平成の総理大臣・政治家

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雑学の世界・補考   

総理大臣

竹下登   1987年11月6日-1989年6月3日(576日)
 島根県/早稲田大学商学部卒業/中学校教師/島根県議会議員/自由民主党総裁

宇野宗佑  1989年6月3日-1989年8月10日(69日)
 滋賀県/神戸商業大学中退/滋賀県議会議員/自由民主党総裁

海部俊樹  1989年8月10日-1990年2月28日(203日)
         1990年2月28日-1991年11月5日(616日)
 愛知県/早稲田大学第二法学部卒業/早稲田大学大学院法学研究科中退
 議員秘書/自由民主党総裁

宮澤喜一  1991年11月5日-1993年8月9日(644日)
 東京都/東京帝国大法学部政治学科卒業/大蔵官僚/自由民主党総裁

細川護熙  1993年8月9日-1994年4月28日(263日)
 東京都/上智大学法学部卒業/朝日新聞記者/熊本県知事/日本新党代表

羽田孜   1994年4月28日-1994年6月30日(64日)
 東京都/成城大学経済学部経営学科卒業/小田急バス社員/新生党党首

村山富市  1994年6月30日-1996年1月11日(561日)
 大分県/明治大学専門部政治経済科卒業/大分県議会議員/日本社会党委員長

橋本龍太郎 1996年1月11日-1996年11月7日(302日)
          1996年11月7日-1998年7月30日(631日)
 東京都/慶應義塾大学法学部政治学科卒業/呉羽紡績社員/自由民主党総裁

小渕恵三  1998年7月30日-2000年4月5日(616日)
 群馬県/早稲田大学第一文学部英文科卒業
 早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了/会社役員/自由民主党総裁

森喜朗   2000年4月5日-2000年7月4日(91日)
          2000年7月4日-2001年4月26日(297日)
 石川県/早稲田大学第二商学部卒業/日本工業新聞記者/自由民主党総裁

小泉純一郎 2001年4月26日-2003年11月19日(938日)
          2003年11月19日-2005年9月21日(673日)
          2005年9月21日-2006年9月26日(371日)
 神奈川県/慶應義塾大学経済学部卒業/議員秘書/自由民主党総裁

安倍晋三  2006年9月26日-2007年9月26日(366日)
 東京都/成蹊大学法学部政治学科卒業/神戸製鋼所社員/自由民主党総裁

福田康夫  2007年9月26日-2008年9月24日(365日)
 東京都/早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業/丸善石油社員/自由民主党総裁

麻生太郎  2008年9月24日-2009年9月16日(358日)
 福岡県/学習院大学政治経済学部政治学科卒業/麻生セメント社長/自由民主党総裁

鳩山由紀夫 2009年9月16日-2010年6月8日(266日)
 東京都/東京大学工学部計数工学科卒業/スタンフォード大学博士課程修了
 東京工業大学助手/専修大学経営学部助教授/新党さきがけ代表幹事/民主党代表

菅直人   2010年6月8日-2011年9月2日(452日)
 山口県/東京工業大学理学部応用物理学科卒業/弁理士/民主党代表

野田佳彦  2011年9月2日-2012年11月16日(442日)
 千葉県/早稲田大学政治経済学部政治学科卒業/松下政経塾出身/民主党代表
 
 
竹下登

 

1987年11月6日-1989年6月3日(576日)
経世会を結成した1987年(昭和62年)の11月に、中曽根康弘首相の裁定により安倍晋太郎、宮澤喜一の2人をおさえ第12代自民党総裁、第74代内閣総理大臣に就任した。
首相としては初の地方議会議員出身者で、同時に初の自民党生え抜き(初当選は保守合同後初の総選挙:1958年5月)であった。また竹下は昭和最後の総理大臣でもあった。
首相時代の答弁は「言語明瞭・意味不明瞭」と評され、回りくどい表現が多いことで有名だった。  
施策と事件
全国の市町村に対し1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて地方交付税として一律1億円を支給するふるさと創生事業を実施した。
1988年(昭和63年)、野党や世論に強硬な反対意見が多かった税制改革関連法案を強行採決で可決し、日本初の付加価値税である消費税を導入した。
日米貿易摩擦の懸案の一つだった牛肉・オレンジについて、日米間の協議で輸入自由化することで合意した。
1988年(昭和63年)にリクルート事件が発覚し、政治不信が高まった。竹下自身の疑惑も追及され、秘書で竹下の金庫番といわれた青木伊平が1989年(平成元年)4月26日に自殺している。
現職首相として靖国神社に参拝しなかったのは石橋湛山以来。
こうした状況のなか世論の反発を受け、支持率がついに3.9%に落ち込むまでにいたり、財界も石原俊(経済同友会代表幹事、日産自動車会長)らが公然と竹下の退陣をせまり、1989年(平成元年)6月3日に内閣総辞職に追い込まれた。内閣総辞職直前には竹下登邸周辺でデモもおきた。この竹下邸は旧佐藤栄作邸である。
1987-1989

 

竹下総裁時代
第十二代総裁に選ばれた竹下新首相は、昭和六十二年十一月末開会の百十一回臨時国会の冒頭で、初の所信表明を行い、心の豊かさを志向する「ふるさと創生」を基調に、政治姿勢として「誠実な実行」を表明するとともに、「世界に貢献する日本」を目指して、内政と外交の一体化を称え、市場の自由化や経済構造調整にともなう諸改革を断行する決意を明らかにしました。新首相はさらに、「所得、消費、資産のあいだで均衡のとれた安定的な税体系の構築につとめる」と述べて、税制改革への強い意欲を示しましたが、翌昭和六十三年一月の施政方針演説では、税制改革を「今後の高齢化社会の到来、経済・社会の国際化を考えると、最重要問題の一つ」であると位置づけました。
野党はこれに対して、「大型間接税を導入しない、という中曾根前首相の約束に違反する」と言って猛反発しましたが、売上税廃案を決めた議長裁定は「直間比率の見直しも実現する」としており、これを誠実に実行することは、政権政党として当然の責務でした。ただし、竹下首相は、新間接税の策定に当たっては、逆進性、不公平感、過重負担、安易な税率引上げ、事務負担増、インフレ等、間接税導入に当たって懸念される六つの問題点の解消に努力すると述べて、「国民の納得のできる」税制改革とすることを強調したのです。
一方、竹下首相は、「世界に貢献する日本」の精神にふさわしく、初の外遊の対象として、六十二年暮にマニラで開かれたアセアン首脳会議への出席を選び、日本の国際的責任とアセアンの発展を踏まえた「平和と繁栄へのニュー・パートナーシップ」をうたいあげ、「アセアン・日本開発ファンド」の供与と、「日本・アセアン総合交流計画」を提唱しました。また首相は、六十三年一月には、双子の赤字の悩みから日本への批判が高まる米国を訪問し、レーガン大統領とのあいだで、世界における日米関係の重要性を再確認し合いましたが、とくに為替市場におけるドルの買い支えや在日米軍経費の負担増の申し出については、大統領から「心からの感謝」の意が表明されました。
この年は、米ソ間の緊張緩和が本格的となり、イラン・イラク戦争が停戦し、ソ連軍のアフガニスタン撤退が開始されるなど、世界が平和に向けて歩み出した年でした。そうしたなかで、竹下首相は、二月に盧泰愚大統領就任式出席のために韓国を訪問、四月に英国をはじめ西欧四ヵ国を訪問、五月に国連軍縮特別総会出席のために訪米、並びに欧州四ヵ国とECを訪問、六月にはトロント・サミット出席のためにカナダを訪問、七月に豪州二百年祭記念行事出席、八月には日中平和友好条約締結十周年にちなんで中国を訪問、さらに九月にはソウル・オリンピック開会式出席のため訪韓など、たてつづけに外交日程をこなしました。首相のこの一年間の外遊は、述べ五十九日間、九回におよんでいます。
こうしたなかで、竹下首相は、わが国の外交姿勢について、「平和のための協力の推進」と「国際文化交流の強化」と「政府開発援助(ODA)の拡充強化」という三つの柱からなる「国際協力構想」を打ち出しました。首相は、今後の国際社会の発展にとって各国間の相互理解の促進がとくに重要と考えており、わが国が文化交流という面からこれに力を入れる決意を示したことは、新たな視野を開くものでした。
しかし、国際経済面におけるわが国の影響力の増大にともなって、各国の日本に対する市場開放や開発途上国援助についての要請は急速に高まりました。なかでも、農産物輸入自由化、公共工事への外国企業参入問題等は、わが国の産業経済に大きな影響を与えるものであり、政府は対応に苦慮しました。前年に起こった日本企業のココム違反事件等が対日批判に拍車をかけたことも否定できません。
国内政策面で最も努力が払われたのは、税制改革の推進です。自由民主党が六月に決定した「税制の抜本改革大綱」の主な内容は、(1)所得税、住民税等の引き下げ、(2)法人税の引き下げ、(3)相続税の引き下げ、(4)資産課税の適正化、(5)間接税の改組・見直しと消費税(税率三%)の創設からなっており、サラリーマン中堅層に対する思い切った減税と新税創設の組み合わせでした。「大綱」の決定をうけて、自由民主党の中央・地方各組織は、国民各界各層の理解と協力を得るため、広報宣伝、研修会、講演会等の幅広い活動を展開しました。九月からは、竹下総裁自らが全国各地で税制改革懇談会、いわゆる「辻立ち」を行い、国民に税制改革の必要性を訴えたのです。
国会には、七月の百十三回臨時国会に、「税制改革六法案」が提出されましたが、折からリクルート問題が浮上したため、野党は証人喚問等を強く要求し、この問題の解明が行われない以上審議には応じられないと、態度を硬化させました。自由民主党は、リクルート問題と税制審議は切り離して行い、国民の理解を得るために与野党で話し合いを深めるべきだと主張しましたが、野党はこれを受け入れず、議事妨害や採決の欠席などの行為を重ねたので、国会は何度も空転し、実質的な審議はほとんどできませんでした。国会は、二度延長され、会期は十二月二十八日まで百六十三日にわたりましたが、これは臨時国会としては、史上空前の最長国会です。
結局、衆議院予算委員会で、野党欠席のまま税制改革六法案の自由民主党単独採決のやむなきにいたり、本会議では修正問題で公明、民社との合意が見られたため、社共欠席のみで可決されました。社共等の反対勢力は、参議院でも内閣不信任案や議運委員長解任決議案や各種問責決議案、さらには牛歩戦術などで抵抗しましたが、自由民主党は賛成多数でこれを成立させました。
シャウプ税制以来、実に三十八年、自由民主党が大平内閣以来、十余年の歳月をかけて全力を投じた抜本的税制改革がついに断行されたのです。この間、野党諸党が審議に応ずることなく、国民の税制に対する理解を妨げたことは、議会民主主義政治に背くものとして誠に遺憾であり、強く非難せざるをえません。
昭和六十三年は、国政レベルの選挙として大阪、佐賀、福島の参議院議員補欠選挙があり、大阪では敗れたものの、その他の二つでは勝利しました。特に福島での圧倒的な勝利は、その後の税制改革関連法案成立に向けて、大きな弾みをつけることになりました。また十県で行われた知事選挙では、一県を除いて、すべて自由民主党系候補が当選し、百二十九市の市長選挙でも、実に百二十四市において勝利をおさめました。この背景には、この年八月末の集計で、党員数が四百九十九万八千八百二十九名、党友数が七十七万八千百二十七名に達するほどの党勢拡大の努力がありました。これは過去最高をはるかに上回り、全国有権者数の五・六二%に達しています。
昭和六十四年が明けて間もなくの一月七日、日本全国民を深い悲しみが襲いました。前年秋から病いに伏されていた天皇陛下が崩御されたのです。すでに暮のうちからご容態が悪化していることが報じられ、国民は、日夜ご平癒を祈願しておりましたが、その願いも空しくなりました。故天皇陛下は、昭和元年のご即位以来、六十二年の長きにわたって在位され、常に国民の心の支柱になってこられ、この間、わが国が直面した内外の危機に当たって、はかり知れないご努力を尽くされました。この陛下のみ心こそ、戦後わが国民が祖国再建に立ち上がった力の源と言って過言ではありません。自由民主党は、全党を上げて心からの弔意を表し、陛下の安らかなお眠りを祈りました。
天皇陛下崩御に伴い、皇太子明仁親王殿下が皇位をご継承になり、元号も「平成」と改められました。自由民主党は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である新天皇陛下のみ心を体し、わが国および世界の平和と繁栄のため、全力を傾けることを誓いました。
昭和天皇大喪の礼は二月二十四日、百六十四ヵ国、二十八国際機関の代表を含め約九千八百人参列のもとに、古式に則って執り行われました。
このようにしてはじまった平成元年は、自由民主党にとってきわめて厳しい年となりました。この年は、夏に重大な参議院選挙を控えていたにもかかわらず、前年来のリクルート事件の火の手がいっそう広がり、閣僚や政府高官、自由民主党の幹部や重要人物が関与していたことがわかって、国民の政治不信が一気に高まりました。この事件は野党幹部まで巻きこむにいたりましたが、政権政党である自由民主党に批判が集中したのは当然と言えます。しかも、税制改革関係法案の成立が前年の暮ぎりぎりまでかかったため、平成元年度予算の編成が遅れ、百十四回通常国会の再開は二月にずれこんで、予算が年度内に成立することは困難と見られました。国会は重要人物に対する野党の証人喚問要求でしばしば空転し、予算審議は遅々として進みませんでした。この間に行われた参議院福岡選挙区補欠選挙で、自由民主党候補が社会党候補に大敗したことは有権者の動向を示したものと言えます。
問題の深刻さを憂えていた竹下総裁は、すでに前年のうちに、党執行部に対して政治改革の具体策づくりを指示し、これを受けて党内に設置された「政治改革委員会」は、税制改革に続く新たな政治目標として抜本的な政治改革への取り組みを開始しました。この委員会は、党内外の意見を広く聴取して、「金のかからない選挙制度の実現」、「政治資金規正法の再検討」、「衆議院の定数是正」などを柱とする改革に乗り出し、三月には「政治改革大綱答申案」の起草委員会を設けて、答申の作成に取りかかりました。また、竹下首相は、これと並んで、首相の私的諮問機関として「政治改革に関する有識者会議」を設置し、五〜六月までに一応の考え方を示すことを要請しました。
首相は、通常国会冒頭の施政方針演説で、政治改革を「内閣にとって最優先の課題である」と位置づけ、政治不信の解消に取り組みましたが、党内にも強い危機感があふれ、政治の浄化を目ざす各種のグループが結成されて、さまざまな発言や提言を行いました。
こうした努力にもかかわらず、リクルート問題はついに党中枢を襲うにいたり、四月二十五日、竹下首相は、政治不信の責任を取って、退陣の意思を表明しました。この直後、予算はなんとか衆議院を通過したものの、もはや参議院選挙は目前であり、通常の手続きで後継総裁を選出できないことは明らかでした。このため、後継問題は党四役に一任されましたが、以後、六月二日の党大会に代わる両院議員総会で宇野宗佑外相が後継に決定するまでの過程は、全党にとって苦しみに満ちたものとなりました。
しかし、その間にも急がなければならなかったのは、国民に対する政治改革の姿勢の明確化です。四月末の「政治改革に関する有識者会議」の提言に次いで、五月下旬には、党政治改革委員会が、政治倫理に貫かれた公正、公明な政治の実現と現行中選挙区制の抜本改革を柱とする「政治改革大綱」を決定しました。また、続いて自由民主党は、党所属議員が起訴された事実を厳粛に受けとめて、「リクルート問題に関するわが党の措置」を決め、この問題に関係する議員に、司法上の責任の有無にかかわりなく、良識にもとづいて自ら対処することを求めたのです。
こうして、志半ばに終わった竹下政権でしたが、その最大の功績は、長年の懸案であった直間比率の是正を中心とする税制の抜本的改革を成し遂げたことでした。これが日本の将来にとってはかりしれない大きな意義を持つことは言うまでもありません。また、竹下首相は、"ふるさと創生"を称え、地方の活性化に力を尽くし、自主的な地域づくりを支援するため、全市町村に一律一億円の地方交付税を配分しました。今日これがさまざまの効果を上げつつあることは、国民のよく知るところです。さらに、竹下首相は、国際社会の要請にこたえて、「国際協力構想」を打ち出し、退陣の意思の表明後も、アセアン五ヵ国を訪問するなど、その誠実な実践につとめました。昭和から平成への転換のなかで、竹下政権は時代の課した役割を十分に果たしたと言うことができます。 
 
リクルート事件1

 

1988年(昭和63年)に発覚した、日本の贈収賄事件である。贈賄側の会社経営者や、収賄側の政治家や官僚らが次々に逮捕され、当時の政界・官界を揺るがす、一大スキャンダルとなった。この事件では、出版社・リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルートコスモス社の未公開株が賄賂として使われていた。
1988年(昭和63年)6月18日、朝日新聞が『川崎市助役へ一億円利益供与疑惑』をスクープ報道し、その後、リクルートにより関連会社リクルート・コスモス(現 コスモスイニシア)社未公開株が、中曽根康弘、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など大物政治家に、店頭公開前に譲渡していたことが相次いで発覚する。90人を超える政治家がこの株の譲渡を受け、森喜朗は約1億円の売却益を得ていた。時の大蔵大臣である宮澤は衆議院税制問題等に関する調査特別委員会で「秘書が自分の名前を利用した」と釈明した。さらに学界関係者では、政府税制調査会特別委員を務めていた公文俊平にも1万株が譲渡されていたことも判明した。
東京地検特捜部は、1989年、政界・文部省・労働省・NTTの4ルートで江副浩正リクルート社元会長(リクルート社創業者)ら贈賄側と藤波孝生元官房長官ら収賄側計12人を起訴、全員の有罪が確定した。だが、政界は自民党では藤波、そして公明党の池田克也議員が在宅起訴されただけで、他は3政治家秘書等4人が略式起訴されたに留まり、中曽根や竹下をはじめ大物政治家は立件されなかった。 
経緯
1984年(昭和59年)12月 - 1985年(昭和60年)4月 江副浩正リクルート社会長、自社の政治的財界的地位を高めようと、有力政治家・官僚・通信業界有力者の3方面をターゲットに未公開株を相次いで譲渡(1984年12月20 - 31日39人、1985年(昭和60年)2月15日金融機関26社、4月25日37社、1個人)。
1985年(昭和60年)
10月 コスモス株店頭公開、上記譲渡者の売却益は合計約6億円といわれた。
1986年(昭和61年)
6月 藤波孝生元官房長官ら政財界へのコスモス株譲渡。
1988年(昭和63年)
6月 川崎駅前再開発を巡り、小松秀煕川崎市助役へのコスモス株譲渡を、朝日新聞がスクープ。 当時再開発が行われていた明治製糖工場跡地の再開発事業(かわさきテクノピア)に関して便宜を図った(具体的には本来容積率が500%のところを800%に引き上げて高層建築を可能とした)とされる。小松は助役を解職されるが、刑事事件としては不起訴処分となった。
7月 マスコミ各社の後追い報道により、中曽根康弘前首相、竹下登首相、宮沢喜一副総理・蔵相、安倍晋太郎自民党幹事長、渡辺美智雄自民党政調会長ら、自民党派閥領袖クラスに、軒並みコスモス株が譲渡されていたことが発覚。 / 森田康日本経済新聞社社長が、1984年(昭和59年)12月に受けた未公開株譲渡で8,000万円の売却益を得た事が発覚、社長辞任。 / 江副会長、「抑うつ症状」で半蔵門病院に入院。
9月 松原弘リクルートコスモス社長室長が、国会で未公開株譲渡問題を追及していた楢崎弥之助社民連衆議院議員に対し、手心を加えるよう贈賄を申込み。しかし、9月5日、楢崎らによって隠し撮りされた模様が、日本テレビ『NNNニュースプラス1』で全国放送される。
10月 東京地検特捜部、リクルート本社、コスモス社、松原自宅を家宅捜索。 / 東京地検特捜部、東洋信託銀行証券代行部を家宅捜索。コスモス社の株主名簿等を押収。 / 藤波元官房長官、真藤恒NTT会長、高石邦男前文部事務次官、加藤孝前労働事務次官へのコスモス株譲渡が発覚。
11月 東京地検、捜査開始宣言。松原を贈賄申込罪で起訴。 / 江副、衆議院リクルート問題調査特別委員会に、コスモス株譲渡者全リスト提出。 / 衆議院リクルート問題調査特別委員会、江副、高石前文部次官、加藤前労働次官を証人喚問。
12月 宮沢蔵相が辞任。 / 真藤NTT会長が辞任。 / 竹下首相、内閣改造を実施。 / 長谷川峻法務大臣、リクルートからの献金が発覚し、辞任。
1989年(平成元年)
1月 原田憲経済企画庁長官、リクルートがパーティー券を購入した事実が発覚し、辞任。
2月 参議院福岡選挙区補欠選挙、社会党新人渕上貞雄が自民党候補に圧勝。 / 検察首脳会議開催。同日、東京地検特捜部、江副前会長・小林宏ファーストファイナンス前副社長・式場英及び長谷川寿彦NTT元取締役をNTT法違反(贈収賄)容疑で逮捕。 / 鹿野茂元労働省課長(ノンキャリアで加藤の側近)を贈収賄容疑で逮捕。
3月 真藤前会長をNTT法違反(贈収賄)で逮捕。 / 加藤前次官、辰已雅朗リクルート社元社長室長を贈収賄容疑で逮捕。 / 高石前次官を贈収賄容疑で逮捕。同日、真藤前会長、加藤前次官らを起訴。
4月 竹下、記者会見で首相退陣表明。 / 青木伊平元竹下登在東京秘書が自殺。
5月 検察首脳会議開催。 / 東京地検特捜部、藤波元長官と池田克也元衆議院議員を受託収賄罪で在宅起訴。 / 衆議院予算委員会、中曽根前首相を証人喚問。 / 東京地検特捜部、宮沢前蔵相秘書を含む議員秘書4人を、政治資金規正法違反で略式起訴。同日捜査終結宣言。
6月 竹下内閣総辞職。 
判決
政界
藤波孝生元官房長官は受託収賄罪で起訴され、1989年(平成元年)12月、東京地裁で初公判が開始。1994年(平成6年)9月、東京地裁は藤波被告に無罪判決、検察側控訴。1997年(平成9年)3月、藤波被告の控訴審で逆転有罪判決、被告側上告。1999年(平成11年)6月、最高裁が藤波被告側の上告を棄却・有罪確定。2007年(平成19年)10月死去。 / 池田克也元衆議院議員は受託収賄罪で起訴され、1994年(平成6年)12月、東京地裁にて有罪判決・確定。 / 安倍晋太郎自民党幹事長の私設秘書、宮沢喜一大蔵大臣の公設秘書、加藤六月農水大臣の公設秘書と政治団体会計責任者の計4人に対して政治資金規正法違反で略式起訴。
文部省
高石邦男元文部事務次官は受託収賄罪で起訴され一審で懲役2年執行猶予3年、二審で懲役2年6ヶ月執行猶予4年。
労働省
加藤孝元労働事務次官は受託収賄罪で起訴され一審で懲役2年執行猶予3年。 / 鹿野茂元労働省課長は受託収賄罪で起訴され一審懲役1年執行猶予3年。
NTT
真藤恒元NTT会長はNTT法違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役2年執行猶予3年。 / 長谷川寿彦元NTT取締役はNTT法違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役2年執行猶予3年。 / 式場英元NTT取締役はNTT法違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役1年6ヶ月執行猶予3年。 / 元ファーストファイナンス社長はNTT法違反(収賄罪)で起訴され、一審で懲役1年執行猶予2年。
リクルート社
江副浩正元リクルート社会長は贈賄罪で起訴され、2003年(平成15年)3月、東京地裁にて懲役3年執行猶予5年の有罪判決。 / 元リクルート社長室長は贈賄罪で起訴され、一審で無罪、二審で懲役1年執行猶予3年。 / 小野敏廣元リクルート秘書室長は贈賄罪で起訴され、一審で懲役2年執行猶予3年。 
影響
これまでの疑獄事件と異なり、未公開株の譲渡対象が広範で職務権限との関連性が薄く、検察当局は大物政治家の立件ができなかった。しかし、ニューリーダー及びネオ・ニューリーダーと呼ばれる大物政治家が軒並み関わったことで、“リクルート・パージ”と呼ばれる謹慎を余儀なくされ、政界の世代交代を促した(この事件が無かったら、党内事情からいって、安倍晋太郎が次期首相になった公算が大きいという意見もある)。また、事件以降「政治改革」が1990年代前半の最も重要な政治テーマとなり、小選挙区比例代表並立制を柱とする選挙制度改革・政党助成金制度・閣僚の資産公開の一親等の親族への拡大等が導入されることになった。
この事件がきっかけとなって公職選挙法が改正され、収賄罪で有罪が確定した公職政治家は実刑判決ではなく執行猶予判決が出ても、公職を失職する規定が設けられた。
また、1989年(平成元年)7月の第15回参議院議員通常選挙で自民党は大敗、参議院過半数割れとなった(自民党にとって、リクルート事件、消費税導入、牛肉・オレンジの農産物自由化が“逆風3点セット”と言われ、竹下の後任の宇野宗佑の女性スキャンダルは女性有権者の反発を招いた。2010年(平成22年)現在に至るまで、自民党は参院選後における参議院単独過半数を回復していない。このため、自民党は政局安定の為に公明党や民社党など野党との連携を強いられることになり、後に参議院で過半数を得るために自社さ連立、自自公連立、自公連立など他党との連立政権を組むことになる。
リクルートとリクルートコスモス(現コスモスイニシア)はこの事件でイメージが悪化、これにバブル崩壊が追い討ちをかけ、リクルートはダイエーに身売りされ、江副浩正はリクルートを追われることとなった。 
リクルート事件2
リクルート事件とは?[事件のポイント]
戦後最大級の汚職事件(贈収賄事件)といわれる
1988年6月18日、朝日新聞のスクープ報道によって発覚。その後、朝日新聞社をはじめとした新聞各社の報道を中心に世間が過熱していく
報道内容は値上がりが確実であった株式会社リクルートコスモス(現在はコスモスイニシア)の未公開株が、政治家や官僚、財界人らに「賄賂」として贈られていたというもの
与党議員が多く疑惑に絡んでおり、当時導入が進められていた消費税とともに、国会にて野党による本事件への激しい追及がなされた
「政界ルート」「NTTルート」「文部省ルート」「労働省ルート」という4つの贈賄ルートがあったとされ、それぞれのルートで立件された
この事件によって閣僚、代議士、事務次官、NTT元会長、そしてリクルート関係者12名を逮捕、起訴。全員が有罪判決を受ける
また、中曽根康弘をはじめ、竹下登、宮澤喜一、安倍晋太郎ら大物政治家も株を譲渡されていたことが発覚しており、事件発覚から1年足らずして宮沢喜一は大蔵大臣を辞任(1988年12月9日)、竹下登内閣は総辞職をしている(1989年6月3日)
しかし大物政治家たちはいずれも逮捕を免れており、核心部分の解明がないまま終結
この事件によって国民の政治不信を起こし1993年の「55年体制の崩壊」などに結びつくなど、その後の日本政治の大転換をもたらすきっかけとなった 
メディア報道が映し出した「虚像」
1988/6/18
江副浩正
「助役が関連株取得 「リクルート」川崎市誘致時」との朝日新聞の報道は「寝耳に水の報道だった」といい、「問題とされたビルは、川崎駅西口の再開発のため小松助役から熱心に誘致されて建てたもので、リクルート側から何かを依頼したという事実はない」(『リクルート事件・江副浩正の真実』)と指摘。
朝日新聞
助役が関連株取得「リクルート」川崎市誘致時
公開で売却益1億円 資金も子会社の融資
スクープ報道として掲載。「株購入資金も、リクルートの子会社から融資を受けていた模様だ。株に絡んだ政治家の資金づくりが問題になっているが、今回、革新自治体の最高幹部が手を染めていることが明るみに出たことで、波紋を広げそうだ」
1988/7/7
江副浩正
江副氏の辞任を、朝日新聞を含めた5大新聞全てが一面トップで報道。江副氏は本書内でこのように語る。「私の会長辞任の記事が五大紙すべての一面トップで大きく扱われているではないか。・・・なぜこのように大きな報道になるのか。私の緊張感は急速に高まった。」メディアが大きく報道すれば報道するほど、世間の熱も高まっていく。江副氏の会長辞任が当時、ここまで世間から注目されていたどうかは定かではないが、江副氏の反応を見てもこの事件そのものの影響力がメディアによって高まっていく姿がうかがえる。
朝日新聞
江副リクルート会長辞任
関連株譲渡で引責 政界などに波及し決断
1面をはじめ、2、8、社会面で取り上げ、経済面(8面)には江副流経営を分析した記事を掲載。「個人的には社交ダンスの名手として知られ、リクルートの「顔」として、江副氏だけが目立った。その個人経営体質が、今回の事件の背景にあったともいえる」という文章で記事を締めくくる。
1988/7/25
江副浩正
『AERA』と朝日新聞社の共同インタビューの裏側の真相を江副氏は克明につづっている。『AERA』編集長の富岡隆夫氏から「単独インタビューに応じてくれたら、『“打ち方やめ”にする』という」申し入れがあった。江副氏は「受けるか否か迷ったが、「これで“打ち方やめ”にする」という言葉に惹かれ、あくまで『AERA』限りなら受けてもいい」という想いからインタビューを受けた。しかし、インタビューの場に来たのはAERAの人間だけではなかった。そこには、朝日新聞社の遊軍記者などもいた。「・・・『AERA』限りということだったのに話が違うと、生嶋(元産経記者)が粘り強く交渉したが、先方は一歩も引かない。多勢に無勢で、やむなく三〇分だけと条件を決め、インタビューを受けた。」またインタビューは30分を過ぎても終わらず、2時間ほどインタビューを行い、フラッシュを浴び続けたという。江副氏はこの後、体調不良(情緒不安定)で入院することになる。
朝日新聞
「政治家へ譲渡」の認識否定せず リクルート関連株で江副氏
江副浩正氏の単独インタビューの様子が朝日新聞に掲載。秘書との交際やコスモス株譲渡の動機について語られている。そして「涙声。『心の傷は死ぬ瞬間まで残る。死んでも残るかも知れない。私はもう社会復帰してはいけないと思っております』」という江副氏の言葉で締めくくられている。
1988/11/21
江副浩正
国会証人喚問の新聞報道を見て、また江副氏は驚くことになる。朝日新聞の「緊迫、どよめく委員会」という見出しに対しては、江副氏は「委員会は静かで、どよめきなどはなかった。なぜ、こんな見出しになるのだろうか」と疑問視する。新聞各紙は、「疑惑が深まる」という論調で見出し・記事を構成。しかし、江副氏は「本分を読むと何の疑惑が深まったのか」と疑問に思い、報道に恐怖感を覚える。果たして新聞の「煽る」見出しが、事実を表しているのか。我々も疑問を感じざるを得なくなるシーンだ。
朝日新聞
警察関係者にも株譲渡
江副氏、リクルート特別委で証言 民間人公表は拒む リストの不備で陳謝
江副氏の国会証人喚問を大きく報道。特にクローズアップしているのが警察関係者への株譲渡。14面には「追及され「警察関係に」 緊迫、どよめく委員会」という見出しとともに江副氏が一礼する姿を掲載している。街の声からは「本当のことをしゃべったらとんでもないことになるんでしょうね。それだけの質問をできる議員さんがいるのかどうか。川崎進出だって江副さんの戦略のほんの一部だと思う」など、江副氏が「本当のこと」を持っているなどの邪推が行われ、さらには国会への不信の声を聞くことができた。
1989/2/14
江副浩正
江副氏は2月13日に逮捕。そして拘置所に移送されるわけだが、そこで待ち構えていたのは大量のフラッシュであった。そこで江副氏は「これは“見せしめ”だ。私は被疑者に過ぎない」と憤る。拘置所に入る時間と拘置所への入り方をあらかじめメディアに伝え、まさに見せしめのような形でフラッシュをたかせる。まだ容疑者であるにも関わらず、そこには人権というものが見えてこない。これも一つの拷問ではないだろうか。
朝日新聞
リ社前会長・江副を逮捕 東京地検 NTTルートまず着手
株譲渡、贈賄と断定 式場・長谷川は収賄 贈賄で小林も
リクルート事件が朝日新聞を占拠したかと言わんばかりの大きな報道がなされており、社会面では「『軽薄短小』に“乗る”」という見出しとともに、江副氏がひたすら政界とパイプ作りに励む姿が、江副氏の落日を表現するかのように描かれている 。
メディアについて / 江副浩正
「いったんマスコミの批判の対象になると、そこと少しでもかかわりを持っただけで攻撃を受け、普段は問題にならないことが糾弾される。」
「メディアが捜査官で、検事が取調官。そのような構造は、司法の効率を上げるという点ではよいかもしれない。だが、検察がメディアを頼りに立件しているため、メディアが”第三の権力”となっていることを私は身をもって実感した。」
「メディアは倫理上の罪も区別せず報道する。」
「広告情報誌事業のリクルートと私の知名度があがっていったことが、メディアにとって「叩きがいがある」と思われていたことも、執拗な報道が続いた要因の一つであったと思う。」 
『江副浩正』の姿に迫る
1 リクルート事件から本書を上梓するまで「21年」の年月がかかった理由
―まず、リクルート事件が起きてから21年経った今、なぜ『リクルート事件 江副浩正の真実』という本を出版することになったのでしょうか。
「この本を出すには、21年という年月がむしろ必要だったと私は思います。判決が出たのが2003年で、執行猶予が終わったのが2008年です。この間に当事者の告白記を出すのは難かったという点は第一にあげられます。
もう一つの理由として、リクルート事件自体が非常に複雑だったという点があります。裁判自体も4つのルートに分けて行われていますし、対象になった人も政治家から有力財界人、そしてマスコミ関係者まで、たいへん幅広い。これほど各方面に広範な影響を与え、複雑すぎる事件は海外を見回しても滅多にありません。その当事者の告白記ですから、『すぐに当事者の体験をまとめて上梓する』などはできなかったのです。
充分な時間を掛けた結果、本書は事件の複雑な様相について、ほぼ網羅しつくした内容になっています。当時の記録に基づきながら、著者は自らの身に起きたことを、かなり突っ込んで、率直に記しています。
江副さん自身は、この本を書くことが、事件に対するご自身の決着の付け方であったと思います。それゆえ、決定版にすべく、また歴史的な批評に耐えうるよう、慎重に書き進めていきました。こうした事情も、事件から21年という時間が掛かった理由です。」
―21年間という年月は、江副さん自身の気持ちに整理がつくまでの時間でもあったということでしょうか。
「江副さんは若くして起業され、ベンチャー企業のトップでやってきました。そして51歳のときに突然、リクルート事件という大波を被ることになってしまったのです。本書の表紙の写真は東京拘置所に連れて行かれるときのものですが、一般の方でも、検察の人に両側を支えられて拘置所に連れて行かれるという体験は、相当ショッキングなものだと思います。まして、ずっと企業のトップでやってきた人、いわば成功をしてきた人が、51歳という年齢で急にそういう目に遭ったのです。天国から地獄へ突き落とされたかのような、想像を絶する辛さだったと思います。
壮絶な体験でしたが、本書で江副さんは、感情を極力抑えて、自分自身を客観的に見て執筆されていらっしゃいます。とはいえ、何度も鬱状態におそわれたことや、自身の家族そしてリクルート社員への思いなども点描されており、そこに異様な人間ドラマが読めるのではないでしょうか。
時代は違いますが、やはり東大出身のベンチャー経営者で、時代の寵児ともいわれたライブドアの堀江貴文さんも、ご自身のブログで、本書のことに触れています。『自分自身は拘置所にいた期間も短いし、江副さんほど激しい取調べは受けなかったので大丈夫だったけど、もし江副さんみたいな取調べを受けていたら、どうなったか分からないい』と書いていますね。」
―横手編集長は、江副浩正さんをどのような方であると思いますか?
「ベンチャーのトップとしての必要な能力を、1つの人格の中に集約して持っている方だと思います。もう70歳を過ぎていますが、その発想力や行動力、スピード感、切れ味のよさは健在ですよ。それから、とらわれのない人です。先入観がない。だから判断が素直なのです。だいたいわれわれは、何かを決めたり考えたりするときに、それまでの『常識』にとらわれてしまいますね。江副さんにはそれがない。ただいま目の前にある現状況に向かって、非常に合理的に、きわめて目的本意に、シンプルに判断できる。これはできるようで、できないことです。日々、ほんとうに啓発されますよ。
わたしのいる出版業界というのは、江副さん的な発想と比べれば、まさに対極にあるというか、きわめてお役所的なところです。内向きの『常識』や秩序感覚がたえず優先されるわけで、いわば自身のつくりあげた『とらわれ』ばかりで成り立っている世界です。わたしのいる会社はとくにそうです。
江副さんはぜったいに、われわれの世界にはいないキャラクターです。正反対だと言ってよいでしょう。だから、江副さんの今回の本が中央公論新社で出ることは、かなり不思議なことです。」
―具体的に江副さんに惹かれた部分を教えて頂けますか?
「前のところと重なりますが、なによりすごいと思ったのは、スピードです。いきなりトップギアになるみたいな、すごさがあります。そして、走るときは、2点間を1番短いルートで結ぶことができるというところ。
たとえば江副さんは、『この場で決めましょう。この場でアイデアが出てこないなら、持ち帰ったって出ませんよ』と言います。それから、江副さんは現場の人たちを直接呼んで話すのです。なにかを協議するときは必ず現場の人間と直接やりとりする。それで決めてしまう、すぐ行動に移させるわけです。『上の人は呼ばなくていい』というところがあります。わたしとしては、そういうわけにもいかないのですが(笑)。とにかく『この場で決めよう』となります。本人からよく、電話での指示が入りますよ。
これは江副さんが率直だからできることであって、たいしたものだと思っています。相手の肩書きとか、どういう背景を背負った人かは全く関係なく、その人と向き合ってビジネスをしようとする姿勢は一貫しています。たえず裸で付き合ってくれる印象があって、さすがです。魅力的ですよ。ただ、実際に部下になったら、そうとうキツイでしょうね(笑)。
江副さん自身は今年73歳になられましたが、若々しい人ですし、今でも若い人とすぐコラボレートできる独特のセンスをお持ちです。そういう意味では、付き合っていると若返りますね、私も。」
―今、江副さんはどのような活動をなさっているのでしょうか?
「江副育英会という財団法人におり、また、株式会社ラ ヴォーチェという、オペラの公演などをされる組織の代表をされていて、これらを通じて、社会的な活動をされています。
それもすばらしい活動だとは思いますが、わたしはぜひ、江副さんに経済人として復活してほしいと思っています。江副さんが健在なら、yahooも楽天もソフトバンクもなかったでしょう。少なくともいまの形ではなかったと思います。
現在の日本の閉塞感や経済の失速に、江副さんが事件によって沈黙させられてしまったことが大きいように感じています。ベンチャーの気風が日本の若者のなかから生まれにくくなった罪はあるはずで、21年前、江副さん的なものを嫉妬のあげくデリートしてしまったことは、歴史的にも悪影響のほうが大きいはずです。ソニーだってホンダだってもともとベンチャーだったわけで、それらが戦後経済を発展させ、日本の豊かな社会をつくっていったわけです。ところが、日本はベンチャーの闊達とした動きが弱くなった。江副さんを沈黙させた動きじたいが、20年殺しのように日本経済をいま『殺して』いるのです。
そうした現状をみても、江副さんが復活することは、かなり重要だと思っていますよ。もちろん江副さんのお気持ちなどは一切、前提にしておらず、あくまでわたしの個人的な願望ですが。」 
2 出版業界の「常識」を軽々と越境していくセンスに脱帽
―さきほど、ベンチャーのトップの良い点を1つの人格に集約されているとおっしゃっていますが、ベンチャーのトップの良い点について具体的にはどういうものがあると思いますか?
「なにより、新しいものに対して抵抗感なく受け入れることができることですね。私たちは普通、何かを考えるとき、業界のいろいろなしきたりや過去の情報を織り交ぜて考えると思いますが、江副さんはそういったところを平然と越境しますよね。
たとえばこの本には帯がついていないのをお気づきでしたか? わが社でもかなり抵抗があったんですよ。取次からも書店からも苦言があった。業界では帯をつけることが常識だったわけです。新刊帯という言葉もあるくらいで。それで流通している姿を見慣れているわけです。
ところが、実は、新刊に帯を入れないといけない理由なんて、別段ないわけです。これまでそうやってきたから、という理由だけなんですね。江副さんは、『表紙の写真が見えなくなるから、帯をつけなくていい』と言いました。『表紙の写真を見せる』という目的本意に考えている。どちらがよかったかは、最終的にはわかりません。でも、業界人の先入観を軽々と否定し、というか平気で飛び越えていき、目的本意で判断するという、そういうセンス自体が、わたしには重要なことだと思いました。ベンチャー的ですし、それはかなり『良い点』だと思います。」
―この表紙の写真は、当時新聞に掲載されていた写真と同じものですね。「あ、この写真!」という感じで、リクルート事件について書かれているということが、ダイレクトに伝わってきました。
「この本が出版されたとき、業界内からは『新刊だとは思わなかった』という声も聞かれたのですが、一般の方にとってみれば、新刊かどうかではなくて、この本が、買うべき本かどうか、ということが重要なんです。
だから、最初にこの本の表紙を見て、お金を出して買おうとした人の意識なり動機にストレートに着目できるというのは、江副さんという人が成功した理由だと思いますね。もちろんベンチャーと言っても、成功する人も失敗する人もたくさんいますから、ベンチャー的だから良い、というわけではないですけど、江副さんはやはり特別ですよね。」
―本書はリクルート事件の経過も書かれていますが、横手編集長は当時、リクルート事件をどのような立場で見ていたのでしょうか。
「社会人になり、マスコミに入ってばりばりやり始めた頃に、ちょうどこの事件が起こりました。感慨深いのは、今年、民主党が第一党になり、歴史的な政権交代が実現しましたね。制度的にみると、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと選挙制度が変わったことが、大きかったと言われていますが、制度改革のきっかけをつくったのがリクルート事件なのです。リクルート事件によって竹下登内閣が倒れて、短命で終わった宇野宗佑内閣があって、そうした混乱の中から小沢一郎さんらが飛び出して、選挙制度を変えた。だからリクルート事件は、過去の話ではなく、実は今年の政治状況にもつながっているのです。
わたしにとって、マスコミの世界に入ってはじめての、リアルタイムで進行する大事件だったわけです。メディアの世界に入ってきたての人間は、筆誅というか、青臭い正義感みたいなものを持っていることが多いんですよ(笑)。
わたしも当時、リクルート事件の朝日新聞報道などを見ていて、『ペンの力はすごい』と(笑)。江副さんに対する一方的な社会的リンチのような印象も、わずかにあったことはあったのですが、朝日の報道は『真実を暴いている』と肯定的にみていました。今になってみてみると、いわゆる国策捜査的な面はありますし、マスコミの暴走した正義感が特定の人間を悪者に仕立てて煽り、検察が動いた、という構図は検証しないといけないはずです。
この本の編集を担当したから言うわけではないですが、本当に江副さんは、白にきわめて近いグレーだと思っています。でも当時は黒だと思っていました。この本をご縁があって作らせていただき、当時の自分の意識を振り返るなかで、いまもメディアの側の1人として、反省するところしきりです。」
―今、おっしゃられた部分にもつながるのですが、本書ではメディア報道のあり方を軸に世論、司法問題に対して異議を投げかけています。「出版」というメディア文化に携わる一人として、メディア報道のあり方についてどのようにお考えになっていますか。
「現実に、私たちの目の前で起きている事件なり、報道すべきものというのは、ある意味生き物で、時間を経ないと本当のところはわからない、と改めて思いましたね。だいたい、真実は一つなのかもわからないはずです。さまざまな真実があるわけで、それを判定するのは、結局は歴史でしかない。その素材を可能な限りオープンにしていくことしか、わたしたちはできないと思います。どんどんオープンにする。闇に消えてしまうことだけは、避けよう、と、さしあたってそれだけです。
それから、メディアの側にいるわたしたちが、あまりに価値判断をしすぎないほうがいいと、改めて思いましたね。『これが良いものだ』とか『こちらが真実だ』とかね。もっとも出版人は、新聞やテレビの人たちと比べて、かなり天の邪鬼なところというか、斜に構えているところがあるので、『これがいいのだ』みたいに大上段から来ることがらにはムカツクように、はじめから脳が出来上がっているのです。価値判断する人間というのを、だいたい疑っている。
現代はインターネットの発達で、とにかく開かれた社会になったと思います。良し悪しはありますが、ネットを通じて、いろんなものが即時的にオープンになりました。グローバル化などもあります。飛び交う情報量が非常に多くなっていますね。必ずしも雑誌とか新聞のようなマスメディアが発信する情報ばかりではなくなった。個人がブログで書き発信する情報もどんどん出てくるようになりました。
そういった情報の海の中で、『疑う』というか、『判断を保留する』ことはむしろ大切になっていますね。もちろん何をどう疑うかが問題ですが、今回の出版に引きつけていえば、たとえばリクルート報道みたいなものがネット上などで起こり、特定の個人や団体がバッシングされるようになっても、『ほんとかな』と立ち止まるというか、『叩かれているほうの言い分を聞かないと』と立ち止まる保留感覚は、かなり大事になっていますね。その好例として、『リクルート事件・江副浩正の真実』を読んでくだされば有り難いと思います。もちろん、この本の内容はあくまで、『江副さんの真実』なのですが、情報発信側の『真実』ばかりではいけない、ということを教えてくれるはずです。その意味で、本書はネット時代に生きる現代人に、絶対にプラスになると思っています。
わたしたちも、いつ何時、たとえば痴漢冤罪事件に巻き込まれるか分かりませんし、ネット上であることないこと書かれて社会的に抹殺されるリスクも現代ではありえます。そういう可能性は、ネット社会に生きているわたしたちみんなに無縁ではないはず。だからこそ、本書に描かれた『ある日、突然、被告になった者の身に起こったこと』を読んでもらうことは、非常に大きいと思っています。 それから、本書はメディア関係の人に多く読まれています。メディアに関わる方々にとって、自分たちに突きつけられているものがあるように捉えるのでしょうか。もちろんわたしもその一人ではあります。」 
3 もし、リクルート事件が起こらなければ今の日本はどうなっていた…?
―では、読者の方からはどのような反響が届いていらっしゃいますか?
「もともと、リクルート事件を20代・30代の頃に経験していた方々、つまり今、40代から50代以上の方々を読者として想定していたのですが、それよりも下の世代、若い方々にむしろ読者が広がっている印象です。データ的にもその傾向はあります。
たとえば江副さんをホリエモンの大先輩に当たる人だとか、ベンチャーの先駆的な人物だと捉えていて、その人が国家権力という言い方はおかしいですけど、そういったところとぶつかり社会的に存在を消されてしまった。ライブドア事件と重ねながら、どうしてそうなったのかという関心を持って読む若い人は、おもいのほか多いようです。」
―リクルート事件は若い人にも語り継がなければいけない事件だと思いますが、本書を通して語り継がれるということに意味があると思います。
「これは堀江さんも言っていましたが、今から21年前に、日本経済は江副浩正という人間を失ってしまったのです。先ほども話しましたが、もし、江副さんが経済人として姿を消すことなく、今でも現役でいらしたら、たぶんYahooもなかったし、楽天も、ソフトバンクも現在のような形では存在していなかったと思いますよ。リクルートがそうした事業をやっていた可能性が高いと思います。
また、他の有名ベンチャー、たとえば楽天にしてもライブドアにしても、急成長の基本はネットビジネスと株ですね。その点、リクルートはすごく手広い。不動産業もやっていましたし、金融業もやっている。ありとあらゆる業態を成功させています。江副さんは他のベンチャー企業家とは格が違いますよ。
そんな稀代の経営者を21年前に沈黙させてしまったのは、これは大きな損失だと思います。それは日本のビジネスの土壌において、ベンチャー立ち上げに対するモチベーションを下げたことは間違いないと思います。今、若い人に元気がないというのも、こうしたところに一因があるのではとみていますよ。」
―では、もしリクルート事件が起こらなければ、今の日本はどうなっていたと思いますか?
「もっとベンチャー企業がポジティブに捉えられていたと思います。江副さんは当時51歳でしたが、50代といえば、経済人として一番脂が乗っている年齢ですよね。その最も良いときに自分の資金やアイデアや、行動力を駆使してさらに事業を進めていたらどうなっていたのかな、と。
また、江副さんが他のベンチャー企業と比べてすごいのが、リクルートは江副さんに続く人材、社会を動かす人材が次から次へと出てくるんですよね。他のベンチャーではそういうことがほとんどなくて、ライブドアで堀江さんの薫陶を受けて会社を興し、成功したという人は聞かれないですし、出版社でいうなら幻冬舎もそうですよね。見城徹さんというすごい編集者がトップにいるけど、それに続く人がいるかというと疑問です。
でも、江副さんの下からは、例えば評論家の立花隆さんやNTTでiモードを開発した松永真理さん、あとは先日亀田興毅と内藤大助のボクシングの試合がありましたけど、あの試合のプロモートに関わった東さんという方もリクルート出身ですし、とにかく幅広い人材を世の中に送り出しています。わが社の中公新書ラクレというシリーズに77万部のベストセラー『世界の日本人ジョーク集』がありますが、この本の著者である早坂さんもリクルート出身です。江副さん自身もそうですし、リクルートのDNAを継いだ人たちがもっと活躍したとは思いますよね。」
―本書の終わりの方で、江副さんが自分はさして才能のある人間ではないとおっしゃっているのですが、そう言えること自体がすごいと感じました。
「この言葉、江副さんは謙遜ではなく、嘘偽りなく書いていると思いますよ。ベンチャー企業といえば、ある部分では新興宗教みたいなところがあって、トップは自分を天才か何かだと思いこんでいるのが通常ですし、そうしたトップの言っていることは黙って聞かないといけない、という組織のイメージがありますが、江副さんは全く、そういう雰囲気がないのです。こういった人がすぐれたリーダーシップを持ったことじたいが、わたしにとっては大きな謎なんですよ。
なによりベンチャー企業っていうのは、トップの鋭いリーダーシップが存在しないといけない世界だと思うのですが、江副さんはさきほどおっしゃったように自ら『優れた人間ではない』と言いますし、見た目も本当に普通なんですよね。独特な風貌・格好をしているわけでもない。話し方も命令口調ではない。でもそういう人があれだけのリーダーシップをふれたというのは、謎めいているし、それだからかえって魅力的ですよ。
本の編集などを通じて、わたしもお付き合いをさせていただいていますが、謎は深まる一方(笑)。もちろん、『なんか違うな』というところは、たくさんお持ちの方です。」
―本のタイトルにある『リクルート事件 江副浩正の真実』の「真実」という言葉にどのような意味を込められたのでしょうか?
「これは、本書の『まえがき』『あとがきのあとがき』にも書いていますが、戦後を揺るがした事件の1つの見方を提示した、つまり、江副さんが見た真実という意味を込めて『江副浩正の真実』というタイトルにしたのです。
真実という言葉を聞くと、『それは1つしかない』と思うのでしょうが、そうではないのです。あくまで江副浩正という人物から見た真実であり、もちろん検察側から見た別の真実もあるはずだというのは、本書のなかで江副さんがきちんと断っています。江副さんは検察側からの真実という別の本が書けるだろうと、注意深く2度も書いているのです。ある事件に対して、様々な見方がある。その1つを提供しますよ、という意味ととらえていいと思います。もちろん、『江副浩正の真実』というタイトルを使うことには、やはり江副さんのこだわりがあるわけで、ここで書かれている、見たこと、体験したことは、あくまでまったき江副さんの真実であるということです。」
―本書を編集する際に最も気をつけたこと、気を使ったことはなんですか?
「やはり“ファクト”ですね。今回、判決資料など一時資料と付き合わせて、十全の校正を行いました。資料はロッカー三つ分もありました。原文を見て一字一句誤りがないか確認しながら、校了にしていったのです。とにかく校正・確認作業は念入りに行いました。ファクトと言う意味では、資料を前提に、かなり精度の高い本になったと思っています。」
―最後に、本書をどのような人に読んで欲しいですか?
「本来想定していた中心読者は40代後半以上です。そうした『同時代にリクルート事件を経験した』人にも、もちろんより多く、手にとって欲しいと思っています。
それと同時に、やはりわたしは、事件を知らなかった若い人に読んで欲しいのです。先ほども言ったように、インターネットという情報の海が広がり、現代の日本社会は、開かれた社会になっている。国際的なものとフラットに付き合わなければならない時代に生きている。若い人にとっては、これから長くそうした時代が続くわけです。だからこそ、若い方々に、本書を読んで欲しいと思います。なによりメディアリテラシーにとって役立つはずですし、1つの時代を築き上げたベンチャーのトップが、どのような蹉跌を経験したのかを辿っていくことは、これからの時代を生き抜く上で、必ず力になると思っています。」 
司法問題の穴―取調べの真実―
『リクルート事件・江副浩正の真実』全400ページの約40%近くを埋めているのが「取調べ」のシーンである。しかし、「取調べ」というには大分聞こえがいいのかも知れない。江副氏によってつづられているのは、あまりにも行き過ぎたまるで現代の「拷問」のような世界であり、同じく逮捕経験がある元ライブドア社長の堀江貴文氏も「彼ほど長い間不安定な立場に立たされていたらどうなったか分からない」とブログで感想をつづっている。怒鳴ることは当たり前、検事たちはあの手この手を使いながら立件を急ぐ。ここではまず、手段をいとわない「拷問」の様子を『リクルート事件・江副浩正の真実』から紹介する。
丸裸にされ、肛門にガラス棒を突っ込まれる
拘置所に入るときのこと。財布、鍵、時計などの所持品が取り上げられた江副氏は、丸裸にされ、10人ほどの看守が見ているところを歩かされたという。そしてなんと突然肛門にガラスの棒を突っ込まれ、棒を前後に動かされたと述べている。これは「カンカン踊り」という、拘置所に入る際の儀式で表向きは痔の検査と説明されるという。江副氏は「どう考えても不必要な“痔の検査”だった。」と思い返している。
壁に向かって立たされる
取調べの最中、江副氏はたびたび壁に向かって立たされたという。NTTルートを捜査する神垣検事に怒鳴られるがまま、壁に立たされる様子を江副氏は本書内で以下のように克明に表現している。
「立てーっ! 横を向けっ! 前へ歩け! 左向けっ左っ!」壁のコーナーぎりぎりのところに立たされた私の脇に立って、検事が怒鳴る。「壁にもっと寄れ! もっと前だ!」鼻と口が壁に触れるかどうかのところまで追いつめられる。目をつぶると近寄ってきて耳元で、「目をつぶるな! バカヤロー! 俺を馬鹿にするな! 俺を馬鹿にすることは、国民を馬鹿にすることだ! このバカ!」と、鼓膜が破れるのではないかと思うような大声で怒鳴られた。(中略)しばらくすると壁が黄色く見えてくる。目が痛くて、瞳孔が縮んだせいか壁に黄色いリングが見える。悲しくないのに涙が出てきた。
もちろん足への負担も尋常なものではない。江副氏は毎晩布団の中で足首を曲げ伸ばしし、血行を良くして寝るようにしていたという。そんなことが毎日続く、まさに現代の拷問とも言うべきことである。
土下座させられる
神垣検事は「直接(江副氏が)眞藤に電話をしてコスモス株の話を持ちかけたのではないか」と捲し立てる。しかし、全く身に覚えがない江副氏はそれを否認。しかし、ある夜の取調べが始まってすぐ、神垣検事が突然取調室を出ていき、その20分後取調べに戻り、声を荒げてこう言った。「おまえは嘘をついていた! 眞藤はさっき落ちた! 眞藤はお前から直接電話を受けたと話している!」。神垣検事は江副氏の椅子を蹴り上げ、土下座を命令。江副氏はこのとき恐怖心からか抵抗力を失い、「嘘を申し上げてきました」と発言し、調書に署名してしまう。しかし、江副氏が保釈後、開示された眞藤氏の調書を見てみたところ、眞藤側の調書には「(江副氏から)直接電話は受けた」という記載はなく、“切り違え尋問”に引っかかってしまったという。この“切り違え尋問”は本来は違法な捜査手法だが、思うように調書が取れないと、検事はそういった手段を取ってくることもあるという。江副氏はあまりの取調べの辛さに、自殺することも考えていたという。発作的に屋上に上って飛び降りたくなるという危険な精神状態に陥り、墓の準備もしていた。また、医師に睡眠薬の致死量をそれとなく聞いたこともあったという。またこうした拷問のような取調べのほかにも、他にも検事が新聞の報道を持ち出しながら取調べを進めたり、報道や世論の元に検察が動くという構造に対し、江副氏は鋭く迫っている。しかし、江副氏は本書の「あとがきのあとがき」でこのように語る。
「本書では、検察に対して非難めいたことを書いてはいるが、私としては、取調検事個人への恨めしい気持ちはまったくない。厳しい取調べは取調検事の職務意識から発したことと思っている。検事はいずれも職務を忠実に実行された人々であり、陰湿なところのない分かりやすい人たちであった。問題は、取調べが密室で行われていて、取調状況のすべてが可視化されず検察官調書に重きが置かれる現行の司法制度にあると私は思っている。」
2009年5月から裁判員制度がはじまり、「市民の視線で人を裁く」という試みがスタートした。しかし、その前の段階、取調の状況が可視化されない限り、どこかで歪みが生じているのは間違いないだろう。江副氏が提示した「司法制度の穴」をどう埋めていくのか、これは今後の日本の司法が課せられた課題である。 
 
宇野宗佑 

 

1989年6月3日-1989年8月10日(69日)
リクルート事件発覚と消費税導入により支持率が急落した竹下登首相が、1989年(平成元年)4月25日に辞意を表明した。しかし、ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら自民党の有力者は軒並みリクルート事件に関与していたため身動きが取れず、河本敏夫は三光汽船経営危機問題から敬遠され、さらに伊東正義や坂田道太、後藤田正晴からも断られて後継の総理総裁選びは難航する。
そこで、主要閣僚の中でリクルート事件との関連性が薄く、総理総裁任期を満了した中曽根の派閥ナンバー2であり、サミットが近かったこともあり外相であった宇野に白羽の矢が立ち、宇野が急遽後継総裁に擁立される事になった。6月2日、宇野外相は自民党両院議員総会で全会一致に出来ずに異例の「起立多数」で第13代自民党総裁に選出される。自民党史において、派閥領袖ではない自民党総裁は宇野が初めてであった(鈴木善幸は就任当時こそ派閥領袖ではなかったが、間もなく派閥領袖となっている)。
1989年(平成元年)6月3日、宇野内閣が発足。党三役の経験も無く知名度が低かった宇野だけに、就任当初はメディアで宇野について紹介する特集が組まれたこともあった。閣内にはリクルート事件と関係の薄い人物を優先的に登用し、クリーンな内閣というイメージを作ろうと奔走する。
しかし、この急造内閣も宇野自身のスキャンダルに足をすくわれることとなる。宇野が首相に就任した3日後に、『サンデー毎日』(毎日新聞)が神楽坂の芸妓の告発を掲載し、宇野の女性スキャンダルが表面化。初めは国内の他のマスコミは無視したが、外国メディアに「セックススキャンダルが日本の宇野を直撃」(ワシントンポスト紙)等と掲載されると、それが引用される形で日本で話題となった。
また同年6月28日には宇野が進退について言及したとの憶測が飛びメディアに辞意表明と報道される。大下英治によると、この騒動の原因は、当時自民党国会対策副委員長を務めていた糸山英太郎が、記者懇談で愛嬌のつもりで言ったオフレコ発言が一人歩きした結果だという。また急造内閣だったため、総理と執行部の連携がうまくいかなかったことも原因として挙げられる。
1989年(平成元年)7月の第15回参議院議員通常選挙は、従来の3点セット(リクルート問題、消費税問題、牛肉・オレンジの輸入自由化問題)に加え宇野首相の女性問題が争点となり、さらにいわゆるマドンナブームが止めを刺し、自民党は改選議席の69議席を大幅に下回る36議席しか獲得できず、特に一人区では3勝23敗と惨敗。参議院では結党以来初めての過半数割れとなる(これ以降2010年現在まで自民党は参院選後の単独過半数を確保できていない)。
翌日、宇野は敗北の責任をとり退陣を表明。会見での「明鏡止水の心境であります」との言葉が有名になった。当初はここまで敗北したからには宇野一人の責任にできないと言う意見も党内にはあったが、結局同年8月8日には自民党両院議員総会で海部俊樹が新総裁に選出された。宇野の総理在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わった。
1989

 

宇野総裁時代
第十三代宇野宗佑総裁は、自民党三十数年の長期政権のなかでも、最も困難な時期に誕生した総裁でした。総裁選出までの過程もさることながら、その後の経過はさらに厳しいものがありました。なによりも参議院選挙が一ヵ月半の後に迫っており、それまでに、政治改革に一応の目途をつけ、選挙に臨む体制づくりを行う必要がありました。国会では、予算は五月末に、三十五年ぶりの自然成立をしたものの、予算関連法案ほか重要法案の成立をはかるために、参議院選挙の告示ぎりぎりまで延会しなければなりませんでした。また、宇野首相就任と時期を同じくして、中国では天安門事件という流血の惨事が起こり、選挙前の七月中旬に開催されるパリのアルシュ・サミットで、隣国で関係の深い日本がどう対応するかが注目されました。
こういう情勢のなか、宇野首相は六月五日の所信表明演説で、竹下前内閣の推進してきた内外政策を継承する意思を明らかにし、「政府はスリムに、国民は豊かに」という基本的考え方のもとに、この内閣を「改革前進内閣」と名付けたいと述べました。しかし、参議院選挙の動向を占うとされた六月末の参議院新潟選挙区補欠選挙では、自由民主党候補が社会党の新人女性候補に大差で敗れ、自由民主党に対する逆風がますます厳しくなっていることを窺わせました。さらに、参議院選挙公示直前の東京都議会議員選挙では、消費税が最大の焦点となり、開票の結果、自由民主党は二十議席を失い、社会党は議席を三倍に伸ばしたのです。
宇野首相は、妻子も含めた閣僚および政務次官の資産公開等を行うほか、六月中旬には、「政治改革推進本部」を設置して、政治倫理、国会改革、党改革、選挙制度、政治資金、企画等の委員会を発足させるなど、政治改革の実践に取り組む一方、アルシュ・サミットでは、日本は第三次円借款の協議凍結等で西側の制裁措置には同調するものの、中国を国際的孤立に追いこむことのないようにというわが国独自の主張をするなどの外交努力を行いました。
しかし、七月の第十五回参議院議員選挙では、いわゆる三点セット、すなわちリクルート問題、消費税問題、農産物自由化問題が大きな争点となり、自由民主党は、全国いたるところでかつてない苦戦を強いられ、予想を超えた敗北を喫しました。当選者は比例区・地方区あわせてわずか三十六議席と改選議席の六十九議席を大幅に下回ったのに対して、社会党は改選議席の二倍を越す四十六議席を獲得しました。その結果、自由民主党は非改選議席とあわせても、過半数を大きく割り込み、参議院で与野党勢力が逆転するという立党以来最大の危機を迎えたのです。選挙の翌日、宇野総裁は、「敗戦の一切の責任は私にある」と述べて、退陣の意思を表明しました。
党執行部は、八月八日に党大会に代わる両院議員総会を開き、投票による後継総裁の選任を行うことを決しました。この総会で、後継総裁が決定するまで、宇野総裁の任期は六十七日、自民党史においては、石橋総裁と並ぶ短命で非運の政権となりました。  
首相になった経緯
リクルート事件発覚と消費税導入により支持率が急落した竹下登首相が、1989年(平成元年)4月25日に辞意を表明した。しかし、ポスト竹下と目されていた安倍晋太郎、宮澤喜一、渡辺美智雄ら自民党の有力者は軒並みリクルート事件に関与していたため身動きが取れず、河本敏夫は三光汽船経営危機問題から敬遠され、さらに伊東正義や坂田道太、後藤田正晴からも断られて後継の総理総裁選びは難航する。そこで、主要閣僚の中でリクルート事件との関連性が薄く、総理総裁任期を満了した中曽根の派閥ナンバー2であり、サミットが近かったこともあり外相であった宇野に白羽の矢が立ち、宇野が急遽後継総裁に擁立される事になった。6月2日、宇野外相は自民党両院議員総会で全会一致に出来ずに異例の「起立多数」で第13代自民党総裁に選出される。自民党史において、派閥領袖ではない自民党総裁は宇野が初めてであった(鈴木善幸は就任当時こそ派閥領袖ではなかったが、間もなく派閥領袖となっている)。
内閣発足と女性スキャンダル
1989年(平成元年)6月3日、宇野内閣が発足。党三役の経験も無く知名度が低かった宇野だけに、就任当初はメディアで宇野について紹介する特集が組まれたこともあった。閣内にはリクルート事件と関係の薄い人物を優先的に登用し、クリーンな内閣というイメージを作ろうと奔走する。しかし、この急造内閣も宇野自身のスキャンダルに足をすくわれることとなる。宇野が首相に就任した3日後に、『サンデー毎日』(毎日新聞)が神楽坂の芸妓の告発[23]を掲載し、宇野の女性スキャンダル[24]が表面化。初めは国内の他のマスコミは無視したが、外国メディアに「セックススキャンダルが日本の宇野を直撃」(ワシントンポスト紙)等と掲載されると、それが引用される形で日本で話題となった。また同年6月28日には宇野が進退について言及したとの憶測が飛びメディアに辞意表明と報道される。大下英治によると、この騒動の原因は、当時自民党国会対策副委員長を務めていた糸山英太郎が、記者懇談で愛嬌のつもりで言ったオフレコ発言が一人歩きした結果だという。[要出典]また急造内閣だったため、総理と執行部の連携がうまくいかなかったことも原因として挙げられる。
選挙惨敗と退陣
1989年(平成元年)7月の第15回参議院議員通常選挙は、従来の3点セット(リクルート問題、消費税問題、牛肉・オレンジの輸入自由化問題)に加え宇野首相の女性問題が争点となり、さらにいわゆるマドンナブームが止めを刺し、自民党は改選議席の69議席を大幅に下回る36議席しか獲得できず、特に一人区では3勝23敗と惨敗。参議院では結党以来初めての過半数割れとなる(これ以降2010年現在まで自民党は参院選後の単独過半数を確保できていない)。翌日、宇野は敗北の責任をとり退陣を表明。会見での「明鏡止水の心境であります」との言葉が有名になった。当初はここまで敗北したからには宇野一人の責任にできないと言う意見も党内にはあったが、結局同年8月8日には自民党両院議員総会で海部俊樹が新総裁に選出された。宇野の総理在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に終わった。  
総理を降ろした三本指の女とその後
「今何時だ」が最後の言葉
1989年6月6日、内閣総理大臣・宇野宗佑(うの・そうすけ)の女性スキャンダルを週刊誌「サンデー毎日」がスクープした。神楽坂の芸妓の中でも凄い美貌の持ち主だった中西ミツ子に、宇野が「もし自分の愛人になってくれたらこれだけ出す」と言って自分の指を三本出したという(30万という意味、本人は300万円だと思って、それが怒りの元という説もある)。中西ミツ子は、このような人物が日本の総理大臣であってはいけないと考え、マスコミにこの事実をリークした。(中西本人がTV出演した際に語っている)。このスクープは同年7月の第15回参議院議員通常選挙において、争点となったいわゆる3セット(リクルート問題、消費税問題、宇野首相の女性問題)のひとつとなり、自民党は改選議席の69議席を大幅に下回る36議席と惨敗した。宇野の総理在任期間はわずか69日、日本政治史上4番目の短命内閣に
終わった。宇野宗佑はそのスキャンダルの約9年後の1998年5月19日に死去、75歳だった。死因は肺癌だったが、怖がりの本人には知らされなかった。「今何時だ」が最後の言葉だったという。さて、話を中西ミツ子の方に戻して・・・・
仏の道
芸者にあるまじき―――などという声もあったという。「私だって芸者の立場というものは理解していました。あの角栄さんだって、芸者のお妾さんがいましたが、角栄さんなりにその女性を尊重していたと思います。そうした心遣いが宇野さんにはまったく欠けていた。粋じゃなかったのよ」 三本指の女と言われた彼女はその後、好奇の目にさらされた。「どこに行ってもじろじろ見られる。東京にいることができなくなりました」 ぱっちりした目、ぽってりとした唇は今でも面影が残り、 ひと目で彼女と分かる。「両親はすでに他界し、離婚した夫や、息子とも会っていませんから、行くあてもない。自分を見つめ直そうと、知り合いの紹介で滋賀県にあるお寺の内弟子にして頂いたんです。」 朝4時半に起床して、雑巾がけの毎日。しかし、そこもマスコミがかぎつけた。仏の道は断念し、新聞の求人欄で見つけた浅草の仏具店で働きだす。給料は10万円ほどだった。独りで生きていくには手に職をつけようと、理容学校に通ったが、授業料が払えず、断念。赤坂の理容店で受付から始めた。「頭部マッサージやアロマテラピーを学ぶうち、いつか独立しようと、マッサージ学校へ通い始めました」 そんな折、マッサージ店の従業員募集を知る。「そのお店の店長格で働いていた6歳年下の男性が再婚相手。二人とも高給取りではないけれど、この人ならと97年11月に入籍し、3度目の応募で都営住宅に入ることも出来ました」
血だらけで戻ると
48歳で人生の再スタートを切ったミツ子さんはやがてマッサージ師として独立。都内の一流ホテルにも登録すると、お得意もできた。月給は30万円ほどになったが、今度は夫が働かなくなり、彼女の給料は夫の酒代に消えていった。「仕事返りに雨に濡れた歩道で自転車ごと転んで血だらけで戻ると、酔っぱらった夫に我慢できなかった。用意した離婚届けを提出したのが08年の10月」 バツ2となった彼女は今も都営住宅に住み続けている。もはや再婚は考えていないという。芸者から、仏の道へ。そして美容師をめざしたが断念し、今度はマッサージ学校へ。新たなお店で店長格の年下と再婚。マッサージ師として独立したが今度は再び、離婚。なにかバタバタと忙しい人生だし、ドラマチックでもある。 
 
海部俊樹  

 

1989年8月10日-1990年2月28日(203日)
1990年2月28日-1991年11月5日(616日)
宇野宗佑が第15回参議院議員通常選挙の大敗北により辞任することになったが、宇野を指名したのが竹下派であったため、竹下派からは宇野の後任の総裁選への出馬を見送ることになった。リクルート事件で有力政治家が謹慎している中で、極端な世代交代を避けたかった竹下が、「時計の針を進めず、戻さず」として年齢の割に当選回数があり、かつ同じ稲門(早稲田大学)として近い関係にあった海部を首相にする構想を打ち出したことから、思いがけず総理総裁の座が転がり込んできた(派閥の長である河本敏夫も総裁候補の一人だったが高齢などのため見送られ、河本は海部を支える姿勢を明確にした)。自民党総裁選では海部の他に、林義郎と石原慎太郎が出馬したが、竹下派の支持を得た海部が両者をおさえて自民党総裁に選ばれた。
参院選の結果、自民党が過半数割れに追い込まれたことにより、ねじれ国会に突入した。自民党が依然過半数を占めていた衆議院は海部俊樹、野党が過半数を確保した参議院は日本社会党委員長の土井たか子を指名した。日本国憲法第67条第2項の規定に基づき、両院協議会にて協議されたが両院の意見は一致せず、衆議院にて指名された海部が内閣総理大臣に就任した(衆議院の優越)。
海部が首相に就任した頃は、いわゆるリクルート事件などで国民の間に政治不信が強まっていた。それだけに、清新なイメージで颯爽と登場した海部に寄せられた党内外の期待感は大きかった。組閣においてはリクルート事件にかかわったとされる政治家を排除(リクルート・パージ)し、リクルートと関係の薄い政治家を優先的に登用した。このため党内の不満が高まり、後の政治改革法案が廃案になる遠因にもなった。第1次海部内閣発足の直後、山下徳夫内閣官房長官の女性スキャンダルが発覚。海部はすぐさま山下を更迭し森山真弓環境庁長官を横滑りさせて女性初の官房長官を誕生させたり、様々な行事に夫婦同伴で出席するなどして女性層の支持拡大を目指し、1990年の第39回衆議院議員総選挙で大勝する。
党内基盤が脆弱であった海部は自民党にとってはその場しのぎの「看板」でしかなく、党内は相変わらず権力闘争に明け暮れていた。石原信雄の回顧録には「海部さんは重大な法案などを決める時には金丸、竹下両氏の判断を仰いでいた。」と記されており、自民党幹事長を務めていた小沢一郎は「海部は本当に馬鹿だな。宇野の方ががよっぽどましだ」と酷評し、金竹小と評された竹下派実力者三人が海部首相以上に強い影響力を持っていた。自民党総裁にして内閣総理大臣でもある海部は、本来味方であるはずの自党に振り回され、小選挙区導入反対派の加藤紘一、山崎拓、小泉純一郎の「YKK」などによる党内からの猛烈な倒閣運動を受けた。しかし、圧倒的な世論の支持が海部を守った。首相でありながら実権を小沢や金丸、竹下らに握られ、頼りないイメージが強かったが、湾岸戦争における経済的な協力や掃海艇派遣では驚異的なねばり腰を見せ、法案成立にこぎつけている。このことに限らず、外交面では当時のサッチャー英首相やブッシュ米大統領から絶大な信頼を得ていた。天安門事件後、世界から孤立しかかった中国に西側先進国首脳として真っ先に訪問し、円借款を再開させたことには現在でも中国から感謝され「井戸を掘った人」として尊敬されている。
海部自身は、「中国に対して原則を貫いた」と語り、天安門事件の犠牲者の冥福を祈るため、訪中時に天安門広場で献花を行ったという。事実であれば、他国の現職首脳が訪中時に自由に行動できるわけもなく、海部による天安門事件の犠牲者追悼は中国政府による了承のもとでの行為だったことになる。
政策の目玉として取り組んだ政治改革関連法案が国会で審議未了廃案となったことを受け、「重大な決意で臨む」と発言。これが衆議院の解散を意味する発言であると受け取られた。首相にとって「伝家の宝刀」の異名を持つ解散権は、総理大臣の専権事項である。しかし、自民党内の反海部勢力から大反対の合唱がおこった(海部おろし)。最後には海部をバックアップするはずだった竹下派でさえ明確に解散不支持を表明し、結局解散に踏み切ることが出来ず、また、この出来事により次期自民党総裁選挙で最大派閥でそれまで海部を支持してきた竹下派が海部の不支持を表明。宮沢喜一、三塚博、渡辺美智雄ら反海部の派閥の領袖たちが総裁選に立候補を表明した。これにより海部を支持するのは自身の派閥かつ小派閥の河本派だけになり、総裁選に再選できる道は閉ざされ内閣総辞職に追い込まれた。このことで海部は後に「重大な意思で臨む」を何者かにより「重大な決意で臨む」に置き換えられたと語り、意図的に海部を総理の座から引きずり降ろす動きがあったことを暗に示唆している。
在任中は竹下派に手足を縛られ、思い通りの政権運営をなせないままの退陣となったが、決定的な失政があったわけでもなく、本人のクリーンで爽やかなイメージは根強い国民の支持を得続けた。在任中の内閣支持率は高い時で64%、退任直前でさえも50%を超えており、煮え切らない不完全燃焼の中での退陣となった(当時は派閥や自民党を支持していた業界の力が強く総理個人の人気に左右されることは現代に比べて少なく、内閣支持率は政治家にとって重要視されてはいなかった)。
首相在任日数818日間は日本国憲法下において衆議院で内閣不信任決議が採決されなかった内閣の首相としては最長日数記録である。  
施策
皇室
1990年は秋篠宮文仁親王結婚の儀、今上天皇即位の礼・大嘗祭等重要な皇室行事が続いたが、海部はすべて問題なくこなした。とりわけ即位儀礼は日本国憲法下初の挙行であったため儀式にも慎重に手が入れられたが、それぞれの儀礼は滞りなく進んだ。ただし、即位式の装束については宮内庁の要請を退けて衣冠束帯ではなく史上初めて洋装で出席した。今上天皇は儀式にあたりその細かい部分について海部に直接相談したり、二人だけで話し込んだりすることもあった。今上天皇は海部と年齢が近いこともあり話しやすく感じていたようであり、個人的な信頼関係が生まれていたと言われる。
湾岸戦争
資金提供湾岸戦争の戦費として多国籍軍に130億米ドルもの資金を提供。しかし、戦後クウェートの新聞に載せられた感謝広告に日本の国旗が無かったが、その後改められた。この施策に関し保守層からは金だけだして人出さない、似非国際貢献、一国平和主義と罵られ左派からも「アメリカの言いなりになり無駄金を拠出した。」と強く批判されるなど左右の知識人から強い批判を浴びた。PKO法案、自衛隊ペルシャ湾派遣湾岸戦争の停戦後に、自衛隊創設以来初の海外実任務となる海上自衛隊掃海部隊をペルシャ湾に派遣する。
自民党離党、自由改革連合代表、新進党党首へ
1994年6月29日、自民党総裁の河野洋平が、党の政権復帰のため日本社会党、新党さきがけと自社さ連立政権構想で合意し、首班指名で社会党の村山富市に投票することを決めると、これを拒否して離党。同じく造反した津島雄二の説得により、旧連立与党である新生党や日本新党から首班指名の統一候補として担がれるも、自民党からの造反は期待されたほどは起こらず、決選投票で敗れることになる。その数日後正式に離党し自由改革連合を結成し代表に就任、新進党を結党し初代党首となる。
自民党復党、落選、政界引退
新進党分党後は1年1ヶ月の無所属暮らし(院内会派「無所属の会」)を経て、自民党との連立政権に加わった自由党に入党。2000年の同党分裂の際には、自民連立継続派の保守党に所属する。
保守新党に改組して臨んだ2003年に第43回衆議院議員総選挙では、民主党の新人岡本充功に比例復活を許したが、小選挙区勝利で連続当選記録を伸ばし、選挙直後に吸収合併される形で自民党に復党した。復党後は古巣河本派の後継である高村派には戻らず、二階俊博ら一緒に復党した旧保守新党議員らと二階グループを結成した。
自民党復党の折には、安倍晋三自民党幹事長(当時)から復党を「諸手をあげて歓迎します」と言われ、離党した際に撤去された海部の肖像画も再び掲額された。
しかし、院内に銅像が建てられる名誉議員を目指して強行出馬した(過去の名誉議員は尾崎行雄と三木武夫、中曽根康弘・原健三郎・櫻内義雄は名誉議員称号はなく50年永年在職議員特別表彰のみ。海部本人は著書『政治とカネ』の中で銅像狙いの出馬を否定している)2009年の第45回衆議院議員総選挙にて、小選挙区で岡本充功に敗れた。比例代表候補は73歳未満と定めた党規に抵触し重複立候補が許されなかったため落選し、同日政界引退を表明。海部は総理大臣在任中の成果を強調し選挙に挑んだが、海部の首相時代を知らない若い世代の有権者が増えた事も落選の一因と見られている。首相経験者が落選したのは、1963年の第30回衆議院議員総選挙の石橋湛山、片山哲両元首相以来46年振り、自民党総裁経験者としては石橋以来2人目である。
1989-1991

 

海部総裁時代
宇野内閣の退陣表明にともなう平成元年八月八日の総裁選出は、党大会に代わる両院議員総会で、両院議員と地方代議員の投票によって行われました。出馬したのは林義郎、海部俊樹、石原慎太郎の三候補でしたが、海部候補が過半数を獲得して、第十四代総裁に就任しました。国会の首班指名では、衆議院で海部総裁が、参議院で社会党の土井委員長が指名され、衆議院の議決が優先されて、海部総裁の就任が決定しました。なお、新総裁の任期がこの年十月末までの前総裁の任期を受け継ぐものであったため、十月六日に総裁選挙を告示、候補者は海部総裁一名であり当選。十月三十一日の第五十一回臨時党大会に報告し、海部総裁の再任が決定しました。
海部新首相は、九月末に開会した百十六回臨時国会における所信表明演説で、「対話と改革の政治」を旗印として「公正で心豊かな社会」を目ざすと、その政治姿勢を明らかにしました。政策面では、消費税について国民の声をよく聞き、消費者の立場を十分考慮して、見直すべき点は思い切って見直していくと述べるとともに、対外的には、竹下内閣以来の「国際協力構想」をいっそう積極的に推進すると、従来路線を継承する意思を示しました。また、社会の公正さに対する国民の信頼を揺るがしている原因として、特に地価の異常な高騰をあげ、宅地・住宅対策に積極的に取り組むと述べました。
この国会は、参議院選挙勝利の余波をかって、消費税を廃止に追いこみ、あわよくば政権の座を奪おうとする野党と自由民主党との対決の国会となりました。社会、公明、民社、連合の四会派は共同して、消費税廃止関連九法案を参議院に提出し、これを通過させましたが、審議の過程で多くのミスがあることが分かり、法案は修正を余儀なくされました。これに対して自由民主党は、精力的に国民の意見を聞き、十二月はじめに、飲食料品について軽減税率の適用、入学金や出産費、家賃等を非課税、総額明示方式等を盛り込んだ、消費税見直し案を決定し、その関連法案を次期通常国会に提出することとしました。
平成元年は、わが国政治における大きな変動の年でしたが、国際情勢はこれよりさらに大きな変動に見舞われました。
まずアジアでは、天安門事件という不幸な出来事はあったものの、三十年ぶりに中ソ間の国交が正常化されました。また、欧州では、ソ連のペレストロイカとグラスノスチが東欧諸国に波及し、誰の目にも社会主義による政治と経済の失敗が明らかになりました。各国がそれぞれに市場経済と民主化を模索しはじめましたが、とりわけ東ドイツでは、社会改革を要求するデモと大量の市民の西側への脱出がはじまり、政権の交代のなかで、十一月、ついにベルリンの壁が崩壊し、分断ドイツの再統一問題が浮かび上がりました。これをきっかけに東欧各国はなだれを打って社会主義からの離脱を表明し、さらにソ連を含めて各国で、民族自決を求める動きが顕在化したのです。
さらに、米ソ首脳は十二月に地中海のマルタ島で会談し、「東西冷戦の終結」を宣言しました。これは第二次世界大戦以来の世界秩序の枠組みとなってきたヤルタ体制の終焉を示すもので、世界はこの時から新たな秩序構築に向けて進むことになりました。
国内の最大の関心事は、言うまでもなく総選挙の日程でしたが、海部首相は、平成二年一月の百十七回通常国会の冒頭に衆議院を解散し、第三十九回総選挙の幕が切って落とされました。
野党は前年の参議院選挙での勝利の再現を夢み、再び消費税を争点にして、衆議院でも自由民主党を過半数以下に陥れようと画策しました。マスコミもこれを最大の焦点と煽り立てました。しかし、実施以来一年近い時日を経た消費税はすでに国民の間に根づきはじめていたのです。
二月十八日の投票の結果、自由民主党は過半数を割るどころか、安定多数をはるかに上回る二百七十五議席を獲得しました。国民は参議院選挙後わずか七ヵ月で再び自由民主党を信任したのです。社会党も一三六議席と善戦しましたが、公明、共産、民社はいずれも大きく後退しました。
二月末日、第二次海部内閣は発足し、首相は百十八回特別国会で、就任以来初の施政方針演説を行い、総選挙で自民党が安定多数を確保したものの、参議院で与野党逆転が続いていることをふまえ、「国民的合意を目指す」と対話を重視する姿勢を強調しました。続いて、日米首脳会談のため米国へ飛び、ブッシュ大統領とのあいだで、日米構造協議について懇談しました。米側は、新通商法三〇一条の対象品目を上げて解決を迫り、首相は、「新内閣の重要課題の一つとして力強く取り組む」と述べました。
この間にも自由民主党は政治改革の実現に向かって、精力的に取り組みました。自由民主党は、「党基本問題プロジェクトチーム」を発足させて、選挙制度改革に関して討議を深めるとともに、国会改革については、議会制度協議会を開いて、野党側の協力を求めるなど、精力的な活動を続けました。
こうした間にも、国際情勢は思いもよらぬスピードで展開を見せました。ソ連では、リトアニアの独立宣言を皮きりに、各共和国がそれぞれに自立を宣言し、最大のロシア共和国までが主権宣言を採択しました。東ドイツでは初の自由選挙が行われましたが、保守派のドイツ連合が勝利して、西ドイツへの編入によるドイツ統合が一挙に加速され、七月一日の通貨統合、十月三日の国家統一が決定されたのです。
アジアでも大きな変化が進みました。六月には「カンボジア和平に関する東京会議」が開催され、国民政府の代表とプノンペン政府の代表が自発的停戦をうたった共同コミュニケに調印しました。これは、戦後はじめて国際紛争に直接関与するわが国の調停で行われた意義深い会議です。また同じ六月、韓国の盧泰愚大統領は、米国サンフランシスコでゴルバチョフ大統領と電撃会談を行い、韓ソ国交の樹立の近いことを窺わせ、これが九月末の両国の国交正常化につながるのです。さらに朝鮮半島では南北の対話が進み、九月に南北首相会談が開催の運びとなりました。
世界は全体として、自由と民主主義を基調とする平和と安定の道をたどりつつあると思われましたが、八月初頭に起こったイラク軍のクウェート侵攻は、世界のひとびとを驚愕させました。国連安保理事会は直ちにイラク軍の即時無条件撤退要求を、続いて経済制裁を決議し、わが国もいち早くこれに同調して、石油輸入の禁止、投融資等の停止、経済協力の凍結等の措置を決めました。しかし、それにもかかわらずイラク軍は南進を続けたので、米国はじめ西側各国は軍隊を派遣して多国籍軍を形成し、アラブ首脳会議もアラブ合同軍の派遣を決定しました。また、ソ連も軍艦を出動させるなど、世界は上げて、イラクのクウェート侵攻に立ち向かったのです。これらに対してイラクはクウェート在住の外国人を人質とする作戦に出ましたが、国連安保理事会はさらに、経済制裁の実効性を確保するため、限定的な武力行使を認める決議を行いました。
わが国にとっての問題は、紛争解決に向けて、どのような具体的な貢献策を打ち出すべきかということでした。海部首相は、予定されていたサウジなど中東地域への訪問を取りやめ、代わりに中山外相を派遣して、各国と意見を交換させることにしました。外相の帰国後、政府は八月末、中東支援策として、各種輸送、資機材の提供、医療団の派遣、資金協力などを決め、このため多国籍軍への十億ドル協力と、周辺諸国と難民支援のための一千万ドル援助を発表しました。九月末には、海部首相が中東支援第二弾として、多国籍軍にさらに十億ドル、周辺諸国への政府開発援助として二十億ドルを決定するとともに、資金面の協力のみならず、人的面の協力を行うために、国連平和協力法を制定することを提唱しました。
海部総裁は政治改革関連法案が廃案となった責任をとり、任期満了に伴う平成三年十月に予定された総裁選挙への立候補を辞退しました。 
 
宮澤喜一 

 

1991年11月5日-1993年8月9日(644日)
1991年(平成3年)、海部俊樹首相の退陣に伴う総裁選挙で勝利、73歳にして内閣総理大臣に就任した。参議院議員経験者としては初めての内閣総理大臣である。
保守本流のエース、国際派の総理大臣として大きな期待がかかったが、竹下派の支配下にあって思い通りの政権運営はままならなかった。在任中の施策としてはPKO協力法の成立と、それに伴う自衛隊カンボジア派遣がある。その過程で派遣された文民警察官と国連ボランティアが殺害された際に「PKO要員の殺害は止むを得ない。」と発言し批判を浴びた。
訪中した際には反日団体から生卵を車列にぶつけられた。天皇の戦後初の訪中も実現させている。首相退任直前に慰安婦問題についての河野談話を発表し謝罪の意向を表明したが、一部の保守派論壇から非難された。
またバブル景気崩壊後の金融不安を巡って、1992年(平成4年)8月中旬に日銀総裁であった三重野康と歩調を合わせて東証閉鎖・日銀特融による公的資金投入というシナリオを密かに模索したが、大蔵省の反対により一旦断念。なおも30日の自民党の軽井沢セミナーで金融機関への公的援助発言をする。地価や株価等の資産価格の大幅な下落から、今までの景気後退とは質が違うとし、公的資金を投入しても不良債権を早期に処理する必要性があると発言したものであった。しかし官庁、マスコミ、経済団体、そして当の金融機関自身からの強い反対にあい実行に至らなかった。その結果、宮沢喜一はその決定を取り下げなければいけなくなり、この事により銀行への公的資金投入による不良債権処理はタブーとなり、その後は何年にもわたり日本の政治家は誰一人としてこの事を言えなくなってしまった。宮沢がこの発言をした背景には、英経済紙フィナンシャル・タイムズが日本の不良債権額を、大蔵省の発表額の数倍である50兆円に達すると報じたのを、たまたま目にしたことがあったというが、そのような危機意識を国内で共有していたのは、三重野以外に存在しなかったという。
折からリクルート事件などを巡って高まっていた政治改革の機運の中で、宮澤は政治改革関連法案の成立を目指したが、自身は必ずしも小選挙区制をはじめとする政治改革に積極的ではなかった。竹下派から分かれた小沢・羽田グループ(改革フォーラム21)は宮澤のそのような姿勢に反発を強め、1993年(平成5年)6月に内閣不信任案が提出されると賛成にまわり同案は可決された。自民党は大量の離党者を出したまま総選挙を行うも新生党、新党さきがけなど自民党から離れた議席を回復することが出来ず日本新党を中心とした野党勢力に敗れ、細川護熙に政権を明け渡す。宮澤は自民党長期支配38年の最後の首相となった。宮澤は第15代自民党総裁だったために、同じく15代目で政権を明け渡した徳川慶喜になぞらえ「自民党の徳川慶喜」といわれた。
再び大蔵大臣に
その後は村山内閣で外相在任中の河野洋平から駐米大使を打診されたが固辞、1996年(平成8年)初めて小選挙区比例代表並立制で実施された第41回衆議院議員総選挙では重複立候補していない新進党公認柳田稔との現職対決に圧勝で再選、1998年(平成10年)に小渕内閣が発足すると、未曾有の経済危機に対処するため小渕恵三首相は宮澤に大蔵大臣就任を要請。当初は難色をしめしていたが、小渕の強い熱意のもと就任を受諾。戦前に活躍した高橋是清と同様、異例の総理大臣経験者の蔵相就任となったため、「平成の高橋是清」などといわれた。首相経験者の閣僚は幣原内閣の米内光政海相以来53年ぶり。
折からの金融危機に対処するため金融再生関連法・金融健全化法を成立させ、またアジア通貨危機にあたっては「新宮澤構想」に基づき300億ドルに及ぶ経済支援を行った。続く森内閣でも蔵相に留任し、初代財務大臣となる。
小渕・森内閣両期を通じて巨額の恒久的減税の一方で財源として一貫して大量の赤字国債を発行し続け、財政赤字は膨大なものとなった。こうした極端な積極財政を主導したことも、高橋是清になぞらえて呼ばれるようになった理由の1つである。金融危機を脱した後は経済は概ね好調だったが、財政再建に乗り出す時間的余裕は与えられないまま、森内閣の退陣とともに宮澤も退任した。
1991-1993

 

宮沢総裁時代
平成三年十一月五日、海部内閣の退陣を受けて召集された臨時国会で宮沢喜一自民党総裁が首相に指名され、宮沢内閣が発足しました。マスコミはこの内閣を「保守本流政権の登場」と論評しました。
これに先立ち、十月二十七日に自民党本部八階ホールで行われた自民党総裁選で、宮沢喜一氏は第十五代総裁に選ばれました。選挙は、渡辺美智雄氏、三塚博氏との三つ巴の争いで、宮沢氏二百八十五票、渡辺氏百二十票、三塚氏八十七票という結果でした。宮沢内閣が本格派政権と呼ばれたのは、宮沢首相が早くから総裁候補といわれ、ポスト中曽根政権を争った竹下登前首相、病に倒れて政権への望みを断たれた安倍晋太郎元幹事長の三人の「ニュー・リーダー」の最後の一人だったためです。宮沢首相が政策通として米国をはじめ海外での知名度が高かったのも本格派とされた理由のひとつでした。
折から、不可避となったソ連邦解体など国際情勢は激動の気配が高まる一方、国内はバブル崩壊の兆しを見せはじめた経済状況の下で激化する日米通商摩擦への対応を迫られるなど、日本政治をとりまく環境は極めて厳しいものでした。
発足した宮沢内閣には(1)国連平和維持活動(PKO)協力の推進(2)コメ自由化が焦点の関税・貿易一般協定(GATT)の新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)への対応(3)政治改革 の三つの大きな課題が待ち受けていました。宮沢首相は、党に綿貫民輔幹事長、内閣に渡辺美智雄副総理兼外相、羽田孜蔵相、加藤紘一官房長官という布陣を敷いて、そうした課題に取り組む強い決意を内外に示しました。翌年一月には、金丸信副総裁を新たに党の重鎮として加え、政権基盤をさらに強化、PKO協力法や政治改革をめぐる与野党折衝に備えました。
就任まもなくの十一月八日、宮沢首相は臨時国会で行った初の所信表明で「質の高い生活環境を創造して、所得のみでなく、社会的蓄積や美観など質の面でも真に先進国と誇れるような、活力と潤いに満ちた、ずっしりと手応えのある『生活大国』つくりを進めていきたいと思います」と述べ、「品格ある国・生活大国」の建設を大きな政策目標に掲げました。政治の師匠である池田勇人元首相が敷いた経済成長の路線から、国民生活の充実を重視する方向への転換を宣言したもので、バブル経済崩壊の兆しにおびえる国民の気持ちを反映したものでした。
宮沢内閣が成立を目指してまず取り組んだPKO協力法案は、海部内閣時代に国会に提出され、衆院で継続審議になっていましたが、カンボジアでのPKO活動の必要性が急浮上し、成立が急がれる状況でした。先の湾岸戦争で、多額の資金援助をしながら、「金は出すが人は出さぬ」と米国を中心とする国際世論の非難にあった日本としては、PKO協力法案が汚名返上への第一歩だったのです。
政府・自民党は参院での与野党逆転状況をにらみ、公明、民社両党との三党体制で成立させる方針をとり、両党と折衝した結果、いわゆる「PKO参加五原則」を法案に盛り込みました。(1)紛争当事国間の停戦合意の成立(2)PKO参加に当たっての紛争当事国の同意(3)平和維持軍(PKF)の中立厳守(4)条件が満たされない場合の日本部隊の撤収(5)隊員の生命保護のため必要不可欠な場合の小型武器の使用容認 がそれです。
ところが、公明党は賛成の方針を決めたものの、民社党は「シビリアン・コントロールの確保」などを理由に「PKF参加には国会の承認が必要」として譲らず、宮沢首相が誕生した年の臨時国会では、衆院を通過したものの参院で継続審議となり、決着は翌年の通常国会に持ち越されました。PKO法案をめぐる政府・自民党と公明、民社両党との調整は平成四年一月二十四日に召集された通常国会でも粘り強く続けられ、三党の合意がようやく成立したのは五月末でした。
「PKF参加の凍結」「国会の事前承認」「三年後の見直し」という合意は、政府・自民党にとっては譲歩した内容といえます。しかし、それでも六月十五日に成立したPKO法は、日本の国際貢献への第一歩として画期的であり、その後、この法律に基づいてカンボジア、モザンビークへのPKO部隊の派遣、ルアンダでの難民救済活動などが展開され、日本の国際貢献が高く評価されることになります。
このPKO修正法案をめぐる衆院本会議の採決は、社会党と社民連の牛歩戦術で混乱しました。加えて、両党は所属衆院議員全員の辞表を桜内義雄議長に提出して解散総選挙を狙う前代未聞の戦術をとりました。桜内議長は辞表を受理せず、預かるにとどめたため政治の空白を生まずに済みましたが、もし解散していればバブル崩壊の経済不振にあえいでいた国民生活に大きな打撃があったでしょう。自民党は、社会、社民連両党のそういったやりくちに対抗して内閣信任案を提出して自民、公明、民社の三党で可決、「自公民路線」を固めるという手を打ちましたが、国会の与野党対決ムードは高まりました。
日本の農業関係者が最大の関心をもって行方を見守っていたウルグアイ・ラウンドは宮沢内閣が発足して間もなくの平成三年暮れ、関税・貿易一般協定(ガット)のドゥンケル事務局長が農業分野でコメを含む例外なき関税化の最終合意案を各国に提示しました。加藤官房長官はすぐさま記者会見で政府の遺憾の意を表明しましたが、国際社会の流れに抗しきれぬとの見方もあり、この後、コメの自由化は政治の最大問題のひとつとして論議されていきます。
宮沢内閣にとって、コメ自由化問題を上回る難関は政治改革でした。リクルート事件以来、政治改革を求める世論は高く、これを踏まえて宮沢首相は平成四年通常国会の冒頭の施政方針演説で「政治改革に全力をあげる」と宣言、党総裁として、(1)衆院定数是正(2)政治資金(3)政治倫理(4)国会改革 の四項目について、早急に具体案を作成して通常国会中に法案成立にこぎつけるよう自民党に指示しました。しかし、何をもって政治改革とするかの論議が分かれるうえ、党内には衆院への小選挙区比例代表並立制導入を急ぐべきだなどの主張とこれに強く反対する意見があり、なかなか意見統一は難しい状況でした。
しかも、そんな状況に拍車をかけるように平成四年一月には鉄骨資材メーカー「共和」事件、二月には東京佐川急便事件が発生。三月二十日には栃木県で講演中の金丸副総裁に向けて短銃が発砲される事件などがあり、政界は騒然とした雰囲気に包まれていきます。
五月二十二日に細川護煕氏が既成政党を批判する立場から旗揚げした日本新党は、そうした雰囲気の中で国民の不満の受け皿になることを意図したもので、これが後の自民党からの一部勢力の離党につながり、自民党の下野、それまでの野党勢力による細川政権樹立へという流れの発端になりました。
宮沢首相は国内政治に汗を流す一方、外交に全力投球しました。平成四年一月八、九日の両日、日本を訪問した米国のブッシュ大統領との首脳会談が手初めで、課題は減速傾向をみせていた日本経済に、米国が最大産業である自動車業界の圧力を背景にどのような注文をつけてくるかでした。日米両首脳は五時間に及ぶ会談の結果、成長に重点を置いた政策協調をうたった「世界成長戦略に関する共同声明」と、両国の経済摩擦解消へ向けた「東京宣言」「行動計画」を発表しました。「行動計画」は日本が米国から購入する自動車部品の数値目標が入った厳しい内容でしたが、日米協調路線は維持されました。この訪日の途中、ブッシュ大統領が首相官邸で開かれた晩餐会で流行性感冒による胃腸炎で倒れ、世界を驚かせる一幕もありました。
宮沢首相は同一月に韓国を訪問して盧泰愚大統領と会談、続けて同月三十一日にはニューヨークの国連本部で開かれた初の安全保障理事会首脳会議に出席、ロシアのエリツィン大統領とも会談しました。首脳会議の席で、宮沢首相は日本の首脳として初めて安全保障理事会常任国入りへの強い意欲を表明し、その動きが以後一貫して日本外交の目標のひとつになりました。
四月には中国の江沢民国家主席が来日、平成四年が日中国交回復二十周年を迎えるのを機として、天皇、皇后両陛下に中国訪問を招請しました。両陛下はこれを受けて同年十月に、中国を訪問し、先の大戦から続く両国民の心情的わだかまりの解消と友好親善の前進に大きな役割を果たされました。
一方、国内政治は、平成四年後半から五年にかけて、政治改革が具体的進展をみないことや、相次ぐスキャンダルの発生で重苦しい状況が続きました。四年八月には佐川急便事件に関連して金丸副総裁が辞任、金丸氏は十月には衆院議員を辞職するやむなきに至りました。政府・自民党は四年八月に十兆円規模の緊急経済対策を発表しましたが景気が好転した実感は得られませんでした。
ただ、宮沢内閣に対する国民の支持は、難局に当たる首相の真摯な姿勢が好感をもたれて高く、四年七月に行われた参院選挙では自民党が改選議席(百二十七)の過半数を超える六十八議席を獲得、勝利しました。旗揚げしたばかりの日本新党は四議席でした。
そうした状況の中、政治改革を求める世論はますます高まりをみせ、十一月には東京・日比谷公園で民間政治臨調が四千人を集めて「中選挙区制度廃止宣言」を行うなど、マスコミを巻き込んだ改革不可避のムードが濃厚になって行きました。宮沢首相は、四年秋からの臨時国会で九増十減の衆院定数是正、違法な寄付の没収などの政治資金規正法改正案などを成立させる一方、自民党が同年十二月までにまとめた(1)衆院に単純小選挙区を導入(2)政党交付金制度の導入(3)派閥の弊害除去 など抜本的政治改革を実現する方針を掲げました。ところが、その直前に起きた不測の事態が、その後の予想外の政治展開につながり、実現にブレーキがかかります。
金丸氏の議員辞職をめぐる自民党内最大のグループの分裂がそれでした。小沢一郎元幹事長、羽田孜蔵相らのグループが、竹下氏、小渕恵三氏らと袂を分かち、新政策集団を結成。このグループは翌年六月、自民党を離党して新生党を旗揚げすることになります。
宮沢首相は、四年十二月十一日に党・内閣人事の改造を断行。党幹事長に梶山静六氏、総務会長に佐藤孝行氏、政調会長に三塚博氏を当てました。また、内閣では蔵相を羽田氏から林義郎氏に替えるとともに、官房長官に河野洋平氏を当て、自民党内の混乱の収拾と政治改革断行に向けた態勢をとりました。ただ、五年四月には渡部美智雄副総理兼外相が病気のため辞任、副総理には政治改革推進派の後藤田正晴法相が就任します。
宮沢首相は五年一月二十二日召集の通常国会で抜本的政治改革を実現するとして、施政方針演説でも強調します。しかし、それにもかかわらず、自民党内の意見は二分され、まとまりません。これが、後の新生党の旗揚げや、それと相前後した竹村正義、鳩山由紀夫氏らの自民党からの集団離党につながり、政局を激動させることになりました。
自民党は三月三十一日、政治改革四法案を党議決定しましたが、宮沢首相は党内情勢を考慮し、通常国会の閉幕が近づいた六月中旬、政治改革法案の成立を次期国会に先送りする意向を固めます。これに対して、野党陣営は内閣不信任案を衆院に提出、後に自民党から離党して新生党を作る羽田氏らのグループ、同じく新党さきがけを結成する武村氏のグループがともにこれに賛成票を投じ、六月十八日、不信任案は成立してしまいます。これに対し、宮沢首相は衆院解散を断行、七月四日に総選挙が公示され十八日に投・開票が行われました。
この選挙期間中には、東京で先進国首脳会議(東京サミット)が開かれ、宮沢首相は日ロ首脳会談に臨むなど、議長として各国首脳への応対に忙殺され、選挙戦を十分戦うことができませんでした。さらに、衆院選公示直前に東京地検がゼネコン談合事件を摘発、仙台市長が逮捕され、これが与党の選挙に不利となったことも否めません。選挙の結果、自民党は過半数を得るに至らず、宮沢首相は退陣を表明します。
宮沢内閣の後には、非自民勢力七党が連立した細川内閣が成立(八月六日)、自民党は保守合同後、はじめての野党に転落します。自民党の新しい総裁には七月三十日に河野洋平氏が就任しました。
この間の明るいニュースとしては、六月九日に執り行われた皇太子殿下と小和田雅子さまの結婚の儀がありました。 
 
細川護熙

 

1993年8月9日-1994年4月28日(263日)
衆議院の解散による第40回衆院選で日本新党は躍進、細川は小池百合子と共に衆議院に鞍替えし、熊本1区で全国第2位の票数を獲得して当選した(小池も兵庫2区で当選)。この選挙で野党第一党の日本社会党は大敗し、与党で第一党の自由民主党も過半数に達していなかったため、日本新党と新党さきがけがキャスティングボートを握る。新党さきがけ代表の武村正義は、細川とは滋賀県知事時代以来のつきあいがあり、その縁で日本新党を引き込み自民党との連立政権を模索したが、新生党代表幹事小沢一郎がこれに対抗して「細川首相」を提示。細川は「自民党を政権から引きずり下ろすためには悪魔とも手を結ぶ」と述べ、非自民連立政権の首班となることを受諾した。
1993年8月9日、政治改革を最大の使命として掲げる細川連立政権が誕生した。公選知事経験者の首相就任は史上初であり、2012年現在も唯一の事例である(公選知事経験者が三権の長に就任した例としては、2009年に衆議院議長に就任した横路孝弘がいる)。また、衆議院議員当選1回での首相就任は1948年の吉田茂以来45年ぶり、閣僚を経験していない政治家の首相就任としては1947年の片山哲以来46年ぶりである。細川政権の誕生により1955年から38年間続いた所謂55年体制が崩壊した。日本新党、新生党、新党さきがけ、社会党、公明党、民社党、社会民主連合の7党、及び参議院の院内会派である民主改革連合が連立を組んだ8党派からなる細川内閣は連立与党間の調整の難航が予想され、「8頭立ての馬車」「ガラス細工の連立」と揶揄されることもあった。しかし、内閣発足直後に行われた世論調査では内閣支持率は軒並み7割を超え、史上空前の高い支持率を誇る。この記録は小泉内閣によって塗り替えられるまで保たれることになる。
1993年8月15日に、日本武道館の「戦没者追悼式典」で首相として初めて「日本のアジアに対する加害責任」を表明する文言を挿入した辞を述べた。また、折からの冷夏によって起こった記録的米不足を背景に、食糧管理法を改正し所謂ヤミ米を合法化し、自民党政権下でも長年の懸案でもあったコメ市場の部分開放を決断した。ただし米糧のブレンド米の緊急輸入に関しては就任直後には慎重な姿勢を見せていたのにも関わらず、結果として認めたため記者会見で「断腸の思いだ」と発言するなど一部から批判を浴びた。11月にはアメリカでのAPEC首脳会議に参加した。
その一方で政治改革四法案の成立は難航した。連立与党の衆議院選挙制度改革案は、当初の小選挙区250、比例代表(全国区)250、計500議席を、小選挙区274、比例代表(全国区)226と自民党へ譲歩したものの受け容れられず、民意を正確に反映しない小選挙区制の導入に反対する社会党の一部参議院議員も造反したため、1994年1月に廃案となる。ここで細川は、一度否決されたにもかかわらず、自民党の改革推進派議員にも呼びかけて決起集会を開き、再び改革案成立への意欲をアピールした。細川は、河野洋平自民党総裁との党首会談で修正を話し合い、今までよりもさらに自民党案に近い小選挙区300、比例代表(地域ブロック)200の小選挙区比例代表並立制とする案を呑むことで合意を取り付けた。こうして長年にわたり何度も頓挫してきた新たな選挙制度を実現させた。結果的には、羽田孜や小沢一郎が自民党を割って出てまで推進してきたこの政治改革の成就が、9ヶ月の細川内閣におけるほとんど唯一の実績だが、ここで成立した選挙制度改革や政党交付金制度は、後の政治のあり方を大きく変えていくことになる。
1994年2月、冷戦終結後の日本における安全保障のあり方の見直しを提起し、防衛問題懇談会を設置した。
政治改革関連法案が曲がりなりにも成立し、高い内閣支持率もそのまま維持した。2月3日、これに意を強くした小沢一郎と大蔵事務次官の斎藤次郎のラインに乗った細川は、消費税を福祉目的税に改め税率を3%から7%に引き上げる国民福祉税構想を発表した。しかし、これは深夜の記者会見で唐突に行われたもので連立与党内でも十分議論されていないものであったため、世論はもとより武村正義内閣官房長官や社会保障を所管する厚生大臣の大内啓伍民社党委員長、村山富市社会党委員長ら、与党内からも反対の声が沸き上がり、結局翌2月4日に連立与党代表者会議で白紙撤回に追い込まれた。
政権を支える新生党代表幹事の小沢一郎と、内閣官房長官の武村との対立が表面化。細川は内閣改造によって武村の排除を図るがこれも実現できず、さらに細川自身の佐川急便借入金未返済疑惑を野党となった自民党に追及されることになる。細川は熊本の自宅の門・塀の修理のための借入金で既に返済していると釈明したが、返済の証拠を提出することが出来ず、国会は空転し、細川は与党内でも四面楚歌の苦境に陥る。4月5日、参議院議員コロムビア・トップ、同西川きよしとの会食の席で「辞めたい」と漏らしたことが報じられ、一旦は否定したものの政権はもはや死に体となってしまい、8日に退陣を表明。総予算審議に入る前に予算編成時の首相が辞任するのは極めて異例の事態である。こうして国民の大きな期待を背負って誕生した細川内閣は、1年に満たない短命政権に終わった。細川の退陣に伴い、かねてから細川との関係が悪化していた武村が率いる新党さきがけは、将来的な合流を見据えて組んでいた日本新党との統一会派を解消し、連立内閣からも離脱して次期政権では閣外協力に転じる意向を早々と表明した。
1993-1994

 

 
河野洋平(自民党総裁時代)
宮沢喜一首相が行った衆院の解散総選挙は、平成五年七月十八日に投・開票が行われました。自民党は解散前に新生党、新党さきがけ議員の離党で過半数を大きく割り込む状態になっていました。選挙結果は、自民党の議席は解散前に比べればやや伸びたものの、離党の穴を埋めるには至らず、二百二十三議席にとどまりました。衆院の過半数二百五十六議席を大きく割り込むことになったのです。
それでも、マスコミや永田町の多くは自民党と新党さきがけによる連立政権が続く可能性が高いとみていました。なぜなら、選挙に敗北したとはいえ自民党が比較多数の第一党であることは変わりなく、自民党以外に十分な政権担当能力がある政党がないのは明らかだったからです。
ところが、政局は予想外の展開をみせました。七月二十九日になって、新生党、日本新党、新党さきがけ、社会党、公明党など非自民の七党一会派がトップ会談を開いて、特別国会の首相指名選挙で日本新党の細川護煕代表を一致して推す合意をしたのです。自民党から政権を奪いたいという小沢一郎氏らの新生党が、社会党や細川氏に話をもちかけ、合意形成に成功したのでした。背景には、「国民が望む抜本的政治改革は守旧派が多い自民党にはできない」という、マスコミの一部が流したデマに近いプロパガンダがありました。
八月六日の衆参両院の本会議で細川氏が首相に指名され、自民党は昭和三十年の保守合同から維持し続けてきた政権を失い、野党となりました。十一か月後の平成六年六月末、自民党、社会党、新党さきがけの村山連立政権が成立して自民党は再び政権の中枢に戻りますが、それまでの間、ガラス細工と評された基盤の弱い非自民・非共産の細川連立内閣に国政をあずけることになったのです。それに伴い、自民党は衆院議長のポストも失い、女性として初めて社会党の土井たか子氏が議長席に座りました。
七月三十日、宮沢喜一総裁の辞任を受けて、自民党総裁選が行われ、官房長官だった河野洋平氏が第十六代総裁に選ばれました。選挙は河野氏と渡辺美智雄元副総理・外相の争いで、河野氏二百八票、渡辺氏百五十九票でした。自民党議員の間には、新鮮なイメージから人気が出始めた細川首相に対抗するには、いわゆる派閥の会長ではない河野氏が総裁にふさわしいという考えがあったのです。
宮沢内閣は八月五日に総辞職しました。これまでなら自民党総裁として後継首相になるはずの河野新総裁は、野党第一党の党首として国政運営に関与していく立場になりました。幹事長には森喜朗氏が就任し、河野−森体制の自民党は、これまでの野党のような「何でも反対」とか「反対のための反対」などはせず、国民の生活向上や国益追究の立場から、細川政権に是々非々で柔軟に対応していく姿勢をとりました。
細川連立政権の発足は組閣に手間取り、八月九日にずれこみました。副総理・外相に新生党党首の羽田孜氏、官房長官に新党さきがけ代表の武村正義氏が就任、社会党から政治改革担当相となった山花貞夫委員長ら五人が入閣しました。細川首相は、八月二十三日に行った初の所信表明演説で細川内閣を「政治改革政権」と位置づけ、記者会見では政治改革法案が平成五年内に成立しなければ責任を取って退陣するという決意を表明しました。
一方、細川首相は「非自民政権」を率いたにもかかわらず、「自民党の政策を継承する」と言明しました。しかし、細川政権は政策の立案、決定のシステムに重大な欠陥がありました。それは七党一会派の寄り合い所帯であるうえ、内閣の中の閣僚経験者は羽田孜氏一人で、いわば政治の素人集団による政権であることが主な原因でした。政策決定機関として八党・会派による「政策調整会議」が設置されましたが、うまく機能せず、どうしても官僚に頼らざるを得ない状態だったのです。
細川首相が記者会見で先の大戦を「日本の侵略戦争」と断定して各方面から強い批判を浴びたり、平成六年二月に、新たな間接税である「国民福祉税構想」(税率七%)を大蔵省などの言うがままに打ち出し、即座に撤回するという醜態を演じたのも、そうした政権の構造が遠因と言って良いでしょう。マスコミは、細川内閣を「官高政低」の政権と特徴づけました。
野党となった自民党にとって、政権を失う原因のひとつであった抜本的政治改革実現の足踏みをどう解消するかが、宮沢政権以来の大きな宿題でした。具体的には衆院の選挙制度改革が当面の課題で、河野総裁を先頭に精力的な検討を続け、平成五年九月二日に、衆院の定数を四百七十一に削減し、それまでの中選挙区制を小選挙区比例代表並立制に変える政治改革要綱を決定しました。細川内閣が政治改革関連四法案を閣議決定したのは、その二週間ほど後でした。衆院の特別委員会で政治改革関連法案の実質審議が始まったのは十月中旬、この後、衆院比例代表並立制の定数配分などをめぐって、自民党と連立与党との修正協議が続きます。
この前後、東京地検が大手ゼネコンの副会長を贈賄で、宮城県知事を収賄で逮捕し、国民の批判が政治と公共事業との関係に集まりました。また、政治改革をめぐって内部対立のあった社会党の委員長が山花氏から村山富市氏に交替、久保亘氏が書記長に就任するなどの動きもありました。
政治改革に賛成する議員を「改革派」、反対する議員を「守旧派」とマスコミなどがレッテルを張ったことも影響し、国民世論は改革の実現を求める声一辺倒の印象でした。そうした中、与野党の修正協議は自民党の柔軟姿勢もあって、十一月五日から十日の間に比例と小選挙区の定数配分など七項目を協議し、さらに、同十五日、河野−細川会談を行ったが合意には至らず、十六日の衆院本会議ではわが党案が否決されて与党案が可決され、参院に送付されました。
しかし、参院での審議は、細川政権の力不足と、景気低迷の中で平成六年度予算案編成を優先すべきという意見が連立内閣の中から出たことなどから、遅々として進みません。そのあげく、翌年一月二十一日の参院本会議で法案は否決されてしまいました。法案を成立させるには、衆院と参院が両院協議会を開いて修正し採決しなおす必要がありますが、その両院協議会も決裂したのです。
河野総裁は細川首相とのトップ会談で事態の打開を図る決意をします。一月二十九日、内外の注目の集まる中で両首脳の会談が行われ、細川首相は河野総裁の主張する自民党の意見を取り入れた再修正を受け入れました。この結果、小選挙区三百、ブロック別の比例代表計二百、合わせて定数五百の小選挙区比例代表並立制導入を主な内容とする政治改革関連法案が、衆参両院の本会議で可決され、やっと成立したのです。
政治改革はまがりなりにも出来たのですが、平成六年春には、早くも細川政権の前途は暗雲に包まれていました。前年暮れには関税貿易一般協定(ガット)の新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)が最終局面を迎え、政府はコメ市場の部分開放(ミニマム・アクセス)と関税化を受け入れましたが、国内対策は不十分で、農業関係者には強い不満が残りました。五年十二月には中西啓介防衛庁長官(新生党)が憲法発言などで辞任、熊谷弘通産相(新生党)の省内人事に通産官僚が抵抗するなどの騒ぎもありました。六年二月の細川首相と米国のクリントン大統領による日米包括経済協議をめぐる会談は、日本側の輸入拡大を目指す数値目標に話が及び、決裂してしまいました。前述した国民福祉税構想の挫折もありました。
しかし、そうした個別の政策的失敗よりも、政権の命を縮めたのは新生党と新党さきがけの政権内部の対立であり、致命傷は細川首相個人のスキャンダルでした。前年、平成五年十二月、東京佐川急便からの一億円借り入れ疑惑が発覚します。国政の最高責任者である首相の疑惑を自民党が見過ごす訳にはいきません。六年三月、党に「細川総理の疑惑に関する特別調査会」を設置して、徹底的に調査し追及することになりました。国会での追及に、最初は「ない」と答えた細川首相は次には「一億円は借りて返した」に変わり、返したなら領収証を提出するように求められると答えに窮したのでした。
平成六年四月二十五日、細川内閣が総辞職し、その日の衆参院本会議で同じ七党一会派によって後継首相に新生党党首の羽田孜氏が指名され、二十八日に新内閣が発足しました。ところが、この直後、政権内部で異様な動きが起きます。それは、新生党や民社党などによる社会党を除いた国会内会派「改新」結成でした。いわば社会党追い出し作戦といって良く、これに社会党は激怒、連立を離脱し、羽田政権は瞬く間に少数与党内閣に転落してしまったのです。
このため、羽田内閣は政策らしきものは何一つ打ち出せず、右往左往します。見かねた河野総裁、森幹事長らは国民生活を守るために内閣不信任案を衆院に提出。羽田首相と新生党の小沢一郎代表幹事が官邸にこもって協議した結果、内閣総辞職と決まり、羽田内閣はわずか二カ月で終焉してしまったのです。
そうなると、国民の期待は責任政党である自民党に当然のように集まります。自民党の選択肢は、社会党が抜けた羽田内閣の政権与党と組むか、それとも社会党と組むか。わが党内のさまざまなグループ、集団が、社会党、新党さきがけと提携するのがベターと考え、その可能性を模索し始めました。
自民党と社会党はいわゆる五五年体制といわれた自民党政権が続いた時代に、長く国民の支持を分け合って対決して来た歴史がありました。したがって、それまでの常識では自社の連立内閣は考えにくいものでした。ところが、その常識が覆ります。自民党の真剣な姿勢に社会党が政策転換を約束して応えることになったのです。
六月二十八日、森幹事長は社会党の久保亘幹事長と会談して正式に村山富市社会党委員長を首相とする連立内閣を提案、同日の河野−村山会談で「自社さ連立政権」の合意が正式に成立しました。衆院本会議で首相指名選挙が行われたのは二十九日。非自民連立側は海部俊樹元首相を立て、決戦投票で村山氏が首相に選ばれました。自民党は再び政権与党に復帰したのです。三十日、村山政権は副総理・外相に河野自民党総裁、蔵相に武村正義新党さきがけ代表、官房長官に社会党の五十嵐広三氏というメンバーで発足しました。政権の骨格を事実上、経験豊富な自民党が支える体制であったのは言うまでもありません。
社会党はこの後、九月三日に開いた臨時党大会で、これまで違憲としていた自衛隊を合憲とし、日米安保条約を認める歴史的な政策転換を行いました。野党となった非自民連合側は、新生党が同年十一月に解党し、公明党の衆院議員、民社党、日本新党などが合流して新進党(海部党首、小沢幹事長)を結成、自社さ政権に対抗する態勢を作ります。
村山首相は、ナポリ・サミット(七月八日)、日韓首脳会談(七月二十三日、ソウル)、東南アジア歴訪(八月末)、アジア太平洋経済協議(十一月十二日、ジャカルタ)、日米首脳会談など、不慣れな外交にも力を入れ、自民党の支えで政権運営に励みました。内政でも、消費税率引き上げの税制改正、衆院小選挙区の区割法制定、年金法改正、自衛隊法の一部改正など、重要施策を次々と実現していきました。
村山政権に大衝撃を与えた阪神淡路大震災が発生したのは平成七年一月十七日未明。六千四百二十五人もの尊い生命を奪い、近代都市神戸を壊滅状態にした未曾有の災害は、政府・首相官邸の危機管理、もっと広く言えば日本全体の危機管理を、深い反省とともに再点検し、新たなシステムを構築する必要性を痛感させたのでした。村山政権は緊急復旧費として一兆円規模の平成六年度第二次補正予算を組みました。
自民党が屋台骨を形成した自社さ連立の村山政権は、かなりの実績をあげ、頑張り続けました。七年八月には、戦後に区切りをつけアジア各国への日本の立場を明確にする「戦後五十年の国会決議」を衆院本会議で行いました。ただ、平成七年春の統一地方選では、東京都知事に青島幸男氏、大阪府知事に横山ノック氏が政党の推薦を受けずに当選するなど、無党派層有権者の拡大がみられ、政治情勢は必ずしも安定しませんでした。
そんな中で行われた七月二十三日投票の参院選挙も波乱含みに推移し、自民党は三年前の獲得議席六十七を大幅に下回り、四十六議席にとどまりました。また、獲得議席は新進党の四十議席に負けはしなかったのですが、比例区の得票では新進党が上回ったのでした。この結果が、この年秋の自民党総裁選で、河野氏から橋本龍太郎氏に総裁が交替する動きにつながっていきます。 
 
羽田孜

 

1994年4月28日-1994年6月30日(64日)
羽田は「改革と協調」を掲げ、平成6年度予算の成立に全力を挙げた。
永野茂門法相が「南京大虐殺はでっち上げだと思う」と発言すると組閣早々に更迭した。公共料金値上げの年内凍結や、首相官邸直通のFAX設置などを打ち出していった。1994年(平成6年)5月12日の衆議院本会議での「1969年の日米首脳間で交わされた有事における沖縄への核持ち込みを日本が事実上認めるという密約の真相」に関する村山富市の質問や同年5月16日の参議院本会議で「沖縄への核再持ち込み密約について調査すべき」とする市川正一の質問に対し、首相として沖縄核再持ち込み密約を否定し、調査の必要は無いと答弁をした。
予算案は成立したが、少数与党状態の解消を狙って行われた連立与党と社会党との間の政策協議は決裂し、自民党は内閣不信任案を衆議院に提出した。内閣不信任案の成立が不可避と判断した羽田は、解散総選挙に打って出る構えも見せたが、政治空白と従来の中選挙区制による総選挙実施を招くということで、結局6月25日に内閣総辞職を選択し、羽田内閣は在任期間64日、戦後2番目の短命政権に終わった。
この頃、通産官僚斎藤健の媒酌人を務めた。また当時新生党の新人代議士で、新生党から民主党まで行動を共にした上田清司は埼玉県知事就任後、斎藤を埼玉県副知事に起用した。
6月30日自社さ連立政権・村山内閣が発足し、野党に転落する。小沢の主導によって、旧連立の新生党、民社党、日本新党などは相次いで解党し、1994年12月10日に新進党が結党。羽田は党首選挙に立候補するが、小沢の支持を得た海部俊樹に敗れ、小沢らの打診で副党首となる。
1995年(平成7年)12月にも党首選挙に立候補し、小沢と激突する。羽田支持グループは、党内非主流派ともいうべき興志会を結成し、小沢執行部と対立を深めていく。1996年(平成8年)の、第41回衆議院議員総選挙で自身は新設の長野3区で小選挙区一本で出馬し重複立候補している新党さきがけ党首で社民党・自民党推薦する井出正一に圧勝も新進党自体が敗北すると、小沢執行部に対する更なる不満を強め、新進党を離党し太陽党を結成、党首となる。
1997年(平成9年)12月に新進党が分党すると、1998年(平成10年)1月8日に、民主党、新党友愛、太陽党、国民の声、フロム・ファイブ、民主改革連合が院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)結成。同年1月28日、太陽党、国民の声、フロムファイブが統合して民政党を結成し、代表となる。さらに4月27日には民主党、民政党、新党友愛、民改連が統合し、新・民主党が結成され、初代幹事長に就任。首相経験者の政党幹事長就任は前例がなく「羽田は首相再登板の目を覗っている」との見方もあったが、その後は事実上の名誉職である特別代表、最高顧問を歴任する。
2004年(平成16年)5月、国民年金への加入が義務付けられた1986年(昭和61年)4月から首相在任期間を含む1995年(平成7年)7月までの9年間余り未加入であったことを自ら発表し、党最高顧問を辞したがその後再び最高顧問に就任。現在に至る。
2009年(平成21年)8月、脳梗塞後遺症等の体調不安が囁かれる中、8月30日に行われる衆院選への立候補を最後に政界を引退する考えを表明した。衆院選について、「大きく考えれば、最後の選挙になるだろうというのが常識的なところだ」「後継者は党や後援会と相談して決めたい」と述べ、また長男の羽田雄一郎について周辺に「世襲は認めない」と伝え、後継として擁立しない考えを示した。
2009年(平成21年)9月16日に、民主党政権が発足し長年の宿願であった政権交代が実現される。この日国会で行われた首班指名投票では体調不良により投票箱のある演壇に自力で上り下りすることができなかったため、小沢一郎に片腕を支えられながら投票を行った(以降も投票の際、他の民主党衆議院議員に介添えをしながら行なっている)。かつて政権交代を目指して自民党を離党した時の盟友同士でありながらその後の政局の流れで袂を分けた羽田と小沢のツーショットが計らずも政権交代当日に再現された。
現在小沢との関係はかなり良好で、陸山会の土地取引に絡む政治資金規正法違反事件の渦中になる小沢に対し「俺とお前は一心同体だ、羽田グループとして全面的に支える」と明言した。また2010年9月民主党代表選挙でも小沢を支持している。
民主党代表選挙でも投票の際、登壇するのに介添えを必要としており、近年は体調の衰微が顕著となっている。
1994

 

