ないないづくし

角がない / 若気の至り頑固一徹角と牙針と棘刀刃と槍匕首錐と釘金槌鑢と鉋舌と棘奥歯に挟む 
切がない / 無限劫初已来億劫欲張り権力名声金がほしい女がほしい右肩上がりブルー宇宙の地平線 
勿体ない / ゴミ屋敷ゆとり教育草食系男子大学選び流行おくれ古古米高齢者延命医療棚晒し店晒し飼い殺しリストラ 
見っともない / 尻丸出しスカート大根足車内化粧大股開き厚化粧スマホ歩き札びらを切る土下座夫婦喧嘩罵詈雑言 
稚内 /  
違いない / 季節は巡る春に桜夏は暑い秋に紅葉冬に雪梅雨に雨異常気象黒点地球温暖化間氷期 
当て所ない / 人生一路送り提灯川の流れ失業迷子南無阿弥陀仏二河白道三途の川冥途 
あどけない / 子猫迷子ハイハイ片言無い物ねだりあどけない話乙女生娘操処女でき婚十八女 
仕方がない / 貧乏人は麦を食え格差借金低賃金身の程知らず人の行く裏無駄遣い大盤振る舞い入るを量る武士は食わねど高楊枝 
頼りない / アベノミクス与党自民党日銀経団連野党専門書のタイトルと目次枯れ木も山の賑わい蛇足メニュー誤表示船頭の集まり 
当らない / 競馬新聞株価予想景気予想昔の天気予報後講釈思惑思い込み女心と秋の空宝くじお御籤 
臍がない / 代議士先生小役人マスコミ翻訳経済学者順番こ経営者コメンテーター潰しのきかない人
 

雑学の世界・補考   

 
ないないづくし (無無尽)

あれもない、これもないと、結局何もないこと。ないものだらけ。  
ないない (無い無い) / (「ない(無)」を重ねた語) しまうこと、かくすことをいう幼児語。  
ないないづくし 
  まるにはひとつも  かどがない  
  えんしゅうりつは  きりがない  
  かびたまんじゅう  もったいない  
  よだれたらして   みっともない  
  ほっかいどうなら  わっかない  
  ふゆはさむいに   ちがいない  
  いっぽんみちは   あてどない  
  こいぬがいっぴき  あどけない  
  かねがないのは   しかたがない  
  だけどなんだか   たよりない  
  うらないちっとも  あたらない  
  かえるはなぜか   へそがない
 
            谷川俊太郎  
 
 
まるにはひとつも かどがない

 

 
■若気の至り
無分別 
未完成凸凹だらけ 
凸凹削り加減が成長の証
失敗を繰り返しなさい、若気の至りが許されるうちに  
「お客様と話をしていても、なかなか理解できないし、うまく質問もできません。自分の知識不足をつくづく思い知らされます。」  
先日、あるSI事業者の新入営業14名を相手とした最後の講義を終えることができました。彼らは入社後の3ヶ月間、社会人としての基礎的な研修を受けたあと、営業部門への配属に先立ち「営業基礎研修」を受講、そのときからおつきあいをしています。  
なんとも頼りのなかった連中が現場に配属されて半年、成長したなぁ、とうれしく思いつつ、かつての自分を重ね合わせていました。  
彼らは、自らの未熟を素直に受け入れています。そして、それをなんとかしたいと、必死にもがき苦しんでいます。すてきなことだと思いました。こういう気持ちを、いつまでも持ち続けたいものだと思いました。  
「素直さ」とは成長の原動力だと思っています。それは、決して相手の言葉を鵜呑みにするのではなく、相手の言葉に真剣に向き合い、自分にとって、どういうことかと考えてみることなのでしょう。  
彼らには、自らの未熟を受け入れ、先輩諸氏の言葉に真摯に向き合う「素直さ」があります。だから、こんなにも目覚ましく、成長できるのです。そして、この気持ちを失ったとき、人の成長は止まります。  
この真実を忘れないようにしたいものです。  
ただ、なかには、よく見られようと腐心し、うまくできないことを恥じている人もいます。そして目標を引き下げ、できる範囲におさめようとしています。失敗を恐れ、失敗しないように、しないようにと、注意深く行動している人もいます。  
「若気の至りで許されるうちに、若気の至りをうまく使わなくちゃいけない。28歳も過ぎれば、そろそろ通用しなくなる。だから、お客様のためと思うなら、自分の考えで突き進めばいいんです。それで失敗しても、今なら上司が尻拭いしてくれるから、今のうちに大いに恥をかきなさい。怒られることはあっても、殺されることはないから・・・」  
こういう言葉を素直に聞いてもらえることは、本当に幸せなことです。年を重ねても、その素直さを失わないでほしいと思います。  
そんな、思いを込めて、彼ら14人に送った言葉を紹介させていだきます。
上に向かってゆく人に人は嫉妬するか、敬意を持つかのいずれかです。嫉妬する人はほっておけばいいです。そうすれば、いずはあなたの周りにすばらしい人たちが集まってきます。それが、人脈です。こちらから何かを求めれば、去ってゆきます。前に進めば、自然と周りから集まってきます。誰かと比べて、できていないことはたいしたことではありません。昨日の自分と比べて、ひとつでもできるようになれば、それでいいのです。そういう人が魅力的なんです。  
すべてを正確にこなすことなど無理な話です。どれかひとつでも自信を持ってできるようにすればいい。それ以外は、まだ勉強中なんで、ごめんなさいと、開き直っていればいいのです。自信を持ってできるものが少しずつ増えていっても、完璧にすべてこなせるようになんかなれません。いつもできないことであふれているのです。だから、なんとなしたいと思う。それが、生きている証しです。  
人の話を聞くとはどういうことでしょうか。まずは、自分はどう思うかといった、明確な自分の考えを持つことです。そして、それを相手に主張し反応を見ることです。そして、その言葉を素直に理解しようと努力し、自分の主張と何が同じで、何が違うかを見極め、必要とあれば訂正し、再び自分の主張をしっかりと持つことです。その繰り返しが、人の話を聞くということです。  
顧客の視点に立つとはどういうことでしょう。それは、どうすればお客様が一番幸せになれるかを考えることです。それは、話を聞いただけではわかりません。想像を働かせることです。そして、自分なりの結論を持つことです。そして、それをお客様に聞いてみるのです。もし、その想像が間違っていれば教えてもらえるはずです。正しければ、「わかりました」と、笑顔で応えればいいのです。そして、それを実現するために全力を尽くす。お客様の視点に立つとはそういうことです。  
失敗をしてください。それもたくさん。このままでは、クビになるのではないかと心配するくらいに。それには、いい方法があります。自分の考えたことで、やってみることです。相談なんかせず、自分で考えて行動してみることです。これが、成長の早道です。ただし、それは入社三年間しか使えない期間限定のテクニックです。その期間がすぎれば本当にクビになるかもしれません。でも、そのときは、クビを覚悟で大きなことにチャレンジできる人間になっていることでしょう。  
情報を手に入れるもっともいい方法は、足を使うのではなく、頭と口と手を使うことです。まずは、考えるのです。きっとこんなことになっているはずだ、きっとこんなことに困っているはずだ、きっと自分たちについてこう思ってくれているはずだ。想像力たくましく、自分なりの仮説をたてることです。そして、その仮説を自分の口で訊いてみることです。それが正しいかどうかが、確認できます。また、間違いがわかるでしょう。そして、思わぬ情報がそんな会話から手に入ります。そして、それを整理するのです。自分なりに手を使ってまとめてみる。そして、自分の結論を書き出してみるのです。情報は、こちらから仕掛けてこそ手に入るものです。情報とは、自分の手で整理してみてこそ、役に立つものになるのです。ただ、足を動かし、人に会うだけでは、情報は手に入りません。  
大切な話は、本人が話したいと思わなければ、話してはくれません。どうすれば、話したいと思うようになるでしょうか。それは、あなたが相手の幸せを願い、なんとかしたいと心から思って会話をしているときです。何かを聞き出そうとして、あるいは、差し障りのない話をして、その雰囲気を演出したからといって、本当に大切な話など聞き出すことはできません。怒りをあらわにし、なぜやらないんですかと、食って掛かってもいいじゃないですか。相手に反論してもいいと思います。もし、それが、相手の幸せになると思うのなら。たとえ、その場の雰囲気がささくれ立っても、それは心のヤスリです。やがては角が削れ、しっくりと考えが一致するでしょう。そういう、対話こそが必要なのです。  
朝の30分、早く出社して自分のための勉強をするという目標が達成できないなら、それを何分に変えても、きっと続きません。毎日はできないけど、一週間で何分以上と変更し、自分につじつま合わせをしても、それは逃避でしかないのです。ならば目標なんか決めずに、成り行きに任せた方が、精神衛生上、ずっと健全です。できない自分を蔑んでください。そして、悔しいと思ってください。その気持ちから逃れてはいけないのです。できない自分を恥ずかしいと思うべきです。そんなできない自分を避けずに受け止めてください。そして、涙を流しながらも、なんとかしようとがんばるしかないのです。ひとは、そんなあなたをすてきだと思うでしょう。  
自力でなんとかしようとがんばっている自分。あなたはそんな自分をほめてあげたいかもしれませんね。しごとをしている気がするでしょう。でも、冷静に考えてください。周りから見ればいい迷惑かもしれませんよ。たとえ自分はがんばったと満足しても、結果は不完全であり、相手にとっては不満が残ることかもしれません。相手を満足させるということは、ただがむしゃらに一生懸命やればいいということではないのです。自分が未熟であることをさらけ出し、相手にそういう自分を指摘してもらい、どうすればいいのか、なにをすれば満足してもらえるのか、心から訪ねることです。相手は、満足したいのです。だから、こうしてくれというでしょう。そして、それに素直に応えることしかできないのです。それでいいのです。そうすれば、どうすれば成功できるかだんだんわかってきます。自分を成長させたいと思うのなら、自分のわからないことや無能をさらけ出すことです。ひとは、そういうあなたに惹かれてゆくでしょう。  
あなたは誰と比べて自分の成長を推し量ろうとしていますか。他人ですか、それとも過去の自分ですか。他人は、才能も知識もあなたとは全く違う存在です。しかし、自分という存在は、まったく同じ相手です。こんなにわかり易い比較はないでしょう。誰かと比べて優れていると満足してみても、劣っていると憂いてみても、それは所詮基準が違うのです。それよりも、過去の自分より、今はできることが多くなった、完成度があがっている。それを見つめることが、大切なのです。成長とは、他人より優れた存在になることではありません。過去の自分より、優れた存在になることです。  
仕事のゴールとはなんでしょうか。それは、お客様に最大の満足を与えるコト以外にありません。自分がどう考えるか。そんなものは、独りよがりです。お客様がどう考えるかです。あなたにはそれが見えますか。それが見えないとすれば、それがあなたの実力です。残念ながら、それが今の自分です。仕事の優先順位は、何が重要かで決めるという話をしました。これが、肝心なことなのです。その重要を成し遂げるために、あなたは何をしてきたでしょうか。優先順位の付け方を間違ってはいませんか。一番大切なことは、いつもわからないものです。年を重ねても、答えが見つかりません。だから、いつも勉強しなきゃいけない。仕事をするとは、そういうことだと思います。  
説得力や交渉力とは想像力で、相手がどこで合意してくれるかを予測する力です。会話をスムースに進める力は想像力で、相手の関心のある話題は何かを予測し、それにあわせることです。話を聞き出すこつは想像力を働かせて適切な質問を繰り出すことです。スケジューリングは、想像力で、仕事の流れを予測することです。知識や経験がないことは仕方ありません。それは、いつになってもないのです。年を重ねれば、その年相応の知識や経験が求められます。でも、いつも足りないのです。だから、想像力でそれを埋めるしかないのです。相手は何を幸せと感じるでしょうか。それを想像し、先手を打つことです。それを思いやりと言います。あるいは愛情と言います。そうなんです。仕事は想像力という愛情なくしてできないことなのだということ。あなたに足りないのは、想像力かもしれませんよ。  
慎重とはどういうことでしよう。少しずつ実行し、確認し、仕事を前に進めることではないでしょうか。考えて、考えて、失敗してはいけないと思案して、それでも不安だからまわりに相談して、絶対失敗しない確信を持ってから行動に移すことではありません。失敗はつきものです。人生とは、失敗を繰り返し、そしてなんとか最後のつじつまを合わすことかもしれません。だから、早いうちに実行して、小さな失敗を積み重ね、修正を繰り返し、ゴールを目指せばいいのです。ドカンと大きな失敗をするよりも、被害は少ないはずです。恐れるべき失敗があるとすれば、それは命を失うことです。それ以外は、みんな小さな失敗です。あなたは仕事で命を取られる心配はありませんよ。  
お客様にかわいがられるとはどういうことでしょうか。ニコニコして、いいこぶって、できるふりしていればかわいがられるでしょうか。かわいがられるとは、真剣にお客様に向き合うことです。自分で考えて、お客様の為に何をすべきか、その答えをいつも問い続けることです。お客様と意見が異なるとすれば、お客様とけんかしてもいいです。ことなった主張があればはっきりと伝えるべきです。もちろん礼儀をわきまえて。その真剣さこそが、かわいがられる秘訣です。  
若き君へ  
――語らいで、「あいさつ」の大切さを教えていただき、新社会人の皆さんにも、その実践を呼びかけていただきました。企業のトップの方からも、本当に創価の青年は清々しい、爽やかだ等の声が寄せられています。  
池田名誉会長 「あいさつ」は、瞬時に心と心を結びます。相手が初対面であっても、苦手なタイプであっても、心は通い合う。  
相手があいさつを返さなくても、かまいません。あいさつは、自分から先にしたほうが勝ちです。人を尊敬できる人が尊敬される人です。明るく誠実に、心を込めてあいさつできる人が、偉い人です。あいさつは境涯の芸術です。  
「おはようございます!」「こんにちは、よろしくお願いします!」「ありがとうございます!」  
どうせ、声を出すんだから、元気にやれば、お互いに気持ちがいいじゃないか。その生命の勢いが、一日の勝利の扉を大きく開きます。  
どんどん、あいさつしていくんです。どんどん、味方を増やすのです。相手の心の諸天善神を呼び起こすんです。もちろん、声が出せない状況なら、目礼でもいい。  
私が21歳で戸田先生の会社に入って実践したことがあります。  
一つは、元気いっぱいのあいさつで先輩方を迎えることでした。  
もう一つは、毎朝、始業時間の30分前に出勤して、職場を清掃することです。  
元気なあいさつが響く会社は、発展します。職場がよく整理されている会社は、事故がなくなる。  
戸田先生をお守りするために、先生の事業を発展させるために、誰に言われなくとも、私は実行しました。  
朝が勝負です。朝で決まる。  
戸田先生も「職場に遅れてきて、上司に叱られるような人間は偉くなれない。特に、新入社員として信用を積んでいくためには、朝早く出勤すべきだ」と語っておられた。  
一日に勝つための生命の暁鐘が、朝の勤行・唱題です。  
信心をしているからこそ、一日の出発を勝つ。そして、人生に勝利していくのだ――先生は、こう指導されたのです。  
――仕事で失敗して、すっかり自信を失ってしまうこともあります。  
名誉会長 失敗は、敗北ではありません。否、青年には、失敗や悩みは、前進の証拠です。前に進んでいるからこそ、向かい風がある。転ぶこともある。でも、それで下を向いてしまわない。また立ち上がるのです。  
アメリカの大事業家であり、映画人でもあったウォルト・ディズニーは語っています。  
「私は失敗した。だがそこで多くのことを学んだ。若い頃にひどい目に遭い、失敗することは重要なんだって、思うね」  
――30年前、先生は長崎で、大切なお皿を誤って割ってしまった人のことを通して、指導してくださったことがあります。  
取り返しのつかない失敗をしてしまった。どうお詫びしようかと身を小さくしていた人に、先生は「自分で悩んだのだから許されるんだよ」と励まされました。  
名誉会長 そうだったね。これは、戸田先生の教えです。  
ある青年が電車に乗り遅れて、大事な会合に大幅に遅れてしまったことがありました。その人は青い顔をしてお詫びの言葉を探していました。戸田先生は厳しい方でしたから、どんなに叱られるかと、周りもドキドキしていた。  
すると先生は、「もういいよ。自分で悩み、苦しみ、それで償われているのだから、何も言うことはないよ」と語られました。  
先生は、反省している青年の心をくみとってくださったのです。  
――池田先生は、戸田先生のエピソードを紹介され、「反省し、苦しんでいる人を、責めるような心の狭い人ではいけない。指導者は、人々の心をよく知っていかなければならない」と教えてくださいました。長崎の同志が大切にしているご指導です。  
名誉会長 皿を割ってしまった人は、その失敗を原点として、本当にけなげに頑張ってきました。30年経った今も、その時のことを忘れず、「恩返しを」との心で後輩たちを励ましてくれている。私は「偉いな」と見守っています。  
若い皆さんは、失敗を恐れないでほしい。もちろん失敗したら、反省は大切です。だからといって落ち込んで、それにひきずられては、何にもならない。一切が勉強であり、いくらでも取り返せるんだから。クヨクヨしてはいけない。  
「失敗の成功の母」です。「挑戦しないこと」――それが、青春の唯一の敗北だと、私は思う。  
――実際に仕事を始めてみると「自分が想像していたのと違っていた。このままでいいのだろうか」と疑問に思うこともあります。「この仕事は自分に向いていない」と決めて、早々に辞めてしまう場合もあるようです。  
名誉会長 まず大事なのは、自分一人で抱え込んで、早まって結論を出してしまわないことです。そういう時こそ、信頼できる人に、よく相談することです。  
そもそも、はじめから自分の希望通りの仕事ができる人は、多くありません。夢と現実の落差に愕然とすることもあるでしょう。  
単調で地味に見える基本を、着実に身につけてこそ、将来、大きく飛翔するための力となる。人が嫌がる仕事や、陰の地道な仕事ほど、人間は磨かれます。  
私も戸田先生の会社に入った時は、少年雑誌の編集者として勤め始めました。大好きな仕事でしたし、やりがいも感じていました。  
ところが、先生の事業はやがて経営不振に陥りました。私がやることになったのは、まったく畑違いで、最も苦手とする金融の営業でした。しかし、どうせ働くならば、この道の第一人者になろうと、泣くような思いで努力しました。毎日が死に物狂いで、家に帰っても、しばらくは動けないほど疲れ果てました。肺を病んでいたから、本当に苦しかった。  
でも、その命がけの戦いがあったからこそ、戸田先生の事業を再建することができた。そこから、かけがえのない人間学を学ぶこともできました。広宣流布の師匠のために戦い、永遠に消えない福運を積むこともできました。  
どこにあっても、受け身ではなく、職場の主体者・責任者の自覚に立つことです。そうすれば、辛いこともあるだろうが、喜びも大きい。まして、仕事で自分を磨けたら、これ以上に楽しいことはない。職場を、ただ、給料をもらうためだけの場にしてしまっては、もったいない。  
私は、よく「十年一剣を磨け」と申し上げてきました。一つのことに徹すれば、着実に力がつく。たとえ、自分に不向きだと思った仕事でも、一つ一つ、無我夢中でやり遂げていく中で、自分でも気づかなかった秘められた天分が見つかることがある。  
私が何度も語り合い、深い親交を結んだ、松下電器(現・パナソニック)の創業者・松下幸之助翁も述べておられた。  
「一事を貫くということは、非常に難しいようではあるけれども、いちばんそれが効率的やな。ああでもないこうでもないと迷って、転々とする人がある。転々とする人は、転々とすることによって成功するという場合もあるけど、概して失敗が多い」と。  
一事は万事に通じている。一事を貫く中で万事を学び、すべてに勝利する力がついていくのです。  
ともかく、戸田先生は、「仕事に左右されるな。仕事を左右せよ」と言われました。  
環境に振り回されるのではなく、自分が環境を変えていくのです。いかなる烈風にも揺るがぬ富士のごとく、何ものにも負けない自分自身をつくることです。 
 
■頑固一徹

 

頑固おやじ角(かど)ばかり 
老いの一徹角ばかり 
人生経験 角は個性
頑固一徹 非常にかたくなで、一度決めたらあくまでも自分の考えや態度を変えようとしないさま。また、そういう性質。「一徹」はかたくなに思い込み強情に押し通すこと。ほぼ同意の熟語を重ねて語意を強めたもの。 
還暦を迎えて  
志は、魂の栄養である。  
理想を失うと、人は深みを失う。  
「怠惰で気力なく生きる人の百年より、全力で生きる人の1日のほうが価値がある」と釈尊は説く。  
「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」と日蓮大聖人は励まされる。  
「百二十歳まで生きながら名をおとしめて死ぬよりも、生きて一日だけでも名をあげることが大切である」とも言われる。  
“経営の神様”といわれた松下幸之助氏とは幾度かお会いし、対談集も出したが、氏は120歳まで生きると決めておられたようである。  
「中国の登小平さんに会った時、『松下先生はまだ天命の半分しか生きておられないから、人生はこれからですよ』と激励された。中国では天から授かった寿命を天命というのだが、これが160歳。僕はあと80年生きられる勘定になる」と、身近な人に言われていたという。  
続いて氏は語った。  
「僕は生まれながらの病弱なので、1割カットしなければいかん。そのうえ、人一倍働いたので、もう1割引きや。そうすると、128歳になる。世の中は計算通りにいかないから、リスクをみて、120歳までは生きられると思う。いや、120歳まで生きてみせる」  
氏は94歳で天寿を全うされた。宣言の通り120歳まで生きられたような密度の濃い生涯であったと思う。  
ご逝去の前年(1988年=昭和63年)、松下氏から、還暦を迎えた私に真心こもるご祝詞をいただいた。  
「お健やかに、60歳のお誕生日をお迎えになられ、心からお祝い申し上げます。  
先生には、お体も、お心も、若さに溢れておられ、とてもご還暦には思われませんが、本日を機に、いよいよ真のご活躍をお始めになられる時機到来とお考えになっていただき、もうひとつ〈創価学会〉をお造りになられるくらいの心意気で、益々ご健勝にて、世界の平和と人類の繁栄・幸福のために、ご尽瘁とご活躍をお祈り致します」  
高齢になっても一歩も退くことなく、意気軒昂に生き抜かれた人生の先輩の言葉を、ありがたく頂戴した。そして、その言わんとされた励ましに、私は事実の上でお答えしたいと思ってきた。  
全力で一日を生きる  
人間の魂の不屈さを示し、非暴力の思想を世に残したマハトマ=ガンジーに、ある記者が「アメリカ、特にアフリカ系アメリカ人にメッセージを」と求めた。  
ガンジーの答えは「私の人生そのものがメッセージです」であった。  
ガンジーが、あの史上名高い「塩の行進」を敢行したのは、61歳の時である。闘争は78歳の死の瞬間まで続いた。  
現実に何をなすか、何をなしてきたか。どう生きてきたか、どう生きるのか――。その事実こそが最大のメッセージであろう。  
1988年(昭和63年)1月2日――。私は60歳になった。  
還暦を迎えたわけである。恩師・戸田城聖先生逝いて、30年が経っていた。  
58歳で逝去された師のもとで、私が早朝から深夜まで薫陶を受けたのは、十年余であった。当時の写真を見ると、つくづく私は気力だけで生きていたような気がする。  
恩賜と過ごした、その歳月の3倍の歳月が経過したことになる。  
師とお別れしたのは30歳の時であったから、私の人生にとっても、60歳ということは、2倍を数えたことにもなる。  
戸田先生が「俺の命と交換するんだ」「お前は生き抜け」と、私にくださった寿命であると思っている。  
思えば、第3代会長に就任した1960年(昭和35年)の2月11日、私は日記にこう記した。  
「戸田先生のお誕生日である。ご生存なれば60歳。還暦であられる。妻と共に、そのことを語り合う。先生の子供のごとく、娘のごとく」  
名誉も、財産も、賞賛も一切いらない――。ただただ師のもとで、世のため人のため、仏法流布に殉じようと、一点の悔いもなく戦い続けた青春の日々――。  
恩師亡きあとも、30代も、40代も、50代も、疾風怒濤の前進を続けた。  
そして、早いものである。還暦を迎えてから、12年の歳月が経過しようとしている。干支でいう一回りというのか、2000年には72歳となる。  
医師から30歳まで生きるのは無理と言われた私の体調を誰よりも知り、また気遣ってくれた妻も、「今が一番元気ですね」と喜んでくれている。  
結婚当初の写真は別人のように痩せていて、昔日の感を禁じ得ない。  
釈尊も、出生の本懐である法華経を説き始めたのは、72歳からである。  
以来、入滅までの8年間、この仏教の極説中の極説を説法し、弘め、戦い抜いた。  
私も、仏法者として、いよいよこれからの気概で、人のため、法のために尽くす誓願に立っている。  
私の寿命観の基準  
還暦とは、60年で干支が一回りして、生まれた年の干支に帰ることを表している。  
60歳になると「還暦を迎えた」といって、赤いちゃんちゃんこを着てお祝いをする習慣が残っている地方もあるという。  
赤い色とは“赤ちゃん”で、もう一度新しく生まれ変わることを意味している。  
日蓮大聖人は、1222年(貞応元年)の2月に生誕され、1282年(弘安5年)10月に入滅された。今の数え方でいえば、ちょうど還暦まで生きられたことになる。したがって、還暦を超えて1年また1年、年齢を重ねていけることは、まことにありがたい長寿の人生である――。これが私の寿命観の一つの基準である。  
年配者を指して、シルバー・エイジ、すなわち「いぶし銀の年代」と呼ぶことも多い。  
しかし、この言葉には、なんとなく寂しい響きがあり、季節でいえば冬のイメージが漂っている。むしろ、ゴールデン・エイジ、すなわち、「黄金の年代」と呼び替え、季節でいえば“収穫・実りの黄金色(こがねいろ)の秋”ととらえるべきである。このように述べられる方もいるようだが、私も賛成である。  
この時期を迎えれば、真剣に生きてきた人は、誰でも人生の博士となれる有資格者なのだ。悠々と自在の力で、今日も生き抜くとの決意を深めたい。苦しみ悩み戦ってきた「経験」という無名の位が、我が身を飾ってくれるのだ。  
「『第三の人生』を語る」の連載を聖教新聞でしていた時に、80歳の方が、長寿の心得としてよく知られているというモットーを、手ぬぐいに染めて送ってこられた。庶民の知恵とユーモアが光っている。  
――人の世は山坂多い旅の道  
年齢の60に迎えがきたら――  
還暦(60歳)とんでもないよと追い返せ  
古稀(70歳)まだまだ早いと突っ放せ  
喜寿(77歳)せくな老楽これからよ  
傘寿(80歳)なんのまだまだ役に立つ  
米寿(88歳)もう少しお米を食べてから  
卒寿(90歳)年齢に卒業はないはずよ  
白寿(99歳)百歳のお祝いが済むまでは  
茶寿(108歳)まだまだお茶が飲み足らん  
皇寿(111歳)そろそろ譲ろうか日本一  
牧口(常三郎・創価学会初代会長)先生は、還暦近くして日蓮大聖人の仏法に巡りあわれた。その感動を、たぎる思いで記されている。  
「言語に絶する歓喜をもって、ほとんど、60年の生活法を一新するに至った。暗中模索の不安が一掃され、生来の引っ込み思案がなくなり、生活目的がいよいよ遠大となり、恐れることが少なくなった」と。  
まさに「還暦青年」ともいうべき、若々しい挑戦のエネルギーにあふれておられる。  
ある哲学者は「年老いているということは、もし人が“はじめる”ということの真の意味を忘れていなければ、すばらしいことである」と述べている。この言のとおり、牧口先生は「60年の生活法を一新」し、新しい人生を“はじめられた”のである。  
そして、数えでいえば還暦の59歳で、創価教育学会を創立。以来、創価の旗のもと、正法流布に殉じ、軍部権力の弾圧にも寸毫も臆することなく、73歳で獄死された。  
創価の魂と志は、牧口先生、戸田先生の、死を賭しての最晩年の闘争によって築かれたのである。  
機関紙「価値創造」の創刊は、牧口先生70歳の時。70歳からの2年間に、座談会に240回を超えて出席された。  
牧口先生が入獄される前の様子を、戸田先生は「三月(みつき)会わないと、三月だけ進んでいるのを発見した」と言われていた。  
まさに「年は・わかうなり」である。  
私がお会いした世界の識者で、90歳を超えて元気に活躍されていた方々の顔を思い出す。  
ガンジーの直弟子・インドのパンディ博士は91歳、ブラジルの人権の闘士・アタイデ総裁は94歳、ノーベル賞を2つも受賞したアメリカのポーリング博士は94歳まで、不屈の大闘争の人生であった。  
中国の巴金(ばきん)氏は、90歳を超えても「私はペンに火をつけて、我が身を燃やします」と、果敢に活躍を続けておられる。  
ハーバード大学名誉教授で、世界的な経済学者であるガルブレイス博士は、まもなく91歳になられるが、新しい著書を書き、お元気である。  
「人間は、年をとればとるほど、ますます学んでいくべきだと信じます」と話されていたのが印象的である。  
“カリブ海の宝石”ドミニカ共和国のバラゲール前大統領は、今年(1999年)9月で92歳になられるが、青年のごとく「無私の大情熱」を燃やしておられる。  
生(せい)をいかに生きるか  
そもそも仏教は、生死(しょうじ)という根本問題を凝視し、いかに生きるか、いかに充実した人生が可能か、を追求したものである。  
いわゆる世界宗教とは、死を踏まえ、生をいかに生きるかを求めたのが、その原点であろう。  
死の瞬間まで理想に燃え、志を高く抱き、雄々しく生き抜くためにこそ宗教はあるのである。  
1年ほど前に「ブッダ(釈尊)」を扱ったドキュメンタリーがテレビ放映された。その中にあった1シーンである。  
バングラデシュの都市・チッタゴン近郊の村の話である。二千数百年前の釈尊の時代の仏教を、ある意味で“保存”している村であった。  
ある老婦人が死の床にあった。家族が出家者を呼びに行って、連れて来た。  
彼は、家族、友人に語り出した。  
「この老婦人がしてきたこれまでの善行を思い起こして、皆で知り、記憶にとどめましょう……」と。  
一人ひとりが、そのおばあさんとの懐かしい思い出を語り出した。  
世話になった人、励まされた人――。次々と思い出が語られる。人が死んでから僧がやってくるのではなかった。  
本来、釈尊は、生きている人の中へと入っていったのである。  
釈尊の死後、出家の弟子は、葬儀に関わることなく修行を続けよとの師の言葉を守り、葬送には直接的に関係しなかった。  
後日談だが、その番組の制作に関わった大学の先生から、その方と大学院で同期だった学会員に電話があったという。  
「ブッダの言葉を学べば学ぶほど、創価学会の正当性がわかる。学会には頑張ってほしい。ブッダはきっと喜んでいる」と。  
仏教は、生の最期の瞬間まで、その人生を充実させ、満足させるためにある。その「生の意義を説く宗教」が、日本に入ってきて、やがて葬式仏教に堕してしまった。  
袈裟などは、葬式仏教の典礼用のアクセサリーになっているようだが、袈裟とは、もともとインドの言葉のカーシャヤからきたものである。中国で、その音を写して「袈裟」と綴った。カーシャヤとは「汚れた布」という意味である。  
それは釈尊当時、最も差別されていたチャンダーラ(旃陀羅)と呼ばれた人々が着ていた粗末な布なのである。  
日蓮大聖人は自らを「旃陀羅の子」と宣言され、民衆救済の戦いを続けられた。  
若き釈尊は王子の衣を脱ぎ捨て、この貧しき人々の布を身にまとった。  
つまり袈裟とは、貧しき人々、苦悩する人々と同苦していくという共生の印なのだ。  
「衣の権威」など、どこにもない。あってはならない。  
「耳順」という言葉の重み  
60歳というと、孔子の「耳順(じじゅん)」という言葉が思い出される。  
『論語』にある「六十にして耳順(したが)う」という言葉である。  
孔子が、自身が歩んできた人生を分析して、「60歳で、誰の意見にも耳を傾けられるようになった」と言っているのである。  
ついでに言うと、「不惑の40歳」はよく知られているが、これは、惑わず自分の方向に確信を持つことを示す。  
また「知命の50歳」とは、天から与えられた使命を自覚したことを表す。  
我が師・戸田城聖先生は、軍部権力の弾圧で入獄し、獄中で法華経を読み切られた。  
そしてついに悟達した時、45歳の先生は、「彼に遅るること5年にして惑わず、彼に先立つこと5年にして天命を知りたり」と叫ばれた。  
「耳順」であるが、人の言葉に耳を傾けることができるということは、なかなか難しいものである。  
その人の境涯と言おうか、人生経験の深さと言おうか、人の話をよく聞くということは大切なことである。  
私自身、聞き上手たれと言い聞かせている。  
一般的には、長く生きてくると自分自身の経験に固執したり、頑固一徹で融通がきかなくなるといわれているが、そういった時期にこそ、豊かな人生の知恵を生かして、柔軟に人の話に耳を傾けることが必要となってくる。  
この年齢になって、私もいっそう聞き上手になれたように思う。  
経典には、正しい法を弘めていく上で、巨大な障害となる「怨嫉」の語が見える。  
「怨」とは“うらみ”であり、「嫉」とは“ねたみ”を指す。  
中国の妙楽大師は、この「嫉」について、「聞くことを喜ばざる者をなづく」と喝破している。  
正しい教えに教えに耳を閉ざすことの恐ろしさが浮かび上がってくる。  
また、私たちの生命はかけがえのない大切な宝塔であることを、経文は教えている。  
その我が生命をがさるがざる7つの宝を「七宝」という。すなわち「聞(もん)」「信(しん)」「戒(かい)」「定(じょう)」「進(しん)」「捨(しゃ)」「慙(ざん)」という7種の法財である。  
この7つの宝の中でも「聞」がまず1番目に位置している。  
もともとは、仏法を聞くということであるが、敷衍すれば、人の話に耳を傾けることの重要性を示している。  
中でも、自分に対する正しき叱咤に聞く耳を持つ人は、成長できる人である。  
日々が新しき希望への出発  
人は古来、不老不死を求めてきたが、この解答は何か――。  
釈尊は、人々にその教えを説こうと決意した時、こう語ったといわれる。  
「不死の門は開かれた」  
では、この「不死」とは何か――。  
もちろん、文字どおりに不老長寿と解釈して、無限の年月に生きるということではない。  
仏典から「不老」「不死」に関して述べられている部分を、いくつか挙げてみよう。  
「いとも麗しき国王の車も朽ちてしまう。身体もまた老いに近づく。しかし、善い立派な人々の徳は老いることがない」(『真理のことば感興のことば』中村元訳、岩波文庫)  
「男も女も幾百万人と数多くいるが、財産を貯えたあげくには、死の力に屈服する。  
いくら財産を貯えても、最後には尽きてなくなってしまう。高い地位・身分もついには落ちてしまう。  
……(中略)……  
生命はついには死に至る」(同)  
華やかな生活、財産、身分、地位など、いつかは朽ちてしまうものに執着するならば、その人の生命は、それとともに朽ちてしまうものである。  
朽ちないものを求める生き方に、永遠、不老、不死の生命が脈動するのである。  
何を願うか、何を求めるかである。  
不朽の歴史を残す――。そのために、朽ちないもの、永遠なるものを求めよ。  
友よ。永遠を生きよ。仏法流布という永遠の希望を生きよ。  
正しく偉大な法に生きる人は、生死(しょうじ)々々と永遠にわたって、誠に充実した充実した輝く歴史に生きることができる。  
「悪魔とその軍勢に打ち克って、生死の彼岸に達する者となれ」(同)  
仏は「勝者(ジナ)」と呼ばれる。  
仏法は勝負である。魔に打ち勝つ強き心に、不老不死の生命が躍動する。  
人間は戦いによって死を恐れないのである。  
「つとめ励むのは不死の境地である。怠りなまけるのは死の足跡である。つとめ励む人々は死ぬことがない。怠りなまける人々は、常に死んでいる」(同)  
自分の弱い心、怠けたいという心に負けてしまう。そこに老いが忍び寄る。また、それは、「死と同じだ」と釈尊は断じている。  
「学ぶことの少ない人は、牛のように老いる。彼の肉は増えるが、彼の知恵は増えない」(同)  
私も日々、原稿の執筆等に全力で取り組んでいる。  
若き日の読書のおかげで、ずいぶん助かっている。何より戸田先生からの薫陶が、大きな支えとなっている。  
その一方で、詩集や新しい本もたくさん読んでいる。  
皆と共に、少しでも世界の英知を吸収していきたい。ともにともに、希望に燃えて生き抜いていきたい。  
そのような思いで、知性との対話にも挑戦している。  
とまれ、日々が新しき希望への出発である。  
太陽よ、昇れ!今日も私は仏法流布に動く――。 
 
■角(つの)と牙

 

突き刺す噛みつく 
存在の証明 
角を矯めて牛を殺す(つのをためてうしをころす) 牛の曲がった角を直そうと手を加えているうちに牛を殺してしまうこと。転じて、少々の欠点を直そうとして、かえって全体をだめにしてしまうたとえ。枝葉末節にこだわって、肝心な根本を損なうことのたとえ。  
角を矯めて牛を殺さないで 1 
部下、後輩、他部署が提案をしてきたときの聞き方に注意して欲しい。  
我々は業績の向上を目的としているのだから、提案を聞く際にも「どのようにすれば業績が向上するか」を踏まえた上で  
その聞き方を考えるべき。  
提案の内容に一理でもあれば、その一理を取り入れた方が業績はあがる  
十のうち九が間違いであったとして、一でも学びとるところがあれば、その一を得ればプラスである。一を得ずして、九の間違いを指摘したり、問い詰めたり、責めたり、論破することに専念する。そこに何のプラスがあるか?ましてや、九の理を聞かずして一の間違いを突っつくなどという行為は論外である。  
一理でもある提案ならば、なるべく多くしてもらった方が業績があがる  
一理でも取り入れると業績が上がるのなら、そのような提案は多ければ多いほど良い。ならば、より多くの提案をしてもらえるような聞きかたをすべきである。間違いを指摘してばっかりいたら、善意の相手でも、うんざりして提案したくなくなってくる。出てくるモグラを叩いてばかりいると、モグラは出てこなくなります。機械じゃないんだから。人なんだから。提案を無くしたいの?提案のアラ探しではなく、業績の向上が目的なのでしょ?一理でも学ぶところのある提案をしてきた人に対しては、その一理を認め、誉め、感謝すべき。  
だから、意見を聞くときには、「突っ込むべき間違いを探す」前に、「学びとるべき理を探す」べきである。学ぶべき点を学んだ上で、反論すべきところは反論するというのなら、礼を失しない言い方でない限りOKだろう。しかし、反論することに終止し、業務の改善の機会を逃したり、相手の善意をくじくようなことはしてはならない。  
そのような本末転倒な行為を、角を矯めて牛を殺すという。  
「角を矯(た)めて牛を殺す」とは、角の形を直そうとして牛を殺してしまうという意味で、小さな欠点を直そうとして、かえって全体をダメにしてしまうことの例えだ。にもかかわらず、なぜ他人からの提案に対してアラ探しをして、叩き潰そうとするか?目的が「業績の向上」ではなく、別のところにあるからである。例えば、次のような目的になっていたりする。  
示威行動(猿がやってるやつ) 「私は、おまえより賢いのだよ。私に意見するなぞ百年早いわ。ばーか!」と言いたい。目的は自分を大きくみせること。猿の他に、小学生も得意ですよね。  
縄張り意識(犬のおしっこみたいなの) 「これは私の仕事の領域だ。何も知らんあんたが偉そうに意見するな。しっしっ!」目的は自分の縄張りを守ること。器量小さすぎます。  
猪突猛進(猪ですね) 本来の目的を考えずに、一つでも「間違い」を見つけたら、ただただひたすら猛烈に責めねばならない気性。目的が「間違いを証明すること」一本槍に、なっちゃってるわけです。視野が点になってしまって、全体の状況がまるっきり見なくなっている状態。「飛んで火に入る夏の虫」と同じ原理です。挑発して怒らせて破滅させるという罠をしく策士がいたら、ゴッドファーザーのマイケルのお兄さんみたいに蜂の巣にされちゃいますよ。  
石頭(バカですね) 学ぶ吸収力を持たず、人の非を責めることしか能のない石頭。目的は、「現在の自分の認識を他人に否定されないこと」です。周りに人が寄り付かなくなったあげく、脳の血管が詰まって死にますよ。  
ともかく相手が善意で提案してきているのに、間違いを突付いて撃墜するというのはダメです。そういうことはしないよう、各自修養してください。私も修養します。いっしょに立派な上司になりましょう。  
ただし、、、  
提案が建設的な内容ではなく、悪意を持った「喧嘩売っとんのかワレ!」系だった場合には、冷静な判断を維持するのは難しい。それでも「さらっとかわした上で学ぶとこだけ学ぶ」なんていうことができれば最上級者。先生と呼ばせていただきます。私自身でもなかなかできないことを、みんなに要求したりしません。こういうときは、「まず制裁を加える」というのは有りにしときます。  
だから、、、  
提案する方も、目的が善意であるなら、そのような表現をしようね。むやみに、けんか腰だったり、批判的だったりすると、単に喧嘩売ってることになっちゃって、「小僧なめとんのか!ええ加減にしさらせよ」状態になりますよ。気をつけましょうね。  
角を矯めて牛を殺すな 2 
東京国際軍事裁判の被告で死刑を宣告された陸軍中将、陸軍軍務局長武藤章は、面会にきた娘に、「よき相手と結婚するように、但し、検事は人間の屑だから、よせ」と言い残した。  
この言葉を発した武藤章に、我が体験を顧み、大いなる共感を覚える。  
組織の対面のために、政治的意図のために、自己の保身のために、さらに単なる出世のために、何が何でも、つまり証拠を捏造しても、罪をでっち上げて人を有罪にし、エリート面をしている検事は、人間の屑だ。  
昨年の厚生省局長を被告人とする裁判で、大阪地検特捜部の「人間の屑」が明るみに出た。  
私自身も、無念の思いを消すことはできない。従って、冒頭に武藤章の娘に残した最後の言葉を紹介した。  
しかし、人間の屑であるのは、上に書いたような要件に当てはまる者であって、刑事司法そして治安の維持に従事している人材一般には、決して言ってはならない。  
そうなれば、我が国の「法の支配」は維持できなくなり治安は崩壊する。誰が好きこのんで「人間の屑」と言われる仕事に従事しようか。  
そこで、気になる風潮があるので、角を矯めて牛を殺してはならない、と指摘しておきたい。  
以前、暴力団組員に、「拳銃を持ってこい」と怒鳴りつけてコインロッカーに持ってこさせた刑事がいた。その刑事は、銃刀法違反に問われた。組員に「拳銃を持ってこい」と言ったのは、拳銃所持の教唆にあたる、というのである。警察は、この刑事を懲戒処分にした。  
そこで、衆議院法務委員会で質問した。  
暴力団組員相手に、「お手数をかけますが、拳銃を持ってきていただけませんか」と言えばよかったのか、と。  
昨日、任意の取り調べで、相手に「殴るぞ」などの暴言を吐いたとして、警部補が脅迫罪で起訴された刑事事件が報道されていた。その取り調べ状況は、「被害者」によって録音されており、それに基づいて刑事告訴されたという。従って、被害者側からその録音内容もマスコミに提出されたのであろう、報道されていた。  
確かに、警部補の発言は、暴力団のように乱暴で柄が悪い。  
しかし、乱暴で柄が悪いのを全て「脅迫」とすると、どうなるのか。刑事の発言は、全て「恐れ入りますが、拳銃を持ってきていただけませんか」と同じになる。  
私は、昨日報道された事件に関して言うのではないが、一般的に言って、報道された警部補の発言は、許容されると思う。  
「警察は人を助けるところだが、悪に対しては怖いところだ。だから、万引きなど絶対にしたらいかんよ」と、子供達に言えなければならないではないか。  
それを、「万引きしても、警察のおっちゃんは、学校よりやさしいんですよ」と教えなければならないのか。  
そうなれば、街の治安はどうなる。  
また、昨日の事件でも警部補とのやりとりは録音されていたのだが、小沢一郎さんの秘書も検事とのやりとりを録音していた。  
昨日の事件はともかく、小沢さんの秘書の場合、密かに録音して、検事を罠にはめたようだ。録音していることを検事は知らないが、秘書は知っている。こういう状況では、秘書は、検事が「脅迫」しているように誘導、挑発することもできるし、検事が「利益誘導」、「不利益誘導」しているように取り調べを仕向けることができる。  
なるほど、親分が親分なら、子分も抜け目なくフェアーじゃないなー、と思ったものだ。  
そこで、取り調べの可視化(取り調べ状況をビデオで撮影しておくこと)であるが、私の結論。これは不可である。  
この取り調べの可視化を導入するなら、国民は治安の崩壊つまり刑事司法の機能不全、巨悪の放任を許容しなければならない。つまり、この可視化は、角を矯めて牛を殺すことなのである。  
取り調べとは、取り調べる側と被疑者との一つの人間関係構築の場である。従って、真実が現れるのだ。そうではなく、映像記録の場、役者のように「収録の場」になれば真実は現れない。  
例えば、目黒における老夫婦殺傷事件においても、「動機」は何かと解明しなければならない。これは「映像収録」では解明無理だ。  
また先日、九十歳を超えた認知症の母を七十歳代の息子が殺した。この事件の「動機」を如何にして明らかにするのか。被疑者は、人間存在のあらゆる恥ずかしさ惨めさ、そして卑劣さを赤裸々にせねばならない。これをビデオの前でできますか。役者じゃあるまいし。  
これら例を挙げただけでもおわかりいただけると思うが、取り調べにおける人間関係が大切である。時間をかけて、相手によって、世間話をする身の上話を聞く馬鹿話、猥談もする、これが取り調べを成功させるか否かを決める。もちろん、怒鳴ることも必要である。しかし、ビデオで撮っておれば、これらはできない。  
従って、捜査における取り調べの重要性を考えれば考えるほど、可視化は、刑事司法を弱体化させる。  
しかるに、この可視化の問題点を一番知り尽くしていなければならない検事が、自分が被疑者になれば、一転して一番に取り調べの可視化を訴え始めた。大阪地検特捜部の逮捕された検事達である。  
やはり、人間の屑と言われても仕方がない。 
角を矯めて牛を殺す 3 
まずは読み方から。「角(つの)を矯(た)めて〜」と読みます。  
「角」は後に牛が出てくるので「つの」だろうと推測できますが、「矯」はけっこう難読かもしれません。読むだけではなく、この言葉を耳にしたとき、すぐに「矯」という字を思い浮かべるのも難しいのではないでしょうか。この字、比較的よく使う例として「矯正」というのがあります。「きょうせい」と読み、視力の矯正とか、姿勢を矯正するというように使います。  
矯正から「矯」が「直す」という意味だとわかると、この故事成語の意味がなんとなくわかってきます。「角を矯めて」は「角を直して」となります。ご存じのように牛の角は少し湾曲しています。角を直すとは、その角をまっすぐに直すということで、曲った角を直そうとしているうちに牛そのものを殺してしまった、というのが額面通りの意味、そこから、些細なものに拘って本体をダメにしてしまうという教訓になります。  
意味は以上の通りですが、出典はというと「玄中記」というという、今は完全に散逸してしまった書物です。その本自体を読むことはもうできませんが、幸運なことに宋代に編纂された《太平広記》という当時の百科事典のような書物に玄中記の内容が抄録されています。その時現存していた本の内容を書き写しておく、それも国家事業レベルでそれが行われたということは、まるで本が後々散逸してしまうことを予測しているかのようです。また、散逸とまではいかなくても、当時の本の内容と現存するその本の内容が異なっている場合もあり、研究する上で大変な重要な役割を果たすことがしばしばです。例えば明のときに編纂された永楽大典には現行本には載っていない古い時代の西遊記の話が収録されています。ただ、偉大な中国のことです。今までにも驚愕の発見が何度もありますから、そのうち「田秋王の陵から大量の竹簡が出土、幻の逸書《玄中記》か!?」ということが起こらないとも限りません。  
さて、これと似た話が、荘子内篇《応帝王篇》にあります。儵(しゅく)という南海の帝と忽(こつ)という北海の帝が、中央の帝である渾沌(こんとん)のところで出会いました。渾沌はこの二人を大変手厚くもてなしました。感激した儵と忽は渾沌の厚意に報いようと相談しました。  
「私たちの体には7つの穴があって、これで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、渾沌にはそれがない。ひとつ、穴をあけてあげたらどうだろうか。」  
そして1日に一つずつ穴をあけていったのですが、七日目になると渾沌は死んでしまいました。  
この話は寓意に満ちていいます。3人の帝の名前のうち儵と忽は、元は素早いという意味で、そこから機敏で利口という意味を持たせています。あるいはもっと深読みして、賢(さか)しらな知恵と言ってもよいと思います。渾沌は混沌とも書き、元は水が激しく流れわきたち渦巻く状態のことで、そこから一切が未分化で無秩序なことをいい、ここでは自然を象徴しています。賢しらな知恵で自然を殺してしまったという、荘子の強烈な主張がここにあるように思います。  
もう一つ、似た意味の言葉として、「助長」があります。この言葉には二つ意味があり、一つはいい意味で「人の手助けをする」ということで、こちらの使い方は時々見聞きします。もう一つが上の2例と同じ用法で、「孟子・公孫丑上」の話を出典としています。  
昔、宋の国のお百姓さんが、苗の成長の遅れを心配して、一本ずつ引っ張ってやりました。家に帰り、「今日は疲れたわい。苗を引っ張ってやったからのう」と話すのを息子が不審に思い畑へ行ってみると、苗はすっかり枯れていました。孟子は助長してはいけないとした上でこの話をしています。 
 
■針と棘

 

刺す 
チクリ
チクリと刺す狂歌  
狂歌とは五・七・五・七・七の音で構成し、社会を風刺したり皮肉ったりした短歌のこと。人生の機微に触れた文言が多く、落語の枕でもよく紹介される。私も中学生時にラジオで聞いた落語で覚え始めたものだ。  
世の中は 左様(さよう)で御座るごもっとも なにと御座るか然(しか)と存ぜず  
出世もしくは処世に役立つ呪文。サラリーマンは勿論、家庭の主婦でも、判断に困ったときこの呪文を唱えれば大抵の場合、無事に過ごすことができる。井上靖氏の随筆の中にも「ごもっとも」と「御覧のとおり」の二語のみで総てを済ませていた重役が実在している話があった。  
世の中は 金と女が敵(かたき)なり 早く敵にめぐり会いたい  
近頃の男性は「おたく」とか「引きこもり」とか女々しくてこれでは一生敵にめぐり合うことはあるまいと思われるのが多く、誠に嘆かわしい。「それにつけても金の欲しさよ」。  
世の中は月にむら雲 花に風思うに別れ思わぬに添う   
ようやくめぐり合っても好いた同士が別れ、好きでもないのに一生添い遂げてしまう。思うように行かないのが人生というもの。お釈迦様も四苦の中に「愛別離苦、怨憎会苦」を挙げておられます。  
世の中に 寝るほど楽はなかりけり 憂世の馬鹿は起きて働く  
誠にわれわれ憂世の馬鹿は、あくせくと働いております。落語の世界でも寝て暮らすことが極楽とみえましてな、ご隠居「おい、熊五郎。いい若いもんがゴロゴロと寝てばっかりいちゃあ、いけねえよ。ちった   あ働いたらどうだい。いいことあるよ、」熊五郎「働いたらどんないいことがあるんですかい?」ご隠居「そりゃ、おめえ、ゆっくり寝て暮らせるよ」熊五郎「なあんだ、今とかわらねえや。寝てよおっと。」お後がよろしいようで。  
楽しみは 弓手(ゆんで)に女、馬手(めて)に酒 背中に柱 ふところに金  
首尾よく、敵にめぐり合えた幸せな男の姿。これにひきかえ「馬手(みぎて)に血刀 弓手(ひだりて)に手綱(たづな)馬上(ばじょう)豊かな美少年」(民謡・田原坂)なんざ、気の毒を絵にかいたようなもの。  
春娘 夏は芸者で秋は後家 冬は女郎で暮れは女房  
季節によって輝きが違う女性を称えた狂歌か?「春は娘が生き生きと輝いて見え、夏は浴衣姿の芸者衆の粋なこと、秋は後家さんの黒紋付が男心をそそり、冬は女郎の暖かい肌が恋しく、暮れは借金取りを追い払う頼もしい女房」の意味だろうか。  
世の中は なんのへちまと思えども ぶらりとしては暮らされもせず   
この歌は、「世間を見下していても働かねば生きては行けないものだ」という意味である。私も会社を退職した直後は、「俺は自由だ!」と叫んだものだ。この歌のように「ぶらりとして」暮そうと思ったのである。しかし、家で何もしないで遊んでいるのも苦しいということが、一年もしないうちにわかってきた。全く、貧乏性な性格である。  
いつまでもあると思うな親と金 無いと思うな運と災難  
姓名判断にこり、他人の運勢を見て回った時があった。その時、わかったことだが悪い事はよくあたり良いことは殆どあたらない。多分、どの人にも悪い事のほうが良い事よりもより多かった、或いは忘れられないからであろう。逆にいえば占いとは「あなたはお金に縁がないでしょう」とか「最近、失恋したでしょう」とか悪い事を言っておけば良く当たるという評判を得ることが出来る。占いなんざ、夢夢信じることなかれ。  
寝て待てど暮らせどさらに何ごとも無きこそ人の果報なりけれ  
「果報は寝て待て」というのは誤りで、良い事も悪い事も何もない平々凡々たる人生が一番の幸せと言うこと。災難に会った時に初めてこの言葉の意味がわかるのだろう。「無事これ名馬」も同義。 似た言葉に「父死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」がある。年寄りから順番に死んで行くことが人の世の幸せということ。さる良家の女性が、これまでの人生が幸せ過ぎて生きているという実感が湧かないと、贅沢な悩みを訴えていた。「ほどほどの不幸」というものが売り出せたなら、苦労を知りたい金持ちが争って買いにくるかもしれない。 
 
■刀刃と槍

 

切る突き刺す 
大義名分 
真向勝負
 
■匕首(あいくち)

 

突き刺す 
義理と人情 
遣られたら遣り返す
匕首(ひしゅ/ビーショゥ)または合口 
鍔の無い短刀のこと。本来の日本語は「合口」であったが、中国の「匕首」と混同され、現在はどちらの表記でも「あいくち」で意味が通る。本来の「匕首」は、その形状・定義も合口とは厳密には異なる。  
合口の由来は、鍔が無いために、柄と鞘がぴったり納まる様子から来ている。江戸時代、原則として武士層以外の帯刀は禁じられたため、懐に隠せる合口はヤクザ者に重宝された。この場合、ドスの俗称がよく用いられる。  
中国での匕首は、古代から使用されている暗器(身につけられる小さな武器)であり、横から見たときに匙のような形の刃先を持つ短刀のことである。主要な用途は暗殺であり、特殊な刃先の形状は致死効果を高める。  
ドス  
短刀・あいくちなどの小型の刀。ドスは、人を脅すために懐に隠し持つことから、「おどす」の「お」が省略された語。ドスをチラつかせることから、すごみを利かすことを「ドスを利かす」と言う。また、脅す時の声は太く低い声であることが多いため、太くて低いすごみのある声を「ドスの利いた声」と言う。  
長ドス  
白鞘に収められた、鍔の無い日本刀の長脇差(長さ一尺八寸以上)の俗称。古くから非武士階級、特に侠客の武器として使われている。なお「ドス」とは「脅す」を略した言葉である。又は使用の際に標的を刺した時の擬音という隠語の意もある(例=チャカ)。鞘が刃の保存に適した材質であるため、武家でも日本刀をこの形で保管することがあったが、この場合長脇差ではなく打刀、脇差サイズとなり、長ドスとは別のものとなる。刃は直刀や反りを持つマテリアルが殆どであり、鞘や柄については、いわゆる武者拵えといった装飾を備えない状態を長ドスと定義する事が多い。  
匕首に鍔  
釣り合わないもの、ふさわしくないもののたとえ。  
喉元に匕首  
日米両政府は、在日米軍の日本側負担の見直しについて協議をスタート。年内が交渉期限となって来年度予算に反映されるけど、日本側が削減を求めてるのに対して、アメリカ側は増額を求めてるらしい。日本政府は普天間移設で弱腰を晒してるし、アメリカ政府はグアム移転費の予算を大幅に削られてるし。  
イラク、アフガンでの戦費膨張も、アメリカ側の台所事情。算盤だけの話じゃなくて、日本の用心棒として当然の対価という感情論も。交渉が決裂して、日本から米軍基地を全面撤退するとなれば、日本国民は不安に襲われるけど、本当に困るのはアメリカの世界戦略。植民地日本を手放さず、費用負担を最小に抑えたい。  
岡田外務大臣が決断を下すなら、これからの民主党政権での外交の正念場。国内では事業仕分けと判定され、国民の大多数も納得してない負担。沖縄県では経済の足を引っ張ると反対してるけど、削減できた額から沖縄の事業振興に回せば、長期的にはるかに大きなプラス。基地に頼って生きたいとは思ってない。  
自民党の金丸防衛庁長官が始めた悪しき慣習だけど、公式文書に表れてない裏がありそうな気もする。占領軍の費用を負担するなど、植民地の立場からは盗人に追銭。自民党も民主党も、現状維持を正しい選択としてるけど、本当にそうか。世界で唯一の被爆国が、傘の下で守られてるなんて、後世には笑い話かも。  
日本が在日米軍の費用を負担するのが、当たり前と思われないのが最初。地位協定で犯罪を見逃され、ゴルフやバーなど施設も整って、アメリカ軍にすれば日本は天国。お金の問題だけじゃなく、沖縄県を筆頭に、精神的に苦しんでる国民も多いのに、政府関係者は近視眼的になり、アメリカの要求を受け入れるのか。 
 
■錐と釘金槌

 

穴をあける 
打ち付ける 
結果実績証明
 
■鑢(やすり)と鉋(かんな)

 

平らにする 
妥協法
 
■舌と棘

 

舌で棘を刺す 
毒舌 
物は言いよう
毒舌なのに嫌われない人  
テレビで活躍しているタレントの中には「毒舌キャラ」で人気を博しているヒトって意外と多いですよね。ある種の刺激性が求められる芸能界では認められても、日常生活ではどうでしょうか?あなたの身近に毒舌キャラで人望もあついヒトっていますか?日常ではなかなか成立しないと思われている毒舌、なのに嫌われないポイントの紹介。  
単なる悪口ではない  
辞書上の意味では「毒舌=悪口」となりますが、憎まれない「毒舌」家にとってはそれら二つは微妙にニュアンスが異なります。単純に人を悪くこきおろすだけの「悪口」を言うのなら、嫌われるだけです。悪意をもった言葉でなく、真理をもった言葉を放つ。それが嫌われない「毒舌」です。  
ユーモアのある毒  
笑いがあれば全てが許されるということではありません。しかし、毒舌の中に皮肉や風刺など、ユーモラスさが含まれていれば、おのずと笑いはついてくるものです。さらに笑いがあれば、それはやはり好印象となるものなのです。  
どこか憎めない愛嬌の持ち主  
他人の粗探しマシーンみたく人間味を欠いた風情な毒舌であっては、嫌われます。毒舌家でありながら、意外と涙もろかったり、またどこか弱さをもっていたりなどすると、愛らしく映るものなのです。普段毒舌なのは、根本的に人間が大好きなことの裏返しである場合が多いものです。  
自分の立場をわきまえている  
客観的に自分を見れているということです。毒舌でありながら実のところ、「そんなことを言うあなたはどうなの?」となると毒舌は成立しません。これは、支持が得られない嫌われる政治家と同じパターンです。「エラそうなこと言っているけど、アナタどうなの?たいしたことないじゃないか」というものですね。  
根はあっさり  
悪意のみならず、恨みをも含んだ言葉で毒を吐いては、言われている当人だけでなく、それを単に聞かされているヒトも不愉快にさせてしまいます。根はサバサバ、あっさりしているからこそ、毒舌も軽やかにでてくるものです。ただただ深刻にさせる陰湿な毒舌は嫌われます。  
“痛烈”の意味を知っている  
あえて弱者側からものを見て、強者に対する毒舌をふるう。これは痛烈です。こういったコントラストを理解してそれを覆してしまうような言葉が言えることが武器になります。その痛烈さに人は心を奪われます。  
対象を的確に言い当てるセンス  
毒舌にもセンスがいる、ということです。微妙な言葉の使いまわしや、対象に対する真理を悟る能力があってこその毒舌なのです。感情にまかせるだけの暴言などにたいした毒はなく、あるのはそれを放ったヒトの感情だけです。ひとに納得されてしまうようなそんな毒を放つ舌を持っていれば、毒舌なのに嫌われることがないのです。 
 
■奥歯にものを挟む

 

奥歯に物が挾 (はさ)まったよう 自分の思うことをはっきりと言い出さない感じであるさま。相手に対して、何か心にひっかかるものが残るさま。  
奥歯に衣(きぬ)着(き)せる 物事をはっきり言わないで、思わせぶりに言う。  
奥歯に剣(つるぎ) 敵意を持ちながら、表面には表わさないこと。  
物は言いよう 
 
 
えんしゅうりつは きりがない

 

 
■無限
直感的には「限界を持たない」というだけの単純に理解できそうな概念である一方で、直感的には有限な世界しか知りえないと思われる人間にとって、無限というものが一体どういうことであるのかを厳密に理解することは非常に難しい問題を含んでいる。このことから、しばしば哲学や論理学、あるいは自然科学などの一部の分野において考察の対象として無限という概念が取り上げられ、そして深い考察が得られている。  
無限大  
記号 ∞ (アーベルなどはこれを 1/0 のように表記していた)で表す。大雑把に言えば、いかなる数よりも大きいさまを表すものであるが、より明確な意味付けは文脈により様々である。例えば、どの実数よりも大きな(実数の範疇からはずれた)ある特定の“数”と捉えられることもある(超準解析や集合の基数など)し、ある変量がどの実数よりも大きくなるということを表すのに用いられることもある(極限など)。無限大をある種の数と捉える場合でも、それに適用される計算規則の体系は1つだけではない。実数の拡張としての無限大には ∞(+∞) と −∞ がある。大小関係を定義できない複素数には無限大の概念はないが、類似の概念として無限遠点を考えることができる。また、計算機上ではたとえば∞+iのような数を扱えるものも多い。  
「円周率=3」  
3.1415926535897932384626433832795………  
円周率=3とは、2002年度実施の小学校学習指導要領の改訂にともなって、日本の算数教育の現場で巻き起こった懸念や誤解を象徴するフレーズである。  
いわゆる「ゆとり教育」の一環として掛け算や割り算や小数点の算数の学習内容が削減される一方で算数の学習の段階から計算機の使用が許可されるようになった。一方でゆとり教育においては学習内容は削減されているにもかかわらず学習分野は削減しないままであるため、生徒が小数点による乗法や除法を習っていない段階で幾何学の学習が導入されようになり、このため幾何学における円の周の長さや面積の手計算には円周率の概数として3.14ではなく3を授業で使用せざるを得ない状態に陥った。1992年度からの学習指導要領以降、文部省(後に文部科学省)は円周率を計算で使う場合の一般の概算は3.14であると教えた上で、円周率を計算に用いる場合、3.14を掛ける際には計算機を使い、手計算の際には円周率は3として概算できればよいと考えていた。  
そんな折、学習塾大手の日能研が「ウッソー!?半径×半径×3」等と書かれた広告を首都圏の通勤電車の中に大量に張り出す等して大々的なキャンペーンを行った。マスコミもこれをおおいに取り上げ、「ゆとり教育(2002年度からの学習指導要領以降)」になった結果、「円周率=3」が誤解として「円周率は3と教えることになった」(正確には「手計算においては円周率を3として教えることになった」)ということがゆとり教育を(否定的に)象徴するものとして社会に広く認識されることとなった。  
背景  
学習指導要領はあくまでも目安として始められたものであるが、ある時期から法的拘束力を持つとされるようになった。またこれに加えて「過不足なく教えなければいけない」という、いわゆる「歯止め規定」も存在した。ところがこの規定を厳密に取ると、円の円周や面積の求め方についての導入学習(ある単元の最初期に手始めとして行う学習)において、およその数としての円周や円の面積を求めるのに「円周率を(暫定的に)3で計算」するという教え方をした場合に学習指導要領を逸脱しているとされるおそれがあった。このため1989年の学習指導要領の改訂時(小学校では1992年度実施)に「目的に応じて3を用いて処理」という記述が加えられ、1998年の改訂時(小学校では2002年度実施)にもこの記述は引き継がれた。  
なお、2002年度実施の指導要領における円周率の扱いは、前述のように3.14を用いることになっている。実際、2002年度から使用されている小学校5年生の算数の教科書には、「円周率は3.14」と明記されている。ただし、円に関する単元では、教科書の中では「計算機を使用する」こととされているので、本来小数点以下2桁の演算の負担を考慮して用いられることもあった、暫定的に円周率を3とする教え方は不要となった。  
文言の消滅  
2003年12月に学習指導要領の一部改正が行われて「過不足なく教えなければいけない」という歯止め規定が撤廃され、必要に応じて指導要領に書かれている内容以上の内容(=発展的記述)を教えても良いという最低基準に変更されたため、手計算において3.14と教えることも可能となったが、これによって「目的に応じて3を用いて処理」という指導がなくなったわけではない。実際に、小数点を含む計算の習得がなされていない場合は、3.14による手計算はしようにもできない。  
その後に2008年2月15日に、文部科学省は教育基本法全面改正後初となる新学習指導要領(小学校は2011年度施行)を公表した。学習内容が増加した結果、円周率を使う段階までに小数点の計算の学習が行われる内容になっており、円周率に関する項については「円周率は3.14とする」とだけ記述しており、「目的に応じて3を用いる」という記述が削除された。2008年の新学習指導要領が「脱ゆとり教育」と認識されたため、「目的に応じて3」の記述の削除はそれを表す象徴的なものとしてとらえられている。 
 
■劫初已来

 

与謝野晶子 「劫初よりつくりいとなむ殿堂にわれも黄金の釘一つ打つ」  
劫初とは「観無量寿経」に「劫初已来」とあり、永遠の昔に世界が成立した当初のことである。無始已来、絶え間なく続けられてきた人類の営為である文化・芸術の偉大な殿堂に私も黄金の釘を一本打つように新しい活動をしたいという意気込みを示す歌である。  
私たちは「劫初已来」「未来永劫」などと聞けば気後れする。このような心持ちのことを「億劫」という。長い時間の努力を億劫がり、煩悩のままに生きる凡夫の救いは、常に如来の大悲に照らされていると気づかされ、感謝の生活を送ること以外にない。  
 
■億劫

 

「劫」(こう)  
仏語。きわめて長い時間。一般に、天人が方四十里の大石を薄衣で百年に一度払い、石を摩滅しても終わらない長い時間といい、また、方四十里の城に芥子(けし)を満たして、百年に一度、一粒ずつとり去り芥子はなくなっても終らない長い時間という。 
日常的に使われる億劫や永劫などの言葉は、この「劫」に由来する。億劫は本来「おくこう」と読むが、「おっこう」を経て「おっくう」に転訛したものである。これは百千万億劫の略語で、数式にすると100×1千×1万×1億となる。そのため、きわめて長く、ほぼ無限の時間を表すことから、一般的にわずらわしくて気が進まない様子を指して言うようになった。囲碁で無限に繰り返すパターンのうち最も簡単なものを劫と呼ぶ。
「寿限無 寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝るところに住むところ やぶら小路のぶら小路 パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助」 
 
