたとされるスキャンダルに関し、国民への談話発表は、10月25日と11月4日に続き、これで3回目となる。
「与野党の政界が議論し、国政の混乱と空白を最小化して安定した政権へ委譲できる方案を言ってくれれば、その日程と法手続きに従って大統領職から身を引く」と朴大統領は述べた。結局、自ら大統領を辞めるという発言はなく、国会に今後を任せるということだ。
朴大統領から任された与野党・国会は、これまで野党が推進してきた弾劾訴追案の可決へと傾いている。現段階で弾劾訴追案は、12月1日に国会発議、2日投票が予定されているが、朴大統領の今回の一手によって成立するかどうか微妙になった。
与党の非朴派は訴追案に揺れる
弾劾訴追案は定数300ある国会議員のうち、3分の2(200議席)以上の賛成を必要とする。しかし、野党と無所属議員を合わせても171議席。今回の朴大統領の談話発表までは、与党セヌリ党のうち、40人ほどの「非朴派」とされる反大統領的な立場を取る議員が、弾劾訴追案に同調するものと見られていた。
が、今回の朴大統領の談話で、非朴派の40人の動きが不透明になった。与党内が分裂することは、今後の大統領選などを考えると、不都合なことが多い。党内の非朴派に対する説得が2日の票決までに強く行われ、態度を変える議員も出てきそうな動きだ。非朴派の半数以上が弾劾訴追案に同調しなければ、訴追案は成立しないことになる。
仮に弾劾訴追案が成立した場合、憲法裁判所によって弾劾裁判の判決が出るまで職務停止となる。憲法裁判所は180日以内に審判を行い、裁判官の3分の2以上の支持があれば弾劾が成立し、大統領は罷免される。大統領の職務停止中は、国務総理(首相)が権限を代行する。罷免後は、60日以内に大統領選挙を行い新大統領を選出する、と憲法で規定されている。
弾劾訴追案が成立しない場合、朴大統領が任せるとした国会の動きがさらに複雑・不透明化するだろう。「大統領の即刻辞任」を求める決議案のようなものを国会で決議するのかどうか、大統領の突然の一手に困惑を隠せない状況だ。
「自分の周囲を管理できなかった」
今回の談話は、事実上の辞任宣言と受け止められている。しかし、素直に受け止めないほうがいいだろう。自らの退陣スケジュールを国会が決める時まで、継続して大統領職に居続けようとする意図があるとも取れる。弾劾訴追案が成立しても成立しなくても、2018年2月の任期を考えると、野党や国民が望む「即刻辞任」までには時間が長過ぎる。
朴大統領は今回の談話で「一時でも自らの私的利益を追求したことはなく、私心も抱くことなく、生きてきた。ただ、自分の周囲をきちんと管理できなかったことは、私の大きな過ち」と述べた。疑惑は今後も否定していくつもりなのだろう。
「自分はすべてを国会に託した」との言葉をもって、朴大統領は談話を締めくくった。政権の空白と混乱に対し、朴大統領は結局、何をしたいのだろうか。 
 
葬儀の折りに聞く「往生の素懐」の意味

 

往生とは、私たちの命が終わること、亡くなるという意味合いで使われることも多いですし、また、何か困り果てた時やどうしようもなくなった時などに「往生した」ともよく使われますね。
しかしこの「往生」という言葉は仏教の言葉で、「阿弥陀仏の極楽浄土に往き生まれる」ということが本来の言葉の意味であります。
もちろん命の終わりにあたりこのように表現されるのですが、もう少し味わいを深めてみますと、亡くなることにより全てが消滅し、何もかもが私の側から離れてしまったとしてしまうのではなく、仏様としてお浄土に往き生まれ、私たちの心に仏様として寄り添い、お浄土へと私たちをまた導いてくださる。
そしていつの日か私たちも命終わる時、あなたと同じ浄土に往き生まれ、後に残る大切な方の仏となる。
このように受け止めていく時、絶えることのない命の繋がる世界がそこにはあるような気がします。
また「素懐」というのは、「かねてからの願い」という意味ですので、「往生の素懐」とは、「お浄土に生まれたいというかねてからの願いが達成された」という意味であります。
ですので、半ば習慣化しつつありますが、「天国」や「永眠」などではなく、仏教徒、浄土真宗門徒としての意識を持ち、自信を持って言葉を使うようにも心がけましょう。 
 
大往生

 

大往生とは、人がその末期に至る1つの未来である。
元は仏教用語「往生」であり、"往"とは死後仏の国(浄土)に往くこと、"生"とはそこに化生することを指す。化生とは誰の力(特に母の胎内)にも依らず、自らの生前の業(カルマ)によって(浄土に)生まれ出ずることであるという。また、仏の国に往くということから、往生は必然的に成仏を伴うということでもある。
後世、「往生」は死後の概念であることからこの語そのものが逝去を示す語となり、やがて俗な意味で「進退窮まり、もはやホトケになるしかない」または「思い残すことなく死ぬがよい」という状況を指して使われるようになった。「往生際が悪い」というのはまさにこの意から派生した言葉である。
そして、真に仏に成れるような死に方、特に自身の遺志をしっかりと残し大きな諍いや残念悔恨なく子孫親類に敬われ見守られて静かに天寿を全うする様を、俗な意味と区別して大往生と呼ぶようになったのである。(単純に「生を全うして老衰死する」場合も大往生と表現する場合がある。)
さらに、叡山の僧兵であった武蔵坊弁慶が矢の雨を全身に受けて立ったまま往生し、源義経を死守した故事「弁慶の立ち往生」から転じて、機体などがトラブルにより動かなくなることを、部品が死ぬことにかけて「立ち往生」と言うようになった。(これも、「立ち行かなくなること」「手詰まり」の比喩として立ち往生と表現する場合がある。) 
 
遺族に「大往生でしたね」と伝えるのは実は失礼

 

「死」を表現する正しい言葉使い
先日、大阪府に住む世界最高齢の女性が亡くなったというニュースを目にした方も多いと思う。この女性は117歳と27日で、特別養護老人ホームのベッドにて、孫や職員に看取られながら老衰のため亡くなったそうだ。
「死去」と「逝去」
この女性が亡くなるというニュースに対して報道各社は「死去」という言葉を使っていた。ご存知の通り、人が亡くなった時に用いる言葉だが、ふと「逝去や往生、他界など、その他の死を意味する言葉は何故使わないのだろう」という疑問が湧いてきたのであった。そこで今回はそんな「死」を意味する言葉のいくつかを例にとって解説していこうと思う。
まずは「逝去」という言葉。冒頭のニュースでも用いられた「死去」と同様「去る」という言葉が使われている。共に「この世を去る」ことを表すのは言うまでもないが、この二つの言葉の違い、それは死を知らせる相手、立場の違いである。「死去」は”家族・身内が亡くなり、それを相手方に伝える場合”。「逝去」は”目上・敬意を払うべき相手の方へのお悔やみを申し上げる場合”といった具合に使い分けるのが妥当である。「死去」を辞書で調べてみると単に”死ぬこと・死亡”と記載されていることから、ニュースの様に第三者目線で伝える場合には適正な使われ方のようである。
「他界」と「往生」
「死」という概念は、宗教とはやはり切っても切り離せないもので、古くから私たちに根付いた仏教に由来する言葉もいくつか存在する。その代表が「他界」と「往生」である。「他界」とは読んで字のごとく、他の世界、つまり仏教に於ける死後の世界を意味している。この世からあの世へ渡ることで、その人の最期を表している。続いて「往生」。これは死後に極楽浄土に生まれ変わることを意味しており、そこから転じて人が亡くなる意味を持たせているのである。
この「往生」より派生して「大往生」という言葉を耳にした方も少なくないだろう。この「大往生」は苦痛や乱れがなく、安らかな様、または立派な死という意味を持つ。「他界」という言葉をよく耳にするのは、身内・他人両方にも用いることができるからであるが、一方で「往生」を身内以外の他人が用いるのは大変失礼に値する。遺族に「大往生でしたね」と、言うことは「長いこと生きたので十分でしたね」という風に捉えられてしまう危険があるからだ。身内の不幸を身内以外の誰かに伝える時に「大往生でした」と、初めて言えるのである。
「帰幽」と「鬼籍」
神道にもその考えから至る言葉が存在する。その一つには「帰幽」というものがある。「帰幽」とは亡くなった者の霊魂が幽世(かくりよ)に帰ることを表している。幽世とは神道でいうところの死後の世界を指している。また「鬼籍」という聞き慣れない言葉も人が亡くなったことを意味している。「鬼」とは中国語で死者を意味し、「籍」とは戸籍のことである。「死者が入る籍」、これはあの閻魔大王の所持している閻魔帳に記載されることを表しているのだ。よって「鬼籍に入る」というような使われ方をするのである。
古来より私たち日本人は「死」というものを直接的に表すことを避けてきた。長い歴史の中で、時に仏教に、時に神道に、人々が信じ、すがるものに、誰しもが避けることのできない「死」を表してきたのである。その言葉の一つ一つに、残された私たちは、悲しみだけではない、安らぎを得ることができる。悪気はなくとも、状況によって適切不適切に二分されてしまうこれらの言葉たち。しかし、決してネガティブな一面だけではない「死」を表す言葉たちを今一度見つめ直してみてはいかがでしょうか。  
 
南無の世界

 

最近、ある会合に出席した折り、70歳あまりのある方が、皆さんに自ら写経された巻物を 見せておられた。『法華経』28巻の大写経である。この巻物は、その2本目の中途のものであると申される。鳥の子紙で立派な巻物に出来上っている。字は細字で一糸乱れず楷書で書かれてある。この写経をしようと思うて、名古屋じゅうの筆屋から、「この筆は」と言うのを選び買って、墨も紙も吟味して、毎朝5時起床、3時間びっしり、この写経をしたのだと語られた。
一座の方々は、その精神努力の結晶に驚嘆された。私もこれは並々な業ではないなと思った。しかし、その時、フト私は感じさせられた。何故こうして、カバンからこの巻物を取り出して皆様に見せられるのであろうか?
写経行を専ら行じられる事は尊いことであるが、これを皆様に見せられるという行為に、自惚れ(うぬぼれ)根性、自慢根性があるのではなかろうか。
道元禅師は、無所得、無所悟で、ただ座禅せよ、と申されておられる。『歎異抄』には、念仏には無義をもて義とす、と説かれてある。大衆の前に、自らの精進を見せびらかすならば、たとえ如何に尊い行であろうと、これは強情我慢(がまん、仏教語としての、我賢しと言う想いの意味)をつのらすばかりではなかろうかと。
しかし、これは、その人を責めるわけにはゆかない。その方が正法の教えと御縁なかりしためであったろう。
また以前、私は座禅に精進しておられる、ある方に会った。その方は、私は座禅を始めてより、二千数時間座禅して来ましたと、やはり皆さんの前で発表しておられた。よくも座禅を行じた時間を数えておられたものだと思った。座禅を行じたと言う傲(おごり)が、このような言葉となって出たのであろう。これでは座禅でなく我禅(がぜん、西川先生の造語だと思われます)である。
前の写経といい、二千何時間も座禅された方といい、このようなお方の仏教を修養努力の仏教、自力の仏道と言うべきであろうか。
修養努力の仏教は、座禅したり、念仏申したり、写経や滝行や聞法に努めに努めて、自分を何ぞ物にせんと言う心根がある。腹も立てず、愚痴も言わず、悟りを開き、信心を得て、誰からも尊敬されるほどの人格者になりたい。また無我、無心になって、何ものにもとらわれなく、自在無碍(じざいむげ、何にも妨げられない自由自在)の心境になりたいと一生懸命に、努力精進するのである。これを道元禅師は、所得を求め、悟りを求めてする有所得行だと申される。これは、正しい仏法ではない事を懇々切々と説かれるのである。
しかし、殆ど誰も、残念ながらこの修養努力の過程を経過するようである。筆者自身も、若い頃より、無所得、無所悟の座禅をただ行ずるのみだと、幾度聞かされたことであろうか。幾度聞かされ、幾度自分で思い省みても、座禅をして、何とか、自分を物にしようと努力する根性は止まなんだのである。
そして、遂に、浄土真宗の白井成允先生にお会いし、先生より『私どもは、あらゆる縁におうて迷いさすらうほかない身です。悪い縁にあえば悪いで迷い、善い縁にあえば善いで迷い、天地一杯にならんとしても迷うものです』と申された。天地一杯にならんとは、悟りを開こうと言う迷いである。
この一語より、私は善悪迷悟(ぜんあくめいご)の縁に迷うほかない私が知らしめられたのである。我執我欲(がしゅうがよく)の迷いよりほかない身に、頭が下がってしまったのである。これが南無(なむ)であった。それより『座禅する』という座禅でなく、座禅せしめられる座禅にさせられたのである。念仏も申され候となったのである。
しかし、我執の身には変わりない。いや我執の深さが照らし出されるのみである。そこに自ら南無せしめられるのである。南無するのではなく、南無までせしめられる、有り難さである。威張るもの何一つない自分が照らし出されるのが有り難い。
【註釈】南無とは、梵語のナマスの音訳で、『帰依する』とか『拝む』とか『参った』と言う意味です。
  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
極楽往生

 

死んだ後に極楽浄土に生まれ変わること。また、安らかに死ぬこと。▽仏教語。「極楽」は「極楽浄土」の略。西方に向かって十万億土を過ぎた彼方にあって、阿弥陀仏あみだぶつがいるとされるまったく苦しみのない安楽の世界。「往生」は死ぬこと。「往生極楽おうじょうごくらく」ともいう。
極楽往生治定
極楽往生治定とは、阿弥陀如来の極楽浄土に、命終を迎えたら、即座に往生できることが決定することです。念仏衆生摂取不捨と言って、この決定は、くつがえることがありません。これが、弥陀のお約束です。
平生にて極楽往生治定
18願におきましては、平生にて、極楽往生が治定致します。「平生」というのは、「生きている間」ということです。臨終(死を迎える直前)の思いや行為によって、死後の行き先が決まるのではなく、生きながらにして、極楽浄土に往けることが決定致します。一度いただいた金剛の信心は、何があっても揺らぐことがありませんので、もうそれで、決定なのです。
たのむ衆生を極楽往生治定
弥陀をたのむ衆生は、例外無く、極楽往生が治定致します。弥陀をたのむと、弥陀は真実信心をくださいます。この信心によって、極楽に往生できることが決定するのです。
重いものから下がり、軽いものから上がります
生きている間に、大罪と軽微な善を行ったとします。どちらがまず結果を生むかというと、大罪です。あたかも、秤において、重い方が先に下がるかのようです。たとえば、生きている間に大罪を犯した方は、その罪によって、死ぬ前の良いことを超えて、地獄に堕ちることがあります。同じように、平生にて念仏する行者は、その善により、極楽に往生します。あまりにも素晴らしい善であるが故に、その善を過ぎる悪もなく、その他の善の必要も無く、極楽往生治定となるのです。
◎しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきゆゑに(歎異抄)
◎業道経にのたまはく、「業道は称のごとし。重きもの先づ牽く」と(論註)
信を伴う念仏
もちろん、その念仏とは、信を伴う念仏「南无阿彌陀佛」です。「伴う」と言っても、「信を込めて」という意味ではありません。念仏と呼ばれているものにも、さまざまなものがあります。真実信心をくださる念仏を行った方が、弥陀に救い摂られるのです。ですので、念仏ではなく、信心を正因と致します。念仏を伴わない信心はありませんが、信心を伴わない念仏は存在するからです。
◎もろこし・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念にもあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず(一枚起請文)
極楽往生できる人 (浄土真宗)
阿弥陀仏に救われたことを、信心決定(しんじんけつじょう)ともいいます。親鸞聖人が一生涯、教え勧められたことは、
「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」(御文章)
と言われているように、「早く信心決定せよ」ということ以外にありませんでした。蓮如上人の願いもまた、一日も早く信心決定してもらいたい、の熱望一つであったことは、
「あわれあわれ、存命の中に皆々信心決定あれかしと朝夕思いはんべり」(御文章)
のご遺言で明らかです。
“命のあるうちに、すべての人が信心決定してもらいたい”と朝夕、願い続けていかれたのです。なぜ、これほどまでに「信心決定せよ」と手に汗握って、お勧めになっているのでしょうか。それは、死んで極楽往生できるのは、生きている今、信心決定した人だけだからです。
「真実の信心をえたる人のみ本願の実報土によく入ると知るべし」(尊号真像銘文)
と、親鸞聖人が明言されているように、本願の実報土(阿弥陀仏の浄土)へ往けるのは、真実信心を獲ている人、すなわち信心決定している人のみであることをよく心得ていなければなりません。
だれでも彼でも死んだら極楽、死んだら仏、ではないのです。
蓮如上人も、
「この信心を獲得せずば、極楽には往生せず」(「御文章」2帖目2通)
とハッキリと教えておられます。
信心獲得(しんじんぎゃくとく)とは、信心決定と同じ意味です。浄土真宗で教えられる信心は、自分で何かを信じ込む信心ではありません。ですから、「もっと深く信心しなさい」とか、「信心が足りませんよ」ということは、浄土真宗では決して言わないのです。
「獲得」とは、世間でも、優勝旗獲得と言われるように、それまで持っていなかったものを獲るから、「獲得」と言われるのです。自分で生み出したものや、初めから持っていたものを「獲得した」とは言いません。
阿弥陀仏から他力の信心を賜り(獲得し)、いつ死んでも極楽往生間違いなしの往生一定(おうじょういちじょう)の身に救い摂られたことを信心獲得といわれるのです。  
 
仏教における浄土への転生

 

1 六道輪廻 −仏教における死後の世界
仏教における世界は、無色界、色界、欲界の「三界」で構成されており、その最下層の欲界は六段階で構成されている。その六つの段階は、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄からなり、これを「六道」という。そして人間の魂は、この六道の中を輪廻転生(りんねてんしょう)すると考える。したがって死とは、魂が次の世界へ転生することであった。この思想は、インドにおいて古来行われてきたものであるが、仏教思想を通して伝来する中で、中国、日本においては人の生を無限の過去から未来へと開く、新しい思想として受容された。
すでに、古く万葉集の中でも、
この世には人言しげし来む世にも 逢はむわがせこ今ならずとも (高田女王)
この世にし楽しくあらば来む世には 虫に鳥にも我はなりなむ (大伴旅人)
などと、輪廻転生の思想がうたわれている例を見る。
藤原道長などの平安京の貴族では、当時極楽を模した寺院の建立などによる「生ける浄土」の実現を通して、輪廻の思想は常識として行われていたと思われる。(和辻哲郎「日本の文芸と仏教思想」「続日本精神史研究」所収)
人間の魂の転生の最高位は、神となって天上界へ転生することであり、第2が再び人間となって人間界へ再生することである。この世での権力者は、当然死後にもこの世のそれを越えた地位を得て、天上界に転生したいと考えたことであろう。
2 古代貴族の死に方
念仏三昧による極楽往生 −藤原道長
今から約1000年の昔、後一条天皇の万寿4(1027)年12月、一段と冷え込む平安の都、富小路の東に広大な地域を占める土御門京極殿の東寄りに、極楽浄土を模して建立された法成寺阿弥陀堂で、一人の貴人が死を迎えようとしていた。その貴人は、「藤原時代」とよばれる時代をつくり、「この世をば、わが世」と読んだ「御堂関白 従一位太政大臣 藤原道長」(966-1027)である。この「望月の欠けることなき」貴人にも、老いと病いは自分の思いのままにはならなかった。
すでに50歳を越えて出家したころから「風病」(今の風邪ではなく、広義の成人病であり、貴族の多くがかかっていた)に「胸病」(「小右記」)が加わり、足も弱り、眼も見えない状態になってきていた。(岸元史明「王朝史の証言」) 
11月24日には、背中の腫れ物が胸まで広がり、12月1日にはその腫れ物を針でつぶした(「小右記」)。さらに、消化器系の病気が致命的になってきていたようである。
さてこのような状態になった段階での道長の言動は、「栄花物語」に次のように記されている。まず長子の頼道に対して、祈祷や読経、さらにそばへ来ることまで断り、念仏だけを要求していた。彼は、自分の終焉を阿弥陀堂の念誦の室で迎えたいというのが年来の希望であり、その部屋には高い屏風を引き回し、そこには人を近づけないようにした。
道長の長女彰子は一条天皇の后、同じく次女妍子(9月に死去)は三条天皇の后、三女威子は後一条天皇の后である。つまり三代にわたる皇后の父親が道長である。病気を心配した後一条天皇の行幸と東宮の行啓だけは、かろうじて受けたが、女院や中宮とも顔を合わさず、念仏三昧に過ごしたと言われる。
この阿弥陀堂では、朝夕日中の3回の念仏は平生からもおこなわれていたが、めぐらせてあった屏風の西の方だけをあけ、阿弥陀仏の御手から我が手に5色の糸を引いて、北枕に寝て、最後まで念仏を唱えながら、62歳の生涯を閉じた。12月4日の午前10時ごろのことであった。死んだあとにも口が動いて、念仏を唱えていたといわれる。
阿弥陀堂には、極楽に往生するための段階、九品往生に沿って9体の阿弥陀仏が安置されていたと思われる。9体の阿弥陀仏の安置は、藤原中期以降の阿弥陀信仰の特徴であり、東京の世田谷に今も残る「九品仏」の名もここに由来している。(岩本祐「極楽と地獄」 三一新書)
道長は、この世に極楽世界さながらといわれた法成寺をつくっただけでなく、真の極楽世界への再生をかけて、念仏三昧の中で死んでいった。
道長の葬送は、12月7日の夜、雪が降り続く鳥辺野で行われた。阿弥陀堂の南大門の脇の門から出た葬列は20町も続いた。念仏僧は、奈良、三井寺、比叡、岩倉、仁和寺、横河、法性寺の僧や尼僧が参加した。葬場では、院源座主が導師をつとめた。火葬がすみ、骨上げが行われた頃は夜明けとなっていた。甕に入れられた骨は、左少弁章信が首にかけて、定基僧都といっしょに藤原家の墓所がある木幡へ埋葬にいった。そこまでついていった人々も少なくなかったという。
源信の「臨終の行儀」
藤原道長の死から200年の後、嘉禎元年(1235)4月頃から、三条家の右大臣・藤原実親の妻の容体が急に悪くなった。彼女は死期が迫ったことを知り、出家をして、6月15日夜に亡くなった。
この状況を藤原定家の「明月記」が詳しく書いている。それによると、当日彼女は沐浴のあと浄衣をまとい、清い畳を敷いて端座し、五色の糸を阿弥陀如来像の手から引いて定印を結び、死期を待った。午後2時頃からは、無言で観想を行い、夜半にいたって遷化した。
この女性には、未婚の妹がいて8年前の安貞元年(1227)に亡くなっているが、最後に大病でやせ細った妹は、前日の朝に出家し、死去の日には念仏を数百回も唱え、五色の糸を引いて定印を結び、午後4時頃に亡くなった。これらは源信(942-1017)の「往生要集」(985)の「臨終の行儀」に記された方法に従ったものであり、姉妹ともに絶賛に値する往生であった。(角田文衛「平安の春」)
往生要集は、寛和元年(985)に天台沙門源信により書かれた、念仏信仰の書である。これにより、地獄・極楽のイメージが日本人の心に定着したといわれる。前記の道長の死も明月記に書かれた姉妹の死も、この源信の「臨終の行儀」に従ったものであると思われる。そしてこの行儀に従い臨終を迎えた貴紳衆庶は、おびただしい数にのぼるといわれ、それは「日本往生極楽記」(985-986成立)をはじめとする往生伝に、多数記録されている。
この行儀は、臨終に臨み阿弥陀如来の来迎をお迎えするためのものである。高野山の「聖衆来迎図」を見ると、彩雲に乗った25人の聖衆が、音楽を奏したり舞踏をしながら、金色燦然と輝く阿弥陀仏を囲ぎょうして、しずしずと湖水の面に天下っている光景を描いている。
ご来迎の様子は、身近な人の夢の中などにでてくる。例えば、叡山西塔の沙門仁慶は、死の病の中で、自ら法華経を読み、結縁の衆僧を請じて、読経・念仏を唱えて入滅した。そのとき傍らの人の夢に、大宮大路に五色の雲が空より降りて、音楽と妙なる香りが空に満ち溢れた。仁慶は頭を剃って大きな袈裟を着て、威儀具足して手に香炉を持って、西に向かって立っていた。そこへ雲の中から蓮華台が下りてきた。仁慶はこの蓮台に座して、雲の中を西方遙に去っていった。時の人は、これは仁慶が極楽に迎えられたしるしであるといった。(「大日本国法華経験記」第52)
3 死後浄土への転生 −浄土とは何か?
ナムアミダブツ −念仏往生による浄土への転生
道長は、ひたすら念仏を唱えることにより、極楽浄土への転生を祈願した。いま我々もお仏壇に向かい、鐘を鳴らして「ナムアミダブツ」と唱えるが、道長もたぶん「ナムアミダブツ」と唱えたと思われる。道長の念仏は、極楽往生のためとはいえ半端ではない。56歳の寛仁5年(1021)の「御堂関白記」9月の条によると、1日11万遍、2日15万遍、3日14万遍、4日13万遍、5日17万遍唱えたと記録されている。
称名念仏の「ナム」(南無)とは、仏教語で「絶対的な信仰を表すために唱える語」(岩波書店 国語辞典)であり、「ナム」の後に信仰対象としての仏の名前が続く。これが「称名」である。つまり、「ナム−アミダブツ」とは、私の身命を投げ出して阿弥陀仏の教えに従います(帰命する)という意味である。したがって当然のことであるが、信仰する仏様により「ナム」に続く「称名」が変わることになる。たとえば禅宗では、釈迦如来をご本尊にしていることが多く、そこでは「ナム−シャカニブツ」となる。また観音菩薩に向かっては「ナム−カンゼオンボサツ」、日蓮宗では「法華経」に帰依していることから「ナム−ミョウホウレンゲキョウ」となる。
奈良の大仏様の前では、「ナム−アミダブツ」ではない。大仏は華厳経に基づく盧舎那(ビルシャナ)仏の場合が多い。当然「ナム−ビルシャナブツ」ということになるし、四国のお遍路さんは「ナム・タイシ−ヘンジョウコンゴウ」となる。
念仏往生において念ずる仏の浄土は、「極楽浄土」だけではない。「極楽」はアミダブツの浄土であって、信仰する仏によりいろいろな浄土がある。
「浄土」つまり「清浄な仏国土」を意味する述語は梵語にはなく、中国で発達し展開したといわれるが(岩本祐 「極楽と地獄」)、仏の支配する仏浄土は210億もあるといわれ、「極楽」はそのひとつにすぎない。(同書)
つまり念仏称名とは、自分の信仰する仏の名を呼び、その仏国土に再生することを、その仏に念願する呪文である。
民芸の研究家である柳宗悦という人が、昭和になって「南無阿弥陀仏」という書物を書いた(岩波文庫)。これは彼の最高傑作といわれている。この中で彼は、「南無阿弥陀仏」という6字でいかに多くの霊が安らかにされたかを語り、この念仏思想を最後に仕上げた一遍上人の歴史的位置を語った。また他力と自力信仰が、山の上ではいっしょになるとする見解を示している。
聖徳太子の「天寿国」
日本で初めて正式に仏法の摂政を行ったのは、聖徳太子(574-622)といわれるが、太子自体の実像は極めて不明確である。その伝説の集大成でもある「聖徳太子伝歴」(917)によると、畝達天皇4年2月15日、2歳の太子は「掌を合わせ、東に向かって南無仏と唱えて再拝したもう」と記されている。この東方礼拝は、「古今著聞集」(1254)にもでてくる。
阿弥陀仏の極楽浄土は西の浄土であるから、西向きの拝礼になる。東の浄土は華厳経の華厳浄土であり、仏は太陽の化身としての盧舎那仏による蓮華蔵世界である。このほかにも阿弥陀信仰に先立つ地方仏信仰で、阿しゅく仏の妙喜国も東方千世界のかなたにある。
家永三郎「上代仏教思想史」には、「聖徳太子の浄土」に対する詳細な研究が記されている。そこでは中国における仏像の造像銘が多数あげられており、弥勒、釈迦、観音、その他の諸仏の浄土は、すべて西方に設定されていることがみられる。
「天寿国」の方位が明確に記された唯一の傍証として、三井家所蔵の華厳経巻46 開皇3年(583)の奥書がある。そこには、「願亡父母託生西方天寿国」(亡き父母に願い、西方の天寿国へ生を託す)と記されており、天寿国も西方にあるようである。したがって、西方浄土の思想が支配的になった頃に書かれた聖徳太子伝が、東方礼拝と記しているのは不思議である。
阿弥陀仏の「極楽浄土」
西方十万億土にあるといわれる「極楽浄土」は、阿弥陀仏の仏国土である。阿弥陀仏とその浄土である極楽世界の状況は、浄土教の基本的な経典である「浄土三部経」(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)に詳しく述べられている。ここでは、その中から「仏説阿弥陀経」に記されている極楽浄土の姿を見てみよう。
「仏説阿弥陀経」は、釈迦が晩年になりその涅槃が近づいた頃、弟子の中でも最も知恵が優れ徳の高い舎利弗を呼び、遺言のように語られたものといわれる。その中で、釈迦は極楽世界について次のように述べる。(暁烏敏「仏説阿弥陀経講和」)
是より西方十万億仏土をすぎたところに、阿弥陀仏の国土があり、これを極楽という。この国では終生、衆の苦はなく、いろいろな楽が受けられることから、極楽という。十国土には、それぞれ七重の欄干のある建物があり、宝珠をつないだ網で飾られ、七重の木々に囲まれ、金・銀・瑠璃・玻璃の四宝がめぐらされている。
また七宝の池があり、八功徳の水があふれている。池の底は、金の砂が敷かれている。池の周りには廊下があり、そこは金・銀・瑠璃をはじめとする宝石で飾られている。上には楼閣があり、これも金銀その他の宝石で飾られている。池の中には大きな車輪のような蓮華の花が咲き、青、黄、赤、白などの色は、それぞれの光を出し、よい香りに満ちている。極楽国土では、このような功徳荘厳が成就されている。
また常に荘厳な音楽が流れて、地面は黄金で造られており、夜昼6時に曼荼羅華の雨が降る。その国の人々は朝早く自分の着物に花をもり、十万億の仏を供養して、自分たちも食事をいただく。またこの国には、いろいろな綺麗な鳥がいて、昼夜6時に優しく雅やかな声で鳴く。その音は仏法にかなったものであり、浄土の人々はこの鳥の声を聞いて、仏を念じ、法を念じ、僧を念じる。またこの国には、そよ風が吹き、木々や飾りが微妙な音を奏でている。その音は、百千種の楽を同時に聞くようであり、自然に仏、法、僧を念じる心がおこる。このような功徳荘厳ができあがっている。
阿弥陀経では、このような極楽世界の美しい描写に続いて、この国土を成仏以来、十劫という長い時間をかけて築いてきた、阿弥陀仏とその声聞の多くの弟子があることを述べる。このような話を聞けば、衆生はこの国に生まれたいと思うであろう。しかし小さな善根や福徳で、この世に来ることはできない。この国に生まれるためには、阿弥陀仏を念じて、1日でも、2日でも、3日でも、・・・・、7日でも、一心不乱に念仏称名を唱えると、阿弥陀仏がお迎えに来てくださると記す。
4 極楽往生を目指す思想 −源信、法然
道長の死は、極楽往生を現世の栄華世界の延長線上に求める耽美的なものであった。しかし道長の死から30年後の後冷泉天皇の永承7年(1052)をもって、末法の時代に入ったとする説が普及するにつれて、悲観的、厭世的な暗い念仏信仰に変わっていった。
後冷泉天皇(1025-1068)の頃から、この末法思想を裏付けるかのように、平安京では放火が昼夜を問わずに起こり、盗賊は横行し、その上大火、地震、疱瘡、大旱魃、飢饉などの天災地変が相次いだ。
仏教では、釈迦の入滅後の時代を正法、像法、末法の3期に分け、正法千年、像法千年、末法一万年として、永承7年からこの最後の時代に入ったとしていた。人々はこの暗い末法の世の中で、厭離浄土、欣求浄土の厭世的な思想の拠り所を、念仏思想の中に求めた。
源信の「往生要集」 −厭離穢土・欣求浄土のすすめ
念仏思想は、天台沙門源信(942-1017)の「往生要集」(985)により幕開いた。この書で源信は、浄土往生に関する従来の経論を抜粋、編集し、過去の160数部の文献から950余の文章を引用して、極楽浄土に往生するための思想と方法を説いた。
第1章の「厭離穢土(おんりえど)」では、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の六道の、世界の内容を述べた。特に地獄における等活地獄から阿鼻地獄にいたる8段階の恐ろしい世界の描写は、鬼気迫る迫力を持つ。
第2章「欣求浄土(ごんぐじょうど)」では、念仏をつんだ人が死に臨んだ時、阿弥陀仏が多くの菩薩や比丘達をつれて迎えに来る「聖衆来迎図」を初めとする10の楽をあげて、極楽浄土への転生を勧誘する。
第3章「極楽の証拠」で、十方浄土や兜率浄土に対して極楽浄土が優れている証拠をあげ、第4章から極楽往生のための念仏修行の方法を具体的に述べる。
「往生要集」は、従来の難解な仏教理論に対して、念仏往生のための明解な理論と方法を提起することにより、浄土宗を起こす契機を作り出した。
法然上人の「選択集」(せんちゃくしょう) −浄土教の確立
日本の浄土教の思想は、源信から約百年後の法然上人(1133-1212)により、さらに発展した。日蓮の言葉を借りると、源信の「往生要集」により日本の1/3が阿弥陀念仏者になり、法然の「選択集」により、日本の2/3が念仏者になった。(日蓮「撰時抄」)
この書は上人の代表作であるのみでなく、日本に浄土教を確立した名著であると言われる。表題の「選択」とは、諸行を捨てて念仏を選び取るという意味である。この専修念仏の選択は、単に法然の選択ではなく、阿弥陀仏の選択であり、また釈迦仏の選択であり、さらに十方常沙(無数)の仏の選択であることを、本書により示そうとした。
法然は、大・小乗の「自力聖道門」は難行道であり、普通の人は選択できない門であると考える。そこで普通の人、たとえば愚鈍下智の者、貧賎の者、少聞少見の者、破戒の者は、易行道としての「他力浄土門」を選択すべきであり、浄土門のほうが聖道門より優れたものとする。その理由は、阿弥陀仏の称号の中に、万徳が帰するものとしている。つまり法然は、選択の根本を専修念仏とし、易行、易修、易往としての念仏こそが、一般大衆に開かれたものと考えた。
平安期の仏教は、基本的には社会の頂点に立つ貴族を対象にしたものであり、その思想も修行も、一般大衆から離れた遠いところで行われていた。つまり道長の極楽往生の方法は、一般大衆はまったく真似ることのできないものであり、そのことは、普通の大衆には極楽往生は不可能であることを示すものであった。源信、法然の浄土宗の思想は、さらに親鸞をへて、一般大衆の極楽往生への道を開くものとなった。
しかし「選択集」では専修念仏を強調するあまり、法然は専修念仏以外の人を「破法の人」として切り捨てた。このことが、内に「破法の人」をつくり、外にいる多くの求道の士を敵にまわすことになった。
5 もう一つの仏浄土 −弥勒の浄土
弥勒菩薩の天上の浄土 −兜率天
日本では、阿弥陀信仰による極楽浄土よりも古くから信仰された浄土が、弥勒菩薩の弥勒浄土=兜率天(とそつてん)である。弥勒菩薩は、天上と地上に2つの浄土をもつ仏である。その天上の浄土が「兜率天」である。この浄土は、「仏説観弥勒菩薩上生兜率天経」(略して上生経)に示されている。そこには五百万億の天人がいて、補処の弥勒菩薩を供養するために、五百億の宝宮がある。それぞれの宝宮には、七重の垣があり、その垣は七宝でできている。その宝は光明を、光明は蓮花を、蓮花は七宝の樹を出し、五百億の天女は、樹下に立って妙なる音楽を奏でる。五百億の竜王は、垣のまわりをめぐって雨を降らせる。
ときに、この宮に、牢度抜提という神があって、弥勒菩薩のために善法堂を造ろうと発願すると、額から、自然に五百億の宝珠を出し、摩尼の光は宮中をめぐり、化して四十九重の宝宮となった。九億の天子、五百億の天女が生れ、天楽おのずからなり、天女は歌舞し、その歌を聞くものは、無上の道心を発する。兜率天に往生するものは、みなこの天女にかしずかれる。(速水佑、弥勒信仰 −もう一つの浄土信仰)
この天上浄土は、阿弥陀仏の極楽浄土に比べると、天上では低いレベルにあるといわれるが、そこに描かれるイメージは、極楽に比べてどのように違うか?といっても、ほとんど分からない。
説話では、急死した加賀前司藤原兼隆の娘が、のちに蘇生して冥途の有様を人々に語っている。その中で「これは極楽世界か、さもなければ兜率天上か」と思ったという。あるいは、一条天皇(980−1011)が、子嶋寺真輿に、「極楽のありさまをみたい」と願ったところ、真輿は、極楽ではなく兜率天の内院を現わしたが、その美しさは筆舌につくしがたく、天皇は真輿の法験に感じたという(「子嶋山観覚寺縁起」)。(速見佑「弥勒信仰」から)
このように見ると、浄土往生の先として、極楽と兜率天に大きく差をつけていたようには見えない。その差はどこにあるかというと、極楽に往生できれば、魂はそこでの無限の生を保証されるが、兜率天での生は四千歳(その1日は、人間界の400年)である。そのため悪心があると、兜率天から地獄へ落ちることもある。(道綽「安楽集」)
明恵上人は兜率天への往生を目指した
明恵上人(1173−1232)は、山城高山寺の開祖であり、華厳宗の中興の祖といわれる。上人は、釈迦の思想とその風土にあこがれ、三蔵法師のようにインドまで旅に出ようと考えたほどであった。また修行に夢を取り入れて、その記録である「夢記」を書いたりした。いろいろとエピソードが多い有名な上人であり、それらの話は、徒然草、古今著聞集、謡曲など、いろいろなものに残されている。
「徒然草」では「栂尾の上人」として登場する。ある日、上人が川で馬を洗う男を見た。この男は、馬に「足、足(あし、あし)」といい、足を引かせながら洗っていた。仏教で梵語の「あ」の字は12母音の最初のもので、宇宙一切の本源・種子の意味をもつものである。上人は馬引く男までが、「阿字、阿字」と尊い言葉を唱えながら仕事をするものと、感心する話が出てくる。しかもその馬は、皇居の警備を司る役所のものとわかり、「うれしき結縁をもしつるかな」といって、上人は感涙をぬぐわれた。落語の「豆腐問答」に似た話である。
また「古今著聞集」では、上人が釈迦の遺跡拝礼のため弟子千人以上をつれて、インドへ渡ろうと考えたが、春日明神の御託宣により中止になる話がある。この話は能の「春日竜神」にもなっている有名なエピソードである。
春日大社は、藤原氏の祖神・天児屋根命を氏神として祀る神社である。平安末期には、同じ藤原氏の氏寺である興福寺の管理下にある神社であった。摂関貴族が神託を得るために利用されており、僧侶が神社の神託によるのも面白い。
春日明神のご託宣は、釈迦在世中ならばインドへ渡るのもよいが、春日明神も仏法守護のためにこの国にいるほどであり、上人も国内にいて衆生を済度すべきであるというものであった。春日明神は、このご託宣の正しさを証明するために、いろいろな不思議を見せる。そこで上人も納得し「涕泣随喜して、渡海の事も思い留り給ひけり」と記されている。
明恵上人の臨終にあたっての儀の沙汰は、弟子により記録された「最後御所労以後事」と、「最後臨終行事事」に詳細に述べられている。その内容は道長の比ではなく、プロフェッショナルの臨終儀式ともいえるものである。ここではその要点のみを記す。
まず、兜率天を選択する理由は、そこで弥勒書薩の教えを聞くことにある。弥勒は釈迦の弟子として実在したとされる仏であり、釈迦の入滅後に未来仏として、再度この世に下り、竜華菩提樹の下で釈迦の教えを説く。それまでは天上の兜率天において、釈迦の教えを説き続けるといわれる。明恵上人は、釈迦の教えを弥勒菩薩から直接聞きたいために、兜率天への往生を選択したといえる。臨終の儀には弥勒仏が安置された。それは弥勒仏を釈迦と同体とし、兜率天への往生を願ってのことであろう。
寛喜3年(1231)は大飢饉の年で、春から京都の町は餓死者が道にあふれるほどであった。5月には飢餓民の暴動がおこり、7月にはさらに餓死者が増える状態であった。この年の秋から上人の病は悪化し、自分が5色の糸になって閻浮台をまわり、人々をみな縫い取る夢とか、虚空を呑んでしまい、すべての衆生草木河海が我が虚空の中にあるといった夢を見る。
翌寛喜4年(1232)1月19日、上人は亡くなった。既に前年の10月から弥勒仏が安置されて、その前に端座して宝号を唱える臨終の儀が開始された。1月10日から病状が悪化した。上人は手を洗い、浄衣を着て袈裟をかけて、結跏趺座して行法座禅に入った。その間、弥勒菩薩のとばりの前の土砂が、紺青色になり、焔を発して部屋中に散った。この行法座禅は、1月の始めから1日に2〜3度繰り返していた。
1月11日には、「置文」つまり「遺言状」を書いた。1月12日から人々を集めて、昼夜不断に文殊の五字真言を唱えさせた。この陀羅尼は、1遍唱えると8万4千の陀羅尼蔵を誦する効果があるといわれる。この間も座禅し法を説いた。この間、何度も呼吸が止まった。弟子たちは、ひたすら宝号を唱え真言を誦した。
16日の座禅では左脇に不動尊が現れた。この日、弥勒の像を学問所に移し、五聖(毘廬舎、文殊、普賢、観音、弥勒)の曼荼羅を東に掛け、南を枕として右脇臥の儀別にならった18日には、諸衆のダラニをやめ、一人しずかに座禅念誦を行った。
19日午前7時頃、手を洗い、袈裟を付け、念珠をとり、看病者に寄りかかり安座して、臨終の時であることを告げ、高声で心地観経と華厳経の一節を唱えた。そして人々には、慈救呪、五字真言と宝号を唱えるように頼み、右脇に臥した。「南無弥勒菩薩」と数変唱え、目を閉じて、静かになった。最後の言葉は、「我戒ヲ護ル中ヨリ来ル」(弥勒が善財につげた言葉)であった。既に、1月の始めから多くの人の夢に明恵上人の往生が現れていたが、19日には、信然阿闍梨の叔母が、西方からたなびく紫雲の中に明恵の立つ夢を見た。
弥勒下生 −この世を浄土に!
仏教では、その思想が釈迦の入滅後、一定期間の間は正法が保たれるが、その後、像法の時代を通して衰退し、最後に末法の時代を迎えるとしている。それぞれの年数は教団により異なるが、藤原時代以降は、正法千年、像法千年としており、日本では永保元年(1081)頃から末法の時代に入ったとされている。(「扶桑略記」)
さて弥勒菩薩は、釈迦の教えが絶える末法の世までは、天上界の兜率天に住み、そこが弥勒浄土である。 しかし末法の世に入り、五十六億七千万年の後に弥勒仏はこの世に下生(げしょう)する。この時、閻浮台は化して金色になり、この世に弥勒の浄土が実現されるとしている。
一念弥勒を礼拝すると、死後に兜率天に生まれなくても、未来世において、竜華菩提樹の下で、弥勒に値遇することができる。つまり弥勒は地上に下生することにより、地上の閻浮台(=人間世界)は化して金色となり、この地上そのものが仏国土になる。
このような現世の弥勒浄土の思想により、死後の浄土往生のねがいから、長生きする生き物に姿を変えて、この世で修行しながら弥勒の世を待つとか、輪廻転生を繰り返しながらも、弥勒下生のときにこの世に生まれることを切望するという、多様な修行・生き方の道を開いた。
道長は、死後に極楽浄土への往生を目指して、涙ぐましい努力をした。毎日十万回を超える念仏を行い、死に際しては阿弥陀如来と五色の糸で手を結び、死んでからも、口が動いて念仏を唱えているようにみえたといわれる。これほどにも極楽往生を祈求した道長が、同時に弥勒菩薩の下生の暁には、極楽浄土から再びこの世の弥勒浄土に転生したいと考えていた。
道長の弥勒信仰は、吉野の金峰山での埋経のかたちをとっている。平安の中期以来、吉野の金峰山は、弥勒浄土の地とされていた(道賢「冥途記」)。このことから「金の御嶽は(兜率の)四十九院の地なり」(「梁塵秘抄」二六四)などと歌われていた。寛弘4年(1007)8月、道長はこの地を参詣し、法華経や阿弥陀経などに加えて「弥勒上生経」、「弥勒下生経」、「弥勒成仏経」などを金箔の筒に納め、金銅の燈篭を建ててその下に埋めて、「金峰山経典願文」を捧げた。
その願文によると、「法華経」は釈迦の恩に報い、弥勒に値遇し、金峰山の蔵王権現(本地垂迹説では、その本地は、釈迦=弥勒とされる)に親近するため、また「阿弥陀経」は、臨終のときに心身乱れず極楽世界に往生するためである。そして「弥勒経」は弥勒仏が下生してこの世が浄土になったとき、弥勒の法華会を聴聞いて成仏の記をうける際に、この庭に埋めた経典が自然に湧出して、会衆を随喜させるためであった。(「大日本史料」ニノ五)
このような埋経は、道長の娘である上東門院彰子も、長元4年(1031)に行っており、「私は、のちの世に三界を出てかならず極楽浄土に生れ、菩提の道を修し、・・・弥勒の世にも逢って、この経で人々を済度しよう」と記されている。(「平安遺文目録」五、六八号) このような弥勒下生信仰は、貴族社会ではあまり発達しなかったが、院政期に民間で全国的に流行したといわれる。(速水 侑「弥勒信仰 −もう一つの浄土信仰」)
つまり道長の段階では、阿弥陀と弥勒の浄土はあまり深刻な矛盾は示していない。しかし、浄土を死後に求めるか、生前に求めるかは、実は深刻な問題をはらんでいる。通常、「欣求浄土」と、「厭離壌土」は一対の言葉として結合されているが、必ずしも一対の言葉とはいえないわけである。
平安末期から鎌倉初期にかけて、浄土教家の中にも極楽・兜率天への往生に絶望した人々の中から、弥勒下生に活路を見つけようとする人々がでてきた。「古事談」には、後三条天皇(1034−1073)の護持僧の勝範は、「極楽・兜率に往生するのぞみはともにとげがたい。そこで私は幼年から「法華経」を読誦し、この善因によって長寿鬼となり、慈尊(弥勒仏)の下生に会いたいと願っている」と語る。また覚空という僧も、「十八の年から両界供養の法(密教の修法)を勤め長寿鬼となって、慈尊の下生に会おうと願っている、と語る。
叡山西塔の性救という僧は、極楽・兜率往生の望みはとげがたいので、死後、天皇の眷属(けんぞく 家来)となれば救われる日は早いかと思う。また、後に法然門下に入る出雲路の上人覚愉は、はじめ、毘沙門の眷属となり、弥勒の出世を待とうといった。
あげくのはてに、入水・焼身などにより蛇身・長寿鬼になって、弥勒の出世を待とうという行為まで見られるようになった。法然の師であった肥後阿闍梨は、宏才博覧で智恵深遠な僧であったが、おのれの劣機を覚り、浄土往生は難しいと考え、蛇に身を変え長命の果報を得て、弥勒下生に値遇し得道しようとした。そこで叡山を去り、遠江国笠原荘の桜他に入水して、大蛇となって弥勒下生を待つことにした、という「桜池伝説」が、法然上人の伝記に残されている。(「源空上人私日記」)
便同弥勒 −親鸞聖人の浄土
親鸞(1173−1262)は、阿弥陀信仰において死後に極楽往生を求める思想と、弥勒の世の実現を通して現世に回帰する思想の、矛盾した2つの道を統一的に把握するという、困難な仕事を行った。親鸞が清廉した鎌倉期には、日蓮(1222−1282)による日蓮宗、栄西(1141-1215),道元(1200−1253)による曹洞宗などが登場し、貴族を中心にした宗教から、武士や民衆までが参加する新しい宗教に変わりつつあった。
この中で、親鸞は南宋の王日休の『竜舒浄土文』のなかの、「一念往生・便同弥勒」という言葉を重視した。この意味は、晩年の「御消息集」の中で、「まことの信心あるひとは、等正覚の弥勒と、ひとしければ、如来とひとしとも、諸仏のほめさせたまひたりとこそきこえてさふらえ」と記されており、臨終を待たずとも、阿弥陀の本願を信じたときには、往生が決定するという意味である。このことにより、死後の極楽往生とこの世における弥勒浄土の実現は、統一的に理解されることになった。
この意味は、「正像末和讃」の中で、やさしく解説されている。
(原文)
五十六億七千万
弥勒菩薩はとしをへむ
まことの信心うるひとは
このたびさとりをひらくべし
   念仏往生の願により
   等正覚にいたるひと
   すなはち弥勒に同じくて
   大般涅槃をさとるべし
真実信心うるゆえに
すなはち定聚にいりぬれば
捕處の弥勒におなじくて
無上覚をさとるなり
(意訳)
ミロク菩薩は、56億7千万年という
長い先に人間界へ如来として降臨されるが、
まことの信心をうる人は、
このたびさとりを開くことができるであろう
   念仏往生を願って
   等正覚のくらいに達した人は
   そのくらいは弥勒と同じであり
   臨終の夕には仏果にいたるであろう
真実、信心がえられるために
正定聚の位に入ることができるので
捕處の弥勒大士とおなじく
無上覚を悟り仏になることができるであろう
6 異相往生 −難行・苦行の浄土行
「僧尼令」において、僧の焼身捨身は禁止されていたが、実際には、唱名念仏による極楽浄土を欣求する信仰の他に、焼身、入水という過激な方法で往生を願った僧侶達もいた。
焼身
焼身は、「法華経」の薬王菩薩普門品の中に出てくる喜見菩薩が、仏の供養のために身を焼く故事を真似たものである。「大日本国法華経験記」(第9)に日本最初の焼身として記されているのは、紀伊熊野那智山の僧応照の焼身である。
この僧は、法華経の「薬王品」を転誦するたびに、喜見菩薩が身を焼き肘を焼いたことに「恋慕随喜」した。そこで念願を起こして、自分も薬王菩薩のように、我が身を焼いて仏に供養しようと思い、穀と塩を断ち、甘い物をやめ、松葉を食べ雨水を飲み、内外の不浄を清めた。焼身に臨んでは、新しい紙の法服を着て、手に香炉をとり、薪の上に結跏趺坐して、西方に向かい、諸仏を勧請して発願の言葉をのべた。定印を結び、妙法を誦し、心の三宝を信じた。体は灰になっても、経の声は絶えなかった。乱れた様子もなく、煙りも臭くなく、沈檀の香の香りがし、数百羽の鳥が鳴いて飛んだ。
この焼身が何時行われたかは明確ではないが、その後、同じような焼身供養が続出した。
たとえば、長徳元年(995)9月、六波羅蜜寺の僧が、菩提寺の北辺で焼身供養し、花山天皇や貴族たちが見物した。(「日本紀略」長徳元年9月15日条)その翌日には、近くの阿弥陀ケ峰でも焼身自殺があった。(「百錬抄」同年9月16日条)
また万寿3年(1026)(「左経記」7月15日)、治暦2年(1066)(「扶桑略記」5月15日)、には、僧尼が鳥辺野、船岡で焼身自殺し、人々が見ている。
焼身供養の場合は、焼身者の極楽往生のみでなく、見る人々も共に極楽浄土を目のあたりに体験し、浄土往生を期待させるという性格をもっていたといわれる。
入水往生は、平安時代の後期、つまり12世紀の中頃以降に実行する人が現れ始める。これについては別項で述べる。
入水、縊死
その他の異相往生の例としては、桂川への身投げ往生(「宇治拾遺物語」)、首吊り往生(「沙石集」)などが記録されている。
難行・苦行
往生のための苦行も、いくつか肉体を酷使するかたちで行われた。その第1が断食であり、穀物や塩を断つことである。これについては別に述べているので省略する。
第2は、自分の体の一部を仏に捧げることにより、その代償として極楽往生を獲得する方法をとった人がいた。たとえば、丹波国の仙命という僧は、四天王寺に詣でた時、聖霊堂の前において、手の中指を燈して尊像を供養したら、紅燭の光の前に青竜が現れた。このことから、処々の道場で指に燈して仏に供養した。(「拾遺往生伝」上9)
指を焼くことも、焼身の一種として禁止されていた筈であるが、行われた例である。
さらに酷い例で、自分の手の皮膚をはがして仏に供養した人もいた。
伊勢国飯高郡上平郷のある尼僧は、長年、手の皮をはいで極楽浄土をそこに写したいと考えていた。しかし自分で剥ぐことができなかったところ、一人の僧が来て尼僧の手の皮をはがして見えなくなり、極楽浄土を写して持ってきて、尼僧はそれを片時も離さなかった。
臨終の時、天に音楽が聞こえて、尼僧は極楽へ往生した。(「日本往生極楽記」32)
「今昔物語」巻15第51にも、伊勢国飯高郡の老嫗の極楽往生潭があるが、手の皮の話はない。 
 
仏教の死後の世界

 

死のガイドブック「往生要集」
日本に仏教が入った時代には、それが当時の最高の学問体系であった。当時は医学も科学も仏教の一分野といってよく、執行される儀式は大変に現世利益的なものがあったと思われる。
10世紀末に比叡山の源信によって書かれた「往生要集」は、死後の世界である極楽と浄土のガイドブックであり、また「いかにして西方浄土に生まれる事が出来るか」という実習マニュアルであった。このテキストは大変珍重され、平安時代の貴族社会に浄土信仰を普及させるきっかけとなった。
では人々はなぜ、それほどに死後にこだわったのか。よくいわれるのが、当時は医療技術が発達していなかったので、伝染病や死産などが発生すると、それを魔や怨霊のせいにした。死が日常であったので、常に死の準備はかかせなかった。こうした災いを加持祈祷して払拭することが仏教の大きな役割の一つであった。当時の仏教は今日の医学や心理学を扱っていたのである。もちろん日本に伝来した仏教は大乗仏教であったので、大衆を救う事が目的であるという原則はそれなりに理解はされていた。しかし仏教といっても、まず自分たちを救うことが先決であったのである。
「往生要集」は数多くの仏典のなかから、死後の描写と浄土に往生するための方法を抜粋した文章からなりたっている。従ってこれは源信の著作というより編集といったほうがいいかも知れない。しかし多くの仏典から関連部分を抜粋することは、なみなみならぬ作業である。次はその中から末期患者を対象とした「臨終行儀」の部分である。
はじめに、祇園の西北の角で太陽の沈む方角に無常院を作る。これは今でいうホスピスである。もし病人があればその中に寝かせる。寺院のなかに寝かせておくと患者は衣装や道具に目がいくため、未練が残らないよう何もない所に寝かせるのである。この堂のなかに立像を置き、表面を金箔にし、面を西方に向ける。その像は右手を挙げており、左手の中には、五色の細長い綱を持ち、その端は垂れ下がっている。病人を安心させるために像の後ろに寝かせ、左手で幡の端をもたせ、仏につき従って浄土に行く気分にさせるのである。
次に、導きの和尚は次のように述べる。
「行者どの、病気が重くなって命が終わるときには、念仏三昧の法による。顔を西に向けてもっぱら阿弥陀仏を観想し、念仏を唱えながら西方浄土より迎えにくる聖衆を思い浮かべる。もし病人がこれを思い浮かべることが出来れば、付き添い人はそれを記録する。もし病人が黙っていた場合には、何を見たかをたずねてそれを記録する。もし病人が罪の意識があって苦しみ悩んでいる場合には、まわりの人は念仏を唱え、一緒に懺悔をしてその罪を発散させてあげる。もし罪の意識が滅して、迎えの聖衆を見るようになったら、同じように記録をとる。
また病人の親戚縁者が、見舞に酒や肉などを持って来たら、それを入れてはならない。もしそれを許せば、病人はそれに欲望をもって穏やかな気持から遠ざかってしまうからである。
死のまぎわに死者を迎えに来る聖衆の瞑想を行なうことによってどんな効果があるのか。欲しいものがあれば、そのイメージを思い浮かべることによって、その達成を助けることになる。これは臨終のときだけでなく、普段の場合も同じである。
十念を持続させることは大変である。多くの人間の心は動物のように動き回ってじっとしていることがない。十念とは一心に南無阿弥陀仏と10回唱えることである。
臨終時の心念
いよいよ最後になったとき、次のように語りかける。「臨終の心念、その力はどのようなものであるのか。臨終の時の念は百年の行ないにも匹敵する力である。この臨終の心を名付けて大心という。それはこれまでの自分の体や感覚器官を一気に捨てなければならないからである。この時には、一心に念仏して仏が自分を迎えに来ることだけを思うのである。」
『チベットの死者の書』では、「クリアライト(純粋な光)が迎えにきたら、それを恐れてはならない。それは悟りの世界である」と僧侶が死者に語りかけるように、臨死患者に語りかけるのである。
ただし、生きているうちに悪事を積み重ねた者は、命の終わりを迎えたときには、心が落ち着かずに様々な妄想に悩まされる。自分の周りを見ると尿が一杯で外に溢れている。そのとき彼は「どうして私はこんな所にいるのだ」と思う。そのとき、地獄から獄卒が拷問の道具を持ってやってくる。しかし仏を念じて心身が安穏となれば、悪の情景がすべて消滅し、代わりに聖衆があらわれるのを見るのである。看病の人はよくこのことを知って、病人の心の状態を問いかけて、その心を和らげるようにもっていけとある。このように『往生要集』は、「日本の死者の書」として実際に実習されたものであるが、それがのちに浄土教の念仏として一般に普及したのである。
死に至るまでのプロセス
仏典のひとつである「修行道地経」は、中国で西暦284年に漢訳されている。この経典は禅の実践過程を段階を追って示したもので、教えのなかに輪廻のことも記述されている。それによると、人は死後再び地上に生まれ変わる、いわゆる輪廻を繰り返すが、生きている間の行為に応じて地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の六道に生まれると説く。よりよい所に生まれ変わるというよりは、迷いから覚め正しい行ないをするためにも、修行をしなければならないが、そのための方法をこの経典では詳しく述べている。また死後の世界である地獄の描写にも詳しくふれている。
「修行者は常に五陰成敗の変化を知らなければならない。例えば人の命が終わることを望む時。その体に四百四病が前後して現われ、多くの夢となって病人を苦しめる。夢には蜜蜂や鷲が自分の上にいるのを見たり、山が自分の上に崩れてくるのを見たり、さらに虎に乗って奔走したりするような数々の恐ろしい夢を見る。
生きている間には数多くの楽しみがあっても、命の終わりを迎えるときには、誰もが恐れを隠すことは出来ない。病いのなかに中傷され、身体も思うようにいうことがきかない。心は憂いにみち、夢を見てうなされることは、丁度犯罪者が警察に追われるようなものである。またこの夢からさめたらさめたで、心に恐怖を抱き戦慄する。病いはついに全身にまわって医師に頼らざるをえなくなる。親族はこれを見て医師をよぶこととなる。
人が健康の間は好きなことを行なって、医療のことを思うことはない。しかし身体がいうことをきかなくなると、初めて床について医師の到来を願うようになる。しかし医師はすでに病人の死を察している。それはなぜかというと、依頼者の服装とその日の星の位置が大変に悪かったからである。案の定、医師がその病人の家についた時には、南の方角で狐が鳴くなど、多くの悪い兆しが現われていた。
医師は病人に対面するが、すでに死相が現われている。顔色は悪く、口中によだれが出て舌は乾いている。苦しそうな息は早かったり遅かったりして、大変に乱れている。声は変わり咽はふさがっている。
人が死を迎える時には、口は食物の味を感じることがなく、耳も遠くなっている。全身が痛く体をじっとさせることはできない。目も見えなくなり、便も通じない。
数々の罪を作り、人生の垢がたまり残りの命は短い。医師は付き添い人に語った。「この病人は好きな食物を求めたなら、逆らうことなく与えたらよい」と。
命が終末に向かうときに、病人は罪が至っているのにそれを自覚しない。不思議な現象が自然と発生し、たとえ金剛菩薩でも彼を救うことは出来ない。
このとき家の者たちは、医師の言葉を聞いて、もはや薬や数々の呪術を諦め、病人を囲んで悲しみにうちひしがれる。命が終わりとなれば、閻魔の使いが自然とやってくるからである。多くの縁者が集まって来たとしてもそれを感ずることなく、まさに風前の灯である。
この人の心中には心意根があり、その生存時になすところの善悪は、心に即して今後、後世でなすべきところを心はあらかじめ知っている様子である。善を行なう者は顔つきが穏やかであるが、悪を行なう者はその反対である。
すでに安穏を離れて究極に至れば、悪を行なった者は、その時になって恐怖し、深く自ら招いた悪の結果が訪れることが間違いないことを実感する。善を行なった者は、死に臨んで心が喜びにあふれ、天に帰ることを実感する。
その時、人の命が終わると、身根と意識が滅し、中有(死んで次に生まれ変わるまでの間)の次元に入るが、死者の意識や感受性はそのまま残っている。死んだときの意識は中有の領域に至らないが、中有の意識状態はまた元を離れることはない。丁度泥に印章を押した時のように、印は泥に接しているが、印は泥につかないことと似ている。人が死んだときには、精神と意識状態とは等しいとは言えないが、また元を離れてはなりたたない。元の種々の行ないによって、それぞれの結果を得るのである。善行を行なった者は善の中有に行き、悪を行なった者は悪の中有へと向かう。中有には3つの状態があり、1つは感覚的な意識、2つは思い、3つは認識といえる意識状態である。この中有にある期間は1日、長い者で7日である。
生まれ変わりのプロセス
その人の生前の行いによって地獄・餓鬼・畜生、人間、天上界へと行く。悪を多くなした者は、中有中に大火が発生してその火が自分の体を取り巻くのを見る。また動物の顔をした化物が、手に武器を持って自分に襲いかかってくるのを見る。そこで大変に恐怖を抱いてそこから逃げ出すと、遠くに大きな樹木があるので、そこに逃げ込むと「中有」は終わり、死者は地獄界に生まれ変わっている。
小さな悪を行なった者は、火煙や塵が全身を包むことを感じる。あるいはライオンや虎に追われる。その時に泉や深い水を見てそのなかに入ってしまう。その時は「中有」の意識が失われて、畜生界に生まれ変わる。
もし罪が軽い者であれば、四方を熱風に囲まれる。そのため体は大変に熱く感じ、咽が乾く。遠くには刀や弓を持った者たちが自分を取り囲んでいることを感じる。そこで城を発見しそこに逃げ込もうとすると、なんとそこで「中有」の意識が終わって、餓鬼界に生まれ変わる。
善徳を積んで死んだ者は、芳しい冷風が四方から吹いて大変に気持ちがよい。そして樹木や花々が咲き乱れた所に行こうとしたら、たちまちに「中有の意識を失って刀利天に登る。」
生前の行ないが善悪一定していないものは人間界に生まれる。両親が会合してその精が合一すれば、子供として再生する。
もしこれが男性と女性が会合している際に、この男性に嫉妬心を感じて怒りを抱き、女子に敬愛心を抱くならば、男性を排して女性に向かおうとする。そのときに中有の意識が失われ母の胎内に入る。
以上のプロセスは『チベットの死者の書』の中有から再生へ至る過程とほぼ同じで、『チベットの死者の書』がこれに大きく依存していることがわかる。
誕生のプロセス
仏教では死のみでなく、誕生も7日を単位としている。胎内にあるとき、意根と身根となる。七日目には増減しないが、二七日(ふたなのか)に胎が多少変化をみせる。三七日(みなのか)目にチーズのようになり、六七日(むなのか)には肉になる。九七日(くなのか)には肘、首などが生まれる。十一七日(77日)には手、指、目、耳、鼻が生じ、途中の過程を略して、三十八七日(266日=約9カ月)には母の腹のなかにあって、その性質に従って風が起こる。
前世の行ないが正しいものは香風があり、その身体は大変に整っている。これに対して前世で悪をなした者は、臭風が発生し体の見栄えも貧弱な者になる。
中有の説
中有については、『阿毘達磨大毘婆沙論』に詳しい。これによると、中有あるいは中陰の期間は49日であるという説や、7日であるという説がある。生前生きていた者の形量は、死後には欲望界、特に人間界に生まれ変わる定めをもつ者は、中有では5、6歳の小児のようであり、色界(物質的なものが清められた世界)に行く者は生前の形量が同じであり、菩薩となる者の中有は、生前の修行時のようにその身を32相・80の理想的特徴で飾られている。
次に、形態については、中有の領域ではこれから生まれ変わる世界の形態になるという説がある。つまり地獄界に生まれ変わる者は地獄の住人に相応しい形状、人間界には人間の形態というように。
中有の衣装は欲界に生まれる者は裸体で、色界に生まれるものは衣をまとっているという。これは欲界では恥ずかしいという意識がないからという。次に中有での食事は、線香などの香りを食べるという。ただし善行を積んだ者は高貴な香を、卑しい行ないをなした者は脂や糞などの臭い匂いを好むという。
以上はあくまでも一つの説であるが、仏教の基本的論書のなかでこのように扱っていることは興味のあることである。 
 
日本人の死後の世界観 / 地獄と極楽・浄土考

 

1 はじめに
事の始まりは米原寛氏(元立山博物館館長)の立山曼荼羅に関する講演1であった。氏はその中で、源信2(942-1017)の『往生要集』の地獄に触れられた。これが、日本人が地獄について知った最初だったらしい。では、それ以前には、日本人は、地獄について知らなかったのか、死後のことを考えなかったのか。| 少々気になった。自ら調べるのが一番だろう。
なお、原文はすべて縦書きで、私の原稿は横書きのため、たとえば数字は漢数字と算用数字と、また句読点も異なる。諒とされたし。
2 死んだらどうなるか?
死んだらどうなるか? | 現代日本の宗教家・学者がどう考えているかを見てみよう。まず民俗学者の五来は、「人間に死がある以上、死後はどうなるのか、という死後観がないわけにはゆかない。死後観があれば、他界観がないというわけにはゆかないだろう。」という([8]、p.10)。
現役の臨済宗のお坊さん・玄侑宗久氏は、(そのものずばり)『死んだらどうなるの?』[7] という本で、日本人なら「あの世ってなあに?」とあらためて問い返すこともないほど、明らかな概念だという(p.42)。しかもその「あの世」は、死者が行く場所であると同時に新しい命がやってくる場所でもある、ともいう(p.59)。あの世(すなわち他界)について、宗教学者・山折を含めて次のような世界が想定されている。すなわちー
山ないし山中:山折、玄侑、五来
海(海上、海底):玄侑、五来
月:玄侑
天上や地下:五来
である。こうした世界を、3 人の宗教関係者は、仏教の影響を排除した原日本人の他界だと見なしている。
仏教の影響がおよぶ前の、記紀万葉で人や神の死後がどう扱われているのだろうか。
『古事記』(712 年)と『万葉集』(759 年)
『古事記』には、人ないし神の死後がどうなったかについて、ざっと見たところ以下の4 件があった(実際にはもっとあると思うが…)。神代の1伊邪那美命、2少毘古那神と、人皇時代の3若御毛沼命わかみけぬのみことと稲氷いなひの命と4倭建命。このほか、5天皇の死を「崩かむあがりましき」という表現がみられた。
1 伊邪那美神は黄泉国に行った。葬られたのは、出雲国と伯伎国との堺の比婆の山で、夫の伊邪那岐神は「その妹(妻)伊邪那美命を相見むと欲して、黄泉国に追ひ往きましき。」黄泉の国と現世との境界をなす断崖を黄泉比良坂という。
2 少毘古那神は常世国に度わたった。ここで、「常世は「根の国妣ははの国」と同じく、死者の霊魂の行く他界であった。」(五来[8]、p.38)3御毛沼命は、波の穂を跳ふみて常世国にわたり、稲氷命は妣の国として海原に入った。日本書紀では、稲氷命は稲飯命いなひのみことで、「波頭を踏んで常世国においでになった。」とある([8]、pp.96-7;[3]、p.94)。
4 倭建命は能煩野のぼの(鈴鹿あたりか)で亡くなったあと、白鳥になって河内国・志幾に飛び、そこからさらに空高く天翔って飛び去っていった。
5 と関連して、安積あさか皇子が亡くなったとき、大伴家持は、皇子が天上を治めるようになった、と言い表した(万葉集巻2、475 番)。天上他界である。
2.1 黄泉と常世
原日本人は死んだら行く世界として「黄泉国」ないし「常世国」を考えていた| らしい。上の記紀の4例では、1の伊邪那美神は黄泉に行き、残りの3 例はいずれも常世国ないし天空の彼方の去っている。
万葉集で見つかった(悉皆調査をしていないのでこれ以外にもあるかどうかはわからない)、黄泉の2 首、常世国の4 首(3 首+反歌1 首)のうち、黄泉(巻9、1804 番と1809 番)は確かに死後の世界である。そして、『日本霊異記』([11])の上巻、第30 話(p.176〜)
で膳臣かしわでのおみ広国は黄泉国に行ったとあるが、その描写は地獄である。
だが、常世のほうは必ずしもそうでない。実際、『時代別国語大辞典上代編』(三省堂、967、以下『辞典』と略記)でみると、「常世の国は上代人が海の彼方にあると考えていた想像上の国で、」と、また「もとは、あらゆる点で生活環境の異なる地の意であったが、それが次第に美化され理想郷の形をとるに至った。」とある。
そういう思いで改めて上の2、3を見ると、「常世国に行く」は現代の「天国に行く」と同じで「死ぬ」の婉曲表現ではないか、という気がする。
死の国
死の国にはこれらのほかに、ネノクニ、シタツクニがある(『辞典』)。滅罪した霊魂の行く世界として「常世」や「高天原」がある(五来[8]、p.125)。五来は、「しかし中世になると、常世は中国思想では蓬莱山、仏教思想では補陀落浄土となった。不老不死の美しい国というイメージは残るが、常世という言葉はなくなる。」と書く(同、p.102)。さらに彼は、(黄泉や常世に)「オーバーラップして仏教の地獄と極楽を受容した。」(同、125)と書く。
黄泉国と常世国の言語学
(1)「黄泉=よみ」と「常世=とこよ」は、和語(ないし訓読み)で、音読みの地獄・極楽・浄土とは異なる。
(2) 黄泉は暗黒(やみ)からきており(同、p.12)、当て読みであって訓読みですらない。
(3) 漢和辞典3で調べてみた。当然、黄泉は「こうせん」、常世は「じょうせい」と読む。
黄泉の元来の意味1は「地下のいづみ」で、意味2として、死者のゆく所.よみぢ、冥途がある。例文に、左氏の「黄泉に及ばざれば相見ゆることなからん(不及黄泉無相見、地獄に行かなければ、すなわち生前には相会わぬ)。」があげられる。また意味3はあのよ。未来。来世。二世、である。一方の常世は「一般の世間」である。「常世国」は「とこよのくに」と読み、「往来のできない遠い国土」や「よみぢ、人の死後往く所」などの意味をもつ、とあった。
2.2 他界
本節では他界について調べる。他界はのちの民衆の仏教の冥途(地獄+極楽)につながっている。他界には、すでに述べたように、山ないし山中、海上ないし
海中、さらに月、天上と地下などがある。五来は「日本人の他界観に山中他界と海中他界、天上他界と地下他界があることは、いまでは常識だろう。山国である日本では、その中でも山中他界が、仏教の影響で地獄と極楽に分化したのであろう。」([8]、p.12)と書く。
天上他界と地下他界
よい霊魂は昇り悪い霊魂は地下に堕ちるという上下の感覚は万国に共通する。水野も「古代においては幽界を地下とするものと、霊魂はふたたび天界に赴くとする二つの思想があったと解される。」([13]、p.161)という.

「われわれの先祖たちは身近な自然の果てのあたりに「あの世」を想定していたようである。」と玄侑はいい([7]、p.59)、その1 つとして月をあげる。月に関していえば、盆(盂蘭盆会)が旧暦の7 月15 日(この夜は満月である)で、この日(夜)に先祖が戻ってくる。満月の夜に帰ってくる先祖は月にいるにちがいない、と考えただろう、という。
海中他界
海の彼方にある(海の中かもしれない)国が常世国である。少毘古那神や御毛沼命、あるいは倭建命が去っていったのは、この海の彼方=常世国であった。玄侑は、折口信夫次の一文を引く。すなわち:「古代日本人には……、死んだら海のかなたに還るという「常世信仰」があった」とする([7]、p.56)。
仏教では、観世音菩薩の住む山=補陀落山ふだらくせんとよぶ。補陀落山はインドの南島にあるともいわれ、「熊野の山々から海を越えた所にあった。」([8]、p.33)と解された。いつしかこの補陀落山に常世は吸収されていった。死者の赴く他界にすぎない常世に対して、補陀落山は極楽(ないし浄土)という違いがある。
海の「中」ないし「底」について。「浦島太郎は常世である竜宮の極楽に行った。」という記事がある(雄略紀22 年)一方で、海の底が地獄(畜生道)だという観念がある(五来[8]、p.12)。『平家物語』の「六道の沙汰の事」の段では、「大海に浮かむといへども、潮なれば飲む事なし。これ又餓鬼道の苦しみとこそ覚え候ひしか。」とある。
以上を要するに、常世も竜宮も、古代日本人にとって、極楽でも地獄でもなかったということである。
山中他界
多くの仏教哲学者が他界として山(山中)をあげる。玄侑は次のように解説する([7]、p.53〜)。「人が死ぬと、その直後の魂はまだこの世へのさまざまな感情を残しているので、「荒魂あらみたま」と呼ばれる。そしてこの「荒魂」は山に帰り、そこで一定期間をすごすことで鎮まり、おとなしくなって「和魂にぎみたま」になる。それがさらに長期にわたって山中に居ることで子孫を守る「祖霊神」になる。とまあ、これが古代人たちの考えていた一般的な流れである。」([7]、p.54)。
五来は、「(私が)柳田国男翁を訪れたとき、……、翁は、私は死んでも火葬になりたくない、日本人は死んで霊魂になったら、「高山の末、短山ひきやまの末」から見守っているからだといわれたことを憶えている。」と記録する([8]、p.46)。
山中他界に関して、山折[14] は、「山岳信仰、他界=浄土観、そして遺骨信仰」という三つの問題を考える必要がある、という(p.145)。
山岳信仰:古代世界においては「山岳」とはまずもって1死者の昇る霊地であり、2天上の神が天降る聖地であり、そして最後に3それ自体が神体山として崇拝の対象とされる異界であった(pp.145-6)。
他界=浄土観(pp.146-7):人間が死後に再生すべき理想的国土としての「浄土」を、西方十万億土の彼方からわれわれの生活圏をとりまく山中へと読みかえたのは日本的変容である。山岳信仰の伝統がその背景にあった。
遺骨信仰(pp.148-9)について:縄文、弥生、古墳の各時期においては、人々の関心はもっぱら死後の霊魂の行方にあり、遺骸や遺骨にはなかった。それが10〜11 世紀を画期として4、遺骨を高野山におさめる習慣が一般に広がっていった。ここにも山岳信仰があった。死者の霊は山にのぼるという古代的な信仰に、山中納骨という中世的な真宗観が加わった。死者の遺骸の一部を山上に納めることで、その遺骨はすでに浄土としての山上に昇っていた霊魂と再会をはたす。山中における浄土往生が、魂と骨との合体によって実現されるということである。
もう1 冊の書『日本人と浄土』[15] の第2 章で、山折はさらに詳しく論じている。そして、山中他界の考え方はどちらかというと、神道的な信仰だろう(山折[15]、p.145)、という。
万葉集と山中他界
『万葉集』におさめられている挽歌…(中略)…の多くにおいて、死後、その亡者が山の上に漂いゆくことが歌われている。まずもって山は死者の霊魂が昇る異界であったのだ(山折[14]、p.145)。この件について調べてみた。万葉集には(間違いなければ)全部で
197 首の挽歌が載せられている5。これらのなかで、山を詠んだものが19 首あった。葬送(野辺送り)や死者が眠る場所の描写は山以外になかったので、山中他界は納得いくものだった。ついでながら、雲・霧・霞を詠んだものが、山と重複して詠んだもの5 首を含めて12 首あった。火葬の際の煙を雲・霧などとみたもので、天上(空中)他界を意味しているのであろう。
2.3 `何' があの世に行くのか
これまで何ということもなく、「死んだらどうなるの?」と書いた。だが、考えてみると、あの世に行くのは`何' なのだろうか?| だれに聞いても「霊魂」と答えるだろう。でもどこかで「仏教典のどこを見ても霊魂は出てこない。」とあるのを読んだ記憶がある6。
山折、『仏教とは何か』[14] には、「補特伽羅プドガラとは、…(中略)…輪廻とか中有との関係でいうと、生まれ死にかわる主体を指すということができる。」とある。ここで中有とは、「死の瞬間から次の世に生を受けるまでの中間的な時期を」いう(p.96)。
「ブッダは霊魂の有無を論ずることの無益を説いたと伝えられるが……、」とあり、「仏教の基本的立場は無我説7にあるので、その考え方からすると、輪廻する主体や中有の状態にある霊魂プドガラは否定されるべき対象であった。」とある(p.97)。
とはいうものの、人間の存在、特に人格が死によって断絶することは人間にとって受け入れがたい。実際、インドでも後の仏教では、「霊魂的な存在としてのプドガラを認める議論が登場した。」(p.98)とあり、また源信も、『往生要集』では霊魂の問題には触れていないが、彼が組織した念仏結社・二十五三昧会の綱領では、死後浄土に往生するのは死者の遺体から分離した霊魂であるということを明言している(p.100)、とのことである。
ー 以上を要するに、形式的には、霊魂の存在は否定されるが、死後あの世に行くのは霊魂だ、ということにならざるをえない。
3 地獄
いよいよ本命の地獄である。
源信の『往生要集』から日本人の地獄理解は始まった、とされる。だが、調べてみると、なかなかそうともいいがたい。
2つの仏教・2つの地獄
五来は日本仏教を2 つにわけて、「上部構造としてのエリート(学僧・文化人)仏教と、下部構造としての庶民(聖・常民)仏教」とした。「この二つの仏教の流れは、地獄・極楽観でも例外ではなかった。即ち、浄土教の経典に説かれない日本人独特の地獄と極楽の信仰や実践があり、……(庶民の死後の世界観と浄土教との)ズレは日本民族が仏教以前からもっていた死後の世界観を、庶民はいつまでも保持しつつ、それに仏教の地獄・極楽のイメージを重ねているからである。」と書く([8]、あとがき、p.172)。
要するに、『往生要集』の地獄は上部構造の仏教の地獄で、立山曼荼羅など曼荼羅にみられるのは下部構造の地獄・極楽だということである。
3.1 正規(上部構造)の地獄
源信が拠ったのは『正法念処経』、『阿毘達磨倶舎論』、『優婆塞戒経』、『大智度論』などで、彼の『往生要集』は、これらの寄せ集めだともいわれる([8]、p.128〜)。
地獄とは
地獄は原語で〈いとわしいもの〉、〈苦しいもの〉を意味するナラカ8、「奈落ならく」ともいう。『広辞苑』によれば、衆生が善悪の業によっておもむき住む六つの迷界、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天を六道といい、そのうち最悪の苦しみの世界が地獄である。
地獄の種類
地獄には、寒地獄(八寒地獄…[1]、pp.14-15)、熱地獄(八熱地獄)および孤地獄がある。どうやら寒地獄が観念として初めに考え出された…([1]、p.4)みたいである。
八大地獄(八熱地獄)は、その浅い方から、1等活地獄、2黒縄地獄、3衆合地獄、4叫喚地獄、5大叫喚地獄、6焦熱地獄、7大焦熱地獄、8無間地獄(阿鼻地獄)という八大地獄があり、それそれ十六の小地獄が付属している。([6]、p.164)
地獄は何処にあるか
われわれは、普通、極楽は天上に、地獄は地下にあると考えている9。では、地獄はいったいどこにあるのか。
正規(上部構造)の仏教の地獄は地の底にあった。身近な山の中にあるとする後の民衆(下部構造)の仏教の地獄とは大いに異なる。古代仏教でも必ずしも地底にはなかったようである。『長阿含経』10の中の『世紀経』や別の経典では、地獄は世界の果てにあると考えられた(Wikipedia)。つまり、地獄は世界の果てからわれわれの住む世界の地底へと移ってきたのである。
地獄の構造には2 説ある。1 つは『大毘婆沙論』のもので、もう1 つは『往生要集』のものである。両者の地獄の位置は合致しない。「その理由はどこにあるのか、いまに解けない。」と、石田はいう([1]、p.58)。
石田[1] によると、「もっとも完璧に」地獄の構造を説いているのは『大毘婆沙論』11の3 つの説のうちの第2 説だそうである(p.6)。まず、その記述にそって紹介するとー
われわれの住むこの世界を贍部洲せんぶしゅう(または閻浮提えんぶだい)という。贍部洲の下、4 万踰繕那ゆぜんな12(あるいは由旬ゆじゅん)のところに、八大地獄の最低部の、1 辺2 万踰繕那の立方体の無間地獄がある。その上に各5 千踰繕那の立方体の7 つの地獄が順次載っている。したがって、最上部の等活地獄は贍部洲の下5 千踰繕那(= 6 万km、地球の直径の10 倍)にあることになる。
一方、『往生要集』の地獄は:第1 番目の等活地獄は、われわれの住む閻浮提の下、1000 由旬にあり、大きさは縦横1 万由旬である(石田[1]、p.58)。以下、2 番目の地獄(黒縄地獄)はその下13にあり、大きさは同じ。以下順次8 大地獄が下に連なる。違うのは、大きさと深さだけである。
ー まあ、いずれにせよ、見てきたひとはいない14ようなので、どれが正しいのか、不明(どうでもよい)。
救いのない地獄
『往生要集』に見られる地獄には、救済は一切ない。一番浅い等活地獄でも、地獄の寿命は人間の時間に換算して1 兆6、200 億年15で([1]、p.59)、生前の罪業が尽きるまで、罪人は地獄から解放されることはない、という(同、p.75)。
それにくらべて、民衆仏教の地獄は救済だらけである。最も極端には、作善がなくとも、花祭りに花を供えただけで堕地獄から救済される([8].p.85)。
地獄と極楽
われわれは、地獄・極楽と、対として扱いなれているが、「本来の」仏教ではそうでない。「地獄と極楽は別の思想であり、しかも地獄は極楽よりも広くて、極楽よりも近い。地獄思想は、仏教においてかなり早くから現われる。……、極楽の思想が出てくるのは、紀元後1 世紀頃である。しかも、地獄思想は、仏教のほとんど全てに宗派において存在するが、死後に人間が行く西方浄土、極楽を説くのは、仏教においても浄土教と称せられる一派にすぎない。」(梅原[4]、pp.6-7)
地獄と極楽を結びつけたのは源信である([4]、p.6)。彼の願いは浄土に生まれ変わること(欣求浄土)で、そのために穢土を厭うた(厭離穢土)。ここで穢土とは三界六道輪廻で、三界は欲界・色界・無色界、六道は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人・天をさす。
『往生要集』の地獄の扱いが気になったので調べてみた。平凡社東洋文庫で全2 冊、本文だけで704 ページあった。そのうちのほとんど(90 %)を「欣求浄土」にあて、「厭離穢土」はわずかに73 ページ(10 %)、しかも地獄はわずか28 ページにすぎない。とはいっても厭離穢土の中の38 %を占める。量もさることながら質は圧倒していた。「最初の地獄の印象が余りに強烈であるために、後世……地獄と極楽とそ対立的に捉える術語が、なんの違和感もなく用いられるに至った、と考えられる。」([1]、p.58)
3.2 地獄の歴史
地獄の歴史を遡ってみよう。
先に『往生要集』は何篇かのお経に拠ったと書いた(これには諸説ある| 私にはよくわからぬ)。どうやら5 世紀にまとめられた(とされる)『正法念処経』が主だったらしい(大角[6]、p.167)。『正法念処経』は六道の因果を説く七十巻からなる大乗経典である。だが、これに先立つ小乗(上座部)経典の『増一阿含経』や『大毘婆沙論』にも、すでに八大地獄が記述があったらしい([1]、p.4)。地獄の歴史は、梅原によれば、仏教の誕生(前6-5 世紀)より古く、前10 世紀まで遡るという([4]、p.49)。
釈迦(前7c〜前4c の間の80 年の生涯)は当然地獄を知っていたが、「積極的に地獄を説かなかった。」([4]、p.7)。梅原は、「しかし、彼は地獄の思想を、彼の説を説くー欲望の恐ろしさを感じさせるというー方便として用いたかのようにみえる。」(同、p.50)
日本における地獄史
私が地獄と極楽の問題に興味をもったきっかけは、源信の『往生要集』(985 年)について聞いたことだった。では、日本人は『往生要集』の前に、地獄について知識(と関心)をもっていなかったのかーーである。
私なりの結論として1仏教が日本に伝来する前の日本には、地獄・極楽という概念はなかったと思う。2あるいはさらにいえば、明確な死後の世界も持ち合わせていなかったとも思う。
以下、石田の『日本人と地獄』[1] に拠ったので、単にページを示したのは同書のページである。
日本において、地獄に言及した最初の人物は聖徳太子(摂政593-622)らしい。『唯摩経義疏』(伝・聖徳太子)に「無沢地獄」が出てくる。もしこれが無択地獄ならば、無間地獄の別称(p.21)で、最も古い。
奈良時代には、『千手千眼陀羅尼経』の天平13(741)年の記事をはじめ、『沙弥十戒并威儀経疏』、『日本高僧伝要文抄』などに地獄の語が見られる(p.22)、という。東大寺二月堂の十一面観音の光背に、毛彫の地獄変相図がある(天平勝宝4(752)年以前か、p.24)。
平安時代に入ると、ぐっと増える。空海が24 歳のとき著した『三教指帰さんこうしいき』(797 年)には「作業不善さごうふぜならば、牛頭ごづ・馬頭めづ、自然に涌出ゆじゅつして、報ずるに辛苦を以てす」という地獄の記述があり、口語訳が示されている(p.146)。822?年に出た『日本霊異記』にも地獄の描写が少なからずある。これについてはあとで詳しく述べる。
10 世紀に入って、『往生要集』に先立ち、内容的にも先駆となる『十願発心記』(962 年)が僧千観によって著された。上品往生を願い、そのために地獄の模様を書き表した(p.47)。『観経(仏説観無量寿経)』の影響が見られる。良源(912-985)の『九品往生義』(p.49{)などに地獄の叙述が見られる。
1 つの結論:『往生要集』の前には地獄・極楽に関する関心も知識も皆無でなかった。
仏名会と地獄絵屏風 仏名会なる宮中行事が承和5(838)年に始まった(p.32)。1 年間に犯した罪を反省懺悔する営みだそうである。いつ始まったのかはっきりしないが、この法会に地獄絵の屏風を立てる風があったことが『政事要略』(寛弘5(1008)年ごろ)の「年中行事」十二月上の項に見える、とのことである(p.34)。地獄絵の与えた影響として、僧正が11 歳(数え年、876 年)のとき地獄絵を見て、「忽ち遊楽の心を捨て、即ち入山の志を発」した、と『尊意贈僧正伝』にある(p.40)。
仏名会の地獄絵屏風については、『栄花物語』巻3(寛和2(986)年)や『枕草子』(正暦5(995)年)にも、また『御堂関白記』の長和4(1015)年12 月19 日の条にも見える(p.37)。『枕草子』の第81 段で、清少納言は「地獄絵の御屏風取りわたして、宮に御覧ぜさせたてまつらせたまふ。ゆゆしういみじき事限りなし。」と書く。文献は多いようだが、おおまかには、道長の時代に集中している。
地獄屏風を立てる風習はこの時期を境に下火になっていった(p.38)。正規の地獄が徐々に民衆の地獄に主役の座を譲っていった時期と重なる。
4 民衆(下部構造)の地獄
894 年の遣唐使の廃止も1 つのきっかけとなって、唐風文化から国風文化に移っていった。仏教もまた大陸からの直輸入の(いくらか生硬な)仏教から| 仏教を取り入れたというか、仏教に取り込まれたというか| 日本風に味つけされた仏教に変わっていった。五来はこれに、下部構造の、あるいは庶民(常民)の仏教と名づけた([8]、p.128)。日本古来の他界| 黄泉と常世| についても、仏教本来の地獄・極楽を取り入れて得られたものを民衆(下部構造)の地獄・極楽と呼ぶことにしよう(これらの用語はすでに使ってきた)。
日本古来の黄泉(よみ=やみ)は暗黒世界だが、伊邪那美神をみてもわかるように、罪を犯したから堕ちるとか、そこで罰を受けるといった絶対悪の面はない。常世も絶対善の世界ではない。とはいうものの、黄泉は陰で常世は陽、前者が地獄に後者が極楽(あるいは浄土)に変化したとて不思議でない。
偽経
こうして生まれた民衆の仏教は、当然のことながら、正規の仏典に準拠していない。いうなれば根無し草である。これを権威づけるために、あるいは正当化するために、経典が作られた。偽経という。偽経は、それまでに流通していた`仏教' を整理してできあがったものだが、一旦できれば、それが新しい基盤を与えることとなった。こうした偽経には、『発心因縁十王経』(あるいは単に『十王経』、[8]、p.135)がある。この偽経には、中国の信仰の基礎となった『預修十王生七経』という原典がある(同、p.144)。
落語『地獄八景亡者の戯れ』([9]、p.65〜)
ちょっと一休みして、上方落語『地獄八景亡者の戯れ』16を見てみよう。この落語には、多くの日本人にとって馴染みの地獄が描かれている。その一節 −
若旦那「わたしゃ娑婆にいてた時分に、地獄極楽の絵を見たことがあんのやがナ。三途の川とか、そうずの川というのがあって、その傍に柳の木が立ってんね。その木の下に、三途の川の婆アとか、三途川しょうずかの婆アとかいうお婆ンがいてナ、この、亡者の着物をはぎとるということを聞いてんね。…(後略)…
(なぜか)三途川の婆アはいなかった。亡者たちは三途の川を船で渡り、道が6 つに分岐する六道の辻に出た。念仏町というところで念仏を買い(「結構な念仏を買うて行たら、少々の罪は助かる17、いうねン。」)、閻魔の庁に向かった18。閻魔の庁の正面に行くと、
……(あたりが)静まりますというと、奥の方から罪人を責める音がかすウーかに聞こえてくる。…(中略)…。
薄暗いなかにキラキラ光っとオりますのが浄玻璃の鏡。前に、見る目、嗅ぐ鼻、善悪の首。罪の重さを調べる秤かんかんが置いてございましてナ。横手の方には紙の橋、舌を抜く釘抜き、攻め道具が並んで…(以下略)…。
その後、全亡者中、地獄に堕とされた4名ーー 医者、軽業師、山伏、歯抜師が、行った先々での責め苦、熱湯の釜、針山と人呑鬼を、各人の特技で切り抜けるというお話ーー。
4.1 山中他界と地獄| 地獄はどこにあるのか
日本人は、他界として、空間(場所)としては海中や月や山中など、世界としては黄泉と常世などを考えてきた。黄泉と常世は地獄と極楽に吸収されたが、すでに注意したとおり、黄泉が地獄に、常世が極楽になったというわけではない。| というか、黄泉と常世、地獄と極楽は直に対応していないのである。
平安中期以降、八寒・八熱の地獄は重要視されなくなった。残ったのは孤地獄| 八寒・八熱の地獄とは別に孤立して、どこにでもあるとされた、民衆仏教と相性のよい地獄で、辺地獄ともよばれ([1]、p.221)、この世の地獄と恐れられた。石田は「…この種の地獄は山、または火山と密接に関係している。」として、例として立山地獄をはじめとする山中地獄をあげる。
極楽もまた曼荼羅図や来迎図などに見るとおり、山中にあり、地獄に隣接して並び描かれている。地獄も地底深くでなく、極楽も十万億土という遠方でない。身近なところにあるとされた。
善光寺の……内内陣にあたる瑠璃壇の地下道は地獄である。……瑠璃壇を極楽世界として、そのすぐ足元の地下に地獄がある……([8]、p.30)。
4.2 地獄と救済
すでに述べたように、インド伝来の正規の地獄では、ひとたび罪を得て地獄に堕ちれば、罪を消し罰を免れることはできなかった19。それに対して、民衆仏教(下部構造)の地獄は、さまざまの滅罪・救済の方法がある。五来は、「山岳宗教の法華経は、その内容や思想に地獄救済の力があるのではなくて、法華経の読誦にともなう苦行に滅罪の力があると信じられた。また地獄に堕ちるのは罪業という因の果であるから、苦行による法華滅罪で、地獄から得脱できる。」と書く([8]、pp.26{7)。
救済の物語
救済と、救済の一種といいうる代受苦(亡者に代わって責め苦を受けること)の物語の代表的なものの1 つが『今昔物語集3 巻』、第14、第七20である。「昔から伝えるには、日本国の人、罪を造れば多く立山の地獄に堕ちるという。」([6]、p.245)。
代受苦 立山に詣でた修行僧が、出会った小女に対し問うには、「君、地獄に堕ちて苦を受くと云ふに、如此く心に任せて出来いできたる事、何いかに」と。女の云く、「今日は十八日、観音の御縁日也。我れ生たりし時、観音に仕つかまつらむと思…」ったが、遂げないで死んでしまった。「然れども、十八日に只一度精進して観音を念じ奉たりし故に、毎月の十八日に観音此の地獄に来給て、一日人夜我れに代て苦を受け給ふ也。」とある。
救済 このとき、女人は僧に「死んでこの地獄に堕ち、苦しみを受けています。このことを父母に伝え、私のために法華経を書写し、供養してください。……」と頼んだ。僧はいわれたとおり近江国の両親に会って娘の語を伝えた。そして供養がなされた結果、女人は利とうり天宮に転生できた(はりっしん偏に刀)、と伝える([6]、p.245)。
救済の話はさらに多い。『日本霊異記(上)』、p.180〜には、2 頁で紹介した膳臣かしわでのおみ広国の父親の救済の話が載っている。そこでは、父は「汝、忽に我が為に仏を造り経を写し、罪の苦を購へ。慎々ゆめゆめ、忘るること莫なかれ。」とある。また、米1 升を布施す
れば(地獄での)30 日の糧となり、衣服1 具を布施すれば1 年分の衣服となる、とも書かれている。広国はこれらを実行する。
4.3 民衆の地獄の歴史
下部構造の仏教や地獄は、庶民の仏教・地獄なので、とくに初期のものは、記録として多くは残っていない(のではないかと思う)。
最も早いのが『日本霊異記』(822?年)に出てくる話| 1 つは歩いていける範囲にある地獄、もう1 つは現世に存する地獄| だろうか。地獄は地下でなく、歩いていける場所、ないし現世に存するものとされている。すでに紹介した「越中立山の女人」も相当早い。
大角、『浄土三部経と地獄・極楽の事典』[6] によれば、平安末期、『地蔵十王経21』という経典が日本で編まれた。この経典には三途の川や地獄の地蔵菩薩のことなど、『往生要集』の地獄にないことが説かれている。……日本人の冥途(冥土への旅)と地獄のイメージをつくった(p.249)。あとで紹介する日本風の曼荼羅や来迎図が現れるのもこの時期である。
5 浄土と極楽
われわれは何となく極楽浄土と言いならわしているが、極楽と浄土とは基本的に別物である。
それぞれの仏が国をもつ。それを浄土という。したがって仏教的浄土は仏の数だけある。弥勒仏の浄土(兜率天)、観音菩薩の補陀落浄土、薬師仏の浄瑠璃浄土、釈迦仏の霊山りょうぜん浄土、また毘廬遮那仏のすむという蓮華蔵世界など、…(中略)…阿弥陀仏の極楽浄土……、と玄侑は解説する([7]、p.62)。大日如来の浄土を密厳国という。(p.289)
『大日本国法華験記』、第83 話の源信伝によると、源信は弥勒浄土(兜率天とそつてん)からの迎えを断って極楽に往生したという。(大角[6]、p.212)
「インドの浄土教が日本に入ってきたとき、当時の日本人は、浄土は西の方に存在するということは受け入れたんです。しかし、十万億土の彼方に存在するという考え方、 | これは受け入れられなかった(山折[15]、p.142)。
親鸞は浄土を2 つ| 真(真実)仏土と化仏土| に分けた(梅原[4]、p.93 以降)。真仏土は他力の信者が行く極楽で、「しかし自力の人、たとえ念仏行者であっても、自分の行や善根で極楽へ行こうと思っている人は、そういう真仏土には行けない。彼らは化仏土に行く。」化仏土は、「同じ極楽でも辺地であり、深い精神の喜びのないところだという。」(p.95)。
5.1 マンダラと来迎図
以下、山折[15] による。
マンダラ
マンダラの発端について:「世界の中、宇宙の中で、自分自身をどのように位置づけるかという問題について、たとえばインド人は曼荼羅(マンダラ)にもとづく世界観を考え出しました。その発端はすでに紀元前後のころから、ヒンズー教徒の間で話題にされていた。」という。空海は中国から「胎蔵界曼荼羅」や「金剛界曼荼羅」を持ち帰った、という([15]、p.170)。
ところが、「平安時代の末期にいたって、日本人はまったく別個の日本風のマンダラをつくるようになった」(pp.172{3)。「春日曼荼羅」とか「熊野那智曼荼羅」などがそうである。「日本人が描いた、仏菩薩の世界を図形化したマンダラ図は、…(中略)…大きな正方形の画面の真ん中で中心を占めているのが山岳という図柄になっている。つまり山が主人公なのです。」(p.172)
五来は、立山曼荼羅絵について、「立山連峯の景観を背景にして、明るく清明な地獄図である。しかもこの地獄の中に地蔵菩薩が立っていて、「賽の河原」で石を積む子どもの亡者に話しかけており、「血の池」には離苦解脱の「血盆経」が投げ込まれている。このように地獄救済が並行しておこなわれるのは、庶民仏教の地獄の大きな特色であろう。」([8]、p.132)。
来迎図
平安時代の中期10{11 世紀22ごろになると阿弥陀如来来迎図という仏教絵画がつくられるようになった(山折[15]、p.144)。
「まず思い浮かぶのは、これらの「来迎図」のほとんどが山岳を背景にしてイメージされているということである。阿弥陀如来は多くの菩薩をしたがえて雲に乗り、山の斜面を地上の降りてくる。…(略)…。見方によっては、「来迎図」の真の主題は、山を降りてくる阿弥陀如来、というように要約できるほどである…」(山折[15]、p.101)。
山越弥陀図はいうまでもなく、弥陀聖衆しょうじゅが山の彼方の浄土から峠を越えて往生者のいる人里に近づいて来る図である([8]、p.48)。
6 この世からあの世へ
ひとが死ぬとその霊魂はあの世に行く。霊魂はどのようにあの世に行くのだろうか。
ある人が死んだとき、残された遺族は心の整理をするために一定期間の時間を必要とする。その時間は、遺族の都合ではなく死者のあの世への足どりとして説明される。
たとえば、すでに紹介した(2 ページ)ように、死んだ直後の荒霊は、山で一定期間すごすことで鎮まり和霊になる。さらに長期にわたって山中に居ることで子孫を守る祖霊神になる(玄侑[7]、pp.53-4)。荒霊が和霊になるまでの期間はたぶん49 日だったろう。これは日本古来の考えだと思う。五来によれば、四十九日間は魂は「屋の棟を離れぬ」などという([8]、p.20)。
仏教が入ってくると、この期間に仏教的な意味づけが与えられるようになった。上の「一定期間」は中有あるいは中陰といわれる。中有は死後、浄土または現世に生まれ変わるまでの期間とされる。中陰が明けると、忌明け詣でをしたという(同、p.47)。『十王経』によれば、10 人の尊者がおり、初七日から七七日までと百箇日1 周忌と3 回忌の節々で死者を裁く、とされる。
死者がたどる冥途の道筋を、五来[8] によって見てみよう。ここには、(残念ながら)落語に見た六道の辻や閻魔の庁は出てこない。また賽の河原も血の池地獄も出てこない。
三途川 死んだひとがまず行き着くのが三途川である。前述の『預修十王生七経』によれば、初七日までの亡人を中陰といって、(十王の1 人)初江王に捕らえられており、まだ奈河津を渡っていない。が、二七日の亡人は渡るとされている([8]、p.144)。ここで、奈河津は三途川である。
奪衣婆と懸衣翁 三途川の向こう岸に大樹(衣領樹)があって、その根元に夫婦の官獄司・奪衣婆と懸衣翁がいて、婆は亡者の衣を剥ぎ、翁はそれを衣領樹の枝に掛ける(同、pp.136-7)。
死出の山 平安時代には、これが地獄の入り口にある山で、葬頭河をわたった死者は、この山を超えて地獄に入るとかんがえられるようになった(同、p.152)。
五来は、死出の山は幣の山ではないか、という。『日本霊異記』、下巻、第5 に出てくる信天原しではら山寺の信天原山は死出の山だろう、ともいう(同、p.151)。五来は、「三尺の杖に幣をつけて忌明け詣に上げるのを見たことがある、と書く。「幣の山から死出の山が出たとすれば、これは仏教以前の山中他界である。」(p.152)。
6.1 三途川
三途川いろんなものが重ねて投影されている。葬頭河そうづかあるいは精進川がその1 つである。これらはショウジン→ショウジ→ソウジ→ソウズと転訛したと考えられ、同一とみてよい([8]、p.138)。恐山の「山上の宇曽利山湖の水が流れ下る川が正津川である。山上では三途川なので、サンヅもショウズももとはおなじだったことがわかる。」(同、p.143)。中国風には奈河津とよばれた(同、p.144)。
三途川は「この世」と「あの世」の堺である(同、p.137)。
精進川 の働きは禊ぎである。この世の人間にとって死は穢れである。たとえば、記紀には「伊弉諾尊が黄泉国から帰ったとき、日向の小戸の檍原あはぎはらでの禊除に、「上瀬は是れ太だ疾し。下瀬は是れ太だ弱しとのたまひて、便ち中瀬に濯ぎたまひき」とある」(同、p.138)。最近まで、葬送を終えて墓地から村へ帰るとき、墓地と村を堺する精進川で手を洗ったり、足を水に漬けたりする習俗があったという(同、p.138)。
一方、「死者の霊魂の立場からみれば、この世こそ穢土であり、あの世は報上または浄土であった。したがって穢土の罪穢をもったまま、あの世へは入れない。それで死者は死者で、三途川(葬頭河)でミソギをしなければならなかった、と私はかんがえる。」(同、p.144)。「三途川の向う岸に奪衣婆(葬頭河の婆さん)をおいた理由は、罪と穢れの滅罪と禊祓を求める必然性からであった…。」(p.145)。
三瀬川 三途川は三瀬川ともよばれる。上の落語では亡者たちは渡し船で三途の川を渡ったが、『十王経』には、「渡る所三あり。一は山水瀬。二は江の深淵。三は橋渡。」とある(p.136)。上述の伊弉諾尊の禊除の場面でも、上瀬、下瀬、中瀬とあった。
6.2 地獄と極楽
すでに書いた(5 頁)ことだが、日本には古来、地獄はなかった、否、地獄のみならず極楽もなかった|と私は考えている。死後に行くのは、黄泉と常世で、常世にはまだ浄土的な感じはあるけれども、黄泉に地獄的な感じは全くない。
実際、記紀において伊邪那美命は黄泉国に行ったが、彼女が犯した(かもしれない)罪業の故でもなく、黄泉国で地獄の責め苦にあったとも書かれていない。少毘古那神と若御毛沼命らは常世国に行ったが、その国で幸せになったとは書かれていない。常世国はのちに理想郷という意味合いが加わったが、元来は、すでに2.1 節で紹介したとおり、「あらゆる点で生活環境の異なる地の意」でしかなかった。
本当に、上古に地獄・極楽がなかったとしたら、後の時代に地獄・極楽があるのは仏教がもたらしたからにちがいない。
さて、正規の仏教では、地獄は閻浮提えんぶだい(この世、あるいは世界)の地下にあり、極楽は西方十万億土にある(ことになっている)。
それに対し、民衆の地獄・極楽観では、上の落語で、「地獄ちゅうたらどこにおます」と問われて、「ま、極楽の隣りやろかい」「ホナ、極楽は」「地獄の隣り」というやりとりに見るとおり、ごくごく近接して存在する。「日本人の他界観では、地獄と極楽は地続きで隣合わせなのである。」([8]、p.29)。
もっというならば、民衆の地獄・極楽は「地続きで隣合わせ」というよりも、同じ場所(空間)が、条件あるいは状態に応じて地獄になったり極楽になったりする。以下の「擬死再生儀式と地獄・極楽」の項をご覧いただければ一目瞭然である。
滅罪生善往生善処
民衆仏教にあっては、楽土とは罪穢のない清浄な世界をいい、「日本人は、このような清浄な世界に入るには、苦行や禊のような宗教的実践によって罪穢を滅除しなければならないと信じていた。」([8]、pp.40-1)。
少し前まで、死者に向かって「滅罪生善往生善処」と声を掛ける風習をもつ地方があったという。この世でたまった穢れ(ないし罪業)を祓って「善処」に生まれかわるよう、との思いだったようである([8])。
擬死再生儀式
五来は擬死再生儀式と名づけるものを、白山行事23を例に、以下のように説明する:
白山中宮の石微白いとしろ(岐阜県白鳥町)や尾添おぞう(石川県尾口村)で川をはさんで橋をかけ、山側を極楽浄土とし村側を娑婆として、死装束で布橋をわたって浄土入りする…中略…浄土堂にあたるお堂で十念をうけ説教を聞いて再生し、再び娑婆へ帰ったらしい([8]、p.80)。
これは逆修ぎゃくしゅという儀礼に相当するもので、生きているあいだに一旦死んだことにして葬式供養をおこない、それから再生すれば、一切の罪穢は消滅して、健康で長生きするばかりでなく、死ね倍往生疑いなしという信仰であった(同、p.44)。
擬死再生儀式と地獄・極楽 このような儀礼をおこなうために造られた浄土(四角または円錐形に杉の葉で仮設された建物)を「山」とよび、その内部に地獄
や極楽の絵をかけて、絵解きがなされたという。「同じ空間が地獄の絵解きをするときは地獄であり、極楽の絵解きをするときは極楽になったのである。要するにそれは他界(あの世)であって、地獄即極楽という構造であった(同、p.45)。
「山に登ることが地獄の責め苦をはたして極楽に入ることであった。」(同、p.81)
7 地獄はいつから?
私がこの問題に頭を突っ込むことになったのは、『往生要集』以前の日本人の地獄についての関心や知識がどのようなものであるかを知りたかったことにある。これに対するヒントの1 つが『日本霊異記』24にある(ように思う)。
『日本霊異記』と地獄
五来の『日本人の地獄と極楽』[8] には、僧智光が地獄に連行された話(中・第7)や卵を煮て食べた男が麦畑で火に焼かれる話(中・第10)などが紹介されている。前者では「阿鼻地獄」、後者では「灰河けが地獄」の名が見える。『往生要集』の前に、すでに日本人が地獄を知っていたのは確かである。……でも、私はこういうことになると、いささかしつこいんです。『日本霊異記』[11] に目を通さねばなるまい、と思った。
実際に目を通し、メモをとってみると、地獄に行っ(て戻っ)た人の話が7 件25、極楽が、閻羅王の使いが2 件、夢で地獄を見たのが1 件26、全部で11 件あった。このほか下巻の序で景戒は極楽に言及している。
なおもていねいに眺めていると、題に「冥界みょうかいに至る」とか「冥界より還る」といった表現があるのに気がついた。なるほど、『霊異記』の段階では、あの世を冥界と呼んだんだな…と。ところがさらにしつこく眺めていて、それらの表現がすべて副題におけるものと気がついた。『霊異記』の題(本題)は、すべて「(なんとかかんとか)せし縁第**」である。本題には冥界も閻羅王も出てこない。私が参照したのは全3 巻の講談社学術文庫[11] である。ところが、冥界などの表記をもつ副題は小学館(中田祝夫校注・訳、1995 年)の原文にはなかった(文庫版のサービスだった、ということだ)。
副題を除くと、本文には地獄も冥界も極楽もほとんど出てこない。中巻第7 話では、召し出された僧智光が熱気に遭い、「何ぞ是く熱き」と問うと、案内の使いは、「汝を煎らむが為の地獄の熱気なり」と答えたという([11]、(中)、p.81)。同様の情況で阿鼻地獄の名も出てくる(同、p.82)。
これ以外の多くの例は景戒の注釈の中に現れる(同、p.104、p.156)ぐらいなものである。
以上を要するに、景戒の時代(9 世紀初頭)には、地獄(と極楽)についての知識はあっても、地獄や極楽という語は人口に膾炙していなかった、ということであろう。
8 おわりに
地獄・極楽について学ぼうと考えたとき、市立図書館でまず借り出したのは、大角の『浄土三部経と地獄・極楽の事典』[6] と石田の『日本人と地獄』[1] の2 冊だった。とくに前者は入門の書としてふさわしかろうと、まず読んだ。いかにも「事典」らしく、何でも載っていた。
その後に借りたのが五来の書『日本人の地獄と極楽』[8] である。この書は、本小論でいう「民衆(下部構造)の地獄・極楽」に焦点を合わせていた。この点で、上記2 書とは違っており、初めて地獄・極楽についてわかった気になった。
現在私が考えているのは、6.2 節で触れたように、上古日本人には地獄も極楽もなかったのではないか、ということである。残念ながら、一朝一夕に片づく問題ではない。

1 2014 年8 月4 日、富山市まる十さんで。
2 恵心えしん院の僧都で恵心僧都と尊称される。『源氏物語』の「横川の僧都」のモデルといわれる。
3 諸橋轍次、『大漢和辞典』、巻12 および巻4。
4 あの藤原道長(1025 年死去)の墓の位置がはっきりしない。このことを考え合わせると、もう少し時代が下るのではないか。
5 挽歌というのは万葉集に独特のもので、古今集にも新古今集にもない。
6 何で読んだか書き留めておかなかった| しまった!
7 無我説については、同書のp.89 以下をご覧いただきたい。私の説明能力を超えるので…。
8 平凡社『世界大百科事典13』.1981。
9 英語のheaven には大空・天空という意味とともに天国という意味がある。だが地獄= hell には地下・地底という意味はないようである。
10 紀元前4 世紀から前1 世紀頃までに徐々に成立。
11 100〜150 年ごろに、カシミール地方で集成されたと推定されている。
12 1踰繕那は7ないし9マイルだそうだから、4万踰繕那はおよそ50 万km にあたる。地球の半径6378km と比較してみられたし。
13 記述はないが、1000 由旬だろうと思われる。
14 あの世に行ってきたという「体験談」は『日本霊異記』などで多く見られるが、少なくとも地底に降りたという記述はない。
15 宇宙誕生以来の歴史137 億年の1 万倍以上である。
16 この落語は人間国宝、桂米朝師によって発掘されたという。
17 民衆仏教の救済の1 例である。
18 「死出の山」は出てこない。
19 できないとは書いていないが、地球ないし宇宙の寿命どころでない時間を必要とする。
20 池上洵一校注、『新日本古典文学大系35 今昔物語集3』、岩波書店、1993。巻第14、「修行僧、至越中立山会小女語第七」、pp.299-301。この物語は、もともとは僧鎮源の『大日本国法華験記』(1041年)の第124 話「越中立山の女人」だが、『今昔物語集』再録?された。『法華験記』富山市立図書館には蔵書がなく、未確認。
21 正確には『地蔵菩薩発心因縁十王経』という。偽経の項(6 頁)で紹介した『発心因縁十王経』と同じものらしい。
22 p.196、p.273 には11{12 世紀とあるが。
23 このようにして復元されたもの〔「白山行事」〕から、私は、これも明治維新で絶えた立山の「布橋大灌頂」の諸記録とを合せて、白山の行事が立山に伝わったものと断定している([8]、p.81)。
24 『往生要集』は985 年、『日本霊異記』は822?年である。
25 上・30(黄泉)、中・5、7、16、19、下・9、22。
26 順に、上・5;中・24、25;下・16。
参考文献
[1] 石田瑞麿、日本人と地獄、春秋社、1998
[2] 伊藤博訳注、万葉集1、2、角川ソフィア文庫、2009
[3] 宇治田孟、日本書紀、講談社学術文庫、1988
[4] 梅原猛、地獄の思想、中公新書、1967
[5] 梅原猛、古事記、学研文庫、2001
[6] 大角修、浄土三部経と地獄・極楽の事典、春秋社、2013
[7] 玄侑宗久、死んだらどうなるの?、ちくまプリマー新書、2005
[8] 五来重、日本人の地獄と極楽、吉川弘文館、2013
[9] 佐竹明弘、三田純一編、上方落語上巻、筑摩書房、1969
[10] 次田真幸、古事記、講談社学術文庫、1977
[11] 中田祝男、日本霊異記全訳注、講談社学術文庫、1978、79、80
[12] 宮田登、霊魂の民俗学、洋泉社、2007
[13] 水野佑、日本神話を見直す、学生社、1996
[14] 山折哲雄、仏教とは何か、中公新書、1993
[15] 山折哲雄、日本人と浄土、講談社学術文庫、1995 
 

 

 
往生要集

 

比叡山中、横川(よかわ)の恵心院に隠遁していた源信が、寛和元年(985年)に、浄土教の観点より、多くの仏教の経典や論書などから、極楽往生に関する重要な文章を集めた仏教書で、1部3巻からなる。
死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎を創る。また、この書物で説かれた、地獄・極楽の観念、厭離穢土・欣求浄土の精神は、貴族・庶民らにも普及し、後の文学思想にも大きな影響を与えた。
一方、易行とも言える称名念仏とは別に、瞑想を通じて行う自己の肉体の観想と、それを媒介として阿弥陀仏を色身として観仏する観想念仏という難行について多くの項が割かれている。源信の構想する念仏には観想対象としての仏と、救済するための仏が併存しており、その矛盾的な対立は解消できていない。
また、その末文によっても知られるように、本書が撰述された直後に、北宋台州の居士で周文徳という人物が、本書を持って天台山国清寺に至り、中国の僧俗多数の尊信を受け、会昌の廃仏以来、唐末五代の混乱によって散佚した教法を、中国の地で復活させる機縁となったことが特筆される。
内容
巻上
大文第一 厭離穢土--地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天人の六道を説く。
大文第二 欣求浄土--極楽浄土に生れる十楽を説く。
大文第三 極楽証拠--極楽往生の証拠を書く。
大文第四 正修念仏--浄土往生の道を明らかにする。
巻中
大文第五 助念方法--念仏修行の方法論。
大文第六 別時念仏--臨終の念仏を説く。
巻下
大文第七 念仏利益--念仏を唱えることによる功徳。
大文第八 念仏証拠--念仏を唱えることによる善業。
大文第九 往生諸行--念仏の包容性。
大文第十 問答料簡--何よりも勝れているのが念仏であると説く。
僧侶の系譜
六道の辻
極楽浄土と天国
祟り・御霊
法然
法然は、一見すると天台の教えに沿ったこの書の主眼は、
導和尚云 若能如上念念相続畢命為期者 十即十生 百即百生 若欲捨専修雑業者 百時希得一二 千時希得三五
と善導の『往生礼讃偈』の引用文より、観想念仏から専修念仏へ誘引するための書として重視した。また法然は『選択本願念仏集』において、
往生礼讃云 若能如上念念相続畢命為期者 十即十生 百即百生 何以故 無外雑縁得正念故 与仏本願相応故 不違教故 随順仏語故 若欲捨専修雑業者 百時希得一二 千時希得五三 (中略) 私云 見此文 弥須捨雑修専 豈捨百即百生専修正行 堅執千中無一雑修雑行乎 行者能思量之(訓読)往生礼讃に云く、「もしよく上(かみ)の如く念々相続して、畢命を期とする者は、十は即ち十ながら生じ、百は即ち百ながら生ず。何をもつての故に。外の雑縁なく、正念を得るが故に。仏の本願と相応するが故に。もし専を捨てて雑業(ぞうごう)を修せむと欲する者は、百の時に希(まれ)に一二を得、千の時に希に五三を得。 (中略) 私に云く、この文を見るに、いよいよすべからく雑を捨てて専を修すべし。あに百即百生の専修正行を捨てて、堅く千中無一の雑修雑行を執せむや。行者よくこれを思量せよ。
と、『往生礼讃偈』の同部分を引用し、註釈を加え専修念仏を説いた。
親鸞
法然を師とする親鸞も同様に、当時の貴族の間で流行していた観想念仏の教えを説きつつ、観想念仏を行えない庶民に称名念仏の教えを誘引するための書と受けとめる。この事は、『正信念仏偈』「源信章」・『高僧和讃』「源信大師」における評価から見取ることができる。そのため浄土真宗各派において、『往生要集』は正依の聖教とされる。 
 

 

 
往生要集  (七祖)

 

本書は、諸経論釈の中から往生極楽に関する要文を集め、同信行者の指南の書としたもので、源信和尚43歳から44歳の時にかけて撰述された。
全体は(1)厭離穢土、(2)欣求浄土、(3)極楽証拠、(4)正修念仏、(5)助念方法、(6)別時念仏、(7)念仏利益、(8)念仏証拠、(9)往生諸行、(10)問答料簡という整然とした組織で構成されている。このうち(1)(2)(3)は本書の導入部にあたるもので、(1)六道輪廻の穢土を厭うべきこと、(2)極楽を欣うべきことを説き、(3)その極楽が十方浄土や兜率天よりもすぐれていることを指摘する。(4)以下(9)までは本論にあたる部分である。(4)は念仏を実践する方法を述べた本書の中心部分であり、(5)はその念仏を助成する方法を7項目に分けて示したものである。(6)は特定の日時を限って修める尋常の別行と、臨終念仏の行儀について説いたもの、(7)は念仏の利益を7種あげたものである。(8)は念仏によって往生を得る証拠として経論から10文を示したもの、(9)は念仏以外の諸行について述べたものである。最後の(10)は全体を結ぶもので、上の所論に関連する諸問題を問答形式によって解釈している。
本書は、日本における最初の本格的な浄土教の教義書であり、撰述後まもないころよりひろく流布して、思想面はもとより、文学や芸術面など広範囲に大きな影響を与えた。 
偈 (げ)
仏語。経典中で、詩句の形式をとり、仏徳の賛嘆や教理を述べたもの。四句から成るものが多い。狭義には原始経典を分類した九分教、十二分教などの一つをさすが、広義には経の本文を重ねて韻文で説いた祇夜(ぎや)、偈頌でない散文でも字数が三二字を一節とする首盧迦(しゅろか)なども意味する。伽陀(かだ)。諷誦(ふうじゅ)。偈頌(げじゅ)。孤起頌(こぎじゅ)。  
 
往生要集 上巻 (七祖)

【1】 
それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。 道俗貴賤、たれか帰せざるものあらん。 ただし顕密の教法、その文、一にあらず。 事理の業因、その行これ多し。 利智精進の人は、いまだ難しとなさず。 予がごとき頑魯のもの、あにあへてせんや。 このゆゑに、念仏の一門によりて、いささか経論の要文を集む。 これを披きこれを修するに、覚りやすく行じやすし。
総べて十門あり。 分ちて三巻となす。
一は厭離穢土、二は欣求浄土、三は極楽証拠、四は正修念仏、五は助念方法、六は別時念仏、七は念仏利益、八は念仏証拠、九は往生諸業、十は問答料簡なり。これを座右に置きて、廃忘に備へん。
そもそも、 *極楽ごくらくに往生するための教行は、 濁りはてたこの末の世の目とも足ともなるものである。 僧も俗も、 身分の高いものも低いものも、 誰かこれに従わぬものがあろうか。 しかし、 *顕けん教ぎょうや*密みっ教きょうのみ法のりはその説くところがさまざまであり、 事 (有相の行) や理 (無相の行) に依る業因は、 その行が多い。 それらは智慧がさとく、 努力を怠らぬ人は、 むずかしいと思わないであろうが、 私のような愚かなものは、 どうして進んで修行することができようか。 こういうわけであるから、 念仏の一門に依って、 少しばかり経論の肝要な文を集めた。 これをひもといて、 念仏の行法を修めると、 覚り易く行じ易いことであろう。
この書は総じて十門から成り、 三巻に分けてある。 第一には厭えん離り穢土えど、 第二には欣ごん求ぐ浄じょう土ど、 第三には極楽ごくらく証しょう拠こ、 第四には正しょう修しゅ念仏ねんぶつ、 第五には助念じょねん方法ほうほう、 第六には別べつ時じ念仏ねんぶつ、 第七には念仏ねんぶつ利り益やく、 第八には念仏ねんぶつ証しょう拠こ、 第九には往おう生じょう諸業しょごう、 第十には問答もんどう料りょう簡けんである。 これを手元に置いて忘れないように備えよう。 
第一 厭離穢土
【2】 
大文第一に、厭離穢土といふは、それ三界は安きことなし、もつとも厭離すべし。 いまその相を明かすに、総べて七種あり。 一は地獄、二は餓鬼、三は畜生、四は阿修羅、五は人、六は天、七は総結なり。
大文第一に、 厭離穢土というのは、 ぜんたい迷いの*三界さんがいは安らかなことがなく、 最も厭い離れるべきである。 今、 その有様を明かすと、 総じて七種がある。 一つには*地じ獄ごく、 二つには*餓鬼がき、 三つには*畜ちく生しょう、 四つには*阿あ修しゅ羅ら、 五つには*人にん、 六つには*天てん、 七つには総結である。 
■地獄
【3】 
第一の地獄に、また分ちて八となす。 一は等活、二は黒縄、三は衆合、四は叫喚、五は大叫喚、六は焦熱、七は大焦熱、八は無間なり。
第一には地獄、 これがまた八種に分かれる。 一つには等活とうかつ、 二つには黒こく縄じょう、 三つには衆合しゅごう、 四つには叫きょう喚かん、 五つには大だい叫きょう喚かん、 六つには焦しょう熱ねつ、 七つには大だい焦しょう熱ねつ、 八つには無む間けんである。 
■等活
【4】
初めに等活地獄といふは、この閻浮提の下、一千由旬にあり。縦広一万由旬なり。 このなかの罪人、たがひにつねに害心を懐けり。 もしたまたまあひ見れば、猟者の鹿に逢へるがごとくして、おのおの鉄の爪をもつてたがひに掴み裂く。 血肉すでに尽きて、ただ残骨のみあり。 あるいは獄卒、手に鉄の杖・鉄の棒を執りて、頭より足に至るまで、あまねくみな打ち築くに、身体破砕すること、なほ沙揣のごとし。
あるいはきはめて利き刀をもつて分々に肉を割くこと、廚者の魚肉を屠るがごとし。 涼風来りて吹くに、尋いで活ること故のごとし。 欻然としてまた起きて、前のごとく苦を受く。 あるいはいはく、空中に声ありていはく、「このもろもろの有情、また等しく活るべし、また等しく活るべし」と。 あるいはいはく、獄卒、鉄の叉をもつて地を打ちて、唱へて「活活」といふ。 かくのごとき等の苦、つぶさに述すべからず。 [以上、『智度論』・『瑜伽論』・『諸経要集』によりて、これを撰す。]
人間の五十年をもつて四天王天の一日一夜となして、その寿五百歳なり。 四天王天の寿をもつてこの地獄の一日一夜となして、その寿五百歳なり。 殺生せるもの、このなかに堕つ。 [以上の寿量は『倶舎』(倶舎論)による。 業因は『正法念経』による。
下の六もこれに同じ。]『優婆塞戒経』には、初めの天(四天王天)の一年をもつて初めの地獄(等活地獄)の日夜となせり。 下去これに准へよ。
この地獄の四門のほかに、また十六の眷属の別処あり。 一は屎泥処。 いはく、きはめて熱き屎泥あり。 その味はひ、もつとも苦し。 金剛の嘴ある虫、そのなかに充満せり。 罪人、なかにありてこの熱屎を食らふ。 もろもろの虫、聚集して、一時に競ひ食らふ。 皮を破りて肉を噉らひ、骨を折りて髄を唼ふ。 昔、鹿を殺し鳥を殺せるもの、このなかに堕つ。
二は刀輪処。 いはく、鉄の壁、周匝して、高さ十由旬なり。 猛火熾然として、つねにそのなかに満てり。 人間の火はこれに比ぶれば雪のごとし。 わづかにその身に触るるに、砕くること芥子のごとし。 また熱鉄を雨らすこと、なほ盛りなる雨のごとし。 また刀林あり。 その刃はきはめて利し。 また両刃ありて、雨のごとくして下る。 もろもろの苦、交はり至りて、堪忍すべからず。 昔、物を貪りて殺生せるもの、このなかに堕つ。
三は瓮熟処。 いはく、罪人を執りて鉄の瓮のなかに入れて、煎熟すること豆のごとし。 昔、殺生して煮て食らへるもの、このなかに堕つ。
四は多苦処。 いはく、この地獄に十千億種の無量の楚毒あり。 つぶさに説くべからず。 昔、縄をもつて人を縛り、杖をもつて人を打ち、人を駆りて遠き路を行かしめ、嶮しき処より人を落し、煙を薫べて人を悩まし、小児を怖れしむ。 かくのごとき等の、種々に人を悩ませるもの、みなこのなかに堕つ。
五は闇冥処。 いはく、黒闇の処にありて、つねに闇火のために焼かる。 大力の猛風、金剛山を吹きて、合せ磨り、合せ砕くこと、なほ沙の散らすがごとし。 熱風に吹かるるに、利き刀の割くがごとし。 昔、羊の口・鼻を唵ぎ、二の塼のなかに亀を置きて押し殺せるもの、このなかに堕つ。
六は不喜処。 いはく、大きなる火炎ありて昼夜に焚焼す。 熱炎の嘴ある鳥・狗犬・野干の、その声極悪にしてはなはだ怖畏すべし。 つねに来りて食噉す。 骨肉狼藉たり。 金剛の嘴ある虫、骨のなかに往来して、その髄を食らふ。 昔、貝を吹き、鼓を打ち、畏るべき声をなして鳥獣を殺害せるもの、このなかに堕つ。
七は極苦処。 いはく、嶮岸の下にありて、つねに鉄火のために焼かる。 昔、放逸にして殺生せるもの、このなかに堕つ。 [以上、『正法念経』による。 自余の九処、『経』(同)のなかに説かず。]
はじめに等活地獄というのは、 この世界 (閻浮提) の下、 一千*由ゆ旬じゅんの所にあって、 広さは一万由旬である。 ここにいる罪人は、 互いに絶えず相手を傷つけようとする心をいだいている。 もしふと相手に出会うと、 ちょうど猟師が鹿を見つけたようなもので、 それぞれ鉄の爪で、 互いに掴み裂いて、 血も肉もすっかり無くなってしまい、 ただ骨だけが残っているという有様である。 あるいは地獄の鬼が手に手に鉄の杖や鉄の棒を取って、 頭から足まで、 くまなく皆打ち突くと、 罪人の身体からだは破れ砕けて、 まるで、 ばらばらに散り去る砂のようになってしまう。 あるいは、 非常に鋭い刀で、 ずたずたに肉を切りさくことは、 ちょうど料理人が魚肉を調理するようである。 ところが、 涼しい風が吹いてくると、 それにつれて、 もとのように生きかえり、 あっという間に起きあがって、 前のように苦を受ける。 あるいは、 こう述べてある。 空中に声がして 「この多くの者ども、 もとのように等しく活いきかえれ」 というとも説かれてあるし、 あるいは地獄の鬼が鉄の叉さすまたで地面を打って 「活きかえれ、 活きかえれ」 と唱えるとも説かれている。 このような苦しみは、 詳しく述べることができない。 以上は «智度論» «瑜伽論» «諸経要集» に依って示した。
人間世界の五十年を*四し天王てんのう天てんの一昼夜として、 四天王天の寿命は五百年であるが、 その四天王天の寿命を、 この等活地獄の一昼夜として、 この地獄の罪人の寿命は五百年である。 殺生した者がこの地獄に堕ちる。 以上、 寿命の長さについては «倶舎論» に依り、 地獄に堕ちる業因については «正法念経» に依る。 以下の六つの地獄についても、 これと同様である。 «優婆うば塞そく戒かい経きょう» には、 初天 (四天王天) の一年を初地獄 (等活地獄) の一昼夜としている。 以下もこれに準ずる。
この地獄の四門の外に、 また十六の付属した別処の地獄がある。 一つには屎し泥処でいしょ。 ここには非常に熱い泥のように溶けた糞便があって、 その味は最も苦い。 金剛のように堅い嘴くちばしのある虫が、 その中に充みち満ちている。 罪人が中にいて、 この熱糞を食べると、 多くの虫が集まって、 この罪人を一斉に争って食べる。 皮を破り、 肉を噛み、 骨を砕いて髄を吸うのである。 むかし鹿や鳥を殺した者が、 この中に堕ちる。
二つには刀輪とうりん処しょ。 ここには鉄壁が周囲を取り巻いて、 その高さは十由旬である。 猛火が盛んに燃えて、 絶えずこの中に満ちている。 人間世界の火は、 これに比べると、 まるで雪のようなものである。 この猛火が、 ほんの僅かでも罪人の身体に触れると、 芥子のようにこまかく身体が砕けてしまう。 また熱鉄が豪雨のように降ってくる。 また刀林があって、 その刃は非常に鋭い。 また両刃の剣があって、 雨のように降ってくる。 このように多くの苦しみがかわるがわる来て、 とても辛抱することができない。 むかし物を貪って生物を殺した者が、 この中に堕ちる。
三つには瓮熱おうねつ処しょ。 ここでは、 罪人を捕えて、 鉄の瓮かめの中に入れ、 豆のように煎いり尽くす。 昔、 生物を殺して煮て食べた者が、 この中に堕ちる。
四つには多苦たく処しょ。 この地獄には万億種の無量の苦しみがあって詳しく説くことができない。 むかし縄で人を縛り、 杖で人を打ち、 人を遠い旅路に追い立て、 嶮しいところから人を突き落とし、 煙をくすべて人を悩まし、 子供をおどしたりする、 このような種々に人を悩ました者が、 皆この中に堕ちる。
五つには闇あん冥みょう処しょ。 罪人は暗黒の所にいて、 絶えず闇火に焼かれる。 烈しい猛風が、 金剛山を吹いて、 ちょうど砂を散らすように磨り合わせ砕く。 罪人は鋭い刀で切り割さかれるように、 この熱風に吹かれる。 むかし羊の口と鼻とを塞ぎ、 二枚の瓦の中に亀を置いて押し殺した者が、 この中に堕ちる。
六つには不喜ふき処しょ。 ここには大火炎が昼夜に燃えている。 熱い炎を吐く嘴をもつ鳥や犬・狐がいて、 その声は非常に気味悪く、 はなはだ恐ろしい。 絶えずこれらの動物が来て罪人を噛み食くらうので、 骨や肉が散乱している。 金剛の嘴をもった虫が骨の中を動きまわって、 その髄を食べる。 むかし貝を吹き、 鼓を打ち、 おそろしい声を出して、 鳥獣を殺した者が、 この中に堕ちる。
七つには極ごっ苦く処しょ。 ここの罪人は、 嶮しい崖の下にいて、 絶えず鉄火に焼かれる。 むかし、 ほしいままに生物を殺した者が、 この中に堕ちるのである。 
■黒縄
【5】 
二に黒縄地獄といふは、等活の下にあり。 縦広、前に同じ。 獄卒、罪人を執りて熱鉄の地に臥せて、熱鉄の縄をもつて縦横に身に拼ちて、熱鉄の斧をもつて縄に随ひて切り割く。
あるいは鋸をもつて解き、あるいは刀をもつて屠りて、百千段になして処々に散在す。 また熱鉄の縄を懸けて、交へ横たふること無数なり。
罪人を駆りてそのなかに入れしむるに、悪風暴に吹きて、その身に交絡して、肉を焼き、骨を焦して、楚毒極まりなし。 [以上、『瑜伽』(瑜伽論)・『智度論』。]
また左右に大きなる鉄山あり。 山の上におのおの鉄の幢を建て、幢の頭に鉄の縄を張り、縄の下に多く熱鑊あり。 罪人を駆りて、鉄の山を負はしめ縄の上より行かしめ、はるかに鉄の鑊に落して摧き煮ること極まりなし。 [『観仏三昧経』意。]
等活地獄および十六の別処の、一切のもろもろの苦を十倍してかさねて受く。 獄卒、罪人を呵責していはく、
「心はこれ第一の怨なり。この怨をもつとも悪となす。この怨よく人を縛りて、送りて閻羅の処に到らしむ。なんぢ独り地獄に焼かれて、悪業のために食せらる。妻子・兄弟等の親属も救ふことあたはず」と。{乃至広説}
後の五の地獄は、おのおの、前々の一切の地獄のあらゆるもろもろの苦をもつて十倍して重く受くること、例してこれを知りぬべし。[以上、『正法念経』意。]
人間の一百歳をもつて忉利天の一日一夜となして、その寿一千歳なり。 忉利天の寿をもつて一日夜となして、この地獄の寿一千歳なり。 殺生・偸盗せるもの、このなかに堕つ。
また異処あり。等喚受苦処と名づく。
いはく、嶮しき岸の無量由旬なるに挙げ在きて、熱炎の黒縄をもつて束縛して、繋けをはりて、しかして後にこれを推して、利き鉄の刀の熱地の上に堕す。 鉄の炎の牙ある狗の噉食するところなり。 一切の身分、分々に分離す。 声を唱へて吼喚すれども、救ふものあることなし。 昔、説法せしに悪見の論によりてし、一切不実にして、一切を顧みず、岸に投げて自殺せるもの、このなかに堕つ。 また異処あり。 畏鷲処と名づく。
[ある本、この四字なし。]いはく、獄卒杖を怒らかして急に打ち、昼夜につねに走らしめ、手に火炎の鉄刀を執り、弓を挽き、箭を弩ち、後に随ひて走り逐ひ、斫き打ち、これを射る。 昔、物を貪ぜしがゆゑに人を殺し、人を縛りて食を奪ひしもの、ここに堕つ。 [『正法念経』略抄。]  
二つに、 黒縄地獄は等活地獄の下にあって、 広さは前と同じである。 地獄の鬼が罪人を捕えて熱鉄の地に臥せさせ、 熱鉄の縄で縦横に身体に墨縄を引き、 熱鉄の斧で、 この墨縄の通りに身体を切り割る。 あるいは鋸で引き切り、 あるいは刀で切り刻み、 幾百千の肉片として処々に散らしておく。 また、 熱鉄の縄を懸けて、 無数に交錯させ横たわらせてある。 罪人を追い立てて、 その中に入らせると、 悪風が激しく吹いて、 罪人の身に絡まりあい、 肉を焼き骨を焦して、 その苦しみは極まりがない。 以上は «瑜伽論» «大智度論» に依る。
また左右に大きな鉄山がある。 山の上には、 それぞれ鉄の幢はたを建て、 その先に鉄縄を張り、 縄の下には熱い釜が沢山ある。 罪人を追い立てて、 この鉄山を背負わせ、 縄の上を綱渡りさせ、 はるか下にある鉄の釜に落して、 罪人を砕き煮ること極まりがない。 «観仏三昧経» に依る。
等活地獄と十六の付属した別の地獄のあらゆる苦しみを十倍して重く受けるのである。 地獄の鬼が罪人を責めていう。
「心は第一の怨あだである この怨が最も悪質である この怨がよく人を縛って *閻えん魔ま王おうの所に送りとどける 汝だけが ひとり地獄の火に焼かれ 悪業のために食われる 妻子兄弟などの親族も救うことができない」
と。 なお広く説いている。 後の五つの地獄が、 それぞれその前のすべての地獄のあらゆる苦しみを十倍して重く受けることは、 これを例として知るべきである。 以上は «正法念経» の意である。
人間世界の百年を*忉とう利り天てんの一昼夜として、 忉利天の寿命は千年である。 その忉利天の寿命を黒縄地獄の一昼夜として、 この地獄の寿命は千年である。 生物を殺し、 盗みをした者が、 この地獄に堕ちる。
この地獄にも付属の別処がある。 等喚とうかん受じゅ苦く処しょと名づける。 ここでは高さ無量由旬の嶮しい崖に罪人を挙げておき、 熱い炎に包まれた黒い縄で縛り、 繋ぎ終って、 その後、 罪人を推しやって、 鋭い鉄の刀が立っている熱地の上に突き落とす。 罪人は、 鉄炎の牙のある犬に噛み殺されて食べられ、 身体のすべてはばらばらに分離してしまう。 大声を上げて吼えるように叫んでも、 誰も救ってくれる者はない。 むかし法を説くとき、 まちがった見解の論によって、 すべてが真実でなく、 あらゆる事をかえりみないで、 崖から身を投げて自殺した者が、 この中に堕ちるのである。
また別処がある。 畏い鷲処じゅしょと名づける。 ここでは、 地獄の鬼が、 怒りに任せて激しく杖で罪人を打ち、 昼も夜も、 絶えず走りつづけ、 手には火炎に包まれた鉄刀を持ち、 弓を引き矢をつがえ、 罪人の後につきしたがって走り追い、 切ったり打ったり射たりする。 むかし物を貪るために、 人を殺したり人を縛ったりして食物を奪った者が、 この中に堕ちるのである。 «正法念経» から抜き書きした。 
 

 

■衆合
【6】 
三に衆合地獄といふは、黒縄の下にあり。
縦広、前に同じ。 多く鉄山ありて、両々あひ対へり。 牛頭・馬頭等のもろもろの獄卒、手に器仗を執りて、〔罪人を〕駆りて山のあひだに入らしむ。 この時に両の山、迫め来りて合せ押す。 身体摧け砕け、血流れて地に満つ。
あるいは鉄の山ありて空より落ちて、罪人を打つに、砕くること沙揣のごとし。 あるいは石の上に置きて巌をもつてこれを押す。 あるいは鉄の臼に入れて鉄の杵をもつて擣く。
極悪の獄鬼、ならびに熱鉄の獅子・虎・狼等のもろもろの獣、烏・鷲等の鳥、競ひ来りて食噉す。 [『瑜伽』(瑜伽論)・『大論』(大智度論)。]また鉄炎の嘴ある鷲、その腸を取りをはりて樹の頭に掛け在きて、これを噉食す。
かしこに大きなる河あり。 なかに鉄鉤ありて、みなことごとく火に燃ゆ。 獄卒、罪人を執へて、かの河のなかに擲げて、鉄鉤の上に堕す。 またかの河のなかに熱き赤銅の汁ありて、かの罪人を漂はす。 あるいは身、日のはじめて出づるがごときものあり。 身沈没せること、重き石のごときものあり。
手を挙げて、天に向かひて号哭するものあり。 ともにあひ近づきてしかも号哭するものあり。 久しく大苦を受けて、主もなく、救もなし。 また獄卒、地獄の人を取りて刀葉林に置く。
かの樹の頭を見るに、好き端正にして厳飾の婦女あり。 かくのごとく見をはりて、すなはちかの樹に上れば、樹の葉は刀のごとくして、その身肉を割く。 次にはその筋を割く。
かくのごとく一切の処を劈き割りをはりて、樹に上ることを得をはりて、かの婦女を見れば、また地にあり。 欲の媚たる眼をもつて、上に罪人を看て、かくのごとき言をなさく、「なんぢを念ふ因縁をもつて、われこの処に到れり。 なんぢ、いまなんがゆゑぞ、来りてわれに近づかざる。 なんぞわれを抱かざる」と。
罪人見をはりて、欲心熾盛にして、次第にまた下れば、刀葉、上に向かひて、利きこと剃刀のごとくして、前のごとくあまねく一切の身分を割く。
すでに地に到りをはりぬれば、しかもかの婦女はまた樹の頭にあり。 罪人見をはりて、また樹に上る。 かくのごとく無量百千億歳、自心に誑かされて、かの地獄のなかに、かくのごとく転行し、かくのごとく焼かるること、邪欲を因となす。 乃至、広く説く。
獄卒、罪人を呵責して、偈を説きていはく、
「異人、悪をなして、異人、苦の報を受くるにあらず。みづからの業をもつてみづから果を得。衆生みなかくのごとし」と。[『正法念経』。]
人間の二百歳をもつて夜摩天の一日夜となして、その寿二千歳なり。 かの天の寿をもつてこの獄の一日夜となして、その寿二千歳なり。 殺生・偸盗・邪婬のもの、このなかに堕つ。
この大地獄にまた十六の別処あり。 いはく、一処あり。 悪見処と名づく。 他の児子を取りて、強ひ逼めて邪行して、号哭せしめたるもの、ここに堕ちて苦を受く。 いはく、罪人みづからの児子を見れば、地獄のなかにあり。 獄卒、もしは鉄の杖をもつて、もしは鉄の錐をもつて、その〔児子の〕陰のなかを刺す。 もしは鉄鉤をもつて、その陰のなかに釘つ。
すでにみづからの子のかくのごとき苦事を見て、愛心をもつて悲しみ絶ゆること堪忍すべからず。 この愛心の苦は、火焼の苦においていふに、十六分のなかにその一にも及ばず。 かの人、かくのごとく心の苦に逼められをはりてまた身苦を受く。 いはく、頭面を下に在き、熱き銅の汁を盛りて、その糞門に灌ぐ。
その身内に入るに、その熟臓・大小腸等を焼く。 次第に焼きをはりて、下にありて出づ。 つぶさに身心の二の苦を受くること、無量百千年のなかに止まず。 また別処あり。 多苦悩処と名づく。
いはく、男の、男において邪行を行ぜるもの、ここに堕ちて苦を受く。 いはく、本の男子を見るに、一切の身分、みなことごとく熱炎あり。 来りてその身を抱くに、一切の身分、みなことごとく解散しぬ。 死しをはりてまた活り、きはめて怖畏をなして、走り避れて去るに、嶮しき岸より堕ち、炎の嘴ある烏、炎の口の野干ありて、これを噉食す。
また別処あり。 忍苦処と名づく。 他の婦女を取れるもの、ここに堕ちて苦を受く。 いはく、獄卒これを樹の頭に懸けて、頭面は下にあり、足は上にあり。 下に大きなる炎を燃きて一切の身を焼く。 焼き尽せばまた生じぬ。 唱喚して口を開けば、火口より入りて、その心・肺・生熟臓等を焼く。 余は経に説くがごとし。[以上、『正法念経』よりこれを略抄す。]
三つに衆合地獄は黒縄地獄の下にあって、 広さは同じである。 この地獄には、 鉄山が多くあって、 それぞれ二つずつ向かいあっている。 牛や馬の頭をした多くの地獄の鬼が、 手に手に責め道具を持って、 罪人を追いたてて山の間に入らせる。 この時、 両方の山が罪人に迫ってきて押し合わせると、 罪人の身体は砕け折れ、 血は流れて地面に満ちる。 あるいは鉄山があって空から落ちて罪人を打つと、 砕けてちょうど沙のような有様となる。 あるいは罪人を石の上に置き、 岩で罪人を押しつぶし、 あるいは鉄の臼に入れ、 鉄の杵で擣つく。 極めて恐ろしい地獄の鬼や、 熱鉄の獅子・虎・狼などのいろいろな獣や烏・鷲などの鳥が、 先を争ってやって来て罪人を噛み食くらう。 «瑜伽論» «大智度論» に依って述べる。
また、 鉄炎の嘴のある鷲が、 罪人の腸はらわたを取り出して、 機の頂上に掛けて置いて、 これを食う。 この地獄には大きな河があり、 河の中には鉄の鉤 (つりばり) があって、 皆ことごとく火と燃える。 地獄の鬼は罪人を捕え、 その河の中に投げて、 鉄の鉤の上に堕おとす。 また、 その河の中に熱せられた赤銅の汁があって、 投げ込まれた罪人を漂わせる。 日の初めて出る時のように身体の浮いているものもあるし、 重い石のように沈んでいる者もある。 手を挙げ、 天に向かって叫び泣いている者もあるし、 共に身体を近づけあって泣き叫んでいる者もある。 長い間、 非常な苦しみを受けているのに、 頼りとする者もなければ、 救い手もない。
また、 地獄の鬼が罪人を捕えて刀葉の林に置く。 かの木の頂上を見ると、 みめ麗しく、 きらびやかに装った女がいる。 罪人は、 この女のいる事に気がついて、 すぐさま木に上ると、 木の葉は刀のように罪人の身体の肉を割さき、 次にその筋を割く。 こうして身体のすべての場所を、 ずたずたに切り割いて、 やっと木の上に登ることができて、 かの女を求めると、 もはや地上にいて、 媚こびを湛え、 欲情に満ちた眼差しで、 罪人を見あげながら、 こういう言葉を投げかける。 「わたしはあなたを恋しさのあまり、 ここに来ましたのよ。 なぜ、 今あなたはわたしの傍に来て下さいませんの。 どうしてわたしを抱いて下さらないの」 と。 罪人は、 この女を認めるがはやいか、 欲情は火と燃えあがり、 女の所へと次第に、 ふたたび降りて行くと、 刀葉は上向きになって、 剃刀かみそりのように鋭い。 罪人は前のように、 身体のすべての部分を残す所もなく切り割かれて、 やっと地上に降り立つと、 かの女は、 またもや木の頂上にいる。 罪人は、 これを見ると、 また木に登って行く。 こうして無量百千億年の長い間、 自分の心に欺かれて、 この地獄の中で、 このようにぐるぐるめぐり、 このように焼かれるのである。 これは邪よこしまな欲情がその因である。 なお広く説いてある。 地獄の鬼が罪人を責めたてて、 次のような偈うたを説く。
他人の作った悪事のために お前が苦しみを受けるのではない
自分の作った業のために自分が受ける報いなのだ 世の人々はすべてこの通りである «正法念経» に依る。
人間世界の二百年を*夜摩やま天てんの一昼夜として、 夜摩天の寿命は二千年である。 その夜摩天の寿命を、 この衆合地獄の一昼夜として、 この地獄の寿命は二千年である。 生物を殺し、 盗みをし、 邪な淫欲を犯した者が、 この地獄に堕ちる。
この大地獄には、 また十六の付属した別の地獄がある。 そこに悪見あくけん処しょと名づける一地獄がある。 他人ひとの子供を奪って、 強迫し暴行して、 泣き叫ばせた者が、 ここに堕ちて苦しみを受ける。 その有様をいえば、 罪人は自分の子供が、 地獄の中にいるのを見る。 地獄の鬼は、 鉄の杖や鉄の錐きりで、 その子供の陰部を突き刺し、 あるいは鉄の鉤で、 その子供の陰部に釘うつ。 罪人は、 わが子の、 このような悲惨な有様を見た時、 子供可愛さの心より、 悲しみのあまり気絶して、 堪え忍ぶことができぬ。 この子供を愛する心より起こる苦しみは、 火に焼かれる苦しみと比べると、 火に焼かれる苦しみは、 この苦しみの十六分の一にも及ばぬのである。 罪人は、 このように心の苦しみに責められおわると、 また身体の苦しみを受ける。 その有様は、 頭を下にし、 熱した銅汁を盛って罪人の肛門に注ぎ、 その身の内に入れ、 内臓・大小腸などを焼く。 次第に焼いてしまうと、 下の方から流れ出る。 つぶさに身と心の苦しみを受けて、 無量百千年の長いあいだ止むことがない。
また、 別の地獄がある。 多苦たく悩処のうしょと名づける。 男色を犯した者が、 この地獄に堕ちて苦しみを受けるのである。 その苦しみの有様をいうと、 前世に愛した男を見ると、 身体のすべての個所に、 皆ことごとく熱炎がある。 この炎の男が来て罪人の身を抱くと、 身体のすべての部分が皆ことごとく分解し散乱してしまう。 死んでしまって、 また活いきかえる。 非常な怖れを抱いて、 走り逃げていくと、 嶮しい岸から堕ち、 炎の嘴のある烏や炎の口をもつ狐がやってきて、 罪人を噛み食くらうのである。
また別の地獄がある。 忍にん苦く処しょと名づける。 他人の妻を犯した者が、 この地獄に堕ちて苦しみを受ける。 その苦しみの有様をいうと、 地獄の鬼が罪人を樹の頂上に吊す時、 頭を下にし、 足を上にする。 下には激しい炎を燃やして、 身体のすべての部分を焼く。 焼き尽くすと、 また生きかえる。 苦しさのあまり、 大声で叫ぼうとして口を開くと、 火が口から入って、 心臓・肺臓などの五臓六腑を焼く。 その他の別の地獄については経に説いてある通りである。 以上は正法念経から抜き書きした。 
■叫喚
【7】 
四に叫喚地獄といふは、衆合の下にあり。 縦広、前に同じ。 獄卒の頭、黄なること金のごとし。 眼のなかより火出づ。
赭き色の衣を着たり。 手・足、長大にして、疾く走ること風のごとし。 口より悪声を出して罪人を射る。 罪人惶怖して、頭を叩きて、哀れみを求む。
「願はくは慈愍を垂れて、少し放捨せられよ」と。 この言ありといへども、いよいよ瞋怒を増す。 [『大論』(大智度論)。]あるいは鉄の棒をもつて頭を打ちて熱鉄の地よりして走らしめ、あるいは熱熬に置きて反覆してこれを炙る。
あるいは熱鑊に擲げてこれを煎り煮る。 あるいは駆りて猛炎の鉄の室に入る。 あるいは鉗をもつて口を開きて洋銅を灌ぎて、五臓を焼爛して下よりただに出す。 [『瑜伽』(瑜伽論)・『大論』(大智度論)。]罪人偈を説きて、閻羅人を傷恨していはく、
「なんぢ、なんぞ悲心なき、またなんぞ寂静ならざる。われはこれ悲心の器なり。われにおいてなんぞ悲なき」と。
時に閻羅人、罪人に答へていはく、
「すでに愛の羂のために誑かされて、悪・不善の業をなして、いま悪業の報を受く。なんがゆゑぞわれを瞋り恨むるや」と。
またいはく、
「なんぢ本悪業をなして、欲痴のために誑かされき。かの時になんぞ悔いずして、いま悔ゆること、なんの及ぶところかあらん」と。[『正法念経』。]
人間の四百歳をもつて兜率天の一日夜となして、その寿四千歳なり。 兜率天の寿をもつてこの獄の一日夜となして、寿四千歳なり。 殺・盗・婬・飲酒のもの、このなかに堕つ。
また十六の別処あり。 そのなかに一処あり。 火末虫と名づく。 昔、酒を売りしに、水を加へ益せるもの、このなかに堕つ。 四百四病を具せり。
[風黄冷雑に、おのおの百一の病あり。合して四百四あり。]その一の病の力は、一日夜においてよく四大洲のそこばくの人をしてみな死せしむ。 また身より虫出でて、その皮・肉・骨・髄を破りて飲食す。 また別処あり。 雲火霧と名づく。
昔、酒をもつて人に与へて、酔はしめをはりて、調戯して、これを弄して、かれをして羞恥せしめたるもの、ここに堕ちて苦を受く。 いはく、獄火の満てること厚さ二百肘なり。 獄卒、罪人を捉へて火のなかに行かしめて、足より頭に至るまで一切洋消せしむ。 足を挙ぐれば還りて生じぬ。 かくのごとく無量百千歳、苦を与ふること止まず。 余は経の文のごとし。
また獄卒、罪人を呵嘖して、偈を説きていはく、
「仏の所にして痴をなし、世・出世の事を壊り、解脱を焼くこと火のごとくするは、いはゆる酒の一法なり」と。[『正法念経』。]
四つに叫喚地獄は衆合地獄の下にあり、 広さは前の地獄と同じである。 地獄の鬼の頭は、 金のように黄色で、 目の中から火が燃え出て、 赤色の衣を着ている。 手足は長く大きくて、 風のように早く走る。 口から恐ろしい声を出して、 罪人を射る。 罪人は怖れのあまり、 頭を叩いて、 哀れみを求め、 「どうぞお慈悲を掛けて、 すこしはお許し下さい」 という。 この言葉をいっても、 ますます地獄の鬼は怒りを増す。 «大智度論» に依る。
あるいは鉄棒で頭を打ち、 熱鉄の地を走らせ、 あるいは熱い鍋に入れ、 繰り返して炙あぶり、 あるいは熱した釜に投げこんで煎じ煮る。 あるいは激しく炎が燃える鉄の部屋に追い立てて入らせ、 あるいは鉗かなばさみで罪人の口を開いて、 満ち溢れるばかりに煮えた銅汁を注ぎ、 内臓を焼き爛ただらして、 下から直ちに流れ出る。 «瑜伽論» «大智度論» に依る。
罪人は偈を唱え、 閻魔王に仕える鬼を怨み悲しんでいう。
あなたは何という慈悲の心がないことよ また何と寂静しずけさのないことか
わたくしは慈悲の心の持ち主であるのに わたくしにどうして慈悲を掛けぬのか
すると、 閻魔王に仕える鬼は、 罪人に答えていう。
みずから愛欲の羂わなに欺かれて 善からぬ業わざを作り
いま悪業の報いを受けたのに どうして我を怒り恨むのか
また、 いう。
汝はもと悪業を作り 愚かな欲に欺かれた
そのとき何故悔いなかったのか 今になって後悔してもどうしてまにあおうか «正法念経» に依る。
人間の四百年を*兜と率そつ天てんの一昼夜として、 兜率天の寿命は四千年である。 その兜率天の寿命を、 この地獄の一昼夜として、 この地獄の罪人の寿命は四千年である。 殺生し、 盗み、 邪よこしまな淫欲を犯し酒を飲みなどした者が、 この地獄に堕ちる。
また十六の付属した別の地獄がある。 その中に火か末まつ虫ちゅう処しょと名づける一地獄がある。 むかし酒を売る時に水を加え増した者が、 この中に堕ちて、 四百四病というあらゆる病気に罹る。 地・水・火・風の四大の不調からそれぞれに百一の病が起こる。 合わせて四百四病になる。 その一つの病の力は、 一昼夜のうちに、 *四し天てん下げの若干の人を皆殺すことができる。 また、 罪人の身から虫が出て、 その皮肉骨髄を破って飲み食くらう。
また別の地獄があって、 雲うん火霧かむ処しょと名づける。 むかし酒を人に飲まし、 酔わせてしまってから、 その人を調からかいもてあそんで恥かしめたものが、 この地獄に堕ちて苦を受ける。 その有様は次のようである。 この地獄の火が充満している厚さは、 肘の長さの二百倍である。 地獄の鬼は、 罪人を捉えて、 この火の中を歩かせるので、 罪人の足の先から頭の先まで、 すべて溶けてなくなってしまう。 罪人を取り上げると、 また生きかえる。 このようにして無量百千年という長い間止めどもなく苦を与え続ける。 そのほかの地獄については経文のとおりである。 また、 地獄の鬼は罪人を責めたて、 次のような偈を説く。
仏のみもとで*愚痴ぐちを起こし 世間や仏法の事を破壊し
解脱さとりの智慧を焼くこと火のようなもの それが酒というものである «正法念経» に依る。 
■大叫喚
【8】 
五に大叫喚地獄といふは、叫喚の下にあり。 縦広、前に同じ。 苦の相また同じ。
ただし前の四の地獄、およびもろもろの十六の別処の一切のもろもろの苦を十倍して重く受く。 人間の八百歳をもつて化楽天の一日夜となして、その寿八千歳なり。 かの天の寿をもつてこの獄の一日夜となして、その寿八千歳なり。 殺・盗・婬・飲酒・妄語のもの、このなかに堕つ。 獄卒、罪人を呵嘖して、偈を説きていはく、
「妄語は第一の火なり。なほよく大海をすら焼きてん。いはんや妄語の人を焼くこと、草木薪を焼くがごとし」と。
{云々} また十六の別処あり。 そのなかの一処を受鋒苦と名づく。 熱鉄の利き針、口舌をともに刺して、啼哭することあたはず。 また別処あり。 受無辺苦と名づく。
獄卒、熱鉄の鉗をもつてその舌を抜き出す。 抜きをはりぬればまた生じ、生じぬればすなはちまた抜く。 眼を抜くこともまたしかなり。
また刀をもつてその身を削る。 刀はなはだ薄く利きこと、剃頭刀のごとし。 かくのごとき等の異類のもろもろの苦を受くること、みなこれ妄語の果報なり。 余は経に説くがごとし。[『正法念経』略抄。]
五つに大叫喚地獄は叫喚地獄の下にあって、 広さは前の地獄と同じであり、 罪人の受ける苦しみの有様も同じである。 前に挙げた四つの地獄とそれらの十六の別な地獄におけるすべてのあらゆる苦しみを十倍して重く受ける。
人間の八百年を化楽天の一昼夜として、 *化け楽天らくてんの寿命は八千年である。 その化楽天の寿命をこの地獄の一昼夜として、 この地獄の罪人の寿命は八千年である。 殺生し、 盗み、 邪な淫欲を犯し、 酒を飲み、 嘘をつく者がこの地獄に堕ちる。 地獄の鬼は罪人の前で、 責め立てて次のような偈を説く。
嘘偽りは一番おそろしい火で 大海をすら焼き尽くす まして嘘つきの人を焼くのは 草木の薪を焼くようである
また、 十六の付属した別の地獄がある。 その中に受じゅ鋒苦ぶく処しょと名づける一地獄がある。 罪人は、 熱鉄の鋭い針で、 口も下も共に刺され、 泣き叫ぶこともできない。
また別の地獄がある。 受じゅ無む辺へん苦く処しょと名づける。 地獄の鬼は、 熱鉄の鉗かなばさみで、 罪人の舌を抜き出す。 抜いてしまうと、 舌はまた生え、 生えるとまた抜く。 眼をくり抜くことも同様である。 また、 刀で罪人の身体を削る。 その刀は非常に薄刃で鋭いこと、 ちょうど剃刀のようである。 これらのような違った種類のいろいろの苦しみを受けることは、 すべて嘘をついた報いである。 その他のことは、 経に説いてある通りである。 «正法念経» から抜き出した。 
■焦熱
【9】 
六に焦熱地獄といふは、大叫喚の下にあり。縦広、前に同じ。
獄卒、罪人を捉へて熱鉄の地の上に臥せ、あるいは仰むけ、あるいは覆せて、頭より足に至るまで、大きなる熱鉄の棒をもつて、あるいは打ち、あるいは築きて、肉摶のごとくならしむ。 あるいは極熱の大きなる鉄熬の上に置きて、猛炎をもつてこれを炙る。 左右にこれを転じて、表裏焼薄す。
あるいは大きなる鉄の串をもつて下よりこれを貫き、頭を徹して出し、反覆してこれを炙り、かの有情をして諸根・毛孔、および口のなかにことごとくみな炎起らしむ。 あるいは熱鑊に入れ、あるいは鉄の楼に置くに、鉄火猛盛にして骨髄を徹す。 [『瑜伽』(瑜伽論)・『大論』(大智度論)。]もしこの獄の豆ばかりの火をもつて閻浮提に置かば、一時に焚け尽きなん。
いはんや罪人の身は軟らかなること生蘇のごとし。 長時に焚焼せんに、あに忍ぶべけんや。 この地獄の人は、前の五の地獄の火を望み見ること、なほ雪霜のごとし。[『正法念経』。]人間の千六百歳をもつて他化天の一日夜となして、その寿万六千歳なり。
他化天の寿をもつて日夜となして、この獄の寿またしかなり。 殺・盗・婬・飲酒・妄語・邪見のもの、このなかに堕つ。
四門のほかにまた十六の別処あり。そのなかに一処あり。分荼離迦と名づく。
いはく、かの罪人の一切の身分に、芥子ばかりも火炎なき処なし。 異の地獄の人、かくのごとく説きていはく、「なんぢ、疾くすみやかに来れ。 なんぢ、疾くすみやかに来れ。 ここに分荼離迦の池あり。 水ありて飲みつべし、林に潤影あり」と。 随ひて走り趣くに、道の上に坑あり。 なかに熾りなる火満てり。 罪人入りをはるに、一切の身分みなことごとく焼け尽きぬ。 焼けをはればまた生じ、生じをはればまた焼く。 渇欲息まずして、すなはち前進みて入りぬ。 すでにかの処に入れば、分荼離迦の炎の燃ゆること、高大なること五百由旬なり。
かの火に焼炙せられて、死してまた活る。 もし人、みづから餓死して天に生るることを得ることを望み、また他人を教へて邪見に住せしめたるもの、このなかに堕つ。
また別処あり。 闇火風と名づく。 いはく、かの罪人、悪風に吹かれて、虚空のなかにありて、所依の処なし。 車輪のごとく疾く転じて、身見るべからず。 かくのごとく転じをはるに、異の刀風生じて、身を砕くこと沙のごとくして、十方に分散す。 散じをはればまた生じ、生じをはればまた散ず。 つねにかくのごとし。 もし人、かくのごとき見をなさく、「一切の諸法に、常と無常とあり。 無常といふは身なり。 常といふは四大なり」と。 かの邪見の人、かくのごとき苦を受く。 余は経に説くがごとし。 [『正法念経』。]
六つに焦熱地獄は大叫喚地獄の下にあって、 広さは前の地獄と同じである。 地獄の鬼は罪人を捕えて、 熱鉄の地の上に臥せさせ、 仰むけたり覆うつぶせたりして、 頭から足に至るまで、 大きな熱鉄の棒で、 打ったり突いたりして、 肉団子のようにならせる。 あるいは、 非常に熱した大きな鉄の鍋の上に置き、 激しい炎で罪人を炙あぶり、 左右に罪人を転がし、 背中からも腹の方からも焼いて細らせる。 あるいは、 大きな鉄の串で、 下から罪人を貫き、 頭まで突き通し、 繰り返して在任を炙り、 この人の身体の各部、 毛穴、 口の中に全部炎を起こさせる。 あるいは、 熱鉄の釜に入れ、 あるいは、 熱鉄の楼たかどのに置くと、 鉄火は激しく燃えて、 罪人の骨髄に徹る。 «瑜伽論» «大智度論» に依る。
もし、この地獄の豆ほどの火を、 この世界 (閻浮提) に置くならば、 瞬間にこの世を焼き尽くすであろう。 まして、 罪人の身の軟らかいことは、 今萌え出た草のようである。 それを長らく焼くのであるから、 どうして堪えることができようか。 この地獄の人は、 前の五つの地獄の火を見て、 まるで霜か雪のように冷たいと思う。 «正法念経» に依る。
人間の千六百年を*他化たけ自じ在ざい天てんの一昼夜として、 他化天の寿命は一万六千年である。 その他化天の寿命を一昼夜として、 この地獄の寿命も同様である。 殺生したり、 盗み、 邪よこしまな淫欲を犯し、 酒を飲み、 嘘をつき、 間違った考えをいだく者が、 この中に堕ちる。
この地獄の四門の外に、 また十六の付属した別な地獄がある。 その中に、 分ふん荼離だり迦か処しょと名づける一地獄がある。 その有様をいうと、 かの地獄の罪人の身体中、 芥子つぶほども火炎の無いところはない。 ほかの地獄の人は、 次のように話しかける。
「君よ、 早くおいで、 早くおいで。 ここに分荼離迦の池がある。 飲める水があるよ。 しっとりとした林の木影があるよ。」
罪人が、 その言葉につれて走って、 その場に行くとき、 道のほとりに坹があって、 その中に燃え上がる炎が充満している。 罪人は、 この坹に落ち込むと、 身体のすべてが、 ことごとく焼け尽きてしまう。 焼けてしまうと、 また、 もとどおりになり、 もとどおりになると、 また焼かれる。 それでも分荼離迦池に行こうと欲望に駈られて、 前に進んで池に入る。 さて、 かの池に入ると、 分荼離迦の火炎が、 五百由旬の高さに燃え上がる。 罪人は、 かの炎に焼き炙られ、 死ぬるとまた活きかえる。 もし人が、 みずから餓死して天上界に生まれたいと願い、 また他人に教えて間違った考えを持たせた者は、 この地獄に堕ちる。
また付属した別の地獄がある。 闇あん火か風ふう処しょと名づける。 その有様をいうと、 この地獄の罪人は、 恐ろしい風に吹かれて、 空中に巻き上げられ、 頼る所もない。 車の輪のように早く回転するので、 罪人を見ることができぬ。 このように回転したあと、 別に剣のような風が起こり、 罪人の身体を砕いて砂のようにして、 十方に散らす。 散ってしまうと、 また身体がもとどおりになり、 もとどおりになるとまた散る。 いつもこのようで、 きりがない。 もし人が ªあらゆる物がらには常と無常とがある。 無常というのは身体であり、 常というのは四大であるº というようなまちがった考えを起こすならば、 その人はこのような苦しみを受けるのである。 そのほかは、 経に説く通りである。 
■大焦熱
【10】 
七に大焦熱地獄といふは、焦熱の下にあり。 縦広、前に同じ。 苦の相また同じ。
[『瑜伽』(瑜伽論)・『大論』(大智度論)。]ただし前の六の地獄の根本と別処との一切のもろもろの苦を十倍してつぶさに受く。 つぶさに説くべからず。 その寿、半中劫なり。 殺・盗・婬・飲酒・妄語・邪見、ならびに浄戒の尼を汚せるもの、このなかに堕つ。
この悪業の人は、先づ中有にして大地獄の相を見る。 閻羅人ありて、面に悪き状あり。 手・足きはめて熱くして、身を捩かし、肱を怒らかせり。 罪人これを見て、きはめて大きに恾怖す。 その声、雷吼のごとし。 罪人これを聞きて恐怖さらに増す。 その手に利き刀を執り、腹肚はなはだ大にして、黒雲の色のごとし。 眼の炎は灯のごとく、鉤れる牙、鋒のごとく利し。 臂・手みな長く、揺動して勢ひをなすに、一切の身分、みなことごとく粗起す。 かくのごとき種々の畏づべき形状をもつて、堅く罪人の咽を繋る。
かくのごとくして将て去ること、六十八百千由旬の地海洲城を過ぎて、海の外辺にあり。 また行くこと三十六億由旬にして、漸々に下に向かふこと十億由旬なり。 一切の風のなかには、業風第一なり。 かくのごとき業風、悪業の人を将て去りて、かの処に到らしむ。 すでにかしこに到りをはりぬれば、閻魔羅王、種々に呵責す。 呵責すでに已れば、悪業の羂をもつて縛りて、出して地獄に向かはしむ。 遠く大焦熱地獄のあまねく大きなる炎の燃ゆるを見る。
また地獄の罪人の啼哭の声を聞く。 悲しみ愁へ、恐魄して、無量の苦を受く。 かくのごとく無量百千万億無数の年歳、啼哭の声を聞きて、十倍して恐魄し、心驚き怖畏す。 閻羅人、これを呵責していはく、
「なんぢ地獄の声を聞くに、すでにかくのごとく怖畏す。いかにいはんや地獄にして焼かるることは、乾れたる薪草を焼くがごとし。火の焼くはこれ焼くにあらず。悪業すなはちこれ焼くなり。火の焼くはすなはち滅すべし。業の焼くをば滅すべからず」と。{云々}
かくのごとくねんごろに呵責しをはりて、将て地獄に向かふに、大きなる火聚あり。 その聚、挙れること高さ五百由旬なり。 その量、寛広なること二百由旬なり。 炎の燃ゆること熾盛なるは、かの人の所作の悪業の勢力なり。 急にその身を擲げて、かの火聚に堕すこと、大きなる山の岸より推して険しき岸に在くがごとし。 [以上、『正法念経』よりこれを取意し略抄す。]
この大焦熱地獄の四門のほかに、十六の別処あり。 そのなかに一処あり。 一切間なく、乃至虚空まで、みなことごとく炎燃して、針の孔ばかりも炎燃せざる処なし。 罪人、火のなかに声を発して唱へ喚ぶ。 無量億歳、つねに焼くこと止まず。 清浄の優婆夷を犯せるもの、このなかに堕つ。
また別処あり。 普受一切苦悩と名づく。 いはく、炎刀をもつて一切の身の皮を剥ぎ割きて、その肉をば侵さず。 すでにその皮を剥ぎ、身とあひ連ねて熱の地に敷き在きて、火をもつてこれを焼き、熱鉄の沸けるをもつてその身体に灌ぐ。
かくのごとく無量億歳、大苦を受く。 比丘の、酒をもつて持戒の婦女を誘へ誑かして、その心を壊りをはりて、しかして後に、ともに行じ、あるいは財物を与へたるもの、このなかに堕つ。 余は経に説くがごとし。 [『正法念経』よりこれを略抄す。]  
七つに大焦熱地獄は焦熱地獄の下にあって、 広さは前の地獄と同じであり、 苦しみの有様も同じである。 «大智度論» «瑜伽論» に依る。
けれども、前の六つの根本の地獄とこれに付属する別の地獄とにおけるあらゆるすべての苦しみを十倍して重く受ける。 詳しく説くことはできない。 罪人の寿命は一中劫の半分である。 殺生し、 盗み、 邪な淫欲を犯し、 酒を飲み、 嘘をつき、 間違った考えを起こしたもの、 ならびに浄戒を保っている尼をけがした者が、 この地獄に堕ちる。 この悪業の人は、 まず死んでから、 まだ地獄に至らぬ*中ちゅう有うの間に、 大地獄の有様を見る。 そこには閻魔王に仕える鬼がいて、 恐ろしい顔をし、 手も足もきわめて熱く、 身体をよじて肱ひじを怒らせる。 罪人は、 これを見て非常に恐れる。 その鬼の声はまるで雷がとどろくようで、 これを聞いて、 罪人は更に恐れを増すのである。 その手には鋭い刀を持ち、 腹は非常に大きくて黒雲の色のようである。 炎と燃える眼の色は灯火のようで、 曲った牙は鉾のように鋭い。 臂も手も皆長く、 振り動かして勢いをつけると、 身体のすべての部分が、 皆ことごとく荒々しい姿になる。 そして、 かようないろいろと恐ろしい形相をして、 罪人の咽喉のどをしっかりと捕える。 こうして罪人をつれて行き、 六十八百千億由旬を過ぎると、 地ち海かい州しゅう城が海の外辺にある。 また三十六億由旬を行って、 次第に下に向かうこと十億由旬である。 あらゆる風の中で、 一番激しいのは業風である。 このような業風が悪業の人を連れ去って、 かの所に至る。 さて、 かの所に行き着いてみると、 閻魔王が、 いろいろと罪人を責めたてる。 責めたてられることが終ってしまうと、 悪業の縄で縛られ、 地獄へと出て行く。 遠く遥かに大焦熱地獄の、 みわたす限り大火炎が燃えているのを見る。 また、 地獄の罪人の泣き叫ぶ声を聞く。 罪人は、 これを見聞して、 悲しみ恐れて、 無量の苦しみを受ける。 かようにして、 限りもなく長い年月の間、 地獄の罪人が泣き叫ぶ声を聞くのである。 これを聞いて十倍にも恐れ、 心は驚き慄ふるえる。 閻魔王の手下は、 罪人を責めたてていう。
汝 地獄の苦しみの声を聞いただけで このように恐れおののく まして地獄の火に焼かれることは 乾いた柴を焼くようである 火で焼くといっても実の火が焼くのではなく 悪業が焼くのである 火の焼くのは消すこともできるが 業の焼くのは消すことができない 下略
このように十分に責め苦しめたのち、 地獄に連れて行くと、 大きな炎の集まりがある。 その炎は五百由旬の高さに燃え上がり、 その炎の広さは二百由旬である。 この炎が盛んに燃え上がるのは、 罪人が作った悪業の勢力に依るのである。 地獄の鬼が、 にわかに罪人をかの炎の集まりに投げ下ろすのは、 ちょうど大きな山の崖から押して嶮しい岸につきおとすようなものである。 以上は «正法念経» から抜き書きした。
この大焦熱地獄の四門の外に十六の付属した別の地獄がある。 その中の一地獄は、 少しのすき間もなく、 大空までも、 皆すべて炎が燃えている。 針の穴ほども、 炎が燃えぬ所とてはない。 罪人は、 炎の中で声を出して叫び呼んでも、 無量億年の間、 常に焼かれ続ける。 清浄な信女を犯した者が、 この中に堕ちる。
また別の地獄がある。 普ふ受じゅ一切いっさい苦く悩のうと名づける。 その有様は、 まず炎の刀ですべての身体の皮を剥はぎ割さきながら、 その肉を傷つけないでおく。 さて、 その皮を剥いでしまうと、 身体と列ねて熱地に敷いておき、 火でこれを焼き、 沸き上る熱鉄を罪人の身体に注ぐ。 このように無量億千年の間、 大きな苦しみを受けるのである。 比丘が、 酒を持戒の婦女に飲ませて誘惑し、 その心を迷わしてしまってから、 邪な行いをし、 あるいは金品を与えたりしたような者が、 この地獄に堕ちる。 その他は経の中に説いてある通りである。 «正法念経» から抜き書きした。 
 

 

■阿鼻
【11】 
八に阿鼻地獄といふは、大焦熱の下にあり。 欲界の最底の処なり。
罪人、かしこに趣向する時に、先づ中有の位にして、啼哭して、偈を説きていはく、
「一切はただ火炎なり。空に遍して中間もなし。 四方および四維、地界にも空しきところなし。一切の地界処には、悪人みな遍満せり。われいま帰するところなくして、孤独にして同伴なし。悪処の闇のなかにありて、大きなる火炎の聚に入りぬ。われ虚空のなかにして、日・月・星を見ず」と。{以上}
時に閻羅人、瞋怒の心をもつて答へていはく、
「あるいは増劫あるいは減劫に、大火なんぢが身を焼く。痴人すでに悪をなしてき。いまなにをもつてか悔ゆることをなす。これ天・修羅・健達婆・竜・鬼のするにもあらず。業羅の繋縛するところなり。人のよくなんぢを救ふものなし。大海のなかに、ただ一掬の水を取らんがごとし。この苦は一掬のごとし、後の苦は大海のごとし」と。{以上}
すでに呵責しをはれば、将て地獄に向かふ。 かしこを去ること二万五千由旬にして、かの地獄の啼哭の声を聞きて、十倍して悶絶す。 頭面は下にあり、足は上にありて、二千年を経て、みな下に向かひて行く。 [『正法念経』よりこれを略抄す。]
かの阿鼻城は、縦広八万由旬にして、七重の鉄の城、七層の鉄の網あり。 下に十八の隔ありて、刀林周匝せり。 四角に四の銅の狗あり。 身の長四十由旬なり。 眼は電のごとく、牙は剣のごとく、歯は刀山のごとく、舌は鉄刺のごとし。 一切の毛孔よりみな猛火を出し、その煙臭悪にして世間に喩へなし。 十八の獄卒あり。 頭は羅刹のごとく、口は夜叉のごとし。 六十四の眼ありて、鉄丸を迸り散らす。 鉤れる牙は、上に出でたること高さ四由旬、牙の頭より火流れて阿鼻城に満つ。 頭の上に八の牛頭あり。 一々の牛頭に十八の角ありて、一々の角の頭よりみな猛火を出す。
また七重の城のうちに七の鉄幢あり。 幢の頭より火涌くこと、なほ沸泉のごとし。 その炎、流れ迸りて、また城のうちに満つ。 四門の閫の上に八十の釜あり。 沸銅涌出して、また城のうちに満つ。
一々の隔のあひだに、八万四千の鉄蟒・大蛇ありて、毒を吐き、火を吐きて、身城のうちに満てり。 その蛇の哮え吼ゆること、百千の雷のごとく、大鉄丸を雨らして、また城のうちに満つ。 五百億の虫あり。 八万四千の嘴ありて、嘴の頭より火流れ、雨のごとくして下る。
この虫下る時に、獄火いよいよ盛りにして、あまねく八万四千由旬を照らす。 また八万億千の苦のなかの苦なるもの、このなかに集在せり。 [『観仏三昧経』よりこれを略抄す。]『瑜伽』(瑜伽論)の第四にいはく、「東方の多百瑜繕那の三熱の大鉄地の上より、猛熾の火ありて、焔を騰げて来りて、かの有情を刺す。 皮を穿ちて肉に入り、筋を断ちて骨を破り、またその髄に徹りて、焼くこと脂燭のごとし。
かくのごとく、身を挙りてみな猛焔となりぬ。 東方よりするがごとく、南西北方もまたかくのごとし。 この因縁によりて、かのもろもろの有情、猛焔と和雑して、ただ火聚の、四方より来るを見る。 火焔、和雑し、間隙あることなく、所受の苦痛また間隙なし。 ただ苦に逼められて号き叫ぶ声を聞きて、衆生ありといふことを知る。 また鉄の箕をもつて三熱の鉄の炭を盛り満てて、これを簸り揃へ、また熱鉄の地の上に置きて、大熱鉄の山に登らしむ。 上りてはまた下り、下りてはまた上る。
その口のなかより、その舌を抜き出して、百の鉄の釘をもつて、これを張りて、皺なからしむること、牛の皮を張るがごとし。
またさらに熱鉄の地の上に仰むけ臥せて、熱鉄の鉆をもつて口を鉆みて開かしめ、三熱の鉄丸をもつてその口のなかに置きて、すなはちその口および咽喉を焼き、腑臓を徹して下より出す。 また洋銅をもつてその口に灌ぎて、喉および口を焼き、腑臓を徹して下より流出す」と。 [以上、『瑜伽』(瑜伽論)に、「三熱」といふは、「焼燃・極焼燃・遍極焼燃」なり。]七の大地獄ならびに別処の一切のもろもろの苦を、もつて一分となすに、阿鼻地獄は一千倍して勝れたり。
かくのごとくして、阿鼻地獄の人は、大焦熱地獄の罪人を見ること、他化自在天処を見るがごとし。
四天下処、欲界六天は、地獄の気を聞がば、すなはちみな消え尽きなん。 なにをもつてのゆゑに。 地獄の人はきはめて大きに臭きをもつてのゆゑに。 地獄の臭き気、なんがゆゑぞ来らざる。 二の大山ありて、一は出山と名づけ、二を没山と名づく。 かの臭き気を遮せり。 もし人、一切の地獄のあらゆる苦悩を聞かば、みなことごとく堪へざらん。 これを聞かばすなはち死せん。
かくのごとくなるをもつて、阿鼻大地獄処をば、千分のなかにおいて一分をも説かず。 なにをもつてのゆゑに。 説き尽すべからず、聴くことを得べからず、譬喩すべからざるをもつてなり。 もし人ありて説き、もし人ありて聴かば、かくのごとき人は血を吐きて死せん。 [『正法念経』より、取意略抄す。]この無間獄は寿一中劫なり。 [『倶舎論』。]五逆罪を造り、因果を撥無し、大乗を誹謗し、四重を犯して、虚しく信施を食らへるもの、このなかに堕つ。
[『観仏三昧経』による。] この無間獄の四門のほかに、また十六の眷属の別処あり。 そのなかの一処を鉄野干食処と名づく。 いはく、罪人の身の上に、火の燃えたること十由旬量なり。 もろもろの地獄のなかに、この苦もつとも勝れたり。 また鉄の塼を雨らすこと、盛りなる夏の雨のごとく、身体破砕すること、なほ乾れたる脯のごとし。 炎の牙ある野干、つねに来りて食噉し、一切の時において苦を受くること止まず。 昔、仏像を焼き、僧房を焼き、僧の臥具を焼きしもの、このなかに堕つ。
また別処あり。黒肚処と名づく。
いはく、飢渇身を焼きて、みづからその肉を食らふ。 食らひをはればまた生じ、生じをはればまた食らふ。 黒肚の蛇ありて、かの罪人を繞ひて、はじめ足の甲より漸々に齧み食らふ。 あるいは猛火に入れて焚焼し、あるいは鉄鑊に在きて煎煮す。 無量億歳、かくのごとき苦を受く。 昔、仏の財物を取りて食用せるもの、ここに堕つ。
また別処あり。 雨山聚処と名づく。
いはく、一由旬量の鉄山、上より下りて、かの罪人を打つに、砕くること沙揣のごとし。 砕けをはればまた生じ、生じをはればまた砕く。 また十一の炎ありて、周遍して身を焼く。 また獄卒、刀をもつてあまねく身分を割きて、極熱の白鑞の汁をその割ける処に入る。 四百四病、具足してつねにあり。 長久に苦を受けて年歳あることなし。 昔、辟支仏の食を取りて、みづから食してこれを与へざるもの、ここに堕つ。
また別処あり。 閻婆度処と名づく。 悪鳥あり、身大きなること象のごとし。 名づけて閻婆といふ。 嘴利くして炎を生ぜり。 罪人を執りて、はるかに空中に上りて、東西に遊行し、しかして後にこれを放つに、石の地に堕つるがごとくして、砕けて百分となる。 砕けをはりてはまた合し、合しをはればまた執る。 また利き刃道に満ちて、その足脚を割く。 あるいは炎の歯ある狗ありて、来りてその身を齧む。 長久の時に大苦悩を受く。 昔、人の用ゐる〔河を〕決断して、人をして渇死せしめたるもの、ここに堕つ。
余は経に説くがごとし。 [以上『正法念経』。]『瑜伽』(瑜伽論)の第四に、通じて八大地獄の近辺の別処を説きていはく、「いはく、かの一切のもろもろの大那落迦に、みな四方に四岸・四門ありて、鉄の墻、囲繞せり。 その四方の四門より出でをはりて、その一々の門のほかに四の出園を置けり。 いはく、煻煨ありて膝に斉し。 かのもろもろの有情、出でて舎宅を求めんとして遊行して、ここに至りぬ。 足を下す時には、皮肉および血、ならびにすなはち消爛しぬ。 足を挙ぐれば還りて生ず。 次いでこの煻煨に間なくして、すなはち死屍糞泥あり。 このもろもろの有情、舎宅を求めんがために、かしこより出でをはりて、漸々に遊行して、そのなかに淊ち入りて、首足ともに没しぬ。 また、屍糞泥のうちに、多くもろもろの虫あり。 嬢矩吒と名づく。 皮を穿ちて肉に入り、筋を断ちて骨を破り、髄を取りて食らふ。
次に屍糞泥に間なくして、利き刀剣あり。 刃を仰むけて路となす。 かのもろもろの有情、舎宅を求めんがために、かしこより出でをはりて、遊行してここに至り、足を下す時には、皮・肉・筋・血ことごとくみな消え爛れぬ。 足を挙ぐる時には、また復すること故のごとし。 次に刀剣刃路に間なくして、刃葉林あり。 かのもろもろの有情、舎宅を求めんがために、かしこより出でをはりて、かの陰に往き趣きて、わづかにその下に坐するに、微風つひに起りて刃の葉堕落し、その身の一切の支節を斫截して、すなはち地に躄れぬ。 黒黧の狗ありて、脊・胎を摣掣して、これを噉食す。 この刃葉林より間なくして、鉄設柆末梨林あり。 かのもろもろの有情、舎宅を求めんがために、すなはち来りてこれに趣きて、つひにその上に登る。 まさに登りぬる時には、一切の刺鋒、ことごとく回りて下に向かふ。 下らんと欲する時には、一切の刺鋒、また回りて上に向かふ。 この因縁によりて、その身を貫き刺して、もろもろの支節に遍す。 その時に、すなはち鉄の嘴ある大きなる烏ありて、かの頭の上に上り、あるいはその髆に上りて、眼精を探啄して、しかもこれを噉食す。
鉄設柆末梨林より間なくして、広大なる河あり。 沸きて熱き灰の水、そのなかに弥満せり。 かのもろもろの有情、舎宅を尋ね求めて、かしこより出でをはりて、来りてこのなかに堕ちぬ。 なほ豆をもつてこれを大きなる鑊に置きて、猛く熾りなる火を燃きて、これを煎煮するがごとし。 湯に随ひて騰湧して、周旋して回復す。 河の両の岸に、もろもろの獄卒あり。 手に杖索および大きなる網を執りて、行列して住して、かの有情を遮して出づることを得しめず。 あるいは索をもつて羂け、あるいは網をもつて漉ふ。
また、広大なる熱鉄の地の上に置きて、かの有情を仰むけて、これに問ひていはく、〈なんぢら、いまなんの所須をか欲する〉と。 かくのごとく答へていはく、〈われら、いまつひに覚知することなし。 しかも種々の飢苦のために逼めらる〉と。 時にかの獄卒、すなはち鉄の鉆をもつて口を鉆みて開かしめて、すなはち極熱の焼熱の鉄丸をもつてその口のなかに置く。
余は前に説くがごとし。
もしかれ答へて、〈われいまただ渇苦のために逼めらる〉といへば、その時に、獄卒すなはち洋銅をもつてその口に灌ぐ。 この因縁によりて長時に苦を受く。 乃至、先世に造れるところの一切の、よく那落迦を感じ、悪・不善の業いまだ尽きざれば、いまだこのなかを出でず。 もしは刀剣刃路、もしは刃葉林、もしは鉄設柆末梨林、これを総べて一となす。 ゆゑに四の園あり」と。 [以上は『瑜伽』(瑜伽論)ならびに『倶舎』(倶舎論)の意なり。 一々の地獄の四門のほかにおのおのこの四園あり。 合して十六と名づく。 『正法念経』の、八大地獄の十六の別処の名相の各別なるには同ぜず。]また頞部陀等の八寒地獄あり。 つぶさに経論のごとし。 これを広述するに遑あらず。
八つに阿鼻地獄は、 大焦熱地獄の下、 *欲界よくかいの最も底の所にある。 罪人が、 この地獄に落ちて行く時、 まず、 中有の際に、 泣き叫び、 次のような偈をいう。
あらゆるものはただ炎ばかり 大空あまねく 隙間もない 
四方もまた四維にも 地上にもあいた所がない
地上のあらゆる場所には 悪人がみな遍く満ちている
わたしはいま落着くべき所もなく ただ独りで同伴つれもない
厭わしい暗黒の中にあって 大きな炎のかたまりの中に入る
わたしは虚空の中にあっても 日も月も星も見えぬ
そのとき閻魔王の手下は、 怒りの心で罪人に答えていう。
増劫の時も減劫の時も 大火が汝の身を焼くのだ
愚かな人よ 悪事を作った後に 今になってどうして後悔の心を起こすのか
天や阿修羅や*健達けんだつ婆ばや 龍や鬼のしわざではない
自分の作った業の網に縛られるのだ 汝を救うことのできる者はない
たとえば大海の中にして ただ一掬すくいの水を取るとすれば
汝の今の苦しみは一掬の水であり これから受ける苦しみは大海のようだ
さて、 罪人を責めたててしまうと、 地獄に連れて行くのであるが、 この地獄から二万五千由旬離れた所で、 かの地獄で泣き叫ぶ罪人の声を聞いて、 苦しみは十倍し、 悶絶する。 頭は下にあり、 足は上にあって、 二千年を経る間、 すべて下に向かって落ちて行く。 «正法念経» から抜き書きした。
かの阿鼻城は、 広さ八万由旬である。 七重の鉄城、 七重の鉄網があり、 下に十八の隔へだてがあり、 刀林がその周囲を取りかこんでいる。 四隅に四匹の銅の犬がおり、 身長みのたけは四十由旬である。 その眼はいなずまのごとく、 牙は剣のごとく、 歯は刀の山のごとく、 舌は鉄の刺とげのごとくである。 すべての毛孔から皆猛火を出し、 その烟は臭悪で、 世の中で喩えられるものもない。 十八人の獄卒がいて、 その頭は*羅ら刹せつのごとく、 口は*夜や叉しゃのようである。 六十四の眼があって、 鉄丸をほとばしり散らせる。 鉤になった牙は上に出て、 高さ四由旬である。 牙の先から火が流れ出て、 阿鼻城に満ちみちている。 頭の上には八つの牛頭があり、 一々の牛頭には十八の角があって、 一々の角の先から皆猛火を出す。 また七重の城内には、 七本の鉄の幢はしらがあり、 幢の頭さきから炎が湧き出し、 ちょうど煮えたつ泉のようである。 その炎は迸ほとばしり流れて、 また城内に満ちみちている。 四門の閫しきみの上には八十の釜があり、 煮えたった銅が湧き上り、 また城内に満ちみちている。 一々の隔の間には八万四千の鉄の蟒うわばみや大蛇がいて、 毒を吐き、 火を吐いて、 その身は城内に満ちている。 その蛇のたけり吼えることは、 百千の雷のようで、 大鉄丸を雨ふらせて、 また城内に満ちている。 また五百億の虫がいて、 八万四千の嘴くちばしがあり、 嘴の先から火が流れ出ることが、 雨のようにふりそそぐ。 この虫が下りてくる時、 地獄の火は、 ますます盛んになり、 遍く八万四千由旬を照らす。 また苦しみの中の苦しみ八万億千は集まってこの中にある。 «観仏三昧経» から抜き書きした。
«瑜伽論» の第四にいう。
東方、 数百由旬の三熱の大鉄地の上から、 猛く盛んな火があって炎を挙げて来て、 地獄の人々を刺す。 皮を貫いて肉に入り、 筋を断って骨を破り、 また、 その髄に通り、 蝋燭のように焼く。 このようにして、 体中が皆猛火となる。 東方からの炎のように、 南方・西方・北方からも、 また、 このように炎が迫って来る。 こういうわけで、 かの地獄の人々は、 猛火と混りあって、 ただ炎の塊が四方から来るのを見るだけである。 火炎は混りあって隙間もなく、 受ける苦痛も隙がない。 ただ、 苦しみに迫られて罪人が泣き叫ぶ声を聞いて、 はじめて火炎の中に人のいる事が分るだけである。 また鉄の箕みで三熱の鉄の炭を盛りあげ、 これを焙あぶり揃え、 また、 熱鉄の地の上に置いて、 大熱鉄の山に登らせる。 上ってはまた下り、 下ってはまた上る。 罪人の口から、 その舌を抜き出し、 多くの鉄の釘でうちつけ、 舌を拡げて、 皺のないようにするのはちょうど牛の皮を張るような有様である。 また、 更に熱鉄の地の上に仰むきに寝かせ、 熱鉄の鉗かなばさみで口を挟んで開かせ、 三熱の鉄丸を、 その口の中に入れると、 すぐさまその口・咽喉のどを焼き、 内臓を通って下から出る。 また、 沸き上った銅を、 その口に流し込むと、 咽喉と口とを焼き、 内臓を通って下から流れ出る。 以上は «瑜伽論» に依る。 三熱というのは焼熱と極焼熱と遍極焼熱とである。
前の七つの大地獄とならびにそれに付属した別の地獄のあらゆる苦しみを一分とすると、 阿鼻地獄の苦しみは、 これらに勝ること一千倍である。 こういう次第であるから、 阿鼻地獄の罪人は、 大焦熱地獄の罪人を、 ちょうど他化自在天の楽しい所にいる人のように思う。 四天下の所、 欲界の六天も、 阿鼻地獄の臭気を嗅ぐと、 すぐに、 全部気を失ってしまうであろう。 なぜかというと、 阿鼻地獄の人はきわめて臭いからである。 すれに、 この地獄の臭気が、 どうしてやって来ないかというと、 大きな山が二つあって、 その一つを出しゅっ山せんと名づけ、 その二を没山もっせんと名づけるが、 この山が、 かの臭気をさえぎっているからである。 もし、 人が、 阿鼻地獄にある苦しみのすべてを聞くと、 皆ことごとく堪えられないであろう。 もし、 これを聞くならば、 死ぬであろう。 このようであるから、 阿鼻地獄については、 その千分の一も説かぬのである。 なぜかというと、 説き尽くすこともできぬし、 聞くこともできぬし、 喩えることもできないからである。 もし、 この地獄を説いたり聞いたりする人があるならば、 このような人は血を吐いて死ぬであろう。 «正法念経» から抜き書きした。
この無間地獄の罪人の寿命は一中劫である。 «瑜伽論» に依る。 五逆罪を作り、 因果の道理を否定し、 大乗をそしり、 四重禁を犯し、 いたずらに信者の施し物を受けた者が、 この地獄に堕ちる。 «観仏三昧経» に依る。
この無間地獄の四門の外にも、 また十六の付属した別な地獄がある。 その中の一処を鉄てつ野や干かん食処じきしょと名づける。 その有様は罪人の身体の上に大きさ十由旬の火が燃えており、 いろいろの地獄の中でも、 この苦しみが一番まさっている。 また、 鉄の瓦を激しい夏の雨のように降らし、 罪人の身体は、 ちょうど乾肉のように破れ砕ける。 炎の牙のある狐 (野干) が、 常に来て罪人を噛み食くらい、 どんな時でも、 苦しみを受けることが止まない。 むかし仏像を焼いたり、 僧房を焼いたり、 僧の寝具を焼いた者が、 この中に堕ちる。
また別の地獄があって、 黒こく肚と処しょと名づける。 その有様は、 罪人は飢えと乾きに身を焼いてみずから自分の肉を食う。 食い終るとまた肉がもと通りになり、 もと通りになるとまた食う。 黒い肚をした蛇が、 かの罪人に絡みつき、 足の甲から始めて、 次第次第に噛み食くらう。 あるいは罪人を猛火の中に入れて焼き、 あるいは鉄の釜に入れて煎り煮る。 限りない長い間、 このような苦しみを受ける。 むかし仏に供えた財物を取って、 これを食べ用いた者が、 この中に堕ちる。
また別の地獄があって、 雨う山聚せんじゅ処しょと名づける。 その有様は、 大きさ一由旬の鉄山が上から落ちて、 かの罪人を打つと、 砕けて一握りの砂のようになる。 砕けてしまうと、 またもとどおりになり、 もとどおりになると、 また砕かれる。 また、 十一の炎があり、 罪人の周囲を包んで、 その身を焼く。 また、 地獄の鬼は、 刀で身体の各部分を残りなく割き、 非常に熱い鉛の汁をその裂け目に入れる。 四百四病のすべてが、 いつも起こり、 永久に苦しみを受けて、 何年という期限がない。 むかし縁覚の食事を奪って自分が食べ、 縁覚に与えなかった者が、 この中に堕ちる。
また別の地獄があって、 閻えん婆度ばど処しょと名づける。 像のように身体の大きい猛鳥がいて、 その名を閻えん婆ばという。 嘴は鋭くて炎を吐いている。 この鳥が罪人を捕えて、 遥かに空中に上り、 あちこち飛び回り、 そののち罪人を放すと、 ちょうど石が地上に堕ちたように、 罪人の身体は粉々に砕ける。 砕けてしまうと、 またもとの身体になり、 もとのようになってしまうと、 この鳥がまた罪人を捕えるのである。 また鋭い刃が道に満ちて、 罪人の足を切り割く。 あるいは、 炎の歯のある犬がやって来て、 罪人の身体を噛む。 かくて、 長い間、 大きな苦しみを受ける。 むかし人々が用いている川の流れを断って、 人を渇き死にさせた者が、 ここに堕ちる。 その他は経に説いてあるとおりである。 以上は «正法念経» に依る。
«瑜伽論» の第四には、 八大地獄の近辺にある別の地獄を総括して、 次のようにいってある。
かのいろいろのすべての大地獄には、 皆、 四方に四岸・四門があって、 鉄の垣が周囲を取巻いている。 その四方の四門から出ると、 その一々の門の外には、 四つの外園がある。
まず、 焼けた灰が膝まで積もっている。 地獄の罪人たちが出て、 家を求めて、 あちこち歩き、 ここに至る。 足を下おろす時、 皮も肉も血も、 皆、 すぐさま溶け爛ただれる。 足を上げると、 またもとの通りになる。
次に、 この焼けた灰の続きに屍糞の泥沼がある。 この地獄の罪人たちは、 家を求めるために焼けた灰から出てしまうと、 次第次第にあちこちと歩き、 この中に落ち込んで、 首も足も共に沈んでしまう。 また、 屍糞の泥沼の内には、 いろいろな虫が沢山いて、 嬢にゃん矩≠ュた (娘矩) と名づける。 罪人の皮を貫き肉に食い込み、 筋を切って骨を破り、 髄を取って食べる。 次に屍糞の泥沼の続きに、 鋭い刀の刃を仰むけて道としている所がある。 かの地獄の罪人たちは、 家を求めるために、 屍糞の泥沼から出てしまうと、 あちこち歩き回ってここに至り、 足を下す時に、 皮も肉も筋も血も、 すべて皆、 粉々になって爛れる。 足を挙げる時、 またもとどおりになる。 次に、 刀の刃の道に続いて、 刃の葉の林がある。 かの地獄の罪人たちは、 家を求めて、 刃の道から出てしまうと、 かの林の木陰に行き、 ちょっとでも木の下に坐ると、 微風がすぐ吹き起こって、 刃の葉が落ち、 罪人の身体の節々のすべてを切り裂くので、 罪人は、 たちまちの間に地上に倒れる。 真黒な犬がいて、 背中や腹をつかみ裂いて、 罪人を噛み食くらうのである。
この刃の葉の林に続いて、 鉄の設し柆りゅう末梨まり (とげのある木) の林がある。 かの地獄の多くの罪人たちは、 家を求めて、 さっそく、 ここにやって来て、 とうとうこの林の木の上に登る。 登る際には、 あらゆる刺が、 すべて下に向き、 降りようとする時には、 あらゆる刺が、 また上に向く。 こういうわけで、 罪人の身体を貫き刺しその節々まで行きわたる。 その時、 鉄の嘴のある大きな烏がやって来て、 罪人の頭の上に止まったり、 肩に止まったりして、 目の球を探して啄ついばみ、 これを噛み食くらう。 鉄の設柆末梨の林に続いて、 広く大きな川がある。 煮えたぎる熱い灰の水が、 その中に満ちみちている。 かの地獄の罪人たちは、 家を探し求めて、 鉄の設柆末梨の林から出おわると、 やって来て、 この河の中に落ちる。 ちょうど豆を大きな釜に入れ、 烈しく強い火を燃やして、 この豆をいり煮るようである。 湯が沸き上がるにつれて、 罪人はぐるぐると旋めぐり回る。 川の両岸に、 多くの地獄の鬼がいて、 その手に杖と縄と大きな網とを持ち、 ずらりと並んで立ち、 かの罪人をさえぎって、 出られないようにしてある。 あるいは縄を掛け、 あるいは網で掬う。
また、 広大な熱鉄の地上に罪人を置いて仰むけ、 これに向かって、 「お前達は、 今、 どんな望みがあるか」 と問う。 罪人は 「私たちは、 今はどんなことも感ぜられませんが、 いろいろの飢うえの苦しみに悩まされています」 というように答える。 すると、 かの地獄の鬼は、 すぐに鉄の鉗かなばさみで口を挟んで開かせ、 非常に熱く燃えている鉄丸をその口の中に入れる。 その他は前に述べた通りである。 もし罪人が 「私は、 今、 渇きに苦しめられています」 と答えると、 その時、 地獄の鬼は、 すぐに煮えたぎる銅あかがねを、 その口に注ぎ込む。 こういう次第で、 罪人は、 長い間、 苦しみを受ける。 このようにして、 前世に作ったすべての悪業はよく地獄に堕ちるという報いをうける。 悪業が無くならないあいだは、 この地獄の中から出られない。 ところで、 刀刃の路も刃葉の林も、 鉄の設柆末梨の林も、 これを総括して一つとするから四つの外園があることになるのである。 以上は、 «瑜伽論» と «倶舎論» との意味に依る。 いちいちの地獄は、 四門の外に、 それぞれ四園があるから、 合わせて十六の別の地獄とするのである。 これは、 «正法念経» の八大地獄と十六の別の地獄とが、 名称も有様もそれぞれ違っているのと、 同一ではない。
また、 頞部あぶ陀だなどの八寒地獄がある。 詳しくは、 経・論に説いてある通りである。 今、 これを述べるいとまがない。 
■餓鬼
【12】 
第二に餓鬼道を明かさば、住処に二あり。 一には地の下五百由旬にあり。 閻魔王界なり。 二には人天のあひだにあり。 その相はなはだ多し。 いま少分を明かさん。 あるいは身の長一尺なり。 あるいは身量、人のごとし。 あるいは千踰繕那のごとし。 あるいは雪山のごとし。 [『大集経』。]あるいは鬼あり。 鑊身と名づく。 その身長大にして、人に過ぎたること両倍なり。 面・目あることなく、手・足はなほ鑊の脚のごとし。 熱火なかに満ちて、その身を焚焼す。 昔、財を貪じて屠殺せるもの、この報を受く。 あるいは鬼あり。 食吐と名づく。
その身広大にして、長半由旬なり。 つねに嘔吐を求むるに、困みて得ることあたはず。 昔、あるいは丈夫の、みづから美食を噉らひて妻子に与へず、あるいは婦人の、みづから食らひて夫子に与へざるもの、この報を受く。 あるいは鬼あり。 食気と名づく。
世人の、病によりて、水の辺、林のなかに祭を設くるに、この香気を臭ぎて、もつてみづから活命す。 昔、妻子等の前にして独り美食を噉らへるもの、この報を受く。 あるいは鬼あり。 食法と名づく。 嶮難の処にして馳走して食を求む。 色は黒雲のごとく、涙の流るること雨のごとし。 もし僧寺に至りて、人の呪願し説法することある時は、これによりて力を得て活命す。 昔、名利を貪ぜしがために不浄に説法せしもの、この報を受く。 あるいは鬼あり。 食水と名づく。 飢渇身を焼き、周慞して水を求むるに、困みて得ることあたはず。
長き髪面を覆ひ、目見るところなし。 走りて河の辺に趣きて、もし人、河を渡りて、脚足の下より遺落せる余りの水あれば、速疾に接り取りて、もつてみづから活命す。 あるいは人の、水を掬ひて亡ぜる父母に施するに、すなはち少分を得て、命、存立することを得。 もしみづから水を取れば、水を守るもろもろの鬼、杖をもつて撾打す。 昔、酒を沽るに水を加へ、あるいは蚓・蛾を沈め、善法を修せざるもの、この報を受く。 あるいは鬼あり。 悕望と名づく。
世人の、亡ぜる父母のために祀を設くる時にのみ、得てこれを食らふ。 余をばことごとく食することあたはず。 もし人、労しくして少物を得たるを、誑惑して取り用ゐるもの、この報を受く。 あるいは鬼あり。 海渚のなかに生れたり。 樹林・河水あることなく、その処はなはだ熱し。 かの冬の日をもつて人間の夏に比ぶるに、過ぎ踰えたること千倍なり。 ただ朝の露をもつてみづから活命す。
海渚に住すといへども、海を見るに枯れ竭きぬ。 昔、路を行く人の、病苦に疲極せるに、その賈を欺き取りて、直を与ふること薄少なるもの、この報を受く。
あるいは鬼あり。 つねに塚のあひだに至りて、焼屍の火を噉らふに、なほ足ることあたはず。 昔、刑獄を典主して、人の飲食を取れるもの、この報を受く。
あるいは餓鬼あり。 生れて樹のなかにありて、逼迮して身を押さるること賊木虫のごとくして、大苦悩を受く。 昔、陰涼の樹を伐り、および衆僧の園林を伐れるもの、この報を受く。 [『正法念経』。]あるいはまた鬼あり。 頭の髪、垂れ下りて、あまねく身体を纏へり。 その髪刀のごとくして、その身を刺し切る。 あるいは変じて火となりて、〔身体を〕周匝して焚焼す。
あるいは鬼あり。 昼夜におのおの五の子を生む。 生むに随ひてこれを食らふに、なほつねに飢乏す。 [『六波羅蜜経』。]あるいはまた鬼あり。 一切の食をみな噉らふことあたはず。 ただみづから頭を破り脳を取りて食らふ。
あるいは鬼あり。 火口より出づ。 飛蛾の、火に投ずるをもつて飲食となす。 あるいは鬼あり。 糞・涕・膿・血、器を洗へる遺余を食らふ。 [『大論』(大智度論)。]またほかの障によりて食を得ざる鬼あり。 いはく、飢渇つねに急にして、身体枯竭せり。 たまたま清き流に望み、走りてかしこに向かひ赴けば、大力の鬼ありて、杖をもつて逆へ打つ。 あるいは変じて火となり、あるいはことごとく枯れ涸きぬ。 あるいはうちの障によりて食を得ざる鬼あり。
いはく、口は針の孔のごとく、腹は大山のごとくして、たとひ飲食に逢へどもこれを噉らふに由なし。 あるいは内外の障なけれども、しかも用ゐることあたはざる鬼あり。 いはく、たまたま少食に逢ひて食噉すれば、変じて猛焔となりて、身を焼きて出づ。 [『瑜伽論』。]人間の一月をもつて一日夜となして月・年をなし、寿五百歳なり。 『正法念経』(意)にのたまはく、「慳貪と嫉妬のもの、餓鬼道に堕つ」と。
第二に餓鬼道を明かすと、 その住む場所が二つある。 一つには地の下五百由旬の所にあって、 閻魔王の世界である。 二つには、 人間界と天上界との間にある。 餓鬼の相すがたは甚だ多い。 今、 その一部分を説明しよう。 身の長たけが一尺のものもあるし、 人間と同じ身の長のものもある。 千由旬の身の長のものもあるし、 雪山せっせん (ヒマラヤ) のような巨大な餓鬼もいる。 «大集経» に依る。
あるいは、 鑊身かくしんと名づける餓鬼がいる。 その身は高く大きくて、 人間の二倍ある。 顔も目もなく、 手足はちょうど鑊かなえの足のようである。 熱い火が、 中に満ちみちて、 その身を焼く。 むかし財宝欲しさのために、 屠ほふり殺した者が、 この報いを受ける。
あるいは、 食じき吐とと名づける餓鬼がいる。 その身は広大で、 身の長は半由旬である。 いつも、 吐き出した汚物を求めているが、 手に入らぬので困っている。 むかし夫が自分は御馳走を食べながら妻子には与えなかったり、 また、 妻が自分は食べて、 夫と子には与えなかったりした者が、 この報いを受ける。
あるいは、 食じき気けと名づける餓鬼がある。 世間の人が病気のために、 水辺や林の中で祭を行なう時、 この香気を嗅いで、 それで自分の命を保つのである。 むかし妻子らの前で、 自分ひとり御馳走を食べた者が、 この報いを受ける。
あるいは、 食法じきほうと名づける餓鬼がある。 嶮しい難所で、 走り回って食物を求める。 色は黒雲のようで、 涙の流れることは雨のようである。 僧侶のいる寺に行って、 人が祈願したり説法したりするような時に、 その力を受けて命を保つのである。 むかし名誉や利欲を得ようとして、 不浄説法をした者が、 この報いを受ける。
あるいは、 食水じきすいと名づける餓鬼がいる。 飢えと渇きに身を焼き、 あわてて水を求めるが、 得ることができないで困っている。 髪は長く垂れて顔を覆い、 目も見えぬまま、 川の方に走って行き、 もし、 人が川を渡る際、 足の下から落ちる余り水があると、 すばやく手に受けて、 それで命をつなぐのである。 あるいは、 人が水を掬すくって、 亡くなった父母に施すことがあれば、 その際、 すこしの水を手に入れて、 生き長らえることができる。 もし、 自分で水を取ろうとすると、 水を守る多くの鬼が、 杖で殴り打つ。 むかし酒を売るのに水増ししたり、 蚓みみずや蛾を沈めたりして、 善いことをしなかった者が、 この報いを受ける。
あるいは悕け望もうと名づける餓鬼がある。 世にいる人が、 亡くなった父母のために法事を設ける時だけ、 その施物を食べることができる。 その他は、 すべて食事をする事ができぬ。 むかし他の人が苦労して僅かばかりの物を手に入れたのに、 それをだまし取って使ったような者が、 この報いを受ける。
あるいは、 海中の小島に生まれる餓鬼がある。 林の木も川の水もなく、 その居る場所は、 非常に熱い。 そこの冬の日を人間世界の夏の日と比べると、 千倍も勝って熱い。 ただ、 朝の露を飲んで、 やっと命を保っている。 海中の小島に住んではいるが、 海は乾ききっていると感ずるのである。 むかし病の苦しみに疲れきっている旅人の商品をだまし取って、 わずかばかりしか代金を払わなかった者が、 この報いを受ける。
あるいは、 このような餓鬼がいる。 いつも墓場に行き、 火に焼かれた死骸を食べるが、 それでも、 なお満足することができないのである。 むかし牢獄を取締る役をして人の飲食を取った者が、 この報いを受ける。
あるいは、 木の中に生まれている餓鬼がいる。 ちょうど木賊とくさ虫むしのように、 その身体を押し付けられて窮屈なため、 大きな苦しみを受ける。 むかし日陰となる涼しい木を切り倒し、 さては、 僧侶たちの庭園の林を切り倒した者が、 この報いを受ける。 «正法念経» に依る。
あるいは、 また、 このような餓鬼がいる。 髪の毛が垂れ下がって、 身体全体にまつわっている。 その髪は刀のようで、 その身を刺し切り、 あるいは火に変わって、 身体をとりまいて焼く。
あるいは、 このような餓鬼がいる。 昼夜に、 それぞれ五人の子を生む。 生むにつれて、 その子を食べるが、 それでも、 いつも飢えている。 «六波羅蜜経» に依る。
また、 餓鬼がいる。 食物という食物は、 すべて食べることができない。 ただ、 自分でわが頭を破り、 脳を取り出して食べるのである。 あるいは、 こんな餓鬼がある。 火を口から出し、 飛んでいる蛾が火の中に落ちるのを飲食とする。 あるいは、 こんな餓鬼がいる。 糞・涙・膿血や、 食器を洗った残り汁を食べる。 «大智度論» に依る。
また、 外の障りのために食べることのできない餓鬼がいる。 その有様は、 いつも飢え渇きに迫られて、 身体はすっかり枯れかわいている。 たまたま、 浄らかな流れを遥かに眺め、 走ってその場所に行くと、 力の強い鬼がいて、 杖で打つ。 あるいは、 水が火と変わり、 あるいは、 すべてが乾ひあがってしまう。 あるいは、 内の障りのために食べることのできない餓鬼がいる。 その有様をいうと、 口は針の穴のようであり、 腹は大きな山のようである。 たとい、 飲食にめぐり逢っても、 食べる術がない。 あるいは、 内と外の障りはないけれども、 飲食できぬ餓鬼がいる。 その有様をいうと、 やっと僅かばかりの食物にありついて食べると、 それが烈しい炎に変わり、 その身体を焼いて出るのである。 «瑜伽論» に依る。
この餓鬼道は、 人間の一月を一昼夜として年月ができており、 その寿命は五百歳である。 «正法念経» に 「ものを惜しみ貪り、 人を嫉む者が餓鬼道に落ちる」 と説かれている。 
■畜生
【13】 
第三に畜生道を明かさば、その住処に二あり。 根本は大海に住し、支末は人天に雑せり。 別して論ずれば、三十四億の種類あり。 総じて論ずれば、三を出でず。 一は鳥類、二は獣類、三は虫類なり。 かくのごとき等の類、強弱あひ害す。 もしは飲、もしは食、いまだかつてしばらくも安らかならず。
昼夜のうちに、つねに怖懼を懐けり。 いはんやまた、もろもろの水性の属は漁るもののために害せられ、もろもろの陸行の類は、猟るもののために害せらる。 もしは象・馬・牛・驢・駱駝・騾等のごときは、あるいは鉄鉤をもつてその脳を斲ち、あるいは鼻のなかに穿し、あるいは轡をもつて首に繋く。 身につねに重きものを負ひて、もろもろの杖捶を加へらる。 ただ水・草を念じて、余は知るところなし。 また蚰蜒・鼠狼等は、闇のなかに生れて闇のなかに死ぬ。 蟣蝨・蚤等は、人身によりて生じて、還りて人によりて死ぬ。 またもろもろの竜衆は、三熱の苦を受けて昼夜に休むことなし。
あるいはまた蟒蛇は、その身長大なれども、聾騃にして足なく、宛転腹行して、もろもろの小虫のために唼食せらる。
あるいはまた一の毛の百分のごときもの、あるいは窓のなかの遊塵のごときもの、あるいは十五由旬のごときものあり。 かくのごときもろもろの畜生は、あるいは一時を経るあひだ、あるいは七時のあひだ、あるいは一劫・百劫乃至千万億劫に無量の苦を受くるあり。
あるときにはもろもろの違縁に遇ひて、しばしば残害せらる。 これらのもろもろの苦、勝げて計ふべからず。 愚痴・無慚にしていたづらに信施を受けて、他の物を償はざるもの、この報を受く。 [以上諸文、経論に散在せり。]
第三に畜生道を明かすと、 その住む場所が二つある。 本来は大海に住み、 その分かれは人間界や天上界に雑まじっている。 別々に論ずると、 三十四億の種類があるが、 総括して論ずると三種類外はない。 一つには鳥類、 二つには獣類、 三つには虫類である。
このような畜生の各種類は、 強いものと弱いものと、 それぞれ傷つけあう。 飲むときも食べるときも、 しばらくの間も安らかな時はない。 昼も夜も、 絶えず怖れをいだいている。 まして、 また水に住むいろいろの畜生たちは、 漁師のために殺され、 陸を歩むいろいろの畜生たちは、 狩人のために殺される。 象・馬・牛・驢馬・駱駝・騾馬などのような畜生は、 あるいは鉄の曲った鉤で、 その頭脳あたまを打たれたり、 鼻の中を突き通されたり、 轡くつわで首を繋がれたり、 身体には、 いつも重い荷物を背負って、 いろいろの杖で打たれたりする。 これらの畜生は、 ただ水を飲み、 草を食べたいとの思いだけで、 その外は何事も分からない。 また、 蚰蜒げじげじ・鼠狼いたちなどは、 闇の中で生まれて、 闇の中で死ぬ。 虱・蚤などは、 人間の身体に依って生まれ、 また人間によって殺される。 また、 いろいろの龍たちは、 三熱の苦しみを受けて、 昼夜休むことがない。 あるいはまた、 蟒蛇うわばみは、 その身体は長大であるが、 愚かで足がなく、 くねりまわって腹ばいして行き、 いろいろの小さい虫に吸い食べられる。 あるいは、 また、 一本の毛の百分の一のようなもの、 あるいは、 窓の中に飛んでいる塵のようなもの、 あるいは一万由旬ぐらいの大きさのものもある。
このようなさまざまの畜生は、 ほんの僅かな間か、 あるいは七時 (今の十四時間) を経たり、 あるいは一*劫こう、 さては百万千万億劫にわたって限りない苦しみを受ける。 あるいは、 いろいろと思いそめぬ事柄にあって、 しばしば殺されるのである。 これらのいろいろの苦しみは数え尽すことができない。 愚痴無慚で、 信の上の施物をいたずらに受け、 ほかの物で償わなかった者が、 この報いを受けるのである。 以上、 諸文は経・論のあちこちにある。 
■阿修羅
【14】 
第四に阿修羅道を明かさば、二あり。 根本の勝れたるものは、須弥山の北、巨海の底に住せり。 支流の劣なるものは、四大洲のあひだの山巌のなかにあり。 雲雷もし鳴れば、これ天の鼓と謂ひて怖畏周章して、心大きに戦悼す。 またつねに諸天のために侵害せられて、あるいは身体を破り、あるいはその命を夭す。 また日々三時に、苦具おのづから来りて逼害す。 種々の憂苦、勝げて説くべからず。
第四に阿修羅道を明かすと、 二つがある。 本来の勝れたものは、 須弥山の北、 大海の底に住み、 その分かれの劣ったものは、 四大州の間の山や岩の中に住んでいる。 雲間で雷が鳴るような時には、 天の鼓だと思って恐れ慌てて、 心は甚だしくおののき悩むのである。 また、 常にいろいろの天人から侵され傷つけられる。 あるいは身体を害し、 あるいはその命を失う。 また、 毎日三度、 苦しみの責め道具が、 自然にやって来て逼せめ害そこなう。 そのさまざまな憂いや苦しみは説き尽くすことができない。 
■人
【15】 
第五に人道を明かさば、略して三の相あり。 つまびらかに観察すべし。 一には不浄の相、二には苦の相、三には無常の相なり。  
第五に人道を明かすと、 略して三つの相すがたがある。 詳しく観察して行こう。 一つには、 不浄の相、 二つには苦の相、 三つには無常の相である。 
 

 