 
My Opinion / 民主党最高顧問 羽田孜 / 平成20年3月28日-平成21年6月29日 
道路特定財源の一般財源化
道路特定財源の一般財源化を巡る与野党の攻防が、いよいよ正念場を迎えました。
道路特定財源は昭和29年、今から54年前に成立しました。日本復興の柱としてこの特定財源は確かに必要でした。
これに上乗せした暫定税率は昭和49年のオイルショックをきっかけに、2年間の臨時措置として適用されましたが、暫定にもかかわらず既に33年間も続いています。
この間日本は大きな変貌を遂げました。そして今私たちは、年金・医療・地域格差・教育・環境等のあらたな国民的課題に直面しています。
政官のしがらみの中で、かたくなに現状の体制・機構を守ろうとする自公政権。
この体制・しくみを打破し、官僚支配から地方の自立を目指す民主党。
双方の哲学は180度違い、決して相容れることは出来ません。
私たち民主党は、道路特定財源を一般財源化して、地方が自由に使える地方自主財源化を主張しています。
民主党のこの主張・問題提起はマスコミも含め国民に大変大きな衝撃となりました。「道路のためだけに」という特定財源のずさんな流用・転用が次々と噴出し、天下りと特別会計の闇の実態も明らかになってきました。
国民をまったく顧みない自民党政治・官僚支配を私たちは決して許してはなりません。
今回の日銀総裁の国会承認も、特定財源の問題も、これまではほとんど国民的議論もないままに、数の力だけですべてが決まってしまいました。しかし先の参議院の与野党逆転により、あらゆる問題が国民のまえに明らかにされ、議論を喚起し、政府の暴走に歯止めをかける事が出来るようになりました。「衆・参のねじれ」というよりは、むしろ「政府と国民意識」に大きなねじれがあると云えます。
政府は極めて曖昧な根拠をもとに、むこう10年間道路特定財源を維持するとしています。みずからの権限を維持するための道路財源の確保としか思えません。
国民が納めた貴重な税金を地域住民のためにと、全国の市長村長さんが霞ヶ関に出向きお役人に頭を下げる。こんな馬鹿げたことがいまだに続いています。地方分権を叫びながら、10年間道路財源を維持することは、今後もまた10年間、霞ヶ関が地方をコントロールするということです。
国の失政を押し付けられた地方は、容赦なくずたずたにされてしまいました。地域のことは地域で決める。権限も財源も地方に移譲する真の地域主権・地方分権を実現しなければなりません。そのためにも道路特定財源を地方自主財源化して道路も含め地域の活性化や住民生活の向上に役立てるべきと考えます。
私の盟友であり出雲市長をつとめた岩國哲人さんは、「大切な税金を福祉・教育・介護・農業・道路のどれに使うのか。住民の意見を聞いてベストと思う仕事をやることに首長と議員の喜びがある。裁量権こそ地方自治の醍醐味。」と述べています。
政権交代でしか今の日本を変えることは出来ません。政権交代とはしがらみ政治・官僚支配との決別でもあります。 
『政権交代』新しい日本が生まれる
「なが過ぎる政権」は、必ず澱み・腐敗します。
企業をはじめ社会全体が政府・与党に迎合し、結果停滞と閉塞を生み、政治と行政はいつしか国民から完全に乖離してしまいます。
中央集権のもと、官僚は決して権限・財源を手放しません。
自民党長期政権は、いつしか国民を忘れ、政権維持のみに恋々としています。
増え続ける国民負担は、さらに暮らしを直撃し、生活格差は今だどんどん広がっています。遅々として進まない宙に浮いた5000万件の年金問題。小泉政権で強行採決までして成立させた後期高齢者医療制度に、国民の不満と怒りが爆発。医療も介護ももはや崩壊寸前です。そして原油の高騰、バターやチーズなどの生活必需品の物価高等々。国民の悲鳴だけがただ虚しく聞こえてきます。
政策や予算をすべて霞ヶ関に依存する官僚支配によるなが過ぎた自民党政権。政治は官僚の御輿と化し、政治はリーダーシップを失い、その使命すら果たすことが出来なくなってしまいました。政治家も政党も、選挙を通じ国民に対し大きな責任を負っています。しかし、官僚には、結果責任がありません。すべての責任は政治が負わなければなりません。
官僚支配の最大の悪弊は、真正面から国民とそして生活と向き合わないことです。数字がすべてで、顔を見ない、暮らしを見ない、現場を見ない。家計を必死にやりくりする庶民の10円、20円の重みをもっともっと大切にすべきです。暮らしの尊さと向き合ってこそ、愛情と思いやりのある政治が実現できると信じます。
迷走に迷走を繰り返し、将来へのビジョンもなく、なんら有効な対策すら打ち出すことの出来ない福田政権。小手先・その場しのぎ、いい加減なゴマカシで国民を欺く政府・与党にこれ以上政権を委ねることは出来ません。
議会制民主主義は、政権交代があって正しく機能します。政権交代でしか、今の日本をそして古いしくみを変えることは出来ません。政権交代とは、しがらみ政治、官僚支配との決別でもあります。私たちの目指す政権は、政治家のためでもなく、政党のためでもなく、官僚のためでもない、国民のための国民本位の政権です。国民の想いを大切にする愛情と思いやりに満ちたあたたかい政府です。
中央が地方をコントロールする補助金行政こそ中央の力の源泉です。
そのために、私たちは官僚支配の権化である中央集権を壊します。
官僚を頂点とした管理社会・規制社会が、国民生活を崖っぷちまで追い込んでしまいました。
霞ヶ関の意向通りにすべてが決まる。このことが特色も活力もない国を地方を創ってきました。その弊害が、政官業の癒着や汚職の構造、財政破綻を招いたバラマキ体質です。そして今国民の怒りの矛先である行政の途方もない無駄使い、特殊法人と官僚の天下り、国民にはおよそ明らかにされない特別会計の闇の仕組みが生まれてしまいました。
この巨悪な旧態依然の体制をぶち壊さないかぎり、国民本位の政治を取り戻すことはできません。そのためには、革命的な地方分権を実現しなければなりません。
外交や安全保障、国家基本プロジェクト等々、国が責任を持つべき仕事を定め、その上で、中央に集中していた財源・権限を大胆に地方自治体に移譲します。
スリムで限定された中央政府と、地域のことは地域の責任で決める住民本位の地方自治体が、つまり中央と地方が対等に並ぶ、新しい国のかたちが生まれます。
例えば道路整備です。地域の道路予算を確保しようと、全国の市町村長さんは何度も霞ヶ関に出向きお役人に頭を下げます。私たちの納めた税金はけっして官僚のものではありません。
地域にとって真に必要な道路はどれか。福祉や医療・子育て・産業支援はどうするのか。それぞれの地域の事情と将来の地域づくりに応じて、各自治体がその責任で自由に予算を組むことが出来るようにします。
首長を中心に住民一人ひとりが参加して責任を持つ。自治体間のやる気に満ちた競争の中、今までにない活力と特色にあふれた地方自治が実現します。
政権を変えることは容易なことではありません。しかし今変えなければ、日本は本当に沈没してしまいます。
いつの時代でも、歴史を変えたのは地位も名もない民の熱い情熱と命懸けの行動でした。
政治の仕組みを変え、真の地方分権を実現し、新しい日本を創る。
政権交代は、歴史の使命と信じます。 
小沢民主はゴングを待てない
昨年安倍前総理に続いて、福田総理までも政権を放り出してしまいました。
福田総理の降参ギブアップです。自民党は完全に政権担当能力を失いました。
そして、総括も反省も国民へのお詫びも無いままに、翌日からは何事もなかったかのように、総裁レースと云うお祭りごっこが始まりました。
出来るだけ派手なパフォーマンスで国民の関心を引きつけ、支持率を上げる。
国民の目をそらし政権維持だけに奮走する。無責任の極みです。
自民党政治の最大の悪弊は、政官業のしがらみと、すべてを霞ヶ関に依存した官僚支配です。
予算も法案もすべてつくるのは官僚です。これでどうして国民の痛みと向かい合うことが出来るでしょうか。
この悪しき慣行を断ち切らない限り、官に権限・財源がある限り、誰が総理総裁になっても、この行き詰った日本の政治を変えることは出来ません。
政権交代とは、しがらみ政治・官僚支配との決別です。
日本の政界で、本当に政治家としての凄みと存在感のある政治家は、小沢一郎しかいません。そして誰よりも官僚機構を知り尽くしているのも小沢一郎です。
彼は必ず官僚支配・官僚機構をぶち壊します。
そして国民と本気で向き合う政権を創ります。
政権交代を果たし、今まで誰もなし得なかった大きな壁に果敢に挑み破壊する。
小沢一郎の勇姿に国民は必ず釘付けになることでしょう。
この胸躍る「解体霞ヶ関・痛快絵巻」を是非すべての国民に見ていただきたい。
それを可能にするのが、この総選挙です。
小沢民主はゴングを待てない。
CHANGE & CREATE 変えることは、創ること。
今の日本は、政権交代でしか変わりません。 
変えなければ変わらない
自民党が責任を持って送り出した総理が、二代続けて政権を放り出しました。
「まだまだ民主党には政権を任せられない。自民党には長きにわたり政権を担ってきた安心感がある。」こう唱えてきた結果が、無責任な政権の投げ出しです。
いったい何処が安心なのでしょうか。小泉政権は、不況・倒産・リストラ・自殺と、医療費・年金保険料等の国民負担だけが増え続けた、弱者いじめと地方切捨ての「壊す改革」だけの五年間でした。痛みを伴う改革には、セーフティーネットが必要です。しかし小泉改革は地方と暮らしを痛みつけただけでした。
そして、その後の消えた5000万件の年金は、迷走を繰り返すだけで遅々として解決されず、小泉政権で強行採決までして成立させた後期高齢者医療制度に国民の怒りと不満が爆発しました。
子供を産み育てたくてもお医者さんがいない。満足に介護も受けられない。
石油や穀物飼料の高騰で、生活必需品や食料品の値上げは、もろに国民の食卓を直撃しています。金融危機・株価の暴落は止まりません。
今度は米粉加工販売会社による汚染米の不正転売が発覚しました。子供たちの給食から、食料品にまで広がっています。行政の怠慢は勿論のこと、政府の責任は極めて重大です。
景気はどんどん悪くなる。物価はどんどん高くなる。給与は全然上がらない。
それでも政府はいつでも他人事です。
ただただ国民の悲鳴だけがむなしく聞こえてきます。
今の政権にはまったく緊張感がありません。
政権が長すぎると必ず腐敗します。そしていつしか国民を忘れ、自分たちの政権を守ることだけが目的となってしまいます。
国民生活がここまで追い込まれてしまった最大の原因は、官僚・霞ヶ関が政治を動かしていることです。
政府の予算案も法律も条約もすべて作るのは中央省庁です。官僚が案を作り自民党に持ち込みます。一応議論はされますがほとんどが了解され、国会に政府案として提出されます。参議院で民主党が第一党になった昨年までは、政府自民党にとって国会はただの消化試合の場でした。国民の顔も暮らしも見ないで、中央省庁は机上の数字合わせだけで、この国を動かしているのです。
中央省庁は、企業・団体をはじめ、地方に対しても絶大な権限と財源をもっています。これが霞ヶ関の力の源泉です。そして自民党はその権限と財源を巧みにあやつり、企業・団体を動かし、地方に予算を分配し選挙の集票に活かし政権を守り続けてきました。
自民党はすべてに官僚頼りです。しかし官僚に反対されるとほとんどの政策は実行されません。
この政官業の負のトライアングルを壊さない限り、政治を国民の手に取り戻すことは出来ません。
国民の苦しみ・将来不安と真正面から真摯に向き合うことこそ、政治の最大の使命です。
官僚には結果責任がありません。しかし、政党も政治家も選挙を通じ国民に対して大きな責任を負っています。すべての責任は政治家が負わなければなりません。
しかし今の政権は、消えた年金も、薬害肝炎隠蔽も、防衛省の不祥事も、相次ぐ役所のムダ遣いも、その責任をいつも曖昧にしてきました。
誰が総理になろうとも、自民党の政権が続く限りこの国を変えることは出来ません。何故なら、自民党にとって今のしくみを壊すことは、その政権基盤を壊すことになるからです。
官僚に支配され、小手先・その場しのぎで迷走に迷走を繰り返す。国民の痛み・暮らしの尊さに背を向ける自民党に、これ以上政権を委ねることは出来ません。
「政権交代」政権を変えなければ、何も変わりません。
腐りきった官主導の政治機構・システムを壊します。
特別会計の闇の仕組みを壊します。
特殊法人を廃止し、官僚の天下りを禁止します。
中央の権限・財源を地方に移す地方分権を実現します。
政治は、国民生活を守る闘いです。
政治主導で、国民と本気で向かい合う思いやりのある政権を創ります。 
『政権交代』変えるのはあなたです
地方の苦しみは尋常ではありません。悲鳴と怒号だけが聞こえてきます。
相次ぐ負担増の連続で国民生活も崩壊寸前です。国民生活基礎調査では、過去最高の約6割の国民が「生活が苦しい」と訴えています。その上、生活必需品の値上がりは止まらず、汚染米の不正流通等で、食する事すら命がけです。
政府の「100年安心年金プラン」はすぐに破綻しました。「消えた年金」と「消された年金」そして「後期高齢者医療制度」で私たち国民の「老後の安心」まで奪われてしまいました。
社会保障費は毎年2200億円削られています。子供を生みたくてもお医者さんがいない。救急患者に対応できない。命を守る地域医療も崩壊寸前で「今日の安心」までもが奪われようとしています。
総理は政権を投げ出せても、国民は生活を投げ出す事は出来ません。
暮らしも地方も、国民に背を向ける自民党政治によって、ことごとく壊されてしまいました。
それでもまだ、自民党を支持しますか。
政権を変えなければ、暮らしを守る事も地方を救う事も出来ません。
政権交代で、間違いなく政治は大きく動きます。
参議院では与野党が逆転しました。それだけで、ガソリン税の暫定税率を廃止する事が出来ました。衆議院の再議決で一ヶ月間だけでしたが、公約通り、ガソリン価格は1リットル25円下がりました。
年金問題や居酒屋タクシー等の行政の堕落と怠慢、途方もないムダ遣い、特殊法人と官僚の天下り、特別会計の闇の仕組みも次々と国民の前に明らかになりました。しかし自民党政権ではこんな事すら出来ません。
政権が変われば政治が動きます。
自民党政権は、官僚政権です。党と官僚の長い間のもたれあいと馴れ合いで、大切な税金の使い道である予算の枠組みも、がんじがらめに縛られています。
小さな冒険すら、官僚に反対され実行すら出来ません。
官僚は、その権限と財源で地方を縛り、政治を動かしています。官僚は選挙の洗礼を受けません。自民党長期政権のもと、平然と国民生活を無視した行政を行ってきました。結果、地方も暮らしも惨憺たる状況にまで追い込まれてしまいました。
官僚支配を打ち破れば、予算の枠組みも劇的に変えることが出来ます。
馴れ合いの自民党と官僚を分断する。そして官僚支配・機構システムをぶち壊す。霞ヶ関と称される中央の権限・財源を地方に移す地方分権・地域主権を確立する。この革命的改革を行わなければ、政治を国民の手に取り戻す国民本位の政治を実現することは出来ません。
民主党にはしがらみもなければ、もたれあいも癒着もありません。民主党にしかこの劇的な改革を成し遂げる事は出来ません。
日本は、政権交代で劇的に変わります。
変えるのは、あなたです。
勇気をもって行動を起こして下さい。必ずドラマが生まれます。
そのドラマは、日本の新しい歴史の扉を開く輝かしい夜明けのドラマです。
政権交代とは、私たち国民が国民の手で国民の政権を創ることです。 
わたしと小沢一郎
昭和44年の第32回総選挙。初の立候補を決意した私は、当時自民党幹事長の田中角栄先生に挨拶に伺いました。
そこで突然田中の親父さんに、「今日から選挙まで3万軒の家を歩け。すぐ名刺を3万枚刷れ。なくなるまで歩け。選挙区は日本の縮図だ。将来日本を動かす時に必ず役に立つ」と、あのだみ声で檄を飛ばされました。
その教えの通り、来る日も来る日も一軒一軒歩き続け、お陰で最高点で初当選を果たすことが出来ました。
このとき、小沢も田中の親父さんから同じことを言われ、私と同様一軒一軒歩き続け見事27歳で全国最年少当選を果たしました。
後日談ですが、田中の親父さんがこの指示を下したのは、小沢と私だけでした。まったくの素人だった二人の事が、わが子のように心配で心配でたまらなかったようです。「3万軒の戸別訪問」という初陣の実践こそが、今日の「選挙の小沢」たる原点であると思います。
この当選から数日後、田中の親父さんから呼び出されました。事務所に伺うとそこに学生のような青年がおり、一緒に部屋に通されました。これが私と小沢との初めての出会いでした。
ふたりを前に、同期で当選した一人一人の解説から始まりました。「梶山静六は40歳で全国最年少の県会議長。渡部恒三、奥田敬和は県会議員。林義郎は通産省の課長…等々。しかしお前たち二人は、羽田はサラリーマン。小沢は大学院の学生だ。政治も行政もズブの素人だ。他の同期生と一緒になって凡々と過ごしていたら将来はない。命がけで勉強しろ。遊びはいつでも出来る。党の部会、国会の委員会に時間がある限り出て勉強しろ。まず基礎を固めろ。必ず将来大きな財産になる」と、とうとうと捲くし立てられました。
お互い政治に関してはド素人、しかも二世議員。すぐに意気投合しその日はじめて酒を酌み交わしました。
そして次の日から田中の親父さんの教えの通り、ふたりの部会・委員会まわりが始まりました。
若い頃は何処に行くにも一緒で、同僚からは「まるで双子の兄弟」とまで言われたものでした。やはりここにも今日のふたりの原点があったかと思います。
それからお互い当選を重ねていくうちに、党や院、派閥の主要ポストや閣僚等を歴任していくと、若い頃のように頻繁に会うことはなかなか難しく多少の距離感が生まれたこともありました。
記者さんの言葉を借りると、お互い同期の中で徐々に頭角をあらわし、まわりがふたりをライバル視して何となく溝が作られていったらしいです。
小沢が党の幹事長に就任。私が党の選挙制度調査会長を引き受け、久しぶりに小沢とのタックが始まりました。
「政治改革・政権交代可能な二大政党の実現・小選挙区制の導入」ふたりは一体となって突き進み、紆余曲折を経てついには、「自民党には自浄作用がない。もはや自民党では改革は出来ない。ならば、改革に燃える同士とともに、自民党に対峙するもうひとつの勢力を創ろう」と、自民党離党という厳しい波乱の道へと進んでいきました。
そして苦節15年。この時のふたりの信念と志が、その実現に向け今大きく動き出そうとしています。
「お互い全然会わなくても、考えていることはいつも一緒だな」ふたりが会うと決まってこんな会話をします。
自民党離党以降、さまざまな新党が立ち上がり、幾つもの再編が繰り返されました。そんな中、事実小沢との対決もありました。しかしそのほとんどは、週刊誌的マスコミ報道と互いの取り巻き議員の対決や憎しみでした。
渦中のふたりには、およそ憎しみもいざかいもありませんでした。
私は大衆の中に飛び込み、語り合うのが大好きな人間です。小沢はシャイで、あまり表に出たがらず、また言い訳も嫌いでそれが誤解を生むこともあります。
しかし、私以上に一途な純な男です。
小沢と私の心は一つです。
いよいよ「政権交代」一大決戦を迎えます。
小沢も私も、この歴史的使命にたとえ一命を賭しても、志に立ち向かうことこそ我が天命と、今魂の鼓動に身が震える思いでおります。 
総選挙か。大政奉還か。
景気はものすごい勢いで悪化しています。新卒者の就職内定取り消しは相次ぎ、新車販売は前年比27%の減、大手百貨店も売り上げ20%の減、そして何十万人もの正規・非正規社員を問わず、リストラが容赦なく行われています。
経済、金融、雇用、国民生活等々、日本は未曾有の危機に直面しています。
しかしこの非常事態にもかかわらず、麻生総理にはまったく危機意識が感じられません。すべてが思いつきの見切り発車で、発言は二転三転の朝令暮改。失言・舌禍で迷走を繰り返し、国民の失笑までかい、総理への国民の信頼は薄れ完全に求心力を失ってしまいました。
民主党は、雇用・中小零細企業へのつなぎ資金を中心とした緊急経済関連対策法案を提出します。景気対策はスピードが命です。次々に施策を打たなければこの世界大不況に対処できません。にもかかわらず、麻生総理は緊急の二次補正すら年明けに先送りをしてしまいました。特に中小零細企業の命綱である一次補正の融資信用保証額の枯渇は時間の問題で、ますますリストラ、企業倒産が増大してしまいます。
今、総理のなすべきことは、自身の政権や自民党を守ることではなく真面目にこの窮状に立ち向かい、国民の生活を守ることです。
国民は大切な家族です。その生活を守り、すこしでも幸せな毎日を送ることができるよう努めることこそ、政治の最も大切な使命です。
この危機に政府も与党もバラバラです。自民党そのものが瓦解・崩壊寸前です。
経済が非常事態の今こそ国民に信を問うべきです。
国民の審判を受け、国民の支持を背景にした強い政権を創らなければ、日本は本当に破綻・沈没してしまいます。
ペリー艦隊の来航から明治維新まで15年。私たちが自民党を離党して同じく15年。歴史の縁を感じます。
麻生総理には、もはや速やかな解散・総選挙か、大政奉還しか道はありません。
政権が変われば、間違いなく政治は大きく動きます。
政権交代とは、私たち国民が国民の手で国民の政権を創ることです。 
政権維持のみに奮走する無責任
また自民党で、こざかしい策略が始まりました。
なんら目新しくもない小泉元総理の麻生批判に、政界もマスコミも何故か大騒ぎです。
国民から完全に見放された麻生総理では総選挙は大敗する。
ここは小泉人気にあやかり自民党と総理を切り離し、すべての責任を総理個人に押し付ける。そして国民の怒りを総理に集中させ、出来るだけ国民の批判をかわしながら麻生総裁を降ろし、新しい総裁のもとで総選挙に臨む。自民党らしいこざかしい策略です。
国民の目をそらし政権維持だけに奮走する無責任。
政権政党としての国民への責任感は微塵もありません。
これこそ小泉元総理の発言をかりれば、「怒るというよりは、笑っちゃうくらい、ただただあきれている」ではないでしょうか。
私たち国民は、ことごとく自民党政権に裏切られてきました。
政権が長すぎると、政治も行政も必ず腐敗します。
表紙をいくら変えても、何も変えることは出来ません。
政権そのものを変えない限り、私たちの暮らしも、地方を守ることも出来ません。
もう、後戻りは許されません。
政権が変われば、間違いなく政治は大きく動きます。
政権交代で、日本は劇的に変わります。 
表紙だけ変えても中身が変わらんでは駄目だ
小泉元総理の麻生批判に続く中川財務大臣の迷走辞任劇。
「もう、いい加減にして欲しい。」「怒りを通り越し、むなしさで言葉もでない。」
国民の率直な想いではないでしょうか。
おそらく自民党内では、麻生降ろしの狼煙が日に日に大きくなっていくでしょう。
いつもいつも国民不在、御身大切・政権維持のみに奮走する自民党。
かつて竹下総理の退陣表明を受け、党内から首相就任を求められた重鎮、伊東正義先生は
「本の表紙だけ変えても中身が変わらんでは駄目だ。結果として国民をだましたことになる。」
と、党への警鐘として最後まで就任を固辞し続けたものでした。
安倍・福田と二代続けての政権放棄。そしてこれぞ最強のエースとして送り出した麻生総理も相次ぐ失態で完全に民意に見放されてしまいました。それでも懲りずに自民党は、
「麻生では選挙に勝てない」
と、まだ表紙だけ変えて国民の怒りをかわそうとしています。
しかしそんな党内事情だけにうつつをぬかしている間にも、景気は加速度的に落ち込み、GDPはマイナス12.7%と想像を絶する値で、経済も国民生活も崖っぷち、底抜けの事態にまで追い込まれてしまいました。
今、政権政党のなすべきことは、自身の政権や党を守ることではなく、真剣にこの窮状に立ち向かい、日本の経済と国民生活を守ることです。
しかし、もはや自民党には政権政党としての自覚も責任も緊張感もパワーもありません。
もうこれ以上の、政権のたらいまわしは断じて許すことは出来ません。
即刻、国民に信を問うべきです。
国民の審判を受け、民意の支持と信頼に支えられた強い政権を創らなければなりません。
政権交代。「FRESH Japan」「FRESH Tomorrow」
私たちは、政治家のためでも、政党のためでも、官僚のためでもない、「国民の生活が第一」の新しい政権を必ず実現します。 
民主党の目指す政権
民主党の目指す政権とは、「国民の手で、国民のための新しい政権を創る」ことです。
視点を変えると、守ろうとする現政権にとっては国家権力のすべてを失うことを意味します。
政治改革を始めて20年。自民党離党から15年。
二大政党のもと、ようやく政権交代が現実へと動き出しました。
しかしそう簡単には政権交代をさせてくれません。
動乱の幕末から明治維新へ。多くの若き憂国の志士の尊き犠牲のうえに新しい歴史が創られていきました。
今あらためてその歴史の重みを実感しています。
政権を担えば、毎日が地図のない嵐の航海を強いられます。
それだけ重い重い責任を背負うことになります。
政権前夜。わが党も今大きな試練に立たされています。
しかし、ここを突き抜けこの試練を乗り越えてこそ、必ずや国民のための新しい政治を興すことが出来ると固く信じています。 
「決着の夏」に向けて
いよいよ政権選択を問う歴史的な衆議院総選挙が迫って参りました。
変えることを怠り、ぬくぬくと生き抜いてきた長すぎる自民党政権。弾み流れる川は、いつも清く澄み渡り生き生きとした生命力に満ち満ちています。しかし、淀んだ水はその生命力を失い、必ず沈淪・腐敗してしまいます。
自民党最大の過ちは、国家・国民よりも、みずからの政権を守ることのみに恋々として来たことです。
政官業の馴れ合いが政治を風化させ、国民の声が届かない、国民の痛みも感じない冷たい官僚支配が蔓延り、地方は活力を失い、年金・医療・介護は崩壊し、将来不安・生活不安・格差はどんどん広がり、国民生活は惨たんたる状況にまで追い込まれてしまいました。
今回の15兆円の補正予算にしても、ほとんどが官僚に丸投げです。100年に一度の緊急不況対策にもかかわらず、2割は官僚の天下り団体に支出され、3割は、まだ使い道も決まらない役所の基金に投入されています。特に今回限りの子供手当てなどは、無責任極まる選挙対策そのものです。そしてその財源は埋蔵金、赤字国債、数年後の消費税の増税です。いつも国民の苦しみは後回し。大切な税金のほとんどが、官から官へと流れてしまいます。
「地方は国の奴隷じゃないか」率直な指摘です。中央官庁のお許しがなければ、ひとつの保育園すら自由に造ることが出来ません。絶大な権限と財源こそ官僚の力の源泉です。そして自民党はその権力を巧みにあやつり、官僚とともに地方を支配し政権を維持してきました。権限と財源を官僚から取り戻し、地方に移譲する「地域のことは地域で決める」これが地域主権・地方分権です。これこそ政権交代なくしては、絶対に実現できません。
政権を変え、官僚支配を打ち破れば、予算の枠組みも政策も劇的に変えることが出来ます。民主党は従来の予算編成の枠に縛られず、ゼロから「国民の生活が第一」を基本に予算を編成します。闇深く閉ざされていた税金の無駄遣いも徹底的に正します。悪しき慣行とは断固決別します。
いよいよ歴史の扉を開く時です。この総選挙は、国民の生活を守る闘いです。
国民とともに信頼と希望に満ちた新しい政権を創る。
政権交代で、政治は動き、日本は大きく変わります。 
政権選択・決着の夏
いよいよ総選挙が目前に迫ってきました。
「政権選択・決着の夏」日本の一番長い熱い暑い夏の日となるでしょう。
政権が長すぎると、さまざまな弊害が生まれ、必ず堕落し腐敗します。
特に、政と官の長い間のもたれ合いは、政権を劣化させ、官僚支配が蔓延し、政治の緊張感と活力すら奪ってしまいます。
もはや自民党は、末期的崩壊状態に陥ってしまいました。
暮らしの尊さを大切にしない政治はもうこりごりです。
今の政治を変えて欲しい。全国でも大きな地殻変動が起きています。
日本は政権交代でしか変えることが出来ません。
政権交代とは、官僚支配から政治を国民の手に取り戻し、国民とともにこの国の仕組みを変え、大切な税金の使い道を正していくことです。
税金の使い方を決める予算編成も「国民の生活が第一」を基本にゼロから組み替えます。
税金の無駄や天下りの仕組みも徹底的に正し、子育てや、医療・介護・雇用・地方の活性化などに集中的に配分します。
政権交代で、日本は劇的に変わります。
16年前、「政治改革から始まり、二大政党が政権を競い合う緊張感こそ政治のダイナミズム。今、この国の政治を変えよう」と、古いしがらみに別れを告げ、断腸の思いで自民党を離党しました。
この間さまざまな新党が立ち上がり、幾つもの再編がありました。
身を削る思いの連続でしたが、「自民党に対峙する、国民のための新しい政党を創りたい」この信念一途で、新しい日本の夜明けを信じ逆境と苦難に立ち向かってきました。
そしていよいよ日本の歴史を変える夜明けのドラマが、今始まろうとしています。
正直、無理に無理を重ねてきた私の身体はぼろぼろかもしれません。
しかし「政権交代」この歴史的使命に、我が身がぶっ壊れようとも、試練に立ち向かうことこそ我が天命と、思いの丈のすべてをぶつけ燃え尽きる覚悟です。
そしてこの新しい歴史の扉を開くことこそ、政治家として私に課せられた最後のご奉公と決意を新たにします。 
 
村山富市

 

1994年6月30日-1996年1月11日(561日)
1994年7月、第130回通常国会にて所信表明演説に臨み、「自衛隊合憲、日米安保堅持」と発言し、日本社会党のそれまでの政策を転換した。
1995年1月、兵庫県南部地震に伴う阪神・淡路大震災発生時、政府の対応の遅さが批判され、内閣支持率が急落した。
3月には「オウム真理教」幹部による地下鉄サリン事件が起こった(後述)。その後、公安調査庁の調査結果を尊重し、オウム真理教への破壊活動防止法適用を公安審査委員会に申請した。
5月10日、自由民主党幹事長森喜朗が「村山総理は『過渡的内閣には限界がある』と洩らしている」と発言し、総理大臣官邸での村山との会話を洩らした。この発言を受け読売新聞社が「首相、退陣意向洩らす」と報道し、他社もこれに続く大騒ぎとなる。その結果、自社さ連立政権全体から森は猛反発を受け、閣内では村山の慰留に努める雰囲気が醸成され、村山内閣はその後も継続した。
6月9日、衆議院本会議で自民・社会・さきがけ3会派共同提出の「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(不戦決議)が可決された。
6月21日、全日空857便ハイジャック事件が発生した際には、警察の特殊部隊に強行突入を指示し鎮圧した(後述)。
7月、「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)を発足させた(後述)。同月、第17回参議院議員通常選挙が行われた。この選挙は、自民党内閣ではあるが非自民首相の大型国政選挙としては、自民党が結党した1955年以来、初めてであった。この選挙で日本社会党は大きく議席数を減らしたため村山は辞意を漏らしたが、与党側が慰留したことから首相を続投し、内閣改造を行った。
8月15日、「戦後50周年の終戦記念日にあたっての村山首相談話」(通称村山談話)を閣議決定した。
1996年1月5日、首相退陣を表明した。自社さ政権協議にて、自民党総裁橋本龍太郎を首班とする連立に合意した。11日に内閣総辞職し、橋本連立内閣が発足した。
村山内閣の間、首相秘書官は、園田原三(社会党中央本部)、河野道夫(左同)、岩下正(大蔵省)、乾文男(左同)、槙田邦彦(外務省)、金重凱之(警察庁)、小林武仁(左同)、古田肇(通産省)が務めた。主治医として下條ゑみ医師(国立国際医療センター)が従事。首相公邸ではファーストレディー役の二女・中原由利、社会党中央本部の田中稔、八木隆次らが秘書を務めた。  
施政
村山内閣は、55年体制下で続いてきた保革対立に終止符を打った自社さ連立政権であり、政権発足時から、戦後の政治的懸案事項に取り組んだ。
村山本人は「『当時としては』全てにおいて最良の選択だった」と振り返っている。
渡邉恒雄は「よい意味で進歩的内閣で、社会党の反安保・反米、国歌・国旗反対を潰して、国論統一の幅をぐんと広げてくれたことが最大の功績」と保守・右派・タカ派的立場から評価した。また田中康夫は「自民党と社会党のいいとこ取りしたハイブリッド内閣」と評した。
施政方針
国会演説の中で村山内閣の施政方針として「人にやさしい政治」を掲げた。
政策綱領
社会党と新党さきがけが結んだ政策合意に対し自由民主党が参画し、1994年6月に「自社さ共同政権構想」として合意され、村山内閣、第1次橋本内閣の政策綱領となった。
日本国憲法の尊重
小選挙区比例代表並立制の実施
税制改革の前提として行政改革の断行
条件つきながら消費税の引き上げの方向を認める
自衛隊と日米安全保障条約を維持
国際連合平和維持活動に積極的に参加
国際連合安全保障理事会常任理事国参加問題には慎重に対処 
戦後の総括
村山談話
1995年8月15日の戦後50周年記念式典において村山は、日本が戦前、戦中に行ったとされる「侵略」や「植民地支配」について公式に謝罪した。これ以後も保守系議員などにより村山談話とは見解を異にする内容のコメントが発せられ、その度に中国、韓国の政府から反発が起きた。「日本は戦後、戦時中におこなったとされる侵略行為については当事国に公式に謝罪し補償も済ませているのでこれ以上の謝罪論は不要である」との批判がある一方、逆に「この談話は結局のところ『戦争に日本政府は巻き込まれた。悪いとは思うが仕方がなかった』という立場を表すに過ぎない」との批判もある。
被爆者援護法の制定
「女性のためのアジア平和国民基金」設立
1994年8月、「従軍慰安婦問題」に関して民間基金による見舞金支給の構想を発表し、1995年7月、総理府と外務省の管轄下で「財団法人女性のためのアジア平和国民基金」を発足させた。この基金により、1997年1月、韓国人元慰安婦への見舞金支給が開始された。
村山内閣成立以前、国費による損害賠償と政府の謝罪を求めた元慰安婦による訴訟が各地で起こされていた。しかし、日本政府は、他国との条約締結時にこれら諸問題は解決済みとの立場であり、国費投入による元慰安婦への損害賠償はありえないとされていた。村山が示した構想では、政府が基金を設立し資金は民間からの寄附とすることで、直接の国費投入を避けるとともに募金に応じた国民の真摯な思いが伝わるとアピールすることで、両者の主張を織り込みつつ問題解決を図る狙いがある。村山自身は、発足の経緯について「『あくまで政府補償をすべきだ』という意見があれば、他方では『戦時賠償は法的にはすべて解決済みだ。いまさら蒸し返す必要はない』、果ては『慰安所ではちゃんとカネを払っていた』といった声まで、国内外の意見の隔たりは大き」く、「与党3党の間でも厳しい意見の対立があった」が、「それを乗り越え一致点を見いだし、基金の発足にこぎつけた。」「元慰安婦の方々の高齢化が進むなか、何とか存命中に日本国民からのおわびの気持ちを伝え、悲痛な体験をされた方々の名誉回復を図る」には「いろいろ批判はあろうが、当時の差し迫った状況では、これしか方法はなかった」と記している。
女性のためのアジア平和国民基金の初代理事長には原文兵衛、第2代理事長に内閣総理大臣退任後の村山が就き、約6億円の募金を集め、元慰安婦の生活支援のみならず女性の名誉尊厳一般に関する事業を展開してきた。フィリピン、韓国、台湾で支援事業を展開し、インドネシア事業終了を予定する2007年3月に解散することが、理事長である村山により発表された。
2000年9月1日、第2次森内閣で内閣官房長官中川秀直が、女性のためのアジア平和国民基金に関する記者会見を開き、同基金に対する日本政府の認識を改めて表明した。
2007年3月6日、村山は記者会見を開き、従軍慰安婦問題で日本の謝罪を求める決議案がアメリカ合衆国下院にて審議されていることについて、「(女性のためのアジア平和国民基金を通じ)歴代総理が慰安婦の方へお詫びの手紙を出したことが理解されていないのが極めて残念」と発言している。 
災害・事件への対処
阪神・淡路大震災
1995年1月17日、兵庫県南部地震により阪神・淡路大震災が発生した際、政府の対応が遅れたことについて批判された。
危機管理体制 / 村山は自衛隊派遣が遅れた理由に対して「なにぶんにも初めてのことですので」と答弁し、国民から強い非難を浴び、内閣支持率の急落に繋がった。やがて対応の遅れの全貌が明らかになるにつれ、法制度をはじめとする当時の日本政府の危機管理体制そのものの杜撰さが露呈した。当日朝、村山は山花貞夫ら24人の社会党離党届の方を重視しており、京都機動隊が兵庫入りした当日11時過ぎにも「山花氏は話し合いを見て欲しい」と記者にコメントしていた。震災発生は午前5時46分ごろであったが、当時の官邸には、危機管理用の当直は存在しなかった。また、災害対策所管の国土庁にも担当の当直が存在しなかった。当時、歴代在任日数最長の内閣官房副長官として官邸に重きをなしていた石原信雄は、「前例のない未曾有の災害で、かつ法制度の未整備な状態では、村山以外のだれが内閣総理大臣であっても迅速な対応は不可能であった。」と述懐、擁護している。連立内閣に対する内閣官房や官僚の忠誠心の低さも問題点として指摘された。震災後、後藤田正晴に指示された佐々淳行が、総理官邸メンバーの前で危機管理のレクチャーを行ったが、熱心に話を聴いていたのは村山ただ一人であり、それ以外の政務・事務スタッフは皆我関せずの態度を取ったため、佐々が厳しく戒めたという。また、村山が震災直後に国民に向けて記者会見を開こうとしていたが、内閣官房スタッフから止められていた、との逸話も佐々の著書で紹介されている。
法制度上の問題 / 自衛隊出動命令の遅れは、法制度上、地元・兵庫県知事貝原俊民(当時)の要請がなければ出動できなかった点が挙げられる。当日午前8時10分には、防衛庁・陸上自衛隊姫路駐屯地から兵庫県庁に対し出動要請を出すよう打診されている。また午前10時前には自衛隊のヘリコプターを飛ばし被災地の情報収集を行っている。しかし、貝原が登庁したのはその後で、さらに現況の把握に時間が費やされた。最終的に、貝原の命令を待たず兵庫県参事(防災担当)が出動要請を午前10時10分に行い、その4分後の午前10時14分には自衛隊が出動している。2007年、東京都知事石原慎太郎は「神戸の地震の時なんかは、(自衛隊の派遣を要請する)首長の判断が遅かったから、2000人余計に亡くなったわけですよね」と発言し、地方公共団体の対応の遅れを指摘した。だが、貝原俊民は「石原さんの誤解。たしかに危機管理面で反省はあるが、要請が遅れたから死者が増えたのではない。犠牲者の8割以上が、発生直後に圧死していた」と反論しており、派遣要請の遅れと犠牲者数の増加には直接の関係ないとしている。また、兵庫県防災監に震災後就任した斎藤富雄によれば、石原の指摘は「全く根拠のない発言で、誠に遺憾」と指摘している。
復興対応/震災直後、村山は国土庁長官小澤潔に代えて小里貞利を震災対策担当相に任命し復興対策の総指揮に当たらせる。また下河辺淳を委員長とする震災復興委員会を組織し、復興案の策定を進めた。被災者への支援として、16本の法律を改正、および、制定し、被災者に対する税負担の軽減等を図った。
問題点と反省点 / 震災など危機管理対応への各制度が未整備であった。村山は「初動対応については、今のような危機管理体制があれば、もっと迅速にできていたと思う。あれだけの死者を出してしまったことは、慚愧(ざんき)に堪えない。一月十七日の朝は毎年、自宅で黙とうする」と語っている。また、「危機管理の対応の機能というのは全然なかったんです。初動の発動がね、遅れたということについてはね、これはもう弁明の仕様がないですね。ええ。本当に申し訳ない」と述べ、言い訳や反論の仕様がなく、反省しているとの考えを語っている。
オウム真理教に対する破壊活動防止法適用申請
1995年(平成7年)3月20日、地下鉄サリン事件が発生した。村山は法務大臣前田勲男、国家公安委員会委員長野中広務、警察庁長官國松孝次、内閣官房長官五十嵐広三ら関係幹部に徹底捜査を指示、陣頭指揮を執る姿勢を見せ、事件捜査について「別件逮捕等あらゆる手段を用いて」と発言したがこれは刑事捜査の是非について政治サイドの言葉としては著しく問題化した。
地下鉄サリン事件など一連の事件を起こしたオウム真理教に対し、破壊活動防止法適用が検討され、公安調査庁が処分請求を行った。公安審査委員会は破壊活動防止法適用要件を満たさないと判断し、適用は見送られた。
1952年に公布された破壊活動防止法は、暴力主義的破壊活動を行った団体に対し、規制措置を定めた法律である。当初は日本共産党や日本赤軍などの暴力革命による自由民主主義体制の転覆を志向する極左勢力の拡大を防止する目的もあったことから、社会党はじめ55年体制下の野党各党は、従来法の適用に極めて慎重な立場をとっていた。オウム真理教への破壊活動防止法適用には警察官僚出身で自民党の後藤田正晴らからも異論が出るなど賛否両論が噴出したが、法務大臣の宮澤弘、国家公安委員長の野中と協議した村山は、公安調査庁の調査を尊重すると決断し、公安審査委員会への処分請求に道を拓いた。地下鉄サリン事件の捜査に関して前述の「別件逮捕」の扱いについての発言が本来なら革新リベラルとして同志向の面が強い筈の人権派弁護士たちからも大きな反発を受けるなど賛否両論となった。
2007年3月17日、「地下鉄サリン事件被害者の会」が編んだ『私にとっての地下鉄サリン事件』に手記を寄せた。同書には國松や『アンダーグラウンド』を書いた村上春樹らも寄稿している。
ハイジャックへの警察特殊部隊投入
1995年6月、羽田発函館行の全日空857便(乗員乗客365人)がハイジャックされ、「サリンを所持している」という犯人がオウム真理教教祖で前月に逮捕・勾留されていた麻原彰晃の釈放を政府に要求した。
村山は国家公安委員長の野中や運輸大臣の亀井静香と協議し、ハイジャック犯との交渉には一切応じない方針を固め、SAP(SpecialArmedPolice、特殊武装警察)の実戦投入を指示した。
SAPに対し突入を指示した後、村山は「もしも死者が出たら白装束で遺族の下にお詫びに行く覚悟だ」と発言し、野中は「その際は私も同行する」と発言した。
しかし、機内の様子について収集した情報からオウム信者ではないと判断。警視庁警備部第六機動隊特科中隊(SAP)は突入に加わらず、後方支援に回り、北海道警察本部機動隊対銃器部隊と函館中央署員の突入を支援。犯人を逮捕した。軽傷者が1名であった。
サリンとされた物質はただの水であり、ハイジャック犯はオウム真理教とは全く無関係の精神疾患で休職中の東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)の行員であった。
当時の警察庁は特殊部隊であるSAPの存在自体を極秘としており、実戦投入後もその存在が公にされることはなかった。1996年、警察庁は北海道警察本部、千葉県警察本部、神奈川県警察本部、愛知県警察本部、福岡県警察本部に部隊を増設し、警視庁、大阪府警察本部のSAPとともに、正式に「特殊急襲部隊」(SpecialAssaultTeam、通称SAT)の呼称を与え、正規部隊として公表した。 
外交
羽田内閣から村山内閣への移行は政権交代だが、外交方針は従来の日本政府のものを基本的に継承し、行政の継続性を保っている。
対米国
村山内閣成立時、「日本に共産主義政権が誕生した」と日本以外のメディアに報じられたため、懐疑論が根強くあった。
アメリカ合衆国大統領ビル・クリントンは当初、社会党出身の内閣総理大臣に警戒心を持っていた。しかし1994年の第20回先進国首脳会議(ナポリ・サミット)前の会談にて、村山が貧しい漁村に生まれ育った自らの生い立ちから、政治家を志すに至る過程などを訥々と語ったところ、これを聞いたクリントンはいたく感動し、その後のサミットでも不慣れな村山をとかくサポートしたという。
日米安保の維持
1994年7月20日、第130回国会での所信表明演説にて「自衛隊合憲」、「日米安保堅持」と明言し、それまでの日本社会党の政策を転換し、日米安全保障条約体制を継続することを確認した。
この際、演説用原稿では「日米安全保障体制を維持」となっていたのを、所信表明演説では村山が「日米安全保障体制を堅持」と読んだことが注目された。
これは村山の出身政党である社会党にとっては“コペルニクス的転回”であった。トップダウンで決定した背景から独断専行と批判も受けたが、党は追認している。 
内政
原子力発電の容認
これまで原発反対運動を率いていた党方針から転換し、国会答弁で「電力需要を考慮すると、ある程度の原子力発電の造成もこれはやむを得ない」との指針を示した。
リサイクル法の制定
水俣病患者救済
成田空港問題への対応
1991年11月から15回にわたって開催された「成田空港問題シンポジウム」と、引き続き1993年9月から12回にわたって開催された「成田空港問題円卓会議」での結論を受け、村山は1995年、これまでの空港問題の経緯について地元に謝罪した。これにより第二期工事への用地買収に応じる地主も現れた。その後、1996年に未買収地を避ける形で暫定滑走路を建設する案が計画された。村山ら政府の謝罪に加え、中立委員らの度重なる働きかけにより、成田空港反対派住民の強硬姿勢も次第に和らぎつつある。
宗教法人法の改正と創価学会との対立
オウム真理教の地下鉄サリン事件を受けて、村山は文部大臣島村宜伸に指示し宗教法人法の改正案を第134回国会に提出した。審議に際し、自由民主党、日本社会党、新党さきがけの与党3党が、創価学会名誉会長池田大作や創価学会会長秋谷栄之助の証人喚問を要求したため、野党の新進党、公明が反発した。公明所属議員や旧公明党に参加していた新進党所属議員らが、参議院宗教法人特別委員長佐々木満を監禁したり国会議事堂でピケッティングを行ったりして採決阻止を図ったことから、国会が空転する事態に発展した。最終的に秋谷を国会に参考人召致したうえで改正宗教法人法を成立させた。
なお、村山は創価学会の政治活動に極めて批判的な政治家として知られている。俵孝太郎らが創価学会の政治活動に批判的な「四月会」を発足させた際、村山は日本社会党委員長の肩書きで同会の設立総会に出席している。1996年1月の総理退任の際には、総理大臣官邸にて与党3党の幹部らに「三党の連立は守ってほしい。それが自分の希望だ。この国を創価学会の支配下にあるような政党に任せることはできないからだ」と語っている。また、村山内閣、および、村山改造内閣には、前述の島村をはじめ、亀井静香、与謝野馨、桜井新、高村正彦、平沼赳夫、野中広務、大島理森ら、創価学会の政治活動に批判的な「憲法20条を考える会」の主要メンバーが多数入閣している。
官邸機能の強化と政治主導
官邸入りした村山は、内閣総理大臣、内閣官房長官、内閣官房副長官を除くと総理大臣官邸のスタッフは全て官僚であることに危機感を抱いた。「官邸っていうのは単に行政をやる庁ではなくて政治的な判断をやる庁でもある」と考えた村山は、官邸内に「もう少し政治家の発言、意見というものがあっていい」との理由から「内閣総理大臣補佐」のポストを設置した。内閣総理大臣補佐は与党3党に所属する国会議員の中から選ぶこととし、中川秀直、早川勝、錦織淳、戸井田三郎らを任命した。選任された内閣総理大臣補佐は、首相の演説や答弁などへの意見具申や政治課題に関する情報収集を担当した。この内閣総理大臣補佐のポストは首相の私的な相談役との位置づけだったが、後に内閣法が改正され「内閣総理大臣補佐官」のポストが法制化された(内閣法第19条)。
エピソード
戦後政界では内閣総理大臣の座を争って幾度も政争が繰り広げられており、自らの意思ではなく周囲の推挙によって総理に就いた数少ない1人であり、村山自身「自分が総理大臣になろうと思ったことも、なれると思ったこともなかった」と述懐している。総理に就任したときも、家族は喜ぶというより高齢の身で総理の激務に当らなければならない村山を心配した。
首相在任中、妻が持病(腰痛)のため公務に同伴できない状態だったため、秘書をしていた娘が同行した。
首相就任直後、イタリアのナポリで開かれた先進国首脳会議に参加した。国際会議への出席は当然ながら初めてであったため、出発前に宮澤喜一元首相が「通訳がいるので、言葉のことは心配いりませんよ」等のアドバイスをした。
首相在任中は、首相経験者で同い年の竹下登元首相が村山のよき相談相手になっていた(竹下は1924年2月26日生まれ、村山は同年3月3日生まれで殆ど同時期に誕生している)。
首相在任中にベトナムの要人と会談した際に「ベトナムが成長したのは日本のお陰です」と社交辞令を言われた際に「それは違いますぞ。まずはあんたたちが頑張ったから今のベトナムがあるんじゃ。日本はそのお手伝いをしただけじゃ」と言葉を返した。それ以降、ベトナムの要人は村山に尊敬の念を浮かべて社交辞令を超えた会談となった。
サミット開会前のレセプションで腹痛と下痢を起こして中座、翌日も一部の会議を欠席するなどし、関係者を心配させた。海外訪問の経験が少ない村山は、滞在中は現地の飲食物に非常に注意しており、滞在先の総領事公邸で出された食事にしか手をつけなかった。しかし会談前に首脳が屋外で歓談した際、ウェイターが差し出した桃ジュースにうっかり手を出してしまい、それにあたってしまったと後に述懐している。同日夕刻のレセプションの頃にはすでに体調が悪く一切料理に手をつけていない。八幡和郎などは、外務省などが村山の健康管理を充分におこなっていなかったと批判している。 
1994

 

第130回国会・所信表明 / 平成6年7月18日
私は、さきの国会において、内閣総理大臣に指名されました。歴史が大きな転換期を迎えているこの時期に国政のかじ取り役を引き受けることの責任の重さを自覚し、力の及ぶ限り、誠心誠意、職務に取り組んでまいります。
冷戦の終結によって、思想やイデオロギーの対立が世界を支配するといった時代は終わりを告げ、旧来の資本主義対社会主義の図式を離れた平和と安定のための新たな秩序が模索されています。このような世界情勢に対応して、我が国も戦後政治を特色づけた保革対立の時代から、党派を超えて現実に即した政策論争を行う時代へと大きく変わろうとしています。
この内閣は、こうした時代の変化を背景に、既存の枠組みを超えた新たな政治体制として誕生いたしました。今求められているのは、イデオロギー論争ではなく、情勢の変化に対応して、滴達な政策論議が展開され、国民の多様な意見が反映される政治、さらにその政策の実行が確保される政治であります。これまで別の道を歩んできた三党派が、長く続いたいわゆる五五年体制に終止符を打ち、さらに、一年間の連立政権の経験を検証する中から、より国民の意思を反映し、より安定した政権を目指して、互いに自己変革を遂げる決意のもとに結集したのがこの内閣であります。これによって、国民にとって何が最適の政策選択であるかを課題ごとに虚心に話し合い、合意を得た政策は責任を持って実行に移す体制が歩み始めました。私は、この内閣誕生の歴史的意義をしっかりと心に刻んで、国民の期待を裏切ることのないよう、懸命の努力を傾けたいと思います。
我々が目指すべき政治は、まず国家あり、産業ありという発想ではなく、額に汗して働く人々や地道に生活している人々が、いかに平和に、安心して、豊かな暮らしを送ることができるかを発想の中心に置く政治、すなわち、「人にやさしい政治」、「安心できる政治」であります。
内にあっては、常に一庶民の目の高さで物事を見詰め直し、生活者の気持ちに軸足を置いた政策を心がけ、それをこの国の政治風土として根づかせていくことを第一に考えます。
世界に向かっては、さきの大戦の反省のもとに行った平和国家への誓いを忘れることなく、我が国こそが世界平和の先導役を担うとの気概と情熱を持って、人々の人権が守られ、平和で安定した生活を送ることができるような国際社会の建設のために積極的な役割を果たしてまいりたいと思います。我々の進むべき方向は、強い国よりも優し.い国であると考えます。
このような政治の実現のためにも、世界に誇るべき日本国憲法の理念を尊重し、これを積極的に国民の間に定着させていくことが必要であります。また、年長者を敬う心や弱い立場の人々への思いやりなど、日本のよき伝統や美風も大事にしなければなりません。しかしながら、従来どおりの政策の維持発展だけでは真に国民の求める政治とはなりません。時代の変化に対応して、硬直化した社会制度を見直し、思い切った改革を行うことが不可欠であります。改革は、政治の安定があって初めて実効が上がります。逆に、勇気を持って改革に取り組んでこそ、国民の信頼と支持によって政治の安定を得ることができます。私はこの好ましい循環を信じて、たとえ苦しい作業であっても、改革の道を邁進したいと思います。
時代は大きく揺れ動いており、このようなときには、政治が、進むべき道を明確に示し、強力な指導力を発揮することが求められます。同時に、こういうときであればこそ、国民の声が反映された政治でなければなりません。私は、国民とともに我が国の政治の進路を考える姿勢を持って、党派を超えて、さまざまな意見に耳を傾け、国民の前に開かれた形で議論をし合意を求めるという民主政治の基本を大事にしていきたいと思います。
今後行うべき諸改革の出発点として、まず取り組むべきは政治改革であります。政治は国民に奉仕するもの、政治家は国民全体、人類全体の利益の視点に立って行動すべきものというごく当たり前のことが額面どおりに受け取られず、むしろ、政治はうさん臭いものと見られています。政治がその原点に立ち返り、国民の不信を払拭することが今ほど求められているときはありません。このためには、まず清潔な政治への自覚が求められます。「選挙で選ばれる人間は、選ぶ人間以上にしっかりとした道徳観がないと、選ばれる価値はない」というのが私の信念であります。
同時に、制度面の改革について、今までの成果を推し進め、なお努力を重ねなければなりません。このため、今後の衆議院議員の総選挙が新制度で実施できるよう、審議会の勧告を得て、速やかに区割り法案を国会に提出するとともに、政治の浄化のため、さらなる政治腐敗防止への不断の取り組みを進め、より幅の広い政治改革を推進してまいります。政治の改革に終わりというものはありません。私は、今後とも政治改革に力を注いでいく決意であります。
世界は今、歴史的変革期特有の不安定な状況に置かれています。冷戦の終結によって確実に一つの歴史は終わりましたが、次なる時代の展望はいまだ不透明であります。中東などで和平に向かっての進展が見られる反面、北朝鮮の核開発問題、旧ユーゴスラビアでの地域紛争等は、国際社会の平和と安定に対する深刻な懸念材料となっています。また、世界経済についても、全体として明るさを取り戻しつつあるものの、先進国における失業問題、開発途上国における貧困の問題、地球規模の環境問題等、深刻な問題が横たわっています。
このような国際情勢のもとで、我が国がどのように対応していくべきか。一言で申し上げれば、国際社会において平和国家として積極的な役割を果たしていくことであります。我が国は、軍備なき世界を人類の究極的な目標に置いて、二度と軍事大国化の道は歩まぬとの誓いを後世に伝えていかねばなりません。また、唯一の被爆国として、いかなることがあろうと核の惨禍は繰り返してはならないとの固い信念のもと、非核三原則を堅持するとともに、厳格に武器輸出管理を実施してまいります。もとより、国民の平和と安全の確保は重要です。私は、日米安全保障体制を堅持しつつ、自衛隊については、あくまで専守防衛に徹し、国際情勢の変化を踏まえてそのあり方を検討し、必要最小限の防衛力整備を心がけてまいります。
平和国家とは、軍事大国でないとか、核兵器を保有しないといったことにとどまるものではありません。今日、国際社会が抱える諸問題の平和的解決や世界経済の発展と繁栄の面で、従来以上に我が国の積極的な役割が求められています。強大な軍事力を背景にした東西対立の時代が終わった今こそ、我が国が、その経済力、技術力をも生かしながら、紛争の原因となる国際間の相互不信や貧困等の問題の解消に向け、一層の貢献を果たすべきときであります。このような観点から、核兵器の最終的な廃絶を目指し、核兵器等の大量破壊兵器の不拡散体制の強化など国際的な軍縮に積極的に貢献してまいります。また、貧困と停滞から脱することができないでいる開発途上国や旧ソ連、中・東欧諸国に対し、引き続き経済支援を行っていきたいと思います。
先般のナポリ・サミットは、この内閣の基本姿勢について各国首脳の理解を得る格好の機会でありました。私は、各国首脳と個人的な関係を培うとともに、新政権の政策の基本方向や外交の継続性について率直に説明し、理解を得られたと確信をいたしております。
国際的な政策協調を進めていく上で、日米欧の協力はその中核をなすものであり、今回のサミットでは、引き続きインフレなき持続的成長に向け政策協調を強化し、深刻な雇用問題について一致して取り組んでいくとの明確な意思表示を行いました。また、北朝鮮の核開発問題について、北朝鮮が国際社会との対話に応じ、核兵器開発疑惑の払拭に努力するよう求めるなど、当面する政治、経済両面の問題について、主要国首脳の間で忌憚のない意見交換と明確な方向を打ち出せたことは有意義な成果であったと考えてます。
冷戦後の国際社会においては、世界の平和と安定のために、普遍的な国際機関である国連の果たす役割には非常に大きなものがあります。今後、我が国としても、国際社会の期待にこたえ、引き続き、国連の平和維持活動について、憲法の範囲内で積極的に協力していくとともに、国連の改革に努力しつつ、より責任ある役割を分担することが必要であります。常任理事国入りの問題は、それによって生ずる権利と責任について十分論議を尽くし、アジア近隣諸国を初め国際社会の支持と国民的理解を踏まえて取り組んでまいりたいと思います。
国連における国際貢献も、政治・安全保障の分野に限りません。人類への優しさを追求する意味でも、環境保全、人権、難民、人口、麻薬等の地球規模の問題への対応がますます重要になっています。我が国としても、これらの課題の解決に積極的に取り組み、軍事力によらない世界の平和と共存への貢献に力を注ぐ考えであります。
世界貿易に目を転じますと、今年は、戦後の世界の自由経済体制の基軸となってきたブレトンウッズ体制発足五十周年に当たります。本体制のもと、自由貿易体制の利益を最も享受してきた我が国としては、ウルグアイ・ラウンド合意の来年一月一日の発効に向け、その責務として、早急に協定及び関連法案を国会に提出し、年内の成立を図るなど、自由貿易体制の維持発展への取り組みを強化してまいります。また、調和ある国際関係の維持のためにも、我が国の経済政策は公正な市場経済の堅持を大原則とし、新たな国際経済秩序の形成に進んで貢献する姿勢で臨むことが必要であります。このような観点から、今後とも、我が国市場の一層の開放と内需中心の経済運営に努め、経常収支黒字の十分意味のある縮小の中期的達成に向けて努力をしていく決意であります。
我が国の外交を考える場合、まず我が国自身がその身を置くアジア・太平洋地域との関係を語らねばなりません。戦後五十周年を目前に控え、私は、我が国の侵略行為や植民地支配などがこの地域の多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみをもたらしたことへの認識を新たにし、深い反省の上に立って、不戦の決意のもと、世界平和の創造に力を尽くしてまいります。このような見地から、アジア近隣諸国等との歴史を直視するとともに、次代を担う人々の交流や、歴史研究の分野も含む各種交流を拡充するなど、相互理解を一層深める施策を推進すべく、今後その具体化を急いでまいります。
同時に、アジア・太平洋地域は、世界でも最も躍動的な成長が続く活力ある地域であります。我が国としては、APECの一層の発展に努めるほか、政治・安全保障面では、米国の関与と存在を前提に、本年から開始される中国、ロシア等を含めたASEAN地域フォーラムの積極的な参画等を通じた努力を行ってまいります。
朝鮮半島においては、北朝鮮の金日成主席が逝去されましたが、私は、今回の事態が朝鮮半島の平和と安定に悪影響を与えることなく、米朝協議や南北首脳会談の早期開催など、対話による問題解決に向けた動きがさらに前進し、核兵器開発に対する国際社会の懸念が払拭されることを強く期待いたします。我が国としては、私が近く訪韓するなど、今後とも、米国、韓国、中国などと緊密に連携し、平和的解決を志向して最善の努力をしていく考えであります。
我が国と米国との関係は、さきの日米首脳会談でクリントン大統領との間で再確認したとおり、相互にとって最も重要な二国間関係であり、我が国外交の基軸であることはもとより、アジアを含む世界の平和と安定維持にとっても極めて重要な関係であることは言うまでもありません。私は、日米包括経済協議の早期の成功を含め、日米間の協力関係のさらなる発展に全力を傾注してまいります。
ロシアとの関係では、東京宣言を基礎として、領土問題を解決し、平和条約を締結して、関係の完全な正常化を達成するとともに、その改革に対し、国際協調のもと、適切な支援を行ってまいります。また、欧州統合の動きを歓迎するとともに、日欧間の政治対話を含めた包括的な協力関係を築くことに引き続き取り組んでまいります。
我が国は、世界第二位の経済大国でありながら、生活者の視点からは真の豊かさを実感できない状況にあります。加えて、人口構成上最も活力のある時代から最も困難な時代に急速に移行しつつあります。こうした情勢の中で、お年寄りや社会的に弱い立場にある人々をも含め、国民一人一人がゆとりと豊かさを実感し、安心して過ごせる社会を建設することが、私の言う「人にやさしい政治」、「安心できる政治」の最大の眼目であります。同時に、そうした社会を支える我が国経済が力強さを失わないよう、中長期的に我が国経済フロンティアの開拓に努めていくことも忘れてはなりません。このような経済社会の実現に向けての改革は、二十一世紀の本格的な高齢化社会を迎えてからの対応では間に合いません。今こそ、行財政、税制、経済構造の変革など内なる改革を勇気を持って断行すべき時期であります。
まず、経済の現状を見ますと、依然、雇用情勢や中小企業など産業の状況には厳しいものがあるほか、急激な円高の進行など懸念すべき要因も見られますが、このところ、次第に明るい動きも広がっております。この動きを加速し、景気を本格的な回復軌道に乗せていくことが当面の重要な課題であります。このため、平成六年度予算の円滑な執行や為替相場の安定化など景気に最大限配慮した経済運営に努力し、雇用の安定確保など可能な限りの対策を講じてまいります。
生活者の立場から、また、我が国の経済社会の活性化の見地から、行政と経済社会活動の接点ともいえる諸規制が果たして今日の実情に照らし適切なものであるかどうか、経済社会活動のあるべき姿をゆがめるものになってはいないかをいま一度徹底的に検証しなければなりません。先日取りまとめた規制緩和策を速やかに推進することは当然として、さらに、五年間の規制緩和推進計画を策定し、将来の新規産業分野への参入の促進や内外価格差の縮小による国民の購買力の向上などの視点も考慮しつつ、一層の規制緩和を実施していく決意であります。
また、国民本位の、簡素で公正かつ透明な政府の実現と、縦割り行政の弊害の排除に力を注ぎ、公務員制度の見直し、特殊法人の整理合理化、国家・地方公務員の適正な定員管理、行政改革委員会の設置による規制緩和などの施策の実施状況の監視、情報公開に関する制度の検討など、強力な行政改革を展開してまいります。
さらに、地方がその実情に沿った個性あふれる行政を展開するためにも、地方分権を推進することが不可欠であります。このため、その基本理念や取り組むべき課題と手順を明らかにした大綱方針を年内に策定し、これに基づいて、速やかに地方分権の推進に関する基本的な法律案を提案したいと考えています。
本格的な高齢化社会を控え、国の財政も新たな時代のニーズに的確に対応していかなければなりません。そのためには、二百兆円を超える公債残高が見込まれるなど一段と深刻さを増した財政の健全化が必要であり、財政改革を推進して一層の一財政の体質改善に努力してまいります。
また、税制面では、活力ある豊かな福祉社会の実現を目指し、国・地方を通じ厳しい状況にある財政の体質改善に配慮しつつ、所得、資産、消費のバランスのとれた税体系を構築することが不可欠であります。このため、行財政改革の推進や税負担の公平確保に努めるとともに、平成七年度以降の減税を含む税制改革について、総合的な改革の論議を進め、国民の理解を求めつつ、年内の税制改革の実現に努力してまいります。
同時に、今後、二十一世紀に向け、生活者重視の視点に立って、公共投資基本計画について、税制の具体的な検討作業を踏まえつつ、その配分の再検討と積み増しを含めた見直しを鋭意進めてまいります。
将来の経済の活力を維持し、新たな雇用を創出していくためには、創造性と技術力にあふれる新規産業を育成し、経済フロンティアを拡大していかなければなりません。特に、これまでの人や物の流れを変え、家庭の生活様式や企業活動を根底から変革する可能性のある情報化の推進が重要であります。世界情報インフラ整備等への国際的な取り組みを初め、国際協調のあり方も念頭に置きつつ、高度情報化社会の実現に向けて政府として総合的な取り組みを行ってまいります。
また、次の世代の我が国社会を真に創造的でダイナミックなものにするためには、将来を支える若者の教育や科学技術の振興が極めて重要であります。私は、これらを我々の未来への先行投資と位置づけるとともに、学術、文化、スポーツの振興にも力を入れ、新しい文化や経済活動が生み出されるような社会の実現を目指してまいります。
農林水産業は、国民生活にとって必要不可欠な食糧の安定供給という重要な使命に加え、自然環境や国土の保全等の機能を持ち合わせております。また、農山村や漁村は、私自身にとってもそうであるように、多くの国民にとって、心のふるさとともいうべき存在となっているのではないでしょうか。現在、農林水産業は厳しい試練にさらされております。私は、その多面的な役割を念頭に置いて、ウルグアイ・ラウンド合意による影響を踏まえ、農林水産業に携わる人々が将来に希望と誇りを持って働けるよう、これらの地域の活性化を含め、総合的かつ具体的な対策を早急に検討、実施してまいります。
私は、国づくりの真髄は、常に視点の基本を「人」に置き、人々の心が安らぎ、安心して暮らせる生活環境をつくっていくことにあると信じます。そのため、安定した年金制度の確立、介護対策の充実などにより、安心して老いることのできる社会にしていくこと、子育てへの支援の充実により次代を担う子どもたちが健やかに育つ環境を整備していくこと、また、体が弱くなっても、障害を持っていても、できる限り自立した個人として参加していける社会を築くことなど、人々が安心できる暮らしの実現に全力を挙げる決意であります。さらに、人々が落ちついて暮らしていける個性のある美しい景観や町並みを築き、緑豊かな国土と地球をつくり上げていくため、環境問題にも十分意を用いてまいります。
また、男性と女性が優しく支え合い、喜びも責任も分かち合う男女共同参画社会をつくらねばなりません。男女が、政治にも、仕事にも、家庭にも、地域にも、ともに参加し、生き生きと充実した人生を送れるよう最善を尽くしてまいります。
内閣総理大臣を拝命して二十日足らずで、我が国に対する国際社会の大きな期待と、国民の皆様がこの内閣に寄せる熱い思いを肌で感じ、改めてその任務の重さにひしひしと身の引き締まる思いがいたします。内外に難題が山積する今、私は、「常に国民とともに、国民に学ぶ」という自分の政治信条を大切にし、国民の知恵と創造力をおかりしながら、持てる限りの知力と勇気を持って政策の決定を行うとともに、決断したことは断固たる意志を持って実行するとの基本姿勢で、新しい時代の扉を開いてまいる決意であります。
議員各位と国民の皆様の御理解と御協力を切にお願いする次第でございます。 
1995

 

談話・「戦後50周年の終戦記念日にあたって」 / 平成7年8月15日
(いわゆる村山談話)
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山談話は、1945年(昭和20年)8月15日の終戦から50年経った1995年(平成7年)8月15日、村山富市内閣総理大臣が、閣議決定に基づいて発表した声明である。以後の内閣にも引き継がれ、日本国政府の公式の歴史的見解としてしばしば取り上げられる。
談話は、今日の日本の平和と繁栄を築き上げた国民の努力に敬意を表し、諸国民の支援と協力に感謝する第一段、平和友好交流事業と戦後処理問題への対応の推進を期する第二段、「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表明する第三段、国際協調を促進し、核兵器の究極の廃絶と核不拡散体制の強化を目指す第四段からなる。
特に、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与え」たことを「疑うべくもないこの歴史の事実」とし、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」した第三段と、慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(河野談話)によって存在を認めた、いわゆる従軍慰安婦問題などへの対応を示した第二段については、論争の的ともなっている。
村山首相は、この談話を発表したあとの記者会見で、いくつかの点について質問を受け、見解を示した。まず、天皇の責任問題については「戦争が終わった当時においても、国際的にも国内的にも陛下の責任は問われておりません。」として、「今回の私の談話においても、国策の誤りをもって陛下の責任を云々するというようなことでは全くありません。」と、その存在を否定した。また、「遠くない過去の一時期、国策を誤り」としたことについて、「どの内閣のどの政策が誤った」という認識か問われ、しばし逡巡した後、「どの時期とかというようなことを断定的に申し上げることは適当ではない」と答えた。さらに、諸外国の個人から、戦争被害者として日本政府に対して賠償請求が行われていることについて、今後の日本政府の対応を問われ、「先の大戦に係わる賠償、財産請求権の問題につきましては、日本政府としては、既にサンフランシスコ平和条約、二国間の平和条約及びそれとの関連する条約等に従って誠実に対応してきた」とし、「我が国はこれらの条約等の当事国との間では、先の大戦に係わる賠償、財産請求権の問題は、所謂、従軍慰安婦の問題等も含めて」「法的にはもう解決が済んでいる」との認識を示し、個人補償を国として行う考えはないとした。
なお、終戦から60年が経った2005年8月15日には、小泉純一郎内閣総理大臣により、村山談話に基づき、それを継承・発展させた内閣総理大臣談話(小泉談話)が発表されており、こちらも村山談話のように日本政府の公式見解として扱われている。 
 
橋本龍太郎

 

1996年1月11日-1996年11月7日(302日)
1996年11月7日-1998年7月30日(631日)
1995年9月、橋本は国民的人気を背景に自民党総裁選に出馬する。当初は現職総裁の河野洋平と橋本の一騎打ちと目され、早稲田大学出身の河野と慶大出身の橋本の「早慶戦」、ともに昭和12年生まれで50代の「ニューリーダー対決」などと評されたが、河野は自らが所属する宮澤派の支持を得られずに「大変厳しい多数派工作で、党内に亀裂を生じるのを恐れる」として出馬を辞退。河野に代わって三塚派の小泉純一郎が出馬し、論客同士の「さわやかな政策論争」と評される総裁選が展開された。橋本は304票を獲得し、87票を獲得した小泉に圧勝。第17代自民党総裁に就任した。幹事長に宮澤派の加藤紘一、総務会長に三塚派の塩川正十郎。政調会長に旧渡辺派の山崎拓を選任した。橋本は総裁就任に伴って、村山内閣改造内閣で副総理を兼務し引き続き通産相をつとめた。
1996年1月11日、村山富市首相の辞任に伴い、第82代内閣総理大臣に指名され、自社さ連立による第1次橋本内閣が発足した。官房長官には、橋本らと共に竹下派七奉行と呼ばれた実力者である梶山静六が選任された。その後の施政方針演説では改革の必要性を主張し、「強靭な日本経済の再建」「長寿社会の建設」「自立的外交」「行財政改革」の4つを最重要課題として挙げた。
就任当初は、村山政権下で決定された住宅金融専門公社(住専)の不良債権に対する6800億円を超える財政支出問題で、新進党が「ピケ」と呼ばれる座り込み運動を展開するなど激しく抵抗し、メディアも否定的な論調を展開したことから、政権への批判が強まった。ただし、海外市場では好感する動きが見られた。
同年2月23日、アメリカのクリントン大統領との日米首脳会談で、橋本は普天間飛行場の返還を要求、4月に全面返還で日米政府が合意した。普天間の代替基地についても安全保障政策や環境政策が絡む中で米国や沖縄の基地自治体関係者と対談を行い、代替施設について名護市の受け入れ表明を取り付けて、普天間基地返還に本格的道筋をつけた。この結果、住専問題で逓減していた支持率が60%に上昇した。
自身の59歳の誕生日である1996年7月29日に現職の内閣総理大臣としては11年ぶりに靖国神社を参拝した。
同年の臨時国会冒頭の9月27日、衆議院を解散。小選挙区比例代表並立制の下で初の衆議院総選挙が行われ、自民党は28議席増の239議席と復調した。選挙中は橋本に選挙応援の依頼が殺到し、全国で「橋龍人気」と言われる国民的人気を見せ付けている。
第二次橋本内閣
1997年4月9日、総理大臣官邸にてアメリカ合衆国国防長官ウィリアム・コーエン(左)と
1996年11月7日、社会党・新党さきがけが閣外協力に転じて、3年ぶりの自民党単独内閣となった第2次橋本内閣が発足。橋本は「行政改革」「財政構造改革」「経済構造改革」「金融システム改革」「社会保障構造改革」「教育改革」の六大改革を提唱した。
橋本は、首相直属の「行政改革会議」を設置。メンバーには武藤嘉文総務庁長官、水野清首相補佐官のほか、経団連会長の豊田章一郎、連合会長の芦田甚之助、東京大学名誉教授の有馬朗人、上智大学教授の猪口邦子ら、財界・学界などから有識者を迎え、官僚や官僚出身者を排除する体制とした。
同年12月17日、ペルーのリマにある日本大使公邸を現地の左翼ゲリラが占拠し、多数が人質となるペルー日本大使公邸人質事件が発生。直ちに池田行彦外相と医療チームを現地に派遣した。池田外相の帰国を受け、24日にペルーのフジモリ大統領と会談、ペルー政府を支援する方針を表明した。フジモリが武力突入を示唆し始めると、29日にフジモリに親書を送って平和解決を要請。さらに1997年1月31日、橋本はカナダのトロントでフジモリと会談し、平和解決に努力することで一致した。同年4月22日、ペルーの特殊部隊が公邸に突入。人質となっていた日本人に犠牲者を出すことなく解決した。橋本は後に、人質事件で死亡したペルー人犠牲者の家族を日本に招待した。事件の際、外務省の対策本部に木村屋總本店のアンパンを大量に差し入れ、「アンパン総理」といった声も聞かれた。
1997年の通常国会で最大の焦点であった、沖縄のアメリカ軍軍用地収用への自治体介入を防ぐ駐留軍用地特措法問題で、同年4月、新進党党首の小沢一郎と党首会談を行った。橋本と小沢は特措法を成立させる事で合意し、同法は新進党の協力を得て成立した。新進党との協力が成功したことで、自民党と新進党による「保保連立」が浮上。自民党内は、加藤や野中広務らの「自社さ派」と梶山や亀井静香らの「保保派」に二分された。橋本は自社さ派と評されるようになる。
同年6月23日、コロンビア大学での講演において聴衆から「日本が米国債を蓄積し続けることが長期的な利益」に関して質問が出た際、橋本は「大量の米国債を売却しようとする誘惑にかられたことは、幾度かあります。」と返した。そして、アメリカ経済が与える世界経済への影響などを理由にあげた上で「米国債を売却し、外貨準備を金に変えようとしたい誘惑に、屈服することはない」と続けた。しかし、大量の米国債を保有する日本の首相が「米国債を売却」への言及をしたことが大きく注目され、ニューヨーク証券取引所の株価が一時下落した。
同年9月、党総裁に再選され、内閣改造を行い第2次橋本内閣改造内閣が発足。梶山に代わって村岡兼造を官房長官に指名したほか、ロッキード事件で有罪が確定している佐藤孝行を総務庁長官に起用した。これに非難が集中、佐藤は11日で辞任した。佐藤は歴代内閣に入閣を拒まれ、橋本も入閣させない意向だったが、中曽根康弘らの強硬な推薦に抗し切れず起用するに至ったという。この一件で、支持率は30%台に急落、橋本の責任を問う声が上がった。
同年11月のロシアのエリツィン大統領と日露首脳会談では、2000年までに平和条約を締結する事や両国の経済協力を促進する事で合意した。
同年11月に財政構造改革法を成立させ、2003年までの赤字国債発行を毎年度削減する等の財政再建路線をとった。しかし、景気減速が顕著となり北海道拓殖銀行や山一證券などの破綻が起こると、党内やアメリカ政府から景気対策を求める声が上がるようになった。また、山一證券の破綻で、橋本の金融システム改革に伴う金融ビッグバンへの批判が相次いだ。これを受け同年12月、2兆円の特別減税を表明した。
同年12月24日から「龍ちゃんプリクラ」こと橋本首相といっしょに写真が取れるプリントクラブが、党本部1階ロビーに設置された。
1998年4月、4兆円減税と財政構造改革法の改正を表明し、財政再建路線を転換した。また同年、金融監督庁を設置。大蔵省から金融業務を分離し、金融不安に対処する体制を整えた。同年5月、離党議員の復党などにより自民党が衆議院で過半数を超えたことを受け、社民党・さきがけとの連立政権を完全に解消。
同年7月の参院選では、景気低迷や失業率の悪化、橋本や閣僚の恒久減税に関する発言の迷走などで、当初は70議席を獲得すると予想されていた自民党は44議席と惨敗。橋本内閣は総辞職した。1997年には日本の総理大臣として初めて北朝鮮拉致事件について国会答弁で触れている。
消費税増税とその後
1997年(平成9年)4月1日、村山内閣で内定していた消費税等の税率引き上げと地方消費税の導入(4%→地方消費税を合わせて5%)を橋本内閣が実施。産経新聞の田村秀雄編集委員は、記事「カンノミクスの勘違い」の中で橋本が消費増税を実行したせいで、増税実施の翌年から日本はデフレ不況に突入したと評している。田村編集委員は、消費増税を実施した1997年度においては消費税収が約4兆円増えたが、2年後の1999年度には、1997年度比で、所得税収と法人税収の合計額が6兆5千億もの税収減にとなったと指摘し、消費増税の効果が「たちまち吹っ飛んで現在に至る」と評している。さらに、「橋本元首相は財務官僚の言いなりになったことを亡くなる間際まで悔いていたと聞く。」と述べている。所得税収、法人税収はそれぞれ1998年度、1999年度と減少し続けているが、法人税は両年にわたって、所得税は1999年度に減税が実行されている。他の先進国の基準にあわせる方向で、所得税は高所得者の負担が軽減、法人税は税率が引き下げられているため、減税による税収減も含まれている。
1997年の消費税増税、健康保険の自己負担率引き上げ、特別減税廃止など、総額約10兆円の緊縮財政の影響や金融不況の影響もあり、1998年度には名目GDPは前年度比マイナス2%の503兆円まで約10兆円縮小し、GDPデフレーターはマイナス0.5%に落ち込んで、深刻なデフレ経済が蔓延する結果になった。
1996

 

談話 / 平成8年1月11日
私は、本日、内閣総理大臣の重責を担うことになりました。その使命と責任の重さに身が引き締まる思いであります。
戦後五十年を経て、現在、わが国は、国内的にも、国際的にも大きな転換期にさしかかっております。これからの五十年を展望したとき、混迷の度合いを深めている日本に活気と自信にあふれた社会を再構築すること、そのためには、本年を「構造改革元年」と位置づけ、政治、行政、経済、社会のより抜本的な構造改革を実行に移し、二十一世紀にふさわしい新しいシステムづくりに取り組むことであります。私は、この内閣を「改革創造内閣」とし、新たな三党政策合意を踏まえ、景気回復、信頼回復、安心回復を目指し、施策の展開に全力投球する考えであります。
内政面では、景気の一刻も早い回復や住専問題への責任ある対応、規制緩和や新規産業の創出など抜本的な経済構造改革により、強い日本経済の再建に全力を尽くすとともに、超高齢社会を目前に控え、長生きして幸せだった、この国に生まれてよかったと言える長寿社会の建設に向けて真剣に取り組んでまいります。また、国民の安全の確保の観点から、大規模災害や緊急事態に対する政府の危機管理体制の強化に全力を挙げてまいります。
外交面では、わが国は二度と戦争の惨禍を繰り返さないという平和への決意の下、「平和立国」、「平和創造」を基本理念といたします。その際、日米関係が、アジア太平洋地域、そして世界の平和と安定の要であることを再認識し、その礎である日米安保体制を堅持し、相互の信頼を一層深化させるためにも、また、長年にわたる沖縄の方々の悲しみ、苦しみに最大限に心を配った解決を図るためにも、当面する沖縄米軍基地問題については、政府として、誠心誠意取り組んでまいる決意であります。
総理の職を預かるにあたり、私はあらためて政治というものの責任を痛感いたしております。政治の使命は、将来のこの国と世界の平和と繁栄のため、政府に何が求められているかを真剣に検討し、そのために必要な改革には、強い政治的リ−ダーシップの下、これに不退転の決意で取り組むことであります。私は、ここに申し上げた政策課題について、「決断と責任」を政治信条に、自らの政治生命をかけて全力で取り組んでまいる決意であります。
国民の皆様のご理解とご支援を心からお願い申し上げます。
説示
初閣議に際し、私の所信を申し述べ、閣僚各位の格別の協力をお願いする。
二十一世紀の到来を間近に控え、わが国は内政外交の両面において大きな転換期を迎えており、新しい時代に向かって、今まさに政治、行政、経済、社会の抜本的な構造改革が求められている。新内閣は、この困難な時局に当たり、新しい指針を国民に提示し、それを着実に実行することを通じて、活気と自信にあふれた社会を再構築することに全力を注いでまいりたい。
新内閣は、内政と外交の一貫性と継続性を堅持しながら、新たな課題に対し果敢に挑戦していくこととするが、その意思決定においては透明かつ民主的な政治を心がけていく所存であり、各閣僚にあっては出身会派の立場を超えて内閣一丸となった取組をお願いする。
当面の課題としては、平成八年度予算案の早期成立に努めていただきたいが、特に住専問題をはじめとする金融機関の不良債権問題、沖縄の米軍基地問題の解決に取り組み、国民の理解と信頼を得ることに努めていただきたい。また、景気の本格的回復、雇用対策、規制緩和や地方分権をはじめとする行財政改革、世界の平和と繁栄への貢献などの重要課題について相互に緊密に連携をとりながら、鋭意取り組んでいただきたい。
特にご留意いただきたい点として、昨今、行政に対する国民の信頼が著しく揺らいでいることに鑑み、公務員の清廉潔白と公正無私の姿勢を厳しく徹底するとともに、閣僚各位におかれても率先垂範して職務に邁進していただきたい。
内閣は憲法上国会に対して連帯して責任を負う行政の最高機関であり、内閣の統一性及び国政の権威保持に対しご理解とご協力を賜るとともに、憲法の規定及ぴ精神の遵守に格段のご配慮をお願いする。 
第百三十六回国会施政方針演説 / 平成8年1月22日
〈はじめに〉
私は、先の国会において、内閣総理大臣に指名されました。戦後五十年を経て、国内的にも、国際的にも大きな転換点にさしかかっているこの時期に政権を預かることの重大さを痛感し、全力で国政に取り組んでまいります。
まず、昨年一月十七日の阪神・淡路大震災により亡くなられた犠牲者の方々とそのご遺族にあらためて深く哀悼の意を表するとともに、今なお不自由な生活を余儀なくされておられる方々に心からお見舞い申し上げます。政府としては、一日も早い被災地の復興と被災者の方々の生活再建に最大限の取組を行い、この教訓を踏まえ、今後の災害対策に全力を傾けてまいります。
私は、現在、この国に最も必要とされているものは、「変革」であると考えます。私が国会に議席をいただいた昭和三十八年(一九六三年)に百五十三人に過ぎなかった百歳以上人口は今や六千人を超え、その間に出生数は百六十五万人から約百二十万人に大幅に減少しています。来世紀初頭には国民の五人に一人が、そして間もなく四人に一人が六十五歳以上となる高齢社会を迎えるのであります。こうした世界にもそして歴史上も類をみない速度での高齢化の進展の中で、「人生五十年」を前提とした社会は、「人生八十年」を前提とした社会へ大きく設計変更せざるを得ません。加えて、冷戦構造の崩壊と世界経済のボーダーレス化、国際社会におけるわが国の地位の上昇など国際環境の激変に対応するためにも、好むと好まざるとにかかわらず、わが国自身があらゆる面で大きな変革を遂げなければならないのであります。私が目指すこの国の姿は、一人一人の国民が、自らの将来に夢や目標を抱き、日本人に生まれたことに誇りと自信をもつことができ、そして世界の人々とともに分かち合える価値を創り出すことのできる、そのような社会であり国家であります。
私に課せられた使命は、このような理想を胸に、次なる世紀を展望し、政治、行政、経済、社会の抜本的な変革を勇気をもって着実に実行し、二十一世紀にふさわしい新しいシステムを創出することにより、この国に活気と自信にあふれた社会を創造していくことであります。
私は、この内閣の使命を「変革」と「創造」とし、一層強固な三党連立の信頼関係の下、強靱な日本経済の再建、長生きしてよかったと思える長寿社会の建設、平和と繁栄の創造のための自立的な外交の展開、これらを実現するための行財政改革の推進、の四点をこの内閣の最重要課題と位置づけてまいります。
両世紀の架け橋とも言えるこの時代において政権を担うものの責任は重大であります。私は、ここに申し上げた政策課題について、「決断と責任」を政治信条に、自らの政治生命をかけて全力で取り組んでまいる決意であります。
〈経済の再建と改革のために〉
この内閣に課せられた最も緊急の課題は「強靱な日本経済の再建」であります。この国の経済を覆う不透明感を払拭し、将来に向けた明るい展望を開くためには、二十一世紀までに残された五年間を三段階に分け、第一段階において本格的な景気回復の実現、第二段階において抜本的な経済構造改革、第三段階として、創造的な二十一世紀型経済社会の基盤の整備を行うことが重要であります。これらの施策は、それぞれ一年後、三年後、五年後を目標としつつも、相互に密接に関連するものとして、直ちに着手、推進していかなければならないものであることは論を待ちません。
(本格的景気回復の実現)
わが国経済の最近の状況をみますと、個人消費、設備投資等の回復に加え、生産にも明るい兆しが現れるなど、景気には緩やかながら足踏み状態を脱する動きがみられるものの、雇用や中小企業分野では、なお極めて厳しい状況が続いております。本年こそは、ようやく明るさの見え始めた景気の回復を確実なものとし、中長期的なわが国経済の持続的発展につなげていく、景気回復の年としなければなりません。このため、来年度予算においては、研究開発や情報通信など経済社会の構造改革の基盤となる分野を重点的に整備することとしたほか、特別減税の来年度継続実施、土地税制の総合的見直しなど税制面でも格段の配慮を行うこととしたものであります。政府としては、引き続き為替動向を注視しつつ、切れ目のない適切な経済運営に努めてまいります。
(不良債権問題の解決)
わが国経済の再建と構造改革を行うに当たっては、金融機関の不良債権問題の解決が必要不可欠であり、預金者保護、信用秩序の維持に最大限の努力を払いつつ、できるだけ早期に解決が図られるよう全力を挙げて取り組んでまいります。
特に、いわゆる住専問題は、不良債権問題における象徴的かつ緊急の課題であり、政府としては、わが国金融システムの安定性と内外の信頼を確保し、預金者保護に資するとともに、経済を本格的な回復軌道に乗せるため、慎重の上にも慎重な検討を重ね、財政資金の導入を含む具体的な処理方策を決定いたしました。先般、住専各社の財務状況等について資料を提出いたしましたが、今後も、衆参両院のご理解、ご協力をいただきながら、情報開示に最大限の努力を払ってまいります。
また、預金保険機構の指導の下、住専処理機構が法律上認められているあらゆる債権回収手段を迅速、的確に用いることにより債権回収を強力に行う体制を整備いたします。本件に関連する違法行為に対しては、既に検察、警察において協議会や対策室を設置しておりますが、今後とも借り手、貸し手に限らず、その他の関係者についても厳正に対処してまいります。このように住専問題に係る透明性の確保と原因と責任の明確化を図りつつ、本処理方策についての国民のご理解を得るべく全力を尽くしてまいります。また、過去の金融政策や金融検査・監督のあり方を総点検し、今後、金融機関における自己責任原則の徹底を図るとともに、市場規律が十分に発揮される、透明性の高い、新しい金融システムを早急に構築していくよう努めてまいる所存であります。
(経済構造改革の推進)
国境を越えた経済活動の一層の活発化、アジア諸国の経済的台頭などにより、世界経済は、いわゆる大競争時代を迎え、企業が国を選ぶ時代となっている中で、内外価格差の存在など経済の高コスト構造をはじめとする構造的課題が、経済活動の舞台としての日本の魅力を減退させつつあり、産業の空洞化の懸念が現実のものとなりつつあります。わが国経済の将来の展望を切り拓くためにも、昨年決定した新経済計画に沿って、大胆な構造改革に直ちに着手することが必要であります。
まず第一は、徹底的な規制の緩和であります。経済的規制については原則自由・例外規制、社会的規制については本来の目的に照らした最小限のものとするという基本的な考え方に立ち、規制が時を経て自己目的化したり、利権保護の砦となっているような事態が存在しないか、抜本的にその見直しを行ってまいります。特に、高コスト構造を是正するとともに、新たな成長分野の発展を阻む要因を取り払い、経済の活性化を促進するため、住宅・土地、情報・通信、流通・運輸、金融・証券、雇用・労働分野など消費者や企業の経済活動の基盤となる分野で重点的な規制緩和を断行いたします。
民間における公正かつ自由な競争は、ダイナミックな経済活動を促進するため、規制緩和とともに不可欠であります。公正取引委員会事務局の強化・拡充により独占禁止法の厳正な運用など競争政策を積極的に展開するとともに、株式保有規制など企業関連法制の見直しや参入、転出の容易な労働市場の整備に努めてまいります。
さらに、わが国経済を活力あふれたものとしていくためには、ベンチャー企業群の創出が不可欠であり、こうした企業が、持ち前の機動性、創意工夫を遺憾なく発揮していけるよう、資金調達面での支援を充実するなど新規事業の展開への支援を行ってまいります。
経済、産業の改革に当たっては、農林水産業の果たす多面的役割や機能、農山漁村がもたらす安らぎや潤いを忘れてはならず、農林水産業と農山漁村の健全な発展は不可欠であります。ウルグァイ・ラウンド農業合意関連対策等の施策を総合的に実施し、農林水産業を誇りをもって携わることのできる魅力ある産業としてまいります。
(自由で創造的な経済社会の発展基盤の整備)
二十一世紀にふさわしい、創造性あふれた経済社会を創っていくためには、わが国の最大の資源である人間の頭脳、英知を十二分に活用し、未来を支える有為な人材の育成や知的資産の創造を行い、経済フロンティアの拡大を図ることが必要であります。
科学技術の振興は、人類共通の夢を実現する未来への先行投資であります。「科学技術創造立国」を目指して、政府研究開発投資の倍増を早期に達成するよう努めるとともに、産学官連携による独創的、基礎的研究開発の推進、若手研究者の支援・活用や若者の科学技術離れ対策といった科学技術系人材の養成・確保など、科学技術の振興を積極的に図ってまいります。
この関連で、昨年十二月に発生した高速増殖原型炉「もんじゅ」の事故は我々に大きな教訓を与えました。先端技術の開発、実用化に際し、予期せぬ困難な事態が発生することは避けて通れません。重要なことは、そうした事態を直視し、国民や専門家の前にその事実を明らかにし、原因究明と徹底した安全対策、さらなる技術開発に真摯に取り組むことであります。今後、安全確保に力を注ぎ、積極的な情報開示を通じ、地元の方々をはじめとする国民の皆様のご理解と信頼を得るよう全力を尽くしてまいります。
時間的・空間的制約を大幅に取り払い、情報やモノの流れを一変させることにより生産性の向上や新規市場の創造に大きく寄与し、豊かな国民生活や高度な産業活動を創出する高度情報通信社会の建設も、この国が二十一世紀に向けてその取組を加速させるべき重要な課題であります。産業分野・公的分野の情報化、ハード・ソフト両面にわたる情報通信インフラの整備、情報通信技術の開発などを積極的に推進してまいります。
〈長生きしてよかったと思える社会の創出に向けて〉
第二は、長生きしてよかったと思える長寿社会の建設です。現在わが国は世界一の長寿国家となっております。これは我々が長年目指してきた目標が達成されたものであり、大いに誇るべき成果でありますが、これからの課題は、いかに社会全体として長寿を支え、一人一人が長生きしてよかったと実感できる社会を創出していくかにあります。二十一世紀の超高齢社会において、中高年人口が更に増大し、若年人口が減少する中で、いかにこの国の活力を維持・増進していくのか、女性や高齢者のより積極的な社会活動への参画をいかに実現するのか、そのためにもこれまで主として家庭で対応されてきた高齢者介護や子育ての問題をいかにして社会が支援していくのか、その費用負担のあり方をどのように考えるのか、子ども達に家庭に代わるどのような環境を用意できるのか、などが大きな課題となり、これに対するシステム作りが必要となっております。老若男女を問わず、社会の様々な構成員が自立しつつ、相互に支え合い、助け合い、共に充実した人生を送ることのできる長寿社会の建設に向け、福祉、教育、国民の社会参加のあり方を総合的にとらえ直すことが今まさに求められております。
特に、国民の老後生活の最大の不安要因である介護の問題については、高齢者や障害者が生きがいをもって幸せに暮らしていけるよう、新ゴールドプランや障害者プランを着実に推進し、介護サービスの基盤整備に努めるとともに、保健・医療・福祉にわたる高齢者介護サービスを総合的・一体的に提供する社会保険方式による新たな高齢者介護システムの制度化に向けて全力で取り組んでまいります。併せて、高齢社会にふさわしい良質かつ効果的な医療を供給できるよう、医療保険制度の改革を進めるほか、エイズ問題については、和解による早期解決に全力を挙げるとともに、責任問題も含め、必要な調査を行い、医薬品による健康被害の再発防止に最大限の努力を尽くす所存です。また、次代を担う子どもが健やかに生まれ育つ環境づくりを進めるため、育児休業制度の定着や保育対策の充実など、エンゼルプランを着実に推進してまいります。さらに、社会のあらゆる分野に女性と男性が共に参画し、共に社会を支える男女共同参画社会の形成に向け国内行動計画を見直し、施策の一層の充実を図るとともに、人権教育のための行動計画を早急に策定し、総合的な施策を推進するなど、人権が守られ、差別のない、公正な社会を建設してまいります。
(自分を見出す教育の実践と文化立国への取組)
個性と創造力にあふれ、責任感と思いやりを持ち、将来の夢を生き生きと語ることのできる子どもたちはこれからの日本の宝であり、また、わが国が、国際化、情報化、技術革新といった変化に的確かつ柔軟に対応する上でも、教育の果たす役割は限りなく重要であります。最近問題となっている児童生徒のいじめの問題や、前途ある若者が社会的な役割を見いだせず、非道な行動に走ってしまったオウム真理教関連事件が投げかけた問題に対応するためにも、二十一世紀を展望した個性や創造性重視の方針を一層推し進め、与えられた問題の解答を見つける能力だけでなく、問題そのものを発見し、それを解決する能力を備えた人材を育てる教育を実践するために、教育改革を推進してまいります。
また、国民一人一人にとって、生きるあかしや生きがいであるとともに、一国にとってもその最も重要な存立基盤の一つである文化や芸術、スポーツの振興も重要であります。これからの日本は、古来の伝統文化を継承しながら優れた芸術文化の創造・発展に取り組み、更に世界への発信を図る、新しい文化立国を目指してまいります。
(環境との共生)
我々は、大量生産・大量消費・大量廃棄型の経済社会活動や生活様式を問い直し、祖先から受け継いだ健全で恵み豊かな自然環境を将来に伝えていかなければなりません。このため、環境基本計画に基づき、人と環境との間に望ましい関係を築くための総合的施策の推進に全力を挙げるとともに、地球温暖化をはじめとする地球環境問題について、わが国の国際的地位にふさわしい積極的な役割を果たしてまいります。
先般、村山内閣においてその解決をみることができた水俣病問題については、誠意をもって必要な施策を推進するとともに、この悲劇を貴重な教訓として今後の環境行政に活かしていく所存です。
また、増え続ける廃棄物の処理対策については、消費者、事業者、市町村の協力の下に、ごみの減量化やリサイクルを推進することにより、リサイクル型社会の実現に向け総合的な支援措置を実施してまいります。
(国民の安全を守る危機管理体制の強化)
昨年の大震災やオウム真理教関連事件などの凶悪事件を契機に、わが国が誇る良好な治安にかげりが生じており、国民の安全を守る危機管理体制の強化が重要な課題となっております。「危機」自体の事前予測が困難である以上、危機管理にとって大切なことは、危機が生じた際の「人」と「システム」であるとの考え方に立ち、政府の安全対策、危機管理体制の強化に全力を傾けてまいります。
災害に強い国づくり、街づくりを進めることが安全に暮らせる社会づくりの基本であります。阪神・淡路大震災から一年が経過いたしましたが、引き続き本格的な復興に向けて政府一体となって取り組んでまいります。政府は、この大震災を貴重な教訓に、災害の予防に加え、災害時の情報収集・伝達・意思決定体制の強化など総合的な災害対策の充実、危機管理体制の強化に取り組む決意であります。
また、最近の極めて厳しい治安情勢に対応するため、各国との連携強化などの国際協力を含め、政府を挙げてテロ対策を推進するとともに、国内の銃器摘発や海外からの流入阻止などの総合的銃器対策、さらには覚せい剤、大麻等薬物対策に全力を挙げ、国民の不安解消と安全な社会環境づくりに努めてまいります。
多くの国民にとって現在最も切実な問題である住宅、通勤等の問題を早急に解決することもゆとりある国民生活を実現するために必要不可欠な課題であります。こうした問題の多くの根源となっている一極集中を是正し、国際化の進展や活力に満ちた地域社会の形成にも配慮しつつ、災害に強い国土づくりや国土の均衡ある発展を目指していかなければなりません。このため、住宅や交通基盤整備、職住近接の都市構造の実現をはじめ、生活者重視の視点に立って各種社会資本整備に努めてまいります。また、今後、国民各層との意見交換も行いつつ、複数の国土軸の形成を含め新しい国土計画の策定に積極的に取り組むほか、北海道や沖縄の開発、振興にも引き続き力を注いでまいります。
〈平和と繁栄の創造のための自立的外交の展開に向けて〉
外交面での私の基本方針は「自立」であります。かつてのように世界の政治経済情勢を与えられた前提として行動する国家としてではなく、いまやわが国は、従来型の国際貢献から更に歩を進め、国際社会に受け入れられる理念を打ち立て、世界の安定と発展のため自らのイニシアティヴで行動する国家であるべきであります。このことが、国際的に相互依存関係が高まる中、わが国の安全と繁栄を確保するためにも最良の道であると確信しております。
(国連改革の推進)
国際社会においては、依然として、地域紛争、大量破壊兵器の拡散、環境破壊や貧困など重要問題が山積しております。今年はわが国が国連に加盟して四十周年に当たりますが、これらの問題の解決に当たっては、国連が重要な役割を果たしていく必要があります。わが国としては、財政改革、経済・社会分野での改革及び安保理改革などについて、本年秋までにできる限り具体的な成果が得られるよう、他の国連加盟国と協力しつつ、引き続き努力してまいります。安保理常任理事国入りの問題については、わが国は、国連改革の進展状況やアジア近隣諸国をはじめ国際社会の支持と一層の国民的理解を踏まえて対処することといたします。
(地域紛争の解決と軍縮・不拡散への創造的取組)
冷戦終結後の世界平和を脅かす脅威の一つに地域紛争があります。地域紛争は、その地域の問題であるのみならず、国際社会全体の枠組みの構築にかかわるグローバルな問題でもあります。わが国としては、その予防と解決のため、外交努力や人道・復興援助とともに、平和維持活動など国連の活動に人的な面や財政面で積極的に貢献してまいります。
特に、旧ユーゴーにおける紛争は、新しい国際協力の実効性を問う試金石となっております。先般の包括和平合意による大きな進展を永続的な真の和平の確立につなげていくために、国際社会の和平・復興努力に積極的に参画してまいります。中東和平問題に関しては、昨年九月にイスラエルとPLOの間で暫定自治の拡大の合意が成立いたしました。ラビン首相の暗殺は我々に大きな衝撃を与えましたが、平和への潮流は確固たるものがあります。わが国は、先のパレスチナ評議会選挙に協力するため、国際監視団への参加や物資供与を行いましたが、二月には、ゴラン高原に展開している国連兵力引き離し監視隊に自衛隊部隊等を派遣するなど、今後とも積極的な貢献を行ってまいります。
核兵器をはじめとする大量破壊兵器の軍縮と不拡散、通常兵器の移転抑制のための取組についても、その強化に努めてまいります。わが国は、唯一の被爆国として、核兵器の究極的な廃絶に向けて、全ての核兵器国が核軍縮に真剣に取り組むよう訴えてきており、昨年の国連総会では、わが国提出の核軍縮決議及び核実験停止決議が採択されました。未だに一部の国により核実験が繰り返されていることは極めて遺憾であり、核実験の停止を強く求めていくとともに、全面核実験禁止条約交渉が本年春に妥結され、秋には署名ができるよう最大限の努力を行ってまいります。
わが国を含むアジア太平洋地域の安全保障の確保は世界平和の大前提であります。政府としては、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い、日米安保体制を堅持するとともに、文民統制を確保し、非核三原則を守ってまいります。また、昨年末に策定された新防衛大綱及び新中期防衛力整備計画に従い、現行の防衛力の合理化・効率化・コンパクト化を一層進めるとともに、必要な機能の充実と防衛力の質的な向上を図ることにより、多様な事態に対して有効に対応し得る防衛力の整備に努めてまいります。
(世界経済の繁栄への枠組みづくり)
わが国の国際社会における地位にかんがみ、特に重要であるのが世界経済の繁栄への新たな枠組みづくりであります。世界経済の更なる発展のためには、WTOの下で多角的自由貿易体制の一層の強化を通じて貿易・投資の拡大均衡を図っていくことが必要であります。本年末の第一回閣僚会議を念頭に置き、地域統合の問題や貿易政策と投資、環境、競争政策との関係に関して新しいルール作りに取り組むとともに、紛争処理機能の強化に努めてまいります。
途上国の開発への支援についても、わが国としては、国際社会の枠組みとなるべき新たな開発戦略の策定を国連等の場において提唱しており、引き続きこの作業に貢献してまいります。政府開発援助大綱を踏まえ、アジア地域を中心とする経済ダイナミズムの発展に貢献するため、援助と貿易・投資、マクロ経済政策等を有機的に連携させた「包括的アプローチ」により、総合的な経済協力を推進してまいります。また、市場経済化にどう取り組むかは世界的に重要な課題であります。途上国における民主化の促進、市場志向型経済導入の努力に十分注意を払いつつ、各国の経済の発展段階に即した形で最適な支援を行っていくこともわが国の大きな役割であります。
環境、人口、食糧、エネルギー、人権、難民、エイズなど地球規模の問題の重要性はますます増大いたしております。わが国が世界に誇る技術や過去の経験をもって、引き続き国際社会の共通の認識や枠組みづくりに向けて全力で取り組んでまいります。さらに、世界的に環境調和型の経済社会の発展を促すため、新エネルギーの開発・導入、環境負荷の低減に資する研究開発、新産業創出などに精力的に取り組んでまいります。また、海洋の法的秩序に関し包括的に定めている国連海洋法条約の早期締結を目指し、併せてわが国の海洋法制の整備を行うため、所要の準備を進めてまいります。
さらに、わが国の世界経済における役割を十分に自覚し、強靱な日本経済の再建に全力を尽くし、世界経済の更なる活性化に貢献してまいります。また、内需を中心とした安定成長の確保や市場アクセスの改善などにより、引き続き経常収支黒字の意味のある縮小を図り、調和ある対外経済関係の形成に努めてまいります。
(アジア太平洋地域における協力関係の推進)
アジア太平洋地域は、わが国にとっても、世界経済全体にとっても年々その重要性を増しており、協力関係の一層の緊密化を図ってまいります。わが国は、昨年、APEC大阪会合を主催し、貿易・投資の自由化・円滑化、経済・技術協力の推進のための包括的な道筋を示す「行動指針」を採択し、APECは「ビジョン」の段階から「行動」の段階に移行しております。本年は、アジア太平洋協力にとって重要な試練の年であり、わが国としても、この協力の求心力を強めるような、十分内容のある「行動計画」を策定し、この地域の更なる発展に大きな役割を果たしていかなければなりません。安全保障面においても、この地域の発展の基盤となっている平和と安定を維持していくため、ASEAN地域フォーラム等における政治・安全保障対話への積極的な参画を通じて、域内の信頼の醸成に貢献してまいります。
(友好的な二国間関係の発展)
各国との友好的な二国間協力関係の発展が外交の基本であることはいうまでもありません。私は、日米関係を基軸としつつ、地理的にも経済的にも密接な関係にあるアジア太平洋諸国を中核に、文明や文化の相違を衝突ととらえず、その共存を図るような、心の通い合う外交を展開してまいります。
日米関係は、わが国にとっても世界にとっても最も重要な二国間関係であり、アジア太平洋地域、そして世界の平和と安定の要であることを再認識し、クリントン大統領の訪日の機会もとらえ、幅広い協力関係を一層強化していく決意であります。特に日米安保体制は、日米協力関係の政治的基盤をなし、アジア太平洋地域の平和と繁栄にとって不可欠の役割を果たしており、これを堅持してまいります。
沖縄の米軍施設・区域の問題については、日米の信頼の絆を一層深いものとするためにも、また、長年にわたる沖縄の方々の苦しみ、悲しみに最大限心を配った解決を得るためにも、先般設置された特別行動委員会等を通じ、日米安保条約の目的達成との調和を図りつつ、沖縄の米軍施設・区域の整理・統合・縮小を推進するとともに、騒音、安全、訓練などの問題の実質的な改善が図られるよう、誠心誠意努力を行ってまいる決意であります。
日米経済関係については、国際ルールに則り、日米包括経済協議の諸措置を日米双方において着実に実施することなどにより、引き続き適切な運営に努めてまいります。
日中関係については、安定した友好協力関係の発展に資するため、中国の改革・開放政策を引き続き支援していくとともに、核軍縮を含む国際社会の諸問題に関して対話を深めてまいります。
朝鮮半島政策に関しては、引き続き、韓国との友好協力関係を基本とし、日朝関係については、朝鮮半島の平和と安定に資するとの観点を踏まえつつ、韓国等との緊密な連携の下に取り組んでいく考えであります。北朝鮮の核兵器開発問題については、今後とも米国、韓国をはじめとする諸国とともに、米朝合意の着実な実施のため、朝鮮半島エネルギー開発機構への積極的な協力を行ってまいります。
本年は、日ソ共同宣言による国交回復後四十周年に当たりますが、日露関係については、ロシアの政治情勢を注視しつつ、東京宣言に基づき、北方領土問題を解決し、両国間の完全な正常化を達成するために、一層の努力を傾ける所存であり、ロシア政府もこの問題に真剣に取り組むことを強く希望いたします。
わが国として、アジア太平洋のみならず、世界の全ての地域の国々との積極的な協力関係を促進していく必要があることは当然です。特に、EUの拡大と深化により一体性を強め、国際社会における重みを増しつつある欧州との広範な協力関係の維持、発展は重要な課題であります。三月には、タイにおいて、初のアジア欧州首脳会合が予定されており、この機会もとらえ、地域間の対話と協力の強化に貢献してまいります。
〈行政の二十一世紀型システムへの変革のために〉
以上申し上げた内外政上の課題の解決を図るためには、まず行政自らが、時代の潮流変化を踏まえ、大きな価値観の転換を遂げてゆかなければなりません。私は、二十一世紀にふさわしい政府とは、国民に対して開かれた民主的な存在であるとともに、緊急時には機敏に強いリーダーシップを発揮し得る存在であり、また、市場原理を最大限発揮させ、住民に身近な行政は地方に委ねる、簡素で効率的なものでありつつも、真に国民が必要とする施策に対しては十分な配慮を行い得るような存在でなければならないと考えております。こうした一見相反するような性格を併せ持った政府、このような政府を目指した改革が、その本質を見失わないためには、常に何のための政府であるのか、誰のための改革であるのかを国民の視点に立って見直すことが必要であります。このことこそが、私が求める行政改革、すなわち、改革のための改革ではなく、根本的な問いかけに答える行政改革であります。
我々は、今ひとたび初心に立ち返り、「主権在民」、「公務員は全体の奉仕者」という基本的な理念を胸に、内外の社会情勢の変化を踏まえて行政の制度・運営を根本に遡って見直し、各界の意見を謙虚に受け止め、そして尊重しつつ、行政の改革を推進していかなければなりません。
(行政改革の断行)
行政の改革の第一は、規制の思い切った緩和であります。まず、規制緩和推進計画に沿って計画的な規制の緩和を推進するとともに、本年度末までに同計画の第一回目の改定を行います。改定に当たっては、先の行政改革委員会の意見を最大限に尊重し、内外の要望を踏まえながら、新たな規制緩和方策を積極的に盛り込むとともに、その実行を強力なリーダーシップにより確保してまいります。
国と地方との関係においては、住民に身近な行政は住民が直接選んだ首長の責任の下、地方公共団体がその事務を行うという地方自治の大原則を名実ともに実現しなければなりません。政府としては、本年三月の地方分権推進委員会の中間報告とその後の具体的な勧告を受け、直ちに地方分権推進計画の策定に取りかかり、権限委譲や国の関与の緩和や廃止、機関委任事務の抜本的な見直し、地方税財源の充実強化、分権の受け皿たる地方行政体制の整備など地方分権の流れを思い切って加速化させてまいります。
行政改革の中核の一つは中央官庁自身の改革であります。今後の規制緩和の進捗状況や地方分権推進計画に基づく行政事務の再配分のあり方も踏まえつつ、縦割り行政の弊害防止や抜本的な行政改革の実施の観点から、中央省庁のあり方についても真剣な検討を進めてまいります。また、内閣機能の強化の観点から、内閣総理大臣補佐官の設置等を内容とする内閣法改正案を今国会に提出いたします。
透明で効率的な行政の実現も極めて重要な課題であります。情報公開法の早期の制定に向けて、行政改革委員会の今年内の意見具申に向けての調査審議を促進するとともに、審議会等の透明化についても具体化を進めてまいります。行政の効率化、肥大化防止の観点からは、省庁間を結んだネットワークの計画的整備など行政の情報化を推進するとともに、国家公務員の定員の計画的削減を継続してまいります。特殊法人改革についても、同様の考え方に立ち、九法人の統廃合、民営化等を行うほか、財務内容等の積極的公開を含め継続的な改革を推進してまいります。
首都機能の移転については、わが国の政治、行政、経済、社会の改革を進める上でも極めて重要な課題であります。昨年十二月には、国会等移転調査会の報告が取りまとめられたところであり、今後はこの報告を踏まえ、首都機能の移転の一層の具体化に向け、内閣の重要課題の一つとして取り組んでまいります。
行政改革の適切な実現のためには、今申し上げた、規制緩和、地方分権、首都機能移転、中央省庁の改革などの諸課題が有機的に組み合わされ相乗効果を上げるよう調整を行うことが極めて重要であり、私としても、これらの取組相互の有機的な連携を図ることに意を払ってまいります。
(財政改革)
行政改革と常に一体となって語られねばならないのが財政改革であります。わが国財政は、公債残高が来年度末には約二百四十一兆円に増加する見込みであり、厳しい税収動向も相俟って、もはや危機的状況といっても過言ではありません。急速に進展する人口の高齢化や国際社会におけるわが国の責任の増大など今後の社会経済情勢の変化に財政が弾力的に対応し、真に必要とされる政策分野に財政資金を投入していくためにも、できるだけ速やかに健全な財政体質を作り上げていくことが緊急課題であります。いうまでもなく、国の財政は国民のものであり、その受益者も国民であり、負担者も国民であります。政治家一人一人が国民の代表としての自覚をもって、一刻も早い財政の規律の回復に努めなければなりません。税制については、活力ある高齢社会を目指し、公平・中立・簡素という租税の基本原則に基づき、不断の改革が必要であります。五%とすることが法定されている消費税率については、社会保障等に要する財源の確保や行財政改革の推進状況等を踏まえつつ、本年九月という法律上の期限に向け鋭意検討を進めてまいります。
行政改革を実現する上でしばしば問題になるのは政と官との関係であります。私は、政と官とを対立構造でとらえるのではなく、政治家の強い意志と責任で大きな改革の方向付けを行い、行政官は専門的知識によりこれを補完するという協力関係を作り上げねばならないし、その最終責任は、行政の最高責任者でもある我々政治家が持たなければならないと考えております。昨年の参議院議員選挙や統一地方選挙で示された国民の政治不信や政治への無関心は極めて深刻であります。このような状況を打開し、国民の政治への信頼と関心の回復を得るには、政治の浄化への不断の取組に努めるとともに、国会等の場で真に国家や国民本位の政策論争を国民の目に見える形で行わなければなりません。このことこそが現在最も必要な政治改革であり、こうした政治の改革を通じてのみ真の行政の改革も実現しうるものと私は確信いたしております。
〈結び〉
平成八年(一九九六年)は、戦後五十年を終え、二十一世紀の礎を築き、次なる百年の展望を切り拓く、新たな「挑戦」の年であるべきであります。来るべき世紀は、規制と保護に対して自由と責任という理念が、量的拡大に対して質的充足という価値観が、企業や組織に対して地域社会や家庭という存在が、それぞれその重みを増していく時代となりましょうし、またそうなさねばなりません。我々が目指す社会はそこに息づく国民一人一人が、心豊かに、平和に暮らせる社会であり、そのことを通じて国民はこの国に対する自信や誇りを、将来に対する夢や目標を再び手にすることができるようになるものと私は確信いたしております。
しかし、これを実現することは言葉で語るほど容易ではありません。我々は過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。改革は容易ではありませんし、痛みを伴います。しかし、私たちの次の世代に希望と誇りのある日本の未来を託するためには、今こそ、勇気をもって、時代の要請に応え、この国の政治のあり方を、行政のなりたちを、そして経済のシステムを変革し、創造してゆかなければなりません。
私は、この変革の時に重要な国政を担う内閣総理大臣として、そして一人の政治家として、以上申し上げた課題に全力を傾けてまいる決意であります。国民の皆様と議員各位のご理解とご協力を切にお願い申し上げます。 
1997

 

年頭記者会見 / 平成9年元旦
新年あけましておめでとうございます。
昨年12月18日に発生した在ペルー日本大使館襲撃という誠に不幸な事件が2週間経った現在もいまだ解決をみていない、こうした事態は痛恨の極みです。
いまだに人質とされておられる多くの方々に対し、その御苦労を思うとき、また、御家族のお心に思いを馳せるとき、本当に心が痛みます。事件の一刻も早い平和的な解決のために、更に一層全力を傾けてまいります。
我が国政府としては、事件の発生当初より、テロに屈することなく、人命尊重を優先し、ペルー政府などと連絡を密に取りながら、この事件の平和的な解決に努力を傾けてきました。
また、フジモリ大統領も私自身との連絡の中でも、また、国際社会に対して平和的解決に全力を挙げると、そうした立場を再三明らかにしておられます。今後とも、国際社会の支援も得ながら、人質の即時全面解放を求めてまいります。国民の皆様のご支援を引き続き心からお願いを申し上げます。
この事件に対する対応が政府にとって極めて重要であることは論を待ちません。しかし、同時に国政の障害となってはならないということもまた事実であります。こうした観点から、考えに考え抜いた末、かねてから予定をいたしておりましたこの7日からの私のASEAN諸国訪問については、これを実施することといたしました。当然のことながら、この間のペルー事件を巡る対応については万全を期すこととしておりますし、政府専用機で空中にある時間帯をも含めて、私への連絡・通報体制は世界中のどこからでも必ず届く体制になっておりますし、東京における体制も既に整備を終わっております。
さて、新しい年、平成9年、1997年を迎えて、いよいよ2000年の扉が開くまでにあとわずか3年を残すのみとなりました。
私が政権を担いましてからも約1年の月日が流れましたが、今、私は、この国が新しい時代の創造に向けて、変革の胎動期とでも言うべきそんな時期に入っていると確信しています。現在、政治に期待される役割は、この国に芽生えている改革の動き、あるいは国民の皆様の間に高まっている変革への期待・エネルギーをいかに現実のものにしていくかという点にあります。
この新しい年の門出に当たって、私としては、今一度、これまでの我が国の発展の在り方の、その道筋というものを振り返りながら、今後我々がどのような社会をつくり上げていくべきなのか。そのためにこの国の政治、経済、行政をどう変えていかなければならないのか。率直に私自身の考えを申し上げてみたいと思います。
この新しい年、本年は第二次世界大戦に日本が敗れてから、数えて52回目の元旦に当たります。私はその当時小学校の2年生でしたが、そのころの記憶はいまだに鮮明に脳裏に刻み込まれています。
今や国民の過半数の方々が昭和21年の、あの元旦の焼け野ケ原の日本、本当に絶望に打ちひしがれて、離散している家族の安否を気づかいながら、まさにその日その日の食べ物にも不自由した時代を御存じありません。
しかし、あの時、あのころほど、私たちにとって平和というものの貴さが分かり、その中で一日も早くこの国を立派なものにしたい、今思うと大変月並みな言葉になるかもしれませんけれども、平和で豊かな国をつくりたいという気持ちをみなぎらせていたときはなかったんではないでしょうか。
その後、私たちは、本当に勤勉な努力を積み重ねてきました。諸外国の温かい支援も受け、この国は、驚くべきスピードで戦後の荒廃から立ち直り、更に欧米へのキャッチアップを目指した高度成長の道を突き進んで行きます。
初めて我が家へテレビが入った、あるいは東京オリンピックの表彰台に日の丸が立ったときの感激とか、あるいは電気洗濯機が我が家へ初めて入ったとき、母親がどんなうれしそうな顔をしたか、私たちの世代はそういう思いを忘れることが出来ずにいます。
私たちは経済の復興と発展というものを第一に、個人個人が我慢をしながら、目標に向かって力を合わせあう、そうした仕組みをつくり上げることによって、高度成長というものを実現してきました。企業の組織や行動を取っても、官と民の関係にしても、あるいは国と地方の関係についても、お互いの立場、考え方の違いは違いとしながら、大きな目標の実現のためにみんなが力を合わせて問題を解決し、ここまでの経済的な豊かさというものを獲得してきた、そんな道筋でした。
しかしながら、いつの間にか、私たち自身が先進国の一員に仲間入りをしていた。そして気がついてみると、仰ぎ見る目標を失ってしまった。むしろ台頭してくる発展途上国の追い上げを受ける立場にある。そうした私たちは今や自らが新たな価値をつくり上げていかなければなりません。こうした状況の中で、現在、私たちの社会、私たちがこれまでつくり上げてきたシステムそのものが大きなチャレンジに直面しております。
日本的な経済システムや官僚制度、これは経済が右肩上がりで、私たちが目指すその目標というものが明らかであるときには、その目標に向かって極めて効率のよい経済発展を実現し、不公平感の少ない社会を建設する大変すぐれた制度でもありました。しかし、国民の価値観が多様化し、目標も単純なものではあり得ない、そうした社会情勢の中にあって、かつて日本の発展を支えてきたさまざまな制度や慣行というものが、逆に停滞の大きな原因になっている、これは残念ながら否定出来ない事実です。
本来、国民生活の安全や経済の安定的な発展を実現するために、他の国々の事例なども研究して導入されたはずの規制が、いつの間にか自己目的化し、そして特定の産業や特定の人々の利益を守ることになり、国全体から見ると、世界にも例を見ない高物価、高コスト構造というものをつくり出す最大の原因になっているのではないか。
かつて民間企業の体力では必ずしも十分なサービスが提供出来なかったという状況の中で、都市や田舎を問わず、一律のサービスを提供するために政府自らが官業として行ってきた事業、それが今日、民間の事業機会を奪う結果にはなっていないのか。地方の発展基盤を整備することを目的としていたはずの補助金、それが逆に地方の独自性の芽を摘んでしまう。コスト意識の欠如を招き、結果として地方の中央依存を強めているのではないか。
また、社会資本整備の名の下において行われてきた財政支出というものは、地域経済の中で毎年毎年の当然の支出として行われた結果として、全国各地で利用度の低いむだな施設整備が行われたり、あるいは事業単価が極めて高くついたり、また、各省庁の縦割り予算の中で連携なしに事業が実施されているという事態を招いています。このような状況の中で地方の補助金づけの中央依存体質や、国の財政の硬直化が加速的に進展しているのではないだろうか。こうした疑念が次々とわいてきます。
そして、教育に目を転じてみましょう。
現在、この国の優秀な、多くの若者たちは小学校、あるいは幼稚園の頃からかもしれません。画一的、競争的な教育を受け、中学・高校・大学と過酷な受験戦争を勝ち抜いて、卒業後は一流企業に就職をすることを目標として走り続けています。私は、人間が目標に向かってひたすら努力することの価値、競争というものの大切さを否定するものでは決してありません。むしろそれぞれの人の自己責任に基づいた競争というもの、これは今後の社会において極めて重要な原理になるでしょう。しかし、一体彼らが何を目標に努力し、競争しているのか。その目標は自分の意思で決めたものなんだろうか。こんなこと一つを取っても、何とも割り切れない思いが私の胸を襲います。
21世紀の前半を支える人材の養成を行うのに、私たちの現在の教育システムというものが、夢や希望や目標を自分で設定出来ない教育、高度成長期にはふさわしかったような制度、いや、もしかするとそのころでも一人一人の個性や創造性というものを尊重しない知識偏重の積め込み教育になっているのではないでしょうか。
国際関係について見ても、米国を中心とした国際社会がつくり出す平和と安全の枠組みを当然の前提とし、私たちがその中で行動していればよいという時代はもう過ぎました。今や日本自身がつくり出す理念や価値を国際社会に広めていくべき時代に差し掛かりつつあるのではないでしょうか。いや、既に入っているのかもしれません。
我が国は地理的にも歴史的にもアジア太平洋国家です。世界的規模での役割分担を考えるときに、我が国に最も期待されている役割、それはこの地域の政治の安定を確保しながら、経済の持続的な発展に尽力していくことでしょう。
APECやASEANの枠組みを活用し、経済協力や貿易・投資の自由化の推進に加えて、アジア諸国に先立って我が国が試練に直面し、技術や経験を蓄積してきた社会保障や環境保全について、こうした分野における技術協力や政策的な対話を積極的に行っていくことが、ますます重要となるのではないでしょうか。
また、安全保障面では、この地域の平和と繁栄の基盤である日米安全保障体制を維持・強化することが不可欠でありますし、そのためにも、これまで長きにわたって沖縄の方々が背負ってこられた重荷を国民全体で分かち合うという姿勢に立って、沖縄の方々との信頼関係を一層強化していけるよう、引き続き、最大限の努力を払わなければなりません。
東西冷戦構造という戦後のイデオロギー対立は終わりました。そうして、経済活動の境界線となっていた国境は限りなく消滅しつつあります。こうした状況の中で、気がついてみると、我が国は超高齢社会に突入し、産業の空洞化や未曾有の財政赤字などによって経済活力が著しく損なわれつつあります。
また、我が国唯一の資源とも言うべき人材を育む教育の現場でも、先ほど申し上げたような状況の中で、いじめや青少年非行が増大するなど懸念すべき状況になっています。
最近における公務員の相次ぐ綱紀の乱れなどに起因する国民の行政への不信の高まり、そしてそうした行政の腐敗を生んだ政治の指導力の欠如への不信感・失望感、これは日本の社会、システムの危機に輪を掛けるものでありますし、このような事態の最終責任は、国民の代表である私たち政治家が負わなければならないものであることは明らかでありますし、現状を厳粛に受け止め、今こそ21世紀にふさわしい政治、経済、社会、行政のシステムを新たに築かなければならないときがまいっております。
私が思い描く21世紀の日本、その社会、それは国民一人一人が、国や地域社会に誇りを抱きながらも、その所属する社会や組織に埋没するのではなく、自らの将来に自由な夢・目標を抱いて、個人個人の創造性とチャレンジ精神が存分に発揮出来る社会、世界の人々と分かち合える価値をつくり出すことの出来る社会、そんな社会を目指していきます。
こうした社会の実現のためには、個々の制度の改革だけでは不十分であり、政治、行政、産業が相互に密接に関連し合いながら発展を築き上げてきた、戦後の我が国の経済社会システム全体にわたる大転換を行わなければなりません。
現在、明治維新期における近代国家の形成、第二次世界大戦に敗れた後の民主国家の建設に次いだ、第三の変革期に差し掛かっていると、私はそう思います。
こうした時期にあっては、部分的な、あるいは対症療法的な手法では決して望むような成果は上がりません。明治初年と戦後の過去2回の大変革期において、我が国の経済社会全体が抜本的に転換されたように、今回の改革においても、国家全体にわたる大改革が総合的に、かつ、一気呵成になされなければ意味がありません。しかも、黒船ではなく、また、占領軍の指導を受けるのではなく、これは我々自身が自分の手でやり遂げなければなりません。
私は昨年来、行政改革、経済構造改革、金融システム改革、社会保障構造改革、財政構造改革の5つの改革を言ってきましたが、更にこれに教育改革を加えた6つの改革というものを一体的に、かつ時限を区切って、何としても進めていかなければならないと、そう言い続けているのはこうした思いからです。
しかし、逆にこうしたさまざまな改革、むしろ改革と言うより新しいシステム、新しい社会の創造と申し上げた方がいいかもしれません、こうしたものを行っていくためには、それが何のための改革かという原点に立ち返って、大胆な変革を進めなければなりません。
私は一連の社会改革の言わば起爆剤として、私自身が会長となる行政改革会議を昨年末発足させて、抜本的な行政改革の検討を開始したところです。私がここで求めているのは、行革のための行革であったり、中央省庁の看板のかけ替えをすることではありません。現在の行政の中に、その在り方の中には行政のみならず、行政と政治、中央と地方、行政と産業、こうした関係が色濃く反映されている訳ですし、こうした関係が、いわゆる官主主義とか官治国家、中央集権と呼ばれるような、この国のこれまでの社会全体を代表していると、これを全面的に見直していくことが今後の我が国の創造的な発展のために不可欠だと、そう信じるがゆえに行政改革を最優先の課題としたのです。
我が国の行政組織というものは、戦後の復興期、あるいは成長期にあって、貧富の差など社会的な格差を是正しながら、この国が持つ限られた資源を一定の分野に集中して効率的な経済発展を実現するという意味においては極めて効果的な体制でした。
しかし、行政が抱える課題が日々複雑多岐になり、かつ、国際的なものになり、また、行政、民間を通じてその先行きを展望することが困難になっている時代において、もう社会は、官と民、そして国と地方との関係において、中央の政府が、民間や地方に対し、一方的に望ましい方向を指し示す、監督していく、そうした体制を求めてはおられないと思います。
むしろ、そうした体制こそが民間の産業活動の伸びやかな発展と地方や個人の自立を阻む阻害要因となり、そして、国際的に見ても異質な存在となっていることは明らかであります。高コスト構造と言われる非効率性、通信やソフトウェア、どういった中身を提供するかといった分野でのダイナミックな動きに対する遅れ、東京金融市場の地位の低下などを克服するために、新たな環境を用意しなければなりません。
国際的に大競争時代が到来する中にあって、国境を越えた競争の主体は、産業だけではありません。個人や企業の活動を支える政府が、いかに効率的に、住民本位の行政サービスを提供することが出来るか、それがその国の国民の福祉や活力を左右しますし、また産業の生産性や競争力に極めて大きな影響力を及ぼすことになります。時代が求める政府は、市場原理を尊重し、透明なルールの、その下において、国民、住民本位の効率的な行政を実現する政府です。
私は規制の徹底的な撤廃や緩和、地方や民間への業務と権限の委譲によって行政を思い切ってスリム化する。こうした努力が何としても必要だと思いますし、その上で、縦割り主義や、いわゆる省利省益といった弊害を排除しながら、中央省庁を時代と国民の要請に応えるものに再編すると同時に、省庁横断的な課題への弾力的対応の強化と迅速、かつ、大胆な政策判断を行う体制をつくり上げるという官邸の機能強化策を検討し、年内には成案を得るつもりです。
こうした行政改革を初めとする改革を実行するに際しては、かなりの痛みが生じます。あるいは、負の部分に影響が出てくることもこれは事実です。確かに、これまで規制の傘の下に保護されていた事業を営む方々にあっては、今後は厳しい競争の荒波にさらされることになりますし、品質、サービス、価格などあらゆる面で努力をしなければなりません。反面、消費者にも、商品・サービスを自ら選択する厳しい目が求められますし、例えばどこの電話会社が、どこの金融機関が、ホームヘルパーのどなたが、より低い価格で自分のニーズに合った安全な商品・サービスを提供出来るかを自らの責任で決めなければなりません。これが自己責任です。
また、地方分権は、地方公共団体自らのビジョン、企画力、資源配分の能力を試すこととなりますし、隣接する地方公共団体同士が競い合うことにもなるでしょう。
しかしながら、マイナス面に目を奪われて、改革への努力を怠ったら、将来の我が国には、より厳しい展望のない現実が待ち受けるだけになります。社会に活力を取り戻すためにもこの改革はためらってはなりません。
今こそ、今年こそ、皆様とともに日本を本当の意味で、平和で、豊かで、個人個人が自由で伸びやかに生きることの出来る、そして、私たちが自分の国としてプライドを保てる、そうした国にしていくために行動を起こすときが来た、私はそう確信しています。重ねて国民の皆様の御支援、御協力を切にお願い申し上げます。
【質疑応答】
● まずペルー事件ですが、対話による解決に言及しておりますが、国民が、政府に期待する話し合いによる平和的解決への手応えといいますか、その見通し、また、ゲリラ側から日本政府に対する何らかのコンタクトないしは要求はあるのでしょうか。更に、このペルー事件を教訓にしまして、この種の事件に対する政府の危機管理体制の整備についてのお考えをお聞かせください。
まず第一に、ゲリラあるいはテロリスト、MRTA、どう呼んでも結構ですけれども、彼らから日本政府に対して直接のコンタクトはありません。また、これはあっても我々は受けるつもりはありません。この事件の正面に立って、全責任を負って行動される役割はペルー政府でございますし、今、ペルー政府が、フジモリさんを中心に一生懸命努力をしていただいている。そして、既に対話の動きが出てきていることも皆さんが御承知のとおりです。
我々はペルー政府がこの事件に全力投球が出来るように、それをやりやすい状況をつくるためにペルー政府をサポートしています。そして、その中で、我々が求める人質の即時全面解放というものが一日も早い状況で生まれることに全力を尽くします。
それから、この事件全部が終了して、今、人質になっておられる方々が自由の身になられ、改めて大使を始め大使館員、事件発生前から、その中におけるすべての話を聞いていく中で最終的な結論は出てくるでしょう。
我々は今、この事件の解決に向けて全力で取り組んでいる最中ですし、既にこの事件を教訓にして、さまざまな危機管理体制というものの新たなチェック・ポイントとでも言いますか、こうしたことを学びつつあります。そして、そういった流れの中で、既に平成9年度予算編成に対しては、大使館、大使公邸警備の在り方、あるいは必要な機材、人員、そういったものについては予算化を実行したものも出てきました。今後もこの中から学ぶことは非常に多いだろうと思っています。
● 次に行革についてお伺いしますけれども、1年掛けてやる訳ですけれども、春ごろに中間取りまとめをやるお考え、行政改革作業ですね。それと、今年6月、総理は自民党総裁としての任期を迎える訳ですけれども、行革の日程からいって、総理は再選を目指すのではないかと思われますが、どうお考えですか。
まず第一に行政改革の方からお答えをしますけれども、先ほど申し上げたように、これは何としても仕上げていかなければなりませんし、これは行政改革会議だけではなくて、既に官民の役割分担の洗い直し、あるいは規制緩和撤廃といった作業をしていただいている、あるいは地方分権推進ということから、第一弾の意見を出していただいている、そうした審議会があることも御承知のとおりであります。
当然ながらそうした成果は、この行政改革会議の議論の中に生かしていかなければなりません。そして、特に地方分権については、そもそもの基本論にまで立ち至った御報告というのは、春を多少過ぎるのかもしれません。それだけに、そうした御報告をいただき、それを行政改革会議で中央省庁の在り方のベースに引いていくからには、春に中間報告を出すといったことにこだわりたくはありません。要は1年以内に成案を得るということが一番大事なことであって、私は、その1年ぐらいにまとめ上げた成案というものを受けて、法律案の形で、平成10年の通常国会に提出して、これを御審議をいただきたいと思っています。
それにつけても、やはりこういう仕事をしていくというのは、国民の世論の支えがなければ進みません。それだけに、一方では規制を緩和・撤廃することによって、中央省庁が持っている権限を離していく。地方分権を進めることによって、権限を手放していく。当然ながらスリムに成り得る訳ですから、そうした作業と並行した行政改革、中央省庁の在り方を検討していくということに是非国民も関心も持ち続けていただきたい、督励をしていただきたいと思います。
それから、今、私は本当に今回のペルー大使公邸襲撃事件を始め、5つの改革に今日、教育改革を加えて6つを申し上げてきましたし、更に沖縄にかかる問題といったものを考えるとき、こうした重要な政策課題を前にして、一日一日全力を尽くすということで精一杯で、正直、とても秋まで頭を回しているゆとりがありません。
● ASEAN訪問ですが、もし非常に突発的な事態があった場合には、これまでの日程だと、長い期間だと、これを改めるような事態もあるんでしょうか。また、議論なさった背景をもう少し詳しく教えていただければと思います。
私は、このASEAN訪問中に、急遽日程を変更して帰国するような事態が起こることを本当に望んでおりません。むしろ、出発の前にでも、全員の人質が解放されるという事態が来ることを強く期待します。それが望めない限りにおいて、飛行機の中でも、また現地においても、これに対する対応を緩めるつもりはありません。
ですから、通常の同行、当初はこうした事件がなければ組んでいたであろうチームとは別に、まさに私自身が飛行機の中であれ、それぞれの国を訪問中であれ、常時連絡を受けられる体制は当然のことながら持っていきますし、その意味での専門家も一緒に連れていきます。
そして、出発までにも出来るだけの努力はしていきますが、いろいろな意見を皆さんがくださいました。そして、大変正直なマスコミの方の中には、この話はどちらにお前が決めてもおれたちは悪口を書くという宣言をされた方もあります。すなわち、中止すれば中止したねと。訪問を実行すれば、こんな大事な事態が一方で進行しているのにと。どっちにしてもほめることはない、そんな表現をされる方もありました。
最終的に本当に私が行こうと決断をしたのは、本当にフジモリさんが非常に一生懸命に平和的な解決に努力を続けていただいている。当初から信頼してきましたけれども、そのペルー政府に対する信頼を一番はっきり表わす形としては、この外交日程を予定どおり進めていくということが一番はっきりした意思の表明だと、こう思います。
それから、エリツィン大統領の提案というものから、G7の点で言うと、ロシアを加え、主要各国が足並みをそろえ、平和的な解決に向けてペルー政府を全面的に支援をしていく、そうした意思表示が既にありました。我々はテロというものに屈する訳にはいきません。テロというものと妥協をすることは出来ません。その上で、人質の安全、全面解放というものに努めていかなければならない訳です。その交渉に当たる窓口は1つでなければなりませんし、ほかから雑音が入って交渉が二と三とにわたるようなことは避けなければいけません。そうした中で、信頼を表明する目に見える形として一番大きなもの、これが最終的に私が判断をしたポイントの一つです。
同時に、こういう事態が起きたときに、本当に訪問予定をしていたASEANの各国の皆さんから、こういう状況なんだから、もしかしたら予定どおりに出来なくても、我々はそれで日本との関係を左右することはないよ、という伝言もいろいろな形でいただきました。とてもうれしかったです。こういう事件の中で、寄せられるそういう声というのは、国としても本当にありがたいことです。そういう気持ちを表明していただいていればこそ、なおさら、遊びの要素は、例えば、観光を予定してくださっているところはみんな省かせていただきますけれども、公式な行事として受け入れていただける場所はきちんと実行していく。それだけ寄せてくれた各国の心に応えたいと、こうした思いも私の中にあります。
● 総理、7日以前に人質事件が解決する感触があるということが、御判断の根拠ではないんですか。
残念ながら、それほど私は事態を楽観していません。むしろ、よくこうした事件の解決のよい例として引かれるのは、コロンビアにおけるドミニカ大使館の襲撃事件、これは幸いに人命を全く損傷することなしに決着をしましたが、これは62日間、決着まで掛かりました。
そして、そういう過去の例を見ると、比較的短期に解決をしたケースというのは、ほとんどのケースで、人質、テロリスト双方を含め、場合によっては政府側を含め、多数の犠牲者を出した結果になっています。ですから、むしろ時間が掛かる、それは平和的な解決を求めて双方が努力している、その証だと私は取っていますし、それは本当に7日の朝までに解決をしてくれたら私は本当に幸せですけれども、残念ながらそれほど簡単に解決をするような情報は持っていません。
● 総理、先ほどテロに屈する訳にはいかないとおっしゃいましたけれども、今回の事件で、テロの特殊部隊を持っておりますアメリカとかドイツ、イギリス、韓国等では、人質は早期に解放されている現実があります。これを踏まえまして、日本でも、自衛隊にテロ特殊部隊をつくるべきだという意見もございますが、それについてはいかがでしょうか。
私は今その御質問に対してはお答えをすべきではないと思います。どこの国の人質がどういう順番で解放された、その順番を皆さんと議論することは余りいいことではありません。そして、同時に、私はそれなりに、例えば、今までハイジャック犯が発生したとき等、警察の特殊部隊が国内においては対応してくれていました。それを海外に延ばすことがそれほど簡単なことかどうか。これはむしろ現実問題として考えていただいた方がいいと思います。
例えば、地理不案内な他国の特殊部隊が、地理不案内な場所に誘導されて、しかも共通の言葉を持っていない可能性の多い場所で、武力を行使して、人質の安全というのは確保出来るでしょうか。勇ましい議論というのはいろいろな角度で出来ます。
しかし、例えば、そうしたことを想定したとき、それぞれの国が主権を持って事件に対応しようとしている。仮に日本がそういったものを現在持っていたとして、果たしてそれが活用出来るでしょうか。私は今、むしろペルー政府、フジモリ大統領が払っておられるこの努力の妨げになるようなことは全くやりたくないです。
● 総理、先ほど6つ目の改革として挙げられました教育改革について、具体的にどのような分野から着手されようとされているのかということと、例えば、その教育改革を進めるに当たって、審議会のようなものをおつくりになるようなお考えをお持ちでしょうか。
むしろこれは逆に初閣議の後、文部大臣にそうした視点から教育というものについての考え方をまとめるように求めるつもりですし、また、求めることに私自身として決めていますけれども、特に何から、あるいは審議会を新たにつくってという考え方を持っている訳ではありません。
ただ、もう既に中高一貫教育の問題、あるいは大学の学部制の在り方、飛び級の問題、いろいろな角度で問題が出ています。しかし、そういう制度改革だけでいけるのかなという思いももう一つあります。
例えば、産業界自体が、就職ということを一つとらえてみても、どういう視点から人材を選ぼうとするのか、どんなに教育改革を言ってみても、一定の学校からしか採用しない、我が社は、なるべく女子学生の比率は低くしようと考えるとか、産業界がそういう感覚を持ち続けていては事態は前進しないでしょう。そして、むしろ私自身が自分の子どものころからを振り返ってみても、自分の子どもたちを見ていて、余りにゆとりが少ないという思いを非常に沢山のところで感じます。
臨教審等でも既にいろいろな提言がされてきました。現在の中央教育審議会で議論していただいていますから、私はむしろこの中教審の議論というものをより積極化し、幅広く行っていただく、そういう考え方で進んでいきたいと思いますし、文部大臣にはそういう考え方でお願いしたいと思っています。
● 予算案のことなんですけれども、公共事業の問題とか、整備新幹線の着工問題に絡んで、財政再建といっても、そういう面の最終的な取り組みが不足しているのではないかという批判の声もあるんですが、その点どういうふうに受けとめておられるんでしょうか。
今度の予算についてはいろいろな角度からの御議論をいただきました。一方では、これでは不況になってしまうとおっしゃる方々もありますし、一方では、その公共事業に、あなたが言われたような議論をなさる方もあります。私自身から申し上げたいことは、補正予算の効果と併せて9年度予算を見ていただきたいという言葉に尽きるんです。
確かに、消費税の2%引き上げ、特別減税の廃止というのが来年度、殊に4−6月期の景気に影響を与えることは間違いありません。そして、それが放っておけばさまざまな影響を出すこともあり得る訳です。ですから、むしろ我々はそれが民間事業を中心とした自立的な回復に向かってもらえるよう、補正から工夫を始めました。
そして、その補正予算も、お調べをいただけばお分かりのように、ゼロ国債を活用しながらそういう部分に対しての視点を当て、同時に、一方で防災といったものに着目した事業をくみ上げる、そういう形を取り込む。4−6の影響を非常に少ないものにしていきたいと思っています。同時に、公共事業を平成9年度予算においても、ある程度のものを計上していくことは事実ですけれども、これ自体、聖域というものは設けませんでしたし、その数字はよく見ていただくと、名目経済成長率3.1%より相当低く抑えると言ってきたとおり、事実その数字は1.5%増です。これは、9年度の消費者物価上昇率の見通しより低い数字で抑えております。
それと同時に、むしろそれぞれの事業の重点化を図っていくということも従来の公共事業とは性格を随分異にしていることも見てください。
例えば、道路の中でも、高規格幹線道路、港湾についても特定重要港湾、こうしたところに重点的な配分が行われています。同時に、各省の枠を超えた事業の連携というもの、あるいはコスト削減策、こうしたものがありますし、言われながら出来なかった、始めてしまっている事業を中止する、これも事業箇所を絞り込むという観点から、今回初めて既に進めている事業、ダム等で中止したものが出てきたことも御理解をいただけると思います。
同時に、その建設工程というものを見直して、実は私も初めてああいう形で実態をとらえてみたんですが、事業の計画から仕上がりまでの段階をずっと一連のチャートにして、そのプロセス、プロセスにおける、コストに影響する各省の行政というものをずっと拾い上げていくと、恐ろしく沢山のものが高コスト構造というものをつくっていく原因になっていました。
これは既に建設省あるいは運輸省、農水省といったところには指示を出し、努力を始めてもらっていたんですが、設計から工事の完了までに全工程を洗い出してみますと、規制緩和を含めて、公共工事を取り巻くさまざまな分野を全部拾い上げて改善をしていかないと、本当に効果的なものにならない訳です。そんなことを考えて、暮れの27日の閣議で関係閣僚会議をつくって政府全体としてこれを進める、こんな指示も出してきました。ですから、従来のイメージとは少しずつ変えていただきたいと思います。
それから、新幹線について言えばいろいろな御議論がありましたけれども、そのプロセスは別として、最終はどういう仕上がりかは御承知のとおりです。我々はこれからも政府与党の中で、採算性、あるいは在来線廃止のその地域に与える影響、地方自治体の考え方、いろいろな要素で問題を詰めていくという考え方を明らかにしております。
● 安保政策についてお伺いしたいんですが、総理は、5月に重要事態に向けて4項目の検討を命じられました。一方で、秋にはガイドラインの見直しの最終報告を出すという日程も含まれていると思うんですが、今後、どのように政府部内として議論を進めていき、その際、国民的なコンセンサスというものをどうやって得ていくお考えでしょうか。
昨年5月私が事務当局に対して指示をしたというのは、我が国の周辺地域における我が国の平和と安全に重要な影響を与えるような事態を中心にして、我が国に対する危機が発生した場合、あるいはその恐れのある場合、どういうケースがそれに対して必要な対応策、それを具体的に十分検討、研究という指示を出しました。
そして、今、内閣安全保障室が事務局になりまして、在外の邦人保護、大量の避難民対策、沿岸重要施設の警備といった問題。あるいは、対米協力措置など各検討項目ごとに作業グループをつくって進めております。これはいつ終わるという中間報告はまだ私は受けていませんが、作業は鋭意進められております。
こうした作業がある程度方向あるいは姿を見せてきた時点で、これを国民にお知らせをする、それは皆さんの協力を得なければなりませんけれども、知っていただく。それに対してどういう反応を国民が示されるのか、そういう手順が必ずどこかの時点で必要になるでしょう。ただ、今その時期がいつとは申し上げられるところまで、それぞれの項目で煮詰まった、あるいは結論に近づいたという報告はまだ私は受けていません。もうしばらく時間をちょうだいしながら、大事なことですから、ある程度中身がまとまれば、皆さんの協力を得て、国民の皆さんに知っていただく、そしてそれに対するお考えを伺う、そうした必要は当然あるだろうと思います。 
1998