■欲張り

 

人の性(さが)
愚痴はやめましょう。エネルギーのムダです。  
時間をもっと建設的に使いませんか。世界のどこが間違っているかではなく、どこが素晴らしいかに焦点を合わせるのです。この瞬間には、昨日も楽しめないし、明日も楽しめません。だったら、今日を楽しもうではありませんか。古い思い出を大切にしましょう。でも、明日の糧となるような、今日の思い出を作ることも忘れずに。できるだけたくさん新しいことをやってみましょう。南カリフォルニア大学の研究者たちは、定期的に新しいことに手を出す人は、毎日同じことを繰り返す人よりも幸福度が高く「人生うまくいってる感」が強いことを明らかにしています。健康の専門家によれば、深呼吸ほど健康によいものはないそうです。朝、ちょっと手を休めて外に出て、5回ほど深呼吸をしてみませんか?目標が達成されるかどうかにこだわり過ぎたり、自分を仕事のみで評価したり、数量的な達成感で判断したりするのは、やめたほうが利口です。一日の終わりには、どのくらい自分がリラックスできて、笑えて、遊べたかで、その日を評価しましょう。  
欲張りすぎにご注意。  
昇進、モノの所有、お金、人気。欲張りすぎると執着となります。欲張りのしっぺ返しのひとつは、貴重な時間がなくなることです。幸せをもたらすのは、富でも輝きでもなく、心の安らぎと打ち込める仕事の存在だ。職業選択の際、世間の声に耳を貸してはいけない。自分の内なる声に耳を澄まそう。ここでの決断が、人生の満足度の三分の一を左右する。自分にとって真に意味のある仕事をしないかぎり、人は本当に生きたとは言えない。高額な給与が、かすんで見えるほど大きな目的を持つことが重要なのだ。大切な夢を見過ごしにするのは、今という時間を無駄にするだけではなく人生の最後の瞬間に失望と後悔を抱くことにつながりかねない。  
成功とは、どれだけ名声や富を得るかではありません。  
成功は、どれだけ平安や満足、健康や愛を、この地上で体験できるかで決まります。ムキになって競争しないように。人生を充実して生きている人は、人生を他の人たちとの競争だとは考えません。同じことを何度もやりながら、違う結果を期待するのは、狂気の定義です。やり方を変えましょう。社会の大勢に従わなければならないと、誰が言ったのですか?一日の終わりに、自分に尋ねてみましょう。「今日は、自分の人生をより完璧にするために何をしただろうか?」人生と呼ばれている、謎だらけで予測不可能のシロモノを楽しむ時間を創り出すには人生の秘密を探究する時間を最小限にすることです。人生をめいいっぱい楽しむのに、それをめいいっぱい理解している必要はありません。  
夕陽を楽しむヒマがないと思っているなら、ちょっと考え直す必要があります。  
手を休めて夕陽を楽しむのが、もっとも必要な時とは、そんな時間がない時です。幸せになるのを、先延ばしにするのは賢いことではありません。ようく考えてごらんなさい。偉大な創造主は、あなたに今日、8万6400秒をくださっています。今まで、そのどれだけを人生を楽しむために使いましたか?物質的・身体的安楽を必要としなければしないほど、自由になれる。仕事とか家とか、車とか、エゴとか、自分が執着しているものによって、牢屋に閉じ込められるのです。そういうものを手放せば、牢屋から出られます。何事も正しく使われてはじめて真価を発揮する。この事実は人間にも物にもあてはまる。だからこそ、自分の性格や価値観に合った仕事を選ぶべきだ。そうでないと、毎日8時間分の幸せをどぶに捨てることになる。何かの道を極めたければ、よそ見してはならない。偉大な業績を成し遂げるための、もっとも重要な法則だ。だがあまりに単純すぎて、誰でもつい忘れてしまう。  
自分にも他人にも、いいとか悪いとかの、モノサシを当てないことです。  
全てをあるがままに眺めて1日を過ごしてみませんか?性急な決断は、トラブルのもと。重要な決断は、できるだけゆっくりしましょう。時間をかければかけるほど、お金は浮くし、もっと効果的な解決法が見つかります。何か買おうと思ったら、まず考えましょう。それを買うのには何時間働かなければならないか。さて、その価値がありますか?1日8時間以上働くのは、人間にとって自然なことではないと肝に銘じておきましょう。週に40時間働くようになったのは、産業革命以降のことです。原始社会では(こちらの方が進歩した社会だと思いますが)1日に3〜4時間しか働いていませんでしたよ。どんなにイライラしても、絶対にかんしゃくは起こさないこと。誰かが自分を怒らせたと思ったら、相手にコントロールされていることになりますから。  
頑張れば将来が楽になる。でも、サボれば今が楽になる。  
人生はポーカーのようなものだ。エースを三枚持っていても、賢く使わなければ勝てない。人生はすべて自分の思いどおりになる。と想像してみよう。問題は、なぜ想像の世界にとどめておくのかという点だ。一般に人間の集中力は、30秒しか持続しない。1日中、世界と人々にニッコリして過ごしてみましょう。しかめっ面を作るには72の筋肉が必要ですが、笑う場合には14で済むそうですよ。大切なのは、自分が何をすべきか慎重に選ぶことだ。選択が誤っていれば、たとえどれほどの成果をあげようと、成功と幸せは手に入らない。臨終の際に多くの人が悔やむのは、自分がしてきたことではなく、してこなかったことだ。そのひとりになりたいのなら、自分の歌を唄うのをやめて世間の合唱に加わるといい。多くの人は自分にしかない発想力や脳の奥に眠っている智恵を活用せずに、他人のまねをしているに過ぎない。成功とは、人生におけるあらゆる幸せの瞬間から成りたっている。月並みな成功だけを目指していると、不満や失望の毎日から永遠に抜け出せない。  
月並みな成功を収めれば幸せになれると思い込むのは容易だ。  
だが、それは幻想にすぎない。大邸宅、海辺の別荘、二、三台の高級車、とびきり魅力的な伴侶、職場での高い地位といった月並みな成功は、大抵の場合、人生を複雑にするだけだ。幸せな人生より月並みな成功を手に入れるほうがたやすい。世間には神経を病んだ成功者が数えきれないほど存在する。そのなかに幸せな人間はひとりもいない。金が悪だと思う人は、あなたが悪に変えたのだ。金が問題だと思う人は、あなたが問題に変えたのだ。金が喜びだと思う人は、あなたが喜びに変えたのだ。自分の見方に責任を持たなくてはいけない。そして、すべては考え方しだいであって、それ以上でも以下でもないことを肝に命じるべきだ。たったひとつの思いつきがあなたの人生を劇的に変える。そのひとつを探すことだ。  
金儲けを人生の目的にしてはならない。  
有意義な人生を送ることを究極の目的にすべきだ。働くのは人の常。遊び暮らすのは神の業。過去の栄光に浸るのもいいし、希望に満ちた明日を語るのもいいが、今日を生きていることを忘れてはならない。控えめに生きよう。控えめに笑おう。控えめに愛そう。そうすれば、幸せが両手を広げてやってくる。少なくとも週に5日はゆっくりと朝食を楽しめなければ、成功者とは言えない。  
自分は「健全な欲張り」だと思います。  
しかし、その姿勢が人間の能力を最も伸ばす資質だと信じています。  
欲張りすぎると損をする ほどほどが良い  
あれがほしい!これがほしい!欲張りなことばかり思ってませんか?そこまで欲張るとみっともないですよ!みんなに分けあえば、みんなもあなたも幸せになれます。何事もほどほどにしてくださいね!  
欲張りは良いことだ   
人間には様々な欲望がありますよね。小さな欲望が満たされるともう少し大きな欲望が出てきて、恐らくとどまる所を知らないほど欲望が出てくるはずです。人間の欲望は健全なものだから欲張りはいけないことではありません。欲望は絶対にあきらめちゃダメ。もちろん邪悪な欲望、反社会的な欲望や公序良俗に反するような欲望はダメですよ。豊かな心から自然に湧き出る欲望や正しい考え方から導かれた欲望は”絶対にあきらめちゃダメ”と言っています。物事は成功するまで継続すれば失敗はないといわれますが、欲望を手に入れることも継続していれば必ず手に入れることができるのではないでしょうか。ただし、豊かな心と正しい考え方からできるだけ具体的な行動計画を立てて、バリバリと実行する必要はありそうですね。  
何かを犠牲にして別のものを手に入れようとしてはいけません。  
人生の良きものはすべて手に入れるか否かどっちかなのです。もっと欲ばりになりなさい。  
最初のボタンをかけ違えると、残りのすべてもそうなってしまう。  
私は、女優さんの夫にはなれない、と思う。って、もう結婚しているわけだが…この話をすると、器の小さい人間だな、と思われるかもしれないけど、やっぱり、仕事でも趣味でも、自分の奥さんが、異性とすごく密接になる状況ができてしまうものは、受け付けられない。ガマンは出来ないです、正直に。多分、こういうことなんでしょう。いつまでも魅力的であって欲しいとは思っても、その魅力は、自分のためだけに、という欲張り…?だから、そういう思考に合わせてくれる人と結婚したつもり。結婚前には、それなりに悩んだ時期もあったように思います。しかし、それがなかったら、私の場合は、結婚のボタンをかけ違えることになっていたことでしょう。将来、ガマンできないだろうことを分かっていて、スタートするというのは、明らかに、ボタンのかけ違い。もちろん、そのガマンできないことは、人それぞれでしょう。ある友人(女性)が、自分の結婚式の進んでいる最中に、「この人と、本当に結婚していいのか?」と何度も自問しながら、その場にいたらしい。「結局、その答えは出せなかったけど、今は、子供も生まれて幸せだと思う。」と、多くの知人に話しながら、旦那を尻にしいているようだから、満足っぽい。かけ違えていないか、考えただけでも、いいんじゃないかと思う。ただ、心の中に、「かけ違えているぞ。」と答えが強く返ってきているのに、それを無視したら、いけないと思う。今かけ直すことは、最後までかけ違いを疑いながら、かけ終わって、やり直すよりも、気が楽なのです。結果的には…何か、かけ違い、ありませんか?  
不満は進歩の第一歩  
不満を感じた時には、何かを変えたほうがいいのかもしれません。不満の対象を変える/現状に不満があるのなら、現状を変える/人に不満があるのなら、人を変える/自分に不満があるのなら、自分を変える。不満を感じる自分の心を変える/求めすぎ、完璧主義なのかもしれない/足るを知らない、欲張りなのかもしれない/我慢が足りないのかもしれない/現実を受け入れることができていないのかもしれない。不満の対象を変えることが困難な場合には、自分の心を変えたほうがいいのではないでしょうか。そのためには、「不満は進歩の第一歩」と考え、自分を変えるきっかけにできればいいのでしょう。不満を減らしていくことが、自分の進歩につながり、自分の幸せにもつながるのではないでしょうか。  
怠け心につける薬は欲張り心  
自分の心に聞いて『正しい』と思うことをやることだ。なぜなら、いずれにせよ批難を受けることになるのだから。たとえ何をしようと、また何もしなくても、文句を言われる。  
 
■権力がほしい名声がほしい

 

人の性
 
■金がほしい

 

人の性
 
■女がほしい

 

男の性
 
■右肩上がり

 

馬鹿の夢 
バブル
 
■ブルー

 

青のイメージ 
沈静・冷淡・沈着・平静・疎遠・消極・真実 
無限・遠方・夢 [宇宙・空・大気・ロマン主義・感傷・逃避・ブルース・夜・闇・退社時間・バー・アルコール] 
 
■宇宙の地平線

 

宇宙の地平面とは観測可能なもっとも遠い宇宙の空間あるいは宇宙の時空であり、観測上の「宇宙の果て」である。一般的に宇宙は膨張していると考えられており、距離が離れているほど地球からの後退速度(宇宙論的固有距離の変化量を宇宙時間で微分した値)が速く、ある距離(ハッブル距離)以上は光速以上の速さで離れる。地球に向かう光が常に光速以上で遠ざかる空間にとどまるという条件下では、その光は地球には永遠に届かない。このとき光が届く限界の時空面を宇宙の事象的地平面という。事象的地平面は我々が観測できる個々の天体がどの時代の姿まで観測できるかを示している。  
現在観測される天体のなかには、光速を超えて地球から遠ざかっているものも存在する。このような天体が観測できるのは、天体から放たれた光が光速以上で遠ざかる空間から抜け出て次第に地球からの後退速度が緩やかな空間に入るからであり、「地球から光速で遠ざかる空間=宇宙の地平面」ではない。赤方偏移Zの値が1.7程度の天体は、今地球で観測される光を放ったときちょうど光速で遠ざかっていたので、これよりも赤方偏移の大きな天体は超光速で地球から遠ざかっていたことになる。そのような天体はすでに1000個程度観測されている。  
また、現在地球から観測できる最も古い光が放たれた場所の、現在の位置を光子の粒子的地平面という。現在の光子の粒子的地平面は地球を中心とする半径465億光年の球の表面となり、この球面の半径は光速の約3.5倍の速さで大きくなり、我々が今観測している光を放ったとき(宇宙の晴れ上がり)には光速の約60倍もの速度で遠ざかっていた。光子以外の粒子による粒子的地平面は光子のそれよりも遠く伸びる場合がある。たとえばニュートリノによる粒子的地平面は光子の粒子的地平面よりも大きいと考えられる。なぜなら光は直進できるようになるまで「宇宙の晴れ上がり」を待たねばならなかったが、ニュートリノはそれ以前に直進していると考えられるからだ。  
また、私たちの属する宇宙は光子を含む電磁波の観測によって関与できる空間の限界を示す光子の粒子的地平面を超えて、はるかに広大に広がっていると考えられている。   
 
 
かびたまんじゅう もったいない

 

 
■ゴミ屋敷
雑学の世界・補考 
知識情報のゴミ屋敷  
大人老人の玩具箱  知識曼荼羅  知の池地獄 
 
■ゆとり教育

 

失われた30年 
熱い鉄に水をかけ続ける 
昼寝楽しんだ文科省日教組
教育基本法
1.「ないないづくしの教育基本法」  
青少年犯罪や、学級崩壊、学力低下などの問題から、現在の教育がうまく行っていない、と多くの国民が感じている。安倍政権(第一次)も教育基本法改正を最優先する方針を打ち出した。 しかし、教育基本法のどこがどう問題なのか、考えたことのある国民は少ないだろう。先の通常国会で、政府は「国と郷土を愛する態度」を謳う教育基本法改正案を提出し、民主党は「日本を愛する心」を盛り込んだ対案を提出した。愛国心をどう涵養するか、という点に議論が集中しがちだが、現行教育基本法の大きな欠陥は、これだけではない。家庭教育、幼児教育、地域教育、文化伝統教育、環境教育などの視点も欠けている。まさに「ないないづくしの教育基本法」なのだ。今回は衆参両院の過半数を超える378人の国会議員が参加している「教育基本法改正促進委員会」が発表した独自の「新教育基本法案」(以下「新法案」と呼ぶ)をベースに、現行基本法の問題を考えてみたい。  
2.家庭科教科書で離婚の勧め?!  
家庭教育について、現在の教育基本法は以下のように述べるだけである。  
第7条(社会教育) 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。  
これでは、どのような家庭教育を目指すのかが不明である。ある高校用家庭科教科書には、  
A子さんとB男さんは結婚して二十年ですが、八年前から別居中です。きっかけはA子さんに別の好きな人ができたから。この二人は離婚できるでしょうか。  
などと、まるで離婚の勧めが書かれている。この二人に子供がいたら、さぞ悲しい思いをするだろう、などという想像は「想定外」なのである。生徒がこの教科書から、夫婦とはこういうものだと思いこんでしまえば、子供なぞ生まない方が良いと考えてしまうだろう。少子化になるのも、当然である。  
また、こんな風に家庭を描く教科書もある。  
祖母は孫を家族と考えていても、孫は祖母を家族と考えない場合もあるだろう。・・・犬や猫のペットを大切な家族の一員と考える人もいる。  
お祖母さんよりも犬猫を家族と考えても構わない、と教えているかのようである。祖父母がいてくれたからこそ、父母がおり、自分たち子供がいる、というのが家族の基本である、という常識がそもそも欠如しているのである。  
3.子育ては「至福の時の積み重ね」  
このような風潮を糺すべく、新法案では第五条に「家庭教育」という項目を新設し、こう規定している。  
教育の原点は家庭にあり、親は人生最初の教師であることを自覚し、自らが保護する子供を教育する第一義的責任を有する。  
「親は人生最初の教師である」という事は、責任だけではなく、実は親自身の喜びであり、また成長の機会でもあると、西川京子・衆議院議員は自らの母親体験から語る。  
一方で、自由を謳歌している独身女性にとっては、子育てというのは、自分の時間を奪われる上、最近は子供を取り巻く嫌なニュースも多いですから、どうしてもマイナス・イメージを持ちがちです。確かに辛いこともありますが、子育てというのは、経験された方には判ってもらえると思いますが、すぐには目に見えない宝物が詰まった、実は至福の時の積み重ねなんですよ。・・・それに子育てをする中で何物にも替えがたい宝物や充実感を得られ、仕事に戻った時も恐らく仕事の幅が広がるし、人間的にもこんなに成長できるよ。----こうしたメッセージも、「家庭教育」を支援することを通じて積極的に発信していきたいですね。  
4.「わぁ素敵! 私も結婚しよう! 子供を生もう!」  
これに応えて、同じくママさん議員の後藤博子・参議院はこう語る。  
先日、地元大分の大学で講演させてもらったんです。いまどきの学生さんたちは、出産は苦しくて痛いと思っているんですね。確かに苦痛なんですが、生まれた瞬間に、本当に今まで感じたことのない喜びを感じて、旦那さんと目と目を見合わせて「お互いに親になったね」と感動したのよと話したら、学生たちが、「わぁ素敵! 私も結婚しよう! 子供を生もう!」という空気になってしまったんですよ。ですから、お母さんもおばあちゃんも、もっと出産のときの喜び・感動を、子供や孫に話したらいいと思いますね。  
5.「幼児教育は家庭が主」  
「家庭」という視点の欠如した現行の教育基本法は、当然ながら幼児教育についても、何も語らない。新法案では幼児教育について、以下のように詳細に規定している。  
第6条(幼児教育) 1 幼児教育が生涯にわたる人間形成の基礎となる重要性にかんがみ、国及び地方公共団体は、その振興に努めるものとする。・・・3 幼児教育は、家庭との緊密な連携を図り、これを助け、かつ補完するものでなければならない。  
この第3項で、幼児教育は家庭が主で、国や地方公共団体はそれを支援・補完するという位置づけがなされている。西川京子・衆議院議員は、その背景をこう説明している。  
ヨーロッパでは乳児教育はしていません。少なくとも最低生まれてから一年間は母親が面倒を見るという基本路線は守っていますよ。日本だけですよ、生まれて2、3ヶ月の赤ちゃんをお母さんから引き離すようなことをする国は。子供は生まれてから6ヶ月が勝負なんです。同じ顔が自分の目の前に毎日現れて、笑顔でおっぱいをくれる、それを6ヶ月間続けることによって自分と他者との信頼感が育つわけですね。・・・ですから、・・・「乳児は預かりません。その代わり、育児休業制度を整備し、経済的な手当ても含めて、みんなが安心して育児休業がとれて、さらに職場にきちんと復帰できるシステムを作ります」という姿勢を、国として打ち出そうということにしたのです。  
従来の厚生労働省の方針は、乳児にも24時間保育を行なおう、というものだったが、これは働き方に子育てを合わせる、という考え方であった。今回の新法案では、これを転換して、小さな子供をもっている父親・母親は、まず子育てを家庭で最優先して貰い、それが出来るよう、社会制度の方を改革していこう、という方針を採用したのである。  
6.「子供たちには地域の秋祭りにぜひ参加させてあげたい」  
教育の場として、家庭とともに地域がある。地域教育にいたっては、現在の教育基本法はその言葉すら出てこないが、新法案では次のように明記している。  
第8条(学校・家庭・地域の連携と協力) 国及び地方公共団体は学校、家庭及び地域社会が相互に緊密な連携と協力を図り、教育の目的達成と教育環境の整備を図るよう努めるものとする。  
高市早苗・衆議院議員は、地域社会とのつながりを実感させる機会として、地域のお祭りを勧める。  
子供たちには、地域の秋祭りにぜひ参加させてあげたい。農産物の実りに感謝する伝統文化そのものですし、同時に秋祭りは地元の人々が懸命に作り上げるものですから、地域とのつながりを実感させる絶好の機会にもなる。ところが、神社からお神輿(みこし)がでることもあって秋祭りに参加させることが教育基本法第九条(*)に抵触するといわれる。しかし、地域の人々が懸命に準備した秋祭りに参加して地域の伝統を肌で知るチャンスを奪うことが果たして子供たちのためになるのでしょうか。 * 第9条2項/国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教教育その他の宗教的活動をしてはならない。  
お祭りそのものが子供たちには楽しいイベントだが、そのために地元の人たちが無償で働く姿そのものが貴重な教材であると言えよう。自分たちは地域に守られ、支えられていると気がつくことから、自分も地域のために何か貢献したい、という感謝報恩の心につながる。そういう心をもった人間を育てたいものである。  
7.「自分たちのふるさとは自分たちで守るんだ」  
「地域のための貢献をしよう」という心を育てるために、古川禎久・衆議院議員は、次のようなアイデアを語る。  
地域との係わり合いや国家・社会への貢献という面では、「公民教育」の分野で、消防団に光を当てたいと思います。消防団の皆さんは別に公務員ではなくて、純粋にボランティアですよね。それぞれ仕事を持ちながら地元を守るために日々訓練し、消火活動に従事している。「一旦緩急あれば義勇公に奉じ(JOG注:教育勅語中の一節。非常の際には、正義と勇気を持って公のために尽くし)」ではないですが、火事が起これば、自分の仕事を放り投げてでも消火活動を行う。「自分たちのふるさとは自分たちで守るんだ」という気概に満ちた消防団こそ、「国民が社会における自己の責任を自覚し、国家社会の発展に積極的役割を担う」という精神を体現していると思いますね。  
子供たちが消防団に体験入隊したり、その活動を手伝うことで、地域のために役立つ喜びを感じる機会を持てるだろう。それは健全な大人になるための不可欠のプロセスである。  
8.「自然との共生や一体感をはぐくむ教育」  
地域とは、人々の共同体であるとともに、それを支える自然環境も含む。現在の教育基本法は自然や環境への言及はまったくないが、新法案では環境教育についても一項を立てている。  
第17条(環境教育) 地球環境を保全するため、あらゆる段階において、自然を尊び、自然との共生や一体感をはぐくむ教育を重視するものとする。  
この項目の趣旨について、古川禎久・衆議院議員はこう解説する。  
日本の神話、特に天照大神の「天壌無窮の神勅」には、「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国」という形で、わが日本は稲穂の国だと表現されていんですね。ですから、天皇陛下は春になると、皇居にある田んぼで自ら苗を植えられ、秋には収穫され、その稲穂を宮中三殿と伊勢神宮に捧げられている。また、「日本書紀」でも、スサノヲノミコトが日本にはこんなに素晴らしい樹木という宝物があるではないかとおっしゃって、スサノヲは樹木神ということになっている。ですから、日本には、美しい緑の国土があり、稲作を中心とした村落共同体がしっかりとあって、そこから我が国の歴史・伝統・文化も生まれてきた。それが自然との共生であったり、豊かな恵みに感謝する心であったり、和を尊ぶ人間関係、わび・さび・もののあわれという美意識であったわけです。その意味で、「環境教育」を通じて、日本の伝統的価値観の素晴らしさに気付かせると共に、日本が稲作共同体であったという歴史をきちんと受け継がせたいと考えたのです。  
地域教育は、地域の自然への愛情につながり、そしてその自然を守り、また自然に守られてきた先祖の歴史・文化・伝統にもつながっていく。子供たちにはそうした広やかな世界にぜひ目を開いて貰いたいものである。  
9.「人間は生まれながらにして尊厳がある」のか?  
現行の教育基本法は「われら、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」と謳うように、そこに描かれた人間像は、虚空を飛び交う原子のように、共同体から切り離された「個人」でしかない。家族、地域、国家という根っこを持たなければ、それこそ、好き勝手に離婚し、祖母よりも犬猫を大事にするような人間しか育たないのではないか。  
伝統や慣習、道徳律というものをしっかり身につけ、共同体の一員としていかに価値ある生き方をするのかを懸命に求めようとするところに「人間としての尊厳」があるのであって、そうした努力をしない人に対しても無条件に「尊厳」を認めてしまうという考え方は、少なくとも教育の場にはなじまないのではないでしょうか。・・・何故なら、「人間は生まれながらにして尊厳がある」という言い方をしていると、結局は子供たちに「先人が築いてきた伝統や文化、そして道徳や生活習慣などを身につけなくともいい」という誤ったメッセージを送ってしまうことになるからです。  
「個人の尊厳」とは、家庭、地域、国家、国際社会という共同体の中で、各個人がその個性と能力を磨いて貢献をなす過程で、もたらされるものである。こういう基本的な人間観が欠落しているのが、現行の教育基本法の本質的な欠陥であり、現代日本の多くの教育問題もここから起こっている、と考えられる。 
でもしか先生
かつて学校の教師が不足していた終戦後から高度経済成長の時期(おおむね1950年代前期から1970年代後期)に教師の採用枠が急増し、教師の志願者のほとんどが容易に就職できた時代に、「他にやりたい仕事がないから先生でもやろう」とか「特別な技能がないから先生にしかなれない」などといった消極的な動機から教師の職に就いた、無気力・不真面目な態度の教師に対する蔑称である。文部科学省中央教育審議会の会議等においても用いられている。 もともとは、1950年代から1960年代にかけて、本来の職務である学校の授業を二の次にして勤評闘争や安保闘争などの組合活動に頻繁に参加していた教師を「デモしかしない先生」として皮肉った「デモしか先生」が本来の用法であり、時代の変化と共に言葉の意味が変化した。いずれにせよ、不真面目な態度の教師に対する皮肉・蔑称であることには変わりない。 高度経済成長時代の終焉後(特に1990年代以降)は、日本国内の経済の低迷化や少子化に伴って学校の教師の採用枠は激減し、教師の採用試験は極めて競争率の高い狭き門となっているため、学校教育に対してよほど強い熱意を示すことのできる能力の高い者でなければ教師の採用試験に合格することはほぼ不可能になり、現在では「でもしか先生」という言葉が日常使われることはほとんどなくなっている。
 
■草食系男子

 

覇気なし甲斐性なし  
据え膳の食い方も知らない
草食系  
人間のタイプを表す造語。一般的な草食動物としてイメージされている事柄が性格や行動様式に当てはまっていると思われている人々を指して用いられる。対義語は肉食系。  
マスメディア上で「草食系」に関わる用語が使用された最初の例は、2006年10月に、コラムニスト・編集者の深澤真紀が『日経ビジネス』のオンライン版で連載している「U35男子マーケティング図鑑の中で「草食男子」と命名されたものである。それからおよそ2年後の2008年に女性ファッション雑誌『non-no』(2008年4月5日発売号)において、深澤の監修の下「草食男子」特集が掲載され大きな反響を得る。  
その後も、2008年7月16日に大阪府立大学教授の森岡正博が『草食系男子の恋愛学』を刊行、2008年11月21日にもマーケティングライターの牛窪恵が『草食系男子「お嬢マン」が日本を変える』を刊行、いずれもベストセラーとなる。Google Trends によると、2009年2月15日〜2月21日の週に検索回数が突然大きく増え、かつ、このときが検索回数のピークであり、2009年2月17日には読売新聞が『安定志向の「草食系男子」』として取り上げている。2009年に入ると、読売・朝日・毎日・産経などの全国紙でも文化面や家庭面で特集記事を掲載したり、さらに草食系(主に男性)をクローズアップしたテレビドラマや映画も制作されるようになるなど認知度が深まり、2009年末には、その年に注目を集めた事象や用語に対して贈られる新語・流行語大賞のトップテンを獲得した。 また日本国外でも、アメリカやイギリスなどの英語圏では「Japan's herbivore men」との名称で、中国などの中華圏でも「食草男」として報じられているが、そのいずれもが男性を指したものである。  
もともと性欲の強い性格を肉食動物(狼、女豹など)に例える文化的背景があり、そこから派生した表現であるが、実際の野性動物においては捕食対象である草食動物の方が個体数が多く多産である必要があるため、一般的に肉食動物に比較して生殖行動は活発である。そのためイメージのみが継承されて生物学的な草食動物の特性とは乖離してしまっている。  
草食系男子(草食男子)  
草食系男子の定義は論者によって異なる。深澤は、「草食男子」を、『恋愛に「縁がない」わけではないのに「積極的」ではない、「肉」欲に淡々とした「草食男子」』と定義した。森岡は「草食系男子」を、「新世代の優しい男性のことで、異性をがつがつと求める肉食系ではない。異性と肩を並べて優しく草を食べることを願う草食系の男性のこと」と定義した。牛窪の定義は深澤の『平成男子図鑑』の論旨とほぼ同様。森岡は、その後、「草食系男子とは、心が優しく、男らしさに縛られておらず、恋愛にガツガツせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な男子のこと」と再定義した。  
パートナーエージェントが30代未婚男女400人を対象におこなった調査によると、「どちらかといえば草食男子」(61%) 、「完全に草食男子」(13%) と、「自分は草食男子」と思う男性は75%にのぼった。  
マスメディアの取り上げ方としては、読売新聞の2008年8月19日付記事では、「男女関係の新たな時代を感じさせる」とやや肯定的な論調で報じられていた一方、元気のない若者の代名詞として男女を問わず「草食系」が用いられており(恋愛に消極的な若者という意味だけでなく、「ゆとり」のようにいわゆる「温室育ちの若者を表現する言い回しとして用いられることも多い)、2010年5月6日にNHKで放送された『日本の、これから』では、「若者の草食化」と題して中国・韓国の若者に比して元気が無い(と言われる)日本の若者を俎上に挙げた。また、アメリカのコリン・パウエル元国務長官は、「弱くてもささやかな幸せで満足する、つまり低いレベルの成功で満足することを望んではならない」、「だらだらしないで、たんぱく質をとり、もっと強くなりなさい」、「若者を草食系にさせておく余裕は日本にはないはず。日本の若者には強くなってもらわないといけない。筋肉をきたえてもらわないといけない。たんぱく質をとり、訓練して力をつけてほしい。」などと述べ、日本の若者の弱さや草食化傾向を批判する発言を行っている。  
その一方、そもそも「(元気のある女性に対し)元気のない男性」というような草食系(男子)という定義自体に否定的・懐疑的なテレビ番組や記事(例:『週刊ダイヤモンド』2009年12月26日・2010年1月2日号)もあり、様々な議論が存在する。  
なお、命名者である深澤は、「草食系」は自分の意図とはまったく反対の意味で流通するようになってしまったとしている。その理由を、女性誌が「モテない理由は草食男子です」と取り上げたこと、マスコミや広告代理店が車が売れない理由を「草食男子が物を買わないせいだ」と取り上げた2つを上げ、結果として「今ではネガティブな意味で使われてしまっている」「体の良い男性叩きの言葉を与えてしまい、申し訳なく思っている」と語っている。  
医学的研究 / 草食系男子の男性ホルモン値について、池岡らは草食系とされる平均年齢30.9歳の男性21人のホルモン値を測定し、加齢男性性腺機能低下(LOH)症候群診断基準の遊離テストステロン境界値以下を示す例を10名(47.6%)に認め、DHEA-sやIGF-1など加齢により減少するホルモンも正常値範囲内であるが低分泌傾向であったと報告している。  
ロールキャベツ系男子  
外見は草食系男子のように見えるが、実は肉食系男子である羊の皮をかぶった狼のような人たちのこと。巷では人気のある男子である。反対語として、アスパラベーコン巻系男子という言葉もある。  
草食系女子(草食女子)  
草食系男子という造語に対応して、女性に対しても草食系という語が用いられている。「恋愛に苦手意識を持つ女性」「恋愛において受け身な女性」「男性の積極的なアプローチを苦手とする女性」を指すが、「草食系男子」や「肉食系女子」といった言葉に比べると話題になることは少ない。  
Z世代(ジェネレーションZ)と呼ばれる、1985年から1991年に生まれた人たちを対象としたインターネット調査によると、女性では37.5%が草食系であると回答している。(男性は45.4%が草食系であると回答) 
草食系男子  
最新の国の調査では独身未婚で恋人がいない男女が急増しているというデータが出ている。その理由のひとつに草食系男子の増加が挙げられそうです。女の子にモテることに固執しない、口説かない、告白しない、アプローチしない、手を出さないなど恋愛に対して淡白であり受け身で慎重な性格、肉食系男子のようにガツガツ迫ってアタックしたりしないという。 女性に興味が無いというわけではなく結婚願望もそれなりにあるのに、どんどん前に出てアピールしようとはしない。草食系男子は様々な理由からこのような特性として落ち着いている。  
また、最近では恋愛を諦めていたり異性に興味がまったくない絶食系男子なるものも出現しているという噂もある。もしこのような恋に消極的で奥手なタイプの男性を好きになってしまったら女性から声をかけたりデートに誘ったりするなどの行動、アクションが必要になってくるでしょう。婚活の実態としては草食系男子はイマイチ人気が無いというアンケート結果も出ているが、体感として、隠れファンは非常に多いような気がします。  
草食系男子の特徴、共通点  
平和主義者、真面目で優しい  
草食系男子は基本的におっとりしていて根が優しい、メガネが似合っていて、知的でインテリっぽいなどの特徴がある。 凄く頼れるというわけではないけど、大人っぽくて包容力があり、ついついもたれかかってしまいたくなるような雰囲気を持っている。簡単に言ってしまえば、ゴツゴツとして硬い男っぽさだけでなく、女性っぽい丸みや柔軟さを備えていると言えます。自分からケンカを吹っかけたり、関係がギクシャクしたりいざこざが起こるようなことを仕掛けることは滅多にない。女性からデートに誘ったり、告白やプロポーズされると 素直にイエスと答えてしまうようなタイプです。だから、一度付き合い始めたり結婚でもすれば、その誠実な優しさで一生大切に寄り添ってくれるかもしれない。 20代前後の若い女性にとっては少し重いかもしれませんが、これから結婚を考えている30代、アラサー以上の年齢の婚活女性にとってみれば、まさに結婚相手にうってつけの理想的なターゲットと言えそうです。  
恋愛に慎重、臆病  
シャイボーイと共に好き避けという言葉が最近話題になっている。視線を合わせたいのに目を逸らしてしまう、近づきたいのに遠ざかってしまう、素っ気無い態度で接してしまうなどシャイボーイの共通点の一つです。好きなのに嫌いであるかのような行動や態度をとってしまう。草食系男子にありがちなこととして好きな人の前だと 好き避けの心理状態に陥っている可能性が極めて高い。  
飲み会や合コンで、どう考えても女性が熱烈なアピール、目を見つめたりボディタッチするなどのラブサインを出していても、そのチャンスに気づかないで掴もうとしない。「もしかして脈があるのかな、でも違ったら怖いな」とでも考えているのかもしれない。恋愛下手でちょっと初心、愛情表現が遠まわしなのでしぐさや態度だけでは好意がわかりづらい。もし好きな人がこのタイプだと思ったら、好き避け状態のように、好き嫌いが逆転したような振る舞いをしていないかチェックしてみましょう。安易に「私は避けられてる、嫌われているな」と結論を出すのは早計です。  
淡白で油っぽくない食生活  
草食系男子といえば、ご飯を食べる量が少なく食が細い。スイーツやカフェなど甘いもの好きというキャラ付け、あるあるがあります。実際、体の線が細くてお洒落もそれなりの男性は甘いケーキやスイーツが好きな人が多い気がします。また、料理を作るのも割と得意だったりで、体育会系のような油ギッシュなメニューではなく、パスタやパンなどを好みそうな雰囲気がある。一緒にチョコパフェやケーキを食べるスイーツデートに誘ってみれば、案外女友達を誘ったときよりも喜んでくれるかもしれません。  
マイペースで自分の時間を大切にする  
草食系男子はデートに誘っても、急にドタキャンしたり、「時間が無い、忙しい」となかなか予定が合わなかったりすることが多く、ドライで性欲も薄いのでそこまで反射的に動いたりしない。逆に肉食系男子の場合は、女性と会うとなれば急な誘いでも時間を作って遊びに来てくれる。 実際に忙しいというわけではなく暇なケースも多々あるのだが、気分的に乗り気になれない、タイミングが合わないというのがデートを断る理由になっている場合がある。  
どちらかといえば、草食系男子は独自のファッション、服装や考え方など、独特のスタイルにこだわりがある人が多く、肉食系男子よりも束縛や管理されることを嫌い融通が利かない傾向があると言えます。自己主張はしないけど他人から干渉されるのはあまり好きではないのです。  
草食系男子の好意サイン  
メールが頻繁に送られてくる  
基本的に男性は好意を持っている気になる女性にしか自分からメールを送ったり連絡や相談などをしない。特に草食系男子は人見知りで内気な割合が多いため、メールなどで本心や本音を伝えようとする傾向がある。女性にとっては社交辞令のようなメール内容が、この手の男性にしてみれば悩みに悩んで躊躇いながらも送信した渾身の一通の可能性がある。  
ストレートに愛情表現をすることが下手なので回りくどい言い回しで脈ありサインを出してきます。友達に送るような内容のメールでも草食系男子の場合は、必死に自分をアピールしているということもありがちなことです。もし頻繁にメールのラリーが続くようなら「私にあまり興味が無さそうな文章ね」と思わずに片思いではなく両思いだと自信を持って良いと思います。一言だけの短文ではなく、絵文字や顔文字満載の長文メールで、疑問文や質問が返ってくる場合は、「あなたとコミュニケーションを続けたい」という意思表示なので、高確率で脈ありのサインと言えます。また、メールの回数や間隔はそこまで重要ではなく、好意の度合いとはあまり関連がないと思われます。  
目が合うor合わない  
草食系男子は好き避けをしてしまう性質を持っているので、普通のように遠くから見てきたり、目を真っ直ぐ見つめてくるだけではなく、逆に目が合わないことや、逸らされたりすることも好意のサインとなることもある。また、肉食系男子のように、じろじろと見てくるのではなく、上目遣いや横目でチラ見したり、目を合わせた瞬間サッと逸らされてしまうかもしれない。目を逸らせた後もう一度チラッと見てきて目が合うようだと脈ありの可能性が高い。  
また、目を逸らす方向が下方向に俯き加減で顔を伏せるしぐさは、相手に対して「敵意はありません」という好意を示す視線の動きと言えます。好きな人を見たとき恥ずかしくて俯いてしまう人は多いものです。飲み会や合コンの時、まったく目を合わせてくれないなら脈ありかもしれない。逆に、じーっと何の気無しに眺めてくるタイプもいるので、ここら辺は個人の性格の傾向や特徴を掴んでください。  
会話している時のしぐさや態度でわかる  
まず前提としてお喋りできる程度であることがありますが、話しているときの距離が近い、好きな人や安心感を感じている人に対しては無意識に何気なく近づいてしまいます。心理的に結びつきが強く、相性が良い男女の場合は磁石が引き寄せあうように自然と手と手や体が触れ合う距離になることもあるぐらいです。また、会話中に 手を口元にやったり鼻の下を指でこすったり後ろ髪を触るなどの照れている、デレデレしているような感じになる。鏡写しにしたように、似たような動作をしている。話を聞いている時にこちらの目を良く見てくれるなどが挙げられます。  
また、学校や職場、社内など遠くにいる場合は、つま先や体の角度が自分の方を向いている時は脈ありです。人はどうしても興味があるものや好きな人の方に体を傾けてしまう性質がある。テレビを見るときに体を捻って見ようとするのは不自然で窮屈でしょう。片思い中の女性に対しても同じで、体の軸を向けてしまうのです。これらは好意を見抜く基本的なもの恋愛心理テクニックですが良く出現する好意のサインとして覚えておいて損は無いです。  
草食系男子の落とし方  
恋愛面での草食系男子攻略法は、女性の積極性やアクティブさに全てがかかっています。 消極的で内気、慎重で、恋に対して臆病で押してく勇気が持てない人が多いので、落とす方法としては女性が男性を従順にさせるぐらいの気持ちでリードしてしまいましょう。女性特有の「察して欲しい、気づいて欲しい」という欲求はほとんど叶えられないと思ってください。相手の気持ちに鈍感なわけではなく、好意に対して自信を持てないからです。  
引っ張られたいという願望がある女性でも、草食系男子を育てていけばいずれ一人前の頼れる男に育成できます。とりあえずは友達、そして彼氏、彼女として恋人関係になることを目標にアクションを起こしましょう。ギャル系の派手な女性と真面目で少しオタクっぽい草食系男子は実は一番相性が良いと言われています。コミュニケーションが激しいギャルとフィーリングが合い、相補性の相性から非常に良く噛み合うのです。ちょっとガサツでサバサバしているぐらいの積極性が草食系男子攻略には求められます。  
まずはお友達になる  
草食系男子は基本フレンドリーに接する人には好意を持ってくれるし、基本ゆるい感じなのでそう簡単に人を嫌いになることは滅多にありません。「迷惑かもしれない」なんて心配せず、草食系男子を落とす時は強引で馴れ馴れしいぐらいで調度いいので、まずは声をかけてメールアドレスや電話番号などの連絡先を交換してしまいしょう。目が合ったら笑顔で挨拶して、わかりやすいように好意のサインを出してください。そうしないと八方美人だと思われてなかなか恋愛対象として意識して貰えません。このような接触を数回繰り返せば次第に親交が深まり打ち解けてくれます。  
恋の進展を焦らずに、少しずつ関係を深めていきましょう。そのうち一緒に食事でもできるようになれば大成功です。たった一度話しかけてみて、つれない反応だったから「拒否された、もうダメだ」と諦めてしまうことだけは控えてください。草食系男子は受け身で冷たい振りをしていても中身は熱いものを持っています。相手を喜ばせるという気持ちでチャレンジしていきましょう。一度友達になるか、付き合うか、または結婚してしまえば最も信頼できる誠実な味方、パートナーになってくれます。女性には酷な話かもしれませんが、始めの一歩の声かけで、くじけてしまうような豆腐メンタルだと草食系男子をゲットするのは困難だと思ってください。  
メールやツイッター、SNSやlineでアピール  
コミュニケーションツールで間接的にアピールする手段は誰に対しても有効ですが、直接会話すると照れたり緊張して本音を出さない草食系男子はこのような役立つ機能を使うとうまくいきやすい。普段はちょっと影があって暗そうなのに、ネットやメールの文章だとやたらと明るいという特徴もある。相手が目の前にいないので、気兼ねなく本心の気持ちが伝えられるので好き避けになることも少ない。  
人によってはロマンチックさに欠けると思ってしまうかもしれませんが、メールやネットで交流して落とすというのは最近では頻繁に行われています。一昔前なんて、メル友と称して顔も名前も知らない男女が告白したり付き合ったりなんていうこともあったぐらいですから、顔見知り、知り合いとの関係を進展させるために使うなんていうのは序の口です。草食系男子は直接会って皆の前で挨拶したり声をかけると周囲の目を気にしてリアクションが悪いので、二人きりで対話ができるメールなどで話しかけてくれると嬉しく感じます。  
趣味や好きなものを合わせる  
草食系男子は割とマニアックな知識を持っていたり、ある特定の分野に異様に詳しかったりする。外で運動やスポーツなど体を動かしている肉食系男子とは違った面白い魅力を持っていることが多い。だから共通の趣味や好きなものが同じだと会話が盛り上がり、急激に関係を進展させることができる。元々趣味友や類友は結婚でも相性が良いと言われる程だし、草食系男子のような自分の好きなことに夢中になる男性は尚更です。もし相手の好きなこと、ハマっていることなどをリサーチする機会があったら、調べておいて、そして自分もその趣味について勉強してしまいましょう。共通の話題を努力して作るという行為は素敵でそれだけで評価されるし、「そんなに僕のこと好きなんだ」と恋心にきっと気づいてくれるでしょう。  
外出より家デートが好き  
どちらかと言えばアウトドア派よりインドア派が多い草食系男子、家デートで一緒にまったりリラックスしてくつろぐのが最も簡単に親密な関係に進展できるし楽しめます。もしかしたら会話が途切れたりお互い無言で沈黙してしまうかもしれませんが、それでもあまり気にしない性格です。ゲームをしたりDVDやネットを一緒にしたりなどゴロゴロと楽しめます。男らしさが無くガツガツしてない淡白さがあるので、お泊りデートで朝から晩まで一緒に過ごして、同じ部屋で寝たのに何もなかったなんてこともあるかもしれません。女性側にその気があるのなら是非一人暮らしの家にでも誘ってみましょう。女としては自分から誘うのは気が引けるし、プライドが許さないかもしれませんが、好きな人と仲良くなれるのならそれぐらい軽いものです。  
褒めて自信をつけさせる  
草食系男子が受動的で控えめな性格になったのは、家庭環境や学校などのポジションによって、あまり褒められた経験がないからでしょう。行動を抑圧され、怒られてばかりいたり過保護な状態が長く続くと、人は自己評価を低下させ、支持待ち状態になりやすい。だからこそ自分の好き勝手に行動しないし、女性に気を遣って傷つけようともしない。このような男性が求めている彼女にしたい女性は、ズバリ褒めてくれる人です。  
元々男性は褒めてくれる女性が好きですが、自分に自信が無く自己評価が低い人の場合、自尊心を満たしてくれる女性に懐く傾向があります。だから、「かっこいいね」「凄いね」「素敵だね」「似合うね」など顔やルックスなど、どんどん褒めてくれて甘やかして扱ってくれる人が好みのタイプです。年下男性に惚れてしまった場合でも安心してください。母性的で包容力があり、自分の事を褒めて可愛がってくれる年上女性も意外とアリだと思いやすいです。逆に突っぱねたり追わせる恋をさせようとすると、嫌われたのかと諦めてすぐに逃げてしまいます。ゴマすりのように美辞麗句を並べるだけでハートを掴み、口説き落とせるなんて楽なものではありませんか。接客業でサービスしてるつもりにでもなって、是非とも実践してみましょう。  
草食系男子の恋愛傾向  
時代は2000年代に突入して数年経過した頃、「草食系男子」という造語が誕生しました。  
草食系男子とは、「恋愛感情が抱くけど性的感情が弱い男性」「自分からリードせず、少し乙女心を併せ持っている男性」などの特徴が見られる男性を指す造語で、今では雑誌やニュースで「草食系男子」というキーワードを見ない日はないぐらい広く普及しています。  
頼りない印象が強い草食系男子ですが、恋愛傾向をしっかり理解しておけば、肉食系男子とはまた異なる「安心感のあるパートナー」をゲットできるかもしれません。  
では早速、草食系男子の恋愛傾向についてご説明します。  
基本的に受け身態勢  
草食系男子と一口に言っても、もちろん性格や好きな女性のタイプは様々です。ですが、基本的に共通していることは何でも「受け身態勢」であることです。  
恋愛傾向は、「相手が好きになってくれたら自分も好きになりやすい」という草食系男子特有のタイプもいれば、「自分の気持ちが一番大事」と思っているタイプもいます。今気になっている男性がいて、その人が草食系男子の可能性が高いのであれば皆さんからアタックすることは必至です。  
そして、草食系男子が望む恋愛傾向は「引っ張ってくれて高度な恋愛テクニックを要求しない女性」です。高度な恋愛テクニックとは、サプライズや駆け引きなどです。草食系男子はシャイな人が実に多く、それでいて行動力もあまり期待できません。  
相手を喜ばせる内容を考えて当日まで秘密にしながら色々準備して…そんなサプライズを「計画する」段階までなら草食系男子も難なくできます。ですが、ここで「本当に相手は喜んでくれるのだろうか…?」という不安な気持ちが勝ってしまい、「行動する」段階まで辿り着けないというケースもよく耳にします。好きな人へアプローチする際、「喜んでくれなかったらどうしよう」「迷惑かな…」と悩む女性が多いように、草食系男子にも同じ特徴が見受けられるのです。  
また、デートの誘いや告白などのアクションも自ら動くことはあまりありません。もし恋人同士になったらデートの提案はもちろん、食事する場所も決めることになる可能性大です。デートの日程から内容まで何を聞いても「なんでも良いよ」と答える男性でも、「男なのに頼りない!」と一言で片付けるのはタブーです。  
結論として、皆さんが「デートの誘いは積極的にできるしサプライズとか求めない」という女性であれば、草食系男子と良好な関係を築くことができるでしょう。  
セックスも受け身?  
草食系男子をパートナーに持つ女性は、「仲良しなのにセックスレス」という恋愛傾向に陥ってしまう悩みを抱えている方が非常に多いです。考えられる理由は、良くも悪くも肉体的相性より精神的相性を大切に思っているからです。また、単に体を動かすことが嫌いだからセックスを好まないタイプもいます。  
もしパートナーがセックス嫌いではないようなら、女性の皆さんから誘うことになるのは覚悟しておいた方が良いでしょう。  
ファッションや趣味など、共感できる時間を共に過ごすことが好き  
この点に関しては人それぞれですが、「スポーツよりも読書が好き」「ファッションにこだわりがある」「趣味をどんどん深める時間が好き」というタイプが多いのも草食系男子の特徴です。例えば、「恋人とはカフェでじっくり語り合って気持ちを確かめ合う」ような恋愛傾向があるため、趣味や価値観が合う人を強く求めます。  
最後に、好意を持っている草食系男子に対して共感できる点があれば「その気持ちよく分かる!」と言葉に出して伝えるようにすると、少しずつ距離が縮まっていくはずです。 
 
■大学選び

 

おまへの大学選びは就職目当てか 
お前の夢は金で買えるのか  
夢をかなえる大学選び  
「少年よ大志を抱け」 死語 
 
■流行おくれ

 

タンスの肥やし 
流行は繰り返す
衣類処分の仕分け術  
10月と6月は衣替えの時期。最近は季節の境目がはっきりしなくなったうえ、夫婦共働きなどで家事の時間が減り、昔のような大掛かりな入れ替えは難しいという人も多いだろう。とはいえ、衣替えにはメリットも多い。現代の暮らしに合った衣替えのノウハウを専門家に聞いた。  
衣替えは衣類を手にとって汚れや劣化を点検したり、サイズやデザインを見直したりするいい機会。着ない衣類を処分するチャンスでもある。  
「多くの人は、持っている衣類の20%しか着ていない」。空間や暮らし方の整理手法を提案するライフオーガナイザーの鈴木尚子さんは、こう話す。残り80%の衣類は「来年着るかも」といった理由でタンスの肥やしになっている。「衣類が増えすぎたことが、衣替えを重労働にしている」と指摘する。  
そうはいっても要不要の見切りは難しい。そこで鈴木さんが提案するのが「使う」という機能面と「好き」という感情面の2つの軸を使った分類法だ。  
「使う」に分類する衣類はしっかり収納。「好きではないし使わない」衣類はリサイクルに出すなどして処分する。衣類をしまうタイミングで作業をすると効果的だ。  
誰もが悩むのが「好きだけれど使わない」に分類されるもの。「思い出の服は無理に捨てなくていい」と鈴木さん。ただし、それはもう現役の服ではないので衣替えのサイクルから外す。専用箱を作って別の場所で保管しよう。  
衣替えが重労働になっている原因として、収納方法に問題があることも多い。  
収納カウンセラーの大森めぐみさんは「どこに何があるのかわからない、ケースが重くて出し入れが面倒→つい服を買ってしまう→衣替えがまた大変になる」という悪循環を指摘する。  
衣類のありかがわからないのは、収納場所が「飛び地」になっていることが一因だ。例えばセーターが寝室のタンスにも和室の押し入れにも入っていたら、どんな色柄のものが何枚あるのか、全体を把握するのが難しくなる。  
家族それぞれの服を混在させるのも混乱のもとだ。「タンスなら上半分と下半分、クローゼットなら右半分と左半分など、持ち主ごとに衣類をまとめ、その境目をはっきりさせると管理しやすくなる」と大森さんは助言する。  
出し入れの手間を減らすことも重要だ。例えばハンガーに掛けた服は、ハンガーのまま入れ替える。こうすれば服を外してたたみ、ケースに入れる作業が省ける。  
収納ケースを使う場合は、同じ形の引き出しタイプのものをそろえておけば、引き出しごと交換するだけで済む。  
引き出しの手前にオンシーズン、奥にオフシーズンのものを入れ、前後を入れ替える方法もある。「これなら奥の服にも手が届くので、急な気候変動にも対応できる」(鈴木さん)。ひと目で全体が見渡せるよう、引き出しの中の衣服は平積みにせず、立てて並べるのもポイントだ。  
こうして衣類の絶対量を減らし、1カ所にまとめて管理できるようになれば「衣替えをしないで暮らすことも可能になる」。  
衣類は半年後にいい状態で着られるよう、保管にも気を配りたい。白洋舎クリーニング事業部の谷村一美さんは「衣類の汚れは時間がたつほど落ちにくくなる。汗や汚れが残っていると、虫が寄ってきたり、カビが生えたりする」と話す。自宅でよく洗濯をするか、クリーニング店に出してから保管するのが基本だ。  
クリーニング店でかけられたビニール袋は輸送用。通気性がなく保管に適さないため、かならず外す。ほこりよけが必要なときは、専用の衣類カバーを使うといい。クリーニングとセットで季節外の服やダウン、毛皮などを預かる保管サービスもある。衣類のメンテナンスを考えて活用するのも一案だ。 
 
■古古米

 

変わり果てた税金 
三年米 前々年に収穫した古米
低価格米のひみつ  
新潟「コシヒカリ」5kg1980円、秋田「あきたこまち」1580円・・スーパーではこんな安い価格で新米が売られています。今年の新米、平均では60kgで14397円、つまり5kg当たり1200円で、卸業者に売られています。卸の業者の袋代や配送など手間代などのマージンや小売段階のマージンを考えると、この消費者価格では、完全な赤字です。またドラッグストアやディスカウントストアではもっと安い、5kgで1300円程度のお米もあります。  
こうした安売り米では、一部の米業者の偽装表示も起きています。以前、中国からの輸入ホーレン草の残留農薬検出で名を上げた農民連食品分析センターは、安売りの米にどんな米がどのくらい入っているのか分析しました。粒径の小さいくず米や古米がゾロゾロ検出されました。  
農民連食品分析センターの結果  
成熟してから収穫されたお米は、粒が大きい。逆に青米などで分かるように未熟なものは粒が小さい。粒径の検査は、三つのふるいを使って行われました。上から一・八五ミリ、一・八ミリ、一・七ミリのふるい、受け皿の順に積み重ね、全体で四段にしました。米穀検査では米の選別に使うふるいの最小の網目は一・七ミリ。この網目から落ちた米は網下米またはくず米として加工用の原料などに回ります。取引価格は一キロ七十〜八十円。 さらに米の鮮度を調べるために、米に判定液を加え検査。  
調査結果は、「おおむね千五百円以下で販売される米は、粒の小さい米、砕米、奇形米などの割合が高く、一番細かい一・七ミリの網目も大量に素通りします。また低価格米は鮮度も悪い傾向にあり、産年の記載のないものや、産地表記も『国内産』と書かれただけの複数原料米が多くなっています」(分析センターの石黒昌孝所長)、「一・七ミリのふるいで落ちるのが多い米は網下米を混ぜている可能性が高い。逆に千五百円以下でありながら粒ぞろいのよい米は古米のおそれがあります。『複数原料米』の表示は氏素性のわからない米と思った方がよいでしょう。『無洗米あきたこまち』は千七百円と価格の高いわりには、整粒も鮮度も悪い。無洗米は加工賃がかかるため、当たり前の原料を使えないのでしょうか」(農民連の横山昭三さん)と指摘します。  
くず米や、古古米のブレンドされた低価格米は、炊き上がり時点はともかく、ジャーで保温する間にみるみる食味が悪くなる。結果的に、食べない=お米の消費が減る事態を招きます。それで今年は、新米、新潟のコシヒカリでさえ価格が低落し、農家の方は困っています  
安売り米のブレンド用くず米の出所  
では、どこから 古米が出てくるのでしょうか?煎餅や味噌などの加工用のくず米(網下米)は、どんなルートで主食・飯用に化けているのでしょうか?  
網下米は農産物検査法で定められている1等・2等・3等・規格外という4段階の分類には該当しない低品位米です。この低品位米を買った業者は、加工原料米としてそのまま売るよりも、主食用として売る方が利益が大きい。だから再度ふるいにかけて主食・飯用にできる「中米」を選び出しています。そのままで主食用に販売すれば違法ですが、「中米」を敢えて検査法の「規格外」になるように検査を受けます。そのようにして『規格外米』という正規の検査証明を受けた中米は「19年・新潟県産・コシヒカリ100%」のように産年・産地・品種名を表示して販売することが可能となります。合法的に高品位な1等米と全く同じように「クズ米を由来とした規格外米」を袋詰めにし同じ表示をして、つまり消費者には区別できないようにして販売できるのです。通常は、1等米などにブレンド用に使われます。先ほどの調査では、1割から3割混ぜられていました。  
回転備蓄米で、古古米を国が供給  
古米の供給元は、日本政府です。政府は、「万一に備えた保険」の備蓄米を持っています。備蓄ルールは、百万トン(消費量の1割強)を備蓄し、古米にして販売。年度ごとに売れただけ購入する回転備蓄方式。新米が収穫されるとそれと入れ替えに市場で備蓄古米の販売と新米購入をすることとなっています。  
実際はどうでしょうか?平成15年産米は100万t不足の不作でした。それに対して放出された備蓄米の量は106万t。これだけを見れば問題になる放出量には思えませんが、政府備蓄米の他に、民間在庫が135万tもあったので政府備蓄米の大量放出は不要だったのです。数字では政府備蓄米を当初163万tから60万tに激減し、民間在庫は135万tから207万tと逆に増加しました。不足していたはずの15年産が大量に売れ残って、卸などの民間在庫になったのです。国は、ダンピング価格で平成8年産のような超古米の在庫整理をしました。万一に備えた備蓄と言う点では、政府備蓄の役割を民間が担う形になったわけです。  
この後も、平成17年、18年、19年も政府は回転備蓄で古米の放出・販売を4万トン/月以上のペースで行っています。卸業者は平成15年度産米の大量在庫を抱え込まされていますから、これを販売しています。こうした古米が安売り米に使われています。  
お米は、炊き上がったご飯を保温ジャーに7〜8時間以上入れておくと、ご飯粒中の脂肪が空気で酸化されて酸化臭が発生します。その上、その酸化物がたんぱく質と結合してご飯を黄色くしてしまいます。  
常温での保管で考えると、籾のついた状態ではお米の中の脂肪の酸化はほとんど起こりません。玄米、精米と酸化し易くなります。搗き立てが旨いといわれる由縁です。  
備蓄米は玄米で、低温保管で酸化が遅くなっていますが、ある程度酸化しています。炊き上がり時点では食味が良くても、酸化臭・黄変が起こり易い。古古米・古古古米・古古古古米となれば、一層なりやすい、臭いが出るまでの時間が短くなる。しかしこうした米ほど安い。  
時給で200円程度で米作りは続くのか?  
今年の新米は平均では60kgで14397円。農水省の米生産費調査によれば、60kgあたりの米生産にかかる費用、肥料など資材費、労働費、地代・利子などは、16824円。単純には約2500円の赤字、流通経費などを差し引けば農家は60kg・一俵出荷するたびに5000円近く赤字が発生するという異常事態です。結局農家は、自分の労賃を削って、時給換算で1時間200円程度に削って対応することになります。  
このような時給で200円程度では誰もが嫌ですから、「いっせいに米作りから手を引くおそれさえあります。(農民連)」 国際的には穀物価格は、上昇傾向にあります。国際的には、米の需要が増えているもとで、オーストラリア産の不作やアメリカでの作付面積の減少などにより、米の国際相場は五年間で二倍になっています。この状況の中で、唯一、自給可能な米さえ減産を強いるのは、賢いのでしょうか。 
 
■高齢者延命医療

 

姨捨山  
蓮台野(でんでらの)  
楢山節考  
無縁仏
高齢者介護と延命
特別養護老人ホームで生活しているAさんが、2月はじめに風邪を引き、それが引き金となり、食事を口にしなくなりました。施設では、Bさん(娘)に終末カンファレンスをしたい旨申し入れがありました。それから3月末までBさんは、Aさんに付ききりで介護・看護に尽くしました。Aさんは、幸いにも元気がでてきました。何時まで続くかは判りませんが・・。高齢期の延命とは、施設の対応とは、子供の対応、それぞれの配偶者の対応など色々と考えさせられる場面がありました。  
1 延命とは  
延命について一番に感じたことは、介護・高齢期の老衰的な病状と医療的な状況と同じ延命でも大きく意味合いが違ってくることです。  
先ず、延命とは動物の世界では獲物(食べもの)を捕獲できなくなると命を落とすことになり、他の動物から助けられることはありません。その意味からも延命を厳密に言えば、人間でも自分で食べることができなくなれば、誰かが食べさせることは延命ではないでしょうか。  
しかし、人間には、こころがあり、人に対する愛情があります。それらのこころと愛情で助け合うことができます。その意味からも食べもののお手伝いをすることは、延命とは言えないと考えます。延命とは、本当に難しく定義ができません。100人おれば100種の延命があるのではないでしょうか。  
医療的な意味の延命は、医師が治療面からの終末をある程度決めてその人がこの世を去る時期を見極めることができると思いますし、不治との判断から治療を中止し痛み止めと心のケア、家族のケア中心となり、治療的な処置や生命維持装置を使用しないことが延命をしないということになると思考します。  
高齢者の老衰的な場面での延命とはどんなことでしょうか。胃ろう・経管による栄養補給は延命でしょうか、延命でないのでしょうか。医療的な立場の多くの方々に話を聞いてみました。人工的な栄養補給は延命ではなく介護の種類との意見が多数でした。介護に携わる人、高齢者を面倒見ている人、高齢者自身の方々に話を聞いてみました。胃ろう・経管など人工的な栄養補給は、延命との回答が多くを占めました。  
高齢者の多くの方に聞いてみました。「延命(人工的な栄養補給)はして欲しくない」高齢者のアンケートにも延命は要らないという人が多くいます。しかし、胃ろうなど人工的な栄養補給をしない場合に、食事を口にしない、食べることを拒否している親・親族を何もしなくて見ているだけでおれるでしょうか。  
今、そこに食事ができない、老衰といわれる高齢者を目の前にしてそのまま何もせず見ておれるでしょうか。やはり何かの行動をとることになるのではないでしょうか。できるだけ食物を食べてもらえるように努力するのではないでしょうか。  
高齢者の延命(人工的な栄養補給)は必要がないと言う人の多くは消え行く命を目にせず遠くから想像だけで、今苦しんでいる人を考えている人のような気がしてなりません。では、誰が延命の可否を決めることができるのでしょうか。勿論、本人の意思を確認しておくことが大切ですが、本人が延命は必要ないとの意思があっても、上述のように付添っている人は、何もせず見ているだけでおれるのでしょうか。  
今、そこに苦しんでいる高齢者の介護・看護をこころを込めて行なっている人しか延命について語る資格はないものと思考します。心を込めて手を指しのべて後にこそ延命の可否に対する意見を述べることができるのではないでしょうか。  
私が考える延命とは、悔いのないこころを尽くすことであります。どれだけの介護・看護をしても悲しく悔いは残ると思いますし、やればやるほど悔いは残ると考えます。何もしない人は悔いも何も残りません。悔いが残る人ほどこころを尽くした人と考えます。それはその人のこれからの人生を素晴らしいものとしてくれることでしょう。延命とは、こころを尽くすことにつきます。  
2 高齢者施設の終末期の対応  
高齢者施設における終末ケアについて考えてみましょう。Aさんに対して施設の多くの職員、看護師などは終末期をむかえたと考えていた方々が半分以上おられたと思います。子供たち夫婦も終末と思っていたようです。その中でBさんだけは、自分でできる事は全てやりたい、最後の最後まで力を尽くしたいと考えていたようです。その対応に涙がでるほど頑張っていました。医師から「休みなさい」と言われるくらいでした。  
A) 家族  
子供家族が話合いました。延命はどうするかと。全ての子供は延命は必要ないとの意見であったようです。延命とは、どのようなことかも知ろうとせずに・・・・。胃ろうや経管栄養補給が延命であり、それを否定する場合には、食事を拒否して食べない親をどうすればよいかも考えずに、見ているだけでしょうか、食べない人をそのまま何もせず食べものを口にしない人を見捨てて置けるのでしょうか。苦しんでいる高齢者のお世話をしている人(Aさんの場合はBさん)は、一人で懸命に、食べてくれるようにと頑張っていました。何もしなくて、延命の必要はないと言う人は、頑張ってお世話をしている人のこころの支えになって欲しいものです。お世話している人のチームに入り、お世話している人の話をよく聴いて行動を決めて下さい。勝手に自分の思いだけで動かずに・・・。  
介護とは私達の「都合や外出のついでなど」にできるものではありません。介護される高齢者にあわせた態度が求められます。ましてや、終末をむかえようとしている高齢者にとっては、こちらの都合は全て後回しにするくらいの気持ちがなければ介護はできません。「自分の都合や外出のついで」は高齢者にとっては、迷惑でこそあれ、喜ぶことはないと考えます。  
B) 施設の対応  
施設では、相談員、看護師、管理栄養士、介護士、少数の職員が終末について家族の相談にのり、食べるようにと色々と試してくれました。しかも、自分の休憩の時間を割いて夜勤の空いた時間を利用して、水分摂取や摂食を試してくださいました。看護師の方々は、食事の摂取量からの対応、家族の心配についての配慮等。相談員は、家族の話をよく聴いてその対応を考えてくださいました。残念なことは介護職のトップ職の方が直接かかわっておらず、非常に淋しく感じられました。一番に適切なアドバイスをして協力体制をとれる立場の人です・・。もう一つ残念に感じたことは、医師の往診時の高齢者施設の対応です。往診時に医師との話合いに応じてくれた関係者は、看護師、相談員であり、介護職の方が参加されなかったことです。医師から夜間の睡眠について質問されましたが、介護職の方がいなくて看護師が曖昧な回答をしていたことでした。やはり、医師の往診時には介護職の方が参加して下さることを望みます。  
多くの特別養護老人ホームの職員との話の中で感じたことは、食べなくなれば「胃ろう」「経管栄養補給」があると簡単に考えている人もいると感じました。良く解釈すれば、人工的な栄養補給があるから命はまだまだ大丈夫と言うものですが、、、家族としては、そうしたくないと言う気持ちや本人は望まないという判断等もあり、両者とも間違いではないものの、急変時には特によく話合う時間が必要と思考しました。  
C) 時間外診察  
Aさんについてのみに限定したいと考えますが、夜間の緊急診察は慎重さが必要ではないでしょうか。Aさんは、5年間同じ医師(主治医)に定期的に通院検診をお願いしていました。夜間とか主治医以外の医師に診察していただく場合には、同じ病院であっても医師が違うだけで多くの検査をします。認知症に苦しんでいる高齢者は検査に対する恐怖心が強くあり、注射・血液検査など自分には意味がわからない痛さに耐えられないようでした。それが、救急車により初めての病院の場合にはもっと本人の意思でなく多くの検査をされることでしょう。そのことで人間不信に陥ることもあり、また強度のストレスが全てを拒否し拒食状態に陥ることもあります。それからどんどん衰弱して。。。難しい問題ですが、普段から施設と家族の話合いが大切と考えます。  
主治医の先生は、家族との話合いにも多くの時間を割いてくださりAさんの精神的な負担になるようなことはできるだけしないように治療してくださったような気がします。(これは、私だけの思いかもしれませんが)これらも難しい問題です。どうすればよいのかよく判りませんが・・・。緊急に病院へ行くと、待ち時間がながく、90歳にもなる、しかも、今熱が出て苦しんでいる高齢者にとってはこれだけでも私達には理解できない苦しみと思います。Aさんにとって幸せであったことは、主治医の先生が直ぐに往診に切替えて施設の看護師に直接指示して下さったことです。  
D) 納得できる終末のためにはチームの結成を  
施設には、看護師、管理栄養士、相談員、ケアマネジャー、介護職員など多くの人々が関わり、介護も病気などもケアしてくださっています。通常の仕事に追われながらの大変な仕事です。その人達は、仕事時間のローテーションで勤務しています。  
特に介護職員は少人数で多くの利用者のお世話をしていますし、勤務時間帯が違います。誰にその後の経過や、その日の高齢者の状態がどうであるかを聞いていいのか、わからず困ったことがありました。夜勤のない介護職の方に、急変時の高齢者のトータルな把握をしてもらいたいと思いました。  
高齢者施設で多くの職種の方が働いています。しかし、各職種の方の意見を関係付ける必要があります。各職種により多少の意見の相違と考え方が違います。各職種の方々の意見を統一し、よりよい介護・看護に結びつけることができるのは家族と相談員であり、よく話合いをすることが大切でしょう。  
家族にしても、常に高齢者のお世話をしている人の意見を尊重して、チームの一員になり病気で苦しんでいる高齢者にとって何がいいのか、何ができるのかを考えて欲しいものです。家族と言えども、「自分勝手な思い込み」「自分の都合」「〜のついで」などで苦しんでいる老親に接して欲しくないものです。  
今回のAさんの病気から多くのことがらを学びました。AさんがBさんの家で生活し始めた時にも今回と同じような状態でした。Aさんは今年で89歳になります。もう一度大変な時期がくることでしょう。でもBさんは、今回の経験を生かしてこれからのAさんの日々が穏やかで、こころに安らぎを得て、一日でも長く楽しく生きて欲しいと思っています。そしてすばらしい終末をむかえられるようにこころを尽くしたいと話しています。 
 