【16】 
一に不浄の相といふは、おほよそ人の身のなかに三百六十の骨ありて、節々あひ柱へたり。 いはく、指の骨は足の骨を柱へ、足の骨は踝の骨を柱へ、踝の骨はンの骨を柱へ、ンの骨は膝の骨を柱へ、膝の骨䏶の骨を柱へ、䏶の骨は臗の骨を柱へ、臗の骨は腰の骨を柱へ、腰の骨は脊の骨を柱へ、脊の骨は勒の骨を柱へ、また脊の骨は項の骨を柱へ、項の骨は頷の骨を柱へ、頷の骨は牙歯を柱へ、上に髑髏あり。 また項の骨は肩の骨を柱へたり。 肩の骨は臂の骨を柱へたり。 臂の骨は腕の骨を柱へたり。 腕の骨は掌の骨を柱へたり。 掌の骨は指の骨を柱へたり。
かくのごとく展転して次第に鎖成せり。 [『大経』(大般涅槃経)の意。]「三百六十の骨の、聚まりて成ぜるところなり。 朽ち壊れたる舎のごとし。
もろもろの節をもつて支え持ち、四の細脈をもつて周匝して弥布せり。 五百分の肉、なほ泥の塗れるがごとく、六の脈あひ繋ぎ、五百の筋纏へり。 七百の細脈、もつて編絡をなし、十六の粗き脈、鉤け帯りてあひ連なれり。 二の肉縄あり。 長さ三尋半なり。 うちにして纏ひ結せり。 十六の腸・胃、生熟臓を繞れり。 二十五の気脈、なほ窓の隙のごとし。 一百七の関、あたかも破砕せる器のごとし。 八万の毛孔、乱れたる草の覆へるがごとし。 五根・七竅は不浄にて盈満せり。 七重の皮にて裹み、六味にて長養すること、なほ祠火の、呑受して厭ふことなきがごとし。
かくのごとき身は、一切臭穢にして、自性殨爛せり。 たれかまさにここにおいて愛重し驕慢せん」と。 [『宝積経』九十六。]あるいはいはく、九百の臠、その上に覆ひ、九百の筋、そのあひだに連なれり。 三万六千の脈ありて、三升の血、なかにありて流注す。 九十九万の毛孔ありて、もろもろの汗つねに出づ。 九十九重の皮、しかもその上を裹めり。 [以上、身中の骨肉等なり。]また腹のなかに五臓あり。 葉々あひ覆ひて、靡靡として下に向かへり。 状、蓮華のごとし。
孔竅は空疎にして、内外にあひ通じ、おのおの九十重あり。 肺臓は上にありて、その色白し。 肝臓はその色青し。 心臓は中央にありて、その色赤し。 脾臓はその色黄なり。 腎臓は下にありて、その色黒し。 また六腑あり。
いはく、大腸をば伝送の腑となす。 また肺腑たり。 長さ三尋半、その色白し。 胆をば清浄の腑となす。 また肝腑たり。 その色青し。 小腸をば受盛の腑となす。 また心腑たり。 長さ十六尋、その色赤し。 胃をば五穀の腑となす。 また脾の腑たり。 三升の糞、なかにありて、その色黄なり。 膀胱をば津液の腑となす。 また腎腑たり。
一斗の尿、なかにありて、その色黒し。 三膲をば中涜の腑となす。 かくのごとき等の物、縦横に分布せり。 大小の二腸、赤白、色を交へたり。 十八に周転せること、毒蛇の蟠れるがごとし。 [以上、腹中の腑臓なり。]
また頂より趺に至るまで、髄より膚に至るまで、八万戸の虫あり。 四の頭、四の口、九十九の尾ありて、形相一にあらず。 一々の戸にまた九万の細虫ありて、秋の毫よりも小さし。 [『禅経』・『次第禅門』等。]『宝積経』にのたまはく、「はじめて胎を出づる時に、七日を経て、八万戸の虫、身より生じて、縦横に食噉す。 二戸の虫あり。 名づけて舐髪となす。 髪の根によりて住して、つねにその髪を食す。 二戸の虫を繞眼と名づく。 眼によりて住して、つねに眼を食す。 四戸は脳によりて脳を食す。 一戸を稲葉と名づく。 耳によりて耳を食す。 一戸を蔵口と名づく。
鼻によりて鼻を食す。 二戸を、一を遥擲と名づけ、二を遍擲と名づく。 唇によりて唇を食す。 一戸をば針口と名づく。 舌によりて舌を食す。 五百の戸は左辺によりて左辺を食す。 右辺もまたしかなり。
四戸は生臓を食し、二戸は熟臓を食す。 四戸は小便の道によりて、尿を食らひて住し、四戸は大便の道によりて、糞を食らひて住す。 乃至、一戸を黒頭と名づく。 脚によりて脚を食す。 かくのごとき八万、この身に依止して、昼夜に食噉して、身をして熱悩せしめて、心に憂愁あらしむ。 衆病現前するに良医としてよくために除療するあることなし」と。 [第五十七に出でたり。 これを略抄す。]
『僧伽吒経』に説きてのたまはく、「人まさに死なんとする時には、もろもろの虫怖畏して、たがひにあひ噉食するに、もろもろの苦痛を受く。 男女眷属、大悲悩をなす。 もろもろの虫、あひ食す。 ただ二の虫ありて、七日のあひだ闘諍す。
七日を過ぎをはりて、一の虫は命尽きて、一の虫はなほ存ぜり」と。 [以上、虫蛆。]たとひ上饍の衆味を食すれども、宿を経るあひだにみな不浄となりぬ。 たとへば、糞穢の大小ともに臭きがごとく、この身もまたしかり。 少より老に至るまで、ただこれ不浄なり。 海水を傾けて洗ふとも、浄潔ならしむべからず。 外には端厳の相を施せりといへども、内にはただもろもろの不浄を裹めること、なほ画せる瓶に、しかも糞穢を盛れたるがごとし。
[『大論』(大智度論)・『止観』等の意を取る。]ゆゑに『禅経』の偈にのたまはく、
「身の臭くして不浄なることを知れども、愚者はなほ愛惜す。外に好しき顔色を視て、内の不浄をば観ぜず」と。[以上、体の不浄を挙ぐ。]
いはんやまた命終の後に、塚のあひだに捐捨てられて、一・二日、乃至七日を経るに、その身膖脹して、色青瘀に変ず。 臭り爛れ、皮は穿げて、膿血流れ出づ。 G・鷲・鵄・梟・野干・狗等の種々の禽獣、H掣して食噉す。 禽獣食らひをはりて、不浄潰爛せり。 無量種の虫蛆ありて、臭き処に雑はり出づ。 悪むべきこと、死にたる狗よりも過ぎたり。 乃至、白骨となりをはれば、支節分散して、手・足・髑髏おのおの異処にあり。 風吹き、日曝し、雨灌ぎ、霜封じて、積むこと歳年あれば、色相変異し、つひに腐朽砕末して、塵土とあひ和しぬ。 [以上、究竟不浄なり。
『大般若』・『止観』等に見えたり。]まさに知るべし。 この身は始終不浄なり。 所愛の男女みなまたかくのごとし。 いづれの有智のものか、さらに楽着を生ぜんや。 ゆゑに『止観』にいはく、「いまだこの相を見ざるときは、愛染はなはだ強し。 もしこれを見をはれば、欲心すべて罷む。 はるかにしても忍び耐へざることは、糞を見ざればなほよく飯を噉らへども、たちまちに臭き気を聞ぎつれば、すなはち嘔吐するがごとし」と。
またいはく(同)、「もしこの相を証しつれば、また高き眉、翠き眼、皓き歯、丹き唇なりといへども、一聚の屎に、粉をもつてその上を覆へるがごとし。 また爛れたる屍に、仮りて上\を着せたらんがごとし。 なほ眼にすら見ず、いはんやまさに身に近づくべけんや。 鹿杖を雇ひて自害すべし。 いはんや歍ひ抱きて婬楽せんをや。 かくのごとき想は、これ婬欲の病の大黄湯なり」と。 {以上}
一つに不浄というのは、 だいたい、 人間の身体の中には、 三百六十の骨があって、 節と節とたがいに支えている。 その有様をいうと、 足指の骨は足の骨を支え、 足の骨は踝くるぶしの骨を支え、 踝の骨はンはぎの骨を支え、 ンの骨は膝の骨を支え、 膝の骨はロももの骨を支え、 ロの骨は臗しりの骨を支え、 臗の骨は腰の骨を支え、 腰の骨は背の骨を支え、 背の骨は肋あばらの骨を支え、 また背の骨は項うなじの骨を支え、 項の骨は頷おとがいの骨を支え、 頷の骨は歯を支え、 上に頭蓋骨がある。 また項の骨は肩の骨を支え、 肩の骨は臂ひじの骨を支え、 臂の骨は腕の骨を支え、 腕の骨は掌てのひらの骨を支え、 掌の骨は指の骨を支えている。 このように次々に連続して、 次第に鎖のように成り立っている。 «涅槃経» に依る。
これらは、 三百六十の骨が集まって成り立ったもので、 ちょうど、 朽ち破れた家のようなものである。 多くの節で支え保ち、 四つの細い脈で、 身体中をぐるぐると回って、 残るところなく分布している。 五百に分かれている肉はちょうど泥のようで、 六つの脈が互いにつながり、 五百の筋がからみついている。 七百の細い脈は、 それで連絡をして、 十六の太い脈は、 ぐるぐる回って互いに連なっている。 二個の肉の縄がある。 長さ三尋半で、 その内部で巻きつき絡んでいる。 十六の腸胃は生熟しょうじゅく蔵ぞう (消化器官) をめぐっている。 二十五の気脈は、 ちょうど窓穴のようで、 百七の節はちょうど破れ砕けた器のようである。 八万の毛孔は、 乱れた草が覆うようで、 五根と七つの穴は、 不浄で満ちみちている。 七重の皮で包み、 六味で養うことは、 ちょうど、 祭の火が、 すべてを呑み受けて、 飽き足ることがないようなものである。 このような身体は、 すべてが臭く穢れて、 元来、 くずれ爛れている。 このような身体を、 誰が愛したり誇ったりするだろうか。 «宝積経» 第九十六に依る。
あるいはいう。 九百の肉片がその上を覆い、 九百の筋が、 その間を連らねる。 三万六千の脈があり、 三升の血が、 その中にあって流れ注ぐ。 九十九万の毛孔があって、 さまざまの汗が、 いつも出る。 九十九重の皮が、 さらに、 その上を包んでいる。 以上は身体の中の骨や肉などについてのことである。
また、 腹の中には五臓があって、 葉のように幾重にも覆い、 重なりあって下に向かうのは、 ちょうど、 蓮の花のような状かたちである。 孔は空洞で、 内外が互いに通じあい、 それぞれ九十重ある。 肺臓は上にあって、 その色は白く、 肝臓はその色が青い。 心臓は中央にあって、 その色は赤く、 脾臓はその色が黄色い。 腎臓は下にあって、 その色は黒い。 また、 六腑がある。 その中でも、 大腸は伝送する腑であり、 また肺の腑でもある。 長さは三尋半で、 その色は白い。 胆を清浄の腑とする。 また肝の腑でもある。 その色は青い。 小腸を受盛の腑とする。 また心の腑でもある。 長さは十六尋で、 その色は赤い。 胃を五穀の腑とする。 また脾の腑でもある。 三升の糞がその中にあって、 その色は黄色である。 膀胱を津液の腑とする。 また腎の腑でもある。 一斗の尿がその中にあって、 その色は黒い。 三さん膲しょうを中ちゅう涜とくの腑とする。 このような臓腑が縦横に分布している。 大腸と小腸とは、 赤く白く色を交えあって、 十八回もぐるぐる転めぐり、 ちょうど毒蛇がとぐろを巻いているようである。 以上は腹の中の腑臓である。
また、 頭の先から足の裏まで、 骨の髄から皮膚まで、 八万匹の虫がいる。 四つの頭、 四つの口、 九十九の尾があって、 その形は一様ではない。 その一々の虫に、 また九万の細い虫がいて、 極めて細い毛の先よりも、 まだ小さい。 «禅経» «次第禅門» などに依る。
«宝積経» に説かれている。 「初めて母胎から出る時、 七日を過ぎると、 八万匹の虫が、 身体から生じて、 自由自在にその身体を食う。 二匹の虫がいて舐し髪はつと名づける。 髪の根に住み、 いつもその髪を食う。 繞にょう眼げんという二匹の虫がいる。 眼に住み、 いつもその眼を食う。 四匹の虫は脳に住んで、 その脳を食う。 一匹を稲葉とうようと名づける、 耳に住んで、 耳を食う。 一匹を蔵ぞう口くと名づける、 鼻に住んで鼻を食う。 二匹の虫がいて、 その一を遥よう擲ちゃくと名づけ、 その二を遍へん擲ちゃくと名づける、 唇に住んで唇を食う。 一匹を針しん口くと名づける、 舌に住んで下を食う。 また五百匹の虫がいる。 身体の左側に住んで左側の肉体を食う。 右側も同様である。 四匹の虫は生しょう臓ぞうを食い、 二匹は熟じゅく臓ぞうを食う。 四匹は小便道に居て尿を飲んで住み、 四匹は大便道に住んで糞を食うて住む。 その他いろいろな虫がいるが、 一匹を黒こく頭ずと名づける。 脚に住んで脚を食う。 このような八万匹の虫は、 この身体を依り所として、 昼も夜も食い、 ひどく身体を悩ませる。 また、 心に心配があって、 いろいろの病気が起こる。 名医も、 これを治療することはできぬ。」 第五十五、 七巻に出ている文を抜き書きした。
«僧伽′o» に説かれている。 「人が死にかけている時、 多くの虫たちは恐れて、 互いに食くらいあうので、 いろいろな苦痛を受ける。 男女親族は、 これを見てひどく悲しみ悩む。 さて、 多くの虫が殺しあい、 最後にただ二匹の虫がいて、 七日の間、 争い続ける。 七日を過ぎてしまうと、 一匹の虫は命が尽きるが、 一匹の虫はまだ生きている。 以上は虫蛆の不浄である。
また、 たとい、 どのような上等のいろいろな食事をしても、 一晩過ぎる間には、 みな不浄なものになる。 ちょうど、 糞便が大小便ともに臭いようなものである。 この身体も、 またそのようである。 幼い時から年老いるまで、 不浄というより外はない。 たとい、 海水をことごとく注いで洗っても、 浄らかにすることはできない。 外に、 どのような美しい姿を装ってみても、 身体の内には、 いろいろな不浄を包んでいる。 ちょうど、 きれいに画いてある瓶に糞便を詰め込んであるようなものである。 «大智度論» «止観» などの意に依る。
それゆえ、 «禅経» の偈に、
この身は臭く不浄とわかっても 愚かな者はとりわけ惜しむ 外のきれいな顔に迷い 内の不浄には気もつかぬ
と説かれている。 これまでは、 身体の不浄を挙げた。
まして、 命が尽きた後は、 この身体は捨てられる。 一日二日、 さては七日を経ると、 死体は腫れふくれて、 色は青黒く変わって行く。 臭く爛れて、 皮は破れ、 膿血が流れ出てくる。 熊鷹・鷲・鵄とび・梟ふくろう・狐・犬などのいろいろの鳥や獣が、 死体を噛み裂いて食くらう。 鳥や獣が食べてしまい、 不浄なものが、 潰れ爛れると、 限りもない多くの種類の蛆虫が湧いて、 臭い所に雑多に出てくる。 その気持ちの悪いことは、 死んだ犬よりも、 なおひどいものである。 このようにして白骨になってしまうと、 節々がばらばらになり、 手も足も髑髏も、 それぞれ違った場所に散らばってしまう。 風に吹かれ日に曝さらされ、 雨に注がれ霜に閉じられて、 長い年月が過ぎると、 その色や姿が、 すっかり変わってしまう。 とうとう腐り朽ち、 粉々になって、 塵や土と一緒になってしまうのである。 以上は、 究極の不浄である。 «大般若» «止観» などに見えている。
これで知るべきである。 この身体は、 初めから終りまで不浄である。 自分が愛して居る男も女も、 すべてがこのようである。 智慧のあるものなら、 誰が、 この肉体に執着を起こそうぞ。 それゆえ «止観» にいってある。
この不浄の姿を見ない間は、 愛着が甚だ激しいけれども、 もし、 この不浄の姿を見てしまうと、 愛欲の心はすっかり消え失せ、 とても辛抱することができない。 ちょうど、 糞便を見ない間は、 食事をすることができても、 急にその臭気を嗅ぐと、 すぐさま吐くようなものである。
またいってある。 (止観)
もし、 この不浄の相を悟ると、 もう、 高い眉、 青い眼、 白い歯、 赤い唇の美人でも、 ちょうど一かたまりの糞便の上を、 白粉おしろいで包んだようなものとなり、 腐り爛れた死骸に、 かりに彩色のある絹物を着せたようなものとなる。 目で見るにも堪えぬものであるのに、 まして、 身体を近づけることがあろうか。 鹿ろく杖じょう梵ぼん士じを雇って殺してもらった比丘があった。 まして、 くちづけしたり抱きあって、 淫欲の楽をどうしてしようか。 このように思うのは、 淫欲という病気によく効く薬である。 
【17】 
二に苦といふは、この身は初生の時より、つねに苦悩を受く。 『宝積経』に説くがごとし。 「もしは男、もしは女、たまたま生じて地に堕つるに、あるいは手をもつて捧げ、あるいは衣をもつて承接し、あるいは冬夏の時に、冷熱の風触るるに、大苦悩を受くること、牛を生剥ぎにして、墻壁に触れしむるがごとし」と。 {取意}長大の後にまた苦悩多し。
同経に説かく、「この身を受けて二種の苦あり。 いはゆる眼・耳・鼻・舌・咽喉・牙歯・胸・腹・手・足に、もろもろの病、生ずることあり。 かくのごとき四百四病、その身に逼切するを、名づけて内の苦となす。 また外の苦あり。
いはゆる、あるいは牢獄にありて、撾打楚撻せられ、あるいは耳・鼻を劓られ、および手・足を削らる。 もろもろの悪鬼神、しかもその便りを得。 また蚊・虻・蜂等の毒虫のために唼食せらる。 寒熱・飢渇・風雨ならびに至りて、種々の苦悩、その身に逼切す。 この五陰の身は、一々の威儀、行住坐臥、みな苦にあらずといふことなし。 もし長時に行きて、しばらくも休息せざれば、これを名づけて外苦となす。 住および坐・臥またみな苦なり」と。 {略抄}諸余の苦相は眼の前に見つべし。 説くことを俟つべからず。
二つに苦というのは、 この身体が初めて生れた時から、 いつも苦しみを受けている。 «宝積経» に説かれているとおりである。
男であれ女であれ、 たまたま生を受けて、 大地に落ちる時、 手でだきあげられ、 衣きぬえうけとられ、 あるいは夏や冬に、 熱風や寒風が身に触れると、 ひどい苦しみを受ける。 ちょうど、 牛を生はぎにして、 土塀や壁に触れさせるようなものである。 これは意味を取った。
さて成長してからも、 苦しみが多い。 «宝積経» に説いている。
この身に受ける二種類の苦しみがある。 すなわち、 眼・耳・鼻・舌・咽喉・歯・胸・腹・手・足などに、 いろいろの病気が生ずる。 このような四百四病が、 その身を逼せめるのを内の苦と名づける。 また外の苦がある。 すなわち牢獄に入れられて叩き打ち鞭うたれるものもあれば、 耳や鼻を削られたり、 手足を切られるものもある。 いろいろの悪鬼神は、 これにつけこんで来る。 また蚊・虻・蜂などの毒虫に刺されたり、 噛みつかれたりする。 寒さや熱さ、 飢えや渇き、 風や雨、 これらのさまざまの苦しみがやって来て、 その身を逼めるのである。 この五陰の身体は、 行・住・坐・臥のいずれの場合もすべて苦しみでないものはない。 もし、 いつまでも歩いて、 すこしも休息しないと、 これを外の苦と他付ける。 住とどまるのも、 坐るのも、 臥ねるのも、 また同様にみな苦しみである。 抜き書きした。
その他のいろいろな苦しみの有様は、 目の前に見られることであるから、 説明するまでもないであろう。 
【18】 
三に無常といふは、『涅槃経』にのたまはく、「人の命は停まらざること、山の水よりも過ぎたり。
今日は存ぜりといへども、明くればまた保ちがたし。 いかんぞ心をほしいままにして、悪法に住せしめんや」と。 『出曜経』にのたまはく、
「この日すでに過ぐれば、命すなはち減少す。少水の魚のごとし。これなんの楽しみかあらん」と。
『摩耶経』の偈にのたまはく、
「たとへば旃陀羅の、牛を駆りて屠所に至るに、 歩々に死の地に近づくがごとく、人の命もまたかくのごとし」と。{以上}
たとひ長寿の業ありといへども、つひに無常を免れず。 たとひ富貴の報を感ぜりといへども、かならず衰患の期あり。 『涅槃経』の偈にのたまふがごとし。
「一切のもろもろの世間に、生ぜるものはみな死に帰す。寿命、無量なりといへども、かならず終尽することあり。それ盛りなるはかならず衰することあり、合会するは別離あり。壮年は久しく停まらず、盛りなる色は病に侵さる。命は死のために呑まれ、法として常なるものあることなし」と。
また『罪業応報経』の偈にのたまはく、
「水渚はつねに満たず。火の盛りなれば久しく燃えず。日は出でて須臾に没しぬ。月は満ちをはりてまた欠けぬ。尊栄高貴なるものも、無常のすみやかなることこれに過ぎたり。いままさにつとめて精進して、無上の尊を頂礼すべし」と。{以上}
ただもろもろの凡下のみ、この怖畏あるにあらず。 仙に登り、通を得たるもの、またかくのごとし。 『法句譬喩経』の偈にのたまふがごとし。
「空にもあらず海のなかにもあらず。山石のあひだに入るにもあらず。地の方処として、脱止して死を受けざるはあることなし」と。[空に騰り、海に入り、巌に隠るる三人の因縁、『経』(同)に広く説くがごとし。]
まさに知るべし。 諸余の苦患は、あるいは免るるものあるも、無常の一事はつひに避るる処なし。 すべからく説のごとく修行して、常楽の果を欣求すべし。 『止観』にいふがごとし。 「無常の殺鬼は豪賢をも択ばず。 危脆にして堅からず、恃怙すべきこと難し。 いかんぞ安然として百歳を規望せん。 四方に馳求して、貯積聚斂すれども、聚斂いまだ足らざるに、溘然として長く往きぬれば、あらゆる産貨はいたづらに他の有となりぬ。 冥々として独り逝くに、たれか是非を訪はんや。 もし無常の、暴水・猛風・掣電よりも過ぎたることを覚らんも、山・海・空・市に、逃げ避くる処なし。 かくのごとく観じをはりて、心大きに怖畏して、眠りは席を安くせず、食は哺を甘くせず、頭燃を救はんがごとくして、もつて出要を求めよ」と。
またいはく(止観)、「たとへば、野干の耳・尾・牙を失ふまでは、詐り眠りして脱るることを望めども、たちまちに頭を断ることを聞きては、心大きに驚怖するがごとし。 生老病に遭ひては、なほ急なりとなさざらんも、死の事は奢にせず。 いかんぞ怖ぢざることを得ん。 怖心起る時に、湯火を履まんがごとし。 五塵・六欲も貪染するに暇あらず」と。 {以上略抄}人道かくのごとし、実に厭離すべし。
三つに無常というのは、 «涅槃経» に説かれている。
人の命が停とどまらないのは、 山から落ちてくる水よりも激しい。 今日は生きていても、 明日を保証することは難しい。 それなのに、 どうして心をほしいままにして悪い事をしておられようか。
«出曜経» に説かれている。
この日がもはや過ぎると 寿命は さらに減ってゆく
わずかな水に住む魚のようで ここに何の楽しみがあろうか
«摩耶経» の偈に説かれている。
喩えてみると*旃せん陀羅だらが 牛を追いたてて 屠殺所へ行くのに
牛の歩みは一歩一歩が死地に近づくように 人の命も またこのとおりである 以上
たとい長生きの業をもっていても、 最後には無常を免れることはない。 たとい富貴の報むくいを得ても、 きっと衰え病む時がある。 «涅槃経» の偈に説かれているとおりである。
すべてもろもろの世の中では 生きているものは みな死んでいく
たとい長い命をうけていても きっと尽きはてる時がある
思えば 盛んな者は必ず衰え 会う者は また別れ離れる
年の若さも久しくは停とどまらず 盛りの色も病に侵される
命は 死のために呑まれ 常にあるものとては更にない
また «罪業応報経» の偈に説かれている。
水の流れはいつも満ちてはいず 燃えさかる炎も久しくはない
さし昇る日は すぐに沈んで行き 月は満つれば また欠けて行く
位高く 世の栄えを受ける者も 無常の訪れは さらに早く至る
これを思うて勤め励み 無上の仏を礼しまつるがよい 以上
この無常は、 ただ、 一般の愚かな人たちだけに、 このような恐れがあるのではない。 仙人となって神通力を得たものも、 またこのとおりである。 «法句譬喩経» の偈にいうとおりである。
空にいても 海の中にいても 巌いわやの間にかくれていても
この浮世は どこにいても 死から脱まぬかれるところはない 空に昇り、 海に入り、 巌に隠れた三人の因縁は、 経に広く説くとおりである。
これで知るべきである。 いろいろの他の苦しみは、 免れることがあっても、 無常というこの一事は、 到底、 逃げ場がないのである。 ぜひとも、 仏の説きたもうとおりに修行して、 永遠の楽しみという果報を願い求めるべきである。 «止観» にいうとおりである。
無常という殺鬼は、 強いものも賢いものも、 区別することはない。 この身は脆くて堅固でなく頼りにし難い。 それなのに、 どうして安閑として、 百年も生きながらえるように思って、 あちこちと走り回って、 財産を積み貯え集め収めるのだろうか。 集め収めることが、 まだ充分でないうちに、 急に永遠とわの旅路に行くことになれば、 所有していた財産は、 空しく他人の所有となり、 冥土の旅路をひとり行く。 誰がその是非よしあしを訪ねようか。 もし無常が、 急流・烈風・電光よりも激しいことを覚るならば、 山や海、 空や町にいても、 無常を逃れ避ける場所と手はない事がわかる。 このように観じおわれば、 心は非常に怖れを起こす。 眠っていても寝床に落着かず、 食事をしても口に甘さを感じない。 ちょうど頭に火が燃えているのを払いのけるように、 迷いの世から出る肝要な方法を求めよ。
またいう。 (止観)
譬えてみると、 狐が、 耳や尾、 牙を取られるまでは、 眠ったふりをして脱のがれようと思っていても、 突然、 頭を切ってしまうと云うのを聞くと、 非常に驚き恐れるようなものである。 生・老・病に出会っても、 まだ、 急ぎの用事と思わない人も、 死という一事は、 ゆるがせにしていられぬから、 どうして怖れないでおられようか。 怖れる心が起こる時、 煮え湯や炎を踏むようなものである。 世間のいろいろな楽しみも、 貪る余裕がないのである。
人間世界は、 このようなものである。 本当に厭い離れるべきである。 
■天
【19】 
第六に天道を明かさば、三あり。 一には欲界、二には色界、三には無色界なり。 その相すでに広し。 つぶさに述すべきこと難し。 しばらく一処を挙げて、もつてその余を例せん。
かの忉利天のごときは、快楽極まりなしといへども、命終の時に臨みて五衰の相現ず。 一は頭の上の華鬘たちまちに萎む。 二は天衣、塵垢に着せらる。 三は腋の下より汗出づ。 四は両の目しばしば眴ぐ。 五は本居を楽はず。 この相現ずる時に、天女・眷属みなことごとく遠離して、これを棄つること草のごとし。 林のあひだに偃臥して、悲泣して嘆きていはく、「このもろもろの天女をば、われつねに憐愍しつ。 いかんぞ一旦にわれを棄つること草のごとくする。 われいま依なく怙なし。 たれかわれを救ふものあらん。
善見宮城は、いまよりはまさに絶えなんとす。 帝釈の宝座、朝謁するに由なし。 殊勝殿のなかには、永く瞻望を断つ。 釈天の宝象には、いづれの日か同じく乗らん。 衆車苑のなかには、またよく見ることなからん。 粗渋苑のうちには、介冑長く辞しつ。 雑林苑のなかには、宴会するに日なし。 歓喜苑のなかには、遊止するに期なし。 劫波樹の下の白玉の軟石には、さらに坐する時なし。 曼陀枳尼の殊勝池の水には、沐浴せんに由なし。
四種の甘露はたちまちに食することを得がたく、五妙の音楽はにはかに聴聞を絶つ。 悲しきかな、この身独りこの苦に嬰れり。 願はくは慈愍を垂れてわが寿命を救ひて、さらに少しき日を延ばしめば、また楽しからざらんや。 かの馬頭の山・沃焦の海に堕せしむることなかれ」と。 この言をなすといへども、あへて救ふものなし。
[『六波羅蜜経』。]まさに知るべし、この苦は地獄よりもはなはだし。 ゆゑに『正法念経』の偈にのたまはく、
「天上より退せんと欲する時には、心に大苦悩を生ず。地獄のもろもろの苦毒は、十六にして一にも及ばず」と。
{以上}また大徳の天すでに生れて後には、旧き天の眷属は、捨ててかれに従ふ。 あるいは威徳の天ありて、心に順ぜざる時には、駆りて宮を出し、住することを得ることあたはざらしむ。 [『瑜伽』(瑜伽論)。]余の五の欲天ことごとくこの苦あり。 上二界(色界・無色界)のなかにはかくのごとき事なしといへども、つひに退没の苦あり。 乃至、非想も阿鼻をば免れず。 まさに知るべし、天上また楽しむべからず。 [以上、天道。]
第六に、 天上界を明かすと、 三つがある。 一つには*欲界よくかい、 二つには*色界しきかい、 三つには*無む色界しきかいである。 その有様は、 非常に広いものであるから、 詳しく述べることは難しい。 今はしばらく一処を挙げて、 その他の類例としよう。
かの忉利天の場合、 快楽は極まりないが、 命の尽きる時になると、 五種の衰えの相が現われる。 一つには、 頭の上の花の髪飾りが急に萎む。 二つには、 天の羽衣も塵や垢に汚される。 三つには、 腋の下から汗が出るようになる。 四つには、 両方の目が眴くらんでしばしばまたたく。 五つには、 本からいる住居すまいを楽しく思わぬようになる。 この五つの相が現われる時には、 天女も、 眷属も、 皆すべて遠ざかり離れて、 この天人を、 まるで雑草のように棄ててしまう。 そこで、 林の間に倒れ伏し、 悲しみ歎いて云う。
「この多くの天女たちを、 自分はいつも可愛がってやったのに、 どうして、 こうも急に自分を雑草のように棄てるのか。 自分は、 今や依りどころもなく、 たのむところもない。 誰が自分を救ってくれようか、 *帝たい釈しゃく天てんの善見ぜんけん宮城の参内は、 今、 もうできなくなろうとしている。 帝釈の宝座は拝謁しようにも、 もう手だてがない。 殊勝殿の中は、 もう永遠にこれを仰ぎみることができなくなり、 帝釈天の宝象には、 いつの日か、 共に乗ることがあろう。 衆車しゅしゃ苑おんの中も、 ふたたび見ることができず、 麁そ渋じゅう苑おんのうちで甲よろい冑かぶとをつけることも、 もう決してない。 雑林苑の中で、 宴会する日もなく、 歓喜苑の中で、 遊び戯れる時もない。 劫こう波は樹じゅの下にある白玉の軟らかな石には、 もう坐る時がなく、 曼まん陀だ枳尼きに (緩慢な流れ) の殊勝池の水に沐浴することもできない。 四種の甘露も、 もう食べることができず、 五つの妙なる音色の音楽は、 突然、 聞こえぬようになってしまった。 悲しいことよ、 自分だけが、 この苦しみに逢うとは。 なにとぞ、 お慈悲を垂れて、 私の寿命いのちを救い、 あとわずかの日でも延ばしていただけたら、 どんなに楽しいことでしょうか。 あの馬頭めず山せん・沃おく焦しょう海かいに落さないようにしてください。」
こういう言葉を述べても、 決して救うものはないのである。 «六波羅蜜経» に依る。
これで知られるであろう。 この苦しみは地獄の苦しみよりも甚だしいのである。 それゆえ «正法念経» の偈に説かれている。
天上界から落ちようとする時 心に大きな苦しみが湧く
地獄の多くの苦しみは 十六分の一にもおよばない
また、 非常に威徳のある天人が、 この天上界に生まれてくると、 もとの天人の眷属たちは、 皆もとの主を棄てて新しい天人に従う。 また威徳のある天人があって、 その心に従わぬ時は宮殿から追い出されて、 住むことができないようにされる。 «瑜伽論» に依る。
他の五つの欲界の天にも、 すべてこの苦しみがある。 上の三界、 すなわち色界と無色界の中には、 このような事はないけれども、 結局、 下界に落ちてしまう苦しみがある。 さては*非ひ想そう非非ひひ想処そうしょでさえも、 無間地獄に落ちることは避けられぬのである。 これで知られるであろう、 天上界も楽しむべき所ではないのである。 
■総結厭相
【20】 
第七に総じて厭相を結せば、いはく、一篋、ひとへに苦し。 耽荒すべきにあらず。 四の山合せ来らば、避れ遁るところなし。 しかも、もろもろの衆生は貪愛をもつてみづから蔽ひて、深く五欲に着せり。 常にあらざるを常といひ、楽にあらざるを楽といへり。 かの、癰を洗ひ睫を置くがごとき、なほいかんぞ厭はざらん。
いはんやまた刀山・火湯、やうやくまさに至りなんとす。 いづれの有智のものか、この身を宝玩せんや。 ゆゑに『正法念経』の偈にのたまはく、
「智者のつねに憂ひを懐くこと、なほ獄のなかに囚はれたるに似たり。愚人のつねに歓楽すること、なほ光音天のごとし」と。
『宝積経』の偈にのたまはく、
「種々の悪業をもつて財物を求めて、妻子を養育して歓娯すと謂へども、命終の時に臨みて、苦、身に逼り、妻子もよくあひ救ふものなし。かの三途の怖畏のなかにおいては、妻子および親識を見ず。車馬・財宝は他人に属しぬ。苦を受くるに、たれかよくともにして分つものあらん。父母・兄弟および妻子、朋友・僮僕ならびに珍財も、死して去りぬれば、一として来りあひ親しむものなし。ただ黒業のみありてつねに随逐せり。{乃至}閻羅つねにかの罪人に告ぐ。〈少罪もわがよく加ふることあることなし。なんぢみづから罪を作りて、いまみづから来れり。業報みづから招く、代るものなし。父母・妻子もよく救ふことなし。ただまさに出離の因を勤修すべし〉と。このゆゑに枷鎖の業を捨てて、よく遠離を知りて安楽を求むべし」と。
また『大集経』の偈にのたまはく、
「妻子・珍宝および王位も、命終の時に臨みては、随はざるものなり。ただ戒とおよび施と不放逸と、今世・後世に伴侶となる」と。
かくのごとく展転して、悪を作りて苦を受け、いたづらに生じいたづらに死して、輪転際なし。 『経』(雑阿含経)の偈にのたまふがごとし。
「一人一劫のなかに受けたるところのもろもろの身骨を、つねに積みて腐敗せずは、毘布羅山のごとし」と。
一劫すらなほしかなり。 いはんや無量劫をや。 われらいまだかつて道を修せざるがゆゑに、いたづらに無辺劫を歴たり。 いまもし勤修せずは、未来もまたしかるべし。 かくのごとく無量生死のなかには、人身を得ることはなはだ難し。 たとひ人身を得たれども、もろもろの根を具することまた難し。 たとひ諸根を具すれども、仏教に遇ふことまた難し。 たとひ仏教に遇ふとも、信心をなすことまた難し。 ゆゑに『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「人趣に生るるものは爪の上の土のごとし。 三途に堕つるものは十方の土のごとし」と。
『法華経』の偈にのたまはく、
「無量無数劫にも、この法を聞くことまた難し。よくこの法を聴くもの、この人また難し」と。
しかるをいま、たまたまこれらの縁を具せり。 まさに知るべし、苦海を離れて浄土に往生すべきこと、ただ今生にのみあり。 しかるをわれら、頭に霜雪を戴きて、心は俗塵に染めり。 一生は尽きぬといへども、悕望は尽きず。
つひに白日の下を辞して、独り黄泉の底に入る時、多百踰繕那の洞然たる猛火のなかに堕ちて、天に呼ばはり地を扣くといへども、さらになんの益かあらんや。
願はくはもろもろの行者、疾く厭離の心を生じて、すみやかに出要の路に随ふべし。 宝の山に入りて手を空しくして帰ることなかれ。
問ふ、なんらの相をもつてか厭心をなすべき。 答ふ、もし広く観ぜんと欲はば、前の所説のごとし。 六道の因果、不浄・苦等なり。
あるいはまた龍樹菩薩の、禅陀迦王を勧発する偈(龍樹為王説法要偈)にいはく、
「この身は、不浄、九の孔より流れて、窮まり已むことあることなきこと、河海のごとし。薄き皮、覆ひ蔽して清浄なるに似たれども、瓔珞を仮りてみづから荘厳せるがごとし。もろもろの有智の人はすなはち分別して、その虚誑なるを知りてすなはち棄捨す。たとへば疥者の、猛焔に近づきて、初めはしばらく悦ぶといへども、後には苦を増すがごとし。貪欲の想もまたしかなり。始め楽着すといへども、つひには患ひ多し。身の実相はみな不浄なりと見る。すなはちこれ空・無我を観ずるなり。もしよくこの観を修習するものは、利益のなかにおいてもつとも無上なり。色・族および多聞ありといへども、もし戒・智なければ禽獣のごとし。醜賤に処し、聞見少なしといへども、よく戒・智を修するを勝上と名づく。利衰の八法、よく免るることなし。もし除断することあるは、まことに匹なし。もろもろの沙門・婆羅門・父母・妻子および眷属の、かの意のためにその言を受けて、広く不善・非法の行を造ることなかれ。たとひこれらがためにもろもろの過を起せども、未来の大苦はただ身に受く。それ衆悪を造れども、ただちに報いず。刀剣のこもごも傷割するがごとくにはあらず。終りに臨み、罪あひはじめてともに現じて、後に地獄に入りてもろもろの苦に嬰る。信・戒・施・聞・慧・慚・愧、かくのごとき七法を聖財と名づく。真実にして無比の牟尼の説なり。世間のもろもろの珍宝に超越せり。足ることを知りぬれば、貧しといへども富めりと名づくべし。財あれども欲多きは、これを貧と名づく。もし財業に豊かなれば、もろもろの苦を増すこと、竜の首多きは酸毒を益すがごとし。まさに観ずべし、美き味はひは毒薬のごとし。智慧の水をもつて灑ぎて浄からしめよ。この身を存ぜんがために食すべしといへども、色味を貪じて驕慢を長ずることなかれ。もろもろの欲染においてまさに厭ふことをなして、つとめて無上涅槃の道を求むべし。この身を調和して安穏ならしめて、しかして後によろしく斎戒を修すべし。一夜を分別するに五時あり。二時のなかにまさに眠息すべし。初・中・後夜には生死を観じて、よろしくつとめて度を求めて空しく過ぐすことなかれ。たとへば少塩を恒河に置けるに、水をして鹹味あらしむることあたはざるがごとく、微細の悪は衆善に遇ひぬれば、消滅散壊すること、またかくのごとし。梵天の離欲の娯しみを受くといへども、還りて無間の熾然の苦に墜つ。天宮に居して光明を具せりといへども、後には地獄の黒闇のなかに入る。いはゆる黒縄・活地獄の、焼・割・剥・刺および無間なり。この八の地獄はつねに熾然なり。みなこれ衆生の悪業の報なり。もし図画を見、他の言を聞き、あるいは経書に随ひてみづから憶念し、かくのごとくして知る時にすらもつて忍びがたし。いはんやまたおのが身にみづから経歴せんをや。もしまた人ありて一日のうちに、三百の矛をもつてその体を鑚さんも、阿鼻獄の一念の苦に比ぶるに、百千万分にして一にも及ばず。畜生のなかにおいても、苦は無量なり。あるいは繋縛および鞭撻せらるることあり。あるいは明珠・羽・角・牙、骨・毛皮・肉のために残害せらるることを致す。餓鬼道のなかの苦もまたしかなり。もろもろの所須の欲意に随はず。飢渇に逼せられて寒熱に困しむ。疲乏等の苦、はなはだ無量なり。屎尿糞穢のもろもろの不浄すら、百千万劫によく得ることなし。たとひまた推し求めて少分を得れども、さらにあひ劫奪して、尋いで散失しぬ。清冷の秋の月にも焔熱を患へ、温和の春の日にもうたた寒苦す。もし園林に趣けば、衆菓尽き、たとひ清流に至れども変じて枯竭しぬ。罪業の縁のゆゑに、寿、長遠にして、経ること一万五千歳あり。もろもろの楚毒を受くるに空しく欠くることなし。みなこれ餓鬼の果報なり。煩悩の駃き河、衆生を漂はし、深き怖畏、熾然の苦となる。かくのごときもろもろの塵労を滅せんと欲はば、真実の解脱の諦を修すべし。もろもろの世間の仮名の法を離れて、すなはち清浄の不動の処を得よ」と。[以上、百十行の偈あり。いま略してこれを抄す。]
もし略を存ぜば、馬鳴菩薩の、頼吒和羅の伎声に唱へていふがごとし。
「有為の諸法は、幻のごとく化のごとし。三界の獄縛は、一としても楽しむべきことなし。王位高顕にして、勢力自在なれども、無常すでに至りぬれば、たれか存ずることを得るものあらん。空中の雲の、須臾に散滅するがごとし。この身は虚偽なること、なほ芭蕉のごとし。怨たり賊たり、親近すべからず。毒蛇の篋のごとし。たれかまさに愛楽すべき。このゆゑに諸仏、つねにこの身を呵したまふ」(付法蔵因縁伝)と。{以上}
このなかにつぶさに無常・苦・空を演ぶ。聞くもの道を悟る。あるいはまた堅牢比丘の壁の上の偈(宝積経)にのたまはく、
「生死の断絶せざるは、貪欲嗜味なるがゆゑなり。怨を養ひて丘塚に入りて、虚しくもろもろの辛苦を受く。身の臭きこと死屍のごとし。九の孔より不浄を流す。廁の虫の、糞を楽しむがごとく、愚にして身を貪ずるも異なることなし。憶想して妄りに分別する、すなはちこれ五欲の本なり。智者は分別せざれば、五欲すなはち断滅す。邪念より貪着を生じ、貪着より煩悩を生ず。正念にして貪欲なければ、余の煩悩また尽きぬ」と。{以上}
過去の弥楼犍駄仏の滅後に、正法滅せし時に、陀摩尸利菩薩、この偈を求め得て仏法を弘宣し、無量の衆生を利益せり。 あるいはまた『仁王経』に四非常の偈あり。見つべし。 もし極略を楽はば、『金剛経』にのたまふがごとし。
「一切有為の法は、夢と幻と泡と影とのごとし。露のごとくまた電のごとし。かくのごとき観をなすべし」と。 あるいはまた『大経』(大般涅槃経)の偈にのたまはく、
「諸行は無常なり。これ生滅の法なり。生滅滅しをはりて、寂滅なるを楽となす」と。{以上}
祇園寺の無常堂の四の隅に、頗梨の鐘あり。鐘の音のなかにまたこの偈を説く。 病僧音を聞きて、苦悩すなはち除こりて、清涼の楽を得ること、三禅に入り浄土に生れなんとするがごとし。 いはんやまた、雪山の大士、全身を捨ててこの偈を得たり。 行者よく思念して、これを忽爾にすることを得ざれ。
説のごとく観察して、まさに貪・瞋・痴等の惑業を離るること、獅子の、人を追ふがごとくにすべし。 外道の無益の苦行をなして、痴ななる狗の、塊を追ふがごとくすべからず。
問ふ。 不浄・苦・無常、その義了りやすし。 現に法体あるをば見るに、なんぞ説きて空となす。 答ふ。 あに『経』(金剛経)に説かずや、「夢・幻・化のごとし」と。 ゆゑに夢の境に例して、まさに空の義を観ずべし。
『西域の記』(大唐西域記)にいふがごとし。 「婆羅痆斯国の施鹿林の東、行くこと二三里にして、涸れたる池あり。 昔、一の隠士ありて、この池の側にして廬を結び迹を屏てて、博く伎術を習ひ、神理を究極して、よく瓦礫をして宝となし、人畜をして形を易へしむ。 ただしいまだ風雲に馭りて仙駕に陪することあたはず。 図を閲き、古を考へて、さらに仙術を求む。
その方にいはく、一の烈士に命じて、長き刀を執りて壇の隅に立ち、息を屏て言を絶ちて、昏より旦に逮ばしむ。 仙を求むるものは中壇に坐し、手に長き刀を接り、口に神呪を誦し、視を収め聴を反じて、遅明に仙に登ると。 つひに仙の方によりて一の烈士を求めて、しばしば重貽を加へ、潜かに陰徳を行じき。 隠士のいはく、〈願はくは、一夕、声せざらんのみ〉と。 烈士のいはく、〈死すらなほ辞せじ。 あにいたづらに息を屏てんをや〉と。 ここにおいて壇場を設け、仙の法を受け、方によりて行事して、坐して日の曛るるを待つ。 曛暮の後におのおのその務を司どる。 隠士は神呪を誦し、烈士は銛刀を按ぜり。 ほとほとまさに暁けなんとするに、たちまちに声を発して叫ぶ。 時に隠士問ひていはく、〈子に声することなかれと誡めつ。 なにをもつてか驚き叫ぶ〉と。
烈士のいはく、〈命を受けて後、夜分に至るに、惛然として夢のごとくして、変異さらに起れり。 見れば、昔、事へし主、みづから来りて慰謝す。 厚恩を荷へることを感じて、忍びて報語せず。 かの人震怒して、つひに殺害せられぬ。 中陰の身を受けて、屍を顧みて嘆惜す。
なほ願はくは、世を歴とも言はずしてもつて厚徳を報ぜんと。 つひに見れば、南印度の大婆羅門の家に託生す。 乃至、胎を受け胎を出づるに、つぶさに苦厄を経れども、恩を荷ひ徳を荷ひてかつて声を出さず。 業を受け、冠婚し、親を喪ひ、子をなすに洎ぶまで、つねに前の恩を念ひて忍びて語らず。 宗親戚属ことごとく見て怪異す。
年六十有五に過ぎて、わが妻謂りていはく、《なんぢ、言ふべし。 もし語らずは、まさになんぢが子を殺すべし》と。 われ時に惟念すらく、《すでに生世を隔つ。 みづから顧みるに、衰老して、ただこの稚子のみありと。 よりてその妻を止めて、殺害することなからしめん》と。 つひにこの声を発せるのみ〉と。 隠士のいはく、〈わが過なり。 これ魔の嬈ませるのみ〉と。 烈士、恩を感じて、事のならざるを悲しみて、憤恚して死せり」と。 {以上略抄}夢の境、かくのごとし。 諸法もまたしかなり。
妄想の夢、いまだ覚めざれば、空において、いひて有となす。 ゆゑに『唯識論』(意)にいはく、「いまだ真の覚を得ざるときは、つねに夢のなかに処せり。 ゆゑに仏説きて、生死の長夜となしたまふ」と。
問ふ。 もし無常・苦・空等の観をなさば、あに小乗の自調・自度に異ならんや。
答ふ。 この観は小に局らず。 また通じて大乗にもあり。 『法華』にのたまふがごとし。
「大慈悲を室となす。柔和忍辱は衣なり。諸法の空を座となす。ここに処してために法を説け」と。{以上}
諸法の空の観、なほ大慈悲心を妨げず、いかにいはんや苦・無常等は菩薩の悲願を催すをや。 このゆゑに『大般若』等の経に、不浄等の観をもつてまた菩薩の法となす。 もし知らんと欲はば、さらに経の文を読め。
問ふ。 かくのごとき観念は、なんの利益かある。
答ふ。 もしつねにかくのごとく心を調伏すれば、五欲微薄にして、乃至、臨終には正念にして乱れず、悪処に堕ちざるなり。 『大荘厳論』の勧進繋念の偈にいふがごとし。
「盛年にして患ひなき時には、懈怠にして精進せず。もろもろの事務を貪営して、施と戒と禅とを修せず。死のために呑まるるに臨みて、まさに悔いて善を修することを求む。智者は観察して、五欲の想を断除すべし。精勤習心のものは、終時に悔恨なし。心意すでに専至なれば、錯乱の念あることなし。智者はつとめて心を捉れば、終りに臨みて意散ぜず。習心専至ならざれば、終りに臨みてかならず散乱す」と。{以上}
また『宝積経』の五十七の偈にのたまはく、
「この身を観ずべし。筋脈たがひに纏繞せり。湿へる皮あひ裹み覆ひて、九の処に瘡門あり。周遍してつねに屎尿のもろもろの不浄を流溢せり。たとへば舎と篅とに、もろもろの穀麦等を盛れるがごとく、この身もまたかくのごとし。雑穢そのなかに満てり。骨の機関を運動するに、危脆にして堅実にあらず。愚夫はつねに愛楽すれども、智者は染着することなし。洟・唾・汗つねに流れ、膿血つねに充満せり。黄なる脂は乳汁に雑はり、脳は髑髏のなかに満つ。胸鬲には痰癊流れ、うちに生熟臓あり。肪膏と皮膜と、五臓のもろもろの腹胃とあり。かくのごとき臭爛等の、もろもろの不浄と同じく居せり。罪の身は深く畏づべし。これはすなはちこれ怨家なり。無識耽欲の人は、愚痴にしてつねに保ちて護れども、かくのごとき臭穢の身は、なほ朽ちたる城廓のごとし。日夜に煩悩に逼められて、遷流してしばらくも停まることなし。身の城、骨の墻壁、血肉をもつて塗泥となし、画彩の貪・瞋・痴、処に随ひて枉飾せり。悪むべし骨身の城、血肉あひ連合し、つねに悪知識に内外の苦をもつてあひ煎ぜらる。難陀、なんぢまさに知るべし。わが所説のごとく、昼夜つねに繋念して、欲境を思ふことなかれ。もし遠離せんと欲はば、つねにかくのごとき観をなし、解脱の処を勤求せば、すみやかに生死の海を超えん」と。{以上}
諸余の利益は『大論』(大智度論)・『止観』等を見るべし。  
第七に、 総じてこの三界*六道ろくどうの厭うべき有様を結んで述べると、 すなわちこの身体は苦しみばかりをおさめた箱であって、 すべて、 執着し楽しむようなものではない。 生・老・病・死という四つの山は押し合って迫り、 避け逃げる場所はない。 それなのに、 多くの人々はものを貪り愛する心で、 われとわが身を包み、 深く五欲に執着して、 常ではないものを常だと思い、 楽ではないものを楽だと思う。 ちょうど、 癰ようを洗って、 ちょっと楽になったのを本当に楽だと思い、 睫まつげを掌に置いて、 それが目の中に入った時の苦しみを思わぬようなものである。 どうして厭わずにおられようか。 まして、 剣の山、 炎の湯は次第に近づいて来ようとする。 智慧のある人は、 誰が、 この肉体を宝として愛でようか。 それ故に «正法念経» の偈に説かれている。
智慧ある人は たえず憂いをいだいて さながら牢屋に囚われているようである
愚かな人は たえず楽しみに耽ふけって あたかも*光音こうおん天てんの楽しみのように思っている
«宝積経» の偈に説かれている。
いろいろの悪い行いで財宝を集め 妻子を養って楽しみと思うが
命の終る時になると苦しみは身にせまり 妻子もこれを救うことはできぬ
かの三悪道の恐ろしい中では 妻も子も知り合いのものも見えぬ
車も馬も財宝もすべて他人のものとなり この苦しみを共に分かちあうものは誰もない
父母も兄弟も妻も子も 友も僕しもべも財宝も
死んでしまえばひとりとして来り親しむものはない ただ悪業だけが常につきまとう  (中略)
閻魔王はいつも かの罪人に告げる 「僅かの罪でも われは汝につけ加えはしない
汝自身が罪を作って 今みずから来たのだ 業報は自分で招いたので 誰も代る者はない
父母も妻子も救うことのできる者はない ひたすら出離さとりの因たねを勤め修むべきである」 と
この故にぜひとも悪道に縛られる行いを棄てて よく娑婆を厭うて安楽の世界を願うべきである
また «大集経» の偈に説かれている。
妻子も珍宝もまた王の位も 命の終る時には 随う者はさらにない
ただ持戒と布施と不放逸とは 今の世も後の世も伴侶ともとなる
このように、 めぐり転って、 悪を造っては苦しみを受け、 空しく生死を繰返し、 車輪の回るように極まりがない。 経の偈に説くとおりである。
ただ一人が一劫のあいだに 受ける多くの身の骨が
たえず積もって腐らないなら *毘布びふ羅ら山せんのようになろう
一劫でさえもそのとおりである。 まして、 無量劫においては、 なおさらである。 私たちは、 これまでにまだ、 仏道を修行しなかったから、 空しく限りない長い劫を経たのである。 今、 もし仏道を勤め修めないならば、 未来もまた同じことになるだろう。 このように限りなく続く生死の中で、 人間の身を得ることは非常に難しい。 たとい、 人間に生まれることができても、 不具者でない完全な身体を保つこともまた難しい。 たとい、 完全な身体を具えても、 仏のみ教に遇うことはまた難しい。 たとい仏のみ教に遇うことができても、 信心を起こすことはまた難しい。 それ故、 «涅槃経» に説かれている。
人間界に生まれる者は爪の上の土ほどだが、 三悪道に落ちる者は十方世界の土のように多い。
«法華経» の偈に説かれている。
はかりない無数の劫を経ても このみ法のりを聞くことはまたむずかしい
よくみ法を聞く者は この人もまたまたむずかしいことである
ところが、 今、 たまたまこれらの縁たよりを具えている。 これで知られよう、 迷いの苦しい海を離れて、 浄土に往生することになるのは、 ただ今生で決まることなのである。 それなのに私たちは、 頭には霜や雪と見まごう白髪を戴きながら、 心は浮世の塵に染まり、 この一生は終ろうとするのに、 いろいろな望みは尽きない。 とうとう日の照るこの世を離れ、 ひとり黄泉よみの底に入る時は、 数百由旬も燃えさかる猛火の中に落ちて、 天に呼び地を叩いて歎いても、 何の役にもたたぬのである。 多くの仏道修行の人たちよ、 何とぞ早くこの世を厭い離れる心を起こし、 速やかに娑婆を出る道にしたがうがよい。 宝の山に入りながら、 手を空しくして帰ってはならない。
問う。 どういうあり方で、 この世を厭う心を起こすべきであろうか。
答える。 もし、 広く観じようとおもえば、 前に説いたように、 地獄から天道までの六道の因果、 不浄・苦などがある。 あるいはまた、 龍樹菩薩が、 禅ぜん陀迦だか王おうを勧められた偈にいわれている。
この身は不浄なものが九つの穴から流れ 川や海のように果もなく続いている
薄い皮が覆い隠し うわべは浄らかそうでも 瓔珞をつけて われと飾っているようなもの
多くの智慧ある人ははっきりと見定め その偽りの姿を知って棄てる
譬えば疥ひぜんの人が烈しい炎に近づけば 初め暫くは気持ちがよくても後に苦しみが増すようなものである
貪欲むさぼりの思いも またまた同じことで 初めには楽しんで執着するが 後には患うれいが多い
このみのまことの相すがたは みな不浄と見る これすなわち空・無我を観ずるものである
もしこの観を修めることができる者は 利益の中でも最もすぐれている
容貌がよく家柄も高く博識であっても 戒と智の無いものは さながら鳥獣のようである
顔醜く 家柄低く 学問は浅くても よく戒と智を修める者を勝れた人と名づける
利衰などの八法は免れうる者はない もし除き断つことがあればまことに匹たぐいがない
すべての出家や修道者 父母・妻子 また親族などの
気持ちを迎えて その言葉を受け入れ 広く不善・非法の行いをしてはならぬ
もしこれらのために多くの過あやまちを犯せば 未来の大苦はただわが身に受けるばかり
多くの悪事を犯してもすぐには報いず 刀で傷つけ割かれるようなことではないが
命の終る時に罪のすがたが始めてみな現われ 後 地獄に堕ちていろいろの苦しみを受ける
信と戒と施と聞と慧と慚と愧と このような七つのものを聖なる財たからと名づける
真実で比べものはないと仏が説きたもう この世のいろいろの珍しい宝に超えすぐれている
足ることを知るならば貧しくても富むと言える 財産はあっても欲望が多ければこれを貧しいと名づける
もし財産が豊かであればいろいろの苦を増す 龍は首が多ければ苦しみを増すようなものである
美味は毒薬のようだと観じ 智慧の水を注いで浄らかにさせるべきである
この身を保つためには食べねばならぬが むやみに美食を求めて憍慢の心を増してはならぬ
いろいろの欲望に対しては厭う心を起こし 勤めて無常涅槃の道を求むべきである
この身を整えて安らかにさせ その後に斎戒を修めるがよい
一夜を分けて五つの時とする そのうちの二時の中に眠り休むべきである
初夜・昼夜・後夜の三時には生死を観じ 勤めてさとりを求め 空しく過ごしてはならぬ
譬えば僅かの塩を恒河に入れても 水に塩辛い味をつけることができぬように
わずかの悪は多くの善に遇うと 消え去ってしまうこと またこのようである
たとい梵天の欲を離れた楽しみを受けても また炎の燃えさかる無間地獄の苦しみに堕ちる
天の宮に住み光明を具えていても 後には地獄の暗闇の中に入る
いわゆる黒縄や等活地獄の 焼き割き剥ぎ刺す苦 さては無間地獄
これら八地獄がたえず盛んに燃えるのは すべて衆生の悪行の報いである
地獄絵を見たり人の話を聞いたり さては 経文を見て自分で思い浮かべ
こうして地獄の苦を知っただけでも忍びがたい まして自ら地獄を経回めぐるときはなおさらである
もしまた人あって一日の内に 三百の矛でその身を刺しても
阿鼻 (無間) 地獄での一瞬の苦しみに比べると 百千万分の一にも及ばない
畜生道に落ちても 苦しみは限りない 繋ぎ縛られるものもあれば鞭うたれるものもある
さては明珠や羽・角・牙 骨や毛皮や肉を取るために殺されるものもある
餓鬼道の中の苦しみもまた同じことである 欲しいものは思うように手に入らず
飢渇に迫られ 寒熱に苦しみ 身心疲れ 物に乏しいなど 苦しみは限りがない
糞尿などの穢物その他の不浄さえ 百千万劫にも手に入れることができぬ
たといまた尋ね求めて僅かばかりを得ても 更にまた奪い取られて失ってしまう
涼しい秋の月にも暑さを患え 暖かい春の日にも甚だ寒さに苦しむ
園や林に行けば食べようとする果実は皆なくなり 清い流ながれに至ると飲もうとする水はにわかに干上る
罪業の縁えにしのために命は長く 一万五千の年を経る
多くの苦しみを受けて欠けることのないのは すべて餓鬼の果報むくいである
煩悩の急流は衆生を漂わし 深い恐れの燃え上る苦しみとなる
このような多くの煩悩を滅しようと思うなら ぜひとも真実の解脱の道を修めよ
この世の多くの仮のすがたを離れるならば 清浄不動の処を得るであろう 以上。 百十行の偈がある。 今は抜き書きした。
もし簡略に示すなら、 *馬め鳴みょう菩薩の作った頼らい≠ス和羅わらという伎楽に唱うたわれているとおりである
迷いのすべてのものは、 幻のごとく仮のものである 三界の牢獄に縛られ 楽しむべきものは一つもない
王位は高く際立って精力は自在であっても 無常の風が訪れると 保ち得る者は誰もない
あたかも空中の雲のごとくたちまちに散り果てる この身の虚しいことはさながら芭蕉のようである
怨あだとなり賊となり 親しみ近づくことはできぬ 毒蛇を入れた箱のようで誰が愛で楽しもうか
それ故諸仏は常にこの身を責めたもう 以上
この中に、 詳しく無常・空・無我の理ことわりを述べてあるから、 聞く者は、 仏道を悟るのである。 また、 堅牢比丘の石窟の壁に書かれている偈にいわれている。
生死の迷いを断ち得ぬのは 貪欲むさぼりに耽ふけるがためである
怨あだを養うて墓に入り 空しく多くの苦しみを受ける
この身の臭いことは死骸のようであり 九つの穴から不浄を流す
厠の虫が糞を喜ぶように 愚かな者はこの身を貪る
思い乱れるいろいろの考えが 五欲の源となる
智慧のある人は執らわれることなく 五欲はすぐに断ち切える
邪な思いから頓着むさぼりが起こり 頓着から煩悩が起こる
正しい思いで貪欲がなければ 他の煩悩もまた尽きる 以上
昔、 弥楼みる犍けん駄だ仏の滅後、 正法が滅んだ時、 陀摩だま尸利しり菩薩が、 この偈を求め得て仏法をひろめ、 無量の衆生を利益したという。 さらにまた、 «仁王経» に、 無常・苦・空・無我の四非常を述べた偈があるから見るがよい。 もし、 極めて簡略なことを願うなら «金剛経» に説かれているとおりである。
すべてうつりゆくものは 夢や幻 泡や影のようであり
また露や電いなづまのようであると このように観ずべきである
あるいはまた、 «涅槃経» の偈に説かれている。
あらゆるものは無常であり これが消滅の法である
消滅の相がなくなれば これが寂滅さとりの楽である 以上
祇園寺の無常堂の四隅に、 頗梨の鐘があって、 その鐘の音ねの中うちにもまたこの偈を説く。 病気の僧が、 その鐘の音を聞くと、 苦しみがすぐ除かれ、 さわやかな楽しみを感じ、 三昧に入るごとく浄土に生まれたという。 また雪山で道を求めた大士は、 身を捨てて、 この偈を得られたということである。 仏道を行ずる人たちよ、 よく思いを回めぐらされよ。 決してうっかりしてはならぬ。 仏の説きたもうように観察して、 貪むさぼり・瞋いかり・痴おろかなどの迷いの業わざを離れるありさまは、 獅子が人間を追いかけるようにするがよい。 愚かな犬が土塊つちくれを追うように、 外道の真似をして無益な苦行をするようなことがあってはならぬ。
問う。 不浄・苦・無常の三つは、 その訳がよくわかる。 ところで、 現に、 ものは存在しているのに、 どうして 「空」 と説くのか。
答える。 経に 「夢・幻・化のようだ」 と説かれてあるではないか。 それ故、 夢の世界に例を求めて、 空の意義を考えて見よう。 «西域記» にいうとおりである。
婆羅はら痆斯なし国の施せ鹿ろく林の東、 二三里ばかり行くと干上った池がある。 むかし、 一人の世捨人がいた。 この池のほとりに庵を結んで身を隠し、 いろいろと技術を習って奥深い道理を究め、 瓦や石塊いしくれを宝物に変えたり、 人や獣などのすがたを変化させることができた。 けれども、 まだ風雲に乗って天上の仙界に赴くことができなかった。 そこでいろいろと書物を調べ、 古くからの事を考え、 更に仙術を求めた。 その手段というのは 「一人の勇士に命じて、 長い刀を手にもって壇の隅に立たせ、 息を殺し、 無言のまま、 夕方から夜明けまで続けさせる。 仙人になりたい者は、 中央の壇に坐り、 手に長い刀を執り、 口に不思議な呪文を唱え、 見ることも聞くこともしないままで、 夜明けまで修行すると、 仙人になって天に登る」 というのである。 とうとう、 この仙術のやり方に依って、 一人の勇士を探し出し、 さいさい手厚い贈物を与え、 内々に恩徳を施した。 そして世捨人がいうよう、 「どうか、 一晩中、 声を出さないでいてくれ」 と。 その勇士は 「死ぬことさえ厭いません。 無言の行くらい何でありましょう」 といった。
そこで修行の道場を設け、 仙法を受け、 やり方どおりに行事を取り行った。 そして、 日暮を待ち、 日が暮れると、 それぞれ自分の任務についた。 世捨人は不思議な呪文を唱え、 勇士は鋭い刀を手にした。 ところが、 もう夜明けになろうとする時、 にわかに声を出して叫んだ。 その時、 世捨人は問うていうよう、 「君によく注意して、 声を立てないようにといったのに、 どうして驚いて叫んだのか。」 勇士がいうよう、 「仰せを受けてから、 夜中になると、 ぼんやりとしてしまい、 夢のように、 いろいろと不思議なことが起こりました。 むかし、 仕えた主人が、 わざわざ来て慰めてくださるのを見ましたが、 あなたの手厚い御恩を受けている事を感じて、 辛抱して返事をしませんでした。 すると、 その主人は激怒し、 とうとう私は殺されて中陰の身を受けました。 自分の死骸を眺めて、 歎き惜しみはしましたが、 それでもなお世々を経ても、 無言を続け、 それであなたの手厚い御恩に報いたいと願いました。 ついに私は南印度の大婆羅門の家に生まれかわったのです。 母胎に宿り、 誕生後、 いろいろと苦しみを受けてきましたが、 あなたの恩徳を受けている事を思って、 一度も声を出しませんでした。 さて、 加行をうけつぎ、 結婚し、 親をうしない子供のできた後にも、 たえず前生の御恩を思い、 辛抱して無言を続けたので、 親戚中の人が、 みな不思議がっていました。 六十五才を過ぎた時、 私の妻が ¬あなた、 お話をしてください。 もし、 そうでなければ、 あなたの子供を殺しますよ¼ といいました。 私はその時に思いました。 ªもう今では、 前生と違っている。 自分のありさまを考えると、 年老い衰えて、 ただ、 このおさな児だけしかない。 それゆえ、 妻が子供を殺すのを止めさせようº と。 それで、 とうとう、 こういう声を出したのでございます。」 世捨人がいった。 「自分の過ちであった。 これは悪魔が邪魔をしたのだ。」 かの勇士は、 世捨人の恩を感じ、 仙術が失敗したことを悲しみ、 憤りのあまり死んでしまった。 以上。 抜き書きした。
夢の世界は、 このようなものである。 あらゆるものも、 やはり同様である。 妄想の夢がまだ覚めないので、 空なるものを実の有であると考えている。 それゆえ «*唯識ゆいしき論ろん» にいわれている。
まだ真の覚さとりを得ない時は、 常に夢の中にいるようである。 それゆえ仏は生死まよいの長夜と説きたもうのである。
問う。 もし、 無常・苦・空などの観をするならば、 小乗の人が、 自分ひとりの道を修め、 ひとり解脱することと同じことではないか。
答える。 この観は、 小乗だけに限らないので、 大乗にも通じて存在するのである。 «法華経» に説かれているとおりである。
大慈悲を室へやとし 柔和・忍辱を衣として
あらゆるものの空を座とし ここに坐って法をとこう 以上
すべてのものが空であることを観ずることでさえ、 大慈悲心を邪魔するものではない。 まして、 苦・無常などの観は、 菩薩の願を促すのである。 それゆえ、 «大般若» などの経には、 不浄観などをも、 菩薩の法としている。 もし知ろうと思う者は、 さらに経文を読むがよい。
問う。 このように観ずると、 どんな利益があるのか。
答える。 もし、 たえずこのように心を調ととのえ鎮しずめると、 五欲が次第に薄れて、 命の終る時には、 正しい思いを保って乱れず、 悪い世界に落ちないのである。 «*大だい荘しょう厳ごん論ろん» の、 正しい思いを起こす事を勧める偈にいうとおりである。
年若く憂いもない時は 怠って道に努めず
世の中の努めにあくせくし 施と戒と禅とを修めなかった者は
死のために呑まれようとする時 はじめて後悔して善を修めようと望む
智慧ある者は観察し 五欲の思いを断ち除くがよい
努めて道に励むものは 命の終る時 悔いる思いはない
心が道にひたすらであれば 乱れ誤る思いはない
智慧ある者は務めて心を保てば 臨終には心乱れず
心を励むこと専らでないならば 臨終には必ず心が散り乱れる
また «宝積経» の第五十七巻の偈に説かれている。
この身を観ずることをせよ 筋と脈とはたがいにまつわり繞めぐり
湿うるおう皮は包み覆う 九つの所に出口があって
糞尿その他不浄のものが 遍く常に流れ出る
さながら 倉と笊ざるの中に 多くの米や麦を盛るがようである
この身も ちょうどそのように いろいろの穢きたないものが その中に充ちている
骨の機関あやつりを動かせば 危なくもろくて確かでない
愚かな者は たえず愛し好むけれども 智慧ある者は執着することがない
洟はな・唾つばき・汗はたえず流れ 膿血はいつも満ちみちている
黄色い脂は乳と混ざり 脳は髑髏の中に満ちる
胸には粘ねばい痰が流れ 内にはさまざまの内臓がある
脂肪あぶらと皮膚と 五臓やその他の胃腸など
このように臭く爛れた 多くの不浄と共に住む
この罪多い身は深く恐れるがよい これこそ仇あだ敵かたきの家なのだ
それをも知らずに耽ふけり貪る人は 愚かにもこの身をたえず護るが
このように臭く穢れた身は さながら朽ちはてた城のようである
昼も夜も煩悩に逼せめられ 移り流れて暫くも止とどまることはない
この身は城 骨は壁 地や肉を泥とする
貪むさぼり・瞋いかり・痴おろかを絵具として その場所ごとに色どり飾る
骨身の城を憎むがよい 血と肉は互いに連らなり
いつも悪い知識とものために 内外の苦で煎いられるようである
難陀よ 汝はよく心得るがよい わたしが説き聞かせたように
昼夜にたえず思いをかけ 欲望の世界を思ってはならぬ
もし 遠ざけ離れようと思う者は 常にこのような観を修め
解脱さとりの世界を求めるならば 速やかに生死まよいの海を超える 以上
その他の利益は «大論»・«止観» などを見るがよい。 
 

 

第二 欣求浄土
【21】 
大文第二に、欣求浄土といふは、極楽の依正は功徳無量なり。 百劫・千劫に説くとも尽すことあたはじ。 算分・喩分もまた知るところにあらず。 しかも『群疑論』には三十種の益を明かし、『安国の抄』には二十四の楽を摽せり。 すでに知りぬ。
称揚はただ人の心にあり。 いま十の楽を挙げて浄土を讃ずること、なほ一毛をもつて大海をHらすがごとし。 一には聖衆来迎の楽、二には蓮華初開の楽、三には身相神通の楽、四には五妙境界の楽、五には快楽無退の楽、六には引接結縁の楽、七には聖衆倶会の楽、八には見仏聞法の楽、九には随心供仏の楽、十には増進仏道の楽なり。
大文第二に欣求浄土というのは、 極楽の国土と衆生とは、 その功徳が無量で、 百劫・千劫という長い間かかっても、 説き尽すことはできない。 数でも喩えでも、 また知りわけられることではない。 けれども、 «*群ぐん疑ぎ論ろん» には極楽浄土の三十種の徳益を明かし、 «*安国あんこく鈔しょう» には二十四種の楽を挙げている。 そこで、 極楽を称ほめたたえることは、 ただ人の考え方によるということが知られる。
今、 私は十種の楽を挙げて、 極楽浄土を讃ほめようと思うが、 それはちょうど、 一筋の毛で大海の水を滴らせるようなものである。 第一には聖衆来迎の楽、 第二には蓮華初開の楽、 第三には身相神通の楽、 第四には五妙境界の楽、 第五には快楽無退の楽、 第六には引接結縁の楽、 第七には聖衆倶会の楽、 第八には見仏聞法の楽、 第九には随心供仏の楽、 第十には増進仏道の楽である。 
■聖衆来迎楽
【22】 
第一に聖衆来迎の楽といふは、おほよそ悪業の人は、命尽くる時に、風・火先づ去る。 ゆゑに動熱して苦多し。 善行の人は、命尽くる時に、地・水先づ去る。 ゆゑに緩慢として苦なし。 いかにいはんや念仏の功積り、運心年深きものは、命終の時に臨みて大喜おのづから生ず。 しかる所以は、弥陀如来、本願をもつてのゆゑに、もろもろの菩薩、百千の比丘衆と、大光明を放ちて、皓然として目の前にまします。 時に大悲観世音、百福荘厳の手を申べ、宝の蓮台をフげて行者の前に至りたまひ、大勢至菩薩、無量の聖衆と、同時に讃嘆して手を授けて引接したまふ。 この時に行者、まのあたりみづからこれを見て、心中に歓喜し、身心安楽なること禅定に入るがごとし。 まさに知るべし、草菴に瞑目のあひだはすなはちこれ蓮台結跏の程なり。 すなはち弥陀仏の後に従ひ、菩薩衆のなかにありて、一念のあひだに、西方の極楽世界に生ずることを得。 [『観経』・『平等覚経』、ならびに伝記等の意による。]かの忉利天上の億千歳の楽も、大梵王宮の深禅定の楽も、これらのもろもろの楽は、いまだ楽となすに足らず。 輪転無際にして三途を免れず。
しかもいま、観音の掌に処し、宝の蓮華胎に託して、永く苦海を越過してはじめて浄土に往生しぬ。 その時の歓喜の心、言をもつて宣ぶべからず。 龍樹の偈(易行品)にいはく、
「もし人、命終の時に、かの国に生るることを得るものは、すなはち無量の徳を具す。このゆゑにわれ帰命したてまつる」と。
第一の聖しょう衆じゅ来迎らいこうの楽とは、 およそ悪い行いをした人の命が尽きる時には、 身体の中の風の要素と火の要素が、 まず無くなるから、 その人は動乱し発熱して苦しみが多い。 善い行いをした人の命が尽きる時には、 身体の中の地の要素と水の要素とが、 まず無くなるから、 その人の臨終はおだやかで、 苦しみがない。
まして、 念仏の功徳を積み、 極楽に心を寄せることに長い年月を重ねた者は、 臨終の時になると、 大きな喜びが自然と湧いて来る。 その訳は、 阿弥陀如来が、 その本願の通りに、 多くの菩薩や百千の比丘たちと共に、 大きな光明を放ち、 はっきりと目の前に現われたもう。 その時、 大悲の観世音菩薩は、 多くの福業を積んで成就せられた御手を差し伸ばし、 宝の蓮台を捧げて、 念仏行者の前に来られ、 大勢至菩薩は、 無量の聖衆とともに、 同時に讃めたたえ、 手を差しのべて引接せられるのである。 この時、 念仏行者は、 まのあたり自らこれを見て、 心の中で歓喜し、 身も心も、 禅定に入るように安楽だからである。 知るがよい、 草の庵で目を閉じる時が、 すなわち蓮はちすの台うてなに坐る時である。 そこで阿弥陀仏の後に従って、 菩薩たちの仲間に加わり、 一念の間に西方の極楽世界に生まれることができる。 «観経» «平等覚経» ならびに伝記などの意味に依る。
かの忉利天上の億千年もの楽しみや大梵王宮の深い禅定の楽しみ、 これらの多くの楽しみは、 まだ本当の楽しみとするには足らぬ。 それらは、 車の輪のように転じ変わることが際限もなく、 ついには三途を免れないのである。 ところが、 今、 観音の掌たなごころに乗り、 宝蓮の台うてなに託すると、 永く苦しみの海を越えて、 初めて浄土に往生するのである。 その時の歓喜よろこびの心は、 言葉で言い尽くすことはできない。
龍樹菩薩の偈 (易行品) にいわれている。
もし人が命終って 彼の国に生まれることを得たならば
すなわち量りない徳をそなえる それゆえわたしは帰命したてまつる 
■蓮華初開楽
【23】 
第二に蓮華初開の楽といふは、行者かの国に生じをはりて、蓮華はじめて開くる時に、あらゆる歓楽、前に倍せること百千なり。 なほ盲者の、はじめて明眼を得たるがごとし。 また辺鄙のたみの、たちまちに王宮に入れるがごとし。
みづからその身を見れば、身はすでに紫磨金色の体となり、また自然の宝衣ありて、鐶・釧・宝冠、荘厳無量なり。 仏の光明を見て清浄の眼を得、前の宿習によりてもろもろの法音を聞く。 色に触れ声に触れて、奇妙ならずといふことなし。 尽虚空界の荘厳は、眼、雲路に迷ひ、転妙法輪の音声は、聴き、宝刹に満てり。 楼殿・林池は表裏照曜し、鳧・雁・鴛鴦は遠近に群がり飛ぶ。 あるいは衆生の、駃き雨のごとくして十方世界より生ずるを見、あるいは聖衆の、恒沙のごとくして無数の仏土より来るを見る。
あるいは楼台に登りて十方を望むものあり。 あるいは宮殿に乗りて虚空に住するものあり。 あるいは空中に住して経を誦し法を説くものあり。 あるいは空中に住して坐禅入定するものあり。 地の上、林のあひだにも、またかくのごとし。 処々にまた河を渉り流に濯ぎ、楽を奏し華を散じ、楼殿に往来して、如来を礼讃したてまつるものあり。
かくのごとき無量の天・人聖衆、心に随ひて遊戯す。 いはんや化仏・菩薩、香雲・華雲、国界に充満して、つぶさに名づくべからず。 またやうやく眸を回らしてはるかにもつて瞻望すれば、弥陀如来は金山王のごとくして宝蓮華の上に坐し、宝池の中央に処したまへり。
観音・勢至は威儀尊重にして、また宝華に坐し、仏の左右に侍らひたまふ。 無量の聖衆、恭敬し囲繞せり。 また宝地の上に宝樹行列し、宝樹の下におのおの一仏二菩薩ましまして、光明をもつて厳飾し、流璃の地に遍したまへること、夜闇のなかに大きなる炬火を燃せるがごとし。 時に観音・勢至、行者の前に来至して、大悲の音を出して種々に慰喩したまふ。 行者、蓮台より下りて五体を地に投げて、頭面をもつて敬礼す。 すなはち菩薩に従ひて、やうやく仏の所に至りぬ。 七宝の階に跪きて万徳の尊容を瞻り、一実の道を聞きて普賢の願海に入る。 歓喜して涙を雨らし、渇仰して骨に徹る。
はじめて仏界に入りて未曾有なることを得つ。 行者、昔、娑婆にしてわづかに教文を読みしも、いままさしくこの事を見る。 歓喜の心いくばくぞや。 [多く『観経』等の意による。]龍樹の偈(易行品)にいはく、
「もし人、善根を種ゑたるに、疑へばすなはち華開けず。信心清浄なるものは、華開けてすなはち仏を見たてまつる」と。
第二の蓮れん華げ初開しょかいの楽とは、 行者がかの極楽に生れてから蓮華が初めて開く時、 その受ける歓楽たのしみは、 前の楽しみに百千倍する。 ちょうど、 盲人めしいが始めて眼が開いたようであり、 また、 身分の低い者が、 急に王宮に入ったようなものである。 みずから、 その身を見ると、 はやすでに*紫磨しま金こん色の体となり、 自然の宝衣を身に着け、 鐶たまき・釧かんざしや宝の冠などが、 限りもなくその身を飾り立てている。
仏の光明を見て、 清浄の眼を得、 前世の因縁に依って、 多くの説法の声を聞く。 眼に触れ、 耳に聞こえるもののすべてが、 勝れて妙でないものはない。 虚空のはてまで満ちる荘厳は、 雲路を見やる眼もとまどい、 勝れたみ法を説きたもう声は、 国中に満ちわたる。 楼殿たかどのや林や池は、 互いに照り輝き、 鳧かも・雁・鴛鴦おしどりなどは遠く近く群がり飛ぶ。 あるいは人々が、 十方世界から俄にわか雨あめのように、 生まれて来るのを見たり、 あるいは聖衆が、 数限りない仏のみ国から恒河の砂のように来るのを見たりする。 楼台たかどのに登って、 十方を眺める者もあるし、 宮殿に乗って虚空に留とどまっている者もある。 空中に留って、 経を読み、 法を説く者もあるし、 空中に留って、 坐禅して*定じょうに入る者もある。 地上でも林の間でも、 また同様である。 処々に、 また河を渡り、 流れで洗い、 音楽を奏で、 花を散らし、 楼殿に往ゆき来きして、 仏を礼拝し、 讃めたたえる者もある。 このような数限りもない天人聖衆は、 思いのままに遊び戯れる。 まして化仏・化菩薩が、 香の雲、 花の雲のように、 極楽浄土に充ちみちていて、 詳しく一々述べることはできぬ。
また、 次第に眼を転じて、 遥かに見たてまつると、 弥陀如来は、 黄金の山のように宝の蓮華の上に坐り、 宝池の中央にまします。 観音と勢至の二菩薩は、 御姿尊く、 これまた宝の蓮華に坐って、 仏の左右に侍りたまい、 無量の聖衆は敬って、 み仏を囲み回めぐっている。 また、 宝地の上には宝樹がならび、 宝樹の下には、 それぞれ一仏と二菩薩とがましまして、 光明で飾られ、 その光が瑠璃の地に行きわたっていることは、 夜の闇の中に、 大きな炬火たいまつを燃しているようなものである。 時に、 観音と勢至の二菩薩は、 行者の前に来られ、 大慈悲の声を出いだして、 いろいろに慰め説かれる。 行者は、 蓮台から降り、 身体を大地に投げ出し、 ぬかずいて敬礼したてまつる。 すぐさま菩薩の後について、 ようやく仏のみもとに至り、 七宝の階段に跪ひざまずき、 あらゆる功徳を具えられた尊いお姿を見たてまつる。 そこで真如実相の道を聞き、 *普ふ賢げんの願いを起こし、 歓喜よろこびの涙を流して有難い思いが骨身に泌しみ通るのである。
このように、 仏の世界に入って、 はじめて、 今までになかった喜びを得る。 昔、 行者は、 かつてこの世にいるときわずかに経文を読んではいたが、 今まさしくこの事を見て、 その喜びの心は、 どれほどであろうか。 多くは «観経» などの意味によった。
龍樹菩薩の偈 (易行品) にいわれている。
もし善根を積んで生まれようとする 疑心の行者であれば華は開けず
信ずる心の清浄な者は 花が開けて仏を見たてまつる 
■身相神通楽
【24】 
第三に身相神通の楽といふは、かの土の衆生はその身真金の色なり。 内外ともに清浄にして、つねに光明ありて彼此たがひに照らす。 三十二相具足して荘厳せり。 端正殊妙にして世間に比なし。 もろもろの声聞衆は、身光一尋なり。 菩薩の光明は百由旬を照らす。 あるいは十万由旬といふ。
第六の天の主をもつてかの土の衆生に比ぶるに、なほ乞丐の、帝王の辺にあらんがごとし。 またかのもろもろの衆生は、みな五神通を具して、妙用測りがたくして、心に随ひて自在なり。 もし十方界の色を見んと欲へば、歩みを運ばずしてすなはち見、十方界の声を聞かんと欲へば、座を起たずしてすなはち聞く。 無量の宿命の事は今日聞くところのごとく、六道衆生の心はあきらかなる鏡に像を見るところのごとし。 無央数の仏刹に只尺のごとく往来し、おほよそ横に百千万億那由他の国において、竪に百千万億那由他の劫において、一念のうちに自在無礙なり。
いまこの界の衆生は、三十二相において、たれか一相をも得たる、五神通においてたれか一通をも得たる。 灯・日にあらずはもつて照らすことなく、行歩にあらずはもつて至ることなし。 一紙なりといへどもそのほかを見ず。 一念なりといへどもその後を知らず。 燓籠いまだ出でずして、事に随ひて礙あり。 しかるをかの土の衆生は、一人もこの徳を具せずといふことあることなし。 百大劫のうちにおいて相好の業をも種ゑず。 四静慮のうちにおいて神通の因をも修せざれども、ただこれかの土の任運生得の果報なり。 また楽しからざらんや。 [多く『双巻経』(大経)・『平等覚経』等による。]龍樹の偈(易行品)にいはく、
「人天の身相同じくして、なほ金山の頂のごとし。諸勝の所帰の処なり。このゆゑに頭面をもつて礼す。それかの国に生るることあるは、天眼耳通を具して、十方ならびに無礙なり。聖中の尊を稽首したてまつる。その国のもろもろの衆生は、神変および心の通あり。また宿命智を具せり。このゆゑに帰命し礼したてまつる」と。
第三に身相しんそう神通じんずうの楽とは、 極楽の人々は、 その身体は真金色で、 内も外も、 ともに清浄である。 いつも光明があって、 互いに照らしあっている。 三十二のすぐれた相すがたがそなわり、 その姿は殊ことのほか端正で、 この世で比べるものがない。 声聞たちの身の光は、 一尋である。 菩薩の光明は、 百由旬を照らす、 あるいは十万由旬ともいう。 *第六だいろく天てんの主を極楽の人々に比べると、 ちょうど乞食が帝王の側にいるようなものである。
また、 極楽の人々は、 皆、 五つの*神通じんずう力りきを具え、 その不思議なはたらきは測り難く、 思いのままに自由自在である。 もし、 十方世界のありさまを見ようと思えば、 足を運ばずにすぐさま見え、 十方世界の声を聞こうと思えば、 その座を立たずに、 すぐさま聞こえる。 限りない前世の事も、 今日聞くようにわかり、 六道の衆生の心は明らかな鏡に映る像すがたのようである。 数限りもない仏の国を、 間近なところのように往来する。 およそ空間的には百千万億*那由なゆ他たの国を、 時間的には百千万億那由他の劫を、 一念の中うちに、 自由自在に往来し見聞するのである。
今、 この*娑しゃ婆ば世界の人々は、 三十二相の中で、 誰が一相でも得ているか。 五神通の中で、 誰が一つの通力でも得ている者があろうか。 灯火か太陽の光でもなければ照らすこともなく、 足で歩いて行かなければ、 どこにも至ることはできぬ。 紙一重でも、 その外は見えず、 一念でも、 その後はわからぬ。 鳥篭のような迷いの世界をまだでないから、 事々に妨げがあるのだが、 極楽の人々には、 一人としてこれらの功徳を具えていないものはない。 百大劫の間に相好を得る行業を植えたのでもなく、 四禅定の中に、 神通を得る因を修めたのでもなくて、 ただこれは極楽で生まれながらに得た自じ然ねんの果報なのである。 なんと楽しいことではないか。 多くは «無量寿経» や «平等覚経» などに依る。
龍樹菩薩の偈 (易行品) にいわれている。
人々の身相は同じくて あたかも金山の頂のようである
いろいろのすぐれた所を集めている それゆえぬかずき礼したてまつる
かの国に生まれたならば *天眼てんげん通つうや*天てん耳に通つうをそなえて
十方にあまねくさえぎられる所がない 聖中の尊である如来にぬかずきたてまつる
その国のすべての人々は *神足じんそく通つうおよび*他た心しん通つう
また*宿命しゅくみょう通つうをそなえている それゆえ帰命し礼したてまつる 
■五妙境界楽
【25】 
第四に五妙境界の楽といふは、四十八の願をもつて浄土を荘厳したまへば、一切の万物、美を窮め極妙なり。 見るところはことごとくこれ浄妙の色にして、聞くところは解脱の声にあらずといふことなし。 香・味・触の境、またかくのごとし。 いはく、かの世界は琉璃をもつて地となして、金縄その道を界へり。 坦然平正にして高下あることなく、恢廓曠蕩にして辺際あることなし。 晃耀微妙にして奇麗清浄なり。 もろもろの妙衣をもつてあまねくその地に布き、一切の天・人、これを践みて行く。 [以上、地相。]衆宝の国土の一々の界の上に、五百億の七宝所成の宮殿・楼閣あり。 高下、心に随ひ、広狭、念に応ず。
もろもろの宝の床座には妙衣をもつて上に敷き、七重の欄楯、百億の華幢ありて、珠の瓔珞を垂れ、宝の幡蓋を懸けたり。 殿のうち、楼の上には、もろもろの天人ありて、つねに伎楽をなして、如来を歌詠したてまつる。 [以上、宮殿。]講堂・精舎・宮殿・楼閣の内外左右にもろもろの浴池あり。 黄金の池の底には白銀の沙あり。 白銀の池の底には黄金の沙あり。 水精の池の底には瑠璃の沙あり。 瑠璃の池の底には水精の沙あり。
珊瑚・虎魄・硨磲・馬瑙・白玉・紫金、またかくのごとし。 八功徳の水、そのなかに充満し、宝沙映徹して、深く照らさずといふことなし。 [「八功徳」とは、一には澄浄、二には清冷、三には甘美、四には軽軟、五には潤沢、六には安和、七には飲時に飢渇等無量の過患を除き、八には飲みをはりて、さだめてよく諸根・四大を長養し、種々の殊勝の善根を増益するなり。 『称讃浄土経』に出づ。]四辺の階道は衆宝をもつて合成し、種々の宝華は池のなかに弥覆せり。 青蓮には青光あり。 黄蓮には黄光あり。 赤蓮・白蓮もおのおのその光あり。 微風吹き来りて、華の光乱転す。 一々の華のなかにおのおの菩薩あり。 一々の光のなかにもろもろの化仏まします。
微瀾、回流してうたたあひ灌ぎ注ぐ。 安詳としてやうやく逝きて、遅からず疾からず。 その声微妙にして仏法にあらずといふことなし。 あるいは苦・空・無我、もろもろの波羅蜜を演説し、あるいは十力・無畏・不共の法音を流出す。 あるいは大慈悲の声、あるいは無生忍の声あり。 その所聞に随ひて歓喜すること無量なり。
清浄・寂滅・真実の義に随順し、菩薩・声聞所行の道に随順せり。 また、鳧・雁・鴛鴦・鶖・鷺・鵝・鶴・孔雀・鸚鵡・伽陵頻迦等の百宝色の鳥、昼夜六時に和雅の音を出して、念仏・念法・念比丘僧を讃嘆し、五根・五力・七菩提分を演暢す。 三塗苦難の名あることなくして、ただ自然快楽の音のみあり。 かのもろもろの菩薩および声聞衆、宝池に入りて洗浴する時は、浅深、念に随ひ、その心に違はず。 心垢を蕩除して、清明澄潔なり。
洗浴しをはれば、おのおのみづから去りて、あるいは空中にあり、あるいは樹下にありて、経を講じ経を誦するものあり、経を受け経を聴くものあり、坐禅するものあり、経行するものあり。 そのなかに、いまだ須陀洹を得ざるものはすなはち須陀洹を得、乃至、いまだ阿羅漢を得ざるものは阿羅漢を得、いまだ阿惟越致を得ざるものはすなはち阿惟越致を得。 みなことごとく道を得て歓喜せずといふことなし。 また清き河あり。 底に金沙を布き、浅深寒温、つぶさに人の好みに従へり。 衆人、遊覧して、同じく河浜に萃まる。 [以上、水相。]
池の畔、河の岸に、栴檀の樹あり。 行々あひ当り、葉々あひ次げり。 紫金の葉、白銀の枝、珊瑚の華、[[車U]]の実あり。 一宝・七宝、あるいは純、あるいは雑の、枝・葉・華・菓、荘厳し映飾せり。 和らかなる風、時に来りてもろもろの宝樹を吹くに、羅網微し動じて妙華やうやく落つ。 風に随ひて馥を散じ、水に雑はりて芬りを流す。 いはんや微妙の音を出して宮商あひ和せること、たとへば百千種の楽を同時にともになすがごとし。 聞くもの、自然に仏法僧を念ず。 かの第六天の万種の音楽も、この樹の一種の音声にはしかず。 葉のあひだに華を生じ、華の上に菓あり。 みな光明を放ちて、化して宝蓋となる。 一切の仏事、蓋のなかに映現す。 乃至、十方の厳浄の仏土を見んと欲へば、宝樹のあひだにおいて、みなことごとく照見す。 樹の上に七重の宝網あり。 宝網のあひだに五百億の妙華の宮殿あり。 宮殿のなかに諸天の童子あり。 瓔珞光耀して自在に遊楽す。
かくのごとく七宝のもろもろの樹、世界に周遍せり。 名華・軟草また処に随ひてあり、柔軟・香潔にして、触るるもの楽をなす。 [以上、樹相。]衆宝の羅網、虚空に弥満して、もろもろの宝鈴を懸けて、妙法の音を宣ぶ。 天華妙色は繽粉として乱れ墜ち、宝衣・厳具は旋転して来下す。 鳥の、空を飛びて下るがごとくして、諸仏に供散したてまつる。 また無量の楽器ありて虚空に懸処せり。 鼓たざるにおのづから鳴りて、みな妙法を説く。[以上、虚空。]
また如意の妙香・塗香・末香、無量の香、芬馥として、世界に遍満せり。 もし聞ぐことあるものは、塵労垢習、自然に起らず。 おほよそ地より空に至るまで、宮殿・華樹、一切の万物は、みな無量の雑宝、百千種の香をもつて、ともに合成せり。 その香り、あまねく十方世界に薫ず。 菩薩、聞ぐものみな仏の行を修す。 またかの国の菩薩・羅漢、もろもろの衆生等、もし食せんと欲する時には、七宝の机、自然に現前し、七宝の鉢には妙なる味はひ、なかに満てり。
世間の味はひに類せず、また天上の味はひにあらず。 香味なること比なくして、甜酢、意に随ふ。 色を見、香りを聞ぐに、身心清潔なり。 すなはち食しをはるに同じくして、色力増長す。 事已れば化し去り、時至ればまた現ず。 またかの土の衆生は、衣服を得んと欲へば、念に随ひてすなはち至る。 仏の所讃のごとき法に応ぜる妙服、自然に身にあり。 裁縫・染治・浣濯を求めず。
また光明周遍して日・月・灯燭を用ゐず。 冷暖調和して、春秋冬夏あることなし。 自然の徳風は温冷調適し、衆生の身に触るるに、みな快楽を得ること、たとへば比丘の、滅尽三昧を得たるがごとし。 毎日の晨朝に、妙華を吹散して、仏土に遍満し、馨香芬烈して、微妙柔軟なること兜羅綿のごとし。 足をもつてその上を履むに、蹈み下ること四寸、随ひて足を挙げをはりぬれば、また復すること故のごとし。 晨朝を過ぎをはれば、その華地に没す。 旧き華すでに没しぬれば、さらに新しき華を雨らす。 中時・晡時、初・中・後夜、またかくのごとし。
これらのあらゆる微妙の五境、見聞覚者をして身心適悦せしむといへども、しかも有情の貪着を増長せず、さらに無量の殊勝の功徳を増す。
おほよそ八方上下の無央数の諸仏の国のなかに、極楽世界の所有の功徳もつとも第一たり。 二百一十億の諸仏の浄土の厳浄なる妙事をもつて、みなこのなかに摂在せり。 もしかくのごとき国土の相を観ずるものは、無量億劫の極重の悪業を除きて、命終の後にかならずかの国に生る。 [二種の『観経』・『阿弥陀経』・『称讃浄土経』・『宝積経』・『平等覚経』・『思惟経』等の意によりて、これを記す。]世親の偈(浄土論)にいはく、
「かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。究竟して虚空のごとし。広大にして辺際なし。宝華千万種にして、池・流・泉に弥覆せり。微風華葉を動かすに、交錯して光乱転す。宮殿・もろもろの楼閣にして、十方を観ること無礙なり。雑樹に異の光色あり。宝欄あまねく囲繞せり。無量の宝交絡して、羅網虚空にあまねし。種々の鈴響きを発して、妙法の音を宣べ吐く。衆生の願楽するところ、一切みな満足す。ゆゑにわれかの阿弥陀仏の国に生れんと願ず」と。 
第四に五ご妙境みょうきょう界がいの楽とは、 阿弥陀仏は四十八願で浄土を荘厳せられてから、 あらゆるすべてのものは、 美しく妙なる極みである。 見るものはすべて浄らかな色、 聞くものはすべてが解脱さとりの声でないものはない。 香・味・触の境界もやはりこのようである。
さて、 かの世界は、 瑠璃を大地とし、 金の縄でその道を区切り、 平らかで高低たかひくもなく、 広やかで、 際はてもない。 その輝きは、 いとすぐれ、 麗しく浄らかである。 いろいろのすぐれた衣きぬをその地上に敷きつめ、 人々はすべてこれを踏んで行く。 以上は大地の有様である。
多くの宝からできている国土の一々の地域の上には、 五百億の七宝からできている宮殿楼閣があり、 その高さは心のまま、 広さも思いのままである。 多くの宝の床には、 すぐれた衣きぬをその上に敷き、 七宝の欄楯てすり、 百億の花の幢はたぼこがあり、 玉の瓔珞を垂らし、 宝の幡はたや蓋かさを懸けてある。 宮殿の内、 楼たかどのの上には、 多くの天人がいて、 いつも音楽を奏で、 如来のお徳を歌いたたえている。 以上は宮殿である。
講堂・精舎・宮殿・楼閣の内外左右には、 多くの水浴する池がある。 黄金の池の底には白銀の砂があり、 白銀の池の底には黄金の砂がある。 水精の池の底には瑠璃の砂があり、 瑠璃の池の底には水精の砂がある。 珊瑚・琥珀・硨磲・白玉・紫金などの池や砂も、 このようである。 八功徳水がその中に充ちみち、 宝の砂が映り通って、 どれほど深くても照らさないところはない。 八功徳というのは、 一つには浄らかに澄んでいる。 二つには清く冷ややかである。 三つには甘くおいしい。 四つには軽く柔らかい。 五つにはしっとりと潤いがある。 六つには穏かで安らかである。 七つには飲むと飢えや渇きなどの量りない思いを除く。 八つには飲みおわるとかならず身体を養い、 いろいろのすぐれた善根を増す。
四方の階段の道は、 多くの宝を合わせてできており、 さまざまの宝の花は、 池の中をあまねく覆っている。 青い蓮には青い光があり、 黄色い蓮には黄色い光がある。 赤い蓮や白い蓮も、 それぞれその光があって、 微風そよかぜが吹いて来ると、 花の光が揺れ動く。 一々の花の中には、 それぞれ菩薩が居おられ、 一々の光の中には多くの化仏がまします。 微瀾さざなみは回り流れてやがて注ぎあう。 ゆるやかに流れ、 おもむろに去り、 遅くもなく早くもない。 その流れの声は、 いとすぐれ、 仏のみ法でないものはない。 あるいは苦・空・無我やいろいろの波羅蜜を説き述べたり、 あるいは*十じゅう力りき・*四無しむ所しょ畏い・*十じゅう八はち不具ふぐ法ほうを説く声を流し出す。 さては大慈悲の声、 さては無生忍の声である。 その聞くところにしたがって喜びは無量である。 清浄な寂滅、 真実の義に契かない、 菩薩や声聞の修める道に順したがっている。 また鳧かも・雁・鴛鴦おしどり・鶖う・鷺・鵝がちょう・鶴・孔雀・鸚鵡・*伽か陵りょう頻びん迦がなど多くの宝の色ある鳥は、 昼夜に六たび優しい声を出して、 仏・法・僧を念ずることを讃め嘆え、 *五ご根こん・*五ご力りき・*七しち菩ぼ提だい分ぶんの法を説き述べる。 三途・苦難の名さえもなく、 ただ自然の快楽の声だけがある。
極楽の菩薩や声聞たちが、 宝の池に入って、 水浴する時は、 その深さは思いのままで、 その心に違わず、 心の垢を洗い去って、 清らかに澄みきっている。 この水浴が終ってしまうと、 おのおの去り、 あるいは空中にあり、 あるいは木の下にあって、 経を説き経を読む者もあれば、 経を受け経を聞く者もある。 坐禅する者もあれば、 経行する者もある。 その中で、 まだ*須しゅ陀だ洹おん (初果) を得ない者は、 すぐに須陀洹を得、 さては、 まだ*阿羅あら漢かんを得ない者は阿羅漢を得、 まだ*阿あ惟ゆい越おっ致ち (不退) を得ない者は阿惟越致を得る。 このように皆すべて道さとりを得て歓喜しないものはない。 また清い河があり、 その底には金の砂を敷き、 深さ冷たさは、 人の好みによくかなっている。 人々は遊覧して、 ともに河の水際に集まる。 以上は水についてのありさまである。
池のほとり、 河の岸には栴檀の木があって、 列と列と相あい対し、 葉と葉と互いにつらなる。 紫金の葉、 白銀の枝、 珊瑚の花、 硨磲の実というように、 一宝から七宝までの、 あるいは純一、 あるいは混合した枝・葉・花・果このみで飾りたて、 映りあっている。 そよ風が、 時あって来り、 多くの宝樹を吹くと、 玉の網は微かに動いて、 美しい花がゆるやかに落ちる。 風のまにまに香りを散らし、 水に混って匂いを流す。 まして、 いとも妙なる音を出し、 いろいろの音色が調和すること、 たとえば百千種の音楽を、 同時に共に奏するようなものである。 聞く者は、 自然に仏・法・僧を念ずる。 かの第六天の万種の音楽も、 この木から出る一つの音声には及ばぬのである。 葉の間には花を生じ、 花の上には果実があって、 みな光明を放ち、 変じて宝蓋となり、 すべての仏のはたらきはこの蓋の中に映り現われる。 さては、 十方の清らかな仏土を見ようと思うと、 宝樹の間にすべて悉く照らされて現われる。 木の上には七重の宝網があり、 宝網の間には五百億の勝れた花の宮殿がある。 宮殿の中には、 多くの天童子がいて、 瓔珞は光り輝き、 自由自在に遊び楽しんでいる。 このような七宝の多くの木々は、 その世界中にゆきわたる。 名高い花や柔らかい草も至る所にあって、 やわらかく、 香りは清らかで、 これに触れる者は楽しみを起こす。 以上は樹林についてである。
多くの宝の網は虚空に一面に覆い、 さまざまの宝の鈴を懸けて、 妙なるみ法の声を宣べる。 天花は美しい色を具えて、 しきりに乱れ落ち、 宝衣や身を飾る品々は、 回りながら下りて来る。 ちょうど鳥が飛んで空から下りるような具合で、 これを諸仏に供養するのである。 また限りない楽器があって、 遥かに大空に懸かり、 奏でもしないのに自然と鳴り、 みな勝れたみ法を説く。 以上は虚空についてである。
また意こころにかなう勝れた香・塗香・抹香など、 無量の香が芳しく、 世界中に満ちわたる。 もし、 この香を聞かぐものは、 煩悩の心が自然と起こらない。 すべて地上から空中に至るまで、 宮殿も花樹も、 すべてのものはみな限りないいろいろの宝と百千種の香りとでできている。 その香りは、 あまねく十方の世界にかおり、 その香りを聞かぐ菩薩はみな仏道を行ずる。 また、 彼の国の菩薩・羅漢、 多くの衆生たちが、 もし食事したい時には、 七宝の机が自然に現われ、 七宝の鉢には、 おいしい品が満ちている。 世間の味とは比較にならず、 また天上界の食物の味でもない。 その香ばしいことはたぐいなく、 甘い酢いの味は思いのままである。 色を見、 香を聞かぐと、 身も心も清らかになり、 食べ終るとすぐに身体の力が増すのである。 こうして食事が済むと、 机も鉢も消えてなくなり、 時がくると、 ふたたび現われる。 また極楽の人々は衣服を得ようと思えば、 思いのままにすぐ得られる。 仏の讃めたもうような法にかなう勝れた服が、 自然に身に着けられて、 裁ち縫い、 染め繕い、 洗う必要がない。 また、 光明は国中に輝きわたり、 日や月や灯火は不用である。 冷たさ暖かさが調和して、 春秋冬夏という四季の別はない。 自然の徳風は、 温かさ冷たさがほどよく、 人々の身体に触れると、 みな快楽を得ることは、 ちょうど比丘が、 *滅尽めつじん三昧ざんまいを得るようである。 毎日、 朝早く、 美しい花を吹き散らして、 浄土に遍く充ちみち、 良い香りは強く匂い、 いと妙に柔らかいことは*兜羅とら綿めんのようである。 その上を足で踏むと、 くぼむこと四寸であるが、 足を挙げると、 また、 元のようになる。 朝を過ぎてしまうと、 その花は地中に没する。 古い花がなくなると、 また新しい花が雨のように降る。 真昼・夕暮・宵・真夜中・明け方も、 やはりこのようである。
これら、 五つのすぐれた境界は、 見たり聞いたりする者の身心を楽しませるけれども、 凡夫の貪りの心を増長させることなく、 かえって限りない勝れた功徳を増すのである。 およそ、 あらゆる八方上下の、 数限りない諸仏の国の中で、 極楽世界にある功徳を最も第一のものとする。 それは、 二百一十億の諸仏の浄土にある清らかなすぐれた荘厳が、 皆この極楽世界の中に収められているからである。 もし、 このような極楽国土のありさまを観ずる者は、 無量億劫にわたる極めて重い悪業を除き、 命終った後には、 必ずかの極楽に生まれる。 «無量寿経» «観無量寿経» «阿弥陀経» «称讃浄土教» «宝積経» «平等覚経» «思惟経» などの意味に依ってこれを記した。
世親菩薩の偈 (浄土論) にいわれている。
かの世界のありさまを観ずるに この三界の因果に超えすぐれている
なにものにもさえぎられないことは虚空のごとく 広大であってきわほとりがない
さまざまの宝の華が 池や流れに咲き乱れて
そよ風は花びらをゆるがせ 光が乱れ交わってきらきらと輝いている
宮殿楼閣において十方の世界を眺め さえぎられることがない
いろいろな宝の樹にそれぞれ異なった光があり また宝の欄干がひろくめぐらされてある
多くの宝からできている網が あまねく虚空を覆っている
さまざまな鈴が声をたてて 妙なる法を説いている
衆生の求めるところの すべての願いはよく満足せしめられる
こういうわけであるからわたくしは 阿弥陀如来の浄土に生まれることを願う 
 

 

■快楽無退楽
【26】 
第五に快楽無退の楽といふは、いまこの娑婆世界は耽玩すべきことなし。 輪王(転輪王)の位も七宝久しからず。 天上の楽も五衰早く来る。 乃至、有頂も輪廻、期なし。 いはんや余の世人をや。 事と願と違ひ、楽と苦とともなり。 富めるものは、いまだかならずしも寿あらず。 寿あるものは、いまだかならずしも富まず。 あるいは昨は富みて、今は貧し。 あるいは朝には生れて、暮には死ぬ。 ゆゑに経にのたまはく、「出息は入息を待たず、入息は出息を待たず。 ただ眼の前に楽しみ去りて哀しみ来るのみにあらず。 また命終に臨みて、罪に随ひて苦に堕つ」と。
かの西方世界は、楽を受くること無窮なり。 人天交接して、両ながらあひ見ることを得。 慈悲、心に薫じて、たがひに一子のごとし。 ともに琉璃の地の上を経行し、同じく栴檀の林のあひだに遊戯す。 宮殿より宮殿に至り、林池より林池に至る。
もし寂ならんと欲する時には、風浪、絃管、おのづから耳の下を隔つ。 もし見んと欲する時には、山・川・渓・谷、なほ眼の前に現ず。 香・味・触・法、念に随ひてまたしかなり。
あるいは飛梯を渡りて伎楽をなし、あるいは虚空に騰りて神通を現ず。 あるいは他方の大士に従ひて迎送し、あるいは天・人聖衆に伴ひてもつて遊覧す。 あるいは宝池の辺に至りて、新生の人を慰問す。
「なんぢ知るやいなや。
この処を極楽世界と名づけ、この界の主を弥陀仏と号したてまつる。 いままさに帰依すべし」と。
あるいは同じく宝池のなかにありて、おのおの蓮台の上に坐して、たがひに宿命の事を説く。 「われ本、その国にありて、心を発し道を求めし時、その経典を持ち、その戒行を護り、その善法をなし、その布施を修しき」と。
おのおの好喜せしところの功徳を語らひ、つぶさに来生せるところの本末を陳ぶ。 あるいはともに十方の諸仏の利生の方便を語らひ、あるいはともに三有の衆生の抜苦の因縁を議す。 議しをはれば縁を追ひてあひ去り、語らひをはれば楽に随ひてともに往く。 あるいはまた、七宝の山[七宝の山、七宝の塔、七宝の坊、『十往生経』に出でたり。]に登り、八功の池に浴み、寂然として宴黙し、読誦・解説す。
かくのごとく遊楽すること、相続して間なし。 処はこれ不退なれば、永く三途・八難の畏れを免れ、寿もまた無量なれば、つひに生老病死の苦なし。 心・事相応すれば愛別離苦なく、慈眼をもつて等しく視れば怨憎会苦もなし。 白業の報なれば求不得苦なく、金剛の身なれば五盛陰苦もなし。
一たび七宝荘厳の台に託しぬれば、長く三界苦輪の海と別れぬ。 もし別願あれば、他方に生ずといへども、これ自在の生滅にして、業報の生滅にはあらず。 なほ不苦・不楽の名すらなし。 いかにいはんやもろもろの苦をや。
龍樹の偈(易行品)にいはく、
「もし人、かの国に生れぬれば、つひに悪趣および、阿修羅とに堕ちず。われいま帰命して礼す」と。
第五に快け楽らく無む退たいの楽とは、 今、 この娑婆世界は、 楽しむべき事はさらにない。 転輪王の位もその*七宝しっぽうは長く保たぬ。 天上界の楽しみも、 五衰が早く訪れる。 さては、 有頂天でも、 輪廻は尽きる時がない。 まして、 その他の世界の人では、 なおさらのことである。 現実の事と自分の願いとは食い違い、 楽しみは苦しみと共にある。 富める者が長生きするとは限らず、 長生きする者が富むとは限らない。 昨日は金持ちで、 今日は貧乏となるものもあれば、 朝生まれたかと思うと、 夕方には死ぬものもある。 それゆえ、 経に説かれている。
出る息は入る息を待たず、 入る息は出る息を待たない。 ただ目の前に楽しみが去って悲しみが訪れるだけではなく、 命が尽きる時になると、 作った罪にしたがって苦しみに沈んで行く。
ところで、 かの西方極楽世界は、 楽を受けることが極まりない。 人と天人とが、 たがいに親しみ会う事ができる。 慈悲は心に染みわたり、 互いに一子ひとりごのように思いあう。 共に瑠璃の地上を歩き、 同じく栴檀の林の間で遊ぶ。 宮殿から宮殿に赴き、 林の池から林の池に至る。 もし、 静かにありたいと思う時は、 風も浪も、 自然に耳元から隔り、 もし、 見ようと思う時は、 山も川も谷も目の前に現われる。 香・味・触・法も思いのままに、 また、 そのようである。 あるいは雲の梯かけはしを渡って音楽を奏し、 大空に上って神通を示し、 あるいは他方の菩薩に伴って送り迎えし、 あるいは浄土の聖衆と共に遊覧する。 さては、 宝池のほとりに行って、 新しく往生した人を慰問していう。 「あなたは知っているでしょう。 ここが極楽世界と名づける所で、 この世界の主が阿弥陀仏なのですよ。 さあ、 お礼に参りましょう。」 また同じく宝池の中にいて、 それぞれ蓮はちすの台うてなの上に坐り、 たがいに前の世の事を話しあっていう。 「わたしは、 もと、 どこそこの国にいて、 菩提心を起こして道を求めた時、 これこれのお経を受持し、 こういう戒行を守り、 こういう善法を行い、 こういう布施の行を修めました。」 このように、 それぞれ好んで修めた功徳を話し、 浄土に往生した始終を詳しく述べる。 また、 共に、 十方諸仏が人々を救いたもう方法を話したり、 迷いの世にいる衆生の苦しみを除く因縁を共に相談する。 その相談が終ると、 縁にしたがって去り、 話し終ると、 望みのまにまに共にゆく。 あるいはまた、 七宝の山 七宝の山、 七宝の塔、 七宝の僧坊のことは «十往生経» に出ている。 に登り、 八功徳水の池に水浴し、 静かに考え、 経を読み、 解釈する。
このように遊び楽しむことが、 うち続いて絶え間がない。 場所は不退であるから三途八難に沈むという畏れを永く免れ、 命も限りがないから、 結局、 生・老・病・死の苦しみはない。 自分の思いと現実とがよくかなって、 愛する者と別れるという苦しみもなく、 慈悲のまなこですべてのものを平等に見るので、 うらみにくむ者と会うという苦しみもない。 善業の報いであるから、 欲しいものが得られぬという苦しみもなく、 金剛不壊のような身であるから、 この身心があるに依って起こるという苦しみもない。 ひとたび七宝に飾られた台に身を託してしまうと、 長く三界の迷いの苦しみと離れる。 もし特別の願ねがいがあるならば、 他方の世界に生まれることがあるけれども、 これはさとりの上での自由な生と滅であって、 業の報いとしての生と滅ではない。 浄土には、 不苦・不楽の名前すらない。 それに、 どうしていろいろの苦しみがあろうか。
龍樹菩薩の偈 (易行品) にいわれている。
もし人 かの国に生れたならば とこしえに三悪趣や
阿修羅に堕ちない わたしはいま帰命し礼したてまつる 
■引接結縁楽
【27】 
第六に引接結縁の楽といふは、人の世にあるに、求むるところ、意のごとくならず。 樹、静かならんと欲へども、風停まず。 子、養せんと欲へども、親待たず。 志、肝胆を舂くといへども、力水菽に堪へず。 君臣・師弟・妻子・朋友、一切の恩所、一切の知識、みなまたかくのごとし。
空しく痴愛の心を労らかして、いよいよ輪廻の業を増す。 いはんやまた業果推し遷りて、生処あひ隔たぬれば、六趣・四生いづれの処といふことを知らず。 野の獣、山の禽、たれか旧親を弁へん。 『心地観経』の偈にのたまふがごとし。
「世人、子のためにもろもろの罪を造りて、三途に堕在して長く苦を受くれども、男女聖にあらずして神通なければ、輪廻を見ずして報ずべきこと難し。有情、輪廻して六道に生ずること、なほ車輪のごとくして始終なし。あるいは父母となり男女となり、世々生々にたがひに恩あり」と。
もし人、極楽に生じぬれば、智慧高明にして神通洞達し、世々生々の恩所・知識をば心に随ひて引接す。 天眼をもつて生処を見、天耳をもつて言音を聞く。 宿命智をもつてその恩を憶し、他心智をもつてその心を了る。 神境通をもつて随逐し変現し、方便力をもつて教誡示道す。 『平等経』(一・三意)にのたまふがごとし。
「かの土の衆生は、みなみづからその前世に従来せしところの生を知り、および八方上下、去・来・現在の事を知れり。 かの諸天・人民、蠉飛・蠕動の類の、心意に念ずるところ、口にいはんと欲ふところを知る。 いづれの歳いづれの劫に、まさにこの国に生れて菩薩の道をなし、阿羅漢を得べしといふことを、みなあらかじめこれを知る」と。
また『華厳経』の普賢の願にのたまはく、
「願はくは、われ、命終せんと欲する時に臨みて、ことごとく一切のもろもろの障礙を除きて、まのあたり、かの仏、阿弥陀を見たてまつりて、すなはち安楽刹に往生することを得ん。われすでにかの国に往生しをはれば、現前にこの大願を成就し、一切円満してことごとく余すことなく、一切衆生界を利楽せん」と。無縁すらなほしかり。いはんや結縁をや。
龍樹の偈にいはく、
「無垢荘厳の光、一念および一時に、あまねく諸仏の会を照らして、もろもろの群生を利益す」と。
第六に引いん接じょう結縁けちえんの楽とは、 人は、 この世界にいると、 その求めるものは、 自分の思いのままにならぬものである。 木は静かになろうと思っても、 風は吹きやまぬ。 子は親を養いたいと思っても、 親は待たずに先立ってゆく。 肝をくだくほどつとめても、 やっと親に水を飲ませ豆を食べさせることしかできない。 君臣・師弟・妻子・友達、 すべての恩人、 すべての知り合いに対しても、 皆またこのような有様である。 いたずらに愚痴・愛欲の心をわずらわして、 ますます迷いの世界を経めぐる業因を増す。 まして、 悪業の果が移り変わり、 生を受ける場所が互いに離れてしまうと、 六趣・四生の迷いの世界のどこにいるかもわからない。 野に住む獣や山にいる鳥を、 誰か前世の親であると知り分けることができようか。 «心地観経» の偈に説かれているとおりである。
世の人 子のために多くの罪を作り 三途に落ちて長く苦しみを受けるが
子らは聖でないので神通もなく 迷いの有様を見ないので報いる事もできない
人々が迷い迷うて六道に生まれることは あたかも車の輪のようで始めも終りもない
父母となったり子供となったりして 生々世々に互いに恩愛がある
もし、 極楽に生まれるならば、 智慧はすぐれ、 神通に達し、 生々世々の恩人や知り合いを心のままに導き救うことができる。 すぐれた眼のはたらきで、 その生まれた場所を見、 すぐれた耳の力で、 その声を聞き、 過去を知る智慧で、 その受けた恵みを思い出し、 他の者の心を知る智慧で、 その心を知り、 不思議な姿をあらわす力で、 その人に随い逐おうて、 形を変え、 手だてを尽くして教え導くのである。
«平等覚経» に説かれているとおりである。
極楽浄土の人々は、 皆、 自分で、 その前の世、 どこから往生してきたかを知り、 また、 十方世界や過去・現在・未来の事を知り、 かの天・人たちや虫のたぐいにいたるまで、 その心に思い口に述べようとすることを知る。 そして、 これらが、 いつの年いつの時に、 この浄土に生まれ、 菩薩の道を修めて悟りを得ることができるかということも、 みな、 前もって知るのである。
また、 «華厳経» の普賢の願に説かれている。
願わくはわたしが命終ろうとする時 あらゆる障りをことごとく除き
まのあたり阿弥陀仏を見たてまつり 安楽浄土に生まれたい
わたしがかの国に生まれたならば 直ちにこの大願を成し遂げて
すべて円まどかにあますことなく あらゆるものを救いたい
無縁の者でさえもこのようである。 まして因縁を結んだものでは、 なおさらのことである。 龍樹菩薩の偈 (天親菩薩の «浄土論») にいわれている。
浄土の聖衆の応化身は 一念同時に
あまねく十方の世界に往って諸仏を供養し またあらゆる衆生を利益する 
■聖衆倶会楽
【28】 
第七に聖衆倶会の楽といふは、『経』(小経)にのたまふがごとし。 「衆生聞くものは、まさに願を発して、かの国に生れんと願ずべし。 所以はいかん。
かくのごときもろもろの上善の人と、倶に一処に会することを得ればなり」と。 {以上}かのもろもろの菩薩聖衆の徳行は、不可思議なり。 普賢菩薩のいはく、「もし衆生ありて、いまだ善根を種ゑざるもの、および少善を種ゑたる声聞・菩薩は、なほわが名字を聞くことを得じ。 いはんやわが身を見んや。 もし衆生ありてわが名を聞くことを得ては、阿耨菩提においてまた退転せじ。 乃至、夢のうちに、われを見、聞くものも、またかくのごとし」と。 [『華厳経』の意。]またのたまはく、
「われつねにもろもろの衆生に随順して、未来の一切の劫を尽すまで、つねに普賢の広大の行を修し、無上大菩提を円満せんと。普賢の身相は虚空のごとし。真によりて住して、国土にはあらず。もろもろの衆生の心の欲するところに随ひて、普身を示現して一切に等しくす。一切の刹のなかの諸仏の所に、種々の三昧をもつて神通を現ず。一々の神通はことごとく十方の国土に周遍して、遺すものなし。一切の刹の如来の所のごとく、かの刹の塵のなかにもことごとくまたしかなり」と。[同経の偈。]「文殊師利大聖尊をば、三世の諸仏もつて母となしたまふ。十方の如来の、はじめて心を発すことは、みなこれ文殊の教化の力なり。一切世界のもろもろの有情、名を聞き、身および光相を見、ならびに随類のもろもろの化現を見るは、みな仏道を成ずること思議しがたし」と。[『心地観経』の偈。]
もしただ〔文殊師利の〕名を聞くものは、十二億劫の生死の罪を除く。 もし礼拝・供養するものはつねに仏家に生る。 もし名字を称すること一日七日すれば、文殊かならず来りたまふ。 もし宿障あるものは、夢のうちに見ることを得て、所求円満す。 もし形像を見るものは、百千劫のうちに悪道に堕ちず。 もし慈心を行ずるものは、すなはち文殊を見たてまつることを得。 もし名を受持し読誦することあるものは、たとひ重障あれども阿鼻の極悪猛火に堕ちずして、つねに他方の清浄の仏土に生る。 [『文殊般涅槃経』の意。
かの形像、『経』(同)に広く説くがごとし。]また百千億那由他の仏の利益衆生は、文殊師利の、一劫のうちにおいてなせるところの利益には及ばず。 ゆゑにもし文殊師利菩薩の名を称するものは、福はかの百千億の諸仏の名号を受持するよりも多し。 [『宝積経』の意。]弥勒菩薩は功徳無量なり。
もしただ名を聞くものは黒闇処に堕ちず。 一念も名を称するものは、千二百劫の生死の罪を除却す。 帰依することあるものは、無上道において不退転を得。 [『上生経』の意。]称讃・礼拝するものは、百千万億阿僧祇劫の生死の罪を除く。 [『虚空蔵経』・『仏名経』の意。]
「無量千万劫に修せるところの願・智・行、広大にして不可量なり。称揚すともよく尽すことなからん」と。[『華厳経』の偈。以上の三の菩薩、つねに極楽世界にまします。『四十華厳経』に出でたり。]
地蔵菩薩は、毎日の晨朝に恒沙の定に入りて、法界に周遍して苦の衆生を抜きたまふ。 所有の悲願、余の大士に超えたり。 [『十輪経』の意。]かの『経』(同)の偈にのたまはく、
「一日も地蔵の功徳、大名聞を称せんは、倶胝劫のうちに、余の智者を称する徳に勝れたり。たとひ百劫のうちに、その功徳を讃説すとも、なほ尽すことあたはじ。ゆゑにみなまさに供養すべし」と。{以上}
観世音菩薩のいはく、「衆生、苦ありて、三たびわが名を称せんに、往きて救はずといはば、正覚を取らじ」と。 [『弘猛海慧経』。]「もし百千倶胝那由他の諸仏の名号を称念することあらん。 またしばらくの時もわが名号において、心を至して称念することあらん。 かの二の功徳は平等平等ならん。
もろもろのわが名号を称念することあるものは、一切みな不退転の地を得てん」と。
[『十一面経』(意)。]
「衆生もし名を聞かば、苦を離れて解脱を得てん。また地獄に遊戯して、大悲代りて苦を受けん」と。[『請観音経』の偈。]「弘誓の深きこと海のごとし。劫を歴とも思議すまじ。多千億の仏に侍へて、大清浄の願を発せり。神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方のもろもろの国土に、刹として身を現ぜずといふことなし。念々に疑をなすことなかれ。観世音の浄聖は、苦悩死厄において、よくために依怙となりたまふ。一切の功徳を具して、慈眼をもつて衆生を視たまふ。福聚の海無量なり。このゆゑに頂礼したてまつるべし」と。[『法華経』。]
大勢至菩薩のいはく、「われよくもろもろの悪趣の、未度の衆生を度するに堪任せり」と。 [『宝積経』。]「智慧の光をもつて、あまねく一切を照らして、三塗を離れしむるに、無上の力を得たり。 ゆゑにこの菩薩を大勢至と名づく。
この菩薩を観ずるものは、無数劫阿僧祇の生死の罪を除き、胞胎に処せずして、つねに諸仏の浄妙国土に遊ぶ」と。 [『観経』の意。]
「無量無辺無数劫に、広く願力を修して弥陀を助け、つねに大衆に処して法言を宣ぶ。衆生の聞くものは浄眼を得。神通をもつて十方の国に周遍して、あまねく一切衆生の前に現ず。衆生もしよく心を至して念ずれば、みなことごとく導きて安楽に至らしむ」と。
[龍樹の讃。]またいはく、
「観音・勢至は大名称まします。功徳・智慧、ともに無量なり。慈悲を具足して世間を救ひ、あまねく一切衆生海に遊びたまふ。かくのごとき勝れたる人は、はなはだ遇ふこと難し。一心に恭敬して頭面をもつて礼したてまつる」と。{以上}
かくのごとき一生補処の大菩薩、その数恒沙のごとし。 色相端厳にして、功徳具足し、つねに極楽国にましまして弥陀仏を囲繞したまへり。 またもろもろの声聞衆、その数量りがたし。 神智洞達し、威力自在なり。 よく掌のなかに一切の世界を持つ。
たとひ大目連のごときもの、百千万億無量無数にして、阿僧祇の劫に、ことごとくともに、かの初会の声聞を計校せんに、知るところの数はなほ一Hのごとく、その知らざるところは大海の水のごとし。 そのなかに、般泥洹して去るもの無央数なり。 新たに阿羅漢を得るもの、また無央数なり。
しかれどもすべて増減をなさず。 たとへば大海の、恒水を減ずといへども、恒水を加ふといへども、しかも増なくまた減なきがごとし。 もろもろの菩薩衆は、また上の数に倍せり。 『大論』(大智度論)にいふがごとし。 「弥陀仏の国には、菩薩僧は多く声聞僧は少なし」と。 {以上}かくのごとき聖衆、その国に充満せり。 たがひにはるかにあひ見、はるかにあひ瞻望し、はるかに語声を聞きて、同一に道を求めて、異類あることなし。 いかにいはんや、また十方恒沙の仏土の無量塵数の菩薩聖衆、おのおの神通を現じて安楽国に至りて、尊顔を瞻仰して恭敬し供養したてまつる。 あるいは天の妙華を齎し、あるいは妙宝の香を焼き、あるいは無価の衣を献り、あるいは天の妓楽を奏し、和雅の音を発して、世尊を歌嘆し、経法を聴受し、道化を宣布す。
かくのごとく往来すること、昼夜に絶えず。 東方に去れば、西方より来り、西方に去れば、北方より来り、北方に去れば、南方より来る。 四維・上下もたがひにまたかくのごとし。
かはるがはるあひ開避すること、なほ盛りなる市のごとし。 これらの大士は、一たびその名を聞くすら、なほ少縁にあらず。 いはんや百千万劫にも、たれかあひ見ることを得るものあらん。 しかもかの国土の衆生はつねに一処に会して、たがひに言語を交へ、問訊し恭敬し、親近し承習す。 また楽しからざらんや。[以上、『双巻経』(大経)・『観経』・『平等経』等の意。] 龍樹の偈(易行品)にいはく、
「かの土のもろもろの菩薩は、もろもろの相好を具足して、みなみづから身を荘厳せり。われいま帰命して礼す。三界の獄を超出して、目は蓮華葉のごとし。声聞衆無量なり。このゆゑに稽首して礼す」と。
またいはく(十二礼)、
「十方より来るところのもろもろの仏子、神通を顕現して安楽に至りて、尊顔を瞻仰してつねに恭敬したてまつる。ゆゑにわれ弥陀仏を頂礼す。願はくは、もろもろの衆生とともに安楽国に往生せん」と。
第七に聖しょう衆じゅ倶会くえの楽とは、 経 (阿弥陀経) に説かれているとおりである。
阿弥陀仏の極楽のありさまを聞く人々は、 ぜひとも発心してかの国に生まれようと願うがよい。 そのわけは、 浄土に生まれると、 このような多くのすぐれた聖衆と、 ともに同じ蓮の台うてなで一処に会うことができるからである。 以上
浄土の菩薩・聖衆たちの徳行は、 思いはかることができない。 普賢菩薩が言われる。
もし人あって、 まだ善根を植えないものや、 少しの善根を植えたぐらいの声聞・菩薩は、 とても、 わたしの名を聞くことができぬ。 まして、 わたしの身を見ることができようか。 もし、 わたしの名を聞くことのできる人があるあら、 無上仏果に至るまで退くことはない。 さては、 夢の中でわたしを見たり聞いたりする者も、 また同様である。 これは «華厳経» の意である。
また、 云われる。
わたしは常に多くの人々に随い 未来永遠の果てまで
たえず広大な普賢の行を修め 無上の悟りを満たそう
普賢の身相は大空のごとく 真如に依って住み 国土には住まぬ
人々の心の願いに応じて あまねき身を示し すべてのものに等しくなる
あらゆる国土の諸仏のみもとに 種々の三昧で神通をあらわし
一々の神通は皆すべて 十方の国にあまねく至らぬところはない
すべての国の仏のみもとにおけるように かの国の微塵の中にもすべてまた同じ 同経 (華厳経) の偈である。
文殊師利大聖尊を 三世の諸仏が母とする
十方の如来の初発心は すべてこれは文殊の教化の力である
あらゆる世界の衆生が み名を聞いたり姿や光明を見たり
機類に応じて現われるのを見れば みな仏道を成ずること思い計ることができぬ «心地観経» の偈である。
もし、 ただ文殊菩薩のみ名を聞く者は、 十二億劫も生死の世界にさ迷うべき罪を除く。 もし、 礼拝し供養する者は、 いつも仏の国に生まれ、 もしみ名を称えること一日から七日に至ると、 文殊菩薩は必ず来りたもう。 もし、 昔からの障りのある者は、 夢の中に文殊菩薩を見たてまつることができて、 その願いは達せられる。 もし、 文殊菩薩のお姿を見たてまつる者は、 百千劫のあいだ、 悪道に堕ちない。 もし、 慈心いつくしみを行ずる者は、 すなわち文殊菩薩を見たてまつる事ができる。 もし文殊菩薩のみ名を受持し読誦する者は、 たとい重い障りがあっても、 阿鼻地獄の極悪の猛火に堕ちないで、 いつも他方の清らかな仏国に生まれる。 «文殊師利般涅槃経» の意である。 文殊菩薩のお姿は、 経に広く説かれているとおりである。 また、 百千億那由他の仏が衆生を利益したもうことも、 文殊菩薩が一劫の間で作なしたもう利益には及ばぬ。 それゆえ、 もし文殊菩薩のみ名を称える者は、 その福は、 かの百千億の諸仏の名号を受持するよりも多い。 «宝積経» の意である。
弥勒菩薩の功徳は量りないものである。 もし、 ただみ名を聞く者は、 暗闇の世界には堕ちない。 一念称名する者は、 千二百劫のあいだ生死の世界にさまようべき罪を除き、 帰依する者は、 無上道に至るまで退かない。 «弥勒上生経» の意である。 弥勒菩薩を称讃し、 礼拝する者は百千万億阿僧祇劫のあいだ、 迷わねばならぬ罪を除く。 «虚空蔵経» «仏名経» の意である。
量りなき千万劫に 修めたもう願と智と行とは
広大で量ることができず 称ほめたたえても尽くすことができない «華厳経» の偈である。 以上の三菩薩がいつも極楽の世界にましますことは «四十華厳経» に出ている。
地蔵菩薩は、 毎日朝早く、 恒河の沙に等しい禅定に入り、 あらゆる国に行きわたり、 苦しむ衆生を救いたもう。 その慈悲の願いは、 他の菩薩がたに超えていられる。 «十輪経» の意である。 かの経の偈にいう。
ただ一日 地蔵菩薩の すぐれた功徳を称えるのは
億劫のあいだ 他の智者を称える徳に勝る
たとい百劫のあいだ その功徳を讃ほめ説いても
なお尽くすことはできない それゆえ皆供養すべきである
観世音菩薩が仰せられる。
苦しみを持つ衆生が三たびわが名を称えるのに、 赴いて救わねば正覚さとりを取るまい。 «弘猛海慧経» にいってある。 もし、 百千億那由他の諸仏の名号を称念するとしよう。 また、 しばらくの間わが名号を心から称念するとしよう。 この二つの功徳は、 全く平等である。 わが名号を称念する人々は、 すべて皆、 不退転の地位を得る。 «十一面経» にいってある。
衆生がもしわが名を聞くならば 苦しみを離れて解脱を得よう
また地獄に遊び 大慈悲の心より衆生に代って苦しみを受けよう «請観音経» の偈である。
弘き誓いの深いことは海のようで 一劫を経ても はかりしられぬ
数千億の仏に仕え いと清らかな願いを発おこす
神通力を具足して 広く智慧のてだてを修め
十方の多くの国々に その身を現わさぬ所とてはない
念々に疑うたがいを生じてはならぬ 浄き聖の観世音は
苦しみや死の厄わざわいのために よく依怙たよりとなる
あらゆる功徳を具え 慈悲の眼で衆生を見たもう
福徳の海は量りない それゆえ頂礼すべきである «法華経» に説かれてある。
大勢至菩薩が仰せられる。
わたしはいろいろの悪道に堕ちたものでまだ救われない衆生を救うことをよく任務とする。 «宝積経» にいってある。
智慧の光で、 一切を普あまねく照らし、 三途を離れさせるについて、 この上もない力を得ている。 それで、 この菩薩を大勢至と名づける。 この菩薩を観ずる者は、 数限りもない永劫のあいだ迷わねばならぬ罪を除き、 胎生を受けないで、 いつも諸仏の清らかな国に往来する。 «観経» の意味による。
限りもない無数劫にわたり 広く願力を修めて弥陀を助け
常に大衆に対してみ法を宣のべる これを聞く者は浄き眼を得る
神通力で十方の国に遍ねく至り すべての衆生の前に現われる
もし衆生がよく至心に念ずるならば みな悉く導いて安楽に至らせる 龍樹菩薩の «讃» である。
また、 いわれている。
観音と勢至とは勝れた誉ほまれがあり 功徳と智慧は共に量りがない
慈悲を具足して世間を救い 遍くすべての衆生の間に至る
このような勝れた人に遇う事は甚だ難い 一心に敬いぬかずいて礼したてまつれ 以上
このような次の世で仏になる大菩薩 (一生補処) は、 その数が恒河の沙のようである。 その姿は端正で、 功徳を具え、 いつも極楽国に在あって、 阿弥陀仏を取り囲んでいられる。
また声聞たちの数も量り難い。 不思議な智慧は深くゆきわたり、 その威力は自在である。 よく掌たなごころの中に、 すべての世界を持たもつことができる。 たとい大目連のように神通のある者が、 百千万億無量無数あって、 限りのない劫のあいだ悉く共に極楽の最初の説法の会座に列つらなる声聞を算かぞえても、 知られる数は、 一滴の水のようであり、 知られぬところは大海の水のようなものである。 その中で、 入滅し去る者の数は限りなく、 新たに阿羅漢のさとりを得る者も数限りがないけれども、 全く増減はない。 ちょうど大海は、 恒河の水を減らしても恒河の水を加えても、 増減がないようなものである。 菩薩たちの数は、 また以上の数に倍している。 «大智度論» にいうとおりである。
阿弥陀仏の国には、 菩薩僧は多くて、 声聞僧は少ない。 以上
このような聖衆は、 極楽に充ちみちている。 互いに、 遠くから仰ぎ見たり、 はるかに声を聞いたりして、 共に仏道を求め、 同類の者ばかりである。 まして、 また十方の恒河の沙ほどの仏土にある量りなき微塵の数ほどの菩薩聖衆は、 それぞれ神通を現わして安楽国に至り、 阿弥陀仏の尊いみ顔を仰いで、 敬い供養したてまつるのである。 天の妙花をもたらしたり、 妙宝の香を焚いたり、 価あたい知られぬ衣を献じたり、 天の音楽を奏して、 優雅な音ねを出したりして、 仏を歌いたたえてみ法を聴聞し、 仏道を宣のべ広める。 このようにして昼夜に往来の絶え間がない。 東方へ去ると西方から来り、 西方へ去ると北方から来り、 北方へ去ると南方から来る。 四維上下も互いにまたこのようである。 互いに道をゆずりあうことは、 ちょうど盛んな市のようである。 これらの菩薩は、 一たびその名を聞くことさえ、 わずかな因縁ではできぬ方々である。 まして、 百千万劫の長い間にも、 誰がお目にかかれようか。 けれども、 かの国土の人々は常に一所に集まり、 互いに言葉をかわし、 問い尋ね敬って近づき習うのである。 なんと楽しいことではないか。 以上は、 «無量寿経» «観経» «平等覚経» などの意味によるのである。
龍樹菩薩の偈 (易行品) にいわれている。
かの浄土の菩薩たちは あらゆる相好をそなえて
みずからの身をかざる わたしはいま帰命して礼したてまつる
三界の迷いを出て 目は蓮華のはなびらのよう
そのような声聞衆が無量である それゆえぬかずき礼したてまつる
また、 いわれている。 (十二礼)
十方から集まる菩薩たちは 神通をもって安楽国に至り
尊顔を仰ぎみて常に恭敬する それゆえわたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる 
■見仏聞法楽
【29】 
第八に見仏聞法の楽といふは、いまこの娑婆世界は、仏を見、法を聞くことはなはだ難し。 師子吼菩薩のいはく(心地観経)、
「われら無数百千劫に、四無量・三解脱を修して、いま大聖牟尼尊(釈尊)を見たてまつること、なほ盲ひたる亀の浮木に値へるがごとし」と。
また儒童は全身を捨ててはじめて半偈を得たり。 常啼は肝腑を割きて遠く般若を求めたり。 菩薩すらなほしかり、いかにいはんや凡夫をや。
仏(釈尊)、舎衛にましますこと二十五年、かしこに九億の家あり。 三億は仏を見たてまつり、三億はわづかに聞き、その余の三億は見ず聞かず。 在世すらなほしかり、いかにいはんや滅後をや。 ゆゑに『法華』にのたまはく、
「このもろもろの罪の衆生は、悪業の因縁をもつて、阿僧祇の劫を過ぐれども、三宝の名をも聞かず」と。
しかるをかの国の衆生は、つねに弥陀仏を見たてまつり、つねに深妙の法を聞く。 いはく、厳浄の地の上には菩提樹あり、枝葉四もに布き、衆宝をもつて合成せり。 樹の上には宝の羅網を覆ひ、条のあひだには珠の瓔珞を垂れたり。 風、枝葉を動かすに、声妙法を演べ、その声流布して諸仏の国に遍す。 その聞くことあるものは深法忍を得、不退転に住し、耳根清徹なり。
樹の色を覩、樹の香りを聞ぎ、樹の味を嘗め、樹の光に触れ、樹の相を縁ずるも、一切またしかなり。 仏道を成ずるに至るまで六根清徹なり。 樹下に座あり、荘厳無量なり。 座の上には仏ましまし、相好無辺なり。 烏瑟高く顕れて、晴天の翠濃く、白毫右に旋りて、秋月の光満てり。 青蓮の眼、丹菓の唇、迦陵頻の声、獅子相の胸、仙鹿王の腨、千輻輪の趺、かくのごとき八万四千の相好、紫磨金の身に纏絡し、無量塵数の光明は、億千の日月を集めたるがごとし。
時ありて、七宝の講堂にましまして妙法を演暢したまふに、梵音深妙にして、衆の心を悦可したまふ。 菩薩・声聞・天・人大衆、一心に合掌して尊顔を瞻仰したてまつる。 即時に、自然の微風、七宝の樹を吹くに、無量の妙華、風に随ひて四もに散ず。 一切の諸天、もろもろの音楽を奏す。
この時に当りて、熙怡快楽、勝げていふべからず。 あるいはまた広大の身を現じ、あるいは丈六・八尺の身を現じ、あるいは宝樹の下にましまし、あるいは宝池の上にまします。 衆生の本の宿命により、求道の時、心に喜願せしところに随ひて、大小意に随ひて、ために経法を説き、それをして疾く開解し、得道せしめたまふ。
かくのごとく種々の機に随ひて、種々の法を説きたまふ。 また観音・勢至の両の菩薩、つねに仏の左右の辺にありて、坐侍して政論す。 仏つねにこの両の菩薩とともに対坐して、八方上下、去・来・現在の事を議したまふ。 ある時には、東方の恒沙の仏国の無量無数のもろもろの菩薩衆、みなことごとく無量寿仏の所に往詣して、恭敬し供養して、もろもろの菩薩・声聞の衆までに及ぼす。
南西北方・四維・上下もまたかくのごとし。 かの厳浄の土の微妙難思議なるを見て、よりて無量の心を発して、わが国もまたしからんと願ず。 時に応じて、世尊、容を動かして微笑し、口より無数の光を出して、あまねく十方の国を照らしたまふ。 回光、身を囲ること三匝して頂に入る。
一切の天・人衆、踊躍してみな歓喜す。 大士観世音、服を整へて〔無量寿仏に〕稽首して問ひたてまつる。 「仏、なんの縁ありてか笑みたまふ。 やや、しかなり。 願はくは説きたまへ」と。 時に梵の声、雷のごとくして八音をもつて妙響を暢べたまひ、「まさに菩薩に記を授くべし」と。 告げてのたまはく、「なんぢ、あきらかに聴け。 十方より来れる正士、われことごとくかの願を知れり。 厳浄の土を志求し、決を受けてまさに仏に作るべし。
一切の法はなほ夢・幻・響のごとしと覚了するも、もろもろの妙願を満足して、かならずかくのごとき刹を成ぜん。 法は電・影のごとしと知るも、菩薩の道を究竟し、もろもろの功徳の本を具して、決を受けてまさに仏に作るべし。 諸法の性は一切、空・無我なりと通達するも、もつぱら浄仏土を求めて、かならずかくのごとき刹を成ぜん」と。 {以上}いはんやまた、水・鳥・樹林みな妙法を演ぶ。 おほよそ聞かんと欲するところをば、自然に聞くことを得。 かくのごとき法楽は、またいづれの処にかあらんや。 [このなかは多く『双巻経』(大経)・『平等経』等によれり。]龍樹の讃(十二礼)にいはく、
「金を底とし、宝間はりたる池に生ぜる華、善根の成ぜるところの妙台座なり。かの座の上において山王のごとし。ゆゑにわれ弥陀仏を頂礼したてまつる。諸有は無常・無我等なり。また水月・電・影・露のごとし。衆のために法に名字なきことを説きたまふ。ゆゑにわれ弥陀仏を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに安楽国に往生せん」と。
第八に見仏けんぶつ聞法もんぼうの楽とは、 今、 この娑婆世界は、 仏を見たてまつって仏法を聞くことがはなはだ難しい。 師子吼菩薩がいわれる。
われら無数百千劫の長い間に 四無量・三解脱を修行して
いま大聖釈迦仏を見たてまつるのは さながら盲の亀が浮木に値あうようなものである。
また、 儒童じゅどう (雪山童子) は、 その身を捨てて始めて偈の後半を得、 常じょう啼たい菩薩は、 肝府きもを割いて遠く般若 (智慧) を求められた。 菩薩でさえもその通り、 まして凡夫では、 なおさらのことである。
釈迦如来が舎衛国に在ましますこと二十五年であったが、 かしこの九億の人々の内、 三億の人は仏を見、 三億の人がやっと仏の名を聞き、 その他の三億の人は見もせず聞きもしなかった。 仏の在世でさえもそうであった。 まして仏の入滅後ではなおさらである。 それゆえ «法華経» に説かれている。
これら多くの罪ある人々は 悪業を犯した因縁により
無数劫を経てもなお 三宝の名さえも聞かない
ところが、 かの浄土の人々は、 常に阿弥陀仏を見たてまつり、 たえず深妙のみ法を聞く。 そのさまをいえば、 いと清らかな地上には菩提樹があり、 枝葉は四方よもに拡がって、 多くの宝からできている。 樹の上には宝の網を覆い、 小枝の間には、 珠の瓔珞を垂れている。 風が吹いて枝葉を動かすと、 その声は妙法を演のべて、 遍く諸仏の国に流布する。 それを聞く者は、 深い法忍を得て不退転に住し、 耳が清く明らかである。 樹の色を見、 樹の香りを聞かぎ、 樹の味を嘗なめ、 樹の光に触れ、 樹の相を知ることもすべて同様で、 仏果を成就するまで、 六根は清く明らかである。
樹の下には座があって限りなく飾られている。 座の上には仏が在ましまして、 その相好は無辺である。 肉髻が高く現われ、 澄みきった空の青色のように濃く、 白毫は右に旋めぐって、 秋の月のような光が満ちている。 青蓮華のような眼、 赤い実のような唇、 迦陵頻伽のような声、 獅子のような胸、 仙鹿王のような膞はぎ、 千輻輪相のある蹠あしうら、 このような八万四千の相好は紫磨黄金のおん身に具わり、 数限りもない光明は億千の日月を集めたようである。 ある時は、 七宝の講堂に在ましまし、 妙法を説きのべたもうに、 きよらかな声は妙に人々の心を悦ばせたもう。 菩薩・声聞・天・人の大衆は、 一心に合掌して、 仏のみ顔を仰ぎ見る。 その時、 自然と微風そよかぜが七宝の樹を吹き、 限りない妙花は、 風のまにまに四方に吹き散って行く。 あらゆる天人たちは、 すべて、 さまざまの音楽を奏する。 この時に当たって、 その楽しみはいいようもないのである。 あるいはまた、 広大のおん身を現じ、 あるいはまた一丈六尺や八尺の身と現われたもう。 あるいは宝樹の下、 あるいは宝池の辺ほとりに在まします。 人々が過去世に仏道を求めたとき心に好み願ったことにしたがって、 望みどおりに人々のためにみ法を説き、 早くさとりを得させる。 このように種々の機類に応じて、 種々のみ法を説かれるのである。 また、 観音・勢至の二菩薩は、 常に仏の左右のほとりにましまし、 仏の御座近く侍って論議せられる。 仏は常にこの二菩薩と対座して、 八方上下の世界、 過去・現在・未来のことを議せられる。
ある時は、 東方、 恒河の沙ほど多い仏国の数限りない多くの菩薩たちが、 皆すべて無量寿仏のみもとに至り、 仏をはじめ多くの菩薩や声聞たちに及ぶまで敬い供養したてまつる。 南西北方、 四維上下の菩薩たちもまたこのようにせられる。 清らかに飾られたかの国土の微妙不思議なさまを見て、 菩薩は量りない心を発おこし、 みずからの国もまたこのようでありたいと願う。 その時無量寿仏はお姿を改めてほほ笑みたまい、 口より無数の光を出して、 遍く十方の国々を照らし、 その光がかえって来て三たびおん身をめぐり、 かの仏の頂いただきに収まる。 あらゆる天人たちは、 皆踊りあがって喜ぶ。 そこで観世音菩薩は衣服をただし、 ぬかずいて仏におたずねする。 「どういうわけで、 ほほえまれるのでございますか。 どうか思し召しのほどをお説き下さい。」 その時、 仏のみ声はおごそかに八音を出して妙に響きわたらせ、 菩薩に成仏の記別を授け、 告げて仰せられるには、 「そなたよ、 よく聞け、 十方から来た菩薩らよ。 わたしはすべてそなたらの願いを知っている。 清らかな国を成就したいと志してきっと仏になることができよう。 あらゆる法ものは、 ちょうど夢・幻や響こだまのようであると知りながら、 多くの勝れた願を満足して、 きっとこのような国を成就するであろう。 すべての法ものは電いなずまや影のようであると知りながら、 菩薩の道をおし究め、 多くの功徳の本を具え、 きっと仏になることができよう。 あらゆる法ものの本性はことごとく空・無我であると見抜きながら、 ひとえに清らかな仏土を求め、 きっとこのような国土を成就するであろう」 と。 以上
まして、 また水・鳥や樹林も皆、 妙法を説き、 すべて聞きたいと思うことは自然に聞くことができるのである。 このような仏法の楽しみは極楽以外のどこにあるだろうか。 以上の多くは «無量寿経» «平等覚経» などの意味に依った。
龍樹菩薩の讃 (十二礼) にいわれている。
金沙を底とし宝のまじわる池に生じた蓮華は きよき善根によって成る妙なる台座である
その座上に須弥山のように坐したもう それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
「あらゆるものの常なく我の体がないことは また水にうつれる月や電・影や露のようである」と
衆のために諸法の空なることを説きたもう それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくはもろもろの人々と共に 安楽国に往生しよう 
■随心供仏楽
【30】 
第九に随心供仏の楽といふは、かの土の衆生は、昼夜六時に、つねに種種の天華を持ちて、無量寿仏を供養したてまつる。
また、意に他方の諸仏を供養したてまつらんと欲ふことあれば、すなはち前みて長跪して、手を叉へて仏にまうす。 仏すなはちこれを可したまふに、みな大きに歓喜して、千億万の人、おのおのみづから翻り飛び、等輩あひ追ひ、ともに散飛して、八方上下の無央数の諸仏の所に到りて、みな前みて礼をなし、供養し恭敬したてまつる。
かくのごとく毎日晨朝に、おのおの衣裓をもつてもろもろの妙華を盛れて、他方の十万億の仏に供養したてまつる。 およびもろもろの衣服・妓楽、一切の供具、意に随ひて出生して、供養し恭敬す。 すなはち食時をもつて本国に還り到りて、飯食し経行して、もろもろの法楽を受く。
あるいはいはく、毎日三時に諸仏を供養したてまつると。 行者、いま遺教に従ひて、十方の仏土の種々の功徳を聞くことを得たり。 見るに随ひ、聞くに随ひて、はるかに恋慕を生ず。 おのおのあひ謂りていはく、「われら、いづれの時にか、十方の浄土を見ることを得、諸仏・菩薩に値ふことを得ん」と。 教文に対ふごとに、嗟嘆せずといふことなし。 しかるを、もしたまたま極楽国に生るることを得ば、あるいは自力により、あるいは仏力を承けて、朝に往き暮に来り、須臾に去り須臾に還らん。
あまねく十方の一切の仏刹に至りて、まのあたり諸仏に奉へたてまつり、もろもろの大士に値遇し、つねに正法を聞き、大菩提の記を受けん。 乃至、あまねく一切の塵刹に入りて、もろもろの仏事をなし、普賢の行を修せん。 また楽しからずや。[『阿弥陀経』・『平等覚経』・『双巻経』(大経)の意。]
龍樹の偈(易行品)にいはく、
「かの土の大菩薩は、日々三時に、十方の仏を供養したてまつる。このゆゑに稽首して礼したてまつる」と。 
第九に随心ずいしん供く仏ぶつの楽とは、 かの極楽の人々は、 昼夜に六たび、 常にさまざまの天てん花げを持って無量寿仏を供養したてまつる。 また意こころに他方の諸仏を供養したいと思うならば、 すぐ仏前に進み出て跪ひざまずき、 手を組み合わせて敬礼し、 仏に申しあげると、 これをお許しになる。 そこで皆大いに歓喜して、 千億万の人々はそれぞれ空を翻ひるがえり飛び、 それぞれの仲間は相い連れ、 共に飛び去り、 八方上下の数限りもない諸仏のみもとに至る。 皆仏前に進み出て礼拝し、 供養し敬いたてまつる。 このような有様で、 毎日朝早く、 それぞれの花篭に多くの妙花を盛り、 他方の十万億の仏を供養したてまつる。 また、 いろいろの衣服や音楽など、 すべての供養の品々は、 思いのままに現われ、 それで供養し敬うのである。 そして食事の時までに、 もとの浄土に戻って来て食事し、 めぐり歩いて、 いろいろの法楽を受ける。 あるいはいう、 毎日、 朝・昼・夜の三たびに諸仏を供養したてまつる。
行者は、 今、 釈尊の遺された教に従って、 十方仏土のいろいろの功徳を聞くことができ、 見るにつれ聞くにつれて、 遥かに憧れを生ずる。 おのおの心に思うて 「われら、 いつの日にか十方の浄土を見、 諸仏菩薩に値あいたてまつることができようか」 と言い、 み教の文を開きみるたびに、 いつも歎かずにはおられぬのである。 けれども、 もしたまたま極楽浄土に生まれることができたならば、 あるいは自分の力により、 あるいは仏の力を承うけて、 朝行って夕方に戻り、 たちまちの間に行って、 たちまちの間にもどる。 遍く十方一切の仏土に至って、 まのあたり諸仏に仕え、 多くの菩薩に値あい、 いつも正しいみ法を聞き、 大菩提さとりの記別を授けられる。 さては、 ひろく一切の国土に入り、 多くの仏のはたらきをなし、 普賢の行を修める。 なんと楽しいことではないか。 «阿弥陀経» «平等覚経» «無量寿経» などの意味に依った。
龍樹菩薩の偈 (易行品) にいわれている。
かの浄土の大菩薩たちは 日々に三回ずつ
十方の仏を供養する それゆえぬかずき礼したてまつる 
 

 

■増進仏道楽
【31】 
第十に増進仏道の楽といふは、いまこの娑婆世界は、道を修して果を得ることはなはだ難し。 いかんとなれば、苦を受くるものはつねに憂へ、楽を受くるものはつねに着す。 苦といひ楽といひ、解脱を遠離す。
もしは昇もしは沈、輪廻にあらずといふことなし。 たまたま発心して修行するものありといへども、また成就しがたし。 煩悩内に催し、悪縁外に牽きて、あるいは二乗の心を発し、あるいは三悪道に還りぬ。 たとへば、水のなかの月の、波に随ひて動きやすく、陣の前の軍の、刃に臨みてすなはち還るがごとし。 魚子長じがたく、菴菓熟すること少なし。
かの身子(舎利弗)等の、六十劫に退せるもののごとき、これなり。 ただ釈迦如来、無量劫に難行苦行し、功を積み、徳を累ねて、菩薩の道を求めて、いまだかつて止息したまはず。 三千大千世界を観ずるに、乃至、芥子ばかりのごときも、この菩薩の身命を捨てたる処にあらざること、あることなし。 衆生のためのゆゑなり。
しかして後に、すなはち菩提の道を成ずることを得たまへり。 その余の衆生はおのが智分にあらず。 象の子は力微ければ、身は刀箭に歿す。
ゆゑに龍樹菩薩のいはく(大智度論・意)、「たとへば四十里の氷に、もし一人ありて一升の熱湯をもつてこれに投るれば、当時は氷減ずるに似たれども、夜を経て明に至れば、すなはち余のものよりも高きがごとし。 凡夫のここにありて発心して、苦を救はんとするもまたかくのごとし。 貪瞋の境、順違多きをもつてのゆゑに、みづから煩悩を起して、かへりて悪道に堕しぬ」と。{以上}
かの極楽国土の衆生は、多くの因縁あるがゆゑに、畢竟じて退せずして、仏道に増進す。
一には、仏の悲願力つねに摂持するがゆゑに。
二には、仏の光つねに照らして菩提心を増するがゆゑに。
三には、水・鳥・樹林・風鈴等の声、つねに念仏・念法・念僧の心を生ぜしむるがゆゑに。
四には、もつぱらもろもろの菩薩を、もつて善友となして、外に悪縁なく、内に重惑を伏せるがゆゑに。
五には、寿命永劫にして、仏とともに斉等にして、仏道を修習するに、生死の間隔あることなきがゆゑに。
『華厳』の偈にのたまはく、
「もし衆生ありて一たび仏を見たてまつれば、かならずもろもろの業障を浄除せしむ」と。
一たび見たてまつるすら、なほしかなり。
いかにいはんやつねに見たてまつるをや。 この因縁によりて、かの土の衆生は、あらゆる万物において、我・我所の心なし。 去来進止に心係くるところなし。
もろもろの衆生において大悲心を得、自然に増進して、無生忍を悟り、究竟してかならず一生補処に至り、乃至、すみやかに無上菩提を証す。
衆生のためのゆゑに、八相を示現し、縁に随ひ、厳浄の国土にありて妙法輪を転じ、もろもろの衆生を度す。 もろもろの衆生をしてその国を欣求せしむること、わが今日、極楽を志願するがごとくす。 また十方に往きて衆生を引接すること、弥陀仏の大悲の本願のごとくあらん。 かくのごとき利益、また楽しからずや。 一世の勤修は、これ須臾のあひだなり。 なんぞ衆事を棄てて浄土を求めざらんや。
願はくはもろもろの行者、ゆめ懈ることなかれ。 [多くは『双巻経』(大経)、ならびに天台『十疑』等の意による。]
龍樹の偈(十二礼)にいはく、
「かの尊の無量方便の境には、諸趣と悪知識とあることなし。往生しぬれば退せずして菩提に至る。ゆゑにわれ、弥陀仏を頂礼したてまつる。われかの尊の功徳の事を説くに、衆善無辺なること海水のごとし。所獲の善根清浄なるものをもつて、願はくは衆生とともにかの国に生れん。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん」と。
第十に増進ぞうしん仏道ぶつどうの楽とは、 今この娑婆世界は、 仏道を修行して仏果を得る事がはなはだ難しい。 なぜかというと、 苦しみを受ける者は常に悩み、 楽しみを受ける者は常に執着している。 苦しみといい、 楽しみといい、 共に解脱さとりを遠く離れたものである。 この迷いの世界で、 善果に昇ったり悪果に沈んだりしても、 結局は輪廻のほかはないのである。 時たま発心して修行する者があっても、 仏道をなしとげる事は難しい。 内には煩悩が催し、 外からは悪縁に牽かれて、 二乗の心を発おこしたり、 三悪道に戻ったりする。 たとえば水中の月は波にしたがって動き易く、 兵士がいざ戦いとなると退却するようなものである。 魚の子は成長し難く、 *菴あん没羅もらの果みは熟することが稀である。 かの舎利弗たちが六十劫で退転したようなことが、 それである。
ただ釈迦如来だけは、 無量劫にわたって難行苦行し、 功を積み徳を累かさね、 菩薩の道を求めて、 一度も止めたもうた事がなかった。 三千大千世界を見わたすと、 芥子粒ほどの土地も、 この菩薩 (釈迦) が命を捨てたまわない所はない。 それはすべて衆生のためである。 こうした修行の後に、 はじめて仏果を成就せられたのである。 釈迦仏以外の人々は、 自分の智慧の程度では不可能である。 ちょうど象の子は力が弱いから刀や矢で殺されるようなものである。 それゆえ龍樹菩薩は次のように仰せられる。 («大智度論» の意)
たとえば、 四十里の氷に、 もし一人の人があって、 一升の熱湯を注げば、 その時は少し氷が減ったようであるけれども、 一夜を経て明け方になると、 他の所よりも高くなっているようなものである。 凡夫が、 この土で発心して苦しみを救おうと思うのも、 またこのとおりである。 貪欲・瞋恚の境界は、 心にかなったりかなわなかったりすることが多いから、 みずから煩悩を起こして、 かえって悪道に堕ちるのである。 以上
ところが、 かの極楽国土の人々は、 多くのよい因縁があるから、 最後まで退くことなく、 仏のさとりに進んで行くのである。 一つには、 仏の慈悲の願力が、 いつも摂めたもちたもうからである。 二つには、 仏の光明が常に照らして、 菩提心を増すからである。 三つには、 水・鳥・樹林・風鈴などの声は、 常に念仏・念法・念僧の心を起こさせるからである。 四つには、 菩薩たちだけが在して善友となり、 外には悪縁がなく、 内には重い煩悩を制伏するからである。 五つには、 命が限りなく、 仏と共に等しく、 仏道を修行する際に、 生死の隔てがないからである。 «華厳経» の偈に説かれている。
もし人あって一たび仏を見たてまつれば 必ず多くの業の障りが浄め除かれる
一たび見たてまつることでさえ、 そうである。 まして常に仏を見たてまつるのであるから、 なおさらである。 この因縁によって、 かの極楽の人々は、 すべての物について、 自分だとか自分のものだとかの心はなく、 行くもかえるも進むも止とどまるも、 すべて心に執着することがない。 すべての人々に対して広大な慈悲心を発おこし、 自然に仏道が進んで無生忍を悟り、 ついに必ず一生補処の位に至り、 そうして速やかに無上菩提を証するのである。 人々のために八相成道のすがたを現わし、 縁に応じ、 清らかな国土に在あって妙なるみ法を説き、 もろもろの衆生を救う。 もろもろの衆生に、 その国を願い求めさせることは、 自分が今日、 極楽を願うようにさせるのである。 また、 十方に行って人々を導くことは、 ちょうど阿弥陀仏の広大な慈悲から起こされた本願のようである。
このような利益は、 なんと楽しいことではないか。 この世の一生で仏道を勤修することは、 ほんのしばらくの間である。 どうして万事を捨てて浄土を求めないのか。 願わくは行者たちよ、 ゆめゆめ怠ってはならぬ。 多くは «無量寿経» ならびに天台の «十疑論» などの意味に依った。
龍樹菩薩の偈 (十二礼) にいわれている。
かの阿弥陀仏ののはかりなき自利利他成就の浄土は もろもろの迷いの境界や悪い知識ともはない
往生して不退に入り仏のさとりに至る それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
わたしはいま阿弥陀仏の功徳を説きたてまつる 多くの善根の無辺にましますことは海水のようである
みずから得たこの清浄の善根を 衆生にも知らせて共にかの国に往生しよう
願わくは もろもろの人々と共に 安楽国に往生しよう 
第三 極楽証拠
【32】 
大文第三に、極楽証拠を明かさば、二あり。 一は十方に対す。 二は兜率に対す。
大文第三に極楽の証拠を明かすのに、 二つとする。 一つには十方浄土に対し、 二つには兜率天に対する。 
■対十方
【33】 
初めに十方に対すとは、問はく、十方に浄土あり。 なんぞただ極楽にのみ生ぜんと願ふや。
答ふ。 天台大師(智)のいはく(十疑論・意)、「もろもろの経論、処々にただ衆生を勧めてひとへに阿弥陀仏を念じ、西方の極楽世界を求めしめたまへり。 『無量寿経』・『観経』・『往生論』(天親の浄土論)等の数十余部の経論の文に、慇懃に指授して西方に生ずることを勧めたり。 ここをもつてひとへに念ず」と。 {以上}大師(智)、一切の経論を披閲したまへること、おほよそ十五遍。 知るべし、述べたまへるところ、信ぜずはあるべからず。 迦才師の三巻『浄土論』に、十二経七論を引けり。
一には『無量寿経』、二には『観経』、三には『小阿弥陀経』、四には『鼓音声経』、五には『称揚諸仏功徳経』、六には『発覚浄心経』、七には『大集経』、八には『十往生経』、九には『薬師経』、十には『般舟三昧経』、十一には『大阿弥陀経』、十二には『無量清浄平等覚経』なり。 [以上、『双巻無量寿経』・『清浄覚経』・『大阿弥陀経』は同本異訳なり。]一には『往生論』、二には『起信論』、三には『十住毘婆沙論』、四には一切経のなかの弥陀の偈、五には『宝性論』、六には龍樹の『十二礼』の偈、七には『摂大乗論』の弥陀の偈なり。 [以上、智憬師これに同じ。]わたくしに加へていはく、『法華経』の「薬王品」、『四十華厳経』の普賢願、『目連所問経』・『三千仏名経』・『無字宝篋経』・『千手陀羅尼経』・『十一面経』・『不空羂索』・『如意輪』・『随求』・『尊勝』・『無垢浄光』・『光明』・『阿弥陀』等のもろもろの顕・密教のなかに、もつぱら極楽を勧めたること、称計すべからず。 ゆゑにひとへに願求す。
問ふ。 仏ののたまはく、「諸仏の浄土は実に差別なし」と。 なんがゆゑぞ如来はひとへに西方を讃じたまふ。
答ふ。 『随願往生経』に、仏、この疑を決してのたまはく、「娑婆世界は、人、貪濁多くして、信向のものは少なく、習邪のものは多くして正法を信ぜず、専一なることあたはざれば、心乱れて志なし。 実には差別なけれども、もろもろの衆生をして専心にあることあらしむ。 このゆゑにかの国土を讃嘆したまふのみ。 もろもろの往生人、ことごとくかの願に随ひて果を獲ずといふことなし」と。 また『心地観経』にのたまはく、「もろもろの仏子等、まさに心を至して一仏および一菩薩を見んと求むべし。 かくのごときを名づけて出世の法要となす」と。 {云々}このゆゑに、もつぱら一仏の国を求めしむるなり。
問ふ。 その心をもつぱらにせんがために、なんがゆゑぞ中においてただ極楽をしも勧むる。
答ふ。 たとひ余の浄土を勧むとも、またこの難を避らじ。 仏意、測りがたし。 ただ仰ぎて信ずべし。
たとへば、痴人の、火坑に堕ちてみづから出づることあたはざらんに、知識これを救ふに一の方便をもつてせば、痴人、力を得て、務ぎてすみやかに出づべし。 なんの暇ありてか、縦横に余の術計を論ぜんや。 行者もまたしかり。 他念を生ずることなかれ。
『目連所問経』にのたまふがごとし。 「たとへば、万川の長流に浮べる草木ありて、前は後を顧ず、後は前を顧ず、すべて大海に会まるがごとく、世間もまたしかり。 豪貴・富楽、自在なることありといへども、ことごとく生老病死を免るることを得ず。 ただ仏経を信ぜざるによるに、後世に人となれども、さらにはなはだしく困劇して、千仏の国土に生ずることを得ることあたはず。 このゆゑにわれ説く。 〈無量寿仏の国は、往きやすく取りやすし。 しかるを人、修行して往生することあたはずして、かへりて九十五種の邪道に事ふ〉と。 われ説きて、この人を無眼の人と名づけ、無耳の人と名づく」と。 {以上}『阿弥陀経』(意)にのたまはく、「われこの利を見るがゆゑに、この言を説く。 もし信ずることあるものは、まさに願を発して、かの国土に生るべし」と。 {以上}仏の誡め、慇懃なり。 ただ仰ぎて信ずべし。
いはんやまた機縁なきにあらず。 なんぞ強ひてこれを拒まん。 天台(智)の『十疑』(意)にいふがごとし。 「阿弥陀仏、別に大悲の四十八願ましまして、衆生を接引したまふ。 またかの仏の光明、あまねく法界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。 十方各恒河沙の諸仏、舌を舒べて三千界を覆ひ、一切衆生の、阿弥陀仏を念じ、仏の大悲本願力に乗じて、決定して極楽世界に生るることを得ることを証成したまへり。
また『無量寿経』にのたまはく、〈末後法滅の時に、ことにこの経を留めて、百年世にあらしめて、衆生を接引して、かの国土に生れしめん〉と。 ゆゑに知りぬ、阿弥陀仏と、この世界の極悪の衆生とは、ひとへに因縁ありといふことを」と。 {以上}慈恩(窺基)のいはく(西方要決)、「末法万年に、余経はことごとく滅して、弥陀の一教は物を利することひとへに増せらん。 大聖(釈尊)ことに留めたまふこと百歳なり。 時に末法を経ること一万年に満たば、一切の諸経はならびに従ひて滅没せん。 釈迦の恩重くして、教を留めたまへること百年なり」と。 {以上}また懐感禅師のいはく(群疑論)、「『般舟三昧経』に説かく、〈跋陀和菩薩、釈迦牟尼仏を請じてまうさく、《未来の衆生は、いかんしてか十方の諸仏を見たてまつることを得ん》と。
仏教へて、阿弥陀を念ぜしめたまふに、すなはち十方一切の仏を見たてまつる〉と。 この仏、ことに娑婆の衆生と縁あるをもつて、先づこの仏において心をもつぱらにして称念すれば、三昧成じやすきなり」と。 {以上}また観音・勢至は、本はこの土にして菩薩の行を修して、転じてかの国に生じたまへり。 宿縁の追ふところ、あに機応なからんや。
初めに、 十方浄土に対するというのは、 次に述べるようである。
問う。 十方に浄土があるのに、 どうして、 ただ極楽だけに生まれようと願うのか。
答える。 天台大師がいわれる。 («十疑論» の取意)
多くの経・論は、 処々にただ人々を勧めて、 ひたすら阿弥陀仏を念じ、 西方の極楽世界を求めさせてある。 «無量寿経»・«観経»・«王諍論» などの数十余部の経・論の文は、 ねんごろに教え示して、 西方浄土に往生することを勧められている。 こういうわけであるから、 ひたすら西方を念ずるのである。
天台大師は、 一切の経・論を御覧になったことが、 およそ十五遍であったといわれる。 だからその述べられることは信ぜねばならないのである。
迦才師の三巻の «浄土論» には、 十二の経と七つの論を引いている。 一つには «※無む量りょう寿じゅ経きょう»、 二つには «※観かん無む量りょう寿じゅ経きょう»、 三つには «※阿あ弥陀みだ経きょう»、 四つには «*阿あ弥陀みだ鼓く音おん声じょう王おう陀羅だら尼に経きょう»、 五つには «*称しょう揚よう諸仏しょぶつ功く徳どく経きょう»、 六つには «*発覚ほっかく浄じょう心しん経ぎょう»、 七つには «*大集だいじっ経きょう»、 八つには «*十じゅう往おう生じょう経きょう»、 九つには «*薬やく師し経きょう»、 十には «*般舟はんじゅ三昧ざんまい経きょう»、 十一には «*大だい阿あ弥陀みだ経きょう»、 十二には «*無む量りょう清浄しょうじょう平びょう等どう覚がく経きょう» である。 以上 «無量寿経» «平等覚経» «大阿弥陀経» は同一の経の異訳である。 論では、 一つには天親の «※浄じょう土ど論ろん»、 二つには «*大だい乗じょう起き信しん論ろん»、 三つには «※十住じゅうじゅう毘婆びば沙しゃ論ろん»、 四つには一切経の中の «弥陀みだ偈げ»、 五つには «*宝ほう性しょう論ろん»、 六つには龍樹の «*十じゅう二に礼らい偈げ»、 七つには «*摂しょう大だい乗じょう論ろん» の弥陀偈である。 以上、 智憬師の釈もこれと同じである。
更に私わたくしに加えていう。 «*法華ほけ経きょう» の薬王やくおう品ぼん、 «*華け厳ごん経ぎょう» 入にゅう法界ほっかい品ぼんの普ふ賢げん願がん、 «*目連もくれん所問しょもん経ぎょう»・«*三千さんぜん仏ぶつ名みょう経きょう»・«*無字むじ宝ほう篋きょう経ぎょう»・«*千手せんじゅ陀羅だら尼に経きょう»・«*十じゅう一面いちめん経ぎょう»・«*不ふ空くう羂けん索じゃく神変じんべん真言しんごん経きょう»・«*如にょ意い輪りん陀羅だら尼に経きょう»・«*随ずい求ぐ陀羅だら尼に経きょう»・«*尊そん勝しょう陀羅だら尼に経きょう»・«*無垢むく浄じょう光こう大だい陀羅だら尼に経きょう»・«*光こう明みょう真言しんごん経ぎょう»・«*阿あ弥陀みだ大呪だいじゅ» などの多くの顕教や密教の教の中に、 専ら極楽を勧めることは、 一々数えきれぬほどである。 それゆえ、 ひとえに西方浄土を願い求めるのである。
問う。 仏は 「仏たちの浄土には、 実には差別がない」 と仰せられる。 それなのに、 なぜ如来はひとえに西方浄土のみを讃ほめたもうのであるか。
答える。 «*十方じっぽう随願ずいがん往おう生じょう経ぎょう» に、 仏がこの疑問を解いて仰せられる。
娑婆世界では、 人間は貪りの心が多くて信に向かう者は少なく、 邪法を習う者は多くて正法を信じない。 専一になる事ができないから、 心が乱れて、 志がない。 浄土は、 実には差別がないけれども、 人々に心を一すじに定めさせようとされるのである。 それゆえ、 かの浄土を讃嘆するのである。 往生を願う人々は、 すべてその願いのままに果を得ないものはない。
また、 «*心しん地じ観かん経ぎょう» に説かれている。
仏弟子たちよ、 至心に一仏および一菩薩を見たてまつろうと求めるがよい。 このようなことを、 迷いの世を離れる肝要な方法と名づける。 下略
こういうわけであるから、 もっぱら一つの仏国のみを求めるのである。
問う。 その心を一すじにさせるためというのなら、 どうして、 多くの浄土の中で、 ただ極楽を勧めるのであるか。
答える。 たとい他の浄土を勧めても、 やはりこの疑難は免れないであろう。 仏意は、 測り難い。 ただ仰いで信ずべきである。 たとえてみると一人の愚かな人が炎の穴に落ちこんで自分の力では出ることができない場合、 友人が一つの方法でこれを救うと、 愚かな人は、 それに力を得て、 努力して早く出なければならぬようなものである。 何の余裕があって、 かれこれと他の方法を議論することがあろうか。 行者もこれと同じで、 他の思いを起こしてはならぬ。 «目連所問経» に説かれているとおりである。
たとえば、 よろずの長い川の流れに漂う草木が、 前のものは後のものを顧みず、 後のものは前のものを顧みず、 すべて大海に流れ込むようなものである。 世間のありさまもまたそのとおりで、 威勢があり、 地位高く、 財産があり、 また歓楽の自由自在なものでも生老病死を免れることはできない。 どのようなものでも、 仏のみ法を信じなかったならば、 後の世に人間と生まれても、 さらに一層困苦の身となり、 千仏の出られる国土に生まれることができぬ。 それゆえ、 わたしは、 ª無量寿仏の国は往きやすくさとりやすいのに、 人々はこれを行じないから往生することができず、 反対に九十五種の外道につかえているº と説くのである。 私はこういう人を ª眼のない人º ª耳のない人º と名づける。
«阿弥陀経» に説かれている。
わたしは、 このような利益のあることを知っているから、 このことを説くのである。 もし人々で、 この説を信ずるものがあるならば、 願いを発おこして、 かの浄土に往生するであろう。 以上
このように、 仏の誡いましめはねんごろであるから、 ただ仰いで信ずべきである。 まして私どもと阿弥陀仏とは関係がないのではない。 どうして、 むりに西方浄土の往生を拒むことがあろうか。 天台大師の «十疑論» にいうとおりである。
阿弥陀仏には、 別して大慈悲の四十八願があって人々を導きたもう。 また、 かの仏の光明は、 遍く十方世界の念仏の人々を照らし、 摂め取って捨てたまわぬ。 十方にそれぞれまします恒河の沙の数ほど多い仏がたは、 舌をさしのべて三千世界を覆い、 あらゆる人々が、 阿弥陀仏を念じ、 仏の大悲の本願力に乗ずればまちがいなく極楽世界に生まれることができるということを証明したもうのである。 また «無量寿経» に仰せられる。 「末法の後、 仏法がなくなろうとする時、 特に、 この経をいついつまでも世に留めて、 人々を導き、 かの極楽国土に生れさせよう」 と説かれてある。 それゆえ阿弥陀仏と、 この世界の極悪の衆生とは、 とりわけ因縁があることが知られる。 以上
慈恩大師がいう。 (西方要決)
末法一万年には、 ほかの経法は皆なくなってしまい、 阿弥陀仏の教おしえのみ、 人々を利益することが増す。 釈迦如来が、 特にいつまでも留めおかれるのである。 時を経て末法一万年の後には、 すべての経は、 みないずれもなくなってしまうが、 釈尊の御恩は重くて、 このみ教おしえをいつまでも留めてくだされるのである。 以上
また懐感禅師がいう。 (群疑論)
«般舟三昧経» に説いてある。 「跋陀和菩薩が、 釈迦牟尼仏にお願いして、 ¬未来の人々は、 どのようにして十方の諸仏を見たてまつることができましょうか¼ とおたずねした。 そこで仏は、 跋陀和菩薩に教えて阿弥陀仏を念じさせたもうたところ、 すぐさま十方一切の諸仏を見たてまつったのである。」 阿弥陀仏は、 とりわけ娑婆の人々と縁があるので、 まずこの仏を専心に称念すると、 三昧が成就しやすいのである。
また観音と勢至の二菩薩は、 もとこの娑婆世界で菩薩の行を修め、 そしてかの極楽国に生まれたもうたのである。 過去からの因縁がつながっているのである。 どうして私たちと阿弥陀仏の浄土と感応するところがないといえようか。 
■対兜率
【34】 
第二に兜率に対すとは、問はく、玄奘三蔵のいはく、「西方の道俗ならびに弥勒の業をなす。 同じく欲界にしてその行成じやすきがためなり。 大小乗の師、みなこの法を許す。 弥陀の浄土は、おそらくは凡鄙穢れて修行成じがたからん。 旧き経論のごときは、七地以上の菩薩、分に随ひて報仏の浄土を見ると。 新論の意によらば、三地の菩薩、はじめて報仏の浄土を見ることを得べし。 あに下品の凡夫、すなはち往生することを得べけんや」と。 {以上}天竺(印度)すでにしかり。 いまなんぞ極楽を勧むるや。
答ふ。 中国・辺州、その処異なりといへども、顕密の教門は、その理これ同じ。 いま引くところのごとき証拠、すでに多し。 いかんぞ仏教の明らかなる文に背きて、天竺の風聞に従ふべけんや。 いかにいはんや、祇園精舎の無常院には、病者をして西に面かへて、仏(阿弥陀仏)の浄刹に往く想をなさしめんや。 つぶさには、下の臨終の行儀のごとし。 あきらかに知りぬ、仏意ひとへに極楽を勧むるにあり。 西域の風俗、あにこれに乖かんや。
また懐感禅師の『群疑論』には、極楽・兜率において十二の勝劣を立てたり。 「一には化主の仏と菩薩と別なるがゆゑに。 二には浄・穢土の別。 三には女人の有無。 四には寿命の長短。 五には内・外の有無。 [兜率は、内院は退せず、外院は退あり。 西方は内・外なし、また退なし。]六には五衰の有無。 七には相好の有無。 八には五通の有無。 九には不善心の起・不起。 十には滅罪の多少。 いはく、弥勒の名を称するには千二百劫の罪を除く。 弥陀の名を称するには八十億劫の罪を滅す。 十一には苦受の有無。 十二には受生の異。 兜率は男女の膝の下、懐のなかにあり。 西方は華のうち、殿のなかにあり。
二処の勝劣、その義かくのごとしといへども、しかもならびに仏は勧め讃じたまへり。 あひ是非することなかれ」(意)と。 [以上、おほよそ二界勝劣・差別を立つ。]慈恩(窺基)は十の異を立てたり。 前の八は感禅師(懐感)の所立を出でず。 ゆゑにさらに抄せず。
その第九にいはく(西方要決・意)、「西方は、仏、来迎したまふ。 兜率はしからず」と。 感師は「来迎は同じ」(群疑論・意)といふ。 第十にいはく(西方要決・意)、「西方は、経論に慇懃に勧めたまふこときはめて多し。 兜率は多からず、また慇懃にあらず」と。 {云々}感師(懐感)また往生の難易において、十五の同の義、八の異の義を立てたり。 八の異の義とは(群疑論・意)、「一には本願の異。 いはく、弥陀には引摂の願あり。 弥勒には願なし。 願なきは、みづから浮ぎて水を度るがごとし。 願あるは、舟に乗りて水に遊ぶがごとし。 二には光明の異。 いはく、弥陀仏の光は、念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。 弥勒はしからず。 光の照らすは、昼日の遊びのごとく、光なきは、暗のなかに来往するに似たり。 三には守護の異。 いはく、無数の化仏・観音・勢至、つねに行者の所に至りたまふ。
また『称讃浄土経』にのたまはく、〈十方の十恒河沙の諸仏の、摂受するところなり〉と。 また『十往生経』にのたまはく、〈仏、二十五の菩薩を遣はして、つねに行人を守護せしむ〉と。 兜率はしからず。 護りあるは、多くの人ともに遊ぶに、強賊に逼めらるることを畏ぢざるがごとし。 護りなきは、孤り嶮径に遊ぶに、かならず暴客のために侵さるるに似たり。 四には舒舌の異。 いはく、十方の仏、舌を舒べて証成したまふ。 兜率はしからず。 五には衆聖の異。 いはく、華聚菩薩・山海慧菩薩、弘誓願を発さく、〈もし一衆生として、西方に生るること尽きざることあらんに、われもし先づ去らば、正覚を取らじ〉と。 六には滅罪の多少。 {同前}七には重悪の異。 いはく、五逆罪を造れるものも、また西方に生るることを得。 兜率はしからず。 八には教説の異。
いはく、『無量寿経』にのたまはく、〈横に五の悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢ、道に昇るに窮極なからん。 往きやすくして人なし〉と。 兜率はしからず。 十五の同の義あらん。 なほ生じがたしと説くべからず。 いはんや、異に八の門あり。 しかるをすなはち説きて、往きがたしといはんや。
請ふ、もろもろの学者、理および教を尋ねて、その難易の二の門を鑑みて、永くその惑ひを除くべし」と。 [以上略抄。
ただ十五の同の義、かの『論』(群疑論)を見るべし。] 問はく、玄奘の伝ふるところ、会せずはあるべからず。 答ふ。 西域の行法、暗ければ決しがたきも、いま試みに会していはく、かの土の行者、多く小乗にあり。 相伝にいはく、「十五国は大乗を学し、十五国は大小兼学す。 四十一国は小乗を学す」と。]兜率に上生することをば、大小ともに許せり。 他方の仏土に往くことをば、大は許して小は許さず。 かれをばともに許せるがゆゑに、ならびに兜率といふか。 流沙以東盛りに大乗を興す。 かの西域の雑行には同ずべからず。 いかにいはんや、諸教の興隆はかならずしも一時ならず。 就中、念仏の教は、多く末代の、経道滅して後の濁悪の衆生を利す。 はかりみるに、かの時には、天竺(印度)にいまだ興盛ならざりしか。 もししからずは、上足の基師、あに別に『西方要決』を著して、十の勝劣を立てて、自他を勧むべけんや。
問ふ。 『心地観経』にのたまはく、「われいまの弟子をば弥勒に付く。 竜華会のなかに解脱を得ん」と。 あに如来(釈尊)の、兜率を勧進めたまふにあらずや。
答ふ。 これまた違することなし。 たれか、『上生』・『心地』等の両三の経をば遮せん。 しかも極楽の文の、顕密に且千なるにはしかず。 また『大悲経』の第三(意)にのたまはく、「当来の世に、法の滅せんと欲する時に、まさに比丘・比丘尼ありて、わが法のなかにおいて出家を得をはり、手に児の臂を牽きてともに遊行し、酒家より酒家に至りて、わが法のなかにおいて非梵行をなすべし。 {乃至}ただ性はこれ沙門なれども、沙門の行を汚してみづから沙門と称し、形は沙門に似て、まさに袈裟衣を被着することあるべきものは、この賢劫において、弥勒を首めとなし、乃至、最後の盧遮仏の所にして般涅槃に入りて、遺余あることなからん。 なにをもつてのゆゑに。 かくのごとく一切のもろもろの沙門のなかに、乃至、一たびも仏の名を称し、一たびも信をなすものは、所作の功徳つひに虚設ならざればなり」と。 {以上}『心地観経』の意、またかくのごとし。
ゆゑにかの『経』(同)に、「竜華」とのたまひて「兜率」とはのたまはず。 いまこれを案ずるに、釈尊の入滅より慈尊(弥勒)の出世に至るまで、五十七倶胝六十百千歳を隔てたり。 [『新婆沙』の意。]そのあひだの輪廻、劇苦いくばくぞ。 なんぞ、終焉の暮、すなはち蓮胎に託することを願はずして、悠々たる生死に留まりて、竜華会に至ることを期せんや。 いかにいはんや、もしたまたま極楽に生れなば、昼夜に、念に随ひて兜率宮に往来し、乃至、竜華会のなかに、新たに対揚の首となること、なほ富貴にして故郷に帰るがごとし。 いづれの人か、この事を欣楽せざらんや。 もし別縁あるものは、余方もまた佳し。 おほよそ意楽に随ふべし。 異執を生ずることなかれ。
ゆゑに感法師(懐感)のいはく(群疑論)、「兜率を志求するものは、西方の行人を毀ることなかれ。 西方に生れんと願ずるものは、兜率の業を毀ることなかれ。 おのおの性欲に随ひて、情に任せて修学せよ。 あひ是非することなかれ。 なんぞただ勝処に生れざるのみならん。 またすなはち三途に輪転しなん」と。 {云々}
二つに、 兜率に対するというのは、 次のようである。
問う。 玄奘三蔵がいう。
西方 (印度) の出家も在家も、 *弥み勒ろく菩ぼ薩さつのおられる兜率天に生まれる行業を修めている。 兜率天はこの世界と同じように欲界で、 その行業も成就し易いからである。 大乗・小乗の諸師たちは、 みな兜率往生の法を認めているのである。 阿弥陀仏の浄土に往生することは、 恐らく汚れた凡夫の身では、 行が成就し難いであろう。 旧訳の経・論によれば、 七地以上の菩薩が、 それぞれの程度に応じて報身仏の浄土を見るとある。 新訳の論の意味によると、 第三地の菩薩が始めて報身仏の浄土を見ることができるとある。 どうして、 低い凡夫が、 すなわち浄土に往生することができようか。
印度でさえも、 すでにこのとおりである。 それに今どうして極楽を勧めるのか。
答える。 中国と辺州と、 その場所は違っていても、 顕教・密教の法門は、 その道理は同一である。 わたしがいま引いた証拠は、 すでに多い。 どうして仏教の明白な文に背いて、 印度の噂に従ってよいだろうか。 まして、 祇園精舎の無常院には、 病人を西方に向け、 阿弥陀仏の浄土に往生する想いを起こさせたというではないか。 その詳細は、 後の臨終行儀のところに述べるとおりである。 これで、 仏の思し召しはひたすら極楽を勧めたもう、 ということが明らかに知られる。 印度地方の風俗も、 どうしてこれに背くであろうか。 また懐感禅師の «群疑論» には、 極楽と兜率とについて、 次のような十二の勝劣を立てている。
一つには、 化導の主が仏と菩薩と異なるから。 二つには、 浄土と穢土との別。 三つには、 女人の有る無し。 四つには、 寿命の長い短い。 五つには、 内院・外院の有る無し。 兜率天の内院は退かぬが外院は退くことがある。 西方浄土には内外がなく、 すべて退くことはない。 六つには、 五衰の有る無し。 七つには、 相好の有る無し。 八つには、 五神通の有る無し。 九つには、 不善の心の起こる起こらない。 十には、 滅罪の多い少ない。 すなわち弥勒菩薩の名を称えると千二百劫の罪を除くが、 阿弥陀仏の名を称えると八十億劫の罪を滅ぼす。 十一には、 苦を受けることの有る無し。 十二には、 生を受けることの相違。 それというのは、 兜率天では、 男女の膝下や懐の中に生まれるが、 西方浄土では、 蓮華の内、 宮殿の中に生まれるのである。 兜率・西方の二所の勝劣の義は、 このようであるけれども、 ともに仏が勧め讃めたもうのであるから、 たがいに非難しあってはならぬ。 以上。 およそ兜率・西方の二つの世界の勝劣差別を立てたのである。
慈恩大師は十の相違を立てている。 前の八つは、 懐感禅師が立てた説を出ていないから、 繰返して引用しない。 その第九にいう。
西方浄土は、 仏が行者の所に来り迎えたもうが、 兜率天は、 そうではない。
ところで、 懐感禅師はいう。
来迎したもうことは、 兜率天も西方極楽も同一である。
慈恩大師の第十にいう。
西方浄土については、 経・論ともに、 ねんごろに進めるものが極めて多いけれども、 兜率天については多くもなく、 またねんごろでもない。 下略
懐感禅師は、 また、 往生の難易について、 十五の同の義と、 八つの異の義を立てている。 その八つの異の義とは次のとおりである。
一つには、 本願の異。 すなわち、 阿弥陀仏には引接の願があるけれども、 弥勒菩薩にはそのような願はない。 願のないのは、 自分の力で泳いで水を渡るようであり、 願のあるのは、 舟に乗って水に遊ぶようである。 二つには、 光明の異。 すなわち、 阿弥陀仏の光明は念仏の人々を照らし、 摂め取って捨てたまわないけれども、 弥勒菩薩はそうではない。 光が照らすのは真昼の遊びのようであり、 光のないのは闇夜の往来に似ている。 三つには、 守護の異。 すなわち、 阿弥陀仏の場合では数限りもない化仏や化観音・化大勢至が、 いつも行者の所に来てくださるのである。 また «称讃浄土経» に、 「十方の十恒河の沙ほどの数ある諸仏がたが、 お守りくださる」 と説かれている。 また «十往生経» に、 「仏は二十五菩薩を遣わされて、 いつも行者を守護したもう」 と説かれている。 兜率天は、 そうではない。 守護せられているのは、 大勢の人が一緒に旅をすると、 強盗が迫ってきても恐れないようなものであり、 守護せられないのは、 たが一人で嶮しい小路を旅していると、 きっと乱暴者に犯されるのに似ている。 四つには、 舌をさしのべたもうことについての異。 すなわち、 十方の仏がたは舌をさしのべて阿弥陀仏の浄土を証明せられているけれども、 兜率についてはそうではない。 五つには、 聖たちについての異。 すなわち、 華聚菩薩とか山海慧菩薩とかの聖たちが広大な請願を起こして、 「もし一衆生でも西方浄土に生まれることが済まぬうちには、 自分がそれよりさきに往くならば、 仏のさとりは取るまい」 と述べられたことである。 六つには、 滅罪の多少。 これは前にあげたとおりである。 七つには、 重い罪悪についての異。 すなわち、 五逆罪を犯したものも西方浄土に往生することができるけれども、 兜率についてはそうではない。 八つには、 経に説かれたことの異。 すなわち «無量寿経» に、 「ただちに五悪趣をたちきって、 悪趣は自然に閉ざされ、 仏道に進むことは窮まりがない。 浄土へは往生しやすいのに、 往生する人はない」 と仰せられている。 兜率については、 そうではない。 十五の同の義からいっても、 浄土は往生し難いと説くべきでない。 まして、 異の義には八つもある。 それなのに、 浄土に往生し難いと言っていいだろうか。 なにとぞ仏道を学ぶ人たちよ。 道理と経文とを尋ねて、 どちらが難しいか易しいかをよく見分け、 その不審をすっかり取り除くべきである。 以上は抜き書きした。 ただし、 十五の同の義は、 かの論を見るがよい。
問う。 玄奘三蔵の伝えた事については、 なんとか解釈せねばならぬではないか。
答える。 印度地方の行法には暗いから、 決め難いけれども、 今、 試みに解釈を施してみよう。 印度地方の行者は、 小乗を学ぶ者が多い。 伝えるところに依ると、 十五の国は大乗を学び、 十五の国は大乗と小乗とをあわせて学び、 四十一の国は小乗を学ぶということである。 兜率天に上生することは、 大乗も小乗も共にこれを認めるが、 他方の浄土に往生することは、 大乗では認めても、 小乗では認めない。 印度地方では、 大乗も小乗も共に認めるので、 みな兜率に生まれることを述べたものであろうか。 流沙から東の地方は、 大乗仏教が盛んに興っているから、 印度地方の混雑した修行と同じようにみなすべきではない。 まして、 仏教諸宗の興隆は、 なにも同一時代というわけではない。 とりわけ、 念仏の教は、 末代、 一般仏教がなくなった後の、 罪にけがれた人々を多く利益するものである。 考えてみると、 玄奘三蔵の時代には、 印度ではまだ念仏の教は盛んでなかったのであろうか。 もし、 そうでなければ、 玄奘三蔵の高弟である慈恩大師が、 どうして特別に «西方要決» を著作し、 十の勝劣を挙げて自分も西方を願い、 人にも往生を勧めるであろうか。
問う。 «心地観経» に説かれている。
わたしは、 現在の弟子を弥勒に託する。 龍華会の説法の間に、 解脱さとりを得るであろう。
この経から見ると、 釈迦如来は兜率天を勧めたもうのではないか。
答える。 この経文があっても、 相違することはない。 誰とても «弥勒上生経»・«心地観経» などの二・三の経文を否定はしない。 けれども、 極楽を勧める文が、 顕教や密教に何千とあることには及ばない。 また、 «大悲経» の第三巻に説かれている。
将来の末世に法がなくなろうとするとき、 比丘・比丘尼があって、 わが仏法に入って出家した者が、 手に子供の臂をひき、 一緒に遊んで酒屋から酒屋へと行き、 仏法の中に入りながら、 よくない行いをするであろう。 (中略) ただ身分は沙門となりながら沙門の行を汚し、 しかもみずから沙門と称し、 かたちは沙門のよそおいをして身に袈裟を着けるであろう。 そういうものはこの*賢劫げんごう中において、 弥勒をはじめとして最後の盧至るし如来に至るまでの間に、 それらの沙門たちは、 これらの仏のみもとで次第に無余涅槃に入り、 一人も残るものはないであろう。 なぜかというと、 このようなすべての沙門の中で、 わずか一たびでも仏名を称え、 一たび信を生じたものは、 そのなした功徳が、 結局むなしくならないからである。
«心地観経» の意味も、 この «大悲経» と同じことである。 それ故、 かの «心地観経» には、 龍華とはいっても、 兜率とはいわないのである。
今、 これを考えてみると、 釈尊がおかくれになってから弥勒菩薩のお出ましになるまで、 五十七億六十百千年も隔たっている。 新訳の «婆沙論» の意味による。 その間、 輪廻まよいを続ける苦しみはどれほどであろうか。 どうして臨終の夕ゆうべに、 すぐさま蓮台に乗って往生することを願わないで、 悠々とした生死の世界に留まって、 龍華会を待つことがあろうか。 まして、 もしたまたま極楽に往生することができた者は、 昼夜、 思いのままに兜率の宮殿に往来し、 かくて、 龍華会の際には、 新たに聴衆の頭となるので、 ちょうど富貴の身になって故郷に帰るようなものである。 誰かこのことを願わないものがあろうか。 もし、 特別の因縁があるならば、 西方以外を願うのも好かろう。 だいたい各自ののぞみに任すべきである。 まちがった執着をおこしてはならぬ。 それゆえ懐感法師がいう。
兜率を求める者は西方の行者を非難してはならぬ。 西方浄土に往生しようと願う者は、 兜率天に生まれる修行を悪くいってはならぬ。 それぞれ自分の性分に随い、 気持に任せて修学すべきである。 お互いに非難しあってはいけない。 そんなことでは、 ただ、 勝れた世界に生まれないだけではなく、 かえって、 また三途を経めぐることとなるであろう。 
第四 正修念仏
【35】 
大文第四に、正修念仏といふは、これにまた五あり。 世親菩薩の『往生論』(浄土論)にいふがごとし。 「五念門を修して行成就しぬれば、畢竟じて安楽国土に生れて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得。 一には礼拝門、二には讃嘆門、三には作願門、四には観察門、五には回向門なり」と。 {云々}このなかに、作願・回向の二門は、もろもろの行業において、通じてこれを用ゐるべし。  
大文第四に正修念仏とは、 これにまた五つある。 世親菩薩の «往生論» にいわれているとおりである。
五念門の行を修めて、 それが成就すれば、 ついに安楽浄土に往生して、 かの阿弥陀如来を見たてまつることができる。 一つには礼拝門、 二つには讃嘆門、 三つには作願門、 四つには観察門、 五つには回向門である。
この中で、 作願門と回向門との二つは、 いろいろの修行の場合にこれを通じて用いることができる。 
 

 

■礼拝門
【36】 
初めに礼拝門といふは、これすなはち三業相応の身業なり。 一心に帰命して五体を地に投げて、はるかに西方の阿弥陀仏を礼するなり。 多少をば論ぜず、ただ誠心を用ゐよ。
あるいは『観仏三昧経』の文を念ふべし。 「われいま、一仏を礼するは、すなはち一切の仏を礼するなり。 もし一仏を思惟すれば、すなはち一切の仏を見たてまつるなり。 一々の仏の前に一の行者ありて、接足して礼をなすは、みなこれおのが身なり」と。 [わたくしにいはく、「一切仏」とは、これ弥陀の分身なり。 あるいはこれ十方の一切の諸仏なり。]あるいは念ふべし。
「能礼・所礼、性空寂なり。自身・他身、体無二なり。願はくは衆生とともに道を体解して、無上の意を発して真際に帰せん」と。
あるいは『心地観経』の六種の功徳によるべし。 「一には無上大功徳田なり。 二には無上大恩徳なり。 三には無足・二足および多足の衆生のなかの尊たり。 四にはきはめて値遇しがたきこと優曇華のごとし。 五には独り三千大千世界に出でたまふ。 六には世・出世間の功徳円満して、一切の義の依たり。かくのごとき等の六種の功徳を具して、つねによく一切衆生を利益したまふ」と。
{以上}経の文は、きはめて略なり。
いますべからく言を加へて、もつて礼の法をなさん。 一には念ふべし。
一たび「南無仏」と称するものは、みなすでに仏道を成ず。ゆゑにわれ、無上功徳田を帰命し礼したてまつる。
二には念ふべし。
慈眼をもつて衆生を視そなはすこと、平等にして一子のごとし。ゆゑにわれ、極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。
三には念ふべし。
十方のもろもろの大士、弥陀尊を恭敬したてまつる。ゆゑにわれ、無上両足の尊を帰命し礼したてまつる。
四には念ふべし。
一たび仏の名を聞くことを得ることは、優曇華よりも過ぎたり。ゆゑにわれ、きはめて値遇しがたきものを帰命し礼したてまつる。
五には念ふべし。
一百倶胝の界には、二尊並び出でたまはず。ゆゑにわれ、希有の大法王を帰命し礼したてまつる。
六には念ふべし。
仏法のもろもろの徳海は、三世同じく一体なり。ゆゑにわれ、円融万徳の尊を帰命し礼したてまつる。
もし広く行ずることを楽はば、龍樹菩薩の『十二礼』によるべし。 また善導和尚の『六時の礼法』あり。 つぶさに出すべからず。 たとひ余行なくとも、ただ礼拝によりてまた往生することを得。 『観虚空蔵菩薩仏名経』にのたまふがごとし。 「阿弥陀仏を心を至して敬礼すれば、三悪道を離れて、後にその国に生るることを得」と。{以上}
はじめに*礼拝らいはい門もんとは、 すなわち三業 (身口意) がよくそろったところの身体でする行業である。 一心に帰命して全身を地に投げ、 はるかに西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつって、 その多少を論ぜず、 ただ誠心で行なうのである。 あるいは、 «観仏三昧経» の文を念ずべきである。
わたしが、 今、 一仏を礼したてまつるのは、 すなわちすべての仏を礼したてまつることである。 もし、 一仏を思いたてまつれば、 すなわちすべての仏を見たてまつることとなるのである。 一々の仏のおん前に、 一人の行者があって、 仏の御足に触れて礼拝をするのは、 そのまま皆わが身なのである。 わたくしにいう。 「すべての仏」 というのは阿弥陀仏の分身であり、 あるいは十方にましますすべての諸仏である。
あるいは、 次のように念ずるがよい。
礼拝する者も 礼拝せられる者も その本性は空であり 自身も他身もその体に二つはない
願わくは人々と共に仏道を体得し 無上菩提の心をおこして真如に至りたい
あるいは、 «心地観経» の六種の功徳に依るべきである。
仏は、 一つには無上の大功徳を生ずる田地である。 二つには、 無上の大恩徳を恵んでくださるかたである。 三つには、 生きとし生けるものの中で最も尊いかたである。 四つには、 優曇華のようにきわめて値あいがたいかたである。 五つには、 三千大千世界にただひとり出られるかたである。 六つには、 世間と出世間の功徳をまどかにそなえたかたで、 あらゆる事柄の依りどころである。 仏はこれらの六種の功徳によって、 常によく一切衆生を利益されるのである。 以上
この経文は、 きわめて簡略である。 いま言葉を添えたして、 礼拝の作法にしよう。
一つには、 仏を念ずべきである。
一声念仏すれば 皆すでにさとりを開くべき身となる
故に無上の功徳を生ずる田地たる阿弥陀仏を わたしは信じ礼拝したてまつる
二つには、 仏を念ずべきである。
仏は慈悲の眼をもって衆生を見られることが 平等であってひとり子に対するようである
故に広大な慈悲の母である阿弥陀仏を わたしは信じ礼拝したてまつる
三つには、 仏を念ずべきである。
十方のすぐれた菩薩たちも 阿弥陀仏を恭敬される
故にこの上なく尊い阿弥陀仏を わたしは信じ礼拝したてまつる
四つには、 仏を念ずべきである。
一たびでも仏のみ名を聞き得ることは 優曇華の花咲くのに遇うよりも稀である
故にきわめて遇いがたい阿弥陀仏を わたしは信じ礼拝したてまつる
五つには、 仏を念ずべきである。
仏は大千世界に 二仏とならんで出たもうことはない
故にたぐいのないこの大法王を わたしは信じ礼拝したてまつる
六つには、 仏を念ずべきである。
仏法僧の三宝は 三世に通じてその体が一つである
故に よろずの徳をまどかにそなえた阿弥陀仏を わたしは信じ礼拝したてまつる
もし、 広く礼拝を行ずることを願うならば、 龍樹菩薩の «十二礼» に依るべきである。 また善導和尚の «六時礼讃» がある。 それらを一々ここに出すことはできない。
たとい他の行がなくても、 ただ礼拝だけに依っても、 また往生することができる。 «*観虚空蔵菩薩仏名経» に説かれてあるとおりである。
阿弥陀仏を、 心から敬礼すれば、 三悪道を離れ、 後には、 阿弥陀仏の浄土に生まれることができる。 
■讃嘆門
【37】 
第二に讃嘆門といふは、これ三業相応の口業なり。 『十住婆沙』の第三にいふがごとし。 「阿弥陀仏の本願、かくのごとし。
〈もし人、われを念じ、名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨菩提を得〉と。 このゆゑにつねに憶念すべし。
偈をもつて〔阿弥陀仏を〕称讃せん。
無量の光明慧あり。身は真金山のごとし。われいま身口意をもつて、合掌し稽首し礼したてまつる。十方現在の仏、種々の因縁をもつて、かの仏の功徳を嘆じたまふ。われいま帰命し礼したてまつる。仏の足には千輻輪ありて、柔軟にして蓮華の色なり。見るものみな歓喜す。頭面をもつて仏足を礼したてまつる。眉間の白毫の光は、なほ清浄なる月のごとし。面の光色を増益す。頭面をもつて仏足を礼したてまつる。かの仏の言説したまふところ、もろもろの罪根を破除す。美言にして益するところ多し。われいま稽首して礼したてまつる。一切の賢聖衆、およびもろもろの人天衆、ことごとくみなともに帰命す。このゆゑにわれもまた礼したてまつる。かの八道の船に乗じて、よく難度海を度す。みづから度し、またかれを度す。われ自在者を礼したてまつる。諸仏、無量劫に、その功徳を讃揚せんに、なほ尽すことあたはず。清浄の人を帰命したてまつる。われいままたかくのごとく、無量の徳を称讃す。この福の因縁をもつて、願はくは仏つねにわれを念じたまへ。この福の因縁をもつて、獲るところの上妙の徳、願はくはもろもろの衆生の類も、みなまたことごとくまさに得べし」と。
かの『論』(易行品)に三十二の偈あり。いま略して要を抄す。 あるいはまた『往生論』(天親の浄土論)の偈、真言教の仏讃、阿弥陀の別讃あり。 これらの文、一遍・多遍、一行・多行、ただ至誠をもつてすべし。 多少を論ぜず。 たとひ余行なくとも、ただ讃嘆によりて、また願に随ひてかならず往生することを得つべし。
『法華』の偈にのたまふがごとし。
「あるいは歓喜の心をもつて、歌唄して仏徳を頌し、乃至一の小音をもつてせるも、みなすでに仏道を成ぜり」と。
一音すでにしかり。 いかにいはんや、つねに讃ぜんをや。 仏果なほしかり。 いかにいはんや往生をや。 真言の讃仏、利益はなはだ深し。 顕露することあたはず。
第二に*讃嘆さんだん門もんというのは、 三業がそろったところの口でなす行業である。 «十住毘婆娑論» の第三 (易行品) にいわれているとおりである。
阿弥陀仏の本願は、 このとおりである。 「もし人あって、 わたしを念じて名を称え帰依すれば、 そのとき必定 (正定聚) に入って、 ついに無上仏果を得る」 と。 こういうわけであるから常に憶念すべきである。
偈をもって、 阿弥陀仏をほめたたえよう。
はかりない智慧の光明に かがやくおん身は黄金の山のよう
わたしはいま身口意をもって 合掌し ぬかずき礼拝したてまつる
十方の世界に現にまします仏たちは いろいろないわれを説いて
かの仏の功徳をほめていられる わたしは今帰命し礼したてまつる
仏のみ足には千輻輪の相があり 柔らかで蓮華の色がある
見る者は みな歓喜する ぬかずいて仏足を礼したてまつる
眉間の白毫の光は あたかも浄らかな月のようで
お顔の輝きを増す ぬかずいて仏足を礼したてまつる
かの仏の御説法は すべての罪根を除かれる
仏のよきお言葉は利益する所が多い わたしは今ぬかずき礼したてまつる
すべての賢聖たち および多くの人天たちは
みなともに帰命される それゆえわたしもまた礼したてまつる
かの八道の船をもって よくこえがたい迷いの世界を済度する
みずから仏となりあらゆる人を救われる わたしは自在力の仏を礼したてまつる
多くの仏たちが量り知られぬながい年時とき かの仏の功徳をほめたたえても
なお ほめ尽くすことはできぬ 清浄な徳を具えた仏を帰命したてまつる
わたしも今このように かの仏のはかりない徳をほめたてまつる
この福徳の因縁をもって 願わくはみ仏よ 常にわたしを護念せられることを
この福徳の因縁をもって 獲たところの尊い功徳を
願わくは すべての衆生のたぐいにも 皆またことごとく得させたい
かの論 (易行品) には三十二の偈うたがある。 今は略してその要文をぬき出したのである。 詳しくは別の抜き書きに示してある。
あるいは、 また、 «往生論» の偈、 真言密教の «仏讃» や、 阿弥陀仏についての «別讃» がある。 これらの文を、 一返でも何返でも、 また一行でも多くの行でも、 ただ心をこめて讃嘆すべきで、 その多少は論ぜずともよい。 たとい他の行はなくて、 ただ讃嘆だけに依っても、 またその願いのままに、 必ず、 往生することができるであろう。 «法華経» の偈に説かれているとおりである。
あるいは喜びの心から 仏の徳を歌い頌ほめると
たとい小さな一声でも みな すでに仏道を成ずる
わずか一声でもこのとおりである。 まして、 常に讃めたたえるならば、 なおさらのことであり、 仏果でさえも成ずるという。 まして、 往生を得ることはなおさらである。 真言の讃仏は、 その利益がはなはだ深いが、 秘密の法であるから、 あらわに説き明かすことはできない。 
■作願門
【38】
第三に作願門といふは、以下の三の門は、これ三業相応の意業なり。 綽禅師(道綽)の『安楽集』(上)にいはく、「『大経』にのたまはく、〈おほよそ浄土に往生せんと欲はば、かならずすべからく菩提心を発すをもつて源となすべし〉と。
いかんとなれば、菩提といふはすなはちこれ無上仏道の名なり。 もし心を発して仏に作らんと欲すれば、この心は広大にして法界に遍周せり。 この心は長遠にして未来際を尽す。
この心あまねくつぶさに二乗の障を離る。 もしよく一たびこの心を発せば、無始生死の有淪を傾く。 『浄土論』にいはく、〈菩提心を発すといふは、まさしくこれ願作仏心なり。 願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり。
度衆生心とは、すなはちこれ衆生を摂受して有仏の国土に生ぜしむる心なり。 いますでに浄土に生ぜんと願ず、ゆゑに先づすべからく菩提心を発すべし〉」と。 {以上}まさに知るべし、菩提心は、これ浄土菩提の綱要なり。 ゆゑにいささか三の門をもつてその義を決択せん。 行者、繁きを厭ふことなかれ。 一には菩提心の行相を明かす。 二には利益を明かす。 三には料簡せん。
第三に*作さ願がん門もんとは、 以下の三門 (作願・観察・回向) は、 三業がそろった意こころの行業である。 道綽禅師の «安楽集» にいわれている。
«大経» に説かれている。 「すべて、 弥陀の浄土に往生を願うものは、 必ず菩提心を起こすことを根源とする。」 菩提とはどういうことかというと、 これは無上仏果の名である。 もし菩提心をおこして成仏しようと思うならば、 この心は広大であって十方法界にゆきわたり、 この心は未来とこしえに通じて滅びず、 この心はあまねくつぶさに声聞・縁覚のような二乗に堕する障りを離れる。 もしよく一度たびこの心を起こすならば、 無始よりこのかたの三界の迷いを離れる。 «浄土論» (論註) にいわれている。 「発菩提心というのは、 まさしく自分の成仏を願う心である。 自分の成仏を願う心は、 そのままが、 衆生を済度する心である。 衆生を済度する心は、 そのままが衆生を摂めて、 仏のまします浄土に往生させる心である。 今すでに浄土に往生しようと願うのであるから、 まず菩提心をおこさねばならぬ。」 以上
菩提心が浄土の菩提に至る肝要であることを知るべきである。 それゆえ、 しばらく三門を設けて、 その意義を明らかにしよう。 行者よ、 煩雑を厭うてはならぬ。 一つには菩提心の行相を明かし、 二つには利益を明かし、 三つには総じて料簡する。 
■四弘誓願
【39】 
初めに行相とは、総じてこれをいはば願作仏心なり。 また、上求菩提・下化衆生の心と名づく。 別してこれをいはば四弘誓願なり。
これに二種あり。 一には縁事の四弘願なり。 これすなはち衆生縁の慈なり。 あるいはまた法縁の慈なり。 二には縁理の四弘なり。 これ無縁の慈悲なり。
縁事の四弘といふは、一には衆生無辺誓願度。 念ずべし、「一切衆生にことごとく仏性あり。 われみな無余涅槃に入らしむべし」と。 この心はすなはちこれ饒益有情戒なり。 またこれ恩徳の心なり。 またこれ縁因仏性なり。 応身の菩提の因なり。 二には煩悩無辺誓願断。 これはこれ摂律儀戒なり。 またこれ断徳の心なり。 またこれ正因仏性なり。 法身の菩提の因なり。 三には法門無尽誓願知。 これはこれ摂善法戒なり。 またこれ智徳の心なり。 またこれ了因仏性なり。 報身の菩提の因なり。 四には無上菩提誓願証。 これはこれ仏果菩提を願求するなり。
いはく、前の三の行願を具足するによりて、三身円満の菩提を証得して、還りてまた広く一切衆生を度するなり。 二に縁理の願とは、一切の諸法は、本来寂静なり。 有にあらず無にあらず、常にあらず断にあらず、生ぜず滅せず、垢れず浄からず。 一色・一香も、中道にあらずといふことなし。 生死即涅槃、煩悩即菩提なり。 一々の塵労門を翻ずれば、すなはちこれ八万四千の諸波羅蜜なり。 無明変じて明となる、氷融けて水となるがごとし。 さらに遠き物にあらず。 余処より来るにもあらず。 ただ一念の心にあまねくみな具足せること、如意珠のごとし。 宝あるにもあらず、宝なきにもあらず。 もし「なし」といはばすなはち妄語なり。 もし「あり」といはばすなはち邪見なり。 心をもつて知るべからず。 言をもつて弁ずべからず。 衆生、この不思議・不縛の法のなかにおいて、しかも思想して縛をなし、無脱の法のなかにおいて、しかも脱を求む。 このゆゑにあまねく法界の一切衆生において、大慈悲を起し、四弘誓を興す。 これを順理の発心と名づく。 これ最上の菩提心なり。
[『止観』の第一を見るべし。]また『思益経』にのたまはく、「一切の法は法にあらずと知り、一切の衆生は衆生にあらずと知る。 これを菩薩の、無上菩提心を発すと名づく」と。 また『荘厳菩提心経』にのたまはく、「菩提心とは、有にあらず造にあらず、文字を離れたり。 菩提はすなはちこれ心なり。 心はすなはちこれ衆生なり。 もしよくかくのごとく解するを、これを、菩薩の菩提を修すと名づく。 菩提は過去・未来・現在にあらず。 かくのごとく、心と衆生と、また過去・未来・現在にあらず。 よくかくのごとく解するを名づけて菩薩となす。 しかもこのなかにおいて、実に所得なし。 所得なきをもつてのゆゑに得。 もし一切の法において所得なくは、これを菩提を得と名づく。 始行の衆生のためのゆゑに、菩提ありと説く。 {乃至}しかもこのなかにおいて、また心もあることなく、また造心のものもなし。 また菩提もあることなく、また造菩提のものもなし。 また衆生もあることなく、また造衆生のものもなし」と。 {乃至云々}
この二の四弘におのおの二の義あり。 一にはいはく、初めの二の願は衆生の苦・集二諦の苦を抜く。 後の二の願は衆生に道・滅二諦の楽を与ふ。 二にはいはく、初めの一は他に約す。 後の三は自に約す。 いはく、衆生の二諦の苦を抜き、衆生に二諦の楽を与ふることは、総じて初めの願のなかにあり。 この願を究竟円満せんと欲ふがために、さらに自身に約して後の三の願を発す。 『大般若経』(意)にのたまふがごとし。 「有情を利せんがために大菩提を求む。 ゆゑに菩薩と名づく。 しかも依着せず。 ゆゑに摩訶薩と名づく」と。{以上}
また前の三はこれ因にして、これ別なり。 第四はこれ果にして、これ総なり。 四弘已りて後は、いふべし、
「自他法界同利益 共生極楽成仏道」と。
心のなかに念ふべし、「われと衆生と、ともに極楽に生れて、前の四弘願を円満究竟せん」と。 もし別願あるものは、四弘の前にこれを唱へよ。
もし心不浄なるは、正道の因にあらず。 もし心に限ることあるは、大菩提にあらず。 もし誠を至すことなくは、その力強からず。
このゆゑに、かならず清浄にして深広なる誠の心を須ゐよ。 勝他・名利等の事のためにせざれ。 しかも仏眼の照らすところの無尽法界の一切の衆生、一切の煩悩、一切の法門、一切の仏徳において、この四種の願と行とを発せ。
問ふ。 なんの法のなかにおいてか、無上道を求むる。
答ふ。 これに利・鈍の二種の差別あり。 『大論』(大智度論)にいふがごとし。 「黄石のなかに金の性あり、白石のなかに銀の性あるがごとく、かくのごとく一切世間の法のなかに、みな涅槃の性あり。 諸仏・賢聖は、智慧・方便・持戒・禅定をもつて引導して、この涅槃の法性を得しめたまふ。 利根のものは、すなはちこの諸法はみなこれ法性なりと知ること、たとへば、神通の人の、よく瓦石を変じてみな金となさしむるがごとし。
鈍根のものは、方便・分別してこれを求めて、すなはち法性を得。 たとへば、大きに石を冶し鼓して、しかして後に金を得るがごとし」と。{以上}
またいはく(同)、「苦行・頭陀し、初・中・後夜に勤心に観禅して、苦しくして道を得るは声聞の教なり。 諸法の相は無縛無解なりと観じて、心、清浄なることを得るは菩薩の教なり。 文殊師利の本縁のごとし」と。{以上}
すなはち、『無行経』の喜根菩薩の偈を引きていはく(大智度論)、
「婬欲はすなはちこれ道なり。恚・痴もまたしかなり。かくのごとき三事のなかに、無量の諸仏の道あり。もし人ありて、婬・怒・痴とおよび道とを分別するは、この人は仏道を去ること、たとへば天と地とのごとし」と。
かくのごとく七十余の偈あり。 また同論にいはく、「一切の法の不可得なる、これを仏道と名づく。 すなはちこれ諸法の実相なり。 この不可得もまた不可得なり」と。 {略抄}また迦葉菩薩、仏にまうしてまうさく(涅槃経)、
「一切諸法のなかに、ことごとく安楽の性あり。ただ願はくは大世尊、わがために分別して説きたまへ」と。
また『般若経』にのたまはく、「一切有情はみな如来蔵なり。 普賢菩薩の自体、遍せるがゆゑに」と。 『法句経』にのたまはく、
「諸仏は貪瞋によりて、道場に処したまふ。塵労は諸仏の種なり。もとよりこのかた所動なし。五蓋および五欲を、諸仏の種性となす。つねにこれをもつて荘厳せり。もとよりこのかた所動なし。諸法はもとよりこのかた、是もなくまた非もなし。是非の性、寂滅せり。もとよりこのかた所動なし」と。[以上四文、これ利根の人の菩提心なるのみ。]
問ふ。 煩悩・菩提、もし一体ならば、ただ意に任せて惑業を起すべきや。
答ふ。 かくのごとき解をなす、これを名づけて悪取空のものとなす。 もつぱら仏弟子にあらず。 いま反質していはく、なんぢ、もし煩悩即菩提なるがゆゑに欣ひて煩悩・悪業を起さば、また生死即涅槃なるがゆゑに欣ひて生死の猛苦を受くべし。
なんがゆゑぞ、刹那の苦果においては、なほ堪へがたきことを厭ひ、永劫の苦因においては、みづからほしいままに作ることを欣ふや。 このゆゑに、まさに知るべし、煩悩・菩提、体これ一なりといへども、時・用異なるがゆゑに染・浄不同なり。 水と氷とのごとく、また種と菓とのごとし。 その体これ一なれども、時に随ひて用異なるなり。
これによりて、道を修するものは本有の仏性を顕せども、道を修せざるものはつひに理を顕すことなし。 『涅槃経』の三十二にのたまふがごとし。 「善男子、もし人ありて問はく、〈この種子のなかに果ありや、果なきや〉と。 さだめて答へていふべし、〈またはあり、またはなし〉と。 なにをもつてのゆゑに。 子を離れてほかに果を生ずることあたはず。 このゆゑに〈あり〉と名づく。 子いまだ芽を出さず。 このゆゑに〈なし〉と名づく。
この義をもつてのゆゑに、〈またはあり、またはなし〉と。 所以はいかん。 時節は異なることあれども、その体はこれ一なり。 衆生の仏性もまたかくのごとし。 もし衆生のなかに、別に仏性ありといはば、この義しからず。 なにをもつてのゆゑに。 衆生すなはち仏性なり、仏性すなはち衆生なり。
ただ時の異なるをもつて、浄・不浄あり。 善男子、もしあるが問ひていはく、〈この子はよく果をなすやいなや、この果はよく子をなすやいなや〉と。 さだめて答へていふべし、〈または生じ、生ぜず〉」と。 {以上}
問ふ。 凡夫は勤修するに堪へず。 なんぞ虚しく弘願を発さんや。
答ふ。 たとひ勤修に堪へずとも、なほすべからく悲願を発すべし。 その益、無量なり。 前後に明かすがごとし。 調達(提婆達多)は六万蔵の経を誦せしも、なほ那落を免れず。 慈童は一念の悲願を発して、たちまちに兜率に生るることを得たり。 すなはち知りぬ。 昇沈の差別は心にありて、行にあらず。 いかにいはんや、いづれの人か、一生のうちに、一たびも「南無仏」と称せず、一食をも衆生に施さざるものあらん。 すべからくこれらの微少の善根をもつて、みな四弘の願行に摂入すべし。 ゆゑに行願相応して、虚妄の願とならじ。 『優婆塞戒経』の第一にのたまふがごとし。 「もし人、一心に生死の過咎、涅槃の安楽を観察することあたはずは、かくのごとき人は、また恵施・持戒・多聞なりといへども、つひに解脱分の法を得ることあたはず。 もしよく生死の過咎を厭患し、深く涅槃の功徳と安楽とを見ば、かくのごとき人は、また少施・少戒・少聞なりといへども、すなはちよく解脱分の法を獲得せん」と。 [以上、無量世において、無量の財をもつて無量の人に施し、無量仏の所にして禁戒を受持し、無量世に無量の仏の所にして十二部経を受持・読誦せるを、名づけて多の施・戒・聞となす。 一把の麨をもつて、一の乞人に施し、一日一夜、八戒を受持し、一の四句偈を読むを、少の施・戒・聞と名づく。 『経』(優婆塞戒経)に広く説くがごとし。]このゆゑに、行者、事に随ひて用心すれば、乃至一善をも空しく過ぐすものなし。
『大般若経』にのたまふがごとし。 「もしもろもろの菩薩の、深般若波羅蜜多の方便善巧を行ずるは、一心・一行として空しく過ぐして、一切智に回向せざるものはあることなし」と。 {以上}
問ふ。 いかんが用心する。
答ふ。 『宝積経』の九十三にのたまふがごとし。 「食を須つものには食を施せ、一切智の力を具足せんがためのゆゑなり。 飲を須つものには飲を施せ、渇愛の力を断ぜんがためのゆゑなり。 衣を須つものには衣を施せ、無上の慚愧の衣を得んがためのゆゑなり。 坐処を施すは、菩提樹下に坐せんがためのゆゑなり。 灯明を施すは、仏眼の明を得んがためのゆゑなり。 紙墨等を施すは、大智慧を得んがためのゆゑなり。 薬を施すは、衆生の結使の病を除かんがためのゆゑなり。 かくのごとく、乃至、あるいはみづから財なくは、まさに心の施をなすべし。 無量無辺の一切衆生を開示することを得んと欲せば、力あるも力なきも、上のごとく布施すべし。 これわが善行なり」と。 [以上、『経』(宝積経)の文はなはだ広し。 いま略してこれを抄す。見つべし。]かくのごとく事に随ひて、つねに心願を発せ。 「願はくは、この衆生をしてすみやかに無上道を成ぜしめん。 願はくは、われかくのごとく漸々に第一の願行を成就し、檀度を円満して、すみやかに菩提を証し、広く衆生を度せん」と。
一の愛語を発し、一の利行を施し、一の善事を同ぜんにも、これに准じて知りぬべし。 もししばらくも一念の悪を制伏する時には、この念をなすべし。 「願はくは、われかくのごとく漸々に第二の願行を成就し、もろもろの惑業を断じて、すみやかに菩提を証し、広く衆生を度せん」と。
もし一文一義を読誦修習する時には、この念をなすべし。 「願はくは、われかくのごとく漸々に第三の願行を成就し、諸仏の法を学してすみやかに菩提を証し、広く衆生を度せん」と。 一切の事に触れて、つねに用心をなせ。 「われ今身より漸々に修学して、乃至、極楽に生れて自在に仏道を学し、すみやかに菩提を証して、究竟して生を利せん」と。 もしつねにこの念を懐きて、力に随ひて修行するものは、Hりの微なりといへども、やうやく大なる器に盈つがごとし。
この心よく巨細の万善を持ちて、漏落せしめずして、かならず菩提に至る。 『華厳経』の「入法界品」にのたまふがごとし。 「たとへば、金剛の、よく大地を持ちて墜没せしめざるがごとく、菩提の心もまたかくのごとし。 よく菩薩の一切の願行を持ちて、墜落して三界に没せしめず」と。{云々}
問はく、凡夫は常途の用心に堪へず。その時の善根は唐捐なりとやせん。
答ふ。
もし至誠心をもつて、心に念ひ口にいはく、「われ今日よりは、乃至一善をも己身の有漏の果報のためにせず、ことごとく極楽のためにせん、ことごとく菩提のためにせん」と。 この心を発しつる後には、あらゆるもろもろの善は、もしは覚し、覚せざるも、自然に無上菩提に趣向す。 一たび渠溝を穿りつれば、もろもろの水おのづから流入して、転じて江河に至り、つひに大海に会するがごとし。 行者もまたしかり。
一たび発心しつる後には、もろもろの善根の水も自然に四弘願の渠に流入して、転じて極楽に生じ、つひに菩提の薩婆若海に会す。 いかにいはんや、時々に前の願を憶念せんをや。 つぶさには下の回向門のごとし。
問ふ。 凡夫は力なければ、よく捨てんとして捨てがたし。 あるいはまた貧乏なり。 なんの方便をもつてか、心をして理に順ぜしめん。
答ふ。
『宝積経』にのたまはく、「かくのごとく布施せんに、もし力あることなくしてこれを学するにあたはず、財を捨つることあたはずは、この菩薩はかくのごとく思惟すべし。 〈われ、いままさにつとめて精進を加へ、時々漸々に慳貪・吝惜の垢を断除すべし。 われ、まさにつとめて精進を加へ、時々漸々に財を捨てて施与することを学して、つねにわが施心をして増長し広大ならしむべし〉」と。 また『因果経』の偈にのたまはく、
「もし貧窮の人ありて、財の布施すべきものなくは、他の施を修するを見る時に、しかも随喜の心をなせ。随喜の福報は、施と等しくして異なることなし」と。
『十住毘婆沙』の偈にいはく、
「われ、いまこれ新学なり。善根いまだ成就せず。心いまだ自在を得ず。願はくは後にまさにあひ与ふべし」と。{以上}行者、まさにかくのごとく用心すべし。
問ふ。 このなかに、理を縁じて菩提心を発すも、また因果を信じて、つとめて道を修行すべきや。
答ふ。 理、かならずしかるべし。 『浄名経』(維摩経)の偈にのたまふがごとし。
「諸仏の国と、および衆生との空なることを観ずといへども、しかもつねに浄土を修し、もろもろの群生を教化す」と。
『中論』の偈にいはく、
「空なりといへどもまた断ぜず。有なりといへどもしかも常ならず。業と果報とは失せず。これを仏の所説と名づく」と。
また『大論』(大智度論)にいはく、「もし諸法皆空ならばすなはち衆生なし。 たれか度すべきものあらん。 この時は悲心、すなはち弱し。 あるいは時に衆生の愍れむべきをもつてせば、諸法の空観において弱し。 もし方便力を得つれば、この二法において等しくして偏党なし。 大悲心は、諸法の実相を妨げず。 諸法の実相を得れども、大悲を妨げず。
かくのごとき方便を生ずる、この時、すなはち菩薩の法位に入り、阿鞞跋致地に住することを得」と。{略抄}
問ふ。 もし偏して解をなさば、その過いかんぞ。
答ふ。 『無上依経』の上巻に、空見を明かしてのたまはく、「もし人ありて、我見を執すること須弥山の大きさのごとくせんをば、われ驚怖せず、また毀呰せず。 増上慢の人の、空見に執着すること一髦髪を十六分になさんがごとくせんをば、われ許可さず」と。 また『中論』の第二の偈にいはく、
「大聖(釈尊)の、空法を説きたまふことは、諸見を離れしめんがためのゆゑなり。もしまた空ありと見るは、諸仏化せざるところなり」と。
『仏蔵経』の「念僧品」に、有所得の執を破してのたまはく、「有所得のものは、我・人・寿者・命者ありと説き、無所有の法を憶念し分別して、あるいは断・常と説き、あるいは有作と説き、あるいは無作と説く。 わが清浄の法、この因縁をもつて漸々に滅尽せん。 われ、久しく生死にありて、もろもろの苦悩を受けて成ぜるところの菩提をば、このもろもろの悪人、その時に毀壊せん」と。 {略抄}また同経の「浄戒品」にのたまはく、「我見・人見・衆生見のものは、多く邪見に堕つ。 断滅見のものは、多く疾く道を得。 なにをもつてのゆゑに。 これをば捨てやすきがゆゑに。
このゆゑにまさに知るべし、この人はむしろみづから利き刀をもつて舌を割くとも、衆のなかにして不浄に説法すべからず」と。
[有所得執を名づけて不浄となす。]『大論』(大智度論)の第一に、並べて二執の過を明かしていはく、「たとへば、人の、狭き道を行くに、一辺は深水、一辺は大火にして、二辺ともに死するがごとし。 有に着するも、無に着するも、二事ともに失す」と。 {以上}このゆゑに、行者、つねに諸法の本来空寂なるを観じ、またつねに四弘の願行を修習せよ。 空と地とによりて宮舎を造立せんとするも、ただ地、ただ空にしては、つひに成ずることあたはざるがごとし。 これはこれ諸法の三諦相即せるによるがゆゑなり。
『中論』の偈にいふがごとし。
「因縁所生の法をば、われすなはちこれ空なりと説く。また名づけて仮名となす。またこれ中道の義なり」と。{云々}
さらに『止観』を撿へよ。
問ふ。 執有の見、罪過すでに重くは、縁事の菩提心、あに勝利あらんや。
答ふ。 堅く有を執する時に、過失すなはち生ず。 いふところの縁事とは、かならずしも堅執にあらず。 もししからずは、見有得道の類なかるべし。 見空もまたしかり。 たとへば、火を用ゐるに、手触るれば害をなし、触れざれば益あるがごとし。 空・有もまたしかり。
初めに菩提心の行相とは、 総じていうと、 仏に成ることを願う心である。 また、 上かみは菩提を求め、 下しもは衆生を化益する心とも名づける。 これを分けていうと*四弘しぐ誓願ぜいがんである。 これに二種ある。 一には、 事 (形あるもの) を対象とする四弘誓願である。 これは衆生を対象とする慈いつくしみであり、 あるいはまた、 法ものを対象とする慈である。 二つには理 (真如の理) を対象とする四弘誓願であり、 これは空無を対象とする慈悲である。
事を対象とする四弘誓願というのは、
一つには、 はてしなき衆生を誓って済度しようと願う心である。 まさに次のように念ずべきである。 ª一切の衆生には、 ことごとく仏性がある。 わたしはみな無余涅槃さとりに入らせようº と。 この心は有情を利益しめぐむ戒であり、 また衆生に恩を施す徳であり、 また縁因仏性であり、 応身の菩提さとりの因である。
二つには、 はてしなき煩悩を誓って断ち切ろうと願う心である。 これは律儀おきてを摂める戒であり、 また煩悩を断ずる徳であり、 また正因仏性であり、 法身の菩提さとりの因である。
三つには尽きることなき法門を誓って知ろうと願う心である。 これは善法を摂める戒であり、 また法門を知る智徳であり、 また了因仏性であり、 報身の菩提の因である。
四つには無上の菩提を誓って証さとりたいと願う心である。 これは仏果菩提を願い求めるのである。 すなわち、 前の三つの行願がそろうことに依って、 法・報・応の三身が円満にそなわった菩提を得んとする心であり、 また広くすべての衆生を救おうと願う心である。
二つに、 理を対象とする願というのは、 あらゆる諸法ものは、 本来寂静であって、 有でもなく無でもない、 常でもなく断でもない、 生ぜず滅せず、 垢けがれもせず浄くもない。 一つの色、 一つの香も中道でないものはない。 生死はそのまま涅槃であり、 煩悩はそのまま菩提である。 一々の塵労 (煩悩) の門をひるがえせば、 そのまま八万四千の諸波羅蜜 (さとりの道) である。 無明が変じて智明となるのは、 氷を融かして水にするようなものである。 決して程遠いものではなく、 余処よそから来るものでもない。 ただ一念の心に、 あまねくみなそなわっていることは、 如意宝珠のようである。 宝があるのでもなく、 宝がないのでもない。 もし無いというならば、 それは妄語である。 もし有るというならば、 それは邪見である。 心で知ることができず、 言葉で述べることもできない。 人々は、 この不思議・不縛の法の中で、 妄想を起こして自身を縛り、 無脱の法の中で解脱を求める。 この故にあまねく法界のすべての衆生に、 大いなる慈悲を起こし、 四弘誓願を興すのである。 これを ª理に順う発心º と名づける。 これは最上の菩提心である。 «止観» の第一巻を見るがよい。
また «*思し益やく経きょう» に説かれている。
一切の法ものは法ものでないと知り、 一切の衆生は衆生でないと知る。 これを ª菩薩が無上菩提の心をおこすº と名づける。
また «*荘しょう厳ごん菩ぼ提心だいしん経ぎょう» に説かれている。
菩提心とは、 有るものでもなく、 造るのでもなく、 文字を離れている。 菩提というのは心しんであり、 心しんというのは衆生である。 もし、 このように解さとることができるならば、 これを ª菩薩が菩提心を修するº と名づける。 菩提は、 過去・未来・現在ではない。 このように心と衆生もまた過去・未来・現在ではないのである。 よくこのように解るのを名づけて ª菩薩º とする。 しかも、 この中で実に得るところはない。 得るところがないから、 得るのである。 もし、 すべての法ものにおいて得るところがないならば、 これを ª菩提を得るº と名づける。 修行をし始めた衆生のために 「菩提がある」 と説くのである。 (中略) しかも、 この中においても、 また心が有ることもなく、 心を造る者もない。 また菩提もあることなく、 菩提を造る者もない。 また衆生があることもなく、 衆生を造る者もない。 なお、 いろいろと述べられている。
この二つ (縁事・縁理) の四弘誓願に、 それぞれ二つの義がある。 一つにいう。 初めの二願は衆生の苦 (迷いの果) と集じゅう (迷いの因) との二諦の苦を抜き、 後の二願は衆生に道 (さとりの因) と滅 (さとりの果) との二諦の楽を与える。 二つにいう。 初めの一願は他の者につき、 後の三願は自分につく。 すなわち、 衆生の二諦の苦を抜いて、 衆生に二諦の楽を与えることは、 総じて、 初めの願の中にある。 この願を究め尽くして円満しようと望むから、 更に自身について後の三願を発おこすのである。 «大般若経» に説かれているとおりである。
有情ひとびとを利益するために大菩提を求めるから菩薩と名づける。 しかも菩提に執着しないから摩訶薩 (大菩薩) と名づける。 以上
また、 前の三願は因であって、 これは別である。 第四の願は果であって、 これは総である。
四弘誓願を称え終った後は、 「自他法界同じく利益し、 共に極楽に生まれて仏道を成じよう」 というべきである。 心の中には 「自分と衆生と共に極楽に生まれて、 前の四弘誓願を円満し窮め尽くそう」 と念ずべきである。 もし別願があるならば、 四弘誓願の前に、 これを唱えよ。 もし心が不浄ならば、 正しい道の因ではない。 もし心に限りがあるならば、 大菩提ではない。 もし至誠まことがなければ、 その力は強くない。 それ故、 かならず清らかで深く広い誠の心を起こすべきである。 他の者に勝まさろうとしたり、 名誉利欲などのことのためにしてはならぬ。 そして、 仏眼の照らし見られるところのあらゆる世界のあらゆる衆生、 あらゆる煩悩、 あらゆる法門、 あらゆる仏徳においてこの四種の願行を発すべきである。
問う。 どの法の中において、 無上のさとりを求めるのか。
答える。 これには利根のものと鈍根のものとの二種の差別がある。 «大智度論» にいわれているとおりである。
黄石の中には金の性があり、 白石の中には銀の性があるようなものである。 このように、 すべての世間の法の中には、 みな涅槃の性がある。 諸仏や賢聖がたは、 智慧・方便・持戒・禅定をもって導き、 この涅槃の法性を得させてくださる。 利根の者は、 すぐさま 「この諸法はみな法性である」 と知る。 たとえば、 神通ある人が、 瓦や石をみな黄金に変えることのできるようなものである。 鈍根の者は、 いろいろ分別してこれを求め、 そこで法性を得る。 たとえば、 冶金師が石を鼓うって、 そうして後に黄金を得るようなものである。 以上
また、 いわれている。
苦行頭陀し、 初夜・中夜・後夜に、 心をはげまして座禅観察し、 苦しんで仏道さとりを得るのは声聞の教である。 諸法のすがたは、 縛もなく解もないのだと観じて、 心が清浄になるのは菩薩の教である。 文殊師利菩薩の過去の因縁のようである。 以上
すなわち «諸法無行経» の喜根菩薩の偈を引いていわれてある。 («大智度論» 第六巻)
淫欲はそのままさとりの道であり 瞋恚も愚痴もまたそのとおりである
このような三事の中に 無量の諸仏の道がある
もし人あって 淫欲や瞋恚・愚痴と道とを区別すれば
この人は仏道を去ること遠く たとえば天と地とのようである
このように、 七十あまりの偈がある。 また、 同じ論にいわれている。 (大智度論)
一切法が不可得なのを仏道と名づける。 すなわち諸法の実相である。 この不可得もまた不可得である。 抜き書きした。
また迦葉菩薩が仏に申しあげていう。 («涅槃経» 第三巻)
一切の諸法の中に ことごとく安楽さとりの性がある
どうか世尊よ わがために分別してお説きください
また «大般若経» に説かれている。
すべての生あるものは、 みな*如来にょらい蔵ぞうである。 普賢菩薩の自体が遍満しているから。
«*法ほっ句く経きょう» に説かれている。
諸仏は貪むさぼりと瞋いかりとに依って 道場に処したもう
塵労 (煩悩) は諸仏の種であり 本来動くことはない
五蓋と五欲とを 諸仏の種性とする
常にこれをもって荘厳かざりとし 本来動くことはない
諸法はもとより 是もなく また非もない
是・非の性は寂滅であって 本来動くことはない 以上の六文は、 利根の人の菩提心についてのことである。
問う。 煩悩と菩提とが、 もし体ものがらが一つならば、 ただ意こころのままに煩悩を起こしてもよいのか。
答える。 このような見解を起こすものを ª空の意味を誤解する者º と名づける。 全く仏弟子ではない。 今、 反問していおう。 そなたがもし、 煩悩そのまま菩提であるからといって、 このんで煩悩悪業を起こすならば、 また生死そのまま涅槃であるから、 このんで生死まよいのはげしい苦しみを受けるであろう。 どういうわけで、 ほんの短い間の苦しみでも、 なお堪え難いと厭い、 永劫の苦しみをうける因においては、 ほしいままに作ることをこのむのか。 こういうわけであるから、 次のように知るがよい。 煩悩と菩提とは、 体は同一であるけれども、 時と用はたらきが異なっているから、 汚れたものと浄らかなものとの不同がある。 水と氷とのようであり、 また種子と果実とのようである。 その体ものがらは同一であるけれども、 時にしたがって、 その用はたらきが異なるのである。 こういうわけで、 道を修める者は、 本来ほっている仏性を顕わすけれども、 仏道を修めない者は、 ついにこの道理を顕わすことはないのである。 «涅槃経» の第三十二巻に説かれているとおりである。
善男子よ、 もし人あって、 「この種子の中には、 果実があるのか、 果実がないのか」 と問うならば、 「あるともいえるし、 ないともいえる」 とはっきり答えるがよい。 なぜかというと、 種子を離れて、 その外ほかに果実を生ずることはできないから、 それゆえ 「ある」 という。 しかし種子がまだ芽を出さないから、 それゆえ 「ない」 という。 こういうわけであるから、 「あるともいえるし、 ないともいえる」 というのである。 どういうわけかというと、 時節は異なるけれども、 その体は一つだからである。 衆生の仏性も、 またこのとおりである。 もし、 衆生の中に、 別に仏性があるというならば、 この義はそうではない。 なぜかというと、 衆生すなわち仏性であり、 仏性はすなわち衆生である。 ただ時節が異なるをもって、 浄と不浄との別があるからである。 善男子よ、 もし、 「この種子はよく果実を生ずるかどうか」 と問うものがあるなら、 あきらかに答えて 「生ずるのでもあり、 生じないのでもある」 というべきである。 以上
問う。 凡夫は、 勤修することに堪えられぬのに、 どうしてむなしく四弘誓願をおこすのか。
答える。 たとい勤修することに堪えられなくても、 やはり慈悲の願をおこすべきである。 その利益の無量なことは、 前後に明かすとおりである。 提婆達多は六万蔵の経を誦よんだが、 それでも地獄をまぬかれなかった。 慈童は一念の悲願をおこして、 たちまち兜率天に生まれることができた。 これで、 昇のぼり沈しずみの別は、 心にあって、 行にあるのでないことが知られる。 まして誰か一生の間に、 一度も 「南無仏」 と称えず、 一食じきをも人々に施さないものがあろうか。 よろしく、 これらの僅かの善根をも、 みな四弘誓願の行に摂り入れるべきである。 そこで、 行と願とが相応して、 虚妄の願とはならないのである。 «*優婆うば塞そく戒かい経きょう» の第一巻に説かれているとおりである。
もし人が一心に生死の過咎あやまち、 涅槃の安楽を観察することができないならば、 このような人は、 たとい布施・持戒・多聞であっても、 ついに解脱分さとりの法を得ることはできないであろう。 もし、 よく生死の過咎を厭い、 深く涅槃の功徳と安楽とを見るならば、 このような人は、 たとい施しすることが少なく、 戒を持たもつことが少なく、 聞くことが少なくても、 よく解脱分の法を得るであろう。 以上。 無量の世に無量の財をもって無量の人に施し、 無量の仏のみもとで禁戒を受持し、 無量の世に無量の仏のみもとで十二部経を受持し読誦するのを、 名づけて 「多施・多戒・多聞」 とする。 一にぎりの小麦粉を一人の乞食に施し、 一日一夜八戒を受持し、 四句の偈を一偈読むのを、 「少施・少戒・少聞」 と名づける。 経に広く説いてあるとおりである。
こういうわけで、 行者が事々につけて心を用いるならば、 たとい一善でも空しく過ぎるものはないのである。 «大般若経» に説かれているとおりである。
もし菩薩たちが、 深い智慧から方便善巧を行ずるならば、 一心一行も空しく過ぎて、 *一切いっさい智ちに回向しないものはない。 以上
問う。 どのように心を用いるのか。
答える。 «宝積経» の第九十三巻に説かれているとおりである。
食物を求めるものには食物を施せ。 それは一切智の力をそなえるためである。 飲物を求めるものには飲物を施せ。 それは渇愛の力を断ちきるためである。 衣服を求めるものには衣服を施せ。 それはこの上もない慚愧の衣服を得るためである。 坐る処を施すのは菩提樹の下に坐るためであり、 燈明を施すのは仏眼の智明を得るためであり、 紙墨などを施すのは大きな智慧を得るためであり、 薬を施すのは衆生の煩悩の病を除くためである。 このようにして、 もし自分に財がないならば、 心の施しをするがよい。 無量無辺のすべての衆生を導きたいと思うならば、 力があっても力がなくても、 上に述べたように布施せよ。 これが、 自分の善い行である。 以上。 経の文は甚だ広いが今はこれを略して抜き書きした。 経文を見るがよい。
このように事々につれて、 常に心の願いをおこせ。 「願わくは、 この衆生に速やかに無上道を成じさせよう。 願わくは、 わたしは、 このようにして次第に第一の願行を成就し、 布施の行を円満して速やかに菩提をさとり、 広く衆生を済度しよう」 と。 一つの愛語を発し、 一つの利行を施し、 一つの善事に同心するのも、 これに準じて知るべきである。 もし、 しばらくでも一念の悪を制伏する時には、 次のような思いをすべきである。 「願わくは、 わたしは、 このようにして次第に第二の願行を成就し、 多くの惑業を断ちきって速やかに菩提をさとり、 広く衆生を済度したい。」 もし、 一文・一義でも読誦し修習する時には、 次のような思いをすべきである。 「願わくは、 わたしは、 このようにして次第に第三の願行を成就し、 多くの仏法を学んで速やかに菩提をさとり、 広く衆生を済度したい。」 すべての事にふれて、 常に次のように心を用いよ。 「わたしは、 現在の身から次第に学を修め、 そうして極楽に生まれて自在に仏道を学び、 速やかに菩提をさとり、 ついに衆生を利益しよう。」 もし、 常にこの念をいだき、 力に応じて修行すれば、 水の滴りは僅かでも次第に大きな器に満ちるように、 この心は、 よく大小のよろずの善をたもって漏れさせず、 かならず菩提に至るのである。 «華厳経» の入法界品に説かれているとおりである。
たとえば、 金剛が、 よく大地を持たもって落ちさせないようなものである。 菩提心もまたこのように、 よく菩薩のすべての願行をよく持って、 三界に落とさせないのである。 下略
問う。 凡夫は常に心を用いるということに堪えないから、 その時の善根は無駄になるであろうか。
答える。 もし至誠まことの心しんで心こころに念じて、 口に 「わたくしは今日から、 たとい一善でも、 自身の有漏の果報のためにはせず、 ことごとく極楽のため菩提のためにしよう」 というならば、 この心をおこした後には、 あらゆる書善は知っても知らなくても自然に無上菩提に趣き向かうのである。 ちょうど、 一度溝を掘れば、 すべての水が自然に流れ込んで順次に大きな河に至り、 ついに大海に集まるようなものである。 行者もまたその通りで、 一度発心した後には、 すべての善根の水が、 自然に四弘誓願の溝に流れこんで、 次第して極楽に生まれ、 ついに菩提さとりの一切智の海に集まるのである。 ましてその時その時に、 前におこした願を憶念するのであるから、 なおさらである。 詳しくは、 下しもの回向門に述べるとおりである。
問う。 凡夫は力がないから、 財を施し捨てようとしてもなかなか捨てることがむずかしく、 あるいはまた貧乏である。 どういう方便てだてによって、 自分の心を理に順わせたらよかろうか。
答える。 «宝積経» に説かれている。
このように布施するとして、 もし力がなくてこれを学ぶことができず、 財を施し捨てることができなければ、 この菩薩は次のように思惟すべきである。 「わたしは今、 努力に努力をかさねて、 次第に、 慳貪むさぼり・恡惜おしみの垢を断ち除こう。 わたしは、 努力に努力をかさねて次第に財を捨てて施し与えることを学び、 常に自分の布施の心を増長し広大ならしめよう」 と。
また «*因いん果が経きょう» の偈に説かれている。
もし貧しい人があって 布施すべき財がなければ
他人が布施をするのを見たときに ともに喜ぶ心を起こせ
ともに喜ぶことの福よい報むくいは 布施するのと同様で変わりがない
«十住毘婆娑論» の偈にいわれている。
わたしはいま新たに道を学ぶもので 善根はまだ成就せず
心もまだ自在を得ぬが 願わくは後にきっと布施しよう
行者は、 まさに、 このように心を用いるべきである。
問う。 この中で、 理を対象として菩提心をおこしても、 また因果を信じて、 勤めて道を修行すべきであろうか。
答える。 道理としては、 かならずそうあるべきである。 «維摩経» に説かれているとおりである。
諸仏の国とその衆生との 空であることを観じても
しかも常に浄土を建立することにつとめ また多くの人たちを教え導く
«中論» の偈にいわれている。
空であるといってもまた断えず 有であるといってもまた常ではない
業とその果報むくいが失わないのを これを仏の説かれたものという
また «大論» にいわれている。
もし、 諸法が皆空ならば、 衆生もなく、 誰か済度すべきものがあろうか。 こういう時は、 慈悲の心が弱い。 あるいは、 時に人々の愍あわれむべきことを心にかけると、 諸法の空を観ずることが弱い。 もし方便力を得るならば、 この二つの事において平等であって偏ることはないであろう。 大悲心は、 諸法の実相を妨げず、 諸法の実相を得ても、 大悲心を妨げない。 このような方便を生ずるその時、 菩薩の位に入って、 不退の地位に住することができる。 抜き書きした。
問う。 もし偏った見解を起こしたならば、 その過ちはどのようであるか。
答える。 «*無む上じょう依え経きょう» の上巻に偏った空観を明かしていわれている。
もし人あって、 実我の見解に執とらわれることが須弥山のように大きくあろうとも、 わたしは驚き怖れず、 また非難もしない。 しかし、 増ぞう長じょう慢まんの人が空見に執着することが、 一本の髪の毛を十六すじに分けたほど僅かであっても、 わたしは許さない。
また «中論» の第二巻の偈に説かれている。
大聖世尊が空のみ法を説かれるのは いろいろの見解を離れさせるためである
もしまた空があると考えるならば それは諸仏の教えられないところである
«*仏蔵ぶつぞう経きょう» の念僧品に、 有所得の執着を破して説かれている。
有所得の者は、 我・人・寿者・命者などがあると説き、 無所有 (空) の法ものがらを憶念し分別して、 あるいは断とか常とか説き、 あるいは有作 (造作がある) と説き、 あるいは無作 (造作がない) と説くのである。 わたしの清浄の法は、 この因縁によって次第に滅し尽きるであろう。 わたしが、 長いあいだ生死まよいにあって、 多くの苦悩くるしみを受けて、 成就した菩提さとりの法を、 この悪人たちが、 その時に破壊するであろう。 抜き書きした。
また、 同経の浄戒品 (浄法品) に説かれている。
我があるという見解、 人があるという見解、 衆生があるという見解をもつ者は、 多くは邪見に堕ちるが、 すべてのものは断滅 (空) であるという見解をもつ者は、 多くは早く仏道を得ることができる。 何故かといえば、 これは捨て易いからである。 そういうわけであるから、 この人は、 むしろ自分で鋭い刀をもって舌を割いたとしても、 人々の中で不浄説法をしてはならないと知るべきである。 有所得の執着を不浄と名づける。
«大智度論» に、 空・有の二つの執らわれた見解の過ちを並べ明かしていわれてある。
たとえば、 人が狭い道を歩いて行くのに、 一方は深い水であり、 一方は烈しい火であって、 どちらに落ちても死ぬようなものである。 有に執着するのも無に執着するのも、 この二つの事はともにまちがっている。 以上
こういうわけであるから、 行者は、 諸法が本来空寂であることをいつも観じ、 また、 いつも四弘誓願の行を修行せよ。 空間と土地とに依って家を造るので、 土地だけや空間だけでは、 結局家を造ることができないようなものである。 これは、 諸法の三諦 (空仮中) が相即するのによるのである。 それゆえ、 «中論» の偈にいわれている。
因縁によって生ずる法ものは そのままが空であると わたしは説く
また名づけて仮名とし またこれがそのまま中道の義である 下略
さらに、 «止観» をしらべよ。
問う。 有に執らわれる見解は、 その罪過がすでに重いとすれば、 事を対象とする菩提心には、 どうして勝れた利益があろうか。
答える。 有の見解に堅く執らわれる時に、 過ちが生ずるのである。 いうところの事を対象とするとは、 かならずしも有を堅く執ずるのではない。 もしそうでなければ、 有を見て道さとりを得る者はないことになるであろう。 空を見ることも、 また同様である。 たとえば、 火を用いるのに、 手が触れると害をするが、 触れなければ益があるようなものである。 空と有についても、 またそのとおりである。 
【40】
二に利益を明かさば、もし人、説のごとくして菩提心を発さば、たとひ余の行を少くとも、願に随ひて決定して極楽に往生しなん。 上品下生の類これなり。 かくのごとき利益、無量なり。 いま略して一端を示さん。
『止観』にいはく、「『宝梁経』にのたまはく、〈比丘の、比丘の法を修せざるは、大千に唾する処なし。 いはんや、人の供養を受けんをや。 六十の比丘、悲泣して仏にまうさく、《われら、たちまちに死すとも、人の供養を受くることあたはじ》と。 仏ののたまはく、《なんぢ、慚愧の心を起せり。 善きかな、善きかな》と。
一の比丘、仏にまうしてまうさく、《なんらの比丘か、よく供養を受くる》と。 仏ののたまはく、《もし比丘の数にありて、僧の業を修し、僧の利を得たるもの、この人よく供養を受く。 四果の向はこれ僧の数なり。 三十七品はこれ僧の業なり。 四果はこれ僧の利なり》と。
比丘、かさねて仏にまうさく、《もし大乗の心を発すものは、またいかんぞ》と。
仏ののたまはく、《もし大乗の心を発して一切智を求むるは、数に堕せず、業を修せず、利を得ずとも、よく供養を受けてん》と。 比丘驚きて問ひたてまつる。 《いかんが、この人よく供養を受くる》と。
仏ののたまはく、《この人、衣を受けて用ゐて大地に敷き、揣食を受くること須弥山のごとくすとも、またよくつひに施主の恩を報じてん》〉と。 まさに知るべし、小乗の極果は、大乗の初心に及ばず」と。 [以上、信施を消す。]
またいはく(摩訶止観)、「『如来密蔵経』に説かく、〈もし人、父の縁覚となりしを害し、三宝の物を盗み、母の羅漢となりしを汚し、不実の事をもつて仏を謗り、両舌して賢聖を間て、悪口して聖人を罵り、求法のものを壊乱し、五逆の初業の瞋りと、持戒の人の物を奪ふ貪りと、辺見の痴とあらば、これを十悪のものとなす。 もしよく、如来の、因縁の法は我・人・衆生・寿命なく、生なく滅なく染なく着なく、本性清浄なりと説きたまふことを知り、また一切法において本性清浄なりと知りて、解知し信入せば、われ、この人は地獄およびもろもろの悪道に趣向すと説かず。 なにをもつてのゆゑに。
法は積聚なく、法は集悩なし。 一切の法は、生ぜず住せず、因縁和合して生起することを得。 生じをはれば、還りて滅しぬ。 もし心、生じをはりて滅すれば、一切の結使もまた生じをはりて滅しぬ。 かくのごとく解すれば、犯処なし。
もし犯あり住ありといはば、この処あることなし。 百年の闇室に、もし灯を燃す時には、闇、《われはこれ室の主なり。 ここに住すること久しく、しかもあへて去らじ》といふべからず。 灯もし生じぬれば、闇すなはち滅しぬるがごとし〉と。 その義またかくのごとし。
この経は、つぶさに前の四の菩提心を指す」と。 [以上、かの『経』(如来秘密蔵経)の下巻にあり。 「前の四」といふは、四教の菩提心を指す。]『華厳経』の「入法界品」(意)にのたまはく、「たとへば、善見薬王の、一切の病を滅するがごとく、菩提心の薬も一切衆生のもろもろの煩悩の病を滅す。
たとへば、牛・馬・羊の乳を合して一器に在きて、獅子の乳をもつてかの器のなかに投るれば、余の乳は消尽して、ただちに過ぐること礙なきがごとく、如来師子の菩提心の乳を、無量劫に積めるところのもろもろの業・煩悩の乳のなかに着けば、みなことごとく消尽して、声聞・縁覚の法のなかに住せず」と。 『大般若経』にのたまはく、「もしもろもろの菩薩、多く五欲相応の非理の作意を発起すといへども、しかも一念、無上の菩提と相応せる心を起さば、すなはちよく折滅す」と。[以上三の文、滅罪の益なり。]
「入法界品」にのたまはく、「たとへば、人ありて、不可壊薬を得つれば、一切の怨敵も その便りを得ざるがごとく、菩薩摩訶薩もまたかくのごとし。
菩提心の不壊の法薬を得つれば、一切の煩悩・諸魔・怨敵も壊することあたはざるところなり。 たとへば、人ありて、住水宝珠を得て、その身に瓔珞としつれば、深水のなかに入れども、しかも没溺せざるがごとく、菩提心の住水宝珠を得つれば、生死海に入れども、しかも沈没せず。 たとへば、金剛の、百千劫に水のなかに処すれども、しかも爛壊せず、また変異なきがごとく、菩提の心もまたかくのごとし。 無量劫に生死のなかに処すれども、もろもろの煩悩・業も断滅することあたはず。 また損減なし」と。
また同経の法幢菩薩の偈にのたまはく、
「もし智慧ある人、一念も道心を発せば、かならず無上尊となる。つつしみて疑惑をなすことなかれ」と。[以上、つひに敗壊せずして、かならず菩提に至る益なり。]
また「入法界品」にのたまはく、「たとへば、閻浮檀金の、如意宝を除きては一切の宝に勝れたるがごとく、菩提の心の閻浮檀金もまたかくのごとし。 一切智を除きてはもろもろの功徳に勝れたり。
たとへば、迦陵頻伽鳥の、㲉のなかにある時に大勢力ありて、余の鳥及ばざるがごとく、菩薩摩訶薩もまたかくのごとし。 生死の㲉にして、菩提心を発せるに、功徳の勢力は、声聞・縁覚の及ぶことあたはざるところなり。
たとへば、波利質多樹の華をもつて、一日衣に熏じつれば、瞻蔔華・婆師華をもつて千歳熏ずといへども及ぶことあたはざるところなるがごとく、
菩提心の華もまたかくのごとし。 一日熏ずるところの功徳の香、十方の仏の所に徹りて、一切の声聞・縁覚の、無漏の智をもつてもろもろの功徳を熏ずること、百千劫においてせるも、及ぶことあたはざるところなり。 たとへば、金剛の、破れて全からずといへども、一切のもろもろの宝の、なほ及ぶことあたはざるがごとく、菩提の心もまたかくのごとし。
少し懈怠なりといへども、声聞・縁覚のもろもろの功徳の宝の、及ぶことあたはざるところなり」と。 [以上、『経』(華厳経)のなかに二百余の喩へあり。 見るべし。]「賢首品」の偈にのたまはく、
「菩薩、生死にして最初に発心する時、一向に菩提を求むること、堅固にして動ずべからず。かの一念の功徳、深広にして岸際なし。如来、分別して説きたまはんに、劫を窮むるも尽すことあたはじ」と。[ここにいふ「発心」は凡聖に通ず。つぶさに『弘決』を見よ。]
また同経の偈にのたまはく、
「一切衆生の心をば、ことごとく分別して知りぬべし。一切刹の微塵をば、なほその数を算へつべし。十方の虚空界をば、一毛をもつてなほ量りつべし。菩薩の初発心をば、究竟して測るべからず」と。
また『出生菩提心経』の偈にのたまはく、
「もしこの仏刹のもろもろの衆生を、信心および持戒に住せしめたらん、かの最上の大福聚のごときは、道心の十六分には及ばじ。もしこの仏刹のもろもろの衆生を、信心に住し法において行ぜしめん、かの最上の大福聚のごときは、道心の十六分には及ばじ。もし諸仏の刹の、恒河沙のごとくならんに、みなことごとく寺を造りて福を求めんがゆゑにし、またもろもろの塔を造ること須弥のごとくせんも、道心の十六分には及ばず。{乃至}かくのごとき人等は勝法を得んも、もし菩提を求めて衆生を利せば、かれら衆生の最勝なるものなり。これ比類なし。いはんや上あらんや。このゆゑにこの諸法を聞くことを得ては、智者はつねに楽法の心をなし、まさに無辺の大福聚を得て、すみやかに無上道を証することを得べし」と。
『宝積経』の偈にのたまはく、
「菩提心の功徳、もし色方分あらば、虚空界に周遍して、よく容受するものなからん」と。{云々}
菩提心には、かくのごとき勝利あり。このゆゑに迦葉菩薩の礼仏の偈(涅槃経)にのたまはく、
「発心と畢竟とは二つ別なし。かくのごとき二心において前の心難し。みづからいまだ度することを得ずして、先づ他を度す。このゆゑにわれ初発心を礼す」と。
また弥伽大士、善財童子の、すでに菩提心を発せることを聞きて、すなはち獅子の座より下り、大光明を放ちて三千界を照らし、五体を地に投げて、童子を礼讃せり。[以上、総じて勝利を顕す。]
問ふ。 縁事の誓願もまた勝利ありや。
答ふ。 縁理にしかずといへども、これまた勝利あり。 なにをもつてか知るとならば、上品下生の業にいはく(観経)、「ただ無上道心を発す」と。 第一義を解るとはいはず。 ゆゑに知りぬ、ただこれ事の菩提心なり。 もししからずは、かの中生の業と別なかるべし。
[その一。]『往生論』(天親の浄土論)に菩提心を明かすに、ただいへり、「一切衆生の苦を抜くをもつてのゆゑに。 一切衆生をして大菩提を得しむるをもつてのゆゑに。 衆生を摂取してかの国土に生れしめんをもつてのゆゑに」と。 {云々}もし縁事の心に往生の力なくは、論主(天親)あに縁理の心を示さざらんや。
[その二。]『大論』(大智度論)の第五の偈にいはく、
「もし初発心の時に、まさに仏に作るべしと誓願すれば、すでにもろもろの世間に過ぎたり。まさに世の供養を受くべし」と。{云々}
この『論』(大智度論)にもまた、ただ「願作仏」といへり。明らけし、事の菩提心もまたつひに信施を消すといふことを。
[その三。]『止観』に、『秘密蔵経』を引きをはりていはく、「初めの菩提心、すでによく重々の十悪を除く。 いはんや、第二・第三・第四の菩提心をや」と。{云々}
いふところの「初め」とは、これ三蔵教の、界内の事を縁ずる菩提心なり。 いかにいはんや、深く一切衆生にことごとく仏性ありと信じて、あまねく自他ともに仏道を成ぜんと願ぜんに、あに罪を滅することなからんや。
[その四。]『唯識論』にいはく、「菩提と有情との実有を執せずは、猛利の悲願を発起するに由なし」と。 {以上}大士の悲願すらなほ有を執して起る。 すなはち知りぬ、事の願もまた勝利ありといふことを。
[その五。]余は下の回向門のごとし。
問ふ。 衆生にもとより仏性ありと信解することは、あに縁理にあらずや。
答ふ。 これはこれ、大乗至極の道理を信解するなり。 かならずしも第一義空相応の観慧にはあらず。
問ふ。 『十疑』に『雑集論』を引きていはく、「もしは安楽浄土に生れんと願ひて、すなはち往生を得るものあり。 もしは人、無垢仏の名を聞きて、すなはち阿耨菩提を得るものあり。 これはこれ別時の因なり。 まつたく行あることなし」と。 {以上}慈恩(窺基)同じくいはく(西方要決)、「願と行と前後するがゆゑに、別時と説く。 仏を念ずるに、即生せずといはんとにはあらず」と。 {以上}あきらかに知りぬ、願ありて行なきは、これ別時の意なり。 いかんぞ、上品下生の人、ただ菩提の願によりてすなはち往生することを得るや。
答ふ。 大菩提心は功能甚深なり。 無量の罪を滅し、無量の福を生ず。 ゆゑに浄土を求むれば、求むるに随ひてすなはち得。 いふところの別時の意といふは、ただ自身のために極楽を願求するなり。 これ、四弘願の広大の菩提心にはあらず。
問ふ。 大菩提心、もしこの力あらば、一切の菩薩は、初発心より決定して悪趣に堕するものなかるべし。
答ふ。 菩薩、いまだ不退の位に至らざる前は、染・浄の二の心、間雑して起る。 前念に衆罪を滅すといへども、後念にさらに衆罪を造る。 また、菩提心に浅深・強弱あり、悪業に久近・定不定あり。 このゆゑに、退位にては昇沈不定なり。 菩提心に滅罪の力なきにはあらず。 しばらく愚管を述す。 見るもの取捨せよ。
第二に菩提心の利益を明かすとは、 もし人が教のとおり菩提心を起こしたならば、 たとい、 その他の行を欠いても、 願いのままにまちがいなく極楽に往生するであろう。 «観無量寿経» に説かれてある上品下生の類のようなのがこれである。 このような利益は無量であるが、 今は略して、 その一端を示そう。
«止観» にいわれてある。
«宝梁経» に説かれている。 「¬比丘であって比丘の法を修めないならば、 この広い大千世界に唾を吐くことを許される所もない。 まして人の供養を受けることができようか¼ と仏が仰せられた。 そこで六十人の比丘たちが、 悲しみ泣いて仏に申しあげるには、 ¬わたくしたちはこのまますぐに死んでも、 人の供養を受けることはできますまい。¼
仏が仰せられる。 ¬そなたたちは慚愧の心を起こした。 まことによいことである。¼
一人の比丘が仏に申しあげる。 ¬どのような比丘が、 供養を受けられましょうか。¼
仏が仰せられる。 ¬もし、 比丘の数なかまに入って、 僧の行業を修め、 僧の利益を得たものは、 この人はよく供養を受けることができる。 *四し向こうが僧の数なかまであり、 *三さん十じゅう七品しちほんが僧の行業であり、 *四果しかが僧の利益である。¼
比丘が重ねて仏に申しあげる。 ¬もし大乗の心 (菩提心) を起こす者は、 またどうでありましょうか。¼
仏が仰せられる。 ¬もし大乗の心を起こして、 一切智を求めるものは、 四果四向の数に入らず、 行業を修めず、 利益を得ないでも、 よく供養を受けることができる。¼
比丘が驚いておたずねするには、 ¬どうして、 この人が供養を受けることができるのですか。¼
仏が仰せられる。 ¬この人は、 衣きぬを受けて、 それを大地に敷きつめ、 握り飯を受けることが須弥山のように多くても、 またよく、 ついに施主の恩に報いるであろう¼ と。」
小乗の極果は、 大乗の初心に及ばないことを、 これで知るべきである。 以上は、 信の上からの布施を受けることのできる利益なのである。
また、 いわれてある。 (止観)
«*如来にょらい密蔵みつぞう経きょう» に説かれてある。 「もし人あって、 縁覚となった父を殺し、 三宝の物を盗み、 羅漢となった母を汚し、 事実でないことをもって仏を謗り、 二枚舌を使って賢聖がたの仲を疎くさせ、 悪あっ口くして聖人を罵り、 仏法を求める者を乱し、 五逆罪の最初の業に相応する瞋恚と、 持戒の人の物を奪う貪欲と、 辺見の愚痴とがあるとする。 これを十悪の者と名づける。 もしよく、 如来が、 因縁の法は我も人も衆生も寿命もなく、 生もなければ滅もなく、 染もなければ着もなく、 本性清浄であると説きたもうことを知り、 また、 一切の法ものにおいて本性清浄であると知って、 これをよく理解し信じて受け入れる者については、 わたしはこの人が地獄およびいろいろの悪道の果に趣くとは説かない。 なぜかといえば、 法には積つみ聚かさねはなく、 法には集悩なやみもない。 一切の法は生じもせず住とどまりもしない。 因と縁とが和合して生起することができるけれども、 生じおわると、 また滅するのである。 もし、 心が生じおわって滅するならば、 一切の煩悩もまた生じおわって滅するであろう。 このように理解するならば、 犯す所はない。 この人がもし犯すことがあり住とどまることがあるというならば、 そういう理由は存在しないであろう。 たとえば、 百年の長い間の闇室でも、 もし灯火をともした時には、 闇が ªわたしはこの室の主である。 ここに住とどまる事が久しいのだから、 立ち去ることはしないº ということはできぬ。 灯火が、 もし点ついたならば闇はすぐになくなってしまうようなものである。」
その義いわれもまたこのようである。 この経は、 詳しく前の四つの菩提心を示すのである。 以上は、 かの経の下巻にある。 「前の四つ」 というのは四教の菩提心を指す。
«華厳経» の入法界品に説かれている。
たとえば善見薬王 (最もすぐれた薬) がすべての病を滅するように、 菩提心もすべての衆生のもろもろの煩悩の病を滅する。 たとえば、 牛・馬・羊の乳を合わせて一つの器に入れて置き、 獅子の乳をかの器の中に入れると、 ほかの乳はみな消えてしまって、 獅子の乳が直ちに何のさまたげもなく通るように、 如来獅子の菩提心の乳を、 無量劫に積んだ多くの業や煩悩の乳の中に置けば、 それらは皆ことごとく消えさって、 決して声聞や縁覚の法の中に住とどまらないのである。
«大般若経» に説かれている。
もし、 もろもろの菩薩たちが、 五欲と相応した道理に外れた作意こころを多く起こしても、 一念、 無上の菩提と相応した心を起こすならば、 すなわちよくそれらを滅ぼすことができる。 以上の三文は、 滅罪の利益である。
入法界品に説かれている。 (華厳経)
たとえば、 人が不可壊の薬を得れば、 どのような怨敵かたきもその人を害する手がかりを得ないようなものである。 菩薩たちもまたその通りで、 菩提心という不可壊の法薬を得るならば、 内にある煩悩も、 もろもろの悪魔や怨敵も、 これを壊くだくことはできないのである。 またたとえば、 人が住水宝珠を得て、 その身にかざっていれば、 深い水の中に入っても溺れないようなものである。 菩提心という住水宝珠を得るならば、 迷いの海に入っても沈むことはない。 また、 たとえば、 金剛は長い年月、 水中に置いてもただれず、 また変質したりしないようなものである。 菩提心もまたそのとおりで、 はかりしられぬ長いあいだ、 迷いの中、 煩悩悪業の中にあっても、 なくなりもせず、 そこなわれもしないのである。
また、 同じ経の法幢菩薩の偈に説かれている。
もし智慧ある人が 一念 道心を起こすならば
必ず無上尊と成る 慎んで疑いを起こしてはならない 以上は、 菩提心が最後まで壊れないで、 必ず菩提に至るという利益である。
また、 入法界品に説かれている。
たとえば、 閻浮檀金は、 如意宝を除いて、 すべての宝にまさっているように、 菩提心という閻浮檀金もまたこのようである。 一切智を除いては他のあらゆる功徳にまさっているのである。 たとえば、 迦陵頻伽は、 孵化しない時にもすぐれた勢力があって、 ほかの鳥が及ばないように、 菩薩大士もまたこのようである。 生死まよいという卵の中にありながら起こした菩提心の功徳の力は、 声聞や縁覚の及ぶことのできぬものである。 たとえば、 忉利天にある*波利はり質しっ多た樹じゅの花で、 一日のあいだ衣を薫じつけると、 瞻蔔せんぷく華げや婆師ばし迦か華げで千年のあいだ薫じつけてもその香りが及ばないように、 菩提心の花もまたこのようである。 一日のあいだ薫じた功徳の香りは、 十方の仏のみもとに徹とおり、 あらゆる声聞や縁覚たちが、 無漏智でいろいろの功徳を百千劫という長いあいだ薫じても、 及ぶことができないのである。 たとえば、 金剛はこわれて完全なものでなくても、 他のすべての衆宝が、 それでもなお及ぶことができないようなものである。 菩提心もまたこのようである。 少しく怠っても、 声聞や縁覚のもろもろの功徳の宝が及ぶことのできないものである。 以上、 経の中には二百余りの喩えがある。 見るがよい。
賢首品の偈に説かれている。 (華厳経)
菩薩がこの生死まよいにあって 初めて発心した時
ひたすら菩提を求めること 堅固かたくして動ゆるぐことはない
かの一念の功徳は 深く広くして崖際はてしもない
如来が分別して説かれるのに 劫をきわめても尽くしえぬところである ここに 「発心」 というのは、 凡夫と聖者とに通ずる。 詳しくは «弘決» に示されている。
また、 同じ経の偈に説かれている。
すべての衆生の心は 悉く分別して知ることができ
すべての国を微塵にした その数でもなお算かぞえられよう
十方の虚空界でさえ 一毛にかけて量られようが
菩薩のおこす初発心は ついに測ることができない
また «*出生しゅっしょう菩ぼ提心だいしん経ぎょう» の偈に説かれている。
もしこの仏国のもろもろの衆生が 信心を起こし戒律おきてを守り
かの最上の功徳を集めたとしても 道さとりを求める心の十六分の一にも及ばない
もし 恒河の沙ほども多い諸仏のみ国に 功徳を求めるために皆ことごとく寺を作り
また須弥山のように多くの塔を作るとしても 道さとりを求める心の十六分の一にも及ばない (中略)
このような人たちが勝れた法を得たとしても もし菩提を求めて衆生を利益するならば
衆生の中で最も勝れた者であり 比類たぐいもなく ましてその上のものがあろうか
それ故このもろもろの法を聞き得たならば 智慧ある人は常に法を楽ねがう心を起こし
無辺の大福徳を得て 速やかに無上の道を証るべきである
«宝積経» の偈に説かれている。
菩提心の功徳が もしすがたかたちがあるならば
果てしなき大空に遍くて よく受け入れるものはなかろう 下略
菩提心には、 このような勝れた利益がある。 それゆえに、 迦葉菩薩の礼仏の偈 (涅槃経) に説かれている。
発心と畢竟さとりとの二つは別ではないが これらの二心の内では発心の方が難しい
自分がまださとりを得ないのに先に人を済度しようとする それ故わたくしは初発心を礼しまつる
また弥伽大士は、 善財童子がすでに菩提心を起こしたのを聞いて、 すぐさま獅子の高座から下り、 大光明を放って三千世界を照らし、 全身を地に投げて善財童子を礼讃したということである。 以上は総じて勝れた利益を顕わした。
問う。 事を対象とする請願も、 勝れた利益があるのか。
答える。 理を対象とするのには及ばないけれども、 これもまた勝れた利益がある。 どうして知られるかといえば、
«観無量寿経» の上品下生の行業に 「ただ無上道心を起こす」 といって、 「第一義を解さとる」 とはいわぬ。 それ故、 これはただ事を対象とする菩提心であることがわかる。 もしそうでなければ、 かの上品中生の行業と区別がないことになるであろう。 その一である。
«往生論» には、 菩提心を明かして、 ただ 「一切衆生の苦しみを除くからである。 一切の衆生に大菩提を得させるからである。 また衆生を勧めて阿弥陀如来の浄土に往生させるからである」 下略 といわれてある。 もし、 事を対象とする菩提心に往生の力がないならば、 論主 (天親菩薩) は、 どうして理を対象とする菩提心をお示しにならないのか。 その二である。
«大智度論» の大五巻の偈にいわれている。
もし初発心の時 仏になろうと誓い願うならば
はや 諸もろもろの世間に超えており 世人の供養を受くべき者である 下略
この «大智度論» にもまた、 ただ 「仏になろうと願う」 といってある。 事の菩提心もまた、 結局、 信の上からの布施を受けることができるということを明かしている。 その三である。
«止観» に «如来密蔵経» を引き終っていわれてある。
最初の菩提心でさえも、 すでによく極めて重い十悪の罪を除くことができる。 まして、 第二・第三・第四の菩提心においては、 なおさらのことである。 下略
ここに 「最初の菩提心」 というのは、 小乗教で三界内の事 (形あるもの) を対象とする菩提心である。 まして、 すべての衆生には悉く仏性があると深く信じて、 あまねく自分も他人も共に仏道を成じようと願うものに、 どうして罪を滅しないはずがあろうか。 その四である。
«唯識論» にいわれてある。
菩提さとりと有情ひととが実に有るということを信じなければ、 強い慈悲の願を起こす由がない。 以上
大士の悲願でさえも、 なお、 有を信じた上で起こされるのである。 それで、 事を対象とする願も、 勝れた利益があるということを知るべきである。 その五である。
その他は、 下しもに述べる回向門に説くとおりである。
問う。 衆生に本来仏性があることを信ずることは、 理を対象とするものではないか。
答える。 これは、 大乗の至極の道理を信ずるのである。 かならずしも*第一だいいち義ぎ空くうと相応した智慧というわけではない。
問う。 «十疑論» に «雑集論» を引いていわれている。
「安楽浄土に往生したいと願って、 すなわち往生を得る者がある」 とか、 また 「無垢仏のみ名を聞いた人で、 すなわち菩提さとりを得る者がある」 とかいう。 これらは別時すなわち後の時に、 その果を得る為の因となるのであって、 今は全く行はないのである。 以上
慈恩大師も、 同じようにいわれる。 (西方要決)
願と行とが前後するから別時と説くのである。 仏を念じてもただちに往生しないというのではない。 以上
願だけあって行のないのが別時という意味であることが明らかに分かった。 どうして上品下生の人が、 ただ菩提心という願だけによって、 すぐ往生することができるのか。
答える。 大菩提心は、 その功能はたらきが甚深である。 無量の罪を滅し、 無量の福を生ずる。 ゆえに浄土を求めるならば、 その求めるにしたがってすぐ得られるのである。 今いうところの別時の意味は、 ただ自分だけのために極楽を楽い求めることであって、 これは四弘誓願の広大な菩提心ではない。
問う。 大菩提心に、 もしこの力があるならば、 すべての菩薩は、 最初の発心から決定して悪道に落ちる者はないはずであろう。
答える。 菩薩がまだ不退の位に至らぬ間は、 染けがれと浄きよらかとの二心がまじわって起こるものである。 前の念には多くの罪を滅するけれども、 後の念には、 更に多くの罪を作る。 また、 菩提心には、 浅い・深い、 強い・弱いがあり、 悪業には、 久しい・近い、 常・不定がある。 それゆえ、 退転する位にあっては、 昇ったり沈んだりしてその位が定まらない。 菩提心に罪を滅する力がないのではない。 以上、 しばらく、 わたしの愚かな考えを述べたのであるから、 見る者は、 適宜に取捨せられたい。 
 