 

年頭記者会見 / 平成10年元旦
明けましておめでとうございます。
21世紀まであと3年となりました。ちょうど今から35年前に、私が初めて衆議院に当選した昭和38年、振り返ってみますと、翌年東京オリンピックを控えて、本当に社会全体に躍動感があふれていました。所得倍増計画というものの先にある日本。その豊かな日本というものを夢見ながら一人一人が希望を持って学び、そして額に汗して働いていた、改めてそう思います。同時にこの年は、日本の法律制度の中で初めて「老人」という言葉が法律用語として使われた年でもありました。そして100歳以上のお年寄りの人口調査を初めて国が実施した年でもあります。それ以来私は、経済の豊かさの実現の中で高齢化社会への対応ということを自分のライフワークのようにしながら今日まで取り組んできました。本日は、新しい年の門出に当たって、私がどのような社会をつくりたいと考えているか、そのために当面の対策と「6つの改革」をどう進めていこうとしているのか、率直に申し上げてまいりたいと思います。
6つの改革は、それぞれその分野において具体的に既に進んでいます。昨年秋の国会でお年寄りの介護の負担を社会全体で支えるための介護保険、また財政構造改革のための特別措置法が成立をしました。また、危機管理をはじめ行政の機動力を高めるために内閣機能を強化し、効率的な行政を実現するために中央省庁を再編する、その方向づけが出来ました。経済構造改革や金融システム改革に関しては、大胆な規制の撤廃を始めとする具体的な行動計画が既に出来ております。また、教育改革についても、中高一貫教育、あるいは週5日制の導入などの取組みを既に始めました。
同時に、昨年秋以来の金融機関の相次ぐ破綻によりまして、我が国の金融の機能に対する内外の信頼が低下しました。金融システムの破綻は、国民生活に混乱を生じますし、産業活動を著しく停滞もさせます。日本発の金融恐慌、経済恐慌は絶対に起こさない。経済の動脈である金融システムを何としても安定させ、景気を回復軌道に乗せ、先行きに対する自信を取り戻す。私はこれを自分の強い決意として冒頭申し上げたいと思います。
そして、皆さんにも本当に自信を持っていただきたいんですけれども、我が国は1,200兆円にのぼる個人金融資産、差引き8,000億ドルの対外資産、そして2,000億ドルを超える世界一の外貨準備を持っています。全く心配はありません。金融の根本は信頼なんです。そして、預金者を保護するために、金融システムの安定を図るために、破綻金融機関の処理、そして、きちんとした銀行の自己資本の充実に10兆円の国債と20兆円の政府保証、合わせて30兆円の資金を活用出来るようにいたします。貸し渋り対策としては、政府系金融機関に23兆円の資金を用意するほか、早期是正措置の運用を弾力化します。これにより、健全な経営を行っておられる企業に必要なお金が流れるようにします。景気回復のためには、大規模な規制緩和を始めとする緊急経済対策を実施します。更に、税制面においては、2兆円の特別減税を実施するとともに、法人課税の税率引下げ、有価証券取引税の半減、地価税の課税停止などを含む幅広い措置を取ることとしております。国民の皆様には、どうぞ安心をしていただきますよう、そして、これらの対策への御理解と御協力を心からお願い申し上げます。
私は、日本経済に未来がないかのような悲観論には決してくみしません。我が国ほど、高い教育水準と高い勤労モラルを持っている国はありません。かつて、我が国が貿易と投資を自由化し、国際競争の荒波に船出したとき、その過程で石炭、あるいはアルミ精練などの事業が衰退をしました。しかし、国民が一丸となって果たしてこられた努力の中から、自動車、電子・電気、機械などの新しい産業が力を付けて、国際競争を勝ち抜いて来ました。私たちの先輩には、本田宗一郎さんや井深さんのような多くの偉大な業を自ら起こされた方々があります。今ハイテク産業のコメと言われる半導体の原形、シリコンダイオードは東北大学で開発をされましたし、花形医薬品となっているインターフェロン、これは戦後間もない昭和24年に東大伝染病研究所で発見をされました。しかし、それを我々は企業化し損なった訳です。何故なんでしょう。
先日、二十歳の時にベンチャー企業を設立して、今や世界のソフトウェア産業の頂点に立つビル・ゲイツさんとお目に掛かりました。こうした方が何でアメリカで生まれるのか。それは多くの投資家が、あるいは多くのユーザーが、一人の若者の能力を評価し、仕事を任せ、必要な資金を提供している。個々人の能力が存分に生かされるような懐の深い、包容力のある社会だからです。我が国には情報・通信、金融、あるいは環境、医療・福祉など、成長が期待される産業の分野は数多くあります。豊富な資産・資金、有能な人材、そして新しい時代を切り開いていくだけの技術がこの日本にはあるんです。みんなで力を合わせて、これが生かされるような社会をつくり上げようではありませんか。
ベルリンの壁がなくなり東西対立が終わって、国際社会は大きく変貌しました。アジア太平洋地域においては、APECという開かれた地域協力の枠組みに本年からロシアが参加をする。これによって政治経済の両面で関係の一層の強化が進んでいくことになります。世界の大多数の国が民主主義と、そして市場経済に基づく国づくりに懸命に努力をし、成果を上げ始めています。これはまさに冷戦の終焉を契機として、世界の価値観が大きく変化した結果でしょう。
翻って我が国を見るとき、経済成長を通じた豊かな国民生活という共通の目標があったころに比べて、国のアイデンティティ、共通の価値観を持つことはなかなか難しいのかもしれません。しかし、人、物、資金、情報、すべての面て否応なく国境がなくなっていく世界の潮流の中で少子高齢化が急速に進み、社会全体の活力をどう高めていくかが、今まで以上に重要になっている今日、御批判を受けることを承知であえて申し上げるなら、ます第一に個人の能力が存分に発揮をされ、国際的な競争を勝ち抜いているような国、そして、年長者を敬い、家族が本当に食卓を囲んで、親から子へと心の大切や、あるいは生活の知恵を伝えていくことが出来るような社会。第三に、世界に誇れる豊かな自然、あるいは芸術、工芸といった伝統、文化、これを大切に守り、伸ばしていけるような国、そうした国を目指すことが日本が、世界の国々すべててともに共存し、共栄していく道ではないでしょうか。
私は総理大臣を拝命して以来、国民一人一人が将来に夢や希望を抱き、創造性とチャレンジ精神を存分に発揮出来る社会、世界の人々とお互いに理解し合い、助けあえる社会というものを政権の目標ににかざしながら、6つの改革を一体のものとして実行すると、そう申し上げてまいりました。これは、さまに政治家としての私の所信であると同時に、私の描く日本の将来像でもあります。
昨年の7月、参議院の50周年記念行事として「こども国会」が開かれました折り、全国から集って小中学生の代表としての議員の皆さんの、その元気はつらつとした姿と真摯な議論、これを見なから本当に多摩川で魚つりをしたり、泳ぎに夢中になっていた夏休み、あるいは野球やボーイスカウトに熱中していた自分の子供のころを重ね合わせて、何となくタイム・スリップしたような思いがしました。子供たちは一人一人、掛け替えのないみな宝物です。夢や希望はそれぞ違うでしょうし、得意ものも、好きなものも違うでしょう。その若い人たちが、本当にやりたいこと、喜びを感じられることを見つけられる。将来は何なりたい、そのために何を学びたい、そして政治を目指す、あるいはビジネスを目指す、文化、スポーツを目指すいろんな方があるでしょうし、ボランティア活動に集中する方もあるかもしれません。自らの責任で進路を選び、夢や目標に向かってひた向きに努力する。そんな姿をお互いに尊重する。こうした若い力がこの国の将来を支えると確信しています。若い人々は既成概念や大人の常識を超える斬新な発想、そして行動力を持っています。技術革新にせよ、消費行動を始めとするライフスタイル、十に一つ、あるいは百に一つでもすばらしいものがあれば、それが社会全体を生き生きさせる力になるでしょう。日本人として初の宇宙遊泳をされた土井隆雄さん、子供のころから宇宙に出ることを本当に夢見ておられた。そして、今回の宇宙飛行を終わって、今度は月に行きたいと話しておられます。若い人たちには目標に向かって努力をする勇気を是非持ってもらいたい。常に挑戦を続けていただきたい。心からそう思いますし、それを可能にするために、私も精一杯頑張ります。
同時に、自分が家庭や地域社会の一員であること、助け合いや支え合いがあって始めて自らの夢も目標もかなえられることを自覚し、弱い立場にある方々への思いやりややさしさ、いじめや卑怯な行動に立ち向かう勇気と正義感を持っていただきたい。社会全体を大切にしていただきたい。そのためには、家庭、そして地域社会が、学校と協力して主体性を発揮しなければなりません。難しい問題ですが、皆様とともに考えていきたいと思います。
次に、働く世代、お父さん、お母さん、そう呼ばれる世代は社会の中核であると同時に、一番大変な世代であるとも言えるでしょう。生活設計、あるいは子供たちの教育、御両親の介護など、多くの方々が共通の悩みを抱えておられると思います。こうした悩みに応えていくのがまさに政治の役割であり、中でも働き手としての自分に奉仕する方々の支援、能力や希望に沿った職種、職業に就く選択の幅を広げる制度づくり、また、働くお父さんや、お母さんが安心して仕事と育児を両立出来るような環境づくりに努力してまいります。同時に、団塊の世代が年金受給者となる21世紀初頭に向けて、世代間の負担の公平をどう図るのか。公的年金の給付と負担の水準をどの程度にするのかなど、幅広い国民的な議論を通じて結論を得たいと考えていますし、男女が共に参加していける社会をつくり上げるために、男女の固定的な役割分担を前提とした雇用慣行など、社会慣行や個人の価値観といったものまで含めて幅広い議論を行い、対応を考えていきたい。そのためにも皆さんの御協力をお願いしたいと思っています。
今日、高齢化という言葉がややもすると暗いイメージで語られることがあります。果たして本当にそうなんでしょうか。何歳になっても働けるうちは働きたい。社会のために、地域のために、そして家族のために尽くしたい。これは高齢者の共通の思いだと思います。また、若い世代が高齢者から知恵と経験を学び取ってこそ、社会は発展していくんじゃないでしょうか。働きたいと考えておられる高齢者の雇用をどう増やしていくのか。お年寄りと若い世代の交流を始め、地域活動への参加をどう進めていくかなど、本当に真剣に考えていきたいと思います。
また、高齢期に入っても、自立し、必要があれば家族や近所の方々と支え合うことが出来るよう、国民皆保険、皆年金という制度を守りながら、医療、年金、福祉の垣根をいま一度見直し、改革を進めていきたいと考えています。
新年に当たって私の考え、思いを申し上げます。
この1年、まず、金融システムの安定と景気回復のために万全を期します。今、日本の金融システムは、断固守らなければなりません。政治責任は国民の暮らしの安寧をいかに確保し奉仕するか、それ以外のなにものでもありません。私は、全力を挙げて国民生活を守ります。その上で、中央省庁再編の道筋を定める基本法の成立を始め、6つの改革に全力を挙げて、個人の能力が最大限発揮される社会、お互いの努力を尊重しあえる包容力のある社会をつくり挙げていきたいと思います。
改革には犠牲を伴います。しかし、私たちが目の前の困難を恐れて改革を怠ったら、子どもや孫の世代は、活力が失われた経済・社会を受け継ぐことになるでしょう。次の世代に豊かな暮らしをしてほしい、心をなごませる文化や芸術によく多く接してほしい。この国を、人々が、そして企業が世界中から集まる活力と自信にあふれる国、国際社会の一員として世界から尊敬される国にしたいと、心からそう願っております。
明るい将来のために、国民の皆様のために全力を尽くす決意です。
皆様の御支援と御協力を重ねてお願い申し上げ、新しい年の御挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。
【質疑応答】
● まず金融システム安定化と景気対策の点なんですが、たった今総理も金融のシステムの安定と景気対策のためには万全を期すというお考えを表明なさいましたが、具体的に今年の景気、経済の先行きをまずどうごらんになるかということと、それから昨年末打ち出されました総額30兆円の金融システムの安定化策に対して、まだ十分な効果があがっているとは言えないかと思うんですが、市場や国民の不安を解消して、経済を活性化するためにこれで十分だとお考えなのかどうか。この点をまずお伺いしたと思います。
昨年の秋以来、金融機関の破綻が相次ぎました。これにはさまざまな各社ごとの要因がありますけれども、これが我が国の金融システムの安定性に対し、一部に不安や動揺を生じさせました。そうした中で、金融システムの安定性強化のために、万全を期していく。そして、国民の安心感とともに、内外のマーケットの信任を得る。これは現在政府に課せられている重要、そして喫緊の課題だということは今おっしゃるとおりです。ですから、このためには、金融システムの安定性の確保と並行し、預金者の保護を図ると同時に、景気の回復に向けて目に見える対策を一つずつ講じていくことが一番大切だと思っています。
先般、自由民主党において、金融システムの安定化策が具体化をされ、その中から10兆円の国債と20兆円の政府保証、合わせて30兆円の資金を活用することが出来るようになりました。今、内閣を挙げてその法制化に早急に取り組んでおりますし、これが法制化され、国会で御論議をいただき、一日も早く現実のものになって役立ってくれること。そのためにも作業を急ぎたいと思います。
同時にもう一つ、この中から出てきた問題がいわゆる貸し渋りの問題です。
本来、貸し渋りというのは金融システムの安定確保で解決をされる、そういうものです。即効的に、かつ直接にこの問題に対応するために、従来はよく中小企業を対象とした同様の措置を取りましたけれども、今度は中小企業だけではなく、中堅企業も含めて、日本開発銀行、中小企業金融公庫、国民金融公庫などに新しい融資制度を創設して、9年度の保証を含めて12兆円。更に10年度の融資分を合わせると23兆円の資金を用意しました。そして、民間の金融機関で必要な資金を受けられないお仕事をしていらっしゃる方々、この政府系金融機関をフルに活用していただいて、必要な資金を得ていただきたいと思います。
同時に民間金融機関自体も融資がしやすくなるように、国内金融機関に対する早期是正措置の運用を弾力化することを決めました。
こうした金融システムの安定化への万全を期した取り組みのほかにも、2兆円規模の特別減税を実施する。また、法人税、金融関係の、また土地関係の各種の減税措置を盛り込んだ平成10年度の税制改正、この思い切った措置すべてが私は相乗効果を持って我が国経済の力強い回復をもたらするものと確信をしています。
ここで経済見通しの数字を改めて長々述べたりすることは避けたいと思いますが、少なくともこの金融システムの安定のために、そして破綻する金融機関に対応出来るように、すべてのことを考えてこれだけの資金を用意して、それと減税を始めとした各施策が私は相乗効果を発揮すると信じています。
● 続きまして、財政構造改革路線と今の総理から御説明いただきました景気対策などとの整合性のことなんですが、昨年末2兆円減税を来年度補正予算に盛り込んだことにつきましては、財政構造改革法には抵触いたしませんが、しかしながら、赤字国債依存から出来るだけ早く脱却しようという財政構造改革の基本的な理念といいますか、考え方には逆行するという見方もある訳ですが、総理は財政構造改革路線は引き続き堅持されるということは、引き続きおっしゃっておられますが、具体的に2003年度までに赤字国債を発行ゼロにするという目標をどうやって実現なさるというお考えなのか、そこを御説明いただきまたいと思います。
このASEANプラス1から帰国して、決断をした2兆円規模の所得税の特別減税、これはいろいろな御批判をいただきました。今、あなたから御指摘があったような議論もありましたし、それから相談なしに決めたという批判もありましたし、金額が少な過ぎる、あるいはタイミングが悪い、いろいろな御批判をいただきました。しかし、本当に内外の厳しい経済、金融情勢というものを考えてみた挙げ句、私は思い切った施策が必要だという判断から、これを緊急に実施するという決断をしました。
その政策運営の基本、これはさまざまな構造改革を進めていくことです。これはちっとも変わっていません。同時に、その時々の経済や金融情勢あるいは国際的な状況に応じて、必要な手を打っていくということは、私はもともと当然のことだと思っています。そして、今言われたような、こうした措置が財政構造改革に反するというようには私は考えておりません。むしろ、補正予算に2兆円の減税の対応を盛り込む、こうしたことをしましたのは、早急に減税効果を発揮するという観点からです。
同時に編成を終えた平成10年度予算、昨年末大変みんなに苦労掛けましたけれども、法人、金融、土地などの減税などによりまして、大幅な歳入の減収が見込まれる訳でして、公債減額については1兆1,500億円、特例公債の減額については3,400億円の減額を達成しました。これは現下の経済情勢、金融情勢というものを考えていただいたときに、財政構造改革法成立後、初めての予算としても、しかるべき減額を達成することが出来たと私は思っています。10年度予算は財政健全化目標達成に向けてさらなる一歩を踏み出すということになると考えています。
いずれにせよ、財政健全化目標というのは容易に達成出来ることではない、今後とも財政構造改革というものを一生懸命に進めながら、最終的な目標達成に向けて全力を尽くしていきたいと思っています。
● では、次に外交問題についてお伺いいたしますけれども、総理とエリツィン大統領は11月の首脳会談で2000年末までに平和条約の締結に向かって全力を尽くすというふうに公表されました。この大きな努力目標達成のために、総理はどういうふうに具体的に道筋をつけていかれようというふうにお考えなんでしょうか。
また、1月にはエリツィン大統領の来日も予定されていますが、まず大統領とはどういうふうに話をしていかれようとお考えなんでしょうか。そして、平和条約が締結されましたら歯舞、色丹の二島は返還されるというふうに考えてよろしいんでしょうか。
ロシアとの関係というのは本当に随分長い間、我が国にとって重い課題として動きを見せなかったもので、昨年まずデンバー、そしてクラスノヤルスクと2回エリツィンさんとお話をする機会を得ましたし、特に2度目のクラスノヤルスクの際にはネクタイなしでという提案をしたとおり、本当に2人がひざを突き合わせて自由な議論をすることが出来、その中で東京宣言に基づいて2000年までに平和条約を締結する、そのために全力を尽くすという合意が出来た訳です。
そして、それと合わせて政治経済ばかりではなく、安全保障等の分野も含めて具体的な成果が均衡の取れた形で達成をされました。この雰囲気を今年どうやって持続していくか。これは今あなたの指摘のとおり大変大事なことなんですが、まず今年、小渕外務大臣に、まだ時期は確定していませんけれどもロシアを訪問していただかなければなりませんし、そしてそこでまた具体的な話がいろいろ出てくると思いますけれども、4月にはエリツィン大統領を今度は御家族で日本にお招きをしている訳で、どこにしたらいいのか、同じようなネクタイなしの雰囲気の中で十分な議論が出来るいい場所を今、一生懸命に探しています。これはいずれ近いうちに決めなければなりませんし、出来れば小渕さんが行かれるとき、日本側の候補地としてこういうところがあるのだがどうだということが聞けるぐらいの作業をしたいと思います。
こうしたことを含めて、本年日露間で予定されているハイレベルの交流も幾つかありますが、その交流を通じてさまざまな分野における対話、協力というものを一層拡大強化していくと同時に、まさに東京宣言に基づいてクラスノヤルスクの合意のように平和条約を締結し、完全な正常化というものを両国の間に実現するために引き続き全力を尽くします。その際大事なことは、我々として北方四島というものが我が国の領土として確定される。それは当然ながら国境線の確定のない平和条約というものはあり得ませんから、我々は日本の固有の領土である北方四島というものが平和条約の締結時においては日本の主権が確認される、そう信じています。また、そういう方向に全力を尽くしていきます。
● では、次に日韓関係についてお伺いしたいと思いますが、先月韓国では次期大統領のキム・デジュン氏が当選されましたけれども、大統領選の翌日に総理は早速電話で会談をされまして、新しい時代を築いていくということでお互いに協力していきましょうというお話をされたということですが、韓国ともやはり難しい領土問題があるように思います。こちらの解決の方はどういうふうに考えておられますでしょうか。
ちょうど昨年、韓国の大統領選が終わって間もなくのとき、次期大統領としてのキム・デジュンさんと電話でお話をして、そのとき21世紀に向けて日韓関係に新しい時代を切り開いていこうという話し合いをした訳ですが、具体的な、例えばいつお目に掛かろうというところまでは、その辺まではお話をしていませんでした。
一方、竹島の問題について、我が国の立場というのは一貫したものです。こうした日本の立場というものは韓国側に随時あらゆる場面で申し上げてきていることです。私自身も、現在の金泳三大統領との間で竹島問題についての我が国の立場というものは何回か話し合いの中に上せてきました。
ただ、同時にこの問題に関しても両国の立場の相違というものが、私は両国民の感情的な対立に発展したり、本来あるべき両国の友好、協力関係というものを損なうことは適切でないと、そうも考えてきました。また、そう申し上げてきました。これは、今後ともに両国間で冷静で粘り強い話し合いを積み重ねていかなければならないことだと思います。私自身も何回か金大統領とお目に掛かり、そのときそのときこの議論をしてきましたけれども、それで全体が壊れないようにということも実は心掛けてきました。恐らく韓国側も同じような思いを持っておられたのではないだろうかと思っています。
● 次に沖縄の問題ですけれども、普天間飛行場の移設を巡って名護市の市民投票の結果に違う形で海上ヘリポート基地を受け入れを表明した比嘉市長が辞任されることになりました。それで、この出直し市長選挙が行われることになって地元の対立は更に深まる様相を示しています。この問題をどのように解決していくかということと、既に海上ヘリ基地の建設計画はSACOの最終報告で12月中という期限があったんですが、それより遅れています。それで、これが日米関係に与える影響についてお伺いします。
これは皆さんにも是非思い出していただきたいことですし、同時に報道を通じて国民に改めて御協力のお願いをしたいと思います。
この問題で一番元は何だ。日米安全保障条約の下で、日本が条約上の義務としてアメリカ側に提供している基地の本当に75%が沖縄県内に集中しているというところから出ている問題だということです。そして、大田沖縄県知事と私が総理としてお目に掛かった最初に、当時懸案として考えられていた他のいわゆる三事案と言われる案件よりも、何より急ぐものとして住家に密接し、学校等に密接している普天間の基地を動かしてほしいというのが大変強い知事の意思として述べられ、私自身場所を知っていましたからその思いをそのままに受け止めて、その後日米間の議論の中でどうすればそれでは答えが出せるのか。現実的な解決策を模索してきた中から今回の問題点が出てきたと思います。海上ヘリポートという考え方を出したのは移設可能であるという、そして自然環境とか、騒音とか、あるいは安全とか、いろいろな要素を考えた挙げ句、現時点では最善の選択肢だと考え、結局可能な海上施設という形でこれを提起したものです。そして、政府としてはこれが地元の皆様から本当により深い御理解をいただきたい、そう願ってまいりましたし、今もその気持ちは全く変わりがありません。
そうした中で、先日比嘉市長は国益、県益、市益という言葉を用いられましたけれども、これを熟慮した上で海上ヘリポートを受け入れるという、恐らく大変な悩み抜かれた上での決断だと思いますけれども、その決断を私に示されました。私は本当に深い敬意を表すると同時に、その結論というものを大変ありがたく高く評価しています。
しかし、その名護の先人の方の残された言葉の中に、ふるさとを、和して睦ましめる、そうした言葉があるにもかかわらず、市長として市民の意見を二分する結果を招いた。自分としてはその責任を取って職を辞するという決断をされました。これを伺ったとき、私は本当に返事が出来ないような思いでした。その市長が辞任をされて、それに伴って行われる市長選、これは地方自治そのものの関心の一つです。もちろん、国政にも大きくかかわる部分も持ちますけれども、本質的にこの地方自治は私自身がその選挙の結果を見守りたいと思っております。
しかし、同時にこの海上ヘリポートの建設というものについて県の協力が不可欠であります。知事さん御自身が提起をされた問題に対する出来得る限りぎりぎりの選択肢として私どもが御提案をした海上ヘリポートの建設というのはよく知事にも御理解をいただけるよう、私どもは最大限の努力を続けていきたいと考えております。
同時にそのときもう一つ付け加えさせていただきたいんですけれども、そのときにもう一つ言われたことで、比嘉市長の言葉が耳について離れません。琉歌というのがありますね。沖縄の歌ですが、その琉歌の一つで思い悩んでいるさま、そしてその橋を渡るか、渡らないか思い悩んでいるさま、しかし渡らなければならないという大変御自分の心境を現したような琉歌を紹介されました。
これに対していろいろな言い方を今、世間でされていることを知っていますが、私は比嘉市長の切々たる普天間の基地をなくさなければいけない。県内移設しか現実に対応がないとすればそれは名護でお受けする。その代わり、北部を忘れないで、ややもすると北部の振興というものはいつもなおざりにされる。この言葉が、実は年が明けても耳に付いて離れないんです。
● 参議院選挙について伺いたいんですが、今年の夏に予定されている参議院選挙に向けてどのような見通しを総理はお持ちで、どうこの選挙に取り組まれるのか。ほかの党との選挙協力ですとか、今後の政局運営で今の自社さ連立の維持、場合によって解消というような点についてはどのような姿勢で臨まれるんでしょうか。
順番を逆さにして答えることを許していただきたいんですが、予算編成もお陰様で与党三党の協調という中で行うことが出来ました。これは、予算を一緒につくるということは本当に自民党として協調関係を保っていく、私どもは当然ながら連立を含む友好と信頼関係を保持することに努めています。その連立政権の下での、丁寧な国会運営というものに心掛けています。
問題は、政策のそれぞれに各党各会派と協力をして、そういった意味で国民本位の、政策本位の政治を進めていくということはまず申し上げておきたいと思います。
その上で今、私は選挙協力が念頭に置かれているという感じは持っていません。この選挙というのはどういう選挙であっても政党政派としてそれぞれの主張をかざして、国民の信任を得るべく闘う訳ですから、私は性格はそういうものだと思います。
そして今、進めている6つの改革というものを本当に断行していくために、あるいは本当に昨年の秋以来始まっているような金融の破綻といった状況に機動的にこうした緊急かつ重要な事態というものに機動的に政策課題に対応していく。そうするときには、安定した政治状況というものが必要不可欠だということを申し上げるしかありません。そして、その上で何としてもこの夏の一大決戦である第18回の参議院選挙、自由民主党としては全力を尽くして過半数の議席を獲得しなきゃなりませんし、持てる力を結集して闘ってその目標に到達したいと、今、心からそう願っています。
そういう意味では、昨年から選挙区選挙において複数区は複数の候補者という基本原則をもって候補者の選考を進めながら、比例代表選挙においても我が党が必要とする、また国民に御推薦するにふさわしい多彩な人材の確保というものに全力を挙げてきました。そしてその結果、現在までに比例代表の公認候補者22名、選挙区選挙の公認推薦候補者52名を決定していますし、残る候補者についても選考を急いでいます。我々は何としても参議院における過半数を国民から与えていただきたい。そのためには、私自身としても党一丸となって全力を挙げてこの参議院選を闘い抜いていく、そういう決心でおります。
● 日本発の世界恐慌は起こさないという発信を具体化するために、内閣の一部あるいは思い切ってこの際人心を図るために内閣を改造してはどうかという声が出始めていますが、この点に関しては総理はどのようにお考えですか。
これは全然今、考えていません。第一、予算編成が終わって間もなく国会を召集する。この予算編成をする閣僚、そしてその予算を説明し、御理解をいただく立場に立つ閣僚が違っちゃうと大変苦労が多いですよ。私も覚えがあるけれども。
● 名護の海上ヘリポートの建設問題ですが、今のお話の中で総理は市長選挙の結果を見守りたいというふうにおっしゃいましたが、これは例えば今後大田知事の理解が得られたとしても、飽くまでも市長選の結果を見て最終的な建設、具体的な実現について政府として動き出したいということと考えてよろしいでしょうか。
私は正確な言葉遣いをちょっと今、ぱっととっさには言えませんが、市長選挙というのは飽くまでも市民の皆さんが自分の市の行政首長を選ばれる選挙なんです。私は残念ですけれども名護の市民ではないので、政府は市長選挙の結果は見守る以外にないです。そこで一票を投ずる権利をお持ちなのは名護の皆さんだけなんです。私はそういう意味で申し上げたつもりです。 
第百四十二回国会施政方針演説 / 平成10年2月16日
(はじめに)
私は、将来のわが国を展望した上で現在をいかなる時代と認識し、何を優先課題とすべきかを考え、冷戦後の国際社会に対応した外交、沖縄が抱える問題の解決、行政改革をはじめとする六つの改革に、全力を傾けてまいりました。内閣総理大臣就任以来の二年余を顧み、わが国の進むべき方向を見据え、今何をなすべきか、改めて率直に申し上げたいと思います。
まず第一は、この十年来の経済面の困難を克服し、また、制度疲労を起こしているわが国のシステム全体を改革することであります。経済のボーダーレス化、人口の少子高齢化など、内外情勢が大きく変化する中で、わが国がより安定した発展を続けていくために、改革を先送りすることは許されません。私は、自立した個人が、夢を実現するために創造性とチャレンジ精神を存分に発揮できる国、また、内外の様々な変動に機敏にかつ柔軟に対応できる国を築きたい、年長者を敬い、親から子へと心の大切さや生活の知恵を伝えていくことのできる社会、そして、豊かな自然や伝統、文化を大切に守り、伸ばしていけるような社会を創り上げたい、心からそう思っております。私が進めている改革は、こうした認識に基づくものであり、内閣の総力を挙げ、どのような困難があってもやり抜く決意です。
第二は、この国の将来を担う子供たちのことであります。明治以来、教育は、親や地域だけでなく、国が積極的に関与すべき課題とされ、今やわが国の学校教育は、平均的には世界最高の水準にあると言われます。しかしながら、暮らしが豊かになり、家庭の役割が変化し、進学率が上昇する中で、受験戦争やいじめ、登校拒否、さらには青少年の非行問題が極めて深刻になっております。今、子供たちは本当に悩み、救いを求めていると思います。家庭にも学校にも居場所を見つけられず、進学や就職のこと、友達付き合いや男女交際のことで悩んでも、相談相手が得られない、解決を見いだせないというのが厳しい現実でありましょう。しかし、この問題を放置すれば、将来に禍根を残すことは間違いありません。大変難しい課題でありますが、子供たちのために何をすれば良いのか、皆様とともに考え、真正面から取り組んでまいります。
第三は、冷戦後の国際秩序を模索する世界の動きに的確に対応した外交であります。第二次世界大戦後の世界を分断した東西対立は過去のものとなり、日露関係の抜本的な改善をはじめ、わが国の外交が広がりを持つとともに、アジア太平洋地域の平和と安定がますます重要になっている今日、こうした認識に立って主体的な外交を進めます。
この三点を念頭に置いて施政の方針を明らかにし、国民の皆様のご理解とご協力を頂きたいと思います。
(力強い日本経済)
わが国は、一九八〇年代半ば以降、急激な円高、その後のバブルの発生と崩壊という経済の大きな変動を経験しました。特に、バブル崩壊の過程では、地価の下落、土地の需給の不均衡、不良債権問題の深刻化、企業の財務状況の悪化が進み、さらに昨年の夏以降、アジア各国においては通貨・金融面の混乱、国内においては金融機関の破綻などが相次ぎました。これらの問題を克服し、経済の停滞から一日も早く脱け出し、力強い日本経済を再建しなければなりません。そのためには、まず、金融システムの安定と景気の回復が必要であり、同時に、経済構造改革をはじめとする構造改革が不可欠であります。財政構造改革の必要性も何ら変わっておりません。そして、経済・金融情勢の変化に応じて臨機応変の措置を講じ、景気の回復を図ることもまた、当然であります。
今国会においては、金融システムの安定を図るとともに、一日も早く景気を回復するため、九年度補正予算と関連法案の成立に全力を挙げてまいりました。議員各位のご協力に御礼申し上げるとともに、既に実施している緊急経済対策、二兆円規模の特別減税、九年度補正予算に加え、金融システム安定化対策の迅速かつ的確な執行に努めます。十年度予算においては、社会保障、環境、科学技術、情報通信など、国民生活の安定と経済構造改革に資する予算を確保するとともに、公共投資を重点化、効率化し、過去最大の五千七百五億円、一・三%の一般歳出の減額と一兆千五百億円の公債減額を行っております。また、国鉄長期債務の処理、国有林野事業の債務の処理を含めた抜本的改革の実現を図ることとしております。景気回復を確実なものとするためにも、十年度予算の一日も早い成立にご協力をお願いいたします。
金融システムの信頼は、行政、金融機関、金融・資本市場の参加者が責任を全うすることによって得られます。行政の責任は、金融システム安定化対策を速やかに実施し、また、透明かつ公正な金融行政を遂行することであります。この重大な時期に、大蔵省職員、大蔵省出身の特殊法人役員が不祥事を起こし、金融行政のみならず、行政全体に対する信頼を著しく損ないました。事態を厳粛に受け止め、大蔵大臣の下、徹底した内部調査と関係者の厳正な処分を行い、綱紀を正し、不祥事を繰り返す土壌を根本から改めます。さらに、いわゆる公務員倫理法の制定を期します。金融行政に関しては、客観的かつ公正なルールに基づく透明な行政に転換するとともに、民間専門家の登用、外部監査の活用などにより、厳正で実効性のある金融検査を確立します。金融機関に対しては、経営の徹底した合理化を強く要請するとともに、国際的に通用する水準の経営情報の開示を求めてまいります。また、破綻した金融機関の経営者の責任が厳しく問われることは当然であります。
こうした取組を進めながら、働いて蓄えた資産を有利に運用することができ、また、事業のリスクに見合ったコストで必要な資金を調達することができる公正、かつ、効率的な金融システムを目指し、株式売買の委託手数料の完全自由化と証券デリバティブの全面解禁、公正な証券取引ルールの整備などを行います。金融システムの改革の進展に合わせ、金融関係税制については、十年度に有価証券取引税の税率の半減などを行うとともに、十一年末までに見直し、株式等譲渡益課税の適正化と併せて有価証券取引税を廃止することとしております。
次に、経済構造改革について申し上げます。私が目指す力強い日本経済は、透明性の高い市場における活発な競争を通じて人と技術が磨かれ、資金が循環し、これら三つが将来性のある分野に自ずと集まる経済、個人消費と民間投資が主役となって成長し、質の高い雇用の場を創り出す経済であります。これからの日本は、福祉、情報通信、環境などへのニーズがますます高まり、産業はこうした需要に応えていかなければなりません。また、企業活動の場としてのわが国の魅力を高めるために、物流・運輸や、電力・石油などのエネルギー、情報通信などの分野で、コストを含めたサービス水準が二〇〇一年までに国際的に遜色のないものとなるよう、徹底した規制の撤廃と緩和を行います。十年度税制改正においては、法人税及び法人事業税の基本税率などを引き下げ、新規産業の創出を促し、国際競争力を持つ企業が活動しやすい環境の整備に踏み出しました。法人課税の水準を国際水準に近づけていくことが重要であり、このような観点も踏まえ、法人事業税における外形標準課税の問題についても検討を進めます。
産業構造が変化し、終身雇用と年功序列を基礎とした雇用慣行が見直される中で、労働形態の多様化を進めることは、人々が生きがいを持って働くためにも、国全体の生産性を高めていくためにも重要な課題であり、転職をより容易にし、転職に伴う不利をなくすための制度改革、労働基準法の改正、能力開発のため主体的に努力する方々への支援、高齢者の雇用促進に力を入れます。また、企業倒産により生じる雇用問題には機動的に対策を講じます。技術の面では、産学官の連携による研究開発とその成果の活用、適切な知的財産権の保護により、新規事業の創出を図るとともに、わが国の競争力の源泉である物づくりを支える技術と技能、中小企業の人材の育成に努めます。
農林水産業と農山漁村の発展は、経済構造を改革する上でも、食料の安定供給、自然環境や国土の保全のためにも極めて重要であります。昨年取りまとめた「新たな米政策」を推進するとともに、新しい農政の基本法の制定に向けた検討を進めるなど、農政の抜本的改革に取り組んでまいります。
(自立した個人と社会の連帯)
冒頭申し上げましたように、ナイフを使用した殺傷事件、薬物の乱用、学校でのいじめ、性をめぐる問題など、子供たちが直面する問題は極めて深刻であり、現象面にのみ目を奪われることなく、根底にある問題を真剣に考えなければなりません。子供たちには、この世に生を受けて本当に良かったと思ってほしい、自らの目標に向かって邁進してほしい、成長してから社会が抱える問題に積極的にかかわってほしい、心からそう思います。家庭と学校がお互いの責任を強調しても問題を解決することはできません。子供たちがなぜこうした行動に走るのか、家庭、学校、地域さらにはマスメディアなどを含め、皆が手を携えて取り組むためにどうすれば良いのか、それぞれの経験、意見を持ち寄り、幅広い観点から議論し、今こそ大人の責任で対策を考え、実行しなければなりません。常識、知恵、知識を身につけるための教育が、いつの日からか、皆が同じように良い学校に入り、良い仕事に就くための手段になり、私たちは、いわゆる「良い子」の型に子供たちをはめようとする親と教師になっていないでしょうか。偏差値より個性を大切にする教育、心の教育、現場の自主性を尊重した学校づくり、中高一貫教育など選択肢のある学校制度、子供の悩みを受け止められる教師の養成など、教育改革を進める上でも、このような問題意識を十分反映させていかなければなりません。
六つの改革が前提とする個人は、自立した個人です。社会を明るくし、未来を切り拓く源は、そうした個人の夢と希望であり、それをかなえるために努力する姿は本当に素晴らしいものです。開催中の長野冬季オリンピックと引き続き行われるパラリンピック、そして六月のワールドカップサッカー大会における日本選手の活躍を心から期待いたします。そして、子供たちがこうした素晴らしい活躍に胸を躍らせ、それぞれの地域で、スポーツ、文化、ボランティアなど好きなことに打ち込み、個性と能力を伸ばしていく、そのような社会を作りたいと考えております。
個人の幸福と社会の活力を共にかなえるためには、個人が相互に支え合い、助け合う社会の連帯を大切にし、人権が守られ、差別のない公正な社会の実現に努力しなければなりません。なかでも、男は仕事、家事と育児は女性といった男女の固定的な役割意識を改め、女性と男性が共に参画し、喜びも責任も分かち合える社会を実現することは極めて重要であり、そのための基本となる法律案を来年の通常国会に提出いたします。労使の方々にも、働く女性が性により差別されることなく、その能力を十分に発揮することができるよう、ご理解とご協力を頂きたいと思います。
社会保障・福祉政策はこれまで大きな役割を果たし、わが国は、世界一の長寿国となりました。社会保障に係る負担の増大が見込まれる中で、国民皆年金・皆保険制度を守り、安心して給付を受けられる制度を維持していくためには、少子高齢化や経済成長率の低下という環境の変化などに対応し、改革を進めなければなりません。年金については、来年の財政再計算に向けて、世代間の公平、公私の年金の適切な組み合わせを考えながら、将来にわたって安定した制度づくりを行います。医療については、いつでも安心して医療を受けられるよう、医療費の適正化と負担の公平の観点から、薬価、診療報酬の見直しをはじめ、抜本的な改革を段階的に行います。こうした改革を進める上では、国民の皆様の声を政策の立案過程から十分に伺い、議論を尽くし、結論を出します。また、子育てや介護を担う方への支援を充実するとともに、介護保険制度の円滑な施行に向けて施設の整備、人材の確保に努めます。ハンディキャップを克服し、自立した生活を送ろうと努力する障害者の方々など、真に手を差し伸べるべき弱い立場にある方を支援することは当然であります。
(かけがえのない環境、国土と伝統・文化、暮らしの安全と安心)
かけがえのない環境、国土、伝統・文化を大切に守り、暮らしの安全と安心を確保することは、国の果たすべき責務であり、なかでも、地球環境を守り、子孫に引き継ぐことは、最も重い責任の一つです。昨年の十二月、世界は、地球温暖化の防止に向けて大きな合意をいたしました。その合意を実現するために、省エネルギー法の強化などによる省エネルギーの徹底、原子力、新エネルギーの開発・利用の促進、革新的な技術開発、途上国の支援などに取り組んでまいります。国民の皆様にもライフスタイルの見直しをはじめ、できる限りのご協力をお願いいたします。また、限られた資源を有効に活用し、廃棄物を減量するため、家電製品などの再商品化に関する法整備をはじめ、廃棄物処理対策とリサイクルを一層強力に推進いたします。さらに、ダイオキシン類の排出抑制、いわゆる環境ホルモンの問題への対応、新型インフルエンザなどの感染症対策など、人の健康と自然環境を脅かす新たな問題や、科学技術の進歩に伴う生命倫理の問題に精力的に取り組みます。
二十一世紀は、時間や距離の制約なく、誰もが大量の情報をやり取りすることができる高度情報通信社会であり、その到来に向けた戦略的な対応が必要です。政府としては、電子商取引の本格的な普及、西暦二〇〇〇年問題、いわゆるハイテク犯罪など、情報化を巡る諸問題に適切に対応するとともに、ネットワーク・インフラの整備、教育、医療など公共分野の情報化、利用者本位の行政の情報化を推進いたします。
これからの国土政策の基本は、多軸型の国土構造を形成していくことであり、新しい全国総合開発計画を策定し、首都機能移転問題への取組も含め、実施してまいります。併せて、ゆとりある国土空間と恵まれた自然環境を生かした北海道の総合開発計画を推進します。社会資本整備については、国が関与する事業を重点化、効率化するとともに、民間の参加を期待することができる分野に、新たな手法を導入してまいります。土地税制の見直し、不動産の証券化、大都市における容積率の見直しなどにより、民間部門の建替えや再開発、そして不良債権の処理、経済の活性化にも資する土地の有効利用を促進し、職と住の両面における都市の利便性、快適性を高めます。中心市街地の活性化対策、大型店と地域社会が共に栄えるために実効性のある政策を行い、地域コミュニティの発展を支援します。さらに、国民共通の拠り所、豊かな心を育む源である伝統・文化、芸術・工芸を大切に守り、育ててまいります。
危機管理、災害対策に関しては、在ペルー日本国大使公邸占拠事件、ナホトカ号重油流出事故などの教訓を踏まえ、初動体制の整備、内閣の体制の強化などを行い、万全を期します。阪神・淡路大震災の被災地の復興にも最大限の努力を続けます。また、市民生活を脅かす銃器犯罪や薬物の乱用、組織犯罪、さらには公正な金融・経済秩序の信頼を損なう行為に厳正に対処するとともに、暴力団やいわゆる総会屋などの反社会的勢力を根絶するよう断固として対応します。また、発生件数が五年連続して増加している交通事故の防止対策を推進します。
(外交)
次に、外交であります。まず、焦眉の急となっているイラクの大量破壊兵器の廃棄をめぐる問題に関しては、関連する国連安保理決議に基づき、国連特別委員会の査察が即時、無条件に実施されることが必要であります。外交努力を続けながら、米国をはじめ関係国と協調して対処する方針であります。
アジア太平洋地域の平和と安定は、わが国外交の最大の課題でありますが、昨年夏以来のアジア各国の通貨・金融市場の混乱は、この地域の経済に深刻な影響を及ぼしているだけでなく、世界経済に不安定感を与えております。アジア各国が潜在的な力を発揮し、再び力強い経済成長を続けるためには、透明な市場原理に基づいて自ら富を産み出すことのできる、裾野の広い経済を目指した経済・産業構造改革を進めることが重要であり、IMFを中心とする国際的な枠組みを基本として、関係国、関係国際機関と連携しながら対応してまいります。
アジア太平洋地域の平和と安定のためには、日本、米国、中国、ロシアの四か国が、信頼と協調に基づく関係を構築していくことが重要であります。そのような中で、私がまずもって重視するのは、ロシアとの関係の抜本的改善であります。四月にはエリツィン大統領の訪日が予定されています。大統領との間に生まれた信頼関係を一層強固なものとし、橋本・エリツィン・プランを含め、昨年十一月のクラスノヤルスク首脳会談の成果を着実に具体化しながら、二〇〇〇年までに、東京宣言に基づいて平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するよう最大限努力いたします。また、日中平和友好条約締結二十周年を迎え、江沢民国家主席の来日が予定されている中国との間では、様々なレベルにおいて対話を深め、日中友好関係をさらに発展させるとともに、中国と国際社会との一層の協調を促してまいります。
韓国との間では、漁業協定締結交渉など懸案を抱えておりますが、より広い視点から金大中次期大統領との信頼関係を確立し、様々な分野での交流・協力を進めてまいります。北朝鮮に関しては、朝鮮半島の平和と安定に向け、韓国などと緊密に連携しながら、拉致疑惑や日本人配偶者の故郷訪問、国交正常化交渉の再開、KEDOの問題などに真剣に取り組みます。
アジア太平洋地域の平和と安定のためにも、「ユーラシア外交」を進めていくためにも、基軸となるのは日米関係であり、安全保障、政治、経済にわたる幅広い関係をさらに発展させてまいります。特に、日米安保体制の信頼性の向上は、わが国の安全にとって不可欠であるとともに、アジア太平洋地域全体の平和と安定につながるものであり、新たな「日米防衛協力のための指針」の実効性を確保するための作業を着実に進めてまいります。
アジア太平洋地域における米軍のプレゼンスが、地域の平和と安定に不可欠である状況の下で、沖縄の方々が長年背負って来られた負担に思いをいたし、沖縄が抱える問題の解決に全力を傾けたい、なかでも普天間飛行場は市街地にあり、この危険な状況を放ってはおけない、だからこそ私は、SACO最終報告を取りまとめ、普天間飛行場の返還を可能にする最良の選択肢として代替ヘリポートの建設を提案いたしました。今でもそのような私の思いは同じです。米軍の施設・区域の整理・統合・縮小に引き続き全力を挙げ、代替ヘリポート建設に地元のご理解とご協力を頂けるよう粘り強く取り組みます。北部地域を含めた沖縄の振興にも最大限努力する決意であり、特別自由貿易地域制度の創設などを内容とする法案の成立を期します。
わが国の防衛については、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないとの基本理念に従い、文民統制を確保し、非核三原則を守るとともに、防衛大綱及び昨年末に見直した中期防衛力整備計画に基づき、節度ある防衛力の整備に努めます。また、ASEAN地域フォーラムなどの安全保障対話や防衛交流などにより、周辺諸国との信頼の醸成に努力してまいります。
また、人口が増大する中で、食料、エネルギー、環境などの問題を克服し、持続可能な開発を実現していくことは極めて重要であります。わが国としては、これらの課題に積極的に取り組むとともに、途上国の自助努力を支援するため、貧困対策と社会開発、環境保全、人づくりなどを重点として、質の高い援助を効果的に実施してまいります。地域紛争、軍縮・不拡散、難民、テロなどの問題についても、国連平和維持活動への参加などにより積極的な役割を果たすとともに、わが国の安保理常任理事国入りの問題を含め、この分野において大きな役割を果たす国連が、全体として均衡のとれた形で改革されるよう努力いたします。
(行政改革)
行政改革の目的は、国の権限と仕事を減量し、簡素で効率的な行政、機動的で効果的な政策遂行を実現すること、国民の皆様から信頼される開かれた行政を実現することであります。これは同時に、住民に身近な行政をできる限り身近な地方公共団体が担えるようにすることであります。
地方分権に関しては、今国会中に政府の推進計画を作成し、確実に実施するとともに、市町村への更なる権限などの委譲、市町村の自主的な合併の積極的な支援、国と地方の役割分担に応じた地方税財源の充実確保、地方の課税自主権の拡大を図ります。地方公共団体に対しては、徹底した行財政改革に取り組むよう強く求めてまいります。また、新たな規制緩和推進三か年計画を作成し、一層の規制の撤廃と緩和を進めます。これらの取組により、国の権限と仕事を絞り込み、二〇〇一年一月には、一府十二省庁体制への移行を開始することを目指し、内閣機能の強化と中央省庁改革のための基本法案の成立を期します。新体制に移行する過程においては、現業の改革、独立行政法人制度の導入、郵便貯金などの預託の廃止を含めた財政投融資制度の抜本的な改革などにより、公務員の定員を含め、行政を大幅にスリム化するとともに、公務員制度のあり方を検討し、必要な改革を行います。
今国会に提出する情報公開法案は、主権者である国民の皆様に、政策を評価、吟味し、ご意見を頂き、政治と行政への関心を高めていただくために極めて重要であり、法案の早期成立をお願いいたします。また、開かれた行政への取組として、動力炉・核燃料開発事業団の改革を行います。
最後に、行政改革によって不透明な規制を廃し、社会が事後監視・救済型へと転換していく中で、国家の基礎を支える司法の機能が充実することは欠くことのできない課題であり、内閣としても、積極的に協力してまいります。
(むすび)
以上、私の所信を申し上げてまいりました。
本年は、バブル崩壊後の最終局面を乗り越え、改革に向けて力強い歩みを進める年、即ち「明日への自信を持つ年」であります。私は、この国と国民の力を信じます。私たちは、敗戦後の廃虚から立ち上がり、石油危機、円高などの国際情勢の激変や公害問題など、その時々の困難を乗り越えて来ました。その熱意と知恵と努力があれば、解決できない問題はありません。
わが国の将来像、進むべき方向を示し、それを実現するために政策を実行するのは政治の使命であります。政治が国民の信頼を回復し、国民の期待に応えていくために、与党三党は、政治腐敗の防止のための方策、議員の兼職禁止に係る行為規範の見直しなど、政治倫理などに関する協議を精力的に進めており、その結論に従い、清潔で活力ある政治の実現を図ります。私自身、政策を真剣に議論する政治を率先し、与党三党の協力関係を基本として、政策によっては各党、各会派のご協力を頂き、国民の皆様のために全力を尽くします。
ご臨席の各党・各会派の議員各位、国民の皆様のご支援とご協力を心からお願い申し上げます。 
記者会見 / 平成10年6月10日
● 昨日、総理が火だるまになってでもやり抜くと決意された行革関連の基本法案が成立いたしました。そのことで、今後のことに絞ってお伺いしたいんですけれども、これから先、新しい業務の振り分けとか、官僚の一致した抵抗みたいなことが予想されますけれども、どういうふうな形で最後の到達点まで、ベースキャンプからその一つ上までやっていかれるおつもりなのか。また、第三者機関という形でチェック機関をつくられる予定ですけれども、その辺はどういうふうにお考えですか。
まさにベースキャンプと言われたのは非常に正しい表現で、基本法そのものは方向性も決めているし、ある程度の具体的な中身にも入っている、実はまさに基本法であって、これから各省の設置法をつくる。それから、独立行政法人に向けて一定のルールをつくる通則法のような法律、そしてそれをもう一方で進めている地方分権推進計画や規制緩和推進3箇年計画と整合させながら進めるというのは大変な難作業です。
そして、同時に今、単純に足し算すると、例えば局の数は128ある訳だけれども、これを90近くまで減らしたい。1,300ぐらいある課の数を900ぐらいまで減らしたい。それは当然ながら分権が進み、規制緩和が進み、それだけ中央省庁の業務が減らなければそれ自体が大変な抵抗ですよね。
それだけに、本部長内閣総理大臣、本部員全閣僚、そして事務局をきちんとつくって、その事務局長には、これは法律そのものを書いてもらったり、重複したり、あるいは欠落したりすることがないように、きちんとした整合性のある法律づくりをしてもらうんですから、これはやはり行政のベテランを据えなければならない。
しかし、同時に事務局の次長、あるいは参事官といった幹部の中には、是非これは民間にお願いをして民間のいい方を迎えたい。スタート時にどんなに少なくとも2けた、次長級、参事官級の中に配置していただく、その幹部の人間を含めていただきたいなと、いろいろなところにお願いを掛けている最中です。
それともう一つ大事なのは、官房副長官にどんな役割を持っていただくか。これは今まで余り皆さんは議論をされないんだけれども、事務の副長官だけではなく政務の副長官にも、これは政治という立場から当然ながら助言もしてほしいし、補佐もしてほしい。だから、事務の副長官は実質的に事務局の上に立って本部長補佐といった形でその全体陣を統括してほしい。そういう意味では、官房副長官に果たしていただく役割というのは大変大事になります。それは事務としての整合性を持つ上でも、その事務の中に政治という目でチェック機能を働かせるという、これは非常に大きな役割を演じていただかなければなりません。
それともう一つ、いわゆる第三者機関と言われる、これは高いレベルで意見をいただき、場合によっては忠告もいただき、同時に事務局の作業というものが基本法の精神に則って忠実に行われているかどうかチェックしていただきながら、もしこの方向がずれた場合にはその方向を是正するように私に対しての助言もいただく。
この第三者機関と言われるものは決定的に重い訳ですね。そして、私はそれは顧問会議という位置づけにしたいと思っていますけれども、これはもし組織図を書くとすれば本部長に直結した形、そして責任はもちろん、本部をつくるその本部長、本部員、すなわち内閣が責任は全部負うんだけれども、そこに過ちをおかさないためのいわゆる第三者機関というものは、私は顧問会議という位置づけで仕事をしていただきたいと思っています。そして、そこには学問の世界からも、言論の世界からも、経済の世界からも、労働の世界からも、いろいろな分野のことを思っていただけるような人材を得たい。今、一生懸命お願いをして協力を求めているさなかです。
● 総理、先ほどの衆参の本会議で国会の延会も決まりましたことですし、来週国会が終了ということになりますといよいよ参院選ということになる訳ですが、自民党の獲得議席目標数ということになりますと、総理はこれまでにも公認候補全員の勝利を目指すということはおっしゃっておられる訳なんですが、党内にも幾つかいろいろな声がございますけれども、今、勝敗ラインということでおっしゃっていただけると幾つぐらいに・・・。
これは、闘いをする、これから始めるんです。どう聞かれても、それは私は同じ答えしか出来ませんし、また当然だと思うんです。それは党として、みんなその地域あるいはその比例代表、非常に立派な方だ、是非その方を応援していただきたいと言って訴える訳です。当然ながら全員の当選を期して、これは私は党は一丸になって闘っていく、これ以外にないと思いますし、それを目指して今みんなが努力している訳ですね。
だから、私たちは公認し、推薦する以上、その方はそれぞれ国民の信託にこたえ、そして付託を受け、国政の中で活躍していただける。そして、参議院議員としてその責任を全うするにふさわしい方を選ぶつもりなんですから、それは全員の必勝を期する。それ以外の答えは返りません。
● 選挙が終わりましたら参議院の役員人事があると思うんです。それと、参議院選挙で引退される閣僚の方もいらっしゃると思うんですけれども、そうするとその時点に合わせて人心一新といいますか、内閣改造とか人事ということはされるということでしょうか。
これは無理だな。だって、選挙はまだ始まってもいない。そして、今まさにあなたから聞かれたように、会期延長を今日国会で決めていただいたばかり。そして、我々としてはまず何と言っても国民生活のために今の景気を上昇に向かわせるためにも補正予算を一刻も早く成立をさせていただきたい。特別減税もお届けしたいし、それぞれの施策を実行に移したい。だから今、補正予算を本当に一日も早く通していただき、それを実行に移したいし、そして国政選挙である参議院選の前に、その意味でも安心感を持っていただいた上で国民の審判を参議院において受ける。まさにそういうスケジュールになる訳です。そして、補正予算審議をこれから控えている。
● そうすると、やはり人事は9月の・・・。
今、考えているゆとりがない。また、考えるべきでもない時期だと思いますよ。
● 社さが離脱して今、政権が我が国は自民党単独ということになった訳なんですけれども、いわゆる選挙を前にしてこういう形になって、それで真意を問う訳ですけれども、選挙後の政権の形としては自民党の中ではパーシャル連合、部分連合と言われる方もいるし、どういう形が望ましいというふうに総理はお考えでしょうか。
今、政党対政党として参議院選を闘おうとしている。そして、その国民の判断をお示しいただいた上で考えることじゃないのかな。だから、逆に言えば今、我々がしようとしている、そして参議院選、自由民主党は自由民主党としての主張を持って国民の審判を受ける訳ですね。そして、自由民主党に対して、各政党に対して、これはそれぞれ選挙区選挙においては人を選んでいただくというか、顔を見て選んでいただく。比例はまさに比例代表という党のお示しをする、それぞれの分野の優れた専門家に対し、どこまでの信任を与えていただけるかということだけれども、いずれにしても政党として党の考え方を皆さんに申し上げて判断していただく訳ですから、それを事前に、こうなったらあの人とか、ちょっとそれはおかしいと思うんだよ。
● 3年前にも総理に同じようなことを聞いて、同じような答えが返ってきたなと思いましたけれども。
今、私も思い出したところです。
● でも、やはり選挙民としては今後の自民党総裁としてどういうふうな政権、単独なんでしょうけれども、部分的に取れたとした場合、どういう形が望ましいと考えられているのかということはお示しになられたら・・・。
それは、政党としての考え方をお示しして、その考え方で国民の審判を受ける訳ですから、その政党そのものの政策に対して国民がどうお考えになるかですよ。それはちょっと脱線すると、私はむしろ特定の姿を描いて行動する、それは選挙としてはむしろうまく出来るのかな。
● 今日、野党の党首会談があって不信任決議案が明日か何かに提出されると思うんですけれども、その中でやはり野党は、現在の不況の原因について橋本政権の打つ手が遅れていたということを第一に挙げてくるかと思われますけれども、その辺を含めて前にも何回もあれしていますけれども、現在の景気の現状についての総理としての責任の問題と、それをどう解決して臨んでいくのかというところはどうでしょうか。
今、日本の景気の足を引っ張っている一番大きなものが不良債権の処理の遅れということは皆さん言われますね。そして、今まで金融機関がやってこられたことは、処理は進めているけれども、同時に帳面も片方にその不良債権そのものは残して、それに見合う引当てを積み上げていく。だから、不良債権そのものは帳面にいつまでも残り続けている。それでは市場が信任しないということが明らかになりましたね。
そして、いろいろな御批判はあるのかもしれないが、国際的にも通用する基準ということで、例えば金融の皆さんに対して3月期決算をSEC基準で、今までのルールよりはるかに厳しいものにした。そうすると、言われていたよりも、今までよりも4割方不良債権と分類されるものが増えてきた。これからこれをバランスシートから消さなければならないという作業をしなきゃならない訳ですが、それは実はバブルの時代、そしてバブルの崩壊の時代、その後の時代で積み重なってきたものです。ですから、これは責任あるなしという議論をされれば全然、私がないなんて言うつもりはない。それは少なくとも消費税を昨年引き上げたとき、我々が予測したよりも引上げ前の駆込み需要が多かったし、そしてその後における反動減も大きかった。
ただ、7月から9月にその消費は回復に向かっていた訳ですね。事実プラスに転じていた。これは事実問題として、これをどう皆さんが評価してくださるかは別だけれども、事実問題として申し上げておかなければならない。
その上で、今年に入ってからもさまざまな数字が非常に厳しい数字になってきた、その原因というものが、昨年の秋以降に発生した金融機関の大型の倒産だとか、あるいはアジアの金融情勢の激変だとか、いろいろなものが重なってきて、そしてこれは責任があるないという話ではなく、現実の問題として私は今の雇用の状況は非常に心配です。
そして、殊にその中身を見るときに、一方では高齢の方々の失業率が増えている。そして、求人数との間に非常に大きな格差がある。しばらく前までは若い方たちのところは、自分の好きなところに入れるかどうかは別として職を求める方よりも求人の方が多かったとか、そこでも厳しい数字が出てきている。そして、新しく仕事を始める方の数が倒産を下回ってしまって戻ってこない。
そうすると、この新しい仕事をどうやって立ち上げてもらうか。そのために、これはよくベンチャー企業という言葉が使われるけれども、その新しい企業を立ち上げるためにどういう手伝いをするか。これは税制もあればいろいろな工夫をしていく訳で、そういうものは実は補正予算の中にも、あるいは本年度の税制改正の中でも全部進めてきている。そして、その効果を少しでも早く現実のものにするためにも補正予算の信任を急いでいただきたい。これは政府の率直な気持ちです。
その上で、不信任案というのは余り気持ちのいいものではない、楽しいものでは決してないけれども、提出をされれば自由民主党はこれをきちんと否決していただけると私は思っています。
● 不景気の問題の基本というふうに認識されていらっしゃる不良債権処理のことですけれども、これは自民党の幹部などは2年ぐらいできっちりと片付けていきたいということをこのごろはっきりおっしゃるようになっているんですけれども、そういうことですとやはり更に問題解決のために税金を投入するということも選択肢であるというふうにお考えになっていらっしゃいますか。
どうしてそういうふうにいっちゃうの。むしろバランスシートからどうやって不良債権を処理するか。一つは売り払うか。その場合にはそれを担保付き債券、いわゆる証券化にしてそういうものが売れる市場をつくらなければなりませんね。そういう仕事はもちろんあるんですよ。
だけど、何でそれがいきなり税金の投入になっちゃうの。あるいは入り組んだ土地に関する、不良債権の大半は土地ですから、その債権債務を処理してもらう。司法の世界だけではなかなかそれが進まない。ですから、そういうものが司法権に抵触しない範囲で整理をつけてもらえるような仕組みをつくらなければならない。そういう準備をすることが大事なので、その上でその担保付き証券としてこれが流通出来る市場をつくる。これはその性格から見て、ある程度ハイリスクハイリターンの商品になっていくでしょうけれども、そういうものが流通する仕組みそのものが今ないんだから、何で途中が全部なくなっちゃって公的資金という話になっちゃうんですか。
国が地上げ屋さんをする訳じゃないんだから、我々はあくまでも持っている金融機関の体質を強める。その協力は一生懸命にしますが、それを実施するのは民間なんですよ。そして、いつまでも自分のところでその不良債権を抱え込んで一方で積立てを積んでいくだけだったら、それこそ貸し渋りどころじゃない、融資に回すお金はなくなっちゃいますよ。だからこそその不良債権が、例えば担保付き証券のような形で処理され、当然ながらそれを市場として受け入れるものもつくらなければならない。
そういう話であるはずなのが、何でいきなり公的資金になっちゃうんですか。
● 総理、1問だけ外国の問題を聞いていいですか。インド、パキスタンの核実験の問題なんですが、12日にたしかG8の外相会議ですが、ここへ日本として核不拡散ないしは核軍縮というのはどういう形のものが出てくるのを期待しておられるかが一点と、もう一点、総理は国会でもおっしゃいました国際フォーラムというか緊急対策ですね。その部分で具体的に日時なり、内容なり、場所なりというようなものを考え・・・。
これは申し訳ないけれども、そのG8に小渕外務大臣に行っていただいて、そこで小渕外務大臣として出される話なので、それを事前に申し上げるというのは勘弁してください。
その上で、我々にとって本当にインドの核実験というものは寝耳に水で、非常にショックを受けたし、日本として日本の出来る最大限の強い意思表示をしたのと同時に、パキスタンに対しては呼応して自分のところも同じ核というものに頼った対応をするのではなくて自制してもらいたいということで説得を一生懸命に試みた。結果的にはなかなかうまくこれがいかなかったし、現地の状況というのも、例えばパキスタンの久保田大使が帰ってこられて、伺ってみると非常に深刻ですそれは。
それだけに今度のG8の外相会議、小渕さんもいろいろな考え方でこれに臨もうとしておられるんですけれども、私はこの問題がそう簡単に解決するとは思っていません。それは、核の不拡散という問題とは別に、インド、パキスタン両国の間に独立以来深い溝の空いている原因というのは現実に存在しているからです。
それはまさにカシミールの問題、そして非常にまどろっこしい手法のようだけれども、このインド、パキスタン両国の関係というものはカシミールの問題がほぐれなければ、これはいつまでたっても実は解決しないんですね。
だからこそ、実は日本は非常任理事国としての立場で安保理でこの問題を取り上げるように一生懸命に実は働き掛けをしていて、パキスタンの首相にも、そういう話をなかなか皆なうんと言わないんだけれども今、日本はそういう努力をしているんだという話も伝えて説得を試みた訳ですが、うまくいかなかった。
しかし、この問題を放っておいたのでは、実はいつまでたってもインド、パキスタンと限定した話では解決がつきません。だから、迂遠なようだけれども、この両国の根深い対立を解きほぐすための国際的な努力というものを我々は今までも払ってきたつもりだけれども、一層これは広げていかなければならない。
もう一つあるのは、これ以上の拡散を防止することと、実験を止めるということです。だから、この二つのテーマがあることをまず考えていただきたい。
そして、その意味ではまさにNPT、CTBTというものが一層大事になってきます。このNPT体制というもの、そしてCTBTというもの、圧倒的多くの国々がこれに対して既に加盟をし、あるいは批准をしている訳です。国際社会の大勢はそういう方向に向かっている。
そして、これは皆さんの報道に出ていたかどうか、ちょっと私も今、記憶がないんだけれども、そういう意味では例えばカットオフ条約の専門家会合を日本はこの間ジュネーブて主催したばかりだけれども、そうした一つ一つの努力を愚直に積み重ねていく以外に、我々はその答えをつくり上げることは出来ないと思っているんです。 
第142回国会終了後・記者会見 / 平成10年6月18日
第142回国会が本日閉会をしましたが、この国会を振り返りながら今後の課題について冒頭お話をさせていただきます。
まず衆参両院におかれ、政府が提出した平成9年度補正予算、平成10年度予算、また、補正予算、並びに多くの法律案、条約について大変精力的に御審議をいただきました。
この結果、暫定予算まで含めますと4本の予算、これをすべて成立をさせていただいたほか、97本の法律が成立、18本の条約が承認をされました。この場を借りて、衆参両院を始め関係者の皆さんに厚くお礼を申し上げたいと思います。
他方、情報公開法案、ガイドライン関連法案、旧国鉄債務処理関連法案など、重要な法律案でありながら、今国会成立しなかった法律案については、今後出来るだけ早い機会での成立を改めてお願いを申し上げたいと思います。
また、議員立法として提出をしていただいた政治改革関連法案、あるいは国家公務員倫理法案などの早期成立も併せて期待をしております。
今国会で成立したそれぞれの予算は、いずれも日本経済のためにどうしても必要な内容を盛り込んだもの、とりわけ昨日成立をした平成10年度補正予算、7兆7,000億円に上る社会資本の整備と特別減税などが盛り込まれておりまして、当面必要な内需の拡大に向けて強力な措置を講じていく内容となっています。
また、国民の皆さんにとって身近で不安を持っておられるダイオキシン、環境ホルモン対策、あるいは少子高齢化の進展に対応するための福祉・医療・教育、更には情報通信、科学技術への投資など、現在、そして将来の世代にとって本当に必要な分野に事業費を思い切って重点配分をしたのも大きな特徴です。
現在、我が国は言わば自信喪失が行き過ぎている。過剰な自信喪失とも言うべき状態にありまして、円相場の下落や株価の低迷、失業率の上昇など大変厳しい状況に直面しております。
しかしながら、世界でもトップレベルにある高い教育水準、非常に高い勤労モラル、卓越した技術開発力、豊富な資金など、我が国には何物にもかえ難い強味があるということも事実で、本予算と補正予算を早急かつ着実に執行していくことによって、後ほど申し上げます不良債権の処理策の実施などと相まって、我が国はその潜在的な強味を発揮し、個人と企業が主役となる力強い経済成長を取り戻すことが出来ると考えております。
昨年の秋以来のアジアの金融経済危機や大型金融機関の破綻など、内外の急激な経済情勢の変化に応じて、この国のために何が必要かを考え抜き、強い日本経済、強いアジア経済のために断固たる措置を取ることとしました。
深刻な我が国の経済を立て直し、再び活性化するために、不良債権問題の解決による金融システム安定、内需主導の経済成長の実現、市場の開放と規制緩和に最大限の努力を払っていく考えであり、こうしたことを踏まえて昨日クリントン大統領と電話で会談をいたしましたが、強い円と市場の安定のために協調出来ることは喜ばしいと合意を得たところであります。
今後とも注意深く足元の経済を見据えながら、力強い日本経済のために万全を期してまいります。
昨年のちょうどこの場において、私は通常国会6つの改革の出発点となる国会であった、そのように申し上げました。同じ言い方を使わせていただくなら、今国会がそれぞれの改革について、その歯車が着実に回転した国会でありました。
例えば行政改革については、中央省庁等改革基本法の成立、大変大きな進展がありました。これにより新たな省庁の基本的な枠組みが整理をされる訳ですが、今後は2001年1月の新体制への移行を目指して、23日に設立いたします中央省庁等改革推進本部を中心として、官から民へ、中央から地方へと行政改革の理念の実現と併せてスリム化された新たな省庁体制の具体化を進めていきます。
その際既に発表しております規制緩和推進3か年計画、あるいは既につくり上げている地方分権推進計画に加えて、今後地方分権推進委員会から出てくる御意見等も踏まえてこれを進めることは当然です。
その際には、私自身強いリーダーシップを取るとともに、私に直結する第三者機関としての顧問会議を十二分に活用して、官僚主導との批判を招かないように、その検討を進めていこうと考えています。
財政構造改革につきましては、たびたび申し上げておりますように、将来世代のことを考えるとか、その必要性はいささかも変わるものではありません。財政再建をして、私たちの時代の負担を少しでも減らしてほしいという若い人たちの意見を私たちは忘れてはなりません。
その一方で当面する最大の課題である景気回復のために必要な措置を取り得るよう、今国会では財政構造改革法の骨格を維持しながら必要な改正を行いました。短期的な課題と中長期的な課題の両方に適切な処方箋を書くという大変難しい問題への答えとして、必ず国民の皆様の御理解をいただける判断であった、そう確信しております。
また、金融システムを取り巻く課題に対しまして、今国会の冒頭で法律、予算、両面にわたる金融システム安定化対策を整備すると同時に、利用しやすく信頼出来る市場、制度の整備を図るための金融システム改革法案が成立をいたしました。これらの措置により経済の動脈である金融システムの活力が取り戻され、我が国経済の回復に役立つものと考えております。
そのほか、いわゆる六大改革に関わるものとして、例えば経済構造改革に関しては、大店法の廃止とそれに伴う新たな法的枠組みの整備、省エネ法の改正、また新たな産業を興すためにも非常に大切な役割を果たす大学等技術移転促進法の制定など、さまざまな分野での進歩がありました。大きな進展です。
また、社会保障構造改革については、医療保険制度の見直しを盛り込んだ国民健康保険法などの改正、教育改革については、中高一貫教育の導入など、学校教育制度の多様化、弾力化を推進するための学校教育法の改正など、それぞれの改革にとって重要な法案が成立をしています。
こうした前進を踏まえて、これらも積極的に改革への取り組みを続けてまいりますが、是非国民の皆様の御理解と御協力をお願いをいたします。
今、申し上げましたように、私がお約束をした六大改革は一つずつ着実に進んでおります。国民の皆様にお約束をしたことを一つ一つ実行していくという私の政治姿勢、信条、必ずや国民の皆様の御理解をいただけると考えています。そこで今後の課題について幾つか申し上げたいと思います。
まず第一に、景気回復の大きな足かせとなっている金融機関の不良債権問題の解決に向けて根本的な対策を講じます。景気回復と不良債権処理は、言わば車の両輪です。先ほど申し上げましたように、景気回復に万全を期していきますが、同時に不良債権問題については、具体的に不動産を担保としている不良債権に関する債権債務関係を整理するための制度、体制づくり。担保不動産や不良債権の売却や証券化などを進めることによって、土地、債権の流動化を促して、不良債権を処理しやすい環境を整備します。
既に内閣を中心に具体的な検討に着手したところでありますが、党とも協力しつつ、この後行われる参議院選挙の期間中においても、議論を深めていき、その結果必要となる法整備については、次の国会にも所要の法案を提出したいと考えております。
もちろん、こうした施策とともに、金融機関の一層の情報開示を進めるなど、金融機関経営についてより一層の市場規律を徹底していくことが重要であり、また、その経営について厳しい責任を持っていただく必要があることは改めて申し上げるまでもありません。
また、税制の見直しについてもさらなる検討を深める必要があります。法人課税については、国・地方合わせた税率を3年以内の出来るだけ早い時期に、すなわち3年を待つことなく国際水準並みに引き下げて、また、所得課税については、公正で透明性の高い国民の意欲を引き出せる、働く方が額に汗した上で報われるような税制を構築する必要があり、これらの税制の抜本的な見直しに向けて本格的な議論を進めていきたいと思います。
当面する最大の課題である景気回復の足取りをしっかりしたものにするためにも、こうした施策の具体化を全力で進めていきます。
更に本日この場を借りて一つ問題提起をさせていただきたい。それは少子化の問題です。結婚や出産という個人的な事柄に政府が立ち入るべきではないというのは、改めて申し上げるまでもありませんけれども、同時に我が国が直面する世界でいまだかつて経験したことのない、類を見ない急激な少子化というものが続けば、我が国の人口構成は大きく変化し、将来の社会経済に深刻な影響を与えるというのも事実です。
私が六つの改革を提案いたしましたのも、高齢化に加えて、この少子化という現実にどう対応するか。そんな問題意識からでありました。
こうした状況を考えるときに、出産、子育ての妨げとなっているさまざまな社会的、経済的な要因を取り除いていく。老いも若きも女性も男性も、お互いが喜びあえるような家庭、地域社会、そして職場をつくっていくことが今の日本にとって非常に大切な課題ではないかと思います。
この点については、今後皆様の中で本当に活発な議論をしていただきたい。政府としても、今申し上げたような問題意識を持って具体的に何が出来るのか。どこまでしていいのか。そして、何をなすべきなのか、真剣に考えていきたいと思います。
国際社会に目を転じますと、先月インドが、そしてパキスタンが相次いで核実験を実施しました。核兵器のない世界を目指す国際社会の努力に逆行するものであり、誠に残念です。我が国としては、インド、パキスタン両国に対して経済協力面を中心とする厳しい措置を課すとともに、バーミンガムサミット、国連の安保理やG8の外相会合などの場において、この問題に関する議論のイニシアチブを取ってきました。
加えて先日、核軍縮不拡散に関する緊急行動会議の発足を明らかにいたしました。今後1年のうちに我が国で数回会議を開催し、不拡散体制の堅持・強化及び核軍縮の促進、更には核廃絶に向けた取り組みについて、世界に向けた提言を行いたい。そのためにもここからのよい提言を得たいと考えております。
これらも核軍縮、核廃絶に向けて一層の努力を積み重ねていきたい。それが唯一の被爆国である我が国に課せられた使命であるとの思いを改めて痛感しています。
7月にはクリントン大統領、シラク大統領からお招きをいただき、日米、日仏2つの首脳会談がございますし、秋にはロシア訪問が予定されております。江沢民国家首席、金大中大統領の訪日の予定もございます。
こうした会談において今までに培ってきた各国首脳との信頼関係を基本に、我が国の立場を明確に申し上げ、ともになすべきことはなしながら、21世紀に向けた世界の平和と繁栄の構築のために全力を尽くしたいと考えております。
通常国会を終えて私から所感と、そして今後の政策として考えていることの一部を申し上げましたが、今の時点で明確な施策の姿が見えているものばかりではありませんけれども、今申し上げたようなさまざまな問題点について、常に問題意識を持って、国民の英知を結集し、今後とも精力的に取り組みます。国民の皆様が持っておられる不安を一つ一つ取り除いていきます。
来るべき参議院選挙では、国民の皆様の審判を仰ぐことになります。私も日本各地を遊説し、その場所、その場所で皆様に私の信念や考え方をお話させていただきますが、どうか耳を傾けていただきたい。その上で長いこの国の将来を見据えて、今、何をなすべきかという皆様の御意見を是非聞かせていただきたい。
皆様にお目に掛かることを心から楽しみにしています。今国会中、会期の間じゅう、各党、各会派の議員の各位、また、多くの国民の皆様からいただきました御理解や御協力に重ねてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
【質疑応答】
● 昨日のクリントン大統領との電話会談の結果、円安是正のための協調介入が実施されましたが、これはやはり一時的なものであって、日本の構造改革がやはり急務になっていると思います。特に、総理の冒頭発言でもありましたけれども、不良債権の問題が大きな課題だと思います。自民党では、30兆円の公的資金枠に積み増す形で財投資金を整理回収銀行に投入する案なども出ているかと思います。さらなる公的資金の投入について総理はどのようにお考えなのか、不良債権問題処理の具体的道筋をもう少し詳しく述べていただきたいと思います。
今、申し上げたように、日本の経済、私どもは本当にこの深刻な状況から脱して、再び活性化をするために、不良債権問題の解決によって金融システムを安定させ、内需主導の経済の成長を実現すること、市場開放、規制緩和のために最大限の努力を払っていきたいと考えていますが、まさにそうした思いを込めて、昨日クリントン大統領との電話会談をしました。
そして、強い円と市場の安定のために協調出来ることは喜ばしい、そんな合意を得た訳です。その中で、やはり金融というのが、何といっても国民の皆様の資産運用の場でもありますし、同時に経済活動に必要な資金を供給するという重要な役割を担っている訳ですから、その本来の機能が発揮されるように、預金者保護とシステムの安定性を確保する。
そして、その中で金融機関の不良債権問題を早く解決をしなければならない、こうした認識の下で、政府として金融機関経営に対する市場規律を徹底することによって、不良債権処理の早期打開、そんな考え方を持ってきました。
具体的には、今年度4月から導入した早期是正措置で、金融機関の資産内容、各金融機関による自己査定や公認会計士の監査、銀行検査によるチェックを行うことで、不良債権の処理を徹底させていく。同時に、いっそうのディスクロージャーを進めてもらうことによって、不良債権を帳簿の上から、バランスシートから本当に消してもらわなければなりません。
ちょうど、本年の3月からアメリカのSECの基準、従来の日本より厳しい基準ですけれども、このシステムで金融機関の決算を始めた。そして、今までのルールだと、去年の秋、16兆円規模だった不良債権が14兆円ぐらいに減っていいはずだった訳です。そして、それは事実減っていた。しかし、新しいSECの基準で計算してみると、不良債権は21兆円に増えていた。これは主要19行だけのことですから、情報開示が必要なこと、同時に、そのバランスシートから落とすということがいかに大事か、お分かりがいただけると思うんです。
ですから、政府としては、不動産担保付きの融資をめぐる権利関係を整理するための仕組み、あるいは不動産担保付きの債権の証券化など、これはさきの総合経済対策で盛り込んだ施策ですが、これの具体化を図るとともに、更に金融システム再生のための実効のある施策に取り組むために、新たに設置された政府与党金融再生トータルプラン推進協議会で検討を始めた。ちょうど、先月5月28日、8項目の中間取りまとめをしました。今月23日にもこの会議は開いてなお努力を進めていきます。
土地の関係では、例えば、住都公団による土地の有効利用の推進のように、補正予算の成立で法律を必要とせずに実行に移れるものがあります。また、権利関係の調整のための委員会のように、現在、法律案の準備に掛かっているものもあります。更に、さまざまな構想も出てきている訳ですが、これはこれから検討していくことになる。
あなたの御質問で、最初から公的資金という形で話が出てきたんですけれども、ちょっとその話の順番は違いはしないか、むしろ、今申し上げたようなことをきちんと手順を踏み、法律を必要としないものは今の住都公団の例のように、すぐにでも始めていきますし、法律を必要とする制度、これはこの選挙の期間中といえども、政府の作業は進めていきますし、党も努力をしてくださると言っていますから、出来るだけ早い国会に、こうした法律案を御審議をいただけるように、私たちとしては全力を尽くし、可能なものから順次作業を進めていきたいと思っています。だから、始めに公的資金ありきというのはちょっとどうかな。
● それでは、税制改正についてお伺いします。冒頭の発言の中でも、法人税の引き下げの時期について、3年以内出来るだけ早くということをおっしゃっていましたが、これは2年以内というぐらいの気構えでいらっしゃるのか、また、所得税については、具体的にどういう方針で見直していくのか、課税最低限の引き下げなども含めて検討なさっていくのか、その辺をお伺いします。
これは今まで国会で申し上げてきた以上に申し上げる問題点はない訳ですけれども、皆さんの議論で、往々にして境目がよく分からないのは、国税だけを対象としておられるのか、地方税も含めておられるのか、言い換えれば、所得税だけですか、個人住民税も含んでいますかという、実は、法人税の場合でも地方税としての法人事業税があります。そして、それぞれ持っている問題点は違っています。
法人課税の方から先に申し上げるなら、平成10年度の改正で、法人税、あるいは法人事業税、両方とも基本税率を引き下げました。そして、今後3年のうちに出来るだけ早く、3年を待つのではない、国際水準並にしていきますということは既に明言しています。その上で、地方分権が進めば進むほど地方の財源というのは大事な問題になります。その法人事業税についても、いろいろな議論が既に出されています。こういうものをどうするか、これはやはり地方自治体の皆さんの意見も伺わなければなりません。
その所得課税についても実は同じ問題が一つあるということを付けた上で、例えば、税率構造についてもさまざまな議論があります。あるいは資産からの所得に対する課税の在り方、あるいは年金をめぐる税制、言い換えれば、どの方にどのぐらいの負担をお願いするかという問題。そして、これは問題点は既に私自身も提起をしましたが、聖域を設けることなく予断を持たない、幅広くきちんとした検討を行っていく、そうした中において、今も申し上げてきたように、国民が額に汗をして働かれ、そこから納めていただける税にする。税金を払うのに喜んでということはなかなかないかもしれないけれども、公正なものであり透明なものだと受け取っていただけるような税制にしていきたい、そういう方向の議論をお願いをしています。
問題点は今申し上げたような幾つかの問題があります。そして、国税だけではなく、これから先、分権が進めば進むほど地方財政というものも意識に入れて考えていただきたい。この点を付け加えて申し上げておきたい。
● 参議院選挙の話を少しお聞きしたいと思いますが、参議院選挙では景気対策というのはやはり争点の一つになると思うんですが、総理はこれまで政権の担当者としてこのような厳しい経済状況を招かれたという責任の声もあると思うんですけれども、こうした点について国民、有権者にどのように説明をされていくのか、それから、参議院選挙の結果として当然議席数が出てくる訳ですけれども、そうした有権者に訴えたことがどれぐらいの議席を取れば信任を得られたというふうに判断をされるのか、その議席数についても見解をお聞きしたいと思います。
ちょうど、2年前の衆議院選の際、私は地方分権とか規制緩和といった努力を進める、それを土台にして中央省庁の制度解体ということと合わせて、国民の皆さんに消費税の税率の引き上げをお願いしたい、そのうちの1%は地方の財源なんですという訴えをしました。
そして、昨年、その申し上げたことを、先行している所得税、住民税減税の見合いのパーセンテージ、2%引き上げさせていただいた訳ですが、これは国会の答弁でも申し上げたことですけれども、私たちが予想した以上に昨年の1月から3月の間、多くの方々がいろいろな買い物をされて、その反動が4月から6月の間に出てきました。この影響は正直私たちが予測していたものを越えていたんです。
しかし、7月から9月にかけて消費が回復をしはじめ、よかったなと思っておりましたときに、途端に影響が出たものとしてアジア地域の通貨金融市場の混乱というものが起こり、我が国の大きな金融機関が幾つか経営破綻する、そうした状況の中で、家計もそうですし、企業もそうなんですが、景況感が厳しさを増してきた。そして、その厳しい見方というのは、実は個人消費にも設備投資にも影響を及ぼして非常に厳しい状況になりました。そして、それは今年になってから、発表されたいろいろな数字でもその方向というものが出てきた訳です。
そうした状況に対応しなければならないということから、今国会が始まって以来、緊急経済対策、そして、2兆円規模の特別減税、9年度補正予算、更に、皆さんの預金は心配がありませんということとともに、だめな金融機関はこれはもうどうしようもないんですけれども、ちゃんとした金融機関が自分の力をなくしちゃ困りますから、そうしたことを含めた金融システム安定化策、こうしたものを大急ぎ、そして的確に実行するように努力してきました。こうした対策が既に実施に移されておりまして、この金融安定化策などによりまして、例えば、預金をしておられる方々が、自分の預金がなくなってしまうという心配を掛けることは少なくともなくなりましたし、その意味での不安感というのは鎮静してきたと思っています。
その上で、今、申し上げたように、我々としてはこの短期間における景気の回復への足取りをしっかりさせるため、同時に、中長期的に見ても絶対に今やっておかなければならない課題として、過去最大規模の総合経済対策とともに、今、不良債権の処理、本格的な処理というものに取り組もうとしています。
今まで私たちの中に、帳簿の片側に不良債権があれば、片側にそれに見合う積立てをきちんと、引当金を計上していれば、一応処理されているという甘い考え方が全くなかったとは言えません。しかし、それでは実はそこに積まれているお金は使われない訳ですから、それは貸し渋りの原因にもなりますし、体質として改善をされるということにはならないとなれば、これは我々としてどんなことがあっても、バランスシートから本当に債権を消すためにこれを放棄するのか、債券化して市場で取引の対象にするのか、手法はいろいろあるでしょう。こうした対策に全力を挙げていこうと今しております。そういう意味では、昨日のクリントン大統領との電話会談、力強い日本経済のために私は万全を期していきますが、強い円と市場の安定に協調出来ることは喜ばしいという合意を得た。これもこうした思いの中の表われとして受けとめていただきたい。
それから、参議院選というお話が今、出たのですが、これは本当に我々はこの選挙戦は必死で闘い抜いていくつもりですし、私自身当然ながら先頭で闘い抜いていきますが、党所属の国会議員、党員の皆様方、同じような気持ちで一つになって、一丸として選挙に取り組んでいきたいと思っています。そして我々は本当に改選議席の61よりも1つでも多く積み上げたい、全員当選を目指したい、そんな思いで闘っていく訳です。
ですから、あなたの御質問に大変答えにくいのは、数字ももちろんあるでしょうけれども、それ以上に国民の皆様に訴えて、それに対して国民の皆さんがどう反応してくださるのか、どんなふうに激励していただけるか、あるいは御批判をいただくか、その中身は一体何なのか。精いっぱい選挙戦を闘い抜いていく中で、私自身が肌身で感じるものがその信任云々というものについての感じを言うことになるのでしょう。そうした自分で感じるもので評価をし、判断をしていくという以上に今、申し上げる言葉がありません。
● 自民党内では早くも参議院選挙後の話題で内閣改造ですとか、役員人事を求める声も上がっていますけれども、現段階での総理のお考えというのは、その改造や人事を行うお考えはあるのかどうか。これを行う場合には、時期は臨時国会7月末にもと言われていますけれども、臨時国会の前になるのか、後になるのか、その点について。
今日この通常国会が終わった訳です。そしてこれから私たちは参議院選に臨む。そしてその参議院選が実施もされていない状況の中で、その後の内閣改造とかいうのは少し早過ぎると思いますし、また私自身今そういう問題について申し上げられる、そんな気分ではありません。とにかく景気の回復というものを抱え、そのために予算を早期に執行し、施策を国民の下にお届けをする。あるいはこの不良債権処理などに全力で取り組みながら、参議院選の先頭に立って闘い抜く、これがすべてです。
● 先ほど総理の方から問題提起という形でありましたけれども、少子化の問題ですけれども、これについてもう少し具体策、総理のお考えの中にあるのかどうか、もしお聞かせ願えればと思いますが。
これは大変実は難しい問題点で、私自身もこれがすべてだという模範解答が今、出来るような課題ではありません。そしてさっきも申し上げたように、やはり本来政治が介入してはいけない部分に触れる可能性もある問題点でもある訳です。
ただ、これは本当に皆さんにともに考えていただきたいと思うのですけれども、高齢化というものが非常に大変なピッチで進んできた。これは本当にめでたいことだと思っています。それはどんな感じか。老人福祉法が出来た昭和38年に日本政府は初めて100歳人口の統計を取り始めた訳ですが、そのとき日本中に100歳以上の方は153人おられた。昨年の敬老の日、同じ基準日なのですけれども、8,491人おられる。しかし実はその間に出生率は昭和38年に2.0だったのがどんどんどんどん下がり続けてきて、ついに一番最新の数字は1.39という数字になった。
ちなみに実は私の厚生大臣のとき、昭和54年です。100歳人口937人で、私は昭和38年から6倍になったかという感慨を持ったのですけれども、そのときには出生率が1.77でした。下がりっぱなしなのです。だからこの傾向が実は続いていくと、どんどん人口は減り始める。そして30年後の2030年、アバウトですけれども、今1億2,600万の日本人が約1,000万減る。そして50年後には1億人になる。もしそのままの数字が続くとすれば、2100年には現在の人口は半分になる。そして生産年齢に当たる人口、生産年齢人口は今の4割に減ります。ですから、社会保障構造改革、あるいは財政構造改革など、よくばりだと言われながら6つの構造改革に取り組もうという、その原点の問題は実はこの問題なのです。そして、昨年行われた有識者調査で大部分の方が非常に深刻だという認識を持っていただいていました。ですから一体我々はどうすれば、多くの人々が結婚や出産を望んでおられるのにかかわらずこういう状況が生じているのか。子供を産む、産まない。これは本当に個人の、あるいは御家族の選択の問題なのですけれども、産み、育てることに夢をかけられるような社会というものを目指した環境整備をしなければならない。
ですから例えば、私自身本当に当時の社会党の皆さん、あるいは他の党の方々と一緒になって、教育職、福祉職、それから医療職、言い換えれば看護婦さんであり、保母さんたちであり、学校の先生方に対する育児休業の議員立法をつくり、提案者であった本人なんですけれども、子育てと仕事を両立させるための育児休業制度が非常に大事なんだけれども、それが取りやすいような職場環境をどうつくればいいのか。あるいは再雇用、あるいは中途採用といった柔軟な雇用の仕組みというものがどうやれば普及出来るのか。あるいは子育ての環境整備として、突拍子もない言い方かもしれませんけれども、保育施設、保育の人材を多様化していく。その場合に、例えば地域のお年寄りが保育ボランティアに参加していただくことは出来ないものだろうか。子育てグループといったような発想になるのでしょうか。こんな考え方もあると思うのです。
あるいは、今、小中学校に随分空教室が出てきました。これを例えば保育の施設、または子育ての施設に転用するように何かうまい促進策がないだろうか。あるいは育児に対する支援ということと同時に、世代間の共通性、お年寄りの生きがいを増すということだけでも、世代間同居住宅というものを建設していく上で何かメリットが考えられないか。あるいは、これは本当に議論が真っ二つです。しかし、出産時の経済的負担を軽減するための出産一時金といった考え方、これは賛否両論が本当にあるのですけれども、一体どちらに考えるか。あるいは、その中で子供を本当に産みたい、しかし産めない方に対して不妊治療の御相談とか、研究というものはどうしたらいいのだろうか。考えると実は非常にたくさんの課題があります。
今、政府として私どもは関係省庁がただ連携するだけではなくて、現実に子育てに携わっておられる男性、女性を始めとして、幅広い有識者の方々にも参加していただいた有識者会議とでもいうようなものをスタートさせて対策の検討を開始したいと思っているのです。これは子どもたちの問題についてもとった手法ですが、その中から今後とっていくべき対策の要綱というものがもしまとまってくれば大変幸せだと思いますし、今、縦割り行政の壁ということがよく言われますけれども、既に2001年の省庁再編を先取りした形で、厚生・労働両省を中心にして、文部省なども加えたプロジェクトチームというものを発足させることも一つの考え方だと思っています。既に厚生・文部の両省の間の協議を始めていますが、この問題だけは政府が強制すべきことでもないし、一定の限界を超えて行動してはならない部分を持つ問題だけに、考えていくといろいろな課題が出てくるのですけれども、今、具体的に有識者の方々にそうした考え方のエッセンス、要綱というべきものでまとめていただけないだろうか、そういう会合をスタートさせる。そうしたことを考えています。
● 昨日総理がクリントン大統領と電話で会談されて、その結果、ニューヨーク市場の協調介入しましたが、総理御自身として両国が協調介入するという意思がマーケットに十分伝わったというふうにお考えですか。1日たってどうでしょうか。
市場のことは市場の関係者に聞けという言葉はよくあるんだけれども、私たちとしては本当に昨日お互いに合意をし、その上で介入を開始した。そしてその介入というものが市場で、私は好感を持って受けとめられることを本当に願ってきました。ニューヨークにおいて協調して介入をした訳ですけれども、これは今、私どもが一定以上のことを申し上げるべきではないと思うのですが、むしろしばらく前まで国会の御論議なんかを聞いていても、例えばG7の協力体制というものが一体どの程度のものなのか。あるいは、日米の間できちんとした対応がとれるのかとか、いろいろな角度の御質問がありました。恐らくそういう感覚が一般的にあったんだろうと思います。それだけにきちんと両国が協調して市場に介入した。これは今、結果としてそれなりの評価を市場からいただいていると思っていますし、同時に、そういう評価を我々が継続していくためにも日本の経済の先行きに対する不安というものを消す努力を全力を挙げて我々は見える形で、しかも結果が出せるように進めていく必要がある訳ですし、それが先ほど来申し上げてきている金融の信頼性の回復、言い換えれば、不良債権の実質的な処理ということに結び付いていくんだと思うんです。
ただ、これは今までいろいろ議論がありましたように、例えば一つの土地をとってみても、そこに対する抵当権、権利義務関係が大変錯綜しているといった問題を解きほぐす仕組みと同時に、それを担保付債券として市場に出す、そういう市場もきちんとつくらなければいけない訳ですから、口で言うのは簡単ですけれども、結構作業としては大変な問題があるんですが、先ほど申し上げたようにその努力が、政府が選挙中といえども続けていくし、与党もそういう考え方でおられます。法改正を必要としないものはさっさとやり始めるし、法律を必要とするものは、あるいは改正ではなくて新たな立法を必要とするものは、出来るだけ早く国会に御審議をいただけるようにする、そういう努力をすることによってきちんとした信任が得られる、そうした流れになっていくと思います。
● 先ほど特別減税は今回も手当されたと思うんですけれども、税制の抜本改革に絡んで恒久減税のことについては例えばクリントン大統領と昨日お話しされたのでしょうか。それとも今後総理としてはそういうことも含めて考えていらっしゃるのでしょうか。
クリントン大統領との会談の中で、特別減税ということは話題にはありませんでした。そして先ほども申し上げたように、税制改革というものは我々は考えていかなければならないテーマですから、それぞれの税制について、特に先ほどは法人課税と、所得課税と、国税、地方税を含めた論議として申し上げたんですが、税目としてあなたが言われるのは何を指しておられるのか分からないけれども、少なくとも恒久減税というような話題は昨日大統領との間には出ていません。
● 総理、今ずっと会場の中で昨年暮れからとってこられた施策の御説明がありましたし、不良債権の問題等これから取り組むことの御説明があったんですけれども、総理がいろいろとってこられた施策について、若干タイミングが遅れたのではないかと。例えば、トゥーレイトの方ですけれども、という批判があろうかと思います。そういう批判に総理がどういうふうにお応えになるのでしょうか。
私はそういう批判があることを否定をしません。殊に今、例えば不良債権の問題で申し上げたのは、新たな仕組みをつくるために法律を必要とするようなケースにおいて、発表したタイミングから法律案を用意し、その法律案を国会に審議をお願いし、国会が審議されてから否定されるケースもあるだろうけれども、成立し、その施策が実行出来るまでには一定のタイムラグがあります。その意味では、今回の総合経済対策16兆円強の中で特別減税の2兆円の上積みを含め、また7兆7,000億円の公共事業についてもいろいろな御議論がありますけれども、総合経済対策を発表してからその中の予算関連の分では補正予算という形で国会の御承認をいただいたのが昨日の段階でした。その時間差というものが遅れと言われる部分については、これは本当に甘受しない訳にいかない点だと思うのです。
これは例えば、日本のシステムで予算が編成されてから国会で通過、成立するまで衆参両院の御審議をいただく時間というのはおおむね一定の時間を必要とする。これ実は日本人は皆それを理解していただいていますけれども、必ずしも海外でそれが理解されているとは言えません。それはいろいろな場面にあることなんですけれども、発表してからそれが実行されるまでの時間差というものについて新たな特に仕組みをつくらなければならず、そのために法律をつくり、その案を国会に提案し、国会で御審議いただき、それが成立し、実行に移るまでの時間差というものが、これは遅れている。お叱りの中に一つはそういう部分もあるのですが、それは私は甘んじて受けなければならないと思っています。
● 今の関連なんですが、時間差というのは分かるんですが、それだからある程度見通しというものが大事になってくると思うんですが、それで昨年の段階で消費税を2%税率を上げるなど9兆円の負担増をなさった訳ですよね。このことが現在の景気の停滞に結び付いているんではないかと。総理がおっしゃられるのはアジアの経済の問題とか、金融機関の破綻の問題もあります。これは分かるんですが、そういうことを考えて見通しには誤りがあったんではないかということはないんでしょうか。
だから先ほど私、素直に申し上げたと思うんだけれども、消費税率を引き上げさせていただきたい、選挙で訴え、そしてそれを現実に実行しようとしたときに、駆け込み需要、これは我々の予想を超えて本当に多かった。その分反動として昨年の4月〜6月に落ち込みが大きくなりました、その幅が大きくなりました。そこの見通しは確かに我々は甘かったのですというのは先ほど素直に申し上げていると思うんです。その上で7月〜9月期の消費は回復に向かっていた、プラスに転じていた、これは事実の問題としてはこれは認めていただきたい。
それと同時に、先ほど申し上げたようなピッチで進む高齢・少子社会の中で、社会保障負担というものを本当に将来も国民の暮らしのセーフティネットワークとして残していくと。その必要性はみんな認めていただいていると思うんですけれども、そのために今のままで仕組みがいいかといえば、あるいはこのままの仕組みを続けていけるかといえば、私は見直しはしなきゃならないと思うんです。
ですから私は、これはこれから先も、年金も、医療保険も、福祉も、当然ながら国民のセーフティネットとして、同時に国民連帯、ネットワークの一つとしてきちんと維持し、続けなきゃならないと思っています。ただ、若い働き手がこれだけ減ってきているという事実は認めてください。そして支えていかなきゃならないお年を召した方々が増えてきて、それはどこかで負担をするか、給付をより効率的なものとして見直すか、いずれにしても我々次の世代になっても、その次の世代になっても社会保障という仕組みが維持出来るようにしていかなきゃならないんですから、その中で選択肢を広げる努力をしていかなきゃならないんですから、消費税率について2%の引き上げというものが私どもの予想を超える駆け込み需要を生み、それは逆に4月以降の消費の落ち込みという形で出ました。これは事実として私決してその見通しの間違いを、あるいは見通しの甘さというものを隠してはいません。その上で、将来に向かって考えていかなきゃならないことは、やはり一緒に考えて、きちんと維持出来る仕組みをつくっていかなきゃいけないんじゃないでしょうか。
● 少子化の関連なんですけれども、先ほどいろいろなポイント、これからの検討のポイントになるものと、それから総理の問題意識と挙げておられたんですけれども、具体的に挙げておられた出産一時給付金を含めてこれまでの議論というものが経済的な支援に偏っていて、つまりはばら巻き的だったためにいろいろな自治体の試みや政府の試みが空振りに終わったということがあったと思うんですね。今回の厚生白書が鋭く指摘しているのは、固定した日本の男女の役割分担とか、長時間労働に代表されるような日本の雇用的な慣習がいろいろな面での壁になっているのじゃないかという点があったと思います。その点についての方向を転換するとしたら、それは行政ではなくて政治の方の役割だと思うんですけれども、そういうことに関して総理はどういう問題意識をお持ちなのか。具体的に何か手を打たれるようなお考えはあるのか。
問題提起として私は先ほどそうした点にも触れたと思うんです。産みたくても産めない方、その場合にどうすれば、雇用という面からその仕組みを考えていけるんだろうということは申し上げてきました。それがまさに男女共同参画社会という方向で我々が議論をし、またこれからもし続けなければならない大きな役割の問題だと思います。ですからこれは物の面ととらえられるか、あなたの言われるような仕組みの面としてとらえていただけるか分かりませんが、例えば介護保険ひとつ考えてください。こういう仕組みが必要なのは、従来固定的に女性の役割としてとらえられ、それが家庭の奥様方、お嫁さん、ある場合はお嬢さん、その肩に背負わされてきた介護というもの、これを社会的なシステムとしてきちんと構築をし、その介護という負担がただ単に家庭の中の女性の役割と位置づけられているところから姿を変えようとして介護保険という仕組みがつくられた訳です。そういう意味では、政治も行政もこうした問題意識を持って、どちらか一方の性にすべての責任が掛かるような状態から、男女共同参画社会と言われる方向に向けようという努力を既にしています。
その上で、例えば、雇用機会均等という面では既にルールが定着しました。仕組みとしては、先ほども申し上げたように育児休業という仕組みは、私自身かかわりを持った、スタート時に議員立法した提案者ですけれども、そういう時代から今に至るまでの間に、仕組みは変わってきましたが、実はなかなかその育児休業制度というものが定着をしない理由、定着というか、定着はしているんですけれども、利用されない理由の一つに、その期間を終わって復職する、その間に同僚は昇進しているけれども、自分は育児休業を取ったところからスタートというハンディを背負わされる。そういう問題があることは事実なんです。だから、その雇用のルールを変えていけるかどうかとか、しかしこれは行政だけが、あるいは政治で押し付けられるものではありません。
例えばそういうルールを行政で固定しようとしたとき、私はなかなかうまくいかないだろうと思います。もちろん、そういう方向にそれぞれの職場が動いていくように、そして動いていくとすればそれを加速出来るような、そういう役割は政治も行政ももちろん果たしていきますが、むしろそういう意味では、私などもそうなんですけれども、頭の中に無意識のうちにしみ付いているいろんな意識を変えていくと、これはむしろ行政とか政治という部分を超えているんじゃないでしょうか。言い換えれば、お互いここにおられる一人一人がどういう意識でこの問題に取り組んでいただけるか。そして、そういう仕組みづくりに協力をしていただけるか。
今、あなたが指摘されたように、資金的な支援というか、そういうものだけでこの問題が解決するものではない。男女共同参画社会というものを目指す方向はそこにあるという、その御指摘は私はそのとおりだと思うし、既に一つの例として介護保険を今挙げましたが、そういう取り組みを我々が皆やっていかなきゃならない。その点、私は今の指摘は非常に正しい指摘だと思います。どうもありがとう。 
内閣総辞職に当たっての談話 / 平成10年7月30日
橋本内閣は、本日、総辞職いたしました。
私は平成八年一月に内閣総理大臣に就任以来、少子高齢化の急速な進展や国際化、情報化など内外の環境変化の中で、二十一世紀の明るいわが国を創り上げるために全身全霊を打ち込んでまいりました。戦後五十余年にわたりわが国を支えてきたすべての社会システムの「変革と創造」をやり遂げる、そのために、「決断と責任」を政治信条として、痛みを先送りすることなく、行政改革などの「六つの改革」を進めてまいりました。多くの関係者の懸命なご尽力のお陰で、一歩一歩着実に成果があがってきており、さらに前進への努力が重ねられております。同時に、構造改革を念頭に置きながら、当面の景気対策や不良債権問題への対応など総合的な経済対策も講じてまいりました。
外交面では、日米関係を機軸に、各国首脳との親密な友好関係を背景にして様々な努力を積み重ねてまいりました。クリントン・アメリカ大統領との率直な話し合いを踏まえて冷戦後の日米安保体制の再確認を行い、また、エリツィン・ロシア大統領との間では胸襟を開いて新しい日露関係に一歩を踏み出すことができました。この間、尊い犠牲者を出してしまった在ペルー日本国大使公邸での人質事件やナホトカ号重油流出事故あるいは先般のインド、パキスタンにおける核実験など大変残念な出来事もありました。沖縄に関する様々な課題には、なお思いを残しております。
私は国政を預かる者として、国民と日本国の将来のために、正しいと信ずる目標に向かって努力してまいりましたが、この度の参議院議員通常選挙の結果を厳粛に受け止め、総理の職を辞することといたしました。
わが国が現在置かれている社会経済状況は決して容易なものではありませんが、わが国はこれまでも国民の英知と努力の結集により、幾多の困難を乗り越え、今日の繁栄を築いてまいりました。国民が力を合わせ、勇気を持って取り組めば、必ずや日本経済の再生は可能であり、また世界一の長寿を心から喜べる活力ある福祉社会を創ることができるものと確信しております。私はこれからも一人の政治家として、皆様方と力を合わせて、わが国の発展と世界の平和のために力を尽くす覚悟であります。
これまでの国民の皆様のあたたかいご支援とご協力に対し、心より御礼を申し上げます。 
橋本総裁時代
平成七年九月二十二日に投・開票が行われた自民党総裁選は、「元気をだそう!日本自信回復宣言」を掲げた通産相の橋本龍太郎氏と、郵政三事業の民営化など斬新な政策を旗印にした小泉純一郎氏の立候補で国民の注目を集めました。結果は党員投票と国会議員の投票を併せて、橋本氏三百四票、小泉氏八十七票で、橋本氏が第十七代の自民党総裁に選出されました。河野洋平前総裁は八月末に立候補をとりやめていました。
橋本新総裁の掲げた政策は、自民党単独政権が崩れてから、経済の低迷などもあって元気の無い日本社会を再活性化させようというもので、国民は橋本自民党に強い期待を抱き、自民党内もこれに応えようという空気が高まりました。しかし、自社さ連立の村山富市政権が八月初めに内閣改造を行ったばかりであり、自民党単独政権時代のように、総裁が首相に就任するわけではなく、閣僚の交替もありませんでした。ただ、党三役は、幹事長が三塚博氏から加藤紘一氏に交替し、総務会長に塩川正十郎氏、政調会長に山崎拓氏という新布陣になりました。
この直後から年末にかけて、九月はじめに沖縄で米兵による少女暴行事件が発生したことや、駐留軍用地特別措置法による米軍駐留地の使用権をめぐる国と沖縄県との対立などがあり、沖縄米軍基地縮小問題が浮上。さらに破綻寸前となった住宅専門金融会社の不良債権処理問題が日本経済の浮沈がかかる緊急課題として政界に突き付けられました。村山富市首相が、日本の政治、経済、社会に活力を取り戻し、難しい外交案件に取り組んで行くために、「憲政の常道」にのっとって与党第一党である自民党総裁に政権を禅譲すべきだと決断したのは、橋本新総裁が誕生してから三か月余り後のことです。
平成八年一月五日、村山首相は首相官邸で記者会見して辞任を発表。自民、社会、新党さきがけの与党三党は幹事長・書記長会談や党首会談を開いて政権の枠組み維持と政策調整を行ったうえで、首相指名選挙の与党統一候補として橋本自民党総裁を擁立する方針を決めました。同年十一日に衆参両院で行われた選挙で首相に選ばれた橋本総裁は同日中に組閣を完了、橋本新政権が発足しました。自民党の総裁が首相に就任するのは、じつに二年半ぶりのことでした。新進党は、前年暮れに新たに党首となった小沢一郎氏が首相候補でしたが、橋本総裁に大差で敗れました。この直後、社会党は伝統の党名を「社会民主党」に変更しました。
新政権の顔触れは、副総理・蔵相に久保亘氏(社民党)、官房長官・梶山静六氏(自民党)、外相・池田行彦氏(自民党)、通産相・塚原俊平氏(自民党)、厚相・菅直人氏(さきがけ)らで、橋本首相は日本の経済、社会システムは抜本的な構造転換を求められる時期に来ているという認識から、「変革・創造内閣」と自らの政権を位置づけました。この基本方針から後に「六つの改革」が提示され、一府十二省庁への中央官庁の整理統合や地方分権の実現という戦後の政治行政システムの一大改革実現への道が具体化していくことになります。
橋本政権の当面の課題は、新年度予算案を早期に成立させ本格的な景気回復の路線を敷くことと、沖縄問題を含む日米関係の再構築など、首相の座を他の党が占めていた間に生まれた国政の停滞の回復でした。
首相は就任間もない二月二十三日に訪米し、サンタモニカでクリントン大統領と初の首脳会談を行い、沖縄問題の解決に向けて精力的に協議しました。この結果、米国は沖縄・普天間飛行場の全面返還で合意、四月十二日に橋本首相とモンデール駐日大使が共同記者会見をして発表するに至ります。沖縄の米軍基地の整理縮小は、橋本首相が"政治の師匠"と仰ぐ故佐藤栄作首相が実現した戦後史に残る沖縄の「核抜き本土並返還」をさらに一歩進める画期的な業績で、沖縄県民の熱意に自民党政権が応えるとともに、日米の安全保障協力再構築に欠かせないものでした。
日米両政府は四月十五日、日米安全保障委員会(2+2)を開催して沖縄に関する特別行動委員会(SACO)の基地整理縮小に向けた中間報告を了承。これを踏まえ、クリントン大統領が四月十七日に来日し、橋本首相との会談で「日米安保共同宣言」を合意し発表しました。こうした一連の橋本政権の努力は、核開発疑惑が晴れずミサイル実験も進める北朝鮮、潜在的緊張関係が続く中国と台湾など極東情勢をにらみ、わが国の安全保障に万全を期すためのもので、平成九年九月の「新たな日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)決定につながりました。
内政では、平成八年度予算案に含まれる住専の不良債権処理策をめぐって、与野党が対立しました。住専が次々に破綻し日本の金融システムがパニックを起こせば、不況に苦しむ日本経済への打撃は図り知れません。国民生活の困窮化を回避するため、政府・与党は住専の経営責任を明確にしたうえで六千八百五十億円の公的資金を投入する方針を打ち出したのですが、野党側はこれに反対。新進党は衆院予算委の審議を拒否したうえ、三月四日からは国会内に議員らが座り込んで審議の妨害をするというピケ戦術をとりました。
ピケは二週間以上も続き、国民の批判は新進党に向き、三月二十四日に投・開票が行われた参院岐阜補選では与党候補が圧勝しました。こうした状況を見据えて橋本首相は二十五日に新進党の小沢一郎党首と会談、衆院予算委の再開にこぎつけます。新年度予算案が衆院を通過したのは四月十一日、参院で成立したのは五月十日でした。この通常国会の期間中、新進党の支持母体のひとつである創価学会の政教分離問題、平成九年四月一日から五%に引き上げることが決まっている消費税率問題などが、自民党内で大いに論議されました。
橋本首相は国会運営に難渋する一方、三月一日からタイのバンコクで開かれた第一回アジア欧州首脳会議(ASEM)に出席、韓国の金泳三大統領との会談で竹島の帰属問題を切り離した排他的経済水域の決定と漁業交渉の早期開始で合意するなど、外交にも汗を流しました。四月十八日にはロシアを訪問し、エリツィン大統領と北方領土の解決と平和条約の早期締結に向けた交渉継続を確認。六月二十七日からのフランス・リヨンでの主要国首脳会議(サミット)では、アジアの代表として活躍しました。
九月十七日、臨時国会が召集され、橋本首相は冒頭で衆院を解散しました。この直前、新党さきがけ代表幹事だった鳩山由紀夫氏、菅直人氏、新進党の鳩山邦夫氏らによる民主党が旗揚げしていました。自民党、共産党を除く各党は内部の動揺が激しく、初めての小選挙区比例代表制度による総選挙によって、国民の政党に対する審判を行うタイミングと橋本首相は判断したのでした。
自民党は十月二十日の投開票の結果、過半数には至りませんでしたが、改選前の二百十一議席から二百三十九議席に大きく伸び、国民が政権を任せることができる第一党と考えていることが明らかになりました。橋本首相は、社民党、新党さきがけは閣外に転じたものの引き続き協力関係を維持したうえで、十一月七日、第二次橋本内閣を発足させました。同月二十八日に初会合をひらいた行政改革会議が取り組む中央省庁再編と地方分権、財政構造改革会議が取り組む財政再建、疲弊した制度の改革へ本格的なチャレンジが始まったのでした。
この年末にはペルーで日本大使公邸人質事件が発生、平成九年四月二十三日の武力解決まで、政府と自民党には、人質の安否を気遣うやり切れない日々が続きました。
平成九年一月に召集された通常国会の施政方針演説で橋本首相は、六つの改革を断行して行く決意を表明します。「行政」「財政構造」「社会保障構造」「経済構造」「金融システム」「教育」がそれで、首相は「痛みを忘れて改革の歩みを緩めたり、先延ばしすることは許されません」と強調しました。この六つの改革は、経済不況の深刻化から一時的な方向転換を余儀なくされた「財政構造改革」を除き、自民党の真摯な努力によって、その後、着実に実現に向けて進んでいます。
この年の通常国会は、前年のような波乱もなく順調に進み、平成九年度予算も三月二十八日に年度内成立しました。介護保険制度の創設など少子高齢社会に備えた「社会保障構造改革」、個々人の多様な能力の開発と創造性、チャレンジ精神重視に転換する「教育改革」など、国民が切望する改革を進める橋本政権に野党陣営も抵抗するわけには行かなかったのです。
首相はこの間、メキシコのセディージョ大統領、米国ゴア副大統領、マレーシアのマハティール首相、ドイツのヘルツォーク大統領ら来日した各国首脳と会談。六月には米国・デンバーでのサミットに出席した後、ニューヨークの国連で地球環境保護を訴えて演説、オランダで日・EU定期首脳会議を行うなど精力的な外交を展開しました。
七月二十七日、首相はサミットでのエリツィン大統領との会談を踏まえ「信頼、相互理解、長期展望」を原則とする対ロシア外交の基本方針を発表しました。それは、同年十一月の東シベリア・クラスノヤルスクでの首脳会談による「二〇〇〇年末までの平和条約締結」合意、平成十年四月の静岡県・川奈での橋本首相からの「国境線画定の新提案」など、その後の日露関係進展の基礎になりました。
総裁任期二年が終了した橋本首相は九月八日に無投票で再選され、十一日に内閣改造をして第二次橋本改造内閣を発足させました。このころから、大手を含む金融機関の経営悪化がいっそう著しくなり、橋本政権はその対策に追われるようになりました。十一月末にカナダで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の非公式首脳会議、十二月中旬にマレーシアで行われた東南アジア諸国連合(ASEAN)との首脳会議などで、橋本首相が熱弁をふるったのも日本とアジアの金融危機の問題でした。
十一月三日、中堅の三洋証券が東京地裁に会社更生法の申請をして事実上倒産。続けて都市銀行最下位ながら北海道経済の柱だった北海道拓殖銀行が大量の不良債権で資金繰りがつかなくなり同月十七日に北洋銀行などへの事業譲渡を決め、破綻しました。その五日後、こんどは四大証券のひとつで従業員七千五百人、預かり資産二十兆円を越える山一証券が自主廃業に追い込まれ、経済界だけでなく国民全体に大きな衝撃を与えます。山一証券の事実上の倒産は、金融不安に拍車をかけ、日本経済の国際的な信用という点からも深刻な事態でした。
橋本政権は、十一月十八日に十兆円の金融安定化のための緊急対策を決定、十二月十七日には首相が記者会見して二兆円の特別減税実施を表明するなど対策を打ち出しました。首相自らが先頭に立って監督官庁である大蔵省を督励するなどの努力もしました。
年が明けて平成十年一月に通常国会が召集されると、橋本首相は施政方針演説で「金融システム安定化策と経済運営」に全力を尽くす決意を強調、世間の風向きを変えようとしましたが、経済界を覆う暗雲は容易には去りません。そんな折り、接待疑惑の発覚などで国民の不信を買った大蔵省に東京地検の捜査のメスが入り、ベテランの金融検査官が収賄容疑で逮捕され、この責任をとって三塚博蔵相が辞任するなど、景気の足をさらに引っ張るような不祥事もありました。
橋本首相が主導する「六つの改革」は着々と進展し、「財政構造改革」は平成九年十一月末に、二〇〇三年(平成十五年)には赤字国債の発行をゼロにするなどを内容とする財政構造改革法が成立していました。「行政改革」は、十二月三日には行政改革会議が中央官庁を一府十二省庁に再編する最終報告を決定し、平成十年六月に中央省庁改革基本法案が成立します。
財政構造改革は、子供や孫の世代に赤字のしわ寄せが及ばないようにするために不可避の政策と考えられ、財革法に基づいて平成十年四月八日に成立した平成十年度予算も緊縮型でした。しかし、不況にあえぐ国民の声を踏まえ、橋本首相は一時的な方向転換を決意します。予算成立の翌日に四兆円の特別減税上積み実施を発表、四月二十四日には財政健全化目標の先延ばしなど財革法改正方針とともに総額十六兆六千五百億円の総合経済対策を決定しました。六月九日には、大蔵省から金融行政の大部分を切り離す金融庁も発足させました。
四月にインドとパキスタンが地下核実験を行い、国際的にも騒然とした雰囲気の中で、七月十二日に参院選挙の投・開票が行われ、自民党は改選議席の半数に届かない四十四議席という予想外の不振でした。経済不況と金融不安が、責任与党である自民党の得票に大きく影響したと、党員は率直に受け止めました。橋本首相は七月十三日、「(参院選挙の結果は)すべてひっくるめて、私自身に全責任がある」と言明して、潔く首相と自民党総裁を辞任する意向を表明しました。
社民党と新党さきがけは参院選挙を目前にした五月三十日に連立与党を離脱しました。一方、新進党は前年暮れに一部が民主党と合流、残るメンバーは自由党と新党平和、公明に分裂していました。
自社さ連立は四年の長きにわたって維持されました。このことは、わが国政治史に特筆されることです。三党はオープンで民主的な手法をとり、「自衛隊」「日米安保」「日の丸・君が代」など国家の基本問題についてのコンセンサスを確立したのをはじめ、水俣問題、原爆被爆者援護法の制定などの「戦後五十年問題」を解決、さらに住専処理、日米安保共同宣言、NPO法の成立など、「五五年体制」では為し得なかった課題を解決し、大きな前進を見ることができました。 
 
小渕恵三

 