■棚晒し 店晒し

 

埃の山
店晒しの選挙制度改革 最高裁判決が与えた影響は? 
平成24年12月の衆院選の一票の格差を「違憲状態」とした11月20日の最高裁判決は、衆院の選挙制度改革の動向に大きな影響を与えそうだ。衆院選挙区「0増5減」の緊急是正法成立などで最大格差を1・998倍に抑えた国会側の努力を「一定の前進」と評価し、現状を追認したからだ。選挙制度改革は(1)一票の格差是正(2)定数削減(3)抜本的改革−の3つの要素があるが、格差是正が落ち着いたため、残された課題は定数削減と抜本的改革になる。だが、自民、公明、民主の3党は抜本的改革は行わないことで合意している上に、定数削減問題をめぐる自民党と民主党の隔たりは大きい。改革は一層、遠のきそうだ。  
「1人別枠方式の構造的な問題が最終的に解決されているとはいえない。しかし、この問題への対応や合意形成に様々な困難が伴うことを踏まえ、選挙制度の整備については、今回のような漸次的な見直しを重ねることによって実現していくことも、国会の裁量に係る現実的な選択として許容されている」  
最高裁判決は、多数意見要旨でこのように記した。「合意形成に様々な困難が伴う」と指摘することで、各党の利害が対立するため進展が見られなかった与野党の選挙制度改革協議に一定の理解を示した。「今回のような漸次的な見直しを重ねる…」との文章で、昨年11月の「0増5減」の緊急是正法成立や今年6月の区割り改定法成立にお墨付きを与えた。  
多数意見要旨は「今後の国勢調査の結果に従って、各都道府県への定数の再配分とこれを踏まえた選挙区割りの改定を行うべき時期が到来することも避けられない」とも記したが、区割り改定の時期を明示することは避け、「今後も着実に続けていく必要がある」と曖昧な表現にとどめた。  
国勢調査は10年ごとに行われており、次は平成32年。5年ごとの「中間年」の簡易調査は27年に実施される。27年調査の結果は28年2月ごろに公表される見通しだ。仮に次の衆院選が、参院選と同時のダブル選挙として28年夏に行われた場合、半年前には中間報告の結果が出ることになる。東日本大震災の影響で福島県の人口が減るなどしているため、その頃には、一票の格差は2倍をかなり上回っていると予想される。  
だが、衆議院議員選挙区画定審議会設置法の4条は、区割り改定の根拠となる人口データについて「10年ごとに行われる国勢調査に限る」としている。国勢調査の中間報告が公表される28年2月ごろに区割り改定論議が再燃する可能性はあるが、結局、32年国勢調査の結果が出るまでは行われないだろう。
安倍晋三政権は、今回の最高裁判決によって多くのメリットを得たとみられる。  
民主党政権時代には、衆院選で民主党が大敗することを恐れた当時の同党執行部が、「一票の格差を是正せずに衆院選に突入すれば憲法違反になりかねないが、選挙制度改革がまとまらない」という状況を逆手にとって、解散先延ばしをはかっていた。だが、今回の最高裁判決で格差是正は当面、必須の課題ではなくなったため、同様の状況は起きないことになった。  
仮に最高裁判決が24年12月衆院選を「違憲」と判断していた場合には、現在の衆院議員は「違憲議員」となる。「違憲の議員が立法作業をするのは許されるのか」という根本的な疑問が生じてくる。安倍政権が目指す憲法改正も「違憲議員が提案してよいのか」という批判が出てくる可能性があっただろう。今回の判決が指摘した「違憲状態」は「合憲」の枠内にあるため、このような問題は生じないことになる。  
とはいえ、格差是正問題が片付いたとしても、定数削減の問題は残っている。安倍首相は昨年11月の党首討論で、定数削減を約束することで衆院解散を勝ち取った。その後、約束は反故(ほご)にされ続けている。来年4月には消費税が8%に引き上げられる。野党側を中心に「国会議員も身を切る改革が必要だ」と定数削減を求める声が強まってくる可能性もある。
自民、公明、民主の3党の幹事長は、最高裁判決が出た直後の11月22日、(1)現行の小選挙区比例代表並立制度を当面維持する(2)議員定数を削減する。その際、小選挙区制度の民意集約機能が行き過ぎたものにならないよう配慮する−の2点で合意した。事実上、抜本的改革は当面しないと宣言したのに等しい。  
自民党は格差是正問題が一段落したことで、選挙区の定数削減に対して、これまで以上に難色を示すはずだ。選挙区と比例代表双方の削減を求める民主党側は「最高裁判決が選挙区『0増5減』では不十分だと指摘すれば、選挙区の定数削減に弾みがつく」と踏んでいたが、そうではなくなった。  
自公両党は、比例代表の定数を削減し、中小政党を議席配分で優遇する改革案をまとめている。だが、憲法違反の疑いが指摘されており、自民党幹部も「強引に押し通すつもりはない」と強調している。この案は野党を牽制(けんせい)するための「当て馬」に過ぎず、実現可能な改革案は示されていないというのが実情だ。  
結局、最高裁判決は、定数削減に慎重な自公両党に追い風となる半面、積極的な民主党には逆風となった格好だ。選挙区の定数削減の実現可能性を小さくしたことで、選挙制度改革がたなざらしになる公算は強まったと言えそうだ。
ある日の永田町語録  
ふさわしくない方 / 石破茂自民党幹事長  
ほかの業務で非常に有能でも、秘密を扱うのにふさわしくない方に情報を預ってもらうわけにはいかない。(特定秘密保護法案をめぐり秘密の取り扱者に関し記者会見で)  
闇から闇 / 大畠章宏民主党幹事長  
闇から闇へと、情報が国民の目に触れないところで扱われることになる。現在でも不十分な日本の情報公開がますますおかしくなる。(特定秘密保護法案の慎重審議を求める会合のあいさつで)  
10年が3年で / 石破茂自民党幹事長  
もう一度、政権に戻るのに10年はかかると思っていた。3年余りで戻ることができたのは大変ありがたい。民主党があまりに駄目だった。(政権復帰に関し都内の講演で)  
アリバイづくり / 榛葉賀津也民主党参院国対委員長  
夕方に地方公聴会の開催を決めて、どうやって明日の公述人を探すのか。出口のアリバイづくりのようだ。(特定秘密保護法案の成立を目指す与党の姿勢について記者団に)  
怖い顔 / 世耕弘成官房副長官  
プーチン大統領はニュースなどで見ると怖い顔だが、安倍晋三首相と会うときはにこやかになる。本当に個人的な良い関係ができていると思う。(日露交流促進の会議で)  
血道を上げる / 海江田万里民主党代表  
あらためて安倍首相の所信表明演説を読み直したが、特定秘密保護法案のことは1行も書いていない。しかし今、まさに血道を上げているとの表現がぴったりだ。(連合との懇談会で)  
今年最後 / 伊吹文明衆院議長  
皆さんとお目にかかるのが、今年最後と思って出てきた。年末年始は貴重な時間なので、遊びまくったりせず選挙基盤を固めるために使ってほしい。(自民党派閥総会で)  
独裁国家 / 海江田万里民主党代表  
民主主義は時間がかかる。独裁国家は時間がかからないが、私たちはそんなものは選ばない。時間をかけ、手順を踏んで物事を決めるのが民主主義だ。(安倍政権の国会運営に関し街頭演説で)  
昼酒 / 溝手顕正自民党参院議員会長  
(本会議が)夜にかかることは必至なので、昼間から酒を飲まないように。明日もあるという覚悟を持っていただきたい。(国会日程について党参院議員総会で)  
そば粉の段階 / 松原仁民主党国対委員長  
ようやく昨日、法案ができた。最初の法案は今とは全く違う。できたものを議論しないといけない。そば粉の段階で、つゆもなくて味見ができるか。(特定秘密保護法案に関しテレビ番組で) 
 
■飼い殺し

 

窓際で日光浴 
塩漬け
 
■リストラ

 

人は石垣人は城 
ブラック企業
 
 
よだれたらして みっともない

 

 
■尻丸出しスカート
新商品 キャッチコピー・ロゴプリント パンテイー 
「見ちゃダメ」 
「Beautiful」 
「(^。^)(*^。^*)(-_-)(~o~)(-。-)(^。^)」 
パンテイー  
昔ミニ全盛のアメリカで国内線飛行機に乗る。嬉々として男性客が膝掛け毛布をスチュワーデスに頼む。ステップに足をかけ棚から毛布を取る、スチュワーデスのミニスカートの中のパンティーが丸見えになる。 
カラフルなパンティーに、くっきり航空会社名ロゴがプリントされていた。 
 
■大根足

 

胴が二本に分かれる
大根雑話
ダイコンはアブラナ科の野菜で越年草 / アブラナの仲間だけあって春に花が咲いて種子から油が採れる。  
英名:daikon radish、Japanese radish / これから見ると大根は日本特産のようですね。  
原産地は地中海沿岸→中国→日本 / アブラナ科という点では原産地は地中海沿岸なのですが、 ヨーロッパではアブラナ科のうちキャベツ類とカブしか改良されませんでした。  
大根は麦が西方から中国に渡来した時に麦畑の雑草として”進入”し、中国人によって栽培野菜化されました。  
日本には中国から弥生時代にはすでに伝えられていたようです。古くはオオネと呼ばれました。(漢字にすれば大根ですね)  
アブラナがヨーロッパへ渡り改良されて蕪(かぶ)やキャベツに発展したのに対し、アブラナの種が麦に混じって中国にわたり麦畑の雑草だったのが改良されて大根になり、それが弥生時代より前に日本に渡来し、日本人の手により太い大根や丸い大根として完成されたわけですね。だから大根と蕪は兄弟みたいに似ていますよね。キャベツは遠い親戚という感じかな。  
大根は全部が根ではない  
大根は大きな根と書きますがいわゆる大根、あの太い根の部分は実は、学問的にはすべてが根ではない。肥大した茎、胚軸と根からなります。発生学的には畑で栽培されている大根の地上に現れている部分が胚軸で地下部がおおよそ根に相当する。肥大部の茎頂側(上側)の2次根の発生が認められない部分は胚軸である。二次根とは根から両側に一列づつ(ひげみたいな根)が出ているやつです。品種改良された店先のダイコンではその痕跡がくぼんだ点の列として観察できます。  
日本での大根の地位  
日本で大根は野菜の王様 / 大根は煮ても焼いても生でも干しても、漬けても、一年中食べられる日本の代表的な野菜で、作付面積、生産量ともに全野菜中一位です。  
大根のライバルはきゅうり / 古代から日本人に好まれた野菜で現在でも生産量では第一位にありますが、しかし最近生産額ではキュウリに抜かれてしまいました。  
大根は煮物、大根おろし、たくあん、刺し身のツマなど、 魚食を中心とする和食に合う野菜です。一方キュウリはサラダなどの洋風の食事に合う野菜です。日本人の食生活の変化がこんな所にも現れているんですね。  
大根の種類  
大根は古くから各地で改良されてきたので100以上の品種があります。世界的にはヨーロッパ系(ラディッシュなど)や中国系の品種もあります、以下は代表的な品種です。現在、 「青首大根」が1人勝ちであまりにも普及してしまっているので、青首以外を「地大根」と呼びます。  
青首大根  
「耐病総太り」という品種で、現在では生産量の95%を占めます。 大根の上部が地上に出て緑色になるという特徴を持つ、宮重(みやしげ)大根の改良型です。辛味が弱く、煮崩れしにくいので最近の消費者からは好まれています。青首大根は一年中採れ病気にも強いという特徴があります。また、 上部が地上に出るという特性のために「収穫時に引き抜くのが楽」(練馬大根は約40kgの力でないと引き抜けないが、 青首は10kgで抜ける)、という生産者の利点があります。また「上から下まで同じ太さなので扱いやすい」 という流通業者の利点もあり、生産者・流通業者・消費者の3者の利害関係が一致して市場独占に拍車をかけました。臣らに並んでいる大根はほとんどこれですね。  
練馬大根  
関東の白首大根の代表品種。主に東京都の練馬で作られていました。主にたくあんに使われます。  
三浦大根  
これは練馬大根から改良されました。練馬よりも中央部がふくらんだ形になっています。 11月と12月に収穫。青首大根の普及とともに激減してしまいました。かつては三浦半島の特産でしたが、 三浦半島でも79年10月の台風によって三浦大根が壊滅的な被害を受けたのをきっかけに、 ほとんどの畑で青首に転換してしまったそうです。辛味が強いので大根おろしに向きます。また、 正月の大根ナマスは三浦大根に限ります。青首で作ると柔らかすぎてべちゃべちゃしてしまいます。 最近は少しづつ三浦大根が復活しているようです。確かに昨年の年末、白首で真ん中の太い三浦大根がスーパーにも少し高い値段で出回っていました。あれはおせち料理のナマス用だったわけですね。  
聖護院大根  
京都の聖護院地区で丸い形に改良されました。直径15cm程度の丸型で、柔らかくて甘味が強い。 11月に収穫されます。最近では京都南部の淀で盛んに栽培され、淀大根とも言われます。  
桜島大根  
世界最大の丸型大根で直径約35cmに達します。聖護院大根と同様、甘くて柔らかい。  
守口大根  
世界最長の大根で長いものでは2mに達します。(直径は2.5cm程度)大阪の守口で栽培されていたものが起源と言われていますが、現在の特産地は岐阜県の長良川河畔だそうです。 柔らかく均質な土壌が2m近く堆積していて(普通は砂地です)、 かつ地下水の低い場所でなければできません。固く辛味が強いので、粕漬け(守口漬け)にします。というよりも全量が守口漬けになってしまうようです。  
亀戸大根  
種を蒔いてから40日でできるという四十日大根の一種で3月に収穫されます。 ニンジンを少し大きくしたような形。浅漬けにするとおいしいと言われます。 1900年頃には東京の亀戸で盛んに作られていましたが、現在は葛飾(東京)の農家3軒で作られているのみとか。  
紅大根  
長崎原産の紅首大根。おじさんは子供のころは四国の田舎でも見かけました。この他の地大根として、福井県・石川県の源助大根(おろし蕎麦に使う)などあります。  
二十日大根  
最近庭に植えようと思って二十日大根の種を買ってきた。インターネットで調べたが、大根の変種でラディッシュの仲間扱いになっていた。赤カブの未成熟で出来損ない見たいなやつである。だけど種の説明の写真では白くてにんじんより太い普通の大根の小型であった。上の亀井戸大根に近いの感じがした。おじさんが子供のころから親しんできたのもこの二十日大根である。ラディッシュではない。乱れているように思った。  
調理の豆知識  
大根は葉に近い部分ほど辛味が弱く、下にいくほど辛味が強くなります。  
大根の煮込み料理でタコやイカが多く用いられるのは、大根に含まれる酵素にこれらを軟らかくするという効果があるためである。  
葉の部分はスズシロ(清白)と呼ばれ、春の七草のうちのひとつである。市販されている大根はほとんどが葉の部分は捨てられたり、販売の際に葉を切り落とされたりしてしまうが、葉の部分の栄養価が高いことはあまり知られていない。  
「大根役者」の語源  
大根の食中毒など聞いたことがないことから、「あたったためしがない」役者=「大根役者」とシャレたという説。一つの有力な定説。大根は煮ても焼いても生で食べてもあるいは何と一緒に食べても食あたりしないから、当たらない役者のことを大根役者というようになった。これが定説としてよく知られているがこれが正しいという証拠は何一つありません。しかしこれが「日本人の常識」だそうです。  
下手な役者ほど、おしろい(白粉)を塗りたくることから、白い大根に例えられた。  
大根は(大根おろしとして)すぐにおろされるから、すぐ下ろされる下手な役者という意味で使われるようになったという説。これも洒落がきいていて面白いですね。  
くろうとに対するしろうとの「しろ」を大根の「白」にかけたという説。  
ちなみに、この読み方、演劇界では「だいこやくしゃ」と言っているとか。そう言えば、関西では大根のことをダイコと言いますね。私の田舎(香川)でもダイコで、「だいこおろし」とか「おろしだいこ」と言っていました。  
大根足について  
「大根足」ってほめことば?  
大根足昔は「白くてきれい」という意味のほめ言葉だったと聞きましたが、足どころか、古くは大根は「白くて なめらかな 美しい女性の“腕”」の比喩に使われていたそうです。  
今のような大きな大根になったのは 江戸時代の後半くらいからで、昔の大根はにんじんを一回り大きくした程度の、本当に女性の腕くらいの太さだったそうです。  
大根足のことを英語ではなんと言うか?  
英語でも大根足という意味の言葉があり、ピアノの足という意味で「Piano Leg」といいます。グランドビアののあの脚ですね。あれもそんなに太くはなくスマートですよね。 
 
■車内化粧

 

鏡とにらめっこ 
誰に見せたいの見られたいの
電車内化粧の実態  
首都圏の女性1500人を対象に調べたところ、電車で化粧経験がある人は19%、全くしたことがない人は81%…30代以下の経験者は軒並み20%を超え、20代後半では経験者が43%に達した。  
なぜ、電車内化粧が増えたのか 
アイメークにこだわるようになり、化粧時間が長くなった。その結果、家の中だけでなく、メーク時間が通勤途中にまではみ出すようになった。  
化粧についての意見「別にいいんじゃないですか」  
化粧の粉が飛ぶほどパタパタするならまだしも、まつげを整えるくらいなら、別に問題ないんじゃないかな。化粧している人を見ても特に不快とは感じない。お直し程度ならいいんじゃないですか。  
「いいモノ見た」  
下地塗るとこから始まり、付けまつげ4枚貼り付けて、魚から夜の蝶に変身したときはいいモノ見た気がした。迷惑だけど、見てるの楽しいよ。あぁ、こうやって変わっていくんだな―とか。  
「時間ないんだったら仕方ない」  
働く女の朝の電車くらいは許してやれよと思う。化粧って時間かかるし、女は夜もスキンケアして寝なきゃならんし結構大変。恥ずかしいという思いはあるけれど、どうしても時間がないときはやってしまいます。マナーは悪いと思うけど、女性にとって化粧は大切。電車やバスで化粧をするのはよくないけど、遅刻しそうなときは多めに見てあげて欲しい。  
化粧についての意見「臭いなんかが気になる」  
ファンデの粉、アイブロウの粉、チークの粉、飛んでます。化粧中は、香料がすごく臭います。満員電車でマスカラを使い始め、電車が大きく揺れた拍子にマスカラを落とし服を汚された…知人がいます。  
電車で化粧を「例えるなら…」  
車内で化粧される気分は、近くで男性にヌード雑誌やスポーツ紙を広げられている時の気分と同じなんです。男が車内でヒゲそってるのと同じことだな。別にするなとは言わねーよ。すげーみっともないけど。パジャマ姿で電車に乗って隅っこの方で着替えられるのと同じくらい嫌な気分がします。こないだ、北野たけしが電車の中で化粧するのって、男が立ちションベンするのと変わらないって言ってた。 
「モラルの問題」  
多くの人が利用する公共の場では、人に迷惑をかける可能性のある行為は避けるべきではないでしょうか?公共の場ではやめてくれって話。ただし法律で禁止されてるわけじゃないし、化粧したから罰せられることはないけど、大多数の人は『公共の場だから我慢』してる。 
 
■車内大股開き

 

言わずもがな 
結果座れる人も少なくなる
 
■厚化粧

 

壁塗り まつ毛一本一本肥らせ 口紅べっとり 
水商売の方の化粧も上品に見えてしまいます 
皺かくし 年寄りも頑張っています
化粧品を多めに使った素顔とは明らかに違う感じの化粧のこと。概ね、自然の肌色より大幅に明るい色のファンデーションを塗る、ベースリッチ型と、濃い色のアイシャドーを広い範囲に塗ったり濃い色のほほ紅、口紅を塗ったりするポイントリッチ型、及び、その両方に分類される。  
加齢 年齢を重ねてくると皺が増えたり肌が荒れやすくなってきたりするので、それをカバーするため、若い時と比べて厚化粧になる場合が多い。  
療養 しみ、あざ、傷あとなどを目立たなくするためにファンデーションでカバーするカモフラージュメイクがあるが、そのために厚化粧の印象になる場合が多い。  
職業 職業によっては若い内から(時には少年少女の頃から)厚化粧する場合がある。若い女性の場合、その職業の影響で普段の化粧も同年代の他の職業の女性より厚化粧になる傾向がある。  
祭り 祭り、晴れ着、音楽、舞踊などの発表会においては、普段は化粧しない人でも厚化粧する場合が多い。特に、普段化粧することがまずありえない男性や少年少女が厚化粧する場合が多い。
もてる女性はベタベタな厚化粧はしない  
男性にもてる女性が備えている特徴としては、べたべたとやたらに厚化粧をしていないということがあります。もてる女性はお化粧が薄いということですね。男性は、女性の外見的な要素を見ています。もちろん、可愛らしい人や美しい人のほうが男性を魅了する確率は上がるでしょう。そのため、多くの女性は、男性の気をひくために、やっきになって、べたべたと厚化粧をしてしまうのです。しかし、これは失敗の始まりです。べたべたと厚化粧をしてしまう女性は男心というものをわかっていないといえるでしょう。男性は、基本的に薄化粧や、もはやすっぴんくらいのお化粧でも女性に対して好意をいだいてくれるものなのです。
化粧の厚さや強調の仕方で性格がわかる  
女性なら、彼とのイベントの日などのデートには、しっかりと勝負メイクをして、鏡と睨めっこしているのではないですか。化粧は、一種の仮面の役割をするものであり、本来の自分をカモフラージュして隠すことができます。ですから、厚化粧の人は、本来の自分とは違った自分を演出しようとする気持ちが強いので、内気で自信がない人は、厚化粧をして強さを表現しようとするのです。一方、自信家で積極性のある女性も、自分をさらに自己アピールしようと考えて厚化粧になることがあります。  
内気な人も強気な人も、心の深層では、自分自身にしっかりとした自信や信念を持っていないため、周囲の人の影響を受けやすいことと、トラブルなどにも弱い一面が潜んでいます。また、女性の中にはノーメイクと見えるほど薄化粧か、あるいはまったくノーメイクの人もいますが、自分の素顔に自信があるのか、あるいはまったく他人の視線を気にしない人のどちらかであり、性格的には、自分自身に対するこだわりが強く、協調性は薄く、他人に対する興味もあまり持ち合わせていないです。次に化粧の強調の仕方でも、女性の気持ちがわかります。  
人間は、誰しも自分にないものを何かで補おうとする傾向があり、それは化粧にも当てはまり、自分に自信を持たせたいところに時間と工夫を凝らして、念入りに手入れするものです。たとえば目力のない女性なら、アイラインやアイシャドウなどで目を念入りに化粧することで、大きくくっきりした目にしようとします。  
また、顔のパーツの中でも、一部のパーツだけ際立った化粧をする人は、そのパーツに自信がないため、知らずしらずのうちに、その部分だけ念入りに化粧をし過ぎてしまい、全体の顔のバランスを無視してしまう場合があります。こういう女性は、ものごとを客観的に把握することが苦手で、自分の思い込みだけが先行してしまい、周囲が見えなくなるタイプといえます。ある意味では頑固で人の意見に耳を貸さないことがあります。  
人相学で言えば、唇は女性器を象徴していますので、唇を真っ赤に塗って目立たせる女性は、男性に対する性的な関心が強い人といえます。
勝負メイクのポイント  
女性は、学校の行事、彼とのデート、大切な合コン、あるいは職場で重要なプレゼンテーションを行うときなどは、化粧の仕方にも自然と気合が入って、勝負パンツならぬ「勝負メイク」をして出かけるのではないでしょうか。化粧をするのは、ある意味で仮面を被ったのと同じような心理状況になるため、いつもにないほど積極的になったり社交的になったりすることができるようです。また、変身状態になることでもあり、いつもと違う自分を演出することができる反面、いつもと違う自分自身にとまどって不安になることもあります。人が他人を見たときに、最初に目が留まるのは何と言っても顔であり、その中でもいちばん印象に残ってしまうのが目ですので、できるだけ目を中心とした勝負メイクをするのがよいでしょう。  
1 華やかな印象のメイク / 目の印象は、眉形とアイラインで決まり、眉を極細のアーチ形に描き、くっきりとしたアイラインを入れると、華やかな印象になります。おしゃれなレストランで食事をするようなデートにふさわしい化粧です。ローズ系の口紅で上唇の上部の山を鋭角的に描くと、華やかな印象がいっそう強まります。  
2 強気で勝負するメイク / ストレートに上がった眉、濃く目立つアイライン、リップラインが強調された濃いめの赤い唇の組み合わせは、華やかさではなくシャープさ、強い積極性、断固とした強腰を感じさせます。この強気な化粧が、プレゼンや意見発表などをするあなたをバックアップしてくれます。実際は不安があっても、それを隠してくれ、あなたの言葉もしぐさも自信に満ちたものに見えるでしょう。  
3 セクシーさを印象付けるメイク / 自然に上がって端でぐっと下がるような眉は、キュートな雰囲気をつくります。アイラインは薄目に、口紅は実際の唇の輪郭よりも大きめに塗ると、頭の回転が速いチャーミングな女性に映ります。知的な会話を楽しむような男性とのデートにぴったり。一見クールな雰囲気の中に、ときおりドキッとするようなセクシーさを見せられれば満点でしょう。  
4 好印象を与えるナチュラルメイク / 最近はナチュラルな印象の女性を好む男性も多いようです。実際の形通りの眉形、アイラインは描かないか、隠れるように描き、唇はベージュなど際立たない色合いでリップラインをぼかす。これが「ナチュラルらしく見せる」お化粧法。これなら陽光の下でも違和感はありませんし、夜でも通用します。デートでも、ふだんの通勤でもOK。どんな場面でも好印象を与えます。 
 
■スマホ歩き

 

自分の世界 
周囲が注意を払ってくれると信じる 甘ったれ
 
■札びらを切る

 

成金 
女を口説く常套手段 
金を派手に使うことを「札ビラを切る」という。広辞苑では「多くの紙幣を惜しげもなく支出する」と解説されているが、札だけでも通用するのに、どうしてビラがついているのか説明はない。また、多くの支出をするの意に、なぜ、”切る”が使われるのだろう。  
私説を述べよう。昔、砂金は貨幣として用いられていた。歌舞伎の「勧進帳」をみると、義経、弁慶らが山伏に身をやつして東北に下る途次、安宅関で検問を受ける場合がある。関守富樫左衛門尉は、義経一行と見破ったものの、見逃してやり、南都東大寺仏堂建立への寄進にと、袋入りの砂金二包みをさし出す。このように砂金は通貨として使われていたが、こまかい支払いには不便なことが多い。そこで、つぎには金の薄板が使われるようになり、これを花ビラといった。のちに紙幣が一般化して、俗に札(サッ)というようになったが、花ビラのビラだけが名残りをとどめ、サッビラとなったのだろう。また、花ビラは支払いのさいに、その金額の大小に応じて適当な大きさに切って使った。ここから「切る」ということばも残ったと考えられる。  
中国が札びらを切る秘密 (英紙デイリー・テレグラフ)  
グローバルブランドにとって、膨張し続ける中国の中産階級は金脈だが、まずはそのターゲットをしっかり理解する必要がある。中国の新消費層にとって、ルイ・ヴィトンのバッグもボルドーの高級ワインも、すべては「金持ちに見えること」が重要だ。もちろん、ほとんどの中国人はまだ貧しい。「2つの中国」が同時に存在しているといえる。  
中国共産党政権は農民革命から始まっているが、政治の基礎は欧米が200年かけて作り上げた工業革命に依存している。父親世代の倹約の習慣を捨て去って急速に広がる消費主義の旗手となっている若者たち。「年配者が若い世代のために資産を残す伝統」により、収入の少ない若者にも大金が転がり込んでいる。  
単純に高級ブランドというだけでは中国人が渇望するメンツを満足させることはできない。高級下着ブランドはまだ中国人の心を射止めていない。中国人女性は自分のことを好きな男性に見せるだけの下着に金をかけない。中国で米国のホームセンター大手「ザ・ホーム・デポ」が惨敗しているのがいい例だ。中国の中産階級はDIYには興味を持たない。手が届くぜいたく品や組み立てサービスのある「イケア」は大成功を収めている。米国ではケンタッキーやマクドナルドは大したことはないが、中国では成功している。  
これからの10年、中国人消費者を理解することは多国籍企業にとって必須事項になる。だが、倹約の精神が中国人のDNAに深く刻まれていることを忘れてはならない。自分は貧しくないことを証明したい若者もやみくもに愚かなわけではない。 
 
■土下座

 

する方させる方
   
■夫婦喧嘩

 

犬も食わない
 
■罵詈雑言

 

品格なし 
口角泡を飛ばす 
 
 
ほっかいどうなら わっかない

 

 
あいうえお
相内(あいのない) 
阿歴内(あれきない) 
磯分内(いそぶんない) 
伊保内(いぼない) 
色内(いろない) 
岩内(いわない) 
犬内(いんない) 
宇遠内(うえんない) 
雨煙内(うえんない) 
歌志内(うたしない) 
歌内(うたない) 
打内(うつない) 
榎井(えない) 
笑内(おかしない) 
小子内(おこない) 
長知内(おさちない) 
納内(おさむない) 
長留内(おさるない) 
尾白内(おしろない) 
晩生内(おそきない) 
雄鎮内(おちんない) 
尾根内(おねない) 
雄信内(おのぶない) 
重内(おもない) 
音根内(おんねない) 
恩根内(おんねない) 
温根内(おんねない)
 
かきくけこ

 

金井(かない) 
神恵内(かもえない) 
木古内(きこない) 
木内(きない) 
宮内(くない) 
黒松内(くろまつない) 
光珠内(こうしない) 
神内(こうない) 
 
さしすせそ

 

札内(さつない) 
札比内(さっぴない) 
狙半内(さるはんない) 
三内(さんない) 
山内(さんない) 
小比内(さんぴない) 
支寒内(ししゃもない) 
寺内(じない) 
志比内(しびない) 
信部内(しぶない) 
朱鞠内(しゅまりない) 
庄内(しょうない) 
陳内(じんない) 
添牛内(そえうしない)
 
たちつてと

 

近内(ちかない) 
茶志内(ちゃしない) 
茶内(ちゃない) 
堤内(ていない) 
統内(とうない)  
 
なにぬねの

 

中札内(なかさつない) 
中内(なかない) 
新内(にいない) 
西馬音内(にしもない)  
 
はひふへほ

 

緋牛内(ひうしない) 
檜内(ひない) 
平田内(ひらたない) 
敏内(びんない) 
振内(ふれない) 
辺毛内(ぺんけない) 
木札内(ぼくさつない) 
細内(ほそない) 
堀内(ほりない) 
幌加内(ほろかない) 
幌美内(ほろぴない)  
 
まみむめも

 

真駒内(まこまない) 
薬袋(みない) 
桃内(ももない) 
紋穂内(もんぽない) 
 
やゆよ

 

弥運内(やうんない) 
宿内(やどない) 
柳内(やない) 
止若内(やむわっかない) 
米内(よない) 
米納(よない) 
 
らりるれろ

 

梨野舞納(りやむない) 
 

 

稚咲内(わかさかない) 
若咲内(わかさくない) 
稚内(わっかない) 
 
 
ふゆはさむいに ちがいない

 

 
■季節は巡る
春夏秋冬 
季節感
 
■春に桜咲く

 

咲けば散り散れば咲きぬる山桜 いやつぎつぎの花さかりかな  
閑かなる時世に花もおくれじと 先づ咲きそむる山桜かな  
それ辞世さる程さてもその後に 残る桜の花し匂はば  
さざなみや志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな  
咲きしより今日散る花の名残まで 千々に心のくだけぬるかな  
陽風に梅も桜も散りはてて 名にぞ残れるみわの郷かな  
世の哀れ春吹く風に名を残し おくれ桜の今日散りし身は  
あす散るも 色は変わらじ山桜  
散る桜 残る桜も散る桜  
友を得てなおぞうれしき桜花 昨日にかはる今日のいろ香は  
散るをいとふ世にも人にもさきがけて 散るこそ花と吹く小夜風  
すがすがし花の盛りにさきがけて 玉と砕けむ大丈夫は  
世の中におしまるる時死にてこそ 花も花なれ色もありけり  
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ  
風さそう花よりもなお我はまた 春の名残をいかにとやせん  
雪の上に春の木の花散り匂ふ すがしさにあらむわが死顔は  
吹くとふく風な恨みそ花の春 もみぢの残る秋あればこそ  
誘ふとて何か恨みん時きては 嵐のほかに花もこそ散れ  
さらばなり苔の下にてわれ待たん 大和島根の花薫るとき  
あだに見よたれも嵐のさくら花 咲き散るほどは春の夜のゆめ  
動かねば闇にへだつや花と水  
風さそう花よりもなほ我はまた 春の名残をいかにとやせむ  
限りあればふかねど花は散りぬるを 心短き春の山風  
散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ  
桜散る風に背を向け目を瞑り 縁者亡者のささやきを聞く 
かすみあへず猶ふる雪にそらとぢて 春ものふかきうづみ火のもと  
春の夜のゆめのうき橋とだえして 峰にわかるる横雲のそら  
おほぞらは梅のにほひにかすみつつ くもりもはてぬ春のよの月  
梅の花にほひをうつす袖のうへに 軒もる月のかげぞあらそふ  
花の香のかすめる月にあくがれて 夢もさだかに見えぬ頃かな  
花の香はかをるばかりを行方とて 風よりつらき夕やみの空  
霜まよふ空にしをれし雁がねの かへるつばさに春雨ぞふる  
くりかへし春のいとゆふいく世へて おなじみどりの空にみゆらん  
鳥のこゑ霞の色をしるべにて おもかげ匂ふ春の山ぶみ  
霞たつ峰の桜の朝ぼらけ くれなゐくくる天の川浪  
屋戸ごとに心ぞみゆるまとゐする 花のみやこの弥生きさらぎ  
山のはの月まつ空のにほふより 花にそむくる春のともし火  
花の色のをられぬ水にさす棹の しづくもにほふ宇治の河をさ  
おのづからそこともしらぬ月は見つ 暮れなばなげの花をたのみて  
なとり川春の日数はあらはれて 花にぞしづむせぜの埋れ木  
きのふまでかをりし花に雨すぎて けさは嵐のたまゆらの色  
木のもとは日数ばかりを匂ひにて 花も残らぬ春のふる郷  
にほふより春は暮れゆく山吹の 花こそ花のなかにつらけれ  
ふりにけりたれか砌のかきつばた なれのみ春の色ふかくして  
あはれいかに霞も花もなれなれて 雲しく谷にかへる鶯  
春はいぬあを葉の桜おそき日に とまるかたみの夕ぐれの花  
 
■夏は暑い

 

わがこころ弥生ののちの月の名に 白き垣根のはなざかりかな  
まきの戸をたたくくひなの明ぼのに 人やあやめの軒のうつりが  
たまぼこの道行きびとのことづても たえてほどふる五月雨のそら  
夕暮はいづれの雲のなごりとて はなたちばなに風の吹くらん  
うつり香の身にしむばかり契るとて 扇の風の行へたづねば  
夕立のくもまの日影はれそめて 山のこなたをわたる白鷺  
立ちのぼり南のはてに雲はあれど 照る日くまなき頃の大空  
泉川かは波きよくさす棹の うたかた夏をおのれ消(け)ちつつ 
 
■秋に紅葉が赤くなる

 

秋とだに吹きあへぬ風に色かはる 生田の杜の露の下草  
天の原おもへばかはる色もなし 秋こそ月の光なりけれ  
明けば又秋の半ばも過ぎぬべし かたぶく月のをしきのみかは  
こしかたはみな面影にうかびきぬ 行末てらせ秋の夜の月  
しのべとやしらぬ昔の秋をへて おなじ形見にのこる月影  
いこま山あらしも秋の色にふく 手ぞめの糸のよるぞかなしき  
夕づく日むかひの岡の薄紅葉 まだきさびしき秋の色かな  
見渡せば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮  
さむしろや待つ夜の秋の風ふけて 月をかたしく宇治の橋姫  
ひとりぬる山鳥のをのしだりをに 霜おきまよふ床の月影  
夕づく日うつる木の葉や時雨にし さざ浪そむる秋の浦風  
小倉山しぐるるころの朝な朝な 昨日はうすき四方のもみぢ葉  
時わかぬ浪さへ色に泉河 ははその杜にあらし吹くらし  
吹きはらふ紅葉のうへの霧はれて 峯たしかなるあらし山かな  
秋はいぬ夕日がくれの峰の松 四方の木の葉の後もあひ見ん  
おのづから秋のあはれを身につけて かへる小坂の夕暮の歌  
松虫の声だにつらき夜な夜なを はては梢に風よわるなり 
 
■冬に雪が降る

 

花すすき草のたもとも朽ちはてぬ なれて別れし秋を恋ふとて  
人とはぬ冬の山路のさびしさよ 垣根のそばにしとと下りゐて  
風のうへに星のひかりは冴えながら わざともふらぬ霰をぞ聞く  
冴えくらす都は雪もまじらねど 山の端しろきゆふぐれの雨  
かきくらす軒端の空に数みえて ながめもあへずおつるしら雪  
をはつせや峰のときは木ふきしをり 嵐にくもる雪の山もと  
駒とめて袖うちはらふかげもなし 佐野のわたりの雪の夕暮  
待つ人の麓の道やたえぬらん 軒端の杉に雪おもるなり  
白妙のいろはひとつに身に沁めど 雪月花のをりふしは見つ  
おもひいづる雪ふる年よ己のみ 玉きはるよの憂きに堪へたる  
 
■梅雨に雨

 

七重八重花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞあやしき 
兼明親王   
(かねあきらしんのう) 延喜十四〜永延一(914-987)別称/前中書王・御子左大臣/醍醐天皇の第十六皇子。母は藤原菅根女、淑姫。源高明の異母弟。源姓を賜わり、臣籍に下って、承平二年(932)、従四位上。播磨権守・右近衛中将・左近衛中将などを経て、天慶七年(944)、参議。天暦七年(953)、権中納言。同九年、中納言。康保四年(967)、従二位・大納言。天禄二年(971)、左大臣。貞元二年(977)、勅により親王に復し、二品中務卿。寛和二年(986)、卿を辞す。晩年は嵯峨に隠棲。『本朝文粋』に詩文を残す。勅撰和歌集入集は後拾遺集の1首のみ。『古今和歌六帖』の撰者に有力視されている。  
「小倉の家に住み侍りける頃、雨の降りける日、蓑借る人の侍りければ、山吹の枝を折りて取らせて侍りけり、心も得でまかりすぎて又の日、山吹の心得ざりしよし言ひにおこせて侍りける返りに言ひつかはしける  
七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき」 (後拾遺1154)  
通釈 / (詞書)小倉(京都嵯峨の小倉山付近)の家に住んでおりました頃、雨の降った日でしたが、来客があって、帰りがけ蓑を借りたいと言われたので、山吹の枝を折って持たせました。その人は事情が呑み込めずに帰って行きましたが、何日か経って、山吹の真意が解らなかったと言って寄越したので、その返事に歌を届けました。  
表の意 / 山吹の花は七重八重に咲くのに、実が一つも結ばないのは不思議です。  
裏の意 / 山吹ではありませんが、お貸しすべき蓑ひとつ無くて心苦しいことです。  
語釈 / みのひとつだに「実の一つだに」「蓑一つだに」の掛詞。八重山吹の花が実を結ばないことに、貸すべき蓑がないことを掛けている。なきぞあやしき無いことが申し訳ない。「あやしき」は、この場合「道理や礼儀にはずれている」程の意。江戸時代の流布本などでは「かなしき」になっている。  
補記 / 後世、湯浅常山の『常山紀談』巻一「太田持資歌道に志す事」などに引かれ、広く知られるようになった(太田持資は太田道灌)。  
 
■異常気象

 

2014年は次の黒点周期の山となる 
その前後は異常気象となりやすい
 
■黒点

 

黒点周期を11年とするとき(直近で10.7年である)  
直近の黒点の山は1993年
 
■地球温暖化

 

温暖化の停滞  
中期的には黒点活動の影響から  
結論を急げば これから2016年まで温暖化は停滞する  
仮説1  
黒点数がある個数以上になると地球への熱エネルギー供給効果となる  
持続的な熱エネルギーとなる黒点数の境界は月間71-74個である  
単純にこれを合計して年間の黒点積数[850-890]とする  
仮説2  
黒点周期を11年とするとき(直近で10.7年である)  
3周期(32年)で地球に蓄積された熱エネルギーの補給放出が繰り返されている  
直近の谷は1977年 山は1993年  
仮説3  
日本近海で気温・水蒸気が同時に増減する周期がある  
黒点4周期が1周期(40年)となっている  
直近の谷は1977年 山は1996年  
雑説  
黒点活動1周期の初期36ヶ月の月間黒点数の合計は周期期間中の総数に比例する、総数はその3.33倍である  
日本近海では基本的に26-30ヶ月周期での気温変動に規則性がある、北極上空気象の周期と相関か?  
日本近海での暖流の北限位置の周期は4-5年、直近の山は2006-2007年  
 
■間氷期

 

今は間氷期にあたる 
人為的な温暖化ではないのかも 
 
 
いっぽんみちは あてどない

 

 
■人生一路
山あり谷あり  
我が道を行く
善事なし暇な毎日悪事なし 倶生つきあう無事な一生 
 
■送り提灯

 

提灯を持たずに夜道を歩く者の前に、提灯のように揺れる明かりが、あたかも人を送って行くように現れ、あの明かりを目当てに行けば夜道も迷わないと思って近づくと、不意に明かりが消え、やがて明かりがつくので近づくとまた消え、これの繰り返しでいつまで経っても追いつけない。  
石原割下水では「提灯小僧」といって、夜道を歩いている者のそばに小田原提灯が現れ、振り返ると後ろに回りこみ、追いかけると姿を消すといった具合に前後左右に自在に動き回るという伝承があり、本項と同一の怪異と見られている。  
同じく本所七不思議のひとつ「送り拍子木」は、提灯が拍子木になったのみで、同様の怪異である。また、江戸時代には向島で「送り提灯火(おくりちょうちんび)」と呼ばれる、送り提灯と似た怪異の伝承もあった。ある者が提灯も持たずに夜道を歩いていると、提灯のような灯火が足元を照らしてくれる。誰の灯火かと思って周りを見ても、人影はなく、ただ灯火だけがある。男は牛島明神の加護と思い、提灯を奉納したという。もしも提灯を奉納しないと、この提灯火に会うことはないといわれた。 
 
■川の流れ

 

明日香川しがらみ渡し塞(せ)かませば 流るる水ものどにかあらまし  
 [柿本人麿 / 明日香川に塞(せき)を渡してとめたら、流れ去る水も皇女の遠ざかることも、  
 ゆるやかになるにちがいないのに。]  
年月もいまだ経(へ)なくに明日香川 瀬瀬(せ・せ)ゆ渡しし石橋もなし  
 [年月もそれほど経っていないのに、明日香川の瀬から瀬へと渡した石の橋も今は無い。]  
穴師川川波立ちぬ巻向の 弓月が岳に雲ゐ立てるらし  
清滝や波に散り込む青松葉  
花いばら故郷の道に似たるかな  
うれひつつ丘にのぼれば花いばら  
五月雨をあつめて早し最上川  
わが病やうやく癒えて歩みこし 最上の川の夕浪のおと  
ながらへてあれば涙のいづるまで 最上の川の春ををしまむ
 
■失業

 

地道な努力と自己ブランディング  
私の仕事人歴はかれこれ25年になりますが、その間、1年4ヶ月、11ヶ月、10ヶ月の長期失業を経験しました。なかなか仕事が見つからず長期失業状態にあると、「大変ですね」と同情の言葉を掛けられることが多いのですが、私にとっては自分自身を見つめ直すいい機会になったし、多くの学びがありました。  
最大の学びは、仕事人は目の前の仕事がなくなると“ナイナイづくし”の状態になり、その状態から抜け出すには、地道な努力と自己ブランディングが重要だということです。どんなに有名な会社に勤務し、どんな高いポジションに就いていても、その人からその会社の看板をはずし、地位を取り上げると、その人は“ただの一個人”になります。かつては、その人の勤務先の看板や地位に頭を下げてくれた周囲の人たちも、その人に人間としての魅力や仕事人としての能力を感じなければ周囲から去っていきます。寂しい話ですが、これが世の中の現実です。  
私は自分自身がナイナイづくしの状態を経験したことでそのことに気付きました。会社勤めしていた際には、自分を名乗る時に会社の名刺を差し出してそれで仕事の紹介をすることができました。でも、仕事を失ってみるとそれができないので自己紹介のし方が難しくなるのです。仮に自分以外は全員現役の仕事人という会合に参加した場合、その時点で何も仕事をしていなければ居心地の悪さを感じてしまうでしょう。実際私自身そんな場面を何度も経験しましたが、自己紹介する際にも何となく気後れしたものです。  
似たような感覚は、例えば、誰でもが知っているような有名企業から名もなき中小零細企業に転職したような場合もあるかもしれません。それが自ら望んだ転職ではなく不本意な転職の場合はなおさらです。  
ただ、いつまでも腐っていてはその状態から抜け出せませんので自分で何とかするしかありません。  
腕一本で生き抜いている職人やフリーランスの世界では、地道な努力を積み重ね、自分で自分自身をブランディングすることでお客さんをつくっていくというのは当たり前です。ところが、勤め人の場合は、多くの場合いろんなものを組織から与えられ、いろんな面で組織から守られているので、組織をはずれた途端急に不安定な状況に陥り弱くなってしまいます。これは実際に自分が組織を離れてすぐに転職しないでしばらく失業状態を経験してみるとよくわかります。  
自分で何とかする、そのやり方は人それぞれでしょう。  
私がやったのは、ネットを使って自分を世間にアピールし、世間から自分への注目度を高めることでした。そのためにブログをいくつも立ち上げ、また複数のSNSに入会し、それぞれのSNSにたくさんのコミュニティをつくって管理人をつとめたりしました。一番長く続いているブログは当ブログで約8年になりますが、当ブログも自己ブランディングを意識して始めたものでした。その他にも、SNSのコミュニティのオフ会に頻繁に参加していろんな人と面識を持ったり、新橋飲みを極めてその世界ではちょっとした有名人になったり、その他諸々地道な努力を積み重ねてきました。  
ことわざでいえば、「千里の道も一歩から」、「ローマは一日にしてならず」といった感じでしょうか。  
人はえてして、成功した人や有名人を見るにおいて、成功後の姿や有名になってからの姿だけを見て憧れたり、感心しがちですが、でも、成功した人や有名になった人は、成功するまで、有名になるまでその人なりの地道な努力を積み重ねているものです。人を見る時は本当はそういう過程の部分まであわせて見なければならないのです。そうしないと、自分も同じようになりたいと考えた人の中には安易な方法で同じようになれると思い込んでしまう人もいるでしょうから。繰り返しになりますが、今の自分から今の仕事をとった時にナイナイづくしであるなら、日頃からの地道な努力と自己ブランディングが重要になります。  
そんな地道な努力、あなたはしていますか? 
 
■恋

 

昨日けふ雲のはたてにながむとて 見もせぬ人の思ひやはしる  
初雁のとわたる風のたよりにも あらぬ思ひを誰につたへん  
うへしげる垣根がくれの小笹原 しられぬ恋はうきふしもなし  
さゆりばのしられぬ恋もあるものを 身よりあまりてゆく蛍かな  
なびかじな海士の藻塩火たきそめて 煙は空にくゆりわぶとも  
久方のあまてる神のゆふかづら かけて幾世を恋ひわたるらん  
年もへぬ祈る契りは初瀬山 をのへの鐘のよその夕暮  
こぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くやもしほの身もこがれつつ  
あぢきなく辛きあらしの声もうし など夕暮に待ちならひけん  
帰るさのものとや人のながむらん 待つ夜ながらの有明の月  
久方の月ぞかはらで待たれける 人には言ひし山の端の空  
夜もすがら月にうれへてねをぞなく 命にむかふ物思ふとて  
さぞなげく恋をするがの宇津の山 うつつの夢のまたし見えねば  
浜木綿やかさなる山の幾重とも いさしら雲のそこの面影  
わすれずは馴れし袖もや氷るらん 寝ぬ夜の床の霜のさむしろ  
契りおきし末のはら野のもと柏 それともしらじよその霜枯  
消えわびぬうつろふ人の秋の色に 身をこがらしの杜の下露  
むせぶとも知らじな心かはら屋に 我のみ消たぬ下の煙は  
思ひいでよ誰がきぬぎぬの暁も わがまたしのぶ月ぞ見ゆらん  
なく涙やしほの衣それながら 馴れずは何の色かしのばむ  
白妙の袖の別れに露おちて 身にしむ色の秋風ぞ吹く  
かきやりしその黒髮のすぢごとに うち臥すほどは面影ぞたつ  
たづね見るつらき心の奥の海よ 潮干のかたのいふかひもなし  
心をばつらきものとて別れにし 世々のおもかげ何したふらん  
わすれぬやさは忘れけり逢ふことを 夢になせとぞいひて別れし  
心からあくがれそめし花の香に なほ物思ふ春の曙  
 
■迷子

 

あの時、もう一つの道を選んでいたら・・・  
今、振り返ればあの時が人生の分かれ道だった。こんなことを考えたことがある方は多い事と思います。では、今の道ではなく、もう一つの道を選んだあなたの人生はどうなっていたのでしょう。  
今よりも良い人生を送っているでしょうか?  
あるいは悪い人生だったのでしょうか?  
今となっては分らないし考えてもしょうがない。そう思うかもしれません。  
でも、本当に考えてもしょうがないんでしょうか?  
人の人生には何十万通り、何百万通りもの生き方があります。いや、その数は無限なのかもしれません。  
生き方を『道』に例えるなら、そのルートは数えきれないくらいあるということです。  
ですが、『道』がたどり着く先、つまり人生のゴールはというと わずか三通りのステージで分類出来てしまうんです。もちろんルートの数だけ様々な結末はあるのですが、大きく分類で分けると三種類しかないということです。  
この話しは別に宗教的な話しではありません。  
私が過去にお会いしてきた沢山のご相談者の方々との経験から、人生は3種類に分けられると言うことに気付いたのです。  
一つ目は『光の人生』と名付けました。  
この人生は、大きな迷いや悩みを抱えることもなく、最高の愛に包まれて過ごす人生。幼き頃からの夢を現実のものとして、思い描いた通りのことが出来る人生。富や名声を確保し、他人に振り回されることなく順風満帆に生活できる人生。などなど、形は人それぞれですが、悔いを残すことなく長い人生を全う出来る。常に眩しい光に照らされて、包まれている。それが『光の人生』なのです。そう、誰もが憧れる素晴らしい人生だと言えるでしょう。ただし、この人生を全う出来る人は非常に少ないです。それだけに、人々はこの人生を送りたいと願います。  
さて、二つ目の人生は『光と影の人生』  
この人生は良悪が入り混じった人生。言い換えれば「普通の人生」です。そこそこの幸せと、そこそこの不幸がほぼ半々で訪れます。時に自分を殺して我慢することが多い。時に自分は幸せだと噛みしめることも多い。『恵まれた人生』を夢見つつも、現状に満足している自分もいる。この人生を送る人は確率論上からも多いんです。そう、文字通りの普通の人生です。  
三つ目は『影の人生』  
この人生は「可哀想な人生」です。不幸と悲しみに好かれてしまった辛い人生です。自分が意図する方向にはまるで進まない人生。様々な困難や障害が行く手を阻む人生。人間関係に苦しんだり、お金に苦しんだり、孤独に苦しんだりする人生。形はたくさんありますが、総じて決して笑顔ではいられない、嫌な人生です。また、辛くても、本気で助けてくれる人はいないんです。本気で気に掛けてくれる人もいないですし、むしろ避けられることが多いんです。また、『光の人生』を歩む人の影響下でしか生きられずに、自分は光を浴びることなく縁の下で終わる。そんな人生。そう、まったく笑えない人生なんです。  
『光の人生』『光と影の人生』『影の人生』人生にはこの3つのステージしかないんです。  
オギャーと生まれた日から誰もが、このいずれかのステージのゴールを目指して歩いている。一秒も休まず歩き続けているんです。そして、三〜四十年も歩くと見えてきます。遠くに微かに自分のゴールらしきものが見えてくるんです。そのゴールが光に包まれてハッキリと見える人もいれば少し霞みがかって見えずらい人もいます。なかには暗い闇に包まれてわずか一歩先も見えない人も。  
人生は一本道ではありません。様々な分かれ道を自分で選んでそして、今あなたはここにいるんです。これからも何回もの分かれ道に向き合うことでしょう。その時、あなたは右に行きますか?それとも、左でしょうか?  
誰でも『光の人生』を歩みたいと願っています。そして、現実に『光の人生』を歩いている人もいます。『光の人生』を送る人は、最高のルート選びをしてきた人なんです。よく人生を『あみだくじ』に例える人がいます。でも、その例えは間違っています。なぜなら『あみだくじ』は最初のチョイスでゴールが決まってしまうからです。これは人生で言えば、生まれた瞬間に人生のステージが決まっていることになります。でも、恵まれた家庭に生まれた子は、恵まれた人生を送っているのでは?そう思われるかもしれません。しかし、その答えはノーなんです。裕福で恵まれた家庭に生まれても、その後の人生の道順を間違って不幸に泣く人はたくさんいるんです。もちろん、その逆もあります。貧しい家に生まれた子が、将来、大成したり、幸せになる話は世界中にあります。  
人生は決して『あみだくじ』ではなくて、連続する『選択の結果』なのです。  
もし、あなたが今『光の人生』へと続く道を歩いているとしても明日のルート選びを間違えてしまうかもしれません。もし、あなたが今『影の人生』へと続く道を歩いているとしても明日のルート選びで『光の人生』へと続く道をチョイスするかもしれません。  
人生の道を選ぶ。なんだか大きなことに感じるかもしれません。もちろん、大きな決断に迫られる分岐点もありますが分岐点の大きさは「大」「中」「小」の三つあります。「大きな決断」は現実の世界で言えば国道のような太い道の交差点でしょうか?この分岐点は5〜10年に一回ほどあなたに決断を迫ってきます。  
たとえば進学。たとえば就職や転職。たとえば結婚。でも、こういった大きな分岐点での決断機会はそう多くありません。  
しかし、ここを間違えると全く見当違いな方向へ進むことになります。後戻りは出来ないことも多く、仮に後戻りした場合は大きな労力と時間を浪費します。それだけに、失敗の許されない「選択」場所です。  
「中位の決断」は県道のような道の交差点です。この分岐点は一年に1〜2回ほどあなたに決断を迫ってきます。たとえば、大学のサークルはどこにするか?たとえば、手狭になってきたので引越しするか否か?たとえば、転勤を命じられた時に家族で行くか単身赴任するか?これらの決断機会は人生において比較的多いものです。しかし、人生の核となるものを形成する決断になることもあります。  
「小さな決断」は生活道路のような狭い路地道での分かれ道です。この分岐点は毎日あなたに決断を迫ってきます。たとえば、今日の食事は何にするか?たとえば、ドアが閉まりそうな電車に飛び乗るか否か?たとえば、休日の過ごし方はインドアかアウトドアか?一見どうってことはない普段の生活上の小さな決断ですが、この小さな決断の正否が時に大きな結果をもたらしたりします。そう、何気なく選んだ小道が、実は「光の人生」へと繋がる起死回生の近道だったり、何気なく選んだ小道が、行き止まりだったり・・・。  
人生とは大小の決断の連続に、時間が掛け合わさって形成されています。つまり、目の前に現れたすべての分岐点を自分で選び自分の足で一歩一歩、歩いてきた結果が今のあなたなのです。自分のルート選びが正しかったか、間違っていたかは現時点ではまだ100%は分らないかもしれません。ですが、今いる自分のステージに照らされている光が強いのか弱いのか、は何となく分かっているのではないでしょうか?今、あなたの感じるステージが例えば『光と影の人生』だとしたら、なぜ、そのステージにいるのでしょう?もし、その理由が分かれば残りの人生を歩む上で大きなヒントになるかもしれません。人は誰もが『光の人生』でゴールを迎える事が出来る道のりを持っています。ただ多くの人がその道筋から外れてしまうだけなんです。つまり道に迷ってしまうんです。  
道に迷わず進む。それが『光の人生』への唯一の到達方法です。  
では、どうすれば道に迷わず、人生を歩めるのでしょうか?その答えを求めるには逆に考えてみることです。  
どうして人は道を間違えるのか?  
人が道を間違えるシステムが理解できれば、自ずと正しい選択が出来るようになるはずです。  
 
■南無阿弥陀仏

 

一念発起  
みづから一念発心せんよりほかには 三世諸仏の慈悲も済ふこと能はざるものなり  
 
■二河白道

 

極楽浄土に往生したいと願う人の、入信から往生に至る道筋をたとえたもの。「二河」は南の火の川と、北の水の川。火の川は怒り、水の川はむさぼる心の象徴。その間に一筋の白い道が通っているが、両側から水火が迫って危険である。しかし、後ろからも追っ手が迫っていて退けず、一心に白道を進むと、ついに浄土にたどりついたという話。煩悩にまみれた人でも、念仏一筋に努めれば、悟りの彼岸に至ることができることを説いている。
 
■三途の川

 

人は死ぬと七日目には三途の川の辺に到着。人が冥土に行く為には、渡らなければならない三つの川、すなわち「葬頭川」(そうずがわ)三瀬川(みつせかわ)「渡り川」がある。川の流れは三つに分かれていて、前世の行為(業)にしたがって、それぞれにふさわしい流れを渡ることになる 。三途とは地獄・餓鬼・畜生の三悪道のことだが、この川の辺に衣領樹(えりょうじゅ)という木がある。木の下には「奪衣婆」(だつえば)という老婆がいて、木の上には「懸衣翁」(けんえおう)というお爺さんがのっている。お婆さんが着ている衣類を脱がせ、木の上のお爺さんに渡し、木の枝に掛けると、その重みで枝が垂れる。枝の垂れ方で生前の罪の軽重が分かる仕掛けである。その「懸衣翁」と「奪衣婆」が、35日目の閻魔大王の裁判に、陪席しているので嘘の申告は出来ないのである。  
倶生神(くしょうじん)  
どんな人間でも生れ落ちた時その瞬間から、二人の神様がその人の両肩に乗かっているそうだ。神様だから重みを感じない。この神様の名前は「倶生神」で、左の肩には、男の神様が、右の肩には女の神様が乗る。この倶生神が、閻魔大王の命により、その人の善行・悪行の全てを記録している。男の神様は善行を、女の神様は悪行を記録し、35日目の閻魔大王の裁判の時、肩から降りて、閻魔大王に最大漏らさず奏上する。 
 
■冥途

 

死後、死者の霊魂がたどって行く道。亡者のさまよい行く世界。地獄・餓鬼・畜生の三悪道など。  
賽の河原  
子どもが死んで行くといわれる冥途にある河原。子どもの亡者はここで恋しい父母のために小石を積んで塔を作ろうとするが、何度作っても鬼が来てすぐこれをくずしてしまう、そこへ地蔵菩薩が現われて子どもを救うという。 
 
 
こいぬがいっぴき あどけない

 

 
■子猫
家族の取り持ち役  
黒猫の兄弟 唯一の欠点 目をつむると黒い塊 写真写りの悪いこと  
 
■迷子

 

自分の所在が分からなくなり、目的地に到達することが困難な状況に陥った子供、もしくはその状態を指す。百貨店や行楽地、その他雑踏においては、本人の目的に関わりなく、引率者から子供の所在を確認できなくなった時点で迷子とみなされる。子供だけではなく、成人でも初めて訪れた場所などでは同様の状況に陥りやすくなり、迷子と呼ばれることがある。また知的障害や自閉症、認知症の成人にも起こりやすいが、こちらは徘徊(はいかい)と呼ばれることが多い。迷子は、警察機関や施設管理者等により適切に保護されなければ、第三者による連れ去りや猥褻行為などの対象となる可能性があり、生命に危険が及ぶ場合もある。  
迷子札  
迷子になることが予想される子供に、あらかじめ氏名、住所、電話番号などを書いた札を持たせ、子供を保護した人からの連絡を求めるものである。迷子札を落とさないように、また迷子札を所持していることがわかりやすいように首からぶら下げることが多いが、遊んでいるうちに紐が引っかかって首を吊ってしまう事故が発生したり、名札と同様、誘拐事件などに利用されることがあり、現在ではあまり推奨されていない。  
神隠し  
1 喪中に神棚を、白い紙や布で覆う慣わし。2 人間がある日忽然と消えうせる現象。神域である山や森で、人が行方不明になったり、街や里からなんの前触れも無く失踪することを、神の仕業としてとらえた概念。古来用いられていたが、現代でも唐突な失踪のことをこの名称で呼ぶことがある。天狗隠しとも言う。多くの場合は不明者は神域に消えたと考えられた。  
縄文時代以前から、日本の神や霊魂の存在が信じられており、神奈備(かむなび)や神籬(ひもろぎ)や磐座(いわくら)・磐境(いわさか)は、神域(常世・幽世)と現世(人の生きる現実世界)の端境と考えられており、禍福をもたらす神霊が、簡単に行き来できないように、結界としての注連縄が張られたり禁足地になっていた。これは人も同様であり、まちがって死後の世界でもある神域に、入らないようにと、考えられていたからである。  
記録によれば、生還者の言葉はシャーマンの口寄せと共通する内容であったとされる。  
不明者を人々が総出で捜索する際、定まった道筋を通り、鉦や太鼓を叩いて不明者の名を呼ぶなど、ある種の呪術的儀式を伴っていたと、うかがわせる伝承も少なくない。  
神隠しの「神」とは、神奈備、神籬、磐座などに鎮座する抽象的ないわゆる古神道の神だけでなく、天狗に代表される民間信仰(古神道)としての山の神や山姥・鬼・狐などの山や原野に係わる妖怪の類などもある。子供が遭ってしまう伝承も多いことから、子供を亡くした雨女という妖怪の仕業であるとも伝えられる。(各地に神隠しを行う妖怪の存在が伝えられている)。  
柳田國男が採録した『遠野物語』にも神隠しの話・事例が収録されている。  
『吾妻鏡』の記述として、平安時代の武将平維茂の子である平繁成は、誕生間もなく行方不明となり、4年後、夢の中のお告げで狐塚の中から発見されたという伝承がある。この時、狐が翁の姿に変じて現れ、刀と櫛を与えていった(この刀と櫛は家宝となった)。権威付けのための伝承ではあるが、神隠しの記述としては古い部類に入り、後述の沖縄の伝承と含めて、東北から沖縄にかけて、神隠しにあった者と櫛が関連して語られていることが分かる。  
沖縄県では、神隠しを物隠しとも呼び、いったん物隠しに逢った者は自分の櫛を持って帰ろうと戻って来る。そして再び出て行ってしまうとされる。その為、物隠しに逢った家族は早速当人の櫛を隠して取られないようにする。それでも、締め切っている部屋の中から知らない内に取られてしまうこともあるとされる。研究者によると、櫛と神の関係をよく示している伝承としている。神を祀る者は櫛を必要としたため、物隠しに逢った者は櫛を取りに戻るとされる。近世になり、天狗の仕業と捉えるようになった本州より、古い型の伝承と見られる。  
かつて、東京都八王子地方では、子供が神隠しに会った場合、両親が近くのよばり山に行き、そこで子の名前を呼ぶと、大抵、どこからか出て来たとされる。また、部落総出で行列を作り、太鼓を叩きながら、「かやせ、もどせ」と呼びながら捜し回る風習も広く見られたとされる。  
神域は上記のような自然の環境が移り変わる場所だけでなく、逢魔時や丑三つ時のように、一日の時刻にもその神域へ誘う、端境であると考えられた。そしてこれらが時代を経るにしたがい、神籬や磐境だけでなく、道の形状の特徴的な峰や峠や坂や、時には人の作った橋や村境や町境などの門や集落の境界や、道の交差する辻などにまでおよび、さらに社会基盤が充実すると、伝統的な日本家屋の道と敷地の間の垣根や、屋外にあった便所や納戸や蔵、住居と外部を仕切る雨戸や障子なども、常世と現世の端境と考えられ、神域へ誘う場所とされた。  
結界 このため現世と常世を簡単に往来できぬように、注連縄だけでなく御幣や節分での「鰯の魔除け」などが結界として設けられた。お盆にホウズキを飾るのも常世へ旅立った祖霊(祖先の霊)や精霊が、現世に迷わず辿り着けるようにと、気遣って設けられた「道を照らす鬼火の灯」に例えたものである。  
道標 もともとは、「道に迷わないよう」にと作られた道標(みちしるべ)でもあるが、「集落に禍が及ばないよう」や「まちがって神域に入らないよう」にとの思いからの結界でもある。同時に、旅や道すがらの安全を願って建立された塚や、それに類する石造りの像が、今日でも信仰され路傍にひっそりと佇んでいる。 
 