 

【41】 
三に料簡とは、
問ふ、「入法界品」にのたまはく、「たとへば、金剛は金性より生じて、余宝より生ずるにあらざるがごとく、菩提心の宝もまたかくのごとし。 大悲をもつて衆生を救護する性より生じて、余の善より生ずるにあらず」と。
『荘厳論』の偈にいはく、
「つねに地獄に処すといへども、大菩提をば障へず。もし自利の心を起さば、これ大菩提の障なり」と。
また『丈夫論』の偈にいはく、
「悲心をもつて一人に施するは、功徳の大きなること地のごとし。おのがために一切に施するは、報を得ること芥子のごとし。一の厄難の人を救ふは、余の一切の施には勝れたり。もろもろの星に光ありといへども、一の月の明にはしかず」と。{以上}
明らけし、自利の行はこれ菩提心の所依にあらざれば、報を得ることまた少なし。 いかんぞ、独りすみやかに極楽に生ぜんと願ずるや。
答ふ。
あに前にいはずや、極楽を願ずるものはかならず四弘願を発して、願に随ひて勤修せよとは。 これあに、これ大悲心の行にあらずや。 また、極楽を願求すること、これ自利の心にあらず。 しかる所以は、いまこの娑婆世界は留難多し。 甘露のいまだ沾はざるに、苦海朝宗しぬ。 初心の行者、なんの暇ありてか道を修せん。
ゆゑにいま菩薩の願行を円満して、自在に一切衆生を利益せんと欲ふがために、先づ極楽を求むるなり。 自利のためにはせず。
『十住毘婆沙』にいふがごとし、「みづからいまだ度することを得ずは、かれを度することあたはず。 人のみづから於泥に没せるがごとき、なんぞよく余人を拯済せん。 また、水のために漂はさるるもの、溺れたるものを済ふことあたはざるがごとし。 このゆゑに説かく、〈われ度しをはりて、まさにかれを度すべし〉」と。
また『法句経』の偈に説くがごとし。
「もしよくみづから身を安んじて、善処にあらば、しかして後に余人を安んじて、みづからと所利を同じくせよ」と。{以上}
ゆゑに『十疑』にいはく、「浄土に生れんと求むる所以は一切衆生の苦を救抜せんと欲ふがゆゑなり。 すなはちみづから思忖すらく、〈われいま力なし。 もし悪世、煩悩の境のなかにあらば、境強きをもつてのゆゑに、みづから纏縛せられて三塗に淪溺し、ややもすれば数劫を経ん。 かくのごとく輪転して、無始よりこのかたいまだかつて休息せず。 いづれの時にか、よく衆生の苦を救ふことを得ん〉と。 これがために、浄土に生れて諸仏に親近し、無生忍を証して、まさによく悪世のなかにして、衆生の苦を救はんことを求むるなり」と。 {以上}余の経論の文、つぶさに『十疑』のごとし。 知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。
問ふ。 念仏の行は、四弘のなかにおいて、これいづれの行の摂ぞ。
答ふ。 念仏三昧を修するは、これ第三の願行なり。 随ひて伏滅するところあるは、これ第二の願行なり。 遠近に良縁を結ぶは、これ第一の願行なり。 功を積み徳を累ぬるは、第四の願を成ずるなり。 自余の衆善は例して知れ。 俟たざれ。
問ふ。 一心に仏を念ぜば、理また往生すべし。 なんぞかならず経論に菩提の願を勧むるや。
答ふ。 『大荘厳論』にいはく、「仏国は事大なれば、独り行の功徳をもつては成就することあたはず。 かならず願力を須ゐるべし。 牛は力ありといへども、車を挽くにかならず御者を須ゐて、よく至る所あるがごとく、仏の国土を浄むるも願によりて引成す。 願力をもつてのゆゑに福慧増長す」と。 {以上}『十住毘婆沙論』にいはく、「一切の諸法は願を根本となす。 願を離れてはすなはち成ぜず。 このゆゑに願を発す」と。
またいはく(易行品)、
「もし人、仏に作らんと願じて、心に阿弥陀を念ずれば、時に応じてために身を現じたまふ。このゆゑにわれ帰命したてまつる」と。{以上}
大菩提心、すでにこの力あり。このゆゑに行者かならずこの願を発せ。
問ふ。 もし願を発さざるものは、つひに往生せざるや。
答ふ。 諸師不同なり。 あるがいはく、「九品生の人はみな菩提心を発す。 その中品の人は、本これ小乗なりといへども、後に大心を発してかの国に生ずることを得。 かの本習によりてしばらく小果を証す。
その下品の人は、大心を退せりといへども、しかもその勢力なほありて、生ずることを得」と。 [慈恩(窺基)これに同じ。]あるがいはく、「中・下品はただ福分によりて生じ、上品は福分・道分を具して生ず」と。 {云々}「道分」とは、これ菩提心の行なり。
問ふ。 菩提心に諸師の異解あるがごとく、浄土を欣ふ心もまた不同なりや。
答ふ。 大菩提心には異説ありといへども、浄土を欣ふ願は、九品にみな具すべし。
問ふ。 もし浄土の業、願によりて報を得ば、人の、悪を作りて地獄を願はざるがごとき、かれ地獄の果報を得べからずや。
答ふ。 罪の報は有量なれども、浄土の報は無量なり。 二果すでに別なり。 二因なんぞ一例せんや。 『大論』(大智度論)の第八にいふがごとし。 「罪福には定報ありといへども、ただ願をなすものは、小福を修すれども、願力あるがゆゑに大果報を得。 一切衆生はみな楽を得んと願ひて、苦を願ふものはなし。 このゆゑに地獄を願はず。 これをもつてのゆゑに、福は無量の報あれども、罪報は有量なり」と。 {略抄}
問ふ。 なんらの法をもつてか、世々に大菩提の願を増長して忘失せざる。
答ふ。 『十住婆沙』の第三の偈にいはく、
「乃至、身命、転輪聖王の位を失はんも、これにおいてなほ妄語し、諂曲を行ずべからず。よくもろもろの世間の一切衆生の類をして、もろもろの菩薩衆において、恭敬の心を生ぜしめよ。もし人ありて、よくかくのごとき善法を行ずるは、世々に無上菩提の願を増長することを得ん」と。
[文中にまた二十種の失菩提心の法あり。見るべし。]  
 
第三に、 料簡すなわち問答論議するとは、
問う。 «入法界品» にいわれてある。
譬えば、 金剛はただ金剛の性から生じて、 ほかの宝から生じないように、 菩提心の宝も、 またこのようである。 広大な慈悲の心で、 衆生を救護するという性から生ずるので、 その他の善根から生ずるのではない。
«*荘しょう厳論ごんろん» の偈にいわれてある。
つねに身は地獄に居ても 大菩提を障さえぬが
もし自分を利しようとする心を起こすならば これは大菩提の障さわりである。
また «*丈じょう夫ぶ論ろん» の偈にいわれてある。
慈悲の心から一人に施すならば その功徳の大きいことは大地のようである
もし自分の利欲のために一切の人に施すとも 報いを得ることが芥子のようである
一人の厄難の人を救うのは 他のすべての施しに勝る
すべての星には光があるといっても 一つの月の明りには及ばないであろう 以上
これで明らかである。 自利の行は、 菩提心の依るところではないから、 その報いを得ることも、 また少ない。 それにどうして自分だけが速やかに極楽に生まれることを願うのか。
答える。 極楽を願う者は、 かならず四弘誓願を起こし、 その願にしたがって勤め修めよと前にいったではないか。 これがどうして大悲心の行でなかろうか。 また、 極楽を願い求めるのは、 自分だけを利しようとする心からではない。 そういうわけは、 今、 この娑婆世界には、 いろいろの困難が多い。 甘露がまだ沾うるおわないのに、 おおくの苦しみが寄せてくる。 初発心の行者は、 どうして仏道を修行する余裕があろうか。 それゆえ、 いま菩薩の願行を円満して、 自由自在にすべての衆生を利益したいと思うから、 まず、 極楽の往生を願うのであって、 決して自分だけの利益の為ではない。
«十住毘婆娑論» にいわれているとおりである。
自分がまだ悟りを得ないで、 人を救うことはできない。 自分が泥沼に沈んでいて、 どうして、 よく他の人を救い上げることができようか。 また、 水に漂わされているものが、 溺れるものを救うことはできない。 こういうわけで 「自分が、 まず悟ってから、 人を救うべきである」 と説くのである。
また «法句経» の偈に説かれているとおりである。
もしよく自分で身を安らかにし 善い境界にいることができたならば
その上で他の人を安らかにして ともにその利を同じくするがよい 以上
それゆえ、 «十疑論» にいわれている。
浄土の往生を求めるわけは、 すべての衆生の苦しみを救おうと思うからである。 そこで自分で思うには 「わたしはいま、 力がない。 もし悪世・煩悩の境界の中にいたならば、 境界の力が強いから、 みずから縛られて三途に沈み、 ややもすると何劫という長い間を経るであろう。 このように迷いをつづけることは、 はじめなき過去世からこのかた、 まだ一度も休んだことがない。 いずれの時に衆生の苦を救うことができようか。」 こういうわけで浄土に往生して諸仏に近づき、 無生忍を証さとって、 そこではじめて、 よく悪世の中において衆生の苦しみを救おうと願うのである。 以上
その他の経・論の文は、 詳しくは «十疑論» に示されているとおりである。 そこで、 仏を念じて善を修するのを業因とし、 極楽に往生するのを花報とし、 大菩提をさとるのを果報とし、 衆生を利益するのを本懐とすることを知るべきである。 たとえば、 世間で木を植えれば花が開き、 花によって果みを結び、 果を得て食べるようなものである。
問う。 念仏の行は、 四弘誓願の中では、 どの行に収めるのか。
答える。 念仏三昧を修めるのは、 第三 (法門無量誓願学) の願行である。 修するにつれて煩悩を伏滅することのあるのは、 第二 (煩悩無尽誓願断) の願行であり、 遠くや近くの衆生によき縁を結ぶのは、 第一 (衆生無辺誓願度) の願行である。 効を積み、 徳を累かさねるのは、 第四 (仏道無上誓願成) の願を成就するのである。 その他のいろいろな善については、 これを例として知るべきである。 特に説明を要しない。
問う。 一心に念仏すれば、 道理としてまた往生するであろう。 どうして、 経・論に、 かならず菩提の願を勧めるのか。
答える。 «大荘厳論» にいわれている。 («大智度論» の意)
仏国を荘厳することは重大であるから、 ただ行の功徳だけでは成就することができない。 かならず願の力を待たねばならない。 ちょうど、 牛は車を挽く力があるけれども、 かならず御者の力を待ってよく目的地に至るようなものである。 仏国土を浄めるのも、 願によって引かれて成るのである。 願の力によるから、 福慧が増すのである。 以上
«十住毘婆娑論» にいわれている。
すべての諸法は、 願を根本とする。 願を離れては成就しない。 こういうわけであるから、 願を起こすのである。
また、 いわれている。
もし人が仏になろうと願って 心に阿弥陀仏を念ずれば
その時に応じて身を現わしたもう それゆえわたしは帰命したてまつる 以上
大菩提心には、 すでにこのような力がある。 それゆえ行者は、 必ずこの願を起こすべきである。
問う。 もし、 願を起こさなかったならば、 結局、 往生しないのか。
答える。 諸師によって不同がある。 ある人はいう。 「九品往生の人は、 みな菩提心を起こすのである。 その中品の人は、 もとは小乗であるけれども、 後には大乗の心を起こして、 かの浄土に生まれることができる。 かの本の習いによって、 暫くのあいだ小乗の果を証るのである。 その下品の人は、 大乗の心を失っているけれども、 その勢力がまだ残っているので往生することができるのである。」 慈恩大師の説はこれと同じ。
ある人はいう。 「中品と下品とは、 ただ福分によって生まれ、 上品は、 福分と道分とを具備して生まれる。」 下略
道分とは、 菩提心の行のことである。
問う。 菩提心について、 諸師の異なった見解があるように、 浄土を欣う心にも、 不同があるのか。
答える。 大菩提心には、 異説があるけれども、 浄土を欣う願は、 九品ともにみな当然具備すべきである。
問う。 もし、 浄土の業は願によって報を得るというならば、 人が悪事を犯しても、 地獄に堕ちることを願わぬような場合、 その人は、 地獄の果報を得ることにならぬのではないか。
答える。 罪の報には量かぎりがあるけれども、 浄土の報は量がない。 二つの果報がすでに別々であるから、 二つの因は、 どうして同例にいえようか。 «大智度論» の第八巻にいわれているとおりである。
罪悪や福徳 (善根) には、 一定の報があるけれども、 ただ願を起こす者は少しの福業を修めても、 願力があるから大きな果報を得るのである。 すべての衆生は、 みな楽を得たいと願うけれども、 苦を願う者はない。 この理由で地獄を願わないのである。 こういうわけであるから、 福徳には、 量かぎりない報があるけれども、 罪の報には量があるのである。 抜き書きした。
問う。 どういう法によって、 世々に大菩提の願を育て、 忘失しないようにするのか。
答える。 «十住毘婆娑論» の第三巻 (巻四) の偈にいわれてある。
身命いのちまでも失い 転輪王の位をもすてる
このような場合にもなお 妄語うそをつき諂曲へつらいを行ってはならぬ
よくさまざまの世間の すべての衆生の類に
多くの菩薩たちを 敬う心を起こさせよ
もし人あってよく このような善法を行ずるならば
世々に無上菩提の願を 増長することができよう 文の中には、 また二十二種の菩提心を失う法がある。 見るべきである。  
往生要集 中巻 (七祖)
■観察門
【42】 
第四に観察門とは、初心の観行は深奥に堪へず。 『十住毘婆沙』(意)にいふがごとし。 「新発意の菩薩は先づ仏の色相を念ず」と。 また諸経のなかに、初心の人のためには、多く相好の功徳を説けり。 このゆゑにいままさに色相の観を修すべし。 これを分ちて三となす。 一には別相観、二には総相観、三には雑略観なり。 意楽に随ひてこれを用ゐるべし。  
第四に*観察かんざつ門もんとは、 初心の人の修する観行は、 深奥なものには堪えられない。 «*十住じゅうじゅう毘婆びば娑しゃ論ろん» にいわれてあるとおりである。
初めて発心した菩薩は、 まず仏の色相すがたを念ぜよ。
また、 いろいろの経典の中に、 初心の人のためには相好すがたの功徳を多く説かれてある。 それゆえ今まさに色相観を修すべきである。
これを分けて三つとする。 第一は別相観、 第二は総相観、 第三は雑略観である。 それぞれの意楽このみに任せて、 これを用いるがよい。 
■別相観
【43】 
初めに別相観とは、また二あり。先づ華座を観ず。
『観経』にのたまはく、「かの仏を観ぜんと欲はば、まさに想念を起すべし。 七宝の地の上において蓮華の想をなし、その蓮華の一々の葉をして百宝色〔ありとの想〕をなさしめよ。 〔その葉に〕八万四千の脈ありて、なほ天の画のごとし。 脈に八万四千の光あり。 了々分明にして、みな見ることを得しめよ。 華葉の小さきものは、縦広二百五十由旬なり。 かくのごとき華に八万四千の葉あり。 一々の葉のあひだに百億の摩尼珠王ありて、もつて映飾となせり。 一々の摩尼珠は、千の光明を放つ。 その光〔天〕蓋のごとくして、七宝合成して、あまねく地の上に布けり。 釈迦毘楞伽宝、もつてその台となせり。
この蓮華台は、八万の金剛・甄叔迦宝・梵摩尼宝・妙真珠網、もつて交飾となせり。 その台上において、自然にして四柱の宝幢あり。 一々の宝幢は、百千万億の須弥山のごとし。 幢の上の宝縵は、夜摩天宮のごとし。 五百億の微妙の宝珠ありて、もつて映飾となせり。 一一の宝珠に八万四千の光あり。 一々の光、八万四千の異種の金色をなす。 一々の金光、その宝土にあまねくして、処々に変化して、おのおの異相をなす。 あるいは金剛台となり、あるいは真珠網となり、あるいは雑華雲となる。 十方の面において、意に随ひて変現して仏事を施作す。 これを華座の想となす。
かくのごとき妙華は、これ本法蔵比丘の願力の所成なり。 もしかの仏を念ぜんと欲ふものは、まさに先づこの華座の想をなすべし。 この想をなす時には雑観することを得ざれ。 みな一々にこれを観ずべし。 一々の葉、一々の珠、一々の光、一々の台、一々の幢、みな分明ならしめて、鏡のなかにみづから面像を見るがごとくせよ。 この観をなすを、名づけて正観となす。 もし他観するを、名づけて邪観となす」と。 [以上、この座の相を観ずるものは、五万劫の生死の罪を滅除して、必定してまさに極楽世界に生るべし。]
次にまさしく相好を観ず。 いはく、阿弥陀仏は華台の上に坐して、相好炳然として、その身を荘厳したまへり。
一には、頂の上の肉髻はよく見るものなし。 高顕周円なること、なほ天蓋のごとし。 あるいは広く観ずることを楽ふものは、次に観ずべし。 かの頂の上に大光明あり。 千の色を具足せり。 一々の色は、八万四千の支となり、一々の支のなかに八万四千の化仏まします。 化仏の頂の上より、またこの光を放ちたまふ。 この光あひ次いで、すなはち上方の無量の世界に至る。 上方界においても、化の菩薩ありて、雲のごとくして下りて諸仏を囲繞したてまつれり。
[『大集経』にのたまはく、「父母・師僧・和上を恭敬して、肉髻の相を得たり」と云々。 もしこの相において随喜を生ずるものは、千億劫の極重の悪業を除却して、三途に堕せず。]
二には、頂の上に八万四千の髪毛あり。 みな上に向かひて靡き、右に旋りて生ひたり。 永く褫落することなく、また雑乱せず。 紺青稠密にして、香潔細軟なり。 もし広く観ずることを楽ふものは、観ずべし。 一々の毛孔より旋りて五の光をなせり。 もしこれを申ぶる時には、修長にして量りがたし。 [釈尊の髪のごときは、長さ尼[楼陀精舎より父王の宮に至りて、城を繞ること七匝せり。]無量の光あまねく照らして、紺琉璃の色をなし、色のなかに化仏あり、称数すべからず。 この相を現じをはりて、還りて仏の頂に住して、右に旋りて宛転して、すなはち蠡文となる。 [『大集経』にのたまはく、「悪事をもつて衆生に加へざるがゆゑに、髪毛金精の相を得たり」と。]
三には、その髪の際に五千の光あり。 間錯分明なり。 みな上に向かひて靡きて、もろもろの髪を囲繞せり。 頂を繞ること五匝せり。 天の画師の所作の画法のごとし。 団円正等にして、細きこと一糸のごとし。 その糸のあひだにもろもろの化仏を生じ、化の菩薩ありて、もつて眷属たり。 一切の色像またなかにおいて見ゆ。 [広く観ずることを楽ふものは、この観を用ゐるべし。]
四には、耳厚く、広く長くして、輪埵成就せり。 あるいは広く観ずべし。 七の毛を旋り生じて、五の光を流出す。 その光に千の色あり。 色ごとに千の化仏まします。 仏ごとに千の光を放ちて、あまねく十方の無量の世界を照らしたまふ。 [この随好の業因は勘ふべし。 『観仏三昧経』(意)にのたまはく、「この好を観ずるものは、八十劫の生死の罪を滅し、後世にはつねに陀羅尼の人と眷属たり」と云々。 下去もろもろの利益、みなまた『観仏三昧経』によりて注す。]
五には、額広く平正にして、形相殊妙なり。 [この好の業因ならびに利益は勘ふべし。]
六には、面輪円満にして、光沢熙怡なり。 端正皎潔なること、なほ秋の月のごとし。 双べる眉の皎浄なること、天帝の弓に似たり。 その色比なくして、紺琉璃の光あり。 [来り求むるものを見て歓喜を生ずるがゆゑに、面輪円満なり。 この相を観ずるものは億劫の生死の罪を除却して、後身の生処に、まのあたり諸仏を見たてまつる。]
七には、眉間の白毫、右に旋りて宛転せり。 柔軟なること覩羅綿のごとく、鮮白なること珂雪に逾えたり。 あるいは次に広く観ずべし。 これを舒ぶれば、直くして長大なること白琉璃の筒のごとく、放ちをはれば、右に旋りて頗梨珠のごとし。 [丈六の仏の白毫は五丈なり。 右に旋ること経一寸、周囲三寸。]十方の面において、無量の光を現ずること、万億の日のごとくして、つぶさに見るべからず。
ただ光のなかに、もろもろの蓮華を現ず。 上は無量塵数の世界を過ぐるまで、華々あひ次いで、団円正等なり。 一々の華の上に、一の化仏坐したまへり。 相好荘厳し、眷属囲繞せり。 一々の化仏また無量の光を出し、一々の光のなかにまた無量の化仏まします。 このもろもろの世尊は、行ずるもの無数、住するもの無数、坐するもの無数、臥するもの無数にして、あるいは大慈大悲を説き、あるいは三十七品、あるいは六波羅蜜、あるいはもろもろの不共の法を説く。 もし広く説かば、一切衆生より十地の菩薩に至るまで、またこれを知ることあたはじ。
[『大集経』(意)にのたまはく、「他の徳を隠さず、その徳を称揚して、この相を得たり」と。 『観仏経』(意)にのたまはく、「無量劫より昼夜に精進して身心懈ることなきこと、頭燃を救ふがごとくして、六度・三十七品・十力・無畏・大慈大悲のもろもろの妙功徳を勤修して、この白毫を得たり。 この相を観ずるものは、九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却す」と。]
八には、如来の眼睫はなほ牛王のごとし。 紺青にして斉しく整ほりて、あひ雑乱せず。 あるいは次に広く観ずべし。 上下におのおの生じて、五百の毛あり。 優曇華の鬚のごとくして、柔軟にして愛楽すべし。 一々の毛端より一の光を流出す。 頗梨の色のごとくして、頭を繞ること一匝し、もつぱらに微妙のもろもろの青蓮華を生ず。 一々の華台に梵天王ありて、青色の蓋を執れり。 [『大集経』にのたまはく、「心を至して無上菩提を求めしがゆゑに、牛王の睫の相を得たり」と。 『大経』(大般涅槃経)にのたまはく、「怨憎を見て善心をなすがゆゑに」と。]
九には、仏眼は青白にして上下ともに眴く。 白きものは白宝に過ぎたり。 青きものは青蓮華に勝れたり。 あるいは次に広く観ずべし。 眼より光明を出したまふに、分れて四支となりて、あまねく十方の無量の世界を照らす。 青き光のなかには青き色の化仏ましまし、白き光のなかには白き色の化仏まします。 この青白の化仏、またもろもろの神通を現じたまふ。 [『大集経』(意)にのたまはく、「慈心を修集し、衆生を愛視して、紺色の目の相を得たり」と云々。 小時のあひだにおいても、この相を観ずるものは、未来の生処に、眼つねに明浄にして、眼根に病なく、七劫の生死の罪を除却す。]
十には、鼻修く、高く直くして、その孔現ぜず。 鋳たる金鋌のごとく、鸚鵡の嘴のごとし。 表裏清浄にしてもろもろの塵翳なし。 二の光明を出してあまねく十方を照らし、変じて種々の無量の仏事をなす。 [この随好を観ずるものは千劫の罪を滅し、未来の生処にて上妙の香を聞ぎ、つねに戒香をもつて身の瓔珞となす。]
十一には、唇の色、赤好なること頻婆菓のごとし。 上下あひ称へること、量りのごとくにして厳麗なり。 あるいは次に広く観ずべし。 団円の光明、仏の口より出でて、なほ百千の赤き真珠の貫くがごとくして、鼻と白毫と髪とのあひだに入出す。 かくのごとく展転して、円光のなかに入る。 [この唇の随好の業等は勘ふべし。]
十二には、四十の歯は、斉しく、浄く密にして根深く、白きこと珂雪に逾えたり。 つねに光明あり。 その光紅白にして、人の目を映耀す。 [『大経』(大般涅槃経)にのたまはく、「両舌・悪口・恚心を遠離して、四十の歯、鮮白斉密なる相を得たり」と云々。]
十三には、四の牙、鮮白光潔にして鋒利なること、月のはじめて生づるがごとし。 [『大集』にのたまはく、「身口意浄きがゆゑに、四牙、白の相を得たり」と云々。 この唇・口・歯の相を観ずるものは、二千劫の罪を滅す。]
十四には、世尊の舌相は、薄く浄くして、広く長し。 よく面輪を覆ひて、耳髪の際より、乃至梵天に至る。 その色、赤銅のごとし。 あるいは次に広く観ずべし。 舌の上に五の画あり、なほ印文のごとし。 笑みたまふ時、舌を動かすに五の色光を出し、仏を繞ること七匝して、還りて頂より入る。 あらゆる神変は無量無辺なり。
[『大集』にのたまはく、「口の四の過を護りて、広長の舌相を得たり」と云々。 この相を観ずるものは、百億八万四千劫の罪を除きて、他世に八十億の仏に値ふ。]
十五には、舌の下の両辺に二の宝珠あり。 甘露を流注して、舌根の上に滴づ。 諸天・世人・十地の菩薩もこの舌根なく、またこの味はひなし。 [『大般若』に異説あり。勘ふべし。 『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「飲食を施与するがゆゑに、上味の相を得たり」と。]
十六には、如来の咽喉は瑠璃の筒のごとし。 状は蓮華を累ねたるがごとし。 出したまふところの音声は詞韻和雅にして、等しく聞えずといふことなし。 その声洪きに震ひて、なほ天の鼓のごとく、発したまふところの言は、\均として伽陵頻の音のごとし。 任運によく大千世界に遍す。 もし作意したまふ時には無量無辺なり。 しかも衆生を利せんがために、類に随ひて増減せず。 [『大経』(同・意)にのたまはく、「かの短を訟はず、正法を謗ぜずして、梵音声の相を得たり」と。 『大集』にのたまはく、「もろもろの衆生において、つねに柔軟に語りしがゆゑに」と云々。]
十七には、頸より円光を出したまふ。 咽喉の上に点相ありて分明なり。 一々の点のなかに一々の光を出す。 その一々の光、前の円光を繞りて七匝を満足して、衆画分明なり。 一々の画のあひだに妙蓮華あり。 華の上に七仏まします。 一々の化仏におのおの七菩薩ありて、もつて侍者となせり。 一々の菩薩、如意珠を執れり。 その珠に金光あり。
青・黄・赤・白および摩尼の色、みなことごとく具足して、諸光を囲繞せり。 上下・左右、おのおの一尋にして、仏の頸を囲繞して、了々なること画のごとし。 [『無上依経』(意)にのたまはく、「衣服・飲食・車乗・臥具、もろもろの荘厳の物を歓喜して施与し、身金色にして、円光一丈なる相を得たり」と。]
十八には、頸より二の光を出す。 その光万色ありて、あまねく十方の一切の世界を照らす。 この光に遇ふものは辟支仏となる。 この光、もろもろの辟支仏の頸を照らす。 この相現ずる時、行者、あまねく十方一切のもろもろの辟支仏の、鉢を虚空に擲げて十八変をなし、一々の足の下にみな文字ありて、その字、十二因縁を宣説するを見る。
十九には、欠瓫骨満の相あり。 光十方を照らすに、虎魄の色をなす。 この光に遇ふものは声聞の意を発す。 このもろもろの声聞、この光明を見るに、分れて十支となる。 一支に千の色、十千の光明あり。 光ごとに化仏まします。 一々の化仏に四の比丘ありて、もつて侍者となり、一々の比丘はみな、苦・空・無常・無我を説く。 [以上三種は、広く観ずることを楽ふもの、これを用ゐるべし。]
二十には、世尊の肩・項は円満殊妙なり。 [『法華の文句』(意)にいはく、「つねに施をして増長せしめたるがゆゑに、この相を得たり」と。]
二十一には、如来の腋の下はことごとくみな充実なり。 紅紫の光を放ちて、もろもろの仏事をなし、衆生を利益す。 [『無上依経』(意)にのたまはく、「衆生のなかにおいて利益の事をなし、四正勤を修して、心に畏るるところなくして、両の肩平整にして、腋の下満てる相を得たり」と。]
二十二には、仏の双臂肘、明直にして[[謇~]]なること象王の鼻のごとく、平立せるに膝を摩づ。 あるいは次に広く観ずべし。 手掌に千輻の理あり。 おのおの百千の光を放ちてあまねく十方を照らすに、化して金水となる。 金水のなかに一の妙水あり、水精の色のごとし。 餓鬼は見て熱を除き、畜生は宿命を識り、狂象の見るは獅子王となり、獅子は金翅鳥と見、諸竜もまた金翅鳥王と見る。 このもろもろの畜生、おのおの尊ぶところと見て、心に恐怖を生じて、合掌し恭敬す。 恭敬するをもつてのゆゑに、命終して天に生る。 [『大集』にのたまはく、「怖畏あるを救護して、臂肘、謔ネることを得、他の事業を見て佐助せしがゆゑに、手摩膝の相を得たり」と。]
二十三には、もろもろの指円満し、充密繊長にして、はなはだ愛楽すべし。 一々の端に、おのおの万字を生ぜり。 その爪光潔なること、華赤銅のごとし。 [『瑜伽』(瑜伽論・意)にいはく、「もろもろの尊長において、恭敬し、礼拝し、合掌し、起立せしがゆゑに、指繊長なる相を得たり」と。]
二十四には、一々の指のあひだは、なほ雁王のごとく、ことごとく[[^網]]あり。 金色交絡して、文、綺画に同じ。 閻浮金に勝れたること百千万億なり。 その色明達にして、眼界に過ぎたり。 張れる時にはすなはち見ゆれども、指を斂むれば見えず。 [『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「四摂の法を修して、衆生を摂取せしがゆゑに、この相を得たり」と。]
二十五には、その手柔軟なること覩羅綿のごとくして、一切に勝過して、内外にともに握る。 [『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「父母・師長の、もし病苦するに、みづから手をもつて洗ひ拭ひ、捉持し、安摩せしがゆゑに、手軟の相を得たり」と。]
二十六には、世尊の頷・臆、ならびに身の上半の、威容広大なること獅子王のごとし。 [『瑜伽』(瑜伽論・意)にいはく、「もろもろの有情の、如法の所作においてよく上首たれども、しかも助伴となりて我慢を離れ、もろもろの_捩なかりしがゆゑに、この相を得たり」と。]
二十七には、胸に万字あり。 実相の印と名づけ、大光明を放つ。 あるいは次に広く観ずべし。 光のなかに無量百千のもろもろの華ありて、一々の華の上に無量の化仏まします。 このもろもろの化仏、おのおの千の光ありて、衆生を利益す。 乃至、あまねく十方の仏の頂に入る。 時に、もろもろの仏の胸より百千の光を出し、一々の光、六波羅蜜を説く。 一々の化仏、一の化人の、端正微妙にして状弥勒のごときを遣はして、行者を安慰せしむ。 [この相の光を見るものは、十二億劫の生死の罪を除く。]
二十八には、如来の心相は、紅蓮華のごとし。 妙なる紫金の光、もつて間錯をなして、瑠璃の筒のごとくして、懸りて仏の胸にあり。 合せず、開せず、団円なること、心のごとし。 万億の化仏、仏の心のあひだに遊ぶ。 また無量塵数の化仏、仏の心のなかにましまして、金剛台に坐して、無量の光を放ちたまふ。 一々の光のなかに、また無量塵数の化仏ましまして、広長の舌を出し、万億の光を放ちてもろもろの仏事をなしたまふ。 [仏の心を念ふものは、十二億劫の生死の罪を除き、生々に無量の菩薩に値ふことを得と云々。 広く観ずることを楽ふものは、この観をなすべし。]
二十九には、世尊の身の皮は、みな真金の色なり。 光潔晃耀すること、妙金台のごとし。 衆宝をもつて荘厳し、衆の見んと楽ふところなり。 [『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「衣服・臥具を施して、この相を得たり」と。]
三十には、身光、任運に三千界を照らす。 もし作意したまふ時には無量無辺なり。 しかももろもろの有情を憐愍せんがためのゆゑに、光を摂してつねに照らしたまふこと、面ごとにおのおの一尋なり。 [『大経』(同・意)にのたまはく、「香・華・灯明等をもつて人に施して、この相を得たり」と云々。 大光を観ずるものは、ただ心に見ることを発すに、衆罪を除却すと。]
三十一には、世尊の身相は、修く広くして端厳なり。 [『大論』(大智度論)にいはく、「尊長を恭敬し、迎送し、侍繞して、身の直くして広き相を得たり」と云々。]
三十二には、世尊の体相は、縦広の量等しくして周匝円満せること、[[尼[陀樹]]のごとし。 [『大集』(意)にのたまはく、「つねに衆生を勧めて、三昧を修せしめて、この相を得たり」と。 『報恩経』(意)にのたまはく、「もし衆生ありて、四大不調なるを、よく療治することをなせしがゆゑに、身の方円なる相を得たり」と。]
三十三には、世尊の容儀は洪満にして端直なり。 [『瑜伽』(瑜伽論・意)にいはく、「疾病のものにおいて、卑屈して瞻侍し、良薬を給施せしがゆゑに、身、僂曲せざる相を得たり」と。]
三十四には、如来の陰蔵は平らかなること満月のごとし。 金色の光ありて、なほ日輪のごとく、金剛の器のごとく、中外ともに浄し。 [『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「裸なるを見て衣服を施せしがゆゑに、陰蔵の相を得たり」と。 『大集』にのたまはく、「他の過を覆蔵せしがゆゑに」と。 『大論』(大智度論)にいはく、「多く慚愧を修し、および邪婬を断ぜしがゆゑに」と云々。 導禅師(善導)のいはく(観念法門)、「仏ののたまはく、〈もし欲色に貪ずること多きものは、すなはち如来の陰蔵の相を想へば、欲心すなはち息み、罪障除滅して、無量の功徳を得たり〉」と。]
三十五には、世尊の両足、二手の掌中、項および双べる肩の七処は充満せり。 [『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「施を行ぜし時に、所珍の物をよく捨てて吝せず、福田および非福田を観ざりしかば、七処満の相を得たり」と。]
三十六には、世尊の双腨は漸次に繊円なること、翳泥耶仙鹿王の腨のごとし。 膊の鉤璅の骨の、盤結せるあひだよりもろもろの金光を出す。 [『瑜伽』(瑜伽論・意)にいはく、「みづから正法において、実のごとく摂受し、広く他人のために説き、およびまさしく他のためによく給使をなして、翳泥耶の膊の相を得たり」と。]
三十七には、世尊の足跟は広く長く円満して、趺とあひ称ひて、もろもろの有情に勝れたり。
三十八には、足趺は修く高くして、なほ亀の背のごとし。 柔軟妙好にして、跟とあひ称へり。 [『瑜伽』(瑜伽論・意)にいはく、「足下平満と、千輻輪と、繊長指との三の相を感ずる業、総じてよく跟・趺の二の相を感得す。 これ前の三相の依止するところなるがゆゑに」と。]
三十九には、如来の身の前後左右および頂の上に、おのおの八万四千の毛ありて生ひたり。 柔潤・紺青にして、右に旋りて宛転せり。 あるいは次に広く観ずべし。 一々の毛端に百千万塵数の蓮華あり。 一々の蓮華に無量の化仏を生じ、一々の化仏はもろもろの偈頌を現じて、声々あひ次げること、なほ雨のHるがごとし。 [『無上依経』(意)にのたまはく、「もろもろの勝善の法を修して、中・下品なく、つねに増上せしめて、身毛上に靡き、右に旋りて宛転せる相を得たり」と。 『優婆塞戒経』にのたまはく、「智者に親近して、楽ひて聞き、楽ひて論じ、聞きをはりて楽ひて修し、楽ひて道路を治し、棘刺を除去せるがゆゑに」と。]
四十には、世尊の足の下に千輻輪の文あり。 網轂衆相、円満せざることなし。 [『瑜伽』(瑜伽論)にいはく、「その父母において種々に供養し、もろもろの有情のもろもろの苦悩の事において、種々に救護して、往来等の動転の業によるがゆゑに、この相を得たり」と云々。 千輻輪の相を見るは、千劫の極重悪業を却く。]
四十一には、世尊の足の下には平満の相あり。 妙善安住せること、なほ奩底のごとし。 地は高下なりといへども、足の蹈むところに随ひて、みなことごとく怛然として、等しく触れずといふことなし。 [『大経』(大般涅槃経・意)にのたまはく、「持戒して動ぜず、施心移らず、実語に安住せるがゆゑに、この相を得たり」と云々。 その足柔軟なり。 もろもろの指繊長なり。 [[^網]]具足し、内外に握る等の相、および業因は、前の手相に同じ。]
四十二には、広きを楽ふものは観ずべし。 足下および跟に、おのおの一の華を生じ、もろもろの光を囲繞して十匝を満足す。 華々あひ次いで、一々の華の上に五の化仏まします。 一々の化仏、五十五の菩薩をもつて侍者となして、一一の菩薩の頂に摩尼珠の光を生ず。 この相現ずる時に、仏のもろもろの毛孔より八万四千の微細の少光明を生じて、身光を厳飾して、きはめて可愛ならしむ。 この光一尋にして、その相衆多なり。 乃至、他方のもろもろの大菩薩、これを観ずる時に、この光随ひて大なり。 {以上}
このもろもろの相好の行相・利益・廃立等の事、諸文不同なり。 しかるにいま三十二の略相は、多く『大般若』による。 広相と随好とおよびもろもろの利益とは、『観仏経』による。 また相好の業に、その総別あり。 総因といふは、『瑜伽』(瑜伽論)の四十九にいはく、「始め、清浄勝意楽地より、一切所有の菩提の資糧は、差別することあることなくして、よく一切の相および随好を感ず」と。 {云々}別因といふは、かの『論』(同)に三種あり。
一には六十二の因。つぶさには『論』(瑜伽論)の文のごとし。
二には浄戒。もしもろもろの菩薩、浄戒を毀犯するは、なほ下賤の人身をすら得ることあたはず。 いかにいはんや、よく大丈夫の相を感ぜんや。
三には四種の善修。 一は善修事業、二は善巧方便、三は饒益有情、四は無倒回向なり。 {以上}別因のなかにまた多くの差別あり。 いまはしばらく因果のあひ順ぜるものを取る。 前後の次第は、諸文また不同なり。 いまはよろしきに随ひて、取りて次第となすなり。 相・好間雑してもつて観法をなすこと、またこれ『観仏経』の例なり。 順観の次第は、大途かくのごとし。
逆観は、これに反して、足より頂に至る。 『観仏三昧経』にのたまはく、「眼を閉ぢて見ることを得んには、心想の力をもつてせよ。 了々にして分明なること、仏の在世のごとくせよ。 この相を観ずといへども、衆多にすることを得ざれ。 一事より起してまた一事を想ひ、一事を想ひをはればまた一事を想へ。 逆順反覆すること、十六反を経よ。
かくのごとくして、心想きはめて明利ならしめ、しかして後に、心を住めて念を一処に繋けよ。 かくのごとくして、漸々に舌を挙げて齶に向かへ、舌をしてまさしく住せしめよ。 二七日を経て、しかして後に、身心安穏なることを得べし」と。 導和尚(善導)のいはく(観念法門・意)、「十六遍の後には、心を住めて白毫相を観ぜよ。 雑乱することを得ざれ」と。 
第一の別相観には、 また二つがある。 まず華座を観ずるのである。 «*観かん経ぎょう» に説かれている。
かの※阿弥陀あみだ仏ぶつを観察しようと思うものは、 よく想念を起こせ。 *七宝しっぽうの大地の上に蓮華があると想い、 その蓮華の一々の花びらに百宝の色彩いろどりがあると思え。 八万四千の脈すじがあって、 ちょうど巧みな画のようである。 その脈には、 それぞれ八万四千の光が輝いている。 それらをきわめて明らかにみな見るようにせよ。 蓮華の花びらは、 小さいものでも、 広さ二百五十由旬である。 かの蓮華はこういう八万四千の花びらからできている。 その一々の花びらの間は、 百億の*摩尼まに宝珠ほうしゅからは、 千の光明を放ち、 その光は蓋きぬがさのようで、 七宝でできており、 あまねく地上をおおっている。 その蓮華の台うてなは、 *釈しゃ迦か毘び楞りょう伽が宝ほうでできていて、 さらにそれが、 八万の金剛・*甄けん叔しゅく迦が宝ほう・*梵ぼん摩尼まに宝ほうや美しい真珠の網でいろいろに飾られている。 その台の上には、 自然に、 四本の宝の幢はたぼこがあり、 その一々の幢は、 百千万億の*須しゅ弥み山せんのように高くそびえ、 幢の上の縵幕は、 ちょうど*夜摩やま天てんの宮殿のようで、 五百億の微妙な宝珠で、 うるわしく飾られている。 その一々の宝珠には八万四千の光があり、 一々の光はまた八万四千の金色のあやをなしている。 一々の金色は、 ひろくその宝の大地をおおって、 至るところに変化して、 それぞれにさまざまの相すがたを現わす。 あるいは金剛の台となり、 あるいは真珠の網となり、 あるいは色とりどりの花の雲となるというように、 あらゆる世界に、 意こころのままに変現して仏のすぐれたはたらきをなしている。 これを華座観というのである。
このようなすぐれた花は、 もと*法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつの願力によって成就せられたものである。 もしかの阿弥陀仏を観念しようと思うならば、 まずこの華座の観法をなせ。 この観法をするときには、 雑然と観じてはならない。 みな一々に観じて、 一々の花びら、 一々の珠、 一々の光、 一々の台、 一々の幢をみなあきらかになるようにさせよ。 ちょうど鏡に自分の顔かたちを映しみるように観ぜよ。 このように観ずるのを正観と名づけ、 もしこれと違った観じ方をするなら、 邪観というのである。 以上。 この蓮華の座の相を観ずる者は、 五万劫という長い間の生死の罪が滅し除かれて、 かならず*極楽ごくらく世界に生まれることができる。
次に、 まさしく仏の相好おすがたを観ずるのである。 すなわち阿弥陀仏は、 蓮華の台うてなの上に坐し、 相好は炳然としてその身を荘厳したもう。
一つには、 頂の上に*肉髻にくけいがある。 それを見ることのできる者はない。 高く顕われて円いことは、 ちょうど天蓋のようである。 あるいは広く観じようとねがう者は、 次に、 このように観ずるがよい。 仏の頂の上には、 大きな光明があって、 千の色を具そなえていられる。 一々の色は八万四千の支えだとなり、 その一々の支の光の中には八万四千の化仏がまします。 化仏の頂の上にもまたこの光を放っている。 この光は、 あいついで連なり、 上方の無量の世界に至る。 上方の世界にも化菩薩があって、 雲のように下って諸仏を囲み遶めぐるのである。 «*大集だいじっ経きょう» に説かれてある。 「父母・師僧・和上などを敬って、 この肉髻相を得たのである」 下略。 もしこの相を見て随喜を生ずる者は、 非常に重い千億劫の悪業を除き去って、 *三さん途ずに堕ちないのである。
二つには、 頂の上の八万四千の髪の毛は、 みな上向きに靡なびき、 右旋まわりに生えている。 いつまでも抜け落ちることなく、 また乱れることもない。 紺青の色で密生し、 香り潔きよく細く軟らかである。 あるいは広く観じようと願う者は、 このように観ずるがよい。 一々の毛孔には、 五つの光が旋めぐり出ている。 もしこの髪の毛を延べる時は、 長くなって量りがたい。 釈尊の場合には、 髪の長さは尼[にく楼陀るだの寺から、 父王の宮殿に至り、 城を七廻りも取巻いたといわれている。 無量の光が、 あまねく照らして、 紺瑠璃の色となる。 この色の中に化仏がましまして、 一々数えきれぬほどである。 この相を現わしおわるとまた仏の頂に住とどまり、 右に旋って渦巻き、 螺文となる。 «大集経» に説かれている。 「悪事を人々に加えなかったから、 髪の色が金精の相であることができたのである。」
三つには、 その髪の生え際に、 五千の光があり、 まじわってあきらかである。 みな上向きに靡き、 諸の髪を囲み、 頂を五回りも遶る。 天の画師が作った画法のようである。 円く等しくて、 一糸のように細い。 その糸の間に多くの化仏があらわれ、 化菩薩を眷属とされている。 すべての色像かたちも、 またその中に現われている。 広く観じようとねがう者はこの観を用いるがよい。
四つには、 耳は厚く広く長くて、 耳たぶがよくととのっていられる。 あるいは広く観ずるがよい。 七つの毛が旋り生じ、 五つの光を流し出す。 その光には千の色があり、 その色ごとに千の化仏がおられる。 仏ごとに千の光を放って、 遍く十方の無量の世界を照らす。 このこまかい随好 (すがた) の業因を考えてみよ。 «観仏三昧経» に説かれている。 「この好 (こまかいすがた) を観ずる者は八十億劫の生死の罪を滅し、 後の世には、 いつも陀羅尼をたもつ人の眷属となる」 下略。 以下いろいろの利益は、 みな、 また «観仏三昧経» に依って註する。
五つには、 額は広く、 平らかで正しく、 形相かたちは殊に妙すぐれている。 この好 (すがた) の業因ならびに利益は考えてみるべきである。
六つには、 面輪おかおは円満で光沢つやがあり、 やわらぎがある。 端正で白く潔きよらかなこと、 さながら秋の月のようである。 二つの眉は皎あきらかで浄く、 天帝の弓に似ている。 その色は比べものがなく、 紺瑠璃の光がある。 来たり求める者を見て、 歓喜を生ずるから、 面輪が円満なのである。 この相を観ずる者は、 億劫の間の生死の罪を除き去り、 後にその身の生まれる所では、 まのあたり諸仏を見たてまつる。
七つには、 眉間の*白びゃく毫ごうは、 右にゆるやかにめぐっている。 柔らかなことは兜羅とら綿めんのようで、 鮮やかに白いことは白雪にもまさっている。 あるいは、 次に広く観ずるがよい。 この白毫を伸ばすと、 長く長大になって、 白瑠璃の筒のようであり、 白毫を放してしまうと、 右に旋って頗梨の珠のようになる。 一丈六尺の仏の白毫は、 長さが一丈五尺。 右旋りの直径が一寸、 周囲が三寸である。 あらゆる方向に量りない光を現わすことは万億の日のようで、 くわしく見ることはできぬ。 ただ、 光の中に諸の蓮華を現わす。 上は数限りもない世界を過ぎるまで、 花と花とが次々に連なって、 円くふくらかで、 大きさはみな一様である。 一々の花の上には、 一人の化仏が坐し、 相好はりっぱで、 眷属が囲み遶っている。 一々の化仏は、 また無量の光を出し、 その一々の光の中にも、 また無量の化仏がいられる。 この諸の仏がたは、 歩まれる方も無数、 住とどまられる方も無数、 坐っていられる方も無数、 臥してしられる方も無数である。 あるいは大慈大悲を説き、 あるいは*三さん十じゅう七品しちほんを説き、 あるいは*六ろっ波羅ぱら蜜みつを説き、 あるいは諸の*不共ふぐ法ほうを説かれている。 もし広く説くならば、 すべての衆生から、 十地の菩薩に至るまでも、 またこれを知ることはできぬであろう。 «大集経» に説かれている。 「他人の徳を隠さずに、 その徳を褒めたたえたので、 この相を得たのである。」 «観仏三昧経» に説かれている。 「量りない昔から、 昼夜に努め励んで、 身も心も怠ることなく、 頭に火がついたのを打ち消すようにして、 六度・三十七品・十力・無畏・大慈大悲など諸のすぐれた功徳を勤修して、 この白毫の相を得たのである。 この相を観ずる者は、 九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除き去る。」
八つには、 如来の眼睫まつげは、 ちょうど牛王のようである。 色は紺青でよく整って、 雑まじわり乱れない。 あるいは、 次に広く観ずべきである。 すなわち、 上下にそれぞれ生えて、 五百の毛がある。 優曇華の鬚ひげのようで、 柔らかで好もしい。 一々の毛の端には、 一つの光を出し、 頗梨の色のようで、 頭を一回りして、 純もっぱら微妙の諸の青蓮華を生ずる。 一々の花の台には、 *梵天ぼんてん王のうがあって、 青色の天蓋を執とっている。 «大集経» に説かれている。 「至心に無上菩提を求めたから、 牛王の睫の相を得たのである。」 «涅槃経» に説かれている。 「怨憎あだを見て、 善い心を生じたからである。」
九つには、 仏の眼は青と白とで、 上下ともまたたく。 白いところは白宝より越え、 青いところは青蓮華よりも勝れている。 あるいは、 次に広く観ずべきである。 その眼より光明を出し、 分かれて四つの支えだとなり、 遍く十方の無量の世界を照らす。 青い光の中には、 青い色の化仏がましまし、 白い色の光の中には、 白い色の化仏がましまして、 この青と白との化仏は、 また諸の神通を現わすのである。 «大集経» に説かれている。 「慈悲の心を多く集め、 衆生をいつくしみ視みて、 紺色の目の相を得たのである」 下略。 わずかの時間でも、 この相を観ずる者は、 未来に生まれる所で、 いつも眼は明らかで浄く、 眼の病はなく、 七劫の生死の罪を除き去るのである。
十には、 鼻は、 ながく高く真直まっすぐで、 その孔は外に現われていない。 黄金でこしらえた小矛のようであり、 鸚鵡の嘴くちばしのようである。 表も内側も清浄で、 諸のけがれたかげもない。 二すじの光明を出して、 遍く十方を照らし、 いろいろ量りない仏事をあらわして、 はたらく。 この随好 (こまかいすがた) を観ずる者は、 千劫の罪を滅し、 未来に生まれる所では勝れた香をかぎ、 いつも、 戒の香をその身の瓔珞かざりとする。
十一には、 唇の色は赤く好もしいこと、 *頻びん婆ばの果みのようであり、 上下の釣合いのよいことは、 秤はかりのようで、 整って麗しい。 あるいは、 次に広く観ずべきである。 団円まんまるの光明は、 仏の口から出て、 ちょうど百千の赤真珠がつらなっているようで、 鼻と白毫と髪との間を出たり入ったりする。 このようにめぐって、 円光の中に入るのである。 この唇の随好の業因などは考えてみるべきである。
十二には、 四十本の歯は斉ととのい、 浄く密で根深く、 その色の白さは白雪にも勝っている。 いつも光明があり、 その光は紅白で、 人の目に映り輝く。 «涅槃経» に説かれている。 「二枚舌を使わず、 粗悪な言葉をいわず、 怒りの心から遠ざかったので、 四十本の歯が、 白く浄く斉い、 密な相を得たのである」 下略。
十三には、 四本の牙歯は鮮やかで白く、 光の潔きよくてするどいことは、 月が初めて差し上った時のようである。 «大集経» に説かれている。 「身と口と意とが浄いから、 四本の牙歯の白い相を得たのである」 下略。 この唇と口と歯との相を観ずる者は、 二千劫の罪を破する。
十四には、 仏の舌の相すがたは、 薄く、 浄く、 広長で、 よく面輪かおを覆い、 耳の際から梵天までに至る。 その色は赤銅のようである。 あるいは、 次に広く観ずるがよい。 舌の上には五つの画もようがあって、 ちょうど印文のようである。 ほほえむ時、 舌を動かされると、 五色の光が出て、 仏を七回りして、 また頂から入る。 あらゆる神変は量りなく辺ほとりがない。 «大集経» に説かれている。 「口の四つの過失 (両舌・悪口・妄語・綺語) を犯さなかったので、 広長な舌の相を得たのである」 下略。 この舌の相を観ずる者は、 百億八万四千劫の罪を除き、 後の世で、 八十億の仏に値あいたてまつる。
十五には、 舌の下の両辺には、 二つの宝珠があり、 甘露を注ぎ流して、 舌の上に滴らす。 諸の天人、 世の人、 十地の菩薩には、 このような舌がなく、 また、 このような味わいもないのである。 «大般若経» には、 これと異なった節があるから、 考えてみるがよい。 «涅槃経» に説かれている。 「飲食を施したから、 上味の相を得たのである。」
十六には、 如来の咽喉のどは瑠璃の筒のようで、 状かたちは蓮華をかさねたようである。 出したもう音声は詞ことばの韻ひびきが調和して雅やかで、 等しく聞こえないところはない。 その声が洪おおきく響くことは、 ちょうど天の鼓のようで、 発せられる言葉のうるわしいことは*迦か陵りょう頻びん伽がの音こえのようである。 ひとりでによく大千世界に行きわたる。 もし、 出そうと思し召すならば、 その声は無量無辺である。 けれども衆生を利益するために、 類に随って増減せられないのである。 «涅槃経» にいう。 「他人の短所を咎めず、 仏法を謗らなかったので、 梵音声の相を得たのである。」 «大集経» に説かれている。 「諸の人々に対して、 いつもやさしく語ったからである」 下略。
十七には、 頚から円光を出す。 咽喉の上に、 はっきりとした点の相があり、 一々の点の中から、 一々の光を出す。 その一々の光は、 前の円光を遶めぐって七回りし、 すべての点画は、 はっきりとしている。 一々の点画の間に、 勝れた蓮華があり、 花の上には七仏がいられる。 一々の化仏は、 それぞれ七菩薩を侍者とされている。 一々の菩薩は如意珠を持ち、 その珠には金の光がある。 青・黄・赤・白および摩尼たまの色は、 皆悉くととのって、 もろもろの光を囲み遶っている。 上下左右は、 それぞれ一尋で、 仏の頚を遶り、 あきらかなことは画のようである。 «無上依経» に説かれている。 「衣服・飲食・乗物・寝具やいろいろの装飾品を喜んで人に施し与えたので、 身は金色で、 円光が一丈である相を得たのである。」
十八には、 頚より二つの光を出す。 その光に万の色があり、 あまねく十方一切の世界を照らす。 この光に遇う者は、 縁覚 (辟支仏) となる。 この光はもろもろの縁覚の頚を照らす。 この相が現われる時、 行者はあまねく十方一切の諸の縁覚が、 鉢を大空に投げて身を十八種に変化し、 一々の足の下にみな文字があって、 その字が*十じゅう二に因縁いんねんを説き宣べるのを見るのである。
十九には、 欠瓫骨満かたのくぼみがみつるの相がある。 その光は十方を照らし、 琥珀色をしている。 この光に遇う者は、 声聞の意こころを起こす。 この声聞たちが、 この光明を見ると、 その光は分かれて十の支えだとなり、 その一支ごとに千の色、 万の光明がある。 光ごとに化仏がまします。 一々の化仏は四人の比丘を侍者とされている。 その一々の比丘は、 みな*苦く・*空くう・*無む常じょう・*無我むがを説く。 以上の三種の相は、 広く観じようとねがう者が、 これを用いるべきである。
二十には、 世尊の肩項うなじは、 円満ですぐれている。 «法華文句» にいう。 「たえず布施の行を増長させたので、 この相を得たのである。」
二十一には、 如来の腋の下は、 悉くみな充ちみちており、 赤紫の光を放ち、 いろいろの仏のはたらきをして、 衆生を利益する。 «無上依経» に説かれている。 「衆生の中で、 利益の事を行ない、 四正勤を修めて、 心に畏れることがなかったので、 両肩が平整で両腋の下が満ちている相を得たのである。」
二十二には、 仏の両臂は、 ながくまっすぐで、 円まろやかなことは象王の鼻のごとく、 正しく立たれる時には、 膝を摩なでる。 あるいは、 次に広く観ずるがよい。 手掌てのひらには千輻の理すじがあり、 それぞれ百千の光を放って、 あまねく十方を照らし、 変じて金の水と成る。 金の水の中には、 一の妙なる水があって、 水精の色のようである。 *餓鬼がきが、 これを見ると熱を取り除き、 *畜ちく生しょうは宿命しゅくみょうを知り、 狂える象が見ると獅子王となり、 獅子は*金こん翅じ鳥ちょうと見、 諸の龍もまた金翅鳥王と見る。 この諸の畜生は、 それぞれ自分の尊ぶものと見て、 心に恐れを生じ、 合掌して敬う。 敬うから命が終ると天に生まれる。 «大集経» に説かれている。 「怖れているものを敬ったので、 臂の円い相を得、 他人のする事を見て助けたから、 手が膝を摩でる相を得たのである。」
二十三には、 諸の指は円く、 ふっくらとして繊しなやかで長く、 非常に好ましい。 一々の端に、 それぞれ卍まんじを生じている。 その爪は光沢つやがあって、 潔きよく、 美しい赤銅のようである。 «瑜伽論» にいう。 「尊長たちを恭敬し、 礼拝し、 合掌し、 起立したから、 繊やかで長い指の相を得たのである。」
二十四には、 一々の指の間には、 ちょうど雁王のように、 ことごとく^網まくがある。 金色がからみあって、 その文あやは綺画あやぎぬのえと同じく、 *閻えん浮ぶ檀金だんごんに勝れていること、 百千万億倍である。 その色は明らかであって、 眼の及ぶ範囲を越えている。 指を伸ばすと見えるけれども、 屈かがめるときは見えぬ。 «涅槃経» に説かれている。 「四摂法を修して、 衆生を摂め取ったので、 この相を得たのである。」
二十五には、 その手の柔らかなことは、 *兜羅とら綿めんのようで、 すべてのものに勝れ、 内側でも外側でも、 ともに握ることができる。 «涅槃経» にいう。 「父母・師匠・長上の人が病気で苦しんでいる時、 すすんで手を洗い拭い、 身体を択り持ち、 摩でさすってあげたから、 手の柔らかな相を得たのである。」
二十六には、 世尊の頜おとがい・臆むねならびに上半身の広大な威厳のある容さまは、 獅子王のようである。 «瑜伽論» にいう。 「もろもろの人々に対して、 法に契った所作をして、 よく上首となり、 助伴ともとなって、 我慢を離れ、 いろいろのあらあらしい行ないがなかったので、 この相を得たのである。」
二十七には、 胸に卍がある。 実相印と名づけ、 大きな光明を放つ。 あるいは、 次に広く観ずるがよい。 光の中には、 量りない百千の多くの花があり、 一々の花の上には量りない化仏がいられる。 この化仏たちに、 それぞれ千の光があって、 衆生を利益し、 そうしてあまねく十方の仏の頂に入る。 時に諸仏の胸からは、 百千の光を出し、 一々の光は六波羅蜜を説く。 一々の化仏は、 *弥mi勒ろく菩ぼ薩さつのような姿の端正で微妙な一人の化人を遣わされ、 行者を慰問せられるのである。 この相の光を見る者は、 十二億劫の生死の罪を除く。
二十八には、 如来の心臓の相すがたは、 赤い蓮華のようである。 妙なる紫金の光が交錯して、 瑠璃の筒のように、 仏のみ胸に懸っている。 合しもせず、 開きもせず、 心臓のように円い。 万億の化仏は、 この仏の心臓の間で遊んでいられる。 また、 数限りもない化仏は、 仏の心臓の中にあって、 金剛の台に坐り、 無量の光を放たれる。 一々の光の中には、 また数限りもない化仏がましまして、 広長の舌を出し、 万億の光を放って、 いろいろの仏のはたらきをされる。 仏の心臓を念ずる者は、 十二億劫の生死の罪を除き、 生を受けるごとに、 無量の菩薩に値うことができる。 下略。 広く観じたいとねがう者は、 この観をなすがよい。
二十九には、 世尊のおん身の皮膚は、 みな真金の色である。 その光は潔きよく、 輝くことは妙なる金の台のようである。 多くの宝で飾られ、 多くの人が見たいと楽ねがうところである。 «涅槃経» に説かれている。 「衣服や寝具を布施したので、 この相を得たのである。」
三十には、 身の光は、 自然に、 三千大千世界を照らす。 もし照らそうと思われる時には無量無辺である。 しかし、 もろもろの人々を憐れむために、 光を摂めて、 平常は十方それぞれ一尋を照らされる。 «涅槃経» に説かれている。 「香・花・灯明などを人に施したので、 この相を得たのである」 下略。 大光明を観ずる者は、 ただ見ようと発心するだけで、 多くの罪を除き去る。
三十一には、 世尊の身の相すがたは、 長く広くて厳かである。 «*大智度論» にいう。 「尊い目上の人を敬い、 送り迎え、 侍り付き添うたので、 身体がまっすぐで広い相を得たのである。
三十二には、 世尊の体の相すがたは、 縦と横とが等しくて、 その周まわりが円満していることは、 *尼拘にく類樹るいじゅのようである。 «大集経» に説かれている。 「いつも人々を勧め、 三昧を修めたので、 この相を得たのである。」 «報恩経» にいう。 「もし、 身体の調子が悪い人があれば、 そのためによく療治してやったので、 身の円い相を得たのである。」
三十三は、 世尊の容儀すがたは、 おおらかで、 まっすぐである。 «瑜伽論» にいう。 「病気をしている者に対して、 身をかがめて看護し、 良薬を施し与えたので、 身が僂かがまない相を得たのである。
三十四には、 如来の陰蔵かくしどころは、 満月のように平たいらである。 金色の光があって、 ちょうど日輪のようである。 金剛の器のように内外ともに浄らかである。 «涅槃経» に説かれている。 「裸のものを見て衣服を施したから、 この陰蔵相を得たのである。」 «大集経» に説かれている。 「他人の過失を覆い隠したからである。」 «大智度論» にいう。 「また慚愧を修め、 および邪淫を断ったからである。」 善導大師がいう。 「仏が仰せられる。 ¬もし、 色欲を貪ることの多いものは、 仏の陰蔵相を思うと、 欲心はすぐに止み、 罪障が除かれて無量の功徳を得る。¼」
三十五には、 世尊の両足、 両手の掌、 項うなじ、 および両肩の七処は、 充ちみちている。 «涅槃経» に説かれている。 「布施を行なう時、 珍重している物もよく捨てて惜しまず、 功徳になるとかならぬとかは問題にしなかったために、 七処が満ちている相を得たのである。」
三十六には、 世尊の両腨はぎは、 次第に繊しなやかで円いこと、 ちょうど*翳泥えいない耶や仙鹿せんろく王おうの腨はぎのようである。 膊はぎの鉤璅くさりの骨は、 つながっている間からもろもろの金の光を出す。 «瑜伽論» にいう。 「自分から正法を正しく受けて、 ひろく他の人のために説き、 および正しく他の人のために、 よく仕えたので、 翳泥耶仙鹿王のような膊の相を得たのである。」
三十七には、 世尊の足の跟くびすは、 広く長く円満し、 趺あなひらとよくつり合って、 諸の人々に勝れている。
三十八には、 世尊の足の趺あなひらは、 長く高くて、 ちょうど亀の背のようであり、 柔らかですぐれ、 跟くびすとよくつり合っている。 «瑜伽論» にいう。 「足の下の平満と千輻輪と繊長指との三相を観ずる業は、 総じてよく跟と趺との二相を感得する。 これは、 前の三相の依り所となっているからである。」
三十九には、 如来の身には、 前後左右、 および頂の上には、 それぞれ八万四千の毛が生え、 柔らかでつややかで紺青の色であり、 右に旋めぐって渦巻いている。 あるいは、 次に広く観ずるがよい。 一々の毛の端には百千万という数限りない蓮華がある。 一々の蓮華は無量の化仏を生じ、 その一々の化仏はいろいろの偈頌うたを説いて、 その声が次々に続くことは、 ちょうど雨の滴したたりのようである。 «無上依経» に説かれている。 「もろもろの勝れた善法を修するのに、 中や下のものを求めず、 いつも最上の行方を増進させていったので、 身の毛が上に靡き、 右に旋って渦巻く相を得たのである。」 «優婆塞戒経» に説かれている。 「智者に親しみ近づいて聞くことをこのみ、 論ずることをこのみ、 聞きおわって修行することを好み、 道路を良くし、 棘・刺などを除き去ることを好んだからである。」
四十には、 世尊の足の下うらには、 *千輻せんぷく輪りんの印文もようがある。 その網轂くるまのわのいろいろな相は、 円満しないものはない。 «瑜伽論» にいう。 「その人の父母をいろいろに供養し、 多くの人たちのさまざまの苦しみ、 悩むことに対して、 いろいろに救護し、 そのために往き来するなどの動作の業に由るから、 この相を得たのである。」 下略。 千輻輪の相を見ると、 千劫の極めて思い悪業を除き去る。
四十一には、 世尊の足の下うらには、 平満の相がある。 すぐれてよく安定していることは、 ちょうど箱の底のようである。 大地には高低があっても、 み足の踏まれるにつれて、 みな悉く平らかで、 等しく触れぬということはない。 «涅槃経» に説かれている。 「戒律を守って動かず、 布施の心が移らず、 実語に安定していたので、 この相を得たのである。」 下略。 その足が柔らかで、 すべての指が繊やかで長く、 ^網が具わって、 内側でも外側でも握られるなどの相、 およびその業因は、 前の手の相に同じである。
四十二には、 広く観ずることを願う者は、 次のように観ずるがよい。 足の下うらおよび跟くびすには、 それぞれ一つの花を生じ、 もろもろの光でとりまいて十匝めぐりしている。 花と花とは次々につながり、 一々の花の上には五人の化仏がましまし、 一々の化仏は、 五十五人の菩薩を侍者とされている。 一々の菩薩の頂には、 摩尼珠の光を生ずる。 この相が現われる時、 仏のもろもろの毛孔から、 八万四千の繊細な小さな光明を生じ、 身の光を飾って好もしいものにする。 この光は一尋であるけれども、 その相はいろいろ多い。 さては、 他方仏国の大菩薩たちが、 これを観ずる時は、 この光はそれにつれて大きくなるのである。 以上
このもろもろの相好すがたの行相ありさま・利益・廃立などの事は、 諸文が同じではない。 ところで今、 三十二の略した相は多く «大般若経» に依り、 広い相すがたと随好こまやかなすがたともろもろの利益とは、 «観仏三昧経» に依ったのである。
また相好の業因には、 総と別とがある。 その総の業因というのは «瑜伽論» の第四十九巻にいわれている。
菩薩の初めの位である*清浄しょうじょう勝しょう意い楽ぎょう地じから修めたあらゆる菩提の資糧もとでは、 差別有ることなく、 よく、 すべての相と随好を感得するのである。 下略
別の業因というのは、 かの論に三種がある。 一つには六十二の因である。 詳しくは、 «瑜伽論» の文のとおりである。 二つには浄戒である。 もし菩薩たちが浄戒を犯すと、 賎しい人身でさえも得ることができない。 まして大丈夫すぐれたひとの相を感得することができようか。 三つには四種の善修である。 それは、 第一には善く行業を修し、 第二には善巧方便をし、 第三には人々を利益し、 第四には法性にかなった回向である。 以上 別の業因の中にも、 また多くの差別があるけれども、 今は、 しばらく因果があい順応するものを取ったのである。
相好の前後の次第は、 諸文また不同であるけれども、 今はその宜しいものに依って、 これを取って順序を立てたのである。 相と好とをまじえて観法とすることも、 また、 «観仏三昧経» の例である。 順観の順序は、 おおむねこのようである。 逆観は、 これに反して、 足から頂に至るのである。
«観仏三昧経» に説かれている。
眼を閉じて見ることができるには、 心想の力でせよ。 はっきりとして、 仏の在世のようにすべきである。 この相を観ずるといっても、 数多くしてはいけない。 一事から始めて、 また一事を想え。 一事を想い終ると、 また一事を想え。 順観・逆観を十六辺、 反復せよ。 このようにして、 心想を極めてはっきりとさせ、 そうして後に心を住とどめて、 念おもいを一所に繋かけよ。 このようにして次第に舌を挙げて、 腭はぐきに向え、 舌を正しく住まらせること二週間を経過せよ。 そののちに身も心も安らかなることを得るであろう。
善導和尚がいわれている。
十六遍の後、 心を住めて、 白毫の相を観察せよ。 雑乱してはならない。 
■総相観
【44】 
二に総相観とは、先づ〔前のごとく〕衆宝荘厳の広大の蓮華を観じ、次に阿弥陀仏の、華台の上に坐したまへるを観ぜよ。 身の色は、百千万億の閻浮檀金のごとし。 身の高さは、六十万億那由他恒河沙由旬なり。 眉間の白毫は、右に旋りて婉転せること五須弥山のごとし。 眼は四大海水のごとくして、清白分明なり。 身のもろもろの毛孔より光明を演出すること、須弥山のごとし。 円光は、百億の大千界のごとし。
光のなかに無量恒河沙の化仏ましまし、一々の化仏は、無数の菩薩をもつて侍者となせり。 かくのごとくして八万四千の相あり。 一々の相におのおの八万四千の随好あり。 一々の好にまた八万四千の光明あり。 一々の光明あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。 まさに知るべし。
一々の相のなかに、おのおの七百五倶胝六百万の光明を具して、熾然赫奕として神徳巍々たること、金山王の大海のなかにあるがごとし。 無量の化仏・菩薩、光のなかに充満して、おのおの神通を現じて、弥陀仏を囲繞したてまつれり。 かの仏、かくのごとく無量の功徳・相好を具足して、菩薩衆会のなかにましまして、正法を演説したまふ。
行者、この時にすべて余の色相なく、須弥・鉄囲、大小のもろもろの山もことごとく現ぜず、大海・江河・土地・樹林もことごとく現ぜず。 目に溢てるものは、ただこれ弥陀仏の相好、世界に周遍せるものは、またこれ閻浮檀金の光明なり。 たとへば、劫水の、世界に弥満せるに、そのなかの万物は沈没して現ぜず、滉瀁浩汗として、ただ大きなる水のみを見るがごとし。
かの仏の光明もまたかくのごとし。 高く一切世界の上に出でて、相好・光明、照曜せずといふことなし。 行者は心眼をもつておのが身を見るに、またかの光明の所照のなかにあり。 [以上、『観経』・『双巻経』(大経)・『般舟経』・『大論』(大智度論)等の意による。 この観、成じて後に楽に随ひて次の観をなせ。]
あるいは観ずべし。 かの仏はこれ三身一体の身なり。 かの一身において、見るところ不同なり。 あるいは丈六、あるいは八尺、あるいは広大の身なり。 所現の身はみな金色にして、利益したまふところはおのおの無量なり。 一切の諸仏と、その事同一なり。 [応化身なり。]また一々の相好は、凡聖その辺を得ず、梵天もその頂を見ず、目連もその声を窮めず、無形第一の体なり。 荘厳にあらずして荘厳せり。
十力・四無畏・三念住・大悲、八万四千の三昧門、八万四千の波羅蜜門、恒沙塵数の法門、究竟円満したまふ。 一切の諸仏と、その意同一なり。
[報身。]微妙の浄法身に、もろもろの相好を具足せり。 一々の相好は、すなはちこれ実相なり。 実相は、法界具足して減ずることなし。 生ぜず滅せず、去・来なし。一にあらず異にあらず、断・常にあらず。 有為・無為のもろもろの功徳は、この法身によりてつねに清浄なり。 一切の諸仏と、その体同一なり。
[法身。]このゆゑに三世十方の諸仏の三身、普門塵数の無量の法門、仏衆法海の円融の万徳、おほよそ無尽の法界は、つぶさに弥陀の一身にあり。 縦ならず横ならず、また一・異にあらず。 実にもあらず虚にもあらず、また有・無にもあらず。 本性清浄にして、心言の路絶えたり。 たとへば、如意珠のなかに、宝あるにもあらず、宝なきにもあらざるがごとし。 仏身の万徳もまたかくのごとし。 また陰入界に即して、名づけて如来となすにあらず。
かのもろもろの衆生は、みなことごとくこれあるがゆゑに、陰入界を離れて、名づけて如来となすにもあらず。 これを離れては、すなはちこれ無因縁の法なるがゆゑに、即にもあらず、また離にもあらず。 寂静にしてただ名のみあり。 このゆゑにまさに知るべし。 所観の衆相は、すなはちこれ三身即一の相好・光明なり、諸仏同体の相好・光明なり、万徳円融の相好・光明なり。
色すなはちこれ空なるがゆゑに、これを真如実相といふ。 空すなはちこれ色なるがゆゑに、これを相好・光明といふ。 一色・一香、中道にあらずといふことなし。 受・想・行・識もまたかくのごとし。 わが所有の三道と弥陀仏の万徳と、本来空寂にして一体無礙なり。 願はくはわれ仏を得て、聖法の王と斉しからん。 [以上、『観経』・『心地観経』・『金光明経』・『念仏三昧経』・『般若経』・『止観』等の意による。]  
第二に総相観とは、 まず前に述べたように、 多くの宝で飾られた広大の蓮華を観じ、 次に阿弥陀仏が華の台の上に坐したもうことを観ぜよ。 仏身の色は百千万億の閻浮檀金のようで、 おん身の高さは六十万億*那由なゆ他た*恒ごう河が沙しゃ*由ゆ旬じゅんである。 眉間の白毫は右みぎ旋まわりして渦巻き、 五つの須弥山のようである。 眼は四大海水のようで、 澄みきって瞳がはっきりしている。 仏身のもろもろの毛孔より放たれる光明は、 須弥山のようで、 円光は百億の大千世界のようである。 光の中には、 恒河の砂の数のほどの無量の化仏がましまし、 一々の化仏は無数の菩薩を侍者とされている。
このように、 八万四千の相があり、 一々の相には、 それぞれ八万四千の随好がある。 一々の好にはまた八万四千の光明があって、 一々の光明は、 あまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を摂め取って捨てたまわないのである。 これで知られるであろう。 一々の相の中には、 それぞれ七百五*倶く胝てい六百万の光明を具え、 そのあかあかとさかんに輝いて威徳の気高いことは、 金山王が大海の中にあるようなものである。 無量の化仏菩薩は、 光の中に充ちみちて、 それぞれ神通を現わし、 阿弥陀仏をとりまいている。 かの仏はこのように無量の功徳相好を具足して、 菩薩たちの集まりの中におられ、 正しいみ法を説きのべられる。 行者にはこの時、 すべて他の色相すがたは消え失せ、 須弥山とか*鉄てっ囲ち山せんとかの大小の諸の山は悉く現われず、 大海・江河・大地・樹林も悉く現われないで、 眼に入り満ちるものはただ阿弥陀仏の相好だけであり、 世界に周遍するのもまた閻浮檀金の光明だけである。 譬えば劫末の洪水が世界に充ちみちる時、 その中のよろずの物は沈没して現われず、 広々として、 ただ大水だけを見るように、 かの仏の光明もまたこのようである。 あらゆる世界の上に高く出て、 相好から放つ光明が照らし曜かがやかさないものはないのである。 行者は、 心眼で自分の身を見ると、 自分もまたかの光明に照らされる中にいるのである。 以上は «観経» «無量寿経» «般舟経» «大智度論» などの意に依る。 この観法が成就した後、 望みにまかせて、 次の観をなすわけである。
あるいは、 次のように観ずるがよい。 かの阿弥陀仏は法・報・応の三身を一体に具えている仏身である。
かの阿弥陀仏一身については、 観察する者の見方に不同がある。 すなわち、 あるいは一丈六尺、 あるいは八尺、 あるいは広大の身である。 現わしたもう仏身はみな金色であって、 利益したもうことはそれぞれ無量である。 すべての諸仏と、 その事はたらきは同一である。 応化身である。
また、 一々の相好は、 凡夫も聖者もその極まりを知らず、 梵天でさえも仏の頂を見ず、 目連でもその声の果てを聞かず、 形なき第一の体であり、 荘厳を超えた荘厳である。 *十じゅう力りき・*四し無む所しょ畏い・*三念さんねん住じゅう・大悲、 八万四千の三昧門、 八万四千の波羅蜜門、 恒河の沙ほどの数多い法門が究まり円満している。 あらゆる諸仏と、 その意は同一である。 報身である。
妙に浄らかな法身には、 もろもろの相好を具足している。 一々の相好は、 すなわち実相である。 実相の法界は、 すべてを具えていて減ずることはない。 生ぜず滅せず、 去ることも来ることもない。 同一でもなく相違でもない。 断ずるものでもなく常なるものでもない。 有為・無為のもろもろの功徳は、 この法身に依って、 常に清浄である。 すべての諸仏とその体は同一である。 法身である。
こういうわけで、 三世十方の諸仏の三身、 ありとあらゆる無量の法門、 僧衆の法界円融の万徳、 およそ無尽の法界は、 阿弥陀仏の一身に備わっているのである。 縦でもなく、 横でもなく、 また一でもなく異でもない。 実でもなく虚でもなく、 また有でも無でもない。 その本性は清浄で、 心に思い言葉にあらわすこともできない。 譬えば、 如意珠の中には、 宝があるのでもなく、 宝がないのでもないようなものである。 仏身に具わる万徳もまたこのようである。
また*陰おん入にゅう界かいを、 そのまま名づけて如来とするのではない。 かのもろもろの衆生には、 みな悉く陰入界があるからである。 陰入界を離れて名づけて如来とするのでもない。 これを離れると、 因縁のない法ものとなってしまうからである。 即でもなく、 また離でもない。 寂静で、 ただ名があるだけである。 こういうわけであるから、 次のように心得るがよい。 観察するところの多くの相はすなわち三身即一の相好光明であり、 諸仏と同体の相好光明であり、 万徳が円まどかに具わった相好光明である。 色すなわち形あるものは、 そのまま空であるから、 これを*真如しんにょ実相じっそうといい、 空はそのまま形あるものとなっているから、 これを相好光明という。 一色も一香も、 中道の真理でないものはなく、 受・想・行・識もまたこのとおりである。 われらの三悪道と、 阿弥陀仏の万徳とは、 本来空寂で一体無礙である。 願わくは、 わたくしは仏となって、 聖法王に斉ひとしくありたいものである。 以上は «観経» «心地観経» «金光明経» «念仏三昧経» «般若経» «止観» などの意に依った。 
■雑略観
【45】 
三に雑略観とは、かの仏の眉間に一の白毫あり。 右に旋りて宛転せること、五須弥のごとし。 なかにおいて、また八万四千の好あり。 一々の好に八万四千の光あり。 その光微妙にして、衆宝の色を具せり。 総じてこれをいへば、七百五倶胝六百万の光明なり。 十方の面に赫奕たること、億千の日月のごとし。
その光のなかに一切の仏身を現じ、無数の菩薩、衆会して囲繞せり。 また微妙の音を出して、もろもろの法海を宣暢す。
またかの一々の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。
われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ。
あるいは自心を起して極楽国に生じて、蓮華のなかに結跏趺坐し、蓮華の合する想をなすべし。
尋いで、蓮華開くる時に、尊顔を瞻仰したてまつり、白毫の相を観ず。 時に五百色の光ありて、来りてわが身を照らすに、すなはち無量の化仏・菩薩の、虚空のなかに満てるを見たてまつる。 水・鳥・樹林および諸仏の出したまふところの音声は、みな妙法を演ぶと。 かくのごとく思想して、心をして欣悦せしめよ。 願はくは、もろもろの衆生とともに安楽国に往生せん。 [以上、『観経』・『華厳経』等の意による。 つぶさには別巻にあり。]もし極略を楽ふものは、念ふべし。 かの仏の眉間の白毫の相は、旋転せること、なほ頗梨珠のごとし。 光明あまねく照らしてわれらを摂めたまふ。 願はくは、衆生とともにかの国に生れんと。
もし相好を観念するに堪へざることあらば、あるいは帰命の想により、あるいは引摂の想により、あるいは往生の想によりて、一心に称念すべし。 [以上、意楽不同なり。ゆゑに種々の観を明かす。]
行住坐臥、語黙作々に、つねにこの念をもつて胸のなかに在くこと、飢して食を念ふがごとくし、渇して水を追ふがごとくせよ。 あるいは頭を低れ手を挙げ、あるいは声を挙げて名を称せよ。 外儀は異なりといへども、心念はつねに存ぜよ。 念々に相続して、寤寐に忘るることなかれ。
問ふ。 かの仏の真身は、これ凡夫の心力の及ぶところにあらず。 ただ像を観ずべし。 なんぞ大身を観ぜん。
答ふ。 『観経』にのたまはく、「無量寿仏は身量無辺にして、これ凡夫の心力の及ぶところにあらず。 しかもかの如来の宿願力のゆゑに、憶想することあるものは、かならず成就することを得。 ただ仏像を想ふすら、無量の福を得。 いはんやまた仏の具足せる身相を観ぜんをや」と。 {以上}あきらかに知りぬ、初心もまた楽欲に随ひて真身を観ずることを得るなり。
問ふ。 いふところの弥陀の一身は、すなはち一切仏の身なりとは、なんの証拠かある。
答ふ。 天台大師(智)のいはく(十疑論)、「阿弥陀仏を念ずるは、すなはち一切の仏を念ずるなり。 ゆゑに『華厳経』にのたまはく、
〈一切の諸仏の身は、すなはちこれ一仏の身なり。一心なり、一智慧なり。
力・無畏もまたしかなり〉」と。 {以上}また『観仏三昧経』にのたまはく、「もし一仏を思惟すれば、すなはち一切の仏を見たてまつる」と。 {云々}
問ふ。 もし諸仏の体性の無二なるがごとく、念者の功徳もまた別なきや。 答ふ。 等しくして差別なし。 ゆゑに『文殊般若経』の下巻にのたまはく、「一仏を念ずるは、功徳無量無辺なり。 また無量の諸仏の功徳と無二なり。 不思議の仏法は等しくして分別なし。 みな一如に乗じて最正覚を成じ、ことごとく無量の功徳、無量の弁才を具したまへり。 かくのごとくして一行三昧に入るものは、ことごとく恒沙の諸仏の法界の、無差別の相を知る」と。 {以上}
問ふ。 諸相の功徳は、肉髻と梵音と、これを最勝なりとなす。 いま多く白毫を勧むること、なんの証拠かある。
答ふ。 その証はなはだ多し。 略して一両を出さん。 『観経』にのたまはく、「無量寿仏を観ずるものは、一の相好より入れ。 ただ眉間の白毫を観じて、きはめて明了ならしめよ。 眉間の白毫を見るものは、八万四千の相好、自然にまさに見つべし」と。 また『観仏経』にのたまはく、「如来に無量の相好まします。 一々の相のなかに、八万四千のもろもろの小相好あり。 かくのごとき相好は、白毫の少分の功徳に及ばず。 このゆゑに今日、来世のもろもろの悪の衆生のために、白毫相の大慧光明の、消悪の観法を説く。 もし邪見の極重の悪人ありて、この観法は相貌を具足すと聞きて、瞋恨の心をなさば、この処あることなからん。 たとひ瞋りをなすとも、白毫相の光、また覆護せん。 しばらくこの語を聞かば、三劫の罪を除き、後身の生処は、諸仏の前に生ぜん。 かくのごとく、種々の百千億種のもろもろの、光明を観る微妙の境界は、ことごとく説くべからず。 白毫を念ふ時、自然にまさに生ずべし」と。
またのたまはく(観仏経)、「粗心にして像を観ずるに、なほかくのごとき無量の功徳を得。 いはんやまた念を繋けて、仏の眉間の白毫相の光を観ぜんをや」と。 またのたまはく(同)、「釈迦文仏、行者の前に現じて、告げてのたまはく、〈なんぢ、観仏三昧力を修す。 ゆゑに、われ涅槃相の力をもつて、なんぢに色身を示して、なんぢをしてあきらかに観ぜしめん。 なんぢ、いま坐禅して多く観ずることを得ざれ。 なんぢ、後の世の人、多くもろもろの悪を作れり。 ただ眉間の白毫の相の光を観ぜよ。 この観をなす時に見るところの境界は、上の所説のごとし〉」と。 [以上、これを略抄す。]「上の所説」とは、仏の種々の境界を見るなり。 もろもろの余の利益は、下の別時の行および利益門に至りて知りぬべし。
問ふ。 白毫の一相を観ずるをもまた三昧と名づくるや。
答ふ。 しかなり。 ゆゑに『観仏経』の第九にのたまはく、「もしよく心を繋けて一の毛孔を観ずる、この人は名づけて念仏定を行ずとなす。 仏を念ずるをもつてのゆゑに、十方の諸仏、つねにその前に立ちて、ために正法を説きたまふ。 この人、すなはちよく三世のもろもろの如来を生ずる種となす。 いかにいはんや、具足して仏の色身を念ぜんをや」と。
問ふ。 なんがゆゑぞ浄土の荘厳を観ぜざるや。
答ふ。 いま広行に堪へざるもののために、ただ略観を勧む。 もし観ぜんと欲ふものは、『観経』を読むべし。 いかにいはんや前に十種の事明かしつ。 すなはちこれ浄土の荘厳なり。
問ふ。 なんがゆゑぞ観音・勢至を観ぜざるや。
答ふ。 略せるがゆゑに述せず。 仏を念じをはりて後は、二菩薩を観ずべし。 あるいは名号を称せよ。 多少は意に随へ。 
第三に雑略観とは、 かの阿弥陀仏の眉間には、 一つの白毫がある。 右みぎ旋まわりして渦巻き、 五つの須弥山のようである。 その中には、 また八万四千の好があり、 一々の好には八万四千の光明がある。 その光は微妙で、 いろいろの宝の色を具えている。 総じていうと、 七百五倶胝六百万の光明がある。 十方それぞれの方面にかがやき、 億千の日月のようである。 その光の中に、 すべての仏身を現わし無数の菩薩が集まって仏をとりまき、 また、 妙なる音声を出して、 諸の法門を説きのべる。 また、 かの仏の一々の光明は、 あまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を摂め取って捨てたまわぬ。 わたくしもまた如来の光明の中に摂められているのであるが、 煩悩のために眼をおおわれて、 見たてまつることができない。 しかしながら、 大悲はあくことなく、 つねにわが身をお照らしくださるのである。 あるいは、 みずから心を起こして、 極楽国に生まれ、 蓮華の中で結跏趺坐し、 蓮華が閉じているという想をなすべきである。 それに続いて、 蓮華が開く時に、 尊顔を仰ぎ見て、 白毫相を観じたてまつる。 その時に五百色の光があって、 来ってわが身を照らす。 そのとき無量の化仏・菩薩が大空の中に満ちたもうのを見る。 水の流れ、 鳥の囀さえずり、 樹林きぎのそよぎ、 さては諸仏の出したもう音声は、 みな妙なる法みのりを演べる。 このように想うて、 心に浄土を願い悦ばせよ。 願わくは、 もろもろの衆生と共に安楽国に往生したいものである。 以上は «観経» «華厳経» などの意に依る。 詳しくは、 別の書に述べてある。
もし、 極めて簡略をねがう者は、 次のように念ずるがよい。 かの仏の眉間の白毫相は、 めぐり渦巻いて、 ちょうど*玻璃はり珠のようである。 光明はあまねく照らして、 われわれを摂めたもう。 願わくは、 衆生と共にかの国に生まれたいものである。
もし、 相好を観念するに堪えないものがあるならば、 あるいは帰命の想に依り、 あるいは引接の想に依り、 あるいは往生の想に依って、 一心に称念すべきである。 以上。 人々の望みが不同であるから、 いろいろの観を明かすのである。
行くも住とどまるも坐るも臥すも、 語るも黙するも、 すべての所作に当たって、 いつもこの念を胸中にいだき飢えた者が食物を思い、 渇いた者が水を求めるようにせよ。 あるいは頭をさげ、 手を挙げ、 あるいは声を出して、 仏のみ名を称えよ。 外に現われる作法は異なっていても、 心に仏を念ずる思いはいつも持っていよ。 念々に相続して、 寝てもさめても忘れてはならぬ。
問う。 かの阿弥陀仏の真身は、 凡夫の念力の及ぶところではないから、 ただ仏の像を観ずべきであろう。 どうして広大な仏身を観ずるのか。
答える。 «観経» に説かれている。
無量寿仏の身長おみたけは、 はかり知れないほどであるから、 心想の劣った凡夫の力では、 到底、 想いの及ぶところではない。 しかしながら、 かの無量寿仏の*因いん位にの願力により、 よく心をこらして想い浮かべるものは、 必ずその仏の真の身想すがたを見たてまつることができるのである。 ただ仏像を観ずるだけでさえ、 無量の福徳を得るのである。 まして、 かの無量寿仏のまどかに具足せられた真の身想を観ずるものには、 その功徳の広大なことはいうまでもない。 以上
明らかに知られる。 初心のものも、 またねがいのままに仏の真身を観ずることができるのである。
問う。 前に述べたように、 阿弥陀仏の一身はそのまま一切仏の身であるというのは、 どういう証拠があるのか。
答える。 天台大師がいわれる。 (十疑論)
阿弥陀仏を念ずると、 そのまま一切の仏を念ずることになる。 故に «華厳経» に説かれている。
一切諸仏の御身は そのまま一仏の御身である
一つの心 一つの智慧であり 十力・四無所畏もまたそのとおりである 以上
また «観仏三昧経» に説かれている。
もし、 一仏をおもえば、 そのままが一切の仏を見たてまつるのである。 下略
問う。 諸仏の体性が無二であるように、 念ずる者の功徳も、 また差別はないとするのか。
答える。 等しくて差別はない。 それ故 «文殊般若経» の下巻に説かれている。
一仏を念ずる功徳は無量無辺であって、 また無量の諸仏の功徳と同じである。 思いはかられぬ仏のみ法も、 等しくてへだてなく、 みな一如にかなって最正覚さとりを成就し、 ことごとく無量の功徳と弁舌の才能を備えている。 このように、 一行三昧に入る者は、 ことごとく恒河の沙ほどの諸仏の法界の差別なき相を知るのである。 以上
問う。 いろいろの相の功徳の中では肉髻の相と梵音声の相とを最も勝れたものとされる。 それにいま白毫相を観ずることを多く勧めるのは、 どういう証拠があるのか。
答える。 その証拠は非常に多い。 略してその一・二を出そう。 «観経» に説かれている。
無量寿仏を観じようとするものは、 まずかの仏の一つの相好すがたを観ずることから始めるがよい。 それはただ眉間の白毫をきわめて明了に観ずることである。 眉間の白毫を観ずるならば、 八万四千の相好は自然に現われてくるのである。
また、 «観仏三昧経» に説かれている。
如来には無量の相好があって、 一々の相の中には、 八万四千のもろもろのこまかな相好がある。 このような相好は、 白毫相のわずかの功徳にも及ばない。 それ故に今、 将来のもろもろの悪い衆生のために、 白毫相から放つ大悲の光明が悪をほろぼす観法を説くのである。 もし、 邪見で極重の悪人があって、 仏のすぐれた相貌すがたを具えていられるのを観ずるということを聞いて、 瞋いかり怨みの心を起こすというならば、 そんな道理はあるはずがないだろう。 たとい瞋りの心を起こしても、 白毫相の光がまたその人をおおい護るのである。 しばらくの間でも、 この語を聞くならば、 三劫のあいだ迷い続けるはずの罪を除き、 次の世には諸仏の御前に生まれる。 このように種々百千億種の、 もろもろの光明を観みる妙なる境界は、 ことごとく説きつくすことができぬ。 それは、 白毫を念ずるとき自然に現われてくるものである。
また説かれている。
乱れやすい心で仏像を観じても、 このような無量の功徳を得る。 ましてまた念を繋けて、 み仏の眉間の白毫相の光を観察するものは、 なおさらのことである。
また説かれている。
釈迦牟尼仏は行者の前に現われて告げて言われる。 「そなたは観仏三昧の力を修めた。 それ故わたくしは涅槃相の力でそなたに色身すがたを示して、 明らかに観じさせるのである。 そなたはいま坐禅しているけれども、 多く観ずることはできない。 そなたより後の世の人は、 さまざまの悪事を多く作るであろうが、 ただ眉間の白毫相の光を観ずるがよい。 この観を行なう時に見る境界は、 上に説いたところのとおりである。」 以上、 抜き書きした。
ここに 「上に説いたところ」 というのは、 仏の種々の境界を見たてまつることである。 その他のいろいろの利益は、 下の別時の行および利益門に至って知るべきである。
問う。 白毫の一相を観じても、 また三昧と名づけるのか。
答える。 そのとおりである。 それゆえ «観仏三昧経» の第九巻に説かれている。
もしよく心を繋けるならば、 一つの毛孔を観じても、 この人は念仏三昧を行ずるものと名づける。 仏を念ずるのであるから、 十方の諸仏はつねにその人の前に立って、 その人のために正しいみ法を説かれている。 この人は、 よく三世のもろもろの如来の種を生ずるとする。 まして仏の色身をつぶさに念ずるものはなおさらのことである。
問う。 どういうわけで、 浄土の荘厳を観じないのか。
答える。 今は、 広く行ずることに堪えられない者のために、 ただ簡略な観法を勧めるのである。 もしそれを観じようと思う者は、 «観経» を読むがよい。 まして、 前に浄土の十種の楽事を明かしてある。 それが浄土の荘厳である。
問う。 どういうわけで、 観音・勢至を観じないのか。
答える。 簡略のゆえに述べなかったが、 仏を念じ終った後には、 二菩薩を観ずべきである。 あるいはその名号みなを称えよ。 数の多少は意おもいのままでよい。 
 

 

■回向門
【46】 
第五に回向門を明かすとは、五の義具足せるもの、これ真の回向なり。 一には、三世の一切の善根を聚集すること、[『華厳経』の意。]二には、薩婆若の心と相応すること、三には、この善根をもつて一切衆生とともにすること、四には、無上菩提に回向すること、五には、能施・所施・施物はみな不可得なりと観じて、よく諸法の実相と和合せしむることなり。 [『大論』(大智度論)の意。]これらの義によりて、心に念ひ、口にいへ。 修するところの功徳と、および三際の一切善根とを、[その一。]自他法界の一切衆生に回向して、平等に利益し、[その二。]罪を滅し、善を生じて、ともに極楽に生じて、普賢の行願を速疾に円満し、自他同じく無上菩提を証して、未来際を尽すまで衆生を利益し、[その三。]法界に回施して、[その四。]大菩提に回向するなり。 [その五。]
問ふ。 未来の善いまだあらず。 なにをもつてか回向する。
答ふ。 『華厳経』に、第三の回向の菩薩の行相を説きてのたまはく、「三世の善根をもつて、所着なく、相なく相を離れて、ことごとくもつて回向す」(意)と。 『刊定記』に二の釈あり。 一には、未来の善根はいまだあらずといへども、いまもし願を発しつれば、願薫じて種となり、摂持する力のゆゑに、未来の所修任運に衆生と菩提とに注向して、さらに回向することを待たず。 二には、この教のなかによれば、菩薩は、乃至、一念の善を修するに、法性を摂するがゆゑに九世に遍す。 ゆゑにかの善根をもつて回向すと。 {云々}
問ふ。 第二に、いかなるをや薩婆若相応の心と名づくる。
答ふ。 『論』(大智度論)にいはく、「阿耨菩提の意、すなはちこれ薩婆若に応ずる心なりと。 〈応〉といふは、心を繋けて、われまさに仏に作るべしと願ずるなり」と。
問ふ。 第三・第四は、なんがゆゑぞかならず一切衆生とともにし、および無上菩提に回向する。
答ふ。 『六波羅蜜経』にのたまはく、「いかんぞ少施の功徳多なるや。 方便の力をもつて、少分の布施をもつて回向し発願すらく、〈一切衆生と同じく無上正等菩提を証せん〉と。 これをもつて功徳の無量無辺なること、なほ小雲の、やうやく法界に遍するがごとし」と。 [乃至、一華・一菓をもつて施するもまたしかり。 『大論』(大智度論)の意またこれに同じ。]また『宝積経』の四十六にのたまはく、「菩薩摩訶薩は、所有の已生のもろもろの妙善根を、一切、無上菩提に回向して、この善根をして畢竟じて無尽ならしむ。 たとへば、小水を大海に投げつれば、乃至、劫焼のなかにも尽くることあることなからんがごとし」と。 また『大荘厳論』の偈にいはく、
「施を行じて妙色・財を求めず、また天・人趣を感ずることを願ぜざれ、もつぱら無上勝菩提を求むれば、施は微なれどもすなはち無量の福を感ず」と。
{以上}ゆゑにもろもろの善根をもつてことごとく仏道に回向するなり。 また『大論』(大智度論)にいはく、「たとへば、慳貪の人の、因縁なくしては、乃至一銭をも施せず、貪慳積聚してただ増長することを望むがごとく、菩薩もまたかくのごとし。 福徳の、もしは多もしは少、余事には向かへず、ただ愛惜積集して薩婆若に向かふ」と。 {以上}
問ふ。 もししからば、ただ菩提に回向すべし。 なんがゆゑぞ、さらに往生極楽とはいふ。
答ふ。 菩提はこれ果報なり。 極楽はこれ華報なり。 果を求むる人、いかんぞ華を期せざらんや。 このゆゑに九品の業にみないはく、「回向して極楽国に生ぜんと願求す」と。
問ふ。 発願と回向とは、なんの差別かある。
答ふ。 誓ひて求むるところを期する、これを名づけて願となす。 所作の業を回してかしこに趣向する、これを回向といふ。
問ふ。 薩婆若と無上菩提と、二は差別なし。 なんぞ分ちて二とはなす。
答ふ。 『論』(同)に回向を明かすに、これを分ちて二となせり。 ゆゑにいまこれに順ず。 さらに『論』(同)の文を撿へよ。
問ふ。 次に、なんがゆゑぞ、あらゆる事を観じて、ことごとく空ならしむるや。
答ふ。 『論』(大智度論)にいはく、「着心取相の菩薩の修する福徳は、草より生ずる火の、滅することを得べきこと易きがごとし。 もし実相を体得せる菩薩の、大悲心をもつて行ずる衆行は、破することを得べきこと難きこと、水のなかの火の、よく滅するものなきがごとし」と。 {云々}
問ふ。 もししからば、唱へて「空無所得」といふべし。 なんがゆゑぞいま「回施法界」とはいふ。
答ふ。 理、実にはしかるべし。 しかれども、いまは国土の風俗に順ずるがゆゑに「法界」といふに、理また違することなし。 しかる所以は、法界はすなはちこれ円融無作の第一義空なり。 所修の善をもつて回趣し、かの第一義空に相応するを回施法界と名づく。
問ふ。 最後に、なんの意ぞ唱へて「回向大菩提」といふや。
答ふ。 これはこれ、薩婆若と相応せしむるなり。 これまた土風に順じて、これを末後に置く。 「薩婆若」といふは、すなはちこれ菩提なり。 前の『論』(同)の文のごとし。
問ふ。 有相の回向には利益なきや。
答ふ。 上にしばしば論ずるがごとし。 勝劣はありといへども、なほ巨益あり。 『大論』(同)の第七にいふがごとし。 「小因の大果、小縁の大報あり。
仏道を求めて一偈を讃じ、一たび〈南無仏〉と称し、一捻の香を焼きて、かならず仏に作ることを得るがごときなり。 いかにいはんや、聞知せんをや。 〈諸法の実相は不生不滅にして、不生にもあらず、不滅にもあらざれども、しかも因縁の業を行ずれば、また失せざるなり〉」と。 {以上}この文深妙なり。 髻のなかの明珠なり。 すなはち知りぬ、われらも仏になること疑なしと。
龍樹尊に帰命したてまつる。わが心願を証明したまへ。 
第五に*回え向こう門もんを明かすと、 次にいう五つの義を具えたのが真実の回向である。 一つには、 過去・現在・未来の三世にわたる一切の善根を集める。 «華厳経» の意 二つには、 *一切いっさい智ちを求める心と相応する。 三つには、 この善根を一切衆生と共にする。 四つには、 無上の菩提さとりに回向する。 五つには、 施す人も、 施される人も、 施す物も、 すべて空であると観じて、 諸法実相の理と相応させるのである。 «大論» の意
これらの意義に依って、 心に念じ、 口にも言い、 修めるところの功徳と、 および三世一切の善根とを、 その一 自他の別なくあらゆる所のすべての衆生に回向して、 平等に利益し、 その二 罪を滅し善を生じて、 共に極楽に生まれ、 *普ふ賢げんの行と願とを速やかに円満し、 自他ともに無上の菩提さとりを証して、 永遠に衆生を利益し、 その三 法界 (真如) に回施し、 その四 大菩提に回向するのである。 その五
問う。 未来の善根は、 まだ修めていないのに、 どうして回向しようか。
答える。 «華厳経» に、 第三回向の菩薩の修行相を説いていわれる。
過去・現在・未来の三世の善根をもって、 執着することなく、 相なく相を離れて、 悉く回向する。
これについて、 «*刊かん定じょう記き» に二つの解釈をしている。 第一に、 未来の善根は、 まだ作っていないけれども、 今もし願を発おこすならば、 その発願力が薫じて、 善根の種となり、 摂とり持たもつ力があるから、 未来に修める善根を、 自然に衆生と菩提とに注ぎ向け、 あらためて回向するを待たぬというのである。 第二に、 この華厳の教えによると、 菩薩が、 わずか一念の善根を修しても、 その善根は法性を摂めるから、 九世 (久遠の過去から未来のはてまで) にあまねく及ぶ。 それゆえ、 かの善根を用いて回向するのである。
問う。 五種の回向の第二義を、 どうして一切智と相応する心と名づけるのか。
答える。 «大智度論» にいう。
無上の菩提さとりの意こころは、 すなわち一切智に応ずる心である。 応ずるとは、 心を繋けて、 わたくしはきっと仏に成ろうと願うことである。
問う。 第三義と第四義とは、 どういうわけで、 必ずすべての衆生と共にし、 および無上の菩提に回向するのか。
答える。 «*六ろっ波羅ぱら蜜みつ経きょう» に説かれている。
どういうわけで、 わずかな布施の功徳が多いのか。 それは、 方便力をもって、 僅かな布施の功徳を回向して、 「すべての衆生とともに、 同じく無上正等菩提を証ろう」 と発願するのである。 そういうわけで、 功徳が無量無辺であることは、 ちょうど、 わずかな雲が次第に大空に拡がってゆくようなものである。 また、 わずか一つの華、 一つの果を施すこともまた同様である。 «大智度論» の意もまたこれと同じ。
また «宝積経» の第四十六巻に説かれている。
菩薩大士は、 自分のもっているすでに起こしたあらゆるすぐれた善根を、 ことごとく無上菩提に回向し、 この善根を永遠に尽きることのないようにさせる。 譬えば、 僅かな水でも、 大海の中に入ると、 たとい劫末の大火の中にあっても尽きることがないようなものである。
また «*大だい荘しょう厳ごん論ろん» の偈にいわれている。
施しをしてもりっぱな財物の報いを求めず また天人の世界に生まれようとも願わず
ひとえに無上の勝れた菩提を求めるならば すこしのものを施しても無量の福を受ける 以上
こういうわけであるから、 諸の善根を悉く仏道に回向するのである。
また «大智度論» にいわれている。
譬えば、 ものおしみする人は、 そうするわけなしには、 ただの一銭も施さないで、 おしみ集めて、 ひたすら増すことを望むようなものである。 菩薩もまた、 このようである。 福徳が沢山であっても、 僅かであっても、 それを他の事にはふり向けないで、 ひたすら惜しみ集めて、 一切智に向かわせるのである。 以上
問う。 もし、 そうであるならば、 ただ菩提に回向すべきである。 どういうわけで、 更に極楽に往生するというのか。
答える。 菩提は果報であって、 極楽は花報である。 果みを求める人は、 どうして花を期待しないことがあろうか。 こういうわけで、 *九く品ぼんの行業には、 「みな回向して極楽国に生まれることを願い求める」 というのである。
問う。 発願と回向とは、 どういう差別があるのか。
答える。 誓って求めるところを期待するのを名づけて願とする。 そのなしたところの行業をふりむけて、 彼かしこに趣かせるのを回向という。
問う。 一切智と無上菩提と、 この二つは差別がない。 どうして二つに分けるのか。
答える。 «大智度論» に回向を説明する際、 二つに分けている。 それゆえ今も、 これに順したがったのである。 更に «大智度論» の文を検しらべてみるがよい。
問う。 次に、 どういうわけで、 すべての事を観じて悉く空とするのか。
答える。 «大智度論» にいう。
心や相に執着している菩薩が修めた福徳の失い易いことは、 草から生じた火が消し易いようなものである。 もし実相を体得した菩薩が大悲心で行なうもろもろの行は、 これは破り難いものである。 それは、 ちょうど水の中の火は消すことができぬようなものである。 下略
問う。 もしそうならば、 「空であって、 とらえるところはない」 と唱えていうべきであろう。 どういうわけで今 「法界に回施する」 というのか。
答える。 道理としては、 実に、 そうあるべきである。 けれども、 今はこの国の風俗に順うのであるから 「法界」 というのであって、 その道理を違うことはない。 そういうわけは、 法界とはすなわち本来、 円まどかで、 作為を離れた*第一だいいち義ぎ空くうである。 修行したところの善を回向して、 かの第一義空と相応させるのを、 「法界に回施する」 というのである。
問う。 最後に、 どういうつもりで 「大菩提に回向する」 と唱えいうのか。
答える。 これは一切智と相応させるのである。 これもまた、 この国の風習に順って、 これを最後に置くのである。 一切智というのは、 すなわち菩提のことである。 前に出した «大智度論» の文のとおりである。
問う。 *有う相そうの回向には利益がないのか。
答える。 前にしばしば論じたとおりである。 勝劣はあるけれども、 それでも大きい利益がある。 «大智度論» の第七巻にいうとおりである。
小さい因で大きい果を得、 小さい縁で大きい報いを得ることがある。 仏道を求めて一偈でも讃え、 一たびも南無仏と称え、 一捻つまみの香を焼たいても、 必ず仏となることができるようなものである。 まして 「諸法の実相は生ぜず滅せず、 不生でもなく不滅でもない」 と聞き知りながら、 しかも、 因縁の行業をおこなうならばまた利益を失わないのである。 以上
この文は、 深く妙で、 髻もとどりの中の明珠というべきものである。 そこで、 われわれが成仏することは疑いないことを知った。
龍樹菩薩に帰命したてまつる わたしの心の願いを知ろしめたまえ 
第五 助念方法
【47】 
大文第五に、助念方法といふは、一目の羅は鳥を得ることあたはず、万術をもつて観念を助けて、往生の大事を成ず。 いま七事をもつて、略して方法を示さん。 一には方処供具、二には修行相貌、三には対治懈怠、四には止悪修善、五には懺悔衆罪、六には対治魔事、七には総結要行なり。 
大文第五に助念方法 (念仏を助ける方法) とは、 およそ、 一つの目の網では、 鳥を捕えることはできないように、 いろいろの方法を用いて観念を助けて極楽往生の大慈が成就するのである。 今、 七項目を設けて、 簡略にその方法を示そう。 第一には方処ほうしょ供具くぐ、 第二には修しゅ行ぎょう相そう貌みょう、 第三には対たい治じ懈け怠だい、 第四には止し悪あく修善しゅぜん、 第五には懺さん悔げ衆罪しゅざい、 第六には対たい治じ魔事まじ、 第七には総結そうけつ要よう行ぎょうである。 
■方処供具
【48】 
第一に方処供具とは、内外ともに浄くして一の閑処を卜めて、力に随ひて香華供具を弁ぜよ。 もし華香等の事を闕少せることあらば、ただもつぱら仏の功徳威神を念ぜよ。 もし親しく仏像に対はば、すべからく灯明を弁ずべし。 もしはるかに西方を観ぜば、あるいは闇室を須ゐよ。 [感禅師(懐感)は闇室を許す。]もし華香を供する時には、すべからく『観仏三昧経』の供養の文の意によるべし。
その得るところの福、無量無辺なり。 煩悩おのづから減少し、六度おのづから円満す。 [その文、通途の所用に異ならず。 ゆゑにさらに抄せず。]もし念珠を用ゐん時には、浄土を求めんと欲はば、木槵子を用ゐ、多功徳を欲はば、菩提子、乃至、あるいは水精・蓮子等を用ゐよ。 [『念珠功徳経』に見えたり。]  
第一に方処供具とは、 まず心も身体もともに浄め、 どこか閑静な場所をえらび、 分に応じて華や香その他の供物を調えるがよい。 もし華や香などのものに事欠くようなことがあるならば、 ただひたすら仏の功徳、 威神力を念ずるがよい。 もし、 まのあたり仏像に対むかう時には、 灯明をあげよ。 もし遥かに西方浄土を観ずる時には、 あるいは暗室を用いるがよい。 懐感禅師は暗室を許している。 もし、 華や香を供える時には、 «観仏三昧経» にある供養の文の意に依るがよい。 その得る福は無量無辺であって、 煩悩はおのずから減少し、 六度の行はおのずから円満する。 その文は、 一般に用いるものと変わりはないから、 あらためて、 抜き書きはしない。 もし、 念珠を用いる時には、 浄土往生を願うなら、 木槵子むくろじの念珠を用い、 功徳の多いことを望むならば、 菩提子とか、 あるいは水精・蓮子はすのみなどの念珠を用いるがよい。 «念珠功徳経» を見よ。 
■修行相貌
【49】 
第二に修行相貌とは、『摂論』等によりて四修の相を用ゐよ。 一には長時修。
『要決』(西方要決)にいはく、「初発心よりすなはち菩提に至るまで、つねに浄因をなして、つひに退転なかれ」と。 善導禅師のいはく(礼讃)、「命を畢ふるを期となして、誓ひて中止せざれ」と。
二には慇重修。 いはく、極楽の仏法僧宝において、心につねに憶念して、もつぱら尊重をなせ。 『要決』(同)にいはく、「行住坐臥に、西方を背かざれ。 啼・唾・便痢は、西方に向かはざれ」と。
導師(善導)のいはく(礼讃)、「面を西方に向かふるものは最勝なり。 樹の先より傾けるは倒るるに、かならず曲れるに随ふがごとし。 かならず事の礙ありて西に向かふこと及ばずは、ただ西に向かふ想をなすにまた得たり」と。
三には無間修。 『要決』(同)にいはく、「いはく、つねに仏を念じて往生の心をなせ。 一切の時において、心につねに想ひ巧め。 たとへば、人ありて、他に抄掠せられ、身、下賤となりてつぶさに艱辛を受けん。 たちまちに父母を思ひ、走りて国に帰らんと欲するに、行装いまだ弁ぜずして、なほ他の郷にありて日夜に思惟し、苦堪忍せず。 時としてしばらくも捨てて耶嬢を念はざることなし。 計をなすことすでに成じて、すなはち帰りて達することを得て、父母に親近し、ほしいままに歓娯せんがごとし。 行者もまたしかなり。
往、煩悩によりて善心を壊乱し、福智の珍財、ならびにみな散失せり。 久しく生死に沈みて制すること自由ならず。 つねに魔王のためにしかも僕使となりて、六道に駆馳せられ、身心を苦切す。 いま善縁に遇ひて、たちまちに弥陀の慈父の、弘願に違はずして群生を済抜したまふことを聞き、日夜に驚忙し、心を発して往くことを願ふ。
ゆゑに精勤すること倦まずして、まさに仏恩を念じて、報の尽くるを期となして、心につねに計念すべし」と。 {云々}導師(善導)のいはく(礼讃)、「心々相続して余業をもつて間へざれ。 また貪瞋等をもつて間へざれ。 随ひて犯せば、随ひて懺せよ。 念を隔て時を隔て日を隔てしめずして、つねに清浄ならしめよ」と。 {云々}
わたくしにいはく、日夜六時、あるいは三時・二時に、かならず方法を具して、精勤修習せよ。 その余の時処には威儀を求めず、方法を論ぜず、心口に廃することなくして、つねに仏を念ずべし。
四には無余修。 『要決』(西方要決)にいはく、「もつぱら極楽を求めて弥陀を礼念せよ。 ただし諸余の業行は雑起せしめざれ。 所作の業は、日別に、すべからく念仏・読経を修して、余課を留めざるべし」と。 導師(善導)のいはく(礼讃)、「かの仏の名をもつぱら称し、かの仏および一切の聖衆等をもつぱら念じ、もつぱら想ひ、もつぱら礼し、もつぱら讃じて、余業を雑へざれ」と。 {以上}
問ふ。 その余の事業は、なんの過失かある。
答ふ。 『宝積経』の九十二にのたまはく、「もし菩薩ありて、楽ひて世業をなし、衆務を営まんを、応ぜざるところなりとなす。 われ説かく、〈この人は生死に住す〉」と。 また同偈にのたまはく、
「戯論・諍論の処は、多くもろもろの煩悩を起す。智者は遠離すべきこと、まさに百由旬を去るべし」と。
{云々}自余の方法は、つぶさに『止観』のごとし。
問ふ。 もししからば、在家の人は念仏の行に堪へがたし。
答ふ。 もし世俗の人は、縁務を棄てがたくは、ただつねに念を西方に繋けて、誠心にしてかの仏を念ずべし。 『木槵経』の瑠璃王の行のごとくせよ。 また迦才の『浄土論』にいはく、「たとへば、竜の行くに、雲すなはちこれに随ふがごとく、心もし西に逝けば、業またこれに随ふ」と。
問ふ。 すでに知りぬ、修行に総じて四の相ありと。 その修行の時の用心いかんぞ。
答ふ。 『観経』にのたまはく、「もし衆生ありて、かの国に生れんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。 一には至誠心、二には深心、三には回向発願心なり」と。 善導禅師のいはく(礼讃)、「一に至誠心といふは、いはく、礼拝・讃嘆・念観の三業はかならず真実を須ゐるがゆゑなり。
二に深心といふは、いはく、自身はこれ煩悩を具足せる凡夫なり。 善根薄少にして三界に流転して、いまだ火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、乃至一念も疑心あることなきなり。 三に回向発願心といふは、いはく、所作の一切の善根をことごとくみな回向して、往生せんと願ずるがゆゑなり。 この三心を具すれば、かならず往生することを得。 もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず」と。 [略してこれを抄す。
経文は上品上生にありといへども、禅師(善導)の釈のごとくは、理九品に通ず。 余師の釈つぶさにすることあたはず。]『鼓音声王経』にのたまはく、「もしよく深く信じて狐疑なきものは、かならず阿弥陀の国に往生することを得」と。
『涅槃経』にのたまはく、「阿耨菩提は信心を因となす。 この菩提の因また無量なりといへども、もし信心を説きつればすなはちすでに摂尽しつ」と。 {以上}あきらかに知りぬ、道を修するには信をもつて首めとなす。 また善導和尚のいはく(礼讃・意)、「もしは入観および睡りの時には、この願を発すべし。 もしは坐し、もしは立ちて、一心に合掌して、まさしく面を西に向かへて、十声、〈阿弥陀仏・観音・勢至・もろもろの菩薩・清浄大海衆〉と称しをはりて、仏・菩薩および極楽界の相を見たてまつらんといふ願を発せ。 すなはち意に随ひて入観し、および睡りても見ることを得。 心をば至さざるを除く」と。
問ふ。 行者、常途に往生を計念すること、その相、なににか似たる。
答ふ。 前に引くところの『要決』(西方要決)に、本国に帰らんと欲ふ譬へ、これその相なり。 また綽和尚(道綽)の『安楽集』(上)にいはく、「たとへば、人ありて空曠のはるかなる処にして、怨賊の、剣を抜き勇を奮ひて、ただちに来りて殺さんと欲せんに値遇ひなん。 この人ただちに走るに、一の河を渡らんと観る。 いまだ河に到るに及ばざるに、すなはちこの念をなす。 〈われ河の岸に至りては、衣を脱ぎてや渡るとやせん、衣を着てや浮ぐとやせん。 もし衣を脱ぎて渡らば、ただおそらくは暇なきことを。 もし衣を着て浮がば、またおそらくは首領を全くすること難し〉と。
その時に、ただ一心に河を渡る方便をなすことのみありて、余の心想間雑することなからんがごとし。 行者またしかり。 阿弥陀仏を念ずる時には、またかの人の渡ることを念ふがごとくして、念々にあひ次いで、余の心想間雑することなし。 あるいは仏の法身を念ひ、あるいは仏の神力を念ひ、あるいは仏の智慧を念ひ、あるいは仏の毫相を念ひ、あるいは仏の相好を念ひ、あるいは仏の本願を念へ。 名を称することもまたしかなり。 ただよくもつぱら至して、相続して断ぜざるは、さだめて仏前に生る」と。 {以上}元暁師これに同じ。
問ふ。 念仏三昧は、ただ心に念ずとやせん、また口に唱ふとやせん。
答ふ。 『止観』の第二(意)にいふがごとし。 「あるいは〔唱・念〕ともに運び、あるいは先づ念じ後に唱へ、あるいは先づ唱へ後に念じて、唱・念あひ継ぎて休息する時なし。 声々・念々ただ阿弥陀にあり」と。 また感禅師(懐感)のいはく(群疑論)、「『観経』にのたまはく、〈この人、苦に逼められて念仏に遑あらず。 善友、教令すらく、《阿弥陀仏を称すべし》と。 かくのごとく心を至して、声をして絶えざらしむ〉と。
あに苦悩に逼められて念想成じがたきには、声をして絶えざらしむるに、至心にすなはち得るにあらずや。 いまこの声を出して、念仏定を学することもまたかくのごとし。 声をして絶えざらしむれば、つひに三昧を得て、仏・聖衆の皎然として目の前にましますを見る。 ゆゑに『大集』の〈日蔵分〉にのたまはく、〈大念は大仏を見る、小念は小仏を見る〉と。 〈大念〉とは大声に仏を称するなり。 〈小念〉とは小声に仏を称するなり。 これすなはち聖教なり。 なんの惑ひかあらん。
現に見るにすなはちいまのもろもろの修学者、ただすべからく声を励まして仏を念ずべし。 三昧成じやすし。 小声に仏を称するに、つひに馳散多し。 これすなはち学者の知るところにして、外人の暁るにあらず」と。 [以上、かの『経』(大集経)にのたまはく、「ただ多を欲するは多を見、小を欲するは小を見る」等と。 しかるに感師(懐感)、すでに三昧を得たり。 かの釈するところ、仰ぎて信ずべし。 さらに諸本を勘へよ。 「小念は小を見、大念は大を見る」の文、『日蔵経』の第九に出でたり。] 
第二に修行相貌とは、 «証大乗論» などに依って四種の相を用いる。
一つには長時修。 «西方要決» にいわれている。
初発心より、 仏果を得るまで、 つねに清浄の因を行じて最後まで退かない。
善導禅師がいわれている。 (礼讃)
命終るまで誓って中止しない。
二つには慇重修。 これは極楽の仏・法・僧の三宝を心にいつも憶念して、 もっぱら尊重を起こすのである。 «西方要決» にいわれている。
行・住・坐・臥に、 西方に背を向けず、 涕なみだ・唾つば・便痢いばりを西方に向かってしないようにせよ。
善導禅師がいわれている。 (礼讃)
西方に向かうのが、 もっとも勝れている。 ちょうど樹が倒れる場合には、 かならず、 さきよりその傾いている方向に随うようなものである。 故に、 どうしても西方に向かうことができないような妨げのある場合には、 ただ西方に向かう思いをなすだけでもよい。
三つには無間修。 «西方要決» にいわれている。
すなわち常に仏を念じて往生の想いをする。 一切の時において心にいつも想いめぐらせ。 譬えば、 人あって他人にさらわれ、 いやしい身となってつぶさに苦難を受ける。 そこで忽ちに父母のことを思い、 逃れて故郷に帰りたいと思うが、 旅の支度がまだととのわないで、 まだ他郷にいる。 そうして日夜にあれこれと思うて苦しみは忍ぶことができず、 しばらくも両親を忘れて念おもわないことがない。 ようやく計画が成って、 郷さとに帰り着くことができ、 父母に親しみ近づいて思いのままに喜びたのしむようなものである。 行者もまたそのとおりである。 むかし煩悩によって善心を乱し福徳・智慧の貴とうとい財宝をみな散失した。 久しく生死に沈んで、 これを止とどめようとしても自由にならない。 つねに魔王の僕使しもべとなり、 六道を駆けめぐらされ、 身心を苦しめてきた。 いま善い縁に遇うて、 たちまちに弥陀の慈父が因位の誓いに違わず衆生をお救いくださることを聞き、 日夜に驚きいそいで、 発心して往生することを願う。 このゆえにつとめ励んで、 倦むことなく、 まさに仏の御恩を念じて、 この身の尽きるまで心にいつも念うべきである。
善導禅師がいわれている。 (礼讃)
心々が相続して、 他の行をもってはさまず、 また、 貪欲・瞋恚などをもってはさまないようにする。 もしこれを犯せば、 すぐに懺悔して、 念を隔てず、 時を隔てず、 日をも隔てずに、 つねに清浄ならしめよ。
私、 源信がいう。 昼夜六時 (六回) あるいは三時 (三回) 二時 (二回) に、 かならず方法を具ととのえて、 努力して勤修せよ。 その他の時と処とでは、 きまった威儀を求めず、 方法を論じない。 心に思い、 口に称えることを廃することなく、 いつも仏を念ずべきである。
四つには無余修。 «西方要決» にいわれている。
専ら極楽を願って阿弥陀仏を礼拝・念想する。 すべてその他のもろもろの行業はまじえて起こしてはならない。 なすところの行業は、 日ごとに、 念仏読経を修して、 他の課つとめをしないようにせよ。
善導禅師がいわれている。 (礼讃)
専ら阿弥陀仏の名号を称え、 かの仏やすべての聖衆がたを専ら念じ、 専ら想い、 専ら礼し、 専ら讃えて、 他の行をまじえてはならぬ。 以上
問う。 その他の事業には、 どういう過失とががあるのか。
答える。 «宝積経» の第九十二巻に説かれている。
もし菩薩があって、 世間の仕事を楽このんで行ない、 いろいろの務めを営むならば、 これは菩薩にふさわしくないこととする。 わたしは、 ªこの人は生死まよいに住とどまるº と説く。
また、 同じ経の偈に説かれている。 (礼讃)
戯論・諍論の場所は いろいろの煩悩を起こすことが多い
智慧ある人は遠く離れて 百由旬を隔てるがよい 下略
その他の方法については、 詳しくは «止観» に示すとおりである。
問う。 もしそうならば、 在家の人は念仏の行に堪え難いであろう。
答える。 もし世俗の人が仕事を捨て難いならば、 ただいつも念おもいを西方に繋け、 誠心まごころからかの仏を念じて «木槵経» の瑠璃王の行のようにせよ。 また、 迦才の «浄土論» にいう。
譬えば、 龍が行くときは、 雲が龍につき随うように、 心がもし西に逝けば、 業もまたこれに随うのである。 下略
問う。 修行には、 総じて四種の相すがたがあることは、 よくわかった。 ところで、 その修行の時の用心こころがまえはどうか。
答える。 «観経» に説かれている。
もし人々の中で、 かの国に生まれようと願う者は、 三種の心を発おこしてすなわち往生する。 一つには至誠心、 二つには深心、 三つには回向発願心である。
善導禅師がいわれている。 (礼讃)
一つには至誠心。 礼拝・讃嘆・念観の三つの行業は、 かならず真実をもってするからである。 二つには深心。 わが身は煩悩を具えている凡夫であり、 善根は少なく、 三界にさまよって、 迷いの境界を出ることができないと信知し、 いま弥陀の本願は、 名号を称えること、 わずか十声・一声などの者に至るまで、 まちがいなく往生を得させてくださると信知して、 一声の称名に至るまで疑いの心がないからである。 三つには回向発願心。 自分の修めたすべての善根を、 ことごとく皆ふりむけて、 往生を願うからである。 この三心を具えて、 まちがいなく往生を得るのである。 もし一心を欠いたならば、 往生ができない。 この文は抜き書きしたのである。 «観経» の文は、 上品上生に出ているけれども、 善導禅師の解釈のようであると、 その道理は九品全体に通ずる。 他師たちの解釈は、 今詳しく述べることができない。
«鼓音声経» に説かれている。
もし、 よく深く信じて狐疑のないものは、 必ず阿弥陀仏の国に往生することができる。
«涅槃経» に説かれている。
無上菩提を得るのは信心を因とする。 この菩提に至る因は、 また無量であるけれども、 信心をいえば、 その中にすべてを摂め尽くすのである。 以上
これらの文で、 仏道を修めるには、 信心を首とすることが明らかに知れた。
また善導和尚がいう。 («礼讃» の意)
もし観想に入ろうとする時、 および眠ろうとする時には、 まさにこの願を起こすがよい。 もしは坐り、 もしは立って、 一心に合掌し、 正しく面かおを西に向け、 「阿弥陀仏、 観音・勢至の諸菩薩、 清浄大海衆」 と十声称え終って、 仏・菩薩および極楽世界の相を見たてまつろうという願を起こすならば、 意にしたがって、 観察に入ったり、 また眠ったりしたときに見たてまつることができる。 至心でないものは除く。
問う。 行者が、 平生に往生を心にかけて念ずる相すがたは、 なにに似ているか。
答える。 前に引いた «西方要決» の中にある本国に帰ろうと想うという譬たとえ、 がその相である。
また «安楽集» にいわれている。
たとえば、 人が広々とした所において、 恐ろしい賊が剣を抜き、 勇をふるってまっすぐに襲い来り、 殺そうとするのに値あうとする。 この人はただちに走って、 渡らねばならぬ一つの河があるのを見た。 まだ河に至らぬうちに、 こういう思いをした。 ªわたしは河の岸についたなら、 衣を脱いで渡ろうか、 衣を着て泳ごうか。 もし、 衣を脱いで渡ろうとすれば、 恐らくその暇いとまがないであろう。 もし衣をつけたままで泳ごうとすれば、 またおそらく溺れるであろうº と。 その時には、 ただ一心に河を渡る方法を考えるばかりで、 ほかの想いのまじわることがないようなものである。 行者もまたそのとおりである。 阿弥陀仏を念ずる時も、 かの人が河を渡ることを思うように、 念々に相続して、 ほかの思いをまじえることなく、 あるいは仏の法身を念じ、 あるいは仏の威神力を念じ、 あるいは仏の智慧を念じ、 あるいは仏の白毫相を念じ、 あるいは仏の相好を念ずる。 あるいは仏の本願を念じて称名する場合もそのとおりである。 ただよくもっぱら相続して断えなかったならば、 まちがいなく仏のみ前に生まれる。 以上
元暁師も、 これと同じことをいっている。
問う。 念仏三昧というのは、 ただ心に念ずるだけのものとするのか、 また、 口にも唱えるものとするのか。
答える。 «止観» の第二巻にいうとおりである。
あるいは唱と念とともに行ない、 あるいは先に念じて後に唱え、 あるいは先に唱えて後に念じ、 唱と念とがあい継いで息やむ時がない。 声々念々、 ただ阿弥陀仏に在るのである。
また懐感禅師がいわれている。 (群疑論)
«観経» に説かれている。 「この人は、 臨終の苦しみに逼められて仏を念ずるいとまがない。 そこで善知識は、 口に阿弥陀仏のみ名を称えよと、 教え勧める。 このようにして、 その人は心から声を続けて称名する。」 この経文をみると、 苦悩に逼められて、 念想おもいは成就し難いけれども、 心から称名の声が絶えないようにするならば、 すなわち往生を得るではないか。 今、 このように声を出して、 念仏三昧を学ぶのも、 またこのようである。 称名の声を絶えないようにすると、 ついに三昧を得て、 仏と聖衆とが明らかに目の前にましますのを見るであろう。 すれゆえ «大集経» 日蔵分に説かれている。 「大念は大仏を見たてまつり、 小念は小仏を見たてまつる。」 大念というのは、 大きい声で仏のみ名を称えることであり、 小念というのは、 小さい声で仏のみ名を称えることである。 これは仏の教えである。 どうして迷うことがあろうか。 現在只今の諸の修学者たちは、 ただ声を励ましてみ仏を念ずることが大切である。 そうすると、 三昧が成就し易いであろう。 小さい声でみ仏のみ名を称えると、 結局、 心の乱れが多い。 これは、 実際に学ぶ者の知ることであって、 ほかの者のわかることではない。 以上。 かの経には、 ただ 「多を欲すれば多を見、 小を欲すれば小を見る」 などとあるだけである。 けれども、 懐感師はすでに三昧を得ている。 この師の解釈せられたことは、 仰いで信ずべきである。 更に、 諸本を考えてみるがよい。 ところが 「小念は小を見、 大念は大を見る」 という文は «日蔵経» の第九巻に出ている。 
■対治懈怠
【50】 
第三に対治懈怠とは、行人、恒時に勇進することあたはず。 あるいは心蒙昧となり、あるいは心退屈す。 その時に種々の勝れたる事に寄せて自心を勧励すべし。 あるいは三途の苦果をもつて浄土の功徳に比べて、この念をなすべし。 「われすでに悪道にして多劫を経き。 無利の勤苦すら、なほよく超えたり。
小行を修行して菩提を得んは大利なり。 退屈をなすべからず」と。 [悪趣の苦、浄土の相、一々に前のごとし。]あるいは往生浄土の衆生を縁じて、この念をなすべし。 「十方世界のもろもろの有情、念々に安楽国に往生す。 かれすでに丈夫なり。 われもまたしかなり。 みづから軽みて退屈をなすべからず」と。 [往生の人は下の利益門・料簡門のごとし。]あるいは仏の奇妙の功徳を縁ずべし。
問ふ。 なんらの功徳ぞ。
答ふ。 その事、無量なり。 略してその要を挙げん。
一には四十八の本願を思念すべし。 また『無量清浄覚経』にのたまはく、「阿弥陀仏、観世音・大勢至と、大願の船に乗りて生死の海に汎びて、この娑婆世界につきて、衆生を呼喚して大願の船に上せて、西方に送り着けしめたまふ。 もし衆生の、あへて大願の船に上らば、ならびにみな去ることを得。 これはこれ往きやすきなり」と。 『心地観経』の偈にのたまはく、
「衆生は生死海に没在して、五趣に輪廻して出づる期なし。善逝つねに妙法の船となり、よく愛流を截りて彼岸に超えしめたまふ」と。
念ふべし、「われ、いづれの時にか悲願の船に乗りて去らん」と。
二には名号の功徳なり。 『維摩経』にのたまふがごとし。 「諸仏の色身の威相・種性、戒・定・智慧・解脱・知見、力・無所畏・不共の法、大慈大悲、威儀所行、およびその寿命、説法教化し、衆生を成就し、仏の国土を浄め、もろもろの仏法を具したまへること、ことごとくみな同等なり。 このゆゑに名づけて三藐三仏陀となし、名づけて多陀阿伽度となし、名づけて仏陀となす。 阿難、もしわれ広くこの三句の義を説かば、なんぢ劫寿をもつてすとも、尽して受くることあたはじ。 たとひ三千大千世界のなかに満てらん衆生をして、みな阿難のごとく多聞第一にして念総持を得しむとも、このもろもろの人等も、劫の寿をもつてすともまた受くることあたはじ」と。 {以上}『要決』(西方要決)にいはく、「『維摩』にのたまはく、〈仏の初めの三号をば、仏もし広く説きたまはば、阿難、劫を経とも領受することあたはじ〉と。
『成実論』に、仏の号を釈するに、前の九号はみな別義に従ひ、前の九号の名義の功徳を総じて、仏世尊となす。 初めの三号を説かんに、劫を歴とも周めがたし。 阿難領悟するに、よくつぶさに悉することなし。 さらに六号を加へて、もつて仏号を製せりといふ。 勝徳すでに円かなれば、それを念ずるは大善なり」と。 [以上『要決』(西方要決)。]『華厳』の偈にのたまはく、
「もしもろもろの衆生ありて、いまだ菩提心を発さざらんに、一たびも仏の名を聞くことを得ば、決定して菩提を成ぜん」と。
この念をなすべし、「われ、いますでに仏の尊号を聞くことを得たり。 願はくは、われまさに仏に作りて十方の諸仏のごとくあるべし」と。
三には相好の功徳なり。 『六波羅蜜経』(意)にのたまはく、「もろもろの世間において、あるところの三世の一切の衆生、学・無学の人、および辟支仏、かくのごとき有情の無量無辺の所有の功徳を、如来の一毛の功徳に比ぶるに、百千万分がなかにその一にも及ばず。
かくのごとき一々の毛端は、みな如来の無量の功徳より出生せるところなり。 一切の毛端のあらゆる功徳をもつて、ともに一の髪の功徳を成ず。 かくのごとくして仏の髪は八万四千なり。 一々の髪のなかに、おのおの上のごとき功徳を具せり。 かくのごとく合集して、ともに一の随好の功徳を成ず。 一切の好の功徳をともにして、一の相の功徳を成ず。 一切の相の功徳を合集して百千倍に至りて、眉間の毫相の功徳を成ず。 その相円満にして、宛転して右に旋れること、頗胝迦宝のごとし。 明浄鮮白にして、夜闇のなかに、なほあきらかなる星のごとくなり。 毫相これを舒ぶれば、上は色界の阿迦膩%Vまでに至る。 これを巻けば、旧のごとくしてまた毫相となりて、眉間に住す。 毫相の功徳、百千倍に至りて肉髻の相を成ず。
かくのごとき肉髻の千倍の功徳は、梵音声の相の功徳に及ばじ」と。 また『宝積経』に無数の校量あり。 学者、勘ふべし。 また『大集の念仏三昧経』の第五にのたまはく、「かくのごとき世界、および十方の無量無辺のもろもろの世界のなかのあらゆる衆生、たとひことごとくみな一時に仏となりて、かのもろもろの世尊、無量劫を経て、みな還りて仏の一毛の功徳を嘆めたまふとも、つひにまた尽さじ」と。 {云々}『華厳』の偈にのたまはく、
「清浄の慈門、刹塵数にして、ともに如来の一の妙相を生ず。一々の諸相、しからずといふことなし。このゆゑに見るもの、厭足することなし」と。
この念をなすべし、「願はくは、われまさに仏の無辺功徳の相を見たてまつるべし」と。
四には光明の威神なり。 いはく、『平等覚経』(一)にのたまはく、「無量清浄仏[無量清浄仏は、これ阿弥陀仏なり。]の光明は、最尊第一にして比びなし。 諸仏の光明、みな及ばざるところなり。 ある仏の頂の光明は七尺を照らす。 ある仏は一里を照らす。 ある仏は五里、ある仏は二十里・四十里・八十里、乃至百万の仏国、二百万の仏国なり。 八方上下、無央数の諸仏の頂の光の照らしたまふところ、みなかくのごとし。 無量清浄仏の頂のなかの光明は、千万の仏国を炎照す」と。 [以上取意。
わたくしにいはく、『観経』にのたまはく、「かの仏の円光は百億の大千界のごとし」と。 この『経』(平等覚経・一)にはのたまはく、「頂のなかの光、千万仏の国を照らす」と。 二経の意、同じきのみ。]『双巻経』(大経)の意、これに同じ。 『経』(同・上)にのたまはく、「無量寿仏の威神光明は、最勝第一にして、諸仏の光明、及ぶことあたはざるところなり。 あるいは仏の光の、百仏世界あるいは千仏世界を照らすあり。 要を取りてこれをいはば、すなはち東方の恒河沙の仏刹を照らす。 南西北方・四維・上下もまたかくのごとし。 このゆゑに無量寿仏を、無量光仏・無辺光仏・無礙光仏・無対光仏[玄一師のいはく(無量寿経記)、〈ともに等しきものなきがゆゑに〉と。]炎王光仏[玄一師のいはく(同)、〈最勝自在なるがゆゑに〉と。]清浄光仏[一(玄一)のいはく(同)、〈三垢を滅するがゆゑに〉と。
憬興師のいはく(述文賛)、〈無貪の善根の所生なるがゆゑに〉と。]歓喜光仏[一のいはく(無量寿経記)、〈遇ふもの悦意するがゆゑに〉と。 興(憬興)のいはく(述文賛)、〈無瞋所生なるがゆゑに〉と。]智慧光仏[一のいはく(無量寿経記)、〈智慧の所発なるがゆゑに〉と。 興いはく(述文賛)、〈無痴の所生なるがゆゑに〉と。]不断光仏[一のいはく(無量寿経記)、〈恒相続のゆゑに〉と。]難思光仏・無称光仏[一のいはく(同)、〈称嘆して、その所有を尽すべからざるがゆゑに〉と。 自余の名義は知りぬべし。 煩はしく記せず。]超日月光仏と号す。 もし三途勤苦の処にありて、この光明を見るに、また苦悩なく、寿終りて後にはみな解脱を蒙る。 ただわれのみ、いまその光明を称するにあらず。 一切の諸仏またかくのごとし。
もし衆生ありて、その光明の威神の功徳を聞きて、日夜に称説し、心を至して断えざれば、意の所願に随ひて、その国に生ずることを得ん。 われ、無量寿仏の光明の威神、巍々として殊妙なることを説かんに、昼夜にして一劫すとも、なほ尽すことあたはじ」と。 [以上取意。 『平等経』には、別して、「頂の光」とのたまひ、『観経』には、総じて「光明」とのたまふ。]『譬喩経』の第三に、釈迦文仏の光相を明かしてのたまはく、「仏(釈尊)滅したまひて百年に阿育王あり。 国のうちの民庶、仏の遺典を歌しき。 王の、意に信ぜずして念言すらく、〈仏にいかなる徳の、人に過ぎ踰えたるものありて、しかもともに信をもつぱらにしてその文を誦習すらん〉と。
すなはち大臣に問はく、〈国のうちに、もし仏を見たるものありや〉と。 答へてまうさく、〈聞くならく、波斯匿王の妹、出家して比丘尼となれり。 年西垂にありて、いひて仏を見たりといふ〉と。 王すなはちみづから出でて往詣して、問ひていはく、〈道人、仏を見たりやいなや〉と。 答へてまうさく、〈実にしかり〉と。 問ひていはく、〈なんの殊異なることかある〉と。 道人のいはく、〈仏の功徳は巍々として量りがたし。 わが愚浅の、よくこれを陳ぶるところにあらず。 ほぼ一事を説かば、殊特なることを知りぬべし。 われ時に八歳、世尊来りて王宮に入りたまひき。 すなはち前みて足を礼せしに、頭の上の金の釵、堕落して地にあり。
これを求むるに得ずして、その所以を怪しみき。 如来の過ぎ去りたまひし足の跡に、千輻輪ありて、光明を現じて晃き、七日ありてすなはち滅しにき。 登時には、金の釵地と同色なりき。 ここをもつて見えざりき。 光滅して後に、釵を得き。 すなはち知りき、殊特なることを〉と。 王聞きて歓喜して、心あきらかに開悟しき」と。 {略抄}『華厳』の偈にのたまはく、
「一々の毛孔に光雲を現じて、あまねく虚空に遍して、大音を発す。もろもろの幽冥の所、照らさざるなし。地獄の衆苦ことごとく減ぜしむ」と。
この念をなすべし、「願はくは、仏の光明、われを照らして、生死の業苦を滅したまへ」と。
五にはよく害するものなし。 『宝積経』の三十七(意)にのたまはく、「風劫起る時には、世に大風あり。 僧伽多と名づく。 かの風、この三千世界の須弥・鉄囲、および四大洲、八万の小洲、大山・大海を挙ぐること、高さ百踰繕那、乃至、無量百千踰繕那にして、すでに砕末して塵となす。 また撃ちて、閻魔天宮を壊滅す。 乃至、遍浄天のあらゆる宮殿またみな散滅す。 すなはちこの風をもつて如来の衣を吹かんに、一の毛端の際をも、なほ動かすことあたはず。 いかにいはんや衣の角および全き衣をや」と。
『十住論』(十住毘婆沙論)にいはく、「諸仏の不可思議なることをば、仮喩をもつて知りぬべし。 たとひ一切十方世界の衆生みな勢力あり、たとひ一の魔ありてそこばくの勢力あらん。 また十方の一々の衆生の力をして悪魔のごとくあらしめたらんに、ともに仏を害せんと欲はんに、なほ仏の一毛をすら動かすことあたはじ。 いはんや害するものあらんや」と。 偈(同)にいはく、
「もしもろもろの世間のなかに、仏を害することあらんと欲はば、この事みな成ぜじ。
不殺の法を成じたまへるをもつてなり」と。 この念をなすべし、「願はくは、われまさに仏の金剛不壊の身を得べし」と。
六には飛行自在なり。 同論にいはく、「仏は虚空において、足を挙げ、足を下ろし、行住坐臥したまふこと、みな自在を得たまへり。 大声聞のごときは、神通自在にして、一日に五十三億二百九十六万六千の三千大千世界を過ぐ。 かくのごとき声聞の百歳に過ぎたるところをば、仏は一念に過ぎたまふ。 乃至、恒河のなかの沙の、一の沙を一の河となして、このもろもろの恒河沙の、大劫に過ぎたるところの国土を、仏は一念のうちに過ぎたまふ。 もし宝の蓮華を蹈みて去らんと欲せば、すなはちよく成弁す。 かくのごとく飛行すること一切無礙なり」と。
『観仏経』にのたまはく、「虚空において、足を挙げて行く時に、千輻輪の相よりみな八万四千の蓮華を雨らす。 かくのごときもろもろの華に塵数の仏ましまして、また虚空を歩む」と。 {以上略抄}また「空を蹈みて行きたまへども、しかも千輻輪は地際に現ず。 悦意の妙香鉢特摩華、自然に踊出して如来の足を承く。
もし畜生趣の一切の有情、如来の足のために触れらるるものは、七夜を極め満つるまで、もろもろの快楽を受け、命終の後には、善趣の楽世界のなかに往生す」と。 [『宝積経』。]もし四十里の盤石をもつて色究竟天より下すに、一万八千三百八十三年を経て、この地に到るべし。 ただちに下るすらなほしかり。 これを推して知りぬべし、声聞の飛行、如来の飛行は、展転して不可思議なることを。 『華厳経』の恵林菩薩の讃仏の偈にのたまはく、
「自在神通力は、無量にして難思議なり。来もなくまた去もなくして、法を説きて衆生を度したまふ」と。
この念をなすべし、「願はくは、われ神通を得て、諸仏の土に遊戯せん」と。
七には神力無礙なり。 『十住論』(十住毘婆沙論・意)にいはく、「仏はよく恒河沙等の世界を末して、微塵のごとくならしめて、またよく還りて合したまふ。 あるいはまたよく無量無辺阿僧祇の世界を変じて、みな金銀等となさしめたまふ。 またよく恒河沙等の世界の大海水を変じて、みな乳蘇等とならしめたまふ」と。 {以上}『浄名経』(維摩経・意)に、菩薩の不思議解脱を説きてのたまはく、「三千大千世界を断ち取りて、陶家の輪のごとくして、右の掌のなかに着けて、擲ぐるに恒河沙の世界のほかに過ぐしたまはん。 そのなかの衆生は、おのが所住を覚せず、知せじ。 また還りて本処に置くに、すべて人をして往来の想あらしめじ。 しかもこの世界の本の相は、故のごとし。 また下方過恒河沙等の諸仏世界において一仏土を取りて、上方過恒河沙無数の世界に挙げ着くること、針鋒を持ちて一棗葉を挙ぐるがごとくするも、嬈はすことなし。 須弥山をもつて芥子のなかに納め、四大海をもつて一毛孔に入るることまたかくのごとし。 そのなかの衆生は、覚せず、知せじ。 ただ度すべきものすなはちこれを知見す」と。 {以上}菩薩なほしかり、いかにいはんや仏力をや。 ゆゑに『度諸仏境界経』にのたまはく、「よく十方世界をして一毛孔に入れしめ、{乃至}一微塵においてよく無量無数不可説の世界を現ずるに、一切衆生また迫迮なし。 無量無数不可説劫の威儀果報の事を、よく一念のうちにおいて現じ、一念の威儀果報の事を、無量無数不可説劫のうちにおいて現ず。 かくのごとき所作は、心に功用なく、思惟をなさず」と。 『華厳経』の真実幢菩薩の偈にのたまはく、
「一切のもろもろの如来は、神通力自在なり。ことごとく三世のなかにおいて、これを求むるに不可得なり」と。
この念をなすべし、「われいままた知らず、仏の神力のために転ぜられて、いづれの仏土にかあり、たれの毛孔にかあるといふことを。 われいづれの時にか、これを覚知することを得ん」と。
八には随類化現なり。 『十住論』(十住毘婆沙論・意)にいふがごとし。 「仏は一念のうちに、十方の無量無辺、恒河沙等の世界において、無量の仏身を変化したまふ。 一々の化仏またよく種々の仏事を施す」と。 [以上の四事は神境通なり。]『度諸仏境界経』にのたまはく、「如来の所現は異の功用なく、異の思惟なし。 衆生の性に随ひて、おのづから見ること不同なり。 十五日の夜、閻浮提の人は、おのおの月の現じて、その上にありと見るが、月は作意して、われその上に現ぜんとせざるがごとし」と。 『華厳』の偈にのたまはく、
「如来の広大の身は、法界を究竟したまへり。この座を離れずして、一切の処に遍したまふ」と。またのたまはく(同)、「智慧甚深の功徳海、あまねく十方の無量の国に現じたまふ。もろもろの衆生の見るべきところに随ひて、光明あまねく照らして法輪を転じたまふ」と。
この念をなすべし、「願はくは、われまさに遍法界の身を見たてまつるべし」と。
九には天眼明徹なり。 『十住論』(十住毘婆沙論)にいはく、「大力の声聞は天眼をもつて小千国土を見、またなかの衆生の生時・死時を見る。 小力の辟支仏は十の小千国土を見、なかの衆生の生時・死時を見る。 中力の辟支仏は百の小千国土を見、なかの衆生の生時・死時を見る。 大力の辟支仏は三千大千国土を見、なかの衆生の生死の所趣を見る。 諸仏世尊は無量無辺の不可思議の世間を見そなはし、またこのなかの衆生の生時・死時を見そなはす」と。 {以上}『華厳経』の偈にのたまはく、
「仏眼は広大にして辺際なし。あまねく十方のもろもろの国土を見たまふ。そのなかの衆生は不可量なり。大神通を現じてことごとく調伏したまふ」と。
この念をなすべし、「いま弥陀如来は、はるかにわが身業を見そなはすらん」と。
十には聞声自在なり。 『十住論』(十住毘婆沙論)にいはく、「たとひ、恒河沙等の三千大千世界の衆生、一時に発言し、また一時に百千種の伎楽を作らん。
もしは遠きも、もしは近きも、意に随ひてよく聞きたまふ。 もしなかにおいて、一の音声を聞かんと欲せば、意に随ひて聞くことを得、余をば聞かず。 また無辺世界を過ぎたるに、最細の声をも、みなまた聞くことを得たまふ。 もし衆生をして聞かしめんと欲せば、よく聞くことを得しめたまふ」と。 {略抄}『華厳経』の文殊の偈にのたまはく、
「一切世間のなかのあらゆるもろもろの音声を、仏智はみな随ひて了りたまふも、また分別あることなし」と。
この念をなすべし、「いま弥陀如来は、さだめてわが所有の語業を聞きたまふらん」と。
十一には知他心智なり。 『十住論』(十住毘婆沙論)にいはく、「仏は、よく無量無辺の世界の現在の衆生の心、およびもろもろの染浄の所縁等を知りたまひ、またよく無色の衆生のもろもろの心を知りたまふ」と。 {略抄}『華厳経』の文殊の偈にのたまはく、
「一切衆生の心、あまねく三世にあるを、如来は一念において、一切ことごとくあきらかに達したまふ」と。
この念をなすべし、「いま弥陀如来は、かならずわが意業を知りたまふらん」と。
十二には宿住随念智なり。 『十住論』(同)にいはく、「仏もし自身および一切衆生の無量無辺の宿命の一切の事を念ぜんと欲せば、みなことごとく知りて、過恒河沙等の劫の事に知らずといふことあることなし。 この人はいづれの処に生ぜりき、姓名・貴賤・飲食・資生・苦楽、所作の事業、所受の果報、心にはなんの所行ある、本はいづこより来るといふこと、かくのごとき等の事をすなはちよく知見したまふ」と。 偈(十住毘婆沙論)にいはく、
「宿命智は無量なり。天眼の見、無辺なり。一切の人天のなかには、よくその限りを知ることなし」と。
念ずべし、「願はくは仏、わが宿業をして清浄ならしめたまへ」と。
十三には智慧無礙なり。 『宝積経』の三十七にのたまはく、「たとひ人ありて、恒河沙等の世界のあらゆる一切の草木を取り、ことごとく焼きて墨となし、擲げて他方の恒河沙等の世界の大海に置き、百千歳にして、つきてもつてこれを磨りてことごとく墨の汁となしてん。 仏、大海のなかより一々の墨の滴りを取りて、分別し了知したまふ。 これはその世界のかくのごとき草木の、その根、その茎、その枝、その条、華・菓・葉等となりと。 またもし人ありて、一毛端を持ちて水一滴を霑して、仏の所に来至して、この言をなさく、〈あへて滴水をもつて、もつてあひ寄す。 後にもし須ゐば、まさにわれに還し賜ふべし〉と。 その時に、如来その滴水を取りて、恒河の河のなかに置きたまはんに、かの河の流浪回澓のために旋転せられて、和合し引注して大海に至りなん。 この人、百年を満てをはりて、仏にまうしてまうさく、〈先に寄せたてまつりし滴水を、いま請ふ、われに還したまへ〉と。 その時に、仏、一分の毛端をもつて、大海のうちに就けて、本の水滴を霑して、もつてこの人に還したまはん」と。 {略抄}また『六波羅蜜経』にのたまはく、「無量恒河沙の十方界の草木を、ことごとく焚きて墨灰となして、億載海に歴ん。 十力智深妙にして滴りを取りて、含生に示して、実のごとく分別して、これ、それの界の樹等なりと知らしめたまへり」と。{云々}
またのたまはく(同・意)、「かくのごとき四洲およびもろもろの山王をもつて紙素となし、八の大海の水、もつてその墨となし、一切の草木をもつてその筆となして、一切の人天一劫に書写せらんを、舎利弗の所得の智慧に比ぶれば、十六分がなかにその一にも及ばず。 またこの三千大千世界において、そのなかの衆生の所有の智慧をして、舎利弗のごとく、等しくして異なることあることなからしめんに、菩薩の布施波羅蜜多を了達せる所有の智慧は、かれに過ぎたること百倍なり。 またこの三千大千世界のあらゆる衆生をして、みな布施波羅蜜多の智慧を具せしめんに、一の菩薩の所得の浄戒波羅蜜多の智慧に及ばず。 乃至、般若もまたかくのごとし。
またこの三千大千世界のあらゆる衆生をして、みな六波羅蜜の智慧を具せしめんに、一の初地の菩薩の智慧には及ばず。 乃至、十地まで展転して、かくのごとし。 またこの十地の菩薩の智慧は、なんぢ慈氏(弥勒)、一生補処の菩薩の智慧に比ぶるに、百千分がなかにその一にも及ばず。
この三千大千世界の一切衆生の所有の智慧をして、みな慈氏のごとく、等しくして異なることあることなからしめんに、かくのごとき菩薩、道場に坐して魔怨を降伏して、まさに正覚を成ぜんとする所有の智慧は、仏の智慧の百千万分においてその一にも及ばず」と。 『宝積経』にのたまはく、「たとひ、十方の無量無辺の一切世界のあらゆる衆生をして、みなことごとく繋属一生の菩薩の智慧を成就せしめんに、如来の十力の一の処非所智に比せんと欲はんに、百千万分のその一にも及ばず。 {乃至}烏波尼沙陀分のその一にも及ばず。 乃至、算数・譬喩も及ぶことあたはざるところなり」と。 『華厳経』の偈にのたまはく、
「如来の甚深の智は、あまねく法界に入りたまふ。よく三世に随ひて転じて、世のために明道となりたまふ」と。
同経の普明智菩薩の讃仏の偈にのたまはく、
「一切諸法のなかには、法門に辺あることなし。一切智を成就して、深法海に入る」と。
{以上}この念をなすべし、「弥陀如来はわが三業を照見したまふらん。
願はくは、世尊のごとく慧眼第一に浄なることを得ん」と。
十四には能調伏心なり。 『十住論』(十住毘婆沙論)にいはく、「諸仏は、もしは定に入り、もしは定に入りたまはずして、心を一縁のなかに繋けんと欲せば、意の久近に随ひて意のごとくよく住したまふ。 この縁のなかよりさらに余の縁に住したまふに、意に随ひてよく住したまふ。 もし仏、常心に住したまへるに、人をして知らざらしめんと欲せば、すなはち知ることあたはず。 たとひ一切衆生の、他心を知る智をして大梵王のごとくならしめ、大声聞・辟支仏のごとく、智慧を成就して他人の心を知らんとも、仏の常心を知らんと欲はんに、もし仏聴したまはずは、すなはち知ることあたはじ」と。 念ずべし、「願はくは、われをして仏覚三昧を得しめたまへ」と。
十五には常在安慧なり。 同論にいはく、「諸仏は安穏にして、つねに念を動かしたまはざれども、つねに心にあり。 なにをもつてのゆゑに。 先に知りて後に行生じ、意の所縁のなかに随ひて無礙の行に住するがゆゑに。 一切の煩悩を断ずるがゆゑに。 動性を出過せるがゆゑに。 仏、阿難に告げたまふがごとし。 〈仏は、この夜において阿耨菩提を得て、一切世間の、もしは天・魔・梵・沙門・婆羅門を、尽苦の道をもつて教化することあまねく畢へて無余涅槃に入りたまふ。 その中間において、仏は諸受において起を知り、住を知り、生を知り、滅を知ろしめす。 諸想・諸触・諸覚・諸念においてまた起を知り、住を知り、生を知り、滅を知ろしめす。 悪魔、七年昼夜に息まずして、つねに仏に随逐するに、仏の短を得ず、仏の念の安慧にあらざるを見ず〉」と。 偈(十住毘婆沙論)にいはく、
「その念大海のごとくして、湛然として安穏にまします。世間には法として、よく擾乱するものあることなし」と。
念ずべし、「願はくは仏、わが粗動なる覚観の心を除滅したまへ」と。
十六には悲念衆生なり。 『大般若経』にのたまはく、「十方世界には、一の有情として、如来の大悲の照らすことあたはざるところなるはなし」と。 『宝積経』にのたまはく、「たとひ、恒河沙等の諸仏の世界を過ぎて、ただ一の衆生も、この仏の化すべき限りなるには、その時に如来みづからその所に往きて、ために法要を説きて、それをして悟入せしめたまふ」と。 同経の偈にのたまはく、
「一の衆生を利せんがために、無辺の劫海に住して、それをして調伏することを得しめたまふ。
大悲心かくのごとし」と。 『華厳経』の文殊讃仏の偈にのたまはく、
「一々の地獄のなかに、無量劫を経て、衆生を度せんがためのゆゑに、よくこの苦を忍びたまふ」と。
『大経』(大般涅槃経)の偈にのたまはく、
「一切衆生の、異の苦を受くるは、ことごとくこれ如来一人の苦なり。{乃至}衆生は仏のよく救ひたまふことを知らず。ゆゑに如来および法・僧を謗ず」と。
『大論』(大智度論)にいはく、「仏は仏眼をもつて、一日一夜、おのおの三時に一切衆生を観じたまふ、たれか度すべきものあらんと。 時を失せしむることなし」と。
ある『論』(同・意)にいはく、「たとへば、魚の子の母もし念ぜざれば、子すなはち爛壊しぬるがごとく、衆生もまたしかなり。 仏もし念じたまはずは、善根すなはち壊しなん」と。 『荘厳論』の偈にのたまはく、
「菩薩は衆生を念じて、これを愛すること骨髄に徹り、恒時に利益せんと欲ふ。
なほ一子のごときがゆゑに」と。 これらの義によりて、ある懺悔の偈にいはく、
「父母に子あり。はじめて生れてすなはち盲聾なり。慈悲の心慇重にして、捨てずして養活す。子は父母を見ざれども、父母はつねに子を見んがごとき、諸仏は衆生を視そなはすこと、なほ羅睺羅のごとし。衆生は見たてまつらずといへども、実に諸仏の前にあり」と。
{以上}この念をなすべし、「弥陀如来はつねにわが身を照らし、わが善根を護念し、わが機縁を観察したまふ。 われもし機縁熟せば、時を失はずして接を被りなん」と。
十七には無礙弁説なり。 『十住論』(十住毘婆沙論)にいふがごとし。 「もし三千界のあらゆる四天下のなかに満てらん微塵数の三千大千界の衆生、みな舎利弗のごとき、辟支仏のごとき、みなことごとく智慧・楽説を成就し、寿命も上のごとき塵数の大劫ならんに、このもろもろの人等、四念処に因せて、その形寿を尽すまで如来を問難せば、如来還りて四念処の義をもつてその所問を答へたまはんに、言義重ならず、楽説無窮ならん」と。 またいはく(十住毘婆沙論)、「仏の説きたまふところあるは、みな利益ありてつひに空言ならず。 これまた希有なり。 {乃至}もし一切衆生の智慧・勢力、辟支仏のごとくならんに、このもろもろの衆生、もし仏意を承けずして一人を度せんと欲せば、この処あることなからん。 もしこのもろもろの人、説く時には、乃至、無色界の結使の一の毫釐の分をも断つことあたはず。 もし仏、衆生を度せんと欲して、言説したまふところあれば、乃至、外道・邪見、もろもろの竜・夜叉等、および余の仏語を解せざるものにも、みなことごとく解らしめたまふ。 これらもまたよく無量の衆生を転化す。 {乃至}このゆゑに、仏を最上の導師と名づけたてまつる」と。 偈(同)にいはく、
「四の問答のなかにおいて、超絶して倫匹なし。衆生のもろもろの問難は、一切みな得やすし。もし三時のうちにおいて、もろもろの所説あるは、言かならず虚しく設けたるにあらず、つねに大果報あり」と。
{以上}
『華厳』の偈にのたまはく、
「諸仏の広大の音は、法界に聞えずといふことなし。菩薩はよく了知して、よく音声海に入る」と。
『浄名経』(維摩経)の偈にのたまはく、
「仏は一音をもつて法を演説したまふに、衆生は類に随ひておのおの解を得。みな謂へり、世尊はその語を同じくしたまふと。これすなはち[[神力不共の法]]なり」と。
また『譬喩経』の第三にのたまはく、「阿育王、意に仏を信ぜず。 時に海辺に鳥あり、名づけてa随となす。 その音はなはだ哀和にして、すこぶる髣髴として、仏の音声の万分が一に似たることあり。 王、その音を聞きて歓喜して、すなはち無上道の意を発せり。 宮中の婇女おほよそ七千の人も、また無上道の意を発してき。 王はこれよりつひに三尊を信ぜり。 鳥の音声にして、度するところかくのごとし。 いはんや、至真の清浄の妙音のものにおいてをや」と。 {取意略抄}念ずべし、「われいづれの時にか、かの弁説を聞くことを得ん」と。
十八には観仏法身なり。 文殊師利菩薩のいへるがごとし。 「われ、如来を観ずるに、すなはち真如の相なり。 動なく作なし。 分別するところなく分別に異なることもなし。 方処に即せず方処に離せず。 有にあらず無にあらず、常にあらず断にあらず。 三世に即せず三世に離せず。 生なく滅なく、去なく来なく、染・不染もなく、二・不二もなし。 心言の路絶えたり。
もしこれらの真如の相をもつて如来を観ずるを、真に仏を見たてまつると名づく。 または如来を礼敬し、親近すと名づく。 実に有情においてよく利益をなす」と。 [『大般若』。]『占察経』の下巻に地蔵菩薩のいはく、「一実境界とは、いはく、衆生の心体は、もとよりこのかた、生ぜず滅せず、自性清浄にして無障・無礙なること、なほ虚空のごとし。 分別を離れたるがゆゑに、平等に普遍して至らざるところなく、十方に円満す。 究竟して一相にして、無二無別なり。 変ぜず異せず、増なく減なし。 一切衆生の心、一切声聞・辟支仏の心、一切菩薩の心、一切諸仏の心は、みな同じく不生不滅、無染寂静の真如の相なるをもつてのゆゑに。 所以はいかん。
一切の、心ありて分別を起すは、なほ幻化のごとくして、定実あることなし。 {乃至}一切世界に心の形状を求むるに、一区の分として得べきものなし。 ただ衆生の無明痴闇の勲習の因縁をもつて、妄りに境界を現じて、念着を生ぜしむ。 いはゆるこの心、みづから無なりと知ることあたはずして、妄りにみづから有と謂ひて、覚知の想を起して、我・我所を計す。 しかも実には覚知の想あることなし。 この妄心は畢竟じて体なく、可見ならざるをもつてのゆゑに」と。 [乃至広説。 信解をもつてこの理を観念するを、菩薩の最初根本業となせり。]この一実境界は、すなはちこれ如来の法身なり。 『華厳経』の一切慧菩薩の偈にのたまはく、
「法性はもとより空寂にして、取なくまた見なし。性空なるはすなはちこれ仏なり。思量することを得べからず」と。{以上}
念ずべし、「われいづれの時にか本有の性を顕すことを得ん」と。
十九には総観仏徳なり。 普賢菩薩のいふがごとし。 「如来の功徳は、たとひ十方の一切の諸仏、不可説の仏刹を、極微塵数の劫を経て、相続して演説したまふとも、窮尽すべからず」(華厳経)と。 {以上}また阿弥陀仏の威神無極なることは、『双巻経』(大経・下)にのたまふがごとし。 「無量寿仏は威神極まりなし。 十方世界の無量無辺不可思議の諸仏如来、称歎したまはざることなし」と。 龍樹の偈(十住毘婆沙論)にいはく、
「世尊のもろもろの功徳は、度量することを得べからず。人の、尺寸をもつて空を量らんに、尽すべからざるがごとし」と。
同じき讃弥陀の偈(易行品)にいはく、
「諸仏無量劫に、その功徳を讃揚したまはんに、なほ尽すことあたはじ。清浄の人に帰命したてまつる」と。
念ずべし、「願はくは、われ仏を得て、正法の王に斉しからん」と。  二十には欣求教文なり。 『般舟経』にのたまはく、「この三昧は、値ふことを得ること難し。 たとひこの三昧を求めんに、百億劫に至り、ただその名声を聞くことを得んと欲すとも、聞くことを得ることあたはじ。 いかにいはんや学することを得るものをや。 うたたまた行じて人に教へんをや」と。 偈(同)にのたまはく、
「われみづから往世の時を識念するに、その数六万歳を具足するまで、つねに法師に随ひて捨離せざりしに、初めより、この三昧を聞くことを得ざりき。仏ましましき。号をば具至誠とまうしき。時に智の比丘ありき。和隣と名づけき。かの仏世尊の泥洹の後に、比丘つねにこの三昧を持ちき。われ時に王君子の種たりき。夢のなかにこの三昧を聞くに逮びぬ。〈和隣比丘この経を有てりき。王まさに従ひてこの定意を受くべかりき〉と。夢より覚めをはりてすなはち往きて求むるに、すなはち比丘の三昧を持てるを見つ。すなはち鬚髪を除きて沙門となりにき。学すること八千歳して一時聞きき。その数八万歳を具足するまで、この比丘を供養し奉事しき。時に魔の因縁しばしば興起して、初めよりいまだかつて一反すら聞くことを得ざりき。このゆゑに比丘・比丘尼、および清信士・清信女、この経法を持てとなんぢらに属す。この三昧を聞きては疾く受行せよ。つねにこれを習持せる法師を敬ひて、一劫を具足するまで懈ることを得ることなかれ。{乃至}たとひ億千那術劫に、この三昧を求むるに聞くことを得ること難し。たとひ世界の、恒沙のごとき、なかに満てらん珍宝をもつて布施せんも、もしこの一偈の説を受けて敬誦することあらんには、功徳かれに過ぎたらん」と。
『双巻経』(大経・下)にのたまはく、「たとひ大火ありて三千大千世界に充満せりとも、かならずまさにこれを過ぎて、この経法を聞きて、歓喜し信楽し、受持、読誦して、説のごとく修行すべし。
所以はいかん。 多く菩薩ありてこの経を聞かんと欲すとも、しかも得ることあたはず。 もし衆生ありてこの経を聞くものは、無上道においてつひに退転せじ。 このゆゑに、まさに専心にして信じ、受持し読誦して、行ずべし」と。{以上}
この念をなすべし、「あるいは大千の猛火聚を過ぎ、あるいは億劫を経とも、法を求むべし。 われすでに深三昧に値遇せり。 いかんぞ退屈して勤修せざらん」と。 行者、このもろもろの事において、もしは多もしは少、楽に随ひて憶念せよ。 もし憶念することあたはずは、すべからく巻を披きて文に対ひて、あるいは決択し、あるいは誦詠し、あるいは恋慕し、あるいは敬礼すべし。 近くは勤心の方便となし、遠くは見仏の因縁を結べ。 おほよそ三業・四儀に、仏の境界を忘るることなかれ。
問ふ。 如来のかくのごとき種々の功徳を信受し、憶念するは、なんの勝利やある。
答ふ。 『度諸仏境界経』にのたまはく、「もし十方世界の微塵等の諸仏および声聞衆において、百味の飲食、微妙の天衣を施すること、日々に廃せずして恒沙の劫を満てて、かの仏の滅後に、一々の仏のために、十方界の一々の世界において塵数の塔を起て、衆宝をもつて荘厳し、種々に供養すること、一日に三時、日々に廃せずして恒沙の劫を満てて、また無数無量の衆生を教へて、もろもろの供養を設けしめんに、もし一人ありて、この如来の智慧功徳、不可思議の境界を信ぜば、所得の功徳はかれに勝れたること無量なり」と。 {取意}また『華厳』の偈にのたまはく、
「如来の自在力は、無量劫にも遇ふこと難し。   もし一念の信をなすは、すみやかに無上道を証す」と。
余は、下の利益門のごとし。
問ふ。 凡夫の行人は、物に逐ひて意移る。 なんぞつねに念仏の心を起すことを得ん。
答ふ。 かれ、もしただちに仏を念ずることあたはずは、事々に寄せてその心を勧発すべし。 いはく、遊戯・談笑の時には、極楽界の宝池・宝林のなかにして、天・人聖衆と、かくのごとく娯楽することを得んと願へ。 もし憂苦する時には、もろもろの衆生とともに、苦を離れて極楽に生ぜんと願へ。 もし尊徳に対ひては、まさに極楽に生れて、かくのごとく世尊に奉らんと願ふべし。 もし卑賤を見ば、まさに極楽に生じて、孤独の類を利楽せんと願ふべし。 おほよそ人畜を見るごとに、つねにこの念をなすべし、「願はくは、この衆生とともに安楽国に往生せん」と。 もし飲食する時には、まさに極楽の自然の微妙の食を受けんと願ずべし。 衣服・臥具、行住坐臥、違縁・順縁、一切准へて知れ。 [事に寄せて願をなすこと、これ『華厳経』等の例なり。] 
第三に対治懈怠とは、 行者は、 つねに勇み立って修行に進むことができぬ。 あるいは心が朦朧となり、 あるいは心がくじける。 そういう時には、 いろいろの勝れた事に寄せて、 自分の心を励ますべきである。
あるいは三悪道の苦しい果報を浄土の功徳に比べて、 このような念おもいを起こすがよい。 「自分は、 これまでに悪道で多劫を経てきた。 なんの利益もない苦しみでさえも、 よく過ごしてきたのである。 今、 わずかな行を修めて、 菩提さとりの大きな利益を得るのであるからくじけてはならない。」 悪道の苦と浄土の相とは、 一々前に述べたとおりである。
あるいは浄土に往生する人々のことを思い浮かべて、 このような念を起こすがよい。 「あらゆる世界のもろもろの人々は、 時々刻々に安楽国に往生している。 かの人々は堅固な志の者である。 自分もやはりそうである。 自分でわが身を軽んじて、 くじけてはならない。」 往生する人については、 下の利益門や料簡門に述べるとおりである。
あるいは仏のすぐれた功徳を知るべきである。
問う。 どういう功徳であるか。
答える。 それは無辺であるが、 略してその要を挙げよう。
第一には、 仏の四十八願を思うがよい。 «無量清浄平等覚経» に説かれている。
阿弥陀仏は、 観世音菩薩や大勢至菩薩とともに、 大願の船に乗って生死まよいの海に浮かび、 この娑婆世界に来て衆生に呼びかけ、 大願の船に乗せて、 西方に送り着けたもう。 もし、 この大願の船に乗る人は、 すべて皆、 往生することができる。
これは、 往き易いことを示したのである。 «心地観経» の偈に説かれている。
衆生は生死の海に沈み 五悪趣を経めぐって出る時がない
仏はいつもすぐれた法みのりの船となり よく煩悩の流れをたち截きってさとりの岸へ渡したもう
そこで次のように念おもうべきである。 「自分は、 いつの時にか、 この大悲の願船に乗って浄土に往生するのだろう。」
第二には、 名号の功徳を思うがよい。 «維摩経» に説かれているとおりである。
諸仏の色身からだのすぐれた相すがた、 種性うまれ、 戒・定・慧、 解脱・解脱知見、 十力・四無畏・十八不共法、 大慈大悲・威儀ふるまい・所行おこない、 およびその寿命、 説法教化し、 衆生をそだて、 仏国土を浄めるなど、 もろもろの仏の功徳を具備することは、 ことごとく皆平等である。 それ故に正徧覚 (三藐三仏陀) と名づけ、 如来 (多陀阿伽度) と名づけ、 覚者 (仏陀) と名づける。 阿難よ、 もし、 わたしが、 広くこの三句の義を説くならば、 そなたは一劫の寿命をもってしても、 ことごとく受持することはできないであろう。 たとい、 三千大千世界の中に満ちわたった衆生を、 みな、 阿難のように多聞第一にして、 聞いたことを受持するすぐれた能力 (念総持) を得させたとして、 この多くの人たちが、 一劫の寿命をもってしても、 やはりこの三句の意義を受持し尽くすことはできないであろう。
«西方要決» にいわれている。
«維摩経» に説かれている。 「仏の十号の中、 初めの三つのみ名を、 仏がもし広く説くならば、 阿難が一劫かかっても、 これを領受することはできないであろう。」 «成実論» に仏の号みなを解釈してあるが、 前の九つの号は、 みな別個な意義に従い、 前の九つの号のもつ名義いわれの功徳を総括して、 仏・世尊と名づける。 初めの三つの号を説くだけでさえ、 一劫を経ても説き尽くし難く、 阿難のもつ領解の力でも、 よくことごとく領解することはできない。 更に六つの号を加えて、 仏の名号を製られたのである。 このように、 勝れた功徳が円かであるから、 この名号を念ずるのは広大な善である。 以上は «西方要決» の文である。
«華厳経» の偈に説かれている。
もしもろもろの人々があって まだ菩提心を発おこさずとも
一たび仏の名みなを聞きうれば かならず菩提を成しとげる «首楞厳経» の文は、 下の料簡門に引くとおりである。
そこで次のように念おもうべきである。 「自分は、 今、 すでに仏の尊いみ名を聞くことができた。 なにとぞ仏となって、 十方の諸仏のようでありたい。」
第三には、 仏の相好の功徳を思うがよい。 «六波羅蜜経» に説かれている。
諸の世間で、 あらゆる過去・未来・現在の三世のすべての衆生、 まだ学ぶべき人も学ぶべきもののなくなった聖者および縁覚など、 このような人々のもっている無量無辺の功徳は、 仏の一すじの毛の功徳と比べると、 百千万分の一にも及ばない。 このような一々の毛端は、 みな仏の無量の功徳から生じたものである。 すべての毛端のあらゆる功徳を集めて、 ともに一髪の功徳を成す。 このような仏の髪は八万四千あって、 一々の髪の中には、 それぞれ上に述べたような功徳を具えている。 このように集まって、 ともに一つの随好こまかいすがたの功徳を成し、 そのすべての随好の功徳を集めて、 ともに一つの相の功徳を成す。 すべての相の功徳が集まって百千倍に至り、 眉間の白毫相の功徳を成す。 その相は円満で、 渦巻き、 右まわりして、 頗は胝てい迦か宝ほう (水精) のようで、 浄く鮮やかである。 ちょうど夜の闇に輝く明星のようである。 白毫相は、 これをのばすと、 上は色界の阿迦あか膩≠ノだ天 (色究竟天) にまで至り、 これを巻くと、 もとのようにまた白毫相となって、 眉間に住とどまる。 この白毫相の功徳が百千倍になって、 肉髻の相を成就する。 このような肉髻の千倍の功徳も、 梵音声相の功徳には及ばないのである。
また «宝積経» には無数の比較が説かれている。 学ぼうと思う人は、 よく調べるがよい。 また、 «大集念仏三昧経» の第五巻に説かれている。
このような世界および十方の無量無辺のもろもろの世界の中のあらゆる衆生が、 たとい悉くみな同時に成仏して、 その諸の仏たちが無量劫のあいだに、 皆また仏の一すじの毛の功徳を嘆ほめても、 結局、 また嘆め尽くせないのである。 以上
«華厳経» の偈に説かれている。
清浄なる慈悲の功徳は数限りなく あい共に仏の一つの妙なる相となる
一々の諸相はすべてこのとおりであり それゆえ見るものは厭くことがない
そこで次のように念おもうべきである。 「願わくは自分は、 み仏の辺ほとりなき功徳の相を見たてまつりたい。」
第四には、 光明の不思議なはたらきを思うがよい。 «平等覚経» に説かれている。
無量清浄仏 「無量清浄仏」 というのは、 阿弥陀仏のことである。 の光明は、 最尊第一で比たぐいなく、 諸仏の光明の、 みな及ばぬところである。 ある仏の頂の光明は七尺を照らし、 ある仏の光明は一里を照らし、 ある仏の光明は五里、 ある仏の光明は二十里・四十里・八十里、 さては百万の仏国、 二百万の仏国を照らす。 八方・上下などの数かぎりない諸仏の頂の光が照らすところは、 皆このようである。 以上は、 経の意味を取って述べたのである。 私見によると «観経» には 「かの仏の円光は、 百億の大千世界のようである」 といい、 この経には 「頂の光は、 千万の仏国を照らす」 と説く。 この二経の意味は同じである。
«無量寿経» の意も、 これと同じで、 次のように説かれている。
無量寿仏の不思議な光明は最勝第一であって、 諸仏の光明の到底及ぶところではない。 ある仏の光明は百の世界を照らし、 ある仏の光明は千の世界を照らすというふうに、 諸仏の光明はさまざまであって、 その究極をいえば、 東方の恒沙の数ほどの国々を照らすのである。 南・西・北・四維・上下の各方もまた同様である。 それゆえ、 この仏を、 無量光仏・無辺光仏・無礙光仏・無対光仏 玄一師がいう。 「ともに等しいものがないからである。」 炎王光仏 玄一師がいう。 「最も勝れて自在であるから。」 清浄光仏 玄一師がいう。 「三垢 (貪欲・瞋恚・愚痴) を滅するから。」 憬興師がいう。 「貪る心の無い善根より生ずるから。」 歓喜光仏 玄一師がいう。 「この光に遇う者は、 意が悦ばしくなるから。」 憬興師がいう。 「瞋りの心の無いことより生ずるから。」 智慧光仏 玄一師がいう。 「智慧より発るものであるから。」 憬興師がいう。 「愚痴の心の無いことより生ずるから。」 不断光仏 玄一師がいう。 「たえず相続するから。」 難思光仏・無称光仏 玄一師がいう。 「仏の徳を称め尽くすことができないからから。」 その他の仏名の意義は知るべきである。 煩わしいから記さぬ。 超日月光仏と申しあげる。 もし三塗の苦悩の中にあって、 この光明を拝むなら、 ふたたび苦しみ悩むことなく、 命終の後には、 ことごとく迷いを離れることができよう。 ひとりわたしが、 今その光明をたたえるばかりでなく、 すべての仏たちも、 みなともに讃嘆されるのである。 もし、 その光明の量り知られない功徳を聞いて、 日夜それをほめたたえ、 至心まごころこめて相続するものは、 願いのままに浄土に往生することができる。 無量寿仏の光明の気高く尊いことは、 わたしが一劫のあいだ昼夜説きつづけても、 なお説き尽くすことができない。 以上は経の意味を取って述べた。 «平等覚経» には、 区別して 「頂の光」 といい、 «観経» には総じて 「光明」 と説くのである。
«比喩経» の第三巻に、 釈迦世尊の光明の相を明らかにしていう。
釈尊が入滅せられて百年の後、 阿あ育いく王がいた。 国内の民が仏の遺された経文を誦んでいると、 阿育王は、 意こころに仏を信じないで思うよう。 ª仏には、 人間に越えたどんな徳があるのだろうか。 どうして人々は、 仏をひたすら信じて、 その経文を誦み習うのか。º そこで大臣に問う。 「国の中で、 もしも仏を見たものがあるだろうか。」 大臣が答えていう。 「聞くところでは、 波斯はし匿のく王の妹が出家して比丘尼となり、 年老いてはいますが、 仏を見たてまつったというております。」 そこで王は、 親しく比丘尼の所に出向いて問うていう。 「あなたは仏を見られましたか。 いかがですか。」 尼は答えていう。 「はい。 見たてまつりました。」 問うていう。 「仏は、 一般の人と、 どんなちがいがありましたか。」 尼がいう。 「み仏の功徳は、 けだかくて量り難いのであります。 わたしのような愚かで賎しい者が、 よくそれを陳べられることではありませんけれども、 おおむね一つの事を申しますと、 み仏の殊にすぐれていられたことを知ることができましょう。 それは、 わたしが八才の時でありました。 世尊が来られて王宮にお入りになりました。 そこでわたしは進み出て仏のみ足を頂礼しました時、 頭上の金の釵かんざしが抜けて地上に落ちました。 それを探しましたが見つかりません。 なぜだろうとかと、 いぶかしく思いましたが、 み仏のお通りになった足跡に千輻輪相があり、 そこから光明を放って輝き、 七日たってその光明が消えました。 その時は金の釵が金色の大地と同じ色だったので、 見えなかったのであります。 光が消えた後に、 釵が見つかりました。 これで、 み仏が殊にすぐれていられたことがお分かりでありましょう。」 阿育王は、 この話を聞いて喜び、 心明らかになって悟さとりを開いたのである。 抜き書きした。
«華厳経» の偈に説かれている。
一々の毛孔から雲のような光を現わし 虚空に遍くひろがって大音を発おこす
あらゆるくらやみの所を照らし尽くして 地獄の衆苦もみなほろぼしたもう
そこで、 次のように念おもうべきである。 「願わくはみ仏の光明がわたしを照らし、 生死まよいの業苦を滅ぼしたまえ。」
第五には、 何者にも害そこなわれない仏の徳を思うがよい。 «宝積経» の第三十七巻に説かれている。
風災劫の起こる時には、 世に大風が吹く。 その風を僧伽そうぎゃ多たと名づける。 その風は、 この三千大千世界の須弥山・鉄囲山、 および四大洲、 八万の小洲、 大山・大海を吹き挙げること、 その高さ百由旬、 さては無量百千由旬に及び、 挙げおわれば粉々に砕いて塵としてしまう。 また、 上は夜摩天宮、 さては遍浄天のあらゆる宮殿を撃ち壊し、 それらもまたみな散り滅してしまう。 ところで、 この風で如来の衣を吹いても、 一すじの毛の端をさえ動かすことはできない。 まして、 衣の一角、 さらには衣全体をどうして動かしえようか。 以上
«十住毘婆娑論» にいわれている。
諸仏の不可思議なことは、 喩をかって知るべきである。 たとい、 あらゆる十方世界の衆生に皆、 力をもたせ、 もし、 一人の悪魔が非常な勢力があるとして、 かの十方の一々の衆生の力をこの悪魔のようにならせ、 ともどもに、 仏を害そこなおうと思っても、 仏の一すじの毛をさえ動かすことはできない。 まして、 仏を害するものが、 どうしてあろうか。
«十住毘婆娑論» の偈にいわれている。
もしもろもろの世間の中で 仏を害そこないたてまつろうと欲おもっても
この事はすべて成功しない 不殺生の行を成就せられているからである
そこで次のように念おもうべきである。 「願わくは自分はこの仏のような金剛不壊の身を得たいものだ。」
第六には、 飛行することが自在であることを思うがよい。
«十住毘婆娑論» にいわれている。
仏は、 空中で、 足を挙げるも下すも、 行くも住とどまるも坐るも臥すも、 すべて自由自在を得ていられる。 すぐれた声聞であれば神通自在で、 一日の中に、 五十三億二百九十六万六千の三千大千世界を過ぎて行く。 このような声聞が百年かかって過ぎる距離を、 仏は一念の中に過ぎたもう。 さては、 恒河の中の沙について、 一粒の沙を一つの恒河とし、 これらもろもろの恒河の沙の数ほどの大劫の間に過ぎて行く国土を、 仏は一念の中に過ぎたもう。 もし、 宝蓮華を踏んで行こうと思われると、 すぐに、 それが果たされる。 このように飛行することがすべて礙さわりないのである。
«観仏三昧経» に説かれている。
空中で、 み足を挙げて行きたもう時、 足の下の千輻輪の相は、 みな八万四千の蓮華を雨ふらす。 このような多くの蓮華に、 微塵の数ほどの仏がおられて、 また空中を歩まれる。 以上。 抜き書きした。
また、
空中を踏んで行きたもうとき、 千輻輪相は、 地上に現われる。 快よい妙香を放つ紅蓮華は、 おのずから湧き出て如来のみ足を承ける。 もし、 畜生界のあらゆる生物が、 如来のみ足に触れられたら、 七夜を満ちるまで諸の快楽を受け、 命が尽きた後には、 善趣の楽しい世界に往き生まれる。 «宝積経» に説かれている。
もし、 四十里の磐石いわを、 色究竟天から落とせば、 一万八千三百八十三年を経て、 この地に至るという。 まっすぐに下るのでさえ、 そうである。 これから推して、 声聞の飛行と如来の飛行とは、 順次に、 より一層不可思議であることを知るべきである。
«華厳経» の慧林菩薩が仏を讃ずる偈に説かれている。
自在の神通力は 無量で思い議はかることが難しい
来りもせず また去りもせずに 法を説いて衆生を救いたもう
そこで次のように念おもうべきである。 「願わくは、 自分は神通を得て、 諸の仏土に自在に往来したいものだ。」
第七には、 神通が無礙であることを思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
仏は、 よく恒河の沙の数ほどの世界を微塵のように粉々に砕いて、 また、 よく元通りに合わせたもう。 あるいはまた、 よく無量無辺阿僧祇の世界を、 みな金や銀などに変え、 またよく恒河の沙の数ほどの世界の大海の水を、 みな乳酥などに変えたもう。 以上
«浄名経» (涅槃経) に菩薩の不思議解脱を説いていわれている。
この三千大千世界を陶工の用いる輪ろくろが土をとるように断ち取って、 右の掌の中に置き、 恒河の沙の数ほどの世界の外に投げやっても、 その中の人々は、 自分の居る所をわからず知らない。 また、 本の場所に戻して置いても、 全く人々に往来の想いを抱かせないのである。 しかも、 この世界の本来の相は、 もとのようである。 また、 下方で恒河沙の数ほどの諸仏の世界を過ぎて一仏土を取り、 上方恒河沙の数ほどの無数の世界を過ぎて挙げるのに、 ちょうど針の先を持って、 一つの藁の葉を挙げるようで、 しかも、 何らわずらわしいことはない。 須弥山を芥子の中に納いれ、 四大海水を一毛孔に入れるのも、 またこれと同様である。 その中の衆生は、 わからず知らない。 ただ済度をする方だけが、 これを知るのである。 以上
菩薩の力でさえも、 このようである。 まして、 仏の力は、 いうまでもない。 それゆえ «度諸仏境界経» に説かれている。
よく十方の世界を一つの毛孔に入れ、 (中略) 一つの微塵の中に、 よく無量無数の説くこともできぬほどの世界を現わされても、 あらゆる衆生は、 すこしも窮屈なことはない。 また、 無量無数の説くこともできぬほどの永劫の間に起こる威儀ふるまいや果報むくいの事を、 よく一念の間に現わし、 一念の間の威儀や果報の事を、 無量無数の説くこともできぬほどの劫の間に現わされる。 しかも、 このような所作おこないは、 心を用いず、 考えたものでもない。
«華厳経» の真実幢菩薩の偈に説かれている。
すべての如来は 神通力が自在にまします
すべての過去・現在・未来の中に これを求めても得ることができぬ
そこで次のように念おもうべきである。 「自分は、 今も、 み仏の神通力に運ばれて、 どの仏土に住んでいるのか、 誰の毛孔の中に在るのかを知らぬ。 しかし、 自分は、 いつかはこれを知りたいものである。」
第八には、 機類に応じてすがたを現わされることを思うがよい。 «十住毘婆娑論» に、
仏は、 一念の中に、 十方の無量無辺の恒河沙の数ほどの世界で、 無量の仏身を現わしたもう。 その一々の化現せられた仏も、 またよくいろいろの仏の事はたらきを作なしたもう。
といわれている。 以上に述べた四つの事がらは、 神境通に関するものである。
«度諸仏境界経» に説かれている。
如来の現わしたもうことは、 特に心を用いず、 特に考えたわけでもない。 衆生の根性にしたがって、 自然と違った見方をするのである。 ちょうど、 十五日の夜、 この閻浮提の人々は、 それぞれ、 月がその上に現われていると見るけれども、 月はなにも、 特に心を用いて、 その上に現われたのではないようなものである。
«華厳経» の偈に説かれている。
如来の広大な御身は あらゆる世界にあまねくして
この座を離れることなく すべての所に満ちたもう
また説かれている。
智慧甚深の海のような功徳で あまねく十方無量の国に現われたまい
諸の衆生の見るところにしたがって 光明遍く照らして法みのりを説きたもう
そこで次のように念おもうべきである。 「願わくは、 自分はあらゆる世界に遍満したもう仏身を見たてまつりたい。」
第九には、 明らかにすべてを見通す眼まなこを思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
大力の声聞は、 明らかに見通す眼をもって、 よく小千国土を見、 また、 その中の衆生の生まれる時と死ぬ時とを見る。 小力の縁覚は、 十の小千国土を見、 その中の衆生の生まれる時と死ぬ時とを見る。 中力の縁覚は、 百の小千国土を見、 その中の衆生がどこに生まれて、 どこに死んで行くかを見るのである。 大力の縁覚は、 三千大千国土を見、 その中の衆生がどこに生まれて、 どこに死んで行くかを見るのである。 諸仏がたは、 無量無辺の不可思議の世界を見、 またその中の衆生の生まれる時と死ぬ時とを見られるのである。 以上
«華厳経» の偈に説かれている。
み仏の眼は広大で辺際はてなく 普ねく十方の諸の国土を見たもう
その中の衆生は数限りがないが 大神通を現わしてすべてを調え帰伏せしめらる
そこで次のように念おもうべきである。 「いま阿弥陀如来は、 遥かに自分の身業おこないを見通したもうことであろう。」
第十には、 声を聞きわけることが自在であるのを思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
たとい恒河の沙の数ほどの三千大千世界の人々が同時に言葉を出し、 また同時に百千種の音楽を奏でるのに、 それが遠くても近くても、 意おもいのままによく聞きわけたもう。 もしその中で、 ただ一つの音声だけを聞こうと思われるならば、 意のままに聞くことができて、 その他の音声は聞こえない。 また無辺の世界を過ぎて起こるもっとも細い声でさえ、 皆また聞くことができる。 もし衆生に聞かせようと思われるならば、 よく聞くことを得させるのである。 これは抜き書きした。
«華厳経» の文殊菩薩の偈に説かれている。
すべての世間の中の あらゆる諸の音声こえを
仏智はみな一々知りたもうが また分別を用いたもうことはない
そこで次のように念おもうべきである。 「今、 阿弥陀如来は、 さだめて自分の言葉を聞きたもうことであろう。」
第十一には、 他の心を知る智慧を思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
仏は、 よく無量無辺の世界の現にいる衆生の心、 および心に考えているいろいろの浄・不浄のことなどを知りたまい、 またよく無色界の衆生のいろいろの心をも知りたもうのである。 これは抜き書きした。
«華厳経» 文殊菩薩の偈に説かれている。
すべての衆生の心が 普く三世にわたるのを
如来はよく一念に みな悉く知りたもう
そこで次のように念おもうべきである。 「今、 阿弥陀如来は、 きっとわたしの意業こころを知ろしめしたもうであろう。」
第十二には、 過去世のことを思いのままに知る智慧を思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
仏がもし、 ご自身をはじめ、 あらゆる衆生の無量無辺の過去世のすべてのことを念じようと思われるならば、 みな悉く知り、 恒河の沙の数ほどの限りない昔の事でも、 知りたまわぬことはない。 この人は何処に生まれたか、 姓名・貴賎、 どのような飲食たべもので生活していたか、 苦楽、 行なった仕事・請けた果報むくい、 心のどのような思い、 本はどこから来たのか、 こういうような事をすぐによく知りたもう。
同じ論の偈にいわれている。
前世の事を知りたもう智慧は量りなく 天眼で見そなわしたもうことも辺ほとりがない
すべての人も天人も そのきわまりを知りうるものはない
そこで次のように念おもうべきである。 「願わくはみ仏、 わたしの前世の業を浄らかになしたまえ。」
第十三には、 智慧の無礙自在であることを思うがよい。 «宝積経» の第三十七巻に説かれている。
たとい、 人あって恒河沙の数ほどの世界中にあるすべての草木を取り、 悉く焼いて墨として、 他方の恒河沙の数ほどの世界の大海の中に投げこんで置き、 百千年の間これを磨すって、 ことごとく墨汁としようとも、 仏は大海の中から、 一々の墨の滴したたりを取って、 これはどこそこの世界の、 このような草木の、 あの根、 この茎、 あの枝、 この条こえだ、 花・果このみ・葉などと、 それぞれ知りわけたもう。 また、 もしある人が、 一すじの毛の先に一滴の水を霑うるおして、 仏の所に来て、 「恐れ入りますが、 一滴の水を持参しました。 お預け申しあげます。 後に、 もし入用の時には、 わたしにお返し下さいますよう」 と申しあげたとする。 その時、 仏は、 その一滴の水を取って、 恒河の中にお入れになると、 かの河の浪なみに流され渦巻き旋めぐり、 まざりあい、 注いで大海に至る。 ところで、 この人が百年たった後に、 仏に 「前にお預けいたしました一滴の水を、 なにとぞ今わたしにお返し下さいませ」 と申しあげたとする。 そのとき仏は、 一分の毛端を大海の内につけて、 本の水の滴したたりを霑うるおし、 それをこの人に返したもうのである。 これは抜き書きした。
«六波羅蜜経» に説かれている。
このような須弥四州および諸の山を紙とし、 八大海の水をその墨とし、 すべての草木をその筆として、 すべての人や天人が一劫の間に書写したとしても、 舎利弗の得た智慧に比べると、 その十六分の一にも及ばない。 また、 この三千大千世界の中の衆生が持っている智慧を、 舎利弗とひとしくして異なることがないようにさせたとして、 菩薩が通達した布施の行の持っている智慧は、 かのあらゆる衆生の智慧に百倍も過ぎている。 また、 この三千大千世界のあらゆる衆生にみな布施の行の智慧を具えさせたとしても、 ひとりの菩薩の得た持戒の行の智慧には及ばない。 このようにして、 智慧の行に至るまで順次にまた同様である。 また、 この三千大千世界のあらゆる衆生に、 みな六波羅蜜の智慧を具えさせたとしても、 ひとりの初地の菩薩の智慧には及ばない。 このように十地まで順次にすぐれていることは、 同様である。 また、 この十地の菩薩の智慧を、 弥勒よ、 そなたの一生補処の菩薩の智慧と比べるならば、 そなたの百千分の一にも及ばない。 ところで、 この三千大千世界のあらゆる衆生のもっている智慧を、 みな弥勒と等しくして異なることがないようにさせるとしても、 このような菩薩が道場さとりのにわに坐って、 悪魔を降伏し、 まさに正覚さとりを成就しようとする時に持っている智慧は、 仏の智慧の百千万分の一にも及ばないのである。
«宝積経» に説かれている。
たとい、 十方の無量無辺のすべての世界のあらゆる衆生に、 みな悉く一生補処の菩薩の智慧を備えさせたとしても、 如来の十力の一つである処非処智と比較しようとすれば、 その百千万分の一にも及ばない。 (中略) 烏波うば尼に沙しゃ陀だ分の一 (数の極少) にも及ばない。 さては、 数えることも譬えることも及び得ないところである。 以上
«華厳経» の偈に説かれている。
如来の甚深の智慧は 普ねくすべての世界に入り
よく三世にわたって転めぐり 世の人のための明らかな道となる
同じ経の普明智菩薩が仏を讃えた偈に説かれている。
すべて諸の法の中で み仏の法門は辺はてがない
一切智さとりのちえを成就なされて 深い法の海に入りたもう 以上
そこで次のように念うべきである。 「いま阿弥陀如来は、 わたしの身口意の三業を明らかに知ろしめすことであろう。 願わくは、 み仏のようにこの上もなく浄らかな智慧の眼を得たいものである。」
第十四には、 能く心を調伏したもう徳を思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
諸仏は、 禅定に入っても、 禅定に入らなくても、 心を一つの縁ことに繋けようと欲おもわれると、 その意おもいの久しいにも近いにも、 それぞれ意のままによく住したもう。 この縁から、 更に他の縁に住するのも、 意のままによく住したもう。 もし仏が、 常の心に住したもうときも、 人に知らせまいと欲したもうたならば、 知ることはできない。 たといすべての衆生が、 他人の心を知る智慧を大梵王のようにし、 すぐれた大声聞や縁覚のように、 その智慧を成就して、 他人の心を知ったとしても、 仏の常のお心を知ろうと欲おもうならば、 もし仏が聴ゆるしたまわぬかぎり、 知ることはできない。
そこで次のように念うべきである。 「願わくは、 わたしに仏覚三昧を得させてください。」
第十五には、 常に安慧にあることを思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
諸仏の心は安穏であって、 常に念おもいを動かず、 いつも智慧にある。 なぜかというと真如をさとってから行じ、 意こころの思いにしたがって無礙に住して行ずるからであり、 すべての煩悩を断ちたもうからであり、 動揺の性を越えていられるからである。 仏が阿難に告げたもうたとおりである。 「仏は、 この夜において、 無上菩提を得て、 すべて世の中の天・魔王・梵天・沙門・婆羅門を、 苦を除く道で教化することがすっかりおわって、 無余涅槃に入りたもう。 その間に仏はもろもろの苦楽などと感受することの起こりを知り、 住することを知り、 生ずることを知り、 滅することを知りたもう。 諸の想、 諸の触 (皮膚の感覚)、 諸の覚、 諸の念においても、 またその起こりを知り、 住することを知り、 生ずることを知り、 滅することを知りたもう。 悪魔は、 七年の間、 昼夜休まず、 常に仏につきしたがったけれども、 仏の短所を見出すことができず、 仏の念が安らかな智慧に住しないことを見なかった。
«十住毘婆娑論» の偈にいわれている。
み仏の念は大海のように 湛然として安らかであって
世のいかなる法ものでも これをかき乱すことのできるものはない
そこで、 次のように念うべきである。 「願わくは、 み仏、 わたくしの麁あらく動揺する覚観の心を除き滅してください。」
第十六には、 衆生を悲念したもうことを思うがよい。 «大般若経» に説かれている。
十方の世界には、 一人として、 如来の大悲の光が、 よく照らしたまわぬものはない。
«宝積経» に説かれている。
たとい、 恒河の沙の数ほどの諸仏の世界を過ぎたところに、 ただひとりの人がいて、 その人が仏の教化の限りであったとしても、 そのとき如来は、 御自身でその場所に往かれ、 その人のために法を説いて悟りに入らせたもう。
また、 同じ経の偈に説かれている。
ひとりの人を救うがため はてもない永劫の時をかけて
その人を済度したもう 大悲心はこのようなものである
«華厳経» の文殊菩薩が仏を讃えられる偈に説かれている。
一々の地獄の中で 無量永劫の時を経ても
衆生を済度するために よくこの苦しみを忍びたもう
«涅槃経» の偈に説かれている。
すべての衆生が受けるいろいろの苦しみを 如来は一人の苦しみとする (中略)
衆生は仏のよく救いたもうことを知らない それゆえ仏と法と僧の三宝を謗る
«大智度論» にいわれている。
仏は仏眼で、 毎日毎夜それぞれ三時に、 すべての衆生を観そなわし、 だれか救うべき者があれば、 その時を失なうことはない。
ある論 (大智度論) にいわれている。
譬えば、 魚の母がその卵のことを念じないならば、 卵は爛ただれこわれるように、 衆生の場合も同様である。 仏が、 もし衆生を念じたまわないならば、 その善根は、 すぐさまこわれてしまうであろう。
«荘厳論» の偈にいわれている。
菩薩が衆生を念じ これを愛したもうことは骨髄に徹り
いつも利益しようと欲おもいたもう ひとり子のように思し召すからである
これらの義わけによって、 ある懺悔の偈にいわれている。
父母の間に生まれた子が 生まれながらの盲めしいや聾つんぼであっても
親の慈悲心があついので 見捨てることなく養い育てる
子は父母を見なくても 父母はいつも子を見るように
諸仏が衆生を視みたもうことは ちょうどひとり子である羅睺らご羅らのようである
衆生は仏を見たてまつらぬけれども 実は諸仏の前に在る 以上
そこで次のように念うべきである。 「阿弥陀如来は、 常にわが身を照らし、 わが善根を護念し、 わが機縁を観察したもう。 わたしがもし、 機縁が熟するならば、 時を失わずに、 み仏に引接せられるであろう。」
第十七には、 無礙弁説を思うがよい。 «十住毘婆娑論» にいわれている。
もし三千大千世界のあらゆる四天下に充満している微塵の数ほどの三千大千世界の衆生が、 みな舎利弗のように、 また縁覚のように、 皆悉く智慧楽説を成就し、 その寿命も上に述べた微塵の数ほどの大劫であるとして、 この諸の人たちが、 四念処 (無常・苦・無我・不浄と観ずる) の義について、 その寿命を尽くすまで、 如来に難問したてまつっても、 如来は、 かえってその四念処の義で、 その問に答えたもうのに、 言葉も意味も重ならず、 その楽説が窮まりないであろう。
また、 いわれている。
仏の説きたもうことには皆、 利益があって、 まったく空言はない。 これもまた、 希なことである。 (中略) もし一切の衆生の智慧や勢力が、 みな縁覚のようであるとして、 この諸の衆生が、 もし仏の思し召しを承けないで、 一人を済度しようと思っても、 そういう事はできないのである。 もし、 この諸の人が法を説く時は、 無色界の煩悩の、 ほんのすこしでも、 断ちきることはできない。 もし仏が衆生を済度したいと思し召して、 説きたもうことがあると、 外道・邪見・諸龍・夜叉など、 さてはその他の仏語を理解しない者にまでも、 みな悉く理解させたまい、 これらの者もまた、 無量の衆生を次々に教化する。 (中略) こういうわけで、 仏を最上の導師と名づける。
«十住毘婆娑論» の偈にいわれている。
四つの問答において 超絶してたぐいがない
衆生の尋ねる多くの問難には ことごとく皆たやすく答えたもう
初めも中ほども終りも 説きたもうすべてのことばは
決してむなしからず 常に大きな果報がある 以上
«華厳経» の偈に説かれている。
諸仏の広大なみ声は あらゆる世界に聞こえぬところはない
菩薩はよくさとって よく音声海に入る
«維摩経» の偈にいわれている。
仏は一つの声で法を説きたもうのに 衆生は機類に応じて解さとり
みな世尊はその語を同じうしたもうとおもう これが仏だけの持たれる不思議な徳である
また «比喩経» の第三巻に説かれている。
阿育王は、 その心に仏を信じなかった。 その時、 海辺にaよう随ずいという鳥がいた。 その声は非常に美しく調和し、 おぼろげながら仏の音声みこえに万分の一ほど似ていた。 阿育王は、 その鳥の声を聞いて歓喜し、 すぐに無上道の意を起こし、 宮中の女官たちすべて七千人もまた無上道の意を起こした。 阿育王は、 それ以後、 遂に尊い仏法僧を信じたという。 鳥の声でさえも、 このように人を済度する。 ましてみ仏の真実清浄なる音声では、 いうまでもないことである。 これは、 意味をとって抜き書きした。
そこで次のように念うべきである。 「わたしはいつの時にか、 み仏の弁説おことばを聞くことができようか。」
第十八には、 仏の法身を観ずることについて思うがよい。 文殊師利菩薩の仰せられるとおりである。
わたしが如来を観じたてまつるのに、 如来は真如の相すがたそのものである。 動くこともなく作すこともない。 分別することもなく、 分別に異なることもない。 方処ばしょに即つくのでもなく、 方処を離れるのでもない。 有でもなく無でもない。 常でもなく断でもない。 三世に即つくのでもなく、 三世を離れるのでもない。 生ずることなく滅することもない。 去ることもなく来ることもない。 染けがれも不染もない。 二も不二もない。 心も言ことばも絶えている。 もし、 これらの真如の相をもって如来を観ずるならば、 真に仏を見たてまつると名づける。 また、 如来を礼敬し親近したてまつると名づける。 これは実に衆生をよく利益するのである。 これは «大般若経» に説くところである。
«占察経» の下巻に、 地蔵菩薩がいわれる。
真如一実の境界とは、 次のようである。 すなわち、 衆生の心の実体は、 本来、 生ぜず滅せず、 元来清浄の性であって、 ちょうど虚空のように障礙さわりはない。 分別を離れているので、 平等に普くゆきわたり、 至らぬ所はなく十方世界に円満している。 つまるところ一相であり、 二なく別はない。 変わることもなく異なることもない。 増すこともなく減ることもない。 すべての衆生の心、 すべての声聞や縁覚の心、 すべての菩薩の心、 すべての諸仏の心は、 皆同じく、 生ずることも滅することもなく、 染けがれのない寂静の真如の相であるからである。 そのわけはどうかというと、 すべて心を持って分別を起こすものは、 ちょうど幻のようで、 固定した実体はないのである。 (中略) すべての世界において、 心のありさまを求めても、 その一部分でも得ることはできない。 ただ、 衆生の無明煩悩によって、 みだりに境界を現わし、 執着を起こさせるのである。 すなわち、 この心をみずから無いと知ることができないで、 むやみにみずから有ると思い、 覚知の想を起こして、 我われと我所わがものとを有ると計らうのである。 けれども実際には、 その覚知の想も無いのである。 この妄心は、 結局のところ実体がなく、 見ることができないからである。 なお、 広く説かれている。 信解をもってこの道理を観念するのを、 菩薩の最初の根本の業とする。
この一実の境界が、 如来の法身である。 «華厳経» の一切慧菩薩の偈に説かれている。
法性はもとより空寂であって 取ることもまた見ることもできない
性の空であるのがこれ仏であり 思い量ることができぬ 以上
そこで次のように念うべきである。 「わたくしは、 いつの時にか本来有もっている真如の性を顕わすことができようか。」
第十九には、 総じて仏徳を観ずることを思うがよい。 普賢菩薩のいわれるとおりである。 (華厳経)
如来の功徳は、 たとい十方のすべての諸仏が、 とても説きつくせないほどの仏国を、 至極微細な塵に砕いた数ほどの長い劫の間、 続けて説かれても、 窮め尽くすことはできない。 以上
また阿弥陀仏の威神の窮まりないことは、 «無量寿経» に説かれている。
無量寿仏の威神功徳は、 きわまりなくすぐれているから、 十方世界の数かぎりない諸仏たちは、 ひとりとして讃嘆されぬものはない。
龍樹菩薩の偈にいわれている。 (十住毘婆娑論)
世尊の諸の功徳は 量ることができぬ
さながら人が尺寸ものさしで虚空を量っても はてしがないようなものである
同じく阿弥陀仏を讃ほめる偈にいう。
多くの仏たちが量り知れぬながい劫をかけて かの仏の功徳をほめたたえても
なおほめ尽くすことはできぬ ゆえに清浄なる徳を具えた仏を帰命したてまつる
そこで次のように念うべきである。 「願わくは、 わたしは仏となり、 正法の王に斉しくありたい。」
第二十には、 欣求の経文を思うがよい。 «般舟経» に説かれている。
この三昧は値あうことがむずかしい。 たといこの三昧を百億劫にわたって求め、 ただその名を聞きたいとおもっても、 聞くことはできない。 まして、 学ぶことを得る者があろうか。 更にまた、 これを行じて人に教えることがどうしてできようか。
同じ経の偈に説かれている。
われ自ら過去世におもうに 六万年を満ちるまで
常に法師に随って離れなかったのに この三昧を聞くことは全くできなかった
具至ぐし誠じょうと名づける仏がましまして そのとき和わ隣りんと名づける智慧ある比丘がいた
かの仏が入滅したまいて後 比丘はつねにこの三昧を持たもっていた
われはその時 王室の者であったが 夢の中にこの三昧を聞くに及び
ª和隣比丘がこの経を有たもっているから 王は比丘に従ってこの三昧を受けよº と告げられた
夢から覚めてすぐに往き求めたところ さっそく比丘がこの三昧を持たもつのを見て
その場で髪をそって出家となり 八千年のあいだ学んで 一たび聞いた
その後八万年に満ちる間 この比丘を供養してつかえたが
時に魔の因縁がしばしば起こり 初めから一返も聞くことができなかった
それゆえ比丘・比丘尼も および信男・信女も
この教法を持たもつようにおんみらに付属する この三昧を聞いて早く受けて行ぜよ
常にこれを習い持たもつ法師を敬って 一劫を満たすまで懈おこたってはならぬ (中略)
たとい億千無量劫の間に この三昧を求めても聞き得ることはむずかしい
たとい恒河の沙の数ほどの世界の その中に満ちるめずらしい宝を施すことがあっても
もしこの一偈の説を受けて 敬い誦よむものがあればその功徳は彼よりも勝る 以上
«無量寿経» に説かれている。
たとい三千大千世界に大火が満ちみちるようなことがあっても、 かならずそれを踏み越えてこの法を求め聞き、 喜び信じ、 たもち読んで、 教のごとく行ずべきである。 なぜなら、 この経は、 多くの菩薩たちがどれほど聞きたいと願っても、 なかなか聞くことのできぬ尊い教だからである。 もし人々の中で、 この経を聞くものがあれば、 無上のさとりを開くまで、 決して退くことがないであろう。 それゆえ一心に信受して、 これを読誦し、 教のごとく行ずるがよい。 以上
そこで次のように思うべきである。 「あるいは、 三千大千世界に満ちる猛火の集まりの中をも過ぎ、 あるいは、 億劫という長い時間にわたっても、 この法を求むべきである。 わたしは、 すでに深妙な三昧にめぐり遇うことができた。 どうして、 くじけて勤修しないようなことがありえようか。」
行者よ、 以上の諸の事において、 多くも少なくも、 その望みに任せて憶念せよ。 もし憶念することができなければ、 是非とも聖教の巻を披ひらいてその文に向かい、 あるいは判断し、 あるいはその文を誦よみ、 あるいは恋い慕い、 あるいは敬礼して、 近くは心を勤いそしませる方便てだてとし、 遠くは仏を見たてまつる因縁を結ぶようにすべきである。 すべて身・口・意の三業、 行住坐臥の四威儀につけて、 仏の境界を忘れてはならない。
問う。 如来のこのような種々の功徳を信受し憶念すると、 どんな勝れた利益があるのか。
答える。 «度諸仏境界経» に説かれている。
もし十方世界の微塵のように数多い諸仏や声聞たちに対して、 百味の飲食や妙なる天衣を施すことを日々に廃することがなくて、 恒河の沙の数ほどの劫を満たし、 またかの諸仏の滅後には、 一々の仏のために、 十方世界の一々の世界に塵の数ほど多くの塔を建て、 多くの宝で飾り、 種々に供養することを、 一日に朝・昼・晩と三回し、 日々に廃することがなくて、 恒河の沙の数ほどの劫を満たし、 また無数無量の衆生を教えて、 諸の供養をさせるとする。 ところで、 もし一人が、 この如来の智慧功徳の不思議な境界を信ずるなら、 その得る功徳は、 かの功徳よりもはるかに勝っているのである。 これは意味をとって示した。
また «華厳経» の偈に説かれている。
如来の自在力には 無量劫にも遇いがたい
もし一念の信を生ずれば 速やかに無上菩提を証る 以上
その他については、 下に示す利益門のとおりである。
問う。 盆有の行者は、 物につれて意こころが移るものである。 どうして、 常に仏を念ずる心を起こすことができようか。
答える。 その人が、 もし直接に仏を念ずることができなければ、 事々に付けてその心を勧め発おこすべきである。 すなわち、 戯れ談笑する時には、 極楽世界の宝池宝林の中で、 天人聖衆とともにこのように楽しみたいものだと願え。 もし憂え苦しむ時には、 諸の衆生とともに苦を離れて極楽に生まれようと願うがよい。 もし尊い徳のある人に向かったなら、 極楽に生まれて、 このように世尊に奉つかえようと願うがよい。 もし身分や智威の低い人を見るならば、 極楽に生まれて、 孤独の人たちを利益しようと願うがよい。 すべて、 人間や畜生を見るごとに、 常に次のような念おもいを起こすがよい。 「願わくは、 この衆生と共に安楽国に往生しよう。」 もし飲食する時には、 極楽の自然微妙の食を受けたいと願うがよい。 衣服・寝具や行・住・坐・臥、 また順境・逆境などのそれぞれについて、 すべてこれに準じて知るべきである。 事々に付けて願をなすのは、 «華厳経» などにその例がある。  
 