1998年7月30日-2000年4月5日(616日)
官房長官時代に昭和天皇が崩御。元号変更にあたり、記者会見で「新しい元号は「平成」であります」と平成を公表した。新元号の発表は、国民的な注目を集めていたこともあり、小渕は「平成おじさん」として広く知られるようになった。小渕が「平成」と書かれた額を掲げるシーンは、いまだに時代を象徴する映像として多く利用されている。
昭和天皇崩御にともない官房長官として大喪の礼などの重要課題を取り仕切った。しかし、官房長官に就任してすぐの閣僚名簿の発表時に堀内俊夫環境庁長官の名前を呼び忘れるなど、発言の訂正が多く「訂正長官」と揶揄されることもあった。
1991年(平成3年)4月、当時自民党幹事長だった小沢一郎が東京都知事選挙に際し、NHK論説主幹だった磯村尚徳を強引に担ぎ出したものの、自民党都連は小沢に反発し現職の鈴木俊一を推すという分裂選挙を引き起こし、結局鈴木が完勝。小沢が引責辞任したため自由民主党幹事長に就任。このとき、金丸は小渕幹事長就任の経緯について「ファースト・インプレッションだ」と語った。
1992年(平成4年)10月、竹下派(経世会)会長の金丸信が東京佐川急便事件で議員辞職に追い込まれると、金丸の後継をめぐって小沢一郎と反小沢派の対立が激化。小沢派が推す羽田孜と、反小沢派が推す小渕との間で後継会長の座が争われた。
激しい権力闘争の末、最後は竹下の後ろ盾を得ていた小渕が、半ば強引に後継の派閥領袖と決まった。しかし小沢、羽田らは反発して改革フォーラム21(羽田・小沢派)を旗揚げし経世会(小渕派)は分裂。1993年(平成5年)、羽田らは自民党を離党して新生党を結成した。
その後、1994年(平成6年)に自民党副総裁に就任したものの、党務に従事したため、重要閣僚のポストには無縁で埋もれかけた。
1995年(平成7年)、自由民主党群馬県支部連合会の会長選挙に際し、衆院選での小選挙区の候補者選考をめぐって小渕に不満を持っていた中曽根康弘が小渕の県連会長続投に異議を唱え、それに同調した福田康夫らにより小渕は自民党群馬県連会長の座を退任に追い込まれた(後任は尾身幸次元経済企画庁長官)。群馬県では「小渕の政治生命もこれで終わり」という声がもっぱらであった。
1996年(平成8年)1月、村山富市首相の辞任に伴い、小渕派の橋本龍太郎が内閣総理大臣に就任。小渕派会長の小渕は政権への意欲を示したものの、野中広務らの説得により、現実的判断をとって橋本支援に転換。橋本の対抗馬であった河野洋平とソリの合わなかった加藤紘一に党幹事長のポストを渡すなどの工作を行った。
また、同年10月の第2次橋本内閣の発足に当たって、小渕の衆議院議長就任の話がもちあがる。小渕自身、一時は意欲を示したが、59歳でいわゆる「上がりポスト」である議長に就けば、将来の首相の芽がなくなると地元の支持者たちが猛反対し、側近の額賀福志郎や青木幹雄、綿貫民輔らや秘書の古川俊隆らも反対であったため、就任を固辞した。小渕の名前が消えた後、議長には竹下に近い伊藤宗一郎が就任した。
1997年(平成9年)9月、第2次橋本内閣改造内閣で外務大臣に就任し表舞台に復帰。対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)を外務省の強い反対を押し切って締結した。この事業に関しては政敵の土井たか子や菅直人からも高い評価を受けるなどし、外相としての評価を高めたことが、次期首相就任へとつながっていった。
1998年(平成10年)7月30日、第18回参議院議員通常選挙での敗北の責任をとって辞任した橋本の後継首相になる。しかし、橋本と同派閥の小渕の登板に当初は各方面から批判を浴び、低支持率からのスタートとなった 。
突然の発病と死
低空飛行の支持率からスタートした政権だが、公明党との連立などで政権基盤は安定し、長期政権も視野に入っていた。しかし2000年(平成12年)4月2日に脳梗塞を発症した。実はこの前日、連立与党を組んでいた自由党との連立が決裂しており、4月2日午後、政権運営がより困難になったと思われるこの緊急事態について記者から質問されると小渕はしばし答弁できず無言状態となっていた。言葉を出すのに10秒前後の不自然な間が生じていた。これは一過性の脳梗塞の症状と考えられており、梗塞から回復したときに言葉を出すことができたとされる。
元々小渕には心臓病の持病があり、それに加えて首相の激務が脳梗塞を引き起こしたと考えられている。通常執務終了後、公邸に戻ってもおびただしい書類、書籍、新聞の切り抜きに目を通し、徹夜でビデオの録画を見るのが普通で、一般国民にまでかける数々のブッチホンを始め、休日返上で様々な場所に露出するスタイルや、外相時代から引き続いて外遊を多くこなしたことも健康悪化に拍車をかけた。
小渕は意識が判然としないまま、当日夜、順天堂大学医学部附属順天堂医院に緊急入院したとされる。そして、執務不能のため内閣官房長官の青木幹雄を首相臨時代理に指名したとされる。しかし青木の首相臨時代理就任に関しては、脳梗塞で既に意識を完全に失っていたかもしれない小渕本人に果たして指名を行うことが出来たのかと、野党・マスメディアに「疑惑」として追及された。
「疑惑」の張本人であり小渕首相の臨時代理でもある青木自身が「脳死ではないのか?」との記者からの異議申し立てを却下したため、また、担当医師たちが曖昧な説明ないし指名は不可能だったと思わせる説明しかしなかったため疑惑は残り、後任の森喜朗総裁誕生の舞台裏と併せて「五人組による密室談合政治」と批判される原因となった。
4月5日、小渕首相が昏睡状態の中、青木首相臨時代理は小渕内閣の総辞職を決定した。内閣総理大臣の在職中の病気を理由とした退任は1980年(昭和55年)6月に急逝した大平正芳以来20年振りのことであった。
その後も小渕の昏睡状態は続き、意識を回復する事の無いまま、倒れてから約1か月半を経た同年5月14日午後4時7分に死去。62歳だった。なお奇しくも父と同じ病気で倒れ同じ病院で亡くなっている。戒名は「恵柱院殿徳政信宝大居士」。
5月15日、その前日(死亡当日)の日付で大勲位菊花大綬章が贈られた。5月30日、衆議院本会議で村山元首相が追悼演説を行った。衆院での首相経験者への追悼演説は野党第一党党首が行うのが通例であり、本来なら民主党代表の鳩山由紀夫の予定であった。しかし、遺族側がこれを拒否し、例外的に首相経験者で野党社会民主党衆院議員(前党首)の村山による追悼演説となった。
これは当時、鳩山が小渕のドコモ株疑惑を強烈に追及していたためである。野中広務は後日、国会で、小渕への哀悼の意を表明した鳩山を「前首相の死の一因があなたにあったことを考えると、あまりにもしらじらしい発言」と痛烈に批判した。遺族は鳩山に強烈な悪感情を抱いていたという。6月8日、日本武道館において内閣・自民党合同葬が執り行われ、それに合わせた弔問外交も行われた。
2か月後の衆議院選挙には次女の小渕優子が後継として群馬5区から出馬した。この選挙は小渕前首相の弔い合戦であるかのような様相を呈し、小渕優子は次点の山口鶴男(元日本社会党書記長・元総務庁長官)に13万票以上の大差をつけて当選した(以後、小渕優子は連続当選し、4期目の現職である)。
2006年(平成18年)5月、七回忌を前に「小渕元首相を偲ぶ会」が開催され、森喜朗・橋本龍太郎・青木幹雄・小寺弘之らが参加した。 
事績
第25回主要国首脳会議に併せて行われた日米首脳会談後の記者会見(1999年6月18日)
1998年の参議院選挙で自民党が追加公認を含め45議席と大敗すると橋本内閣は総辞職に追い込まれ、現職外相の小渕が自民党総裁選に出馬した。当初、橋本からの政権禅譲が期待されたが、前官房長官梶山静六と現職厚相の小泉純一郎が総裁選に出馬し激しい選挙戦を展開。三候補について田中眞紀子からは「梶山は士官学校卒業だから『軍人』、小泉は変な人だから『変人』、そして小渕は『凡人』などと評された。総裁選では亀井静香らが同派閥出身の小泉ではなく梶山に票を流すなどの工作もあり(後に亀井らは清和会を離脱)、梶山と小泉を破り党総裁に就任した。
7月30日、国会で首班指名を受け第84代内閣総理大臣に就任。しかし、与野党が逆転している参議院では民主党代表の菅直人が首班指名され、日本国憲法第67条の衆議院の優越規定により辛くも小渕が指名されるなど、当初の政権基盤は不安定だった。加えて、参院選で大敗した前首相と同派閥の小渕は新鮮味が薄く、マスコミからも批判を浴びた。新聞誌上に「無視された国民の声」などという見出しが並び、就任早々から「一刻も早く退陣を」と書きたてた新聞もあった。ニューヨーク・タイムズには「冷めたピザ」ほどの魅力しかないと形容された(後に、記者団にピザを配った事がある)。
総理大臣当時、目指すべき国家像として「富国有徳」を打ち出す。この概念は静岡県知事に就任した石川嘉延により引き継がれ、石川知事時代の静岡県のスローガンの一つに掲げられた。
同年10月、金融国会において金融再生法案は野党・民主党案丸飲みを余儀なくされ、10月16日には参議院で防衛庁調達実施本部背任事件をめぐって、額賀福志郎防衛庁長官に対する問責決議が可決され、額賀は辞任に追い込まれた。この時から、当時の参議院議長の斎藤十朗と政治手法をめぐって火花を散らしていた。
しかし、その一方で、政権基盤の安定を模索し、野党の公明党、自由党に接近。11月に公明党が強力に主張した地域振興券導入を受け入れ、自由党党首・小沢一郎とは連立政権の協議開始で合意した。
1999年(平成11年)1月、自由党との連立政権発足。この事で政権基盤が安定し、周辺事態法(日米ガイドライン)、憲法調査会設置、国旗・国歌法、通信傍受法、住民票コード付加法(国民総背番号制)などの重要法案を次々に成立させた。この様な政治手腕に対して中曽根康弘元総理は文藝春秋誌において「真空総理」と評した。
同年9月、自民党総裁選でYKKの一角・加藤紘一元防衛庁長官と山崎拓元防衛庁長官を破り総裁に再任。10月に公明党が正式に与党参加。続く内閣改造・党三役人事では、幹事長・森喜朗を留任させ、総務会長には加藤派が推挙した小里貞利を拒否、政調会長・池田行彦を総務会長に起用し、河野洋平を外相に起用した。また山崎派が推挙した保岡興治の入閣も拒否し、深谷隆司を通産相に起用した。これは総裁選後の報復人事と囁かれた。
この時の人事では早稲田大学雄弁会OBから玉沢徳一郎農林水産大臣、青木幹雄官房長官を起用。また地元の群馬県から福田赳夫の娘婿の越智通雄金融再生委員長、中曽根康弘の息子・中曽根弘文文部大臣、山本富雄の息子・山本一太外務政務次官を起用した。この国会では、労働者派遣法を改正し、派遣を原則禁止・例外容認から、原則容認・例外禁止に大きく転換させた。
2000年2月、自由党の要求を受け衆院の比例代表区定数を20削減する定数削減法を強行採決で成立させた。3月には、教育改革国民会議の開催を始めた。
同年4月1日、自由党との交渉が決裂し、連立離脱を通告されるが、翌日に脳梗塞で緊急入院。4月4日に正式に内閣総辞職した。在職616日。いわゆる五人組によって後継に森喜朗が選出され、森内閣に引き継がれた。
小渕内閣の特徴として、全体の方針を策定するだけで、各省庁の個別の案件は国務大臣自らの裁量に任せるというのが小渕内閣であった。
「日本一の借金王」と自嘲したように、赤字国債発行による公共事業を推し進めた張本人としても批判された。ただ、在任中は、日本銀行のゼロ金利政策やアメリカの好景気、何より積極財政の成果により、経済は比較的好調で、ITバブルが発生した。日経平均株価も2万円台にまで回復させた。合計約42兆円の経済対策の内訳は、公共事業が約4割を占めているが、減税や金融対策などにも充てられた。また公明党の発案で地域経済の活性化と称し地域振興券を国民に配布したが、これは「バラマキ政策の極致」と酷評された。また、労働者派遣法を改正した結果、特殊分野だけだった派遣業種は大幅に拡大した。
評価
周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法など、長年の懸案を一気に片付け、金融不安に終止符を打ち、任期後半は経済も堅調に推移していた。外交では日米関係を順調に発展させる一方、韓国の金大中大統領との間で歴史問題の「区切り」と未来志向の日韓関係で合意、東南アジア関係も深化した。
他方で中華人民共和国の江沢民の謝罪要求や北朝鮮の不審船問題に対して節度を保ちながらも一定の強い対応を示した。こうして、硬軟織り交ぜながらも外交でも多くの成果をあげた。
また沖縄問題に強い思いを寄せた最後のリーダーとも言われ、沖縄への手厚い振興策や沖縄サミット開催の決断も業績に数えられる。
以上のような小渕の政権運営は、近年、再評価もされている一方で、1998年の労働者派遣法の改正によって派遣業種が拡大し、男性を中心に雇用が減少のうえ女性のパートタイマーの数が増加した。また一人当たりの現金給与額は1997年比べて大きく減少し、自殺者の数においてはその年に初めて大台の30,000人を越え、創価学会を支持母体にもつ公明党とも初めて連立を組んだ。このほか国旗・国歌法とバーターで成立したという説もある男女共同参画社会基本法など、その後の日本社会に与えた影響は大きいとも言われている。
1998

 

談話 / 平成10年7月31日
私は、この度、内閣総理大臣の重責を担うことになりました。内外ともに数多くの困難な課題に直面する中、わが身は明日なき立場と覚悟して、この難局を切り拓いていく決意であります。
先の参議院議員通常選挙において、国民が何にもまして日本経済の一刻も早い回復を求めていることが明確に示されました。またアジアをはじめ世界の国々が強い関心をもってわが国の経済運営に注目しています。私は、日本経済の再生をこの内閣の最重要課題と位置づけ、金融機関の不良債権の抜本的な処理や税制改革など景気回復に向けた政策の実行に全力投球いたします。
わが国を取り巻く現下の諸情勢を直視して、国民の皆様の声に謙虚に耳を傾け、財政構造改革法は当面凍結いたします。しかしながら、前内閣が取り組んでこられた諸改革は、二十一世紀の本格的な少子高齢社会に対応できる明るい未来を切り拓くためには、何としてもやり遂げなければならない課題であり、これを継承していきます。特に、中央省庁再編をはじめとする行政改革はスリムで効率的な行政や民間活力の活性化のために不可欠のものであり、不退転の決意で実行してまいります。
外交については、日本の安全と世界の平和の実現に向けて、国際社会における日本の地位にふさわしい役割を積極的かつ誠実に果たします。日米両国の友好関係を基軸にして、アジア太平洋地域の平和と安定を確保していくとともに、沖縄をめぐる諸課題の解決にも最大限の努力を傾けます。日露関係については、橋本前総理が築いてこられた成果を手がかりにして、二○○○年までの平和条約の締結を目指し、粘り強く努力いたします。
わが国は今、二十世紀から二十一世紀への時代の大きな転換点に差し掛かろうとしています。来るべき新しい時代は、私達や私達の子孫にとって明るく希望に満ち溢れた時代にしなければなりません。私は「鬼の手、仏の心、鬼手仏心」を政治信条にして、国民の英知を結集し、この難局を政治主導で乗り越え、次の時代の礎を築く決意であります。闇深ければ曉も近し。明日を信じて、共に前進しましょう。
国民の皆様のご理解とご協力を心からお願いいたします。
内閣総理大臣説示
初閣議に際し、私の所信を申し述べ、閣僚各位の格別のご協力をお願いする。
一 この内閣の使命は、先の参議院議員通常選挙において、わが国経済の停滞が続く中で国民が一刻も早い景気の回復を求めたことを真剣に受け止め、日本経済の再生を最重要課題として位置づけ、国民の要求と期待に的確に応えていくことである。
二 景気回復のために直ちに取り組むべきことは、景気回復の足かせとなっている金融機関の不良債権の抜本的な処理であり、今国会に所要の法案を提出し、早期成立に努力してまいりたい。また、税制についても早急に具体的な検討を行い、所得課税、法人課税の恒久的な減税を実施するなど、総合的な経済構造改革を果断に実施してまいりたい。
三 二十一世紀を目前に控え、少子高齢化の急速な進展を踏まえて、わが国の様々な社会システムを改革していくこともこの内閣の重要な課題である。特に、前内閣が心血を注いで取り組んできた行政改革については、中央省庁の再編や地方分権、規制緩和の推進などスリムで効率的な体制の確立に向けて、一層の努力を傾けていく所存である。その際、閣僚各位は、所管行政という狭い視野にとらわれることなく、国政全般に対する高い識見を発揮し、事務当局を強力に指導していただきたい。
四 国民の行政に対する信頼を取り戻すためには、国家の主権は国民にあることを常に念頭に置き、国民本位の行政を徹底していくことが何より重要である。公務員の綱紀の保持に万全を期すとともに、情報の公開など行政の透明化に努め、国民に信頼される内閣となるよう、ご尽力いただきたい。また、政策の遂行に当たっては、国民に対して分かり易い言葉で、率直かつ十分な説明をお願いしたい。
五 内閣は、憲法上国会に対して連帯して責任を負う行政の最高機関である。国政遂行に際して活発な議論を行うとともに、内閣として方針を決定した場合には一致協力してこれに従い、内閣の統一性及び国政の権威の保持にご協力願いたい。 
記者会見 / 平成10年7月31日
このたび私、内閣総理大臣の重責を担うことになりました。内外とも我が国、極めて困難な時局に際しまして、私自身、全知・全能を傾け、全力を挙げてこの難局に当たる決意でございます。国民各位、皆様方の御協力と御支援を心からまずお願い申し上げたいと思っております。
私は自ら35年の政治経験の中で、多くの方々から力強い御支持もいただき、また、学ぶべき点は多くを学ばしていただきましたが、自らの持てる総合力を駆使いたしまして、多くの国民の声に率直に耳を傾けながら、現下の困難な問題に果断に対応し、スピーディーに事を処理することによりまして、国民各位の信頼を再び勝ち得てまいりたいと思っております。重ねての御支援をお願いいたす次第でございます。
そのためには何よりも内閣総理大臣といたしまして、力強い内閣を組閣することが最初の仕事でなければならないと考えておりました。
重厚にして清新な内閣をいかにつくるかということで腐心をいたしましたが、幸いにいたしまして、経済再生内閣という現下の経済問題の解決に当たりまして、その内閣の中にそうした多くの能力を持たれる方々に御入閣をいただきまして、まずは昨日新しい内閣が発足することができたことは誠に幸いだと思っております。
何よりも現在、日本におかれた経済的な危機を打開するためには、大変申し訳ないことではございましたけれども、内閣総理大臣を御経験をされました宮沢先生に再び御出馬をいただき、大蔵大臣としての重大なお仕事にお取り組みをいただくことにお願いをいたしました。
先生の持つ国際的な信頼感、またかつてこの金融の問題につきまして、早い時期からこの問題を現下の重大な経済問題、そしてまた、金融の不良債権の処理なくしては、日本経済の再生はあり得ないと以前から御主張されておられたわけであります。
また、党内におきましても、この問題につきまして、いち早くその責任を持って、党内のこの処理問題につきまして、先頭に立って御努力をいただきました。
したがいまして、この際、宮沢先生のお力をちょうだいいたしたいということで、まず大蔵大臣としての責任を果たしていただけることになりましたことは、この内閣の大きな、強力な問題処理のためにありがたいことだと思っております。
また同時に、この内閣におきましては、先見性と識見を持たれる民間の堺屋太一先生にも経済企画庁長官として御入閣をいただきました。かつて石油ショックのときも『油断』という御本も書かれましたが、今日の時期におきましては、昨日の記者会見で申されましたように、自分自身がこの際内閣に入っていただきたいということは、まさに国難の時期に当たってでなければそうしたことはなかったと申されておりますとおり、この民間で御活躍をされ、種々の識見を持たれる氏の御活躍も心から期待をいたしておるところでございます。
また、この内閣におきましては、党内におきまして、実務者として活躍をされました多くの中堅、若手の皆さんにも閣僚として御活躍をいただくことになりました。そうした意味からも、この内閣は重厚にして清新な内閣として本日の課題に十分応えるものだと、こう認識をいたしております。
私もそうした内閣の各員の皆さんと力を合わせまして、冒頭申し上げましたように、経済再生内閣しての責任を十分果たし得るように、その先頭に立って努力をいたしていきたいと思っております。
事に当たりましては、果断に、そしてスピーディーに問題の処理に当たりましては対処いたしていきたい、このように考えております。決断と実行を旨としながら国民の御期待に沿うように真剣に取り組ませていただきたいと思います。
今申し上げましたように、この内閣にとりましての最大の課題は景気の回復でありますが、この問題につきましては、あらゆる施策を総合的に組み合わせながら解決を目指していかなければならない。金融問題、そして財政の問題、税制等、あわゆる手段を総動員をいたしまして、対処いたしていきたいと思っております。
また、この内閣に対しまして、前の選挙の反省にかんがみれば、国民の皆さんにはいろんな意味での不安が存在をいたしておるわけであります。たとえて申し上げれば、これからの少子高齢化社会に当たりまして、自分たちのこれからの年金支給等につきましても、21世紀にわたりまして、どのような形になるかという不安もございます。そうした年金等、将来の国民生活の不安の解消、明るい展望を切り開くために、私は富国有徳という言葉をキーワードにこれを目指していきたいと思い、そして21世紀には安心できる社会を築き上げていきたいと考えております。
富国有徳ということは、すなわちそうした経済の面、あるいは身近な生活に資するための医療、年金、その他の問題について、それを実行するためには、国として経済を安定して富ましていかなければならないと思っております。
同時に、日本の国も、これから世界の中で本当に信頼をされる立派な国家として有徳の国家としていかなければならない。このことを目標にしながら、21世紀を目指していく第一歩を築いていかなければならないと考えております。
さて、こうした経済の我が国の状況の問題につきましても、かつての我が国と異なりまして極めて大きな実力を持つ国家として存在をいたしておるわけでありまして、我が国の経済の状況は一人、我が国のみならずアジア全体に大きな影響力を及ぼすと同時に、国際経済に対する大きなこれまたインパクトがあるわけでありまして、そうした意味で我が国のこの景気を回復し、安定した成長を目指していくということは、一人、我が国のことのみならず、国際的な責任を持っていると言っても過言でないと思っております。内政は外交であり、外交は内政であるということでありますので、こうした観点から経済的な我が国の責務を果たしていきたいと考えております。
一方、外交面におきましては何と言っても我が国が存立するためには世界の中で信頼される国家として生きていかなければなりません。従来とともに、米国との同盟関係は更に強固のものにいたしていかなければならないと考えております、またアジアにおける昨年来の金融危機に際しまして、大変厳しい我が国の財政状況ではありましたけれども、仲間として、アジアの一国として協力を申し上げてまいりましたが、そうした観点に立ちましてもアジア、そしてまたこれからはアフリカ、中近東、そしてヨーロッパ、すべてにわたりまして日本国としてその責任を果たしていきたいと思っております。
特に当面する外交課題といたしましては、しばしば申し上げておりますように日ロの平和条約締結を目指しての最終的段階が来たりつつあると思っております。前橋本首相とエリツィン大統領との個人的信頼の下に両国の関係はここ一両年、誠に大きく進展をいたしておるわけでございまして、私は橋本前総理と外務大臣という立場でともに相協力して本問題に積極的に取り組んでまいりましたが、まさにその結論を得るかどうかが今秋、そして来年の春にかけて結論が生まれようとしております。20世紀に起こったことを20世紀のうちに解決をしたいという意欲の下に、願わくば橋本前総理にも本問題につきましては特別に大きなお力をちょうだいするお立場にもなっていただきまして、対処してまいりたいというふうに考えております。
いずれにいたしましても、国民の声に最大限に耳を傾けまして、十分この声を、心を心として対処いたして、国民的英知を結集して難局の打開に取り組んでまいりたいと思っております。
特に国際的金融の問題につきましても宮沢大蔵大臣にもお力をちょうだいをいたしまして、その解決に対処していかなければなりませんが、内閣としてもそれに対してのお手伝いをしていかなければならぬと考えておりまして、この政策を内外に分かりやすく説明する必要があるのではないか。我が国でいろいろやろうとしておりますことも、最近ですからいろいろなメディアを通じて国際的なマーケットにもいろいろお伝えをされてはおりますけれども、内閣といたしましてもこうした問題を逐一広く世界に発信をしていかなければならない。こういう観点から、国際金融施策についての助言を受けるとともに、内外に的確・迅速に説明をするために、私は行天氏を本日付で内閣特別顧問に任命をさせていただいた次第でございます。
いずれにいたしましても、現下の厳しい経済環境を一日も早く乗り越え、マイナス成長と言われる我が国の経済を可能な限り早く回復してプラス成長を達成していくことによりまして、国民生活を安定させていくことがこの内閣の最大の使命であるとの観点に立ちまして、全力を挙げて努力をいたしてまいりたいと思っております。私一人の力をもってしてなかなか困難でありますが、申し上げましたような力強い内閣を組織することができたと思っております。
この内閣を一致結束をいたしまして、諸課題に対処し、そして国民の期待に沿うように、後がないという気持ちを持ちまして私として対処いたしてまいりたいと思います。重ねて国民各位の御理解と御協力を心からお願いを申し上げる次第でございます。
【質疑応答】
● 最初に、今回の組閣に当たって、総理は自民党の総裁選挙のころから派閥順送りの人事はしない。あるいは、幅広い層から登用したいということをおっしゃっていました。この目標は達成できたのか。それから、経済再生内閣と銘打たれた内閣のキャッチフレーズ、これについて最初にお尋ねします。
これは国民の皆さんの御判断に尽きるとは思いますが、私といたしましては総裁選挙で広く内外に私の考え方を申し述べた点につきましては、これは私としては最善の内閣ができたものと考えております。もとより、更に多くの人材を民間に求め、経済界に求め、そしてジャーナリストに求め、そういうことが可能でありますればいろいろな方方にも御協力をいただきたい点もございましたが、そうした中で先ほど申し上げましたような方々にも御参加していただきました。
ただ、党内におけるやはり御協力、そして融和ということも、これまた政治を進めるためには大切なことでございまして、そうした意味におきまして、従来に引き比べまして私といたしましては党内のそれぞれの方々の中で、先ほど申し上げましたように特に中堅、そして若手、それぞれの分野で長年党内で研鑽を積まれ、政策面でも責任を持っておられる方々に閣僚として、自らその日ごろの考え方を発揮していただける方にお入りいただいたという確信がございますので、十分その期待に応えていただけるものと考えておる次第でございます。
また、女性といたしまして、最年少の野田聖子郵政大臣にも入閣をお願いをいたしました。やはり今後こうした若手にも自民党の政策を推進する上で大いに国民の皆さんに訴えていただける方だろうと、これまた大きな期待を寄せておるところでございます。
● 何かキャッチフレーズのようなものはお考えになっていますか。内閣の今後の政策推進に当たって。
キャッチフレーズというのはなかなか難しゅうございますけれども、先ほど申し上げましたように、何と言っても今の経済を回復させなければならぬということで言えば経済再生内閣ということかと思いますが、強いていろいろ御指摘をいただければ、重厚にして清新の内閣と、こう理解をしていただければ大変幸いだと思っております。
● 次に、野党側が先の参議院選挙で自民党か敗北して橋本前総理が退陣したということで、新内閣もここではやはり国民の審判を受けるべきだということで衆議院の解散総選挙を断行すべきではないかという声もあります。これに対して、自民党側は早期解散は有利ではないという理由から、こうした解散権を総理が行使しないのではないかという見方もありますが、こうした疑問にどう答えるのか。残り2年余りの衆議院議員の任期中は解散しないおつもりか、この辺のお考えをお聞かせください。
解散権というものは内閣総理大臣に与えられた最大の権能だというふうに理解いたしております。したがいまして、内閣総理大臣といたしましては、政治的なデシジョンを行わなければならないときには解散を断行して国民の信を問うということは、これは当然至極なことだと思っております。ただ、今、御質問にありましたように、現在、自民党が参議院選挙の結果を踏まえて、選挙に不利であるがゆえに解散を行わないということは私はあり得ないと思う。
私が申し上げておりますのは、現在のこの経済的危機は国難と申すべき時期でありまして、申すまでもないことでございますが、本日国会を開催をして、暑い8月も引き続いて国会の御審議を野党にお願いしているゆえんのものは、金融再生トータルプランを含めまして、いわゆる金融の不良債権処理がなくして日本経済の一つの大きな解決の、問題の処理にはならぬということで、こうした法案につきましても、できる限り早い機会に国会に提出をいたしまして、その処理をお願いをしておるゆえんのものは、ここで解散総選挙をして、2か月も3か月も、ある意味の政治的空白を行うということは、これはまさに一日一日が極めて日本経済のディクライニングを止めるための時期として一時もおそろかにできないという趣旨で、今直ちに解散を断行して、国民の信を問うということよりも、なすべきことを今なすことが、今、我が自民党政府としては最大の問題である。こういう認識の下に現時点では解散に踏み切るという考え方はないということで御理解いただきたいと思います。
● 続いて経済問題なんですけれども、総裁選挙のときから公約されておりました総額6兆円を超える減税、これについて、その実施の時期と財源、それとの絡みで財政改革法の取り扱いをどういうふうにするのか。こうした言わば景気対策に続いて景気回復の目途は時期的にどの辺に置いていらっしゃるのか。これを伺います。
まず、総裁公選におきますときに、もちろん我が党の国会議員、党員に対する公約であると同時に、基本的な私自身の公約と申し上げて、この減税の問題あるいは10兆円超の補正予算の問題、あるいはまた行政改革に対する橋本内閣としての方針を更に強化し、倍加して、これを徹底的に推し進めようということにいたしました。いずれにいたしましても、公約をいたしましたことは必ずこれは断行いたします。
ただ、現時点におきまして、まだ自由民主党自体の御了承をちょうだいいたしておりませんが、私がこうして総裁に選ばれ、総理に選任されたというゆえんのものは、私の考え方に少なくとも自由民主党の国会議員の諸先生方もそれとして、これからこの問題について深い認識を持っていただいておるものと理解をいたすと同時に、私自身も説得、そしてこの考え方を是非理解を求めて、願わくば、この私の公約が必ず現実のものとして成り得るように、それこそ身を捨てて努力をしていきたいと思っております。
そこで、減税の問題につきましては、私はかねてから恒久減税は図らなければならない。それはいまや税制は日本だけの税率構造ではやっていけないグローバルな世界になってきておるということは御案内のとおりでございまして、そうした意味で、所得税といい、あるいは法人課税といい、いずれにしても、いわゆるアメリカ、イギリス、その他の国に引き比べて相当の利率の差がある。これが4月1日の金融のビッグバンによりまして、お金が自由に社会を駆け巡るという時代にこのような状況であってはならないというかねてからの考え方をいたしておりましたので、是非抜本的税率構造を改正することによって、世界的な形に持っていくべきだと、こういうふうに考えておりましたら、時あたかも、この経済の形態、そして景気の問題に直面しておるわけでございますので、そうした観点からも、所得減税等につきましては積極的に取り組む必要があるのではないか。こう考えまして、所得課税並びに法人課税につきましては、6兆円超の減税を必ず実行したい、実行するというお約束を申し上げておりますので、できる限り早い時期に、これは党の税調、政府税調、それぞれ専門家でございますので、所得税であればどの程度の刻みでいたしていくかというような問題もありますので、御相談は申し上げたいと思いますけれども、是非これを、恒久減税を実現をしていきたい。こういうふうな考え方で、必ずこれをやりたいという強い意思を改めて表明させていただきたいと思っております。
財源につきましては、今、赤字公債でこれを実施いたしていきたいというふうに考えております。なるほど財政構造改革という大きな問題が橋本内閣以来、継続しておることでございます。
また、そのための法律も成立をし、かつ一部修正をいたしておるわけでございます。先ほどの御質問の最後は、この法律につきましてもどのように対処するかということでございますが、これは申し上げておりますように凍結をいたしていくということでございます。
● 景気回復の目途は。見通しは持たれていますか。
目途につきましては、これは今申し上げたような施策を複合的にあらゆる手段を講じて努力をし、そして、これを実行していくということになれば、希望としてはこの1両年の間に必ず日本経済は上向きとなり、更にこれが倍加していくということになれば、日本の財政におきましても、多くの租税がそれなりに歳入として図られる時代が必ずそう遠くない将来に生まれてくると思いますが、いずれにしても、その端緒になるべき経済が上向きになり、そして、国民の皆さんも前途を展望しながら、自らの持てるお金その他を消費にも回していただたくという気持ちが生じてくるためには、この一両年、最も大切であり、そこを目途に私としてもあらゆる施策を講じてまいりたいと思っております。
自民党総裁選挙のときには、この期間というものが極めて重要である。この時期にそうしたことを行うことができずんば、私としても大変大きな決断をせざるを得ないとさえ申し上げておるところでこざいます。
● 国会運営についてお尋ねしますけれども、参議院が過半数割れをしている中で、それから部分連合という言葉も聞きますけれども、どの党と協力関係を模索していくのか。具体的に、公明であるとか、自由党とも協力関係を模索されるのか。その辺のお考えをお聞かせください。
お尋ねのように、現実は大変シビアであります。しかし、私は今般の参議院選挙の敗北に思いをいたし、今後、参議院においては野党各党と本当に誠心誠意、心をむなしゅうしてお話し合いを進めさせていただきたいと思っております。
今、お尋ねのように何党と言われましても、これは政策もお考えも、それぞれ政党はよって立つ基盤が異なるわけでございまして、したがいまして、それぞれの政党とはその与党と政府といたしましても、これから国会で法律としてお願いいたすべき法律、そのそれぞれにわたりまして、それぞれの政党と真剣にお話し合いをさせていただくことになろうかと思っております。一方的に政府といたしまして、法律案ができ上がりましたから、国会に提出して、イエス・オア・ノーと言っても、これは参議院におきまして、直ちに野党の皆さんの御理解で賛成するということにはなりかねない点もあります。
もとより、その内容にわたりましては、野党の皆さんも、現下の経済状況にかんがみますれば、経済関係諸法案につきまして、私はいたずらに御反対されるということはあり得ないと、こういうふうに是非お願いしたいと思っております。
したがいまして、法律案につきまして、ある意味では提出以前におきましても、お話を申し上げるということもございますし、また、国会の論戦等を通じまして、野党それぞれから対案というものが出てくるということでありますれば、最近の私も政治に直面しておりまして、かつてのように何でも御反対ということから、それぞれ考え方を政党並みに御提案されて、それをベースにして政府の施策について御批判もし、御提案もされているという事態を拝見してきましたので、必ず私はそういった意味で、国会の中での論議論戦の中で一つの考え方がまとまって、国会の意思が明らかになるという理解もされるわけでございまして、これをパーシャル的な連合と言うのかどうか分かりませんが、それぞれの案件ごとに十分真摯にお話し合いをされてまいれば、必ずその結論に導き、ゴールに至ることができる。これは、よって国民のための政策であり、その結果であると認識しております。
したがいまして今、お名前を挙げられましたけれども、どの政党ということを今、申し上げることはできかねるわけでございます。
● それから、橋本前総理が、六大改革というのを掲げておられましたけれども、先ほど財革法については凍結というお話がございましたが、この六大改革につきまして、見直すものがあるのかどうか。あるとすれば具体的にどこをどう見直すのか。また、白紙に戻すというものもあるのかどうか。その辺のお考えをお聞かせください。
私は21世紀に向けて橋本内閣、すなわち自民党内閣が掲げてきた六大改革に基本的に誤りがあるとは思っておりません。特にこの順番から言いますと、最後に教育改革ということになっておりますが、私はこの教育改革というものは最大の、21世紀に向けて日本人として教育、人づくり、国家百年の計だと考えております。したがいまして、前町村文部大臣が敷いてきました路線というものを実は高く評価いたしてきたわけでございますが、今般引かれましたので、私としては参議院として比例区で先般の選挙で第1位として我が党が推薦を申し上げました有馬先生にあえて文部大臣に御就任をいただきまして、この教育改革の問題について十二分な腕をふるっていただきたいと、こういう気持ちで実は御就任をいただいたわけでございます。
その他、5つの問題、社会保障の問題、これらは少子高齢化社会の問題ですから、これはいわずもがなですが、みんな日本の御婦人も含め、あるいはサラリーマンの方々も含めて、本当に次の世紀一体どういうことになるかという不安がありますから、年金の改革の問題等も含めまして、是非これを引き続いてやっていきたい。
それから、金融改革の問題につきましては、これはまさに今、金融再生トータルプランを行うことによって、その方針は進んでいくべきものだというふうに思っております。
行政改革、これはせっかくに法律をつくっておるわけでございますから、これが実現方については既にレールは敷かれたというふうに考えておりますので、これはこれから一つ一つ着実に努力をしていかなければならないと思っております。
財政改革につきましては、今申し上げました。その理念として私は正しいものがあったと思っておりますが、現下の生きた経済社会の中、特に全世界的な大きな金融不安の状況、特にバンコクで始まった昨年の金融不安等によりまして、これを徹底的に行うということは日本経済にとって大きな問題であるということでございますので、財政は当然のことですが入りと出、レベニユー・ニユートラルでなければならないということは、これは歴史の示すところでございますが、しかし、政治というものはそうした形でその時期時期において、適宜適切に対応する必要があるという意味で、先ほども申し上げましたように、本問題につきましては、一時凍結をいたして、またやがて将来明るい未来が生じてくるということの中で、日本の財政も健全化していかなければならない。こう考えております。
経済改革にしてしかりでございまして、したがいまして、六大改革につきましては、それぞれにおいてよりスピードを早めなければならないもの、より実行を的確なものにしなければならないもの、そして、申し上げましたように、この際、凍結もやむなしという問題等々、それぞれにわたりまして、私といたしましては、もう一度、それぞれの六大改革をレビューして、この問題については時期に適したように対処し、もってその考え方を実行し、国民の皆さんに真にお役に立つような改革をし、新しい世紀を本当に喜びを持って迎えるような時代にしていかなければならない。その基礎をつくっていきたいと、このように考えております。
● 外交についてお尋ねしますけれども、先ほど総理は日米の同盟関係を更に強固なものにしたいとおっしゃいましたけれども、訪米日程でお考えになっていることがあれば教えていただきたいと思います。
前の橋本総理が公式にクリントン大統領から御招待をされておりながら、残念ながらワシントン、ホワイトハウスに参ることができませんでした。しかし、本日、私がこうして総理としての責任を負うことになりました。一日も早く時期を得てクリントン米大統領と階段の機会を得たいというふうに思っております。先般、ARF(アセアン地域フオーラム)でオルブライト国務長官と会談いたしました折、彼女の方からも、是非、もし、まだ総理に指名をされておりませんでしたが、そうなりましたら早い機会にその機会をクリントン大統領としてもつくりたいと思いますので、その場所、時期につきましては今の時点では正確にお知らせすることができませんが、私の気持ちとしても是非これまた国会が極めてその進展状況が定かではありませんけれども、お許しをいただければ日米の外交の基軸であることは言うまでもありませんので、まず橋本・クリントン両首脳がつくり上げた個人的なビル・龍の関係に勝るとも劣らない関係を是非私としては構築していきたいと、このように考えておる次第でございます。
● 中川農水相の従軍慰安婦問題についての発言についてお伺いしたいんですが、中川さんは就任後の記者会見等で従軍慰安婦問題について強制性があったかどうか、政治家としては判断は慎まなければいけないのではないかというような趣旨のことと、その問題を教科書に乗せるのは適切ではないのではないかというような趣旨の発言をされております。それで、後で撤回はなさっているんですけれども、その発言について総理としてどのようにお考えかという点が1つです。それともう一点は、農水省は今後日韓の漁業交渉の問題ですね。緊急の課題を抱えていますが、そういった中で中川さんを任命された点についてどのようにお考えでしょうか。
まず、最後の慰安婦の問題についての発言と農水省の任命とは何らかかわりがあることではありません。中川農水大臣は、かねて以来我が党におきましても最も農林水産関係の政策に明るい方でありまして、お父上のことを申し上げるまでもありませんが、故中川一郎先生もやはりその面のエキスパートであったわけでありまして、その御遺志も継いで熱心にお取り組みいただいておることで私は高い評価をしておるつもりであります。そこで、冒頭のお尋ねにつきましては、私もその報告をいただきました。私がいただいた範囲では誤解がありましたので、一切そうしたことにつきましては取り消されたと、発言のすべてを取り消した、消されたということでありますし、その一部で言われていることは、自分としては内閣の責任者になった以上は私ども自民党の内閣として取り続けておりますところの基本的政策はそのとおり遵守をするということを前提に、今、誤解をされるようなことをお話をされたと聞いておりますので、その一切を否定をされておられるということでございますので、何ら問題はないというふうに考えております。
● 沖縄問題担当の野中大臣はかつてこうおっしゃっているんですけれども、例の普天間のヘリポートの問題について、現状で本当にヘリポートでいいのか疑問であると。政治は現実であるというふうなことを言われたことがあります。それで、現在ヘリポートの問題については宙に浮いていると思いますけれども、どのように解決されていこうというふうに思われていますか。
これもしばしば私も外務大臣としても御答弁申し上げておりますように、沖縄県の米軍基地につきましては整理統合、縮小ということについて日本政府としては全力で今アメリカと話し合っておるわけでございますが、そのためにSACOの最終報告を沖縄県といたしましての責任者もはいった上でこれをつくり上げておるわけですから、これを着実に実施するというところに我々の責任があろうかと思っております。
そこで、普天間の基地の返還と海上ヘリポートの建設につきましては、残念ながら海水面の使用権を巡りまして地方自治体の権能の問題もこれあり、現在におきましては膠着状態になっておることは非常に残念の極みでございます。特に前橋本総理といたしましては、この問題を大統領との間におきまして、これを2人の信頼において、この大きな基地の返還ということについて決断をし、そしてアメリカの理解を求めてこれを進めてきた。それについては沖縄県におきますいろいろなお考えもこれをお聞きをしながら進めてきたにもかかわらず、本日の事態になったことは誠に残念だというお気持ちを持っておると思います。私も外務大臣としてその答弁ぶりを国会で聞いておりまして、本当に前総理のお気持ちが痛いほど分かるわけでありますが、さりながらこのままでいいというわけにもまいりません。
したがいまして、改めてこの沖縄における、特に普天間基地の返還につきましては、本日内閣としても、できればこの担当の方をどなたかお願いをして、もちろん、沖縄開発庁長官もございますし、政務次官として沖縄県出身の下地政務次官も就任しておりますので、我が政府としてどういう解決方法があり得るかということについて、これまた真剣に取り組んでまいりたいと思っております。
さりながら、この問題も政治を離れてはなかなか解決し得ない問題でございまして、したがいまして、これからいろいろ各種選挙もございますので、県民の理解と協力なくしてこれをいたずらに強行するということの意思はありません。ありませんが、是非沖縄県の特にあの北部の皆さん、そして名護の皆さん、こうした方々の理解がどの程度進んでまいるかということについて、いま一度新しい市長さんも誕生しておることでございますので、十分これからその真意を確かめながら、我々としては、この政府としては是非前内閣の掲げた、また約束をいたしましたことの実現化のために、全力で努力をしてみたいと、このように考えております。
● 経済戦略会議という構想をお出しになっていますが、これについてどういう考えで、どういう人選で、いつごろ実現されるお考えか、お聞きしたいと思います。
これはやはり総裁選挙のときに私としてこれを取り上げさせていただきました。余り外国の例を取ることは私は控えねばならぬと思っておりますが、アメリカにおきまして、この経済戦略会議のようなものがありまして、大統領にその考え方を取りまとめて、その施策の方向性を定めているという会議がございましたので、そのことがちょっと念頭にありまして、その経済戦略会議の考え方を主張いたしておるところでございます。
まだラフでございまして、どの人にどうするかということはございませんが、私はこの発想の原点の一つには、今回、堺屋経済企画庁長官といろいろお話する過程でこの問題も出てきておりますので、長官のお考えなどもお聞きをしながら、そう何十人もおりまして、その考え方がかんかんがくがく議論をするだけで終わってしまうなどということでは、これは余り効果はない。このメンバーシップとしても最高10人、それ以下の皆さん、これは私としては民間の経済人、それからジャーナリスト、あるいはエコノミスト、そしてまたその他、学者の皆さん、こういう方々の中で是非この事態を乗り越えるためには小渕内閣としてかくことをいたさなければならないという考え方を具体的に、かつスピーディーに考え方をまとめていただいて具申をしていただける会議に是非お願いをしたいと思っておりまして、これもいつまでもというわけではありませんが、ここ1週間のうちには取りまとめて、私としてはその会議でまとまる、また具申いただく案件につきましてはこの政府の考え方としてこの実現を図っていきたいと、このように決意いたしております。
● 最初の御発言の中に東京銀行の行天さんのお名前が出ました、特別顧問ですか。これは具体的にもうちょっと詳しくお聞きしたい。もう一つは、日ロ関係の中で橋本前総理のことについて、大きな御協力もいただきたいとおっしゃいましたけれども、何か具体的に役目をやっていただこうという腹案がおありなんでしょうか。この2点をお願いします。
行天氏は、先ほど申し上げたように、本日付で内閣特別顧問に任命しました。これは先ほど申し上げましたように、日本の政策そのものが、いろいろなルートを通じまして発信されるものですから、なかなか政府そのものの基本的な考え方というものが必ずしも正確にとらえられておらないという点があるのではないか。そういう意味で言えば、御案内のとおり、財務官をされたと同時に、日本を代表する金融機関において責任を持ってこられた方でございますので、同時にまた、こうした問題につきましての見識も持つと同時に、表現力も、別に英語のことを申し上げるつもりはありませんが、経済的な問題を説明することのできる非常に稀有なお力を持っておると思っておりますので、初めてのことでございまして、まだこういうケースはございませんでしたが、現下の経済状況、特に日本の状況につきまして、時々刻々こうした問題を内外に発信をすることとして最適任だろうと考えまして、任命をさせていただいた次第でございます。
それから、第2の点の橋本前総理のことでございますが、これは常々この2人で日ロの問題を解決しようと、この一両年コンビを組んでやってまいりました。私は外務大臣としての務めはいたしてまいりましたが、やはりエリツィン大統領・橋本前総理との個人的な信頼関係、2度にわたるネクタイなしの会談を通じまして、極めてお2人の考え方が1つの方向にまとまりつつある今の段階だろうと思っております。
もとより橋本前総理も川奈におきましても、総理大臣として、これが我が国としてのロシアに対する提案としては、これ以外にないという気持ちで御提案されております。この実現のために、今まで果たされてきた努力と信頼というものは日本にとりましても極めて貴重なものだと思っております。
そこで、今この時点では、どういうお仕事になったらいいかということについては、確たるものはありませんが、私としては、私自身のこの内閣の責任において、公の立場に立っていただいて、特に日ロの問題、加えますれば、包括的な外交の問題につきましても、大いに活動いただく、総理大臣をお辞めになったから御引退ということではなくして、もちろん、衆議院議員としてその責任を果たすということをお聞きをいたしておりますけれども、それにも増して極めて重要な時期に差し迫っておる日ロの関係につきまして、大いに腕をふるっていただけるようなお立場を取っていただきたいと。今、真剣にこのことについて考慮し、その暁には前総理にもこのことをお願いをいたしたいと思っております。
● 宮沢大蔵大臣の起用についてですけれども、宮沢さんの過去の言動を見ておりますと、例えばバブル期においては、バブルの勢いを止められなかったですとか、実際バブルが崩壊した後、宮沢さんは公的資金の金融期間への投入をいち早く提唱されていましたけれども、実際には投入されなかった。そうした宮沢さんについては、理論については超一流ですけれども実践はどうかなという指摘が国民の間に現にあります。それに大変失礼な言い方ですけれども、宮沢さんをあえて起用したということは、小渕総理の経済問題に対する自信のなさの表れではないかという指摘や懸念もありますけれども、その辺は率直にどうお答えになりますか。
これも率直に申し上げれば、私自身、大蔵大臣、通産大臣、経企庁長官という経験はありません。したがいまして、世評、こうした任につきますと、その道の専門家という評価もいただけますし、また、そうした方々はそれなりの経済に対する考え方を持っているかと思います。そういった意味では経済に、あるいは疎いかもしれません。しかし、私自身も政治家として36年間、我が家も小さな零細企業の経営者でございまして、経済そのものの動きにつきましては、全く関知しないという立場ではありませんでした。
しかしながら、一人の力をもってしてすべてを解決することができるほどのスーパーマンは世界にもそういるものではないと思っております。
したがって、私としては、私の持つ総合的な力の中でその道の専門家の皆さんに、本当に最大限力を発揮していただきまして、この困難な状況を乗り越えるためには、最も日本の政治家の中でふさわしい方は宮沢前総理をおいてほかにない、こういう考え方の下に、あえて私、三顧の礼をもってお迎えし、入閣していただいたわけでございまして、その本日まで取られた対応についての御指摘が今ございました。
言い返すつもりはありませんが、では、公的資金を投入しなければ、日本の不良債権問題は解決しないと今おっしゃられたように、最初にこのことを申し上げられたのは前総理であったと、今御指摘があったとおりでありまして、その当時の時点のことを考えられまして、大変失礼でございますが、マスコミの皆さんも、あるいは政治家の私自身も残念ながら、これほど不良債権がそれぞれの金融機関に累積をして、それぞれの金融機関がまさに倒れんとするというような状況に立ち至っている状況についての認識は残念ながら持ち合わせておりませんでした。
しかも、住専の問題の時のあの時の議論や、あるいはいろいろな報道等を通じましても、実際この危機的状況についての本当の意味での国民的な理解がなかったことは残念の極みでございまして、国会の審議の状況を思い起こしましても、御案内のとおりでございます。
今にして、それは遅れておると言えばそれまで。しかし、私はこの問題についていち早く問題を指摘し、あえて言えば宮沢総理自身も自らその問題について、最終的結論を当時において取り得なかったことに対して、本日、自ら身を乗り出してこれを解決するという意欲の大きな表れに、私は大きな期待と、その政治的な信念の発露というものを理解をして、あえてその任に当たっていただくことになったわけでございまして、それはトウーレイトであると言われればそれまでかもしれませんが、私は政治家の中としては、この問題についての重要性をいち早く見抜いて、その時点でそれをなし得なかったかもしれませんが、本日、この問題について取り組もうとされる、あえて元総理大臣というような肩書も、あるいはそれを除いてでも、小渕内閣というより、これは国民・国家のために今スピーディーに処置しなければならぬという、そのお気持ちに対して深い敬意を表し、ともにこの問題に対処していきたい、このように考えております。 
小渕内閣総理大臣・金大中韓国大統領・共同記者会見 / 平成10年10月8日
総理大臣
このたび、金大中大統領閣下を国賓として我が国にお迎えできたことを誠にうれしく思います。
日韓関係の重要性と可能性を理解されておられる大統領と胸襟を開いて語り合うことができたことは、私の大きな喜びであります。
私と大統領は、ただいま21世紀に向けた新しい日韓パートナーシップをうたう日韓共同宣言に署名し、日韓関係に新たな歴史的1ページを記すこととなりました。我々は日韓両国が更に高い次元の友好協力関係を発展していく第一歩を、今まさに踏み出したのであります。
両国関係の過去及び現在そして未来を語る中で、私は日本政府を代表して、我が国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し痛切な反省と心からのおわびを申し上げました。この気持ちは多くの日本国民が共有していると信じております。
大統領は私の言葉を真摯に受け止め、評価するとともに、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好に基づいた未来指向的な関係を発展させるためにお互いに努力することが時代の要請である旨表明されました。これを一つの区切りとして、両国の国民が和解し、交流のうねりが高まっていくことを願ってやみません。
同時に、私は1965年の日韓国交正常化に至るまでの両国の先人の努力、それ以降の緊密な友好協力関係を想起するものであります。この関連で、私は今日までの韓国の飛躍的な発展と民主化に敬意を表しました。
これに対して大統領は、第二次世界大戦後の国際社会の平和と繁栄に我が国が果たした役割を評価されました。私は今や日韓両国の政治指導者に課せられた使命は、過去に関するこれまでの葛藤を克服し、共通の価値観に立脚する真の友好協力関係を発展させていくことであるとの確信を抱きました。この点は大統領も同じ思いであると思います。
共同宣言が示す新たな日韓パートナーシップの実施は、両国関係の飛躍的発展に向けた大いなる挑戦であり、広範な両国国民の支持が不可欠であります。この場を借りて私と大統領は、両国国民に対し、このような共同作業への参画を呼び掛けたいと思います。
漁業交渉の妥結に関連し、私は大統領とともに両国交渉関係者の努力に対し深甚なる敬意を表します。今後、新たな資源秩序の下で、漁業分野での両国の関係が円滑に進むことを心から期待いたします。
私は大統領との間で、両国がおのおのの経済的諸問題の解決に向けた確固たる決意を確認し合うとともに、我が国としても、韓国の経済情勢に関心を払い、必要な協力を引き続き行っていくことを明らかにいたしました。投資促進に向けた措置の実施や、日本輸出入銀行による新規支援は両国が自らの経済困難の克服とともに、アジア経済の抱える諸問題に共に対処していく姿を象徴するものであります。
また、21世紀に向けて日韓両国民のさまざまな交流を一層増進させていくことで意見の一致を見ましたことも大きな成果であります。
閣僚等政府レベルの対話の強化のみならず、未来を担う青少年交流を一層活発化させるためのワーキングホリデーの制度、中高生交流事業、韓国理工学部の大学生の我が国留学のための新規措置などは、未来の日韓関係の前進にとり大きな意義を持つものであります。
また、大統領の対日文化開放方針の決定は極めて大きな前進であり、2002年のワールドカップ共催に向けて、両国の国民的文化交流が一層進むことを期待いたしております。
北朝鮮に対する政策につきましては、大統領と有益な意見交換ができました。朝鮮半島の平和と安定を重視し、また、北朝鮮から責任ある建設的対応を得るという共通の戦略的目標の下、日韓両国はおのおの進める対北朝鮮政策に対する理解と支持を明らかにし、引き続き米国を含めた3か国で緊密に連携していくことを改めて確認をいたしました。
このたびの日韓首脳会談を通じて日韓両国の改善に向けた我々の政治意思を示すことができたことに私は満足しております。大統領も同じ思いであられると思います。
今後、21世紀に向けて大統領との友情を大切にしながら、新たな日韓パートナーシップの実施に向け、全力を尽くしてまいります。
どうもありがとうございました。
金大統領
まず日本政府と国民が、我々一行を温く歓迎してくださいましたことに対し感謝の言葉を申し上げます。
小渕総理大臣との首脳会談は大変有益なもので、その結果に満足しており、今回の会談を通じて民主主義と市場経済に基づく韓日間の未来指向的な善隣友好協力関係の確固たる土台が構築されていることを確認いたしました。
特に小渕総理大臣とともに21世紀の新しい韓日パートナーシップ・共同宣言を発表することにより、新しい時代の韓日友好協力のページを開いたことは大変意義深いことであります。
小渕総理大臣と私は、両国が過去の不幸な歴史を克服し、21世紀に向けた未来指向的な関係を発展させていくことで合意いたしました。
私はパートナーシップ・共同宣言を通じまして、韓日両国が単純な両者関係の次元を超えてアジア太平洋地域、ひいては国際社会の平和と繁栄のためのパートナー関係に発展することを期待いたします。
小渕総理大臣と私は韓半島の平和と安定が北東アジア地域の安全保障に重要であるという認識の下、韓日米間で緊密な協助体制を維持していくことを確認いたしました。
また、小渕総理大臣と私は、北韓の人工衛星発射試験で示された中長距離弾道ミサイルの発射能力が韓日両国を含めた北東アジアの安定に深刻な脅威の要因になり得るとの認識で一致し、韓日米が緊密に協議しながら対応していくことにしました。
小渕総理大臣は韓国政府の北韓包容政策に対して理解と支持を表明し、KEDOの軽水炉事業を成功裡に推進するため、韓日間で引き続き協力してことにしました。
小渕総理大臣と私は両国の経済構造調整努力の成功と、アジアの金融危機克服に向けて緊密に協力していくことにいたしました。
私は日本が韓国の通貨危機克服に必要な追加的な金融支援を行ったことに感謝の意を表明いたしました。
小渕総理大臣と私は両国間の貿易の拡大均衡のために共同で努力することにしました。また、小渕総理大臣は日本企業の対韓国投資が引き続き拡大するよう、日本政府が持続的に協調していく考えを表明いたしました。
小渕総理大臣と私は、日本の工科大学に韓国人留学生を派遣することで合意し、このことは21世紀の建設的韓日関係の増進に大きく寄与するものと信じております。
小渕総理大臣と私は、韓日漁業協定が妥結し、韓日二重課税防止協定に署名することになったことを歓迎しました。
小渕総理大臣による青少年交流に関する御提案は、未来の韓日両国関係の発展に大きく貢献するものと評価し、韓国としても、それに相応する方策を検討いたします。
小渕総理大臣と私は、2002年ワールドカップの韓日共同開催が成功裏に行われ、韓日友好の象徴となり得るよう、緊密に協力していくことにしました。
私は日本の大衆文化を段階的に開放するという方針を表明しており、このことが両国文化の健全な発展と、両国間の善隣友好に寄与することを期待しております。
私は日本政府が在日韓国人に地方参政権を与える問題を前向きに検討することを要請いたしました。
小渕総理大臣と私は、人権、軍縮、麻薬、環境問題など、全世界的な問題に共同で対応し、国連など国際舞台で両国間の緊密な協力を維持、強化していくことを確認いたしました。
私は小渕総理大臣の公式の訪韓を招請いたしました。今般の首脳会談を通じ、私は韓日関係の発展に向けた小渕総理大臣の熱意と識見に感銘を受け、総理大臣との有誼と信頼を深めたことを大きな喜びと考えております。
ありがとうございました
【質疑応答】
● それぞれに質問させていただきたんですけれども、日韓両政府はこれまでも首脳会談などの機会をとらえて、未来指向の関係というのを何度か打ち出してきたと思うんですけれども、必ずしも過去の歴史認識などを巡って、そこから脱却できないできているという側面があると思います。今回の一連の会談と、今日の合意を経まして、本当に日韓両国というのは過去の一つの区切りをつけて21世紀に向けた新たな関係を発展させていくことができるのかどうかということ。それから、それに関連しまして、昨日、金大統領が言及されました天皇陛下の韓国公式訪問について、その時期と意味合い。それから、今も言及がありました韓国の日本の大衆文化に対する解禁について、どういうスケジュールをお考えになっているのかと。以上、質問させていただきます。
それではお答えいたします。
第1問でございますが、冒頭の会見の発言でも申し上げましたように、私は金大統領に対しまして、日本政府を代表いたしまして、我が国が過去の一時期、韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し痛切な反省と心からのおわびを申し上げました。
これに対し大統領から、御自分のお言葉で真摯にこれを受け止め、これを評価すると同時に、両国の過去の不幸な歴史を乗り越えて、和解と善隣友好に基づいた未来指向的な関係を発展させるため、お互いに努力することが時代の要請である旨表明され、私自身もそのお言葉を心から信頼し、真摯に受け止めさせていただきました。
お尋ねにありましたように、過去何回かこうした発言がされましたが、今回は共同宣言という形で両首脳が署名という行為を行いました。これは大統領も今世紀に起こったことにつきましては、今世紀で一つの区切りをついて、新しい21世紀に向けて、これから前に向かって両国の関係をより緊密に、すばらしいパートナーシップをつくり上げたいという強い御意思がございました。
私はそういう意味で、大統領のこのお気持ちを深く受け止め、そして、我が国の立場も明らかにし、これから21世紀はまさに過去は過去として、新しい時代に向かうという認識をいたしましたので、私は21世紀はその共同宣言の趣旨に基づきまして、これから大いに前進できるものだと考えて、確信をいたした次第でございます。
次に、陛下の御訪韓のことにつきましては、金大中大統領より、天皇陛下の御訪韓の時期が早く来ることを望むと。韓国国民の温い歓迎の中で訪韓する時期が来ることを願う旨の御発言がありました。これに対し自分より、お言葉に心から感謝する。その旨につきましては、昨日の金大中大統領と我が陛下との会談におかれましても、その由をお伝えされておると聞いておる。
政府といたしましては、この点につきましては、今後環境が整備されてまいること、そして、よくこの点につきましては、検討してまいりたい旨申し上げました。このことは日韓の一層の発展にかける意欲は自分も同じものでありまして、日韓双方で協力して環境を整えるよう努めてまいりたい旨申し上げたところでございます。
金大統領  まず、過去の問題に対して御質問が出ました。今回こそすべての与件、環境が過去とは異なりますし、過去と異ならなければならないと思っております。
そして、このたび日本政府の過去の表現は、これまでとは異なるものでありまして、まずはその文章をもって正式に発表したということでございます。そして、韓国を直接名指しをして表明をしたということでございます。日本が韓国に対して与えた被害に対する反省とおわびを、その旨を表明したいということ。
つまり、形式におきまして、その重さにおきまして、過去とは異なることだと思っております。
そして、今、韓日両国は安保の面におきましても、そして経済協力の面におきましても、過去のいつよりもお互いに相互協力しなければならない状況でございます。
3番目に、我々が迎える21世紀の持つ本質的な差ということでございます。20世紀は民族中心の民族国家の時代でありました。21世紀は世界化の時代でございます。20世紀の遺産はここで清算をしなければなりません。そして、21世紀には世界が一つになる時代を迎えていかなければならないと思います。その中で一番近い隣の国からお互いに手をつないで協力をし、世界に向けて協力をしながら、時によっては競争もすると。そういうような関係が構築されなければならないと思います。
そのような21世紀の韓日協力関係は韓国の利益のためにも、そして、日本の利益のためにも絶対必要なことであると思っております。
今回の共同宣言はいろんな面で従来とは異なる側面があります。もちろん、我々は過去のことを再び繰り返してはならないと思っております。しかしながら、幾らよい宣言が発表されたとしても、両国の指導者と国民が誠意を持って引き続き努力することがなければ、それは完全なものにはならないと思いますし、そういうような側面で引き続きの努力が必要だと思っております。
続きまして、日本の天皇陛下の御訪韓につきまして、お答えいたします。
隣にいながら、そして国交樹立後33年が経ちましたけれども、いまだに日本の天皇陛下の御訪韓が行われていないということは非常に不自然なことであると思っております。
このたび韓日が新たな同伴者関係として出発をするのが、今後の両国関係の将来のために大きな発展的な影響を与えるというふうに信じております。
そして、2002年のワールドカップも世界的な祭りでありますが、これを共にすることは、過去に例を見ない共通の目標でございます。
そして、日本文化に対する開放の時代もやってきております。それは段階的に開放していきますが、それは相当な速度を持って進行される予定であります。
このように、すべてが天皇陛下が韓国国民の温い歓迎の中で訪韓をする、そのようなきっかけが行われなければならないと信じておりますし、そのために韓国政府として努力していきたいと思っております。
そのような点で、天皇陛下御訪韓が韓日関係を緊密に発展させていく上で相当大きな貢献をするだろうと期待をしております。
引き続きまして、文化交流について少し申し上げます。
私は、日本の文化に対する開放は、それが両国間の理解と協力の発展のために非常に重要であると思っておりますし、それをもって両国関係がもっと発展するだろうと思っております。
日本の歴史におきましてもそうでございますが、我々は中国から仏教と儒教と受け入れて、我々の文化を豊かにしてきました。これから、韓国と日本の間に文化交流が活発に行われるならば、それは両国の文化の発展のためになると信じております。
私は日本の文化に対して段階的に開放していくと宣言しましたが、その段階的な開放というのは相当な速度をもって推進されるだろうと予定しております。
このような文化交流が順調に行われるために、韓日文化交流協議会をつくって、両国の文化人が自主的に検討していくのが望ましいということで私はこれを提案いたしました。これに対しては、小渕総理大臣も受け入れられまして、このような機構が成立することを期待します。
ありがとうございました。
●韓国記者  まず小渕総理大臣に御質問いたします。本日、共同宣言にも過去のことに対して明確なる言及がありました。過去におきましても、このような言及はあったと思います。しかしながら、時として日本の指導者の方々から余り有益でない、つまり歪曲の発言がたびたび出てきまして、そのような約束を霧散にした経緯がございます。小渕総理大臣は本日の宣言をきっかけといたしまして、これ以上そのような発言は出ないだろうというふうに思っているのでしょうか。金第中大統領に御質問いたします。金大統領は25年前、ちょうどこの東京で拉致事件の被害者でいらっしゃいました。そして、本日は韓国の大統領に就任されましてここに来られました。しかしながら、今までそのことにつきましては、いかなる言及もされておりませんが、どのような理由があるのか。そういうことをお聞きしたいと思います。最後に、お二人の首脳に質問したいと思うんですが、韓日両国の経済協力に関連しまして、御所信と御意思というのをお聞かせください。
私からお答え申し上げます。
今回、過去の問題に関する日本政府の認識は会見の冒頭で政府を代表して申し述べたとおりでございます。
先ほど首脳間で署名した共同宣言にも明記されております。したがって、政府の姿勢は明らかでございます。
そこで、責任ある立場の方々がその発言におきまして、こうした政府の立場は十分尊重いただけるものと確信をいたしておりますし、同時に両国民の皆様には本日私が申し上げたことか揺るぎない政府の立場であることを明確にいたしておきたい思います。
こうした認識に立脚いたしまして、私と金大中大統領が確認したとおり、過去にかかわる問題を克服して和解を行い、来る21世紀に向けた共通の価値観に立脚する真の友好協力関係を築いていくことが最も重要でありまして、自分と金大統領との間で最高首脳間の信頼関係はその確固たる礎になるものと信じております。
先ほど大統領からも御発言がございましたが、極めて重要な文書を作成し、かつこれに署名をいたしました。この責任は金大統領も当然のことながら、私自身もその責を負う立場であります。
私は文書に署名したことと同時に、このことに関しまして、これから国民の皆さんにも十分その真意を御理解をいただいて、そして、先ほど来申し上げておりますように、20世紀で起こったことにつきまして、こうした形で両国の責任者がこうした共同宣言を発し、明日への誓いができたということにつきましては、私は必ずこのことを御理解を、双方の国民にもいただきまして、新しいスタートの、本当の意味での第一歩なるものと深く確信をいたしておるわけでございます。
また、そのことは金大統領も韓国におきまして、そうしたことの御理解をいただけることにつきまして、先ほど来お話がございました。
私は長らく日韓の問題につきまして、国会議員という立場で議員交流をいたしてまいりまして、長い間多くの韓国の政界、経済界、文界、各界の皆さんともお話をいたしてまいりました。率直に申し上げて金大統領とは昨年暮れ、大統領予定者、すなわち選挙に御当選された後、また、日韓の外相会談等におきましてお目に掛かり、実は今回をもって3度目でございます。
この間私も金大統領の今日までの政治経歴の中で自由と民主主義を守る、その一点で何度にもわたって、死線を超えてこられた政治的な大変貴重なキャリアと大きな足跡を残しておられる大統領でございまして、回数こそわずかでございましたが、私は大統領の持たれておられる信念の強さに改めて感銘をいたした次第でございます。
必ずや私は両首脳がまとめられたこの共同宣言に基づきまして、これから我々も努力を傾注いたしてまいりますが、国民の皆様におかれましても、このことについての御理解を得られるものと確信いたしておりますと同時に、我々自身もその努力を傾注していきたいと思っております。是非御協力のほどをお願いいたす次第でございます。
なお、経済問題につきましては、具体的な幾つかの問題につきまして合意を得ました。
また、こうした問題を話し合うために首脳同士はもとよりでございますが、経済閣僚、あるいは関係閣僚、その他政府の閣僚同士の話し合い、あるいはまたハイレベルの協議、更に民間の方々にも入っていただきました両国の経済問題について、大いにこれから積極的に取り組んでいきたいと思っております。日本自身も極めて厳しい経済環境でありますが、我が国は我が国のことのみならず、隣国、韓国の経済発展、これとともに力を合わせてアジア全体の経済に対しての大きな責任を負っているという立場でございますので、相協力して、この日韓の経済協力を更に深みのあるものにしていくことによりまして、その実績を上げてまいりたいということにつきましても、同意をいたしたところでございます。
金大統領  まず拉致事件についてお話しいたします。
私は1980年5月17日、軍事クーデターが起こる少し前に記者会見を通じてこの問題に対する私の立場を明らかにしました。この拉致事件をもって、両国政府に対していかなる問題提起もしないということでした。そして、拉致事件にかかわった犯人たちに対しても、その処罰は求めていないということです。
ただし、このことは人権の問題でありますので、その真相は究明されなければならないということでした。真相究明につきましては、適切な方法を通じて、それが明らかにならなければならないという私の考え方には今でも変わりはございません。
しかし、80年に既に話しましたように、両国政府に対してその責任を追及しないと。そして、その関係者に対する処罰も要求しないという立場には今でも変わりございません。結局、この問題につきましては、その真相が適切な方法で究明されることはできるだろうと今でも考えておりますし、将来この問題に対して必要な意見を明らかにする機会があるだろうと思っております。
経済問題につきまして一言申し上げます。
両国の経済協力につきまして、小渕総理大臣からお話がありましたので、私はそれに対して同感しますし、詳しくは申し上げません。
既に私は昨年の暮れから始まった韓国の外貨危機に際して、日本が世界のどこの国よりも積極的にその外貨危機の克服のために協力をしてくださったことに対して、公式に感謝するということを申し上げました。
そして、今回の会談で日本側が我々の経済危機克服のために多くの協力の意思を表明してくれたことに対しても感謝しております。ただし、これに対して2つを明確にしておきたいと思います。
1つ目は、日本が自国の状況も非常に厳しい中で韓国の経済に対して支援をしてくれる、その意味に対して心から感謝を申し上げたいと思いますし、我々は国内的に徹底した経済改革の努力をすることによって必ず我々の経済を回復させ、そしてこの難局を克服することによって日本が支援をした、そのやりがいがあるようにするために私は責任を持って努力していくことをここで申し上げます。
もう一つは、経済は経済であるということです。日本からも韓国に対する投資、そして経済協力。それは同時に我々の利益にもなりますけれども、日本の利益にもなるというふうな政策を取っていきたいと思います。
投資に関して申し上げれば、世界の中でどこの国よりも一番よい環境を整備していきたいと思っております。それによって日本の投資家が韓国で経営に成功して利益を上げるということです。
そして、貿易におきましても、相互利益の原則の下で推進していきたいと思っております。そのような意味で日本との貿易におきまして、問題になりました輸入先多角化の政策に対してもそれを繰り上げて早目に廃止する措置を取る予定でございます。
このようなことから、日本の経済協力が、我々の経済発展のためにもなりますけれども、日本の経済のためにもなるように、そのような協力関係を推進していきたいと思っております。
そして、日本が韓国に対して関税引き下げ、農畜産物輸入増大、つまり韓国の対日輸出を増大させることによって、これまでの貿易不均衡を最大限縮小していくことを願っております。
ありがとうございました。 
談話・日本長期信用銀行について / 平成10年10月23日
1.本日、日本長期信用銀行より、「金融機能の再生のための緊急措置に関する法律」(金融再生法)第68条第2項に基づき、「その業務又は財産の状況に照らし預金等の払戻しを停止するおそれが生ずると認められる」旨の申出を受けた。
2.金融再生委員会の設立までの間、同委員会の権限を代行する内閣総理大臣としては、長銀からの申出を踏まえ、その財務状況をも勘案し、本日、金融再生法第36条に基づく特別公的管理の開始の決定を行い、併せて、同法第38条に基づき、預金保険機構による特別公的管理銀行の株式の取得の決定を行ったところである。
3.今般の特別公的管理の開始の決定後も、長銀は、基本的には、従前通り、通常の業務運営を行うことになるが、金融再生法上の特別公的管理銀行として、例えば、新経営陣の選任、業務基準及び経営合理化計画の策定及びその承認、取得株式の対価の決定等、所要の手続が進められていくことになる。また、長銀からの申出と同時に、資産劣化防止の観点から、金融監督庁長官より同行に対し、銀行法第26条に基づく業務改善命令を発したところであり、長銀においては、新経営陣の就任前であっても、この命令を踏まえ、適切な業務運営を行っていくことが求められる。
4.今後、長銀に対しては、金融再生法に基づき、預金保険機構が業務に必要な資金の貸付けや特例資金援助を行うこととなっており、この結果、長銀の預金、金融債、インターバンク取引、デリバティブ取引等の負債は全額保護され、期日通り支障なく支払われるとともに、善意かつ健全な借手への融資も継続されることとなっているので、利用者におかれては、心配されることなく、良識ある行動を取られることを強く希望する。
5.政府としては、今後とも、預金者等の保護と信用秩序の維持、内外の金融市場の安定性確保に万全を期して参りたい。 
記者会見 / 平成10年11月2日・大阪市
● 2つ質問をさせていただきます。まず一つ、政府は、減税や景気対策など、地方財政の歳出をも伴う政策を行おうとしていますが、総理は破綻を目前にした地方自治体の財政再建に向けた施策を何かお考えでしょうか。あれば具体的にお答え願いたいと思います。続いて二つ目です。大阪ではオリンピックやサミット誘致の機運が高まっていますが、オリンピックに関しては、国内候補都市として大阪市が決まったものの、誘致に向けた閣議了承がいまだ行われておりません。両イベントの政府の誘致に関する具体的な方策があればお答え願います。
それではお答え申し上げますが、御指摘のとおり、地方財政が極めて厳しい状況にございまして、特に大都市部の府県で、景気の低迷によりまして、法人関係税を中心とした税収の落ち込みが非常に大きい。さらにここにまいりまして一段の厳しさを増しておるという状況については、十分認識をいたしております。先般の知事会議におきましても、山田知事が参られまして、冒頭このことを主張いたしております。
一方で、我が国経済は極めて深刻な状況にあることから、まず国、地方を挙げて当面の緊急課題である経済再生に全力を尽くす必要があると考えております。したがいまして、今後の景気回復策の実施に際しましても、地方自治体をはじめ関係方面の意見を十分承りながら、地方財政の運営に支障が生ずることのないよう適切に対処するとともに、個々の地方自治体においても、徹底した行財政改革を推進していただくことなどにより、地方財政の健全化を高めてまいりたいというふうに思っております。
重ねてですが、極めて厳しい財政状況にあることは承知をいたしておりますし、各市の地方税関係の税収が極めてこれまた厳しい環境にあります。そういう中で、実は国としての税制改正も考えておるところでございまして、これに伴いまして、国税・地方税との問題も起こってまいっておりますので、早急に大蔵大臣、自治大臣に指示を申し上げて、この調整方についても、最終的に減税を行うという場合には、調整が可能なようにいま折角の努力をお願いしておるというところでございます。
第2の大阪の五輪誘致についてでございますが、オリンピック開催を我が国でするということは、我が国のスポーツの普及、振興、国際親善の推進、社会経済の活性化等にも大きな意義を有することは認識をいたしております。
今回のオリンピックの大阪招致の活動につきましては、過去のオリンピック招致と同様、大阪への招致や開催に対する支援のあり方などについて、閣議了解が必要であると考えております。現在は文部省をはじめとする関係省庁におきまして鋭意検討を進めており、できるだけ早い時期の閣議了解を目指して取り組んでおるところでございます。今後とも大阪オリンピックの招致活動が円滑に展開できるように、適切に対処してまいりたいと思っておりますが、恐らくこのオリンピックについては、世界のかなりの有力な国が立候補されるのではないかと聞き及んでおります。そういう中で我が国大阪が何としても開催地に選ばれてほしいというのが日本国民の気持ちの総するところだと思いますので、そういう意味から言いましても、国を挙げてこれを支援するという意味での閣議了解というものは極めて重要だと理解しております。
過去大体、自治体がオリンピックを開催する年、それから開催都市の決定の時期、あるいは正式立候補、こういうのがあるわけですが、ぜひ閣議了解をできる限り早い時期にこれを行って、そして準備万端怠りないという日本の体制を整えていくことは極めて大切なことだという認識は深くいたしております。
● 今月の半ばに、政府が第三次補正予算をお決めになりますけれども、その内容で特に重視したいと思われている施策にどういうものがあるかということです。いまのところ事業規模10兆円超と言われていますけれども、その超にどの程度の上積みを考えていらっしゃるのか。現時点でのお考えをお聞かせください。
我が国の経済の現下の厳しい状況にかんがみまして、経済対策閣僚会議を開催いたしまして、11月半ばまでに緊急経済対策を策定することを決意いたしたところでございます。先週末に各省庁から提出された景気対策臨時緊急特別枠に盛り込まれる施策を含め、私の10月6日の閣議における指示に基づき検討されてきた施策を十分吟味して、タイムリーかつ効果的な緊急対策をとりまとめまして、これを受けまして、第三次補正予算を編成することをいたしたいと思います。
なお、その規模につきましては、従来より公約として、事業規模10兆円超の補正予算と申し上げているところでありまして、当初予算や一次補正の執行状況も見きわめつつ、現下の景気情勢に的確に対応した補正予算を編成するよう努力してまいりたいと考えておりますが、現下の経済状況の厳しさにかんがみまして、先般来、各省庁最高責任、すなわち大臣・長官に、それぞれとしてどういうものができるかということを十分検討して、これを提出してほしいということをいたしておりますので、そういった意味では、考え考え抜いて各省庁とも出してきていると思います。
それと同時に、政府与党といたしましても、現在の状況の中でいわゆる「10兆円を超えるような予算を」と、こういうことを言っておりますし、かなり党の幹部の皆さんにおかれましては、10兆円の中身についても、俗に言う真水でどの程度できるかということについて、強い主張もあるようです。ですから、当然のことですが、政府与党としての強い要請というものも受けとめなければならぬと思っておりますから、党の方からもより良い補正予算の中身というものが具体的に出てくるということであれば、私は常々申し上げておりますように、この機会に少しずつ出動するのではなく、やるべき時はきちんとやらなければならぬということを申し上げておりますので、しかし、それにはその内容が極めて重要なのでありまして、今時点において景気回復に大きな効果を発揮するということがポイントでありますが、同時に、これは長期にわたりましてもそういう施策が有効に国のために働くということでなければならぬと思っておりますので、ここは党・政府を挙げて補正予算の編成に向けて、大車輪で頑張ってみたいと思っております。
● 最後の質問になります。臨時国会を前に自民党は野党との政策協議を始めておりますが、特に自由党、公明党との連携について、どのような姿勢で臨むお考えでしょうか。特に商品券構想が出ておりますが、この実現性について総理はどうお考えでしょうか。よろしくお願いします。
まず最後の方の商品券構想につきましては、先日、公明、新党平和からの申し入れを神崎・浜四津両代表からお受けをいたしました。そのときに申し上げましたが、この問題については、実務的に種々の困難の問題もありまして、なかなかその発想自体がまだ初めてのことでございますので、その時点ではお答えを申し上げずに、この点については与野党間で十分御議論いただきたいということで、私お答えをいたしておきましたが、その後、自民党と平和、改革、公明とこの問題について政党間で話し合いが始まったように聞いておりますので、そうした動向も十分見きわめながら対処していかなければならないと考えております。
前段の各党との関係につきましては、過ぐる143国会をかえりみて、金融二法についても、再生法案あるいは健全化法案、それぞれ賛成をされた政党の組み合わせが違っておったわけですね。したがいまして、国会ですから、そうした国会の場面を通じて法案について議論をし、かつ、時には議員立法というような形で国民のために必要な法律というものを制定していくことは、これは国会のあるべき姿だと考えております。
ただ、政府といたしましては、政府としての基本的な考え方もございますので、政府としてこれが必要だという法案につきましては、これを野党の皆さんの御理解を得て法律を制定していくということも、これまた当然のことだろうと思うのですが、顧みますると、いろいろな各党間の話し合いというのに若干の時間を必要とした。これも民主主義でございますから、当然だろうと思いますけれども、あらかじめ国会が始まる前に、話し合いのできるものは私はしてもよろしいのではないかというふうに思っておりまして、したがって、いまこの商品券問題については、関係の政党と、それからまた、中堅企業に対する貸し渋りの問題等について、これについての諸施策がないか否かについては、自由党と自民党といろいろ話し合いを始めておるところでございまして、そういった形で各党間との話し合いの中で、より良き法律を制定していく作業も必要かと思いますが、今後、各党間との話し合いは、いずれにしても、積極的に政府としては、当然のことながら与党と、そしてまた野党の皆さんにも御協力を得られるような形のものをつくり上げる努力によって、各党間の支持を得て、国会に対処していきたいなというふうに考えております。 
説示 / 平成10年10月23日
金融再生担当大臣として任命するに当たり、私の考えを述べ、格段のご協力をお願いする。
一.今般、金融機能再生法、金融機能早期健全化法を「車の両輪」とする新たな法的枠組みが整えられ、本日施行となる。今後は一刻も早くその執行体制を確立することが重要である。金融再生委員会の発足は、本年十二月十五日までに行うこととされており、極めて短時日ではあるが、この間、委員の人選をはじめとする諸準備について、遺漏なく進めていただきたい。
二.金融再生委員会発足までの間は、法律上、私自身がその役割を担うこととなっている。現下の金融経済情勢を踏まえれば、委員会発足までの間、行政の空白を生じさせることなく、的確、着実な執行を行う必要がある。特に、金融機関の資本増強については、金融システム安定、景気対策等の観点から新たな法制の趣旨ができるだけ早く実現するよう、進めていかなければならない。その際、金融市場への影響にも配意しつつ、資本増強制度と検査監督行政の双方の運用を効果的に連携させていくことが必要である。担当大臣の任命は、とりわけ、この総理代行期間中の私の補佐役の重要性を考えたからであり、よろしくお願いしたい。
三.また、金融本来の健全な資金仲介機能が発揮されるよう、金融機関のいわゆる貸し渋り対策も重要である。これまでも種々の対応を図ってきたが、新たな法制に関していえば、金融機能早期健全化法における資本増強の申請の審査に当たり、借り手に対する融資の姿勢を重視することにしたいと考えている。中小企業等に対する信用収縮の問題への対処は、金融機能再生の大きなポイントであり、この点にも十分留意されたい。なお、通産省、大蔵省には、別途公的金融の分野での対応を強化するよう指示するつもりである。
四.更に、先の国会での議論を踏まえても、金融システムの安定に関しての国民の幅広い理解の必要性は改めて痛感されるところであり、広報の充実等にも意を用いる必要がある。
五.いずれにしても、以上の施策や課題については、私自身先頭に立ち、内閣の総力をあげて取り組む考えであるが、特に、貴職には、官房長官ともよく相談し、金融再生委員会設立準備室、臨時金融再生等担当室、金融監督庁、大蔵省等関係行政部局の調整を強力に進めることにより、これらの施策が円滑に推進されるよう取り組んでもらいたい。 
緊急経済対策に関する記者会見 / 平成10年11月16日
おはようございます。
この内閣を経済再生内閣と銘打ちまして、今日まで最善の努力をいたしてまいりましたが、現下の厳しい国内、国際経済情勢にかんがみまして、私といたしまして、各閣僚に対しまして、緊急経済対策を打ち出すべく知恵を絞って政策を打ち出すよう求めてまいりましたが、今朝、9時から経済対策会議を開きまして、緊急経済対策を決定をいたしましたので、この機会に国民の皆様にも御理解を求めるべく会見をさせていただく次第でございます。
まず、初めに申し上げたいことは、この緊急経済対策は現在の厳しい経済情勢から抜け出して、日本経済を一両年に回復軌道に絶対乗せていかなければならぬ。その第一歩になるものであると、こう考えておりまして、そのために、まず来る11年度に次の図の3つの目標を達成いたしたいと思っております。
第1に、自信を持って、はっきりとプラス成長を実現したいということであります。
第2には、失業者を増やさない、雇用と起業の推進ということでございます。
第3には、対外経済摩擦を起こしてはならないということでございまして、ひとり日本の経済回復そのものは、我が国の経済を活性化することではございますが、同時に日本の経済の大きさから考えまして、諸外国にいろんな経済摩擦を起こしてはならない、この3つのポイントを中心にして今回まとめさせていただいたということでございます。
そこで、まず、やらなければならないことは、何と言っても不況の環を断ち切らなければならない。経済の不況時にはごらんの図のような悪循環が生ずるおそれがございまして、すなわち企業その他、ビジネスにおきましては、売上げが減少する。需要が不足をしてくると。当然ですが、利潤が低下してくる。そうなりますと、経営が極めて不安になってくる。そこで企業の信用収縮が起こってくる。
そうなりますと、金融機関は貸し渋りが起こって、信用収縮になってくる。それが結局、企業はリストラをしなければ経営ができなくなる。同時に、投資も抑制をされる。これはまた、売上げ減少と、こういう循環になりますが、リストラをすれば当然でございますけれども、こちらの方の個人の所得の減少ということにつながってくるわけでありまして、これは当然雇用不安を生ずる。雇用不安が起こってくれば、消費を控えるということが起こってくる。これが売上げの減少と。この2つの循環が重なって、いわゆる悪循環が起こるわけでございますので、この環を是非どこかで断ち切っていかなければならぬ。そのためには、まず金融対策によって貸し渋りを断つ。この信用収縮に対して、どうしても政府としては貸し渋りを断つような政策を行うということが1つのポイント。
それから、同時に景気回復策によりまして、需要の不足を断つ。この環をどうしても断ち切らなければならないということでございまして、この不況の環を断ち切ることが、まず日本経済の再生に必要なことだと、こういう趣旨をもちまして、今回の対策を打ち出させていただいたということでございます。
そこで、それでは次にどう対策を講ずるかということでございますが、1つは、総事業費17兆円を超えるところの政策を遂行すると。それに、いわゆる恒久的減税6兆円を含めますれば、優に20兆円を大きく上回るところの規模で活性化を図っていくということでございます。
その内容とするころは、まず、貸し渋り対策といたしまして、5兆9,000億程度、それから社会資本整備といたしまして、8兆1,000億円程度、それから、住宅対策といたしまして、1兆2,000億程度、これは特に今回雇用対策というものに非常に注意、注目をいたしたわけでございまして、そういった意味で1兆円程度のものをしようと。
それから、これも御案内のとおりでございますが、地域振興券を0.7兆、すなわち7,000億円発行いたしまして、地域振興のためにこれを活用していただくということでございます。
更に、アジアに対する対策として、1兆円程度でございますが、今回日本の景気後退がアジアに及んでおる。また、アジアの金融・通貨不安が現地における経済活動を停滞せしめている。それがまた、我が国に波及してくる。また、我が国としては、そうした国々に対する輸入が減少する。これがまた、その地における輸出を減少させることによりまして、ある意味で、また東南アジア全体との関係におきましても、日本経済が非常に大きくプラス・マイナス双方に問題を起こしているということでございますので、この点につきましても、海外に対しての政策も今回講ずることが必要であると、こう考えておるわけでございます。
次に、景気回復策の重点施策でございますが、第1に、21世紀先導プロジェクトという重点的な投資ということでございまして、4つのプロジェクトを考えさせていただいております。もとより、今次、この時点における経済回復、景気回復を図らなければなりませんが、同時に21世紀に向けての先導的なプロジェクトをこの際明らかにして、その端緒も築いていくという必要があるのではないかということで、4つのプロジェクトを考えさせていただきました。
第2には、生活空間活性化。都市の住空間、高齢者にやさしい空間、安全で環境にやさしい空間づくりに重点的な予算配分をいたしていきたいと考えております。
第3には、産業再生、雇用対策でございますが、新事業の創出によりまして、良質な雇用の確保と生産性の向上のための投資拡大の重点化を考えております。
これもしばしば言われることでございますけれども、日米間の開業率・廃業率の比較をいたしますと、米国の場合には開業率13.8%、廃業率11.4%、日本の場合、開業率が3.7%、廃業率3.8%、ほんのわずかでございますけれども、日本の場合には廃業率の方の比率が高まっておるということでありまして、雇用を創出するためにも、新しい企業を起こすと、こういう点が極めて重要であるという意味から、この雇用対策の面からも産業を再生をしていく必要があるということで、この重点方針はそのように定めさせていただいております。
次に、21世紀先導プロジェクト。先ほど申し上げしましたが、未来を先取りするプロジェクトを各省庁連携して取り組んでいくというものでございまして、今般の各省庁、大臣に私は要請いたしまして、それぞれ役所からいろんなプロジェクトが出てまいりましたけれども、そうしたものを総合的に政府としてまとめていく必要があるのではないかということでございまして、関係省庁と横の連絡を十分取り合いながら、同じようなプロジェクトは統一していくということでありますし、また、加速すべきものについては、どこの役所のものだなどと考えずに、政府全体としてやっていかなければならないと考えておりまして、まず第1には、先端電子立国の形成でございまして、たとえて言えば光ファイバー網の整備でございまして、これも従来から政府といたしましても、積極的に取り組んでまいりましたが、この際は本当に従来の発想を超えて、大きく展開していかなければならないということでございまして、今、電話線が、昔の銅線1本であれば、今の光ファイバーは大体10億倍くらいの容量を持つんですが、将来においては、これがその10億のまた100万倍くらいのペタネットと言われるくらいのものに将来としてはやっていかなければならないと考えております。
第2には、未来都市の交通と生活でございますが、例えばノンストップ自動料金収受システムなどでございまして、今、高速道路に入りましても、一番渋滞するのは料金所のところなんです。これは既に欧州におきましては、全部の料金の授受するところではありません、一部でいいんでありますけれども、コンピュータによりまして、後払いができるということですから、そこのラインを通った車はすっと通過していけるというシステムが既に欧米では取り入れられておりますが、残念ながら我が国においてはできない。したがって、車は料金所に列をつくるということになりますので、こうしたものを早急に取り入れていく必要があるのではないかと思っております。
それから、安全、安心、ゆとりの暮らしでございまして、廃棄物の技術やダイオキシン対策などでございますが、特に高齢者の皆さんが歩いて生活のできるまちづくりということを考えておりまして、必ず車でなければ買物にも行けないという現在の発達した購買のシステム、お年寄りは結局、町の中でそういう買物ができるという、これがある意味で安心、ゆとりの暮らしということだろうと思います。
第4に、高度技術等の流動性のある安定雇用社会の構築でございまして、例えばバイオテクノロジーや、教育訓練など、こうした4つの日本を元気にするというテーマで未来を先取りする、日本全体を元気にするねらいにいたしております。
次に、恒久的な減税でございますけれども、これは個人所得課税は平成11年から最高税率50%への引き下げ等によりまして、4兆円規模の恒久的減税を実施してまいりますが、当然のことでございますが、地方財政につきましては、円滑な上に十分配慮しての減税を考えてまいりたい。
第2は、法人課税につきましてでありますが、11年度から実効税率40%程度に引き下げを考えております。
第3には、政策減税といたしまして、特に住宅建設、民間設備投資など、政策税制について精力的に検討して、早急に具体策を図っていきたいと思っております。住宅問題につきましては、住宅ローンにかかわる問題、あるいは土地不動産の流動化等につきましても、十分配意していかなければならないことは、かねて言われておることでございますが、これは政府・党を挙げてこれから十分検討して対応していきたいと思っております。
民間設備投資などの点につきましては、今、コンピュータの2000年問題という重大な問題がございまして、こうした問題については、時限も切られていることですから、これも積極的に取り組んでいきたいと思っております。
第4に、個人消費の喚起と地域経済の活性化を図るために、これは先ほど申し上げました地域振興券の発行ということを考えております。
最後に、世界の経済のリスクの対応でございますが、世界経済、アジア経済にとりましては、日本経済の再生が極めて重要であることは冒頭申し上げたところでございまして、密接な相互依存関係にあるアジア経済を支援してまいりたいと思います。時あたかも実は本日の午後からマレーシア、クアラルンプールでのAPECの首脳会議に私、出席する予定にいたしておりますけれども、この中でこれから論議をされますのは、アジア諸国の通貨危機への対応、あるいはアジアの現地日系企業に対する支援の問題等も極めて重要な問題でございまして、アジア通貨危機への対応につきましては、既に御案内のように、宮沢構想ということで、300億ドル支援することになっております。その内訳等につきましても、現地のそれぞれの国々の御期待、御希望も承りながら、対処していきたいと思いますが、何よりもそうした東南アジアの国々におきましては、我が国に対する輸出というものの大きさを考えますと、この地の経済が活性しなければ、また、我が国にも大きな影響があるということは申し上げたとおりでございまして、例えばタイ、マレーシア、インドネシアの全輸出の25%を日系企業が担っておりまして、そうした日系企業に対しまして、国内で担当してまいりました中小企業金融公庫、あるいは国民金融公庫による融資制度なども考えて、対応していかなければならないと思っております。
この対策は我が国経済を一両年のうちに回復軌道に乗せるための第一歩でありまして、今後平成12年度までの経済再生を図ることといたしまして、機動的、弾力的な経済運営を行ってまいりたいと考えております。
11年度ははっきりとしたプラス成長に転換をさせてまいりたい。このような強い決意を持ちまして、緊急対策を講じようとしております。この対策の緊急、かつ着実な実行に改めて尽くしてまいりますことを申し上げ、国民、皆様方の御理解と、また、御支援をいただきたいと思っております。
若干長くなりましたが、以上、今回の対策につきまして、御報告を申し上げさせていただいた次第でございます。
【質疑応答】
● 総理、時間がなくなりましたので、端的にお答えをお願いいたします。まず、1問目ですが、緊急経済対策では、日本経済を平成11年度にははっきりとしたプラス成長に、また、12年度には本格的な回復軌道に乗せるとの目標を盛り込まれましたが、具体的にはどのような数字を念頭に置かれているのでしょうか。明示していただきたい。また、その目標を達成できなかった場合には、総理としてどのような責任を取るおつもりなのか、お伺いいたします。
まず、数字でございますけれども、総事業費は17兆円を超えるものである。恒久的減税は6兆円を超えるものでございまして、これを総計いたしますれば、優に20兆円を大きく上回る規模でありまして、また、内容的にも充実した対策であると自負しておるところでございます。
申し上げたように、はっきりと11年度にはプラス成長、そして、12年度は回復軌道に乗せたいと、こう考えております。
● 2問目ですが、景気対策の一環として、また、自民党と自由党との連立をにらんだ政策協議の中心テーマとして、消費税率の引き下げ、ないしは凍結問題が論議されております。総理御自身の消費税率の引き下げや、凍結に関する御見解を改めてお伺いいたします。同時に、消費税の福祉目的税化も議論されておりますが、併せて御見解をお願いいたします。
消費税は実は竹下内閣のとき、私、官房長官でございまして、一緒にあの消費税導入につきまして、苦心、苦労をいたしたわけでございます。この消費税率の引き上げは、少子高齢化の進展という我が国の構造変化の税制面から対応するものでございまして、我が国の将来にとって極めて重要な改革であったと、今でも考えております。
消費税に限りませんが、いずれにしても税は低い方がいいという面はございますけれども、税財政の在り方を考えますと、消費税率の引き下げは困難でございまして、この点、国民の皆さんに是非御理解をいただきたいと思っております。申し上げたように、増大する年金・医療・介護等の福祉のための財源をどのようにお願いするかということは、重要な検討課題でございますが、こうしたことを考え、21世紀を展望して、中長期的な税構造はどうあるべきかということは建設的に議論していかなきゃならぬと思っております。
そこで、福祉目的税化につきましては、受益と負担の直接的な関係がいまだ見出すことができませんで、社会保険方式のメリットが失われないかという問題もございますので、幅広い観点から慎重に議論いたしていかなければならない問題だと考えております。 
所信表明演説
(はじめに)
第百四十四回国会の開会に当たり、国政に臨む所信の一端を申し述べます。
現下の最大の課題は、金融システムが健全に機能する基盤を整え、経済の再生を図ることであります。今回臨時国会の開会をお願いいたしましたのも、わが国経済再生のための補正予算、諸施策について、国会の場でご審議いただくためであります。
このような重要な国会の冒頭に、まず防衛装備品の調達を巡る背任事件のことから申し上げなければならないのは、誠に残念でなりません。防衛庁元幹部職員が逮捕・起訴され、更に証拠隠し疑惑まで招いたことは、行政への国民の信頼を失墜させるものであり、心からお詫び申し上げます。防衛庁において、事実関係の徹底的な解明を図り厳正な処分を行ったところですが、新しい体制の下で更に調達機構・制度の抜本的な見直しを進めるなど、信頼回復に全力を尽くしてまいります。公務員諸君には、国民全体の奉仕者であるとの使命を常に忘れることなく自らの職務を全うするよう、強く求めます。また、政党助成金の不正使用疑惑により同僚議員が逮捕されたことは誠に遺憾であり、こうした事件が再び起きないよう、政治家個人が厳しく身を律していかなければなりません。行政、そしてリーダーシップを持って行政を指揮する立場にある政治のいずれもが国民から十分な信頼を得られるよう、議員立法としてご提案いただいている国家公務員倫理法案や政治改革関連法案の早期成立を、改めて期待いたします。
この夏以来、各地で豪雨や台風による災害が発生いたしました。亡くなられた方々とそのご遺族に対し謹んで哀悼の意を表するとともに、被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。政府といたしましては、復旧対策に全力を挙げるとともに、災害対策の強化に一層努力してまいります。
(日本経済再生に向けた取組)
現下の日本経済は、金融機関の経営に対する信頼の低下や雇用不安などを背景として、家計や企業のマインドが冷え込み、消費、設備投資、住宅投資が低迷している状況にあり、地価や株価の低下と相まって、企業や金融機関の経営環境を厳しいものとし、さらには「貸し渋り」や資金回収を招くという、いわば「不況の環」とも呼ぶべき厳しい状況の中にあります。こうした状況から脱却し、一両年のうちにわが国経済を回復軌道に乗せるためには、金融システムを早急に再生するとともに、公共投資の拡大、恒久的な減税等の景気回復策を強力に推進することが必要であります。私は、政権発足以来思い切った施策を果断に決定し、実行に移してまいりましたが、更に今般、平成十一年度において、はっきりプラス成長と自信を持って言える需要を創造すること、失業者を増やさない雇用と起業を推進すること、国際協調を推進すること、の三点を目標に掲げ、百万人規模の雇用の創出・安定を目指し、総事業規模にして十七兆円を超え、恒久的な減税まで含めれば二十兆円を大きく上回る規模の緊急経済対策を取りまとめました。これを受けて編成される第三次補正予算は、国及び地方の財政負担が十兆円を超える規模のものとなります。本対策を始めとする諸施策を強力に推進することにより「不況の環」を断ち切り、平成十一年度にはわが国経済をはっきりしたプラス成長に転換させ、平成十二年度までに経済再生を図るよう、内閣の命運をかけて全力を尽くしてまいります。
緊急経済対策の第一は、金融システムの安定化・信用収縮対策であります。喫緊の課題である金融システムの安定化を実現し、わが国金融機関に対する内外の信頼を回復するため、先の臨時国会において、与野党間の真剣な討議を経て、金融機能再生法及び金融機能早期健全化法を車の両輪とする法的枠組みが整えられ、それぞれ十八兆円、二十五兆円の政府保証枠が整備されました。金融システム全体の危機的状況を絶対に起こさない、日本発の金融恐慌を決して起こさないとの固い決意の下、これらの制度の的確な実施に取り組んでまいります。とりわけ金融機関の資本増強制度は、不良債権の処理を速やかに進めるとともにその財務状況の健全性を向上させる基盤を作るものであり、効果的で十分な活用が期待されます。個々の金融機関においては、その社会性・公共性を認識し、適切かつ十分な情報開示を行い、さらに、金融システム改革の進展の中で、戦略的な業務再構築やリストラに果敢に取り組むなど自らの努力を強く期待いたします。政府といたしましても、新たに設置する金融再生委員会の下で制度の適切な運用に意を配るとともに、金融機関への検査監督の一層の充実を図ってまいります。
金融システムの再生を図る際には、預金者保護に加え、「貸し渋り」や融資回収等による信用収縮を防ぎ、中小企業のみならず中堅企業等に対しても信用供与が確保されるよう、十分な措置を講じていかなければなりません。このため、金融機関への資本増強の審査に当たり、中小企業等に対する融資への姿勢を重視することといたしました。四十兆円を超える規模の資金需要への対応を可能とする「中小企業等貸し渋り対策大綱」を着実に実施するとともに、政府系金融機関による融資・債務保証の拡充などにより、中堅企業等向けに新たに七兆円を上回る規模の資金量を確保するなど、貸し渋り対策に今後とも万全を期してまいります。また、従来、間接金融を中心としていた資金供給ルートにつきましても、金融システム改革の着実な実施による直接金融市場の整備等を通じて、その拡充・多様化を図ってまいります。
緊急経済対策の第二は、需要の回復などを目指した景気回復策であります。経済戦略会議の「短期経済政策への緊急提言」をも踏まえ、二十一世紀型社会の構築に資するよう、即効性、波及性、未来性の三つの観点を重視して取りまとめたものであります。当面は公的需要を中心に景気の下支えを図りながら、民間消費などの回復を通じた民需主導の経済発展に円滑にバトンタッチすることを目指すとともに、景気回復の動きを中長期的な安定成長につなげるため、二十一世紀の多様な知恵の時代にふさわしい社会の構築に向けた構造改革を推進してまいります。
私はかねてより、政治は、国民が将来にわたり夢と希望を持てるよう、わが国社会の将来構想を示すべきであると考えてまいりました。先般、私が、「生活空間倍増戦略プラン」と「産業再生計画」の基本的な考え方を提示いたしましたのも、まさにそうした考え方に基づくものであります。これらの両構想につきましては、来年一月中を目途に具体的な姿を取りまとめ国民の皆様にお示しいたします。今般の景気回復策にも、こうした考え方の下、「二十一世紀先導プロジェクト」や、ただ今申し上げた両構想の実現に向けた施策を重点的に盛り込みました。省庁の枠を超えて、積極的に取り組んでまいります。
景気回復策の第一の柱である「二十一世紀先導プロジェクト」は、先端電子立国の形成、未来都市の交通と生活、安全・安心、ゆとりの暮らしの創造、高度技術と流動性のある安定雇用社会の構築の四テーマにつき、未来を先取りするプロジェクトの実現に取り組み、日本全体を活性化させることを狙いとするものであります。特に、情報通信など多くの省庁に関連するプロジェクトにつきましては、私が直轄する、いわばバーチャル・エージェンシーとでも呼ぶべき体制を設け、省庁の枠にとらわれることなく力を結集して、その推進を図ってまいります。
第二の柱は生活空間活性化策であります。国民がゆとりとうるおいのある活動ができるよう、「生活空間倍増戦略プラン」の実施に当たり、住空間を始めとして、質の高い生活空間の倍増に向けた投資を、民間活力をも活用しながら積極的に推進してまいります。また、個性的で誇りの持てる地域づくりが進むよう、各地域自らが選んだテーマにつき策定される「地域戦略プラン」に関しましても、強力に支援してまいります。併せて、土地・債権の流動化の一層の促進を図るとともに、特に、経済波及効果の大きい住宅投資に関し、財政、税制等にわたる広範な施策を講じ、住宅市場の活性化と住宅ストック形成の支援を図ります。
景気回復策の第三の柱は、産業再生・雇用対策であります。新事業の創出による良質な雇用の確保と生産性向上のための投資拡大に重点を置く「産業再生計画」の基本的な考え方を踏まえ、わが国産業の再生に全力を傾け、起業の拡大を図り、中小企業の活性化を促します。具体的には、新規開業及びその成長支援、既存企業の再活性化のための環境整備、将来のわが国産業をリードする新規・成長十五分野における技術開発・普及などを進めるため、規制緩和や公的支援措置の充実等を図り、また、ベンチャー企業を始めとする中小企業の技術の事業化促進などを図ります。早急な雇用の創出及びその安定を目指す観点からは、中小企業における雇用創出、失業給付期間の訓練中の延長措置の拡充、職業能力開発対策の充実等からなる「雇用活性化総合プラン」を実施し、特に、雇用情勢に臨機に対応して中高年の失業者に雇用機会を提供できるよう「緊急雇用創出特別基金」を創設いたします。これらの施策を強力に推進するため、今国会に新事業創出促進法案を始めとする関連法案を提出したところであり、その速やかな成立にご協力をお願いいたします。
第四の柱は、社会資本の重点的な整備であります。景気回復への即効性や民間投資の誘発効果、地域の雇用の安定的確保の観点に立ち、従来の発想にとらわれることなく、二十一世紀を見据えて真に必要な分野、具体的には、情報通信・科学技術や、環境、福祉・医療・教育などの分野に大胆に重点化いたします。北海道や沖縄など特に厳しい経済状況にある地域や、不況業種の実情にも十分配慮し、地域経済の活性化にも資する即効性の高い社会資本整備への重点的な傾斜配分を行うとともに、民間の資金やノウハウを活用した社会資本整備の推進も図ってまいります。
以上の施策を盛り込んだ補正予算を、速やかに今国会に提出することとしており、その一刻も早い成立に向け、議員各位のご理解とご協力をお願いいたします。
税制につきましては、わが国の将来を見据えた抜本的な見直しを展望しながら、個人所得課税については、平成十一年から最高税率の水準を五十パーセントに引き下げるなど四兆円規模の恒久的な減税を行い、法人課税については、平成十一年度から実効税率を四十パーセント程度に引き下げます。その際、地方財政の円滑な運営には十分配慮いたします。これらの税制改正を具体化する法案は、次の通常国会に提出いたします。恒久的な減税の財源は、当面赤字国債に依らざるを得ませんが、一方で、徹底した経費の節減、国有財産の処分などを進めることはもちろん、長期的には、今後の経済の活性化の状況、行財政改革の推進等と関連づけて財源のあり方を検討する必要があると考えております。また、個人消費の喚起と地域経済の活性化を図るため、一定年齢以下の児童を持つ家庭及び老齢福祉年金等の受給者等に「地域振興券」を交付いたします。
少子高齢化が進むわが国において将来の社会・世代のことを考えるとき、財政構造改革の実現は引き続き重要な課題ですが、まずは景気回復に全力を尽くすため財政構造改革法を当分の間凍結することとし、そのための法案を今国会に提出いたしました。その速やかな成立にご協力をお願いいたします。
最重要課題の一つである行政改革につきましては、二〇〇一年一月の新体制への移行開始を目標とするとのスケジュールは決して後退させないとの強い決意の下、内閣機能の強化などを内容とする中央省庁再編関連法案の来年四月の国会提出を目指し、政治主導で作業を進めます。併せて、中央省庁のスリム化のため独立行政法人化等や業務の徹底した見直しに全力で取り組むとともに、密接不可分の課題である規制緩和、地方分権を強力に推進いたします。特に地方分権につきましては、五月に決定した地方分権推進計画を踏まえた関連法案を次の通常国会に提出するとともに、先日いただいた地方分権推進委員会の第五次勧告に対応する新たな地方分権推進計画を、本年度内を目途に作成するなど、国と地方の役割分担、費用負担のあり方を明確にしながら、その一層の推進を図ってまいります。併せて、地方公共団体における体制整備、行財政改革につきましても、その積極的な取組を求めてまいります。
(「国民と共に歩む外交」の推進)
かねてより申し上げておりますとおり、内政と外交は表裏一体であるというのが私の基本理念であります。世界経済が置かれている厳しい現状を直視するとき、わが国の経済再生に向けた取組は、アジアを始めとする世界の安定と繁栄にとって極めて重要であり、翻って、世界の安定と繁栄なくしてわが国の安全と繁栄はあり得ません。また、依然として不安定な要素を抱えるアジア太平洋地域、とりわけ北東アジア地域における平和と安定の枠組みを一層強固なものとすることは、極めて重要な課題であります。こうした認識に立ち、この秋、私は、世界経済の発展とアジア太平洋地域の安定・繁栄に特に重要な役割を担う米国、ロシア、中国、韓国の各国首脳との会談を始めとする重要な外交日程に、次々と取り組んでまいりました。
日米関係は、わが国外交の基軸であります。私は、就任以来、二度にわたりクリントン大統領と首脳会談を行い、厳しい状況にある世界経済や北東アジア地域における安全保障の問題などに、両国が緊密な協力を行っていくことで意見の一致を見ました。重要な課題である「日米防衛協力のための指針」関連法案等の早期成立・承認に、議員各位のご理解とご協力をお願いいたします。また、米軍の施設・区域が集中する沖縄が抱える諸問題につきましては、先般の知事選の結果を踏まえながら、沖縄県が直面する深刻な経済・失業の状況を直視した上で効果的な振興策を実施するとともに、同県の協力と理解の下、SACO最終報告を踏まえ、米軍施設・区域の整理・統合・縮小に向け、今後とも強力に取り組んでまいります。
先日、私は、わが国総理として二十五年ぶりにロシアを公式に訪問して、エリツィン大統領と首脳会談を行い、両国間の創造的パートナーシップの構築に向けたモスクワ宣言を発表いたしました。これにより、両国の関係は、「信頼」の強化を通じて「合意」の時代へと発展し、さらには「実行」の時代へと切り拓かれていくものと考えます。北方領土問題につきましても、両国が合同で国境画定委員会及び共同経済活動委員会を設置するとともに、旧島民やその家族による北方領土への自由訪問の実施に原則的に合意するなど、橋本前総理がエリツィン大統領との間に築いてこられた信頼関係を基盤として、その解決に向けて着実な進展がありました。今後とも「間断なき対話」の継続を通じ、様々な分野における関係を強化しながら、東京宣言及びモスクワ宣言に基づき、二〇〇〇年までに平和条約を締結するよう全力を尽くしてまいります。
現在、江沢民主席が、中国の国家主席としては初めての国賓として訪日されています。日中平和友好条約の締結から二十周年を迎える本年、江沢民主席との間で日中共同宣言を作成し、二十一世紀に向けた協力の強化に関する共同発表を行いましたことは、日中関係に新たな節目を画するものであります。今後とも、日本と中国は、アジア太平洋地域全体の平和と発展に責任を有する国家として、単なる二国間関係にとどまらず、国際社会に目を向けた対話と交流を一層強化させてまいります。
先月、私は金大中大統領と胸襟を開いて話し合いを行い、過去の問題に区切りをつけ、二十一世紀に向けた新たな日韓パートナーシップを構築することを宣言いたしました。民主主義のためにまさに身命を賭してこられた大統領の国会での演説は、同じく民主主義の推進を絶えず胸に刻みながら政治に携わってきた者として、深い感銘を受けずにはいられませんでした。これを契機として、今後、日韓共同宣言や行動計画を基礎として、日韓関係を更に次元の高い友好協力関係に発展させていきたいと考えております。明日、鹿児島での日韓閣僚懇談会に私も出席し、こうした流れを一層確固たるものとしてまいります。また、長年の懸案であった日韓漁業協定につき基本合意に達したことを踏まえ、今国会に条約及び法案を提出いたします。新しい漁業秩序の早期構築に向け、議員各位のご協力をお願いいたします。
アジア太平洋地域の平和と安定の確保を考えるとき、北朝鮮による先般の弾道ミサイルの発射は重大な懸念を与える出来事であり、また、「秘密核施設」疑惑はこうした懸念を更に拡大するものであります。これらの問題についてわが国は、米国、韓国などと緊密に連携を取りながら対応しているところであり、今後とも、この地域の安定のために力を尽くしてまいります。北朝鮮に対しましては、これらの国際的な懸念や日朝間の諸懸案の解決に向け建設的に対応するよう、改めて強く求めるものであります。こうした状況の中で、わが国の安全を確保するためには、適切な情報収集に努めることが必要であり、安全保障や危機管理に資する情報の収集・分析・伝達等に関し、所要の措置を講じていく必要があると考えております。
アジア経済の安定は緊急の課題であります。私は、アジア各国の通貨・経済危機に対処すべく、従前からの総計四百四十億ドルに上る支援策に加え、新たに三百億ドル規模の資金支援スキームの実施を決定いたしました。更に今般、アジアの成長と経済回復のための日米共同イニシアティブを取りまとめ、日米両国が中心となって、多数国間の枠組みの中で、アジア諸国の資金調達を支援していくことを明らかにいたしました。こうした考え方の下、今回の緊急経済対策の重要な柱の一つとして、世界経済、中でもアジア経済の安定のため、「アジア通貨危機支援資金」の設立を通じた資金調達支援などのアジア諸国の通貨危機等への対応策や、政府系金融機関による融資制度の創設・拡充等を通じた現地の日系企業などに対する支援策を盛り込んだところであります。先週マレイシアで開催されたAPEC首脳会議において、私は、アジア各国の経済回復のためできる限りの支援を行うとの方針を改めて表明し、これに対し、各国の首脳から高い評価と強い期待が表明されました。また、国際金融システムの強化や、アジア経済を回復軌道に乗せていくための取組などについても、有意義な意見交換を行ってまいりました。来月半ばには、ヴィエトナムにおいてASEAN諸国との首脳会合が予定されており、アジア経済危機の克服のための協力や、わが国とASEAN諸国との関係の強化などについて、率直な話し合いを行いたいと考えております。
この度、ハリケーンにより甚大な被害を受けた中米諸国への支援の一環として、ホンデュラスに対し、自衛隊を初めて国際緊急援助隊として派遣いたしました。その活動は、現地で非常に高い評価を受け、また感謝されていると聞いております。
今後とも「国民と共に歩む外交」を推進し、国際社会におけるわが国の地位にふさわしい役割と責任を積極的に果たしてまいります。
(むすび)
日本経済は極めて厳しい状況にありますが、私は、わが国は経済的・社会的に強固な基盤を有しており、これまで申し上げてきた政策を果断に実行することにより、力強い成長を再び始めることを確信しております。国民の皆様、自信を持って共に歩もうではありませんか。
明日の日本のために、今何をなすべきか、私たちは国民の叡智を結集して真剣に検討し、その実現に全力を挙げていかなければなりません。そのため、例えば経済分野であれば、私に直属する「経済戦略会議」の場で専門家の方々のご意見を承ってまいります。また、国民の皆様一人一人の立場からのご意見を幅広く伺うため、私は今まで、中小企業の経営や社会福祉、農業などの現場を訪ね、また、勤労者、学生、主婦など様々な立場の方々のご意見をお聞きし、私の考えを直接お話しする機会を、積極的に設けてまいりました。厳しい叱咤や激励の声も承りましたが、そうしたご意見は謙虚に受け止め、政策形成の過程に十分反映させてまいりたいと考えております。
内外ともに困難な現下の状況にあって、私は、国家の発展と国民生活の安定を図るため、政党間の連携を深め、党派を超えて様々な意見に耳を傾け、合意を求めて、国民のために責任ある政治を行ってまいりたいと考えます。国民の皆様並びに各党、各会派の議員各位のご支援とご協力を心からお願い申し上げます。 
談話・日本債券信用銀行について / 平成10年12月13日
日本債券信用銀行については、今般の金融監督庁検査により、本年三月末時点で債務超過となると見込まれ、金融監督庁は、同行に対し、債務超過を解消するため採り得る資本充実策等について、逐次報告を求めてきたところであるが、検査結果通知から一か月近くが経過しようとする中で、同行より実現性のある資本充実策が提示されないまま今日に至った。
金融再生委員会の設立までの間、同委員会の権限を代行する内閣総理大臣としては、こうした状況を踏まえ、本日、「金融機能の再生のための緊急措置に関する法律」(金融再生法)第三十六条に基づく特別公的管理の開始の決定を行い、併せて、同法第三十八条に基づき、預金保険機構による特別公的管理銀行の株式の取得の決定を行ったところである。
今般の特別公的管理の開始の決定後も、日債銀は、基本的には、従来通り、通常の業務運営を行うことになるが、金融再生法上の特別公的管理銀行として、例えば、新経営陣の選任、業務基準及び経営合理化計画の策定及びその承認、取得株式の対価の決定等、所要の手続きが進められていくことになる。また、特別公的管理の開始決定と同時に、資産劣化防止の観点から、金融監督庁長官より同行に対し、銀行法第二十六条に基づく業務改善命令を発したところであり、日債銀においては、新経営陣の就任前であっても、この命令を踏まえ、適切な業務運営を行っていくことが求められる。
今後、日債銀に対しては、金融再生法に基づき、預金保険機構が業務に必要な資金の貸付けや特例資金援助を行うことになっており、この結果、日債銀の預金、金融債、インターバンク取引、デリバティブ取引等の負債は全額保護され、期日通り支障なく支払われるとともに、善意かつ健全な借手への融資も継続されることとなっているので、利用者におかれては、心配されることなく、冷静な対応をお願いしたい。
政府としては、今後とも、預金者等の保護と信用秩序の維持、内外の金融市場の安定性確保に万全を期して参りたい。 
1999

 