■ハイハイ ヨチヨチ歩き

 

 
 
■片言

 

舌足らずのカマトト言葉
かまとと(カマトト)  
(または「かまとと振り」) 「かまぼこのことを『これは魚(とと)か』と聞く」ということから、無知・世間知らずを装ってかわいらしく見せる人(特に女性)を指す。江戸時代に遊女が世間知らずを装うため、蒲鉾を指してこれが魚なのかと問うたことに由来するといわれる。  
何も知らぬ振りにとぼけた、人を喰つた主として若い女を指していう。つまり見かけは初心(うぶ)そうで内実はすれている。所謂食わせ者の意である。説によると、これはもとヅカ言葉(宝塚歌劇の人達の特殊語)で、ある女の子が、「蒲鉾つて、板に乗つて海の中を泳いでいるの?」と云つたやらで、それからかまとと(蒲鉾魚)と云う語が出来たと云うのであるが、最近、前田勇(大阪学芸大学教授)が「新関西新聞」紙上でこれを反駁して一荷堂半水の戯作「ことわざ臍の宿替」十篇に、釜魚(かまとと)と題して、次のような記事のあることを紹介している。「此の魚は市中にては稀れに聞くことあれど、多くは色町島々にもちひて、ちよつと一ばしは食へるやらなれど、なかなか胸中に毒ありて、うかつに食すべからず。年増芸子は格別に好まざれど、舞子、振袖は好んでこれを好く、然れども、多くは姉女郎のすすめによつてなるべし。料理の仕方は大抵同じすじなれば通客はこれを受けず、そうたいお上りのやぼ客をよろこばす魚なり。一名スカタンともいう」。して見ると、これはヅカガールの創作ではなく、もつと古く江戸時代から大阪で行われていた言葉が、たまたま楽屋言葉として、宝塚あたりに再現されたものと見なければならない。 
ぶりっ子  
性格類型のひとつ。ぶりとは振るから来ており(大辞泉)、何らかの振りをしているの意味で、主に男性の前で無知なふりをして甘えている、非力のふりをしている、わざとらしい女らしさ(愛らしさ、可愛らしさ)のアピールをしている(「猫を被る」と同義)と解釈した人間がこれに対し否定的な見解を示す時に使われる言葉。  
ぶりっ子の中でも、本当は知っているのに知らないふりをするふるまいをカマトト(語源には諸説あるが、知らぬふりをして「かまぼこっておとと(魚)でしょ?」というあるセリフからきているという説がある)とも言う。ただし、「カマトト」という言葉そのものは「ぶりっこ」以前から存在する。  
1979年の時点で江口寿史の代表作『すすめ!!パイレーツ』に「かわい子ぶりっこ」という言葉が登場している。「かわいい子ぶる(かわいいふりをする)子」を、江口が独自に変化させた言葉だと考えられる。これがマスコミで「ぶりっ子」という言葉が最初に使用された例とされている。なお、この時に「ぶりっ子」として描かれたのは石野真子である(作中の登場人物が、石野真子の姿を真似て「わかんないですぅ」と言う)。これがアイドル歌手の松田聖子(1980年デビュー)の人気と共に世間に広がったと見られる。  
当初は若者の間の流行語だったと言えるが、従来の「カマトト」を置き換える形でこの言葉が広まり、若年層だけではなく中高年層にも新語として定着した。1981年に人気を獲得した女性コメディアン山田邦子のギャグから一般的な流行語になったと見る向きもある。1981年12月には、『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』というレコードがヒットした。  
1982年には、銀蝿一家の弟分紅麗威甦(グリース、ヴォーカルは現在俳優の杉本哲太)が『ぶりっ子ロックンロール』をリリースして小ヒットした。  
松田聖子 / 「ぶりっ子」の典型例と言われたのが松田聖子である。松田は1980年に歌手デビューし、人気アイドルとなったが、やっかみや反感もあってか何かとからかわれることも多く、歌番組での嘘泣き疑惑などが女性漫才コンビの春やすこ・けいこの十八番の持ちネタにもなった。当時のアイドル歌手の大半は程度の差こそあれ「ぶりっ子」的な傾向を持っていたとされ、その中で松田が殊更「ぶりっ子」だとされたのは、「親しみを込めた、からかい」との見解もある。 
 
■無い物ねだり

 

無い物ねだり  
何かを得るということは 何かを失うということ  
何かを失うということは 何かを得るということ  
何かが有るということは 何かが無いということ  
何かが無いということは 何かが有るということ  
何かをたくさん得るということは 何かをたくさん失うということ  
何かをたくさん失うということは 何かをたくさん得るということ  
何かがたくさん有るということは 何かがたくさん無いということ  
何かがたくさん無いということは 何かがたくさん有るということ  
何かが「有る」と  
いろんな意味で束縛されるよな、自由になれないよな  
有ることを当然のように思って、手放したくないとも思うよな  
でも、手放したらどんなに楽だろう、自由になれるんだろう  
何かが「無い」と  
何か不安になる、このままで良いのかと考えてしまう  
なんとかして手に入れようといろいろ手を打ってみる  
そして、手に入れたと同時に何かを失う  
所詮どっちもどっち、無い物ねだり  
有れば無い方が良いと思い  
無ければ有る方が良いと思う  
でも、人間の掌は、握るか、離すか、それしかできないんだよ 
田舎暮らしは「無い物ねだり」  
都会の利点は、近代的・便利・スピーディーというところでしょうか?お金さえ持っていれば、近くで何でも手に入り、街にはネオンがキラキラしていて、車が無くても分刻みで交通手段がある。一言でいうと何不自由ない贅沢な暮らしができる場所であるという事です。  
次に田舎の利点ですが、開放感がある・のどか・時間に縛られないといったところでしょうか?人口密集率が低い為、周りの景色は自分だけのもの!のような気持ちになる。のどかというのは、急ぐ手段が無いからのどかなのです。JRは1日に7、8本。JRの駅に行くまでのバスは、1時間に1本程度。1本乗り遅れたら、車でもない限り、絶対1時間は時間が開いてしまう。急ごうと思っても急げないのです。 焦ってはダメだという事。慣れてしまうとこんな、のんびりとした時間の流れで十分暮らしていけるのです。  
この私の意見が100%正しいと断言はできませんが、これだけ生活習慣が違えば、求めるものが違って当たり前なのです。  
いらっしゃったお客様の言葉に初めて気付かされた事が何回かありました。当宿1階のダイニングルームからは、天気の良い日は霧多布湿原が一望できるのですが、昼過ぎから夕方の日没まで、その景色を眺めていたお客様が「贅沢ですねぇ」と、一言おっしゃいました。天気の良い晴れた日の夜は、天の川まで見える満天の星空に「初めて天の川を見ました」と言ったお客様もおりました。私達にとって毎日見る景色でも都会では見れない景色であり、ここにしか無い景色だと見て贅沢だと感じてくれる。キレイだと感激してくれる。そして、この何も無い宿を「いいところ」だと感じてくれる。私は都会の人達が何を求めているのかなぁ?と深く考え始めました。  
そんな時、地元の方との会話の中で、「どうして、都会の人ばかりがウチの宿に宿泊するのか?」という話になった時、その方は、「自分が旅行に行く時は、絶対に都会の街の中のホテルに泊まる」という話をしてくれました。「どうしてなんだろう?」と更に聞くと、「毎日ウマイ空気を吸って、美味いものを食べているのに、どうして田舎から違う田舎に行かなければならないのかそれなら、都会の真ん中に行きたい」という答えでした。確かにそうだ!田舎に暮らす人が、田舎に興味を持つ事は、かなりの確率で低いと思います。逆に都会に暮らす人達は、普段の自分達の生活には、あまり関係のない田舎の方に興味がいくのが当然なのだと感じました。  
『無い物ねだり』という言葉があるように、都会に暮らす人は、田舎への興味を持ち、逆に田舎に暮らす人は、都会に興味を持つのだと感じました。『田舎暮らし』は、都会に暮らす人達の『無い物ねだり』なのでしょうか? 
愛とは、無い物ねだりすることではなく○○すること  
突然ですが、「あなたにとって、愛とは何?」ときかれたら、この「愛とは○○」にどんな言葉を当てはめますか?   
映画『プリティ・イン・ニューヨーク』の原題は『You Stupid Man』で優柔不断なダメ男が主人公。元カノを引きずって落ち込んでいたオーウェン(デヴィッド・クラムホルツ)を見るに見かねた友人がナディーン(ミラ・ジョヴォヴィッチ)を紹介します。  
お互い第一印象は最悪だったものの、少しずついい関係を築いていくのですが……。男女の友情を描いた物語は多いけれど、元カノのクロエ(デニース・リチャーズ)に未練が残るオーウェンの相談を受けつつ、ナディーンもまた前の彼と半年前に別れてから恋愛については模索中。バレンタインデーに“次の一歩”が踏み出せないcold feet(逃げ腰)なオーウェンにナディーンが贈ったもの、「その笑顔を見て元気が出た」というナディーンへのオーウェンの贈り物、それぞれに相手を想う気持ちが表れているというのに、人は自分の手に入らないものを追いかけたくなってしまうものなんですよね。  
そして、身勝手な元カノに振り回されて、自分を傷つけたオーウェンに対してナディーンが言ったのが「愛とは、無い物ねだりすることではなく、コミットメント〈覚悟〉することなのに」というセリフ。無い物ねだりとは、無い物を欲しがること、実現できないことをムリに望むことです。オーウェンとナディーンを見守る新婚カップルもまた結婚したとたん、お互いのあらを探し始めて安定した生活に息苦しさを感じてしまいます。  
人は1つ手に入れたら、また次のものが欲しくなり、自分が持っていないものは何だかステキに見えてしまうのです。“人の振り見て我が振り直せ”……自分に相応しい愛に気づくためにはどうしたらいいのか。鈍感なオーウェンの愛の物語にはたくさんのヒントが詰まっています。 
心理学に学ぶ恋愛テクニック  
「類似性の法則」と「同一化」という2つの恋愛心理学をご紹介します。この2つはとても関連性の高い心理学です。  
類似性の法則  
人は内面や環境が自分と似ている相手に好感を抱くという心理です。内面や環境とは、具体的にどのようなものでしょう。下記に、類似していた方が望ましい項目を重要な順から並べてみます。  
言語 / 人種 / 居住地域 / 健康レベル / 魅力レベル / 生活リズム / 倫理観 / 食べ物の好み / 教育レベル(知能) / 趣味 / 家柄 / ファッションの系統 / 宗教 / 社交性  
特に上位の7つは大事です。この7つが大きく違っていると、互いに大きなストレスを感じますから、恋愛に発展することはあまりないといえるでしょう。  
「類は友を呼ぶ」という諺がありますが、自分の友人関係を見回していると、一番仲の良い交友グループは、同じ感覚を持ち合わせている友人の集まりではありませんか?オタク同士、派手な者同士、柄の悪い者同士が仲間になるのも、この法則があるからなのです。そしてこれは、恋愛においても当てはまります。共通点の多い異性ほど、惹かれやすいのです。  
余談ですが、「恋愛はないものねだり」とか、「人は自分と似てない人を好きになる」とかもよく言われますよね。これでは類似性の法則が全否定されてしまいます。しかしこちらも正解。類似性の法則は、考え方や環境など内面的特徴について述べている心理学的見解です。一方、ないものねだりする対象は、内面的なことではなく、「自分は背が低いから、背が高い人がいい」「自分は容姿が美しくないから、きれいな人がいい」など、身体的特徴を示す医学的見解です。ですから、内面的な部分では同じものを好み、外面的な部分では逆のものを好む傾向に、人はあるのです。  
話を元に戻します。  
なぜ「類似性の法則」が成り立つのでしょう?その理由は、「脳のストレスを減らすため」「精神的なコストを減らすため」なのです。いくら好きでも、言語が通じなかったり、生活習慣が違ったりすれば、一緒にいるのがだんだんと不快になってきます。  
例えば、あなたの好きな外人俳優(女優)から告白されたとしても、一夜を共にすることはできても、1ヶ月同棲することは難しいでしょう。恋愛感情は維持できなくなるはずです。もし恋愛に発展して交際したとしても、結婚に至ることは極めて困難です。ここまで「類似性の法則」という人間の恋愛本質を説明しましたが、似た者同士でないと恋愛は成立しないのでしょうか?必ずしもそういうわけではありません。  
同一化  
「同一化」とは、男女が付き合いだすと、2人の趣味や生活リズム、考え方、価値観などが、似てくることです。長年連れ添った夫婦や、交際期間が短くても仲のいいカップルなどは、驚くほど口調、しぐさ、雰囲気などが似ていることがあります。それは「同一化」が成功しているためです。  
結婚や長く付き合う為には、同一化は絶対条件なのですが、その為に相手に合わせようと無理をするのは疲れてしまうし、例え無理をして同一化をしても、いずれボロが出て、結局は破局してしまいますよね。  
長続きする為の同一化は、自然に身を任せるのが一番ですが、しかし、出会ったばかりで交際に発展する前でしたら、「同一化」を有効活用できるのです!  
テクニックをご紹介する前に、、、大学の始業式、会社の入社式などで、出身が同じ人を見つけると親近感が湧いたり、合コンの席で趣味が合う人に惹かれたりしたことはありませんか?これが「類似性の法則」が働いている状態なのですが、類似性の法則が働くとその相手に好意を持つのであれば、意図的に相手に合わせて、『同一化』を測ればいいのです。  
具体的にどうするかと言うと、初対面時の話題として、「どこに住んでるの?」「出身は?」「何月生まれ?」「兄弟は?」「趣味は?」「インドア派?アウトドア派?」「好きな食べ物は?」「好きなスポーツは?」など、自分と相手の共通している可能性のあることを聞いてみましょう。そして、嘘をつかない範囲で、相手に合わせて同調するのです。  
例えば、「へー、インドア派なんだ。体鍛えてそう見えるからアウトドアかと思ったけど。私も意外と外に遊びに行くより、家でまったりゲームしてるの好きだったりするんだよね」とか、「イタリアン苦手なんだ!女の子なのに珍しいね。でも俺も実はこってりしてるものより、さっぱりしてる物の方が好きで、和食もそうだけどアジア系の料理が結構好きだよ」など、相手に同調しながら、話を膨らませていきましょう。  
もし噛み合わなかったら、違う話題にシフトチェンジして、共通点があったら、そこを掘り下げていきます。「え?!ホント!2月生まれなの? 俺も!誕生日2月だよ」など、些細な事でも、共通点を大げさに驚いてみると、あたかも運命的な出会いのように錯覚してしまいます。そしてなるべく共通点を多く見出せるほど、「話が合う」「気が合う」と相手からの印象は深まります。  
ただし、相手と合わせなくてはと焦るあまり、ただ「私も、それ好き」などと端的に返答してしまうと、相手は単なる社交辞令か、あなたの「好かれたい」という気持ちに重さを感じてしまうこともあります。  
大事なのは、どうして自分がそれを好きなのか、などの理由を一緒に添えてみたり、(例:「自分も、父の影響で、ワインが好きになった」)相手とどういう風に同じなのか、などの詳しい説明も添えましょう。(例:「自分も、人が沢山いると気遅れしてしまうから、少人数の方が好き」)  
このように「同一化」を測ることで、親しくなりたい初対面の相手と、一気に仲良くなることができるのです。 
 
■あどけない話

 

高村光太郎
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。 
 
■乙女・生娘・操

 

死語
 
■処女

 

死語
昔話1 
着物アルバムの写真撮影に立ち会う  
写真家は篠山紀信 モデルは山本陽子
スタジオに山本が入ってきた
「私、今日は処女よ」 
艶めかしいジョークが第一声だった
昔話2 
銀座のお姉さんに教わった 
「女性の手の甲を見て、血管が浮き出ているほど、男性経験が豊かなのよ」 
どれどれと隣のヘルプの女性の手を取り 手の甲を観察した 
お姉さんが 鈍感な私のために言ったジョークだったのかも 
遊びに行っても 接待側なので女性の手など触ったことがなかった 
このジョークを使い 他店で品良く女性の手に触れた
 
■でき婚

 

楽しんで少子化解消
 
■十八女 (サカリ)

 

由緒正しい地名 
安徳天皇(女帝)は阿波に逃れ、供をした湯浅但馬が萱野の開拓した地で十八歳を迎えられたので、十八女村の地名が生まれたという。  
 
 
かねがないのは しかたがない

 

 
■貧乏人は麦を食え
先見の明 
健康食品
御承知の通りに戰争前は、米一〇〇に対しまして麦は六四%ぐらいのパーセンテージであります。それが今は米一〇〇に対して小麦は九五、大麦は八五ということになつております。そうして日本の国民全体の、上から下と言つては何でございますが、大所得者も小所得者も同じような米麦の比率でやつております。これは完全な統制であります。私は所得に応じて、所得の少い人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つたほうへ持つて行きたいというのが、私の念願であります。池田勇人 (大蔵大臣) 参議院予算委員会 昭和25年12月07日 
「貧乏人は麦を食え」はマスコミ報道であり、池田本人の言ではない。  
 
■格差

 

格差  
同類のものの間における、程度(水準・資格・等級・価格・格付け、レベル)などの差や違いである。また、社会問題の一つとしての意味合いを込めても用いられる語であり、貧富の差(経済格差)などを意味しても用いられる。  
格差社会 / ある基準をもって人間社会の構成員を階層化した際に、階層間格差が大きく、階層間の遷移が不能もしくは困難である状態が存在する社会である。このことは社会的地位の変化が困難、社会移動が少なく閉鎖性が強いことを意味している。格差社会は社会問題の一つとして考えられている。学問的には、社会学における社会階層研究や、教育社会学における不平等や地位達成研究(進学実績、教育志望、職業志望研究)、経済学における所得や資産の再分配研究と関連している。 
格差の発生の背景・原因  
大元には、「何を格差ととらえるか」という国民の意識の変化がある。そして、意識の変化には社会の変化が影響を与えている。また、実態を適切に把握せずに、イメージ論で語る状況もあるという。IMFは格差の主因として「技術革新」と「金融のグローバル化」を指摘している。一方で、よくいわれる「(貿易自由化といった)経済のグローバル化」については、「格差拡大と有意ではない」として疑問視している。  
経済構造の変化  
高度成長から低成長への変化、工業製品の大量生産・大量消費のオールドエコノミーから情報やサービスを重視するニューエコノミーへの変換、IT化、グローバル化により、企業の求める社員像は、「多数の熟練社員(多数の学生を採用し、OJTによって育て上げ、熟練職員にしていく)」から、「少数の創造的な社員と、多数の単純労働社員」とに変化していった。この流れは、バブル崩壊による長期不況及び、1997年の山一証券の破綻に端を発した金融不安に対応する社会経済の構造改革などによって加速した。年功序列制度の廃止、正社員のベアゼロなどの給与抑制や採用抑制、人員削減が行われ、パートタイマー・アルバイトや契約社員などの賃金が安い非正規雇用者が増加した。全雇用者に占める非正規雇用者の割合は、1980年代から増加傾向で推移しており、2010年には全雇用者の34.4%を占めている。  
学校システムの機能不全  
企業の求める社員の像、規模が変化したことにより、企業に人材を送り出す、学校を取り巻く状況も変化した。企業が多数の正社員を必要としなくなったため、良い大学を出ても、良い企業に採用してもらえるとは限らなくなった。また、各個人の価値観も多様なものとなり、学生の方でも、必ずしも一流大企業と言われる企業を望まなくなった。これにより、「良い大学を出て、良い企業に入る」というシステムがうまく働かなくなった。また、受験競争の過熱もあって、塾や予備校などが普及し、小・中・高校における公立学校の地位は国立学校・私立学校に比べて低下しており、一般に一流と言われるような難易度や社会的評価の高い大学に進学するには、義務教育や公立校によってなされる授業のみでは難しくなっており、保護者にある程度の資力がないと教育に要するコストを十分負担することが出来なくなっている。  
家庭の変化  
「大家族で、夫が外で働き、妻は専業主婦として家事をこなす」というモデルが主流であった頃は、以下のような対策を取ることによって社会リスクを回避し、格差を顕在化させなかった。  
収入低下のリスク  
家庭の稼ぎ手は夫のため、年功序列制度によって将来の収入増の見通しを立てるとともに、夫が亡くなった場合は遺族年金などによって収入をカバーしていた。  
老化のリスク  
老化し働けなくなった場合は、子供に養ってもらうことによって生活することを前提としていた。  
だが、この家庭モデルは、核家族化、離婚増による母子家庭化によって崩れていく。さらに、「社会リスクを回避するためのもの」だった家庭は、変化によって逆に「社会リスクを増幅し、格差を生産するためのもの」へとその役割を変えていった。  
夫、妻の父母が裕福かどうか  
裕福な父母がいれば、援助が受けられるが、貧しい父母がいれば、介護をしなければならず、負担となる。 
格差社会の影響  
格差社会の影響として、過少消費説などをもとに、経済活動の衰退、生活水準の悪化、経済苦による多重債務者の増加、経済苦によるホームレスの増加、経済苦による自殺者の増加などを懸念する声があり、また、国民の公平感が減少することで規範意識の低下、治安の悪化が起こることを懸念するものもいる。なお、かかる議論等において、論者が用いている「格差」なる用語が、いかなる差が生じた場合までを含めて議論しているかについては、必ずしも共通理解があるわけではない。  
国際的社会疫学調査などによると、一般に社会的格差が大きい国ほど国民の平均寿命は短く、その中でも貧しい層の寿命が短い。これは先進国より、貧しくとも平等な国における平均寿命が長いケースがあることから、絶対的経済力ではなく、社会格差が健康に影響を及ぼしている可能性が指摘されている。  
貧困層・低所得者層の増加は所得と婚姻率に見られるように経済的要因による婚姻の減少そして少子化も引き起こす。少子化による労働人口減少により社会保障制度の破綻なども懸念される。  
スタンフォード監獄実験は、人為的に作られた格差によって、看守役は日々より残虐になり、囚人は虐待により精神を病むか死亡することを証明した。すなわち、平等な社会においてのみ、社会の健全性・安全・道徳および世界平和は維持され、人々は幸福に生きることを証明した。 
格差社会に関する議論  
格差については、「格差は、頑張った人が報われた結果生じるもので、格差がある社会自体は否定されるべきではない」というように肯定的に捉える論者も多い。2000年以降、小泉純一郎、安倍晋三、中西輝政、竹中平蔵、橋下徹、奥田碩、宮内義彦、御手洗冨士夫、鈴木修、三浦朱門、八代尚宏など(つまり新自由主義・新保守主義を奉じる人々)が肯定的な発言をしている。また、「格差論は甘えです」(奥谷禮子)、「格差は能力の差」(篠原欣子)などの発言もある。  
ただし、『勝ち組』の中には起業家のように自ら起こした事業で財をなした者もいるが、親や係累から引き継いだ世襲財産に恵まれた者も多い。鳩山由紀夫首相は施政方針演説においてガンジーの言葉を引用し、マネーゲームを「労働無き富」として社会的大罪であると批判したが、逆に鳩山自身の祖父や母からの多額の生前贈与こそが「労働なき富」であると批判された。  
実際、格差社会を肯定する発言をする者は、自身が経済上・社会上著しく恵まれたポジションにある事が多く、自己肯定の発言と受け取られる事もある。小泉純一郎は、首相退任後に国会内の自民党控室で中川秀直幹事長らと会い、「『格差はどんな時代にもある』と、なぜはっきりと言わないんだ。自分は予算委員会で言い続けてきた。君たちは日本が近隣諸国より格差があると思うか」と持論を展開したが、 自身は世襲政治家(3世)として著しく恵まれた境遇にある。  
松田公太、橋下徹のように、一代で「勝ち組」にのし上がった格差社会肯定論者は、極端な競争賛美に傾倒し、「負け組」に対し「起業して、死ぬ気で努力して成功すれば良い」と非現実的な極論を主張している。  
格差社会肯定論に対しては、生活保護世帯が増加し続けて100万世帯を超えたことや、ワーキングプアが増加していることなど、貧困層の拡大を指摘して批判する声がある。また、「努力した者が報われる」という命題自体に対して、「努力は経済的成功の必要条件であっても十分条件ではなく、人脈や運や才能にも恵まれなければ成功しない」といった形で疑問が出されることもある。また、「いつの時代にも格差はあるが、それを放置してよしとするのは弱肉強食の論理である。下級層を保護するのが政治の役割ではないか」と苦言を呈する者もいる。また、格差が極大化することで、下層からのチャレンジが不可能な世襲状態となり、社会の活力が失われる事を危惧する意見もある。  
山田昌弘や苅谷剛彦は、「努力が報われる社会」以前に、「格差社会においては、努力する環境に格差が生じている(親の収入・教育水準・教育に対する意識等の家庭環境、子供のやる気等)」と、また湯浅誠は自著『貧困襲来』で「努力が報われる・報われない」以前に「貧困が存在する事」自体が問題であると指摘している。  
こうした批判に対して、批判論者の批判に反発を持つ者の側からは、  
大卒と高卒の生涯賃金の差は日本は世界で低い部類に入る(ただし、これは日本が学歴社会ではないということを示しているだけで、所得格差自体が少ないことを意味するものではない)  
生活保護世帯を総世帯で割った生活保護「率」で見た場合、バブル以前の日本社会に戻っただけ(むしろ、高齢化が進んでいるのだから、生活保護世帯が増えるのは当然)  
2003年からのジニ係数の低下  
(家族共同体を重んじる立場から)親や先祖、家の行いが現在の格差に繋がっている。個人主義を掲げるのに、横の共同体だけを肯定し現在の平等を要求、しかし縦の共同体を無視する論調は矛盾している  
(歴史としての格差を見る立場から)格差が少なかったのは戦後の高度経済成長期という、歴史的に見れば日本の2600年の間で僅か20年にも満たない「異常な期間」である  
なくすべきは貧困であり、格差ではない。  
そもそも格差社会を批判するのは、その人の物事の中心に金がある拝金主義だからである(内田樹などが提唱)  
といった意見が出されている。  
ただし、上記のような意見を持つ者が格差社会肯定論者とは限らない。「格差が悪いというわけではない。貧困が問題」というのは、雨宮処凛のような反貧困論者も発言している。 
格差社会のメリット  
実力が評価される  
格差社会は実力や資本によって差がつく社会であります。それは逆に考えると「実力さえあれば誰でも成り上がることができる社会である」と捉えることができるのです。これは格差社会の良い部分であるでしょう。  
一言で格差社会と言ってしまうと悪いイメージが湧き起こりますが、格差社会自体は悪いものではありません。問題なのは格差の程度になります。格差社会が進みすぎて貧困層と裕福な層が完全に二極化してしまうと問題になります。しかし実力があれば評価される社会は素晴らしい社会だと捉えることができます。その人の努力次第で実力はいくらでも高めることができるのですから。  
実力が全く評価されない社会は存在します。このような社会だと努力をしても無意味だと感じてしまい、労働意欲も低下してしまいます。資本主義から生まれる格差社会は努力すれば成り上がることができるのです。よくアメリカンドリームという言葉が使われますが、アメリカンドリームは夢を叶えることのできる土台があるから成り立つのです。ジャパンドリームも可能であります。  
実力が評価される社会を大切にしていきましょう。実力主義社会で勝ち残っていくためには自らの実力を高めなければいけないのです。実力さえあれば評価して貰えるので、まずは実力をつけることから始めていきましょう。実力主義は悪いことではありません。 
夢を追うことができる  
これは格差社会でなくても夢を追うことはできるのかもしれません。しかし格差社会は実力主義社会です。高い実力を誇っていれば夢を実現することは可能です。夢実現に向けて努力することが可能なのです。生まれたときから身分が定まっており、どんなに優秀でも職業が決められていると夢を追うことも難しくなってしまいます。資本主義は自由な社会でありますが、夢を追うことも自由なのであります。  
夢を追うことのできる社会は素晴らしいものです。夢を追うためにはそれ相応のリスクが生じますが、リスクが高ければ高いほどリターンは大きいのです。リスクを恐れる人は夢を追うことができません。リスクを恐れることも重要ですが、時にはリスクを承知で行動しなくてはいけないのです。その結果失敗してしまったとしても自己責任で済まされます。厳しい社会ですがやりがいのある社会であると言えるのです。  
資本主義社会は荒波に揉まれる社会であると考えることができます。社会の波は荒く激しいものでありますが、そこには自由があります。この荒波をどう泳いでも良いのです。  
夢を追うことのできる社会はありがたいものであります。確かに夢を追うことに失敗したときは自己責任が付きまといます。自己責任という言葉はとても便利です。何に対しても自己責任という言葉は活用することができるのです。夢を追うときは自己責任を認識しなければいけません。 
格差は仕方ない?  
格差問題についてよく話題に上がるのは「格差は仕方ない」という意見です。確かに多少の格差は仕方のないものであるでしょう。格差があるからこそ、人は働く意義を見いだすこともあるのです。  
全ての格差問題を暫定するわけではありませんが、格差が良い面を持っているという部分にも注目しなければいけません。格差を認めるという意見も必要となるのです。格差は悪いという意見が一般的に広まっておりますが、全く格差のない平等な社会だと労働意欲が萎えてしまうこともあるのです。  
努力量に比例した評価が下されないと、人は少しずつ努力することに無駄を感じてきます。自分のために生きる人も多くいらっしゃり、今の生活を改善するために努力するのは悪いことではありません。高い給料を得るために努力するのは建設的な行動であり、努力を続ければ続けるほど収入は拡大していくのです。  
その結果、格差社会が広がってしまったとしてもそれは仕方のないことかもしれません。努力した人間と努力をしない人間とで差が付いてしまうのは当たり前のことであり、収入に差が生じるのも根本的な問題でしょう。  
実力には格差が生じて、収入には差が生じないというのは疑問に思える部分もあるのです。それ相応の実力を身につけている人は然るべき収入を手に入れるのが物の道理ではないでしょうか。格差社会がすべて悪いというわけではないのです。 
何事も自分自身  
格差社会の一部分となるのは自己責任です。自己責任というと冷たく素っ気ないイメージが湧きますが、そもそも人生の大半が自己責任で成り立っております。  
人は自分自身の行動と決断に責任を感じて生きていかなければいけません。何が正しくて何が間違っているかは誰もわからないのです。時には誤った決断を下してしまうかもしれません。誤った行動をとってしまっても結果は自己責任という形で降りかかります。  
しかし自己責任を常だと思えば何も怖がる必要はありません。人生は自己責任が原則なのです。この原則を認めないと幸せになることも難しくなってしまいます。他人に責任を押し付けるのはとても簡単です。しかし自己責任という言葉を重くかみしめることができれば、責任転嫁したい状況にあっても自分自身を見直すきっかけがつくれることでしょう。  
自分自身の取り組みが一番重要になるのです。他人を頼っても構わないのですが、最終的に決断を下して実行するのは自分自身です。その際に他人の言動や行動を気にしてはいけません。格差社会ではさまざまなライフスタイルが展開されております。何も自分の生活を人並みにしようとする必要もないのです。もちろん向上心をもって取り組むのはいいことですが、無理をしてまで生活レベルを上げる必要はありません。  
自己責任を強く実感して生きていきましょう。成功をおさめるためにはそれなりのリスクを背負う必要があるのです。 
 
■借金

 

昔サラ金 今消費者金融  
「お客様の力になれたら それが私たちの励みです」  
難波金融伝  
金の話しは大阪が舞台のほうがおもしろい  
人間が金に振り回される様を「しゃぁない奴やなぁ」と斜めに見てるのが大阪の文化。これは東京の文化と決定的に違う。「世の中、すべて銭ずらぁ」と言う銭ゲバも大阪でこそ笑えるが東京の文化では「悲惨な奴」となる。しかし、実態は東京のほうが金にエゲツナイのだ。  
東京人と大阪人と名古屋人がタクシーに乗った話しがある。目的地に到着して大阪人は「ワリカンにしましょ」、東京人は「いやいや私が払いますから」、「そりゃイカンわ、ワリカンでいきましょう」。その会話を名古屋人は黙って見ていた。ってのが有る。このあたりは金への執着については逆な見方ができる。大阪人は小銭で貸し借り関係を作りたくない、東京人は小銭で海老で鯛を釣りたい、名古屋人は払わなくて良いのなら払わない。つまり、貸し借りの関係の意識は無い。  
番組は「難波」を舞台に展開する。それも裏金融の「萬田金融」が中心。ここには唯一のポリシー、いやフィロソフィーが有る「借りたら替えす」それだけ。金利は「十一(といち)」十日で1割。それも複利計算。それでも金を借りに来る人々には背中に人生の歴史を背負っている。  
基本は東京的な「悪がはびこるのは許せない」って鼠小僧的だが、視聴者には何が悪で何が膳かを自ら決める主人公の萬田に水戸黄門と同様の爽快感を得ているのだろう。  
裏金融は狐と狸の化かし合い  
結局誰が「最後のババのカードを引くか」が裏金融の仕組みなのだが、強敵は(笑い)自己破産。ドラマは弁護士がチェックしているようだが、最後の落としどころ「自己破産」は避けている。もちろん、トラマとして成り立たない故だが。  
「借りたものは替えす」=「貸したものは取り戻す」がフィロソフィーなのだが、そこに大阪風の人情も振りかけられてる。これがこのドラマの救いだろう。金が金を生む金融は所詮世の中に巣喰う必要悪なのだ。それが解っていて、それでもこの商売を辞められない主人公の「何故裏金融にこだわるのか」の哲学が随所に出てくる。必要悪なのだから俺がやらなければ誰かがやる。ならば、俺がやって少しでもエグイ事は辞めよう。そんな姿勢だ。これすら、社会的に認められるものでは無い。あえて汚れ役を担う悲哀が演じられてる。  
最後のババのカードを引くのは小悪人では無くて大悪人でなければならない。そんな痛快さもこのドラマにあるのだ。残念なのは先の番組専従弁護士の見解が前面に出るのだが。本当は「無理が通れば道理が引っ込む」みたいな所まで攻めると「男は辛いよ」とか「釣り馬鹿日誌」まで上り詰めるのだが、ここは、そこそこなのが良いのかもしれない。  
金は儲けるものでは無くて、使うもの  
「金は天下のまわりもの」ってのが江戸からの文化にあるが、実は大切なのは「まわる」ってことなのだ。先の大阪人と東京人、江戸時代の関西と関東の違いは「まわる」ことにある。大阪が経済の中心、東京(江戸)が武家の中心と言われるが、実は、東京こそが経済の中心だったのだ。  
経済とは何か、それは貨幣の活発な流通である。大阪商人がせっせと財を蓄えているよりも、東京が「宵越しの金は持たない」ってほうが経済は活性化するのだ。一定期間に何回金が人の手を経たか、それが経済である。前に「子供銀行」の話しで述べたが、金が流通する様が経済なのだ。金が蓄積される(滞留する)と経済は停滞するのだ。  
裏金融が貸さない、工場は倒産。で、工場に貸していた金融は不良債権化、富を失う。がしかし、工場が操業を続ければ従業員にも給料が払える、その給料で町の野菜屋から野菜を買う、野菜屋は新たな仕入を出来る。そんな流れが断ち切られるとの苦しくても継続するのではどちらが「経済」に貢献してるかは明らかだ。  
「経済は富の集中では無い、富の流通なのだ」。こんな常識が実は忘れ去られている。亀井の馬鹿は「株価が高いのが経済活性化の指標」なんて言っている。小泉に至っては「株価に一喜一憂せず」なんだなぁ。金は流れてこそ金なんだよ。しょせん、紙っぺらなんだから、これが効力を持つのは流れてこそ、誰かが流通を止めてはそもそも貨幣の意味すら無くなるのだ。  
何事にも「信念」「志」が大切  
結局「闇金融」の必要悪ってのは必要な人が居て供給する人が居るって自己責任社会にマッチしたシステムなんだろう。金はフローであるってのが最近の経済評論家の意見だが、そのとおりだ。明日手形が落ちなければ「といち」でしのぐしか無いのだ。そもそもフローまで考慮した企業なんて誰のための企業なのか。株主への利益還元なんて100年もまえの資本本位主義社会だろうが、その奴隷に会社はなっているから裏金融が必要悪になるのだ。  
たぶん、これからの日本は「有限会社」が増えるだろう。上場して株価でストックオプションなんて事は「誰のための会社か?」ってことに答えてないのだ。  
人間は強くなければならない。「萬田金融」は情報、人的ネットワークでその強さを補完している。例え逆境に挑んでも、人間は頑固一徹が人生には必要なのかもしれないって事だ。 
 
■低賃金

 

 
 
■身の程知らず

 

 
 
■人の行く裏に道あり花の山

 

ビジネスの世界でもよく耳にする格言です。誰も見ない、行かないようなところにチャンスがある、といった感じの格言です。株式で言うなら、人気もなく、出来高も少なく、安値、けど誰も買おうとしない株のことです。こういった逆張りは長期でしか買えない投資方法です。信用取引で はも使えません。ただ人の裏を行けば良いというわけでもありません。道のないところを歩く勇気と道なき場所を踏みしめて道にしていく努力が必要です。こうして花の山に辿り着くということです。
 
■無駄遣い

 

 
 
■大盤振る舞い

 

人々に気前よく金品や食事を振る舞うこと。盛大にもてなすこと。大盤振舞。  
大盤振る舞いの「大盤」は当て字で、本来は「椀飯振る舞い・椀飯振舞(おうばんぶるまい)」と書く。「椀飯」とは椀に盛った飯のことで、「わんばん」から「わうばん」、さらに「おうばん」へと変化した。平安時代、公事や儀式のときにお椀に盛った食事が振る舞われることを「椀飯振る舞い」と言ったが、江戸時代に入ると庶民にも伝わり、正月などに大勢の人を集めて開く酒宴を「椀飯振る舞い」と言うようになった。さらに、豪勢な印象からか、現在は「椀飯」と「大盤」が混同されて「大盤振る舞い」が多く用いられるようになり、食事に限らず気前良く振舞うことを言うようになった。 
安倍首相が地元で大盤振る舞い / 「お膝元」山口県で大型事業が続々  
「国土強靭化」(防災目的の公共事業推進)を訴えた自民党の政権復帰で、疲弊する地方が公共事業復活に大きな期待を寄せる中で、早くも「国土強靭化バブル」とも呼べそうな大盤振る舞いの実態が明らかになりつつある。舞台は安倍晋三首相の「お膝元」、山口県だ。  
一月、下関市内での年頭の挨拶で中尾友昭市長は、地元選出(山口四区)の安倍首相発言を紹介した。首相は、「(自分が)総理大臣になったから(公共事業が増えて)下関は良くなりますよ」と強調、具体的事業として「山陰自動車道」(山口県下関市 - 鳥取市)と「第二関門橋」の建設を挙げ、「国交省OBの山本繁太郎知事が誕生したのだから必ずできます」と太鼓判を押したというのだ。  
下関市長の口を介して地元への利益誘導を約束した形だが、初めて首相になった二〇〇六年当時にも安倍氏は、父・晋太郎氏の生まれ故郷、長門市での支援集会で「山陰自動車道は必要でしょうし、インフラ整備、基礎的な基盤をつくっていくのも政治家の大きな使命」と推進論を公言している。この時は「体調不良」による辞任で実現に至らなかったが、首相に返り咲いた今、かつての地元支持者への「約束」を遅ればせながら実現しようと意気込んでいるようだ。  
"安倍道路"に"安倍ブリッジ"  
すでに布石は打たれていた。昨年七月の山口県知事選で安倍氏自身が先頭に立って支援した山本候補は「山陰自動車道の全線開通」を公約に掲げている。県知事選告示直前の決起大会(七月七日)で安倍氏が「(経済成長のためには)建設国債発行と日銀買い取りで積極的な公共投資が必要」と訴えると、山本氏も「県内の産業の再起動には、港湾や道路のアクセスなど基本的な(インフラ)環境整備を最大限の努力で進めなければならない」と決意表明したのだ。  
しかし日本海側の過疎地域を通る山陰自動車道は費用対効果が低く、山口県内の全長百十五キロメートルのうち、開通区間は「萩・三隅道路」(長門市 - 萩市)のわずか十五キロにすぎない。安倍家の故郷・長門市が始点であることから"安倍道路"とも呼ばれる萩・三隅道路を走ると、残り八割以上の百キロで建設が進まなかった理由は一目瞭然。一帯は人口も交通量も少ない山間部だ。巨大な橋梁やトンネルが続くため、建設費は十五キロで七百九億円、一キロ当たり約四十七億円にも達する。建設費の割に経済効果があまりに乏しいのだ。  
ちなみに、安倍道路に隣接する「長門・俵山道路」(長門市)の着工も決まっているが、ここも山間部が建設予定地のため、この区間の事業費も五・五キロで二百四十億円、一キロ当たり約四十四億円にものぼる。「大雨で生活道路が通行止めになる」ことも建設理由に挙げられているが、その回数は〇一年からの十年間でわずか五回、二年に一回にすぎない。防災面を考慮したとしても費用対効果が高いとはとても言えない代物だ。  
安倍首相と山本知事の誕生で建設の機運が高まる山陰自動車道だが、全線開通となれば、未開通区間百キロを建設するために推定で約四千五百億円の税金が投入されることになる。安倍政権は補正予算(十三・一兆円)に、未整備の高規格幹線道路を建設するために「全国ミッシングリンクの整備」として六百二十三億円を盛り込んでいる。箇所付けはこれからだが、山本知事は山陰自動車道にも予算が付くのは確実と自信満々だ。  
山口県での強靭化バブルの事例はこればかりではない。湾口や海峡を橋やトンネルでつなぐ「海峡横断道路計画」の一つ、「第二関門橋」、通称"安倍ブリッジ"もある。一九八七年の第四次全国総合開発計画(四全総)で打ち出されたもので、全国で六本あることから「六大架橋」とも呼ばれる。事業費は橋梁だけで約二千億円、関連道路を入れると、約三千億円になるが、関門海峡にはすでに「関門橋」と「国道トンネル」で交通量に十分な余裕があり、三本目となる第二関門橋の必要性が乏しいことは今さらいうまでもあるまい。国会でも「無駄」と批判され、福田康夫政権時代の〇八年に冬柴鐵三国土交通大臣が調査を打ち切った経緯がある。  
しかし第二次安倍政権が発足した頃から、「地元の自民党議員が第二関門橋のことを口にし始め、打ち止めになったはずの事業が蘇りつつある」(下関市議)というのだ。安倍首相と山本知事が推進しようとする「山陰自動車道」と「第二関門橋」を合計すれば、山口県一県の二事業で実に七千億円以上の血税が投入される計算だ。  
冷めた視線を向ける地元住民  
許し難いのは、安倍首相が地元での「失敗例」を直視せずに、公共事業のバラマキに走ろうとしていることだ。下関市にはかつて晋太郎氏が推進して具体化した「長州出島計画」なる大型公共事業があった。「大型船入港が可能な国際港」「八千人の雇用創出効果」という触れこみで、沖合に人工島を建設するというもので、七百五十五億円もの税金が投入された。だが、〇九年に供用開始された一部の岸壁への船舶入港は現在までにわずか五十九隻にすぎない。周辺海域は風が強く、税関などの受け入れ態勢も既存の下関港の方が優れており、民間船舶は敬遠しているためだ。  
利用価値がゼロに等しくても、「高速道路に十分間でアクセスできること」という国際港湾の条件を満たすべく、東側の中国自動車道の下関インターチェンジに直結する巨大道路は完成済み。市中心部の南側から延びる「下関北バイパス」(六・八キロ)の建設も進んでいるが、この事業費は七百八十億円、一キロ当たり百十五億円と桁違いの額だ。  
時代錯誤も甚だしい公共事業推進に対しては、「地権者や建設業者や地域ボスの票をもらうための手段」「地元の政治基盤を強化、"安倍王国"を作るための選挙対策」などと地元では囁かれている。山口県では最大都市の下関市長選(三月十日投開票)、四月には参院補選、七月には参院選挙と重要な選挙が続く。その下関市長選には西本健治郎市議、参院補選にも人工島建設を進めた江島潔・前市長という地元では有名な「安倍派」人脈が立候補する予定だ。  
だが、皮肉にも安倍首相への評価は中央と下関市で大きなギャップがある。全国的には高い支持率を誇る安倍氏だが、旧態依然とした自民党的バラマキ手法を目の当たりにしてきた地元では反発も根強く、意外にも都市部ほど支持層は薄い。下関でも、先の人工島建設や道路建設に対して多くの市民が「無駄」「巨大すぎる」との冷めた視線を向けている。  
莫大な税金を投入して巨大な道路や港湾を整備したが、産業は育たずに人口減少を続ける―"バラマキ天国"山口県の姿こそ、強靭化バブルの果てなのかもしれない。 (2013/3) 
消費増税して財政は大盤振る舞い / これでは一体何のための増税か  
安倍政権は、消費税率引き上げと引きかえに、3%の増税のうち2%分を経済対策で還元するという。スーパーなどに、消費税還元セールを禁止しておきながら、自らは2%分還元するというのでは洒落にもならない。大盤振る舞いの背景には、公共事業の拡大をなどを目論む古い自民党が見え隠れする。新たな国債を発行しての補正予算・経済対策は、財政再建という消費税増税の趣旨と真っ向からぶつかるので市場のしっぺ返しを受ける。  
大盤振る舞いの補正予算  
未だ正式な決定ではないが、安倍政権はようやく消費税率の8%への引き上げを決断したようだ。安倍政権にとって、国民に痛みを強いる初めての政治決断だ。筆者も大いに評価したい。ファイナンシャルタイムズ紙も社説で日本の経済政策を評価したが、実に何年振りのことだろうか。  
しかし、手放しで評価する気にはなれない。なぜなら一方で、社会保障・税一体改革が掲げた「社会保障の充実」と「財政再建」という目標が損なわれつつあるからだ。  
ここまで消費税率引き上げの最終決断を引き延ばしてきたのは、財政政策・予算に関する主導権を(財務省ではなく)官邸が握る、というパワーゲームを行っていることによる。  
わが国憲法では、予算編成権は内閣にあるので、官邸が予算編成権を持つことは正当なことである。  
しかし、予算編成権を持つからには、わが国がおかれた財政事情を正確に認識し、個別の利害を超越しつつ徹底した歳出削減を行っていくという固い決意がなければならない。  
主導権を握った官邸は、さっそく大盤振る舞いの補正予算編成・経済対策を行おうとしている。その規模は、「消費税率引き上げ幅3%のうちの2%分を還元する」という意味で5兆円だという。 
 
■入(い)るを量りて出(い)づるを制す

 

「入る」(はいる) と「出づる」(でる) が対になる。もとは「量りて」だが「計りて」とも書き、“収入額を計算して”という意味。収入を計算して、それに見合った支出を心がける、財政の心がまえの言葉。  
『禮記(らいき)』王制篇 / 「以三十年之通、量入以爲出」  
(国の財政の在り方は) 過去三十年の平均を取って予算を決める。収入の予測を立て、支出はそれを超えないようにする。   
 
■武士は食わねど高楊枝

 

・・・「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地」である。意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児えどっこの気概が契機として含まれている。野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋きっすい」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消まちびけし、鳶者とびのものは寒中でも白足袋しろたびはだし、法被はっぴ一枚の「男伊達おとこだて」を尚とうとんだ。「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳たつみの侠骨きょうこつ」がなければならない。「いなせ」「いさみ」「伝法でんぽう」などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない。「野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色競くらべ、意気地いきじくらべや張競べ」というように、「いき」は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。「鉢巻の江戸紫」に「粋いきなゆかり」を象徴する助六すけろくは「若い者、間近く寄つてしやつつらを拝み奉れ、やい」といって喧嘩を売る助六であった。「映らふ色やくれなゐの薄花桜」と歌われた三浦屋の揚巻あげまきも髭ひげの意休いきゅうに対して「慮外ながら揚巻で御座んす。暗がりで見ても助六さんとお前、取違へてよいものか」という思い切った気概を示した。「色と意気地を立てぬいて、気立きだてが粋すいで」とはこの事である。かくして高尾たかおも小紫こむらさきも出た。「いき」のうちには溌剌はつらつとして武士道の理想が生きている。「武士は食わねど高楊枝たかようじ」の心が、やがて江戸者の「宵越よいごしの銭ぜにを持たぬ」誇りとなり、更にまた「蹴けころ」「不見転みずてん」を卑いやしむ凛乎りんこたる意気となったのである。「傾城けいせいは金でかふものにあらず、意気地にかゆるものとこころへべし」とは廓くるわの掟おきてであった。「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初かりそめにも物の直段ねだんを知らず、泣言なきごとを言はず、まことに公家大名くげだいみょうの息女そくじょの如し」とは江戸の太夫たゆうの讃美であった。「五丁町ごちょうまちの辱はじなり、吉原よしわらの名折れなり」という動機の下もとに、吉原の遊女は「野暮な大尽だいじんなどは幾度もはねつけ」たのである。「とんと落ちなば名は立たん、どこの女郎衆じょろしゅの下紐したひもを結ぶの神の下心」によって女郎は心中立しんじゅうだてをしたのである。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。  
 
 
だけどなんだか たよりない

 

 
■アベノミクス
バブルは遠くになりにけり 
消費税アップ目前の駆け込み景気
 
■与党自民党

 

ねじれ解消 
今の内だ 何でもアリ 
政府はスポンサード・ガバメント  
もし理想的な政治資金規正法がつくられまして、これが厳密に運用されたら、自民党政府の存立はあり得ないでしょう。そのことはだれも知っておりますし、一番よく御存じなのは、佐藤さん、あなた御自身だと私は思います。だから、これは政治資金規正法の改正というのは私はできないと思います、あなたには。できもしないことを、やるのだやるのだとお約束になるから、ますます国民の不信を買うばかりであると私は信じます。(中略)資本主義国家なんですから、企業からお金を集めてそれを政治資金にするというのは、私は明らかにすればそれでいいと思うのです。できないならできないと明確におっしゃったほうが、一そうはっきりするのです。その代わり、政府はスポンサード・ガバメントであり、総理は財界のちょうちん持ちで男メカケである。1971年3月29日 予算委員会 / 青島幸男  
 
■日銀

 

金融緩和堅持 
後は野となれ山となれ
時事新報・財界挿話 (昭和4)  
財界に昂まる当局不信の声 / この重大危機に面し頼りない日銀と大蔵省  
金解禁問題が一歩一歩適切な考慮が払われるに伴れて最近財界に注目すべき現象は解禁問題の善後策を講ずべき当局に対する不信の声が漸次高く且熱を加えんとする傾向である  
解禁善後策の当局と云えば第一は田中内閣就中田中首相及び大蔵当局であり、次いでは日本銀行の幹部である。田中首相が之を英国の解禁当時の首相たるボールドイン氏、仏国のポアンカレー氏等に比して其経済的見識閲歴、声望に於て遠く及ばざるは云うを待たぬ、我国に於ても最近の首相中金解禁と云う如き国民経済上の大問題を解決するに最も不適当な総理大臣である然らば之を補佐し、解禁当面の責任にあたる三土大蔵大臣は如何と顧みると、これ亦甚だ心許ない。大蔵大臣となって以来の三土君の態度手腕は、従来の声望を失墜せしむる事頗る大である。頭は良い、吏務にも長じている、弁論も下手ではない。しかし金解禁と云うが如き、明治中葉の兌換制度樹立以来の大問題を解決すべき時の蔵相としては、肚がない、旨味がない、力が足らぬ。  
更に転じて、解禁善後の財界収拾の直接の衝に当るべき日本銀行の幹部を顧みると、一層心細い感に堪えない。総裁土方君は、その昔井上準之助君と宇治川先陣争いをやった当年の秀才であるが、人生五十を越しては、トウが立って当年の意気手腕を認むる事が出来ぬ、副総裁の深井君と大阪駐在の中根君が稍中央銀行幹部らしい外他は何れも日銀の深窓に育った姫君ならぬお坊ちゃんで、之れ亦天下泰平の時ならば兔も角、金解禁の難局に当るべく余りに財界の荒波に揉まれて居らぬ。  
これを以て現幹部になって以来の施設を見よ、市場の状勢がよく解らぬものだから、公債の借替なんどの態度はなっていない。市場に浮動公債がどれ程あるか、実際の売物がどれ程あるかなど殆ど目算が立たぬから、市価吊上げの為めに出動し、却て脚下を見すかされて、下落さしている。これが麻生君でも居たら、大体の見当は必ず当り、買入だって借替前の一週間や二週間に遣らなくて、一月も二月も前から人知れず梃を入れて、そこは旨くなるに違いないが、其手腕も見識もない、従ってコントロールすべき日銀が寄る辺渚の捨小舟、市場の風のまにまに翻弄せられて此間の借替の如きは、其前日の夜まで条件が定らないと云う為態。  
一体金解禁を目前に控えている日銀なり、政府なりが、公債を買入れて、市価の吊上げを図ると云うのが根本から間違っている。公債の市価を強いて上げたい―或は下げたくないならば新規公債の発行を手控えれば良いのだ、その根本を忘れて、市価吊上げの為めに出動するなぞは、京都へ行かんとして常磐線を走るようなものでその愚や及ぶ可からずだ。一方借替の時に市価吊上げの為めに、買出動する日銀が、遊資吸収策として公債を売出しなどする。遊資の吸収は、現在の遊資の原因が特別融通にある以上、それは当然特融回収を本則とせなくてはならぬが、これ又本を忘れて末に走り何にも知らない田舎の銀行家に高い公債を買わすばかりで勧銀とか興銀に肩代りするような事が殆んど手を触れていない。  
以上の措置の直接の責任は、日銀にあるが、一面監督官庁たる大蔵省の責任も免れぬ、こうした先生達に金解禁の大切の瀬戸際を旨く乗り越しようかと思うと、財界に擡頭しつつある当局不信の声を一概に一片の杞憂のみとは思われぬようである。尤も、最近の恐怖相場に当局もすっかり恐怖して尻込しているから、当局は問題でないかも知れない。 
行き詰まる黒田日銀 動くに動けない状況?〈週刊朝日 2013/10/18)  
日本銀行の黒田東彦総裁が3月に就任し、時を移さず打ち出した金融政策「異次元の緩和」には、投資家が我を忘れるほどだった。  
景気回復に伴う金利の上昇は財政にも大きな負担となりかねなかったが、黒田総裁は強気だった。5月11日に「経済が成長し、物価が上がっていくなかで、金利が若干上がっていくのは自然な形」などと発言したことから、「金利上昇を認めた」と投資家は受け止めた。インフレ、景気拡大に本気で向かうのだと、金融市場はさらに盛り上がった。  
しかし、ここで「運命の日」を迎える。5月23日だ。伏線は前日にあった。黒田総裁が金利について、「ボラティリティー(変動しやすい状態)が過度に拡大するようなことは極力回避しなければならない」と語ったのだ。ある外国人投資家は、「金利を抑える姿勢に一転した」と受け取った。  
「日本の金融政策が変わった。財務省の圧力に負けて、インフレにして景気を持ち上げる道を捨てた」(この外国人投資家)  
そうなれば、逃げ足は速い。翌23日、金利の急上昇(国債価格の急落)に合わせて「円買い・株売り」の流れが進み、為替は一時、2円以上円高に振れた。日経平均も過去11番目の大きさとなる1143円下げた。アベノミクスの「逆回転」だ。それでも日銀は動かなかった。10月3、4日に開いた会合でも、金融政策は現状維持と決めた。  
その間、円安も株高も止まったままだ。どちらも5月23日が頂点で、それを超えていない。為替で言えば、おおよそ1ドル=97〜101円台あたりで行ったり来たりするのみだ。  
この「行き詰まり」を見て、主に海外投資家が「日銀は無策だ」と不満を募らせているという。だが、黒田総裁が最初から「必要な政策をすべて講じた」と言ってしまった以上、追加策は「日銀の自己否定につながる」(証券会社幹部)との見方もある。日銀は動くに動けないのかもしれない。  
日銀内部からの突き上げがあるかと言えば、  
「金融政策は総裁と官邸がやりとりして、知らないうちに決まっているようなもの。こちらが意見を言っても言わなくても一緒です」(日銀関係者) 
増税するか否かを決定するには、日銀短観は不十分な経済指標  
10月1日の日銀短観(正式名称は、全国企業短期経済観測調査。全国1万企業を対象に3ヶ月に一度行われている) と呼ばれる経済指標を最終判断にすることを明言している安倍首相ですが、最終的にどうなるかはまだ分かりません。  
財務省になびく経済学者たち  
首相の判断が近づくにつれ、新聞や経済雑誌などでの議論が白熱を帯びてきました。日本のシンクタンクと呼ばれるエコノミストには『消費税増税が国を救う』(大和証券 チーフエコノミスト 熊谷亮丸氏) という本まで出して増税を正当化する人もいます。熊谷氏のような論調は、銀行系や証券系のエコノミストには多く、財政再建と社会保障の財源確保から消費税増税を正当化します。熊谷氏によれば、現在の年金の基礎部分も税方式にすることを提案しており、将来的には20%くらいまで引き上げる必要性を説いています。財務省系の経済学者では、東京大学の井堀利宏 教授が有名です。同教授の主張によれば、社会保障の財源確保のために消費税増税をしても無駄だと主張。なぜなら、右から左へお金が流れるだけで問題の解決にはならないとします。ただ、社会保障の目的税化には反対していますが、15%への段階的引き上げが望ましいとします。実は、消費税15%はIMF (国際通貨基金) からも出されています。現在の副専務理事の篠原尚之氏は元財務官僚だということも大いに関係があります。そして、財務省からは何十人もIMFへ出向しているのが現状であり、IMFには財務省の強い意向が働いています。幸いにも、ラガルド専務理事とチーフエコノミストのO・ブランシャール教授が財政再建に対して慎重な姿勢をとっているとは言え、財務省の増税推進は国際機関にまで及んでいることには留意しておくべきでしょう。  
景気が良くても悪くても増税  
要するに、財務省の意向は簡単なのです。彼らには増税しかありません。元財務官僚の高橋洋一 嘉悦大学 教授が指摘している通り、財務省は「あの手この手」で増税を正当化するのです。「日銀短観が示した通り、景気は回復した。だから財政再建をするべきだ」と言うこともできれば、「たとえデフレ不況であっても、日本は世界最悪の債務水準だ。ギリシャのようにならないためにも、増税をしなければならない」「少子高齢化だから、消費税を増税して社会保障を充実すればお年寄りが安心してお金を使ってくれる」など、いくらでも理由はつけられるからです。極めつけは、税収弾性値にケチをつけていることです。嘉悦大学の高橋洋一 教授は、過去10年の日本の平均税収弾性値は3としています。言い換えれば、GDPが1%上昇すれば、税収は3%上がるということです。一般会計での税収が40兆円だとすれば、1.2兆円税収が増える計算です。もし、幸福実現党が言うように、最低でも4%の経済成長が実現すれば、税収は4.8兆円に上昇することになります。経済成長をすれば、増税が不要だということはここからも導けます。しかしながら、法政大学の小黒一正 教授を筆頭に3という数字は高すぎ、少なくとも1程度だという意見が財務省をはじめとした政府側のエコノミストから出ています。技術的な問題点は別にしても、税収弾性値を低くしておけば、増税をしても景気への影響力はないと言いたいわけです。小黒教授の研究書や論文は、玄人好みの内容で説得力があるように見えますが、日本の成長を過小評価していること。財政破綻のリスクを過大評価している点に弱点があります。つまり、彼の依拠するマクロ計量モデルの設定がそのようになっている以上、財政破綻の結末が出てきてもおかしくはないというわけです。  
日銀短観では不十分首相は増税中止の決断をするべき  
上述のように、日本の経済学者は、増税による景気への悪影響を過小評価し過ぎています。財政破綻や財政規律を懸念する合理性はあるにせよ、現実経済の重要な事実を見落としているのではないでしょうか。例えば、日銀短観は、確かに景気の動向を示す指標ではありますが、増税を決定する経済指標としては不十分です。本来ならば、鉱工業生産指数や住宅着工指数、失業率、有効求人倍率などの指標が上向かない限り本格的に景気が良くなったとは言えません。これらの指標は左から右へ行くほど、効果が出るのに時間がかかるのです。  
つまり、アベノミクスを評価するのは時期尚早であること。もう少し、景気が回復するには時間がかかるとみるべきです。増税は成長の足かせとなり、税収減と失業率の高騰を招くことになるでしょう。 
日銀追加金融緩和 〜 「円キャリートレード」に頼り過ぎることなかれ  
「前向きな資金需要を最大限サポートする観点から、ファンド向けや非居住者向けの貸し出し、邦銀海外店の貸し出しを含めることにした」  
今回の日銀追加金融緩和の一つのポイントはこの部分である。日銀の白川総裁は20日の金融政策決定会合/後の記者会見で、貸出増加を支援する資金供給策の対象についてこのように説明した。  
「ファンド向けや非居住者向け」ということは、海外を含めたヘッジファンド等への貸し出しも含めるということ。これは、日銀が「円キャリートレード(円を調達して外貨建て資産に投資すること)」を促すことで円安状況を作り出そうという政策である。ヘッジファンド等が、邦銀から調達した円を為替市場で売却して外貨を購入すれば、日銀の外債購入と同様の効果が得られる一方、日銀の外債購入に付きまとう「為替介入は財務省の専管事項である」という批判を回避することが出来る。  
また、ヘッジファンド等が調達した円を日本国内の資産に振り向ければ、国内のリスク資産の価格上昇に繋がることになる。要するに、日銀による「円キャリートレード促進政策」は、円安か株高に繋がる可能性が高いもの。  
さらに、銀行がヘッジファンドへの貸出を増やせば、日銀が出した資金がそのまま日銀の当座預金に滞留したり、銀行の債券投資が増えたりするだけで、貸し出しは増えないという日銀の量的緩和に対する批判をかわすことが出来る。  
今回、白川総裁は記者会見でわざわざフリップを用意して、日銀は既に大幅な量的緩和をしていることを強く訴えた。こうした総裁の言動から、少なくとも白川総裁は、本音では「次元の違う金融緩和」には積極的ではないということは明らかである。  
そうした中で日銀がヘッジファンド等を介した「円キャリートレード促進政策」を採ったのは、安倍次期総理からの強い要望を拒否することで、市場が円高・株安に反応した際、日銀に対する「次元の違う金融緩和」圧力が、さらに「次元の違う水準」まで高まってしまう可能性があるからだと思われる。  
さらには、早期に円安を実現し、株価等の資産価格上昇をもたらすことで、政府からの「次元の違う金融緩和」圧力を鎮めようとする意図があったことが想像される。早期に円安・株高を実現すれば、安倍新政権は「次元の違う金融緩和」の成果を大々的に国民に訴えることが出来る。その結果、日銀はさらなる「次元の違う金融緩和」を迫られるリスクを減らせ、しいては中央銀行の独立性を保つことが出来る。日銀による「円キャリートレード促進政策」は、日銀にとっては必ずしも都合の悪い選択肢ではなかったということ。  
日銀による「円キャリートレード促進政策」は、円安・株高を演出する効果が期待できるものである。しかし、この政策の副作用が、将来日本が「リスク資産の下落と円高」のダブルパンチを喰う可能性を高めるものであることは認識しておくべきである。  
2008年のリーマンショック以前、日銀は2001年3月から2006年3月まで、世界に先駆けて量的緩和を実施した。そして、2004年以降、欧米との政策金利差が拡大方向になったこともあり、「円キャリートレード」が活発化。為替市場で、円は対ドルで123円台まで、対ユーロでは168円台まで円安が進むことになった。しかし、円を調達資金とした海外リスク資産投資は、海外リスク資産価格の急落によって終焉を迎え、その巻き戻しとして「(返済のための)リスク資産の売却と円買い」を誘発、日本は「リスク資産の下落と円高」という「調達資金を提供した国の悲劇」を味わうことになった。  
100年に一度と言われるリーマンショックのような事態が近い将来起きるかは神のみぞ知るだが、日本が「円キャリートレード促進政策」を採り、「円キャリートレード」が活発化した場合、通貨安の恩恵を受けることが出来るが、その副作用が「リスク資産の下落と円高」になるということは覚悟しておく必要がある。  
「(1$=)85〜90円ぐらいにどう収めるかを考えなければいけない。円は安ければ安いほどいいかといえば、日本の産業構造上、そうではない」  
自民党の石破幹事長はこのように述べ、適正な為替水準を85〜90円だと言及した。もしそうだとすれば、1$≒84円まで円安に転じて来た今日、必要以上に「円キャリートレード」が積み上がらないよう、日銀への過度な圧力は慎むべきであろう。「賢者は歴史から学ぶ」という言葉を忘れてはならない。 
政府・日銀、円買いへの備えは万全か (2013/10/8)  
アメリカの財政の崖は旬日に迫っています。民主、共和両党は如何なる対応をするのか世界が注視しています。  
国債発行限度額の改定が政治抗争の中で遅れたり、暫定予算が不成立といった事態になれば、国債の利払いが滞り、政府の行政機能は不全となり、デフォルトなどとマスコミが報じれば、リーマンショックを上回る世界経済の大混乱を引き起こすといった論調もあります。  
実体社会、実体経済の分野では、こうした混乱は何とか回避したいと考えるのが当然で、IMFのラガルド専務理事も、事態の早期解決に向けてアメリカが良識を発揮するように促したようです。  
私は個人的には、問題の本質には触れずに、弥縫策ばかりに言及するのでは、ただ問題を先延ばしにし、より深刻にし、アメリカにとっても、世界にとっても決して良いことではないと思いますが、問題の期限が旬日に迫れば、それも致し方ないことかもしれません。  
やはり普段から、アメリカの経常赤字垂れ流しがいつまでたっても止まらないという状態を、出来るだけ早く是正し、世界経済に無用な混乱を招くことがないよう、アメリカ政府は勿論、アメリカ国民自体も認識し、改善への自覚を持つように促す発言や行動が必要なのでしょう。  
このままいけば、世界は、アメリカは益々頼りない国という認識を強め、次第にアメリカ離れ、アメリカ・パッシングを迫られることになるでしょう。  
今のアメリカを見て、何となく徳川幕府の末期を連想するのも、日本人なら多分私だけではないと思います。  
そうした中で、金融の混乱にビジネスチャンスをと手ぐすね引いているのは国際投機資本のギャンブラーたちでしょう。  
おそらくその時の安全通貨のターゲットになるのは相変わらず日本円ではないでしょうか。このところ既にじりじり円高が始まっています。  
日本としてはこれは大変なことです。リーマンショックで30円ほども円高になり日本経済は最悪の不況に呻吟しましたが、もしアメリカの失態のトバッチリで、改めて20円の円高にでもなれば、アベノミクスなどは雲散霧消し、昨年までのデフレに戻るでしょう。  
国民が、そして企業が「もう円高に戻ることはない」と思うことが、今の日本経済の回復基調を支えているのです。政府日銀は、その辺りを敏感に感じ取り、国際投機資本の円買いに対抗する徹底した手段と行動力を持っていることを国民に周知するべきでしょう。  
手の内を曝け出すことは、その手段の内容によっては得策ではないかも知れません。しかし、その備えがあることを明示することが、国民の安心だけでなく、国際投機資本の思惑を封じることにもなるでしょう。  
政府・日銀の早期の的確な意思表示が求められているような気がします。 
日銀総裁人事の舞台裏 本命でない黒田氏になぜ決まったのか  
政府は2013年2月28日、日銀正副総裁の人事案を衆参両院の議院運営委員会に提示した。現副総裁2人の任期に合わせて白川方明総裁が辞任する3月19日までに、アジア開発銀行(ADB)総裁の黒田東彦・元財務官(68)を総裁とする新体制が発足する見通しだ。「元々、本命ではなかった」(財務省筋)という黒田氏が、なぜ新総裁に上り詰めることになったのか?  
黒田氏を支える副総裁候補は、岩田規久男・学習院大学教授(70)と日銀プロパーの中曽宏理事(59)。財務省OBの総裁に学者と日銀プロパーの副総裁という意味では、バランス人事だ。  
当初は「財務省OBの総裁はないだろう」  
今回の人選のスタートラインは言うまでもなく「アベノミクス」。12年末の総選挙期間中から始まった円安・株高の「安倍相場」の核心が「金融政策のレジームチェンジ」という超積極緩和だからだ。  
もうひとつの大きな判断材料が「出自」。自民党が選挙に勝利した当初は「財務省OBの総裁はないだろう」(金融筋)との見方が少なくなかった。大きな理由が衆参の「ねじれ」。5年前、政権獲得前だったとはいえ、民主党が財務省OBの総裁候補を参院で次々に葬った記憶が生々しいうえ、今回、参院の過半数に与党が16議席足りない中で連携先の本命だったみんなの党(参院で12議席)が、「財務省OBはノー」を明確にしていたからだ。  
この流れを変えたのが麻生太郎副総理兼財務相兼金融相。12年末から、「組織を動かせる人が望ましい」との表現で、財務省OB起用に道を開いた。「参院選で勝つためには、今の経済好転の方向を崩さない「安全運転」も大事で、財務省OBがやはり頼りになる、との判断になるのではないか」(経済産業省筋)との見方も根強かった。  
ただ、安部晋三首相が「麻生氏とタッグを組んで黒田氏起用を進めたというほど単純な話ではなかった」と、関係筋は解説する。安倍首相は衆院選最中から黒田氏とも接触し、アドバイスを受けていたというが、「総裁候補の本命というわけではなく、候補の一人として感触を探ったようだ」(大手紙経済部デスク)。  
年が明け、国会同意の見通しをにらみながら、慎重に人選の詰めが行われた。民主党の動向がはっきりしない中、政権がまず意識したのがみんなの党。その渡辺喜美代表は2月初旬、銀総裁の候補として岩田規久男氏と浜田宏一・米エール大教授(77)、竹中平蔵・慶大教授(61)ら5氏の名を挙げた。  
財務省は武藤敏郎・元次官(69)が本命  
この中では岩田規氏が同党の意中の人と見られたが、麻生氏らが「学者はダメ」と岩田規氏に反対。代わりに同じ緩和派の論客で安倍首相述ブレーンの一人、旧経企庁出身の岩田一政・元副総裁(66)=日本経済研究センター理事長=を推す声が出たというが、みんなの党は「日銀が2006年に量的緩和を解除する大失敗を犯した時に解除を主張した人物では務まらない」(渡辺代表)と拒絶し、日の目を見なかった。  
財務省サイドの対応も微妙だった。そもそも、「下手に動けばマイナスばかり」(有力次官OB)と、慎重だったのは当然だが、黒田氏起用には大きな障害があった。2011年秋ADB総裁に再選されたばかりで任期は3年半も残り、途中辞任すると「発足以来維持してきたADB総裁ポストを中国に奪われかねない」との懸念が財務省内で強かった。  
財務省としては元々、5年前に副総裁からの昇格を参院で否決された武藤敏郎・元次官(69)=現大和総研理事長が本命。黒田氏が主流の主計畑でなく、現役時代から日銀批判の急先鋒という「他の役所を露骨に批判しないという財務官僚らしくない人」(財務省OB)という事情もあった。しかし、武藤氏は、「民主党が野田佳彦前政権で財務省と関係修復したといっても、5年前に拒否した人は認めがたい」(民主党関係者)ことから、候補から落ちた。  
G20財務相・中央銀行総裁会議が転機  
黒田氏に「追い風」になったのが2月15、16日の主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議だった。ここで、アベノミクスに対し新興国から「円安誘導」との批判が噴出、共同声明は名指しの日本批判は回避したものの、通貨安競争をしないことを確認した。これを受け、安倍首相は20日の参院予算委で「国際金融の世界はインナーサークルを形成している。その中に入って発信もできるし説得もできる能力を持った人が今こそ必要だ」と、国際性重視を明確にした。黒田氏は2003年に財務官を退任した後、小泉政権の内閣官房参与を務め、株価7000円割れといった危機の最中に各国金融当局と水面下で話し合うなど活躍。当時、官房副長官だった安倍氏に強い印象を与えたといわれる。 
 