 

■止悪修善
【51】 
第四に止悪修善とは、『観仏三昧経』にのたまはく、「この念仏三昧を、もし成就せんには、五の因縁あり。 一には持戒不犯。 二には不起邪見。 三には不生驕慢。 四には不恚不嫉。 五には勇猛精進して、頭燃を救ふがごとくす。 この五の事を行じて、まさしく諸仏の微妙の色身を念じて、心をして退せざらしめよ。 またまさに大乗経典を読誦すべし。 この功徳をもつて仏力を念ずるがゆゑに、疾々に無量の諸仏を見たてまつることを得」と。 {以上}
問ふ。 この六種の法はなんの義かあるや。
答ふ。 同経にのたまはく、「浄戒をもつてのゆゑに、仏の像面を見たてまつること、真金の鏡のごとくして、了了分明なり」と。 また『大論』(大智度論)にいはく、「仏は医王のごとく、法は良薬のごとく、僧は瞻病人のごとく、戒は服薬の禁忌のごとし」と。{以上}
ゆゑに知りぬ、たとひ法薬を服したりとも、禁戒を持たずは、煩悩の病患を除愈するに由なし。 ゆゑに『般舟経』にのたまはく、「戒を破ること、大きさ毛髪のごとくにもすることを得ざれ」と。 [以上、戒品。]『観仏経』にのたまはく、「もし邪念および貢高の法を起さば、まさに知るべし、この人はこれ増上慢にして、仏法を破滅す。
多く衆生をして不善の心を起さしめ、和合僧を乱り、異を顕して、衆を惑はす。 これ悪魔の伴なり。 かくのごとき悪人は、また仏を念ずといへども、甘露の味はひを失ふ。 この人は生るる処に、貢高をもつてのゆゑに、身つねに卑小にして、下賤の家に生れ、貧窮の諸衰、無量の悪業、もつて厳飾となす。
かくのごとき種々の衆多の悪事は、まさにみづから防護して、永く生ぜざらしむべし」と。 [以上、邪見・驕慢。]『六波羅蜜経』にのたまはく、「無量劫のうちにもろもろの善を修行すとも、安忍の力および智慧の眼なければ、一念の瞋火に焼滅して余なし」と。 またある所に説きていはく、「よく大利を損ずること、瞋りに過ぎたるはなし。 一念の因縁ことごとく倶胝広劫の所修の善を焚滅す。 このゆゑに慇懃につねに捨離すべし」と。 また『遺教経』にのたまはく、「功徳を劫むる賊は、瞋恚に過ぎたるはなし」と。
『大集』の「月蔵分」(意)に、無瞋の功徳を説きてのたまはく、「つねに賢聖とあひ会して、三昧に着くことを得」と。 [以上、瞋恚。]『双巻経』(大経・下)にのたまはく、「今世の恨みの意は微しきあひ憎嫉すれども、後世にはうたたはなはだしくして、大きなる怨となるに至る」と。 {云々}また他人を嫉毀する、その罪はなはだ重し。 また『宝積経』の九十一にのたまふがごとし。 「仏、施鹿園にましましき。 時に六十の菩薩あり。 業障深重にして、諸根闇鈍なり。 仏足を頂礼して悲感して涙を流す。 みづから起くることあたはず。 時に仏告げてのたまはく、〈なんぢら、起くべし。 また悲号して大熱悩をなすことなかれ。 なんぢ、曾、倶留孫仏の法のなかにして、出家して道をなせしかども、みづから多聞・持戒・頭陀・少欲に執着せりき。
時に二の説法の比丘ありき。 もろもろの親友多く、名聞・利養ありき。 なんぢら、嫉妬の心をもつて妄言誹謗して、かの親友・もろもろの衆生をして、随順の心なく、もろもろの善根を断ぜしめき。 この悪業によりて、六十百千歳のうちに阿鼻地獄に生れき。 余業いまだ尽きずして、また四十百千歳のうちに等活地獄に生れ、また二十百千歳のうちに黒縄地獄に生れ、また六十百千歳のうちに焼熱地獄に生れき。 かしこより歿しをはりて、還りて人となることを得て、五百世のうちに生盲にして目なかりき。 在在の所生に正念を忘失し善根を障礙しき。 形容醜欠にして、人見んと喜まざりき。 つねに辺地に生れて、貧窮下劣なりき。
ここより歿しをはりて、後末の五百歳のうちに法滅せんと欲する時に、還りて辺地にして下劣の家に生れて、匱乏飢凍して、正念を忘失せん。 たとひ善を修せんと欲すとも、もろもろの留難多し。 五百歳の後に悪業すなはち滅して、後に阿弥陀仏の極楽世界に生るることを得ん。 この時に、かの仏、まさになんぢらがために阿耨菩提の記を授けたまふべし〉と。 時にもろもろの菩薩、仏の所説を聞きて、挙りて身の毛竪ち、深く憂悔を生じて、すなはちみづから涙を収めてまうさく、〈われ、今日より未来際に至るまで、もし菩薩乗の人において違犯あらんを見て、その過を挙露さば、われらすなはち如来を欺誑したてまつるとせん。 われ、今日より未来際に至るまで、もし在家・出家の菩薩乗の人の、欲楽をもつて遊戯し歓娯するを見んも、つひにその過を伺ひ求めずして、つねに信敬を生じて、教師の想を起さん。 われ、今日より未来際に至るまで、もしよくその身を摧伏して下劣の想をなすこと、旃陀羅および狗犬のごとくせずは、すなはち如来を欺誑したてまつるとせん。 もし持戒・多聞・頭陀・少欲・知足の一切の功徳において、身みづからR曜せば、すなはち如来を欺誑したてまつるとせん。 所修の善本をばみづから矜り伐らじ、所行の罪業をば慚愧発露せん。 もししからずは、すなはち如来を欺誑したてまつるとせん〉と。 時に仏、讃じてのたまはく、〈善きかな、善きかな。 かくのごとき決定心をもつてせば、一切の業障みなことごとく消滅し、無量の善根はまたまさに増長すべし〉」と。{略抄}
このゆゑに『大論』(大智度論)の偈にいはく、
「自法に愛染するがゆゑに、他人の法を毀訾するは、持戒の行人なりといへども、地獄の苦を脱れず」と。[以上、嫉妬。]
同論の偈にいはく、
「馬・井の二の比丘は、懈怠にして悪道に堕したり。仏を見、法を聞くといへども、なほまたみづから勉れざるをもつてなり」と。{以上}
またもし精進なくは、行成就すること難し。 ゆゑに『華厳経』の偈にのたまはく、
「鑚燧して火を求むるがごとし。いまだ出でざるにしばしば息めば、火の勢随ひて止滅す。懈怠のものまたしかなり」と。[以上、精進。]
読誦大乗の功徳無量なることは、『金剛般若論』の偈にいふがごとし。
「福は菩提に趣かず。二よく菩提に趣く。実においては了因と名づく。余においては生因と名づく」と。[以上、『観仏 経』の六種の法畢りぬ。かの『経』(同)に、嫉・恚・精進はつぶさにこれを説かず。ゆゑに、余の文をもつて『経』(同)の意を釈成す。]
『般舟経』にまた十の事あり。 かの『経』(同)にのたまふがごとし。 「もし菩薩ありてこの三昧を学誦せば、十の事あり。 一には他人の利養を嫉妬せざれ。 二にはことごとくまさに人を愛敬し、長老に孝順すべし。 三にはまさに報恩を念ふべし。 四には妄語せずして非法を離れよ。 五にはつねに乞食して請を受けざれ。 六には精進して経行せよ。 七には昼夜に臥出することを得ざれ。 八にはつねに布施することを欲ひて、つひに惜しみ悔ゆることなかれ。 九には深く慧のなかに入りて着するところなかれ。 十には善師に敬事すること、仏のごとくせよ」と。{略抄}
問ふ。 『般舟経』にまた四々十六種の法あり。 『十住毘婆沙』の第九に百四十余種の法あり。 『念仏三昧経』に種々の法あり。 また『華厳経』の「入法界品」の偈にのたまはく、
「もし信解して驕慢を離るることあらば、発心してすなはち如来を見たてまつることを得るも、もし諂誑不浄の心あらば、億劫に尋求すれども値遇することなからん」と。
『観仏経』にのたまはく、「昼夜六時に六法を勤行し、端坐し正受して、まさに小語を楽ふべし。 経を読誦し、広く法教を演ぶるを除きては、つひに無義の語を宣説せざれ。 つねに諸仏を念じて、心々相続せよ。 乃至、一念のあひだも仏を見ざる時あることなし。 心専精なるがゆゑに、仏日を離れず」と。
また『遺日摩尼経』に説かく、「沙門の、牢獄に堕するに、多くの事あり。 あるいは人を求めて供養を得んと欲し、あるいは多く衣鉢を積まんと欲し、あるいは白衣と厚善し、あるいはつねに愛欲を念ひ、あるいは喜みて知友と交結す」と。 [文に多くの法あり、略してこれを抄す。]なんぞいま、かれらの法を挙げざるや。
答ふ。 もし広くこれを出さば、還りて行者をして退転の心をなさしめん。 ゆゑに略して要を挙ぐ。
もし堅く十重・四十八軽戒を持たば、理かならず念仏三昧を助成して、また任運に余の行をも持得しつべし。 いはんや六法を具し、あるいは十法を具せんに、いづれの行か摂まらざらん。 ゆゑに略して述せず。
しかも粗強の惑業は、人をして覚了せしむれども、ただ無義の語はその過顕ならずして、つねに正道を障ふ。 よくこれを治すべし。
あるいは『大論』(大智度論)の文によるべし。 いはく、「人の失火して、四辺にともに起らんがごときに、いかんぞそのうちに安処して、余の事を語説せん。 このなかに仏説きたまはく、〈もし声聞・辟支仏の事を説くすら、なほ無益の言となす。 いかにいはんや、余の事をや〉」と。{以上}
行者つねに娑婆の依正において火宅の想を生じて、無益の語を絶ち、相続して仏を念ずべし。
問ふ。 『往生論』(天親の浄土論)に念仏の行法を説きていはく、「三種の菩提門の相違の法を遠離せよ。 なんらか三種。 一には智慧門によりて、自楽を求めず。 我心の、自身に貪着することを遠離するがゆゑに。 二には慈悲門によりて、一切衆生の苦を抜く。 無安衆の心を遠離するがゆゑに。 三には方便門によりて、一切衆生を憐愍する心なり。 自身を供養し恭敬する心を遠離するがゆゑに。 これを、三種の菩提門の相違の法を遠離すと名づくがゆゑに。 菩薩、かくのごとき三種の菩提門の相違の法を遠離して、三種の随順菩提門の法満足することを得るがゆゑに。 なんらか三。 一には無染清浄心。 身のためにもろもろの楽を求めざるがゆゑに。 二には安清浄心。 一切衆生の苦を抜くがゆゑに。 三には楽清浄心。 一切衆生をして大菩提を得しむるをもつてのゆゑに。 衆生を摂取して、かの国土に生れしむるをもつてのゆゑに。 これを三種の随順菩提門の法満足すと名づく」と。 {以上}このなかに、なんがゆゑぞ、かの『論』(同)によらざる。
答ふ。 前の四弘のなかに、この六法を具せり。 文言異なりといへども、その義は闕くることなし。
問ふ。 仏を念ずるに、おのづから罪を滅す。 なんぞかならずしも堅く戒を持つや。
答ふ。 もし一心に念ぜば、まことに責むるところのごとし。 しかも尽日に仏を念ぜんも、閑かにその実を撿すれば、浄心はこれ一両、その余はみな濁乱せり。 野の鹿は繋ぎがたく、家の狗はおのづから馴れたり。 いかにいはんや、みづから心をほしいままにせば、その悪いくばくぞや。 このゆゑに、かならずまさに精進して、浄戒を持つこと、なほ明珠を護るがごとくすべし。 後の悔い、なんぞ及ばんや。 よくこれを思念せよ。
問ふ。 まことにいふところのごとし。 善業はこれ今世の所学、欣ふといへども、ややもすれば退す。 妄心はこれ永劫の所習、厭ふといへども、なほ起る。 すでにしからば、なんの方便をもつてかこれを治せん。
答ふ。 その治、一にあらず。 『次第禅門』にいふがごとし。 「一に、沈惛闇塞の障を治せんには、応仏を観念すべし。 三十二相のなかに、随ひて一を取れ。 あるいは先づ眉間の毫相を取りて、目を閉ぢて観ぜよ。 もし心闇鈍にしてはるかに成ぜんとするに成ぜずは、まさに一の好厳の形像に対ひて、一心に相を取り、これを縁じて定に入るべし。 もし明了ならずは、眼を開きてさらに観じ、またさらに目を閉ぢよ。 かくのごとくして一相を取ること明了ならば、次第にあまねく衆相を観じて、心眼をして開明ならしめ、すなはち惛睡沈闇の心を破せよ。 仏の功徳を念ずれば、すなはち罪障を除く。
二に、悪念思惟の障を治せんには、報仏の功徳を念ずべし。 正念のうちに、仏の十力・四無所畏・十八不共・一切種智は、円かに法界を照らして、常寂不動にして、あまねく色身を現じて、一切を利益したまふ功徳は無量にして不可思議なることを縁ぜよ。 なにをもつてのゆゑに。 この、仏の功徳を念ずるは、勝善法を縁ずるなかより生ずる心数なれども、悪念思惟は、悪法を縁ずるなかより生ずる心数なり。 善はよく悪を破するがゆゑに、報仏を念ずべし。 たとへば、醜陋少智の人の、端正大智の人のなかにありては、すなはちみづから鄙恥するがごとく、悪もまたかくのごとし。 善心のなかにありては、すなはち恥愧しておのづから息む。 仏の功徳を縁ずれば、念念のうちに一切の障を滅す。
三に、境界逼迫の障を治せんには、法仏を念ずべし。 法仏とは、すなはちこれ法性なり。 平等にして不生不滅なり。 形色あることなく、空寂無為なり。 無為のなかにはすでに境界なし。 何者かこれ逼迫の相ならん。 境界の空なることを知るがゆゑに、すなはちこれ対治なり。 もし三十二相を念ずれば、すなはち対治にあらず。 なにをもつてのゆゑに。 この人いまだ相を縁ぜざる時に、すでに境界のために悩乱せらる。 しかるをさらに相を取らば、この着によりて、魔はその心を狂乱す。 いま空を観じて相を破すれば、もろもろの境界を除き、心に在きて仏を念ずれば、功徳無量にしてすなはち重罪を滅す」と。 {略抄}別相の治もかくのごとし。
いま三の通の治を加へん。 一には、よく惑の起ることを了して、その心を驚覚して、煩悩を呵責すること、悪賊を駆るがごとくし、三業を防護すること、油鉢をフぐるがごとくせよ。 『六波羅蜜経』にのたまふがごとし。 「結跏趺坐して正念に観察し、大悲心をもつて屋宅となし、智慧をもつて鼓となし、覚悟の杖をもつてこれを扣き撃ちて、もろもろの煩悩に告げよ。 〈なんぢら、まさに知るべし、もろもろの煩悩の賊は妄想より生ず。 わが法王の家に善事の起ることあり。 なんぢが所為にあらず。 なんぢ、よろしくすみやかに出づべし。 もし時に出でずは、まさになんぢが命を断つべし〉と。 かくのごとく告げをはるに、もろもろの煩悩の賊は、尋いでおのづから散滅す。 次に自身において、よく防護を起して、放逸すべからず」と。 また『菩薩処胎経』の偈にのたまはく、
「かの犯罪の人の、満鉢の油をフげ持して、もし油を棄つること一Hをもせば、罪大僻に交入せん。左右に伎楽をなせども、死を懼れて顧視せざるがごとし。菩薩の浄観を修するには、執意、金剛のごとく、毀誉および悩乱に、心意、傾動せず。空は本来浄にして、彼此、中間もなしと解す」と。
二には、通じて四句を用ゐて、一切の煩悩の根源を推求せよ。 いはく、この煩悩は、心によりて生ずとやせん、縁によりて生ずとやせん、共に生ずとやせん、離れて生ずとやせん。 もし心によりて生ぜば、さらに縁を待たじ。 あるいは亀毛・兎角においても、貪瞋を生ずべし。 もし縁によりて生ぜば、心を用ゐざるべし。 あるいは眠れる人をして煩悩を生ぜしむべし。 もし共に生ずとせば、いまだ共せざるとき、おのおのなくして、共の時に、いづくんぞあらん。 たとへば二の沙の合すといへども、油なきがごとし。 あるいは心境ともに合するに、なんぞ煩悩を生ぜざる時ある。 もし離れて生ずとせば、すでに心を離れ縁を離れたり、なんぞたちまちに煩悩を生ぜん。 あるいは虚空、二を離れたり。 つねに煩悩を生ずべし。 種々に観察するに、すでに実の生なし。 よりて来るところなく、また去るところなし。 内にあらず、外にあらず、また中間にあらず。 すべて処所なく、みな幻有のごとし。 ただ惑心のみにあらず、観心もまたしかなり。 かくのごとく推求するに、惑心おのづから滅す。 ゆゑに『心地観経』の偈にのたまはく、
「かくのごとき心法はもとより有にあらず、凡夫は執迷して非無なりと謂へり。もしよく心の体性の空なることを観ずれば、惑障生ぜずしてすなはち解脱す」と。
また『中論』の第一の偈にいはく、
「諸法は自より生ぜず、また他よりも生ぜず。共ならず無因ならず。このゆゑに無生なりといふことを知りぬ」と。
この偈によりて、多くの四句を用ゐるべし。
三には、念ずべし、「いま、わが惑心に具足せる八万四千の塵労門と、かの弥陀仏の具足したまへる八万四千の波羅蜜門とは、本来空寂にして、一体無礙なり。 貪欲はすなはちこれ道なり。 恚・痴またかくのごとし。 水と氷との、性の異なる処にあらざるがごとし。 ゆゑに経にのたまはく、〈煩悩・菩提は体無二なり。 生死・涅槃は異処にあらず〉と。 われいま、いまだ智火の分あらざるがゆゑに、煩悩の氷を解きて功徳の水となすことあたはず。 願はくは仏、われを哀愍して、その所得の法のごとく、定慧力をもつて荘厳し、これをもつて解脱せしめたまへ」と。 かくのごとく念じをはりて、声を挙げて仏を念じて、救護を請へ。 『止観』にいふがごとし。
「人の重きを引くに、自力にて前まずは、傍らの救助を仮りて、すなはち軽く挙げらるるがごとく、行人もまたしかなり。 心弱くして障を排ふことあたはずは、名を称して護を請ふに、悪縁壊することあたはず」と。 {以上}もし惑、心を覆ひて通別の対治を修せんと欲せしめずは、すべからくその意を知りて、つねに心が師となりて、心を師とせざるべし。
問ふ。 もし破戒のもの、三昧成ぜずは、いかんぞ、『観仏経』に、「この観仏三昧は、これ一切衆生の、罪を犯せるものの薬、破戒のものの護りなり」とのたまへるや。
答ふ。 破戒の以後に、前の罪を滅せんがために一心に仏を念ず。 これがために薬と名づく。 もしつねに毀犯せば、三昧成じがたし。  
第四に止悪修善とは、 «観仏三昧経» に説かれている。
この念仏三昧を、 もし成就する者は、 五つの因縁がある。 一つには、 戒を持たもって犯さない。 二つには、 邪な見解を起こさない。 三つには、 憍慢を生じない。 四つには、 恚いからず嫉まない。 五つには、 雄々しく精進して、 ちょうど頭に燃えついた火を払い消すようにする。 この五つの事を行じて、 諸仏の微妙の色身おすがたを正しく念じ、 心が退かないようにし、 また、 大乗の経典を読誦すべきである。 この功徳をもって仏力を念ずるから、 速やかに無量の諸仏を見たてまつることができる。 以上
問う。 この六種 (五つの因縁と読誦大乗) の法には、 どういう意義があるのか。
答える。 同じ経に説かれている。
浄らかな戒をたもつから、 仏の顔かたちを真金の鏡のように明らかにはっきりと見たてまつるのである。
また «大智度論» にいわれている。
仏は医王のようであり、 法は良薬のようであり、 僧は看病人のようであり、 戒は薬を飲む時の禁忌いましめのようである。 以上
それゆえに、 たとい法の薬を服のんでも、 禁戒を持たもたなければ、 煩悩という病患わずらいを癒すわけにはゆかないことを知った。 そこで «般舟経» に、
髪の毛ほどでも戒を破ってはならぬ。
と説かれている。 以上は戒について述べた。
«観仏三昧経» に、
もし、 よこしまな念おもいや、 おごりたかぶる心を起こすならば、 まさに知るべきである。 この人はおそろしい慢心であって、 仏法を破滅させ、 人々に多く不善心を起こさせ、 僧衆の和合を乱し、 異をとなえて衆を惑わす。 これは悪魔のなかまである。 このような悪人は、 また念仏しても、 その甘露の味を失う。 この人の生まれるところは、 おごりたかぶる心をもっての故に、 身はつねに卑しく、 下賎の家に生まれ、 貧しく困っていろいろの衰えがあり、 無量の悪業で身をかざる。 このようないろいろの数多くの悪事は、 みずから防ぎ護って、 とこしえに起こさないようにせよ。
と説かれている。 以上は、 邪見と憍慢とについて述べた。
«六波羅蜜経» に説かれている。
無量劫の中うちに、 諸の善を行じても、 安らかに耐え忍ぶ力と智慧の眼がないならば、 一念の瞋いかりの炎に、 余すところもなく焼き滅ぼされてしまうであろう。
また «遺教経» に説かれている。
功徳を劫かすめとる賊は、 瞋恚にすぎたものはない。
また、 ある処に説いていわれる。
よく大利を損うことは瞋に過ぎたものはない 一念 瞋をおこした因縁でも
億劫の間に修めた善根を悉く焼き滅ぼす このゆえによく注意して常にその瞋の心を捨て離れよ
«大集経» 月蔵分に、 瞋いかることのない功徳を説いて、
常に賢者・聖者と相集まって、 三昧を得るであろう
といわれてある。 以上は、 瞋恚についてのべた。
«無量寿経» に説かれている。
この世では、 わずかの憎みやねたみであっても、 後の世には、 次第にそれが激しくなり、 ついには大きな恨みとなるのである。 下略
また、 他人をねたみ傷つけるのは、 その罪がはなはだ重い。 «宝積経» の第九十一巻に説かれているとおりである。
仏が施鹿園 (鹿野苑) に在ましました時、 六十人の菩薩がいたが、 悪業の障りが深重で、 心身のはたらきが劣っていた。 そこで、 仏足にぬかずいて悲しみの涙を流し、 自ら立つこともできなかった。 その時、 仏が告げてこう仰せられた。 「そなたたちよ、 起たつがよい。 この上とも悲しみ泣いて、 おおきな悩みを生じてはならぬ。 そなたたちは、 昔、 倶留くる孫そん仏の世に出家して仏道を修めたのであるが、 自分たちの多聞・持戒・行乞・少欲であることに執着していた。 その時に、 説法する二人の比丘がいて、 親しい友が多く、 評判も高く利養も多かった。 ところが、 そなたたちは、 嫉妬の心から偽り謗って、 かの比丘の親しい友や多くの人々に随順の心をないようにさせ、 諸の善根を断ちきらせた。
この悪業によって、 六百万年の間、 阿鼻地獄に生まれ、 その悪業の余残がまだ尽きないで、 また四百万年の間、 等活地獄に生まれ、 また二百万年の間、 黒縄地獄に生まれ、 また六百万年の間、 焼熱地獄に生まれたのである。 かの地獄での生を終って、 もとの人間に戻ることができたのであるが、 五百生の間、 生まれながらの盲で目が見えず、 それぞれの生に正念を失って善根を礙さまたげた。 その姿は醜くて、 他の人はこれを見ることを喜ばなかった。 常に辺鄙な地に生まれて、 貧窮下劣であった。 この生を終って、 後の末世の五百年の中に、 仏法が滅しようとする時、 またもや辺地で下劣の家に生まれ、 大変まずしく飢え凍えて正念を失うであろう。 たとい、 善を修めようと欲おもっても、 諸の障りが多い。 五百年の後、 やっと悪業が滅して、 後に阿弥陀仏の極楽世界に生まれることができる。 このときかの仏は、 そなたたちのために無上菩提の記別あかしを授けたもうであろう」 と。
その時に諸の菩薩たちは、 仏の説きたもうことを聞いて、 身体中の毛が竪よだち、 深く後悔の心を起こして、 みずから涙をとどめ、 仏に申し上げた。 「わたくしたちは、 今日から未来永遠にわたって、 もし、 菩薩の法を修める人が法に違たがうのを見ても、 その過とがを暴露するようなことがあれば、 わたくしたちは、 如来を偽りたてまつったことになるでありましょう。 わたくしたちは、 今日から未来永遠にわたって、 在家や出家で菩薩の法を修める人たちが、 欲楽のために遊びたのしんでいるのを見ても、 決してその過をたずね求めることをしないで、 いつも信じ敬い、 教師の想おもいを起こしましょう。 わたくしたちは、 今日から未来永遠にわたって、 もしよく自分の身を抑えることができないで、 旃陀羅や犬のような下劣の想を起こすならば、 如来を偽りたてまつったことになるでありましょう。 もし持戒・多聞・行乞・少欲・知足のすべての功徳について、 みずから誇りてらうならば、 如来を偽りたてまつったことになるでありましょう。 修めた善根にみずから誇ることなく、 犯した罪業は、 慚愧して口に露あらわしましょう。 もしそうしないならば、 如来を偽りたてまつったことになるでありましょう」 と。
この時、 仏は讃ほめて仰せられた。 「よろしいよろしい。 そなたたちがそのような堅い心で修行するならば、 すべての悪業の障りはみな悉く消滅し、 無量の善根もまた増すであろう。」 抜き書きした。
こういうわけで、 «大智度論» の偈に、
自らの法に愛着するために 他人の法をそしるならば
戒行を持たもつものであっても 地獄の苦を脱のがれられぬ
といわれている。 以上は、 嫉妬についてのべた。
«大智度論» の偈にいわれている。
馬師めしと井せい宿しゅくの二人の比丘は 懈怠のために悪道に堕ちた
仏を見 法を聞いたけれども 悪道を免れなかったのである 以上
また、 もし精進することがなければ、 修行は成就し難いものである。 それゆえ «華厳経» の偈に、
すりもんで火を求めるようなもので まだ火がでないのにしばしば息やすむと
火の勢はそれにつれて消えてしまう 懈怠の者もまたそのとおりである
と説かれている。 以上は精進についてのべた。
大乗の経典を読誦することの功徳は無量である。 «金剛般若論» の偈に、
布施では菩提さとりに趣かないけれども 経を読み経を説くことは よく菩提に趣く
それは法身に対して了因と名づけ 報身・応身に対しては生因と名づける 以上
といわれている通りである。 «観仏三昧経» の六種の法がおわった。 かの経に、 嫉妬と瞋恚と精進とは、 詳しく説いてないから、 その他の文で経の意味を補って解釈したのである。
«般舟経» にも、 また十の事がある。 かの経に説かれているとおりである。
もし菩薩があってこの三昧を学ぼうとするなら、 十の事がある。 一つには、 他人の利養を嫉妬してはいけない。 二つには、 悉く人を敬愛し、 長老に順したがうべきである。 三つには、 報恩を念おもうべきである。 四つには、 妄語しないで、 法に違たがったことを離れるようにせよ。 五つには、 いつも乞食して、 招待を受けてはいけない。 六つには、 精進して経行せよ。 七つには、 昼夜ともに横臥してはいけない。 八つには、 つねに施しをしようと欲して、 最後まで惜しんだり悔いたりすることがあってはならぬ。 九つには、 深く智慧に達して、 執着してはならぬ。 十には、 善い師を仏のように尊敬して事つかえよ。 抜き書きした。
問う。 «般舟経» にもまた四々十六種の法があり、 «十住毘婆娑論» の第九巻には百四十余種の法がある。 «念仏三昧経» にも種々の法がある。 また «華厳経» の入法界品の偈に説かれている。
もし信解して憍慢を離れるならば 発心して如来を見たてまつることができるけれども
もし諂へつらい誑あざむき不浄の心があるならば 億劫に尋ね求めても仏に値あうことはあるまい
«観仏三昧経» に説かれている。
昼夜に六回、 六つの法 (持戒不犯・不起邪見・不生憍慢・不瞋不嫉・勇猛精進・読誦大乗) を勤め行ない、 正しく坐って三昧に入り、 語ことば少ないようにねがうべきである。 経典を読誦したり、 教法を広く説き演べること以外には、 どこまでも無意味な語を説いてはならぬ。 常に諸仏を念じて、 心にいつも相続し、 たとい一念の間も、 仏を見たてまつらぬ時とてはないようにせよ。 その心が一すじに励むから、 仏を離れないのである。
また «遺日摩尼宝経» に説かれている。
出家が牢獄に堕ちるについては、 多くの事がある。 あるいは人を求めて供養を得たいと欲おもい、 あるいは多く衣鉢を積みたいとおもい、 あるいは在俗の人とともに親しくし、 あるいは常に愛欲を念おもい、 あるいは好んで知友と交わる。 経文には、 多くの法があるけれども、 これを抜き書きした。
それに、 どうして今これらの法を挙げないのか。
答える。 もし広くそれらの文を挙げるならば、 かえって行者に退転の心を起こさせるであろう。 それで、 略して要を挙げたのである。 もし堅く十重戒・四十八軽戒を持たもつならば、 道理として必ず念仏三昧を助成し、 また、 自然にその他の行を持つことができるはずである。 まして、 六つの法を具え、 あるいは十の法を具えるならば、 いずれの行をも摂めないはずはない。 それゆえに略して述べないのである。 ところで、 あらあらしい惑業は、 人に知られるけれども、 ただ無意味な語は、 その過失が表面に顕われないで、 いつも正道を妨げる。 よくこれを治すべきである。 あるいは、 次のような «大智度論» の文に依るべきである。
人が誤って火事を起こし、 四方がともに燃えているようなものである。 どうしてその中に安閑としていて、 ほかの事を語る人があろうか。 この «大品般若経» で仏が説かれる。 「もし、 声聞や縁覚の事を説くのでさえ、 無益の言ことばとするのである。 ましてほかの事はなおさらのことである。」 下略
行者は、 常に娑婆の国土とそこに住む衆生とについて、 火宅であるという想おもいをなし、 無益の語を絶って、 相続して仏を念ずべきである。
問う。 «往生論» に、 念仏の行法を説いていわれている。
菩提と相違する三種の法を遠く離れる。 その三種とは何々であるかというと、 一つには智慧門によって、 自分の楽しみを求めず、 わが心が自分に執着することを遠く離れるのである。 二つには、 慈悲門によって、 一切衆生の苦しみを除いて、 人を安らかにすることのない心を遠く離れるのである。 三つには、 方便門によって、 一切の衆生をあわれむ心で、 自分を利養愛重する心を遠く離れるのである。 これを菩提と相違する三種の法を遠く離れるという。 そこで菩薩は、 このような菩提と相違する三種の法を遠く離れて、 菩提に順ずる三種の法を満足することができるのである。 三種とは何々であるかというと、 一つには染けがれなき清浄心である。 これは自分のためにいろいろの楽しみを求めないからである。 二つには人を安らかにする清浄心である。 一切衆生の苦しみを除くからである。 三つには人に楽しみを与える清浄心である。 一切衆生に大乗の菩提を得させるからである。 また衆生を勧めて阿弥陀如来の浄土に往生させるからである。 これを菩提に順ずる三種の法が満足するというのである。 以上
この中で、 どうして、 かの «往生論» に依らないのか。
答える。 前に述べた四弘誓願の中に、 この六つの法を具えている。 そのことばの表現は異なっていても、 その意味は欠けることはないのである。
問う。 仏を念ずれば、 自然に罪を滅する。 どうして堅く戒を持たもつ必要があろうか。
答える。 もし一心に仏を念ずるならば、 本当に質問のとおりである。 けれども、 終日、 仏を念じても、 閑しずかにその実際を検しらべてみると、 清らかな心はほんの一・二で、 その他はみな濁り乱れている。 野生の鹿は繋ぎ難く、 家に飼う犬は自然に人に馴れている。 まして、 自分から進んで心を恣ほしいままにするならば、 その悪はどれほどであろうか。 このゆえに、 必ず努力して、 ちょうど清らかな珠を護るように、 浄戒を持たもつべきである。 後悔しても、 どうして間に合うであろうか。 よくこのことを思うがよい。
問う。 全くそのとおりである。 善業は此世で学んだだけのことであるから、 欣いながらもややもすると退き、 妄心は、 永劫の昔からの習いであるから、 厭うてもやはり起こってくる。 すでにそうだとすると、 どういう方法でこれを治したらよいのか。
答える。 その治す方法は、 一つだけではない。 «次第禅門» にいうとおりである。
第一に、 心が沈んで闇くらいという障りを治すには、 応身仏を観念するがよい。 三十二相の中のどれか一相を取って観ぜよ。 あるいは、 まず眉間の白毫相を取りあげ、 目を閉じて観ぜよ。 もし心が闇くて、 とてもできないならば、 一つの好い厳かな形像に対し、 一心に相をとらえ、 これを観じて三昧に入るがよい。 もし明了でないならば、 眼を開いて更に観察し、 また再び目を閉じよ。 このようにして、 一相をとることが明了ならば、 次第に遍く多くの相を観じて、 心眼を明らかに開き、 眠くて沈む闇い心を破れ。 かように仏の功徳を念ずると罪障を除くのである。
第二に、 悪い思いの障りを治すには、 報身仏の功徳を念ずるがよい。 正念の中うちに、 仏の十力・四無所畏・十八不共法や、 一切種智は円かに法界を照らして、 常に寂然と不動であり、 普く色身すがたを現わして、 すべてのものを利益したもう功徳が、 無量不可思議であることを観ずるがよい。 なぜならば、 この仏の功徳を念ずるのは、 善い法ものを対象とする中から生ずる心であるけれども、 悪い思いは、 悪い法ものを対象とする中から生ずる心であって、 善はよく悪を破るから、 報身仏を念ずべきである。 たとえば、 醜く智慧の劣った人が、 うるわしく智慧すぐれた人の中にいると、 われとわが身を恥ずかしく思うようなものである。 悪もまたこのようであって、 善心の中にあると、 愧はじておのずから息やむ。 仏の功徳を観ずると、 念々の中うちに一切の障りを滅するのである。
第三に、 境界に逼迫される障りを治すには、 法身仏を念ずるがよい。 法身仏は、 すなわち法性平等であって生ずることなく滅することなく、 形もあることなく、 空寂で無為である。 無為の中には、 すでに境界はないのであるから、 どこに逼迫される相があろうか。 境界の空であることを知るから、 これが退治である。 もし、 三十二相を念ずるならば、 それは退治ではない。 なぜかといえば、 この人は、 まだ相を観じない時、 すでに境界のために悩まされているのに、 更に相を取って観ずるならば、 この執着に因よって、 悪魔がその心を狂わし乱すからである。 今、 空を観じて相を破るならば、 諸の境界を除き、 仏を念ずることに心を置けば、 その功徳は無量であって、 重い罪を滅するのである。 抜き書きした。
個別の退治はこのようである。 今、 三つの総括した退治を加えよう。 第一には、 よく惑の起こりを知って、 その心を目覚めさせ、 悪賊を追い払うようにして煩悩を責めたて、 三業を護ることは、 油を入れた鉢をささげるように注意すべきである。 «六波羅蜜経» に説かれているとおりである。
結跏趺坐して、 正念に観察し、 大慈悲心を家とし、 智慧を鼓とし、 覚悟さとりの杖でこれを打ちたたき、 諸の煩悩に告げるがよい。 「お前たち、 よく聞け。 諸の煩悩の賊は、 妄想から生ずるものである。 わが法王の家には善事が起きても、 お前の所為しわざではない。 お前は早く出て行くがよい。 もしこの時に出なかったならば、 お前の命を断つぞ。」 このように告げ終ると、 諸の煩悩の賊は、 そこでおのずから退散して行くであろう。 次に、 自身においてよく護って、 放逸にしてはならぬ。
また «菩薩処胎経» の偈に説かれている。
かの罪を犯したひとが 鉢に満ちた油をささげ持ち
もしその一滴でもこぼすと その罪で死刑に処せられるとすれば
左右に伎楽をしていても 死をおそれて顧みないように
菩薩が浄観を修める場合には その意こころも金剛のようで
責め毀そしり悩みなどに 心が動かされることなく
空にして本来もとより浄く 彼此中間もあることなしと解さとる
第二には、 総括して四句を用いて、 すべての煩悩の根源を推し求めるがよい。 すなわち、 この煩悩は、 一つに心に由って生ずるものとするのか、 二つに外縁に由って生ずるものとするのか、 三つに心と外縁とが一緒になって生ずるものとするのか、 四つに心と外縁とを離れて生ずるものとするのか。 もし心に由って煩悩が生ずるとすれば、 更に外縁を待たずに生ずるであろう。 そうであれば、 あるいは亀の毛とか兎の角とかいうような実体のないものに、 貪むさぼりや瞋いかりを生ずることとなる。 もし外縁に由って煩悩が生ずるとするならば、 心には何の関係もないことになる。 そうであれば、 眠っている人に煩悩を生じさせるはずである。 もし心と外縁とが一緒になって煩悩が生ずるとするならば、 まだ一緒になっていなかった時に、 それぞれ煩悩がなかったのに、 一緒になった時に、 どうして煩悩が生ずることがあろうか。 ちょうど砂を二つ合わせても油は出ないようなものである。 あるいは心と外の境とが倶に合して、 どうして煩悩を生じない時があるのか。 もし心と外縁とを離れて煩悩が生ずるとするならば、 すでに心を離れ、 外縁を離れているのに、 どうして俄かに煩悩を生ずることがあろうか。 あるいは、 虚空は心と外縁との二つを離れているから、 虚空こそ常に煩悩を生ずるはずである。
このように種々に観察してみると、 煩悩は、 結局のところ実の生はない。 よって来きたる所もなくまた去る所もない。 内にもなく外にもなく、 また中間にもない。 すべて存在する所はなく、 みな幻のようなものである。 ただ煩悩だけではなく、 観察の心もまた実体はないのである。 このように推し求めて行くと、 煩悩心は、 おのずから消滅する。 それゆえ «心地観経» の偈に説かれている。
このような心法こころは本来ないのだが 凡夫は迷うてあるように思う
もしよく心の体性ものがらが空であると観ずると 惑いは生ぜず解脱さとりを得る 下略
また、 «中論» の第一巻の偈にいう。
あらゆる法ものは自よりも生じないし また他よりも生じない
自他ともにでもなく 因がないのでもない この故に無生であることを知る
それで、 この偈によって、 多くの四句を用うべきである。
第三には、 次のように念おもうがよい。 ª今、 自分の惑いの心に具えている八万四千の煩悩と、 かの阿弥陀仏が具えたもう八万四千のさとりの智慧とは、 本来空寂であり一体で、 何の礙さわりもない。 貪欲はそのまま道さとりであり、 瞋恚・愚痴もまた同様である。 氷と水とは、 その本性が異なったものではないようなものである。 それゆえ経に、
煩悩と菩提とはその本質に二つはなく 生死と涅槃とは異なったものではない 下略
と説かれている。 わたしは、 今、 まだ智慧の火を持っていないから、 煩悩の氷を解かして功徳の水と成すことができない。 願わくはみ仏、 わたくしを哀あわれんで、 その得たもうた法のように、 禅定と智慧の力で荘厳し、 これで解脱さとりを得させたまえ。º このように念じ終って、 声を挙げて念仏し、 み仏の護りを請うがよい。 «止観» にいうとおりである。
人が重いものを引く際に、 自分の力だけでは進むことができなければ、 傍の人の助けを借って、 軽く挙げることができるようなものである。 行者もまたそうである。 その心が弱くて、 障さわりを除くことができなければ、 称名して護りを請うと、 悪縁がこれを破ることはできないのである。 以上
もし、 煩悩が心を覆うて、 総括した退治や、 個別の退治を修めることを望まないようにさせたら、 是非とも、 よく、 その意を知って、 常に心の師となるべきである。 心を師としてはならない。
問う。 もし、 破戒の者は、 三昧が成就しないというならば、 どうして «観仏三昧経» に、
この観仏三昧は、 一切衆生の、 罪を犯した者の薬であり、 戒を破った者の護りである。
と説かれているのか。
答える。 戒を破った後に、 前の罪を滅するために一心に念仏するのである。 そのために薬と名づける。 もし常に戒を犯すと、 三昧の成就は難しいのである。 
■懺悔衆罪
【52】 
第五に懺悔衆罪とは、もし煩悩のためにその心を迷乱して禁戒を毀らば、日を過ぐさずして懺悔を営修すべし。 『大経』(大般涅槃経)の十九にのたまふがごとし。 「もし罪を覆へば、罪すなはち増長す。 発露懺悔すれば、罪すなはち消滅す」と。 また『大論』(大智度論・意)にいはく、「身口の悪を悔いずして仏を見んと欲せば、この処あることなからん」と。 {以上}懺法、一にあらず。 楽に随ひてこれを修せよ。 あるいは五体を地に投げ、遍身に汗を流して弥陀仏に帰命し、眉間の白毫相を念じ、発露涕泣して、この念をなすべし、「過去の空王仏の眉間の白毫相を、弥陀尊礼敬して、罪を滅して、いま仏を得たまへり。 われいま弥陀を礼することは、またまさにまたかくのごとくなるべし」と。 すべからく罪の相に随ひて、仏の光を哀請すべし。 いはく、「檀光を放ちては慳蔽の罪を滅したまへ。 戒光を放ちては毀禁の罪を滅したまへ。 忍辱の光を放ちては瞋恚の罪を滅したまへ。 精進の光を放ちては懈怠の罪を滅したまへ。 禅定の光を放ちては散乱の罪を滅したまへ。 智慧の光を放ちては愚惑の罪を滅したまへ」と。 かくのごとくして、一日もしは七日に至らば、百千劫の煩悩の重障を除きてん。 あるいは須臾のあひだも、坐禅入定して仏の白毫を念じ、心をして了々ならしめ、謬乱の想なく、分明にまさしく住して意を注けて息まざれば、九十六億那由他等の劫の生死の罪を除却す。 あるいは一心にかの仏の神呪を念ずること、一返すればよく四重・五逆を滅し、七返すればよく根本の罪を滅す。 [『儀軌』に出づ。]あるいはまた『心地観経』に、理の懺悔を明かしてのたまはく、
「一切のもろもろの罪は、性みな如なり。顛倒の因縁、妄心より起る。かくのごとき罪相は本来空なり。三世のなかに得るところなし。内にあらず外にあらず中間にあらず。性相は如々にしてともに不動なり。真如の妙理は名言を絶つ。ただ聖智のみありてよく通達す。有にあらず無にあらず有無にあらず。有無にあらざるにあらず。名相を離れ、法界に周遍して生滅なく、諸仏は本来同一体なり。ただ願はくは諸仏、加護を垂れて、よく一切の顛倒の心を滅したまへ。願はくはわれ早く真性の源を悟りて、すみやかに如来の無上道を証せん」と。
問ふ。 ただに仏を観念するに、すでによく罪を滅す。 なんがゆゑぞ、さらに理の懺悔を修するや。
答ふ。 たれかはいふ、一々にこれを修せよとは。 ただ意楽に随ふべし。 いかにいはんや、もろもろの罪性は空にして所有なしと観ずるは、すなはちこれ真実の念仏三昧なり。 『華厳』の偈にのたまふがごとし。
「現在は和合にあらず。去・来もまたしかなり。一切の法の無相なる、これすなはち仏の真体なり」と。
また『仏蔵経』の「念仏品」(意)にのたまはく、「所有なしと見るを名づけて念仏となし、諸法の実相を見るを名づけて念仏となす。 分別あることなく、取なく捨なき、これ真の念仏なり」と。 {以上}諸余の空・無相等の観も、これに准じてみな念仏三昧に摂入すべし。
問ふ。 かくのごとき懺悔はなんの勝徳かある。
答ふ。 『心地観経』の偈にのたまはく、
「在家はよく煩悩の因を招き、出家もまた清浄の戒を破る。もしよく法のごとく懺悔するものは、あらゆる煩悩ことごとくみな除こる。{乃至}懺悔はよく三界の獄を出で、懺悔はよく菩提の華を開き、懺悔は仏の大円鏡を見、懺悔はよく宝所に至る」と。
問ふ。 このなかに何者をか最勝なりとなすや。
答ふ。 もし一人に約せば、機に順ずるを勝れたりとなす。 もし汎爾に判ぜば、理の懺を勝れたりとなす。 ゆゑに『如来秘密蔵経』の下巻に、仏、迦葉に告げてのたまはく、「もし少不善をも、もしそれ堅住し、堅執し、堅着せば、一切われ説きて、これを名づけて犯となす。 迦葉、五無間罪をも、もし堅住し、堅執し、堅着して見をなさざるものをば、われ、かれを説きて、名づけていひて犯となさず。 いはんやまた、余の少不善の業道をや。
迦葉、われは不善の法をもつて菩提を得るにあらず。 また善法をもつて菩提を得るにあらず。 {乃至}煩悩は因縁より生ずと解知するを、菩提を得と名づく。 迦葉、いかなるをか、因縁より生ずるところの煩悩を解知すとはなす。 これ自性なくして起る法は、これ無生の法なりと解知す。 かくのごとく解知するを、菩提を得と名づく」と。 {云々}また『決定毘尼経』(意)にのたまはく、「大乗のなかにおいて発起し修行するに、日の初分の時に所犯の戒あるに、日の中分において一切智の心を離れずは、かくのごとき菩薩、戒身壊せず。 もし日の中分に所犯の戒あるに、日の後分において一切智の心を離れずは、かくのごとき菩薩、戒身壊せず。 {乃至}もし夜の後分に所犯の戒あるに、日の初分において一切智の心を離れずは、かくのごとき菩薩、戒身壊せず。 この義をもつてのゆゑに、菩薩乗の人は開遮の戒を持てば、たとひ所犯ありとも、失念して妄りに憂悔を生じて、みづからその心を悩ますべからず。 声聞乗においては所犯あるものをば、すなはち声聞の浄戒を破壊しつとなす」と。 {云々}「一切智の心」とは、余処の説に准へば、これ第一義空相応の心なり。 あるいはこれ仏の種智を願求する心なるべし。
問ふ。 もし懺悔を修するに、よく衆罪を滅せば、いかんぞ『大論』(大智度論)の四十六に、「戒律のなかの戒は、また細微なりといへども、懺悔すればすなはち清浄なり。 十善戒を犯せば、また懺悔すといへども、三悪道の罪除こらず」とはいひ、また『十輪経』(意)に説かく、「十悪輪罪を造れるは、一切の諸仏の救ひたまはざるところなり」とはいへる。
答ふ。 『観経』には、十念してよく五逆を滅し、『観仏経』には、仏の一相を念ずればよく十悪・五逆を滅し、『大経』(大般涅槃経)には、闍王、殺父の罪を懺除し、『般若経』には、読誦・解説すればよく三界の衆生を殺害せる罪を滅して、悪趣に堕せず、『華厳経』には、普賢の願を誦するに、一念によく十悪・五逆を滅すと。 あきらかに知りぬ、大乗の実説は、罪を滅せずといふことなし。
しからば、この『論』(大智度論)の文は、あるいはこれ転重軽受にしてまつたく受けざるにあらざるを、これを「除こらず」と名づけ、あるいはこれ随転理門の説ならん。 また感禅師(懐感)、『十輪経』を会していはく(群疑論)、「如来の密意、罪を畏さしめんと欲すなり」と等いへり。 {云々}余は、下の料簡の念仏相門のごとし。 これらはみなこれ別時の懺悔なり。 しかも行者はつねにまさに三事を修すべし。 『大論』(大智度論)にいふがごとし。 「菩薩はかならず、すべからく昼夜六時に、懺悔・随喜・勧請の三事を修すべし」と。 {略抄}五念門のうちに、礼拝の次に、この事を修すべし。 『十住婆沙』の懺悔の偈にいはく、
「十方無量の仏は、知るところ、尽きたまはずといふことなし。われいまことごとく前にして、もろもろの黒悪を発露す。三々合して九種あり、三煩悩より起る。今身もしは前身の、この罪をことごとく懺悔す。三悪道のなかにして、もし業報を受くべからんをば、願はくは今身に償ひて、悪道に入りては受けじ」と。[「三々合して九種あり」とは、身口意におのおの現・生・後業あり。「三煩悩より起る」とは、三界の煩悩なり。]
勧請の偈(十住毘婆沙論)にいはく、
「十方の一切の仏の、現在に仏になりたまへるものを、われ請ひたてまつる。法輪を転じて、もろもろの衆生を安楽ならしめたまへと。十方の一切の仏、もし寿命を捨てんと欲したまはば、われいま頭面をもつて礼して、勧請して久しく住せしめたてまつらん」と。
随喜の偈(同)にいはく、
「あらゆる布施の福も、持戒と修禅の行も、身口意より生ず。去・来・今の所有の、
三乗を習行する人と、三乗を具足するものと、一切の凡夫との福を、みな随ひて歓喜せん」と。{以上}
また常行三昧・法華三昧・真言教等に、みなおのおの文あり。 意に随ひてこれを用ゐよ。 もし略を楽はば、『弥勒菩薩本願経』の一偈によるべし。 『経』(同)にのたまはく、「仏、阿難に語りたまはく、〈弥勒菩薩、本道を求めたまひし時に、耳・鼻・頭・目・手・足・身命・珍宝・城邑・妻子、および国土を持ちて、布施して人に与へ、もつて仏道を成ぜしにはあらず。 ただ善権安楽の行をもつて、無上正真の道を致すことを得たり〉と。
阿難、仏にまうさく、〈弥勒菩薩は、なんの善権をもつてか、仏道を致すことを得たる〉と。 仏、阿難に語りたまはく、〈弥勒菩薩は、昼夜におのおの三たび、正衣束体し、手を叉へ、右の膝を地に着けて、十方に向かひて偈を説きていはく、
《われ一切の過を悔いて、もろもろの道徳を明かしたまへと勧め、帰命して諸仏を礼したてまつる。無上の慧を得しめたまへ》〉と。
仏、阿難に語りたまはく、〈弥勒菩薩は、この善権をもつて無上正真の道を得たり〉」と。{以上}
問ふ。 この懺悔・勧請等の事を修するに、いくばくの福をか得る。
答ふ。 『十住論』(十住毘婆沙論)の偈にいはく、
「もし一時のうちにおいてせんに、福徳、形あらば、恒河沙の世界も、すなはちおのづから容受せじ」と。 
第五に、 懺悔衆罪とは、 もし煩悩のためにその心を乱されて、 禁戒を毀やぶったならば、 その日のうちに懺悔をすべきである。 «涅槃経» の第十九巻に説かれているとおりである。
もし犯した罪をかくしていると、 その罪は増すが、 これを口に露あらわして懺悔すると、 その罪は消滅する。
また «大智度論» にいわれている。
身や口や意こころに犯した悪事を悔いないままで、 仏を見たてまつろうと望んでも、 そんな事のできる道理はない。
懺悔の方法は、 ただ一つだけではないから、 それぞれの好みに任せて修めるがよい。 あるいは、 五体を地に投げ出し全身に汗を流して、 阿弥陀仏に帰命し、 眉間の白毫相を念じて、 犯した罪を口に露わし、 涙を流して、 次のような念おもいを作なすべきである。
ª過去の空王仏の 眉間の白毫相を
阿弥陀仏が礼敬し 罪を消滅して いま仏となられた
自分もいま阿弥陀仏を礼拝して また同様にありたいものであるº
こうして、 その罪の有様に随って、 仏の光を請うべきである。 すなわち、 「布施の光を放って物惜しみの罪を滅して下さい。 持戒の光を放って破戒の罪を滅して下さい。 忍辱の光を放って怒りの罪を滅して下さい。 精進の光を放って怠りの罪を滅して下さい。 禅定の光を放って散乱の罪を滅して下さい。 智慧の光を放って愚惑の罪を滅して下さい。」 このようにして、 もしは一日もしは七日に至るならば、 百千劫の長い間の煩悩の重い障りを除く。 あるいは、 しばしの間でも坐禅入定して、 仏の白毫を念じ、 心を明了にして、 謬あやまり乱れる想おもいなく、 心を正しく住とどめて、 意を注いで息やまなかったならば、 九十六億那由他劫の生死まよいの罪を除く。 あるいは、 一心に、 かの仏の神呪だらにを一遍称えると、 よく四重・五逆の罪を滅し、 七遍称えると、 よく根本の罪を滅するのである。 «儀軌» に出ている。
あるいは、 また «心地観経» に理の懺悔を明かしていわれる。
すべてもろもろの罪の本性はみな真如である 迷いの因縁は妄心から起こる
このような罪相は本来空であって 三世の中に求めても得られない
内でも外でも中間でもない 性相も 真如で ともに不動である
真如の妙なる道理は名言ことばを超絶し ただ仏の智慧だけがよく通達する
有でも無でも有無でもない 有無でないのでもなく 名言ことばや相を離れ
すべての世界に周遍あまねくして生滅がない 諸仏は本来同一の体ものがらである
願わくは諸仏がた 加護を垂れて よくすべての迷いの心を滅したまえ
願わくは われ早く真如法性の源を悟って 速やかに如来の無上道を証さとりたいものである
問う。 ただ仏を観念すればすでによく罪を滅するのに、 どういうわけでさらに理の懺悔を修するのか。
答える。 一々にこれを修せよと誰がいおうか。 ただ意こころの望みにまかせるだけである。 まして多くの罪は、 その本性は空であって固定した体はないと観ずるのが、 すなわち真実の念仏三昧である。
«華厳経» の偈に説かれているとおりである。
現在は因縁の和合から成るものではない 過去も未来も同様である
すべての法ものは無相である これが仏の真実の体である
«仏蔵経» の念仏品に説かれている。
固定した体がないと見るのを、 仏を念ずると名づけ、 すべてのものの真実の相を見るのを、 仏を念ずると名づける。 分別することもなく、 取ることもなく、 捨てることもないのが、 真実の念仏なのである。 以上
このほか、 いろいろの空・無相の三昧などの観も、 これに準じて、 みな念仏三昧に摂め入れられるのである。
問う。 このような懺悔には、 どのような勝れた徳があるのか。
答える。 «心地観経» の偈に説かれている。
在家の人は よく煩悩の因たねを招き 出家の人もまた清浄の戒を破る
もしよく法かたのごとく懺悔する者は すべての煩悩が悉くみな除かれる (中略)
懺悔はよく三界の牢獄を出させ 懺悔はよく菩提の華を開かせる
懺悔はよく仏の大円鏡 (智慧) を見せ 懺悔はよくさとりの場所に至らせる
問う。 この中では、 どれを最も勝れたものとするのか。
答える。 もし一人一人についていえば、 その根機に適かなったものを勝れたものとする。 もし一般的に判じてみると、 理の懺悔を勝れたものとする。 それ故に «如来秘密蔵経» の下巻に、 仏が迦葉に次のように告げたもうている。
もし、 わずかの不善でも、 それに堅く住とどまって執着するならば、 そのすべてを、 自分は説いて 「犯ぼん」 と名づける。 迦葉よ、 五無間罪でも、 もし堅く住まり執着してあやまった見解を起こすということがないならば、 自分はそれを 「犯」 とは名づけぬと説くのである。 まして、 その他のわずかの不善の行業についてはなおさらである。 迦葉よ、 自分は不善法で菩提さとりを得たのではなく、 また善法で菩提を得たのでもない。 (中略) 煩悩は因縁から生ずる、 と解さとるのを菩提を得たと名づける。 迦葉よ、 どういうことを、 因縁から生ずる煩悩を解るというのであるか。 それは、 固定した本性がなくて起こった法ものは無生の法であると解ることである。 このように解るのを、 菩提を得たと名づけるのである。
また «決定毘尼経» に説かれている。
大乗の中で、 菩提心を発おこして修行するものは、 朝に戒を犯すことがあっても、 昼に一切智の心を離れないならば、 このような菩薩の戒体はやぶれない。 もし昼に戒を犯すことがあっても、 夕方に一切智の心を離れないならば、 このような菩薩の戒体はやぶれない。
(中略)
もし夜の終り頃に戒を犯すことがあっても、 明くる朝に一切智の心を離れないならば、 このような菩薩の戒体はやぶれない。 こういうわけであるから、 菩薩乗の人は、 開 (犯した罪を許す) 遮 (戒を犯すことを禁ずる) の戒を持たもつのである。 たとい戒を犯すことがあっても、 取り乱して、 むやみに憂い悔んで、 みずからその心を悩ましてはならぬ。 声聞乗では、 戒を犯すことがあれば、 すぐに声聞の浄戒を破壊することになるのである。 下略
ここにいう 「一切智の心」 とは、 他の所に説かれているのに準ずると、 これは第一義空と相応する心である。 あるいは、 これは仏の一切種知を願い求める心であるといってもよい。
問う。 もし懺悔を修めて、 よくもろもろの罪を滅するというならば、 どうして «大智度論» の第四十六巻に
戒律の中の戒おきては、 微細であっても、 懺悔すればすなわち清浄である。 しかし、 十善戒を犯すならば、 懺悔をしても、 三悪道に落ちる罪は除かれぬ。
といったり、 また «十輪経» に、
十悪の罪を造ると、 すべての諸仏がたも救うことはできぬものである。
と説くのであるか。
答える。 «観経» には十念の念仏でよく五逆の罪を滅し、 «観仏三昧経» には仏の一相を念じてよく十悪・五逆の罪を滅し、 «涅槃経» には阿闍世王が懺悔して父を殺した罪を除き、 «般若経» には経を読誦し解説してよく三界の衆生を殺害した罪を滅して悪趣に堕ちず、 «華厳経» には普賢菩薩の願を誦よんで一念によく十悪・五逆の罪を滅するとある。 これで、 大乗の実説ではどんな罪でも滅しないことはないということが明らかに知られる。 そうすると、 この «大智度論» の文は、 あるいは、 重い罪を転じて軽く受けるので、 全然受けないのではないことを 「除かれぬ」 といったのであろう。 あるいは、 相手に応じて説かれた方便の説であろう。 また、 懐感禅師は、 «十輪経» の文を解釈して、
如来の内密の思し召しは、 罪を畏れさせようとお考えになったのである。
などといっている。 その他については、 下に出す念仏の相を料簡する門 (第十問答料簡門の第五臨終念相) に述べるとおりである。 これらは、 みな別時の懺悔である。 けれども、 行者は常に三事を修めるべきである。 その三事とは «大智度論» にいうとおりである。
菩薩は、 必ず昼夜六度に、 懺悔と随喜と勧請との三事を修むべきである。 抜き書きした。
五念門の中うち、 礼拝の次には、 この事を修めるべきである。«十住毘婆沙論» の懺悔の偈にいわれている。
十方の無量の仏たちは すべてを知り尽くしたもう
われ今悉くみ前において 諸の罪を露あらわそう
三々合して九種があり 三つの煩悩から起こる
今身もしは前身の 罪を悉く懺悔しよう
三悪道の中において 受けるべき業報は
願わくは今身に償って 悪道に入って受けないように
「三々合して九種があり」 というのは、 身と口と意とに、 それぞれ順現業と順生業と順後業とがあり、 またみずから造ったものと、 他に教えて作らせたものと、 それを見て随喜するのとがある。 「三つの煩悩から起こる」 というのは、 三界にそれぞれ繋がれる煩悩と、 貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩と、 更に上・中・下の三品の煩悩とのことをいうのである。
勧請の偈にいわれている。
十方の一切の仏たちの 現に成仏してまします方々に
わたしは請いたてまつる 法を説いて衆生を安楽ならしめてください
十方の一切の仏たち もし寿命を捨てようと思いたもうならば
わたくしは今ぬかずいて勧請したてまつる 久しく世に住とどまりたもうように
随喜の偈にいわれている。
あらゆる布施の福も 持戒と修善の行も
身・口・意から生ずる 過去・未来・現在にわたる
三業を習い行う人 三業の果を得た者
すべての凡夫 それらの福をみな随喜しよう 以上
また常行三昧・法華三昧・真言密教などには、 みな、 それぞれ文がある。 意こころのままに、 これを用いるがよい。 もし簡略を望むならば、 «弥勒菩薩本願経» にある次の一偈によるべきである。 経に説かれている。
仏が阿難に語られる。 「弥勒菩薩が、 もと仏道を求めた時は、 耳も鼻も頭も目も、 手足や身命いのち、 珍宝や城邑まち、 妻子や国土を布施して人に与え、 それで仏道を成就したのではない。 ただ善巧方便の安楽の行をもって、 無上のさとりを成就することができたのである。」 阿難が仏に申し上げる。 「弥勒菩薩は、 どのような善巧方便によって仏道を成就することができたのでございますか。」 仏が阿難に語られる。 「弥勒菩薩は昼夜にそれぞれ三たび、 衣服を正して、 体を整え、 手を合わせて、 右膝を地に着け、 十方に向かってこの偈を説いて言ったのである。
わたしはすべての過を悔い 勧めて人々の仏道の徳を助け
諸仏を帰命し礼したてまつる なにとぞ無上の智慧を得させたまえ」
仏が阿難に語られる。 「弥勒菩薩は、 この善巧方便によって、 無上のさとりを得たのである。」 以上
問う。 この懺悔と勧請などの事を修めると、 どれほどの福を得るのであるか。
答える。 «十住毘婆沙論» の偈にいわれている。
もし一時の中うちに行じた 福徳に形があるならば
恒河沙ほどの世界も 受け容れることはできぬであろう 
■対治魔事
【53】 
第六に対治魔事とは、
問ふ、種々の魔事よく正道を障ふ。 あるいは病患を発さしめ、あるいは観念を失はしめ、あるいは邪法を得しむ。
いはゆる、もしは有の見もしは無の見、もしは明了もしは昏闇、もしは邪定もしは攀縁、もしは悲もしは喜、もしは苦もしは楽、もしは禍もしは福、もしは悪もしは善、もしは人を憎みもしは恋着し、もしは心強くもしは心軟らかなり。 かくのごとき等の事の、もしは過ぎたる、もしは及ばざるは、みなこれ魔事なり。 ことごとく正道を障ふ。 なにをもつてかこれを対治する。
答ふ。 治道多しといへども、いまただ念仏の一の治によるべし。 このなかにまた事理あり。
一に事の念とは、言行相応して一心に仏を念ずる時に、もろもろの悪魔、沮壊することあたはず。
問ふ。 なんがゆゑぞ壊せざる。
答ふ。 仏、護念したまふがゆゑに、法の威力のゆゑに、沮壊することあたはず。 『大般若』に、魔事を対治するに、番々の二法を出せるがごとし。 そのなかにのたまはく、「一には、いふところのごとくみなことごとくよくなす、二には、諸仏のためにつねに護念せらる」と。 また『般舟経』にのたまはく、「もし閲叉・鬼神の、人の禅を壊り、人の念を奪はんも、たとひこの菩薩を中らんと欲せば、つひに中ることあたはじ」と。 余は下の利益門のごとし。
二に理の念とは、『止観』の第八にいふがごとし。 「魔界の如と仏界の如とは、一如にして二如なし。 平等一相なりと知りて、魔をもつてdひとなし、仏をもつて欣びとなさず、これを実際に安く。 {乃至}魔界すなはち仏界なり。 しかも衆生は知らずして仏界に迷ひて、横に魔界を起し、菩提のなかにおいて、しかも煩悩を生ず。 このゆゑに悲を起して、衆生をして魔界において仏界に即し、煩悩において菩提に即せしめんと欲ふ。 このゆゑに慈悲を起す」と。 {以上}この念をなすべし、「魔界・仏界および自他界、同じく空なり、無相なり。 この諸法の無相、これすなはち仏の真体なり。 まさに知るべし、魔界すなはちこれ仏身なり、またすなはちわが身なり。 理、無二なるがゆゑに。 しかるを、もろもろの衆生は妄想の夢いまだ覚めず。 一実の相を解らずして、是非の想を生じて五道に輪廻す。 願はくは、衆生をして平等の慧に入らしめん」と。 かくのごとく、深く無縁の大悲を起して、{乃至}仏の妙色身を観ずといへども、三空の門に入りて執着すべからず。 熱金丸の、色の妙なることを見るといへども、手に触るべからざるがごとし。 いはんや、余の事において着を生じ、慢を生ぜんや。 この観をなす時に、魔、沮壊せず。 ゆゑに『大般若経』に、またその治を説きてのたまはく、「一には諸法はみな畢竟空なりと観じ、二には一切有情を棄捨せず」と。 また『大論』(大智度論)にいはく、「十二入はみなこれ魔網なり。 虚誑にして実ならず。 このなかにおいて六種の識を生ずるも、またこれ魔網にして虚誑なり。 何者かこれ実。 ただ不二の法あるのみ。 眼もなく色もなく、{乃至}意なく法等もなきが、これを実と名づく。 衆生をして十二入を離れしめんがゆゑに、つねに種々の因縁をもつてこの不二の法を説く」と。
問ふ。 なんがゆゑぞ、空を観ずるに、魔、便りを得ざる。
答ふ。 かの『論』(同)にいはく、「一切の法のなかにみな着せず。 着せざるがゆゑに違錯なし。 違錯なきがゆゑに、魔、その便りを得ることあたはず。 たとへば、人の身に瘡なきときには、毒屑のなかに臥すといへども、毒また入らず。 もし小瘡あらば、すなはち死ぬるがごとし」と。 また『大集経』の「月蔵分」のなかに、他化天の魔王、菩提心を発し、記を受けて、願を発していはく、「われら、現在・未来のもろもろの仏弟子の、第一義と相応して住するものを護念して、供給し供養せん。 もしわが教に順ぜずして行者を悩乱せば、すなはちかの類をして種々の病を得しめ、神通を退失せしめん」と。 {取意}あきらかに知りぬ、実の魔は便りを得ず、権の魔は護念するのみ。 前の二種の治はみな証拠あり。 ゆゑにさらに諸師の所釈を引かず。  
第六に対治魔事というのは、
問う。 いろいろの魔事が、 よく正道をさまたげるのである。 あるいは病気を発おこさせ、 あるいは観念を失わせ、 あるいは邪法を得させる。 すなわち、 もしは有の見解、 もしは無の見解、 もしは明了、 もしは昏闇、 もしは邪よこしまな禅定、 もしは心の散動、 もしは悲しみ、 もしは喜び、 もしは苦しみ、 もしは楽しみ、 もしは禍わざわい、 もしは福しあわせ、 もしは悪事、 もしは善事、 もしは人を憎み、 もしは恋い慕い、 もしは心が強く、 もしは心が弱いなど、 このような事が、 もしは過ぎたり、 もしは及ばないのは、 みなこれは魔事であって悉く正道をさまたげるのである。 どういう事で、 これを対治しようか。
答える。 これらを治める方法は多いけれども、 今は、 ただ念仏という一つの治めかたに依るべきである。 この中にも、 また、 事と理との二種の念仏がある。
第一に、 事の念仏とは、 言葉と行いとが一致して、 一心に念仏する時、 諸の悪魔もこれを壊やぶることはできないのである。
問う。 どういうわけで壊やぶれないのか。
答える。 仏が護念したもうから、 念仏の法の威力があるから、 壊やぶることができないのである。
«大般若経» に、 魔事を対治するのに、 それぞれ二法ずつ出されているとおりである。 その中に説かれている。
一つには、 その言葉のとおりに、 皆悉くよく作なし、 二つには、 諸仏から常に護念せられる。
また «般舟三昧経» に説かれている。
もし夜叉鬼神が、 人の禅定を破戒し、 人の正念を奪うことはあっても、 この菩薩をやぶろうと欲おもうならば、 結局、 やぶることはできないのである。 下略
そのほかは、 下に出す念仏利益門に示すとおりである。
第二に、 理の念仏とは、 «摩訶止観» の第八巻にいうとおりである。
魔の世界の如と仏の世界の如とは、 一如であって二如はなく、 平等で同一の相であると知り、 魔をうれえとしたり仏をよろこびとしたりすることはなく、 これを真如実相に置くのである。 (中略) 魔の世界は、 そのまま仏の世界であるけれども、 人々はこれを知らないで、 仏の世界に迷って、 妄りに魔の世界を起こし、 菩提の中にあって煩悩を生ずる。 こういうわけであるから悲あわれみを起こすのである。 また人々に、 魔界はそのまま仏界であり、 煩悩はそのまま菩提と悟らせようと欲おもう。 いこういうわけであるから慈いつくしみを起こすのである。 以上
かくして、 次のような念おもいを作なすべきである。 すなわち、 魔の世界も仏の世界も、 および自分の世界も他人の世界も、 同じく空無相である。 このあらゆるものの無相が、 すなわち仏の真実の体ものがらなのである。 そこで魔の世界はそのまま仏身であって、 また、 そのまま我が身であると知るべきである。 道理として異なったものではないからである。 けれども、 多くの人々は、 妄想の夢がまだ覚めず、 一如実相を解さとらないから、 是とか非とかいう想おもいを起こして、 五道に輪廻するのである。 願わくは衆生を平等の智慧に入らせたいものである。
このように深く無縁の大悲を起こし、 さては、 仏の妙なる色身おすがたを観察しても、 三空門に入って、 決して執着すべきではない。 ちょうど、 熱い金属の塊がきれいな色をしているのを見ても、 手で触れてはならぬようなものである。 まして、 その他の事について、 執着を生じたり、 憍慢を生じてはならぬ。 こういう観察を作なす時は、 どんな悪魔も壊やぶることはないのである。 それ故に «大般若経» にも、 またその治めかたを説いていう。
一つには、 あらゆるものはみな畢竟は空であると観じ、 二つには、 すべての衆生を捨てない。
また «大智度論» にいわれている。
十二入は皆これ魔の網で、 いつわりのものであり、 実のものではない。 この中に六種の識を生ずるのも、 また魔の網であっていつわりである。 それでは、 なにが真実であるかといえば、 ただ不二の法があるだけである。 眼もなく色もなく、 さては意もなく法などもない。 これを真実と名づける。 人々に、 この十二入を離れさせるために、 常に種々の因縁をもって、 この不二の法を説くのである。 以上
問う。 どういうわけで、 空を観ずれば、 悪魔が手がかりを得ないのか。
答える。 かの «大智度論» にいわれている。
一切の法の中において、 すべて執着がない。 執着がないから間違いがなく、 間違いがないから、 悪魔もその手がかりを得ることができない。 譬えていうと、 人の身体に傷がなかったら、 毒の細末の中に臥ねても、 毒もまた身体には入らぬが、 もしすこしでも傷があったら、 すなわち死ぬようなものである。
また «大集経» の月蔵分の中に、 他化天の魔王が菩提心を発おこし、 記別を受け、 願を発していう。
わたくしたちは、 現在と未来の諸仏の弟子たちで、 第一義とよくかなっている者を護念し、 必要な物を与え、 供養いたしましょう。 もし、 わたしの指図に順したがわないで、 行者を悩ます者があったら、 すぐさま、 その者どもに種々の病を得させ、 神通を失わせましょう。 これは意味を取った。
これで、 実まことの魔は手がかりを得ず、 権かりの魔は護念するということが明らかに知られる。 以上述べた三種の治め方には、 みな証拠がある。 それゆえ、 あらためて諸師の解釈を引かないのである。 
■総結要行
【54】 
第七に総結要行とは、
問ふ、上の諸門のなかに陳ぶるところすでに多し。 いまだ知らず、いづれの業をか往生の要となす。
答ふ。 大菩提心と、三業を護ると、深く信じ、誠を至して、常に仏を念ずとは、願に随ひて決定して極楽に生ず。 いはんやまた、余のもろもろの妙行を具せらんをや。
問ふ。 なんがゆゑぞ、これらを往生の要となす。
答ふ。 菩提心の義は、前につぶさに釈するがごとし。 三業の重悪はよく正道を障ふ。 ゆゑにすべからくこれを護るべし。
■往生之業念仏為本
往生の業は念仏を本となす。
その念仏の心は、かならずすべからく理のごとくすべし。 ゆゑに深信・至誠・常念の三の事を具す。 常念に三の益あり。 迦才のいふがごとし。 「一には諸悪の覚観、畢竟じて生ぜず。 また業障を消することを得。 二には善根増長し、また見仏の因縁を種うることを得。 三には薫習熟利して、命終の時に臨みて、正念現前す」(浄土論)と。{以上}
業は願によりて転ず。ゆゑに随願往生といふ。
総じてこれをいへば、三業を護るは、これ止の善なり。 仏を称念するは、これ行の善なり。 菩提心および願は、この二の善を扶助す。 ゆゑにこれらの法を往生の要となす。 その旨経論に出でたり。 これをつぶさにすることあたはず。  
第七に、 総決要行とは、
問う。 以上の諸門の中で述べたことは多いが、 どの行業を往生の要とするのかについては分からぬ。 どうであろうか。
答える。 大菩提心を発おこし、 身・口・意の三業を護り慎み、 深く信じ、 誠を至し、 常に、 仏を念じ、 願に随い、 決定して極楽に生まれるのである。 まして、 また、 その他いろいろのすぐれた行を具えるならば、 なおさらである。
問う。 どういうわけで、 これらを往生の肝要とするのであるか。
答える。 菩提心の意義は、 前の作願門に、 詳しく解釈したとおりである。 三業の重い悪は、 よく正道をさまたげるものであるから、 是非とも、 これを護り慎しむべきである。 往生の業には、 念仏を本とする。 その念仏の心は必ず道理にかなったようにすべきである。 それ故に、 深く信ずると、 誠を至すと、 常に念ずるとの三事を具えているのである。 常に念ずることに、 三つの利益があることは、 迦才がいうとおりである。 (浄土論)
第一には、 諸の悪の念がついに生じないし、 また業の障りを消すことができる。 第二には、 善根が増長して、 その上に仏を見たてまつる因縁を種うえることができる。 第三には、 薫習ならわしが次第に熟して、 命が終る時に、 正しい念おもいが眼の前に現われる。 以上
およそ、 行業は願に由って転じ変わるものであるから、 願に随って往生するというのである。
総じていうならば、 三業を護り慎むのは止善であり、 仏名を称念するのは行善である。 菩提心および願は、 この二善を助ける。 それゆえ、 これらの法を往生の肝要とするのである。 その旨は、 経・論に見えているが、 これを詳しく述べることはできない。 
第六 別時念仏
【55】 
大文第六に、別時念仏といふは、二あり。 初めには尋常の別行を明かす。 次には臨終の行儀を明かす。  
大文第六に別時念仏というのは、 これに二節を分ける。 第一には尋常の別行を明かし、 第二には臨終の行儀を明かすのである。 
 

 

■尋常別行
【56】 
第一に尋常の別行とは、日々の行法においてつねに勇進することあたはず。 ゆゑに、時ありて別時の行を修すべし。 あるいは一・二・三日、乃至七日、あるいは十日乃至九十日、楽に随ひてこれを修せよ。 いふところの「一日乃至七日」とは、導和尚(善導)の『観念門』(観念法門)にいはく、「『般舟三昧経』に、〈仏、跋陀和に告げたまはく、《この行法を持てば、すなはち三昧を得、現在の諸仏、ことごとく前にましまして立ちたまふ。 それ比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷ありて、法のごとく、持戒まつたく具し、独り一処に止まりて、西方の阿弥陀仏、いま現にかしこにましますと念へ。 所聞に随ひてまさに念ずべし。 ここを去ること十万億の仏刹なり、その国を須摩提と名づく。 一心にこれを念ずること、一日一夜、もしは七日七夜せよ。 七日を過ぎてより以後に、これを見たてまつること、たとへば夢のうちに見るところのごとくせん。 昼夜を知らず、また内外を知らず、冥のなかにありて弊礙するところあるによるがゆゑに、見ざるにあらず。 跋陀和、四衆つねにこの念をなす時に、諸仏の境界のなかのもろもろの大山・須弥山、それ幽冥なることある処、ことごとく開闢することをなして、弊礙するところなからん。 この四衆は、天眼を持ちても徹し視るにあらず、天耳を持ちても徹し聴くにあらず、神足を持ちてもその仏刹に到るにあらず、この間に終りて、かの間にも生るるにあらずして、すなはちここに坐してこれを見るなり》と。
仏ののたまはく、《四衆、この間の国土にして、阿弥陀仏を念ずること、念をもつぱらにするがゆゑに、これを見たてまつることを得。 すなはち問へ、“なんの法を持ちてか、この国に生るることを得る”と。 阿弥陀仏、報じてのたまはく、“来生せんと欲はば、つねにわが名を念じて休息することを得ることなかれ。 すなはち来生することを得てん”》と。 仏ののたまはく、《念をもつぱらにするがゆゑに往生することを得。 まさに念ずべし、仏身には三十二相・八十種好ありて、巨億の光明徹照し、端正無比にして、菩薩僧のなかにましまして法を説きたまふことを。 色を壊することなかれ。 なにをもつてのゆゑに。 色を壊せざるがゆゑに、仏の色身を念ふによるがゆゑに、この三昧を得》〉と。 {以上}念仏三昧の法を明かす。
[この文はかの『経』(般舟三昧経)の〈行品〉のなかにあり。 もし覚めて仏を見ずは、夢のうちにこれを見んといへり。]三昧の道場に入らんと欲ふ時には、もつぱら仏教の方法によりて、先づすべからく道場を料理し、尊像を安置し、香湯をもつて掃灑すべし。 もし仏堂なきも、浄き房あらば、また得たり。 掃灑すること法のごとくして、一の仏像を取りて西の壁に安置せよ。 行者等、月の一日より八日に至り、あるいは八日より十五日に至り、あるいは十五日より二十三日に至り、あるいは二十三日より三十日に至るまで、月別に四時するは佳し。
行者等、みづから家業の軽重を量りて、この時のうちにおいて浄行の道に入れ。 もしは一日乃至七日、ことごとく浄衣を須ゐよ、鞋靺もまた新浄なるを須ゐよ。 七日のうちは、みなすべからく一食長斎すべし。 軟らかなる餠、粗き飯、随時の醤菜、倹素し節量せよ。 道場のなかにして、昼夜に心を束ね、相続してもつぱら阿弥陀仏を念ぜよ。 心と声と相続して、ただ坐し、ただ立して、七日のうち睡眠を得ざれ。 また時によりて、仏を礼し経を誦すべからざれ。 数珠をもまた捉るべからず。 ただ合掌して仏を念ずと知り、念々に見仏の想をなせ。 仏ののたまはく、〈阿弥陀仏の真金色の身に、光明徹照し、端正無比にして、心眼の前にましますと想念せよ〉と。 まさしく仏を念ずる時には、もし立たばすなはち立ちて一万・二万を念ぜよ。 もし坐せばすなはち坐して一万・二万を念ぜよ。 道場のうちにして、頭を交へてひそかに語らふことを得じ。 昼夜あるいは三時・六時に、諸仏、一切の賢聖、天曹・地府、一切の業道に表白して、一生の己身の身口意業の所造のもろもろの罪を発露懺悔せよ。
事々、実によりて懺悔しをはりて、還りて法によりて仏を念ぜよ。 所見の境界は、たやすく説くことを得ざれ。 善ならばみづから知れ。 悪ならば懺悔せよ。 酒・肉・五辛は、きはめて願を発して、手に捉らざれ、口に喫はざれ。 もしこの語に違はば、すなはち身口にともに悪瘡を着けんと願ぜよ。 願じて『阿弥陀経』を誦すること十万遍を満てよ。 日別に仏を念ずること一万遍せよ。 経を誦すること日別に十五遍せよ。 あるいは誦すること二十遍・三十遍せよ。 力の多少に任せよ。
浄土に生れんと誓ひ、仏摂受したまへと願ぜよ。 またもろもろの行者にまうさく、ただ今生に日夜相続して、もつぱら弥陀仏を念じ、もつぱら『弥陀経』を誦し、浄土の聖衆・荘厳とを称揚し、礼讃して、生ずることを願はんと欲するものは、三昧道場に入ることを除きて、日別に弥陀仏を念ずること一万して、命を畢るまで相続せば、すなはち弥陀の加念を蒙り、罪障を除くことを得ん。 また仏、聖衆とつねに来りて護念することを蒙らん。 すでに護念を蒙りなば、すなはち年を延べ、転じて長命安楽なることを得ん。
因縁の一々は、つぶさに『譬喩経』・『惟無三昧経』・『浄度三昧経』等に説くがごとし。 また『観仏経』にのたまはく、〈もしもろもろの比丘・比丘尼、もしは男・女の人、四根本罪、十悪等の罪、五逆の罪を犯し、および大乗を謗らんに、かくのごときもろもろの人、もしよく懺悔して、日夜六時に身心息まず、五体を地に投ずること、大山の崩るるがごとくし、号泣して涙を雨らし、合掌して仏に向かひて、仏の眉間の白毫相の光を念ずること、一日より七日に至らば、前の四種の罪は軽微なることを得べし。 白毫の毛を観ぜんに、闇にして見えずは、塔のうちに入りて、像の眉間の白毫を観ずべし。 一日より三日に至るまで、合掌して啼泣せよ〉」と。 [以上、『観念門』(観念法門)の文よりこれを略抄す。]『大般若』の五百六十八に、七日の行を明かしてのたまはく、「もし善男子・善女人等、心に疑惑なく、七日のうちにおいて、澡浴清浄にして、新浄の衣を着、華香をもつて供養し、一心にまさしく前の所説のごとき、如来の功徳および大威神を念ぜば、その時、如来は慈悲をもつて護念し、身を現じて見せしめたまひ、願をして満足せしめたまふ。 もし華香等の事に闕少せることあらば、ただ一心に功徳威神を念ぜよ。 まさに命終せんとする時に、かならず仏を見たてまつることを得ん」と。 {以上}「前の所説の功徳」と等いふは、如来の大慈と大悲と説法と無礙の静慮と、一念によく無辺類の身を現ずると、天眼と天耳と他心智と無失念と無漏離垢と、得一切法自在平等等の功徳威神なり。 『大集の賢護経』にまた七日の行あり。 次の利益のなかに説くがごとし。
また迦才の『浄土論』にいはく、「綽禅師(道綽)、『経』(木槵子経)の文を撿へ得たるに、〈ただよく仏を念ずること一心に乱れずして、百万遍以去を得つるものは、さだめて往生することを得〉と。 また綽禅師、『小阿弥陀経』の七日の念仏によりて、百万遍を撿へ得たるなり。 このゆゑに、『大集経』・『薬師経』・『小阿弥陀経』にみな七日の念仏を勧めたるは、この意あきらかなり」と。 [以上、迦才。]いふところの十日の行とは、『鼓音声経』・『平等覚経』に出でたり。 次の利益門に至りてまさに知るべし。 いふところの九十日の行とは、『止観』の第二にいはく、「常行三昧とは、先づは方法を明かす。 次には勧修を明かす。 方法とは、身の開遮、口の説黙、意の止観なり。 この法は『般舟三昧経』に出でたり。 〔般舟を〕翻じて〈仏立〉となす。 仏立に三の義あり。 一には仏の威力、二には三昧力、三には行者の本功徳力なり。 よく定のなかにして、十方現在の仏、その前にありて立ちたまへりと見ること、明眼の人の、清夜に星を観るがごとし。 十方の仏を見たてまつることも、またかくのごとく多し。 ゆゑに仏立三昧と名づく。 『十住毘婆沙』の偈にいはく、
〈この三昧の住処に、少と中と多との差別あり。かくのごとき種々の相、またすべからく論議すべし〉と。
〈住処〉とは、あるいは初禅・二・三・四の中間とにおいて、この勢力を発し、よく三昧を生ず。 ゆゑに住処と名づく。 初禅は少なり、二禅は中なり、三・四は多なり。 あるいは少時に住するを少と名づく。 あるいは世界を見ること少なり。 あるいは仏を見たてまつること少なり。 ゆゑに少と名づく。 中と多とまたかくのごとし。 身には常行を開す。 この法を行ずる時には、悪知識および痴人・親属・郷里を避れ。 つねに独り処止して、他人に悕望して求索するところあることを得ざれ。 つねに乞食して別請を受けざれ。 道場を厳飾して、もろもろの供具・香餚・甘菓を備へよ。 その身を盥沐し、左右出入に衣服を改め換へよ。 ただもつぱら行旋し、九十日を一期となせ。 明師の、内外の律によくして、よく妨障を開除するを須ゐよ。 所聞の三昧の処において、世尊を視たてまつるがごとくにし、嫌せず、恚せず、短・長を見ざれ。 まさに肌肉を割きて、師に供養すべし。 いはんやまた余のものをや。 師に承事すること、僕の大家に奉るがごとくせよ。 もし師において悪をなすときには、この三昧を求むるに、つひに得ること難し。 外護の、母の子を養ふがごときを須ゐ、同行の、ともに嶮を渉るがごときを須ゐよ。 すべからく要期し、誓願すべし。 わが筋骨をして枯れ朽ちせしむとも、この三昧を学せんに得ずは、つひに休息せずと。 大信を起さば、よく壊るものなからん。 大精進を起さば、よく及ぶものなからん。 所入の智はよく逮ぶものなからん。 つねに善師とともに事に従へ。
三月を終竟るまで、世間の想欲を念ふこと、弾指のあひだのごとくすることを得ざれ。 三月終竟るまで、臥出すること弾指のあひだのごときも得ざれ。 三月を終竟るまで、行じて休息することを得ざれ。 坐食・左右をば除く。 人のために経を説かんに、衣食を望むことを得ざれ。 『婆沙』(十住毘婆沙論)の偈にいはく、
〈善知識に親近し、精進して懈怠なく、智慧はなはだ堅牢にして、信力妄りに動ずることなかれ〉と。
口の説黙とは、九十日、身にはつねに行じて休息することなく、九十日、口にはつねに阿弥陀仏の名を唱へて休息することなく、九十日、心にはつねに阿弥陀仏を念じたてまつりて休息することなかれ。 あるいは唱と念とともに運らし、あるいは先づ念じ後に唱へ、あるいは先づ唱へ後に念ぜよ。 唱・念あひ継ぎて休息する時なかれ。
もし弥陀を唱ふるは、すなはちこれ十方の仏を唱へたてまつると功徳等し。 ただもつぱら弥陀をもつて法門の主となす。 要を挙げてこれをいはば、歩々・声々・念々、ただ阿弥陀仏にあり。 意に止観を論ずとは、西方の阿弥陀仏を念ぜよ。 ここを去ること十万億の仏刹にして、宝地・宝池・宝樹・宝堂にましまして、もろもろの菩薩の中央に坐して経を説きたまふ。 三月つねに仏を念ぜよ。 いかんが念ずる。 三十二相を念ず。 足の下の千輻輪相より、一々に逆に縁じて、諸相乃至無見頂を念じ、また頂相より順に縁じて、すなはち千輻輪に至るべし。 われをしてまたこの相に逮ばしめたまへと。
また念ぜよ、われまさに心よりや仏を得ん、身よりや仏を得んと。 仏をば、心を用ゐても得ず、身を用ゐても得ず。 心を用ゐても仏の色を得ず。 色を用ゐても仏の心を得ず。 なにをもつてのゆゑに。 心といはば、仏には心なし。 色といはば、仏には色なし。 ゆゑに色・心を用ゐても三菩提を得べからず。 仏は色すでに尽き、乃至、識もすでに尽きたまへり。 仏の諸説の尽をば、これ痴人は知らず、智者は暁了す。 身口を用ゐても仏を得ず、智慧を用ゐても仏を得ず。 なにをもつてのゆゑに。 智慧は索むるに得べからず、みづから我を索むるに、つひに得べからざればなり。 また所見なし。 一切の法はもとより所有なし。 本を壊し本を絶す。
[それ一。]夢に七宝を見て、親属ありて歓楽するも、覚めをはりて追ひて念ふに、いづれの処にあるといふことを知らざるがごとく、かくのごとくにして仏を念ず。 また舎衛に女ありて須門と名づく。 これを聞きて心に喜ぶ。 夜夢に事に従ふ。 覚めをはりてこれを念ふに、かれも来らずわれも往かず、しかも楽事宛然なり。 まさにかくのごとくして仏を念じたてまつるべし。 人の大きなる沢を行くに、飢渇して夢に美食を得るも、覚めをはりて腹空し。 みづから一切のあらゆる法みな夢のごとしと念ふがごとく、まさにかくのごとく仏を念じたてまつるべし。 しばしば念じて休息することを得ることなかれ。 この念を用ゐて、まさに阿弥陀仏の国に生るべし。 これを如想の念と名づく。
人宝をもつて瑠璃の上に倚するに、影そのなかに現ずるがごとく、また比丘の、骨を観ずるに、骨より種々の光を起すがごとく、これ持ちて来るものなく、またこの骨あることもなし。 これ意のなせるのみ。 鏡のなかの像の、外よりも来らず、中よりも生ぜず、鏡浄きをもつてのゆゑに、おのづからその形を見るがごとし。 行人、色清浄なれば、あらゆるもの清浄なり。 仏を見たてまつらんと欲へば、すなはち仏を見たてまつる。 見ればすなはち問ひ、問へばすなはち報へたまふ。 経を聞きて、大きに歓喜す。 [それ二。]みづから念ず。 仏はいづれの所よりか来りたまふ、われもまた至るところなし。 わが所念をもつて、すなはち見るなり。 心、仏に作る。 心みづから心を見るは、仏心を見るなり。 この仏心は、これわが心、仏を見るなり。 心はみづから心を知らず、心はみづから心を見ず。 心に想あるをば痴となし、心に想なきはこれ泥洹なり。 この法は示すべきものなし。 みな念の所為なり。 たとひ念ありとも、また所有なくして空なりと了するのみ。 [それ三。]偈(般舟三昧経)にのたまはく、
〈心は心を知らず。心ありて心を見ず。心に想を起すは、すなはち痴なり。想なきは、すなはち泥洹なり。諸仏は心より解脱を得たまふ。心は垢なければ、清浄と名づく。五道は鮮潔にして色を受けず。これを解ることあるものは大道を成ず〉と。
これを仏印と名づく。 所貪なく、所着なく、所求なく、所想なく、所有尽き、所欲尽く。 従りて生ずるところなく、滅すべきところなく、壊敗するところなし。 道の要、道の本なり。 この印は、二乗も壊することあたはず、いかにいはんや魔をや。 {云々}『婆沙』(十住毘婆沙論)に明かさく、〈新発意の菩薩、先づ仏の色相、相体、相業、相果、相用を念じて、下の勢力を得。 次に仏の四十の不共の法を念じて、心に中の勢力を得。 次に実相の仏を念じて、上の勢力を得。 しかも色と法との二身に着せず〉と。 偈(同)にいはく、
〈色身に貪着せず、法身にもまた着せず。よく一切の法は、永寂なること虚空のごとしと知る〉と。
勧修をいはば、もし人、智慧大海のごとくにして、よくわがために師たるものなからしめ、ここに坐して、神通を運ばずしてことごとく諸仏を見たてまつり、ことごとく所説を聞き、ことごとくよく受持することを得んと欲はば、つねに三昧を行ぜよ。
もろもろの功徳において、もつとも第一なりとなす。 この三昧はこれ諸仏の母なり、仏の眼なり、仏の父なり、無生大悲の母なり。 一切のもろもろの如来は、この二法より生じたまふ。 大千の地および草木を砕きて塵となし、一塵を一仏刹となして、そこばくの世界のなかに満てる宝をもつて布施せんは、その福はなはだ多し。 この三昧を聞きて驚せず、畏せざらんにはしかじ。 いはんや信じて受持し、読誦して人のために説かんをや。 いはんや定心に修習すること、牛乳を搆るがあひだのごとくせんをや。 いはんやよくこの三昧を成ぜんをや。 ゆゑに無量無辺なり。 『婆沙』(十住毘婆沙論)にいはく、〈劫火・官・賊・怨・毒・竜・獣・衆病、この人を侵すといはば、この処あることなからん。
この人はつねに天竜八部と諸仏のために、みなともに護念し称讃せらる。 みなともに見んと欲して、ともにその所に来らん〉と。 もしこの三昧の上のごとき四番の功徳を聞きて、みな随喜すること、三世の諸仏・菩薩のみな随喜したまふがごとくならんに、また上の四番の功徳に勝る。 もしかくのごとき法を修せざるは、無量の重宝を失ひ、人天これがために憂悲す。 齆鼻の人の、栴檀を把りて嗅がさざらんがごとく、田家の子の、摩尼珠をもつて一頭の牛に博ふるがごとし」と。 [云々。
「四番の功徳」とは、『弘決』にいはく、「また四番の果報あり。 一には驚せざること、二には信受すること、三には定心に修すること、四にはよく成就することなり」と。]  
第一に尋常の別行というのは、 日々の行法においては、 常に勇んで行ずることはできない。 それ故に、 時を定めて別時の行を修すべきである。 あるいは一日・二日・三日、 さては七日、 あるいは十日から九十日と、 望みにしたがって念仏を修めるがよい。
ここにいう 「一日から七日の行」 とは、 善導和尚の «観念法門» にいわれている。
«般舟三昧経» に次のように説かれている。 「仏が跋陀和に告げられる。 ¬この行法を修めるならば、 般舟三昧を得て、 現在の諸仏が悉く前にあって立たれる。 僧・尼や信男・信女があって法かたのごとく修行するには、 戒も完全にたもち、 独り静かな処にとどまって西方の阿弥陀仏を念ぜよ。 いま現にかしこにましますのである。 聞くところにしたがってまさに念ずべきである。 これより十万億の仏国を過ぎて、 その国を須摩提 (極楽) と名づける。 一心にこれを念じて、 一日一夜、 あるいは七日七夜せよ。 七日を過ぎて後に、 阿弥陀仏を見たてまつるであろう。 たとえば夢の中で見るものは、 昼夜を分けず、 また内外の区別なく、 冥くらい中にあって、 おおいかくす所があるからといって見えないのでもないようなものである。 跋陀和よ、 四衆 (僧・尼・信男・信女) がいつもこの念おもいをする時には、 諸仏の世界の中のもろもろの大山や須弥山、 そのあらゆる幽冥くらがりの所が、 ことごとく開かれて、 おおいかくされるところがない。 この四衆は天眼通で見とおすのではなく、 天耳通で聴きとおすのでもなく、 神足通でその浄土に至るのでもなく、 この世界で死んでかの浄土に生まれるのでもなく、 すなわち、 ここに坐して阿弥陀仏を見たてまつるのである。¼
釈迦仏が仰せられる。 ¬四衆は、 この世界において阿弥陀仏を念ずるのに、 もっぱら念ずるから仏を見る事ができるのである。 そこで ª何の法を持たもって浄土に生まれることができましょうかº と問え。 阿弥陀仏が答えて仰せられるであろう。 ªわが浄土に来生しようと思うならば、 つねにわが名を念じてやめなければ来生することができるº と。¼ 釈迦仏が仰せられる。 ¬専ら念ずるから往生することができるのである。 まさに仏身には、 三十二相八十髄形好があって、 はかり知れない光明が輝きわたり、 端正でくらべものがないおすがたで、 菩薩僧たちの中にあって法をお説きになっていることを念ぜよ。 色相を壊やぶってはならぬ。 なぜかというと、 色相を壊らないから、 仏の色身おすがたを念ずることによって、 この三昧を成就するのである¼ と。」
以上は、 念仏三昧の法を明かした。 この文は、 かの経の行品の中にある。 もし、 眼の覚めている時に仏を見たてまつらなければ、 夢の中で、 仏を見たてまつるのである。
三昧の道場に入ろうと思う時には、 もっぱら仏教の定める方法によれ。 まず、 道場をととのえて尊像を安置し、 香湯を潅いで浄めよ。 もし、 仏堂がないならば、 浄らかな室へやでもよい。 それも法にかなって潅ぎ清め、 一つの仏像を西側の壁に安置せよ。 行者たちは、 月の一日から八日まで、 あるいは八日から十五日まで、 あるいは十五日から二十三日まで、 あるいは二十三日から三十日までと、 月毎を四つの時期に分けるのがよい。 行者たちは、 みずから家業の軽重を考えて、 この時期の中の都合のよいときに清浄の行道に入れ。 もしは一日より七日に至るまで、 すべて清浄な衣服を用い、 鞋靺くつもまた新しく浄らかなものを用いよ。 七日の間はいつも一日一食を正午までにとる長斎を用い、 軟餅やわらかなもち・粗飯そまつなめしで、 その時その時の醤菜おかずを用いて、 質素を旨とし、 その量も適量を越えないようにせよ。 道場の中にあっては昼夜に心を散らさず相続して専ら阿弥陀仏を念ぜよ。 心と声とをつづけて絶えないようにし、 ただ坐るもただ立つも、 七日のあいだ眠ってはならぬ。 また時 (昼夜に六回) によって、 礼拝したり経を読誦したりしなくてもよい。 数珠もまた持たなくてもよい。 ただ合掌して仏を念ずるばかりと知って念々に見仏の想いをせよ。 釈迦仏が仰せられる。 「阿弥陀仏の真金色の御身は光明が輝きわたり、 端正でくらべものがなく、 行者の心眼の前にいられると想念せよ」 と。 正しく仏を念ずる時、 もし立つなら立ったままで一万遍・二万遍念ぜよ。 もし坐るならば、 坐ったままで一万遍・二万遍念ぜよ。 道場内では、 頭を寄せて、 私語を交えてはならぬ。 また、 昼夜にあるいは三回、 あるいは六回、 諸仏や一切の賢聖・天曹てんのかみ・地府ちのかみや一切の業道 (五道の冥官) に申しあげて、 生まれてよりこのかた身・口・意の三業に造った多くの罪を口にあらわし懺悔せよ。 それぞれ事実に基づいて懺悔し終ったならば、 また法に依って念仏せよ。 そのとき現れた境界ありさまは、 たやすく説いてはならぬ。 それが善いものであるならば、 みずから知るにとどめ、 悪いものであるならば懺悔せよ。 酒や肉や五辛は決して手にとらず、 口に食べないと誓え。 もし、 この語ことばに違たがうならば身にも口にも、 ともに悪い瘡かさができるようにと願え。 «阿弥陀経» を読むこと、 十万遍を満たそうと願え。 日毎に念仏を一万遍し、 経を誦むこと、 日毎に十五遍、 あるいは二十遍・三十遍と力の多少に任せて、 浄土の往生を誓い、 仏の摂め取りたもうことを願え。
またもろもろの行者たちに告げる。 ただ今生に、 日夜に相続して専ら阿弥陀仏の名号を称え、 専ら «阿弥陀経» を誦よみ、 浄土の聖衆荘厳を称揚・礼讃して、 往生を願う者は、 三昧の道場に入る場合を除いて、 日毎に弥陀の名号を称すること一万遍して、 命の終るまで相続するならば、 すなわち阿弥陀仏の加護を受けて、 罪障を除くことができ、 また仏が聖衆たちとともにつねに来て護念してくださる。 すでに護念をこうむれば、 寿命がのびて、 安楽に暮すことができる。 その因縁の一々は、 つぶさに «比喩経»・«惟無三昧経»・«浄度三昧経» などに説いているとおりである。
また «観仏経» に説かれている。 「もろもろの僧・尼や男・女が、 四つの根本罪 (四重禁)・十悪などの罪や五逆罪を犯し、 および大乗を謗るような罪を犯したとする。 このような人たちがもしよく懺悔して、 昼夜六時に身も心も休むことなく、 五体を地に投げること、 大山の崩れるようにし、 号さけび泣いて、 涙を雨のように流し、 合掌して仏に向かい、 仏の眉間の白毫相の光を念じて一日から七日に至るならば、 さきに述べた四種の罪が軽くなる。 白毫を観ずるのに、 罪が重いために闇くらくて見えないならば、 塔の中に入って仏像の眉間の白毫相を観じ、 一日より三日に至るまで、 合掌して声をあげて泣け。」 以上の文は «観念法門» から抜き書きした。
«大般若経» の第五百六十八巻に、 七日の行を明かしていわれている。
もし、 善男・善女たちが、 心に疑いがなく、 七日の間、 水浴して身を浄らかにし、 新しい浄い衣服を着て、 花や香を供養し、 一心に正しく、 前に説いたような如来の功徳やすぐれた威神力を念ずると、 その時、 如来は慈悲をもって護念し、 その身を現わして見せられ、 願いを満足させて下さるのである。 もし、 花や香などがない場合には、 ただ一心に、 仏の功徳と威神力とを念ずるがよい。 命が終ろうとする時に、 必ず仏を見たてまつることができるであろう。 以上
この文に 「前に説いたような如来の功徳」 などというのは、 如来の大慈大悲・説法・礙さわりのない三昧、 一念の間によく数限りないさまざまの身を現わしたもうこと、 天眼・天耳、 他の心を知る智慧、 過去の記憶を失わない、 無漏で煩悩を離れている、 すべての法ものにおいて自在平等である、 などの功徳や威神力である。 «大集賢護経» にも、 また七日の行がある。 次の念仏利益門の中に説くとおりである。 また、 迦才の «浄土論» にいわれている。
道綽禅師は、 経文に 「ただよく念仏すること、 一心不乱であって、 百万遍以上念仏した者は、 まちがいなく往生することができる」 とあるのをしらべ出された。 また、 道綽禅師は «阿弥陀経» の七日の念仏とある文によって、 百万遍の念仏ということをしらべ出されたのである。 こういうわけで «大集経»・«薬師経»・«阿弥陀経» に、 みな七日の念仏を勧めてあるのは、 その意義が明らかである。 以上迦才
次に、 いうところの十日の行とは、 «鼓音声経»・«平等覚経» に出ている。 これは次の念仏利益門に至って、 知るべきである。
次に、 いうところの九十日の行とは、 «摩訶止観» の第二巻にいわれている。
常行三昧とは、 これについて、 まずその方法を明らかにし、 次に勧修を明かす。
まず方法とは、 身の開遮と口の説黙と意の止観との三種である。 この法は、 «般舟三昧経» に出ている。 「般舟」 とは、 仏立と翻訳する。 仏立とは、 三種の意味がある。 一には仏のすぐれた威力、 二には三昧の力、 三には行者の本の功徳力である。 よく禅定の中で十方現在の仏がたが、 行者の前にあって立ちたもうのを見ることは、 ちょうど眼のよい人が、 晴れた夜に星を観るようなものである。 十方の仏を見たてまつるのも、 また、 このように多いのである。 それゆえに、 仏立三昧と名づける。
«十住毘婆沙論» の偈にいわれている。
この三昧の住処には 少と中と多の差別がある
このような種々の相について またよく論議すべきである
住処というのは、 あるいは初禅定・二禅定・三禅定・四禅定、 また中間の禅定 (初禅定と二禅定の中間) などにおいて、 この定の勢力を発おこして、 よく三昧を生ずるから、 これを住処と名づけるのである。 初禅は少、 二禅は中、 三禅と四禅は多である。 あるいは暫く住するのを少と名づけ、 あるいは世界を見ること少なく、 あるいは仏を見たてまつることが少ないから、 少と名づける。 中と多もまたこのようである。
身は常に歩くことだけがゆるされる。 この法を行ずる時は、 悪い友や愚かな人、 親族や郷里ふるさとを避け離れ、 常に独りとどまって、 他人に衣食などを希望し求めることがあってはならぬ。 常に乞食して、 特別の招きを受けてはいけない。 道場を荘厳し、 諸の供具、 香餚かぐわしいおかず、 甘果おいしいくだものなどを備えよ。 その身を洗い浄め、 道場の出入には衣服を改めよ。 ただひたすら歩き旋めぐって、 九十日を一期間とし、 内外の戒律に精通してよく障りを除く明師に就くがよい。 師から聞いた三昧の処で、 師を見ること世尊を視たてまつるようにし、 嫌わず怒らず、 短所・長所を見てはいけない。 自分の肌の肉を割いてでも師に供養すべきである。 ましてまた、 その他のことはなおさらである。 師には、 下僕が主人に奉つかえるようにせよ。 もし師に対して悪い感情を生じたならば、 この三昧を求めても、 結局は得ることが難しい。 外からの護持者は母親が子供を養うようにする人を用い、 同じく行ずる人は、 嶮しい所を共に渉るような人を用いよ。 わが筋骨を枯れ朽ちさせても、 この三昧を学び得なかったならば、 最後まで休息すまいと決心して誓うべきである。 大信を起こせば、 よく壊やぶる者はなく、 大精進を起こせば、 よく及ぶ者はなく、 得るところの智慧は、 よく及ぶ者はなく、 常に善い師匠と共に事に従うがよい。 三月を終るまで指を弾くほどのわずかのあいだでも世間の想いや望みを起こしてはならない。 三月を終るまで、 指を弾くほどのわずかな間でも臥してはならぬ。 三月を終るまで、 常に行道して、 休むことがあってはならぬ。 食事と用便の場合は、 この限りではない。 人のために経を説いても、 衣食を望んではならぬ。 «十住毘婆沙論» の偈にいわれている。
善い知識に近づいて 精進して懈怠なく
智慧は甚だ堅くして 信力はみだりに動かしてはならぬ
口の説黙というのは、 すなわち、 九十日の間、 身は常に行道して休むことなく、 九十日の間、 口には常に阿弥陀仏のみ名を唱えて休むことなく、 九十日の間、 心には常に阿弥陀仏を念じて休むことがあってはならぬ。 あるいは唱こえと念こころとを倶ともに運び、 あるいはまず念じて後に唱え、 あるいはまず唱えて後に念じ、 唱こえと念こころと相い継いで、 休む時があってはならぬ。 もし、 阿弥陀仏のみ名を唱えるならば、 そのまま十方の仏のみ名を唱えるのと、 その功徳は等しいのである。 ただ専ら阿弥陀仏を法門の主とする。 その要を挙げていうならば、 一歩一歩、 一声一声、 一念一念、 すべてはただ阿弥陀仏に在るのである。
意に止観を論ずというのは、 まず西方の阿弥陀仏を念ぜよ。 これより十万億の国々をすぎた仏国で宝地・宝池・宝樹・法堂のなかに在ましまし、 多くの菩薩の中央に坐して、 経を説きたもうのである。 三月の間、 常に仏を念ぜよ。 どのように念ずるのかというと三十二相を念ずるのである。 すなわち、 足の下の千輻輪の相から、 一々逆に観じて諸の相に及び、 さては無見頂相に至るまで念じ、 また頂相から順次に観じて、 千輻輪にまで至るべきである。 そして、 自分もまた、 この相好を得させてくださいと念ずるがよい。 また、 自分は、 心によって仏を得るのか、 身によって仏を得るのかと念ぜよ。 仏は、 心をもっても得られず、 身をもっても得られない。 心をもっても仏の色相は得られず、 色相をもっても仏心は得られない。 なぜかといえば、 心といえば仏には心はなく、 色相といえば仏には色相はない。 それ故に、 色心をもってしては、 菩提が得られないのである。 仏は色相がすでに尽き、 さては識こころもすでに尽きていられる。 仏が説きたもうところの尽きるというのを、 痴人おろかなひとは知らず、 智者だけが暁あきらかに知るのである。 身口をもってしても仏は得られず、 智慧をもってしても、 仏は得られぬのである。 なぜかといえば、 智慧を索もとめても得ることができないし、 自ら我を索めても、 ついに得ることができないからである。 また見る所もない。 一切の法ものは、 本来所有あることなく、 本が否定され、 もとを絶するのである。 その一である。
夢に七宝を見て親族と歓楽に耽っても、 目が覚めてから思い返してみると、 どこに居たのか分からないようなものである。 このように仏を念ずるがよい。 また、 舎衛国に須門しゅもんと名づける女性があると聞いて心に喜び、 夜、 夢の中でその女に逢ったが、 目が覚めて考えてみると、 女が来たのでもなく、 自分が往ったのでもないのに、 歓楽がまざまざと偲ばれるようなものである。 このように仏を念ずべきである。 また、 大きい沼地を歩いて行く人が飢え渇いて、 寝た夢に美食を得たのであるが、 目が覚めてしまうと、 もとのように空腹であるようなものである。 自らあらゆる法ものを念おもうに、 みな夢のようなものである。 このように仏を念ずべきである。 しばしば念じて休息してはならぬ。 この念をもって、 阿弥陀仏の国に生まれるべきである。 これを 「如想念」 と名づける。 人が、 宝を瑠璃の上に置くと、 影がその中に現れるようなものである。 また、 比丘が骨を観ずると、 骨から種々の光を起こすようなものである。 これは、 この光をもってきた者があるのでもなく、 また骨があるのでもない。 これは意こころの作なせるわざに外ほかならぬのである。 鏡の中の像かたちは、 外から来るのでもなく、 中から生ずるのでもないが、 鏡が浄いから、 自然にその形が現われるようなものである。 行者の色からだが清浄であると、 あらゆるものは清浄である。 仏を見たてまつろうと思えば、 すぐさま仏を見たてまつる。 見たてまつるとすぐに問い、 問いたてまつるとすぐに報こたえたもう。 経を聞いて、 大いに歓喜するのである。 その二である。
みずから念おもう。 仏は何所どこから来りたもうのか。 自分もまた仏の所に至るのでもない。 自分の所念おもいで見たてまつるのである。 わが心が仏を作り、 心が自ら仏を見、 仏の心をも見るのである。 この仏の心は、 わが心に仏を見るのである。 心は自ら心を知らず、 心は自ら心を見ないのである。 心に想おもいがあるのを痴まよいとするので、 心に想がないのは泥洹さとりである。 この法は、 示すべきものとてはないので、 みな念こころのしわざである。 たとい、 念があっても、 また無所有あることのないの空と了さとるにすぎぬのである。 その三である。 偈に説かれている。
心は心をみずから知らず 心があって心を見ない
心に想おもいを起こせばそれは痴まよいであり 想おもいのないのが泥洹さとりである
諸仏は心によって解脱を得られた 心に垢がなければ清浄と名づける
五道は潔きよくて迷いの色を受けぬ この理ことわりを解さとるものは大道を成ずる
これを仏の印いんと名づける。 貪ることもなく、 着とらわれることもなく、 求めることもなく、 想うこともなく、 所有ものも尽き、 所欲こころも尽きる。 従よって生ずることもなく、 滅すべきこともなく、 壊やぶれることもない。 道の要、 道の本である。 この印は、 二乗も壊すことができない。 まして、 悪魔がどうしてできようぞ。 下略
«十住毘婆娑論» に明かしてある。 「初発心の菩薩は、 まず仏の色相おすがた、 相の体、 相の業、 相の果、 相の用はたらきを念じて、 下の力を得、 次に仏の四十の不共法を念じて、 心に中の力を得、 次に実相の仏を念じて、 上の力を得、 しかも色身・法身の二身に執着しない。」
偈 (十住毘婆娑論) にいわれている。
色身に執らわれず 法身にも執らわれない
よくすべての法ものは とこしえに空寂なこと虚空おおぞらのようと知る
勧修とは、 もし人あって、 智慧は大海のようで、 よく自分のために師と作なる者もないようになり、 ここにいながら、 神通力を使わないで悉く諸仏を見、 悉くその説きたもうことを聞いて、 悉くよく受け持たもつようにしたいと欲おもうならば、 常に三昧を行ずるがよい。 諸の功徳の中で、 これが第一である。 この三昧は、 諸仏の母、 仏の眼であって、 仏の父であり、 無生・大悲の母である。 すべて諸の如来は、 この二法より生ぜられたのである。 三千大千世界の大地と草木を砕いて微塵とし、 その一塵を一仏国とし、 そのあらゆる世界の中に満ちている宝をもって布施するならば、 その福徳は非常に多いのであるけれども、 この三昧を聞いて驚かず、 畏れないという功徳には及ばないのである。 ましてこの三昧を信じて受けた持たもち、 読誦して人のために説く功徳、 まして牛乳を搆しぼるほどのわずかな間でも定心にこの三昧を修め習う功徳、 ましてよくこの三昧を成就する功徳にあっては、 なおさらである。 ゆえに無用無辺である。 «十住毘婆娑論» にいう。 「劫末の大火・役人・賊・怨あだ・毒虫・悪竜・悪獣や、 多くの病などが、 この人を侵すというならば、 そんな道理のあるはずはない。 この三昧を行ずる人は、 常に天・竜などの八部衆や、 諸仏がたから、 皆ともに護念せられ称讃せられ、 皆共に、 この人を見ようと欲おもって、 共にその所に来きたるのである。」
もしこの三昧の上の四番の功徳を聞いて、 みな、 随喜することが、 三世の諸仏菩薩のみな随喜したもうようにするならば、 また、 上の四番の功徳よりも勝るのである。 もし、 このような三昧の法を修めないならば、 無量の尊い宝を失うことになるであろう。 人も天も、 このために憂え悲しむのである。 鼻を病む人は、 栴檀を手に把とっても、 そのよい香りを嗅がぬようなものであり、 田舎の子が、 摩尼法珠を一頭の牛と換えるようなものである。 下略。 ここにいう 「四番の功徳」 とは «弘決» にいう。 「また、 四番の果報がある。 一には驚かず、 二には信じて受け、 三には定心で修し、 四にはよく成就するのである。」 
■臨終行儀
【57】 
第二に臨終の行儀とは、先づ行事を明かし、次に勧念を明かす。
■行事
初めに行事とは、『四分律の抄』の瞻病送終の篇に、中国の本伝を引きていはく、「祇園の西北の角、日光の没する処を無常院となせり。 もし病者あれば、安置してなかに在く。 おほよそ貪染を生ずるものは、本房のうちの衣鉢・衆具を見て、多く恋着を生じ、心に厭背なきをもつてのゆゑに、制して別処に至らしむるなり。 堂を無常と号くるなり。 来るものはきはめて多く、還反るものは一二なり。 事につきて求め、専心に法を念ず。 その堂のうちに、一の立像を置けり。 金薄をもつてこれに塗り、面を西方に向かへたり。 その像の右の手は挙げ、左の手のなかには、一の五綵の幡の、脚垂れて地に曳けるを繋けたり。
まさに病者を安んじて像の後に在き、左の手に幡の脚を執りて、仏に従ひて仏の浄刹に往く意をなさしむべし。 瞻病のひとは、香を焼き華を散らして病者を荘厳し、乃至、もし屎尿・吐唾あれば、あるに随ひてこれを除く」と。 ある説には「仏像を東に向け、病者を前に在く」と。 [わたくしにいはく、もし別処なくは、ただ病者をして面を西に向かへしめて、香を焼き華を散じて、種々に勧進せよ。 あるいは、端厳の仏像を見しむべし。]導和尚(善導)のいはく(観念法門)、「行者等、もしは病し、病せざらんも、命終らんと欲する時には、もつぱら上の念仏三昧の法によりて、身心を正当にして、面を回らして西に向かへ、心また専注して阿弥陀仏を観想し、心口相応して声々絶ゆることなく、決定して往生の想、華台の聖衆来りて迎接する想をなせ。 病人もし前の境を見ば、すなはち看病の人に向かひて説け。 すでに説くを聞きをはらば、すなはち説によりて録記せよ。
また病人、もし語ることあたはずは、看病者かならずすべからくしばしば病人に問ふべし、なんの境界をか見たると。 もし罪の相を説かば、傍らの人すなはちために仏を念じ、助けて同じく懺悔して、かならず罪を滅せしめよ。 もし罪滅することを得ば、華台の聖衆念に応じて現前せん。 前に准へて抄記せよ。 また行者等の眷属六親、もし来りて病を看ば、酒・肉・五辛を食らへる人をあらしむることなかれ。 もしあらば、かならず病人の辺に向かふことを得ざれ。 すなはち正念を失ひ、鬼神交乱し、病人狂死して、三悪道に堕しなん。 願はくは行者等、よくみづから謹慎して仏教を奉持して、同じく見仏の因縁をなせ」と。 {以上}往生の想、迎接の想をなすこと、その理しかるべし。
『大論』(大智度論)に、神変の作意を説きていふがごとし。 「地の想を取ること多きがゆゑに、水を履むこと地のごとし。 水の想を取ること多きがゆゑに、地に入ること水のごとし。 火の想を取ること多きがゆゑに、身より煙火等を出す」と。 {云々}あきらかに知りぬ、所求の事において、かの相を取る時には、よくその事を助けて成就することを得るなり。 ただ臨終のみにあらず。 尋常もこれに准へよ。 綽和尚(道綽)のいはく(安楽集・上)、「十念相続することは難からざるがごときに似たり。 しかれども、もろもろの凡夫、心は野馬のごとく、識は猿猴よりもはなはだしく、六塵に馳騁して、なんぞかつて停息せんや。 おのおの、すべからくよろしく信心を致し、あらかじめみづから剋念し、積習して性を成じ、善根をして堅固ならしむべし。
仏(釈尊)、大王に告げたまへるがごとし。 〈人、善行を積めば、死するときに悪念なし。 樹の先より傾けるは倒るるに、かならず曲れるに随ふがごとし〉(大智度論)と。 もし刀風一たび至れば、百苦身に奏まる。 もし習先よりあらずは、懐念なんぞ弁ずべけんや。 おのおのよろしく同志三五と、あらかじめ言要を結びて、命終の時に臨みて、たがひにあひ開暁し、ために弥陀の名号を称し、極楽に生るることを願じて、声々あひ次いで十念を成ぜしむべし」と。 {以上}いふところの「十念」といふは、多くの釈ありといへども、しかも一心に十返「南無阿弥陀仏」と称念する、これを十念といふ。 この義、経の文に順ぜり。 余は下の料簡のごとし。
■勧念
次に臨終の勧念とは、善友・同行のその志あるものは、仏教に順ずるがために、衆生を利せんがために、善根のために、結縁のために、患に染まん初めより病の床に来りて問ひて、幸ひに勧進を垂れよ。 ただ勧誘の趣は、人の意にあるべし。 いましばらく自身のために、その詞を結びていはく、仏子、年来のあひだ、この界の希望を止めて、ただ西方の業を修す。 就中、もとより期するところは、これ臨終の十念なり。 いますでに病の床に臥しぬ。 恐れざるべからず。 すべからく目を閉ぢ、掌を合せて、一心に誓期すべし。 仏の相好にあらざるよりは、余の色を見ることなかれ。 仏の法音にあらざるよりは、余の声を聞くことなかれ。 仏の正教にあらざるよりは、余の事を説くことなかれ。 往生の事にあらざるよりは、余の事を思ふことなかれ。 かくのごとくして、乃至、命終の後に、宝蓮台の上に坐して、弥陀仏の後に従ひ、聖衆囲繞して、十万億の国土を過ぐるあひだをもまたかくのごとくして、余の境界を縁ずることなかれ。
ただ極楽世界の七宝の池のなかに至りて、はじめて目を挙げ、掌を合せて、弥陀の尊容を見たてまつり、甚深の法音を聞き、諸仏の功徳の香を聞ぎ、法喜・禅悦の味はひを嘗め、海会の聖衆を頂礼し、普賢の行願に悟入すべし。 いま十事あり。 まさに心を一にして聴き、心を一にして念ふべし。 一々の念ごとに疑心をなすことなかれ。
一には先づ大乗の実智を発して生死の由来を知るべし。 『大円覚経』の偈にのたまふがごとし。
「一切のもろもろの衆生の、無始の幻の無明は、みなもろもろの如来の、円覚の心より建立せり」と。
まさに知るべし、生死即涅槃なり、煩悩即菩提なり、円融無礙にして無二無別なり。 しかるを一念の妄心によりて、生死の界に入りにしよりこのかた、無明の病に盲ひられて、久しく本覚の道を忘れたり。 ただ諸法はもとよりこのかた、つねにおのづから寂滅の相なり。 幻のごとくして定まれる性なし。 心に随ひて転変す。 このゆゑに、仏子、三宝を念じたてまつりて、邪を翻して正に帰すべし。 しかも仏はこれ医王なり、法はこれ良薬なり、僧はこれ瞻病人なり。 無明の病を除き、正見の眼を開き、本覚の道を示して、浄土に引摂することは、仏法僧にしくはなし。 このゆゑに、仏子、先づ大医王の想をなして、一心に仏を念じたてまつるべし。
「南無三世十方一切諸仏・南無本師釈迦牟尼仏・南無薬師琉璃光仏」と、[三念以上。]「南無阿弥陀仏」と。 [十念以上。]次に妙良薬の想を生じて、一心に法を念ずべし。
「南無三世仏母摩訶般若波羅蜜・南無平等大慧妙法蓮華経・南無八万十二一切正法」と。 次に随逐護念の想を生じて、一心に僧を念ずべし。
「南無観世音菩薩・南無大勢至菩薩・南無普賢菩薩・南無文殊師利菩薩・南無弥勒菩薩・南無地蔵菩薩・南無龍樹菩薩・南無三世十方一切聖衆・南無極楽界会一切三宝・南無三世十方一切三宝」と。 [三念以上、あるいはよろしきに随ひて、同音に助念せよ。 あるいは鐘声を聞かしめて、正念を増せしめよ。 下去はこれに准ぜよ。]
二には法性は平等なりといへども、また仮有を離れず。 弥陀仏ののたまふがごとし。
「諸法の性は、一切、空・無我なりと通達して、もつぱら浄仏土を求むれば、かならずかくのごとき浄刹を成ず」(大経・下)と。
ゆゑに浄土に往生せんがために、先づこの界を厭離すべし。 いまこの娑婆世界は、これ悪業の所感なり、衆苦の本源なり。 生老病死は輪転して際なし。 三界は極縛にして一も楽しむべきことなし。 もしこの時においてこれを厭離せずは、まさにいづれの生にか輪廻を離るべけんや。 しかも阿弥陀仏には不可思議の威力まします。
もし一心に名を称すれば、念々のうちに、八十億劫の生死の重罪を滅したまふ。 このゆゑに、いままさに一心にかの仏を念じて、この苦界を離るべし。 この念をなすべし、「願はくは阿弥陀仏、決定してわれを抜済したまへ」と。南無阿弥陀仏。[その十念以上の信心の勢ひの尽くるを見て、次の事を勧むべし。
あるいは加へて二菩薩(観音・勢至)を称せよ。 下去はこれに准ず。]
三には浄土を欣求すべし。 西方極楽は、これ大乗善根の界、無苦無悩の処なり。 一たび蓮胎に託しぬれば、永く生死を離れ、眼には弥陀の聖容を瞻たてまつり、耳には深妙の尊教を聞く。 一切の快楽、具足せずといふことなし。 もし人、臨終の時に、十たび弥陀仏を念ずれば、決定してかの安楽国に往生す。 仏子、いまたまたま人身を得たり、また仏教に値へり。 なほ一眼の亀の、浮木の孔に値へるがごとし。
もしこの時において、往生することを得ずは、還りて三悪・八難のなかに堕して、法を聞くことなほ難し。 いかにいはんや、往生をや。 ゆゑに、一心にかの仏を称念したてまつるべし。 この念をなすべし、「願はくは仏、今日決定して、われを引接して、極楽に往生せしめたまへ」と。 [南無阿弥陀仏。]
四にはおほよそかの国に往生せんと欲ふものは、すべからくその業を求むべし。
かの仏の本願(第二十願)にのたまふがごとし。 「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係けて、もろもろの徳の本を殖ゑて、心を至して回向して、わが国に生れんと欲せん。 果し遂げずは、正覚を取らじ」(大経・上)と。 仏子、一生のあひだ、ひとへに西方の業を修す。 所修の業多しといへども、期するところはただ極楽なり。
いますべからくかさねて三際の一切の善根を聚集して、ことごとく極楽に回向すべし。 この念をなすべし、「願はくは、わが所有の一切の善根力によりて、今日決定して極楽に往生せん」と。 [南無阿弥陀仏。]
五にはまた本願(第十九願)にのたまはく、「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、菩提心を発して、もろもろの功徳を修して、至心に願を発して、わが国に生れんと欲せん。 寿終の時に臨みて、たとひ大衆と囲繞して、その人の前に現ぜずは、正覚を取らじ」(大経・上)と。 仏子、久しくすでに菩提心を発し、およびもろもろの善根をもつて極楽に回向せり。 いますべからくかさねて菩提心を発して、かの仏を念じたてまつるべし。 この念をなすべし、「願はくはわれ、一切衆生を利益せんがために、今日決定して極楽に往生せん」と。 [南無阿弥陀仏。]
六にはすでに知りぬ。 仏子はもとよりこのかた、往生の業を具せり。 いますべからくもつぱら弥陀如来を念じて、業をして増盛ならしむべし。 しかも、かの仏の功徳は無量無辺にして、つぶさに説くべからず。 いま現に十方にまします、おのおの恒河沙等の諸仏、つねにかの仏の功徳を称讃したまふ。 かくのごとく称讃したまふこと、たとひ恒沙劫を経とも、つひに窮尽すべからず。 仏子、総じて一心にかの仏の功徳を帰命すべし。 念ふべし、「われいま、一念のうちに、ことごとくもつて弥陀如来の一切の万徳を帰命す」と。 [南無阿弥陀仏。]
七には仏子、弥陀仏の一の色相を念じて、心をして一境に住せしむべし。 いはく、かの仏の色身は閻浮檀金のごとし。 威徳巍々たること金山王のごとく、無量の相好をもつて、その身を荘厳せり。 そのなかに眉間の白毫は、右に旋りて婉転せること五須弥のごとし。 七百五倶胝六百万の光明、熾然赫奕たること億千の日月のごとし。 これすなはち無漏の万徳の成就したまへるところ、大定智悲の流出せるところなり。 須臾のあひだも、この相を憶へば、よく九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の重罪を滅す。 このゆゑに、いままさにかの相を憶念して、決定して罪業を滅除すべし。 この念をなすべし、「願はくは白毫相の光、わがもろもろの罪を滅したまへ」と。 [南無阿弥陀仏。]
八にはかの白毫相のそこばくの光明は、つねに十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず。 まさに知るべし、大悲の光明は決定して来りて照らしたまふらん。 『華厳』の偈にのたまふがごとし。
「また光明を放ちたまふを見仏と名づく。かの光は命終のものを覚悟せしめたまふ。念仏三昧をしてかならず仏を見たてまつり、命終の後に仏前に生る」と。
ゆゑにいまこの念をなすべし、「願はくは弥陀仏、清浄の光を放ちて、はるかにわが心を照らしたまひ、わが心を覚悟して、境界と自体と当生との三種の愛を転じて、念仏三昧成就して極楽に往生することを得しめたまへ」と。 [南無阿弥陀仏]
九には弥陀如来は、ただ光をもつてはるかに照らしたまふのみにあらず。 みづから観音・勢至とつねに来りて行者を擁護したまふ。 いかにいはんや、父母は病の子においては、その心ひとへに重し。 〔仏は〕法性の山を動かし、生死の海に入りたまふ。 まさに知るべし、この時に、仏、大光明を放ちて、もろもろの聖衆とともに来りて、引接擁護したまふらん。 惑障あひ隔てて、見たてまつることあたはずといへども、大悲の願疑ふべからず。 決定してこの室に来入したまふらん。 ゆゑに仏子、この念をなすべし、「願はくは仏、大光明を放ちて、観音・勢至とともに来りて、決定して来迎し、引接して極楽に往生せしめたまへ」と。 [南無阿弥陀仏。
以上第七・八・九条の事は、つねに勧誘すべし。 その余の条は、時々、これを用ゐよ。]もし病者の気力、やうやく羸劣なる時には、いふべし、「仏、観音・勢至、無量の聖衆とともに来りて、宝蓮台をフげて、仏子を引接したまふらん」と。
十にはまさしく終りに臨む時にいふべし、「仏子、知るやいなや。 ただいまはすなはちこれ最後の心なり。 臨終の一念は百年の業に勝れり。 もしこの刹那を過ぎなば、生処一定しぬべし。 いままさしくこれその時なり。 まさに一心に仏を念じて、決定して西方極楽の微妙浄土の八功徳池のうちの、七宝蓮台の上に往生すべし」と。 この念をなすべし、「如来の本誓は一毫も謬ることなし。 願はくは仏、決定してわれを引摂したまへ」と。 [南無阿弥陀仏。]あるいは漸々に略を取りて、念ふべし、「願はくは仏、かならず引摂したまへ」と。 [南無阿弥陀仏。]かくのごとく病者の気色を瞻て、その所応に随順して、ただ一の事をもつて最後の念となし、衆多なることを得ざれ。 その詞の進止は、ことに用意すべし。 病者をして攀縁をなさしむることなかれ。
問はく、『観仏三昧経』に説くがごとし。 「仏、阿難に告げたまはく、〈もし衆生ありて、父を殺し、母を害し、六親を罵辱せらん。 この罪を作れるものは、命終の時に、銅の狗、口を張りて十八の車を化す。 状、金車のごとし。 宝蓋、上にありて、一切の火焔は、化して玉女となる。 罪人はるかに見て、心に歓喜を生じて、《われなかに往かんと欲す》と。 風刀の解くる時に、寒急にして声を失ひ、《むしろ好火を得て、車の上にありて、坐して燃ゆる火にみづから爆られん》と。 この念をなしをはりて、すなはち命終す。 揮攉のあひだに、すでに金車に坐しぬ。 玉女を顧み瞻れば、みな鉄斧を捉りて、その身を折り截る〉」と。 またのたまはく(同)、「また衆生ありて、四重禁を犯し、虚しく信施を食らひ、誹謗・邪見にして、因果を識らず、般若を学することを断じ、十方の仏を毀り、僧祇物を偸み、婬妷無道にして、浄戒のもろもろの比丘尼、姉妹・親戚を逼略して、懺愧することを知らず、所親を毀辱し、もろもろの悪事を造れる、この人の罪報、命終の時に臨みて、風刀身を解くに、偃坐不定なること、杖楚を被るがごとし。 その心は荒越して、痴狂の想を発し、おのが室宅を見れば、男女・大小の一切は、みなこれ不浄の物なり。 屎尿の臭き処にして、ほかに盈流せん。
その時に、罪人すなはちこの語をなしていはく、〈なんぞ、この処に好き城廓および好き山林の、われをして遊戯せしむるものなくして、すなはちかくのごとき不浄物のあひだに処せるや〉と。 この語をなしをはるに、獄卒羅刹、大きなる鉄叉をもつて、阿鼻地獄およびもろもろの刀山をフげて、化して宝樹および清涼の池となす。 火焔は化して金葉の蓮華となり、もろもろの鉄の嘴ある虫は、化して鳧・雁となる。 地獄の痛む声は、詠歌の音のごとし。 罪人、聞きをはりて、〈かくのごとき好き処に、われまさになかに遊ぶべし〉とおもふ。 念じをはりて、尋いで時に大蓮華に坐せん」と。 {云々} いかんぞ知るや、今日の蓮華の来り迎ふること、これ火華にあらずとは。
答ふ。 感和尚(懐感)の釈していはく(群疑論)、「四の義をもつてのゆゑに、火車にあらずといふことを知る。
一には行をもつて、二には相をもつて、三には語をもつて、四には仏をもつてなり。 この四義、火華に異なり。 一に行をもつてとは、『観仏三昧経』に、〈罪人は罪を造りて、四重禁を犯し、乃至、所親を毀辱して〉と説けども、悔過をなさず、善友の、教へて仏を念ぜしむるにも遇はざるがゆゑに、所見の華はこれ地獄の相なり。 いまこの下品等の三人は、また生れてよりこのかた、罪を造れりといへども、終りの時に、善知識に遇ひて、心を至して仏を念ず。 仏を念ずるをもつてのゆゑに、多劫の罪を滅して、勝功徳を成じて、宝池のなかの華来り迎ふることを感得す。 あに前の華に同じからんや。
二に相といふは、かの『経』(観仏経)に、〈風刀身を解くに、偃臥定まらず、楚撻を被るがごとし。 その心は荒越して、狂痴の想を発す。 おのが室宅を見れば、男女・大小の一切は、みなこれ不浄の物なり。 屎尿の臭き処にして、ほかに盈流せん〉と説けども、いまこれは、仏を念じて、身心安穏にして、悪想すべて滅しぬ。 ただ聖衆を見、異香あることを聞ぐ。 ゆゑに類せざるなり。
三に語といふは、かの『経』(同)のなかに、〈地獄の痛む声は、詠歌の音のごとし。 罪人、聞きをはりて、《かくのごとき好き処に、われまさになかに遊ぶべし》〉と説けども、『観経』のなかに、讃へてのたまはく、〈善男子、なんぢ、仏の名を称するがゆゑに、もろもろの罪消滅して、われ来りてなんぢを迎ふ〉と。 かれ(観仏経)はこれ詠歌の音なり。 これ(観経)は滅罪の語を陳ぶ。 二音すでに別なり。 ゆゑに不同なり。
四に仏といふは、かの『経』(観仏経)に、〈一切の火焔は、化して玉女となる。 罪人はるかに見て、心に歓喜を生じて、《われなかに往かんと欲ふ》と。 金車に坐しをはりて、玉女を顧み瞻れば、みな鉄斧を捉りて、その身を折り截る〉と。 『観経』に、〈その時に、かの仏、すなはち化仏・化の観世音・化の大勢至を遣はして、行者の前に至らしむ〉とのたまへり。
この四の義をもつて、准へて知れ。 蓮華の来迎すること、『観仏三昧経』の説には同ぜず」と。 {以上}看病の人は、よくこの相を了りて、しばしば病者の所有のもろもろの事を問ひて、前の行儀によりて種々に教化せよ。  
 
第二に臨終の行儀というのは、 まず、 行事を明かし、 次に勧念を明かすのである。
初めに行事とは、 «四分律抄» の瞻病送終篇に «中国本伝» を引いていう。
祇園精舎の西北の角、 日の没する方所に無常院をつくってある。 もし病人があると、 その中に移して置く。 煩悩をおこすものは、 本坊の内の衣鉢やいろいろの道具を見て、 多く恋着をおこし、 この世を厭う心がないから、 制して別の場所に至らせるのである。 その堂を無常院と名づける。 来る者は非常に多いが、 還るものは一人か二人である。 事相すがたについて求め、 専心に法を念ずるように、 その堂の中に、 ひとつの立像を安置してある。 金箔でその像を塗り、 顔を西方に向けてある。 その仏蔵の右手は挙げ、 左手の中には、 一つの五色の幡はたの端を垂れて地に曳いているものを繋いでいる。 病人を寝かせる場合には、 仏像の後うしろに在おき、 左手に幡の端を執らせ、 仏につれられて浄土に往生するという意を起こさせるのである。 看病する者は、 香をたき、 華を散らして、 病人を荘厳かざる。 そうして、 もし屎尿・吐唾つばなどがあれば、 そのつど、 これを取り除くのである。
あるいは説く。
仏像を東に向けて、 病人をその前に在おく。 私にいう。 もし特別な場所がないならば、 ただ病人の顔を西方に向けさせ、 香をたき、 花を散らして、 いろいろに勤めよ。 あるいは、 端厳な仏像を見させるがよい。
善導和尚がいわれている。 (観念法門)
行者たちが、 病気であろうとなかろうと、 命の終ろうとするときには、 もっぱら上に述べたような念仏三昧の方法に依って、 まさしく身心をうちこんで顔を西に向け、 心もまた専注して阿弥陀仏を観想し、 心も口も相応して称名を絶やすことなく、 決定して往生する想いをなし、 蓮台に乗った聖衆が来きたって迎えてくださる想いをせよ。 病人は、 もしその境界ありさまを見たならば、 看病人に向かって話すがよい。 聞きおわったならば、 話したとおりに記録をせよ。 また、 病人がもし話すことができなければ、 看病人は必ずしばしばどのような境界を見たかと病人に問え。 もし罪の様相すがたを話したならば、 傍の人はその人のために念仏し、 助けて同じく懺悔し、 必ず罪を消滅させよ。 もし罪を滅することができて、 蓮台に乗った聖衆がその念に応じて、 目の前に現われたならば、 前と同じように記録にせよ。 また、 行者たちは、 もし親族のものが来て看病する場合には、 酒や肉や五辛を食べた人がいないようにせねばならない。 もしそのような人がいたならば、 決して病人の側に近づかせてはならぬ。 もしそういうことがあれば病人は正念を失い、 鬼神がこもごも来て乱し、 病人は狂い死んで三悪道に堕ちるであろう。 願わくは行者たちよ、 よくみずからつつしんで仏の教えを持たもち、 同じように仏を見たてまつる因縁を作るようにせよ。 以上
このように、 往生する想おもい、 迎えてくださる想を作なすことは、 その道理、 もっともなことといえよう。 «大智度論» に、 不思議な意こころのはたらきを説いていうとおりである。
大地の相を心に取ることが多いから、 水を地のように履ふむのである。 水の相を心に取ることが多いから、 水のように地に入るのである。 火の相を心に取ることが多いから、 身から烟や火を出すのである。 下略
これで、 求めるところの事において、 その相を心に取る時に、 よくその事を助けて成就することができるということが明らかに分かった。 これは、 ただ臨終だけにいうのではないので、 平生の時も、 これに準ずるのである。 道綽和尚がいわれている。 (安楽集)
十念の念仏を相続することは、 難しくないようであるが、 しかしすべての凡夫の心は、 野馬のごとく、 また猿の動くよりもはげしく、 色・声・香・味・触・法 (六塵) などの外のことにかかわって、 いまだかつて止とどまらない。 それで、 おのおのがよろしく信心を発おこして、 あらかじめ、 みずから念をはげまして行を積み、 習性をつくって、 善根を堅固にさせねばならない。 釈迦仏が大王 (釈摩男) に告げられたようである。 (大智度論) 人が平生に善行を積めば、 臨終の時に悪念がないことは、 あたかも樹が倒れる場合には、 かならずさきよりその傾いている方向に随うようなものである。 もし、 身をさく臨終の刀風が一たび至れば、 あらゆる苦しみが身に集まる。 もし習性が前からなかったならば、 念仏がどうしてできようか。 おのおの同志の人が、 三人でも五人でもあらかじめ約束しておいて、 命終の時に臨んでは、 お互いにさとしあって弥陀の名号を称えて、 極楽の往生を願い、 その声を続けて十念を成就させるべきである。 以上
ここにいう十念とは、 多くの割笏があるけれども、 一心に十遍南無阿弥陀仏と称念するのを十念というのである。 この解釈は経の文に順したがっている。 その他については、 下の問答料簡 (臨終念相) に示すとおりである。
次に臨終に念仏を勧める (勧念) というのは、 すなわち善友同行でその志のある者は、 仏の教おしえに順したがうために、 衆生を利益するために、 自分の善根のために、 往生の縁を結ぶために、 病気にかかった初めから病床を訪ねて、 幸いに念仏を勧めるべきである。
ところで、 勧める趣きは、 それぞれの人の意に依るがよい。 今は、 しばらく私自身のために、 勧めの詞ことばをまとめると、 次のようにいうであろう。
仏子きみは、 年来この世の望みを止とどめて、 ひたすら西方往生の行業を修めてきたのであるが、 とりわけ、 以前から期ごしているのは、 臨終の十念の念仏であった。 今、 すでに病の床に臥しているのであるから、 恐れずにはおられないであろう。 よろしく目を閉じて合掌し、 一心に誓い期すべきである。 仏の相好おすがた以外には、 その他の色すがたを見てはならぬ。 仏の法音みこえ以外には、 その他の声を聞いてはならぬ。 仏の正教みおしえ以外には、 その他の事を説いてはならぬ。 往生の事以外には、 その他の事を思ってはならぬ。 このようにして命終の後には、 宝の蓮台の上に坐り、 阿弥陀仏の後みあとに従い、 聖衆にとり囲まれて、 十万億の国土を過ぎる間も、 やはりまたこのとおりにして、 その他のことを思ってはならぬ。 ただ極楽世界の七宝の池の中に至って、 始めて目を挙げ、 合掌して阿弥陀仏の尊いお姿を見たてまつり、 甚深の法音を聞き、 諸仏の功徳の香りを聞かぎ、 聞法の喜び、 禅定の味を嘗め、 海のように多く会あつまられた聖衆にぬかずいて、 普賢の行願に悟り入るべきである。
今、 十の事項を述べよう。 一心に聴き一心に念ずるがよい。 一々の念ごとに疑うたがいの心を生じてはならぬ。
第一には、 まず大乗の実相の智慧を発おこして、 生死まよいの由来を知るべきである。 «大円覚経» の偈に説かれているとおりである。
すべて諸の衆生の 始めもない幻の無明は
みな諸の如来の 円かな覚りの意こころを離れていない
かくして、 生死はそのまま涅槃であって、 煩悩はそのまま菩提であり、 円かに融けあって、 礙なく、 無二であって差別がないことを知るべきである。 けれども、 一念の妄心に由って、 生死界に入ってからこのかた、 無明の病のために盲となり、 久しい間、 本覚さとりの道を忘れていたのである。 ただすべてのものは本来、 常に自然に寂滅の相であって、 幻のように一定の性がなく、 心につれてうつり変るのである。
こういうわけであるから、 仏子きみは、 三宝を念じ、 邪をひるがえして正に帰すべきである。 ところで、 仏は医王であり、 法は良薬であり、 僧は看病人である。 無明の病を除いて、 正見の眼を開き、 本覚の道を示して浄土に導くには、 仏・法・僧の三宝に及ぶものはない。 こういうわけであるから、 仏子きみは、 まず仏は大医王であるという想おもいを生じて一心に仏を念ずべきである。 すなわち 「南無本師釈迦牟尼仏・南無薬師瑠璃光仏・南無三世十方一切諸仏。」 三念以上 「南無阿弥陀仏。」 十念以上 次に、 法は妙良薬であるという想を生じて一心に法を念ずべきである。 「南無三世仏母摩訶般若波羅蜜・南無平等大慧妙法蓮華経・南無八万十二一切正法。」 次に、 僧はつき随って護りたもうという想を生じて、 一心に僧を念ずべきである。 「南無観世音菩薩・南無大勢至菩薩・南無普賢菩薩・南無文殊師利菩薩・南無弥勒菩薩・南無地蔵菩薩・南無龍樹菩薩・南無三世十方一切聖衆・南無極楽界会一切三宝・南無三世十方一切三宝。」 三念以上。 これは、 あるいは適宜同音して助念せよ。 あるいは鐘の声を聞かせて正念を増せ。 以下これに準ぜよ。
第二には、 真如法性は平等であるけれども、 また仮有の差別相を離れたものではない。 阿弥陀仏が仰せられるとおりである。 (無量寿経)
あらゆるものの本性は すべて空無我と知って
ひたすら浄土を求めるならば かならずかような国を成就するであろう
それゆえに、 浄土に往生するためには、 まずこの世界を厭い離れるべきである。 今、 この娑婆世界は、 悪業の報いであり、 多くの苦しみの本源である。 すなわち、 生・老・病・死は輪のように回めぐって際もなく、 三界という牢獄に縛られて、 一つとして楽しむべきものはない。 もし、 今この時に、 これを厭い離れなかったならば、 いつの世において、 この輪回を離れられようか。 ところで、 阿弥陀仏には不思議のすぐれた力がましまして、 もし一心にみ名を称えるならば、 一声一声の中うちに八十億劫のあいだ迷う重罪を滅したもうのである。 こういうわけであるから、 いま、 一心にかの仏を念じて、 この苦界を離れるべきである。 そこで、 次のように念ずるがよい。 「なにとぞ阿弥陀仏、 決定してわたくしをお救い下さい。 南無阿弥陀仏」 その十念以上称える信心の勢いが尽きるのを見て、 次の事を勧むべきである。 あるいは二菩薩の名を称えることを加える。 以下これに準ぜよ。
第三には、 浄土を欣い求めるべきである。 西方極楽は、 大乗善根の世界であって、 苦悩のない所である。 一たび蓮台に託生すれば、 長く生死を離れ、 眼には阿弥陀仏の尊いお姿を見たてまつり、 耳には深妙の尊いみ教を聞く。 すべての快楽は、 ことごとく具足している。 もし人が臨終の時に阿弥陀仏を十念したてまつると、 まちがいなくかの安楽国に往生するのである。 仏子きみは、 今たまたま受け難い人間の身に生まれ、 また聞き難い仏のみ教に値あった。 ちょうど眼の一つしかない亀が、 浮木の孔に値ったように希まれなことである。 もし、 この時に往生することができなかったならば、 また、 もとの三塗八難の中に堕ちて、 仏法を聞くことさえも難しい。 まして、 往生することは思いもよらぬことである。 それゆえ、 一心にかの阿弥陀仏のみ名を称念すべきである。 そこで、 次のように念ずるがよい。 「なにとぞみ仏、 今日決定して、 私を救いとって、 極楽に往生させてください。 南無阿弥陀仏」
第四には、 およそ、 かの国に往生したいと欲おもうなら、 往生の行業を求めるべきである。 かの阿弥陀仏の本願 (第二十願) に仰せられてあるとおりである。
もし、 わたしが仏になったとき、 あらゆる人々が、 わが名号を聞き、 わが国に念おもいをかけ、 もろもろの功徳を積み、 至心に回向してわが国に生まれたいと願うなら、 それをかならず果たし遂げさせよう。 そうでなければ、 決してさとりを開くまい。
仏子きみは、 一生の間、 ひたすら西方浄土に往生する行業を修めてきた。 その修めた行業は多いけれども、 期するところは極楽往生のほかはない。 いま重ねて三世のすべての善根を集めて、 ことごとく極楽に回向すべきである。 そこで、 次のように念ずるがよい。 「なにとぞ、 私の持たもつすべての善根の力に由って、 今日決定して極楽に往生したいものである。 南無阿弥陀仏」
第五には、 また本願 (第十九願) に仰せられてあるとおりである。
もし、 わたしが仏になったとき、 あらゆる人々が、 菩提心をおこして、 いろいろの功徳を修め、 至心に発願してわたしの国に生まれたいと思うなら、 臨終に、 多くの聖衆と共にその人の前に現われるであろう。 そうでなければ、 決してさとりを開くまい。
仏子きみは、 久しくすでに菩提心を発おこし、 それに諸の善根を積んで極楽に回向している。 今、 重ねて菩提心を発して、 かの阿弥陀仏を念ずべきである。 そこで、 次のように念ずべきである。 「なにとぞ私は、 すべての衆生を利益するために、 今日、 決定して極楽に往生したいものである。 南無阿弥陀仏」
第六には、 仏子きみが本来往生の業を具えていることは、 すでにわかったのであるが、 いま、 阿弥陀如来を専ら念じて、 その業を増すべきである。 ところで、 かの阿弥陀仏の功徳は無量無辺で、 詳しく説き尽くすことはできない。 いま、 十方にそれぞれ現に在す恒河の沙の数ほどの諸仏は、 常にかの阿弥陀仏の功徳をほめたもうのである。 このようにほめても、 たとい恒河の沙の数ほどの長い劫を経ても、 結局極め尽くすことはできないのである。 仏子きみは、 総じて一心にかの阿弥陀仏の功徳に帰命したてまつるべきである。 そこで、 こう念ずるがよい。 「私は、 今、 一念の中うちにことごとく阿弥陀如来のすべての万徳に帰命したてまつる。 南無阿弥陀仏」
第七には、 仏子きみは、 阿弥陀仏の一つの色相おすがたを念じ、 心を一つの境に住とどまらせるがよい。 すなわち、 かの阿弥陀仏の色身おからだは閻浮檀金のようである。 威徳みいずは金山王のようにけだかくそびえ、 無量の相好でその身をかざりたもうのである。 その中の眉間の白毫は、 右に旋まわって渦巻き、 須弥山を五つ合わせたようである。 七百五倶胝六百万の光明を放って、 億千の日月のように盛んに輝いている。 これは、 浄らかな万徳の成就した果であり、 深い智慧と慈悲から流れ出したものである。 しばらくの間でも、 この相を憶おもうならば、 よく九十六億那由他の恒河の沙を微塵にした数ほどの長い劫の間、 生死まよいを経る重い罪を滅するのである。 こういうわけであるから、 今、 かの相を憶念し、 決定して罪業を滅し除くべきである。 そこで、 こう念ずるがよい。 「なにとぞ、 白毫相の光が、 私の諸の罪を滅してくださいますよう。 南無阿弥陀仏」
第八には、 かの白毫相の多くの光明は、 常に十方世界の念仏する人々を照らし、 摂め取って捨てたまわぬのである。 大悲の光明は、 決定して来り照らしたもうことを知るべきである。
«華厳経» の偈に説かれているとおりである。
また光明を放つを見仏と名づける その光は命終ろうとする者を覚らせたもう
念仏三昧して必ず仏を見たてまつり 命終の後に仏のみ前に生まれる
それ故、 いま次のように念ずるがよい。 「なにとぞ阿弥陀仏、 清浄の光を放って、 遥かにわが心を照らし、 わが心を覚らせて境界まわりのものと自体わがからだとに対する三種の愛着を転じ、 念仏三昧を成就して、 極楽に往生することを得させて下さいますよう。 南無阿弥陀仏」
第九には、 阿弥陀如来は、 ただ光をもって遥かに照らしたもうだけではない。 みずから観音・勢至とともに常に来て行者を護りたもうのである。 まして父母は病める子に対して、 ひとしお心をかけるようなものであり、 仏は、 法性さとりの山を動かして生死まよいの海に入りたもうものである。 されば、 この時に当たって、 仏は大光明を放ち、 多くの聖衆とともに来て、 行者を引接し護って下さることが知られるのである。 煩悩の障りが、 行者と仏との間を隔てて、 仏を見たてまつることはできないけれども、 大悲の願は疑ってはならない。 必ずこの室へやに入りたもうのである。 それゆえ、 仏子きみは、 次のように念ずるがよい。 「なにとぞ、 み仏、 大光明を放って、 決定して来り迎え、 極楽に往生させてくださいますよう。 南無阿弥陀仏」 以上の第七・大八・第九の事は、 常に勧めるべきである。 その他の各条の事は、 時に応じて用いよ。
もし、 病人の気力が次第に衰える時には、 「仏は観音・勢至や無量の聖衆とともに来りたまい、 宝の蓮台をささげて、 仏子きみを引接したもう」 というがよい。
第十には、 まさしく臨終の時には、 こういうべきである。 「仏子きみも知っているだろうが、 ただ今が最後の心である。 臨終の一念は百年の行業よりも勝るといわれている。 もし、 この刹那を過ぎてしまうと、 生まれる処が決まるのである。 今がまさしくその時である。 一心に仏を念じて、 決定して妙なる西方極楽浄土の八功徳水の池の中にある七宝の蓮台の上に往生すべきである。」 そこで、 次のように念ずるがよい。 「如来の本誓にはすこしも謬あやまりはない。 なにとぞ、 み仏、 決成して、 私を引接して下さいますよう。 南無阿弥陀仏」 あるいは次第に、 簡略にこう念ずるがよい。 「なにとぞ、 み仏、 必ず引接して下さいますよう。 南無阿弥陀仏」
以上のように、 病人の容子を見て、 その場合に応じて、 ただ一事を最後の念おもいとして、 数多くしてはならぬ。 その詞ことばの加減には、 殊に用心すべきである。 病人に心を乱させてはならぬ。
問う。 «観仏三昧経» に説かれているとおりである。
仏が阿難に告げたもう。 「もし人あって父を殺し、 母を害し、 親族をののしりはずかしめたとする。 こういう罪を作った者は、 命終る時に銅の狗いぬが口を開き十八の車をあらわす。 そのさまは金の車のようである。 宝の蓋が上にあって、 一切の火炎は化して玉女となる。 罪人は遥かにこれを見て心に歓喜を生じ、 自分はその中へ往きたいと思う。 風刀が身を解く時には、 急に寒気がして思わず声を立て、 ªむしろ好い火を得て、 車の上に坐り、 燃える火にみずから身を爆あぶろうº と思いおわって、 命が尽きる。 たちまちの間に、 すでに金の車の上に坐り、 玉女をふりかえると、 みな獄卒となって、 鉄の斧をもって、 罪人を切るのである。
また説かれている。
また人あって、 四重禁を犯し、 いたずらに信者の施物を食し、 仏法をそしり、 邪な見解を持たもち、 因果の道理を識らず、 般若を学ぶことを断ち、 十方の諸仏をそしり、 僧衆の財物をぬすみ、 婬佚みだらにして道をわきまえず、 浄らかに戒律を持たもっているもろもろの比丘尼や姉妹・親族を犯して、 慚愧の心がなく、 親しいものを毀そしり辱はずかしめて、 多くの悪事を造る。 この人の罪の報は命が終る時に臨んで、 風刀がその身を解くと、 寝ても坐ってもむち打たれるようである。 その心は荒れ乱れて、 狂いたわけた想おもいをおこす。 自分の室いえや男女を見ると、 大小すべてのものは、 皆不浄の物であり、 屎尿の臭い所となって、 外にあふれ流れている。 そのとき罪人はこういう。 「どうして、 ここには立派な城まちや美しい山林のような、 自分を楽しみ遊ばせてくれるものがなくて、 このような不浄のものの間に自分はいるのであろうか」 と。 このことばを言い終ると、 獄卒や羅刹は、 大鉄叉をもって阿鼻地獄やもろもろの刀の山をすべてさしあげて、 宝樹や清涼の池に変え、 火炎は化して金葉の蓮華となる。 もろもろの鉄の嘴くちばしのある虫は化して鳧かもや雁かりとなり、 地獄の苦痛の声は詠歌うたの声のようである。 罪人はこれを聞いて ª自分はこのような美しいところで遊びたいº と思う。 思い終ったとき、 火の蓮華の上に坐っているのである。 下略
この経文から見ると、 今往生するときの蓮華の来迎は、 火の車の蓮華ではないということが、 どうしてわかるのか。
答える。 懐感和尚が解釈していわれる。 (群疑論)
四つの義わけに依って、 火の車ではないという事がわかる。 一つには行について、 二つには相について、 三つには語について、 四つには仏について論ずる。 この四つの義があるから、 火の蓮華とは異なるのである。
一つに、 行について異なるとは、 «観仏三昧経» に 「罪人は罪を造り、 四重禁を犯し、 さては親しいものをそしり辱しめる」 と説いてあるが、 後悔を生ぜず、 善友が仏を念ずることを教えてくれるのに遇わないから、 罪人が見るところの華は、 地獄の相である。 いま、 この下品などの三人は、 生まれて以来、 罪を造っているけれども、 命終の時に善知識に遇い、 心から仏を念ずる。 仏を念ずるから多劫の罪を滅し、 優れた功徳を成就して、 宝池の中の蓮華が来迎することを感得するのである。 どうして、 前の火の車の蓮華と同じであろうか。
二つに、 相について異なるとは、 かの «観仏三昧経» に 「風刀がその身を解くと、 寝ても坐ってもむち打たれるようである。 その心は荒れ乱れて狂いたわけた想おもいをおこす。 自分の室いえや男女を見ると、 大小すべてのものは、 みな不浄の物であり、 屎尿の臭い所となって、 外にあふれ流れている」 と説いているが、 今この場合は、 仏を念じて身も心も安らかであるから、 悪い想おもいはすべて滅する。 ただ聖衆を見て、 よい香のあるのを聞かぐのである。 それゆえ同じではない。
三つに、 語について異なるとは、 かの «観仏三昧経» の中に 「地獄の苦痛の声は詠歌の声のようである。 罪人はこれを聞いて、 自分はこのような楽しいところで遊びたいと思う」 と説いてあるが、 «観経» の中には 「ほめたたえて仰せられるには、 ¬善男子よ、 おんみはよく仏のみ名を称えたので、 多くの罪が消滅した。 それでわれわれは、 ここにきておんみを迎えるのである¼」 と説かれてある。 «観仏三昧経» では詠歌の声であるけれども、 «観経» では滅罪を述べる語ことばである。 二種の声がすでに別々であるから同じではないのである。
四つに、 仏について異なるとは、 かの «観仏三昧経» に、 「一切の火炎は化して玉女となる。 罪人は遥かにこれを見て心に歓喜を生じ、 自分はその中に往きたいと思う。 すでに金の車の上に坐り終って、 玉女をふりかえると、 みな鉄の斧をもって、 その罪人を切るのである」 と説いてあるけれども、 «観経» には、 「この時に阿弥陀仏は、 化仏と観音・勢至の化菩薩をお遣わしになり、 行者の前に至らせたもう」 と説かれている。
この四つの義わけに依って、 蓮華の来迎は、 «観仏三昧経» の説とは同一でないということを準じて知るのである。
看病の人は、 よくこの相すがたをわきまえて、 病人が心にいだくいろいろの事をしばしば問い尋ね、 前に示した行儀に依って、 種々に教化すべきである。 
往生要集下巻 (七祖) 
第七 念仏利益
【58】 
大文第七に、念仏利益を明かさば、大きに分ちて七あり。 一には滅罪生善、二には冥得護持、三には現身見仏、四には当来勝利、五には弥陀別益、六には引例勧信、七には悪趣利益なり。 その文おのおの多し、いま略して要を挙ぐ。  
大文第七に、 念仏の利益を明かすというのは、 大きく分けて七つある。 第一には滅罪めつざい生しょう善ぜん、 第二には冥みょう得とく護持ごじ、 第三には現身げんしん見仏けんぶつ、 第四には当来とうらい勝しょう利り、 第五には弥陀みだ別益べつやく、 第六には引例いんれい勧信かんしん、 第七には悪趣あくしゅ利り益やくである。 その文は、 それぞれ多いが、 今は略して、 その要を挙げよう。 
■滅罪生善
【59】 
第一に滅罪生善といふは、『観仏経』の第二にのたまはく、「一時のなかにおいて分ちて少分となして、少分のなかによく須臾のあひだも仏の白毫を念じて、心をして了々ならしめ、謬乱の想なく、分明正住にして、意を注くること息まずして白毫を念ずるものは、もしは相好を見、もしは見ることを得ずとも、かくのごとき等の人は、九十六億那由他恒河沙微塵数劫の生死の罪を除却せん。
たとひまた人ありて、ただ白毫を聞きて心に驚疑せず、歓喜し信受せん。 この人もまた八十億劫の生死の罪を却けん」と。
またのたまはく(同)、「仏、世を去りたまひて後、三昧正受して仏の行を想ふものは、また千劫の極重の悪業を除かん」と。[仏の行歩の相は、上の助念方法門のごとし。]またのたまはく(観仏経)、「仏、阿難に告げたまはく、〈なんぢ、今日より如来の語を持ちて、あまねく弟子に告げよ。
仏の滅度の後に、好き形像を造りて、身相をして具足せしめ、また無量の化仏の色像および通身の色を作り、および仏跡を画き、微妙の糸および頗梨珠をもつて白毫の処に安きて、もろもろの衆生をしてこの相を見ることを得しめよ。 ただこの相を見て心に歓喜をなさば、この人は百億那由他恒河沙劫の生死の罪を除却せん〉」と。
またのたまはく(同)、「老女の、仏を見て、邪見にして信ぜざるすら、なほよく八十万億劫の生死の罪を除却しき。 いはんや、また善き意をもつて恭敬し礼拝せんをや」と。 [須達が家の老女の因縁は、かの『経』(同)に広く説くがごとし。]またのたまはく(同)、「もろもろの凡夫および四部の弟子、方等経を謗り、五逆罪を作り、四重禁を犯し、僧祇物を偸み、比丘尼を婬し、八戒斎を破り、もろもろの悪事をなし、種々の邪見あらん。 かくのごとき等の人、もしよく心を至して一日一夜、繋念在前して、仏如来の一の相好を観ぜば、もろもろの悪・罪障も、みなことごとく尽滅しなん」と。
またのたまはく(観仏経)、「もしは仏世尊に帰依することあるもの、もしは名を称するものは、百千劫の煩悩の重障を除く。 いかにいはんや、正心に念仏定を修せんをや」と。 『宝積経』の第五にのたまはく、「宝珠あり、種々色と名づく。 大海のなかにあり、無量衆多の駃き流ありて大海に入るといへども、珠火の力をもつて水をして消滅せしめて、盈溢せざらしむるがごとく、かくのごとく如来・応・正等覚は菩提を証しをはりて、智火の力によりて、よく衆生の煩悩をして消滅せしめたまふことも、またかくのごとし。{乃至}もしまた人ありて、日々のうちにおいて如来の名号功徳を称説せば、このもろもろの衆生はよく黒闇を離れて、漸次にまさにもろもろの煩悩を焼くことを得べし。 かくのごとくして〈南無仏〉と称念するもの、語業空しからじ。 かくのごとき語業を、大炬を執りてよく煩悩を焼くと名づく」と。
『遺日摩尼経』にのたまはく、「菩薩は、また数千巨億万劫、愛欲のなかにありて罪のために覆はれたりといへども、もし仏経を聞きて一反も善を念ずれば、罪すなはち消尽す」と。[以上のもろもろの文は滅罪なり。]
『大悲経』の第二にのたまはく、「もし三千大千世界のなかに満てらん須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢を、もし善男子・善女人ありて、もしは一劫、もしは減一劫、もろもろの種々の称意の一切の楽具をもつて、恭敬し尊重し謙下して供養せん。 もしまた人ありて、諸仏の所にして、ただ一たび掌を合せ、一たび名を称せん。 かくのごとき福徳を、前の福徳に比ぶるに、百分にして一にも及ばず。 百千億分にして一にも及ばず。 迦羅分にして一にも及ばず。 なにをもつてのゆゑに。 仏如来はもろもろの福田のなかに最無上たるをもつてなり。 このゆゑに仏に施するは大功徳を成ず」と。 [略して抄す。三千世界に満てる辟支仏をもつて校量することまたしかり。]『普曜経』の偈にのたまはく、
「一切衆生の、縁覚とならんに、もし供養すること億数劫にして、飲食・衣服・床臥具、檮香・雑香および名華をもつてすることあらんも、もし心を一にして十の指を叉へ、心をもつぱらにしてみづから一の如来に帰したてまつり、口にみづから言を発して〈南無仏〉といふことあらば、この功徳の福をば最上なりとなす」と。
『般舟経』に念仏三昧を説く偈にのたまはく、
「たとひ一切みな仏となりて、聖智清浄にして慧第一ならん。みな億劫よりその数を過ぐすまで、一偈の功徳を講説し、泥洹に至るまで福を誦詠し、無数億劫にことごとく嘆誦すとも、その功徳を究め尽すことあたはじ。この三昧の一偈の事においてするを、一切の仏国のあらゆる地、四方四隅および上下の、なかに満てらん珍宝をもつて布施し、用ゐて仏天中の天に供養せんも、もしこの三昧を聞くことあるものは、その福祐を得ること、かれに過ぎたらん。安諦に諷誦し説講するものは、譬へを引くとも功徳喩ふべからず」と。一仏の刹を破して塵となして、一々の塵を取りて、また砕くこと、一仏刹の塵数においてするがごとくして、この一塵をもつて一仏刹となして、そこばくの仏刹の、なかに満てらん珍宝を諸仏に供養せん。これをもつて比となせり。以上生善。
『度諸仏境界経』に説かく、「もしもろもろの衆生の、如来を縁じて、もろもろの行を生ずるものは、無数劫の地獄・畜生・餓鬼・閻魔王の生を断ず。 もし衆生ありて、一念も作意して如来を縁ずるものは、所得の功徳限極あることなし。 称量すべからず。 百千万億那由他のもろもろの大菩薩の、ことごとく不可思議の解脱定を得んも、計校してその辺際を知ることあたはじ」と。
『観仏経』に、「仏、阿難に告げたまはく、〈われ涅槃しなん後に、諸天・世人、もしわが名を称し、および《南無諸仏》と称せば、獲るところの福徳無量無辺ならん。 いはんやまた繋念して諸仏を念ずるものは、しかももろもろの障礙を滅除せざらんや〉」と。 [以上、滅罪生善。その余は上の正修念仏門のごとし。 
第一に滅罪生善とは、 «観仏三昧経» の第二巻に説かれている。
一時の中を分けて少分とし、 その少分の中で、 よくしばらくの間でも仏の白毫相を念ずるのに、 心をはっきりとさせて乱れた想おもいなく、 あきらかに正しく心を住とどめ、 意を注いで息やまず、 白毫を念ずる者は、 相好を見たてまつっても、 見ることができなくても、 このような人は、 九十六億那由他の恒河の沙、 微塵の数ほどの多劫のあいだ生死まよいに沈む罪を除くであろう。 たとい、 また人あって、 ただ白毫のことを聞き、 心に驚き疑わずに、 喜んで信じ受けるならば、 この人もまた、 八十億劫のあいだ生死まよいに沈む罪を除くであろう。
また説かれている。
釈迦仏が世を去りたもうた後に、 三昧に入って、 仏の歩まれる相を想う者も、 また千劫の極めて重い悪業を除くであろう。 仏の歩まれる相は、 上の助念方法門に示すとおりである。
また説かれている。
仏が、 阿難に告げられる。 「そなたは今日から、 如来の語ことばを持たもって、 あまねく弟子たちに告げよ。 仏が入滅した後には、 好い仏像を造って、 身相すがたをととのえさせ、 また無量の化仏の像および全身の後光を作り、 および仏の足跡を画えがき、 きれいな糸と頗梨珠とを白毫の所に置いて、 多くの人々に、 この白毫相を見ることができるようにせよ。 ただこの相を見て、 心に歓喜を生ずるならば、 この人は、 百億那由他の恒河沙ほどの多劫のあいだ生死まよいに沈む罪を除くであろう。 «優填王作仏形像経» に説かれている。 「仏の形像を作る功徳は無量で、 世々に生まれる所は悪道に堕ちず、 後には、 みな無量寿仏の国に生まれることができ、 菩薩となって、 成仏することができるであろう。」 以下略す。 抜書きした。
また説かれている。
老女が仏を見たてまつり、 邪見で信じなかったのに、 それでも、 よく八十万億劫の生死まよいに沈む罪を除くことができた。 まして、 また善意をもって仏を恭敬し礼拝するものは、 なおさらのことである。 須達の家の老女の因縁は、 かの経に広く説いてあるとおりである。
また説かれている。
もろもろの凡夫、 および僧・尼や信男・信女の弟子で、 大乗経を謗り、 五逆罪を作り、 四重禁を犯し、 寺院の財物を盗み、 比丘尼を犯し、 八戒斎を破り、 諸の悪事や種々の邪見をなすものがある。 このような人も、 もしよく至心に、 一日一夜、 念おもいを繋けて、 仏がその前に在いますがように、 仏の一つの相好おすがたでも観ずる者は、 諸の悪も罪障も、 皆ことごとく滅び尽きるであろう。
また説かれている。
仏世尊に帰依する者や、 仏のみ名を称える者は、 百千劫の煩悩の重い障りを除く。 まして、 正しい心で念仏三昧を修めるものは、 なおさらのことである。
«宝積経» の第五巻に説かれている。
種々色と名づける宝珠がある。 大海の中にあって、 数限りのない多くの速い流れが大海に入るのであるが、 この珠の火の力で、 水を消滅させ、 満ち溢れないようなものである。 これと同様に、 如来が菩提を証さとりおわって智慧の火の力に由り、 よく衆生の煩悩まよいを消滅させたもうのも、 またこのとおりである。 (中略) もしまた、 日々に如来の名号の功徳をたたえて説く人があるならば、 この人々は、 よく黒闇を離れて、 次第に諸の煩悩を焼くことができるであろう。 このように、 「南無仏」 と称念すると、 その語ことばの業はたらきは空しくならぬ。 このような語の業を ª大きい炬たいまつを執って、 よく煩悩を焼くº と名づける。
«遺日摩尼経» に説かれている。
菩薩は、 また数千巨億万劫のあいだ、 愛欲の中にあって、 罪に覆われていても、 もし、 仏経を聞いて、 一遍でも善を念ずるならば、 その罪は、 すぐさま消え尽きるであろう。 以上の諸文は滅罪の文である。
«大悲経» の第二巻に説かれている。
もし善男・善女があって、 三千大千世界の中に満ちみつる*須しゅ陀だ洹おん・*斯陀しだ含ごん・*阿那あな含ごん・*阿羅あら漢かんの聖者たちを、 もしは一劫、 もしは一劫未満のあいだ、 いろいろの意にかなったすべてのたのしみの品々で恭敬し尊重し、 へりくだって供養したとする。 もし、 また人あって、 諸仏のみもとで、 ただ一たび合掌し、 一たびみ名を称えるとする。 このような福徳を前の福徳に比べると、 前のものは、 この百分の一にも及ばず、 百千億分の一にも及ばず、 無数分の一にも及ばぬのである。 どういうわけでかといえば、 如来は、 諸の福田 (功徳を生ずるもと) の中で、 最も無上だからである。 こういうわけで仏に布施したてまつるのは、 大きな功徳と成るのである。 抜き書きした。 三千世界に満ちみつる縁覚の場合について比較してみても、 また同じことである。
«普曜経» の偈に説かれている。
すべての人々が縁覚となり たとい億数劫のあいだ
飲食・衣服やまた寝具 檮ついた香や雑まじった香と美しい花などを供養したとしても
もし一心に十指をくみ合わせ 心を専らにしてみずから一仏に帰依し
口にみずから 「南無仏」 と称えるならば この功徳の方が最上である
«般舟三昧経» の念仏三昧を説く偈にいわれている。
たとい すべてのものがみな仏となって 聖の智慧は清浄第一となり
みな億劫を過ぎるまで 一偈の功徳を講説し
入滅するまで その功徳をほめ詠うたい 無数億劫のあいだ悉く嘆ほめたたえても
この三昧を説く一偈の功徳を 極め尽くすことはできない
すべての仏国のあらゆる土地 八方および上下のうちに
満ちみちた珍宝を施し もって天中の天である仏に供養しても
もしこの三昧を聞きうるものは その福徳を得ることが前の供養にまさる
安らかに誦となえ講説するならば 譬たとえを引いても 功徳はたとえられぬ
一仏土を砕いて塵とし、 その一々の塵を取って、 また一仏土を塵にするように砕き、 この一塵を一仏土として、 それら多くの仏土の中に満ちている珍宝をもって諸仏に供養する。 これをもって比べるのである。 以上は生善の文である。
«度諸仏境界経» に説かれている。
もし、 諸の人々の中で、 如来を念じて、 諸の行を生ずる者は、 無数劫の間、 地獄・餓鬼・畜生や閻魔王に生まれることを断つ。 もし人々の中で、 一念でも意を作して、 如来を念ずる者は、 その得る功徳に限りはなく、 量ることもできない。 百千万億那由他の諸の大菩薩が、 悉く不可思議解脱三昧を得てその功徳を計っても、 その限りを知ることはできないであろう。
«観仏三昧経» に説かれている。
仏が阿難に告げたもう。 「われ涅槃に入って後に、 諸天や世の人々で、 もし、 わが名を称え、 さらに ª南無諸仏º と称えるならば、 その得る福徳は無量無辺であろう。 まして、 また念を繋けて諸仏を念ずる者で、 諸の障礙を滅ぼし除かないはずがあろうか。」 以上は滅罪と生善の文である。 その他は、 上に述べた正修念仏門に出すとおりである。 
■冥得護持
【60】 
第二に冥得護持といふは、『護身呪経』(意)にのたまはく、「三十六部の神王に、万億恒沙の鬼神ありて眷属となして、三帰を受けたるものを護る」と。 『般舟経』にのたまはく、「劫尽き壊焼する時に、この三昧を持てる菩薩は、たとひこの火のなかに堕つとも、火すなはちために滅しなんこと、たとへば、大きなる甖の水の、小火を滅するがごとし。 仏、跋陀和に告げたまはく、〈わが語るところは異あることなし。 この菩薩は、この三昧を持てるに、もしは帝王、もしは賊、もしは火、もしは水、もしは竜、もしは蛇、もしは閲叉・鬼神、もしは猛獣、{乃至}もしは人の禅を壊り、人の念を奪ふものも、たとひこの菩薩を中らんと欲せば、つひに中ることあたはじ〉と。
仏ののたまはく、
〈わが語るところのごときは異あることなし。 その宿命をば除きて、その余はよく中るものあることなし〉」と。 偈(般舟経)にのたまはく、
「鬼神・乾陀ともに擁護し、諸天・人民もまたかくのごとくせん。ならびに阿須輪・摩睺勒も、この三昧を行ぜば、かくのごときことを得ん。諸天ことごとくともにその徳を頌め、天・人・竜神・甄陀羅、諸仏も、嗟嘆して願のごとくならしめたまはん。経を諷誦し説きて人のためにせんがゆゑなり。国々あひ伐ちて民荒乱し、飢饉しきりに臻りて苦窮を懐くとも、つひにその命を中夭せじ。よくこの経を誦して人を化するものは、勇猛にしてもろもろの魔事を降伏し、心に畏るるところなく毛竪たじ。その功徳行も不可議ならん。この三昧を行ずるものは、かくのごときことを得ん」と。[『十住婆沙』に、これらの文を引きをはりていはく、「ただ業報かならず受くべきものをば除く」と、云々。
『十二仏名経』の偈にのたまはく、
「もし人、仏の名を持てば、衆魔および波旬、行住坐臥の処に、その便りを得ることあたはじ」と。 
第二に冥得護持とは、 «護身呪経» に説かれている。
*三十六部の神王は、 万億恒沙の鬼神を眷属として、 仏法僧の三宝に帰依する者を護る。
«般舟三昧経» に説かれている。
劫が尽きて世界が壊れ焼ける時、 この三昧を持たもっている菩薩は、 たといこの火の中に堕ちても、 火はこの三昧のためにすぐ消えてしまう。 譬えば、 大きな甕の水は小さな火を消すようなものである。 仏が跋陀和菩薩に告げたもう。 「わたしの語ることにまちがいはない。 この菩薩がこの三昧を持たもつと、 帝王でも、 賊でも、 火でも、 水でも、 竜でも蛇でも、 夜叉・鬼神でも、 猛獣でも、 (中略) あるいは人の禅定を壊やぶり、 人の念を奪うものでも、 もしもこの菩薩を破ろうとおもうならば、 ついに破ることはできないのである。」 仏が仰せられる。 「わたしが語るとおりまちがいはない。 その前世から受けるようになっていることは、 この限りではない。 その他の場合はこの菩薩をよく破るものはないのである。」
«般舟三昧経» の偈に、
鬼神や*乾闥けんだつ婆ばはともに護り 諸天や人々もまたこのようにする
ならびに*阿あ修しゅ羅らや*摩ま睺ご羅伽らがも この三昧を行ずる人をこのように護る
諸天は ことごとく共にその徳をほめ 天・人 竜神 *緊きん那羅ならも
諸仏もほめて願いのようにさせたもう 経を誦み説いて人のためにするからである
国と国と相い戦って人民はすさび 飢饉がしきりにおこって苦しみが窮まっても
ついに その定まった寿命を中夭しない よくこの経を誦んで人を教化するからである
いさましく諸の魔事を降伏し 心に畏れることなく 毛も竪いよだたない
その功徳の行ははかることができぬ この三昧を行ずるものは このようになることができる
と説かれている。 «十住毘婆娑論» に、 これらの文を引き終っていう。 「ただ、 業報で必ず受けねばならぬものを除く。」
«十二仏名経» の偈に説かれている。
もし人が仏のみ名を持たもつならば もろもろの魔や*波は旬じゅんも
*行住ぎょうじゅう座臥ざがのすべてにわたり そのてがかりを得ることはできない 
 

 