年頭記者会見 / 平成11年元旦
(はじめに)
明けましておめでとうございます。
新しい年、平成11年、1999年は歴史の節目となる年と考えます。
10年前に、国内では、昭和から平成へと時代が移り、世界的には、ベルリンの壁が崩壊し、東西冷戦が終結いたしました。こうした歴史の転換点以降、バブル経済の崩壊、ロシア・東ヨーロッパの市場経済化、民族紛争の激化など次々と起こる中で、これまでに様々な模索が行われてまいりました。
四半世紀、25年前は、石油危機の真っ只中でありました。当時、我が国は将来についての不安で覆われておりましたが、省エネ努力などに取り組み、危機をバネに日本経済の力がむしろ強化されたことが改めて思い起こされます。「危機」という言葉は、「機会」=チャンスともとらえられます。日本経済は厳しい状況にありますが、今年は困難に打ち勝ち、これをチャンスとして受け止め、将来に向けて大胆に取り組んでいく年にしたいと念願いたしております。
1999年は次の千年に入る前の最後の年でもございます。
こうした年を迎え、身が引き締まる思いですが、10年前に、私は昭和から平成へという時代の節目を官房長官という立場で経験いたしました。元号を発表した私が、10年後に政府の責任者となっていることについて運命的なものを感じつつ、日本が今後進んでいく方向について私の考え方をお話しいたしたいと思います。
(小渕内閣の課題等)
まず、改めて国民の皆様に、小渕内閣が何を課題として取り組んでいるのか、お話ししたいと思います。
私は、この内閣の課題として「五つの安心」と「真の豊かさ」の実現を掲げたいと考えております。
(経済再生への安心)
第一の安心は、「経済再生への安心」であります。私は、この小渕内閣を「経済再生内閣」と位置付け、この問題に真正面から全力投球をいたしてまいりました。
現下、日本が陥っている「不況の環」を断つべく、1金融システムの再生策、2需要の拡大を目指した景気回復策、そして、3産業の再生と雇用対策の促進、を主眼として、予算面、税制面でかつてない大胆な取り組みをしてきたところであります。
なお、所得税の恒久的減税に関しまして、本年1月から3月までの間の給与等の減税につきましては、源泉徴収義務者の方々に大変なご苦労と負担をかけますが、できるだけ簡便な方法によりまして、本来の年末調整での実施を前倒しして、夏のボーナスの支給月である6月分の給与から実施できるようにいたしてまいります。
私は、政府の施策が民間経済の真剣な努力と相まって、必ずや成果を生み出し、来年度には「はっきりしたプラス成長」となることを確信いたしております。同時に、私は、将来への不安を払拭し、明るい展望を持てる社会を築くための経済的基盤をつくり上げていくべきであると考え、昨年末の経済戦略会議の提言をしっかりと受け止め、思い切った構造改革に取り組んでまいります。
これとも関連し、私は、21世紀の我が国の経済社会の指針として新たな経済計画を策定いたします。その際、できる限り広く叡知を結集し、成長率の目標を中心とした従来の発想を超えまして、日本のあるべき姿を探るものにいたしたいと思います。
また、私は、将来世代のことを考えますと、大変重い課題を背負っていると痛感しております。それだけに、我が国が回復軌道に乗った段階におきまして、21世紀初頭における財政・税制の課題について、もう一度、幅広く、かつ、しっかりと検討を行い、その姿を提示していかなければならないと考えます。
既に前向きの動き、「胎動」が感じられるようになりつつあります。また、日本の経済を支える基礎、すなわち巨額の対外資産や個人貯蓄、製造業の「底力」、教育水準や勤勉といった日本人の資質などでありますが、これらが依然として国際的に見ても強いものであることを思えば、私は日本経済が再生することにいささかの疑いも持っておりません。
今、私たちに必要なことは、自分たちの国日本に自信と誇りをもって、共に歩き始めることではないでしょうか。
(雇用(働く場)についての安心)
第二に、雇用すなわち働く場についての安心であります。
長引く景気の低迷の中で、企業の倒産や失業者が増大するなど、雇用の不安が増大し、消費にも大きな影響を与えております。中高年の方をはじめとして働く意欲と能力のある方々に対して、働く場が確保される環境をつくるよう全力を尽くしていく覚悟であります。
雇用不安と消費低迷の悪循環を断ち切るため、昨年の「緊急経済対策」におきまして、目標の一つに、「失業者を増やさない雇用と起業、即ち業を起こすこと、の推進」を掲げまして、百万人の雇用創出・安定を目指し、思い切った対策を決定いたしました。
また、雇用不安を払拭するためには、これに加え、質の良い働く場を創り出すことや規制緩和を通じまして、人材が新しい産業へ円滑に移動できるようにいたしてまいります。
(環境に対する安心)
第三に、私たちの豊かな地球、国土、地域の環境に対する安心であります。
緑豊かな環境を守り、子供や孫の世代に引き継ぐことは、私たちの誰もが願うことであり、今生きる者の責任だと信じます。しかし、今や環境の問題は、一部の加害者による大気汚染等の公害問題から、地球温暖化、ゴミの問題、環境ホルモン、ダイオキシンなど、日常生活や通常の事業活動に深くかかわり、私たち一人一人が加害者であり被害者でもあるような問題へ、大きな広がりを見せております。
私は、地球温暖化をはじめ環境問題に一層積極的に取り組んでまいります。また、現在の大量生産・大量消費・大量廃棄型の社会の仕組みそのものが限界に来つつある中で、私たち一人一人が身近なところから、自然や資源を大切にする社会をつくっていく努力をお願いいたしたいと思います。
(老後に対する安心)
第四に、社会保障制度に関する信頼を確保し、老後を含めた国民生活に対する安心であります。
今後の急速な少子・高齢化の進行や現在の経済の低迷とあいまって、将来の社会保障を巡りまして、国民の間に不安感が増大していることは、私自身、強く感じております。
どんなにすばらしい給付を保障する社会保障を築いても、国民に過重な負担をかけることなく、安定的に運営のできる制度でなければ「絵に描いた餅」に終わってしまいます。介護保険の創設に続き、医療及び年金分野を中心に、効率化を図りながら、国民の皆様にも痛みと負担をおかけすることとなりますが、国民のニーズに的確に応えられる制度に変えていくことが求められると思います。
高齢社会には、単に社会保障の問題に止まらず、高齢者にふさわしい働き方、高齢者が活動しやすい生活環境など国民生活全般に係わる多くの課題が挙げられます。また、こうした社会の仕組みが社会保障の在り方に大きく影響を与えることとなります。
21世紀にも国民の皆様に安心してもらえ、また、満足してもらえる社会保障を築くためには、国民的な議論を行い、21世紀の社会保障について国民的コンセンサスを築くことが是非とも必要であります。
(育児・教育に対する安心)
第五は、育児と教育、すなわち、広い意味では「子育て」に対する安心であります。
少子化の背景として、「子育て」に係わる様々な問題、すなわち、特に女性にとって結婚や育児に伴う負担が大きく、このため結婚をためらう、あるいは、子育てと仕事の継続との両立が難しい、といったことによる選択の結果という面が大きいと言われております。若い男女が共に社会に参画する中で、家庭を築き、子供を育てていくという責任ある喜びや楽しみを経験できるよう、その制約要因を取り除いていくことが必要であります。国、地域社会、企業、家庭を挙げて、雇用の在り方、保育サービスの充実などの取り組みを進めていく考えであります。
また、教育に関して、いじめ、暴力、受験戦争の過熱の問題だけでなく、教育の在り方について、国全体に不信や不安が広がっております。
いじめや暴力の問題につきまして、子供たちの思いやりの心や豊かな感受性をはぐくめるよう、学校での「心の教育」に止まらず、家庭や地域が共同して解決に取り組んでいく必要があります。
受験戦争が過熱し、また、その結果、独創的な人材が生まれにくい等の問題も深刻であります。知識偏重の一律的教育を改め、大学入試制度の改革や中高一貫教育の導入などに、既に取り組みを始めているところであります。
また、今の時代は情報化と国際化が進み、基礎的な素養が、「読み、書き、パソコン、英語」へと変わりつつあります。国としても、例えば、11年度末までには全国の小学校に2人に1台のパソコン教室を整備する計画を進めておるところでありますが、一層積極的に取り組んでいく考えであります。
(「真の豊かさ」の実現)
以上の「五つの安心」を確立した上で私は「真の豊かさ」の実現を国民とともに目指していくことを提案したいと思います。日本は既に十分豊かになったという指摘はあるでしょう。しかし、我々は本当に豊かになったのでありましょうか?狭い住宅、過密な通勤、余暇や緑の少なさなど、生活の質は残念ながら決して高いとは言えません。
社会全体として工夫をすれば、もっとゆとりのある生活、「真の豊かさ」を享受できるはずであります。「真の豊かさ」を実現するための投資は経済再生にもつながってまいります。私の構想であります生活空間倍増戦略プランは、住宅、買物空間、高齢者にやさしい空間などの生活空間の倍増を目指すものであり、こうした「真の豊かさ」の実現に向けた第一歩でもあります。もちろん、「真の豊かさ」とは、こうした生活の質の問題に止まらず、私たちの「心のありよう」「心の豊かさ」に係わるものでもあります。そうした思いも込めまして、私はこの国の目指す姿として「富国有徳」を提唱しておるところであります。
いずれにせよ、「真の豊かさ」として何を求めるのか、新しい日本の「夢」は何なのか、様々な考えがあるでしょう。私はこの課題について是非国民の皆様に幅広く議論していただきたいと考えております。
(外交への取り組み姿勢)
次に、外交への取り組みでございますが、我が国の経済再生は、アジアをはじめとする世界全体の安定と繁栄にとって極めて重要であることは申すまでもありません。経済の相互依存関係が進む中で、日本の厳しい状況は、アジア、ひいては世界に大きな影響を及ぼし、また、アジアの不振は、すぐに日本にも跳ね返ってまいります。アジア経済の支援は、我が国自身の経済回復にとっても大変重要であります。いわば、日本とアジア諸国、そして世界全体は一つの船に乗って荒波を航海しているようなものであります。世界全体が、なかんずくアジア諸国が、日本経済の再生と日本の支援を真剣に待ち望んでいるのでありまして、私は、こうした課題について、引き続き全力を挙げて努力いたしてまいります。
日本への各国からの期待は、経済問題に止まりません。私は、昨年の秋、米国、韓国、ロシア、中国などとの首脳外交に取り組み、12月には、ASEAN首脳との会合に臨みました。これらの会談を通じまして、各国の日本に対する期待が如何に強いかを改めて実感した次第であります。
私は、こうした期待に応え、世界の平和と繁栄に貢献することは我が国の責務であると考えます。地球環境問題、また、ハリケーンに見舞われたホンデュラスへの国際緊急援助隊の派遣に象徴されるような人的な貢献の分野でも、国民の皆様のご理解を得て、積極的に取り組んでまいります。さらに、我が国の平和と安全に直接係わる北東アジア地域の安全保障につきましても、遺漏なきを期してまいります。
近々私は、フランス、イタリア、ドイツの欧州3カ国を訪問いたします。単一通貨「ユーロ」の導入も踏まえ、欧州各国首脳との間でも、日本経済再生のための取り組みへの理解を深めてもらうと共に、国際金融システムの改革などの諸問題について忌憚のない意見交換を行ってまいりたいと思っております。
(小渕内閣の取り組み姿勢・・責任ある政治)
以上申し上げた課題に取り組む上で、国民の政治に対する信頼を確立することが何よりもその前提であります。国民の信頼に応え、明日の日本を切り拓いていくには、責任ある政治こそが求められております。このため、私は時局認識や政策の基本的方向で一致を見た小沢自由党党首と政権を共にする合意をいたしたところであります。
私は、就任以来、節目、節目で決断してまいりましたが、今後とも責任ある政治を心掛けるとともに、国民の強い期待に沿って政治のリーダーシップの確立や中央省庁のスリム化など抜本的改革を行っていく決意であります。
近代の政治家に求められる資質は、「情熱、責任感、先見性」であると言われてまいりましたが、私はこれに加え、多くの国民の声に耳を傾け、またお話をする「コミュニケーションの力」が極めて大事であると信じて、政権発足以来、様々な努力、工夫を重ねてまいりました。本年も是非これを実行していくつもりでありますので、皆様の叱咤、激励、そして本音の声を承りたいと思っております。
最後に、改めて国民の皆様のご理解とご支援を重ねてお願い申し上げ、皆様のご健康とご多幸を心からお祈りいたします。
【質疑応答】
● では、記者団から質問させていただきます。改めまして、明けましておめでとうございます。総理が最後に申された自自連立について、まずお尋ねしたいと思います。総理がおっしゃられたように、自由党と自民党との連立政権が通常国会前にもスタートすることが確定いたしましたが、総理は、この連立政権で、差し当たっての通常国会をどう乗り切られようとしているのか、その政権運営方針。さらにもっと具体的に、内閣改造の時期について、総理の訪欧前ないしは後という可能性もあるのかどうか。もう一点。小沢党首に対して、内閣に入るように要請される、特に副総理として入閣を要請されるかどうか、まとめてお尋ねいたします。
まず、いわゆる自自連立政権樹立のことについてでございますが、私は、このことは、両党における時局認識、政策の基本的方向で一致を見た小沢自由党党首との合意によりまして、政権を共にし、国家と国民に対する責任ある政治を行うというお話でございましたが、迎えます通常国会を乗り切るというだけのものでは決してありませんで、やはりよきパートナーとして、基本的理念、もちろん、同じであれば一つの政党になるわけですが、政党が異なりますから、おのおの異なる点がありますけれども、共通の点は力を合わせて、「国民のために何をなすべきか」という観点に立ちまして、この合意を見ておるところでございます。
世に数合わせというようなことがありますが、これは、言うまでもありませんが、衆議院におきましては、既に両党は過半数をはるかに上回っておりますが、参議院におきましては、現在、過半数の126に対して116議席でございます。そういった意味では、2党合わせましても過半数に至らないということであります。
重ねて申し上げますが、両党、特に党首間でこうした考え方によりまして合意を見ましたことは、これからの両党の考え方を具現化していく、そのことが21世紀に向けての国民に対する責務である、こういう観点で合意いたしたことを改めてご理解いただきたいと思います。
そこで、内閣改造の時期についてお尋ねがございました。この合意によりますと、145通常国会を前にして内閣改造を行うことによりまして、両党の絆をより強固なものにし、私としては、閣内に自由党からもご参加いただきまして、よりかたい形での内閣として運営をさせていただきたいと思っております。
ただ、その期日、あるいはまた、どのような方に入閣をお願いするか等につきましては、現段階では、すべて首班である私にご一任をちょうだいいたしておりますので、真剣に取り組んでまいりたいと思っております。
ただ、昨年の暮れ行われました党首間会談におきましては、自由党から提起されております諸問題がございますので、その問題のために、5つのプロジェクトチームが既に発足をし、仕事を開始いたしております。そうした成り行き等も見通してまいらなければならない点もございますし、プロジェクトチームが自主的・本格的に作業を始めるのは、正直に申し上げまして、この松の内というわけにはまいらないと思いますので、そうした動向も見ながら考えてまいりたいと思っております。
それから、小沢党首の入閣につきましては、私は昨年、「ぜひ自由党として、右代表として、ご入閣をされることを期待しております」、こう申し上げております。この問題につきましては、党首自らが「すべて総理大臣に一任をしておる」、こうおっしゃっておりますので、引き続いて、自由党の内部といいますか、党首はじめ皆さんのお考えに従いたいと思っております。
● 続いて、連立政権樹立に当たっての政策について、何点かご質問いたします。特に安全保障問題について、自由党の要求と政府見解とやや異なっているような印象を持つわけですが、自由党が要求しています国連の平和活動への協力のあり方について、具体的に申し上げて、国連軍ないしは多国籍軍ができた場合の自衛隊の参加の形態をめぐって、憲法解釈を含め、総理ご自身、いまどのようなお考えなのか、改めてお聞きしたい。さらに、次の通常国会での大きな焦点になると思われますガイドラインの関連法案についても、現在の総理のお考えというものをお聞かせください。
まず、いわゆる国連軍への参加問題についてでございますが、実は、合意の中で「国連軍」という言葉は使用しておりません。自由党としては、日本の憲法の前文にありますように、国際協調という立場、それから国連に対する評価、こうした考え方から申し上げまして安全保障に対してお考えを示されております。
しかし、国連総会または安保理の決議に基づいて、国連から要請のあった場合の国連平和活動への参加につきましては、過ぐる臨時国会におきましても、「憲法の理念に基づいて」ということでございまして、この点は、両党間違いない基本的考え方でございます。ただ、安全保障の問題につきましては、先ほど申し上げたプロジェクトチームが第1回の会合を開いておりますので、そこで検討させていただきたい、こういうふうに考えております。そもそも、両党間におきましては、基本的な考え方においてそう差異があるというふうに考えておりません。
それから次に、ガイドラインの問題でございます。この法案は、残念ながら、幾つかの国会を継続しておりまして、これは日米間の約束事として、両国は安全保障に対して責任を持つという立場からも、この日米防衛協力の指針、関連法案につきましては、ぜひ次の国会で成立を期していかなければならないと考えております。
この点につきましても、昨年12月29日の小沢党首との会談におきまして、安全保障の基本原則を確立、その原則に基づきまして、ガイドライン関連法案等の成立を期するということを確認いたしておりますので、これまた、両党間でこの審議に入ります前に、しっかりと討議をし、結論を得て、もちろん両党賛成の上でこれが国会を通過できるように最善を尽くしていきたい、このように考えております。
● 両党の合意事項について、ほかの政策についてもちょっとお尋ねしたいのですが、政府委員の制度のあり方について、自由党の場合は、これを全廃して参考人にとどめるべきだと。役人の答弁の機会を極力少なくしようというお考えなのに対して、自民党は、やや、そうではないというふうに伺っております。
それから、国会議員の定数削減問題について、自由党の要求は、衆参それぞれ50人ずつ削減ということです。これは、議員の個人個人に係わることですので、一朝一夕にはいかない問題と思いますが、現時点で、総理ご自身としてはどのように持っていかれようとするのか、そのお考えをお聞かせください。
基本的には、政府委員制度につきまして、これを廃止して、国会の審議を議員同士の討論方式に改め、そのために必要な国会法改正等の制度を整理し、次の国会で行うということにいたしております。したがいまして、これも、先ほど申し上げましたプロジェクトチームを既に設けまして、第1回の会合を持ち、6日に第2回を開くと承知をいたしております。
この原点の原点をたどれば、国会におきまして、政治家といいますか、あるいは閣僚といいますか、そうした方々が責任を持って野党の皆さんと討論をし、そして、そのことを国民の皆さんのご判断の糧にしなければならないという考え方をいたしますれば、基本的には、政治優位といいますか、そういうことにつながるのではないか。ややもすれば、官僚的な力に大きく委ねるということであってはならない。お互い政治家同士が、十分な議論を通じて考え方を明らかにし、国民の賛否をいただいていくということは、大きな流れであります。それを具現化する方法として、自由党からもこのような提案をされておられるわけですから、これは真摯に受け止めて、従来の問題点について、この際、反省をしながら、新しい方式を生み出す、ある意味ではよき機会でもあると考えておるわけでございます。これも、改めて両党間で十分話し合いを済ませていきたいと思います。
それから、国会議員の定数の問題、これはなかなか難しい問題であります。しかし、現下、国民の皆さんの目から見ましても、国会議員の定数は一定の削減をいたしていくべきだという声も極めて強いことでもあり、また、自由党からもそうしたお考えを示されております。この点につきましても、国会議員の身分に係わることでございますので、政府の立場からこのことを申し上げることは非常に問題があるかと思いますけれども、政治家として、国会のあり方を考えましたときに、これまた真剣に考えていくべき課題である。これも、申し上げたように、両党間でその詰めを行ってまいることに相なっております。
● 次に、自民党総裁選への対応についてお伺いします。今年は自民党総裁選の年でありまして、総理の総裁としての任期は9月で切れると。この総裁選について、再選を目指すお考えがあるのかどうか、その対応をお伺いします。
ズバリと申されましたけれども、私としては、橋本前総裁のあとを継いで総裁になりまして以降、総理大臣となりまして、一日一生という思いで、一つ一つの問題に真剣に取り組んでまいったわけでございます。当面は、昨年末編成させていただいた予算、景気回復のために、それこそ思い切ったあらゆる施策を講じようということで編成させていただきました予算を、来るべき通常国会におきまして、一日も早くこれを成立せしめることが最大の使命・任務と考えております。したがいまして、現時点におきまして、総裁選にどう臨むかということにまで考えが及んでおらないことをご理解いただきたいと思います。
● 続きまして、景気対策についてですけれども、総理は就任以来、「経済再生内閣」ということで、景気回復に全力を上げるというお考えを再三にわたって強調されております。先ほども、冒頭そういうお話があったのですけれども、今年の経済成長に関しては、政府は0.5%の成長ということを決めましたけれども、民間調査機関の平均的な数字を見ますと、マイナス成長というのが大半だと認識しております。こういった情勢を踏まえて、改めて、今年の景気見通しについてお伺いするとともに、仮に、いま言った0.5%が達成できなくなった場合に、追加の対策を打たれるお考えがあるのかどうか。あるいは、もし、そういったものをすべてやった結果、やはりプラス成長を達成できなかったという場合は、責任というものについていかにお考えか、お伺いしたいと思います。
後のほうの2つの、追加の考えがあるか、あるいは、その責任をどうかということにつきましては、これから申し上げますように、内閣としては0.5%の実質成長率を見込んで、是非これを達成していくためにあらゆる努力を講じつつあるわけでございます。そういったことを考えますと、昨年、私、内閣を組閣させていただきまして以来、日本の一番大きな経済の問題は、何といっても金融の安定化ということでございます。これは、不良債権の処理という問題につきまして、バブル以来、後手後手に来たのではないか、それがとどのつまり、日本の金融システムに対する世界の信用を失いかけておったということであります。この問題を、まず国会のご支持を得て2つの法律として制定をした、これで今年から、金融機関も、より健全化のために公的資金も注入され、そして、より健全な方向に歩み出すということが行われ、また、金融機関の再編が進んでくる。こういう過程で、実体経済も必ず回復してくる、また、この阻害要因が、いまのことを含めて、取り除かれていくということでございます。また、予算、その他が十分執行されて、昨年来の第1次の景気対策、それから第2次の景気対策、こういうものが動いてくれば、必ずよい作用を働かせて、公的需要が下支えをしながら、民間需要も緩やかに回復できるだろう。そのために最善を尽くしていくということが、まず最初の問いに対するお答えとさせていただきたいと思います。
● 次に、北朝鮮情勢についてお伺いします。昨年は、テポドンミサイルの発射、あるいは、潜水艇の侵入・撃沈事件等々、北朝鮮をめぐる情勢がかなり緊張しておるという認識をしております。今年は、地下核施設をめぐる疑惑とか、あるいは、94年のジュネーブ合意に基づく重油の供給をめぐる米朝関係の緊張とか、様々な要因から、特に前半、北朝鮮をめぐる情勢が一段と緊張するのではないかという見方が多いと思います。こうした北朝鮮情勢に対して、例えばテポドンミサイルの再発射の観測がかなり出ていますけれども、仮にそうした事態が起きた場合に、どのように対処されるか。あるいは、地下核施設に対する査察問題、これをめぐって日本としてどのように対応されるつもりか。そうしたものを踏まえて、日朝国交正常化交渉全体に対してどのように対応されるか、この3点について具体的にお伺いしたいと思います。
まず、弾道ミサイルのさらなる発射につきましては、現時点では、北朝鮮が近々、更なる発射を行う準備をしているとの確たる情報は有しておりません。北朝鮮の弾道ミサイルの発射につきましては、米国が北朝鮮との協議の場等において警告を行っておると承知をいたしておりまして、我が国としては、仮に更なる弾道ミサイルの発射があれば、この地域における安全保障の問題がさらに深刻になること、北朝鮮がこのことを十分認識いたしまして、不適切な行動をとらないよう求める立場であります。この上で、この問題に関して、密接な利害関係を有する米韓両国と引き続き協調して対処していく考えであります。
この点につきましては、昨年来、韓国の金大中大統領、米国のクリントン大統領と、日韓米、この3カ国が十分情報を交換し、かつ連絡を十分いたし、そして、こうした北朝鮮の行動に対して、そのようなことが行われるということであれば、断固たる対応をとるべきだということについては一致をしておるわけでございます。
なお、核施設疑惑につきましては、情報というものはなかなか入りにくいことでございますが、この点につきましては、直接交渉いたしております米朝間におきましても、その疑惑を解明すべきあらゆる方策をとっておりますので、こうした努力が実り、核施設が地下にないということが明らかになることが、我が国民にとりましても、安全保障の面から極めて大事であるということでありますので、十分な注意をはらっておくべきだろうと思っております。
なお、日本としては、北朝鮮の軽水炉の発電につきまして、日本としてKEDOを通じまして協力をいたすという立場であります。これは、前提としては、核開発を行わないということに相なっておるわけですから、その点につきましては、更に更に注意をもって対処していきたいと思いますし、米韓とも連絡を協調していきたいというふうに思っております。
これからの北朝鮮との国交正常化の問題でありますが、残念ながら、昨年、日本にとりましては誠に思いがけないミサイル発射が行われて、我が国の国土の上空を通過したということでございます。そういうことを考えますと、二度と再びこうしたことが起こらないために、国交正常化交渉の開催は当面見合わせておりますが、現状におきましては、その方針を見直すだけの材料は見当たらないと考えております。したがいまして、いやしくも事前通告なくミサイルを発射するようなことが起これば、断固たる対応をとってまいらなければならぬと思っております。
ただ、少なくとも隣国であることに間違いないし、日本として、国交なきただ一つの国として、北朝鮮の存在というものは日本にとりましても極めて重要でございます。韓半島におきましては、韓国との関係は、昔は「近くて遠い国」と言われました。特に最近、金大中大統領が訪日をされ、まさに韓国との間は「近くて近い国」にいよいよなっておるわけでございますが、残念ながら、近くて全く遠い国が北朝鮮でございます。基本的な考え方としては、将来にわたっては、なるべく近くて近い国になることのできるように努力をいたしていくことは、大変大切なことだという認識をいたしております。
● 次に、日露関係についてお伺いいたします。今年は、春にエリツィン・ロシア大統領が日本を訪問することになったわけですが、北方領土問題の進展の見通しについて、どのようなお考えをお持ちでしょうか。さらに、ロシア側からは「2000年までの解決は困難」というような認識も繰り返し表明されておりますが、特にこの点を踏まえて、どのような対処をお考えでしょうか。
日露間の平和条約を締結して、そして、両国の関係をまさに21世紀に向けて進ませていかなければならない。私は、歴史の流れというものは、もう再び戻ることのできないものだというふうに思っております。特に、エリツィン大統領が最初に訪日をされて、「東京宣言」が発せられて、この4つの島の問題を、東京宣言、クラスノヤルスク合意、川奈合意に基づきまして、その帰属を解決していく、そして、2000年までに平和条約を締結するということにつきましては、もとより日本としても引き続いて全力で努力をしていく。そういう意味から、川奈で橋本総理提案の問題につきまして、今般、私、25年ぶりに日本の首相としてフォローいたしまして、エリツィン大統領とも話し合ってまいりました。一つ一つ問題を解決しつつ、両国間がより接近をしていくという努力が重ねられれば、必ずや、この長年の懸案が解決できるものと信じております。不断なく両国の関係を緊密にしていく努力を引き続いてしていきたいというふうに思っております。
● 次に日米関係ですが、このところ、アメリカ側が対日貿易の赤字の増大に伴いまして、日本に対する批判を強める可能性があるのではないかという見方が出ております。この問題にどのように対処されるお考えか。それからさらに、安全保障問題を含めた日米関係全体をどのように運営されていくお考えかをお聞かせください。
日米関係は、基本的には全く問題はない状況になっておると思っております。ただ、ご指摘にありましたように、日米間の問題の一つとして、時々起こってまいりますのは、両国の貿易収支のインバランスの問題がございます。その点から言いますと、アメリカといたしましては、今年度の対世界商品貿易赤字が過去最大であったということでもございますし、また、対日商品貿易赤字も524億ドル(累計)でありまして、そういった点でたしかに大きなものになっていることは事実であります。
しかし、貿易の収支のみならず、双方の投資の問題もございますし、また、貿易外の収支の問題もございますし、日米間におきましては、種々問題があります。総合いたしますれば、貿易収支の赤字というものは、確にアメリカにとっては大変大きなものであると思いますけれども、一方、国民の皆さんがこれを求められて、多くの製品を米国内に輸入をしておるという実態もあるわけでございます。
しかし、これが政治問題になることのないように、一つ一つ問題の所在を明らかにして、アメリカとの関係を悪化せしめないように努力をいたしていかなければならぬと思っております。
いずれにいたしましても、米国、日本、この両国の貿易の額というものは、GDPはアメリカが25.4%、日本が15.8%。2つの大きな国が大きな経済力を持っておるわけですから、この両国に問題が発生しないようにあらかじめ考えていかなければならないと思っております。
● もう一つ、安全保障面での日米関係について。
安全保障面は、言うまでもありませんが、日米安全保障条約によりまして、日本、あるいは周辺地域の安全を確保するということになっております。この安全保障問題に対しましては、適時、米国との協議は重ねておりまして、両国間の安全保障問題に対する取り組みは、いささかの揺るぎというものはないものと確信をいたしております。日本側としては、先ほど来申し上げておりますように、米国と結ばれましたこの条約に基づいてのガイドラインの問題につきまして、日本側としての法的な整備も行っていきまして、両国間の関係をより緊密なものにしていかなければならない、このように考えております。
● 通常国会の運営について、重ねて質問いたします。先ほど総理ご自身もお認めになったように、自自連立をしても、参院は過半数に足りません。とりわけ今度の場合は、予算をはじめ、ガイドライン法案など、非常に重要な法案が沢山ありますが、この成立を期すために、まず、どの政党に対して協力を求めていくのか、そういうお考えを持っていらっしゃるのかどうか、お聞きしたいと思います。
どの政党といいますか、これは、国会で活動されておられますあらゆる政党に、その理解と協力を求めていくのが筋だろうと思っております。そういった意味では、自民党と自由党というのは、基本的に安全保障政策の考え方に相違があるとは思っておりません。ですから、与党としての考え方をぜひ野党の皆さんにもご理解を求めて、そして究極は、日本の安全保障に係わる問題につきましては、各党に積極的にご理解を求める努力を傾注していきたいというふうに思っております。
● ヨーロッパ訪問なのですけれども、「ユーロ」が誕生したということで、円とユーロ、それとドルの関係について、それと、円の国際化という問題について、総理はどうお考えになって、今度のヨーロッパ訪問ではどういうようなことをご主張なさるおつもりですか。
まさに今回、正月早々にヨーロッパを訪問させていただくこの時期、1月1日からユーロが誕生したという歴史的な大きな年になっているわけでございます。いま、世界貿易に占める使用通貨は、アメリカのドルが48.0%、ヨーロッパが31.0%、それに引き比べて円は5%、これが数字として挙がっておるわけでございます。先ほど申し上げましたように、GDP比との比較においても、日本の円が国際的に使用されるということにおきましては、非常に低い数字になっております。そういった意味で、新しい通貨ユーロが誕生し、米ドルが世界の基軸の通貨として大きなシェアを占めておることに関しましては、恐らくユーロとしてはそれに対しての考え方もあるでしょう。と同時に、円という通貨が国際的に使われる形になることは、ひとり日本のみならず、世界の金融通貨の市場におきましても極めて必要なことではないのか。一つよりも二つ、二つよりも三つという形で、それぞれ責任を分かち合うという形が望ましいと思っております。そういった意味で、ユーロ通貨の誕生した機会に、これを推進してこられました、特にフランス、ドイツの首脳、そしてまた、これに参加したイタリアの首脳と話をしてまいるということは、非常に意義の深いことではないかと思っております。 
記者会見 / 1月4日・伊勢市
● 地元の記者クラブを代表しまして質問させていただきます。まず初めに、首都機能移転問題で総理御自身は首都機能を東京以外に移転させる必要性があるとお考えでしょうか。また、三重、畿央地域への移転の可能性はどの程度あるとお考えでしょうか。お願いいたします。
まず、明けましておめでとうございます。また、報道関係の皆さんにも平成11年が良き年でありますことをお祈り申し上げます。さて、お尋ねの首都機能移転の問題でございますが、この問題は何よりも東京一極集中を是正しなければならない。また、国土の災害対応力を強化しなければならない。阪神・淡路大震災に見られるように、この大都市がそうした自然災害に遭ったときのことを考えますと、首都に対しましても、こうした災害に対する対応力ということもありますし、また東京自身も明治以来、首都として過密に悩んできたわけですが、私自身も空間を倍増していかなければならぬ。潤いのある地域にしなければならぬ。そういう意味で、この首都機能移転というものは大変意義深いと考えておるところでございます。
そこで、現在は国会等移転審議会におきまして、候補地の選定に当たっておるわけでございますが、いわゆる北東地域、東北ですが、または東海地域及び御地に関係の深い三重、畿央地域の3地域を調査対象として今、審議を進めていただいておるところでございます。したがいまして、首都移転につきましては、私自身大変深い関心を寄せているところでございますが、既にこうした具体的な地域の選定にもかかっておるところでございますので、私自身として今ここでその地域について言及することは避けさせていただきたいと思っております。
しかし、いずれにいたしましても、首都機能移転は内閣にとりまして極めて重要な課題でありますので、具体化に向けて積極的に検討をいたしてまいりたいというふうに考えております。名古屋から御地に参りますと、近鉄の電車の中で北川知事さんからでしょうか、大変ご親切な当地区の(首都)機能移転のパンフレットをちょうだいいたしましてよく拝見いたしましたら、その中で既に首相官邸もできておりました。
ただ、衆参両院の間をリニアモーターカーが通ることになっておりまして、そういう意味では夢のあるグランドデザインを拝見いたしましたが、申し上げましたように今、私の段階では、このことについて特にコメントすることは避けさせていただきたいと思います。
● 次の質問にまいります。橋本内閣と小渕内閣とでは地方分権、行政改革への取り組み、姿勢において温度差があるとも伺っております。改めて今後、地方分権、それから行政改革にどう取り組むのか、分かりやすい例を挙げて述べていただけませんでしょうか。
せっかくのお尋ねでございますのでお答え申し上げるわけですが、実は橋本内閣から私の内閣になりまして、行革につきましてはいささかの揺るぎもないということをまず申し上げたいと思っております。今日は太田総務庁長官も参っておられますけれども、橋本内閣はこの行革につきましても大きな理念を明らかにし、その端緒をつくったところでございますが、そうした理念から、今度はこれを実行に移す時期に来ておる。その責めを小渕内閣としては負っているということでありまして、これを完結をさせる、まず具体的な第一歩を踏み出さなければならぬと思っておりまして、橋本内閣はまた総論としての行革をしっかり組み立てましたが、まさにそれを一つ一つ具体化していくのが本内閣の務めと考えておりますので、お言葉にありましたが、若干この温度差ということは温度が低くなっているんじゃないかということだろうと思いますが、全くそういうことはないというふうに思っておりまして、今般4月に国会に提出をいたします種々の関連法案につきましては、政治主導で作業を進めておりまして、独立行政法人化、組織整理、定数削減など、中央省庁のスリム化に全力で取り組んでおるところでございます。
例をということですが、例えば局の数を126から今般90に近いところということで努力をいたしましたが、いろいろ精査いたしますと95ということになりまして、更に男女共同参画ということでこれを1局設けようということで96にいたしました。少なくとも多くの局を整理・統合いたしまして、それぞれの局が機能を十分発揮できるようなそういう形にいたしております。
また来年度予算におきましては、定数につきましても4,000近い削減を試みております。もちろん、金融監督庁のように新たなる責務を負ってその責任を負う庁につきましては、むしろ人員を増員をいたしておりますが、その増員がありましても、今のような数字になっているということは、この内閣としては行政改革はまさに天の声であるという感じで取り組ませていただいておりますので、内閣の主要課題としてこの問題については積極的に必ず実の上がるように努力をいたしていきたいと、こう考えております。
地方分権につきましても、国の直轄事業の見直しや統合補助金の創設など、昨年11月にいただいております地方分権推進委員会の第5次勧告に対応する計画を本年度内を目途に作成いたしまして、先の計画と合わせまして、今後とも地方分権につきましては総合的かつ計画的に推進してまいりたいと思っております。
また、昨年5月に決定した地方分権推進計画に基づきまして、機関委任事務制度の廃止などを内容とする関連法案を今年の通常国会にこれを提出をいたし、これの成立を期し、そのことによりまして、この計画を着実かつ速やかに実施してまいりたいと、こう考えております。
なお、一層の規制緩和、特殊法人の整理合理化をいたしてまいりますことは、これも言うまでもないことでありまして、真剣に対処いたしていきたいと思っております。
● まず政局運営についてのお尋ねでありますけれども、自由党との連立政権に伴う内閣改造ですが、これは総理のヨーロッパ御訪問後に行うというふうに判断されていらっしゃるのでしょうか。また、その際、人事につきまして、自由党の小沢一郎党首を副総理で入閣させるべきだという声が自民党内の一部にあるようですが、その点についてはどのようにお考えでしょうか。また、連立政権発足後の両党間政策調整なんですが、これは両党の政策担当者レベルでやるのか。または、閣内で行っていくのでしょうか、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
まず、若干冒頭申し上げて恐縮ですが、私はずっと36年間衆議院議員として国政に参画させていただきまして、そのほとんどが与党でございますので、歴年内閣改造というものを見てまいりましたし、私自身も参画させていただきました。私は、その思いからいたしまして、一内閣一閣僚というのが私のかねての持論でございまして、そういう意味で今日こちらにも御一緒にそれぞれ役目を負っておられる大臣、長官の皆さんにおいでいただいていますが、小渕内閣発足以来、全くその省庁を掌握してその職務に精励をし、実績を上げてきていただいています。そういう意味で、やはりその経験あるいは期間というものは非常に大切だということを認識をいたしております。
しかし、今般、総選挙後直後でなくて、2年余たちまして自由党との連立政権を目指すということで、これまた政治的な大きな決断をさせていただきました。やはり、政局の安定と同時に自由党と基本的考え方を共にすることがあるとすれば、その実現のために努力すること。そして小沢党首とパートナーをしっかり組んで、国民と国のために大きな責任を果たしていきたいと、こういうことで連立を組むことにいたしました。
さて、お尋ねの点でございますけれども、両党間の話し合いがいささか急遽でございましたので、いまだその話し合いが継続しておるところでございまして、特に正月になりまして早々に5つのプロジェクトが既に協議に入っておるところもございますが、これから真剣に両党間で話をしていかなければならぬ、こういうことを考えますと、今日は4日ですが明日、明後日、実は6日に私はかねて訪欧の予定がございますので、この間にそうしたことをまとめ上げるのにはやや時間が切迫しているのではないかと考えていますので、もともと合意につきましては、通常国会前に内閣の改造を行うというお約束でございますから、そのことは是非実現をしていきたいと思っております。
したがいまして、私が訪欧前にこのことを実現することはいささか困難ではないかと思いますし、また留守中大変申し訳ありませんが、我が党の森幹事長を中心にいたしまして5つのプロジェクトの責任者に督励を申し上げ、正月、国会前でございますけれども、精力的に取り組んで自由党との間につきまして、可能な限り合意を得て新しい国会に臨みたいと、こういうふうに考えております。
小沢党首のことにつきましてですが、過去3回党首会談をいたしまして、基本的には内閣の問題は首班たる私に御一任をちょうだいをいたしております。私としては、昨年末に『総理と語る』という番組におきまして、自由党からも右代表として小沢党首の入閣を願っておるということを申し上げておるところでございますが、現時点におきましては、まだそのような結論に達しておらないということでございますが、いずれにしても自由党とともに内閣を責任を持って運営し、そのことによって国民のためにいかなることを成し得るかという観点に立ちまして結論を得たいと、こういうふうに考えております。
政策調整は先ほど申し上げましたように、今それぞれ担当者の皆さんは選挙区にお帰りになっておるだろうと思いますが、6日に党が仕事を始めますので、そのときに幹事長を始め関係者の皆さんにまたお寄りをいただいて、私から精力的な取組について強く要請をし、加速をさせていただきたいと考えています。
● 続いて、経済政策についてお聞かせ願いたいと思います。総理は、「はっきりしたプラス成長」を公約されているが、当初予算が成立後、なお景気の足取りが重いようであれば、追加景気対策を打ち出すお考えはあるんでしょうか。また、6日から先ほどお話がありましたヨーロッパ訪問ということで、ユーロの発足がテーマのひとつとなると思うが、ドル、ユーロ、それから基軸通貨として円を位置づけていくための政策というものを打ち出すお考えがあるのか。
この内閣としては、今年を是非「経済再生元年」と位置づけ、その達成のためにあらゆる施策を講じてきつつありますし、またそれを実行していかなければならぬ。そういう意味では、平成11年度の予算につきましても、大変御批判される方はいろいろ御批判されて、大盤振舞いではないかとか、いろいろありますけれども、内閣としては成すべき施策を講ずるために必要な予算は徹底的に予算を配分し、そしてその実効が上がるようにということでございます。
昨年末以来、3次の補正をいたしまして、その前に橋本内閣時代の第1次補正がようやく秋口から効果を見つつある。したがって、第3次補正予算も実は今年の1月から3月期、切れ目のない執行ができるようにということで、この補正予算を24兆円超のいろいろ考え方をさせていただいておりますが、これも実際の予算執行になりますと、すべて3月末に消化できるとは残念ながら考えられません。したがいまして、俗に15か月予算とも言われますけれども、来年度予算についてのうまいコンビネーションと適切な執行、そしてこれが全国に効果を発揮するということであれば、必ず実は0.5%のプラス成長に持っていくことはできるという確信をいたしております。
ただ、経済というものはいろいろ複雑な要素が働いてまいりますので、実は今年は若干暖冬の状況でございますので、こういうものは一般の衣類その他の消費に影響を与えなければよろしいなとも考えておりますが、マイナス要因はできる限り排除しながら、プラスの施策が十分効果を発揮するように、細心の注意を払いつつもドラスティックな対応を勇気を持って実行すれば、申し上げたように必ずプラス成長にと言える今年であると、こう認識しております。
それからもう一点のユーロの問題、たまたま今回の訪欧がユーロが誕生いたしまして初の、恐らくフランスもドイツもイタリアも訪問する外国の首脳ではないかというふうに思っております。是非このユーロの問題というものは非常にいろいろな意味で大きな世界の中の経済のみならず、政治に対しても大きな影響力を持つのではないかと思っております。いろいろ実はこの正月、時間をちょうだいしましたので、昨日は1日掛かりでユーロに関しての勉強を一生懸命いたしました。フランスがこれを導入するときに国民投票で51%と49%というきわどい差で導入をしてきたわけでございますし、またそれぞれの国はマーストリヒト条約を遂行するために、それぞれの国の財政赤字を非常に制約された。そのために国によっては相当の失業者を出してまでこの通貨を統合したということは、いずれ将来においては欧州の政治的統一を目指しておることを考えますと、大変なある意味でリスクと犠牲も覚悟しながらユーロの誕生を行ったということを考えますと、我が日本としても世界で使用される通貨が貿易額で言いまして、ちょっと古いんですけれども92年で米ドルが48%、欧州が31%ですが、これは15か国ですから、そのうち11か国がユーロに参加しておりますからもう少し低いのかもしれませんが、我が日本の円はわずかに5%ということですから、いわゆる3つの3極とは言い難いことでありまして、2.5なのか、2.3なのか、こういうことであります。
しかし、私は昨年来、APECやASEAN首脳会議に出席をさせていただきまして、日本に対する非常に大きな信頼感、また日本に対する期待感の強いのを認識をいたしました。こういうことを考えますと、日本の円もおのずと貿易におきましてもこれが使用されるという姿が望ましい形でありまして、いよいよユーロの誕生とともに米ドル一つの軸でありましたのが2つの軸になり、かつまた日本としての円の存在ということは非常に重要なことでございますので、こうしたことを見据えながら、単に金融通貨の問題ということではなくて、世界の国々のあるべき姿という観点からも、円の問題についても検討していく極めて重要な時期を迎えているのではないかという認識をいたしております。
ヨーロッパに参りまして、ユーロに積極的に取り組んでこられたフランス、かつてミッテランさんですが、今はシラクさんになられて、またコールさんは辞めましたけれども、シュレーダーさんがなられたドイツのこの状況というものを十分お話し合いをしながら日本と欧州、そしてアメリカ、こういう国々とともに通貨を通じての世界の経済的安定にも役立たせていただきたいと、このように考えております。 
談話 / 平成11年1月14日
私は、本日、内閣改造を行いました。
昨年七月の組閣以来、私は、この内閣の最重要課題である日本経済の再生に全力を挙げて取り組んでまいりました。破綻の危機に瀕していたわが国の金融システムが健全に機能する基盤を整えるとともに、緊急経済対策を策定し、総事業規模にして十七兆円を超える大型の補正予算を編成いたしました。また、税制については、総額で九兆円を超える減税の実施を決定いたしました。さらに、平成十一年度当初予算につきましても、景気対策に十分配慮した編成を行ったところであります。このように、私は、関係各位の英知と協力を得ながら、思い切った施策をスピーディに実行に移してまいりました。
しかしながら、わが国を取り巻く環境は依然として大変厳しく、景気の回復をはじめ緊急に解決しなければならない内外の課題が山積しています。また、急速な少子・高齢化や情報化、国際化などが進展する中で、あらゆる分野における改革を断行し、二十一世紀に向けてこの国のあるべき方針を明確にしていくことが強く求められております。
私は、これらの課題に果断に取り組み、今日の国家的危機を乗り切っていくためには、自由民主党と自由党の両党が政権を共にし、日本国と国民のために責任ある政治を行うことが不可欠であると判断し、このたび、内閣を改造する決断をいたしました。改造に当たっては、自由党より閣僚を迎え入れるとともに、かかる重要な時期に行政の停滞が生じないよう、閣僚の交替は必要最小限にとどめることにいたしました。また、行政改革の推進を図る観点から、閣僚数を二十人から十八人に削減いたしました。
日本経済の回復への道のりは決して楽なものではありませんが、国民の誰もが豊かで安心して暮らせる二十一世紀を迎えられるよう、責任と情熱をもって、諸課題に取り組んでまいる決意です。
国民の皆様の一層のご理解とご協力を心からお願い申し上げます。 
記者会見・小渕改造内閣発足後 / 平成11年1月14日
私は本日、自由民主党と自由党による連立内閣を発足させるため内閣改造を行い、自由党から野田毅氏を自治大臣・国家公安委員長としてお迎えをいたしました。
昨年7月に組閣以来、私は日本経済の再生に全力を尽くす立場から、いわゆる金融二法の制定実施、緊急経済対策の策定、大型第3次補正予算の編成、更には、思い切った減税と景気対策に十分配慮した平成11年度予算編成など、幅広い内容の政策を実行に移してまいりました。この間、国会を始め、国民の皆様からいただきました御理解と御協力に改めて心から御礼申し上げます。
しかしながら、我が国を取り巻く環境は依然として厳しく、景気の回復を始め、緊急に解決しなければならない内外の課題が山積をいたしております。また、急速な少子高齢化や情報化、国際化などが進展する中で、あらゆる分野における改革を断行し、21世紀に向けてこの国のあるべき方針を明確にいたしていくことが強く求められております。
私は、これらの課題に果断に取り組み、今日の国家的危機を乗り越えていくために、自由民主党と自由党の両党は政権を共にし、日本国と国民のために責任ある政治を行うことが是非とも必要であると判断をいたしまして、このたび連立内閣を発足させ、内閣を改造する決断をいたしたところでございます。
改造に当たりまして、先ほど申し述べましたように、自由党から野田毅氏を内閣に迎えますとともに、かかる重要な時期に行政の停滞が生じないよう、閣僚の交替は必要最小限にとどめることにいたしました。
また、行政改革の推進を図る観点から、閣僚数を20人から18人に削減いたしました。私は、この内閣に与えられた重大な使命をしっかり踏まえ、内閣の総力を挙げて諸課題に取り組んでまいる決意であります。
国会を始め、国民の皆様の一層の御理解と御協力を心からお願い申し上げます。
【質疑応答】
● 総理は、自由党からの入閣者について、当初、小沢党首を迎え入れたいというふうなお話しをされていたと思いますが、野田議員にポストがいったということで、この理由をお聞かせください。それから、自治大臣というポストを当てられたことの理由もお伺いしたいと思います。それと、今回、連立が成立いたしましたけれども、自民党と自由党と合わせても参議院では過半数に足りないということで、今後の国会運営にどのように対応していくかという考えをお聞かせください。
まず、今般の連立内閣におきましては、私といたしましては、自由党の党首であります小沢党首とともに力を合わせてこの内閣を進めたいという念願をいたしておりました。しかし、党首といたしましては、党を代表して入閣をお願いいたしましたが、自分は党務に専念をいたしたいということでございまして、自由党からは今申し上げました野田毅幹事長を御推挙されました。私といたしましても、野田毅氏の実力、また政策通として内外に高い評価をいただいており、私自身も長い間、自民党におりましたときからも、その人となりを十分承知をいたしておりますので、この方ならば、共にこの政権を担って国民のために実績を上げることができると、こういう認識をいたしまして、今回お願いを申し上げたということでございます。
自治大臣、国家公安委員長という仕事は誠に重責でございまして、必ずその任に応えていただけるものと認識をいたしております。
また、今般、自由党との話し合い、協議をいたす過程におきまして、副大臣の問題等につきましても、その話し合いに積極的に参画していただいておりましたので、この自治大臣とともに補職といたしまして、こうした問題につきまして改めてその責任を負っていただきたいということで野田大臣に対してそのことを御指名申し上げておるところでございます。
また、国会の運営につきましてお尋ねがございました。これもしばしば申し上げておるところでございますが、今般の自由党との連立政権というものは、単に国会における数合せの問題でなくして、新しい保守の理念をもって共に協力し合い、そして切磋琢磨し、そしてお互いの党のよき点を相乗的に効果をあらしめて、その結果、国民と国家のために大きな役割を果たしたいと、そういう意味で今般の連立内閣を成立しておるわけでございます。
御指摘のように、国会は国会議員の数によってこれが定まる点でございますので、そうした点では、残念ながら参議院におきまして過半数に達しておらないことは事実でありますが、必ず自民党と自由党とのこうした連立政権によりまして、より安定した政権運営を行うとともに、その行うべきことにつきましては、当然、各党、各会派の御協力を得られるものと確信をいたしておりまして、そうした意味合いにおきまして、是非これからも十分各党、各会派と協議協力をお願いし、そして、国政の難局に当たってまいりたい、このような決意をいたしておるところでございます。
● 昨日、自民党と自由党両党で合意された安全保障政策についてなんですが、その中でPKFの本体業務への凍結解除、それから新たに国連の平和活動への協力を実現するための新法の制定がうたわれております。この時期について、いつごろを念頭に置かれているのか、また、ガイドラインについては、両党間で話し合われてきた問題が、そして更に議論を深めるというふうになっています。総理は、幾つかの船舶検査の問題だとかあるいは国会承認の問題だとか、両党間で論議されていた点についてどうお考えになっておられて、また、この問題についてはどういう決着を図ろうと考えていらっしゃるのか、伺わせてください。
まず、自民党と自由党の政策決定責任者が十分、何日間も真剣に御議論されました。その結果、両党の間で安全保障に関する基本的な考え方はまとまりました。政府といたしましては、この両党間のまとまった点につきまして、今後国会での御審議の状況も見なければなりませんが、その内容の実現のために真摯に政府としては対応していくことは至極当然のことだろうというふうに認識をいたしております。
なお2点の、実効性確保のための関連法案等について申し上げれば、この日米防衛協力のための指針、すなわちガイドラインの問題につきましては、冷戦の終結後もなお現在このアジア地域を巡りまして極めて困難な難しい状況も見過すことができない状況でございますので、そういった意味でこの地域の平和と安定の維持が日本の安全により一層重要であるということにかんがみまして、この効果的な日米防衛協力の関係を構築するために作成されたものでありますことから、政府といたしましても、早急に国会で御審議をいただき、成立または承認をお願いいたしたいと思っておりますが、いずれにいたしましても、基本的に日米安保条約というものをしっかりとこれを踏まえて、日本の安全を確保していこうという観点につきましては、自民党も自由党とも、その基本的理念、考え方にはいささかの相違もないわけでありますが、いずれにいたしましても、それぞれの党の主張につきましては、この協議を通じまして、まとめてまいっておりますので、是非、この点につきましても実現をしてまいりたい、そして、一日も早く次の通常国会におきまして、これが成立せしむるように更に連立内閣としての実を上げてまいりたいと、このように考えております。
● 総理、自由党との連立内閣ですけれども、政策協議も税制の問題等継続していく問題もあります。今後、政府与党の連携というのはどのように取っていかれるのか、あるいは政策協議、継続している部分、どのように調整されていくのか、その辺りは具体的にはこれからでしょうか。
一応発足に当たりまして5つのプロジェクトが話し合いを詰めてまいりました。その結果、本日こうして自由党からも閣内に入っていただきまして、ともにこの内閣を推進していただくということに相成りました。個々の具体的な政策課題につきましては、これは今後政府与党間の会合も双方の責任者が集まりまして、随時開いていきたいというふうに思っておりますので、そうした中でのそれぞれの御主張を受け止めながら、お互いの立場を認識し合いながら、その実を上げることが私は必ずできるものだというふうに考えております。
● 総理、今回の連立で、総理と小沢党首が、まさに政権運営でコンビを組まれるという形になったわけですが、お二方の政治手法、あるいは人となり、これについては全く異質ではないかという見方も一部あるわけで、政権運営面で一部に懸念も出ているという印象を受けるんですが、今後、その辺の懸念を払拭されるか、自信のほどを。
今、御懸念があると言いましたが、私は非常に2人のコンビといいますか、相協力する体制というものは非常に堅固なものがあるというふうに認識をいたしております。ただ、一般的にその手法としていろいろと指摘もされておりますが、ごくわかりやすく言いますと、小沢党首は野球で例えると剛速球を投げると、私の方は若干軟投型だという批判もありますが、むしろ、そうした小沢党首の持てるよさと私の持つよさと、これがしっかりかみ合えれば、二乗三乗の効果を上げるのではないかと、私自身は思っておりますし、必ず小沢党首もそのような考え方をいたしておると思いますので、私は今回のこの連立、特に、両党党首自体がこれからしっかり諸問題について話し合っていけば、多くの成果が得られるものと、こう自信を持って申し上げたいと思います。
● 総理は一内閣一閣僚というのが持論でいらっしゃいますけれども、自民、自由の両党の中には、より結び付きを強めるために、政務次官の入れ替えも含めました本格的な内閣改造を予算成立後、あるいは国会終了後に行うべきだという意見もあるようですけれども、そのようなお考えは現在ございませんでしょうか。
御指摘のように、私はかねて来一内閣一閣僚ということは私の持説として持ってまいりました。そういった意味で、総理大臣ももちろん、国民の支持がなければこれを維持することはできませんけれども先般もヨーロッパ3か国回ってまいりましても、それぞれの政権というものはかなりの長期にわたってその任に当たっておりまして、そういった意味で日本におきましても、閣僚におきましても、従来のような状況というものは、いろいろ批判の対象にもなりかねないということでありますし、今次内閣におきましては、全く私としては、それぞれのエキスパートがそれぞれの任に当たっておりまして、これ以上の内閣は私はあり得ないと常々思っておるところでございます。
ただ、今般このような形で自由党との連立政権に踏み切ったということでありますれば、当然閣内に今般、野田大臣をお迎えしているような形で、このきずなを更に強くしていかなきゃならぬと思っております。
長くなりましたが、お尋ねのように、それでは本格的と言われますが、私の今回の内閣も本格的でございます。
ただ、将来にわたりまして、更に今後の政局、政権の推移、また、国会その他の状況ともかんがみまして、そうした形でこの内閣の在り方について検討する時期が、あるいはあるのかもしれませんけれども、今の時点ではそのようなことは全く考えさせていただいておらないということでございます。
何よりも今回改造いたしました内閣のそれぞれの責任ある閣僚が100%以上の責任を、心新たに、そして、政治に取り組んでいただければ、必ず大きな力を発揮し得るものと、このように考えております。 
記者会見・平成11年度予算成立 / 平成11年3月17日
平成11年度予算が、お蔭様をもちまして、本日、成立する運びとなりました。衆参両院におかれまして、予算成立のため大変ご努力をいただきましたことに心から感謝申し上げます。
今回の予算は、戦後最も早い時期に成立することとなりました。これは、今回の予算の早期の成立と執行如何がいかに重要であるかということについて、与党のみならず野党の方々からも大変理解をいただいた結果でありまして、この場をお借りいたしまして、改めて関係の方々に御礼を申し上げるところでございます。
私は、昨年7月、この内閣をお預かりいたしまして以来、日本経済の再生に向けてあらゆる施策を総動員いたしまして、いわば背水の陣を敷いて取り組んでまいりました。幸い、最近になりまして、銀行の資本増強による金融システムの安定化策の進展や補正予算の執行など、これまでの施策の効果に下支えされ、景気はこのところ下げ止まりつつあると思っております。
また、それぞれの企業や家庭の方々の意識や姿勢も、困難に打ち克ち、この国の将来に向けて前向きに取り組んでいこうということで、ご理解をいただきつつあるように存じております。
言うまでもなく、経済は生きものでありまして、私は、常に経済の動きを直視し、よい芽があればこれを伸ばし、悪い芽があればこれを摘んでいくというように心がけてまいりたいと考えております。
そこで私は、景気の回復をさらに確実ならしめることを目指しまして、本日、公共事業、住宅、中小企業につきまして、次の指示をいたしたところであります。
まず第一の公共事業についてでありますが、予算が早期に成立を見たことによりまして、政府といたしましても、一刻も早い景気回復に向けて最大限の効果が発揮されるよう全力を尽くしてまいりたいと思っております。
この観点から、私は、予算の成立に当たりまして、第一に、公共事業等にかかわる実施計画、いわゆる箇所付けの協議及び承認をできるだけ前倒しするとともに、その透明性の確保に努めてまいりたいと思います。
第二は、11年度上半期における公共事業等の執行につきまして、契約額が前年度を大きく上回るよう、その積極的な施行を図ること。
以上二点につきまして、関係閣僚に対し具体的な方針を早急に検討するよう指示いたしたところであります。
次に住宅についてでありますが、景気の速やかな回復と、豊かな住生活の実現のために、住宅投資の拡大が重要でございます。最近は、住宅投資に明るい面が見えてきたところでありますが、現在、住宅の建設や取得をお考えになっている方々は、現在の財投金利の水準との関係で、住宅金融公庫の金利が、今後、大幅に引き上げられるのではないか、すなわち、現行の2.2%が、現在の金利水準を前提といたしますと、今後は2.85%になる、そういった不安をお持ちになっておられることをよく承知いたしております。
一方、公庫の経営は誠に厳しい状況にございます。この際、私といたしましては、こうした方々の不安に応え、また、回復の兆しが見られる住宅投資の足どりを確かなものにするために、公庫金利の引き上げ幅を思い切って圧縮し、持続的に需要を喚起していくことがぜひとも必要であると考えました。その旨、建設大臣に検討を指示いたしたところでございます。
第三に、中小企業についてでございますが、中小企業につきましては、依然としてその資金調達の環境は厳しいと思っております。今回、大手15行に対する公的資金の注入に当たりましては、各金融機関におきまして、特に中小企業向け融資を増やし、その資金需要に十分応え、貸し渋り対策にも資するような計画が策定されたところであり、今後、これが確実に実行されるよう万全を期してまいりたいと思っております。
また、中小企業の特別保証制度につきましては、国会におけるご議論でも、中小企業の方々からも大変効果を発揮している政策との評価を受けております。また、その保証枠を拡大してほしいとの要望も多々寄せられておるところでございます。
これらを踏まえまして、現在、20兆円に加えまして、今後、必要かつ十分な額の保証枠を追加することといたしました。その具体的規模等につきましては、中小企業者の資金需要の動向を引き続き注視しながら決定してまいりたいと考えております。
今後の大きな課題でございます雇用と経済の供給面の課題について、一言触れたいと思います。
まず、雇用の問題であります。昨年11月の「緊急経済対策」におきまして、100万人の雇用創出・安定を目指し、思い切った対策を決定いたしたところでございますが、さらに具体的推進を図るべく、去る5日、福祉、情報通信など四つの分野につきまして、ここ一両年に期待される雇用創出の規模が77万人にのぼることを明らかにいたしたところであります。
次に、経済の供給サイドの問題でありますが、私は、今や、官民が一体となって経済の供給面の体質強化に取り組んでいく時が来たと確信いたしております。究極のところ、将来の日本経済の発展は、健全で競争力のある産業によって支えられるからでありまして、私は近く、官民の代表からなる「産業競争力会議」を発足させ、大いに知恵を出し合って取り組んでいくことといたしました。
これらの点につきまして、ぜひ国民皆様のご理解を得たいと思っております。
この機会に、既に衆議院におきまして審議をされております、いわゆるガイドライン法案をはじめ多くの重要法案につきまして、その速やかな審議、成立を関係各位に強くお願いする次第でございます。
最後になりましたが、私、明後日から韓国を訪問いたしますが、これにつきまして一言申し上げたいと思います。
昨年10月に金大中韓国大統領との首脳会談(於東京)を通じまして、日韓両国は、その過去を克服し、21世紀に向けた未来志向の日韓関係を築いていく基礎が固まったところでございます。私といたしましては、この機会に、この歴史的な流れをさらに深く根づかせ、拡大していくことが私の責務であると考えております。
こうした考えに立ちまして、私は、金大統領との日韓の両国関係のさらなる発展や、北東アジアを巡る諸問題などにつきまして、胸襟を開いて十分な意見交換をしてまいりたいと考えております。以上でございます。
【質疑応答】
● それでは質問させていただきます。最初に、景気対策です。先ほど総理は、公共事業の前倒しなどの追加策をお話しになりましたけれども、景気では、株価など幾つかの経済指標では明るさが見えていますけれども、景気回復の足取りは依然として重いものがあると思っております。今後、さらなる景気対策、つまり、補正予算などの景気対策を策定するお考えがあるかどうか。また、あるとすれば、その策定のメドはいつごろになるのでしょうか。
これは、いま冒頭の説明の中で申し上げて、繰り返しになるかもしれませんが、これまでの景気対策につきましては、11年度予算もそうでありますが、その前の補正予算等を通じまして、あらゆる手段を講じて景気回復に最善を尽くしてきたつもりでございます。先ほども申し上げましたが、いわば背水の陣を敷いてすべてこれを行ってきたと思っております。もとより、予算が通過いたしましたので、これを一日も早く執行していかなければなりませんが、そのためのことにつきましても、先ほどご説明いたしたとおりでございます。
幸い、これまでの政策効果や、民間の方々も大変前向きになってきていただいておりまして、その姿勢によりまして景気は下げ止まりの状況ではないか。ですから、これが反転してより上向きのものになるものと確信しておるところでございます。現在、こうした回復基盤を固める大変大切な時期だという認識もいたしております。でありますので、これまでの施策、11年度予算の執行に加えまして、景気回復をさらに確実ならしめますように、公共投資、住宅、そして中小企業の三項目について指示したところでございます。
冒頭のお尋ねにございましたように、東京市場の株式のダウの価格が1万6,000円を超えております。実は、私が就任いたしました時の価格を本日超えたと、こういう数値でございます。もとより、株式というものはいろいろと変動のあることではございますけれども、ぜひこれを確実なものとして、経済の一つの指標でございますから、やはり株価というものに十分関心を持っていき、また、それが良き結果を生むことのできるような政策を着実に遂行していくということで、これがすべてである、こう考えておるところでございます。
● 明日18日から、日米防衛協力のための指針、ガイドライン関連法案の委員会審議が始まります。ガイドライン法案の成立は事実上の対米公約となっていまして、5月の総理の公式訪米の際にも大きなテーマになると思います。法案の修正は、与野党の間で水面下では始まっていますけれども、今後の法案修正、衆院通過の見通しなどをお聞かせください。
ガイドライン法、すなわち周辺事態安全確保法案につきましては、実は、今国会、あるいはその前の国会もそうですが、予算委員会をはじめとして多くの委員会でもこれを取り上げていただきまして、大変熱心なご議論を展開していただいております。
政府といたしましては、我が国の平和と安全を確保する重要な本法案でございますので、今国会成立または承認をいただけますようにぜひお願いをしたい。また、ご審議につきましてのご協力を切に祈念しておるところでございます。
● 北朝鮮の地下核施設疑惑をめぐる米国と北朝鮮との交渉が合意に達しまして、核施設の疑惑のある地域への視察が実現することになりました。それで、見返りに米国は食糧支援を行うというふうに言われています。この事態を踏まえて、我が国の今後の北朝鮮政策に変化があるのか、ないのか。また、総理はさっきおっしゃいましたけれども、19日から韓国を公式訪問されます。日韓の北朝鮮政策への連携策とか、そのようなものについて、どのような形で金大中大統領との首脳会談に臨まれるのか、その二点をお聞きしたいのですが。
米朝会談につきましては、我が国としても両国の会談を注視してきたところでございます。特に北朝鮮の秘密核施設疑惑につきましては、断続的に開かれた協議を見守ってきたわけですが、この度、この難しい協議が妥結いたしまして、米側が疑惑の対象となっておりますクムチャンニの施設を十分な形で訪問することを北朝鮮側が認めるに至ったと聞いております。我が国としては、これを歓迎し、高く評価いたしたいと思います。
今回、北朝鮮をめぐる国際社会の懸念の一つである秘密核施設疑惑につきまして、まず交渉を通じて解決する道筋がつけられたということは、我が国を含む関係諸国と北朝鮮との関係を展望した上でも、非常に好ましいことだと思っております。このことは、今後の対北朝鮮政策を検討していくに当たりましても、一つの好ましい材料であると考えておりまして、これを契機に、北朝鮮がさらに建設的な対応をとられることを期待いたしております。
また、今週末に訪韓いたしまして、金大中大統領と会談する予定でありますが、先般、米国のペリー北朝鮮政策調整官も訪日されました。そのペリーさんの政策見直しの現状についての説明も含めまして、対北朝鮮政策につき忌憚のない意見を交換したいと考えております。いずれにいたしましても、米朝の話し合いが決着いたしたということでございますので、今後、これが進展することを期待いたしますと同時に、最も関係の深い韓国、そしてまた、日本としても大変関心を深くしておる北朝鮮の問題でございますので、韓国、米国、こうした国々とともにしっかりと協調して対応していきたい、このように考えておる次第でございます。
● 総理は自民党総裁でもあられるのですが、東京都知事選で自民党は元国連事務次長の明石康氏を推薦されています。ただ、柿沢弘治元外務大臣、石原慎太郎元運輸大臣が出馬を表明し、自民党は、三分裂といいますか、そういう様相を呈しています。まだ現状で結果を予測することは難しいのですけれども、党総裁、自民党執行部などの今後の結果責任がもしもあるとすれば、どのようにお考えですか。
自由民主党といたしましては、東京都政に対してもっと責任を持っていかなければならない、過去4年間を振り返って痛感をいたしております。そこで、既に党本部、東京都連として、的確な手順を踏んで明石康氏を東京都知事候補として推薦申し上げておりますので、その必勝を期して鋭意準備を進めておるところでございます。一方、都知事選を巡りまして、予期せぬ状況になっておること、この点については明石さんにも大変申し訳なく思っておりますが、いずれにしても、明石さんの当選に向けて、自由民主党の選挙対策の本部長でございます私でありますので、その先頭に立ってこの選挙を闘い、勝ち抜きたいと思っております。ともかく選挙に勝つということで全力を挙げさせていただきたい、このように考えております。
● 日の丸・君が代、国旗・国歌の法制化の問題ですけれども、野党は、今国会の法制化については慎重な対応に変わってきていると思いますけれども、総理は今後、日の丸・君が代、国旗・国歌の法制化についてどう取り組んでいかれるのか、お聞かせ願えますか。
国旗・国歌の法制化ということは、内閣としてこれを提案して国会にお諮りするか、議会としてこの問題にお取り組みするか、こういうことに尽きると思いますが、私といたしましては、21世紀を前にして、国旗・国歌につきましても、戦後半世紀を経ていることでございますので、この際、法制化をして、国民のご理解のもとに法律として制定することが望ましい、こう考えておりまして、できますれば今国会にこれを提出させていただくための準備をいたしております。
どうしてこういうことになったかということでございますが、申し上げましたように、戦後50年、日の丸、あるいは国歌につきましても、いろいろな国民的な考えというものはあっただろうと思いますけれども、この機会に、世界の中でこれを法制化している国々もかなりあることでありますし、また日本におきましても、最近、政党の中では、これを法制化することについて肯定する政党も出てきておりますので、私としては、この問題にぜひ取り組ませていただきたい。
特に、これがすべてではありませんけれども、きっかけになりましたのは、広島県における石川校長さんの大変残念な自殺という悲劇が起こりました。日の丸を掲揚し、かつ、君が代を斉唱するということにつきまして、学習指導要領におきましてこれをお決めして教育委員会でこの実施をお願いしているわけですが、その狭間で大変ご苦労されたという経過もございます。
そういった意味で、学習指導要領だけでなくして、法制化によってこのことをきちんとすることが望ましいのではないかというようなことも含めまして、私としては、現下、その法制化のための準備をさせていただいておるところでございます。
お尋ねにつきましては、当初、これは率直に取り組んでもよろしいのではないかというような各党の幹部のお話も、メディアを通じて承知をいたしておりましたが、最近、ご指摘のようにやや変化があるという見方もされております。
ただ、この問題は極めて重要なことでございますから、それぞれの政党、あるいは、国会議員一人ひとりのお考えも十分参考にしていただかなければ、単に多数決で決するというものではなかろうかと思います。十分なお話をしていくことができれば、必ずご理解をいただけるものだろうと考え、法案を提出いたします過程におきまして、最善の努力をして理解を深めてまいりたい、このように考えております。
● 外交問題でもう一つお聞きします。ロシアのエリツィン大統領が、健康問題でなかなか来日の目途が立たない状況にありますけれども、今後、どのような日程で来日が可能なのか、あるいは、平和条約交渉の今後の見通しも含めてお考えをお聞かせください。
ロシアからは、外相、あるいはマスリュコフ第一副首相と引き続いて我が国を訪問されて、高村外務大臣をはじめ、また、私自身もそれぞれ会談をさせていただいております。我が国の立場は十分お伝えしておるところでございますが、2000年までに何とか領土問題を解決して平和条約を結ぶという流れの中で、橋本総理、エリツィン大統領との信頼関係に基づきまして順調に運びつつあったと思っております。私自身も外務大臣として、また、昨年冬には総理大臣としてロシアを訪問し、エリツィン大統領とも忌憚のないお話を進めてまいりました。
願わくば今年の春にエリツィン大統領をお迎えして、明年となってまいりました2000年に向けて、大きな前進を図りたいと念願いたしておるところでございます。ロシア側の要人の方々には、ぜひ大統領に今回は訪日をしていただきたいということを申し上げておるところでございますが、ご指摘のように、現在やや健康を損なわれておるということもお聞きいたしております。一日も早い回復をし、そして願わくば、春、桜の花の咲く季節に我が国を訪問していただきまして、ロシア大統領と私の間に将来に対する方向性が定まる、そのための絶好の機会を得たいと、いま念願しておるところでございます。
● 衆議院の選挙制度改正が大きなテーマになっております。特に東京都知事選に絡んで、重複立候補の問題をはじめ、区割りの問題、供託金没収者の当選者の問題などが出ております。総理のお考えとしては、まずどこから手をつけていこうとお考えでいらっしゃいますか。
選挙制度の問題につきまして、総理としてお話を申し上げることに大変慎重にならざるを得ないのは、やはり国会議員自らの身分にかかわる重要な問題でございますので。選挙制度につきましては、段々の経緯の中で、いま、衆議院においては小選挙区・比例代表制度をとらせていただいているわけでございます。
また、今後の問題としては、衆議院の問題について、いまお触れになられたように、一回行ったこの制度における選挙制度の問題点等について指摘をされていることについては承知をいたしております。衆議院の問題、あるいは参議院の問題、あるいは定数の問題等いろいろございますが、私としては、自由民主党の総裁として自由党の小沢党首とのお話によりまして、まずは衆議院の定数の削減について合意をしておりますので、その点から実現いたしていきたい、実現可能性のある問題から処理していきたいということを考えております。 
「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」談話 / 平成11年7月8日
一、我が国の経済社会は歴史的な大転換期にあります。知恵の社会、少子高齢化、グローバル化、環境問題への対応など、現在我が国が直面している諸課題を克服するためには、経済社会の仕組みと気質を抜本的に変革することが不可欠であります。その際、どのような方向に進むかを、国民が選択する必要があります。今、その大きな方向を解き明かすことが求められています。
二、このような認識のもと、政府は、本日、「経済社会のあるべき姿と経済新生の政策方針」を閣議決定いたしました。これは、知恵の時代の扉を開くため、二十一世紀初頭の日本の「あるべき姿」として、我々が選択すべき方向とその結果として実現されるであろう経済社会の姿を描き、それを達成するため経済運営の基本方針を定め、重点となる政策目標と手段を明らかにしたものです。まさにこれは、個人や企業の活動のガイドラインとしても大きな役割を担っていると申せましょう。
三、私たちが二十一世紀に築いていくべきは、グローバル化の中で、多様な知恵の時代にふさわしく、自由で、少子高齢化、人口減少に備えた仕組みを持ち、環境とも調和した経済社会です。
このような経済社会のあるべき姿に向けて実施していくべき重要な政策方針の第一は、多様な知恵の社会の形成であり、自由で魅力ある経済条件を整備し、透明で公正な市場と消費者主権の確立に努めてまいります。
第二に、少子高齢化、人口減少への備えとして、安心のできる効率的な社会保障、年齢にとらわれない経済社会の形成、少子化への対応等を進めていきます。
第三は、環境との調和であります。このため、特に生産・消費・再生の循環型経済社会の構築と、地球環境問題への適切な対応を行います。
第四に、世界の主要な経済プレーヤーとして、世界経済のルールや基準の形成に主体的に参画する等、世界経済の安定的な発展に積極的な役割を果たします。
以上に加え、政府としては、行政の効率化、財政再建及び地方分権を推進してまいります。
四、私といたしましては、本政策方針で示した施策に直ちに積極的に取り組み、内閣をあげて全力で実施してまいる決意であります。特に、本政策方針の中では大きな方向性を提示するにとどまっているものについては、政府内で早急に具体化の検討に着手し、その結果を分かり易いプログラムとして示すことといたします。
本政策方針の推進にあたっては、国民の皆様の御理解と御協力が不可欠であります。国民各位におかれましては、本政策方針の趣旨を十分御理解の上、さらに積極的な御協力をいただきますよう、お願いいたします。 
談話 / 平成11年8月9日
本日、「国旗及び国歌に関する法律」が成立いたしました。
我が国の国旗である「日章旗」と国歌である「君が代」は、いずれも長い歴史を有しており、既に慣習法として定着していたものでありますが、21世紀を目前にして、今回、成文法でその根拠が明確に規定されたことは、誠に意義深いものがあります。
国旗と国歌は、いずれの国でも、国家の象徴として大切に扱われているものであり、国家にとって、なくてはならないものであります。また、国旗と国歌は、国民の間に定着することを通じ、国民のアイデンティティーの証として重要な役割を果たしているものと考えております。
今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております。
また、法制化に伴い、学校教育においても国旗と国歌に対する正しい理解が促進されるものと考えております。我が国のみならず他国の国旗と国歌についても尊重する教育が適切に行われることを通じて、次代を担う子どもたちが、国際社会で必要とされるマナーを身につけ、尊敬される日本人として成長することを期待いたしております。 
記者会見・第145国会終了後 / 平成11年8月13日
第145回国会が、本日、閉会いたしました。この国会を振り返り、また、今後の課題につきまして冒頭私からお話しさせていただきます。
まず、この場をお借りして、衆参両院をはじめ関係者の皆様の今国会でのご協力につき、厚く御礼申し上げる次第でございます。
150日の通常国会に加えて57日間という長期の国会になりましたが、両院議員の熱心なご審議をいただきまして、ここにパネルがありますが、145回国会で成立した法律は138本であります。また、条約その他を加えますと、166の法案等の成立を見たところでございます。
参議院におきまして最終段階で、やや法務委員会に混乱があったやに報道はされておりますけれども、衆参国会議員とも長丁場のこの国会に当たって真摯にお取り組みいただきました。私も、国会議員を長らく務めておりますけれども、土日の選挙区における選挙民との対話を除けば、この長い間、国会で真剣に取り組まれたことにつきまして、国民の皆様方にも国会の状況についてご理解いただいていると思いますが、ここに示した法律が国民の為になるべく成立いたしたことにつきましては、是非ご評価をいただければありがたいと思っております。
さて、最重要課題の経済について申し上げます。幸い、これまでの政策効果と、企業やご家庭の方々のいわゆる「マインド」の前向きの変化が相まちまして、このところ景気は改善いたしております。私は、本格的な経済の回復を確かなものにしていくためには、これからしばらくの間が本当の正念場だと肝に銘じているところでございます。このため、今後の経済の動きをしっかりと見極め、公共事業等予備費の活用、15か月予算との考え方に立った第2次補正予算の編成なども視野に入れながら、切れ目のない経済運営に当たってまいりたいと思っております。
今年は暑い夏ということでございまして、そういった意味からも若干消費の増加が見られております。何といっても国民の皆さんの消費活動、これが日本経済の牽引力であって、6割のシェアを占めているわけですから、政府としてなすべきことを十分になすことによって、その「マインド」を引き起こすことができればと考えております。また、「一時しのぎ」ではない本当の経済の再生に向けて欠くことのできないのは、雇用と経済の供給面の体質強化であります。
こうした考え方に立ち、急遽、会期を大幅延長をしていただき、雇用対策のための補正予算と、産業活力再生法案のご審議をお願いし、雇用と競争力の両対策のしっかりとした枠組みを整えることができたと考えております。冒頭申し上げましたように、通常国会に加えて長期の延長をお願いいたしましたのも、経済、そして企業の競争力を強化することが現下の一つの大きな課題であります。
また一方では、そのことによるとは申し上げませんけれども、企業が活性化していくためには企業自身の体質強化が行われる、これが非自発的失業者を生むことがあってはならないと考え、企業内の努力をひたすらお願いすると同時に、万一そうしたことになりました場合には、生活が安定していくような対策を講じなければならない。こういうことで、かねてこのことを危惧しつつ、本予算におきましても1兆円規模の雇用対策を講じてきたところでありますが、加えまして、第1次補正におきまして5,000億超の対策を講ずることによりまして、ある意味で安心して、万一のときにも生活が維持できるような仕組みを講じてきた、こう考えております。
そういう意味で、社会全体で雇用面のセーフティネットを手厚く用意することをはじめとして、これからも腰を据えて取り組んでまいりたいと考えております。
また、経済の発展のためには、米国におけるアポロ計画の例に見られるように……ご案内のとおり、今年は「アポロ」が月に到達して満30年という記念すべき年でありますが、我が国におきましても、これから夢のあるいろいろなプロジェクトも考えていかなければならない。国民に未来への明るい展望を指し示し、国家としてのしっかりした戦略を持つことが是非とも必要であると考えております。
私はそういった意味から、未来の「鍵」となる情報、高齢化、環境の3分野について、官民挙げて取り組むプロジェクト、いわゆる「ミレニアム・プロジェクト」を推進していくことといたしております。言うまでもありませんが、来年、西暦2000年を迎えるわけであります。21世紀がいつからかという議論はいろいろありますけれども、少なくとも世紀の変り目であることは間違いない。1000年を展望したということになると少しレンジは長すぎるかもしれませんけれども、新しい世紀に向かって日本として何が最大の課題であるかと考えますと、まず、情報化の問題、高齢化の問題、環境の問題、強いて絞ればこうした問題がきわめて重要と考えております。これを「ミレニアム・プロジェクト」と銘打ちまして、[パネルを示す。]これからの政策の中心課題にしていきたいと考えております。
次に、年金、医療、介護などの社会保障についてであります。今国会に年金改正法案を提出いたしたところでありますが、残念ながら継続審議となりました。今般のこの経緯は経緯といたしまして、また、明年4月からは介護保険がスタートすることでもあります。特に介護保険につきましては、全国の市町村の責任者をはじめ、今、その準備に取り組んでいただいております。改めて感謝いたしますと同時に、介護を余儀なくされる方々も安心して介護していただけるような体制をつくり上げなければならないと考えておりまして、これがきわめて重要であります。
この際、年金、医療、介護などの社会保障のあり方につきまして、特に若い世代を念頭に置きつつ、国民全体の理解を深めるための努力をしてまいりたいと考えております。
次に、内政面につきまして、政治と行政の仕組みについてであります。今国会におきまして、戦後の我が国の政治や行政のシステムを根本的に改革する法案といたしまして、国会活性化法、中央省庁等改革関連法、地方分権一括法が成立いたしました。これら3大改革を真に実効あらしめていくためには、特に政治がしっかりとした国益を見極め、また、勇気をもって果敢に政策を実行していくことが重要となります。
ちょっとご説明いたしますと、3つの中で国会活性化法、これは戦後ずっと国会が行われた場合には、政府は内閣総理大臣以下、予算委員会ですべてこのお並びでありまして、それに対して、野党第1党から始まりまして質疑をする。それから、野党は質疑権を十分行使する、政府はそれに対してご答弁を申し上げるという形の国会であったことはご案内のとおりであります。
今般、国会活性化法が成立したことによりまして、いわゆる政府委員の廃止というようなことにもなりますので、政治家同士の討論、【質疑応答】が行われる。簡単に申し上げれば、政府は一方的に答弁の側に回るのではなく、質問される側に対しても、その真意やお考えや、そうしたこともお聞きすることが新しい方式だろうと思います。
これ[パネル]は、イギリスの国会における【質疑応答】のことも参考になると思っておりますが、この絵は、イギリスにおきまして、与党と野党が違ったベンチに座りまして、与党の代表、すなわちプライム・ミニスターと野党の代表とが、1週間に一遍、クエスチョン・タイムというのを設けて【質疑応答】をする。したがって、内閣総理大臣も答弁側ということではなくて、時には野党に対して、特に野党の中でもシャドー・キャビネットも恐らくできるだろうと思いますから、そうした方々に対しましても、野党の政策その他についても質問し合えるという新しい国会のあり方でございまして、次の国会から、できるものから進めていくということで一致しております。非常に新しい民主国会の姿に変貌していくのではないかという、きわめて重要な法律が通過しているわけでございます。
特に、これは自由党と私との間の合意によって成立を見ておりますので、今後、これが国民のために、また、国民の理解を深めるために、よりよい制度として発展することを祈念しているところでございます。
また、中央省庁等改革法につきましては、現在の22の省庁を1府12省に整理するわけでございます。行政機構も明治以来いろいろな役所が設置されてまいりましたが、今回、改めてこれが整理・統合されることによりまして、行政の機能を十分発揮できる法律が通過したと思っております。
また、地方分権法は、いままで中央と地方との関係は、中央が地方に対して縦の関係でありましたが、今後、地方は地方としての考え方にのっとっていくということでありまして、いわゆる中央集権型の行政システムから一変しまして、地方と中央とが横の協力関係になろうという、これも明治以来の画期的な大改革につながるものであると考えております。
第4に、外交・安全保障の問題についてでありますが、「国益」を守り、国家と国民の安全を保障することは政府の最も重要な任務でございます。私はそうした原点をしっかりと見据えまして、多くの重要な首脳会談に臨んでまいるとともに、北朝鮮のミサイル発射、不審船事件などの問題について、断固たる行動をとってまいったところでございます。私はそういう意味からも、日本の国土と国民の生命・財産を守るためにあらゆる手段を講じ、適時適切に対応していく覚悟を強くいたしているところでございます。
翻りまして、我が国の安全保障を考えますと、まずは日米関係をこれ以上に強固なものにしていく必要があります。このために、今国会におきまして、懸案となっておりました日米ガイドラインの関連法が成立し、これによりがっちりとした日米体制が確立されたものと確信いたしております。
特に橋本総理とクリントン大統領との間において、日米新安保に対する「共同宣言」に基づいてのガイドラインにつきましては、私が総理になりましてからこれが成立を見ることができたことは、私も大きな責任を果たしたという認識をいたしているところでございます。
また外交面では、今国会中に行いました韓国、中国との首脳会談におきましても、これらの国との間で未来志向型のパートナーシップを確認できたことは、我が国の国際関係にとり大きな前進でありました。
向こうの方[パネル]は金大中大統領と私との会談の模様ですが、3月に私は韓国を公式訪問いたしました。昨年の金大中大統領との「共同宣言」に基づきまして、日韓の関係におきまして大変残念な時期もございましたけれども、こうしたものを今世紀のうちにお互い結末をつけて、新しい世紀は共々にということでございまして、私は、日韓の関係は従来になく大きな展開をしていると認識いたしておりまして、そうした意味で、大統領の決断につきましても改めて敬意を表しております。
こちらの写真[パネル]は、5月に江沢民国家主席を中国に訪問いたしまして、新潟の「トキ優優」の写真をお贈りいたしまして、和やかな中に会談ができたことを大変喜んでおります。
さらに、ケルンのサミットにおきましても、我が国の立場、主張につき十分な理解を得ることができました。これ[パネル]は、最終日にエリツィン大統領も参加されまして、サミットにおける円卓での話し合いです。このサミットの会談の冒頭におきまして、現下、日本でとっております経済政策についても非常に評価をいただきまして、我々としては、この経済の状況、特に日本経済がアジアのみならず世界経済に与える大きな影響力を考えましたとき、国際社会におけるこうしたサミット国との関係をより深めていかなければならない、こう考えております。
そうした意味で、我が国の立場、主張につき十分な理解を得ることができたと思っておりますが、実は、明年は日本においてサミットを開催する順番でございます。日本としては「九州・沖縄サミット」が予定されておりまして、サミットの議長国として「2000年という節目に沖縄で開催される」ことの意義を踏まえて、万全の取り組みを行ってまいりたいと考えております。
これ[パネル]も、既にご案内の絵でございますけれども、「万国津梁館」、大変すばらしいお名前をつけられたと思っております。沖縄がかつて万国の交易の中心であったことを考えますと、ネーミングが大変すばらしいと思っておりますが、これがその地であります。こちらのほうに那覇がございますから、若干移動時間はありますけれども。
実は、これはまだ完成されておりませんで、これから、こうした沖縄にふさわしい立派な館もでき上がりまして、ここで青い海、美しい青い空の中で、世界の問題を語り合うことができれば幸いだと思っております。改めて、沖縄県民はじめ国民の皆さんのご理解とご支援をお願いいたす次第でございます。
今国会におきまして、その他、国旗及び国歌に関する法律が成立いたしました。本法律の成立を契機に、国旗と国歌についてより理解を深め、次代を担う子どもたちが国際社会の中で尊敬される日本人として成長されることを心から期待いたしているところでございます。
さて、今国会におきましては、通常国会に当たって自自連立が行われ、さらに、連立に参加していただける公明党との協力という確固たる枠組み、政権基盤があってはじめて、これまで申し上げてきた重要な政策課題に適切に取り組むことができました。皆様方の信頼と期待に何とか応えることができたと考えている次第でございます。
皆様方のご支援を得て一応の道筋をつけることができましたが、先ほど申し上げましたように、いずれの課題についてもこれからが正念場であるという覚悟をいたしております。
2000年、そして21世紀を目前にして、「戦後の日本」、「20世紀の日本」を総決算し、解決すべき課題は躊躇することなく解決に全力を尽くしていくとともに、21世紀においてこの国が何を目指すかについて、基本的な方向を指し示していくことも政治の大きな責任であります。
そうした思いに立ちまして、私は、「21世紀日本の構想」懇談会を設け、先般も私自身合宿に参加するなどして、鋭意検討を進めてきているところでございます。新しい千年紀(ミレニアム)、新しい世紀を目前にする歴史的な大転換期にありまして、引き続き国政をお預りする者として、国家と国民のために貢献し責任を全うしていきたいと強く念じているところでございます。
最後になりましたが、私は、内閣をお預りして以来、開かれた内閣を目指し、その一環として、首相官邸ホームページの中身を充実させてまいりました。おかげさまで、昨日までに、5,059万5,612件のアクセスを頂戴いたしました。国民の皆さんの政治への関心の高まりのあらわれと感謝いたしております。
このホームページには「小渕恵三のプロフィール」を設けさせておりまして、その中で、私の大好きな詩であり、また、私の政治にかける気持ちとも重なるところの多い、高村光太郎の「牛」という詩を掲載させていただいております。[パネルを示す。]ここで、その一節を紹介させていただきたいと思います。
なお、ホームページのアドレスは、ちょっと映りが悪いですが、下のほうに書いてあります。ここででございますので、さらに国民の皆さんにアクセスしていただければありがたいと思っております。
この中の一文でありますが、
「牛は為たくなつて為た事に後悔をしない 牛の為た事は牛の自信を強くする それでもやつぱり牛はのろのろと歩く 何処までも歩く 自然を信じ切つて 自然に身を任して がちり、がちりと自然につつ込み食ひ込んで 遅れても、先になっても 自分の道を自分で行く」
国民の皆さんのご支援とご協力を心から感謝し、また、お願いいたしたいと思います。ありがとうございました。
【質疑応答】
● 最初に、自・自・公3党の連立政策協議が開始されることになりましたけれども、今後、どのように始められて、いつごろまでに終えられるかというスケジュールの話と、次期国会の冒頭で処理されることになりました衆議院の定数削減の話です。これは、今回継続審議となりました自・自提出の法案を採決するという形になるのか、それとも、自・自・公3党で新たに法案を出し直すのか。それと、その法案が施行されるまでは衆議院の解散・総選挙は行わないという考えでよろしいのかどうか、そのあたりを伺わせてください。
まず、自由党、そして公明党と相協力して日本の政治に大きな役割を果たしたいと念願いたしてまいりましたが、今日午前中に、自由党の小沢党首と、この通常国会、連立政権としてのお互いの努力に対して、大きな問題の処理ができたことを喜ぶと同時に、今後とも力を尽くしてこの国難に当たろうということで一致いたしました。
なお、午後に神崎代表との間におきまして、公明党がかねて党大会の議を経て、連立政権参加というご意思をいただきました。
来るべき時期におきましては、自由党、自民党、公明党、3党における連立政権を樹立することによって、相協力して困難な問題に立ち向かうことにつきまして、3党間の党首の意思が明らかになりました。今日は、自由党党首、そして神崎公明党代表との別々の会談でございましたが、いずれ、今ご指摘のありましたように、近い将来におきましては、政策の協議も踏まえて3党間で話し合いを進めていくということでございます。
具体的なことにつきましては、今日は、党の執行部、特に政調会長もお見えでございましたが、これからどのような仕組みで行くか、協議会をつくるか、あるいはどのような形にするかについては、直ちに今日から検討に入るということで了解し合ったところでございます。そういった意味で、3党の連立政権が、実際の内閣ができる前にも、既に予算的には来年度予算のシーリングもございますし、今月末には概算要求の基準が生まれてきますから、もうその段階から協力していこうという形になっていくものと期待しております。
次に、定数削減の問題につきましては、自・自協議によりまして既に衆議院において法律が審議されております。この点につきましては、次の国会において3党の連立内閣ということになりますれば、3党の理解がなければ成り立たないわけでございますから、そうした意味で、今提出されている法律案をもとにして、公明党のお考えを承るか、あるいは、どのような形にしていくかにつきましては、今後、連立政権を目指していき、かつ、それが成立した国会において、少なくとも定数を削減する点につきまして、国民的な理解が得られるようにしていかなければなりませんし、そのことが両党のご理解のもとに成立することをまず考えていかなければならないと考えております。
それから、その施行なくしては解散・総選挙はないのかということでございますが、是非新しい定数をもって、これは国会全体であると思いますけれども、現下の国民の皆さんにおかれては、企業におきましても、いろいろと雇用の問題について難しい状況にある、そういった意味で、率先垂範して国会のあるべき姿としての削減論というものもございますから、是非、そのことなくしては国民の理解と協力は得られないと考えれば、当然、国民の信を問うときにはそうした形でとるべきものではないかというふうに考えておりますが、形式論を申し上げるわけではありませんけれども、9月以降の総理大臣を中心として各党間で十分話し合ってまいるべきものだと、こう考えております。
● 自由党との選挙協力ですけれども、これをどのように進められるのか。特に、今日、自由党の小沢党首が記者会見で、選挙協力を極限まで進めていけば党と党が一体化になる、という趣旨のことを言っておられるのですけれども、自由党の自民党への合流の可能性について総理自身のお考えはどのようなものでしょうか。
それぞれ政党は、政党のよって来るところの理念もあり方針もあると思うのです。ただ、自由党と自民党がまず連立を組んだというゆえんのものは、基本的なポリシー、あるいは理念において隔絶した考え方があるということでなくして、むしろ、極めて近いものがあった。これは、それぞれの議員のご経歴を見てもそういう経過があるわけです。
いずれにいたしましても、選挙協力は、選挙を前にしては、連立を組む以上、お互いその勢力を減少せしめないということが当然でありますから、それぞれ譲るべきところは譲り、協力し合うことは協力し合うという形で、現下も具体的なそれぞれの選挙区から考えていろいろな検討を進めているわけでございますが、いま、一般的にある種のスタンダードといいますか、そういうものをつくりつつあると認識いたしておりますが、いずれ、そういう形で両党間の話し合いがまとまってくる過程の中で考えられるべき問題ではないか。
一部、正直申し上げて、それこそ考え方も極めて近似している、そして思想哲学も一緒であれば、自由党、これを「保」と言ってはいけないかもしれませんが、自民党と自由党とのいわゆる保・保連合と申しますか、合同といいますか、そういうことを考えてもいいのではないかという声も私のところに聞こえてきております。しかし、お互い政党として長い間その道を歩んできておりますので、事はそう安易なものではないと思っておりますし、それは、それこそ自由党もどうお考えになるか、自民党もどう考えるかということでありますけれども、まずは選挙の協力をお互いし合うという過程の中で、あるいは、今おっしゃっておられるような方向に両党の議員が納得されればということであろうと思いますが、これはあくまでも今後の課題だと思っております。
● 総理、今日、国会が終わったばかりですけれども、早速次は9月の自民党総裁選ということで、既に党内では小渕総理の再選を求める声が多くなっています。この総裁選についてどのように臨まれるのか、その決意をお聞かせください。
私の任期は9月末まで、こういうことになっております。昨年、橋本総裁の退陣を受けまして、総裁に就任し、かつ総理大臣という大役を引き受けさせていただいて、ひたむきに、この1年間歩んできたわけでございます。
内閣は当初、経済再生内閣ということで、現下の日本の経済をまず回復させないことには、アジア、世界に対する責任を果たし得ないということでいろいろな手だてを講じてまいりました。幸いにして上向きの状況になってきていることは事実でございますが、これを確実なものにしていかなければならないと思っております。同時に、先程ご紹介いたしましたが、21世紀の課題、社会保障の問題、環境の問題、少子高齢化の問題等々、課題は大きいわけでございますので、できるべくんば、私もその責任をさらに全うしていかなければならないという考え方を強くいたしているところでございます。
総裁としてこの選挙にいかに臨むかということにつきましては、お許しをいただければ、後刻、自由民主党におきまして私の考え方を申し上げさせていただきたいと思っております。
● 先ほども、経済の再生について引き続き最大の努力をされるということでございましたけれども、景気につきましては、これからが正念場だとおっしゃっていました。第2次補正予算の編成にも触れられましたけれども、経済の今後の基本方針と、それから、全体として本当に景気がもっともっとよくなるのだろうかという気持ちが国民の中にあると思うのですが、その見通しについてお聞かせいただければと思います。
かつて世界経済の中で、アメリカがクシャミをすると日本が風邪をひくという時代がございました。しかし、いまは、日本が風邪をひきますと、アジアの諸国も、クシャミでなくて、それこそ肺炎にもなるという大きな責任を国際的に背負っているということでございますので、そうしたことから考えますと、やはり一定の経済成長率というものは確保していかなければならない、こう考えております。
私は国会で、今年度、すなわち来年の3月期までには、マイナス成長を転じて0.5%の経済成長にもっていきたいということで、あらゆる施策をそこに一点集中してきた、とこう思っております。幸いにして、1−3月につきましては、今日の経済企画庁の長官の説明によりますと、1.9ということでありましたが、修正いたしまして2.0。そう変わるわけではありませんけれども、この傾向が4−6月にどのようになるか。15か月予算もそうでありますし、あらゆる経済対策も先行しようということでいたしました。
これは、申し上げましたように、今年度予算が少なくとも3月の早い機会に通ることができた。したがって、4月1日からこれを施行するためのことが行えた。予算が早く成立することの意義は、単に予算案をこの内閣として歴代最速で通したなどということを申し上げているのではなくて、この3月期の早い時期にできたことが、実はいま、景気につきましても、4月以降の公共事業の実施、あるいは住宅その他の問題についても、いろいろと国民の皆さんがお考えになる基礎をつくっていくと。
そこで、ある意味で、先に公共事業その他も投資されたので、後が続かないのではないかという不安も一部にあると聞いております。予算の執行というものは、実際にお金が入る時期を考えると、今、これからお金が入ってきますから、必ずしも先行でやったことに対しての不安はないと思っておりますけれども、しかし、これから、言われるような腰折れがあってはならないというためのことを考えていかなければならない。したがって、9月の当初にGDPの4−6月の数字が出てきますから、こうしたものをしっかりと見据えながら、必要とあらば、第2次補正予算も適時適切につくり上げていかなければならないのではないかと思っております。
現実には、公共事業等予備費というかつてない予算の仕組みの中で、5,000億円、これは既に予算化しております。国会が終了いたしましたので、これも政府の責任において執行することになりますので、いまの状況を十分踏まえながら、必要なものは早くこれを出していかなければならない、こう考えております。
したがって、今、こうした第2次補正予算のことも含めまして、次の臨時国会のことを今申し上げるわけではありませんけれども、必要があればそうした措置を講じていかなければならないし、特に中小企業対策について、いろいろなことをやらなければならない。いま、「産業競争力会議」で、ある意味で全体的な日本産業の活性化の努力をしておりますが、なかんずく、中小企業が本当に力を持っていかなければならない。
金融面につきましては、昨年、40兆に近いお金を、中で特別融資として20兆、中小企業の皆さんも年末これで乗り越えられたことを感謝しているわけですから、こうしたことを含めて、金融面はともかくですが、税制面その他につきましても……中小企業……「しからば中小企業とは何ぞや」という問題について、長らく一定の考え方をしてきましたけれども、新しい時代における中小企業とは何かということになりますと、中小企業基本法という問題も残ってくるだろうと思います。これを、この夏の間に関係省庁に一生懸命勉強してもらいまして、もしそれができ上がることになれば、これに対しての対処もしていかなければならない。
昨日ですか、宮沢大蔵大臣もそのことについて「十分対処すべき課題である」と申されておりますので、一致して取り組んでいきたいと思っております。
● 第2次補正予算に関連してですけれども、補正予算の中で赤字国債の増発はなくて済みそうとお考えでしょうか。また、財政の赤字の増大が指摘される中で、総理在任中に消費税率のアップはお考えになっていないのでしょうか。
まず、この内閣は当初、ご記憶しておられると思いますけれども、財政構造改革で財革法を凍結しているということでございます。それは、財政につきましては言うまでもありません、個人の家計においても会社にしても、「入るるを量って出ずるを制す」、その財政均衡が基本であることは、古今東西、そういう考え方です。
しかし、ことにおいては、全部予算がバランスをとれなければならないということを単年度でやれないということであります。橋本内閣のときには財政再建という大きな柱、しかも、当時、幸いなことに日本の経済成長も3%を超えるような趨勢になってまいりました。ですから、ある意味では、その時点で財政の改革をやらなければならないことは当然だっただろうと思いますが、大変不幸なことには、ご案内のように、アジアにおける金融不安が生じてきまして、アジアから大きな金がみんな引き揚げていくという中でアジア経済が崩壊してくる、こういう中で、日本経済も同じような趨勢になってはならない。そこに、ご案内のように日本の金融システムの大きな改革が行われてきているわけでございます。
話が長くなりましたが、おっしゃっていることは、要するに財政の面でいわゆる赤字公債を発行してでも予算編成をするか、ということでございますけれども、願わくはそうならない税収の増加があれば言うまでもないと思いますけれども、前回、2%の消費税の増徴というものは真にやむを得ない必要性から生じたことでありますが、これが影響がなかったということは嘘になる話だろうと思います。こういう時点で、今、消費税を大きく引き上げるというような環境にはないだろうと思っております。
したがって、せっかく上向きになってきた日本経済をさらに大きく前進させることによって、いずれ、日本の経済が財政に寄与できるような、そうした税収が増加してくるという時点をしっかり見極めないと、その時期の見極めを誤まりますと、また同じように景気が後退するというウエーブになってしまったのではいけない。ここは、でき得べくんば、国民の理解も得ながらではありますけれども、財政も積極的に取り組むことによりまして、この趨勢を確実なものにしていくという必要があるのではないかと考えております。
● 小渕内閣は経済再生内閣として出発したわけですけれども、今国会で、経済対策、雇用対策等されまして、評価されていると思うのですけれども、一方で、国旗・国歌法案、通信傍受法案、住民基本台帳法の改正などが行われました。このことについて国民の間では、右傾化であるとか、疑問を持っている方もいらっしゃると思います。野中官房長官はこの処理については、戦後処理の一環ということで言われていますけれども、総理ご自身はどのように説明されますでしょうか。
右傾化でも何でもなくて、当然、必要なことであると思います。一つ一つの法律案について説明することはいかがかと思いますけれども、国旗・国歌につきましては、これまた言うまでもありませんけれど、慣習法として存在してきた。ところが、日本全国、地域によりましては、これが法制化されていないということを理由に学習指導要領がそのまま実施されない。そこに、しようか、するまいかということで非常に考え方が異なってきて、それを理由に実行されないということがあったと思っております。広島県の世羅高校の石川校長が残念ながら自ら命を絶つことになったのも、その原因の一つだろうと思っております。
国旗・国歌につきましては強制するものではありませんけれども、日本全国で、やはり、入学式、卒業式等においては、ごく素直な気持ちでこれを掲揚し、これを斉唱することが行われており、何ら問題がなければよかったかと思います。
私のことを申し上げるようですが、私の群馬県などは、小・中・高いずれも100%これが実施されておりまして、あえて法制化する必要性を地元からのお話では聞いていないということを考えますと、いろいろ思うことはありますけれども、法的な根拠がないというゆえに全国の状況があまりにも異なることにおいては、法律を定めたということの意義があるのではないかと思っております。
それから、いわゆる犯罪3法の問題に関しての通信傍受の問題でございます。これも話せば長いことで、ともかく日本で組織的な犯罪がこれほど多くなって、しかも国際化してきている。既に、新聞、テレビを見ましても、外国からの方々がたくさん入ってきて、日本における犯罪その他がかなり大きなものになってきているというようなことを考えますと、通信というものを悪用しながら、日々の国民の安寧秩序を維持できないということであれば、これは至極当然なこととして、それを防止する必要があるということであります。そのことをもっていわゆる盗聴法と言われることは、その漢字から言いましても、全くそういうことはないというふうに考えております。
住基法につきましては、全国の地方自治体がいろいろな意味で情報を交換したり、便宜の上からいきましても、これは極めて重要なことだろうというふうに考えております。10ケタの住民票をつくるからプライバシーが保護されないのだということではないことについては、別途、個人情報の保護のための法律案を企図しております。両々相まって、人々のプライバシーは保護しつつ、かつ、コンピュータがここまで発展してきた時代には、それにふさわしい行政のあり方もこれまた望ましいものだろうと思います。
いずれにしても、もっと早い時期にあるいは結論をつけておくべきものであったかもしれませんけれども、幸い、国会における多数の理解と協力を得てこれが通過することにつきましては、国民の理解が得られるものと考えております。 
談話 / 平成11年10月5日
私は、自由民主党総裁に再選されたこの機会に、内閣改造を断行し、自由党及び公明党・改革クラブとの連立内閣を発足させることといたしました。三党派はその政治責任を共にしながら、切磋琢磨して国家と国民のためにより良い政策を練り上げ、果敢に実施に移して、現下の諸課題に対処してまいります。
私はかねてより、我が国のあるべき姿として、「富国有徳」、すなわち経済的な富に加え、物と心のバランスがとれ、品格や徳のある国家を目指すべきであると申し上げてまいりました。そのために、先の通常国会における施政方針演説で、「繁栄」、「安心」、「安全」、「世界」そして「未来」への五つの架け橋を構築することを明らかにいたしました。二十一世紀への橋渡しをする内閣として、その実現に全力を挙げて取り組んでまいります。
昨年七月の組閣以来、私は「経済再生内閣」と銘打って、財政、税制、金融、法制のあらゆる分野の施策を総動員して、金融危機、経済不況の克服に取り組んでまいりました。その結果、国民の皆様の努力とあいまって、わが国の経済は改善の兆しを見せ始めています。しかしながら、景気を本格的な回復軌道に乗せるとともに、二十一世紀の新たな発展基盤を築き上げるために、坂の途中の車を押し上げ切るまでは手を緩めることなく、引き続き積極的な経済運営に努めてまいります。このため、第二次補正予算の編成を含め、中小・ベンチャー企業の振興をはじめとするわが国産業の体質強化や雇用対策などに全力を尽くしてまいります。
中央省庁等の再編、地方分権の推進、国家公務員定数・コストの削減、さらには規制緩和など、行政改革を推進してまいります。また、人口の少子高齢化、経済社会の変化などを背景に、国民生活のセイフティーネットである社会保障のあり方が大きな論点になっています。介護保険制度の円滑な実施や公平で安定した年金制度の改革など、信頼できる制度の確立に取り組んでまいります。さらに、教育は「富国有徳」の心の部分に関わるものであり、教育改革について幅広い議論を行い、その成果を生かしてまいりたいと考えております。
世界の平和と発展のために、国際社会における日本の地位にふさわしい役割を積極的かつ誠実に果たすとともに、わが国の安全と繁栄の確立に向けて粘り強く努力してまいります。また、沖縄をめぐる諸課題の解決に努めつつ、来年の九州・沖縄サミットの成功に向けて準備を進めてまいります。
新しいミレニアムを目前にし、次の時代を明るく希望に満ちたものとするために、新内閣は「対話と実行」を基本として、国民の叡知を結集し、政治主導でスピーディに、現在の難局を乗り越えていく決意であります。皆様のご理解とご協力を心からお願いいたします。
内閣総理大臣説示
初閣議に際し、私の所信を申し述べ、閣僚各位の格別のご協力をお願いする。
一 この内閣は、「対話と実行」を基本とし、国民の声に十分耳を傾けるとともに、スピーディな政策実施を心掛けていただきたい。
二 経済戦略会議の提言は、現下の最重要課題である経済の再生と二十一世紀における豊かな経済社会の構築のために、幅広く民間の有識者の方々に意見をとりまとめていただいたものであり、前内閣に引き続き積極的な取り組みをお願いしたい。また、二十一世紀への架け橋を作る内閣として、我が国のあるべき姿を国民に示すことが大事と考え、有識者からなる懇談会に検討をお願いしているところであり、その検討の成果についても新しい時代を切り拓く貴重なご意見として真摯に受け止め、全力で対応していただきたい。
三 日本経済の再生に向けて、引き続き財政や金融等において機動的、弾力的な対応を行い、上向きつつある景気を本格的な回復軌道に乗せていくとともに、雇用の安定・確保を図りながら、中小・ベンチャー企業をはじめとする我が国産業の体質強化が図られるよう、ご努力いただきたい。
四 実行の段階を迎えた中央省庁等の再編や地方分権の推進、公約である国家公務員定数の二十五パーセント、コストの三十パーセント削減あるいは規制緩和等の行政改革に、所管行政という狭い視野からではなく、国政全般の幅広い視野に立って、英断を持って取り組んでいただきたい。
五 国家公務員倫理法や情報公開法の制定も踏まえ、公務員の綱紀の保持や情報の公開・提供等行政の透明化に一層努めるとともに、国民に分かり易く、信頼される行政を心掛けていただきたい。
六 「国会審議の活性化及び政治主導の政策決定システムの確立に関する法律」の趣旨を踏まえ、国会への対応や政務次官との連携について十分ご留意いただきたい。
七 今般の東海村ウラン加工施設事故について、原因の徹底究明と周辺住民への必要な支援、更には核燃料製造施設の緊急総点検に迅速に対応するとともに、コンピュータ西暦二○○○年問題も含めた緊急時における危機管理対策に万全を尽くしていただきたい。
八 来年夏に開催する九州・沖縄サミットの成功に向けてご協力いただきたい。
九 内閣は、憲法上国会に対して連帯して責任を負う行政の最高機関である。国政遂行に際して活発な議論を行うとともに、内閣として方針を決定した場合には一致協力してこれに従い、内閣の統一性及び国政の権威の保持にご協力いただきたい。 
記者会見・小渕内閣第2次改造発足後 / 平成11年10月5日
まず、最初に東海村ウラン加工施設の事故について一言申し上げます。
今回の事故によりまして、多大な不安と御不自由を被られた近隣住民の方々に一刻も早く平穏な生活に戻られますよう、また、今回の事故で被曝された方々が一日も早く回復されますよう、心からお祈り申し上げます。
今回の事故は安全を著しく軽視した予想外の人為的な事故でありました。このような事故を二度と起こさないためには、まず原因の徹底究明を行い、この結果を踏まえ、速やかに再発防止対策を確立し、実施してまいりたいと考えます。また、直ちに核燃料製造施設の緊急総点検に着手いたしたところであります。
同時に、近隣住民の方々に対しまして、必要とされる支援を迅速に行ってまいる考えであります。
さらに今回、政府の危機管理対策につきましても、謙虚に反省すべきことは反省をし、更なる万全を期してまいりたいと考えております。
最後に、現場におきまして、身の危険をも顧みず、事態の沈静化のために御苦労されました方々の献身と勇気に対しまして、心から敬意を表したいと思います。
なお、私自身、明日午後、中曽根科学技術庁長官とともに現地を訪れ、現場の状況を視察することといたしております。
さて、私は本日内閣改造を断行し、自由党、及び公明党・改革クラブとの連立内閣を発足させることといたしました。過ぐる通常国会におきまして、自自連立の上に、更に公明党・改革クラブの協力を得て、国家と国民のために数多くの成果が得られたことは皆様御承知のとおりでございます。
こうした実績や基礎に立ちまして、3党会派は、緊密な協議を重ね、経済、社会保障、安全保障、政治・行政改革、教育、環境など、広範な分野でしっかりした政策合意に達した上で、連立内閣を発足させたものでありまして、今後3党派は政治責任を共にしながら、切磋琢磨して国家と国民のために、よりよい政策を練り上げ、果敢にこれを実施に移し、現下の諸課題に対処してまいりたいと考えております。
今回の改造に当たりましては、この内閣に与えられた重大な使命をしっかりと踏まえまして、経済、明年の九州・沖縄サミットを始めとする、内外の重要諸課題に政府・与党の総力を挙げて取り組むことのできる強力な体制を整えるべく、意を用いたところでございます。
このため、私は真に適材適所、真に強力な内閣を作り上げていく観点から、大臣、政務次官共に従来の組閣の慣行にとらわれず、思い切った人事を行ったと自負しております。
具体的に申し上げれば、昨年7月の組閣以来、経済再生内閣と銘打ちまして、宮澤大蔵大臣、堺屋経済企画庁長官、与謝野通産大臣を中心とした財政、税制、金融、法制のあらゆる施策を総動員いたしまして、経済再生に取り組んでまいったところであり、その結果、ようやく景気は最悪期を脱し一山越えた状況にあります。
こうした流れを景気の本格回復にしっかりと結び付けるとともに、21世紀の発展基盤を築き上げていくためには、むしろこれからが正念場である。このことを肝に銘じているところでございます。
このため、経済政策を担ってこられました内外の信頼厚い宮澤大臣、堺屋長官に留任をお願いをいたしまして、引き続きその任に当たっていただくことといたしました。
また、初閣議におきまして、総合的な経済対策を早急に取りまとめるよう指示いたしたところでございます。
次に、明年の九州・沖縄サミットは、最重要の外交日程でありまして、沖縄県を始めとして、各自治体の緊密な連携を取りつつ、万全の努力をしていく考えでありまして、またサミット議長国としての国際的な責任を十分踏まえ、その時々の国際情勢の変化に従って、柔軟かつ迅速に対応していかねばならないと考えております。
このような点にかんがみまして、私は河野元副総理・外務大臣に、外務大臣をお願いいたした次第でございます。
このほか、いちいちお名前を挙げることは避けますが、各大臣ともそれぞれの分野で高い識見と豊富な経験をお持ちの方ばかりであり、私としては、現下の諸課題に対処する最善の布陣であると、このように自負をいたしているところでございます。
また、閣僚人事ではありませんが、国会活性化法によりまして、政府委員制度の廃止などにより、政務次官の任務、役割が飛躍的に高まることとなることに伴いまして、今回の改造に当たりましては、政務次官の人選をより一層重視し、それぞれの大臣とのコンビネーション、担当分野における識見、経験などを十分に踏まえて決定をいたした次第でございます。
来る2000年はミレニアム、いわゆる千年紀に当たりまして、九州・沖縄サミットも開催されることから、2千円日本銀行券を発行するにふさわしい年であると考えられ、また、諸外国での2のつく単位の紙幣の発行及び流通状況や国民の利便性の向上も勘案し、新たに2千円券の発行を開始することとし、大蔵大臣の下で直ちに準備作業に着手していただきたいと考えております。
2千円の図柄につきましては、表は沖縄の守礼門を中心としたものとし、裏は源氏物語絵図の一場面を中心にしたものといたしたいと考えております。
今後、大蔵大臣の下で作業を進めていただき、来年の7月の九州・沖縄サミットまでには発行を開始したいと考えております。
2000年、新しいミレニアムは目前であります。次の時代を明るく、希望に満ちたものにするために、この新内閣は対話と実行を基本とし、国民の英知を結集し、政治主導でスピーディーに現在の難局を乗り越えていく決意であります。
国民の皆様の御理解と御協力を心からお願い申し上げる次第でございます。
【質疑応答】
● 今回の改造についてお伺いする前に、今、御発言のありました2千円札の発行について、これはいかなる経済的な効果をねらったものなのか、どういう趣旨でと、この点についてもう一度お願いします。
お答えいたしますが、ただ今も申し上げましたけれども、2000年という年を迎えるわけでありまして、そういう意味で2000年にふさわしいということも言えるかと思います。
また同時に、九州・沖縄サミットという日本外交にとりましても、最大の国際的役割を議長国として担っていくと、こういうことでございますし、当然のことでございますけれども、利便性ということも十分考慮に入れたわけでございます。
ちなみに、先ほどちょっと2の付く紙幣のことについて、外国の例を申し上げましたが、例えばアメリカは10ドルの次に20ドルがあるわけです。イギリスについても、10ポンドの次に20ポンドがある。フランスにつきましても、100フランの次に200フランがありまして、実はこの枚数のシェアを考えますと、アメリカでは20ドル紙幣は24.3%、イギリスの20ポンドは25.6%、フランスの200フランは27.9%と、こういう数字でございまして、この紙幣の利用率と言いますか、利便性と言いますか、こういうものが非常に高いということが現実に先進諸国でも現れているということでございまして、そういう意味からも、今回利便性と同時に2000年を記念して、この新しい紙幣を発行したいと、そして、図柄につきましても、表は沖縄の守礼門をひとつデザイン化できないか、そして裏はちょうど約一千年前でありますが、日本を代表する紫式部のものした、この女性の作家が著した源氏物語、こういうものを是非図柄として発行できたらということで、作業に入っていただくよう大蔵大臣に指示いたしたところでございまして、必ず国民の皆様も大いに御利用いただけることであると同時に、新しい世紀にわたる2000年という年を、お互いしっかりかみしめながら、次の世紀に向かっていくにふさわしい紙幣の発行であると、私はこのように考えている次第でございます。
● 本日発足しました3党の連立内閣、これについてなんですけれども、今回、再任あるいは留任の方が合わせて5人おりまして、昨年の小渕内閣の発足時に比べますと、新鮮味に欠けるのではないかという声も出ておりますが、どういう要素を考慮した人事だったのか、お聞かせください。
まず第一には、先ほどもこれまた申し上げましたが、やはり、宮澤大蔵大臣、堺屋経済企画庁長官、いわゆる第1次内閣における経済チームの主軸ですね、この方々にお残りをいただいたということです。
それは小渕内閣が経済再生内閣として昨年7月に出発をいたしておりまして、まさにこの景気最悪の事態に対処して、このお二人を始めとして、熱心な施策を遂行することによりまして、景気も回復基調に入りつつあるということに来ておりまして、私がいつも申し上げておりますように、坂道の車をみんな総出で押し上げているところでございまして、手を離すと、また坂の下に戻ってしまう、こういうときでございますから、この状況を何とか安定したものにし日本の経済成長、私の申し上げております来年3月0.5%プラス成長にいたしたいと、その基本的体制をまず変えることはできないというのが基本的な考え方でございます。
同時に、これまた先ほど申し上げましたが、国会活性化法によりまして、いわゆる従来の国会の在り方の中で、政府委員が廃止をされるということになります。そうなりますれば、大臣、そして政務次官が国会におけるすべての責任を負ってくるということでございますから、大臣並びに政務次官のコンビネーションということも非常に大事だというふうに考えております。
そういった観点から、大臣につきましては、極めてベテランの方々、そして政策に明るい方、こうした方々を中心に安定した政権を作るべきであると、こう考えたわけでございます。
御指摘のように新人に沢山入っていただくということも望ましいことであり、また、若手新人の中にも有能、有為な方は沢山いるかと思いますが、ここは極めて重要な新しい制度の下に難しい状況にございますので、この際、ベテランの方々に中核になっていただきたいということでございまして、それを新鮮味に欠けると言われると、これはそうかもしれませんが、しかし、同時にこの際は新鮮味というよりも、むしろ安定感を持ってこの時局に臨むということの方が望ましいと考えて、今回の閣僚の選任並びに政務次官の任用については、私、そうした観点から今回の内閣を作らせていただいたということでありますので、御理解いただきたいと思います。
● 先ほどの総理の冒頭発言の中に、来年の九州・沖縄サミットが最重要課題の一つだという話がありましたけれども、そうしますと、今日この3党の連立体制が発足して、この九州・沖縄サミットまでは内閣改造、あるいは衆議院の解散・総選挙ということは考えていないと理解してよろしいでしょうか。
まず申し上げたように、経済を再生から新生して、日本の経済を安定的な成長に持っていくということが中心でありまして、そのためにはできる限り早く臨時国会も開催をし、いわゆる経済再生のために必要でありました企業の競争力強化、すなわち構造改革につきまして、夏の国会を延ばしていただきましてまで法律を通させていただきましたが、中小企業関係につきましてなお取り組まなければならない課題が多いと。税制、金融、あるいは中小企業基本法、こうした問題もございますので、したがって、こうした国会にまずは臨んでいくということが中心ではないかというふう考えております。
もとより、今御指摘のように九州・沖縄サミットもそう易しいものではないというふう思っております。何しろ会場そのものがこれから建設途上にあるわけでございまして、そういった意味からも、なかなかこれを準備をしていくことは、道路、通信、その他万般にわたりまして、今、沖縄県でこれを開催するための作業はなかなか大変であります。
したがって、これから補正予算ということが考えられれば、その中でも予算化して、種々の公共事業も含めまして、沖縄県に対する投資を行い、その成功のためにいたしていかなければならないことは当然でございまして、したがいまして、それまではと、こうお尋ねいただくと、それは解散権について物を申すことですから、これはお許しをいただくことといたしまして、今なさなければならぬことを最善を尽くしていくということに絞られるわけでありまして、当然のことながら現在解散などということは、念頭にあって事を処するということはできかねるということだろうと思っております。
● 冒頭発言でも経済対策、これからが正念場であるとおっしゃられて、総合対策についても言及されましたけれども、当面、補正予算、それから円高対策、こういったものが課題になろうかと思うんですけれども、これに対してどのような方針で臨まれるのかと、特に補正予算については、その規模についてもお尋ねをしたいと思います。
規模につきまして、今私が何兆円であり、また何兆円の中の、いわゆる真水というものはどのくらいということをここで申し上げることはできかねると思っております。が、しかし、新内閣が今日誕生いたしました。したがいまして、関係閣僚もそれぞれのお考えがあるやに私は承知をいたしておりますので、それを集約をしながら、最終的には臨時国会において、現在の経済状況を少なくとも後ずさりさせることなくいくためには、かなりの積極的なやはり補正予算を組むべきではないかと思っております。
と同時に、政府もそう考えるかについては、与党3党の考え方もございますし、また与党の中で自由民主党の三役も替わりまして、それぞれにかなり積極的な御発言をされている方もおりますので、そういう方々の御意見も拝聴しながら対応しなければならぬのじゃないかと思います。
御質問でありますが、何兆円規模のということは申し上げられませんが、言えることは、繰り返しますが、今のこの経済回復の状況を、少なくともまた逆戻りさせることがあってはならないという観点に立って、適切な対応を取るべきだと、こう考えております。
● 円高対策について。
言うまでもなく円高というものは、その国に対する諸外国の国の力を評価する一つの指標だろうと思うんです。そういう意味では、円高そのものは日本の国に対するクレディビリティーの評価の表れであると言ってもこれは間違いないんだろうと思います。しかし、急激な円高、また円安もそうでありますけれども、そういうことが経済に及ぼす影響というものは非常に大きい。特に円高につきましては、輸出産業その他は、1円為替が円高になることによって、大企業の中などは、それだけで50億円、100億円という単位で円高における影響が出てくるということを考えますと、我々としては、急激な円高は好ましくないということで政府としても適切な対応を常に採る意思を持って対処しているということでございます。最近、こうした中で、やや安定しつつあるということについては、これは望ましいことではないかと思っております。
● 最初に言及されましたけれども、茨城県東海村のウラン加工施設での臨界事故の件なんですけれども、安全基準見直しなどについて、いわゆる法整備も含めて検討すべきではないかという意見もございますけれども、これに対して総理の御見解はどんなものでしょうか。
ちょっと長くなりますが、今回、大臣の任用に当たりまして、昨日それぞれの方々に、所管について申し上げました。その中で、深谷通産大臣、あるいは中曽根科学技術庁長官も、本問題について非常に熱心に取り組まなければならない責務があると言っておられまして、今日の就任のときの記者会見でも、例えば、原子力防災法というような形で通産大臣も申し上げられております。
同様の趣旨かと思いますが、中曽根科技庁長官も言っておられます。内閣の主要なメンバーであり、特に今回の災害に対しての責任あるお立場にある方が申されていることでございますので、十分意見を拝聴しながら最終的には私総理としても判断を下していきたいと思いますが、提案をされた方々につきまして、どのような内容、どのような効果があり得るのかというようなことにつきましても、詳細な報告を求めて、最終的な決定をしていきたいと思いますが、いずれにしても、現在のままでよろしいかと問われると、現在のままであったらあのような事件が惹起したということを考えますと、二度と再び起こさないためには、どのような法的措置が講ぜられるべきかということについては、ほぼコンセンサスが得られたのではないかと、こう判断しております。
● 総理、今回の連立内閣で衆議院では7割の勢力を占めておりまして、参議院でもあと二十数議席足せば3分の2の勢力になります。理論上はこれで憲法改正が発議できる勢力に一歩近づいたということは言えますけれども、総理自身、憲法問題についてどのようにお考えでしょうか。
これは小渕内閣としては現在憲法を改正するという意思は無いということは国会で責任をもって答弁を申し上げている次第でございます。ただ、憲法そのものにつきましては、申し上げるまでもなく、過ぐる国会におきまして、両院におきまして憲法調査会を設けて大いに論憲、すなわち憲法について論議をしていこうということでございますし、私自身もいわゆる世界中の憲法を眺めてみましても、いわゆる不磨の大典と言って一字一句、あらゆる世代にわたってこれが改めることができないというものではないわけでありまして、そういった意味で、国会というのは大きな国民の意思の表れかと思いますから、これは大いに論議し、憲法の中の諸問題について検討されることは、私は望ましいことだというふうに思っております。
● 今回の人事に関してなんですが、加藤派では、今回の人事のことについて特に報復人事だという言い方をされていると思います。総理御自身は挙党一致でということを常々言われていると思うんですけれども、総務会長の人事のことに関連しても、今後、そのことをどういうふうに修復されるのかということをちょっとお伺いしたいんですが。
挙党一致、適材適所というのは、私は貫いたというふうに自信を持って申し上げたいと思います。今のお話に付言すれば、それぞれの政策集団が望ましいと、あるいは推薦と、こういう方々をそのままに全部採用しなければ、挙党一致でないということだということになりますと、まさにいつも御批判いただいておりますが、派閥何とかの政治というふうになるのであって、やはり総裁・総理として、党の人事並びに内閣につきまして、私は適材適所としてその人選をしたと、私はそのように確信をしております。もちろん、今お話しのように政策集団の中で、こうあってほしいという方についてそのとおりにならなかったという事実はあるかもしれませんが、その点は広く御理解をいただければというふうに思います。
● 三度東海村の件なんですが、地元の住民はこの時期の内閣改造、特に科学技術庁長官の交代に不満の声もあるようなんですが、そうした批判にはどう答えられますか。
まあ、批判もそれはあるかと思いますし、また、有馬科学技術庁長官につきましては、昨年、私がいわゆる総理枠ということで御就任をいただいた正に専門家中の専門家であります。ただ、メディアもそうでありますが、いろいろ今回の処理方につきまして、見方によっては、いろいろの政府全体の御批判もありますし、また科学技術庁の在り方についてもいろいろと御指摘のあったことは事実であります。この際、若い中曽根科学技術庁長官にそのバトンタッチをしていただきまして、有馬長官のお考えも十分その中に入れつつ、本問題に対して対処することができれば、ただ今のような住民の中の御批判には結果をもってお答えできるものだと、このように考えております。 
第百四十六回国会・信表明演説 / 平成11年10月29日
(はじめに)
第百四十六回国会の開会に臨み、当面する諸問題につき所信を申し述べ、国民の皆様のご理解とご協力をいただきたいと考えます。
私は、安定した政局の下で、政策を共有できる政党が互いに切磋琢磨し、より良い政策を練り上げ相協力して実行に移していくことが国民や国家のためだと考え、自由民主党、自由党、公明党・改革クラブの広範な政策合意を基として、このたび三党派による連立内閣を樹立いたしました。
発足早々誠に残念でありましたが、防衛政務次官から不適切な発言がなされたため、その辞表を受理し、直ちに更迭いたしました。当然のことながら、国際社会の中で率先して核軍縮・不拡散政策に取り組んできたわが国として、今後とも非核三原則を堅持する方針にいささかの変更もありません。また、女性蔑視の発言に至っては女性の気持ちや人権を踏みにじるものであり、全く論外であります。任命権者として、国民の皆様に心からお詫び申し上げます。
先に成立した国会審議活性化法により、政務次官の役割が大きくなり、それだけ深い自覚と責任が求められることとなりました。私は直ちに各政務次官に対し、自らを厳しく律し職務に精励するよう重ねて指示し、これを契機に内閣全体としても、改めて気を引き締めて諸課題に取り組むことを決意した次第であります。
自自連立内閣として臨んだ先の通常国会では、公明党・改革クラブの協力をいただいて大きな成果を挙げることができました。連立内閣こそが現下の最善の道であり、その信念にはいささかの揺るぎもありません。三党派連立の確固たる基盤のもとに、必ずや国民の皆様にご納得いただけるような成果を挙げ、その信頼と期待にお応えする決意であります。
キルギス共和国で誘拐された邦人が無事解放されたのは誠に喜ばしいことであり、四名の方々のご苦労を心からねぎらい申し上げますとともに、アカーエフ大統領を始め多くの人々のご支援に感謝いたします。
「一〇〇〇年代」という一つのミレニアムの締めくくりの時期に開かれる今国会を実り多いものとすべく、本日は、今国会でご審議願いたいと考えているテーマを中心に、特に当面する、経済、安全、安心の三つの課題に絞り、国民の皆様に内閣の基本方針をお示しいたします。この際、個別施策に網羅的に触れられないことをお赦しいただきたいと思います。
(経済新生に向けた理念ある総合的な政策)
私は、今年度のわが国経済の実質成長率を〇・五パーセント程度にまで回復させることを目指し、国会のご協力をいただきながら、財政、税制、金融、法制のあらゆる分野の施策を総動員して、金融危機、経済不況の克服に取り組んでまいりました。その政策効果の浸透などにより、景気は厳しい状況をなお脱してはいないものの緩やかな改善を続けております。ここで重要なのは、経済を本格的な回復軌道に繋げていくとともに、二十一世紀の新たな発展基盤を築き、未来に向け経済を新生させることであります。こうした観点から、理念ある経済新生対策を早急に取りまとめ、併せて第二次補正予算を編成し、今国会に提出いたします。
この経済新生対策は、事業規模で十兆円を超えるものとし、二十一世紀型社会インフラの整備などの公共投資を、景気の腰折れを招かないよう適切な規模で盛り込んでまいります。また、公共需要から民間需要へのバトンタッチを円滑に行うべく個人消費や設備投資を喚起し、将来の発展基盤を確保するための構造改革を一層推進する内容といたします。加えて、特別保証枠の追加などの中小企業向けの金融対策や、住宅金融対策、雇用対策に、重点的に予算措置を講ずることとしております。私は、今回の対策を、新規性、期待性、訴求性、すなわち、はっとする新しさを持ち、国民の期待にかない、内外に分かりやすく訴える魅力のあるものといたします。そのために、従来の概念や計画、省庁の枠組みにとらわれず、斬新かつ大胆な発想の下で施策の内容を吟味するとともに、その成果や効果が国民の目にはっきり見えるよう、個々の施策の目標、全体像及び目標年次を可能な限り明示してまいります。
私は、今国会を「中小企業国会」と位置づけ、中小企業政策の抜本的な見直し・拡充のための法案をご審議いただきたいと考えております。中小企業の中には、地域に根ざした小規模企業もあれば、成長分野での飛躍を目指すベンチャー企業もあります。また、未来を指向して創業を志す方々も大勢おられます。これらの中小企業等は、新たな雇用や産業を生み出す担い手、いわばわが国経済のダイナミズムの源泉であり、その振興こそが日本経済新生の鍵になると考えます。これからは、懸命に経営の向上に努力されている中小企業にきめ細かな支援策を講ずる一方で、ベンチャー企業や創業者が数多く生まれる社会の創成を柱の一つに据え、多様なニーズに的確に対応できる政策体系を築いてまいります。今般の経済新生対策におきましても、利用者の立場に立った使いやすい中小・ベンチャー企業対策を盛り込む方針としております。
技術開発の推進も、将来の発展基盤の確保に欠かせない課題であり、官民挙げての取組が求められております。人類の直面する課題に応え、新しい産業を生み出すべく、わが国にとって重要性・緊要性の高い、情報化、高齢化、環境対応の三分野で、大胆な技術革新を中心とした産学官共同プロジェクトを「ミレニアム・プロジェクト」として積極的に推進し、明るい未来を切り拓く核をつくり上げてまいります。経済新生対策に盛り込むとともに、国民の皆様から広く公募をいたしますので、革新的な技術開発のご提案が積極的になされるよう期待いたします。
繰り返し申し上げておりますが、財政構造改革につきましては、経済が本格的な回復軌道に乗った段階でそのあるべき姿をお示しいたします。
(安全な社会の実現)
美しい安定した環境を守りながら循環型の経済社会を築くとともに、国民一人一人の生命や安全な生活を守ることは、政治や行政が負うべき極めて重要な課題であります。
去る九月三十日に茨城県東海村で発生した核燃料加工工場における事故により、周辺住民を始めとする国民の皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけいたしました。今後とも住民の皆様の健康管理等に万全を期してまいりますとともに、事故原因の徹底究明を急ぎ、再発防止対策の早急な確立・実施に努めてまいります。このため今国会に、原子力に関する安全規制及び防災対策の強化のための法案を提出いたします。
また、この夏以来、豪雨・台風災害が各地で発生いたしました。亡くなられた方々とそのご遺族に対し謹んで哀悼の意を表するとともに、被災者の方々に心からお見舞い申し上げます。今後とも復旧対策に全力を尽くすとともに、災害対策の強化になお一層努力してまいります。
オウム真理教の活動は、今なお各地で住民に不安を与えております。このことを深く憂慮し、同教団を念頭に置きつつ、無差別大量殺人行為を行った団体に対する規制法案を今国会に提出いたします。議員立法としての提出が予定されております被害者救済のための法案と相まって、適切な対応に努めてまいります。
コンピュータ西暦二○○○年問題につきましては、これまで官民挙げて徹底して対応してきた結果、大きな混乱は生じないものと考えますが、引き続き万全の取組を進めてまいります。国民の皆様におかれましても、本日お示しした指針を参考に、万一の場合に備えて準備されることを期待いたします。
(将来にわたり安心で活力ある社会の整備)
少子高齢化が急速に進展する中で、将来にわたり国民が安心して暮らせる活力ある社会を築くためには、社会保障制度の構造改革を進め、安定的に運営できる制度を構築することが重要な課題であります。
とりわけ年金につきましては、将来世代の過重な負担を防ぐとともに確実な給付を約束するとの考え方に立ち、制度全般を見直すための法案を先の国会に提出いたしました。年金制度に対する国民の信頼を揺るぎないものとするため、その一日も早い成立に向け全力で取り組んでまいります。
また、介護保険につきましては、老後の最大の不安要因である高齢者の介護を社会全体で支えるべく、来年四月からの実施に向けた準備に万全を期してまいります。なお、高齢者の負担軽減や財政支援など制度の円滑な実施のための対策につきましては、与党間の協議を踏まえ適切に対応してまいります。
(むすび)
新たなミレニアムの到来は指呼の間に迫っております。二〇〇〇年という節目の年に行われる来年のサミットは、わが国が議長国となり九州・沖縄で開催されます。このサミットでは、二十一世紀が人類と地球にとって、より幸せな時代になるとの確信を抱かせるような力強いメッセージを発出したいと考えております。各自治体とも緊密な連携を取りながら万全の準備に努めてまいります。
米軍施設等が集中する沖縄が抱える諸問題につきましては、沖縄県の理解と協力を得ながら、内閣としてその解決に向け総力を挙げて取り組んでまいります。
また、二〇〇〇年からのWTOの新たな包括的な交渉の立上げのため、わが国として全力を尽くしてまいります。
私は常々、わが国が目指すべきは「富国有徳」の国家、すなわち経済的な富に加え、物と心のバランスがとれ、品格や徳を有する国家である、と申し上げてまいりました。年頭の施政方針演説では、そのような理念に立ち、二十一世紀に向けた国政運営を「五つの架け橋」を基本に進めることを明らかにいたしました。また、「対話と実行」の基本方針の下、有識者懇談会や国民との対話を積み重ね、それを政策に反映させ、スピーディーかつ果敢に実行に移してまいりました。その結果、経済には明るい動きも見え、また、最重要課題の一つに掲げてきた行政改革も着実に進展し、今国会には中央省庁等改革を予定どおり実施するための関連法案を提出する運びとなっております。外交面でも、日米安保体制を基軸とした同盟関係にある米国はもとより、ロシア、中国、韓国、欧州諸国などを精力的に訪問し、あるいは諸外国の首脳をわが国にお招きし、首脳間の確固たる信頼関係の上に各国との揺るぎない協調関係を築くとともに、北朝鮮を巡る諸問題の解決に向け引き続き最大限の努力を傾注してまいります。
国家の基本は人であります。教育は国家百年の計の礎を築くものであり、新しい世紀の到来を前に取り組むべき最重要課題として対応してまいります。
この一年間のわが国の変化を振り返るとき、今必要なのは「確固たる意思を持った建設的な楽観主義」であると申し上げてきたことは、間違っていなかったとの思いを強くしております。わが国には、経済新生や安全対策など、直ちに実行・実現に努めねばならない緊急の課題が数多くあります。その一方、長い視野で考え、先見性を持って手を打たねばならない問題もあります。明日に希望を持ち、未来の発展を確信できる世の中を共に築いていこうではありませんか。
国民の皆様、また議員各位の、ご理解とご支援を心よりお願い申し上げます。 
2000

 