■経団連

 

業種で景況様々 
存在価値が無くなりました
経団連は、わが国の代表的な企業1,300社、製造業やサービス業等の主要な業種別全国団体121団体、地方別経済団体47団体などから構成されています(2013/7 現在)。  
その使命は、総合経済団体として、企業と企業を支える個人や地域の活力を引き出し、我が国経済の自律的な発展と国民生活の向上に寄与することにあります。  
このために、経済界が直面する内外の広範な重要課題について、経済界の意見を取りまとめ、着実かつ迅速な実現を働きかけています。同時に、政治、行政、労働組合、市民を含む幅広い関係者との対話を進めています。さらに、会員企業に対し「企業行動憲章」の遵守を働きかけ、企業への信頼の確立に努めるとともに、各国の政府・経済団体ならびに国際機関との対話を通じて、国際的な問題の解決と諸外国との経済関係の緊密化を図っています。 
 
■野党

 

責任取らない共感呼ばない「ないないづくし」ない閣  
朝日新聞が5月4日付朝刊のコラムで菅内閣に厳しい評価をしている。菅総理は「責任取らない」、枝野官房長官は「共感呼ばない」、これでは「ないないづくしない閣」だといわんばかりだ。  
記事は専門家の分析を盾にとって、菅総理には困難な事態を自分で切り開いていこうとする責任感が感じとれないという。たとえば福島原発事故のレベルを7に引き上げたときに、菅総理は「放射性物質の広がりを調べた上で、今日の専門家の皆さんの判断になったと聞いている」とまるで他人事のように語った。  
4月中旬に、菅総理が松本健一参与に「福島第一原発周辺は10年、20年住めない」と、いったか、いわなかったかをめぐるケースでも、ひたすら責任逃れをしようとする菅総理の姿勢が国民に深く印象付けられた。  
政治家の言語力を専門に研究している立命館の東照二教授によれば、「リーダーは自分が状況を把握していると見せることが基本であるはずなのに、もっぱら専門家任せ。国民に向かって「ともに立ち向かおう」と訴える機会だったのに、自ら逃げてしまった」と手厳しい。  
先日の小佐古教授の辞任問題なども、涙ながらに官邸の無責任ぶりを訴える教授に対して、見解の相違だといってみたり、国民とともに難局を乗り越えようとする気迫が全く感じられなかった。  
また、枝野官房長官については、その口癖なるものを取り上げて、厳しい評価を下している。長官は記者会見で批判的な意見を言われると、すぐに、「申し訳ない」とか「真摯に受け止めたい」とかいう。これは見方によっては謙虚さを表しているようにも受け取れるが、実は丁寧なようで、信頼や共感にはつながらないと指摘する。  
再び東教授の言葉を借りれば、「謝るのは話し手中心の行為に過ぎない。表面的にはスマートに聞こえても、我々の日常生活の苦しみや悩みを代弁してくれなければ共感を呼ばない」ということだそうだ。  
ここまで言われたのでは、「ないないづくし」が高じて、「反国民自己愛内閣」と云われても抗弁できまい。  
 
■専門書のタイトルと目次だて

 

専門書の完成度洗練度は 
タイトルに表れる 
目次だてに表れる 
翻訳本では翻訳者の専門門外漢の理解度が表れる 
専門家の意訳と思い込み 
門外漢の棒訳と一般論への展開
「社長力」養成講座  
あなたは次のうちどちらになることを選びますか?  
1 社員に尊敬され人気もあるけど、儲からない会社の社長  
2 社員には恐れられ嫌われているけど、儲かっている会社の社長  
もしあなたが1を選ぶ人なら、紹介するこの本はあなたには向いていない。もしあなたが2を選んだなら、このまま読み進めてください。きっとあなたのお役に立てるでしょう。  
成功した経営者が決して口にしない不都合な真実  
あなたは不思議に思ったことがありませんか?なぜ、成功した経営者の書いた本はあふれているのに、成功する経営者は少ないのか?なぜ、成功した経営者の方法を真似ても、思うように結果が出ないのか?  
実は、経営者が、本やインタビュー、講演などであまり口にしたがらない真実 があります。その真実を知らずに会社を経営することはできないのですが、彼らはそれを表立って話すことはありません。なぜか?彼らにとって都合が悪いのです。これを口にしてしまうと、従業員や世間に非難されるからです。嫌われるからです。経営できなくなってしまうからです。そう、それは彼らにとって不都合な真実なのです。なので、彼らの話のほ とんどは、オブラートでくるんだような口当たりの良い常識的な言葉と、耳障りの良いエピソード で埋め尽くされてしまうのです。  
例えば、「社員がいたからここまでこれた」「最も大事な経営資源は人である」「できるだけ 多くの社員を雇うことが社会貢献だ」「従業員を育てるのが経営者の仕事だ」等々。それらが間違っているというわけではありません。すでに成長した大企業であればそれなりに当てはまることも多いでしょう。  
しかし、あなたが経営するベンチャー企業や中小企業が真っ先に考えなければならないのは「従業 員」ではなく「利益」です。社員を雇うのは「利益」を上げるためだけです。それ以外の目的はあ りません。ですから、あなたがまずしなければならないことは、あなたの知らないところで彼らが会社のもの(時間を含む)を盗むのを防ぎ、あなたのプランに沿って彼らに仕事をさせ、そういう仕事をしている従業員に報い、そうでない従業員をカットすることです。そう、あなたが必要としているのは、この目を伏せたくなるような、耳を塞ぎたくなるような真実の部分なのです。そして、 そのような誰もが口にしようとしない真実にメスを入れた男がいます。それがダン・ケネディで す。  
ダン・ケネディが明かす9つの不都合な真実  
ダン・ケネディは、アメリカで「厳しい現実を教える先生」として知られています。彼は 超一流のコピーライターであると同時に、マーケティングアドバイザー、コンサルタントとして何百という大小さまざまな規模のクライアント企業を大成功に導いてきた実績を持っています。つま り、自らの会社だけでなく、あらゆる企業の経営を間近で見て、成功する企業とそうでない企業の違い、現実をその目で見てきているのです。  
本の中で、ダン・ケネディは、成功した経営者が決して口にしない9つの不都合な真実を公開。そして、これらの真実を元に、利益を出すことだけを目的にした、それ以外のものは情け容赦なくバッサリと切り捨てた経営戦略を公開しています。  
情け容赦のない、屁理屈もない、ただ利益を出すためだけの戦略  
この本でダン・ケネディが紹介するのは、温情もないかわりにブレもない。ついでに学問的な理屈もない。あるのは、現場の最前線からの筋金入りの戦略だけです。  
はじめに  
ほかとはちょっと違う、歯に衣着せぬ話 / なぜ満足できるほど優秀な従業員が少ないのか? / あなたの会社には従業員は必要ない! 
Part1 従業員を働かせる情け無用のマネジメント  
1 大げさでまわりくどい言葉「トイザらス・ベビーザらス」  
意味の分からない文言を平気で使う大学教員たち / 「マネジメント」とは利益を上げること / 現場で働く人間を見下す大学教授たち / 大学教授の講演につきあっている暇などない / 返金保証しないセミナーは主催者の自信のなさの表れ  
2 雇い主と従業員の本質的な関係  
経営者の頭の中と従業員の心の中は異なる / オーナーシップ・メンタリティとは何なのか / 従業員は早く帰ることしか考えていない / 従業員を家族扱いするのは愚の骨頂 / どんなに飼育しても熊は人間にはなれない  
3 シェルビーの弁解リスト  
あなたは茹でガエルになっていないか?  
4 ウィリー・ローマン症候群  
なぜ経営者は従業員に好意を持ってもらいたいのか / 部下に好かれる上司は「無能」の代名詞  
5 プログラム  
プログラムなき経営は従業員の運任せ  
6 経営面で何より重要な2つの判断  
経営者が必ず求める理想の人材の条件 / 従業員を「雇わない」もう一つの理由 / ワーキングプア問題の「不都合な」真実 / 従業員を雇うべき唯一の正しい理由 / 人件費は資産?数字で雇用を考える / 雇用で発生する「本当の」コスト / 従業員一人当たりに払う本当のコストはいくらか  
7 誰もが役に立たなくなる  
偉大なアスリートに引退勧告するには / 業績が傾いた途端石もて追われた名経営者 / なぜ、そしてどのようにして私は私自身を解雇したか / CEOに求められるのは辞める「決断」  
8 ビジネスにおける最悪の数字とは  
一人で会社を切り盛りする「落とし穴」 / 最少人員で会社を回すとっておきの方法 / 悪いことは自分ではなく他人に起きる幸せな錯覚 / 小企業が大企業に苦汁をなめさせられる手口  
9 雇用はゆっくり、解雇は素早く  
国民の過半数は常に間違っている! / 解雇を先延ばししてもお互いにいいことはない / 思いつきで補充人員を採用してはいけない  
10 重大なファクターの412番目 / 役に立つ従業員と取引先を見つける方法  
一人で始めて金持ちになるビジネスなんてない / 親類兄弟を従業員に採用するのはやめなさい / マーケティングで質の高い従業員を見つける / これが誰もやらない、非常識な採用戦略 / 商売人の家に生まれた人物は採用してみる価値はアリ / 試用期間中は「ココ」だけを見ろ! / 成功した経営者が決して口にしない不都合な真実  
11 リーダーシップは過大評価され過ぎている  
リーダーシップに関するさまざまな誤解 / 逸材がいなくても稼ぎ続けるシステム / リーダーシップがなくても選手は勝手に育つ  
12 主人はマーケティング、ほかはみな「下僕」  
従業員は「できない」ことを恥ずかしいと思っていない / 問題の解決法はマーケティングの中にある / 抵抗勢力に牛耳られる会社の末路  
13 遊ぶネズミたち  
時間泥棒の社員は給料泥棒と同じ / 上司が留守の間は部下は遊び放題 / 働く場所が「職場」と呼ばれる理由 / 監視を強めれば、従業員は働き出す? / 内部告発を従業員に奨励せよ! / 経営者は現場の仕事から足を洗いなさい  
14 店を離れて煙草を吸う  
従業員のサボリ・盗みは日常茶飯事 / 職場に監視装置をつける5つの理由 / 経営者が文句を言ったら、従業員はサッサとよそに移る  
15 「ホリデイイン」の電話── 警告システム  
経営者は従業員のサロンには入れない  
16 「私たちと同じような」コソ泥  
店からモノを盗む152通りの方法 / 道徳的であるとき、ないとき その差はどこにある? / 世の中に善良な人はわずか5%しかいない / 綻びを塞ぐ方法はたった一つだけ / 従業員は盗みを自己正当化する! / 盗みをする従業員をなぜ経営者は怒らないのか / 売り上げを減らす事態を放置するアホ経営者 / クッキーの数はすべて数えたほうがいい  
17 壊れ窓理論、綻びのあるビジネス  
ニューヨーク再生の魔法をかける / 毎日ペンキを塗るために雇われ続けた男性 / 人間の行動を縛る最大級の強迫観念 / 壊れ窓を放置する会社はダメになる  
18 一方で、それでよければ、それでいい  
行きすぎた完璧主義は思考停止を招く / あなたのビジネスの最良の「基準」を定める / 顧客サービスの分岐点 魔法のGEスポットを見つける / ディズニー、サウスウエストの共通点は何か / 経営者の任務は従業員を監視すること  
19 「しかし、うちの会社は特別なんです」  
あなたの会社が利益を出せない理由  
20 今のペースで経営するか、もっと効率的に経営するか  
成功するリーダーシップ、失敗するリーダーシップ / 考えを明確に伝えるコミュニケーション術 / 実行可能な戦術プランを策定する / 存続するためにはとにかく利益が欲しい! 
Part2 従業員に稼がせる情け無用のマネジメント  
21 全従業員の仕事を「利益センター」にするには  
従業員にはボーナスよりチャンスを与えなさい!  
22 よい仕事をさせなさい。そうすれば、より多くを要求できる(しかも、素早く解雇できる)  
稼ぐ社員を育てるシンプルな方法  
23 ルールに当てはまらない事例  
会社を辞める人間が多くなっても気にしない / 問題がある人物を雇ったときの対処法  
24 公平性などくそくらえ  
従業員を平等に扱う必要などない  
25 勝者にはご褒美  
従業員にオープンカーを貸し出したら…… / パフォーマンスの悪い人間はどこの会社にもいる  
26 特別賞与が義務になる瞬間  
特別賞与を出すことは経営者の義務ではない / 業績連動型特別賞与のメリット、デメリット / 特別賞与プランの組み立て方  
27 数値化がモチベーションを上げる  
95%の働き手がいなければ経済は回っていかない / モチベーションを数値化する2つの方法 / 成績表を壁に貼るだけでやる気が上がる! / がんばっている従業員を見つけて励まそう!  
28 楽しい仕事場は生産的な仕事場か?  
動物小屋で働く人たちは本当に楽しでいるのか / 仕事が楽しいなんて嘘に決まっている! / 楽しそうな企業の規則は実はがんじがらめ  
29 鈍感な人を採用する  
成功する起業家はみなケンカっ早い? / 起業家とは操作が難しいレーシングカー  
30 セールスプロセスを管理する  
売り上げをアップさせる究極のセールスシステム / 見込み客に購入してもらう筋書きをつくっておく / セールスピープルが優良顧客に出会うには? / マネジャーとしてお粗末な結果を認めない / システムに人材がマッチすれば成果は自ずと表れる  
31 セールス部門とマーケティング部門の価値を最大限に生かす  
見込み客がドンドン増える秘密のソフト / 顧客のフォローアップ法をマスターするには / 専門家に学ぶ絶対確実なフォローアップ5つの秘密 / 5つの秘密には隠された500倍のパワーがある  
32 セールスのプロを管理する── 精神的なハードルを越える  
セールスピープルを悩ます見えないハードル / ニンジンをぶら下げればやる気を出すという誤解 / 精神的ハードルが売り上げを犠牲にする  
33 ミッションはトップシークレット!?  
経営者は従業員の習慣を変えなさい  
34 口コミを徹底的に管理する  
ディズニーランドではゴミ一つで100万ドルの損失 / あなたの会社の経営もクチコミに左右される  
35 それは「達成」ではなく、「活動」にすぎない  
いくら活動しても達成しなければ無意味 / やり遂げることを割り当てた時間内にやる / 一日4 0 分しか仕事を達成していない / 産みの苦しみより結果を見せろ!  
36 スピードが命  
どんなアイデアにも賞味期限がある / スピードアップとはものごとの同時進行 / 周到な準備と素早い撤退を矛盾なく両立させる  
37 急成長するビジネスを情け容赦なくマネージする方法  
会社の利益は平和や人間に勝る / あなたの大義のために会社をつくり運営する / 問題を共有する読書ミーティング / 採用するのなら、異業種で成功体験のある人 / 甘やかされて育った社員が会社を破滅させる  
38 こちらにどう連絡を取らせるべきか  
コミュニケーションの3つの効果的な方法 / 問題を正しく伝える原理原則がある  
39 会議の開き方  
会議を時間のムダにする極悪6人衆  
40 食べさせていれば愛想がいい  
リスクを取るのはあなた、ほかに決断する人はいない / 責任者100%負うのに、得る利益はわずか20%  
41 私がそれをできない理由  
儲からない経営者の8つの言い訳  
42 そもそも「利益」とは何か?  
会社が稼いだ金は誰のものなのか / 会計士の言うことを鵜呑みにしてはいけない / 顧客との信頼関係が本当の経営資産 / 現在の銀行よりも将来の銀行を大事にする  
43 数字によるマネジメント(適切な数字?)  
経営者が理解すべき「お金の数学」 / 顧客動向を知る3つの数字 / マーケティングに役立つ3つの数字 / 経営者に警告を鳴らす3つの数字 / 厳重に管理すべき4つの数字  
44 集団的無能と大不況の時代から利益を得る方法  
大不況というピンチをチャンスにする方法 / 2種類ある危機におけるチャンス / 中間層の崩壊に伴う顧客の二層化 / 高級志向に徹するか薄利多売に甘んじるか / これからは週休三日が当たり前の時代になる  
45 次の12カ月で  
経営者の仕事は行動と決断すること  
46 ビジネスを最も効果的に終える9つのステップ  
9ステップで出口戦略を成功させる  
47 サポートサークル  
経営者をサポートする6つの存在 / 成功者には必ずマスターマインドがいる  
いかがでしょう?もしあなたが、自分にとって最良の師は誰だったかと問われたら、「一番厳しかった人」の名を挙げるのではないでしょうか?一番きつい要求をし、絶えず向上していくことを求めた人、怠けさせてくれなかった人の名を挙げるのではないでしょうか?「情け容赦ない」とは、残酷だったり意地悪だったりすることとは違います。自分の下にいる人間とビジネスをどこへ連れて行くのか、利益を最大化することがいかに大切かを、しっかり分かっているということなのです。 
 
■枯れ木も山の賑わい

 

つまらないものでも、無いよりはましであるということ。また、役に立たない者でも、いないよりはいたほうがましだということのたとえ。何もない殺風景なはげ山よりも、たとえ枯れ木でもあれば山の趣を添えてくれ、風情を賑わしてくれるということから。自分のことを謙遜して言う言葉で、老人が若者に混じって何かをする際などに多く用いる。  
 
「枯れ木も山のにぎわいですから、是非パーティーに来てください。」 ……人を招待するときに、このような表現を使うのを聞いたことはありませんか。この場合「枯れ木も山のにぎわい」は、参加者が多くいた方がにぎやかになっていい、という意味で使われているようですが、本来の意味とは異なっています。本来の意味は、「つまらないものでも、ないよりはましである」という意味です。  
「広辞苑」/ 枯木も山の賑(にぎ)わい 枯木も山の風致を添えるものである。転じて、つまらない物も数に加えておけば無いよりはましであることのたとえ。  
「大辞林」/ 枯れ木も山の賑(にぎ)わい 枯れ木でも山に趣を添える。つまらぬものでも無いよりはましであるという意。  
辞書が示す意味は、つまらないものでもないよりある方がまし、という意味です。木が生えていない土ばかりの山では殺風景である。たとえ枯れてしまったつまらない木であっても、多少の趣を添えることができ、ないよりもあった方がにぎやかになってよい。……「枯れ木」は「つまらないもの」の例えですから、人を招待するときや目上の人に対して用いるのは失礼になります。本来は、招待を受けた側が、「私のような者がお招きにあずかるのは畏れ多いことでございますが、「枯れ木も山のにぎわい」と言いますから、是非参加させていただきます。」などと用いる言葉なのです。  
続いて、近代の小説から、「枯れ木も山のにぎわい」の使い方を見てみましょう。林不忘(はやしふぼう)の「丹下左膳(ぜん)こけ猿の巻」の中の一部分です。  
二重三重の剣輪が、ギッシリ左膳をとりまいている。こうなってはいかな左膳でも、空を翔(か)け、地にもぐる術のない以上、一本腕のつづくかぎり、斬って斬って斬りまくらなければならない……。  
「ウフフ、枯れ木も山のにぎわいと申す。よくもこう木偶(でく)の坊がそろったもんだ」  
刀疵(きず)の影深い片ほおに、静かな笑みをきざませて、左膳は野太い声でうめいた。  
ここに示されている「枯れ木も山のにぎわい」は、取り巻く剣陣の数は多いのに、左膳一人も倒すことのできない相手陣を見下してのせりふの一部分です。ここでは、「木偶の坊」がそろっている状態について、「枯れ木も山のにぎわい」と捉えた上で、「弱くてつまらない者でも、いないよりはいる方がましと言うからな。」と笑っているのです。 
人生二毛作といわれる時代、老いて学べば死しても朽ちず 
「知的生活」などといいます。なにをもってして知的というのか、そしてその知的なるものが、後半生を充実させるためにはどうあるべきか、よく考えてみなければなりません。先に結論をいってしまえば、それはけっして「知識」を積み重ねることではありません。自分の頭で「考える」ことこそ、二毛作人生をしっかりしたものにする「知」のあり方といえます。知識の習得ではなく、考える習慣。この大切さを、あらためて胸に刻むべきです。人間関係やひとづきあいと同様、これまでの認識と意識を根本から変えていく必要がありそうです。  
これまで日本で行われてきた教育は、知識の集積を最優先するものでした。それは、本来の学問とはいえないものです。学問とは、進歩するものです。知識をいくら積み上げたところで、進歩はありません。過去50年くらいをふり返れば、知識の集積はコンピューターが代替するようになって、いまは人間以上の処理能力をもつようになっています。知識の集積では、人間はとうていかなわないのです。にもかかわらず、知識をふやすことをもって人間の知的進化のように考えるのは、まことにバカげた話です。むしろ、知識がふえればふえるほど、それに反比例するように、思考力が低下することを、わたしたちはもっと早く気づくべきです。思考能力が問われる学術の世界でさえ例外ではありません。たとえば、自然科学分野の研究者なども、知識などの不十分な若いころは、必死に考えて、驚くべき研究成果をあげることがあります。ところが、早い人では30代後半にもなると、その考える力が衰えはじめます。内外の学説や周りの研究者達の成果などさまざまな知識はふえるのですが、その知識が邪魔をする。知識で研究するような器になり、考えることを怠ってしまうのです。50代にもなると、独創性など見る影もなくなっていることが往々にしてあるのです。わたしの経験から言えば、知識偏重教育のなかで学んできた秀才タイプの学生は、テストは70点より90点の結果のほうが絶対いいと信じています。その20点の差は、知的レベルの差であるとさえ思いこんでいます。しかし、ふだん70点レベルの学生が、卒業論文ではひじょうにおもしろいものを書くことがあります。学校ではあまり勉強していそうもない、おそらく読書量もすくなそうな学生ですが、発想がユニークであったり、考えかたにも人をうならせるようなところがあるのです。  
なぜ、このようなことが起きるのか。70点の学生は、足りない分、自分なりに自分の頭で考えているからです。対して、90点をよしとする学生のほうは、自分の知識で勝負します。だから、独自の思考力が求められる論文では、書いたものがおもしろくないのです。いまも教育で行われているのは、この「90点学生」の再生産です。知識だけを食んで育つひ弱な教育です。学校で受けた知識教育は、生きる上で必要なことがらとは質を異にします。ことに商売の世界では、それがはっきりします。世界に冠たる企業をつくりあげた松下幸之助にしても本田宗一郎にしても、尋常小学校を出るか出ないかの最終学歴でした。彼らは、学校で授かった知識はすくなくても、自分で考える頭がありました。現場で試行錯誤しながら考え、独創的なアイデアを商品として結実させたのです。本来の知性をもっていたというべきでしょう。  
知的な活動の根本は、記憶によって支えられる知識習得ではありません。知識習得にはげむことは、むしろ考える力を低下させる危険さえあります。この事実を、二毛作人生ではしっかり頭においておかなくてはなりません。知識習得が生きる上で血肉となるのは、せいぜい30代まででしょう。40代、50代ともなれば、その知識を土台にして、独自の知性を発展させていかなくてはなりません。それによって、二毛作人生を花開かせなくてはならないのです。さらに、60代以降の第二の人生を充実させるつもりなら、置き去りにしてきた思考力をすこしでも取り戻す必要があります。それには、自分が受けてきた知識教育の足かせをはずして、自らの頭で考える力をもつことです。若いころの思考力ともまた異なる、後半生で獲得する新たな独創力です。これこそが、後半生を実り多いものにする「若々しい知性」です。 
 
■蛇足

 

蛇足の出典の話、大方の人は既にご存じでしょう。一番早く蛇を描いた人に酒を与えるとしたところ、一番早く描きあがった人が、酒を片手に「オレには足を描く余裕もあるのさ」と足を描いていたところ、二番手が描きあがるや否や「蛇には足なんかないんだ」と、酒を横取りし飲んでしまいました。この故事から、余計なものという意味で蛇足が使われるようになりました。出典は「戦国策:斉策」。  
蛇足が載っているエピソードは、紀元前323年のことだそうです。この頃、世界ではどういう出来事があったのかというと、バビロンでアレクサンドロス大王が亡くなったのが同じBC323年です。翌BC322年にはアリストテレスが亡くなっています。中華ではいわゆる戦国時代がそろそろ終盤戦にさしかかろうかというところ、孟子や荘子が生きていた時代です。鬼谷先生門下の蘇秦や張儀もこの頃が活躍の時代でした。その少し前には秦で商鞅が活躍していました(BC338頃に処刑)。  
BC325年に秦の恵文君が初めて王を名乗り、BC323年には燕、趙、中山の各君が王を名乗りました。王という称号は王朝の長のみが名乗れるものです(楚だけは例外で、蛮国とみなされた腹いせに相当前から勝手に王を名乗っていました)。この時、形式的にはまだ東周が王朝なのですが、地図を見るとわかりますが、領土的にはもはや国とは呼べないような有り様でした。  
「ワシは今日から王を名乗ることにしよう」  
「秦では恵文のヤローが王を名乗ったでね。わしらも王になろまいか。」  
「そうでんな、もう、周のオッサンに気ぃ使うこともないわな。」  
「周のモウロクオヤジなんか、もう、おしまいや。恵文だけに勝手なマネはさせへんからね。ボクも王になったるでぇ。」  
世の中の空気はこんな感じで、周に対する畏敬の念など、一かけらもない有様でした。周に対する忠誠心がどんどん無くなる一方で、堂々とポスト東周の駆け引きや争いが行われるようになります。各地で王を名乗るようになるのもその一つの表れです。そのような中、楚の昭陽が魏を攻め、襄陵で大いに魏を打ち破るという事件がおこりました。これがBC323年の出来事です。  
昭陽のことはあまり詳しくはわかりません。楚の高官であることは間違いないようです。一般に蛇足の出典は戦国策だということになっていますが、史記・楚世家にもこの蛇足の話が載っています。戦国策は前漢末の劉向の作、一方、史記は司馬遷の作ですから、年代的には史記の方が早いわけで、何故、蛇足の出典は戦国策、が通用しているのか不思議なところではあります。さて、史記には昭陽の官名が出ていますが、一読しただけでは???となってしまいます。最初に「楚の柱国であった昭陽」とあります。次に、「あなたは既に令尹になっておられます」とあり、その後、「あなたは今、楚の宰相として・・・」と書かれています。素直に読むと昭陽は柱国で令尹でしかも宰相であったわけです。  
柱国というのは楚の高官のことなのだそうです。ぐっと時代が下って、北周(南北朝の、北朝末期の国)にも八柱国というのがあり、唐王朝の李氏はその八柱国の出です。柱国というのは一人ではなく、高級官僚群、ま、内閣といったところでしょうか。では、令尹とは何かというと、楚特有の官名で、宰相にあたるそうです。令尹=宰相ということですな。これで謎が解けました。日本の天皇さまを王さまだとすると、総理大臣みたいな地位ということですな、大体は。他方、戦国策の方はでは、昭陽は令尹が射程距離に入っている高官ではあるが、未だ令尹ではない地位、と読めます。  
話は戻って、昭陽は魏に攻め込み大勝し、次にその余勢をかって斉に攻め込んだのです。戦国策では「陳軫(ちんしん)が斉王のために使者にたち、昭陽に会った」とあります。ああ、陳軫というのは斉王の家臣なんだな、と思いますよね、普通。そこのところ史記では、「ちょうどそのとき陳軫が秦より使者として斉にきていた」となっています。なんだ、そうか。陳軫は秦の家臣だったのか・・・、そう思います、普通は。  
陳軫という人物は張儀や蘇秦と同じ遊説の客、言い換えれば舌先三寸に命をかける類の輩で、たしかにBC328年以前は秦に仕え、張儀と王の寵愛を競っていました。しかしBC328年、張儀が秦の宰相になるや、楚へ行ってしまいました。ところが戦国策の他のエピソードを読むと、「陳軫が、楚を去って秦へ赴いた」という記述や、BC312年には楚にいたりして、どうも楚と秦の間を行ったり来たりしているのです。ですから生え抜きの秦の家臣ではありません。世間(といっても国家間)を渡り歩いていたのです。  
当時、一時戦国七雄とか言われて群雄割拠だった中原も、ようやく統一の方向に動き始め、その候補は斉、秦、楚の三国に絞られてきていました。ですからこの三つの国は自国の利害によって頻繁に手をくんだり戦をしたりの状態でした。そういう中、そういう国々を渡り歩くということは、命がけだったと思います。例えば秦の機密を知った人間が楚へ行くということは、秦にとっては危険極まりないことで、普通、そんな人間、殺してしまえとなるところです。言いかえれば、そこを舌先三寸で生き抜くところが遊説の士の真骨頂でもあったわけです。  
とにかく、この時は秦の使者として斉にきていたのです。そして、斉を助けるために昭陽に弁舌をふるったのでした。ここでは史記の内容を書いてみます。  
陳軫「楚では、敵軍を破ったり敵将を殺したりするとどんな爵位をもらえるんやろか」  
昭陽「官は上柱国、爵は上執珪だぎゃあ」  
陳軫「その上は何やろ」  
昭陽「令尹だぎゃあ」  
陳軫「あんた、もう令尹やんか。一番エライ官やん。ボクが一つたとえ話聞かしたるわ。」  
そう言うと例のヘビの話をしました。そして  
「あんた魏に勝って、もう最高の位にござるのに、また斉に勝ってもこれ以上の位はあらしまへんわな。それどころか、もし負けたら命はなくなるわ、爵位もなくなるわ、挙句、みんなからクソミソ言われるに・・・ほんまやで、悪いけど。これてヘビに足描くのと同じちゃう?それより、ここは兵を引いて斉に恩、着せとく方がええやんか」  
すると昭陽は「みゃあみゃあ」そう言いながら帰っていきました。  
これが蛇足の話の背景です。私は、この話には「亢竜悔いあり」の方がピッタリのような気がします。「亢竜悔いあり」は易経が出典ですから、陳軫は知っていたと思います、遊説家は勉強家ですからね。それと地面にヘビを描く、ということですが、一体どんな絵を描いたのでしょうか。描く人によってそんなに描く時間が違ってくるものでしょうか。地面に描くのですから、そんなに精密画だったとも思えません。何かウソくさい話ですね。 
 
■メニュー誤表示

 

味を知らない馬鹿な客 
値段が高いから美味しい 
高級店有名店だから美味しい 
美味しさも信心から
阪急阪神ホテルズ問題 
10月22日、株式会社阪急阪神ホテルズが運営する8ホテルのレストランなどが提供した料理47品目でメニュー表示と異なる食材が使用されていたことを会社側が公表し、利用客に代金を返還することを明らかにした。ニュース、ワイドショー等でも「料理偽装」問題として大々的に取り上げられるなど、大きな波紋を生じている。「料理偽装」と報じられたことで、阪急阪神ホテルのブランドイメージのみならず、高級ホテルのレストランに対する信頼にも重大な影響を与える事態となった。  
過去に、多くの企業が「不祥事対応」に失敗し、ダメージを拡大させてきたが、それにしても、今回の阪急阪神ホテルズの対応は、「自爆」と言いたくなるほど、あまりに拙劣だ。危機を拡大させた根本的な原因は、会社側の「無神経なコンプライアンス対応」にあると言うべきだろう。  
まず、会社側の「メニュー表示と異なる食材の使用」という事実の公表のやり方に重大な問題がある。  
会社側は、「メニュー表示と異なった食材を使用していたことに関するお詫びとお知らせ」と題する公表文の別紙に、「メニュー表示と異なった食材を提供した内容等の一覧」と題して、47件について、「施設名」「提供場所等」「メニュー名」「誤表示の内容」「ご利用人数」「販売期間」の項目を記載した一覧表を添付した。  
この公表文と一覧表の記載が独り歩きしたために、「高級ホテルの高級レストランにおける膨大な数の『料理偽装』」のように認識されて、批判・非難が一気に拡大していったのである。  
会社側は、今回の問題は「料理の偽装」ではなく、「メニューの誤表示」だと説明している。10月24日に行われた社長の記者会見でも、「誤表示」であることを強調している。  
それなら、「実際の食材と異なったメニュー表示」というタイトルにすべきであった。  
確かに、メニューが先にできていて、それと異なる食材が使用された場合には、意図的か否かは別として、「食材の使用」の問題と言わざるを得ない、というのも一つの理屈だ。しかし、会社側として、使用した「食材」の方には問題はなく、それと適合するメニュー表示が行われていなかったことが問題だった、と言いたいのであれば、「メニュー表示」の問題をタイトルにすべきだった。  
「メニュー表示と異なった食材の使用」というタイトルにしたことが、新聞、テレビなどの見出し、記事で「メニュー表示」ではなく「食材の使用」の問題のように扱われ、食材の方に問題があるように認識される原因になったことは否定できない。  
不祥事についての事実の公表に関する措置や表現の一つひとつが、どのようにマスコミに扱われ、どのように使われるのかを考えなければならない、というリスクコミュニケーションの基本的な認識の欠如という「無神経さ」が、危機を拡大させたと言える。  
さらに、大きな問題は、47件の「メニュー表示」の問題全体を、一つの「一覧表」で表現したことである。  
一覧表には、食材とメニュー表示の違いがあったすべてのケースについて、提供施設名と「誤表示の内容」「利用人数」「販売期間」が単純に並べて記載されている。  
しかし、ここに記載された施設の中には、「高級ホテルの高級レストラン」もあれば、競馬場、劇場、病院、学生会館の中のレストランも含まれている。また、料理の提供の方法にしても、レストランの客が、個別にメニューを見て料理を注文するものもあれば、ホテルの宴会場でパーティー料理として提供したもの(大部分はビュッフェ形式だと思われる)も多数含まれている。  
高級店では商品・サービスの内容が個別化され、逆に、低価格店では規格化される。メニューについても、高級レストランであれば、接客担当者が、内容を丁寧に説明してくれるが、低価格店では、印刷したメニューがテーブルに置いてあるだけであることがほとんどだ。また、ビュッフェ形式のパーティーであれば、メニューは、パーティーの主催者側に示されるだけで、飲食するパーティー参加者は直接目にしない場合も多い。  
このように、提供する料理・食材と表示の関係は、施設の規模、性格や提供の形式によって異なる。その違いによって、使用した食材とメニュー表示の違いが利用者の側にどのように認識されるのかも異なってくる。  
しかも、一覧表を見ると、食材とメニュー表示の違いも、当該料理を提供し全期間にわたって生じていたように思えるが、実際には、そうではなく、当初は、メニュー表示通りの食材を使用していたのが、途中から、何らかの事情で他の食材を使用したというのが大部分であろう。そうであれば、違いが生じた期間とその期間の利用人数を可能な限り特定して記載すべきであろう。  
しかも、「メニュー表示と異なる食材の使用」の47件が、一覧表で同列に並べられ、会社側がすべてを消費者庁に報告し、同庁が、不当表示(景品表示法違反)の疑いで調査を行っていると報じられたことが、47件全体が景表法の不当表示に該当するかのように受け止められることにつながったが、不当表示となるのは「一般消費者に対し、実際のものよりも著しく優良であると示す表示」であり、多くの件は該当しないと思われる。  
「不当表示に当たる違法行為」などという先入観を捨てて、これら47件の中身を、改めて冷静に眺めてみると、多くは、メニュー表示と食材との間に何らかの違いはあっても、それ程重大なものだとは思えない。  
今回事実を公表した47件のうち、「冷凍魚」を「鮮魚」と表示したというのが13件あるが、「鮮魚」の「鮮」は、「冷凍保存」という「鮮度維持の方法」をすべて排除する意味なのであろうか。冷凍技術の発達によって、冷凍物でも、生で運搬・保存するもの以上に鮮度が良いものも多いはずだ。冷凍物であっても、シェフが自信を持って選んだ食材で作った料理を、「鮮魚のムニエル」などと表示することが「実際のものよりも著しく優良であると示す表示」になるのだろうか。  
「鮮魚の刺身盛合せ」に冷凍まぐろが含まれていた件も問題にされているが、まぐろの刺身は通常は冷凍物であり、生のまぐろの方を「生まぐろ」と区別して呼ぶのが一般的だ。「鮮魚の刺盛り」に冷凍まぐろが含まれていたことに不満を持つ客がいるだろうか。  
「自家菜園の野菜」などと表示した野菜に他の野菜が含まれていたなど「野菜」に関する問題が15件あるが、ホテル菜園の品目・収量に限界があるのは当然であり、一部他の野菜が含まれていても、菜園で採れた野菜も使用しているのであれば、利用者の期待を裏切るものとは言えないだろうし、少なくとも、「著しく優良」と誤認させる表示とは言えないことは明らかである。  
「レッドキャビア」が「マスの魚卵」ではなくトビウオの魚卵だったという問題も、テレビ等で大々的に取り上げられたが、クラゲの上に「彩り」として微量添えられているものに過ぎない。しかも、「レッドキャビア」が通常「マスの魚卵」を意味するということを知っている人がどれだけいるであろうか。むしろ、食感や魚卵の大きさは、トビウオの魚卵の方がキャビアに近いようにも思える。  
このように、47件の大部分は、メニュー表示と食材の違いは、利用者側に誤解を与える程度は低く、実質的に大きな問題になるものとは思えない。  
景表法の不当表示という面でも、該当する可能性があるとすれば、産地の異なるポークを「霧島ポーク」と表示、沖縄産でない豚を「沖縄まーさん豚」と表示したなどの豚肉の産地表示の問題、「津軽鶏」を「津軽地鶏」と表示した問題ぐらいだろう。  
ビーフステーキに「牛脂注入牛肉」を使用していた件も、もし「霜降り牛肉」と表示したのであれば、「人工的な霜降り」を「天然の霜降り」のように表示したということで、不当表示に該当する可能性が高いが、単に「ビーフステーキ」と表示しただけであれば、加工・調理方法の範囲内の問題とも言えるので、不当表示に当たるとは言えないであろう。消費者庁のHPでは、表示方法として「牛脂注入加工肉使用」と明記する方法を挙げているが、それを行わなければ違反になるというものではない。  
個々に見ていくと、利用者に大きな誤解を与えるとは思えない「メニュー表示の誤り」も、47件が同列に並べられ、しかも、会社側が景表法に違反する疑いがあると判断して消費者庁に報告したとなると、最初から、重大な「料理偽装」のようなイメージを与えてしまうことは否定できない。  
47件について、販売の全期間の利用客に、一律に代金全額を返金するというのも、あまりに短絡的な措置だ。  
「鮮魚のムニエル」の食材が冷凍魚だったこと、「自家菜園の野菜」に他の野菜が含まれていたことが、提供した料理の価値を全て否定するほどのものなのであろうか。その中には、大切な記念日にホテルで楽しんだディナーなどもあるはずだ。その「思い出」すらも、「偽装料理」という言葉で汚されてしまうことになりはしないか。  
株式会社阪急阪神ホテルズは、阪急電鉄、阪急交通社、東宝、阪神電鉄などの会社が阪急阪神ホールディングスに経営統合されたことに伴って、各社のホテル部門が合併してできた会社であり、売上高は約630億円、業界4位の大規模ホテル会社である。  
大企業として、傘下の多くのレストランを運営することになった同社が、他社における同種の問題が発覚したのを機に社内調査を行った結果、今回の問題が明らかになり、親会社の阪急阪神ホールディングスのコンプライアンス方針に従って判断をした結果が、今回の事実の公表、返金の措置ということだろう。その前提となったのは、「法令遵守」の観点から、景表法に違反する疑いが少しでもあれば、是正措置をとる必要があるという「大企業のコンプライアンスの論理」であろう。  
しかし、ホテル、レストランにおける料理の提供は、単なる「食品の販売」ではなく、施設の雰囲気、シェフやソムリエ、給仕接客態度、料理の味・外観なども含めて客に満足を与える総合的な商品・サービスである。同じ阪急阪神ホテルズが経営する施設であっても、一つひとつに個性があり、客との関係、メニューの作り方も異なるはずだ。メニュー表示と食材に関して問題を把握したのであれば、個々の施設ごとに、事例ごとに、事実関係と問題の大きさの程度を調査・確認し、個別の実態に適合した丁寧な措置をとるべきだったのではなかろうか。  
それを、一般的な食料品の製造・販売をめぐる問題のようにとらえ、「大企業のコンプライアンスの論理」で画一的に取扱い「表示と異なる食材の使用」として事実を公表し、代金を返金する措置をとった。そのような阪急阪神ホテルズという企業のコンプライアンスの「無神経さ」が、危機を拡大させた最大の原因と言えるのではなかろうか。  (2013/10/26)  
ホテルオークラ・三越・伊勢丹・高島屋まで食品偽装  
日本が劣化し村社会に戻っている証拠  
ホテルオークラ・三越・伊勢丹・高島屋と言えば、日本の一流。トップクラスの企業が、ばれるまで食品偽装をしていたとなれば、毒入り餃子の中国の事を悪く言えなくなった。日本が劣化し、だんだん中国に近づいているのだ。  
《とは言っても、確かに中国は凄い。下水で集めた油を「下水油」として店で堂々と販売し、その油で料理を作っていると言うから、恐ろしい。上海では朝飯を75円ぐらいで食べれるが、香辛料が強烈で何が入っているか分からない。何でも平気で食べないと中国では生きて行けない》  
日本中おかしくなった事がたまたま阪急阪神ホテルズをきっかけに露呈してしまった。阪急阪神ホテルズの出崎(でさき)弘社長が偽装ではないと突っぱねず、ひたすら頭を下げれば、ちゃんちゃんで終わっていた。出崎社長の貢献度は大きい。  
製造業がおかしくなってきたことは、10年ぐらい前に日本電池の部長から聞いていた。部品などの品質が低下し「日本は大丈夫だろうか」と本気で心配していた。それが製造業にとどまらず、東京電力も含め、日本全体に及んでいたのだ。  
一つは団塊と言われた、貧乏と激しい競争の中で耐え抜いた世代がごそっと退職していったことだろう。物凄く頑張ったが、イエスマンではないから上の評判は悪い。しかし、悪い事は悪いと妥協しないから良質なものを作り続け、秩序を保ってきた。  
若い世代にはイチロー、ダルビッシュ、上原のような世界的なスターもいて驚かされるが、職人的な分野に限定されている。驚くのは若い世代が、現状の悪い点も含めて全部受け入れ、現状維持を正しい事としてしてしまうことだ。  
昨年度、こころ(住宅団地)の副会長をして驚いたのは、毎月の役員会(若いメンバー)で重要なテーマを全く議論せず、お金の動きが全く分からないので、透明化など改革しようとしたところ、猛反発を受けて、とん挫してしまった。論理もへったくれも無い。全員が今までの流れを維持しようとする。  
戦後、日本は奇跡の大復興を遂げ先進国の仲間入りしたが、決して戦略が有ったわけではない。改革を進めたわけでもない。勤勉で真面目な事は重要な要素だったが、米欧の支援を受け、ノウハウをキャッチアップし、為替が非常に安く設定されていたことなどが影響している。  
いわば、戦前からあった村社会が変革を経ず、そのままスケールアップしたのが日本の状況だ。特に、バブル崩壊後、日本は縮み続け、内向きとなった。世界がグローバル化する中で逆向きに進み、組織内では何でもありの状態が拡大する。  
コンプライアンスが叫ばれてきたのは、逆にそれだけ日本の組織がおかしくなってきたことの表れか。 
衣料品にもある「偽装表示」 / 間違った付加価値追求の罪  
近頃、食品の産地偽装が世間を賑わせている。  
イオンの偽装米問題から始まって、最近ではホテルや百貨店での偽装や誤表示が相次いで発覚している。取引先から仕入れていた米は「日本産」と書かれていたが、実は「中国産」だったというイオンの事案が個人的には一番悪質だと思うが、直近の報道はホテル・百貨店に集中している。  
共通して多いのが、「車エビ」と書いていたが、実は「ブラックタイガー」だったというもので、これだけ多いということは車エビがよほど高額なのか、入手しにくいかのどちらかだろうと推測している。百貨店の偽装の中には「鹿児島県産」と表示された豚肉が実は「岩手県産」だったというものもあり、これなどは比較的軽いのではないかと感じてしまうが、食に対するこだわりは人によって異なるので、そうではないという人がいてもおかしくはない。  
偽装や誤表示の要因は様々あるのだろうが、食品に詳しくない筆者には明確な理由は分からない。しかし、先日、読んだブログに以下のような内容が書いてあり、少し気になった。「阪急阪神ホテルはもともと超一流の高級店ではなかった。手頃な値段で庶民が楽しめる店だったが、いつの間にか高級路線を志向するようになったために事件が起きたのではないか」。阪急阪神ホテルに限らず、料理を高級化するためには食材を高級にするのが最も手っ取り早い手法の1つであるのだろう。  
実は、筆者はこの騒ぎが繊維・衣料品の業界にも及ぶのではないかと内心危機感を抱いている。10数年にわたって関わってきた業界だが、今回のホテルや百貨店に類した例はこれまでいくつも耳にしてきたからだ。  
デニムの一貫生産ができる企業は少ない  
ジーンズというアイテムを例に出して見てみよう。ジーンズはデニムと呼ばれる生地を使用したカジュアルパンツである。ジーンズの良し悪しの何割かはこのデニム生地の出来が占めていると言っても過言ではない。デニム生地では、国産デニムの付加価値が最も高いと言われており、事実そのような報道がなされている。  
デニム生地の製造工程は大きく4つの工程に分かれている。紡績、ロープ染色、織布、整理加工である。国内で綿花はほとんど栽培されていないから、アメリカ、中国、ブラジル、インドあたりから綿花を輸入している。その輸入された綿花を綿糸に紡ぐ。これが紡績と呼ばれる工程である。  
この綿糸を今度はインディゴ染料で染めるのだが、これが特殊な染色機を使うロープ染色と呼ばれる工程である。ちなみに通常のデニム生地は経糸にロープ染色された濃紺の糸を使い、緯糸に白いままの綿糸を使う。これを経糸3本に緯糸1本の割合で織り上げるとデニム生地特有の「綾目」が生まれる。  
ロープ染色された経糸と白い緯糸を使って生地を織るのが織布という工程である。織り上がってから整理加工されて、デニム生地の反物が完成する。  
国内にはデニム生地を織る生地メーカーが何社か存在する。しかし、この4つの工程を自社内で一貫生産できるのは広島県福山市を拠点にするカイハラのみである。また紡績を除く3つの工程を自社内で一貫生産できるのは岡山県井原市にあるクロキだけである。そのほかの生地メーカーは織布のみの製造機能しか持たない。だから、この2社以外のデニム生地メーカーが「当社で一貫生産しました」というのは全くの虚偽である。  
ちなみにデニム生地に限らず国内生地産地は分業体制が普通であり、カイハラやクロキが特殊な体制と言える。だから分業生産そのものは本来ならば、なんら価値を棄損しない。  
ブランドに取材に行くと、「うちのジーンズで使用しているデニム生地は国内で一貫生産されています」という場合があるが、そのデニム生地の製造工場がカイハラかクロキでなければ、このブランドは自発的に嘘を言っているか、嘘を言う業者に騙されて生地を仕入れたかのどちらかということになる。  
また「児島デニム」という表現があるが、あれもかなり怪しい。岡山県の児島はデニムの産地とされているが、児島には織布工場がない。児島にあるのはビッグジョンやベティスミス、ドミンゴ、ジョンブル、キャピタルに代表されるジーンズアパレルと、デニム縫製工場、それと豊和を筆頭とする洗い加工場である。  
「児島デニム」という言葉の「デニム」がデニムパンツ(=ジーンズ)を指しているのなら問題は少ない。縫製工場で縫製されているわけだし、その後の洗い加工も児島で行われているわけだから。しかし「デニム」がデニム生地を指しているならこれは疑問である。デニム織布工場が存在しないからだ。正しく言えば児島は、岡山県井原市や広島県福山市周辺で織られたデニム生地を使ってジーンズを製造する街である。  
だから「児島ジーンズ」というのは正しいが、「児島デニム」と表記するのは生地のことなのかジーンズ製品のことなのかがあいまいであるため、注意が必要な表記方法であると言えるだろう。  
怪しい商品が多い「パシュミナのストール」  
そのほかでは「パシュミナのストール」も相当に怪しい。諸説あるが、もともとはインドのカシミール地方で織られていたカシミヤ山羊の毛織物の中でもとりわけ細い繊維を使ったものを指していたと言われる。また、一説にはカシミヤ山羊が岩山を登る際に擦れて落ちた毛を拾い集めて織ったものだとも言われている。これらの背景からも分かるように、パシュミナとはカシミヤであり、家庭用品品質表示法でもカシミヤと表記すると定められている。  
だが、ネット通販サイトや実際の店頭でパシュミナのストールは掃いて捨てるほど並べられており、品質表記を「パシュミナ」としているものが少なくない。これは明らかに虚偽表記である。また中には「パシュン」という動物から採られた毛だと説明しているブランドやショップもある。筆者が調べた範囲では「パシュン」という種類の動物は存在しないようだ。神戸と東京を拠点にカシミヤストールを専門に企画・製造・販売する知人も「自分自身カシミヤ製品の製造にも立ち会っているが、パシュンという名の動物は耳にしたことがない」と言い切る。彼は中国の内モンゴル自治区で原材料の採取にも立ち会うほど生産背景に詳しい人物である。  
さらに、現在あちこちの通販サイトや店舗で数千円以下の廉価なパシュミナが販売されているが、元来、生産数量の少ない製品なのでそのような廉価販売はできない。それらの多くは普通のウール(羊毛)や下手をするとアクリルなどの合繊が使用されている。これは虚偽表記と言えるだろう。  
どの業界でも起こり得る問題  
あえて蒸し返すが、以前にも衣料品業界では大々的な虚偽表示が問題となっている。2004年に八木通商が輸入したイタリアのパンツブランド「ジー・ティー・アー」のパンツがルーマニア製にもかかわらずイタリア製となっていた問題だ。これをビームス、ユナイテッドアローズ、トゥモローランド、ワールド、ベイクルーズの大手5社が販売し、それが大々的に報道された。また2007年には、ユナイテッドアローズがカシミヤ0%の製品をカシミヤ70%混と表示・販売して報道されている。  
これらの背景には販売する製品に「高付加価値」を持たせたいという心理が働いているのだろう。素材が希少であればあるほど高付加価値商品であると喧伝しやすい。ありふれた分業体制の生地メーカーから仕入れたデニム生地よりは国内一貫生産されたデニム生地、廉価なイメージのある羊毛や合繊よりも希少性が高いと認識されているパシュミナ、ルーマニア製よりはイタリア製、といった具合に消費者に対して付加価値をアピールしやすくなる。ブラックタイガーを車エビだとしたのもこれらと似たような心理が働いたのだろう。  
スペックや製法などを少々「盛る(誇張する)」ことは、販促とブランディングの手段の1つと捉えている業界もあるかもしれない。しかし、虚偽表示や誤表示で消費者の信頼を損ねることは、どの業界であっても起こり得ることだと肝に銘じておくべきだろう。 
 
■船頭の集まり

 

船頭多くして船山に登る  
最近、ぼくが気に入っていることわざは「船頭(せんどう)多くして船(ふね)山(やま)に登る」だ。船を指揮する船頭さんが何人もいると、船は統制をとれなくなっておかしな方向に進んでしまうという意味である。なるほどなと納得させられることわざなのだが、ふと気になるのはなぜ「山に登る」のかということ。「進まず」とか「沈没す」とかでも良さそうなものだが、船頭の多い船は「山に登る」とされているのだ。ひとりで停滞・沈没するだけなら迷惑もかからないのだが、それぞれの船頭が善かれと思ってまわりを巻き込み行く先が、想像もつかないようなあきれた到着点に辿り着くという皮肉が込められているのだろう。  
このことわざ、仏教界に当てはめてみるとまた面白い。たとえば浄土真宗では阿弥陀如来の願いが「船」にたとえられるが、浄土真宗を信仰する人を船の乗客とするならば、そのリーダーとされる住職は船頭と言えるだろう。その船頭たちの中でも船頭の上に立ちたいと思う船頭が集まって、船頭の山並を築いていく。それぞれの地域の小さなお寺がひとつの山だとすれば、それぞれの山を背負いつつ京都の本山へ集まってくる住職たちの群れは、さながらボスの中のボスを決める猿山コンテストのようでもある。それは言い過ぎかもしれないが、そんなにはずれてもいないと思う。  
ここのところ「なぜ伝統仏教教団は停滞するのか」ということを書いているが、ポイントはこの「船頭多くして船山に登る」のことわざに集約されるかもしれない。  
伝統仏教において京都の山が好きで集まってくる船頭たちの多くは、  
・みんな自分の小舟(お寺)を持っており、大船(本山)に乗り込むときも、いつでも頼れる救命用の小舟を手放さない。  
・小舟の船頭(住職)としての自負から、いつも何かしら細かな指示をしたがる。  
・生まれてこのかた船の世界しか知らないので、人間には船頭か乗客の2種類しか存在しないと思っている。  
・担当の船が短期間で変わるため、いつも船に対して責任を持たない。  
・多くの船頭は、沈没させて批難されることを恐れて船を漕がせない。  
・やる気のある少数派の船頭も、行き先も告げずにがむしゃらに漕がせたり、他の船頭から足を引っ張られたりして、座礁する。  
というようなことの繰り返しで、まったく埒があかないのだ。  
一人のがんばりともう一人のがんばりが合わされば二人と言わず三人分以上の力が出そうなものだが、一人と一人が合わさると二分の一と言わず三分の一くらいの力も出なくなってしまうのが船頭の足の引っ張り合いである。ぼくがよく聞く船頭用語のひとつに、「思い」という言葉がある。「この件については○○さんの思いを尊重せなあかん」などというふうに使われるのだが、船頭が多くなればなるほどこの手の無用な気遣いが増えてきて、しまいにはどうでもいいことひとつひとつに対して皆が疑心暗鬼になっていく。大昔すでに山に登ってしまった船がそのまま身動きがとれなくなり、風雨にさらされ生き恥をさらしながら朽ちていくのを待つしかないという悲劇。  
船頭の皆さん、それほど乗客の言うことを聞く気がないのなら、どうしてそんなに他の船頭の言うことばかり気にするのか。それほど他の船頭を気にするくらいなら、どうして乗客の「思い」に耳を傾けないのか。そして何よりも、もっと謙虚に仏の「思い」に耳を傾けるべきではないのか。せっかくの弥陀の願船も、乗っている船頭のせいで船の行き先がおかしくなったり、船頭に嫌気がさした乗客が船から降りたいと言い出したら、それこそ船のオーナー、仏に申し訳が立たない。 
船頭が多い仕事は要注意  
仕事をしていると、やたら多くの人が関わり、仕事をする場面も出てくる。そんな時、気をつけたいのが、船頭が多いことだ。  
「船頭多くして船山に登る」ということわざがある。  
1つの船に船頭が何人もいたら、船が山に登りかねないほど、変な方向にいってしまうというたとえから、指示する人がいっぱいいると、物事が見当違いの方向に進んでしまうという意味だ。  
社会に出ると結構こういう場面に出くわす。  
1つのプロジェクトがある。  
いろんな人が加わる。  
みんなが思い思いに勝手なことを言う。  
で、一体、誰に最終決定権があるのかが判然としない。  
みんな並列的な関係のために、まとまりがつかず、みんなの意見をごった煮した、混ぜこぜの物を作ってしまったために、中途半端でどうしようもないものができあがってしまったり、もしくは、プロジェクトがあっちにいったり、こっちにいったりして、まったく進まないということがある。  
今、初監督作品としてドキュメンタリー映画「シロウオ〜原発立地を断念させた町」の、編集作業のつめを3日間かけて、制作スタッフ集まって行っているのだが、とてもスムーズにいっている。  
スタッフが集まれば、みなこうした方がいい、ああした方がいいというのは、当然バラバラな意見が出る。でもバラバラな意見を出し合い、互いにその意図を説明し合い、議論しても、スタッフには「最終的にはすべて監督が判断する」との共通認識があるからだ。  
船頭はあくまで監督一人。  
それぞれがそれぞれの持ち場の立場から、「あっちに行った方がいいんじゃないか」「こっちに行った方がいいんじゃないか」と意見は出し合うものの、それを判断するのは1人と決めてある。だから意見は分かれても、きちんとまとまる。船頭が一人だからだ。  
こんな風にスムーズにいくのはとってもありがたいのだが、普段の仕事ではなかなかそうはいかない。特に私の場合、広告の制作仕事をしていると、いろんな会社がいっぱい関わっていて、それぞれがそれぞれで勝手なことを言い合い、船頭多くして船山に登る状態になってしまうこともある。  
クライアントが最終決断をするべきなのだが、そのクライアント自体がはっきりした意見を持っていないと、間に入った代理店が我こそが仕切るべきと指示を出す。ところがその指示とはまた違う指示を、  
関わっているメディアの担当者が出したりする。そんな状態の中で「やっぱり現場の指示はかさこさんやってよ」なんて急に制作サイドにふられたりするので、じゃあ私が船頭役をつとめて、交通整理をし、方向性を決めようと思ったら、「いや、こっちにすべきだ」なんて船頭役を降りたはずの人が、一意見としてでなく、まるで船頭役のごとく、その場を途中から仕切ったりする。もうそうなるとぐちゃぐちゃ。収拾がつかないことがある。  
一人で完結する仕事ではなく、複数の人が絡んでいる場合は、当たり前だけど、誰が最終決定権を持つのか、船頭は誰かをきちんと決めておき、プロジェクトをスタートさせる段階で、すべてのメンバーに共有しておかないといけない。「言わなくてもわかっているだろう」と思うのは危険で、時々気まぐれに中途半端に仕切り出す人が出てくるので、きちんとはじめに認識させておいた方がよい。  
そういえば仕事でなくても音楽なんかでもそう。バンドが音楽性の違いとかいってバラバラになってしまうのは、船頭が決まっていないから。  
「みんなでいい音楽をつくろう」なんていったところで、みんな「いい音楽」という定義は違うわけで、メンバーそれぞれが意見を持っている。みんなで決めようとすると収拾がつかなくなる。船頭がいっぱいいるからだ。  
メンバーが意見を出し合ったとしても、最終的にはボーカルが決めるとか、リーダーが決めるとか、きちんとルールを設定しておかないと、エンドレスな意見の戦いになり、しまいには互いに感情的な議論に発展し、結果、空中分解してしまうなんてことになりかねない。複数人が関わり合っている仕事は気をつけたい。 
川島町長に違和感、船頭間違えたら災難は我が身へ  
16日に東日本を襲った台風26号。伊豆大島の被害は目を覆うもので、被害にあわれた方のご冥福をお祈りします。合掌。  
今も行方不明者20数名を数えるが、午前2時から4時というど土砂崩れの時間帯が被害を大きくした。それにしても、16日夜のニュースで大島の川島町長の記者会見を見て、かなり違和感を覚えた。  
後でその理由は氷解したが、まるで切迫感がないというか当事者らしからぬ受け答え。15日は島根県隠岐島に出張中で、翌日大災害の報道を聞き慌てて自衛隊機で戻ってきたとのこと。  
副町長は14日から東京檜原村に出張していた。それを知っていながら巨大台風が接近している15日に出張するという神経がまず異常。敵前逃亡である。現場で陣頭指揮を執るものはいなかった。  
百歩譲って、どうしても避けられない出張であれば、1時間おきぐらいに大島と連絡を取り合うぐらいの準備が必要である。これは素人でもわかる。近年、これだけ災害が多発し、しかも行政責任による被害拡大が叫ばれるケースも少なくない。  
その中で、いったいこの町長は何を学んでいたのだろうか。もちろん何も学んでいない。6時過ぎに土砂災害警報が発表された直後に、役場職員は皆帰宅。数名が集まったのが午前を回っていた。  
気象庁からの警告や、土砂災害警報を受けてなお何もしないというこの役人根性。しかも、この件は町長に連絡もしていない。避難勧告はためらわれても、避難所の開設を行い避難準備の告知をなぜ行わなかったのか。大雨の真夜中では遅すぎることはサルでもわかる。  
杉並区でも当日、避難所を開設しているぐらいだ。大島という火山島の特殊性を誰よりも知っているはずの彼らがこの脇の甘さ。逆に、よく数十名の被害者で収まったと思う。いいたいことはもっとあるが、他のブログでも叩きまくっているだろうから、このあたりにしておく。   
おそらく被害拡大となった違和感の原因は、川島町長が共産党員であるということ。これですべての謎が解けた。口だけは達者だが、行動が伴わないのが彼らだ。責任転嫁も得意だ。これでは役場が定時で帰宅するのも当然だ。  
災害後の記者会見でも、町長のどこか人ごとのような口ぶりに違和感を持ったのも、すべてはこのためだった。極左がトップに立つと国民は浮かばれない。菅直人が首相の時に尖閣問題と福島原発事故が起きた。その後の迷走で日本は消滅するところだった。「雌鶏謳えば国に滅ぶ」が現実となりそうだった。  
さて、今回明らかな教訓は船頭を間違えたら我々の身にろくなことは起きないということ。これは政治ばかりでなく、会社も同じ。こちらサイドはあれこれ自衛して乗り切っていくしかない時代であることを再確認させられた事件であった。  
庶民が虐げられた中国には、「上に政策あれば、下に対策あり」という有名な言葉がある。これをもじって、「上は無策でも、我に対策あり」、を信条にしていくしかない。 
船頭多くして  
ゴムボートで急流を下るラフティングというスポーツがあります。国内の主な川では商業ツアー会社がありますので、全くの未経験でも誰しもがパドルを手にして急流のスリルを楽しめます。私は学生時代にガイド(船頭)をしていました。ガイドの役割は多岐にわたります。乗客の体重や漕ぐ力によって配置を決め、ツアー前には漕ぎ方や落水時の対処方法を説明します。ボートは、回転性を重視しており基本的にまっすぐ進みません。ガイドが安全とスリルのバランスを取ったルートを選択し、自分のパドルで舵を取ります。  
ある年の春先に、いつも下る川とは異なる利根川上流にガイドだけで遠征したことがありました。その時期は谷川岳等からの雪解け水で増水しており、流れの激しさは世界レベルとなります。ボートにはある程度の経験を積んだ6名が乗り込み、区間毎に舵取り役を交替していきます。私の担当区間で流れが激しい箇所の中央に大きな岩が出ている箇所がありました。私から乗客役のガイド仲間に対してその岩を避けるルートを簡単に伝え、流れに入りました。慣れない川で、かつ増水していますので当初イメージ以上にその岩にボートが近づいて行きました。油断していた私も危険を感じ、慌てて舵を大きく切りましたが、ボートが思い通りに向きを変えてくれません。非常に速く強い流れに押され、4〜5秒後にはボートは岩に乗り上げて転覆し、全員が凍てつく川を数十メートル流されました。後で分かったことですが、危険を感じた時から乗っていた全員が自らのルートイメージに従って勝手に舵を取っていました。各自の力が相殺され、ボートはコントロールされていないも同然の状態に陥っていました。文字通り「船頭多くして船山登る」です。一人が責任をもって「舵取り」するという基本中の基本を痛切に学ばされました。  
ビジネスにおいて「舵取り」という言葉が比喩として様々な場面に使われます。人事の領域も同様です。私たちが関与させていただく人事制度改革においても「舵取り」の重要性を感じることがあります。  
人事制度改革は検討開始から制度導入まで最低でも半年、通常は1年程度を要し、多くはプロジェクト組織が組成されます。プロジェクト立ち上げ後に、経営環境の変化や親会社からの指導等の理由で改革の方針やスケジュールが変わることは珍しくありません。議論の対象が変わってしまうことすらあります。何が変わるかを予測し、万全の対応策を用意しておくことは難しく、また非効率です。重要なことは、状況の変化に迅速に対応できるよう、プロジェクト責任者が舵を取り続けられる体制を築いておくことです。自己裁量で何をどの程度まで決められるのか、権限を超える場合には最低限誰に相談し、承認を得ればよいのか。常設の組織では明確に定義されていることでもプロジェクト組織に関してはあいまいなケースが見られます。プロジェクト責任者より格上の役員や社員、主力の事業部門から相反する要求や助言が出されると、それらを受けざるを得ないがために打開策が見えなくなり、プロジェクトが難破します。  
人事制度改革に限らないと思いますが、プロジェクトの成否は、多くがその責任者によって左右されます。プロジェクト責任者に任命される場合に、状況変化時に議論をコントロールするイメージが湧かない、つまり自らの意志でプロジェクトをコントロールできる「舵」が確保されていないのであれば、明確にそれを要求すべきです。場合によってはその任を受けないくらいの強い姿勢が必要と思います。私たちとっても責任者が「舵取り」が出来るよう状態となるよう支援することが重要な役割の一つであると認識しています。  
人事制度は現在だけでなく将来の経営、社員のキャリアを大きく左右するものです。本質をとらえた改革が、待ったなしで求められている状況下でプロジェクトの難破は絶対に避けねばなりません。 
河童の税金  
むかしむかし、利根川に唄のうまい船頭がおった。上きげんでうたいながら、キーコキーコ、船をあやつって、川をくだっていったそうだ。  
船はチャンコロでも  
炭、まきゃー積まぬ  
積んだ荷物が米と酒  
すると、川岸から声がかかった。  
「船頭さん、とてもいい声ですねぇ」  
船頭は思わずニコッとした。  
「へい、ありがとうよ」  
よびかけたのは、花もようの着物をきためんこい娘で、そばには、大きなたるをかついだじいさまがたっておった。  
「いい天気ですね。その船はどちらへおいでですか」  
「へえい、この船は二里(約八キロメートル)ばかりくだった小堀河岸まで行きやすが」  
「まあ、それはちょうどよかったわ。ねえ、じいや」  
娘がいうと、目じりのさがった背の低いじいさまがニコニコしてペコリペコリ頭をさげた。  
「船頭さま、どうかおたのみしますだ。このたるを小堀河岸の船問屋までとどけてくださいやし」  
「へい、ようがすよ。でも、船頭さまなんてよしてくだせえ」  
船頭は、船を岸によせながら、こたえたそうな。  
「それから、船頭さん、たるといっしょに、この手紙もわたしてくださいな」  
娘が船頭に手紙をわたした。それから、じいさまがお礼の小判を二まい船頭に差し出した。  
「ええっ?こんなにいただけるんですかい。すまんこってぇ、へへっ、しょうちいたしやした。川岸についたら、いちばんにとどけやすだ」  
船頭は、ニヤニヤしながら、小判をふところにしまいこむと、さっさとたるを船のまん中にのせたそうだ。  
「それからもうひとつ、船頭さん、おねがいがあります」  
「へえ?」  
「たるの中には、とても大事なものがはいっているので、けっしてあけないでくださいね。もしあけたら、たいへんなことになりますから……」  
「へ、へい。わかりやした」  
船頭は、元気よくいつもの船頭唄をうたいながら、キーコキーコ、船をこいで川をくだっていったそうな。  
ハァーイ  
こげやこげこげ二丁ろでこげば  
キーコキーコ  
こげば港が近くなる  
チョイチョーイ  
ところがしばらくして、船頭はたるをジッとにらみ、  
「たるをあけてはいけねえと、娘さんがくりかえしいっていたが、いったいぜんたいなにがへえっているのかなあ」  
そう思いこむと、気になって気になって、どうしようもなくなってきたぞ。  
「ええ、ちょいと見るだけならかまわんじゃろ」  
船頭は、とうとうがまんできなくなり、たるのふたをあけてしまった。  
「な、なんじゃい。この玉コロは……」  
たるの中には、ベトベトしてやわらかい玉コロがギッシリつまっている。においをかいでみたんだが、さっぱりわからねえ。そこで悪いとは思ったが、ことずかった手紙まで読んでしまった。  
かっぱの親分どの  
さっそく、税金をおおさめします。  
ことしは、どうしたわけか人間どもが、われわれを用心することこのうえなく、尻子玉(肛門)は九十九個しかとれませんでした。  
残るひとつは、この船頭の尻子玉をさしあげたいと思いますので、どうかごえんりょなくおとりくださいまし  
ネネコ  
なんと、たるの中にはいっていたものは、河童の親分におさめる人の肝だった。小堀に住む河童の親分が、利根川の各地の河童から税金として、毎年、人の肝をとりたてていたらしい。  
日本の各地の河童は、年にいちど、しかも一年でいちばん暑い日に、竜宮に集まるといわれている。  
竜王はへびのからだをしており、その日はからだが焼けそうに熱くなるため、人の肝を食べないと生きていけなくなるらしい。  
そのために、小堀にすむ利根川河童の親分は、竜宮の竜王に人の肝をささげるということだ。  
「ひ、ひえっ、ネネコといえば、利根川七曲がりぶちにすんでいるという、おっそろしい女河童じゃねえか。あの娘は、きっと女河童ネネコがばけていたのにちげえねえ。ということは……。あのじいさまも河童だぞ。くわばら、くわばら」  
船頭は、おおいそぎで川の中へたるをつきおとした。  
ドボーンと音をたてて川にしずんだたるは、うかびあがるとプカリプカリ流れをくだっていった。  
船頭は、フーッと肩で大きく息をはいた。それから、気持ちがおちついたところで、ふところの小判をとり出してみると、な、なんと、二まいとも、うすっぺらな小石だったそうじゃ。   
 