■現身見仏
【61】 
第三に現身見仏といふは、『文殊般若経』の下巻にのたまはく、「仏ののたまはく、〈もし善男子・善女人、一行三昧に入らんと欲はば、空閑に処してもろもろの乱意を捨て、相貌を取らずして、心を一仏に繋けて、もつぱら名字を称すべし。
仏の方所に随ひて身を端くして正しく向かひて、よく一仏において念々に相続せよ。 すなはち念のうちにおいて、よく過去・未来・現在の諸仏を見たてまつらん〉」と。 導禅師(善導)釈していはく(礼讃・意)、「衆生障重くして、観成就しがたし。 ここをもつて大聖(釈尊)悲憐して、ただもつぱら名字を称せよと勧めたまふ」と。
『般舟経』にのたまはく、「前に聞かざるところの経巻を、この菩薩、この三昧を持てる威神をもつて、夢のうちにことごとくみづからその経巻を得て、おのおのことごとく見、ことごとく経の声を聞かん。 もし昼日に得ずは、もしは夜、夢のうちにしてことごとく仏を見たてまつることを得ん。 仏、跋陀和に告げたまはく、〈もしは一劫、もしは一劫を過ぎて、われ、この菩薩の、この三昧を持てるものを説き、その功徳を説かんに、尽しをはるべからず。 いかにいはんや、よくこの三昧を求め得たるものをや〉」と。 また同経の偈にのたまはく、
「阿弥陀の国の菩薩の、無央数百千の仏を見たてまつるがごとく、この三昧を得たる菩薩もしかなり。まさに無数百千の仏を見たてまつるべし。{乃至}それこの三昧を誦受することあらば、すでにまのあたり百千の仏を見たてまつるとなす。たとひ最後の大恐懼においても、この三昧を持たば畏るるところなからん」と。
『念仏三昧経』の第九の偈にのたまはく、
「もしはことごとく一切の仏、現在・未来および十方を見んと欲し、あるいはまた妙法輪を転ずることを求めんには、また先づこの三昧を修習せよ」と。
『十二仏名経』の偈にのたまはく、
「もし人よく心を至して、七日仏の名を誦せば、清浄の眼を得て、よく無量の仏を見たてまつらん」と。 
第三に現身見仏とは、 «文殊般若経» の下巻に説かれている。
仏が仰せられる。 「もし善男・善女が一行三昧に入ろうと思えば、 静かな処にあってすべての乱れ意こころをしずめ、 お相すがたを観ずるのでなしに、 心を一仏にかけて、 専らみ名を称え、 仏のおられる方角に身をただしてまっ直ぐに向かい、 よく一仏に対して念々に相続すべきである。 すると、 この念の中によく過去・未来・現在の諸仏を見たてまつることができる。
善導禅師が釈していわれる。 (往生礼讃)
衆生は障りが重く、 観察の行は成就しがたい。 そういうわけで釈尊はこれを哀みくださって、 ただ専ら名号を称えることを勧められたのである。
«般舟三昧経» に説かれている。
「前に聞かなかった経巻を、 この菩薩がこの三昧を持たもった威神力によって、 夢の中に悉く、 みずからその経巻を得、 それぞれことごとく見、 悉く経の声を聞くであろう。 もし、 昼間に得なかったならば、 あるいは夜、 夢の中に悉く仏を見たてまつることができよう。」 仏が跋陀和菩薩に告げられる。 「あるいは一劫、 あるいはまた一劫を過ぎるまで、 わたしがこの菩薩の、 この三昧を持つ者を説き、 その功徳を説いても、 説き尽くすことはできないであろう。 ましてよくこの三昧を求め得ることができた者については、 いうまでもないことである。」
また «般舟三昧経» の偈に説かれている。
阿弥陀仏国の菩薩たちが 百千の仏を見たてまつるように
この三昧を得た菩薩も そのように 百千の仏を見たてまつるであろう (中略)
もし この三昧を誦となえ持たもつことがあるならば すでにまのあたり百千の仏を見たてまつるのである
たとい命の終る時の大きな恐れにも この三昧を持てばおそれることはないであろう
«念仏三昧経» の第九巻の偈に説かれている。
もしことごとく現在・未来および十方の すべての仏を見ようとおもい
あるいはまた妙なる法輪を転ずることを求めても また まずこの三昧を修め習え
«十二仏名経» の偈に説かれている。
もし人がよく至心に 七日の間 仏のみ名を誦となえると
浄らかな眼を得て よく無量の仏を見たてまつる 
■当来勝利
【62】 
第四に当来勝利といふは、『華厳』の偈にのたまはく、
「もし如来の小の功徳をも念じ、乃至一念の心にも専仰したてまつらば、もろもろの悪道の怖れ、ことごとく永く除こり、智眼はここにおいてよく深く悟れり」と。[智眼天王の頌なり。]
『般舟経』の偈にのたまはく、
「その人つひに地獄に堕せじ。餓鬼道および畜生を離れん。世々に生るるところにて宿命を識らん。この三昧を学せば、かくのごときことを得てん」と。
『観仏経』にのたまはく、「もし衆生ありて、一たびも仏身の、上のごとき功徳・相好・光明を聞かば、億々千劫にも悪道に堕ちず、邪見・雑穢の処に生れず、つねに正見を得て、勤修すること息まざらん。 ただ仏の名を聞くに、かくのごとき福を獲。 いかにいはんや、念を観仏三昧に繋けんをや」と。
『安楽集』(上)にいはく、「『大集経』にのたまはく、〈諸仏、世に出でたまふに、四種の法ありて、衆生を度したまふ。 なんらをか四となす。 一には、口に十二部経を説きたまふ。 すなはちこれ、法施をもつて衆生を度したまふなり。 二には、諸仏如来には無量の光明・相好まします。 一切の衆生、ただよく心を繋けて観察すれば、益を獲ずといふことなし。 すなはちこれ、身業をもつて衆生を度するなり。 三には、無量の徳用・神通道力・種々の神変まします。 すなはちこれ、神通道力をもつて衆生を度するなり。 四には、諸仏如来には無量の名号まします。 もしは総、もしは別なり。
それ衆生ありて、心を繋けて称念すれば、障を除き、益を獲て、みな仏前に生れずといふことなし。 すなはちこれ、名号をもつて衆生を度するなり〉」と。 {云々}あるがいはく、「『正法念経』にこの文あり」と。 『十二仏名経』の偈にのたまはく、
「もし人、仏の名を持てば、怯弱の心を生ぜず、智慧ありて諂曲なきは、つねに諸仏の前にあり。もし人、仏の名を持てば、七宝の華のなかに生ず。その華千億葉にして、威光の相具足せり」と。[以上諸文、永く悪趣を離れて浄土に往生するなり。
『観仏経』にのたまはく、「もしよく心を至して、繋念うちにあり、端坐し正受して仏の色身を観ぜば、まさに知るべし、この人の心は仏の心のごとくにして、仏と異なることなからん。 煩悩ありといへども、もろもろの悪のために覆蔽せられじ。 未来世に大法の雨を雨らさん」と。
『大集の念仏三昧経』の第七にのたまはく、「まさに知るべし、かくのごとき念仏三昧は、すなはち一切の諸法を総摂することをなす。 このゆゑに、かの声聞・縁覚の二乗の境界にあらず。 もし人、しばらくもこの法を説くを聞かば、この人は当来に決定して仏になること疑あることなからん」と。 第九にのたまはく(同)、「ただよく耳にこの三昧の名を聞かば、たとひ読せず誦せず、受せず持せず、修せず習せず、他のために転ぜず、他のために説かず、また広く分別し釈することあたはずとも、しかもかのもろもろの善男子・善女人、みなまさに次第に阿耨菩提を成就すべし」と。 同偈にのたまはく、
「もしもろもろの妙相を円満し、もろもろの好上の荘厳を具足せんと欲ひ、および清浄の処に転生することを求めんものは、かならず先づこの三昧を受持せよ」と。
またある『経』(倶舎論)にのたまはく、
「もし仏の福田において、よく少分の善を殖ゑつれば、初めには勝善趣を獲、後にはかならず涅槃を得」と。
『大般若経』にのたまはく、「仏を敬ひ憶ふによりて、かならず生死を出でて涅槃に至る。 これを置きて、乃至、仏を供養せんがために、一華をもつて虚空に散ずるもまたかくのごとし。 またこれを置きて、もし善男子・善女人等、下一たび〈南無仏陀大慈悲者〉と称するに至らば、この善男子・善女人等は、生死の際を窮むるまで善根尽くることなくして、天・人のなかにしてつねに富楽を受け、乃至、最後には般涅槃を得ん」と。 [略して抄す。『大悲経』の第二、これに同じ。『宝積経』以下、粗なり。 『宝積経』にのたまはく、「もし衆生ありて、如来の所にして微善を起さば、苦際を尽すまで畢竟じて壊せず」と。 またのたまはく(同)、「もし菩薩ありて、勝意楽をもつてよくわが所において父の想を起さば、かの人はまさに如来の数に入ることを得て、わがごとくにして異なることなからん」と。 『十二仏名経』の偈にのたまはく、
「もし人、仏の名を持たば、世々所生の処に、身通をもつて虚空に遊び、よく無辺の刹に至りて、まのあたり諸仏を覩たてまつりて、よく甚深の義を問ふ。{乃至}ために微妙の法を説きて、かれに菩提の記を授けたまふ」と。
『法華経』の偈にのたまはく、
「もし人、散乱の心にして、塔廟のなかに入り、一たび〈南無仏〉と称すれば、みなすでに仏道を成ず」と。
『大悲経』の第三に、「仏、阿難に告げたまはく、〈もし衆生ありて、仏の名を聞かば、われ説かく、《この人は畢定してまさに般涅槃に入ることを得べし》〉」と。 『華厳経』の法幢菩薩の偈にのたまはく、
「もしもろもろの衆生ありて、いまだ菩提心を発さざらんも、一たび仏の名を聞くことを得ば、決定して菩提を成ぜん」と。[以上のもろもろの文、菩提を得ることなり。
ただ名号を聞くすら、勝利かくのごとし。 いはんやしばらくも相好・功徳を観念し、あるいはまた一華・一香を供養せんをや。 いはんや一生に勤修する功徳、つひに虚しからじ。 すなはち知りぬ、仏法に値ひ、仏号を聞くことは、これ少縁にあらず。 このゆゑに『華厳経』の真実慧菩薩の偈にのたまはく、
「むしろ地獄の苦を受くとも、諸仏の名を聞くことを得よ。無量の楽を受くとも、仏の名を聞かざることなかれ」と。
以上の四の門は、総じて諸仏を念ずる利益を明かす。 そのなかに、『観仏経』には釈迦をもつて首めとなす。 『般舟経』は多く弥陀をもつて首めとなす。 理、実にはともに一切の諸仏に通ず。 『念仏経』は三世の諸仏に通ず。
問ふ。 『観仏経』にのたまはく、「この人の心は、仏の心のごとくにして、仏と異なることなし」と。 また『観経』にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈諸仏はこれ法界の身なり、一切衆生の心想のうちに入りたまふ。 このゆゑに、なんぢら心に仏を想ふ時、この心すなはちこれ三十二相・八十随形好なり。 是の心、仏に作る。 是の心、是仏なり。 諸仏の正遍知海は、心想より生じたまふ〉」と。{以上}この義いかん。
答ふ。
『往生論』(天親の浄土論)の智光の『疏』にこの文を釈していはく、「衆生の心に仏を想ふ時に当りて、仏の身相みな衆生の心のなかに顕現す。
たとへば、水清ければすなはち色像現ず。 しかも水と像とは、一ならず異ならざるがごとし。 ゆゑにいふ、仏の相好の身は、すなはちこれ心想なりと。 〈是心作仏〉とは、心よく仏に作るなり。 〈是心是仏〉とは、心がほかに仏なきなり。 たとへば、火の木より出づれども、木を離るることを得ず、木を離れざるをもつてのゆゑに、すなはちよく木を焼きて火となる。 木を焼けば、すなはちこれ火たるがごとし」と。 {以上}また余の釈あり。 学者さらに勘へよ。 わたくしにいはく、『大集経』の「日蔵分」(意)にのたまはく、「行者、この念をなさく、これらの諸仏は従りて来るところなし。 去りて至るところなし。 ただわが心の作なり。 三界のなかにおいて、この身は因縁なり。 ただこれ心の作なり。 われ、覚観に随ひて、多を欲すれば多を見、少を欲すれば少を見る。 諸仏如来は、すなはちこれわが心なり。 なにをもつてのゆゑに。 心に随ひて見るがゆゑに。 心、すなはちわが身なり。 すなはちこれ虚空なり。 われ、覚観によりて無量の仏を見たてまつる。 われ、覚心をもつて仏を見たてまつり、仏を知る。 心は心を見ず、心は心を知らず。 われ、法界を観ずるに、性、牢固なることなし。 一切の諸仏はみな覚観の因縁より生れたまふ。 このゆゑに、法性はすなはちこれ虚空なり、虚空の性もまたこれ空なり」と。 {以上}この文の意『観経』に同じ。 光師(智光)の釈また違ふことなし。
問ふ。 心、仏に作ることを知るに、なんの勝利かある。
答ふ。 もしこの理を観ずれば、よく三世の一切の仏法を了す。 乃至、一たびも聞かば、すなはち三途の苦難を解脱することを得。 『華厳経』の如来林菩薩の偈にのたまふがごとし。
「もし人、三世の一切の仏を知らんと欲求せば、まさにかくのごとく観ずべし。
心もろもろの如来を造る」と。 『華厳の伝』にいはく、「文明元年に、京師の人、姓は王、その名を失せり。 すでに戒行なく、かつて善を修せず。 患によりて死を致す。 二人に引かれて地獄の門の前に至りぬ。 見れば一の僧あり。 これ地蔵菩薩なりといふ。 すなはち王氏に教へて、この一の偈を誦せしむ。 これに謂らひていはく、〈この偈を誦し得ては、よく地獄を排ひてん〉と。 王氏つひに入りて閻羅王に見ゆ。 王、この人に問ふ、〈功徳ありや〉と。 答へていはく、〈ただ一の四句の偈を受持せり〉と。 つぶさに上に説くがごとし。 〔閻羅〕王、つひに〔王氏を〕放勉しつ。 この偈を誦する時に当りて、声の及ぶところの受苦の人はみな解脱することを得つ。 王氏、三日ありてはじめて蘇りぬ。
この偈を憶持して、もろもろの沙門に向かひてこれを説く。 偈の文を示験するに、まさに知りぬ、これ『華厳経』の第十二巻の〈夜摩天宮無量諸菩薩雲集説法品〉なり。 王氏みづから、空観寺の僧定法師に向かひて、説きてしかりといふ」と。 {略抄} 
第四に当来勝利とは、 «華厳経» の偈に説かれている。
もし如来のわずかな功徳を念じ さては一念の心ででも専ら仰ぎまつれば
諸の悪道の怖れはみな永く除き 智慧の眼はここによく深く悟る 智眼大王の偈頌である。
«般舟三昧経» の偈に説かれている。
その人はついに地獄に堕ちず 餓鬼道および畜生を離れ
世々の生まれる所で宿命を知る この三昧を学べばこのようになることができる
«観仏三昧経» に説かれている。
もし人があって、 一たび上に述べたような仏身の功徳や相好や光明を聞くならば、 億々千劫のあいだ悪道に堕ちず、 邪よこしまな考えのけがれた所に生まれず、 常に正しい考えを得て、 勤めて止めないであろう。 ただ仏のみ名を聞いてさえ、 このような福徳を獲るのである。 まして念を繋けて観仏三昧するものは、 なおさらである。 以上
«安楽集» にいわれている。
«大集経» に説かれてある。 「諸仏がこの世に出られると、 四種の方法をもって衆生を済度せられる。 その四種とは何かというと、 一つには、 口に経を説かれる。 これは法をもって衆生を済度されるのである。 二つには、 仏たちには多くの光明や相好がある。 すべての衆生は、 ただよく心をかけてこれを観察すれば、 利益を獲ぬことはない。 これは仏が身をもって衆生を済度されるのである。 三つには、 はかりしれない功徳、 神通力、 いろいろな相をあらわすことがある。 これは神通力で衆生を済度したもうのである。 四つには、 仏たちには、 多くの名号がある。 通号、 または別号である。 衆生が心をかけてみ名を称えるならば、 障りを除き利益を獲て、 みな仏のみもとに生まれないことはない。 これは名号をもって衆生を済度されるのである。」 下略
ある人がいう。 この文は «正法念経» にあると。
«十二仏名経» の偈に、
もし人が仏のみ名を持たもち 弱い心を起こさず
智慧があって諂へつらいがないならば 常に諸仏のみ前に在る
もし人が仏のみ名を持てば 七宝の華の中に生まれる
その華は千億の花びらで 尊い光の相が具わっている
と説かれている。 以上の諸文は、 永く悪趣を離れて浄土に往生することを明かすのである。
«観仏三昧経» に説かれている。
もし、 よく至心にして、 念が内に在り、 端座して心を静め、 仏の色身おすがたを観ずるならば、 この人の心は仏心のとおりで、 仏と異なることはないと知るべきである。 煩悩の中に在っても、 諸の悪に覆われず、 未来世には、 大法雨を雨降らすのである。
«大集念仏三昧経» の第七巻に説かれている。
このような念仏三昧は、 総じて一切の功徳を摂めていると知るべきである。 この故に、 かの声聞・縁覚の二乗の知るべき境界ではない。 もし人あって、 しばらくでも、 この法を説くのを聞く者があるならば、 この人はのちの世には必ず成仏することに疑いはないのである。
同じ経の第九巻に説かれている。
ただ、 よく耳にこの三昧の名を聞くならば、 たとい読まず、 誦となえず、 受けず、 修せず、 習わず、 他のために読まず、 また広く解釈することができなくても、 その諸の善男・善女は、 みな次第に無上菩提を成就するであろう。
同じ経の偈に説かれている。
もし諸の妙なる相を円満し 多くのすぐれた荘厳を具えようとおもい
また清浄の家に生まれることを求めるならば 必ず まずこの三昧を受け持たもつべきである
また、 ある経に説かれている。 («倶舎論» 第二十七巻に引く)
もし仏の福徳を生ずる田に よくわずかの善を植えるならば
初めには善い境界に生まれ 後には必ず涅槃さとりを得る
«大般若経» に説かれている。
仏を敬い憶おもうことに依って、 必ず生死まよいを出て涅槃さとりに至るのである。 これは、 しばらくさしおいて、 仏を供養するために、 一つの花を空に散らすのもまたこのとおりである。 またこれをしばらくさしおいて、 もし善男・善女たちで、 すくなくとも、 一たび 「南無仏陀大慈悲者」 と称えるならば、 この善男・善女たちは、 生死まよいの際はてを窮めるまで善根は尽きることなく、 天や人にんの中にあって、 つねに富と楽を受けて、 最後には、 無上涅槃を得るであろう。 これは抜き書きした。 «大悲経» の第二巻の文も、 これと同じである。
«宝積経» に説かれている。
もし、 人が如来のみもとにあって、 少しの善でも起こすならば、 苦の際はてを尽くすまで、 この善根はついに壊やぶれないのである。
また説かれている。
もし菩薩が勝れた意こころを起こして、 よく仏の所みもとにあって仏に対して父の想おもいを起こすならば、 かの人は、 如来の数に入ることができて、 仏と同じようになり、 異なることはないであろう。
«十二仏名経» の偈に説かれている。
もし人が仏のみ名を持たもてば 世々に生まれる所において
身の通力で虚空に遊び よく無辺の国に至って
まのあたり諸仏を見たてまつり よく甚深の義を問うならば (中略)
仏は ために微妙な法みのりを説いて その人に菩提さとりの記別を授けたもう
«法華経» の偈に説かれている。
もし人が散り乱れた心のままに 塔廟の中に入り
一たびも南無仏と称えるならば みなすでに仏道を成ずる
«大悲経» の第三巻に説かれている。
仏が阿難に告げたもう。 「もし、 人があって、 仏のみ名を聞くならば、 わたしは ¬この人はついに必ず涅槃に入ることができる¼ と説くのである。」
«華厳経» の法幢菩薩の偈に説かれている。
もし諸の人があって まだ菩提心を発おこさないものも
一たび仏のみ名を聞くことを得るならば 必ず菩提さとりを成ずるであろう 以上の諸文は、 菩提を得ることを明かした。
ただ、 名号を聞くだけでもこのような勝れた利益がある。 まして、 しばらくでも仏の相好・功徳を観念し、 あるいは、 また一華・一香を供養するものは、 いうまでもない。 まして一生のあいだに勤め修めた功徳はついに虚しくはならぬのである。
かくして、 仏法に値あい、 仏の名号を聞くことは、 浅からぬ因縁であるということが知られるのである。 こういうわけであるから、 «華厳経» の真実慧菩薩の偈に、
むしろ地獄の苦を受けても 諸仏のみ名を聞くことを得よ
量りない楽を受けても 仏の名を聞かぬことがあってはならぬ
と説かれている。 以上の四項は諸仏を念ずる利益を総じて明かしたのである。 その中 «観仏三昧経» は釈迦仏を主とし、 «般舟三昧経» は多く阿弥陀仏を主とする。 けれども、 実際の道理の上からはともに一切の諸仏に通ずる。 «念仏三昧経» は過去・現在・未来の三世の諸仏に通ずる。
問う。 «観仏三昧経» に説かれている。
この人の心は、 仏心のとおりで、 仏と異なることはない。
また «観経» に説かれている。
仏が阿難に告げたもう。 「諸仏如来は、 これ法界身であって、 一切衆生の心想の中に入りたもう。 このゆえに、 おんみらは心に仏を想う時は、 この心が、 すなわち三十二相・八十随形好である。 この心が作仏する。 この心がこれ仏である。 諸仏正遍知海は心想より生ずる。」 以上
この意義はどうであるのか。
答える。 «往生論» の智光の «疏» に、 この文を解釈していわれている。
衆生の心に仏を観ずる時に当たって、 仏身の相好が衆生の心の中に現われるのである。 たとえば、 水が澄んでおれば、 物の形が現われ、 水とあらわれた形とは一でもなく、 また別のものでもないようなものである。 それだから仏の相好身が心想であると仰せられたのである。 「この心が作仏する」 というのは、 心がよく仏の相好身をそこに作り出すのである。 「この心がこれ仏である」 とは、 観ずる心の外に別の相好身はないのである。 たとえば、 火は木から現われて木を離れることはできない。 木を離れないから、 よく木を焼き、 木が火のために焼かれて、 そのまま火となるようなものである。 以上
また、 その他の解釈もあるが、 学ぶ者はさらに考えるがよい。
わたくしにいう。 «大集経» の日蔵分に説かれている。
行者は、 次のような念おもいを作おこすのである。 これらの諸仏は、 どこから来るということなく、 どこに去って行くということもない。 ただ、 わが心の作しわざである。 三界の中において、 この身は因縁によるものであり、 ただ、 これ心の作しわざなのである。 自分が観ずる心のままに、 多をのぞめば多を見、 少を欲すれば少を見る。 諸仏如来は、 そのままわが心である。 どうしてかといえば、 心にしたがって見たてまつるからである。 心はすなわちわが身であって、 わが身はすなわち虚空である。 自分は、 観ずる心に因よって、 無量の仏を見たてまつる。 自分は、 知覚の心で仏を見、 仏を知るのである。 心は心を見ず、 心は心を知らないのである。 自分は、 法界を観ずるに、 その性質に固定性がない。 すべての諸仏は、 みな、 観ずる心の因縁から生ずるのである。 このゆえに、 法性はそのまま虚空であって、 虚空の本性も、 また空である。 以上
この文の意味は、 «観経» と同じである。 智光師の解釈も、 また違うことはない。
問う。 心が仏を作ると知るならば、 どのような勝れた利益があるのか。
答える。 もしこの道理を観ずるならば、 よく過去・現在・未来の三世の、 すべての仏法を了さとることになる。 さては、 一たびもこの道理を聞くならば、 三塗の苦難を免れることができるのである。
«華厳経» の如来林菩薩の偈に説かれている。
もし人が三世一切の 仏を知ろうと望むなら
わが心が諸の如来を造ると このように観ずべきである
«華厳伝» にいわれている。
文明元年に、 都の人で、 王という姓の人がいたが、 その名前は伝わっていない。 戒行は全くなく、 これまでに善根を修めたこともなかった。 病気にかかって死んでしまった。 二人の獄卒に引かれて、 地獄の門前に至り、 見ると一人の僧がいる。 地蔵菩薩だという。 菩薩は、 そこで王氏に教えて、 この一偈を誦となえさせ、 王氏に、 「この偈を誦えることができたら、 よく地獄の苦を排はらいのけられる」 と告げられた。 王氏は遂に入って、 閻魔大王に会った。 大王は、 この人に、 「功徳があるか」 と問うた。 王氏は、 「ただわたくしは、 四句の一偈を持たもっています」 と答え、 一々上のように説いた。 大王はそこで放免したのである。 ところで、 彼がこの偈を誦えた時、 その声が届く限りのところで苦を受けていた罪人は、 みな三塗の苦しみを免れることができた。 王氏は死後三日たって始めて蘇えり、 この偈を憶えていて出家たちに向かって、 この話をした。 偈文をしらべてみると、 «華厳経» の第十二巻の夜摩天宮無量諸菩薩雲集説法品にあることがわかった。 王氏は自ら、 空観寺の僧定法師に向かってそのとおりでありますと話した。 これは抜き書きした。 
■弥陀別益
【63】 
第五に弥陀を念ずる別益をいはば、行者をしてその心決定せしめんがためのゆゑに、別にこれを明かす。 [滅罪生善と冥得護持と現身見仏と将来勝利とは、次いでのごとし。 『観経』の像想観に説きてのたまはく、「この観をなすものは、無量億劫の生死の罪を除きて、現身のなかに念仏三昧を得」と。 またのたまはく(同)、「ただ仏(阿弥陀仏)の名・二菩薩(観音・勢至)の名を聞くに、無量劫の生死の罪を除く。 いかにいはんや憶念せんをや」と。 またのたまはく(同)、「ただ仏像を想ふに、無量の福を得。 いはんやまた仏の具足せる身相を観ぜんをや」と。
『阿弥陀思惟経』にのたまはく、「もし転輪王、千万歳のうちに四天下に満てる七宝をもつて十方の諸仏に布施せんも、苾蒭・苾蒭尼・優婆塞・優婆夷等の、一たび弾指するあひだも坐禅して、平等心をもつて一切衆生を憐愍して、阿弥陀仏を念ずる功徳にはしかじ」と。 [以上、滅罪生善。]『称讃浄土経』にのたまはく、「あるいは善男子、あるいは善女人、無量寿の極楽世界の清浄の仏土の功徳荘厳において、もしはすでに願を発し、もしはまさに願を発すべく、もしはいま願を発すは、かならずかくのごとく、十方の面に住したまへる十恒河沙の諸仏世尊の、摂受したまふところたらん。 説のごとく行ずるものは、一切さだめて阿耨菩提において退転せざることを得。 一切さだめて無量寿仏の極楽世界に生れん」と。
『観経』にのたまはく、「光明あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず」と。 またのたまはく(同)、「無量寿仏の化身無数にして、観世音・大勢至と、つねにこの行人の所に来至したまふ」と。 『十往生経』(意)に、釈尊、阿弥陀仏の功徳、国土の荘厳等を説きをはりてのたまはく、「清信士・清信女、この経を読誦し、この経を流布し、この経を恭敬し、この経を謗ぜず、この経を信楽し、この経を供養せん。 かくのごとき人の輩は、この信敬によりて、われ、今日よりつねに前の二十五の菩薩をしてこの人を護持せしめ、つねにこの人をして病なく悩みなく、悪鬼・悪神、また中害せず。 またこれを悩まさず、また便りを得ざらしめん」と。[以上乃至、睡寤・行住・所至の処、みなことごとく安穏ならしめん、云々。
唐土(中国)の諸師のいはく、「二十五の菩薩、阿弥陀仏を念じ、往生を願ふものを擁護せん」と。 {云々}これまたかの『経』(十往生経)の意に違はず。 [二十五の菩薩とは、観世音菩薩・大勢至菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・法自在菩薩・師子吼菩薩・陀羅尼菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・金剛蔵菩薩・光明王菩薩・山海慧菩薩・華厳王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・日照王菩薩・三昧王菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・白象王菩薩・大威徳王菩薩・無辺身菩薩なり。
『双巻経』(大経・上)に、かの仏の本願(第三十七願)にのたまはく、「諸天・人民、わが名字を聞きて、五体を地に投げて、稽首し礼をなして、歓喜し信楽して、菩薩の行を修せば、諸天・世人、敬を致さずといふことなからん。 もししからずは、正覚を取らじ」と。 [以上、冥得護持。]『大集経』の「賢護分」にのたまはく、「善男子・善女人、端坐繋念し、心をもつぱらにして、かの阿弥陀如来・応供・等正覚を想ひ、かくのごとき相好、かくのごとき威儀、かくのごとき大衆、かくのごとき説法を、聞くがごとく繋念し、一心に相続して次第乱れず、あるいは一日を経、あるいはまた一夜せん。
かくのごとくして、あるいは七日七夜に至るまで、わが所聞のごとく具足して念ぜんがゆゑに、この人、かならず阿弥陀如来・応供・等正覚を覩たてまつらん。 もし昼の時に見たてまつることあたはずは、もしは夜分において、あるいは夢のうちに、阿弥陀仏はかならずまさに現じたまふべし」と。
『観経』にのたまはく、「眉間の白毫を見るものは、八万四千の相好、自然にまさに見つべし。 無量寿仏を見るものは、すなはち十方の無量の諸仏を見たてまつるなり。 十方無量の諸仏を見たてまつることを得るがゆゑに、諸仏、現前に授記せん。 これをあまねく一切色相を観ずとなす」と。 [以上見仏。]『鼓音声王経』にのたまはく、「十日十夜、六時に念をもつぱらにし、五体を地に投げてかの仏を礼敬し、堅固正念にしてことごとく散乱を除き、もしはよく心に念じ、念々に絶えずは、十日のうちにかならずかの阿弥陀仏を見たてまつることを得、ならびに十方世界の如来および所住の処を見たてまつらん。 ただ重障・鈍根の人をば除く。 いまの少時において覩たてまつることあたはざるところなり。 一切のもろもろの善をみなことごとく回向して、安楽世界に往生することを得んと願ぜば、終らんとする日に、阿弥陀仏、もろもろの大衆とその人の前に現じて、安喩し称善したまはん。 この人、すなはちの時にはなはだ慶悦をなさん。 この因縁をもつて、その所願のごとく、すなはち往生することを得ん」と。
『平等覚経』(三)にのたまはく、「仏ののたまはく、〈かならずまさに斎戒して、一心清浄にして昼夜につねに念じ、無量清浄仏の国に生れんと欲ひて、十日十夜、断絶せざるべし。 われ、みなこれを慈愍して、ことごとく無量清浄仏の国に生ぜしめん〉」と。[乃至、一日一夜もまたかくのごとし。あるいは、この文をもつて下の諸行門のなかに置くべし。 『双巻経』(大経・下)の偈にのたまはく、
「その仏の本願力ありて、名を聞きて往生せんと欲へば、みなことごとくかの国に到りて、おのづから不退転に致る」と。
『観経』の下品上生の人は、命終の時に臨みて、掌を合せ手を叉へて「南無阿弥陀仏」と称すれば、仏の名を称するがゆゑに、五十億劫の生死の罪を除き、化仏の後に従ひて、宝池のなかに生る。 同じき品の中生の人は、命終の時に臨みて、地獄の猛火一時にともに至らんに、弥陀仏の十力威徳、光明神力、戒・定・慧・解脱・知見を聞けば、八十億劫の生死の罪を除き、地獄の猛火、化して清涼の風となりて、もろもろの天の華を吹く。 華の上にみな化仏・菩薩ましまして、この人を迎接して、すなはち往生することを得しめたまふ。 同じき品の下生の人は、命終の時に臨みて、苦に逼められて仏を念ずることあたはず。 善友の教に随ひて、ただ心を至して声をして絶えざらしめ、十念を具足して「南無無量寿仏」と称すれば、仏の名を称するがゆゑに、念々のうちに八十億劫の生死の罪を除き、一念のあひだのごときにすなはち往生することを得。
『双巻経』(大経・上)に、かの仏の本願にのたまはく、「〈諸仏の世界の衆生の類、わが名字を聞きて、菩薩の無生法忍、もろもろの深総持を得ずといはば、正覚を取らじ〉(第三十四願)と。 〈他方の国土のもろもろの菩薩衆、わが名字を聞きて、すなはち不退転に至ることを得ずといはば、正覚を取らじ〉(第四十七願)」と。
『観経』にのたまはく、「もし仏を念ずるものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり。 観世音菩薩・大勢至菩薩、その勝友とならん。 まさに道場に坐し、諸仏の家に生るべし」と。 [以上、将来の勝利なり。余は上の別時念仏門のごとし。] 
第五に、 弥陀別益とは、 行者に、 その心を決定させるために、 特別に、 これを明かすのである。 滅罪生善と冥得護持と現身見仏と当来勝利とは、 次のとおりである。
«観経» の像想観に説かれている。
この観を成就するものは、 無量億劫という長い間の生死まよいの罪が除かれ、 この身のままで念仏三昧の利益を得るのである。
また説かれている。
ただ無量寿仏のみ名と観音・勢至の二菩薩のみ名を聞くだけでも、 はかり知られぬ長い間の生死まよいの罪が除かれるのであるから、 ましてそれらを心に念ずるならば、 なおさらのことである。
また説かれている。
ただ仏像を想うだけでも無量の福徳を得るのであるから、 ましてかの無量寿仏のまどかにそなえられた身相すがたを観ずれば、 その功徳の広大なことはいうまでもない。
«阿弥陀思惟経» に説かれている。
たとい天輪王が、 千万歳のあいだ、 四天下に満ちている七宝を、 十方の諸仏に布施しても、 僧・尼・信男・信女たちが、 指を弾くほどのわずかのあいだでも、 坐禅し、 平等の心で、 すべての人々を憐れんで、 阿弥陀仏を念ずる功徳には及ばない。 以上は滅罪生善である。
«称讃浄土教» に説かれている。
もし、 善男・善女で、 無量寿仏の極楽世界、 清浄仏土の功徳荘厳に、 あるいは、 すでに願を発おこし、 あるいは、 これから願を発し、 あるいは、 いま願を発すと、 必ずこのように十方に住したもう十恒河沙ほどの諸仏世尊が護られるのである。 わが説くように行ずる者は、 すべて無上菩提に至るまで決して退かぬ身となり、 すべて必ず無量寿仏の極楽世界に往生する。
«観経» に説かれている。
光明は、 あまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を修め取って捨てたまわない。
また説かれている。
無量寿仏が無数の化身をあらわして、 観音・勢至の二菩薩と共においでになり、 つねにこの行者の所においでになる。
«十往生経» に、 釈尊が、 阿弥陀仏の功徳や国土の荘厳などを説きおわって仰せられる。
清信士・清信女で、 この経を読み、 この経をひろめ、 この経を敬い、 この経を謗らず、 この経を信じ喜び、 この経を供養するものがあるとする。 このような人たちは、 この信じ敬った因縁で、 わたしが今日より常に、 前にのべた二十五菩薩にこの人を護らせて、 常にこの人を病がなく悩なやみがないようにし、 悪鬼・悪神も、 破り害せず、 また、 この人を悩まさず、 また手がかりを得させないようにするであろう。 以上。 ねてもさめても、 歩いても、 とどまっても、 至るところみな悉く安穏にさせよう。 下略。
唐土の諸師たちがいわれている。
二十五菩薩は、 阿弥陀仏を念じて往生を願う者を護りたもう。
これもまた、 かの «十往生経» の意に違たがわぬのである。 二十五の菩薩とは、 観世音菩薩・大勢至菩薩・薬王菩薩・薬上菩薩・普賢菩薩・法自在菩薩・師子孔菩薩・陀羅尼菩薩・虚空蔵菩薩・徳蔵菩薩・宝蔵菩薩・金蔵菩薩・金剛蔵菩薩・光明王菩薩・山海慧菩薩・華厳王菩薩・衆宝王菩薩・月光王菩薩・日照王菩薩・三昧王菩薩・定自在王菩薩・大自在王菩薩・白象王菩薩・大威徳王菩薩・無辺身菩薩である。
«無量寿経» の阿弥陀仏の本願 (第三十七願) にいわれている。
人々がわたしの名を聞いて、 身を地に投げて、 うやうやしく礼拝し、 喜び信じて菩薩の行にいそしむならば、 天・人ともに、 その行者を敬わぬものはないであろう。 そうでなければ、 わたしは決してさとりを開くまい。 以上は冥得護持である。
«大集経» の賢護分に説かれている。
善男・善女があって、 端坐して、 念おもいを繋け、 心を専らにして、 かの阿弥陀如来を想い、 このような相好、 このような威儀ふるまい、 このような大衆、 このような説法などを、 聞いたとおりに念を繋け、 一心に相続して、 順序を乱さず、 あるいは一日を経、 あるいはまた一夜を経る。 このようにして、 あるいは七日七夜に至るまで、 先に聞いたとおりに、 具つぶさに念ずるから、 この人は必ず、 阿弥陀如来を見たてまつるのである。 もし、 昼に見たてまつることができないならば、 あるいは夜中に、 あるいは夢の中に、 阿弥陀仏は必ず現われたもうであろう。 以上
«観経» に説かれている。
眉間の白毫を観ずるならば、 八万四千の相好が自然に見られるであろう。 こうして、 無量寿仏を見たてまつるならば、 それはすなわち、 十方世界の無数の諸仏がたを見ることになる。 無数の諸仏がたを見るのであるから、 それによって諸仏がたは、 まのあたり成仏の記別を授けてくださるであろう。 これを ªあまねく一切の色相すがたを観ずるº という。 以上は、 見仏である。
«鼓音声王経» に説かれている。
十日十夜のあいだ一日に六度、 念を専らにし、 身を地に投げて、 かの阿弥陀仏を礼敬し、 堅く正しい念おもいで心の散り乱れるのを悉く除き、 もし、 よく念々に相続したならば、 十日の内に、 必ずかの阿弥陀仏を見たてまつることができ、 ならびに、 十方世界の如来とその住したもう所とを見ることができよう。 ただ、 重い障りをもつ者と鈍根の人は除くので、 今のわずかなときでは見たてまつることはできないのである。 このようにしてすべての諸善を、 皆悉くふりむけて、 安楽世界に往生したいと願うならば、 臨終が迫ってきた日に、 阿弥陀仏は、 多くの大衆と共に、 その人の前に現われて、 なぐさめ、 讃めたたえたもう。 この人は、 その時おおいに悦びを生ずるであろう。 この因縁によって、 その願いどおりに、 すぐさま往生することができるのである。
«平等覚経» に説かれている。
仏が仰せられる。 「かならず斎戒を持たもち、 一心清浄にして、 昼夜に常に念じ、 無量清浄仏の国に往生したいとおもい、 十日十夜の間、 絶えないようにせよ。 わたしは、 皆、 これを愍あわれんで、 悉く無量清浄仏の国に生まれさせるであろう。 さては一日一夜に行ずるのも、 またこのとおりである。 或は、 この文を下の諸行門の中に置いてもよい。
«無量寿経» の偈に説かれている。
かのみ仏の本願力は 名号を聞いて往生を願うものを
みなことごとくかの国に到らせ おのずから不退の位に入らしめる
«観経» の下品上生の人は、
命の終ろうとする時に臨んで、 手をくみ合わせて合掌し 「南無阿弥陀仏」 と称える。 仏の名を称えることにより、 五十億劫という長い間の生死の罪がすべて除かれ、 化仏の後にしたがって、 浄土の宝池の中に生まれるのである。
下品中生の人は、
命の終ろうとする時に臨んで、 地獄の猛火が一時にその人の前に押し寄せて来るが、 阿弥陀仏の十力の威徳と光明の不思議の力とその戒・定・慧と解脱と解脱智見のすぐれた徳を聞くと、 八十億劫という長い間の生死の罪を除き、 地獄の猛火は、 たちまち、 さわやかな風に変って多くの花を吹き散らす。 その花の上には、 いずれも化仏と化菩薩がおられて、 その人を迎えられ、 直ちに往生する。
下品下生の人は、
命の終ろうとする時に臨んで、 臨終の苦しみにせめられて、 仏を念ずることができない。 そこで、 善知識の教に随って、 ただ、 こころから声をつづけて、 「南無無量寿仏」 と十声称える。 仏のみ名を称えたことによって、 一声一声の中に八十億劫という長い間の生死の罪が除かれ、 わずかな時間のうちに、 はや極楽世界に往生することができるのである。
«無量寿経» の阿弥陀仏の本願にいわれている。
あらゆる世界の衆生が、 わたしの名を聞いて、 涅槃を得るに定まった身 (無生法忍) となり、 もろもろの深妙の智慧を得られないようなら、 決してさとりを開くまい。 (第三十四願)
他方の国の菩薩たちがわたしの名を聞いて、 ただちに不退の位に到ることができないようなら、 決してさとりを開くまい。 (第四十七願)
«観経» に説かれている。
もし、 念仏するものがあるならば、 その人こそ、 まことに人々の中で白蓮華ともたたえられる尊い人であると知るがよい。 それゆえ、 観音・勢至の二菩薩は、 その人のために勝れた友となってくだされる。 そこで、 その人は、 諸仏の家である無量寿仏の浄土に生まれて、 かならず成仏するのである。 以上は将来の勝れた利益である。 その他は上の別時念仏門のとおりである。 
■引例勧信
【64】 
第六に引例勧信といふは、『観仏経』の第三(意)に、仏、もろもろの釈子に告げてのたまはく、「毘婆尸仏の像法のうちに一の長者ありき、名づけて月徳といひき。 五百の子ありき、同じく重き病に遇へり。 父、子の前に致りて涕涙し合掌して、もろもろの子に語らひていはく、〈なんぢら、邪見にして正法を信ぜず。 いま無常の刀、なんぢが身を截り切むとも、なんの怙むところありとかせん。 仏世尊まします、毘婆尸と名づく。 なんぢ、仏を称すべし〉と。
もろもろの子聞きをはりて、その父を敬ふがゆゑに〈南無仏〉と称しき。 父また告げていはく、〈なんぢ、法を称すべし、なんぢ、僧を称すべし〉と。 いまだ三たび称するに及ばずして、その子命終しき。 仏を称せしをもつてのゆゑに四天王の所に生れき。 天上の寿尽きて、前の邪見の業をもつて大地獄に堕ちき。 獄率羅刹、熱鉄の扠をもつてその眼を刺し壊りき。 この苦を受けし時に、父の長者の教誨せしところの事を憶して、仏を念ぜしをもつてのゆゑに、還りて人中に生じき。 尸棄仏の出でたまへりしに、ただ仏の名を聞きて、仏の形を覩たてまつらざりき。 乃至、迦葉仏の時にもまたその名を聞きき。 六仏の名を聞きし因縁をもつてのゆゑに、われ(釈尊)と同じく生ぜり。
このもろもろの比丘、前世の時に、悪心をもつてのゆゑに仏の正法を謗ぜしも、ただ父のためのゆゑに〈南無仏〉と称せしをもつて、生々につねに諸仏の名を聞くことを得、乃至、今世にわが出でたるに値遇して、もろもろの障除こるがゆゑに阿羅漢となれり」と。
またのたまはく(観仏経・意)、「燃灯仏の末法のうちに一の羅漢ありき。 その千の弟子、羅漢の説を聞きて、心に瞋恨を生じき。 寿の修短に随ひておのおの命終せんと欲せしに、羅漢、教へて〈南無諸仏〉と称せしめき。 すでに仏を称しをはりて忉利天に生ずることを得てき。 {乃至}未来世にまさに仏に作ることを得べし、南無光照と号せん」と。 第七巻(観仏経・意)に、文殊みづから説けり、過去の宝威徳仏に値遇し礼拝せしことを。 「その時に、釈迦文仏讃じてのたまはく、〈善きかな、善きかな。 文殊師利、すなはち昔の時に一たび仏を礼せしがゆゑに、そこばくの無数の諸仏に値ふことを得てき。 いかにいはんや、未来にわがもろもろの弟子の、つとめて仏を観ずるものをや〉と。 仏、阿難に勅したまはく、〈なんぢ、文殊師利の語を持ちて、あまねく大衆および未来世の衆生に告げよ。 もしはよく礼拝するもの、もしはよく仏を念ずるもの、もしはよく仏を観ずるもの、まさに知るべし、この人は、文殊師利と等しくして異なることあることなからん。 身を捨てて、他世に、文殊師利等のもろもろの大菩薩、その和上となりたまはん〉」と。 またのたまはく(同・意)、「時に、十方の仏、来りて跏趺して坐したまへり。
東方の善徳仏、大衆に告げてのたまはく、〈われ、過去の無量世の時を念へば、仏の、世に出でたまへることありき。 宝威徳上王仏と号しき。 時に比丘ありき。 九弟子と仏塔に往詣して、仏像を礼拝しき。 一の宝像の厳顕にして観じつべきを見て、礼しをはりて、あきらかに視て、偈を説きて讃嘆しき。 後の時に命終して、ことごとく東方の宝威徳上王仏の国に生れて、大蓮華のなかに結跏趺坐して、忽然として化生しき。 これより以後、つねに仏に値ふことを得、諸仏の所にして浄く梵行を修し、念仏三昧を得てき。 三昧を得をはりしかば、仏、ために授記したまひき。 《十方の面におのおの仏になることを得ん》と。
東方の善徳仏はすなはちわが身これなり。 東南方の無憂徳仏、南方の栴檀徳仏、西南方の宝施仏、西方の無量明仏、西北方の華徳仏、北方の相徳仏、東北方の三乗行仏、上方の広衆徳仏、下方の明徳仏、かくのごとき十仏は、過去に塔を礼し、像を観じ、一偈をもつて讃嘆せるによりて、いま十方にしておのおの仏になることを得たるなり〉と。 この語を説きをはりて、釈迦文仏を問訊したまふ。 すでに問訊しをはりて、大光明を放ちて、おのおの本国に還りたまひぬ」と。 またのたまはく(観仏経)、「四仏世尊、空より下りて釈迦文仏の床に坐して、讃じてのたまはく、〈善きかな、善きかな。 すなはちよく未来の時の濁悪の衆生のために、三世の仏の白毫の光明を説きて、もろもろの衆生をして罪咎を滅することを得しめたまふ。
所以はいかん。 われ昔曾をおもんみれば、空王仏の所にして出家して道を学しき。 時に四の比丘あり。 ともに同学となりて、仏の正法を習ひき。 煩悩、心を覆ひて、堅く仏法の宝蔵を持つことあたはず、不善の業多くして、まさに悪道に堕つべし。 空中に声ありて、比丘に語りていはく、《空王如来はまた涅槃したまひにき。 なんぢが所犯を救ふものなしと謂へりといへども、なんぢら、いま塔に入りて像を観ずべし。 仏の在世と等しくして異あることなからん》と。 われ、空の声に従ひて塔に入り、像の眉間の白毫を観じて、すなはちこの念をなさく、《如来の在世の光明・色身は、これとなんぞ異ならん。 仏の大人相、願はくはわが罪を除きたまへ》と。
この語をなしをはりて、大山の崩るるがごとくにして五体を地に投げて、もろもろの罪を懺悔しき。 これより以後、八十億阿僧祇劫に悪道に堕ちず、生々につねに十方の諸仏を見たてまつり、諸仏の所にして甚深の念仏三昧を受持しき。 三昧を得をはりて、諸仏現前して、われに記別を授けたまひき。 東方の妙喜国の阿閦仏は、すなはち第一の比丘これなり。 南方の歓喜国の宝相仏は、すなはち第二の比丘これなり。 西方の極楽国の無量寿仏は、第三の比丘これなり。 北方の蓮華荘厳国の微妙声仏は、第四の比丘これなり〉と。
時に、四の如来おのおの右の手を申べて、阿難が頂を摩で、告げてのたまはく、〈なんぢ、仏語を持ちて、広く未来のもろもろの衆生のために説け〉と。 三たびこれを説きをはりて、おのおの光明を放ちて、本国に還帰したまひにき」と。 またのたまはく(観仏経)、「財首菩薩、仏にまうしてまうさく、〈世尊、われ過去の無量世の時を念へば、仏世尊ましましき、また釈迦牟尼と名づけたてまつりき。 かの仏の滅後に一の王子ありき、名づけて金幢といひき。 驕慢・邪見にして正法を信ぜざりき。 知識の比丘ありき、定自在と名づくるもの、王子に告げていはく、《世に仏像まします、衆宝をもつて厳飾せり。 しばらく塔に入りて、仏の形像を観ずべし》と。
時にかの王子、善友の語に随ひて、塔に入りて像を観じき。 像の相好を見て、比丘にまうさく、《仏像の端厳なること、なほかくのごとし。 いはんや仏の真身をや》と。 比丘、告げていはく、《なんぢ、いま像を見るに、礼することあたはずは、まさに“南無仏”と称すべし》と。 この時に、王子、合掌し恭敬して、《南無仏》と称しき。 宮に還りて、念を繋けて塔のなかの像を念ずるに、すなはち後夜に夢に仏像を見き。 仏像を見しがゆゑに、心大きに歓喜し、邪見を捨離して、三宝に帰依しき。 寿命終るに随ひて、前に塔に入りて《南無仏》と称せし因縁の功徳によりて、九百万億那由他の仏に値ひて、甚深の念仏三昧を逮得せり。 三昧力のゆゑに、諸仏現前して、それがために記を授けたまひき。 これよりこのかた百万阿僧祇劫、悪道に堕せざりき。 乃至今日、甚深の首楞厳三昧を獲得せり。 その時の王子は、いまのわれ、財首これなり〉」と。 またのたまはく(観仏経)、「仏ののたまはく、〈われ、賢劫のもろもろの菩薩と、曾、過去の栴檀窟仏の所にして、この諸仏の色身・変化の観仏三昧海を聞けり。 この因縁の功徳力をもつてのゆゑに、九百万億阿僧祇劫の生死の罪を超越して、この賢劫にして次第に仏になる。 {乃至}かくのごとく、十方の無量の諸仏もみなこの法によりて三菩提を成じたまふ〉」と。
『迦葉経』(意)にのたまはく、「昔、過去久遠の阿僧祇劫に、仏、世に出でたまへることありき。 号して光明とまうしき。 入涅槃の後に、一の菩薩ありき。 大精進と名づけき。 年はじめて十六にして、婆羅門種なり。 端正なること比びなし。 一の比丘ありて、白畳の上に仏の形像を画きて、持ちて精進に与へき。 精進、像を見て、心大きに歓喜して、かくのごとき言をなさく、〈如来の形像すら妙好なること、なほしかり。 いはんやまた仏の身をや。 願はくは、われ、未来にまたかくのごとき妙身を成就することを得ん〉と。 いひをはりて思念すらく、〈われもし家にあらば、この身は得ること叵し〉と。 すなはち父母にまうして、哀れみを求め、出家せんとせしに、父母答へていはく、〈われいま年老いたり、ただなんぢ一子あるのみ。 なんぢもし出家しなば、われらまさに死ぬべし〉と。 子、父母にまうさく、〈もしわれを聴したまはずは、われ今日より飲せじ、食せじ、床座に昇らじ、また言説せじ〉と。 この誓をなしをはりて、一日食せずして、すなはち六日に至る。 父母・知識・八万四千のもろもろの婇女等、同時に悲泣して、大精進を礼して、尋いで出家を聴しき。 すでに出家することを得、像を持して山に入り、草を取りて座となし、画像の前にありて結跏趺坐し、一心にあきらかに観ぜり。 〈この画像は如来に異ならず。 像は覚にあらず、知にあらず。 一切の諸法もまたかくのごとし。 相なく、相を離れたり。 体性空寂なり〉と。
この観をなしをはりて日夜を経て、五通を成就し、無量を具足し、無礙弁を得、普光三昧を得て、大光明を具せり。 浄天眼をもつて東方の阿僧祇の仏を見たてまつり、浄天耳をもつて仏の所説を聞きて、ことごとくよく聴受しき。 七月を満足するまで、智をもつて食となしき。 一切の諸天、華を散じて供養しき。 山より出でて村落に来至して、人のために法を説くに、二万の衆生、菩提心を発し、無量阿僧祇の人は、声聞・縁覚の功徳に住し、父母・親眷もみな、不退の無上菩提に住しき。 仏、迦葉に告げたまはく、〈昔の大精進は、いまのわが身これなり。 この像を観ぜしによりて、いま仏になることを得たり。 もし人ありて、よくかくのごとき観を学せば、未来にかならずまさに無上道を成ずべし〉」と。 『譬喩経』の第二にのたまはく、「昔、比丘ありき。 その母を度せんと欲せしに、母すでに命過しぬ。 すなはち道眼をもつて天上・人中・擒狩・薜茘のなかに求索するに、つひにこれを見ず。 泥梨を観ずるに、母がなかにあるを見て、すなはち懊惋し悲哀して、広く方便を求めて、その苦を脱せんと欲ひき。
時に辺境に王ありき。 父を害して国を奪ひてき。 比丘、この王の命、余り七日ありて、罪を受くる地は、比丘の母と同じく一処にあらんと知りて、夜の安靖の時に、王の寝れる処に到りて、壁を穿ちて半身を現ず。 王、怖ぢて刀を抜きて頭を斫る。 頭すなはち地に落ちぬれども、その処は故のごとし。 これを斫ること数反するに、化の頭、地に満つれども、比丘は動かず。 王、意にすなはち解りて、その非常なることを知りぬ。 頭を叩きて過を謝す。 比丘のいはく、〈恐るることなかれ、怖づることなかれ。 あひ度せんと欲するのみ。 なんぢ、父を害して国を奪へりやいなや〉と。 対へていはく、〈実にしかり。 願はくは慈救せられよ〉と。 比丘のいはく、〈大功徳をなすとも、おそらくはあひ及ばざらんか。 王、まさに南無仏と称すべし。 七日絶えずは、すなはち罪を免るることを得てん〉と。 かさねて、これに告げていはく、〈つつしみてこの法を忘るることなかれ〉と。 すなはち飛びて去りぬ。
王すなはち手を叉へて一心に〈南無仏〉と称説すること、昼夜に懈らず、七日ありて命終して、〔王の〕魂神、泥梨の門に向かひて〈南無仏〉と称す。 泥梨のなかの人、仏といふ音声を聞きて、みな一時に〈南無仏〉といひしかば、泥梨すなはち冷めにき。 比丘、ために法を説きしかば、比丘の母、王、および泥梨のなかの人、みな度脱を得き。 後に大きに精進して、須陀洹道を得き」と。 [以上諸文、略して抄す。]
『優婆塞戒経』にのたまはく、「善男子、われ本往、邪見の家に堕ちたりき、惑網おのづからわれを蓋へり。 われ、その時に名を広利といへり。 妻は名女にして、精進勇猛し度脱すること無量にして、十善をもつて化導しき。 われその時に、心に殺猟をなしき。 酒肉を貪嗜し、懶惰懈怠にして、精進することあたはざりき。 妻時にわれに語らはく、〈その猟殺を止め、戒めて酒肉を断ち、つとめて精進を加へて、地獄の苦悩の患ひを脱して、天宮に上生して、一処に与することを得よ〉と。 われその時においても殺心止まず、酒肉の美味をも割捨することあたはず、精進の心も懶惰にして前まず、天宮は意みを息め、地獄の分を受けたり。 われその時に聚落のうちに居し、僧伽藍に近くして、しばしば鍾を槌つを聞きき。 妻われに語りていはく、〈事々あたはずは、健鍾の声を聞くとき、三たび弾指して一たび仏を称せよ。 身を斂めてみづから恭まり、驕慢を生ずることなかれ。 その夜半のごときも、この法廃することなかれ〉と。 われすなはちこれを用ゐて、また捨失することなかりき。 十二年を経て、その妻命終して、忉利天に生れき。 かへりて後三年ありて、われまた寿尽きて、断事に経至せしに、われを判じて罪に入れて、地獄の門に向かへき。 門に入る時に当りて、鍾の三声を声きしに、われすなはち住立して、心に歓喜をなし、愛楽して厭はず。 法のごとく三たび弾指して、長き声をもつて仏を唱へき。 声ごとにみな慈悲ありて、梵音朗らかに徹れりき。 主事、聞きをはりて、心はなはだ愧感すらく、〈これ真の菩薩なりけり。 いかんぞ錯りて判ぜる〉と。
すなはち遣追・還送して、天上に往かしめき。 すでに往き、到りをはりて、五体を地に投げて、わが妻を礼敬して、まうさく、〈大師、幸ひにして大恩を義けて、いま済抜せらる。 すなはち菩提に至るまで教勅に違はじ〉」と。{以上}
また震旦(中国)には、東晋よりこのかた唐朝に至るまで、阿弥陀仏を念じて浄土に往生せるもの、道俗男女、合せて五十余人なり。 僧二十三人、尼六人、沙弥二人、在家男女合せて二十四人。 『浄土論』ならびに『瑞応伝』に出でたり。 わが朝に往生せるもの、またその数あり。 つぶさには慶氏の『日本往生の記』にあり。 いかにいはんや、朝市にありて徳を隠し、山林に名を逃れたるもの、独り修して独り去る、たれか知ることを得んや。
問ふ。 下下品の人と五百の釈子とは、臨終に同じく念じたるに、昇沈なんぞ別なる。
答ふ。
『群疑論』に会していはく、「五百の釈子は、ただ父が教によりて一たび仏を念ぜしかども、しかも菩提心を発し浄土に生るることを求めて、慇懃に慚愧せざりき。 またかれは心を至さず、またただ一念にして十念を具せざるがゆゑなり」と。 {略抄} 
第六に引例勧信とは、 «観仏三昧経» の第三巻に、 仏が弟子たちに告げて仰せられる。
毘婆尸仏の像法の世に、 ひとりの長者があった。 名づけて月徳という。 その五百人の子供が、 同時に重い病にかかった。 父の長者は、 子の前にいって涙を流し、 合掌して、 子供たちにいった。 「お前達は、 邪見に沈んで、 正しい法を信じていない。 今、 無常の刀は、 お前達の身を截りさくのだが、 何をたのみとするのか。 毘婆尸と名づける仏がおられる。 お前達は、 この仏のみ名を称えるがよい。」 子供たちは、 その父を敬っていたので、 この言葉を聞いてから、 「南無仏」 と称えた。 父はまた、 「お前達、 帰依法と称えよ、 帰依僧と称えよ」 と告げた。 三度称えないうちに、 子供たちは命が終った。 しかし 「南無仏」 と称えたために、 四天王のところに生まれた。 その天上界での寿が尽きると、 前の邪見の業によって、 大地獄に堕ちた。 獄卒の羅刹は、 熱い鉄の扠ひしで、 その眼を刺しつぶした。 この苦しみを受けた時、 父の長者の教え諭されたことを憶い出して念仏したので、 地獄から出てまた人間の世界に生まれた。 尸棄仏が、 この世に出られた時に、 ただ仏のみ名を聞いただけで、 仏のお姿を見たてまつらなかった。 さては迦葉仏が世に出られた時も、 また、 そのみ名を聞いただけである。 このように六仏のみ名を聞いた因縁によって、 わたしとともに同じ世に生まれたのである。 この諸の比丘たちは、 前の世に、 悪心を抱いたから仏の正しい法を謗ったのであるけれども、 ただ父に教えられたために、 「南無仏」 と称えたので、 どの生を受けた時にも、 常に諸仏のみ名を聞くことができた。 そうして今の世に、 わたしの出世に値あって、 諸の障さわりが除かれたので阿羅漢と成ったのである。
また説かれている。
燃灯仏の末法の時に、 ひとりの阿羅漢があった。 その千人の弟子が、 阿羅漢の説を聞いて、 心に瞋り恨みをいだいたのである。 その寿命の長さにしたがって、 それぞれ、 寿が終ろうとしたとき、 阿羅漢が 「南無諸仏」 と称えるように教えた。 仏名を称えおわったので、 忉利天に生まれることができた。 (中略) 未来の世に、 仏となることができて、 「南無光照」 と号するであろう。
«観仏三昧経» の第七巻には、 文殊菩薩が、 みずから、 過去の宝威徳仏に値って、 礼拝したことを説いている。
その時、 釈迦世尊は、 讃めて仰せられた。 「よろしい、 よろしい。 文殊師利よ、 そなたはむかし、 一たび仏を礼拝した功徳によって、 数限りない多くの仏たちに値あいたてまつることができたのである。 まして将来に、 わたしの弟子たちで勤めて仏を観ずる者は、 なおさらである。 また仏が阿難に仰せられる。 「そなたは、 文殊師利のいったことをよく持たもって、 いまの大衆や後の世の人々にあまねく伝えるがよい。 もし、 よく礼拝するものや、 仏のみ名を称えるもの、 あるいは仏を観ずるものは、 まことにこの人は、 文殊師利と等しい利益をうけるであろう。 そして命終って、 次の世には、 文殊師利などの多くの大菩薩がその先達となって導くであろう。
また説かれている。
あるとき十方世界の仏が、 釈迦如来の所に来て、 結跏趺坐せられた。 東方の善徳仏が大衆に告げて仰せられるには、 「わたしが、 過去無量世の時を思うのに、 宝威徳上王という仏が世に出られた。 その時に一人の比丘があって、 九人の弟子とともに、 仏塔に詣まいって、 仏像を礼拝するうちに一体の尊いおすがたを見たてまつった。 礼拝しおわって、 あきらかに見たてまつり、 偈を説いて讃嘆した。 その後に命が終って、 悉く東方の宝威徳上王仏の国に生まれ、 大きな蓮華の中に結跏趺坐し、 忽然として化生した。 それより以後、 つねに仏に値いたてまつることができ、 諸仏のみもとで、 仏道の行を浄く修めて念仏三昧を得た。 三昧を得おわって、 仏は、 ために成仏の記別を授けられ、 十方世界において、 それぞれ成仏することができた。 東方の善徳仏とは、 その時の比丘で、 わが身がこれである。 東南方の無憂徳仏、 南方の旃檀徳仏、 西南方の宝施仏、 西方の無量明仏、 西北方の華徳仏、 北方の相徳仏、 東北方の三乗行仏、 上方の広衆徳仏、 下方の明徳仏は、 そのときの九人の弟子で、 このように、 十仏は過去に塔を礼拝し、 仏像を観察し、 一偈をもって讃嘆したことによって、 今、 十方において、 それぞれ成仏することができたのである。 この言葉を説きおわられて後、 善徳仏は釈迦世尊にうかがい訊ね、 その挨拶が終ると、 大光明を放って、 おのおの本国に還りたもうたのである。
また説かれている。
四仏世尊が空から降りて、 釈迦仏の床に坐り、 讃めて仰せられた。 「善いかな、 善いかな。 釈迦仏は、 よく未来の時の濁悪の人々のために、 三世の諸仏の白毫の光の相を説いて、 諸の人々の罪咎を滅ぼすことを得させられる。 どういういわれかというと、 わたしの昔を念おもうてみると、 空王仏のみもとで、 出家して仏道を学んでいた。 その時に四人の比丘がいて、 共に学友となって仏の正法を習ったが、 煩悩が心を覆い、 堅く仏法の宝蔵を持たもつことができず、 不善の業が多くて、 悪道に堕ちようとしたのである。 ときに、 空中に声があって、 比丘に語っていうには、 ¬空王如来は、 もう入滅したもうて、 そなたの犯した罪を救う者はないと思っているけれども、 そなたたちは、 いま塔に入って仏像を観ずるがよい。 仏の在世と等しくて、 異なることはないであろう¼ と。 わたくしたちはこの空中の声に従って塔に入り、 仏像の眉間の白毫を観じて、 すぐにこのような念を作なしたのである。 ¬如来が世にましました時の光明や色身おすがたは、 この仏像とどうして異なることがあろうか。 仏のすぐれた相が、 どうか、 わたしの罪を除いて下さるように。¼ こういいおわって、 大きな山の崩れるように身を地に投げて、 諸の罪を懺悔したのである。 それから以後、 八十億阿僧祇劫のあいだ、 悪道に堕ちないで、 生々世々に常に十方の諸仏を見たてまつり、 諸仏のみもとにおいて甚深の念仏三昧を受け持たもった。 三昧を得おわったときに、 諸仏が目の前に現われて、 わたしに記別を授けられた。 東方妙喜国の阿閦仏とは、 すなわち第一の比丘のことであり、 南方歓喜国の宝相仏とは、 第二の比丘であり、 西方極楽国の無量寿仏とは、 第三の比丘であり、 北方蓮華荘厳国の微妙声仏とは、 第四の比丘のことである。」 このように告げられてから、 四仏は、 それぞれ右の手をさしのべて、 阿難の頂をなで、 「そなたは、 仏の語を持って、 広く未来の多くの人々のために説くがよい」 と告げられた。 これを三たび仰せられたのち、 それぞれ光明を放って本国に還りたもうたのである。
また説かれている。
財首菩薩は、 釈迦仏に申しあげていう。 「世尊、 わたくしが量りない過去世の時を思いますに、 仏世尊がおられて、 やはり釈迦牟尼と申しあげました。 かの仏の滅後に金幡という一人の王子がありました。 憍慢・邪見で、 正法を信じませんでした。 ところが、 定自在と名づける善知識の比丘がいて、 王子に告げていうには、 ¬世に仏像があって、 多くの宝で飾られてあります。 しばらく塔に入って、 仏のおすがたを観られるがよい¼ と。 そこで王子は、 善知識の言葉に随って、 塔に入り仏像を観ました。 仏像の相好おすがたを見てから、 比丘に向かっていうには、 ¬仏像でさえ、 立派なことはこのとおりであるから、 まして、 仏のほんとうのお相すがたはどんなに立派なことだろう¼ と。 比丘が告げていう。 ¬あなたは、 いま仏像を見て礼拝することができないなら、 南無仏と称えなさい。¼ その時、 王子は掌たなごころを合わせて、 敬って ¬南無仏¼ と称えました。 王子は宮殿に帰り、 念をかけて塔中の仏像を念じました。 すると夜明前になって、 夢に仏像を見たてまつった。 仏像を見たてまつったために、 心大いに喜んで、 邪見を離れ、 三宝に帰依しました。 命が終ると、 前の塔に入って、 南無仏と称えた因縁の功徳に由って、 九百万億那由他の仏たちに値うことができ、 甚深の念仏三昧を得ました。 三昧の力によって、 諸仏がまのあたりに記別を授けられ、 これより以後、 百万阿僧祇劫のあいだ悪道に堕ちることなく、 今日に至って、 甚深の首楞厳三昧を得たのであります。 その時の王子が、 今のわたくし財首であります。」
また説かれている。
仏が仰せられる。 「わたしは、 今の世 (賢劫) の諸の菩薩と一緒に、 かつて過去の栴檀窟仏のみもとで、 この諸仏が現わされるさまざまの色身おすがたを観ずる法を聞いた。 この因縁の功徳の力によって九百万億阿僧祇劫の生死まよいの罪を超えて、 この賢劫にあって、 次第に成仏するのである。 (中略) このように、 十方の無量の諸仏も、 みなこの観仏三昧の法によって仏果を成じたもうたのである。
«迦葉経» に説かれている。
「むかし、 過去久遠阿僧祇劫に、 光明と名づける仏が世に出られた。 この仏が涅槃に入りたもうた後、 大精進と名づける一人の菩薩があった。 年はやっと十六で婆羅門の種族で、 たぐいなく端正であった。 一人の比丘が白い毛氈の上に仏の形像おすがたを画えがき、 これを大精進に与えた。 大精進はこの仏像を見て、 心大いに喜び、 ¬如来の形像でさえ、 うるわしいことはこのようである。 まして、 真実の仏身は、 なおさらであろう。 なにとぞ、 わたくしも未来にまたこのようなうるわしい身を成就したいものだ¼ といった。 こういってから、 ªわたくしが、 もし在家のままなら、 このような身を得ることは難しいだろうº と思った。 そこで、 父母に申して、 どうか出家させてほしいと願ったが、 父母はこう答えた。 ¬わたくしたちは、 今や年老い、 ただ、 そなた一人しか子供はない。 そなたがもし出家するならば、 わたくしたちは死んでしまうだろう」 と。 そこで大精進は、 ¬もし、 わたくしの出家を許して下さらなければ、 わたくしは今日から、 飲まず、 食わず、 床座とこに昇らず、 またものも言いますまい¼ と父母にいった。 こういう誓を立ててから、 一日絶食し、 かくして六日たった時、 父母・友人、 八万四千の多くの采女などは、 同時に悲しみ泣いて、 大精進を礼拝し、 出家を許したのである。 かくて、 出家することができたので、 仏像をもって山に入り、 草をとって座とし、 画像の前で結跏趺坐し、 一心に ¬この画像は、 如来と異なるものではない。 如来の像は、 覚るところでもなく、 知ることでもない。 すべての諸法も、 またこのようである。 相はなく、 相を離れ、 本体は空寂である¼ と諦あきらかに観じた。 この観を作なしおわると、 一昼夜を経て、 五神通を成就し、 四無量心を具え、 四無礙弁を得、 普光三昧を得て、 大光明を具えたのである。 清浄な天眼で東方の数かぎりもない仏を見、 清浄な天耳で、 仏の説きたもうことを聞いて、 悉くよく聴受した。 七日を満たすあいだ、 智慧を食物とし、 すべての諸天は花を散らして供養した。 山から出て村に来り、 人々のために法みのりを説いたとき、 二万の人は菩提心を発おこし、 無量無数の人は、 声聞や縁覚の功徳に住し、 父母親族は、 みな無上菩提に至るまで退かない身となった。」
さて、 仏は迦葉に仰せられた。 「この昔の大精進とは、 今のわたくしのことである。 かの仏像を観じたことに由って、 いま成仏することができたのである。 もし、 よくこのような観を学ぶ人があるならば、 未来には、 必ず無常仏果を成就するであろう。」
«比喩経» の第二巻に説かれている。
昔、 ひとりの比丘があった。 その母を済度しようと思ったが、 母は、 はやすでに命がつきていた。 そこでさとりの眼で、 天上界や人間界や、 畜生・餓鬼の中をさがし求めたけれども、 遂に母を見つけられなかった。 地獄を観ると、 その中に母が落ちている。 そこで、 もだえ悲しみ広く方法をめぐらして、 その苦しみを逃れさせたいと思った。 時に、 父を殺して国を奪った辺境の王があった。 比丘は、 この王の命は余すところ七日で、 その罪を受ける処が、 この比丘の母と同じ所であることを知ったので、 ものしずかな夜に、 王の寝所に到り、 壁に孔をあけて半身を現わした。 王は怖れて、 刀を抜いて頭を切り、 頭はすぐに地に落ちたが、 比丘はもとのとおりであった。 数辺も頭を切って、 仮現の頭は地に満ちたけれども、 比丘は少しも変わらない。 王の意こころはそこで解け、 その尋常でないことがわかったので、 頭を地につけて、 その過あやまちを詫びた。 比丘は、 「恐れなくてもよい。 怖れなくてもよい。 わたくしは、 そなたを救いたいと思うばかりなのだ。 そなたは、 父の王を殺して、 国を奪ったというが、 どうなのか」 といった。 王は 「本当にそのとおりであります。 なにとぞお慈悲をもってお救いくださいますよう」 と答えた。 比丘は、 「たとい大きな功徳を作っても、 おそらく及ばないことでしょう。 王よ、 南無仏と称えなさい。 七日のあいだ、 絶え間なく称えるならば、 罪を免れることができるでありましょう」 といった。 そして、 重ねて王に 「慎んで、 この法を忘れないように」 と告げて、 すぐさま飛び去ってしまった。 そこで、 王は手をくみあわせて、 一心に 「南無仏」 と称えて、 昼も夜も怠らず、 七日たって、 その命が終った。 王の魂神たましいが地獄の門に向かって 「南無仏」 と称えたので、 地獄の中の人は仏の音声を聞いて、 皆一時に 「南無仏」 と称え、 すぐさま地獄の暑さが冷めたのである。 そこで比丘は、 その比丘の母や王や地獄の中の人たちのために法を説き、 それらの人たちは、 皆救われることができ、 後に、 大いに努めて、 須陀洹道 (預流果) を得たのであった。 以上の諸文は抜き書きした。
«優婆塞戒経» に説かれている。
善男子よ、 わたしは、 昔、 邪見の家に堕ち、 煩悩の網がみずからわたしを覆っていた。 わたしは、 そのとき、 広利という名であった。 妻はすぐれた女で、 努め励み、 量りなくさとり、 十善をもって人を導いていた。 わたしは、 そのとき、 猟殺の心を起こし、 酒肉をむさぼり、 怠りなまけて、 努力することができなかった。 妻は時に、 わたしに、 「その猟殺を止め、 酒肉を誡めて断ち、 努力していくようになされば地獄の苦悩の患わずらいを脱のがれ、 天上界に生まれて夫婦ともどもに暮されましょう」 と語った。 わたしは、 その時でも殺生の心が止まず、 酒肉の美味を捨てることはできず、 努力の心は怠けてすすまず、 天上界に生まれる意おもいをやめ地獄に堕ちる業を作っていたのである。 その頃、 わたしは村里の内に住み、 寺に近かったから、 しばしば鐘の音ねを聞いた。 妻はわたしに、 「どれもこれもできないとおっしゃるなら、 鐘の音を聞かれた時、 三たび指を弾いて、 一たび仏のみ名を称えてください。 身をおさめてみずからつつしみ、 憍慢をおこしてはなりません。 夜中でも、 この法をやめてはなりません」 と語った。 そこで、 わたしは、 この法を用いて、 もう捨て失うことはなかった。 十二年を経て、 わたしの妻は、 命終り、 忉利天に生まれた。 その後三年たって、 わたしもまた寿命が尽きたのである。 閻魔王の所に至った時、 わたしを裁いて罪を定め、 地獄の門に向かわせた。 地獄の門に入ろうとした時、 三声の鐘の音を聞いた。 すぐさまわたしは立ち止まって、 心に歓喜を生じ、 愛めで喜んで厭わずに、 作法通りに三たび指を弾き、 声を長く引いて、 仏の名を唱えたのである。 その声々はみな慈悲にみちて、 浄らかな音こえが朗らかに徹とおった。 閻魔王は聞きおわって、 心に甚だはずかしく思い、 「これこそ本当の菩薩である。 どうして間違って裁いたのだろうか」 といい、 すぐにおくり還して天上界に往かせた。 さて、 天上界に到ると、 全身を地に投げ、 わが妻を礼敬し、 「大師よ。 幸いにも大恩を承けて、 いま、 済すくわれました。 これから菩提に至るまで、 おおせには背そむきませぬ」 といったのである。
また、 震旦しなでは、 東晋からこのかた唐代に至るまで、 阿弥陀仏を念じて、 浄土に往生したものが、 道俗男女合わせて五十余人あることは、 «浄土論» (迦才) 並びに «端応伝» (少康・文諗) に出ている。 僧二十三人、 尼六人、 沙弥二人、 在家の男女合わせて二十四人。 わが国において往生したものも、 かなりある。 詳しくは、 慶滋よししげの保胤やすたねの «日本往生極楽記» に記されている。 まして、 市にいてその徳を隠したり、 山林に遁のがれて名を知られないようにした者で、 独り往生の行を修めて、 独りこの世を去る者については、 誰がそれを知ることができようか。
問う。 «観経» にある下下品の人と、 «観仏三昧経» の五百の仏弟子とは、 臨終に同じく念仏したのに、 一は昇り、 他は沈むとは、 どうして区別があるのか。
答える。 «群疑論» に説明していわれている。
五百の仏弟子は、 ただ父の教に依って、 一たび仏を念じたけれども、 菩提心を発おこし浄土に生まれようと求めてねんごろに慚愧しない。 また彼らは至心でもなく、 また、 ただ一念だけで、 «観経» のように十念を具えていないからである。 抜き書きした。 
■悪趣利益
【65】 
第七に悪趣の利益を明かさば、『大悲経』の第二にのたまはく、「もしまた人ありて、ただ心に仏を念じて一たびも敬信をなさば、われ説かく、この人はまさに涅槃の果を得て、涅槃の際を尽すべし。 阿難、しばらく人中の念仏の功徳をば置きて、もし畜生ありて、仏世尊においてよく念をなすものをば、われまた説かく、その善根の福報、まさに涅槃を得べし」と。
問ふ。 なんらかこれなるや。
答ふ。
同経の第三に、仏、阿難に告げたまはく、「過去に大商主ありき。 もろもろの商人を将て大海に入りしに、その船、にはかに摩竭大魚のために、来りて呑み噬らはれんとす。 その時に、商主およびもろもろの商人、心驚き毛竪ちて、おのおのみな悲しみ泣きて、嗚呼す。 〈奇しきかな、かの閻浮提はかくのごとく楽しむべく、かくのごとく希有なり。 世間の人身、かくのごとく得がたし。 われいままさに父母と離別しぬ。 姉妹・婦児・親戚・朋友にも別離して、われさらに見ざるべし。 また仏・法・衆僧をも見たてまつることを得まじくなりぬ〉と。 きはめて大きに悲哭しき。 その時に、商主ひとへに右の肩を袒し、右の膝を地に着けて、船の上に住して、一心に仏を念じ、掌を合せて礼拝して、声を高くして唱へていはく、〈南無諸仏、得大無畏者、大慈悲者、憐愍一切衆生者〉と。 かくのごとく三たび称する時に、もろもろの商人、また同時にかくのごとく三たび称しき。 時に摩竭魚、仏の名号、礼拝の音声を聞きて、大愛敬をなし、聞きてすなはち口を閉ぢてき。 その時に、商主およびもろもろの商人、みなことごとく安穏にして、魚の難を免るることを得てき。 時に摩竭魚、仏の音声を聞きて、心に喜楽をなし、さらに余のもろもろの衆生をも食噉せざりき。 これによりて命終して人中に生るることを得てき。 その仏の所にして、法を聞き、出家して、善知識に近づきて、阿羅漢を得てき。
阿難、なんぢ、かの魚の、畜生道に生れて、仏の名を聞くことを得、仏の名を聞きをはりて、乃至、涅槃せることを観ぜよ。 いかにいはんや、人ありて、仏の名を聞くことを得、正法を聴聞せんをや」と。 {略抄}また『菩薩処胎経』の「八斎品」にのたまはく、「竜の子、金翅鳥のために、頌を説きていはく、
〈殺はこれ不善の行なり。寿命を減じて中夭あり。身は、朝露の虫の、光を見てすなはち命終するがごとし。戒を持ち仏語を奉ずれば、長寿天に生るることを得て、累劫に福徳を積みて、畜生道に堕ちず。いまの身は竜身たれども、戒徳清明にして行ず。六畜のなかに堕せりといへども、かならずみづから済度することを望まん〉と。
この時に、竜の子、この頌を説く時に、竜子・竜女、心意開解して、寿終りて後に、みなまさに阿弥陀仏の国に生るべし」と。[以上、八斎戒の竜の子なり。
余趣の、仏語を信じて浄土に生るること、これに准へよ。 地獄の利益は、前の国王の因縁、ならびに下の粗心の妙果のごとし。 諸余の利益は、下の念仏の功能のごとし。 
第七に、 悪趣の利益を明かせば、 «大悲経» の第二巻に説かれている。
もし、 また人があって、 ただ心に仏を念じ、 一たびも敬い信ずる心を起こすならば、 この人はまた涅槃さとりの果を得て、 涅槃の際はてを尽くすであろうと、 わたしは説くのである。 阿難よ、 人間界における念仏の功徳はしばらくさしおこう。 もし畜生が、 仏世尊に対して念ずる心をよく生ずるならば、 その善根の福報は涅槃さとりを得るであろうと、 わたしはまた説くのである。
問う。 それはどういう事であるか。
答える。 «大悲経» の第三巻に、 仏が阿難に仰せられる。
むかし、 大商主があった。 多くの商人をひきいて、 大海に入ったとき、 その船はにわかに、 摩ま竭かつ大魚だいぎょ (くじら) に呑みくわれようとした。 その時に、 大商主や多くの商人は心驚き、 身の毛も竪いよだって、 それぞれみな泣き悲しんだのである。 そして、 「ああ不幸なことだ。 わたくしが住んだあの国土 (閻浮提) は、 かくも楽しく、 かくも希めずらしいのだ。 世間の人間の身は、 かくも得難いのに、 わたくしは今や父母と別れようとしている。 姉妹や妻子、 親戚や朋友とも別れて、 もう会うこともないであろう。 また仏と多くの僧をも見たてまつることはできないであろう」 といって、 たいへん泣き悲しんだ。 その時に大商主は右肩を脱ぎ、 右膝を地に着けて船の上に住とどまり、 一心に仏を念じて合掌礼拝し、 高声に 「大無畏を得たまえる方、 大慈悲の方、 一切衆生を憐れみたもう方である諸仏に南無したてまつる」 と唱えた。 このように、 三たび称えた時、 多くの商人たちも、 また同時に、 このように三たび称えたのである。 その時に摩竭魚は、 人々が礼拝して仏の名号を称える声を聞いて、 大きな敬愛の心を生じ、 声を聞くや、 すぐさま口を閉じた。 かくて、 大商主および多くの商人たちは、 皆悉く安穏に摩竭魚の難を免れることができた。 さて摩竭魚は、 「仏」 という声を聞いて、 心に喜びを生じたので、 もはや他の多くの生物をも食わなかった。 この功力によって、 命が終ったとき人間に生まれることができ、 その仏のみもとで仏法を聞いて出家し、 善知識に近づいて、 阿羅漢のさとりを得たのであった。 阿難よ、 そなたは、 かの摩竭魚のことを考えるがよい。 畜生道に生まれてさえも、 仏のみ名を聞くことができ、 仏のみ名を聞きおわって、 ついにさとりを得たのである。 まして人間で仏のみ名を聞くことができ、 正法を聴聞するものがあれば、 なおさらのことである。 抜き書きした。
また «菩薩処胎経» の八斎品に説かれている。
竜の子が、 *金こん翅じ鳥ちょうのために、 次のような偈を説いていう。
生物を殺すのは これ不善の行で 寿命いのちをちぢめて中夭わかじにする
この身は朝の露のようで 光を見れば すぐに命が終る
戒を持って仏語にしたがえば 長寿天に生まれることができる
永劫に福徳を積めば 畜生道に堕ちることはない
わが身は竜の身を受けているが 戒徳を浄く持たもっている
畜生道の中に堕ちてはいるが 必ずみずから免れ出よう
この時、 竜の子が、 この偈を説いたときの他の竜の子や竜の女たちは心が開けたのである。 かくて寿命が尽きた後には、 みな阿弥陀仏の国に往生することになるであろう。 以上。 これは八斎戒を守っている竜の子である。
その他の悪趣のものも、 仏語を信ずるならば、 浄土に生まれることは、 これに準ずる。 地獄における利益は、 前に引いた ª比喩経º の国王の因縁、 ならびに下に出す粗心の妙果に明かすとおりである。
また諸のその他の利益は、 下に明かす念仏の功徳のとおりである。 
 

 

第八 念仏証拠 
■問答一
【66】 
大文第八に、念仏証拠といふは、問ふ、一切の善業はおのおの利益あり、おのおの往生することを得てん。 なんがゆゑぞ、ただ念仏の一門を勧むる。
答ふ。
いま念仏を勧むることは、これ余の種々の妙行を遮するにはあらず。 ただこれ、男女・貴賤、行住坐臥を簡ばず、時処諸縁を論ぜずして、これを修するに難からず、乃至、臨終に往生を願求するに、その便宜を得たるは念仏にはしかじ。 ゆゑに『木槵経』にのたまはく、「難陀国の波瑠璃王、使ひを遣はして、仏にまうしてまうさく、〈ただ願はくは、世尊、ことに慈愍を垂れて、われに要法を賜ひて、われをして日夜に修行することを得やすく、未来世のうちにもろもろの苦を遠離せしめたまへ〉と。
仏告げてのたまはく、〈大王、もし煩悩障・報障を滅せんと欲はば、まさに木槵子一百八を貫きて、もつてつねにみづから随へて、もしは行、もしは坐、もしは臥に、つねにまさに心を至して分散の意なくして、仏陀・達摩・僧伽の名を称しては、すなはち一の木槵子を過ぐすべし。 かくのごとくして、もしは十、もしは二十、もしは百、もしは千、乃至、百千万せよ。 もしよく二十万遍を満てんに、身心乱れず、もろもろの諂曲なくは、命を捨てて第三の炎摩天に生るることを得て、衣食自然にして、つねに安楽なることを受けん。 もしまたよく一百万遍を満たさば、まさに百八の結業を除断することを得て、生死の流を背きて、涅槃の道に趣き、無上の果を獲べし〉」と。{略抄}
いはんやまた、もろもろの聖教のなかに、多く念仏をもつて往生の業となせり。 その文、はなはだ多し。 略して十の文を出さん。
一には、『占察経』の下巻にのたまはく、「もし人、他方の現在の浄国に生れんと欲はば、まさにかの世界の仏の名字に随ひて、意をもつぱらにして誦念すべし。 一心に乱れずして上のごとく観察せば、決定してかの仏の浄国に生るることを得、善根増長して、すみやかに不退を成ぜん」と。
「上のごとき観察」とは、地蔵菩薩の法身および諸仏の法身と、おのが自身と、平等無二にして、不生不滅なり、常楽我浄なり、功徳円満せりと観ずるなり。 また己身無常なること、幻のごとし、厭ふべしと観ずる等なり。
二には、『双巻経』(大経・下)の三輩の業、浅深ありといへども、しかも通じてみな「一向にもつぱら無量寿仏を念じたてまつれ」とのたまへり。
三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。
四には、『観経』(意)に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。
五には、同経にのたまはく、「もし心を至して西方に生れんと欲はば、先づまさに一の丈六の像の、池の水の上にましますと観ずべし」と。
六には、同経にのたまはく、「光明あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して捨てたまはず」と。
七には、『阿弥陀経』にのたまはく、「少善根の福徳因縁をもつて、かの国に生ずることを得べからず。 もし善男子・善女人ありて、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持して、もしは一日{乃至}もしは七日すること、一心に乱れずは、その人命終の時に臨みて、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じて、その前にましまさん。 この人終る時に、心、顛倒せずしてすなはち往生することを得てん」と。
八には、『般舟経』にのたまはく、「阿弥陀仏ののたまはく、〈わが国に来生せんと欲はば、つねにわれを念ぜよ。 しばしば、つねに念をもつぱらにして休息あることなかれ。 かくのごとくせば、わが国に来生することを得ん〉」と。
九には、『鼓音声経』にのたまはく、「もし四衆ありて、よくまさしくかの仏の名号を受持せば、この功徳をもつて、終らんと欲する時に臨みて、阿弥陀、すなはち大衆とこの人の所に往きて、それをして見ることを得しめ、見をはりて尋いで生ぜん」と。
十には、『往生論』(天親の浄土論・意)に、「かの仏の依正の功徳を観念するをもつて、往生の業となせり」と。 {以上}このなかに、『観経』の下下品・『阿弥陀経』・『鼓音声経』は、ただ名号を念ずるをもつて往生の業となせり。 いかにいはんや、相好・功徳を観念せんをや。
■問答二
■因明と直弁
問ふ。 余の行に、いづくんぞ勧信の文なからんや。
答ふ。
その余の行法は、ちなみにかの法の種々の功能を明かす。 そのなかにおのづから往生の事を説くなり。 ただちに往生の要を弁ずるに、多く「念仏」といふがごとくにあらず。 いかにいはんや、仏みづからすでにのたまへり、「まさにわれを念ずべし」と。 また仏の光明、余の行人を摂取すとはいはず。 これらの文、分明なり。 なんぞかさねて疑をなさんや。
■問答三
問ふ。 諸経の所説は、機に随ひて万品なり。 なんぞ管見をもつて一の文を執せんや。
答ふ。
馬鳴菩薩の『大乗起信論』(意)にいはく、「また次に、衆生はじめてこの法を学せんに、その心怯弱にして、信心成就すべきこと難きことを懼畏して、意に、退しなんと欲せば、まさに知るべし、如来に勝方便ましまして、信心を摂護したまふ。 随ひて心をもつぱらにして仏を念ずる因縁をもつて、願に随ひて、他方の仏土に往生することを得るなり。 修多羅に説くがごとし。 〈もし人もつぱらにして西方の阿弥陀仏を念じて、所作の善業をもつて回向して、かの世界に生れんと願求すれば、すなはち往生することを得〉」と。{以上}
あきらかに知りぬ、契経に、多く念仏をもつて往生の要となせり。 もししからずは、四依の菩薩はすなはち理尽にあらじ。  
大文第八に念仏の証拠とは、
問う。 すべての善業には、 それぞれ利益があり、 それぞれ往生することができるのに、 どういうわけで、 ただ念仏の一門だけを勧めるのか。
答える。 今、 念仏を勧めることは、 決して、 その他の種々のすぐれた行をさえぎるのではない。 ただ男でも女でも、 身分の高いものでも、 低いものでも、 その行住座臥の区別なく、 時とき処ところやいろいろの場合を論ぜず、 これを修めるのに難しくなく、 そして臨終までも往生を願い求めるのに、 その便宜を得ることは、 念仏におよぶものはないからである。 それ故に «木槵経» に説かれている。
難陀国の波は瑠璃るり王が、 使者を遣わして、 仏に申しあげていう。 「ただ願わくは世尊、 殊にいつくしみを垂れて、 わたくしに肝要な法を賜り、 日夜をたやすく修行することを得させ、 未来世には多くの苦しみを離れさせて下さい。」 仏は告げて仰せられる。 「大王よ、 もし煩悩まどいの障りや報の障りを滅しようと思うならば、 木槵子むくろじの種子百八を貫き、 それをいつも身につけて持つがよい。 もしは歩むにも、 坐るにも、 もしは臥すにも、 つねに至心をもって、 心を散らさず、 仏・法・僧の名を称えては、 一つの木槵子をつまぐれ。 このようにして、 もしは十遍、 もしは二十遍、 もしは百遍、 もしは千遍、 さらには百千万遍せよ。 もしよく二十万遍を満たして、 身心が乱れずに、 いろいろないつわり曲ったことがなければ、 命終って第三の閻魔天に生まれることができ、 衣食が自然に得られて、 いつも安らかな楽しみを受けるであろう。 もし、 またよく百万遍を満たすならば、 百八の煩悩の業はたらきを断ち、 迷いの流れに背いて涅槃の道に趣き、 無上の仏果を獲るであろう。」 抜き書きした。 懐感禅師の意もまたこれと同じである。
まして、 またもろもろの聖教の中には、 多く念仏を往生の業としている。 その文は甚だ多いが、 略して十文を出そう。
一つには、 «占察経» の下巻に説かれている。
もし人あって、 他方の現在の浄土に生まれようとおもうならば、 かの世界の仏の名号に随い、 意を専らにしてとなえるべきである。 一心不乱にして、 上のように観察するならば、 まちがいなく、 かの仏の浄土に生まれることができ、 善根が増長して速やかに不退の位に入るであろう。 ここに 「上のように観察する」 というのは、 地蔵菩薩の法身と諸仏の法身と自分自身とは、 その体性が平等であって、 二つなく、 生ぜず滅せず、 常楽我浄であって、 功徳が円満していると観ずる。 また自分の身は無常で、 幻のようであり、 厭うべきものであると観ずるなどのことをいうのである。
二つには、 «無量寿経» の三輩の業については、 それぞれ浅深があるけれども、 いずれにも通じて説かれている。
一向にもっぱら、 無量寿仏を念ぜよ。
三つには、 四十八願 (大経) の中で、 念仏の法について、 特別に一願を発おこして誓われてある。
少なくとも十念して、 もし往生しなかったならば、 仏にはなるまい。
四つには、 «観経» に説かれている。
極重の悪人は、 他の方法がない。 ただ弥陀の名号を称念して、 極楽往生を得るばかりである。
五つには、 同じ経に説かれている。
もし至心まごころから西方の極楽浄土に生まれたいと思うならば、 まず浄土の池水の上に、 一丈六尺の無量寿仏の像がおいでになると観ずるがよい。
六つには、 同じ経に説かれている。
光明は、 あまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を摂め取って捨てたまわない。
七つには、 «阿弥陀経» に説かれている。
自分が積むような、 わずかな善根功徳の因縁たねでは、 かの浄土に往生することはできぬ。 もし善男・善女があって阿弥陀仏のいわれを説くのを聞き、 その名号みなをたもって、 あるいは一日 (中略) あるいは七日の間、 一心にして乱れないならば、 その人の臨終には、 阿弥陀仏が多くの聖衆とともに、 その前に現われてくださる。 そこで、 この人は命の終るとき、 心が乱れまどうことなく、 ただちに阿弥陀仏の極楽に生まれることができる。
八つには、 «般舟経» に説かれている。
阿弥陀仏が仰せられる。 「わが国に来生しようと思うならば、 わたしをたびたび念ずべきである。 常にもっぱら念じて、 やめてはならない。 このようにすれば、 わたしの国に来生することができよう。」
九つには、 «鼓音声経» に説かれている。
もし、 僧俗男女があって、 よくまさしくかの阿弥陀仏の名号を持たもつならば、 この功徳によって、 命が終ろうとする時に臨んで、 阿弥陀仏は、 聖衆とともにこの人の所に往き、 その人に仏を見させる。 仏を見おわって、 そこで往生するのである。
十には、 «往生論» (天親) にいわれている。
かの阿弥陀仏の浄土や仏・菩薩の功徳を観念することをもって往生の業とする。 以上
この中で、 «観経» の下下品と «阿弥陀経» と «鼓音声経» とは、 ただ名号を称念することを往生の業としている。 まして相好や功徳を観念することについてはいうまでもないことである。
問う。 念仏以外の行には、 どうして信を勧めるの文がないのであろうか。
答える。 その他の行法は、 かの法のいろいろの効能はたらきを明かすことの因ついでとして、 その中に、 おのずから往生の事を説いているのである。 往生の要を直接にのべて、 多く 「仏を念ぜよ」 というようなことではない。 まして阿弥陀仏はみずから、 すでに 「わたしを念ずべきである」 と仰せられているのだから、 なおさらのことである。 また仏の光明は、 その他の行人を摂め取るとは仰せられていないのである。
これらの文で、 はっきりとしている。 どうして重ねて疑問を生ずることがあろうか。
問う。 諸経に説くところは、 それぞれの機に随ってさまざまである。 どうしてせまい考えで、 一文に固執するのか。
答える。 馬鳴菩薩の «大乗起信論» にいわれている。
また次に、 初めてこの法を学ぼうとする人で、 その心がおびえて弱く、 信心が成就することのできがたいのをおそれ、 退転しようとおもう者は、 如来にはすぐれた方法があって、 信心を護ってくださると知るがよい。 すなわち、 専心に仏を念ずる因縁によって、 願いのままに、 他方の仏土に往生することができるのである。 経に、 「もし人があって、 専ら西方の阿弥陀仏を念じ、 作った善業を回向して、 かの世界に生まれようと願い求めるならば、 すなわち往生することができると説いてあるとおりである。 以上
これで明らかに知られた。 経には多く念仏を往生の要としているのである。 もし、 そうでないならば、 人々の依りどころとなる*四依しえの菩薩は、 道理をつくさないこととなるであろう。 
第九 往生諸行
【67】 
大文第九に、往生諸行を明かさば、いはく、極楽を求むるものは、かならずしももつぱら仏を念ぜず。 すべからく余の行を明かしておのおのの楽欲に任すべし。 これにまた二あり。 初めには、別して諸経の文を明かす。 次には、総じて諸業を結す。 
大文第九に往生の諸行を明かすというのは、 すなわち極楽往生を求める者は、 必ずしも念仏を専らにするとは限らず、 その他の行をも明かして、 それぞれの望みに任す必要がある。 これをまた二つに分ける。 一つには個々別々に諸経の文を明かし、 次には総じて諸業を結ぶ。 
■明諸経
【68】 
第一に諸経を明かすといふは、『四十華厳経』の普賢願、『三千仏名経』・『無字宝篋経』・『法華経』等の諸大乗経、『随求』・『尊勝』・『無垢浄光』・『如意輪』・『阿嚕力迦』・『不空羂索』・『光明』・『阿弥陀』、および龍樹の所感の往生浄土等の呪なり。 これらの顕密の諸大乗のなかに、みな受持・読誦等をもつて、往生極楽の業となせり。 『大阿弥陀経』(下)にのたまはく、「まさに斎戒し、一心清浄にして、昼夜にまさに念じて阿弥陀仏の国に生れんと欲すべし。
十日十夜、断絶せずは、われみなこれを慈愍してことごとく阿弥陀仏の国に往生せしめん。 たとひしかするにあたはずは、みづから思惟し、よく校計せよ。 身を度脱せんと欲するものは、まさに念を絶つべからず。 愛を去りて、家事を念ふことなかれ。 婦女と床を同じくすることなかれ。 みづから身心を端く正しくして、愛欲を断じて、一心に斎戒清浄にして、至専に阿弥陀仏国に生れんと念じて、一日一夜、断絶せずは、寿終してみなその国に往生して、七宝の浴池の蓮華のなかにありて化生せん」と。
[この『経』(大阿弥陀経)は持戒をもつて首となせり。]『十往生弥陀仏国経』(意)にのたまはく、「われいま、なんぢがために説く、十の往生あり。いかなるか十の往生。 一には身を観じて正念にして、つねに歓喜を懐きて、飲食・衣服をもつて仏および僧に施せば、阿弥陀仏の国に往生す。 二には正念にして、世の妙良薬をもつて一の病比丘および一切衆生に施せば、阿弥陀仏の国に往生す。 三には正念にして、一の生命をも害せず、一切を慈悲すれば、阿弥陀仏の国に往生す。 四には正念にして、師の所に従ひて戒を受け、浄慧をもつて梵行を修し、心につねに喜びを懐けば、阿弥陀仏の国に往生す。 五には正念にして、父母に孝順し師長を敬重し、驕慢の心を懐かざれば、阿弥陀仏の国に往生す。 六には正念にして、僧房に往詣し塔寺に恭敬し、法を聞きて一の義をも解れば、阿弥陀仏の国に往生す。 七には正念にして、一日一宿のうちに八戒斎を受持し、一日一宿のうちに受持して一も破らざれば、阿弥陀仏の国に往生す。 八には正念にして、もしよく斎月・斎日のうちに房舎を遠離してつねに善師に詣れば、阿弥陀仏の国に往生す。 九には正念にして、つねによく浄戒を持ち、勤修して禅定を楽ひ、法を護り悪口せず、もしよくかくのごとく行ずれば、阿弥陀仏の国に往生す。 十には正念にして、もし無上道において誹謗の心を起さず、精進して浄戒を持ちて、また無智のものを教へてこの経法を流布し、無量の衆を教化す。 かくのごときもろもろの人等、ことごとくみな阿弥陀仏の国に往生することを得」と。{以上}
『弥勒問経』にのたまはく、「仏の説きたまへるところのごとく、阿弥陀仏の功徳利益を願じて、もしよく十念相続して、不断に仏を念ずるものは、すなはち往生することを得。 まさにいかんが念ずべし。 仏ののたまはく、〈おほよそ十の念あり。 なんらをか十となす。 一には、もろもろの衆生において、つねに慈心を生じてその行を毀らざること、もしその行を毀ればつひに往生せず。 二には、もろもろの衆生において、つねに悲心を起して残害の意を除くこと、三には、護法心を発して身命を惜しまざること、一切の法において誹謗をなさざること、四には、忍辱のなかにおいて決定心を生ずること、五には、深心清浄にして利養に染せざること、六には、一切智の心を発して日々につねに念じて、廃忘あることなきこと、七には、もろもろの衆生において、尊重の心を起し、我慢の心を除き、謙下して言説すること、八には、世の談話において味着をなさざること、九には、覚意に近づき、深く種々の善根の因縁を起し、憒鬧・散乱の心を遠離すること、十には、正念にして仏を観じて諸想を除去することなり〉」と。
『宝積経』の第九十二に、仏またこの十心をもつて弥勒の問に答へたまへり。 そのなかの第六の心にいはく、「仏の種智を求めて、一切の時において忘失する心なし」と。 その余の九種は、文少し異なりといへども、意は前の『経』(弥勒問経)に同じ。 ただ『経』(宝積経)の文にのたまはく、「もし人、この十種の心のうちにおいて、随ひて一心を成じて、かの仏の世界に往生せんと楽欲せんに、もし生ずることを得ずといはば、この処あることなからん」と。 {云々}明らけし、かならずしも十を具して往生の業となすにはあらざるなり。
『観経』にのたまはく、「かの国に生れんと欲はば、まさに三福を修すべし。 一には父母に孝養し、師長に奉事し、慈心をもつて殺せず、十善業を修すること、二には三帰を受持し、衆戒を具足し、威儀を犯せざること、三には菩提心を発し、深く因果を信じ、大乗を読誦し、行者を勧進することなり。 かくのごとき三事を名づけて浄業となす。 仏、韋提希に告げたまはく、〈なんぢいま知るやいなや。 この三種の業は、過去・未来・現在の三世の諸仏の浄業の正因なり〉」と。 またのたまはく(同・意)、「上品上生といふは、もし衆生ありて、かの国に生ぜんと願ぜば、三種の心を発して即便往生す。 なんらをか三となす。 一には至誠心、二には深心、三には回向発願心なり。 三心を具せるものはかならずかの国に生る。
また三種の衆生ありて、まさに往生することを得べし。 なんらをか三となす。 一には慈心にして殺せず、もろもろの戒行を具すること、二には大乗方等経典を読誦すること、三には六念を修行して、回向発願してかの国に生れんと願ずることなり。 この功徳を具すること、一日乃至七日にして、すなはち往生することを得。 上品中生といふは、かならずしも方等経典を受持せざれども、よく義趣を解りて、第一義において心驚動せず、深く因果を信じ大乗を謗ぜず。 この功徳をもつて、回向して極楽国に生れんと願求するなり。 上品下生といふは、また因果を信じ大乗を謗ぜず。 ただ無上道の心を発して、この功徳をもつて、回向して極楽に生れんと願求するなり。
中品上生といふは、もし衆生ありて、五戒を受持し、八戒斎を持ち、もろもろの戒を修行して五逆を造らず、もろもろの過患なからん。 この善根をもつて、回向して願求するなり。 中品中生といふは、もし衆生ありて、もしは一日一夜八戒斎を受け、もしは一日一夜沙弥戒を持ち、一日一夜具足戒を持ち、威儀欠くることなし。 この功徳をもつて、回向して願求するなり。 中品下生といふは、もし善男子・善女人ありて、父母に孝養し、世の仁慈を行ずるなり。
下品上生といふは、あるいは衆生ありて、もろもろの悪業を作らん。 方等経典を誹謗せずといへども、かくのごとき愚人、多くもろもろの悪法を造りて慚愧あることなからん。 終りに臨みて十二部経の首題の名字を聞き、および合掌して〈南無阿弥陀仏〉と称するなり。
下品中生といふは、あるいは衆生ありて、五戒・八戒および具足戒を毀犯せらん。 かくのごとき愚人、命終らんと欲する時に、地獄の衆火、一時にともに至らん。 善知識の、大慈悲をもつて、ために阿弥陀仏の十力威徳を説き、広くかの仏の光明神力を説き、また戒・定・慧・解脱・知見を讃ずるに遇はん。 この人聞きをはりて八十億劫の生死の罪を除くなり。
下品下生といふは、あるいは衆生ありて、不善業たる五逆・十悪を作り、もろもろの不善を具せん。 かくのごとき愚人、悪業をもつてのゆゑに悪道に堕つべからん。 命終の時に臨みて、善知識に遇ひて、仏を念ずることあたはずといへども、ただ心を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足して〈南無無量寿仏〉と称せん。 仏の名を称せんがゆゑに、念々のうちに八十億劫の生死の罪を除くなり」と。
『双巻経』(大経・下)の三輩の業もまたこれを出でず。 『観経』には、十六観をもつて往生の因となせり。 『宝積経』に説かく、仏前の蓮華に化生するに、四の因縁ありと。 偈(同)にのたまはく、
「華香をもつて仏および支提に散ずると、他を害せざると、ならびに像を造ると、大菩提において深く信解するとは、蓮華に処して仏前に生るることを得」と。{以上}余は繁く出さず。 
一つに、 諸経を明かすならば、 «四十華厳経» の普賢願、 «三千仏名経»・«無字宝篋経»・«法華経» などのもろもろの大乗経、 «随求陀羅尼経»・«尊勝陀羅尼経»・«無垢浄光大陀羅尼経»・«如意輪陀羅尼経»・«阿嚕力迦»・«不空羂索神変真言経»・«光明真言»・«阿弥陀大呪» 、 および龍樹菩薩が感得せられた往生浄土などの呪文がそれである。 これら顕教・密教の諸大乗の中には、 みな受け持たもち、 読誦するなどをもって極楽に往生する行業としているのである。
«大阿弥陀経» に説かれている。
斎戒し、 一心清浄にして、 昼夜に常に念じて阿弥陀仏の国に生まれようと願い、 十日十夜の間、 絶えないようにすべきである。 わたしは皆これを愍み、 悉く阿弥陀仏の国に往生させるであろう。 特に、 そうすることができなければ、 みずから思うて、 よくよく計るがよい。 この身を救い脱れようと思うならば、 浄土への念を絶ってはならない。 愛着を去って、 家の事を念おもうてはならない。 婦女と床を同じうしてはならない。 みずから身心を正して、 愛欲を断ち、 一心に斎戒清浄にして、 もっぱら阿弥陀仏の国に生まれようと念じて、 一日一夜の間、 絶えなければ、 命が終って皆その国に往生し、 七宝の浴池の蓮華の中に化生するであろう。 この経は、 持戒を主とするのである。
«十往生阿弥陀仏国経» に説かれている。
わたしは今、 そなたのために説こう。 十種の往生法がある。 その十種の往生法とは何であるかというと、 一つには、 身を観じて正念に、 いつも歓喜の心をいだき、 飲食・衣服を仏および僧に供養するならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 二つには、 正念にすぐれた良い薬をもって、 一人の病気の比丘、 およびすべての衆生に施すならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 三つには、 正念に、 生物の命を一つもそこなわず、 すべてのものをあわれむならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 四つには、 正念に師匠のもとに従って戒を受け、 浄らかな心で仏道の行を修め、 心にいつも喜びをいだくならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 五つには、 正念に、 父母に孝行し、 師長に敬いつかえて、 憍慢の心を懐かないならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 六つには、 正念に、 僧房に参詣し、 塔寺を敬い、 法を聞いて一義を領解するならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 七つには、 正念に、 一日一夜のあいだ、 八戒斎をたもち、 一日一夜のあいだ持たもって一つも壊らないならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 八つには、 正念に、 もしよく斎月や斎日の間は、 自分の住家を離れて常に善師のもとに往くならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 九つには、 正念に、 いつもよく浄らかな戒をたもって、 禅定を楽しんで修め、 法を護って悪い言葉をいわない。 もしよくこのように行ずるならば、 阿弥陀仏の国に往生する。 十には、 正念に、 もし無上のさとりに対して誹謗の心を起こさず、 精進して浄らかな戒律をたもち、 また無智の者に教えて、 この教法をひろめ、 多くの衆生を教化すれば、 このような人たちは、 みなことごとく阿弥陀仏の国に往生することができる。
«弥勒問経» に説かれている。
「仏がお説きになったとおり、 阿弥陀仏の功徳利益を願って、 もしよく十念相続し、 たえずかの阿弥陀仏を念ずる者は、 往生することができるということでありますが、 それはどのように念ずべきでありましょうか。」 仏が仰せられる。 「これにはおよそ十念がある。 その十とはどういうものか。 一つには、 すべて衆生に対し、 常に慈いつくしみの心を起こして、 その行を破らない。 もし、 その行を破るならば、 ついに往生しないであろう。 二つには、 すべての衆生に対して常に悲あわれみの心を起こして、 そこない傷つける意を除く。 三つには、 護法の心を発して身命を惜まず、 すべての法に対して誹謗を生じない。 四つには、 忍辱の中において、 決定の心を生ずる。 五つには、 深心清浄であって、 利欲にけがされない。 六つには、 *一切いっさい智ちの心を発し、 日々に常に念じてすたれ忘れることはない。 七つには、 すべての衆生に対して尊重の心を起こし、 我慢の心を除いて、 へりくだって話す。 八つには、 世間の談話に対して執着の心を生じない。 九つには、 覚さとりの意こころに近づき、 いろいろの善根の因縁を深く起こし、 騒がしく乱れる心を遠ざける。 十には、 正念に仏を観じ、 諸の想を除き去るのである。」
«宝積経» の第九十二巻に、 仏は、 またこの十心で弥勒菩薩の問に答えられている。 その中の第六心にいう。
仏の一切智を求め、 すべての時に、 これを忘れない心。
その他の九種の心は、 その文は少し異なるけれども、 その意味は前の経に同じ。 ただ、 その結びの文にいわれている。
もし、 人があって、 この十種の心の中で、 どれか一つの心を成就してかの仏の世界に往生しようと願い、 もし生まれることができないというならば、 そんな道理はない。 下略
これで見ると、 かならずしも十心をすべて具えて、 往生の業とするのではないことが、 明らかである。
«観経» に説かれている。
「かの極楽世界に生まれようと願うものは、 つぎの三種の福徳を積まねばならない。 一つには、 父母に孝養をつくし、 よく師匠や目上の人に仕え、 慈悲の心をもって殺生をせず、 十善の行を修める。 二つには三帰戒を受け、 いろいろの戒を持たもち、 威儀を犯さない。 三つには菩提心を発し、 深く因果の道理を信じ、 大乗の経典を読誦し行者を勧める。 このような三種の行ないを浄らかな行業というのである。」 仏が韋提希に告げたもう。 「おんみは、 いま知っているかどうか。 この三種の行ないは、 過去・未来・現在の三世の諸仏が仏になるための浄らかな行業であり、 正しい因たねである。
また説かれている。
上品上生というのは次のようである。 もし人々の中で、 かの国に生まれたいと願う者は、 三種の心を発してすなわち往生する。 その三種の心とは何かといえば、 一つには至誠心、 二つには深心、 三つには廻向発願心である。 この三種の心を欠けめなく具えるものは、 かならずかの国に生まれるのである。
さて、 上品上生というのは、 このような人々の中で、 つぎの三種の行を修める人をいうのであって、 それらの人々は、 いずれもみな往生することができる。 その三種の行を修める人とは、 どのようなものかといえば、 一つには、 慈悲の心をもって殺生をせず、 よくいろいろの戒行を守るもの。 二つには、 大乗の経典を読誦するもの。 三つには、 *六念ろくねんを修行するものがそれである。 これらの人々は、 おのおの、 その修めるところの善根功徳によって、 かの国に生まれたいと願い、 少なくとも一日から七日ぐらいのあいだ行じて、 それらの功徳をそなえ、 それによって、 ただちに往生することができる。
上品中生というのは、 かならずしも大乗の経典を受持するとは限らないが、 そのわけをよく理解し、 奥深い第一義の道理を聞いても、 それによって心が驚き動かされるようなことはなく、 深く因果の道理を信じて、 大乗の経典を謗らず、 その功徳によって、 極楽浄土に生まれようと願うものである。
上品下生というのは、 また因果の道理を信じて、 大乗の教を謗らず、 ひとえに無上菩提を求める心を起こして、 その功徳により、 極楽に生まれようと願うものである。
中品上生というのは、 人々の中で、 五戒をまもり、 八戒斎をたもち、 その他、 もろもろの戒律を修めて、 五逆の罪を造らず、 また、 いろいろの罪過あやまちのないようにつとめ、 それらの善根によって西方の極楽世界に生まれようと願うものである。
中品中生というのは、 人々の中で、 あるいは一日一夜の間、 八戒斎を受け、 あるいは一日一夜の間、 沙弥戒をまもり、 あるいは一日一夜の間、 具足戒をたもって、 少しも威儀を乱さず、 その功徳によって、 極楽浄土に生まれようと願うものである。
中品下生というのは、 世間一般の善男・善女で、 父母に孝養をつくし、 いつくしみの心から、 世の中のいろいろの善を行っているものである。
下品上生というのは、 人々の中で、 さまざまの悪業をつくっているもので、 大乗の経典を謗るようなことはないが、 いろいろの悪をつくって、 少しも心に恥じることを知らない愚かな人たちである。 こういう人が命の終ろうとするとき、 いろいろな経典の題号のいわれを聞き、 さらに合掌して 「南無阿弥陀仏」 と称える。
下品中生というのは、 人々の中で、 五戒や八戒や具足戒などのおきてを犯し破っているものである。 このような愚かな人がいよいよ命の終ろうとするときには、 地獄のさまざまの猛火が一時にその人の前に押し寄せて来る。 このとき、 たまたま善知識が、 哀れみの心から、 その人のために阿弥陀仏の十力の威徳を説き、 さらにひろく光明の不思議の力を説き、 また、 その戒・定・慧と解脱と解脱智見のすぐれた徳をほめたたえるのに遇う。 その人はこれを聞いて、 ただちに八十億劫という長い間の生死まよいの罪が除かれる。
下品下生というのは、 人々の中で、 最も重い罪である五逆や十悪を作り、 その他、 悪という悪のすべてを犯しているものである。 こういう愚かな人は、 その悪業の報いで、 かならず悪道におちねばならない。 ところが、 こういう愚かな人が命の終ろうとするとき、 たまたま善知識に遇い、 心に仏を念ずることはできないけれども、 ただ至心まごころから声をつづけて、 「南無阿弥陀仏」 と十声称える。 その仏名を唱えたことによって一声一声の中うちに八十億劫という長い間の生死まよいの罪が除かれる。
«無量寿経» の三輩の行業も、 また、 この «観経» の九品の外ではないのである。 また «観経» には、 十六観の法を往生の因たねとしている。
«宝積経» には仏前の蓮華に化生するのに、 四つの因縁があることを説いている。 その偈にいう。
花香を仏や塔廟にささげ 他のものを害せず また仏像を造り
大菩提を深く信解すれば 蓮華にすわって仏の前に生まれることができる 以上
その他は、 煩雑になるから、 ここには出さない。 
■総結諸業
【69】 
第二に総じて諸業を結すといふは、〔浄影寺〕慧遠法師、浄土の因要を出せるに、四あり。 「一には観を修して往生すること、十六観のごときなり。 二には業を修して往生すること、三福業のごときなり。 三には心を修して往生すること、至誠等の三心なり。 四には帰向して往生する、浄土の事を聞きて帰向し、称念し、讃嘆すること等なり」(観経義疏・意)と。 いまわたくしにいはく、諸経の行業、総じてこれをいへば、『梵網』戒品を出でず。 別してこれを論ずれば、六度を出でず。 細しくその相を明かせば、その十三あり。 一には財・法等の施、二には三帰・五戒・八戒・十戒等の多少の戒行、三には忍辱、四には精進、五には禅定、六には般若、[第一義を信ずること等これなり。 ]七には菩提心を発すこと、八には六念を修行すること、[仏・法・僧・戒・施・天、これを六念といふ。 十六想観はまたこれを出でず。 ]九には大乗を読誦すること、十には仏法を守護すること、十一には父母に孝順し師長に奉事すること、十二には驕慢をなさざること、十三には利養に染せざることなり。 『大集』の「月蔵分」の偈にのたまはく、
「樹の菓繁ければ、すみやかにみづから害するがごとし。竹籚の実を結ぶもまたかくのごとし。任騾の懐すれば、自身を喪ぼすがごとし。無智にして利を求むるもまたしかり。もし比丘ありて、供養を得、利養を楽求し堅く着するものは、世においてさらにかくのごとき悪はなし。ゆゑに解脱の道を得ざらしむ。かくのごとくして利養を貪求するものは、すでに道を得をはりぬれども、還りてまた失ふ」と。
また『仏蔵経』に、迦葉仏、記してのたまはく、「釈迦牟尼仏は多く供養を受けたまはんがゆゑに、法まさに疾く滅すべし」と。{云々}
如来なほしかり。 いかにいはんや凡夫をや。 大象窓を出づるに、つひに一の尾のために礙へらる。 行人家を出でたれども、つひに名利のために縛せらる。 すなはち知りぬ、出離の最後の怨は、名利より大なるものはなし。 ただ浄名大士(維摩詰)は、身は家にあれども心は家を出で、薬王の本事は、塵寰を避りて雪山に居せり。 いまの世の行人もまたかくのごとくすべし。 みづから根性を料りて、これを進止せよ。 もしその心を制することあたはずは、なほすべからくその地を避るべし。 麻のなかの蓬、屠辺の廏、好悪いづれにかよれるや。 [『仏蔵経』を見て是非を知るべし。]  
第二に、 総じて諸業を結ぶというのは、 慧遠法師が浄土往生の因の要を明かしているのに、 四つある。
一つには、 観を修めて往生する。 十六観のようなものである。 二つには、 業を修めて往生する。 三福業のようなものである。 三つには、 心を修めて往生する。 至誠心などの三心である。 四つには、 帰依して往生する。 浄土の事を聞いて帰依し、 正念し、 讃嘆するなどである。
今、 私見を出すと、 諸経に説かれている行業は、 総じて言うならば、 «梵網経» の戒品を出るものではなく、 別して論ずるならば、 六度の行を出ないのである。 さらにくわしくその相を明かすならば十三となる。 一つには、 財物を与え、 法を説くなどの布施。 二つには三帰・五戒・八戒・十戒などの多くの戒行。 三つには忍辱。 四つには精進。 五つには禅定。 六つには般若。 第一義(真如の理)を信ずるなどがこれである。 七つには菩提心を発す。 八つには六念を修行する。 仏・法・僧・戒・施・天を念ずるのを六念という。 十六想観も、 また、 これを出でぬ。 九つには大乗の経典を読誦する。 十には仏法を守護する。 十一には父母に孝順し、 師長に事つかえる。 十二には憍慢を生じない。 十三には利養に染まないことである。
«大集経» の月蔵分の偈に説かれている。
樹の実が繁ると速く 自ら枯れるように 竹や芦が実を結ぶのもまたそのとおりである
驢馬がはらめば みずから身を喪うように 無智の者が利を求めることもまたこのとおり
比丘がもし供養を受けて 利養を求めて着とらわれるならば
世に これ以上の悪はなく かくて解脱さとりの道を得させない
このように利養を貪る者は すでに道を得ても またふたたび失う
また «仏蔵経» に、 迦葉仏が、 預あらかじめ説かれている。
釈迦牟尼仏は、 多く供養を受けるから、 その教法ははやく滅ぶであろう。 以上
如来の上においてさえ、 このような次第であるから、 まして凡夫にあっては、 いうまでもないことである。 大きな象が窓から出ようとして、 ついに、 ただ一つの尾のために妨げられ、 行者が家を捨てても、 ついに、 名聞利養のために縛られるということがある。 そこで、 この迷いの世界から出離する最後の窓は、 名聞利養より大きなものはないことが知られる。 ただ、 維摩居士は、 身は家に在っても、 心は家を出ており、 薬王菩薩は、 その前生に世塵を避けて雪山に居られた。 今の世の行者もまた、 このようにあるべきである。 みずから、 その根機をはかってふるまうべきである。 もし、 その心を制することができなければ、 やはりその地を避けるべきである。 麻の中に生えている蓬は自然と真直ぐになり、 屠所の辺につながれた象は気が荒くなるという。 その好くなったり、 悪くなったりするのは何に由るのであろうか。 «仏蔵経» を見て、 その是非を知るべきである。 
第十 問答料簡
【70】 
大文第十に、問答料簡といふは、略して十の事あり。 一には極楽の依正、二には往生の階位、三には往生の多少、四には尋常の念相、五には臨終の念相、六には粗心の妙果、七には諸行の勝劣、八には信毀の因縁、九には助道の資縁、十には助道の人法なり。 
大文第十に問答料簡というのは、 略して十となる。 第一には極楽の依正、 第二には往生の階位、 第三には往生の多少、 第四には尋常の念相、 第五には臨終の念相、 第六には粗心の妙果、 第七には諸行の勝劣、 第八には信毀の因縁、 第九には助道の資縁、 第十には助道の人法である。 
 

 

■極楽依正
【71】 
第一に極楽の依正といふは、問ふ、阿弥陀仏の極楽浄土は、これいづれの身、いづれの土ぞや。
答ふ。
天台(智)のいはく(観経天台疏・意)、「応身の仏、同居の土なり」と。 遠法師(浄影寺慧遠)のいはく、「これ応身・応土なり」と。 綽法師(道綽)のいはく、「これ報仏・報土なり。 古旧等、あひ伝へて、みな〈化土・化身なり〉といふ。 これを大きに失せりとなす。
『大乗同性経』によりていはく、〈浄土のなかにして成仏するものは、ことごとくこれ報身なり。 穢土のなかにして成仏するものは、ことごとくこれ化身なり〉と。 またかの『経』(同)にのたまはく、〈阿弥陀如来・蓮華開敷星王如来・竜主如来・宝徳如来等の、もろもろの如来の清浄の仏刹にして、現に得道するもの、まさに得道すべきもの、かくのごとき一切はみなこれ報身の仏なり。 何者か如来の化身とならば、なほ今日の踊歩健如来・魔恐怖如来等のごときなり〉」と。 [以上『安楽集』(上・意)。]
問ふ。 かの仏成道したまひて、すでに久如しとかせん。
答ふ。
諸経に「十劫」とのたまひ、『大阿弥陀経』(上)には「十小劫」とのたまひ、『平等覚経』(一)には「十八劫」とのたまひ、『称讃浄土経』には「十大劫」とのたまへり。 邪正、知りがたし。 ただ『双巻経』(大経)の憬興師の『疏』(述文賛)に、『平等経』を会していはく、「十八劫とは、それ小の字の、そのなかの点を闕せるなり」と。
問ふ。 未来の寿はいくばくぞ。
答ふ。
『小経』に、「無量無辺阿僧祇劫」とのたまへり。 『観音授記経』(意)にのたまへり、「阿弥陀仏の寿命、無量百千億劫にして、まさに終極あるべし。 仏涅槃の後に、正法の世に住すること、仏の寿命に等しからん。 善男子、阿弥陀仏の正法の滅して後に、中夜の分を過ぐして明相の出づる時に、観世音菩薩、菩提樹下にして等正覚を成じ、普光功徳山王如来と号せん。 その仏の国土には、声聞・縁覚の名あることなからん。 その仏の国土を、衆宝普集荘厳と号せん。 普光功徳如来涅槃したまひて、正法の滅して後に、大勢至菩薩、すなはちその国にして成仏し、善住功徳宝王如来と号せん。 国土・光明・寿命、乃至、法の住すること、等しくして異なることあることなからん」と。
問ふ。 『同性経』には「報身」とのたまひ、『授記経』には「入滅」とのたまふ。 二の経の相違、諸師いかんが会する。
答ふ。
綽禅師(道綽)、『授記経』を会していはく(安楽集・上)、「これはこれ報身の、隠没の相を現ずるなり。 滅度にはあらず」と。 迦才、『同性経』を会していはく(浄土論)、「浄土のなかにして仏になるを判じて報となすことは、これ受用事身なり。 実の報身にはあらず」と。
問ふ。 何者をか正となすや。
答ふ。
迦才のいはく(浄土論)、「衆生の起行にすでに千殊あれば、往生して土を見ることまた万別あるなり。 もしこの解を作らば、諸経論のなかに、あるいは判じて報となし、あるいは判じて化となすこと、みな妨難なし。 ただ諸仏の修行、つぶさに報化の二の土を感ずることを知れ。 『摂論』のごときには〈加行は化を感ず、正体は報を感ず〉といへり。 もしは報、もしは化、みな衆生を成就せんと欲すなり。 これすなはち、土は虚しく設けず、行は空しく修せず。 ただ仏語を信じて、経によりて専にして念ずれば、すなはち往生することを得。 またすべからく報と化とを図度るべからず」と。 {以上}この釈、善し。 すべからくもつぱらにして称念すべし。 労しく分別することなかれ。
問ふ。 かの仏の相好、なにをもつてか不同なる。
答ふ。
『観仏経』に、諸仏の相好を説きてのたまはく、「人の相に同ずるがゆゑに三十二と説き、もろもろの天に勝れたるがゆゑに八十の好と説く。 もろもろの菩薩のためには、八万四千のもろもろの妙相好を説く」と。 {以上}かの仏これに准へよ。
問ふ。 『双巻経』(大経・上)にのたまはく、「かの仏の道樹は高さ四百万里なり」と。 『宝積経』にのたまはく、「道樹の高さ十六億由旬なり」と。 『十往生経』にのたまはく、「道樹の高さ四十万由旬なり。 樹下に獅子座あり、高さ五百由旬なり」と。 『観経』にのたまはく、「仏の身量、六十万億那由他恒河沙由旬なり」と。 {云々}樹と座と仏身と、なんぞあひ称はざる。
答ふ。
異解不同なり。 あるいは釈すらく、「仏の境界は大小あひ礙へず」と。 あるいは釈すらく、「応仏に寄せて樹量を説き、真仏に寄せて身量を説く」と。 また多くの釈あり。 つぶさに述ぶべからずと。
問ふ。 『華厳経』(意)にのたまはく、「娑婆世界の一劫を極楽国の一日一夜となす」と等いへり。 {云々}これによりてまさに知るべし、上品中生の、宿を経て華開くるは、この間の半劫に当れり。 乃至、下下生の十二劫は、この間の恒河沙塵数の劫に当れり。 なんぞ極楽と名づけん。
答ふ。
たとひ恒沙劫を経て蓮華開けずとも、すでに微しき苦なし、あに極楽にあらずや。 『双巻経』(大経・下)にのたまふがごとし、「その胎生のものの処するところの宮殿は、あるいは百由旬、あるいは五百由旬なり。 おのおのそのなかにしてもろもろの快楽を受くること、忉利天のごとし」と。 {以上}ある師のいはく、「胎生は、これ中品・下品なり」と。 ある師はいはく、「九品に摂せざるところなり」と。 異説ありといへども快楽は別ならず。 いかにいはんや、かの九品の経るところの日時を判ずること、諸師不同なるをや。 懐感・智憬等の諸師は、かの国土の日夜劫数なりと許すは、まことに責むるところに当れり。 ある師のいはく、「仏、この土の日夜をもつて、これを説きて、衆生をして知らしめたまふ」と。 {云々}いまいはく、後の釈、失なし。 しばらく四の例をもつて助成せん。
一には、かの仏の身量、そこばく由旬といふは、かの仏の指分をもつて、畳ねてかの由旬となせるにあらず。 もししからずは、須弥山のごとき長大の人の、一毛端をもつて、その指の節となさんに似たるべし。 ゆゑに知りぬ、仏の指の量をもつて仏身の長短を説かずといふことを。 なんぞかならずしも、浄土の時剋をもつて華の開くる遅速を説かんや。 二には、『尊勝陀羅尼経』に説くがごとし。 「忉利天上の善住天子、空の声の告ぐるを聞くに、〈なんぢ、まさに七日ありて死ぬべし〉と。 時に天帝釈、仏の教勅を承けて、かの天子をして七日勤修せしむ。 七日を過ぎて後に、寿命延ぶることを得たり」と。{取意}
これはこれ、人中の日夜をもつて説けるなり。 もし天上の七日によらば、人中の七百歳に当れり。 仏世の八十年のうちに、その事を決了すべきにあらず。 九品の日夜もまたこれに同じかるべし。 三には、法護所訳の『経』にのたまはく、「胎生の人は、五百歳を過ぎて仏を見たてまつることを得」と。
『平等覚経』(三)にのたまはく、「蓮華のなかに化生して、城のなかにあり。 この間の五百歳にして、出づることを得ることあたはず」と。 {取意}憬興等の師、この文をもつて、この方の五百歳なりといふことを証す。 いまいはく、かの胎生の歳数、すでにこの間によりて説く。 九品の時剋、なんの別義ありてか、かれに同じからざらんや。 四には、もしかの界によりて九品を説けりとせば、上品中生の一宿、上品下生の一日一夜は、すなはちこの界の半劫・一劫に当れり。 もししかなりと許さば、胎生の疑心のものすら、なほ娑婆の五百歳を経て、すみやかに仏を見たてまつることを得るに、上品の信行のもの、あに半劫・一劫を過ぎて、遅く蓮華を開かんや。 この理あるがゆゑに、後の釈は失なし。
問ふ。 もしこの界の日夜の時剋をもつてかの相を説かば、かの上上品は、かの国に生れをはりて、すなはち無生法忍を悟るべからず。 しかる所以は、この界の少時の修行をば勝れたりとなし、かの国の多時の善根をば劣なりとなす。 すでにしからば、上上品の人は、この世界にして、一日より七日に至るまで、三福業を具足するに、なほ無生法忍を証することあたはざりき。 いかんぞ、かしこに生れて、法を聞きてすなはち悟らんや。 ゆゑに知りぬ、かの国土の長遠の時剋を経て、無生忍を悟るなり。 しかも、かしこに約して、すなはち悟ると名づくるも、ここに望むれば、すなはち億千歳なり。 あるいは上上の人は、かならずこれ方便の後心の行、円満せるものなるべし。 もししからずは、諸文桙楯せん。
答ふ。
いまだ、かの国の多善は劣なり、この界の少善は勝れたりといふことを知らず。
問ふ。 『双巻経』(大経・下)に説かく、「ここにして広く徳本を殖ゑ、恩を敷き恵を施し、道禁を犯することなく、忍辱し、精進し、一心し、智慧ありて、うたたあひ教化して、善を立し、意を正しくし、斎戒清浄にして一日一夜すれば、無量寿仏の国にありて、善をなすこと百歳するに勝れたり。 所以はいかん。 かの仏国土は無為自然にして、みなもろもろの善を積みて毛髪の悪もなし。 ここにして善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏の国のなかにして善をなすこと千歳するに勝れたり」と。 {以上}これその勝劣なり。
答ふ。
二界の善根を剋対するにはしかるべし。 しかも、値仏の縁勝れたれば、すみやかに悟るに失なし。 あるいはこの『経』(大経・下)は、ただ修行の難易を顕し、善根の勝劣を顕すにはあらず。 たとへば、貧賤なるものの一銭を施するをば、称美すべしといへども、しかも衆事を弁ぜず、富貴の千金を捨つるは称すべからずといへども、しかもよく万事を弁ずるがごとし。 二界の修行もまたかくのごとし。 『金剛般若経』(意)にのたまへるがごとし。 「仏世にして信解するをば、いまだ勝れたりとなすに足らず。 滅後をば勝れたりとなす」と。 あるいは余の義あり。 委曲することあたはず。
問ふ。 娑婆の行因に随ひて、極楽の階位に別あるがごとく、所感の福報もまた別ありや。
答ふ。
大都は別なきも、細分は差あり。 『陀羅尼集経』の第二にのたまふがごとし。 「もし人、香華・衣食等をもつて供養せざるものは、かの浄土に生れたりといへども、しかも香華・衣食等の種々の供養の報を得ず」と。 [この文は、かの仏の本願に違へり。 さらにこれを思釈せよ。 ]玄一師・因法師、同じくいはく、「実に約して論ずれば、また勝劣あり。 しかもその状相似せるがゆゑに好醜なしと説く」と。
問ふ。 極楽世界は、ここを去ることいくばくぞ。
答ふ。
『経』にのたまはく、「ここより西方に、十万億の仏土を過ぎて極楽世界あり」と。 ある『経』(称讃浄土経)にのたまはく、「これより西方に、この世界を去ること百千倶胝那由他の仏土を過ぎて仏の世界あり。 名づけて極楽といへり」と。
問ふ。 二の経、なんがゆゑぞ不同なる。
答ふ。
『論』(浄土論)の智光の『疏』の意にいはく、「倶胝といふは、ここには億となす。 那由他といふは、この間の垓の数に当れり。 世俗にいはく、十の千を万といひ、十万を億といひ、十億を兆といひ、十兆を経といひ、十経を垓といふ。 垓はなほこれ大数なり。 百千倶胝はすなはち十万億なり。 億に四の位あり。 一には十万、二には百万、三には千万、四には万万なり。 いま億といふはすなはちこれ万万なり。 この義を顕さんがために那由他を挙ぐ」と。 {以上}この釈思ふべし。
問ふ。 かの仏の所化はただ極楽とやせん、また余ありとやせん。
答ふ。
『大論』(大智度論)にいはく、「阿弥陀仏にもまた厳浄・不厳浄の土あること、釈迦文のごとし」と。
問ふ。 なんらかこれなるや。
答ふ。
極楽世界はすなはちこれ浄土なり。 しかも、その〔阿弥陀仏の〕穢土はいまだいづれの処なるかを知らず。 ただし道綽等の諸師、『鼓音声経』の所説の国土をもつてかの穢土となす。 かの『経』(同)にのたまふがごとし。 「阿弥陀仏は声聞とともなり。 その国を号して清泰といふ。 聖王の住むところなり。 その城は縦広十千由旬なり。 なかにおいて刹利の種を充満せり。 阿弥陀仏・如来・応・正遍知の父を月上転輪聖王と名づく。 その母を名づけて殊勝妙顔といふ。 子を月明と名づく。 奉事の弟子を無垢称と名づく。 智慧の弟子を名づけて攬光といふ。 神足精勤のものを名づけて大化といふ。 その時の魔王を名づけて無勝といふ。 提婆達多あり、名づけて寂といふ。 阿弥陀仏、大比丘六万の人とともなり」と。
問ふ。 かの仏の所化は、ただ極楽・清泰との二の国とのみやせん。
答ふ。
教文は、縁に随ひてしばらく一隅を挙ぐ。 その実処を論ずれば不可思議なり。 『華厳経』の偈にのたまふがごとし。
「菩薩もろもろの願海を修行して、あまねく衆生の心の所欲に随ふ。衆生の心行広くして無辺なれば、菩薩の国土も十方に遍せり」と。またのたまはく(華厳経)、「如来出現したまひて十方に遍し、一々の塵のなかに無量の土あり。そのなかの境界また無量なるに、ことごとく無辺無尽の劫に住したまふ」と。
問ふ。 如来の施化は、事孤り起りたまはず。 かならず機縁に対す。 なんぞ十方に遍する。
答ふ。
広劫に修行して無量の衆を成就したまへり。 ゆゑにかの機縁、また十方の界に遍せり。 『華厳』の偈にのたまふがごとし。
「往昔に勤修したまふこと多劫海にして、よく衆生の深重の障を転じたまへり。ゆゑによく身を分つこと十方に遍して、ことごとく菩提樹王の下に現じたまふ」と。 
第一に、 極楽の依正とは、
問う。 阿弥陀仏とその極楽浄土は、 どういう仏身と、 どういう仏土とであるか。
答える。 天台大師がいわれている。 («観経疏» の意)
応身の仏であり、 凡夫と聖者とが一緒に居る国土 (凡聖同居土) である。
慧遠法師がいわれている。 («大経諸»・«観経疏» の意)
応身であり、 応土である。
道綽法師がいわれている。
報仏であり報土である。 昔から伝えて、 みな 「化土であり化身である」 というが、 これは大きな誤りである。 «大乗同性経» によると 「浄土で成仏される仏は、 すべて報身であり、 穢土で成仏される仏は、 すべて化身である」 といわれてある。 またかの経には 「阿弥陀如来・蓮れん華げ開かい敷ふ星しょう王おう如来・竜りゅう主しゅ如来・宝徳ほうとく如来など、 もろもろの仏たちの清浄なる仏国において、 現にさとりを得られている方や、 またまさにさとりを得べき方、 このようなすべての仏はみな報身の仏である。 どういうのが化身であるかというと、 あたかも今日の踊ゆう歩ぶ健ごん如来や魔ま恐怖くふ如来などのような仏たちである」 と説かれてある。 以上。 «安楽集» に依る。
問う。 かの阿弥陀仏は、 成道したもうてから、 もう久しい時間がたったのかどうか。
答える。 諸経には、 多く十劫といい、 «大阿弥陀経» には十小劫といい、 «平等覚経» には十八劫といい、 «称讃浄土教» には十大劫という。 どれが正しいのか、 よく分らない。 けれども «無量寿経» の憬興師の疏 (無量寿経連義述文賛) には、 «平等覚経» の十八劫という説を解釈していう。
十八劫の 「八」 というのは、 考えてみると 「小」 の字の書き誤りで、 その中の点を欠いたものであろう。
問う。 阿弥陀如来の未来の寿命はどれほどであるか。
答える。 «阿弥陀経» に説かれている。
無量無辺、 阿僧祇劫である。
«観音授記経» に説かれている。
阿弥陀仏の寿命は、 無量百千億劫であるが、 その終極があるはずである。 仏が入滅したもうて後、 正法が世に住まることは仏の寿命と等しいであろう。 善男子よ、 この阿弥陀仏の正法が滅んで後、 夜中を過ぎて夜が明ける時、 観世音菩薩は菩提樹の下でさとりをひらいて、 普ふ光こう功く徳どく山王せんおう如来と号するであろう。 その仏の国土には、 声聞や縁覚の名もない。 その仏の国土を、 衆宝しゅほう普ふ集じゅう荘しょう厳ごんと号するであろう。 この普光功徳如来が入滅せられ、 正法が滅んだ後、 大勢至菩薩はただちに、 その国で成仏し、 善ぜん住じゅう功く徳どく宝王ほうおう如来と号するであろう。 その国土・光明・寿命、 さては正法の住まることは、 等しくて異なることはないであろう。
問う。 «大乗同性経» には 「報身」 といい、 «観音授記経» には 「入滅する」 という。 この二経の相違を諸師は、 どのように矛盾なく解釈しているか。
答える。 道綽禅師は «観音授記経» を解釈していわれている。
これは、 如来の報身が、 隠没おかくれの相すがたをあらわされるのであって、 実の入滅ではない。
迦才は «大乗同性経» を解釈していわれている。
浄土での成仏を報身と判定するのは、 受用身であって、 実の報身ではない。
問う。 どちらを正しいとするのか。
答える。 迦才がいわれる。
人々の修行には、 すでに千差があるから、 往生して仏土を見るにも、 また万別あるわけである。 もし、 このような解釈をするならば、 諸の経や論の中に、 あるいは報と判定したり、 あるいは化と判定したりしても、 皆妨げはない。 ただし、 諸仏の修行は、 具さに報と化の二土を感得するということを知るべきである。 «摂大乗論» の釈に 「前方便の行 (加行) は化を感じ、 証を得るための正しき行 (正体) は報を感ずる」 というとおりである。 報であっても、 化であっても、 皆、 人々を救い遂げたいと思われるのである。 つまり仏土は虚いたずらに設けず、 行は空しく修するのではないのである。 ただ、 仏の語を信じ、 経にしたがって専ら念ずれば、 往生することができるのである。 したがって、 報と化とを詮索することは、 いらぬことである。 以上
この迦才の釈は善い。 専ら称念すべきであって、 苦労してかれこれと分別しないようにせよ。
問う。 かの阿弥陀仏の相好は、 どうして同一でないのか。
答える。 «観仏三昧経» に、 諸仏の相好を説いていわれている。
人間の相に同ずるために、 三十二相と説き、 諸の天人の相好に勝れていることを示すために八十好と説く。 諸の菩薩のためには八万四千の諸の妙なる相好と説くのである。 以上
かの阿弥陀仏の相好の不同についても、 これに準じて知るべきである。
問う。 «無量寿経» には、
かの仏の菩提樹は、 高さ四百万里である。
といい、 «宝積経» には、
菩提樹は高さ十六億由旬である。
といい、 «十往生経» には、
菩提樹の高さ四十万由旬で、 樹の下に獅子座があり、 その高さは五百由旬である。
といい、 «観経» には、
仏身の高さは、 六住万億那由他恒河沙由旬である。
などと説かれている。 菩提樹と仏座と仏身と、 どうしてつりあわないのか。
答える。 いろいろな解釈があって不同である。 あるいは 「仏の境界は、 大小ともに互いに礙さまたげない」 と釈し、 あるいは 「応身仏の場合として樹の高さを説き、 真仏の場合として仏身の高さを説く」 と釈する。 そのほか多くの解釈があるが、 詳しく述べることはできない。
問う。 «華厳経» に 「娑婆世界の一劫を、 極楽国の一日一夜とする」 などと説かれている。 これによって上品中生の人が、 一夜を経て蓮華が開くというのは、 この娑婆の半劫に相当するのであり、 さては、 下品下生の人が十二劫に至るというのは、 この娑婆の恒河沙の微塵劫に相当することになることが知られる。 これではどうして極楽と名づけられようか。
答える。 たとい恒河沙劫を経るまで、 蓮華が開けなかったとしても、 もはやわずかな苦もないのであるから、 どうして極楽でないことがあろうか。 «無量寿経» に説かれているとおりである。
その胎生の人たちのいる宮殿は、 あるいは百由旬、 あるいは五百由旬というような大きさであって、 各自がその中でいろいろの楽しみを受けていることは忉利天のようである。 以上
ある師がいう。
胎生とは、 中品と下品とである。
ある師がいう。
胎生は、 九品には摂めないのである。
このように異説があるけれども、 そのうける快楽には変わりがない。 ましてかの九品の経る日時を判定することについては、 諸師の説は不同であるから、 なおさらのことである。 懐感や智憬などの諸師が、 かの国土の日夜・劫数であると認める立場からいえば、 まことに疑問の起こるのは当然である。 しかし、 ある師が言う。
仏は、 この娑婆世界の日夜で、 これを説いて、 人々に知らしめたもうのである。 下略
いま、 私が考えるには、 この最後の解釈には失とががないのである。 しばらく四条を挙げて、 これを助釈してみよう。
一つには、 かの阿弥陀仏の実の高さが若干由旬であるというのは、 かの仏の指の長さをかさねて、 かの由旬としたのではない。 もし、 そうでないならば、 須弥山のように長たけの高い人が、 一毛の端を、 その指の節とするに似たようなものであろう。 それゆえ、 仏の指の長さで仏身の高さを説いたのではないということがわかる。 したがって、 必ずしも、 浄土の時間で蓮華の開く遅い速いを説いたとはいわれない。
二つには、 «尊勝陀羅尼経» に説いてあるとおりである。
忉利天上の善住天子は、 空中の声に 「そなたは、 七日を過ぎると死ぬであろう」 と告げるのを聞いた。 その時、 帝釈天が、 仏のお指図をうけて、 かの天子に、 七日の間、 修行させたところ、 七日を過ぎて後に、 その寿命が延びることができたのである。 意味を取った。
これは、 人間世界の日夜で説いたのである。 もし、 天上界の七日に依るならば、 人間世界では七百年に当るから、 釈迦仏が世におられた八十年の間では、 そのことが決定しないであろう。 九品の日夜も、 またこれと同様であろう。
三つには、 法護が訳した経 (今の康僧鎧訳の «無量寿経») に説かれている。
胎生の人は、 五百年を過ぎて、 仏を見たてまつることができる。
«平等覚経» に説かれている。
蓮華の中に化生して、 城の中にいる。 この娑婆での五百年の間は出ることができない。 意味を取った。
憬興などの諸師は、 この文によって、 この娑婆世界の五百年であることを証している。 いま、 考えてみると、 かの胎生の年数を、 すでに、 この娑婆の年数によって説いてあるとするならば、 九品の時間は、 どういう特別の理由から、 かの胎生の場合と異なるとするのであろうか。
四つには、 もし、 かの極楽世界の時間によって、 九品を説いたのであるとするならば、 上品中生の一夜、 上品下生の一日一夜は、 この娑婆世界の半劫と一劫に相当することになる。 もし、 そういう事を認めるならば、 胎生の疑心の者でさえも、 なお娑婆世界での五百年を経て、 速やかに仏を見たてまつることができるのに、 上品の信行の者が、 どうして、 半劫や一劫を過ぎて、 遅く蓮華が開けるのであろうか。 こういう道理があるから、 後の解釈は失とががないのである。
問う。 もし、 この娑婆世界の日夜の時間で、 かの九品の相を説いたのであるとするならば、 かの上上品の人は極楽国に生まれて、 ただちに無生法忍を悟るはずはない。 その理由は、 この娑婆世界でのわずかの間の修行を勝れたものとし、 かの極楽国での長い間の善根を劣ったものとするからである。 すでに、 そうであるとすると、 上上品の人は、 この世界にあって、 一日から七日に至るまで、 三福の業を具えても、 なお無生法忍を証ることができないのに、 どうして、 かの極楽国に生まれ、 法を聞いて、 ただちに悟ることができようか。 そこで、 かの国土の長い時間を経て無生法忍を悟るのであるということがわかるのである。 そうすると、 かの極楽国での立場からただちに悟ると名づけても、 この娑婆世界に対照してみると、 億千歳となるのである。 あるいは、 上上品の人は、 必ず方便位の最後心の行 (無生法忍の直前の位) の円満した者であるといってよかろう。 もしそうでなければ、 多くの文が矛盾するであろう。
答える。 かの極楽国の多善は劣り、 この娑婆世界の少善が勝れているということは、 まだよくわからない。
問う。 «無量寿経» に説いている。
この世において、 ひろく徳のもとを積んで、 恵みを施し、 戒めを犯さず、 よく耐え忍び、 努め励み、 心を静め、 智慧をみがき、 またそれを人にも教えて善根功徳を修めるがよい。 心を正しくして浄らかに斎戒を守ることが、 わずか一昼夜であっても、 それは無量寿仏の国で、 百年間善を修めるよりも、 一層まさるといえよう。 なぜなら、 かの国は無為自然の境界であって、 努めなくても、 おのずから多くの善根を積むことができ、 少しも悪のない所だからである。 また、 この世界で、 中夜十日間善を修めたなら、 他方の諸仏の国で、 千年間善を修めたよりも、 さらにまさるといえよう。 以上
この文が、 その勝劣を示すのである。
答える。 極楽と娑婆との二つの世界における善根は、 厳密に対照すれば、 そうでもあろう。 けれども、 仏に値いたてまつる縁が勝れているから、 速やかに悟るとしても、 決して失とがはない。 あるいは、 この «無量寿経» は、 ただ修行の難易を顕わしただけであって、 善根の勝劣を顕わしたものではない。 譬えば、 貧賎の者が、 一銭を施すのは、 称ほめるべきであるけれども、 それで多くの事をまかなうことはできない。 富貴の者が、 千金を捨てるのは、 称めるほどではないけれども、 よくよろずの事をまかなうことができるようなものである。 極楽世界と娑婆世界とにおける修行の場合も、 またこのようである。 «金剛般若経» に説かれているとおりである。
仏の在世にあって信解するのは、 まだ勝れたものとするには足らぬ。 仏のなくなられた後の信解を勝れたものとするのである。
あるいは、 その他の解釈もあるけれども、 これを詳しく述べることができない。
問う。 娑婆世界における修行の因たねにしたがって、 極楽世界における階位に差別があるように、 その得るところの福徳の報いにも、 また差別があるのか。
答える。 だいたいは差別がないけれども、 細かい点では差別がある。 «陀羅尼集経» の第二巻に説かれているとおりである。
もし、 人があって、 香華・衣食などを供養しなければ、 かの浄土に生まれても、 香華・衣食などのいろいろの供養の報いを得ない。 この文は、 かの仏の因位の願に相違する。 更に、 よく思い考えるべきである。
また、 玄一師と因法師とは、 同じくいわれている。
その実について論ずるならば、 また勝劣もある。 けれども、 その状かたちが相似ているから、 好醜はないと説くのである。
問う。 極楽世界は、 この娑婆世界を去ること、 どれほどの所であるか。
答える。 «阿弥陀経» に説かれている。
これより西の方、 十万億の諸仏の国々を過ぎたところに、 極楽世界がある。
ある経 (称讃浄土教) に説かれている。
これより西の方に、 この娑婆世界を去ること、 百千倶胝那由他の仏土を過ぎて、 仏の世界がある。 名づけて極楽という。
問う。 この二経は、 どういうわけで異なるのか。
答える。 «往生論» についての智光の «疏» の意にいわれている。
倶胝とは、 漢訳して億とする。 那由他とは、 この国では欬がいの数に当たるのである。 世俗には、 十千を万といい、 十万を億といい、 十億を兆といい、 十兆を経けいといい、 十経を欬という。 欬というのもやはり大数である。 百千倶胝とは、 すなわち、 十万億である。 億には四種類の位取りがあって、 一つには十万、 二つには百万、 三つには千万、 四つには万万である。 いま億というのは万万にほかならない。 この意味を顕わそうとして、 那由他と挙げたのである。 以上
この解釈によって思うべきである。
問う。 かの阿弥陀仏が教化したもう場所は、 ただ極楽だけとするのか。 また、 その他にもあるとするのか。
答える。 «大智度論» にいわれている。
阿弥陀仏にも、 また、 浄土と浄土でない国土とがあることは、 ちょうど釈迦牟尼仏の国土と同じである。
問う。 いったい、 どれがそうなのか。
答える。 極楽世界が、 いうまでもなく浄土である。 けれども、 阿弥陀仏の穢土が、 どこであるかは分らない。 ただし、 道綽禅師などの諸師は、 «鼓音声経» に説いてある国土を阿弥陀仏の穢土としている。 かの経に説かれているとおりである。
阿弥陀仏は声聞たちと一緒におられる。 その国を清しょう泰たい国という。 聖王の住まれている所である。 その城の広さは十千由旬で、 その中に王族の人たちが満ちている。 阿弥陀如来の父を月がつ上じょう転輪てんりん聖じょう王おうと申しあげる。 その母を殊しゅ勝しょう妙みょう顔げんと申しあげる。 子を月がつ明みょうと名づけ、 お仕えする弟子を無垢むく称しょうという。 智慧ある弟子を攬光らんこうといい、 神足通をもって勤める弟子を大だい化けという。 その時の魔王を無む勝しょうといい、 提婆達多があって、 寂静じゃくじょうと名づける。 阿弥陀仏は、 六万人の大比丘とともにましますのである。
問う。 かの阿弥陀仏が教化したもう所は、 ただ極楽と清泰との二国だけであるのか。
答える。 経典の文は、 それぞれの機縁にしたがって、 しばらく一端を挙げられているのにすぎない。 その実際の場合を論ずると不可思議である。 «華厳経» の偈に説かれているとおりである。
菩薩が諸の願界を修行せられるのは 普く衆生の心の願いにしたがう
衆生の心は広くて辺かぎりがないので 菩薩の国土も十方に遍くゆきわたる
また説かれている。
如来は十方に遍く出現され 一々の塵の中に無量の国がある
その中の世界もまた量りなく 悉く無辺無尽の永劫に住みたもう
問う。 如来が教化を施したもうことは、 ひとりで起こるものではなく、 かならず機縁に対するのである。 どうして遍く十方にゆきわたるのか。
答える。 永劫に修行して、 無量の衆生を教化することを成就したもうから、 その機縁も、 また十方世界にゆきわたるのである。 «華厳経» の偈に説かれているとおりである。
その昔勤修することが多劫であって よく衆生の重い障りを転ぜられた
それ故 よく身を分けて十方に遍く 悉く菩提樹の下に現われたもう 
■往生階位
【72】 
第二に往生の階位といふは、問ふ、『瑜伽論』(意)にいはく、「三地の菩薩、まさに浄土に生る」と。 いま地前の凡夫・声聞を勧むるに、なんの意かある。
答ふ。
浄土に差別あるがゆゑに過あることなし。 感師(懐感)の釈(群疑論・意)にいふがごとし。 「もろもろの経論の文に、浄土に生ずることを説くに、おのおの一の義によれり。 浄土すでに粗妙・勝劣あれば、生ずることを得ることもまた上下階降あり」と。 また道宣律師のいはく、「三地の菩薩、はじめて報仏の浄土を見る」と。
問ふ。 たとひ報土にあらずとも、惑業重きもの、あに浄土を得んや。
答ふ。
天台(智)ののたまはく(維摩経略疏・意)、「無量寿の国は果報殊勝なりといへども、臨終の時に懺悔し念仏すれば、業障すなはち転じて、すなはち往生を得。 惑染を具せりといへども、願力をもつて心を持ちて、また〔浄土に〕居することを得」と。
問ふ。 もし凡夫また往生することを得と許さば、『弥勒問経』をいかんが通会せん。 『経』(同)にのたまはく、「仏を念ずるは凡愚の念にあらず。 結使を雑せずして、弥陀仏国に生るることを得」と。
答ふ。
『西方要決』に釈していはく、「娑婆は苦なりと知りて永く染界を辞するは、すなはち薄浅の汎にあらず。 当来に仏に作りて、意もつぱら広く、法界の衆生を度せんとす。 この勝解あるがゆゑに愚ならず。 正念する時に結使眠伏す。 ゆゑに結使の念を雑へずといふ」と。 {略抄}意のいはく、凡夫の行人の、この徳を具せるなり。
問ふ。 かの国の衆生はみな不退転なり。 あきらかに知りぬ、これ凡夫の生処にあらずといふことを。
答ふ。
いふところの不退とは、かならずしもこれ聖の徳にあらじ。 『要決』(西方要決)にいふがごとし。 「いま不退を明かすに、その四種あり。 『十住毘婆沙』にいはく、〈一には位不退、すなはち因を修すること万劫ありて、また、悪律儀の行に退堕し生死に流転せざるなり。 二には行不退、すでに初地を得て、利他の行退せざるなり。 三には念不退、八地以去は無功用にして、意に自在を得るがゆゑに。 四には処不退、文証なしといへども、理に約してもつて成ず。 いかんとならば、天のなかに果を得れば、すなはち不退を得るがごとく、浄土またしかなり。 命長くして病なく、勝れたる侶と提携し、純正にして邪なく、ただ浄にして染なく、つねに聖尊に事へまつる、この五の縁によりてその処に退くことなし〉」と。 {以上略抄}
問ふ。 九品の階位、異解不同なり。 遠法師(浄影寺慧遠)のいふがごとし。 「上が上生は四・五・六地なり。 上が中生は初・二・三地なり。 上が下生は地前の三十心なり」と。 力法師のいはく、「上上は行・向なり、上中は十解なり、上下は十信なり」と。 基師のいはく、「上上は十回向、上中は解行なり、上下は十信なり」と。 あるがいはく、「上上は十住の初心なり、上中は十信の後心なり、上下は十信の初位なり」と。 あるがいはく、「上上は十信および以前の、よく三心を発して、よく三行を修するものなり。 上中・上下は、ただ十信以前の、菩提心を発して、善を修する凡夫を取る。 起行の浅深により、もつて二品を分つ」と。
諸師の所判の不同なる所以は、無生忍の位の不同なるをもつてのゆゑなりと。 『仁王経』には、無生忍は七・八・九地にあり。 諸論には、初地にあるいは忍位にあり。 『本業瓔珞経』には、十住にあり。 『華厳経』には、十信にあり。 『占察経』には、一行三昧を修して相似の無生法忍を得るものを説けり。 ゆゑに諸師おのおの一の義によるなり。 中品の三生は、遠(浄影寺慧遠)のいはく、「中上はこれ前三果なり、中中はこれ七方便なり、中下はこれ解脱分の善を種ゑたる人なり」と。 力法師これに同じ。 基法師のいはく、「中上は四善根、中中は三賢、中下は方便の前の人なり」と。 あるがいはく、「次いでのごとく、忍・頂・煖なり」と。 あるがいはく、「三生はならびにこれ解脱分の善根を種ゑたる人なり」と。 [以上六品にまた余の釈あり。 感禅師(懐感)の『論』(群疑論)、龍興の『記』(観無量寿経記)等に見えたり。]下品の三生は別の階位なし。 ただこれ具縛造悪の人なり。 明らけし、往生の人はその位限りあり。 いかんぞ、なほこれわれらが分なりとは知るや。
答ふ。
上品の人、階位たとひ深くとも、下品の三生、あにわれらが分にあらざらんや。 いはんや、かの後の釈に、すでに十信以前の凡夫を取りて上品の三となせるをや。 また『観経』の善導禅師の「玄義」(玄義分)に、大小乗の方便以前の凡夫をもつて九品の位を判じて、諸師の所判の深高なることを許さず。 また経論は、多く文によりて義を判ず。 いまの『経』(観経)の所説の上の三品の業を、なんぞかならずしも執して深位の行となさんや。
問ふ。 もししからば、かしこに生じて、早く無生法忍を悟るべからず。
答ふ。
天台には二の無生忍の位あり。 もし別教の人ならば、歴劫修行して無生忍を悟り、もし円教の人ならば、乃至、悪趣の身にしてまた頓に証するものあり。 穢土なほしかなり、いかにいはんや浄土をや。 かの土の諸事をば、余処に例することなかれ。 いづれの処にか、一切の凡夫、いまだその位に至らざるに、つひに退堕することなく、いづれの処にか、一切の凡夫、ことごとく五神通を得て妙用無礙ならんや。 証果の遅速、例してまたしかるべし。  問ふ。 上品生の人の、得益の早晩は一向にしかるか。
答ふ。
『経』(観経)のなかにはしばらく一類を挙ぐるなり。 ゆゑに〔浄影寺〕慧遠和尚の『観経の義記』(観経義疏)にいはく、「九品の人の、かの国に生れをはりて、益を得る劫数は、勝れたるによりて説く。 理またこれに過ぎたるものもあるべし」と。 {取意}いまいはく、ひろく九品を論ぜば、あるいはまた少分これよりすみやかなるものもあるべし。
問ふ。 『双巻経』(大経)のなかに、また弥勒等のごとき、もろもろの大菩薩の、まさに極楽に生ずべきあり。 ゆゑに知りぬ、『経』(観経)のなかの九品の得益は劣なるによりてしかも説けるなり。 いかんぞ「勝れたるによる」とはいふや。
答ふ。
かの国に生れてはじめて無生を悟る、前後・早晩に約して、これを「勝れたるによる」といふなり。 さらにかの上位の大士をば論ぜず。 しかも、かの大士、九品のなかにおいて摂と不摂とを、別に思択すべし。
問ふ。 もし凡下の輩もまた往生することを得ば、いかんぞ、近代、かの国土において求むるものは千万なるも、得ることは一二もなきや。
答ふ。
綽和尚(道綽)のいはく(安楽集・上意)、「信心深からずして、存ぜるがごとく、亡ぜるがごときゆゑに。 信心一ならずして、決定せざるがゆゑに。 信心相続せずして、余念間つるがゆゑに。 この三、相応せざるものは、往生することあたはざるなり。 もし三心を具して往生せずといはば、この処あることなからん」と。 導和尚(善導)のいはく(礼讃)、「もしよく上のごとく念々相続して命を畢ふるを期となすものは、十はすなはち十生じ、百はすなはち百生ず。 もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、百にして時に希に一二を得、千にして時に希に三五を得」と。 [「上のごとく」といふは、礼・讃等の五念門、至誠等の三心、長時等の四修を指すなり。 ]
問ふ。
もしかならず命を畢ふるを期となさば、いかんぞ、感和尚(懐感)の、「長時・短時、多修・少修、みな往生することを得」(群疑論)といへるや。
答ふ。
業類一にあらざるがゆゑに、二の師ともに過なし。 しかも、命を畢ふるを期となして、勤修して怠ることなくは、業をして決定せしむるに、これを張本となす。
■報化得失
問ふ。 『菩薩処胎経』の第二に説かく、「西方にこの閻浮提を去ること十二億那由他して懈慢界あり。
国土快楽にして、倡妓楽を作り、衣被・服飾・香華をもつて荘厳せり。 七宝転開の床あり。 目を挙げて東を視れば、宝床随ひて転ず。 北を視、西を視、南を視るにもまたかくのごとく転ず。 前後に
意を発せる衆生の、阿弥陀仏国に生れんと欲するもの、みな深く懈慢国土に着して、前進して、阿弥陀国に生るることあたはず。 億千万の衆、時に一人ありてよく阿弥陀仏の国に生ず」と。
{以上}この『経』(菩薩処胎経)をもつて准ずるに、生ずることを得べきこと難し。
答ふ。
『群疑論』に、善導和尚の前の文を引きて、この難を釈して、またみづから助成していはく、「この『経』(菩薩処胎経)の下の文にのたまはく、〈なにをもつてのゆゑに。 みな懈慢によりて執心牢固ならず〉と。 ここをもつて知りぬ、雑修のものは執心不牢の人となすなり。 ゆゑに懈慢国に生ず。 もし雑修せずして、もつぱらにしてこの業を行ぜば、これすなはち執心牢固にして、さだめて極楽国に生ぜん。 {乃至}また報の浄土に生るるものはきはめて少なし。 化の浄土のなかに生るるもの少なからず。 ゆゑに経に別に説けり。 実には相違せず」と。
{以上}
問ふ。 たとひ三心を具せずといへども、命を畢ふることを期せずといへども、かの一たび名を聞くすら、なほ仏になることを得。 いはんやしばらくも称念する、なんぞ唐捐ならんや。
答ふ。
しばらくは唐捐なるに似たれども、つひには虚設ならず。 『華厳』の偈に、経を聞くものの、転生の時の益を説きてのたまふがごとし。
「もし人、聞くに堪任せるものは、大海および、劫尽の火のなかにありといへども、かならずこの経を聞くことを得ん」と。[「大海」とは、これ竜界なり。
釈していはく(探玄記・意)、「余の業によるがゆゑにかの難処に生る。 前の信によるがゆゑにこの根器を成ぜり」と。{云々}
『華厳』を信ずるもの、すでにかくのごとし。 念仏を信ずるもの、あにこの益なからんや。 かの一生に悪業を作りて、臨終に善友に遇ひて、わづかに十たび仏を念じて、すなはち往生することを得。 かくのごとき等の類は、多くこれ前世に、浄土を欣求してかの仏を念ぜるものの、宿善うちに熟していま開発するのみ。 ゆゑに『十疑』にいはく、「臨終に善知識に遇ひて十念成就するものは、ならびにこれ宿善強くして、善知識を得て十念成就するなり」と。{云々}感師(懐感)の意もまたこれに同じ。
問ふ。 下下品の人、もし宿善によらば、十念生の本願(第十八願)、すなはち名ありて実なからん。
答ふ。
たとひ宿善ありとも、もし十念なくは、さだめて無間に堕ち、受苦窮まりなからん。 明らけし、臨終の十念これ往生の勝縁なり。  
第二に、 往生の階位とは、
問う。 «瑜伽論» にいわれている。
三地の菩薩が、 まさに浄土に生まれる。
それなのに、 今、 初地以前の凡夫や声聞に浄土往生を勧めるのは、 どういう意味があるのか。
答える。 浄土には差別がある。 それ故に過とがはない。 懐感禅師が解釈していうとおりである。
諸の経論の文に、 浄土に生まれることを説くのは、 それぞれ一義に拠るものである。 浄土に、 すでに粗妙勝劣の差別があるから、 往生を得ることにも、 また上下高低がある。 以上
また道宣律師がいう。
三地の菩薩になって、 はじめて、 報身仏の浄土を見ることができる。
問う。 たとい、 報土でないにしても、 煩悩悪業の重い者は、 どうして浄土に往生することができようか。
答える。 天台大師がいわれている。
無量寿仏の国は、 果報がことにすぐれているけれども、 臨終の時に懺悔して念仏すると、 悪業の障はすぐに転じて、 往生することができる。 煩悩を具えているけれども、 願力によって心を持たもてば、 また浄土に住むことができるのである。
問う。 もし、 凡夫もまた往生することができると認めるならば、 «弥勒所聞経» の文は、 どういうように、 さし障りなく解釈することができようか。 経の文に説かれている。
仏を念ずるのは、 凡愚の念ではない。 煩悩の念を雑まじえず念仏して、 はじめて阿弥陀仏の国に往生することができるのである。 以上
答える。 «西方要決» に、 これを解釈していわれている。
娑婆世界は苦であると知って、 永く煩悩に汚れた世界を離れようとするのは、 決して浅薄な凡夫の心ではない。 当来には仏となって、 その意は専ら広く、 あらゆる世界の衆生を済度しようとするのである。 このような勝れた領解があるから愚かではない。 まさしく仏を念ずる時には、 煩悩がおさえふせられるので、 煩悩の念を雑まじえないというのである。 抜き書きした。
この意味をいうと、 凡夫の行者でも、 このような徳を具えているというのである。
問う。 かの国の人々は、 みな不退転である。 そうすると、 これは凡夫の生まれるようなところではないということが明らかに分るではないか。
答える。 いまいう不退転というのは、 必ずしも聖者の徳に限られたものではない。 «西方要決» にいわれているとおりである。
いま不退を明かすと四種に分かれる。 «十住毘婆娑論» にいう。 一つには位不退。 すなわち因を修行することがすでに一万劫に亘り、 もはや悪律儀の行に退き堕ちて、 生死まよいに流転することはない。 二つには行不退。 すでに初地を得ると、 利他の行が退かぬ。 三つには念不退。 八地から上は、 はからわずに意こころに自在を得るからである。 四つには処不退。 これを証明する文はないけれども、 道理の上からこの義が成り立つ。 なぜかというと、 天上界に生を受けたものは、 すなわち不退を得るようなものである。 浄土もまた、 このとおりである。 命は長くて病は無く、 勝れた友と仲間になり、 純正で邪よこしま無く、 ただ清浄で染けがれが無く、 恒に尊い仏につかえる。 この五つの縁いわれい由って、 その処にあっては退くことはないのである。 以上、 抜き書きした。
問う。 九品の階位には、 いろいろな解釈があって不同である。 慧遠法師のいうのでは、
上品上生は四・五・六地であり、 上品中生は、 初・二・三地であり、 上品下生は初地以前の三十心である。
といい、 力法師は、
上品上生は十行・十回向であり、 上品中生は十解 (十住) であり、 上品下生は十信である。
といい、 基法師は、
上品上生は十回向であり、 上品中生は十解・十行であり、 上品下生は十信である。
といい、 ある師は、
上品上生は十住の初心であり、 上品中生は十信の後心であり、 上品下生は十信の初位である。
といい、 ある師は、
上品上生は十信、 およびそれ以前のよく三心を発して三行を修行する者である。 上品中生と上品下生とは、 ただ十信以前で、 菩提心を発して、 善を修める凡夫を指す。 行の浅深で中生・下生の二品を分けるのである。
このように、 諸師の判定が不同である理由は、 無生法忍の位の取り方に不同があるからである。 すなわち «仁王経» には、 無生法忍は七・八・九地に在るといい、 諸の論には初地に在るといい、 あるいは忍位であるとする。 «本業瓔珞経» では十住に在るとし、 «華厳経» では十信に在るとし、 «占察経» には一行三昧を修めて、 相似の無生法忍を得た者であると説いてある。 こういうわけで、 諸師は、 それぞれ、 一義によるのである。
中品の三生については、 慧遠は、
中品上生は前三果であり、 中品中生は七方便であり、 中品下生は解脱分の善根を植えた人である。
といい、 力法師は、 この説と同じである。 基法師は、
中品上生は四善根位であり、 中品中生は三賢位であり、 中品下生は方便 (三賢・四善根位) 以前の人である。
といい、 ある師は、
次第のように、 忍位と頂位と煖位とである。
といい、 ある師は、
三生はいずれも、 解脱分の善根を植えた人である。
といわれている。 以上の六品については、 また、 その他の解釈もある。 懐感禅師の «群疑論» や、 龍興の «記» などを見るがよい。
下品の三生には、 特別の階位はない。 ただ煩悩にしばられた造悪の人である。
これで、 往生する人には、 その位に限りがあるということが明白になった。 それでも、 どうしてこれがわれわれの分であるということが知られようか。
答える。 上品の人は、 その階位がたとい高くても、 下品の三生は、 どうして、 われわれの分でないことがあろうか。 ましてかの後の解釈では、 すでに、 十信以前の凡夫を指して、 上品の三生としているのだから、 なおさらのことである。 また、 善導禅師の «観経玄義分» には、 大乗と小乗との七方便以前の凡夫を九品の位に判定して、 諸師が判定しているような高い位を認めないのである。 また、 経や論は、 多くは、 文に依って義を判断するのである。 今の経に説く上三品の行業を、 どうして深く固執して、 高位の行とすることがあろうか。
問う。 もし、 そうであるならば、 かの極楽浄土に生まれても、 早く無生法忍を悟ることはできないであろう。
答える。 天台の教義では、 無生法忍の位に二つがある。 もし、 別教の人であるならば、 永劫に修行して、 無生法忍を悟るのである。 もし、 円経の人であるならば、 たとい悪趣の身であっても、 次第を超えて、 ただちに証さとりを得る者もある。 穢土にあっても、 このようである。 まして、 浄土であるから、 なおさらのことである。 かの浄土での諸の事は、 その他の世界と同じように考えてはいけないのである。 いったいどこに、 すべての凡夫が、 まだその位に至らないのに、 ついに退堕することがないという世界があろうか。 またどこに、 すべての凡夫が悉く五神通を得て、 妙なるはたらきが無礙自在であるという世界があろうか。 証果の遅い速いもまた、 これに例して考えてよいのである。
問う。 上品生の人の得益の早さは、 一定してそうなのであるか。
答える。 経文の中では、 しばらく一類を挙げたにすぎない。 それ故に慧遠和尚の «観経義記» にいわれている。
九品の人が、 かの浄土に生まれてから、 利益を得るまでの劫数は、 その勝れたものに依って説いてある。 道理として、 また、 これに過ぎる者もあるべきである。 意味を取った。
いま考えてみるに汎く九品を論ずると、 あるいは、 また少しはこれよりも速やかなものもあってもよいのである。
問う。 «無量寿経» の中にも、 また弥勒菩薩などの諸の大菩薩などがあって、 極楽に往生するであろうと説かれている。 それ故に «観経» の中の九品の得益は、 劣っているものに依って説かれたものであろうという事が分る。 それにどうして 「勝れたものに依って」 というのであろうか。
答える。 かの極楽浄土に生まれて、 始めて無生法忍を悟ることの前後・遅速について、 これを 「勝れたものに依って」 といったのである。 かの上位の菩薩を論じたわけでは決してない。 しかも、 かの大菩薩を九品の中に摂めるか、 摂めないかについては、 改めて考えるべきである。
問う。 もし、 凡下の輩も、 また往生することができるならば、 どうして、 近頃かの浄土の往生を求めるものは千万人であるのに、 往生を得るものが一、 二人もないのであるか。
答える。 道綽和尚がいわれている。
信心が深くない。 あるときは存し、 あるときはないからである。 信心が一つでない。 信が決定しないからである。 信心が相続しない。 他の念がまじるからである。 この三つが相応しなければ往生することはできない。 もしこの三心を具えて、 往生しないというならば、 そういう道理のあるはずがない。
善導和尚がいわれている。
もし、 よく上に述べたように、 命終るまで念仏を相続するものは、 十人は十人ながら往生し、 百人は百人ながら往生する。 もし念仏を専修することを捨てて、 自力の雑業を修める者は、 百人の中で希に一、 二人が往生を得、 千人の中で、 希に三、 五人が往生を得るにとどまる。 「上に述べたように」 というのは、 礼拝・讃嘆などの五念門と、 至誠心などの三心と、 長時修などの四修とを指すのである。
問う。 もし必ず命終るまでというならば、 どうして懐感和尚が 「長時も短時も、 多修も少修も、 みな往生することができる」 というのであるか。
答える。 機類は同一でないから、 善導と懐感との二師の説は、 ともに過がない。 けれども、 命終るまで、 勤め行じて怠ることがないならば、 往生の業が決定するので、 これを基本とするのである。
問う。 «菩薩処胎経» の第二巻に説かれている。
この世界 (閻浮提) から西方へ行くこと十二億那由他のところに、 懈慢界がある。 その国土は快楽に満ちて、 歌舞音曲がなされ、 美しい衣服・服飾や、 香華でかざられている。 七宝でできた回転する床があって、 目を挙げて東方を見ようとすると、 宝の床もそれにつれて回転する。 北を見たり、 西を見たり、 南を見たりする時も、 また同様に前後に回転するのである。 そこで発心した衆生で、 阿弥陀仏の浄土に生まれようと願う者は、 みな懈慢界に深く執着し、 すすんで阿弥陀仏の浄土に生まれることができない。 億千万の人々の中で、 希に一人ぐらいが、 よく阿弥陀仏の浄土に生まれることができる。 以上
この経によって考えると、 極楽浄土に生まれることは難しいのではないだろうか。
答える。 «群疑論» には、 前に引いた善導大師の文を引いて、 この問題を解釈し、 また懐感自身が善導の文を助釈して述べられてある。
この «菩薩処胎経» の次の文に 「なぜかというに、 みな懈怠憍慢によって、 信心が堅固でないからである」 と説かれている。 そこで、 雑修の者は信心が堅固でないから、 懈慢国に生まれるのであるということが知られる。 もし雑行を修めないで、 専ら念仏を行じたならば、 これは信心が堅固であって、 まちがいなく極楽浄土に生まれるであろう。 (中略) また報の浄土に生まれる者はきわめて少なく、 化の浄土に生まれる者は少なくない。 それであるから «菩薩処胎経» と «観経» とは矛盾しないのである。
問う。 たとい三心を具えなくても、 また命終るまで相続しなくても、 一たびも名を聞いただけで、 なお成仏することができるというではないか。 まして、 しばらくでも称念することは、 どうして無駄になるであろうか。
答える。 一応は無駄なようにみえても、 結局はそらごとではないのである。 «華厳経» の偈に、 経を聞いた者が、 生を変えた時の利益を説いていうとおりである。
もし経を聞くに堪えたものがあれば 大海に在っても
劫末の大火の中に在っても 必ずこの経を聞くことができる 「大海」 というのは、 竜のいる海である。
«華厳経» の釈にいわれている。
その他の業に由るからかの難処に生まれ、 前の信 (前生の聞経) に由るから、 この «華厳経» を聞きうる根機と成るのである。 下略
«華厳経» を信ずる者であっても、 すでにこのような利益がある。 念仏を信ずる者に、 どうして、 この利益のないことがあろうか。 かの一生涯に悪業を作ったものでも、 臨終に善知識に遇い、 わずかに十たび念仏して、 ただちに往生することができる。 このような人たちは、 多くは前世に浄土を欣い求めて、 かの阿弥陀仏を念じていた者で、 その宿善が内に熟して、 いま開発したのに外ならぬ。
それ故に «十疑論» にいわれている。
臨終に、 善知識に遇うて、 十念が成就する者は、 みな宿善が強いので、 始めて善知識に遇うことができて、 十念が成就するのである。
懐感師の意こころも、 またこれと同じである。
問う。 下品下生の往生が、 もし宿善に依るならば、 十念往生の本願は、 名だけあってその実は無いのであろうか。
答える。 たとい宿善があっても、 もし十念することがないならば、 かならず無間地獄に堕ちて、 苦を受けることは窮まりがないであろう。 臨終の十念が往生の勝れた因縁であることは明らかである。 
■往生多少
【73】 
第三に往生の多少といふは、『双巻経』(大経・下意)にのたまはく、「仏、弥勒に告げたまはく、〈この世界より、六十七億の不退の菩薩ありて、かの国に往生す。 一々の菩薩は、すでにかつて無数の諸仏を供養して、次いで弥勒のごとし。 もろもろの小行の菩薩および少功徳を修せるものも、称計すべからず。 みなまさに往生すべし。 他方の仏土もまたかくのごとし。
その遠照仏国の百八十億の菩薩、宝蔵仏国の九十億の菩薩、無量意仏国の二百二十億の菩薩、甘露味仏国の二百五十億の菩薩、竜勝仏国の十四億の菩薩、勝力仏国の万四千の菩薩、師子仏国の五百の菩薩、離垢光仏国の八十億の菩薩、徳首仏国の六十億の菩薩、妙徳山仏国の六十億の菩薩、人王仏国の十億の菩薩、無上華仏国の無数不可称計の不退のもろもろの菩薩、智慧勇猛にして、すでにかつて無量の諸仏を供養したてまつり、七日のうちに、すなはちよく百千億劫の大士の所修の堅固の法を摂取す。
無畏仏国の七百九十億の大菩薩衆、もろもろの小菩薩および比丘等は、称計すべからず。 みなまさに往生すべし。 ただこの十四仏の国のなかのもろもろの菩薩等の、まさに往生すべきのみにあらず。 十方世界の無量の仏国より、その往生するものもまたかくのごとく、はなはだ多くして無数なり。 われ、ただ十方の諸仏の名号および菩薩・比丘のかの国に生るるものを説かば、昼夜にして一劫すともなほいまだ竟ることあたはじ〉」と。 {以上}
この諸仏の土のなかに、いまの娑婆世界に少善を修して、まさに往生すべきものあり。 われら、いま幸ひに釈尊の遺法に遇ひて、億劫の時に一たびたまたま少善往生の流に預かれり。 務ぎて勤修すべし。 時を失ふことなかれ。
問ふ。 もし少善根また往生することを得ば、いかんぞ、『経』(小経)に「少善根福徳の因縁をもつて、かの国に生るることを得べからず」とはのたまへる。
答ふ。
これに異解あり、繁く出すことあたはず。 いまわたくしに案じていはく、大小は定まれることなし。 相待して名を得。 大菩薩に望むれば、これを少善と名づくと。 輪廻の業に望むれば、これを名づけて大となす。 このゆゑに、二経の義、違害せず。 
第三に、 往生の多少とは、
«無量寿経» に説かれている。
世尊が弥勒菩薩に仰せられる。
「この世界に、 六十七億の不退の菩薩がいて、 かの国に生まれるであろう。 それらの菩薩は、 みな今までに、 無数の諸仏を供養したものであって、 その位は、 弥勒よ、 おんみとあい等しい。 そのほか、 行の劣った菩薩たちや、 わずかな功徳を修めた人々は、 数えきれぬほどいるが、 いずれもみなかの国に往生するであろう。 他方の仏土からも、 また同様に、 多くの人々がかの浄土に往生するのである。 遠照仏の国の百八十億の菩薩、 宝蔵仏の国の九十億の菩薩、 無量音仏の国の二百二十億の菩薩、 甘露味仏の国の二百五十億の菩薩、 竜勝仏の国の十四億の菩薩、 勝力仏の国の一万四千の菩薩、 師子仏の国の五百億の菩薩、 離垢光仏の国の八十億の菩薩、 徳首仏の国の六十億の菩薩、 妙徳山仏の国の六十億の菩薩、 人王仏の国の十億の菩薩、 無上華仏の国の数かぎりない不退の菩薩たちはすぐれた智慧をそなえており、 いずれも、 今までに無数の諸仏を供養し、 普通の菩薩が百千億劫の長い間かかって修める尊い行を、 わずか七日のうちに得られるのである。 無畏仏の国の七百九十億のすぐれた菩薩たちをはじめ、 行の劣ったもろもろの菩薩や比丘が、 数えきれぬほどいるが、 いずれもみな往生するであろう。 ただに、 この十四の仏国のもろもろの菩薩たちが往生するだけではない。 十方の数かぎりない仏国からかの国に生まれるものもまた同様であって、 その数は実に無数である。 わたしが、 単に十方諸仏の名と、 それらの国々からかの浄土に往生する菩薩や比丘の数を挙げるだけに、 一劫という長い年月、 中夜をわかたず説きつづけても、 なお説き尽くすことができないのである。」 以上。 抜き書きした。
この諸の仏土の中に、 いま娑婆世界でわずかな善を修めて往生することになっているものがある。 われわれは、 いま幸いにも釈尊の遺されたみ法に遇いたてまつり、 億劫の時に、 一たびわずかな善で往生するというなかまに入れていただいたのであるから、 つとめて行ずべきである。 時を失ってはならぬ。
問う。 もしわずかな善根でも、 また往生することができるならば、 どうして «阿弥陀経» に、
わずかな善根功徳の因縁では、 とてもかの国に生まれることはできない。
と説かれているのか。
答える。 これには、 いろいろ異なった解釈があるけれども、 多く出すことはできない。 いま私見を述べると、 大小は一定したものではなく、 相対して名づけられるものである。 大菩薩と対すれば、 わずかな善と名づけられようけれども、 輪回の業に対すれば大善根とするのである。 こういうわけであるから、 二経 («大教» と «小経») の意味は違たがうことがないのである。 
■尋常念相
【74】 
第四に尋常の念相を明かさば、これに多種あり。 大きに分ちて四となす。 一には定業、いはく、坐禅入定して仏を観ずるなり。 二には散業、いはく、行住坐臥に、散心に仏を念ずるなり。 三には有相の業、いはく、あるいは相好を観じ、あるいは名号を念じて、ひとへに穢土を厭ひて、もつぱらにして浄土を求むるなり。 四には無相の業、いはく、仏を称念し浄土を欣求すといへども、しかも身土すなはち畢竟空にして、幻のごとく夢のごとし、体に即して空なり、空なりといへども有なり、非有非空なりと観じて、この無二を通達して、真に第一義に入るなり。 これを無相の業と名づく。 これ最上の三昧なり。 ゆゑに『双巻経』(大経・下)に、阿弥陀仏ののたまはく、
「諸法の性は、一切空・無我なりと通達すれども、もつぱら浄仏土を求めて、かならずかくのごとき刹を成ぜん」と。
また『止観』の常行三昧のなかに、三段の文あり。 つぶさには上の別行のなかに引くがごとし。
問ふ。 定散の念仏は、ともに往生するや。
答ふ。
慇重の心をもつて念ずれば、往生せずといふことなし。 ゆゑに感師(懐感)、念仏の差別を説きていはく(群疑論・意)、「あるいは深、あるいは浅、定に通じ散に通ず。 定といふはすなはち凡夫より十地に終る。 善財童子の、功徳雲比丘の所にして念仏三昧を請け学びしごとき、これすなはち甚深の法なり。 散といふはすなはち一切衆生の、もしは行、もしは坐、一切の時処にみな仏を念ずることを得て、諸務も妨げず、乃至、命終にまたその行を成ずるなり」と。 {以上}  問ふ。 有相・無相の業は、ともに往生することを得るや。
答ふ。
綽和尚(道綽)のいはく(安楽集・上)、「もし始学のものは、いまだ相を破することあたはず、ただよく相によりて専至せば、往生せずといふことなし。 疑ふべからず」と。 また感和尚(懐感)のいはく(群疑論)、「往生すでに品類差殊なれば、修因また浅深ありて各別なり。 ただいふべからず、ただ無所得を修して往生することを得、有所得の心は生ずることを得ず」と。
問ふ。 もししからば、いかんぞ『仏蔵経』(意)に説かく、「もし比丘ありて、余の比丘に教へて、〈なんぢまさに仏を念じ、法を念じ、僧を念じ、戒を念じ、施を念じ、天を念ずべし。 かくのごとき等の思惟をもつて、涅槃の安楽寂滅なることを観じ、ただ涅槃の畢竟清浄なることを愛せよ〉と。 かくのごとく教ふるものを名づけて邪教となし、悪知識と名づく。 この人を名づけて、われを誹謗して外道を助くとなす。 かくのごとき悪人は、われすなはち一飲の水をも受くることを聴さず」と。 またのたまはく(仏蔵経)、「むしろ五逆重悪を成就すとも、我見・衆生見・寿見・命見・陰入界見等をば成就せざれ」と。 {以上略抄}
答ふ。
感師(懐感)釈していはく(群疑論・意)、「ある聖教(無上依経)にまたのたまはく、〈むしろ我見を起すこと須弥山のごとくにすとも、空見を起すこと芥子ばかりのごとくもせざれ〉と。 かくのごとき等の諸大乗経に、有を訶し空を訶し、大を讃じ小を讃ずること、ならびにすなはち機に逗じて不同なり。 またある『経』(大集経)にのたまはく、〈いま阿弥陀如来・応・正等覚は、つぶさにかくのごとき三十二相・八十随形好まします。 身色・光明は聚金の融けたるがごとし。 かくのごとくおもひて、乃至、かの如来を念ぜず。 またかの如来を得ざれ、すでにかくのごとくして次第に空三昧を得〉と。
また『観仏三昧経』にのたまはく、〈如来にまた法身・十力・無畏・三昧・解脱、もろもろの神通の事まします。 かくのごとき妙処は、なんぢ凡夫の覚るところの境界にあらず。 ただまさに深心にして随喜の想を起すべし。 この想を起しをはりて、まさにまた念を繋けて仏の功徳を念ずべし〉と。 ゆゑに知りぬ、初学の輩はかの色身を観じ、後学の徒は法身を念ずるなり。 ゆゑに、〈かくのごとくして次第に空三昧を得〉といへり。 まさにすべからくよく経の意を会すべし、毀讃の心をなすことなかれ。 妙に知る、大聖(釈尊)は巧みに根機に逗じたまへることを」と。 [以上、『観仏経』の第九に、仏の一毛を観じ、乃至、具足の色身を観ずることを説きをはりて、引くところの十力・無畏・三昧等の文あり。]
問ふ。 念仏の行は、九品のなかにおいては、これいづれの品の摂ぞ。
答ふ。
もし説のごとく行ずるは、理、上上に当れり。 かくのごとくして、その勝劣に随ひて九品を分つべし。 しかも『経』(観経)の所説の九品の行業は、これ一端を示すなり。 理、実には無量なり。
問ふ。 もし定散ともに往生することを得るがごとく、また現身にともに仏を見たてまつるとせんや。
答ふ。
経論に多く、「三昧成就して、すなはち仏を見たてまつることを得」と説けり。 あきらかに知りぬ、散業は見たてまつることを得べからずといふことを。 ただ別縁をば除く。
問ふ。 有相・無相の観、ともに仏を見たてまつることを得るや。
答ふ。
無相の、仏を見たてまつることは、理疑はざるにあり。 その有相の観も、あるいはまた仏を見たてまつる。 ゆゑに『観経』等に色相を観ずることを勧めたり。
問ふ。 もし有相観また仏を見たてまつらば、いかんぞ『華厳経』の偈に、
「凡夫の諸法を見ること、ただ相に随ひて転ず。法の無相を了せず、これをもつて仏を見たてまつらざるなり。見ることあるをばすなはち垢となす。これはすなはちいまだ見るとなさず。諸見を遠離し、かくのごとくしてすなはち仏を見たてまつる」とのたまひ、また(同)、「一切の法は自性無所有なりと了知する、かくのごとく法性を解すれば、すなはち盧舎那を見たてまつる」とのたまひ、また『金剛経』に、「もし色をもつてわれを見、音声をもつてわれを求むるは、この人は邪道を行じて、如来を見たてまつることあたはず」とのたまへるや。
答ふ。
『要決』(西方要決)に通じていはく、「大師(釈尊)の、教を説きたまふことは、義に多門あり。 おのおの時機に称ひ、等しくして差異なし。 〈般若経〉はおのづからこれ一門なり。 『弥陀』等の経もまた一理なりとなす。 なんとならば、一切の諸仏にならびに三身まします。 法仏には形体なく、色・声なし。 まことに二乗および小菩薩の、三身不異なりと説きたまふを聞きて、すなはち同じく色・声ありと謂ひて、ただ化身の色相を見て、つひに法身もまたしかなりと執するがためのゆゑに、説きて邪となす。 『弥陀経』等に、仏の名を念じ、相を観じ、浄土に生るることを求めよと勧めたることは、ただ凡夫の障重くして、法身の幽微にして、法体縁ずること難きをもつて、しばらく仏を念じ、形を観じ、礼讃せよと教へたまふなり」と。 {略抄}
問ふ。 凡夫の行者は、つとめて修習すといへども、心純浄ならず。 なんぞたやすく仏を見ん。
答ふ。
衆縁合して見るなり。 ただ自力のみにはあらじ。 『般舟経』に三の縁あり。 上の九十日の行に引くところの『止観』の文のごとし。
問ふ。 いくばくの因縁をもつてか、かの国に生るることを得る。
答ふ。
経によりてこれを案ずるに、四の因縁を具す。 一は自善根の因力、二は自願求の因力、三は阿弥陀の本願の縁、四は衆聖助念の縁なり。 [釈迦の護助は『平等覚経』に出でたり。 六方の仏の護念は『小経』に出でたり。 山海恵菩薩等の護持は『十往生経』に出でたり。]  
第四に尋常の念相を明かすと、 これには多くの種類があるが、 大きくわけて四つとする。 一つには定業、 すなわち、 坐禅し入定して仏を観ずるのである。 二つには散業、 すなわち、 行住座臥に散乱の心で念仏するのである。 三つには有相業、 すなわち、 あるいは仏の相好を観じ、 あるいは仏の名号を念じて、 偏えに穢土を厭い、 専ら浄土を求めるのである。 四つには無相業、 すなわち、 仏を称念し、 浄土を欣い求めても、 身も国土もその究極は空であって、 幻のようであり、 夢のようである、 本体に即して空であり、 空であってしかも有であり、 有でもなく空でもないと観じ、 この無二に通達して、 真に第一義にさとり入るのである。 これを無相業と名づける。 これが最上の三昧である。 それ故、 «無量寿経» に、 阿弥陀仏が仰せられる。
あらゆるものの本性は すべて空・無我と見とおしつつ
ひたすら浄土を求めて かならずかような国を成就しよう
また «止観» の常行三昧の中に、 三段の文がある。 詳しくは、 すでに別時念仏門の尋常別行の中に引いたとおりである。
問う。 定・散の念仏は、 ともに往生するのか。
答える。 ねんごろな心で念ずるならば、 往生しないということはない。 それゆえ懐感師は念仏の差別を説いていわれる。
あるいは深く、 あるいは浅く、 定にも通じ、 散にも通ずる。 定は凡夫から始めて十地に終る。 善財童子が功徳雲比丘の所において、 念仏三昧を受けて学んだようなものである。 これが甚深の法である。 散はすなわち、 すべての人々が歩いていても坐っていても、 すべての時と所とにおいて、 みな念仏することができ、 いろいろの仕事を妨げないばかりでなく、 命終の時にも、 またその行を成就するのである。 以上
問う。 有相と無相との業は、 倶に往生することができるのか。
答える。 道綽和尚がいわれている。
もし学び始めの者は、 まだ相を離れることができないから、 ただよく相によって専ら行ずるならば、 往生することは疑いをまたない。
また懐感和尚がいわれている。
往生にも、 すでに品位の種類に差別があるから、 修めるところの因にもまた浅深があって格別である。 ただ無所得 (無相) を修するものだけが往生することができて、 有所得 (有相) の心では往生することができぬとはいえないのである。
問う。 もしそうであるならば、 どうして «仏蔵経» に、
もし比丘があって、 他の比丘に 「そなたは仏を念じ、 法を念じ、 僧を念じ、 戒を念じ、 施を念じ、 天を念じなさい。 このように思惟して、 涅槃の安楽寂滅であるのを観じ、 ただ涅槃が究極して清浄であるのを愛しなさい」 と教えるものがあるとする。 このように教える者を ª邪よこしまな教º といい、 ª悪知識º と名づける。 このような人を ª仏を謗り、 外道を助ける者º と名づける。 このような悪人には、 わたくしは一杯の飲水でも受けることを許さないであろう。
と説き、 また、
むしろ、 五逆罪のような重い悪事をそなえても、 我見・衆生見・寿見・命見・陰入界見などをそなえてはいけない。 以上。 抜き書きした。
といわれてあるのか。
答える。 懐感師が解釈していわれる。
ある聖教にはまた 「むしろ、 我見を起こすことが須弥山のようであっても、 空見を芥子粒ほども起こしてはならぬ」 といわれてある。 このようなもろもろの大乗の経典に、 有を叱り、 空を叱り、 大乗を讃め、 小乗を讃めたりしてあるのは、 みないずれも機類に応じて異なるのである。 また、 ある経に説かれている。 「いま阿弥陀如来は、 つぶさにこのような三十二相八十随形好があって、 その身色光明は融けた黄金の聚かたまりのようである。 このようにして、 ついにかの如来を念ぜず、 またかの如来に執らわれてはならない。 すでに、 このようにして、 次第に空三昧を得るであろう。」
また «観仏三昧経» に説かれている。 「如来には、 また法身・十力・四無畏・三昧・解脱、 諸の神通のことがある。 このような妙なるところは、 そなたのような凡夫の覚り得る境界ではない。 ただ、 深く心に随喜の想おもいを起こすべきである。 この想を起こしおわって、 また念を繋けて仏の功徳を念ずべきである。」
それ故に、 学び始めの人々は、 仏の色身を観じ、 学ぶことの進んだ人は、 法身を念ずるのであるということが知られる。 そこで 「このようにして、 次第に空三昧を得るであろう」 というのである。 ぜひとも、 よく経文の意味を解釈して、 むやみに謗ったりする心を起こしてはならぬ。 こうして、 仏は巧みに根機ひとびとに応じたもうということが、 いみじくも分かるのである。 以上。 «観仏三昧経» の第九巻に、 仏の一毛を観ずることから色身を具足せられているのを観ずることまでを説き終って、 いま引くところの十力・四無畏・三昧などの文があるのである。
問う。 念仏の行は九品の中において、 いずれの品に摂められるか。
答える。 もしいろいろな経論に説かれてあるとおりに行じたなら、 道理として上品上生に当たる。 このように勝劣にしたがって九品を分けるべきである。 ところが、 «観経» に説かれた九品の行業は、 一端を示されただけで、 その実は無量である。
問う。 もし、 定・散の行はいずれでも往生することができるというならば、 また現身で定・散いずれの行でも仏を見たてまつることができるとするのか。
答える。 経や論などには、 多く三昧 (定) が成就して、 そこで仏を見たてまつることができると説いてあるから、 散業では見たてまつることができないということは、 明らかに知られる。 ただ特別の因縁のあるものは、 この限りではない。
問う。 有相の観と無相の観とは、 いずれも仏を見たてまつることができるのか。
答える。 無相の観で、 仏を見たてまつることは、 その道理を疑うことはできぬ。 有相の観でも、 あるいはまた仏を見たてまつる。 故に «観経» などには仏の色相を観ずることを勧めてある。
問う。 もし、 有相の観も、 また仏を見たてまつるというならば、 どうして、 «華厳経» の偈に、
凡夫があらゆる法ものを見るのは ただ相にしたがって転うつるので
法の無相をさとらないから それゆえ仏を見られないのである
見るということがあれば煩悩である これではほんとうに見るのではない
すべての見るということを離れて そうしてはじめて仏を見たてまつる
といい、 また、
すべての法ものには 自性があることなしと知り
このように法ものの本性を解さとれば すなわち廬舎那仏を見たてまつる
といい、 «金剛般若経» には、
もし色相の上から わたしを見 音声の上から わたしを求めるならば
この人は邪道を行ずるもので 如来を見たてまつることはできない
といってあるのか。
答える。 «西方要決» にこれを解釈していわれている。
仏の説かれた教はその義にいろいろの別がある。 それぞれ時節と根機とに応じて説きたもうので、 実は等しくて異なるところはない。 «般若経» は、 それはそれで一理のあるものであり、 «阿弥陀経» なども、 また一理がある。 何故ならば、 一切の諸仏には、 みな三身がましますのであって、 法身仏には形体かたちもなく色すがたや声もない。 ところが二乗およびおとった菩薩たちは、 三身は異ならぬと説くのを聞いて、 同じように色すがたや声があるように思い、 ただ化身の色相すがただけを見て、 ついに法身もまたその通りであるという執着を起こすから、 邪道であると説かれたのである。 «阿弥陀経» などに、 仏のみ名を念じ、 仏の相すがたを観じて、 浄土に往生することを求めよと勧められたのは、 ただ凡夫は障が思いのに、 法身は奥深くて、 法体は対象とし難いから、 そこで仏を念じ、 形を観じて礼讃せよと教えられたのである。 抜き書きした。
問う。 凡夫の行者は、 勤めて修習しても、 その心が純浄ではない。 どうして、 たやすく仏を見たてまつることができようか。
答える。 いろいろの因縁が合して、 仏を見たてまつるのである。 ただ自力だけではないのである。 «般舟三昧経» に三つの因縁がある。 前の九十日の行の所 (別時念仏文の尋常別行) で引いた «摩訶止観» の文のとおりである。
問う。 どれほどの因縁によって、 かの極楽浄土に往生することができるのか。
答える。 経に依って考えてみると、 四つの因縁を具えている。 一つには、 自身の善根の因力であり、 二つには、 自身の浄土を願い求める因力であり、 三つには、 阿弥陀仏の本願の縁であり、 四つには、 多くの聖衆がたが助け護念したもう縁である。 釈迦仏が護念し、 助けてくださるのは «平等覚経» に出ており、 六方諸仏の後念は «阿弥陀経» に出ており、 山海慧菩薩などの護持は «十往生経» に出ている。 
■臨終念相
【75】 
第五に臨終の念相を明かさば、 問ふ、下下品の人、臨終に十念して、すなはち往生することを得。 いふところの十念は、なんらの念ぞや。
答ふ。
綽和尚(道綽)のいはく(安楽集・上)、「ただ阿弥陀仏の、もしは総相、もしは別相を憶念して、所縁に随ひて観じ、十念を経て他の念想間雑することなき、これを十念と名づく。 また十念相続といふは、これ聖者の一の数の名のみ。 ただよく念を積み、思を凝らして、他の事を縁ぜざれば、すなはち業道成弁す。 またいまだ労はしくこれが頭数をしも記せず。 またいはく、もし久行の人の念は、多くこれによるべし。 もし始行の人の念は、数を記するもまた好し。 これまた聖教によれり」と。 {以上}あるがいはく、「一心に〈南無阿弥陀仏〉と称念して、この六字を経るあひだを一念と名づく」と。
問ふ。 『弥勒所問経』の十念往生は、かの一々の念、深広なり。 いかんぞ、いま十声仏を念じて往生を得といふや。
答ふ。
諸師の所釈、不同なり。 寂法師(義寂)のいはく、「これは、心をもつぱらにして仏の名を称する時に、自然にかくのごとき十を具足すと説くなり。 かならずしも一々に、別に慈等を縁ずるにはあらず。 またかの慈等を数へて十となすにはあらず。 いかんぞ、別に縁ぜざるに、しかも十を具足するとならば、戒を受けんと欲して三帰を称する時に、別に離殺等の事を縁ぜずといへども、しかもよくつぶさに離殺等の戒を得るがごとし。 まさに知るべし、このなかの道理もまたしかなり。
また十念を具足して〈南無阿弥陀仏〉と称すべしといふは、いはく、よく慈等の十念を具足して〈南無仏〉と称するなり。 もしよくかくのごとくすれば、称念するところに随ひて、もしは一称、もしは多称、みな往生することを得」と。 感法師(懐感)のいはく(群疑論)、「おのおのこれ聖教にして、たがひに往生浄土の法門を説けば、みな浄業を成ず。 なにによりてか、かれをもつて是となし、これを斥けて非といはん。 ただしみづから経を解らず、またすなはちもろもろの学者を惑はす」と。 迦才師のいはく(浄土論)、「この十念は、現在の時になすなり。 『観経』のなかの十念は、命終の時に臨みてなすなり」と。 {以上}意、感師(懐感)に同じ。
問ふ。 『双巻経』(大経・下意)にのたまはく、「乃至一念するに、往生することを得」と。 これ十念と、いかんが乖角せる。
答ふ。
感師のいはく(群疑論・意)、「極悪業のものは十を満てて生ずることを得、余のものは、乃至一念してもまた生ず」と。  問ふ。 生れてよりこのかた、もろもろの悪を作りて一善をも修せざるもの、命終の時に臨みてわづかに十声念ずるに、なんぞよく罪を滅して、永く三界を出でて、すなはち浄土に生れん。
答ふ。
『那先比丘問仏経』(意)にのたまふがごとし。 「時に弥蘭王ありて、羅漢那先比丘に問ひていはく、〈人、世間にありて悪を作ること百歳に至るまです。 死の時に臨みて仏を念ぜば、死して後に天に生るとは、われこの説を信ぜず〉と。 またいはく、〈一の生命を殺さば、死して泥梨のなかに入るとは、われまた信ぜず〉と。 比丘、王に問はく、〈もし人、小さき石を持ちて、水のなかに置在かば、石は浮ぶや没むや〉と。 王のいはく、〈石没む〉と。 那先のいはく、〈もしいま、百丈の大きなる石を持ちて、船の上に置在かば、没しなんやいなや〉と。 王のいはく、〈没まじ〉と。 那先のいはく、〈船のなかの百丈の大きなる石は、船によりて没することを得ず。 人、本の悪ありといへども、一時も仏を念ずれば、泥梨に没せずしてすなはち天上に生るること、なんぞ信ぜざらんや。 その小さき石の没するといふは、人の悪を作り、経法を知らずして、死して後にすなはち泥梨に入るがごとし。 なんぞ信ぜざらんや〉と。 王のいはく、〈善きかな、善きかな〉と。比丘のいはく、〈両の人ともに死して、一人は第七の梵天に生れ、一人は罽賓国に生るるがごとき、この二人は、遠近異なりといへども、死すればすなはち一時に到る。
一双の飛鳥ありて、一は高き樹の上にして止り、一は卑き樹の上に止らんに、両の鳥一時にともに飛ぶに、その影ともに到るがごときのみ。 愚人のごときは悪を作りて殃を得ること大なり、智人は悪を作りても殃を得ること小なるがごとし。 焼けたる鉄を地に在けるを、一人は焼けたりと知れり、一人は知らずして、両の人ともに取るに、しかも知らざるものは手を爛るること大にして、知れるものは少し壊るるがごとし。 悪を作ることもまたしかなり。 愚者はみづから悔ゆることあたはざるがゆゑに、殃を得ること大なり。 智者は悪を作れども不当なりと知るがゆゑに、日々にみづから悔ゆることをなせば、その罪小なり〉」と。 {以上}十念にもろもろの罪を滅して、仏の悲願の船に乗りて、須臾に往生することを得ることも、その理またしかるべし。
また『十疑』に釈していはく、「いま三種の道理をもつて校量するに、軽重は不定なり。 時節の久近・多少には在らず。 いかなるをか三となす。 一には心に在り、二には縁に在り、三には決定に在るなり。 〈心に在り〉といふは、罪を造る時はみづからの虚妄顛倒の心より生ずるも、念仏の心は、善知識に従ひて阿弥陀仏の真実の功徳名号を説くを聞く心より生ず。 一は虚、一は実なり。 あにあひ比ぶることを得んや。
たとへば、万年の暗き室に日の光しばらくも至りぬれば、しかも暗たちまちに除こるがごとし。 あに久しきよりこのかたの暗といひて、あへて滅せざることあらんや。 〈縁に在り〉といふは、罪を造る時には、虚妄痴暗の心の、虚妄の境界を縁ずる顛倒の心より生ずるも、念仏の心は、仏の清浄真実の功徳名号を聞きて、無上菩提を縁ずる心より生ず。 一は真、一は偽なり。 あにあひ比ぶることを得んや。
たとへば、人ありて毒の箭に中てられて、箭深く、毒mましくて、肌を傷り、骨に致るときに、一たび滅除薬の鼓の声を聞けば、すなはち毒の箭除こるがごとし。 あに深毒なるをもつてあへて出でざらんや。 〈決定に在り〉といふは、罪を造る時は有間心・有後心をもつてす。 仏を念ずる時は無間心・無後心をもつてし、つひにすなはち命を捨つるまで善心猛利なり。 ここをもつてすなはち生ず。
たとへば十囲の索は千夫も制せざれども、童子剣を揮ひて須臾に両段するがごとし。 また千年積める草に、大きさ豆ばかりの火をもつてこれを焚くに、小時にすなはち尽くるがごとし。 また人ありて、一生よりこのかた、十善業を修して天に生るることを得べきに、臨終の時に一念の決定の邪見を起さば、すなはち阿鼻地獄に堕するがごとし。 悪業の虚妄なるすら猛利なるをもつてのゆゑに、なほよく一生の善業を排ひて悪道に堕せしむ。 あにいはんや、臨終に猛利の心に仏を念ずる、真実無間の善業をや。 無始の悪業を排ふことあたはずして、浄土に生るることを得ずといはば、この処あることなからん」と。 {以上}
また『安楽集』(上)に、七の喩へをもつてこの義を顕せり。 一には少火の喩へ、前のごとし。 二には、躄なるものも他の船に寄載すれば、風帆の勢ひによりて一日に千里に至る。 三には、貧人、一端の物を獲てもつて王に貢るに、王慶びて重く賞するに、しばらくのあひだに、富貴、望みに盈つ。 四には、劣夫も、もし輪王の行に従へば、すなはち虚空に乗じて、飛騰自在なり。 五には十囲の索の喩へ、前のごとし。 六には、鴆鳥水に入れば魚蚌ことごとく斃ぬ。 みな犀角をもつてこれに触るれば、死したるもの還りて活る。 七には、黄鵠、〈子安子安〉と喚べば、還りて活る。 あに墳下の千齢決めて甦るべきことなしといふことを得べけんや。 一切の万法にみな自力・他力、自摂・他摂ありて、千開万閉無量無辺なり。 あに有礙の識をもつて、かの無礙の法を疑ふことを得んや。 また五不思議のなかには仏法もつとも不可思議なり。 あに三界の繋業をもつて重しとなし、かの少時の念法を疑ひて軽しとなさんや」と。 {以上略抄}
いまこれに加へていはく、一には、栴檀の樹出成する時に、よく四十由旬の伊蘭の林を変じて、あまねくみな香美ならしむ。 二には、獅子の筋を用ゐて、もつて琴の絃となせば、音声一たび奏するに、一切の余の絃、ことごとくみな断壊しぬ。
三には、一斤の石汁、よく千斤の銅を変じて金となす。
四には、金剛堅固なりといへども、羖羊の角をもつてこれを扣けば、すなはち灌然として氷のごとく泮けぬ。[以上、滅罪の譬へ。]
五には、雪山に草あり、名づけて忍辱となす。 牛もし食すれば、すなはち醍醐を得。
六には、沙訶陀薬において、ただ見ることあるものは、寿を得ること無量なり。 乃至、念ずるものは宿命智を得。 七には、孔雀、雷の声を聞きてすなはち身あることを得。
八には、尸利沙、昴星を見てすなはち菓実を出生す。
[以上、生善の譬へ。]九には、住水宝をもつてその身に瓔珞とすれば、深き水のなかに入れども、しかも没み溺せず。 十には、沙礫少なしといへども、なほ浮ぶことあたはず。 磐石大なりといへども、船に寄すればよく浮ぶ。[以上、総の譬へ。]
諸法の力用、思ひがたきことかくのごとし。 念仏の功力、これに准へて疑ふことなかれ。
問ふ。 臨終の心念は、その力いくばくなればか、よく大事を成ずる。
答ふ。
その力、百年の業に勝れたり。 ゆゑに『大論』(大智度論)にいはく、「この心は時のあひだ少なしといへども、しかも心力猛利なること、火のごとく毒のごとくなれば、少なしといへどもよく大事を成ず。 これ死なんとする時の心も、決定して勇健なるがゆゑに、百歳の行力に勝れたり。 この後心を名づけて大心となす。
身およびもろもろの根を捨つるをもつて、事急なるがゆゑに。 人の、陣に入るに身命を惜しまざるを、名づけて健となすがごとし。 阿羅漢のこの身の着を捨つるがゆゑに阿羅漢の道を得るがごとし」と。 {以上}これによりて『安楽集』(上)にいはく、「一切衆生、臨終の時には、刀風形を解き、死苦来り逼むるに、大怖畏を生じて、乃至、すなはち往生することを得」と。
問ふ。 深き観念の力、罪を滅することはしかるべし。 いかんぞ、仏号を称念するに無量の罪を滅する。 もししからば、指をもつて月を指すに、この指よく闇を破すべし。
答ふ。
綽和尚(道綽)釈していはく(安楽集・上意)、「諸法は万差なり。 一概すべからず。 おのづから名の法に即するあり。 おのづから名の法に異するあり。 名の法に即するといふは、諸仏・菩薩の名号、禁呪の音辞、修多羅の章句等のごとき、これなり。 禁呪の辞に、〈日出東方乍赤乍黄〉といはんに、たとひ酉亥に禁を行ずるも、患へるものまた愈ゆるがごとし。 また人ありて、狗に噛はるることを被るに、虎の骨を炙りてこれを熨せば、患へるものすなはち愈ゆるがごとし。 もし時に骨なくは、よく掌をマげてこれを磨りて、口のなかに喚びて、〈虎来虎来〉といへば、患へるものまた愈えぬ。
あるいはまた人ありて、脚転筋を患はんに、木瓜の杖を炙りてこれを熨せば、患へるものすなはち愈えぬ。 もし木瓜なければ、手を炙りてこれを磨り、口に〈木瓜〉と喚べば、患へるものまた愈えぬ。 名の法に異するといふは、指をもつて月を指すがごとき、これなり」と。 {以上}『要決』(西方要決)にいはく、「諸仏は、願行をもつてこの果名を成ずれば、ただよく号を念ずるに、つぶさに衆徳を苞ねたり。 ゆゑに大善を成ず」と。 [以上、かの文に『浄名』(維摩経)・『成実』の文を引けり。 つぶさには上の助念方法のごとし。 ]
問ふ。 もし下下品の五逆罪を造れるもの、十たび仏を念ずるによりて往生することを得といはば、いかんぞ、『仏蔵経』の第三にのたまはく、「大荘厳仏の滅後に四の悪比丘ありき。 第一義・無所有・畢竟空の法を捨てて、外道尼健子の論を貪楽しき。 この人、命終して阿鼻地獄に堕ちて、仰ぎて臥し、伏きて臥し、左脇にして臥し、右脇にして臥すこと、おのおの九百万億歳、熱鉄の上にして焼き燃かれ、pがれ爛れき。 死しをはりて、さらに灰地獄・大灰地獄・等活地獄・黒縄地獄に生れて、みな上のごとき歳数、苦を受く。 黒縄より死しては還りて阿鼻獄に生る。
かの、家と出家にして親近せしもの、ならびにもろもろの檀越、おほよそ六百四万億の人、この四の師とともに生じともに死して、大地獄にありてもろもろの焼煮を受けき。 劫尽きては他方の地獄に転生し、劫成じては還りてこの間の地獄に生る。 久々にして地獄を免れて人中に生れては、五百世、生れてより盲なり。 後に一切明王仏に値ひて出家して、十万億歳、勤修精進すること頭燃を救ふがごとくせしかども、順忍すら得ざりき。 いはんや、道果を得んや。 命終しては還りて阿鼻地獄に生れにき。 後に九十九億の仏に値ひても、順忍すら得ざりき。
なにをもつてのゆゑに。 仏の、深法を説きたまひしに、この人信ぜずして、破壊し違逆し、賢聖・持戒の比丘を破毀して、その過悪を出せる破法の因縁もつて、法としてまさにしかるべし」と。 [以上、略して抄す。 「四の比丘」とは苦岸比丘・薩和多比丘・将去比丘・跋難陀比丘なり。]十万億歳、頭燃を救ふがごとくせしも、なほ罪を滅せずして、還りて地獄に生じき。 いかんぞ、仏を念ずること一声・十声してすなはち罪を滅して、浄土に往生することを得るや。
答ふ。
感師(懐感)釈していはく(群疑論)、「仏を念ずるは、五の縁によるがゆゑに罪を滅す。 一には、大乗の心を発す縁。 二には、浄土に生ぜんと願ずる縁。 小乗の人は、十方の仏ましますと信ぜざるがゆゑに。 三には、阿弥陀仏の本願の縁。 四には、念仏の功徳の縁。 かの比丘は、ただ四念処の観をなせしがゆゑに。 五には、仏の威力をもつて加持したまふ縁なり。 このゆゑに、罪を滅して浄土に生ずることを得。 かの小乗の人は、しからざりき。 ゆゑに罪を滅することあたはず」と。 {略抄}
問ふ。 もししからば、いかんぞ、『双巻経』(大経・上)に十念往生を説きて、「ただ五逆と誹謗正法をば除く」とのたまへる。
答ふ。
智憬等の諸師のいはく、「もしただ五逆を造れるものは、十念によるがゆゑに生ずることを得。 もし逆罪をも造り、また法をも謗れるものは、往生することを得ず」と。 あるがいはく、「五逆の不定業を造れるものは往生することを得るも、五逆の定業を造れるものは往生せず」と。
かくのごとく十五家の釈あり。 感法師(懐感)、諸師の釈を用ゐずして、みづからいはく(群疑論)、「もし逆を造らざる人は、念の多少を論ずるにあらず、一声・十声ともに浄土に生る。 もし逆を造れる人は、かならずすべからく十を満つべし。 一をも闕けつれば生ぜず。 ゆゑに〈除く〉といふなり」と。 {以上}いま試みに釈を加へば、余処にはあまねく往生の種類を顕すも、本願にはただ定生の人のみを挙ぐ。 ゆゑにいへり、「しからずは、正覚を取らじ」と。 余人の十念はさだめて往生することを得、逆者の一念はさだめて生ずることあたはず。 逆の十と余の一とは、みなこれ不定なり。 ゆゑに、願(第十八願)にはただ余人の十念を挙げて、余処には、兼ねて逆の十と余の一とを取れり。 この義いまだ決せず。 別に思択すべし。
問ふ。 逆者の十念、なんがゆゑぞ不定なる。
答ふ。
宿善の有無によりて念力別なるがゆゑに。 また臨終と尋常と、念ずる時別なるがゆゑに。
問ふ。 五逆はこれ順生の業なり。 報・時ともに定まれり。 いかんぞ滅することを得ん。
答ふ。
感師(懐感)、これを釈していはく(群疑論)、「九部の不了の教のなかには、もろもろの不信業果の凡夫のために、密意をもつて説きて〈定報の業あり〉といふ。 もろもろの大乗の了義の教のなかには、〈一切の業ことごとくみな不定なり〉と説きたまふ。 『涅槃経』の第十八巻にのたまふがごとし。 耆婆、阿闍世王のために懺悔の法を説くに、〈罪滅することを得たり〉と。 またのたまはく(同)、〈臣、仏の説を聞くに、《一の善心を修すれば百種の悪を破す》と。 少しき毒薬のよく衆生を害するがごとし。 少善もまたしかり。 よく大悪を破す〉と。 また三十一にのたまはく(同)、〈善男子、もろもろの衆生ありて、業縁のなかにおいて心軽んじて信ぜず。 かれを度せんがためのゆゑにかくのごとき説をなしたまふ。 善男子、一切の作業は軽あり重あり。 軽重の二業にまたおのおの二あり。 一には決定、二には不決定なり〉と。 またのたまはく(同)、〈あるいは重業の、軽となし得べきことあり。 あるいは軽業の、重となし得べきことあり。 有智の人は、智慧の力をもつて、よく地獄の極重の業をして現世に軽く受せしむるも、愚痴の人は、現世の軽業を地獄に重く受く〉と。 阿闍世王は罪を懺悔しをはりて地獄に入らず。 鴦掘摩羅は阿羅漢を得たり。 『瑜伽論』に説かく、〈いまだ解脱を得ざるを、決定業と説き、すでに解脱を得たるを、不定業と名づく〉と。 かくのごとき等のもろもろの大乗経論には、五逆罪等を説きてみな不定と名づけて、ことごとく消滅することを得」と。 [転重軽受の相は、つぶさに『放鉢経』に出でたり。]
問ふ。 引くところの文にのたまはく、「智者は重きを転じて軽くして受す」と。 下品生の人は、ただ十念しをはりてすなはち浄土に生るるは、いづれの処にしてか軽受する。
答ふ。
『双巻経』(大経・下)に、かの土の胎生のものを説きてのたまはく、「五百歳のうちに三宝を見たてまつらず、供養したてまつりて、もろもろの善本を修することを得ず。 しかもこれをもつて苦となす。 余の楽ありといへども、なほかの処をば楽はず」と。 {以上}これに准ずるに、七七日・六劫・十二劫、仏を見ず、法を聞かざる等をもつて、軽受の苦となすべきのみ。
問ふ。 もし臨終に一たび仏の名を念ずるに、よく八十億劫のもろもろの罪を滅するがごとし、尋常の行者もまたしかるべきや。
答ふ。
臨終の心、力は強くしてよく無量の罪を滅す。 尋常に名を称するは、かれがごとくなるべからず。 しかも、もし観念成ずれば、また無量の罪を滅す。 もしただ名を称するのみならば、心の浅深に随ひてその利益を得ること、差別あるべし。 つぶさには前の利益門のごとし。
問ふ。 なにをもつてか、浅心の念仏もまた利益ありとは知ることを得る。
答ふ。
『首楞厳三昧経』にのたまはく、「大薬王あり、名を滅除といふ。 もし闘戦の時に、もつて鼓に塗りつれば、もろもろの、箭に射られ刀・矛に傷られたるもの、鼓の声を聞くことを得つれば、箭出でて毒除こるがごとし。 かくのごとく、菩薩の首楞厳三昧に住する時には、名を聞くことあるものは、貪・恚・痴の箭自然に抜け出でて、もろもろの邪見の毒みなことごとく除滅し、一切の煩悩また発動せず」と。 [以上、諸法の真如実相を観じ、凡夫の法と仏法と不二なりと見る、これを首楞厳三昧を修習すと名づく。 ]菩薩すでにしかり、いかにいはんや仏をや。 名を聞く、すでにしかり、いかにいはんや念ずるをや。 これによりて知りぬべし、たとひ浅心の念も利益虚しからず。 
第五に、 臨終の念相を明かすと、
問う。 下品下生の人も、 臨終に十念して、 ただちに浄土に往生することができるとある。 その十念とは、 どのような念であるのか。
答える。 道綽和尚がいわれている。 (安楽集)
ただ阿弥陀仏を憶念して、 仏の全体のお相すがたや、 あるいは一部分のお相すがたを、 その所縁にしたがって観じ、 十念を経るのに、 他の想いがまじわらないのを十念という。 また十念相続というのは、 釈尊が説き示された一つの数の名にすぎない。 そこで、 ただよく念を積み、 思いをこらして、 そのほかの事を考えなければ、 往生の業は成就するのである。 わずらわしく、 念仏の数を知る必要はない。 またいう。 もし、 久しく相続している人なら、 数を知る必要は無いが、 もし始めて念仏する人なら、 その数をかぞえてもよい。 これもまた、 聖教に依りどころがある。 以上
ある師 (義寂) がいわれている。
一心に 「南無阿弥陀仏」 と称え、 この六字を経る間を一念と名づけるのである。
問う。 «弥勒所問経» に説いてある十念往生は、 その一々の念は深広である。 それにどうして、 いま十声念仏して往生することができるというのであるか。
答える。 諸師の解釈は同一でない。 義寂法師がいわれている。
これは、 専心に、 仏のみ名を称える時、 自然に、 このような十念を具足すると説くのである。 なにも、 一々格別に慈心などを念おもうのではない。 また、 かの慈心などを数えて十とするのでもない。 なぜ別して念わないのに、 よく十を具足するかといえば、 戒を受けたいと願って、 三帰依を称える時、 別して殺生を離れるなどの事を念わなくても、 よく具つぶさに殺生を離れるなどの戒を得るようなものである。 今の場合の道理も、 また同様であると知るべきである。
また十念を具足して、 南無阿弥陀仏と称えるがよいというのは、 よく、 慈心などの十念を具足して、 南無仏と称えることをいうのである。 もしよくこのようであるならば、 称念するにしたがって、 一称でも多生でも皆往生することができるのである。
懐感法師がいわれている。
それぞれ仏の教であって、 いずれも浄土に往生する法門を説くのであるから、 みな、 浄土往生の業を成就するのである。 どういうわけで、 彼を是とし、 此を斥けて非といえるであろうか。 それでは、 自分が経を理解しないだけでなく、 また多くの仏道を学ぶ者を惑わすことになるのである。
迦才師がいわれている。
この十念は平生の時に作すのである。 «観経» の中の十念は命終の時に臨んで作すのである。 以上
この意味は懐感師と同じである。
問う。 «無量寿経» に説かれている。
少なくとも一念すれば、 往生することができる。
これと十念往生とは、 どうして矛盾するのか。
答える。 懐感師がいわれる。
極めて重い悪業を作った者は、 十念を満たして往生することができるが、 その他の者は、 わずか一念でもまた往生するのである。
問う。 生まれてからこのかた諸の悪業を作って一善も修めぬ者が、 命終の時に臨んで、 わずかに十声の念仏をしただけで、 どうしてよく罪を滅して、 長く迷いの三界を離れ、 ただちに浄土に生まれることができようか。
答える。 «那先比丘経» に説かれているとおりである。
時に弥み蘭らん王が阿羅漢の那な先せん比丘に問うていう。 「人がこの世で、 百年に至るまで悪事を作なしても、 死ぬ時に臨んで念仏するならば、 死後に天上界に生まれるというが、 わたくしはこのような説を信じない。」 更にいう。 「わずか一つの命を殺しても、 死ぬとただちに地獄の中に入るというが、 わたくしはこれもまた信じられない。」
そこで、 那先比丘は、 弥蘭王に問う。 「もし人が、 小石を持って、 水の中に置くならば、 石は浮かぶでしょうか、 沈むでしょうか。」 王がいう。 「石は沈むに決まっている。」 比丘がいう。 「もし、 百丈の大きな石をもって、 船の上に置いたならば、 石は沈むでしょうか、 どうでしょう。」 王がいう。 「沈みはしない。」 比丘がいう。 「船の中の百丈の大きな石は、 船の力に因よって沈むことはないのであります。 人に本からの悪があっても、 しばし、 念仏するならば、 地獄には沈まないで、 天上界に生まれるのです。 どうして信じないのですか。 また小石が沈むのは、 人が悪を作って、 教法を知らないならば、 死後には、 地獄に入るようなものであります。 どうして、 信じないのですか。」 王がいう。 「なるほど、 もっともなことです。」 比丘がいう。 「ここに二人がともに死んで、 一人は第七の梵天に生まれ、 一人は罽賓けいひん国に生まれるとしましょう。 この二人は、 生まれる場所の遠近は異なっていても、 死んだときには、 同時に到るようなものであります。 また、 一つがいの鳥がいて、 一羽は高い樹の上に止まり、 一羽は低い樹の上に止まったとしましょう。 二羽の鳥が、 同時にともに飛んだとき、 その影はともに地に到るようなものであります。 愚かな人は悪を作ると、 罪を得ることが大きく、 智慧ある人は悪を作っても、 罪を得ることが少ないようなものであります。 それは、 ちょうど地上に焼けた鉄があるとして、 一人は焼けた鉄だと知っていますが、 他の一人は、 焼けていることを知らないで、 二人がともに手に取ったとき、 知らなかった者の手は焼けただれることが大きく、 知っていた者の手は火傷がわずかなようなものであります。 悪を作るのも、 また同じようなものであります。 愚かな者は、 自ら悔いることができないから、 罪を得ることが大きく、 智慧ある者は、 悪を作っても、 よくないと知っているので、 日々に自ら悔いるから、 その罪は少ないのであります。」 以上
十念の念仏で、 多くの罪を滅し、 阿弥陀仏の大悲の願船に乗って、 たちまちのあいだに往生することができるのも、 その道理はまたこのようなものである。
また «十疑論» に解釈していわれている。
いま、 三種の道理によって比べはかってみると、 罪の軽重は一定せず、 時間の長い短い、 多い少ないには依らないものである。 三種とは何か。 一つには心にあり、 二つには縁にあり、 三つにはその時の心の決定にある。
心にあるというのは、 罪を造る時は、 みずからの虚妄の間違った心より生ずるが、 念仏する心は、 善知識が阿弥陀仏の真実功徳の名号を説くのを聞いた心より生ずるのである。 一は虚仮であり、 一は真実である。 どうして比べることができようか。 譬えていえば、 万年の暗室に、 日の光がしばらくでも入れば、 闇はただちに除かれるようなものである。 ながい間の闇だからといっても、 どうして滅なくならないことがあろうか。
縁にあるというのは、 罪を造るときには、 虚妄の愚かな心が、 虚妄の対象を所縁とする顛倒の心から生ずるが、 念仏する心は、 仏の清浄真実の功徳の名号を聞いて、 無上菩提を所縁とする心から生ずる。 一は真実で、 一は虚偽である。 どうして比べることができようか。 たとえば、 人があって、 毒の矢にあてられたとする。 その矢は深く、 毒は激しく、 肌を傷つけ骨に到るほどであっても、 一たび滅除薬をぬった鼓の音を聞くならば、 すぐさま毒の矢が除かれるようなものである。 矢が深く入り、 毒がはげしいからといっても、 どうして毒の矢が抜け出ないことがありえようか。
決定にあるというのは、 罪を造る時は、 いろいろの間雑する心、 まだ後があるというゆっくりした考えであるが、 臨終に念仏する時は、 専念の心、 もはや後がないという考えであって、 ついに命を捨てる時まで、 善心は猛たけくて利するどい。 そういうわけで、 ただちに往生するのである。 たとえば、 十かかえの綱は、 千人の男がかかっても自在にすることができないが、 子供でも剣をふるえばたちまちに両断することができるようなものである。 また千年かかって積み重ねられた草でも、 大豆ほどのわずかな火で焼けば、 しばしのあいだに焼きつくしてしまうようなものである。 また人があって、 一生のあいだ十善業を修めて、 天上界に生まれることができるようになっていても、 臨終の時に一念の決定の邪見を起こすならば、 ただちに阿鼻地獄に堕ちるようなものである。 このように、 虚妄な悪業でさえも猛くするどいから、 よく一生涯の善業を排はらいのけて、 悪道に堕とさせるのである。 まして、 臨終の猛くするどい心で念仏する真実で間雑のない善業が、 無始よりの悪業を排いのけることができずに、 浄土に往生することができないというようなことは、 あるはずがないのである。 以上
また «安楽集» には七つの喩で、 この意義を顕わしている。
一つには、 わずかな火の喩。 これは前に述べたとおりである。 二つには、 いざりでも船に乗れば、 かぜに帆かけて走る勢いによって、 一日で千里の遠きに至る。 三つには、 貧しい人がある珍しい宝物を得て、 それを王に献上したところ、 王は喜ばれて重く賞せられ、 しばらくの間に富貴が望みどおりになる。 四つには、 劣夫が、 もし天輪王の行幸みゆきに従えば、 虚空にのぼって、 飛ぶことが自在である。 五つには、 十かかえの綱の喩。 これは前に述べたとおりである。 六つには、 鴆ちん鳥ちょうが水の中に入ると、 魚や貝はそこでたおれてみな死ぬが、 犀の角をもって、 これに触れると、 死んだ魚や貝がまた活きかえる。 七つには、 鶴が死んだ子安を喚ぶと、 子安が甦ったとある。 どうして墓の下の死者は、 決して甦ることがないということができようか。 すべての法には、 みな自力・他力、 自摂・他摂があって、 種々無量である。 どうして、 凡夫の有礙の考えで、 仏の無礙の法を疑うことができようか。 また経論に説いてある五つの不思議の中で、 仏法が最も不可思議である。 どうして、 三界につながれる業は重く、 かのしばらくの念仏の功徳を疑って、 軽いものとしてよかろうか。 以上。 抜き書きした。
いまこれに加えていう。 一つには、 栴檀せんだんの樹が芽ばえる時は、 よく四十由旬の伊い蘭らん林の臭気をすべて芳香に変えてしまう。 二つには、 獅子の筋で琴の絃を作り、 これを一たびかなでるならば、 その他のもので作った絃は、 みな断ち切れる。 三つには、 一斤の石せき汁じゅうは、 よく千斤の銅を黄金に変える。 四つには、 金剛は堅いけれども、 羚羊かもしかの角で、 これを扣けば、 氷がとけるようにさらさらと解けてしまう。 以上は滅罪の譬である。 五つには、 雪山に草があって、 忍辱と名づける。 牛がこれを食べると、 醍醐味の乳を得る。 六つには、 沙しゃ訶か薬やくを、 ただ見るだけの人でも、 はかりしれない長い寿命が得られ、 念ずる者に至っては、 宿命智を得る。 七つには、 孔雀が雷の音を聞くと、 すぐ孕むことができる。 八つには、 尸利しり沙しゃという樹は昴星ぼうせいに照らされると、 果実を生ずる。 以上は生善の譬である。 九つには、 住水宝珠を瓔珞として身につけると、 深い水の中に入っても溺れない。 十には、 沙や小石はいくら小さくても、 水に浮かぶことはできない。 磐石は大きいけれども船に乗せるとよく浮かぶ。 以上は総じての譬である。 いろいろの法もののはたらきが思い難いことは、 このようである。 念仏の功力も、 これに準じて疑ってはならない。
問う。 臨終の心念はどれほどの力があって、 よくこのような大事を成しとげるのであるか。
答える。 その力は百年の行業よりも勝れている。 故に «大経» にいう。
この心は、 時間は少ないけれども、 心力の猛くてするどいことは火のようであり、 毒のようであるから、 少ないけれども、 よく大事を成しとげるのである。 今にも死にそうな時の心は、 決定して勇健であって、 百年間の行業よりも勝れている。 この最後の心を大心と名づけるのである。 自分の身体およびいろいろの感覚を捨てることが急だからである。 ちょうど戦陣に臨んで、 身命を惜しまぬ人を、 健けん (勇士) と名づけるようなものであり、 阿羅漢はこの身の執着を捨てるから、 阿羅漢のさとりを得るようなものである。 以上
これによって、 «安楽集» にいわれている。
すべての衆生は、 臨終の時には、 刀のように鋭い風が、 その身体を解き、 死の苦しみが迫って来て、 大きな怖れを生ずる。 (中略) そこで往生を得る。
問う。 深い観念の力が罪を滅することは、 そのとおりであろう。 しかし仏の名号を称えて、 どうして無量の罪を滅するのであるか。 もしそうであれば、 指をもって月を指すような場合、 この指がよく闇を破らねばならぬではないか
答える。 道綽和尚が、 これを解釈していわれる。
すべての法ものは千差万別で一概にはいわれない。 自然にその名が法ものと異ならないものもあり、 名が法ものと異なるものもある。 名が法と異ならないというのは、 諸仏菩薩の名号や禁呪まじないのことば、 経の文句などがこれである。 禁呪のことばに、 「日出東方乍赤乍黄」 (日が出ると東方はたちまち赤く、 たちまち黄色い) というようなのは、 たとい酉とり (午後五時〜七時) 亥い (午後九時〜十一時) の時刻に禁呪を唱えても、 患者が癒えるようなものである。 また人が犬にかまれた時、 虎の骨をあぶって、 患部を熨のすと、 患者がなおる。 あるいは骨がない時には、 よく手のひらをひろげてその患部をなで、 口の中に 「虎こ来らい虎来」 といったならば、 患者がまたなおるようなものである。 あるいはまた、 人が脚転筋こむらがえりを患った時は、 木瓜の枝をあぶっておさえると、 患者がなおる。 もし木瓜がない時は手をあぶって、 これをなで、 口に 「木もっ瓜か」 と呼べば、 それでも患者がまたなおる。 名が法と異なるものがあるとは、 指をもって月をさすようなのが、 これである。 以上
«西方要決» にいわれている。
諸仏は願と行とをもって、 この果名さとりのみなを成就されたのであるから、 ただよく名号を念ずるならば、 具つぶさに、 多くの徳を含んでいる。 それゆえ大善と成る。 以上。 かの文には «維摩経» と «成実論» との文を引く。 つぶさには、 上の助念方法門に示すとおりである。
問う。 もし、 五逆罪を造った下下品のものも、 十たび念仏することに由って往生することができるというならば、 どうして、 «仏蔵経» の第三巻に、 次のように説かれているのか。
大荘厳仏の滅後に、 四人の悪い比丘があった。 第一義 (もっともすぐれた義理)・無所有 (とらわれのない)・畢竟空 (究極の空) の法を捨てて、 外道である尼に健けん子しの論を貪り好んでいた。 この人が命終ったとき、 阿鼻地獄に堕ち、 熱鉄の上で、 仰向けに寝たり、 うつむけに寝たり、 左脇を下にして寝たり、 右脇を下にして寝たりして、 それぞれ九百万億年の間焼かれ、 ただれ死んでしまうと、 更に灰地獄・大灰地獄・等活地獄・黒縄地獄に生まれて、 皆、 上に述べた年数のあいだ苦しみを受けた。 黒縄地獄で死んで、 また阿鼻地獄に生まれた。 比丘たちの在家や出家のときに親しくしていた人ならびに多くの信者たち、 およそ六百四万億人も、 この四人の比丘と共に生まれ、 共に死んで、 大地獄にあって、 さまざまの焼かれ煮られる苦しみを受けた。 劫が尽きると、 他方の地獄に生まれ変わり、 劫が成ると、 またこの世界の地獄に生まれた。 久しい時を経てやっと地獄を免れ、 人間に生まれることができたけれども、 五百生の間、 生まれながらの盲めしいであった。 その後、 一切いっさい明みょう王おう仏に値いたてまつって出家し、 十万億年にわたって勤め励み、 頭についた火を払うようにしたけれども、 順忍でさえも得られなかった。 まして、 さとりの果をどうして得ることができよう。 その命が終ると、 またもや阿鼻地獄に生まれた。 その後九十九億の仏に値いたてまつったけれども、 順忍でさえも得られなかった。 どういうわけかといえば、 仏が深い法を説きたもうたのに、 この人は信じないで、 これを破壊し、 これに逆らい、 賢者・聖者、 持戒の比丘を謗って、 その過とがを表わしたという破法の因縁があったので、 当然そうあるべきことであった。 以上。 抜き書きした。 「四人の比丘」 とは、 苦岸比丘・薩和多比丘・将去比丘・跋難陀比丘である。
このように、 十万億年の間、 頭についた火を払うように励んだけれども、 それでも、 罪を滅しないで、 またもや地獄に生まれたというのである。 どうして一声や十声の念仏で、 ただちに罪を滅して浄土に往生することができようか。
答える。 懐感師が解釈していわれる。
念仏には五つの縁があるから、 罪を滅するのである。 一つには、 大乗の心を発おこす縁。 二つには、 浄土に往生したいと願う縁。 小乗の人は、 十方に仏がましますことを信じないからである。 三つには、 阿弥陀仏の本願の縁。 四つには、 念仏の功徳の縁。 かの «仏蔵経» の比丘は、 ただ四念処の観だけをなしたからである。 五つには、 仏が威力をもって加護したもう縁である。 こういうわけであるから、 念仏は、 罪を滅して浄土に往生することができるのである。 かの小乗の人は、 そうではないから、 罪を滅することはできぬのである。 抜き書きした。
問う。 もし、 そうであるならば、 どうして «無量寿経» に、 十念往生を説いて、
ただ五逆の罪を犯し、 正法を謗るものだけは除かれる。
というのであるか。
答える。 智憬などの諸師がいわれる。
もし、 ただ五逆だけを造った者は、 十念に由るから、 往生することができるけれども、 もし、 五逆罪を造った上に、 また正法を謗った者は、 往生することができないのである。
ある師がいわれる。
五逆の不定業を造ったものは、 往生することができるけれども、 五逆の定業を造ったものは、 往生することができない。
このようにして、 十五家の解釈がある。 ところで懐感法師は、 それら諸師の解釈を用いないで、 みずから、 こういっている。
もし、 五逆罪を造らない人は、 念仏の多少を論ずることなく、 一声でも十声でも、 ともに浄土に生まれることができる。 もし、 五逆罪を造った人は、 必ず十声を満たすべきである。 一声でも欠けたなら往生できない。 それ故に 「除く」 というのである。 以上
いま試みに解釈を加えるならば、 他のところでは、 遍く往生の種類を顕わしているけれども、 本願では、 ただ決定して往生する人だけを挙げている。 それ故に、 「そうでなければ、 決してさとりを開くまい」 といわれてある。 五逆罪を犯さぬ人の十念は決定して往生することができるが、 五逆罪を犯した人の一念は、 決定して往生することができない。 五逆罪を犯したものの十念と、 そうでない人の一念とは、 みな不定である。 それ故に本願には、 ただ五逆罪を犯さぬ人の十念を挙げ、 他のところでは、 かねて五逆罪を犯した人の十念と、 犯さない人の一念とを取り扱っているのである。 この義はまだ決定したものではない。 別に考えるべきである。
問う。 五逆罪を犯した人の十念は、 どういうわけで不定であるのか。
答える。 宿善の有無に由って、 念力が別だからである。 また、 臨終と尋常 (平生) との念ずる時が別だからである。
問う。 五逆罪というのは、 次の生に報いを受ける業 (順生業) である。 その報と時とは、 ともに定まっている。 どうして、 この罪を滅することができようか。
答える。 懐感師が、 これを解釈していわれる。
九部 (小乗) の不了教の中には、 諸の業因の果報を信じない凡夫のために、 奥深い思し召しをもって、 「定まった報いの業がある」 と説いているが、 諸の大乗の了義教の中では、 「一妻の業は、 悉く皆不定である」 と説いてある。 «涅槃経» の第十八巻に解かれているとおりである。 耆婆が阿闍世王のために、 懺悔の法を説いて 「罪は滅することができる」 といい、 また 「わたくしが仏の教を聞きましたところ、 一つの善心を修めると、 百種の悪を破ります。 わずかな毒薬が、 よく衆生を害そこなうようなものであります。 わずかな善根もまた同じことで、 よく大きな悪を破るのであります」 といった。 また «涅槃経» の第三十一巻に説かれている。 「善男子よ、 諸の人々の中には業因縁のいわれを心に軽んじて信じない者がある。 そういう人を済度するために、 このように説くのである。 善男子よ、 すべての行業には、 軽いものもあり、 重いものもある。 この軽・重の二種の業に、 またそれぞれ二種がある。 一つには決定の業、 二つには不決定の業である。」 また説かれている。 「あるいは、 重い業を軽くすることのできるものがあり、 あるいは、 軽い業を重くすることのできるものもある。 智慧のある人は、 智慧の力で、 地獄に落ちるような極めて重い業を、 この世で軽く受けるようにできるけれども、 愚かな人は、 この世の軽い業を、 地獄で重い報として受ける。」 こういうわけで、 阿闍世王は、 罪を懺悔し終ったので地獄に堕ちないようになり、 鴦掘おうくつ摩羅まらは、 阿羅漢のさとりを得たのである。 «瑜伽論» には 「まだ解脱さとりを得ないのを決定業と名づけ、 すでに解脱を得たのを不定業と名づける」 と説いている。 このような諸の大乗の経や論では、 五逆罪などを、 みな不定業と名づけ、 悉く罪は消滅することができると説いているのである。 重い業を転じて軽く受けるありさまは «放鉢経» にくわしく出ている。
問う。 いま引いた紋の中に、 「知恵のある人は、 重い業を転じて軽い報を受ける」 というが、 下品生の人はただ十念しおわって、 すぐさま浄土に生まれるのであるから、 どこで、 軽い報を受けるのか。
答える。 «無量寿経» に、 かの極楽浄土の胎生の者を説いていわれる。
五百年のあいだ、 仏・法・僧の三宝に値うことができず、 諸仏を供養して、 もろもろの善根を修めることができぬ。 それだけが苦とせられるので、 ほかの楽しみはあるけれども、 かの宮殿に居たいとは思わないのである。 以上
この経文に準じてみると、 七七日 (四十九日)・六劫・十二劫のあいだ、 仏を見たてまつらず、 法を聞かないなどのことを、 軽く受ける苦しみとすることが知られる。
問う。 もし臨終に、 一たび仏の名を念ずると、 よく八十億劫の多くの罪を滅するというならば、 平生の念仏の行者も、 またそうあるべきなのか。
答える。 臨終の時の心は、 力が強いから、 よく無量の罪を滅するけれども、 平生にみ名を称えたのでは、 臨終のようにならないであろう。 けれども、 もし観念が成就すれば、 また無量の罪を滅するであろう。 もし、 ただ名を称えるだけならば、 その心の浅深にしたがって、 その利益を得ることは差別があるであろう。 くわしくは、 前の念仏利益門に述べたとおりである。
問う。 浅い心の念仏でも、 また利益があるということは、 どうして知ることができるのか。
答える。 «首楞厳三昧経» に説かれている。
すぐれた薬があって滅除と名づける。 もし、 戦いくさの時にこれを鼓に塗ると、 諸の矢に射られたり、 刀や矛で傷つけられたりしたものも、 この鼓の音を聞くことができたならば、 矢が抜け出て、 毒が除かれるようなものである。 このように、 菩薩が首楞厳三昧に入った時、 その菩薩の名を聞いた者は、 貪欲・瞋恚・愚痴の矢がひとりでに抜け出て、 諸の邪見の毒もみな悉く除かれ滅し、 すべての煩悩も、 ふたたび起こることはないのである。 以上。 諸法の真如実相を観見し、 凡夫法と仏法とが不二であると見るのを、 「首楞厳三昧を修習する」 と名づける。
菩薩でさえも、 すでにそうである。 まして仏の場合はなおさらのことである。 み名を聞くことでさえも、 すでにそうである。 まして念ずる場合はなおさらのことである。 浅い心で念じても、 その利益はまた空しくないということを知るべきである。 
 

 