年頭記者会見 / 平成12年元旦
明けましておめでとうございます。新しい千年紀、ミレニアムがスタートします。
平成12年、西暦2000年は歴史の波の節目が重なる時でもあります。この100年の歴史を振り返れば、2度の世界大戦と冷戦をくぐり抜け、人類が平和と繁栄に向けて着実に歩んできた時代と言えましょう。一千年前には、紫式部の手で源氏物語が書かれ、日本の独自の文化が花開きました。
歴史の節目を迎えるときは、新しい歴史が始まるときでもあります。
この節目となる年に、歴史の大きな流れに学びながら、国民の皆様とともに大いなる勇気と希望を持って新たな第一歩を踏み出してまいりたいと思います。
この7月には、沖縄県名護市で「九州・沖縄サミット」が開催されます。開催国である我が国が今日から1年間、G8の議長国としての重責を担うことになりました。
2000年という大きな節目の年に開かれるこのサミットにおいては、「21世紀がすべての人にとってよりすばらしい時代となる」という希望を、皆さんをはじめとして世界中の人々が抱けるように実りある議論をしたいと思っております。
また、今年のサミットは7年ぶりにアジアで開催されます。私としては、G8が、グローバルな視点とともに、アジアの関心も十分に反映した、明るく、力強いメッセージを世界に向けて発信する機会にしたいと願っております。
サミットの開催中は勿論ですが、この1年間は、世界の耳目が日本に、そして九州や沖縄に集まることとなります。日本という国が各地方ごとにいかに多様で豊かな文化を持っているか、また、日本人がいかにもてなしの精神にあふれた国民であるかにつき、ぜひとも世界の方々に理解を深めていただきたいと期待しております。ここに、国民の皆様の御協力を心からお願い申し上げます。
今、皆様にご覧いただいておりますのは、このサミットの「ロゴマーク」でございます。全国から5,500件を超える応募がありまして、その中から沖縄県の知念秀幸さんの作品をロゴマークとして決定させていただきました。
この作品は、太陽をモチーフとして、「赤」は参加国の情熱を、「青」は広く美しい海を表すもので、このサミットに大変ふさわしいと考えております。
さて私は、この機会に沖縄県の抱える基地問題について申し上げたいと思います。
普天間飛行場の移設に関し、先の稲嶺知事のご表明に続き、このたび岸本名護市長が代替施設の受け入れを表明されました。知事及び名護市長、更に関係者の方々の、苦渋の中にも沖縄の将来を見据えた真摯なご決断に心から敬意を表したいと思います。
また私は、我が国の平和と安全をもたらす安全保障体制の確保は、一人名護市、あるいは沖縄県の課題ではなく、全国民的課題であることについて、国民の皆様の深いご理解を求めたいと思います。
今後、政府としては、代替施設の整備につきまして、市民生活への影響に最大限の留意を払い、安全、環境対策に万全を期してまいります。また、沖縄の地域振興に全力を挙げて取り組んでまいりたいと思います。
今、新しい千年紀の入り口に立ち、日本の輝かしい未来を描いてみることは政治の大きな役割であります。新しい千年紀の始まりに身の引き締まる思いを感じながら、日本の明るく希望に満ちた将来の姿、特に社会のあり方について「5つの未来」として私の考えをお話ししたいと思います。
第1の未来は、「社会の未来」です。グローバル化や情報化が進む新しい時代には、個人の「力」が社会を動かす原動力になってきます。即ち、科学・芸術・文化・そして新しい産業、更に社会全体をリードし、「国のかたち」をつくるのは個人の創造力と先駆的な挑戦であります。そのためには、社会が個人の挑戦を歓迎するとともに、教育などの様々な制度が、アイデアにあふれた人材を生み出し、自由な挑戦と失敗したときのやり直しができる仕組みを備えていることが大切です。
また、個人が力を十分に発揮するには、仕事や暮らしに関して、多様な「豊かさ」を追求できる選択肢が用意されていることも必要であります。
他方、このように個人がいきいきと活躍できる社会は、「無秩序で、自分の利益だけを追求する社会」であってはなりません。
先の阪神・淡路大震災の際の数多くのボランティアの活躍や、現在、多くの方々が地域社会において福祉、環境などの面で積極的に参加している姿は、新しい社会の流れを予感させるものであります。
このように、「個人」が自分の意思で社会と関わり合うことで「公」−即ち「おおやけ」、「パプリック」を意味しますが−を生み出していき、「個人」と「公」が共に共同して支え合う新しい社会の仕組みを築くことが大切になるのではないでしょうか。
第2の未来は、「子供の未来」です。今年は、「児童の権利に関する条約」の発効10周年であり、また、国会で「子ども読書年」とされたところであります。
ますます多様化し、変化のスピードも一段と速くなる新しい時代には、変化する環境の中で、「夢を実現する力をつける教育」が求められると思います。画一的な知識の量を重視するのではなく、確固たる基礎知識を土台に、自らものを考える力、表現する力を身につけることが大切であります。また、他人の気持ちを尊重し、生き物や自然を大切にする心も重要であります。家庭、学校、地域社会が連携して、いじめや学級崩壊を乗り越え、「自律心があり、あたたかな心をもった子供たち」を育てていけるように、教育のあり方を大胆に見直すことが必要であります。今後の教育のあり方につきましては、「教育改革国民会議」−仮称でありますが−を設置し、その基本に溯って幅広く検討していただきたいと思っております。
第3は、「女性の未来」であります。社会の最小単位である家族が核家族化し、その対応力が弱くなっております。家族を社会が支える仕組みが必要です。それと合わせて、女性が多様な選択ができるよう、環境を整えていかなければなりません。家庭にいて出産・子育てに当たることも一つの選択であり、社会に出て働くのも一つの選択であります。固定化せずに、状態に応じて選択できるようにすることが大事だと考えます。女性が安心して出産し、また、仕事をもち、社会に参加しながら、人生を最大限充実して過ごせるような社会を作っていきたいと思います。そのため、保育システムの充実や柔軟な雇用制度などをつくっていかなければなりませんが、政府のみならず、家庭、地域社会、企業をあげての取り組みが重要だと考えます。
第4に、「高齢世代の未来」です。高齢者の人口が増えた要因は長寿であり、これは世界に誇るべきことであります。まず、私たちは、多くの高齢の方々が元気で活躍されている事実をきちんと認識すべきだと考えます。
最近、私は、「サードエイジ」という言葉を初めて聞きまして、感銘を受けました。高齢者につきまして、「サードエイジ」との呼び方を用い、「サードエイジも主役の社会を目指すべき」との主張は私の思いと大いに重なるものがあります。私は、高齢の方々が健康を維持し、病気を克服するとともに、その知恵や経験を活かして、仕事をしたり、地域社会に参加するなど、様々な選択肢が用意されている社会を築くべきだと考えます。また、こうした方々が活動しやすいバリアフリーの環境を作っていくことも大切であります。そして、こうした社会を支える土台となる社会保障制度は、国民的な議論を重ね、国民各層に安心してもらえ、また、満足してもらえるものへと改革していく必要があると、考えます。
最後に、「世界と日本の未来」であります。日本の輝かしい未来は、世界全体の未来の安定と繁栄がなければ築くことはできません。国益に沿って、対外政策を進めることは当然ですが、自国の利益だけを追求することは相互依存が進んだ国際社会では不可能と言っても過言ではありません。日本が国際社会に臨む基本姿勢は、民主主義と市場経済原理を大原則として掲げながら、各国とともに世界の平和や繁栄を目指し、積極的に行動していくことであり、それが自ずから日本の国益にもつながっていくものと考えます。このように行動していくにあたっては、日米関係を重視しつつ、アジアとの関係を深めながら、世界に共感を持って参加することが重要であり、それが日本のすばらしい未来を築いていく道だと考えます。
以上申し上げましたような「5つの未来」の実現を通じて、日本の社会は明るく活力に満ち、日本人の人生は本当に充実したものへと向かうのではないでしょうか。私が目指すのは、性別に関わりなく、子供の時から高齢者にいたるまで、それぞれの価値観にしたがって、また、その時々の関心に沿って、「人生を一貫して充実できる社会」であり、教育、雇用、社会保障、そして経済の活性化策などを総合した「人生を一貫して重視する政策」であります。
近いうちに「21世紀日本の構想」懇談会におきまして報告書を取りまとめていただける予定であります。この報告書を一つのきっかけとし、明るい未来のビジョンや夢に向かって更に国民的な議論が積み重ねられることを心から願うものであります。
こうした未来を築き上げていく上で、その礎となるのは、「活力あふれる経済」であり、また、それを支える社会全体の「安全の確保」であります。
私は、経済と財政について、かねてから「二兎追うものは一兎をも得ず」と言う状況にしてはいけないと申し上げ、しかしながら一方で、645兆円という巨額の債務残高を抱える厳しい財政の状況を直視し、財政構造改革という大変重い課題を背負っていることを一時たりとも忘れたことはありません。
こうした基本的考え方の下で、私は、先般13年度までを視野に入れ、公需から民需へのバトンタッチを行い、民需中心の自律的回復軌道に乗せるという経済新生への道筋を示しました。12年度はその道筋を確実なものとする年であります。このように、経済新生が実現されることは、我が国経済が長い低迷を脱し、名実ともに「国力の回復」が図られることを意味し、国民の皆様に財政・税制上の諸課題を如何に解決していくべきか、将来世代のことをも展望した、腰を据えた議論をお願いできる環境が整うものと、私は確信しております。
私は、これまで、多くの方々とお話しし、その意見に耳を傾け、国民の英知を集め、決断すべきことは決断し、果敢に実行する、こうしたことを政治の基本と考え、努力を重ねてまいりました。本年もこれを実行しながら、責任ある政治を行っていく決意であります。最後に、改めて国民の皆様の御理解と御支援をお願い申し上げ、皆様の御健康と御多幸を心からお祈り申し上げます。
【質疑応答】
● 今年は先ほどおっしゃいましたけれども沖縄でサミットがあって、総理は議長国として世界のリーダーを務めるお立場になられると思うのですが、先ほど「5つの未来」という観点から21世紀の日本についてお話がありましたけれども、更にもう少し具体的に21世紀の日本ということについてのイメージをお伺いしたいと思います。通常国会からは憲法調査会が設置され、議論が始まると思います。代表的な議論と言えば9条の問題があると思うんですが、それとか例えば今言われました個と公、個人とパブリックの問題とか、権利と義務の問題とかがあります。総理はこの憲法のどの部分について具体的に議論を進めていくべきだというふうに考えられているんでしょうか。それとまたもう一つ、さっきも言われましたが3党合意でありました「教育改革国民会議」の発足の件ですけれども、総理自身は教育のことについてもたびたび意欲を持って発言されていますが、具体的に教育基本法の改正の問題ですけれども、どこをどういうふうに改正すべきだというふうに思われているのでしょうか。
まず、西暦2000年に当たりまして、我が国をこの美しい日本、これをより品格ある国家として世界の中から注目もされ、その世界的役割を果たしていく国となすべく最善の努力をしていきたいというふうに考えております。昨年の11月27、28日にフィリピン、マニラでASEAN10プラス3、すなわち日中韓が参加しての会合がございまして、そのときに各国首脳から改めて申されましたことは、97年にバンコクから始まったアジアの金融危機、すなわち多くの資金が一挙にこのアジアから去っていったという中で、日本が新宮沢構想350億ドル、あるいは500億ドルの支援を通じましてアジア経済に大きな役割を果たしてまいりました。お陰様をもちまして、それぞれの諸国もほとんどマイナス成長でありましたが、すなわち99年はプラス成長に転じている。そのことに関しまして、改めてアジアの一国としての日本に対する感謝とその努力に対する評価があったことを伝えられまして、世界の中に生きる日本、アジアとともに繁栄していく日本ということを痛切に感じたわけです。今まで戦後は、日本はどちらかというとアジアの国に対する援助というものはもともとは戦争賠償というところからスタートしているし、またアジアの諸国もそういった感じを持っていたことも事実です。
しかし、改めて先般のアジアの危機において日本の企業は撤退することもなく、お金をそれぞれの地域から引き上げるということもなく、共々に生きていこうということの中でアジアが繁栄して、そしてその繁栄が日本にもたらされ、また日本も同時に日本が経済成長してアジアに応えていくという新しい意味での日本の存在感というものを示し合ったということでございまして、各国の首脳からも率直に、本当にそのことについては日本国並びに日本国民に対しての評価があったわけでありまして、そういう国として今後とも日本が大いに繁栄していくための努力をしていかなければならないと思っております。
そこで、具体的な問題として憲法改正の問題に触れられましたけれども、この点につきましては、政府としては現在憲法を改正するという意思はございません。が、しかし、御承知のように次の通常国会から衆参両院において憲法調査会が設置をされて、まさに国民的な視点に立って憲法をもう一度見つめ直そうということが始まったということで大変な意義が深いんじゃないか。従前は、今御指摘のありました第9条も含めまして、それが戦争につながるとか、いろいろな議論が憲法制定以来行われまして、いわば「不磨の大典」といいますか、憲法はアンタッチャブルなものだという感じがありまして、このことを正々堂々と論議をすることについてはそれぞれの主張をされる政治家がありましても、これを与野党も含めて検討しようという年に、この2000年はなったということは、これまた大変に私は意義深いことだろうと思います。
5年間という年限を定めて検討するということでございますが、その検討によりまして我が国戦後新憲法の下における憲法のそれぞれの条項について十分これから御論議をしながら、国民のコンセンサスを得ながら、改めるべきものがあるとすれば、それはいたしていかなければならないと思っております。
具体的にどういう条項をどうするかということにつきまして、今私が申し上げることは差し控えますけれども、政府としてもそうした国会の真摯なこれから憲法に関する調査会の御論議等を受け止めながら、国の基本法たる憲法というものについて、しっかりとした視点でやはり見ていくという必要があるのではないかというふうに考えております。
それからもう一つ、教育改革のことを申されました。率直に申し上げまして、昭和22年の教育基本法から始まりまして、そのときどきの内閣におきまして教育改革につきましてのいろいろな御論議がされました。特に、中曽根内閣におきまして臨教審がありまして、いろいろの御提言も頂戴をいたしているわけでございます。
しかし、今、教育の様々な状態を見ますと、現象面で言えば学校におけるいじめの問題とか、その他、学級崩壊の問題とかもろもろあります。もろもろありますが、しからば教育改革とは何ぞやとなりますと、前の橋本内閣のときもこれを6大改革の一つに取り上げましたけれども、実際にこれから教育改革とは何ぞやというのは、それぞれ国民のそれぞれの立場でいろいろな御主張があるわけですね。ですから、この際はいま一度教育改革とは何ぞやという原点に立ち返って、もろもろの方々の御意見ということも拝聴しながら、戦後教育の在り方等も含めてそれを十分検討し、問題の諸点を考えますとともに、本日問題となっていることがなぜ起こってきたかということも含めて、それを検討して分析して、そして新しい意味での21世紀の教育、たまたま2000年でありまして、本来的には21世紀は暦の上から言えば2001年1月1日から始まるのかもしれませんけれども、まさに新しい世紀を迎えるに当たってここ1年、国家百年の計と常々言われる教育改革について、「教育改革国民会議」、これは自民党、自由党、公明党3党からのお考えがそこにまとまっておりますので、これを政府としてもしっかり受け止めながら、その会議を通じながら教育改革の根本、そしてそれに伴って過去の教育の在り方、そして今日起こっている問題点等を考えなければならない。たまたま昨年のケルン・サミットでも世界の先進国も同様の思いをしておりまして、各国とも教育問題に対して百年の計を立てる努力をされておりまして、恐らく今夏に行われるサミットにおきましても、引き続いてG8の国々からもこの問題についての報告もあるのではないかと思っております。
既に報じられているように、イギリスなどではやはりブレア首相が口を開けば教育、教育、教育と言っているというようなことも聞いておりますし、この間テレビを見ておりましたらスーパーティーチャーというんですか、非常に高い給与の下で教育実践をやる教員の、そういう方々が現場に出ていってやることとか、なかなか各国とも画期的ないろいろな政策を打ち出しております。我が国におきましてもいろいろと政策の提言はありましたけれども、これを具体化し、かつこれを実施するという点についてまだ十分とは言い難い点があります。したがって、申し上げましたように、この内閣として「教育改革国民会議」というような形で日本全国、あるいは日本国ばかりでなくてほかの国々からも有識者の皆さんの御意見を聞きながら、ひとつ次の21世紀、百年の計を立てる努力を是非いたしていきたいというふうに考えているところでございます。
● 次に政局です。定数削減の問題ですけれども、自由党は自民党との合意が実行できなければ離脱するというふうに言っております。総理は、これは党と党との約束というふうにお考えなんでしょうか。また、国会が始まると与党だけではなくて野党におきまして現状では通すためには3回とか4回強行採決しなければ当然成立しないと考えますが、これについてどう思われますか。冒頭処理しないとすると予算審議に入らないとか、そういう形でちょっと我々が考えてみても袋小路に陥るのですけれども、その辺をどう考えておられますか。また、総選挙のことですけれども、総理は通常国会の会期末のときに国民の理解を得るには是非新定数で行うべきだというふうに言われていましたけれども、これは現在も公約と考えてよろしいんでしょうか、お願いいたします。
まず、通常国会の冒頭に衆議院の比例区定数を削減するということについて若干歴史を申し述べれば、自由党の小沢党首と私との間で自自連立を行うときのお約束に出発をしているわけです。その後、連立内閣が公明党の参加を得まして、3党における連立に相なっておるということでございますが、自由党としてかねての御主張でありますし、また私自身も比例区の削減についてはそれを了としたわけでございます。
しかし、いろいろな経過の中で50名でなくして20名という形で昨年来、真剣な御論議がされ、臨時国会の最後にはこれは衆議院において論議がされ、これが採決に至るという形に相なっておりますが、その後、伊藤衆議院議長が預かられておられるわけでございますので、引き続いて通常国会が始まれば是非このお約束を果たしていかなければならないというふうに感じております。
ただ、今お話のように2回、3回の強行採決というお話がございましたけれども、選挙制度あるいは定数の問題ということにつきましては、願わくば国会議員身分のことでございますし、同時に議会制民主主義の基本のことでございますから、やはり与野党でよく話し合って、これが成立を期すということでなければならないというふうに思っております。私の見るところ、共産党は定員削減そのものに反対をしていると思いますけれども、野党第一党の民主党におかれましては、比例区の削減ということにつきましては、根本的には私は反対していないというふうに認識をいたしておりますので、これから通常国会を開会するまでにそうしたことの努力を与野党間で十分詰めていただきまして、国会が開会されましたら是非冒頭に処理していただきたいということを私としては心から念願をいたしておる次第でございます。
それから、次の総選挙は新定数で行うべきということにつきましては、自由党との間にそのようなお約束をいたしております。すなわち、定数を減じているということは、その後に国民の意思をその定数において国民の判断を求めるわけでございますから、やはり選挙の前にこれが成立をお願いし、そして一定の期間というものが必要だろうと思いますけれども、やはり新定数を国民の皆さんに御理解いただいた中での国会議員、衆議院でございますけれども、20名減らせば480名ということになりますが、そのこと自体も含めて国民の信を問うというのが筋道ではないかというふうに考えております。
● 冒頭処理しないと予算審議に入れないのかというのはどうでしょうか。
それは国会で御判断することでございますけれども、今、申し上げたように冒頭の処理について、国会において精力的にお取り組みいただいて結論を得ていただきたいと思っておりますが、同時に、この12年度予算というものは国民にとって最も必要とする基本でございますし、国会として予算の審議をおろそかにするというようなことは私はあり得ないものと認識をしております。政府としては一日も早く予算案を提出をさせていただきまして、これはこれとして十分御審議の上、速やかに御可決いただき、今、景気回復が緩やかながら成長している、この流れをいささかもとどめるということがあってはならないということで、恐らくその点については国会における良識というものが必ず発揮されると同時に、予算の審議というものについては積極的にお取り組みいただけるものと確信いたしております。
● 次伺いたいと思いますが、自由党との関係なんですけれども、今の離脱と裏腹に合流という話もありまして、国民にとっては非常にわかりにくい状況になっていると思いうのですけれども、また自民党内でも意見が割れている中、総理は前国会の閉幕の日に、この合流については非常に前向きの発言をなさいました。今、そのお考えに変わりはないんでしょうか。合流についてはどのようなお考えを持っているのか伺いたいというのが第1点。あと、もし合流をする場合に、その時期なんですけれども、総選挙の後がいいのか、あるいは前がいいのか、その辺はどうお考えなんでしょうか。また、もし合流をする場合に、その意義というのはどこにあるとお考えでしょうか。
自民党と自由党とのいわゆる合流問題についてのお尋ねでありますが、私と小沢党首との間におきまして、この1年間自自連立内閣を自主的にやってまいりました。お互い党を別にしながら切磋琢磨するというのも、これなりの成果を私はあげてきたというふうに思っておりますが、同時に、基本的に自由党の国会議員の皆さんも、いわば我が党の基本的理念、考え方とかなり類似する点があるだろうと思っております。
そういう意味では、別の党としてお互い切磋琢磨するのも1つの道、同時にお互いこの際1つの政党として力を合わせていくというのも1つの方向性じゃないかということでありまして、私と小沢党首の間におきましては、もしそういう道があるとすれば、その道をお互い選択することも望ましいことではないかという点にはある意味の一致点を見出していると認識をいたしております。
ただ、非常に困難ことは、かつて昭和30年に当時の自由党、民主党がいわゆる有名な「保守合同」をいたしました。しかし、そのときの選挙制度は言うまでもありませんが、中選挙区制度でございまして、合同した上で1つの自由民主党が成立し、自由民主党の候補者として複数の選挙区における議員定数というものの中で、お互い生きる道がかなり可能性があったと。しかし、今日は1選挙区、単純選挙区として1選挙区1人という候補者の中で、お互い政党が合流した場合には、その選挙区をどうするか、いわゆる選挙協力の問題が非常に難しい状況であります。
今日まで、この点については両党の責任者同士で話し合ってまいりまして、それなりの方向性は定まっておりますけれども、すべて現時点において両党が満足すべき状況になっていないということがなかなか合流への1つの大きなネックになっているということも事実だろうと思うんです。
と同時に、やはり政党同士一緒になるということにつきましては、それぞれ政党の中において、やはり過半数以上の方々の理解、了解というものがなければこれを強行するということはでき得ないことは、民主的プロセスを持つ自由民主党とて当然のことでありまして、そういった点でいつまでとかということの限定はできませんが、願わくば党内における有力者あるいは有力なそれぞれの政策グループ、皆さんの御理解を得られる努力をしながら、その方向に向かっていくことが望ましいのではないかと、私、自由民主党総裁として、是非この点については、党内におけるそれぞれ有力な方々にお願いも申し上げてまいりたいというふうに思っておりますが、現実問題として、いつ、どこまでということについて、この機会に申し上げることは残念ながら控えさせていただきます。
● 次に伺いたいんですけれども、今年は総選挙のある年になると思いますが、総選挙の時期を判断する決め手は何だとお考えでしょうか。また、選挙の後の勝敗ラインですけれども、215とおっしゃった方もいらっしゃいますし、単独過半数という声も出ていますけれども、総理としてはどの辺に勝敗ラインを置きたいというふうにお考えですか。
それそも勝敗ラインということ自体が概念規定されているわけではありませんが、少なくとも現実に政治をお預かりしている立場から言い、かつ与党最大の政党の責任者として考えれば、次期選挙におきましては、当然のことながら過半数以上の候補者を公認候補として擁立をし、その全員の当選を期していくということは、これは当然のことであるし、また、その選挙の結果によりましても、減員するかどうかにもよりますけれども、480のまた過半数を超える議席を単独で確保していきたいということは、政党政治の立場で政党をお預かりする者の当然の主張であり、考え方であると私は認識をいたしております。
ただ、単純な2党による政権の争奪といいますか、争いをしているイギリスとかその他の国と異なりまして、多党化している我が国のことでございますので、そういう意味から言えば、なかなか過半数を維持するということの困難性もあろうかと思いますが、少なくとも総裁として考えることは、是非、与党第一党として確実に政治を運営できる議席数として過半数を目指していくというのは当然のことであると思っています。
● 時期の判断の決め手は。
時期と言われましても、10月の19日には任期満了になりますので、これも理論・理屈上から言えば、そういう任期満了において選挙が行われるか、その前に、いわゆる解散権の行使という形で解散が行われるかということでございますが、それはその時点における政治情勢で権限を与えられている、総理大臣が与えられているわけでありませんが、7条あるいは69条によって、内閣が与えられた権能として、それを主宰する内閣総理大臣の最終的判断によって決定をするということでございまして、どういう場面かと言われますが、政治は生きておりますので、国民の判断を求めなければならないという事態が生じれば、そのときは解散をしていくということだろうと、こう思います。
● 続いて外交問題についてお尋ねします。昨年12月に日本と北朝鮮の赤十字会談が行われましたが、拉致疑惑ですとか食糧支援を巡ってすれ違いも感じられます。今後、日朝の国交正常化交渉をどういうふうに進めていくのか、お答えください。
これも言うまでもありませんけれども、国連の加盟国188の中で、我が国が国交を有していないのは、大変残念ながら最も日本に近い国である北朝鮮ということになっているわけでありまして、そういうことから言いますと、現状は極めて近くて最も遠い国となっている状況を一日も早く、これは正常化しなければならないということでありまして、過去幾たびか正常化交渉が行われましたが、中断をいたしておりまして、幸いに村山元総理を団長としての与野党の議員各位における訪問団がそのきっかけをつくっていただきましたので、現在、赤十字同士のお話し合いも進んでおりますし、また、これから正常化交渉のための予備交渉が昨年末、そして、今年の当初行われる予定でありますので、それを通じまして正式な本会談に一日も早く入っていかなければならない、その努力を怠りなくいたしていきたいというふうに思っております。
御指摘のように、諸課題はないとは言い難い点もあります。特に、一昨年の北朝鮮のミサイルが我が国上空を通過する発射の事件とか、工作船の事件、あるいはいわゆる拉致疑惑事件とか、我が国国民にとっていろいろな不信感が必ずしも払拭されていない状況であることは、私も承知をいたしております。
しかし、冒頭申し上げましたように、このような状況を等閑視していくということがあってはならないということは当然であります。しかも、世界の大きな流れといいますと、特に北東アジアの安全保障を巡って、米国も、そして特に分断国家として苦労に苦労を重ねてきた韓国におけるキム・デジュン(金大中)大統領も、この点については包容政策を取っておるということでございますので、日本としても相協力して、是非国際社会に北朝鮮が入ってきていただいて、ともどもにこの地区の平和と安定に寄与していただくと同時に、国際社会の中で活躍いただける情勢をつくり上げるために、我が国としてお手伝いをすることは、これまたなさなければならないことだろうと思っております。拙速であってはいけないと思いますけれども、事においては果敢に対応していくべき必要があるのではないかというふうに考えております。
● 内政問題について伺います。2点ございますが、1つは、財政問題ですけれども、今日の総理のあいさつの中でも、経済の新生の道筋を今年確実にすると、さらには財政、税制上の展望を示す年にするということを言われました。宮沢大蔵大臣も、先日、2000年度の予算を今までの積極型の予算の最後にするというような発言がありましたが、総理は、具体的にいつから、こういった積極財政を転換するのか、更に財政再建の道筋というのはどの時点ではっきり示されるのか、これが1点目です。関連してもう1点ございます。社会保障の政策のことですが、今年の4月から介護保険の制度がスタートしますけれども、それに加えて医療、年金、少子・高齢社会に見合うような社会保障の大幅な見直しが必要だという指摘が相次いでいます。これも当然財政を伴うわけですけれども、これまで総理がたびたび前向きに取り組んでいくという姿勢を示しておられますけれども、具体的に財政と社会保障の関係をどういう具合に切り盛りしてやっていかれるのか。いわゆる姿勢だけではなくて、少し具体的な考えを聞かせていただきたいと思います。
まず、第1点の財政再建の問題ですが、先ほど申し上げましたように、645兆円という大きな国としての債務を負っているというこの事態は一日も早く解消していかなければならないと、このことが念頭を去ることは全く政治家としてあってはならないことだと思って日々考えているわけでございます。
同時に、いつも申し上げているように、私が就任いたしましたときの日本の経済の状況、2年続きのマイナス成長をして、そして、このままの状況で日本がマイナスをするということは、先ほど申し上げましたように、「日本が風邪をひけば、アジアは肺炎を起こす」というような状況の中で、自らの体質をともかく改善をしなければならない。すなわち景気回復、経済再生ということが最大の任務としてとらえているわけでございまして、その過程で、なるほど今年度予算も来年度の予算を含めますと、83兆円に近いいわゆる公債発行の責任を負ったということでありまして、これが加えられますから、前々から言えば、645兆円になんなんとする財政赤字を抱えている。これは一日も早く解消しなければならないと思いますけれども、両にらみでやっておりまして、一方がうまくいくと、また両方ともこれがうまくいくということはなかなかもって難しい状況だろうと思います。したがって、この際は、いつも申し上げておりますけれども、「二兎を追うものは一兎を得ず」ということであってはならない。したがって、この11年度におきましては、0.5%の目標を何としてもこれを達成する。そして、来年度、12年度はその上に立って1%くらいの経済成長を目指していくという過程の中で、税収を確保しつつ考えていかなければならないのではないかというふうに考えております。
したがって、財政再建につきましては、しっかりとした安定的な日本経済の成長の土台と言いますか、土俵をきちんと固めた上でそれぞれの政策を講じていく必要があるのではないかということでありまして、したがって、来年度の中で財政再建のためのスケジュールをつくるということは、なかなか困難なことではないかというふうに思っておりますが、いずれにしても、後世につけを回してはいけないという形の中で、日本経済をまず再生をさせて、その中から果実を生み出す努力をしていくということだろうと思っております。ほかの国の例、顰(ひそみ)に倣う(ならう)つもりはありませんけれども、一遍赤字財政になっても、それを埋め合わせても余りあるような、例えばアメリカ経済の状況というものがございます。我々も政策に誤りなきを期して行けば、必ずやそういった意味で大いなる黒字の中で、それが配分のできるような国家財政に一日も早く戻していかなければならないというふうに考えております。
社会保障の点についてでありますが、なるほど今日高齢者はますます増加をいたします。一方、少子化の中で子どもたちに対する対策も講じなければならない。いずれにしても、高齢者のための政策をするためにもお金が必要、子どもさんを産み育てるということの安心してできるような社会にするためにもお金が必要、お年寄りのためにも子どものためにも、双方で掛かる費用というものは非常に大きいということでありまして、それを今日まで国民全体で賄ってきたわけでございますけれども、考えますと年金、医療、今、介護の話がありましたけれども、いずれもそれぞれの問題点についての処理について、審議会とか、いろいろな方々がいろいろ答申を出しながら政策として打ち出してきましたが、そろそろこれをみんな全体として考えなければならない、すなわち社会保障構造の在り方全体を考えなければならない、ぎりぎりの段階にきているのではないかと私は考えておりまして、この点は改めて、そのための有識者会議を一日も早く設置をいたしまして、年金、医療、介護、そういう社会保障全体にわたっての将来の総合的、有機的なつながりのある形での解決方法というものを考えていくための会議をしていかなければならないというふうに考えております。具体的なとおっしゃられますけれども、年金については今、国会に法律が提案されて、当面の問題の処理についての政府の考え方を明らかにしておりますけれども、私はそれだけではいかんと思っているんのです。
本当にその他介護の問題、医療費の問題も30兆円を超えて、これはもうこのままの趨勢でよろしいかという、いろいろ国民の中の議論もあります、いろいろ医療改革も少しずつ行われておりますけれども、全体的に検討すべきぎりぎりの段階にきたと考えておりますので、どうも小渕内閣はいろいろ有識者会議ばかりつくるという御批判もあるかもしれませんけれども、やるべきことはともかくやらなければならない、社会保障についても同様だと考えて、その中でできる限り早い時期に一つの考え方をまとめさせて、国会の御議論とまたは御理解を得ていきたいというふうに願っています。 
記者会見 / 1月4日・伊勢市
● 原子力行政と芦浜原子力発電所計画についてお尋ねいたします。JCOの被曝事故で、国の原子力行政に対する国民の不安は増幅しています。2000年を迎え、新しい時代の原子力行政はどうあるべきだとお考えですか。また、特に地元では、中部電力の芦浜原子力発電所計画に賛否両論があり、37年も棚上げのままの深刻な状態が続いています。このほど、約2年半の冷却期間を終え、近く三重県の北川正恭知事が何らかの判断を示す方針です。総理は、知事の方針をどのように受け止めるおつもりですか。お聞かせください。
お答えの前に、改めて平成12年−元号で申し上げれば一の新春を迎えました。また、今年は西暦で言いますと2000年ということでございまして、いわゆる千年紀、ミレニアムの年となりました。恒例となりました伊勢神宮参拝をさせていただき、記者会見に臨ませていただきました。本年一年間、記者、各位皆様の御理解、御協力を改めてお願い申し上げる次第でございます。
今お話にありましたように、このたび、昨年のJCOの事故、特にこれを教訓といたしまして、先の臨時国会におきまして成立しました関連の法律の円滑、かつ実効的な施行に万全を期してまいるところでございます。4月から原子力安全委員会の独立性及び機能の強化を図ることによりまして、安全確保及び防災体制の再構築に懸命に取り組んでいるところでございます。
資源に乏しい我が国が社会経済の安定的発展と、地球環境の保全を図るためには、原子力抜きのエネルギー供給は極めて困難でありまして、安全の確保を大前提に国民の理解を得つつ、その開発利用を進めてまいりたい、これが政府の基本的な考え方でございます。
また、御指摘の芦浜地点につきましては、電力供給の安定確保のため、特に重要な地点として政府が要対策重要電源に指定いたしているところでございまして、現在もその認識に何ら変わるところはございません。県知事からも、こうした国のエネルギー政策の趣旨を踏まえた御判断がいただけるものと期待をいたしております。
冒頭申し上げましたように、昨年誠に申し訳ない事故が発生したことによりまして、原子力発電そのものに対しましても、国民の一般的不安が生じていることを否定はいたしておりません。しかし、申し上げたように、日本におきまして今51基の原子力発電所が発電に対して国民にその責任を負っているわけでございまして、最近の旺盛な電力需要ということを考えますと、クリーン・エネルギーとしての原子力の発電、しかも世界に冠たる多重防護がなされている状況にかんがみまして、依然として国民の理解と協力を得ながら進めていかなければならないという基本的方針でございます。
しかし、この点につきましては、御指摘のように長い間の経緯もございます。そういった意味におきまして、知事もいろいろ御苦労されておられることだと思いますし、過去の経過につきましても、私自身勉強させていただいてまいっておりまして、関係町村、あるいは漁協、その他万般の皆様のいろいろな考え方もあろうかと思いますが、私といたしましては、是非北川知事の公平な御判断をいただけるものと考えておりまして、地元の重要な案件であることは、政府としても十分承知をしながら対処していきたいというふうに考えているところでございます。
● 首都機能移転問題についてです。首都機能移転問題で昨年12月に国会等移転審議会の答申が出ました。今後、国会で論議されることになりますが、総理は首都を東京から別の場所に移そうという意欲をどれほど持っておられますか。また、三重・畿央地域は高速交通網が整備されればという条件付きで移転先候補地に残りましたが、今後国会で他の候補地と同等に議論することができるとお考えでしょうか、お願いします。
お答えいたしますが、首都機能移転は東京の一極集中を是正し、国土の災害対応力を強化し、国政全般の改革と深く関わりのある重要な課題であると認識をいたしておりまして、内閣といたしましてもその具体化に向けて積極的な検討を行ってまいりたいと、そう考えているところであります。
審議会は候補地として栃木・福島地域、岐阜・愛知地域の2地区を選定するとともに、将来一定の条件が満たされるならば候補地となる三重・畿央地域を含め、合わせて3か所を答申し、国会での議論にゆだねる内容となっております。国会では、答申の内容を十分に踏まえて我が国の将来を見据えつつ、大局的な観点から幅広い議論をいただけるものと期待をいたしておりますが、長年にわたりまして、この首都機能移転につきましては御議論をされてまいりまして、一応政府としてはこの諮問に応じて答申を頂戴いたしましたので、これを国会にお渡しをしなければならない立場でございまして、国民的考え方から国会においてこの問題をお取り上げいただき、御議論を願えるものと考えているところでございます。
ただ、この答申により、その後におきましては、現在、首都として存在している東京都との間におきましての御議論も残されているのではないかと思いますが、しかし、いずれにしても政府としては国会における重要な御判断というものを仰いでいける、その今、答申を得てお答えのできる時点に達しておりますので、過去のいろいろな議論を踏まえながら、今、申し上げましたように国会で真剣な御検討をいただけるものというふうに考えております。
「総理自身がどういうふうに考えているか」ということでありますが、私自身、現時点におきましてどの地区がどうだとかというお話を申し上げる立場になかろうかと思っております。まさに国民的な議論を起こしながら、当初この問題が起こった東京における一極の過度の集中というものの中で、三権がどのようにそれぞれ移転していくかどうかという問題につきましては、それこそ国民全体の課題、かつ長き世紀にわたっての判断でございますから、慎重の上にもまた十分な御検討を更に行わなければ歴史的な評価に対応できないのではないかと思っております。
と申し上げますゆえに、今時点におきましてこの問題について私の方から今この考えを申し上げさせていただいて、国会でのいろいろな御議論の前提となってはむしろいけないのではないかと、こう考えているところでございます。
● 衆議院は今年の10月に任期満了となります。解散総選挙の時期について総理はどのようにお考えでしょうか。また、次の選挙は衆議院の定数の問題とも関係してまいりますが、今月に召集されます通常国会の冒頭で処理するという約束が与党間でできております比例定数の削減法案についてどのように扱う考えでしょうか。お伺いいたします。
まず解散総選挙に関してでございますが、私は基本的には4年間の任期というものを全うすべきではないか、これが国民が総選挙において与えた意思ではないかというふうに思っております。
が、しかし、内閣総理大臣として日本の政治に大きな責任を負っている立場から言えば、国会における支持と理解がなければ、これまたこの任に当たれないわけでありまして、そういう意味で憲法でも規定されておりますように、7条あるいはまた69条によりまして内閣そのものにいわゆる解散権というものを行使する権限をお与えいただいているということでありますので、政治そのものはいつも申し上げておりますように誠に「生きた」といいますか、日々変化というものはあり得るわけでございます。そういうことから言えば、国民の皆さんにあえて信を問わなければならないという段階にまいりますれば、申されましたように10月19日任期満了を待たずして解散ということを行使することは、これは許されるものと思っております。
ただ、年頭でも申し上げましたけれども、やはり今、日本の政治の大きなポイントは2年続きのいわゆるマイナス成長から脱して、何としてもプラス成長のGDPを、国民総生産をプラスに転化していかなければならないというのが私のこの小渕内閣に与えられた当初からの強い国民の要請でございます。幸いにしてこの1−3月期をもって当初目標としてまいりましたプラス0.5%が達成できるということでありますれば、併せて12年度の予算、いろいろとメディアの皆さんは積極予算と言っておりますが、そう大型積極予算と言い切れるかどうかわかりませんが、少なくとも12年度においては0.5%を更に上回ってそれを発射台といいますか、スタートにして1%目標を達成すべく予算編成をいたしているわけでございます。是非この予算を一日も早く国会で御審議、御通過いただくということが景気回復、経済再生、そして新しい時代の経済新生に向けての基本的な課題であろうかと考えておりますので、やはり政府といたしましてはできる限り早く予算案を国会に提出をいたしまして、できる限り早くこれが成立を期していきたいというのが強い願いであり、国民もまたそのことを私は要求・要望されるのではないかと実は思っているところでございます。
なお、定数是正の問題につきましては、残念ながら昨年末の臨時国会におきましてこれが通過することができませんでした。しかし、定数を減ずるということにつきましてはいろいろな御議論もあるかと思います。思いますが、やはり現下、国内におきましてもそれぞれ各企業体におきましても、やむを得ざることとしてこの体質強化のために俗に言うリストラをせざるを得ない厳しい環境の中にあります。そういう意味で、ひとり国会だけ今の定数でいいかということについての御議論がありまして、昨年自由党の小沢党首と私との間におきまして、当初は50名の比例区の減員ということでいたしてまいりましたが、その後、三党連立内閣ができ上がりまして以降、現時点においては20名減員の方向で国会の御審議を願いたいと願っております。でき得べくんば国会を召集をさせていただいた暁において、冒頭にこの処理をするということを自民党としてはお約束をいたしているわけでございますので、是非これが達成のできるように国会の御理解をいただきたいと思っておりますが、共産党を除きましては、いわゆる比例区の定数を減員する、削減するということについては野党第一党もこれは反対をされていないと承っておりますので、願わくば是非各党間の御協議の下でこれが成立できるようにお願いをいたしたいというふうに考えているところでございます。
● 昨年末にロシアのエリツィン大統領が辞任しました。ロシアとの間では2000年中に日露平和条約を締結することになっておりますが、今年中に条約締結をすることが可能でしょうか。その見通しについてお聞かせください。
クラスノヤルスクの首脳会談以降、日露関係進展の流れを自らイニシアチブをつくってきたエリツィン大統領が辞任をされたということは極めて残念と考えております。
他方、昨今の日露関係改善の趨勢は既に歴史の流れとも言うべきものになっておりまして、政権の交替に関わらず推し進められていくべきものであると確信しております。政府としては、あらゆる分野におきまして日露間の協力関係を強化しながら東京宣言及びクラスノヤルスク合意を始めとする一連の合意及び宣言に基づき、2000年までに北方四島の帰属問題を解決し、平和条約を締結すべく全力を尽くしていく考えでありまして、エリツィン前大統領の後継者との間でもこのような方針の下、緊密に協力していく考えであります。
重ねてでありますが、実は今年の3月にエリツィン大統領に是非訪日をお願いをし、また大統領自身もそのようなお考えがあって我が方、丹波駐露大使の信任状捧呈の折に、大統領からもそのようなことをお話があったと聞いておりましたので、春4月と言わず3月に訪日を強く期待をし、かねてからの橋本内閣以来の日露間の関係の急激な流れというものをまさに2000年までにこの平和条約締結の大きな足掛かりにしたいと認識をいたしておりましたが、昨年12月31日、電撃的に大統領がそのすべての権限をプチン首相に譲られたということでございますので、その点は率直に申し上げればいささか虚を突かれた感じではありますけれども、しかし、私はエリツィン大統領とこの首脳会談をいたしました折にも、一昨年の冬、そして昨年のケルンのサミットにおきましても、二人同士になりますと非常に大統領のクラスノヤルスク合意を実現しようという熱意についてはいささかも私は疑いを持っていなかったわけでありまして、そういう意味ではエリツィン大統領も意中の人としてプチン首相を大統領代行に選ばれたということであるとすれば、当然私はその熱意、意思、希望、こういうものは引き継がれるものと考えているし、私もそのことを確信をいたしております。
また、プチン大統領代行就任に当たりましては私からもお手紙を差し上げて、前エリツィン大統領以来の大きく進展してきた日露間の問題について引き続いて同じお気持ちを持って対応していただけるようにと日本側の意思も伝えておりますし、必ずやそういう対応をしていただけるものと考えております。幸いプチン首相とはAPECにおきましても既にお話をする機会がありましたので、願わくば一日も早く、また2人が会談を行うことによりまして、今までの流れを更に加速することのできるようにということで、今年全力を挙げてまいりたいというふうに考えております。 
第百四十七回国会・施政方針演説 / 平成12年1月28日
(はじめに)
新しい千年紀の幕開けという記念すべき西暦二〇〇〇年を迎え、第百四十七回国会の開会に当たり、国政をお預かりする立場から、施政に関する所信を申し述べます。
西暦二〇〇〇年の元日、この記念すべき日にわが国で誕生したいわゆるミレニアム・ベビーは二千余人であります。二十世紀から二十一世紀へと時代が移ろうとするそのときに、私は、明日の時代を担うこの子どもたちのために何ができるのか、何をしなければならないのか、一人の政治家としてそのことをまず第一に考えるものであります。
この子どもたちにどのような日本を引き継いでいくのか、この子どもたちがやがて大人になったとき、日本という国家は世界から確固たる尊敬を得られるようになっているだろうか、と案ずるのであります。時代の転換期に当たり、私たちは当面する短期の問題に集中する虫の目ではなく、十年、二十年先を見据える鳥の目で日本の在るべき姿を熟慮し、そのために今何をなすべきかを考える必要があると確信いたします。
そのような思いから、私は各界有識者からなる「二十一世紀日本の構想」懇談会を設置いたしました。新しい世紀の日本の在るべき姿を、「富国有徳」の理念の下、様々な角度から議論していただき、先ごろ十か月に及ぶ議論の末にまとめられた報告書を受け取りました。
報告書は、二十一世紀最大の課題は、日本及び日本人の潜在力をどのように引き出すかである、と述べております。これまで幾多の苦難をみごとに乗り切ってきた私たち日本には、計り知れないほどの潜在力があると私も確信いたしております。「日本のフロンティアは日本の中にある」という報告書の表題は、日本及び日本人の中にこそ大きな可能性があるのだということを力強く宣言しております。
まさに私の思いと一致するところであります。昨年の施政方針演説で私は「建設的な楽観主義」という言葉を使いました。「コップ半分の水をもう半分しかないと嘆くのではなく、まだ半分あると思う意識の転換が必要だ」と申し上げました。今私は、日本及び日本人の意欲と能力をもってすれば、再びなみなみとコップに水を注ぐことが可能だと考えます。
「やればできる」という「立ち向かう楽観主義」が大切であります。踏みとどまっていては二十一世紀の明るい展望を開くことはできません。大事なことは嘆き続けることではなく、一歩を力強く踏み出すことであります。
「経済再生内閣」と銘打って内閣をお預かりしてから一年半が過ぎました。まだまだ安心できるような状況ではありませんが、時折ほのかな明るさが見えるところまでたどり着いたように思います。「立ち向かう楽観主義」で、この明るさを確かなものとするため、更なる努力を傾注してまいることをお誓いいたします。
二〇〇〇年の到来と同時に、新しい時代の風が吹き始めております。この風をしっかりととらえて、明日の日本の基礎を築いていかなければなりません。明日の日本は個人が組織や集団の中に埋没する社会ではなく、個人が輝き、個人の力がみなぎってくるような社会でなければなりません。
個人と公が従来の縦の関係ではなく横の関係となり、両者の協同作業による「協治」の関係を築いていかなければならないと考えます。自立した個人がその能力を十二分に発揮する、そのことが国家や社会を品格あるものにする、そのように国民と国家との関係を変えていく必要に迫られております。ここでは、失敗しても再挑戦が可能な寛容さを社会が持つとともに、社会のセイフティ・ネットが有効に機能することが必要であります。
先進諸国を始めとする多くの国々が、グローバル化、少子高齢化、それに社会の構造を根本から変える可能性を秘めた情報技術革命のうねりの中にあります。わが国もまた例外ではありません。明治以来わが国は「追いつき追い越せ」を目標に努力を重ねてまいりましたが、もはや世界のどこを探しても、目標となるモデルは存在しておりません。日本の在るべき姿を、私たちは自ら考えなければならないのであります。
この際、私は二つの具体的な目標を掲げたいと思います。輝ける未来を築くために最も重要なことは、いかにして人材を育てるかであります。「教育立国」を目指し、二十一世紀を担う人々は全て、文化と伝統の礎である美しい日本語を身につけると同時に、国際共通語である英語で意思疎通ができ、インターネットを通じて国際社会の中に自在に入っていけるようにすることであります。もう一つは「科学技術創造立国」であります。現在、日本も加わって遺伝子の解析が行われておりますが、こうした分野で日本が果たすべき役割は極めて大きいと確信しております。科学技術分野で日本が重要な位置を占めることができるよう、例えば遺伝子治療でガンの根治を可能にするなど高い目標を掲げ、その実現を図ってまいります。
昨年の施政方針演説で掲げました「五つの架け橋」を更に進め、国民の決意と叡智を持って取り組むべき課題に、私は本年「五つの挑戦」と名づけました。「創造への挑戦」、「安心への挑戦」、「新生への挑戦」、「平和への挑戦」、「地球への挑戦」の五つであります。国民の皆様のご理解とご支援を賜りたいとお願いするものであります。
(創造への挑戦)
新しい時代を輝けるものにするために、私はまず「創造への挑戦」に全力で取り組みます。未知なるものに果敢に挑戦し、わが国の明るい未来を切り拓き、同時に世界に貢献していくためには、創造性こそが大きな鍵となります。組織や集団の「和」を尊ぶ日本社会は、ともすれば発想や行動が画一的になりがちだと指摘されてまいりました。明日の日本社会は、いろいろなタイプ、様々な発想を持った人々であふれている、そうならなければ国際社会で生きていくことは難しいと考えます。
創造性の高い人材を育成すること、それがこれからの教育の大きな目標でなければなりません。志を高く持ち、様々な分野で創造力を活かすことのできる人材をどのようにして育てていくか、単に教育制度を見直すだけではなく、社会の在り方まで含めた抜本的な教育改革が求められております。広く国民各界各層の意見を伺い、教育の根本にまでさかのぼった議論をするために、私は「教育改革国民会議」を早急に発足させる考えであります。
教育は学校だけでできるものではありません。学校とともに大事なのは家庭での教育であります。また、学校と家庭、それに地域コミュニティがうまくかみ合ったものでなければならないと考えます。学校、家庭、地域の三者の共同作業で、明日の日本を担う人材育成に当たらなければなりません。
必要なときには先生も親もきちんと子どもをしかる、悪いことをしている子どもがいたらよその子どもでもいさめてあげる、そのような社会をつくり上げなければならないと考えるものであります。子どもたちは学校や家庭だけのものではなく、社会全体の宝であるという考え方に立つべきであります。
申し上げるまでもなく、科学の進歩の速さには驚異的なものがあります。科学が進歩し続ければし続けるほど、科学をしっかりとコントロールできるような確かな心が必要になります。知識と心の均衡のとれた教育が求められるゆえんであります。
子どもは大人社会を見ながら育ちます。まず大人自らが、倫理やモラルに普段から注意しなければなりません。また、過激な暴力シーンや性表現のある出版物やゲームなどが青少年に悪影響を与えており、これを放置している社会にも問題がある、との指摘もあります。子どもの健全な発達を支えていく社会を築いていかなければなりません。
私は、司馬遼太郎氏の「二十一世紀に生きる君たちへ」を読むたびに、強い感動を覚えます。その中で若い人たちに対し、自己の確立─自分に厳しく、相手にやさしく、すなおでかしこい自己の確立を呼びかけ、また、助け合い、いたわりの気持ちの大切さを訴えています。これを改めて心に刻み、私は内閣の最重要課題として教育改革に全力で取り組むことをお誓いするものであります。
わが国の発展の原動力となるものは科学技術であります。科学技術の進歩こそ、創造性の高い社会を築くために不可欠なものであります。政府一丸となってその振興を図ってまいります。とりわけ、情報化、高齢化、環境対応という、今最も重要な三つの分野で、産業界、学界、政府共同の「ミレニアム・プロジェクト」を推進するとともに、研究を進めるに当たっての環境整備や産業技術力強化に力を注ぐ決意であります。また、わが国経済を支えてきた「ものづくり」の大切さを深く認識し、「ものつくり大学」の設立を始め、その基盤強化を進めてまいります。
(安心への挑戦)
人々が生き生きと、しかも安心して暮らせる社会、そのような社会を築くことは政治にとって最も重要な責任であります。青少年も、働き盛りの世代も、そして老後を暮らす人々も、みな健康で豊かで安心して生活できる社会をつくるために、私は「安心への挑戦」に取り組みます。
充実した人生を送るために必要な教育、雇用、育児、社会保障などを国民一人一人が自ら選択し、人生設計ができるようにしていかなければなりません。
世界に例を見ない少子高齢化が進行する中で、国民の間には社会保障制度の将来に不安を感じる声も出ております。医療、年金、介護など、制度ごとに縦割りに検討するのではなく、実際に費用を負担し、サービスを受ける国民の視点から、税制を始め関連する諸制度まで含めた総合的な検討が求められております。
戦後の第一次ベビーブーム世代、いわゆる「団塊の世代」の人々がやがて高齢世代の仲間入りをします。社会保障構造の在り方についての検討が急がれるゆえんであり、私は、最後の検討機会との思いで、有識者会議を設置いたしました。高齢世代の社会的役割を積極的に位置づけ、多様な選択を可能にするために何が必要なのか、こうした問題を含め横断的な観点からの検討をお願いし、将来にわたり安定的で効率的な社会保障制度の構築に全力を挙げてまいります。
年金制度につきましては、国会でご審議いただいている法案の実施により世代間の負担の公平化を図るほか、新たに確定拠出型年金制度の導入を図ります。また医療制度改革を進めるとともに、介護保険制度の本年四月からの円滑なスタートに万全を期し、介護サービス提供体制の計画的な整備など高齢者の保健福祉施策を積極的に推進いたします。
急速な少子化は社会全体で取り組むべき課題であります。明るい家庭をつくり、子育てに夢を持てるように保育・雇用環境の整備や児童手当の拡充などを進めてまいります。また、女性も男性も喜びと責任を分かち合える男女共同参画社会の実現に一層の努力をしてまいります。
現下の雇用情勢はまことに厳しいものがあります。これを重く受け止め、雇用情勢を改善させ雇用不安をなくすために全力で立ち向かう考えであります。社会の変化に対応する雇用保険制度の再構築を図るとともに、高齢者の雇用機会の確保に努めてまいります。
安心できる生活の基盤は、良好な治安によってもたらされます。治安を支える警察は国民と共になければなりません。一連の不祥事によって揺らいだ警察に対する国民の信頼を回復するため、公安委員会制度の充実強化を始め、必要な施策を推進いたします。また、時代の変化に対応し、国民にとって利便性の高い司法制度にするために必要な改革を行います。
阪神・淡路大震災から五年が経ちました。多くの犠牲者の上に得られた教訓を決して忘れてはなりません。災害対策を始めとする危機管理に終わりはなく、更なる対策の充実・強化に努めてまいります。
(新生への挑戦)
わが国経済は緩やかな改善を続けております。大胆かつスピーディーに実施してまいりました様々な政策の効果が表れつつあり、またアジア経済の回復なども良い影響をもたらしております。しかしながら、民間需要の回復力はまだ弱い状況にあります。私は、目の前の明るさを確かなものとするため、日本経済の「新生への挑戦」に果敢に取り組んでまいります。単に景気を立ち直らせるだけでなく、本格的な景気回復と構造改革の二つを共に実現するために、力の限り立ち向かってまいります。
昨年秋に決定した経済新生対策などを力強く推進することにより、公需から民需へと転換を図り、設備投資や個人消費など民需主導の自律的な景気回復を実現させます。私はこれまで、金融システムの改革や産業競争力の強化、規制緩和など構造改革に積極的に取り組んでまいりました。その推進・定着に一層の努力をしてまいります。中小企業は経済の活力の源泉であります。意欲あふれる中小・ベンチャー企業への支援や金融対策に万全を期してまいります。このような様々な施策を推進することにより、十二年度の国内総生産の実質成長率は一・〇%程度に達するものと見通しております。
予算編成に当たっては、経済運営に万全を期す観点から、公共事業や金融システム安定化・預金者保護に十分な対応を行うとともに、総額五千億円の経済新生特別枠を始め、新しい千年紀にふさわしい分野に重点的・効率的に資金を配分することといたしました。
税制面では、昨年から実施している六兆円を上回る規模の個人所得課税や法人課税の恒久的な減税が継続しております。加えて十二年度には、本格的な景気回復を目指し、民間投資の促進や中小・ベンチャー企業の振興を図るための措置を講じるほか、年金税制、法人関係税制等について適切に対応してまいります。
健全なる財政がもとより重要であることは申すまでもありません。私は、来年度末の債務残高が六百四十五兆円にもなることを重く受け止めております。財政構造改革という重要な課題を忘れたことは、片時もありません。しかしながら私は今、景気を本格軌道に乗せるという目的と財政再建に取り組むという重要課題の双方を同時に追い求めることはできない、「二兎を追うものは一兎をも得ず」になってはならない、と考えております。
私はまず経済新生に全力で取り組みます。八〇年代半ば、未曾有の財政赤字に苦しんでいた米国は、今や史上空前の黒字を記録することとなり、その使い途をめぐって大論争が起こっているほどであります。不可能とも言われた米国の財政再建が実現したのは、様々な改革とともに、百六か月に及ぶ史上最長の景気拡大があったからであります。
わが国の景気回復は、わが国ばかりでなく国際社会が等しく強い期待を寄せているところであります。財政再建は重要ですが、足元を固めることなく、景気を本格軌道に乗せる前に取りかかるという過ちを犯すべきではありません。わが国経済が低迷を脱し、名実ともに「国力の回復」が図られ、それにより財政・税制上の諸課題について将来世代のことも展望した議論に取り組む環境を整え、その上で財政構造改革という大きな課題に立ち向かってまいりたいと考えております。
国民生活の質を高めることも、経済新生の重要な課題であります。規制緩和が一段と進展する中で、不公正な取引などによる被害者の救済制度や、消費者が事業者と結んだ契約に係る紛争の公正・円滑な解決のためのルールを整備いたします。また、毎日の生活をより快適なものとするため、生活空間の倍増を目指すとともに、時代の変化に対応した魅力ある都市づくりに向け、都市再生の具体化に取り組んでまいります。
ペイオフにつきましては、金融システムを一層強固なものにするため、その解禁を一年延長いたします。併せて、金融機関の破綻処理等に係る恒久的な制度を整備することといたします。
(平和への挑戦)
私は二十一世紀を「平和の世紀」と位置づけ、二十世紀に繰り返された体制間、国家間、地域間の戦争の廃絶に向け、わが国として力を尽くしていきたいと考えるものであります。世界が平和で安定するところに、わが国の輝かしい未来があるのです。「平和への挑戦」を掲げ国際社会で積極的な役割を担ってまいります。
私は昨年、九州・沖縄サミットの開催を万感の思いを込めて決断いたしました。二〇〇〇年という節目の年に開かれるこのサミットを、「平和の世紀」の建設を世界に発信する重要な機会ととらえ、明るく力強いメッセージを打ち出したいと考えております。九州・沖縄地域はアジア各国と密接なつながりを持っており、アジアの視点を十分に踏まえた議論が行われるものと期待しております。
このサミットは絶対に成功させなければなりません。わが国が国際社会で果たすことを求められている大きな役割は、全てこのサミットの成功の上に積み上げられると信じるからであります。首脳会合の開催地である名護市を始め各自治体のご協力もいただきながら、私は持てる情熱の全てを傾け、国際社会に対するわが国の責任をしっかりと果たしてまいります。
わが国自らの安全保障基盤を強固なものとしながら、国際的な安全保障の確立に貢献することも、平和への重要な課題であります。国民の皆様のご理解をいただきながら、国連の平和活動への一層の協力を進めてまいりたいと考えております。
私は先日、カンボディア、ラオス、タイの各国を訪問いたしました。アジア経済危機の際のわが国からの積極的な支援に対し、日本はまさに「まさかの時の友こそ真の友」との高い評価をいただいてまいりました。
日韓関係は未来を志向する新たな段階を迎えており、両国国民の感情は劇的に改善しつつあります。今年の元日、私は金大中大統領とともに、両国メディアを通じてお互いの国民に新年のメッセージを送りました。こうした取組は史上初めてのことであります。二〇〇二年のサッカー・ワールドカップ及び「日韓国民交流の年」に向け、更に幅広く交流を進めてまいります。日朝関係につきましては、韓国、米国との密接な連携の下、昨年来芽生え始めた対話を更に進め、その中で国交正常化、人道及び安全保障の問題につき真摯に話し合い、双方が互いに前向きの対応を取り合うようにしていきたいと考えております。また、アジアの主要国である中国との関係の発展に、一層努めてまいります。昨年十一月、私と中国と韓国の首脳が、史上初めて三か国の会談を行いました。私は、この会談が、将来の東アジアの平和につながっていくものと確信しております。
米国との関係はわが国外交の基軸であり、首脳間の確固たる信頼関係を基に更なる強化を図ってまいります。普天間飛行場の移設・返還問題につきましては、稲嶺沖縄県知事から代替施設の移設候補地の表明があり、さらに岸本名護市長からその受入れが表明されました。政府といたしましては、その建設に当たり安全・環境対策に万全を期すとともに、地域の振興に全力で取り組み、地元の期待に応えてまいります。また、沖縄における更なる米軍施設・区域の整理・統合・縮小にも、SACO最終報告の着実な実施に向け、真剣に取り組んでまいります。
エリツィン大統領は退任されましたが、ロシアの新しい指導者との間で、日露間で合意された目標期限である本年、各分野での関係を一層強化しながら、東京宣言などに基づき平和条約を締結すべく力を尽くしてまいります。
二十一世紀の外交は、国と国との関係ばかりでなく、国家を構成する一人一人の個人にも焦点を当てることが求められるのではないでしょうか。私は、世界中の人々が自由に生きられる世界を築くため、心を砕いてまいります。人権を尊重し、自由の基礎となる民主主義を守り、貧困の撲滅やヒューマン・セキュリティ、人間の安全保障の確保に直結するような開発途上国への援助に力を注いでまいります。また、多角的な自由貿易体制の維持・強化のため、WTO新ラウンドの早期立上げに向け、引き続き努力いたします。
(地球への挑戦)
私は平成十二年度を「循環型社会元年」と位置づけ、「地球への挑戦」に果敢に取り組みます。
大量生産、大量消費、大量廃棄というわが国社会の在り方は、地球環境に大きな負荷をかけております。こうした社会の在り方を見直し、生産、流通、消費、廃棄といった社会経済活動の全段階を通じ、物質循環を基調とした「循環型社会」を構築しなければなりません。今国会にその基本的な枠組みとなる法案を提出いたします。
エネルギーの安定供給を確保するための総合的な政策にも万全を期してまいります。省エネルギー・新エネルギー政策などに積極的に取り組み、環境保全、市場効率化の要請に対応してまいります。また、原子力に関しましては、昨年九月の臨界事故の厳しい反省の上に立ち、先に成立した原子力災害対策特別措置法等の着実な実施により、安全規制の抜本的な強化と防災対策の確立を早急に図ってまいります。
世界の総人口が爆発的に増え続ける中で、食料の確保は地球的規模での重要な課題であります。農林水産業と農山漁村の健全な発展に引き続き取り組み、国土・環境の保全や文化の伝承など多面的な機能の発揮とともに、食料の安定供給の確保を図ってまいります。
(むすび)
新しい千年紀を迎え時代が大きく変わろうとしている今、私は内閣をお預かりする責任の重さをひしひしと感じております。次の時代を背負って立つ私たちの子どもや孫たちの世代が、あの時に先輩たちが頑張ってくれたんだと思ってくれるよう、なすべきことをきちんと仕上げていかなければならないと考えます。
今日、明日の利害よりも、五年後、十年後にきちんと花を咲かせるような、地味であっても明日の日本のために死活的に大事な種をまかなければなりません。そのためには、国会において志を同じくする人たちの協力を得たい、それが自由党に加えて公明党にも政権参加をお願いした理由であります。必要な政策を遅滞なく推し進め、三党連立による成果を得たいと願うものであります。
この一年は、いつにも増して極めて重要な一年であります。明年一月六日から中央省庁再編により、新しい形での政府がスタートいたします。地方自治も、大転換の時期を迎えております。内政から外交まで、取り組むべき課題は目の前に山積しております。また、国会改革も行われ、党首同士の討論や政府委員制度の廃止などが国会の役割を一段と大きく変えるものと思われます。
今国会から衆参両院に憲法調査会が設置されました。国民の負託を受けた真の有識者である国会議員の皆様による、幅広い議論が展開されるものと期待しております。
演説を締めくくるに当たり、私は、二十一世紀を担う若い世代の人々に、宮沢賢治の童話「銀河鉄道の夜」の中から、次の言葉を贈りたいと思います。
ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら
峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつです
国民の皆様、また議員各位のご理解とご支援を心よりお願い申し上げ、私の施政に関する演説を終わります。 
記者会見・平成12年度予算成立 / 平成12年3月17日
平成12年度予算がお蔭様で本日ただ今成立をいたしました。衆参両院におきまして、予算の成立のため大変御努力をいただきましたこと、心から感謝申し上げます。
今回の予算は、予算の国会提出が明年1月の省庁再編のため、昨年より9日遅れにならざるを得なかったにもかかわらず、昨年と同じく、戦後最速で成立をいたしました。結果として、50日間の最短の審議期間で年度内に成立したことになります。これは、予算の早期成立が景気の本格的回復の鍵を握るとの認識の下、与党3党が固く結束し、鋭意努力された結果でございます。
平成12年度予算は、我が国経済が緩やかな改善を続ける中にありまして、これを本格的な回復軌道につなげていくため、経済運営に万全を期すとの観点に立って編成したものであります。同時に、経済や社会の将来の発展につながる分野への重点化など、予算の「構造」にまで踏み込んだ取組を進めたものであります。
例えば、公共事業につきまして、その総額の2割以上に当たる約2兆6百億円を、次の4つの課題に重点配分しております。すなわち、第1に物流効率化、第2に環境対策、第3に少子高齢化対応、第4に情報通信の高度化であります。
一方では、「時のアセスメント」や「費用対効果分析」を活用し、新たに23事業の中止などに踏み切っております。また、私が提唱してまいりましたミレニアム・プロジェクトをスタートさせます。情報化、高齢化、環境対応の3つの分野で大胆な技術革新に取り組みます。その上で、最大の景気対策は、本予算を円滑かつ着実に執行することであります。具体的には、公共事業等につきまして、年度開始後直ちに着手できるよう、実施計画、いわゆる「箇所付け」の協議・承認を速やかに行います。
我が国経済は、着実に前向きの動き、自律的回復に向けた動きが徐々に現れております。先般発表になりました昨年10−12月期の実質国内総生産は前期比でマイナスでありました。しかし、本年1月以降の足下の経済情勢を見ますと、例えば個人消費や新規求人数の動きは好調であります。また、長らく減少を続けてまいりました設備投資も昨年10−12月に反転しプラスとなっております。いわば、日本経済は、「雲間に朝日がさしてきた」といえる状況であります。
私は、総理に就任して以来、デフレ・スパイラルに陥ることを防ぎ、日本経済に対する信認を回復するため、各般の政策を果敢に実行してまいりました。その結果、平成11年度にはプラス成長へ転ずる見通しはほぼ確実にすることができたと考えます。せっかく芽生えました明るい兆しを更に強く、大きな流れに変えていかなければならないと考えております。今大事なことは、国民の皆様や企業が日本経済の将来に確信を持っていただくことであります。そして、前向きに積極的な取組の歩みを進めていただくことであります。政府としても、共に一層の努力を続けてまいります。
こうした時期にありまして、経済の構造改革は極めて重要であります。経済の構造改革は、新たな市場を創り出し、雇用を生み出すものであります。企業の事業再編の円滑化、産業技術力の強化、規制緩和、そして情報技術革命すなわちIT革命といった課題に全力で取り組んでまいります。
最後に、教育改革及びサミットにつきまして、一言申し上げます。教育は「国家百年の大計」であります。既に、この2か月間で各界の有識者の方々や、更に国民の皆様から4千を超える御意見を頂いております。近く江崎玲於奈氏を座長として発足する教育改革国民会議では、国民の皆様の教育に対する切実な思いも踏まえ、教育の基本にさかのぼって幅広い議論を積み重ねていただきたいと考えております。
2000年という節目の年に、アジア諸国と深いつながりのあります九州・沖縄地域で開催されるサミットは、本年の最重要の外交課題であります。開催まであと4か月ほどでありますが、来週末には私自身沖縄を訪問し、現地の視察やアジア太平洋地域の有識者の方々と懇談を行いたいと思っております。地元の皆様を始め、国民各位の御協力を改めてお願いいたす次第でございます。ありがとうございました。
【質疑応答】
● まず景気の問題ですが、総理の冒頭発言でもありましたが、3月の月例経済報告でも今日報告されましたが、まだ景気回復宣言には至らないということもあって、依然として景気回復の見通しというのは不透明な部分があると思います。総理は、現段階での経済動向をどう判断し、今後更にどのような景気対策をとっていこうと、予算執行と併せてその点と、これに関連して自民党内には5,000億円の公共事業などの予備費を早期に使おうという意見もありますけれども、補正予算編成の可能性を含めてどう対応なさるのか併せてお聞かせください。
日本経済は、残念ながら過去2年引き続いてマイナス成長でございました。小渕内閣になりまして、何としても日本経済をプラス成長にしなければならないということで、景気回復、経済再生をこの内閣の最大のテーマとして取り組んでまいった次第でございます。各種の政策をすべて打ち出しまして対応いたしました結果、今年3月期、すなわち11年度にはプラス成長になる見込みがかなり濃厚になってきております。
ただ、実は、昨年10−12月の四半期におきましてマイナス成長になりました。これはいろいろな要因があると思いますけれども、やはり給与所得者に対してのボーナス、これがなかなか思うような数字が出てこない。したがって、賢明な消費者ということになりましょうか、消費も伸びなかったということもあります。またちょうど、いわゆるY2Kといいますか、コンピュータ2000年問題がございまして、旅行の方も控えよう等々がございまして、残念ながらマイナス成長になりました。
しかし、その中で非常に特筆すべきことは企業の設備投資、これがプラス4.6という数字で久々にプラスの数字が出てまいりました。これは、ある意味では日本経済の先行的指標を示すものではないか。設備が、一旦リストラも済んで、これから新しい設備の下に経済活動をしていこうということでございますから、こういう数字がこれから堅調になってまいりますと、必ず当初の目標であるプラス0.5、あるいは0.6、この数字近くに日本経済が上ってくるということになりますと、マイナスからプラスですから、したがって12年度以降、この勢いが安定的に成長するということになりますと、今年の秋ころには、しっかりした足下が固まってくるのではないかと強い期待をいたしております。
おおよそ採るべき経済政策は採ってまいりました。その中では、いつも御指摘を頂いておりますが、国債も相当発行いたしまして下支えをしてきたということもありますが、自律的な経済の発展につながってくるものと確信をいたしております。
冒頭申し上げましたように、これは企業におきましても、そうした気持ちがこの官需から、いわゆる民需という体制に切り替わってくれば、必ず私は今年夏、秋以降の日本の経済成長というのはかなり確実なものになってくるというふうに思っております。
それから、この予算が成立をいたしましたので==昨年も最速でございました==最速ということはいたずらに早く国会により成立せしめていただいたということだけでありませんで、今日成立したということは、先ほど申し上げましたように公共事業にいたしましても、省庁がこうした公共事業を実施する場合に、4月1日から国のお金が行ったときに事業が開始するということでありますので、切れ目のない公共事業関係の事業が推進されることによって、これまた景気に対しましても、それなりの影響を与えられるものだというふうに思っております。
したがいまして、何はともあれ予算が成立をいたしましたので、この予算を円滑かつ着実に執行する。これに尽きると思っております。相呼応して民需がこれとともに発展するということでありますと、日本経済も大きく進展しますし、また日本経済が伸びるということは、アジア経済も共々に発展していくという良循環が始まるのではないか、こういうふうに考えております。
● 次に、予算を編成するに当たって、国債を大量に発行されたということで、国と地方の長期債務残高を合わせてGDPを上回る645兆円ということで財政赤字は先進国中最悪の水準です。総理は、これまで経済回復、景気対策最優先とおっしゃっていましたけれども、この予算成立をきっかけに財政再建への具体的な道筋を示すというふうなお考えはないでしょうか。
私も責任ある立場でございますから、一般論的に言えば、財政というものは「入るを量りて出ずるを制す」、これは中国の礼記の言葉でありますが、これは古今東西政治家が最も注意しなければならないことであります。がしかし、単年度における国債の発行ということをしなければ、日本経済が引き続き3年、4年のマイナス成長になるという、スパイラルの状況であったわけでありますから、これを一応押し止めたわけですから、これからは、この経済成長をしっかりさせていくということで、いずれの時期か分かりませんが、財政をより健全化させていかなければならないということは、これは四六時中忘れたことのないことでございますので、ただ、その時期をあらかじめ特定していくということになりますと、また財政再建ということになりますと、具体的にはどういう手法をとるかはなかなか難かしゅうございますが、ごく簡単に言えば、税の問題にまで立ち入らなければならないということになりますと、またまた、前回消費税を導入して、たまたま不幸にしてアジア経済が非常に悪くなったということと非常に複合的にマイナスに働いて、日本経済が非常に落ち込んできたという反省も込めまして、やはり、しっかりとした成長路線というものを確実にした上で対応すべきものと確信をし、その時期の一日も早くなることのためのしっかりとした土俵づくりといいますか、足下固めといいますか、これをいたしていくのが今の務めであろうと、このように考えております。
● 予算は成立しましたけれども、今後7月の「九州・沖縄サミット」、そして一連の警察不祥事の対応とか、教育改革、様々な懸案があるわけですけれども、今後、総理自身何を最重要課題として位置付けていくのか。そしてまた、与党内には解散・総選挙につきまして、サミット後とか、任期満了とか様々な発言が相次いでいます。それを総理はどのような形で判断されているのか、そしてその判断材料として総理が何を一番重視するのかをお聞きしたいと思います。
先ほどの続きになりますが、何といっても日本経済を安定させていくということに尽きると思いますが、常々、私、二兎を追って一兎をも得ずという結果になってはいけないということを申し上げてまいりました。財政再建と景気回復と、2つともねらいをつけていきまして、両方取り損なったら目も当てられないと、こういうことですから、確実に景気を回復するということでいたしております。引き続いて、ですから、これからの課題も経済の再生から新生と申し上げましたが、いろいろの新しいミレニアム・プロジェクト等を通じまして、これからしっかりとした安定した経済運営を行っていくということが一つだと思います。
それから、お話にありましたように、これからは幾つかの改革を着実にしていかなければならないのだろうと思うのです。これは、実は橋本内閣に「6大改革」がありまして、私は、この自民党の前内閣の政策というものは引き続いて重要な課題であろうと思っております。そういう意味では、教育改革がそうでありますし、また、社会保障改革、これも従来、それぞれ年金や介護保険やその他万般にわたりましていろいろございましたが、一つ一つ医療の問題等を解決するのではなくて、これを総合的に解決していかなければならない、こういうふうに考えておりまして、ある意味ではこれは財源の問題にも絡むわけでございますので、社会保障構造改革の最後の時期を私は迎えているのだ、そういう意味で審議会をこの間立ち上げまして今検討中でございますから、社会保障構造改革をしなければならない。それから司法改革、これも今審議会で御論議いただいておりますけれども、やはりこの問題も比較的専門家だけで考えがちでございますが、実は話がそれますが、中坊公平氏といろいろ話をしてみまして、日本の司法制度のあり方、こういうものについてもかなり積極的に取り組まないと国際的なグローバルな姿から遅れていくのではないか。
この間もあるテレビで放送しておりましたけれども、企業同士の裁判がアメリカ、ニューヨークで行われている。なぜかというと、日本でやると相当長い時間かかってしまってなかなか決着がつかない。アメリカへ行ったら数か月間で処理するというような事例が出てくることを考えると、やはり日本の中に何か問題がないかということもあります。したがって、そうした改革の問題も私はあるのではないかと思っております。
そこで、お話のように今般いろいろな不祥事が発生をいたしておりまして、国民の皆様から、それに対する不信感が高まっておりまして、政府としても苦慮いたしますとともに、誠に申し訳なく思っております。いわく警察不祥事、また今般、防衛庁におけるこれまた不祥事件、こうしたものが出てきているわけであります。私は、これは戦後半世紀以上の問題として、いろいろな問題があってかくなるものとなっていると思いますけれども、ある意味では、この内閣としては非常にダメージが大きい問題であります。がしかし、考え方によっては、諺に曰く、「禍を転じて福となす」ということができれば、最終的に国民の皆さんに信頼をされる警察であり、自衛隊であるということになるだろうと思います。そういう意味で警察につきましては、警察刷新会議を来週開催していただきまして、本当に専門家の皆さんから厳しい御指摘を頂きながら、いわゆる国家公安委員会制度の問題等にまで御検討いただければ有り難いと思っております。
いずれにしても、この際、出すべき膿は出し切って、きれいな体で国民の再び信頼をかち得て、それぞれ責務を全うできるようにしていかなければならないと思っております。私は警察も自衛隊も、それぞれの署員、あるいは隊員は本当に日々訓練に励み、その責務、治安・防衛に当たっていただいていると思いますが、こうした幹部の事象が起きますと、本当に国民の信頼全体にわたって低迷せざるを得ないということでありますので、この点につきましても、治安並びに防衛に責任を持つ私といたしましても、この機会に本当に悔い改めていく努力をしていきたいというふうに思っております。
最後にサミットであります。「九州・沖縄サミット」、特に首脳会談は沖縄県で開かれます。過去3回東京で開かれましたが、4度目、7年に一遍のこのサミットを、日本にとって最もアジアに距離的に近い地域でありますと同時に、戦前、戦中、戦後、大変な御苦労をされておられる沖縄県で開催することと決断をいたしました。各国とも、是非その成功のために協力をするということをおっしゃっておられますので、必ず大成功すると思っておりますが、議長国としての日本といたしまして、是非「九州・沖縄サミット」を成功させるために全力を尽くしたいと思いますので、地元はもとよりでございますけれども、国民皆さんの御理解と御支援を頂きたいと考えている次第でございます。
● 総理、解散・総選挙の判断と最重要課題のことについて。
解散・総選挙ですか。今日予算を通過させることができました。当然のことでございますが、予算関連法案というのは、また来週早々から審議に入っていくわけでございます。予算が通っても関連法案が通らなければ、これは政策を実行できませんから、これをまず最重要と考えて、政府といたしまして、またときには議員立法として、提出をいたしていますすべての法案の成立のために全力を尽くしてまいりたいというふうに考えております。したがいまして、現在では解散について特に念頭にはありませんが、これは野党の皆さんも、あるいは憲法・国会法に基づいて、この内閣を不信任するということになりますか、不信任に対して「必要ない」というふうに与党の先生方がおっしゃるからというようなこともございますから、そういうこれからの政治の動向を見つつ、その時期は改めて考えていくべきものだろうというふうに思っておりますが、結論を申し上げれば、今ともかく懸案の法律を通すことと同時に、せっかく成立させていただいた予算の執行に遺漏なきを期して、てきぱきとそれぞれの予算が実行される、その努力を行政府の長としては懸命に努力していくということに尽きると思っております。
● 経済問題から離れますが、日米安保問題について、総理も昨日コーエン米国防長官にお会いになられましたが、この安保問題をめぐる日米関係については、「思いやり予算」の削減問題や、米軍厚木基地のダイオキシン被害問題などで安保条約をめぐる日米関係にきしみが見られますが、これらの問題解決を含めて、今後日米安保条約をどのようにしていきたいとお考えになっているのでしょうか。
橋本・クリントン両氏の会談によりまして、日米新同盟時代に入りました。それに伴うガイドライン関係の法律も私になりましてからこれを国会で成立させていただきました。したがいまして、ますますもって日米両国の同盟の絆が私は強まったと思っております。昨日もコーエン国防長官が参られましたけれどもそのことを非常に強調されておりますし、日本としても同盟国としては、日米安保によってなさなければならない義務といいますか、そういうものは確実に行っていくつもりでございます。もちろん、国民の皆様の御理解と御協力を得ながら、この駐留経費その他ホストネーションサポートにつきましても日本としての責任を果たしていく。果たしていくことによってアメリカもこの日本と同時に極東の安全について責任を持つと。昨日もいわゆる米軍10万人体制についていささかもこれをおろそかにすることはないと、責務は十分果たしていきたいとアメリカの国防の最高責任者も強調しておりましたから、そのことを強く信頼をいたしまして、共々に万が一にこの安全保障を壊すようなことが起こることのないように、努力をしていくことだろうと思っております。
かつてない、私は日米間は安全保障の面のみならず、極めてより良い関係にあると思っております。もちろん、この貿易問題その他につきましては、いろいろとございます。あるいは、通信問題をめぐりまして、いろいろとお互いの国々の要望・要求というものがありますが、これはどんな国の間柄でもあるのでありまして、交渉によって、話し合いによって難関を乗り越えられることの自信が双方にあるということが、真の同盟関係である国のことだと思っております。
● 総理、国会改革の関係なんですけども、今国会から予算委員会の質疑がですね、総理の発言を伺う機会が減ったと思うんですけども、国民からすればもう一つ総理がどうお考えになられているのかということを直接聞きたいという声もあると思うんですが、総理御自身はどう考えていらっしゃるんですか。
これはそのよって来るところは、国会活性化法ということによりまして、いわゆる政府委員を廃止いたしまして、今予算委員会で御覧になっていただいているようにですね、今までは事務当局が答弁に出てきたわけですが、事務当局無しで大臣並びに政務次官が責任をもって答弁すると、これが一つ大きな明治以来の大改革だったと思うんですね。それから、来年の1月6日、新しい行政機構の編成が行われれば、その時には副大臣制度というのが出てくるわけであります。この副大臣が国会に対する責任を負ってくるということであります。と同時に、総理大臣に関しましては、総理大臣と野党党首とのいわゆる国家基本政策委員会、すなわち通称クエスチョンタイムと言っていますが、これを行うということが大きな柱になっているわけです。したがって、そういう三つの改革の中で、総理大臣としていかに国会にコミットメントしてくるかということだろうと思いますが、一つのクエスチョンタイムで言いますと、元々これはイギリスのいわゆる労働党・保守党、現政権とシャドーキャビネットの党首がやり合うということで、イギリスは、総理大臣は、国会には週一回のクエスチョンタイム30分間出席すると、あとはそれらの大臣と副大臣が国会の方で議員各位との討論をする、というのが我が国のクエスチョンタイムの元々の発想が出たゆえんでございます。
そこで、私としてはですね、それこそ国会でも議員としても相当長い方になってまいりました。国会というものが私のすみかであるぐらいのつもりでいるわけでございまして、呼ばれればいつでも御出席させていただいて、お話をさせていただくということであります。が、率直なところを申しますと、最近は外国の方々も相当多く見えられます。昨日もコーエンさんも見えられたし、それから国連の大使のホルブルックさんが参られまして、この方は今、国連における日本がP5に加われるかどうか、すなわち安保理の常任理事国になれるかということについて、非常にこのアメリカの国連大使というものは大きな役割を果たしております。したがって、昨日は夜になりましたけれども私もそのことを強くお願いをしております。このように、総理大臣として外国の皆さんの御訪問を受けることが非常に多くなったということも事実です。ですから、そのことと国会とを両立させていかなければならない。
あえて私は国会を忌避しているつもりはさらさらありません。しかし、国会に一度入りますと、今日は午前3時間、夜5時間、ずっと座りきりでいろいろ答弁申し上げながら、仮にそういうときに外国の皆さんといわれましてもこれは不可能です。ですから、何とか両々あいまって、国の最高責任者として近来外国のほとんどの政治家のみならず、多くの方々が一度日本の総理に一言申し上げたいという回数は、今数字はありませんけれど抜群に増えてきている、ですから、それとうまく組み合わせしていただきまして、時にはそういう方に会うときはお許しいただいて、国会の方をちょっとはずしてもよろしいというようなことをお考えいただければよろしいかと思います。私は元々長きにわたって国会を愛しておりますから、是非機会があれば大いに出席をする、と同時にそうした形での総理大臣としての役割もまたあると同時にもっと言いますと、日本の役所の中の最高責任者です。したがって、これから改革の中では、先ほど申し上げなかったけれども、行政改革というものは引き続きあるのです。各省庁、1府12省庁になったから終わったのではないのです。一緒になったらならば、役所のトップは次官が生まれますが、2つの役所が一緒になったらその次官は、ある役所が最初で、その次の役所がこうだというような形で、いわゆる「たすき掛け」みたいなことをしていてはならないのだろうと思います。もちろん、それは人物によりますけれども。したがって、そういう意味では本当、これから大きくなった内閣府が、それぞれの役所に対しましても相当言葉はいかがかと思いますけど「威令」が行えるということでなければならない。そのためには、総理大臣としては、できる限り官邸にどっしり座って指揮していくという形でなければならないのではないかというふうに率直に思います。したがって、そうした総理大臣としての役割を充分に果たしつつ、私は、国会というものは「国権の最高機関」、大事なことですから、呼ばれなくてもと思ってはおりますが、国会のルールがございまして、議員運営委員会またあるいは国会対策委員会、そういうところで御審議をいただきまして、積極的に参加していくということについては、私はいささかも躊躇もないということだけは申し上げておきたいと思います。 
記者会見 / 平成12年3月26日・沖縄県那覇市
この度の沖縄訪問につきましては、稲嶺沖縄県知事、岸本名護市長を始め、関係の方々の行き届いた御配慮に、まず最初に心から感謝を申し上げます。
この度は、私としてはこのサミットを成功させるために、地元の皆さんにその協力方をお願いに参ったということでありますが、かえって現地名護市等におきましては、サミットのシンボルマークで作った旗や日の丸の小旗を打ち振って歓迎をいただくと同時に、是非成功しなければならないと、させるべきだと、こういう大変地元の力強い熱意を逆に感じたような次第であります。
また、今朝、首里城に参りましたところ、もちろん、沖縄県民の皆さんばかりでなく、全国各地から観光を目的に参っておられる方々からも、しっかりサミットを成功させろという声が飛んでいたことなどを聞きますと、ますますもってその責任の重きことを痛感した今回の訪問でございました。
今回の訪問では、間もなく完成予定の万国津梁館や、G8議長記者会見場等の視察に加えまして、平和祈念公園への訪問や、地元報道機関の方々と懇談を行うなど、非常に有意義な訪問となりました。中でも、サミット開催に向けて準備が順調に進んでいる様子を目の当たりにいたしまして、沖縄県民の皆様一人一人のサミット成功に向けた大きな意欲を感じて胸が熱くなるとともに、大変心強い思いをいたした次第でございます。
本日は、こうした思いを踏まえまして、この場でサミット首脳会合の日程の中の首脳の社交行事について発表いたしたいと思います。
まず、沖縄サミット推進県民会議におかれては、22日夕刻歓迎レセプションを開催し、各国首脳御夫妻に沖縄県の伝統芸能に触れていただくと同時に、県民の皆様と各国首脳夫妻との触れ合いの場とすることを検討されていると伺い、非常に楽しみにいたしております。
また、22日夜の首脳夫妻社交夕食会につきましては、沖縄の皆様の誇りである首里城で開催いたします。この関連で、本日、私は首里城での万国津梁の鐘の完成式に出席いたしましたが、琉球王朝の繁栄と交流の歴史を刻む万国津梁の鐘の音が再び首里に響くというこの事実に深い感銘を覚えた次第でございます。各国首脳御夫妻には、こうしたレセプションや夕食会を通じて、沖縄の豊かな文化と歴史を必ずや肌で感じていただけるものと大いに期待をいたしております。
次に、九州・沖縄サミットは、2000年という節目の年に7年振りにアジアで、しかもアジア諸国と歴史的つながりの深い沖縄で開催されるサミットであります。こうした点を踏まえまして、私は今回の沖縄訪問の最後の行事として、先ほどアジア太平洋アジェンダ・プロジェクトの沖縄フォーラムに出席し、アジア太平洋の学術研究の第一線で活躍しております有識者の方々と意見交換を行い、いろいろと有意義な意見を頂きました。その中で、アジア経済危機の際の経験も踏まえて、アジア太平洋の地域協力を強化する必要性と、その国際社会全体の将来にもたらす積極的な意味が指摘されまして、その観点からも、G8のサミットを、アジアとのつながりの深い沖縄で開催する意義は大きいとの貴重な御意見を頂きました。
こうした、頂いたアジアからの貴重な声も踏まえながら、来るサミットにおきましては、21世紀はすべての人にとってより素晴らしい時代になるとの希望が抱けるような明るいメッセージを発信するべく、全力で取り組んでいきたいと考えております。
【質疑応答】
● 2点ほど質問させていただきたいと思います。ただ今の総理のお話の中にもあったんですけれども、初めての地方開催となる九州・沖縄サミットの首脳会議についてなんですが、議長国として議題や宣言に沖縄開催の意義及びアジア諸国の視点や声を具体的にどのように反映させていくお考えなのか、お伺いしたいと思います。
今次沖縄訪問を通じまして、先ほど申し上げましたが、私はアジアの交流の拠点としての沖縄の歴史を改めて実感し、こうした沖縄の歴史を背景として、沖縄の方々が豊かな文化的遺産を活力の源としている姿に改めて感銘を覚えた次第でございます。サミットに出席するG8首脳にも、こうした沖縄でサミットが開催される意義を是非とも実感していただきたいと考えております。
2000年という節目の年に開催される九州・沖縄サミットでは、21世紀にすべての人々が一層の繁栄を享受し、心の安寧を得、より安定した世界に生きられるよう、各国、そして国際社会は何をなすべきかを大きなテーマにいたしたいと考えております。
また、7年振りにアジアで開催されることを踏まえまして、グローバルな視点に立ちつつも、アジア諸国の関心を十分に反映させていきたいと、このように考えております。
具体的には、私は、1月の東南アジア歴訪、2月のUNCTAD総会出席等、さらには先ほど行ったアジア太平洋アジェンダ・プロジェクト沖縄フォーラム出席を通じて、グローバル化とIT革命の進展が急速に進む中で、開発の問題や、国際金融システムの問題、IT革命の課題などに対して、アジア各国が関心の高いことを身をもって感じたところでございます。
また、グローバル化の中で、文化の多様性をいかに活力の源にしていくか、アジア共通の課題であると考えております。
したがいまして、九州・沖縄サミットではこうしたアジア諸国の関心事につき、じっくりと議論したいと考えておりまして、その上で、21世紀がすべての人々にとってより素晴らしい時代となるという希望を世界の人々が抱けるよう、この沖縄から、明るく、力強いメッセージを発出いたしたいという願いを込めております。
● それでは、2問目ですけれども、普天間基地問題ですが、稲嶺知事や岸本市長が強く求めております代替施設の15年使用期限並びに工法、使用協定などの問題について、対アメリカとの交渉をどのように進め、また、そのめど付けの時期をいつごろとお考えなのかお伺いしたいと思います。
普天間飛行場の移設・返還にかかわる諸問題につきましては、地元の意向も踏まえまして、昨年末、御指摘の点も含めまして、政府としては、その取組方針を閣議決定いたしたところであります。政府といたしましては、今後、この閣議決定に従いまして、県や地元の御意見を十分お聞きをし、米側とも協議しながら、安全・環境対策や地域の振興を含めて全力で取り組んでまいりたいというふうに考えております。
● 今、政界で一番関心の高いのは、何といっても衆議院の解散・総選挙の時期ですので、その点についてまずお尋ねしたいと思います。昨日、収録されました「総理と語る」の中で、総理は次のようなことをおっしゃいました。「警察不祥事などの予想外の問題が出てきているので、内閣としてある程度めどを付ける時間が必要だ」と。先日、発足した「警察組織刷新会議」では、6月末か7月に報告をなされると聞いておりますので、総理の発言と照らし合わせますと、解散・総選挙の時期は7月以降、つまりサミット後になるというふうに受け止めたんですけれども、改めて総理のお考えをお尋ねしたいと思います。
昨夕、収録いたしましたテレビにおける対談におきまして、この問題についてもお尋ねがありましたので、お話を申し上げさせていただきました。
私は常々、何といっても12年度予算を一日も早く成立せしめるということが内閣として最大の問題である−−しかし、予算は、お陰さまで戦後最短・最速ということで通過することができました。もちろん、早きがゆえに必ずしも尊いとは言えませんけれども、しかし、昨年もそうでありましたけれども、やはり4月1日から予算についてこれを直ちに執行できるということは、これは日本の経済の大きな運営の中で、いわゆる公需という立場から言えば、誠にこれは大切なことでありまして、そういう意味から言いますと、来年度予算につきましても、非常に早い時期にこれが成立し、確定したということは意義深いと思っております。
ただ、予算案が通過しただけでは執行できません。今、国会におきましては、予算関連法案並びに重要法案につきまして熱心に御討議していただいております。特に与党3党としては、力を合わせて、それらがすべて衆参両院通過して成立することのために御苦労いただいているわけですから、これもまずやらなければならないことだろうと思います。
そこで、今お尋ねにありましたように、昨今、警察不祥事あるいは自衛隊における射撃をめぐっての事件等、もろもろの問題が非常に今起きているわけでございまして、内閣としても実にその責任を深く痛感しているわけであります。
ただ、こうした問題は、昨日今日に起こったことではありません。たまたま現象的には神奈川とか新潟で誠に言語道断なことがあり、うそを隠蔽するというその上塗りのことが起こってきたということでありまして、そのために、今御質問にもありましたように、警察の問題について言えば、警察刷新会議を国家公安委員長の下でこれを実施し、一日も早い結論を得て、的確に二度と再びこうしたことが起こらない、きちんとした体制を整えるということも、治安の責任を持つ内閣の執るべき対応だと思います。これがいつ御結論を得られるかということは、なかなか私自身が指示するわけではありませんで、内閣総理大臣といえども、警察の問題については、所轄することがあっても指揮・監督をすることではないという立場でありますが、やはり国の最高責任者としては極めて重要案件でありますから、それが中途で解散・総選挙という形でこれが遅れていくということがあってはならないと−−どうなりますか分かりませんが、その刷新会議の御結論を得れば、時には、これは法律の改正ということも企図せざるを得ない問題もあるのではないか、今も、警察法改正が神奈川県の事件から考えて、やはり県の公安委員会の在り方等を含めた改正案が既に国会に提出されておりますが、その後起きたいろいろな事件を考えると、もし、きちんとした方向性が指し示され、内閣として法律をもってこれのきちんとした結論を得るということになれば、これは当然のことでありますけれども、国会を新たに開くということはなかなか難しいとなれば、現国会の中で処理することもあり得るということを実は一般的に申し上げたわけでございまして、サミットの前とか後とかということを申し上げたつもりはないわけでありますが、いろいろお取りようによってと、こういうことかと思いますが、しかし、こうした政局の中で、今、内閣としてお願いをしているというようなことが、なかなかもってこれが国会の御理解を得られないということになりますれば、これはサミットの前であれ後であれ、これは国民の最終的な判断をいただかなければならないということでございますので、したがって、いろいろの取りようがあったかもしれませんけれども、解散につきましては、現時点において、特段に時期を定めているというようなことは考えていないというのが、そのことについて正確にお答えをせよということでありますれば、今のお答えが私の内閣としての解散権行使についての基本的考え方であると、こう御理解いただければ有り難いと思います。
● 今のお話を伺っていますと、やはり小渕政権としてはやるべきことが山積しておるというような印象を受けたんですが、そうしますと、サミット前かサミット後かということであえてお尋ねしますと、総理はやはりサミット後というふうに傾きつつあるというふうに考えてよろしいんでしょうか。
今もお話し申し上げたように、正確に申し上げれば、今、解散については考えておりませんということです。
● 最後、もう一問お願いします。今日ロシアの方で大統領選が行われますので、ロシアのことで一つお尋ねしたいと思います。先日の記者会見で、プーチンさんがもし当選したら、総理はモスクワ以外のロシアのどこかの都市で会談をしたいというような意向を発表なされましたけれども、今後、2000年の平和条約締結に向けて、日露外交をどのように具体的に進めてらっしゃるお考えなのか、その御方針をお尋ねしたいと思っています。
日露の平和条約締結という問題につきましては、長い間、非常に進ちょくしない状況でありましたけれども、エリツィン大統領と橋本総理とのクラスノヤルスクの会談を通じまして、大いに進展をしてきたわけであります。その後、川奈におきましても、お二人の会談が持たれまして、2000年までに平和条約を締結しようというロシアと日本側の首脳の考え方が一致したわけであります。これを受けまして、私といたしましても、25年振りに田中角栄総理大臣以来、モスクワを訪れまして、この問題を進展すべく努力をいたしたわけでありますし、また、昨年のケルン・サミットにおきましても、エリツィン大統領は最終日、到着をされまして、二人でお話をしまして、是非これは実現をしようという意思を更に再確認をしたところでありますが、誠に残念ながら、エリツィン大統領は昨年の12月31日、誠に突然に辞意を示されて、現在、後継者としてプーチン大統領代行が選挙を行い、明朝は、恐らくその帰趨がはっきりされるのだろうと思います。
そこで外交の一つの姿として、日本として平和条約を結んで、世界の中で条約の無い、国境線が確定しないというような国はロシアをおいてほかに無いわけですから、そういう意味では、気持ちとしてははやる気持ちで何度でもモスクワと思いますけれども、やはり、さはさりながら、やはり外交の鉄則で、交互に訪問することになっておりまして、そういう意味から言うと、もし、プーチン新大統領が誕生するということになりますれば、この大統領が、東京ないしその他、日本に来訪をお願いするというのが筋だろうと思っております。
しかし、なかなか新大統領誕生で、もしその訪日の予定が直ちに立ちにくいということであるとすれば、日本側の気持ちとしては、いわゆる首都モスクワ以外の地域で会談することもやぶさかでないと私は考えているわけでございまして、まだ当選をしておりませんので、お話を申し上げる立場にはありませんけれども、勝手を申し上げれば、是非日程を作っていただいて、何度でも首脳同士が話し合うという機会を作る中で、最終目的に向かって、歩を一歩ずつでも進めたいというのが率直な気持ちでございます。 
教育改革国民会議(第一回会合)・挨拶 / 平成12年3月27日
このたびは、教育改革国民会議への参加をご了承賜りありがとうございました。「教育改革国民会議」の第一回会合が開催されるにあたりまして、一言ご挨拶申し上げます。
私は、我が国の明るい未来を切り拓き、同時に世界に貢献していくためには、創造性こそが大きな鍵であり、創造性の高い人材を育成することが、これからの教育の大きな目標でなければならないと考えております。こうした観点から、私は、教育改革を内閣の最重要課題に位置づけ、「教育立国」を目指し、社会のあり方まで含めた抜本的な教育改革について議論していただくために「教育改革国民会議」を開催することといたしました。
この会議を発足させるに当たっては、議論を是非国民全体に広がりをもったものとしたいと考えております。このため、教育の在り方について、各界の有識者の方々から意見を伺うべく文部大臣と連名で依頼いたしました。また、併せて、広く国民の方々からもご意見をいただいております。上は九十二歳から下は小学校三年生までの幅広い国民の皆様方から、四千五百通を超える意見が寄せられているところであります。
私は、これらのご意見に目を通しながら、世代を超えた教育に関する関心の高さと教育問題の幅の広さを改めて感じました。本会議のような国民的な議論の場を設ける必要性をさらに強く感じた次第です。
私が「教育」について考えるときに思い起こす著作の一つに、池田潔氏の著書「自由と規律」があります。その中で、イギリスのパブリックスクールや大学において、若者が学業やスポーツに伸び伸びとかつ真摯に取り組み、自由が尊重される一方で規律が確保されている姿が語られています。
施政方針演説でも申し上げましたように、これからは、個人が組織や集団の中に埋没する社会ではなく、個人が輝き、個人の力がみなぎってくるような社会に転換することが求められております。個人と公が従来の縦の関係ではなく、横の関係となり、両者の協同作業による「協治」の関係を築いていかなければならないと考えます。そして、そのような、次代を担う人材を育むために、今を生きる我々が取り組むべきことは何なのか。自由と規律の調和を描いたこの著作は私自身に一つのヒントを与えてくれていると感じております。
さて、私は、教育は国家百年の大計と常々申し上げており、皆様には百年の大計をつくるという思いで、腰を据えた、密度の濃い議論を積み重ねていただきたいと思います。
すなわち、教育改革とはなんぞやという原点に立ち返って、戦後教育について総点検することが必要であると考えております。
またそれとともに、いじめや不登校、学級崩壊、学力低下、子どもの自殺などの深刻な問題がなぜ起こっているのかについて、
教育の基本に遡って幅広くご議論いただくようお願い申し上げます。
教育改革国民会議の座長には、江崎玲於奈先生にお引き受けいただくことでご快諾を頂きましたので、よろしくお願い申し上げます。
また、この会議は、与党三党派間の合意に相呼応して設置したものでありまして、自由民主党の町村信孝議員、自由党の戸田邦司議員、公明党の太田昭宏議員のご参加もいただいております。
昨年のケルン・サミットにおいて教育の問題が取り上げられました。教育は各国が共通に直面している課題であり、現在、教育改革の取り組みが進められているところです。
私といたしましても、教育改革国民会議における議論を踏まえて、我が国の輝ける未来を築き、世界から確固たる尊敬を得られる国となるため、その重要な基盤となる教育改革の推進に全力で取り組む所存であります。皆様方におかれましても、貴重なご経験と学識を生かしていただき、積極的なご議論を展開していただくことをお願い申し上げまして、挨拶に代えさせていただきます。 
小渕総裁時代
平成十年七月に行われた第十八回参議院通常選挙で、わが党は得票数を大きく伸ばしながらも議席を減らす結果となりました。これを踏まえて、橋本龍太郎総裁(首相)は辞任を表明、七月二十四日、第十八代総裁を決める総裁選が行われました。立候補したのは、外相だった小渕恵三氏、厚相だった小泉純一郎氏、元官房長官の梶山静六氏の三人でした。自民党の衆参両院の全議員と都道府県代表による選挙の結果、小渕氏が一回目の投票で過半数を超える二百二十五票を獲得、新しい総裁に選ばれました。第二位は梶山氏、小泉氏は三位でしたが、国民の注目度は高く、選挙は盛り上がりました。
橋本内閣は七月三十日、臨時閣議で総辞職を決定。同日召集された臨時国会の衆院本会議で小渕総裁が第八十四代の首相に指名され、小渕内閣が発足しました。社民、新党さきがけ両党が参院選前に連立与党を離脱し、自民党が過半数に足りない参院では、民主党の菅直人氏が決戦投票で首相に指名され、両院協議会が開かれましたが合意に至らず、憲法六七条二項の規定によって小渕総裁の首相就任が決まったのでした。小渕政権のスタートが厳しい環境に置かれていたことは、この経過から明らかでした。
新政権が直面した最大の課題は、経済不況の回復、とくに「デフレスパイラル」に陥る危険を内外から指摘する声が高まっていた金融危機の回避でした。香港、タイ、インドネシア、韓国などアジア各国の経済を破綻状態に追い込んだ世界的金融危機は、この年八月にロシアがデフォルト(債務不履行)に陥り、ブラジルが破綻の瀬戸際となるなど深刻そのものでした。欧米ではヘッジファンドの危機がいわれ、最大手のロングターム・キャピタル・マネージメント(LTCM)が破綻、米国・ウオール街にも衝撃が走りました。そのうえ、ここで日本の大手金融機関が昨年に続いて次々と倒れるような事態になれば、世界経済が破滅状態となる可能性があったのです。小渕政権の責任は重大でした。
小渕新首相は先輩首相である宮沢喜一氏に、異例のことでしたが蔵相就任を依頼、経済企画庁長官に民間から評論家の堺屋太一氏を登用し、景気対策シフトを敷きました。官房長官には、それまで幹事長代理として活躍し、野党との交渉に辣腕が期待された野中広務氏が就任しました。
七月七日に行った初の所信表明で小渕首相は、「経済再生内閣」と自らの政権を位置づけ、「二年以内に景気を回復軌道に乗せる」と国民に約束、即座に経済戦略会議を設置して具体策の作成に着手しました。橋本内閣との違いは、経済構造改革から積極財政への明確な転換でした。経済構造改革は、日本の将来のために避けて通れない道なのですが、その前に経済が破綻してしまってはどうにもならないという現実的な判断が、小渕政権の基本的な考え方だったのです。
国会での野党勢力の攻撃や先行きの見えない景気の低迷から、マスコミは小渕内閣は船出してすぐに難破する可能性が濃厚と予想しました。国会運営ですぐに行き詰まって、短期政権になるだろうとの見方でした。しかし、この予想は外れ、金融危機をなんとかしのいだ小渕政権は、翌平成十一年になると尻上がりに好調になり、長期政権の雰囲気が強くなっていきます。しかしそれは後のことです。
八月三十一日には北朝鮮が先のノドンに続いてさらに長距離型のミサイル、テポドンの発射実験を行い、日本国民に脅威を与えました。テポドンは日本列島を飛び越えて三陸沖の太平洋に落下したのでした。衆参両院は即座に北朝鮮を非難する決議を行い、政府は直ちにKEDOへの拠出凍結などの制裁措置を決定しましたが、北朝鮮の脅威は、経済不況に覆われる日本にさらに暗い影を落としました。小渕首相は九月二十日から二十三日にかけて国連総会出席のため訪れたニューヨークでクリントン米大統領と会談し、日米韓が緊密に連携して中国やロシアなどの協力に協力を求め、北朝鮮の核とミサイルの開発を阻止していく方針を確認しました。
「金融国会」と名付けられた臨時国会は、金融再生法案の論議に日本長期信用銀行の救済問題が絡んだことから与党側に疑心暗鬼がつのり混迷しました。しかし、政府と自民党は一丸となって民主党、社民党、自由党、新党平和(十一月に参院の公明と合流して公明党)などとの協議に乗り出しました。ほとんど寝る間もない折衝の連続で、「政策新人類」などと呼ばれた金融システムを懸命に勉強した中堅・若手議員らの活躍も目立ちました。論議は破綻前の金融機関に公的資金を投入することの是非などが焦点でした。
十月五日には東京証券株式市場の平均株価が一万三千円を割り込み、その前日の主要国蔵相・中央銀行総裁会議(G7)は、日本に破綻前の金融機関への公的資金投入を求める異例の声明を発表しました。そうした中、小渕首相は野党党首との直談判で事態の打開を図ることを決意、各党との個別会談が行われ、十月十二日には金融再生法が、続いて臨時国会会期末ぎりぎりの同月十六日には、金融機能早期健全化法がそれぞれ成立したのです。
それは、破綻を免れない金融機関を公的管理(事実上の国有化)に移行するシステムとともに、破綻を救うために六十兆円の公的資金投入の枠組みを設定するという画期的な内容でした。この法律に基づき、長銀が特別公的管理の申請を行ったのは、国会閉幕から一週間後の十月二十三日のことでした。続けて、同じシステムによって、年末には日本債権信用銀行も特別公的管理に移行します。法律が整備されたことで、そうした大手金融機関の事実上の破綻にもかかわらず、前年の山一証券の自主廃業のような衝撃は経済界には薄く、世界と日本の金融市場は不安を残しながらも一息ついたのでした。
金融危機対策に一区切りをつけた小渕政権は、十月三十日に宮沢蔵相が「新宮沢構想」と呼ばれる三百億ドルのアジア救済プランを発表、十一月十六日には十七兆九千億円の緊急経済対策を決定して景気テコ入れのために思い切った施策をとりました。さらに年末には、内需拡大を目指した八十一兆円にのぼる平成十一年度予算を組み、内外になんとしても景気を上向かせるという小渕政権の強い決意を明らかにしたのでした。
その間、防衛庁の調達実施本部などの背任・証拠隠滅事件が拡大し、その責任をとって額賀福志郎防衛庁長官が辞任するなどの不測の事態もありました。しかし、小渕首相は「金融国会」に足を縛られながらも、外交でも手は抜かず頑張りました。
十月始めには金大中韓国大統領が来日し、小渕首相とともに「二十一世紀に向けたパートナーシップ」を目指す「共同宣言」に署名しました。日韓両国はこれまで、過去の歴史を巡る「お詫び」の文言をめぐってぎくしゃくする後ろ向きの関係が続いていましたが、金大統領と小渕首相の首脳会談によって、そうした問題に一区切りをつけ、前向きの関係に転換したのです。首相は翌十一年三月に今度はこちらから韓国を訪問、前向きの関係をさらに強固なものにすることに成功します。
十一月初旬にロシアを訪問した小渕首相は、橋本前首相と外相次代に自らが連携して敷いた北方領土問題解決へ向けての交渉をさらに一歩前進させました。「国境画定委員会」を設置し、二〇〇〇年までの平和条約締結に全力を尽くすことをうたった「モスクワ宣言」に首相とエリツィン大統領が署名したのです。ただ、その後、大統領の病状が悪化したのと、ロシアの政局が安定せず、それ以上の進展がみられないのは残念なことです。
同月下旬には、クリントン米大統領が来日し、北朝鮮や沖縄の米軍基地問題について、小渕首相と突っ込んだ話し合いをしました。十一月十五日に投・開票された沖縄知事選で、自民党県連が推した稲嶺恵一氏が当選、それまでの日米安保条約に非協力的姿勢だった県政が現実路線に転換され、基地問題解決に明るい見通しが出ていました。こうした経過が、翌十一年四月の九州・沖縄サミット(主要国首脳会議、平成十二年)開催決定という勇断に結びついていったのです。日本でのサミットはそれまで首都・東京以外で開かれたことはありません。
中国の江沢民国家主席が来日したのは、それから間もなくの十一月二十六日のことです。ただ主席は、首脳会談や演説のたびに「日本の侵略の歴史」や「過去の清算」など、中国の立場を強調したので、小渕首相はそうした非生産的な関係を転換したいという日本の姿勢を示しました。首相は翌年七月に中国を訪問しますが、このときは江主席ら中国側首脳の姿勢も変わり、佐渡ヶ島に絶滅したトキの成鳥を贈られるなど、友好関係促進が確認されます。対中国外交は、ロシアほどではないにしても、小渕首相にとっては汗をかきながらの仕事でした。
このほか、首相は十年十二月のベトナム訪問(ASEAN首脳会議)、十一年一月のフランス、ドイツ、イタリア歴訪、二月の故フセイン・ヨルダン国王葬儀出席、六月のドイツ・ケルンでの主要国首脳会議(サミット)出席など、首相就任から一年の間に、多彩な外交を展開しました。
小渕首相、野中官房長官、自民党執行部は、政権発足直後から、参院過半数割れの政権基盤を強固にする方策を模索していました。その努力が、具体的になるのは四か月後、十年十一月になってからでした。同月十九日に小渕首相と小沢一郎党首が会談して合意が成立、通常国会召集を目前にした十一年一月十四日に、自民、自由の連立内閣が発足しました。小渕首相は内閣改造を行い、自由党から野田毅氏を自治相に迎えました。
平成十二年通常国会で、小渕連立政権は歴史に残る成果を次々と挙げていきました。自民、自由の連携に加え、公明党との協調関係が功を奏したといえます。
まず、平成十二年度予算は三月十七日、戦後最速で成立し、景気の低迷に苦しむ国民から歓迎されました。五月七日には情報公開法、同月二十四日には懸案だった新たな日米防衛協力の指針(ガイドライン)関連法が成立しました。ガイドライン関連法は、日本の安全保障に影響のある「周辺事態」が発生し、米軍が出動した際に日本が行う後方支援の具体的在り方を決めた法律で、日米安保条約の足りない部分を埋める画期的な内容です。
さらに、国会会期が延長された後の七月八日には、中央省庁改革関連法案と地方分権一括法案が成立、時代にあわなくなったわが国の行政システムが二〇〇一年から抜本的に改革されることが確定しました。同月二十六日には、閣僚に代わって国会で答弁する政府委員制度の廃止や副大臣・大臣政務官制度と党首討論制度を導入する国会活性化法、二十九日には衆参両院に憲法調査会を設置する改正国会法も成立しました。ともに、討論の空洞化の指摘があった国会の在り方を一新させるものですが、特に憲法調査会設置は新しい時代にふさわしい憲法のあり方を追求する論議が期待されます。
八月九日に成立した日の丸を国旗とし君が代を国歌と規定する国旗・国歌法も特筆に値します。これは、卒業式での国旗・国歌の扱いをめぐって広島県で起きた高校校長自殺事件を契機に、小渕首相や野中官房長官が法制化を決断したのです。これで日本人は世界各国と同じように胸をはって日の丸を掲げ、君が代を斉唱できるようになりました。
小渕首相の功績としては十一年三月二十三日に発生した北朝鮮工作船の能登半島沖領海侵入事件での、初めての海上自衛隊に対する海上警備行動の発令も挙げておく必要があるでしょう。首相の決断が、領海侵犯に断固として対応するという日本の姿勢を改めて内外に示したのです。
四月の統一地方選では、東京都知事選で無所属の石原慎太郎氏が自民党、公明党、自由党などが推薦した候補を破るなど、都市部ではまだ無党派といわれる有権者が少なくない状況が続いたものの、全体として見れば、地方におけるわが党の基盤がしっかりしたものであることを示したと言える選挙結果でした。
わが国の経済は「経済再生」を掲げる小渕政権の全力投球の姿勢が着実に景気回復の方向をもたらし、失業率が高めに推移する状態は続いていたものの、十二年一〜三月期の国内総生産は前年比一・九%の大幅なプラス成長でした。七月三十日に政権発足一周年を迎えた小渕政権は、苦しかったスタート時点では予想もつかなかった好成績をあげていきました。
小渕総裁は前総裁の任期を引き継いだものであったため、九月九日に総裁選挙が告示され、小渕恵三総裁、加藤紘一前幹事長、山崎拓前政務調査会長が立候補しました。党員・党友投票の開票と党所属国会議員の投開票は二十一日に行われ、小渕候補三百五十票、加藤候補百十三票、山崎候補五十一票で、小渕総裁が再選されました。
なお、党員・党友の票は今回も一万票を一票として計算され(百の位以下切り捨て、千の位を四捨五入)、これが「党員算定票」として、国会議員票と合算されました。党員・党友の有権者は二百九十一万一千五百十九人で、投票率は四九・三二%でした。 
 
森喜朗

 

2000年4月5日-2000年7月4日(91日)
2000年7月4日-2001年4月26日(297日)
2000年4月5日、3日前に脳梗塞で倒れ緊急入院した小渕恵三首相の後を継ぐ形で内閣総理大臣に就任した。清和会議員の総理総裁就任は福田赳夫以来22年ぶりであった。このときの連立与党は自民党、公明党、保守党であり、メディア等では「自公保」と略称した。
森の首相就任は、当時の自民党有力議員5人(森喜朗本人、青木幹雄、村上正邦、野中広務、亀井静香)が密室で談合して決めたのではないかと疑惑を持たれている(森や自民党の立場からは「マスコミが密室と言いたがる」と主張している)。
前任者の急死による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという。
なお、政策では小渕政権の政治目標を継承することを重視し、小渕が学生時代から取り組んでいた沖縄問題の一つの到達点と目していた沖縄サミットを完遂や、小渕が望んでやまなかった景気回復を目指した。この他対ロシア外交、教育基本法問題なども小渕と森が最後に話をした4月1日に政治課題として意識していたし、対アフリカ外交についても小渕が計画していたものであるとの指摘がある。
また、所信表明直後に前から予定されていた医師の診断を受けたところ前立腺にガンが発見された(後述)。そのため数々の「失言」が槍玉に挙がって批判がヒートアップする前から自分の政権は短命であると自覚しており、「何かきちんとのこさないといけないと思った」という。4年後の論座での証言では癌を理由に「就任時から1年で辞めることを決めていた」と述べた。癌であることが発覚すると首相が二代連続して健康問題に晒されることになるため、森は抗がん剤で症状を抑えつつガン告知を黙ったまま首相を務めることにしたが、論座編集部は『自民党と政権交代』のあとがきで指導者という地位が持つ孤独性として印象的であると述べている。『自民党と政権交代』では辞意についてはプーチンと2001年3月にイルクーツクで行った会談で伝えたのが最初であった。だが、その半年ほど前に『文藝春秋』でのインタビューにて小渕恵三から引き継いだ政治課題を達成したら総理を辞めてもよい旨を語っている。
なお、総裁選を経て首相となった小渕についてはマスコミを絡めて「小渕さんも随分口汚く罵られていましたよね。マスコミ攻撃までも引き継いでしまったようでした」と語っている。また、この不規則登板の中終始バックアップしてくれた人物として政調会長の任にあった亀井静香を挙げ、首相辞任の際に「本当のことを言えず、彼のポストの手伝いも出来なかった」と述べている。 
資質
就任早々、あいさつまわりに訪れた橋本龍太郎元首相の事務所で、「首相動静」について「ああいうのはウソを言ってもいいんだろ」と発言した(真意は後述)。マスコミの抗議に対して森は平身低頭の態度を取らなかったため、マスコミの態度も硬化していった。
2000年5月15日、「日本は天皇を中心とした神の国」と発言し、大きな波紋を呼ぶ(神の国発言)。民主党はこれに対し「日本は神の国?いいえ、民の国です」と批判するCMを打った。6月の「無党派層は寝ていてくれればいい」発言や、10月にイギリス・ブレア首相との会談における「北朝鮮による日本人拉致被害者を第三国で行方不明者として発見する案の暴露」など数々の発言で、「首相としての資質に欠ける」との批判が各層から噴出した。
歴代内閣総理大臣の中で、森ほどマスコミが発言に対する批判を集中した例はなく、ついには総理の資質に欠けるとまでされた。総理大臣官邸での公式記者会見時、総理番記者が森に対し「今問われているのは総理の資質だと思うのですが?」という異例の質問をしたこともあった。
これを見かねた政治評論家の三宅久之が衆議院選挙の後、森に「世論の動向を的確に把握する為にも、誰かスタッフを置いたらいかがですか」と手紙を送った。それにより中村慶一郎が広報担当として内閣官房参与という形で加わり、内閣広報官の宮脇磊介と協力して仕事をすることとなった。しかし、「官邸が大部屋方式ではない」「広報官は内閣記者会の窓口に過ぎず政府の広報面での政策形成に関与していない」など組織運営上の問題から、十分な目的は達せられなかった。中村は、マスコミの質問の仕方にも大きな問題があり、森のマスコミ批判と同じく針小棒大で失言を作り出すことを指摘し「紅衛兵」と揶揄している。また、朝日新聞について「内閣改造の際、テレビ受けを狙い、全閣僚に靖国公式参拝の是非を質問して限られた質問時間を浪費した」と批判した。当時の「ぶら下がり」担当の記者は首相が歩くのについていきながら質問するスタイルだった(小泉政権より場所を決めて質問を受けるスタイルとなる)ことについても、「金魚の排泄物」と評している。警察庁出身の秘書官は、李登輝訪日ビザ発給の理由を執拗に聞き続けたある記者の態度を見かね、首相が公邸に入った後に平手打ちを見舞った。中村は、「実力行使は良くないが、憤懣を溜めるような横柄な姿勢を取り続けた記者に原因がある」旨を述べた。
官房長官の交代
2000年10月27日、第2次森内閣で内閣官房長官に就任したばかりの中川秀直が愛人問題や右翼幹部との交際、警察情報漏洩などのスキャンダルで辞任。後任には当時森派の派閥会長だった小泉純一郎から推された福田康夫が就任した。閣僚経験皆無での起用には疑問の声もあったが、森が頻繁にマスコミの批判を浴び、その度に福田が火消しに回る、という構図ができあがるにつれ、その執務能力の高さが明らかになった。福田は、後の小泉純一郎内閣も含めると内閣官房長官在任日数歴代最長となった。
加藤の乱
2000年11月21日、衆議院本会議において森内閣不信任決議案が野党から提出された。当時宏池会会長で自民党の次期総裁候補の一人と目されていた加藤紘一は、森不信任は国民の多数が支持すると考え、YKKの盟友、山崎拓とともに、それぞれ自派を率い党の方針に反して本会議を欠席した。このとき、加藤は渡邊恒雄と自民党重鎮等が集まる懇談に出席した際、政権内の内閣参与である中村慶一郎が居る前で反乱の意向を明らかにしたためこの情報は直ちに森に筒抜けとなった。YKKの残る1人で、森派会長を勤めていた小泉純一郎は率先して加藤の倒閣の動きを党内で拡散して加藤に近い若手の動きを牽制、野中広務らも猛烈な切り崩し工作を展開した。結果、宏池会で加藤に従った者は一部に留まり、内閣不信任決議案は否決された。
えひめ丸事件
2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事件」が発生した。森は第一報が入ったときゴルフ場におり、連絡はSPの携帯電話を通じて入った。衝突により日本人が多数海に投げ出されたことや、相手がアメリカ軍であることも判明していたが、森は第二報のあとの第三報が入るまで1時間半の間プレーを続け、これが危機管理意識上問題とされた。国会でも採り上げられ、詳細が議事録に残っている。
午前10時50分に第一報を受けたあと午後0時20分の第三報まで、3ホールを回ったとのことである。森の主張によると、えひめ丸事件の一報が入った時、ある関係者から直ぐにはその場を離れないように言われたのでゴルフ場で待機していたとのことである。連絡は携帯電話を通して伝えられた。この事件の報道で森のゴルフプレイ姿が繰り返し放送されたため悪印象が増幅した(ただし、この映像は当日とは別の、夏の日に撮影されたものである。マスコミにこのことを問いただされた森が「プライベートだ」と答えたことで批判は拡大した。当日プレーしていたゴルフ場(戸塚カントリー倶楽部)の会員権は知人から無償で借り受けて自分名義としており、このことも批判を増幅させた。ただし、岡崎久彦のように「ゴルフであと三ホール回ったから「資質」がないという。何と低次元の話だろう」とマスコミ批判が新聞に載ったこともある。
事故を起こしたアメリカ側はブッシュ大統領が「事故の責任は全てアメリカにある」と謝罪。マスコミはこれを異例の素早い対応と評価、日本の事後処理の印象を一層悪いものとした。
佐々淳行は、2001年2月14日に自身のHPのコーナー『危機管理小論』にて「えひめ丸・米潜水艦衝突事故と危機管理」という小論文を掲載し森政権の対応について議論している。また、2004年に出版した著書『重大事件に学ぶ「危機管理」』などにて、この時の森の対応に関して述べている。それらによれば「危機管理には総理が陣頭指揮すべき『クライシス・マネイジメント』と、各省庁が国家行政組織法の定めに基づき対処すべき『インシデント・マネイジメント(事件処理)』と『アクシデント・マネイジメント(事故処理)』とがある。(えひめ丸事故が大きな国際的事故であったとしても)すべて総理の責任とするのは日本の法制上から言って誤りである。日米安保条約と日米外交問題は外務省所管だが、一般論から言えば海難事故は国土交通省とその指揮下にある海上保安庁の所管であり、「えひめ丸」が水産高校の実習船であることを考えると文部科学省の所管でもある。このように責任官庁が複合するようなときは、指揮命令系統の統一のために内閣官房を所管とする安全保障会議を開催するのが常道であって、外務省が動いた後に所管は内閣官房に移るので、森総理はゴルフ場からでもひと言「所管大臣は官房長官」と指示しておくだけでよかった。森総理が言うとおり、「えひめ丸」の衝突は事故であるが「総理の危機管理」ではない。さらに、森総理は早く戻ってきた方で、私の経験からすればもっと狼狽した総理はたくさんおられる」と危機管理の責任上の面から森を擁護している(これは岡崎も上記産経新聞にて指摘していることで、村山富市の阪神大震災時の対応と比較している)。もっとも佐々は同じ著書で「総理自身の言動が、『事故』であった一件を『危機』にまで増幅させてしまった。」とも述べている。また、実際の第一次対処をする部局の一つである、防衛官僚の参集が早かったことも評価した。佐々は別の著書『後藤田正晴と12人の総理たち』では「後藤田が森を庇っていた」とも書いており、米軍に謝罪、賠償などへの迅速な協力を提案したのも佐々などの日本サイドであり、ブッシュ政権はそれをすぐに実行したと言う。
支持率
上記のいきさつにより就任当初はそれなりの支持があったものの、「失言」が報じられると支持率は急降下した。任期を通して内閣支持率は低く、マスコミなどではこうした低い支持率などを揶揄して森政権の事を「蜃気楼内閣」(森喜朗の音読み、シンキロウにかけた洒落)と揶揄する事もあった。また、民主党の鳩山由紀夫からは「(支持率が)消費税(5%)並みになった」と揶揄された。政権末期には一部新聞が一面トップで「退陣の公算」と報じたことが退陣の流れを導いたとも言われる(新聞辞令)。2001年4月26日、就任からちょうど1年で首相を退任した。後継総理総裁は自派閥出身の小泉純一郎になった。発足当初の小泉内閣の支持率は80%を超える史上最高記録を樹立したが、その背景には先代の森内閣の不人気ぶりの反動があったとする見方もある。
メディアへの反論
首相動静について「嘘を言ってもいいんだろ」と言う発言の全体は「起床や就寝の時間については嘘を言ってもいいんだろう」である。これは、実際番記者がいい加減な動静を報じていたことによる。この発言の背景として、就任当初は小渕が病床にあり、小渕の家族も公邸からの引越しどころではなかったため、森は7月頃までは私邸から通っていたことがある。番記者はそれを追いかけていたが、深夜、早朝は時事、共同の代表取材であった。だが、森によれば「彼らは、自分たちでちっとも努力をしないのに、形だけにはこだわる」と言う。起床、就寝時間もいちいち確認に来るが、『新潮45』に書いたところによれば「私はいつも二時頃までは起きていて家人を先に休ませるから、家人に私の寝る時間がわかるわけがない」状態だった。『経営塾』のインタビューでは「寝た人がどうして伝えられるんですか」と述べている。根本的な問題として「私の寝る時間が国政とどんな関係があるのか」とも書いている。実際には夫人の千恵子が「じゃあ○時ということにしてください」と、記者達にとりなしていた。「自分たちが早く帰りたいものだから、十一時半に帰って来たら、十五分後に「何時にお休みでしょうか」と訊ねてきたこともあった」ため、彼らにも気の毒になり、半ば番記者たちのことを思って橋本龍太郎との会話で「嘘を言っても〜」という発言したところ、「嘘をついていい」と報じられたという。また、森が重要人物と会う際に、見つからないように官邸でなく公邸で会うことにしていたのも一因だった。記者たちはこうしたことを全て見落としており、首相動静には本当のことは出ていなかったと言う。
言葉狩りについても森は批判している。地元に帰って挨拶をした際「まもなく総選挙だが、私はなかなか帰れないので、銃後のことをよろしく頼みます」と述べたところ、朝日新聞などが「戦争用語を使うとは何事か」とバッシングした。「出陣式」「必勝祈願」と言った言葉は選挙の際には常套句であるため、森は「こうした言葉は単なる比喩に過ぎない」と述べている。また、「銃後」という言葉の意味も、書き方も知らない記者もいたという。
「幹事長時代は新聞社やテレビ局でも対談の申し込みがあれば受けていた」が、首相時代はそれが簡単にできない仕組みになっていた事を森は語っている。たとえばテレビで直接話す(なお、アメリカの場合は炉辺談話の頃からこの種の対話は行われている)場合、『総理が語る』という番組が慣習的に制作されてきたが、この番組の放映はNHKと主要民放計7局による輪番制であり、「2ヶ月に1度行っても1年に1度ひとつの局を回るかどうか」と述べている。さらにこの種の番組の放送前には必ず新聞社との間でグループインタビューが必要というカルテルがあり、制約となっていた。さらに『総理が語る』は視聴率が取れないため、放映時間帯も大半は条件が悪く、且つ日本マスコミには「首相が出演する単独企画はしない」という申し合わせも存在すると言う。田原総一朗は『サンデープロジェクト』にて「森さん、電話をかけてくれ」と呼びかけたが、前任者の小渕がテレビ朝日に電話をかけた際、同社は協定破りで記者会で処分を受けており、首相がかけられないことを分かっての呼びかけであった。そのため森は電話に出ないでいたが、「逃げている」と思われて色々なところから自宅に電話がかかり、最後には電話が壊れたという。なお、後述のように首相辞任後は雑誌の対談などにも幾つも応じている。
料亭通いについても批判された。この件については、林真理子との週刊朝日での対談にて日本テレビや読売グループの首脳も料亭通いの常連であることを挙げている他、別の雑誌では「細川総理の頃から、料亭がよくないというようになってしまった。細川さんは、会合には料亭ではなくホテルを使う、といっていたけれど、ホテルのほうが機密性が高い。料亭のほうが、障子があったり、襖があったり、外に音も洩れるから、秘密めいた話なんかできませんよ。」と述べ、料亭に付随する芸者を入れての宴会というイメージについても否定し、畳の消費量は石川県と富山県が日本でも多く、食器に使われる九谷焼や輪島塗などの焼き物、加賀友禅のような着物など、自身の出身地である北陸に根付いた日本文化を支える産業を賞賛している。
森は「本来ならもっと重要な話題は沢山ある」と述べている。その一例として、2000年秋に原油価格の値上がりが問題となっていた際、イランのハタミ大統領が来日し、アサデガン油田の優先交渉権を獲得した件を挙げている。背景として2000年2月にアラビア石油がカフジ油田に持っていた権益が失効しており、森内閣に切り替わった春頃より、日本側は新油田の獲得に向け交渉を加速させていた。この件について、日経とNHKは扱いがあったが民放は報道に消極的で、官房長官を辞任した中川秀直が右翼と酒を飲んでいるという映像の放送に注力していた件を挙げている。
アフリカを歴訪した際は日本の新聞に「正月から名刺でも配りに行くのか」と揶揄されるなどと批判され、歴訪の意義についてはCNNの方が先に注目したと言う。また、訪問先の内ケニアでは自然公園と難民キャンプが訪問先に入っていたが、次のようなエピソードを語って苦言を呈している。自然公園を訪れた際にはたまたま象が居なくて案内係が萎縮していた。その案内係のネクタイには象の絵が描かれていたため、森は「象が居ないはずですよ。あなたのネクタイの中にみんな集まっているのですから」とジョークを言って場を収めた。しかし翌日の日本の新聞は「軽口を叩いた」と批判した。難民キャンプを訪れた際に、マラリアに罹っている乳児を母親が注射をしてもらいに来ていた。森が患者達と話しているとマスコミは患者や母親を蹴飛ばすように動き回り、苦しんでいる患者の周囲で平然とカメラを回し続けた。森は無作法さにいたたまれなくなり、「報道陣は出て行ってください」と言った。マスコミがこの一件を「森が怒鳴りつけて摩擦を起こした」ように報じたため、森は後で「私の悪いところは書きたければ書けばいい。しかし、記者である前に日本人であれ。相手国に対して礼を失しないように書いてほしい」と苦言を呈した。森がアフリカ歴訪から日本に帰国したのは2001年1月15日だった。帰国直後ということもあり、1月17日早朝の阪神大震災記念式典には欠席した。このことを新聞は被災者の孤独死を挙げて「後ろめたくないのか」と批判した。早坂茂三は森との対談の中で、自分にもコメントを求める電話がかかってきたが、国土交通相や防災担当相が出席していることを挙げて弁護した旨を述べている。
2001年1月末にスイスで開かれたダボス会議についても、歴代の首相は予算委員会と重なるため出席見合わせが続いていた。森は経済面の重要性から出席を決めてハードスケジュールを組みチューリヒに飛んだ。飛行機の到着は夜となり、車でリゾート地であるダボスの会議場に行くと3時間かかり、ヘリも飛ばせなかったため、その日はチューリヒで一泊した。マスコミは「ダボスのパーティをサボり、チューリヒで食事をしていた」と批判した。会議出席後、所感について語りたかったが、ぶら下がり記者からの質問はなかったという。
えひめ丸事件でゴルフを批判された。このときの背景についても森によれば次のような事情があった。元々事件の一報が入った2月10日は群馬にある福田赳夫の墓参りをする予定だったが警備の都合で取り止めとなった。当時は予算委員会などの対応で官邸スタッフは疲労しており、森は取り止めで予定が空いたのを、皆を休養させる機会と考え、自身もゴルフに行くことを決めた。場所は東京から近いところを条件とし、4、5年行ってなかった戸塚に決めた。その日に事件が発生したが、森のゴルフ批判の際に使われたのは上述のように、事件当時の映像ではなく夏に撮影されたものであった。それを見た森は「マスメディアが私のイメージを落とそうと、総がかりで襲ってきたな」と感じ、「マスコミがつくりだす「世論」にはもう抗えない」と認識した。そのため、辞任を決めた最も直接のきっかけはえひめ丸事件だという。もっとも、森は運命論を信じる面があり、就任の時も辞任の時も「運命だな」と思ったという。また、事件前に妻の千恵子は次のように語っている。「主人はああ見えて、総理になって少し痩せました。いまは体重95キロぐらいじゃないでしょうか。ワイシャツの襟がダブダブになりました。ああやっぱり、この人でも痩せるんだわ、と思いましたけど。健康についてはやはり心配で、ゴルフを唯一の楽しみにしていた主人がとてもそんな時間などなくて「足の筋肉がおとろえてきたなあ」などと足をさすっているのを見ると、「家の中でウォーキングマシンでもやったら」と主人にいったんですが、主人に「そんなことしている時間があるか」と言われました。やはり心配ですね」
いわゆる新聞辞令についても森は批判している。批判の対象は朝日新聞が2001年3月7日に「森首相、辞意固める」と報じたことであった。その日は日米首脳会談の日取りが正式発表される日だったが、この報道で仕切り直しになったという。森は伝聞と断った上でその朝刊を朝日のワシントン支局の幹部がホワイトハウス関係者に持っていき、ブッシュ新大統領(当時)と合わせないように工作していたという趣旨の説を紹介し、「国益に関わることだ。総理を辞めさせるための世論操作を一商業誌がやってよいのだろうか」「三月十三日の党大会で、何らかの意思表示をする腹はすでに固めていた。しかし自らの進退を一新聞に指図されるいわれはない」と批判しており、下記のように訪米を実行した。
虚偽報道
マスメディアや世論による森および森政権への批判の中には行き過ぎて事実と異なる内容のものもある。
2000年5月、アメリカ大統領ビル・クリントンとの会談で出鱈目な英語の挨拶を行ったという報道が、7月末開催の九州・沖縄サミットへの揶揄と併せて、株式新聞、フライデー、週刊文春により報じられた。なお、週刊朝日はこの話に当初から懐疑的であった。事実は毎日新聞論説委員高畑昭男による創作であり、森はこのデマを批判している。
森政権時代より小泉政権にかけて政治評論家の森田実と福岡政行はたびたび対談を行い、「森のせいで総選挙によって自民党が下野する」「自民が200議席を割る」「連立政権が過半数を失う」などといった予想を繰り返した。しかし第42回衆議院議員総選挙、第19回参議院議員通常選挙の選挙結果は異なり、彼らの予測は外れた。
首相辞任直前、日本テレビのある番組にて、あるコメンテーターが行政評論家の肩書きで「何故総理は辞意表明をしたのにやめないのか」と題して、後何日か続けると退職金が700万円になるからその金目当てではないかと解説した。夫人の森智恵子はテレビをつけたところこの番組の解説が目に入ったため激怒し、日本テレビに抗議の電話をした。驚いた日本テレビは局内で検討した後森に確認の電話をかけた。なお、実際の退職金は約143万円であり、日本テレビの誤報であった。日本テレビは全面的に非を認め、森に謝罪を申し入れた。
日経平均株価についても、森政権発足時には2万円前後で推移していたものが2001年初頭には12000〜13000円台まで下落したため、辞任前に批判がなされた。田原総一朗は「森が辞めれば株価は5000円上がる」と主張した。鳩山由紀夫、菅直人なども同様の主張をおこない、国会で株価にも言及した。後年、森は小泉政権下でも株価が下落を続けたことを挙げ、小泉政権下の経済政策については担当閣僚間の意見の違いや省益固執にも理由がある旨を述べ、この時は自民党が勢力を得ていたこともあり、内閣改造は構造改革より経済の建て直しを優先するチャンスだという見解をとった。  
活動
組織
小渕急死の教訓から内閣法9条に基づき、首相臨時代理として5閣僚を指定し、危機管理対策をとった。順番は官房長官を内閣を統括し、総理と一心同体になって国政に関わるという理由から筆頭とし、2番目以降は当時の閣僚歴、議員歴、所属政党を考慮したと述べている。
口蹄疫
南九州で発生した口蹄疫問題の処理を小渕政権から引継いだ。上記のように政治の混乱を最小限に抑えるという森をはじめとする五人組の意向のため閣僚は軒並み留任しており、農林水産大臣で自派の玉澤徳一郎も同様であった。この時は農水省の他、現地家畜保健衛生所、宮崎県庁、北海道庁、農林水産省畜産局衛生課などに口蹄疫防疫対策本部が設立され、組織検査の結果で陽性と出た日の自民党農林部会には、「畜産三羽ガラス」と呼ばれた江藤隆美(宮崎選出)、堀之内久男(宮崎選出)、山中貞則(鹿児島選出)が出席、江藤は農林省幹部に「口蹄疫は火事みたいなもんなんだから、ぼやのうちに消さないと大変なことになるぞ。こんなときは100億円つけますとか言わなきゃダメなんだよ」と叱咤した。その翌日、農林省は旧畜産振興事業団が牛肉・オレンジ輸入自由化交渉で使った資金の残金を投入することを決定し、「カネのことは気にせずにやれることはすべてやれ」との号令の下直ちにワクチン手配が実施された。そのため小規模な被害で伝染を押さえ込んで短期間で終息に持ち込んでいる。当時は短期間で収束させたという事実だけが伝えられたが、それから10年後、2010年日本における口蹄疫の流行で後手に回って大きな損害を出したことから、組織再編などで現場に負荷をかけなかった小渕、森政権の迅速な対応が一部で回顧されており、『日経ビジネス』は「農水相は族議員が大半「ずぶの素人には無理」」などと小見出しをつけて批判した。森自身は4月の「太平洋・島サミット」のレセプションで口蹄疫に触れたり、宮崎牛を食すなどしてイメージ回復に努めている。  
外交
サミットの完遂
小渕の遺志を継ぐとの目標通り沖縄サミットを無事開催した。この中で太平洋戦争時の対戦国であるアメリカ大統領のクリントンが中東和平交渉のからみで欠席の動きを見せたときも熱心に交渉し、沖縄戦の犠牲者の名を刻んだ平和の礎の前でクリントンに演説をさせることが出来た。
アフリカ
アフリカ歴訪を行った日本国首相は森が最初であるが、アフリカ外交は小渕が外相時代に計画したものを発展的に引き継いだものであるとの指摘がある。森は、沖縄サミットの前に各国首脳が東京に立ち寄る際を利用してアフリカ首脳を交えた会談の場を設けることを発案し、3カ国の首脳の訪日が実現させて歴訪の下地を作った。外務省は歴訪に乗り気ではなかったが森が強い意思を通す形で実現した。対露、対印外交と並び、アフリカ外交は首相辞任後も森のライフワークとなっている。首相辞任後に述べたことだが、自民党自体はアフリカへの外遊頻度で野党に抜かれることがある点を指摘しており、野党への対抗の意味も込めて訪問を続けている。
インド
後年『月刊自由民主』で語ったところによれば、2000年8月の訪印についても最初外務省は良い顔をしなかったという。しかしIT革命を推進する中で有識者に話を聞いたところ、同国がIT産業の集積地として成長著しかったことを知ったことがきっかけのひとつであった。森はその頃インドは親日度が高いという調査結果も読んでおり、そのような国に対して国内の関心がいまひとつであったことへの対策として、訪印に返礼の意味を含ませた。また、同国が民主的傾向の強い国家であることから、同じ大人口を有しながら一党独裁である中国に対抗して協力関係を構築するための一手であった。インドについても、辞任後も重ねて訪問しており、インドの関係者の訪日時も応対している。本人の言では「日本がもし何もアクションを起こさないでいる間に、アメリカが頭越しにインドへ行っていたら、丁度ニクソンの訪中と同じことになったんじゃないかな」「あれ以来、インドの国会議員にどれだけ会ったかな。この5年間ぐらいの間にありとあらゆる経済団体や国会議員が日本にみえました」とのこと。また同時に1990年代末のパキスタンとの核開発競争で両国が緊迫し、日本を含む先進各国が経済制裁を課す中、矛を収めることと経済封鎖の解除を取引材料に交渉し、パキスタンに対してもこの目的で訪問している。結果、両国から「CTBTの発効まで核実験を凍結する」という同意を引き出した。インドについては2001年の春頃より制裁解除に向けた準備を進めていたがアメリカ同時多発テロ事件後、各国が続々経済制裁を解除する中で、日本も2001年10月26日に援助を再開したが、それに合わせて小泉首相の特使として訪印しパジパイ首相(当時)と会談している。後年、上海協力機構のオブザーバにパキスタンが参加し、戦略的に中国の側に大別されてしまったことを挙げて、「友好関係」を示していくことの重要性を指摘している。
太平洋諸国
太平洋の島嶼国に対しても、親日的傾向と小国ながら国連では一票を持っていること着目して積極的に外交関係拡大に努めた。辞任後特派大使としてパラオに出向いた際には、途中立ち寄ったグアムとパラオにて太平洋戦争の戦没者の為献花を行った。
中国
2000年10月、中華人民共和国の総理であった朱鎔基が来日する際、記者会見で次のようなメリハリをつけた。つまり、経済協力は開発の遅れている西部大開発に重きを置くこと、IT分野での協力について「日中IT総合展示会」などを挙げた。一方で、朱が試乗まで行なう熱心さを示した山梨実験線のリニアモーターカーについて、記者からドイツと同じく中国に実験線を建設する気は無いか問われた際には、当時コストダウンや長期耐久性に課題があったため、これを理由として「別途海外において実験線を建設しえる状況ではない」と回答した会談では北京・上海間の高速鉄道の方については21世紀のシンボルとしたいと答えた。
中華人民共和国に対してはこれも前任の小渕政権と同じく冷ややかな反応であった。1990年代に入って徐々に高まっていったODA批判に対応し、2000年5月外務省経済協力局長の私的懇談会扱いで「二十一世紀に向けた対中経済協力のあり方に関する懇談会」を設けた。懇談会は2000年12月28日に提言を出し、対中ODAの特別優遇措置を取り消し、ODAを戦略的に運用する旨、6項目の重点課題を挙げた。この背景としては提言にもあるように、中国脅威論の隆盛があり、中華民国政治大学の柯玉枝は、日本の二国間援助額で1、2位を争う程に成長したにもかかわらず、同国が巨額の軍事費を支出したり、中国自身がアフリカへ援助を行い減免した例も指摘されたこと、それらを日本のマスメディアが報じたことにより国民の関心を引くようになり、国民の意向を無視できなくなったことなどが挙げられているが、同時に1990年代の同国の核実験に抗議して日本がODAの無償援助を凍結した際に、中国には何の外交的効果も発揮しなかった事例を引き合いに、「日本の国際政治の無能さを浮き彫りにさせた」と指摘し、「ODAという外交手段で中国の内外政策を制約またはコントロールしようとすることは、極めて達成しがたい」と指摘している。
韓国
2000年にソウルで開催されたアジア欧州会合(ASEM)首脳会議で、日韓トンネルの共同建設を韓国側に提案した。
アメリカ
クリントン政権時の2000年10月、オルブライト国務長官(当時)訪朝前に、米政府が北朝鮮のテロ支援国指定解除を真剣に検討、解除に極めて近い状況だった際に、日本政府としては拉致問題等を理由に指定解除の阻止を図っていたことが分かっているなお、マスゲームの歓待を賞賛したことが引き金となってオルブライトはアメリカ国内で世論の反感を買い、訪朝は失敗に終わった。
ブッシュ新政権(当時)との間では日米同盟の強化に努めた。その中には当時まだ実用段階に達していた兵器が少なく、導入国も少なかったミサイル防衛分野での、緊密な協議への留意が含まれている。この路線も後継内閣に引き継がれ、日本のMD導入、開発への一部参加への素地を作った。なお、森は日本の核武装について否定的でアメリカの核の傘を評価している。また、在日米軍駐留経費(思いやり予算)について、日本側の人件費負担者数の据え置きと光熱費の一部アメリカ側負担に成功し、33億円の負担減を実現した。
台湾
2001年4月、李登輝の訪日ビザ発給要請に対し、“一つの中国”論との齟齬を懸念した河野洋平外務大臣が「発給を認めるなら辞任する」と激しく抵抗し、福田康夫内閣官房長官も強く反対したが、森は「李は当時既に私人であり心臓病の治療という目的があったのでビザ発給を断る理由はない」と判断し、李の訪日が実現した。この時は殆どの全国紙が賛意を示したと回顧している。  
内政
IT革命を謳いe-japan戦略を策定、IT基本法および関連法案約40本を超党派で成立させていくきっかけとした。具体的な政策の検討を行なうためIT戦略会議、産業構造の転換を図る為産業新生会議を設置し、外部から出井伸之をはじめとする複数の有識者を招いた。インターネット博覧会(インパク)の開催などの振興策を推進した。
教育改革を掲げた森は諮問機関として教育改革国民会議を発足、江崎玲於奈を座長に据え、2000年9月には中間報告を提出するに至った。三浦朱門の言動も度々物議を醸した。奉仕活動を義務化させる方針を盛り込む等については、特にリベラル、野党的な立場からは物議を醸した。森自身が私学と太いパイプを持つ文教族の大ボス的存在であり義務教育廃止論者でもあることから様々な議論を呼んだ。
犯罪被害者保護法の立法、検察審査会法の改正(審査会への申し立てを被害者が死亡した場合には遺族にも認めるようにした)、ストーカー行為規制法の立法、児童虐待防止法の立法、少年法の改正(刑事罰対象年齢の引き下げ)なども森内閣での成立であり、森の教育・治安などへの持論にもある程度沿ったものであった。
国防
1970年代末に法制化の研究が開始されて以来20年余り店晒しとなっていた有事法制について、2000年4月7日の所信表明演説にて立法化の必要性に言及し、翌2001年1月の第151回通常国会での施政方針演説にて立法化に向けた検討を開始すると述べた。森は元々岸の流れを汲むタカ派の面があったが、仮野忠男によれば、2000年にまとめられたリチャード・アーミテージがジョセフ・ナイ等と超党派で作成した政策提言(所謂「アーミテージ・レポート」)にて後にブッシュJr政権で採用される米軍再編のアイデアや日本への法制化の要望が盛り込まれており、これらに森が強い興味を示し、参考にしたことが一因であると指摘されている。また、仮野は内閣末期においてはえひめ丸事件等で退陣要求を強めていた野党の共闘体制に楔を打ち込む狙いがあったと分析している。野党共闘の切り崩しにはそれほどの効果を挙げなかったものの、2001年2月6日の与野党代表質問で社民、共産両党が反対の意思と撤回を要求したのに対しては「有事法制は平時にこそ備えておくべきものだ。(中略)検討は憲法の範囲内で行うもので戦前の国家総動員法のような法制について検討することはない。」と拒否し、2001年3月18日の防衛大学校卒業式での訓示においても同様の認識を示した。自民党国防部会は2001年3月23日、「わが国の安全保障政策の確立と日米同盟」という文書をまとめている。法案提出前に森内閣は終焉したが、策定への流れは小泉内閣でも継承され法案提出に至り、一度廃案になったものの、その後民主党が賛成に回ったこともあり、2003年に武力攻撃事態法が成立した。
防衛関係としてはその他、森政権が5年に1回改定されていた中期防衛力整備計画策定の年に当たっていたことが挙げられる。同計画は12月に閣議決定した。計画では期間中の予算伸び率は0.7%だったが、小泉政権は予算面では防衛予算は減額傾向に転じた為、装備の調達実績は計画を下回ったものが多い。周辺事態法の一環としてセットでの整備が構想されてきた船舶検査活動法の成立も森内閣の時である。
公共事業
整備新幹線は、財政構造改革路線で抑制方針とされていたものを、小渕政権下方針転換となっていた。その内の1線である北陸新幹線については、スーパー特急方式の下石川県内など3ヵ所で難工事の予想されるトンネル区間を中心に1990年代前半から中盤にかけて工事着手もされていた。1998年1月に森は「上越まで区切った新規着工の枠組みは、糸魚川-魚津間など既着工区間の工事が進ちょくすれば、三-五年以内に見直さざるを得ない」と述べていた。地元の協力もあり2000年頃までに事業着手された区間の用地取得は順調であり、トンネル工事の進捗も順調であった。7月、森は森田運輸相(当時)に要望を伝え、2000年(平成12年)末の政府・与党申合せで、九州新幹線と共に、富山までのフル規格での建設が決まっている。この時森は金沢までの着工を要求したが、野中広務に釘をさされて富山までの開業、石川県内の白山車両基地への着工に短縮された経緯がある。この件については石川県が森の地元であり、建設促進の立場で運動してきたこともあったが、整備新幹線の中では最も採算性が良いと試算されていたこと、長野新幹線の建設単価が国鉄時代の東北・上越新幹線より大幅に下がったこと、同新幹線開業による時間短縮効果で旅客量が上向いたこと、JR各社が過重な負担を負わないスキームであった為、前向きな姿勢を示していたことといった背景があった。このような開発効果を重視する立場と、財政への負担やストロー効果、平行在来線切り離しなどを問題とする批判的な立場との間で議論となることも多い。辞任後も歴代の首相は皆北陸新幹線建設に理解を示し続けた。森と同様整備新幹線について運動してきた小里貞利は、安倍晋三が首相だった2007年の参院選で福井を遊説した際、機内で偶然乗り合わせた森が安倍に対して新幹線の延伸に触れるようにアドバイス行ったことを明かしている。金沢までの開業を2014年度に目標とすることとなったが、その後も福井県敦賀までの延伸のため、運動を続けている。森は平行在来線の地元負担についてはJRの立場を理解しつつもすべて地方負担とする必要はないのではないかという趣旨のコメントをしている。
以前、不祥事で辞任した中尾建設相の印象を和らげるために保守党の扇千景を起用した。内閣支持率が低迷する中で中尾事件で接待を受けた建設官僚の名前を公表し、建設白書や防災服デザインの見直しなどの施策を打ち出したことで、内閣のイメージアップ策に寄与した。なお、扇の初期の仕事の一つには2000年6月末から噴火し段階的に拡大していった三宅島の全島民避難(9月2日より実施)の指揮が含まれている。
一方で、公共事業全般については景気回復のため予算の増加を図った反面、世論の批判に応える形で、2000年夏には効果の乏しい無駄な事業に着目していた。「二、三年経過したものも見直せないのか、思い切ってやってほしい」と自民党などに対しても指示した。また、背景として1990年代末には、運輸省などで費用便益分析に基づいた事業評価を制度化していたという事実もある。検討の結果、2001年度予算編成においては
 1.事業採択後5年を経過しても未着工
 2.完成予定を20年以上経過しても未完成
 3.現在凍結されている事業
 4.調査をはじめてから10年以上経過しても未採択
の4条件の見直し基準を決定。その上で233件の事業の中止勧告を行い、中海本庄工区の干拓など中止とした案件もある。
また当時、扇が気にかけていたのは職員の士気が停滞しており、世間ではマスコミの報道によって「公共工事」イコール「悪」という認識が広まっていたことで、扇の起用理由も中尾元大臣の若築建設汚職事件であることは意識していた。これらの問題を解決する為、汚職の原因である入札制度について、フランス、ドイツ、イタリアで施行されている「公共工事基本法」を参考とし入札の透明化を図る為、公共工事入札契約適正化法を作成することを課題とした。法案提出に当たっての問題は、公共工事の所管が各省庁に分散しており、調整作業を通常の慣行で実施した場合5年はかかると見込まれたことであった。そこで扇は森に直訴したところ、森は「扇君が建設大臣として公共工事の基本法をつくろうとしているから、関係の省庁は挙げて協力するように」と閣議で指示した。その結果、法案提出は3ヶ月で達成され、同法は成立に至った。扇自身は本人の予想に反し、国土交通大臣となってから、小泉内閣時代にもこの人選は認められ続け続投、3年余り大臣を務めることになる。
一坪地主の跋扈を問題視する観点から、土地収用法改正案を第151回国会に提出した。それまで、土地買収の最終段階である「補償金支払い」は持参払いとする旨定められていたが、反対運動側が関係人を意図的に膨らませることにより、僅かな金額の支払いに膨大な労力と時間が使われるケースが続出していた。法案の趣旨は支払い方式を現金書留も可とし、事業認定に際して事前説明の制度を強化する内容であった。様々な公共事業反対運動に手を焼いていた東京都は小渕政権時代から働きかけをしていたという事情もあった。後述するように、森は小泉への政権交代の際には、マスコミ批判を意識して民意を重視し、総裁選を前倒し実施したことを「森の清談」等で回顧している。だが、その総裁選のために審議時間が空費され、また政府のIT関連法優先処理の方針に従い、土地収用法改正案の優先順位は下げられ廃案の危機に逢った。しかし、国交省や東京都の実務担当者が悪質な遅滞戦術を取った案件についての資料を材料に、与野党の国会議員へ説得の根回しを行ったおかげで、野党議員からも賛成を取り付け、小泉内閣の下で6月末に可決した。
都市部での公共事業については、扇が度々都知事であった石原慎太郎と当時懸案であった計画の視察に訪れて関心を喚起した他、森自身も石原と環状8号線を視察した。当時は井荻トンネルの一部が供用中であったが、全体では未完成だった。森は渋滞解消に向けて努力することを述べている。
2000