 
うらないちっとも あたらない

 

 
■競馬新聞
誤植 「確かな情報多彩な予想」 あり得ません 
「不確かな情報多彩な予想」
 
■株価予想

 

自称金融アナリスト  
「美人投票の論理」程度  
連想ゲーム1 風が吹けば桶屋が儲かる 買い 
連想ゲーム2 幽霊見たり枯れ尾花    売り  
安全対策   提灯をつける  
 
■景気予想

 

日本の経済学者 
海外経済論文の翻訳に忙しい 翻訳学者
 
■昔の天気予報

 

スパコンの威力  
当たるようになりました
 
■後講釈

 

有名予想予測者の「有名たる条件」 
後講釈の上手さ
安全な場所から後講釈で現場を非難する醜さ  
東日本大震災に起因する東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、被災者らが、当時の東電役員や原子力安全委員会・原子力保安院・文科省等の幹部を業務上過失致傷の罪名で告訴していた(別の案件では菅元首相も告訴)事案は、東京地検が全ての被告訴人を不起訴処分とし、告訴人の訴えを退ける形となった。  
この処分は、原発事故にうろたえ放射能に係る風評被害の元凶とも言える菅元首相に対する処分を除いては、極めて妥当な判断である。これを機に「福一」とか「フクシマ」とかいった差別用語を連呼して風評被害を撒き散らす放射能バカは猛省し、震災がれきの後片付けでも手伝うべきだ。  
告訴人らの「津波は予見可能であった」という主張は根幹から誤っている。原発事故以来、東電叩きをライフワークにしている反原発ゴロの連中は、2008年の段階で東電内部では15.7メートルの津波を試算していたが実際には6メートルの津波対策しかしていなかったとし、これを東電の明らかな過失だと非難する。また、この地域でマグニチュード8.3程度の地震と高さ10メートル程度の津波が来ることは、地震と津波の専門家なら2002年当時から誰でも想定できたと主張する。  
しかし、こんなものは後講釈で何とでも言えるものだ。○○委員会で専門家からこんな指摘があったとか、○○会議でこんな資料が提出されていたとかいった類の妄言にいちいち付き合っていては会社が持つはずがない。  
だいたい、危険性を指摘する者は、異様なほどの正義感に高揚しがちだが、その対策に責任を持つ立場にいる者は稀である。自分で後始末をする必要がなく、ああすべきだ、こうすべきだと好きなことさえ言っていればヒーローを気取れるのだから気楽なものだ。  
いくら厳格な安全管理を求められる原発とはいえ、全ての事故や災害への完璧な対応を義務付けられるのは現実的ではない。そもそも数万年〜数十万年に一度の頻度で発生する巨大地震や大津波を想定したフルスペックな備えをしろと言う方がどうかしている。ジャワ原人や北京原人が体験した(かもしれない)大災害への対策を怠ったからといって罪に問われるというなら、巨大建造物を建てること自体が罪になるだろう。  
マスコミに煽られていい気になっている反原発ゴロの連中は、数万年前の断層とか千年に一度の大震災を想定外とすることすら許さない(違法な選挙運動や隠し子は問題ないらしい)ようだが、日本の西隣で反日運動や軍事的挑発を繰り返す三バカ国家に対する危機感は全く持っていないようだ。彼らの口から、中韓朝の軍事行動への備えを強化すべしといった主張が出ることは永遠にない。  
また、いよいよ目前に迫った消費税増税やTPP参加交渉の問題についても同じことが言える。両方とも、デフレを深刻化させるだけでなく、日本の最大の強みである供給能力を徹底的に破壊しかねない大変危険な政策だが、バカマスコミは、このような経済的大厄災を軽くスル―して、大したことにない汚染水問題を何とか世界に拡散しようと必死である。  
(汚染水など、太平洋の大きさに比べれば塵以下で何の問題もない。落ち着いて漏水防止作業をすればよい。)  
このように神話の世界の厄災にはやたらと敏感になるくせに、いまそこにある現実的な危機に対しては傍観を決め込むバカ者など相手にする必要はない。  
大震災に関しては、東電以外にも大川小や日和幼稚園等の訴訟事件が相次ぎ、一部で判決も出ている。  
幼いわが子の命を失った親御さんの気持ちを思うと、その悲しみや喪失感はいかばかりかと深く同情せざるを得ない。  
一方で、訴えられた側の学校や園関係者の方もまた、愛しい児童や園児の命を守れなかったという罪悪感を背負って生きねばならぬことを想うと胸が締め付けられる思いがする。  
幼い命を失ったことに対する憤りは誰しも同じであろう。しかし、日本中の誰もが驚かされた、それこそ想定を大きく超える巨大地震や大津波の発生を前にして、後講釈で、ああすべきだ、こうすべきだと偉そうに述べることは誠に恥ずべき行為だ。  
のんびりとした日常生活から、一瞬にして、体験したことにない大災害の世界に直面した方々の心理状況はいかばかりであったろうか。そんな時、うろたえずに後から誰からも非難されないような冷静かつ妥当な行動を取れるものだろうか。  
筆者には到底できそうにない。  
大震災からの復興に取り組む渦中で、被災者同士が法廷でいがみ合わなければならないことに表現し難いやりきれなさを感じている。 
後講釈  
『言語道断』創刊号(1990)にこんな文章が載せられている。  
 
目覚めたら、枕元に百万円の札束が置いてあった。夕べの出来事かもしれない。何があったのか思い出そうとしたが、面倒くさくてやめた。少々君が悪いが気にしないでおこうとB型の血がうなずいた。  
街を歩いていると何か変。貧血でもないのによろめいてしまう。それよりも降って沸いた百万円をどう使おうか、そのことで頭がいっぱい。洋服をたくさん買って、ステレオとテレビとを買い替えて、全自動の洗たく機も買っちゃえ!  
おフロに入った時、コトの起こりに戸惑った。何とまあ左足の小指が失くなっていた。きっとこれは悪魔の仕業なのね。私って業が深いのかしら。と思うが足指の一本や二本、お金に代えられるのならもっとたくさん欲しいと思ったりする。でも彼ったら私の足指が異様に好きだから困るな。えーい、この際あんな変態男とは別れてもいいや。そんな事を考えながら一方では母親が部屋に来たら変に思うだろうな、と思ったりする。  
あくる朝目覚めたら案の定、右足の小指も欠けていた代わりに任天堂の千株券が置かれていた。いつもうるさい証券会社のあいつが来たら売ってもらおう、としばらく待ったが、誰も来ない。仕方がないので痛い足を引きずって出掛けた証券会社のインチキくさい店頭でカウンターに座っている女の子に株券を出して「売ってください」と言ったら、うやうやしく応接間に通され、坊主頭の黒ブチメガネにへいこらされたのには参った。で、黒ブチメガネが言うには今日、この株が急騰してストップ高になった、とのこと。売却代金は二千万円近くになるが、お金は出さずに預けて欲しい、と。株の事は良くわからないが、半分の一千万円は中期国債ファンドにしてしまった。黒ブチメガネは大声でしゃべりまくるし、気分悪くなったから。あんなしつこい男が私の担当者とは情けない。ワイシャツの袖口からはみ出ているムダ毛を思い出すたびゾッとする。でも、粗品にもらった杉良太郎のテレフォンカードは気に入っている。 『ユミコの夢』サリー・メイ著  
 
どうですか、バブル期のノー天気な少女と証券マンの様子が今じゃ時代がかって読めてくる気がします。昭和末期の日本人って、大胆だけれども古風な趣味を持っていて、作品中の少女も『杉サマ』には弱いようです。『大日本帝国』を引きずっていたんだよね。そういやあの頃の飲み会では結構軍歌が飛び交う雰囲気でした。ほどなくして哀調を帯びた『海ゆかば』に変わっていったんだけれども。そう、バブル崩壊期の営業現場では連日玉砕の報告と無謀な攻撃の連続で、今だから語れる逸話を二つばかり挙げてみましょう。  
その1細川政権の元、JR東日本株が上場されたが、その前夜「買い対応」を命ぜられ、とある資産家に電話を入れたところ、「今、山一の営業マンが来て、『JRは山一が社運を賭けて持ち上げます』と言っていたよ」と話してくれました。…なんて事はない、『社運』を賭けて総会屋へ利益提供をしていたんじゃないか、と山一が潰れた時思いました。  
その2阪神大震災の直後、建設株が急騰した事があるが、半年後(信用期日を越えて)、新値を取ったのは『不動建設』一銘柄のみであった。耐震構造のビル設計の受注の実績が材料として評価されたと聞かされたが、これもN証券の総会屋へ対する利益提供が噂された銘柄であった。ちなみにこのときの不祥事の発覚は『内部告発』が引き金となったそうだ。その話を知った時、「日本型組織の崩壊」を感じてしまいました。  
似たような話は枚挙に暇がないと思いますが、私の勤めていた会社にても、当時相談役だった偉い人が来店した時、いきなり「株に命を賭けて」なんて営業マンを集めて叫びを挙げて面喰らった事があります。その相談役氏が支店のクイックで熱心に株価を追っていたのがある店頭登録企業で、その会社の社長はしばらくして税務署で切腹したとのことです。「株に命を賭ける」私にはできませんでした。 
あと講釈理論  
ハメル&プラハラードの未来競争戦略理論 / ハメル氏は、米国市場2番目となる巨額負債倒産、不正会計事件を引き起こした、あの「エンロン社」を新時代の代表格でありイノベーションの才に富んだ企業とほめそやしていたことでも知られる。  
日本企業に対する考察を中心としたこの理論の骨子は、最終製品や基幹製品を生み出すコア・コンピタンスを重視し、未来に向けてその能力を鍛えよ、というものである。未来をできるだけ予測し、きたるべきその市場で勝負するために、ストレッチした目標を掲げ、目標の達成方法にレバレッジを効かせよ、と説く。つまり、未来予測が前提となっており、予測によって設定された市場や経営環境に向けて長期的なスパンで自らの能力に磨きをかけるべき、というのがこの理論の骨子である。  
ハメル&プラハラードによれば、たとえばソニーの小型化の技術など、その企業の得意技がコア・コンピタンスにあたるという。これは、その企業の製品やサービス、あるいは生産プロセス等に一貫して現れる、組織としての特徴的な(得意とする)能力のことを指しているようである。  
確かに各企業の癖や傾向、得意技のようなものはあり、それが当該企業の強みや差別化要因となるのは事実である。しかしそれらは意識的、自律的、戦略的に作り上げられたものというよりは、自然に積み重ねられたものである色合いが強い。  
すなわちPDCAサイクルを長期的に回転させて改善活動を積み上げ、失敗を積み重ねながら思考錯誤を経た結果として表出している現象であるといってよい。別言すれば、ある明確な意図や方向性をもって、洗練された形で構築された能力とは似て非なるものである。  
つまりは、短期的改善の積み重ねの結果である特徴・得意技を現象追従的に観察し、「コア・コンピタンス戦略」というラベルを貼った、あと講釈的な匂いが残る理論であるといえる。  
その証左の1つとして、コア・コンピタンスを構成する原単位や組成方法、構造分析方法、戦略への落し込み方法などについてはほとんど触れられていない。いわば、城を築くのに、その土台を築く原単位となる素材を何にするのか、柱にはどのような材料を用いるのか、そして、どのような手順で築城するのかといった基本的な理論要件が明確ではないのである。  
さらに、予測した未来をめざすためのストレッチやレバレッジなどの方法論が展開されていくが、肝心の未来予測の具体的な方法が「多くの時間を投入して考えるべき」以外にこれといって述べられていない。  
もちろん、未来を予測する方法を提示せよ、とまで求めるべきではない。しかし、「コア・コンピタンス構築の指針となるべき未来市場を描くための情報を早期に察知・感知する程度の方法については言及があって然るべきである。しかし、残念ながらこれが見当たらないのだ。  
しかし、これはある意味で、妥当ともいえる。「予測」については、多くのシンクタンクや調査機関によるものが毎年発表されるが、長期はおろか半年後でさえ現実には予測できないのである。よって、未来予測を基盤とするハメル・プラハラード理論の成立はますます困難になってきたと考えざるを得ない。  
ちなみに「予測」レベルまで到達できるかは別として、インサイトや先の見通し、あるいは嗅覚のような能力を強化する方法は存在する。それは、しっかりとした仮説を構築し、それを自分の「型紙」にして経営環境との接触をはかりながら、それとの(微妙な)ズレに対する早期感知・発見能力を鍛えていくことである。  
例えて言えば、植物の相を識別できる植物学者が、草が生い茂った草原の中からまったく新種の萌芽を発見するような能力である。このような能力を可能にするのが、とりわけ学習効果が高い「実戦」を数多くこなし、チャレンジを積み重ね「痛い目」や「失敗」に遭うことで(組織としての)鋭敏さや洞察力を磨くことである(別コラム「最後のフロンティア、「失敗」を戦略資源として活かせ!」を参照)。  
未来の製品・サービスや市場の想像図を描くことが先にあるのではない。少なくとも、両教授がいうようなSBUうんぬんといった組織形態論(ハードウェア論)を議論するだけでは十分ではない。何よりもまず、未来に向かってあくなきチャレンジを積み重ね、進化し続けることを志向する組織体質や人材集団の養成・熟成が必要である。  
そして、チャレンジ(実験行動)の体系的な積み重ねによって、研ぎ澄まされた組織感覚の獲得をめざす。こうした取り組みを通じて発想や開発ができるようになった組織にのみ、はじめて未来市場への扉が開かれ、コア・コンピタンス戦略開発の方向性が明確に見えてくるのではないだろうか。 
のたうち回った稲盛和夫  
リーダーたらんと自ら努力してなったリーダー  
稲盛和夫は疑いも無くカリスマである。その行動を見ると、度胸があり大胆である。しかし矛盾しているように思えるかもしれないが、「怖がり屋」の一面がある。経営者として成功を重ねられたのは、恐れを知る大胆さによるのではないか。  
「経営は、のたうつものである」と稲盛は言っている。企業を経営すれば、もがき苦しむのは当たり前で、安直に業績を伸ばす方法はないというのである。  
しかし異論もあるだろう。ファインセラミックスという有望な新技術をいち早く確立したから、京セラは驚異的な成長を遂げた。第二電電(現KDDI)も通信自由化の波に乗ったおかげで、うまくいった。日本航空の再建も、会社更生法によって銀行からの債務の大幅カットや不採算路線からの撤退などができたからである。稲盛でなければ、できなかったのか。  
こうした見方にも一理ある。ただし、すべて後講釈にすぎない。何事も結果だけを見れば、簡単にできそうに思えるものだ。運がよければ、一回くらいは望外の成功を収められるかもしれないが、持続するのは難しい。 
「信長という人はあまり好きではない」  
果敢なベンチャー精神や強いリーダーシップから、稲盛は戦国武将で言えば、織田信長タイプに見える。しかし本人は「信長という人はあまり好きではない」と言う。「周りの人からは、積極的な経営によって京セラを急成長させたので信長的に見えるのでしょう。しかし昔、私は石橋をたたいて、借金を返しながらやってきたんですよ」  
勤めていた松風工業を27歳で飛び出して京都セラミツク(現京セラ)を創業する時、親身に支援してくれた西枝一江という人物がいる。京都の配電盤メーカー宮木電機の専務で、同社の宮木男也社長らとともに出資して最初の資本金300万円を作ってくれた。  
カネの無い稲盛は技術出資の形で株を持たせてもらった。創業のためにさらに1000万円を銀行から借りて、その保証に西枝は自宅を担保に差し出してくれた。懸命に働いた結果、最初の年から黒字が出た。稲盛は一刻も早く借金を返したいが、会社を成長させるには借金をゼロにできない。  
この悩みを西枝に話したら、笑われた。「何を言っているんですか。会社は借金をしながら伸びていくものですよ。カネを借りて金利を払い、その借金は長期で返せばいいんです。あなたのように考えていては、優れた技術者であっても、よい経営者にはなれませんよ」  
それでも借金を返したいという気持ちは変わらず、1971年に創業から12年で株式を上場した時には、実質無借金になっていた。業績は順調に伸びていたわけだが、心配性の稲盛はしばらくの間、「いつ潰れるかもしれないという強迫観念が常にあった」という。  
夜遅く家に帰ると、まだ幼い娘たちにも「会社が潰れるかもしれない」という話をしょっちゅうしていたそうだ。「そうなったら、家はなくなり、残してもらったお茶碗と鍋釜だけで生活しなければならない。だからお父さんはがんばるよ」。いつも綱渡りをしている普通の中小企業の経営者とほとんど同じだ。  
「信長はものすごいイノベーターだと思います。信長なかりせば、豊臣秀吉も徳川家康もなかったでしょう」と評価するが、欠点も見逃さない。  
「気性が荒く子供のころから手に負えない暴れ者で、頭脳も鋭い。勇気があり先見性もある。まさしく天下を取る資質です。現代の経営者にしても優れていると思います」。しかし「同時に本能寺で非業の最期を遂げる結果を招いたわけで、成功と失敗の原因が表裏一体なのです」。信長タイプを「破滅型リーダー」と見ている。  
鹿児島で生まれ育ったので鹿児島県人を愛しており、西郷隆盛を尊敬して、その遺訓の「敬天愛人」を京セラの社是にしている。しかしある種のタイプには批判的だ。「後先を考えずに行動して豪傑を気取る。昔、羽織はかまに高下駄をはいて威張って歩く大陸浪人風の人がいました。子供心に危なっかしいなと見ていました」 
なぜこんなに人と衝突するのかと悩んだ会社員時代  
現実の世界は格好いいものではない。普通の人は、泥田をはいずり回るようにして生きていく。稲盛はまさに、のたうち回るようにして成功を一つひとつ積み重ねてきた。最初に取り組んだファインセラミックスも、要するに古くからある焼き物の一種である。  
当時はそれほど注目されていなかった。稲盛のように大学で有機化学を学んだ者があこがれたのは、急成長していた石油化学や合繊などの花形産業である。碍子メーカーの松風工業には無機化学や窯業を専攻した者の方が合っている。稲盛にとってはミスマッチでも、ほかに行く会社がなかったのだから仕方が無い。  
入社早々辞めたいと思ったが、機会を逸して、気を取り直して研究に本腰を入れたら面白くなった。成果も次々と上がり出した。そのうちフォレストライトという新しい材料の合成に成功し、これを焼くと絶縁性能のたいへん優れた製品ができた。売れ始めた白黒テレビのブラウン管の絶縁部品としてヒットした。  
会社から見込まれ、研究以外に製造も任されて、悩ましい問題にぶつかる。業績不振が長く続いていたため、従業員の士気が著しく低く、昼間、だらだら働いて残業代を稼ごうとする。「まじめに仕事をして下さい」と、入社2、3年の稲盛がいくら頼んでも、相手は年配者ばかりでバカにして聞き入れてくれない。  
物づくりをいい加減にされてはたまらないと怒れば、若造が何を言っているんだと逆切れされる。なぜこんなに人と衝突するのだろうか。困り果てて大学の先輩に相談したら、「君は真っすぐにやろうとしすぎる。世の中は。そういうものじゃないよ。もっと融通をきかせて、うまくやりなさい」と諭された。  
だが妥協しろと言われても、弱気になりかける自分を抑えるもう一人の自分が許さない。ジレンマに毎晩苦しんだ。「寮の裏に流れている小川の土手に独り座って、よく『うさぎ追いし…』などを歌っていました。寮の先輩たちは、またあいつは泣いていると言っていましたけどね」。これだけでも辞めたいほどだったが、最終的には、新任の技術部長との対立が引き金になり、やむにやまれず飛び出した。  
独立後、半導体を納めるセラミック・パッケージに出会う。苦労して量産化にいち早く成功して、飛躍するきっかけになった。供給先の世界の半導体産業が、IC(集積回路)、LSI(大規模集積回路)と発展して、爆発的に成長したからだ。 
「決断というより性(さが)ですね」  
この劇的な展開がメディアによって取り上げられて、京セラ神話が生まれた。しかし稲盛自身は、セラミック・パッケージに進出したのは、大きな決断によるものとは思っていない。  
「京セラは創業当初から、先輩会社がやっていないものを手がけてきました。既存の製品ならば、無名の中小企業より信用できる先発会社から買うでしょう。人のやらないことをやるしか生きる道はなかったのです。難しい半導体のパッケージに出たのは、決断というより性(さが)ですね」  
会社が大きくなっても、自己満足に陥ったら駄目になるという恐れは消えない。それは気を許せば、やすきに流れるかもしれない自分への恐れでもある。  
稲盛は生まれながらのリーダーというよりも、リーダーたらんと自ら努力してなったリーダーといえるだろう。「繊細で怖がりで、たえず反省する人はリーダーには向いていない。しかしそんな性格で、引っ込み思案でも場数を踏んで度胸をつけて、後天的に大胆な資質を身につけた人こそ真のリーダーではないでしょうか」。自分のことを言っているようにも思える。  
厳しく自らを律するだけに、「いい加減な生き方をする人は大嫌いです」と言う。「適当に仕事をしながら、ただ部長という肩書を鼻に掛けて、部下にふんぞり返るような不遜な人は嫌いなんです。注意すると、辞めていく人がいました」。去る者は追わずである。評価するのは「真摯な態度の人」や「情熱を持っている人」である。  
厳しい競争の中で、緊張感を持って経営を続けるためには、社員の共感を得る必要がある。それにはトップである自分が社員から見て信頼するに足る人間でなければならない。稲盛にとって幸いだったのは、創業期に西枝のような無私の人に、いろいろ教わったことである。  
上場したいと相談した時、「上場すれば株価も上がって、お世話になった皆さんのためにもなると思います」と話すと、西枝はピシャリと言った。「誰がおカネ儲けをしたいと言いましたか。仕事をしたいというあなたのためにおカネを出したのであって、儲けるためではない。そんなことはご免こうむります」。稲盛は「皆さんは私欲の無い方ばかりですが、せめて社員に夢を与えたい」と何とか説得して、上場に同意してもらった。 
心のありようで人生も企業もよくも悪くもなる  
もう一人、上場に際して、銀行の紹介で監査法人に頼んだ中央会計事務所の代表の公認会計士宮村久治という剛直な人物がいた。初対面の稲盛に「あなたはどういう姿勢で経営していますか」と切り出した。「私は公正な基準に従って何が正しいかで監査しますが、それでよろしいか」と畳みかける。  
稲盛は「それこそ望むところです。私も人間として何が正しいかを判断基準にして生きてきました。その通りで結構です」と応じた。何年後かに業績が少し下がった時、宮村は「どうされますか」と探るように尋ねた。「公正にきっちりやって下さい」。けれんみのない稲盛の答を聞いて、初めて宮村は稲盛和夫という経営者を心から信用するようになった。  
宮村はもともと、経営者を見て監査を引き受けるかどうか決める一風変わった会計士だった。最初はきれいなことを言っていても、風向き次第で態度を変える経営者が少なくない。決算は適法の範囲でも解釈次第で数字を多少動かせる。稲盛も「うまくできないか」と言いだすのではないかと構えていたのである。  
「人の心は移ろいやすいものですが、これほど強固なものもありません」と稲盛はいう。心のありようで、人生も企業もよくもなれば悪くもなる怖さをよく知っている。経営再建のために入った日本航空でも、人間性を磨くことを幹部に求めた。  
考え方は一貫して変わらない。ある意味で臆病ゆえに、真っすぐに歩み、はたから見たら無謀に思えるようなことをやってきた。それは何のためなのだろうか。 
 
■思惑思い込み

 

個人の性格生い立ち 
趣味の世界
 
■女心と秋の空

 

女心 知るすべがありません 
秋の空 ほぼ予報可
女性が異性に対して抱く愛情は、秋の空がよく変わるように、熱くなったり、さめたりしやすいというたとえ。この句と同類の句に、「男心と秋の空」という、言い方もあるようなので、男も女も、異性に対する愛情が、いかに熱しやすく、さめやすいかを、言っているように感じます。又、「女の心は猫の目」という句もあり、これは、女性の心が、夜に光る猫の目のように、変わりやすいことをたとえているようです。  
女心 / 女性にだけしかない、複雑そうな難しい心。女性が男性を恋しく思う気持ち。  
秋の空 / 秋の頃の空模様は、曇ったり晴れたり天気が変わりやすいことから、人の心が変わりやすいことをたとえる言葉。  
女心と秋の空と言われる女心  
うつろいやすい女心ですが「女心と秋の空」と言う言葉もあります。このように女心は、色々と変わりやすくなるようですが女性にとっては、あまり感じない事でも男性からしてみれば薄情に思うくらいうつろいやすくなるようです。  
女心と秋の空の典型的な別れた後の男女の対応として女性は、相手の男性に対して一切の未練は、ありませんが男性は、相手の女性に対しての未練が残ってしまう事が多くの場合であるようです。又、女性は、直ぐに新しく恋愛しようとしてその恋愛で辛さを紛らわそうと考える事で女心は、切り替えが早いと感じる事になるかもしれません。しかし女心がうつろいやすい事では、なく恋愛に対して前向きになる女性が多いだけかもしれません。  
恋愛ですから別れる事もありますがポジティブに捉えて行動するしかありません。女性から見れば男性の方がうつろいやすくて優柔不断に感じると思います。色々な女性に目が走ったり、一人の女性に決められない男性、決断できない男性こそがうつろいやすいと言えると思います。男性は、女心がうつろやすいと思っているようですが、ただ複雑なだけで秋の空ほど、うつろいやすくは、ありませんし実際の女心は、留まっている事の方が多いです。  
女心とその心理  
どんなに人の心理を読み取るのが上手くても恋愛での女心を読み取る事とは、別問題になります。女心は、心理学だけでは、読み取れませんし、それが分かれば苦労しなくて済みますし恋愛とは言えないかもしれません。女性にしてみれば男性が女心を把握して行動する事は、殆ど不可能な事と思っているのでは、ないでしょうか。  
女心は、それ位複雑なものであり男性には、理解しにくいもののようです。男女の考え方の違いは、当然ありますので男性が女心を理解できないのは、どうしようもない事なのかもしれません。しかし、女性の場合は、男性の心をある程度、理解する事は出来るようで男性の考え方を理解し行動したりする事こそ、女性のテクニックと言えるでしょう。女性の場合も男心を理解出来なければ恋愛が上手く行かないと思いますが女心よりも簡単と思います。  
心理と恋愛は、違いますし心理を探っても恋愛に発展する事は、難しいです。恋愛は、恋愛を探る事でしか理解できず女心も同じように女心を探って行かないと理解する事は、難しいでしょう。女心を探り、理解できても理解できた事に対して行動が伴わなければ意味がありません。女心を探る事や行動する事等、難しいと思いますがシンプルに相手の事を思い、行動する事が一番と思います。 
 
■宝くじ

 

統計確率の世界 
一生当たりらない
 
■お御籤

 

神頼み 
お賽銭次第
おみくじ(お神籤・お御籤・お仏籤・御神籤・御御籤・御仏籤・おみ籤またはみくじ・神籤・御籤・仏籤(みくじ))とは神社・仏閣等で吉凶を占うために引く籤である。「みくじ」は「くじ」に尊敬の接頭辞「み」をくわえたもので、漢字で書くときは「御籤」とするか、神社のものは「神籤」、寺のものは「仏籤」とする。ただし厳密には問題があるが、区別せず「神籤」とすることもある。現在ではみくじ箋(みくじ紙)と呼ばれる紙片を用いるものが一般的である。  
古代においては国の祭政に関する重要な事項や後継者を選ぶ際に神の意志を占うために籤引きをすることがあり、これが現在の神籤の起源とされている。多くの神社仏閣でみられる現在のおみくじの原型は元三慈恵大師良源上人(912〜985)の創始とされている。現在の神籤は参詣者が個人の吉凶を佔うために行われるもので、これは鎌倉時代初期から行われるようになった。当時は自分で籤を用意するのが一般的であった。 
愛宕神社おみくじ / 大吉  
神様のお助けがあります。今まで周囲にあったいろいろな災いがうそのように消えて、喜びの光がさします。心を正直にして、自分より弱い人、貧しい人に対して慈しみの心をもち、そして神様に対して日々の感謝の気持ちを持ち続ければ、この幸運は続きます。しかし、傲慢、わがままになり、酒や異性に溺れれば、この幸運は消滅してしまいます。  
【願い事】 かないます。しかし、油断だけは禁物。  
【待ち人】 来ます。  
【失し物】 時間がかかりますが、出てきます。  
【旅行】 旅行中に利益に結び付くものと出会えます。  
【ビジネス】 何かを買う方がいいでしょう。  
【学問】 あなたの方法でいい。安心して勉強しよう。  
【争い事】 心静かに状況の流れに従うのがいい。  
【恋愛】 積極的に出れば吉。  
【縁談】 あなたの心の奥の声に従いましょう。あまりに一方的に高ぶるとダメになる。  
【転居】 問題なし。  
【病気】 あまり軽くみてはいけません。自分の体の中の声に耳を傾け、病気であることにも感謝しましょう。そうすれば快方に向かいます。 
 
■夢

 

正夢もあります 
金で買える夢もあります
正夢  
正夢は単なる偶然?  
夢で起きた出来事が、そのまま現実で起こるという正夢。ただの偶然と思っている人も多いでしょうが、それは本当に単なる偶然なのでしょうか?実際に、小さな子供と手をつないでいる夢を見たあと、妊娠しているのが発覚したり、宝くじが当たった夢を見たあと、見事に当選したりなど、数多くの正夢の報告が存在しています。  
夢は無意識の予測  
私たちの記憶の中で、意識して覚えている記憶は一部に過ぎません。日常生活をしている中で、私たちはもっとたくさんのものを見て、観察し、無意識のうちに記憶しています。実際に思い出すことができなくても、脳の中には記憶としてインプットされているのです。夢を見ることで、脳は記憶の整理をするわけですが、その際、膨大な記憶から、今後の状況をシミュレーションしたり、予測したりします。その予想は、あなたが意識していない記憶も含めて、すべての記憶から今後を予想するわけですから、自分の意志で頭で考える予想よりも、当たる確率が高いといえるのです。つまり正夢は、その無意識の予測が的中したということになるわけで、単なる偶然では片付けられないことなのです。  
正夢の傾向  
正夢にはいくつかの共通点があります。たとえば、朝目が覚めた時、実際に夢の中にいたかのような疲労や感覚が残っている。また、時間の経過が現実と同じで、省略されていたり、時間が飛んだりしていない。これはほんの一部ですが、これらの条件にあてはまっている場合、それが正夢である可能性は高くなります。  
正夢の反対、逆夢  
正夢とは反対に、夢で見たことと、まったく正反対のことが起こることがあります。これを逆夢といいます。正夢の話と一見矛盾しているように思うかもしれませんが、これも無意識の予測が関係しています。たとえば恋人とケンカをしてしまう夢を見たとします。あなたは無意識のうちに、このままだとぶつかり合ってしまうという予測をしていることになります。この夢を見たあなたは、そうならないように恋人に優しくしたり、ケンカの種になるようなことを避けて通ろうとするはずです。おかげで恋人とはケンカもせず仲良く過ごすことができます。そして夢は逆夢となるわけです。でもそこであなたがなんの対策もとらなければ、もしかしたらその予測は的中し、正夢となってしまったかもしれないのです。   
 
 
かえるはなぜか へそがない

 

 
■代議士先生
政治屋 
当選最優先 
地元還元手形
 
■小役人

 

見ざる聞かざる言わざる  
一生安泰
三猿 (さんざる、さんえん)  
3匹の猿が両手でそれぞれ目、耳、口を隠している意匠である。三猿は世界的にも"Three wise monkeys"として知られ、「見ざる、聞かざる、言わざる」という叡智の3つの秘密を示しているとされる。  
三猿の起源と日本における三猿  
日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思い込む人は多いが、3匹の猿というモチーフ自体は古代エジプトやアンコールワットにも見られるもので、シルクロードを伝い中国を経由して日本に伝わったという見解がある[1] 。「見ざる、聞かざる、言わざる」によく似た表現は古来世界各地にあり、同様の像も古くから存在する。しかしそれぞれの文化によって意味するところは微妙に異なり、またその起源は未だ十分に解明されておらず、今後の研究と調査に委ねるところが大きい。  
『論語』に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、 非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)という一節がある[2]。一説に、こうした「不見・不聞・不言」の教えが8世紀ごろ、天台宗系の留学僧を経由して日本に伝わったという。三猿のモチーフは、庚申信仰の伝播とともに近世以降広く用いられるようになり、主尊の青面金剛を描く際、その足元に三猿が添えられた例が多い。また庚申塔にも多く三猿が彫り込まれている。天台宗は比叡山の鎮護社の日吉大社と密接な関係にあり、日吉大社を本尊とし、猿を神使とする山王信仰が、庚申信仰と習合した結果ともいう。  
南方熊楠によれば青面金剛と猿の関係はインドに起源があり、青面金剛はインドのラーマーヤナ説話の主人公・ラーマの本体たるヴィシュヌ神の転化であり、三猿はラーマに仕えたハヌマーンの変形という[3][4]。また庚申の「申=さる」である、庚申信仰で人の悪事を監視して天帝に報告する三匹の「三尸虫」を封じるため、悪事を見聞きせず、話さない三匹の猿を出したなどの説もある。江戸中期に出版された『和漢三才図会』の「庚申」の項を見ると三猿の挿絵が添えられており[5]、「庚申=三猿」のイメージが定着していたことを伺わせる。 
三猿庚申塔  
庚申信仰や青面金剛は関西が先行し関東に伝わったことが分かった。「江戸中心」の考えを見直す具体例として茅ヶ崎三猿塔を挙げる。  
茅ヶ崎市輪光寺寛永十七年の三猿塔の説明文は次のようになっており、何気なく読むと見過ごしてしまうが、地元教育委員会苦心の作文である。  
「この塔は寛永十七年の年号が刻まれ市内・・の庚申塔の中で最も古いものである。・・このようなスタイルは同時期のものに他に類例を見ず塔の移り変わりからはやや異質であるが、年号からは全国的に一番古い三猿塔である。」(もしも年号が偽作でなければ・・というニュアンスを含めている)  
何故素直に「日本最古の三猿庚申塔です。」と書いてはいけないのだろうか。  
発見された当時、江戸中心の「庚申塔年代区分」が出来あがっており、これと比較して三猿塔としては数年早過ぎることから、年号の偽作が疑われ、判定が保留にされその後もそのままにされているため、前記のような回りくどい表現になってしまうのである。  
「庚申塔や青面金剛は江戸で始まり、徐々に地方に伝わる」という前提での判定である。  
庚申信仰が関西で先行し、関西から関東に伝わったことがわかった今、寛永十七年に関東地区に三猿庚申塔が建っても何の不思議もない。  
京都の入り口である三条大橋のすぐ手前、東海道脇の分かりやすい場所に粟田口庚申堂がある。この庚申堂には当初は三猿しか祭ってなく「三猿堂」と呼ばれていたが、後年になって青面金剛も祭るようになった。古い時代から庚申とは別に三猿信仰があり、のちに庚申信仰と結びついたとされる。  
○青蓮院記録「華頂要記」記事  
寛永七年三月再建、一堂安置三猿。称御猿堂。後年加青面金剛像。  
○寛永十年発行「尤の草子」(斉藤徳元の随筆)  
「都粟田口に二しんどうといえる堂あり。中尊はいわ猿とて口をふさぎており。脇立ちはみ猿、きか猿なり。・・」「このいわ猿に祈ると相手が口をつぐんでしまい訴訟(公事さた)に勝てるという言い伝えがある。」  
粟田口三猿堂が何時頃庚申と結びついたのかについて意見が分かれている。  
(A説)二しんどうは「三しんどう(三申堂)」の間違い。尤の草子には「訴訟に効用がある」とだけ書いてあり、寛永十年時点はまだ三猿堂で庚申堂ではなかった。後年青面金剛を祭った時から庚申堂になった。  
(B説)二しんどうは「こしんどう(庚申堂)」の間違い。寛永七年の再建の頃に三猿と庚申が結びついた。(庚申信仰が普及し、参拝者が増えたきたので、堂を建て直した。)青面金剛がないから庚申堂ではないとは言えず三猿だけで十分である。青面金剛のない庚申堂が珍しいので、前記の記事になっただけである。  
茅ヶ崎の寛永十七年を公式に認めるだけでこの問題は次のように片づいてしまう。  
「寛永十年時点で、京都入口の分かりやすい場所に三猿だけを祭った有名な庚申堂があった。多分寛永七年の再建で庚申堂になったのであろう。寛永十七年茅ヶ崎三猿庚申塔はこの三猿をモデルに造られたもので、関西で三猿と庚申がすでに結びついていたことを示す証拠である。」  
茅ヶ崎の三猿塔は以上のように全国的に三猿と庚申が結びついた時期を確定するための鍵となる重要な物的証拠である。江戸の庚申塔年代との単純比較で偽作?として抹殺したのは軽率であった。  
山王猿と庚申猿の起源  
茅ヶ崎の三猿は三匹とも烏帽子をかぶっている。粟田口をモデルにこの三猿庚申塔が作られたとすると、烏帽子は関東で付け加えられたことになり、「山王猿の謎」にも関係してくる。  
寛文元年にも同じことが起きている。当時の大津絵YAや四天王寺系お札には普通の猿と鶏が描かれているだけだったが、これを模写して作られたZ2〜Z4では猿に御幣を持たせている。その二年前の万治二年栃木市片柳の青面金剛にも御幣を持った猿が居る(青面金剛展カタログ)。  
寛永〜寛文の時代、関西の庚申猿は普通の猿であったが、関東には以前から山王の使者としての山王猿が彫られることが多かったため、関西から入ってきた庚申猿が山王猿のデザイン(烏帽子、御幣付き)で描き直されたことになる。  
「山王信仰と庚申信仰が結びついた結果、山王猿が庚申に移行し庚申猿に変わった」という説がまだ根強い。  
しかし絵図のモデルとコピーの流れから見る限りでは、「関西の庚申猿が庚申と共に関東へ移り、関東の山王猿と出合った」ということで十分説明出来る気がする。  
「北斗七星信仰を通じて山王信仰と庚申信仰がつながり、山王猿が庚申猿に変わった」という説と「庚申の猿と鶏は、庚申の行事が申の日から酉の日にかけて行われることを意味する。山王信仰とは猿を通じてつながっただけ」という説がある。  
関東において山王信仰と庚申信仰とのつながりがあることは確かであるが、庚申信仰発祥地の関西ではつながりの証拠が見つかっていない。  
関東の三猿は横並び、関西系の三猿は三角配置 (大畠仮説)  
寛永当時の粟田口の三猿は残っていないが、寛永十年発行「尤の草子」にはこの三猿について「中尊はいわ猿とて口をふさぎており。脇立はみ猿、きか猿なり」と描写されており、この表現は三猿が三角形に配置されていたことを示している。  
(横並びの三猿ではドングリの背比べであり、中央が偉くて両側が家来という発想は出てこない。三角配置であれば、釈迦三尊や阿弥陀三尊との連想で、中央が主尊という見方も出来る。)  
その後の四天王寺系のお札や掛け軸に取り入れられた関西の三猿はいずれも三角配置であり、現在の四天王寺に残る三猿の石碑も三角配置である。  
関東の三猿は横並びが原則で、三角配置された三猿は茅ヶ崎の三猿庚申塔以外ほとんどない。(平塚市長遠寺に一体、旭区市沢町熊野神社に一体・・・・)  
茅ヶ崎の寛永十七年は関西から直輸入された(粟田口庚申堂のコピー)三猿庚申塔であり、「このようなスタイルは同時期のものに他に類例を見ない(茅ヶ崎市教育委員会の説明文)」のは当然だったのである。  
関西には庚申塔が驚くほど少ない。  
一方関東では庚申信仰/青面金剛信仰と庚申塔の数が連動している。石塔だけを眺めていると、庚申信仰/青面金剛信仰が江戸で始まって全国に広まったかのように見え、それが初期の庚申研究の流れになっているが大変な勘違いであった。  
第4報で証明したように、関西では江戸より数十年前から掛け軸、お札、大津絵などの方法で庚申信仰が普及していた。  
関西から江戸に持ち込まれた商品は「下り物」と呼ばれ、後の「舶来」と同じような様な感覚で高級品を示す言葉であった。  
「下らない」の語源と言われる。  
「庚申江戸発祥説」では、庚申や青面金剛の起源を論じる江戸時代初期では、関西がすべての文化文明の発祥地であり、江戸は日本の片田舎に過ぎなかったことが忘れられている。  
庚申(かのえさる)を表すサル、山王神社のお使いのサル、三猿のサルが結びついて、庚申塔には三猿が付き物になった。  
ただし結びつきの順番についてはまだ定説がない。  
(説1) 庚申信仰は山王信仰と密接な関係があり、山王のサルが庚申のサルに移行した。(山王サル起源説)  
(説2) 庚申のサルと山王のサルは別な起源であり、サルを通じて庚申と山王が結びついた。  
しかし庚申信仰が関西から入ってきたことが分かれば、庚申のサルの起源もおのずから明らかである。  
1) 初期の庚申塔や庚申の掛け軸のサルは、三猿ではないことが多いから、三猿が起源ではない。三猿信仰は最澄の時代から存在した。江戸の始め、寛永7年に栗田口庚申堂で三猿堂が庚申堂として再建された頃が三猿と庚申の結び付きの時期であろう。  
2) サルが烏帽子をかぶったり御弊を持ったりするのは山王のサルから来たもの。関東では、庚申塔に刻まれた「山王大権現」の文字など、庚申と山王信仰との結び付きの事例があちこちで見られる。しかし関西にはその例が知られていない。また関西のサルに烏帽子や御幣が描かれたものはない。「関東に入ってjから、サルを通じて庚申と山王信仰が結びついた」のであって、庚申サルの起源ではない。  
3) 初期の庚申塔や庚申の掛け軸に、サルのほかトリを描いたものが多い。山王とトリのつながりはサルほどはっきりしない。  
庚申のサルは、本来は庚申の日を示すサルであった。庚申待ちの行事はサルの日の夜に始まり、トリの日の朝にかけて行われるので、サルのほかにトリも描かれた。(もともと十二支の動物は文字の読めない人のためのカレンダー用に作られたものである。)  
この説は庚申の本にも一応紹介されているが、何故か理由もなしに否定されていることが多い。あまりにも単純すぎるというのが理由であろうか。  
飯田道夫「庚申信仰」p154・・(一説によると)庚申待は申の日に始まって酉の日に終わるから、申と酉を一対にして描くのであると。まことにうがった説で、面白いが、真実であろうはずがない。庚申信仰に人々が求める延命長寿、除災無難・・・・トリの意味もこの線に沿って考えられねばなるまい。  
庚申研究では「山王サル起源」説が主流であり、反論はほとんど出ていない。庚申と山王のつながりを示す証拠は山ほどあるが、「サルを通じて結びついた」説を否定する証拠にはなっていない。庚申の起源であるはずの関西に、「庚申−山王−サル」という証拠がないことが最大の疑問であり、庚申塔の研究から「庚申信仰は江戸で始まり、徐々に全国に普及した」とした初期の思いこみが、影響していると思う。  
「山王サル起源」へのやや批判的な意見をあげておく。  
平野実「庚申信仰」p63・・・(山王と庚申のつながりの研究を紹介したあと)・・・もう一つの要素として庚申行事の日が庚申(カノエサル)であることを指摘できる。サルの日からサルを連想し、サルがやがて庚申とがっちり取り組んでしまったことは、当然すぎるくらい当然である。カノエサルの猿がなければ、こうもやすやすと、また固く、庚申さんと猿とが離れられなくなるものとなるはずがないであろう。  
 
■マスコミ

 

大政翼賛会 
臭いものに蓋 
触らぬ神に祟りなし
安倍とメディアの醜悪な「蜜月」 / 官邸にひれ伏す新聞・テレビ  
四月中旬から下旬にかけて新聞各社が実施した世論調査によると、安倍晋三政権の支持率は引き続き高水準を維持している。毎日新聞と産経新聞(フジテレビとの合同)は七〇%台から六〇%台後半にやや落ち込んだものの、読売新聞は七四%、日本経済新聞に至っては七六%と前月より七ポイント上昇した。第一次安倍政権以降の内閣は四カ月目になると急降下に入っていた。しかし、第二次安倍政権は長期政権を予感させるほどの安定感が出ている。  
「アベノミクス」が支持され、TPP交渉参加を早々に決断し交渉参加各国の合意を取り付けられたことなど、政策で大きな失点はない。野党の体たらくにも助けられている。第一次政権で惨敗した六年前の参院選を「親の敵」と言って臨む七月の参院選も今のところは死角なしといえる。  
もっとも、安倍首相を助ける勢力の存在も忘れてはいけない。マスコミだ。  
第一次政権では安倍首相側と激しく対立してきた。第二次政権での安倍首相は、メディア側にさらに強硬な姿勢を示しているが、なぜかおとなしい。  
単独インタビューで「懐柔」  
安倍首相の強硬姿勢の一つは、「ぶら下がり取材」を拒否したことだ。ぶら下がりの拒否は、実は菅直人氏が東日本大震災への対応を口実に始めたもので、後任の野田佳彦氏も踏襲していた。メディア側は当然ながら「発信不足」と反発した。菅、野田両氏がぶら下がりの代わりとなる「飴」を提供しなかったことで、メディアとの関係は悪化の一途をたどった。  
安倍首相は、ぶら下がりに代わる毎日の発信を、自身が開設したフェイスブックで行っている。NTT広報部の報道担当課長という経験がある世耕弘成官房副長官が、メディアを介在しなくても世界に直接発信できるとして提案した。とはいえ、これも一方的な発信でしかない。そこで、首相の側近である加藤勝信官房副長官や世耕氏が官邸内の日々の様子を番記者に伝えている。ぶら下がりがなくても首相の「思い」を何とか入手できるようにしているのだ。  
もう一つの強硬姿勢は、単独インタビューだ。これには今井尚哉秘書官がメディアとの「仲介役」となっている。経済産業省出身の今井氏は第一次政権でもメディア担当だったが、今回は政務秘書官として官邸全体を取り仕切る。  
単独取材は歴代政権も受けてはいたが、内閣記者会には、インタビューの内容を他社に遅滞なく知らせるという「暗黙のルール」があった。このルールは、皮肉にもメディア側が自ら葬り去った。  
きっかけをつくったのは読売新聞だ。安倍氏は首相に返り咲いた直後の昨年十二月二十八日に、憲法改正で一致する読売新聞の単独インタビューを受けた。今井氏があえて読売サイドに打診して実現した。本来ならば内閣記者会の他社は読売に抗議するはずなのに、今井の介在を知ると、逆に各社が単独取材を相次いで申し入れる事態になった。  
新聞に限ると、読売の次には、憲法などで首相と価値観が一致する産経で同月三十日、その後、東京・中日(今年一月九日)、日経(一月十日)と続き、父の故安倍晋太郎元外相が在籍していた毎日も一月二十五日に行った。民放ではワイドショーの出演が多い。ニュース番組よりも政治の話を切り出しにくいという安倍首相の計算もあるし、民放にとっても視聴率対策になるから損はないというのだ。  
読売にはまた、二度目のインタビューを行い、憲法改正の「工程表」を発表した。さらに、巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督と松井秀喜元選手への国民栄誉賞授賞もある。安倍首相が渡邉恒雄読売新聞グループ本社会長との「談合」で授賞を決めたとされる。授賞式はこどもの日の五月五日、東京ドームで開催。日本テレビは特番を計画、「安倍首相も巨人のユニホームを着て登場する」(日テレ関係者)と、早くも政治色たっぷりの異例の式になりそうだ。  
もっとも読売は、スクープを群馬の地方紙、上毛新聞にさらわれた。松井氏が「相談相手」としている上毛OBで作家の横山秀夫氏に「国民栄誉賞を受けるべきか」と相談、横山氏が上毛側にリークしたのではないかとされている。  
朝日新聞とも「手打ち式」  
一方、「反安倍」の急先鋒だった朝日新聞は取り残された。朝日は憲法改正をはじめ政策も価値観も安倍首相とは「水と油」の関係にあり、第二次政権に対しても当初は対決姿勢で臨む方針だったという。しかし、朝日関係者によると、ここで誤算と不安が生じた。  
誤算は、いつの間にか朝日だけ単独インタビューがなく、既存メディアで浮いた存在になったことだ。内閣支持率が驚異的な数字を維持している。朝日でさえ内閣支持率は六〇%台にある。これまでのような「安倍批判」ができないことも誤算だった。  
「安倍批判」をすれば、アベノミクス効果で上昇に転じた景気を悪化させ、朝日が景気回復の腰を折った「戦犯」と批判されかねないという不安も出てきた。  
社内対立も出た。社会部は「安倍批判を」と主張したが、政治部と経済部が抵抗。政治部長の曽我豪氏は麻生太郎副総理の側近記者として知られる。安倍首相の盟友である麻生氏との関係を考えると「安倍批判」は得策ではないとなるのは自然のことだ。  
二月七日夜、帝国ホテル内の中国料理店「北京」で木村伊量朝日新聞社長は安倍首相と会食に臨んだ。この場が事実上の「手打ち式」となり、二週間近く経過した同月二十日にようやく単独インタビューが実現した。ここで、安倍首相とメディアとの「蜜月」関係が完成したともいえるだろう。  
ちなみに朝日は現在、特別班を編成して「石原ファミリー叩き」を進めている。石原宏高衆院議員が昨年の衆院選で大手遊技機メーカー「ユニバーサルエンターテインメント」に支援要請し、同社社員に選挙運動をさせていたことが「公職選挙法違反(運動員買収)に問われる可能性が出てきた」という記事がそうだ。  
安倍首相と同様に憲法改正を主張し「朝日嫌い」で有名な石原慎太郎・日本維新の会共同代表とユニバーサルの岡田和生会長とのカジノをめぐる蜜月関係を暴こうというのだが、「安倍批判を封印する代わりのガス抜きでしかない」(朝日関係者)という。  
ただ、安倍首相とメディアの「蜜月」は長続きするとは限らない。第一次政権では、郵政民営化に反対した同僚議員の自民党復党をきっかけに支持率は急落した。第二次政権でも、些細な失策や側近の対立など政権運営の歯車が狂い始める可能性は十分ある。  
もっとも、政権のミスを待つのではなく、政策や政治姿勢を厳しく批評するのがメディアの務めである。政権をときには迎合し、あるときには徹底的に批判するという今の新聞のようなスタンスは、本来のメディアにあってはならないはずだ。 (2013/5) 
日本の政治は翼賛主義 (大政翼賛会的とは)    
大政翼賛会的という形容詞を、私は何度か使ったが、その意味を与えておく。大政翼賛会と呼ばれるものは、周知の如く、戦前の日本に出現した国民組織のことである。この組織の生成を引き起こした一番の原因は、時の天皇の政府の統治下にある人々(国民)と政府自身(政治指導者層)とによる、中国大陸での、後には合衆国との戦争に国力の全てを注ぎ込む総動員体制の構築であった。その目的は勿論その戦争目的の成就、すなわち勝利することであった。ところで、この構築に関わった国民並びに政府指導者にあって、政府以外の他の要素(勢力)と見なされるべきものは、それら諸要素それぞれの固有の性格(志向)がある。それで、政府以外(民間部門)の諸勢力が糾合され大政翼賛会として出来上がった時(、ならびに出来上がりつつある経過時点で)の組織の性格は、それらどの勢力のどんな志向に着目するか次第で、それだけ多様で複雑なものとなる。(どの観点から捉えるか次第で、様々な特徴を取り出すことの出来る多面的なものともなる。)だが私は、戦争に勝利するために国力の全てを綜合していく体制構築の思想的根拠づけに利用された第一のもの、すなわち天皇による統治の考え方に注目すれば、様々な要素が大政翼賛会に収斂されていく時、それらのどれもが例外無く、天皇の支配(天皇制国家)の考え方に即していく傾向を持ち、その考え方に規定(制約)されるところがあることよりして、各種各様の非政府部門の勢力それぞれの固有性は、さしあたって無視してよいもの、言わば副次的なものと位置づけ得ると考えている。(・・・言うまでもなく、この副次性は大政翼賛会を主題とするからであり、例えば左翼や社会主義が、何故に天皇制国家の体制と折り合いがついたのか、という視点で考察する時は、別の扱いをせねばならない。)  
ところで、もともと総動員とは、軍事力とそれを構成するものども(軍事物資等の生産力、それらの生産に供給される資源、そして兵士として送り出される人員)との関連で言われるものである。それにもかかわらず、大政翼賛会の原因として、総動員を見ようとする時には、この言葉の意味は拡張されたものとなる。・・・  
ちょっと書こうと思って、もうこれだ・・・。総動員体制のことが今回のテーマでは無いので、それは掘り下げない。で、やりなおし。  
私が、大政翼賛会という戦前の組織の名前をして、今日の何らかの組織や団体、あるいはグループの性格に就いて、またはそれらに属する人達の行動や発言に就いて、その特質を言い表す形容詞に用いるのは、戦前のそれと今日のそれらとに共通したものがあるからである。その共通点として、私の考えているものを、あまり中身づけずに列挙すれば、  
第一に、政府との関係  
第二に、政府の意思との同一性  
第三に、政府権力によって支配・指揮される人々に対する関係  
第四に、・・・無闇に増やしてもしょうがないので、ここらあたりまでにして・・・。  
さてこれらに中身を与えると、なんといってもまず最初に、ここに着目せねばならないと私の思うのは、政府と直接に連絡しあってしまっているかどうか、という点である。政府とは、ここでは行政機構と考えてもらってもよいし、官僚と考えてもらってもよい。そして、直接の連絡とは、行政機構との関係でならば、その補助機関か、下部組織のように指揮下にある様や、行政機構としてはそう動けないところを、代わりに実行してくれるといった代替的である様や、そうした様子の連絡関係である。官僚との関係でならば・・・、まあ似たようなことである。いずれにせよ、権威ならびに指揮命令の上下で言えば、政府があくまでも上である。そこで、政府がこれをするなと言うところは絶対にしない。そしてまた、上にある政府の存在を否定したり、反抗したりは決してしない態度を取る。ついでに、資金に於いては、政府からそれを供される場合もあれば、自前か他からの場合もある。  
次に第二の点を述べると、大政翼賛会的な組織、団体、そしてグループ、及びその成員にあって、彼らの行わんとするところは、政府の意志しているものと同一である。必ずその範囲におさまるもののみが、彼らの志向するところのものである。政府の意思の実現範囲からの逸脱(行き過ぎ)といったことがままあるとしても、彼らにあって、離反しているという意識は決して持たれない。原理的な相反性は、彼らの自己意識には全然に存しない。それ故に、抵抗や反抗の意識は、彼らの絶対に所持しないものである。言ってみれば、完全な下部者の意識が、彼らの有するところのものなのであるが、それが単なる従属性として意識されないという不思議な特徴がそこにある。と言うのも、彼らの自己理解では、自らは主体的なものであるからである。  
この特異な主体性意識の成立ちは、まことに興味の尽きぬところであるけれども、またいくら掘り下げても捉え難いものでもあるので、立ち止まらずに、第三点に移る。これは「政府権力によって支配・指揮される人々に対する関係」と長々しくしたが、簡単に言えば「国民に対する関係」ともなる。翼賛会的意識の国家観にあって国家とは、先の妙な主体性意識の国民より構成された、政府とその命令・指導に従う人々との両者よりなるものである。しかもこの両者の関係では、自覚的主体あって自由はなく、隷従や服従は無くして参加や協力がある。第三点は、こういう国家理解と国民意識を指摘しようとするものである。  
第三点の特徴は、あるいは「国民の中での、国民に対する関係」とも出来る。言わんとするところは、翼賛会意識の人達は、他の人達に対して、国民(政府の命令・指導に服する人々)という点で同じ地平にあるとするが、しかしながら、それでありながら、人々がどうあるべきか、どう行動すべきか、どう考えるべき等々について、他の国民に対して指導出来る卓越性を有していると自認しているし、またそれに即した指導者的役割も自任するところとしている、ということである。これは、命令を受けてそれを自覚へと再構築して出来上がる主体性意識のが、翼賛意識であるということであり、この意識によって彼らは、この或る特異な(主体的自己を構築する)解釈形態で受け取られた政府の意思(命令)を、他の人々にもまた指導者的に励行、奨励し、その実、強制する。だがそれにもかかわらず、他の国民に対して彼らは彼ら自身を、同一地平上の同輩国民とのみ自己理解している。同じことを繰返すが、翼賛意識の人は、政府の意思、すなわち政府の命令するところを、主体的自覚として意識する。そしてこの自覚の明瞭な所持が、彼らにとって、他の人々に対する彼らの(同輩中での)卓越性とも意識されるのである。  
これら三つの点が、歴史上のあの大政翼賛会と、現在、その形容詞をつけて呼ばれる(私がその形容詞を附ける)ものどもとに共通するところである。かつてのものが戦争を契機として出来上がったものであるのに対し、現在の政治や社会、そして我々に取って、明瞭な戦争の存在が意識されていないのに、それでも現在、大政翼賛会的なものどもがある、出来上がりつつある、成長しつつあると、どうして言えるのか、そうした疑問があろう。これに就いては、・・・最初の方でそれを取り除こうとしておいて、話が長くなりそうなので切り上げてしまった。これをあらためて・・・、やはり省略。  
して、先の三つが円満に揃っているものがあれば、それはまごうこと無く、現在の大政翼賛会である。だがまた、私は、先の三つのうちのどれか一つでも顕著に見出されれば、それに対しても大政翼賛会的との形容詞をつけることにしている。その例を挙げるならば、いわゆる NGO や NPO は、第一の点よりして、大政翼賛会的である。これらがもし、原理的に政府が出来ないところを行うものであって、かつ、これらが行うところがやはり政府の行うものの範囲には原理的に含ませ得ないという点が、明確にされていないならば、つまり、政府がそれをしたいと考えていて、また、政府がそれをやってよいと見なされていて、それを踏まえて、 NGO や NPO の活動があり、かつ、その活動内容が政府の行政的行為に含ませ得るかその延長上のものであるならば、 (あるいは行政の指揮に即するか服している実態ならば、)NGO や NPO は、大政翼賛会的な団体である。  
第二点だけの指摘から、翼賛会的の形容をするには、いささかの注意が必要である。特に専門的テーマに関して、政府が意志するところと同じ結論に、専門家や学者が自らの理論的、客観的考察の結果に到達することがあるのであり、ただに同じことを言っているからといって、それだけで翼賛会的である訳では無いからである。そこで例えば、消費税増税は、政府(財務省)の意思するところであるが、財政、経済学者が自らの調査と理論とによって、同じ結論に至ることがあって、両者がそれぞれ単独に(同テーマであることによる共通的知識と、入手し得る情報の共有と、そしてそれらより通常生じ得る影響関係以上に、何かしら意思と関心とを通じ合わせた共同作業をしたので無く)同じ結論に到ったかどうかの検討を経ないと、無闇に翼賛会的とは決められない。  
政治的、社会的な様々なことどもに関する、理論的、学問的主張と、その主張者については、上の事情が考慮され無ければならない。ところで、これら主張の形成的、発見的作業を自らすること無くして、出来上がった主張を人々に知らせる役割をしている団体、グループに関しては、その活動と存続が政府との関係の密接さに基づくものにあっては、特段の留意なく翼賛会的と言い得る。すなわち、朝日新聞社を初めとする新聞・テレビ等の各種メディアは、人々がどれだけの情報を持つべきか、何を知っておくべきか、政府と観点、価値観等を全く同じくする立場にあろうと努めているし、その立場からの報道をすることをして、彼ら言うところの〈ジャーナリズム〉の役割と解している。(このことは、尖閣ビデオ流出や Wikileaks に際しての日本メディアの批判よりはっきりと知られる。)そこで、これらの翼賛会的メディアに頻繁に登場する学者、専門家や、メディアの論説で熱心に説き示される見解の有力な構築者については、その翼賛性を推定しておいてもよい。  
第三点の見出されるものについては、判り易いものでなく、なかなかに判りづらいものを例としよう。それはいわゆるネットサヨクとされる人達である。彼らの指導者意識は、従来もよくよく感じられるところであったが、最近のマンガ描写の規制に関して、政府・行政の権力行使にさほどの疑問も呈さないところに於いて、判りづらかった翼賛性が露になりつつある。ところで、この判りにくさには、幾つか理由があった。一つは左派思想の系譜を引いた言葉遣いと、左派の問題設定とを引き継いでいるし、民主主義や人権といった、リベラル的な観点に立つような姿勢が告げられ、そして彼らの言論が政府批判の趣きがあるように見えていたからである。ただし彼らには、もし彼らの志向する通りに、政府・行政がその執行権力を行使するならば、それを歓迎するし、その執行権力の行使に何らかの強権性があることも、彼らの趣旨に適うならば、特段の問題視をしないところがある。  
一昔前の左派勢力が望んでいたような諸政策を行う政府が出現しない間は、左派的な言説は、確かにある程度の(あるいは見かけ上の)抵抗的で反対的な政府批判という性格を与えられるところがあった。しかしながら、もし現在の政府が、その意志するところを、サヨクが同調するような形で言い表すか、その結果に実現するものがサヨクの望んでいるところと似たものであったりするならば、サヨクはそのままに翼賛会的な役割と機能を、我々に対して果たすことになろう。その役割と機能とは、政府の意志するところの実現に翼賛的に協力する役割(我々に対してそうしなければならないことを指導者的に説いて回る役割)であり、政府の命令・指揮に国民が従っていくようにあることを実現させていく機能(執行権力の強権性を実質的に増大させていく機能)である。  
さて三点それぞれが、いわば別個単独に見出されるものどもを例示してみたが、今年の日本には、この三点すべてを兼ね持ったものが出現するであろう。だがそれは、それと名付けられ、それと指差せる組織とまではならないで、三つの要素のどれかをより強く持つものどもが、互いに同調しあって、あたかも一つのものの如くに、我々に対して作用するような形となるかもしれない。去年の小沢非難のあの合唱ぶりなどは、その先駆け的、予備段階的なものと言い得る。  
そしてその攻撃の根本的志向と通じ合っているのだが、この国の人々が政府に対して翼賛会的な関係を構築してしまうのは、一つには議会、あるいは立法権力の統治というものを、我々がきちんと理解していないからである。このあたかもロック政治学のまったく存在しないかの如き、日本の政治思想が、政治的改革や社会改造を企てる人が、その熱心な努力にも関わらず、しかしそれを実現する政治的回路の不在の故に、そしてそれでも何かを目指し続けるその熱意の故に、紆余曲折を経て、翼賛性に行き着かせてしまうのである。また一つには、二十世紀に入って生じた、政府の役割に関する意義と必要性認識の、それ以前に比して無限なほどと言える拡張が、翼賛的発想にブレーキを掛けることが無いのである。最後にもう一つが、天皇の統治(なる観念)が、ほとんど実質的には否定されることなく、戦後に装いを変えて構築された天皇制官僚の政府による統治理解が、いつまでたっても、翼賛会的行動様式を生み出す源泉となっているのである。  
・・・上のところまで書き終えたら、こういうことに元旦から頭を疲らすのもほどほどに、という気分で切り上げてしまった。ところで正月気分にしばし浸っていたら、以下のことを書きたいとしばらく前から思っていたのが、今回のようなことを記すのにつながっていたのを思い出したので、それを書き足す。  
大政翼賛会のことに注意を向けたのは、誰もがまだ覚えていることだと思うが、福田元首相が小沢民主党元代表との間で、自民党と民主党とで連立しようと話をまとめた時に、新聞こぞって大政翼賛会だと批判しているのを見て、私もまだそこそこの知識や理解しか無かったにもかかわらず、どうもちょっと違うと感じて、大政翼賛会のことにあらためて関心を振り向けたことが始まりである。  
あの連立の動きに関しては、それによって生じる議会の能力が、あくまでも議会の優越性につながるものであるならば、つまり政党が政党としてのあり方を失わずにまとまるならば、すくなくとも大政翼賛会と言われるようなもので決してない、このように考えるに到った。(もしそう言われないものであるとしても、その動向自体を、またそれによって生じる情勢をどう批評するかは、また別に為され得る。)  
さて昨今、菅直人総理がいわゆる捩じれ国会での情勢改善や、政府指揮力の増大やを目指して、他党との連立を模索して、次々と渡りをつけようと報じられているし、小沢一郎元民主党党首の持論と周囲から目されている政界再編の意図より、小沢元党首が民主党を割って出て他党、他グループとの結集の企図ありとする政局観望的な報道がある。そしてこれらにつき、両者の動きともに大政翼賛会と言われたり、後者のみを念頭に大政翼賛会と言われたりするのが、ブログなどにちらちらと見られる。   
それらを眼にしながら、数年前の福田元首相の時の連立を批判して、大政翼賛会と言っているのと同じ、誤解と皮相さとを私は感じている。上に述べたように、大政翼賛会的な性格の、最も主要な点は、国策形成に関して、政府の、有り体に言って官僚の下位に立ってしまうところにあるのであって、これの様子を見極めて判断しないと、これでは大政翼賛会だという非難は的外れであるし、その言葉が纏っている負のイメージを利用した、ただ為にするレッテル貼りでしかないものになってしまう。  
現在時点、私なりに判定するに、小沢一郎代議士が中心になって、新政党への結集が起るものについては、官僚主導の政治をあらためたいとの発言が本当ならば、それを大政翼賛会とは呼び得ない。むしろ、菅直人総理大臣の政治指導を維持しての連立の方が、この内閣に顕著に見られる議会ならびに政党の官僚団への下位性の故に、大政翼賛会的な性格をいささか持つものと言うべきである。  
とはいえ議会という制度と、そこを足場として政治力を有する代議士という存在とは、その制度と役割からして、大政翼賛会の生成の場所ではない。そして政党が大政翼賛会にまるっきり成り代ってしまうというほど、単純なことではないのである。大政翼賛会は、いわば政府の意思を実行していく回路であって、政府の指揮・命令に服する地位の者達(従属者達)を中心にして形成されるものである。  
・・・戦前の生成経緯より言えば、昭和初期に議会政治・政党政治の回路があったにも関わらず、諸般の事情と反議会の動きにより、議会と政党とに政治の変化の起点たる力を信じなくなった(そこに期待を持つなと思い込まれされた)人々が、それらに変わる政治回路を、まるごと新しく作り出そうという発想をし、(そして当然にそれに失敗し、)議会による統治を破壊して、自ら政府の従属者へと落ち込んでいったのである。  
・・・現在、これと似たことが起きており、政党政治への不信というものが、手をかえ品をかえ、新聞や書籍等のメディアを通じて、人々の政治理解の中に広められている。議会と政党のもとに政治の回路を見出そうとしない傾向は、先年来、ますます強いものとなっている。今また新たに報じられる連立の動きに関して、大政翼賛会だという非難をあまり深い検討も無くぶつけて、それでもって政治の方向性についてものを言っていると思う人達の態度も、言ってみれば、戦前の自ら政治的回路を打ち壊して、その先により有効なものがあると夢想して、そしてそれに失敗した人達と同じものなのである。  
・・・この同じ態度は、もう少し手広く見渡すなら、民主党に苛烈な非難を繰り出したり、自民党への相変わらずの峻烈な拒絶を繰返したりして、全否定的な政党評価を露にし、それでいて、政府の意思とさほど変わらない方針や政策に関して、それの実現に賛同を示す人達にも、やはり見出せるものである。ついでにもう一つ、共産党や社民党の支持という見地から、民主・自民その他の政党を、やはり全否定的に述べる者も、わずか乍らあるいは一見政党支持からの議論であるけれども、実際的効果に於いてみれば、人々に始まり、政党を介して、議会を通じて、一つの国の統治を実現させていく、そういう政治回路の破壊、・・・もともとたいして実あるものとして存在していなかったから、こう言い換えよう、それの成長を妨げるものでしかない。その行き着く落着点は、その統治の姿が、政府の意思の実現される回路だけよりなる、すなわち、政府からの指揮・命令・指導の回路だけよりなる国の出現である。    
「騒音おばさん」報道に関する質問に沈黙するマスゴミ製作者達!(2009/4/12)  
先月NHKが放送した「日本の、これから テレビの、これから」という番組の中で、視聴者として参加された浅野さんという方がネットが発信する情報とマスメディアによる報道がいかに乖離しているか疑問を呈し痛烈に批判された部分の映像が流され、ネット上で大きく取上げられ話題を呼んだ。  
視聴者である浅野さんは番組の中で次のような質問をされた。  
「何年か前に『騒音おばさん』というのが問題になりましたね。皆さんテレビ作っておられる方はあのショッキングな映像憶えていると思うんですけどね。あの映像は誰が撮影したものですか?あのおばさんというのはどういう立場の人だったんですか?テレビでは何も報道されていないことがネットの世界ではいろいろありますよ。ネットの世界の情報を総合すると、テレビはあのおばさんを玩具にしたのではないかと。バラエティ番組からお笑い番組に至るまであの映像が流れていましたよ。こんなテレビをどうして信頼できるんですか?!私はそう思っていますよ。誰か意見聞かせてほしいんですけど。」  
これに対して出演していたテレビ製作者たちはダンマリを決め込んだ。  
し――――ん…  
浅野さんが「騒音オバサン」という言葉を発した直後からテレビ制作者たちは顔をこわばらせていたし、その後浅野さんが話している最中にもテレビ局関係者たちは完全に固まっていた。スタジオ全体が凍り付いていたのが、私にも伝わってきた。  
司会の三宅民夫も、それを察して、「そのことについては、でも、分かってらっしゃる方が居るかな?ここにいらっしゃる方は思い出せないということもあるかもしれませんね。ちょっと赤の方でお話を伺っていない方、伊藤さん…」と、素早く誤魔化しスルーした。  
浅野さんのTV報道の本質を鋭く突いた質問に場内は一種独特な雰囲気に包まれ、テレビ製作者達のこわばった苦々しさを漂わせた表情がリアルに映し出されていることを、映像を通して確認することが出来た。  
この騒音おばさんは2005年4月に傷害罪の容疑で逮捕されたのをキッカケに、事件としてマスコミは大きく取上げ、TV報道では連日この騒音おばさんの映像を垂れ流し世論の関心を煽った。  
国民の多くはこの垂れ流される映像に、疑うこともなく騒音おばさんなる人物に対し悪意を持ったイメージで関心と興味を膨らませていった。  
映像が流されていた当時、私もこの映像を興味本位で眺めながら、おばさんを嘲笑する対象として捉えていた。  
しかし嘲笑の対象として連日流される映像に徐々に違和感を覚えるようになった。  
どこにでもある隣人同士のトラブルが、何故片方の当事者だけがこうも一方的に取上げられ、批判の対象となっているのか、おばさんがこの異常な行動をするようになった原因は何だったのか、更に最初の頃流されていた映像がある時期を境に編集され手が加えられたこと、いろんな疑問が浮かびネットで色々情報を収集した。  
するとマスコミ報道が伝えない様々な事実が浮上し、二年前の4月14日に「騒音おばさん」に実刑判決・・・その裏に隠された真実!とのタイトルで記事にした。  
マスコミ報道が全てでないことを一人でも多くの人に知ってもらう為に・・・  
この記事を立ててから一年後の昨年4月、ある有名ブログで紹介されたことがキッカケとなって、多くの人からアクセスを頂き、今尚様々な意見を頂戴している。  
今では「騒音おばさん」に関する記事は多くのブログで取上げられ、騒音おばさんと揶揄された河原美代子さんへの同情意見が圧倒的になっている。  
意図的とも言える偏向報道による世論誘導に対し、マスコミはこの事件でもだんまりを決め込み、これだけネットで伝えられるいる事実を認めようとしていない。  
松本サリン事件で河野義行さんを犯人と決め付けマスコミ各社は一斉に報道、後になって謝罪することになったが、マスコミは取り返しのつかない罪を負った。  
私はこの騒音おばさん事件では放送段階から意図的な報道が成されたとみている。  
マスコミは取材を通し、自称被害者とされる人物がどのような立場の人間であるか、加害者とされた河原さんの生活環境やこのトラブルの直接の原因、ネットで伝えられている事実は掴んでいたと思う。  
それを知った上で商業マスメディアは騒音おばさんとしての河原さんのキャラを商売に利用し、一方で自称被害者が巨大カルト宗教信者であった為に、河原さんを加害者に仕立て悪のイメージを刷り込む為の世論誘導を行うことで、自称被害者側の存在を極力薄めようとしたのではないかと思っている。  
商業マスメディアの格好な餌食とされ、巨大カルト宗教に翻弄されながらも自分と家族を守るために、必死の戦いをされていたんだなあと改めて思う。  
そのやり方、行動を批難する声もあるが、河原さんにとってこの行動こそが自称被害者とされる夫婦、集団と応酬する上の悩んだ末の方法だったのかも知れない。  
有罪判決を受け刑期を終えて出てこられた河原さんは、別の場所で静かな生活を送られているようだ。  
受けた深い傷は一生癒える事はないかもしれないが、報道とは違う事実を知った多くの人達はあなたへの自責の念にかられながら言うだろう。「おばさんあなたこそが本当の被害者です!」と。  
「強気を助け弱きを挫く」マスゴミらしい報道だとつくづく思う。
 