■粗心妙果
【76】 
第六に粗心の妙果といふは、 問ふ、もし菩提のために、仏において善をなすは、妙果を証得すといふこと、理かならずしかるべし。 もし人天の果のために善根を修せば、いかんぞ。
答ふ。
あるいは染、あるいは浄、仏において善を修せば、遠近ありといへどもかならず涅槃に至る。 ゆゑに『大悲経』の第三に、仏、阿難に告げてのたまはく、「もし衆生ありて、生死三有の愛果に楽着して、仏の福田において善根を種うるもの、かくのごとき言をなさく、〈この善根をもつて、願はくはわれ般涅槃することなからん〉と。 阿難、この人もし涅槃せずといはば、この処あることなからん。 阿難、この人、涅槃を楽求せずといへども、しかも仏所にしてもろもろの善根を種ゑたれば、われ説く、この人はかならず涅槃を得ん」と。
問ふ。 所作の業は願に随ひて果を感ず。 なんぞ、世報を楽ふに出世の果を得ん。
答ふ。
業果の理は、かならずしも一同ならず。 もろもろの善業をもつて仏道に回向するは、これすなはち作業なれば、心に随ひて転ず。 鶏狗の業をもつて天の楽を楽求するは、これすなはち悪見なれば、業をして転ぜしめず。 このゆゑに、仏においてもろもろの善業を修せば、意楽は異なりといへどもかならず涅槃に至る。 ゆゑにかの『経』(大悲経)に譬へを挙げてのたまはく、「たとへば、長者の、時によりて種を良田のなかに下し、時に随ひて漑ぎ灌ぎて、つねによく護持せん。 もしこの長者、余の時のうちに、かの田所に到りてかくのごとき言をなさく、〈咄なるかな、種子。 なんぢ種となることなかれ、生ずることなかれ、長ずることなかれ〉と。 しかも、かれ、種を種ゑつれば、かならず果をなすべし、果実なきにあらざらんがごとし」と。 {取意略抄}
問ふ。 かれ、いづれの時においてか般涅槃を得ん。
答ふ。
たとひ、久々に生死に輪廻すといへども、善根亡ぜずしてかならず般涅槃を得。 ゆゑにかの『経』(大悲経)にのたまはく、「仏、阿難に告げたまはく、〈捕魚の師、魚を得んがためのゆゑに、大きなる池の水にありて、鉤餌を安置して、魚をして呑み食はしめつ。 魚呑食しをはりて、池のなかにありといへども、久しからずしてまさに出づべきがごとし。 {乃至}阿難、一切衆生、諸仏の所にして敬信を生ずることを得、もろもろの善根を種ゑ、布施を修行し、乃至、心を発して、一念の信をも得れば、また余の悪・不善業のために覆障せられて、地獄・畜生・餓鬼に堕在すといへども、{乃至}諸仏世尊、仏眼をもつてこの衆生の発心の勝れたるを観見したまふがゆゑに、地獄よりこれを抜きて出さしむ。 すでに抜き出しをはりて、涅槃の岸に置きたまふ〉」と。
問ふ。 かくのごとき『経』(同)の意は、敬信せるをもつてのゆゑに、つひに涅槃を得るなり。 もししからば、ただ一たび聞くは、涅槃の因にあらざるべし。 すでにしからば、いかんぞ『華厳』の偈にのたまふ、
「もしもろもろの衆生ありて、いまだ菩提心を発さざれども、一たび仏の名を聞くことを得れば、決定して菩提を成ず」と。
答ふ。
諸法の因縁は不可思議なり。 たとへば、孔雀の、雷震の声を聞きてすなはち身あることを得、また尸利沙果の、先より形質なけれども、昴星を見る時に、果すなはち出生して、長さ五寸に足るがごとし。 仏の名号によりて、すなはち仏因を結ぶことまたかくのごとし。 この微因よりつひに大果を著す。 かの尼[陀樹の、芥子ばかりの種より枝葉を生じて、あまねく五百両の車を覆ふがごとし。 浅近の世法すらなほ思議しがたし。 いかにいはんや、出世の甚深の因果をや。 ただ信仰すべし。 疑念すべからず。
問ふ。 染心をもつて如来を縁ずるものもまた利益ありや。
答ふ。
『宝積経』の第八に、密迹力士、寂意菩薩に告げていはく、「耆域医王、もろもろの薬を合集して、もつて薬草を取りて童子の形を作る。 端正殊妙にして、世の希有なり。 所作安諦にして、所有究竟し、殊異なること比びなし。 往来し、周旋し、住立し、安坐し、臥寐し、経行するに、欠漏するところなく、顕変するところの業あり。 あるいは大豪の国王・太子・大臣・百官・貴姓・長者ありて、耆域医王の所に来到するに、薬の童子を視て、ともに歌ひ戯れて、その顔色を相るに、病みな除こることを得て、すなはち安穏寂静にして、無欲なることを致す。 寂意、しばらく、その耆域医王の、世間を療治するに、その余の医師の及ぶことあたはざるところを観ぜよ。 かくのごとく、寂意、もし菩薩、法身を奉行すれば、たとひ衆生の、婬・怒・痴盛りにして、男女・大小、欲想をもつて慕楽し、すなはちともにあひ娯楽すれども、貪欲の塵労はことごとく休息することを得」と。 [陰種諸入なしと信解し観察するを、すなはち「奉行法身」と名づく。 ]奉行法身の菩薩すらなほしかり、いかにいはんや法身を証得せる仏をや。
問ふ。 欲想をもつて縁ずるに、この利益あるがごとく、誹謗し悪厭するもまた益ありや。
答ふ。
すでに婬・怒・痴といへり。 明らけし、ただ欲想のみにはあらず。 また『如来秘密蔵経』の下巻にのたまはく、「むしろ如来において不善業をば起すとも、外道・邪見のものの所において供養を施作せざれ。 なにをもつてのゆゑに。 もし如来の所において不善業を起さば、まさに悔ゆる心ありて、究竟してかならず涅槃に至ることを得べし。 外道の見に随ふは、まさに地獄・餓鬼・畜生に堕つべし」と。
問ふ。 この文は、すなはち因果の道理に違せり。 また衆生の妄心を増す。 いかんぞ、悪心をもつて大涅槃楽を得んや。
答ふ。
悪心をもつてのゆゑに三悪道に堕つ。 一たび如来を縁ずるをもつてのゆゑにかならず涅槃に至る。 このゆゑに因果の道理に違せず。 いはく、「かの衆生、地獄に堕する時に、仏において信を生じ、追悔の心を生ず。 これによりて、展転してかならず涅槃に至る」と。 [『大悲経』(意)に見えたり。 ]染心に如来を縁ずる利益すらなほかくのごとし。 いかにいはんや、浄心にして一たびも称せんをや。 仏の大恩徳、これをもつて知りぬべし。
問ふ。 諸文に説くところの菩提・涅槃は、三乗のなかにおいて、これいづれの果ぞ。
答ふ。
初めには機に随ひて三乗の果を得といへども、究竟してはかならず無上の仏果に至る。 『法華経』にのたまふがごとし。
「十方仏土のなかには、ただ一乗の法のみあり。二もなくまた三もなし。仏の方便の説をば除く」と。
また『大経』(大般涅槃経)に、如来の決定の説義を明かしてのたまはく、「一切衆生はことごとく仏性あり。 如来は常住にして変易あることなし」と。
またのたまはく(大般涅槃経)、「一切衆生は、さだめて阿耨菩提を得るがゆゑに、このゆゑに、われ、一切衆生はことごとく仏性ありと説く」と。 またのたまはく(同)、「一切衆生はことごとくみな心あり。 おほよそ心あるものは、さだめてまさに阿耨菩提を成ずることを得べし」と。
問ふ。 なんがゆゑぞ、諸文の所説不同なる。 あるいは「一たび仏の名を聞かば、さだめて菩提を成ず」と説く。 あるいは「勤修すること、頭燃を救ふがごとくすべし」と説く。 また『華厳経』の偈にのたまはく、
「人の、他の宝を数ふるに、みづから半銭の分なきがごとく、法において修行せざるは、多く聞くともまたかくのごとし」と。
答ふ。
もしすみやかに解脱せんと欲はば、勤めずは分なきがごとし。 もし永劫の因を期せば、一たび聞くともまた虚しからず。 このゆゑに、諸文は、理、相違せず。 
第六に、 粗心の妙果というのは、
問う。 もし菩提を得るために、 仏に対して善根をなすならば、 妙果を証さとり得るということは、 道理として必ずそうであろう。 もし人天の果を得るために、 善根を修めると、 どうなるのであろうか。
答える。 あるいは煩悩に汚れていても、 あるいは浄らかであっても、 仏に対して善根を修めるならば、 速い遅いはあっても、 必ず涅槃に至るのである。 それ故に «大悲経» の第三巻に、 仏が阿難に告げて仰せられる。
もし人々があって、 生死まよいのこの世の楽果に執とらわれて、 仏の福田に対して、 善根を種える者が、 「この善根をもって、 願わくはわたしは涅槃を得ることがないように」 と、 このような言ことばを出いだすであろう。 阿難よ、 この人がもし涅槃を得ないというならば、 決して、 そんなはずはないのである。 阿難よ、 この人が涅槃を願い求めないとしても、 仏のみもとにおいて、 諸の善根を植えたのであるから、 わたしは、 この人は必ず涅槃を得るのであると説くのである。
問う。 作った業は、 その願いにしたがって果を受ける。 どうして、 この世間の報むくいを願うのに、 出世間の果を得るのであるか。
答える。 業によって果をえる道理は必ずしも同一であるとは限らない。 諸の善業を仏果にふりむけると、 これはそのなした行業が心にしたがって仏果を得るための因となる。 鶏や犬のまねをする業で、 天上の楽を願い求めるのは、 これは悪見であるから、 天上界に生まれる因とはならないのである。 こういうわけで、 仏に対して、 諸の善業を修めるならば、 意こころの願いは異なっていても、 必ず涅槃さとりに至るのである。 故に、 かの «大悲経» に譬たとえを挙げて説かれている。
たとえば長者が時節に依って種を良い田の中におろして、 時節にしたがって灌漑し、 常によく世話をし、 もし、 この長者がほかの時に、 かの田の所に到って 「おい、 種子よ。 おまえは種となってはいけない。 生えてはいけない。 おおきくなってはいけない」 と、 このように言ったとしよう。 それでも、 かの種子は必ず実を結ぶので、 決して果実ができないのではないようなものである。 意味をとって抜き書きした。
問う。 そういう人は、 いつになったら、 涅槃さとりを得るのか。
答える。 たとい、 久しい時にわたって、 生死に輪回するとしても、 その善根は亡びないで、 必ず涅槃さとりを得るのである。 それ故に、 かの «大悲経» に説かれている。
仏が阿難に告げたもう。 「漁師が、 魚を取ろうとして、 大きな池で、 釣り針に餌をつけて、 魚に食わせる場合、 魚が食いおわると、 池の中にいても、 やがては引き上げられて出るようなものである。 (中略) 阿難よ、 すべての人々が諸仏の所みもとにおいて、 敬信を生ずることができ、 諸の善根を種うえ、 布施を行じ、 さては発心して、 一念でも信心を得るならば、 また、 その他の悪業に障られて、 地獄・畜生・餓鬼に堕ちても、 (中略) 諸仏は仏眼をもって、 この人々を見そなわし、 その発心が勝れているために、 この人を地獄から抜き出したもう。 すでに抜き出し終ったならば、 涅槃さとりの岸に置きたもうのである。
問う。 この «大悲経» の意のとおりであれば、 敬信することによって遂に涅槃さとりを得るのである。 もしそうであるならば、 ただ一たび聞くだけでは、 涅槃の因ではないであろう。 もし、 そうならば、 どうして «涅槃経» の偈に、
もし諸の人々があって まだ菩提心を発さなくても
一たび仏のみ名を聞くことができるならば 必ず菩提さとりを成就するであろう
と説かれてあるのか。
答える。 あらゆる法ものの因縁は不可思議である。 たとえば、 孔雀が雷の音を聞くと、 ただちに孕むことができ、 また尸利沙果は、 それより前には形がなかったのに、 昴星に照らされた時、 果このみができて、 長さ五寸になるようなものである。 仏の名号に依って、 ただちに仏ほとけ因だねを結ぶことも、 またこのとおりである。 このような微わずかな因から、 ついに大きな果をあらわすのである。 かの尼拘にく陀だ樹じゅが、 芥子ぐらいの種から枝や葉を生じて、 五百両の車を遍く覆うようになるようなものである。 このような手近な世間の法ものでも、 なお思いはかることはむずかしい。 まして出世間の甚深の因果にあっては、 なおさらのことである。 ただ、 信じ仰ぐべきで、 疑いの念を起こしてはならぬ。
問う。 汚れた心で如来を縁ずる者も、 また利益があるだろうか。
答える。 «宝積経» の第八巻に、 密みつ迹しゃく力士が寂じゃく意い菩薩に告げていわれている。
耆婆医王が、 諸の薬を合わせ集め、 薬草を取って、 童子の形を作った。 その姿は端正でうるわしく、 世にも稀なものである。 その動作は安らかで、 あらゆるものはととのい、 たぐいなくすぐれたものであった。 その往ゆき来き・身のこなし・立ち・坐り・臥し・散歩するなど、 すべて欠けるところはなく、 いろいろと変わる業わざがあった。 あるいは、 勢力のある国王・太子・大臣・役人・貴族・長者などが、 耆婆医王の所に到り、 この薬で作った童子を見て、 共に歌い戯れる場合、 童子の顔色を見ると、 病気は皆なおり、 そこで安らかに静かで無欲になることができたということである。 寂意よ、 まあ、 これを観ぜよ。 この耆婆医王が、 世間の人を治療することは、 その他の医師が及ぶことのできないことである。 このように寂意よ、 もし菩薩があって、 法身を奉行するならば、 たとい愛欲や怒りや愚痴おろかさの盛んな男女老少の人々が、 愛欲の想から慕い願って、 共に娯たのしもうとしても、 貪欲の煩悩は悉くおさまることができるであろう。 五陰・十八界・十二処がない、 と信解し観察するのを 「法身を奉行する」 という。
法身を奉行する菩薩の場合でさえ、 なおこのようである。 まして法身を証り得られた仏の場合にあっては、 なおさらのことである。
問う。 愛欲の想で縁じても、 この利益があるように、 謗ったり憎み厭うても、 また利益があるのか。
答える。 すでに、 愛欲と怒りと愚痴おろかといわれている。 ただ愛欲の想だけではないことが明らかである。 また «如来秘密蔵経» の下巻に説かれている。
むしろ如来に向かって、 悪業を起こしても、 外道や邪見の者の所に供養を施すことがあってはならぬ。 なぜかというと、 もし如来の所みもとにおいて、 悪業を起こすならば、 その後に、 きっと悔いる心が生じて、 ついには、 必ず涅槃さとりに至ることができるであろうけれども、 外道の見解にしたがうならば、 きっと地獄・餓鬼・畜生に堕ちるからである。
問う。 この文は因果の道理に違たがい、 また、 かえって人々のまちがいの心を増すであろう。 どうして悪い心をもって、 大涅槃の楽を得られようか。
答える。 悪い心があるから三悪道に堕ち、 一たび如来を縁ずるから、 必ず涅槃に至る。 こういうわけで因果の道理には違たがわぬのである。 経に説かれている。
かの人々は、 地獄に堕ちる時、 仏に対して信を生じ、 後悔の心を生ずる。 これに由って後には必ず涅ね槃はんに至るのである。 «大悲経» に見えている。
このように汚れた心で如来を縁ずる利益でさえ、 かくも大きいのである。 まして浄らかな心で一たび念じ、 一たび称える場合はなおさらである。 仏の大恩徳は、 これでわかるであろう。
問う。 諸の経文などに説く菩提涅槃は、 三乗の中にあっては、 どういう果であるか。
答える。 初めには、 機類にしたがって、 それぞれ三乗の果を得るけれども、 ついには必ず無上の仏果に至るのである。 «法華経» に説かれているとおりである。
十方の仏土の中には ただ一乗の法みのりだけがあり
二もなく また三もない 仏が方便てだてとして説かれたことを除く
また «涅槃経» には、 如来の決定の説の義わけを明かされていう。
一切衆生にはことごとく仏性がある。 如来は常住であって変わることがない。
また説かれている。
一切衆生は、 かならず無上の仏果を得るのであるから、 わたしは、 一切衆生にはことごとく仏性があると説くのである。
また説かれている。
一切衆生には、 ことごとくみな心がある。 およそ心がある者は、 かならず無上仏果を成就することができるのである。
問う。 どういうわけで、 諸の経文などに説くことが同じでなく、 あるいは一たび仏の皆を聞くならば、 かならず菩提を成就すると説いたり、 あるいは頭についた火を払うように勤めよと説いたり、 また «華厳経» の偈には、
人が他人の宝を数えても 自分には半銭の分け前もないように
法において修行しないで 多く聞くだけなら またこのようである
と説かれているのか。
答える。 もし、 速やかに解脱さとりを得ようと思うならば、 勤めなければ、 自分のものとならないようなものであるが、 もし永劫の末に成仏する因を期するのであれば、 一たび聞くこともまた虚しくはない。 こういうわけであるから、 諸の経文などに説く道理は相違しないのである。 
■諸行勝劣
【77】 
第七に諸行の勝劣といふは、 問ふ、往生の業のなかには念仏を最となすも、余の業のなかにおいてもまた最となすや。
答ふ。
余の行法のなかにおいても、これまた最勝なり。 ゆゑに『観仏三昧経』に六種の譬へあり。
「一にはいはく、〈仏、阿難に告げたまはく、《たとへば、長者の、まさに死なんとすること久しからずして、もろもろの庫蔵をもつてその子に委付す。 その子、得をはりて、意に随ひて遊戯す。 たちまちに一時に、王難あるに値ひて、無量の衆賊、蔵の物を競ひ取る。 ただ一の金あり。 すなはちこれ閻浮檀那紫金にして、重さ十六両なり。 金鋌の長短また十六寸なり。
この金の一両の価は、余の宝の百千万両に直る。 すなはち穢らはしき物をもつて真金を纏ひ裹みて、泥団のなかに置きつ。 もろもろの賊見をはりて、これ金と識らずして、脚をもつて践みてしかも去りぬ。 賊去りて後に、財主、金を得て、心大きに歓喜せんがごとし。 念仏三昧もまたかくのごとし。 まさにこれを密蔵すべし》〉と。
二にはいはく、〈たとへば、貧人、王の宝印を執りて、逃げ走りて樹に上りぬ。 六兵これを追ふに、貧人、見をはりてすなはち宝印を呑みつ。 兵衆疾く至りて、樹をして倒僻せしむ。 貧人、地に落ちて、身体散壊しぬれども、ただ金印はあるがごとく、念仏の心印も壊れざること、またかくのごとし〉と。
三にはいはく、〈たとへば、長者の、まさに死なんとすること久しからずして、一の女子に告ぐらく、《われいま宝あり。 宝のなかに上れたるものなり。 なんぢ、この宝を得て、密蔵して堅からしめよ。 王をして知らしむることなかれ》と。 女、父が勅を受けて、摩尼珠およびもろもろの珍宝を持ちて、これを糞穢に蔵す。 室家の大小、みなまた知らず。 世の飢饉に値ひて、如意珠を持ちて、語に随ひて、すなはち百味飲食を雨らす。 かくのごとくして、種々に意に随ひて宝を得るがごとし。 念仏三昧の堅心不動なることまたかくのごとし〉と。
四にはいはく、〈たとへば、大きに旱して雨を得ることあたはず。 一の仙人ありて呪を誦す。 神通力のゆゑに、天より甘雨を降らし、地より涌泉を出すがごとし。 念仏を得たるものは善呪の人のごとし〉と。
五にはいはく、〈たとへば、力士、しばしば王法を犯して囹圄に幽閉せらるるに、逃げて海辺に到り、髻の明珠を解きて、持ちて船師を雇ひ、かの岸に到りて、安穏にして懼れなきがごとし。 念仏を行ずるものは大力士のごとし。 心王の鎖を挽れて、かの慧の岸に到る〉と。
六にはいはく、〈たとへば、劫尽きて大地洞然するに、ただ金剛山のみ摧破すべからずして、還りて本際に住するがごとく、念仏三昧もまたかくのごとし。 この定を行ずるものは、過去の仏の実際の海のなかに住す〉」と。{以上略抄}
また『般舟経』の「問事品」に念仏三昧を説きてのたまはく、「つねにまさに習持し、つねにまさに守りて、また余の法に随はざるべし。 もろもろの功徳のなかに最尊第一なり」と。{以上}
また不退転の位に至るに、難易の二の道あり。 易行道といふはすなはちこれ念仏なり。 ゆゑに『十住婆沙』の第三にいはく、「世間の道に難あり易あり。 陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。 菩提の道もまたかくのごとし。
あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもつて、疾く阿惟越致に至るものあり。{乃至}阿弥陀等の仏および諸大菩薩、名を称して一心に念ずれば、また不退転を得」と。{以上}文のなかに、過去・現在の一百余の仏、弥勒・金剛蔵・浄名・無尽意・跋陀婆羅・文殊・妙音・師子吼・香象・常精進・観世音・勢至等の一百余の大菩薩を挙げたり。 そのなかに広く弥陀仏を讃ぜり。
もろもろの行のなかにおいて、ただ念仏の行のみ修しやすくして、上位を証す。 知りぬ、これ最勝の行なりといふことを。 また『宝積経』の九十二にのたまはく、「もし菩薩ありて、多く衆務を営み、七宝の塔を造ること、三千大千世界に遍満せんに、かくのごとき菩薩は、われをして歓喜をなさしむることあたはず。 またわれを供養し恭敬するにもあらず。 もし菩薩ありて、波羅蜜相応の法において、乃至、一の四句の偈を受持し、読誦し、修行して、人のために演説せん。 この人は、すなはちわれを供養しつとなす。
なにをもつてのゆゑに。 もろもろの仏の菩提は、多聞より生ず。 衆務よりはしかも生ずることを得ず。 {乃至}もし一閻浮提の、営事の菩薩は、一の読誦・修行・演説の菩薩の所において、まさに親近し供養し承事すべし。 もし一閻浮提の、読誦・修行・演説のもろもろの菩薩等は、一の勤修禅定の菩薩において、またまさに親近し供養し承事すべし。 かくのごとき善業をば、如来随喜し、如来悦可したまふ。 もし勤修智慧の菩薩において承事し供養せば、まさに無量の福徳の聚を獲べし。 なにをもつてのゆゑに。 智慧の業は無上最勝にして、一切の三界の所行に出過すればなり」と。 {云々}『大集』の「月蔵分」の偈にのたまはく、
「もし人、百億の諸仏の所にして、多くの歳数においてつねに供養せんに、もしよく七日、闌若にありて、根を摂して定を得ば、福かれよりも多し。{乃至}閑静無為なるは仏の境界なり。かしこにおいてよく浄菩提を得。もし人、かの住禅のものを謗らば、これをもろもろの如来を毀謗すと名づく。もし人、塔を破ること多百千、および百千の寺を焚焼せんに、もし住禅のものを毀謗することあらば、その罪はなはだ多きこと、かれより過ぎたり。もし住禅のものに、飲食・衣服および湯薬を供養することあらば、この人無量の罪を消滅して、また三悪道に堕せじ。このゆゑにわれいまあまねくなんぢに告ぐ、仏道を成ぜんと欲はばつねに禅にあれ。もし阿蘭若に住することあたはずは、まさにかの人を供養すべし」と。{以上}
汎爾の禅定すら、なほすでにかくのごとし。いはんや、念仏三昧はこれ王三昧なるをや。
問ふ。 もし禅定の業は読誦・解義等に勝れたらば、いかんぞ、『法華経』の「分別功徳品」に、八十万億那由他劫の所修の前五波羅蜜の功徳をもつて、『法華経』を聞きて一念信解する功徳に校量して、百千万億分の一分なりとする。 いかにいはんや、広く他のために説かんをや。
答ふ。
これらのもろもろの行に、おのおの浅深あり。 いはく、偏円の教、差別あるがゆゑに。 もし当教にて論ぜば、勝劣は前のごとし。 もし諸教を相対せば、偏教の禅定は円教の読誦事業に及ばず。 『大集』と『宝積』とは一教に約して論じ、『法華』の校量は偏円相望す。 このゆゑに諸文の義、相違せず。 念仏三昧もまたかくのごとし。 偏教の三昧は当教に勝れたりとなす。 円人の三昧はあまねく諸行に勝れたり。 また定に二あり。 一は慧相応の定。 これを最勝なりとなす。 二は暗禅。 いまだ勝れたりとなすべからず。 念仏三昧はこれ初めの摂なるべし。  
第七に、 諸行の勝劣というのは、
問う。 往生の業の中では、 念仏を最勝とするが、 その他の行業の中にあっても、 また最勝とするのか。
答える。 その他の行業の中にあっても、 これはまた最勝である。 それ故 «観仏三昧経» には六種の譬たとえがある。 第一にいわれている。
仏が阿難に告げたもう。 「たとえば、 長者が、 まもなく死のうとするとき、 多くの蔵をその子に委ねた。 その子は、 これを得てから、 思いのままに遊び戯れた。 突然ある時、 国の乱れに値あい、 多くの賊が蔵の物をわれがちに奪い取った。 ところで、 ただ一つの金があった。 それは閻浮檀那紫金で、 重さは十六両である。 その金の延棒の長さも十六寸である。 この金の一両の価は、 その他の宝の百千万両に匹敵するのである。 そこで、 穢い物でこの真金を包み、 泥の中に置いた。 賊たちは、 それを見たけれども、 金であるとは知らず、 足で踏んで立ち去った。 賊が居なくなってから、 持主が、 この金を得て、 心大いに喜ぶようなものである。 念仏三昧もまたこのようなもので、 密かにこれを蔵すべきである。」
第二にいわれている。
たとえば、 貧しい人が王の宝印を盗み、 逃走して樹の上に登った。 多くの兵が、 これを追うたところ、 貧しい人はそれを見て、 すぐに宝印を呑みこんだ。 兵たちは早くも追いついて、 その樹を倒してしまった。 貧しい人は地に落ちて身体は壊くだけたが、 金印だけはもとのままにあるようなものである。 念仏の心の因が壊くだけないことも、 またこのようである。
第三にいわれている。
たとえば、 長者がまもなく死のうとするとき、 ひとり娘に、 「わたしには、 いま宝の中の最もすぐれた宝がある。 そなたは、 この宝を受けたら、 堅く密蔵して、 王に知られてはならない」 と告げた。 娘は、 父の言葉を受けて、 摩尼珠や諸の珍宝を糞穢の中に蔵しておいた。 家の中の人たちも、 皆知らなかった。 さて飢饉の世に値い、 如意珠で意のままに、 百味の飲食を雨ふらした。 このようにして、 いろいろと意のままに宝を得るようなものである。 念仏三昧の心が堅くて不同であることも、 またこのようである。
第四にいわれている。
たとえば、 はげしい旱ひでりで雨が得られないとき、 一人の仙人がいて呪文を誦えると、 神通力のために、 天からよい雨を降らし、 地から泉が湧き出るようなものである。 念仏を得た者は、 よく呪文を誦える人のようである。
第五にいわれている。
たとえば力士が、 しばしば王法を犯して、 牢屋に幽閉せられたが、 逃げ出して海辺に至り、 髻もとどりの明珠をほどいて、 それで船頭を雇い、 彼の岸に到りついて、 安穏で懼おそれがないことを得たようなものである。 念仏を行ずる者は大力士のごとく、 心の鎖を免れて、 彼の智慧の岸に至るようなものである。
第六にいわれている。
たとえば、 この劫が尽きるときには、 大地は燃え尽きるけれども、 ただ金剛山だけは砕かれることなく、 やはり本のままに住とどまるようなものである。 念仏三昧も、 また、 このとおりである。 この三昧を行ずる者は、 過去の仏の真如海の中に住まるのである。 以上。 抜き書きした。
また «般舟経» の問事品に、 念仏三昧を説いていわれる。
常にこれを持たもつべきである。 常に守って、 また他の法にはしたがってはならぬ。 この法は、 諸の功徳の中で最も尊い第一のものである。 以上
また不退転の位に至るには、 難行と易行の二つの道がある。 易行道というのは、 念仏である。 それ故に、 «十住毘婆娑論» の第三巻にいわれている。
世間の道路みちに難しい道と易やさしい道とがあって、 陸路を歩いて行くのは苦しいが、 水路を船に乗って渡るのは楽しいようなものである。 菩提さとりの道も、 また、 このとおりである。 あるいはいろいろな行を積んで行くものもあるし、 あるいは信方便の易行をもって速やかに不退転の位にいたるものもある。 (中略)
阿弥陀などの仏たち および多くの大菩薩たちの
み名を称えて一心を念ずれば また不退転を得る 以上
この «十住毘婆娑論» の文の中には、 過去と現在の百余の仏と、 弥勒・金剛蔵・維摩・無尽意・跋陀婆羅・文殊・妙音・師子孔・香象・常精進・観音・勢至などの百余の大菩薩とを挙げ、 その中で広く阿弥陀仏を讃めたてまつっているのである。 このように、 諸行の中にあって、 ただ念仏の行だけが、 修し易くて、 上位を証るのである。 最も勝れた行であることは、 これでわかる。
また «宝積経» の第九十二巻に説かれている。
もし菩薩があって、 多くさまざまの行をつとめ、 七宝の塔を造って、 遍く三千大千世界に満たしても、 このような菩薩は、 わたしを喜ばせることはできぬ。 また、 わたしを供養し恭敬するのでもない。 もし菩薩があって、 波羅蜜に相応した法を、 すくなくとも四句の一偈でも受け持たもち、 読誦し、 修行し、 人のために演説するならば、 この人はわたしを供養するものといわれる。 なぜかというと、 諸仏の菩提さとりは、 法を多く聞くことから生ずるので、 さまざまの行をつとめることから生ずることができないものだからである。 (中略) もしこの世界 (閻浮提) のさまざまの行をつとめる菩薩は、 一人の読誦し修行し演説する菩薩の所に、 親近し供養し師事すべきである。 もし、 この世界の読誦し修行し演説する諸の菩薩たちは、 一人の禅定を勤める菩薩の所に、 また親近し供養し師事すべきである。 このような善業を、 如来は随喜せられ、 悦びをなしたもう。 もし、 智慧の行を勤める菩薩の所に師事し供養するならば、 はかりなき大きな福徳を得るであろう。 なぜかというと、 智慧の行は、 この上もなく最も勝れたもので、 すべての三界における行に超え過ぎたものだからである。
«大集経» 月蔵分の偈に説かれている。
もし人が百億の諸仏の所みもとで 多年にわたって常に供養したてまつっても
もしよく七日のあいだ閑静な処に居て 身心を摂めて禅定を得る福徳は彼よりも多い (中略)
閑静無為は仏の境界である かしこにおいて よく浄い菩提さとりを得る
もし人がかの禅定に住する者を謗るならば 諸の如来を謗ると名づける
もし人が塔を壊すこと幾百年 また百千の寺を焼いたとしても
もし禅定に住する者を謗るならば その罪は甚だ多くて彼よりもまさる
もし禅定に住する者に 飲食・衣服および湯薬を供養するならば
この人は無量の罪を消滅し また三悪道に堕ちることもない
この故私は今あまねくそなたたちに告げる 仏道を成就しようと思うなら常に禅定に住せよ
もし閑静な処に住むことができないならば 禅定に住する者を供養するがよい 以上
一般の禅定でさえも、 すでにこのような功徳がある。 まして念仏三昧は三昧 (禅定) の王であるから、 なおさらのことである。
問う。 もし、 禅定の行が、 経を読誦したり仏法の義理を了解するなどよりも勝れているなのならば、 どうして «法華経» の分別功徳品に、 八十億那由他劫の間に修めたところの前の五波羅蜜 (布施・持戒・忍辱・精進・禅定) の功徳を、 «法華経» を聞いて一念に信じ領解する功徳に比較して、 百千万億分の一であるとし、 まして、 広く他のために説くのは、 なおさらのこととするのであるか。
答える。 これらの諸行には、 それぞれ浅深がある。 すなわち、 偏教と円教との教に差別があるからである。 もしその教だけで論ずるならば、 その勝劣は前に述べたとおりである。 もし諸経を相対して論ずるならば、 偏教の禅定は、 円教の読誦の行には及ばない。 «大集経»・«宝積経» などは、 その教だけに就いて論ずるものであり、 «法華経» の比較は、 偏教と円教とを対照していうのである。 こういうわけで、 諸の経文の義は相違しないのである。 念仏三昧についても、 またこのとおりである。 偏教の三昧は、 その教では勝れているとするのであるが、 円教の人の三昧は、 遍く諸行に勝れているのである。 禅定 (三昧) には二種がある。 一つには、 智慧と相応している禅定で、 これを最も勝れたものとする。 二つには智慧と相応していない禅定で、 まだ勝れたものとはいえない。 ところで念仏三昧は、 当然前者に摂められるものである。 
■信毀因縁
【78】 
第八に信毀の因縁といふは、『般舟経』にのたまはく、「独り一仏の所にして功徳を作るのみにあらず。 もしは二、もしは三、もしは十においてせるにもあらず。 ことごとく百仏の所にしてこの三昧を聞き、かへりて後世の時にこの三昧を聞くものなり。 経巻を書学し誦持して、最後に守ること一日一夜すれば、その福計るべからず。 おのづから阿惟越致に致り、願ずるところのものを得ん」と。
問ふ。 もししからば、聞くものは決定して信ずべし。 なんがゆゑぞ、聞くといへども、信じ信ぜざるものある。
答ふ。
『無量清浄覚経』(四)にのたまはく、「善男子・善女人ありて、無量清浄仏の名を聞きて、歓喜し踊躍して、身の毛起つことをなし、抜け出づるがごとくなるものは、みなことごとく宿世宿命に、すでに仏事をなせるなり。 それ人民ありて、疑ひて信ぜざるものは、みな悪道のなかより来りて、殃悪いまだ尽きざるなり。 これいまだ解脱を得ざるなり」と。 {略抄}
また『大集経』の第七にのたまはく、「もし衆生ありて、すでに無量無辺の仏の所にしてもろもろの徳本を殖ゑたるものは、すなはちこの如来の十力・四無所畏・不共の法・三十二相を聞くことを得ん。 {乃至}下劣の人は、かくのごとき正法を聞くことを得ることあたはじ。 たとひ聞くことを得とも、いまだかならずしもよく信ぜず」と。 {以上}まさに知るべし、生死の因縁は不可思議なり。 薄徳のものの、聞くことを得るも、その縁知りがたし。 烏豆聚に一の緑き豆あらんがごとし。 ただしかれ聞くといへどもしかも信解せず。 これはすなはち薄徳の致すところなるのみ。
問ふ。 仏、往昔に、つぶさに諸度を修したまひしに、なほ八万歳にこの法を聞きたまふことあたはざりき。 いかんぞ、薄徳のたやすく聴聞することを得る。 たとひ希有なりと許せども、なほ道理に違せり。
答ふ。
この義、知りがたし。 試みにこれを案じていはく、衆生の善悪に四の位の別あり。 一には、悪用偏増なり。 この位には法を聞くことなし。 『法華』(意)にのたまふがごとし、「増上慢の人、二百億劫つねに法を聞かず」と。 二には、善用偏増なり。 この位にはつねに法を聞く。 地・住以上の大菩薩等のごときなり。 三には、善悪の交際。 いはく、凡を捨てて聖に入らんとする時なり。 この位のなかには、一類の人ありて法を聞くことはなはだ難し。 たまたま聞きつればすなはち悟る。 常啼菩薩、須達が老女等のごとし。 あるいは魔のために障へられ、あるいはみづからの惑ひのために障へられて、聞見を隔つといへども、久しからずしてすなはち悟る。 四には、善悪容預なり。 この位には、善悪は同じくこれ生死流転の法なるがゆゑに、多く法を聞くこと難し。 悪増にあらざるがゆゑに、一向に無聞なるにあらず。 交際するにあらざるがゆゑに、聞くといへども巨益なし。 六趣・四生に蠢々たる類、これなり。 ゆゑに上人のなかにもまた聞くこと難きものあり、凡愚のなかにもまた聞くものあり。 これまたいまだ決せず。 後賢、取捨せよ。
問ふ。 不信のもの、なんの罪報をか得る。
答ふ。
『称揚諸仏功徳経』の下巻にのたまはく、「それ、阿弥陀仏の名号功徳を讃嘆し称揚するを信ぜざることありて、謗毀するものは、五劫のうちに、まさに地獄に堕して、つぶさにもろもろの苦を受くべし」と。
問ふ。 もし深信なくして疑念をなすものは、つひに往生せざるや。
答ふ。
まつたく信ぜず、かの業を修せず、願求せざるものは、理として生るべからず。 もし仏智を疑ふといへども、しかもなほかの土を願ひ、かの業を修するものは、また往生することを得。 『双巻経』(大経・下)にのたまふがごとし、「もし衆生ありて、疑惑の心をもつてもろもろの功徳を修して、かの国に生れんと願じて、仏智・不思議智・不可称智・大乗広智・無等無倫最上勝智を了せず、このもろもろの智において疑惑して信ぜず、しかもなほ罪福を信じ、善本を修習して、その国に生ぜんと願ぜん。 このもろもろの衆生は、かの宮殿に生じて、寿五百歳、つねに仏を見たてまつらず、経法を聞かず、菩薩・声聞の衆を見たてまつらず、このゆゑにかの国土においては、これを胎生といふ」と。 {以上}仏の智慧を疑ふは、罪、悪道に当れり。 しかも願に随ひて往生するは、これ仏の悲願の力なり。 『清浄覚経』(平等覚経・三)に、この胎生をもつて中輩・下輩の人となせり。 しかも諸師の所釈、繁く出すことあたはず。
問ふ。 仏智と等いふは、その相いかんぞ。
答ふ。
憬興師は、『仏地経』の五法をもつて、いま五智と名づけたり。 いはく、清浄法界を仏智と名づけ、大円鏡等の四をもつて、次いでのごとく不思議等の四に当つるなり。 玄一師は、仏智は前のごとくなるも、後の四智をもつて、逆に成事智等の四に対するなり。 余の異解あるも、これを煩はしくすべからず。 
第八に信・毀の因縁というのは、 «般舟三昧経» に説かれている。
般舟三昧を聞くことは深い因縁によるもので、 ただ一仏の所みもとにおいて功徳を作っただけではない。 また二仏、 もしくは三仏、 もしくは十仏の所だけでもない。 悉く百仏の所において、 この三昧を聞き、 そうして後の世にこの三昧を聞くものである。 経巻を書写し、 学び、 誦となえ持たもって、 最後に一日一夜たもつならば、 その福徳は計ることができない。 おのずから阿惟越致 (不退の位) に至って、 その願うところを得るのである。
問う。 もしそうであるならば、 聞く者はかならず信ずるはずである。 どういうわけで、 聞いても信ずるものと信じないものとがあるのか。
答える。 «平等覚経» に説かれている。
善男・善女があって、 無量清浄仏のみ名を聞いて、 喜び踊り、 身の毛がよだって抜けるように思う人は、 みな悉く過去世にすでに仏道を修めているものである。 もしまた人があって、 仏を疑って信じないものは、 みな悪道から来て、 その罪がまだ尽きないもので、 なおまだ解脱を得ることができないのである。 抜き書きした。
また «大集経» の第七巻 (第六巻) に説かれている。
もし衆生があって、 すでに無量無辺の仏の所において、 もろもろの徳本を植えたものは、 この如来の十力・四無所畏・十八不共法・三十二相を聞くことができるのである。 (中略) 下劣の人はこのような正法を聞くことができない。 たとい聞くことができたとしても、 まだ必ずしも信ずることはできないのである。 以上
これによってわかるであろう。 生死の因縁は不可思議なものである。 功徳が少ないものでありながら、 聞くことができるのは、 そのわけを知ることが難しい。 沢山の黒豆の中に、 一粒の青豆があるようなものである。 そういう人が聞いても、 信じ領解しないのは、 功徳が少ないからである。
問う。 仏は昔つぶさに諸の菩薩の行を修めたもうたが、 八万年に及んでも、 この法みのりを聞くことができなかったという。 どうして、 功徳の少ないものが、 たやすく聴聞することができようか。 たとい、 それは稀な例であると認めても、 やはり道理に違たがうであろう。
答える。 この義は、 なかなか難しいが、 試みにこれを考えてみよう。 だいたい衆生の善悪については、 四種の位の別がある。 一つには、 悪のはたらきが偏ひとえに増す。 この位にあっては法を聞くことはない。 «法華経» に説かれているとおりである。
増上慢の人は、 二百億劫のあいだ、 常に法みのりを聞かないのである。
二つには、 善のはたらきが偏に増す。 この位にあっては、 常に仏法を聞くのである。 十地や十住以上の大菩薩などのようなものである。
三つには、 善と悪とが入りまじる。 すなわち、 凡夫を捨て離れて聖者に入ろうとする時である。 この位の中には、 一類の人があって、 法を聞くことははなはだ難しいが、 たまたま聞くことができると、 すぐさま悟るのである。 常啼菩薩や須達長者の家の老女などのようなものである。 あるいは悪魔のために妨げられ、 あるいは自分の惑のために邪魔せられて、 仏法を聞見することを隔てられているけれども、 遠からぬうちに悟るのである。
四つには、 善と悪とがゆるやかである。 この位の善悪は、 同じく生死流転の法ものであるから、 その多くは、 法みのりを聞くことが難しい。 しかし悪が増すのでないから、 まったく仏法を聞かないのではない。 善と悪とが入りまじるのでもないから、 聞いたとしても大きな利益はない。 すなわち、 六趣四生にうごめいている類たぐいが、 それである。 故に、 すぐれた人の中にも、 仏法を聞くことの難しいものがあり、 愚かな人の中にも、 仏法を聞くものがある。
ところで、 この義は、 まだ決定したものではないから、 後の賢い方々は取捨していただきたい。
問う。 信じない者は、 どのような罪の報を得るのであるか。
答える。 «称揚諸仏功徳経» の下巻に説かれている。
もし、 阿弥陀仏の名号の功徳を讃めたたえることを信じないで、 謗り毀こぼつ者があるならば、 五劫のあいだ地獄に堕ちて、 つぶさにもろもろの苦を受けねばならぬ。
問う。 もし深心がなくて、 疑念を生ずる者は、 結局往生できないのであるか。
答える。 もし、 全く信ぜず、 往生の業を修めず、 浄土を願い求めない者は、 道理として往生するはずがない。 しかしながら、 もし仏智を疑うけれども、 それでもやはり、 かの浄土に生まれたいと願い、 往生の業を修める者は、 これもまた往生することができるのである。
«無量寿経» に説かれているとおりである。
もし、 人々の中で、 疑いの心を持ちながら、 いろいろの功徳を修めて、 かの国に生まれたいと願い、 仏智、 思いもおよばぬ智慧 (不思議智)、 はかり知られぬ智慧、 すべての者を救う智慧、 ならびなくすぐれた智慧を知らず、 いろいろの仏の智慧を疑って信ぜず、 しかもなお罪の報を恐れ、 おのが善根をたのむ心をもって善の本を修め、 それによってかの国に生まれたいと願うものがあれば、 これらの人は、 かの国に生まれても宮殿の中にとどまり、 五百年のあいだ、 少しも仏を拝むことができず、 教法を聞くことができず、 菩薩・声聞などの聖衆を見ることもできない。 それゆえ、 これをたとえて胎生というのである。 以上
仏の智慧を疑うのは、 悪道に堕ちる罪に相当する。 けれども、 その願いにしたがって往生するというのは、 仏の大悲の願力によるのである。 «平等覚経» には、 この胎生を中輩や下輩の人としている。 しかしながら諸師の解釈については、 詳しく述べることはできない。
問う。 「仏智」 などというのは、 その相すがたはどうであるのか。
答える。 憬興師は、 «仏地経» の五法をもって今の五智を説明する。 すなわち、 清浄法界を仏智と名づけ、 大円鏡智などの四つを、 順次に不思議智などの四つに配当するのである。 玄一師は、 仏智は前のとおりであるけれども、 後の四智の順序を逆にして成事智 (成所得智) などの四つに当てている。 その他の異なった解釈があるけれども、 これを煩わしく述べることはできない。 
■助道資縁
【79】 
第九に助道の資縁といふは、問ふ、凡夫の行人はかならず衣食を須ゐる。 これ小縁なりといへども、よく大事を弁ず。 裸・にして安からずは、道法いづくんぞあらん。
答ふ。
行者に二あり。 いはく、家と出家となり。 その在家の人は、家業自由にして、餐飯・衣服あり。 なんぞ念仏を妨げん。 『木槵経』の瑠璃王の行のごとし。 その出家の人にまた三類あり。 もし上根のものは、草座・鹿皮、一菜・一菓なり。 雪山の大士のごとき、これなり。 もし中根のものは、つねに乞食・糞掃衣なり。 もし下根のものは、檀越の親施なり。 ただ少し得るところあれば、すなはち足るを知る。 つぶさには『止観』の第四のごとし。 いはんやまた、もし仏弟子にして、もつぱら正道を修して、貪求するところなきものは、自然に資縁を具す。
『大論』(大智度論)にいふがごとし。 「たとへば、比丘の貪求するものは供養を得ず、貪求するところなきはすなはち乏しく短なきところなきがごとく、心もまたかくのごとし。 もし分別して相を取れば、すなはち実法を得ず」と。 また『大集』の「月蔵分」のなかに、欲界の六天・日月星宿・天竜八部、おのおの仏前にして誓願を発してのたまはく、「もし仏の声聞の弟子にして、法に住し、法に順じ、三業相応して修行するものをば、われらみなともに護持し養育し、所須を供給して、乏しきところなからしめん。 もしまた世尊の声聞の弟子にして、積聚するところなからんをば護持し養育せん」と。 またのたまはく(大集経)、「もし世尊の声聞の弟子にして、積聚に住し、乃至、三業と法と相応せざるものをば、またまさに棄捨すべし、また養育せじ」と。
問ふ。 凡夫はかならずしも三業相応せず。 もし欠漏あらば、依怙なかるべし。
答ふ。
かくのごとき問難は、これすなはち懈怠にして道心なきものの致すところなり。 もしまことに菩提を求め、浄土を欣ふものは、むしろ身命をば捨つとも、あに禁戒を破らんや。 一世の勤労をもつて、永劫の妙果を期すべし。 いはんやまた、たとひ戒を破るといへどもその分なきにあらず。 同経に、仏ののたまふがごとし。
「〈もし衆生ありて、わがために出家して、鬚髪を剃除し袈裟を被服せば、たとひ戒を持たずとも、かれらはことごとくすでに涅槃の印のために印せられたり。 もしまた出家して、戒を持たざるものを、非法をもつて悩乱をなし、罵辱し毀訾し、手に刀杖をもつて打ち縛り斫き截りて、もしは衣鉢を奪ひ、および種々の資生の具を奪ふことあるものは、この人はすなはち三世の諸仏の真実の報身を壊り、すなはち一切の天・人の眼目を挑るなり。 この人は、諸仏の所有の正法、三宝の種を隠没せんと欲するがためのゆゑに、もろもろの天・人をして、利益を得ずして地獄に堕せしめんがゆゑに、三悪道を増長し盈満せしむるがためのゆゑに〉と。 {云々}
その時に、また一切の天・竜、乃至、一切の迦&x単那・人・非人等ありて、みなことごとく合掌して、かくのごとき言をなさく、〈われら、仏の一切の声聞の弟子において、乃至、もしはまた禁戒を持せずとも、鬚髪を剃除し袈裟の片を着たるものをば、師長の想をなして護持し養育して、もろもろの所須を与へて、乏少なることなからしめん。 もし余の天・竜、乃至、迦&x単那等の、その悩乱をなし、乃至、悪心にして眼をもつてこれを視ば、われらことごとくともに、かの天・竜・富単那等の、所有のもろもろの相をして欠減し醜陋ならしむ。 かれをして、またわれらとともに住しともに食することを得ざらしむ。 また同処にして戯笑することを得じ。 かくのごとくにして擯罰せん〉」と。{以上取意}
またのたまはく(大集経)、「その時に、世尊、上首弥勒および賢劫のうちの一切の菩薩摩訶薩に告げてのたまはく、〈もろもろの善男子、われ、昔、菩薩の道を行ぜし時に、かつて過去の諸仏如来においてこの供養をなし、この善根をもつてわがために三菩提の因となせり。
われ、いまもろもろの衆生を憐愍するがゆゑに、この果報をもつて分ちて三分となし、一分は留めてみづから受け、第二の分をば、わが滅後において、禅解脱三昧と堅固に相応する声聞に与へて、乏しきところなからしめ、第三の分をば、かの破戒にして、経典を読誦し、声聞に相応して、正法・像法に、頭を剃り袈裟を着たるものに与へて、乏しきところなからしめん。
弥勒、われ、いままた三業相応のもろもろの声聞衆、比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷をもつて、なんぢが手に寄付す。 乏しく少なく孤独にして終らしむることなかれ。 および、正法・像法に、禁戒を毀破して、袈裟を着たるものをも、なんぢが手に寄付す。 かれらをして、もろもろの資具において、乏少にして終らしむることなかれ。 また旃陀羅王ありて、ともにあひ悩害し、身心に苦を受けしむることなかれ。 われ、いままたかのもろもろの施主をもつて、なんぢが手に寄付す〉」と。{以上}
破戒すらなほしかり。 いかにいはんや、持戒をや。 声聞すらなほしかなり。 いかにいはんや、大心を発してまことに念仏せんをや。
問ふ。 もし破戒の人もまた天・竜のために護念せられなば、いかんぞ『梵網経』(意)に、「五千の鬼神、破戒の比丘の跡を払ふ」とのたまひ、『涅槃経』(意)に、「国王・群臣および持戒の比丘は、まさに破戒のものを苦治し駆遣し呵嘖すべし」とのたまふや。
答ふ。
もし理のごとく苦治せば、すなはち仏教に順ず。 もし非理にして悩乱せば還りて聖旨に違す。 ゆゑに相違せず。 「月蔵分」(大集経)に、仏ののたまへるがごとし。 「国王・群臣は、出家のものの、大罪業たる大殺生・大偸盗・大非梵行・大妄語および余の不善をなすを見ては、かくのごとき等の類をば、ただまさに法のごとく、国土・城邑・村落を擯出して、寺にあることを聴さざれ。 また僧の事業を同ずることを得しめじ。 利養の分、ことごとくともに同ぜしめざるべし。 鞭打することを得じ。 もし鞭打せば、理、応ぜざるところなり。 また口に罵辱すべからず。 一切、その身に罪を加ふべからず。 もしことさらに法に違して、罪を讁めば、この人はすなはち解脱において退落し、必定して阿鼻地獄に帰趣せん。 いかにいはんや、仏のために出家して、つぶさに戒を持つものを鞭打せんをや」と。{略抄}
問ふ。 人間の擯治は、差別しかるべし。 非人の行は、なほいまだ決了せず。 『梵網経』には一向に跡を払ふ、『月蔵経』には一向に供給す。 なんぞたちまちに乖角せる。
答ふ。
罪福の旨を知らんがために、かならずすべからく人の行を決すべし。 かならずしも非人の所行を決すべからず。 もしは制、もしは開、おのおの巨益をなす。 あるいはまた、人の意楽の不同なるがごとく、非人の願楽もまた不同なるのみ。 学者、決すべし。
問ふ。 論のちなみに論をなさん、かの犯戒の出家の人において供養し悩乱せば、いくばくの罪福を得るや。
答ふ。
『十輪経』の偈にのたまはく、
「恒河沙の仏の、解脱幢相衣を被たり、これにおいて悪心を起さば、さだめて無間獄に堕ちなん」と。[袈裟を名づけて「解脱幢衣」となす。]
「月蔵分」(大集経)にのたまはく、「もしかれを悩乱せば、その罪万億の仏身より血を出す罪よりも多し。 もしこれを供養せば、なほ無量阿僧祇の大福徳聚を得ん」と。 {取意}
問ふ。 もししからば、一向にこれを供養すべし。 なんぞこれを治して大きなる罪報を招くべけんや。
答ふ。
もしその力ありてこれを苦治せずは、かれまた罪過を得。 これ仏法の大きなる怨なり。 ゆゑに『涅槃経』の第三にのたまはく、「持法の比丘は、戒を破り正法を壊することあるものを見ば、すなはち駆遣し、呵嘖し挙処すべし。 もし善比丘、壊法のものを見て、置きて、呵嘖し駆遣し挙処せずは、まさに知るべし、この人は仏法のなかの怨なり。 もしよく駆遣し、呵嘖し挙処せば、これわが弟子なり、真の声聞なり。 {乃至}もろもろの国王および四部の衆は、まさにもろもろの学人等を勧励して、増上の戒・定・智慧を得しむべし。 もしこの三品の法を学せずして、懈怠破戒にして正法を毀るものあらば、王者・大臣、四部の衆、まさに苦治すべし」と。 またのたまはく(同)、「もし比丘ありて、禁戒を持すといへども、利養のためのゆゑに、破戒のものと坐し起し行じ来し、ともにあひ親附して、その事業を同じくせば、これを破戒と名づく。 {乃至}
もし比丘ありて、阿蘭若処にありて、諸根利ならず、闇鈍r瞢にして少欲にして乞食し、説戒の日および自恣の時に、もろもろの弟子を教へて清浄に懺悔せしめ、弟子にあらざるもの、多く禁戒を犯せるを見ては、教へて清浄に懺悔せしむることあたはずして、すなはちともに説戒し自恣する、これを愚痴僧と名づく」と。 {以上略抄}あきらかに知りぬ、もしは過ぎ、もしは及ばざるは、みなこれ仏勅に違しぬ。 そのあひだの消息すべて意を得るにあり。 
第九に助道の資縁というのは、
問う。 凡夫の行者は、 必ず衣食を用いる。 これは、 小さな資縁ではあるけれども、 よく大事をととのえるものである。 衣食に事欠いて不安であれば、 仏道修行もどこにあろうか。
答える。 行者には二種がある。 すなわち、 在家と出家とである。 そのうち、 在家の人は、 家業を自由に営んで、 食物も衣服もあるから、 どうして念仏を妨げることがあろうか。 «木槵経» の瑠璃王の念仏の行のようなものである。 出家の人にも、 また三種類のものがある。 上根の者は、 草を敷いて座とし、 鹿の皮を衣とし、 一菜一果の生活である。 雪山大士のような人が、 これである。 中根の者は、 常に食を乞い、 ぼろを集めた衣 (糞掃衣) を着るのである。 下根の者は、 信者の施しによる。 ただ少し得たならば満足することを知る。 詳しくは «摩訶止観» の第四巻のとおりである。 まして、 もし仏弟子として、 専ら正道を修めて貪り求めることがないならば、 おのずから衣装などの資縁が備わるのである。 «大智度論» にいわれているとおりである。
たとえば、 比丘で、 貪り求める者は供養を受けられず、 貪り求めない者は、 欠けることのないようなものである。 心もまたこのとおりである。 もし分別して相に執われるならば、 実の宝を得ることはできない。
また «大集経» の月蔵分の中に、 欲界の第六天、 日月星宿・天竜八部などが、 それぞれ仏の前で次のような誓願を発していう。
もし、 仏の声聞の弟子で、 法にもとづき、 法にしたがい、 三業がこれにかなって修行するならば、 わたくしたちはみな共に護り育て、 その必要な物をさしあげ、 欠乏しないようにいたしましょう。 もしまた世尊の声聞の弟子で貪り蓄えない者を護り育てましょう。
また説かれている。
もし、 また世尊の声聞の弟子で、 貪り蓄え、 そして三業が法と相応しないような者は、 またこれを棄てましょう。 また養育いたしません。
問う。 凡夫は、 いつも三業が相応するとは限らない。 もし欠けることがあるならば、 よるべがないであろう。
答える。 そのような問難は、 懈怠で道心のない者のすることである。 もし本当に菩提を求め、 心から浄土を欣うものは、 たとい身命を捨てても、 どうして禁戒を破るであろうか。 この世の勤めを果たして永劫の妙果を期すべきである。 ましてまた、 たとい戒を破っても、 その人に分け前がないのではないから、 なおさらである。 同じ経 (大集経) に、 仏が仰せられるとおりである。
「もし衆生の中で、 わたしの法を聞いて出家し、 髪を剃り、 袈裟を着けるものがあれば、 たとい戒を持たもたなくても、 かれらは、 ことごとく将来においてさとりを得ることを定められるのである。 もしまた出家して、 戒を持たない者でも、 この人を、 非法のしかたで悩まし、 罵り辱しめ、 毀こぼちそしり、 手に刀杖をもって打ったり切ったりし、 もしは衣鉢を奪い、 またいろいろの生きてゆくのに必要な物を奪うような者は、 三世の諸仏のまことの報身を壊やぶるものであり、 またすべての一切の人天の眼目をえぐり取るものである。 この人は、 諸仏の正法や三宝の種をなくしようとするものである。 人天に利益を得させず、 地獄に堕ちさせる。 それゆえ三悪道を増して、 充満させることになる。」 下略
そのとき、 また一切の天・竜をはじめ一切の迦か≠ス富ふ単たん那な・人非人などにいたるまでみな悉く合掌して、 このように申しあげた。 「わたくしたちは、 一切の声聞の弟子に対して、 たとい、 もしまた禁戒を持たもたなくても、 髪を剃って、 形ばかりの袈裟を着けた者にいたるまで、 それらの人に対して師長の想いをするでありましょう。 護り育てて、 その必要なものをさしあげ、 欠乏することがないようにいたしましょう。 もし、 ほかの天・竜・迦&x単那などが、 それらの人を悩ましたり、 そのほか悪心のある眼で見るようなことがあれば、 わたくしたちは、 みな共に、 かの天・竜・富単那などがもっている諸の相を損じて醜い者といたしましょう。 そしてかれらを再びわたくしたちと共に住んだり食事をともにしたりしないようにいたしましょう。 また一緒に笑いたわむれることもできないようにいたしましょう。 このように追い出し罰するでありましょう。」 以上。 意味を取った。
また説かれている。
その時に世尊は、 首座の弥勒菩薩、 および今の世 (賢劫) の一切の菩薩がたに次のように告げて仰せられた。 「諸の善男子よ。 わたしが昔、 菩薩の道を修行していた時に、 過去の諸仏がたに対して、 このような供養をしたてまつった。 この善根で、 わたしのための仏果の因たねとしたのである。 わたしは、 いま多くの人々を哀れむから、 この果報を三分する。 その一分を留めて、 わたしがみずから受ける。 第二の一分は、 わたしの滅後において、 禅定解脱三昧と堅固に相応する声聞に与えて、 欠けることのないようにさせよう。 第三の一分は、 かの破戒でありながら経典を読誦し、 声聞に相応して、 正法や像法の時に頭を剃って袈裟を着る者に与えて、 欠けることがないようにさせよう。 弥勒よ、 わたしは今また身口意の三業が相応する諸の声聞たち、 僧・尼や信男・信女を、 そなたの手にゆだねる。 欠乏させたり孤独で終らせたりすることがあってはならない。 また、 正法や像法の時に、 禁戒を破って袈裟を着る者を、 そなたの手にゆだねる。 かれらの生きてゆくのに必要ないろいろなものを欠乏させて終らせることがあってはならない。 また旃陀羅王がともに悩まし害そこなって、 その身心に苦を受けさせることがあってはならぬ。 わたしは今また、 かの諸の施主を、 そなたの手にゆだねる。」 以上
破戒の者でさえも、 このような利益を受ける。 まして持戒の者はなおさらである。 声聞でさえも、 このとおりである。 まして、 大菩提心を発して、 まごころから念仏するものの利益は、 いうまでもないことである。
問う。 もし破戒の人も、 また天・竜のために護念せられるならば、 どうして «梵網経» には、
五千の鬼神が、 破戒の比丘のいた跡を払い浄める。
と説かれ、 «涅槃経» には、
国王・群臣、 および持戒の比丘は、 破戒の者をねんごろに取締り、 追いやって責めるべきである。
と説かれているのか。
答える。 もし道理にかなってねんごろに取締るならば、 仏の教に順したがうことであるけれども、 もし、 道理に外れて悩ますならば、 反対に仏意に違たがうこととなる。 それゆえ矛盾しないのである。 «大集経» 月蔵分に、 仏が仰せられているとおりである。
国王・群臣は、 出家した者の大きな罪業、 すなわち、 大殺生・大偸盗・大邪婬・大妄語、 およびその他の不善をなした者を見るならば、 このようなものを、 ただ法おきてのとおりに、 その国・町・村から追い出して、 寺にいることを許さないようにせよ。 また僧としての勤めを共にすることのないようにせよ。 利養の分け前は、 悉く共に同じくしてはならぬ。 しかし、 鞭で打ってはならぬ。 もし鞭で打つならば、 道理としてふさわしくないことである。 また口で罵り辱しめてもならぬ。 すべて、 その身体に罪を加えてはならぬ。 もし、 ことさらに法に背いて、 罰するならば、 この人は解脱さとりから退落し、 必ず阿鼻地獄に赴くであろう。 まして、 仏のために出家して、 具つぶさに戒を持たもっている者を鞭で打つならば、 なおさらのことである。 抜き書きした。
問う。 人間が追い出し、 取締るという差別は、 そのとおりであろう。 天・竜などの非人がどうするかについては、 なおまだ明らかではない。 すなわち «梵網経» には、 ひたすらその跡を払い浄めるとあり、 «月蔵経» には、 ひたすら、 その人に生きる必要なものを与えるとある。 どうして、 忽ちに矛盾しているのであるか。
答える。 罪悪と福徳との旨趣を知るためには、 人間がどのようにするかについての決定が必要なのである。 人間以外の天・竜八部などのいわゆる非人がどうするかを必ずしも決定する必要はない。 あるいは止めるのも許すのも、 それぞれに大きな利益を生ずるのである。 あるいはまた、 人の意楽こころが不同であるように、 非人の願いもまた不同であるという外はない。 学ぶ者は、 よろしく決めるがよい。
問う。 ちなみに言う。 かの戒を犯した出家の人を供養したり悩ますならば、 どれほどの罪、 あるいは福を得るのであるか。
答える。 «十輪経» の偈に説かれている。
恒河の沙の数ほどの仏の 解脱さとりの幡相はたじるしの衣を着ているもの
この人に対して悪心を起こすならば かならず無間地獄に堕ちるであろう 袈裟のことを 「解脱幢相の衣」 というのである。
«大集経» の月蔵分に説かれている。
もし、 かの人を悩ますならば、 その罪は、 万億の仏身から血を出す罪よりも重い。 もし、 この人を供養するならば、 やはり無量無数の大きな福徳を得る。 意味を取った。
問う。 もし、 そうであるならば、 ひたすらこの人を供養すべきであろう。 どうして、 この人を取締って、 大きな罪の報を招いてよかろうか。
答える。 もし、 その力がありながら、 破戒の者を、 ねんごろに取締らないならば、 その人もまた罪過つみとがを得るのである。 これは仏法の大きな怨である。 それ故に «涅槃経» の第三巻に説かれている。
法を持たもつ比丘は、 戒を破り正法をそこなう者があるのを見るならば、 ただちに追いやり、 責め、 その処ところをとりあげねばならぬ。 もし善い比丘が、 法をそこなう者を見ながら、 そのままにして、 責め、 追いやり、 その処を取りあげなかったならば、 この人は、 仏法の中の怨であると知るべきである。 もしよく、 追いやり、 責め、 その処を取りあげるならば、 これはわたしの弟子であり、 真の声聞である。 (中略) 諸の国王や四部 (僧・尼・信男・信女) の人々は道を学ぶ諸の人たちを勧めて、 すぐれた持戒・禅定・智慧を得させるべきである。 もし、 この三種の法を学ばず、 怠って戒を破り、 正法をそこなう者があるならば、 国王・大臣・四部の人々は、 ねんごろに取締るべきである。
また説かれている。
もし比丘が、 たとい禁戒を持っても、 利養を受けたいために、 破戒の者と行動を共にし、 たがいに親しくし、 その行業を一緒にするならば、 これを破戒と名づける。 (中略) もし比丘が、 閑静な処にいても、 六根がさとくなく、 鈍くぼんやりし、 欲少なく、 乞食し、 説戒の日および自恣の時には弟子らを教えて、 清浄に懺悔させるけれども、 弟子でない者が禁戒を多く犯すのを見ても、 清浄に懺悔させるように教えることができないで、 かえってそのような者と共に説戒し、 自恣するならば、 この人を愚痴僧と名づける。 抜き書きした。
これによって、 あるいは過ぎてもあるいは及ばなくても、 みな仏の仰せに相違するということが明らかに知られたのである。 その間の趣おもむきは、 すべてその意味を得ることに存するのである。 
■助道人法
【80】 
第十に助道の人法といふは、略して三あり。 一には、すべからく明師の、内外の律に善くして、よく妨障を開除するに、恭敬し承習すべし。 ゆゑに『大論』(大智度論)にいはく、「雨の堕つるに、山の頂に住まらずしてかならず下れる処に帰するがごとし。 もし人、驕心をもつてみずから高くすれば、すなはち法水入らず。 もし善師を恭敬すれば、功徳これに帰す」と。 二には、同行の、ともに嶮を渉るがごときを須ゐる。 すなはち臨終に至るまで、たがひにあひ勧励せよ。 ゆゑに『法華』にのたまはく、「善知識はこれ大の因縁なり」と。 また「阿難のいはく、〈善知識はこれ半の因縁なり〉と。 仏ののたまはく、〈しからず、これ全の因縁なり〉」(付法蔵因縁伝・意)と。 三には、念仏相応の教文において、つねに受持し披読し習学すべし。 ゆゑに『般舟経』の偈にのたまはく、
「この三昧経は真の仏語なり。たとひ遠方にこの経ありと聞かば、道法を用ゐるがゆゑに往きて聴受し、一心に諷誦して忘捨せざれ。たとひ往きて求むるに聞くことを得ずとも、その功徳の福は尽すべからず。よくその徳義を称量することなからん。いかにいはんや聞きをはりてすなはち受持せんをや」と。
[四十里・百里・千里をもつて「遠方」となす。]
問ふ。 なんらの教文か、念仏に相応する。
答ふ。
前に引くところの、西方の証拠のごときは、みなこれその文なり。 しかも、まさしく西方の観行ならびに九品の行果を明かすことは、『観無量寿経』[一巻、畺良耶舎の訳。 ]にはしかず。弥陀の本願ならびに極楽の細相を説くことは、『双巻無量寿経』[二巻、康僧鎧の訳。]にはしかず。 諸仏の相好ならびに観相の滅罪を明かすことは、『観仏三昧経』[十巻あるいは八巻、覚賢の訳。]にはしかず。 色身・法身の相ならびに三昧の勝利を明かすことは、『般舟三昧経』[三巻あるいは二巻、支婁迦の訳。]『念仏三昧経』[六巻あるいは五巻、功徳直、玄暢とともに訳す。]にはしかず。
修行の方法を明かすことは、上の三の経ならびに『十往生経』[一巻]『十住毘婆沙論』[十四巻あるいは十二巻、龍樹の造、羅什の訳。]にはしかず。
結偈総説は、『無量寿経優婆提舎願生の偈』[あるいは『浄土論』と名づく。 あるいは『往生論』と名づく。 世親の造、菩提留支の訳、一巻。]にはしかず。 日々の読誦は、『小阿弥陀経』[一巻五紙、羅什の訳。]にはしかず。 修行の方法は、多く『摩訶止観』[十巻]および善導和尚の『観念法門』ならびに『六時の礼讃』[おのおの一巻。]にあり。
問答料簡は、多く天台(智)の『十疑』[一巻]道綽和尚の『安楽集』[二巻]慈恩(窺基)の『西方要決』[一巻]懐感和尚の『群疑論』[七巻]にあり。 往生の人を記することは、多く迦才師の『浄土論』[三巻]ならびに『瑞応伝』[一巻]にあり。 その余は多しといへども、要はこれに過ぎず。
■要集造由
問ふ。 行人みづからかのもろもろの文を学すべし。 なんがゆゑぞ、いま労しくこの文(往生要集)を著すや。
答ふ。
あに前にいはずや。 予がごときものは、広文を披きがたし。 ゆゑにいささかにその要を抄すと。
問ふ。 『大集経』(意)にのたまはく、「あるいは経法を抄写するに、文字を洗脱し、あるいは他の法を損壊し、あるいは他の経を闇蔵す。 この業縁によりて、いま盲の報を得たり」と。 {云々}しかるをいま経論を抄するに、あるいは多くの文を略し、あるいは前後を乱る。 これ生盲の因なるべし。 なんぞ自害することをなさんや。
答ふ。
天竺(印度)・震旦(中国)の論師・人師、経論の文を引くに、多く略して意を取る。 ゆゑに知りぬ、経の旨を錯乱するはこれ盲の因たるも、文字を省略するはこれ盲の因にあらず。 いはんや、いま抄するところは、多くは正文を引き、あるいはこれ諸師の所出の文なり。 繁文を出すことあたはざるものに至りては、注して、あるいは「乃至」といひ、あるいは「略抄」といひ、あるいは「取意」といへり。 これすなはち学者をして本文を勘へやすからしめんと欲してなり。
問ふ。 引くところの正文はまことに信を生ずべし。 ただしばしばわたくしの詞を加す。 いかんぞ人の謗りを招かざらんや。
答ふ。
正文にあらずといへども、理をば失せず。 もしなほ謬ることあらば、いやしくもこれを執せず。 見るもの、取捨して正理に順ぜしめよ。 もしひとへに謗りをなさば、またあへて辞せず。 『華厳経』の偈にのたまふがごとし。
「もし菩薩の、種々の行を修行するを見て、善・不善の心を起すことあるを、菩薩みな摂取す」と。{以上}
まさに知るべし、謗りをなすもまたこれ結縁なり。 われもし道を得ば、願はくはかれを引摂せん。 かれもし道を得ば、願はくはわれを引摂せよ。 すなはち菩提に至るまで、たがひに師弟とならん。
問ふ。 論のちなみに論をなさん、多日、筆を染めて身心を劬労す。 その功なきにあらじ。 なんの事をか期するや。
答ふ。
このもろもろの功徳によりて、願はくは命終の時に、弥陀仏の無辺の功徳の身を見たてまつることを得ん。われおよび余の信者、すでにかの仏を見たてまつりをはらば、願はくは離垢の眼を得て、無上菩提を証せん。
第十に助道の人法というのは、 略して三つある。
一つには明師で、 内心・外相についての律おきてを善く知り、 障を教えて除くことのできる人に仕えて、 敬い習うがよい。 それ故に «大論» にいわれている。
また雨が降ると、 山の頂には住とどまらずに、 必ず低い処に流れこむようなものである。 もし人が心驕って、 自分を高くするならば、 法の水は入らぬ。 もし善い師を敬うと、 功徳はその人に入りこむ。
二つには、 けわしい道を共に渉わたるようにする同行をもとめて、 そうして臨終に至るまで、 互に勧め励ましあうがよい。 それ故に «法華経» に説かれている。
善知識は、 大因縁である。
また言われている。
阿難が 「善知識は半分の因縁であります」 というと、 仏は 「そうではない。 全分の因縁である」 と仰せられた。
三つには、 念仏と相応する聖教の文を常に受け持たもち、 披ひらき読み、 習い学ぶがよい。 それ故に «般舟三昧経» の偈に、
この三昧を説く経は真の仏の語ことばである たとい遠方でもこの経があると聞くならば
道さとりのための法であるから往って聴き受け 一心に誦となえて忘れ捨ててはならぬ
たとい往き求めて聞くことができなくても その功徳の福は尽きることがなく
よくその徳義を量ることはできない まして聞きおわって すぐに受け持つ者はなおさらである
と説かれている。 「遠方」 というのは、 四十里・四百里・四千里などのことである。
問う。 どういう聖教の文が念仏に相応しているのか。
答える。 前に引いた西方極楽の証拠の文のごときは、 みなその文である。 けれども、 正しく西方浄土に往生するための観行、 ならびに九品の行果を明かすことは «観無量寿経» 一巻。 畺良耶舎の訳 には及ばない。 阿弥陀仏の本願、 ならびに極楽のくわしい相すがたを説くことは、 «無量寿経» 二巻。 康僧鎧の訳 には及ばない。 諸仏の相好、 ならびに、 その相好を観ずることによる滅罪を明かすことは «観仏三昧経» 十巻あるいは八巻。 覚賢の訳 には及ばない。 色身・法身の相、 ならびに三昧の勝れた利益を明かすことは «般舟三昧経» 三巻あるいは二巻。 支婁迦讖の訳 «念仏三昧経» 六巻あるいは五巻。 功徳直と玄暢との共訳 には及ばない。 修行の方法を明かすことは、 上の三経、 ならびに «十往生経» 一巻 «十住毘婆娑論» 十四巻あるいは十二巻。 龍樹の造、 羅什の訳 には及ばない。 日々の読誦は «小阿弥陀経» 一巻五紙。 羅什の訳 には及ばない。 偈文にして総じて説くのは、 «無量寿経優婆提舎願生偈» あるいは «浄土論» と名づけ、 あるいは «往生論» と名づける。 世親の造、 菩提流支の訳。 一巻 には及ばない。 修行の方法は、 多く «摩訶止観» 十巻 および善導和尚の «観念法門» ならびに «六時礼讃» それぞれ一巻 に明かされている。 問答による解釈は、 多く天台大師の «十疑論» 一巻 道綽和尚の «安楽集» 二巻 慈恩大師の «西方要決» 一巻 懐感和尚の «群疑論» 七巻 にある。 往生した人々の伝記は、 多く迦才師の «浄土論» 三巻 ならびに «端応伝» 一巻 に明かされている。 その他、 いろいろ多いけれども、 要は、 この範囲を出ないのである。
問う。 行者は自分でかのいろいろな聖教の文を学べばよい。 どういうわけで、 いまわずらわしくこの «往生要集» を著作したのであるか。
答える。 序文でいっておいたではないか。 わたくしのようなものは、 多くの聖教の文を披ひらくことが難しいから、 少しばかり、 その肝要な文を抜き書きするのである。
問う。 «大集経» に説かれている。
あるいは経文に抜き出し写すのに、 文字を抜かし、 あるいは他の法を損ない壊し、 あるいは、 他の経を覆いかくす。 こういう悪業の縁で、 いま盲目めしいの報を得たのである。 下略
ところで、 いま経や論を抜き書きする際、 あるいは多くの文を省略したり、 あるいは前後の順序を乱している。 これは生まれながらの盲目になる因であろう。 どうして、 みずから害そこなうようなことをするのであるか。
答える。 印度・中国の論師や人師たちが、 経論の文を引用する時、 多くは省略して意味だけを取っている。 それ故に、 経文の旨を錯あやまり乱すことは盲目となる因ではあるけれども、 文字を省略することは、 盲目となる因ではないことが知られるのである。 あるいはまた、 かの十法行の中において、 初めの書写の行について、 文を抜かすのは過とがであるけれども、 理解させやすくするために、 抜き書きすることは過ではないのである。 まして、 今わたくしが抜き出したものは、 多くは、 そのままの文を引くか、 あるいは諸師が抜き出された文である。 またくわしく全文を出すことができないような場合には、 注を施して、 あるいは 「中略」 といい、 あるいは 「抜き書きした」 といい、 あるいは 「意味を取った」 といってある。 これは学ぶ者に、 本文を考え易いようにさせたい、 と思ったからである。
問う。 引かれたそのままの文は、 誠に信を生ずべきである。 ただ、 しばしば私の詞ことばを加えてあるのは、 どうして、 人の謗りを招かないことがあろうか。
答える。 そのままの文ではないけれども、 決して道理は失われていない。 もし、 それでもまだ謬あやまりがあるならば、 決してこれを固執しない。 この書を見る者は、 取捨して、 正しい道理に順わせていただきたい。 しかし、 もしひとえに謗りを生ずるならば、 これもまた決して辞するものではない。
«華厳経» の偈に説かれている。
もし菩薩の いろいろの行を修めるのを見て
善心または不善心を起こしても 菩薩はみな摂めとるであろう
これによって、 そしりを生ずるのもまた結縁になることが知られる。 わたしがもし道さとりを得るならば、 願わくは、 かれを導き摂めよう。 かれがもし道を得るならば、 願わくは、 わたしを導き摂めていただきたい。 こうして菩提に至るまで、 互に師弟となろう。
問う。 ちなみにいう。 長い間、 筆を染めて、 身心をわずらわしたことである。 その功は無いとはいえないが、 どういうことを期しているのか。
答える。
このもろもろの功徳によって 願わくは 命終の時に
阿弥陀仏のはかりなき 功徳のおん身を見たてまつらんことを
わたくしおよびその他の信者たちはともに かの仏を見たてまつりおわり
願わくは煩悩を離れた智慧の眼を得て 無上菩提を証さとらんことを 
往生要集 巻下
【81】 
永観二年甲申冬十一月、天台山延暦寺首楞厳院にして、この文を撰集す。 明くる年の夏四月に、その功を畢ふ。 一の僧ありて夢みらく、毘沙門天、両の丱童を将て、来り告げていはく、「源信が撰せるところの『往生集』は、みなこれ経論の文なり。
一見・一聞の倫は、無上菩提を証すべし。 すべからくして一偈を加へて、広く流布せしむべし」と。 他日に夢を語る。 ゆゑに偈を作りていはく、
すでに聖教および正理によりて、衆生を勧進して極楽に生ぜしむ。乃至展転して一たびも聞くもの、願はくはともにすみやかに無上覚を証せん。 
永観二年冬十一月、 天台山延暦寺首楞厳院でこの文を撰び集め、 明くる年の夏四月に、 その功を終えたのである。 ある僧の夢に、 毘沙門天が髪をあげまきに結った二人の童子を将ひきいて来られ、 「源信が撰んだ «往生要集» はみな経論の文である。 一たびでも見、 一たびでも聞いた人々は無上菩提を証ることができる。 是非とも一偈を加えて、 広く流布させるがよい」 と告げられたという。 他日、 その僧がわたくしにその夢を語った。 それで偈を作っていう。
すでに聖教と正理とに依り
人々を勧めて極楽に生まれさせる
さてもめぐりめぐって一たびでも聞く者は
願わくは共に速やかに無上仏果を証りたいものである 
 
源信 1

 

平安時代中期の天台宗の僧。恵心僧都(えしんそうず)と尊称される。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称される。  
(年齢は、数え年。日付は、文献との整合を保つため、旧暦(宣明暦)表示(生歿年月日を除く)とした。)  
天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻[2]に生まれる。幼名は「千菊丸」。父は卜部正親、母は清原氏。  
天暦2年(948年)、7歳の時に父と死別。  
天暦4年(950年)、信仰心の篤い母の影響により9歳で、比叡山中興の祖慈慧大師良源(通称、元三大師)に入門し、止観業、遮那業を学ぶ。  
天暦9年(955年)、得度。  
天暦10年(956年)、15歳で『称讃浄土経』を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。そして、下賜された褒美の品(布帛〈織物〉など)を故郷で暮らす母に送ったところ、母は源信を諌める和歌を添えてその品物を送り返した。その諫言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院(現在の建物は、坂本里坊にあった別当大師堂を移築再建)に隠棲し、念仏三昧の求道の道を選ぶ。  
母の諫言の和歌 
「後の世を渡す橋とぞ思ひしに 世渡る僧となるぞ悲しき まことの求道者となり給へ」  
永観2年(984年)11月、師・良源が病におかされ、これを機に『往生要集』の撰述に入る。永観3年(985年)1月3日、良源は示寂。  
寛和元年(985年)3月、『往生要集』脱稿する。  
寛弘元年(1004年)、藤原道長が帰依し、権少僧都となる。  
寛弘2年(1005年)、母の諫言の通り、名誉を好まず、わずか1年で権少僧都の位を辞退する。  
長和3年(1014年)、『阿弥陀経略記』を撰述。  
寛仁元年6月10日(1017年7月6日)、76歳にて示寂。臨終にあたって阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして、合掌しながら入滅した。  
浄土真宗の宗祖とされる親鸞は、主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)「行巻」の末尾にある偈頌『正信念仏偈』(『正信偈』)「源信章」で、「源信広開一代教 偏帰安養勧一切 専雑執心判浅深 報化二土正弁立 極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我」と源信の徳と教えを称えている。また『高僧和讃』において、「源信大師」10首を作成し称讃している。 
 
源信 2 / 和讃

 

和讃 
仏・菩薩や祖師・先徳、経典・教義などを日本語で讃歎した讃歌である。インド語または中国語でとなえる「梵讃」「漢讃」に対し、七五調で作られたものが多く、これに創作当時流行していた節を付けて朗唱する。 
起源は古く、平安時代には「法華讃歎」「百石(ももさか)讃歎」などが流行し、古い和讃には、良源作と伝えられる「本覚讃」、千観作になる「極楽浄土弥陀和讃」、源信作「極楽六時讃」「来迎讃」などがあり、ほとんど平安中期の天台浄土教によって流布したものである。鎌倉時代には、和讃は布教の用に広く認められ鎌倉仏教各宗で流行をした。浄土真宗の親鸞作の「三帖和讃」(浄土和讃・高僧和讃・正像末和讃)や、時宗の一遍作「別願讃」や他阿作「往生讃」などを含む「浄業(じょうごう)和讃」などが代表となっている。こうした和讃は、広く民衆の間に流布し、日本の音楽に大きな影響を与え、民謡や歌謡、ことに演歌などの歌唱法に影響の形跡が残っている。和讃は一般には諸仏、菩薩、高僧の徳や行跡を和文の詩形式で讃えた歌謡を指し、多くは七・五の十二音節を一句として、それを重ねる形式で作られる。のちの今様の成立や現代に伝わる童歌などに大きな影響を与えた。鎌倉時代に入ると和讃は仏教儀式のなかでことのほか重要視されるようになった。
和讃の果たした役割  
まず、和讃が歌い継がれた背景と役割を考えてみよう。  
今、戦前に生まれた世代以外では和讃を知る人は多くないだろう。祖母から聞いた和讃を私も子供に伝えた事はない。和讃が詠いつづけられた背景、あるいは地蔵信仰が継続した背景を、そして私が伝えなかった背景を考えてみる。  
和讃の主人公は、幼くして死亡した子供である。主人公は、時代とともにその数、死亡の原因に変化があるが、有史以来絶えることなく日常的な存在である。現在の父母にとっても、例外ではあるが、知らない出来事ではない。  
風水害・地震など天災地変、戦乱、事故、病気は、対策の進歩により減少しているが、これらの原因による幼子の死亡が避けられてはいない。飢餓は日本では皆無に近いとはいえ、地球の何処かで起きている。交通事故、殺人による死亡は近代の新たな原因である。間引き、人工中絶、虐待死は、その起因が異なるとはいえ継続して幼子のリスクである。  
ところで、和讃が生まれ育つには、幼子の死亡するリスクと救いの大衆宗教がなければならない。末法思想の大流行とともに、地蔵信仰が国民化したのは平安時代末期といわれる。それ以前では仏教は、奈良時代の移入以来、支配階級における護国宗教であった。その仏教が国民各層に信仰されるようになるのは、平安期の浄土教の流行を機としている。  
中央や地方の政治がみだれ,人々の心が不安になるにつれて,念仏をとなえて阿弥陀仏にすがれば,極楽浄土で幸福がえられると説いた浄土教がさかんになった。ここで、浄土教の変遷を見てみる。  
阿弥陀信仰である浄土教はすでに奈良時代に日本に伝わっていた。奈良時代には,阿弥陀仏像が多数つくられた。その本質は祖先崇拝、祖先の追善供養であった。死者を極楽浄土に往生させようとする呪術的儀礼が,奈良時代の阿弥陀信仰の本質であり,その哀訴の対象として阿弥陀仏が礼拝された。  
阿弥陀仏の救済によって「極楽浄土で永遠の命を得る」ということ、信仰は、諸行無常という仏教の根本原理と矛盾する。それは、インドで生れた仏教が諸文化・宗教の要素が加わることによって変容した結果と考えられている。阿弥陀仏の誓願(阿弥陀仏が仏になる前に、将来このような仏になろうと決意して建てた誓い)の中に、  
「念仏をとなえたならば・・・・極楽に迎え入れる」という表現があるそうだ。「‥‥すれば、極楽に迎え入れる」という考え方は、「契約」そのものである。  
シルクロードの活発な交流の中で、ゾロアスター教を介して旧約・新約聖書さらにはコーランへと流れる「契約宗教的」要素が含まれた、と考えられる。基盤は仏教でありながら、独特の教義を持つのが浄土教だといえる。この浄土教が日本に入り普及した経緯を見てみよう。  
仏教は、1世紀半ばの後漢代には中国にもたらされていた。3世紀から5世紀に、浄土教『無量寿経』、『般若経』、『維摩経』、『法華経』、『阿弥陀経』が翻訳され、浄土教『観無量寿経』が書かれ、後に言う「浄土三部経」が揃った。  
日本に広範囲に浄土教を布教したのは、円仁(794―864年)である。遣唐使として唐から帰国した円仁は、念仏三昧(ざんまい)の法を比叡山に伝え、いわゆる「山の念仏」をはじめた。休むことなく口に阿弥陀仏の名を唱え、休むことなく心に阿弥陀仏を想う行であった。十世紀の後半にいたると、日本の浄土教は新しい段階を迎える。  
空也(903―972年)および源信(942―1017年)の登場によって、浄土教は二つの方向に発展する。空也は、信者とともに鉦(かね)を叩(たた)き、踊りながら一心に念仏を唱えた。この踊り念仏は、激しい動作によって宗教的興奮をもたらす伝統的な修行の形式を継承したものである。念仏を自ら唱え、あるいは僧俗男女の別なく他の人とともに唱えるものであった。空也は各地の人々が集まる市などをめぐり,庶民に浄土教の信仰を説いた。「市の聖(いちのひじり)」といわれた。堂舎や念仏僧を必要としないため、庶民のあいだに根を下ろしていく。人々は、もっぱら死後の安楽を求め、呪術的な現世利益を念仏の行に期待した。  
他方、源信(天台宗の僧。恵心僧都(えんしんそうず)ともいう)は、985年に『往生要集』を著し浄土教を発展させた。末法の時代に「だれでも帰依しなければならないほどすぐれているのが浄土の教えである。  
顕教とか密教と呼ばれている教えはたくさんある。しかし、智恵のすぐれた人にとっては、それほどむずかしいと思わない教えであっても、私たちのような愚かな者は、どうして修することができようか。そんな人たちのために用意しておかれた教えが念仏の法門である。だれでも阿弥陀仏を一心に信じればすくわれる」と説く。  
『往生要集』は、すさまじい地獄の有り様と、妙なる音楽が響き天人が舞う清らかな極楽の有り様とを、対比的に生々しく描きだした。源信の説く浄土教は、僧侶、貴族で関心を集めた。彼らは、往生を確実にするために阿弥陀堂を盛んに建立した。その代表的なものが藤原頼通の建てた宇治・平等院鳳凰堂で、中堂は阿弥陀浄土を具現しているといわれる。  
ここで、時代の潮流であった末法思想について見てみよう。  
釈迦の入滅後、二千年を経過すると、一万年間は釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなるとするのが末法思想であり、中国から伝えられた。  
平安時代後期は、飢饉や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、貴族も民衆も危機感を募らせていたので、末法思想が現実感をともなって受け止められる。  
最澄によれば1052年(永承7年)に末法に入るといわれ、仏教界のみならず一般思想界にも深刻な影響を与えた。末法の世という時代と、その時代に生を受けた人間の性質に相応しい教えとして生まれたのが、法然や親鸞などの、いわゆる鎌倉新仏教だと言われる。  
仏教の大衆化を以上の経過をたどったという。ここで、本題の地蔵信仰を見てみよう。地蔵菩薩は、梵語で、命の源泉である「大地」を意味するという。インドにおいて、釈迦生誕以前に、婆羅門教(バラモン)の地神であったという。釈迦が悟りの境地に達せられたとき、この地神が現われて、釈迦の悟りを証明したという(「過去現在因果経」)。  
また、地蔵十王経によれば、閻魔大王に化身し、死後の裁定を行なうという。地蔵十王経等の地蔵経典は、奈良時代に伝来したが、信仰はさほど広がらなかった。  
平安時代、社会状況の不安定、末法思想の流布、浄土教の庶民層への普及、の時代環境の中で、釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒菩薩が出現するまで、すなわち末法の時代に、現世利益はもとより死者を輪廻から救済すると信じられ存在感を示した。  
また、室町時代になって、六道(地獄道・餓鬼道・阿修羅道・畜生道・人間道・天道)の一切衆生を教化する存在とされ、地蔵菩薩が爆発的に信仰されるようになったという。六地蔵は、六世界に現れた地蔵の姿を表わしたもので、宝珠地蔵・宝印地蔵・持地地蔵・除蓋障地蔵・日光地蔵・檀陀地蔵という名前が付いている。日本古来よりの道祖神と習合して発達したという。  
さらに、江戸時代には、身代わり地蔵信仰が発展して、延命地蔵・子育地蔵・腹帯地蔵・とげぬき地蔵・水子地蔵などが作り出された。  
地蔵像の形には、一般に童子の姿の地蔵と僧形の地蔵があるが、歴史的には僧形のものが古い形で、だいたい12世紀ころから童子の形の地蔵が出てきたとされる。  
大寺院や荘厳な阿弥陀仏に代表される護国仏教として信仰された仏教が、庶民の素朴な信仰と結合して、六道の苦と日常的な救済の祈りとして、庶民に地蔵信仰が広まっていく。その確かな証左が、童子の形の地蔵であり、身代わり地蔵信仰である。今も全国の村はずれに立つお地蔵さんは庶民の信仰の長い歴史を証明する。もちろん、仏教の経典に見られる複雑な論理は忘れ去られる。地蔵が閻魔大王に化身し、死後の裁定を行なう、同時に、釈迦入滅後弥勒菩薩が出現するまで、現世利益はもとより死者を輪廻から救済するという論理は分かりにくい。閻魔=鬼、地蔵=救済者、の二元論の中で、庶民の個別の苦しみごとに、諸地蔵が生まれる。「生まれる」「育つ」という庶民の切ない望みに地蔵はかかわっている。  
和讃はこの地蔵信仰の中で生まれ、そして庶民信仰を構成し、歌い継がれて行く。  
明治期の国家神道創設の中で、廃仏棄却の強権発動を通じ、仏教が壊滅的打撃を受ける。ただし、国家権力といえども、庶民信仰を消し去ることは出来ない。地蔵は村々に残り、和讃も歌い継がれる。しかしながら、老獪な国家権力は、教育勅語・軍人勅諭・天皇信仰の社会システムで、精神と生活様式を規制する。地蔵も和讃も反国家的でないので、黙認されたというべきかもしれない。あるいは、庶民の迷信とさげすまれながら見捨てられたのかもしれない。祖母もそんな中で、賽の河原地蔵和讃を詠い続けていたのだろうか。  
戦後、天皇の人間宣言および教育改訂に伴い、日本教信仰の支柱が崩壊する。同時に経済混乱と経済発展の中で、宗教の多様化と無宗教化が進展する。食べるのが最優先であり、また、豊かになっていく。  
リスクの形が変わっていく。また、リスクの認識の仕方も変わる。病は治療される可能性が見出される。貧困は乗り越えられる可能性が見える。種々のリスクに回避の可能性が見える。もちろん、死には回避の可能性がないのは知っている。科学知識の普及の中、賽の河原地蔵和讃の物語は現実との接点を失っていく。  
ただ、人の悩みは尽きない。人のすぐ傍にずっといた地蔵は、密やかに立ち続ける。そして、新たに生まれ変わる。親族に迷惑掛けないで安らかに死にたい、こんな望みは、ぽっくり地蔵を生む。  
が、地蔵が持つ閻魔大王への化身、地獄の裁定者の側面なくして、和讃は生まれない。救済者だけを望む、現世利益だけを望む世界に、和讃は育たない。物言わないお地蔵さんは立ち続けても。大菩薩峠から尾根伝いに岩場を乗り越えると、旧峠に至る。賽の河原と命名されている。 
高僧和讃  
民衆と肩組む高僧方 言行一致、独自性(オリジナリティー)の人  
印度には数多い菩薩がた、中国にはあまたの高僧たちが出られました。にも拘らず親鸞聖人が、印度では竜樹・天親の二菩薩、中国では曇鸞・道綽・善導の三高僧、わが日本では源信と源空(法然上人)のお二人、合わせてわずかに七人の方を、わが真宗の祖師(七高僧)として選ばれたのは何故でしょうか。その理由として昔から次の三つがあげられています。  
先ず第一に、自ら筆をとってお書きになったものがあるということです。こういうことを申しますと真宗は賢い人でなければ入れないのか、という疑問がおこりますが、そういう意味ではありません。たしかに七高僧は今で言うインテリ、学問のすぐれた方ばかりであります。  
どの方を見ても、仏教界の代表者ですが、しかし他の高僧がたと違うところは、私たち愚かなものに対して、君たちは間違っている、こうしなければならないのだと、高いところから教訓を垂れ手本を示すような知識人でなしに、私たちと同じところに身を置き、私たちと同じように迷い、そして念仏によって目覚められた方、そこからどんな愚かな者でも肯くことができ、どんな賢い人間も肯かざるをえないのが本願であることを、身をもって示し、そのことを著作をもってあらわしていられる方々であります。  
次に第二番目には、発揮説があるかどうかということで宗祖がきめられたであろうと言います。発揮というのは、その時代その社会、それぞれの場所で本願のまことを証明されたということでありましょう。本願は永遠のいのちであります。無限のものでありますから、従ってこれだけのものということはありません。これだけのものというのは死んだものでしょう。しかし無限のものを無限といっても無限にはなりません。その時その時に或る人を通して輝いている、その輝きが発揮ということで、これがなければ人真似になってしまいます。各祖師はその時その場所で夫々自分一杯を生きられ、そこから本願に遇われたその救いを、自分自分の独自の形で示していられますが、その全体が本願の光なのであります。  
第三番目には解行相応ということが言われます。解は了解、わかるということ、行は行うということで、それが一致するのを相応と申します。私たちはえてして頭で分ってもそうなれないということがあり、或は内の心と外のあらわれが違っていることがあります。  
七高僧がたは、念仏の道は間違いなく救われる道であることを了解され私たちにもすすめていられますが、自らも念仏申していられるのであります。このことは、これらの方々のどの著書を見ても、そこに深い信仰告白と懺悔が貫いていることが証明しています。七高僧についてのこの和讃は宝治二年(一二四八)、宗祖七十六才の時に御草稿ができ、建長七年(一二五五)御齢八十三才の時に手を加えて清書されたものであると、言われております。 
高僧和讃・親鸞 
本師龍樹菩薩は 「智度」「十住毘婆沙」等 
 つくりておほく西をほめ すすめて念仏せしめたり 
南天竺に比丘あらん 龍樹菩薩となづくべし 
 有無の邪見を破すべしと 世尊はかねてときたまふ 
本師龍樹菩薩は 大乗無上の法をとき 
 歓喜地を証してぞ ひとへに念仏すすめける 
龍樹大士世にいでて 難行易行のみちをしへ 
 流転輪廻のわれらをば 弘誓のふねにのせたまふ 
本師龍樹菩薩の をしへをつたへきかんひと 
 本願こころにかけしめて つねに弥陀を称すべし 
不退のくらゐすみやかに えんとおもはんひとはみな 
 恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし 
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 
 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける 
「智度論」にのたまはく 如来は無上法皇なり 
 菩薩は法臣としたまひて 尊重すべきは世尊なり 
一切菩薩ののたまはく われら因地にありしとき 
 無量劫をへめぐりて 万善諸行を修せしかど 
恩愛はなはだたちがたく 生死はなはだつきがたし 
 念仏三昧行じてぞ 罪障を滅し度脱せし 
釈迦の教法おほけれど 天親菩薩はねんごろに 
 煩悩成就のわれらには 弥陀の弘誓をすすめしむ 
安養浄土の荘厳は 唯仏与仏の知見なり 
 究竟せること虚空にして 広大にして辺際なし 
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 
 功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし 
如来浄華の聖衆は 正覚のはなより化生して 
 衆生の願楽ことごとく すみやかにとく満足す 
天人不動の聖衆は 弘誓の智海より生ず 
 心業の功徳清浄にて 虚空のごとく差別なし 
天親論主は一心に 無碍光に帰命す 
 本願力に乗ずれば 報土にいたるとのべたまふ 
尽十方の無碍光仏 一心に帰命するをこそ 
 天親論主のみことには 願作仏心とのべたまへ 
願作仏の心はこれ 度衆生のこころなり 
 度衆生の心はこれ 利他真実の信心なり 
信心すなはち一心なり 一心すなはち金剛心 
 金剛心は菩提心 この心すなはち他力なり 
願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ 
 すなはち大悲をおこすなり これを回向となづけたり 
本師曇鸞和尚は 菩提流支のをしへにて 
 仙経ながくやきすてて 浄土にふかく帰せしめき 
四論の講説さしおきて 本願他力をときたまひ 
 具縛の凡衆をみちびきて 涅槃のかどにぞいらしめし 
世俗の君子幸臨し 勅して浄土のゆゑをとふ 
 十方仏国浄土なり なにによりてか西にある 
鸞師こたへてのたまはく わが身は智慧あさくして 
 いまだ地位にいらざれば 念力ひとしくおよばれず 
一切道俗もろともに 帰すべきところぞさらになき 
 安楽勧帰のこころざし 鸞師ひとりさだめたり 
魏の主勅して并州の 大巌寺にぞおはしける 
 やうやくをはりにのぞみては 汾州にうつりたまひにき 
魏の天子はたふとみて 神鸞とこそ号せしか 
 おはせしところのその名をば 鸞公巌とぞなづけたる 
浄業さかりにすすめつつ 玄中寺にぞおはしける 
 魏の興和四年に 遥山寺にこそうつりしか 
六十有七ときいたり 浄土の往生とげたまふ 
 そのとき霊瑞不思議にて 一切道俗帰敬しき 
君子ひとへにおもくして 勅宣くだしてたちまちに 
 汾州汾西秦陵の 勝地に霊廟たてたまふ 
天親菩薩のみことをも 鸞師ときのべたまはずは 
 他力広大威徳の 心行いかでかさとらまし 
本願円頓一乗は 逆悪摂すと信知して 
 煩悩・菩提体無二と すみやかにとくさとらしむ 
いつつの不思議をとくなかに 仏法不思議にしくぞなき 
 仏法不思議といふことは 弥陀の弘誓になづけたり 
弥陀の回向成就して 往相・還相ふたつなり 
 これらの回向によりてこそ 心行ともにえしむなれ 
往相の回向ととくことは 弥陀の方便ときいたり 
 悲願の信行えしむれば 生死すなはち涅槃なり 
還相の回向ととくことは 利他教化の果をえしめ 
 すなはち諸有に回入して 普賢の徳を修するなり 
論主の一心ととけるをば 曇鸞大師のみことには 
 煩悩成就のわれらが 他力の信とのべたまふ 
尽十方の無碍光は 無明のやみをてらしつつ 
 一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ 
無碍光の利益より 威徳広大の信をえて 
 かならず煩悩のこほりとけ すなはち菩提のみづとなる 
罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて 
 こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし 
名号不思議の海水は 逆謗の屍骸もとどまらず 
 衆悪の万川帰しぬれば 功徳のうしほに一味なり 
尽十方無碍光の 大悲大願の海水に 
 煩悩の衆流帰しぬれば 智慧のうしほに一味なり 
安楽仏国に生ずるは 畢竟成仏の道路にて 
 無上の方便なりければ 諸仏浄土をすすめけり 
諸仏三業荘厳して 畢竟平等なることは 
 衆生虚誑の身口意を 治せんがためとのべたまふ 
安楽仏国にいたるには 無上宝珠の名号と 
 真実信心ひとつにて 無別道故とときたまふ 
如来清浄本願の 無生の生なりければ 
 本則三三の品なれど 一二もかはることぞなき 
無碍光如来の名号と かの光明智相とは 
 無明長夜の闇を破し 衆生の志願をみてたまふ 
不如実修行といへること 鸞師釈してのたまはく 
 一者信心あつからず 若存若亡するゆゑに 
二者信心一ならず 決定なきゆゑなれば 
 三者信心相続せず 余念間故とのべたまふ 
三信展転相成す 行者こころをとどむべし 
 信心あつからざるゆゑに 決定の信なかりけり 
決定の信なきゆゑに 念相続せざるなり 
 念相続せざるゆゑ 決定の信をえざるなり 
決定の信をえざるゆゑ 信心不淳とのべたまふ 
 如実修行相応は 信心ひとつにさだめたり 
万行諸善の小路より 本願一実の大道に 
 帰入しぬれば涅槃の さとりはすなはちひらくなり 
本師曇鸞大師をば 梁の天子蕭王は 
 おはせしかたにつねにむき 鸞菩薩とぞ礼しける 
本師道綽禅師は 聖道万行さしおきて 
 唯有浄土一門を 通入すべきみちととく 
本師道綽大師は 涅槃の広業さしおきて 
 本願他力をたのみつつ 五濁の群生すすめしむ 
末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも 
 ひとりも証をえじとこそ 教主世尊はときたまへ 
鸞師のをしへをうけつたへ 綽和尚はもろともに 
 在此起心立行は 此是自力とさだめたり 
濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず 
 諸仏これらをあはれみて すすめて浄土に帰せしめり 
一形悪をつくれども 専精にこころをかけしめて 
 つねに念仏せしむれば 諸障自然にのぞこりぬ 
縦令一生造悪の 衆生引接のためにとて 
 称我名字と願じつつ 若不生者とちかひたり 
大心海より化してこそ 善導和尚とおはしけれ 
 末代濁世のためにとて 十方諸仏に証をこふ 
世世に善導いでたまひ 法照・少康としめしつつ 
 功徳蔵をひらきてぞ 諸仏の本意とげたまふ 
弥陀の名願によらざれば 百千万劫すぐれども 
 いつつのさはりはなれねば 女身をいかでか転ずべき 
釈迦は要門ひらきつつ 定散諸機をこしらへて 
 正雑二行方便し ひとへに専修をすすめしむ 
助正ならべて修するをば すなはち雑修となづけたり 
 一心をえざるひとなれば 仏恩報ずるこころなし 
仏号むねと修すれども 現世をいのる行者をば 
 これも雑修となづけてぞ 千中無一ときらはるる 
こころはひとつにあらねども 雑行・雑修これにたり 
 浄土の行にあらぬをば ひとへに雑行となづけたり 
善導大師証をこひ 定散二心をひるがへし 
 貪瞋二河の譬喩をとき 弘願の信心守護せしむ 
経道滅尽ときいたり 如来出世の本意なる 
 弘願真宗にあひぬれば 凡夫念じてさとるなり 
仏法力の不思議には 諸邪業繋さはらねば 
 弥陀の本弘誓願を 増上縁となづけたり 
願力成就の報土には 自力の心行いたらねば 
 大小聖人みなながら 如来の弘誓に乗ずなり 
煩悩具足と信知して 本願力に乗ずれば 
 すなはち穢身すてはてて 法性常楽証せしむ 
釈迦・弥陀は慈悲の父母 種種に善巧方便し 
 われらが無上の信心を 発起せしめたまひけり 
真心徹到するひとは 金剛心なりければ 
 三品の懺悔するひとと ひとしと宗師はのたまへり 
五濁悪世のわれらこそ 金剛の信心ばかりにて 
 ながく生死をすてはてて 自然の浄土にいたるなれ 
金剛堅固の信心の さだまるときをまちえてぞ 
 弥陀の心光摂護して ながく生死をへだてける 
真実信心えざるをば 一心かけぬとをしへたり 
 一心かけたるひとはみな 三信具せずとおもふべし 
利他の信楽うるひとは 願に相応するゆゑに 
 教と仏語にしたがへば 外の雑縁さらになし 
真宗念仏ききえつつ 一念無疑なるをこそ 
 希有最勝人とほめ 正念をうとはさだめたれ 
本願相応せざるゆゑ 雑縁きたりみだるなり 
 信心乱失するをこそ 正念うすとはのべたまへ 
信は願より生ずれば 念仏成仏自然なり 
 自然はすなはち報土なり 証大涅槃うたがはず 
五濁増のときいたり 疑謗のともがらおほくして 
 道俗ともにあひきらひ 修するをみてはあだをなす 
本願毀滅のともがらは 生盲闡提となづけたり 
 大地微塵劫をへて ながく三塗にしづむなり 
西路を指授せしかども 自障障他せしほどに 
 曠劫以来もいたづらに むなしくこそはすぎにけれ 
弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん 
 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし 
娑婆永劫の苦をすてて 浄土無為を期すること 
 本師釈迦のちからなり 長時に慈恩を報ずべし 
源信和尚ののたまはく われこれ故仏とあらはれて 
 化縁すでにつきぬれば 本土にかへるとしめしけり 
本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに 
 念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける 
霊山聴衆とおはしける 源信僧都のをしへには 
 報化二土ををしへてぞ 専雑の得失さだめたる 
本師源信和尚は 懐感禅師の釈により 
 「処胎経」をひらきてぞ 懈慢界をばあらはせる 
専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり 
 雑修のひとをきらふには 万不一生とのべたまふ 
報の浄土の往生は おほからずとぞあらはせる 
 化土にうまるる衆生をば すくなからずとをしへたり 
男女貴賎ことごとく 弥陀の名号称するに 
 行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさはりなし 
煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 
 大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり 
弥陀の報土をねがふひと 外儀のすがたはことなりと 
 本願名号信受して 寤寐にわするることなかれ 
極悪深重の衆生は 他の方便さらになし 
 ひとへに弥陀を称してぞ 浄土にうまるとのべたまふ 
本師源空世にいでて 弘願の一乗ひろめつつ 
 日本一州ことごとく 浄土の機縁あらはれぬ 
智慧光のちからより 本師源空あらはれて 
 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまふ 
善導・源信すすむとも 本師源空ひろめずは 
 片州濁世のともがらは いかでか真宗をさとらまし 
曠劫多生のあひだにも 出離の強縁しらざりき 
 本師源空いまさずは このたびむなしくすぎなまし 
源空三五のよはひにて 無常のことわりさとりつつ 
 厭離の素懐をあらはして 菩提のみちにぞいらしめし 
源空智行の至徳には 聖道諸宗の師主も 
 みなもろともに帰せしめて 一心金剛の戒師とす 
源空存在せしときに 金色の光明はなたしむ 
 禅定博陸まのあたり 拝見せしめたまひけり 
本師源空の本地をば 世俗のひとびとあひつたへ 
 綽和尚と称せしめ あるいは善導としめしけり 
源空勢至と示現し あるいは弥陀の顕現す 
 上皇・群臣尊敬し 京夷庶民欽仰す 
承久の太上法皇は 本師源空を帰敬しき 
 釈門儒林みなともに ひとしく真宗に悟入せり 
諸仏方便ときいたり 源空ひじりとしめしつつ 
 無上の信心をしへてぞ 涅槃のかどをばひらきける 
真の知識にあふことは かたきがなかになほかたし 
 流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき 
源空光明はなたしめ 門徒につねにみせしめき 
 賢哲・愚夫もえらばれず 豪貴・鄙賎もへだてなし 
命終その期ちかづきて 本師源空のたまはく 
 往生みたびになりぬるに このたびことにとげやすし 
源空みづからのたまはく 霊山会上にありしとき 
 声聞僧にまじはりて 頭陀を行じて化度せしむ 
粟散片州に誕生して 念仏宗をひろめしむ 
 衆生化度のためにとて この土にたびたびきたらしむ 
阿弥陀如来化してこそ 本師源空としめしけれ 
 化縁すでにつきぬれば 浄土にかへりたまひにき 
本師源空のをはりには 光明紫雲のごとくなり 
 音楽哀婉雅亮にて 異香みぎりに映芳す 
道俗男女預参し 卿上雲客群集す 
 頭北面西右脇にて 如来涅槃の儀をまもる 
本師源空命終時 建暦第二壬申歳 
 初春下旬第五日 浄土に還帰せしめけり 
五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば 
 不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり 
南無阿弥陀仏をとけるには 衆善海水のごとくなり 
 かの清浄の善身にえたり ひとしく衆生に回向せん
 
源信 3 / 説経

 

説経 
平安時代中期頃から法華信仰と浄土信仰が隆盛し、ことに法華経の功徳を説く天台宗の僧侶による「法華八講」「十講」「三十講」が宮中始め貴族の館や説経道場・寺院などにて頻繁に行われていたことが、当時の貴族の日記や随筆のその様が多く出て来る。この「法華八講」と云うのは、法華経八巻を一日に朝座・夕座と二回講じ、四日間にて全巻を購読する法会のことである。このように頻繁に行われるようになると、名を成す僧侶の中から説教を専門職とする者たちが出るようになり、彼らはスター的な存在になっていった。説教の行う説教師については、皆様ご存知の源氏物語を始め様々な平安時代の物語や随筆には説経僧・説経と云う言葉で多く出てくるなど、この当時名説経師としてスター的な存在であったのが、奈良興福寺の清範、延暦寺の院源、浄土教の源信(恵心)等であった。個々の説教師に対する聞き手の反応も様々であり、特に宮廷に仕える女房達に持て囃され、好まれる説経師がどのようなものか、女性の目から清少納言は「枕草子」30段「説経師は顔よき」の項にて次の様に記されている。「説経の講師は顔よき。講師の顔をつとまもらへたるこそ、その説く事の尊さも覚ゆれ。外目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪や得らむと覚ゆ。この詞はとどむべし。少し年などのよろしき程こそ、かやうの罪は得がたの詞書き出でけめ。今は罪いとおそろし。」〔説経をする講師は容貌の整った方が良い。何故ならその美貌な顔をじっと見つめているので、精神が集中出来、その説く事が心に染み入り尊いと思う。容貌の醜悪な講師は、聴く方がついよそ目をしてしまうので集中出来ず、その結果つい有難い話も忘れてしまう。故に醜悪な顔の講師は、聴聞者に仏の有難さを理解させられないので仏罰を被るだろう。この様な事を書くと仏罰が当たるので止めます。いま少し年が若い頃には、この様な罰当たりな事を平気で書きもしただろうに、あの世に行くのが近くなった今では仏罰が恐ろしい〕また、この項の中で清少納言は、説教僧が説教を行う説経道場や貴族の館が、貴紳淑女達が華やかな装いにて集う社交の場としての一面も兼ね備えており、其処には説教が主ではなく、その場所に赴き社交に励む者も居た様を次の様に記している。「一、二回聴聞した故に何時も行かなくてはならないと思い、夏の暑い日盛りに、きらびやかな帷子を見せびらかして着て、烏帽子には物忌みの札を付けて、敢えて善根を積むために物忌みで篭っておる日なのに来ていると人に思わせる魂胆なのか来ている。聴聞を聞かず世話役の僧侶と立ち話をしたり、聴聞客の交通整理を買って出たり、久振りに会った人には側に行って座り、数珠を手慰みしながら世間話にうち興じ、彼方此方に視線を動かして説教を聴かず、何時も聴いているので別段耳新しくないとの素振りをしている」清少納言が書いているように彼女が華々しく女房生活をしていた時代は、仏教流布を積極的に行うために説経が盛んに用いられ、人々も宮中や有力公家の館の「講」に招かれ、説経を聴く事が1つの社会的ステータスともなっていた。また、説経師の側としても、有力者の催す「講」の説経を任されることは、説経師としての力量を認められることとして喜ばしいことであった。
恵心僧都と往生要集 
天台僧円仁が伝え延暦寺横川の三昧常行堂にて継承されて来た浄土教に傾倒したのが、横川恵心院に住した天台僧源信(後の恵心僧都)で、寛和元年4月(985)「往生要集」を完成させた。この「往生要集」はインドに生まれた仏教が、日本に到達するまでに様々な形に育成発展して来た過程において出来上がった「往生浄土」の思想と信仰を様を、様々な経論の中より選び出し、問答形式にて編纂したもので、「往生の業は念仏を本となす」を主旨として、念仏往生の要を懇切に説き、且つ地獄極楽を説いた仏教書であり、この書が世に出るや浄土教信仰において最重要な仏書として位置付けられる様になった。また様々な知識人にも読まれ、平安時代中期以降の日本文学作品や絵画などの芸術などに及ぼした影響は計り知れず、浄土思想史上における金字塔を成すものであった。この書に盛られた浄土思想を源として後に「浄土宗」「浄土真宗」「時宗」「天台宗眞盛派」などが創設され、また後世になると「往生要集」より六道・地獄・極楽に関する個所を抜き出して絵本が作られ、広く民間に流布され、近世になるとこの絵本を基に「覗きからくり」などの民間芸能が生まれ、また、掛け絵図を基に信者に絵の説明をする「絵解き」が寺院や小屋掛けにて行われるようになった。現在でもお寺にて地獄極楽絵図を掲げ住職が絵解きを行っておられる所もある様ですし、読者の中には縁日やお祭りの時に小屋掛けにて地獄図の説明を聞いた方も居られると思います。この「往生要集」は当時の説経師達にとっては、説経の題材を得るには都合のよい事例が多く載せられており、格好な教本となったし、以後の説経隆盛において欠かすことの出来ない重要な台本でもあった。この書に盛られた「地獄観」は、苦界とも云える現世に生きる者達に取っては身近な存在であり、素直に受け入れ易いものであった。この地獄に相対する「極楽浄土」は阿弥陀如来の居られる西方浄土にて、苦しみや煩悩がない安楽境であるとされ、現世にては求める事の出来なかった「極楽」に行く手段としては、生前ひたすら「南無阿弥陀仏」の称名を唱える事で、死後如何なる人でもこの極楽浄土に生まれ変わる事が出来るとするのが浄土教の教えであった。阿弥陀仏の浄土と来迎(人の臨終の時に仏・菩薩が浄土へと導くために迎えに来る事)が恵心僧都によって特に鼓吹され、且つ誰にも解る様に平易に「極楽往生の道」が説かれたことにて、浄土信仰は急速に普及し、当時社会に広まっていた末法思想と相俟って貴族社会に浸透していった。この末法思想と云いますのは、六世紀に中国にて考え出された史観で、釈迦入滅500年間は仏教が正統に実践される「正法」の時代であり、以後の千年間は仏果(修業を積んだ結果得られる成仏)や仏証を体得した者が皆無となるが、釈迦の教えと行法は存続する「像法」の時代である。それ以後の一万年は仏法が衰え廃る「末法」の時代としている。この思想は当時の我が国の仏教界に根強く定着しており、往生要集が出された平安中期は「像法の時代」の終末期であった。あたかもそれに併せる如く摂関政治にて権勢を振るった藤原道長が萬寿4年(1027)に逝去するや、摂関政治も翳りを見え始め、約140年後の仁安2年(1167)に平清盛が太政大臣となり、天皇の外戚となるや藤原氏支配の摂関政治も終末を迎えた。また治承元年(1185)に平家の滅亡にて武家政権が確立されるや平安時代も終った。
法然と浄土教 
源信著「往生要集」に傾倒した天台僧法然は、「いかに罪深い愚かな凡夫でもひたすら阿弥陀仏の本願を信じて念仏称名すれば救われる」とする専修念仏による往生を説き、安元元年3月(1175)天台宗を離脱し京都東山黒谷に庵を建て浄土宗を開立した。それは源信に遅れること約200年であった。それまでの仏教は教義・経典を理解できる貴紳階層を対象にしたものであり、愚痴・無知・蒙昧・罪悪深重の一般庶民を対象にしたものではなかった。この法然の説く専修念仏は難解な教義経典を知らなくても、ひたすら念仏称名すれば極楽往生が出来るとの事にて、今まで仏教に無縁であった一般庶民に受け入れられていった。また法然の教えは貴紳・老若・男女を問わない万民のための念仏であったので、後白河法王・関白九条兼実の帰依を得るようになり、貴紳・宮中の女官・武士・庶民が争って庵に参集した。現在の仏教に疑義を抱く、既存宗派の僧侶達が多数その門を叩き弟子となった。中でも目立つのが保元・平治・平家滅亡と打続く源平の闘争に従軍した有力鎌倉方武士の無常感による念仏門への帰依であった。法然の黒谷の庵にての浄土教の説教は、仏教自体を無縁なものと思っていた庶民層に土に浸み込む水の如く、民衆の絶大なる支持を得て受け入れられていった。その理由として上げられるのが、文盲無知な庶民に浄土教の教義を理解させ宗門を拡大する手段とし取られた口演(説経)による布教に外ならなかった。しかし、他宗派との差別化をするには、興味を抱かせるための庶民性豊かな説経(話芸)であった。そこで考えられたのが、民衆が好む娯楽的要求を受け入れるために、比喩因縁談に重点を置いた説教を用い、語り掛け、身振り手振りを使い、内容に沿った表情や音色に感情表現を加えた話法が作られた。この話法を浄土教の説教に取り入れたのが、天台門より浄土門に転じた当時説経師として著名であった安居院聖覚であった。この聖覚は説教の達人として名高く天台宗の高僧ながら、叡山を離れ安居院に住まいし妻帯し10名の子供を設け、破戒僧として世間から指弾されながらも、説教にて道俗を教化していた澄憲法印(藤原信憲の子息)の子息である。父と同じく比叡山にて天台門を学び、父に劣らない説教者として名を成していた。しかし、法然の説く浄土教に接するや、天台宗を離れ、法然に傾倒し浄土宗に転向し、その高弟となった。この説教の名人の入門は法然にとって念仏門布教には欠かすことの出来ない存在となり、様々な説教手法を創設したので、「説教念仏義の祖」として尊敬された。法然と同時代に天台の高僧にて澄憲法印と呼ばれる説教達人がおり、比叡山を降り安居院を住まいにし、僧の身ながら妻帯し十名の子供を儲け、世人から破戒僧として厳しい指弾を受けたが、説教を持って道俗の教化に努め、安居院流唱導の祖と称されている。因みに澄憲は保元の乱の中心人物であった小納言藤原通憲(信西)の子供で僧籍に入った者である。子の聖覚も比叡山にて勉学し父の劣らない説教者として名を成したが、山を降り父と同じく安居院に住した。やがて法然に傾倒し天台宗を離れ浄土宗に帰依し高弟となった。この聖覚の入門は法然にとり念仏門布教に欠く事の出来ない存在となり、様々な説教手法を創設したので、後に「説教念仏義の祖」と尊敬されるようになった。彼の説教手法は従来の表白体の説教を止め、比喩因縁談を中心とした口演体説教に変えたことである。彼の説教手法は法然門下の僧侶に広まり、庶民を対象にして各所にて説教道場が開かれたので、浄土宗は一挙に信者を増やしていった。この浄土宗の盛行に対し天台宗はじめ旧仏教側は脅威を抱き、様々な圧迫を加えて来たが、浄土門では摩擦を避け釈明にこれ努めて来た。しかし、後鳥羽上皇熊野行幸中に御側の女官が無断にて法然の弟子により浄土宗に出家する事件が起り、これを契機として、承元元年(1207)に「念仏停止」の断が下され、法然以下主だった弟子が流罪になった。この事件は浄土教にとっては京都での活動の停止であったが、反面流罪になった者達がその地にて浄土宗を普及させると云う、浄土宗の地方伝播と云う側面を齎した。聖覚は安居院に拠り浄土宗説教手法はを守って来たが、以後安居院流の説教手法は説教道の大きな流派として厳しい修練と口伝より、浄土宗に数多くの説教者を輩出し連綿と継承されるようになった。後に安居院流説教道は節付説教(説談説教)の名にて呼ばれ、本の話芸に多大な影響を与えている。この節談説教の方法は、俗受けのため有効で、声明・和讃・講式などが発展するにつれ、これらを取り入れて改良され、次第に芸能的要素が加わっていった。
 
源信 4 / 念仏

 

空也と源信がひろめた念仏 
清水寺の近辺は、昔は鳥部野と言って死者を遺棄したり埋葬したりするところでした。化野(あだしの)の露、鳥部野の烟と言われますね。清水寺から清水坂を下り、清水道の信号を渡ってすすむあたりには鳥戸野の入り口にあたる六道の辻に位置しました。その付近には、今は珍皇寺や六波羅蜜寺があります。珍皇寺は中世以来、「六道さん」の名で親しまれ、あの世(冥府)とこの世の出入り口とも考えられていました。今でも、この寺はお盆の前にはあの世からの亡者の英霊を迎えるために多くの参詣者で賑わうとのことです。六波羅蜜寺は空也上人ゆかりの寺です。この寺の空也上人像は口から六体の仏が出ているというように「ナムアミダブツ」という音を形に表わしたことでも有名です。諸国を遊行し、各地で道を拓き、井戸や池を掘り、橋を架け、野原に遺棄された死骸を火葬にしたと伝えられる空也は、972年この寺で入滅しました。六波羅という地名は、昔、遺棄された髑髏が多かったために「どくろがはら」と呼ばれたことから、「ろくはら」という地名がついたとの説もあります。市聖や阿弥陀聖と呼ばれた空也は念仏を民間に広めることに大きな役割を果たしました。 
念仏をより普及させたキーパーソンがいます。天台宗の源信(恵心僧都=えしんそうず)がその人です。985年、学問僧であった源信は、往生の手引書ともいえる「往生要集」(おうじょうようしゅう)を著した。そこに書かれたこの短い言葉が貴族の間で大流行します。「厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)」ですね。 
この世は汚れた穢土(えど)、苦悩や矛盾に満ちた世界で、人間はその中を輪廻(りんね)している。これを厭(いと)い、念仏を唱えることによって、阿弥陀仏が永遠の極楽浄土へ導いてくれることが説かれているんです。これが浄土教の基盤となっていきます。 
こういった現世を否定的にみる当時の仏教の観念が、絵画としてわかりやすく描かれて残されています。それが「六道絵(ろくどうえ)」ですね。仏教では、この人間世界は三界六道(さんがいりくどう)にあり、人間は生きているときに果たした善悪により、死後に六つの世界のどれかに輪廻転生(てんしょう)すると考えられたのです。 
その六つの世界とは、一番上に学問、善行を施した者の「天道」、続いて「人道」があります。ここまでが善を行ったものが行くところで、以下、悪行を重ねるにしたがってランクが下がり、いつも戦い合う「修羅道」、獣の道の「畜生道」、飢えに苦しむ「餓鬼道」、そして最後が「地獄」に落ちていく。 
人間の生きる世界とは、六道輪廻の世界で、繰り返し繰り返し続き、なかなか抜け出せない世界なんですね。でも、そこを脱出できる方法があった。それが念仏でした。阿弥陀仏を信仰することにより、これらの輪廻転生を超越した永遠の極楽に迎えられると考えられたのです。源信の「往生要集」は、のちに中国の天台山国清寺にもたらされて、宋の時代の中国仏教界にも大きな影響を与えたといわれてるんですね。
「往生要集」 
空也が民間に阿弥陀仏の信仰を広めたのに対して、源信は貴族の間に浄土への憧れをかきたてました。秀才であったが名利を嫌って横川に隠棲した彼は、44歳の時に「往生要集」を完成しました。横川の恵心院に住したため「恵心僧都」と呼ばれた源信の「往生要集」は浄土教を広めるのに計り知れない影響を与えました。 
「往生要集」は二章からなり、第一章は「厭離穢土」といいます。そこで源信は地獄の様子を克明に描写しています。さらに、衆生が輪廻する六道の苦しみを述べ、人々に世が末法の時代に突入しようとしていることを実感させました。第二章の「欣求浄土」では、ひるがえって浄土の素晴らしさを克明に説きます。観無量寿経の影響を強く受けた「観察門」では、阿弥陀仏の姿を観想することを説きました。 
時はあたかも不安の時代でした。摂関政治が地方政治の乱れをさそい、それが武士の台頭に拍車をかけるなど、貴族たちに社会不安を与えようとしていた時代でした。末法の世には、自力の学問や修行では救われず阿弥陀仏にすがるほかはないとの源信の言葉は、貴族たちの心を揺さぶります。そのような貴族の一人に道長がいました。「この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたることも なしとおもえば」との歌を詠んだ道長は53歳でした。しかし、体調を崩した彼は、阿弥陀仏の信仰にすがります。法成寺の阿弥陀堂には九体の阿弥陀仏が安置されました。阿弥陀仏が衆生を救うのには九つのグレードがあるとの信仰からでした。現在、この法成寺はありませんが、浄瑠璃寺(九体寺)には道長が造営した法成寺の阿弥陀堂と同種の九体の阿弥陀仏が安置されています。1027年道長は臨終を迎えます。北を枕に西向きに伏し、阿弥陀仏の手に結ばれた糸を自らも握りしめ、僧侶の読経の中で、浄土を夢見て62歳の生涯を閉じました。
末法の世の到来 
比叡山の円仁が伝えた五台山の念仏がしだいに僧から文人貴族に広まりました。東国で争乱があるなど治安が悪化して人心が動揺すると、空也(903-972)が京で念仏勧進を行い熱狂的信者を集めました。また源信は「往生要集」を著し、地獄を説いて六道輪廻の観念を人々に浸透させ、弥陀の相好や浄土の荘厳を観ずる念仏を説きました。 
極楽往生を願って道長が法成寺(1022)を、子の頼道が宇治の平等院(1053)を建立するなど華麗な浄土系寺院諸堂を建設しました。しかしこの頃すでに、彼らの貴族政治にも陰りが見え始め、しだいに地方武士階級の勢力が増し、さらには疫病の流行や治安の乱れ、大地震や大火など天変地異が頻発し、また僧兵の横行などから、人々には正に末法の世の到来を予感させました。 
末法は、釈迦入滅2000年後に始まるといわれ、我が国では1052年(永承7年)にあたるとされました。 
この説は「三時説」といい、仏滅後千年を教えと修行とさとりが備わっている正法の世、次の千年が像法の世で教えと修行はあるがさとりがないとされ、その後の一万年は教えのみで修行もさとりも無い末法の世が来るとされました。これは中国で書物に記されたものであり、インドでは時代を意味する概念ではありませんでした。 
しかし、当時は、権勢のある家柄の子弟が寺の要職につき、下級の僧は僧兵化していくなど、正に俗化した僧侶たちの横暴の様が末法の世を感じさせ、さらに様々な動乱がおこり末法を強く意識させられる時代であったのです。 
平安時代末期は、正にそうした世の中にあって救いとなる教えとは何かが模索されておりました。

源信 5 / 仏教概観   

 

最澄と空海 
日本の仏教は、平安時代初期の空海・最澄といふ二人の人物によって大きく変わります。この二人によってその後の日本仏教の基礎が築かれたといってもよいでしょう。最澄、空海の二人とも唐にわたり(最澄は国家によって派遣され、空海は私費留学生として)当時の中国の最も新しい仏教を日本に伝えました。 
空海は24歳の時、儒教・道教に比して仏教が最も優れているという主張を「三教指帰」で明らかにし、804年30歳で唐に渡ります。唐では当時最も新しい思想であった密教を学び、帰国後は高野山に金剛峰寺を建立し真言宗を開きました。空海は、経典の研究ばかりをおこない人々の救済をおこたっていた奈良仏教を批判し、三密(身に印を結び、口に真言を唱え、心に仏を思い描くこと)の修行によって大日如来と融合し生きたまま仏の知を得ること、すなわち即身成仏の思想を強調しました。(仏の知の世界を図像化したものが曼荼羅です)また、「十住心論」でしめした人間の心や菩提(ぼだい)心の展開をまとめた思想は、日本仏教全体に深い影響をあたえた。空海が遍歴したといわれる各地には弘法大師信仰が生まれました。最澄は空海と同じく804年に唐に渡り、天台、密教、禅を学び、帰国後は日本天台宗を起こし、比叡山に延暦寺を建立しました。彼は、「涅槃経」の「一切衆生悉有仏性」という一文にあらわされる、生きとし生けるものはすべて仏性をもち、仏になる可能性を持っているという一乗思想を展開しました。 
浄土教の興隆 
平安時代の中期を過ぎると浄土の教えと阿弥陀仏の信仰が広がっていきます。大乗仏教では歴史的存在としての仏(応身仏)に加えて、法(真理)それ自身としての仏(法身仏)と私たちの世界とは異なったさまざまな世界で教えを説くそれぞれの仏(報身仏)が存在するという仏身論が起こってきますが、その中で特に信仰を集めたのが西方極楽浄土で教えを説く阿弥陀如来と東方瑠璃世界で教えを説く薬師如来でした。特に、仏陀の死後この世界では仏だの教えは衰弱していくという末法思想が信じられ、1052年、仏陀の教えはあっても修行方法も結果としての悟りも得られないという末法に入るといわれると、阿弥陀如来の力にすがって何とかしてこの世界での死後、極楽浄土に生まれ変わろうという信仰が広まったのでした。十世紀には空也が現れ念仏を広めました。 
当時栄華を極めた藤原道長がその死におよんで、極楽往生を願い、自らが書写した経典を床に埋め、枕元に阿弥陀如来を安置し、その手から五色の糸を伸ばしてその手に結びつけ、僧たちに経を読ませながら臨終を迎えたという話は有名ですし、その子頼道も宇治に大きな寺を建て阿弥陀如来を安置したこともよく知られています(現在の平等院鳳凰堂)。 
もともと阿弥陀信仰とは、阿弥陀仏が法蔵菩薩であったとき、四十八の誓願をたて修行した結果仏になったというところから出発します。その誓願の第十八願が「たとい我仏を得たらむに、十方の衆生、心をいたし信楽して、我が国に生ぜむと欲して、ないし十念せむに、もし生ぜずといはば正覚を取らじ」というもので、これを阿弥陀の本願といいます。つまり、法蔵菩薩は阿弥陀仏になっておられるのであるから、その誓願の内容は成就されている、つまり、阿弥陀仏の名前を唱えた(念仏)われわれ衆生は必ず救われるのであるという信仰なのです。 
そしてこの信仰を世に広めるのに力のあったのが、天台座主であった源信の「往生要集」という書物でした。源信は極楽の荘厳さと地獄の悲惨さを共に描きながら、強く極楽往生を願うことを説きます。そして極楽往生の方法として、念仏を唱えながら、極楽の世界を目の当たりにしているように思い浮かべるまでにならなければいけないというのです。このような修行としての念仏は後の法然以降のただ口に唱えればよいという口唱念仏に対して観想念仏といわれます。 
また平安末期から鎌倉にかけて浄土信仰はますます強くなり、多くの阿弥陀仏が建立され、来迎図が描かれ、極楽往生の事象を集めた「往生伝」がたくさん作られました。 
鎌倉仏教の特徴 
鎌倉仏教というと、すぐに法然や親鸞、道元、日蓮といった人物たちによって担われた新しい運動を思い出しますが、じつは天台をはじめとしていわゆる旧仏教においても信仰が大きく広がった時代でした。つまり、平安末期から鎌倉にかけて広がった戦乱や社会的不安が、従来の貴族階級だけではなく、一般民衆の間にも仏教信仰が浸透していった時代だったのです。しかし、一般民衆にまで信仰が広がるとき、その信仰はいままでの深い学問や厳しく長い修行を要求するものであることはできませんでした。鎌倉新仏教の祖師たちは従来の仏教のなかからこれとおもわれる一つの行を取り出し、それだけを行うことで救いが得られるのだと民衆に説いたのでした。それは、法然や親鸞ならば念仏であり、栄西や道元であれば禅であり、日蓮は唱題(「南無妙法蓮華経」と唱えること)という一行を選び取ったのでした。又同時にその祖師たちは民衆のためにわかりやすく語りかけることを行いました。仮名法語はその現れです。もちろん旧仏教にたつ人々も同じく民衆の中に入ろうという意志を持ち、こうして仏教は今までにない広がりをもっていったのでした。 
法然と念仏 
比叡山にあって知恵第一といわれた法然は修行・学問を重ね、最後に至った信仰は、中国の善導にならって、ただひたすら阿弥陀仏にすがりその名を唱えるという、称名念仏という単純明快な一行でした。阿弥陀の本願にすがって念仏するにまさる行はないと考えた法然は、さらに造像起塔(仏像を作り塔を建てる)ことによって救われるとするならば、貧しいものは救われず、智慧高才を以て救われるとするならば愚かなものは救われない、持戒持律をもって救われるとするならば、戒を破らざるを得ないものは救われないことになる。阿弥陀の本願はすべての人々を救うためにあり、そのためにこそ難行ではない易行としての念仏があると考えたのでした。つまり称名念仏こそが最も容易であるばかりではなく最も確実な往生の方法であると考えたのです。彼のこの「只いっこうに念仏すべし」という立場は専修念仏といわれます。 
親鸞 
平安後期から鎌倉時代にかけては、それまでの貴族政治が衰退し戦乱が生じて人々が不会におののき、自らの限界を突きつけられた時代でした。その中で親鸞は、阿弥陀仏に対する念仏こそ救われるための唯一の方法であるとした師法然の教えを徹底し、自力の修行を捨て自らの身をすべて仏にゆだねるという絶対他力の立場をとりました。親鸞は、良心があるから人は殺せないという弟子に向かって、「自分の心が善くて、殺さないのではない。また殺すまいと思っても、百人、あるいは千人を殺すこともあるだろう」といいます。そこには、状況次第ではどのような悪でも成し得る人間の罪業への深い自覚があります。そしてそのような悪人である人間をこそ阿弥陀仏は救おうとされるのだという絶対的な信心にたって、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」(歎異抄)という悪人正機説を説いたのです。 
栄西と道元 
一方、救いということに対して法然や親鸞とまったく対照的な姿勢をとったのが道元でし。道元は、栄西から臨済禅を学んだ後入宋し、曹洞宗を日本に伝えました。彼は人間を含めあらゆる生類はそのまま仏であるという立場から出発します。そして本来備わった仏性を生活の中で直感することを目指したのです。かれは「只管打座」ただ座禅にひたすら打ち込めといいますが、食事や雑務、睡眠などの生活すべてが座禅であり、仏の知につながっているという立場なのです。いいかえれば、座禅を中心とする修行は仏の知を体得するための単なる手段ではなく、それ自身が仏の知を体現している目的になるというのです。「正法眼蔵」の中では「仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり」と述べられています。 
一遍・日蓮そして旧仏教 
日蓮は、法華教信仰にもとづいて「南無妙法蓮華経」という題目を唱えること(唱題)に一切の修行を集約し、日蓮宗を開きました。そして他宗に対しては「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と厳しく攻撃を行い、鎌倉幕府に対しても「立正安国論」を献上し法華経への帰依を進めました。浄土宗からは一遍が出て全国を遊行し、踊り念仏をはじめました。旧仏教側の動きとしては法相宗の貞慶が「興福寺奏状」を華厳宗の明恵が「摧邪論」を著して専修念仏を批判しました。その批判は、単に念仏によって救われるというならば、修行の意味はいったいどこにあるのかということでした。また律宗の叡尊は、幅広い社会救済事業に取り組みました。  
 
源信 6 / お葬式(抜粋)

 

火葬 
7世紀になると仏教の影響を受けて、火葬が行われるようになります。日本における最初の火葬は、西暦700年(8世紀初頭)、法相宗の祖・道昭だったと伝えられています。(しかし実は、7世紀はじめの遺跡から火葬の跡が発掘されています。) 
703年持統天皇が遺言によって火葬されます。その後、文武天皇、元明天皇、元正天皇と火葬が続きますが、その後天皇家の火葬は途絶え、840年淳和上皇から再び火葬が始まります。 
淳和上皇は、「魂は天に昇っているのに亡骸が墓にあって、これに妖怪が住み着いて悪事を働くといけないから、火葬後骨を砕いて山の中に撒き散らせ」と遺言し、大原野西山に散骨されました。嵯峨上皇も、薄葬を実行するために、細かな遺言をしたそうです。 
化野 / 空海 
811年真言宗の開祖空海(=弘法大師)は、京都の街に打ち捨てられ野ざらしになっていた遺体を、化野(あだしの・京都市嵯峨野)に埋葬(置いただけか?)したと伝えられています。以来化野と鳥辺野(とりべの)が、京都における庶民の墓地となります。 
「往生要集」 
このころ、この世の末かと思わせる飢饉や疫病の流行にのって、末法思想が広がります。人々は救いを求めて極楽浄土を夢見ます。そこに、惠心僧都源信が現れ、極楽浄土へ行くための方法を説きます。それは具体的な例を引きながらの説法で、源信の地獄や極楽という思想は多くの人々に広まりました。源信はとことん人間を穢れたものととらえ、「南無阿弥陀仏」を念じて救いを求めるよう説きます。 
また、源信が「往生要集」に書いた臨終の作法は、後々まで葬儀に影響を与えます。今日の葬儀の作法の多くが源信に始まったといわれています。 
仏教による庶民の供養 / 僧・隆暁 
1181年、西日本を養和の大飢饉が襲います。鴨長明は代表作「方丈記」に、「道のほとりに、飢え死ぬもののたぐひ、数も知らず(4万余-長明)。・・・くさき香に満ち満ちて、変わり行くありさま目も当てられぬ・・・。河原などには馬車など行きかふ道だになし」と書いています。まさに地獄のようなありさまを、この文章は正確に伝えています。 
このとき、仁和寺の僧・隆暁が京都の町をめぐって死者を弔いました。そのことに鴨長明はよほど感動したのでしょう。方丈記には「隆暁法印という人、・・・数も知らず死ぬることを悲しみて、その首のみゆるごとに、額に、阿の字を書きて、縁を結ばしむる」と書いています。 
「阿」は、100を超える仏教上の意義を与えられ、万物の根源であり不滅であることを意味するそうです。「縁」とは死者と仏の縁を意味します。僧・隆暁は、まことに名も無き死者を供養するという、宗教者らしい志を体現した人でした。僧・隆暁は、京の町で2ヶ月間この行為に没頭し続けたそうです。 
仏教の流行・鎌倉時代 
鎌倉時代には、庶民のための仏教が隆盛を誇ります。法然の浄土宗、、その浄土宗を発展させた親鸞の浄土真宗、一遍の時宗、日蓮による日蓮宗などが開かれました。いずれも庶民の救済を掲げました。 
浄土宗は「誰でも念仏を唱えれば極楽浄土にいくことができる」、時宗も「誰もが1度の念仏で仏になることができる」と説き、特別な修行や寄進が無くても、成仏できるという考え方は多くの民衆に受け入れられるところとなりました。また、日蓮も法華経尾を通じて民衆救済を行おうとします。 
浄土真宗の開祖は親鸞ですが、さらにそれを継ぐ偉大な布教者が生まれます。1415年に大谷本願寺の8代目として生まれた蓮如がその人です。蓮如は、浄土宗の開祖親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」(歎異抄)という言葉の思想こそが、すべての民衆を救済すると考て、その教えを広め、それが民衆の間に受け入れられます。 
また、鎌倉時代には宋から禅宗(臨済宗や曹洞宗)が中国(宋)から伝えられます。禅宗は位牌を日本に持ち込みました。もともと仏教には位牌はありませんでした。禅宗は儒教の葬儀に使われていましたが、日本にこれが伝えられると、武士の間に広がりました。
 
源信 7 / 死生観

 

中世新仏教の死生観  
現代の私たちは、一九九七年の「臓器移植法」の制定に伴って、「脳死」という未曾有の新しい死の基準を、一個の人間としてどう捉えるべきかを求められている。 この重大局面に、現代の宗教界はどう対応しているのだろうか。たとえば、西欧のキリスト教世界の場合、フォイエルバッハやニーチェの「神は死んだ」の言葉に象徴されるごとく、十九世紀から「無信仰の信仰」に入り、人間の内面世界は混迷の時代に突入している。 このことは、日本の宗教界とて変わらない。近世における葬式仏教化、近代における全宗教の天皇教化によって、普遍宗教としての仏教もまた圧殺されてしまった。日本宗教、とりわけ既成仏教は「無信仰の信仰」の時代に入って久しい。 そもそも、釈尊の時代に「死の超越」の宗教として創唱された仏教が、このように「無信仰の信仰」と化したのは、近世から近代にかけての政治との絡みによるものであり、その点、すぐれて歴史的な所産と言わなければならない。したがって現代の私たちが生と死あるいは来世観を含めた総体としてのあるべき仏教の姿を学ぶとすれば、それは「無信仰の信仰」以前の古代・中世の仏教をおいて他にないことになる。 結論を先取りして言えば、「生と死」あるいは「あの世とこの世」の関わり、来世観が、思想の問題として真正面から取り上げられたのは、十世紀の源信の「往生要集」においてであった。 
地獄と極楽 / 「往生要集」 
極楽往生の指南書である「往生要集」を執筆したときの源信の自称名は「天台首楞厳院沙門源信」というものであった。天台宗総本山の比叡山延暦寺は三塔からなっており、その一つである横川の中堂が首楞厳院と呼ばれ、源信はそこで仏道修行する一介の出家者=沙門だったのである。天台宗僧の源信は、どんな目的をもって「往生要集」を書こうとしたのか。その執筆目的を、源信は自らこう述べている。 「それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん。ただし顕密の教法は、その文、一にあらず。事理の業因、その行これ多し。利智精進の人は、いまだ難しと為さざらんも、予が如き頑魯の者、あに敢てせんや」。 阿弥陀仏の極楽に生まれるための教えと修行は、この濁りはてた末の代の人々にとって大切な目や足に当たるものである。この教えと修行には、出家者も在俗者も、あるいは高貴な人も貧窮な人もみな心を傾けるであろう。ただ、これまでの天台宗(顕教)と真言宗(密教)の教えは、その内容が一つではない。それにまた、極楽に生まれるために行なう、仏の相好(ようす)や浄土のすがたを観想する「事の業因」も、仏を普遍的な真理そのものと捉えて、これと一体となる修行の「理の業因」も、その内容がじつに多い。利智でひたすら打ちこめる人には、それもむずかしくないだろうが、私のような知恵のゆき届かぬ者にはかなわないものだ。 このように源信は、奈良・平安仏教の教えである「顕密の教法」に代わるものとして、「濁世末代」にふさわしい教えを示そうとして「往生要集」を執筆しようとしたのである。 では、その「往生要集」をどのように構想・執筆しようとしたのであろうか。源信は前の文章に続けてこう語っている。 
死生観の転換 
中世の死のイメージ / ひと口に日本の中世仏教といっても、いわゆる鎌倉新仏教が興る中世前期と、その新仏教が南北朝期における一定の教団形成を終えて展開を遂げていった中世後期の室町時代とでは、大いなる差異が存する。よってここでは中世前期についても可能な限り目配りし、その比較を通して室町仏教の死生観を探ってみたい。 鎌倉時代の仏教説話集たる「沙石集」には前に引用したように、次のような一文が収録されている。 「死トイフコト、オソロシクイマハシキ故ニ、文字ノ音ノカヨヘルバカリニテ、四アル物ヲイミテ、酒ヲノムモ三度五度ノミ、ヨロヅノ物ノ数モ、四ヲイマハシク思ヒナレタリ」。 この史料から「沙石集」の作者無住が、死という不可避のものに対して、「恐ろしい」と「忌まわしい」という観念を抱いていたことは容易に読み取れよう。死=「忌まわしい」の観念は後述するように、必ずしも中世全期に通底したものではないにしても、死=「恐ろしい」という恐怖の観念のほうは、中世全体、いな時空を超え、すべての人間が抱懐する根源的な観念であると思われる。 源信が「往生要集」で、臨終念仏の作法である「臨終行儀」を詳細に説き明かしたのも、その心奥に死=恐怖なる観念が厳存していたからではなかろうか。源信は往生のための正しい念仏のあり方=「正修念仏」を説示することによって、死の恐怖から自らを、また他者をも解き放とうとしたのである。 「沙石集」および先に挙げた「今昔物語集」を見れば、中世の人々はその前期・後期の区別を越えて、一様に死=恐怖なるもの、死=閻魔庁への堕落と観念していたことがわかる。 
死生観の転換 / では中世とは、このように死をめぐって、恐怖心一色に塗りこめられた時代だったのであろうか。思うに如何に死ぬかということは、逆に言えば如何に生きるかということであるから、その「死にざま」についても、現実における「生きざま」が直接間接に反映されるに相違ない。つまり、個々の人々が如何なる「生きざま」を示したかによって、「死にざま」の観念も微妙に変わってくるのである。 したがって次なる作業として、中世における現実の「生きざま」を、y「現世に対する価値観」、およびz「神祇観」の二つの物差しによって測定し、それによって「死にざま」を分析することが可能になる。 まず念仏門の親鸞を中心に考えてみると、・・・
 
源信 8 / 「臨終の行儀」

 

藤原道長の死から200年の後、嘉禎元年(1235)4月頃から、三条家の右大臣・藤原実親の妻の容体が急に悪くなった。彼女は死期が迫ったことを知り、出家をして、6月15日夜に亡くなった。  
この状況を藤原定家の「明月記」が詳しく書いている。それによると、当日彼女は沐浴のあと浄衣をまとい、清い畳を敷いて端座し、五色の糸を阿弥陀如来像の手から引いて定印を結び、死期を待った。  
午後2時頃からは、無言で観想を行い、夜半にいたって遷化した。  
この女性には、未婚の妹がいて8年前の安貞元年(1227)に亡くなっているが、最後に大病でやせ細った妹は、前日の朝に出家し、死去の日には念仏を数百回も唱え、五色の糸を引いて定印を結び、午後4時頃に亡くなった。  
これらは源信(942-1017)の「往生要集」(985)の「臨終の行儀」に記された方法に従ったものであり、姉妹ともに絶賛に値する往生であった。(角田文衛「平安の春」)  
往生要集は、寛和元年(985)に天台沙門源信により書かれた、念仏信仰の書である。これにより、地獄・極楽のイメージが日本人の心に定着したといわれる。  
前記の道長の死も明月記に書かれた姉妹の死も、この源信の「臨終の行儀」に従ったものであると思われる。そしてこの行儀に従い臨終を迎えた貴紳衆庶は、おびただしい数にのぼるといわれ、それは「日本往生極楽記」(985-986成立)をはじめとする往生伝に、多数記録されている。  
この行儀は、臨終に臨み阿弥陀如来の来迎をお迎えするためのものである。高野山の「聖衆来迎図」を見ると、彩雲に乗った25人の聖衆が、音楽を奏したり舞踏をしながら、金色燦然と輝く阿弥陀仏を囲ぎょうして、しずしずと湖水の面に天下っている光景を描いている。  
ご来迎の様子は、身近な人の夢の中などにでてくる。例えば、叡山西塔の沙門仁慶は、死の病の中で、自ら法華経を読み、結縁の衆僧を請じて、読経・念仏を唱えて入滅した。  
そのとき傍らの人の夢に、大宮大路に五色の雲が空より降りて、音楽と妙なる香りが空に満ち溢れた。仁慶は頭を剃って大きな袈裟を着て、威儀具足して手に香炉を持って、西に向かって立っていた。そこへ雲の中から蓮華台が下りてきた。  
仁慶はこの蓮台に座して、雲の中を西方遙に去っていった。時の人は、これは仁慶が極楽に迎えられたしるしであるといった。(「大日本国法華経験記」第52)   
 
恵心僧都 源信 9

 

誕生の年時
天慶五年(942)大和国葛城下郡當麻郷(奈良県香芝市)の當麻寺(たいまでら)近くの生まれ。父は卜部正親(うらべまさちか)、母は清原氏で極めて道心深く、母および三人の妹はともに尼となられています。
夢告により(十代半ば頃か)比叡山の横川(よかわ)に登り、慈恵(じえ)大師良源(りょうげん)大僧正の弟子となり、三十二歳の時、慈恵大師始行の「広学豎義(こうがくりゅうぎ)(天台僧の最終試験)を受けて「論義決択(ろんぎけっちゃく)世に絶倫(ぜつりん)と称す」と称讃されました。
『往生要集』の撰述と遣宋
寛和元年(985)四十四歳の時、叡山浄土教大成の書『往生要集(おうじょうようしゅう)』三巻を完成。その序文の冒頭で「夫れ往生極楽の教えと実践は濁世末代(じょくせまつだい)の目となり足となる重要なものである」と述べ、浄土念仏に関する百六十余部九百五十余文にも及ぶ経論の要文を典拠として引用しつつ、自らの念仏往生の思想とその実践方法を見事にまとめ上げました。
本書では、まずわれわれが生まれ変り死に変りする地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・阿修羅(あしゅら)・人間(にんげん)・天上(てんじょう)という、苦しみの穢(けが)れた六つの世界を厭(いと)い離れ、阿弥陀仏の苦しみのない極楽浄土(ごくらくじょうど)の世界をよろこび願い求めるべきことを示した後、正(まさ)しく念仏を修する方法を【一】礼拝(らいはい)【二】讃歎(さんだん)【三】作願(さがん)【四】観察(かんざつ)【五】廻向(えこう)の五念門(ごねんもん)として説かれました。
即ち、身にて一心に阿弥陀仏を礼拝し、口で弥陀仏の徳を讃歎し、意にてみほとけのこころ菩提心を発し、阿弥陀仏の相好(そうごう)(おすがた)を観察していく方法等が示されています。しかし乍(なが)ら「もし仏のおすがたを思い起こす(観察)ことができなければ、仏の救いを信じて身命を仏にゆだねる(帰命)という想(おもい)いにより、あるいは仏が救い取ってくださる(引摂(いんじょう))という想いにより、あるいは極楽の世界に生まれることができる(往生)という想いによって、心から一心に南無阿弥陀仏と唱えなさい」と述べ、仏のおすがたを思い浮べること(観念)ができないものは、心から仏のみ名を唱える称名(しょうみょう)念仏でも往生できる、と説いています。また「往生する為の行いは念仏を根本となす」としながらも、それぞれの願いに応じて行うあらゆる修行もまた極楽往生を実現する為の道(諸行往生(しょぎょうおうじょう))であると述べています。
なお、この『往生要集』を大宋国に遣宋(永延元年987)したところ、天台山国清寺では往生極楽の因縁を慶び「南無日本教主源信大師」と恭敬礼拝したと伝えています。
念仏結社と迎講
『往生要集』に示された浄土念仏の思想を実践する念仏結社「二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)」が寛和二年(986)結成され、花山(かざん)法皇など二十五名の結縁衆(けちえんしゅう)が組織されました。源信撰『二十五三昧式』によれば、毎月十五日に阿弥陀経読誦の後、六道の衆生受苦の文を読み弥陀の名号を称えるなど極楽世界に生まれることを期しました。この二十五三昧式は現在も恵心講「六道講式(ろくどうこうしき)」として恵心僧都ご命日の六月十日に修されています。
また寛弘二年(1005)ひたすら浄土の業を修さんが為に横川に華台院(けだいいん)を創建し、僧侶だけでなく縁ある在家の人々と共に「迎講(むかえこう)」を始修されました。迎講とは「来迎行者(らいごうぎょうじゃ)の講」の略称であり、命終にあたって阿弥陀如来が極楽浄土の世界へ導くために、観音・勢至など二十五の菩薩たちと共に、臨終を迎える往生者をお迎えに来られることを顕(あら)わしています。二十五菩薩の行道面〈練供養(ねりくよう)〉の起源は、この華台院に始まるのです。
『一乗要決(いちじょうようけつ)』の撰述と霊山釈迦講
教大師以来の一三権実(いちさんごんじつ)論争(一乗と三乗、いずれが真実か方便か)に決着をつけ、法華一乗(ほっけいちじょう)の思想を闡明(せんめい)にされました。
本書の末尾には「私はいま、仏となる一乗の教えを深く信じ理解しています。願うところは、阿弥陀如来(無量寿仏)のみ前に生まれ、法華経方便品(ほっけきょうほうべんぽん)に示されているように仏の知見を得たいと思います」と示し、「法華」と「念仏」の教えや信仰は何の矛盾もなく受け入れられるべきものと述べています。
『一乗要決』撰述の翌年、みずから横川に創建した法華信仰の根本道場「霊山院(りょうぜんいん)」において、「霊山釈迦講(しゃかこう)」を始め、毎月晦日(みそか)の法華経講義と、結番者(けちばんしゃ)による法華経読誦や釈迦如来への毎日の恭敬や供養等を勤めるべきこととし ました。
「朝法華、夕念仏」の伝統と臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)
恵心僧都は『往生要集』を著し、また念仏結社や迎講(むかえこう)を結成して叡山浄土教を大成し、のちに法然(ほうねん)上人、親鸞(しんらん)聖人、真盛(しんせい)上人など浄土念仏の祖師方を比叡から輩出する礎(いしずえ)を築かれました。
また一方、『一乗要決』を著して霊山釈迦講を始修するなど法華信仰を宣布され、「朝法華夕念仏(あさほっけゆうねんぶつ)」という天台仏教の伝統を育くまれました。
寛仁元年(1017)六月十日、二十五三昧会(にじゅうござんまいえ)の臨終作法により仏手の縷(いと)を自らの手に執り、弥陀の相好「面善円浄(めんぜんえんじょう)」の文を誦えつつ入滅されました。
なお『往生要集』の「臨終行儀」には、一心に阿弥陀仏を称念する「十念」をすすめているが、特に「臨終の一念は百年の業(ごう)(修行)に勝る」と述べており、いのち終らんとする最後の瞬間の一念の大切さを説いています。 
 
源信 10

 

『往生要集』で浄土教発展の基礎つくるが名利捨て念仏三昧
源信は平安時代中期、『往生要集』を書いて、浄土教の発展の基礎をつくった僧として有名だが、天台僧として『一乗要訣』という天台の中心教義「一切衆生皆成仏」の理論の完成者だった。周知の通り、彼は一条天皇から僧都の位を賜り、「恵心僧都」と尊称された。だが、彼は信仰心篤い母の教えを忠実に守り、名利の道を捨てて隠棲し、まさしく市井で念仏三昧に生きた高僧だった。
源信は大和国(現在の奈良県北葛城郡当麻)で生まれた。父は卜部正親、母は清原氏。幼名は千菊丸。源信の生没年は942(天慶5)〜1017年(寛仁元年)。源信は948年(天暦2年)、7歳のとき父と死別。950年(天暦4年)、信仰心の篤い母の影響で9歳のとき、荒廃した比叡山を再構築した中興の祖、慈慧大師良源(元三大師)に師事し、顕教、密教の奥儀を学んだ。そして、955年(天暦9年)出家、得度した。
956年(天暦10年)、源信は15歳で『和讃浄土教』を講じ、村上天皇により法華八講の一人に選ばれた。俊英の集まる良源門下で、源信の才能は若年時代から高く評価された。そして、下賜された布帛など褒美の品を故郷の母に送ったところ、母は源信を諌める和歌を添えて、その品物を送り返した。その諫言に従い、彼は以後、名利の道を捨てたのだ。
源信は985年(寛和元年)、『往生要集』を脱稿。この往生要集は貴族を中心とした上流階級に限られるが、日本初の一般人向けの仏教解説書だ。この中で彼は阿弥陀のいる極楽への往生の方法を説いたのだ。そして、最も効果のある「念仏」の方法として勧めているのが、称名(しょうみょう)念仏ではなく、観想(かんそう)念仏という方法だ。
観想念仏は浄土三部経の『観無量寿経』に説かれている方法で、阿弥陀や極楽浄土のありさまをできるだけ観想(思い浮かべる)することによって、念仏を行うというものだ。現代風に表現すれば、イメージトレーニングだ。これは貴族の好みと一致した。観想念仏をするための一番いい方法は、この世に極楽浄土のありさまを再現することだ。今日、国宝として残っている宇治の平等院鳳凰堂は、観想念仏のために建てられたものだ。
1004年(寛弘元年)、栄耀栄華を誇った藤原道長が病を得て帰依したが、彼は京に浄土の再現ともいうべき寺、法成寺(ほうじょうじ)を建立している。道長は死に際して、法成寺の本堂に床を敷き、本尊阿弥陀如来と自分の手を五色の糸でつないで臨終を迎えたという。これほど源信が勧めた観想念仏は貴族たちを虜にしたのだ。
こうした事績が認められて源信は権少僧都となった。しかし、1005年(寛弘2年)、母の諫言を守り名誉を好まず、わずか1年で権少僧都の位を辞退した。また比叡山の腐敗体質にも失望して、名刹を離れて、横川の恵心院へ隠棲し、念仏三昧の求道の道を選んだ。臨終にあたって、源信も阿弥陀如来像の手に結び付けた糸を手にして、合掌しながら入滅したという。源信の著作は『一乗要決』『因明論疏四相違略蔦釈』『六即義私記』『阿弥陀経略記』など70部以上150巻に及ぶが、代表作として知られるのはやはり、985年に著した、念仏による極楽浄土信仰興隆の起爆剤となった『往生要集』だ。
源信の浄土信仰の影響は法然、親鸞にも受け継がれている。源信は、浄土真宗では七高僧の第六祖とされ、「源信和尚」「源信大師」と尊称される。親鸞は『高僧和讃』において七高僧を挙げており、うち2人は日本人だ。ちなみに七高僧とは龍樹・世親・曇鸞・道綽・善導・源信・法然だ。源信を境に、阿弥陀如来来迎図や浄土曼荼羅・仏像彫刻などの仏教芸術の最盛期を迎えることになるのだ。
紫式部の『源氏物語』、芥川龍之介の『地獄変』に登場する横川の僧都は、この源信をモデルにしているとされる。このほか、『今昔物語』にはしばしば源信が実名で登場する。教訓的な内容や、人としての教えを語るにも、多くの人に知られている人物として、源信の信仰・思想などを、分かりやすく彼を介した話として取り上げられているのだろう。 
 
源信 11

 

天慶五〜寛仁元(942-1017) (通称:恵心僧都)
天台宗の僧侶。大和当麻出身。卜部正親の息子。母は清原氏。比叡山横川の恵心院に住んだため、恵心僧都とも呼ばれる。九歳で比叡山に入り、良源(慈恵大師)に師事する。天元元年(978)、法華会の広学堅義となる。横川に隠棲し、寛和元年(985)、『往生要集』を著す。翌年、慶滋保胤らと念仏結社「二十五三昧会」を創設して、自著の理念を実践した。寛弘元年(1004)、権少僧都に任ぜられたが、翌年辞退。著書はほかにも『観心略要集』『阿弥陀経略記』など数多く、浄土教の基礎を築いたと評価される。
千載集初出。勅撰入集二十首。和讃の創作でも名高い。

藤原清輔『袋草紙』より
恵心僧都は、和歌は狂言綺語なりとて読み給はざりけるを、恵心院にて曙に水うみを眺望し給ふに、沖より舟の行くを見て、ある人の、「こぎゆく舟のあとの白浪」注1と云ふ歌を詠じけるを聞きて、めで給ひて、和歌は観念の助縁と成りぬべかりけりとて、それより読み給ふと云々。さて廿八品注2ならびに十楽の歌注3なども、その後読み給ふと云々。
注1 拾遺集の沙彌満誓の歌「世の中を何にたとへむ朝ぼらけこぎゆく舟のあとの白浪」。これは万葉集巻三所載歌の異伝。
注2 法華経二十八品をそれぞれ和歌に詠んだもの。千載集以下の勅撰集に釈教歌として見える。
注3 極楽浄土で受ける十の楽しみを詠んだ歌。源信作は伝わらない。
法華経薬草喩品の心をよみ侍りける
大空の雨はわきてもそそがねどうるふ草木はおのがしなじな(千載1250)
【通釈】大空から降る雨は、地上にあるものを差別して注ぐことはないけれども、それによって潤う草木は、各自さまざまだ。そのように、仏の恵みは無差別でも、衆生が善果を得るかどうかは、生まれついての因縁や精進の仕方などによって千差万別である。
【語釈】◇薬草喩品 「一地の生ずる所にして、一雨の潤す所なりと雖も、然も諸の草木に各差別有るが如し」などある。
【補記】結句を「おのがさまざま」とする本もある。
題しらず
我だにもまづ極楽に生まれなば知るも知らぬも皆むかへてむ(新古1925)
【通釈】私だけでも先に極楽往生できたなら、知る人も知らない人も、皆極楽に迎え取ろう。
 
源信僧都、母への臨終説法

 

「釈迦の説かれた一切経にいかにすごい弥陀の誓願が説かれていても、正しく伝えてくださる方がなかったならば親鸞、弥陀に救い摂られることはなかったであろう。」
親鸞聖人はインド、中国、日本の七人の高僧のお名前を挙げて、その広大なご恩に感謝しておれらます。そのお一人が、日本の源信僧都です。
七高僧とは、
1 龍樹菩薩(インド)
2 天親菩薩(インド)
3 曇鸞大使(中国)
4 道綽禅師(中国)
5 善導大師(中国)
6 源信僧都(日本)
7 法然上人(日本)
源信僧都の幼少期
源信僧都は、平安時代の中頃に、大和国(現在の奈良県)に生まれられ、幼名を千菊丸(せんぎくまる)といった。千菊丸、七歳の時のことである。
一人の旅の僧が、村に托鉢に訪れた。昼になり、川原の土手に腰を下ろして、弁当を食べ始めた。いつの間にか、周囲の村の子供たちが集まり、物欲しそうな眼差しで、僧を見つめている。子供たちの格好はいかにも貧乏そうで、ボロ着に荒縄の腰ひも、髪の毛は汚れて乱れたまま無造作にもとどりを結わえてある。浅黒い顔に鼻汁を垂れている者もいる。中に一人だけ、鼻筋の通った、いかにも利発そうな子がいるのに気がついた。千菊丸である。
やがて食事を終えた僧侶は、川原で弁当箱を洗い始めた。前日からの雨で、水が濁っている。構わず洗っていると、千菊丸が近づいて言った。「お坊さん、こんなに濁った水で洗ったら、汚いよ。」わずか六、七歳の子供に、もっともらしく注意されて、‘何を生意気な' と内心思ったが、あらわにするのも大人げない。平静を装って、こう諭す。「坊や、浄穢不二(じょうえふに)ということを知ってるかい。世の中には、きれいなものも、穢いものも、ないのじゃよ。それをこれは浄い、これは穢いと差別しているのは、人間の迷いじゃ。仏の眼からご覧になれば、きれいも穢いも、二つのことではない、浄穢不二なのだよ。」
そう聞いて千菊丸、即座に反問した。「浄穢不二なら、なぜ弁当箱を洗うの?」当意即妙とはこのことだろう。
僧侶は二の句を継げず、あぜんとした。‘こざかしい小僧!'わずか七つの子供に、自分の持ち出した仏語を逆手にとられ、何とも気持ちが治まらない。一方、千菊丸は何事もなかったように、すぐ川原に行っては、他の子供たちと石投げをして遊んでいる。‘あんな子供に!'何とか一矢報いてやらねば立ち去れぬ。
‘よし、これだ!' と一策を思いついた僧は、無邪気に戯れている千菊丸に近づいていった。「おい坊や、お前さんは大層利口そうだが、十まで数えられるかい」「うん、数えられるよ、お坊さん」「それなら数えてごらん」「いいよ、一つ、二つ、三つ、・・・九つ、十」僧侶はわざわざ十まで数えさせてから、「坊や、今おかしな数え方をしたな。一つ、二つと皆、つをつけていたのに、どうして十のときだけ十つと言わんのじゃ」と底意地の悪い質問をした。
‘どうじゃ、今度は答えられんじゃろ'と内心ほくそえんだ次の瞬間、「そりゃ坊さん、五つの時に、イツツとツを一つ余分に使ったから、十のときに足りなくなったんだよ。」‘なんと・・・・、'またしても完敗である。あまりにも鮮やかな反撃に、もはや憎らしいの思いは失せていた。
‘惜しい。こんな優れた子を田舎に置いておくのは。出家させたらどれほどの人物になるかも知れぬ。'とすっかり千菊丸の才気に惚れ込んでしまった僧侶は、「そなたは大層賢いのぉ。ご両親にお会いして、ぜひとも頼みたいことがある。案内してもらえんか。」
すでに千菊丸には父はいないということなので、村はずれのあばら屋に母親を訪ね、懇願した。「私は比叡山で天台宗の修業をするもの。今日たまたま会ったお子さんの、あまりに利発なことに驚きました。失礼ながら、これほどの才能を田舎に埋もれさせてしまうのは、いかにも惜しくてなりません。どうか私に預けてくだされませんか。出家の身となられれば、さぞや立派な僧侶となられることでしょう。」
結果、千菊丸は、その僧侶の師・良源の弟子になる決心をして、九歳の時に、比叡山に入った。以来、閑静な仏教の聖地・叡山にて、千菊丸、後の源信は、一心不乱に天台教学の研鑽に励まれるのである。
叡山時代
元来、才知卓抜な源信が、よき環境に包まれて学問修業を続けられたのだから、その上達ぶりは目覚ましたかった。全国から俊秀が結集した叡山においても、なお頭角を現し、十五歳のころには叡山三千坊に傑出した僧侶として、源信の名を知らぬ者はないほどになった。
そのころ、時の村上天皇から叡山に勅使が下り、「学識優れた僧侶を内裏に招いて、講釈を聞きたい」という天皇の意志を伝えてきた。当時の仏教界は、国家権力の手厚い保護のもとに発展を約束されていたから、天皇の機嫌はそのまま叡山盛衰の動向に連なっていた。ために、派遣すべき僧侶の人選は慎重を極めたが、一山の首脳の衆議の結果、白羽の矢が立ったのが、源信であった。
源信は光栄に感激しつつ、全山の期待を担って村上天皇のもとに赴いた。そして群臣百官の居並ぶ前で堂々と、『称讃浄土経』(阿弥陀経の異訳本)を講説したのである。
年若い源信の、豊かな才覚と巧みな弁舌に感嘆した村上天皇は、「見ればまだ若いが、そなたはいくつか」と尋ねたが、十五と聞いてさらに驚嘆した。褒美として、七重の御衣や金銀装飾の香炉箱など、多くの物を与えられ、さらに「僧都」という高位の称号を受けられたのである。使命を全うして帰山する源信に、叡山は惜しみない賛辞を送った。一躍僧都となり、天下に名声を博した源信の喜びと得意は、察するに余りあろう。母を思う源信は、自身の出世をどんなにか喜んでくださるに違いないと、早速、事の始終を手紙にしたため、褒美の品々とともに郷里へ送った。
ところが、である。しばらくしてから荷物が、封も切られないまま突き返されてきた。しかも、添えられた母の歌は、実に意外だった。
後の世を 渡す橋とぞ 思いしに 世渡る僧と なるぞ悲しき
源信は、母の心が瞬時に分かった。「お前を仏門に入らせたのは、苦悩の人々に、後生救われる道を伝える僧侶になってもらいたい。それ一つのためでした。ところが今のお前はどうでしょう。名利を求め、処世の道具に仏法を使うとは、何と浅ましい坊主に成り果ててしまったことか。天皇とて仏の眼からご覧になれば、迷いの衆生。そんな者に褒められて有頂天になっているとは、情けない限りです。なぜに仏に褒められる身にこそ、なろうとしないのですか。」浮かれる心を見透かされた母君の、恐ろしいまでの叱責に、迷夢から覚める思いであった。
道を踏み外したわが子を悲しまれる鉄骨の慈愛に、翻然として己の非を悟った源信は、たちどころに褒美の品々を焼却し、僧都の位をも返上したのである。名利を求める心を固く戒めて、決意新たに後生の一大事、解決を求めた。
いつの世も、子供の社会的な成功を願い、実現して家や車をプレゼントされようものなら、泣いて喜ぶ親が多いのではなかろうか。出世を誇るわが子を、心を鬼にして叱りつけた母。その母心に敏感に猛省した源信。いずれにも驚かずにはいられない。「この母にして、この子あり」とは、これを言うのだろう。
弥陀の誓願のみ
死に物狂いで魂の解決に向かった源信が、峻烈な修業を重ねるほどに思い知らされてくることは、その厳しさに自惚れる恐ろしい心、煮ても焼いても食えぬ、お粗末な自己の本性だった。身につけた天台の教学は、良源門下三千人の中でも他の追随を許さず、主な聖教は暗誦するほどであったが、学問を極めるほど、その深さをひそかに誇るという有り様。捨てたはずの名利の心は、少しもやむことはなかった。無常迅速のわが身、悪業煩悩の自己、理においては充分すぎるほど分かっていながら、本心においては少しも後生の一大事に驚く心がない。愚かというか、アホというか、迫り来る一大事を前にしてなお、仏法を聞こうという心を持ち合わせていない。その悪を懺悔する心もない。こうなればただの悪人ではなくて、極重の悪人というべきか。道心堅固な聖者には進みえても、私のような頑魯(がんろ)の者にはとても後生の解決は達せられない。
※頑魯・・・頑固で愚かな者
どうすればいいのか。ついに源信僧都は、叡山北方の森厳たる谷間の地、横川の草庵にこもって、極重悪人の救われる道を、求めるようになったのである。横川の草庵においても、源信の煩悶の日々は続いた。来る日も来る日も、寝食忘れて経典やお聖教をひもとき、一大事の解決を求めた。
やがて歳月は容赦なく流れ、四十歳を過ぎたころ、たまたま目にした中国の善導大師の著書に、深い感銘を受ける。大師のご指南に従って、阿弥陀仏の本願こそが、万人の救われる唯一の道であることを知らされついに、弥陀の誓願不思議に救い摂られたのである。
母への臨終説法
母にもこの真実を伝えたい。すぐさま故郷の大和国(やまとのくに)を目指して旅立った。ところが、すでに母は年老いて病床の身となって、明日をも知れぬ容体であった。使いの者より母の病状を知り、夜を日に継いで家路を急いだ。
ようやく三十年ぶりのわが家へたどりついた源信僧都は、今まさに臨終を迎えようとしている母に、精魂込めて説法する。「母上、どうかお聞きください。後生救われる道は、本師本仏の阿弥陀仏に一心に帰命するより他はないのです。後生暗い心をぶち破ってくださる仏は、阿弥陀仏しかましまさぬのです。」やがて母君も、弥陀の本願を喜ぶ身となり、浄土往生の本懐を遂げたといわれている。
源信僧都は、母の往生に万感極まり、こう述懐されている。
「我れ来らずんば、恐らくは此の如くならざらん。嗚呼、我をして行を砥(みが)かしむる者は母なり。母をして解脱を得しめし者は我なり。この母とこの子と、互いに善友となる。これ宿契なり。」
※宿契・・・遠い過去世からの不思議な因縁
母の野辺送りのあと僧都は、横川の草庵に帰り、母の往生を記念して一冊の書物を著された。世に有名な『往生要集』である。
以後、源信僧都は、『往生要集』とともに浄土仏教の先達として、後世にも多大な影響を与え、七十六歳にて生涯を閉じられたのである。 
 
「源信僧都の母」

 

仏さまのお心をよく次のような歌で表されます。
父は照り 母は涙の雨となる 同じ恵みに育つなでしこ
これは、仏さまのお心には、父のような厳しさと母のような優しさの二つの面があるのだということです。
それを仏教では「折伏」と「摂取」と申します。
折伏とは「間違っておるぞ、迷うておるぞ」という叩き伏せる厳しさです。
そして、その折伏の心の底には「正しい道を歩んでほしい。目覚めてほしい」という摂取の心、すなわち救わずにはおれないという優しさの心があるのです。
そうして、当然のことですが救いたいという摂取の心が強ければ強いほど、折伏の心も強くなってきます。
そんなことを私たちに教えてくれる説話があります。
源信とその母親の物語です。
源信は幼名を千菊丸と言い、平安時代の中期、奈良県当麻という所で生を受けられました。7歳の時父を失い、母の手一つで育てられれのですが、幼少の頃より大変利発な子供で、その神童ぶりは多くの人々の評判になり、ついに9歳の時「ぜひ僧侶になってもらいたい」と比叡山から使者がやってきたのです。千菊丸の母はその出家の話に大いに悩みました。
ここで我が子を手放せば、おそらく今生ではもう二度と我が子に会うことはないであろうということを母には分かっていたからです。しかし、我が子の行く末を思う母なればこそ、ついに一大決心をして千菊丸を比叡山に送り出すことにしたのです。その別れは、我が身を引き裂かれるより苦しかったことでしょう。
こうして9歳にして比叡山に登った千菊丸は、13歳の時、名を源信と改め正式に仏門に入りました。
源信のその素晴しい才能は仏道修行においても遺憾なく発揮され、仏門に入ってわずか2年後、すなわち源信15歳のとき、時の帝、村上天皇の御前で「称賛浄土教」というお経を講義されたのです。
その講義の素晴しさに帝はいたく感激され、源信に数々の褒美の晶と「僧都」という位を授けられました。
源信は嬉しさの余り、郷里で一人暮らしている母に喜んでもらおうと、手紙と共にいただいた褒美の品を送られたのです。
ところが、母は源信の手紙をつぶさに読み終えた後、次のような歌を一首したため、褒美の品を源信のもとに送り返されたのです。
後の世を 渡す橋とぞ思いしに 世渡る僧と なるぞ悲しき
意訳しますと、
「あなたを出家させたのは、この世で苦しみ迷う人々に生きる喜びの灯をともし、仏さまの世界に渡してあげる橋の役目になってもらえると思ったからです。お母さん喜んで下さい! そんな僧侶になりましたと言ってくれるのなら、この母は喜びもしましょう。ところが、あなたは位が上がった、褒美の品を頂いたと、我が身の自慢をしているだけではありませんか。それではただの世渡りの道と変わりません。そんな世渡りのためなら比叡の山で修行する必要はありません。この母はこの上もなく悲しみで一杯です」
という返答の歌であります。
もちろん源信の母も人の親です。しかも身を切る思いで手放した我が子です。そんなに立派になったと聞かされたら、心の底では涙が出るほど嬉しかったに違いありません。年端もいかぬ我が子が帝に褒められて、喜ばない親などいません。喜んで当たり前です。我が子の嬉しそうに喜ぶ姿を想像すれば、一言なりとも「よく頑張ったね」と、誉めてあげたかったはずです。
しかし、もしここで我が子に「立派になりましたね。この母もこの上なく喜んでいます」と、言葉をかけてしまったならば、おそらく我が子は有頂天になって、自惚れの強い、他人を見下すような僧侶に成り下がってしまうであろうと思ったのです。我が子の行く末を思えば思うほど、母は心を鬼にして、我が子の慢心を戒める歌を、涙と共に送らずにはおれなかったのです。
そこには「どうか立派な僧侶になっておくれ。後の世を渡す橋になっておくれ」という、やるせない願いがあるだけなのです。
この厳しい母の戒めは源信の心に深く刻み込まれました。
それから後、源信は比叡山でも最も奥深い横川というところに住まわれ、終生その地を離れることなく仏道修行に精進され、多くの仏弟子を育て、数々の書物を書き残されました。
特に、親鸞聖人は源信僧都を我が国に初めてお念仏のみ教えを広められた方として、浄土真宗の七高僧の一人に挙げられ、その著「往生要集」は我が宗の重要な聖典として、後の世に生きる私たちの大きなともし火になっております。
まさに、源信僧都は「後の世を渡す橋」になられたのです。
この母の我が子源信への戒めの歌こそ、折伏と摂取の仏さまのお心に喩えられるものだと思います。
阿弥陀さまは私たちに向って「煩悩具足の凡夫よ。罪悪深重の凡夫よ」と呼び続けておられます。それは阿弥陀さまの折伏の心です。
そのお心は私の慢心を叩き潰すお心です。そして、そのお心の底には「どうあっても捨ててはおけない」という摂取の心があるのです。慢心の心を叩き潰しながら「だからこそ捨ててはおけないんだよ」と下がりつめるお慈悲の中に、間違いなくこの私が包まれてあることに気づかせてもらう、それが念仏者の信心であります。まことに、深い安らぎの世界です。 
 
『今昔物語集』 よき子よき母

 

巻十五第39話「源信僧都母尼往生語」
幼くして比叡山に登り、学問に励んだ源信が、宮の御八講で初めてもらった布施の品を郷里の母に届けた。母は学僧として成長したわが子を喜びながらも、「名僧になるな、多武峰の聖人のようになれ」と諭す。源信は山籠もりを誓い、今後母の許しがあるまでは山を下りないと答える。母からは励ましの手紙が来た。それから七年目、寂しければ会いに行こうかと母を気づかう源信を、母は恋しさを認めつつも、会って罪が滅するわけではないと激励する。さらに二年、虫の知らせに山を下りた源信は、彼を呼ぶ母の手紙を持った使者と途中で出会い、辛うじて臨終に間に合う。母はわが子の聖人に看取られて大往生を遂げた。
『今昔物語集出典攷』の著者として知られる江戸末期の学者岡本保孝は、手校本(現、内閣文庫蔵)のこの話の本文上部の余白に小さな字で、
「一条ヨミテ涙オチザランモノハ人ノ子ニアラズ。アナタフトシ・・・。保孝再拝涕泣」
と書き記している。他の話には一切このような書き入れはないから、保孝にとってこの話は特別の感慨を催す話であったらしい。現代の読者にとっても『今昔』全編中屈指の感動話であることには異論があるまい。先人たちにとっても全く同様であったらしい。
これと同じ話は源信の没後まもなく書かれた『首楞厳院二十五三昧結縁過去帳』に早くもちらりと見えているのをはじめ、『延暦寺首楞厳院源信僧都伝』や説話集では『発心集』巻七、『私聚百因縁集』巻八、『三国伝記』巻一および巻十二などにも見え、室町時代から江戸時代にかけては、『恵心僧都物語』『恵心僧都縁起』などの名で、独立した一篇の物語草子となって読まれもした。いつの時代にも変わらなかった人気の程が推し量られる。
最も印象深いのは源信を諭す母の手紙だろう。
「遣(おこ)セ給ヘル物共ハ喜テ給ハリヌ。此(か)ク止事无(やむごとな)キ学生(がくしゃう)ニ成リ給ヘルハ、无限(かぎりな)ク喜ビ申ス。但シ、此様(かやう)ノ御八講ニ参リナドシテ行(あり)キ給フハ、法師ニ成シ聞エシ本意ニハ非ズ。其(そこ)ニハ微妙(めでた)ク被思(おぼさる)ラメドモ、嫗(おうな)ノ心ニハ違ヒニタリ。嫗ノ思ヒシ事ハ、女子ハ数(あまた)有レドモ、男子ハ其(そこ)一人也。其レヲ元服ヲモ不令為(せしめ)ズシテ比叡ノ山ニ上(のぼせ)ケレバ、学問シテ身ノ才吉ク有テ、多武ノ峰ノ聖人ノ様ニ貴クテ、嫗ノ後世ヲモ救ヒ給ヘト思ヒシ也。其レニ、此ク名僧ニテ花ヤカニ行キ給ハムハ、本意ニ違フ事也。我レ年老ヒヌ。生(いき)タラム程ニ聖人ニシテ御(おは)セムヲ心安ク見置テ死バヤトコソ思ヒシカ。」
先掲の『結縁過去帳』や『僧都伝』にも簡略ながらそれらしい記事があるから、実際にこれと似た出来事があったらしい。これらの書は比叡山の横川と関係の深いところで成立しているから、横川には早くからこうした話が伝えられていたのだろう1。
名僧(有名人)になるな、聖人になれと源信を諭した母が期待したのは、彼が「多武ノ峰ノ聖人」(増賀)のようになることであった。増賀は源信と同じく良源に師事したが、源信より二十五歳年上で、反俗反名利に徹し、ついには狂気を装って比叡山を離れ、大和の多武峰に隠遁した。それは応和三年(九六三)、源信が二十二歳の時であったから、もし母が本当にこの通りの言い方で訓戒したとすれば、その時期もおのずからしぼられてくる。
けれども大切なのは、ことの真偽よりも、この話にこの文句が備わって伝えられているという事実である。これはこの話が反俗反名利の代表者的存在であった増賀を出家者の亀鑑として賛仰する人々によって守り育てられてきたことを物語っている。『今昔』とは関係なく成立した鎌倉時代の『私聚百因縁集』の同話にも、
「多武峯におはします聖の御房の様に、名利を捨離して、道を求め給はば、それぞ善知識の望むところなり云々」(原文は漢文)
と、類似句が見られることから推して、この文句はこの話が『今昔』に収録される以前に、すでにこの話に備わっていたと推定されるが、「聖人」ならぬ「名僧」ばかりが横行する現実の中で、出家者の進むべき真の道を真摯に求め続けていた人々にとって、源信の母は次第に彼らにとっての理想の母親像に作り上げられていったのだろう。彼女の人間像にはそうした憧れと願いが込められていたのである。
なお、室町時代に成立した『三国伝記』巻十二第3話では、源信が召された御八講はなぜか天暦十年(九五六)六月二十一日に宮中の清涼殿で行われたもので、源信はその時十三歳であったと語っている。この説は『恵心僧都縁起』にも引き継がれているが、天暦十年には源信は十五歳だったはずで、年齢が矛盾する。さらに『恵心僧都物語』では天暦十三年、十五歳とするが、これは年齢が矛盾するばかりか天暦の年号は十一年までであって十三年はあり得ないのである。天暦十年の同日に八講が行われたという確証もないから、これらの語るところが事実であったとはまず考えられない。
源信は泣いて返事を書いたが、その涙は感動の涙であり、喜びの涙であった、とわたしは思う。母が望んだ道は子の目指す道でもあった。「源信ハ更ニ名僧セム心無ク」という言葉に掛け値はなかっただろう。布施の品を送ったのはひとえに母を思いやっての行為だった。「源信といえどもこの時一辺の功名心がなかったとは言えない」などと想像する説もないわけではないが、文脈に即して素直に読み取るなら、ここではそんなことが問題にされているのではないことが了解できるはずだ。彼は「名僧」になりかけた自分を母が「聖人」の道に引き戻してくれたなどと思っているのではない。彼の感激は自分が心底で目指していることを母も望んでいて励ましてくれたという、いわば理解された喜びであり、自分をみつめる母の温かいまなざしを背中に感じる陶酔であった。山籠もりしながら母の手紙を時々取り出して見ては泣いた源信の涙は、そういう喜びを反芻する涙であって、単なる母恋いの涙などでは断じてない。
これが後代の『恵心僧都物語』になると、源信は十二年の山籠もりをすませたのに母がなおも会ってくれなかったため、
「母を憎み、声をあげて泣き玉ふ。さしも身を苦しめ、心をくだきて、十二年の月日を待ち暮らしても、母を見奉らんがためと思ひつるに、心つよく、その御ゆるしのなきことのかなしさよ」
と嘆くのであるが、ここでの涙は『今昔』の涙とはまったく別物になり果てていることに注意しなければならない2。
『今昔』の話で六年の山籠もりの後に源信が母に送った手紙は、「久ク不見奉(みたてまつら)ネバ、恋シクヤ思(おぼ)シ召ス」とまず母の気持ちを気づかい、「然(さら)バ白地(あからさま)ニ詣デム」と尋ねるものであった。それに対して「現(あらは)ニ恋シク思ヒ聞ユレドモ、見聞エムニヤハ罪ハ滅ビムズル」との返事。強い意志の言葉でありながら冷たい意志のみに生きる鉄の女といった感じがしないのは、「現ニ恋シク思ヒ聞ユレドモ」の一句があればこそ。最初の便りでも母は源信が送ってくれた品々を「喜テ給ハリヌ」と受け取り、「此ク止事无キ学生ニ成リ給ヘルハ、无限ク喜ビ申ス」と言ってくれた母だったからこそ、子は母の強い言葉に「只人ニモ無キ人也ケリ。世ノ人ノ母ハ此ク云テムヤ」と驚嘆しながらも、決して突き放された思いはしなかったのである。こういう心情の機微を描いて『今昔』はどの類話よりもみごとである。
源信が下山を決意したのはいわゆる「虫の知らせ」であったが、それにしても、もし彼が伝教大師最澄の『山家学生式』に「凡そ大乗の類は、すなはち得度の年、仏子戒を授けて、菩薩僧となし、その戒牒には官印を請はん。大戒を受け已らば、叡山に住せしめ、一十二年、山門を出でず、両業を修学せしめん」(原文は漢文)3と定められている天台僧に必須の十二年の山籠もりをしていたのであれば、九年目に山を出るにはもっと抵抗があったはずだという意見4がある。源信はすでに八講に召されるほどの研鑽を積んでいたのだから、今回の山籠もりに先立って十二年の籠山行はすでに終えていたと考えるべきだろう。
子のために耐えてきた母の自制の糸が切れたのは、彼女が病に臥してもはや助からぬと悟った時であった。そう思った時、彼女の子恋いの情は野に放たれた。「無限(かぎりな)ク恋(こひし)ク思(おぼ)エ給ヘバ、疾疾(とくと)ク御(おは)セ」と畳みかけるような言葉となって爆発する。彼女の子を思う心がいま突然に生まれたのではなくて、これまで懸命に押さえ続けてきたことを、これまでの彼女の言動から十分に感じ取れていただけに、このぎりぎりの場面での解放に、彼女の人間性の証(あかし)を見たような気がして、読者は素直な感動に身をゆだねることができる。この話はそういう構造で作り上げられている。
この時代、極楽への道はそうたやすく誰もがたどれるわけではなかった。生前に行う各種の往生業(観想・念仏・読経など)が必要なのはもちろん、とくに臨終時に一切の妄念を捨てて一心に唱える念仏が必要不可欠と考えられていたのである。源信の『往生要集』大文第六別時念仏には、「臨終行儀」として、臨終に唱える念仏の重要さと病人への念仏の勧め方が詳細かつ懇切丁寧に述べられている。それが理論としてだけでなく実際に行われていたことは、『往生要集』が完成した翌年の寛和二年(九八六)に比叡山横川の首楞厳院で、源信と縁の深い僧たちが結成した念仏結社「二十五三昧会」の運営の仕方を規定した『横川首楞厳院二十五三昧起請』を見ても明らかである。すなわち同書では、もし結衆(会員)の一人が重病になれば、他の結衆たちは全力を尽くして協力し、病人に臨終の念仏を正念のうちに唱えさせることが義務づけられていた。臨終時の念仏がいかに大切な条件と考えられていたかがわかるだろう5。
その後、時代が下るにつれて「臨終の正念」はますます重要視され、『続本朝往生伝』以下の院政期往生伝の類では、臨終時の正念念仏は、遥かにたなびいた紫雲や虚空に聞こえた来迎の音楽、あたりにただよう芳香などの異相(瑞相)と同じくらいの確実性を持った、往生極楽の証として重視されるようになる。こうした流れの起点となったのが源信の『往生要集』であった。源信の母はいわば人々に極楽への道を明かしてくれた本人に臨終を見取ってもらったことになる。この話の読者ないし聞き手は、これで彼女が往生できなかったはずがないと確信したに違いない。そういう意味でも彼女は誰よりも幸せな最期を迎えたのである。
よき子よき母の物語といえば、教育ママの理想像のように思われかねないが、母が望み源信が目指したのは仏への絶対的な帰依の道であり、個人的な成功とか利欲とかを棄て切った、ひたすらなる真理追求の道であった。彼女はそうすることが世のためになり、人のためになり、衆生のためにもなると信じていた。彼女は源信によって救われ往生を遂げたけれども、源信が救ったのは衆生であり、彼女は衆生の一人だったとも言えるのである。
価値観があまりにも多様化し拡散してしまった現代、彼らにとっての「聖人」の道に匹敵するような正道を、われわれはしかと見定めることができるだろうか。こういう母子が存在し得た時代、そして説話の語り手も聞き手も一致して彼らに心からなる賛辞を捧げ得た時代、われわれにとってうらやましいのは、そういう時代そのものなのかもしれない6。

(1) 高橋貢『中古説話文学研究序説』(桜楓社、1974)。
(2) 篠原昭二「伝承者の思想と説話の形態−源信の母の往生譚をめぐって−」(西尾光一教授定年記念論集刊行会編『論纂説話と説話文学』笠間書院、1979)。
(3) 日本思想大系『源信』(岩波書店、1970)の訓読文による。
(4) 平林盛得『聖と説話の史的研究』(吉川弘文館、1981)。
(5) 井上光貞『日本浄土教成立史の研究』(山川出版社、1956)。
(6) 岩波ジュニア新書『日本古典のすすめ』(1999)所収の拙論「今昔物語集」では、この話を『今昔』の代表話として紹介している。 
 
源信和尚の教え

 

源信和尚の生涯
源信和尚は天慶五年(942)大和国(奈良県)葛城下郡当麻郷に誕生されました。
幼少のころから信心深い母君に伴われて、姉妹と共に当麻寺に参詣されたことでしょう。当麻寺はすでに当麻曼荼羅で知られていました。それは善導大師の『観経疏』の内容を絵画したものだということです。一返が一丈三尺、約4メートルにもおよぶほど正方形の掛け軸で、その前に立つ者に強い印象を与えずにはおきません。ときには絵解きをしてもらったこともあったかもしれません。それらは後に和尚が浄土信仰を持たれる素地を作ったことでしょう。
和尚は良源の指導のもとで、学問と修業にいそしまれました。
その結果、三十二歳にして良源門下の秀才として広く認められるようになり、講経・法会の席につぎつぎ召され、宮中、公家社会との関係が深くなりました。ところが四十歳以後は、宮中の招にも応ずることなく、もっぱら比叡山横川に隠遁し、学問と修業に専念されるようになりました。
この隠遁のきっかけについて『今昔物語集』は大略次のようにのべています。
『往生要集』の概要  
源信和尚の著作は、すべてを和尚の撰述とすることには疑問ももたれますが、諸目録に名の出ているものは総数で百六十点に達し、『恵心僧都全集』全巻五巻に収められているものだけでも八十五部に及ぶということです。そこに和尚の学問の範囲がいかに広く、その思想信仰が深遠であったかが示されています。しかもその著作の底に阿弥陀仏の信仰が流れているということです。
このような阿弥陀仏を説く著作を代表するものが『往生要集』三巻です。この書は和尚四十四歳の四月に完成したもので、大変実践的な内容で、和尚の浄土信仰をよく表しています。それは次のような十章よりなっています。
 一、厭離穢土(えんりえど)迷いの世界を厭い離れるべきこと。
 二、欣求浄土(ごんぐじょうど)阿弥陀仏の浄土をねがい求むべきこと。
 三、極楽証拠(ごくらくしょうこ)十方諸仏の浄土の中で特に弥陀の浄土をねがうべきこと。
 四、正修念仏(しょうしゅねんぶつ)正しく修すべき念仏について。
 五、助念方法(じょねんほうほう)念仏行を助けるもろもろの事柄。
 六、別時念仏(べつじねんぶつ)平生特定の期日を定めて行う念仏と、臨終に行ずる念仏。
 七、念仏利益(ねんぶつりやく)念仏のよって得る利益。
 八、念仏証拠(ねんぶつしょうこ)念仏が諸行より往生行として勝れていること。
 九、往生諸行(おうじょうしょぎょう)諸行によって往生が可能であること。
 十、問答料簡(もんどうりょうけん)問答によって念仏を明かす。
このように実に整然とした組織をもった書物です。
その教えの中心は、第四正修念仏です。そこに説かれる念仏というのは、阿弥陀如来のおすがたを心に想い描き、そこに精神を集中するという観念念仏という意味の念仏です。その精神集中を助けるために種々の方策が必要となるのです。口称の念仏も説かれてはいますが、決して高い価値をもつものではなく、あくまでも中心は精神集中をする観念念仏にあります。また念仏の外に諸行による往生をも認める教えです。このように『往生要集』の教えは、今日の浄土教のイメージとはかなり異質なものです。それは、この書が天台宗の立場に立って作られているからです。ただ、天台宗の立場に立ちながら、善導大師の教えを受け入れているところに『往生要集』の大きな特徴があります。
修行の方法は、多く『摩訶止観』および善導和尚の『観念法門』ならびに『六時の礼讃』にあり
とあるように、天台宗の修行方法を述べる根本的聖典である『摩訶止観』の教えを基本に、善導大師の『観念法門』と『往生礼讃』の教えを融合させたものが『往生要集』の基本的性格であると考えられています。善導大師の教えを比叡山で最初に取り容れた書物がこの『往生要集』であり、善導大師の教えを受容しているがために、後世、この書が法然上人から高い価値を見出されるもとになるのです。
法然上人の『往生要集』の見方 
法然上人は、四十三歳の時、善導大師の『観経疏』「散善義」の「一心にもつばら弥陀の名号を念じて行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり」の文の深い意味を直観し、本願念仏に帰されたことはあまりにも有名です。称名念仏こそが、衆生往生の業因として如来によって選び取られた行業である。称名は仏願に順ずる行である。したがって称名念仏一行のみによって往生を得ることができるのであると確信されたのでした。そこで法然上人は、善導大師の目を通して『往生要集』を見直されました。新しい『往生要集』の見方は『往生要集詮要』『往生要集料簡』『往生要集略料簡』『往生要集釈(大綱)』などに著されています。それによりますと、『往生要集』には広例、略例、要例の三種の念仏が説かれているというのです。
広・略・要の三例
広例というのは『往生要集』全体を広く見る見方をいいます。それによると『往生要集』の中心は第四正修念仏に説かれる天台宗伝統の観念仏にあるという見方です。すなわち、阿弥陀如来のおすがたを心に想い、精神集中する観念仏が『往生要集』の念仏であると見るのです。略例というのは、法然上人によると『往生要集』の内容を略して示している第五助念方法の結びの総結要行を中心に『往生要集』を見る見方です。
そこでは往生の要として、
1 提菩提心をおこすこと、
2 戒律を守り身口意の三業を護りつつしむこと、
3 深く信じること、
4 誠を至すとと、
5 常に間(ひま)なく、
6 仏を念ずること、
7 願に随い回向発願すること
の七法が説かれていると法然上人は見られました。その七法の中心は称名念仏であるとされますが、その称名念仏は、大菩提心とか、戒律によって三業を護るとかの称名以外の六法の助けをかりて、清浄な心になって申す念仏です。念仏以外の自力の行の助けをかりて申す念仏ですから、法然上人は第十八願の念仏とは異なると見られました。要例とは、第十八願の称名念仏をいいます。法然上人は『往生要集』の、第四正修念仏の造略観の文、第八念仏証拠の全体の意、第十文答料簡の往生階位の文などに、要例である第十八願の称名念仏の位が説かれていると見られました。しかも法然上人は要例を示す諸門の中でも、往生階位に引用されている次の善導大師の文こそが『往生要集』全体を貫く基本であると見られたようです。
その善導大師の文は、
もしよく上に述べたように生涯念仏を相続するものは、十人は十人ながら往生し、百人は百人ながら往生する。もし念仏を専修することを捨てて自力の雑行を修める者は、百人の中で希に一,二の人が往生を得、一千人の中で希に三,五の人が往生を得るにとどまる
とありますが、この文について法然上人は、
源信和尚は道理を尽して往生の得否を論じているが、それを決定する手引きとして、善導大師の専修雑行の文を用いている。したがって源信和尚の教えに依る人は、かならず善導大師に帰すべきである
とあります。ここで専修とは称名念仏一行によって往生を願うこと、雑行も雑修も今は同じ意味で、称名念仏以外の行によって往生を願うことです。このように法然上人は『往生要集』は三つの見方ができるけれども、その正意は善導大師と同じく凡夫のための称名念仏を説く書であると見られたのです。親鸞聖人は法然上人の見方を通して『往生要集』を見られます。それがこの書が浄土真宗伝統の聖教とされるのです。
報化二土
親鸞聖人は主として法然上人が要例とされる文にもとづいて、「正信偈」や和讃で源信和尚を讃えられています。それらの中で特に源信和尚の功績と讃えられるものとして特記すべきものに阿弥陀仏の報土の中に真実の報土と化土とを分ける報化二土の見方があります。それは第十問答料簡に説かれていることで、『菩薩処胎教』によると、ここより西方十二億那由他の所に、楽しみ極まりない懈慢界という世界があり、阿弥陀仏国に往生を願った人は、懈慢界の楽しみにとらわれて、浄土に往生できる人は億千万に時に一人にすぎないとある。はたして往生できるのかと問い。その答えととして、懈慢界に生まれるのは、執心不牢固の雑修の人である。極楽国土に生まれる人は、執心牢固な専修の人であるとし、極楽国を報の浄土、懈慢界を化の浄土と名づけ、二土に生まれる原因の違を明らかにされています。執心不牢固とは信心が頑固でない自力信心のこと、執心牢固とは信心頑固な他力信心をいい、雑修とは念仏以外の行を修すること、専修とは十八願他力念仏を意味します。それで他力信心の専修の人は報の浄土に生まれるけれども、自力信心の雑修の人は化土にしか往生できないのだと説いて、専修と雑修の得失を判定されています。
「正信偈」に、
専雑の執心、浅深を判じて、報化二土まさしく弁立せり
とあるのがそれです。自力の信心を誡め、他力の信心を勧められていると源信和尚を讃えられるのです。ただここで注意しなければならないのは、化土というのは、善導大師の時代に阿弥陀仏の浄土が報土か応化土かと論議された報土に対する応化土の意味ではなく、阿弥陀仏の報土の中に真実の報土と化土とがあり、十八願の行者は真の報土に往生できるけれども、十九願・二十願の行者は、化の報土にしか往生できないと、報土の中にさらに報土と化土を分けられたのです。このような見方は『大経』をはじめ、七祖の上でも、その意はうかがうことができますが、明確にこれを示して、専修・雑修の得失を説かれたのは、源信和尚の功績であるとされたのです。
地獄について
『往生要集』をめぐる問題として、今回は地獄の思想と臨終来迎の思想について述べたいと思います。『往生要集』といえば、一般に地獄・極楽を説く書物と考えられています。しかしそれは正しい見方ではありません。この書は十章より成っており、第一章に、「厭離穢土」として、迷いの世界である地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上の六つの迷いの因果に縛られた境界が示されています。
これに対して、第二章「欣求浄土」、第三章「極楽証拠」では迷いの因果をこえた、さとりの世界である極楽浄土のすばらしさを示して、浄土を願うべきことを勧め、第四章「正修念仏」より以下で、浄土往生の実践法として念仏が詳しく説かれています。この部分が『往生要集』の中心であることは前回も述べました。ですから地獄・極楽を説く「厭離穢土」「欣求浄土」の部分は、『往生要集』の序文にも相当する部分なのです。また地獄は、餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上とともに迷いの因果に縛られた境界の一つであり、この六道に対し、さとりの世界として極楽があるのです。ですから六道輪廻の世界と極楽といういい方なら正しいけれども、地獄に対して極楽という表現は適当ではありません。それでは、どうして『往生要集』といえば、地獄・極楽を説く書物と考えられるようになったのでしょうか。その一つは六道の迷いの中で地獄の描写がもっとも詳しく、迷いの世界の描写の六割を占めていることがあげられます。源信和尚はそれほどまでに地獄に注意をはらわれ、人間の罪深さを強調されているのです。しかし『往生要集』が地獄・極楽を説く書といわれるようになったのは、主に江戸時代以後、庶民を対象にした絵入りの平仮名『往生要集』が何度も刊行され、それが流布したことでした。それも「厭離穢土」「欣求浄土」の部分のみの刊行でした。そのため『往生要集』は地獄・極楽を説く書と考えられるようになったのです。
地獄の本質
七高祖の聖教の中で最も組織立てて、地獄を説いているのは『往生要集』ですから、今この書によって地獄とは何かを考えてみたいと思います。迷いの世界は因果に繋がれた世界であると考えられています。善因楽果、悪因苦果の法則が支配している世界ということです。その迷いの世界の中で、悪行の結果として最も激しい苦を受ける境界が地獄です。それは悪行によって感じられる境界であると言いかえてもよいでしょう。悪行が地獄の苦を作っているのです。同じ地獄に居ながら、閻魔王や獄卒(地獄の鬼)には、そこは決して苦悩の世界ではないのです。ただ悪を行ったもののみが苦を感じるのです。その意味で地獄は決して客観的にある世界ではないと思います。地下どれだけかの所にあると表現されていますが、それはあくまでも、比喩的な表現として理解すべきだと思います。悪を行ったものが感じる心の闇の世界の表現だと思います。悪行によって地獄と感じるのですから、業が尽きた時、地獄と感じなくなる、地獄そのものが消滅することになります。地獄におちた人に寿命があるとありますが、その寿命は罪の深さの表現にほかなりません。
地獄の具体相
さて『往生要集』では地下深くに罪人の趣く場所として、罪の軽い方から重い方に順に地下深くに向かって、
1 統括地獄(とうかつじごく)、
2 国縄地獄(こくじょうじごく)
3 衆合地獄(しゅうごうじごく)
4 叫喚地獄(きょうかんじごく)
5 大叫喚地獄(だいきょうかんじごく)
6 焦熱地獄(しょうねつじごく)
7 大焦熱地獄(だいしょうねつじごく)
と降り、一番深い所に最も罪の重い者の趣く
8 阿鼻地獄(あびじごく)
があると説かれています。
いま試みに統括地獄のありさまを見ると、次のように説かれています。
この地獄は地下一千由旬の深さにあり、広さは縦横一万由旬である。その中の罪人はお互いに常に危害を加えようとする心を持っている。そのためにもしたまたま逢うことがあると、それぞれの鉄の爪で互いにつかみ合い引き裂きあい、血をすすり肉を喰らい骨だけにしてしまう。あるいは獄卒が手に鉄の杖、鉄の棒をにぎりしめ、頭から足に足るまでくまなく打ち突くと、身体は粉々に砕かれ土の塊のようになってしまう。あるいは鋭利な刃物で料理人が魚や肉を切り刻むように、切り裂いてしまう。ところが一陣の涼風が吹くと、やがてもとのように活きかえり、前と同じような苦を受ける、この統括地獄におちた者は、この地獄の時間にして五百年寿命が尽きることはない。ここには生きるものを殺した者がおちる
とあります。
源信和尚は統括地獄の記述によって何を訴えようとされているのでしょうか。私は次のように思います。われわれの日頃の生き方は、他人の罪やあやまちは見えるけども、自分の罪やあやまちはなかなか気づきません。また気づいたとしても、自分の罪やあやまちはひた隠しにし、他人の罪やあやまちは非難攻撃し、いいふらすことを憚りません。このようなことを互いに繰り返しているのがわれわれの日頃のすがたではないでしょうか。地獄の罪人が互いに敵意をもって鉄の爪で害し合うことがありますが、私たちのこのような罪深さを比喩的に表現されているのでしょう。統括地獄は殺生の罪人の趣く所です。しかし現実に殺生の罪しか犯さない人はいません。国縄地獄は殺生と盗みの罪人が趣く所です。これも現実には二つの罪しか犯さない人はいないはずです。外の地獄についても同じことがいえると思います。地獄の記述は現実にないことを述べられているのですから、それは比喩的な表現として、それによって何をいわんとされたのか考えねばなりません。
人間の罪悪性 
さて、人間の罪悪性について、聖道門と浄土門とで考えに違があります。聖道門では、今の自分は罪深くても、それは修行によって自分自身の努力で罪が除かれると考えます。それに対して、浄土門では、自分は罪悪深重であり、自分自身の力では罪はどうしても除くことはできない。仏果を得るためには仏力他力によらなければならないと考えます。この『往生要集』は、表面的には聖道門の書物です。地獄について多くを語り、人間の罪深さを詳しく示していますが、表面的には自力の修行によって罪を除き、浄土に往生することを説く書と考えられます。しかしその底流には「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」とあるような悪人の救いが説かれているのです。
来迎について
『往生要集』がはたした歴史的役割の大きなものに臨終来迎の思想があります。臨終来迎については、浄土三部経の一々にもこれが説かれ、道綽禅師や善導大師もこれを語っておられます。しかし、七高僧の中で源信和尚ほどこれを詳しく説かれた方はありません。これをわが国に広められたのは源信和尚でした。『往生要集』には次のように説かれています。
念仏の功徳を永く積んだ人の臨終には、阿弥陀如来が多くの菩薩や聖衆と共に大光明を放って目の前においでになる。その時、観音菩薩は慈悲の御手をさしのべて、宝の蓮台をささげ持って念仏行者の前においでくださり、また、大勢至菩薩は数えきれないほど沢山の聖衆と共に、声をそろえて行者をほめたたえ、手をさしのべて浄土へ連れていってくださるのです。この時、念仏行者は、目のあたりにこれを見て、心は喜びに満たされ、心身ともに安らかとなり、この上ない静かな境地に入るのです。そのようなわけで、草の庵で目を閉じた時がそのまま蓮台に坐る時であり、阿弥陀如来の後に従って、菩薩方にまじって一瞬の間に西方極楽浄土に生まれるのです。
そしてまた、来迎にあずかるための具体的な事項を『往生要集』では、「臨終行儀」という一節に詳しく説かれています。その他来迎にあずかるために用意されたものが来迎図です。今日まで数多くの来迎図が伝えられていますが、その中には源信和尚の構想の後をとどめるものもあるそうです。来迎図のそのはじまりは源信和尚の発案にもとづくようです。それと共に記憶に留めたいのは、迎講です。それは和尚六十歳頃以後に横川華台院ではじめられたものです。早見侑氏によれば、来迎行者の講という意味で、極楽や阿弥陀如来のありさまを眼前で髣髴させて、結縁の人びとをその身のまま極楽に往詣したかのような思いにひたらせ、仏道に向かわせる一大ページェント(お練り行道)であったといわれています。それは童子たちが浄土の聖衆に分し、僧侶たちに手を引かれ、雅楽に合わせ、和讃を詠じ、念仏しつつ来迎するお練り行道です。道俗貴賤結縁の人々は、放蕩邪見の輩までも目のあたり阿弥陀如来の来迎にあずかる法悦の涙にむせんだということです。尚今日、和尚ゆかりの当麻寺に、この迎講が原型に近い形で伝承されているということです。それはともかく、今日まで多くの来迎図が伝えられているにつけても、和尚がそれらによって浄土教を広められた歴史的功績の大きさは高く評価されなければなりません。源信和尚がでられたからこそ、法然・親鸞聖人の教えがあることを強く感じるのです。ただしかし、地獄の思想がそうであったように、来迎思想も基本的には自力的な考えです。浄土三部経には第十九願・二十願的思想と関連して説かれてるばかりでなく、聖道の経論にも来迎が説かれています。それらの教えは、臨終の一瞬の心は、百年の修行より勝れている。この刹那をすぎると、次にどこに生まれるか決まってしまうと考えるのです。それは臨終が特に重い意味をもつわけです。そこで臨終に如来にお迎えをいただき、それをこの目で確かめて、如来に導かれて浄土に往生しようとするのです。それには条件があります。如来のお迎えをいただき、如来を拝見するには、罪を除いて清らかな心になり、静かな心で弥陀を念じなければなりません。このようにわれわれの罪は自分で除いて往生するというのが、源信和尚の臨終来迎に他する基本的な考え方です。
親鸞聖人は不来迎
このような林樹来迎の考えは、親鸞聖人の教えと大きく異なります。親鸞聖人の教えは、自分の罪は重く、それをどうすることもできない。それで罪をもったまま本願力におまかせするのです。信じたそのとき、如来に摂取不捨されますから、臨終来迎を期待する必要な全くないわけです。
そのことを親鸞聖人は、
真実信心の行者は、摂取不捨のゆゑに正定聚の位に住す。このゆゑに臨終まつことなし、来迎たのむことなし。信心の定まる時往生また定まるなり。来迎の儀則をまたず
と示されています。
親鸞聖人の『往生要集』の見方
さて、『往生要集』は地獄の思想にしろ、臨終来迎の思想にしろ、表面的には聖道門自力的な教えに相違ありません。それはすでに法然上人もそのように見られたのでした。
法然上人によれば、この書は表面的には観念念仏を説く書であると見られました。観念念仏というのは、仏のお姿や浄土の有様を心に思い、そこに精神を集中する行です。しかし法然上人は、この書が道綽禅師・善導大師の念仏の教えを勧めていることにも注意されました。道綽・善導の念仏の教えというのは、愚悪の凡夫が本願他力の念仏によって、真実の報土に往生できるという教えです。『往生要集』は観念念仏を説きながら、観念念仏のできない人の往生にも深い注意をはらっている書物です。そのようなことを考えると、この書に引用されている善導大師の次の言葉、
「称名念仏を相続する人は、十人は十人ながら、百人は百人ながら往生できる」、
すなわちすべての人がみな阿弥陀仏の浄土へ往生できるという善導大師の教えこそ『往生要集』に対する見方を親鸞聖人も受け継がれました。
専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり 雑修のひとをきらふには 万不一生とのべたまふ
と詠われるものもそれをあらわしています。
他力念仏を勧めるのが真意なら、どうして聖道自力的な教えを説かれたのでしょうか。相は当時の聖道門の人々を、他力念仏に引き入れる方便だったともいわれています。  
 
源信の人間観

 

恵心僧都源信(942-1017)によって著された『往生要集』は、日本浄土教の発展・定着に大きく寄与した書物である。この発表では主として『往生要集』によりながら、そのなかに見られる源信の人間観を考えてみたい。
寛和元年(四八五)に著された『往生要集』は十門(十章)から成るが、そのなかでも特に有名なのが、「それ三界に安きことなし。最も厭離すべし」という言葉で始まる最初の「厭離穢土」と題された章である。そのなかでは六道の苦しみが克明に語られ、『往生要集』のなかで最も有名な個所である地獄の描写もそこに含まれている。しかし、この章の狙いは六道全体の苦しみを説き示すことであるため、地獄以外にも餓鬼・畜生・阿修羅・人・天の世界の苦しみが詳しく述べられている。
そこで、本発表では最初に「厭離穢土」に見られる人道を取り上げる。ここで源信は人間を、基本的には六道のなかに輪廻する存在であり、苦に満ちているものであると定義している。具体的には人を不浄、苦、無常の三側面から論じている。そして最後に、このような考察を通じて、人としての存在も「実に厭離すべし」と結んでいる。
そのように源信は、人間存在を苦に満ちたものと受け止めているが、同時に「我等、いまで曾て道を修せざりしきが故に、徒に無辺刧を歴たり。今もし勤修せずば未来もまた然るべし」と述べ、人は仏道を修することによって、六道を超え成仏することができることも力説している。天台宗の本来の立場からすると、仏果を得るためには厳しい菩薩行を修しなければならないが、源信によると、そのような厳しい菩薩行は濁世末代の衆生には甚だ困難であるため、念仏を修し阿弥陀仏の浄土に往生し、そこで菩薩行を行い仏果を求めるべきであると示しているのである。
念仏の教えは円仁(794-864)によって比叡山にもたらされたが、日本天台独自の浄土教的言説が構築され始めたのは源信の一世代前からの事と思われる。一例をあげると千観(918-984)は『十願発心記』を著し、そのなかで浄土往生を願う十願を発し、浄土に往生したときには一切衆生を済度するための菩薩行を行うことを誓っている。このような立場は源信にも継承されている。源信は『往生要集』のなかで、世親の『往生論』に見られる五念門(礼拝・讃歎・作願・観察・廻向)の枠組みを使って念仏を体系的に説いているが、作願を「菩提心を発す」こととして説いている。このことから知られるように、源信は浄土往生を菩薩行の一環として受け止めているのである。
以上のように源信は人間を六道に迷い、不浄、苦、無常という性格を持つ存在と定義しているが、同時に浄土に往生し、菩薩行を修することによって、確実に仏果に到ることができる存在としても理解しているのである。源信の人間観はこの二つの側面―つまり、人間は迷いになかで苦悩するとともに、その迷いを超えて仏果を得る可能性を持っている―を有しているといえよう。  
 
『往生要集』の菩提心説

 


恵心僧都源信(九四二- 一〇一七)の名著『往生要集』は、十門組織からなっているが、その中心をなすのは、第四正修念仏の五念門であり、浄土往生のための念仏法は観察門で示されている。しかるに観察門の直前に説かれる作願門においては、往生のための菩提心について、「菩提心はこれ浄土菩提の綱要なり」(恵全一、七四)と述べられて、菩提心が極めて重視されている。かかる菩提心の内容については、上求下化の四弘誓願であると規定されているが、八木昊恵氏の『恵心僧都の基礎的研究』等には、この『往生要集』の菩提心は、天台智顕の『摩詞止観』の円教菩提心を思想的基盤として成立していることが指摘されている。
しかるに、叡山における菩提心の史的展開のなかで、源信の菩提心がいかに受容され、形成されたかについては、未だ充分な研究はなされていない。特に『往生要集』には、叡山において円教的に受容された『大乗起信論』の菩提心の影響も予測されるので、これらの問題を含めて、『往生要集』の菩提心の思想的立場とその特色を一瞥してみたい。

源信は、『往生要集』の作願門において、浄土菩提の綱要たる菩提心を(一)行相、口利益、国料簡の三門に分かって論述しているが、その中心たる行相段では、菩提心を「四弘誓願」とおさえ、これを事を縁とする四弘と、理を縁とする四弘の二面から説き示している。菩提心を事と理に分ける考え方は、良忠(= 九九ー一二八七)の『往生要集義記』(浄全一五、二四九下)に指摘されているごとく、新羅元暁(六一七-六八六)撰と伝える『遊心安楽道』の随事発心と順理発心の学説(大正蔵四七、二四b)を受けたものとみられる。しかるに理を縁とする四弘を「無縁の慈悲」と規定し、順理発心を最上の菩提心と主張しているところに、源信の菩提心の立場が示されているとみることができる。
かかる順理発心の内容を『摩詞止観』の発大心章と対比すれば、『往生要集』は、全く『摩詞止観』の「約二弘誓一顕レ是」の文(大正四六、九a-b)の要点を抄出したにすぎないものであり、源信は、『摩詞止観』の生死即浬葉、煩悩即菩提等の円教無作四諦の原理に基づく四弘誓願をそのまま依用したことが知られる。
このような順理発心の思想的基調ともいうべき無作の四弘誓願については、『摩詞止観』だけでなく、智顎の『大本四教義』(大正蔵四六、七六一c)や『維摩経玄疏』(大正蔵三八、五三〇c)の真正発菩提心を明かす段においても、次図のごとく明示されている。
無縁の慈悲ー大悲ー無作苦諦(浬葉即生死)-度ー無作の四聖誓靡
        ー無作集諦(菩提即煩悩)-断ー
     ー夫慈ー無作道諦(煩悩即菩提)-知ー
        ー無作滅諦(生死即浬契)-成ー

とあり、度、断、知、成の四弘は、いずれも煩悩即菩提、生死即浬架等を原理とする苦、集、道、滅の円教無作四諦を内容としているので、「無作の四弘誓願」と呼ばれ、またこれを「無縁の慈悲」とも称されている(拙稿「天台大師智顎の菩提心について」叡山学院研究紀要第四号参照)。したがって『往生要集』において「理を縁とする慈悲はこれ無縁の慈悲なり」と示されているのは、まさしく智顕の無作の四弘誓願によったからであると考えられる。

しからば、浄土往生のための菩提心を説くについて、天台の無作四諦の原理に基づく四弘誓願を導入したのは、源信以前の叡山浄土教にはみられなかったのであろうか。この点について注目されるのは、源信の師である慈恵大師良源(九一二-九八五)の『極楽浄土九品往生義』であろう。
『九品往生義』の菩提心は、観品の上品上生段に示される極楽往生のための至誠心、深心、廻向発願心の三心が、維摩経や起信論の三心と対配(日仏全四一、九〇a)されていて、観経三心は、維摩経や起信論の三心と同意趣のものと把握されている。かかる良源の三心釈の立場は、円教の菩提心に基づくものであったとみられる。なぜなら良源は、智顕の『維摩経文疏』(卍続蔵一、二七、四七五左下-四七七右上)をいささかも改変することなく略抄した荊渓湛然(七二一七八二)の『維摩経略疏』の三心釈(大正蔵三八、五九一a-五九二b)を援用して、観経三心が円教の菩提心であることを論証しているからである。
例えば(一) 至誠心釈については、略疏の直心釈を引いて、円教無作四諦を観ずることを至誠心の立場としているし、口深心釈においても、略疏によって円教無作十二因縁を観ずることを深心の立場としている。したがって、『九品往生義』に示された至誠心と深心とは、いずれも無作の理を観じていく心をいうのであるから、無作の四弘誓願の理念がここに示されていると考えられる。次に廻向発願心では、その内容として具体的に、四弘や五大願、十大願の名をあげているが、ここでは四弘誓願について、蔵、通、別、円の菩薩がそれぞれ四諦を縁じて四弘誓願を発すことを略疏によって説いている。直心釈や深心釈にも示されているように、良源の立場は、円教菩薩の無作四諦におかれていると考えられるので、廻向発願心の内容もまた、無作四諦の原理に基づく無作の四弘とみることができるであろう。
さらにまた、下品下生段における菩提心(日仏全四一、一〇三a-b)についても、『摩詞止観』の発大心章に説かれる十種発心(大正蔵四六、六a)を取りあげ、このうち五逆十悪をなしたる愚人たる下品下生者の菩提心は、第四の発心、すなわち「聞種々法菩提心」にあたると述べている。『摩詞止観』に示された「聞種々法発心」は、種々の法を聞くといっても、あくまで無作の原理に立脚した菩提心が説かれているのであるから、これを受けた『九品往生義』の下品下生の発心もまた、智顎所説の円教無作の原理に基づく菩提心であることが知られる。
以上の点から、源信が最上の菩提心として示した順理発心の思想的基調が、智顎の『摩詞止観』等の無作の四弘誓願におかれていたのは、すでに述べてきたごとき良源の『九品往生義』の立場を継承したものであったと考えなければならないであろう。

すでに縁理の四弘について検討してきたので、次に縁事の四弘誓願について取りあげてみよう。縁事の四弘については、『往生要集』に説かれる文(恵全一、七四-七五)を図示すれば、
            〈三聚浄戒〉〈三徳〉〈三因仏性〉〈三身〉
菩提心ー四弘誓願ー事ー度ー饒益有情戒ー恩徳心ー縁因仏性ー広身因
          ー断ー摂律儀戒ーー断徳心ー正因仏性ー法身因
          ー知ー摂善法戒ーー智徳心ー了因仏性ー報身因
          ー証ー由具足前三行願証得三身円満菩
        ー理ー提還亦広度一切衆生

となり、事を縁とする四弘誓願のうち、衆生無辺誓願度、煩悩無辺誓願断、法門無尽誓願知の三願には、饒益有情戒、摂律儀戒、摂善法戒のいわゆる菩薩の三聚浄戒や、恩徳、断徳、智徳の三徳、縁因仏性、正因仏性、了因仏性の三因仏性、および応身、法身、報身の三身が配されている。また無上菩提誓願証の願については、前三願を具足し、統一するものとして捉えられている。
かかる『往生要集』の菩提心釈について、小寺文頴氏(「恵心僧都における円戒と念仏」竜大仏教文化研究紀要第八集)は、三聚浄戒に三学、三観、三徳(法身、般若、解脱)、三身、四弘を結びつけた明噴(-七七七1)撰『天台菩薩戒疏』の「円の三聚」説を導入したもので、源信によって円戒は菩提心に統摂されたと述べられている。つまり『往生要集』の菩提心は、戒そのものであることを主張せられたのである。
菩提心を円戒の中心思想である「円の三聚」と結合したのは、荊渓大師湛然の門下、明噴の創意によるものであるとみられるが、菩提心を三聚浄戒や三徳、三身に配する考え方は、明膿より約百年近く以前に華厳宗を大成した賢首大師法蔵(六四三-七一二)の『大乗起信論義記』に次のごとく説かれていて注目される。
上来二種(直心と深心)、自利行本也。言一天悲心一者、広抜二物苦一令レ得二菩提。改云二欲抜等一也。即利他行本。妙行錐レ広、三行統収。故上云二略説三一也。以二此即是三聚戒一故、三徳三身皆由レ此故。(大正四四、二七九a)
これを図示(子踏の起信論疏筆削記参照)すれば次のようになるであろう。
               〈三聚戒〉〈三徳〉〈三身〉〈二利〉
起信論の発心ー信成就発心ー直心ーー摂律儀戒ー断徳ー法身ー自利
            ー深心ーー婁善法戒ー智徳ー報身ー自利
            ー大悲心ー摂衆生戒ー恩徳ー応身ー利他
      ー証発心
      ー解行発心

ここで信成就発心、証発心、解行発心の三種菩提心は、『大乗起信論』の分別発趣道相において示される菩提心であるが、このうち不定聚(十信位)の菩薩が発すべき信成就発心たる直心、深心、大悲心の三心が三聚浄戒と結びつけられているので、菩提心を戒とみる起源は、法蔵の『起信論義記』にまで遡ることができるであろう。ただし法蔵の『起信論義記』の場合は、あくまで起信論の菩提心との結合であり、上求下化の理念は説かれるが、四弘の名はあげられていない。また起信論の三心と三聚との配釈も図示したほど明確でなく、信成就発心は三聚浄戒なるが故に直心、深心、大悲心の三心をたてるのだという主張のようである。
しかしながら、源信が『往生要集』において、事を縁とする菩提心の内容として示した三聚浄戒、三徳(恩、断、智)および三因仏性、三身との配釈は、三因仏性を除いては全く法蔵の起信論の菩提心釈と一致するものである。もちろん法蔵の菩提心と戒との結合は、すでにふれたごとく明膿の円三聚説へと継承され、これを取り入れて菩提心三聚説を主張したのが源信であると思われるが、源信の縁事発心の根抵には、三聚、三徳、三身の配釈の項目からみて、法蔵の『起信論義記』の菩提心釈が意識され、参照されたものと考えなければならないであろう。
しからば何故に、源信は『起信論義記』の菩提心釈に注目し、縁事発心の解釈にこれを取り入れたのであろうか。これについては、源信以前の叡山において、起信論の菩提心が円教的に理解され、極めて重視されていたという思想的背景が考えられるので、その点についてみることにしよう。
日本天台において、起信論の菩提心に注目したのは、天台密教の大成者、五大院安然(八四一-九〇二-) の『胎蔵金剛菩提心義略問答抄』が初見であろう。安然は、伝教大師最澄(七六七-八二二)の起信論依用の立場を受けて、起信論の真如縁起法門を明確に天台円教に位置づけている。さらに起信論の菩提心については、法蔵の『起信論義記』の行位論を根拠としながら、起信論五+ 二位を主張し、円教菩薩の発心成仏の相としてこれを論述している(拙稿「安然和尚と起信論」安然和尚の研究所収を参照)。
さらにこのような安然の起信論菩提心の円教的解釈を受けたのが、良源の『九品往生義』であろう。『九品往生義』には、先にも述べたように、起信論の信成就発心として示された直心、深心、大悲心の三心が、観無量寿経や維摩経の三心と同意趣のものであるとし、さらに、これら三心釈の思想的立場は、天台円教の無作の原理に基づくものとみているのであるから、やはり良源も、安然の立場を受けて、起信論の菩提心を円教の菩提心として理解していたといえる。
以上のように、叡山においては、起信論の菩提心は円教的に止揚され、依用されてきたのであるが、源信はかかる叡山の伝統的な思想的立場を踏まえながら、法蔵の『起信論義記』に説かれる菩提心釈を『往生要集』の縁事の四弘誓願釈に取り入れたものではないかと推測されるのである。
すでに縁理と縁事の二種の菩提心について検討してきたけれども、源信には、近年、佐藤哲英博士によって発見された『菩提心義要文』(「新出の源信記『菩提心義要文』の研究」竜大仏教文化研究紀要第七集)なる密教の菩提心に関する…著作もあって、叡山の思想的基調である円密一致の立場から、源信の菩提心を再吟味する余地も残されていると思われる。特に源信が目ざしたといわれる凡夫発心の思想的基調が、天台密教を大成した五大院安然の『菩提心義抄』にあると考えられるが、これらの問題については別の機会に譲りたい。 
 
日本人の死者の書 往生要集のあの世とこの世

 

宗教評論家大角修氏による、平安中期に浄土思想を説いた源信僧都著『往生要集』の概説書。NHK出版「生活人新書」の新刊だ。現代の私たちは、浄土教とは、鎌倉時代の法然上人、親鸞上人のものと思ってはいまいか。しかしそのルーツは源信、その前には平安初期に中国に渡った比叡山の学僧円仁にまでさかのぼる。
法然も親鸞も共に天台宗の比叡山で学んだ学僧だった。だから、比叡山で学んだとき、この源信僧都の伝説的なこの名著を読んでいるはずだ。読まずして浄土教を宣布することは出来なかったであろう。同じ教えを大先輩がどのように説かれたか、それを学ばずして教えを説けるはずがない。
世に遁世僧と言われる官僧をリタイヤして在野で自由に教えを説いた僧たちは鎌倉時代から誕生したと思っていたが、この時代からすでに、源信も比叡山のしきたりから逃れ遁世して『往生要集』をしたためたという。その生き方も法然親鸞の先駆けなのであった。
くわえて、法然親鸞らによってその後、日本仏教のあり方が大きく、良くも悪くも変化していくターニングポイントとなる日本人の浄土教への熱病的と表現される程の広まりを考えると、この『往生要集』というのは、誠に重要な、浄土各宗の人々に限ることではなく、その後の日本仏教にとって誠に意味深い書であると言えよう。
鎌倉時代に浄土教が弘まる素地を造っただけでなく、人の生き死にとはいかにあるのか、インドで説かれた仏教がどのような生命観をもったものであったのかを分かりやすく日本人に浸透させた。往生するとは、死後来世に、仏の浄土に生まれ変わる、輪廻転生することをいう言葉だ。
衆生の一人として誰もが輪廻の輪の中にあって、その生き様によって来世がある、悪いことばかりを重ねて地獄には行きたくない、だからこそ、極楽に往生したいと人々は願ったのである。さらに当時末法の世に至る時期に該当していたことも人々に切実な死生観を迫ったことも影響した。多くの人々が、本当にどこかの世界に生まれ変わるという、輪廻を信じたればこそ、末世にいたり真剣に極楽に往生することを願った。
大角氏は、あとがきで、「仏教徒であれば、来世があると信じて当然だ」と記している。もっとものことである。「しかし、明治以来の近代仏教学では、来世はどうにも扱いかねるテーマだった。そこに大きく失われてしまったものがある。その喪失の暗がりから、カルトと呼ばれる怪しげなものが立ち現れてくるのだろう」とも書いている。人の実際の行い、生き様が、原因し結果する因果応報の生き死にを説くことなく教えが成立するはずもない。
ところで、本書では『往生要集』の各章を丁寧に概説している。はじめに、地獄、餓鬼など六道について述べる。人間界については、人間とは、その肉体は不浄なるものであり、苦しみに満ちている。それに、はかない無常なるものであるとする。
現代に暮らす私たちは、健康ブーム、エステと身体の美を誇り、楽ばかりを追い求め、健康長寿を願う。しかし、この世の真理である不浄や苦や無常が消えて無くなったわけではない。人の生き様をもっと根底から達観するのでなければ、その根本的な思い違い、誤りに気づくことはないだろう。
平安貴族の最高位に昇った藤原道長でさえ、最後には弥陀の浄土に思いを馳せて阿弥陀堂を建立して、さらには出家までしたと本書にある。そうした当時の人々のやむにやまれぬ心情が理解できなければ、「人間として生まれ仏法にめぐり会えたのはありがたい」とは思えないのかもしれない。
そして、阿弥陀浄土の様相を克明に解説し、念仏とはいかなるものであったかと明かす。正修念仏と題して、礼拝、讃歎、作願、観察、回向という五段階の念仏を解説する。いわゆる単に唱えるだけの称名念仏ではない、本来の観想を主とする念仏である。観想では極楽浄土と阿弥陀仏を観じる十六種類の観想法「十六観」を述べる。その中で源信は、白毫の光の観想を重要視している。
続けて、助念の法として、念仏を行とする者の心得が記される。場所の設定から、怠け心の抑え方、止悪修善を勧めたり、罪障の懺悔、魔の退治まで。特に念仏については、寿命が尽きるまで止めてはならない、阿弥陀仏極楽を尊び西に背を向けない、昼夜六回、三回、二回と一定して念仏する、南無阿弥陀仏と唱え、もっぱら心に念じ讃えるなどと細かく注意事項が並ぶ。誠に徹底して念仏を生涯続ける作法が述べられる。ただの一遍、ないし十遍唱えればいいというようなものではない厳しい一生を掛けた行であるということだ。
さらに、特別に日にちを設けて行う常行三昧行などの厳しい修行や法会について述べられる。それから、臨終時の念仏について詳述される。病人を西向きに寝かせ、香を焚き、花を散じて、仏像を見せ、病人は、一心に阿弥陀仏を念じ口にも心にも念じてお迎えの菩薩たちが来迎するさまを思い往生を願う。その死に際に来迎し極楽へ往生する様子を枕元の人に語ることにまで言及している。
往生要集についての解説は以上であるが、源信も加入した念仏集団「二十五三昧会」の過去帳には、死後源信が弟子の夢に現れて述べた内容が記されているという。弟子が極楽に往生できるかと尋ねると、『お前は怠慢であるからできない』と答える。
また、成仏の願いがあれば極楽往生できるかと尋ねると、『願いがあっても、行が伴わなければ往生は難しい』さらに、罪を懺悔し浄土往生の修行に励んだら願いを遂げることが出来るかと尋ねると、『やはり難しいだろう、極楽に往生するのは至難の業である』と答えたという。
私はこれが正しいと思う。だからこそ、みんなが極楽を願った。そんなに簡単に行けるなら、願わずとも行けるであろう。私は、このように本当のことを言わねばならないと思う。どんな時代であっても、世の中の真理から乖離したことを言っていては、人々の信仰は離れていくのではないか。
あとがきに、ダライラマ法王が昨年日本に来たときの講演会での問答が記されている。スピリチュアルブームに毒された聴衆が、「背後霊がいるのですが、どうすればいいか」と質問すると、ダライラマは、『そんなことは知らない』と素っ気なく答える。「私に光を放ってください、会場の皆さんも法王のオーラを浴びましょう」と言う者には、『そんな光は放てません。私は普通の人間です』と答えられたという。
法王は、どのようにこれらの質問を聞かれたであろうか。日本人とはいかに仏教の理解が足りないか。単なる興味本位で、教えを全く理解しようともしない、何の為に教えを垂れたのか、と思われたであろう。
そして、ダライラマ法王の言葉として、『私は仏教徒ですから、来世を信じます。そして、いつまでも希望をもっています』とも書かれている。来世があるとは、希望に通じることだという。死ねば何もなくなるのであれば、この世で希望が叶わないのなら絶望しかない。より良く生きたなら、必ず今世か来世で良い報いが期待される。だからこそ、この人生は大切なのであり、悪いことはできない。
日本仏教徒は、仏教本来の教えの根本に触れた『往生要集』を再検証すべきではないかと、私は思う。この源信の教えを逸脱したところに日本仏教の本来の仏教からの乖離が始まったとも言えるのではないか。  
 
往生要集の白毫観

 

序説
釈尊の入滅以来、仏身をどうみるかということは最大の関心の一つであった。以来、仏身について二身、三身、四身、十身など多くの見かたが出てきた。諸経典に説くところも種々のものがみられる。これら諸経典にみられる仏身説を整理して、これを観じる方法について、大乗仏教の大成者である竜樹は『十住毘婆沙論』において
行者先念色身仏。次念法身仏。何以故。新発意菩薩。応以三十二相八十種好一念仏。如先説。転深入得中勢力。応以法身念仏心転深入得上勢力。応以二実相念仏而不貧著。
と現法を述べ、真理を体得するなかの一つの実践としてあげ、とくに初心者は色相観によるべきことを述べている。日本浄土教史上に大きな足跡を残した叡山の恵心僧都源信(九四二〜二〇一七、以下源信)は、これを『往生要集』の正修念仏としてとりいれ、とくに色相観を展開している。そのなかには、仏身の一相である眉間の白毫相のみを観じることによる観念の成就の方法も説いている。源信の白毫観については、また別に『阿弥陀仏白毫観』という一書も著わされている。その他の著作にも白毫観について言及するところが多く、とくに『往生要集』における色相観のすべてに白毫観が関係していることが知られる。源信における白毫観の位置づけは大きなものがあり、以下その特色を明らかにしてみたい。
一、『阿弥陀仏白毫観』について
源信における白毫観についてみる資料としては、『往生要集』の正修念仏門における五念門中の観察門に、その観察の一実践として雑略観があり、これは白毫観を修すことである。その白毫観を述べるなかに「具さには別巻にあり」と示されるものがあることが知られる。源信の作として白毫観を説いたものに『阿弥陀仏白毫観』という一書があり、おそらくこれを指すものと思われる。『往生要集』には、助念方法や別時念仏などにも、白毫観に対する見解が散見できる。また、『往生要集』や『阿弥陀仏白毫観』以外の著作の随所にみられる記述を参考にしながら、源信の白毫観の特色について追究してみよう。
まず源信の浄土教に関する多くの著作のなか、もっとも初期のものと思われる『阿弥陀仏白毫観』について概観することによって、源信の白毫観に対する基本的立場をみておきたい。もちろんこれは後世さらに展開をとげるものではある。
本書の冒頭には、阿弥陀仏を観念する方法として、まず白毫の一相を観ずべきであることを述べていを阿弥陀仏全体の相のうち白毫の一相にしぼられてくるのほ、『観無量寿経』の定善十三観のうちの第九真身観によるからであろう。すなわち
無量寿仏身如百千万億夜摩天閻浮檀金色仏身高六十万億那由他恒河沙由旬眉間白毫右旋婉転如五須弥山仏限如四大海水青自分明身諸毛孔演出光明如須弥山彼仏門光如百億三千大千世界於円光中有百万億那由他恒河沙化仏一一化仏亦有衆多無数化菩薩以為侍者無量寿仏有八万四千相一一相各有八万四千随形好一一好復有八万四千光明一一光明偏照十方世界念仏衆生摂取不拾其光明相好及与化仏不可具説但当憶想令心眼見見此事者即見十方一切諸仏以見諸仏故名念仏三昧作是観者名観一切仏身以観仏身故亦見仏心仏心者大慈悲是以無縁慈摂諸衆生作此観者捨身仙世生諸仏前得無生忍是故智者応当繋心諦観無量寿仏観無量寿仏者従一相好入但出観眉間白毫極令明了見眉間白毫者八万四千相好自然当現。
とあり、ことには阿弥陀仏の全体の相好を眉間の白毫一相に集約し、壮大な仏の世界を現出させている。そして白毫の一相に八万四千の相好功徳がすべて現われているというのである。源信が『阿弥陀仏白毫観』を著わすに至ったのも、おそらくそのような『観無量寿経』の所説があったからであろう。『阿弥陀仏白毫観』の叙述は『観無量寿経』の所説によって説示されている。仏の相好の功徳を白毫一相に集約する理由についてはさらに後述する。そこでまずは『阿弥陀仏白毫観』に説示される源信の観法のありかたの基本的立場を概観しておきたい。
『阿弥陀仏白毫観』には、阿弥陀仏を観念するにあたって白毫の一相を観ずべきことを示し、これを五種の観法として述べている。(1)持戒と精進を因とする白毫の業因を観じる観業因、(2)一白毫に一切諸仏、一切正法、一切賢聖仏衆を具すという白毫相貌を観じる観相貌、(3)一一の光明は遍く十方の世界を照して念仏の衆生を摂取して捨てたまわずという白毫の作用を観じる観作用、(4)眉間の一毛、その性は即空即仮即中であり、不一不異、円融無擬、一実境界なりと観じる観体性、(5)八十億生死の罪を除き、観じることが須臾の間でも謬乱の想なしという利益を観じる観利益の五種法である。このなか、(1)観業因 (2)観相貌(3)観作用は事に、観体性は理に、観利益は事理に約している。事理不二でありしかも、眉間の一毫は因縁所生であり、その性は即空即仮即中の円融無擬の実境界である。したがって
我心所具三千三諦与彼毫中三千三諦円融相即本来無礙。一切諸仏一切衆生三千三諦亦復如是。
とあるように、己心と白毫の一相とが円融無礙であるという天台実相論の立場を示している。これはそのまま「是心作仏是心是仏」の一実境界であり、「我心即是毫相」と示される理由である。
このような白毫の観法を理に約せば、「我心即毫相」であり、「畢意空寂一実境界」のものであるが、事に約せば白毫の相貌は
彼仏眉間有一白毫。右旋宛転如二五須弥。於中復有八万四千好一々好有八万四千光。其光微妙具衆宝色。ハ而言之七百五倶□(月+弓+一)六百万光明。千万為倶□(イ+弓+一)十方面赫突如億千日月。
とあり、白毫の作用については
謂彼一々光明遍照十方世界。念仏衆生摂取不捨。彼衆生中若有応以仏身度者。此光即現仏身説法。乃至応以九界身度者。此光随類現彼形声。或冥或顕。利益無窮。光明摂取是冥利益現身説法是顕利益
とある。その相は八万四千の光であり、その作用は、その八万四千の光明が十方世界の念仏衆生を照して摂取するというのである。すなわち白毫相が光明として象徴されているのである。白毫観はまさに光明の世界の内実の観法となることが知られる。このような観点にたつとき、『往生要集』にみられる色相観の念仏は、この観法が示されたものといってよいのではないかと思われるので、この点について次に論じてみよう。
二、『往生要集』の白毫観
『往生要集』における実践論は第四大門の「正修念仏」に説かれ、ここが中心となっていて、別相観、総相観、雑略観という観法が示される。このなか、別相観には四十二相が示され、第七が眉間の白毫観である。また雑略観はまさに白毫観のみを別出して説かれる。さらに雑略観の修法が困難なとき、極めて簡略な白毫観として極略観が示される。『往生要集』にみられる白毫観の大旨はここに示されるといってよい。しかし「正修念仏」に示される観法を光明の世界の内実の観法であるとみるとき、先にあげた部分にのみに白毫観が説かれるのではない。別相観の第七白毫観のみでなく、他の観法にも白毫観がみられ、総相観はもちろんのこと、別相観の多くの観法にも説示されてくるのである。今この点について詳述することによって、源信の白毫観の特色を探ってみよう。
まず別州税において、次に四十二相の観相のなかでとくに光明に触れるところをあげてみよう。
一 頂上肉髻(中略)。次応観。彼頂上有大光明具足千色。一一色作八万四干支。一一支中有八万四千化仏。化仏頂上亦放此光。此光相次乃至上方無量世界。
二 頂上八万四千髪毛。(中略)応観三毛孔旋生五光。
三 於其髪際有五千光。問錯分明。
四 耳厚広長輪捶成就。或応広観。旋生七毛流出五光。其光千色。色千化仏。仏放千光遍照二十万無量世界。
六 両輪円満。光沢煕怡。端正皎潔。猶如秋月。双眉皎浄。似天帝弓。其色無比。紺瑠璃光。
七 眉間白毫(中略)於十方面現無量光如万億日不可具見。但於光中現諸蓮華。上過無量塵塵教世界華華相次団円正等。一一華上化仏坐。相好荘厳春属囲遶。一一化仏復出無量光一一光中亦無量化仏。
八 如来眼睫(中略)一一毛端流出一光一如頗梨色。
九 仏限青白上下倶眴白者過白宝青者勝青蓮華。或次応広観。限出光明分為四支遍照十万無量世界。於青光中有青色化仏。於白光中有白色化仏。此青白化仏復現諸神通。
十 鼻修高直(中略)表裏清浄無諸塵翳出二光明遍照十方変作種種無量仏事。
十一 脣色赤好如頻婆果上下相称如量厳麗。或次応広観。団円光明従仏口出。猶如百千赤真殊貫入出於鼻白毫髪間。如是展転入円光中。
十二 四十歯斉浄密根深白逾珂雪常有光明。其光紅白映耀人目、
十三 四牙鮮白光潔鋒利如月初出。
十四 世尊舌相薄浄広長(中略)笑時動舌出五色光。遶仏七匝還従頂入所有神変無量無辺。
十七 頸出円光。咽喉上有点相分明。一一点中出一一光。其一一光遶前円光満足七匝衆画分明。
十八 頸出二光。其光万色遍照十方一切世界一遇二此光者成二辟支仏。此光昭諸辟支仏頸。
十九 欠瓫骨満相光照十方作琥珀色。遇此光者発声聞意。是諸声閲見此光明光分為千支。一支千色十千光明。光有化仏。
二一 如来腋下悉皆充実放紅紫光作諸仏事利益衆生。
二二 仏双臂肘修直傭円。如象王鼻平立摩膝。或次応広観。手掌千輻理各放百千光遍照十方化成金水。
二三 諸指円満充密繊長甚可愛楽於一一端一各生卍字其爪光潔如華赤銅。
二七 胸有卍字名実相印。放大光明。或次応広観光中有無量百千衆華。一一華上有無量化仏是諸化仏各有千光利益衆生乃至遍入十方仏頂。時諸仏胸出百千光一一光説六波羅蜜。一一化仏遣一化人端正微妙状如中弥勒。安慰行者見此相光者除十二億劫生死之罪。
二八 如来心相如紅蓮華妙紫金光以為間錯如瑠璃筒懸在仏胸。不合不開団円如心万億化仏遊仏心間。又無量塵数化仏在仏心中坐金剛台放無量光。一一光中亦有無量塵教化仏出広長舌放万億光作諸仏事。
二九 世尊身皮皆真金色。光潔晃曜如妙金台。衆宝荘厳。衆所楽見。
三十 身光任運照三千界。若作意時無量無辺。然為憐愍諸有情故摂光常照面各一尋。
三四 如来陰蔵平如満月有金色光猶如日輪如金剛器中外倶浄。
三六 世尊双腨漸次繊円如翳泥耶仙鹿王腨。腨鉤鉤鏁骨盤結之間出諸金光。
四二 楽広者応観。足下及跟各生一華囲遶諸光満足十匝。華華相次一一華上有五化仏。一一化仏五十五菩薩以為侍者。一一菩薩頂生摩尼珠光。此相現時仏諸毛孔生八万四千微細小光明。厳飾身光極令可愛。光一尋其相衆多。乃至他方諸大菩薩観此之時此光随大。
以上のように、各相好が光明と関係づけて説かれるのは、四十二相中二十六相をあげることができ、半数以上を占めていることが知られる。白毫観には壮大な宇宙観が展開されているが、それを八万四千の相としてあげ、しかも八万四千の光として示されてくる。すなわち白毫観はまさに光明世界として象徴され、その光明が十方世界の念仏衆生を摂取するというのである。光明摂取の救済のはたらきが展開する。したがって白毫観は光明摂取の世界の観法ということになる。だからこそ四十二相の別相観にも、その白毫の光明摂取のほたらきが表出した形で現されてくるから、半数以上もの相が光明との関連において説示されるものと思われる。このようにみるとき、四十二相のうち、特別な観法として、各相の代表ともいうべき白毫観が別出されることも由なしとはしない。雑略観、さらに続く極めて簡略にされた極略観もまた白毫観として示されるのも了解できるところである。
総相観についても、次に示すように白毫観が大きく関わっていることが知られる。すなわち、また、大蓮華を観じたあと、華台上の閻浮檀金色をした身高六十万億那由他の阿弥陀仏を観ずるのであるが、そのもっとも象徴的表現として眉間の白毫が次に示されてくる。しかもほとんどをこの説明に費している。これによれは、『観無量寿経』所説の第九仏身観の内容を示したあと、
当知。一一相中各具二七百五倶胝六百万光明熾然赫奕神徳魏魏如金山王在大海中。無量化仏菩薩充満光中各各現神通囲遶弥陀仏。彼仏如是具足無量功徳相好在於菩薩衆会之中演説正法。行者是時都無余色相須弥鉄囲大小諸山悉不現。大海江河土地樹林悉不現。溢目之者但是弥陀仏相好。周遍世界之者亦是闇浮檀金光明。譬如劫水弥満世界其中万物沈没不現。滉瀁浩江唯見大水。彼仏光明亦復如是。高出一切世界上相好光明靡不照曜。行者以心眼見於己身在於彼光明所照之中。
といい、八万四千の一一の相に無量といってよい光明を其足し、行者に阿弥陀仏の相好光明の功徳が現じ、相好光明のなかに摂取されていることを念仏を通して知ることができる。しかも阿弥陀仏は三身即一の身である。そして総相観では、総相の功徳をすべてあわせもつ白毫一相を観念することによって、本来空寂一体無擬という空旭を成就することを目標としている。相好光明の内容については、さらに後述するであろう。
三、『阿弥陀仏白毫観』と『往生要集』
『阿弥陀仏白毫観』所説の五事と『往生要集』との関係は、また随所に説き示される。まず観業因としては、持戒と精進とをその因とすることについて、『往生要集』の助念方法のなかの懺悔衆罪の項には
懺法非一。随楽修之。或五体投地。遍身流汗。帰命弥陀仏。念眉間白毫相。発露涕泣。応作此念。過去空王仏眉間白毫相。弥陀尊礼敬。滅罪今得仏。我今礼弥陀仏。亦当復如是。須随罪相哀諸仏光。謂放檀光滅慳蔽罪放戒光滅毀禁罪。放忍辱光滅瞋恚罪。放精進光滅懈怠罪。放禅定光減散乱罪。放智慧光滅愚惑罪。
とあり、六波羅蜜の実践にまで拡大しており、これを観業の因として、罪相に随って仏の慈悲の光を哀請すべきことを述べている。布施による光で慳蔽の罪を滅し、そして戒による光で毀禁の罪を、忍唇による光で瞋恚の罪を、精進による光で懈怠の罪を、禅定による光で散乱の罪を、智慧による光で愚惑の罪をそれぞれ滅すべきことを示している。眉間の白毫一相を念ずることにおいて、阿弥陀仏が行者を摂取するはたらきとして光明を位置づけていることが知られる。これは『阿弥陀仏白毫観』の五種の観法のうちの観利益の項にも関係することであるが、光明摂取のはたらきの内容を示したものと見られる。六波羅蜜は大乗菩薩道の実践であり、阿弥陀仏自身も六波羅蜜を実践して仏と成った行である。六波羅蜜の実践による功徳と行者の罪とを対応させ、阿弥陀仏の光明摂取のはたらきによって滅罪せしめられることを述べている。白毫一相を観ずることによっても
問。観白毫一相。亦名三昧耶。答。爾。
と説かれるように、三昧を得することができる内容は、阿弥陀仏の光明摂取のはたらきによることを内に含んだものであることが示される。
次に観相貌については、『観無量寿経』所説の阿弥陀仏の真身を観ずる第九観や『無量寿経』『華厳経』などの文証によって記述が進められている。このことに相当する記述を『往生要集』において探ると、正修念仏の総相観や極略観などにもみられる。そして極楽証拠では、兜率浄土と弥陀浄土とを比較して弥陀浄土のすぐれている点を「光明異」としてあげている。
謂弥陀仏光照念仏衆生摂取不拾。弥勒不爾。光照如昼日之遊。無光似暗中来往。
といい、阿弥陀仏の浄土のすぐれている点を、『観無量寿経』所説の真身観中にみられる白毫相の光明摂取のほたらきを述べることにおいて、弥勒浄土と比較し、しかも優勝性の一つとして強調している。白毫相がこのようにすぐれている点を助念方法のなかの対治懈怠の第三の仏相好功徳を述べるところで『六波羅蜜経』を引いて
於諸世間所有三世一切衆生学無学人及辟支仏如是有情無量無辺所有功徳比於如来一毛功徳百千万分中不及其一。如是一一毛端皆従如来無量功徳之所出生。一切毛端所有功徳共成一髪功徳如是仏髪八万四千。一一髪中各具如上功徳如是合集共成。一随好功徳。一切随好功徳共成一相功徳。一切相功徳合集至百千倍。成眉間毫相功徳。
といい、一切相好の功徳が眉間の白毫一相に内合していることをあげている。一切即一の故にすべての相好の功徳が眉間の白毫一相に集約され、一即一切の故に眉間の白毫一相がすべての相好としてのはたらきを有しているといってよいであろう。助念方法の対治懈怠の第四にはまた「光明威神」が示され、阿弥陀仏の光明のほたらきによって、生死の苦を滅することを述べているが、これはむしろ次の観作用に関連するので、そこで触れてみよう。
観作用は、白毫のはたらきについて述べられ、とくに光明摂取が強調される。先きの助念方法の「光明威神」については、『平等覚経』『観無量寿経』『無量寿経』『誓喩経』『華厳経』などを引用して、光明最尊第一であることを述べる。光明のはたらきは、阿弥陀仏以外の諸仏にもないわけではないが、阿弥陀仏の光明を最尊第一とするのである。このように諸仏の光明の及ぶところでない理由については「利益無窮」であるからであるという。その内容として「光明摂取」と「現身説法」という隠顕の利益が示される。さらに『往生要集』には観作用の内容と思われるものが述べられる。別時念仏の臨終行儀を述べるなかには「願白毫相光減我諸罪」といって、白毫の光によって滅罪を願っている。また臨終における十事の内容を述べるなか第八では
彼白毫相。若干光明。常照二十方世界。念仏衆生摂取不拾。当知。大悲光明決定来照。如華厳偈伝。又放光明名見仏。彼光覚悟命終者。念仏三昧必見仏。命終之後生仏前。故今応作是念。願弥陀仏。放清浄光。遥照我心。覚悟我心。転境界自体当生三種愛。令得念仏三昧成就往生極楽。
といい、第九では
願仏放大光明決定来迎。往生極楽。
といい、臨終時における白毫相を観ずることを通しての仏の光明のはたらきによる滅罪と見仏すなわち光明摂取のはたらきを述べている。この仏の光明のはたらきは、また「仏光常増菩提心」というように、菩提心を増長せしめるものである。
次に観体性については、この観法のみが約理であり、白毫観の理想境である。『往生要集』は、いわば事観の立場を表明するものであるが、そこには事理不二でありながら天台止観の事から理へのありかたが問題とされる。随所に竜樹の引文などにより、空観の成就を勧めている。白毫観の観体性について、もっともよく表明されているのは次のことばであろう。
是故三世十方諸仏三身普門塵数無量法門仏衆法海円融万徳凡無尽法界備在弥陀一身不縦不横亦非一異非実非虚亦非有無本性清浄心言路絶。譬如如意珠中非有宝非無宝。仏身万徳亦復如是。又非即陰入界名為如来。彼諸衆生皆悉有之故。非離陰入界名為如来。離之則是無因縁法故非即亦非離。寂静但有名。是故当知。所観衆相即是三身即一之相好光明也。諸仏同体之相好光明也。万徳円融之相好光明也。色即是空故謂之真如実相。空即是色故謂之相好光明。一色一香無非中道。受想行識亦復如是。我所有三悪道。与弥陀仏万徳。本来空寂。一体無礙。
これは正修念仏の総相観の結びにあることばである。総相観において、三身一体の身を応化身、報身、法身の立場で説明したあと述べられるものである。阿弥陀仏は三身即一の仏であり、その仏の無量の法門や円融の万徳、さらには無尽の法界が阿弥陀仏の一身に具備されている。したがってそれはもはや縦横、一異、実虚、有無などの対立的概念を超え、本性清浄にして心言を絶している。仏身に無尽の法界が具備されているのであるから、万徳についても同様である。仏身に万徳が具備されている点については、源信が『往生要集』以後の著作にしばしば触れるものである。相好光明の内容が、三身即一のものであり、諸仏同体のものであり、万徳円融のものである。これらの内容が念仏の衆生に対して摂取のはたらきとなってあらわれる。これを色即是空の面からみれば、真如実相そのものであり、空即是色の面からみれば相好光明のほたらきとなる。すべて一色一香無非中道であり、衆生と仏とが正来一体無礙であるという空観を確立している。
最後に観利益については、観念の実践を白毫一相にまでしぼる理由として利益の甚大性が随所に強調されている。『阿弥陀仏白毫軌』においては、減罪、見仏、授紀などの利益が説かれる。¶往生要集』においては、大文第七の念仏利益のなかの第六引例勧信の項は、諸経論を引用し利益を述べる一段であり、
我従空声。入塔観像眉間白毫。即作是念如来在世光明色身。与此何異。仏大人相。願除我罪。作是語巳。如大山崩。五体投地。懺悔諸罪。従是已後。八十億阿僧祇劫不堕悪道。生々常見十方諸仏。於諸仏所受持甚深念仏三昧。得二三昧己諸仏現前。授我記別。
などと、白毫観による滅罪、見仏、授記を述べており、また「説三世仏白毫光相。令請衆生得滅咎竺」ともいっている。これはまさに光明摂取のはたらきに依るものである。滅罪や見仏については、観念を減ずることを目的とする源信にとっては重要な銘題である。
今多勧白毫。有何証拠耶都。答。其証甚多。略出一両。観経云。観無量寿仏者従一相好入。但観眉間白毫極令明了。見眉間白毫者。八万四千相好。自然当見。又観仏経云。如来有無量相好一々相中八万四千諸小相好。如是相好。不及白毫小分功徳。是故今日為於来世諸悪衆生。説白毫相大慧光明。消悪観法。
など、とくにこれらの引文は源信の好んで引くところであるが、諸経の記述を典拠として強調している。白毫観による利益として、大文第五助念方法の対治懈怠中に、
弥陀如来常照我身。護念我善根。観察我機縁。我若機縁熟。不失時被接。
とあるように、護念の益をも述べ、また「見仏光明得清浄眼」ともいっている。
四、『阿弥陀経略記』の白毫観
『阿弥陀経略記』は源信七十三歳の時に撰述されたといわれ、最晩年の著作であり、円熟した教学をみることができる。『観心略要集』も源信の晩年に著わされたものというのが有力な意見であるが、本書には最近とくに源信偽撰説が提出されている。しかし『阿弥陀経略記』はこの『観心略要集』に近い教学が示される。また『観心略要集』には叡山浄土教の大成ともみられる阿弥陀三諦説が展開されている。たとえ『観心略要集』が源信の作でないとしても、『阿弥陀経略記』は源信の確実な著作とされ、『観心略要集』と同様の教えが説示される。『阿弥陀経略記』は『観無量寿経』関係の著作でないため、白毫観のみを特別に述べるところは少ないが、阿弥陀仏という仏を説明するなかで、無量寿・無量光に言及して詳述されるところがある。
於阿弥陀一梵語中。含無量光無量寿義。無量光者如文。称讃経云。彼如来恒放無量無辺妙光。偏照一切十方仏土。施作仏事。無有障礙。観経云。彼仏有八万四千相。一一相有八万四千随形好。一一好有八万四千光明。一一光明偏照十方世界。念仏衆生摂取不拾。光明相好及与化仏不可具説云云総計之。一相中具七百五倶胝六百万光明。正使和和億千日月其光熾燃不可得比。八万四千相一一亦如是。無量寿者。亦如文。称讃云。彼如来及諸有情。寿命無量無数大劫。大論日。無量億阿僧祇与恒河者多数。理同云云諸文雖異。彼土寿量。大都一恒河沙数劫耳。此之二義。顕横竪益。無量光者。顕横利物。偏照十万。摂衆生故。無量寿者。顕利物。経無教劫。利衆生故。二利常円。故得此名。常光一尋。雖常非徧。別線偏照。雖徧非常。此仏光明。即不如是。経無量劫。偏照十方。
ここには「弥陀の光明摂取」の重層的な内容が展開されている。阿弥陀の語は無量光と無量寿とを内合し、しかも無量光を先きに出している。無量光の内容として『称讃浄土経』や『観無量寿経』を引用して説いている。両経の引文は同様の内容を示すが、とくに『観無量寿経』の引文は、有名な第九真身観であり、『往生要集』の正修念仏などにもしばしば引かれるところのものである。いずれも無量無辺の妙光が一切の仏土を照らし、とくに念仏の衆生を摂取することを述べている。無量寿は『称讃浄土経』と『大智度論』を引いて示し、その寿命は無量無数であるという。ところで、この無量光と無量寿の二義について、源信は二義の両益は横堅の益を顕すものとして示すことにより、立体的な解釈を与えている。無量光は横の利益を顕し、無量光は堅の利益を示す。無量光の横の利益はその普遍性を、無畳寿の堅の利益はその常住性を顕すものとみられる。天台浄土教においては、生仏不二の基本的原則の上に教学が展開され、阿弥陀仏と衆生の関係について、当面の無量寿・無量光にも適用される。しかし仏と衆生とは一往どこかで区別をしなければならず、無量寿・無量光の場合には
問。仏与衆生寿同。光明何故不爾。答。若威光劣。尊重不深。寿命設短。還生恋慕。故凡諸仏寿。随宜不同。或有仏長衆生短。如来来花光仏世。戎有仏短衆生長。如東方月面如来。彼仏寿命一日一夜。或有倶長。如極楽国。或有倶短。如今仏世。
とあって、無量光については威光を示すものであることを述べ、無量寿については、場合によって異なるが、仏と衆生とが同等の関係において語られる。したがって次に示す無量寿三諦説は、阿弥陀仏のもつ功徳性について述べるに当って、無量光を用いずして、無量寿に空仮中の三諦を配当して、その功徳性を述べているのであろう。すなわち
若作観解。無者即空。量者即仮。寿老即中。仏者三智一心具。
といったあと、
円融三観之智。冥於円融三諦之境。万徳自然円。名阿弥陀仏。
といい、阿弥陀仏にすべての万徳が円かに具足していることを述べている。『阿弥陀経略記』には、また六即の阿弥陀仏という円教独自の解釈を展開する。すなわち続いて、
衆生無始。従因生果。具有六即阿弥陀仏。至下当知。
といい、衆生は古来より因より果に趣くもので六即の阿弥陀仏を具足するものであるという。六即は天台智顕の独自の行位であり、これについては後ちに詳述することを示唆している。すなわち次の記述であろう。
当知。彼仏依正万徳。無始已来。在己心中。妄想遮眼。雖未能見。法性常円。実無増減。若未得聞。是理即万徳。聴聞信解。是名字万徳。一心称念。是観行万徳。蓮台託生後。当相似万徳。百法明門後。即分真方徳。乃至究寛。如理応思。三界唯心。心外無別法。己心既円。諸法亦爾。
六即それぞれの行位のうちに阿弥陀仏の万徳を具備するものである。