 

談話 / 平成12年4月5日
小渕前内閣総理大臣は、党人政治家として、幅広い人脈、労を惜しまない行動力を存分に発揮され、国家国民のためにまさに我が身を顧みることなく、命がけで、内外の困難な諸課題に果敢に取り組んでこられました。その結果、前内閣の最大の課題であった日本経済の再生については、危機的な状況から脱却し、本格的な回復に向けた兆しが見え始めております。このような大事なときに、小渕前総理が志半ばにして、不運にも病に倒れられましたことは誠に痛恨の極みであります。今は一日も早いご回復を心よりお祈り申し上げるものであります。
私は、本日、内閣総理大臣に任命され、公明党・改革クラブ及び保守党の御協力を得て、連立内閣を発足させることとなりました。三党派の強い信頼関係に立脚した安定した政局の中で、今日までの連立政権の成果を踏まえ、政策の継続性を念頭に置きつつ、経済対策をはじめとする当面する諸課題に的確に対応していくとともに、来るべき二十一世紀に向けて豊かで活力のある国づくりとそれを支える魅力ある人づくりに邁進してまいります。また、前内閣の閣僚の皆様には引き続き再任をお願いし、国民生活に直結する重要法案の成立や北海道有珠山噴火対策、警察庁等公務員の不祥事への対応、間近に迫った九州・沖縄サミットの準備、中央省庁の再編や地方分権の着実な推進などに遺漏のないよう取り組んでまいります。
私は、日本新生を目指し、国政運営の責任者として、力の限りを尽くして、この難局に立ち向かい、国民の皆様の負託に応えてまいる決意です。
国民の皆様のご理解とご協力を心からお願いいたします。
内閣総理大臣説示
初閣議に際し、私の所信を申し述べ、閣僚各位の格別のご協力をお願いする。
一 前内閣が取り組んできた政策との継続性を念頭に置きつつ、自由民主党、公明党・改革クラブ及び保守党の三党派による安定した政局の下で、経済対策をはじめとする現下の諸課題に迅速に取り組み、国民の期待と信頼に応えられるよう、全力を尽くしていただきたい。
二 今なお予断を許さない北海道有珠山噴火の対策については、地元住民の安全確保や避難生活への支援等に最善を尽くしていただきたい。
三 来年一月の中央省庁等の再編が円滑に実施できるよう、全力で取り組んでいただきたい。その際には、所管行政という狭い視野からではなく、国政全般の幅広い視野に立って、英断を持って取り組んでいただくとともに、とりわけ省庁間人事交流については、縦割り行政を廃し、各省庁間の緊密な連携の強化と広い視野に立った人材の活用を図る観点から、その積極的な推進をお願いしたい。地方分権の推進についても引き続きご努力いただきたい。
四 本年夏に開催する九州・沖縄サミットの成功に向けて格段のご協力をいただきたい。
五 度重なる公務員の不祥事は、国民の行政に対する信頼を著しく損なうものであり、極めて遺憾である。国家公務員倫理法の施行も踏まえ、公務員倫理の確立が図られるよう、職員を厳しく指導監督していただきたい。
六 内閣は、憲法上国会に対して連帯して責任を負う行政の最高機関である。国政遂行に際しては活発な議論を行うとともに、内閣として方針を決定した場合には一致協力してこれに従い、内閣の統一性及び国政の権威の保持にご協力いただきたい。 
2001

 

年頭記者会見 / 平成13年元旦
新年、明けましておめでとうございます。
21世紀の幕開けであります。国民の皆様と共に明るい希望を持って、新しい世紀に力強い第一歩を踏み出してまいりたいと思います。
20世紀は、世界にとって「栄光と悔恨」の100年でありました。人類は、科学と技術を発達させ、多くのことを成し遂げてまいりました。しかし、二度の世界大戦や、様々な紛争により多大な犠牲を払ってきたのも事実であります。
日本もまた、20世紀における経験から貴重なものを手に入れました。それは、自由と民主主義、そして、平和を大切にし、国づくりを行うという国民的な合意であります。
私は、21世紀の初日であります今日、この国民的な合意を新たな決意として21世紀に引き継いでいくことを、国民の皆様と共に確認をいたしたいと思います。
そして、世界の人々にも、私たちのこの決意を伝え、共に協力し、21世紀が「人間の世紀」として、地球上のすべての人々がその個性をいかし、輝ける時代となるように努力していきたいと思います。
21世紀はどんな時代になるのでしょうか。私は本日、中曽根元総理が在任中の昭和60年、筑波の科学博で21世紀の総理に宛てて書かれた、ポスト・カプセルに投函されておられました手紙を受け取りました。中曽根さんは、21世紀の総理に対し、世界の平和と繁栄のため、大いなる期待を表明されていました。身の引き締まる思いでこのお手紙を拝見をいたしました。私は、昨年の国連ミレニアム・サミットで、紛争、人権侵害、貧困、感染症、犯罪、環境破壊といった人間の生存、尊厳を脅かす様々な脅威に対し、人間一人一人を大切にするとの観点から、地球規模で取り組んでいかなければならないと世界の首脳に呼びかけました。これは、「人間の安全保障」という考え方であります。世界の平和と繁栄の実現のためには、この「人間の安全保障」が確保されなければなりません。
本日、私は、「平和」、「豊かさ」、そして「文化」というものを軸に、その意味を問い直し、21世紀の日本のあるべき姿について思うところを申し上げてみたいと思います。
21世紀を真に「平和の100年」とする上で最も重要なのは、世界の国々や民族があらゆるレベルで国境を超えて「対話」を深めることであります。取り分け、日本が位置する東アジアにおいては、朝鮮半島における緊張緩和の動きを始め、二国間・多国間の対話が進展しつつあります。この地域には、包括的な安全保障機構はまだ存在しておらず、我々は、このような対話の動きを加速化していく必要があります。
また、国連は、2001年を「文明間対話の年」と位置付けていますが、地球規模で「対話」を進め、お互いの理解を深め合っていくことが、21世紀にはますます必要になると思います。近く、私が、我が国の現職総理として初めてアフリカ諸国を訪問するのも、これら諸国との対話を強化することにより、紛争と貧困に苦しむアフリカにおいても「人間の安全保障」を実現しようとする我が国のグローバルな外交姿勢を体現するものであります。
このような対話を中核とする予防外交と同時に、万が一に向けた「備え」も欠かせません。なぜなら、世界にはまだ大量の軍事力が存在し、国によって考え方の違いもあるからであります。
「備え」の基本は、引き続きそれぞれの国の自助努力でありますが、21世紀においては、国際社会が協力して「平和」を守る体制をより強固なものにしていくことが必要であります。これまで日本は、国際的な安全保障への責任感と主体的対応が、国際社会で占める地位に比べて十分でなかった面があると思います。
21世紀には、引き続き日米安保体制を維持・強化しつつ、より主体的な構想力をもって、世界の平和と秩序の維持に参画し、我が国にふさわしい役割を果たしていくべきであると考えます。
次は、「豊かさ」についてであります。「豊かさ」は生活の基盤となるものであります。
20世紀、世界は工業化、近代化により経済的な豊かさを実現してまいりましたが、その一方で、貧困と飢餓に今も苦しんでいる多くの国々があります。環境問題や感染症の拡大も深刻になっております。人類は、持続的な繁栄を目指すとともに、その果実を広い世界で分かち合う努力を粘り強く続ける必要があります。
20世紀の最後の10年間は、日本の経済、社会は残念ながら総じて停滞の時期にありました。しかし、決して未来を悲観する必要はありません。これまでの大胆かつ迅速な経済運営により、景気はもう一押しというところにまできております。引き続き景気回復に軸足を置きつつ、未来の発展に向けて、断固たる決意で経済政策を進めていく覚悟であります。
日本、そして日本人には潜在的な大きな力があります。必要なことは、私たちがその力を発揮する経路を新しく組み替えることであります。そうした改革により、私たちの経済が持っている本来の成長力を高めることができます。私は、古い殻を破って新しい構造への転換を図る、言わば「攻めの再構築」に全力で取り組んでいく覚悟であります。
国民の価値観はますます多様化しており、私は、これからは、個人がそれぞれの価値観に従って、自由闊達に活躍できる社会を目指すべきであると考えております。ベンチャー企業を立ち上げたり、NPO活動に参加したり、女性や高齢者や障害者が生き生きと社会に参加するなど、自分の価値観に基づいた自由な活動を可能とする社会であります。IT化は、人々のネットワーク化を進め、個人の社会的な活動の機会を広げます。それは、同時に経済や社会の活力を高めることにもつながります。
経済や社会の構造改革は、個人の人生の選択肢を増やし、企業などの組織の自由度を高めるものでなければなりません。
規制改革などは既得権にとらわれず進めなくてはなりません。社会保障、雇用などのセーフティーネットを整えることも大切であります。私は、大胆な改革を進め、21世紀の最初の10年を「新生の10年」としたいと考えております。
次に、「文化」についてであります。「文化」は人生に潤いをもたらします。
グローバル化、情報化が進むと、世界の様々な文化の交流が一段と活発になります。文化の違いは、時には摩擦や争いを生じさせてきました。しかし、21世紀は、文化の多様性を尊重しあう、そういう時代にするべきだと考えます。
そのためには、まず、日本人が、日本の文化を理解し、大切に思い、潤いのある魅力的な暮らし方をしていくことが必要であろうと思います。多くの日本人は、日本の「伝統と文化」、「治安のよさ」、「美しい自然」を誇りに思っております。私は、努力を怠れば損なわれてしまう、そうした日本の良さを、21世紀においても、是非大切に引き継いでいきたいと思います。
都市には人々が集うことで新しい文化が生まれます。古くからの伝統や文化が受け継がれている地域もあります。沖縄サミットでは、沖縄の豊かな文化や歴史を世界に紹介することができました。大切なことは、都市や地方が、それぞれの特徴をいかしながら、住民が主体となって、活力がみなぎる地域づくりに取り組むことであります。
地方分権を進め、住民参加の仕組みを整え、福祉、住宅、ごみ、交通などの地域の課題に取り組み、地域を生き生きとした暮らしの場とする、そして、住民が暮らしの場である地域を誇りに思うことができる、私は日本をそうした国にしたいと思います。
未来を望ましいものにするためには、未来に対する投資を怠りなく進める必要があります。
日本の未来が、若い世代によって切り開かれて、担われていくことに思いを致すとき、教育の在り方は極めて重要であります。教育は、私たちが将来の世代に対して負っている最も重要で崇高な責務であります。先に教育改革国民会議から報告をいただきました。人間性豊かな日本人を育て、創造性に富み、社会を切り開くリーダーを生み出すことのできる教育が求められております。私は、国民的議論を重ねながら、次期通常国会を「教育改革国会」と位置付けて、直ちに取り組むべき諸課題について、関連する法案を提出したいと考えております。
少子化は、日本の将来に不安をもたらします。少子化への対応としては、働く女性の出産や育児を社会全体としてどのように支援していくかという観点が重要であります。これは、女性の社会参加を容易にし、経済の潜在力を高めることにもつながります。
私は、中央省庁改革により新たに設置される男女共同参画会議において、政府全体としての「仕事と子育て両立支援策」を早急に取りまとめ、具体化したいと考えております。
未来を築くには科学技術も重要であります。情報通信、ライフサイエンス、環境、ナノテクノロジーなど、先端分野への投資を抜本的に強化することで、安心・安全で快適な生活を築き、人類の未来にも貢献することができます。新たに定めた「科学技術基本計画」では、今後5年間の政府の研究開発投資として、GDPの1%に当たる24兆円を充てることといたしました。これは大変意欲的な未来への投資であります。
日本が現在抱えている様々な課題を前に、私は切迫した気持ちを持っております。しかし、私たちは、戦後の荒廃から立ち上がり、今や高い生活水準を享受しております。国際社会でも大きな地位を占めております。理想に向けた決意をもって、日本人がその力を発揮すれば、21世紀は更にすばらしい時代となると思います。私は、国民の皆様と希望をもって未来に立ち向かっていく気持ちを共有したい、そして、私自身、21世紀の日本の新生に向け、全身全霊を込めて努力していく決意であります。
1月6日からは、いよいよ新たな中央省庁体制がスタートいたします。「政府の新生」とも言うべき、21世紀の我が国にふさわしい行政システムを構築する歴史的な改革であります。私は、この改革の本旨である「国民の立場に立った総合的・機動的な行政」の実現に向けて、全力を尽くしてまいります。
日本の改革を進める上で、皆様に是非とも御理解をいただきたいことがございます。それは、政治の安定の重要性であります。改革には痛みが伴います。財政の健全化など、将来の世代のために、私たち世代が我慢しなければならないこともあるでしょう。政治が安定し、力強い意志を示すことができなければ、改革は不可能であります。自由民主党、公明党、保守党、3党の連立政権は、改革のための政権であります。協力して政治の安定を図り、責任ある立場で政権を担う、これは、国民のことを第一に考えた与党3党共通の信念であります。
私は、連立与党結束の下、国民の皆様の声に耳を傾けて、また、積極的に語りかけながら、必ずや大きな成果をあげ、期待にこたえていきたいと考えております。
改めて、国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げる次第であります。
最後に、新年が皆様にとりまして良い年でありますように、心からお祈りを申し上げまして、新年のごあいさつといたしたいと思います。
【質疑応答】
● 第二次森改造内閣がスタートしまして、13年度予算案の編成が終わりました。予算案は景気対策に配慮したものということですけれども、景気をめぐりましては、株価の値下がりなど、先行きの懸念もあります。こうした状況も踏まえまして、景気を自律的な回復軌道に乗せるために、新たな具体策を検討される考えはありますでしょうか。また一方で、予算案は、財源の不足を補うために国債を新たに28兆円余り発行しています。財政構造改革という課題もありますけれども、これにどのように取り組んでいかれるお考えでしょうか。
景気は、家計部門の改善が遅れるなどいたしまして、厳しい状況をなお脱しておりませんが、企業部門を中心にいたしまして自律的な回復に向けた動きが継続いたしておりまして、全体としては緩やかな改善が続いていると考えております。
今後、年度末に向けまして、所得の増加に伴う個人消費の緩やかな改善等から自律的回復に向けた動きが広がっていくことが期待されるわけでありますけれども、拡大テンポが低下している米国経済の今後の動向や、下落基調で推移しております株価等の動向に留意する必要があると、このように考えております。
政府といたしましては、まずは経済を自律的な回復軌道に確実に乗せるために、「日本新生のための新発展政策」の着実かつ円滑な実施を図ることといたしております。
また、平成13年度予算におきましては、公需から民需への円滑なバトンタッチを進めるために、公共事業関係費について11年度、12年度当初予算と同水準を確保するとともに、景気回復に万全を期すため、引き続き3,000億円の公共事業等予備費も計上しているところでございます。
13年度予算の早期の成立をお願いすること等によって、もう一押しというところまできている景気に万全を期してまいりたい、このように考えております。
● 続きまして通常国会の召集時期について伺います。当面、通常国会の召集時期が焦点となっております。与党内には、1月31日に召集するという案がある一方で、野党側は1月中のできるだけ早い時期の召集を求める意見が出ております。総理としてはどのように考えていらっしゃいますでしょうか。
今、御指摘ございましたように、通常国会の召集時期については、この中央省庁改革のスタート後の状況をよく見極める必要があると考えております。さらに、外交日程なども十分検討に入れなければなりません。与党とも十分相談をしながら、慎重に判断をしたいと考えております。
● 一方、今年は参議院選挙の年でもあります。今年のイタリアで開かれるサミットは7月20日から22日になるという見通しのようでして、与党内にはサミット終了後の7月29日に参議院選挙の投票を行ったらどうかという案も浮上しているようであります。この選挙の日程についてはどのようにお考えでしょうか。また、その参議院選挙の勝敗ラインですけれども、自民党の古賀幹事長らは、与党3党で過半数を確保する、これを勝敗ラインにしたいという考えを示す一方で、自民党の中には、3党で現有議席を上回ることを目標にすべきだという意見があります。総理は、参議院選挙の勝敗ラインについてはどのようにお考えでしょうか。
参議院の選挙の日程につきましては、サミットの日程など様々な点を考慮しなければなりません。今後、検討していくべきものであると考えております。私としては、まずは、とにかく景気の本格的な回復をやりたい。IT革命への対応、さらに教育改革や社会保障改革の断行など、与党3党が結束して、国民から求められております政策を着実に実行することで、参議院選挙において国民の皆様から評価をいただきたいと考えています。改革を実行するには、何よりも政治の安定が大切であります。現在の連立政権は、改革のための政権でありまして、協力をして政治の安定を図って、責任ある立場で政権を担うというのは、与党3党共通の信念でもあるということも、是非、国民の皆様に御理解をいただきたいと思います。今後、与党間の選挙協力の在り方についても、今、話が進められているわけでありますが、具体的な議席獲得数、いわゆる獲得議席数は、こうした努力の結果としてのものであると、このように考えています。
● 外交問題についてお尋ねします。日本とロシアの平和条約の締結交渉は、当初、西暦2000年までというクラスノヤルスク合意を一つの目標として進められてきたわけですけれども、結果的にはこうして2つの世紀をまたぐことになりました。早い時期に訪露を検討されていらっしゃるようですが、日露間の平和条約締結といった懸案の解決に向けて、どのような道筋で進めていこうとお考えなのか、お話しください。
ロシアとの平和条約締結交渉につきましては、昨年11月のブルネイにおきます日露首脳会談の結果を受けまして、これまで事務レベルでの協議も行われてきたわけであります。
1月16、17日に、河野大臣が訪露をいたしまして、イワノフ外相と協議を行う予定になっております。さらに、平和条約締結に向けた具体的な進展が得られるのであれば、私がイルクーツクを訪問することで、プーチン大統領との間に合意がなされているわけであります。
問題が難しいものであるということは言うまでもありませんが、政府としては、北方四島の帰属の問題を解決することによって平和条約を締結するとの一貫した方針の下で、引き続き精力的に交渉を進めていく考えでございます。
1月は、私の日程、あるいはプーチン大統領の日程等でこの1月中にということも当初の考え方が合意に達しておりませんが、恐らく、これも国会の日程とのことも踏まえなければなりませんし、国会の御了承も得なければなりませんが、2月には、訪露でき得るのではないかというふうに私は期待をいたしております。
● 次に、教育改革についてお尋ねします。総理は、通常国会を教育改革国会と位置付けていらっしゃいますけれども、先の教育改革国民会議の最終報告でうたわれた教育基本法の見直し、これは具体的に答申があったわけですが、与党内にはまだまだ基本法の見直しについて慎重な意見もあります。今後、どのように基本法の見直しに取り組まれるのか、お答えください。
教育基本法の見直しにつきましては、教育改革国民会議の最終報告におきまして、新しい時代の教育基本法を考える際の観点として、
新しい時代を生きる日本人の育成、
2番目には、伝統・文化など、次代に継承すべきものの尊重、
3番目として、教育振興基本計画の策定等を規定すること、
この3点が示されておりまして、政府におきましても、最終報告の趣旨を十分に尊重して見直しに取り組むことが必要であるという御提言をいただいているわけであります。
私としては、この最終報告を踏まえまして、今後さらに、教育基本法の見直しにつきましては中央教育審議会等で幅広く国民的な議論を深めるなどいたしまして、しっかりとこれに取り組んで、成果を得てまいりたいと、このように考えております。
与党3党からは、教育改革国民会議にオブザーバーとしての御出席をいただいてこれまでの議論を進めてきているわけでございまして、今後、与党の中におきましても、これらの議論を深めていただければというふうに考えています。
なお、自民党におきましては、既に昨年の10月から文教部会・文教制度調査会におきまして、教育基本法の勉強会を開催し、議論を開始しているわけでございますが、いずれ与党3党におきますこれの専門の、恐らく協議機関が設けられるということになるのではないかというふうに思っておりますが、極めて重要な政策でございますので、これまで答申をいただきまして、今度の国会で御審議をいただきます法案とは別個に、この教育基本法の改正につきましては、これはまず与党内の議論、そして政府におきます中教審の議論、そうしたことを踏まえながら、最終的な合意形成に最大の努力をしていきたい、このように考えております。
● 政権の浮揚策についてお尋ねします。第2次森改造内閣が発足しまして、ほぼ各社の世論調査が出そろったところなんですけれども、全体的に見ますと、残念ながら内閣の支持率は依然として低い水準にとどまっています。このままだと、与党内からも政権の求心力について懸念する声が上がりかねませんし、野党側は当然参議院選に向けて対決姿勢を強めてくることが予想されます。国民の支持を得るために、総理はどのようにして政権運営に取り組んでいかれるのかお話しください。
常々昨年からも申し上げておりますが、内閣支持率、あるいは不支持率に関する調査結果については、世論の動きを示す一つの指標として謙虚に受け止めております。支持率が上がれば励みにもなりますし、下がればなお謙虚に受け止めていくことが大事だというふうに私自身、それを自分に言い聞かせているわけであります。しかし、それは結果でありまして、私は支持率を上げようという思いで政治を行うべきではないと考えております。
支持率の変動要因には様々なものがあると考えられますけれども、私としては、常に基本を忘れないようにして、国家、国民のために何が必要かを常に第一に考えることが大切であるというふうに考えております。
支持率の動きに一喜一憂することなく、あと一押しというところまできました景気を何としても本格的な回復軌道に乗せるとともに、IT革命への対応、あるいは今、御質問がございました教育改革、さらには、社会保障改革の立法など、国民が求めています政策を着実に実行に移していきたい、このように考えています。結局、支持率というのはその結果であるというふうに考えているわけであります。
● 先ほどの年頭の抱負の中で、安全保障について、より主体的に我が国にふさわしい役割を果たしていきたいとおっしゃっていますが、具体的にどういうことをイメージされているのか。今までのPKOによる協力とどう違うか具体的にお話しください。
例えば、国連を中心といたします国際平和のための努力に対しまして、我が国としてはPKO法を制定して、カンボジア等にPKO要員を派遣するなど、憲法の枠内でできる限り積極的な協力を行ってきたわけであります。現行の協力で十分かという点につきましては、PKFの凍結の解除をめぐる議論にも見られておりますとおり、国会や党内においても様々な御議論が行われているというふうに承知をいたしております。
また、例えば、小型武器規制を含む紛争予防への取組でイニシアチブを発揮するなどしてきておりますが、今後とも一層の努力をしたいと考えております。
私としましては、このような点を含めまして、国会、国民各位において、十分な御議論をいただきながら、憲法の枠内で国連を中心とする国際平和のためのの努力に対する協力の具体的な在り方について積極的に検討していきたい、という旨のことを述べたわけであります。
● 先ほど来から総理が言われている政治の安定が重要だという点ですけれども、国民から求められている政策を着実に実行することが重要なんだということですが、具体的にどういうことなんでしょうか。長野県知事選などだとか、あるいは我々が常日ごろやっている世論調査を見ましても、政党そのもの、あるいは政治家そのものの在り方、信頼が問題になっています。こうした中でどう信頼を回復していくか、具体的に、あるいは今のこの現状をどういうふうに御覧になっているのか。そうした中で参議院選挙を戦うわけですけれども、どのように取り組んでいかれるのかお聞かせください。
長野の知事を今、例に挙げられましたけれども、確かにそうした地方自治体の首長の選挙にやはり大きな変化があることは否定できないと思います。それはやはり、住民の皆さんの希望というものが非常に複雑になっているものですから、そして多岐にわたっているわけですから、単に従来の延長線で地方自治というのは進めていけるような時代ではなくなってきているというふうに、やはり私なども感じます。
そういう意味で、特別長野がどうだとか、他のところはどうだということではなくて、やはりそれぞれそうした選挙に大きな、ある程度の変化を求めるということは、例えば多選であるとか、あるいは県庁時代からの延長線上にあるとか、いろんな意見があると思います。あるいは、地域によっては中央の官庁から来た知事がずっと続いていることによって、逆に地元の人がいいという意見もあります。長野などはその逆だったかもしれませんね。県庁の中でずっと来たと、40年近く県庁におられた人が県政を支配をしてきたということに対して、新しい血を求めたということにもなるんだと思うんです。
選挙は、一つの事例だけ取り上げて、一概にこうだとかああだとか、私は結論付けられないんじゃないかと思います。それだけに、国民の求めているそうした政治への希望と言いましょうか、要求、そうしたものには、どのように的確にこたえていけるか、そういうリーダーと言いましょうか、指導者は、首長に、あるいはまた議員にも推薦をしていくということは、やはり大事だと思いますし、そういう変化というものを十分に党としても見ていく必要があるというふうに思っております。それはもちろん、東京や大阪や、東京と大阪でもまたちょっと違います、しかし、東京や大阪や、そうした大都市とまた地方との違いもあるわけですし、選挙というのは一概に一つの考え方をすべてに基準として結論付けてしまうということはとても危険なことだと思っています。
それから今、もう一つの、御質問の後半に当たると思うんですが、かつて私たちがこの国会に当選をしてきたころは、端的に言えばイデオロギーの対立だったと思います。自由民主党と対峙して、社会党あるいは共産党という、また国際的にもいわゆる自由主義社会と社会主義社会というような対峙でしたわけですから、日本の政治もやはりそれにある程度準じてきたと。だから、国民の皆さんはそれに対して、自分たちの社会がどうあるべきか、自由主義で民主主義のルールでやっていくべきなのか、あるいは全体主義でやっていくべきなのかということに対する、判断のよりどころというのはあったんだと思います。
しかし、もう今日では、そうしたイデオロギーの差異というものは、ほとんどの政党になくなったというふうになりますし、逆に言えばテーマは、先ほど私が冒頭に申し上げましたように、人間の生活の、本位と言いましょうか、そういうものに対しての違いということになりますから、これは政党によってそんなに大きな違いがあるわけではないと思うんです。
本来で言えば、そういう政党と政党が、我が国は、ある意味では二大政党を指向しながら、衆議院の場合はこういう制度にしたわけですけれども、残念ながら私はまだこれは過渡期なんだろうと思います。だからこそ、幾つも政党があるんだろうと思います。何とかしていろんな形で政党を1つにまとめようとして、これまで様々なことを、この7、8年は続けてきたと思いますが、必ず、ついては離れ、ついては離れという時代も、これまでの時代だったというふうに思います。
そういう意味で、私どもとしては連立であるということはこれは否定できない。選挙制度上もこれはやむを得ないことだというふうに思っていますし、そういう意味から言えば、結局どの政党とどの政党がしっかりと組んで、本当に国民のための政治をしっかり一つずつ確実にやっていくかということを、やはり評価していただくということであって、単に選挙のために寄り集めて、中身の政策は違うけれども、そこはとりあえずオブラートに包んでおいて、まず選挙協力だろうと、しかし、結果的に進めてきて、またそれがばらばらになってきたということは、これまで数年間の繰り返しであったということは、記者の皆さんは一番よく承知をしておられるんだろうと思います。
そういう中で、どういう方法が一番いいのかどうかということよりも、まずはやはり着実に政策を具体化させ実行させていくという、それはやはり政治の責任と言いましょうか、そうしたことをやはり国民の皆さんに理解してもらえるように、努力していくということは当然だろうと思いますし、当然国民の皆さんから選ばれる立場からは、あるいはいかに信頼され得る行動、そういう政治家の一つの理想像というものを絶えず追い求めていかなければならんということは、言うまでもないんじゃないでしょうか。
● 今年、持ち越された大きな外交課題では、日朝交渉の問題があると思います。この1年の動きについて、総理はどうのようにお考えになりますか。
この1年ですか、昨年の1年ですか。
● いや、この1年です。
昨年は、御承知のように北朝鮮が、大変大きな、国際社会に参加していこうというそういう意欲が非常に明確に打ち出されたということで、これは北東アジアの緊張感を解決する意味でも大変よかったと思っていますし、それから20世紀最後の年でもありましたけれども、一番国際社会から見れば閉鎖的な状況になっていた北朝鮮が、国際的に窓を開いたと、ドアを開いたということは、歓迎すべきことだと思っております。
北朝鮮が国際社会に参加をしていこうという、そういう状況の中に、我々がすべてそれを後押しをしていこうということも、沖縄のG8主要国会議でもこのことを決議をしたわけでもあります。ただ、日朝間、あるいは、いわゆる南北間、これはそれぞれの経緯があるわけでありまして、北朝鮮がこうした形で国際社会に窓を開いた、ドアを開いたということは、これはやはり長い間の韓国の粘り強い交流政策というものもあったと思いますけれども、同時にまた、日本とアメリカと、そして韓国とが協力しながら、北朝鮮に対して粘り強い交渉をしてきたということも、そうした効果が出てきたことだろうと思っております。
そういう意味で、昨年は大きな画期的な出来事がありましたけれども、今少しそれぞれ、もう一度まず窓を開け、まずドアを開けて参加をしていただいたという状況の中から、それぞれの国は、さらにそれぞれ固有に持っているいろんな経緯があるわけですから、それについて慎重に駄目押しをしながら、交渉を進めていくということになるんじゃないかというふうに思います。
しかし一方、ドイツでありますとかイギリスでありますとか、そうした国々も北朝鮮とのいわゆる正常化に進んでいくというふうに、今年の前半はそういうふうに動いていくんだろうと思っています。
ただ、日本の場合は、御承知のように安全保障の問題でありますとか、人道問題がございまして、これらのやはり国民の皆さんの大きな期待、そしてまた不安、そういうものを除去しながら交渉を進めていかなければならんということは言うまでもありませんが、他の国々がそれぞれの立場で進めていくことを、ある意味では横目でにらみながらも、決して慌てる必要はない。日本にとっては、大変大事な問題点が幾つかあるわけでありますから、それを一つ一つ、粘り強く交渉をしてそれらの障害を除けるような努力をしていくことが、今年の最大の外交の課題だというふうに、私自身も認識をいたしております。
● 財政構造改革についてなんですけれども、今までどおり経済の自律的な回復を目指すということですが、具体的に経済成長率が例えば2%になった段階で取り組むとか、そういう目標的なものを掲げるお考えというのはあるんでしょうか。
13年度予算編成につきましては、先ほど申し上げましたように、まず景気に十分配慮したい、そして1日も早く我が国経済を本格的な回復軌道に乗せたい、我が国経済の新たな発展の扉を開くという、そういう観点から編成を行ったわけです。
これにつきましても、いろいろな御批判、御意見もあることは、我々も十分承知をしておりますが、具体的には公需から民需へのバトンタッチを円滑にさせたいと、それから、公共事業関係につきましても、いろいろこれは様々な御意見がありましたけれども、11年度、12年度当初と同じ水準を確保するということも、こうした景気回復に万全を期すために行ったことでありまして、3,000億円の公共事業等の予備費もまた、こうしたことも十分配慮して、せっかくここまで押し上げてきた景気を、逆に軸足を動かしてはいけないと、軸足をずらしたらせっかくここまできたことが、すべてまた元に戻ってしまうということを、私どもは一番考えてこの予算編成をやらなければないらない、ということを第一に考えた予算編成であることは、是非御理解をしていただきたいと思うんです。
ただし、景気に軸足は置いておりますけれども、できる限り今、御指摘がありましたように財政の効率化、あるいは質的な改善はやはり進めなければならないというふうに思っております。
具体的には、いまだしと言われた意見もありましたけれども、党が大変協力をしてくれまして、思い切って公共事業の見直しもしていただいて、270件以上の事業を中止するということにもなったわけです。これは、正に従来から考えれば画期的なことだというふうに思っております。それから、ODAにつきましても、質的な改革を進めたということも、御承知のとおりだというふうに思います。
そういう中で、さらに地方財政につきましても、地方における特例地方債の発行を導入いたしまして、国・地方を通ずる財政の透明化を進めることも、その一例であったわけです。こうした結果、前年に比べまして、4.3兆円の公債発行額を縮減をいたしたわけであります。
さて、具体的にその2%うんぬんという御指摘がありましたけれども、今まだ政府としては軸足を景気回復にきちっと置いて進めていくということは、私は依然として変わらない考え方で進めていきたいというふうに思っております。しかし、依然、この財政は極めて厳しい状況にあるわけでありますから、この財政構造改革は必ず実現しなければならないテーマであります。そういう意味で、21世紀の我が国の経済・社会の在り方とは切り離して論ずることはできないわけでありますから、引き続き財政の効率化、あるいは質的改善を進めながら、我が国経済の景気回復の道筋を確かにして、その上で今後の我が国の経済社会のあるべき姿を展望して、検討していくものだろうというふう思っております。
幸い、経済財政諮問会議も1月6日からスタートするわけでございますし、当然こうした会議の中におきまして、様々な議論を専門の皆さんの御意見をいただきながら、どういう道筋を立てていけるだろうかということなども、確か6日の日が最初の第1回目の会議になっておりますので、最初は恐らくそういう幅広い議論を展開していくことになるんだと思います。 
記者会見 / 1月4日伊勢市
明けましておめでとうございます。冒頭、私から、1月6日に実施されます中央省庁等改革について申し上げたいと思います。
この改革は、我が国の経済社会全体の構造改革であります「日本新生」に向けまして、まず、国が自らを率先改革し、国政に機動性と弾力性を取り戻し、国本来の役割を果たすことができるよう、「政府の新生」を図るものであります。
これまでの1府22省庁が、行政目的別に大くくりに再編されまして、1府12省庁となります。私は、この改革に万全の備えをする必要があると考え、昨年12月に内閣改造を行いましたが、これにより名実ともに新生政府がスタートすることになります。
改革の本旨は、「国民の立場に立った総合的、機動的な行政」の確立であります。
これまでの組織の所管や利害を超えて、政策の融合化、合理化・統合化を進め、省庁再編のメリットが国民にとってより明確になりますように努力していく考えであります。
例えば、新しい国土交通省では道路、鉄道、空港などをより一体的に整備してまいります。
厚生労働省では、保育などの子育て支援サービスと育児休業などの働く人への対策等を組み合わせ、総合的な少子化対策に取り組むことができます。
総務省では、ワンストップサービスなど地方公共団体と郵便局の連携などが、より円滑に進められると思います。
文部科学省では、類似するプロジェクトを統合することで、より効率的な研究開発が可能になります。
また、環境庁を環境省に格上げし、より強力な環境行政を進めてまいります。
既に平成13年度の予算編成でも施策の整理合理化を進めるとともに、省庁の枠組みを超えた施策の連携を進め、合理化・効率化を進めております。
省庁改革を進める大きな目的に、政治主導の確立がございます。政治主導の確立のためには、まず、内閣が実質的な政策論議を行い、各省庁に対して強い指導力を発揮しなければなりません。今回の改革により設置される内閣府は、経済財政諮問会議、総合科学技術会議などが置かれ、横断的な企画・調整機能を担うものであります。私は、これらの会議を活用し、幅広い視野からの政策を検討するほか、民間の優秀な人材を積極的に登用しながら、内閣の首長として国政に対し強力なリーダーシップを発揮していく決意であります。
同時に、各省庁においても、大臣の政治的な政策判断を補佐し、政治主導を確立するため、多くの政治家が副大臣、政務官として行政府に入ることになります。
一方で、政治と行政に対する国民の信頼を確保することも必要であります。このため、私は、新たに「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」を設け、大臣を始めとする政府の要職にある政治家が、規範にのっとって自らを律し、「国民全体の奉仕者」として、その職責を十分果たすことができるよう特段の意を用いる考えであります。
省庁改革は、行政改革の入口であります。行政改革には不断に取り組まなければなりません。昨年12月に決定いたしました行政改革大綱は、21世紀の行政の在り方を示す指針であり、特殊法人改革、公務員制度改革、公益法人改革や、規制改革、地方分権などを引き続き強力に推し進めていかなければなりません。このため、橋本元総理に行政改革担当大臣をお願いしておりますが、1月6日の省庁改革に合わせて専任の事務局も発足させることといたしておりまして、内閣を挙げて行政改革に取り組んでいく考えであります。
省庁改革は、新しいシステムが実際の政策遂行に活かされてこそ、その成果が国民のものとなります。
現在、各省庁では明後日の実施に向けて最終的な準備を行っておりますが、新たな行政システムの下で政府が持てる力を政策の遂行に糾合し、国民の皆様の御期待に応えられますように最大限の努力をしていく考えであります。
国民の皆様の御理解と御協力を心からお願いいたします。
【質疑応答】
● 第1の質問で、地方分権と首都機能移転について首相の意欲をお聞きしたいんですけれども、地方分権で税財源の委譲を何年ごろまでに実行されますか、それから、首都機能移転地を首相として何年ごろまでに具体化させようとされますか、お隣りにおられます扇長官とか、石原都知事らをどう説得されますか、その点をお願いします。
真の地方分権実現に向けて、地方公共団体が活力のある地域社会の実現に責任を持って取り組めるようにするために、財政面におきましても自律的な運営を行えるようにすることが重要であると考えております。このため、国と地方の役割の分担を考えながら、国・地方を通ずる行財政制度の在り方を見直しますとともに、国・地方の税源の配分の在り方について検討することが必要であると考えております。
しかし、現在のようなこういう危機的な財政状況の下では、国と地方の税源の配分の見直しするということは現実的にはなかなか難しいことではないかというふうに考えておりまして、それにはまず、今、我が内閣として最も大事な重点政策であります景気回復を、まず確かなものにしたい。そしてそのことが、こうしたこれからの行財政全体に対する取組のベースになっていくのではないかというふうに考えております。
したがいまして、今後景気が本格的な回復軌道に乗りました段階において、国・地方を通ずる財政構造改革の議論の一環として取り組んでまいりたいと、このように考えております。
それから、首都機能についてのお尋ねでございますが、首都機能移転に関しましては、平成11年の12月20日に移転先候補地に関する国会等移転審議会の答申が出されたわけでありまして、翌21日に小渕前総理から衆・参両院の議長に答申が報告をされたものであります。
各方面には多くの御意見があることは十分承知をいたしております。今後は国会等の意見に関する法律に基づきまして、国会において大局的な観点から御検討いただけるものと我々は考えております。
政府といたしましては、法に定める移転の具体化に向けた検討責務に基づいて、国会における審議が円滑に進められますように積極的に協力していきますとともに、国民に幅広く議論を喚起していきたいと、このように考えております。
● それでは2番目の質問ですけれども、特に地元の伊勢市の記者クラブの方から要望がありまして質問させていただきますが、中部電力さんが北川知事の県議会発言を受けて南島・紀勢両町の芦浜原発計画を断念されました。しかし、地元では、まだ原発立地を巡る動きが完全に消えておらず、中電さんも正式に候補地先はまだ県内にあるというふうに言われています。
それから、世界の原発を巡る動きは大きく変化しておりますし、チェルノブイリ原発は先ほど完全に発電を停止しましたが、世界では今、新規の原発の建設をやめたり、見直す考えが出てきております。
こうした内外の情勢を踏まえ、国はこれまでの原発計画を見直す考えはないでしょうか。
それから、閣議決定での芦浜原発計画の正式撤回はないのでしょうか。御所見をお伺いしたいと思います。
原子力政策を含むエネルギー政策の在り方については、エネルギー資源の輸入依存度等、各国固有のエネルギー事情がございます。また、環境問題への対応等の観点もございまして、各国がそれぞれの条件、環境に応じて独自に判断をしていくものであろうと私はまず認識をいたしております。
エネルギー資源の大部分を輸入に頼らざるを得ない、そしてエネルギー供給構造が非常に脆弱に我が国におきましては、環境保全及び効率化の要請に対応しながら、エネルギーの安定供給を確保するための総合的な施策を講ずることが必要であると、このように考えております。
原子力発電につきましては、燃料供給や価格の安定性に加えまして、発電過程においてCO2を発生しないという環境特性を持っているわけでありまして、このため原子力発電は引き続き我が国のエネルギー供給におきましては、重要な位置付けを有している。そういう判断の下に、今後とも相当程度原子力発電に依存していくものになる、このように認識をいたしております。
したがいまして、政府といたしましては、引き続き、安全確保を大前提にしまして、地元の御理解と御協力を得つつ、一歩一歩着実に原子力立地を進めてまいりたいと考えております。
● 冒頭の発言にもございましたが、昨年12月に閣議決定した行政改革大綱に記されたように、行革の次なる大きな課題は、特殊法人、公益法人改革だと思います。大綱では5年という期限を区切り、特殊法人などを大幅に整理、廃止する方針を打ち出していますが、自社さ政権以来これまでも改革が叫ばれながら、なかなか進展してこなかった経緯があります。今後、具体的にどう取り組んでいくのか、総理の考えをお聞かせください。また、橋本龍太郎行革・沖縄担当相は、5年でなく最初の1年で終わる決意で臨むと語っています。この考えについてはいかがでしょうか、お願いします。
今、御質問の中にございましたように、行政改革は我が内閣にとりまして最重要課題の1つでありまして、1月6日に新たな府省体制が発足いたしますが、この新たな体制にやはり魂を吹き込むという意味からも、引き続き本格的な改革を進めてまいりたい、私は昨年から常にこのことを申し上げてまいりました。
先般、政府と与党が一体となりまして取りまとめました行政改革大綱は、正に21世紀の行政の在り方を示す指針として、これを策定したものでございまして、平成17年度末までを集中改革期間として、特殊法人、公務員制度及び公益法人の改革等を進めて、特に平成13年度中に、これらの改革の具体的な青写真を策定してまいりたいと考えております。
このため、1月6日の省庁改革時を期しまして、私が本部長となりまして、新たな「行政改革推進本部」を設置いたしますとともに、専任の行政改革推進事務局、約50名の体制を準備いたしておりますが、これを内閣官房に新設いたしまして、特殊法人等改革、公益法人改革及び公務員制度改革に、政府としてもまず先頭を切って取り組んでいきたいと考えております。
このうち、特殊法人、公益法人等の改革については内外の経済社会情勢の変化を踏まえまして、特殊法人等については法人の事業目的の達成度、官民の役割分担の在り方、その事業に関わる費用対効果等の観点から、公益法人につきましては官民の役割分担及び規制改革の観点等から、それぞれその抜本的な見直しを行わなければなりませんが、その際13年度中に整理合理化計画を策定するという基本スケジュールを確実に実現するため、できるだけ見直し作業のスピードを早めまして、早期に改革の方向性を明らかにしていくことが必要であると考えております。
また、公務員制度の改革につきましては、今年6月には基本設計をまとめることといたしておりまして、これを実現するための法改正を含め、着手可能なものから逐次実施することが必要であると考えております。
この件につきましては、昨年末、橋本担当特命大臣と我が党の野中本部長、当然、与党3党で協議をしまして、この政府与党の両責任者が話し合っておりまして、その結果も私は橋本さんから直接電話で報告を承っております。
いずれにいたしましても、これらの改革につきましては、正にこれからが正念場でございまして、私としては、強い決意を持って全力を挙げて取り組んでまいりたいと考えております。
● 昨年も1度伺っていますが、日朝国交正常化交渉についてです。ここ数年間、対北朝鮮政策については、日米韓の緊密な連携を保ちながら進めてきましたが、昨年末クリントン大統領が、準備を進めていた訪朝計画を断念すると発表しました。ブッシュ共和党政権に移ると、ペリープロセスも停滞するのではないかという分析も出ています。こうした、国際的な状況変化を踏まえて、総理は日朝国交正常化をどうのように取り組んでいかれるおつもりなのでしょうか。中断している政府間交渉再開の目途も含めまして、お考えをお願いいたします。
日朝国交正常化交渉につきましては、昨年の4月に約七年半ぶりに交渉が再開をされたわけであります。それ以来、10月末の北京での会談まで、3回にわたりまして交渉が行われました。これらの交渉を通じまして、双方の各々の基本的立場が明らかにされまして、交渉は双方の立場の共通点を今、探っていく、そういう段階に入っているというふうに考えております。
次回の会談につきましては、前回会談での協議を踏まえまして、更によく検討を行いまして、双方の準備が整ったところで行うこととなっておりますが、いずれにいたしましても、政府としては、韓米両国と緊密に連携をしつつ、北東アジアの平和と安定に資するような形で、第二次世界大戦後の日朝間の正常でない関係を正すという基本方針の下に、日朝国交正常化交渉に粘り強く取り組んでいく考えでございます。
今、アメリカのことも御質問の中にございましたけれども、北朝鮮がこうして国際社会の中に責任を持っていこうという動きが見られたということは、これは非常に好ましいことだと私も考えておりますし、沖縄のサミットでもG8首脳国でこれを促進をさせて、バックアップ体制を取ろうという決議をしたところでございます。
こうした北朝鮮の窓を開くと言いましょうか、ドアを開くと言いましょうか、そういう御判断になってこられたということは、これはやはり、これまでの日韓米3国の、より協調した対応の仕方が、そうした北朝鮮が国際社会の中に参加していくという好ましい姿になってきたものだろうと思いますので、これは我々としては歓迎をしなければならないと思っております。
しかし、それぞれの国よっては、それぞれ北朝鮮との経緯や過去のいろいろな事柄については、それぞれ違うわけでございますから、私どもとしては特に人道上の問題、あるいは安全保障上の問題、こうした懸案の解決に向けて全力を傾けていきたいと考えております。 
記者会見 / 平成13年4月18日
それでは、私から冒頭に若干お時間をいただいて、お話を申し上げたいと思います。
私は、このたび政権から退くことを決意いたしまして、既に閣僚や連立与党幹部の皆様に、この旨をお伝え申し上げて、そして先日自由民主党の両院議員総会におきましても、その旨を表明いたしました。本日は、この記者会見を通じまして、国民の皆様にごあいさつを申し上げたいと存じます。
政権を担当させていただきましてから1年余の間、私は国家、国民への責任を果たすべく、一日一日全力を挙げて走り続けてまいりました。この間、国民の皆様方から賜りました御支援また御声援に対しまして、まず冒頭に心から感謝を申し上げたいと思います。
私は昨年4月の就任以来、21世紀の扉を開く、そういう日本国総理大臣としての立場を与えられたわけでありまして、日本国と国民生活の将来に希望と活力をもたらすような、「日本新生」を掲げまして、その基礎づくりに没頭してまいりました。そして今、なお道は半ばでありますけれども、さまざまな分野で一定の道筋をつけることができたと考えております。我が国の現下の最大の課題でございます景気の回復と新世紀への基盤整備につきましては、その関連諸施策を盛り込みました平成13年度予算がお陰様で昨年度内に成立を見ることができましたし、重要な予算関連法案につきましても概ね成立を見ることができております。
更に、今月初めには、緊急経済対策を政府・与党一体となりまして決定をさせていただき、日本経済の構造調整とデフレ回避に取り組む断固たる決意を内外に示すことができました。
次に大きな課題でございます経済構造改革につきましても、経済財政諮問会議を中心に今、集中的に議論を進めておりまして、本日もまた5時半から、たしか7回目ぐらいになりますでしょうか、この会議を今日も行う予定でございまして、近い機会に、6月を大体目途にいたしておりますが、大きな一つの枠組み、モデルプランを作りたい、このような方針で議論を進めているところでございます。
21世紀、我が国経済社会の発展を左右いたしますIT革命の対応につきましては、IT基本法を成立させることができましたし、国家戦略としての「e-Japan戦略」も決定し、官民挙げてこれを今、推進いたしておるところでございます。この国会にも関連した法案が、恐らく十数本御審議をいただいているところでもございます。
また、21世紀を担う人を育むための教育改革につきましても、既に具体的な改革法案を今国会に提出させていただいております。
私は、今年1月の施政方針演説の中で、国民の皆様に数々のお約束を申し上げましたが、これにつきましても着実に実施してきております。具体的には、未来への先行投資になります科学技術振興のための新基本計画の策定、国民生活の安定・安心に関わります社会保障制度の再構築に向けました大綱の策定、そして、1府12省庁体制発足に伴う公務員制度の改革の大枠の定義、更に、行政改革の関連といたしまして、いわゆる特殊法人・認可法人、これの大改革と言いましょうか見直し、そして新たな規制改革推進計画の取りまとめなどがございますし、特に環境問題につきましては、いわゆる「環の国」づくり、これもいよいよ具体的な検討に入ってきているわけでございます。
一連のこれらの諸改革は、将来を見据えたものでございまして、いずれも一朝一夕では目に見えて成果の出るものではないと思いますが、我が国の次への飛躍を期しましてその道筋を用意するということであろうかと思います。ちょうど今、4人の方々が次の自由民主党総裁、その椅子を求めて議論をしておられますが、今日も記者クラブの意見を伺っておりましたけれども、ほとんどの皆さんの御意見というのは、今、私がお示し申し上げました道筋に沿って、改革を進めていただけるものであろうと期待をいたしておるところでございます。
外交面では、3月後半、日米首脳会議、日ロ首脳会談に相次いで臨むことができました。アメリカのブッシュ大統領との会談では、日米経済の協調的な建設で合意をした上に、日米間の新たな同盟・信頼関係を誓い合いました。ロシアのプーチン大統領とは、この1年の間に6回の会談を重ねまして、個人的な信頼関係を築いたことによりまして、北方四島の帰属を含む、平和条約締結問題につきまして、ようやく具体的な話し合いの段階にまでこぎつけることができたと思っております。
とりわけこの1年間、私は実に11回海外出張をいたしておりますが、実に地球を大体5周回った計算になります。マルチの世界会議も8つのグループ会議がございました。こうしたことも、恐らく20世紀から21世紀に移り変わる時期にあって大きく精勤を要するという、その中で世界の首脳たちの、いろいろな大きな活動、展開があった、その中にまた私も一緒に行動をしてきたということであろうかと思います。プーチン大統領とは実に6回、クリントン大統領とは5回、金大中大統領とはたしか7回だと記憶いたしておりますし、朱鎔基首相とは3回お目にかかっておりますが、大変多くの方々とお目にかかりましたのも、そうした大きな時代の流れを象徴するものではなかったかなと思っております。
特にこの1年間、外交面で私はアジアの近隣諸国との友好関係を深めるということは勿論でありますが、21世紀日本外交の新たな多角的な展開ということを意図してまいりました。昨年7月の九州・沖縄サミットを成功裡に開催することもできました。また、日本の首相としては10年ぶりに南西アジアを訪問することもできましたし、ネパールでありますとか、そうした国に初めて日本の首相が訪れることも実現することができました。また、サハラ以南のアフリカ三カ国も、これも日本の総理としては初めて訪れることができまして、「人間の安全保障」を我が国外交の大きな機軸にすることを世界に明らかにいたしました。これらは、今後我が国の国際的な地位の幅を広げ、信頼度を高めることにつながるものと考えております。
振り返りまして、1年という期間は、決して短くありませんが、多くのことを成し遂げるには、必ずしも十分な時間ではなかったかもしれません。しかし、両院議員総会で申し上げたのでありますが「長きを以って貴しとせず」というふうに私は考えていました。毎日、毎日、小渕前総理がああした事態でお倒れになった後を受け継ぎましたので、私はしっかりとお約束を果たすことと、そして先ほど申し上げました新たな21世紀の日本の各般にわたります道筋をしっかりつけたい、そういう思いで全力投球、全力疾走政治によって、毎日、毎日を一所懸命、私自身はやるだけのことをやり遂げたという充実感を持っておりまして、今この記者会見に臨んでいるわけであります。
先般、両院議員総会で私は野球には先発完投型もあれば中継ぎ型もあれば、佐々木投手のようなセーブポイントを上げるタイプもあるだろうというふうに申し上げたら、皆様方の一部から大魔人にでもなったつもりでいるのかねという御批判もございましたが、決して私はそのようなことを考えているのではないのであって、私なりに考えれば、先ほど申し上げたように小渕前総理の後を受けて、しっかりとその道筋をつけてやるべきことはやったと、ある意味では中継ぎ役をしっかりやり遂げたというふうに私は思っているわけであります。
一方、日本の政治は、相次ぐ不祥事もございまして、そして国民との間の信頼関係に大きな溝を生じてしまいました。国民の皆様から、極めて厳しい御批判があることを、私自身も謙虚に、かつ真摯にも受けとめておりまして、今回退陣を決意いたしましたのも、国民の皆様の政治に対する信頼を何とかして回復させたい、このために人心を一新し、新たな体制の下に原点に立ち返って、政府・与党が努力しなければならない、このように考えたからでございます。
これからの日本の政治は、必ずしも私は無党派層が中心になって日本の政治の方向を定めていくということにはならないと思うのです。やはり我々が目指した、また各党が目指した小選挙区制度という制度は、二大政党というものを求めたわけであります。そうした政権交代が容易にでき得るような、そういう政治体制をつくろうと、お互いに国の繁栄、国民の幸せのためには、双方向で与党も野党も協力していけるような、そういう体制を作ろうということでスタートしたのが政治改革であったと、私はその原点を改めて思い起こしているわけでございまして、そういう意味で私は今こそ自由民主党に対して大きく思案があると、そうしたことも十分認識をしながら、そうした皆さんの期待をもう一遍自由民主党にしっかりと取り戻していく、そのための捨て石に私はなるべきだと判断をいたしたわけであります。
今こそ国民の信頼を取り戻して、そして政治に新しい息吹を吹き込んで、政党政治の回復を訴えていくことが重要であろうと信じたわけでございます。
私は、よくスポーツに例えますので、先般も両院議員総会で申し上げたんですが、ちょっと理解をされていないというふうに記者さんからも聞きました。私は、セービングというのはラグビーの中では一番尊い行為だということを申し上げたんですが、あとからセービングとは何だねと聞かれて、説明不足だったなと思いました。大きな人たちが10人ぐらいでボールを蹴飛ばしてきて、これを防ぐには自分の身を挺してボールを生かすしかないわけです。しかし、大きな体の人たちが10人もドリブルをしてボールを転がしてくる、その敵とボールとの間を離すには、自分の身を挺してその間に入るしかないわけです。その代わり必ず10人か20人の両チームから必ず足蹴りされることは間違いない、大変に苦しい、また勇気のある行為です。私は敢えてそのことをやることが我が国の妙技だと思っていますから、敢えて身を挺してボールを生かして、そしてそのボールをみんなで協力してゴールまで運んで、見事にトライを結実させてほしいという気持ちを織り込んで、まさに身を挺したい、このように申し上げたわけであります。
私は、政権担当者としてこの場を去るわけでありますが、これからも一政治家として新しいキックオフをし、そして一党員として国民の政治への信頼回復に全力を挙げてまいりたいと考えております。
これまでの御支援と御協力に対しまして重ねて国民各位にお礼を申し上げ、これからもまた御指導賜りますようにお願いをして、私のごあいさつとさせていただきたいと思います。
【質疑応答】
● 先ほどの冒頭発言にもございましたが、国民との信頼関係の溝が生じたということがありましたけれども、任期途中で退陣決断に至った最大の理由というのは具体的にどういうことだったんでしょうか。
先ほど申し上げましたように、国民との間の理解が得られない面が出てきたということを非常に肌で感じました。まず、KSD事件でございますとか、あるいは外交機密費をめぐる事件を始めといたしまして一連の不祥事がございました。また、私自身の言動による御批判もあったことも私は率直に認めておりまして、そういう意味で残念ながら国民の皆様から十分に理解を得ることができなかったということだと思います。そして、一連の不祥事をめぐる国民からの厳しい御批判につきましては、私自身、党、内閣を預かる者として謙虚に、かつ重く受け止めてまいりました。今回、退陣に至りましたのは、政治に対する信頼をもう一度しっかりと回復するためには、新たな体制の下で改めて原点に立ち返って努力する必要があるというふうに考えたからであります。ですから、2つあると思います。1つは、私ではいけないということであれば私が去るべきであろう。それは先ほど申し上げましたように、まず自分の身を挺することであろうと考えた。私は就任をいたしましたときも、自分の座右の銘は滅私奉公だと申し上げた。古い言葉ですけれども、自分の身を捨てるということが大事だと常々そう考えておりました。もう一つは、自由民主党が国民の信頼の回復を果たして、そして政党として歩んでいけるためには、党が新しく出直すことだ。党が新しく出直すことは何であるかと考えて、そして今のこの党総裁選挙を行っていただいて、新しい総裁を選ぶその選び方と、その結果が自由民主党が本当に出直したな、再生ができるな、という希望と可能性をもたらすものであって欲しいと、このように私は考えたからであります。
● 現在、自民党総裁選が行われていますけれども、次期自民党総裁、首相に特に望まれることをお聞かせください。また、これに関連してですけれども、総理の限りなく全党員、党友の意思を反映する形の総裁選という指示に沿って、各地で予備選が実施されるわけですけれども、国会議員はその結果を尊重すべきだとお考えになりますか。
これも先ほどの冒頭の発言の中で申し上げましたけれども、これからの21世紀のあるべき方途といいましょうか、この道筋について概ね私はその大綱枠をみんなでまとめることができたと思っております。そして、これは政府だけで進めてきたことではございません。事実、与党、またなかんずく自由民主党政務調査会を中心にして党員の皆さんに御議論をいただいて、そして政府・与党で合意し、更にはまた政府・与党で一体となって今、議論をしていく。そういう段階にあるわけでございます。
そしてまた、今4人の総裁候補の方々がそれぞれ述べておられることを拝聴いたしましても、私どもが今、大筋取りまとめてまいりましたことをどういうふうに具体的に実行していくかということになるかと思っております。そういう意味で、私どもとしてこれまで取りまとめましたこれらの諸改革について、是非どなたが総裁におなりになろうともしっかりとその後を私は引き継いでいただきたいなと、そういうふうに私は希望いたしております。それからこれも重複いたしますけれども、この予備選挙、予備選挙に近い県連選挙、そしてまた24日の総裁の本選挙、これはいずれにしましても先ほど申し上げましたように本当に自由民主党が新しく出直したな、いけるなというような、そういう結果を是非みんなで導いてほしいなというふうに、新しい総裁に是非そういうことを御要望したいなと思っているところでございます。
3月13日に申し上げましたことは、全党員、党友の声を限りなく反映してほしいと申し上げた。それは国会中でもございますし、国会が終わりますとすぐに参議院選挙になりますから、そういう意味では本格的な総裁公選規程によります選挙はできませんので、できる限り最短距離の中で、そしてできるだけこの予備選挙の意思が反映でき得る形でやってほしいという意味でございまして、古賀幹事長にもお願い、党執行部も御協議をいただいて、ほとんどの都道府県連がこれを今、実行していただいているということは私の希望に沿っていただけたものだと考えております。
そして、これからその結果を踏まえて24日に国会両院議員、そして県連からの代表が新たに3名ということになりまして、数についてはいろいろな議論が党内であったことは承知しておりますが、少なくとも臨時の今のこの事態の中で3名という投票権を得たということも、私の気持ちも含んでいただけたものだというふうに私は考えております。その結果は各県連、都道府県連で行われる選挙と本選挙とは別なんだということは、いわゆる総裁公選規程や党則上は別なのかもしれませんが、多くの党員、党友が責任と自信を持って決めた結果というものについては、やはり両院議員は私はこれを真摯に受け止めて、その中でみんなでどのような結論を出すかということ、そのことを苦しくてもやり遂げることが私は党再生のスタートだというふうに希望をいたしております。
● 台湾の李登輝前総統へのビザ発給問題についてなんですが、河野外務大臣は国際情勢を勘案して慎重な姿勢を崩していないようですけれども、総理はこれに積極的な考えを持っていると聞いています。総理が在任中にビザを発給する考えはありますでしょうか。
李登輝氏が心臓病の術後の検査のために我が国の専門病院に行って診察を受けたいという御希望がありますことは、かねてから私は承知をいたしております。また、これにはいろいろと昨年からの経緯もございまして、李登輝氏のそのような希望に対しては、これは人道的な見地を踏まえて判断を行わなければならないというふうに私は考えております。一方、本件はこうした人道的側面と同時に、我が国を取り巻く国際的環境と、さまざまな要因も考慮をしなければならない。そういうことを考慮しつつ主体的に決定を行う必要があると、このように考えております。現在、政府部内で検討をしておりますが、いずれにいたしましても私は結論は早急に出したいと、このように考えております。
● 森内閣の1年間、1年余りを振り返りまして、やはり経済問題が特に株価の下落などに象徴されますように、かなり悪化したという認識を私どもは持っておるんですけれども、総理はこの点につきましてはいかがお考えでしょうか。
常々いろいろな機会で申し上げましたし、また国会の答弁でも申し上げましたし、小渕内閣以来それを継承させていただきました私としては、最大の政治課題は景気の本格的回復ということでございました。そして、いわゆる公需から民需への移行をさせていきたいということで、概ねその方向はかなりのところまできておったというふうに私は見ております。
残念ながらこの経済というのは常にいろいろな諸条件が大きな要因をなしていくわけでございまして、いま一歩というような中で消費面、家計部門が思ったような動きがなかった。これにはさまざまな原因があることは何度も申し上げていたわけであります。
同時にまた株価の低迷もございましたし、何と言いましてもアメリカ経済の低迷といいましょうか、これがアジアにも大きく影響をしてきたという、そうした要因が出ることによって、構造的な改革をしていかなければならないだろう。そういう意味で、日本経済の構造の改革をする、その大きな一つのポイントはやはり不良債権の問題であったというふうに思っております。
そしてもう一つは、株価によって動かされている現状というのは、残念ながら日本の株というものはどうしても外人株に影響を受けていく。そして、個人投資家が意外に少ないということなどを考えますと、グローバル化した国際社会の中で、やはり欧米と同じような株の市場環境というのを整える必要がある。そうしたことなどを検討した結果、先ほど申し上げました政府・与党によります緊急経済対策としてこれをまとめ上げたわけでありまして、これを今それぞれの部門に分けましてプライオリティを付けながら進めているところでございます。今4人の方々に、新しく総裁になりそしてまた総理にお就きになれば、まずはこのことをしっかりやり遂げていっていただきたいというふうに思っております。まずこの問題をしっかり解決させることによって国民の皆さんに安心をしていただける。
そして、先般ブッシュ大統領ともお話を申し上げましたが、世界経済の4割を米国と我が国で占めているという、その両国の責任から見ましても、両国がお互いに協調しながら世界経済が持続的に発展可能になるように、お互いに努力していこうということを確認したということもまた、私としても大きなことであろうと思いますし、そうした方向について努力してまいりたいというふうに考えております。
● 日ロ首脳会談について伺いたいと思います。プーチン大統領は首脳会談の中で歯舞、色丹の2島の返還の意思を示したというふうに伝えられておりますけれども、ロシア側は2島返還で決着したいというような立場もあるようですが、日本政府としましては4島ということを求めていくわけだと思います。そこはどのようにアプローチすべきだというふうにお考えですか。
いわゆる56年宣言、やはり我が国としては当時は4島一括返還でございましたから、これは最終的に合意はいたしましたが、そのことで決着でき得なかったというのは御承知のとおりでございます。
それで、私は今回プーチン大統領にお目にかかったときに、この56年宣言というものをもう一度正式に公式に文書化したらどうだろうか、これは、昨年9月にお見えになりました時の日ロの正式首脳会談の中でもこうしたお話がプーチン大統領からも出されまして、私はこれを合意文書にしたいというふうに確認をしたかったわけでありますが、プーチン大統領としては国内の調整等もございますので、このことについて文書化することはいましばらく時間が欲しいということでございましたので、あの時はプーチン大統領と私とで共同記者会見の中で私から述べるということについて、ロシア側の合意を得ていたわけでございます。
そして、御承知のように今般のイルクーツク会談の前々日であったと思いましたけれども、それぞれ私どもはテレビインタビューを通じて考え方を述べたわけでありますが、その際プーチン大統領から、このことはロシア、当時ソビエトでも議会で批准をしている、従って、国民がこれを負う責任があるんだということを明確におっしゃった。私はこれを非常に多といたしました。そして、大統領とお目にかかったときにも、このことはもちろん私どもに対するメッセージでもあるけれども、同時にロシアの国民に対する責任だよということをおっしゃったというふうに私は理解しましたが、そういうことですねと申し上げて、そのとおりだというふうにおっしゃいました。
そういう意味で、ここをまず文書化できたということは、ややもすると2島を先行して返還をしたらどうかという議論になったり、あるいはそういうことで皆様方のマスコミ等にもそういう表現があったと思います。これは2島を先に返すということではなくて、東京宣言はやはり4島の帰属を確定していくということを合意をしているわけであります。
しかし、4つのものをすべて合わせた議論をいつまでもやっていたら同じことを続けるだけのことだし、ロシア側としては国後、択捉については必ずしもまだ彼らの気持ちとしてはそこまで至っていないという現実を考えれば歯舞と色丹については一歩前へ進めましょう、これまでの専門会議よりももっと、より専門的に高度なハイレベルな会議の中で具体的にどうしたらいいのか、ロシア側にも懸念材料はいろいろあるわけですね、例えばそこに住んでいらっしゃる人々のことだとか、いろいろございます。そういう問題や安全保障の問題もロシアとしては大変関心を持っております。ですから、そういう分野の皆さん、経済の問題、そういう皆さんも今度は入って、単なる外務省、外交畑だけの専門会議ではなくて、そういう分野の皆さんも入った新しい1つランクを上げたと言いましょうか、そういう専門的な会議にしましょうということについて、プーチン大統領はそれを了とされたわけであります。
そして、もう一つの国後、択捉については、今後更に引き続きこの話し合いを進めていきましょうということで合意を得たわけでありまして、従って、私はこれを車の両輪というふうに申し上げているわけですが、歯舞、色丹のこのグループと、国後、択捉のこのグループ、多少中身に段差がございます。ございますが、お互いにそのことの議論を進めていく中で、相互にいろいろとまたいい相乗効果が出てくる、そういう要素もあるのではないかということで、まずはこの車の両輪を少し互い違いになるかもしれませんが、動かしていくことによって考え方もまとまっていくのではないか、このような合意を得たわけでありまして、私はそういう意味で大変長い時間掛かりましたし、これまでのすべての合意事項を認め合って、そしてある意味では新しいステップに入ったというふうに私は理解をしているわけでありまして、そのような形で車の両輪をこれからも更にしっかり回していきたいと考えております。
● 総理の在任期間中で報道機関との関係というものが非常に政権に対して、国民に対しても大きな影響を与えたように思います。私は総理番になりまして4か月なんですけれども、今日初めてというか、総理の肉声をきちんとお伺いするのは本当に初めてのような感じもするわけなんですが。
私の何ですか。
● 肉声ですね。きちんと御自分のお考えをお伺いしたのは、これが初めてのような感じさえするんですけれども、メディアとの関係という意味で、ここまで悪化したことについて総理はどのようにお考えになっているかということをお聞かせいただけないでしょうか。
悪化したと私は考えておりませんけれども、総理の考えていること、内閣の考えていること、これは私的なことではないと思うんです。政府としてどうするか、従って、政府の考えたこと、やったこと、私が思うこと、また私がいろいろ行動したこと、これはそこにおられます官房長官が毎日、午前と午後定期的にきちんと会見をされているわけであります。
ですから、官房長官と昨日も話しますと、「官房長官とのお話はどうでしたか」と聞かれても、これは官房長官がお答えする役回りであって、これを私に歩きながら聞くということは、私はやはりおかしいと思うんです。ですから、私はそういう意味では、歩きながら聞くということは本当にいいのかどうか。国際情勢、株価、為替、大変大きな問題がたくさんあると思います。
今日も私は聞かれました。「李登輝さんは、決めたんですか、いつにしたんですか。」そんな大事な問題を歩きながら、我々は苦労しながら今、政府部内の意見を取りまとめている一番大事な時に、官房長官とはよく会いますが、その都度それをおっしゃってくださいと言われても、それは私は責任上そんな簡単に申し上げるわけにはいかないんです。ですから、そういう考え方から言えば、私もお話しすることは決して嫌じゃないんです。できれば、毎日でもこうして会見があってくれればいいと思っているんです。しかし、残念ながらできないでしょう。
この間、あるテレビから、森さん電話しなさい、電話しなさいと討論番組で言われて、私はしたくてしようがなかったんだけれども、それをしたら記者会の皆さんがお困りになるんでしょう。そういう取り決めがあるんでしょう。昨年、小渕さんがそれをやって、その会社は始末書を取られたじゃないですか。私もテレビの画面から5回も田原さんに呼び掛けられて、「総理どこにいるんですか、答えなさい、電話しなさい。」と言われて、私も人間ですからしたいです。私の家に電話はどんどんかかってくるんです。「何で総理は答えないんだ。何で田原さんが呼び掛けているのに電話しないんだ。」と言われる。私がしたらその会社は迷惑が掛かるんでしょう、そんなことを私が考える必要はないのかもしれませんけれども。しかし残念ながら私は電話したけれども、一向に話し中で電話に出てこなかったとも事実なんです。
ですから、本当を言えば私としてはそういう会見をしたりお話しをできることはしょっちゅうあればいいと思っているんです。アフリカへ行った帰りにも記者会見したいな、ミレニアム・サミットに行った後もすぐ会見したいな、いつもそう思っています。しかし、その会見は仕組み上は官房長官がすることになっているわけでしょう。ですから、これは皆さんで考えてくださいと申し上げているんです。
これはもう最後になりますから申し上げますが、歩きながらはやめようなと、できたらどうでしょう、午前、午後、立ち止まって2、3分ずつ取りましょうか、そういう仕組みなら私は喜んでお話ししますよということを私の記憶だけでも2回、記者団の皆さんに申し上げてあります。一向にその御返事はなかった。私は、非常に残念に思っているんです。
今、御質問された方もこれから新聞記者として大きく伸びて行かれるわけですが、我々にも構造改革や規制緩和やいろいろ求めておられるわけですから、皆様方もやはり報道の在り方とか、そうした取材だとか、そういうことの仕組みをやはり少しでも検討されていく、仕組みをみんなで考えていくということは大事なんじゃないでしょうか。それでこそ国民を代表して、皆さんが私どもにいろいろな意見を求める、考え方を聞くということになるんじゃないでしょうか。
是非私は御検討いただきたい。この古い官邸も私で終わりでありまして、次の総裁は今、建築中の新しいところにおいでになると思いますが、そこの官邸では総理の執務室の横にみんなが座り込んでいるというような、そんなおかしな現象はできないような仕組みになるというふうにも聞いております。恐らく日本だけじゃないでしょうか。総理大臣の隣りの部屋に長い間、みんなが座り込んでいるなどというような形は。外国のお客さんたちがよく来られて私に、あの人たちは何ですかと聞かれることがあるんです。お互いに開かれた、そういう報道の在り方あるいは政治もできるだけ情報を出していく、そういうことで言ったら、皆さんも新しい仕組みを是非考えていただきたい。大変生意気なようなことですけれども、私はそういう意味でいろいろな問題点を投げかけたつもりでございますので、御無礼はあったかもしれません。それはお詫びを申し上げますが、是非私はそういう意味での改革をしていただきたいなということを最後に希望いたしておきます。
● もう一点だけ伺いたいんですけれども、これまで総理は退陣する意向を閣僚懇とか、あるいは両院議員総会で既に述べられていますけれども、国民に対して会見で述べられるというのが一番最後になって、しかもこの時期になった。これはどうしてだったんでしょうか。その理由を御説明いただきたいんですが。
これは、ちょっと時間をいただいて恐縮でありますが、3月13日に党大会がございました。その前にさまざまな党の中の動き、あるいは県連の動き等がございました。なおかつ、この13日の大会は従来のように小規模なものではなくて日本武道館で1万人近い全国の党員、党友のお集まりになる参議院選挙前の大事な初めての試みでありますので、できるだけこれが静穏で、そして選挙に向けてお互いに心が一つになる、そういう大会にしなければならぬ。これは総裁として私が一番望むところであります。
しかしながら、その以前に状況が、環境が必ずしもそういう方向ではなかった、そう思いましたので私は確か10日の日であったと思いますが、3月10日に党5役の皆さんに公邸に夜おいでをいただきました。昨日、何かテレビで日曜日の討論会を見ておりましたら、みんな5役が私のところに来て私に辞めろと言ったというようなことを言われた方がありましたが、全然違います。私が皆さんにおいでをいただいて、あの日は確か日曜日だったと思いますので、東京にお帰りになる日の時間、ちょっと遅い時間だけれども、是非おいでをいただきたいということで5役においでいただいて、そして3月13日の党大会には先ほど私が申し上げたように、党の再生を果たす大事な大会になるようにしたい、そういう意味で、私は敢えてこの総裁選挙というものを前に倒してやることで結構ですと。その代わり、党員、党友の全員の気持ちがそれに伝わるようなものにしてもらいたいということを申し上げたわけでございます。
このことが、皆さんから見ればもう事実上の辞任ということで言われるわけでありますが、この時点ではまだ残念ながら予算が審議中でありました。ですから、予算をしっかり上げることと、予算関連法案をしっかり上げるということが国民生活にとって何よりも大事なことだし、先ほどの御質問にもございましたけれども、今の経済の現況から見れば、このことだけは至上命令だと考えましたから、私はああいうことを申し上げて、予算委員会で野党の皆さんにいろいろ責められたらつらかったです。しかし、私はそこで辞めるんですということは言えないです。それは国民のために、国民生活を犠牲にできない。ですから、私はずっと延ばしてまいりましたけれども、しかし幸い皆さんの御努力、または野党の皆さんの御協力もあって予算及び予算関連法案、重要法案についてはほぼ成立する目処もついてまいりましたので、私は初めて両院議員総会でも申し上げ、また閣議でもそういうふうに申し上げたわけであります。
国民に向かって今日まで遅れたということについては、これは御批判があるかもしれませんが、一番いいタイミングはどこであろうかということを官房長官とも十分相談をいたしました。ちょうど党の総裁選挙というのがございましたし、これの妨げにもなってはいけないなと思いました。そして、今のところは順調な党の総裁のいわゆる事前の県連選挙といいましょうか、それが今、行われているところでもございますので、今日のこの日を選ばせていただいて、この機会に国民の皆様にごあいさつを申し上げたというのが、遅れたといいましょうか、今日申し上げた理由になるわけであります。
● 最後に1問、ロシアのプーチン大統領に、自分は間もなく退陣するということをお話になったことを前日北方領土の視察の際におっしゃいました。当時はまだ予算関連法案の審議中であったわけですけれども、そういう時点において他国の元首に辞任の意向を伝えるということについて、今から振り返ってその是非についてお聞かせ願いたいと思います。
これは、そこのところだけを取り上げるとそういうふうになりますが、ずっと実は日本にプーチン大統領が9月にお見えになりましたときから私はそういう意向を申し上げてあるわけです。ちょっと奇異に感じられるかもしれません。それは日本の政治情勢はいろいろありますということを申し上げて、そしてどなたが日本の総理大臣としておやりになってもしっかりやり遂げてほしいし、プーチン大統領には、あなたは恐らくこれからロシアの政権を責任を持って進めていかれることになるだろうと私は思うので、是非あなたの代にあなたの任期の中でこの問題を解決してほしい。これまでゴルバチョフあるいはエリツィン、いろいろな方がおられました。しかし、その都度人が替わったりしますと、またそれらの解釈がいろいろと違ったとは言いませんけれども、また初めから仕切り直すようなことはなかったとも言えないと思います。そういう意味でそういうことをプーチン大統領に申し上げて、自分の置かれている政治状況というものを私は率直に申し上げました。
プーチン大統領も、自分が置かれている政治状況を話してくれました。そして、彼の考え方も話してくれました。それはこういう場所では申し上げられません。いずれまた何かの機会があれば申し上げることはできますが、そういうお互いに心の中から自分の状況、自分の立場というものをみんな率直に話し合うことによって、相手の立場を私は理解し合えると思うし、そういう延長線上の中でブルネイの時にもそういうような話をしております。
それからまた、プーチン大統領も厳しい状況を一時期は乗り越えたねとか、そんなお話もいろいろありました。しかし、私は自分で自分なりの見通しを絶えず立てながら話しているわけでありまして、それだけを取り立てるとそのような御疑問が出るのかもしれませんけれども、全体の長い、サンクト・ペテルブルグからずっと続いている、6回、恐らく時間にして20時間ぐらいになるんでしょうか、その話のずっと延長の中でき来ている話だというふうに是非理解をしていただきたい。
私はすぐ辞めるとか、これでどうだとか、そういう言い方をしているわけではないんです。何とかしてこの交渉をまとめたい、誰がなってもこのことをしっかりやり遂げてほしい、だから、大統領からも、私のことをヨシ、ヨシと言っていましたが、「ヨシ、あなたとやりたいけれども、もしそういう事態でなければ、誰がなっても私はこの姿勢を崩さないで進めるよ。」ということを言っていただいたから、ありがとうと。だから、私も全力を挙げるけれども、もしそういう事態になったとしてもこの考え方をずっとお互いに進めていこう、いってほしいなと。私も一党員としてその時はしっかりとバックアップしていきたいというふうに思うということを申し上げた。そういうお互いに人間同士、政治家同士のやりとりの中で出てきた言葉だというふうに是非理解をして欲しいと思います。 
内閣総辞職に当たっての談話 / 平成13年4月26日
森内閣は、本日、総辞職いたしました。
私は、昨年四月、病に倒れられた故小渕総理のあとを受けて、内閣総理大臣に就任して以来一年余りの間、わが国と国民生活の将来に希望と活力をもたらすよう「日本新生」を内閣の目標として掲げ、諸般の課題に全力で取り組み、様々な分野で一定の道筋をつけることができました。
中でも二十一世紀の経済社会の発展を左右するIT革命に関しては、いわゆるIT基本法を成立させるとともに、「e―Japan戦略」を決定し、官民挙げて強力に推進することとしております。
本年一月には、国の行政組織としては、明治維新、戦後改革に匹敵する歴史的な大改革である一府十二省庁の新体制を無事発足させ、更に、この新しい「器」に魂を吹き込む公務員制度改革等の行政改革を進めました。
外交面では、故小渕総理がその実現に強い意欲を示しておられた九州・沖縄サミットの開催を成功させたほか、二十一世紀日本外交の新たな多角的展開をめざし、日米、日露首脳会談をはじめとして、南西アジア訪問や現職総理としては初めてとなるサハラ以南のアフリカ諸国訪問等精力的にこなしてまいりました。
現下の最大の課題である景気回復と新世紀の基盤整備を図る平成十三年度予算が成立するとともに、去る六日には、緊急経済対策を決定し、日本経済の構造調整とデフレ回避に取り組む断固たる決意を内外に示すことができました。
他方、現在のわが国の政治に対しては、相次ぐ不祥事等の発生もあり、国民の皆様から極めて厳しいご批判があることを真摯に受けとめ、この際、新たな体制のもとで、政治に対する信頼の回復を図りつつ、山積する内外の諸課題に取り組む必要があると考え、総理の職を辞することといたしました。
わが国の経済社会は、現在厳しい状況におかれていますが、新しい展望を開いてゆくためには、国民全体が力を合わせ、勇気をもって抜本的な改革を進めてゆくことこそが重要であると考えております。
これまでの国民の皆様の暖かいご支援とご協力に対し、心より御礼申し上げます。 
 
小泉純一郎

 

2001年4月26日-2003年11月19日(938日)
2003年11月19日-2005年9月21日(673日)
2005年9月21日-2006年9月26日(371日)
1994年(平成6年)、自民党は日本社会党委員長の村山富市を総理大臣指名選挙で支持して自社さ連立政権を成立させ政権に復帰、野中広務らの平成研究会(旧竹下派)が主導的な力を持つようになった。
1995年(平成7年)の参議院議員選挙で自民党は新進党に敗北。河野は続投を望んだが、平成研究会は政策通で人気のある橋本龍太郎を擁立した。小泉らの清和会は河野を支持したが、情勢不利を悟った河野が出馬断念を表明したことで、橋本の総裁就任は確実になった。無投票で総裁が決まることを阻止したい小泉らは森喜朗(清和会)擁立を図るが森が辞退したため、小泉が自ら出馬することを決めた。
既に大勢が決していた上に、郵政民営化を主張する小泉は党内で反発を買っており、出馬に必要な推薦人30人を集めることができたことがニュースになる有り様だったが、それでも若手議員のグループが小泉を推した(中川秀直や山本一太、安倍晋三もいた)。結果は橋本の圧勝に終わったが、総裁選出馬により郵政民営化論を世間にアピールして存在感を示すことはできた。
1996年(平成8年)に村山が首相を辞任し、橋本内閣が成立すると、小泉は第2次橋本内閣で再び厚生大臣に就任する。小泉は相変わらず自説を曲げず「郵政民営化できなければ大臣を辞める」と発言、国会答弁で「新進党が郵政三事業民営化法案を出したら賛成する」と郵政民営化を主張したときは、与党から野次を受け、逆に野党から拍手を受けることもあった。同年、在職25年を迎えたが永年在職表彰を辞退した。
1997年(平成9年)、厚生大臣時代に厚生省幹部と参議院厚生委員会理事と食事を取っていたが、村上正邦自由民主党参議院幹事長が円滑な参議院審議を求める参議院理事のスケジュール管理の立場から、村上への事前通告がなく参議院理事を動かしたことで参議院スケジュール管理に支障を来たしたことを理由に反発した。村上が参議院厚生委員長に対して議事権発動を促し、厚生省幹部の出席差し止めという形で小泉厚相に反発。YKKの盟友だった加藤紘一幹事長を中心とする党執行部は異常事態を打開するために村上を参議院幹事長から更迭しようとするが、村上は参議院の独自性を盾に抵抗。村上更迭という強行案には、党内連立反対派(保保連合派)らの反発を党執行部が恐れたため、小泉厚相に対して村上参院幹事長に全面謝罪させることを提案、小泉が村上に謝罪したことで収束した(この事件が小泉にとって、参議院の影響力の大きさを実感する出来事であった。2001年に首相になった時、トップダウン方針と言われながらも、参議院の実力者であった青木幹雄に参議院枠を初めとする一定の配慮を示す原因になったと言われている)。
1998年(平成10年)の参議院議員選挙、自民党は大敗を喫し、橋本は総理大臣を辞任した。後継として、小渕恵三、梶山静六と共に小泉も立候補したが、盟友の山崎・加藤の支持を得られず、仲間の裏切りにもあい、所属派閥の清和会すらも固めることもできず最下位に終わった(総裁には小渕が選出)。この敗北では大きな挫折感を味わい、敗北後の清和会の会合では、泣いている小泉の映像が残っている。
加藤の乱
2000年(平成12年)、小渕が急死し、党内実力者の青木幹雄、野中広務らの支持により幹事長だった森喜朗が総理・総裁に就任。小泉は清和政策研究会(森派)の会長に就任した。第2次森内閣組閣では安倍晋三が内閣官房副長官に、中川秀直官房長官のスキャンダル辞任後の後任に福田康夫が、それぞれ小泉の推薦を受けて就任した。
この総理就任の経緯は密室談合と非難され、森内閣は森の旧来政治家的なイメージも相まって人気がなく、森の失言が次々とマスコミに大きく取り上げられ、支持率は急落した。このころの小泉は公明党との協力に批判的で、2000年6月の衆院選で公明党候補が多く落選したことについて野中幹事長が「大変なご迷惑をかけた。万死に値する」とコメントしたことを、猛然と批判している。森内閣の支持率は2000年11月には18.4%を記録し、これに危機感を抱いた反主流派の加藤紘一・山崎拓が公然と森退陣を要求し始めた。加藤と山崎は、自派を率いて、野党の提出する内閣不信任案に同調する動きを見せた。一方、森派の会長だった小泉は森支持の立場を明確にし、党の内外に加藤・山崎の造反を真っ先に触れ回った。
加藤はマスコミに積極的に登場して自説を主張し、普及し始めたインターネットを通じて世論の支持を受けたが、小泉ら主流派は猛烈な切り崩し工作を行い、加藤派(宏池会)が分裂して可決の見通しは全くなくなり、加藤・山崎は内閣不信任案への賛成を断念した。これにより、総理候補と目された加藤は、大きな打撃を受け小派閥に転落、一方、森派の顔として活躍した小泉は党内での評価を上げた。
小泉旋風
森の退陣を受けた2001年4月の自民党総裁選に、橋本龍太郎、麻生太郎、亀井静香と共に出馬。敗れれば政治生命にも関わるとも言われたが、清新なイメージで人気があった小泉への待望論もあり、今回は森派・加藤派・山崎派の支持を固めて出馬した。小泉は主婦層を中心に大衆に人気のあった田中眞紀子(田中角栄の長女)の協力を受けた。
最大派閥の橋本の勝利が有力視されたが、小泉が一般の党員・党友組織自由国民会議会員・政治資金団体国民政治協会会員を対象とした予備選で眞紀子とともに派手な選挙戦を展開した。小泉は「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と熱弁を振るい、街頭演説では数万の観衆が押し寄せ、閉塞した状況に変化を渇望していた大衆の圧倒的な支持を得て、小泉旋風と呼ばれる現象を引き起こす。こうした中で、次第に2001年7月に控えた参院選の「選挙の顔」としての期待が高まる。そして小泉は予備選で地滑り的大勝をし、途中で中曽根元首相、亀井元建設相の支持も得、4月24日の議員による本選挙でも圧勝して、自民党総裁に選出された。4月26日の首班指名選挙で公明党・保守新党の前身保守党、「無所属の会」所属の中田宏・土屋品子・三村申吾の支持を受け総理大臣に指名され同就任した。 
小泉は組閣にあたり、慣例となっていた派閥の推薦を一切受け付けず、閣僚・党人事を全て自分で決め、「官邸主導」と呼ばれる流れを作った。言い換えると、従来の派閥順送り型の人事を排したのである。少数派閥の領袖である山崎拓を幹事長に起用する一方で、最大派閥の平成研究会(橋本派)からは党三役に起用しなかった。人気のある石原伸晃を行政改革担当大臣に、民間から経済学者の竹中平蔵を経済財政政策担当大臣に起用した。また、総裁選の功労者の田中眞紀子は外務大臣に任命された。5人の女性が閣僚に任命された(第1次小泉内閣)。
「構造改革なくして景気回復なし」をスローガンに、道路関係四公団・石油公団・住宅金融公庫・交通営団など特殊法人の民営化など小さな政府を目指す改革(「官から民へ」)と、国と地方の三位一体の改革(「中央から地方へ」)を含む「聖域なき構造改革」を打ち出し、とりわけ持論である郵政三事業の民営化を「改革の本丸」に位置付けた。特殊法人の民営化には族議員を中心とした反発を受けた。
発足時(2001年4月)の小泉内閣の内閣支持率は、最も高かった読売新聞社調べで87.1%、最も低かった朝日新聞社調べで78%を記録。これは戦後の内閣として歴代1位の数字である。「小泉内閣メールマガジン」を発行し、登録者が200万人に及んだことも話題となった。この小泉人気に乗るかたちで同年7月の参議院議員選挙で自民党は大勝した。
終戦の日の8月15日に靖国神社参拝をすることを、小泉は総裁選時に公約としていた。総理の靖国神社参拝は中国・韓国の反発に配慮して長年行われていなかった。小泉は、批判に一定の配慮を示し、公約の8月15日ではなく13日に靖国神社参拝を行った。翌年以降も、毎年靖国参拝を行った。2006年には公約であった終戦の日における参拝を実現した。
9月11日、米同時多発テロの発生を受けて、ブッシュ大統領の「テロとの戦い」を支持した。米軍らのアフガニスタン侵攻を支援するテロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊を米軍らの後方支援に出動させた。
国際情勢が緊迫する中、外務省は、田中外相が外務官僚や元外務政務次官の鈴木宗男議員と衝突し、機能不全に陥っていた。小泉は2002年2月に田中外相を更迭した。人気の高い田中の更迭により、80パーセントを超える異例の高支持率であった小泉内閣の支持率は50%台にまで急落した。田中は大臣更迭後の同年8月に秘書給与流用疑惑が浮上し議員辞職した。
小泉は、2002年(平成14年)9月に電撃的に北朝鮮を訪問し、金正日国防委員長と初の日朝首脳会談を実現し、日朝平壌宣言に調印した。この訪問で金正日は北朝鮮による日本人拉致を公式に認め、拉致被害者のうち5名を日本に帰国させることを承認した。しかし、残りの拉致被害者のうち8名が死亡・1名が行方不明とする北朝鮮の回答に対し、拉致被害者家族は怒りを隠さず、交渉を終え帰国した小泉を面罵する場面もあった。
2002年9月30日、小泉改造内閣が発足。柳沢伯夫を金融大臣から更迭して、竹中平蔵に兼務させた。これにより、以後は不良債権処理の強硬策を主張する竹中が小泉政権の経済政策を主導した。
2003年(平成15年)3月、アメリカはイラクへ侵攻してフセイン政権を打倒した。小泉は開戦の数日前にアメリカ支持を表明し、野党やマスコミの一部から批判を受けた。日米同盟こそが外交の基軸とのスタンスを崩さず、ブッシュ大統領との蜜月関係を維持した。イラク戦後復興支援のための陸上自衛隊派遣が喫緊の課題となり、7月にイラク特措法を成立させた。これに先立つ6月には、長年の安全保障上の懸案だった有事関連三法案(有事法制)を成立させている。
9月に行われた自民党総裁選で平成研究会は藤井孝男元運輸大臣を擁立して小泉おろしを図ったが、参院自民党幹事長であった青木幹雄がこれに与せず派閥分裂選挙となり、藤井は大敗。藤井擁立の中心となった野中広務は10月に政界を引退した。平成研究会(旧経世会)の凋落を示す事件で、清和政策研究会(森派)が党の主導権を掌握することになる。
2003年9月、自民党総裁選で再選された小泉は小泉再改造内閣発足させ、党人事では当選わずか3回の安倍晋三を幹事長に起用する異例の人事を行い、11月の総選挙では絶対安定多数の確保に成功。閣僚を留任させた第2次小泉内閣が発足した。この際、中曽根康弘元首相、宮沢喜一元首相に引退を勧告した。
2004年(平成16年)1月、陸上自衛隊をイラク南部のサマーワへ派遣したが、4月に武装集団がイラクにいた日本人を拉致して「イラクからの自衛隊の撤退」を要求する事件が起きた(イラク日本人人質事件)。小泉は「テロには屈しない」とこれを明確に拒否。人質3人は後に解放された(地元部族長の仲介によるものとされる)。
2004年5月、小泉は再び北朝鮮を訪問、平壌で金正日総書記と会談し。北朝鮮に対する25万トンの食糧や1000万ドル相当の医療品の支援を表明し、日朝国交正常化を前進させると発表した。この会談で新たに5名の拉致被害者が日本に帰国した。小泉はアメリカとの連係を強化して「対話と圧力」の姿勢を維持した。
2004年6月、2003年6月に制定された有事関連三法に基づいて、「米軍と自衛隊の行動を円滑かつ効果的にする法制」、「国際人道法の実施に関する法制」、国民保護法等の有事関連七法(有事法制)を成立させた。
2004年7月の第20回参議院議員通常選挙を控え、年金制度改革が争点となった。小泉内閣は参院選直前の6月に年金改革法を成立させたが、選挙では自民党が改選50議席を1議席下回り、民主党に勝利を許した。この責任をとって安倍幹事長が辞任し、武部勤が後任となった。
小泉の最大の関心は、持論の郵政民営化にあった。参院選を乗り切ったことで小泉は郵政民営化に本格的に乗り出し、2004年9月に第2次小泉改造内閣を発足させ、竹中を郵政民営化担当大臣に任命した。「基本方針」を策定して、4月に開設した郵政民営化準備室を本格的に始動した。
小泉劇場
2005年(平成17年)、小泉が「改革の本丸」に位置付ける郵政民営化関連法案は、党内から反対が続出して紛糾した。小泉は一歩も引かぬ姿勢を示し、党内調整は難航する。反対派は亀井静香、平沼赳夫が中心となり長老の綿貫民輔を旗頭に100人近い議員を集めた。法案を審理する党総務会は亀井ら反対派の反発で紛糾し、遂に小泉支持派は総務会での全会一致の慣例を破って多数決で強行突破した。反対派はこれに激しく反発し、事態は郵政民営化関連法案を巡る小泉と亀井・平沼ら反対派との政争と化した。
衆議院本会議における採決で、反対派は反対票を投じる構えを見せ、両派による猛烈な切り崩し合戦が行われた。7月5日の採決では賛成233票、反対228票で辛うじて可決されたが、亀井、平沼をはじめ37人が反対票を投じた。参議院では与野党の議席差が少なく、亀井は否決への自信を示した。小泉は法案が参議院で否決されれば直ちに衆議院を解散すると表明するが、亀井ら民営化反対派は、衆院解散発言は単なる牽制であり、そのような無茶はできないだろうと予測していた。
2005年8月8日、参議院本会議の採決で自民党議員22人が反対票を投じ、賛成108票、反対125票で郵政民営化関連法案は否決された。小泉は即座に衆議院解散に踏み切り、署名を最後まで拒否した島村宜伸農林水産大臣を罷免、自ら兼務して解散を閣議決定し、同日小泉は、憲法第7条に基づき衆議院解散を強行した。
小泉は、法案に反対した議員全員に自民党の公認を与えず、その選挙区には自民党公認の「刺客」候補を落下傘的に送り込む戦術を展開。小泉は自らこの解散を「郵政解散」と命名し、郵政民営化の賛否を問う選挙とすることを明確にし、反対派を「抵抗勢力」とするイメージ戦略に成功。また、マスコミ報道を利用した劇場型政治は、都市部の大衆に受け、政治に関心がない層を投票場へ動員することに成功した。それにより9月11日の投票結果は高い投票率を記録し、自民党だけで296議席、公明党と併せた与党で327議席を獲得した。この選挙はマスコミにより「小泉劇場」と呼ばれた。
2005年9月21日、小泉は圧倒的多数で首班指名を受け、第89代内閣総理大臣に就任する。10月14日の特別国会に再提出された郵政民営化関連法案は、衆参両院の可決を経て成立した。この採決で、かつて反対票を投じた議員の大多数が賛成に回り、小泉の長年の悲願は実現した。
なお、賛成票を投じた永岡洋治議員の自殺のように郵政民営化関連法案の成立には多くの事件が発生していた(葬儀に小泉が出席した後、故人の親族は本法案の賛成を表明)。
ポスト小泉
2005年10月、第3次小泉改造内閣が発足。ポスト小泉と目される麻生太郎が外務大臣に、谷垣禎一が財務大臣に、安倍晋三が内閣官房長官に起用された。
この後、2005年11月〜2006年1月にかけて、構造計算書偽造問題、皇位継承問題、ライブドア・ショックと堀江貴文の逮捕、米国産牛肉輸入再開問題など、政権への逆風となる出来事が相次いで発生した。野党は攻勢を強め、9月の退陣へ向けて小泉内閣はレームダックに陥るのではないかとの予測もあった。しかし、堀江メール問題で民主党が自壊したため、内閣の求心力が衰えることはなく、通常国会では「健康保険法等の一部を改正する法律」(後期高齢者医療制度を創設)などの重要法案を成立させている。なお、堀江メール問題の後、永田寿康議員は自殺している。
2006年(平成18年)8月15日の終戦の日に小泉は最初の総裁選の公約を果たして靖国神社へ参拝した。
2006年9月20日の自民党総裁選では、選挙前から確実視された安倍晋三が後継に選ばれる。翌9月21日に小泉の自民党総裁任期は満了し、9月26日に小泉内閣は総辞職して内閣総理大臣を退任した。任期満了による退任は1987年の中曽根政権以来であり、また、小泉政権は戦後3位の長期政権となった。  
政権公約となった政策
郵政民営化
2005年に政府が国会に提出した郵政民営化法案が衆議院において可決された後、参議院において否決されたため衆議院を解散した(郵政解散)。この解散は参議院の意義を否定するものとして一部では問題視されたが、解散により実施された衆議院選挙で自民党は、結果的に法案が参議院で否決された場合でも衆議院で再可決することにより成立させられる3分の2超の議席を与党自民党で確保した。選挙後の特別国会において衆参ともに郵政民営化法が可決された。
靖國神社への8月15日(終戦の日)参拝
2001年の自民党総裁選で「私が首相になったら毎年8月15日に靖国神社をいかなる批判があろうと必ず参拝します」と公約。しかしながら、2001年から2005年までは国内外からの批判に配慮して8月15日以外の日に参拝していた。自民党総裁の任期が満了する2006年には8月15日に参拝した。なお首相就任前は厚生大臣在職時の1997年に終戦記念日に参拝している他(私的か公的かについては明言せず)、それ以前も初当選以来ほぼ毎年、終戦記念日を含む年数回の頻度で参拝してきた。退任後は2009年に参拝した。2010年の8月15日は参拝していない。
タウンミーティング
タウンミーティングの構想は2001年に行われた小泉純一郎首相の所信表明演説で初めて打ち出され、政権公約となった。タウンミーティングは全国で開かれ、まず特定テーマは設けずに都道府県を一巡し、その後「地域再生」「市町村合併」「教育改革」などをテーマに開かれるようになった。このタウンミーティングでは、謝礼金を使ったやらせ質問の横行、電通社員へ日当10万円の払い、エレベーター係へ一日数万の払い、などといった不透明な実態が明るみに出た。コストは平均2000万円、全国一巡したことで20億円弱もかかっていた。
国債30兆円枠
小泉内閣は各年度予編成において国債発行額を30兆円以下に抑制することを公約として掲げた。実際に達成できたのは政権初期の2001年度と政権末期の2006年度予算の2回のみであった。ただし、国債30兆円枠はシーリングによる財政管理政策であり、その結果として一貫して増加傾向であった一般歳出の増加は抑制されその後微減傾向に転換した。
ペイオフの解禁
2001年の自民党総裁選で他の総裁候補と同様にペイオフの解禁を公約に掲げた。しかし、不良債権処理が2004年までかかったため2005年4月まで解禁は先送りされた。
一内閣一閣僚
小泉は閣僚の交代に批判的で、「一内閣一閣僚」を標榜していたが、田中真紀子外相の更迭で原則を破り、2002年9月30日に内閣改造を行い、以後1年間をめどに定期的に内閣改造で定期的に閣僚を交代させていった。2001年の小泉内閣誕生から2006年の退任まで、一貫して国務大臣だった竹中平蔵のみが一内閣一閣僚に該当するという意見もある。また、これまでの内閣と異なり、大臣人事においては派閥領袖が推薦した人を任命せず、派閥均衡人事を保ちながら首相の一本釣り人事を行った。  
政権獲得後に推進した政策
バブル後の金融問題の処理と構造改革
金融再生プログラムを推し進め、バブルの遺産と呼ばれていた不良債権を処理し金融システム正常化を果たした。特殊法人改革においては「原則として廃止か民営化」を掲げ、郵政民営化・道路公団民営化・政策金融機関再編・独立行政法人の再編・民営化を実現させた。その結果、日本経済は失われた10年と呼ばれた長期停滞を脱出した。
財政再建
プライマリーバランスの回復を目標とした財政計画作成・国債30兆円枠・公共事業の大幅削減・社会保障の抑制などを行い財政再建を推進した。その結果、就任時には一般予算・補正予算合わせて11兆8000億円あった公共事業費は退任時の平成18年には7兆8000億円にまで削減され、その一環として道路公団は民営化された。また社会保障費にはマクロ経済スライドが2005年4月に導入された。その結果、日本経済の回復(いざなみ景気)による税収増もあり、財政は大幅に改善した。しかし一方で公共事業削減に対しては、亀井静香議員などをはじめとする道路族と呼ばれる議員などが反発した。また社会保障費の抑制は社会保障受給者や病院などの供給者などの負担となり問題となった。
年金改革
年金制度を変革。老齢者控除廃止や公的年金等控除の縮小をした。
医療制度改革
医療制度改革関連法案を国会で可決させ、サラリーマンの医療費負担を2割から3割へ引上げた。70歳以上の高所得者(夫婦世帯で年収約621万円以上)について医療費の窓口負担が2割から現役世代と同じ3割へ上げた。2008年度からは70-74歳で今は1割負担の人も2割負担になる(後期高齢者医療制度)。また、2006年度の診療報酬改定では、再診料を引き下げ(病院で10円、診療所で20円)、医療費を削減した(本体部分:2002年-1.3%,2004年0%,2006年-1.36%、薬価部分:2002年-1.4%,2004年-1.0%,2006年-1.8%、総額:2002年-2.0%,2004年-1.0%,2006年-3.16%)ほか、病院と診療所で異なっていた初診料の統一、小児・救急医療など医師不足が指摘される分野で重点的に報酬を加算することなどが決まっている(財務省主計局の平成22年調査では勤務医の平均年収は1479万円、開業医の平均年収は2530万円)。
外交
意欲的に首脳外交・多国間外交を推進した。また靖国参拝を巡り中国と激しく対立した。
女系天皇容認
長い間、皇室に皇位継承権を有する男の子が生まれていなかったことなどから、皇室典範に関する有識者会議を設置して女性天皇のみならず、女系天皇容認に向けた動きを積極的に推進した。その後、秋篠宮家における男子継承者誕生から改正議論を棚上げしたものの、根本的な問題(継承者不足)が無くなった訳ではないとして「女系の天皇陛下も認めないと、将来については皇位継承というのはね、なかなか難しくなるんじゃないかと思ってます」との見解を述べた。  
政権運営
小泉政権の手法については、マスコミ報道を利用した「劇場型政治」や「ワンフレーズポリティクス」などと評され、従来の自民党支持層とは異なる都市部無党派層・政治に関心がない層からも幅広い支持を集めた。小泉旋風は具体的な政策論議よりも小泉自身のキャラクターや話題性に依存する面が大きく、敵対勢力からはポピュリズム政治であるとの評価がしばしばなされる。
内政
竹中平蔵を閣僚に起用し、「官から民へ」という理念にもとづく改革の旗振り役を任せた。
経済財政諮問会議を活用して、従来の党主導の政策決定過程を官邸主導に転換した。予算編成の基本方針(骨太の方針)を策定し、かつて財務省の専権とされた予算編成を政治主導で行った。
財政再建のため骨太の方針にもとづき、歳出削減を実行した。歳出削減は道路建設から防衛費、社会保障費にいたるまで広範に及んだ。
三位一体の改革として地方交付税の削減。
労働者派遣法を改正し、派遣社員の派遣期間を3年から無制限に延長した。
労働基準法の改正で、企業による解雇権濫用を無効とした。
生活保護費や児童扶養手当の削減。
介護保険では特別養護老人ホームなど施設入所者の居住費、食費を保険から外した。
「健康保険法等の一部を改正する法律」(2006年6月21日公布)を与党多数で採決し、後期高齢者医療制度を導入。
国民負担率の維持を試みたが、日本医師会の反対により医療費の伸び率管理を断念した。
財政再建のため、診療報酬の引き下げ(2002年に1.3%、2006年に1.36%)、サラリーマンの窓口負担の増加(2割→3割)、保険料の引き上げ(月収をベースとした算定→年収をベースとした「総報酬制」)の三方一両損を行った。
2006年には谷垣禎一財務相、中川昭一農水相の反対を押し切って、6.5兆円の不良債権(2007年3月期)を抱える政策金融機関の統合民営化(株式会社日本政策金融公庫)を推し進めた。
特別会計合理化法案(仮称)を閣議決定し、特別会計透明化の方向性をつけた。
日本道路公団の藤井総裁を更迭した。その後、藤井総裁は政治家A氏やI氏の名を挙げて記者会見に臨もうとしたが、当日キャンセルした。
道路関係四公団の民営化法案成立。
産業再生機構法を成立させ、事業再生を支援する体制を整備した。
最低資本金制度の特例措置(後に会社法の制定)により1円から企業を立ち上げることを可能にした。
有事関連法案を成立させた。
パソコン等の製造業者にリサイクルを義務付ける資源有効利用促進法を成立させた。
構造改革特区により規制緩和を促進。
特殊法人(住宅金融公庫など)の独立行政法人化。
国家戦略本部を設置。
ハンセン病訴訟において、国側の責任を認め患者・遺族側と和解。
建築確認・検査の厳格化、建築士への罰則強化、住宅売主への瑕疵担保責任の履行等を行った。
郵政民営化などにおいて米国からの要望をまとめた年次改革要望書の内容を実行に移しただけという批判があるが、郵政民営化については1970年代から主張していた。
外交
従来の事務協議の積み重ねの延長である外交から、首相が自らの意見を積極的に主張し首脳間の信頼関係の下で国家間の合意を取り付ける首脳外交に転換した。
小泉外交は出身派閥である清和政策研究会の伝統的な親米路線に則っている。また、小泉首相自身がアジアやアフリカなどの国々にも積極的に訪問し、サミットをはじめ、ASEAN、APEC、ASEM、日・EU定期協議、アジア・アフリカ首脳会議などの多国間協議へも25回参加した。
在任中合計51回、実数では49ヶ国延べ数81ヶ国を訪問した。また訪問先の決定も外務省を始め、関係省庁が作ったシナリオに従うのではなく、官邸が積極的に関与した。さらに多数の電話での首脳会談も行い積極的な官邸外交・首脳外交を展開した。
2006年7月3日にドミニカ共和国のフェルナンデス大統領と会談。その後、ドミニカ移民訴訟において政治判断により控訴をせず、謝罪や1人当り最高額を200万円とする補償金の支払いを行った。
モンゴルのエンフバヤル大統領と2006年8月に会談。その後、モンゴルに対して多額のODAを行い、モンゴルは2008年の非常任理事国ポストを日本に譲っている。
外務省機密費流用事件等で問題となっていた外務省に対し、事務次官経験者である斎藤邦彦JICA総裁、林貞行駐英大使、柳井俊二駐米大使、川島裕外務省事務次官の4人及び飯村豊官房長の更迭を行った(2001/8/2)。
国別では、米国8回、韓国7回、ロシア4回、インドネシア4回、中国3回、タイ、マレーシア、ベトナムにそれぞれ2回訪問した。またブルネイ、シンガポール、フィリピン、ラオス、カンボジア、モンゴルなどのアジアの国々や今まで首相がほとんど訪問していなかったウズベキスタンやカザフスタン、イスラエル、ヨルダン、パレスチナ、サウジアラビア、エジプト、トルコなどの中近東諸国にも訪問している。
NHKのプロジェクトXで紹介された、イラン・イラク戦争の際邦人を救助したトルコ航空元機長のアリ・オズデミルと2006年1月12日に面会した。
アジア太平洋経済協力会議首脳会議(APEC)に5回、東南アジア諸国連合(ASEAN)+日中韓首脳会議に5回、アジア欧州会議(ASEM)首脳会議に3回などのようにアジア地域の中心の多国間協議に総理として積極的に参加していた。
また、多くの国を訪問し多くの国際会議の常連メンバーであったため、当時のアジア各国首脳、フィリピンのアロヨ大統領や、マレーシアのマハティール首相、シンガポールのゴー・チョク・トン首相などとも非常に親しかった。一方靖国神社参拝により中国首脳との関係は韓国首脳以上に悪く、2002年以降首脳の相互訪問を拒否され、2005年4月から2006年9月の退任まで第三国で中国との首脳会談は行わなわず、退任後も亀裂化したままである。
サミットにも6回出席の常連メンバーであり、そのつど各国首脳と多国間・二国間の会談を重ねている。そのため、アメリカのブッシュ大統領だけではなく、フランスのシラク大統領、ドイツのシュレーダー首相、ロシアのプーチン大統領、イギリスのブレア首相とも「率直に話のできる顔見知りの仲」であり、重要な案件でも首脳同士が直接電話で話をして決めることもあった。
またウズベキスタンやカザフスタンなどに対し、資源の優先的供給を受けるための資源外交・経済外交の展開を始めた。
靖国神社参拝により、中国・韓国の態度を硬化させ、在任期間中は首脳会談はもとより、首相特使派遣すらできないほどまでに関係が悪化した。小泉は韓国と中国が日本との首脳会談に応じなかったことを批判し、「いつか後悔することになるだろう」と発言した。中国は小泉政権での日本の常任理事国入りには強固に反対の姿勢を示す様になり、さらにアメリカがイラク戦争を反対したドイツの常任理事国入りに反対したことでG4改革に反対し、日本は常任理事国入りを断念せざるを得なくなった。それにより日本では「国連分担金を削減すべき」という世論が高まった。
アメリカ同時多発テロ後にテロ対策特別措置法を制定し、アメリカのアフガニスタン侵攻では海上自衛隊をインド洋に派遣し、イラク戦争後は米国主導の「イラク復興事業」に支援活動として陸上・航空自衛隊の派遣を決定したが、派遣した国の首脳の中で唯一、現地慰問を行わなかった。
戦略的外交諮問機関対外タスクフォースを設立。
日本に観光客を呼び込むYOKOSO!JAPANキャンペーンを実行。その一環として、中国人や韓国人、台湾人等の観光客に対するビザ免除等を行った(日本国籍保持者は相互主義により相手国でビザ免除となる)。2003年の時点で524万人であった訪日外国人旅行者数は2007年には834万人となり過去最高を記録した。
北朝鮮に訪朝し金正日総書記と正式会談。北朝鮮政府は日本人拉致への直接関与を認めた。また、5人が生存して日本へ帰国(交渉継続中)。  
靖国神社参拝
2001年に就任以来、靖国参拝を堅持する小泉に対して、江沢民国家主席または中国政府はすでに4年間にわたって日中間首脳の相互訪問を拒み続けてきた。最初の参拝の際には終戦の日には行かなかったために結局中国の圧力に屈したと漫画家の小林よしのりは非難している。2001年にAPECのために上海を訪問して、同年に首脳会談で北京を訪問した小泉は抗日戦争記念館に訪問して遺憾の意を表し、そこで献花を行った(日本政府首脳が盧溝橋で献花するのは初)。しかし小泉は靖国参拝を行っても同年10月26日には中国大使館にて「川劇」を参観しており、小泉は「川劇」を絶賛、出演者に敬意を示した。2002年には海南島の「ボアオ・アジア・フォーラム」第1回年次総会に出席し、同年の9月26日には中国の建国53周年と中日国交正常化30周年を祝う大型レセプションを開催したものの、日中国交正常化30年で式典で中国に訪中を拒否されており、2002年以降小泉は中国に訪問していない。小泉の北朝鮮への電撃訪問の際に江沢民に直接電話をしたが、江沢民はこれを拒否をした。胡錦濤が国家主席になっても冷却した関係であり、そんな中、2004年マレーシアで開催された東アジアサミットの際は、共同宣言に署名する際に、自分のペンを使わず、日本との首脳会談を拒んでいた中国の温家宝首相からわざわざペンを借りて署名し、両国の関係改善を示唆するパフォーマンスに各国首脳から拍手が送られた。しかし同年のアジアカップではこれが影響で反日ブーイングが起きた。中国の胡錦涛国家主席との会談が決まらなかった。
2005年に反日デモが起こり、同年秋に小泉が5回目の靖国参拝を果たすと、中国政府はさらに、国際会議を利用して日中首脳会談・外相会談をすべて拒否するという強硬姿勢を示した。小泉は「靖国参拝するから首脳会談に応じないというのは、私はいいとは思っていない」と中国を批判した。第3国での会談も2005年4月のジャカルタで胡錦濤国家主席と実施したのが最後となっている。また2005年に呉儀副総理との会談も急遽キャンセルとなった。中国人タレントのaminは「愛・地球博」ファイナルテーマソングを小泉の前でも歌っていたものの、同年10月の「日中友好歌謡祭」の招待を小泉は取り消された。同年の11月中旬釜山でのAPEC首脳会議、12月中旬マレーシアでの東アジアサミットでも首脳会談は行われなかった。APECの閉幕後、イギリスのメディアの記者は、靖国神社の博物館では、アジアでの戦争は日本の防衛のためだったとか、南京大虐殺はなかったなどと主張しているが、これを支持しているかと質問した。小泉は「その見解は支持していない」と明言、「多くの戦没者に哀悼の誠を捧げるために参拝している。そして戦争の反省を踏まえ2度と戦争をしてはいけないということから参拝している」と述べ、参拝は戦争を正当化するものではないとの立場を示した。
2006年には、閣僚や自民党首脳が中国を訪問しても事態は好転せず、日中関係は最悪の関係にあった。後の首相となる安倍と麻生は小泉同様に中国を批判し、ロバート・ゼーリックは安部・麻生との会談では「アメリカは日中関係を良くするために何かする必要があれば喜んでしたい」と仲介役を申し出た。しかし小泉は退任直前までに靖国参拝の姿勢を貫き、終戦記念日に念願の参拝を行った。
退任後も亀裂化しており、人民日報は訪中を決断した安倍を「智者」と持ち上げて絶賛する一方、靖国神社参拝問題などで日中関係を悪化させた小泉を「自己陶酔する独裁者」と非難した。東京・八王子市で演壇に立った小泉は「多くの戦没者の方々に敬意と哀悼の誠をささげるために私は靖国神社に参拝してきた。もし多くの国民が私の靖国参拝を批判するならば、そのような国民の総理大臣になっていたいと思わない。中国政府は将来『なんと大人げない恥ずかしいことをしたのか』と後悔する時がくる」と発言。中国の唐家セン国務委員が来日して友好ムードを盛り上げている最中に靖国参拝を理由に首脳会談を拒み続けた中国への怨嗟であり、親中路線にひた走る福田康夫への警鐘とも受け取れた。胡錦濤が来日を歓迎する朝食会・夕食会に小泉が参加せず、2008年に開催された北京オリンピックの開会式に歴代首相の福田康夫・森喜朗・安倍晋三や東京都知事の石原慎太郎を招待したのに対し、小泉は招待されなかった。ちなみに小泉は北京オリンピックを支援する議員の会の顧問であった。一方中国は靖国参拝をしなかった首相と天皇・皇后に対しては友好ムードをアピールし、日本の常任理事国入りに柔軟な姿勢を見せるなど、靖国神社参拝によりアメとムチ政策をとっていることが捉えられる。また招待された石原は小泉と違い中国に対し辛めの批評をした反中的な人物だった。
2010年12月の講演会で開かれた国際安全保障学会年次大会で、小泉は日中関係については「日中関係は大事だ。私は日中友好論者だ。経済を考えれば、これから日中関係は極めて重要だ。だが、一国の関係は経済だけではない。日本の平和と独立を守るためにアメリカに代わる国はない。」と述べ、日中首脳会談については「胡錦涛国家主席との会談が決まらなかった。外務省の担当者が「中国が『来年靖国神社を参拝しなければ会談する』と言っている」と言う。「じゃあ、小泉は来年、必ず靖国神社に参拝すると言ってます。会談をしたくなかったら、しなくて結構です」と。すると中国は「会談前と会談後に『靖国神社参拝する』と言わなければ会談する」という。だから私は記者に聞かれて「適切に判断する」と言った。中国は拒否しないでokしてきた。私の方がびっくりした。本当に首脳会談をしないと言ってきたのは、2005年に首相退任を明言してからだ。」と述べた。
韓国の場合、金大中は対日穏健派であったために難無く日韓ワールドカップに出席していたが、反日的な盧武鉉になると当初は良好であったが、後に小泉が国際連合安全保障理事会常任理事国入りを目指すと盧武鉉が反日路線に切り替え、靖国神社参拝を理由に2005年には日韓シャトル外交の中止を迫られ、他に竹島問題で反日感情が高まり、同年の6月には子供達が描いた反日ポスターが地下鉄駅に展示させられた際に「小泉首相を犬や猿に模して中傷する絵」などがあったが、ポスターには靖国参拝をしない首相は書かれていないために小泉政権が反日感情を高ぶらせたともいえる。さらに大邱日報によると、8月18日に親日派財産を取り戻すための汎政府機構である「親日反民族行為者財産調査委員会」が本格発足し、支持率回復もあって盧武鉉は同年の12月に親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法を制定した。しかし盧武鉉の死後、小泉は駐日韓国大使館1階に設けられた盧武鉉前大統領の焼香所を訪れ献花した。
靖国神社参拝に反発する中国・韓国との関係は悪化。反日感情が強い韓国と中国、反日感情が比較的穏やかな香港で起きた反日デモで自身の肖像が燃やされる事も度々あった。一方、台湾の歴代総統の李登輝、陳水扁からは支持を得ており、陳水扁は台湾新幹線開業式に招待をしたものの、台湾では外省人が多い一部の国民党からは批判があり、退任後小泉は歴代首相と違い台湾の要人との会談や個人での台湾訪問を行っていない。石平や陳恵運といった反中思想の中国系日本人は小泉を擁護している。  
対外関係・外国からの評価
アメリカのブッシュ大統領とは仲の良さをアピールし、日本の首相としては初めてエアフォースワンに搭乗しキャンプデービッドの別荘に招かれた。
北朝鮮に対しては「対話と圧力」を掲げて、硬軟取り合わせた対応を行った。2006年のミサイル発射問題では関係国中最も強硬な国連外交を展開した。
2002年のカナナスキスサミットの際、2003年のエビアン・サミットの日程とロシアのサンクトペテルブルク建都300周年記念行事の日程が重なっていたため、各国首脳がその記念行事に参加できないという悩みをプーチン大統領が抱えていると知った小泉総理は、サミットの日程を2日ずらすことを進言し、シラク大統領も了解したことから、各国首脳はサンクトペテルブルクを訪問した後にエビアンに行くという日程になった。このことに対してプーチン大統領は「感謝に堪えない。公表できないがシベリアに金正日がくるので協力できることはないか」ということとなり、その後プーチン大統領は金正日に小泉のメッセージを伝えることを約束した。その後もプーチン大統領との友好関係は続き、2003年にロシアを訪問した際には晩餐会終了後に、プーチン大統領のクレムリンの個人住居に招かれ、通訳を交えただけの2人きりで約1時間半にわたって懇談した(なおロシアでは大統領が非公式に外国の首脳と懇談するのは異例のことである)。小泉は政界引退後も露日経済協議会理事長の職にあり、また北方領土問題解決に強い関心を持っているといわれる。
2002年のカナナスキスサミット終了後、ドイツのシュレーダー首相が政府専用機のスケジュールの調整ができずに日韓ワールドカップの決勝戦(ドイツ対ブラジル)を見に行けないと悩んでいることを知り「だったら日本の政府専用機に乗っていったらいいじゃないか」という話になった。そしてシュレーダー首相は日本の政府専用機に乗り日本に向かいワールドカップ最終戦を観戦した。その際機内では首脳会談が持たれ、懇談の際にはサッカー談義にも花が咲いた。外国首脳が日本の政府専用機に搭乗したことはこれが初めてのことである。
2002年のサミットにおいて、カナダの日刊紙『グローブ・アンド・メール』の「サミットのベストドレッサー」に選ばれた。
2002年のサミットにおいて、シラク大統領が各国の首相の前で、日本のお辞儀は相手によって頭の下げ方が変わると主張した際、小泉首相は「君にはこうしなくちゃいけないだろうな」と言いブッシュ大統領の前で土下座をした。(共同通信配信2007/10/17)
2002年の国連総会において、演説終了後、演台裏手のロビーで小泉総理に挨拶を求める各国代表の列において国連職員が「こんなに長い列ができるのは珍しい」というほどの長蛇の列ができた。
2003年の国連総会においては、演説終了後300人近くの各国代表者などが演台の後ろのロビーに並んで小泉の演説に対する賞賛の意を表した。讃辞の列は次の代表の演説も終えた頃まで続き、多くの国連関係者を驚かせた。
2002年にシンガポール訪問時に、シンガポールのナザン大統領を表敬訪問した際、ナザンから「自分の孫娘が小泉総理のファンなので一緒に写真を撮ってもらえないか」と頼まれ、快く応じた。
2006年のアメリカ訪問時に「アメリカは一人で悪に立ち向かっているわけではありません。常に多くの同盟国、友好国とともにあります。そして日本はアメリカとともにあるのです」と演説をし、鳴り止まないほどのスタンディング・オベーションを浴びた。
2010年暮れに出版された元イギリス首相トニー・ブレアの回顧録によると、イラクをめぐり米英と仏独の対立が高まっていた2005年に、ジャック・シラク仏大統領が「料理がまずい国の人間は信用できない」と英国を非難する放言騒ぎが発生した。英国でブレアが議長を務めた先進国首脳会議(G8)の晩餐会がこの事件の数日後に開催され、小泉は供された食事を摂りながら、「英国料理はうまいよな?ジャック!(ExcellentEnglishfood,isn'tit,Jacques?)」と大声でシラクに向って叫び、フランスを牽制しつつホスト国である英国の面目を助けるアドリブを放ったとされている。   
2001