■翻訳経済学者

 

自論なし 
「外国では・・・」
経済に関する翻訳  
「経済」−誰もが知っている言葉ですが、あらためてその意味を考えると漠然としたイメージしか浮かばない人も多いのではないでしょうか。国語辞典で「経済」を調べてみると、「物資の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、およびその中で営まれる社会的諸関係の総体」と定義されています。  
英訳すると「 economy 」で、形容詞は「 economic (経済の、経済学の)」と「 economical (経済的な)」があり、以下のように「eco」という接頭語がつく単語はすべて経済に関するものとなっています。  
ecocide → 環境破壊、生態系破壊  
ecoclimate → 生態気候  
eco-friendly → 生態系にやさしい  
ecology → 生態、生態学、環境保護  
econometrics → 計量生態学  
economics → 経済学  
economist → 経済学者、倹約家  
economy-sized → 徳用サイズの  
ecopolitics → 経済政治学、環境政治学  
ecosystem → 生態系  
他にも「eco」がついた単語は数多く存在していて、「経済」が社会生活の基本であることがうかがえます。余談となりますが、近年よく耳にする「エコ」という言葉は「 ecology 」の略で、元は「生態」や「生態学」という意味でした。そこから派生して「環境保護」という概念を持つようになり、「エコ=環境に優しい」という図式が生まれています。  
近年の経済に関する話題で一番大きなものは、アメリカで起こったサブプライムローン問題とリーマン・ショックでしょう。しかし、なぜこのようなことが起きたのでしょうか。  
サブプライムローンとは  
アメリカの金融機関が信用力の低い人に貸し出す住宅ローンのことを指します。通常のローンと比べて金利は高めですが審査基準が緩いため、所得が少ない人や過去に返済を滞らせたことのある人でも借り易くなっています。また、金利が段階式に上がるなど、借り入れ当初の数年間は通常のローンよりも返済負担が少なくなっているのが特徴です。  
なぜサブプライムローン問題が起こったか  
アメリカでは 2003 年以降の「住宅ブーム」により住宅の価格が上昇し、低所得者でもサブプライムローンで銀行やローン会社から貸し付けを受けることができていました。サブプライムローンの借り手は住宅価格の上昇分を担保にして金利の安いローンへの借り換えが可能でしたが、住宅価格の上昇が止まったために返済に行き詰まり、延滞や差し押さえが増え、結果的に不良債権化する傾向が強まりました。そして、大手住宅ローン会社が経営難に陥ったのをきっかけに、問題が表面化しました。  
リーマン・ショックとは  
サブプライムローン問題に端を発した米国の住宅バブル崩壊をきっかけに多分野において資産価格の暴落が起こり、 2008 年 9 月 15 日リーマン・ブラザーズは連邦破産法第 11 章の適用を連邦裁判所に申請するに至りました。これをきっかけにリーマン・ブラザーズが発行している社債や投信を保有している企業への影響、取引先への波及と連鎖などの恐れから、アメリカ経済に対する不安が広がり、世界的な金融危機へと連鎖しました。もちろん、日本もリーマン・ショックの影響を受けています。日本経済はデフレ状態に陥り、物価の下落によるさらなる景気の悪化が懸念されています。このままではデフレスパイラルに突入してしまうと警鐘を鳴らす専門家も少なくありません。  
デフレスパイラルとは  
デフレ=物価が下がる → 物価が下がると企業の収益が悪化する → 企業の収益が悪化すると給与が下がる → 給与が下がると消費が控えられる → 消費が控えられると物が売れなくなる → 物が売れなくなると物価が下がる … というらせん状態( Spiral )を指します。これに追い打ちをかけるように円高が進行しています。車や電化製品など輸出に頼っている企業が多い日本にとって円高は企業収益に直接的な影響を与えるため、政府や日銀の対応が必要とされています。グローバル化した現在の社会では、経済に関する情報も日々刻々と変化しますが、弊社では常にアンテナを張り巡らせて最新の情報を入手し、日本だけでなく世界の経済情勢に精通した経験豊富なスタッフによる、時制に即した正確で分かりやすい訳文の提供に努めています。  
経済翻訳担当者より  
経済分野全般の翻訳を担当しています。大学在学中に経済学を専攻していた知識を基に、日頃からさまざまなメディアを活用して新しい情報の収集を続けています。「経済」というと、分かりにくい、難しいというイメージがありますが、専門用語には注釈をつけるなど、違和感なく、スムーズに読むことのできる表現を心がけています。 
 
■順番こ経営者

 

次の社長 
社内派閥最優先
日本企業が発展できない理由  
日立は取締役14人のうち4人が外国人となっている。以前3M(アメリカ)でCEOを務めたジョージ・バックリー社外取締役は、社内提案に対して「こんな消極的な計画なら米国では首だ」と中西社長に伝えたという。  
日本企業では、暗黙の厳しい掟が有り、許可なく活躍したり目立ってはいけない。半歩前に出るのは何とか許されるが、一歩も出ると災いが降りかかってくることになる。変な話だが、若手の社員が新築の家を建てると大抵転勤になる。  
日立は研究所だけで博士号を持った社員が700人を超えている。日立で石を投げれば、博士に当たると言われたぐらいだ。さぞかし、独創的な発明が山のように出てくるかと思いきや、実はオーソドックスな従来技術の延長なような製品が多い。  
現在の博士号は独創性を重視しているわけではない。勢い、成績優秀で教授に好かれる学生がエスカレーターに乗り、いわばお勉強で博士号を取得する。つまり、理解はできるが発明や課題解決に向いているかどうかは疑問だ。  
円安の時は、日本メーカーどうしでお互いにキャッチアップしながら、新製品を出してきた。ところが、円高にシフトすると、国内どうしのままごとが機能しなくなった。サムソンは、社内では腐っているが実は一流な技術者をヘッドハンティングし、安価で高度な技術を獲得してきた。  
新たな技術を創造するより、買う方が1安いし、2早いし、3確実だ。ソニーやシャープの社員が金曜日夕方、韓国へ行き、日曜日に帰ってくるという姿が多く見られた。彼らは、それで数千万円を受け取ったが、サムソンが得た利益はその10倍、100倍だろう。  
一時は、世界の家電などのトップを走っていた日本の電気メーカーは、日立、東芝、松下、ソニーなど上場企業全社を束ねても、利益がサムソン電子の10分の1に満たないなどという状況となった。  
円高だけが原因ではない。  
1.日本企業は無責任構造  
日本の企業は上に行くほど、権限・給料が上がり、逆に責任と業務量は減る。従って、方法を問わず昇進すれば天国に近づく。権限と責任が一致しないため、トップは権限だけ握って、無責任になる。企業に限らず、日本の組織は同じ傾向が有り、官僚組織が無責任になるのも同じ理由だ。  
2.日本企業は時間が経過するほど劣化する  
部下は上司より能力が有ったり、能力を発揮してはいけないという暗黙のルールが有り、かつ、上司の命令・意向は絶対だから、代を重ねるごとに劣化する。  
3.まともな評価が出来ない  
正しい評価が出来れば上記の様なことは起こりえないが、実績や実力の無いものを無理やりトップに押し上げ、上に対する全体服従を強いるため、論理は無くなり、事実を曲げ隠ぺいしてしまう。また、実績・実力で評価しようにも実績・実力で昇進したトップや経営陣がいない場合には何が実績で実力なのか分からない。  
4.営業などの現場軽視  
日本のメーカーは製造重視で、営業を軽んじ、馬鹿にする傾向がある。自分が作るものが素晴らしいと勝手に判断する。自己満足による、市場ニーズとのかい離が生じている。  
5.優れた人間を全員で引きづり落とし楽をする  
護送船団方式とも言われる。協力しながら有能な人間を潰し、低レベルで進む。要は無能集団を形成する。ごみみたいな知識を詰め込んだのや、ずる賢い茶坊主や、勇気も度胸も無いが集団でやくざ体質を発揮できる人間がのし上がる。 
「誰一人として声を上げず、茶坊主となって・・・」   
禁固1年4カ月、執行猶予3年――。  
7月17日、東京地方裁判所の104号法廷。紺のスーツに白いワイシャツ、水色のネクタイ姿の被告は、直立不動で判決を聞いた。裁判長に呼ばれて証言台の前に進み出たときと閉廷が宣言されたときの2回、被告は誰かを捜すように傍聴席をじっと見た。  
裁かれたのは、従業員約3500人の準大手ゼネコン、西松建設元社長の国沢幹雄被告(70)だ。政治資金規正法違反と外為法違反の罪に問われていた。民主党の小沢一郎前代表側などに違法な献金をした疑いがもたれて、マスメディアが取材に殺到する大騒ぎになった。  
少し前までの社長時代には、自身の前に社員を並べて訓示する立場だった。この日は壇上の裁判官から見下ろされる身。後ろではたくさんの傍聴人が強い視線を送っている。裁判所の周辺では、多数のカメラが待ち構え、追いかける。  
皮肉なのは、社長時代にコンプライアンス(法令順守)の徹底を掲げた国沢氏が、自らの法違反で有罪判決を受けたことである。「会社のためになる」「ほかのゼネコンもやっているから」との甘い認識が、落とし穴となった。  
裁判長は、国沢氏が違法献金事件を主導していないことや、簿外資金の工面などにも積極的に関与していないことを認めたが、それは執行猶予の材料にしかならなかった。期限の7月31日までに控訴せず、判決は確定した。  
一方、社長の犯罪によって存亡の機に直面した西松建設は、事件を受けて内部調査委員会を組織し、5月15日に調査報告書を公表した。同社の危機意識の深さは、以下のような総括に表れている。  
<当社が万が一同様の不祥事を引き起こした場合には、もはや社会から完全に見放され、その存在を否定されるであろうことは想像に難くない。つまり、当社が立ち直るチャンスは一度しか与えられていないのである>  
報告書には、コンプライアンスの生きた教科書とも呼べそうな、生々しい記述が続く。違法な政治献金に至った経緯については、次のように顧みている。  
<当社においては、一部の役員が独断専行で会社を支配していたという、およそ上場企業としては信じ難い、個人商店的な経営が行われ、これに対して、本来そのような暴挙を制止しなければならない役員及び幹部らが、誰一人として声を上げず、茶坊主となって、かかる違法行為を阻止するどころか、消極的とはいえ、推進していたという事実を真摯に反省すべきである>  
茶坊主とは、権力者におもねる者をののしる言葉だ。事件当時の役員や幹部を強烈に批判している。内部調査委員会のメンバーの悔恨が、にじみ出ているといえよう。  
国沢氏は開放的な企業風土を求めていた?  
内部調査委員会は、事件の一因としてコンプライアンス意識の欠如を挙げている。反省の弁を、かいつまんで紹介しよう。  
<当時の経営陣に苦言や批判を受け入れる余地は一切無く、したがってリスクが顕在化するのは当然の帰結であった>  
<当社には、利益獲得を目的として上層部から出された指示・要請に対して、無条件に従ってしまう社内風土が以前からあり、これが本件の原因の一つであったと思料する>  
<上司の指示がコンプライアンス上問題があったとしても、利益獲得に大きく貢献すればそれで良いという発想や、たとえ結果として会社に損害が発生したとしても上司の指示なので自分の非を追及されることはないだろう(または自分の非さえ追及されなければ良い)という考えがあったからではないかと思われる>  
調査報告書は「長年にわたるトップの独断、指示」が事件の主因と断じ、国沢氏のワンマンな側面を浮かび上がらせる。  
ところが調べてみると、国沢氏は年頭の辞や入社式の訓辞で、閉鎖的な風土を打破する行動を従業員に呼びかけていた。2006年の年頭の辞では「誰もが臆せず提言し、自由闊達(かったつ)に意見を交換できる企業風土を構築することが欠かせません」と話している。ほかにも、「情報をオープンに」や「コミュニケーションの活発化」は、国沢氏が繰り返し使ったお気に入りの言葉だ。外部に公表される文章だから、きれいごとを並べたのだろうか。いや、国沢氏の本音でもあったと筆者は思う。  
内部調査委員会の手による報告書の総括には、自由闊達に意見を交換しあう気運を企業文化として根付かせることが必要だと記されているが、それは国沢氏も望んでいたことだった。社長が思い描いた開放的な企業風土の理想と、調査報告書につづられた閉鎖的な会社の現実。ある社員は事件を振り返り、「前世代から必要悪として引き継いできたことだから、一人の責任にして幕引きできるほど単純な問題じゃない」と話す。いずれにしても西松建設は、大事件に遭遇して初めて、理想と現実の溝を埋める作業に本気で着手することになった。  
調査報告書の内容を目にして、「わが社のことか?」と思った人も少なくないはずだ。最近、人に薦められて読んだ本には、こんなことが書いてあった。拙文の締めに添えておこう。  
「社会構造は個人に、あらかじめ決められた行動をせよと強いる。そうやって人々を強力に締めつけることによって、大がかりなレベル低下作業をやってのける。批判精神そのほかの知的資質は、抑えつけてしまうか、さらにはまったく無用にしてしまうのである」(「愚か者ほど出世する」)。  
■社長の条件 
次の社長たちに  
中小零細の企業の数は多い。毎日、たくさんの企業が生まれて、毎日消えてゆく。「倒産」や「解散」という明白な形を示さないままに、社員が去り、社長が勤めに出るというような形式で、事実上廃業してしまう零細企業は多い。社長が病気で倒れたり、死んだりすれば、零細な会社はたちまち行き詰まってしまう。中小零細の企業は、社長の技能、社長の人脈、社長の人柄で持っていることが多いからである。  
円滑に代替わりができる企業は幸せである。  
私が経営する小さな会社も創業25年目を迎えて代替わりを模索している。実は設立した24年前のその日から代替わりを模索していたといってよいが、過激な経営環境に恐れをなして、社長候補となるべき多くの若者はしり込みして、辞退し、舞台を降りていった。この間、私は、仕事でも資金繰りでも困難が生ずれば、だれよりもその困難を自分が引き受け、戦い、向こう傷のほとんどを私が引き受けた。満身創痍であった。他の役員や社員らに良かれと思ってそうしていた。しかし、振り返ってみれば、それは、後継者を育てない、ひ弱な役員と社員の集団を作り上げていたのである。  
7年前、私が大病をしてからは、私も真剣にならざるを得なくなった。病院のベッドで1か月をすごした。その間もノートパソコンと携帯電話でベッドから顧客に連絡を取り、企画書や報告書を作成した。資金繰りのために銀行の担当者とも間断なく連絡を取り合った。主治医は苦笑いして「仕事が好きだね・・・」と、ため息混じりに語ったものである。退院しても数年は、10分も続けては歩けないほど心臓が弱っていた。このころ、大学の非常勤講師へのお誘いを受けた。死に直面して、しゃにむに仕事をするよりも今まで蓄えたものを誰かに伝えておきたいと思う思いのほうが強くなっていたので、喜んでこれを受けた。当時はスタッフも極端に少なくて、週に1回程度社長が社内にいなくと何も支障はなかった。大学で学生たちに接するのは楽しかった。乾いた砂が水を吸い取るように、若い男の子や女の子が私が準備する教材とわき道に属する知恵の数々をたちまち吸収し咀嚼して自分たちのものにしてしまうのに驚嘆しながら、学生たちとはいつの間にかタメグチになっている自分を発見していたりもした。  
その後、社員が少しばかり増えた。親しい大学教授の弟子や私の教え子も社員に加わった。私が非常勤講師をしていることが、会社の技術水準に対する顧客の信頼感も増すという予期せぬ効果も見えてきた。私が教壇に立つことに対する社員らの支持も得られているようだ。教える講座の数も増えてきた。いつの間にか健康も回復していた。  
私は、私が教壇に立つようになってまもなく私のこの行為が社員らの意識に革命的な影響を与えていることに気がついた。社員らは、「(いつ会社に現れるかわからないので)あてにならない」社長の判断を待ったり、問題を社長任せにして責任逃れをしたりするのをやめていたのである。これは、すばらしい進歩だった。私の会社の歴史には希求していたにもかかわらずかつて起こりえなかった革命だった。スタッフが60名ほどだった人材豊富な時代にも各部門の部門長はちょっとした困難が発生すると私の手助けをいつも待っているだけだった。彼らと違って、今の社員らは、職場の自己責任を全うしようと真剣なのである。親鳥はヒナに栄養豊なエサを食べさせないと育たないが、親鳥がエサを与え続けていればヒナは巣立たない。こんな単純なことをいまさらのように思い知らされているのである。  
おそらくこの社員らから当社の次代の役員や社長が生まれるに違いない。誰かに叫んで知らせたいくらい幸せな気分である。  
さて、かれらに、社長になる条件のようなものを理解してもらわなければならない時期にさしかかっているようだ。あるときを見れば、社長はその会社に一人である。多くの会社では社長が代替わりすれば、10年から30年は続けてその責任を果たすことになる。一方、私が知っている範囲でも、頻繁に社長を交代する会社もあるし、約束して主要メンバーが1年交代で社長を務めている会社もある。そのとき、その人が社長になるのは、どんな条件をみたしているときなのか、今の社員らに伝えて、自薦と他薦が一致する価値観を醸成する必要が生じている。自薦ばかりでは喧嘩となるし、他薦ばかりでは決まらないし、決まったところで積極的事業などできるはずがない。  
したがって、幸せな気分に浸ってばかりはいられないのである。急がねばならない、と思う。  
「社長の条件」といえば、この種のセミナーは多いし、書籍も多数存在する。内容は重複しているだろうが、私が思うところの「社長の条件」を列記してみよう。 
1.当社の企業理念を継承する者であること  
当社は、設立に当たって「最新の科学技術を万人のために」というスローガンを掲げた。生意気なスローガンだが、ささやかとはいえ、その目的に沿った活動をしてきたと自負している。このスローガンは当社の企業理念を示している。この理念を継承する者は、手段方法が違っても当社の社長になる資格の一つを持っていることになるだろう。  
逆にこの理念以外の企業理念を持つものは、別の新会社を設立すべきだろう。よくも悪しくも、当社はこの理念の下に顧客も協力会社も支援者も集まっている。企業理念を変えれば、これらの資産を活用することは困難であり、むしろイメージを一新した新会社を立ち上げるほうが有利となるに違いない。従来の企業理念をよりよく実現しようとするならば、現有の資産(顧客、協力会社、支援者、・・・)は大いに役立つに違いない。
2.人品高潔なる者であること  
「人品卑しからざる者であること」と言い換えてもよい。私生活と公的活動の全体にわたって、教養に満ちていて、品性があり、私利私欲に堕することなく、社会と集団に貢献することを優先する者であることである。品性は「人望」にも通じるが、腕力が強く、私利私欲のために他人に服従を強いることがしばしば「人望」と間違われる。声が大きく腕力が強いだけでは、一時的な発展は望めても、たちまち世論に押されて社会から抹殺される。これからの時代の経営はますます民の声を大切にしなければならなくなる。人品高潔にして人望のある者はもっと望ましい。
3.人の心を理解する者であること  
企業である以上、営業は大切である。営業のできないものは社長の条件を満たさない。  
営業の極意は、小手先の駆け引きにあるのではない。顧客の話を理解する能力にあるのである。しかし、「顧客の話を理解する」だけでは営業に成功しない。顧客は、専門用語を正しく操ることはできないので、事柄を正確に表現していることはほとんど皆無である。したがって、「顧客の話を理解」しただけでは、顧客の望むことは何も分かっていないのである。営業の現場で、「お客さんがこう言ったから、そのようにしました」と説明して顧客が怒り狂う場面は多い。顧客の思慮の不足、途中での心変わりも大いにありうるが、顧客が希求することを聞き手が理解していないため発生するトラブルは多い。顧客の話を理解するだけでは不足である。顧客の心を理解しなければならないのである。顧客の心を理解していれば、顧客がいつ、何をきっかけで心変わりするかも事前に予想できるものである。顧客の思慮の不足を顧客の望むことに沿ってそれとなく補って理解を助けることもできるようになる。結果として、顧客の希望しないものを作ってしまうというトラブルをかなり減らすことができる。  
「人の心を理解する能力」は、仕事に関わるすべての場面であまねく必要である。社内の同僚や部下の話(言葉尻)だけを捕らえて行動を起こせば期待はいつもうらぎられるだろう。社内の同僚や部下の言っている言葉の影にある本当の心を捕まえられなければ社長の条件を満たさない。社長に必要な能力として「人心の掌握」をあげる人は多い。人心の掌握とは、「人の心を理解する能力」によって始めて実現できるのである。「クビ」や「賃金切り下げ」などの権力を振りかざす脅しや、言葉の暴力や、社内いじめによって他の役員や社員を服従させようとする経営者も世の中には多いが、これらの経営者は、いずれ惨めなクーデターに遭遇するだろう。  
人の心を理解する人は、職場に向かない人に向かって「あなたは別の職場を探したほうがよい」と語っても本人から反発を受けることは少ない。逆に人の心を理解するところが少ない人が、同じように語りかけたら、本人からは大反撃を受けることになるだろう。  
社長になる人は、顧客だけではなく、同僚や部下の心も理解することが必須である。もちろん社外の協力会社や協力者の人の心についても同じである。
4.「入りを増やして出るを減らす」者であること  
当たり前のことであるが、企業は利益を出さなければ存続しない。理念を守るためには利益を確保しなければならない。利益のために理念を曲げることは本末転倒であるが、理念ゆえに利益が出ないならば、その会社の歴史的使命は終わったのである。会社を解散して、別の理念のために別の新しい会社を創出したほうが良い。  
理念のために、会社の利益をよりよく確保する者が社長になりうる大切な条件であることは言うまでもない。利益をだすには、古来「入りを増やして出るを減らすこと」であるといわれてきた。単純明快である。売り上げを伸ばして、コストをぎりぎりと下げ続けることである。油断すればコストは上昇し、顧客はいなくなる。たちまち会社は経営難となる。たとえば、雑用係や下働きを必要以上に身の回りに配したがる経営者もかつてはいたが、人件費の無駄遣いである。有能な社長は自分のことは何でも自分でやってのける。中小の優良な企業では便所掃除もお茶汲みもやる社長が多い。営業に努めて顧客を増やさなければ、顧客は年々減少する。サービス業においては、年度を越えて継続して顧客となる相手は努力しても平均して8割程度である。ほうっておけば、3年で売上げは2分の一になってしまう。新規顧客の獲得ができなければ経営者として失格である。「入りを増やして出るを減らすこと」は、日常的な経営活動そのものである。「入りを増やして出るを減らすこと」ができることは社長に選ばれる条件である。
5.技能と職務に精通している者であること  
当社は情報サービス業に属している。明らかに専門職の集団である。技能の劣る者は、部下をもてない。技能が抜きん出て優れていなければならない。もちろん、すべての分野の技能に優れるのは神ならぬ身では不可能である。せめてその主要に分野のいくつかでは、他を寄せ付けないくらいの技能が必要である。専門職人の尊敬を集めなければ、指導者たる社長は務まらない。
6.社会通念に限りなく近い行動様式を守れる者であること  
演技でも良いが、身なりは普通のビジネスマン、遅刻や欠勤は少なく、言葉遣いも正しく丁寧であることが条件である。私生活においても、近隣や友人たちと礼儀正しい交際ができ、肉親や親族にも礼儀を欠かさない者が望ましい。業界によっては、Tシャツ・ジーパンが格好がいい、ともてはやされる場合もあるが、情報サービス業(サービス業の一部)なので、周囲から要らぬ誤解を受けるのは致命的である。礼儀正しいサービスを提供する者として、日々自分をアピールしていることが大切である。社長は会社の顔である。会社の顔が社会的規範に反しているようでは、会社の事業自体が大きく疑われる。  
人は人ごとに違う性格と嗜好を持っている。それらは個性というべきであり、個性を発揮するのは大いに結構である。しかし、会社が疑われるような行動様式は社長にはふさわしくない。社長になる人は本心でなくとも社会通念として許される行動様式が取れなければならない。どうしても社会通念に近い行動様式が取れるようにならない人は、人間としての尊厳は少しも損なわるものではないし、大いに共感もするが、少なくとも社長にはふさわしくない。
7.個人資産が多い者であること  
実際のところ、日本の企業は適度の借入金によって日常的な運転資金を得ている。中小零細企業に運転資金を貸す金融機関は、ことごとく、社長の連帯保証を要求する。当該企業のもつ社会的価値や将来性にかけて運転資金を貸す金融機関は皆無である。「社長の連帯保証」を求めるということは、社長の個人資産を担保にするということと同義である。24年間の会社経営で、私は結果として親から受け継いだ個人資産のほとんどを金融機関に貢いだことになるが、すくなくとも私が会社の借入の連帯保証ができたから、この会社が存続しているともいえるのである。  
なぜ、そのようなことになるのかについては諸説があるが、税制上、運転資金として自前資金を蓄えると高い税金を払うことになるので、もともと利益率の高くない中小零細な企業はたちまち運転資金を税金として吸い上げられてしまうという現実があるのである。金融機関からの借入金については数%から10数%の利息の支払いが必要だが、数十%から60%に上る税金に比べればある意味ではマシという「毒マンジュウ」にも似た社会的経営慣行があるのである。これを避けるには、無借金経営、すなわち、「税金の高額納税企業」になることである。事実上、これは大変に難しいのである。  
後継者の人は、連帯保証はしても資産を失うようなヘマはやらないだろう。私が経営した過去には、信じた顧客が倒産したり、経営難となって支払いが不能となったケースがあり、その都度、社員の給与や外注さんへの支払いのために個人資産を提供してきた。「井戸塀政治家」という言葉があるが、私は「井戸塀経営者」だった。その意味で、その結末は経営者としてはあるまじき不覚だった。もって他山の石として、後継社長は「豊な社長」となってほしいものではある。いずれにしても、個人資産がなければ運転資金を確保できないという現実がある。  
8.人を育てられる者であること  
能力が高く人柄もよい人を活用することのできる人は多い。能力が高く人柄もよい人を活用できない経営者は反社会的な経営者であって、問題外である。能力が高く人柄もよい人を活用できるのは最低の条件である。しかし、それでは実際のところ足りているわけではない。  
ところで、能力が高く人柄もよい人を育てられる人は少ない。中小零細な企業では、端(ハナ)から有能な人材が集まることは少ない。採用しえたとしても、それはきわめてまれである。荒削りの若い人材を集めて、有能で人品高潔なる者に育てることが経営者には課せられる。そして、社会通念をよりよく守る人になるように指導することが求められる。極端な場合には、企業は、脱法青年を社会復帰のためのリハビリとして預けられて受け入れることもあるほどである。このような例には、社会が企業に求めていることの深い意味を垣間見ることができる。荒削りの若い社内の人材が、いつまでたっても荒削りのままになっていれば、その会社の社長の資質か問われる。経営が疑われる。営業成績が落ちてゆくのである。  
人を育てられる人が、社長になる人の条件の一つである。 
9.キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく  
企業経営は、競争である。多くは、理念の優劣と利益の寡多を争う競争である。しかし、競争は、それにとどまるものではない。勝てば官軍、しかし、負ければ賊軍である。仕掛けてくるものは紳士ばかりではない。詐欺師もいれば、×××も居る。これらの人々は、ますます巧妙になり、NPOや労働団体を偽装してくることもある。同じ業界の一見紳士的に見えた企業が突然奇妙な攻撃を仕掛けてくることもある。のっとりや倒産を脱法または脱法すれすれの商売にしている者もいる。かれらに負ければ、その会社はつぶれてしまう。必ずしも勝つ必要はないが、負けてはならないのである。経験上、私の会社のような目立たない小さな会社でも仕掛けてくる者は、年に1人ではきかない。2-3あるのが普通である。彼らとたくみに戦って、負けないことも経営者に必要な条件である。  
善良な経営は、自分から他社に対してあざとい攻撃を仕掛けてはならない。理念の優劣と利益の寡多を争う競争で勝てばよいのである。他社に対してあざとい攻撃を仕掛ければ、いつか他社や他社に勤めていた人々からうらまれる。余計な敵が生まれると経営環境は劣化する。余計な敵を作ってはいけないのである。  
あくどい詐欺や攻撃を受けたら専守防衛が基本である。大人の戦いは、2者で決着するものではない。2者を取り巻く野次馬が決めるのである。「専守防衛」は、誰があざとい攻撃をしているかを世間に広く知らせる最も良い手段である。大人の喧嘩では世間を味方にした者が勝つのである。「専守防衛」の極意は、「キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく」である。怪しい動きは見る前に感じるように感覚を研ぎ澄ましておくこと、敵を発見したら直ちには争わず十分ひきつけて、証拠を収集し、その事実を世間にひそかに広く知らしめておくことである。こちらが反撃しなければ、敵は図に乗ってどんどんせめて来るだろう。それはまさしく願ってもないことである。敵が言い分けも逃亡もできないように自分たちの領域に迷い込んでくれればしめたものである。(エリ首をつかんで)押さえ付けてから、一気に反撃するのがただしい戦い方である。他人の領土に迷い込んで戦うのは、古来不利と分かっているのである。自陣に誘って戦うのは戦上手である。イラクのアメリカ軍の苦戦がその良い例である。カウンターパンチほど威力のあるパンチはない。  
すなわち、むやみに戦わず、十分にひきつけてからカウンターパンチを浴びせるのが効果的である。身近な例では、日本語プログラミングコンテストで「名誉毀損攻撃」を繰り返した連中に対する反撃であろう。私は、彼らの攻撃に長くじっと耐えた。彼らは図に乗ってたくさんの証拠を残した。これらを元に各自の周囲を十分に調査することができた。最後の最後に「名誉毀損」で、警察と検察に動いてもらった。彼らは身辺に涼しい風を感じて肝を冷やしたことであろう。以降の攻撃は止んだのである。表彰式の会場に彼らが予告どおり押しかけてきても、暴力に対する万全の備えを敷いていた。専守防衛は「暴力的威力業務妨害」に対しても堂々として実行しなければならない。万全の備えは強い抑止力となった。彼らはついに予告した暴力を実行できないまま、表彰式の日を悶々としてすごしたのである。  
直接勝つ必要はないが、負けないことが経営者には求められるのである。  
「キツネのように用心深く、獅子のように荒々しく」、変幻自在に戦うことのできる能力が社長の一つの条件である。
10.経営の理念と戦略  
社長になるための条件として、他人から信頼される生活様式ができること、仕事に関係する能力が高いこと、人の心が理解できること、用心深くまた荒々しくも戦うことができること、などなどについて書いてきた。  
いずれも社長になるための必要条件である。  
社長になるためには身につけておかなければならない能力はいろいろである。社長はその会社ではトップであり、全部の責任を負っているのである。すなわち全能であることを要求されている。このように言うとあまりにも漠然としていて、何をして良いかわからなくなる。  
社長といわずも経営者ならば、経営の戦略を持たなければならない。ここで、戦略というからには、目的があるのである。時々、会社経営者からお話をうかがうと戦略論ばかりで、「経営目的」について語ることのない人に出会うことがある。多くは伝統ある企業の重役の皆さんである。こんな人が社長になると会社はたちまち傾いてしまう。「目的なき戦略」は人の心を捉えないのである。人心を捉えない社長はどんなに立派な戦略を掲げても、誰もついてこないので、戦う前にすでに負けているのである。初代の創業社長がなくなると、続いて会社も市場から退場するのはこのようなケースではよくある。  
逆に、すばらしい「経営理念と目的」を掲げていても、戦略なき社長の場合はたちまちにして行き詰まるのである。この種の社長は、スピンアウト起業を果たしたベンチャーの社長さんに多い。  
「戦略」は「経営理念と目的」に従属し、「経営理念と目的」は「戦略」によって支えられる。「経営理念と目的」と「戦略」は一体のものであって、両者が矛盾なく成立していなければならないのである。  
私の会社の「経営理念と目的」は、「最新の科学技術を万人のために」である。商売がどんなに私利私欲のために行われるように見えても、この目的から外れることがなければ、まずは社会に役立っているのである。「会社は、お金が儲かればいいのだ」という人も多いが、社会に役立たない仕事は、やがて社会から抹殺される運命にあるのである。社会は他人に危害を加えるような商売にそれほど寛容ではない。社会にとって役立たないというだけでも、無視されて、立ち枯れ状態となる。企業が存続を許されるのは、社会にとって役立つからである。人も社会に生かされているが、企業もまた社会によって生かされているのである。 
11.経営戦略  
ては、そのような「経営理念と目的」を実現する「経営戦略」とはどのようなものだろうか。主要な戦略は、「前方戦略」「社内戦略」「後方戦略」である。これらを「主要な3つの経営戦略」と呼ぶ。  
(1)「前方戦略」  
顧客に商品やサービスを買っていただくための戦略  
消費財であれば、商品開発、ルート開拓、小売店優遇制度、宣伝広報などが前方戦略の内容である。  
サービス産業であれば、顧客情報管理、告知戦略、キャンペーンなどが該当する。  
(2)「社内戦略」  
経営理念の徹底、モラルの向上、技術教育・商品知識の周知、人事考課などである。  
(3)「後方戦略」  
仕入れルートの開拓、外注・下職さんから信頼を得ること、などがここには含まれる。  
このほか、「海外戦略」「学術戦略」を加えて、5つの経営戦略となる。  
(4)「海外戦略」  
言語や文化の違う海外との取引のためには、エージェントを利用したり、特別な社員教育を必要としたりすることも多い。国内とは異なるポリティカルリスクや文化リスクもある。宗教上の理由で取り扱えない品物もある。リスクがあっても海外との取引は避けて通れない。これらに対応するものは、主要3戦略の中にないので、別の扱いにすることが多い。これが「海外戦略」である。  
(5)「学術戦略」  
企業が提供する商品やサービスは、陳腐化すれば市場から見捨てられてしまう。市場では常に競争にさらされるので、日々より安価でよりよい商品やサービスを提供する必要がある。市場のニーズを探るとともに、新たなシーズを探さなければならない。学術分野は、ぼんくらがみれば役に立たない情報ばかりだが、顧客の心を良く知る者がじっと目を凝らせば、そこは豊かなシーズの大海である。大学や企業の研究成果に目を凝らし、研究者とよく交わり、可能性の豊かな研究室から人材を採用し、社内の人材を学術界に送り出す。商品開発やサービスの開拓、市場ニーズの変化などについて、常に大学人や社外のシンクタンクの意見を聞ける環境を整備しておく必要がある。これが「学術戦略」である。  
 
さて、会社の経営者は、これらの5つの戦略のすべてに精通していなければならない。それぞれの戦略がどんなものか、実践を経験して身に着けていなければならないのである。小なりといえども、当社が24年間も継続してきたのは、それぞれの戦略をいつも自覚して、微力といえども努力してきたことが効を奏しているともいえるのである。  
次の社長になる人たちは、これらのことにも精通しなければらない。これらは社長の条件である。たいていの企業で社員はこれらのことを知らされることはないだろう。大手の開かれた企業では、選ばれたエリート社員にだけ伝授されるだけだろう。世襲制の企業では、一子相伝で伝えられるだけに限られる。零細な企業では、創業者が夢中で身に着けた戦略戦術を社員らに伝えるまもなく高齢を迎えて引退または死去して、社員らは会社を支えるノウハウ(戦略)に気づかぬ間に、会社も倒れてしまうことが多いのである。  
私の会社は、小さい企業だが、オープンな会社である。一子相伝というわけには行かない。社長を目指すものは、経営戦略をよりよく理解し、学び、また実践の中で力をつけなければならない。「戦略・戦術」には、経営者の「瞬発力」がものをいう。事態の変化に気づいたら、間髪いれずに行動する行動力が必要である。これらの能力を身に着けた者が社長になる資格がある。これらの能力を身に着けた者が多ければ、よりよい能力を身に着けた者がより社長に近いということができる。 
12. 人望なくしては社長の職はない  
人望のない人が人の関心を集めるために良くやるのは、現金などでの買収、物やサービスのばら撒き、ありそうにない対価をチラつかせる、飲み会を自腹でせっせと開くことなどだろうか。これらが成功するとしても、一時的なもので、とうてい「人望を集めた」と呼べるものではない。手元の資金が尽きれば、飲み会さえ開けなくなる。勢い裏金つくりに走って、背任ゆえに解雇または逮捕となってしまう。  
「人望」の拠って来たるところはどこにあるのだろうか。金と権力は「人望」ではない。  
本人が次のような諸点で優れていなければ「人望」を得ないだろうと私には思われる。  
  個人的技能  
  自己犠牲  
  先見性  
  信頼性  
  活動目的  
  その他  
その他の中には、人格の高潔さ・教養の高さ・礼節の正しさ・・・のような言わずもがなの条件もあるだろう。  
(1)人格の高潔さ・教養の高さ・礼節の正しさ、その他  
言わずもがなであるが、礼節の正しさがなければ、人は信頼を寄せてはくれない。いかにも教養の乏しい人物に耳を傾ける人は少ない。利己的目的を後にして組織の利益を優先し、卑しき人物を近づけない人格高潔ならざる人でなければ、人は安心して身を寄せることはない。人品卑しからず、は「人望」の絶対的前提条件である。  
(2)公益に資する活動目的  
社会貢献の志を高らかに宣言し、実践することである。  
企業は、メタ組織(上部団体や国家組織など)に守られて、安全と営業の自由を得ている。私利私欲に眼が眩んで、社会の利益につながらないことを行えば、メタ組織(上部団体や国家組織など)が、すぐに直接規制や捜査に乗り出さないまでも、その企業に対してあえて安全と営業の自由を守る気にはならないでしょう。メタ組織から見離された企業は、保護される企業との競争に敗れて、市場から退場する運命にあるのである。  
企業は、そのメタ組織に取り込まれているだけではない。納品先、下請け・外注・協力会社などの、WIN-WIN関係で結ばれた巨大なネットワークの中に存在している。これをバリューネットワークと言う。バリューネットワークの秩序を乱すものは、ここから排除される。  
通常企業の経営者は、メタ組織やバリューネットワークの利益に資することによって、公益に貢献している。この状態で利益を得られる企業は幸せである。  
しかし、メタ組織やバリューネットワークの利益に貢献することが公益や自社の利益に反する事態となった場合には、公益を優先し別のメタ組織やバリューネットワークを作り上げたり、選んだりしなければ成らない。あらたなメタ組織やバリューネットワークの中で、公益に資することによって自社の利益も得る仕組みが必要である。これはイノベーションである。このときも、公益に反したり、公益にはつながらない行動をとれば、存在は否定されるか、そこまで過激に対応されなくとも無視されて、競争に敗れてゆく。  
(3)「裏切らない、一人占めにしない、確かに社会に貢献する」信頼性  
「裏切らない、一人占めにしない、確かに社会に貢献する」が必要である。言動にウラ・オモテがあり口先だけの「社会貢献」であったり、誘いは甘く後に人を裏切る性向があったり、利益や権限をいつの間にか独り占めしているような人物は信頼が寄せられない。裏切って独り占めして社会貢献するかのようなウソを平然とつくような人物は「人望」からは遠いだろう。約束は裏切らない、利益や権限はいつも折半し一人占めにしない、確かに社会に貢献する人が信頼され、「人望」を得ることが出来る。  
「社会性の獲得」とは、主として、これら「裏切らない、一人占めにしない、確かに社会に貢献する」の資質のことである。現代の若者は、不幸にして学校教育では「社会性の獲得」から排除されて育っている。したがって、自分の居場所を侵しそうな異質な存在は排除しようとする(いじめ)、社会に出てゆく意欲がわかない(ニート)、などの現象が生まれている。異質な人物も一定の組織の中の役割の一つに配置するという知恵がわかないのである。また、信頼の原則という経験がないので、他人も社会を成り立たせている以上は「裏切らない、一人占めにしない、確かに社会に貢献する」という資質を持っているという確信がもてないために、社会に出てゆけないのである。まことに、おかしくも悲しい若者の現実である。  
これらの悲しい若者を乗り越えて、「裏切らない、一人占めにしない、確かに社会に貢献する」人だけが信頼を得て人望を得るのである。  
(4)「周囲とともに享受される予見」先見性  
予見したことが誰よりもよく的中し、周囲の人々に利益をもたらしたり、災いをよく回避しえたという実績が大切である。実績が積み上げられていない限り、口先男として、軽んじられるに違いない。予見しても、その利益を人に分け与えない者は、周囲の人からは「すばらしい」とは言われない。単にずるい奴と思われるだけである。予見は、その利益を周囲の人々に分け与えて始めて「先見性」という評価になる。  
それでは、その予見の能力はどこから来るのであろうか。  
 歴史に関する知識  
地球史、生物史、人類史が必要である。日本人であれば、モンゴロイドの歴史も視野になければならない。日本の古代史はモンゴロイドの歴史の一部である。世界史時代以降は、国際的分業と協業の歴史、国際政治史と国際経済史、近代日本の社会史、近代日本の経済史と政治史、技術史などである。歴史を知っているということは、年表を丸暗記していることではない。歴史の事実の中から、どれだけ多くの法則を取り出すことが出来ているかである。法則を理解できれば、現在から未来につながる事象にその法則を当てはめれば、未来が予測できるのである。  
 地上社会の現在に関する知識  
現在の政治・経済・社会・各種の組織・技術・資源・教育・・・、これらを世界地図にマッピングして理解していることが大切である。これらは、日々変化する。絶え間なく学ばなければ遅れをとる。遅れれば、予見は不可能である。今を知り、過去を知れば、未来が分かる。歴史の法則が大半を教えてくれる。過去の権威や知識にとらわれているものは、予見において失敗する。今を知らなければ未来は語れない。  
 先天性もある  
歴史を学び、現在を学んでもなお予見とは程遠いヒトも多い。予見にはいくつもの戦略やノウハウがあるが、結局のところ先天的能力が左右する部分もある。どんなに歴史に詳しくて、博識であっても、まったく予見能力を持たないヒトはいるものである。学者といわれるヒトに多いように感ずるのは偏見だろうか。言葉を選ばすに言えば、学者といわれるヒトたちは、狭い分野だけを学んでその他の知識を蔑視し、今を学ばずに過去のフレームにとらわれている、ように感ずる。人類史の進むべき世界について予見しうる先天的能力がそもそも欠けているのではないかと思うことがしばしばである。そうでないヒトもたまにはいるが、わずかである。企業人には、先天的能力が磨かれているヒトが多いように感ずる。動物的勘が優れている、などと称される人々である。その「動物的勘」は必要である。  
(5)「自分の出すものは人よりも多く、得るものは皆と同じに」自己犠牲  
仲間のためには身を捨てて、がんばる気力と体力である。犠牲は率先して引き受け、得られた成果は皆と平等に分ける心意気が必要である。自分が犠牲を払ったのだから自分が成果をたくさん取るという考えは、「人望」とは無縁だ。「勝手にしたら」といわれるだけである。「自分の出すものは人よりも多く、得るものは皆と同じに」が人の支持を獲得する大原則である。逆=「人と同じだけ出して、得るものは皆よりも多く」は仲間はずれになるに過ぎない。  
「自分の出すものは人よりも多く、得るものは皆と同じに」という精神で活動を貫く人だけが「人望」を得るだろう。別の言葉で言えば、自己犠牲の精神である。自己犠牲とは、他人にやらせない、のではない。他人にもやらせるが、自分はもっとたくさんやるということである。他人にやらせないのは、単に意地悪である。  
(6)「顧客や仲間を満足させられる能力」個人的技能  
困難な仕事をだれよりも手際よく完成して、結果を待つ顧客や仲間を満足させられる能力である。誤解のないように強調するが、他人には用のない技能をいくら持っていても重く見られない。顧客や仲間を満足させられる能力である。このことは、一朝一石には実現できない。日々のことに学び、原理を学習し、自己訓練し、深く考えなくとも体が成功のための活動をしてくれるようにしなければならないのである。  
日々のことに学び、原理を学習し、自己訓練を絶やさないようにして、他人に役立つ技能をいつでも何なく発揮できることが「人望」の基となる。日々研鑽しないものは、嫌われる。他人の役に立たない趣味の技能を向上させても信頼は得られない。  
他人の役に立つ技能を日々研鑽するものは「人望」に恵まれるに違いない。 
13.生きた組織  
組織は、運営のいかんによっては力を発揮し、時には無気力・無力となる。個人の力に変化はなくとも、運営のいかんによって組織の力は大きくも小さくもなる。  
組織を理解し、掌握し、適切に運営し、ときに荒々しく解体・再生を図るのはリーダーの役割である。企業組織のリーダーたる社長は、企業組織を理解し、掌握し、適切に運営し、ときに荒々しく解体・再生を図る力が必要である。組織についての深い理解と運営に熟達していることが社長の条件である。 
13-1.一般に組織とは何か  
(1)組織の不思議-定常流的実在  
「組織」とは摩訶不思議なものである。  
デフォーの作品として知られる「ロビンソン漂流記」は、絶海の孤島に取り残されていたロビンソンクルーソーの物語である。モデルとなった実在のロビンソンは「アレクサンダー・セルカーク」という船乗りだったと歴史家は指摘している。  
デフォーは小説「ロビンソン漂流記」で、社会なしに人は生きてゆけるかと言う思考実験を試みたといわれている。ロビンソンクルーソーは、無人島で工夫を凝らして生き延びることに成功するが、元の社会に戻ることに焦がれて、沖合いを遠く通り過ぎてゆく帆船に向かって叫び、シャツをくくりつけた棒を激しく振り続けてむなしく何年もの日々を送るが、ついに近くを航行する船に発見されて、ハッピー・エンドを迎える。この思考実験の結果にデフォー自身は満足しなかったかも知れないといわれているが、結果は、おおむね人は社会なしには生きてゆけないことを示している。言い換えれば、人はおおむね組織なしには生きてゆけないのである。  
ところで、一人の人は多数の組織に属することが出来る。たとえば、一人の人は家族という組織と会社と釣り同好会と町会と、、、、場合によっては政党や檀家組織などの宗教的組織などにも参加している。すなわち、同時にたくさんの組織の構成メンバーになることが出来る。  
また、ある組織はそれを構成する人員が入れ替わってもその組織である。新入社員が入って、ある社員が退職するのは、ありふれた光景である。人が変わっても会社Aはその会社Aである。  
組織とは、マンジュウの詰め合わせの箱のように考えている者がいるが、まるで違うのである。マンジュウの詰め合わせの箱ならば、1つの箱に入っているあるマンジュウを同時に別の箱には入れない。また、組織を岩や建物のように考えるものがいるが、岩を構成する各部分が入れ替わったり、柱や床が始終入れ替わったりしてしまうとすれば、どうだろう。ありえないことである。  
組織とは、水面に浮かぶ波のような「定常流的な実在」である。たくさんの波が水面を交錯するとき、一つの水の分子は、交錯するどの波にも属しているが、次の瞬間には、別の水分子に置き換えられているのである。それでいて、波は波としてしっかりと漂いながら実在している。  
定常流的な実在という一見とらえどころのない組織の本質を理解しなければ、組織の運営は出来ない。  
 金銭や地位、腕力や言葉の暴力によって抑圧と支配を完成し反抗を許さず人々を思い通り動かそうとしても、やがて人はスルリとその手を抜けていってしまう。人はどの組織に属することも自由なのである。  
抑圧と支配が成功するのは軍隊においてだけである(一部、学校教育においても成功してきた不幸な歴史がある)。  
 人の利己的思惑にのみ迎合して、これを掻き立てるようにすれば、個別のたくさんの要求にリーダーはたちまち持ちこたえきれなくなって破綻する。組織のモラルは低下して分解する。  
 人を欺いて本来の目的を隠して人々を導いても、昔ならばいざしも、情報化社会の今日ではその意図がたちまちにして露見してしまう。情報を隠して人を操ることは、今の社会ではできない  
 リーダの意図は正しくとも、その意図が理解と支持を集めていなければ、人々は動かない。ラクダを水辺につれてゆくことは出来ても、ラクダに水を飲ませることは神ならぬ身にはできない、のである。
(2)目的のない組織はない  
ゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉を聴いた人は多いだろう。  
一般には、下記のように理解されている。  
 ゲマインシャフトは家族のような共同体であり、「血縁に基づく家族、地縁に基づく村落、友情に基づく都市などのように、人間に本来備わる本質意思によって結合した有機的統一体としての社会」  
 ゲゼルシャフトは、軍隊などの目的型の組織であり、「人間がある目的達成のため作為的に形成した集団。基本的に合理的・機械的な性格をもち、近代の株式会社をその典型とする。近代社会は共同社会に対してこの利益社会が優越的であるところから、近代社会の性格を示す言葉としても使われる。」つまり、組織には、共有利益的目的を持たないものと持つものがあるという考え方である。しかし、私は、この考え方に組しない。家族は、子供生んで育てて、家族の疲れを癒して明日の活力を生みだすという、明白な目的を持っている。村落は移動の制約による物資の交換経済単位と外敵に対する防衛の守備範囲に基づく共同体であるが物資の交換経済と外敵に対する防衛という立派な目的をもって運営されてきた。都市もまた近代的な変貌を 遂げた村落のようなものである。ゲマインシャフトにも立派な「(暗黙の)目的」があるのである。 軍隊や国家、企業のような目前の勝負に勝つという短絡的で明白な目的か、人類悠久の生存を目指す暗黙の目的か、などの違いはあっても、目的のない組織はないのである。目的のない組織は存立しないし、偶然に作られたとしても永続しない。組織の目的はさまざまであり、一つではないということは確かである。
(3)組織と個人  
組織は、志(こころざし、目的)を同じくするものが構成し、維持するものである。個人は組織の目的に貢献して、その組織に所属することが許される。個人は、家族や学校や企業や行政組織に貢献することによって、生活の糧と安全を組織から与えられている。  
個人がその組織に貢献しなくなったり、組織にとって害毒を与えるようになると、組織は自然にその個人を排除する。個人はもはや望んでもその組織にはいられない。別の組織に移動してゆくのである。  
個人は迎えてくれる組織なしには、ほとんど生きてゆくことが出来ない。隅田川の河原の青テント村にも、厳然としてルールがあり、組織が形成されている。ましてや、家族や学校や企業や行政組織にもルールがある。どの組織にも参加できない個人は、やがて生存の手段を得ることが出来なくなり、安全も保証されないので、生命の危機に瀕し、場合によっては生存を断たれてしまう。
(4)組織の上に立つ組織、組織を取り巻く組織  
組織は、単独で存在することはありえない。構成メンバーが異なる同格の類似組織も周囲にはたくさんあるが、同格でない組織も存在する。  
 構成メンバーが異なる同格の類似組織  
たとえば、わが家族以外の家族が多数ある。近くに住む家族も、地球の裏側に暮らす家族もある。たとえばテニスサークルといえば、日本だけでも数万あるだろう。これらは、日常的に接している場合もあるし、構成メンバーが互いに一度も接することなく生涯を終えるケースもある。  
 メタ組織(上部団体、行政組織、国家など)  
たとえば、家族は、市区町村などの行政組織の中に位置づけられている。行政組織は国家に統合されている。企業は、業界団体などの上部団体があり、上部団体は国家に指導されている。サッカー同好会は、市連、県連、全国協議会がある。これらは、基礎となる同格の類似組織(家族たち、同一業種の企業たち、サッカー同好会たち、など)を最下層に持って上部でまとめている組織である。上部に形成される組織を「メタ組織」という。現代においては、おおむね国民国家がメタ組織の最上位に位置しているが、一部はこれをはみ出して国境を越えたメタ組織(ピースネット、国際オリンピック協会、国際サッカー連盟、国連、、、)もある。国境を越えたメタ組織は、国際情報化社会を迎えて力を増し、数も増している。いずれは国家を超える存在になる可能性もないとはいえないが、今のところ、国民国家に対して補助的な役割にとどまっている。組織は、メタ組織に貢献して、存在を保証される。メタ組織に貢献しなかったり、メタ組織の利益に反する組織は、すぐに警察に踏み込まれたりはしないかも知れないが、少なくとも保護されない。保護されない組織は、競争に敗れてやがて消滅する。メタ組織に貢献しなかったり、メタ組織の利益に反する組織は、犯罪的な組織ばかりではない。メタ組織が談合なので汚れているときに、これから脱却を図ろうとする場合も、メタ組織はその組織の保護をやめたり、激しく攻撃を仕掛けたりもする。メタ組織はその固有の利益を防衛しようと激しく活動するのである。  
 バリューネットワーク(下請け構造、納品先ネットワーク)  
最小コスト・最大利益を求めて個別的契約・取引関係が結ばれて成立する広大なネットワークがある。これをバリューネットワークと言う。バリューネットワークで主として結ばれている取引関係は、納品先と納入業者の関係である。同格の類似組織の集まりでもないし、それらの上部に形成される組織でもない。得-得関係(WIN-WIN関係)で成立するネットワークなので、バリューネットワークと呼ばれる。バリューネットワークの中の組織は、安定して利益が得られる代わりに他の組織に対しても安定した利益を提供する。利益は分け合うので、その位置関係は微妙である。ある組織の提供するサービスや製品が変化すれば他の組織もこれに対応して変化はなければならない。一定の限度を超えれば、バリューネットワークは成り立たなくなる。現代においては、言語、文化、習慣の共通性の限界のために、おおむね国境がバリューネットワークの限界となっているが、一部はこれをはみ出して国境を越えたバリューネットワーク(パソコンの部品から組み立て販売のバリューネットワーク、衣料品の原材料から販売網までのバリューネットワーク、、、)もある。国境を越えたバリューネットワークは、国際経済情報化社会を迎えて力を増し、数も増している。いずれは国家を超える存在になる可能性もないとはいえないが、今のところ、おおむね国民国家の枠内にとどまっている。ある組織が、今イノベーションを決意し、自分の組織を変革し、新しいサービスを提供し始めても、これまでのバリューネットワークには合致しない場合は、受け入れられずにビジネスが成立しない。たとえばある企業が24時間無充電で稼動する軽い布形のパソコン向けバッテリを開発し安価に売り出したとしよう。これは従来型のバッテリに比べてコストパフォーマンスがはるかに勝っており、消費者からは受け入れられそうであるが、バッテリといえば従来は箱型で、これを収めるパソコン筐体と配線しか存在していない。布形のバッテリを買うアセンブリ(組み立て)企業はないのである。新製品を出した企業は、バリューネットワークの中に存在できる位置を失って、消滅してしまう。組織の中の個人が組織に害を与えたり、組織に貢献できなければ、その個人は当該の組織から出てゆかなければならないように、メタ組織やバリューネットワークの中の組織もその組織が属しているメタ組織やバリューネットワークに貢献できなくなったり、害をおよぼすようになったら、その組織は当該のメタ組織やバリューネットワークから出てゆかなければならない。どのメタ組織にも属さず、どのバリューネットワークにも属さない組織は、安全を保証されないので、競争に敗れてやがて消滅する。
(5)組織の活力  
組織の活力を測るのに、「大きさ」「固さ」「強さ」という尺度が提唱されている。「大きさ」を追求すれば「固さ」や「強さ」を失い、「固さ」を追求すれば「大きさ」や「強さ」失い、「強さ」を追求すれば「大きさ」や「固さ」を失うという、厄介な三つ巴関係の指摘も広範に行われている。前提条件次第では、この指摘は正しいだろう。  
しかし、組織の活力とは、これら外的な尺度では測りきれないものによって構成されているのである。組織の活力は構成員らの目的意識の強さ(メンタルパワー)に依存していると考えている。「大きさ」「固さ」「強さ」は、目的意識の強さ(メンタルパワー)の結果であって、その逆ではないに違いない。メンタルパワーのよってくる源は、その組織に属する人々の学習能力と発案能力にあると考えられる。  
目的意識の強さ(メンタルパワー)については、先行研究が知られていないので、まずは、私がモデルを用いた研究を始めたところである。その成果は、別途明らかにしたい。 
13-2. 組織を活かす力、改革する力  
実は、組織を改革する力がなければ組織の力は日に日に衰えてゆく。組織を 生かす力は出なくなる。組織は、一つの組織で孤立しているわけではない。組織は社会に組み込まれている。メタ組織やバリューネットワークに属している。何よりも、組織は地球環境の中で活動している。地球温暖化が進めば、地上の人類生存地域も大きく変わるだろう。石油が枯渇すれば石油文明は終わる。小さな経済変動も組織の存続の条件をたちまちにして奪ってしまうこともある。一つの組織が存続し続けるためには、自分を変えてゆかなければならない。変えられなければ、生存はゆるされない。  
(1)正直なロバは疲弊する。  
組織のためにがんばる正直者が常に報われるわけではないという逸話がいくつもある。働かないブタとずるがしこいキツネが農場主に雇われた。正直者のロバも雇われていた。農場主は、ブタとキツネとロバに、明日までにこの畑の一区画を耕して置くように言いつけた。ブタははじめからブーブーと文句ばかり言っていた。この暑いのにやってらんないよ、ロバ君よ、お前もそんながんばってどうするんだ。食えるエサに差なんてないぜ。とやかましい。キツネは、ロバの耕す先に木の枝でスジをつけて、ここに添って進めばいいんだぜ、ああ疲れた、俺はひと寝入りするからなとさっさと木陰に入って寝てしまった。ロバ君は、一人で黙々と耕していた。  
一日の仕事が終わって、農場主がはたけの様子を見に来た。「何だこりゃ、半分も出来ていないじゃないか。今日のエサは半分しかやらないぞ」と都瀬なった。ブタはブーブー鳴いて、「腹いっぱい食えなきゃ、明日働けないよ」と不平を言った。キツネは「俺は、作業の指揮を執っていたのに、ロバの奴が働かないからいけないんだ。俺のえさが減らされるなんておかしいよ」と言い募った。ロバは「ごめんなさい。明日はもっと一生懸命働きますから、エサはみんなにたくさん食べさせてやってください」と述べた。  
農場主は、「じゃ、明日は、今日の残りの畑と別の畑の一画を全部やるんだぞ」と言って約束どおりのエサを与えた。ブタとキツネはしめしめとえさを 食べた。  
次の日、ブタとキツネは初めから何もしなかった。ロバは懸命に働いた。しかし、昨日の残りと今日のノルマの全部は出来なかった。今日のノルマは半分しか出来なかった。農場主は、また怒り狂った。ロバは、昨日より少し小さい声で、「もっとがんばるから、許してください」と言った。  
次の日もブタとキツネは何もしない。ロバは懸命にはたらいた。しかし、昨日の残りと今日の残りのすべては出来なかった。今日のノルマは4分の一程度残ってしまった。農場主は、またまた怒り狂った。ロバは、昨日よりもっと小さい声で、「もっともっとがんばりますから、許してください」と言った。ロバは疲れて食事もろくにのどに通らないようだった。ブタやキツネは高いびきをかいて寝た。ロバは夜中に時々目が覚めて、「もっともっと、、」とつぶやいた。翌日、ロバはもっともっとがんばった。やっと、前の日の残りも今日のノルマも片付けた。夜、農場主は、農場にやってきて、その様子に「明日はもっとノルマを増やしても大丈夫かな」とつぶやいた。ロバを土に横たわって、その言葉を聴いたような気もしたが、農場主が気がつくとロバはすでに息絶えていた。その後、ブタやキツネはどうしたのだろうか、今までさぼっていたことが露見して、仕事をやめさせられて、エサにありつけずに飢えて死んでしまった。  
という物語である。  
組織と言うものは元来持っている平衡点が存在する。組織のために一人ががんばっても、組織は、負の補償行動を起こす他のメンバーによって元の平衡点にとどまろうとする力が働くのである。正直者のロバは疲弊しやすいのである。これは、組織の安定には役立つ組織の本質的な働きを言い当てている寓話でもある。たとえば、働かない×会×険庁の中で、まじめにやろうとする職員がいても、疲労困憊して過労のために退職するか、心までつかれきって自殺してしまうのである。×会×険庁は、いつまでも自助努力によって改革されないという現象も、同じ原理で、ある程度の説明がつく。
(2)正直なロバ組織は疲弊する  
組織は、単独で存在することは出来ない。メタ組織やバリューネットワークの中に存在し、メタ組織やバリューネットワークに存在を認めてもらって、その活動を保証され安全が守られている。個人ではないが、正直な組織がメタ組織やバリューネットワークに裏切られることも多い。たとえば、××公団をめぐる談合事件では、その規模の大きさと歴史の長さにあきれるばかりである。なぜ、このようなことがたくさんの下請け企業を巻き込んで行われて続いてきたのだろうか。ある企業の元担当は、何度も談合への不参加を上司に具申して退職に追い込まれたのだが、会社にとってみれば、一度でも抜け駆け(談合破り)をすれば、次からは参加できないし、この業界ではやってゆけなくなる、談合組織を抜けるということは、会社の死を意味するという説明だった、というように述べている。これは、ある意味で本当なのだろうと思う。正直な組織は、これまでのメタ組織やバリューネットワークでは生きてゆけない場合があるということを意味している。
(3)イノベーション(改革)は、どのようなときに可能か  
イノベーション(改革)なくしては生存なし、なのに改革はブタやキツネに阻まれて成功しないならば、組織には一定の寿命があり、死亡しない限り次の世代が成功しないという、主張が正しく感じられてしまう。それにしては、変化の程度か早くて、日本においても、企業は平均すれば3-5年程度で、組織が大きく変わらなければつぶれてしまうのである。行政組織でも10年は続きすぎである。3-5年でつぶれていては、企業と社会が失うものが多すぎる。損失を少なくして、変化に耐える組織を作らなければならない。  
 変化に耐える組織は、「究極の目標が正しい」+「学習する組織であること」+「当面の活動目的は自在に変化しうる」組織である。  
 「究極の目標が正しくない」組織はつぶれたほうがよい。「究極の目標」とは、人類史的課題の実現なので、深い教養と英知が必要である。哲学と科学に裏付けられたthought leaderだけが組織の責任をとりうるのである。  
 「学習する組織」であれば、環境の変化についてゆくことが出来たり、当面の活動を自在に変化させることが可能である。「学習する組織」でなければ、環境の変化についてゆくことが出来なかったり、当面の活動目的を自在に変化させることが出来なかったりする。  
 「当面の活動目的は自在に変化しえない」組織とは、硬直した組織である。あの手この手をたくさん知っているだけでは、新しい活動目的を組織内に徹底することは出来ない。組織の中のthought leaderの考えにメンバーの大半が共鳴でき、新しい活動目的を直ちに学習できる能力をメンバーが備えていなくてはならない。  
それでは、「究極の目標が正しい」+「学習する組織であること」+「当面の活動目的は自在に変化しうる」組織であれば、イノベーション(改革)にいつも成功するのだろうか。残念なことに、それほど単純ではないのである。「究極の目標が正しい」+「学習する組織であること」+「当面の活動目的は自在に変化しうる」組織であれば、イノベーション(改革)の可能性はないとはいえない。しかし、それだけでは十分ではない。
(4)簡単ではないイノベーション(改革)  
 「究極の目標が正しい」かどうかを組織のメンバーがいつも点検でき、意見を述べられるようになっていない組織は解体する。どんなに高邁な究極の目標が掲げられていても、現状とかけ離れていれば、忘れられてしまうだろう。「究極の目標が正しい」かどうかを組織のメンバーがいつも点検できるようになっていれば、組織のメンバーは、その目標に身も心も殉ずる心構えが出来ているはずである。  
 「学習する組織」であっても、それぞれの組織には固有の学習伝播速度がある。学習伝播速度以上の速度で組織内に学習を進めようとすると、組織は分裂し、聞く耳を持たなくなる。それどころか別の分派がイノベーションに反対して、大抵抗を試みるようになる。抵抗勢力の登場である。抵抗勢力は、自分たちは間違っていると思っているのではない。抵抗することが正義であると考えているのである。組織内が分裂すれば、それまで以上に学習伝播速度は失われてしまう。むしろ、新しい考え方の説明は、抵抗勢力を行き追うづかせるという逆効果さえ生まれてくるのである。そして、不幸なことに抵抗勢力は、革新勢力よりも小さなエネルギーで、多くの味方を得ることが多いので、ときとして(抵抗勢力は)勝利を収めるのである。組織内の仕事は、始めは企画され、手本が示されて、説明がされて、実際にやってみて、次第に人々がなれてゆくことによって習慣化し、意識しないでもやってゆけるようになる。習慣化しない限り、仕事の効率は悪いし、担当する人々の疲労は大きい。作業が習慣化すれば、仕事の進め方についての考え方も無意識の内に肯定され、他の批判を 受け入れがたくしているはずである。イノベーションの勢力は、はじめは組織内では小さな勢力である。大きな勢力は旧守勢力である。旧守勢力は、意識して旧守勢力となっているのではない。習慣と仕事の効率のために旧来のやり方を守っているのである。仕事の効率は、多くの場合、どんな組織でも美徳である。イノベーションの勢力が何かを言い始めれば、美徳をけなされたと感じて、自らのモラルに架けて反撃に転ずるのである。正義感に駆られているので、始末に終えないのである。  
 イノベーションは、メタ組織やバリューネットワークに押し戻される。万一組織内の改革に成功し、イノベーションに乗り出すことができるようになったとしても、たいていの場合、従来のメタ組織の利益を損ない、現在のバリューネットワークが受け入れられない変化である。つまり、旧社会の秩序を損ない、業界の利益を損なう行為となる。イノベーションはメタ組織やバリューネットワークによって押し戻されるのである。イノベーションがメタ組織やバリューネットワークによって押し戻されれば、組織内の抵抗勢力は勢いづく。組織分裂と対立抗争は組織外と絡んで悲惨な状況を呈するようになる。  
 ここで、トリムタブについて述べておこう。早くカーブを切らなければ岸壁に衝突してしまうことが分かっていても、巨大なタンカーはそう簡単に舵を切ることが出来ない。ましてや、船長が「おも舵一杯!」と叫んでいるのに、船員たちは、昔教えられたとおり、舵をまっすぐに固定したまま、動こうとしないのだ。タンカーはやがて岸壁に衝突して破綻するのである。多数の船員が納得するまで待たなければならない船員組織は、巨大なタンカーにはむかないのである。タンカーの舵を切るには、トリムタブという仕掛けが存在する。トリムタブはいわば「舵の舵」で、本来の舵とは逆向きの力を発生させるタブで、本来の舵の先端につけられる。トリムタブは大きな舵とは違って小さくて水の抵抗が小さいので、小さな力で動かすことが出来る。トリムタブがあるかたむきを持つと、これが先端につけられている本来の舵にはトリムタブとは反対向き、すなわち、本来傾けるべき方向に舵が回る。トリムタブは舵の先端についているのであるからテコの原理で小さな力で大きな力が必要な舵を回すのである。このようにして、トリムタブは、巨大なタンカーなどの大型船舶を小さな力で向きを変えることが出来る仕掛けである。勘所を知っていれば、トリムタブのように、組織をたくみに動かすことも出来るはずである。  
 組織の中のthought leaderの考えにメンバーの大半が共鳴でき、新しい活動目的を直ちに学習できる能力が組織のメンバーにあっても、リーダの方針が、時宜にあっていなかったり、組織の体力に合わない場合は、たちまちにしてイノベーションに失敗する。だからこそ強力なリーダが必要という考え方もあるが、強力なリーダは必ずいつかは失敗する。他人の意見が聞けなくなったり、組織のメンバーが間違った方針についても盲目的にしたがってしまう危険がともなうのである。究極の目的が組織のメンバーに十分に理解されていれば、当面の目的は絞られてくる。環境り理解と手に入る手段方法を考えれば、当面の活動目的はおのずと分かるというものである。リーダはその案を示さなければならないが、いつでもスタッフの意見を取り入れて訂正する勇気がなければならない。逆に言えば、いつでもスタッフの意見がリーダに伝えられる仕組みが必要である。 
上記の問題の内、物理的抵抗が発生するのは、学習速度の問題である。これが実は、正直者のロバが疲弊し、正直者のロバ組織が疲弊する理由でもあるのである。「究極の目標」や「当面の活動目的」を考案する人は多い。これなくして、組織の活動はないからである。しかし、学習速度の問題を解決する人は少ないのである。山一證券の倒産で当時の社長が「社員は悪くありません。私たち経営者か悪いんです。私たちの社員をどうか救ってください」と涙ながらに叫んだことが、人々の記憶に鮮烈である。能力の高い社員の集団があって、何をすべきかも当時の経営陣には分かっていて、なお、会社の舵を完全には切れなかった社長の悲痛な叫びだった。
(5)学習速度の克服  
組織が存続するために必要な学習速度と組織が身に着けている学習速度が合っていない場合、はっきり言えば、すなわち、学習速度が遅すぎて組織のイノベーション(改革)が環境の変化に間に合いそうにないときには、いったいどうすべきなのだろうか。  
 失敗する組織内分離策  
しかし、一般に行われるのは、社長室や経営企画室などの名称の部署を作って、各部署から選りすぐれの若者を集めて改革案を練るのである。従来の部署においておけば、新しいアイディアは従来からの人々の習慣(旧守主義)の中で大きな抵抗と反対に遭って、日の目を見ることはないのである。各部署から選りすぐれの若者を引き離して集めるのはまことに正しいというべきである。しかし、どんな正しい改革案が出てきても、その案に各部署が従うかどうかは別である。改革案は決定公表の前に若者たちの出身部署にはたいがい知れ渡っており、反対のための理由もその対策も済んでいるのである。社長が発表する頃には、「総論賛成・各論反対」の鮮やかな熱弁が待ち受けているのである。かくして、社長室や経営企画室などの改革案はつぶれるのである。  
 組織外に組織を作ること  
東京の企業が、九州に研究所と工場を突然作ったりする。これは、すい゛文と非効率なことを している用に見えて、実は、会社のかじを 切るには大変効果的なのである。東京の抵抗勢力につぶされそうな新製品を九州で研究して製造すれば、東京の抵抗勢力もなかなか手が出ないのである。ましてや、資本も別にしておけば完璧である。別離組織は、小さくてよい。小さいほうがよいかも知れない。新規事業はリスクか大きいので、小さく初めて様子を見ることは正しい方針である。また、大きく作ろうとすれば、従来の抵抗勢力も多数つれてゆかなければならない。抵抗勢力を新規組織に混ぜてはいけないのである。新規組織が成功したら、新規組織が従来の組織を買収してしまう方法もある。  
 組織外勢力の利用  
外国の企業の資本を受け入れて、組織改革を進めたニッサンやマツダの例は、組織外勢力を利用して成功した事例である。黒船に弱いのは、江戸の人々だけではない。現代の日本人でも同じである。傘下に入れば、特定の組織はメタ組織に従う原理から、親会社の意向が浸透するのである。外国資本でなくとも、日本では銀行資本が注入されて、組織改革が進むケースは多かった。しかし、この間、日本の銀行は体力がなく、注入する資本が足りないので、むしろ資本の引き上げという脅しで企業の組織改革を促してきた。この北風政策は成功しにくかった。反発は硬直を生み、企業の倒産をより多く引き起こした。  
海外資本の活用のほか、同業他社との合併や身売りもイノベーションにとって、ドラスティックな効果を生むのである。善良なよりよいメタ組織に参加することに組織改革がすすむのである。  
こうしてみると、組織外組織や黒船的外部勢力が有力な手段と言うことになるのである。黒船的外部勢力は荒療治である。場合によっては、角を矯めて牛を殺すことにもなりかねない。出来れば、組織外組織を作って、旧勢力との連絡を厳しく断って、新規事業に取り組ませるのがよいとのであろう。組織外組織は、組織におけるトリムタブである。
(6)メタ組織とバリューネットワークの克服  
現在のメタ組織とバリューネットワークの中ではイノベーションが困難か、まったく不可能なことが多いことは前述した。  
 メタ組織とバリューネットワークもイノベーションの渦に巻き込むことが出来れば最良である。しかし、これは大変なエネルギーが必要である。自分の組織の舵を切ることも困難なときに、その上の組織や取引ネットに属する諸組織を引き連れて変革の渦を作り出すのは、たいていの場合に失敗する。メタ組織の頂点に立つ組織(たとえば輸送業のJR、通信事業のNTTなど)が自らの変革の家庭で、メタ組織(業界団体)の改革を実施する可能性はないとはいえない。2番手以下の組織がその改革に成功するとは思えない。バリューネットワークも、同様の事情がある。パソコンのバリューネットワークで、WINTEL連合(WindowsのマイクロソフトとCPUのIntelの連合)が手を結んで改革を行えば、ネットワークに参加している世界中の企業がこれに従う可能性もないとはいえない。しかし、それはきわめて例外的なことである。日本の一メーカーがやろうとすれば必ずと言っていいほど失敗するに違いない。  
 残された手段は、現在のメタ組織とバリューネットワークから出てゆくことである。別のメタ組織やバリューネットワークに参加するか、新しいメタ組織やバリューネットワークを作るしかない。しかし、これは冒険である。新しいメタ組織やバリューネットワークが自分の組織を受け入れるだろうか。また、新しく作ったメタ組織やバリューネットワークが国や社会から受け入れられるか。これも新しい難題である。しかし、イノベーションのためには、古いメタ組織とバリューネットワークを捨てなければならないことだけははっきりしている。いきなり、新しいメタ組織やバリューネットワークに本体をうつせば、その瞬間に組織の命脈が立たれてしまうこともありうる。それは大変危険な賭けである。したがって、組織のイノベーションに当たっては、本体全部が現在のメタ組織とバリューネットワークから出てゆくのではなく、新しい別組織を作って、出てゆくのである。いずれにしても本体には抵抗勢力が多数を占めて、意気揚々と組織の死を待っている。彼らを引き連れて言っても新しい組織が新しくなるはずはない。彼らを一人も連れてゆかない。つまり本体は古いメタ組織とバリューネットワークの中に残して、新しいメンバーだけの新しい組織を新しいメタ組織とバリューネットワークの中に作り上げてゆくのである。  
このようなことをする際には、むしろ小さなベンチャー企業を買い取ってしまうという手法がとられることが多い。ベンチャーは荒削りではあっても、本体の組織とは異なるメタ組織やバリューネットワークに曲りなりに属していることが多い。新しくメタ組織やバリューネットワークを創生することに比べれば運営がはるかに容易である。ベンチャー企業の買収もまたトリムタブとなりうるのである。 
 