源信における白毫観の展開を、その基本的立場として示される『阿弥陀仏白毫観』の五種の観法にしたがいながらみてきた。『阿弥陀仏白毫観』はおそらく『往生要集』の、白毫観をなす雑略観に「具在別巻」とあることから、浄土教関係としてはもっとも早い成立の著作であることが知られ、白毫観から入り、これを中心に浄土の実践が位置づけられている。『往生要集』に至ってもこの立場が踏襲されており、とくに「正修念仏」という浄業を説く中心となる実践においても、総相観には白毫観の象徴的実践である光明摂取のはたらきが多くの相にみられ、総相観についても白毫観が大きく関わっており、雑略観と極略観は白毫観そのものである。そして「正修念仏」以外の記述の上にも白毫観に触れるところが随所にみられ、白毫観による観念の成就ということがかなり重視されていることを知ると同時に、『阿弥陀仏白毫観』にみられた五種の観法により整理してみることができる。源信の場合、観念を成ずることによって往生の大事が成就すると説くのであるが、観念を成就するもっとも適切な方法として白毫観が位置づけられているとみてよいであろう。この白毫観による阿弥陀仏の光明摂取のはたらきが、衆生の観念と呼応して、一体となるところをもっともよく表明したのが『阿弥陀経略記』の所説であろう。『阿弥陀仏白毫観』で示された白毫観の形式的分類が、以後には自由な立場から述べられ、光明摂取のはたらきと観念とが一体となって、円融無擬の一実境界に達することを実践のうちに述べられてきたとみることができる。すなわち白毫一相に観法を集約し、しかも白毫も因縁所生のものであることを観ぜしめ、空観を勧めものである。 
 
『往生要集』における浄土十楽の思想的背景について

 

『往生要集』大文第一厭離稼土には、六道の苦相を示し、最後に総括する中で、「我等未曾修道、故徒歴無辺劫。今若不勤修未来亦可然。如是無量生死之中、得人身甚難。縦得心身、具諸根、遇仏教亦難。縦遇仏教、生信心亦難。…而今適具此等縁。当知、応離苦海往生浄土只在今生。…願諸行者疾生厭離心、速随出要路。莫入宝山空手而帰。」と、その厭離すべきことを示して往生浄土を勧め、その必然性として大文第二欣求浄土で、諸経論を引用しながら、浄土十楽を展開させて(それは第十増進仏道で「如是利益、不亦楽乎。一世勤修是奥問、何不棄衆事求浄土哉。願諸行者努力匪解。」と記されることからも知られる。とすれば、稼土を厭離して浄土を欣求すべきことの強調を現在の「今世」「一世」に置いていることに他ならないことが知られる)、稼土と全く対照的な阿弥陀仏の有相の浄土荘厳相を説示すると共に、又その内容が往生人の具備するものとして説明されている。
本小論では、その浄土十楽がどのような思想背景をもって構成されているのか、紙幅の都合上、特徴があると思われる事柄に限定して考察を試みるものである。
大文第二欣求浄土の冒頭では、「大文第二欣求浄土者、極楽依正功徳無量、百劫千劫説不能尽。算分喩分、亦非所知。然群疑論明三十種益、安国紗標二十四楽。既知、称揚只在人心。今挙十楽而讃浄土、猶如一毛之喘大海。一聖衆来迎楽。二蓮華初開楽。三身相神通楽。四五妙境界楽。五快楽無退楽。六引接結縁楽。七聖衆倶会楽。八見仏聞法楽。九随心供仏楽。十増進仏道楽也。」とあって、浄土の功徳の特徴を纏めて示していこうとする在り方は、懐感『群疑論』や『安国抄』にその背景が認められることを伺わせるが、注目すべきは、源信は浄土の無窮性を強調しながらも、敢えて十楽として、その依正功徳を特徴づけて示したということにある。ということは、逆にこの十楽によって、源信自身が浄土の何処に関心を置いて捉えたのかが知られるということになる。そこで、『往生要集』の十楽の特色を伺っていくためにも、先ず『群疑論』三十種益、『安国抄』二十四楽と対照してみていきたいと思う。
対照によって、先ず判然とすることは、十楽では楽の一々を挙げながら、それだけでなく、諸経論によって一々の楽の説明がなされるのに対し、『群疑論』三十益と『安国抄』二十四楽では、名のみが挙げてあるのみで、それについての説明はないということである。しかしながら、『群疑論』三十益が『称讃浄土経』『観無量寿経』及び『無量寿経』の四十八願に依ると示し(出処は殆どが『群疑論』の「称讃浄土経観経及無量寿経四十八弘誓願中略挙三十益」の指定通りだが、25 ・26 ・27益は指定経典では確定できない。道忠『探要記』(浄全六・三五三)は『悲華経』に依ると指摘)、『安国抄』の二十四楽が『阿弥陀経』に依るとすれば(唐安国寺利渉によるとされる『安国抄』の二十四楽は、延寿『万善同帰集』上に伝えるのみで、その記述からは何に依拠しているか等、詳細は不明。そこで、この二十四楽を検討すると、『阿弥陀経』の所謂正宗分の極楽浄土の相を示す文の内容順にほぼ沿って、二十四楽の一々が対応していることが認められた)、その楽または益が、元来、どのような文脈で意味を持っていたか概ね把握できる。この浄土十楽と三十益と二十四楽は、浄土での相を示すことから、多くの一致する個所があるが、直接、浄土十楽の内容と対照できなかったのは、三十益では25 ・無有実女人益と30 ・得那羅延力益、二十四楽では8 ・桜台陵空楽と10 ・黄金為地楽と21 ・有仏変化楽である。この中、10 ・黄金為地楽は、『阿弥陀経』に依って地を黄金としているのに対し、十楽では、第四五妙境界楽で、その具体的説明を『無量寿経』に依りながら、地を『無量寿経』の七宝合成の地とせず、『観経』の瑠璃地に依つている(瑠璃地の規定は、第二蓮華初開楽、第三身相神通楽、第五快楽無退楽においても同) ことの相違によるものにすぎない。逆に十楽を中心として対照した場合、第一聖衆来迎楽、第二蓮華初開楽、第六引接結縁楽は他の二と対応できなかった。このことは三十益・二十四楽に対する浄土十楽の特色を示す上で重要であろう(ただ『群疑論』の諸処での仏の来迎についての論議と、『宋高僧伝』『仏祖統記』に懐感の項で臨終来迎が記されていることは注意を要する。それは懐感が決して来迎に無関心ではないことを示している)。
以下、第一聖衆来迎楽を中心として考察すると、第一聖衆来迎楽の説明で注目したいのは、『観経』の上品上生の文に準拠する箇所が、その当面の説意とは異なる内容展開が見られることである。もと上品上生の文であるにも関わらず、その規定はなく、また上品上生での必然とされる三心・三衆生の規定が、この第一楽の文では「念仏功積、運心年深之者」という文として変更がなされ三心・三衆生が触れられていない。また、来迎を九品に対応させて明確に分別する『観経』では、行者の乗る台も九品に分別させ名称が異なるが、ここでは「宝蓮台」とあって、九品何れの台の規定にも依っていない。それどころか、九品の何れにも一応は通ずるような表現である。このような内容の変換の意図は、この浄土十楽の文のみでは定かでないが、特に「念仏功積、運心年深之者」という表現を重視するならば、『要集』における念仏の規定は、大文第十問答料簡・往生階位の第九問答の細注からも伺えるように、大文第四正修念仏・大文第五助念方法に説示される、五念三心四修の念仏であって、しかも、そこで五念三心四修は、優れた機類から凡夫までに分別して、実践的にそれぞれに対応させて説示されている。特に三心については、大文第五助念方法に、『礼讃』に依って、三心の規定を承け、更に細注を施して「経文錐在上品上生如禅師釈者、理通九品、余師釈不能見三心」と、三心は上品上生に在るが、理として九品に通ずるとしている。また九品については、大文第十問答料簡・往生階位の第五問答において、善導の九品唯凡説に注目していることと、同問答料簡・尋常念相の第四問答の「問。念仏之行於九品中、是何品摂。答。若如説行、理当上上品。如是随其請勝劣、応分九品。然経所説九品行業、是示一端、理実無量。」と、大文第八念仏証拠に、「今勧念仏、非遮余種種妙行。只是男女貴賎、ネ簡行住座臥、不論時処諸縁、修之不難。乃至臨終願求往生、得其便宜不如念仏。」と一方で念仏の易修性を示すこと等を踏まえるならば、この第一楽で説示する「念仏功積、運心年深之者」とは、上品上生に限定せず、九品の分別なく、九品を通じて対応している表現、換言すれば、九品の行に別はあっても、それに合わせた念念相続があれば往生が可能ということになる。良源の『九品往生義』では『観経』の所説に随って聖衆来迎を説き、機類に応じて来迎の在り方が異なることを示すが、『要集』では、それぞれの機根の優劣によって、どのように修行すれば往生できるかという実践的解釈がなされてはいるが、常に念念相続の強調による九品に通じた往生に重点が置かれている。とすれば、この第一楽での来迎の在り方は、少なくとも品位による異なりを問題にはしていないといえる。つまり、この楽は念念相続を前提とした九品に通つるということに配慮された楽と捉えることができよう。また、第三身相神通楽では、「彼諸衆生、皆五神通、妙用難測随心自在。」と往生人の五神通を具すことを示すが、問答料簡・往生階位の第六問答で、「何況浄土、彼士諸事莫例余処。何処一切凡夫、未至其位、終無退堕。何処一切凡夫、悉得五神通、妙用無磯。」と示すことから見れば、この第三身相神通楽においても九品の区別に捉われない楽であると言える。
これに関連して第二蓮華初開楽をみると、冒頭の文は、『観経』の上品中生の文に依っているが、それにもかかわらず、ここでも上品中生としての規定はなされていない。この第二楽では、同じ文脈で、「時観音勢至来至行者前、出大悲音、種種慰喩。」と示されているが、この第二楽が、源信が示す「多依観経等意」という指定に従うならば、この文は『観経』の下品中生・下品下生の文に従ったものと考えられる。しかし、ここでもその規定は見られず、先の上品中生に依った文と一続きの文として編成され、第一楽と同様に、九品の優劣が重視されていない。また注目すべきは、上品中生で示される「第一義諦」が、この第二楽では全く触れられておらず、極めて意図的に有相的表現に終始しているということである。このことは、第三身相神通楽での、「彼土衆生、其身真金色、内外倶清浄。常有光明、彼此互照。三十二相、具足荘厳、端正殊妙、世間無比。」の文が、『無量寿経』に依りながらも、原文の「無為泥疸之道、或いは「自然虚無之身無極之体」といった表現はなく、特に「自然虚無之身無極之体」を、簡単に「世間無比」と置き換えていることからも伺われる。このような有相的表現への配慮は、十楽の説明に一貫するものであるが、例外としては、第八見仏聞法楽に『無量寿経』の往観偶の「通達諸法性、一切空無我、専求浄仏国土、必成如是刹。」の四句を引き、空と浄土の関係性をわずかに示す等である(この四句は、大文第十問答料簡・尋常念相で無相業を明かす中で用いられる)が、それも有相の浄土が、衆生を済度せんがための浄き仏土ということに重点が置かれることを意図とする表現となっている。このことは、大文第四正修念仏・作願門の問答で、「不云解第一義」或いは「非必第一義空相応観慧」(行者に実有的に捉えられたとしても、作願門の問答で明らかなごとく、理と事を無関係にして、それらが成立すると源信はしない。)といって、縁事の菩提心による往生に言及していることの関係の上で、浄土十楽での事的表現、有相的表現を把捉しなければならないことを示していよう。
以上、十楽の特色のある個所について考察したが、この十楽は、幾多の経・論・釈に依りながらも、その説示の内容を展開していったことから見れば、観念念仏の修せない凡夫を含めて往生が可能かということを主要な問題として、この十楽が構成されていったと思われる。それは大文第四正修念仏・作願門の料簡での、この現実の世界では仏道は成じ難いから、浄土に往生し修行することによって仏果を証する(往生極楽為花報、証大菩提為果報) ことの強調と、大文第四正修念仏・観察門の雑略観の説示や、大文第五助念方法・対治解怠の大尾の問答で観念の念仏を修しえない凡夫について「彼若不能直爾念仏、応寄事事勧発其心」とあることからも伺えよう。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
善導 1

 

中国浄土教(中国浄土宗)の僧である。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立する。姓は朱氏。「終南大師」、「光明寺の和尚」とも呼ばれる。
浄土宗では、「浄土五祖」の第三祖とされる。
浄土真宗では、七高僧の第五祖とされ「善導大師」・「善導和尚」と尊称される。
同時代の人物には、『三論玄義』の著者で三論宗を大成させた吉蔵や、訳経僧で三蔵法師の1人である玄奘がいる。
生涯
開皇17年(597年)、天台宗の開祖・智が死去する。
大業5年(609年)、道綽が浄土教に帰依する。
大業9年(613年)、泗州(現:安徽省)、あるいは臨淄(現:山東省)に生まれる。幼くして、出家し諸所を遍歴した後、長安の南の終南山悟真寺に入寺する。
貞観15年(641年)、晋陽(現:山西省太原市)にいた道綽をたずね、師事した。そして貞観19年(645年)に道綽が没するまで、『観無量寿経』などの教えを受けた。30年余りにわたり別の寝床をもたず、洗浴の時を除き衣を脱がず、目を上げて女人を見ず、一切の名利を心に起こすことがなかったという。道綽没後は、終南山悟真寺に戻り厳しい修行をおこなう。
その後長安に出て、『阿弥陀経』(10万巻)を書写して有縁の人々に与えたり、浄土の荘厳を絵図にして教化するなど、庶民の教化に専念する。一方で、龍門奉先寺の石窟造営の検校(けんぎょう)を勤めるなど、幅広い活動をする。長安では、光明寺・大慈恩寺・実際寺などに住する。
永隆2年3月14日(681年4月7日。3月27日(4月20日)とも)、69歳にて逝去。終南山の山麓に、弟子の懷ツらにより、崇霊塔(善導塔)と香積寺が建立された。高宗皇帝寂後、寺額を賜りて光明と号すようになった。
善導は日本の法然・親鸞に大きな影響を与えた。
法然が専修念仏を唱道したのは、善導の『観経正宗分散善義』巻第四(『観無量寿経疏』「散善義」)の中の、「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」という文からである。
著作
○ 『観無量寿経疏』(『観経疏』)4巻 - 『観経玄義分 巻第一』、『観経序分義 巻第二』、『観経正宗分定善義 巻第三』、『観経正宗分散善義 巻第四』の4巻。
○ 『往生礼讃』(『往生礼讃偈』)1巻
○ 『法事讃』(『浄土法事讃』)2巻 - 上巻首題『転経行道願往生浄土法事讃』・上巻尾題『西方浄土法事讃』、下巻首題・尾題『安楽行道転経願生浄土法事讃』
○ 『般舟讃』1巻 - 首題『依観経等明般舟三昧行道往生讃』、尾題『般舟三昧行道往生讃』
○ 『観念法門』1巻 - 首題『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門』、尾題『観念阿弥陀仏相海三昧功徳法門経』
大半が長安在住時の撰述である。中でも『観経疏』は、日本の浄土教において、『佛説観無量寿経』(『観経』)の解釈書として、非常に重要な文献である。 
二河白道 
 
善導 2

 

613?-681 / 中国・唐代の浄土教の大成者。法然上人は、43歳のとき、この善導大師が著した『観経疏』の「一心にもっぱら弥陀の名号を念じ、行住坐臥、時節の久遠を問わず、念々に捨てざる者、是を正定の業と名づく、彼の仏の願に順ずるが故に」という一文を見て、お念仏こそすべての人々が救われる教えであることに間違いはない、との確信を得、浄土宗を開かれました。法然上人は、「 偏(ひとえ) に善導大師に依(よ)る」と言っています。浄土宗では、宗祖法然上人に対し、善導大師を高祖と仰いでいます。  
 
善導 3

 

善導大師
善導独明仏正意 [善導ぜんどう独り、仏の正意しょういを明かせり]
親鸞聖人は、「正信偈」に、七人の高僧がたのお名前をあげて、その方々の徳を讃えておられます。この七高僧が、間違いのない念仏の教えを、親鸞聖人のところにまで、正しく伝えてくださったことを歓んでおられるのです。
七高僧のうち、インドに出られた龍樹大士りゅうじゅだいじと天親てんじん菩薩については、すでに見ていただきました。次に、中国の曇鸞どんらん大師と道綽禅師どうしゃくぜんじのお二人についても、これまでに見ていただいたところです。
中国に出られた三人目の高僧が善導大師でありましたが、この善導大師について、親鸞聖人は、どのようなことを私たちに教えておられるのか、今回から、それをうかがって参りたいと思います。
善導大師(六一三―六八一)は、若くして出家され、はじめ『維摩経ゆいまきょう』や『法華経ほけきょう』などのお経を学ばれました。のちに、たまたま『観無量寿経かんむりょうじゅきょう』に出遇われ、このお経に説かれている念仏の教えを深く学ばれたのです。
しかし、念仏といっても、それは、古くから中国の仏教界で行われていた、修行としての念仏だったのです。心の雑念を払いのけて、心を純粋に保って集中させるという、三昧さんまいの行です。この行によって、阿弥陀仏のお姿と阿弥陀仏の極楽浄土のありさまを心に観察する「観想かんそうの念仏」だったのです。のちに善導大師が教えられた「称名しょうみょうの念仏」とは、まるで異なる念仏でありました。
善導大師は、このような「観想の念仏」の修行に懸命に励まれて、やがてある一定の境地を体験されたと伝えられています。しかし、この「観想の念仏」に強く疑問を感じ取られたようでした。
その頃、遠くの玄中寺げんちゅうじというお寺に道綽禅師がおられました。道綽禅師は、主として『観無量寿経』によって、念仏の教えを広めておられたのですが、そのことを、善導大師は伝え聞かれたのでした。そこで大師は、さっそく、厳しい冬の難路をさまよいながら、玄中寺に向かわれたのでした。
玄中寺といえば、その昔、曇鸞大師が、本願他力の教えを説いておられたところでありました。曇鸞大師が亡くなられて七〇年ほどのちに、『涅槃経ねはんぎょう』の学僧であられた道綽禅師が、旅の途中でたまたま玄中寺に立ち寄られ、曇鸞大師の徳を讃えた石碑の文をお読みになり、曇鸞大師の教えに深く感銘を受けられたのでした。そして、これまでの思いを翻して、深く浄土の教えに帰依されたのでした。そして道綽禅師は、曇鸞大師の徳を慕って、そのまま玄中寺に住みついておられたのでした。
その玄中寺を訪ねられた善導大師は、道綽禅師から親しく『観無量寿経』の講説をお聞きになり、本願他力の念仏の教えに目覚められたのです。それは、道綽禅師が八十歳、善導大師の二十九歳のときであったと伝えられています。
その後、善導大師は、唐の都の長安に移られ、光明寺こうみょうじというお寺を中心に、「称名の念仏」の教えをお説きになり、広く民衆を教化されたのでした。善導大師の教えは、自己の愚かさを厳しく自覚させ、それ故にこそ、阿弥陀仏から回向えこうされている他力の「称名の念仏」によって浄土に往生することを深く歓ぶという、とても情熱的な教えであったのです。
中国には、浄土の教えに三つの流れがありました。その第一は、廬山ろざん流といわれているもので、廬山の東林寺におられた慧遠えおん法師(三三四―四一六)が、多くの同志とともに、阿弥陀仏像の前で修行しておられた自力の「観想の念仏」の伝統でした。第二は善導流で、今の、曇鸞大師・道綽禅師・善導大師と次第して伝えられた他力の「称名の念仏」です。そして第三は慈愍じみん流の念仏で、慈愍慧日えにち(六八〇―七四八)という三蔵法師が唱えられた念仏と禅とを融合させた念仏禅でした。
このうち、日本に伝えられて栄えたのが、善導流の浄土教だったのです。日本の法然上人(一一三三―一二一二)が、「偏依善導一師へんねぜんどういっし」(偏ひとえに善導一師に依る)と宣言され、それが親鸞聖人に受け継がれたのでした。
善導独明仏正意 (善導独り、仏の正意を明らかにし)
善導独り、仏の正意を明らかにして
「善導独明仏正意」は「善導独り、仏の正意を明らかにして」と読みます。
「善導」とは、善導大師のことです。 「仏の正意」とは、仏様の正しい御意のことですから、
「善導独り、仏の正意を明らかにして」とは、 親鸞聖人が、「善導大師ただ独り、仏様の正しい御意を明らかにして下された。そのおかげで親鸞、弥陀に救い摂られることができたのだ」と、一段と声を大きくして善導大師を褒め称えておられるお言葉です。
善導大師とは?
善導大師は、約1300年前の中国の唐という時代の方です。
大変まじめで、30年間、一度も布団を敷いて休まれることなく仏教の勉学に励ましたと言われます。
修行の妨げにならないようにと、道で女性とすれ違う時は笠で顔をかくされた、とも言われます。
このような善導大師を親鸞聖人は、「大心海化現の善導」と言われて極楽浄土から仏さまが人間として現れられた方だと、と尊敬しておられます。
中国の唐の時代とは?
善導大師の活躍された唐の時代は、中国の歴史上、最も仏教が栄えた時代でした。
時の天子も仏教を信奉して、仏教を保護しておりましたので沢山の寺が建てられ、多くの人が仏法に帰依しました。
中国の天台宗を開いた天台、地論宗の浄影、三論宗の嘉祥といった一宗一派を開いたような者が続出し、その弟子の僧侶たちも何十万とあった時代でした。
それなら「仏の正意」に明らかな人はたくさんあったのではないでしょうか? 実際、それぞれ明らかだったと思われていました。
ところが親鸞聖人は、その何十万の僧の中で、善導大師ただお独りが「仏の正意」に明らかであったと言われているのです。
これは親鸞聖人の単なる主観ではありません。善導大師は、当時、たくさんの僧侶を相手として天台・浄影・嘉祥らの誤りを打ち破られているのです。
仏の正意とは?
では「仏の正意」仏様の本当の御意とは何かといいますと、仏様とは、仏のさとりを開かれた方のことです。
一口にさとりと言いましても、低いさとりから高いさとりまで52の位があり、これをさとりの52位と言われます。
その最高のさとりの位を「仏覚」とか「無上覚」と言われます。この最高無上のさとりを開かれた方のみを、仏とか仏様といわれます。
この仏のさとりまで到達された方は、地球上ではお釈迦様以外にありませんから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と言われます。
そのお釈迦様が、80才でお亡くなりになるまで説いてゆかれた教えを、今日、仏教と言われます。
その教えのすべては、七千余巻の一切経となって書き残されています。
その一切経で、釈迦の説かれたことはただ一つ、「阿弥陀仏の本願」でありました。
「阿弥陀仏の本願」とは、大宇宙に無数にまします仏方の本師本仏・先生の仏である阿弥陀仏が、本当に願っておられる御意、ということです。
善導大師は、その阿弥陀仏の御意を、「どんな極悪人でも、我を信じよ、必ず平生に救いきると、約束しておられるのだ」と、鮮明に教えてゆかれました。
何千何万の僧侶があっても、「仏の正意」をこのように明らかにされたのは、善導大師しかなかったので親鸞聖人は、その偉大な善導大師を、「善導独明仏正意」と朝夕、讃嘆されているのです。 
 
善導 4 / 善導大師の教え

 

出生と出家
善導大師は随の大業九年(六一三)、臨し(現在の山東省臨し)、あるいは泗州(現在の江蘇(こうそ)省宿遷(しゅくせん))に生まれ、唐の永隆二年(六八一)六九歳で往生されています。
大師は幼くして西方浄土の有様を描いた浄土変相図を見て深い感銘を受け、浄土往生を願われたともいわれ、また成人して一人前の僧侶となる具足戒の儀式を受けた頃『観経』を読み、この経こそが自分の進むべき道を説く教えであると思い定められたということです。
道綽禅師に入門して後
大師は聖道門の立場からの『観経』の見方に満足することは出来ませんでした。こうして山西省石壁の玄中寺で道綽禅師に遇われました。それは凡夫が本願力によって報土に往生を遂げるというものでした。善導大師はここに求めておられた教えに遇われたのです。道綽禅師が往生される迄の七年間、玄中寺に留まり道綽禅師の教えを受けられました。
死の往生の後、大師は再び長安の都に帰られました。時には、終南山の悟真寺(ごしんじ)に籠もり、あるいは長安市街の光明寺、慈恩寺、実際寺などに留まって、著作活動に、民衆の教化に努められました。大師は永隆二年三月、六十九歳で往生されました。
大師の著書
善導大師には、古来「五部九巻(ごぶくかん)」と呼ばれる次のような著書があります。
一、『観経疏(かんぎょうしょ)』(四帖疏ともいう)四巻
二、『法事讃』二巻 
三、『観念法門(かんねんぽうもん)』一巻 
四、『往生礼賛』一巻 
五、『般舟讃(はんじゅさん)』一巻
『観経疏』は『観経』を解釈したもので、善導大師の教えが直接に示されています。それで古来これを「本疏(ほんしょ)」とか「解義分(げぎぶん)」とか「教相分(きょうそうぶん)」などと呼んでいます。『往生礼賛』『般舟讃』は、宗教的実践、宗教行事の儀礼のために作られたものです。それで「行儀分(ぎょうぎぶん)」とも「具疏(ぐしょ)」とも呼んでいます。
本疏
○「玄義分」…『観経』について総じて論ずる
○「序分義」「定善義」「散善義」…『観経』の文々句々を解釈する。
具疏(ぐしょ)
○『法事讃』…臨時の法会の行事の実修法を示す。
○『観念法門』…仏の相好を観想する方法とその功徳を示す。
○『往生礼賛』…日常実修すべき六時の礼法を示す。 
○『般舟讃(はんじゅさん)』…七日あるいは九十日間を定めて実修する別時の行法を示す。 
○「序分義」「定善義」「散善義」…『観経』
○『法事讃』…臨時の法会の行事の実修法を
古今楷定
善導大師の教えを学ぶには、『観経疏』を中心としなければなりません。この書は大師自ら、
某、いまこの『観経』の要義を出して、古今を楷定(かいじょう)せんと欲す
と述べて、この書に対する並々ならぬ意気込みが示されています。
「古今楷定」とは、「楷(かい)」は手本、基準などの意で、『観経』の解釈の正しい手本を定め、古今の聖道の諸師方の誤った解釈を正すということです。聖道門の諸師によって自力の見方で『観経』を解釈するものでした。
善導大師は、明確に、『観経』は阿弥陀如来の願力によって、罪悪深重の凡夫も、阿弥陀如来の真実の浄土(報土)に往生できることを説くものであることを、種々の角度から明らかにされたのです。
大師は中国浄土教の大成者であるともいわれるのです。
善導大師が力説されたのは、
1 『観経』の救いの対象は凡夫であること
2 『観経』の浄土は、報土といわれる真実の悟りの世界であること
3 一生悪を造った下々品(げげぼん)の凡夫も臨終の十声の称名で往生が可能であること
九品唯凡(九品はみな凡夫)
善導大師の時代に大きな影響力を持っていたのは、浄影でした。浄影をはじめとする聖道門の諸師の基本的な考えは、浄土というのは衆生の自力の修行の結果として感得される世界であると見ることです。
浄土が勝れた浄土であるならば、そこに往生する人も勝れた人でなければなりません。浄土が程度の低い浄土であるならば、そこに往生できる人も、程度の低い人であるということにないます。
浄影は、『観経』の直接の救いの対象である韋提希夫人(いだいけぶにん)について、韋提希夫人は実に大菩薩なりとしています。『観経』に、彼女は「無生法忍を得るであろう」と説かれているからだというのです。浄影によると、無上法忍というのは大菩薩のさとる境地だからです。
浄土に往生する人々を、上品―上生・中生・下生、中品―上生・中生・下生、下品―上生・中生・下生と九通り(九品)に格付けされています。
善導大師は、『観経』は凡夫のための経であって、決して聖者のための経でないことを力説されました。 
韋提希夫人について
まさしく夫人は凡にして聖にあらず
彼女は凡夫であって、決して聖者ではない、と断言されています。
九品の往生人については、各々その違いはあってもすべて凡夫であることを次のように述べられています。
上品の三人は大乗に遇った凡夫、中品の三人は小乗に遇った凡夫、下品の三人は悪に遇った凡夫であるとし、九品はすべて凡夫であるとされています。
是法非化(弥陀浄土は報土であり、化土ではない)
古今楷定(ここんこんじょう)の第二は、
阿弥陀如来と浄土は報身(ほうじん)・報土といわれる真実の仏や浄土なのか、あるいは人間を教化(きょうけ)するために現れた仮の仏や浄土(これを応身(おうじん)・応土とも化身(けしん)・化土(けど)ともいう)であるのかという問題です。
浄影(じょうよう)や吉蔵(きちぞう)などの聖道の祖師は、阿弥陀如来の浄土は化身・化土であって、真実の仏や浄土ではないと主張しました。
聖道の諸師は、報身・報土といわれる真実の仏や浄土は、凡夫の目によっては決して見ることのできないものだと考えました。浄土三部経の内容は、阿弥陀仏の発願修行や、仏・菩薩、浄土の荘厳相が詳しく述べられ、凡夫にもわかるように示されています。このような 浄土三部経の内容は、聖道の諸師の目には凡夫を対象にした程度の低い仮の教えであると考えられことは至極当然のことです。
浄土教の正しい仏身・仏土の見方・考え方を示されたのが、大師の是報非化です。
【真実の仏】 衆生を救わずして、どうして真実の仏と言えようか、真実の仏とは、慈悲の仏であると考えられました。
また「無量寿経」にのとまはく、「法蔵比丘、世饒王仏(せにょうおうぶつ)の所(みもと)にましまして菩薩の道を行じたまひし時、四十八願を発(おこ)したまへり。一々の願にのたまはく、〈もしわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を称してわが国に生ぜんと願ぜんに、下十念に至るまで、もし生ぜずば正覚を取らじ〉」と。いますでに成仏したまへり。すなはちこれ酬因(しゅういん)の身なり。
と示されています。十方衆生を往生させなかったら、仏とはならないという如来の大慈悲を完成した仏が阿弥陀如来である。この如来こそが報身の仏、すなわち真実の仏である。決して応身(おうじん)の仏ではないことを強く主張されたのでした。
【酬因(しゅういん)の身】 報身の仏を定義する言葉です。この言葉によって、慈悲の仏こそが真実の報身仏(ほうじんぶつ)であり、決して化身でないことを強調されるのです。
別時意会通(下々品の念仏往生は方便説ではない)
煩悩にまみれた罪深い凡夫が、念仏によって真実の悟りの世界である
報土に往生を得るという浄土教の教えは、今日でも、世間の常識では理解できないことです。
大師の時代には摂論宗(しょうろんしゅう)が強い勢いをもっていました。この人達は、阿弥陀如来の浄土は報土であるとしました。しかし、そこに往生できるのは、初地以上の高いさとりの境地に達した聖者でなければならないと考えていました。
摂論宗の人々は、下々品の凡夫の十声の念仏ぐらいでは、とても行といわれる価値がないと考えていたのです。摂論宗の主張に反論する形で、念仏による往生できることを明確に示されたのが善導大師の六字釈です。下々品(げげぼん)の凡夫の称えた念仏には願と行が具足している。
その理由は、
「南無」とは帰命ということであるが、また発願回向の心も具えている。「阿弥陀仏」とはその行(往生せしめる力)である、と説かれています。称名念仏に願行具足という高い価値があり、仏の本願のこころにかなうものであるから、凡夫が報土往生できるのであると浄土門の立場から明らかにされたのです。これが古今楷定(ここんかいじょう)の第三点です。
【浄土真宗】 南無阿弥陀仏の名号に、衆生の往生のための願と行とが如来によって成就されており、その名号のいわれを信じたとき、願行が衆生のものとなり、信心が口に称名念仏となって出てくるのであるそれで称名にも願行が具足している、と考えるのです。
三心について(至誠心・深心・回向発願心)
善導大師の信心は、その著『観経疏』に説かれています。それは極めて詳細で、「散善義」全体の約三分の一をも占めています。大師がいかに信心を重視されたかわかります。
親鸞聖人は『観経』について、『観経』は韋提希夫人(いだいけぶにん)の請(こ)いに応じて釈尊が説かれた経典であり、韋提希の請いをきっかけに、釈尊はまず定善観を説き、ついで散善を説き、次第に自力では救われない自己の姿に気づかせて、本願念仏の教えに誘引するために説かれた方便の経であると見られました。
『観経』は、表面的に顕著に説かれている(顕説(けんぜつ))自力の教えである。裏面的に穏便に(穏彰(おんしょう))、他力念仏の教えが説かれているとされるのです。
信心についても、表面的には定散自力のこころで往生を願う自力の信心が説かれているが、その裏に他力信心に入らしめようとする意図が流れていると親鸞聖人は見られました。聖人は善導大師の『観経疏』にも顕説と穏彰とがあると考えられました。
【至誠心】 人間には真実心をおこすことは不可能である。真実心とは如来の心である。その如来の心をいただいた心が衆生の至誠心である、と味わわれたのです。
【回向発願心】 人間がおこす心ではなく、如来が衆生を浄土に往生させたいと如来の方から回向発願してくださった心である。その如来の願心をいただいた心が回向発願心である、と味わわれたのです。
深心・二種深信について
深心について、聖道門の諸師は、深心とは深高の仏果にいたらんとする心である。修行の積んだ聖者のおこす心である。
善導大師は深心とは凡夫にもおこすことの出来る深く信ずる心であると考えられました。深心とは真実信心であるとも述べられています。
「深心」といふはすなはちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。一つには決定(けつじょう)して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫(こうごう)よりこのかたつねに没しつねに流転し、出離の縁あることなしと信ず。二つには決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受(しょうじゅ)したまふこと、疑いなく慮(おもんばか)りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず
と述べられています。
深心とは、一つには自分の罪の姿を深く信ずること、これを機の深信といいます。二つには阿弥陀仏の本願力にとって必ず往生できると深く信ずること、これを法の深信といいます。
善導大師の時代の中国仏教界では、摂論宗が大きな地位を占めていました。
大師は、摂論宗の人々の信じている『摂大乗論(しょうだいじょうろん)』のような菩薩の説を信用してはならない。浄土三部経などの仏陀釈尊の説かれた教えを信じよ。仏説を信ぜよ、と切々と訴えられています。
浄土真宗の二種深信
信心については、一心帰命とか、三不三信とか、あるいは三心など種々に表現されます。
浄土真宗の信心の根本は二種深信であるとされています。
一つの信心を機と法との二つに開いたものです。というのも、信心とは名号のいわれを信ずることです。名号のいわれは、罪深い者(機)を、必ず救う(法)ということです。それで信心には、私のような罪深い者を(機の深信)、必ずお救いくださるとは(法の深信)という機・法の二種深信心が具わっているのです。
このことを二種一具といいます。
また二種深信を捨機托法(しゃきたくほう)とも表現します。
名号のいわれを聞き、如来の救いに遇った時、自らどんな罪も救いの妨げにならず、自らのどんな善も、救いの役に立たないと知らされて(捨機)如来の救いにまかせる(托法)ことでもあります。
称名正定業
凡夫が報土に往生できるのは、本願の念仏によるからであると、明らかに説いてくださったのは、善導大師です。大師は第十八願を、
もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ  
と書きかえて、弥陀の本願の意は念仏する者を往生させると誓った願いであるとされました。
大師は往生の行を正行と雑行との二種に分けて示されました。
正行というのは、1読誦、2観察、3礼拝、4称名、5讃嘆供養、第四の称名を正定業として価値の高いものとし、他の読誦、観察などの四つの正行を助業と名づけられています。
正定業という言葉は、正しく往生の果を決定する因(業因)の意味ですから、称名が往生の因のようにも理解されます。どう考えるべきでしょうか? 親鸞聖人は、阿弥陀仏の名号のはたらきが衆生の信心となり、称名となってあらわれるのである。決して衆生の称名念仏するという行為が、往生の因であるということではない。衆生を往生させるはたらきは、あくまでも阿弥陀仏の名号救済のはたらきによるのである、とされました。 
 
善導 5 / 善導大師の入寂について

 

日蓮上人の『念仏無間地獄鈔』に、
所居の寺の前の柳の木に登りて、自ら頸をくゝりて身を投げて死し畢んぬ。邪法のたゝり踵を廻らさず、冥罰爰に見はれたり。最後臨終の言に云はく、此の身厭ふべし諸苦に責められ暫くも休息無しと。則ち所居の寺の前の柳の木に登り、西に向かひ願って曰く、仏の威神以て我を取り、観音勢至来たって又我を扶けたまへと。唱へ畢って青柳の上より身を投げて自絶す云云。三月十七日頸をくゝりて飛びたりける程に、くゝり縄や切れけん、柳の枝や折れけん、大旱魃の堅土の上に落ちて腰骨を打ち折きて、廿四日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地しておめきさけびて死し畢んぬ。さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ。此の事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語にも非ず、善導和尚自筆の類聚伝(るいじゅでん)の文なり云云。而も流れを酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏むべし云云。浄土門に入って師の跡を踏むべくば、臨終の時善導が如く自害あるべきか。念仏者として頸をくゝらずんば、師に背く咎有るべきか如何。
法然上人作と言われる『善導十徳』においても、「遺身入滅徳」として、善導大師の投身自殺を讃えておられる。
二つの伝承
善導大師の入寂の様子について述べた伝記には、二つの系統がある。
自殺説
宋代の戒珠『浄土往生伝』、王古『新修往生伝』等に、
善導は、この身に諸々の苦が逼迫し、情の偽り変易して暫くも休息することなきを厭う。すなわち居る所の寺の前の柳の樹に登り、西に向かって願って曰く、「願わくは仏の威神、はやく以って我を接し、観音・勢至また来たりて我を助け、我が心をして正念を失わず、恐怖を起こさず、弥陀の法の中において以って退堕を生ぜざらしめんことを」と、願い畢って其の樹の上より身を投じて自絶す。
とあるので、『念仏無間地獄鈔』や『善導十徳』は、おそらく、この記述に基づいて書かれたのだと思われる。 
穏やかに往生説
しかし一方で、王古『新修往生伝』等には、
善導の化、京輩をうるおし、道俗の心を帰する者、市の如し。後に、住する所の寺院の中において浄土の変相を画く。忽ちうながして速やかに成就せしむ。或るひと其の故を問うに、すなわち、「吾まさに往生せんとす。住すること三両夕なるべきのみ」と。忽然として微疾あり、室をおおいて、いぜんとして長逝す。春秋六十九。身体柔軟にして容色は常の如し。異香・音楽久しくしてまさにやむ。時に永隆二年三月十四日なり。
というように、善導大師が二・三日前から死を予知して、にわかに軽い病気にかかり、穏やかに長逝したというのであって、投身自殺したという記事とは、まったく異なった往生の様子が書かれている。
『続高僧伝』
それでは、どちらの説が正しいのかということになるが、善導大師の生前に書かれた道宣の『続高僧伝』には、
近ごろ山僧善導なるものあり、天下を周遊し覚りを求め訪ね、行いて西河に至り、道綽の部に遇い、ひたすら念仏弥陀の浄業を行じた。既して京師に入り、広くこの浄土のおしえを行じた。『弥陀経』数万巻を写し、士女のこの化を奉ずるものはその数無量であった。
時に光明寺で善導が説法した。その説法を聞いたある人が善導に、「今、仏の名を称えたならばきっと浄土に生まれることができるでしょうか、できないでしょうか」とたずねた。善導は、「念仏すればきっと浄土に生まれることができる」と答えた。
その人はこれを聞き、善導を礼拝して、口に南無阿弥陀仏と誦しながら、声をたやさず光明寺の門を出て、門外の柳の木にのぼり、合掌して西の浄土を望みながらさかしまに身を投じ地におちて死んだ。この事は、奇異なこととして台省に報告された。
と書かれている。
これによると、投身自殺したのは善導大師ではなくて、善導大師の信者である。
そして、宋代の戒珠『浄土往生伝』の記述は、この信者の投身自殺を、善導大師自身のものとして誤って伝えてしまっていると考えられる。
投身自殺を否定する見解
更に、善導大師が投身自殺を否定する見解であったことが、善導大師自身の行実を見ても、明らかである。
善導大師は「禅師」「闍梨」「和尚」「律師」等と呼ばれ、具足戒も受け、戒律に厳しい人であったと言われるから、自殺が戒律で禁じられていることを知っていたと思われる。
さらに、小康『往生西方浄土瑞応刪伝』や賛寧『宋高僧伝』には、
善導の弟子懐感が、はじめ念仏往生について疑いをもっていたので、善導は、もし心から念仏すれば必ず霊験があるだろうと教えた。そこで、懐感は三週間、道場にこもって念仏をしたが、何の霊瑞もあらわれなかったので、みずから罪障の深さをなげいて、絶食して死のうと思った。ところが、善導はこれを許さなかった。懐感はその後三年間、念仏にはげみ、霊瑞を感じて、ついに念仏三昧を証得したという。
とあって、弟子の自殺をかたく禁じて許さなかった善導大師が、自ら、戒律を犯して自殺するということは、まず考えられない。
これらの記述から、今日の研究では善導大師が自殺していないという事実が、明らかになっている。
ただし、善導大師自身が否定しているにも関わらず、後世の人が善導大師が自殺したことを肯定してしまったことは、非常に残念なことであると思う。
生き抜く力を与えるのが、本当の信仰というものであるから、こうした善導大師に対する誤解は、一刻も早く払拭して、浄土門内に、この誤解に基づく、後ろ向きで退廃的な考えがあるとしたら、それもあわせて払拭することが、必要であると思う。
弟子の自殺を決して許さなかった、善導大師の思いを、誤って伝えることは、絶対に許されない。
 

 

 
 

 

 
往生礼讃 1

 

秋の深まりと応呼するように、全国の真宗寺院では報恩講がお勤まりになります。報恩講は、宗祖親鸞聖人を偲ぶ浄土真宗で最も大切な法要であります。その報恩講でよくお勤めされますのが善導大師が作られた『往生礼讃』で、正式には『勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃』という長い名前がついています。
この六時とは「日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中」のことで、
1.『大経』の弥陀の十二光の名を讃歎して十九拝、「日没」の時に当りて礼す。
2.『大経』によりて要文を採集して二十四拝、「初夜」の時に当りて礼す。
3.龍樹菩薩の願往生礼讃の偈(十二礼)によりて十六拝、「中夜」の時に当りて礼す。
4.天親菩薩の願往生礼讃の偈(浄土論)によりて二十拝、「後夜」の時に当りて礼す。
5.彦j法師の願往生礼讃の偈によりて二十一拝、「晨朝」の時に当りて礼す。
6.沙門善導の願往生礼讃の偈、つつしみて十六観によりて二十拝を作る。午時(「日中」)に当りて礼す。
と記され、一日を六時に分かち、上記の聖教から御文を抄出して十九拝〜二十四輩の敬虔な礼拝を勧められています。
江戸時代の延宝九年(1681)に浄土宗西山派にて編纂された礼讃本『蓮門課誦(れんもんかじゅ)』には、六時の標号の下に、例えば「日没礼讃 展具十九拝」と記されています。「展」は「平らに広げる」意味があり、「具」は座具(礼拝のための敷物)のことでありますから、「日没礼讃を修する時は座具を広げて十九拝せよ」と指示されているのです。『日没礼讃』は「南無釈迦牟尼仏等…」から始まり「南無西方極楽世界大勢至菩薩」まで「南無」が十九回出てきますから、行者は「南無」の度に、広げた座具の上で十九回の五体投地礼(両手・両膝・額を地面に投げ伏すもっとも丁寧な礼拝)を行うのであります。まさしく「礼讃」と呼ばれる所以がここにあります。
ところで、『往生礼讃』のもう一つの大切な特徴は、「懺悔(さんげ)」であります。「懺悔」とは、「自らがなした罪過を悔いて許しを請うこと」で、阿弥陀如来の尊前で、自身の身・口・意(しんくい)の三業を悔い改め、その滅罪を請う行法をいいます。『往生礼讃』の前序には、もっとも略した「要」から「略」、そして丁寧な「広」の三種類の懺悔を挙げて、六時それぞれに行者の意に従い、要・略・広のいずれかを用いるように規定されます。そのもっとも丁寧な「広懺悔」の前には、「三品の懺悔」を示され、
・上品の懺悔…身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づる懺悔
・中品の懺悔…遍身(へんしん)に熱き汗、毛孔より出で、眼のなかより血流るる懺悔
・下品の懺悔…遍身徹(とお)りて熱く、眼のなかより涙出づる懺悔
そして「知るべし、流涙・流血等にあたはずといへども、ただよく真心徹到するはすなはち上と同じ。」と善導大師は結ばれています。
これを受けて、親鸞聖人はご和讃に、「真心徹到するひとは 金剛心なりけれは 三品の懺悔するひとゝ ひとしと宗師はのたまへり」と、真実信心を得る人は、三品の懺悔をする人と等しいと善導大師は仰っておられますと讃嘆されるのでした。
このように『往生礼讃』は、「礼拝」と「懺悔」の2つの大きな柱から構成されている浄土儀礼音曲でありました。しかし、一般には『往生礼讃』の音楽的魅力のみが話題となり、敬虔な「礼拝」と「懺悔」についてあまり語られていないことが少々残念です。 
 
往生礼讃 2

 

現存する善導大師の五部九巻の著作のうち、『観経疏』(「本疏」「解義分」)以外の4部(『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』)はいずれも浄土教の儀礼・実践を明らかにしたものであるので、「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわされている。
本書は、つぶさには『勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃偈』(一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に生ぜんと願ぜしむる六時礼讃の偈)といい、略して『往生礼讃偈』とも『六時礼讃』ともまた『礼讃』ともいう。その題号が示すように、願生行者が日常実修すべき六時(日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中)の礼法を明かしたものである。
全体は前序と礼讃の行儀について明かす正明段、および後述の3段よりなっている。前序では、安心・起行・作業という願生行者の実践法について述べ、さらに称名念仏を専修する一行三昧の意義、専修と雑修の得失について説き述べている。正明段では、『大経』の十二光仏名による日没讃、『大経』の要文による初夜讃、龍樹菩薩の「十二礼」による中夜讃、天親菩薩の「願生偈」による後夜讃、彦jの「礼讃偈」による晨朝讃、善導大師自作の「十六観偈」による日中讃を示して、六時行儀の次第を明かしている。後述の部分では、『十往生経』『観経』『大経』『小経』を引証して、現世と当来の得益に言及し、一部を結んでいる。
本書は、浄土教の敬虔な日常行儀を説き述べたものとして長く勤式に依用されたばかりでなく、教学の上からも、善導大師の独創的な儀礼論が窺われるものとして重要な意義を有している。  
 
六時礼讃

 

浄土教における法要、念仏三昧行のひとつ。中国の僧・善導の「往生礼讃」(「往生礼讃偈」)に基づいて1日を6つに分け、誦経(読経)、念仏、礼拝を行う。
天台声明を基にした美しい旋律が特徴で、後半になるにしたがい高音の節が荘厳さを増す。現代では浄土宗、時宗、浄土真宗が法要に盛んに用いる。親鸞の正信念仏偈は六時礼讃にヒントを得て作製されたといわれる。
浄土宗では、建久3年(1192年)、法然が、大和前司親盛入道見仏の招きをうけて、後白河天皇の追善菩提のために、八坂の引導寺において別時念仏を修したが、これを浄土宗六時礼讃の始まりとする。
『徒然草』第227段や『愚管抄』によれば、浄土宗の開祖・法然の門弟である安楽坊遵西が礼讃に節を付けたと言われているが、当時は定まった節とか拍子がなかったらしい。遵西が指導する礼讃が大衆の支持を多く得たことから、既存仏教教団の反発を招き、建永2年(1207年)、後鳥羽上皇の女房たちが遵西達に感化されて出奔同然に出家した件などの罪で、遵西は斬首され、同年の法然らに対する承元の法難(建永の法難)を招く原因ともなった。
六時
六時とは、一般に以下の6つの区分をいう。
1.日没(にちもつ) - 申〜酉の刻
2.初夜(しょや) - 戌〜亥の刻
3.中夜(ちゅうや)又は半夜(はんや) - 子〜丑の刻
4.後夜(ごや) - 寅〜卯の刻
5.晨朝(じんじょう・しんちょう) - 辰〜巳の刻
6.日中(にっちゅう) - 午〜未の刻
「四六時中」の語源の一説に、「四時(早晨・午時・晡時・黄昏)と六時をあわせたもの」がある。
六時に分けて法要を勤める形式は、浄土教に限らず東大寺修二会などでも見られる。
浄土宗では、日中礼讃の中から、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩についての礼讃が「三尊礼」として節を付けて唱される。 
徒然草 / 第二百二十七段
六時禮讃は、法然上人の弟子、安樂といひける僧、經文を集めて作りて勤めにしけり。その後太秦の善觀房といふ僧、節博士(ふしはかせ)を定めて、聲明になせり。「一念の念佛」の最初なり。後嵯峨院の御代より始まれり。法事讚も、同じく善觀房はじめたるなり。

六時礼賛というものは、法然上人の弟子で安楽といった僧が、経文の文句を集めて作って、勤行に用いたのである。その後、太秦善観房という僧が、節博士(詞の横に書かれた節の長短・高低などをあらわす符号)を定めて、声明に仕立てた。一念の念仏のはじめである。後嵯峨院の御代から始まっている。法事讃も、同じく善観房が始めたのである。 
 
往生礼讃偈の旋律

 

『往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)』といっても、読者には殆どお判りにはならないだろう。家の宗旨が浄土宗ならば、少しは聞き憶えもおありかも知れない。『往生礼讃偈』とは、浄土宗や浄土真宗、或いは時宗で勤められている、唐代浄土教の高僧・善導大師が編んだ、浄土往生を願い、阿弥陀仏を称讃する詩文を中心にした古儀の勤行式である。
浄土宗では「六時礼讃」と通称されていて、その名は24時間を6つに区切り昼夜四時間ごとに勤められる事に由来する。淨土門を大成した法然が生きていた時代の京都では、盛んに勤められて、民衆から貴族に至るまでその文言と旋律に涙したという。末法の世と嘆かれた藤原・鎌倉期の人々は、貴賤を問わず世を厭い浄土往生を願ったのである。法然が説く浄土往生の仏教は、修行も必要とせず、善悪の隔てなくただ念仏すれば必ず阿弥陀如来の救いに与るという、革新的な宗教だった。
それ故、奈良や比叡山の旧仏教からの弾圧は尋常ではなく、たびたび朝廷へ念仏停止を促す奏上がなされていた。果たして、念仏停止(ちょうじ)の勅が下り、法然ら門下の僧たちが流罪や死罪となった直接的原因が、『往生礼讃偈』にまつわる話である。建永2(1207)年、法然の弟子の安楽と住蓮は、鹿ヶ谷に草庵を結んで六時の礼讃を勤める法要を行った。その折、参詣者の中に鈴虫と松虫という宮中の女御がいた。安楽・住蓮の、礼讃を諷誦する美声に随喜した二人の女御は、ついに出家してしまった。それが後鳥羽上皇の逆鱗に触れ、師匠法然は監督責任を負わされて讃岐へ流罪となり、二人の弟子は斬首された。そうした中で、後の浄土真宗の宗祖となる親鸞も、法然門下では若年ながらその才知に頭角を現していたようで、危険人物と見なされてか、越後へ流罪となったのである。

以上のような歴史的経緯に彩られた『往生礼讃偈』だが、我が浄土真宗本願寺派(西本願寺)にも伝えられてから幾久しい。そして、特に西本願寺が伝承する『往生礼讃偈』の旋律は、浄土宗や時宗で実唱されているそれよりも、法然の時代に唱えられていたであろう旋律に比較的近いといわれている。本山である西本願寺では、歴代門主の祥月命日など各種法要で随時用いられる。しかしその一方で、特に都市部の本願寺派寺院で行われる法要には、殆ど用いられなくなった。   
哀愁を帯びた美しい旋律ながら、リズミカルに唱えなければならない『往生礼讃偈』は、ややもすれば敬遠されるのであろうか。『往生礼讃偈』は、その一字一字に音階と旋律型が指定されていて、その旋律の連続が「梵唄(ぼんばい)」となって道場を荘厳し、浄土の様相を演出するのである。いにしえの日本人が好んだ旋律も、現代人の我々がそれを忠実に復元するのは、果たして至難といえば至難である。しばしば仏教界の中で指摘されるのは、法要で用いられる作法というのは、一旦簡略化してしまうと、元に戻すのは至難であるという。確かに、本山クラスの大寺院でさえ、改定と称して簡略化される傾向にあるようだ。そんな私は、本願寺派が伝える『往生礼讃偈』の旋律がこの上なく好きである。この旋律をして、私は本願寺派の末流にある冥利とさえ思っている。
さて私は、一昨年の五月に帰洛するまで、二年余りを神戸にある寺で過ごした。言わずもがな、典型的な都市型寺院で、寺本来の行事は最低限で行われてきたために、専ら月命日の檀家参りに追われる日々が続いた。僧侶が檀家参りをするのは当然の事ではあるが、それは寺での行事がなされていて初めて成り立つ事であり、ある意味において本末転倒な状況にあると言わねばなるまい。
私がここで課せられたのは、寺務の建て直しと長年途絶えていた典礼の復興にあったといってよい。そして私が来た年から、寺での「盂蘭盆会」厳修を試みる事にした。猛暑の中、クーラーなどない本堂で数時間を過ごして貰うには、やはり気持ちだけでも「涼」を提供できるような法要を目指したのだった。そこで私はこの法要こそ、『往生礼讃偈』を依用するべきだと考えたのだった。盆参りの手伝いをしに来てくれた若い僧侶たちも、本堂に出仕してくれての『往生礼讃偈』の「唱和」は、神戸の人々を魅了するには十分であった。
時代の変遷とともに、宗派を問わず伝統的な典礼が簡略化されていく傾向の中で、儀礼そのものの意味でさえ曖昧になってくるものである。そんな中で『往生礼讃偈』は、日本人の多くが、浄土信仰に目覚めるに至った機縁になったといっても、決して過言ではない。しかし、現代ではその事を説明しない限りは、何故浄土真宗がこの勤行式を用いるのか、或いはその意義とは何かという事は、解らないまま曖昧になってしまうのである。もっとも、我が浄土真宗にあっては、『往生礼讃偈』が占める位置はそれ程高くはないけれども、親鸞の師匠である法然の遺徳を偲び、かつ、その哀調な旋律をして、我われの祖先が希求した、精神文化の故郷に思いを致すタイムカプセルであると考えている・・・・。
 
往生礼讃偈

 

現存する善導大師の五部九巻の著作のうち、『観経疏』(「本疏」「解義分」)以外の4部(『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』『般舟讃』)はいずれも浄土教の儀礼・実践を明らかにしたものであるので、「具疏」とも「行儀分」とも呼びならわされている。
本書は、つぶさには『勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃偈』(一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に生ぜんと願ぜしむる六時礼讃の偈)といい、略して『往生礼讃偈』とも『六時礼讃』ともまた『礼讃』ともいう。その題号が示すように、願生行者が日常実修すべき六時(日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中)の礼法を明かしたものである。
全体は前序と礼讃の行儀について明かす正明段、および後述の3段よりなっている。前序では、安心・起行・作業という願生行者の実践法について述べ、さらに称名念仏を専修する一行三昧の意義、専修と雑修の得失について説き述べている。正明段では、『大経』の十二光仏名による日没讃、『大経』の要文による初夜讃、龍樹菩薩の「十二礼」による中夜讃、天親菩薩の「願生偈」による後夜讃、彦jの「礼讃偈」による晨朝讃、善導大師自作の「十六観偈」による日中讃を示して、六時行儀の次第を明かしている。後述の部分では、『十往生経』『観経』『大経』『小経』を引証して、現世と当来の得益に言及し、一部を結んでいる。
本書は、浄土教の敬虔な日常行儀を説き述べたものとして長く勤式に依用されたばかりでなく、教学の上からも、善導大師の独創的な儀礼論が窺われるものとして重要な意義を有している。  
前序
【1】
一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に生ぜんと願ぜしむる六時礼讃の偈。
つつしみて『大経』、および龍樹・天親、この土(中国)の沙門等の所造の往生礼讃によりて、集めて一処に在き、分ちて六時を作る。ただ相続して心を係けて往益を助成せんと欲す。また願はくは未聞を暁悟して、遠く遐代を沾さんのみ。
何者ぞ。第一につつしみて『大経』に釈迦および十方の諸仏、弥陀の十二光の名を讃歎して、「称・礼・念すればさだめてかの国に生ず」と勧めたまふによりて、十九拝、日没の時に当りて礼す。第二につつしみて『大経』によりて要文を採集して、もつて礼讃の偈となす。二十四拝、初夜の時に当りて礼す。第三につつしみて龍樹菩薩の願往生礼讃の偈(十二礼)によりて、十六拝、中夜の時に当りて礼す。第四につつしみて天親菩薩の願往生礼讃の偈(浄土論)によりて、二十拝、後夜の時に当りて礼す。第五につつしみて彦j法師の願往生礼讃の偈によりて、二十一拝、晨朝の時に当りて礼す。第六に沙門善導の願往生礼讃の偈、つつしみて十六観によりて二十拝を作る。午時に当りて礼す。 
すべての人々に勧めて西方の*極楽ごくらく世界の※阿あ弥陀みだ仏ぶつの浄土に往生することを願わせる六時礼讃の偈。
謹んで、 «*大だい経きょう»、 および龍樹・天親や、 この土 (中国) の沙門などの作られた往生礼讃により、 これを一処に集め、 分けて六時とする。 これはただ信心を相続して往生の利益を得させたいと思うからである。 また、 願わくは未信の人をさとらせて遠く後の世に利益を得させたいと思うからである。
それは何かというと、
第一は、 謹んで «大経» に釈尊および十方世界の仏がたが弥陀の十二の光明のみ名を讃嘆して、 「もし人が称礼念すれば、 まちがいなくかの国に往生する」 と勧められるのによって、 十九拝をもって日没の時 (午後四時頃) に礼拝する。
第二は、 謹んで «大経» によって、 その肝要な文を集めて礼讃偈とし、 二十四拝をもって初夜の時 (午後八時頃) に礼拝する。
第三は、 謹んで龍樹菩薩が往生を願われた礼讃偈によって、 十六拝をもって中夜の時 (午後十二時頃) に礼拝する。
第四は、 謹んで天親菩薩が往生を願われた礼讃偈によって、 二十拝をもって後夜の時 (午前四時頃) に礼拝する。
第五は、 謹んで彦j法師が往生を願われた礼讃偈によって、 二十一拝をもって晨朝の時 (午前八時頃) に礼拝する。
第六は、 沙門善導が往生を願われた礼讃偈で、 謹んで «観経» の十六観により、 二十拝を作って午うまの時 (正午) に礼拝する。
■安心(どこに心を安定するか)
【2】 
問ひていはく、いま人を勧めて往生せしめんと欲せば、いまだ知らず、いかんが安心・起行・作業してさだめてかの国土に往生することを得るや。
答へていはく、かならずかの国土に生ぜんと欲せば、
『観経』に説きたまふがごときは、三心を具してかならず往生を得。なんらをか三となす。
一には至誠心。いはゆる身業にかの仏を礼拝し、口業にかの仏を讃歎称揚し、意業にかの仏を専念観察す。おほよそ三業を起さば、かならずすべからく真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく。
二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。
三には回向発願心。所作の一切の善根ことごとくみな回して往生を願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。この三心を具すれば、かならず生ずることを得。
もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。『観経』につぶさに説くがごとし、知るべし。 
問うていう。 いま、 人を勧めて往生させようと思うならば、 どのように信をいただき、 どのような行をなし、 どういうふうに修行して、 必ずかの浄土に往生することができるのであろうか。
答えていう。 必ずかの浄土に往生しようと思うならば、 «観経» に説かれている通りである。 まず*三心さんしんを具えて、 まちがいなく往生を得る。 何々を三とするかというと、 一つには*至し誠じょう心しん。 それは身にかの阿弥陀仏を礼拝し、 口にかの仏を讃めたたえ、 意にかの仏を専ら観察するのであるが、 すべて身口意の三つの行業を起すのに、 必ず真実をもってするから、 至誠心という。 二つには*深心じんしん。 すなわちこれは真実の信心である。 わが身は、 あらゆる煩悩を具えている凡夫であり、 善根は少なく、 *三界さんがいにさまよって迷いの境界を出ることができないと信知し、 いま弥陀の*本願ほんがんは、 *名みょう号ごうを称えること、 わずか十声・一声などの者に至るまで、 まちがいなく往生を得させてくださると信知して、 一声の称名に至るまで疑いの心がないから深心と名づける。 三つには*回え向こう発願ほつがん心しん。 自分の修めたすべての善根を、 ことごとくみなふりむけて往生を願うから、 回向発願心という。 この至誠心・深心・回向発願心の三心を具えて、 まちがいなく往生を得るのである。 もし一心 (深心) が無かったならば往生ができない。 «観経» にくわしく説かれている通りである。 よく知るべきである。
■起行(五念門)どのように実践するか
【3】 
また天親の『浄土論』にいふがごとし。もしかの国に生ぜんと願ずることあるものには、勧めて五念門を修せしむ。五門もし具すれば、さだめて往生を得。何者をか五となす。
一には身業礼拝門。 いはゆる一心にもつぱら恭敬を至して、合掌し香華供養して、かの阿弥陀仏を礼拝す。礼するにはすなはちもつぱらかの仏を礼して、畢命を期となして余礼を雑へず。ゆゑに礼拝門と名づく。
二には口業讃歎門。いはゆる意をもつぱらにして、かの仏の身相・光明、一切の聖衆の身相・光明、およびかの国中の一切の宝荘厳・光明等を讃歎す。ゆゑに讃歎門と名づく。
三には意業憶念観察門。いはゆる意をもつぱらにして、かの仏および一切の聖衆の身相・光明、国土の荘厳等を念観す。『観経』に説きたまふがごとく、ただ睡時を除きて、この事等をつねに憶しつねに念じつねに想しつねに観ず。ゆゑに観察門と名づく。
四には作願門。いはゆる心をもつぱらにして、もしは昼、もしは夜、一切時、一切処に、三業・四威儀の所作の功徳、初・中・後を問はず、みなすべからく真実心のうちに発願して、かの国に生ぜんと願ずべし。ゆゑに作願門と名づく。
五には回向門。いはゆる心をもつぱらにして、もしは自作の善根、および一切の三乗・五道、一々の聖凡等の所作の善根に深く随喜を生じ、諸仏・菩薩の所作の随喜のごとく、われもまたかくのごとく随喜して、この随喜の善根およびおのが所作の善根をもつて、みなことごとく衆生とこれをともにしてかの国に回向す。ゆゑに回向門と名づく。
またかの国に到りをはりて六神通を得て生死に回入して、衆生を教化すること後際を徹窮して心に厭足なく、すなはち成仏に至るまでまた回向門と名づく。
五門すでに具しぬれば、さだめて往生を得。一々の門上の三心と合して、随ひて業行を起せば、多少を問はず、みな真実の業と名づく、知るべし。 
また、 天親菩薩の «浄土論» に詳しく説かれている通りである。 もしかの浄土に生れようと願う人には、 *五ご念門ねんもんを修めることを勧める。 もし五念門が具われば、 必ず往生することができる。 何々を五とするのかというと、 一つには身で行ずる*礼拝らいはい門もんである。 それは一心に専ら恭敬し合掌し、 香華をもって供養して、 かの阿弥陀仏を礼拝する。 礼拝するには、 専ら阿弥陀仏一仏を礼して、 命終るまで他の仏を礼しない。 それゆえ礼拝門という。 二つには口でつとめる*讃歎さんだん門もんである。 それは意を専らにして阿弥陀仏の身相おすがたや光明と、 浄土のすべての聖衆がたの身相や光明、 およびかの浄土のすべての宝荘厳や光明などを讃嘆する。 それゆえ讃歎門という。 三つには意に憶念し*観察かんざつするの門である。 それは意を専らにしてかの仏およびあらゆる聖衆がたの身相と光明、 および国土の荘厳などを憶念し観察する。 «観経» に説とかれているように、 ただ睡眠の時だけを除く外は、 これらのことをいつも忘れず、 いつも念じ、 いつも想い、 いつも観察するから、 観察門という。 四つには*作さ願がん門もんである。 それは心を専らにして、 もしは昼、 もしは夜、 すべての時、 すべての処で、 身口意の三業に行・住・座・臥の四威儀をもってなすところの功徳は、 いつもつねに、 みな必ず真実まことの心で願を発し、 かの国に生れようと願うのである。 それゆえ作願門という。 五つには*回え向こう門もんである。 それは心を専らにして自分のなすところの善根、 およびすべての三乗の聖者や五道の凡夫がなすところの善根に深く随喜を起すことが、 諸仏や菩薩がたのされる随喜と同じように、 自分もまた随喜して、 この随喜の善根や自分のなした善根をみなことごとく衆生に与えて、 その人々と共に往生を願うのである。 それゆえ回向門という。 また、 浄土に往生しおわって、 六神通を得、 迷いの世界に帰って来て、 衆生を教化し、 いついつまでも続けて心に厭くことがなく、 ついに成仏するのを、 また回向門という。 このように五門がすでに具わったならば、 必ず往生することができる。 一々門が上に述べた三心と合して、 その人その人に応じて、 適当に行を起すならば、 行の多い少ないにかかわらず、 みな真実の業と名づけるのである。 よく知るべきである。
■作業(四修)称名の修相
【4】 
また勧めて四修の法を行ぜしめて、もつて三心・五念の行を策ましてすみやかに往生を得しむ。何者をか四となす。
一には恭敬修。いはゆるかの仏およびかの一切の聖衆等を恭敬礼拝す。ゆゑに恭敬修と名づく。畢命を期となして誓ひて中止せざる、すなはちこれ長時修なり。
二には無余修。いはゆるもつぱらかの仏の名を称して、かの仏および一切の聖衆等を専念し、専想し、専礼し、専讃して、余業を雑へず。ゆゑに無余修と名づく。畢命を期となして誓ひて中止せざる、すなはちこれ長時修なり。
三には無間修。いはゆる相続して恭敬礼拝し、称名讃歎し、憶念観察し、回向発願し、心々相続して余業をもつて来し間へず。ゆゑに無間修と名づく。また貪瞋煩悩をもつて来し間へず。随犯随懺して、念を隔て時を隔て日を隔てしめず、つねに清浄ならしむるをまた無間修と名づく。
畢命を期となして誓ひて中止せざる、すなはちこれ長時修なり。
また菩薩すでに生死を免れて、所作の善法回して仏果を求むるは、すなはちこれ自利なり。衆生を教化して未来際を尽すは、すなはちこれ利他なり。
しかるにいまの時の衆生ことごとく煩悩のために繋縛せられて、いまだ悪道生死等の苦を免れず。縁に随ひて行を起して、一切の善根つぶさにすみやかに回して、阿弥陀仏国に往生せんと願ぜよ。かの国に到りをはりて、さらに畏るるところなし。上のごとき四修自然任運にして、自利利他具足せざるはなし、知るべし。 
また四種の修行の方法により行じさせ、 それによって前の三心や五念の行を励まし、 速やかに往生を得ることを勧める。 何々を四種とするのかというと、 一つには恭敬修。 それはかの阿弥陀如来およびかのすべての聖衆がたを恭敬し礼拝するから恭敬修という。 命終るまで誓って中止しない。 これが長時修である。 二つには無余修。 それは専ら阿弥陀仏の名号を称え、 かの仏やすべての聖衆がたを専ら念じ、 専ら思い、 専ら礼し、 専ら讃えて他の行をまじえないから無余修という。 命おわるまで、 誓って中止しない。 これが長時修である。 三つには無間修。 それは相続して恭敬・礼拝し、 称名・讃歎し、 憶念・観察し、 回向発願するのに、 心々が相続して他の行をもってはさまないから無間修という。 また、 *貪欲とんよく・*瞋しん恚になどの煩悩をもってはさまないようにする。 もしこれを犯せば、 すぐに懺悔して、 念を隔てず、 時を隔てず、 日を隔てずに、 つねに清浄ならしめる。 これもまた無間修という。 命終るまで誓って中止しない。 これが長時修である。 また、 菩薩は、 すでに三界の迷いを離れている。 なすところの善根功徳をふりむけて仏の果報を求めるのが、 すなわち*自利じりである。 未来永遠に衆生を済度するのが、 すなわち*利他りたである。 しかしながら、 今頃の衆生は、 すべてが煩悩のために縛られて、 なお悪道生死などの苦しみを免れていない。 そこで、 それぞれの根機に応じて行をつとめ、 そのつとめたすべての善根をことごとく早く往生の因にふりむけて阿弥陀仏の浄土に生れようと願うであろう。 かの国に往生して後、 さらに何の畏れるところもなく、 上にのべたような四修がひとりでにできて、 自利も利他も具わらぬことがないと知るべきである。
■一行三昧
【5】 
また『文殊般若』(意)にのたまふがごとし。「一行三昧を明かさば、ただ独り空閑に処してもろもろの乱意を捨て、心を一仏に係けて相貌を観ぜず、もつぱら名字を称することを勧む。すなはち念のうちにおいて、かの阿弥陀仏および一切の仏等を見たてまつることを得」と。
問ひていはく、なんがゆゑぞ、観をなさしめずしてただもつぱら名字を称せしむるは、なんの意かあるや。
答へていはく、すなはち衆生障重くして、境は細に心は粗なるによりて、識颺り神飛びて、観成就しがたし。ここをもつて大聖(釈尊)悲憐して、ただ勧めてもつぱら名字を称せしむ。まさしく称名は易きによるがゆゑに、相続してすなはち生ず。
問ひていはく、すでにもつぱら一仏を称せしむるに、なんがゆゑぞ、境現ずることすなはち多き。これあに邪正あひ交はり、一多雑現するにあらずや。
答へていはく、仏と仏と斉しく証して、形二の別なし。たとひ一を念じて多を見ること、なんの大道理にか乖かんや。また『観経』にのたまふがごとし。仏、坐観・礼念等、みな面を西方に向かふるを須ゐるは最勝なりと勧めたまふ。樹の先より傾けるは倒るるに、かならず曲れるに随ふがごとくなるがゆゑなり。かならず事の礙ありて西方に向かふに及ばずは、ただ西に向かふ想をなすもまた得たり。
問ひていはく、一切の諸仏三身同じく証し、悲智の果円かにしてまた無二なるべし。方に随ひて一仏を礼念し課称せんに、また生ずることを得べし。なんがゆゑぞ、ひとへに西方を歎じて、勧めて礼念等をもつぱらにせしむるは、なんの義かあるや。
光号摂化
答へていはく、諸仏の所証は平等にしてこれ一なれども、もし願行をもつて来し収むるに因縁なきにあらず。しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。ただ信心をもつて求念すれば、上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、仏願力をもつて易く往生を得。このゆゑに釈迦および諸仏勧めて西方に向かはしむるを別異となすのみ。 またこれ余仏を称念して障を除き、罪を滅することあたはざるにはあらず、知るべし。
また «*文殊もんじゅ般若はんにゃ経きょう» に説かれている通りである。
一行三昧を明かそうと思う。 ただ、 ひとりしずかな処にいて、 一切の乱れ心をとどめ、 心を一仏にかけ、 おすがたを観ぜず、 専らみ名を称えることを勧める。 そうすれば、 念仏の中において、 かの阿弥陀仏および一切の仏たちを見たてまつることができる。
問うていう。 どうして観察の行を勧めないで、 ただ、 専ら名号を称えさせられるのか、 これにはいかなる意味があるのか。
答えていう。 それは、 衆生は障りが重く、 観ずるところが細やかであるのに、 心はあらく、 想いが乱れ飛んで、 観察の行が成就しがたいからである。 そういうわけで釈尊はこれを哀れみくださって、 ただ専ら名号を称えることを勧められたのである。 これはまさしく称名の行がたやすいから、 これを相続して往生することができるのである。
問うていう。 すでにただ一仏のみ名を称えさせられるのに、 なぜ、 あらわれたもう仏が多いのか。 これは、 邪観・正観があい交わり、 一仏・多仏が雑じって現れるのではないか。
答えていう。 仏と仏とは同じようにさとりを開いて、 また相好の円満なことも別はない。 たとい一仏を念じて多くの仏たちを見たてまつっても、 どうして大道理に背こうか。 また «観経» に説かれている通りである。 仏は、 観察や礼拝や念仏などする際には、 みな西方に向かうのがもっとも勝れていると、 勧められる。 ちょうど樹が倒れる場合には、 かならずさきよりその傾いている方向に随うようなものである。 ゆえに、 どうしても西方に向かうことができないような妨げのある場合には、 ただ西方に向かう想をするだけでもよい。
問うていう。 すべての仏たちには法・報・応の三身を同じように証得せられ、 慈悲と智慧とをまどかにそなえていられることは区別がないはずであろう。 いずれの方によってでも、 一仏を礼拝し観察し称念するなら、 また往生することができるであろう。 なにがゆえに、 ただ、 ひとえに西方のみを讃嘆して、 専ら弥陀一仏を礼拝し観察し称念するように勧められるのは、 どういうわけがあるのであろうか。
答えていう。 諸仏が三身をそなえていられることは平等で一つであるけれども、 もし、 その*因いん位にの願行をもって考えてみると因縁がないわけではない。 ところで阿弥陀仏は、 *法蔵ほうぞう菩ぼ薩さつのとき深重の誓願をおこされ、 光明と名号とをもって十方の衆生を済度なさるのである。 衆生は、 ただ信じて、 長いことをいえば一生を終るまで念仏する者から、 わずかなところをいえば十声・一声などの者に至るまで、 いずれも仏の願力によって、 やすく往生することができる。 こういうわけで、 釈尊および諸仏は西方に向かわしめられるのである。 これを違いとするだけである。 これはまた他の仏たちを称念しても障りを除き、 罪を滅することができないというのではない。 よく心得るべきである。 

 

■専雑得失(雑行の十三失)
【6】 
もしよく上のごとく念々相続して、畢命を期となすものは、十はすなはち十ながら生じ、百はすなはち百ながら生ず。なにをもつてのゆゑに。外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに、仏の本願と相応することを得るがゆゑに、教に違せざるがゆゑに、仏語に随順するがゆゑなり。
もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、百は時に希に一二を得、千は時に希に三五を得。なにをもつてのゆゑに。
すなはち雑縁乱動するによりて正念を失するがゆゑに、
仏の本願と相応せざるがゆゑに、
教と相違せるがゆゑに、
仏語に順ぜざるがゆゑに、
係念相続せざるがゆゑに、
憶想間断するがゆゑに、
回願慇重真実ならざるがゆゑに、
貪・瞋・諸見の煩悩来り間断するがゆゑに、
慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑなり。
懺悔に三品あり。
一には要、二には略、三には広なり。下につぶさに説くがごとし。意に随ひて用ゐるにみな得たり。
また相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、
心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、
人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、
楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり。
なにをもつてのゆゑに。余、
このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異なることあり。ただ意をもつぱらにしてなせば、十はすなはち十ながら生ず。雑を修して至心ならざれば、千がなかに一もなし。
この二行の得失、前にすでに弁ぜるがごとし。
仰ぎ願はくは一切の往生人等よくみづから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形にありては少苦に似如たれども、前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。あに快きにあらずや、知るべし。 
もし、 よく上に述べたように生涯念仏を相続するものは、 十人は十人ながら往生し、 百人は百人ながら往生する。 なぜならば、 外部からのさまざまな妨げがなくて、 正しい信心に安住するからであり、 弥陀の本願にかなうからであり、 釈迦仏の教に違たがわないからであり、 諸仏の言葉に随うからである。
もし、 念仏を専修することを捨てて自力の雑行を修める者は、 百人の中で希に一・二の人が往生を得、 千人の中で希に三・五の人が往生を得るにとどまる。 なぜかというと、 つまり、 いろいろな他の縁に乱されて信心を失うからであり、 阿弥陀仏の本願に相応しないからであり、 釈迦仏の教に違うからであり、 諸仏の教に順じないからであり、 浄土に念おもいをかけることが相続しないからでり、 如来を想う心がとだえるからであり、 回向願生の心が真実でないからであり、 貪欲・瞋恚や邪見などの煩悩がまじわって隔てるからであり、 慚愧・懺悔の心がないからである。 懺悔には三種類がある。 一つには要につき、 二つには略につき、 三つには広につく。 これは後にくわしく説明する通りであるが、 思うところに随って用いるならば、 いずれでもよい。 また相続してかの仏恩を念報しないからであり、 心に軽慢を請じて行を修めても名聞利養を伴うからであり、 我執に覆れて同行善知識に親しく近づかないからであり、 このんで雑縁に近づいて自分および他人の往生の正行をさまたげるからである。
なぜこのように言うかというと、 わたしは、 このごろ諸方の僧俗に人たちを見たり聞いたりするのに、 その了解も行も同じでなく、 *専修せんじゅ・*雑修ざっしゅの違いがある。 ただ、 意こころを専らにして念仏を修めるならば、 十人は十人ながらみな往生する。 *雑ぞう行ぎょうを修めて、 心がまことでない者は、 千人の中で一人も往生するものがない。 この専修・雑修の二行の得失は前にすでに述べた通りである。
仰ぎ願わくは、 すべての往生を願う人たちは、 よくみずから考えよ。 すでによく今、 この世において浄土の往生を願う者は、 *行住ぎょうじゅう坐臥ざがに、 心を励まし、 己を責めて、 昼も夜も念仏を捨てることなく命終るまでつとめよ。 一生のあいだ行ずることは、 すこしく苦しみのようであるけれども、 この世の命終わって後、 ただちに浄土に生れて、 とこしえにいつも変らぬさとりの楽しみを受け、 ついに成仏して、 もはや迷いを受けないのである。 なんと楽しいことではないか。 知るべきである。
日没讃
【7】 
第一につつしみて『大経』(上)に釈迦仏、阿弥陀仏の十二光の名を礼讃して往生を求願せよと勧めたまふによりて、一十九拝、日没の時に当りて礼す。中・下の懺悔を取るもまた得たり。  
第一に謹んで «大経» に釈迦仏が、 阿弥陀仏の十二光のみ名を礼拝し讃嘆して、 往生を願えと勧められるのによって、 十九拝をもって日没の時に礼拝する。 中の懺悔 (略の懺悔) や下の懺悔 (広の懺悔) をしてもよい。
【8】 
釈迦牟尼仏等の一切の三宝に南無したてまつる。われいま稽首して礼し、回して無量寿国に往生せんと願ず。
[この一仏(釈尊)は現にこれ今時道俗等の師なり。「三宝」といふはすなはちこれ福田無量なり。もしよくこれを礼すること一拝すれば、すなはちこれ師恩を念報して、もつておのが行を成ず。この一行をもつて回して往生を願ず。]
十方三世の尽虚空遍法界の微塵刹土中の一切の三宝に南無したてまつる。われいま稽首して礼し、回して無量寿国に往生せんと願ず。
[しかるに十方虚空無辺にして、三宝無尽なり。もし礼すること一拝すれば、すなはちこれ福田無量なり、功徳無窮なり。よく心を至してこれを礼すること一拝すれば、一々の仏の上、一々の法の上、一々の菩薩・聖僧の上、一々の舎利の上に、みな身口意業に解脱分の善根を得、来りて行者を資益し、もつておのが業を成ず。この一行をもつて回して往生を願ず。] 
釈迦牟尼仏などの一切の三宝に南無したてまつる。 わたしはいま礼拝して、 阿弥陀仏の浄土に往生することを願う。
この一仏 (釈尊) は、 現にこれ、 いまのときの僧俗たちの教主である。 *三宝さんぼうというのは、 すなわち善根功徳を生ずる無量の*福田ふくでんである。 もし、 これをよく礼して一拝するならば、 すなわちこれは師恩を念報することになり、 もっておのが行を成ずる。 この一行をもって往生を願うのである。
十方三世の虚空を尽し、 法界にあまねき微塵の国土の一切の三宝に南無したてまつる。 わたしはいま礼拝して、 阿弥陀仏の浄土に往生することを願う。
ところで、 十方の虚空はほとりなく、 三宝の数も尽しがたい。 もしこれを礼拝すること一拝するならば、 善根を生ずる無量の福田であり、 得るところの功徳もまた際限きわまりがない。 よく心からこれを礼拝すること一拝すれば、 一々の仏において、 一々の法において、 一々の菩薩・聖僧において、 一々の仏舎利において、 みな身口意の三業に、 さとりをひらく善根を得ることができ、 行者を利益し、 もってその人の行業を成ずる。この一行をもって往生することを願うのである。
【9】
西方極楽世界の阿弥陀仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。 [問ひていはく、なんがゆゑぞ阿弥陀と号けたてまつる。答へていはく、『弥陀経』および『観経』にのたまはく、「かの仏の光明は無量にして十方国を照らすに障礙するところなし。
ただ念仏の衆生を観そなはして、摂取して捨てたまはざるがゆゑに阿弥陀と名づけたてまつる。
かの仏の寿命およびその人民も無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づけたてまつる」と。また釈迦仏および十方の仏、弥陀の光明に十二種の名あることを讃歎し、あまねく衆生を勧めたまへり。称名し礼拝し相続して断えざれば、現世に無量の功徳を得、命終の後さだめて往生を得。『無量寿経』(上・意)に説きてのたまふがごとし。「それ衆生ありてこの光に遇ふものは、三垢消滅して身意柔軟なり。歓喜踊躍して善心生ず。もし三塗勤苦の処にありて、この光明を見たてまつれば、また苦悩なし。寿終りて後みな解脱を蒙る。無量寿仏の光明顕赫にして十方を照耀して、諸仏の国土は聞えざるはなし。ただわれのみいまその光明を称するにあらず、一切諸仏、声聞、縁覚、もろもろの菩薩衆ことごとくともに歎誉したまふこと、またかくのごとし。もし衆生ありて、その光明の威神功徳を聞きて、日夜に:称説して、心を至して断えざれば、その所願に随ひてその国に生ずることを得。つねにもろもろの菩薩、声聞の衆のためにともに歎誉してその功徳を称せらる。仏(釈尊)のたまはく、〈われ、無量寿仏の光明の威神巍々殊妙なるを説かんに、昼夜一劫すとも、なほ尽すことあたはず〉」と。もろもろの行者にまうす。まさに知るべし、弥陀の身相・光明は、釈迦如来一劫に説きたまふとも、尽すことあたはざるものなり。『観経』にのたまふがごとし。「一々の光明あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず」と。いますでに『観経』にかくのごとき不思議増上の勝縁ありて、行者を摂護したまふ。なんぞ相続して称・観・礼・念して往生を願ぜざらんや、知るべし。] 
西方極楽世界の阿弥陀仏に南無したてまつる。
願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
それゆえにわたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
問うていう。 どういうわけで阿弥陀と申しあげるのか。
答えていう。 «阿弥陀経» および «観経» に説かれてある。 「かの仏の光明は量りなく、 十方の国々を照らして礙げられるところがない。 ただ念仏の衆生だけをみそなわして摂め取って捨てたまわぬから、 阿弥陀仏と名づけたてまつる。 かの仏の寿命は、 その往生人の寿命と共に無量無辺阿僧祇劫である。 それゆえ阿弥陀仏と名づけたてまつる。」
また、 釈尊および十方諸仏が、 阿弥陀仏の光明に十二種の功徳のみ名があることを讃嘆して、 人々に、 称名礼拝を相続して断えないならば現世にはかりしれぬ功徳を得、 命終った後にはまちがいなく往生することができるであろうと勧めていられる。
«無量寿経» に説かれている通りである。 「¬それ、 人々の中で、 この光に遇うものは、 *三毒さんどくの煩悩が消え去って、 身心ともに和やわらぎ、 歓喜満ちみちて、 善心がおのずから生ずるであろう。 また、 もし*三さん塗ずの苦悩の中にあっても、 この光明を拝むならば、 再び苦しみ悩むことなく、 命終の後にはことごとく迷いを離れることができよう。 無量寿仏の光明は、 あかあかとして十方の世界に輝きわたり、 その名声の聞こえぬところはない。 ひとりわたしが今その光明をたたえるばかりでなく、 すべての仏たちも、 声聞・縁覚やもろもろの菩薩たちも、 みなともにこの通り讃嘆されるのである。 もしその光明のはかり知られない功徳を聞いて、 日夜それをほめたたえ、 至心まごころこめて相続するものは、 願いのままに浄土に往生することができて、 つねに多くの菩薩や声聞たちにその功徳をほめたたえられるであろう。¼ 世尊が仰せられる。 ¬まことに無量寿仏の光明の気高く尊いことは、 わたしが一劫のあいだ昼夜説きつづけても、 なお説き尽すことができぬくらいである。¼」
もろもろの行者に告げる。 阿弥陀仏の身相おすがたの光明は、 釈迦如来が一劫のあいだ説き述べても説き尽すことができないものと知らねばならぬ。 «観経» に 「一々の光明があまねく十方世界を照らし、 念仏の衆生を摂め取って捨てたまわない」 と説かれてある通りである。 今、 すでに «観経» には、 このような不思議のすぐれた力があって、 行者を摂め護ってくださることが示されてあるのだから、 どうして相続して称名し観察し礼拝し憶念して往生を願わないでおられようか。 よく知るべきである。
【10】
西方極楽世界の無量光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の無辺光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の無礙光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の無対光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の炎王光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の清浄光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の歓喜光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の智慧光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の不断光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の難思光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の無称光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の超日月光仏に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の無量光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の無辺光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の無礙光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の無対光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の炎王光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の清浄光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の歓喜光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の智慧光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の不断光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の難思光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の無称光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の超日月光仏に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる 
 

 

【11】 
西方極楽世界の阿弥陀仏に南無したてまつる。
われを哀愍して覆護し、法種をして増長せしめたまへ。此世および後生に、願はくは仏つねに摂受したまへ。願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の観世音菩薩に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。
西方極楽世界の大勢至菩薩に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。 [この二菩薩は一切衆生の命終の時に臨みて、ともに華台を持して行者に授与し、阿弥陀仏は大光明を放ちて、行者の身を照らしたまふ。また無数の化仏・菩薩・声聞大衆等と一時に授手して、弾指のあひだのごとくにすなはち往生を得。仏恩を報ぜんがためのゆゑに、心を至してこれを礼すること一拝す。]
西方極楽世界のもろもろの菩薩・清浄大海衆に南無したてまつる。
願はくは衆生とともにことごとく帰命せん。ゆゑにわれ頂礼してかの国に生ぜん。 [これらのもろもろの菩薩、また仏(阿弥陀仏)に随ひ来りて、行者を迎接したまふ。恩を報ぜんがためのゆゑに、心を至してこれを礼すること一拝す。] 
西方極楽世界の阿弥陀仏に南無したてまつる
 わたしを哀れみ護って
 菩提心を育て
 この世も 後の世も
 願わくは仏つねに摂めとりたまえ
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の観世音菩薩に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
西方極楽世界の大勢至菩薩に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
この二菩薩は、 あらゆる人々の命終の時に、 ともに蓮台を持って行者に授ける。 阿弥陀仏は大光明を放って行者の身を照らされる。 また無数の化仏・菩薩や声聞大衆たちと一緒に手を授けられて、 指を弾く程の間に、 すなわち浄土に往生することができる。 仏恩を報ずるために、 心からこれを礼拝すること一拝するのである。
西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆に南無したてまつる
 願わくは人々と共にことごとく帰依しよう
 それ故わたしは頂礼してかの国の往生を願いたてまつる
これらのもろもろの菩薩がたも、 また阿弥陀仏に従って来て、 行者を迎えとってくださる。 報恩のために心から礼拝すること一拝するのである。
【12】
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を断除して、同じく阿弥陀仏国に往生することを得んがために、帰命し懺悔したてまつる。
心を至して懺悔す。
十方の仏に南無し懺悔したてまつる。願はくは一切のもろもろの罪根を滅したまへ。いま久近に修するところの善をもつて、回して自他安楽の因となす。つねに願はくは一切臨終の時、勝縁・勝境ことごとく現前せん。願はくは弥陀大悲主、観音・勢至・十方尊を覩たてまつらん。仰ぎ願はくは神光授手を蒙りて、仏の本願に乗じてかの国に生ぜん。
懺悔し回向し発願しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。  
あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懺悔したてまつる。
心から懺悔したてまつる。
十方の仏がたに帰依し懺悔したてまつる
願わくは もろもろの罪を滅ぼしたまわんことを
いま 以前より修めた善根をもって
ふりむけて自分や他人の安楽浄土に生れる因たねとする
つねに願わくは一切の人の命終の時に
すぐれた因縁すぐれた境界が悉く眼前に現れんことを
願わくは阿弥陀仏の大悲主
観音・勢至の二菩薩や十方の諸仏を見たてまつらんことを
仰ぎ願わくは不可思議の光明に照らされみ手を授けられて
阿弥陀仏の本願によってかの浄土に往生せんことを
懺悔し回向し発願しおわって心から阿弥陀仏に帰依したてまつる。
【13】  
次に梵をなし、偈を説きて発願せよ。[『宝性論』に出でたり。]
「礼懺のもろもろの功徳をもつて、願はくは命終の時に臨みて、無量寿仏の無辺の功徳身を見たてまつらん。われおよび余の信者、すでにかの仏を見たてまつりをはりて、願はくは離垢の眼を得、安楽国に往生して、無上菩提を成ぜん」と。 
次に讃歌をとなえ、 偈を作って発願する。 «究竟一乗宝性論» に出ている
礼拝・懺悔のすべての功徳をもって
願わくは命終の時に
無量寿仏のはかりなき
功徳の御身を見たてまつらんことを
われおよび他の信者たちはともに
かの仏を見たてまつりおわり
願わくは煩悩を離れた智慧の眼をえて
安楽世界に往生し
無上のさとりを成就せんことを
【14】 
礼懺しをはりて一切恭敬す。
仏の菩提を得たまふに帰す。道心つねに退せざらん。
願はくはもろもろの衆生とともに回して無量寿国に往生せんと願ず。
法の薩婆若に帰す。大総持門を得ん。
願はくはもろもろの衆生とともに回して無量寿国に往生せんと願ず。
僧の諍論を息むるに帰す。同じく和合海に入らん。
願はくはもろもろの衆生とともに回して無量寿国に往生せんと願ず。  願はくはもろもろの衆生、三業清浄にして、仏教を奉持し一切の賢聖を和南せん。  願はくはもろもろの衆生とともに回して無量寿国に往生せんと願ず。 
礼拝し懺悔しおわって、 すべての三宝を恭敬したてまつる。
 菩提を得られた仏に帰依して
 仏道を求める心がつねに退転しないようにしよう
願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる
 一切智の方に帰依して
 涅槃さとりに入る智慧の門を得しよう
願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる
 諍いのない僧に帰依して
 同じく和合のなかまに入ろう
願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる
願わくは もろもろの人々が身口意の三業を清浄にして仏教を持たもち一切の賢聖がたを敬礼せんことを
願わくは もろもろの人々と共に阿弥陀仏の浄土に往生することを願いたてまつる
■無常偈
【15】  
もろもろの衆等聴け。日没の無常の偈を説かん。
人間怱々として衆務を営み、年命の日夜に去ることを覚えず。灯の風中にありて滅すること期しがたきがごとし。忙々たる六道に定趣なし。いまだ解脱して苦海を出づることを得ず。いかんが安然として驚懼せざらん。おのおの聞け。強健有力の時、自策自励して常住を求めよ。
もろもろの人々よ聴け
いま日没の無常偈を説こう
人間はいそがしくいろいろな務めにかかわって
いのちの日夜に去ることを知らぬ
あたかも風中の灯がいつ消えるとも期しがたいがようである
いそがしく六道を経めぐってさだまれる所がない
いまだに解脱して苦海を出ることができない
どうして安閑としていて驚かずにおられようか
おのおの聞かれよ 強健すこやかにして力ある時に
自らつとめ自ら励んでさとりを求めよ 
 

 

【16】  
この偈を説きをはりて、さらにまさに心口に発願すべし。
願はくは弟子等、命終の時に臨みて心顛倒せず、心錯乱せず、心失念せず、身心もろもろの苦痛なく、身心快楽なること禅定に入れるがごとくして、聖衆現前し、仏の本願に乗じて阿弥陀仏国に上品往生せん。 かの国に到りをはりて、六神通を得て十方界に入りて、苦の衆生を救摂せん。虚空法界尽きんや、わが願もまたかくのごとくならん。発願しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。  
この偈を説きおわって、 さらに口に述べ心に念じて発願せよ。
願わくは、 われら弟子たち、 命が終ろうとする時、 心顛倒せず、 心錯乱せず、 心失念せず、 身心にいろいろの苦しみなく、 そのたのしみは禅定に入るがようで、 聖衆がたが前に現れ、 如来の本願力によって、 阿弥陀仏の浄土に上品の往生をとげよう。 その浄土に往生し終って、 六種の神通を得て十方の迷いの世界に入り、 苦しみの衆生を救おう。 虚空あらゆる法界せかいの迷いの衆生が尽きるならば、 わたしの願いも尽きるであろう。 発願しおわって心から阿弥陀仏に帰依したてまつる。
【17】  
初夜の偈にのたまはく(坐禅三昧経・意)、
「煩悩深くして底なく、生死の海無辺なり。苦を度する船いまだ立たず。いかんが睡眠を楽まん。勇猛に勤精進して、心を摂してつねに禅に在け」と。 
初夜の偈にいう。
煩悩は深くして底がなく
迷いの海はほとりがない
苦海をわたす船はいまだ立たないのに
どうして睡眠を楽しんでおられようか
勇猛につとめはげみ
心を摂めて いつも念仏三昧におけ
【18】  
中夜の偈にいはく(大智度論)、
「なんぢら臭き屍を抱きて臥することなかれ。種々の不浄をかりに人と名づく。重病を得、箭の体に入るがごとし。もろもろの苦痛集まる。いづくんぞ眠るべけん」と。 
中夜の偈にいう。
なんじらは臭い屍かばねのような身を持って臥していてはならぬ
いろいろな不浄の集まりを仮に人と名づける
重病を得たり また矢が体に入ったように
多くの苦痛が集まるのにどうして眠られようか
【19】  
後夜の偈にいはく、
時光遷りて流転し、たちまちに五更の初めに至る。無常念々に至り、つねに死王と居す。もろもろの行道のものを勧む。勤修して無余に至れ。 
後夜の偈にいう。
光のように時はうつり流れて
たちまち五更 (午前四時) のはじめに至る
無常は刻々に至り
つねに死王と共にいる
もろもろの行ずる者に勧める
勤め修めてさとりに至れ
【20】  
平旦の偈にのたまはく(僧祇律・意)、
「寂滅の楽を求めんと欲せば、まさに沙門の法を学すべし。衣食は身命を支ふ。精粗、衆に随ひて得よ。
もろもろの衆等、今日晨朝におのおの六念を誦せよ」と。
平旦 (晨朝) の偈にいう。
さとりの楽しみを求めようと思うならば
沙門の法を学ばねばならない
衣・食は身命を支えるものだから
よいものでも そまつなものでも人より与えられるままにしたがえ
もろもろの人々は、 今日の晨朝において、 おのおの六念をとなえよ。 
 

 

【21】  
日中の偈にのたまはく(六方礼経・意)、
「人生れて精進せずは、たとへば樹に根なきがごとし。華を採りて日中に置くに、よくいくばくの時か鮮やかなることを得ん。人の命もまたかくのごとし。無常は須臾のあひだなり。もろもろの行道の衆を勧む。勤修してすなはち真に至れ」と。 
日中の偈にいう。
人が生れて仏道を修めないならば
あたかも木に根がないようである
花をとって日中におくならば
よくどれほどの時か鮮かであることができようか
人の命もまたこのようである
無常はたちまちの間にある
もろもろの道を修める人たちに勧める
勤め修めてついにさとりに至れよ
初夜讃
【22】 
第二に沙門善導、つつしみて『大経』によりて要文を採集して、もつて 礼讃の偈となす。二十四拝、初夜の時に当りて礼す。懺悔は前後に同じ。  
第二に沙門善導、 謹んで «大無量寿経» によって、 肝要な御文を集めて礼讃偈とし、 二十四拝をもって初夜の時に礼拝する。 懺悔は前後に述べるところと同じ。
■大経礼讃
【23】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
弥陀の智願海は、深広にして涯底なし。名を聞きて往生せんと欲すれば、みなことごとくかの国に到る。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
この世界のなかにおいて、六十有七億の不退のもろもろの菩薩あり。みなまさにかしこに生ずることを得べし。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
小行のもろもろの菩薩、および少福を修するもの、その数計るべからず。みなまさにかしこに生ずることを得べし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
十方仏刹のなかの菩薩・比丘衆は、劫を窮むるも計るべからず。みなまさにかしこに生ずることを得べし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
一切のもろもろの菩薩、おのおの天の妙華、宝香、無価衣を齎ちて弥陀仏を供養したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
咸然として天楽を奏し、和雅の音を暢発して、
最勝の尊を歌歎して、弥陀仏を供養したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
慧日世間を照らして、生死の雲を消除す。恭敬して繞ること三匝して、弥陀尊を稽首したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
かの厳浄土の微妙にして思議しがたきを見て、よりて無上心を発す。願はくはわが国もまたしからんと。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
時に応じて無量尊(阿弥陀仏)、容を動かし欣笑を発し、口より無数の光を出して、あまねく十方の国を照らしたまふ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
光を回らし身を囲繞すること、三匝して頂より入る。一切の天・人衆、踊躍してみな歓喜す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
梵声は雷震のごとく、八音妙響を暢ぶ。十方より来れる正士、われことごとくかの願を知れり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
かの厳浄国に至れば、すなはちすみやかに神通を得て、かならず無量尊(阿弥陀仏)において、記を受けて等覚を成ず。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
億の如来に奉事し、飛化して諸刹に遍し、恭敬し歓喜して去り、還りて安養国に到る。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
もし人善本なければ、仏の名を聞くことを得ず。驕慢と弊と懈怠とは、もつてこの法を信ずること難し。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
宿世に諸仏を見たてまつりしものは、すなはちよくこの事を信ず。謙敬に聞きて奉行し、踊躍して大きに歓喜す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 阿弥陀仏の智慧の誓願海は
 深く広くして涯もなく底もない
 名号を聞いて往生を願えば
 みなことごとくかの国に至る
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 この娑婆世界の中には
 六十七億の
 不退のもろもろの菩薩がたがあって
 みなまさに浄土に往生することができよう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 行の劣った菩薩たちや
 わずかな功徳を修めた人々は
 数えきれないほどいるが
 いずれもみなまさにかの国に往生を得るであろう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 十方にある仏国の
 菩薩や比丘たちの数は
 一劫をついやしても数え尽すことができないが
 いずれもみなかの国に往生を得るであろう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 あらゆるもろもろの菩薩がたは
 それぞれ清浄にして妙なる華や
 宝香や価あたいの知れぬ衣きぬを捧げて
 阿弥陀仏を供養したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 みな同じように清浄の音楽をかなで
 みやびやかで調和のとれた音を出して
 最勝の仏を歌歎したてまつり
 阿弥陀仏を供養したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 「智慧は日輪のごとく世間の闇をてらし
 迷いの雲を除き去る」 とたたえ
 敬って回ること三帀し
 阿弥陀仏を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの厳かな浄土の
 微妙ではかりがたい相ありさまを身たてまつることによって
 菩薩がたはこの上ない心をおこし
 わが国もまたそうありたいと願う
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 その時にあたって阿弥陀仏は
 欣よろこびのお姿をあらわして微笑みを起し
 お口より無数の光りを出して
 あまねく十方の国を照らされる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 その光は回かえって仏の御身をめぐり
 三帀して頂に入る
 すべての天人たちは
 こおどりして皆喜ぶ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 弥陀如来の浄らかなみ声は雷震いかずちのようで
 八徳をそなえた音声は妙なる響きを立てて
 「十方より集まった菩薩たちの
 かれらの願いをわたしは悉く知っている」 とのべられる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの浄土に至るならば
 速やかに神通力を得て
 かならず阿弥陀仏から
 記別を授けられてさとりをひらく
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 多くの如来につかえんがために
 あまねく諸仏の国に行って
 これを敬い歓喜して去り
 また安養の浄土に帰る
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 もし人宿世の善根がなかったならば
 仏のみ名を聞くことができない
 憍慢と邪見と懈怠のものは
 このみ法を信ずることがむずかしい
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 宿世に諸仏を見たてまつったものは
 よくこの法を信じ
 謙敬にこの法を聞いて行じ
 踊躍して大いに喜ぶ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【24】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
それかの弥陀仏の名号を聞くことを得ることありて、歓喜して一念に至るまで、みなまさにかしこに生ずることを得べし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
たとひ大千に満てらん火をも、ただちに過ぎて仏の名を聞け。名を聞きて歓喜して讃ずれば、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
万年にして三宝滅せんに、この『経』(大経)住すること百年せん。その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
仏世にははなはだ値ひがたく、人信慧あること難し。たまたま希有の法を聞く、これまたもつとも難しとなす。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの阿弥陀仏の
 名号のいわれを聞いて
 歓喜してわずか一声するものまで
 皆まさにかの国に往生することができよう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 たとい大千世界に満ちみちる火の中も
 ひるまず過ぎ行ゆいて仏のみ名を聞け
 み名を聞いて喜び讃えるならば
 皆まさにかの国に往生することができよう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 末法万年の後ほかの教が滅しても
 この経だけはいつまでもとどまるであろう
 そのとき名号を聞いて僅か一声する者まで
 皆まさにかの国に往生することができよう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 仏の出世には甚だ値あいがたく
 人が信心の智慧を得ることもむずかしい
 たまたますぐれた尊い法を聞くことは
 これまた最もむずかしい
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 みずから信じそして人に教えることは
 難しい中に更に難しい
 あまねく大悲を伝えて人を化益することが
 まことに仏恩を報ずることである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【25】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
われを哀愍して覆護し、法種をして増長せしめたまへ。
此世および後生に、願はくは仏つねに摂受したまへ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の観世音菩薩を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の大勢至菩薩を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の諸菩薩・清浄大海衆を礼した てまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 わたしを哀れみ護って
 菩提心を育て
 この世も後の世も
 願わくは仏つねに摂めとりたまえ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう 
 

 

【26】 
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を断除して、同じ く阿弥陀仏国に往生することを得んがために、帰命し懺悔したてまつる。  
あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懺悔したてまつる 。
中夜讃
【27】 
第三につつしみて龍樹菩薩の願往生礼讃の偈(十二礼)によりて、一十 六拝、中夜の時に当りて礼す。懺悔は前後に同じ。 
第三に謹んで龍樹菩薩の往生を願う礼讃偈によって、 十六拝をもって中夜の時に礼拝する。 懺悔は前後に述べるところと同様である。
■十二礼
【28】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
天・人に恭敬せられたまふ、阿弥陀仙両足尊を稽首したてまつる。
かの微妙の安楽国にましまして、無量の仏子衆に囲繞せられたまへり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
金色の身浄くして山王のごとし。奢摩他の行は象の歩むがごとし。両目の浄きこと青蓮華のごとし。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
面よく円浄なること満月のごとし。威光はなほ千の日月のごとし。声は天鼓と倶翅羅のごとし。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
観音頂戴の冠中に住したまふ。種々の妙相宝をもつて荘厳せり。よく外道と魔との驕慢を伏す。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
無比・無垢にして広く清浄なり。衆徳皎潔なること虚空のごとし。所作の利益に自在を得たまへり。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
十方に名の聞ゆる菩薩衆、無量の諸魔つねに讃歎す。もろもろの衆生のために願力をもつて住したまふ。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
金を底とし宝間はりたる池に生ぜる華、善根の成ぜるところの妙台座なり。かの座の上において山王のごとし。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
十方より来れるところのもろもろの仏子、神通を顕現して安楽に至り、尊顔を瞻仰してつねに恭敬す。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
諸有は無常・無我等なり。また水月・電・影・露のごとし。衆のために法に名字なきことを説きたまふ。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
かの尊の仏刹には悪の名なし。また女人と悪道との怖れなし。衆人、心を至してかの尊を敬ひたてまつる。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
かの尊の無量方便の境には、諸趣と悪知識とあることなし。往生すれば退せずして菩提に至る。ゆゑにわれ弥陀尊を頂礼したてまつる。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
われかの尊の功徳の事を説けり。衆善無辺にして海水のごとし。獲るところの善根清浄なるもの、衆生に回施してかの国に生ぜん。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 浄土の聖衆たちに恭敬せられたもう
 阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの清浄にして妙なる安楽国におわしまして
 多くの菩薩たちにかこまれたもう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 金色の御身は浄らかで須弥山のようであり
 *奢しゃ摩他またの行は象の歩みのごとく
 御目の浄らかなことは青蓮華のようである
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 浄くうるわしきかんばせは満月のごとく
 けだかき光は なお千の日月のようであり
 み声は天鼓や*倶翅くし羅らのようである
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 観音のいただく冠の中にとどまりたまい
 種々のたえなる宝でかざられている
 よく外道や悪魔の憍慢を降伏させる
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 けがれなく広大清浄なることはたぐいなく
 おおくの徳があきらかでいさぎよいことは虚空のようである
 すべてのものを利益されるはたらきは自在を得たもう
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 十方の世界の名のきこえた菩薩たちや
 数知れぬ魔王もつねにほめたたえる
 衆生済度のために弥陀は願力をもって住とどまりたもう
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 金沙を底とし宝をまじえた池に生じた蓮華は
 きよき善根によって成る妙なる台座である
 その座上に須弥山のように坐したもう
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 十方より集まる菩薩たちは
 神通をもって安楽国に到り
 尊顔を仰ぎみて常に恭敬する
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 「あらゆるものの常なく我の体がないことは
 水にうつる月影や露・電いなずまのようである」 と
 衆のために諸法の*空くうなることをときたもう
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの仏の浄土には悪の名さえもなく
 また女人・悪道の怖れもない
 すべての人は心からかの仏を敬いたてまつる
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの阿弥陀仏のはかりなき自利利他成就の浄土には
 もろもろの迷いの境界や悪知識はない
 往生して不退に入り仏のさとりに至る
 それ故わたしは阿弥陀仏を頂礼したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 わたしはいま阿弥陀仏の功徳を説きたてまつる
 多くの善根の無辺にましますことは海水のようである
 みずから得たこの清浄の善根を
 衆生にも知らせて共にかの国に往生しよう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【29】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
われを哀愍して覆護し、法種をして増長せしめたまへ。此世および後生に、願はくは仏つねに摂受したまへ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の観世音菩薩を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の大勢至菩薩を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の諸菩薩・清浄大海衆を礼した てまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 わたしを哀れみ護って
 菩提心を育て
 この世も 後の世も
 願わくは仏つねに摂めとりたまえ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【30】 
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を断除して、同じ く阿弥陀仏国に往生することを得んがために、帰命し懺悔したてまつる。  心を至して懺悔す。
無始に身を受けてよりこのかた、つねに十悪をもつて衆生に加ふ。父母に孝せず三宝を謗り、五逆・不善業を造作す。この衆罪の因縁をもつてのゆゑに、妄想顛倒して纏縛を生じ、無量の生死の苦を受くべし。頂礼し懺悔したてまつる。願はくは滅除せしめたまへ。
懺悔しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。  心を至して勧請す。
諸仏大慈無上尊、つねに空慧をもつて三界を照らしたまふ。衆生盲冥にして覚知せず。永く生死の大苦海に没す。群生を抜きて諸苦を離れしめんがために、勧請したてまつる。つねに住して法輪を転じたまへ。
勧請しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。  心を至して随喜す。
歴劫よりこのかた懐ける嫉妬、我慢、放逸は痴によりて生ず。つねに瞋恚毒害の火をもつて、智慧・慈・善根を焚焼す。今日思惟しはじめて惺悟して、大精進随喜の心を発す。
随喜しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。  心を至して回向す。
三界のうちに流浪して、痴愛をもつて胎獄に入る。生じをはりて老死に帰し、苦海に沈没す。われいまこの福を修して、回して安楽土に生ぜん。
回向しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。  心を至して発願す。
願はくは胎蔵の形を捨てて、安楽国に往生し、すみやかに弥陀仏の無辺功徳の身を見たてまつり、つつしみてもろもろの如来を覲たてまつらん。賢聖もまたしかなり。六神通力を獲て、苦の衆生を救摂せん。
虚空法界尽きんや。わが願もまたかくのごとくならん。
発願しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。[余はことごとく 上の法に同じ。]
あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懺悔したてまつる
心から懺悔したてまつる
 始めもわからぬときに身を受けてよりこのかた
 つねに十悪をもって他の衆生に加え
 父母に孝養を尽さず三宝を謗り
 五逆の不善業をつくった
 この多くの罪の因縁によって
 妄想顛倒してまよいに縛られ
 まさに量りなき生死まよいの苦しみを受けるであろう
 うやうやしく頂礼懺悔して罪の除かれることを願う
懺悔し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる
心から勧請したてまつる
 大慈非無上尊である諸仏がたは
 つねに諸法の空なることをさとりたもう智慧をもって三界を照らされる
 衆生は心が冥くらくてこれらを覚さとらず
 とこしえに迷いの大苦海にしずむ
 この群生の迷いのもろもろの苦しみを離れさせるために
 如来を勧請したてまつり いつまでも住とどまりて法を説かれることを願う
勧請し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる
心から随喜したてまつる
 無始よりこのかた懐いている嫉妬や
 我慢・放逸は愚痴より生ずる
 いつも瞋恚いかりの毒害の火をもって
 智慧・慈悲の善根を焼いて来た
 今日 思惟して始めてこの事をさとり知った
 大いに精進して随喜の心をおこす
随喜し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる
心から回向したてまつる
 三界の中うちにさまようて
 痴愛をもって迷いの母体にやどり
 生れては遂に老死に帰し
 生死まよいの苦海に沈む
 わたしは今この福徳を修め
 これをもって安楽浄土に往生しよう
回向し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる
心から発願したてまつる
 願わくは迷いの身を捨てて
 安楽国に往生し
 すみやかにきわみなき功徳の
 阿弥陀仏の御身を見たてまつり
 また十方の諸仏如来につかえ
 賢聖がたもまた見たてまつり
 六神通の力を得て
 苦しみの衆生を済度し
 十方法界の衆生が尽きるまで
 わが願いをもちつづけたい
発願し終って心から阿弥陀仏を礼拝したてまつる
その他は悉く上の作法と同じ。  
 

 

後夜讃
【31】 
第四につつしみて天親菩薩の願往生礼讃の偈(浄土論)によりて、二十 拝、後夜の時に当りて礼す。懺悔は前後に同じ。  
第四に謹んで天親菩薩の往生を願う礼讃偈によって、 二十拝をもって後夜の時に礼拝する。 懺悔は前後に述べるところと同じ。
■願生偈
【32】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、仏教と相応せん。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
正道の大慈悲、出世の善根より生ず。
浄光明の満足せること、鏡と日月輪とのごとし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
もろもろの珍宝の性を備へて、妙荘厳を具足せり。無垢の光焔熾りにして、明浄にして世間を曜かす。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
宝華千万種にして、池・流・泉に弥覆せり。微風華葉を動かすに、交錯して光乱転す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
宮殿・もろもろの楼閣にして、十方を観ること無礙なり。雑樹に異の光色あり、宝欄あまねく囲繞せり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
無量の宝交絡して、羅網虚空にあまねし。種々の鈴響きを発して、妙法の音を宣べ吐く。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
梵音悟らしむること深遠にして微妙なり。十方に聞ゆ。正覚の阿弥陀法王、よく住持したまへり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
如来浄華の衆は、正覚の華より化生す。仏法の味はひを愛楽し、禅三昧を食となす。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
永く身心の悩みを離れ、楽しみを受くることつねにして間なし。大乗善根の界は、等しくして譏嫌の名なし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
女人および根欠、二乗の種生ぜず。衆生の願楽するところ、一切よく満足す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
無量大宝王の微妙の浄華台あり。相好の光一尋にして、色像群生に超えたまへり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
天・人不動の衆、清浄の智海より生ず。〔如来は〕須弥山王のごとく、勝妙にして過ぎたるものなし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
天・人・丈夫の衆、恭敬して繞りて瞻仰したてまつる。天の楽と華と衣と妙香等とを雨らして供養したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
安楽国は清浄にして、つねに無垢の輪を転ず。一念および一時に、もろもろの群生を利益す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
仏のもろもろの功徳を讃ずるに、分別の心あることなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 世尊よ わたしは一心に
 十方世界にゆきわたって
 自在に救いたもう阿弥陀如来を信じ
 仏の教と相応しよう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの世界のありさまを観ずるに
 この三界の因果に超えすぐれている
 なにものにもさえぎられないことは虚空のごとく
 広大であってきわほとりがない
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 法性に契った智慧と慈悲
 この無漏の善根によって成就されている
 浄らかな光明をそなえていることは
 鏡や日輪やまた月のようである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 法性に契かなったあらゆる宝からできていて
 すぐれた荘厳かざりを具えている
 煩悩の汚れをはなれた光が
 浄土のすべての飾りに輝いている
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 さまざまな宝の華が
 池や流れに咲き乱れて
 そよ風は花びらをゆるがせ
 光が乱れ交わってきらきらと輝いている
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 宮殿楼閣において十方の世界を眺め
 さえぎられる事がない
 いろいろな宝の樹にそれぞれ異なった光があり
 また宝の欄干がひろくめぐらされている
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 多くの宝からできている網が
 あまねく虚空そらを覆っている
 さまざまの鈴が声をたてて
 妙なる法を説いている
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 清浄なる浄土の名は
 遠く十方世界に響いて人々を悟らせる
 正覚の阿弥陀法王によって
 よくおさめ持たもたれている
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 浄土の聖衆がたは
 阿弥陀如来の正覚の華の中より生れる
 法味の楽しみを受け
 禅三昧を食とする
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 とこしえに身の苦しみ心の悩みを離れて
 楽しみを受けることは常に絶間がない
 大乗の善根によって成就せされた如来の世界は
 平等一味であって嫌な謗りの名もない
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 女人および根欠や
 二乗のともがらがなく
 衆生の求めるところの
 すべての願いはよく満足せしめられる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 はかりしられぬ宝をもって飾られている
 微妙清浄なる華台を仏の坐とする
 円光の直径さしわたしは仏の一尋であって
 そのお相すがたはあらゆる者に超えている
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 大乗のさとりを開かれた方々は
 如来の清浄なる智海より生ずる
 如来は須弥山のごとくすぐれて
 これに超えるものがない
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 天人や菩薩などの浄土の聖衆は
 みな如来を尊敬し これを仰ぎみる
 清浄なる音楽・華・衣服
 妙なる香などをもって供養する
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 安楽国には清らかな如来の説法があり
 聖衆はまた十方に現れそれを休みなく説いている
 一念同時に
 あらゆる衆生を利益する
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 仏のもろもろお功徳をたたえるのに
 はからいの心がない
 よく速やかに海のごとき大きな功徳を
 満足させてくださる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【33】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
われを哀愍して覆護し、法種をして増長せしめたまへ。此世および後生に、願はくは仏つねに摂受したまへ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の観世音菩薩を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の大勢至菩薩を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の諸菩薩・清浄大海衆を礼した てまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 わたしを哀れみ護って
 菩提心を育て
 この世も 後の世も
 願わくは仏つねに摂めとりたまえ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の数多の菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【34】 
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を断除して、同じく阿弥陀仏国に往生することを得んがために、帰命し懺悔したてまつる。  
あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懺悔したてまつる
晨朝讃
【35】 
第五につつしみて彦j法師の願往生礼讃の偈によりて、二十一拝、旦起の時に当りて礼したてまつる。懺悔は前後に同じ。
第五に謹んで*彦jげんそう法師の往生を願う礼讃偈によって、 二十一拝をもって晨朝の時に礼拝する。 懺悔は前後に述べるところと同じ。 
 

 

■彦j礼讃
【36】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
法蔵の因いよいよ遠ければ、極楽の果また深し。異珍参はりて地をなし、衆宝間はりて林をなす。華は希有の色を開き、波は実相の音を揚ぐ。いかにしてかまさに授手を蒙りて、一たび往生の心を遂ぐべき。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
濁世に還り入るを難ひ、浄土の願いよいよ深し。金縄直くして道を界ひ、珠網縵くして林に垂る。色を見ればみな真色、音を聞けばことごとく法音なり。西方遠しといふことなかれ。ただ十念の心を須ゐよ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
すでに窮理の聖となりて、まことに遍空の威あり。西にありて時に小を現ずるは、ただこれしばらく機に随ふのみ。葉珠あひ映飾し、砂水ともに澄輝せり。無生の果を得んと欲せば、かの土にかならずすべからくよるべし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
五山の毫独り朗らかにして、宝手の印つねにあきらかなり。地・水ともに鏡となり、香華同じく雲となる。
業深ければ往きやすきことを成ず。因浅ければ実に聞きがたし。かならず望むらくは疑惑を除きて、超然として独り群がらざれ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
心は真慈を帯びて満ち、光は法界を含みて団かなり。無縁よく物を摂すれば、有相さだめて難きにあらず。華本心に随ひて変じ、宮移りて身おのづから安し。出世の境を聞くことを悕はば、すべからくともに禅に入りて看るべし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
回向やうやく功をなせば、西方の路やうやく通ず。宝幢厚地を承け、天香遠風に入る。開華重なりて水に布き、覆網細かくして空を分つ。願生なんぞ意切なる。まさしく楽の無窮なるがためなり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
当生の処を選ばんと欲せば、西方もつとも帰すべし。樹を間てて重閣を開き、道に満てて鮮衣を布く。香飯、心に随ひて至り、宝殿身を逐ひて飛ぶ。有縁はみな入ることを得。まさしくみづから往く人希なり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
十劫に道先になりて、界を厳りて群萌を引く。金砂水を徹して照り、玉葉枝に満ててあきらかなり。鳥は本珠のなかより出で、人はただ華の上に生ず。あへて請ふ西方の聖、いつかさだめてあひ迎へたまへ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
十方諸仏の国は、ことごとくこれ法王の家なり。ひとへに有縁の地を求めて、冀はくは早く邪なきを得ん。
八功如意の水、七宝自然の華、かしこに心よく係くれば、まさにかならず往くべし。はるかなるにあらず。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
浄国は衰変なし。一たび立して古今しかなり。光台には千宝を合し、音楽八風に宣ぶ。池には多し説法の鳥、空には満てり散華の天。生ずることを得れば退くことを畏れず。意に随ひてすでに蓮を開く。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
華に坐するは一像にあらず。聖衆また量りがたし。蓮開けて人独り処し、波生じて法おのづから揚ぐ。災なきは処の静かなるによる。退かざるは朋の良きためなり。かの前生の輩に問ふ。「ここに来りてよりいくばくの劫ばかりぞ」と。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
光舒べて毘舎を救ひ、空に立ちて韋提を引く。天来りて香蓋を捧げ、人去りて宝衣を齎す。六時に鳥の合するを聞く。四寸華を践みて低る。あひ看るに正しからざるはなし。あにまた長き迷ひあらんや。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
あまねく勧む、三福を弘めて、ことごとく五焼を滅せしむ。心を発して功すでに至れば、念を係くるに罪すなはち消ゆ。鳥華やかにして珠光転じ、風好ましくして楽声調ふ。ただ行道の易きことを欣ぶ。なんぞ聖果のはるかなるを愁へんや。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
珠色仍なりて水となる。金光すなはちこれ台なり。時に到りて華おのづから散じ、願に随ひて華また開く。
池に遊びてかはるがはる出没し、空を飛びてたがひに往来す。直心をもつてよくかしこに向かふ。あらゆる善併せてすべからく回すべし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
心を洗ふ甘露の水、目を悦ばしむる妙華の雲。同生の機識りやすく、等しき寿量分ちがたし。楽多くとも道を廃することなし。声遠くとも聞くを妨げず。いかんが五濁を貪りて、安然として火にみづから焚けん。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
台の裏に人天現れ、光のなかに侍者看ゆ。空に懸る四宝の閣、回に臨む七重の欄。疑多きは辺地に久し。徳少なきは上生難し。しばらく余願を論ずることなかれ。西方すでに心に安んず。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
六根つねに道に合し、三塗永く名を絶つ。念のあひだに遊方あまねくして、還る時に得忍成ず。地平らかにして極まりなく広し。風長にしてこの処清し。言を有心の輩に寄す。ともにもつぱら苦なる城を出でよ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 法蔵の因はいよいよ遠く
 極楽の果もまた深い
 珍しい宝がいり交わって地面となり
 多くの宝を交えて林とする
 華は開いてすぐれた色をあらわし
 波は実相の声を揚げている
 いずれの時か仏の授手をこうむって
 もっぱら往生の願いを遂げることができようか
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 濁った世には還り入ることをこのまず
 浄土往生の願いはいよいよ深い
 金の縄が真直ぐに道をさかいし
 珠をちりばめた網がゆるく林に垂れている
 その色を見ればみな汚れを離れた色であり
 音を聞けば悉くみな法を説く声である
 西方浄土は遠いと言ってはならぬ
 ただ十念の心をおこせよ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 すでに真如の理をきわめた仏となられて
 まことに虚空にあまねき威徳を持っていられる
 西方に在って小を示現するのは
 ただこれ暫く根機に随うからである
 葉と珠と互いに映り合い
 砂も水も共に澄みとおって輝く
 無生さとりの果を得ようと思うならば
 必ずかの土に依らねばならぬ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 白毫は須弥山を五つ合わせたようにひときわあざやかで
 御手の印文もようはいつもあきらかである
 地も水も共に鏡のように透きとおり
 香と華と同じく雲となる
 業因が深ければ往生はしやすく
 宿因が浅ければ実に聞き難い
 必ず疑いを除いて
 超然として他の者と同じでないことを望む
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 心はまことの慈悲をもって満ち
 光はあまねく法界をおさめ
 無縁の慈悲はよく衆生を済度する
 有相の凡夫も定んで往生できぬのではない
 華はその心のままにあらわれ
 宮殿は移っても身は安らかである
 さとりの境界を知りたいと願うならば
 必ずみな禅定に入って見るべきである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 回向の功徳が漸く成れば
 西方浄土の路はやや通ずる
 宝幢は厚い浄土の地をうけて
 きよらかな香りは遠い風に乗る
 開いた華が重なって水に布き
 覆える網は細かく虚空を分つ
 切に浄土に生れようと願うのは
 まさしく浄土の楽がきわまりないためである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 まさに往生すべき処を選ぼうと思うならば
 西方浄土が最も帰すべきところである
 樹をへだてて重閣たかどのがひらき
 道の全体に鮮かな衣きぬをしく
 香ばしい食物は思いのままにあらわれ
 宝殿はその身を逐うて飛ぶ
 有縁の人はみな往生できるが
 まさしく往く人は希である
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 十劫の昔に正覚を成就せられ
 浄土を荘厳して十方の衆生を引く
 金こがねの砂は水をとおして照らし
 玉のように美しい葉は枝に満ちて光を放つ
 鳥は元来もともと 如意珠の中から出て
 人はただ華の上に生れる
 あえて請う 西方の聖者がたよ
 いつかまちがいなく迎えたまわんことを
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 十方諸仏の国は
 すべてこれ如来の浄土である
 ひとえに有縁のところを求めて
 こいねがわくは速やかに邪を離れんことを
 如意宝より出たる八功徳の水
 七宝の自然の華
 かしこに心をよく係けるならば
 必ずまさに往生できること遠くはない
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 浄土には衰変なく
 一たび成就して古今に変りがない
 光台は千の宝を合して成り
 音楽は八風に乗って法音を出す
 池には法を説く鳥が多くおり
 空には散華の天人が満ちている
 往生を得るならば退く畏れはなく
 心のままにすでに蓮華はちすが開く
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 華に坐すのは一仏の像ばかりではない
 聖衆の数もまた量り難い
 開いた蓮はちすに往生人は独りいる
 波がおこっておのずから法を説く
 災のないのは国土が涅槃の世界だからであり
 仏道を求めて後戻りしないのは朋良ともがよいからである
 かの先に生れた人たちに尋ねる
 「ここに来てから幾劫ほどでしょうか」 と
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 光明を放っては毘舎離国の人々を救い
 空中に立っては韋提を導く
 諸天人が来て香蓋を捧げ
 人は去きて また宝衣をもたらす
 昼夜六時たびに鳥の声の調和するのを聞き
 華の敷かれた地上を歩くと四寸ほどさがる
 看みるところの相ありさまは一として正しくないものはない
 どうしてまた長い迷いがあろうか
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 あまねく人に勧めて三福の行を弘め
 ことごとく五焼の苦を滅せしめる
 発心すればすでに功徳を成就し
 念ずると罪は消える
 美しい鳥は珠の光よりあらわれてさえずり
 風はよく楽声をととのえる
 ただ行道の易きをねがえ
 どうして浄土の果報が遥かであると憂えることがあろうか
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 宝珠の色はすなわちこれ水であり
 金光は空にかかって台うてなとなる
 時が来ると華がおのずから散り
 聖衆の願いに随ってまた華が開く
 池に遊んでは かわるがわるに出没し
 空を飛んでは互いに往き来している
 正直まことの心はよくかの国に向う
 もし善根があるならばあわせて浄土へふり向けよ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 心を甘露水に洗い
 目を妙華の雲に悦ばす
 同じく浄土に生れたものは識りやすく
 寿命は等しくて区別しがたい
 楽しみは多いが仏道を廃することがなく
 説法の声は遠くともよく聞くことができる
 どうして五濁の世をむさぼって
 平然として煩悩の火に自らを焚やいておられようか
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 台のうちには天人があらわれ
 光明の中には侍者がみられる
 空には四宝の閣たかどのがかかり
 七重の欄干きざはしがとりかこんでいる
 疑いの多い人は辺地に久しくとどまり
 功徳の少ないものは上品の往生がむずかしい
 かりそめにも他の願いをもってはならない
 西方にわが心をかけねばならぬ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 六根は常にさとりにそむかず
 三塗はとこしえにその名も絶えている
 一念の間にあまねく十方仏国に遊び
 かえる時には無生忍を得る
 地面は平かで極まりなく広く
 徳風はのどかにして この国土は清浄である
 心ある人々に告げる
 もろともにこの苦しみの境界を出よ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう  
【37】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
われを哀愍して覆護し、法種をして増長せしめたまへ。此世および後生に、願はくは仏つねに摂受したまへ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の観世音菩薩を礼したてまつる。
千輪、足の下にあきらかにして、五道光のなかに現ず。悲引つねに絶ゆることなければ、人の帰するもまたいまだ窮まらず。口に宣べてなほ定にあり。心静かにしてさらに通を飛ばす。名を聞きてみな往くことを願ぜよ。日にいくばくの華叢をか発く。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の大勢至菩薩を礼したてまつる。
慧力無上を標し、身光有縁を備ふ。もろもろの宝国を動揺して、一の金蓮に侍座す。鳥群、実の鳥にあらず。天類あに真の天ならんや。すべからく知るべし、妙楽を求めば、かならずこれ戒香を全くせよ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の諸菩薩・清浄大海衆を礼した てまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 わたしを哀れみ護って
 菩提心を育て
 この世も 後の世も
 願わくは仏つねに摂めとりたまえ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方極楽世界の観世音菩薩を礼拝したてまつる
 足のうらには千輻輪相があきらかで
 光明の中には五道のすがたが現れる
 衆生を済度することつねに絶えることなく
 人の帰依することもまた数えきれぬほどである
 口には法を説いてなお禅定にあり
 禅定にありながら十方にゆく
 そのみ名を聞いて皆往生を願え
 日々にどれほど多くの華が開くであろうか
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方極楽世界の大勢至菩薩を礼拝したてまつる
 智慧の力は無上をあらわし
 身の光は有縁の者をてらしまもる
 十方の宝国を動揺うごかし
 身は金蓮に坐して仏のそばに侍はべる
 鳥の群は実の鳥ではない
 天人の類はどうして実の天人であろうか
 よろしくこれを知って浄土の妙なる楽を求めよ
 そうすれば必ず戒を全うする
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の数多あまたの菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【38】 
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を断除して、同じ く阿弥陀仏国に往生することを得んがために、帰命し懺悔したてまつる。  
あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懺悔したてまつる
日中讃
【39】 
第六に沙門善導の願往生礼讃の偈、つつしみて〔観経の〕十六観によりて 二十拝を作る。日中の時に当りて礼す。懺悔は前後に同じ。 
第六は沙門善導の往生を願う礼讃偈。 謹んで «観無量寿経» に説かれた十六の観法に依って作ったもので、 二十拝をもって日中の時に礼拝する。 懺悔は前後に述べるところと同じ。
■観経礼讃
【40】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
かの弥陀の極楽界を観ずるに、広大寛平にして衆宝をもつて成ず。四十八願より荘厳起りて、もろもろの仏刹に超えてもつとも精たり。本国・他方の大海衆、劫を窮めて算数すとも名すら知らず。あまねく勧む、西に帰してかの会に同ぜよ。恒沙の三昧自然に成ず。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 かの阿弥陀仏の極楽世界を観るに
 広く平らかで多くの宝からできている
 四十八願によって荘厳されたので
 数多あまたの諸仏の国土に超えて最もすぐれている
 本国や他方仏国より集まる聖者たちは
 劫を尽して数えてもこれを知ることはできない
 普く勧める 西方に帰してかの大会の中に入らんことを
 無数の三昧が自然に成就するからである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう 
 

 

【41】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
地下の荘厳七宝の幢、無量無辺無数億なり。八方八面百宝をもつて成ず。かれを見れば無生自然に悟る。無生の宝国永く常たり。一々の宝無数の光を流す。行者心を傾けてつねに目に対して、神を騰げ踊躍して西方に入れ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
地上の荘厳うたた極まりなし。金縄は道を界ふ。工匠にあらず。弥陀の願智巧みに荘厳す。菩薩・人・天華を散じてたてまつる。宝地に宝色ありて宝光飛ぶ。一々の光無数の台となる。
台のなかに宝楼千万億あり。台の側に百億の宝幢囲めり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
一々の台上虚空のなか、荘厳宝楽また窮まりなし。八種の清風光に尋いで出でて、時に随ひて楽を鼓つに、機に応ずる音あり。機音の正受やや難しとなす。行住坐臥に心を摂して観じ、ただ睡時を除きてつねに憶念せよ。三昧は無為にしてすなはち涅槃なり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
宝国の宝林にもろもろの宝樹あり。宝華・宝葉・宝根茎なり。あるいは千宝をもつて林を分ちて異なり、あるいは百宝ありてともに行を成ず。行々あひ当り葉あひ次げり。色おのおの不同にして光またしかなり。等量斉高にして三十万なり。枝条あひ触れて無生を説く。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
七重の羅網・七重の宮、綺たがひに光を回らしてあひ映発す。化天童子みな充満せり。瓔珞の輝光日月に超えたり。行々の宝葉色千般なり。華敷けて等しくして旋金輪のごとし。菓光を変じて衆宝の蓋を成ず。塵沙の仏刹現じて無辺なり。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
宝池に宝岸・宝金沙あり、宝渠に宝葉・宝蓮華ありて、十二由旬にしてみな正等なり。宝羅・宝網・宝欄巡れり。徳水流を分ちて宝樹を尋ぬ。波を聞き楽を覩て恬怕を証す。言を有縁の同行者に寄す。つとめて迷ひを翻して本家に還れ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
一々の金縄は道の上に界ひて、宝楽・宝楼千万億あり。
もろもろの天童子香華を散じ、他方の菩薩雲のごとくに集まる。無量無辺にしてよく計ることなし。弥陀を稽首して恭敬して立つ。風鈴樹の響き虚空にあまねくして、三尊を歎説すること極まりあることなし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
弥陀本願の華王の座、一切衆宝もつて成ずることをなせり。台上に四幢あり、宝縵を張れり。弥陀独り坐して真形を顕す。真形の光明法界にあまねし。光触を蒙るものは心退せず。昼夜六時にもつぱら想念すれば、終時快楽にして三昧のごとし。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
弥陀の身心法界にあまねし。衆生の心想のうちに影現したまふ。このゆゑになんぢに勧む。つねに観察して、心によりて想を起して真容を表すべし。
真容の宝像華座に臨めり。心開けてかの国の荘厳を見る。宝樹に三尊の華遍満し、風鈴楽の響き、文と同じ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
弥陀の身色金山のごとし。相好の光明十方を照らす。ただ念仏するもののみありて光摂を蒙る。まさに知るべし、本願もつとも強しとなす。十方の如来舌を舒べて証したまふ。もつぱら名号を称して西方に至ると。かしこに到り華開けて妙法を聞けば、十地の願行自然に彰る。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
観音菩薩の大慈悲、すでに菩提を得るも捨てて証せず。一切の五道身中に内る。六時に観察して三輪応ず。応現の身光は紫金色なり。相好威儀うたた極まりなし。つねに百億光王の手を舒べて、あまねく有縁を摂して本国に帰せしむ。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
勢至菩薩思議しがたく、威光あまねく無辺際を照らす。有縁の衆生光触を蒙りて、智慧を増長して三界を超ゆ。法界傾揺して転蓬のごとし。化仏雲集して虚空に満てり。あまねく有縁に勧む。つねに憶念して、永く胞胎を絶ちて、六通を証せよ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
正坐跏趺して三昧に入れば、想心念に乗じて西方に至る。弥陀の極楽界を覩見するに、地上・虚空七宝をもつて荘れり。弥陀の身量きはめて無辺なれば、かさねて衆生を勧めて小身を観ぜしむ。丈六・八尺機に随ひて現じ、円光の化仏前の真に等し。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 地下荘厳の七宝の幢はしらは
 その数 無量無辺無数億である
 八方の八面は百宝よりできている
 それを見るものは自然に無生を悟る
 無生さとりの宝国くにはとこしえに常住である
 一々の宝は無数の光を放つ
 この土の行者は心をかたむけて常に観じ
 心を躍らして喜んで西方に生れよ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 地上の荘厳はいよいよきわまりがなく
 金縄をもって道を界さかいして工匠たくみの細工ではない
 弥陀の願力によってみごとに荘厳されている
 菩薩や人・天は華を散じて供養する
 宝地には宝色があって宝光を放ち
 一々の光は無数の台となる
 台の中には千万億の宝楼があり
 台の側ほとりを百億の宝幢がとりかこんでいる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 一々の台上の虚空の中の荘厳には
 宝の楽器があってまたきわまりがない
 八種の清風が光明にそうて出で
 時に随って音楽をかなで根機に応じた声を出す
 根機に応ずる声を観じて知ることはたやすいことではない
 行住坐臥に心をひきしめて観じ
 ただ睡る時を除いてつねに憶念せよ
 三昧成就すればすなわち涅槃である
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 浄土には宝の林宝の樹があり
 宝華・宝葉・宝根茎がある
 あるいは千宝をもって別々に林を分け
 あるいは百宝をもって共に列をなしている
 列と列がそろって葉と葉は順序よく連なり
 色もみな異なっていて光もまた異なる
 樹の高さは皆ひとしく三十万里である
 枝や条こえだが互いに触れあって無生さとりの法を説く
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 虚空には七重の羅網あみや七重の宮殿があり
 その色彩いろどりが光を出して互いにうつりあっている
 化現の天童子がその中に充満し
 その瓔珞の輝きは日月にこえすぐれている
 ならぶ樹の葉の色はさまざまであり
 開いた華はいずれも金の輪が旋るようである
 菓実このみが光を出して多くの宝の蓋となり
 多くの仏国を現すことが無辺である
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 宝池には宝の岸や宝の金沙があり
 宝の渠みぞには蓮華の葉や華がある
 花の大きさは十二由旬でみな等しい
 池には宝羅・宝網がおおい 宝欄がめぐっている
 八功徳水が流れを分けて宝樹をつたい
 波のかなでる音楽を聴いて無為のさとりをひらく
 有縁の行者に告げる
 努めて迷いを翻えしてさとりの本家にかえれよ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 一々の金縄が道を界さかいし
 その上には千万億の宝楽や宝楼閣がある
 もろもろの天童子は香や華を散じ
 他方の菩薩が雲のように集まる
 その数は無量無辺ではかることができない
 阿弥陀仏を礼拝し敬って立つ
 風に鳴る鈴や樹のひびきが虚空にあまねく
 三尊をたたえることがきわまりない
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 弥陀の本願によって成就された蓮華の座は
 あらゆる宝をもって飾られている
 蓮台の上の四つの幢には宝の幔幕ひきまくがはりめぐらされ
 阿弥陀仏が独り坐して尊い姿を現しておられる
 おすがたの光明は十方法界にゆきわたり
 光に触れたものはその心が退転しない
 昼夜六時たびに専らこれを観想すれば
 命終の時の楽しみは三昧に入るようである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 阿弥陀仏の身も心も十方世界にゆきわたるから
 衆生の観想の心の中にうつりたもう
 こういうわけで そなたに常に観察することを勧める
 心に観想して如来のお姿をあらわせ
 仏のお姿が蓮華の台に座したもうのを見れば
 心眼が開けて浄土の荘厳を見たてまつる
 宝樹のもとに三尊の坐せられる華が国中にみちている
 風に鳴る鈴や楽の響きは経文と同じである
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 弥陀の御身のすぐれた色は黄金の山のようである
 相好から放たれる光明は十方を照らす
 しかしただ念仏の行者だけが光の中に摂めとられる
 まさに本願を最もすぐれた力とすることを知るべきである
 六方の仏は広長の舌相を示して証明される
 もっぱら弥陀の名号を称えて西方の浄土に生れる
 かしこに至れば華ひらけて尊い法を聞き
 菩薩の十地の願行が自然に成就する
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 観音菩薩は大慈悲の心から
 すでに菩提を得られてもこれにとどまらず
 あらゆる迷いの五道を身光の中におさめて
 いつも観察して三業をもって応じたもう
 その応じたもう御身の光は紫金色であり
 お姿の気高いことはまことに極まりがない
 いつも百億の光明のみ手をのべて
 あまねく有縁の者を摂めて弥陀の本国に帰らせる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 勢至菩薩の威光は思い議はかりがたく
 あまねく照らされることはほとりがない
 有縁の衆生が光明のお照らしを蒙るならば
 智慧を増して迷いの三界を出る
 十方法界が動くことは風に蓬よもぎがひるがえるようであり
 化仏が雲のように集って虚空に満ちる
 あまねく有縁の者に勧める 常に憶念して
 とこしえに迷いを離れて六神通を証せよ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 足をくみ正しく坐して三昧に入るならば
 観想の心が想念によって西方に至る
 阿弥陀仏の極楽世界を見るに
 地上も虚空も七宝でかざられている
 弥陀の御身の大きさは無辺であるから
 釈尊は重ねて衆生を勧めて小身を観ぜさせる
 一丈六尺や八尺など根機に随って現れ
 円光の化仏はさきの真仏に等しい
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【42】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
上輩は上行上根の人なり。浄土に生ずることを求めて貪瞋を断ず。
行の差別につきて三品を分つ。五門相続して三因を助く。一日七日もつぱら精進して、畢命に台に乗じて六塵を出づ。慶ばしきかな、逢ひがたくしていま遇ふことを得たり。永く無為法性の身を証せん。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
中輩は中行中根の人なり。一日の斎戒をもつて金蓮に処す。父母に孝養せるを教へて回向せしめ、ために西方快楽の因と説く。仏、声聞衆と来り取りて、ただちに弥陀の華座の辺に到る。百宝の華に籠りて七日を経。三品の蓮開けて小真を証す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
下輩は下行下根の人なり。十悪・五逆等の貪瞋と、四重と偸僧と謗正法と、いまだかつて慚愧して前の獅悔いず。終時に、苦相、雲のごとくに集まり、地獄の猛火罪人の前にあり。
たちまちに往生の善知識の、急に勧めてもつぱらかの仏の名を称せしむるに遇ふ。化仏・菩薩声を尋ねて到りたまふ。一念心を傾くれば宝蓮に入る。三華障重くして多劫に開く。時にはじめて菩提の因を発す。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 上輩は上行を修める上根の人である
 浄土に生れることを願って貪・瞋の煩悩を断つ
 行の差別によって三品に分ける
 五念門を相続して三心を助ける
 一日あるいは七日専ら精進し
 命終って蓮台に乗り六塵まよいの世界を出る
 慶ばしいことには逢いがたくして今遇うことをえた
 永くさとりの身を得よう
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 中輩は中行を修める中根の人である
 一日の斎戒をたもって金蓮華に乗る
 父母に孝養する善を回向させて
 西方に往生する因と説く
 仏が声聞衆と共に来たり迎え
 ただちに弥陀の蓮華座のほとりにいたる
 百宝の華に包まれて七日を経る
 三品ともに華が開けて小乗のさとりをひらく
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 下輩は悪を行う下根のものである
 十悪・五逆などの貪欲・瞋恚
 四重禁の罪を犯し僧物を偸ぬすみ仏法を謗る
 未だかって慚愧して前の罪を悔いることがない
 臨終には苦しいありさまが雲のように集まって
 地獄の猛火が罪人の前にあらわれる
 そのとき往生の善知識が
 急いで専ら弥陀の名号を称えさせるのに遇うと
 化仏・化菩薩が称名の声を尋ねて来たり
 臨終の一念に心を傾けて浄土の宝蓮華に入る
 下輩の三品は障が重く多劫を経て華が開く
 その時に当たって始めて菩提心を発す
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【43】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
弥陀仏国はよく感ずるところなり。西方極楽は思議しがたし。般若を渇聞して思漿を絶つ。無生を念食してすなはち飢ゑを断ず。一切の荘厳みな法を説く。無心に領納して自然に知る。七覚の華池意に随ひて入る。八背神を凝らして一枝に会す。無辺の菩薩同学となる。性海の如来ことごとくこれ師なり。弥陀の心水身頂に沐す。観音・勢至、衣を与へて被す。たちまちに空に騰りて法界に遊び、須臾に記を授かり無為と号す。かくのごとく逍遥極まりなき処なり。われいま去かずはいづれの時をか待たん。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 阿弥陀仏の成就された
 西方の極楽ははかり難い
 智慧のみのりを聞いて漿のみものを思う心を絶ち
 無生さとりを念じてすなわち飢えを断つ
 一切の荘厳はみな法を説き
 心のうごきを用いずして自然に知る
 七覚の華の池に重いのままに入り
 心を凝せば八解脱が一枝に集まる
 無数の菩薩は同学となり
 すべての如来はことごとくこれ師である
 弥陀如来が智慧の水をその頂にそそぎ
 観音・勢至は衣を与えて被きせてくださる
 たちまちに空にのぼって法界に遊び
 しばしの間に仏となる記別を授けられる
 かくのごとく逍遥として極まりない処に
 わたしは今行かないでいつの時を待つべきであろうか
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
【44】 
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
われを哀愍して覆護し、法種をして増長せしめたまへ。此世および後生に、願はくは仏つねに摂受したまへ。願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方極楽世界の観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆を礼したてまつる。
願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 
心から帰依して西方の阿弥陀仏を礼拝したてまつる
 わたしを哀れみ護って
 菩提心を育て
 この世も 後の世も
 願わくは仏つねに摂めとりたまえ
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
 心から帰依して西方極楽世界の観音・勢至数多の菩薩・清浄衆を礼拝したてまつる
願わくは もろもろの人々と共に安楽国に往生しよう
■広懺
【45】 
あまねく師僧・父母および善知識、法界の衆生、三障を断除して、同じ く阿弥陀仏国に往生することを得んがために、帰命し懺悔したてまつる。
あまねく師僧・父母および善知識 その他あらゆる衆生が 惑業苦の三障を除いて共に阿弥陀仏国に往生するために帰依し懺悔したてまつる 
 

 

【46】 
上の二品の懺悔・発願等前に同じ。要がなかの要を須ゐば、初めを取れ。 略がなかの略を須ゐば、中を取れ。広がなかの広を須ゐば、下を取れ。 その「広」といふは、実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。
また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。
懺悔に三品あり。
上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。
これらの三品差別ありといへども、すなはちこれ久しく解脱分の善根を種ゑたる人なり。 今生に法を敬ひ、人を重くして身命を惜しまず、すなはち小罪に至るまで、もし懺すれば、すなはちよく心に徹り髄に徹さしむることを致す。よくかくのごとく懺すれば、久近を問はず、あらゆる重障たちまちにみな滅尽す。
もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。知るべし、流涙・流血等にあたはずといへども、ただよく真心徹到するはすなはち上と同じ。 
上の要と略の二つの懺悔と発願などは前に述べたものと同じである。 要中の要を用いるならば、 初めの懺悔 (日没に明かすもの) を取れ。 略中の略を用いるならば、 中の懺悔 (中夜に明かすもの) を取れ。 広中の広を用いるならば、 下の懺悔 (下に述べるもの) を取れ。 その広というのは、 実に往生を願う者に就いて勧める。 あるいは四衆に対し、 あるいは十方の諸仏に対し、 あるいは仏舎利や尊像や大衆に対し、 あるいは一人に対し、 もしは自分独りなど、 または十方の虚空に満ちる三宝およびすべての衆生などに対して、 つぶさにそれに向かって口にあらわして懺悔せよ。
懺悔には三品の種類がある。 すなわち上・中・下の三品である。 上品の懺悔というのは、 身の毛孔から血を流し眼の中から血が出る、 これを上品の懺悔という。 中品の懺悔というのは、 全身の毛孔から熱い汗を出し眼の中から血が流れる、 これを中品の懺悔という。 下品の懺悔というのは、 身体中に熱気を催し眼の中から涙が出る。 これを下品の懺悔という。 これらの三品は差別があるけれども、 これをよくするものは、 過去ながらくのあいだ出離解脱のために善根を積んだ人である。 今生で法を敬い、 説く人を重んじて身命を惜しまず、 僅かな罪でも、 もし懺悔すれば心髄に徹る。 よくこのように懺悔すれば、 時節の長短を問わず、 持っている重罪はみな滅してしまうのである。 もしこのように懺悔しなかったならば、 たとい昼夜休みなく急いで求めても、 すべて利益がない。 もし作さざる者はよく涙を流し血を流すなどというような懺悔はできなくても、 ただよく信心をいただいた人は、 上の三品の懺悔をした者と同じであると知るべきである。
【47】 
敬ひて十方の諸仏、十二部経、諸大菩薩、一切の賢聖および一切の天・竜八部、法界の衆生、現前の大衆等にまうす。われ[某甲]発露懺悔することを証知したまへ。
無始よりこのかたすなはち今身に至るまで、一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を殺害せること数を知るべからず。
一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生の物を偸盗せること数を知るべからず。一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生の上において邪心を起せること数を知るべからず。
妄語をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を欺誑せること数を知るべからず。 綺語をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を調弄せること数を知るべからず。
悪口をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を罵辱し、誹謗し、毀呰せること数を知るべからず。 両舌をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を闘乱破壊せること数を知るべからず。
あるいは五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒、菩薩の三聚戒、十無尽戒、乃至一切の戒および一切威儀戒等を破し、みづから作り他を教へ、作るを見て随喜せること数を知るべからず。
かくのごとき等の衆罪、また十方大地の無辺にして微塵の無数なるがごとく、われらが作罪もまた無数なり。虚空無辺なり、われらが作罪もまた無辺なり。 方便無辺なり、われらが作罪もまた無辺なり。法性無辺なり、われらが作罪も また無辺なり。法界無辺なり、われらが作罪もまた無辺なり。衆生無辺なり、
われらが劫奪・殺害もまた無辺なり。三宝無辺なり、われらが侵損・劫奪・殺害もまた無辺なり。戒品無辺なり、われらが毀犯もまた無辺なり。かくのごとき等の罪、上もろもろの菩薩に至り、下声聞・縁覚に至るまで知ることあたはざるところなり。ただ仏と仏とのみすなはちよくわが罪の多少を知りたまへり。
いま三宝の前、法界の衆生の前において発露懺悔し、あへて覆蔵せず。ただ願はくは十方の三宝、法界の衆生、わが懺悔を受け、わが清浄を憶したまへ。
今日よりはじめて、願はくは法界の衆生とともに、邪を捨て正に帰し、菩提心を発して、慈心をもつてあひ向かひ、仏眼をもつてあひ看、菩提まで眷属として、真の善知識となりて、同じく阿弥陀仏国に生じ、すなはち成仏に至るまで、かくのごとき等の罪永く相続を断じてさらにあへて作らず。懺悔しをはりて、心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。[広懺しをはりぬ。]  
敬って申しあげる。 十方の諸仏、 十二部経、 諸大菩薩、 すべての賢聖、 および一切の天・竜などの八部、 法界の衆生、 現前の大衆たちよ、 わたしをしろしめされよ。 某甲 口にあらわして懺悔する。
わたしは無始よりこのかた此の身に至るまで、 一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生を殺害したことは数を知ることができない。 一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生の物を盗み取ったことも数を知ることができない。 一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生に対して邪な心をおこしたことも数を知ることができない。 いつわりの言葉をもって一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生をたぶらかしたことも数を知ることができない。 言葉を飾って一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生を嘲弄したことも数を知ることができない。 悪口をもって一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生をののしりそしり、 こぼったことも数を知ることができない。 両舌をもって一切の三宝、 師僧・父母・六親眷属・善知識、 法界の衆生をたたかわせ破ったことも数を知ることができない。 あるいは五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒、 菩薩の三聚戒、 十無尽戒をはじめ、 一切の戒および一切の威儀戒などを破り、 自ら破ることをなして人にも教えて作さしめ、 それを見て喜んだことは数を知ることができない。
かようなすべての罪は、 また、 十方の大地が無辺で、 微塵が無数であるように、 わたしたちの作した罪もまた無数である。 虚空が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。 仏の衆生済度の方便が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。 法性が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。 法界が無辺であるように、 わたしたちの作した罪もまた無辺である。
衆生が無辺であるから、 わたしたちのおびやかして奪い殺害したこともまた無辺である。 三宝が無辺であるから、 わたしたちが損ないおびやかして奪い殺害したこともまた無辺である。 戒の種類は無辺であるから、 わたしたちがそれをこぼち犯したこともまた無辺である。
このような罪は、 上は菩薩より下は声聞・縁覚に至るまで知ることができない。 ただ仏と仏とだけがよくわが罪の多少を知られる。
今、 三宝の前、 法界の衆生の前において、 口にあらわして懺悔し、 敢て覆さない。 ただ願わくは十方の三宝、 法界の衆生がわたしの懺悔を受けて、 わたしが清浄になることを念じたまえ。 今日より始めて、 願わくは法界の衆生と共に邪を捨てて正に帰し、 菩提心をおこして、 慈心をもって相向かい、 やさしい眼で相見て、 仏道の仲間となり、 真の善知識となって、 同じく阿弥陀仏の国に生れ、 それより成仏するまで、 これらの罪はとこしえに断じてさらに作るまい。
懺悔しおわって心から阿弥陀仏に帰依したてまつる。
礼拝・懺悔おわる。
後述
【48】 
もし入観しおよび睡眠する時は、この願を発すべし。もしは坐し、もしは立して一心に合掌し、面を正して西に向かへて、十声、阿弥陀仏・観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆を称しをはりて、弟子[某甲]
現にこれ生死の凡夫、 罪障深重にして六道に淪みて、苦つぶさにいふべからず。
今日善知識に遇ひて、弥陀の本願名号を聞くを得たり。一心に称念して往生を求願せよ。「願はくは仏の慈悲、本弘誓願を捨てたまはずして摂受したまへ。
弟子、弥陀仏の身相・光明を識らず。願はくは仏の慈悲をもつて弟子に身相、観音・勢至・諸菩薩等およびかの世界の清浄荘厳・光明等の相を示現したまへ」と。
この語をいひをはりて一心正念にして、すなはち意に随ひて入観し、および睡れ。あるいはまさしく発願する時すなはちこれを見ることを得るあり。あるいは睡眠する時見ることを得るあり。至心ならざるを除く。この願このごろ大きに現験あり。  
もし観想に入ろうとする時および眠ろうとする時には、 まさにこの願いをおこすべきである。 もしは坐り、 もしは立って、 一心に合掌し正しく面を西に向け 「阿弥陀仏・観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆」 と十辺称え、 称え終って、 弟子 某甲 は、 今現にこれ迷いの凡夫であって、 罪障深く六道をさまようている。 その苦しみはいい尽しがたい。 いま善知識に遇うて阿弥陀仏の本願の名号を聞くことができた。 一心に称念して往生を願う。 願わくは、 仏のお慈悲が本願の誓いに違わず、 わたしを摂め取ってくだされよ。 わたしは阿弥陀仏の身相光明を識らない。 願わくは、 仏の慈悲をもってわたしに阿弥陀仏の身相や観音・勢至・諸菩薩等およびかの世界の清浄なる荘厳光明などのありさまを見せてくだされよ」 と。 この語をいいおわって一心に念じ、 意に随って観察に入り、 または眠れ。 あるいはまさしく発願した時に即ちこれを見ることもある。 あるいは睡眠のときにこれを見ることもある。 至心でないものは除く。 この願いは比の頃大いに現に験しるしがある。
【49】 
問ひていはく、阿弥陀仏を称念し礼観して、現世になんの功徳利益かある。
答へていはく、もし阿弥陀仏を称すること一声するに、すなはちよく八十億劫の生死の重罪を除滅す。礼念以下もまたかくのごとし。『十往生経』(意)にのたまはく、「もし衆生ありて、阿弥陀仏を念じて往生せんと願ずれば、かの仏すなはち二十五の菩薩を遣はして、行者を擁護せしめたまふ。もしは行、もしは坐、もしは住、もしは臥、もしは昼、もしは夜、一切時、一切処に、悪 鬼・悪神をしてその便を得しめず」と。
また『観経』(意)にのたまふがごとし。「もし阿弥陀仏を称・礼・念して、かの国に往生せんと願ずれば、かの仏 すなはち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念せしめたまふ」と。また前の二十五菩薩等と百重千重行者を囲繞して、行住坐臥、一切の時処を問はず、もしは昼、もしは夜、つねに行者を離れたまはず。いま すでにこの勝益まします、憑むべし。
願はくはもろもろの行者、おのおのすべからく心を至して往くことを求むべし。また『無量寿経』(上・意)にのたまふがごとし。
「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。かの仏いま現に世にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。
また『弥陀経』にのたまふがごとし。「もし衆生ありて阿弥陀仏を説くを聞かば、すなはち名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、乃至七日なるべし。一心に仏を称して乱れざれば、命終らんと欲する時、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にまします。この人終る時、心顛倒せずしてすなはちかの国に往生することを得。仏(釈尊)、舎利 弗に告げたまはく、〈われこの利を見るがゆゑにこの言を説く。もし衆生ありてこの説を聞くものは、まさに発願してかの国に生ぜんと願ずべし〉」と。
次下に説きてのたまはく(小経・意)、「東方恒河沙のごとき等の諸仏、南西北方および上下一々の方の恒河沙のごとき等の諸仏、おのおの本国においてその舌相を出して、あまねく三千大千世界を覆ひて、誠実の言を説きたまはく、〈なんぢら衆生、みなこの一切諸仏所護念経を信ずべし〉と。いかんが護念と名づくる。もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、かならず往生を得。この事を証誠したまふがゆゑに護念経と名づく」と。 
問うていう。 阿弥陀仏のみ名を称え、 あるいは礼拝・観察すれば、 現世にどのような功徳利益があるか。
答えていう。 もし阿弥陀仏のみ名を一声称えるならば、 よく八十億劫の迷いの重罪が除かれる。 礼拝や念仏などもまた同様である。 «十往生経» に説かれている。
もし衆生があって、 阿弥陀仏を念じて往生を願えば、 かの仏は二十五菩薩を遣わして行者を護られ、 もしは歩むも、 もしは坐るも、 もしは住とどまるも、 もしは臥すも、 もしは昼、 もしは夜、 あらゆる時、 あらゆる処において、 悪鬼・悪神にその手がかりを得させないのである。
また、 «観経» に説かれている通りである。
もし阿弥陀仏のみ名を称え、 礼拝・憶念して、 かの国に往生しようと願えば、 かの仏はすぐさま無数の化仏や無数の観音・勢至の化身を遣わして行者を護ってくださる。
と。 また前の二十五菩薩などと共に行者を百重千重にとりかこんで、 歩むも住まるも坐すも臥すも、 いずれの時・処でも昼夜を問わず、 常に行者の身辺から離れたまわぬ。
今すでにこのすぐれた利益があるから信ずべきである。 願わくは多くの行者たちよ、 心から往生を求めよ。
また、 «無量寿経» に説かれている通りである。
もし、 わたしが仏になったとき、 十方の衆生がわが名号を称えること、 わずか十声にいたるまでも往生させよう。 もしそうでなければ仏にまるまい。
と。 かの仏はいま現に成仏しておられる。 よって深重の誓願はうたがうことなく、 衆生が念仏すれば必ず往生できると知るべきである。
また、 «阿弥陀経» に説かれている通りである。
「もし衆生あって、 阿弥陀仏のいわれを説かれるのを聞くならば、 すなわちまさに名号を信ぜよ。 もしは一日もしは二日、 さらには七日に至るまで一心に仏のみ名を称えて乱れてはならぬ。 命の終ろうとする時、 阿弥陀仏は多くの聖衆たちと共にその人の前に現れてくださる。 そこでこの人は、 臨終に心をとり乱すことなくして、 すなわちかの国に往生することができる。」 さらに世尊が舎利弗に仰せられる。 「わたしは、 このような利益のあることを知っているから、 かように説くのである。 もし衆生の中でこの法を聞く者があれば、 信を発してかの国に生れようと願うべきである。」
と。 次下に説かれている。
東方の恒河の沙の数ほどの諸仏や、 南・西・北および上・下のそれぞれにおられる恒河の沙の数ほどの諸仏は、 おのおのその国で、 あまねく三千大千世界を覆う広長の舌相を示し、 まことの言葉で、 「おんみら衆生よ、 みなこの ª一切諸仏に護念せられる経º を信ぜよ」 と説いていられる。 どうして ª護念º というのであるか。 衆生が、 もしは七日、 もしは一日、 あるいは下って十声・一声などに至るまで、 阿弥陀仏のみ名を称念するならば、 必ず往生することができる。 このことを証明してくださるから ª護念経º と名づけられるのである。
と。 さらにその次下の文に説かれる。
もし、 仏のみ名を称えて往生する者は、 つねに六方の恒河の沙の数ほどの諸仏に護られるから ª護念経º と名づける。
今、 すでにこのすぐれた誓願があるのだから、 信ぜよ。 多くの仏弟子らよ、 どうして一生懸命に往生を願わないでおられようか。 
 
善導「往生礼讃」

 

1、「往生礼讃」について 
本書の正式の題は「勧一切衆生願生西方極楽世界阿弥陀仏国六時礼讃偈(一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に願生せしむる六時礼讃の偈)」との長い題であり、略して「往生礼讃」「六時礼讃」「礼讃」などとも呼ばれている。内容の中心は、その書題が示すとおり、願生の行者が日常に勤修するべき六時(日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中)の礼法を記したものである。全体の構成は前序・礼讃の行儀について記す正明段・後述の三段から成っている。
前序では安心・起行・作業という願生の行者の実践法を説き、さらに称名念仏を専修する一行三昧の意義と、専修と雑修との得失について説いている。
正明段は本書の大半を占め、
・「大経」の十二光仏の名による日没讃
・「大経」の要文による初夜讃
・龍樹の「十二礼」による中夜讃
・天親の「浄土論」による後夜讃
・彦宗の「礼讃偈」による晨朝讃
・善導自作の「十六観偈」による日中讃
の六時の礼法・行儀の次第を記している。内容の一部を挙げれば、次のようなものである。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
  それかの弥陀仏の名号を聞くことを得ることありて、
  歓喜して一念に至るまで、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
  願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
  たとひ大千に満てらん火をも、ただちに過ぎて仏の名を聞け。
  名を聞きて歓喜して讃ずれば、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
  願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
  万年にして三宝滅せんに、この『経』(大経)住すること百年せん。
  その時聞きて一念せんに、みなまさにかしこに生ずることを得べし。
  願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
  仏世にははなはだ値ひがたく、人信慧あること難し。
  たまたま希有の法を聞く、これまたもつとも難しとなす。
  願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。
南無して心を至し帰命して、西方の阿弥陀仏を礼したてまつる。
  みづから信じ人を教へて信ぜしむること、難きがなかにうたたさらに難し。
  大悲をもつて伝へてあまねく化するは、まことに仏恩を報ずるになる。
  願はくはもろもろの衆生とともに、安楽国に往生せん。 (初夜讃)より
敬ひて十方の諸仏、十二部経、諸大菩薩、一切の賢聖および一切の天・ 竜八部、法界の衆生、現前の大衆等にまうす。某甲(それがし)発露懺悔すること を証知したまへ。無始よりこのかたすなはち今身に至るまで、一切の三宝・師 僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を殺害せること数を知るべからず。 一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生の物を偸盗せること 数を知るべからず。一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生の上において邪心を起せること数を知るべからず。妄語をもつて一切の三宝・ 師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を欺誑せること数を知るべからず。綺語をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を調弄せること数を知るべからず。悪口をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷 属・善知識・法界の衆生を罵辱し、誹謗し、毀呰せること数を知るべからず。両舌をもつて一切の三宝・師僧・父母・六親眷属・善知識・法界の衆生を闘乱破壊せること数を知るべからず。あるいは五戒・八戒・十戒・十善戒・二百 五十戒・五百戒、菩薩の三聚戒、十無尽戒、乃至一切の戒および一切威儀戒等を破し、みづから作り他を教へ、作るを見て随喜せること数を知るべからず。かくのごとき等の衆罪、また十方大地の無辺にして微塵の無数なるがごとく、われらが作罪もまた無数なり。虚空無辺なり、われらが作罪もまた無辺なり。方便無辺なり、われらが作罪もまた無辺なり。法性無辺なり、われらが作罪も また無辺なり。法界無辺なり、われらが作罪もまた無辺なり。衆生無辺なり、われらが劫奪・殺害もまた無辺なり。三宝無辺なり、われらが侵損・劫奪・殺害もまた無辺なり。戒品無辺なり、われらが毀犯もまた無辺なり。かくのごとき等の罪、上もろもろの菩薩に至り、下声聞・縁覚に至るまで知ることあたはざるところなり。ただ仏と仏とのみすなはちよくわが罪の多少を知りたまへり。 いま三宝の前、法界の衆生の前において発露懺悔し、あへて覆蔵せず。ただ願はくは十方の三宝、法界の衆生、わが懺悔を受け、わが清浄を憶したまへ。 今日よりはじめて、願はくは法界の衆生とともに、邪を捨て正に帰し、菩提心を発して、慈心をもつてあひ向かひ、仏眼をもつてあひ看、菩提まで眷属とし て、真の善知識となりて、同じく阿弥陀仏国に生じ、すなはち成仏に至るまで、かくのごとき等の罪永く相続を断じてさらにあへて作らず。懺悔しをはりて、 心を至して阿弥陀仏に帰命したてまつる。[広懺しをはりぬ。] (日中讃)より
阿弥陀仏や浄土を讃美することや、自らの懺悔が内容となっている。多くは偈頌であるが散文の箇所もある。
後述では「十住生経」・「観経」・「大経」・「小経」を引証して、現世と当来の得益を説いて本書を結んでいる。
本ページでは礼法・行儀の次第を記した偈頌が多い正明段は除いて、散文で書かれている前序と後述だけを見ていく。謂わば中心部分を省いて、その前後だけを見るのであるが、教学的な内容はこれらの箇所の方が多いと思われ、また親鸞聖人の引用や釈も多いのである。祖聖の引用は漢文を独自に訓読されていることが多い。そこで祖聖が引用や釈を為されている箇所については、善導の教えを聞くというよりは、祖聖の教えを聞くという傾向が強い内容になっている。 
2、因縁分

 

一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に生ぜんと願ぜしむる六時礼讃の偈。
つつしみて『大経』、および龍樹・天親、この土(中国)の沙門等の所造の往生礼讃によりて、集めて一処に在き、分ちて六時を作る。ただ相続して心を係けて往益を助成せんと欲す。また願はくは未聞を暁悟して、遠く遐代を沾さんのみ。何者ぞ。第一につつしみて『大経』に釈迦および十方の諸仏、弥陀の十二光の名を讃歎して、「称・礼・念すればさだめてかの国に生ず」と勧めたまふによりて、十九拝、日没の時に当りて礼す。第二につつしみて『大経』によりて要文を採集して、もつて礼讃の偈となす。二十四拝、初夜の時に当りて礼す。第三につつしみて龍樹菩薩の願往生礼讃の偈(十二礼)によりて、十六拝、中夜の時に当りて礼す。第四につつしみて天親菩薩の願往生礼讃の偈(浄土論)によりて、二十拝、後夜の時に当りて礼す。第五につつしみて彦宗法師の願往生礼讃の偈によりて、二十一拝、晨朝の時に当りて礼す。第六に沙門善導の願往生礼讃の偈、つつしみて十六観によりて二十拝を作る。午時に当りて礼す。
この本書の冒頭の箇所は、善導が本書を造った目的・理由を述べる、所謂「因縁分」(本書を造る因縁を述べる)となっている。その因縁とは、「一切衆生を勧めて、西方極楽世界の阿弥陀仏国に生ぜんと願ぜしむる」「ただ相続して心を係けて往益を助成せんと欲す。また願はくは未聞を暁悟して、遠く遐代を沾さんのみ。」との2箇所の文において述べられているとおりである。他の箇所は、本書の中心部分である正明段の六時の礼讃の順を述べている。
六時の礼讃の中で内容の概要が述べられているのは第一の日没讃だけであり、「つつしみて『大経』に釈迦および十方の諸仏、弥陀の十二光の名を讃歎して、「称・礼・念すればさだめてかの国に生ず」と勧めたまふによりて、十九拝、日没の時に当りて礼す。」と説かれている。これは善導が「大経」の要旨を簡潔に釈したものの一つとして重要であるが、経中の「十二光仏」の名が挙げられる箇所のやや後に置かれている、次の経文に拠っていると思われる。
「但我(注:釈尊のこと)が今、その光明を称するのみにあらず。一切の諸仏・声聞・縁覚・諸もろの菩薩衆も悉く共に歎誉したまうこと、亦また是くの如し。もし衆生ありて、その光明威神功徳を聞きて、日夜に称説して心を至して断えざれば、意の所願に随いて、その国に生まるることを得て、諸もろの菩薩・声聞・大衆のために、共に歎誉しその功徳を称せられん。」 (大経)より
この経文には「称」の字だけは出ているが、「礼」「念」の字は出ていない。ただし経典全体においては礼・念の字も出ているのであり、善導は「大経」が説く一行の称名念仏を「称・礼・念」の義として解していることが分かる。称名念仏であるから称・念は当然であるが、礼も七高僧の伝統である。インドの龍樹は「合掌し稽首し礼したてまつる」「帰命し礼したてまつる」(十住論)と表明し、天親は「五念門」の中の第一門を「礼拝門」と名づけ、さらに「身業をもつて阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつる。かの国に生ずる意をなすがゆゑなり。」(浄土論)と表明している。中国の祖師も、曇鸞は「いまつねに願生の意をなすべきがゆゑに、阿弥陀如来を礼したてまつるなり。」と説き、道綽は「仏のために礼をなす。仏を敬ふ心重くして、目しばらくも捨てず。一たび仏を見たてまつるがゆゑに、すなはち百万億那由他劫の生死の罪を除却することを得。これより以後つねに浄土に生じてすなはち百億那由他恒河沙の仏に値遇したてまつることを得たり。」と、「観仏三昧経」から仏を礼することを説く経文をこれ以外にも多く引用している。善導は礼仏の義を特に重んじるが故に、本書をはじめとしていくつもの礼法・行儀を定めた書を著わしている。 
3、安心 

 

問ひていはく、いま人を勧めて往生せしめんと欲せば、いまだ知らず、いかんが安心・起行・作業してさだめてかの国土に往生することを得るや。答へていはく、かならずかの国土に生ぜんと欲せば、『観経』に説きたまふがごときは、三心を具してかならず往生を得。なんらをか三となす。一には至誠心。いはゆる身業にかの仏を礼拝し、口業にかの仏を讃歎称揚し、意業にかの仏を専念観察す。おほよそ三業を起さば、かならずすべからく真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく。二には深心。すなはちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足する凡夫、善根薄少にして三界に流転して火宅を出でずと信知し、いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下十声・一声等に至るに及ぶまで、さだめて往生を得と信知して、すなはち一念に至るまで疑心あることなし。ゆゑに深心と名づく。三には回向発願心。所作の一切の善根ことごとくみな回して往生を願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。この三心を具すれば、かならず生ずることを得。もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。『観経』につぶさに説くがごとし、知るべし。
善導の教相の「顕・彰隠密」と「もし一心少けぬればすなわち生を得ず」 
この「前序」においては、この箇所の冒頭の問いに述べられているとおり、いかに安心・起行・作業して浄土に往生することを得るのかという問題が説かれている。この箇所は安心について説かれており、次の箇所以降は順に起行・作業・その他について説かれる。浄土に往生することを得る安心は、善導は「観経」に説かれる「三心」であると説いており、これは本書に限らず複数の著書において説かれており、善導の教相の根幹の一つである。信心(安心)として「大経」の「本願 − 第十八願」に説かれる「三心(三信)」を説かれる祖聖の教学と比べると異なっているように思えるが、実はそうではないのであって、ここには後で述べる「顕・彰隠密」という教えにおける二重構造という複雑性がある。
この箇所からは祖聖の重要な引用と釈が三つあるので、以下に順に見ていく。祖聖の初めの二つの引用と釈は、「観経」に説かれる「三心」についての善導の釈の引用と御自釈である。
「また云わく、『観経』の説のごとし。まず三心を具して必ず往生を得。なんらをか三とする。一つには至誠心。いわゆる、身業にかの仏を礼拝す、口業にかの仏を讃嘆し称揚す、意業にかの仏を専念し観察す。おおよそ三業を起こすに、必ず真実を須いるがゆえに、「至誠心」と名づく、と。乃至 三つには回向発願心。所作の一切の善根、ことごとくみな回して往生を願ず、かるがゆえに「回向発願心」と名づく。この三心を具して必ず生を得るなり。もし一心少けぬればすなわち生を得ず。『観経』に具に説くがごとし。知るべし、と。」 (化身土巻)より
「しかれば善導は、「具此三心 必得往生也 若少一心 即不得生」(往生礼讃)とのたまえり。「具此三心」というは、みつの心を具すべしとなり。「必得往生」というは、「必」は、かならずという。「得」は、うるという。うるというは、往生をうるとなり。「若少一心」というは、「若」は、もしという、ごとしという。「少」は、かくるという。すくなしという。一心かけぬればうまれずというなり。一心かくるというは、信心のかくるなり。信心かくというは、本願真実の三信のかくるなり。『観経』の三心をえてのちに、『大経』の三信心をうるを、一心をうるとはもうすなり。このゆえに『大経』の三信心をえざるをば、一心かくるともうすなり。この一心かけぬれば、真の報土にうまれずというなり。『観経』の三心は、定散二機の心なり。定散二善を回して、『大経』の三信をえんとねがう方便の深心と至誠心としるべし。真実の三信心をえざれば「即不得生」というなり。「即」は、すなわちという。「不得生」というは、うまるることをえずというなり。三信かけぬるゆえに、すなわち報土にうまれずとなり。」 (唯信鈔文意)より
一つめは善導の「三心」についての釈文を、2番目の「深心」の釈を省いて「至誠心」と「回向発願心」の釈を引用しただけであるとも言えるが、「至誠心」については善導の「おほよそ三業を起さば、かならずすべからく真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく。」との釈文を、祖聖は「おおよそ三業を起こすに、必ず真実を須いるがゆえに、「至誠心」と名づく」と訓じられている。前述したとおり善導は複数の著書において「観経」の三心を説いているが、本書の「至誠心」と「回向発願心」との釈は、祖聖は「化身土巻」に引用されている。これに対して善導の教学上の主著とされている「観経疏」において説かれる「三心釈」は、その全てではないが祖聖は「信巻」に引用されている。このことは、本書の「三心釈」は引用を省かれている「深心」の釈を別として、方便の教えであると祖聖が解していることを意味している。また同じ善導の「三心釈」でも「観経疏」に説かれるものから引用された部分は、真実の教えであると祖聖が解していることを意味している。「教行信証」のどの巻に引用されているかを以って、祖聖の真実・方便の教判が分かるのである。「化身土巻」において「三願転入」の前までに引用されている教文は、祖聖が方便であると判じられたものである。そして善導の釈文は本書に限らずとも、「化身土巻」のこの部分に引用されるものと、他の巻に引用されるものとの両方が多い。これは祖聖が善導の教相に真・仮が雑っていることを見て取られて、判別して引用されていることを示している。祖聖は「愚禿鈔」においては、「観経疏」のある箇所の釈文を引用されて、その中のある箇所は方便、他の箇所は真実であることを説かれている。それでは善導の教相には、何故に真・仮が多く入り雑じっているのであろうか。それは善導の教相が表向きには、「観経」に拠って説かれているからである。
祖聖におかれては「真実之教」は「大経」であり、「観経」は一応は方便の教えである。それでは「観経」が説いていることは全てが方便であって、真実は無いのかというとそうではない。ここに祖聖は「観経」における「顕・彰隠密」ということを説かれる。(「小経」についても説かれている。)祖聖の「顕・彰隠密」という義は、善導の
「また如来、機に対して法を説きたまふこと多種不同なり。漸頓よろしきに随ひ、隠彰異なることあり。」
「隠顕、機に随ひて化益を存ずることを望む。あるいはことさらにかの優となすことを隠して、独り西方を顕して勝となすべし。」
「ただ隠顕殊なることあるは、まさしく器朴の類万差なるによりてたがひに郢・匠たらしむることを致す。」 以上 善導(観経疏)より
等の「観経疏」に説かれる教えにヒントを得られたのであろう。「彰隠密」は「隠彰」と呼ばれることもある。善導が用いる隠彰との語の意味は明瞭であるとは言えない。ただし祖聖の顕・隠彰の義は、はるかに明確になっている。「顕」とは、経・論・釈の教えの表面に、文字の上に、明らかに顕われているものである。明示的に説かれている教えである。これに対して「隠密」「隠」とは、教えの表面に、文字の上には顕われてはいないが、彰わそうとしているもの、暗示的に説こう・知らせようとしている教えである。仏典の顕と隠彰とが異なる場合は、顕は方便・仮の教えであり、隠彰が本意であるということになる。仏典の隠彰を見て取るということは、隠密されているものを捉えるのであるから、よほど勝れた読経眼・慧眼を持つことが不可欠となってくる。この顕・隠彰の義を立てて、祖聖は「観経」について次のように判じられる。
「釈家(善導)の意に依って、『無量寿仏観経』を案ずれば、顕彰隠密の義あり。「顕」というは、すなわち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。しかるに二善・三福は報土の真因にあらず、諸機の三心は自利各別にして利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。すなわちこれ「顕」の義なり。「彰」というは、如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す。」
「良に知りぬ、これいましこの経に顕彰隠密の義あることを。二経の三心、将に一異を談ぜんとす。善く思量すべきなり。『大経』『観経』、顕の義に依れば異なり、彰の義に依れば一なり。知るべし。」 以上(化身土巻)より
祖聖は「大経」と「観経」との各々に説かれる「三心」は、顕の義に依れば異なっているのであり、彰の義に依れば同一であると説かれている。それ故に、本書に説かれている「至誠心」と「回向発願心」との釈は、善導が「観経」の顕の義を説いただけのものであるので方便であるとされ、「化身土巻」に引用されるのである。しかし「観経疏」に説かれる「三心釈」は、善導が「観経」の彰の義を説いたものとして、真実の教えとして「信巻」に引用されるのである。「信巻」に引用される善導の「三心釈」は、「大経」に説かれる法蔵菩薩の永劫の修行に照らして説かれており、それを祖聖は善導が「観経」の「三心」の彰の義を明らかにしたものと見て取られたのである。「観経」に顕・隠彰の義があるが故に、「観経」に基づく善導の教相にも顕・隠彰の義がある。顕の義は方便であり、隠彰の義は真実である。
それでは善導は何故に、顕・隠彰の二重構造を持つ「観経」に拠って教相を説かれるのであろうか? 祖聖と同じように「大経」に拠って説けば、殆ど真実だけを説くことが出来た筈である。それをわざわざ、顕の義に依れば方便の教である「観経」に拠ったのはどうしてであろうか? 推測すれば、善導が当時の中国仏教界の状況・潮流に合わせて、真実を明らかにしようとしたからであろう。「浄土三部経」の中では、「観経」が最も後の時代になってから中国に入って来た。そうすると、それまでは浄土教には批判的であった諸宗が、一斉に「観経」に関心を寄せ、多くの祖師たちが「観経」をある程度高く評価し、多くの注解書が著わされた。華厳・天台・法相等の有力な諸宗の祖師たちの多くが、「観経」の注釈を著わした。当時の中国仏教界がこぞって、浄土教の真実の経典は「観経」であるとして重んじていたのである。このことは「観経」が、自力聖道門から見て納得出来る内容が表面的に説かれていることを意味する。このような時代の状況において、善導は「観経」の表面の経説は方便であると言明して「大経」を掲げることを避け、「観経」を重んじ・関心を寄せる者をして、表面の経説から隠されている本旨へと、顕から隠彰へと導く教えを説くことを選んだものと思われるのである。当時の状況において、「観経」を方便として横へ置いて「大経」を中心として説けば、仏教者の大半は浄土教を避けて聖道門に留まることになったであろう。七高僧の教相の依拠は「大経」である。ただし上三祖の龍樹・天親及び曇鸞までは「大経」を前面に出して説いているが、善導の師である道綽以降は、時代の趨勢に合わせて浄土教において真宗といえども、まずは「観経」を説かざるを得なくなったのである。そのために真・仮雑わる教相となり、この点が明らかに教判されるのは祖聖を待たねばならなくなったのである。
「観経」の顕の義は、祖聖が説かれるとおり「定散諸善を顕し、三輩・三心を開く」「諸機の三心は自利各別にして利他の一心にあらず。如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。」である。従って、その「三心」は顕の義のままでは衆生自力の信心であり、「利他の一心」ではない。しかし「如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す」との隠彰の義を有している。本書における善導の「三心釈」も、顕の義だけを説くものではなく隠彰の義へと導こうとしている微に入った教説である。しかしながら祖聖は「教行信証」においては、「深心」の釈だけは別として、「至誠心」と「回向発願心」の釈は隠彰の義が十分に説かれていないとされて、「化身土巻」に引用されるのである。ただし隠彰の義が全く無いというのではない。「化身土巻」への引用においても、「至誠心」釈においては前述したとおり独自の訓みなしをされている。善導が「おほよそ三業を起さば、かならず須べからく真実なるべし。ゆゑに至誠心と名づく。」と説いている二文を、祖聖は「おおよそ三業を起こすに、必ず真実を須いるがゆえに、「至誠心」と名づく。」と、一文にまとめて訓じられている。真宗においては衆生が真実たることはあり得ない。それ故に善導が「三業を起こさば・・・・・真実なるべし」と説かれることは、衆生の虚偽の自力を以って三業を起こすべからずということであるが、「真実なるべし」と説かれると、衆生よ、真実なるべしと説かれているように解されてしまうきらいがある。そこを祖聖は「三業を起こすに・・・・・真実を須いる」と、衆生の虚偽の自力を以って三業を起こさず如来の真実を須いよ、との他力真実を隠彰するべく訓じられている。「化身土巻」への引用といえども、祖聖は善導の真実の義を隠彰されてしまうのである。
次に善導が説いている「もし一心も少けぬれば、すなはち生ずることを得ず。」との釈文も、祖聖は「化身土巻」に引用されているのであるから、これは善導の教相の顕の義として、つまり方便の教えとして引用されていることになる。この釈文は「観経」の「三心」の釈の中で述べられているのであるから、普通に考えれば「観経」の「三心」の中の一心でも欠ければ生を得ない、つまり二心は具してもあと一心が足りなければ生を得ないと説かれていることになる。また善導の教相の顕の義としては、正にそのような教説であることに間違い無いであろう。だが「観経」の「三心」は顕の義においては全てが方便である。もし顕の義としての「三心」を全て具しても、やはり生は得ないのである。それ故に祖聖は、この箇所の善導の「三心釈」は「化身土巻」への引用を省かれた「深心」の釈だけを除いて、顕の義を見て方便であると判じられている。ところが、この「もし一心も少けぬれば・・・・・」の釈文においても祖聖は隠彰の義を見て取られている。この義は先に引用したとおり、「唯信鈔文意」において説かれている。ここには眼の無い者にとっては驚くべき祖聖の釈が説かれている。「観経」の「三心釈」の中に説かれている「一心」を、「観経」の「三心」の中のどれか一つとは解さず、「大経」の本願「第十八願」文の中に説かれる「三信(至心・信楽・欲生)」であり、つまり天親「浄土論」に説かれる「一心」であることを明らかにされるのである。祖聖の教相におかれて「大経」の本願「三信」と天親の「一心」とは「三はすなわち一なるべし。」(信巻)であり、これを長く説くものが「信巻」の中の「三心一心問答」である。善導の「もし一心も少けぬれば・・・・・」の釈文の隠彰の義を、「このゆえに『大経』の三信心をえざるをば、一心かくるともうすなり。この一心かけぬれば、真の報土にうまれずというなり。」と明らかにされる。これは善導の隠彰の義ではなく、祖聖の極端な解釈・曲読みだと思う人もいるであろう。「観経」についてだけ釈されており、「大経」や「浄土論」には一言も触れられていない箇所の中の「一心」の語が、何故に「大経」の「三信」・天親の「一心」を指すのか? との疑問を懐いても当然である。だが善導の教相における顕・隠彰の義は、この箇所の善導の釈の字面を読んだだけでは解らないのである。善導の全ての著書、特に主著とされる「観経疏」の全体が何を説こうとしているのか、その本旨を見て取る眼を具えていないと解らない。大体が天親の「一心」には善導も傾倒しており、「観経疏」の冒頭に置かれる「帰依三宝偈」の中では、「世尊、我一心に尽十方の・・・・・三仏菩提の尊に帰命したてまつる。」(観経疏)と自心の帰命を表明して天親を踏襲している。善導においても一心が眼目である。その善導が「一心も少けぬれば」と説くに当たって、顕の義は「観経」の「三心」の中のどれか一つであっても、天親の一心が隠彰されていることには疑念を懐くべきであるとも思われない。善導の教相の本意は「観経」の顕の義を先ず方便として説くが、そこに隠彰の義をも暗示して、最終的には「大経」の真実つまり如来の弘願を彰して利他通入の一心を演暢することである。ここのところを祖聖は見事に明らかにしてくださっている。
二種深信 
祖聖の三つめの引用は、上に見た「化身土巻」への引用に省かれた善導の「深心」についての釈の引用である。
「光明寺の和尚は「下至一念」(散善義)と云えり。また「一声一念」(礼讃)と云えり。また「専心専念」(散善義)と云えり、と。已上 智昇師の『集諸経礼懴儀』の下巻に云わく、深心は、すなわちこれ真実の信心なり。自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして、三界に流転して火宅を出でずと信知す。いま弥陀の本弘誓願は、名号を称すること下至十声聞等に及ぶまで、定んで往生を得しむと信知して、一念に至るに及ぶまで疑心あることなし。かるがゆえに深心と名づく、と。已上」 (行巻・信巻)より
「二種深信」は祖聖が最重要視される善導の教説の一つであり、善導の複数の著書において説かれている。本書における「観経」の「三心釈」からは「深心」の釈だけを抜き出して、「化身土巻」ではなく「行巻」及び「信巻」に引用されていることからして、祖聖はこの「深心釈」を方便ではなく真実の教えとされていることが解る。「観経」の「三心」は顕の義においては方便である。祖聖は「観経」の顕の義は「すなわち定散諸善を顕し、三輩・三心を開く。」「如来の異の方便、欣慕浄土の善根なり。」と説かれているが故に、「観経」の「三心」を敢えて「大経」の中に見るならば、「第十九願 − 修諸功徳の願」の中に説かれる「至心・発願・欲生」の三心であろう。ところが「深心」だけは、「第十九願」にそぐわないのである。ちなみに「第二十願 ー 植諸徳本の願」に説かれる三心にも、「深心」はそぐわない。
「観経」の「三心」    「第十九願」の「三心」    「第二十願」の「三心」
 至誠心          至心             至心
 深心           −              −
 回向発願心        発願・欲生          回向・欲生
「大経」の「第十八願」から「第二十願」の三心においては、「至心」と「欲生」とは共通している。しかしながら字は同じでも本願「第十八願」の三心は如来回向であり、方便の「第十九願」と「第二十願」の三心は衆生自力の心である。方便の二願の自力の「至心」とは、「観経」の自力の「至誠心」であろう。また方便の二願の「欲生」とは、それぞれの願において説かれる自力の「発願・欲生」及び「回向・欲生」であり、「観経」の自力の「回向発願心」であろう。こうして見ると、「観経」の方便の「三心」の中でも、「深心」だけは「大経」の方便の二願には収まらないのである。「深心」は「観経」において説かれているにも関わらず、「観経」の顕の義には収まらないものがある。「観経」の顕の義は、如来本願に触れてはいない。しかしながら、「観経」には本願に拠らない立場を転じて本願の世界を開くという、全く独自の教相が隠彰されていることを、祖聖は明らかにされている。そのキーポイントとなるものが「深心」であろう。「観経」は「如来の弘願を彰し、利他通入の一心を演暢す。」と、祖聖が見抜かれた鍵は、「深心」及び善導の「深心釈」であろう。善導は「観経疏」において、「深心とは深信の心なり」(観経疏)と「信」の字を加え、本書のこの箇所においては「すなわちこれ真実の信心なり。」と明言して、「深心」が衆生が賜る如来心であることを隠彰した。如来の甚深広大なる智慧が、衆生の上に成就されたのが信である。この信は利他通入の一心であり、二心ではない。だが善導は「深信の心」・一心に二種の構造を立てて、「二種深信」として明確化した。一心に二種は無いが、一心を二種に開いてその内実というべきものを明らかにしたのである。真宗におけるこの善導の功績は絶大であり、計り知れないものがある。祖聖は「信巻」においては、この箇所の「すなわちこれ真実の信心なり。」との善導の釈文を引用され、「愚禿鈔」においては「今この深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。」(愚禿鈔)との御自釈を述べられている。真実信心・一心の内実を明らかにしたものであるが故に、真宗においても最重要なる教相の一つである。真宗の求道者・念仏の行者は、この「二種深信」が自身において明らかにされないと「定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。」(信巻 − 別序)ということに陥ったままとなる。
特に一種めの「機の深信」と呼ばれる「自身はこれ煩悩を具足せる凡夫、善根薄少にして、三界に流転して火宅を出でずと信知す。」との深信が間違い易い。衆生の反省心ぐらいに考えるのである。しかし真実信心は如来の御心であるが故に、衆生の反省心ごときが「機の深信」であるわけは無いのである。「三界に流転して火宅を出でず」などということを、衆生が頷くことはまずあり得ないのである。あるとすれば、それはどうせ出ることは出来ないだろうとの諦めであるが、もし出来れば出たいとの欲が残っているのが諦めである。また多くの仏教徒は三界・火宅を出ることを目的として仏道を行じているのが実態であるが故に、本当に「三界に流転して火宅を出でず」では困るのであり、それでは仏道を行じる意味も無いと感じるであろう。「機の深信」を懐いて謙虚に反省していれば、そのうちに三界を出させて貰えるなどと思っていては、「自身はこれ煩悩を具足せる凡夫」などという想いは虚偽である。本当の凡夫であるならば、永劫に三界に流転するのである。衆生の反省心などは所詮虚偽であり、真実信心であるなどと言うことは厚顔無恥も甚だしい。多くの念仏者も、二種深信は二種めの「法の深信」の「定んで往生を得る」ことを疑わないことだけが肝要であると思っているのではないか。ただし往生を得るためには反省しなければならないと説かれているからと解釈して、自身は凡夫であると口に出す。しかし往生との語は「法の深信」の中に出されているが、往生とは何かが説かれているのが「機の深信」である。二種深信は真実信心・一心を二種に開いて説かれるが、実は「法の深信」は「機の深信」に摂まる。「機の深信」が肝要である。「自身はこれ煩悩を具足せる凡夫」と説かれていると、当然ながら「自身」とは衆生のことであると解釈する。しかしながら、真実信心は如来の御心であって衆生の心ではない。そうすると「自身」とは衆生ではないことになる。つまり「自身は」とは、仏の自己自身の表白である。仏が自身は凡夫であり、三界に流転して火宅を出でずと表白されている。正に信じ難いことである。それ故に真実信心は極難信であると説かれる。仏が衆生の身を受けて、自身とされるのである。その身は凡夫の濁悪・宿業の身である。清浄・真実の仏が、罪悪深重・虚偽の衆生を受けて自己とされる。流転しない筈の仏が、衆生を引き受けて流転される。衆生の側からすれば、自己の穢身を仏が引き受けてくださり、流転してくださる。それが衆生の往生である。三界・火宅を出て別の世界へ往ってしまうことが往生であるとは、善導も祖聖も説かれていない。「出離の縁有ること無し」(信巻 − 善導「観経疏」より引用)と説かれる。三界・六趣を出る・出世間ということも説かれるが、それは世間内超越であり、世間を出て異なる処へ往くことではない。三界・世間に埋没せず・溺れずに、三界・世間に安住せしめられる。三界・世間に安住するなどということが、衆生において可能であるのかと言うと衆生には不可能である。衆生はあくまでも三界・苦界から逃げようとする。衆生は三界・苦界から逃げようとしながらも、また三界に埋没する。それ故に三界に埋没せずに安住したまうのは、衆生ではなく仏である。衆生は、仏が衆生の身を引き受けたまうが故に自ずから、三界に埋没せず安住せしめられるのである。仏が身を引き受けたまう衆生が、凡夫のままに自然に世間内超越の生に住せしめられるのが往生である。それ以外に他界への転生としての往生などは、真宗においては説かれていない。 
4、起行

 

また天親の『浄土論』にいふがごとし。もしかの国に生ぜんと願ずることあるものには、勧めて五念門を修せしむ。五門もし具すれば、さだめて往生を得。何者をか五となす。一には身業礼拝門。いはゆる一心にもつぱら恭敬を至して、合掌し香華供養して、かの阿弥陀仏を礼拝す。礼するにはすなはちもつぱらかの仏を礼して、畢命を期となして余礼を雑へず。ゆゑに礼拝門と名づく。二には口業讃歎門。いはゆる意をもつぱらにして、かの仏の身相・光明、一切の聖衆の身相・光明、およびかの国中の一切の宝荘厳・光明等を讃歎す。ゆゑに讃歎門と名づく。三には意業憶念観察門。いはゆる意をもつぱらにして、かの仏および一切の聖衆の身相・光明、国土の荘厳等を念観す。『観経』に説きたまふがごとく、ただ睡時を除きて、この事等をつねに憶しつねに念じつねに想しつねに観ず。ゆゑに観察門と名づく。四には作願門。いはゆる心をもつぱらにして、もしは昼、もしは夜、一切時、一切処に、三業・四威儀の所作の功徳、初・中・後を問はず、みなすべからく真実心のうちに発願して、かの国に生ぜんと願ずべし。ゆゑに作願門と名づく。五には回向門。いはゆる心をもつぱらにして、もしは自作の善根、および一切の三乗・五道、一々の聖凡等の所作の善根に深く随喜を生じ、諸仏・菩薩の所作の随喜のごとく、われもまたかくのごとく随喜して、この随喜の善根およびおのが所作の善根をもつて、みなことごとく衆生とこれをともにしてかの国に回向す。ゆゑに回向門と名づく。またかの国に到りをはりて六神通を得て生死に回入して、衆生を教化すること後際を徹窮して心に厭足なく、すなはち成仏に至るまでまた回向門と名づく。五門すでに具しぬれば、さだめて往生を得。一々の門上の三心と合して、随ひて業行を起せば、多少を問はず、みな真実の業と名づく、知るべし。
観察と作願 
この箇所においては、前の箇所で説かれた浄土に往生することを得る安心に続いて、起行が説かれている。善導は安心としては「観経」に説かれる「三心」を採用したが、起行としては天親「浄土論」に説かれる「五念門」を採用して釈している。天親論主が説く五念門を採用することは祖聖と同じである。ただし祖聖の場合には、あくまでも曇鸞「論註」を通して採用されている。天親が五念門を先ず総括して説く部分と、論の後の方の一部を見よう。
「なんらか五念門。一には礼拝門、二には讃歎門、三には作願門、四には観察門、五には回向門なり。いかんが礼拝する。身業をもつて阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したてまつる。かの国に生ずる意をなすがゆゑなり。いかんが讃歎する。口業をもつて讃歎したてまつる。かの如来の名を称するに、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するがゆゑなり。いかんが作願する。心につねに願を作し、一心にもつぱら畢竟じて安楽国土に往生せんと念ず。如実に奢摩他を修行せんと欲するがゆゑなり。いかんが観察する。智慧をもつて観察し、正念にかしこを観ず。如実に毘婆舎那を修行せんと欲するがゆゑなり。かの観察に三種あり。なんらか三種。一にはかの仏国土の荘厳功徳を観察す。二には阿弥陀仏の荘厳功徳を観察す。三にはかの諸菩薩の功徳荘厳を観察す。いかんが回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し、回向を首となす。大悲心を成就することを得んとするがゆゑなり。・・・・・・・これを菩薩摩訶薩、五種の法門に随順し、所作意に随ひて自在に成就すと名づく。向の所説のごとき身業・口業・意業・智業・方便智業は、法門に随順するがゆゑなり。また五種の門ありて漸次に五種の功徳を成就す、知るべし。何者か五門。一には近門、二には大会 衆門、三には宅門、四には屋門、五には園林遊戯地門なり。」 天親(浄土論)より
善導がこの論説に拠っていることは間違い無い。ところが善導が釈する五念門は、本の天親の教説とは大きく異なる点が二つある。一つは五つの門の順番である。天親は「三には作願門、四には観察門」と説いていることに対して、善導はこれら二つの順番を逆にして「三には意業憶念観察門」「四には作願門。いわゆる心を・・・・・」と釈している。つまり観察門と作願門との順を天親とは逆にしている。二つめは、本の天親の教説においては作願は意業であり、観察は智慧・智業であると説かれていることに対して、善導は観察を意業であるとし、作願を「いわゆる心を」と釈している。ここで謂われている「心」とは何であろうか? 同じように「いわゆる心を」と釈されているのは回向である。つまり第三に繰り上げた観察は意業であるとし、第四に下げた作願と最後の第五の回向とは「心」としている。これら第四と第五の最後の二つは、本の天親の「論」においては各々が智業・方便智業であると説かれている。そうすると善導が「心」と釈したのは五念門の最後の二門であるから、本の天親が智業・方便智業として説いているものを「心」と釈していると見るべきであろう。ここで善導が謂う「心」は智慧である。智慧は真宗においては、衆生が修行して獲得出来るものではなく、仏智・仏心である。
ここでは一つめの、観察門と作願門との順を本の「論」の説とは逆にしたことについて述べる。善導が何故に、「論」においては作願・観察との順に説かれているところをひっくり返したのかは審らかではない。ただし第五の回向門について「論」においては、「一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し(作願し)」と、作願との語が出されていることに関係しているようである。この点について、真宗の曽我量深先生は次のように説いている。
「(善導は)作願を回向に結び付けている。作願は作願門にもあり、回向門にもあるが、作願門の作願は自利の作願、回向門の作願は利他の作願である。利他の作願は作願回向の順序を転倒して、回向発願というかたちにして、欲生に配属したのが善導大師のお考えのようである。」 曽我量深(歎異抄聴記)より
短い教えであるが五念門の最後の二門が、「論」の順のままでは観察回向となることに対して、善導は最後の回向門にも作願が説かれていることに注目し、作願回向あるいは発願回向として続くように順を変え、回向門の作願は利他の作願であるとして作願と回向とを逆にして、回向発願という形にして欲生に配したようであるとの、曽我先生の教えである。これは前の「3、安心」の箇所において述べたように、善導の教相においては祖聖が真実であるとされる「大経」の「三心」は釈されずに、もっぱら祖聖が方便であるとされる「観経」の「三心」が釈されるのであるが、善導は真実の「大経」の「三心」・「浄土論」の一心を了らなかったのではなく、時代の趨勢に合わせて顕の義においては方便である「観 経」を釈して、隠彰の義の「如来の弘願」・「利他通入の一心」へと人々を導くことが本意であったことを前提とする曽我先生の教えである。曽我先生は、善導は方便の「観経」の「三心」の三つめの「回向発願心」を、真実の「大経」の「三心」の三つめの「欲生」を隠彰するものとして配当したようであるということを説いている。そして「論」において作願との語が出る第五の回向門は、作願と回向とを逆にして回向発願ということを内容として、方便自力の「観経」の「回向発願心」は実は真実如来回向の「大経」の「欲生」を隠彰していることを善導は表わしているようであると説いている。これは祖聖も「欲生はすなわちこれ回向心なり。」(信巻)と説かれているところであり、曽我先生の鋭い教えである。善導が「論」に説かれる作願・観察の順を逆にして観察・作願としたことに基づいて、最後の回向の内容を回向発願の形に釈したようであるとの洞察は、曽我先生が繰り返し説いた「五念門は回向にはじまる。」「本願三信は欲生にはじまる。」との教えと一致している。これについては次に述べる。
真実の五念門 − 回向に始まる 
この「起行」の箇所において善導は天親の五念門を釈しているのであるが、本の天親が意業とした第三門の作願を繰り下げて第四とし、逆に天親が智業とした観察を第三に繰り上げて意業としている。そして第三の観察とは、「観経」に説かれる観想行であるとしている。確かに「観経」に説かれる種々の観想は、衆生の意業・常識的な意味での衆生の心・意識の上の作用としての行であり、衆生自力の行である。本の天親の「論」は「観経」を釈しているのではなく「無量寿経」についての論であり、第四の観察門とは如来・浄土を観(み)ることであるから衆生の意業・衆生自力の行を以ってして為せることではなく、それ故に智業とされている。だが「観経」を釈する形の教相となっている善導の教えにおいては、観察と言えば「観経」に説かれる観想であると釈さねばならず、この衆生自力の観想行を智業とするわけにはいかない。そこで観察を第三に繰り上げて、衆生の意業としたものと思われる。その代わりに第四に繰り下げた作願が先に述べたように、第五の回向と同じく「いわゆる心を」と釈されており、この「心」は天親が説く智業・方便智業の智慧・仏智・仏心であると解するべきであろう。善導は第四とした作願について、「みなすべからく真実心のうちに発願して」と釈している。真実心であるから衆生の心ではなく如来の御心である。衆生には真実ということは微塵も無い。従って作願は衆生の意業としての自力の発願ではなく、智業・仏心としての願心であることを善導は説いている。ここでの作願とは願生心であるが、善導は願生心を発すと言っても衆生自力の発願ではなく、真実如来の願心を以ってしなければ往生を得ることは無いことを説いている。最後の第五の回向は、やはり「いわゆる心を」と釈されているのであるから、衆生の自力回向ではなく真実の如来回向であることを説いていることが解る。そうすると善導の五念門の釈は、第一門から第三門までの身業・口業・意業としての礼拝・讃歎・観察行は衆生自力の行として説き、最後の二門の作願・回向は如来真実の行を説いているのであろうか? 顕の義としてはそうであると思う。第三門までは、観察については既に述べたが、礼拝については「香華供養して」とか、讃歎については本の「論」に説かれる「かの如来の名を称する」ことだけではなく、多くの事物を讃歎するというような、いかにも衆生自力の行であると思えることが説かれている。つまり善導の五念門の釈は、顕の義においては衆生自力の方便と如来の真実とが入り雑じった教えになっていると言えよう。このような真・仮入り雑じった教えとなっていることは、善導の教相の特徴である。「観経」を釈することが中心に据えられているが故に、どうしてもそうなってしまうのである。
ところが曽我先生が、善導は作願・回向という順を逆にして回向発願という形にして「欲生」に配されたようであると洞察したことは、善導の隠彰の義を鋭く見て取ったものであろう。作願と回向とを逆にして回向発願・欲生とするということは、回向発願・欲生が真宗の始まり、真宗という仏道の初めであるということを善導が隠彰していることになる。「観経」に説かれる回向発願心は、顕の義においては衆生自力の回向・自力の発願を示すものであるが、隠彰の義においては如来回向を初めとする如来の回向発願であることを善導が隠彰していることを曽我先生は見て取った。これは本となっている天親の「論」において、「いかんが回向する。一切苦悩の衆生を捨てずして、心につねに願を作し、回向を首となす。大悲心を成就することを得んとするがゆゑなり。」と説かれていることを、善導・祖聖・曽我先生が事実として体験されていることを示すものであろう。「首(しゅ)」とは「はじめ」という意味である。回向が首・初めである。しかも如来回向が始まりであるということを浄土の諸師は証された。五念門は説かれている順番どおりに第一門・礼拝が初めで回向が最後ではない。そのような順を踏むのは衆生自力の仏道である。最後に説かれている第五門・回向が初めであり、如来回向を以って真宗は始まる。如来回向に始まらなければ、礼拝・讃歎・観察・作願の全ては、衆生自力の虚偽の行である。如来回向が初めであれば、礼拝・讃歎・観察・作願の全ては如来回向の真実である。五念門の初めの三門は身業・口業・意業として説かれているが、これら三業は衆生の業であるから自力の行であるということではなく、如来回向を初めとしていれば如来行が衆生の三業の上に現れて来る真実である。真宗は天親以降、如来回向を初めとすることが伝承である。もっとも、そのことを明確には説かない、方便を以って説く祖師もいらっしゃる。法然上人は「不回向」と説いたが、これも衆生自力の回向を排したものであって、如来回向を否定するものではない。ただし、そのことが明確には説かれていない。祖聖は如来回向を初めとする真宗の伝承を、「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。」(教巻 − 冒頭)と明らかにされる。祖聖の教相の初めに、如来回向を置く。如来回向が初めでなければ、真実・他力道の真宗は開かれないのである。ちなみに善導が回向発願心を配したであろう欲生が、本願「三信」の中の初めである。三信・真実信心は「我が国に生まれんと欲(おも)え」(大経)との如来の召喚の勅命を聞いて始まる。経に説かれる順番どおりに、至心に始まり信楽に続いて欲生が最後なのではない。祖聖が「回向心」「勅命」であると説かれる欲生を聞いて、本願三信が始まるのである。この箇所においては五念門・三信の順について述べたが、順と言っても道理上の前後の順であり、時間の前後の順ではない。時間においてはみな一念同時である。五念門・三信は一念同時に回向成就されるのである。一念同時に成就されるのであるが、あくまでも如来回向が初めである。 
5、作業

 

また勧めて四修の法を行ぜしめて、もつて三心・五念の行を策ましてすみやかに往生を得しむ。何者をか四となす。一には恭敬修。いはゆるかの仏およびかの一切の聖衆等を恭敬礼拝す。ゆゑに恭敬修と名づく。畢命を期となして誓ひて中止せざる、すなはちこれ長時修なり。二には無余修。いはゆるもつぱらかの仏の名を称して、かの仏および一切の聖衆等を専念し、専想し、専礼し、専讃して、余業を雑へず。ゆゑに無余修と名づく。畢命を期となして誓ひて中止せざる、すなはちこれ長時修なり。三には無間修。いはゆる相続して恭敬礼拝し、称名讃歎し、憶念観察し、回向発願し、心々相続して余業をもつて来し間へず。ゆゑに無間修と名づく。また貪瞋煩悩をもつて来し間へず。随犯随懺して、念を隔て時を隔て日を隔てしめず、つねに清浄ならしむるをまた無間修と名づく。畢命を期となして誓ひて中止せざる、すなはちこれ長時修なり。また菩薩すでに生死を免れて、所作の善法回して仏果を求むるは、すなはちこれ自利なり。衆生を教化して未来際を尽すは、すなはちこれ利他なり。しかるにいまの時の衆生ことごとく煩悩のために繋縛せられて、いまだ悪道生死等の苦を免れず。縁に随ひて行を起して、一切の善根つぶさにすみやかに回して、阿弥陀仏国に往生せんと願ぜよ。かの国に到りをはりて、さらに畏るるところなし。上のごとき四修自然任運にして、自利利他具足せざるはなし、知るべし。
四修を数える 
善導は「安心」として顕の義においては「観経」の三心を、「起行」として五念門を説いた後、この箇所においては「四修」を説いている。四修とは法然上人が善導に依って重んじたものであり、「選択本願念仏集」の中の「四修章」と呼ばれる「第九門 − 念仏の行者四修の法を行用すべき文」において説かれている。ところが善導のこの釈文には「一には」というように数えられているものは、恭敬修・無余修・無間修の三つしかない。そして三修の釈のいずれにおいても、数えられてはいないが長時修ということが説かれている。法然上人は「四修章」の中に、慈恩大師窺基の著と伝えられる「西方要決」の釈文を引用しているが、そこには善導が数えている三修に先立って、長時修が挙げられて四修として説かれている。その後で上人の御自釈が次のように説かれる。
「わたくしにいはく、四修の文見つべし。繁きを恐れて解せず。ただし前文のなかに、すでに四修といひて、ただ三修のみあり。もしはその文を脱せるか、もしはその意あるか。さらに脱文にあらず。その深き意を有するなり。なにをもつてか知ることを得る。四修とは、一には長時修、二には慇重修、三には無余修、四には無間修なり。しかるに初めの長時をもつて、ただこれ後の三修に通用す。いはく慇重もし退せば、慇重の行すなはち成ずべからず。無余もし退せば、無余の行すなはち成ずべからず。無間もし退せば、無間の修すなはち成ずべからず。この三修の行を成就せしめんがために、みな長時をもつて三修に属して、通じて修せしむるところなり。ゆゑに三修の下にみな結して、「畢命為期誓不中止即是長時修」(礼讃)といふこれなり。例するにかの精進の余の五度に通ずるがごときのみ。」 法然上人(選択本願念仏集)より
つまり上人は、善導が数えてはいないが三修の全てに説かれている長時修を、「西方要決」と同様に筆頭に挙げて四修として教えを説いている。また恭敬修を慇重修との語に換えて教えを通している。長時修を筆頭に挙げて数えていることは、長時修は後の三修に通用しており、慇重修・無余修・無間修のいずれもが途中で退けば成じないが故に、三修を成就するために長時修を挙げるということが説かれている。これは善導の釈文の意を正しく取った教えであろう。
四修の教えの顕・隠彰 
善導が数えた三修に長時修を加えた四修の顕の義は、法然上人の教えのとおりであろう。ところで祖聖は四修の教えについては、この箇所の善導の釈文の中から「また菩薩すでに生死を免れて・・・・・」以降だけを「化身土巻」に引用されている。引用の中に四修の語が1回出るが、祖聖は四修とは何かということには一切触れておらず、従って四修を数え挙げることも説かれていない。祖聖は引用の後に、雑行について長く説かれており、その中に次の御自釈がある。
「「雑」の言は、人天・菩薩等の解行雑せるがゆえに「雑」と曰えり。本より往生の因種にあらず、回心回向の善なり、かるがゆえに「浄土の雑行」と曰うなり。また「雑行」について、専行あり専心あり、また雑行あり雑心あり。「専行」とは、専ら一善を修す、かるがゆえに「専行」と曰う。「専心」とは、回向を専らにするがゆえに「専心」と曰えり。「雑行・雑心」とは、諸善兼行するがゆえに「雑行」と曰う、定散心雑するがゆえに「雑心」と曰うなり。また「正・助」について、専修あり雑修あり。この雑修について、専心あり雑心あり。「専修」について二種あり、一つにはただ仏名を称す、二つには五専あり。この「行業」について専心あり雑心あり。「五専」とは、一つには専礼、二つには専読、三つには専観、四つには専名、五つには専讃嘆なり、これを「五つの専修」と名づく。専修その言一つにして、その意これ異なり。すなわちこれ「定専修」なり、また「散専修」なり。「専心」とは、五正行を専らにして二心なきがゆえに、専心と曰う。すなわちこれ定専心なり、またこれ散専心なり。「雑修」とは、助正兼行するがゆえに雑修と曰う。「雑心」とは、定散の心雑するがゆえに雑心と曰うなり。知るべし。」 (化身土巻)より
このような祖聖の教説に照らして、善導のこの「四修」の釈文の意を汲むと、その殆どは顕の義・方便であると思われるのである。この釈文は五念門の行としての称名念仏の一行を四修せよということを勧めているのであるが、祖聖に依れば説かれていることは称名の専行・専心・専修である。善導以降の浄土教においては、雑行・雑心・雑修を排して念仏の専行・専心・専修を採ることが善しとされていたのであるが、祖聖は念仏の専行・専心・専修でありさえすればそれで善しとはされない。祖聖は善導が「観経疏」において説く「一心にもつぱら弥陀の名号を念じて、行住坐臥に時節の久近を問はず念々に捨てざるは、これを正定業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆゑなり。」(信巻等 − 善導「観経疏」より引用)と説かれる正定業としての称名と、五正行の中の「もし口に称せば、すなわち一心に専らかの仏を称せよ。」(化身土巻 − 善導「観経疏」より引用)と説かれる専称としての称名を異なるものとして判じられている。そして五正行は「四に一心に専称名」も含めて「発願の行と名づく、また回心の行と名づく、かるがゆえに浄土の雑行と名づく、これを浄土の方便仮門と名づく」(愚禿鈔)と決判されている。正定業の称名も五正行の中の専称も同じ専修念仏ではないかと思われるのであるが、両者の間には「仏願に順ずる」か否かという決定的な異なりがあることを祖聖は厳しく分判されている。余行は修さずに念仏の一行を専修すると言っても、仏願に順ずる正定業と、仏願に関係しない正行の中の専称とでは、外見は似ていても内実は異なるものである。両者ともに「一心」との語が用いられているが、正定業の一心は天親の「論」に説かれる一心であり、「大経」に説かれる本願三信と同一であって真実信心・如来の御心・如来の願心である。それに対して専称の一心は衆生が脇目もくれずに一心に専念する、自力で励んで往生に回向する自力の信心・衆生の心であり、両者は決定的に異なる心である。この箇所において善導が釈する四修は、「所作の善法回して仏果を求むる」「一切の善根つぶさにすみやかに回して、阿弥陀仏国に往生せんと願ぜよ」というように、衆生が五念門を策ましてそれを自らの善根と為し、仏果・往生に回するという自力回向が明らかに説かれている。それ故に祖聖は四修を善導の顕の義・方便であると判じられて、四修を数えることや釈することは為されないのである。また四修を真実の教えの如く説く法然上人の釈においても、衆生が回向するという自力は一切説かれていないことが納得されるのである。このように、善導の四修の教えは大半が顕の義・方便であると見做さざるを得ないのであるが、祖聖が「化身土巻」に引用された部分の最後には、真実も説かれている。「四修自然任運にして、自利利他具足せざるはなし、知るべし。」という教えである。この最後の釈文に来るまでは、四修とは衆生の自力回向を勧める方便の教えであるように見えながら、最後では四修は自然任運であると説かれる。自然任運ということは、長時修・恭敬修・無余修・無間修の四修の全ては、衆生が四つを修そうなどとの意図・計らい無しに、衆生の意識に上らずに自然に修されるということであり、これは四修が他力回向の真実であることが明かされている。善導が説く四修の本意はここにある。それ故に四修は衆生が考えたり計らったりしてはならないことなのである。衆生が四つを修そうなどとの思いを微塵でも起こせば、他力回向の真実から外れて衆生自力の虚偽の行へと顛倒する。この点を法然上人も了されていたのであろう。善導の教相に依る上人は三心・四修ということを一応は説くが、「一枚起請文」においては
「但、三心四修と申す事の候うは、皆、決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内に篭り候う也。此外におくふかき事を存せば、二尊のあわれみにはずれ、本願にもれ候うべし。」 法然上人(一枚起請文)より
と説かれ、三心・四修ということは不可欠ではあるが「決定して南無阿弥陀仏にて往生するぞと思う内に篭り候う」であり、考え・計らってはならないと説いている。これは難しい課題であろう。この点に関して祖聖は、四修は説かないという態度を貫かれている。 
6、一行三昧

 

また『文殊般若』(意)にのたまふがごとし。「一行三昧を明かさば、ただ独り空閑に処してもろもろの乱意を捨て、心を一仏に係けて相貌を観ぜず、もつぱら名字を称することを勧む。すなはち念のうちにおいて、かの阿弥陀仏および一切の仏等を見たてまつることを得」と。
問ひていはく、なんがゆゑぞ、観をなさしめずしてただもつぱら名字を称せしむるは、なんの意かあるや。答へていはく、すなはち衆生障重くして、境は細に心は粗なるによりて、識揚り神飛びて、観成就しがたし。ここをもつて大聖(釈尊)悲憐して、ただ勧めてもつぱら名字を称せしむ。まさしく称名は易きによるがゆゑに、相続してすなはち生ず。
問ひていはく、すでにもつぱら一仏を称せしむるに、なんがゆゑぞ、境現ずることすなはち多き。これあに邪正あひ交はり、一多雑現するにあらずや。答へていはく、仏と仏と斉しく証して、形二の別なし。たとひ一を念じて多を見ること、なんの大道理にか乖かんや。また『観経』にのたまふがごとし。仏、坐観・礼念等、みな面を西方に向かふるを須ゐるは最勝なりと勧めたまふ。樹の先より傾けるは倒るるに、かならず曲れるに随ふがごとくなるがゆゑなり。かならず事の礙ありて西方に向かふに及ばずは、ただ西に向かふ想をなすもまた得たり。
問ひていはく、一切の諸仏三身同じく証し、悲智の果円かにしてまた無二なるべし。方に随ひて一仏を礼念し課称せんに、また生ずることを得べし。なんがゆゑぞ、ひとへに西方を歎じて、勧めて礼念等をもつぱらにせしむるは、なんの義かあるや。答へていはく、諸仏の所証は平等にしてこれ一なれども、も し願行をもつて来し収むるに因縁なきにあらず。しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して、光明・名号をもつて十方を摂化したまふ。ただ信心をもつて求念すれば、上一形を尽し下十声・一声等に至るまで、仏願力をもつて易く往生を得。このゆゑに釈迦および諸仏勧めて西方に向かはしむるを別異となすのみ。またこれ余仏を称念して障を除き、罪を滅することあたはざるにはあらず、知るべし。
一行 − 名字を称する 
この箇所の全てを、祖聖は「行巻」に引用されている。ただし釈は述べられてはいない。善導は「文殊般若経」から経文を引用し、それについて3つの問答を為している。「文殊般若経」は般若経典の一つであり、「般舟三昧経」と共に中国における浄土教の初期の時代に、念仏を行じることの依拠とされた経典である。念仏行のことは説かれているが、本願については説かれていないために、真宗において引用されることは少ない。初めの問答は、経が仏の相貌を観ずることを排して、専ら名字を称することを勧めている意を釈している。その意とは、衆生は障りが重く、観ずべき境界である仏の相貌は微妙・精細であるのに、観ずる衆生の心は粗雑であり、識(意識)は浮ついて種々の想念を起こし、神(精神)は動揺・散乱して定まらないために、観行を成就することは困難であるからということが説かれている。このような釈は、祖聖の「いずれの行もおよびがたき身なれば」(歎異抄)との表白も同様であるが、念仏は劣った行であるが、他の勝れた諸行を修することが出来ない我等凡夫においては念仏を行じるしか助かる可能性が無いからとの、半ば諦め・卑下を伴なった、そして念仏を貶めながら行じるというおかしな求道の根拠として誤解され易い。しかしながら、この釈は観行と称名とを並べて、称名こそ大聖釈尊が見出されて勧める一切衆生が平等に救われる勝行であることを説くものである。衆生は皆な凡夫であること、他の諸行は修し難いことは事実であって、それを自覚しなければならないが、自己において諦め・卑下といった自己過信と自己嫌悪が残っている心での求道や、ましてや称名を劣った行であると思いながらも仕方なく称えることを善しとするものが真宗ではない。念仏こそ最勝の如来の行であるという事実を見出さしめられるのが真宗である。
「文殊般若経」から引用されている経文は、諸行ではなく一行三昧を「仏を見たてまつることを得」と勧めており、その一行とは一仏の称名である。謂わば一仏の称名三昧を勧めているのであり、それは余行・諸行を排していると言えるであろう。一仏の名を称するといっても、「ただ独り空閑に処してもろもろの乱意を捨て」との条件が付いているから、自力の念仏が勧められているのではないかと思う人もいるかも知れない。確かに「文殊般若経」は自力・他力ということは明らかにされていないのである。ただし「独り空閑に処して」との経文を、字面どおりに独りで静かな所で称名すると解しても、真宗に違うことではないであろう。そのような場所でなければ十分に念仏をいただけないという人は、そのように為すことに問題は無い。大勢の人が集まる騒がしい場所でも十分に念仏をいただけるという人は、そのように為せばよい。念仏をいただくには、いただけるように為せばよいのであり、それが念仏のお計らいでもある。ただし本当に念仏をいただくことが出来れば、自ずから「一人(本来の自己)」となり、世界はどれだけ騒がしくても虚空の如くなる。そうなれば「乱意を捨て」ということも成就される。乱意はあまり生じなくなり、生じても直ちに転じられる。
一多雑現するにあらず 
第二の問いは、「文殊般若経」において「すなはち念のうちにおいて、かの阿弥陀仏および一切の仏等を見たてまつることを得」と説かれていることについて、勧めて一仏の名字を称せしめるというのに、阿弥陀仏及び一切の仏等を見ることを得ると説かれていることは、邪と正とが相交わって、一仏と多仏とが雑わって現われるという混乱した虚偽の証へと導く行が一仏の称名三昧ではないのか、との疑惑を表わしたものである。この問いに対して示される善導の答えは、「仏と仏と斉しく証して、形二の別なし。たとひ一を念じて多を見ること、なんの大道理にか乖かんや。」と仏教学的な難しい表現となっている。多仏とは諸仏であり、祖聖が「南無阿弥陀仏」の行の願として標挙されているのは「大経」の「第17願 − 諸仏称名の願」であるが故に、称名の行と諸仏とが密接に結び付いていることは驚くべきことではない。むしろ称名行と諸仏との結び付きの事実を了知せしめられることが肝要である。この善導の「一行三昧」の釈文も、祖聖は「行巻」に引用されているのであり、諸仏称名との「行巻」の義の中において引用されている。称名が何故に諸仏と結び付いているのかを説明することは難しい。諸仏は称名行の中において顕現するのであり、諸仏とは誰かということが分ってから称名するのではないからである。「経」にも「念のうちにおいて、かの阿弥陀仏および一切の仏等を見たてまつるを得」と説かれているとおりである。諸仏を見るといっても、あくまでも阿弥陀仏が根本である。ところが念仏行は「大経」に説かれている「仏々相念」(大経)の行であり、阿弥陀仏の一仏だけで成立する行ではない。「第17願」において法蔵菩薩は「設い我仏を得んに、十方世界の無量の諸仏、悉く咨嗟して我が名を称せずは、正覚を取らじ。」(大経)と誓われているが、この誓願は十方諸仏を念じていられる。この阿弥陀仏の念に応じて即時に無量諸仏が阿弥陀仏の名を称念・讃嘆するところに、真実の称名行が成立するのである。このことを明らかにされたのが祖聖である。祖聖より前は、称名行を根拠付ける「第17願」というものは殆ど無視されていた。真宗の称名は仏々相念であり、諸仏無くして阿弥陀仏だけにより成就される行ではない。もし阿弥陀仏だけで成就され得るのであれば、一切衆生はとうに往生している。諸仏とは誰か。それは称名の念のうちにおいて顕現する。「南無阿弥陀仏」の称名行は、念ずる者も念じられる者も仏であり、能念・所念不二の無我なる仏である。真実の称名行のうちには衆生の自我は顕われていない。衆生も自我が破られれば仏に等しい。ただし根本は阿弥陀仏である。阿弥陀仏が衆生と諸仏との根源である。衆生の自我が顕われている称名が自力念仏である。また諸仏とは、阿弥陀仏が発願する前から十方世界にいらっしゃる、阿弥陀仏の先輩の方々ではない。阿弥陀仏の発願、「十方世界無量諸仏・・・・・」との喚びかけに応じて諸仏が現われ、即時に阿弥陀仏の名を称念・讃嘆する。阿弥陀仏の喚びかけと諸仏の出現・称名は同時であるが、道理の上では阿弥陀仏の発願・喚びかけが根本である。この仏々相念の称名行の教えを知って、一多雑現する・邪正あい交わるなどと疑惑するのは、仏道の証を了知せずして思想として理解しようとする人である。
弥陀一仏 
第二の問いに対する答えの後半と、第三の問答においては、西方に向かうということが強調されている。西方ということは浄土教においては必ず出てくることである。これを文字の表面の意味どおりに、方角の中の真西の方角だけを重要視することになると、方便に止まることになる。方角の吉凶の卜占などは、真宗に叛くことである。本当の吉凶は、信心を得るか否かしかない。西方は阿弥陀仏一仏を表わす。何故に西方であって北方や東方等ではないのかは、明確な理由は分からない。おそらくは天体の運行や、インドのモンスーン気候等に由り、一切万物が帰するところということを象徴的に表わしているものと推測される。西方に向かうとは、阿弥陀一仏に向かう・帰することである。この箇所においては諸仏ということが説かれており、称名の行において諸仏が重要であることは「大経 − 第17願」を標挙された祖聖の教相においても明らかである。ただし善導は「諸仏の所証は平等にしてこれ一なれども、もし願行をもつて来し収むるに因縁なきにあらず。」と説いている。諸仏の所証は平等・一であるが、その根本は前述したとおり阿弥陀仏一仏である。阿弥陀仏の願行が一切を成就せしむる根源であり、諸仏の願行とて阿弥陀仏の願行より出づるものではない勝手な願行であれば、それは諸仏ではない。外道の聖者である。諸仏の願行をもって来し収むる因縁とは弥陀の願行である。諸仏の所証が平等・一であることも、根本が阿弥陀の一仏だからである。続けて「しかるに弥陀世尊、本深重の誓願を発して」と説かれているが、弥陀の誓願が本(もと)深重であるとは、諸仏の願の本・根本は深重なる弥陀の願であることを説いている。最後に「余仏を称念して障を除き、罪を滅することあたはざるにはあらず」と、この箇所の主旨に違うようなことが述べられているが、これは余仏を否定・排除・謗ることがあってはならないということが本意であろう。祖聖も
「おおよそ過去久遠に、三恒河沙の諸仏のよにいでたまいしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にもうあうことをえたり。他力の三信心をえたらんひとは、ゆめゆめ余の善根をそしり、余の仏聖をいやしゅうすることなかれとなり。」 (唯信鈔文意)より
と説かれているが、同じ趣旨であろう。衆生は因縁により先ず余仏を礼拝・称念するという形で仏教に入門することが少なくはないであろうが、いつまでもそこに止まっていてよいということではない。真宗を聞く縁を得れば、直ちに根本の阿弥陀仏一仏に帰すべしということが、この箇所の主旨である。一つ前の「釈迦および諸仏勧めて西方に向かはしむるを別異となすのみ。」との釈文が、この箇所の結論である。 
7、専雑得失