■バラエティー・コメンテーター

 

もどきの集まり 
自称何とか評論家 
烏合の衆代表 
油を注ぐのがお仕事
「小金稼ぎのコメンテーター」発言、橋下氏がツイッターで撤回  
「水道橋博士、ギャラ高いから怒った」  
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が慰安婦発言をテーマにした生放送の番組内で「小金稼ぎのコメンテーター」と発言したことに憤慨し、お笑い芸人の水道橋博士さんが「番組降板」を宣言したことを巡り、橋下氏が15日夜、自身のツイッターで「撤回します。すみませんでした」と謝罪した。  
橋下氏は「小金稼ぎ」と発言したことについて、番組に出演していたジャーナリストの大谷昭宏さんや須田慎一郎さんの名前も挙げながら「皆さん僕のいないところで人格攻撃をしてきたり、事実誤認に基づく批判をしてきます」「そのことが積み重なり小金稼ぎと言ってしまいました」と説明した。  
謝罪の一方、水道橋博士さんの降板宣言については「僕の場合には、どれだけ世間から批判を浴びようが『では辞めます』とは言えません。コメンテーターの場合はそれが言えることを博士さんが示してしまいました」と批判。さらに「僕は小金稼ぎと言いましたが、博士さんは相当高いギャラをもらっていたから怒られたと理解しております(笑)」と述べた。  
橋下氏は15日に生放送されたテレビ大阪の番組「たかじんNOマネー」で、「有権者は冷静だなと。小金稼ぎためのコメンテーターとは違う」と発言。水道橋博士さんが憤慨し生放送中に席を立ち、カメラの前から消える一幕があった。 
亀田問題。何故急に最近、徳山昌守氏がコメンテーターに  
亀田問題、構造的原因、追及うやむや。うやむやにするには。  
一連の亀田一家問題、どうやら本日の亀田興毅君の謝罪を持って終息に向かいつつあるようですね。  
私は以下の点に関して、大いに不満です。  
「TBSの責任追及」  
これが全くなされていません。  
今回の事件は無論、亀田一家に責任があります。しかし、マスコミ、特にTBSにも問題があった、という見解は私だけではないでしょう。  
いや、TBSにこそ問題があった、一番の主原因はTBSにあった、と言っても決して過言ではないと思います。  
この問題をうやむやにしてしまう限り、業界の構造は変わらず、恐らくこれからも同種の事件が起きるでしょう(逆に言えば、うやむやにしたい人々がいる、うやむやにするべく、知恵を絞り画策した人々がいるのかな(^o^)。  
さて、今回の事件で首を捻る点が私にはあるのです。  
一つは、「亀田一家を支持し続ける人々がいる事」。  
明白に反則行為が認められた後でも支持する人々がいるのです。  
無論、ネットでの発言は匿名である場合が多いですし、いい加減ではないかという指摘はあるでしょう。  
しかし逆に言えば、匿名だからこそ本音がでる、本音で亀田一家を支持している、と考える事ができるのではないでしょうか。  
何故、支持するのか?  
しかも、その支持の論理展開がほぼ全て「亀田一家のボクシングは〜〜の点で素晴らしい」といった構造ではないのです(例えば「非難するのは排除の論理だ、共生の思想が必要だ」といった支持の仕方)。つまり「ボクシングを語る視点」とは全く無関係な視点からの支持意見なのです。  
全く、あたかも「亀田一家に支持すべき点はない事を、支持者当人達自身よく自覚している。『ボクシングを語る視点』からは全く支持できない。が、ボクシングとは全く無関係な何か他の理由で(例えば同じ共同体に属しているといった理由か)支持しなければいけない事になっている。なっているから、そうしている。」、そんな印象を受けるのです(あくまで私の印象ですが)。  
そして、その支持発言が彼らの意図とは逆に、火に油を注ぐ結果となってしまった。  
もし彼らがこのまま亀田一家支持の発言を行い続けていれば、反って、より大きな、構造的な、根本的原因に人々の関心が向かう(ある人々にとっては「向かってしまう」)事になったのではないか、と思います。  
もう一点は「徳山昌守氏がここ2、3日の中に急にコメンテーターとしてテレビに出演されている事」。  
唐突感があるのです(ハイ、ここも印象。だって一日中テレビ見ている訳にいかないじゃない。もしかしたら前からずっと出てテレビ出演していたかも知れないよ、そりゃ。一様ざっと調べては見たけどね)。  
ボクシング界からコメンテーターとしてしばしば亀田問題に意見を発表されていた方は、具志堅氏、ガッツ石松氏、輪島氏の3人の方々ですよね。この方々は当初から継続的に出ずっぱりの状態で、テレビに出演していらっしゃいました(より正確には出演して欲しいとテレビ局に呼ばれた訳)。  
しかし、徳山昌守氏がコメンテーターとしてテレビに出演し始めたのは、ここ2、3日(より正確にはテレビ局から出演して欲しいという依頼があったのは、ですね)。  
ご存知の方も多いと思いますが、徳山氏は亀田大毅君との試合を望まれていた方です(余談ですが、この方はすごい人で、朝鮮民主主義人民共和国労力英雄の称号をお持ちで、なんと北朝鮮の国旗勲章第1級の勲章も受けている方なんですね)。  
本来なら、もっと早期に、反則試合の直ぐ後に、コメンテーターとしてテレビ局より出演依頼があったとしても不思議ではない方です。  
不思議ではないどころか、今までコメンテーターとして出演依頼がなかったという事の方が不思議でしょう。  
だって、当に対戦していたかも知れない人だったんですよ。  
この方のオフィシャルサイトを拝見しましたが、亀田一家にその後も関心を持ち続け、大変批判的な意見を発表されています。十分、おっしゃりたい意見をお持ちだったと思います(因みに徳山氏が韓国から帰国されたのは9月17日。日本のテレビ出演は可能でしょう)。  
あたかも、この亀田興毅君の謝罪会見に合わせたかのごとく、急に出演されている(より正確には、出演依頼がテレビ局から来た)、そんな印象を受けるのです。  
亀田一家の支持層と徳山昌守氏の支持層は重なっているのでしょうか。  
これは、純粋に「ボクシングを語る視点」から言うとありえませんよね。第一、徳山氏は亀田一家を非難している訳だから。  
「他の視点」はありえないか。  
この事件の本質、構造的原因追及をうやむやにする。  
するには、亀田一家の支持者の発言を一時的に抑制する必要がある。亀田興毅謝罪会見に合わせて抑制する必要がある。  
「支持者諸君、偉大な英雄、徳山氏の発言に留意せよ。」  
「徳山氏は以前より亀田家を批判している。以前よりしている。しかし、今、この時期にテレビ局に出演されている事の、『意味』を理解せよ。」  
これ、ガッツさんや具志堅さんじゃ、駄目なんだよね。徳山さんじゃなきゃ。  
話は変わります。  
共産圏の人たちの新聞の見方って、なんか大変ややこしい見方をしなきゃいけないらしいよ。暮らしていけないらしい。急に誰それさんの記事が出てきて、逆に誰それさんの記事が急に出なくなったら、「あぁ、権力闘争が起きたんだな。この人を支持しなきゃいけないんだな」って具合。  
本文とは何の関係もありません。ただ、これ結構好きなんですよね。 
橋下徹発言でまたまた大騒ぎになっている”従軍慰安婦問題”  
いつまでも表面だけでの議論で逃げてきたツケが回ってきている。マスゴミはもうカマトトぶるのは、やめたらどうなんだい!  
今朝の報道ワイドショーは、どこもかしこも、橋下徹の記者会見の内容について、コメンテーターの男も女も彼の発言を叩き続けていたようだ。ご存知”従軍慰安婦問題”なのだが。13日ぶらさがり記者会見で・・・・・  
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日、慰安婦問題について「当時は軍の規律を維持するため必要だった」と容認する考えを表明し、「世界各国が持っていた。なぜ日本だけが取り上げられるのか」と反発した。在日米軍幹部に、海兵隊員による風俗業者の活用を求めたことも明らかにした。市役所で記者団に答えた。  
彼は、昨年の日本維新の会の躍進の中で、常に過激な発言や、膨大なTwitter更新で、世論を無理やり引っ張ってきて、12月の選挙も終わり、結果として当初の成果は上げれらなっかたことと、党に元民主党議員が大勢逃げて来て、これらがリードするようになって来た。案の定混乱の極みになってきて、7月の参院選は危なくなってきている。橋下パフォーマンスの効力が落ちてきたのだろう。同じ事を昨年の今頃言っていたとしたら、こんなに大騒ぎにはならなかっただろう。マスゴミも彼を散々持ち上げて急場を救って来たが、もう橋下には飽きてきたらしい。また、居並ぶ保守系のブロガーもかなりが批判をしているようだ。  
オイラ、天邪鬼なのか、この件についてはそれほど批判はしたくないし、ここまで問題を大きくマスゴミがするのなら、これを機会にこの問題を国内で客観的に議論する機会とすべきだと思う。・・・・・・・・  
神経を尖らせているのは、朝日・毎日新聞系とその系列のTBS・テレ朝だ。番組ではぞろりと朝日・毎日のジャーナリストタレントと同調する無能タレント達なのだが。そもそも、朝日新聞が過去この問題を自虐史観的に捏造して報道して煽ったことから、韓国が目を付け、国内で煽ってそれがまた朝日・毎日が受けて、こんにちのように米国の韓国社会まで波及し、米国州議会の”性奴隷”決議までの成果とした。主は朝日、従が毎日という構造だ。今やこの事実はネット情報を見ている国民なら、ほとんど知っているのだが。だから、テレビでも新聞でもこりゃマズイと必死に橋下を糾弾している。まして橋下徹は今や落ち目となっているからか。  
自民党は、参院選で維新とは争うことになるので、敵失にもって行きたい。みんなの党と民主党は、選挙協力も満足に進まない中、本来参院選では敵同士なので、敵失にしたいのは当然。他のゴミ野党も同じようなものだ。福島瑞穂の社民党、共産党なぞは、嬉し涙で橋下糾弾。そして維新の会でも、「あの生意気な橋下の野郎が!」と党内で足を引っ張る。民主党で落選するところを、橋下のお陰で、維新で当選することが出来たのにね。まぁ、もともと、こんなヤツラばかりだが。特に女性議員らは「女性の人権を蹂躙した!」と大騒ぎだ。  
どいつもこいつも、偽善者ばかり。人間の本性についてのインテリジェンスなんて一欠けらもない、空想的綺麗ごと主義者ばかりと云えよう。  
橋下は、今の尺度で云ったのではなく、戦時下の当時のことについて述べたものだ。これは客観的に事象を見ることの出来る人なら常識な見解だろうが。今一番混乱しているのは、この”従軍慰安婦”というのが、朝日新聞らが捏造し、韓国が飛びついた「日本軍が、兵士の生理を満たすために、朝鮮女性を拉致して逃亡できないように監禁管理して、兵士達に売春をさせた」という話が事実であったか無かったかだ。実態としては、当時警察官の80%が朝鮮人の中、そのような女狩りなぞ出来るわけがなく、そもそもこれはサービス業なので、そんな無理強いのなかで出来る商売ではない。  
そうでなく、女衒と言われた職業人が、高額で女性を募集して、女郎屋に集め売春をさせていた。兵士達は休日にカネを握り締め、順番を作って買春をした。そこには朝鮮人兵もいたわけだ。しかし、兵士を管理する軍隊は、性病を貰ったり、女衒がボッタクリをやったり、馴れ合いが通じた女郎と脱走をしたり、争い事をしたり、業者の強制売春等を防止するために、立ち入り検査をしたりで謂わば管理した。さらに、当時は公娼制度が認められていて、日本国内も国外もこの商売は堂々とやっていた時代だった。  
もちろん、女性の人権も結構なのだが、女衒に親が娘を売ったり以外は、借金返済のため、親の家族の家計を助ける為、ヒト稼ぎして店を持ちたい、ヒト稼ぎして・・・・・などなど高給を保証されたこの道に多くの女性が応募したのは事実だ。さすがに現在は親が娘を売るなんてことは少ないが、低開発国では現在でもある。それ以外としては一般的に世界中で常識になっている。何らかのオノレのために売春がなされている。  
また、日本に限らず、軍隊と売春は石原慎太郎の言うとおり、表裏一体だった。これは日本に限らず、米国でも、欧州でも、アジアでも似たり依ったりで、万国共通だった。大きな目的としては、地元で強姦事件などに発展させないためだった。ソ連軍のようにならない為だった。  
終戦後、米国占領軍は、日本政府に米軍兵士のための慰安所(売春屋)を整備しろと、それで出来たのが、RAAだ。  
日本政府は1945年に日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性に性に飢えたアメリカ軍の慰安婦となることを要請し55,000人を提供した。1945年12月時点で在日連合軍は43万287人駐屯していた。占領軍の性対策については警視庁が8月15日の敗戦直後から検討し、8月22日には連合軍の新聞記者から「日本にそういう施設があることと思い、大いに期待している」との情報が入った。また佐官級の兵士が東京丸の内警察署に来て、「女を世話しろ」ということもあった。 8月17日に成立した東久邇内閣の国務大臣近衛文麿は警視庁総監坂信弥に「日本の娘を守ってくれ」と請願したため、坂信弥は一般婦女を守るための「防波堤」としての連合軍兵士専用の慰安所の設営を企画し、翌日の8月18日には橋下政実内務省警保局長による「外国軍駐屯地に於る慰安施設について」との通達が出された。早川紀代によれば、当時の慰安所は東京、広島、静岡、兵庫県、山形県、秋田県、横浜、愛知県、大阪、岩手県などに設置された。また右翼団体の国粋同盟(総裁笹川良一)が連合軍慰安所アメリカン倶楽部を9月18日に開業している。こうした慰安所は公式には特殊慰安施設協会と称され、英語ではRecreation and Amusement Association (レクリエーション及び娯楽協会,RAA)と表された。  
だからこの問題が大きくなって行くと、矛先は米軍にまで火の粉は飛んでくる。本来米国はこの問題を大きくしたくないはずだ。米国から見れば、日本が理不尽であっても、韓国に謝り続け、適当に韓国の欲しがるものを与えてくれていれば良いわけで。それこそ日本は穏便にしててほしい。  
これは事実で、当時芸者の街だった熱海でさえ、米兵の慰安場となっていて、いわゆる米兵相手の女は沢山いた。だから小学のころ”パンパン”という言葉をよく聞いたものだ。常連となると”オンリー”という言葉に変わり、そのうち子供を身篭ったりもあった。オイラの中学時代の親友もそのような結果でハーフだった。いまでもその子と一緒に撮った写真があるが、まこと可愛い顔をしていた。  
慰安婦については、慰安婦についてのまとめ にあるように、朝鮮でさえこの歴史は長い。今問われていることは、日本軍に限って、軍が組織だって女を集め(または女狩り)、売春を強要させたのか?そんな事実は具体的証拠もないし、状況証拠としても考えられない。もちろん修羅場化した戦場のことだ。例えば1000例ある内の数例は、軍が行なったことはあったかもしれないが、それをもって”日本軍は”というのはあまりにも軽薄な言い方だろう。  
もうこの従軍慰安婦問題は決着の時を迎えているのではないか。国会で集中審議をして、その事実があったのか、なかったのか決着を付けるべきだろう。朝日新聞の植村隆記者と当時の担当編集者、軍が済州島で女狩りをしたという捏造体験記を本にした、元共産党員の吉田清治、弁護士活動とは云え、自称元慰安婦に有利になるよう嘘をつかせ、それをもってNHK・朝日新聞に売り込んだ、福島瑞穂や高木健一など。対する論客を交えて、事実なのか事実ではなかったのか、国民の前に提供をしてほしい。本音の議論だ。平成の大審議となるだろう。そんな福島瑞穂がこの活動を通して議員になり、社民党の党首で毎回勝手なことをほざいている、世も末だよ。  
慰安婦=売春婦=プロスティチュート(prostitute)みな同じだ。公娼とは政府認可の民間による管理売春。私娼とは個人的な売春だ。オイラのポン友にはその道のベテランがいて、酒を飲みながらその武勇伝をイロイロ聞かせてもらうのだが。  
例えば、シンガポールには、空港発の地下鉄数個目の駅にゲイランという街がある。ここは政府から許可された公娼館(女郎屋)が数十軒ある。受付で全額を払い買売春をする。シンガポールには徴兵制があるので、これら兵士のためにもあるそうだ。これをもって、シンガポール政府は、当然、性病検査義務等の監視管理することになるが、政府はその責任を問われるということになるのか?  
中国は建前は買売春は禁止だがそれは建前だけ。カラオケやスケベ床屋、マッサージサロンなど全開だ。韓国の現在も似た様なもの。韓国も徴兵制があるからね。韓国では最近これを取り締まる法律が出来たら、売春ねーちゃん達の反対集会とデモがあったのは有名な話。オーストラリアも公娼は認められている。  
国で禁止のところは、私娼が半ば公認されている。米国もカナダも私娼ということで抜け道を作っている。カナダには”バイ・アンド・セル”という新聞が街で売られていて、それに私娼が自己宣伝をしている。いまならネットや携帯メールでだ。日本の歓楽街だって私娼がうじゃうじゃいるではないか。沖縄だって、日本人相手、米兵相手の私娼は常識だろうが。石川の街でストリートガールを昔、見かけたことがある。日本の法律は売春防止法であって、売春禁止法、買売春禁止法ではない。相手に直接カネを渡す場合が私娼。受付なりで店側にカネを渡すのが公娼と覚えておけば良い。  
話は橋下徹に戻るが、あくまでも当時の世相を前提として云っていることに反対者がいるとは、どのようなカマトトなのだろう。ここまで過去のことが捏造され、話が1人歩きして「日本軍は20万人の朝鮮女性を”性奴隷”にした」と米国までえも間違った話になってきている以上、堂々と日本政府は具体的証拠、状況証拠をもって、韓国・米国に反論すべきで、特に”タカリノミクス”の韓国には強く反論を展開するべき時期にきたと思う。  
日本の慰安婦制度を正当化するつもりはないが、しかし、日本「だけ」が慰安婦制度を持ったレイプ国家だと言われるものではない。  
橋下徹のこの件についてだけは、オイラは「もっともだ!」と支持をする。特にこの発言「ただ事実と違うことでね、我が日本国が不当に侮辱を受けているようなことに関しては、しっかり主張はしなくては いけないと思っています。」ただ全体としては突っ込むべきところが少し的はずれだったと感じる。 
 
■潰しのきかない人

 

寄らば大樹の陰 
ぶら下がり
寄らば大樹の陰 たよりにするなら、力のあるしっかりした人物がよい。  
やじ馬 江戸時代にできたもので「おやじ馬」の「お」がとれたもの、年老いたおやじ馬は、若い馬の尻にくっついて歩いてばかりいることから、他人の後について訳もなく騒ぎたてる連中を「やじ馬」というようになった。 
就職できないのは自己責任 / 寄らば大樹の陰は高リスク  
根強い大企業志向…学生20万人、中小にソッポ  
これは前から続いている傾向です。  
中小零細企業では正社員を募集していることろも多いのですが、そういうところにはまず目を向けない学生が多いわけです。お母さんの知っている企業に就職したい、人も知らない企業に入るのは恥ずかしいとでも思っているのでしょう。こんなものは就職難でも何でもありません。  
日本には馬鹿な学生が多いなあ、というのが率直な感想です。  
あぶれた人達は、学校に残るなり、バイトをするなりして結局就職を先延ばしにします。となればいつまで経っても正社員としての経験も経歴も身に付きません。恋愛と同じで、若い頃から振られて恥をかいて異性とのつきあい方を学べば、次第に経験値が上がり、知恵もついてきます。ところがプライドが高くてフラれるのが嫌な人間は、いつまで経っても経験値がありがりません。しかも自分への評価は肥大する一方です。当然相手に求めるものの大きくなります。  
そして自分自身に言い訳をするようになります。自分はやればできるのだ、と。  
演劇をやろうとか、絵でメシをくっていこうという覚悟があれば別ですが、例えば30過ぎてもまともな職歴が無い人間は中小企業でも採用に二の足を踏むでしょう。そういう人達は経験も無いくせに、経験がないからこそ自分に対して過大な評価をします。大抵の場合本人が思っているほど仕事ができるわけでも、才能があるわけでもない。  
それならば中小企業はむしろ、コンビニで鍛えられた外国人を採用するでしょう。  
もはや日本語ができるだけでそれなりの生活ができる幸せな時代は終わったのです。  
組織に入って働けば嫌でも自分のできないところを突きつけられるわけです。そこから職業人としての成長が始まります。まあ、会社がアホだ、オレはこんなところにくすぶっている人間じゃないと、転職を繰り返す人間もおりますが、そのような考えの転職ではいつまで経っても使える人間にはなりません。  
大企業に入れば一生安泰かというとそんなことはありません。それは80年代ぐらいまで考え方です。自分の会社が買収され、占領軍が入ってくれば退職に追い込まれる可能性は少なくありません。銀行なんて90年代でもそんな話がゴロゴロあります。石破茂氏はかつて銀行に勤めていましたが、その銀行は合併で多くの人間が人減らしにあっています。石破氏も銀行に残っていたら、40代でリストラされていたかもしれません。無論大企業に勤めて定年まで働いて、定年後も分厚い年金をもらい続ける人もいるでしょうが。それは大企業の中でも少数派でしょう。その可能性に賭けるのは極めて投機的だと思います。  
パナソニックやソニーのように、今後大量の解雇者を出す企業や、外資に買収される企業もでてくるでしょう。  
ぼくの知り合いでも40代で大きな会社を解雇された人間は少なくありません。こういうときに一部のスタープレーヤーを除いて、大企業の人間ほど不利です。例外はリクルートのような会社でしょう。  
一般に大企業ほど企業の看板に頼って仕事をします。しかも仕事の担当正面は狭い。しかも給料はそれなりのをもらっていますから、給料の低い会社に転職しにくい。仕事は社内調整。  
例えば企業のトップが日経の記者の取材を受けるのはその人物が日経の記者だからです。フリーになったらそんなわけには行きません。ところが会社のブランドネームを実力と勘違いする人が多いわけです。トルコの友人が言っておりましたが、日系企業の駐在員が現地で独立することが多いのですが、大抵失敗するそうです。それは会社の看板の力と、自分の力と誤解しているからだそうです。  
対して中小企業では何でもやらされますし、看板で仕事をすることも少ない。大きな仕事をまかされることもあるでしょう。給料が低いから、より高いところを目指して転職することも可能です。無論その間は勉強も必要です。勉強といっても机に向かうばかりではなく、人と合うことも勉強です。勉強をしないで、スマホいじくって時間を潰しているような人間はビジネスで生き残れないでしょう。  
これから伸びそうな中小企業に入って、実力をつけて将来発展しそうな会社に転職をする、というのが一番リスクが低いのではないでしょうか。飲食店のチェーンでも入ったときに10店舗で、5年後に50店舗に増えていればあっという間に中堅幹部になれるでしょう。  
20代は修行の時代、儲けるのは30代になってからと思うと人生戦略に幅がでてくると思います。  
本当に仕事ができ、才能があるのならば入った中小企業を自分の力で成長させればいいでしょう。技術力があってもマーケティングが下手で成長できない工場は結構あったりします。例えば大手の下請けばかりやっていないで、海外の見本市に出展し世界を相手に仕事をするとか。実際にパリやファンボローの航空ショーではそのような中小企業が既に出展しています。  
では起業はどうでしょうか。  
起業をした経験者として言わせてもらえば、あまりお勧めしません。日本は法整備も不備が多く、起業には大変厳しい環境です。起業した会社は3年後には9割が無くなっているという統計もありますが、日本は再挑戦がやりづらいシステムになっています。  
それでも起業するのであれば、3年は会社員をやって仕事や組織を学んでからの方がいいでしょう。  
あとは緩い会社に入って、副業を始める。アマゾンや楽天で小さな商いを始めてみるとか、マンガを描く、アクセサリーを作るとかもありでしょう。それで一定の収入が上がれば独立する。そのまま会社勤めをしながら二足の草鞋もいいでしょう。  
まあ、いっそのことアフリカにでも行って一旗揚げるのも手でしょう。リスクは高いですが、当たれば大儲けです。  
今の世の中、リスクを避けよう、避けようとすることは、実は大きなリスクを抱えることを意味します。逆に小さなリスクを繰り返し取っていく方は、その過程で色々と学べますし、リスク管理を覚えて行きますから、結果的にはリスクを避けることができるようになります。  
今いい会社に人生を預けるのは極めてリスクが高いことになります。30年前の花形企業がどうなったか調べて見れば分かると思うのですが。 
脱、寄らば大樹の陰志向  
雇用不安の現在ほど人は安定を求めたがる。安定で高収入であれば、就職先として文句のつけようがない。  
だからそこに応募者は殺到する。しかし世間はそんなに甘くはない。  
今や大卒の学歴なんてスタートライン以前の問題です。年々学生の数は減っているのに、大学の数は増え続けています。相対的に大卒の価値が大きく下がってしまった。  
しかし高い学費を払って、せっかく出た大学です。どうせなら知名度のある会社に入りたい。  
しかし、何社受けても通らない。理由として、学生はこういった大手の人気企業ばかりに目がいって、名もない中小企業に目もくれない、その為、本当に人が必要な会社に人がいかないというアンマッチ現象がひとつの原因だといわれています。  
そんな人気企業の求める人材は、皮肉にも安定を求めない旺盛な探究心の持ち主であり、常にチャレンジングスピリットを忘れない人間らしい。  
確かに、若いのに安定と平和ばかりを求める去勢されたような人材は魅力的に映らない。  
しかしね。若い人は社会に出て揉まれて変わっていくんです。そりゃ、変わらない人、ダメになる人もいます。ダイヤの原石を見極めるのも人事担当者の裁量です。  
日立製作所の人事担当者も「朝出社して、席に着いてコーヒーを1杯飲んでから指示された仕事をして1日を過ごそうというような人はいらない。自らキャリアを切り開きたい人に来てほしい。そして会社が命じたら、いついかなるときでも動ける機動力がある人がほしい」と指摘する。  
このコメントなんて一見もっともな事をいっているように思えますが、なんかおかしい。キャリアを切り開きたい自由な人間を求めるといった一方で、会社の駒として忠実に動ける人がほしいだなんて、ってあんたどっちやねん!そんな都合にいい人材がいるか!と私は突っ込んでしまいました。  
キャリアを切り開きたい闊達な人でも、朝からコーヒーくらい飲んでメリハリつけるでしょうし、そんな人はどう考えても、会社の命じるがまま、ハイハイなんていう人ではありません。矛盾もいいとこです。  
大手企業は最初から即戦力として完成した人材を求めすぎです。若い社員を一緒になって育てようなんて余裕もないのでしょうか。  
それとも多くの応募者を振るいにかけなければならない立場だからなんだかんだ屁理屈をつけてるのでしょうか。  
バイタリティに溢れすぎてみんなが起業して独立していったら会社は空洞化するだけです。第一そんな野望をもった人間ばかりで我が我がでは組織として機能しない。  
大企業というものはいかに決められた枠をはみ出さずその中で、最善の結果を出すことが求められる。その逆はないのです。  
コンプライアンスが浸透した今の時代は、はみ出したら即アウトなんです。大企業であっても、たったひとつの不祥事を隠蔽したというだけでその存在が一瞬で終わる事もあるんですよ。  
バイタリティの塊のような豪傑社員はいってみればはみ出し者です。  
はみ出し者が語り草になれるのも、昭和の経済成長という時代に許されたからです。  
頭の堅い、この大企業の人事担当者とやらはその辺を未だに勘違いをしているのではないか。  
大卒の若者が、会社に入って定年まで40年です。40年後には会社なんてどうなっているのかわかりません。40年前あのJALがああなるなんて誰が予想しましたか?定年自体もないかもしれない。  
だからあえて若い人たちにいいたい。  
今大企業だから、人気だから、今業績いいからそんな理由だけで決めるのはむしろ危険だと。  
それよりも小さくても、業績はそこそこでも、本当に自分が必要とされる会社に入って自分も会社も一緒に成長していける。そういう関係がベストでしょう。  
それで倒産したらどうしようではなく、そうなったらそうなったで仕方がないと腹をくくることも必要でしょう。  
大企業から放り出されるよりはショックは小さいはずです。 
求める人材像  
自ら道を切り拓く人  
従業員数100名余りの小さな会社ですが、みんなの志は非常に大きなものがあります。社会人生活を楽に過ごしたい方は大企業を目指してみるのも良いでしょう。自分の努力が直ぐに実感できる、すなわち「やりがいのある社会人生活」を送りたい方はレジノカラーの門を叩いてみてください。  
最高意思決定者である社長と従業員とはいつでも自由な会話ができ、熱い思いをぶつける事ができる。そんな会社です。  
「寄らば大樹の陰」よりも  
「むしろ鶏口(けいこう)となるも、牛後(ぎゅうご)となるなかれ」  
あなたも我々の輪に入りませんか。 
寄らば大樹の陰  
些細な話でしかもちょっと思いもよくまとまらないのだが、気になることでもあるので簡単に書いておこう。先日の「長谷川憲正参議院議員の反復横跳び」の続きでもある。話は大樹(特定局長OBによる政治団体「大樹全国会議」)と、田中康夫長野県知事が代表の新党日本を巡る反復横跳び長谷川憲正参議院議員の余談でもある。メインの話題ではないが産経新聞記事”旧橋本派、15億円超不明 宣誓書で異例の釈明”がわかりやすい。  
先月の衆院解散のきっかけとなった郵政民営化関連法案をめぐる衆参両院本会議での造反劇。民営化反対の旗振り役だった長谷川憲正参院議員(国民新党)の政治資金収支報告書からは、特定郵便局長OBらでつくる「大樹」による文字通り「丸抱え」の実態が浮かび上がる。  
資金面と並んで目を引くのは「大樹」と同後援会の一体性だ。長谷川憲正後援会の事務所、事務担当者は大樹全国会議と同一。さらに長谷川氏の東北、東海、北陸の地域ごとにつくった後援会と大樹の各地方本部は住所、代表者、会計責任者、事務担当者、その連絡先、さらに政治資金収支報告書の届け出時期までが同じで、筆跡もうり2つだった。  
つまり、長谷川憲正参院議員は、カネの面から見ると大樹、つまり特定局長OBそのものだったわけだ。  
具体的なカネはこう。  
政治団体「大樹全国会議」は2004年参院選で、旧郵政省OB長谷川氏の擁立を決めた直後の同年1月、長谷川憲正後援会に2000万円を寄付。東北、東海、信越、北陸の各地方本部が1―4月に計470万円をその地域の長谷川氏の地方後援会にそれぞれ寄付している。  
カネの流れ自体については図解している朝日新聞記事”郵便局長どっと献金 法案阻止資金準備、大樹向け14倍”がわかりやすいだろう。というか、面白い。  
とはいえ、長谷川憲正参院議員を巡るカネの流れをどう読み解くかはそれほど簡単でもないと思う。基本的には、前回当選後に所属した旧橋本派からの資金援助がないので、大樹から吸い上げるしかなかったとは言えるのだろうが、はたして主体は大樹だったのか長谷川憲正参院議員だったのか。ちょっとうがった言い方をすれば、結果的に見れば大樹は下手を打ったのだが、そのシナリオを描いていたのは誰だろうか。  
個人的に気になるのは、「長谷川憲正参議院議員の反復横跳び」でも触れたが、公選法上の政党要件を満たすと、寄付金の限度額が変わる。結局、国民新党から田中康夫長野県知事が代表の新党日本へ移籍さらに、反復横跳びで国民新党へと長谷川憲正参院議員はひらひらしたわけだが、国民新党にいるなら別に公選法と寄付金限度額についてはそれほど問題はない。が、助成金目当てということだけかもしれないが、他に理由があるなら、なぜ新党日本へ横跳びしたのだろうか。というか、そこまでして大樹の化身長谷川憲正参院議員御大自らがひらりと横跳びした。しかも、それは、国民新党というより田中康夫長野県知事が代表の新党日本を利することが目的でもあった。なにか解せない。大樹の旨味がなくなったので、潤沢そうな綿貫民輔の国民新党に戻ったということだろうか。しかし、綿貫民輔とても旧橋本派なので今後のカネ入りはしょぼいだろう。  
大樹の今後も気にはなる。「最強の集票マシン」と言われ、全国津々浦々に二十四万人の党員党友を集めていたわけだが、そのまま地方利権ということだけになれば、国政への影響といった見地からすれば崩壊に近いだろう。そうなのだろうか。  
ところで旧橋本派だが、政治資金収支報告で十五億円不明という愉快な話を出してきたが、これらの集金システムは基本的には土建屋さんからの献金だったのだろう。以前も紹介したが栗本慎一郎「自民党の研究―あなたも、この「集団」から逃げられない」では、カネの仕組みを簡単に説いている。ま、日本人の常識とも言えることだが。  
「おかみっちゃん」こと岡光序治前厚生次官が、彩グループという福祉利権屋が受けた「まる投げ」の発注工事から浮かせた金を吸い取っていた事件は記憶にまだ新しいが、一部の利権政治家や官僚を結びついた業者は、話を仲介した政治家には阿吽の呼吸で「返して」くるのだ。  
つまり、そのような工事は、政治家や官僚にキックバックしても儲かる金額で落札されているのだ。高すぎる工事・建設費が指摘されるのは、このためである。  
一般に、土木・建築工事の契約を取ってくれた政治家へのリベートは、三パーセントと相場が決まっている。一〇〇億円で三億円、一〇〇〇億円で三〇億円だ。バブルのころ、いかに建設関係の族議員や、それを束ねる大物政治家が儲けたかはいうに及ばない。官僚はそれを知っていて、工事の契約を政治家の関係先に回す。これではまるで、政治家に直接金を渡すのと同じである。工事の金は税金であるが、そんな意識は毛頭、持っていない。  
道路関係は今後の旨味は減ってくるだろうし、旧橋本派は弱体化するだろう。こうした箱物媒介の寄付金構造はどの省庁と限らないが、基本的な構図として今回の選挙で財務省が強化され、難しくはなったことだろう。ま、その財務省が問題だよねというのはそうなんだが。 
凋落する家電メーカーに見る寄らば大樹の陰  
企業とは何か。それは事実としても明らかに人材である。もっと言えば人材像である、ということは以前指摘してきた。アップルを見れば分かりやすい。どんな人間を重用するかということである。既に亡くなったジョブス氏によって、アップルは今やご存知のように、大きく発展した。  
日本の家電メーカーがやっていることとは何か。既に中国や東南アジア製が主流となっているような、過去の製品の焼き直しである。あるいは簡単に技術が真似できるような製品に、過去日本のメーカーがやってきた、不要な機能をくっつけて高そうにみせかけることである。  
こんなことをやっていていいのだろうか?だから、これだけの赤字と大リストラにならざるを得ないのである。それでも、結局そうした中国や東南アジア製品と競争するしかないようなのである。つまり、家電メーカーの人々というのは、本当にビジネスをやる才能がないということである。マネジメントもアイデアもないということである。だから、過去のブランドや不要な機能で見せかけばかりを糊塗しているのである。そして、将来の発展性がない。  
こうした日本的企業の内部は、均質で協調型(と称する横並び重視人間)の人材の「宝庫」である。まさ過去の遺物ばかりがたまりにたまっている、とういのが容易に想像できる。過去においては青色ダイオードで日本を追い出された世界的技術者の例があるように、事実として日本の企業では、まさに独創的な人間が「ふきこぼれている」いるのが現状だ。  
これは、ビジネスとプライベートを切り離せない、いかにも子供っぽい日本社会の体質からきている。企業を一つの家族のように見るというのは、非常に前近代的である。そのため、ビジネスマインドがむしろ毛嫌いされ、官僚的な均質人材(当然だが独創的で優秀な人材は数では圧倒的に負ける)の都合のいいように組織が運営されてしまう。  
均質人材が組織を食い物にして、実は利己的な地位保全のために動いているため、こういうどうでもいい凡人たちはむしろ優秀な人材にとって変わられるのを恐れているのである。だから、古い技術の改良ばかりをやっている。お分かりでしょう。出てくる製品が、全て過去の製品の焼き直しである。中国や東南アジアとこんな相対的に高賃金国家で対抗できるわけがないような、似たような製品ばかりだ。  
これがまさに家電メーカー凋落の原因である。そして、それは日本企業の典型的な体質だ。だから、ジョブスのような人間が出て内部で大きな改革をやる、製品を大幅に見直す(凡庸な人が地位を失う)ということができない。横並び、前例踏襲、本当につまらない製品しかでない。日本の代表的なメーカーが未だにテレビなどつくっているのであるから、いかに独創性がないかということだ。当然赤字・リストラになる。  
これはこれでもう仕方がない。後数年で退職する人々は完全に守りに入っているのだろう。この変化の時代、どんな大企業も倒産は免れないのにである。そうやって人材が劣化し、組織が衰退していくのである。日本の企業に必要なのは、優秀なマネジメント力と技術力がある人材を地位保全が目的の「素人(単なるサラリーマン)」と置き換えることである。そういう無駄に高給をもらっている、官僚がごろごろいるのはちょっと組織に入ってみれば容易にみてとれる。  
そもそも未だに終身雇用がいい、などと言って新卒一括採用していれば、もうすでにこうした将来のリストラをかかえこんでいるようなものだ。こういう意識の人材では、当然今まで同様に地位保全のための企業活動しかしないわけで、当然利益をだせるような新技術・新製品開発などできるわけがない。  
最後に、80・90年代までの日本と現代の日本との大きな違いは何か、ということを述べよう。それは、真似しようとしても真似できないということである。真似が通じるのは、日本の既得権益・談合業界でしかないメディア産業等だけだ。そこそこの企業なら世界進出が当たり前となった現代は、過去と全く違う。独創性がなければ、決して生き残れないということである。これが全てだ。そして、残念ながら、日本企業型の人材像にそれがないために、赤字とリストラが続いているのである。 
寄らば大樹の陰も最後には〜源行家・斬首   
文治二年(1186年)5月12日、源平争乱期の源氏の武将で、頼朝・義経兄弟の叔父にあたる源行家が斬首されました。  
ご命日で、しかも斬首だというのに、はなはだ失礼ではありますが・・・  
この源行家(みなもとのゆきいえ)という人・・・源平の争乱の中で、何ともオモシロイ動きをした人です。  
彼が歴史の舞台に登場するのは、武士の力無しでは貴族のお家騒動も成り立たない事を知らしめた、あの保元の乱・・・源為義(ためよし)の十男としてお目見えします。  
つまり、源頼朝(みなもとのよりとも)&義経(よしつね)兄弟のお父さんである源義朝(みなもとのよしとも)や、日本初の切腹で伝説の人となる源為朝(みなもとのためとも)の弟という事になりますね。  
保元元年(1156年)に勃発した、この保元の乱の時、父・為義と、その長男であった義朝は、親子で敵味方に分かれて戦う事になってしまいましたが、義朝以外の息子たちは、全員、父の側につきます。  
・・・という事は、当然、行家も父の側で合戦に参加しますが、ご存知のように、勝利したのは、後白河天皇&平清盛らと組んだ息子・義朝のほう・・・義朝は、自らの手で、父・為義を処刑し、弟・為朝を流罪から自刃に追い込みます。  
ただ、兄弟の中で行家だけは処罰を免れたようです。  
・・・というのは、この行家さん・・・為義の十男という事はわかっていますが、その母親も生まれた年月もわかっていません。  
おそらくは、父について参戦したとは言え、それが本人の意思かどうか判断できないほど幼かったでのであろうと推測されます。  
とにかく、ここで一度、命拾いした行家・・・やがて平治元年(1159年)、先の合戦では強力タッグを組んでいた清盛と義朝が戦う事になる平治の乱が勃発します。  
・・・で、すでに書かせていただいているように、この平治の乱では、義朝は騙まし討ち、その長男・義平は斬首、次男・朝長は美濃(岐阜県)で自害し(討たれたとも)、三男・頼朝は伊豆へ流されます。  
そんな中で、この時の行家は、運良く戦線離脱に成功し、熊野神社へと逃げ込み、源氏の残党としての処刑を免れています。  
それから約20年・・・おとなしく熊野で暮らす行家に、突然スポットが当たる日がやってきます。  
平治の乱では清盛側についた事で生き残った源頼政(よりまさ)・・・生き残ってはみたものの、平氏全盛の世では思うような出世が望めなかった頼政が、もはや老体となったその身を投げ打って、最後の賭けに出たのです。  
頼政に担ぎあげられたのは、後白河法皇の息子でありながら、清盛の孫が安徳天皇として即位した事で、不遇の日々を送っていた以仁王(もちひとおう)でした。  
治承四年(1180年)4月9日・・・以仁王は全国の源氏の生き残りや反平家勢力に向けて平家討伐の令旨(りょうじ・天皇一族の命令書)を発するのですが、この伝播役として大抜擢されたのが行家だったのです。  
そう、メールやファックスがない以上、誰かが、その命令書を持ってかなきゃなりませんが、都に残る数少ない源氏の中でも、彼はあの八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)の流れを汲む嫡流の一員ですから、まさに適任!  
はりきって、近江(滋賀県)や尾張(愛知県)などの反平家勢力を回り、あの伊豆の頼朝の所へも、木曽義仲のところへも・・・さらに奥州の藤原氏まで・・・  
しかし、秘密裏に行われていたはずのこの行家の行動は、すぐに平家側にバレてしまいます。  
実は、昔お世話になっていた熊野に立ち寄った時、「今、こんな事やってんのヨ」と、ついついしゃべちゃったんですね〜  
・・・で、未だ、頼朝や義仲が挙兵を悩んでいる時点で、事が発覚してしまったために、頼政は以仁王を守るべく武装しますが、残念ながら宇治にて敗北・・・夢を託して逃された以仁王も、平家の追撃に遭い木津川にて命を落とします。  
やがて、その3ヵ月後に伊豆で頼朝が、さらに半月後には義仲が挙兵します。  
この二人の挙兵にあわせるように行家も挙兵しますが、石橋山の敗北を挽回した頼朝や、破竹の勢いの義仲に比べて、彼は、どうやら合戦という物が苦手だったのか?  
初めての戦闘となった尾張墨俣(すのまた)の戦いを皮切りに、同じく尾張矢作(やはぎ)川の戦い、播磨(兵庫県)室山(むろやま)の戦いと、平家相手に3連敗・・・  
しかも、墨俣に至っては、壊滅状態の中、頼朝の弟・義円まで死なせているにも関わらず、その後、勢いのある頼朝に近づいて「僕にも領地ちょーだい」と、領国を要求・・・  
「欲しかったら、自分で勝ち取れや!」と、頼朝に言われちゃった行家は、今度は義仲のもとに身を寄せて、「頼朝より先に京都へ!」を目標に行動します。  
そして、負け知らずで京都をめざす義仲のおかげで、見事、入京を果たした行家・・・しかし、またまた、ここでモメ事が・・・  
それは、平家を都落ちさせた事への朝廷からの論功行賞・・・当然の事ながら、平家を撃ち破った義仲が一番高い評価を得て、行家は義仲より低かったわけですが、それが、彼には気に入らなかった・・・  
「確かに、平家を都落ちさせたんは義仲やけど、そもそも、それをうながす令旨を持っていったんは俺やないかい!令旨がなかったら、義仲の挙兵もなかったかも知れんやろ!」  
こうして、義仲とケンカ別れした行家が、今度は後白河法皇へと近づき、山育ちの義仲の無骨さをくっちゃべりながら、様子見ぃのひとときを過ごしていると、都での評判ガタ落ちの義仲を攻めるべく、頼朝が弟の義経を派遣してきます。  
「これ幸い」と、義仲追討の動きを見せる行家でしたが、やっぱり敗れてしまい、結局は、義経が義仲を倒してからの入京という事になってしまいました。  
その後は、義経とともに行動するも、合戦に参加する事なく、かと言って鎌倉の頼朝に近づくでもなく、なんとなく河内源氏の本拠地に居座っていた行家・・・  
やがて、壇ノ浦で平家を撃ち破った義経・・・しかし、ご存知のように、その後、鎌倉にいた頼朝との関係が悪化し、泣きの手紙を送って許しを乞うも、頼朝は、逆に配下の土佐坊昌俊(とさのぼうしょうしゅん)を使って、義経の屋敷を襲撃させます。  
この兄の態度を見て、義経は兄との徹底抗戦を決意するわけですが、ここに、またしても「これ幸い」と行家登場!  
あの日の「欲しかったら、自分で勝ち取れや!」の怨みは忘れていません。  
寿永四年(文治元年・1185年)10月18日・・・義経に近づいた行家は、ともに後白河法皇にせまって、「頼朝追討」の宣旨(せんじ・天皇の命を伝える文書)を得たのです。  
しかし、宣旨を得たとは言え、実際に兵を挙げようとすると、予想よりも、はるかに少ない数・・・一方の頼朝は、東国から大量の軍勢で、京都へと攻め込んでくるとの噂。  
やむなく、義経と行家は西国で態勢を整えようと、法皇から、義経には九州を、行家には四国を与えるとの約束を取りつけて、大物浦(だいもつのうら・尼崎)から四国へと船出・・・一旦、都を後にしますがしますが、運悪く、これらの船団が嵐に遭い、一行は離れ離れに・・・どころか、すべての船が座礁してしまいます。  
しかも、この1週間後の11月11日には、今度は、頼朝が法皇から「義経追討」の宣旨を受けるのです。  
哀れ、義経一行とはぐれてしまった行家は、逃れ逃れて和泉国の民家に潜伏していたところを民間人に通報され、頼朝配下の兵に囲まれてしまいます。  
「ここが男の花道!」とばかりに、屋根に登って奮戦する行家でしたが、多勢に無勢ではいかんともし難く、結局、捕縛されてしまいます。  
文治二年(1186年)5月12日・・・  
ここまで、その口先のウマさで、あまたの危険をかいくぐって来た行家も万事休す!  
頼朝が彼に下した処分は斬首でした。  
こうして、見た目40歳前後だった(年齢がわからないので…)とされる行家は、二人の息子とともに、この世を去りました。  
「寄らば大樹の陰」とばかりに時勢と読み、その時々で同盟関係を変えた行家も、最後の最後に「頼朝への怨み」という私情を挟んだ事で、その運も尽きたのかも知れません。 
「寄らば大樹」から考える  
今でも使われる諺に、「寄らば大樹の陰」というのがあるけれども、この諺、もうちょっと古めかしいバージョンだと、  
立ち寄らば大樹の蔭、犬になるとも大所の犬  
(たちよらばおおきのかげ、いぬになるともおおどこのいぬ)  
などという。意味は、どうせ庇護を受ける、世話になるのであれば、より裕福な者や権力のある者を頼るべきである、ということ。  
式亭三馬の「浮世床」には、  
立よらば大木の蔭、犬になるとも大所(おほどころ)の犬になれとナ  
これは巫女の口寄せで、死んだ犬の「ブチ」が人語を話している、そのセリフに出てくるのだが、犬が人間界の諺を知っているというあたりのいかがわしさが笑わせるのだ。  
落語では「鼻きき源兵衛」という噺にある。天秤棒をかついで野菜を売る源兵衛は、ある真夏の日、両国橋の上から屋根船で納涼するお金持ちの姿を見て、「あれも一生、これも一生、こいつぁ宗旨を変えざぁなるめえ」と、芝居や講談でおなじみの「鋳掛け屋松五郎」のようにつくづく我が商売がイヤになり、ブチ切れて天秤棒を川へ捨ててしまう。  
そしてこの諺を引用して、富豪を相手にインチキ超能力者を始める。まぁ鋳掛け松のように泥棒をするよりはマシだが、こういう思いつきはきっとイイ線まで行って中途で破綻するんだろうと思ってると、源兵衛は上方へ行ってトントン拍子に成功して、別にバチが当たるわけでもなんでもない。このへんが落語らしいと筆者は思う。講談だと必ず成り上がった者の行く手には何か罠が待っているんじゃないか。  
「落語と講談ってどう違うの?」と聞かれることが時々あるのだが、実はこういうところにその答えがあるのかもしれない。 

 

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