 

もしよく上のごとく念々相続して、畢命を期となすものは、十はすなはち十ながら生じ、百はすなはち百ながら生ず。なにをもつてのゆゑに。外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに、仏の本願と相応することを得るがゆゑに、教に違せざるがゆゑに、仏語に随順するがゆゑなり。もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、百は時に希に一二を得、千は時に希に三五を得。なにをもつてのゆゑに。すなはち雑縁乱動するによりて正念を失するがゆゑに、仏の本願と相応せざるがゆゑに、教と相違せるがゆゑに、仏語に順ぜざるがゆゑに、係念相続せざるがゆゑに、憶想間断するがゆゑに、回願慇重真実ならざるがゆゑに、貪・瞋・諸見の煩悩来り間断するがゆゑに、慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑなり。懺悔に三品あり。一には要、二には略、三には広なり。下につぶさに説くがごとし。意に随ひて用ゐるにみな得たり。また相続してかの仏恩を念報せざるがゆゑに、心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり。なにをもつてのゆゑに。余、このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異なることあり。ただ意をもつぱらにしてなせば、十はすなはち十ながら生ず。雑を修して至心ならざれば、千がなかに一もなし。この二行の得失、前にすでに弁ぜるがごとし。仰ぎ願はくは一切の往生人等よくみづから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形にありては少苦に似如たれども、前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。あに快きにあらずや、知るべし。
十即十生、百即百生 − 仏の本願と相応 
この釈文の殆どを、祖聖は五つに分解して「教行信証」に引用されている。
「もしよく上のごとく念々相続して、畢命を期となすものは」から「仏語に随順するがゆゑなり。」まで 「行巻」
「もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは」から「懺悔に三品あり。」まで 「化身土巻」
「かの仏恩を念報せざるがゆゑに」から「往生の正行を自障障他するがゆゑなり。」まで 「化身土巻」
「このごろみづから諸方の道俗を見聞するに」から「千がなかに一もなし。」まで 「化身土巻」
「仰ぎ願はくは一切の往生人等よくみづから思量せよ」から「あに快しみにあらずや。知るべし」まで 「信巻」
釈文の中間部分は「化身土巻」へ引用されているが、まとめて(続けて)引用されているのではなく、三つの部分に分けて引用されている。祖聖が引用されている「巻」を見れば、冒頭の「行巻」に引用されてる釈と、末尾の「信巻」に引用されている釈とが真実であり、中間の「化身土巻」に引用されている部分は方便・仮の教えであると言ってよいと思う。
先ず、冒頭の「行巻」に引用されている釈を見る。初めの「もしよく上のごとく念々相続して」とは、前の「一行三昧」の段において説かれた阿弥陀仏一仏の称名三昧を、よく念々相続して行じるということである。次の「畢命を期となすものは・・・・・生ず」とは、誤解され易い釈であろう。「期」を限りとするとか、期待するという意味に解釈する人がいるが、そういう人は「畢命」を人寿数十年の終わりと解釈する。称名三昧を臨終までを限りとして相続する者はとか、臨終の時を期待して称名を相続する者はとの意味に解釈して、そういう者は臨終後・死後に浄土に生まれることが説かれていると考える。このような考えは浄土方便の教であり、祖聖が「行巻」に引用される筈は無い。真宗の救い・生まれるとは、信心歓喜・即得往生・住不退転以外にはない。臨終後に生まれることを期待して称名を続けるのであれば、即得往生ではない。即得往生していなければ、臨終後には往生出来るなどということを保証する教えは真宗には無い。いくら期待をかけたところでいかがなものか。また臨終までを限りとして称名を続けるという人は、称名を行じることが少々しんどい・面倒である・あまり好きではないという人であろう。助かる・生まれるためなら臨終までは称名を励もうという人である。それでは、死後になってから称名出来ると言うのか? との理屈を言うのかも知れないが、称名とは人間の理屈の世界の行ではない。「南無阿弥陀仏」は人の生存中とか死後という人間が描いている世界観・生命観を超えている。
それでは「畢命を期となす」とは如何なる意味であるのか? 先ず「期」は機会・期縁であろう。宿縁に由り成じる時節ということである。「畢命」とは間違い無く命終である。ただし数十年の人寿の終わりではない。
「本願を信受するは、前念命終なり。
「すなわち正定聚の数に入る。」(論註)文
「即の時必定に入る」(十住論)文
「また必定の菩薩と名づくるなり」(十住論意)文 」  (愚禿鈔)より
これは善導が釈の末尾で用いている「前念命終」との語を祖聖が釈された教えである。本願を信受することそのことが前念命終である。この信とは如来の御心であり、つまりは如来である。「受」とは大乗の教学では、定めて自己のものとするという意味である。衆生が本願・如来を定めて自己のもとする。如来の側から言えば、本願・如来が衆生を摂取して捨てない。別の言い方を用いれば、本願・如来が衆生を定めて自己のものとする。この一念に、衆生の自力の命は終わるのである。自力の命が終わって、新しい本願・如来という命に生かされる。曽我量深先生は「信に死し、願に生きる。」と説かれる。この前念命終が畢命である。宿縁に由り成じる畢命・前念命終の時節に、十即十生・百即百生する、つまり一つも間違いなく本願・如来という命に生かされる。このことを「すなわち正定聚の数に入る。」等のお聖教の言葉を以って祖聖は説かれる。このような宗教的な死というものをくぐらずして、のうのうと生きて、死後の往生を期待しながら称名を相続するべきことが説かれているのではない。
念々相続して畢命を期とし・宿縁に由り成じる時節に前念命終すれば、何故に十即十生・百即百生するのかということが次に説かれている。先ず「外の雑縁なくして正念を得るがゆゑに、仏の本願と相応することを得るがゆゑに」と。正念とは「称名はすなわちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなわちこれ念仏なり。念仏はすなわちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなわちこれ正念なりと、知るべしと。」(行巻)と祖聖が説かれているとおり、「南無阿弥陀仏」である。正念の「南無阿弥陀仏」は、本願力回向のみを増上縁として得しめられる。他の縁が、それは衆生の自力の諸縁であるが、雑わっていたのでは正念の「南無阿弥陀仏」を得ることは出来ない。本願「大経 − 第十八願」において「至心・信楽・欲生我国、乃至十念」と説かれているとおり、如来の清浄・真実なる至心・信楽・欲生(欲生は回向心である。)を回向されての乃至十念の「南無阿弥陀仏」を得ることが、外の雑縁なくして正念を得ることである。これはもはや、仏の本願と相応することを得ることである。相応するとは、本願の内容とうわべばかり適うことではない。もはや本願と一つに成らしめられる。仏願が衆生の願と成る。衆生が仏願という新しい命に生かされることである。それ故に、間違い無く十即十生・百即百生である。次に「教に違せざるがゆゑに、仏語に随順するがゆゑなり。」と説かれている。これも言葉の教や仏語にうわべばかり適うことではない。教に違せざるとは、やはり教と一つに成らしめられること、真実教が衆生の身となって生きていることである。真実教は如来の還相回向である。それ故に教に違せざるとは、如来の回向そのものが衆生の身となり、衆生が生かされていることである。仏語に随順すると説かれているが、仏語とは善導においては「観経疏 − 二河白道の喩」の中で説かれる「釈迦の発遣」「弥陀の召喚」の二尊の勅命であろう。二尊の勅命を聞いて随順する、信順する。勅命が本当に聞えた時が、随順・信順した時である。つまり真実信心の獲得である。それ故に、十即十生・百即百生、一つも間違いなく生まれる。間違いの無い道理が説かれているのであるから、この部分の教説は真実である。
雑の失 
(1) 雑の失の九つの根拠 
続く釈文の中間部分を、前述したとおり祖聖は「化身土巻」へ三つの部分に分けて引用されている。「化身土巻」へ引用されているのであるから、仮・方便の教えであると見るべきであろう。先ず第一の部分、「もし専を捨てて雑業を修せんと欲するものは」から「懺悔に三品あり。」までを見る。専を捨てて雑業を修せんと欲するものは、と説かれる「専」とは前の部分までで説かれていた、阿弥陀仏一仏の称名三昧をよく念々相続して行じることである。その専を捨てるとは、つまり称名の一行三昧を捨てるのである。そして雑業を修せんとする。雑業の語は、善導が「観経疏」で用いる雑行と同じであるが、祖聖は雑行の語をよく用いられるので、この後は雑行と記す。称名の一行三昧を捨てて雑行を修する者は、「百は時に希に一二を得、千は時に希に三五を得。」と説かれている。希にしか生まれず、殆ど生まれないということである。希に生まれることに賭けて雑行を修することも完全には排されてはいないが、これは方便であって釈の後半においては「千がなかに一もなし。」と明らかにされている。つまり雑行を修して生まれることは無いのである。生まれないことの根拠がいくつか挙げられているが、まず「なにをもつてのゆゑに。すなはち雑縁乱動するによりて正念を失するがゆゑに、仏の本願と相応せざるがゆゑに、教と相違せるがゆゑに、仏語に順ぜざるがゆゑに、」と説かれている。これらは「行巻」に引用された部分に説かれていた、百即百生の四つの根拠と全く逆である。雑縁つまり衆生自力の諸縁が雑わって衆生が仏願という新しい命に生かされることが無く、真実教が衆生の身となって生きていることが無く、つまり生まれないのである。真実の道理に叛くが故に生まれない。雑行の者が生まれないことの根拠として、さらに五つが挙げられている。先ず「係念相続せざるが故に」と説かれている。この釈は「係念」という語から、「大経 − 第二十願」に依っているのではないかと思われる。
「設い我仏を得たらんに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、諸もろの善本を植えて、心を至し回向して、我が国に生まれんと欲わん。果遂せずは正覚を取らじ。」 (大経 − 「第二十願」)
ここで「第二十願」の意を詳しく述べることは為さないが、二十願の機は「我が名号を聞きて」との仏願に適っているから、称名の一行三昧を行じることは為している。しかし称名が念々相続・係念相続しないから、仏願に適わず生まれないというのが善導が示す根拠であろう。ただし念々相続と係念相続とは意味が異なるであろう。念々とは前述したように、如来の清浄・真実の御心を回向されての念々、前念命終・後念即生である。それに対して係念とは、衆生が自分の意業として念を浄土に係けることであり、称名が如来回向ではなく衆生の自力回向である。「心を至し回向して」との経文も、自力回向である。それ故に係念が相続しても、二十願の機は果遂することが成就されるだけであり、真実報土に生まれてはいない。衆生が本願の命に生かされてはいない。善導は「第二十願」については釈していないので、このようなことは祖聖が三願の教学を説かれたが故に推察出来るのである。
善導ともなれば「第二十願」の本意を解かっていたであろうから、「係念相続せざるが故に」生まれないという根拠は方便であろう。たとえ係念相続しても生まれないのである。このような点において、釈のこの部分を祖聖は方便であると教判されて「化身土巻」に引用されるのであろう。次に「憶想間断するがゆえに」と説かれる。憶想が憶念弥陀仏本願であれば、これは真実の教えになるが、憶想との語に観想行との意味を感じる。仏の相好や浄土の荘厳を微細に観想(イメージ)する、「観経」に説かれる十三種の観法である。これは真宗においては方便の行であり、衆生においては行じ難い。イメージが経に説かれていることから外れれば妄想であり、経に説かれるとおりにイメージ出来ても粗想であると説かれる。この難行を修して得る利益は念仏三昧であると説かれる。「観経」が観想行を説くのは、仏道の修行とは結跏趺坐して静慮・瞑想に耽ることであるとの考えを離れることが出来ない修行者を、観行の修し難いことを示して念仏に導くためである。憶想が観想であるとすれば、善導が憶想間断するが故に生まれないという意味で説いていることは方便であり、たとえ憶想間断しなくても生まれないのである。次に「回願慇重真実ならざるがゆゑに」と説かれる。「回願」とは回向発願である。善導における回向発願の義を、祖聖は衆生の自力の回向発願であると見て取られている。「3、安心」の箇所において善導が「所作の一切の善根ことごとくみな回して往生を願ず。ゆゑに回向発願心と名づく。」と釈していたとおり、衆生が先ず善根を為して浄土へ回向し、それから浄土へ生まれたいと願じることが回向発願であるから、自力である。これに対して善導が「観経疏 − 六字釈」において釈している「南無と言うは、・・・・・亦た是れ発願回向の義なり。」との中の発願回向は、祖聖が「発願回向と言うは、如来すでに発願して、衆生の行を回施したまうの心なり。」(行巻)とご自釈されているとおり、如来の発願回向である。回向と発願の語の順序の異なりで、自力か他力かという義を区別している。ここの箇所では回向発願が説かれているのであるから、自力念仏のことが言われている。自力の回向発願は当然ながら、如来と慇懃重からずして如来と疎遠であり、また真実ではあり得ないが故に生まれないのである。善導が回願が慇重で真実であれば生まれるという意味で説いている可能性もあるが、もしそうであれば、この教えは方便となる。回向発願が慇重真実であることはない。慇重真実であるのは如来の発願回向である。次に「貪・瞋・諸見の煩悩来り間断するがゆゑに」と説かれる。この釈が、煩悩来たりて称名の一行三昧が間断するが故にということに重点が置かれているのであれば真実であるが、貪・瞋・諸見の煩悩が来るということに重点が置かれているのであれば方便である。真宗は「不断煩悩、得涅槃」(正信偈)であるからである。最後に「慚愧・懺悔の心あることなきがゆゑなり」と説かれる。これは真実である。ただし続く「懺悔に三品あり。一には要、二には略、三には広なり。下につぶさに説くがごとし。意に随ひて用ゐるにみな得たり。」と釈されているのは方便である。この部分は祖聖は引用されていない。代わりに「下につぶさに説くがごとし」と示されている、本書の大半を占める礼讃の行儀について記す「正明段」(本ページでは扱っていない)の中に記される
「上品の懺悔とは、身の毛孔の中より血を流し、眼の中より血出だすをば、上品の懺悔と名づく。中品の懺悔とは、遍身に熱き汗毛孔より出ず、眼の中より血の流るるは、中品の懺悔と名づく。下品の懺悔とは、遍身徹り熱く、眼の中より涙出ずるをば、下品の懺悔と名づく。これらの三品、差別ありといえども、これ久しく解脱分の善根を種えたる人なり。今生に法を敬い、人を重くし身命を惜しまず、乃至小罪ももし懴すればすなわちよく心髄に徹りて、よくかくのごとく懴すれば、久近を問わず、所有の重障みなたちまちに滅尽せしむることをいたす。もしかくのごとくせざれば、たとい日夜十二時、急に走むれども終にこれ益なし。差うて作さざる者は、知りぬべし、と。流涙流血等にあたわずといえども、ただよく真心徹到する者は、すなわち上と同じ、と。」 (化身土巻 − 善導「往生礼讃」より引用)より
との釈文を引用されている。善導のこの釈文を見ても、三品の懺悔というのは方便であることが分かる。衆生に流涙はあるが、流血はあり得ない。末尾の「流涙流血等にあたわずといえども、ただよく真心徹到する者は、すなわち上と同じ」というのが真実である。もし形ばかり流血したとしても、生まれることを得ない。「ただよく真心徹到する者」が生まれるというのが真実であり、真心徹到すれば形ばかりではなく真実に慚愧・懺悔せしめられる。このように、雑に失有りということは真実であるが、それを説くこの部分には真実ばかりではなく、特に生まれない根拠としての後の五つの教説に方便が雑っている。それ故に祖聖は、この部分を「化身土巻」に引用されると思われるのである。
(2) 雑心は自力 
次に第二の部分、「かの仏恩を念報せざるがゆゑに」から「往生の正行を自障障他するがゆゑなり。」までを見る。この部分では雑の失として四つが説かれているが、前の部分の教説は真仮雑わっているのに対し、この部分は真実だけが説かれていると思う。ここで真実・方便と言っている意味をはっきりさせておくが、前の部分では雑行を修する者は「・・・・・が故に」生まれないということが九つ説かれていた。その中で初めの四つは、「・・・・・が故に」生まれないということと逆であれば生まれるのである。従って真実の道理に適わないが故に生まれないとの表現を以って、真実の道理が説かれている。後の五つは、「・・・・・が故に」生まれないと説かれていても、その逆であっても生まれないのである。逆であれば生まれると説かれているように見えるのであるが、それは真実の道理を表わしていないが故に方便である。このような前の部分に対して、この部分では雑行の四つの失が説かれているのであるが、いずれも雑行を修して生まれない者の相(あり様)が説かれているのであり、この相は全て我々が身につまされる自力の仏法者の姿が赤裸々に説かれている。おまえは他力の正定業の道を歩んでいるつもりであっても、このようなあり様・姿であれば実際には自力の雑行に沈んでいて、本願真実に叛いているぞ、との鋭い指摘である。よくぞ指摘していただいたと、我々が日常において気付かされ、慚愧させられるべき教えである。こういう意味で真実が説かれている。ただし真実に叛く者の相が説かれているが故に、「化身土巻」に引用されている。前の部分のように、内容に方便が雑っているということではない。
ところで善導のこの釈は、前の第一の部分も含めて「専を捨てて雑業を修せんと欲するもの」は生まれないことが説かれている。ところが、祖聖がこの第二の部分を引用する直前には、「真に知りぬ。専修にして雑心なるものは大慶喜心を獲ず。かるがゆえに宗師(善導)は、」(化身土巻)と説かれており、善導教学において定義されている雑行つまり五正行以外の諸行や助業・正定業を兼行する雑修のことを直接的に問題とされているのではなく、専修念仏にして雑心なるものを問題とされていることが分かる。雑心の雑の語は、祖聖が「「雑」の言は、人天・菩薩等の解行雑せるがゆえに「雑」と曰えり。本より往生の因種にあらず」(化身土巻)と説かれているのであるから、この第二の部分を祖聖は人天・菩薩等の解行雑せる自力の称名を行じる者の失の四つの相として、善導の釈文を引用されていることになる。 この点を留意して、雑心の失として先ず「かの仏恩を念報せざるが故に」と説かれている。仏恩を念報すれば生まれるとの、往生の因が説かれているのではない。生まれるために仏恩を念報するとしても、生まれていない者には仏恩は解からない。将来助けてくださるであろうとの期待として思い描いた仏恩であり、仏恩の事実ではない。仏恩の事実が成就された者だけが、仏恩を念報せしめられる。仏恩が事実とはなっていないが故に念報出来ない者は、雑心の称名を行じる者である。本より生まれないが故に、たとえ諸行ではなく称名の一行三昧を修していても、仏恩を解からず念報することは出来ないのである。口ばかりで、ありがたやと言っていても仏恩念報にはならない。この釈を善導は専(称名の一行三昧)を捨てて雑業を修せんと欲するものの失の相として説いているのであるが、祖聖はさらに厳しく、専称名を行じていても雑心の自力念仏であっては生まれず、仏恩を念報出来ないと批判されているのである。
次に「心に軽慢を生じて業行をなすといへども、つねに名利と相応するがゆゑに、」と説かれている。この箇所を祖聖は「業行を作すといえども心に軽慢を生ず。常に名利と相応するがゆえに、」(化身土巻)と訓み換えていられる。意味が大きく変わってくるとは感じられないが、善導の釈は専を捨てて雑業を修せんと欲するものについて説かれているので、そのようなものは始めから心に軽慢を生じており、雑業の業行を為しても常に名利と相応していることを説いている。祖聖の場合の業行は専修念仏を指すので、専修念仏を為しても心に軽慢を生じることが先ず説かれている。このような人は念仏の専修は無上の勝行であるとの教えを聴いているであろうから、念仏して自ら無上の功徳を積んだと誇る慢心を起こし、他を貶めて軽んじることになる。専修念仏は仏の大行であるが故に無上の勝行であることを了知せず、自分の善根として念仏して、念仏した功績を考えて心に軽慢を生じる自力念仏の行者である。念仏を行じることは、常に名利と相応している。名利を欲するが故に自分は偉くなりたいと願い、そのためには無上の功徳である念仏を唱えればよいと思って行じる。無我を目指す筈の仏道を、偉くなるための自力・我執の道であると勘違いしている。これが雑心・自力の称名を行じる者の失の二番目の相である。
次に「人我おのづから覆ひて同行善知識に親近せざるがゆゑに、」と説かれているが、これも祖聖におかれては雑心・自力の称名を行じる者の失の三番目の相である。これは前の二番目の相と関係していると思う。名利を得るために専修念仏を行じて偉くなりたいと思っているのであるから、同じ専修念仏の同行・善知識の中に入っていけば大して偉くない。専修念仏が当然であるから名利を得ることは出来ない。しかも専修念仏を行じて心に軽慢を生じている自分の失を突かれて、恥をかくかも知れないことを怖れる。専修念仏の僧伽からは離れて、念仏に関心を懐いている程度の人々の中で念仏は無上功徳であることを説き、人々の前で念仏して自分の殊勝な姿を見せることを好むのである。僧伽に帰依しないのであるから、形ばかりは専修念仏の行者であっても仏法者ですらない。これらは全て、人我つまり自力・我執におのずから覆われているが故の相・姿である。
最後に「楽ひて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他するがゆゑなり」と説かれている。雑心・自力の行者は楽(ねが)って雑縁に近づく。雑縁とは、善導は専修念仏ではなく雑行を修することを意味しているのであろうが、祖聖におかれては専修念仏者の失として引用されているのであるから、仏法以外の縁であろう。念仏すれば悪人でも助かるというように教えを勝手に解釈して(念仏しても善人でなければ助からないということを言っているのではない)、念仏だけを行じていればあとは何をしても良いと思って欲するままに世間の諸縁に近づいていく。自然に近づくことになるのではなく、自ら意図して近づいていく。これは仏にお任せしているのではなく、自分に任せて恣にしているのである。そして往生の正行を自障・障他する。正行とは善導は雑行ではない五正行を意味しているのであろうが、祖聖の場合は五正行の中の正定業・称名だけを専修する者の失を説かれているのであるから、正行とは雑心・自力の称名ではない、如来回向の大行を意味するものと見るべきであろう。表面だけの専修念仏を示して、我執のままに楽って世間の縁に近づいている自力の念仏者は、他力回向の真実行としての名号を聞くことにおいて自らを障害し、さらに他者をも障害するという失を犯すことになるが故に、生まれないと説かれている。善導のこの部分の釈文を、祖聖はいかに「化身土巻」へ引用されているかを見ると、正行や雑行との語を善導が意味するとおりに解すると祖聖の本意が聞き取れないことが分かる。真宗において善導大師のお聖教というものは大変に難しいものだと思う。やたらに読むと真仮を混乱する。やはり祖聖の教えに照らして読むべきである。
(3)解行不同の専雑 
次に第三の部分、「このごろみづから諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異なることあり。ただ意をもつぱらにしてなせば、十はすなはち十ながら生ず。雑を修して至心ならざれば、千がなかに一もなし。この二行の得失、前にすでに弁ぜるがごとし。」を見る。「雑を修して至心ならざれば」の部分を、祖聖は「雑を修するは至心ならざれば」(化身土巻)と訓み換えられている。雑を修し、かつ至心でなければ千中無一であるとの意味に解される可能性を排し、雑を修する者は当然ながら至心ではないので千中無一であるとの意味に解するべきことを明瞭にされている。善導は雑の語に五正行以外の雑行、あるいは正定業と助業を兼行する雑修の意味を含めて、その失を説いていると思われる。それに対して祖聖は、前の「(2)」の箇所で引用したとおり雑の語を、人天・菩薩等の解行雑せるとの意味として説かれていると見るべきであろう。いくら外見は専修念仏ではあっても、人天等の解行が雑わっていては自力である。自力であれば至心(如来の真実心)ならず、本願つまり「大経 − 至心信楽の願」から外れているが故に、千中無一であると祖聖は説かれている。この部分の善導の釈文には、「解行不同にして専雑異なることあり。」と「解行」との語が用いられている箇所があるが、祖聖はこの文から触発されて、雑とは人天等の解行雑せることであるとの深い領解を得られたのかも知れない。そうすると解行不同とは、人天等の解行が雑わらない専と、雑わる雑との不同を意味することになろう。行の形が五正行か否か、正定業の専称か兼行かということの不同を善導は問題としているのであり、その問題は勿論重大である。それを祖聖はさらに善導の本意を窮められたのであろう。正定業の専称であっても、さらに人天等の解行が雑わらないか、雑わるかの専雑の異なり・不同を問題とされている。その不同は決定的であり、専は十即十生、雑は千中無一である。
善導の「専雑得失」の釈文の中間部分、「化身土巻」に引用された部分を、祖聖は念仏の専修か否かを問題とすることをさらに深めて、専修念仏ではあっても自力か他力か、衆生に立つか如来に立つかを弁別されている。自力・衆生に立つ雑心なる専修念仏者は、本願と一つに成らしめられて仏願が衆生の願と成り、衆生が仏願という新しい命に生かされることが無い故に、千中無一なのである。仏願という命に生かされることが無くして、雑であっても「百は時に希に一二を得、千は時に希に三五を得。」ということは方便であり、あり得ない。
今身に前念命終・後念即生 
この釈文の最後の部分を、祖聖は「信巻」に引用されている。善導の釈文は「仰ぎ願はくは一切の往生人等よくみづから思量せよ。すでによく今身にかの国に生ぜんと願ずるものは、行住坐臥にかならずすべからく心を励まし、おのれを剋して昼夜に廃することなく、畢命を期となすべし。上一形にありては少苦に似如たれども、前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の法楽を受く。すなはち成仏に至るまで生死を経ず。あに快きにあらずや、知るべし。」と説かれているが、これを祖聖は数箇所を訓み換えて全体を次のように訓まれている。
「仰ぎ願わくは一切往生人等、善く自ら己が能を思量せよ。今身にかの国に生まれんと願わん者は、行住座臥に、必ず須らく心を励まし己に剋して、昼夜に廃することなかるべし。畢命を期として、上一形にあるは少しく苦しきに似如たれども、前念に命終して後念にすなわちかの国に生まれて、長時・永劫に常に無為の法楽を受く。乃至成仏までに生死を径ず、あに快しみにあらずや。知るべし、と。已上」 (信巻)より
善導の釈と異なる点を挙げることは、煩瑣になるので行なわない。先ず「仰ぎ願わくは一切往生人等」と、教えの聞き手に呼びかけている。一切往生人とは、正行・雑行を問わず往生を願って何らかの行を為している人、等とはそれ以外の人、往生浄土門ではなく聖道門に入って修行している人、仏教に心を寄せて教えを読む人等の一切衆生に呼びかけていられる。教化者意識を以って他人に呼びかけているのではない。祖聖が善導の本意を聞けと、祖聖自身に呼びかけていられる。その願いはもはや祖聖の願いではなく、仏願である。善導の願も同一である。仏願を仰ぎ帰命せしめられれば、「願わくは」と自然に出てくる。「善く自ら己が能を思量せよ。」と、一切衆生が自己自身を内省することを促がされる。専雑の得失について客観的に思量して判断せよと仰るのではなく、たとえ専修念仏であろうと自分が雑・自力の行を励んで生まれることが出来る能を有しているかどうかを内省せよと、自他に促がされる。自尊心・自負心・理想追求等の不純粋な思いに惑わされずに、本当に己の能を内省すれば答えは自ずから明らかである。
次に「今身にかの国に生まれんと願わん者は、行住座臥に、必ず須らく心を励まし己に剋して、昼夜に廃することなかるべし。」と説かれる。善導のように「畢命を期となす」の句をこの文に入れることは為さずに、次の文に回わされていることに由り、冒頭の「今身に」との語が明瞭になる。かの国に生まれることは今身に、つまり現在一念のこの身に成就されるとの教相が明確にされている。今一念のこの身にかの国に生まれることを願う者は、どうするべきかが説かれている。それを、この文の最後に「畢命を期となすべし」と入れてしまうと、今身の語の意味が不明瞭になり、今の数十年の寿命の畢わりにかの国に生まれることを願う者はどうするべきかが説かれているようにも解釈されかねない。ただし善導の本意がそのようであったとすれば、冒頭に今身との語を置くことはまずあり得ず、今生の終わりにとか、来生にというように述べられる筈である。大乗仏教において「身」との語は、厳然たる現実・実存・ダーザインを意味する自覚としての語であり、考えられた将来の自分を意味する語ではない。ましてや「今」の字が付いていればなお更である。善導「観経疏」等に表白される「二種深信」の中の「自身」である。祖聖が言われる「そくばくの業をもちける身」、「三帰依文」の中の「この身今生において度せずんば・・・・・」の身である。考えられた私ではなく、現実存在としての私である。人間は今身を忘れると現実存在の自己を見失い、観念としての将来とか来世の自分を問題とするようになる。従って今、此処で、この身にかの国に生まれることを願う者はどうするべきかが説かれている。「心を励まし」と説かれていると自力の修行を思わせもするが、次に「己に剋する」と説かれており、これは自分に克つ、自分が砕かれる・破られるとの、やはり他力の念仏に由り自我が克服されることを意味するものであろう。「昼夜に廃することなかるべし。」とは当然ながら一昼夜ということではなく、二昼夜でも三昼夜でも何十年でも、つまりは永遠ということであるが、一昼夜とか永遠という時間の経過において廃することなかるべしというのではない。今身に廃することなかるべしということである。つまり今、此処で、この身に称名を廃することがあってはならないということである。常に今である。今以外には何も無い。将来は予想されたものであるから、将来において称名することは出来ない。将来においても称名を続けることを決意したからとて、現在の自覚には関係しない。昼夜に廃することなかれとは、常に現在に廃することなかれということである。今身にかの国に生まれることを願う者は、今身に自分が破られて、称名を廃することがあってはならないと説かれている。今身に自分を破るのは何か。称名である。今身に称名が自分を破れば、今身にかの国に生まれる。「南無阿弥陀仏」に召される。
最後に「畢命を期として、上一形にあるは少しく苦しきに似如たれども、前念に命終して後念にすなわちかの国に生まれて、長時・永劫に常に無為の法楽を受く。乃至成仏までに生死を径ず、あに快しみにあらずや。知るべし、と。」と説かれる。ここに「畢命を期として」との句は、「前念に命終」することを期としてとの意味であることが明らかにされている。今身に畢命・前年命終するのである。そうしないと「後念即生」しない。「前念命終・後念即生」が真宗の往生の道理である。命終しないように執着していては、後念即生出来ない。前念命終することが肝要であって、前念命終しさえすれば、あとは何も為すこと無く、そのまま後念即生する。今身に前念命終しないで後念即生することだけを望んでも、それは虫の良い勝手な願望であって、道理に適わないが故に成就されない。この命終・往生の道理を、祖聖は「愚禿鈔」において詳しく説かれている。
本願を信受するは、前念命終なり。
「すなわち正定聚の数に入る。」(論註)文
即得往生は、後念即生なり。
「即の時必定に入る」(十住論)文
「また必定の菩薩と名づくるなり」(十住論意)文
他力金剛心なり、応さに知るべし。
便(すなわ)ち弥勒菩薩に同じ。
自力金剛心なり、応さに知るべし。 『大経』には「次如弥勒」と言えり。文 (愚禿鈔)より
祖聖は今生の臨終時の一念などは説かれていないのである。祖聖におかれては、「前念命終 なり」とは「本願を信受する」ことであることが明言されている。それはそのまま「すなわち正定聚の数に入る」(「論註」より引用)である。本願を信受する一念に命終すると説かれる、その命とは常識的な意味での身体の命ではない。我執の命・自力の命・迷いの命・無明の闇に覆われた命・如来に叛いてきた命とも謂うべき命である。真実の命を了らず、真実の命に逆らってきた命である。その古い命が、無始以来広劫に相続してきた古い命の暴流が、本願を信受することに由り断じられ、命終するのである。その本願信受の命終の一念が、そのまま「後念即生」であり、それが「即得往生」である。命終の前念と即生の後念とは、前後二念を説いているようであるが、実には時間的前後の二念ではない。命終と即生とは一念同時である。ただし道理の前後がある。時間的には前後無しの一念同時であり、その一念において道理の前後がある。 本願信受に由り古い命が終われば、その一念に自然に新しい命が生じる。古い命が終わればよい。さらに新しい命を生じさせようとせずとも、古い命が終わったところに、新しい命が顕われている。それが「即の時必定に入る」(「十住毘婆沙論」より引用)である。命終の「すなわち正定聚の数に入る」と、即生の「即の時必定に入る」とは同じことである。前後二念の二つの事柄が起こるのではない。本願信受の一念に命終し、それが即生である。「また必定の菩薩と名づくるなり」と、本願信受 して命終するまでは、単なる「行者」であった。それが命終・即生して、そこに「必定の菩薩」が誕生する。外見は何も変わらない。他人が見ても違いは分からないが、命が入れ替わっているのである。「生と謂うは得生者の情ならんのみ。(「論註」より)」である。実には無生である。実の生ありと固執してきた古い命が破られ て、無生を忍得するのである。この衆生をして命終・即生せしめる本願信受は、「他力金剛 心なり、応さに知るべし」である。迷いの衆生の命が破られ、如来・他力の命に生かされる。 もはや主体は本願である。本願が機となった。これを曽我量深先生は「信に死し、願に生きよ」と説かれる。それでは命終・即生の一念はいつか? 本願信受した時である。本願信受するのはいつか? 「今」である。今この時の一念にである。今の一念に本願信受して命終 ・即生せしめられる。過去の一念は関係無い。今、この一瞬に本願信受の一念に立つ。常に今である。それ故に前念命終・後念即生は念々である。念々であるが故に、常に新しい命に生かされる。常に新鮮である。飽きる・陳腐化するということが無い。もし本願信受を過去の一念で善しとして、その後は後念相続であるとすれば、命終・即生は念々には行なわれなず、陳腐化してくる。真実の生である即生の寿命は一念である。無量寿はこの一念にある。寿命無量が一念に摂まっている。一念の寿命無量である。それ故に念々命終・念々即生は、常に今において為されなければならない。結びは、今身にかの国に生まれて「長時・永劫に常に無為の法楽を受く。乃至成仏までに生死を径ず」と説かれる。長時・永劫に常に、とは繰り返し述べている現在一念である。無為の法楽とは、得ようと求めて得られる苦に対する楽ではなく、苦楽を超えた大楽であり、根(感覚器官)が感受する楽ではなく、智慧より生じる楽である。法性の常楽であり、極楽無為涅槃界である。実には名号「南無阿弥陀仏」に無為の法楽が具わっている。乃至成仏までに生死を径(へ)ずとは、往生人が仏のはたらき・利他を行じるに至るまでに生死流転を経ないことである。これも生死がもはや無くなってしまうことではなく、生死を超える、生死は有っても無きが如しということである。生死は有っても問題とならず、仏道・利他を行じる障りとはならない。今身に前念命終・後念即生すれば、智慧所生の法楽を受け、生死は有っても生死を超えることが説かれている。この部分の善導の釈は、今身に往生すること、命終と即生、生まれてどうなるのかという、真宗における方便ではない真実が簡潔に明かされている重要な教えである。それ故に、祖聖は「信巻」に引用されている。 
8、摂受弟子

 

もし入観しおよび睡眠する時は、この願を発すべし。もしは坐し、もしは立して一心に合掌し、面を正して西に向かへて、十声、阿弥陀仏・観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆を称しをはりて、弟子[某甲]現にこれ生死の凡夫、罪障深重にして六道に淪みて、苦つぶさにいふべからず。今日善知識に遇ひて、弥陀の本願名号を聞くを得たり。一心に称念して往生を求願せよ。「願はくは仏の慈悲、本弘誓願を捨てたまはずして摂受したまへ。弟子、弥陀仏の身相・光明を識らず。願はくは仏の慈悲をもつて弟子に身相、観音・勢至・諸菩薩等およびかの世界の清浄荘厳・光明等の相を示現したまへ」と。この語をいひをはりて一心正念にして、すなはち意に随ひて入観し、および睡れ。あるいはまさしく発願する時すなはちこれを見ることを得るあり。あるいは睡眠する時見ることを得るあり。至心ならざるを除く。この願このごろ大きに現験あり。
一切に一心合掌 
この箇所の釈においては、念仏の行者が入観あるいは睡眠する直前には、ある願を起こすべきことが説かれている。入観とは観行に入ることであるが、ここで善導がいう観行とは「観経」に説かれる観想の行を指すものではなく、称名を指すと見るべきであろう。後の部分で「一心に称名して」と説かれているからである。念仏と言えば称名念仏のことを指し、浄土の観想や観仏の行を指さないことは、法然上人や祖聖から明瞭に区別されてきたことである。それ以前は念仏と言っても観仏を意味することもあり、また観行・観仏と言っても称名念仏を意味することもあって、行の名に明確な区別があったわけではない。そこで称名念仏を始める前や、就寝する前には、後で説かれる願を起こすべきことが説かれているのであるが、その際には先ず坐るか立って、一心に合掌して面を正しく西へ向けて、阿弥陀仏及び観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆を称えよと説かれている。このような作法は、説かれているとおりに形の上でも実践せよというのか、内面をこのような記述で表現したものかは明瞭ではない。本釈書の全体は宗教的礼法・行儀を著わしたものであるから、形式上も説かれているとおりに実践せよとの意味である可能性が高いと思われるが、善導が自分一人で浄土教の礼法・行儀を固定して決めてしまって、それを外れては往生を得ないなどと頑迷なことを説く筈はない。行を始める前は、例えば病人などはどんなに無理してでも体を起こして坐れと言うのではなく、臥したままでも構わないのである。別の著書では、名号を専念する場合についてではあるが「行住座臥に」(観経疏)と説かれている。名号の専念よりも、作法を外れないことの方が重要視されるのであれば、それは真宗ではない。就寝前に願を起こす場合は、先ず臥してしまっては生まれないなどということが言われているのではなく、臥したら臥したでよいのである。心が正立していることが重要である。心が正立していることを、次に、願を起こす際には一心に合掌して面を正しく西へ向けよと説かれている。一心ということが最重要である。手を合わせるとか、顔を真西の方角から少しもずれずに向けるということは、為しても為さなくてもよい。むしろ為さなくては生まれないなどと考える方が間違っている。為してもよい。合掌とは帰命の心を表わし、帰命していなければ合掌という形を取ることは無意味である。面を西へ向けるとは、弥陀一仏に帰依することを表わす。諸々の事物に心を奪われ追いかけていては、実際に西の方角へ向いても無意味である。つまり心の正立・一心が肝要である。
この一心は天親菩薩が「浄土論」の冒頭において表白する「世尊、我、一心帰命尽十方無礙光如来」の一心と同一であり、他力回向の真実信心である。善導も「観経疏」の冒頭に置いた偈頌(帰依三宝偈)の中において
「世尊、我一心に尽十方の
法性真如海と、報化等の諸仏と、
一々の菩薩身と、眷属等の無量なると、
荘厳および変化と、十地と三賢海と、
時劫の満と未満と、智行の円と未円と、
正使の尽と未尽と、習気の亡と未亡と、
功用と無功用と、証智と未証智と、
妙覚および等覚の、まさしく金剛心を受け、
相応する一念の後、果徳涅槃のものに帰命したてまつる。
我らことごとく三仏菩提の尊に帰命したてまつる。」 (観経疏)より
と、天親と全く同じく「世尊、我一心帰命・・・・・」と表白している。天親を踏襲している。先師を真似しているのではなく、先師と同一の信心を賜ったことに感激・感謝して、敬意を表わして踏襲している。ただし天親が尽十方無礙光如来への帰命を表明していることに対して、善導は諸々に帰命することを表明している。これは天親と全く同じ語を用いれば、教学を進めていないことになるからである。先師と同じ語を用いるのであれば、引用すればよいわけである。引用しないで諸々に帰命することを表明する意義は、天親とは異なる信心を表明しようというのではなく、天親の一心帰命をより明らかにするところにある。七高僧と祖聖の使命はここにある。先師と異口同音に教えを説くのではなく、先師と同一の信心を賜れば、より明らかに説くことが使命であり、それが先師への報謝である。天親が一心に尽十方無礙光如来に帰命することは、一切に帰命することになる。信心を賜れば「南無阿弥陀仏」が一切であることを了知せしめられ、やがては一切が「南無阿弥陀仏」であることも感応せしめられる。ここを善導は、諸々・一切への帰命として表明している。だが当然ながら根本は「南無阿弥陀仏」であり、これは動かすことが出来ない。善導は「南無阿弥陀仏」の称名を無視しているのではなく、一切即「南無阿弥陀仏」の義を明らかにするために説いている。「観経疏」と同様に、本釈書においても入観・睡眠の前には「十声、阿弥陀仏・観音・勢至・諸菩薩・清浄大海衆を称し」と、諸々一切への帰命を説いている。「南無阿弥陀仏」の他に色々と言うのであれば雑修になるということではない。現代の真宗においても勤行において「正信偈」「和讃」「回向」を誦するが、それは行ではなく教をいただくためである。教をいただいて、行が生きる。善導が説く諸々への帰命も、教を受けるためである。「十声」でなければならないことはない。もしそれらを不可欠な行とするのであれば、真宗ではなくなる。とどのつまりは、一心が肝要である。この一心は他力回向の信心であるが故に、天親も善導も祖聖も信心同一である。
善知識の教と二種深信 
次に、入観あるいは睡眠する前に願を起こすに先立って、坐るか立って一心に合掌し、面を西へ向けて阿弥陀仏及び一切・諸々を称えることに続いて、何を為すべきかが説かれる。「弟子[某甲(それがし)]現にこれ生死の凡夫、罪障深重にして六道に淪みて、苦つぶさにいふべからず。今日善知識に遇ひて、弥陀の本願名号を聞くを得たり。」と思うべきであり、さらに「一心に称念して往生を求願せよ」と説かれる。それからいよいよ、「願はくは・・・・・およびかの世界の清浄荘厳・光明等の相を示現したまへ」との願を起こして、入観するか睡れと説かれている。起こすべき願の内容が説かれる前の、先立って為すべきこと、思うべきこと等の教説が長い。ところが祖聖は、先立って思うべきことと起こすべき願の内容の初めの一文を合わせて、次のように訓み換えて引用されている。
「また云わく、現にこれ生死の凡夫、罪障深重にして六道に輪回せり。苦しみ言うべからず。いま善知識に遇いて弥陀本願の名号を聞くことを得たり。一心称念して往生を求願せよと。願わくは、仏の慈悲、本弘誓願を捨てたまわざれば、弟子を摂受したまうべし、と。」 (行巻)より
善導の釈を曲げているのではないが、教えの筋が少々変わって聞える。願の内容が「何々したまえ」と衆生が仏に願っているのではなく、「何々したまうべし」と仏願の内容になっている。全体として「二種深信」の表明になっている。二種深信は、善導の教説の中でも最重要なるものの一つであり、最も有名な釈文は「観経疏」において説かれているが、本釈書においても上記のように、また他の著作においても説かれている。祖聖は二種深信を「この深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。」(愚禿鈔)と明確に押さえられている。真実信心は前述した一心であり、二種や三種の信心があるわけではないが、一心を開けば「機の深信」と「法の深信」の二種になる。これは真実信心の内容を明らかに説くために二種に開いたのであり、信心そのものは唯一無二である。「法の深信」はあるが「機の深信」は無いなどということはあり得ないことである。そのような信心は他力回向ならぬ衆生の自力の信であり、あると思っている「法の深信」も深信ならぬ自力の信仰心である。本釈書における上記の二種深信の教説の特徴は、三つの部分に分かれていることであろう。
「現にこれ生死の凡夫、罪障深重にして六道に輪回せり。苦しみ言うべからず。」 ・・・機の深信
「いま善知識に遇いて弥陀本願の名号を聞くことを得たり。一心称念して往生を求願せよと。」 ・・・善知識の教
「願わくは、仏の慈悲、本弘誓願を捨てたまわざれば、弟子を摂受したまうべし、と。」 ・・・法の深信
善導の他の釈書には、機の深信と法の深信とが続けて説かれていることが多いが、本釈書ではそれらの間に、善知識に遇って「一心称念して往生を求願せよ」との教えを受けることが説かれている。これは重要な教説である。衆生において本願念仏の教法を受けることは、あくまでも善知識を通してのみ為されるからである。空から突然に声が聞えてきて教法を受けたとか、岩の表面に名号や教えの字が浮んできたとか、坐禅瞑想している最中に名号が聞えたというようなことは、真宗においては無い。真宗の教法は必ず善知識を通して受けることが、本釈において明示されている。このような形を採って二種深信が説かれることは、善導の他の著書には見られない特色である。ただし二種深信の道理の順序というものを、本釈に説かれているとおりの順序であると解すると、それは間違うことになろう。先ず衆生が自身は生死の凡夫であり、罪障深重であるために輪回して語ることも出来ない苦しみに喘いでいるという状況を自認して救いを求めており、そこに千載一隅に善知識に遇う機会を得て本願念仏の教法を聞き、教えのとおりに念仏して往生を求願すれば、仏は必ず本願を捨てることなく衆生・弟子を摂受してくださることになる、というのが二種深信の道理ではない。それが真実信心・一心の内容ではない。
二種深信の道理が作用する初めが、二番目に説かれている善知識の教である。衆生において善知識に遇う時期が熟して、「一心称念して往生を求願せよ」との教法を聞いたのである。これが初めである。そして「南無阿弥陀仏」と一心称念せしめられた。ここに二種深信の道理が始まる。自力の称念を行じたのではなく、一心称念せしめられた。自力の称念では二種深信は成就されない。一心称念せしめられたが故に、「いま・・・・・弥陀本願の名号を聞くことを得たり」と言うことが出来る。自力の称念では本願の名号は聞えない。本願についての教えの知識は得ていても、「ナムアミダブツ」との声は聴こえていても、名号は聞えない、本願を聞かない。一心称念せしめられて二種深信の道理が始まり、弥陀本願の名号を聞くことを得て二種深信が成就される。道理の始まりから成就までに時を経ず、一念である。一心称念せしめられることが、弥陀本願の名号を聞くことを得ることそのものであり、二種深信が成就されることである。念仏を繰り返し称える際には、成就された二種深信が始めの一心に還る。二種深信即ち一心が称念して、弥陀本願の名号を聞くことを得る。このように二種深信の道理には必ず称念・名号ということが不可分に一体となっているのであり、これが善知識の教として説かれているのである。この称念・名号を明確に説く二種深信の教説は、善導の釈の中でも本書にだけある。有名な「観経疏」の中に説かれる法の深信についての釈文には「彼の願力に乗じて」との句があり、これが一心だけではなく称念をも含んでいるのであるが、明示的ではないと言えよう。ただし真実の称念は一心と別には無い。
一番目に説かれている機の深信は、善知識に遇って教法を聞いて本願名号を聞くことを得ること無しに、前述したように衆生が自身は生死の凡夫であり、罪障深重であるために輪回して語ることも出来ない苦しみに喘いで救いを求めているという自認ではない。そのような自認は仏法に入っていない一般人の苦しみ、ただし仏法で救われるのであろうかとの一抹の望みを懐き始めた衆生の有り様であり、それを機の深信と謂うのではない。機の深信は二種深信の一つであるから、祖聖が説かれるとおり「他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海」である。如来の御心であって衆生の心ではない。衆生の苦しみの吐露や、反省心や、だから仏法を求めようかという心などではない。本願名号を聞くことを得ること無しに、機の深信が成就されることは無い。一心称念・本願名号が衆生の身心の全体に、奥底に徹到したものが機の深信の成就である。それ故に機の深信が成就されれば、衆生において如来の御心が顕われたことであり、もはや救われている。従って機の深信が成就されていれば、そこに法の深信も成就されているのである。仏の慈悲は弟子・衆生を摂受したまうている。摂受とは摂(おさ)めて受ける。受けるとは「定めて自己と為す」ことであるというのが大乗の教学である。法の深信の成就は、仏が弟子・衆生を摂めて自己と為す。衆生を摂めて定めて間違い無く自己と為す仏の御心を、慈悲・本弘誓願と謂う。「願わくは・・・・・衆生を摂受したまうべし」との仏願である。法の深信は仏自身の仏願の自覚である。衆生を摂めて自己と為した仏は、仏自身を完全に衆生に埋没しきっている。衆生から超絶している筈の絶対無限の仏が、相対有限の衆生の中に捨身をされ没しきり、衆生の内面に無尽・深重に積まれている業と業果である生死輪回の苦を、自己のものとされている。この衆生を定めて自己と為した仏の自覚が機の深信である。衆生を自己自身とした仏が、「現にこれ生死の凡夫、罪障深重にして六道に輪回せり。苦しみ言うべからず。」と深信・自覚されている。本願名号を聞くことを得ていない衆生においては、思いも及ばない、想像を絶する深刻なる仏の自覚である。それ故に、機の深信は「この深信は他力至極の金剛心、一乗無上の真実信海なり。」(愚禿鈔)なのである。衆生の苦しみの吐露や反省心は、他力至極の金剛心ではない。機の深信は「一乗無上」であるが故に、これを賜る以外に衆生が救済される道はない。
入観・睡眠における仏の身相・浄土荘厳等の相の示現 
この釈の最後に、「「弟子、弥陀仏の身相・光明を識らず。願はくは仏の慈悲をもつて弟子に身相、観音・勢至・諸菩薩等およびかの世界の清浄荘厳・光明等の相を示現したまへ」と。この語をいひをはりて一心正念にして、すなはち意に随ひて入観し、および睡れ。あるいはまさしく発願する時すなはちこれを見ることを得るあり。あるいは睡眠する時見ることを得るあり。至心ならざるを除く。この願このごろ大きに現験あり。」と説かれている。入観・睡眠する前に何を為し、何を思い、何を願うべきかがここまでに説かれてきたのであるが、最後に願うべきことは阿弥陀仏の身相・浄土の諸菩薩・浄土の荘厳・光明の相が示現したまうことであると説かれている。ただし「一心正念」にしてであり、「至心」でなければならないと説かれる。そうすれば「正しく発願する時」あるいは「睡眠する時」にそれらの相を見るを得ることがあると説かれている。仏・菩薩や浄土を見るという表現は大乗経典によく出されるものであり、「大経」では阿難が、「観経」では韋提希夫人が見たことが説かれている。
曇鸞「論註」においても「見仏」「見阿弥陀」との語が出されている。祖聖も「もし衆生心に仏を憶し、仏を念ずれば・・・・・今生にも仏を見たてまつり、当来にも必ず仏を見たてまつるべし、となり。」(尊号真像銘文)と見仏を説かれている。睡眠中のことは別として、入観の最中つまり一心称名の最中や、発願する時に仏・浄土を見るとは、それらの姿・光景を眼で見ることではない。もし眼で見れば、それは幻覚・妄想である。見仏・見浄土とは、前述した衆生において如来の御心が顕われたこと、定めて衆生を自己自身と為した仏の自覚を衆生が了知せしめられたことである。衆生が「仏の本願力を観じて遇う」(天親 − 「浄土論」より)ことである。真宗の法話において、阿弥陀様に遇う・本願に遇う等と説かれることであり、門徒であれば解かることであろう。つまりは真実信心即ち二種深信が成就されること、「一乗無上の真実信海」に帰入せしめられることである。ここで、これまで「入観」と説かれていたことが「正しく発願」と説かれている。入観とは称名行に入ることであるが、真実の大行たる称名を行ぜしめられれば、一念に衆生において如来の願が成就される。これが「正しく発願」であり、つまりは真実の称名である。称名する時に阿弥陀仏・諸菩薩・浄土の荘厳・光明等の相を見ることを得ることありと説かれている。すなわち称名行において見仏・見浄土する。衆生が発願してから称名するのではない。称名の前の発願は衆生の自力の発願であって、「正しく発願」ではない。「正しく発願」は仏の発願であり、これが「一心正念」にして「至心(如来の真実心)」なる称名の一念に、衆生において成就される。「一心」も「至心」も「正しく発願」も如来の真実心であるが故に、衆生において成就されれば、衆生を自己と為した仏の自覚を了知せしめられる。つまり見仏・見浄土するを得る。
睡眠の時に見仏・見浄土することを得ることありとは、私には全く解からない。そのような体験が無い。善導は夢に見たことがあることを「観経疏」の後跋(後書き)に次のように記している。
「敬ひて一切有縁の知識等にまうす。余はすでにこれ生死の凡夫なり。智慧浅短なり。しかるに仏教幽微なれば、あへてたやすく異解を生ぜず。つひにすなはち心を標し願を結して、霊験を請求す。まさに心を造すべし。尽虚空遍法界の一切の三宝、釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・観音・勢至、かの土のもろもろの菩薩大海衆および一切の荘厳相等に南無し帰命したてまつる。某、いまこの『観経』の要義を出して、古今を楷定せんと欲す。もし三世の諸仏・釈迦仏・阿弥陀仏等の大悲の願意に称はば、願はくは夢のうちにおいて、上の所願のごとき一切の境界の諸相を見ることを得しめたまへ。仏像の前において願を結しをはりて、日別に『阿弥陀経』を誦すること三遍、阿弥陀仏を念ずること三万遍、心を至して発願す。すなはち当夜において西方の空中に、上のごとき諸相の境界ことごとくみな顕現するを見る。雑色の宝山百重千重なり。種々の光明、下、地を照らすに、地、金色のごとし。なかに諸仏・菩薩ましまして、あるいは坐し、あるいは立し、あるいは語し、あるいは黙す。あるいは身手を動じ、あるいは住して動ぜざるものあり。すでにこの相を見て、合掌して立ちて観ず。やや久しくしてすなはち覚めぬ。覚めをはりて欣喜に勝へず。すなはち〔この観経の〕義門を条録す。」 (観経疏)より
法然上人は浄土の教相を偏えに善導に依る根拠の一つとして、善導の上記の体験を挙げている。他の祖師は夢に仏・菩薩・浄土を見たことが伝えられていないから、依るに足らないというようなことを述べている。祖聖におかれては夢に仏・浄土を見たという体験は伝えられていないが、「夢告」という重要な体験がいくつかある。これら睡眠時・夢のことについて、私は何も述べることが出来ない。しかし私は夢中に仏・浄土の相を見たいとは全く欲していない。「一心称名」をいただけば、それで十分すぎるのであり不足を感じることは無い。 
9、現世利益

 

問ひていはく、阿弥陀仏を称念し礼観して、現世になんの功徳利益かある。答へていはく、もし阿弥陀仏を称すること一声するに、すなはちよく八十億劫の生死の重罪を除滅す。礼念以下もまたかくのごとし。『十往生経』(意)にのたまはく、「もし衆生ありて、阿弥陀仏を念じて往生せんと願ずれば、かの仏すなはち二十五の菩薩を遣はして、行者を擁護せしめたまふ。もしは行、もしは坐、もしは住、もしは臥、もしは昼、もしは夜、一切時、一切処に、悪鬼・悪神をしてその便を得しめず」と。また『観経』(意)にのたまふがごとし。「もし阿弥陀仏を称・礼・念して、かの国に往生せんと願ずれば、かの仏すなはち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念せしめたまふ」と。また前の二十五菩薩等と百重千重行者を囲繞して、行住坐臥、一切の時処を問はず、もしは昼、もしは夜、つねに行者を離れたまはず。いますでにこの勝益まします、憑むべし。願はくはもろもろの行者、おのおの須べからく心を至して往くことを求むべし。また『無量寿経』(上・意)にのたまふがごとし。「もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。彼の仏、今現に世に在しまして成仏したまへり。当さに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すれば必らず往生を得。また『弥陀経』にのたまふがごとし。「もし衆生ありて阿弥陀仏を説くを聞かば、すなはち名号を執持すること、もしは一日、もしは二日、乃至七日なるべし。一心に仏を称して乱れざれば、命終らんと欲する時、阿弥陀仏、もろもろの聖衆と現じてその前にまします。この人終る時、心顛倒せずしてすなはちかの国に往生することを得。仏(釈尊)、舎利弗に告げたまはく、われこの利を見るがゆゑにこの言を説く。もし衆生ありてこの説を聞くものは、まさに発願してかの国に生ぜんと願ずべし」と。次下に説きてのたまはく(小経・意)、「東方恒河沙のごとき等の諸仏、南西北方および上下一々の方の恒河沙のごとき等の諸仏、おのおの本国においてその舌相を出して、あまねく三千大千世界を覆ひて、誠実の言を説きたまはく、なんぢら衆生、みなこの一切諸仏所護念経を信ずべしと。いかんが護念と名づくる。もし衆生ありて阿弥陀仏を称念すること、もしは七日および一日、下十声乃至一声、一念等に至るまで、かならず往生を得。この事を証誠したまふがゆゑに護念経と名づく」と。次下の文にのたまはく(同・意)、「もし仏を称して往生するものは、つねに六方恒河沙等の諸仏のために護念せらる。ゆゑに護念経と名づく」と。いますでにこの増上の誓願の憑むべきあり。もろもろの仏子等、なんぞ意を励まし去かざらんや。
生死の重罪の除滅 と 諸菩薩の行者の護念 
この箇所の釈の全てを、祖聖は「行巻」に引用されている。この釈においてはいくつかの教相が説かれていると思われるのであるが、釈文の大半は諸仏・諸菩薩の護念ということを説いている。また、これらが現世利益として説かれているところに重大な意義があると感じる。冒頭に、阿弥陀仏を称念・礼拝して現世にいかなる利益・功徳があるのかとの問いを出だし、以下の全てはその問いに対する答えとして説かれている。人は自分がよく知らない宗教についての話を聞かされたり、その宗教に関心を懐いた場合には、その宗教によっていかなる利益・功徳を得ることが可能なのかとの疑問を持つことが多いであろう。問いを出された宗教側の人は、開運・厄除けであるとか、個人に限らず世界が平穏になるとか、死後に天国に生まれるとか、悟りを開くことが出来る等々、その宗教のご利益を答えて入信を勧めるのである。真宗の利益は何であるかと言うと、祖聖は「それ真宗の教行信証を案ずれば、如来の大悲回向の利益なり。」(証巻)と簡潔にその本義を説かれている。真宗の教行信証が利益である。しかも如来の大悲回向の利益である。これは全くもって真宗の肝要なのであるが、このように本義を簡潔に説くだけでは言葉が足りない。「教行信証(著書名)」において冒頭に置かれる「教巻」から多くの教えを説かれて「証巻」に到れば、そのように要義を説かれるのであるが、「行巻」ではまだ種々に説かれなければならない。その種々の教説の一つとして、この善導の釈文が引用されている。
さて、阿弥陀仏を一心称念する一行三昧に、現世にいかなる利益があるのかという問いが重要である。現世利益が問われているのであって、来世利益が説かれてるのではない。これは念仏・浄土教というと、そのご利益は死後・来世に極楽世界へ往くことであるという通念が広まっていることに対して、そうではないということを既に問いにおいて明示している。浄土教の現世利益は、いつ死んでも極楽往きだと、現世においても安心して生きれることではあるが、本当のご利益を得るのは死後・来世であると考える浄土の通俗信仰を問答して説くものではないことを示している。あくまでも現世に得る利益のことが説かれている。その大半を善導は諸仏の護念ということを答えているのであるが、その前に生死の重罪の除滅の利益が説かれている。阿弥陀仏を称名する一声に、現世に八十億劫の生死の重罪を除滅すると説かれている。八十億劫とは想像も及ばない長大な時間であるが、経典における常套の表現であって、実際には永遠を表わしている。善導が八十億劫と言っているのは、「仏名を称するがゆえに、念念の中において八十億劫の生死の罪を除く。」(観経)との経文に依っている。祖聖は「観経」の経文について「一念にと八十億劫のつみをけすまじきにはあらねども」(唯信鈔文意)と、称名の一念には八十億劫の罪だけを除く力しかないから、もっと重い罪を積んでいる衆生は一念だけではなく多念を称えなければならないとの経意ではないことを説かれている。現世の一心称名の一念は、永遠・無量の生死の重罪を除滅する利益がある。生死の重罪とは仏教が謂う罪・悪業であり、仏道を進ませずに退かせる業因である。迷妄に沈み、流転し続けていることである。法律・道徳上の罪とは異なるから、他者を傷害して負わせた傷が全治1週間よりも全治6ヶ月の罪の方が重く、本来ならば受ける罰にも厳しさの違いがあるとか、他者に悪口を言って後で謝らないよりも謝った方が罪が軽いというような比較出来る罪悪ではない。仏教にも五逆・謗法・闡堤の難治の三機という大きな問題があるが、ここでは触れない。八十億劫の生死の重罪とは、自身が現在一念に仏道から外れている、迷いに沈倫して流転しているとの、その自覚の重大性・深刻性を謂っている。過去永劫より無数の罪を積んできた業果であるなどと仏教でも説くのであるが、これも仏道に叛く自身の自覚の底無しの深さを表わしているのであって、過去ということが問題となっているのではなく、その重罪を現在この一瞬に具えている自身であるとの自覚である。祖聖の「そくばくの業をもちける身にてありける」(歎異抄)との自覚である。この自覚は救われないうちに自覚出来るものではない。衆生は自身についてのことであるにもかかわらず、自らこのような深い自覚を持つことは出来ない。この自覚は前の「8、摂受弟子」の箇所において説かれていた二種深信の中の「機の深信」である。この深信は、その箇所で述べたとおり「他力至極の金剛心」であり、成就されれば衆生において如来の御心が顕われたことであり、もはや救われている。これが八十億劫の生死の重罪の除滅であり、現世の一心称名の一念において成就される。自身の生死の重罪を本当に自覚せしめられることが救いであり、それを罪の除滅と謂う。罪が無くなったから罪の自覚も無くなり、罰を受けることも赦されることが罪の除滅ではない。仏教には罰というものは無い。業報があるのみであり、業報を逃れることは不可能である。その業報を怖れず厭わず、反って業報を受けていく。それが生死の罪の自覚であり、罪の除滅であり、救いである。それは一心称名においてのみ成就されることである。
阿弥陀仏を称名することの現世利益として、生死の重罪の除滅の次に諸菩薩の擁護・護念ということが、「十往生経」と「観経」の意を引いて説かれている。ただし、このとおりの経文があるのではなく、善導が経典の意をこのように読み取ったのである。それは善導の一心称念においての体験的証であり、祖聖がそれを引用されたということは、祖聖も同じ証を得られているからに他ならない。この諸仏・菩薩の護念とはいかなることかを、祖聖の「教行信証」の中の教説のいくつかを引用してみると、次のようなものがある。
「もし殊勝決定の解を得れば、すなわち諸仏の為に護念せらる。もし諸仏の為に護念せらるれば、すなわちよく菩提心を発起す。もしよく菩提心を発起すれば、すなわちよく仏の功徳を勤修せしむ。もしよく仏の功徳を勤修すれば、すなわちよく生まれて如来の家に在らん。」 (信巻 ー 「華厳経」より引用)より
「尊語を伏承して、歓喜地にして阿弥陀に帰して安楽に生ぜしむ。我無始より三界に修りて、虚妄輪のために回転せらる。一念一時に造るところの業足、六道に繋がれ、三塗に滞る。唯、願わくは慈光我を護念して、我をして菩提心を失せざらしめたまえ。我、仏恵功徳の音を讃ず。」 (真仏土巻 − 曇鸞「讃阿弥陀仏偈」より引用)より
これらの教えを見ると、「華厳経」においては護念とは、衆生において菩提心が発起せしめられて仏の功徳(真宗においては功徳は名号である)を勤修せしめられ、如来の家(龍樹の教学においては初地を意味する)に生まれることを成就せしめる仏のはたらきを意味していると言えよう。曇鸞においては護念とは、衆生をして菩提心を失わざらしめる仏のはたらきを意味していると言えよう。これらで言われる菩提心とは、聖道門が解するような衆生が自力で発す菩提心・菩薩の誓願(四弘誓願)等ではなく、祖聖が説かれる「浄土の大菩提心」すなわち真実信心である。衆生において信心が発起せしめられ、失わざらしめるはたらきとは阿弥陀仏の本願力である。衆生において「南無阿弥陀仏」と一心称念せしめられ信心を賜ることは、阿弥陀仏・本願の護念力に由るものである。衆生が称念すると言うより、仏が護念したまうている。仏の護念が無ければ衆生における真実の称念はあり得ず、称念はあっても自力の称念である。それ故に龍樹は「願わくは仏、常に我を念じたまえ」(行巻 − 龍樹「十住毘婆沙論」より引用)との願いを表白している。仏の護念とは別のところで、衆生が仏を称念したところで真実行にはならない。「歎異抄」の教えを用いれば、仏が「助けんとおぼしめしたちける」と護念したまう時が、衆生が「念仏申さんとおもいたつ心のおきる」(以上「歎異抄)と称念せしめられる時である。仏の護念が先、衆生の称念が後であるが、それは道理上の前後であって実には一念同時である。それでは阿弥陀仏・本願の護念ということは分るが、諸仏・菩薩の擁護・護念とは異なるではないかとの疑問も起きよう。これについては、仏・本願には応化を示すということがあるのである。祖聖は天親が造った「浄土論」において説かれる「五念門」の中の最後の「回向門」について、次のように説かれている。
「示応化身とは、『法華経』の普門示現の類のごときなり。・・・・・本願力と言うは、大菩薩、法身の中において、常に三昧にましまして、種種の身、種種の神通、種種の説法を現ずることを示すこと、みな本願力より起これるをもってなり。」 (証巻 − 曇鸞「論註」より引用)より
「法華経」の普門示現とは「法華経 ー 観世音菩薩普門品第三十五」、俗にいう「観音経」に説かれる観音菩薩の三十三変身のことである。観音菩薩は衆生を救うためには三十三種(実には無数ということ)の人天・動物・鬼等に変身して現われることが説かれている。その類のごとく、阿弥陀仏・本願が衆生を救うというはたらきにおいては、応化身を示して種々の身・神通・説法を示現するのである。具体的には何かということは念仏者ごとに異なるのであるが、善知識に遇って本願念仏の法を繰り返し聞くことをはじめとして、人生・生活の諸般・全般における無数の縁、逆縁と思われることにおいても、仏の応化が示される。この仏が応化を示すということが無ければ、衆生において菩提心・信心が発起せしめられ失わざらしめられるということは無い。このようなことを善導は「かの仏(阿弥陀仏)すなはち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念せしめたまふ」と説く。祖聖は師の法然上人を勢至菩薩の応化として、聖徳太子や奥様の恵信尼を観音菩薩の応化として尊崇された。信心の念仏者には、このような生活が自ずから開かれてくるのである。この場合、観音菩薩や勢至菩薩・その他の諸仏・菩薩が阿弥陀仏とは異なる尊格として在しますということではない。根本は阿弥陀仏・本願であり、「みな本願力より起これるをもってなり」である。ところで諸仏の護念ということは、諸仏の証誠と結び付けられて解されることもあるが、これについては後の部分で述べる。
この部分の最後で、善導は「願はくはもろもろの行者、おのおの須べからく心を至して往くことを求むべし。」と説いている。だが祖聖は、これを次のように訓じられている。
「願わくはもろもろの行者、おのおの至心を須いて往くことを求めよ。」 (行巻)より
心を至す・至心とは真実心である。そうすると善導はここで諸々の行者に向かって、須べからく真実心にして往くことを求めるべしと勧めていることになる。何々するべし、と言うと衆生が自力で精進して為すべしという意味にも解される。しかし真実心とは衆生の心ではなく如来の御心であるから、衆生に「真実心にして・・・するべし」と言うと、本より不可能であることを勧めていることになる。いくら勧められても実践出来る筈がありません。それより善導さん、あなた様ならば実践出来るのですか? ということになる。この不審を明らかにして善導の本意を示すために、祖聖は上記のように訓じられた。如来の真実心を須(もち)いて往くことを求めよ、如来の真実心に乗託して往くことを求めよと、他力をたのむ義が明らかになるように訓じられた。漢語の「須」を「すべからく・・・すべし」というように衆生自力の意味ではなく、「もちいて」と如来他力をたのむ意味が明らかになるように訓じられたのである。
「称我名号、下至十声」の本願 
続いて善導は、「また『無量寿経』(上・意)にのたまふがごとし。「若(も)し我成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること下十声に至るまで、若し生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。彼の仏今現に世に在しまして成仏したまへり。当さに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すれば必らず往生を得る也(なり)。」と釈している。「大経」の本願「第十八願」の意を説いているのであるが、経典の「第十八願」文は次のようになっている。
「設(たと)い我仏を得たらんに、十方の衆生、心を至し信楽して我が国に生まれんと欲うて、乃至十念せん。若し生まれざれば正覚を取らじと。唯だ五逆と誹謗正法とを除く。」 (大経)より
善導が「経」の願文の最後の「唯だ五逆と誹謗正法とを除く。」の文を省いたことは、善導に限らず真宗教相における重大なる問題なのであるが、本ページでは触れない。この文を省いたことを別とすれば、善導が「経」の願文をそのまま引用せずに、経文をやや変えて釈していることは何故であろうか。経文は長いものではないので、その意の要点を釈して述べているとも言えない。善導のこの部分の釈は、祖聖が師の法然上人から真影の銘に真筆をもって書かしめて賜ったものであり、謂わば法然上人から祖聖への真宗の伝授を象徴する出来事の一つに用いられた重要な教文である。その善導の釈が「経」の願文をやや変えているというのは、いかなることであろうか。これは浄土教の歴史においては、阿弥陀仏の本願というものは衆生が念仏往生することであり、この本願を説いているのが「大経 −第十八願」文であるということが、定説と言ってよいまでに流布・伝承していたことに関係しているのであろう。私も善導のこの釈は第十八願の意を説いていると述べたばかりであるが、釈の中で善導が「本誓重願」との語を用いているので、これが本願を指していると、つまり第十八願のことを釈していると読む者をして思わせてしまうのであろう。しかし善導は「また「無量寿経」にのたまうがごとし」と述べているだけであって、第十八願という特定の願を明確には指していない。勿論、第十八願を主に釈していることは間違いないであろうが、実は「大経」の「第十七願 − 諸仏称名の願」の意と合わせて釈していると思われるのである。祖聖の教学におかれては第十七・第十八の二願を明確に立てて、称名念仏の真実行は第十七願より出で、信心・正定聚の機は第十八願より出でるとされている。それ故に真宗内においては、第十七願を「行願」、第十八願を「信の願」などと略して呼ぶこともある。だが浄土教の歴史において、第十七願と第十八願との二願を立てて行・信を明確に説かれているのは、祖聖が初めてなのである。特に第十七願を、本願と謂ってもよい重要なる願として見出されて説かれたのは、祖聖以外には誰もいない。祖聖の他の祖師方は第十八願だけを重んじて説く。ただし第十八願文に出る「乃至十念せん」との「念」とは、何をいかに念じることであるかは第十八願文だけでは明瞭にならない。「念」とは念(おも)うことであるから、何を十回念うことが説かれているのかが明確にならない。本ページにおいても先に述べたが、仏典一般においては例えば「念仏」との語も「南無阿弥陀仏」の名号を称念することを意味するとは限らない。ましてや「念」だけでは、「阿弥陀仏の国に生まれん」ということを十回欲念することを意味するとも解釈しようと思えば出来る。しかし十念は称名の十念に他ならないのであり、善導は「大経」の意を「我が名号を称すること下十声に至るまで」と釈している。これは第十八願の「乃至十念」を、第十七願文に説かれている「我が名を称する」(大経)ことの乃至十声として釈していると見て間違い無いと考える。
つまり「大経」の意を、第十八願に第十七願を合わせて釈していると言える。ただし「観経−下品下生の段」に説かれる「声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏と称せしむ」(観経)との経文と合わせていると見ることも出来る。善導はその時代的背景からして、浄土教の中心的な経典として注目され多くの解釈書が著わされた「観経」に依って教えを説かざるを得なかったのである。それ故に善導の主著は「観経疏」なのであるが、この著作は「観経」を釈しながらも、最終的には「大経」の本意へと導こうとしていることを明らかに見て取ることが出来る書である。善導も浄土教の真実を説く経典は「大経」であることを了知していたことは間違いない。従って第十八願の乃至十念を、「観経 − 下品下生の段」と合わせたということも確かであろうが、善導の本意としては同じ「大経」の第十七願と合わせたものと見るべきであると思うのである。それ故に釈の中に、「また『無量寿経』にのたまふがごとし」とか「本誓重願虚しからず」との文が置かれている。「観経」において仏願は顕説されていない。
善導が「大経」に説かれる仏願の意を、第十八願に第十七願を合わせて「若し我成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること下十声に至るまで、若し生ぜずは、正覚を取らじ」と釈すると、第十七願に説かれている「諸仏」の称名の意や、第十八願に説かれている「至心、信楽、欲生」の本願三信の意が省略されてしまうことになる。ただし第十七願の意である「諸仏称名」や「諸仏咨嗟」の義は、善導は続く「阿弥陀経」から多くを引用している箇所において、諸仏の証誠・護念として説いていると思われるのである。前述したとおり祖聖以外の祖師方は、第十七願というものを直接的には引用したり釈したりしていない。善導も第十七願について触れてはいないが、その願意が重大であることを了知していたに違いない。次の部分で見るが、その願意を「阿弥陀経」の意として釈していると思われる。一方、第十八願文に出ている本願三信は、善導は真実心という意味で「至心」との語を用いることはしばしばあるが、「至心、信楽、欲生」の三心を取り上げての釈は為していない。善導は真実の信心というものを、やはり「観経」に依って説くのである。「観経」に説かれる「至誠心、深心、回向発願心」の三心を、「観経疏」において詳細に釈して信心を説いている。「観経」の三心は祖聖が指摘されているとおり真実ならぬ方便の三心であるが、そのことは善導も解かっていたに違いない。しかし時代の趨勢からして「観経」に依って説かざるを得ない。そこには「観経」の方便の三心を釈して、何とか真実を彰わした善導の苦心の教説がある。この教説を祖聖も「信巻」に引用されている。ただし祖聖はその後の箇所で「大経」の真実の本願三信を詳しく説かれているが、善導はそうしたことは為さなかった。祖聖の場合は「大経」を「真実之教」と宣揚されて、堂々と「大経」を説かれるが、善導は社会・時代状況の制約から「大経」を前面に打ち出すことは出来ず、「観経」を中心に据えて教えを説かざるを得なかった。それ故に「大経」の本願三信を釈するわけにはいかなかったのであろう。従って本書のこの釈において述べられている「大経」の意も、第十八願に第十七願を合わせたものになっているが、第十八願文に出される本願三信「至心、信楽、欲生」の語は、一つも入っていないのである。
しかし善導とて本願三信「至心、信楽、欲生」の重大性は体解していた。この釈の後半に述べられている「彼の仏今現に世に在しまして成仏したまへり。当さに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すれば必らず往生を得る也(なり)。」とは、善導自身の本願三信の体験の表明に他ならない。それがどうしてであるかは、祖聖の長い「三心釈」を解釈しながら述べなければならないので、ここでは略さざるを得ない。ただし本願三信、特にその成就である「聞其名号、信心歓喜、乃至一念」(大経)とは、衆生における仏の現在の成就である。「信心歓喜」が成就されれば、因願の三信「至心、信楽、欲生」も了知せしめられる。因願は解かったが願成就は解からないということは絶対に無い。願成就されて因願が初めて解らしめられる。仏が現に在しますことや念仏往生することは、経典に書かれてあるから信用するに足ることであろう、ということで善導は述べているのではない。仏が現在するのは何処か? 西方十万億仏土の無限の彼方ではない。善導の身に現在・成仏したまう。念仏往生を得るのは何時か? 死後ではない。今現にである。この本願三信の成就が無くして、「本誓重願虚しからず」と断言することは出来ないのである。
「阿弥陀経」の諸仏証誠 
「現世利益」の釈を三つの部分に分けて見ているが、最後の部分が最も長い。ただし、その殆どが「阿弥陀経」からの引用であり、善導自身の釈は最後の「いますでにこの増上の誓願の憑むべきあり。もろもろの仏子等、なんぞ意を励まし去かざらんや。」という部分だけである。それ故に、この部分で善導が何を言わんとしているのかは、引用されている経文より推し測らざるを得ないのであるが、良いことに引用されている経文の本意を明かされた祖聖の教えがある。
「『阿弥陀経』に、「一日、乃至七日、名号をとなうべし」と釈迦如来ときおきたまえる御のりなり。この経は「無問自説経」ともうす。この経をときたまいしに、如来にといたてまつる人もなし。これすなわち、釈尊出世の本懐をあらわさんとおぼしめすゆえに、無問自説ともうすなり。弥陀選択の本願、十方諸仏の証誠、諸仏出世の素懐、恒沙如来の護念は、諸仏咨嗟の御ちかいをあらわさんとなり。」 (一念多念文意)より
この教えの中で、祖聖が「十方諸仏の証誠」「恒沙如来の護念」と言われていることが、引用されている経文の意である。これらの「阿弥陀経」の経文は、「諸仏咨嗟の御ちかい」つまり「大経 − 第十七願」を表わそうとしていると説かれている。善導が「阿弥陀経」の経文を長く引用していることは、教相の表面に「大経」を強調することは避けながらも、結局は第十七願の重大なる意義に人々を導くためである。祖聖は第十七願を「弥陀選択の本願」と、本願であると明言されているが、善導は第十七願の名を出したり経文を引用することは為さずに隠して、「阿弥陀経」経文を引用して導く。その後に「いますでにこの増上の誓願の憑むべきあり。」と釈している。「増上の誓願」とは、前の部分で見た「本誓重願」を指す。つまり「大経」の意として、善導が第十八願と第十七願とを合わせて釈した阿弥陀仏の誓願である。このような点から見ても、善導が釈した誓願の中に説かれる「我が名号を称すること下十声に至るまで」の「我が名号を称する」は、第十八願に「観経−下品下生」の段の経意を合わせたということも全く否定は出来ないが、むしろ「大経−第十七願」の諸仏称名の意を合わせたものとして見るべきであろうと思うのである。 
結びに代えて

 

以上、善導「往生礼讃」を「前序」と「後述」だけを見てきたが、本ページの最後として善導における「大経」というものを簡単に考察してみたい。繰り返し述べて来たとおり、善導の教学上の主著は「観経疏」であると一般に見做されており、この書は「観経」を釈したものである。その他の著述を含めても、主要な教説の多くは「観経」に依っており、次には「阿弥陀経」に依っていると言えよう。「大経」からの引用や「大経」についての釈は、頗る少ないと言わざるを得ない。これは既に述べたとおり、善導は当時の中国の仏教界の状況に合わせて真宗を説かざるを得ない立場に置かれていたからであると思われる。しかしながら七高僧は、「大経」を「真実之教」として教えを説いて来たことが真宗の伝承である。善導とてその実質は「大経」・真宗であることを祖聖は見て取られて、「教行信証」等のお聖教に善導の釈文を多く引用され、また御自釈されている。この善導の実質が「大経」に依っていることは、本書において比較的明瞭になっていると思うのである。冒頭の「1、「往生礼讃」について」において述べたとおり、本ページでは見ていないが、本書の大部分を占める「前序」と「後述」との間に置かれている「正明段」は、浄土教の行者が日常に勤修するべき六時の礼法を主に偈頌の形を採って記したものであるが、六時の中の初めの二時は「大経」に依っている。次の二時も各々が龍樹と天親の教えに依っており、これら七高僧の中の初二祖の浄土の教学は「大経」に依っている。つまり本書は文量の割合から見ても、「大経」に依る教説が中心となっていることが分る。これら六時の礼讃を著わす因縁を述べた「前序」の初めの「2、因縁分」の中から、初二時の礼讃について述べている部分を再掲する。
「つつしみて『大経』、および龍樹・天親、この土(中国)の沙門等の所造の往生礼讃によりて、集めて一処に在き、分ちて六時を作る。ただ相続して心を係けて往益を助成せんと欲す。また願はくは未聞を暁悟して、遠く遐代を沾さんのみ。何者ぞ。第一につつしみて『大経』に釈迦および十方の諸仏、弥陀の十二光の名を讃歎して、「称・礼・念すればさだめてかの国に生ず」と勧めたまふによりて、十九拝、日没の時に当りて礼す。第二につつしみて『大経』によりて要文を採集して、もつて礼讃の偈となす。二十四拝、初夜の時に当りて礼す。」 (前序−因縁分)より再掲
この部分を見ても、善導が教学の表面では「観経」、次いで「阿弥陀経」を釈しているが、実際には「大経」、そして龍樹・天親の「大経」に依る教学を謹んで継承していることが窺われるのである。そして「後述」の最後、つまり本書の最後である「9、現世利益」に来たっては、「また『無量寿経』にのたまふがごとし。」と前置きされて
「「若し我れ成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称すること下十声に至るまで、もし生ぜずは、正覚を取らじ」と。彼の仏、今現に世に在しまして成仏したまへり。当さに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すれば必らず往生を得。」 (現世利益)より再掲
と、親鸞聖人が法然上人から浄土真宗を伝授されたことを象徴する出来事の一つに賜った重要なる教文が提示される。これを善導は「本誓重願」「増上の誓願」と呼ぶ。内容は見て来たとおり、第十八願と第十七願とを合わせて釈した阿弥陀仏の誓願、謂わば本願である。「観経」を前面に出す善導の全教学の根本は、実は「大経」にあり、特にこれら「第十八願」と「第十七願」との阿弥陀仏の本願にあったと結論出来ると思うのである。これを「偏依善導」を標榜する法然上人が見出し、「観経」の釈ではないこの「本誓重願」の教文を祖聖に賜ったのである。 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
礼讃 (日中三尊礼・哀愍・後偈・懺悔・日中無常偈)

 

善導大師の『往生礼讃偈』は、阿弥陀仏のおしえを歌にして示したもので、浄土宗の勤行ではその一部をとなえます。ここには日中三尊礼、哀愍、後偈、懺悔、日中無常偈を示します。
日中三尊礼 (にっちゅう さんぞんらい)
なーむーしーしーんきーみょーおおらーい さあいほーあみだーぶー
南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
みーだーしーんじき にょーこーんせーえーん そーごーこーみょーしょーじーっぽーおー
弥陀身色如金山 相好光明照十方
ゆーいうーねーんぶつむーこーしょーおーとーちー ほーんがーんさあいーごーおー 
唯有念仏蒙光摂 当知本願最為強
ろーっぽーにょーらーあいじょーぜーっそーおー せーんしょーみょーごーしーさーいほーおー
六方如来舒舌相 専称名号至西方
とーひーけーかーいもーんみょーほーおーじゅうじー がーんぎょーじいねーんじょーおー
到彼華開聞妙法 十地願行自然成
がーんぐーしょーしゅーじょー おーじょーあーんらあーっこーく
願共諸衆生 往生安楽国

南無、至心に帰命し礼します、西方の阿弥陀仏よ
弥陀の身色(からだ)は金の山      相好(すがた)光明(ひかり)は十方を照らし
唯だ念仏のみ光に摂まる         知れよ 本願は最も強いと
六方の如来 舌相(した)舒ばす     専だ名号(みな)称せば西方に至り
彼(かしこ)で華開き妙法(のり)聞けば 十地の願行 自然に成ずと
いざ諸衆生(もろびと)と みな共に 安楽国に往生せん
南無と、阿弥陀仏に心から帰命し、阿弥陀仏に思いをはせます。金の山のように果てしなく大きな阿弥陀仏。その一か所一か所から放たれる光は十方世界におよんでいるけれども、南無阿弥陀仏ととなえる人だけがその光の働きを受けとることができる。それは阿弥陀仏が、「南無阿弥陀仏ととなえさせて人を救おう」という願いの形になった仏だからです。仏といえば阿弥陀仏のほかにもいろいろな形がありますが、そのどの仏もが口をおおきく開いて、我らを導いています。「南無阿弥陀仏ととなえて阿弥陀仏の働きを受け、阿弥陀仏の力で安楽世界に生きなさい。自分を包んでいた華が開き、安楽世界の真理そのままのようすを見て、それだけであらゆる苦しみが霧散し、安楽が心に流れ込むのです」と。その阿弥陀仏を思うにつけても、全世界の人々とともに阿弥陀仏の世界で生きたいと思うのです。

なーむーしーしーんきーみょーおおらーい さあいほーあみだーぶー
南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
かーんのーんぼーさつ だーいじーひーいー いーとくぼーだーいしゃーふーしょーおー
観音菩薩大慈悲 已得菩提捨不証
いーっさーいごーどーのーしーんじゅーうーろくじー かーんざつさあんりーんのーおー
一切五道内身中 六時観察三輪応
おーげーんしーんこーしーこーんじーいき そーごーいーぎーてーんむーごーおく
応現身光紫金色 相好威儀転無極
ごーじょーひゃくおくこーおーしゅーうーふーしょー うーえーんきいほーんごーおく
恒舒百億光王手 普摂有縁帰本国
がーんぐーしょーしゅーじょー おーじょーあーんらあーっこーく
願共諸衆生 往生安楽国

南無、至心に帰命し礼します、西方の阿弥陀仏よ
観音菩薩は大慈悲をもて         菩提を得れども捨てて証せず
一切五道を身に内(おさ)め       六時に観察(み)ては三輪(よ)に応える
応現(あらわ)す身光(ひかり)は紫金色 相好(すがた)の威儀(さま)は転じて極なし
恒(つね)に百億の光王手(みて)舒ばし 有縁(だれも)を普摂(おさ)めて本国に帰す
いざ諸衆生(もろびと)と みな共に 安楽国に往生せん
南無と、阿弥陀仏に心から帰命し、観音菩薩に思いをはせます。大いなる慈悲のみこころそのままの観音菩薩。仏のさとりを得ながらも、その楽しみを味わうことなく、我らと同じ苦しみをあえて経験していらっしゃる。それは、苦しむ我らのために自ら心を痛め、lこの世の我らの心の叫びに応えるためです。我らに応えてあらわす光は紫金色。そのさまは衆生の苦しみにあわせて七変化し、いつも百億の救いの手をさしのべ、みな人に念仏を勧めて、阿弥陀仏の世界へと導くのです。その観音菩薩を思うにつけても、全世界の人々とともに阿弥陀仏の世界で生きたいと思うのです。

なーむーしーしーんきーみょーおおらーい さあいほーあみだーぶー
南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
せーしーぼーさつ なーんしーぎーいー いーこーふーしょーむーへーんざーあい
勢至菩薩難思議 威光普照無辺際
うーえーんしゅーじょーむーこーそーおくぞおじょー ちーえーちょおさーんがーあい
有縁衆生蒙光触 増長智慧超三界
ほーかーいきょーよーにょーてーんぶーうー けーぶつうーんじゅーまーんこーくーうー
法界傾揺如転蓬 化仏雲集満虚空
ふーかーんうーえーんじょーおくねーえんよーぜつ ほーたーいしょおろくつーうー
普勧有縁常憶念 永絶胞胎証六通
がーんぐーしょーしゅーじょー おーじょーあーんらあーっこーく
願共諸衆生 往生安楽国

南無、至心に帰命し礼します、西方の阿弥陀仏よ
勢至菩薩には思議もなし           威光は普照(あま)ねく辺際(きわ)もなし
有縁の衆生 光触(ひかり)蒙(かぶ)れば  智慧増長し三界(まよい)を超える
傾揺(ゆれ)る法界 蓬(くさ)転(なび)き 化仏 雲集(こぞ)りて虚空(そら)に満ち
有縁に普勧(すす)むは 常に憶念し 胞胎(から)を永絶(やぶ)りて六通(ちから)を証(え)よと
いざ諸衆生(もろびと)と みな共に 安楽国に往生せん
南無と、阿弥陀仏に心から帰命し、勢至菩薩に思いをはせます。われらにおよばぬ智慧の菩薩、勢至菩薩は、あまねく世界に光をのばしています。その智慧の光に触れる者は、智慧の眼を見開き、苦しみを見つめ直します。勢至菩薩が歩けば、世界は根無し草のように転がり揺れ、仏の働きが姿をあらわして、その場いっぱいに満たされます。その仏たちが勧めるには、「常に阿弥陀仏を思い続けなさい。そしてこの苦しみの世を抜け出して、仏の力を手に入れなさい」というのです。その勢至菩薩を思うにつけても、全世界の人々とともに阿弥陀仏の世界で生きたいと思うのです。
哀愍 (あいみん)
なあむーしーしーんきーみょーおおーらーい さあいほーあみだーぶー
南無至心帰命礼 西方阿弥陀仏
あーいみーんふーごおがーあー りょおぼーしゅーぞーじょーおー
哀愍覆護我 令法種増長 
しーせーぎゅーごーしょーおー がーんぶつじょーしょーじゅーうー
此世及後生 願仏常摂受
がーんぐー しょーおーしゅーうーうーじょー おーじょおーあーんらーっこーくー
願共諸衆生 往生安楽国

南無、至心に帰命し礼します、西方の阿弥陀仏よ
我を哀愍(あわれ)み 覆護(まも)りたまえ
法(さとり)の種を  増長(そだ)てたまえ
此の世と       後の生までも
仏よ 常に      摂受(うけいれ)たまえ
いざ諸衆生(もろびと)と みな共に 安楽国に往生せん
南無と、阿弥陀仏に心から帰命し、阿弥陀仏に願います。苦しみの人生の中で、また私の肉体が朽ち果ててからもずっと、私をずっと受け入れお導きください。そう願うにつけても、全世界の人々とともに阿弥陀仏の世界で生きたいと思うのです。
■後偈 (ごげ)
なあーむーしーしーんきーみょーおおらーい さあいほーごくらくせーかーいかんのおんせーしーしょーぼーさーあつしょーじょーだいかいしゅーうー
南無至心帰命礼 西方極楽世界観音勢至諸菩薩清浄大海衆
がーんぐー しょーしゅーじょーおーじょー あーんらあーっこーく
願共諸衆生 往生安楽国
ふーいーしーそおぶーもーおー ぎゅーぜーんじーしきほーかーいしゅーじょー
普為師僧父母 及善知識法界衆生
だーんじょおーさーんしょーどーとくおーじょー あみだーぶーっこく きみょおさーあーあーんげー
断除三障 同得往生阿弥陀仏国 帰命懺悔

南無、至心に帰命し礼します、西方極楽世界の観音・勢至・諸々の菩薩、清浄なる大海衆よ
いざ諸衆生(もろびと)と みな共に 安楽国に往生せん
普(あまね)く師僧と父母のため 善知識のため 法界衆生(もろびと)のため
三つの障りを断除(た)ちつくし 同じく阿弥陀仏国(かしこ)に往生(い)きるよう
帰命・懺悔したてまつる
南無と、阿弥陀仏の安楽世界より現れる、観音菩薩、勢至菩薩、そのほかのもろもろの菩薩たち、また大海のように満ち満ちる多くのこころ清浄なる人々に、心から帰命し、全世界の人々とともに阿弥陀仏の世界で生きたいと思うのです。また自分をこの教えに導いてくれた師匠のために、自分を生んでこの教えに出会わせてくれた父母のために、この教えを説いてくれた善友また世界中の人々のために。道をさまたげるもろもろの障りを断ち除いて、みなで阿弥陀仏の安楽世界に生きたいと思い、そして心から自分の罪を懺悔します。
懺悔 (さんげ)
ししいんさーあんげー
至心懺悔
なむさんげーえー じーっぽーぶーうつがんめついっさいしょーざいこーおん
南無懺悔十方仏 願滅一切諸罪根
こんじょー くーごんしょーしゅーぜーえんえーさー じーたーあんらくいーいん
今将久近所修善 回作自他安楽因
ごーがあんいっさいりーんじゅーじーいー しょーえんしょーきょーしつげんぜーえん
恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前
がんとー みーだーだいひーしゅーうーかんのん せーしーじーっぽーそーおん
願覩弥陀大悲主 観音勢至十方尊
こーがあんじんこーむーじゅーしゅーうー じょーぶつほんがんしょーひーこーおく
仰願神光蒙授手 乗仏本願生彼国
さんげー えーこーほつがんに ししいんきみょーあみだーぶー
懺悔回向発願已 至心帰命阿弥陀仏
らいさんしょーくーどーくーうー がんりいんみょーじゅーじーいー けんむーりょーじゅーぶーうつむーへん くーどくしーいん
礼懺諸功徳 願臨命終時 見無量寿仏 無辺功徳身
がーぎゅうーよーしんじゃーあー きーけんひーぶーっちーいー がんとくりーくーげーえんおーじょー あんらあーっこーくー
我及余信者 既見彼仏已 願得離垢眼 往生安楽国
じょおーむーじょーおおぼーだーい
成無上菩提
らいさんにーいっさいくぎょー
礼懺已一切恭敬
がんしょーしゅーじょーさんごおしょーじょおぶーじーぶうっきょー
願諸衆生三業清浄奉持仏教 
わーなんいーっさいげんじょーがーぐーしょーしゅーじょーおーえーがん おーじょおむりょーじゅこくー
和南一切賢聖 願共諸衆生 回願往生無量寿国

至心に懺悔したてまつる
南無し懺悔す 十方仏よ         一切(もろもろ)の罪根(つみ)を滅したまえ
久近(ひさ)しく修せる善よ今      自他の安楽(やすらい)の因(たね)と回作(な)れ
一切(みな)の臨終(いまわ)の時にこそ 勝縁勝境(ほとけ)悉(ことごと)く現前(あらわ)れよ
弥陀大悲主と 観音と          勢至 十方尊に覩(あ)い
神光(ひかり)より授手(みて)を蒙りて 仏本願(ねがい)に乗って彼国(かしこ)に生きよ
懺悔し回向発願し 至心に阿弥陀仏に帰命せん
諸功徳を礼懺す
命終(いまわ)の時に臨んでは         無量寿仏の無辺功徳身(すがた)に見(まみ)えん
我と余信者(もろびと)            既に彼仏(ほとけ)に見(まみ)え已(お)え
離垢眼を得て安楽国(かしこ)に往生(ゆ)きて 無上菩提をいざ成ぜん
礼懺し已(お)えて一切恭敬したてまつる
願わくは 諸衆生(みな)が三業(おこない)清浄(きよらか)に
また仏教(みおしえ)に奉持(いき)るよう
一切 賢聖(ほとけ)を和南(おが)むよう
いざ諸衆生(もろびと)とみな共に 無量寿国(かしこ)に往生(い)きんと 回願せん
心からの懺悔、南無懺悔をいたします、十方の仏のみまえにて。私の心のなかにくすぶる、罪の火種を消しつくしたまえ。南無阿弥陀仏。世界中の人々を、阿弥陀仏の導くやすらいの世界へ誘いたまえ。世界中の人々を、たとえ肉体の尽きたのちでも、阿弥陀仏の世界に生かし続けたまえ。阿弥陀仏・観音菩薩・勢至菩薩・十方の仏の世界に生かし続けたまえ。阿弥陀仏の救いのみ手をこうむって、阿弥陀仏のこころのままに、南無阿弥陀仏ととなえて、阿弥陀仏の世界に生かしたまえ。我が罪を懺悔し、南無阿弥陀仏と回向発願し、心から阿弥陀仏に南無帰命します。
仏のもろもろの功徳に、頭をたれ、懺悔いたします。たとえ肉体の尽きるときも、功徳にみちみちた阿弥陀仏にお会いしていたい。私もほかの信者たちも、すでに阿弥陀仏にお会いすることができました。願わくはこのままさとりの眼をちょうだいし、阿弥陀仏の世界に生きて、真のやすらぎを成し遂げたい。そのように礼し懺悔しては、全身全霊うやまいたてまつります。
世界中の人々が、心・おこない清らかに、仏の教えのままに生き、一切ほとけの心のままに生きますよう。全世界の人々とともに阿弥陀仏の世界で生きたいと思うのです。
無常偈 (むじょうげ)
しょーしゅーとーおおちょーおーぜーんー にーちうむじょーげー
諸衆等聴説 日中無常偈
にぃんしょーふしょーじんーんーんー ゆーにゃくじゅーううむーうーこーん さいけーちーいいにーっちう のーとくうーきじーせーん
人生不精進 喩若樹無根 採華置日中 能得幾時鮮
にんみょーやくにょーぜーえーえー むーじょーしゅーううゆーうーけーん かんしょーぎょーおおどおしゅー ごんじゅうーないしーしんー
人命亦如是 無常須臾間 勧諸行道衆 勤修乃至真

諸衆等(もろびと)よ聴け 説くは 日中無常の偈(うた)
精進なくて生きる人       それは根のない樹におなじ
華を日中(ひなた)に採り置けば 鮮やかなるのは幾時か
人の命もおなじこと       ただの無常の須臾(ひととき)に
道ゆく諸衆(ひと)よ勧めあい  勤修(つと)め真(まこと)にいざ至れ
世界の人の耳にとどけ。高らかに謳う、日中無常のうたよ。ただつれづれに生きるなら、それは根のない樹ではないか。花を日なたに採り置けば、見る間にしおれゆくではないか。人の人生もおなじこと。我らの命がしおれる前に、無常のひとときが終わる前に、しかと大地に根を下ろせ。永遠の命にめざめよ。みな助け合って道をゆけ。つとめて真に根をおろせ。
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
往生伝にみる「幸福」のイメージ

 

要旨
1. 日本には、平安時代(782-1181)から明治時代(1868-1912)にかけて故人の臨終の記録を中心とした伝記の集成が非常に多く存在する。
2. 死んで極楽に行くことが、信仰によって可能になることの証明として、一般民衆の極楽往生の教義を説得するために、これらの伝記は書かれている。
3. この教義では、幸福とは、「極楽往生」のことである。死ぬこと自体が歓喜となり、そして死後に極楽の生が保証されている。そのような死に方=生き方をすることが最高の幸福だというのである。
4. 伝記は極めて類型的なストーリーで語られている。永年、極楽往生を心がけて来たが、生涯の終わり近く、生きている内に不思議な出来事が起こって、その「奇跡」の発生と同時に入滅するが、その奇跡が極楽往生の証拠になる。
5. 極楽往生とは、「死んで極楽に行くこと」であるが、しかし、「極楽のような往生」、「幸福な死に方」という意味がある。
6. 極楽往生には、「幸福とは、その人の生の全体を集約するような意味である」という幸福観が含まれる。
7. 極楽往生には、「幸福とは、その人の生の意味の集約であって、その当人にとっても、周囲の人間にとても、明らかさがなりたつもの」という意味がある。
8. その幸福の表現は極めて類型的である。「顔は生きているようで、身体が軽いことは衣のようであり、香気が部屋に満ちた」、「男は天仙のすがた、女は天女のかたち」とか、「音楽が空から聞こえる」、「紫の雲や煙が立ち登る」etc.類型的な表現は、リフレインの効果と同じものを持っていて、「語る主体」(speaking subject)というあり方から、人間を誘い出して、「言葉が語る」という境地へといざなう。
9. 往生伝の宗教性と似た西欧の形に敬虔主義の自伝がある。敬虔主義の最初期の思想家であるヨーハン・アルント(1555-1621)の言葉に「キリストが私たちのうちに生き、私たちがキリストのうちに生きる」というのがある。妙好人・才市の歌に「なむ仏は、さいち(才市)が仏で、さいちなり。さいちが悟りをひらく、なむぶつ。」才市と仏が、同じであって、同じであない。
10. しかし、ことなる文化のなかに置かれた文化的な作品について、比較をするということ自体に非常に大きな困難がある。
日本には個人を尊重する思想が不在なので、日本には伝記文学がとぼしいというお話を聞いたことがあるが、私はもしかすると日本は世界でもっとも書かれた伝記の数の多い国ではないかと思う。「往生伝」という文学形式が存在するからである。それは個人が死んだときに記念のために書かれた文章を集めたものという体裁をとっているが、生の記録(bio-graphy)であるとともに死の記録(necro-graphy)ともなっている。
「日本往生極楽記」は慶慈保胤(慶の保胤よしのやすたね)によって10世紀にできた「往生伝」の日本でのさきがけであるが、42伝をおさめている。いちばん短い第40番を引用する。
近江の国、坂田郡の女人、姓は「おきながの」氏なり。年ごとに筑摩の江の蓮花を採りて、弥陀の仏に供養したてまつり、ひとえに極楽を期せり。かくのごとくすること数多の年、命おわるの時、紫雲身に纏わりぬ。(「日本思想体系」)
慶慈保胤は、この本の序文につぎのようなことを書いている。
自分は、40歳のころから、阿弥陀の信仰に深く志し、…出家者と被出家者を問わず、また男女を問わず、極楽に志しあり、往生を願う者には、かならずかかわり合いを持った。中国の浄土論にも、往生した人二十名の伝記を記載しているものがある。それは非常にすぐれた[往生の]証拠となる。人々の智恵が浅くて、浄土教の原理の理解が十分ではない。もしも往生した人のことをありありと描写しないならば、人々の気持ちを十分に納得させることはできないだろうと[中国の書物で]言われている。中国で唐の時代に書かれた往生伝には、四十数人の人の伝記が記載されているが、この中には牛を殺す仕事をする者もあれば、鶏を売る仕事をする者もいる。仏教の僧侶と出会って、十種類の念仏を唱えるという仕方で往生した。…さまざまの歴史や伝記を見ると、往生の時に不思議な出来事が起こっていることがある。また経験を積んだ老人に相談したら、四十数名の事例を手に入れた。感動して、また心に留めて、その行いを記録するが、その書物の名を日本往生極楽記と呼ぶ。後で、この書物を読む者は疑いを抱いてはならない。できれば、私はすべての人々とともに、極楽浄土に往生したい。
幸福とは何か。この著者にたずねれば、「極楽往生」という答えが出てくる。死ぬこと自体が歓喜となり、そして死後に極楽の生が保証されている。そのような死に方=生き方をすることが最高の幸福だというのである。永年、極楽往生を心がけて来たが、生涯の終わり近く、生きている内に不思議な出来事が起こって、その「奇跡」の発生と同時に入滅するが、その奇跡が極楽往生の証拠になるというストーリーが圧倒的に多い。
たとえば「日本往生極楽記」の四一番も短いものである。
伊勢の国にある老婦がいた。常に香を買って、近くの寺に供えていた。春秋には、花を折って香に加え、いつも塩、米、木の実、野菜などを僧たちに与えていた。この老婦が病気になったときに、家族が飲み物を与えようとして、助け起こした。すると、身につけていた衣服が自然に抜け落ちた。そして左の手に、蓮の花を持っていた。花びらの広さが7、8寸で、この世の花とは違っている。輝く色彩があざやかで、香りをはなっている。看病している人が「この花はどこから来たのですか」ときくと、「私を迎える人が、もともとこの花を持っていたのだ」と答えた。その瞬間に彼女は入滅した。人々で随喜しないものはいなかった。
この話のリライト版がある。嘉永四年出版された「日本往生伝和解」と言う本である。序文によると「慶の保胤の日本往生極楽記、江の匡房(えのまさふさ)の続本朝往生伝、三善の為康(みよしのためやす)の拾遺往生伝、治斎(はるとき)の古今往生略伝、勇大(ゆうたい)の扶桑往生伝などから選んで、緇素(しそ)老少の読みやすいようにする」というのである。「緇」というのは黒い衣のことであり、「素」というのは白い衣のことである。緇素とは、僧と俗人、出家と在家の総称である。このリライト版の伊勢の国の老婦の話では、衣服が抜け落ちたという場面を省略している。この同じ話が、今昔物語集に採録されたときには、この衣服の脱落が不可解だとして「この世の汚れをさる」という意味だと注記されている。全体に分かりにくい細部が削られて話がストレートになるのはリライトの常である。また原文では「我を迎ふるの人、本この花を持ちたり」と述べているのに、リライト版では「我を迎ひる仏、この花を持たせ給いし」となっている。
「迎える人」が「迎える仏」に変わっている。意味は同じである。元の往生伝が「我を迎える人」と表現することで、それが仏であることが自ずと分かるという表現形態であったのに対して、後の時代のリライトでは種明かしが済んだ形で表現されている。これらは民衆文学の伝承ではよくあることである。中のモチーフはまったく変わらない。
幸福とは極楽往生だ。幸福な往生とは「臨終正念」、すなわち心にまよいなく阿弥陀仏の来迎を仰ぎ、眠るように息たえることとされる。
「死んで極楽に行くこと」と定義してよいが、しかし、「極楽往生」と言ったときに日本人の多くは「極楽のような往生」、「幸福な死に方」という意味を込めてこの言葉を理解するだろう。つまり、「往生」という死に至る経過、過程そのものが至福に満ちている。往生というのは、「生命を尽くす」という意味だから、どちらかというと「彼岸に到達する」という意味を語源的には含んでいない。往生それ自体は、日本人は死に対して此岸での出来事と受けとめるだろう。その往生という過程が、彼岸からの花で彩られる。音楽で、香りで美しく飾られる。その美しさが、この往生(死dying)が、極楽への旅立ちであるということを告げている。「極楽往生」という言葉の「極楽」には、二つの機能が働いていて、一つは、往生の過程そのもの(dying)を形容しており、もう一つは、その往生の結末(death)が極楽への到着であることを示している。
阿弥陀信仰のありかたとして、臨終のときに生の意味が完成するという思想を拒否するタイプもある。たとえば、一遍知真は「念々臨終なり、念々往生なり」といって、つねに生そのものに「往生」が存在している。一念一念となえることに往生がある。こうして親鴬も一遍知真も、臨終とときの来迎を強調していない。
浄土真宗や時宗では念仏したそのときが往生であるという、平生業成(へいせいごうじょう)を説いており、また親鴬は臨終正念を自力の念仏であるという理由で否定しているため、浄土真宗の東西本願寺系や時宗には往生伝は存在しない。往生伝があるのは臨終来迎を認めている宗派(浄土宗、西山浄土宗、浄土真宗の仏光寺派、高田派)にかぎられている。これに対して本願寺系でつくられたものが「妙好人伝」である。しかし、どちらにしても、信仰をもつ人が極楽往生をとげるというストーリーになっている。
「幸福とは何か」という問いへの手がかりを、この「極楽往生」という観念のなかに求めるとき、第一に、「その人の生の全体を集約するような意味である」という答えが出てくる。しかし、その意味は「棺をを覆って事(人の値打ち)は定まる」という中国の諺(晋書、劉毅伝)、ソロンが語ったとアリストテレスが伝えている「その終焉を見とどけなければならない」(ニコマコス倫理学、1卷10章、1110a)という視点でなりたつものではない。ある人の一生の価値を、評価するためには、その人の終焉を見なければならないとすると、その故人の生の意味は他人にとってしか意味を持たなくなる。そうではなくて、生きている人に経験されるものでなければならないとアリストテレスは主張している。その主張は正しい。しかし、それならば、人間の全体の意味の集約は、その人には経験できないものなのかという疑問が残る。
ハイデガーならば、生の全体的な意味は「死に先駆ける」決意性に成り立つというだろう。しかし、その決意性は孤独な内面でしか、支えられないように思われる。往生伝の思想では、幸福とは、第二に「その人の生の意味の集約であって、その当人にとっても、周囲の人間にとても、明らかさがなりたつもの」という意味になる。それを往生伝では、「験記」(げんき、げんぎ)と表現している。「験」は明らかになった証拠という意味であり、「記」は記載という意味である。往生伝という時の「伝」も、記述一般をさす言葉だが、「他人に伝える」とか、「後世に伝える」とかの気持があるのだと思う。日本の往生伝では、先の「日本往生極楽記」に続くものに、「大日本国法華経験記」という著作がある。日本の、法華経の、あらわな現れの記載という意味である。「現証往生伝」(三巻、桂鳳編纂、天明5年-1785)の示す「現証」という言葉も、「たしかな証拠」という意味である。
この「験」の思想、つまり信仰に極楽往生という報いがあるという因果の思想が、もっと俗悪な現世利益の形をとると「利益伝」(りやくでん)という形になる。念仏をとなえたことによって、この世で病気が治ったり、長寿をえたという現世の利益、すなわち幸福をもたらした念仏者のすがたを書いたのが利益伝である。
利益伝として時期的に早く成立したものは、室町町代に近江国金勝(こんぜ)阿弥陀寺の隆尭の撰述した「称名念仏奇特現証集」である。江戸時代になると無能(むのう)が享保五年(1720)「近代奥羽念仏験記」をあらわし、宝洲は元文二年(1737)「貞伝上人東域念仏利益伝」を編纂した。祐海は自分の師である祐天の現世利益の事績をあつめて「祐天大僧正利益記」を編纂した。
これにたいして往生伝の特徴は、現世的な利益とはまったく無関係な幸福のおとづれを記している点にある。往生は彼岸から来る美で彩られている。聖徳太子夫妻は同時に亡くなったとされているが、「顔は生きているようで、身体が軽いことは衣のようであり、香気が部屋に満ちた」とされる。「男は天仙のすがた、女は天女のかたち」とか、「音楽が空から聞こえる」、「紫の雲や煙が立ち登る」とかの類型的な表現が多い。
その他にも、「瑞華(天華)が降り落ちる」、「不思議な香がする」、「空中に光明が輝き白昼のようになる」、「五色の光明があらわれる」、「往生人の姿があらわれ、円光を放つ」、「阿弥陀仏が来迎する」、「阿弥陀三尊が来迎する」、「二十五菩薩が来迎する」、「観音菩薩が来迎する」、「本尊から光を放つ」というような幻想的なイメージが代表的なものである。
もっと現実感覚に近い「証拠」としては、死後に特別の文字が現れる、親類、友人、師が夢を見て故人が浄土に往生したことを告げる、眠るように安らかに往生する、称名の声とともに往生する、往生後の遺体がやわらかで臭くない、五色(白色)の舎利が出現する、茶毘の灰が雪のように白い、茶毘のとき舌根だけが焼けのこる、等々のような「証拠」がある。このような事象の表現の類型性については、柳宗悦の言葉が参考になる。
「プロテスタントでは説教者が偉い話し手となるが、真宗の方では信徒が偉い聴き手だともいえる。だがこれだけが真宗の説教の特色ではない。もっと異彩をはなっている点がある。それは真宗の説教は、話が高潮してくると、いつも韻律をおびて来て、節附けになることである。つまり説教節とでもいうものになってくる。説教が一種の音楽的な調子を帯びてくるのは何故であろうか。これはキリスト教でも聖書の朗読や祈祷が、一種の調子を帯びてくるのと同じ法則があるといえよう。神事でも祝詞を読む時、一種の節附がおのずから行われて、決してただの朗読ではなくなる。なぜこんな結果になるのであろうか。考えると、ものが個人的でなく公のものになる時、かかる節附が必然に招かれてくるのである。つまり様式化され、客観化される場合、個人的な語り方でなく、非個人的な表現を帯びてくる。我々はこれを言葉の「模様化」と呼んでいるが、韻律の世界はかかる模様化の要請によるのである。ところで説教は、それが個人的な自由な性質でなく、正脈の教えを説く場合、公的な客観的な性質を要求する故、許り方も様式化されてくるのてある。その様式化が節附となるのである。特に真宗の説教は前にも述べた如く、説教者の個人的特色に依存しないから、つまりどんな説教者をも、より好みせぬ性質があるので、ますます話し方が客観的なるを要する。この要請が必然に話し方の様式化、つまり韻律化に納まってくるのである。それ故、説教は節附の技術にうつり、話術になる。それ故、真宗では、深い思索者、熱意ある宣教者が必要でないわけではないが、それより上手な節附で正統の教えを語り得る人が、一番説教者としての資格者になってくるのである。説教というより節語りとでもいおうか。だから聞く人は理屈を聞きに行くのが目的ではない。近頃の人は、こういう節附説教を、古くさい田舎じみた過去の方法だと軽蔑しがちであるが、決しててそうでなく、これには必然的な意味が多いにあると思える。」(「妙好人論集」)
類型的な表現は、リフレインの効果と同じものを持っていて、「語る主体」(speakingsubject)というあり方から、人間を誘い出して、「言葉が語る」という境地へといざなう。つまり、類型化は、分かりやすいとか、通俗的であるとかの特徴を持つが、往生伝のなかの「紫の雲」とか、「蓮の花」とかが、非常にリアルに個性的に描写されてほしいという期待感が成立していない。
「日本往生極楽記」にしばらく遅れて中国にも、往生伝が数多く書かれている。それが鎌倉時代に日本に伝えられて、仏教の説話文学に影響を及ぼし、「今昔物語集」の材料になったりしている。
ニセの往生伝も書かれた。つまり、ノンフィクションからフィクションへの発展の要素がそこには含まれていたはずであって、文学形式のひとつの成立事情として考えてみることができるだろう。もっと掘り下げて考えれば、この種の文学に、フィクションとノンフィクションの区別が本来的に成立するかどうかが、問題になる。
「拾遺往生伝」(三善為康)、「後拾遺往生伝」(三善為康)、「三外往生記」(沙弥蓮禅)、「本朝新修往生伝」(藤原宗友)、「高野山往生伝」(沙門如寂)というように、往生伝の編集は、一時はおとろえるが江戸時代をへて明治の中期までめんめんと続いている。「大日本国法華経験記」(沙門鎮源、11世紀)には129伝、大江匡房「続本朝往生伝」(11世紀)には42伝、同「本朝神仙伝」には37伝、面倒なので途中を抜かして「近世往生伝」(1695年)には48伝、江戸末期の「妙好人伝」には153伝、「明治往生伝」(1882年)には45伝がおさめられている。往生伝のすべてを合計して全部で何人の伝記が残されているか、まだ誰も数え上げてはいないと思う。
明治時代に出された往生伝や妙好人伝のなかに、すぐれた精神的な価値のあるものが多いことは、鈴木大拙や柳宗悦の仕事で良く伝えられているが、しかし、精神性のとぼしい記述に終わっている例も多いのではないかと思う。
明治18年に出版された「三河往生験記」から一例を引用してみたい。
蓮応清安信士ーー信士。俗名は清吉。額田郡岡崎能見町、源空寺門前の農夫なり。生得(しょうとく)極めて愚直なるものにて、老年に及び、朝暮れの勤行唯念仏のほか他事なく、平生格別に参詣すということもなく、説法聴聞等もなければ、唯常々思い出[づ]るままに、よく念仏しけり。安政六年未(ひつじ)年一二月中旬の頃より、老病の体にて、追々さし重り、平臥なれども、さしたる苦痛もなし。困窮に取り紛れ医薬のことも申し出ださず。その侭に捨て置きぬ。家内それぞれ産業にのみ貪[頓]着して、等閑(なおざり)に過せしは、親子の情愛もなく、いと心なきことどもなりけり。しかるに万延元申年六月二十日、正九ツごろ、孫清次郎(十六歳なり)なるものを呼びて申するは、仏のご来迎なり、有り難し。早く水々と申したれば、手水盥に水を汲み入れて与えければ、病者みずから手洗い、口漱ぎ、直ちに西方に向ひ高声念仏数十返[遍]へて、しきりに落涙す。その内、妻、いま女帰宅せしを呼びよせ、ただ今われ極楽へまゐるなれども、今、しばしは延引すべし。其の方もよく念仏して往生すべしと。眼病の娘と孫清次郎両人は、若年のことなれば両三年世話いたし、跡につづきてかならず一蓮同生すべし。相待つべし。我は明日こそ極楽往生に疑ひなし。みなみな安堵すべしと遺属(ゆいぞく)いたし、その余、念仏の声たえず、案の如く明くる二一日。朝五ツ時よりは言語不通(ごんごふつう)、辰の中刻眠るが如く息絶えにけりとなん。
この往生伝は、典型的なストーリーとくらべると、いくつか違っている点がある。
まず第一に主人公は、あまり熱心な信者ではない。「平生格別に参詣すということもなく、説法聴聞等もなければ」というような程度にしか、信心をしていないのだから、教訓物語としては、説得力に欠ける。
第二に、病気の治療を充分にしなかった理由が違う。ふつうの往生伝の定石では、「周囲の人々が治療を受けるように勧めたが、当人は治療をはっきりと断った」というストーリーになる。「平臥なれども、さしたる苦痛もなし。困窮に取り紛れ医薬のことも申し出ださず。その侭に捨て置きぬ。」この記述はありのままに書いたのでそうなったのかもしれない。しかし、典型的なストーリーの場合に、医薬品が自由に入手できたが、それを断ったのか、それとも高価で医薬品が手に入らなかったのか、あるいは、さほど苦痛が激しくなかったのかというような事実問題は。重要ではなかったのではないだろうか。
たとばストア主義の哲学者の伝記を見ると、「自ら呼吸を断って死んだ」とか、「自ら食を断って死んだ」というような記述がある。しかし、実際は呼吸ができなくなったのかもしれない。食欲もなくなったのかもしれない。しかし、そのような自然の成りゆきさえも、ストアの哲学者の列伝のなかでは、「自発的な断念」という意志的な性格の強い物語に変えられてしまう。そのような物語的な場の力が働いているということが重要なのである。上に引用した例には、その物語化(神話化)の力が希薄になってきている。
第三に家族との関係である。われわれだって、友人の葬儀に出たときに、家族が仕事に忙しくて、この主人公をなおざりにしたとか、親子の情愛がないとかいうことは、たとえ、それが本当だとしても、口には出さない。ましてや、これは往生伝である。この記述の冷たさは、筆者の物語性の喪失という次元だけではなくて、「家内それぞれ産業にのみ貪[頓]着して、等閑(なおざり)に過せしは、親子の情愛もなく、いと心なきことどもなりけり」と書くのは、インフォーマントになった人の言葉をそのまま書いてしまったという機械的な作業の進め方のせいなのではないかと、疑われる。往生伝の基本となるモラリティが平安時代では「善人往生」であり、鎌倉時代になると「悪人往生」になったと言われるが、奇跡物語の性格は残されている。しかし、この明治期の記述をみると単なる日常人の伝記という形に近づいてくる。
これらは、もちろん仏教の伝道の手段として用いられたのであるが、有名無名貴賎を問わず、一つの命を文字に写して版に刻み世に残すという営みのなかに、その個人のかけがえのなさへの思いがないはずはない。
これら往生伝のいくつかが鈴木大拙「日本的霊性」に用いられているが、有名な浅原才市についての記述は、そのまま往生伝の一節のようにも読める。
「妙好人才市のことを西谷啓治君からきいて、その人の歌を見たいと思ったのは、もう一昨年にもなるか知らん。今年になってから藤秀 師の「大乗相応の地」という本を貰った。才市の歌がたくさん載せてあるので、折にふれて読んだ。…藤師によると、才市妙好人は、浅原才市というので、石見の国、迩摩郡大浜村字小浜の人、八十三歳で、昭和八年一月に往生している。五十歳頃までは舟大工であったが、履物屋に転職して死ぬるまで、下駄つくりならびにその仕入れをやった。…才市が仕事のあいまにかんな屑に書きつけた歌は大分の数にのぼったものらしい。法悦三昧、念仏三昧の中に仕事をやりつつ、ふと心に浮かぶ感想を不器用に書いたものである。しかし、彼はこれがためにその仕事を怠ることは断じてなかった。」(鈴木大拙全集)
往生伝の世界と比較してみたいのは、ドイツの敬虔主義(Pietismus)の宗教運動とその参加者たちが書き残した自叙伝のかずかずである。敬虔主義は、中世的な神秘主義と啓蒙主義の中間にある研究領域として、魅力的でもあり、重要でもあるのだが、資料の収集にも閲読にも大きな困難があり、いままではほとんどその姿が知られていなかった。幸いにして伊藤利男「敬虔主義と自己証明の文学」(人文書院)が出て、敬虔主義の思想と文学の全貌がきわめて詳細な形でわれわれの前に示されるにいたった。
敬虔主義の最初期の思想家であるヨーハン・アルント(1555-1621)の言葉に「キリストが私たちのうちに生き、私たちがキリストのうちに生きる」というのがある。実は順番を逆にした「私たちがキリストのうちに生き、キリストが私たちのうちに生きる」という言葉もある。これについて筆者の伊藤利男はつぎのように書いている。「私たちがキリストのうちに生きるのが先か、それとも、キリストが私たちのうちに生きるのが先か、その順序はさして重要ではない、というよりも、むしろ、この二つは同時に始まり同時に進行する事象である。ありは、表裏一体の関係にある、と見るべきであろう。そしてそれは、人間がキリストと合一した状態、と呼ぶことができよう。」(同、84頁)
しかし人間=キリストなのではない。人間はキリストではない。その人間がうちなるキリストにめざめるということは、「後悔する、打ち砕かれた、罪を贖おうとする、敬虔な心によって捉えられる」(同、83頁)ということである。その時、人間とキリストは、同じであって、同じでない。
才市の歌につぎのようなのがある。
   なむ仏は、さいち(才市)が仏で、さいちなり。
   さいちが悟りをひらく、なむぶつ。
   これをもろ(貰)たが、なむあみだぶつ。
ここでは才市と仏が、同じであって、同じであない。大拙は「才市は仏である。仏は才市である」と解説しながら、同時に「才市即仏または仏即才市ではない」とも言う。これが仏教の敬虔主義である。
どちらの場合にも、自分というものを捨てて、捨てて、捨て切ったところで、超越者とひとつになった自分が、死んで生まれ変わったようにして出てくる。それは、近代的自我とか、超越論的統覚とかいうものとはちがう。
「生まれ変わった、この私を見て下さい」という気持が、ドイツでは自叙伝という文学形式になる。「信仰一途に生きた姿を見守ってあげましょう」という気持が、日本では往生伝という文学形式になる。この二つの形を、単純に違うとも、同じだとも言うことはできない。ドイツに往生伝と同じ形のものもある。しかし、とくに自叙伝という形を多くみせたドイツの敬虔主義が、そこからいわゆる近代的な自我の生まれてくる場を生み出していったという経緯は、伊藤氏の著作の第二部に紹介された一連の自叙伝の系列に読みとることができるように思われるが、現在、イギリスでの伝記文学の形成史など、興味深い研究が静かに進んでいて、いつかそれらを広い視野で見渡すような仕事ができるようになってから、慎重な比較を試みるのが適切であろう。
伊藤氏が詳細に紹介してくれた自叙伝のそれぞれから特徴的な記述をひろいだしてみることにする。
シュペーナー(1635-1705年)は、敬虔主義の理論をきずいた人だが、その「身上書」(1705年)は「故人が三人称で言い表わされる当時の通常の身上書」(つまりドイツ式の往生伝)と同じ記述形式で書かれている。「誕生、両親の紹介、洗礼、初等教育…中等教育、大学時代、教養旅行、就職、職業活動、結婚、家族、病気、そして死の模様と順次記して、故人の生涯に示された神の恩寵と故人の遺徳をたたえ、また故人の人生に影響を及ぼした人々の名前を挙げることも忘れなかった」(一五四頁)というのが、通常の身上書だそうである。しかし、自叙伝に固有の内面の描写が現われてくる。
主人公がシュトラスブルグで教会と大学で職を得ていたときに、フランクフルト市から有利な地位の提供があった。その時のことを彼はこう記している。
「この件において神のご意志がどのようなものであるか、私の心情には十分な確信がなく、…私はひたすら受け身の姿勢をたもって両市に私自身に関して折り合いをつけてもらおうと決心し、また私自身からはそれぞれのがわに決定へのどんな動機も与えないよう自戒し、賛成と反対の両方の理由を書面にしてシュトラスブルグ市に手交し、そして同市が私を最もよく知っているがゆえに、同市に決定を要請しました。」(同、167頁)
ここに敬虔主義者の内面的な態度がはっきりと出ている。まず、すべては神が決定する。神の意志に確信が持てないときは、公正な第三者の決定にゆだね、自分は厳正に中立を守るのである。自己決定の完全な放棄こそが、もっともあるべき姿勢なのである。
シュペーナーの高弟でハレ市で活躍したフランケ(1663-1727)の「履歴書」(1690-91年)は「回心の発端と経緯」という題名でも世に知られている著作で、信仰を一度失った後での回心の経験を描いている。「聖書だって神の言葉であるかどうか分かったものではない」という疑問にとりつかれる。そして知人に自分の無信仰を告白した後で、「これまでどおりの行いを続け、そしてまた私自身の心を最大限に否認しながら熱心に祈り続けた」。
その翌日の日曜日「まだ知らない、信じてもいない神に対して、もしどなたか本当の神様がいらっしゃったならば、この悲惨からお救いくださいと叫んだ。」するとそのとき「神は私の願いを即座に聴きいれたもうたのである。たちまちのまに私のあらゆる疑問は消え失せ、私の心の奥底からイエス・キリストにおける神の恩寵を確信したのである。」(211頁)この回心は彼の自我の作用ではない。「信仰は私たちの内部で行なわれる神のわざ」(ルター)なのである。
私が信じるということが、私でない者のわざであるという構造は、たとえば一遍上人のつぎのような思想にも見て取れる。
ほとんど永遠に近い「十劫の昔」、法蔵菩薩は悟りを得て衆生をすくうことができなければ、仏にならないと誓った。その結果、仏となったのが阿弥陀仏である。彼が仏になったからには、衆生がすくわれることが前提になっている。信じるも信じないもない。ただ一返「南無阿弥陀仏」と唱えた真剣な気持(一念)だけで往生は約束される。阿弥陀仏の名を唱えただけで往生は約束される。したがって、臨終を迎えなければ往生できないというわけではない。平生にも往生がなりたつ。「臨終即平生」、「臨平一致」といって、瞬間瞬間の「今」が死の深淵にさしかかっている。その「只今」の瞬間の一念で、この身体そのままのすがたで往生できる。こを「即便往生」とよぶ。
このような精神状態を、一遍智真は、つぎのように述べている。
「南無阿弥陀仏と一度正直に帰命(きみょう)せし一念の後は、我も我にあらず。故に、心も阿弥陀仏の御心、身の振舞も阿弥陀仏の御振舞、ことばも阿弥陀仏の御言なれば、生きたる命も阿弥陀仏の御命なり。しかれば昔の十悪・五悪ながら請け取りて、今の一念,十念に滅したまふ有難き慈悲の本願に帰しぬれば、いよいよ三界・六道の果報も故なくおぼえて、善悪ふたつながらものうくして、唯仏智よりはからひてあてられたる南無阿弥陀仏ばかり所詮たるべしとおもひさだめて、名号を唱へ息たえ命終る。これを臨終正念往生極楽といふなりo(「一遍上人語録」)
阿弥陀仏の名号をひとたび素直にとなえて、仏に全身全霊をささげたならは、自分の身でありながら、その私が実は私ではない。私は阿弥陀仏と同体である。同体であるから心も身の振舞いも、ことばも命も一挙手一投足が阿弥陀仏の行為そのものとなる。十悪・五逆というような父を殺し母を殺し仏をそしった罪悪人であっても、念仏をとなえることで、悪をおかしたことにより、さまざまの世界におち、流転することはありえない。一念一念をつみかさね、命が終るときまで念仏せよと勧めている。
往生伝や妙好人伝の主人公達と、ドイツのピエティズム文献のなかの伝記の主人公達と比べてみると、ずいぶん、良く似ている。その似ている点のもっとも中心的な要素は、自我の中心部分が、心の内に神やイエスや阿弥陀の存在を感じとるという点、そして本当の意味で自分のことを決定できるのは、そのような意味での他者であるという自己了解、すなわち、日本的な言い方をすれば「他力」の態度が共通している。
もちろん、違う点もある。日本では、自叙伝という形のものがなくて、ドイツでは自叙伝が中心になるという点、日本では文字を書くことのできない人も往生伝や妙好人伝には登場するが、一般的にいうとドイツの敬虔主義の文学の作者はレベルの高い教養人であるようだ。日本のこの種の伝記にもっとも多く登場するのは聖徳太子だが、まったくの下層民も登場する。
内容的に見ると、日本の伝記では、非常に美しく彩られた死の瞬間に幸福の絶頂がおとづれ、往生が生涯の願望(本望)の達成になり、当人も周囲の人々も随喜の涙を流すというストーリーになっている。幸福感が満ちあふれているという点にもっとも大きな違いがあるように思われる。
しかし、ことなる文化のなかに置かれた文化的な作品について、比較をするということ自体に非常に大きな困難がある。たとえばゲーテの自伝的な作品と文字の読めない日本人の伝記を比較して、ドイツ人は知識が豊かで、日本人は知識が貧しいという結論を下すことはできない。それではゲーテと日本の有名な知識人を比較すれば公正な比較になるかといえば、その公正が何によって保証されるかということについての、明確な回答はないだろう。
日本の阿弥陀信仰を背景とした伝記の集成と、ドイツの敬虔主義の文化に芽生えた自伝の数々とは、比較して興味のある結論を得易い資料であるように思われるが、いずれにせよ、さらに詳細な資料上の吟味が必要になるだろう。  
 
善導大師の慨悔思想

 

はじめに
懺悔は釈尊在世当時より仏教教団を維持する上でも重要視されていたもので、仏教徒に罪過があればただちにそのたびに懺悔を行なってきたし、また布薩会や安居会の際にも懺悔が定期的に行なわれてきた。そしてこのような懺悔の実践は、釈尊以後の教団においても、自己を反省し強く仏法を求めるための実践として重視されてきた。
今、中国の善導大師(六一三−六八一、以下善導)においても懺悔に特に注目がなされ、浄土教者の上でこれほど重視するのは善導をおいてはないといってよいほどである。善導の著作の中でも「懺悔」のことば、あるいはこれに類することばの何と多いことか。このように重視されている懺悔は、善導の教学の中でどのような位置を占め、どのような特色を有するかは興味の深いものである。懺悔心のないものが懺悔の問題を扱うことはしのびないことであるし、またこのような状態では善導の懺悔が解明されるものではないかもしれないが、これを一つの契機として善導における懺悔のありかたが少しでも了解できればと思っている。
善導の懺悔の問題を取り扱う上には、懺悔行を組織づけた「五悔」という実践もみられる。五悔は五懺悔のことであり、善導においては特に『往生礼讃』に説示される。ここには「五悔」ということばはみられないが、すでに天台智が『摩詞止観』において、懺悔・勧請・随喜・回向・発願の五法を「五悔」と呼称しており、善導の場合も同じ五つの懺悔法をいっているので、「五悔」ということばは使用していないが、天台所説によって「五悔」と呼んでおくこととしたい。
ところで善導における五悔は、天台におけるそれと比較してみると、かなり異なった体系をもっている。善導は何を根拠として独自の五悔思想を組織づけたのであろうか。またそれはどのような特色を有しているのであろうか。これらの諸問題をも含めて、善導における懺悔思想の特色を明らかにしてみたいと思う。  
一             
懺悔のことばの意味については、すでに先学によって明らかにされているように、「懺」と「悔」に分けられ、「懺」とはKsama(懺摩)といい、自己の罪をありのままに認めることであって、「悔」とはApatti-desana(阿鉢底堤舎那)のことであるといわれる。天台智は『摩討止観』巻七下に
懺名陳露先悪。悔名改往修来。
と述べ、また同じく智の作と伝えられている『観経疏』には、
懺摩梵言。悔過漢語。彼此並挙故云懺悔。
といっているように、「懺」は梵語の音写であり、「悔」は漢語に翻訳したもので、インドと中国のことばの合成語であるといわれる。
ところで、善導においては懺悔あるいはそれに類することばの使いかたがどのようになされているであろうか。善導の著作によってこれを整理してみると次の表のようになる。(表略)これによって善導における懺悔のありかたの一端を知ることができる。(表の数字は浄土宗全書本による使用回数)
上の表によって知られるすうに、「懺悔」のことばが圧倒的に多く使用されており、「懺」・「慚愧」がこれに次いでいる。この中「慚{慙)謝」「愧謝」「慚賀」は仏に対する報恩の意味が含まれてくる。また「懺(云)」と「讃云」との同異も問題となるところであるが、今は「讃云」は省略した。表のように「慨悔」等のことばの使用されるのは『法事讃』『観念法門』『往生礼讃』に集中している。解義分といわれる『観経疏』は案外に少なく、注目される散善義はとくに少ない。ほとんど行儀分といわれる著作に集中している。ただ『般舟讃』だけは例外的に少ない。
『般舟讃』にみられる「俄悔」等のことばには、他のものとは異なった特色がみられる。すなわちここには械悔と念仏の関係が説かれ、他の著作にはみられないものである。
念念称名常慨悔
ということばは善導の俄悔と念仏の関係を表わすものとしてよくとりあげられるものである。このようなことばは他の著作にはみられない。「念念の称名は常の慨悔なり」と読めば、称名念仏する中に自然に俄悔の心は備わるというもので、慨悔し終わって阿弥陀仏に帰依し、称名念仏する説きかたが為される他の著作とは異なったものとなる。いずれにしても念仏と慨悔との直接の関係を述べたものはこの『般舟讃』のことばしかなく、また後世のものにとって非常に都合のよいものとして常に善導における健悔の位置づけをする場合に用いられることが多い。しかし『般舟讃』にあるただ一回の使用例をもって善導における慨悔の位置づけをするには多少問題が残るのではないだろうか。『般舟讃』の場合は特異なものであり、ここでは使用回数の多い『法事讃』『往生礼讃』『観念法門』等によって懺悔に関する論述が進められることになる。  

善導によれば、慨悔にも程度があって、『往生礼讃』には三種類あることを述べている。すなわち、
懺悔有三品上中下上品慨悔者身毛孔中血流眼中血出者名上品懺悔中品懺悔者遍身熱汗従毛孔出眼中血流者名中品慨悔下品慨悔者遍身徹熱恨中涙出者名下品懺悔此等三品雖有差別即是久種解脱分善根人致使今生敬法重人不惜身命乃至小罪若懺即能徹心徹髄能如此懺者不問久近所有重障頓皆滅尽
とあるように、上品の懺悔は毛孔や眼から血が流れるほどのものをいい、小品は全身の毛孔から熱汗が出て、服から血が流れるほどのものをいい、下品は全身が熱くなり、眼から涙が出るほどのものをいって、すべて身命を惜しまず慨悔すれば重障は決定して皆な減尽するというものである。これは後世の天台の中興、荊渓湛然(七一一−七八二)にみられるものよりも厳しいものである。『授菩薩戒儀』『十二門威儀』)には
然懺悔法有其三種上品懺者挙身投地如大山崩毛孔流血中品懺者自露所犯悲泣流下品懺者通陳過咎随即口言。
とある。ところが善導はこのような厳しい懺悔の実践のできないもののあることを予想していたのか、湛然あたりにはみられない配慮をみることができる。この叙述は『観念法門』における懐悔法を説くところにも出るもので、『観仏三昧海経』を引いて説示される。 『観仏三昧海経』には
今仏現世沙門大衆一切雲集。汝当向諸大徳衆僧発露悔過。随順仏語慨悔諸罪。仏法衆中。五体投地如大山崩。向仏慨悔心眼得開。云云
とあり、善導はこの経典によって慨梅の法を説いているが、湛然もおそらくこれらによったのであろう。また同様の記述は『大方等大集経』巻四十四日蔵分中三帰済竜品第十二にもみられる。懐悔がこれほどにまで為きれていく歴史があるようで、善導も湛然もこれらの懺悔法を用いて独自のものを展開したのであろう。
前述の厳しい慨悔法を説いたあとに、
若不作者応知雖不能流涙流血等但能真心徹到者即与上同。
とあるように、血や涙が流れるほどの慨悔の出来ない者も、真心をもって慨悔することによって、前三品の慨悔と同様に重障を減尽することができるというのである。この三種等の慨悔は『往生礼讃』所説のものであるが、本書を著わした当時の善導は、厳しい懺悔の出来ないものにも真心を尽くして慨悔する道を開いており、『般舟讃』あたりにみられる「念念称名常懺悔」を「念念の称名は常の慨悔なり」と談んだ場合とでは戦悔の取り扱いが異なる。                                    このような懺悔を実践するにあたって善導は『往生礼讃』に要・略・広の三懺悔のあることを述べている。要俄悔は
南無慨悔十方仏 願減一切諸罪根
今将久近所修善 回作自他安楽因
恒願一切臨終時 勝縁勝境悉現前
願覩弥陀大悲主 観音勢至十方尊
仰願神光蒙授手 乗仏本願生彼国
の偈を唱えることであり、略慨悔は中夜時に説かれる懐悔・勧請・随喜・回向・発願の五悔を唱えることであり、広懺悔は広く仏法僧宝や大衆等に対して一切の罪過を懺悔することで、『往生礼讃』には「広懺悔」の文として広く詳しい懺悔の内容が説示されている。
善導の場合の懺悔ほ、その多くは「発露懺悔」であり、しかもそれは仏等の前においてなされる。この傾向は、とくに『法事讃』『観念法門』に顕著であり、『往生礼讃』はこれについでいる。慨悔の実践が「発露懺悔」であるということは、前にみた三品の懺悔のような厳しい懺悔を行なう上では必然的にも要求されるものである。
「発露懺悔」する懺悔の具体的内容については「広懺悔」の中で詳述されており、また『法事讃』巻下の随文解釈が終わったあと、懺悔法について詳述している。今この二書における懺悔の内容を比較してみると、具体的な懺悔の内容については『法事讃』と『往生礼讃』の「広懺悔」とにしかみることができないが、両書に説かれる内容や順序はほぼ一致している。『法事讃』では『往生礼讃』の懺悔をさらに詳しく述べたもので、両書の成立の前後も問題となってくる。懺悔は殺生から始まって愉盗・邪淫・妄語欺誑・綺語調弄・悪口罵辱・誹謗妄語・両舌闘乱破壊などと続き、さらに五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・菩薩三乗戒・十無尽戒などの一切の戒や一切の威儀戒など身口意三業に起こす一切の罪に対する懺悔を行なっている。このようにみてくると、善導が懺悔している内容となっているものは菩薩戒であるのか具足戒であるのかということが問題となるであろう。ここにみられる五戒や二百五十戒等の一切の戒や威儀戒などは、善導が一般論としていったものか、あるいは善導自身のものであるのか。善導の著作に接する限り、善導自身の立場からの自己の信仰の告白であるから、ここに並べられているものも、単に一般論としていったものではなく、善導自身が持とうとしたものであろう。
このように厳しいしかも具体的な懺悔が発露になされる時、前述のようにほとんどの場合、阿弥陀仏以外の仏やその他の前で行なわれる。たとえば『法事讃』では「道場の凡聖」「三宝道場の大衆の前」のようになっており、『観念法門』では「仏」「諸仏一切賢聖天曹地府一切業道」「我形像」「諸大徳僧衆」であり、『往生礼讃』では「十方尽虚空三宝及尽衆生界等」「十方諸仏十二部経諸大菩薩一切賢聖及一切天竜八部法界衆生現前大衆等」「三宝前法界衆生前」においてなされて、阿弥陀仏前においてではない。すなわち阿弥陀仏以外の仏や大師の前において自己の罪過を懺悔し、懺悔しおわってはじめて阿弥陀仏に帰依するのである。場合によって仏や大師と対象は異なるが、そこで行なわれる懺悔は、自らの反省のみにとどまらず、他への告白としてこれらの対象があるのである。
これらの対象の前で発露に懺悔する罪過は、自己の無始より現在に至る一切の罪である。前述のように懺悔の具体的な内容からすれば、おそらく人間として生まれてきたものにとって該当しないものはなく、この懺悔の内容はそのまま機の自覚へ結びつくものである。自己の罪過に対する反省がすすむと、自己の犯した罪過はもちろん自己反省の対象となるが、直接に犯した自己の罪過に対する懺悔にとどまらず、他人の犯したものまで重々無尽に直接間接に影響を与えている自己の罪過として懺悔するようになってくるのではないだろうか。善導における懺悔の内容がこれほど厳しく行なわれるのは、単に自己の直接に犯した行為に対するもののみにとどまらず、一切の行為による罪過が自己の罪過として懺悔されるからであろう。善導の著書は懺悔のみられないものはないのであるが、これほどまでの言い方がなされるのはそのようなことがあるからであろうと思われるし、また懺悔してもなお罪過を犯さずにはいられない人間の存在を、自己の懺悔の中に見いだしたものであろうと思われる。懺悔しおわった後の自己のありかたが問題となるであろう。
次に善導における懺悔と滅罪の関係はどのようであろうか。懺悔と滅罪は仏教においては密接な関係があるといわれる。善導においてもたとえば『観経疏』の
明如来以見衆生罪故為説懺悔之方欲令二相続断除畢竟永令清浄。
とか、『法事讃』 に
今対道場凡聖発露懺悔。願罪消滅永尽無余懺悔己至心帰命礼阿弥陀仏
とあるものなどをみると、懺悔と滅罪とは密接な関係をもっており、懺悔をすることによって滅罪せんことを願ってさえいる。しかしそれは阿弥陀仏に帰命することが目的となっているのである。懺悔は自己の側でなされることであるが、滅罪は仏の側でなされることであり、懺悔することによって阿弥陀仏にすべてが委ねられるのであることから、至心に阿弥陀仏に帰命するために懺悔が説かれるといってよい。すなわち懺悔はやがて阿弥陀仏の世界に往生したいという願いを発す発願となり、それが阿弥陀仏への帰依となってあらわれ、阿弥陀仏によって滅罪が成就されることとなる。善導の場合、懺悔は必ず滅罪と結びつけていわれるというものばかりではない。また滅罪も懺悔によるものばかりではない。とくに『観念法門』の記述には、「観」が滅罪に密接な関係を有している。『観経』所説の観法が滅罪と結びついていることが随所に説かれているのである。したがって善導の場合の滅罪は必ずしも懺悔ばかりとは限らないのである。しかしながら、善導においては懺悔と滅罪はそれぞれの行為の主体は異なっていても密接に関係していることが知られる。  

善導における懺悔には上中下三品の懺悔や広略要の三懺悔など複雑な構成をもっているが、その中、略懺悔としていわれるものに五悔がある。五悔は五懺悔のことで、善導においては『往生礼讃』の中夜時にみることができる。こ
こには「五悔」ということばの表記はないが、すでに天台智にょって懺悔・勧請・随喜・回向・発願の五法を「五悔」と呼称しており、善導の場合も同じ五法を使っており、後述するように五つの懺悔法をいうので、「五悔」という天台所説のことばで善導の場合も呼んでおくこととする。
善導における五悔は、その著作中『往生礼讃』の中夜時にのみ説かれるのであるが、なぜここにしかみられないのであろうか。この解決には『往生礼讃』がいつごろ成立したのか、また五悔思想はいつごろ構成されたのかが問題となる。
五悔思想の起源について、最近になってようやく先学によって盛んに問題視されてきて、五悔および四悔を説く経典顆の整理や、その思想的展開について論じられるようになってきた。懺悔を説く経典類の分類をしたのは大野法道博士の『大乗戒経の研究』である。ここでは懺悔を説く経典を1四悔五悔系、2称礼仏名系、3反省精進系の三種に分顆されている。当面の問題の対象になるのは、1四悔五悔系の経典類であるが、この中でさらに四悔系と五悔系に分頬され、四悔系の経典として『菩薩蔵経』『舎利弗悔過経』『大乗三東懺悔経』『三曼陀跋陀菩薩経』『廻向輪経』等があり、五悔系として『菩薩五法懺悔文』『離垢慧菩薩所問礼仏法経』等があげられている。
今、善導に焦点をあわせた場合、『廻向輪経』は于闐国三蔵の戸羅達摩が唐の貞元六年(七九〇)に中国に到来せしめたものであるから善導以後になる。それ以外は善導が参考にする可能性がある。大野博士のあげた以外の経論疏で善導以前に中国に伝えられ、あるいは成立したものをあげると、四悔系のものでは『文殊師利発願経』『合部金光明経』『十住毘婆沙論』『大智度論』『集諸経礼讃儀』などがある。このうち『集諸経礼讃儀』には善導の『往生礼讃』も収められていて、善導以後の成立であることは明確であるが、しかし善導以前の四悔・五悔を説く礼懺儀を収集しているので参考になるであろう。五悔系のものとして『占察善悪業報経』『観仏三昧海経』『大乗止観法門』『摩訶止観』『法華三昧懺悔』『国清百錬』所収のものなどがある。
善導は五悔思想を構成するにあたって、五悔の説かれる中夜時が竜樹の『願往生礼讃偈』によって作成されていることを述べているので、これによっていることほ容易に想像できる。ところで竜樹の『願往生礼讃偈』は『十二礼』のことであるといわれるが、これと合致する偈文が中夜時に説かれるのでまちがいはないであろう。しかし『十二礼』には五悔思想はみられず、五悔については別のものに依っていることが知られる。竜樹の著作とされている『大智度論』や『十住毘婆沙論』には四悔が説かれていて、その片鱗を知ることができる。とくに『十住毘婆沙論』の所説は、その一部が善導所説のものと似通っている。たとえば五悔のうちの最初の「懺悔」の説明の箇所を比較してみると次のようである。
竜樹の『十住毘婆沙論』
我於今現在十方世界中諸仏得阿耨多羅三藐三菩提。転法輪雨法雨。撃法鼓吹法蠡建法憧。以法布施満足衆生。多所利益多所安隠。憐愍世間饒益天人。我今以身口意。頭面礼現在諸仏足。諸仏知者見者世間眼世間燈。我於無始生死已来所起罪業。為貪欲瞋恚愚癡所逼故。或不識仏不識法不識僧。或不識罪福。或身口意多作衆罪。或以悪心出仏身血。或毀滅正法。破壊衆僧。殺真人阿羅漢。或自行十不善道。或教多令行。或復随喜。若於衆生有不愛語。若以斗秤欺証侵人。以諸邪行悩乱衆生。或不孝父母。或盗塔物及四方僧物。仏所説経戒或有毀破。違逆和尚阿闍梨。若人発声聞乗辟支仏乗。発大乗者。悪言毀辱軽賤嫌恨慳嫉覆心故。於諸仏所或起悪口。或説是法非法。説非法是法。今以是罪於現在諸仏知者見者証者所。尽皆発露不敢覆蔵。従今巳後不敢復作。若我有罪応堕地獄畜生餓鬼阿修羅中。不値三尊生在諸難願以此罪。今世現受。如過去諸菩薩求仏道者。懺悔悪業罪。我亦如是発露懺悔不敢覆蔵後不復作。如未来諸菩薩求仏導者。懺悔悪業罪。我亦如是発露懺悔不敢覆蔵後不復作。
善導の『往生礼讃』
至心懺悔
自従無始受身来恒以十悪
加衆生孝父母謗三宝
造作五逆不善業以是衆罪因
縁故妄想願倒生纒縛応受
無量生死苦頂礼懺悔願滅除
懺悔己至心帰命阿弥陀仏
『十住毘婆沙論』所説のものは第五巻「除業品」に阿惟越致地(不退転)を得るために懺悔・勧請・随喜・回向を修すべきであると述べるところに見られるものである。その中の懺悔の内容の説明をするところに、「我於無始生死己来所起罪業」とか「或以悪心出仏身血。或毀滅正法。破壊衆僧。殺真人阿羅漢。或自行十不善道。或教他令行……」とか 「或不孝父母」「或説是法非法。或説非法是法」などとあるところをみると、善導所説の内容と同様の構成になっていることが知られ、善導は五悔思想を構成するにあたって『十住毘婆沙論』を参考にしたことは充分に考えられる。因みに天台智も五悔を構成するにあたって竜樹の『十住毘婆沙論』等によっている。
善導の五悔思想は、天台智のそれと名称や構成において同様であるにもかかわらず、その内容については天台智のものとはかなり相違している。善導は智の五悔に対してどのような内容をもって構成したのだろうか。またなぜ智と相違した五悔思想を展開したのであろうか。そこで次に善導の五悔と智のそれとを比較してその特色を探ってみたいと思う。
善導における五悔の内容についてみると、まず懺悔は、無始よりこの身を受けて十悪を犯し、父母に孝養せず三宝を謙り、五逆罪を犯して無量の生死の苦を受けている自己をありのままみつめて、自己の身口意の三業によって修する一切の罪を認めて発露懺悔し、自身を清浄ならしめよと願う。自己を反省すれば常に罪を犯して生死の苦しみを受ける自己であり、しかもその苦しみからいかにしても自己の力では抜け出ることのできない自己であることが知られる。そのような自己であることを反省した後、阿弥陀仏に帰依することが述べられている。このことは他の四悔にもみられる。勧請は、単に自己の罪を懺悔するだけではなく、生死の大苦海に没している衆生の住む三界を諸仏は空慧をもって照らし、衆生はこの積極的な関わりを示している諸仏の慈悲に覚め、諸仏を迎えて法輪が転じられて諸苦からの離脱を求めようとする実践である。随喜は、無始以来の嫉妬心や貪憤癖の煩悩により智慧慈善根を焚焼している自己を反省し、大精進随喜心をおこすものである。勧請により諸仏を迎えたのであるから、そこには嫉妬心や三毒煩悩などはなく、随喜心がおこる。回向は、三界の内に流浪して苦海に沈没している自己を反省し、懺悔・勧請・随喜の実践を修したのであるから、次には信仰生活全体を安楽国土へ往生できるよう回向する。すなわち善導においては、念仏生活に入ることを意味するであろう。発願は阿弥陀仏の浄土に生じて阿弥陀仏に遇い、六神通を得て他の苦しむ衆生を救済する努力をする。五悔の中で懺悔・勧請・随喜・回向は自己の完成をめざした上求菩提の実践であり、最後の発願は衆生とともに真に往生することを求めた下化衆生を含む実践であって、上求下化の円満した大乗菩薩道が説かれる。
これらの五悔が説示されたあと、「至心帰命阿弥陀仏」ということばが五悔のいちいちに付加されている。五悔のいちいちの懺悔法は、おそらく他の「懺悔」ということばの使用されている例からして、阿弥陀仏以外の聖聚等の前で行なわれ、次いで阿弥陀仏に帰依する形がとられている。これは天台智にはみられない善導独自の五悔法であり、天台智の五悔法については、善導はおそらく知っていたのにちがいないが、まったく異なった浄土教の立場からの五悔法を構成した。しかもこの五悔法は五種の懺悔法を説いたもので善導にに如いては懺悔の占める位置は極めて強いもので、五悔を説いたあとの後序にも、さらに具体的な懺悔を示した広懺悔をはじめ数多くの懺悔を説いている。  

善導の五悔の順序については、すでに天台智において懺悔・勧請・随喜・回向・発願の順序になっていて、善導においても同じである。しかし善導は単に智のあとをついでこの順序を示したのではなく、おそらく智の五悔が説示されてもされなくても、善導が好んでよく引用する『観仏三昧海経』に依ったものと思われる。すなわち
我今観仏。以此功徳不願人天声聞縁覚。正欲専求仏菩提道。発是願巳若実至心求大乗者。 当行懺悔。行懺悔巳次行請仏。行請仏已次行随喜。行随喜己次行廻向。行廻向巳次行発 願。行発願巳正身端坐繋念在前。観仏境界令漸広大。
のように、懺悔・請仏・随喜・回(廻)向・発願あって、請仏は勧請のことであるから、この順序次第に依ったものと思われる。『観仏三昧海経』は善導が好んで引用する経典であり、おそらくこの経典に依ったものであろう。しかも『観仏三昧海経』は『観念法門』によく引かれるのであり、五悔思想の萌芽も『往生礼讃』に先立って成立したものとみられる『観念法門』に『観仏三昧海経』を引用して懺悔法を説く中にみることができる。『観念法門』にみられる「懺悔発願」法が『往生礼讃』になるといっそう具体的になり、日没時以下に懺悔・発願の実践として具体的に示されてくる。とくに発願は二回説かれる。しかも俄悔文が終わったあとに
懺悔回向発願己至心帰命阿弥陀仏
とあるので、回向が先きにあって発願が後にくる。これは五念門にみられる発願・回向の順序と異なり、三心の回向発願心にみられる順序となっている。二回の発願文のうち、とくに後ろのものは有名であるが、この内容は中夜時にみられる五悔の発願と内容において軌を一にしている。
『往生礼讃』に先だって著わされたとみられる『観念法門』は、
依親経明観仏三昧法一
依般舟経明念仏三昧法二
依経明人道場念仏三昧法三
俵経明道場内懺悔発願法四
という構成になっていて、すでに「懺悔発願」法が説かれている。しかもそれは『観仏三昧海経』によって懺悔法が説示されている。五悔思想としてまとまったものは『観念法門』には説かれないが、「懺悔発願」としてここに五悔思想を『往生礼讃』によって展開する意識がみられる。    
ところで、『往生礼讃』には世親の『往生論』を受けて、浄土の実践として五念門が導入されているが、しかもこれは三心との関わりにおいてみることが指摘されている。ところが、同様に五悔についても三心および五念門との関わりにおいて立体的構成をもって説示されていることが知られるのである。すなわち三心の具体的懺悔法として構成されたものが五悔であるといえるのである。そこで今もう少しこの点について詳述してみようと思う。これをみるにあたって『往生礼讃』に説示される五念門・三心・五悔をそれぞれ対比してみると、その特色なり結びつきを如実に知ることができる。
(略)
三心の至誠心は、身業による礼拝、口業による懺悔称揚、意業による専念観察という三業の実践を通して、阿弥陀仏に対して真実心を示すことをいうのであるから、この実践はまさに懺悔の心がなければ成立しえないものであるといえる。狭義には五悔の最初の懺悔に相当するし、広義には五悔の実践すべてに相当するともいえる。次の深心は、機の深信と法の深信という二種深信の面から考察しなければならない。五悔の第二勧請は、永く生死の苦海に沈んで覚知することのない衆生の諸苦を抜くために仏を勧請する。そして続く随喜においては、歴劫以来ずっと懐いてきた煩悩によって諸善根を焚焼してきたのが、仏を勧請することにより、仏の働きによって悔悟して大精進随喜の心が起ってくるという。すなわち、この勧請および随喜はちょうど二種深信に相当させてみることができる。しかもそれは二種深信の機の深信と法の深信とは、単に並列的に個別的にみるものではないように、勧請・随喜と三心との関係もいずれか一方がいずれか一方へというものではなく、重層的にからみあっているものであるといえる。すなわち勧請・随喜には、煩悩具足の凡夫で、生死苦海の三界に流転して、ここから抜け出ることが困難である身の上であることを信知するという機の深信と、しかしそのような泥凡夫でも阿弥陀仏の本願の称名念仏によって必ず救済されることを信知する法の深信との二種の深信がからみあった形でとらえることができ、勧請と随喜は三心の深心の具体的懺悔法であるとみることができる。
次に三心の中の回向発願心は、「所作の一切の善根ことごとく皆な回して往生を願ず。故に回向発願心と名づく。」とあるように、諸の善根を回向することと、浄土に往生したいと願ずることの二面から成っている。この回向と発願とは、五悔の終わり二悔の回向と発願に相当するものと考えられる。それはただ名称が一致するということだけではない。五悔の回向は、凡夫が生死苦海の中にありながらも、阿弥陀仏の教えに随順して善根を修し、これを回向することによって浄土に迎えられていくことが述べられていて、三心の回向発願心の回向に相当する。また発願についても、自他ともに阿弥陀仏の浄土に往生したいと願う心をおこすのであり、三心の回向発願心の発願も五悔の発願も、名称のみならず内容において変わることがない。
このように、三心という心のもちようにおいて懺悔行はその中に内含されているもので、その実践の具体的方法として五悔が構成されたのではないかと結論することができる。五悔は最初の懺悔のみならず、すべてが懺悔行であり、これらの懺悔行を三心とのからみあいにおいて説示されるものであるといってよいであろう。  

ところで、善導における五悔思想が『往生礼讃』にのみ説示されるのはどういうことからであろうか。もちろん『観念法門』などには五悔思想の先駆的なものもみられ、見方によっては五悔思想を説いているともみられないこともないが、懺悔・勧請・随喜・回向・発願という五つのの懺悔法を名称をあげで具体的に説示しているのは『往生礼讃』のみである。(前述のように、ここには「五悔」ということばは用いられていない。)『往生礼讃』において善導は浄土実践の具体的な方法として世親の五念門を引いているが、しかしそれは世親の五念門とは異なっていて、組みかえがなされている。すなわち第三作願門と第四観察門がいれかわっており、またそれは三心との密接な関係によって設定されている。作願(止)があってこそ観察(観)が成立する世親の五念門体系からいえば、止と観とがいれかわっていることによって、世親の実践体系とは異なった構成がなされていることになる。『往生礼讃』所説の五念門中の作願門は、                   
専心若昼若夜一切時一切処三業四威儀所作功徳不問初中後皆須真実心中発願願生彼国故名作願門。
とあって、シャマタ(止)の実践として定められた作願門が、菩提流文の翻訳した「作願」、すなわち願をなす、いわゆる発願の意味にとられてくる。昼夜に心を専らにすることによって、浄土に迎えとられたいとする願いを発すのが作願門であるというのである。これは後世日本の源信の『往生要集』所説のものとも異なる。源信も浄土の実践行として世親の五念門を引いているが、ここにみられる作顧門は菩提心である。この菩提心に縁事の菩提心と縁理の菩提心をあげ、とくに縁事の菩提心として四弘誓願が説かれてくる。修し易い発し易い縁事の菩提心ですらこの世で発す四弘誓願を主張してくるのであるから、これは浄土に往生して発すものではない。強い菩薩道精神の現われた作願門であることが知られ、共どもに手をとりあい往生を願う善導の主張するような作願門のありかたではない。指導的立場に立って衆生を導き救済する願いを発すことであって、善導のいうような「願共諸衆生」の願ではないのである。善導における作願は、このような源信にみられるものとも異なり、観を成じるためのシャマタ(止)のようなものでもない。「願生彼国」のための「専心」である。善導所説の作願門にはこのような発頗思想がみられる。ついで回向門は、
専心若自作善根及一切三乗五道一一聖凡等所作善根深生随喜如諸仏菩薩所作随喜我亦如是随喜以此随喜根及己所作善限皆悉与衆生共之回向彼国故名回向門。又到彼国己得六神通回入生死教化衆生徹窮後際心無厭足乃至成仏亦名回向門。
とあるように、心を専らにして諸仏菩薩が一切の善根に深い随喜を生ずるように、自己も同様に随喜を生じてこれを回向するというものである。このように回向は随喜をともなうものであり、ここに随喜と回向とがみられ、五悔との関わりを知ることができる。五悔の回向にみられる
我今修此福回生安楽土
とあるところの「此福」とは、その前にある随喜にみられる
今日思惟始惺悟 発大精進随喜心
を指すものと思われ、五念門にみられる随喜と回向との関係と同様のものをみることができ、五念門における回向門の具体的懺悔法として五悔の随喜と回向とが説示されていることを知ることができる。五悔の説示によればそのいずれの表現も阿弥陀仏の絶対性と衆生の罪悪性が対照的になっていて、善導の懺悔のありかたの特徴を把えることができるのではないか。
善導における五悔思想は、三心との関係でとらえられなければならないと同時に五念門についても同様の取り扱いをしなければならず、三心・五念門・五悔のいずれをとらえても、互いに関わりをもって説かれていることに注意が払われなければならない。これらの複雑な関わりをもって、三心・五念門・五悔の実践が行者の上に立体的に現成せしめられ深められてくるのであろう。善導の五悔思想は、天台智におけるそれとは異なっていて、このように独自の構成と内容をもっていて、とくに三心や五念門との関わりにおいで説示されているところに特色を見い出すことができる。三心の心持ちにおいて修せられ五念門といり実践を、懺悔行の実践として構成づけたものが五悔であるといえる。
ただ五悔思想は善導における教学的位置づけからみて、著作のすべてに通じてみられるものではなく、明確にみられるものとしては『往生礼讃』のみである。これは、世親所説の五念門の浄土実践のうち作願門と観察門をあえていれかえることによって、凡夫を主体とした五念門の組織を独自に展開したが、作願門にみられる発願回向より先きになり、また称名の位置づけの問題から五念門を廃し、五種正行への展開をみせると同時に、五悔としての懺悔行も重要な実践にはちがいないが、直接に往生と関わるものではないものとして、「念々の称名は常の懺悔なり」という立場で示されるようなことになり、『往生礼讃』以外の著作には見られなくなってくるのではないだろうか。この間題には善導の残した著作の成立の先後問題とも関係をもつもので、なおさらに検討を要する問題となろう。  

善導の宗教は「願の宗教」といわれる。確かに善導の著作の随所に何と多くの「願」ということばが使用されていることか。善導の浄土教が「願の宗教」といわれるのも首肯されるところである。善導までの浄土教者で、これほど「願」を強調している人はないといってよい。とくに『法事讃』や『般舟讃』には一個一句に「願往生」と付加されている。また『観経疏』その他にも多用されていて、善導がいかに真摯に「願」いをもっていたかを知ることができる。その意味でも「願」の浄土教を展開せしめたといってよい。もちろんそれは善導一人の功績であるわけではなく、曇鸞の『往生論註』や道綽の『安楽集』などに『無量寿経』の心をとらえて、三輩のいずれにも共通しておこすものが「無上菩提心」であることを述べ、それは「願作仏心」であり「度衆生心」であるとして自利利他円満するものとされ、それを「願」に集約しているところを受けついだものと思われる。善導の著作にはその点を受けつぎ、著作にその心情を汲みとることができる。ただ「願」には仏の願、すなわち本願と、われわれ衆生のおこす願とがある。とくにここにいう「願」とは衆生の側のものであり、善導自身のものである。
このような傾向から、多く善導の浄土教は「願の宗教」といわれるのであるが、しかし「願」ということばが多く使用されているということだけでこれを「願の宗教」といったのでは、なぜ善導がそこまで「願」を強調しなければならなかったのかを究明するのに不充分といわなければならない。善導が他師にはみられないほど真摯に「願」を強調するにはそれだけの理由なり背景があるに相違ない。いったいそれは何であるのだろう。善導の浄土教の基本をなす「願」を引き起こす原動力となっているのは何であるのだろうか。それは善導が「願」の使用例と同様に多くの回数で著作の随所に使用されていることばに「懺悔」のあることが知られるので、この「懺悔」が「願」を引き起こす原動力になっているのではないか。「懺悔」の使用例が多いことから一方で善導の浄土教を「懺悔の宗教」といわれることがあるが、これも単に「懺悔」ということばの使用例が多いという理由だけでは一面を述べたにすぎないのではないかと思う。そこで考えられるのほ「願」と「懺悔」 は、善導浄土教の上では密接に関係しているものではないかということである。すなわち「願」の背景にあるものは「懺悔」ではないのだろうか。「懺悔」のことば、あるいはこれに類することばの整理は前述のとおりであるが「願」の使用例もちょうどこれに比例する。この点からも「願」と「懺悔」には何か密接な関連性が考えられる。この関連性は比例して多用されることだけではなく、「懺悔」あってこその「願」である。五悔の最初は「懺悔」であり、最後は「発願」である。五悔の構成についてみても、最初の「懺悔」が終わりの「発願」を引き起こすのである。五悔の具体的な形式はとらないが、『往生礼讃』以外の善導の著作には、「懺悔」から「発願」への展開がみられる。その点で『往生礼讃』所説の五悔の実践は、「懺悔」から「発願」へと展開する具体的な懺悔法であるといってよい。そして五悔という具体的な形式はとらないが、善導の著作では、「懺悔」から「発願」への展開をみせる内容は少しも変わっていないのである。したがって「願」を引き起こす原動力は「懺悔」であることが知られ、単に「願の宗教」あるいは「懺悔の宗教」という一面をもってのみ善導浄土教の特色とするのは片手おちの感かあり、この両者が密接に関連しあううちに「願」も「懺悔」もさらに深められてくるところに善導浄土教の特色を見い山すことができる。善導浄土教は、まず「懺悔」に始まり、その「懺悔」の気拝が「「願」を引き起こし、そこに「懺悔」がいっそう強く働くことによって、さらに「願」が助成され、往生を願う気持ちは昴められる、といった具合に両者は関連しあいながら深められ、やがて阿弥陀一仏に対する絶対帰依の形に結実してくるのである。このように「懺悔」は「懺悔」にとどまらず、「願」への展開を示し、そして阿弥陀仏への帰依へと展開する。  
おわりに
以上のように善導における懺悔の立場は、善導浄土教のすべてであるといっても過言でなく、懺悔からすべてのことが始まっているといってよい。そしてそれが強い「願」を引き起こす原動力となっている。これは善導の機根論とも深い関連性をもっているが、善導のような懺悔の態度に、懺悔をくりかえしてもなお懺悔しなければならない罪悪深重の凡夫の立場がよく標榜されている。そういう凡夫であるからこそ、さらに懺悔をくりかえすことにょって阿弥陀仏に対する追慕の情がますます昴まり、、真に阿弥陀仏に帰依することになり、やがて阿弥陀仏によって滅罪がなされていくというのである。したがって善導浄土教における教義的位置づけは、すべて懺悔から始まるといってよく、懺悔にあるといえるであろう。すなわち五念門も三心もすべて懺悔思想の具体的あらわれであることが知られる。懺悔はやがて阿弥陀仏の浄土に往生したいという願生心をおこすというように、懺悔から発願へと移行し、阿弥陀仏への絶対帰依が滅罪となり、浄土へ往生することとなる。その意味で、善導浄土教を単に「願いの宗教」とか「懺悔の宗教」とかというようにその一面のみをもって言い表わすことはできず、双方が密接に関連しあうことによって、阿弥陀仏に対する絶対帰依となり、それがやがて滅罪そして往生へとつながりをみせてくる。そしてその懺悔は三心の具体的懺悔として五悔の形で位置づけられてくるものであり、また五念門との関係においてもみることができ、称名念仏の実践が強調されてくる。懺悔ほさらに重々無尽に拡大され、単に直接に犯した自己の直接の罪過のみを問題にするのではなく、間接的なものをも含め、いわば他人の犯したものも、他人は他人の責任において罪過を犯しているというものだけにとどまらず、そのような罪過を引きおこす原因を自分の内にも求めていることを感じさせるほど、善導における懺悔には真摯なまた深いものがあり、仏教的懺悔の極地を述べるものがあるようである。  
 
「往生の物語ー平家物語」 林望

 

平家物語の序を読むと仏教書かと間違う。なんせ平家物語の作者としては仁和寺の僧が少なくとも四名関係しているのでそんな調子になったのであろうか。「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 生者必衰の理をあらわす 奢れる者久しからず 唯春の夜の夢の如し・・・・・・・・・」名文ではあるが線香くさい。しかし平家物語は皮肉な物語である。平家の頂点とその歴史的意義を語らず、天皇貴族階級の目から皮肉に平家滅亡の因果応報のみを説くのである。だから、いわれるようにこれは平家滅亡の物語なのであるが、平家の一門とその周囲の人々の「死に様」の物語である。ずべてが死に収束してゆく所こそ「平家物語」という作品の到達点であり、死の文学(タナトスの文学)と言われる所以である。 村松剛著 「死の日本文学史」においても次のように要約している。「人生勝ち負けは運命」という理念は武士階級の勃興とともに、「将門記」「純友追討記」「陸奥話記」「欧州三年記」「保元物語」「平治物語」「平家物語」で頂点を迎える。平安宮廷に咲いた無常観の中での束の間の花の美学、夢の世に夢を見る世界であった。それに対して武士が作り出したのは運命の認識である。運命という言葉は占星術・易の運勢観から来るのだが、平安宮廷では陰陽五行の思想と結びついて怨霊や物忌み、方向となったが、軍記では同じ根から運命の観念を引き出した。「平家物語」では運命そのものを物語の中心に置いている。自殺の方法として切腹が登場するのは「保元物語」からである。鎌倉期に定着したが、室町時代「太平記」では切腹が一般化した。軍記では死に際の美学として称賛された。「平家物語」は全体として雅な平家一族への鎮魂歌としての性格を持っている。
本書は一人ひとりの平家の主人公の死を眺めてみると、その死は驚くほど多様でそれぞれの個性とともに描き分けられている。つまり皆とりどりに個性的に死ぬのである。死を前にすると人間は弱いものだとこの物語の作者は教える。人は簡単には死ねない。死ぬ時の苦悩は煩悩の表現であり、しかしその煩悩あればこそその人間らしさではないか。底深い諦念や骨の太いヒューマニズムが横溢しているのである。
私も何度「平家物語」を読んだことだろう。独特の和漢混淆体文章のリズムに酔いしれながら、声を出して朗誦するのである。ああなんて美しい文章なのだろうか。森鴎外も足元にも及ばない。本書は十一人の往生を描いてみせる。簡単に振り返ってみよう。
1、平清盛
平家物語は清盛の悪に対して、息子重盛の善がいさめて辛うじて一門を支えるという筋書きである。保元・平治の乱で一挙に実権を掌握した清盛は、娘徳子を高倉天皇の后に入れ安徳天皇が生まれて、高倉天皇を若くして退位させ、幼帝安徳を擁した清盛が朝廷を支配するに到るのが清盛の絶頂期である。鹿ケ谷の変で僧俊寛、康頼、成親、成経らを鬼が島へ流刑した。1180年福原に遷都し、頼朝が挙兵し義仲が京都に攻めあがる段になって、清盛は平家の罪を背負って熱病で「あっち死に」する。その死の壮絶さに切実感がない。むしろ滑稽感しか残さないのは作者の腕にあろうか。
2、平重盛
物語の作者達は悪の報いとしての苦しい死を清盛に与え、善の応報として理想的な死を清盛の長安重盛に与えた。平家の罪業を一身にうけて死を願った重盛には、老苦もなく、病苦もなく、死苦もないという理想的な君子の死が与えられた。あまりに理想的な人間像のため、いまひとつ魅力に欠けた描写になっていて見るところがない。
3、平宗盛
清盛の次男宗森は馬鹿殿として描かれている。政治家としても武人としても全く取るに足りない愚物とであったというのが人物像である。平家の運命は彼とともに西国を漂流するのである。平家最後の壇ノ浦の戦いにおいて入水せずにむざむざと生け捕りになった。源の義経に助命を願うが、義経自身が兄頼朝からにらまれている中でついに打ち首となる。宗盛は弱将であったが家族に対する恩愛の情にあふれ、優しい人柄の宗盛がみえてくる。そうやすやすと死の「覚悟などできないのが普通の人間の姿である。見苦しく、しかし最後には憑き物が落ちたかのように死を受け入れる、そういうのがなんたって人間らしい。
4、能登守教教
平家物語後半の平家のスーパースターが教教である。水島の合戦では勝利を収め、源氏側では木曽義仲を義経が討伐するように内紛が起きた。そこに乗じて平家は再び福原に進出した。しかし之は逆に平家にとって災難を招いた。義経の鵯越えの奇襲により平家は大敗した。檀の浦の戦いでは教教は敵の将義経を求めて舟をとび乗るが義経に逃げられももはやこれまでと、敵の二人を脇に抱えて海に飛び込んだ。非力な平家の武将に中で教教だけが潔く、強く、立派でその活躍で胸のつかえを下ろす「救い」になっている。わくわくするようなテンポで活躍するのである。
5、平知盛
知盛は平家の運命を達観して甘受し、最善を尽すべきだと、虚無と責任感のないまぜになった決意を示すのである。名前の通り哲人肌の武将として描かれている。壇ノ浦の戦いで二位尼が安徳天皇を抱いて入水すると知盛は「見るべきほどのことは見つ、いまは自害せん」と、阿弥陀仏の念仏も唱えず、すべては覚悟の上従容として海に飛び込んだ。この剛毅な精神が称賛されている。
6、薩摩守忠度
風流貴公子忠度は戦場という殺伐とした場面の中で、勅撰和歌集に自分の歌一首でも入れてくれと、京に取って返して藤原俊成に一巻を託したということで、平家物語は類なき「ものあわれ」即ち文学としての余韻と奥行きを持ちえたのであった。忠度は一の谷の合戦で討たれた。
7、平維盛
清盛直系の孫に当る維盛は美男並びなき貴公子であった。忠度が風流才子でありながら熊野育ちの大力の武者であったのと比べると、全くの公家さんでからっきしの戦知らずであった。美男の維盛は富士川の闘いでは鳥の声に驚いて逃げ出す始末。倶利伽羅落しの奇襲ではさんざんに蹴散らされ逃げ帰った。妻子を京都に残して西国へ落ちるが、病気なのか一の谷の戦闘には参加せず、熊野にはいって滝口入道にすがるのである。滝口入道は往生を諭して維盛は入水した。維盛の死はひたすら家族との別れの悲しさとの戦いであった。平家物語のなかの維盛は、これほどに正直で人情溢れる弱い人間として描かれる。哀れといってこれほど哀れな死に方はない。
8、平重衡
清盛の五男平重衡は天性のユーモリスト、色好みであった。維盛が容姿の美しさで女房達の人気を独占してきたとすれば、重衡はその人柄の明るさとめでたさで人望があった。しかしながら将として三井寺炎上や奈良炎上では法敵の汚名を受け、義経の鵯越えの奇襲で盛俊、忠度、敦盛は討たれたが、重衡だけは生け捕りにされるという情ない目に会った。頼朝の前では毅然たる態度で論破し、結局奈良の宗徒によって打ち首となった。その途中、重衡はあちこちの女性の情けをうけたことを物語りは語るのである。この条は伊勢物語や源氏物語にも通じる色好み文学の系譜につながる。色好みといってもけっして不実の人ではない。愛情豊かな、深く広い愛情を物語は描くのである。平重盛を死への希求タナトスの権化とすれば、平重衡は生への希求すなわちエロスの使徒であった。
9、建礼門院
平家物語は男の物語であるが、女では祇王、祇女、仏御前、静御前、巴御前といった芸能遊女、小宰相の局、などが目立つ。壇ノ浦合戦で安徳天皇は西海に沈んだが、その母建礼門院は生け捕られ京都吉田山の破れ屋から大原寂光院に隠棲した。灌頂の巻には後白河法皇の大原行幸がある。静かなありがたい往生を迎えた。
10、木曽義仲
源頼朝の謀反に刺戟を受けた木曽義仲は兼遠の薦めにより平家打倒の烽火を上げ、すでに平家は福原へ退いて空白の京都に攻め入った。「朝陽将軍」と院宣を受けたが、既に鎌倉の頼朝は「征夷大将軍」の院宣を受けていた。頼朝の猜疑を受け、京都での振る舞いが粗暴で天下取りの野望があったため公家から嫌われた義仲に追討の院宣が下った。義経が追討の将となって攻め入り、滋賀の濱で落ちていた今井四郎と合流し二騎となって討たれた。義仲という人の平家物語のなかでの描かれ方は、決して悪人ではなく、純粋な男、気の毒な男として描かれている。最後に巴午前を逃がして、幼友達今井四郎を求めてさ迷うところは涙を誘う。この平家物語では一番の悪役は鎌倉征夷大将軍源頼朝であった。役目を終わっていびり殺された義仲、義経は可哀そうという感情が支配する。
11、六代御前
最も気の毒な死は維盛の子息六代御前であろう。平家一門が滅んで後、都には北条時政が六万の兵を率いて義経追討のために侵攻して来た。そして義経に逃げられた時政は平家の残党狩りに精を出した。大覚寺あたりに隠れていた六代御前はあえなくつかまり、鎌倉へ送られることになった。そこで高尾の文覚上人に頼朝に命乞いを頼み成功した。助かった六代御前は高野山にもうで、高尾にて三位禅師となって仏門に入った。ところが頼朝が死に、文覚上人が謀反したので北条は六代御前を捕まえて処刑したのである。「それよりしてこそ平家の子孫はながくたえにけれ」の一文を以って幕を閉じる。  
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

 

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「淨宗經典集要」

 

往生集善導和尚傳
唐善導。貞觀中。見西河綽禪師九品道場。喜曰。此真入佛之津要。修餘行業。迂僻難成。惟此法門。速超生死。於是勤篤精苦。晝夜禮誦。激發四眾。每入室互跪。念佛非力竭不休。出則為人演說淨土。三十餘年不暫睡眠。好食送廚。粗惡自奉。凡有襯施。用寫彌陀經十萬卷。淨土變相三百壁。修營廢墜。燃燈續明。三衣瓶缽。不使人持。行不共眾。恐談世事。從其化者甚眾。有誦彌陀經十萬至五十萬遍者。有念佛日課萬聲至十萬聲者。得念佛三昧。往生淨土者。莫能紀述。或問。念佛生淨土耶。師曰。如汝所念。遂汝所願。乃自念一聲。有一光明從其口出。十至於百。光亦如之。其勸世偈曰。漸漸雞皮鶴髮。看看行步龍鍾。假饒金玉滿堂。豈免衰殘病苦。任汝千般快樂。無常終是到來。惟有徑路修行。但念阿彌陀佛。忽謂人曰。此身可厭。吾將西歸。乃登柳樹。向西祝曰。願佛接我。菩薩助我。令我不失正念往生淨土。言已投身而逝。高宗皇帝知其事。賜寺額曰光明云。
贊曰。善導和尚。世傳彌陀化身。觀其自行之精嚴。利生之廣博。萬代而下。猶能感發人之信心。脫非彌陀。必觀音普賢之儔也。猗歟大哉。
淨土聖賢錄唐善導蓮宗二祖
善導,不詳其所出。貞觀中,見西河綽禪師淨土九品道場,喜曰,此真入佛之津要。修餘行業,迂僻難成。唯此法門,速超生死。於是勤篤精苦,晝夜禮誦。旋至京師,激發四眾。每入室,長跪唱佛,非力竭不休。出,則演說淨土法門。三十餘年,示嘗睡眠。護持戒品,纖毫不犯。好食供眾,粗惡自奉。所有(貝+親)施,用寫阿彌陀經十萬餘卷,畫淨土變相三百壁,修營塔寺,然燈續明。道俗從其化者甚眾,有誦彌陀經十萬至五十萬遍者,有日課佛名自一萬至十萬者。其間得三昧生淨土者,不可紀述。或問,念佛生淨土耶。導曰,如汝所念,遂汝所願。乃自念一聲,有一光明從其口出。十至於百,光亦如之。基公署世偈曰,漸漸雞皮鶴髮,看看行步龍鍾。假饒金玉滿堂,豈免衰殘病苦。任汝千般快樂,無常終是到來。唯有徑路修行,但念阿彌陀佛。或問,何故不令人作觀,直遣專稱名號耶。答曰,眾生障重,境細心粗,識颺神飛,觀難成就。是以大聖悲憐,直勸專稱名字。正由稱名易故,相續即生。若能念念相續,畢命為期者,十即十生,百即百生。何以故,無外雜級,得正念故。與佛本願相應故。不違教故。順佛語故。若捨專念,修雜業者,百中希得一二,千中希得三四。何以故,雜緣亂動,失正念故。與佛本願不相應故。與教相違故。不順佛語故。繫念不相續故。心不續念報佛恩故。雖作業行,常與名利相應故。雖作業行,常與名利相應故。樂近雜緣,自障障他往生正行故。經見諸方道俗,解行不同,專雜有異。但使專意作者,十即十生。修雜不至心者,千中無一。願一切人等,善自思惟,行住坐臥,必須諮S克己,晝夜莫廢,畢命為期。前念命終,後念即生,長時永劫,受無為法樂,乃至成佛,豈不快哉。雙作臨終正念文曰,凡人臨終欲生淨土者,須是不得怕死。常念此身多苦,不淨惡緣,種種交纏。若得捨此穢身,超生淨土,受無量快樂,解脫生死苦趣,乃是稱意之事。如脫弊衣,得換珍服。放下身心,莫生戀著。才遇有病,便念無常,一心待死。須囑家人,及問候人,來我前者,為我念佛。不得說眼前閑雜之話,家中長短之事。亦不須軟語安慰,祝願安樂,此皆虛華無益。若病重將終,親屬不得垂淚哭泣,及發嗟嘆懊恨聲,惑亂心神,失其正念。但教記取阿彌陀佛,守令氣盡。若得明解淨土之人,頻來策勵,極為大幸。用此法得,決定往生,無疑慮也。死門甚大,須自家著力始得。一念差錯,歷劫受苦,誰人相代,思之思之。導一日忽謂人曰,此身可厭,吾將西歸。乃登寺前柳樹,向西祝曰,願佛接我,菩薩助我,令我不失正念,得生安養。言已,投身而逝。高宗知其神異,賜寺額曰光明云。(佛祖統紀,樂邦文類。)
蓮宗寶鑒京師善導和尚
釋善導。唐貞觀中周游寰宇求訪道津.見西河綽禪師行方等懺。及淨土九品道場講觀經。導大喜曰。此真入佛之津要。修餘行業迂僻難成。唯此觀門速超生死吾得之矣。於是篤勤精苦若救頭然。續至京師擊發四部。弟子無問貴賤俾屠沽輩亦激悟焉。導每入佛室合掌胡跪。一心念佛非力竭不休。乃至寒冷亦須流污。此相狀表於至誠。出即為人說淨土法。化諸道俗令發道心。修淨土行無有暫時不為利益。三十餘年。無別寢處。不暫睡眠。除洗浴外。未嘗脫衣。般舟行道禮佛方等專為己任。護戒持品纖毫不犯。未嘗舉目視女人。絕意名利遠諸戲笑。所行之處淨身供養。飲食衣服四事饒益。皆不自享並將迴施。好食送大廚供養徒眾。唯食粗惡以自支身。乳酪醍醐皆不飲啖。諸有襯施將寫阿彌陀經十萬餘卷。所畫淨土變相三百餘壁。所至見壞伽藍。及故磚塔寺皆悉營造。燃燈續明歲不絕。三衣瓶缽不使人持洗。始終無改化諸有緣。每自獨行不共眾去。恐與人行談論世事妨修行業。其有暫申禮謁聞說少法。或得同預道場親承教訓。或曾不見聞披尋教義。或展轉授淨土法門者。京華諸州僧尼士女。至有投身高嶺。或委命深泉。或自墮高枝焚身供養。略聞遠近百餘人。諸修梵行棄捨妻子。誦阿彌陀經十萬。至三十萬遍者。念阿彌陀佛日得一萬五千至十萬遍者。及得念佛三昧往生淨土者不可知數。或問導曰。念佛之善生淨土耶。對曰。如汝所念遂汝所願。於是導乃自念阿彌陀佛。如是一聲則有一道光明從其口出。十聲至千百聲光亦如之。導謂人曰。此身可厭諸苦逼迫。情偽變易無暫休息。乃登所居寺前柳樹。西向願曰。願佛威神驟以接我。觀音勢至亦來助我。令我此心不失正念。不起驚怖不於彌陀法中少生退墮。願畢於其樹上端身立化。時京師士大夫傾誠歸信咸收其骨以葬。高宗皇帝知其念佛口出光明。又知捨報之時精至如此。賜寺額為光明焉。天竺式懺主略傳雲。阿彌陀佛化身。自至長安聞涯水聲。和尚乃曰。可指念佛遂立五會教廣行勸化人。有至信者見和尚念佛佛從口出。三年後滿長安城內皆受化。念佛事見別傳。後有法照大師即善導後身也。コ宗時於並州行五會教化人念佛。帝於長安常聞東北方有念佛聲。遣使尋覓至大康果。見照師勸人念佛。遂迎入內用劉球繩床。教宮人五會念佛。事彰本傳矣。
蓮宗正範善導大師傳
師諱善導,不詳其所出;人皆稱善導和尚,雲是阿彌陀佛化身也。唐貞觀中,見西河綽禪師,淨土九品道場。喜曰:此真入佛之精要。修餘行業,迂僻難成;唯此法門,速超生死。於是勤篤精苦,晝夜禮誦。旋至京師,激發四眾。每入室,長跪唱佛,非力竭不休;出則演說淨土法門。三十餘年,未嘗睡眠;護持戒品,纖毫不犯。好食供眾,粗惡自奉。所有襯施,用寫阿彌陀經,十萬餘卷;畫淨土變相,三百餘壁;修營塔寺,燃燈續明。三衣瓶缽,不使人持。行不共眾,恐談世事。道俗從其化者甚眾,有誦彌陀經,十萬至五十萬遍者;有日課佛名,一萬至十萬者。其間得三昧,生淨土者,不可紀述。或問:念佛生淨土耶?師曰:如汝所念,遂汝所願。其勸世偈曰:漸漸雞皮鶴髮,看看行步龍鍾。假饒金玉滿堂,豈免衰殘老病?任汝千般快樂,無常終是到來。唯有徑路修行,但念阿彌陀佛。或問:何故不令人作觀,直遣專稱名號耶?答:眾生障重,境細心粗,識揚神飛,觀難成就。是以大聖悲憐,直勸專稱名號。正由稱名易故,相續即生。若能念念相續,畢命為期者,十即十生,百即百生。何以故?無外雜緣得正念故,與佛本願相應故,不違教故,順佛語故。若捨專念,修雜業者,百中希得一二,千中希得三四。何以故?雜緣亂動失正念故,與佛本願不相應故,與教相違故,不順佛語故,係念不相續故。心不相續報佛恩故,雖作行業,常與名利相應故。樂近雜緣,自障障他往生正行故。比見諸方道俗,解行不同,專雜有異。但使專意作者,十即十生。修雜不至心者,千中無一。普願一切人等,善自思惟。行住坐臥,必須勵心克己,晝夜莫廢,畢命為期,前念命終,後念即生。長時永劫,廣受法樂,乃至成佛,豈不快哉!又作臨終正念文曰:凡人臨命終時,欲得往生淨土者,須先準備,不得怕死。常念此身多有眾苦,不淨惡業種種交纏;若得捨此穢身,超生淨土,受無量快樂。見佛聞法,離苦解脫,乃是稱意之事;如脫臭敝之衣,得換珍禦之服。放下身心,莫生貪著。才有病患,莫論輕重,便念無常,一心待死;須囑家人,及問候人,凡來我前,但為我念佛,不得說眼前閑雜之話,家中長短之事;亦不須軟語安慰,祝願安樂,此皆虛華無益之語。若病重將終,親屬不得垂淚哭泣,及發嗟嘆懊惱之聲,惑亂心神,失其正念;但得同心念佛,助其往生。若得明曉淨土之人,頻來策勵,極為大幸。若依此者,決定往生無疑矣。多見世人,平時念佛,發願求生,甚是勤拳;及至臨終,卻又怕死,都不說著往生之事。死門事大,必須自家著力始得;一念差錯,歷劫受苦,誰人相代?思之思之!師自念佛一聲,有一光明從其口出;十至於百,光亦如之。忽一日謂人曰:此身可厭,吾將西歸。乃登寺前柳樹,向西祝曰:願佛接我,菩薩助我,令我不失正念,得生安養。祝願已,即投身而近。唐高宗皇帝,知其神異,賜寺額曰「光明」云。
贊曰:廬山而後二百年,出善導和尚,大揚法化,丕振蓮宗。其曰:如汝所念,遂汝所願。又言:專念者,十即十生,百即百生。修雜業者,百中希得一二,千中希得三四。其得失關頭,唯在與佛本願相應、不相應處。末後臨終正念文,剴切指陳,可謂慈心太切矣!學者當識取正脈源頭。  
 

 

往生集善導和尚傳
唐善導。貞觀中。見西河綽禪師九品道場。喜曰。此真入佛之津要。修餘行業。迂僻難成。惟此法門。速超生死。於是勤篤精苦。晝夜禮誦。激發四眾。每入室互跪。念佛非力竭不休。出則為人演說淨土。三十餘年不暫睡眠。好食送廚。粗惡自奉。凡有襯施。用寫彌陀經十萬卷。淨土變相三百壁。修營廢墜。燃燈續明。三衣瓶缽。不使人持。行不共眾。恐談世事。從其化者甚眾。有誦彌陀經十萬至五十萬遍者。有念佛日課萬聲至十萬聲者。得念佛三昧。往生淨土者。莫能紀述。或問。念佛生淨土耶。師曰。如汝所念。遂汝所願。乃自念一聲。有一光明從其口出。十至於百。光亦如之。其勸世偈曰。漸漸雞皮鶴髮。看看行步龍鍾。假饒金玉滿堂。豈免衰殘病苦。任汝千般快樂。無常終是到來。惟有徑路修行。但念阿彌陀佛。忽謂人曰。此身可厭。吾將西歸。乃登柳樹。向西祝曰。願佛接我。菩薩助我。令我不失正念往生淨土。言已投身而逝。高宗皇帝知其事。賜寺額曰光明云。
贊曰。善導和尚。世傳彌陀化身。觀其自行之精嚴。利生之廣博。萬代而下。猶能感發人之信心。脫非彌陀。必觀音普賢之儔也。猗歟大哉。
淨土聖賢錄唐善導蓮宗二祖
善導,不詳其所出。貞觀中,見西河綽禪師淨土九品道場,喜曰,此真入佛之津要。修餘行業,迂僻難成。唯此法門,速超生死。於是勤篤精苦,晝夜禮誦。旋至京師,激發四眾。每入室,長跪唱佛,非力竭不休。出,則演說淨土法門。三十餘年,示嘗睡眠。護持戒品,纖毫不犯。好食供眾,粗惡自奉。所有(貝+親)施,用寫阿彌陀經十萬餘卷,畫淨土變相三百壁,修營塔寺,然燈續明。道俗從其化者甚眾,有誦彌陀經十萬至五十萬遍者,有日課佛名自一萬至十萬者。其間得三昧生淨土者,不可紀述。或問,念佛生淨土耶。導曰,如汝所念,遂汝所願。乃自念一聲,有一光明從其口出。十至於百,光亦如之。基公署世偈曰,漸漸雞皮鶴髮,看看行步龍鍾。假饒金玉滿堂,豈免衰殘病苦。任汝千般快樂,無常終是到來。唯有徑路修行,但念阿彌陀佛。或問,何故不令人作觀,直遣專稱名號耶。答曰,眾生障重,境細心粗,識颺神飛,觀難成就。是以大聖悲憐,直勸專稱名字。正由稱名易故,相續即生。若能念念相續,畢命為期者,十即十生,百即百生。何以故,無外雜級,得正念故。與佛本願相應故。不違教故。順佛語故。若捨專念,修雜業者,百中希得一二,千中希得三四。何以故,雜緣亂動,失正念故。與佛本願不相應故。與教相違故。不順佛語故。繫念不相續故。心不續念報佛恩故。雖作業行,常與名利相應故。雖作業行,常與名利相應故。樂近雜緣,自障障他往生正行故。經見諸方道俗,解行不同,專雜有異。但使專意作者,十即十生。修雜不至心者,千中無一。願一切人等,善自思惟,行住坐臥,必須諮S克己,晝夜莫廢,畢命為期。前念命終,後念即生,長時永劫,受無為法樂,乃至成佛,豈不快哉。雙作臨終正念文曰,凡人臨終欲生淨土者,須是不得怕死。常念此身多苦,不淨惡緣,種種交纏。若得捨此穢身,超生淨土,受無量快樂,解脫生死苦趣,乃是稱意之事。如脫弊衣,得換珍服。放下身心,莫生戀著。才遇有病,便念無常,一心待死。須囑家人,及問候人,來我前者,為我念佛。不得說眼前閑雜之話,家中長短之事。亦不須軟語安慰,祝願安樂,此皆虛華無益。若病重將終,親屬不得垂淚哭泣,及發嗟嘆懊恨聲,惑亂心神,失其正念。但教記取阿彌陀佛,守令氣盡。若得明解淨土之人,頻來策勵,極為大幸。用此法得,決定往生,無疑慮也。死門甚大,須自家著力始得。一念差錯,歷劫受苦,誰人相代,思之思之。導一日忽謂人曰,此身可厭,吾將西歸。乃登寺前柳樹,向西祝曰,願佛接我,菩薩助我,令我不失正念,得生安養。言已,投身而逝。高宗知其神異,賜寺額曰光明云。(佛祖統紀,樂邦文類。)
蓮宗寶鑒京師善導和尚
釋善導。唐貞觀中周游寰宇求訪道津.見西河綽禪師行方等懺。及淨土九品道場講觀經。導大喜曰。此真入佛之津要。修餘行業迂僻難成。唯此觀門速超生死吾得之矣。於是篤勤精苦若救頭然。續至京師擊發四部。弟子無問貴賤俾屠沽輩亦激悟焉。導每入佛室合掌胡跪。一心念佛非力竭不休。乃至寒冷亦須流污。此相狀表於至誠。出即為人說淨土法。化諸道俗令發道心。修淨土行無有暫時不為利益。三十餘年。無別寢處。不暫睡眠。除洗浴外。未嘗脫衣。般舟行道禮佛方等專為己任。護戒持品纖毫不犯。未嘗舉目視女人。絕意名利遠諸戲笑。所行之處淨身供養。飲食衣服四事饒益。皆不自享並將迴施。好食送大廚供養徒眾。唯食粗惡以自支身。乳酪醍醐皆不飲啖。諸有襯施將寫阿彌陀經十萬餘卷。所畫淨土變相三百餘壁。所至見壞伽藍。及故磚塔寺皆悉營造。燃燈續明歲不絕。三衣瓶缽不使人持洗。始終無改化諸有緣。每自獨行不共眾去。恐與人行談論世事妨修行業。其有暫申禮謁聞說少法。或得同預道場親承教訓。或曾不見聞披尋教義。或展轉授淨土法門者。京華諸州僧尼士女。至有投身高嶺。或委命深泉。或自墮高枝焚身供養。略聞遠近百餘人。諸修梵行棄捨妻子。誦阿彌陀經十萬。至三十萬遍者。念阿彌陀佛日得一萬五千至十萬遍者。及得念佛三昧往生淨土者不可知數。或問導曰。念佛之善生淨土耶。對曰。如汝所念遂汝所願。於是導乃自念阿彌陀佛。如是一聲則有一道光明從其口出。十聲至千百聲光亦如之。導謂人曰。此身可厭諸苦逼迫。情偽變易無暫休息。乃登所居寺前柳樹。西向願曰。願佛威神驟以接我。觀音勢至亦來助我。令我此心不失正念。不起驚怖不於彌陀法中少生退墮。願畢於其樹上端身立化。時京師士大夫傾誠歸信咸收其骨以葬。高宗皇帝知其念佛口出光明。又知捨報之時精至如此。賜寺額為光明焉。天竺式懺主略傳雲。阿彌陀佛化身。自至長安聞涯水聲。和尚乃曰。可指念佛遂立五會教廣行勸化人。有至信者見和尚念佛佛從口出。三年後滿長安城內皆受化。念佛事見別傳。後有法照大師即善導後身也。コ宗時於並州行五會教化人念佛。帝於長安常聞東北方有念佛聲。遣使尋覓至大康果。見照師勸人念佛。遂迎入內用劉球繩床。教宮人五會念佛。事彰本傳矣。
蓮宗正範善導大師傳
師諱善導,不詳其所出;人皆稱善導和尚,雲是阿彌陀佛化身也。唐貞觀中,見西河綽禪師,淨土九品道場。喜曰:此真入佛之精要。修餘行業,迂僻難成;唯此法門,速超生死。於是勤篤精苦,晝夜禮誦。旋至京師,激發四眾。每入室,長跪唱佛,非力竭不休;出則演說淨土法門。三十餘年,未嘗睡眠;護持戒品,纖毫不犯。好食供眾,粗惡自奉。所有襯施,用寫阿彌陀經,十萬餘卷;畫淨土變相,三百餘壁;修營塔寺,燃燈續明。三衣瓶缽,不使人持。行不共眾,恐談世事。道俗從其化者甚眾,有誦彌陀經,十萬至五十萬遍者;有日課佛名,一萬至十萬者。其間得三昧,生淨土者,不可紀述。或問:念佛生淨土耶?師曰:如汝所念,遂汝所願。其勸世偈曰:漸漸雞皮鶴髮,看看行步龍鍾。假饒金玉滿堂,豈免衰殘老病?任汝千般快樂,無常終是到來。唯有徑路修行,但念阿彌陀佛。或問:何故不令人作觀,直遣專稱名號耶?答:眾生障重,境細心粗,識揚神飛,觀難成就。是以大聖悲憐,直勸專稱名號。正由稱名易故,相續即生。若能念念相續,畢命為期者,十即十生,百即百生。何以故?無外雜緣得正念故,與佛本願相應故,不違教故,順佛語故。若捨專念,修雜業者,百中希得一二,千中希得三四。何以故?雜緣亂動失正念故,與佛本願不相應故,與教相違故,不順佛語故,係念不相續故。心不相續報佛恩故,雖作行業,常與名利相應故。樂近雜緣,自障障他往生正行故。比見諸方道俗,解行不同,專雜有異。但使專意作者,十即十生。修雜不至心者,千中無一。普願一切人等,善自思惟。行住坐臥,必須勵心克己,晝夜莫廢,畢命為期,前念命終,後念即生。長時永劫,廣受法樂,乃至成佛,豈不快哉!又作臨終正念文曰:凡人臨命終時,欲得往生淨土者,須先準備,不得怕死。常念此身多有眾苦,不淨惡業種種交纏;若得捨此穢身,超生淨土,受無量快樂。見佛聞法,離苦解脫,乃是稱意之事;如脫臭敝之衣,得換珍禦之服。放下身心,莫生貪著。才有病患,莫論輕重,便念無常,一心待死;須囑家人,及問候人,凡來我前,但為我念佛,不得說眼前閑雜之話,家中長短之事;亦不須軟語安慰,祝願安樂,此皆虛華無益之語。若病重將終,親屬不得垂淚哭泣,及發嗟嘆懊惱之聲,惑亂心神,失其正念;但得同心念佛,助其往生。若得明曉淨土之人,頻來策勵,極為大幸。若依此者,決定往生無疑矣。多見世人,平時念佛,發願求生,甚是勤拳;及至臨終,卻又怕死,都不說著往生之事。死門事大,必須自家著力始得;一念差錯,歷劫受苦,誰人相代?思之思之!師自念佛一聲,有一光明從其口出;十至於百,光亦如之。忽一日謂人曰:此身可厭,吾將西歸。乃登寺前柳樹,向西祝曰:願佛接我,菩薩助我,令我不失正念,得生安養。祝願已,即投身而近。唐高宗皇帝,知其神異,賜寺額曰「光明」云。
贊曰:廬山而後二百年,出善導和尚,大揚法化,丕振蓮宗。其曰:如汝所念,遂汝所願。又言:專念者,十即十生,百即百生。修雜業者,百中希得一二,千中希得三四。其得失關頭,唯在與佛本願相應、不相應處。末後臨終正念文,剴切指陳,可謂慈心太切矣!學者當識取正脈源頭。 
 

 

善導大師傳
善導(六一三—六八一)是唐代大弘淨土教的一位大師,後世通稱為蓮社第二祖。他俗姓朱,泗州(安徽北部)人(一作臨淄人)。幼年從密州(今山東境)明勝出家,常誦法華《維摩》諸經;偶入經藏取讀《觀無量壽經》,大為欣契。受戒以後與妙開律師共看《觀經》,覺得只此觀念法門,最易超脫,其他行業迂僻難行。
他常依《觀經》修十六觀,並慕東晉慧遠結社念佛的高風,曾親往廬山叩尋遺範。後更周游寰宇,訪問高コ。聞道綽在西河(今山西境)盛弘淨業,即於貞觀十五年(六四一年)赴並州(今太原)石壁山玄中寺相訪。其時正值嚴冬,旅途艱苦,道綽憫他遠來,即授以《觀經》奧義。
貞觀十九年(六四五年),道綽入寂,善導即赴長安,盛弘念佛法門,初住終南山悟真寺。又常在長安城中光明寺廣為人說法,受他教化的人,有誦讀《阿彌陀經》三十萬遍的,也有日念阿彌陀佛名至十萬遍的,還有些人得到念佛三味往生淨土的應驗的。他又曾游化襄州(今湖北襄陽)。隨義淨南度室利佛逝(今蘇門答臘)的貞固律師,即在這裏從善導受學。(見《大唐西域求法高僧傳》卷下《貞固傳》。
他於唐永隆二年(六八一年)三月十四日,忽患微疾,怡然長逝,時年六十九。他的弟子懷ツ等,葬其遺骸於長安終南山麓神禾原,立塔紀念。會葬者傾城,盛極一時。弟子等就塔所,建香積寺以紀念之。
善導在長安廣行教化。曾將所得布施的淨財,書寫《阿彌陀經》數萬卷,又畫淨土變相三百餘壁。近代新疆吐峪溝高昌故址發掘出的許多古代寫經中,即有他寫的《阿彌陀經》的斷片,卷末記有「願往生比丘善導願寫」一段題記。(見「上草字頭下繁體園」田宗惠〈善導大師與捨身往生〉。
善導兼擅造像藝術。他在西京實際寺時,唐高宗敕於洛陽龍門興造大盧舍那佛像,皇后武氏助款二萬貫,命他監督佛像工程。此像動工於咸亨三年(六七二年),至上元二午(六七五)完工,調露元年(六七九)奉敕於大像之南建置奉先寺,為佛教東傳以來所開的最大佛龕。(見《河洛上都泥門之陽大盧舍那龕記》。簡稱《奉先寺像龕記》)龕記文中併稱他為「檢校僧西京實際寺善道禪師。」(「道」與「導」的寫法雖然不同,但由於西安碑林所保存的《大唐實際寺故寺主懷ツ奉敕贈隆闡大法師碑銘》中,有「時有親證三味大コ善導闍黎」之語,且與善導時代相合,其為同一善導無疑。)善導日常持戍極嚴,常事乞食。澡浴以外,不脫三衣。每合掌胡跪,一心念佛,非力竭不休。傳說他念佛一聲,則有一道光明從其口出,雖到處信眾供養,卻並不自己享受,轉而施與徒眾。其化導的盛況空前。故《瑞應傳》稱說他:「自佛法東行,未有禪師之盛コ矣!」後來宋代遵式《往生西方略傅》中,稱他為彌陀化身,宗曉又取異代同修淨土功高コ盛的七人立為蓮社七祖,置善導於慧遠之次,列為蓮宗第二祖。(見《佛祖統記》卷二六《淨土立教誌》。明末株宏也贊說他「萬代而下,尤能感發人之信心。脫非彌陀,必觀音、普賢之儔。」往生集卷上)。可知善導在我國淨土教上的コ望。
有說善導晚年厭棄自身,因而攀登光明寺前柳樹上捨身往生, 感動長安士女傾城歸信,共收其骨以葬。(見戒珠《淨土往生傳》卷中善導傳,《新修往生傳》中的第一善導傳也有同樣的記載。)這完全訛傳,是因錯讀續高僧傳中有人捨身的記載而誤認為是善導的事跡,是應當加以揀別辨正的。
古來又有兩位善導之說法。其說起始於宋新修淨土傳中的二善導傳。後至十二世紀時日本源空所著類聚淨土五祖傳中曾加以引錄。十三世紀時良忠撰《觀經玄義分傳通記》第一,載明新修淨土傳》中卷有三十三人的傳記,其中第二十五人為善導,第二十六人為善道。這是善導二人說的濫觴。其實前者為京師光明寺的善導,後者為終南山悟真寺的善導。《佛祖統記》於第二十七卷出「善導傳」, 第二十八卷載「善導傳「, 於此可以分清兩個善導的區別。
善導的著述,現存五部九卷。即《觀無量壽經疏》四卷,《往生禮讚偈》一卷、《淨土法事贊》二卷、《般舟贊》一卷、《觀念法門》一卷。《觀無量壽經疏》亦稱《觀經四帖疏》。此疏主要敘述淨土法門的教相教義,故又稱為教相分或解義分;共往生禮讚偈等四部,敘述淨土法門的行事儀式,故又稱為行儀分。 《觀經四帖疏》於八世紀時傳入日本,流傳甚廣,後來日僧法然即依它創立日本淨土宗。
《往生禮讚偈〉亦稱六時禮讚偈說明晝夜六時禮讚的儀式。《淨土法事贊》上卷標題為〈轉經行道願生淨土法事贊》。下卷標題為《安樂行道轉經願生淨土法事贊》。說明《阿彌陀經》轉讀行道的方法。《般舟贊》具稱為〈今依觀經等明般舟三昧行道往生贊》。是依《觀經》等說明修學般舟三味行道的方法。《觀念法門》具稱為《觀念阿彌陀佛相海三味功コ法門〉,是說明觀念佛三昧的行相和入道場念佛與懺悔發願的方法。此外,通常對於《觀念法門》之後的還有《依經明五種搶緣義》一卷。
又宋宗曉《樂邦文類》卷四載有《臨終正念訣》一篇,署名作者為京師比丘善導,王日休龍舒著《廣淨土文集》卷十二載作〈善導和尚臨終正念文》。內容文字大體相同。
古來關於彌陀的淨土問題,有報土和化土的異說。攝論師以彼土為報土,認為凡大不能往生。迦才等認為它有報土和化土兩種:地上菩薩生於報上,凡夫二乘生於化土。慧遠認為淨土是眾生的自業所感,隨凡聖階位而有高下之別。善導的著述裏,則堅決主張彌陀淨土為報上,並認為凡夫能入彌陀報七,以此樹立淨土一宗的教說。他這種主張,後人稱為楷定古今的創見。
善導認為凡夫乘著彌陀的本願力雖能往生極樂淨土,但必須具備一定的條件棗往生的正因,即所謂安心、起行和作業。安心,即具足《觀無量壽經》所說的至誠心、深心和迴向發願心,如是「具足三心必得往生。」起行,即起身口意三業之行。身業是禮拜阿彌陀佛。口業是稱讚彌陀及一切聖眾的身相光明及淨土莊嚴。意業是專念觀察彌陀及諸聖眾的身相光明及淨土莊嚴等。作業,即依四修法策勵實行。一、恭敬修,禮拜彌陀身心恭敬。二、無餘修,即稱名憶念彌陀及淨土聖眾,不雜餘業。三、無間修,即修行三業乃至迴向發願,無有間斷。四、長時修,即以畢命為期,心行相續,誓不終止。(見《往生禮讚偈》。
善導的弟子,以懷感最為知名,懷ツ次之。(盂銑的《釋淨土群疑論序》說,ツ與感師,為導公神足。)此外見於史傳碑銘的,尚有貞固、淨業數人。懷感是長安千福寺沙門,初學法相,博通經論。他原先不信念佛往生。後謁善導,善導命他入念佛道場,精誠念佛,三年後得念佛三昧,著有《釋淨十群疑論》七卷行世。《宋高僧傳》卷六)
懷ツ,出家於長安西明寺,時善導在光明寺大弘教化,他侍座下十餘年,盡傳善導之學。善導示寂,他於神禾原建造靈塔葬之,又於塔邊構築伽藍,並造十三級窣堵波。後依敕為長安實際寺主,常講《觀經》、《賢護》、《彌陀經》等,勸四眾專念彌陀名號。又建淨土堂、造彌陀三尊像及織成像。寂後謐隆闡大禪師(見《隆闡法師碑》)。貞固,鄭州滎川人,於水等慈寺從遠法師出家;後學唯識、方等諸經論於鄴州、安州等地。他到襄陽遇善導,接受淨土法門,精勤稱念阿彌陀佛,後至廬山,住東林寺。他發願要到師子洲頂禮佛牙,至廣州邂逅義淨,同度南海達於室利佛逝。(見大唐西域求法高儈傳》卷下《貞固傳》。淨業於弘道元年(六八三)出家,善講《觀無量壽經》和《釋淨土群疑論》。他為香積寺主二十餘年,勤修淨十行業,從受戒者日達千人。延和元年(七一二年)得微疾,端坐念佛而滅,年五十八。道俗哀悼,把他陪葬於神禾原善導闌黎的崇靈塔。門人恩頊等追述他的遺行,為泐石紀念。(見《大唐龍興大コ香積寺主淨業法師靈塔銘》)  
 

 

善導大師略傳
1、隋唐盛世 善導示現
中國淨土教的大成者彌陀化身的善導大師,出生於隋朝大業九年(六一三),往生於唐朝永隆二年(六八一),春秋六十九。亦既隋煬帝之時出生,歷經唐之高祖、太宗的時代,而於高宗之時代往生。其活躍於自信教人信的正是唐朝之國運極為鼎盛的太宗、高宗時代。而大師出生之前的統一天下之隋文帝時代,佛教正以旺盛之勢在復興著;文帝頒下「佛教治國策」、「佛教興隆策」、「天下佛寺復興詔」等,全國幾乎成為佛教化。在佛教信仰如此澎湃的時代中,大師從無量光明的淨土應化而來,高舉念佛成佛的旗幟,指引眾生,導歸極樂,圓滿佛果。
2、年青立傳 光芒初現
善導大師的傳記文獻頗多,中國與日本的約有三十種之多,其中最早的是唐朝道宣律師所著的《續高僧傳》,其次也是唐朝的文諗大師、少康大師共篡的《瑞應刪傳》,此外大多是後人站在讚揚的立場記述的,這當然有其意義,但在歷史上的價值比較低。善導大師傳記可資參考的基本性資料有四種:
一、道宣《續高僧傳》(遺身篇)附會通傳之善導傳(六四五)
二、文諗、少康《往生西方淨土瑞應刪傳》善導傳(八0五)
三、戒珠《淨土往生傳》善導傳(一0六四)
四、王古《新修往生傳》善導傳、善道傳(一0八四)
道宣律師生於隋朝開皇十六年(五九六),長於大師十七歲,人尚在世,時又青年,而南山律的開祖道宣律師於其《續高僧傳》中便已就其所聞的預先為大師寫下眾所讚揚的事跡,雖然僅有簡短的一百二十三字,但大師的偉大,已現端倪。
3、俗姓朱氏 籍貫山東
大師俗姓朱,山東省臨緇縣人(一說安徽省泗縣),年少出家,師事密州之明勝法師,鑽研《法華》、《維摩》等大乘經典。
密州在山東省諸城縣,距臨緇縣不遠。明勝法師是三論宗學匠,與開創三論宗之嘉祥大師吉藏同為法朗大師的高弟。
4、隋末唐初 教界盛況
若從當時佛教界的盛況而言,此時嘉祥大師詔入帝都長安之日嚴寺宣揚宗風;嘉祥大師寂於武コ六年(六二三),善導大師出生之頃正是嘉祥大師在長安極為活躍之時。
又天台宗之開創智凱大師六十歲往生之時是開皇十七年(五九七),是善導大師出生之前的十六年,之後的天台宗由弟子章安大師灌頂在極力弘揚。
淨土教方面,大業五年(六O九)四十八歲時歸入淨土教的道綽禪師,正以山西之太原為中心地域,傳播念佛種子,聲名遠播,七歲之童皆知念佛。
又西天取經,歷經十六年之大旅行,翻譯出所帶回的龐大經典,留下不滅功績的玄奘三藏,早生於大師十一年;大師與三藏大約同時代活躍於帝都長安。
5、見相願生 其來有自
大師曾經看到「西方變相圖」,大為震撼,便生欣慕淨土、深願往生之情而讚歎地說:「何當托質蓮臺,棲神淨土。」所謂「西方變相圖」是描繪阿彌陀佛之淨土莊嚴的圖畫,「變」即是轉變,將極樂淨土之相轉變為圖畫,以令人觀賞,起人欣慕。大師一見「西方變相圖」便大為感動,欣求淨土之深切願心,始終不二,始終一貫,可見大師宿善之厚,其來有自。
6、深歸觀經 親證三昧
到了二十歲受具足戒後,與妙開律師共看觀經,悲喜交嘆地說:「修餘行業,迂僻難成;唯此觀門,定超生死。」
《觀無量壽經》在隋唐之初是最受歡迎的經典之一,不只為淨土教眾所尊重,也普遍受到佛教界全體的敏銳注目,演講、讀誦此經的可說所在多有。
就「時」與「機」的痛烈反省,亦即自覺末法之時,則宣說救度罪惡生死凡夫之教法的這一部《觀經》之廣受重視與喜愛是極其當然的。
《新修往生傳》如此記載:「後遁跡終南悟真寺,未逾數載,觀想忘疲,已成深妙;便於定中,備觀寶閣、瑤池、金座,宛在目前。」
終南山在帝都長安之南,而悟真寺則在終南山之藍田縣,係隋朝開皇年間淨業法師所創建;後來有保恭、慧超、法成等法師相繼住錫,他們都修持淨土法門,故悟真寺可謂信仰淨土的實踐道場。而大師二十幾歲便親證三昧,古今高僧,少出其右。
7、訪師求道 徹悟真髓
唐貞觀年中,二十餘歲,初聞道綽禪師在晉陽開闡淨土宗風,乃不遠千里,從而問津。對於大師的來訪,綽禪師心中很歡喜,知道眼前這位青年行者將是自己的後繼者,因而為其徹說彌陀本願與《觀經》真意。《觀經》的真精神必須以《大經》解釋始能顯明,亦即十三觀的觀佛三昧是所捨的,唯有信佛本願念佛名號的念佛三昧才是一切三昧中王。大師在綽禪師的指導之下,一切疑問當下冰解而體悟《觀經》的奧義。如是親蒙面授《觀經》幽意,徹悟淨土真髓,深歸彌陀本願,成為綽禪師門下面授之傑出弟子。
綽禪師繼承曇鸞祖師的宗風,唯信彌陀本願之救度,唯念彌陀本願之名號;一生中敷演《觀經》兩百遍,其化風之盛,名高一世,帝王敬仰,庶民齊歸。
8、二河白道 告白信心
依據《新修往生傳》記載,大師訪綽禪師時,正逢玄冬之首,寒風颯颯,旅途重重,風飄落葉,填滿深坑;乃入中安坐,一心念佛;不覺已度數日,忽聞空中有聲音說:「可得前行,所在游履,無復罣礙。」於是忘疲出坑,至道綽禪師之玄中寺。
之後大師註解《觀經》,以「二河白道喻」描繪自己入信的過程,曾記述無人空曠之荒野踽踽獨行,令人感受到那時絕處逢生的體驗。
9、徑路修行 唯在念佛
有關大師參謁綽禪師的經過,《續高僧傳》簡略地說:「近有山僧善導者,周游環寓,求訪道津。行至西河,遇道綽師,唯行念佛,彌陀淨業。」
大師所住之悟真寺與道宣律師所住之豐コ寺同在終南山,故言「山僧」。唯行念佛,必生極樂,因為仰仗的是彌陀大願業力之故。故大師有名的<勸化偈>云:
漸漸雞皮鶴髮 看看行步龍鍾
假鐃金玉滿堂 難免衰殘老病
任是千般快樂 無常終是到來
唯有徑路修行 但念阿彌陀佛
「但念阿彌陀佛」即是「唯行念佛」,即是「徑路」,「修餘行業,迂僻難成。」在此可知大師之念佛宗風,乃受教於道綽禪師,而禪師則傳承自曇鸞祖師。
10、至誠念佛 行持勤篤
大師之遇綽禪師,如魚得水,親蒙瀉瓶之教;至貞觀十九年綽禪師八十四歲(六四五)往生之後,又回到悟真寺,時大師三十三歲。被仰為親證三昧之聖旨的善導大師,日常行持甚為勤篤,其具體情形,《淨土往生傳》這樣地記載:
入堂則合掌胡跪,一心念佛,非力竭不休,乃至寒冷,亦須流汗,以此相狀,表於至誠。三十餘年無別寢處,不暫睡眠;除洗浴外曾不脫衣。護持戒品,絲毫不犯,未嘗舉目視女人。尊敬一切人,乃至沙彌亦不受禮。絕意免得,遠詣戲笑。所行之處,爭申供養;飲食衣服,四季豐饒,皆不自入,並將迴施;好食送大廚供養徒眾,粗惡自食。乳酪醍醐皆不飲啖。諸有布施用寫《阿彌陀經》十萬餘卷,畫淨土變相三百餘堵。見壞寺及壞塔,皆悉修營。燃燈續明,每歲不絕。三衣瓶缽,不使人持洗,始終無改。每自獨行,不共眾去;恐談世事,妨修行業。」
由此可知大師律己以嚴,待人以ェ,而又慈悲心切,所到之處,皆蒙其恩。故後面所提到的《隆闡大法師碑序》讚揚大師之コ風而言:「慈樹森疏,悲花照灼。」
 

 

11、一聲佛號 一道光明
大師念佛之精至,達到口念阿彌陀佛一聲,即有一道光明從其口出,百聲千聲,光出亦然,所以後世或稱終南大師(因住終南山故),或稱光明和尚(因口出光明故)
大師不愧是彌陀化身,其教化活動,可說不可思議,完全以超人的魄力在推進,據《續高僧傳》及《瑞應刪傳》說:
「寫彌陀經十萬卷,畫淨土變相三百鋪;士女奉者,其數無量。」
亦即書寫《阿彌陀經》分贈有緣四眾,其數達十萬卷,並以畫相令人欣慕,所以士女奉者,「其數無量」。現在日本京都龍穀大學圖書館有收藏一本大師真跡的《阿彌陀經》,此書是一八九九年大穀探險隊在中央亞細亞的吐魯番所發掘。大師之真跡進而流佈到西域地方,其教化之廣,令人驚嘆。
12、寫經十萬 變相三百
而《淨土往生傳》云:「續至京師,激發四部弟子,無問貴賤,彼屠沽輩亦擊悟焉。」亦即大師進入京師長安,廣度民眾,傳授淨土法門,激發四部弟子,無問貴賤,甚至屠沽之輩,亦深受感化,悔改念佛往生。
13、較量念佛 佛像放光
又,大師在西京寺內,曾與金剛法師較量念佛的勝劣,大師發願說: 「准諸經中世尊說,念佛一法得生淨土,一日七日一念十念阿彌陀佛定生淨土,此是真實不誑眾生者,即遣此堂中二像總放光明。若此念佛法虛,不生淨土,誑惑眾生,即遣善導於此高座上即墮大地獄,長時受苦,永無出期。遂將如意杖指一堂中像,像皆放光。」(唐道鏡、善道《念佛鏡》)
14、厭穢欣淨 捨身往生
長安之道俗男女,受感化而歸向淨土者甚眾,且在大師「厭離穢土,欣求淨土」的殷勤教化之下,受到熱烈感化而「捨身往生」的信者,時有所聞,《續高僧傳》說: 「時在光明寺說法,有人告導言:今念佛名,定生淨土否?導曰:念佛定生。其人禮拜訖,口誦南無阿彌陀佛,聲聲相次,出光明寺,上柳樹表,合掌西望,倒投身下,至地遂死,事聞台省。」「台省」即是當時的中央政府,這是道宣律師親聞所記;而《淨土往生傳》更說:
「京華諸州,僧尼士女:或投身高嶺,或寄命深泉,或自墮高枝,焚身供養者,略聞四遠,向百餘人。諸修梵行,棄捨妻子者;誦阿彌陀經,十萬至三十萬者;念阿彌陀佛,日得一萬五千至十萬遍者;及得念佛三昧往生淨土者,不可知數。」不論帝都,不論他方,僧俗男女,投身斷命,甚至燒身供養,總共超過一百人。大師感化之偉大一至於此,則其盛コ難以形容,在整個中國佛教史上,可說超群拔粹,少出其右,故《瑞應刪傳》言:「佛法東行,未有禪師之盛コ矣!」
見此令人想到《觀經疏·定善義》言:
「歸去來 魔鄉不可停 曠劫來流轉 六道盡皆經 到處無餘樂 唯聞愁嘆聲 畢此生平後 入彼涅磐城」
大師對時代之濁惡與人心之罪障,在極其深邃的洞察之後而吐露出這樣的痛烈心情。
15、以訛傳訛 誤傳捨身
由於當時「捨身往生」的事跡頻傳,因而善導大師之其他傳記也有大師捨身往生的傳說,然而這是誤讀前面所引《續高僧傳》之文,此文宋朝戒珠之《淨往生傳》、王古之《新修往生傳》等誤傳為大師捨身往生,雖非正確,但由此可知當時願生西方之熱切。
又善導與善道《新修往生傳》作二人說,然這並非二人,也是從同一人的傳記誤傳而來的。
16、慈恩寺碑 紀念大師
大師法化甚廣,因而在長安市區所住過的寺院除了「光明寺」之外,有名的「慈恩寺」及「實際寺」也是長期弘化的地方。
慈恩寺是名滿天下的玄奘三藏住錫之處,三藏在此譯經院完成了翻譯佛典的不朽金字塔。然而此寺有兩座紀念大師的碑文:
一、唐慈恩寺善導禪師塔碑 永隆二年(六八一) 僧義成撰 李振方正書
二、唐慈恩寺善導和尚塔銘 大中五年(八五一) 僧志遇撰並書
可惜這兩座碑文失傳,否則對大師的事跡會更清楚。此慈恩寺建立的由來與道綽禪師略有因緣,亦即綽禪師專事淨土的念佛高風非常受到高宗之母文コ皇后的仰慕,而皇后於貞觀十年(六三六)去世;到了貞觀二十二年(六四八),為母作功コ之故,當時還是皇太子的高宗便在帝都興建慈恩寺。其落成法會時,詔迎全國五十位高僧,大師便是被勒選的其中一人。進出長安的大師也時時居住慈恩寺擴展淨土法門,而感化之深,功之隆,致使後人一而再地為其樹碑,永貽懷念。
17、龍門大佛 奉敕監造
有關居住「實際寺」的事跡有二種資料:
一、「隆闡大法師碑」,亦即「大唐實際寺故寺主懷ツ奉勒贈隆闡大法師碑銘(金石萃編卷八十六·唐四六),此碑銘內容,係敘述大師弟子懷ツ法師的出家事緣,其碑文云:
「高宗總章元載,……時有親證三昧大コ善導捨黎,……雅締師資。……」
碑文記述懷ツ法師(原為世爵子弟)落髮出家,係由大師為其主持剃度儀式,時為唐高宗總章元年(六六八)。
二、「河洛上都龍門之陽、大盧舍那像合龍記」的碑文,世界馳名的洛陽「龍門大佛」是高宗皇帝發心,皇后武氏出錢所建造的,而奉勒監造的即是善導大師。當時大師住錫「實際寺」,故此碑文如此記載:
「大唐高宗天皇大帝之所建也,……
皇后武氏助脂粉錢二萬貫,奉勒檢校僧西京實際寺善導禪師。…至上元二年乙亥十二月三十日畢功。」
上元二年(六七五)大師六十三歲,碑文有「西京實際寺善導之語,可知大師此時是常住在此寺佈教的時期,因當時實際寺住持即是大師弟子懷ツ法師。此亦可知大師博學多才,於佛教藝術造詣之深,至於上達天聽,為皇帝倚重。
18、湖北襄陽 傳授勝行
大師弘化與日攝キ,不僅遍及山西,河洛,且南至湖北襄陽。《大唐西域求法高僧傳》卷下記述義淨三藏所言云:
「有比丘貞固者,往襄州,遇善導禪師,傳授彌陀勝行。」
彌陀本願念佛法門的傳佈受到義淨三藏的注目,且讚揚為「勝行」,可知此法的殊勝,及大師法化之盛、辛勤之勞。
19、造疏感夢 楷定古今
在長安期間,大師為了糾正當時教界對《觀經》的錯解,乃譔著《觀經疏》四卷(亦稱四貼疏),譔寫之前,於佛前標心結願,請求靈驗;當夜即見聖境,諸佛菩薩現前。自此以後,每夜夢中,常有一僧而來,指授玄義科文,既了更不復見。當《觀經疏》圓滿時,再度祈請,連續三夜,皆現聖境。其狀具載於《觀經疏》第四卷,彼尋便知。
故後世以此疏謂之「彌陀傳說」,亦謂「楷定古今之疏」,珍重如經,而大師亦被尊為「楷定古今之大師」。
20、預知時至 掩室長逝
大師在帝都長安弘揚彌陀本願念佛法門,非常契應群機,緇素男女之歸依甚眾,門前成市。往生前 不久,正於所住寺院中畫淨土變相,忽然催促令速成就;或問其故,大師回答:「吾將往生,可住三兩夕而已。」時間一到,忽然示現微疾,掩室怡然長逝,身體柔軟,容色如常,異香音樂,久而方歇。春秋六十九,時在永隆二年(六八一)三月十四日。
 

 

21、信者無量 高弟三名
大師擁有很多足可驚嘆的信者,傳記說「士女奉者,其數無量」,因此受業弟子當然也不在少數;其中最有名的有三位,即譔著《釋淨土群疑論》的懷感(六八O頃),懷ツ(六四O−−七O一)、淨業(六五五−−七一二)。其中懷感大師來不及寫完《群疑論》便已先行往生,而由其師弟懷ツ法師續寫完成。
22、長安南郊 建塔紀念
長安郊外,南望終南山,北眺長安城,所謂臨水面山之佳地的神禾原,一座十三層高的大塔偉然聳立著,這便是奉安大師遺骨的「崇靈塔」。
師事大師十數年的懷ツ法師懷念恩師之入滅,乃選此勝景建塔立碑,並於塔側興建寺院名「香積寺」,栽植神木靈草,四時供養不怠;此寺由懷ツ法師及其師弟淨業法師相繼住持。這些事跡記載於《隆闡大法師碑》。然而世間無常,往昔甚為宏壯的寺觀,如今偉容不在,唯此大塔凌越一千三百餘年的風雪,巍然獨立於田園中,彰顯大師萬古不滅的遺コ,頻添吾人歸依渴仰的遐思。
23、遺文放光 少康感悟
到了中唐時代,貞元之初,另一淨土高僧,念佛佛從口出,世稱「後善導」的少康大師(?−−八O五),參訪洛京白馬寺,見殿內文字累放光明,甚感奇異,向前探看,乃是善導大師所作的《西方化導文》;少康大師一見非常歡喜,便祝願說:「如果我與淨土有緣,惟願此文,再現光明。」祝願才畢,果然光明再度閃爍,光中有無數化佛菩薩。少康大師深受感動,當下立誓說:「劫石可移,我願無易矣!」
24、形像神變 化佛付囑
於是少康大師立即前往長安瞻禮善導大師的影堂,大陳薦獻,乞願一見善導大師,立時善導大師的遺像化為佛身,向少康大師說:「汝依吾教,利樂眾生,同生安樂。」少康大師一聞,似有證悟。
25、本地彌陀 垂跡善導
大師乃是阿彌陀佛化身,事載《西方略傳》;故得生前滅後,盛コ靈異,不可思議。宜哉!獨得本願深旨,廣度念佛群萌。
法然上人於其《選擇本願念佛集》之結尾贊言:
「仰討本地者:四十八願之法王也,十劫正覺之唱,有憑於念佛;俯訪垂跡者:專修念佛之導師也,三昧正受之語,無疑於往生。本跡雖異,化導是一也。」
26、五部九卷 本疏具疏
大師之著作成為淨宗聖教的有左列「五部九卷」,尚有失傳的《阿彌陀經義》,此書《定善義》出現二次,恰如《四貼疏》,是《阿彌陀經》隨文解釋之疏。
此五部之中,《觀經疏(四貼疏)》四卷謂之「本疏」,亦謂「解義分」,其他四部謂之「具疏」,亦謂「行儀分」。