 

談話 / 平成13年4月26日
私は、本日、内閣総理大臣に任命され、公明党、保守党との連立政権の下、国政の重責を担うことになりました。
私は、政治に対する国民の信頼を回復するため、政治構造の改革を進める一方、「構造改革なくして景気回復なし」との認識に基づき、各種の社会経済構造に対する国民や市場の信頼を得るため、この内閣を、聖域なき構造改革に取り組む「改革断行内閣」とする決意です。
この内閣に課せられた最重要課題は、日本経済の立て直しであります。まず、金融と産業の再生を確かなものとするため、不良債権の処理を始めとする緊急経済対策を速やかに実施してまいります。さらに、新たな産業と雇用を創出するため、情報通信技術(IT)等の幅広い分野で従来の発想にとらわれない思い切った規制改革を推進するとともに、産業競争力の基盤となる先端科学技術への研究開発投資の促進を図ってまいります。
また、財政構造、社会保障等についても、制度の規律を確立し、国民に信頼される仕組みを再構築するため、経済全体の中で中長期的な改革の道筋を示してまいります。
さらに、民間にできることは民間に委ね、地方に任せられることは地方に任せるとの原則に照らし、特殊法人や公益法人等の改革、地方分権の推進など、徹底した行政改革に取り組みます。
伝統と文化を重んじ、日本人としての誇りと自覚、国際感覚を併せもった人材を育てられるよう、引き続き内閣の重要課題として教育改革に取り組んでまいります。
外交面では、日米関係を機軸に、中国、韓国、ロシアを始めとするアジア近隣諸国との良好な関係を構築し、アジア太平洋地域の平和と繁栄に貢献するとともに、地球環境問題等について、我が国にふさわしい国際的な指導性を発揮してまいります。
私は、自ら経済財政諮問会議を主導するなど、省庁改革により強化された内閣機能を十分に活用し、内閣の長としての総理大臣の責任を全うしていく決意であります。「構造改革を通じた景気回復」の過程では、痛みが伴います。私は、改革を推進するに当たって、常に、旧来の利害や制度論にとらわれることなく、共に支え合う国民の視点に立って政策の効果や問題点を、虚心坦懐に検討し、その過程を国民に明らかにして、広く理解を求める「信頼の政治」を実践してまいります。
国民の皆様のご理解とご協力を心からお願いいたします。
内閣総理大臣説示
初閣議に際し、私の所信を申し述べ、閣僚各位の格別のご協力をお願いする。
一 私は、政治に対する国民の信頼を回復するため、政治構造の改革を進める一方、「構造改革なくして景気回復なし」との認識の下、この内閣を、各種社会経済構造の改革に果敢に取り組む「改革断行内閣」とする決意である。
二 本内閣の最大の課題は、日本経済の立て直しである。不良債権処理を始めとする緊急経済対策を速やかに実施に移すことができるよう、対策の具体化に取り組んでいただきたい。また、新たな産業と雇用を創出するため、経済構造改革の視点をもち、各府省の所管する規制等について、原点に立ち返った見直しを実施していただきたい。また、産業競争力の基盤となる新しい科学技術分野に戦略的な研究開発投資が促進されるよう、「科学技術基本計画」の実現に向け、関係閣僚の格段の努力をお願いする。
三 併せて、財政構造や社会保障について、制度の規律を確立し、国民に信頼される仕組みを再構築するため、中長期を見通した改革の道筋を示していくことが、この時期に国政を預かる者の責務である。私自身、経済財政諮問会議を主導し、指導性を発揮していく決意であるが、内閣として一致協力して国民の期待に応えることができるよう、関係閣僚に格段の理解と努力をお願いする。
四 財政構造問題を論ずる前提として、まず、民間にできることは民間に委ね、地方に任せられることは地方に任せるといった、中央政府の徹底した行政改革が必要である。公務員制度改革、特殊法人や公益法人等の改革、地方分権の推進などについて、各閣僚に指導性を発揮していただくようお願いする。
五 「eーJapan重点計画」に基づく情報通信技術(IT)革命の推進、日本人としての誇りと自覚、国際感覚を併せもった人材を育てるための教育改革、司法制度改革等については、引き続き内閣の重要課題として取り組んでいく方針である。今国会に提出している関連法案の早期成立に努力願いたい。
六 「構造改革を通じた景気回復」には、痛みも伴う。国民の「信頼」なくして、政策の遂行はおぼつかない。常に共に支え合う国民の視点に立って虚心坦懐に政策の効果や問題点を検討し、その過程を国民に明らかにする「透明、公正な行政」を心がけていただきたい。
七 内閣は、憲法上国会に対して連帯して責任を負う行政の最高機関である。国政遂行に当たっては所管や立場にとらわれず活発な議論を期待するが、内閣として方針を決定した以上は一致協力してこれに従い、内閣の統一性及び国政の権威の保持にご協力いただきたい。 
記者会見 / 平成13年4月27日
総理大臣に就任して初めての記者会見ですが、総理に就任して、ますます総理大臣というのはこんなに重圧が掛かるのか、と総理に就任する前には思ってもみないほどの緊張感と重圧を感じています。
孟子でしたか、こういう言葉があります。「天将にその人に大任をくださんとするや、まずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ。」
なるほど、この言葉どおり、天がまさにその人に大任をくださんとするや、まずその心志を苦しめ、「しんし」とは「こころ」と「こころざし」です。その筋骨を労せしめる。「きんこつ」、「きんにく」と「ほね」、「きんこつ」、心身共にすごい重圧の下に総理に就任し、初めてその人事を終わりました。この人事をする際に、特に組閣の人事ですが、私が総裁選挙中に発言したとおり、派閥にとらわれず、民間人、若手、女性、適材適所な人事を心掛ける、これに腐心しました。
いろいろ考えに考えた挙げ句、ようやく内閣ができましたけれども、それぞれ私が選挙中に言っておりました基本方針を堅持していただきまして、協力してくれる体制ができたと思っています。特に公明党、保守党との連立合意もでき、お互い信頼関係の下に、今後も協力してやっていけるということは大変ありがたいと思っております。
私は戦後日本が平和で発展していくために、常々一番大事なことは、まず、あの第二次世界大戦の反省をすることだと。その上に立ってこれからの日本が二度と戦争を起こしてはいけない。平和のうちにいかに国民の努力によって立派な国づくりに励むことができるか。このことは、これからの日本の方針としても、極めて重要であると思っています。
端的に言って、なぜ日本はあのような戦争に突入してしまったのか。これは一言で言えば、国際社会から孤立したことだと私は思っています。これから日本が二度と戦争を起こさないために一番大事なことは、国際協調、二度と国際社会から孤立しないこと。そういう観点から、私は今後の日本の外交の基本は、今日まで日本が繁栄できた最大の基礎は日米関係が有効に機能してきたことだと思います。この基本は決して忘れてはならない。日米友好、緊密な協力、これがあって初めて世界各国と協力体制が構築できるのではないか。特に近隣諸国、中国、韓国、ロシア等、近隣諸国との善隣友好も極めて重要であります。こういう諸国と日米友好関係を基礎にして関係改善を図っていく、友好関係を維持発展させていく、これが日本外交の基本でなくてはならないと思っております。
そして内政の面から言えば、これは今、景気の回復、経済の再生、これがもう大課題であります。私は構造改革なくして景気回復なしと、総裁選挙中にも言っておりましたとおり、構造改革という問題、これは例外なく今まで成功してきた制度、機構、これは今後21世紀の社会に通用するかどうか、かつては成功していたけれども、今後、直していかなければならない点、多々あると思います。この構造改革に大胆に踏み込んで、新しい時代に対応できる体制を取っていきたい。そのためには、行財政改革等、今まで成功してきた事例も、今後はゼロから見直していく必要もあるではないか。かつては国がやらなければならなかったいろいろな事業も、場合によっては民間にできることはできるだけ民間に委ねていく。あるいは地方にできることは地方に委ねていく。そして、国家がやるべきこと、役所がやるべきこと、国家がやらなければならない、役所がやらなければならない合理性があるかどうか、必要性があるかどうか、これを徹底的に検証していくべきだ。そして、主眼は、その中で今や国がやらなくても民間でできることは民間に任せていこう。地方にできることは地方に任せていこう。こういう観点から構造改革に取り組んでいきたいと思います。
しかし、これからのいろいろな重要政策を推進するにおいて、最も大事なことは、国民が政治を信頼してくれることです。分けても内閣総理大臣に対する信頼、これは大変重要なことだと思っております。あらゆる政策遂行の前提は政治への信頼、内閣への信頼、総理大臣に対する信頼だと思っております。私はそういう面から自分が総裁選挙において発言したことを少しでも実施に移すことができるように、今後も全力を傾注していきたいと思っています。
【質疑応答】
● まずは総理就任おめでとうございます。組閣を終えて新内閣がスタートしましたけれども、総理がおっしゃったように、総理は派閥にとらわれない適材適所の人事をするとおっしゃっていましたが、結果として思いどおりの人事ができたとお考えになりますか。そして、7月の参議院選挙は、この内閣の実績をバックに闘って、その成果が問われることになると思うんですけれども、自民党の目標議席はどれくらいをお考えですか。自民・公明・保守の3党で過半数といった声もあったと思いますけれども、具体的な目標を聞かせてください。
人事は私個人だけでやることはできませんから、各方面の話を聞き、要望を聞き、その要望を受け入れることができなかったということは、残念がった人もたくさんいると思います。むしろ希望をかなえられた人というのはごくわずかしかないという、ここが人事のつらさ、難しさだと思います。しかし、私が当初から申し上げていた適材を適所に起用する、そういう面において、多くの国民から合格点はいただけるのではないかなと思っております。参議院選挙ですが、これは、参議院選挙はまだ2か月後ですから、その前にそれほど大きな実績というのは挙げられるとは思っておりませんが、少なくとも小泉内閣が目指す基本方向というのは国民に御理解をいただけるよう、これから大いに努力しなければいけないと思っております。そして、参議院選挙にこの姿勢を理解し、共鳴してくれた方々が小泉内閣に支援をしてくれる、連立内閣を支持してくれる、自民党頑張れと激励してくれるというような雰囲気が出てくれば、私はこの連立政権に対する、国民は過半数の支持を与えてくれるのではないか。もとより選挙ですから、できるだけ多くの自民党公認候補が当選してくれればいいと思っています。今の段階で何議席という具体的な数字を挙げることはできないと思います。少なくとも、自民・公明・保守、この3党で過半数以上は獲得したいです。
● 次に憲法問題についてお尋ねします。総理は自民党総裁選挙期間中に、集団的自衛権を行使できるように政府解釈を変更すべきだという見解を明らかにされていたと思います。自衛隊は軍隊でないというのは不自然だと。憲法9条の改正を目指す考えも明らかにされていたと思います。あと、首相公選制の導入も、これを導入する場合には憲法改正が必要だとおっしゃっていたと思います。現在、総理としてこれらの問題をどうお考えになっていますか。今後、憲法改正を具体的に検討していかれるお考えがあるのか、その辺も含めてお聞かせください。
自由民主党の基本方針が自主憲法制定だったんですよ、結党以来。しかし、今の憲法というのは、戦後一度も改正なしにきている。平和主義、民主主義、基本的人権、これに対して自民党も含めて多くの政党が、この基本理念というものはいかに改正しても、守らなければならないと思っていることは事実だと思います。私も含めて。
その中で、憲法9条という問題は、日本は戦争の後遺症が強いですから、この問題を今の政治課題に乗せるというのはなかなか難しいと思います。しかし、あるべき姿として、私は総裁選挙中に言ったことなんです。できれば、この自衛隊が軍隊でないという前提で何事も進めていくということについては、不自然な問題が多々出てきている。そういう点で一国の安全保障を考えれば、私は非武装中立というものは採りません。自衛隊が軍隊でない、非武装中立でいいんだということは、もし万が一侵略の危険があった場合は、何の訓練もない市民に戦えということですから。日ごろ訓練もない、戦う準備もない、装備もないという段階で一般市民に向かって、侵略者と戦えというのは政治として非常に無責任だと。そういうことで自衛隊が創設された。万が一、我が国が侵略された場合は、その侵略に立ち向かわなければならない。だから、一国の軍隊というのは、自衛隊にしてもそうですが、万が一、他国から侵略を受けた場合、その国は命を賭けて守る集団があるぞというのが私は軍隊だと思うんです。それがないと、どうぞ侵略してくださいという誘惑を他国に持たす可能性もあるくらい、そういう面において、規模はいろいろ考え方があります。日本人として、もし、よその国が侵略するならば、日本人は戦って抵抗するという決意を示すのが自衛隊であり軍隊である。
そういう自衛隊、軍隊に対して、憲法違反であるとか、そうではないということを議論させておくという方は、自衛隊に対して失礼じゃないか。万が一のことがあったら、自ら命を捨てるという覚悟で訓練しているわけです。そういう人たちに対しては日ごろから国民全体が、日ごろから自分のできない危険な訓練をしている、きつい訓練をしている、人のできないような難しい訓練をしている、そういう集団に対して敬意を持って接することができるような法整備、環境をつくるのが私は政治として当然の責務ではないかと思っているわけでありまして、ただ9条を改正すると、すぐその人はタカ派だとか、右翼だとかいう議論はもうやめた方がいいと思うんです。
集団自衛権の問題もそうです。私は、集団自衛権、権利はあるが行使はできないというのが今までの解釈です。これもたしか昭和35年の岸内閣での解釈だと思います。既に40年、そういう際に、海外で武力行使をしないということは、もう日本人として、政治家として、これは多くの合意されるところだと思います。
その解釈で、集団自衛権というのは、日本政府は今の解釈を変えないと言って今までやってまいりました。ですから、これを変えるのは非常に難しいということはわかっています。今後、憲法、本来、集団自衛権も行使できるんだというのであったらば、憲法を改正してしまった方が望ましいという考えを持っているんです、私は。しかし、それができないのであれば、今の日本の国益にとって一番大事なことは、日米関係の友好をどうやって維持していくか、日米安保条約をどうして効率的に機能的に運営していくかということを考えますとですね、勿論、武力行使というのは海外の領土とか領海とか領空ではできません。
しかし、もし、日本近海で、日米が一緒に共同訓練なり共同活動をして、その時に、一緒に共同活動をした米軍が攻撃を受けた場合、よその国の領土でも、領空でもない、領海でもない。でも、米軍が攻撃を受けた場合に、日本が何もしないということは果たして本当にそんなことができるんだろうか。そういう点については、今の解釈を尊重するけれども、今後、あらゆる事態について研究してみる必要があるんじゃないかというふうに思っております。すぐその解釈を変えるということじゃないんです。研究してみる余地がある、慎重に熟慮、研究してみる余地があるということを言っているわけです。
そこで私が、一度も戦後憲法を改正していないということで一番憲法はこうすれば改正できる、また、国民に理解されやすいと思っているのが首相公選制です。これは、中には、首相を国民投票で選ぶことについて憲法改正しないでできるという、そういう論者もおります。しかし、私は首相公選制を導入するということについては、憲法改正してやった方が望ましいのではないかと思います。その際には、ほかの条項は触れない、首相公選制のためだけの憲法改正だったら、国民からは理解されやすいのではないか、そして、具体論をつくって、こうしてやれば具体的に憲法を改正するというのはできるのだということで、より改正の手続も鮮明になるのではないか。また、首相公選制というのはどういうものであるかということも理解される。これは、むしろ国会議員の方に反対が強いのであって、一般国民の方では賛成が多いのではないかと思っております。これも政治の面においての、私は構造改革だと思います。
今、国会議員しか総理大臣になれません。しかも、総理大臣を選ぶ権限は衆議院議員だけしか持っていない。首相公選というのは、総理大臣を選ぶ権利を国会議員から一般国民に手渡すことですから、政界の規制緩和とも言える。そういう点において、私は国会議員の何十人かの推薦を資格要件とするということで、国民投票によって首相を指名してもらう、そして、その首相を天皇陛下が任命するということになれば、天皇制と首相公選制とは矛盾しない、一緒に天皇制を維持しながら首相公選制も導入できるということを言っているのであって、私は、この首相公選制を導入する場合は、ほかの条文の憲法を一切いじらない。これだけの、これだけの憲法改正によってしてみたいな、ということを言っているわけであります。
● 次に経済問題、景気対策に移りますが、総理は25日の与党三党首会談で、緊急経済対策の早期実施で合意されました。ただ、具体的なテーマになりますと、与党は、今国会中に抜本的な証券税制の見直しを目指そうということで合意をしていますけれども、閣内ではですね、年末でもいいのではないかというような声もあるようです。また、株式買上げ機構を巡ってはですね、総理、あの、総裁選期間中に、慎重に時間を掛けてですね、検討されるとおっしゃっていたと思います。こうした証券税制の見直しですとか、株式買上げ機構の設立ですとか、こういった政策をどう進めるのか、時期を含めて、お考えをお聞かせください。
この点については、総裁選挙の前に発表されました緊急経済対策、これを基本にしながら、新たに就任されました竹中経済財政担当大臣、柳沢金融担当大臣、塩川財務大臣等、具体的に、いつ、そういう実施したらいいか、というものを含めてよく検討してもらいたい。その判断を待って内閣として決定していきたいと思っております。
● 総裁直属の国家戦略本部ですか、たしか総裁選中には内閣にもそれを設置すると言われたと思うんですけれども、まず内閣にも同様の本部を設置するのかと。その場合やはり、構造改革という問題が主体的なテーマになると思いますけれども、経済問題も含めて、現在ある経済財政諮問会議との役割分担という点についてはどのようなお考えなんでしょうか。
これは、内閣としては、経済財政諮問会議がありますから、これを中心にやっていきます。もし、国家戦略と言いますと、広範多岐にわたります。しかも、今は連立政権です。公明党も保守党も参加しています。ですから、同じ内閣というよりも党でやっている。経済財政諮問会議と国家戦略本部とは違います。お互い意見を聞くことはあったとしてもですね、それは別。別個の問題です。
● 内閣には設置されないということですね。
内閣には設置するつもりはございません。党で今設置を検討しております。
● 台湾の李登輝前総統が日本を訪問したことに起因しまして、中国の李鵬委員長が日本訪問を延期しましたり、教科書問題、靖国神社参拝問題などを巡りまして、中国、韓国などのアジア各国との摩擦が一部に出ていると思うんですが、新政権は対アジア外交をどう考えているんでしょうか。また、アメリカ、ロシアとの外交の基本的な方針についてお伺いします。
これは最初のごあいさつでも触れましたが、近隣諸国と関係改善を図るということは極めて大事なことであります。中国、韓国と、教科書問題とか、あるいは中国については李登輝さんの問題とか、いろいろ今問題点が出ておりますので、こういう点はよくお互いの立場を理解するという姿勢が大事だと思います。日本の立場を理解してもらえるような粘り強い折衝、努力、同時に相手の立場を忖度するという気持ちで関係改善に努めていきたいと思っています。また、ロシアはですね、これは日本政府としてロシア側に誤ったメッセージを送ってはいけないと思います。誤ったメッセージというのはどういうことかと言いますとね、北方四島、これは日本として四島は日本の領土である。この主張を崩してもいいんだという誤解を与えぬようにしなくては。あくまでも北方四島は日本の領土である、これをはっきりロシア側に認識してもらいたい。いわゆる北方四島の帰属問題ですね。その四島の帰属が日本だということの確認ができれば、あとはどういう返還方法があるか、それについては一括とか、一緒に、一時にと、いうことでもなくていいんじゃないか、お互いの話し合いによって、順次どこの島から返そう、しかし最終的には、しかし四島、日本の領土だから確かに返してもらうという姿勢を、はっきりロシア側にわかってもらうことが大事だと思います。先に二島返還すれば、あとの二島の帰属問題はどうでもいいという態度は、私は取りません。
● 外交問題に関連しますが、日米関係が極めて重要であって、その信頼関係を築かなければいけないというお話でしたが、アメリカのブッシュ政権ができまして、3月に森総理大臣が訪米しておりますけれども、首脳会談の予定なり意欲ということを伺いたいんですが。
できるだけ早い機会にブッシュ大統領と会談したいと思っています。その時期については、国会の都合等もありますので明らかではありませんが、できるだけ早期に会談したいと思っています。
● 外交問題の引き続きですが、日朝関係なんですけれども、しばらく日朝関係について動きが止まっておりますけれども、これを動かすのに何かの方途をお考えなのかどうかについてお聞かせください。
まあ、日朝関係はこれ、なかなか難しい問題で、日本の立場もよくわかってもらうように努力しなきゃいかんし、いろいろな過去の経緯、そして日本だけでなく韓国との関係、更にはアメリカとの関係をよく勘案しながら、粘り強く、何とか関係改善できるように、今後も努力を続けていきたいと思っております。
● その場合に、いわゆる拉致問題の扱いについては、どういうふうにお考えでしょうか。
これも日本の立場をはっきり主張する、ということが前提であります。
● 今の問題に関連するんですが、朝鮮半島はですね、日本に植民地支配をされたという過去を持っており、そのことが北朝鮮の側のですね、いろんな主張の根底にあると思います。総理の朝鮮植民地支配に関する認識というのを簡潔にお聞かせください。
それはなかなか難しい問題で、明治から大正、昭和にかけての日本の戦争というものを調べてみますと、なかなか難しい問題があります。しかし、そういう過去の反省と同時に、むしろ明日に向かって友好関係を築いていくという姿勢が大事だと思っております。
● 明日メーデーに出席されるということで、橋本総理以来、自民党総裁としては2人目ということで、民主党の支持団体ということに対するメッセージという受け止め方もあるんですが、それについてどういう。
民主党の何ですか。
● 支持団体に対してです。
支持団体ですか。
● それが1点と、もう1点、政労会見が1年半ほど行われてないんですが、これを再開するお考えはあるかどうか、この2点お願いします。
このメーデーは、先ほど官房長官から話を伺いました。今、出席する方向で検討しております。で、民主党の支持団体だとしても、労働者の皆さんがそれぞれの生活改善を要求して運動しているんですから、私はいいと思いますよ。日本国民として一所懸命努力している。労働者の祭典、これに出席を拒否されなければですね、総理として、日本国総理としてお互い一緒にこの日本の発展に尽くそうと、また日本国民が協力してお互いの生活を豊かにしていく、生活をよりよくしていくという方向に向かって協力を求めるというのは、私は自然な姿ではないかと思っております。また、政労会見ですが、また連合側と話し合いの過程で進んでいくのではないかと思っております。
● 総理、先ほどの植民地支配の話と重なりますけれども、冒頭総理は、先の大戦について国際社会から孤立したからだというふうにおっしゃいましたが、聞きようによっては、それは自衛のためのやむを得なかった戦争だったというふうにも受け取れるわけですが、その歴史認識について御見解をお聞かせください。
これは、政治家として一番大事なことですね。国際社会から孤立しない、日本として、日本国総理として私は国際協調、国際社会から孤立することは絶対あってはならない。そういう過去の歴史の反省から、戦後日本は国際協調、連帯、わけても日米友好関係が一番大事だということでやってきたんですから、その基本方針は堅持していきたいと思ってます。なぜ、そういう気持ちに立ったかというと、二度と国際社会から孤立してはいけないという、戦争の反省から出てきているんですから。
● 総理の人間関係の中で、山崎拓幹事長と加藤元幹事長、言わゆるYKKというグループ。総理は脱派閥を主張されていますけれども、自民党内では一つのグループとして考えられている側面もあると思います。今回の閣僚人事を見ましても、一部にはYKK色が強いという言われ方もありますけれども、このYKKの関係、総理は今後どのようなスタンスで臨まれるんでしようか。
山崎さん、加藤さんとは、この十年来友好関係を築いてきましたから、これはこのまま尊重していきたいと思いますが、別にグループとかそういうことではなくて、人間というのは、いろんな方と友好関係を持っていますから、たまたま私は山崎さんと加藤さんと会うだけで話題になってしまうというだけでありますから、ほかの方ともいっぱい友好関係を持っているんです。現に今回の組閣人事を見ても、加藤さんの推薦、山崎さんの推薦、採っていませんね。逆に怒られているくらいで。この組閣を見ても、特定のそういう関係から起用したのではないということをおわかりいただけると思います。公平にやろうと思います。
● 総理は、有事法制の整備を小泉内閣として法案の提出、それから成立まで進めるというお考えでございますか。
これは、「治にいて乱を忘れず」というのは、政治の要諦だと昔から言われております。平和なときに乱を忘れない、平時に有事のことを考えるというのは、政治で最も大事なことだということは、もう、昔から言われていることなんです。そういう観点から一朝事があった場合、有事の場合には、どういう体制を取ったらいいかという研究を進めることは大事であると思います。また、いつの時点で、その法整備をして法案提出できるかということは、今後の問題だと思っております。 

■小泉改革の本質 「小泉政権の構造改革の柱とは」 2001/8/3
小泉政権が取り組む「後始末型」の構造改革
まず、早急に取り組むべき課題として、不良債権の直接償却と、それに連動して生じる企業・産業の再編が挙げられる。つまり、直接償却の対象とされてしまった負債超過の企業には、市場から退出してもらおうというものだ。
第2に、直接資本市場に個人のおカネが入ってくるようにするための資本市場改革がある。
第3に、社会保障改革がある。少子高齢化などの要素を考慮すると、社会保障を支えるための税負担を高めなくてはならないし、長期的には社会保障の給付は減らさざるをえない。既存の社会保障制度全体の見直しが必要な時期に来ている。こうして小泉政権は、短期的、また中長期的な課題に「聖域なく」踏み込もうとしているのである。
だが、これらの改革を実施したからといって、経済の展望が開けるというわけではない。なぜなら、これらは患部を切り取りウミを出すという、いわば後ろ向きの改革だからだ。私はこれを「後始末型」の構造改革と呼んでいる。
思えば日本では、これまでの政権が問題の「後始末」を先送りし続けてきたために、経済に対する負担が非常に大きくなり、それが足カセとなって経済の浮揚力をそいでいる。この問題に誰もが気づいているけれども、改革を実行する勇気がないままにここまできてしまった。
ここにきて小泉首相が、国民に痛みを覚悟してもらって構造改革をやります、といったことに対して、国民が支持するようになった。ここに事態の深刻さが表れているといえるだろう。
つまり国民は日本の行く末を案じて、痛みに耐えるから改革を実行してくれ、という気持ちで小泉さんに政権を託したのだと思う。なにしろ民主党支持派から共産党の支持者まで小泉政権を支持しているということなので、政治家より国民のほうが健全な意識を持っていて、責任感もあり、将来に対するある種の展望ももっている。その意味で日本にはまだ、幸運なところがあるといえる。
「後始末」は「前向き」の構造改革とセットで進めよ
ところが、こうした追い風を受けて「後始末型」の構造改革に踏み込もうとすると、実は大変難しい問題が生じてくる。つまり、これらの改革は国民の負担を増やしたり、雇用機会を喪失させる類のものなので、それだけを実行した場合には、経済心理がより冷え込んでデフレが深刻化し、経済が悪循環に陥る危険性を十分はらんでいるのである。それゆえ、後始末型の構造改革に加えて、「前向きの構造改革」を一緒に進めないと、経済の展望は開けない。
一例を挙げると、過去の経験から、破綻した金融機関が1兆円の負債を抱えていた場合、それを整理すると約2万人程度の雇用が失われることになる。財務省は、「銀行が抱えている不良債権は大体13兆円なので、それを処理すると、約26万人の失業が出ることになる。この数字は、世間で言われているほど大きなものではない」と説明している。一方世間では50万〜100万人、あるいは、もっと増えるとも言われている。しかし、実際にどのぐらいの失業が発生するかはわからない。
というのも、確かに数字を固定して足し算すれば、また13兆円という数字が正しければ、財務省の言うような結果になるかもしれないが、株価が、あるいは地価が変動しただけでこうした数字も連動して動くし、国民が将来不安を持てば、デフレになって産業界は投資を手控えるので、状況によっては財務省のいう数字の何倍という規模での雇用機会喪失が起きる。
逆に株価が上昇したり、将来への展望が開けるようになれば、そこまで深刻な事態にならない可能性もある。
そこで、単なる気分ではなく、しっかりした根拠に基づいて国民に前向きの期待を持ってもらうことが、失業を出さないで済む、また増大した失業を吸収するという意味で非常に重要な課題となる。
実は小泉政権の経済戦略には、その前向きの構造改革が、構造改革の一つの柱としてきちんと盛り込まれている。それについて、詳しく述べておきたい。
「雇用創出型」構造改革案作成の内幕
われわれは、上で述べた前向きの構造改革のことを「雇用創出型」の構造改革と呼んでいる。ここでわれわれというのは、内閣府の経済財政諮問会議に初めてつくられた本格的な専門調査会のことだ。この調査会の正式名称は「サービス部門における雇用拡大を戦略とする経済の活性化に関する専門調査会」であるが、牛尾治朗氏が会長を務めているので、通称「牛尾調査会」と呼ばれている。
この調査会のメンバーは、会長代行の島田晴雄と、慶應大学の樋口美雄先生、政策研究大学院大学の大田弘子先生からなっていて、非常に小回りの効く専門家だけの調査会となっている。この調査会では、前向きの構造改革案を戦略的につくって、5年間で500万人の雇用を創出するという方針で動いている。
では、どの分野で雇用を創出するかといえば、サービス業、特に個人・家庭向けサービス、社会人向け教育サービス、企業・団体向けサービス、住宅関連サービス、子育てサービス、高齢者ケアサービス、医療サービス、リーガルサービス、環境サービスなどである。われわれはこれらを9分野と呼んでいる。
日本の過去10年間を振り返ってみると、第一次産業、第二次産業、政府部門で、合わせて8%の雇用収縮となっている。これに対して、第三次産業では「失われた10年」といわれた1990年代でも約12%の雇用増大がある。その第三次産業のなかでも特に、9分野と呼んでいる部分は、過去10年間の伸び率が22%になっている。
数字で見ると、サービス業は、全体で3900万人の雇用を吸収している(2000年の数字)。そのなかの、1200万人程度を雇用している部分の伸び率が非常に高い。もちろんそれには理由がある。高齢化、環境への配慮、情報化が進んでいるので、それに対応したサービスにチャンスが広がっているし、人々の所得が高まり経済が成熟化しているので、個人向けのサービスも非常に増えている。企業向けサービスは、情報化対応という切実な問題があるので増加の仕方が著しい。
3900万人が働くサービス業では、過去10年間に400万人の雇用が生まれている。その前の1980年代には、10年間で650万人の雇用が生まれている。そう考えると、2001〜05年までの5年間で500万人の雇用を生み出すというわれわれの案も、荒唐無稽な、不可能なものではない。10〜15年かければ達成できる数字を、前倒しして5年間で一気に実現することはできないかと、われわれは考えている。
それを実現することの意味は非常に大きい。なぜなら、それが成功すると、後始末型の構造改革で失われた雇用をすべて吸収しておつりがくる、ということになるからだ。
そして、国民の多くがこのような前向きの構造改革を理解したとき、非常に前向きのマインドが出てくる可能性がある。それが投資や消費を誘引すれば、経済の活性化につながる好循環を引き起こしうる。
資産活用サービスの育成で500万人雇用を目指す
そこで、5年間で雇用を500万人増やすための具体的な方策だが、日本にある資産を有効に活用できるようにしなくてはいけない。
まず、日本には、教育水準が高くて訓練が行き届いている、人的資産という最大の資産がある。人的価値が最大限に発揮されるようなサービス産業群をつくらなくてはならない。
例えば若い夫婦にしてみれば、子育てや親の介護、さらに炊事・洗濯までやってくれるサービスがあれば、自分のもっている人的価値を最大限に活用して仕事に打ち込むことができる。高齢者はさまざまな意味で移動に苦労するが、自家用運転手産業があると、心おきなく生活できる。そうしたサービスを育成することが必要だ。
また、住宅という資産を社会資本にしなくてはならない。その意味は、要するに住宅資産を大切に使おうということだ。日本では、4400万の家計に対して、住宅を5100万戸もつくって、30年経ったらそれを壊すというばかなことをしてきた。
しかし、これからは新しく増やす時代ではない。建築後50年経った家でも、入ればすぐにインターネットにアクセスできるし、水回りは完璧といった具合に、もっている資産をいつもピカピカにしておくという時代に入っている。すると、住宅の管理、メンテナンス、リフォーム関連のサービスが必要になってくる。
金融資産を有効に活用するためのサービスも必要だ。例えば投資信託の目論見書を見ても、普通の人には何が書いてあるかわからない。それを解析して評価し、顧客にレクチャーして選択させるというサービスが考えられる。
それから、企業について見れば、得意な分野に専念するために、労務管理や顧客管理などの事務は、外部の専門サービスを使ったほうが効率的だ。今では、企業のもつさまざまなデータを一括して管理するデータベース・テクノロジーが完全にできあがっているが、全国の何百万という中小企業が、それを活用できるところまでは来ていない。そこをなんとかしなくてはならない。
規制緩和と労働市場の再構築が急務
こうした前向きの改革を進めるために、重要なことが2つある。ひとつは、そうしたサービスを自由に提供できるようにするための規制改革であり、もうひとつは失業、転職が怖くないように労働市場を再構築することだ。特に労働市場の再構築は重要だと思っている。
旧労働省はこれまで、高度成長という環境の下で、労働者が一歩でも外に出ると損をするということで、企業から労働者が出ていかないようにしてきた。しかし構造転換の時代には、労働者が企業から出ていくようにしなければ、企業は構造転換ができない。
それゆえ今後は、企業から出た労働者が路頭に迷わないように、また将来向け自ら自己投資をし、技術を身につけて、次のチャレンジができやすいように市場システムを変えなくてはいけない。
現在、さまざまな状況の人が、それに応じてさまざま働き方をしている。短時間就労もあれば、裁量労働もある。派遣、出向、パートタイマーもある。今後は、このように需要側、供給側のニーズに応じてサービスを提供する時代だが、労働関係の既存の法律、制度も含めて、労働市場はそれを前提としていない。それゆえ、働き方によっては失業保険をもらえない、保険に入れないといった、さまざまな問題が生じるようになる。
われわれは、こうした状況を改め、各個人にトータルなセーフティネットを張って、非常にチャレンジしやすい社会を構築することを目標としている。
それが実現できれば、たとえ不良債権の直接償却で何十万人もの雇用機会が失われたとしても、人材の再配置・吸収が行われ、もっと所得が生まれて経済が活性化することになる。
労働市場の再構築は、決して短期的な話ではない。この30年ほど誰も取り組んでこなかったことを一気にやるという話なのである。この改革が成功したときには、非常に大きなインパクトをもつことになる。日本人の働き方、ひいては生活の仕方は本当に変わることになるだろう。そうした長期的かつ本質的な問題をにらみつつ、短期的にも役に立つことをやっている。それが小泉政権の改革の意味である。
改革への追い風が吹いている
ここまで述べてきたことを具体化するには、さまざまな困難がある。一例を挙げれば、社会準備教育サービスを提供するために、市場のニーズに応じて大学を変えたい、とわれわれが主張していることに対して、文部科学省は絶対許さないといっている。理念を政策化していくうえで、これからが正念場になる。
6月には経済財政諮問会議が、構造改革の「骨太の方針」を発表した。その柱のうちの一つが、われわれの「雇用創出型」の構造改革だ。
この「骨太の方針」を実現までもっていけるかどうか。つまり、まずは7月の予算折衝で「骨太の方針」を予算化することができるかどうか。それが、内閣府を試すリトマス試験紙になる。内閣府が設けられたときに期待された役割は、他の諸官庁の総合官庁として仕事をするということだった。「骨太の方針」を予算化できたとき初めて、内閣府はつくった価値があった、ということになる。
今は、改革へ向けた追い風が吹いている。われわれが歴史の流れを議論しているときに、「俺が歴史を変える」という人間が出てきて、経済戦略の方針を打ち出した。その方針の柱の一つがわれわれの議論している改革案だが、その全体のうえに竹中平蔵氏が座ることになった。その意味では、二人三脚のような形で、大きな流れができつつある。
小泉政権の構造改革は、戦後のキャッチアップを終えて久しい日本が、生活者が安心と真の豊かさを享受できる本当の先進政治経済に向けて、本格的な経済構造の転換を現実にすることでもある。それこそが、小泉政権の構造改革の本質なのである。 
 
2002

 

年頭所感 / 平成14年1月1日
新年明けましておめでとうございます。
昨年12月1日の愛子内親王殿下のご誕生を、心からお祝い申し上げ、健やかなご成長をお祈り申し上げます。
昨年4月に内閣総理大臣に就任して以来、我が国の「聖域なき構造改革」に全力で取り組んでまいりました。「改革なくして成長なし」の方針の下、あらゆる分野において改革を推進しております。
厳しい経済情勢にあって、日本経済の再生を図る道は、経済の持続的な成長力を高めるための構造改革以外にありません。改革を加速しつつ、デフレスパイラルに陥ることを回避するため、先に「緊急対応プログラム」を策定し、これに基づき第2次補正予算を編成しました。平成14年度予算は、「改革断行予算」と位置づけ、国債発行額を30兆円以下に抑えつつ、特殊法人への支出を1兆円削減する一方、歳出を抜本的に見直し、重点化を図りました。同時に、改革に伴う「痛み」を和らげるため、雇用対策には最優先で取り組んでまいります。
行政改革では、道路4公団等の廃止・民営化を含めた「特殊法人等整理合理化計画」を策定するなど、大きな進展がありました。「民間でできることは民間で」を原則に、引き続き大胆な行革に取り組んでまいります。
国民が生きがいと希望をもって、安心して生活していくためには、暮らしの構造改革が欠かせません。医療制度については、患者、保険者、医療機関で痛みを分かち合い、持続可能な制度に再構築するほか、社会保障、都市再生、環境などの分野で一層の改革に取り組んでまいります。
昨年は、9月の同時多発テロ、12月の不審船事件と我が国の安全保障に大きくかかわるできごとが続きました。我が国は、テロの防止と根絶に向けた国際社会の取組みに、今後とも積極的に協力します。同時に「備えあれば憂いなし」との心がけで、様々な事態に対応できる体制を整えていく必要があります。
米国との同盟関係と国際協調は、我が国の平和と繁栄のための基本です。2002年は、アジアの近隣諸国との交流の上で節目の年であり、国民的な盛り上がりを期待しています。
世の中を動かすのは国民一人ひとりです。皆さんからの幅広い支持があるからこそ、これまで不可能だと思われてきたことが着実に実現の方向へ向かっているのではないでしょうか。自信と希望を持って、本年も改革に全力を尽くす決意です。
小泉内閣に対する国民各位の一層の御理解と御協力をお願いいたします。 
新春記者会見 / 平成14年1月4日
新年おめでとうございます。今年もよりよい年でありますように、皆さんとともにお祈りしたいと思います。
今日は伊勢神宮へ参拝いたしまして、あの神社の境内、俗世間を超えた自然の霊気を感じて身の引き締まる思いがいたしました。幸いにして今日は大変伊勢神宮地域は穏やかな日和でして、この日和のように今年は穏やかで平和な年でありたいと、そうお祈りしながら参拝してまいりました。
昨年は非常に厳しい年ではございましたけども、その中でも愛子内親王殿下の御誕生を見まして、国民に明るいニュースを与えていただいたと思います。国民の皆様とともに、この御誕生をお祝い申し上げ、愛子内親王殿下が健やかに御成長されることをまずもってお祈り申し上げたいと思います。
お正月でありますけれども、今でもインド洋におきましては自衛隊の諸君が昨年のテロ事件発生以来、日本もテロ撲滅のために毅然として立ち向かうという決意を示しました。その決意を、身をもって活動されております自衛隊諸君に対して敬意と感謝を表明したいと思います。
今年も経済の面におきましても、あるいは安全保障の問題におきましても、テロ発生以来、大変内外ともに厳しい状況が続くと思います。しかし、日本としてはこの厳しい内外の情勢、わけても国内におきましては構造改革に真剣に取り組んで経済再生の基盤をしっかりと築く年だと思っております。そして、国際社会の中におきましても、テロに対しては毅然として立ち向かうという国際協調の中で日本の主体性を堅持しながら、国際協調の実を上げていきたいと思っております。
私は昨年1年間を振り返りまして多くの国民の皆様方の御支援を得まして、着実に改革は進んでいると思っております。わけても不況の中で非常に厳しい経済情勢、失業率が上昇して大変困難に直面している方々が多いと思いますが、そういう中でも小泉内閣の「構造改革なくして成長」なしという、その方針を多くの国民が支持していただいていると、この改革を進めてほしいと期待している、この声をしっかりと受け止めて今年は更に改革に向けて邁進をしたいと思います。
私は、小泉改革が進んでいないのではないかと批判する方々に申し上げたいんですが、私が4月に自民党の総裁、総理に就任して以来、着実に改革は進んでいると思っております。まず、私が総理になる前、いわゆる有力政治家の中に、自民党の総裁候補と言われた人たちの中にも、または野党の党首の中にも、道路公団の民営化が必要だと叫んだ人はいるでしょうか。住宅金融公庫が廃止できると思った人がいるでしょうか。あるいは石油公団、都市基盤整備公団、更には特殊法人への財政支出を14年度予算で1兆円削減する。いずれも無理だと思われたことをはっきりとして既に方針として自民党の賛成を得て決定したんです。中には、抵抗に遭って妥協したのではないか。あるいは、思い通りに進んでいないのではないか。そういう危惧する方もおられると思いますが、むしろこれまでできないと思われていたことを抵抗勢力と言われた方々も協力勢力に変わって支持していることは大きな変化なんです。
年末、政府系金融機関が8機関、見直しという方向で決定をみました。これを先送りという方も批判する中にはいますが、先に着実に進んでいるんです。自民党も着実に変わってきているんです。まず4月以来、道路公団の民営化なんかとんでもないと言っていた人たちも民営化は当然だと変わってきたではありませんか。はっきりと変わっているんです。住宅金融公庫すら、専門家の中にも賛否両論真っ二つでした。こういうことは民間の金融機関ではできない。必要だと言われていた住宅金融公庫でも廃止の方向が打ち出されれば既に民間金融機関の中でも住宅金融公庫よりも有利な商品を開発いたしました。
政府系金融機関においても年末、12月に自民党の行政改革本部総会では、見直しをしてはいかぬという方針が出たんです。一指も触れてはならぬという方向だったんです。最終的に党の5役と私と橋本元総理、太田行革本部長の会の中で見直すということに何の異論もなく決まったんです。自民党も変わってきているんです。
そういうことを見ると、私は改革が着実に進んでいる。また、自民党も変わってきたなと。抵抗勢力が協力勢力に変わってきたということは、自民党も国民の目線をよく見てしっかりと改革の道を進んでいかなければならないということを自覚したからこそ、皆さんが思った以上に抵抗せずに小泉内閣の進める改革に協力してくれているんです。そこを見落としてはならないと思っております。
道路公団にしても、民営化できないと言っていた人たちが民営化の方針になったら、償還期間を30年から50年に変えたからこれは妥協だという批判があります。そうじゃありません。民営化を了承して、30年の償還を50年にすれば妥協と取るのではなくてむしろ必要な道路をつくった方がいいだろうと。3,000億円の特定財源から国費を一切投入しないということも了承したんです。ですから、30年から50年に償還期限が延びたということ、50年以内にせよということは妥協でも何でもない。必要な道路はつくった方がいいということはみんな言っているでしょう。一部をとらえて妥協だの、挫折したのというのは、私は誤った見方だと思っております。これからも改革の手を緩めることなく、私は総裁就任して以来の方針を着実に実施に移す努力を続けていきたいと思います。
また、雇用情勢が厳しい、そういう中で雇用対策をしっかり打っていく。第1次補正予算、そして第2次補正予算を今月中に提出いたします。これは、雇用の問題について改革の痛みを和らげるために是非とも必要だというための雇用対策の予算を組んでおります。
更に、30兆円の国債の発行枠を守った。これを一部ではデフレ状況下における緊縮予算だと見ている方がいます。私はこれも違うと思っています。税収が47兆円程度しかない中で30兆円の国債の発行を認めたということ自体、緊縮とは言えないんです。しかも、日本の債務残高は690兆円を超えているんです。国と地方を合わせて。
そういう中で、私は47兆円しか税収がないのに30兆円の国債発行を認めて緊縮路線と言っている人たちは既に借金中毒に陥っているのではないか。私は一時的な借金中毒症状を緩和するために、もっと国債を発行すれば一時的には足りない足りないという、国債をもっと発行しろという声は弱まるかもしれない。しかし、それは一時の症状を和らげるためであって本格的な改革にはつながらない。今、小泉内閣が進めている改革というのは持続的な経済成長に持っていくための改革をしているんです。むしろこれほどの財政的な債務を抱えている中にもかかわらず、しかも47兆円程度しか税収がない中、増税もせずに30兆円の国債の発行を認めること自体、景気にも配慮した、しかも構造改革を進めていく予算であるということを御理解をいただきたいと思います。
また、失業の痛みを和らげる対策だけではなくて大事なことは、失業から雇用をつくり出すことであります。雇用創出であります。そのためにも5年間で530万人の雇用をつくるという方針をはっきり明示しております。現に前向きの状況、兆候がかなりの場面で顕著に見られています。
私は就任以来、まず政府の使う車を3年で全部低公害車に切り換えるという方針を出しました。私が総理に就任したときは7,000台近くある政府関係機関の低公害車の利用は300台前後でした。それを3年間で7,000台、全部低公害車に切り換えるといった途端、既に民間の企業はこれから低公害車開発に本格的に乗り出しました。3年間で7,000台、政府関係機関は全部低公害車に切り換える方針、予算措置を講じておりますけれども、これは7,000台にとどまらない。既に民間の算出によっては、10年後には1,000万台になるだろう。
なおかつ、方針ということがいかに大事かということは、私は先ほど言ったように住宅金融公庫の廃止ですら、できないと思われるあの住宅金融公庫の廃止方針を出した途端に、5年以内にするという形で、民間にできないということを城南信用金庫だけではない、大手の都市銀行でさえもそういう住宅金融公庫よりもより有利な商品を開発し出した。方針だけで民間が参入してくるんです。
いい例は、郵便事業です。これについても、私は今年の通常国会で民間企業に郵便事業全面参入方針を出しています。来年の4月以降に民間企業も参入できるようになっていますが、既に民間企業の中には民間で参入させてもらうんだったらそのための設備投資を用意し出しました。しかも、配置をするための人の雇用対策も講じ始めました。方針だけ出すことによって民間が色めきたって、民間も自分たちの仕事が増えるなということで税金を使うことなしに自分たちの金で設備投資をし、雇用対策をし出したんです。それが政治の面において、環境を整えるという上において非常に重要なことだと思っております。
私は、そういう意味におきまして日本の経済の再生、これまで先進国の中におきましても一番財政出動をしてきた日本、これ以上借金しようがないほど借金をしてやってきた。なおかつゼロ金利、財政政策、金融政策をめいっぱい政府は打ってきた。にもかかわらず、どうして経済が再生しないか、景気が回復しないのか。そこは今の政府なり、官業なり、構造に問題があるんだ。構造改革がなかったら決して経済は再生しないということで、「構造改革なくして成長なし」という方針を掲げてやってまいりました。
4月に総裁に就任し、総理に就任し、5月に所信表明を初めて国会で演説いたしましたけれども、その方針どおり着実に改革は進んでいるということを私は御理解いただきたいと思います。これからも今年1年、更にこの改革の実を挙げるべく、全力を尽くしていきたいと思います。
そして、今まで10年間、バブルの時期、この時期におきましてはある面においては日本は過信したと思います。日本一国の面積、アメリカのカリフォルニアの1州よりも小さいにもかかわらず、日本の国土の地価はアメリカ全米50州よりも高かった。日本企業はアメリカのビルを買う、ホテルを買う、ゴルフ場を買う。円は高くなる。いけいけどんどんでやってきた。ある面においては過信があったと思います。
今、10年たった。逆に自信を喪失している。日本の力は私はまだまだ潜在力は強い。いろいろな国を比較してみれば、十分な潜在力を持っている。この潜在力を実際の成長につなげる力にしていくのが構造改革であります。私は、過信もいけない、自信喪失もいけない。日本経済にもっと自信を持って、希望を持って雇用対策、そして5年間で530万人の雇用づくりに小泉内閣は真剣に取り組んで、持続的な経済の再生を図るために今年は全力を投球していきたいと思いますので、御理解、御協力をお願いしたいと思います。
【質疑応答】
● まず、構造改革と景気対策についてでありますが、総理は今年も構造改革に邁進するというお考えを示しましたけれども、企業の3月期決算に向けまして経済、景気は一段と厳しくなるという見通しもあります。こうした中で、既に来年度の予算案は編成したわけなんですが、税制の改革あるいは金融政策ですね。4月からペイオフが導入されるということでありますけれども、この辺につきましてですね、やはり不安が起こらないように具体的な対応というものを政府も考えていらっしゃると思いますけれども、金融及び税制の改革につきまして具体的に伺いたいと思います。
金融の危機を起こさないためにはあらゆる手段を講じます。今、着々と不良債権処理が進められておりますが、そういう中にあっても無用の混乱を起こさないために政府としては大胆かつ柔軟な対策をとる準備をしておりますし、いつも金融情勢については注意深く見守っております。金融不安を起こさない、金融混乱を起こさせないという方針の下にあらゆる手だてを講じていきたい。そして、構造改革の大きな柱の一つとして今年は税制改革にも取り組んでまいります。今の経済財政状況を見ますと、税制改革もこれからの経済再生にとって国民の活力をいかに引き出すかという観点からも避けては通れません。例年ならば、10月ごろから始めて1か月か2か月で翌年度の税制改正を決めるわけでありますが、今年はあるべき抜本的な税制改革というのは1か月や2か月の議論では足りないということから、新年早々、政府としては今月からでも、党にあっても2月ごろからには本格的に議論を進めて将来の財政基盤を安定させる。また、国民に必要な福祉政策、教育政策、環境政策、あらゆる施策を講じるための支えである税制というのはどうあるべきかということを国会議員のみならず、識者の方々、専門の方々、各方面の民間の方々の知恵をお借りしながら、あるべき税制改革を議論し、そして年末までには結論を出して15年度予算に反映できるような改革案をまとめていきたいと思っております。
● 関連ですけれども、与党内にはですね、4月からのペイオフ導入を延期すべきではないかという意見もありますけども、これは予定どおり実施されますか。
予定どおり、延期は考えておりません。予定どおり実施します。
● 次はですね、内閣改造、衆議院解散総選挙について伺います。総理は、今年は国政選挙のない年である。改革に全力を挙げたいというお考えを示しておりますけれども、やはり改革路線が行き詰まった場合は解散総選挙に打って出るべきだという意見も与党内にはあります。総理にそのお考えはありませんでしょうか。また、内閣改造も当面行わないという方針でありますが、人事は潤滑油だというお考えも示しております。通常国会明け以降を含めまして、今年の対応はどうされるのか。この2点を伺いたいと思います。
解散というのは、特別な事情が発生しない限りはやるべきものじゃないと思っています。まだ任期が2年半は残っています。今年は参議院選挙もない、地方統一選挙もない、そして衆議院選挙もない年だとかねがね言っておりますが、衆議院の選挙を考えずに改革に邁進したいと思っています。しかし、政界一寸先は闇と言われますから、どういう事態が起こるかは想定できません。解散しか事態が打開できないという場合は今、想定できません。しかしながら、私としては任期満了まで解散をせずに改革に専念したいと思っています。しかし、その間どういう事態が起こってくるかは分かりませんので、今の時点におきましては、今年は解散するつもりはないとしか言いようがありません。それと内閣改造ですが、大臣と党三役は変えません。そのほか、若干、副大臣、政務官、そして国会の常任委員長、特別委員長等の委員長人事、これらについては今日、山崎幹事長を始め党五役の方々とこれからお会いしますから、そのときに相談しますが、原則として副大臣、政務官、国会の委員長人事については柔軟に考えるという方向を固めております。あとは、党五役と相談してみたいと思います。また、これは改造人事、国会議員とは関係ありませんが、文化庁長官には民間人を起用したいと思いまして、河合隼雄氏にお願いしてあります。河合隼雄氏はお受けいただいたと承知しておりまして、いい方に文化庁長官を引き受けていただいたなと、文化芸術振興のためによき人を得たなと喜んでおります。これからも文化芸術振興のために小泉内閣としても努力をしていきたいと思っております。
● 総理は今年を小泉改革本番の年とおっしゃっていますが、特殊法人改革の仕上げとともに郵政3事業の民営化という大物の処理も残っております。道路公団など、道路関係の4公団の民営化の在り方や道路整備計画、高速道路整備計画の見直しを手がける第三者機関にはどういう権限を持たせ、人選についてはどういうふうにお考えになっているのか。また、郵政3事業については2003年の公社化後に完全民営化をいつごろまでにどういう手順で実現する腹積もりですか。お聞かせください。
道路公団の民営化をする際には第三者機関を設けて、あるべき姿を議論してまいりたいということでありますが、これは法案が成立しましてから人選については改革意欲に富んだ方々にその委員になっていただきたいと思っております。法案が成立してから人選を考えたいと思っております。
また、郵便事業の民間参入の法案がこれからの通常国会で提出されますが、そうしますとこれは順調にいきますと来年4月から民間参入が認められ、郵政公社として発足をいたしますが、今年夏ごろまでには、今、郵政事業の在り方に関する懇談会を田中直毅氏が座長になってやっていただいていますが、その懇談会の結論も夏までには出てくると思います。そして、来年民間企業が郵便事業に参入する。郵政公社として来年発足する。その状況を見ながら、民間にできることはできるだけ民間に任せよう、地方にできることはできるだけ地方に委ねようという方針の下に、民営化の方向を探っていきたい。そうしますと、これは特殊法人、財政投融資制度、そして本番の郵便貯金、簡保の資金がどう生産的方面に活用されていくのか。いわゆる大きな行政側の構造改革、今までできないと言われた壮大な改革に結び付くわけでありますので、まず特殊法人の改革は緒についた。一段落したところではないんです。これから進んでいくんです。
今回、特殊法人では廃止なり民営化する必要はないという機関もありますが、今後とも見直しは進めていきます。これについても今までの行革断行評議会の皆様にも御努力いただきました。そういう方たちの意見も借りながら、引き続き評価・監視機能をつくっていきました。もっと権威のあるものにつくっていきたい。特殊法人の改革を進めていくためにも、これで一段落という状況ではありませんので、そういうものも設置して更にこの構造改革に拍車をかけていきたいと思っています。
また、いろいろ党内におきましてもこの問題については特に郵便事業の民間参入とか、あるいは郵政民営化等については抵抗が強い分野ではありますけども、この分野につきましても、結論としては民間にできることは民間に、地方にできることは地方にということの総論に反対する人はいないんですから、その方針に沿って党内においても理解を得て、国民の支持を得て壮大な官業の構造改革に努力をしていきたいと思っております。
● もう一問、安全保障政策に関してですけども、昨年末は不審船事件が国内を揺るがせました。北朝鮮の工作船という見方もありますが、この事件で浮き彫りになった海上警備の在り方や関係省庁間の連携、危機管理の法整備などの課題を今後どう解決していくのか。また、次の国会は有事法制の整備が大きなテーマになると見られます。政府内には緊急事態基本法と自衛隊法改正案の2本立てで整備する案があるようですが、総理は今後この有事法制にどういう手順で取り組まれるおつもりなのか、お願いします。
昨年の暮れに起こった不審船の奇怪な行動、この行動に関わって事件の対応につきましてはいろいろ問題点があるのではないかという指摘もございます。政府としては、あの不審船の事故の経緯をよく調査して、点検して、法的な面において不備はないか。また、現場の対応として手抜かりはなかったか。今後何が必要か、何が欠けていたかということをよく調査して、いつ危機的な国民の生命、財産に危害を与えるような行為を仕掛けてくるグループ、勢力があっても不安のないような措置をしなければならないという観点から、いろいろな整備を進めていきたいと思います。あの事件をいろいろ見ますと、日本人の想像を超えるような、我々日本人としては理解に苦しむような不可解な意図と、そして装備をして、能力を持って日本に危害を与えるかもしれないというようなグループが存在しているということも見逃すことはできない。そういうことを考えますと、私はそのような日本国民に危害を与えるようなグループに対して、勢力に対して、どういう措置を平時から考えておくかということは、大変重要なことだと思います。また、政治の責任だと思っております。今まで、有事法制を整備せよということを各方面から指摘されておりましたけれども、一方では有事法制に対して強い反対の議論もあることは事実でありますが、やはり政治というのは備えあれば憂いなしであります。国民に不安と危害を及ぼさないような体制を、法的な面においても、現実の各省庁の対応においても、しっかりと整備していくことが政府の責任ではないかと思いまして、今年通常国会に真剣にこの問題を議論し、できることから法整備を進めていきたいと思っております。
● 今年は、去年に引き続き企業の大型倒産が相次ぐのではないかというふうに心配する声がたくさんあるんですけれども、総理は去年青木建設が破綻したときに、これは改革に沿った動きなんだというふうに、破綻を肯定的に見てらっしゃいましたが、これからもその見方、とらえ方というのは変化はないのでしょうか。また、今、再建を進めている企業を、何らかの形で後押しするような方法というのは、特に考えてらっしゃらないんでしょうか。お願いします。
私もあのときのインタビューに対する答えはですね、個々の企業についてはあんまり言うのは適切ではないと言っているんです。基本的には、各企業がうまくいくか、失敗するかというのは、企業の問題でありますし、金融機関としても不良債権処理の過程でですね、いろいろなその経営者としての対応があると思います。私は、そういう面から総論的に言った問題でありますので、今、個別の企業の名前を挙げて、これは倒産してもやむを得ないとか、存続した方がいいとかいうのは、言うべき問題ではないと思います。しかし、総論、全体的に言えば不良債権処理ということを進めていけば、今の時代に対応できない企業の倒産もあり得るでしょう、だからこそそういう際にやむなく失業せざるを得ない人に対しては、雇用対策をしっかりやっていくと。同時に、5年間で530万人の雇用づくりを進めている。現に、この補正予算におきましても、福祉、環境、教育面においては、具体的に雇用づくりの対策を打っているわけであります。保育所待機児童ゼロ作戦、私は就任以来言っていましたけれども、3年間で15万人、この保育児童の対応を考えると。児童のためには、保育に当たる保母さんなり保育士の皆さんにも、その職場に参加してもらわなければいけない。あるいは、学校に補助教員5万人、3年間で、働いてもらうという場合にも、これは地域の方々にしっかり経験のある方が学校に出ていただければ先生の助けになる、生徒に対しても目配りができると。そういう面において、私はこの雇用対策というものは、当然不良債権処理を進めていけば、時代に対応できない企業が淘汰されるということについては、これは否定いたしません。その対策をしっかり打って、むしろ前向きに新しい産業、これから成長できる産業に多くの方々が立ち向かっていけるようなそういう支援策を取っていくことが必要ではないかと思います。今までの構造改革の手を緩めることはいたしません。景気回復してから改革を進めるべきだという方もおられますが、それが失敗してきたからこそ、これだけ景気停滞が続いているわけです。私は、一時的な景気回復よりも、持続的な経済成長をもたらすために「改革なくして成長なし」という基本路線は一歩も揺るぎません。
● 政府によって、今月から開始なさるという抜本的な税制改革論議についてなんですが、その中ではですね、いわゆる消費税率等の引き上げという選択肢も排除すべきではないというふうに総理はお考えでしょうか。
これは、非常に発言に気をつけなければならない問題なんです。過去に、消費税がどうだああだ言うとね、すぐ引き上げだと取りますね。そうではないんです。そういう予見なしに、所得税も法人税も消費税もいろいろ議論してもらうんだと。そういう中であるべき税制を考えてもらうと。税制改革の中でタブーはつくらない、聖域は設けない、あるべき税制改革はどういうものかという議論をしていただいて結論を導いていきたい。そういうことから言って、消費税を上げるということではありませんよ、下げるということでもありませんよ。消費税も、当然議論の対象になるでしょう。しかし、だからといって上げるとも下げるとも言いません。それは、所得税、法人税、消費税、全部、地方税も含めて、業務の中で果たして今の国民のいろいろな要求に見合うような手当をするためには、どういう税制がいいのか、どれほどの税収が必要か、どのような施策が必要かという中で考えるべきものだというふうに考えたいと思いますので、予見なく、予断なく、あるべき税制改革を議論していくということで進めていきたいと思います。 
靖国神社参拝に関する所感 / 平成14年4月21日
本日、私は靖国神社に参拝いたしました。
私の参拝の目的は、明治維新以来の我が国の歴史において、心ならずも、家族を残し、国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことであります。今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思います。将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持することが大切であります。
国のために尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として、長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝して、追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。
終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反するところであります。今回、熟慮の上本日を選んで参拝したのは、例大祭に合わせて参拝することによって、私の真情を素直に表すことができると考えたからです。このことについては、国民各位にも十分御理解いただけるものと考えます。 
記者会見[就任一周年] / 平成14年4月26日
今日で私が総理就任以来1年が経過いたしました。この間、国民の皆様の御支持によりまして、元気に総理大臣の職責を果たすことができた。これもひとえに皆さん方の御支援、御協力の賜物でありまして、心から御礼を申し上げたいと思います。
私は、就任以来、「改革なくして成長なし」、この路線でやってまいりました。これは支持率が高いときでも、低くなったときでも、いかに変わろうとも、これからも変わりありません。私の「構造改革なくして成長なし」、この改革路線は微動だにしません。まず、そのことをお伝えしたいと思っております。
私は5月に所信表明して、これからの大筋を国民に向かって総理として示しました。まず、経済再生が小泉内閣の最大の使命であるということから、これまでの経済政策、マクロ政策を大転換しました。それは何かというと、今までは景気が悪くなると国債を増発してやってまいりました。だからこそ、私は国債の発行枠を30兆円以内に枠をはめた、14年度予算に。安易な国債増発路線から転換したんです。そういうことによって、私は歳出の削減も重要だということで、この不景気に公共事業をカットするなんてとんでもない、30兆円枠の国債発行を取り払って、不景気なんだから、もっと国債を増発しろという声を受けながらも、私はこの路線を堅持して、不必要な予算は削減します、しかし、必要な予算は増やしますと言ってやってきました。
公共事業とか、あるいは、経済協力、DOA予算、10%カットしましたが、これからの社会に必要な予算は増やしています。
具体的に言いますと、子育て予算、今、15万人程度保育所に預けたいと言っても預けられない。そういうことから、保育所待機児童ゼロ作戦を展開して、3年間で15万人分のお子さんが保育所に預かれるようにしますと。これは14年度予算で確実に裏付けを示して、予算を付けて実行しています。まず14年度5万人、15年度10万人、16年度15万人、私の言ったとおり、着実に進んでおります。
高齢者のケアハウス、民間でできることは民間にやってもらおう。公的な施設も民間の意欲のある、誠意のある方には参加してもらおうということで、これも今実質的に進んでおります。年金程度の生活費で高齢者ケアができるような施設が、今建設が始まっています。
更に教育、減らすばかりが能じゃない。不慮の事故によって、お父さん、お母さんが亡くなった場合、学校に行けなくなるのは困る。そういうお子さんに対して、勉学の意欲のある子弟に対しては、行ってもらうような措置を講じようということで、今年度の予算においても奨学金の対応予算は、前年度に比べて5万人増やしています。
更には、学校へ行って興味がないようなことでは不登校児が増えるだろう。「読み書きそろばん」、これはしっかり基礎的な学力は付けてもらう。習熟度別に学級編制してもいいんじゃないか。40人にこだわる必要はない。20人でもいい、30人でもいい。なかなか理解のできない子に対してはしっかりと理解のできるようなクラス編制が必要じゃないか。これも進んでおります。
あるいは教員免許がない人でも、経験のある方にはボランティアとして、学校で先生と一緒になってお子さんたちに配慮してもらうという、雇用対策を兼ねた、国民の善意を生かそうじゃないかという教育関係の予算も増やしております。
更には、これからは経済と環境を両立させなくちゃいかんということで、就任した途端に私は、政府関係機関の使う車は3年間で全部低公害車に切り替えるということを宣言しました。宣言した途端に、自動車会社は、多少高くても低公害車は政府が買ってくれるというんだったらば、その開発を進めようというこで設備投資を始めました。研究開発費を投じました。既に3年間ですべて低公害車に切り替えると言いましたら、排気ガスがゼロになる燃料電池車、今、世界がしのぎを削っています。今、何億円も掛かる。10年後になるだろうと言われたのが、今や来年に燃料電池自動車が試作される可能性があるということを自動車会社は発表しました。それならばということで、今日の閣議で、来年から燃料電池車、これは政府で購入すると。もし実用化されるんだったらば、市販されるんだったらば、購入するいうことを閣議で決定しました。
これは排気ガスゼロですから、環境対策にもエネルギー対策にも、更にはこれからの産業競争力強化の面においても世界的に大きな影響を与えると思います。現に進んでいるんです。今日、EUの委員長のプローディー氏が日本を訪問され、国会で演説されました。プローディー氏は何と演説されたか。こう演説しています。
日本は自己を信頼し、その将来に自信を持つべきだと。経済、技術、科学、マーケティングのいずれを取っても、日本の能力には目を見張るものがある。このような資産は決して消え失せることはない。日本は今も、そしてこれからも、主要経済国であることに変わりはない。私たちは日本の将来について安直な悲観論の罠に陥ってはならない。日本の抱える問題の多くは、円熟した経済がゆえに直面する問題だと。
私が言っているんじゃないんです。EU委員長のプローディー氏が国会で、日本国に向かって、日本の国会議員に向かって演説しているんです。私は自信過剰もいけないけれども、自信喪失もいけないと思います。
しかも、私が総理に就任して以来、毎日が有事体制だと思っています。総理大臣の職責を果たすために、重圧と緊張感は抜けません。しかし、どうしても改革をしなければならないという使命感で私は懸命にやっておりますが、日本は正当な自信を持つべきだと思っております。
現に去年の7月ごろから、もう小泉内閣の経済政策は行き詰まるだろう。不良債権処理を加速させると、企業の倒産、失業者が増大する。金融危機が起こる。経済不安が起こる。9月危機が起こる。9月危機がなくなると、10月危機が起きる。年末危機が起こる。起こらないと正月危機が起こる。2月には行き詰まる。3月には政権を投げ出すだろうと多くの方が言っていました。今何月ですか。4月です。金融危機は起こさせない。私のこの決意、それを具体的な手立てで示しているんです。不良債権処理も確実に進んでいます。特別検査も強化します。しかし、これだけでは済まない。危機は私も感じております。これからも金融機関もより健全な金融機関になってもらわなければいけない。強固な金融シテスムを構築しなければならない。この決意に私は変わりありません。
私は5年間で530万人の雇用をつくると宣言しております。ITも世界の最先端国家になろうと。科学技術会議も創設しまして、今、総合的に進めています。確かに今は厳しい状況です。昨年も、建設業を始め多くの産業で37万人の雇用が減っていますが、このマイナス成長下でもサービス業で50万人の雇用が増えています。
いつも危機だ危機だという。私も危機感を持っておりますが、余り不安を駆り立てるべきじゃないと思います。もっと日本は自信を持っていいのではないか。
しかも、最近は、外国の格付け機関が日本の評価を下げています。これは国債を増発し過ぎたからだということで一面です。確かに国債を増発すれば景気が回復するものではない。しかしながら、この格付けが日本の国力と勘違いしている方がいる。私はそうじゃない。国債の増発面、借金し過ぎだということは事実でありますが、だからと言って、国力全体が日本が援助している南米諸国やアフリカ諸国以下だということはあり得ないんです。企業の業績、あるいは財政の状況が悪いのは事実でありますけれども、日本は世界のどこにも借金していません。お金を貸していても借金していないんです。世界最大の債権国家なんです。個人の金融資産は1400兆円、こんな国は世界でどこにもないんです。一民間研究機関の外国の機関が、国債の格付けを下げたということが、国力が落ちたと。それは私は誤解だと思っております。
私の改革姿勢、現に着実に進んでいます。私が総理に就任前、ここにおられる皆さん、だれが本当に道路公団の民営化の方針が自民党から了承されると思った人いますか。いなかったでしょう。抵抗勢力に小泉は屈すると思っていた。しかし、自民党が変わったんです。自民党が協力してくれているんです。道路公団の民営化に賛成している。既に衆議院を通過しました。
更には、この不況で民間の金融機関がだらしないのに、住宅金融公庫の廃止なんかとんでもないという声が多数ありました。しかし、特殊法人を改革する。民間でできることは民間にやってもらおうということで、石油公団の廃止とか、あるいは住宅金融公庫の廃止、住宅金融公庫の廃止と宣言した途端に、今まで民間ではできないと言っていた民間の金融機関が、住宅金融公庫よりも有利な商品を出したじゃありませんか。できるんですよ。
今、政治の不祥事が続出しておりまして、政治の信頼が揺いでおります。これはゆゆしき事態です。ですから、今後も政治に信頼を取り戻すために、私はこれからも諸制度の在り方、あるいはあっせん利得罪の問題、更には公共事業の入札に絡む問題と、より一歩進んだ対応策を講ずるように、今、与党で協議を進めるよう指示してございます。今後とも自民党、公明党、保守党、3党協力体制の下に、1歩でも2歩でも前進できるような政治改革始め、諸般の改革を進めていきたいと思っております。
毎日毎日、外国の首脳が日本を訪れます。日本人自身が、何とか経済発展を望んでいると同時に、外国も日本の経済の発展に期待しております。
私も就任以来、外務大臣以上に恐らく外国訪問しているでしょう。毎月と言ってもいいぐらい、外国の大統領、首脳と会い、国際会議にも出て、日本の役割の重要性、日本の経済の発展の重要性を、ひしひしと感じてます。これからも、日本の役割というものを十分認識しながらやっていきたい。
日本人はどうしても、いいときはもう行け行けどんどん、悪くなるとますますだめだと。いい例が株価であります。平成元年、株価は3万8000円を超えました。そのとき4万円を超えるのが目前だろうと言った。ところが下がった今、1万円を下がると、もうこれから9000円になるだろう、8000円になるだろうと、だめだだめだと。確かに、まだまだ危機的な状況、気を緩めるような状況ではありませんが、昨年12月は失業率が5.5%を超えました。2月、3月は6%を超えるだろうと、あるいは10%近くになるだろうと、企業倒産も続出するだろうと言われましたけれども、どうやら幸いにして、2月は5.3%、3月は5.2%に減って、雇用者も増えております。就業者も増えております。楽観できる状況ではありませんが、私は改革のたずなを緩めることなく、これからも「改革なくして成長なし」という路線を堅持して、いかに支持率が変わろうとも、小泉の改革の決意は決して変わらないんだということを行動で示していきたいと思います。
現に今日閣議で、あれほど自民党が反対していた、与野党が反対していた郵便事業に民間参入する法案が決定いたしました。これは、事実上自民党の事前審査抜きです。提出は了承したけれども、内容は了承しないという、極めて異例な形でありますが、この郵便事業の民間参入、まさに自民党が変われるかどうか、与野党ともに改革の姿勢が問われる法案です。
法案を提出したからそれだけでいいんだと、あとからつぶすんだと、そんなことあり得ません。もし、この郵便事業の民間参入を自民党がつぶすんだったら、それは小泉内閣をつぶすと同じですから、そうなると自民党が小泉内閣をつぶすか、小泉内閣が自民党をつぶすかの闘いになりますから、その辺を自民党はよく考えてくれると思います。
これは、構造改革の本丸なんです。いよいよ道路公団民営化から、住宅金融公庫の廃止から、石油公団の廃止から、政府系金融機関の見直しから、本丸の郵政改革に動き出したんです。私は、今までだったらば、こんな問題、自民党が認め得ないような構造改革を、着実に1年間進めているんです。軌道に乗りつつあるんです。皆さんが期待したように、自民党をつぶさなくても、自民党がむしろ小泉内閣の改革に賛成してきてくれているんです。協力してきてくれているんです。これからも、私はこの決意に何ら変わることはありません。どうか国民の皆様におかれましては、もう一度言いますけれども、たとえ支持率が変わろうとも、小泉内閣の改革路線は決して変わることはない。小泉の決意と覚悟は、微動だにしないということを御理解いただきたいと思います。
【質疑応答】
● 今のお話の中にも、日本の経済の発展の重要性はひしひしと感じられているというお話がありましたが、新たな経済活性化策、いわゆる税制改革も含めた、それを総理はどのようにお考えになっているか。昨日、野田党首、神崎党首からも、新たな緊急経済対策の必要性を要請されたようですけれども、その辺りどう考えてらっしゃるか、まずお聞かせください。
昨日も、神崎代表、野田党首、公明、保守幹事長とお話をしましたけれども、やはり現下の最大の課題は経済対策だと。この問題については、連休明けにもまたじっくり相談しようということになっていますが、これは総合的な対策が必要だと思います。構造改革のたずなを緩めることはないと同時に、今後税制改革が控えています。これは、経済活性化にとっても是非とも必要だと、安易な国債増発に頼ることなく、財政規律を維持しながら、いかにデフレ対策、経済対策をするかということで、税制改革は不可欠だと思っておりますので、今後6月を目途に経済財政諮問会議、あるいは政府の税制調査会、党の自民党税制調査会、いろいろ議論が出てくると思いますが、大体の方向を決めて、15年度予算に反映させていきたい。その際には、いろんな項目が出てきます。今の時点で、私がこの項目を減税するんだとか、この項目を増税するんだとかいうのは、差し控えるべきだと思っていますが、税制改革というのは、経済活性化のためにも必要でありますので、この点も含めて、不良債権処理を加速させながら、金融対策、あるいは今、14年度予算が成立して、執行が円滑になされているか。そして第1次補正予算、第2次補正予算を13年度で編成しました。この補正予算が、どのように執行されているかよく点検して、雇用対策と含めてしっかりとした対応をしていきたいと思います。
● 改革への決意を述べられましたけれども、内閣支持率を見ますと、依然低迷しております。野党からは政権の行き詰まりではないかという指摘も出ております。一方国民の期待感もしぼみつつある中で、改革の痛みを強いることを、国民に納得させることができるとお考えでしょうか。
私は就任以来、改革には痛みを伴うということをはっきり表明してきました。そういう中で、この1年間、確かに国民が思うような景気回復には結び付かない、あるいは企業倒産が増えている、失業者が増えているという不安があると思いますが、こういう中でも着実に意欲のある企業は伸びているということは、私は、先日大田区の中小企業を視察してわかりました。片一方の企業は、この不況の中でも、熟練工の努力によって伸びている企業もある。もう一方は、今まで何十日も掛かっていた仕事が、熟練を要さないで若い方々のコンピュータで直ちにやってしまうという両極端の。日本の経済は強いぞと、日本製造業は捨てたもんじゃないというのを直に見まして、一つの明るい兆しを見ました。1年間でなかなか成果が見えないということでありますが、私は、先ほど話しましたように、一方では雇用等伸びている面もありますし、今年は業績が低い企業も、リストラの効果が効いて、来年は業績が伸びるだろうという見方をしている企業が多くなってきたという面は、そろそろ日本も底からはい上がる時期に来ているのかなという状況になったのではないか。この気運を大事にして、金融危機を起こさない、しっかりと財政金融政策を打っていく、構造改革を進めていく、後戻りさせないという施策を着実に打っていくことによって、私は、1年、2年、少し痛みを我慢した甲斐があったというような体制にもっていきたいと思っております。
● 先ほど総理もおっしゃられましたけれども、本日閣議決定された郵政改革関連法案を始め、今国会では有事関連法案、個人情報保護法案、健康保険法改正案など、重要法案が目白押しとなっております。ただ、日程的に限界があるというふうな指摘もあるんですが、今国会の会期を延長するというお考えはおありでしょうか。
まだ、2か月以上ありますから、今の時点でいろいろな法案が会期内で成立が難しいというのは早いんじゃないでしょうか。できるだけ会期内で成立させるよう全力を尽くすという努力はしたいと思います。
● 内閣改造について伺いたいんですけれども、今日で政権が1年ということで、一つの節目を迎えました。総理は、一内閣一閣僚というお考えを示しておりますけれども、自民党あるいは与党内には人事を一新すべしという意見もあります。日本的な感覚から言いますと、1年というのは大きな節目でありまして、今国会終了後等、今後改造を考えるお考えはありますか。
一内閣一閣僚というのは、目的ではありませんから、私は大臣はくるくる替わらない方がいいと。今の大臣は、皆さん全力で精力的に改革に取り組んでくれておりますので、私は、今は改造を考えないで、今国会いろいろな法案成立に全力を尽くしてもらいたいということを、今日の閣僚の懇談会でも御協力をお願いしたわけでありますので、当面は改造を考えておりません。ただ、自民党内、与党内には、改造を期待している方がたくさんいるということは承知しております。この点について政策推進、政策目的実現のために、どういう体制がいいかということは、総理としても常に念頭に置かなきゃなりませんので、将来のことは将来のこととして、いろいろな党内情勢を見極めながら考えたいと思います。ただ、閣僚はそう替わらない方がいい。しっかりと多くの方の信頼を得ながら、それぞれの手腕と見識を発揮していただきたい。今の閣僚は、当面替える必要はないし、改造の必要性も感じておりません。
● 総理、先ほど郵政改革で、小泉改革の本丸だとおっしゃいましたが、今日閣議決定された郵政関連法案が、今国会で成立しなかった場合、どういう政治的な行動を取るお考えでしょうか。
この郵便事業民間参入の法案は、今国会で成立させると言っているんです。一部に、公社化は成立させて、民間参入法案は継続だという声がありますけれども、そういうことはあり得ません。そういうことになったらどういう事態になるかということを、今、想定するのは早いんじゃないですか。そういう事態になったら、どのようなことになるかというのは、その時点で考えます。私は、これは譲れません。
● つまり、解散総選挙に打って出る可能性もあるということですか。
いや、そこまで言っては何だから、これは与野党なんです。与野党とも、旧郵政省の与野党を通じた選挙の応援。自民党は、特定郵便局長会の票を期待する。野党は、全逓の労働組合、全郵政の労働組合、役人の票を期待しながら改革を認めない、最も悪い部分です。公務員は選挙運動をしてはいけないのに、堂々と選挙運動している。こんなことこそおかしいんです。与野党の問題なんです。だから、今まで触れてはいけないと言ってできなかったんです。そこに初めて小泉内閣が手を入れるんです。これは自民党だけではありません。野党も本当に改革する必要があるのかと、公務員の、役人の票を期待して、この改革をつぶすかという問題ですから、こんなことを認めるような小泉内閣ではないということをはっきりと認識していただきたいと思います。 
2003

 

年頭所感 / 平成15年1月1日
新年明けましておめでとうございます。
小泉内閣が誕生して一年八ヵ月。この間、「改革なくして成長なし」の信念のもと、私は一貫して構造改革に取り組んでまいりました。本年は、不良債権処理の加速と産業の再生、デフレの抑制など政策強化を通じて改革路線を確固たる軌道に乗せてまいります。
昨年、史上初めて日本人によるノーベル賞の同時受賞という快挙を成し遂げた小柴昌俊さんと田中耕一さんは、「ノーベル賞級の研究者は日本にたくさんいる。」と話しておりました。
日本には大きな潜在力があります。改革こそが潜在力を発揮させるための途です。厳しい情勢が続きますが、自信と希望を持って、改革に全力を尽くし、国政に邁進する決意です。
外交政策では、国際協調を基本に国益を踏まえ主体的な役割を果たすとの姿勢を貫いてまいりました。
北朝鮮との関係については、拉致事件の被害者ならびにご家族の皆様の立場を踏まえ、支援と真相解明に努めるとともに、米韓両国とも連携しつつ、核開発問題の解決など北東アジアの平和に向けた努力を粘り強く積み重ねてまいります。
今後とも、国際社会の一員として、世界の平和と安定に貢献する積極的な外交を展開していくとともに、国民の安全と安心の確保に万全を期してまいります。
国家の発展のために不可欠なものは、自らを助ける精神と、自らを律する精神です。経済を再生し、自信と誇りに満ちた日本社会を築いていくために、本年も揺るぎない決意で改革を進めてまいります。
国民の皆様の一層のご理解とご支援をお願い申し上げるとともに、本年が皆様一人ひとりにとって実り多い素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。 
記者会見 / 平成15年1月6日
新年おめでとうございます。
今年も多事多難だと思いますが、誠心誠意職務に精励いたしますので、よろしくお願いいたします。質問たくさんあるでしょうから、お受けいたします。
【質疑応答】
● 最初に経済についてなんですけれども、総理はデフレの克服に全力を挙げるということを日ごろ言っていらっしゃるんですが、同時に不良債権処理も加速させるということを言っていらっしゃいます。不良債権の処理を加速しますと、企業の淘汰が進み、不良債権が更に拡大してしまう。デフレの圧力を一層強めてしまうという指摘をするエコノミストも多いと思うんですけれども、総理自身デフレの克服というのをどのように進めようとしているのか、お聞かせください。
デフレ克服、デフレ抑制、いずれも経済再生のためなんです。今、御指摘されたような不良債権処理を進めるとデフレが深刻化する。処理を進めていなかったときにどう批判されていたのか。不良債権処理が進まないから経済が再生しないんだという意見が圧倒的多数だったんじゃないでしょうか。いざ進めると、今度は逆のマイナス面ばかりあげつらう、私はこれはおかしいんじゃないかと思っております。
不良債権処理を進めないで経済再生があり得るのか。私は不良債権処理を進めることによって一時的に企業倒産、あるいは失業者が増加するような事態があっても、その際には雇用対策をしっかり打ってきた。これからも補正予算、切れ目なく執行していき、雇用対策にも十分配慮していきたいと思っております。
そういう意味において、私はこれをやればすぐデフレは克服するんだ、経済再生するんだというようなことは言いません。今まで私は就任以来進めてきた行財政改革、改革路線、これを進めることによって経済の再生を期す。当面、財政政策、金融政策、めいっぱい打っております。そういう中において、規制緩和、あるいは不良債権処理、歳出の見直し、税制改革、あらゆる政策手段を動員して、このデフレ抑制に向けて、政府は日銀と一体となって取り組んでいく。金融政策は日銀の独立性もありますから、私がここであれこれ言うのは適切ではないと思いますが、日銀とも一体となって、金融対策等については取り組んでいかなければならないと思っております。
言わば根本的な対策、財政政策においても、国債を40%以上、財政に占める依存度が高い、めいっぱいやっている。そして、来年度におきましては、税制におきましても、2兆円先行減税している。お酒とたばこ2,000億円、一方では増税をしていますが、差し引き、このような厳しい財政事情の中でも、1兆8,000億円の減税先行を打ち出している。金融政策、御承知のとおりゼロ金利であります。金融緩和も日銀もやっております。
そういう中においては、やはり構造改革、行財政始め、規制と歳出の見直しと、金融システムの強化と、そういう総合的な対策を打つ。構造問題にメスを入れる。これなくして日本の経済再生はないということで就任以来やってきましたし、その路線に全く変更はありません。これが将来の日本経済の再生につながるものだと思っております。
今年も改革路線、全く揺るぎない路線を軌道に乗せていきたいと思っております。
● 外交問題をお伺いします。北朝鮮ですけれども、結局、拉致被害者5人の家族の皆さんも、この正月は一緒に過ごすことができませんでした。一方で北朝鮮の核を巡る動きは国際的な非難の対象になってきています。日本の北朝鮮政策についてお伺いします。
昨年の9月17日に北朝鮮を訪問いたしまして、日朝平壌宣言を発出いたしました。私は金正日北朝鮮の指導者と直に会談をし、日朝平壌宣言を署名した。この日朝平壌宣言を誠実に実施に移す。これが最も必要なことであり、大事なことだと思っております。
そういう中において、あの日朝平壌宣言にもはっきりうたっております。拉致問題のみならず、安全保障上の問題。国際法を遵守する、核の問題を、疑念を払拭する。そして、日朝間に横たわる過去の問題、現在の問題、将来の問題、包括的に、総合的に取り組んでいかなければならない。そしてこの日朝平壌宣言が誠実に実施されたあかつきに日朝国交の正常化が成る。これを今後とも追求していかなければならない。
私は、そういう意味におきまして、拉致の問題は、日本と北朝鮮側の問題でありますが、安全保障上の問題、核の問題は日本と北朝鮮の問題でありますが、同時に日朝間だけの問題ではありません。韓国、アメリカ、更には中国、ロシアも大きな懸念を抱いております。EUもそうであります。IAEAもそうであります。国際社会と協力しながら北朝鮮側にこの核に対する疑惑を払拭する。そのことが北朝鮮にとって最も利益になるんだということを日本としても粘り強く説得していかなければならない。
私は昨年北朝鮮を訪れて、金正日氏と会談したのも、今まで日朝間の不正常な問題を正常化したい。そして、今の日朝間の敵対関係を協調関係にすることが北朝鮮にとっても最もプラスになるんだと。勿論、日本にとってもそうであります。朝鮮半島、世界全体にとっても日朝関係が敵対関係から協調関係に入ることによって安全度がはるかに増す。平和と安定につながるという確信を持って会談に望みました。今もその考えには全く変わりありません。
今後、交渉でありますから、いろいろ紆余曲折があると思います。日本と北朝鮮だけの問題ではないと思っておりますし、米・韓、そして周辺諸国、国際社会の中でいかに協調関係を取っていくことが重要だということを北朝鮮側に粘り強く働きかけていかなければならないと思っております。
そういう意味におきまして、楽観はしておりませんけれども、何とか日朝間に正常化の道筋を付けたいと思っております。
● 内政問題をもう一点お伺いします。衆議院の解散・総選挙ですけれども、年内に行われるんじゃないかという憶測が高まっています。自民党の山崎幹事長からは、今年6月を過ぎれば危険水域に入るという発言もございました。衆議院の解散・総選挙についてどのようなお考えでいらっしゃるか。同時に、今年9月には自民党総裁選挙を控えています。小泉総理の総裁選挙に対するスタンスをお伺いしたいと思います。
昨年から解散が非常に大きな関心事になっていることは承知しております。前回の選挙から既に2年半が過ぎている。今年6月には3年目を迎えるわけでありますので、国会議員ならだれでも解散を意識するのは無理もないことだと思っております。私も当選10回、そして、30年議員生活を送っておりますが、10回当選で30年ですから、平均すれば3年に1回、この間、任期満了選挙は1回しか経験しておりません。恐らく戦後任期満了の衆議院の選挙は1回だと思います。2年半過ぎればいつ選挙をやってもいいなという気持で衆議院議員は準備を始めると思います。
そういうことから、常に何かあると選挙じゃないかと取り上げられるのは理解できますが、私は今年、解散するという気持はありません。9月に自民党総裁としての任期が切れます。これと総裁選挙と解散が絡められて議論をされているのも承知をしておりますが、私は、絡めるつもりは全くありません。9月になれば、総裁選挙が整然と行われる。予定どおり行われるはずであります。また、予定どおり行われなければならないと思っております。
それは前回再選されましたけれども、その間の私の業績に対しまして、自民党員並びに自民党の国会議員がどう判断するか。それを待てばいいわけでありまして、総裁選を有利に運ぶために解散するんじゃないかという見方もありますが、そういう考えも全くありません。たんたんと総裁選を行えばいい。
また、今から小泉の総裁再選はないと断言している自民党の衆議院議員もおられるようでありますけれども、どのように思うか、それは御自由でありますけれども、その時点でどうなるか、状況を見て、判断すればいいじゃないか。私は改革なくして成長なし。この下で登場してきた自民党総裁であり、日本国の総理大臣であります。この改革路線を変える気持は全くありませんし、その時点で自民党議員、自民党員が、私のこの改革路線をどう評価されるかであります。
でありますので、解散と総裁選挙を絡める気持は全くありませんし、現時点で今年解散しなければならない理由もないと思います。現に自民党単独で衆議院は過半数の議席を確保しているわけです。そして、公明党の皆さん、今度新党を結成されました保守新党の皆さん、これも小泉内閣に協力してくれると言っているんです。3党の連立体制を維持しながら、お互い3党が協力しながら改革路線を推進していく。これに尽きるのではないでしょうか。でありますので、私は解散する考えは持っておりません。
● 総理にお伺いします。今年、新たに日銀総裁を選ばなければいけませんけれども、新しい総裁に求める条件、また、現時点でお考えがありましたら、お聞かせ願えませんでしょうか。
これからの経済情勢を考えますと、日銀の判断というものはかなり重要になってくると思います。金融対策上も日銀の打つ手に経済界、かなり大きな関心を寄せております。そういう点から、3月で任期が切れる速水総裁の後任人事がいろいろ取りざたされているようでありますが、私も新しい日銀総裁については、デフレ退治に積極的な方が望ましいんじゃないか。金融政策について日銀の独立性がありますから、今ここでとやかくは言いませんが、デフレ退治に積極的に取り組んで、そのための手はどういう対策が必要かと。各方面の声を十分聞きながら、適切な判断を行使してくれる方、国際情勢につきましても、それなりの見識を持っておられる方。適切な方を人選しなければならないと思っております。今の時点で今、速水総裁がしっかりと取り組んでおられますので、後任人事について、具体的に名前を挙げて言う時期ではないと思います。
● 先ほど北朝鮮の話が出ましたけれども、この国際的な協力関係の中で、北朝鮮を国際社会の一員とすることが大事だと総理おっしゃいましたけれども、今度、総理はロシアの方に行かれますけれども、プーチン大統領とは北朝鮮の問題については、どういった形で話し合いを行って解決の糸口を見出したいとお考えでしょうか。
9日に日本を出発して、ロシアを訪れます。そして、プーチン大統領と会談いたしますが、日ロ関係のこれからの問題を討議するだけではなく、当然北朝鮮の問題は話題になると思います。事実、昨年9月17日に、私が北朝鮮を訪問する前も、プーチン大統領から直接電話をいただき、金正日氏と会談した様子、また、北朝鮮側の印象というものをプーチン大統領らにお話をいただき、助言なり意見を交換することができました。そして、北朝鮮を訪問し、訪問した後もプーチン大統領と電話会談をして、今後の日ロ関係の中でロシア側とも北朝鮮問題については連携協力を密にしてやっていこうという話し合いをいたしました。また、プーチン大統領からは、北朝鮮の私の訪問を高く評価され、そのときもプーチン大統領は、あの日朝平壌宣言に対しまして、望み得る最大の成果を日本側は上げられたと激励をいただきました。そういう経緯も踏まえまして、私は今回、プーチン大統領と会談をいたしますが、この北朝鮮の問題につきましても、現にロシアと北朝鮮が国交を持っておられ、友好関係を維持しておられます。そして、昨年の8月には金正日氏もロシアを訪問され、プーチン大統領とも会談し、それぞれロシアと北朝鮮だけの問題ではなくて、国際情勢についても言及されたと思います。日本としては、国交のあるロシア、中国ともよく連携を取ってこの北朝鮮の問題については当たっていかなければならない。
特に核の問題、安全保障の問題、これはロシアと中国が国境を接しております。そして友好関係を北朝鮮側と持っておられる。現在の関係を考えますと、北朝鮮に対しましてロシアもかなりの影響力を持っておられると思います。また、日本にはない観点をプーチン大統領も持っておられると思います。そういう点も踏まえまして、私は今回のロシア訪問を契機に、日ロ関係の将来の在り方、そしてソ連時代からロシアに変わったと、アメリカとソ連が対決していた時代から、ロシアがアメリカと協調体制を取った。なおかつ、G7からロシアが世界先進国サミット会議に参加するようになった。
4年後には、ロシアでサミット会議が行われる。言わば、かつてのソ連の体制から、プーチン大統領のロシアになって様変わりであります。政治的には民主主義体制を目指す、経済的には市場経済主義を取っていく、そしてサミット参画とともに、同じ価値観を共有するということでロシアの体制は変わったと、そういう国際的な環境の変化をとらえて日ロ関係も当然領土問題、平和条約の困難な問題もありますが、日ロ間で協力できる分野も多々あるのではないかと。国際関係の変化をにらみながら、私はロシアを訪問したいと思っております。また、プーチン大統領とも会談したい。当然、北朝鮮の問題についてもロシアと協力してやっていきたいと思っております。
● アメリカによりますイラク攻撃が取りざたされておりますけれども、与党内にもイラク復興支援のための新法を早期に制定した方がいいという議論があるようですが、この点どのように取り組まれますでしょうか。
これは、今、査察が行われて、今月下旬にはその査察の報告が国連の安保理に報告される状況になっていると思います。それを見てから考えればいいことであって、今の時点でいろいろ起こってないことを前提にして議論するのは適切ではないと。日本としては、アメリカも国際協調体制を取って、このイラクの問題に対処してほしいということを昨年来から話しているわけでありますので、私は国際協調というものを基本に考え、そしてアメリカとの同盟国の関係を考えながら主体的に日本政府として取り組んでいきたいと思っております。 
第二次小泉内閣の発足・談話 / 平成15年11月19日
私は、本日、再び内閣総理大臣の重責を担うことになりました。
総選挙において示された国民の信任を厳粛に受け止め、「改革なくして成長なし」「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」というこれまでの方針を堅持し、公明党との連立政権の下、先の内閣と同じ体制で引き続き構造改革を推進してまいります。
デフレ克服と経済活性化の実現、国民生活の「安全」と「安心」の確保、将来の発展のための基盤づくり、行財政改革の徹底に精力的に取り組み、国民に約束した改革の実現に全力を尽くします。当面する重要課題である年金改革、地方分権に向けた「三位一体の改革」、道路関係四公団の民営化を着実に具体化するとともに、来年秋頃に向け、郵政事業民営化案の検討を進めてまいります。
イラクに対しては、現地情勢を見極めながら、人道・復興支援を進めてまいります。北朝鮮に関わる拉致や安全保障問題の解決、テロの防止・根絶に向けた闘いに全力で取り組みます。
改革の芽がようやく出てきた今こそ、断固たる決意をもって改革を推進してまいります。
国民の皆様の御理解と御協力を心からお願いいたします。
基本方針[第二次小泉内閣初閣議における指示]
「改革なくして成長なし」、「民間にできることは民間に」、「地方にできることは地方に」との方針の下、以下に掲げる改革を進める。
1.経済の活性化
・民間の活力と地方のやる気を引き出す金融・税制・規制・歳出の改革を推進し、デフレ克服、経済活性化を実現する。
・「五百三十万人雇用創出プログラム」を推進し、若者から中高年までの就職支援など、雇用対策を充実させる。
・地方のことは地方自ら決定する地方分権の実現に向け、「三位一体(補助金・地方交付税・税源移譲)」改革を進める。構造改革特区、都市再生、観光立国を推進し、地方を活性化する。
・産業を再生し、地域経済を支えるやる気のある中小企業を応援する。
・食の安全と信頼を確保し、やる気と能力のある農業経営を後押しする。
・低公害車の導入、ゴミゼロ作戦、クリーンエネルギーなど、科学技術を振興し、環境保護と経済成長を両立させる。
2.国民の「安全」と「安心」の確保
・犯罪対策を強化して、「世界一安全な国−日本」を復活させる。
・年金、医療、介護などの社会保障を若者と高齢者が支え合う公平で持続可能な制度に改革する。「待機児童ゼロ」作戦を進め、子育てを応援する。
・知育、徳育、体育、食育。「人間力向上」のための教育改革を実現する。
・「知的財産立国」を実現し、文化・芸術を生かした豊かな国づくりを進める。
3.行財政改革の徹底
・子や孫の世代に負担を先送りせず、「2010年代初頭にプライマリー・バランスの黒字化」を目指す。
・郵政事業(郵貯・簡保・郵便)を平成19年から民営化する。このため、来年秋頃までに民営化案をまとめ、平成17年に改革法案を国会に提出する。
・道路関係四公団民営化推進委員会の意見を基本的に尊重し、平成17年度から四公団を民営化する法案を来年の通常国会に提出する。
4.外交・安全保障
北朝鮮問題、イラク復興支援、テロ対策など、日米同盟と国際協調を重視し、主体的な外交・安全保障政策を進める。
5.政治
政治改革を推進し、国民に信頼される政治を実現する。 
記者会見(第二次小泉内閣発足) / 平成15年11月19日
去る11月9日に行われました衆議院総選挙におきまして、お陰様で国民の信任をいただくことができました。本日、衆議院本会議で首班指名選挙が行われ、私、再度総理大臣の重責を担うことになりました。今後ともよろしくお願い申し上げます。
私、2年半前、初めて総理大臣に就任して以来、改革なくして成長なし、民間でできることは民間に、地方にできることは地方に、これに沿って改革を進めてまいりました。この改革の種をまいてきて、ようやく改革の種に芽が出てきた、そういう時期に再度総理大臣の重責を担うことになりましたが、これからも改革推進に向けて、国民の御理解と御協力を得ながら、全力を尽くしてまいりたいと思います。
私は、総理大臣に就任する際に「天の将に大任をこの人に降さんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労せしむ」という孟子の言葉を引用いたしました。
天が大任を降さんとするときには、必ずその人の心身を苦しめ、疲労させる。これに耐えていかなければならない。重責を全うするために、あらゆる困難に耐え、改革に邁進していかなければならない。そういう決意を胸にしっかりと秘めてやってきたつもりでございます。
これからも、総理大臣の重責には変わりないと思っております。毎日が緊張と重圧の中にいること、今後も変わらないと思います。しかしながら、総理大臣としての責任を全うするために、あらゆる困難にめげず、いかなる批判を浴びようとも耐えて、しっかりと改革の芽を大きな木に育てていきたいと思いますので、今後ともよろしく御指導、御協力をお願いしたいと思います。以上でございます。
【質疑応答】
● 当面の一番の課題でありますイラクへの自衛隊の派遣の問題ですが、我々の世論調査などでは、治安の情勢の悪化を受けて、反対論も強まっているようですが、イラクの復興支援として、なぜ自衛隊の派遣が必要であるとお考えか、その念頭に置かれている派遣時期も含めて、改めてお考えをお伺いさせていただければと思います。
イラクの安定は日本のみならず、全世界極めて大事な問題だと思っております。イラクの復興支援、人道支援、そしてできるだけ早期に、イラク人の、イラク人による、イラク人のための政府をつくらなければならない。これに対して、アメリカ始め国際社会が協力していこうということは、既に国連の安保理決議でも採択されたように、日本としても、国際社会の責任ある一員として、イラクの復興支援、人道支援に当たらなければならないと思っております。その際、今までの議論にあるとおり、日本は戦闘行為には参加しない。しかし、イラクの安定のために、民主的な政権樹立のために、日本の国力にふさわしい支援をするべきだと考えております。情勢は厳しい状況でございますが、日本として民間人、あるいは政府職員、そして自衛隊も活躍できる分野があれば、私はこの国際社会の責任を果たすために積極的に貢献すべきだと思っております。ただし、日本の自衛隊なり、あるいは民間人なりを派遣する場合には、その状況を見極めて、安全面に十分配慮して、派遣しなければならないと思っております。そういう観点から、今後もよくイラク情勢を見極めながら、いつ派遣すべきかという点については、状況を見極めながら判断したいと思っております。
● 第二次小泉内閣では、さきの衆議院選で掲げたマニフェスト、政権公約をいよいよ実現、実行する段階に入ります。しかし、自公連立政権になって、その政策調整の難しさも指摘されています。国民との契約であるマニフェストの重要性をどのように考え、どう実行して、どのように具体化していくのか、フォローアップシステムの構築も含めてお考えを伺います。
今回の総選挙において公約を示しました。この公約実現のために、自民党、公明党協力して、全力を尽くしていきたいと思っております。今までの連立体制の中で培われた信頼関係の下に、私は自民党と公明党、それぞれ党の事情は違いますが、調整は十分できると。そしてお互いの立場を尊重しながら協力できる、そういう信頼関係が既に今までの連立政権協力した中で生まれておりますので、この信頼関係を大事にして、お互いの政策におきましても、総選挙で掲げた国民との間の約束、いわゆる公約をいかに実現していくかについて、私は十分話し合いの上に行っていきたいと。ある問題については、党が違いますから考えの違いもあると思います。しかし、それも今までの経験で十分調整が可能だと。お互い補い合いながら、支え合いながら、公約の実現に向けて努力していきたい。十分可能であると思っております。
● 北朝鮮の拉致事件に対する対応についてお伺いします。政府が、北朝鮮の拉致事件の解決を最重要課題として取り組み、更に国際社会の理解が進んでいるにもかかわらず、この問題の前進というのはなかなか見られない状況が続いています。総理としては、この問題を第二次小泉内閣としてどのように取り組むのか、また今、北朝鮮の対応を、どのように認識しているのかをお聞かせください。
私は昨年北朝鮮側が私をピョンヤンに招待したということ自体、北朝鮮側も日本との国交正常化を求めている意思の現れだと思っております。私もその際、北朝鮮が国際社会の責任ある一員になることが、北朝鮮にとっても、日本にとっても、朝鮮半島全体にとっても、また国際社会の中にあっても重要であるということを金正日総書記に話しました。そういう中で、拉致の問題、核の問題、ミサイルの問題、総合的、包括的に解決して、将来日朝国交正常化につなげていこうという話し合いが行われたわけでありますが、拉致の被害者の一部の方が帰国されましたが、まだ被害者の家族の問題が残っております。こういう点について、私は北朝鮮側に誠意ある対応を今までも求めてまいりました。これからもこの話し合いの場、二国間でどのようにその話し合いの場を設けるかということについて、北朝鮮側の誠意ある回答を今でも求めております。同時に6か国、6者協議、これが第1回の会合が行われましたが、まだ、次の会合が行われておりません。時期はまだわかりませんが、いずれ6か国、6者協議が行われると思いますが、その場におきましても、国際社会全体の問題と、また日本の立場というものを各国の理解を得ながら、粘り強く北朝鮮側に誠意ある対応を求めるように努力を続けていきたいと思います。
● 総理は2年半前、改革をするには痛みが伴うと公言して政権運用をされて、この2年半国民は痛みに耐えてきたと思います。本日、第二次政権が発足するに当たって、小泉内閣で国民は、まだ痛みに耐えねばならないのでしょうか、それはいつ頃まで続くとお考えなんでしょうか。
改革には痛みや抵抗や反対が伴う。既得権を手放さなければならないという方々にとっては痛みであります。しかし、現状維持で痛みが将来こないかというと、私はもっと大きな痛みが来ると思います。そういう点から、抵抗、反対を恐れず、やるべき改革をやるというのが改革には痛みが伴うという私の考え方であります。今、ようやくその改革の必要性を多くの国民が理解してくれたからこそ、こういう厳しい状況にあるにもかかわらず、自民党が単独で総選挙において過半数を上回る議席を獲得することができた。また、この改革を進めてきた与党全体で、安定多数の議席を確保することができたということは、やはり国民が改革を進めろという声だと受け止めております。この声をしっかり受け止めて、ようやく出てきた改革の芽、いわゆる金融改革1つ取りましても、不良債権処理は進んでおります。税制改革、これも経済活性化のための税制改革、厳しい財政状況でありますが、単年度ではなく、多年度で考えようという税制改革も行いました。規制改革、これは今までできなかった特区構想、地方の意欲が出ております。全国的な規制でできないんだったら、1地域に限って、規制を緩和しよう、改革しようということで、各地域がやる気を出して、そういう改革も進んでおります。歳出の分野におきましても、一般歳出を実質前年度以下に削減しながら、必要な分野を増やす、不必要な分野を削っていくという歳出の改革も進んでおります。そうした中で、政府の公的資本形成が投入されなくても民間がやる気を出していると思います。地方が自ら財政を援助してくれ、あるいは税制優遇してくれということなしに、地方のやる気が出て、自分たちがやらなければいかんという意欲も出ております。そういう意欲、やる気を民間においても、地方においても支援していかなければならない。
だからこそ、私は今、厳しい状況でありますが、政府の見通しを上回って、実質経済成長率の名目成長率も若干プラスに上向いてきたと。この芽を育てるということは、今まで進めてきた改革路線は正しいと、進めろという国民の審判だと今回の選挙の結果を受け止めておりますので、私が最初に2年半前、総理大臣に就任したときとは打って変わって、今回の衆議院選挙においても、自民党も改革政党に変わったと。かつての3年前の選挙の自民党では考えられなかった民営化路線、中央から地方への路線、これは堂々と公約に掲げて、これを今後進めていこうということで、与党で合意ができております。そういう点におきまして、今回の選挙の審判というものは非常に力強く、激励だと受けておりますので、この公約に沿って自民党、公明党の連立政権協力の下に、更に改革を推し進めていきたいと思っております。
● 今の地方の関係の話なんですが、三位一体改革に関して、昨日の経済財政諮問会議で、税源移譲も行えるようにという指示をなされましたけれども、政府の中では異論もあるように聞いていますが、これをどうやって年末にかけて進めていかれるのか。それと初年度の税源移譲の規模も8割程度と考えてよろしいのか、その辺りをお考えがあればお聞かせください。
これは年末には具体的な数字が出てまいります。また、出さなければいけないわけであります。その際に、3年間で4兆円補助金を縮減するということであります。三位一体改革というのは、補助金、交付税、税財源、これを一体として改革していこうということでありますので、初年度、地方への裁量権を拡大していこうということで、1兆円を目指して補助金を縮減していこうと、地方への裁量権をいかに拡大していくか。その際にはやはり税源も移譲していこうと。これは補助金と交付税と両方、地方が自主的に判断したいという点が、個別に今いろいろ問題点が出てきておりますし、それを今、調査中であります。そういう点については、公約どおり、補助金と交付税と税財源、三位一体の改革の芽を出すべく、年末の予算編成に向けて全力を尽くしていきたいと思っております。 
2004

 

年頭所感 / 平成16年1月1日
新年明けましておめでとうございます。
私は、就任以来、「改革なくして成長なし」という基本方針のもと、構造改革に取り組んでまいりました。これからの小泉内閣の責務は、見えてきた改革の「芽」を「大きな木」に育てていくことだと考えます。多くの国民の皆様の信任を厳粛に受け止め、断固たる決意で改革を進めてまいります。
構造改革の実現に向け、平成16年度予算には、持続可能な社会保障制度や、補助金、地方交付税、税源移譲の「三位一体の改革」などの具体案を盛り込みました。道路四公団の平成17年度からの民営化や郵政事業の民営化に向けた具体案作りも、着実に進めてまいります。
改革は着実に進んでいます。雇用情勢は厳しい状況が続いていますが、経済成長率は1年6ヶ月連続して実質プラスになり、企業収益や設備投資も改善しています。この明るい兆しを中小企業や地方経済にまで広げていかなければなりません。金融、税制、規制、歳出の改革を加速し、民間の活力と地方のやる気を引き出してデフレ克服と経済の活性化を実現してまいります。
外交政策では、国際協調と日米同盟を重視し、我が国の国益を追求する外交・安全保障政策を進めてまいりました。日本国憲法の前文は、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と高らかにうたっています。イラクの治安情勢が厳しいことは十分認識しておりますが、国際社会の責任ある一員として、イラクの人道復興支援のため、資金的な支援のみならず、安全に十分配慮しながら自衛隊を含めた人的支援を進めてまいります。
日本の歴史には、様々な苦難のときがありましたが、我々の先輩は、勇気と希望を持って新しい時代を切り拓いてまいりました。悲観論からは新しい挑戦は生まれません。構造改革の種をまき、ようやく芽が出てきた今こそ、日本の潜在力と可能性を信じて改革を進め、明るい未来を築いていかなければなりません。
国民の皆様の一層のご理解とご支援をお願い申し上げるとともに、本年が皆様一人ひとりにとって実り多い素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。 
年頭記者会見 / 平成16年1月5日
新年、明けましておめでとうございます。
昨年、大変外交、内政厳しい年でございましたけれども、今年はよい年であるように、皆さんとともにお祈り申し上げたいと思います。お正月ではありますが、自衛隊の諸君は既に、イラクの人道支援、復興支援のために準備を進めております。
それに加えまして、インド洋におきましては、テロ対策支援活動、また東ティモールなどのPKO活動では、国づくりの活動に活躍をされておられます。更にイランで大地震が発生し、その被災者に対する救援活動も民間の方々と一緒に、救援活動にあたってきたわけでございます。
日本の国の経済社会情勢は厳しい状況でありますが、日本としては、日本の国にふさわしい、外国で困難に陥っている国々、あるいは災害によって被災を受けて窮乏している被災民の方々に対して、できるだけの支援活動をしていきたいと思っております。
正月早々でありますが、そういう厳しい状況にあっても、日本国民を代表して活躍している自衛隊の諸君、あるいは民間人、NGOの方々、政府職員の方々、そういう方々に心から敬意を表したいと思っております。内政、外交、今年もなかなか厳しい状況が続いてくると思います。特にイラクの復興支援につきましては、世界各国が6月にイラク人の政府をつくるよう全力で努力している最中でございます。早くイラク人が自らの国を再建すると、復興すると、希望を持って自らの国を安定した民主的政権をつくるために努力して、これを日本としても支援をして、この中東の安定なしに世界の平和と安定はないという観点から、支援を続けていかなければならないと思っております。
北朝鮮に対しましては、日朝平壌宣言に基づきまして、拉致の問題、核の問題、ミサイルの問題、これらを総合的、包括的に解決して、将来、日朝国交正常化を実現したいという基本方針は一貫しております。今後もこの方針に沿って、北朝鮮側に対して誠意ある対応を求めていきたいと思います。
昨年、北朝鮮とアメリカ、韓国、中国、ロシア、そして日本の六者会合が行われましたが、今年もできるだけ早くこの六者会合が開かれまして、懸案の問題解決に向かって日本としても引き続き粘り強い努力を続けていきたいと思います。
内政におきましては、この2年余にわたる、私が総理に就任して以来の構造改革路線、改革なくして成長なし路線、これがようやく軌道に乗ってきたなと。いろいろ改革の種をまいてまいりました。この種に芽が出てきたと、この芽を大きな木に育てていくために、改革の手綱を緩めることなく推進していきたいと思います。
特に、民間にできることは民間に、地方にできることは地方にという今までの方針に、ようやく具体化されて、これから国会で御審議をいただくわけです。
道路公団民営化の問題につきましても、民間の推進委員会の皆さんに御協力を得て、この委員会の意見を基本的に尊重して具体案をまとめることができました。
今後、国会におきまして、この民営化の法案を審議していただきまして、17年度中には民営化を実現させる準備を進めていきたいと思います。
また、今年はいよいよ官僚機構、財政投融資制度、特殊法人、この一段の官僚の分野の改革の本丸と言われる、郵政三事業民営化の問題が本格的に動き出します。今まで何年かにわたって、民営化是か非か、民営がいいのか、国営がいいのかという議論が全くまとまりませんでした。賛否両論。特に政界におきましては、民営化論に圧倒的に反対論が多かったわけですが、ようやく昨年の衆議院選挙におきまして、民営化是か非はもう決着しております。民営化するという前提で、どのような民営化案がいいかということを今年の秋ごろぐらいまでに、いろんな方々の意見を聞きながら案をまとめて結論を出していきたいと思います。
そして、来年の国会に民営化の法案が出せるように、今年は準備していきたい。行財政改革、民間にできることは民間に、地方にできることは地方に、官僚機構の徹底的な無駄、これを排除する意味のいよいよ本丸改革に迫ってきたわけであります。
民営化の案、国民に不安を与えないように、今までの国営の郵便局よりもはるかにサービスのよい、国民から安心して今までの郵便局サービスを享受できるような、発展性の可能性の富んだ、そういう民営化案を多くの識者の意見、各界の意見を聞きながらまとめていきたいと思います。
景気の問題、これは多くの国民が一番関心を持っている問題であります。なかなか景気が厳しい状況が続いてまいりましたが、ようやく昨年から明るい兆しも見えてまいりました。
実質経済成長率においても、名目成長率においても、政府の見通しを上回って、プラスに転じてきております。倒産件数も12か月、13か月連続して減少しております。
また、民間側の意欲も、ここのところ盛んに出てきておりまして、企業業績の回復も改善もなされ、将来の設備投資に向かって意欲的な動きが随所に見られております。
また、会社を立ち上げようという意欲のある人、こういう方々の支援をしようということで、今まで1,000万円以上ないと会社を立ち上げることができなかった。それを昨年、1円の資本金があれば、会社をつくることができますよと、そういうことが可能になる形にしたところ、昨年既に7,000件以上もの会社が新しく誕生しております。やはり意欲のある人はいるんだなと、こういう国民一人ひとりの、企業一つひとつの意欲を支援する改革を断行していきたい。
長年景気の足を引っ張っていた不良債権処理、これも額においても割合においても着実に減少に向かって進んでおります。
雇用の面においては、依然として失業率が5.2%と厳しい状況が続いておりますが、ここに来て求人数は増えております。求人はあるんだけれども、なかなかその求人のところに向かっていかないと、いわゆるミスマッチ、このミスマッチ解消のために、もうひと工夫、必要ではないかと思って、今後とも雇用対策、特にミスマッチ、若年者が自立できるような対策をわかるように進めていかなければいけないと思っております。
いずれにしましても、今までだめだと多くの方から、この改革路線の批判を受けてまいりましたけれども、実態の面で見ますと、このところ補正も国債を増発しないで補正予算を組むことができた。公共投資が減少する中で経済に明るい兆しが出てきたと、まさに改革の成果が徐々に表れてきていると思います。
今後とも、この路線を堅持して、金融財政は極めて厳しい状況でありますが、改革の芽を大きな木に育てていきたいと思います。日本には、大きな潜在力があります。底力もあります。あまりだめだ、だめだと言って悲観しないで、将来に向かって、この時代にやればできるんだと、悲観論に陥ってくじけてはいけない、やる気を多くの国民が持ってもらうような改革路線を推進して、新しい挑戦に向かって、多くの国民や企業が立ち向かえることができるような改革を進めていきたいと思います。今年もよろしくお願い申し上げます。
【質疑応答】
● 総理、明けましておめでとうございます。まず、経済の問題についてお伺いしたいんですが、今、総理もおっしゃられたように、昨年辺りから景気に明るい兆しが見えてきたのは事実だと思うんですが、その一方で、年末の年金改革や税制改革などによって、かえって景気に悪影響を与えるのではないかという心配が出ています。そういう点を踏まえて、今年一年の景気の展望といいますか、日本経済が本当に本格的な回復軌道に乗ることができるのか、その辺をどのように見通していらっしゃるのかということ。それと、その回復軌道に着実に乗せるために、具体的に何をなさっていきたいと考えていらっしゃるのか、その2点をお伺いします。
景気対策をしなさいということ、それを言われる方々の意見というのは、今の小泉内閣のとっている路線が緊縮路線だという批判があるんですね。それは、昨年も私は申し上げました。80兆円の一般会計の予算の中で、税収が40兆円程度しかないんです。この状況で増税はできない。しかし、国債発行は40%を超えている。一体どこの国で国債依存率が40%を超えている国があるでしょうかということを私は言ったんです。突き詰めて言えば、景気対策をもっとしなさいということは、今以上に国債を増発して、公共事業をもっとしなさい、公共事業を削減すると景気に水を差すということの批判であります。一方では、これほど国債を増発して、GDPを上回る国債残高がどんどん増えている。今までの借金の未払いがずんずん増えていって、福祉予算なり、一般政策予算に回らない。これ以上国債を増発して、今までのように公共事業を拡大して、本当に景気回復になるんですか。むしろ財政破綻、将来につけを回す。これを恐れる。言わば、もっとプライマリー・バランスと言いますか、財政的な基礎収支、財政に規律を持たせなさいと。
ということは、この論者の言うことを聞くと、国債を増発してはいかぬということなんですね。もっと歳出削減に切り込みなさいと。民営化するのか、民営化にも批判的である。地方に任せる、これに対しても、いざ改革を進めるとこれも批判的だと。国債を増発し過ぎるという批判というものは、結局、増税しなさいということになるんですね。私は消費税は、私の任期中には上げない。私の任務の大きなものは、今の徹底した官の分野の無駄を省く、行財政改革。だからこそ、民間にできることは民間にと言って、就任前には、だれにも予想し得なかった道路公団民営化、郵政民営化は現実の政治課題に取り上げることが、ようやくできたんです。
私は、そういう面において、緊縮予算だと言っている批判は、もっと国債を増発せよということになってくるんだということを、国民にわかってもらいたい。その人たちは今、国債を今よりも増発して、金利が上がった場合には、また景気の足を引っ張ることになります。それでは、これは国債を増発し過ぎだという批判に聞きますと、増税しなさいというふうになっていきます。増税で景気が回復するでしょうか。どっちからも批判が来る。一方だけの批判だったら、その批判に対しては私も判断します。どっちの立場かわからないで、目に見えないところから批判だけすればいい、揚げ足取りだけすればいいという状況というのは、皆さんもよく考えていただきたい。ちゃんと顔を出して、その論者はどうして一貫の立場に立って私を批判しているのか、小泉内閣を批判しているのか、現在の財政、経済を批判しているのか。
そういうことをはっきりさせて、両者からの顔を合わせた批判なら大いに歓迎します。しかし、今の路線は景気に即効薬がありません。万能薬はありません。金融改革、不良債権処理を含めた金融改革、税制改革、単年度で収支を合わせるというのは税制改革ではない。複数年度で減税先行の税制改革をしています。
規制改革、これは国として、今まで認められなかった、いろんな分野における株式会社の参入も認めてきた。歳出も今年度は一般会計においては、前年度以下になっているにもかかわらず、メリハリを付けた。警察官の増員をする中で、公務員は全体で減らす。
防衛予算においても、将来のミサイル防衛をしながら、防衛予算はマイナス1%。今までにない、予算を減らす中で重点的にメリハリを付けて、必要な科学技術関係予算には増やしていく。増えている部分は、社会保障分野と科学技術予算だけ。あとは減らす中で、増やすべきは増やすということをやっているわけでありまして、メリハリの効いた予算でありますので、今後ともそのような今まで続けてきた改革路線を着実に進めていくということは、ひいては日本の経済回復につながっていくのではないかと思っております。
● イラクへの自衛隊派遣についてお伺いしたいと思います。防衛庁は、昨年末の空自の先遣隊に続いて、陸上自衛隊の派遣についての準備も進めているわけですけれども、その一方でイラク国内で治安の改善は見られていない状況ですし、国内の世論調査を見ても、なお慎重論が多数を占めていると。やはり現状のイラクに非戦闘地域を見い出して自衛隊を派遣するということが、国民にとって非常にわかりづらいことだと思うんですけれども、その点についてどうお考えになるのか。また、派遣部隊が現地でテロと見られる武力攻撃を受けた場合、その攻撃性や組織性が判断できなくても撤退させることになるのかどうか。その点についてのお考えをお聞かせください。
今、イラクの復興支援、人道支援のために、多くの国々が協力しながら、早くイラク人の政府を立ち上げて、イラク人が希望を持って自らの国の再建に取り組むことができるような支援を講じております。その際に、テロの活動、あるいはフセイン政権の残党グループがイラクにおいて治安を乱したり、あるいはテロ活動を続けて非常に危険な地域もあるということは承知しております。しかし、そういう状況の中で、日本が手をこまねいていて、イラク人の中にも多くのイラク人は自分たちの力で早くイラクを再建させたいという方々もたくさんおられるわけであります。イラク統治評議会等。
アメリカ、イギリス始め国際社会も国連も、早くイラク人のイラク政府をつくろうと努力している。そういうことで、国連も国連の加盟国に対して、できるだけの支援をイラクにしてほしいと要請をしております。日本はその要請に応えて、自衛隊を派遣する場合にも武力行使はしないと、戦闘行為には参加しないという法律にのっとって、イラクの復興支援活動にどう当たるかということを検討した結果派遣を決めて、今、先遣隊が準備を進めております。
確かに、今の状況を考えますと、奥外交官、井ノ上外交官、貴重な2人の優秀な日本の外交官がテロリストに殺害されて、極めて残念であります。そういう状況を踏まえながらも、一民間人、一政府職員がイラクに赴いて、復興支援活動ができるかというと、かなり危険を避けるような準備も個人個人では無理であろうと。また、危険を防止するための装備も持って行けないだろうと。同時にそのような訓練をしていないだろうということで、もし人的な支援策を考えるんだったらば、今の時点においては自衛隊の諸君に行ってもらうのが妥当であろうと。一般の民間人が行かない。そういう中で、危険なところだから民間人行けということもできないということで、私は日ごろから組織的な厳しい訓練に耐えて、自分で宿泊施設もつくることができる、自分で食料を調達することができる、自分で水があればきれいにして、水を飲むことができる、利用することができる。自己完結性を持った組織である自衛隊が、復興支援活動、人道支援活動に取り組む余地はイラク国内においても十分あると思って、自衛隊の諸君に国民に代わって、決して安全とは言えない、危険を伴う困難な仕事であろうけれども、この日本のイラクに対する復興支援のために行っていただく、この自衛隊員の安全配慮の面につきましては、政府として万全の措置を講じております。
もしということではなくて、もしということを考えたくない事案を想定するよりも、危険な目に遭わないように、最悪の事態が起こらないような準備をしていくのが、今の政府の責任だと思っております。そして、自衛隊の諸君が立派に任務を果たせれば、いずれ民間人の方々もイラクに赴いて復興支援活動ができる環境ができればいいなと。そのために、政府としては資金的援助、物的援助、人的援助を含めて、国際社会の一員としての責任を果たしていきたいと思っております。
● 拉致問題ですが、六者協議の開催を優先するとの理由から、徐々に国際的な関心が薄れている観がある拉致問題なんですけれども、被害者家族の状況は以前として変わっていません。先ほど総理は拉致、核、ミサイル、包括的に取り組んでいかれるというふうにおっしゃいましたが、日本政府として今年この拉致問題の解決に向けて膠着状況の打破に向けた具体的な方策、何か念頭にあるもの、これから取り組んでいきたいものとかございますでしょうか。
昨年も年内に六者協議が行われる可能性を追求しておりましたけれども、結局年を越しました。拉致問題につきましては、今までも表面に出ない部分で日本独自の働きかけ、また日本以外の各国に対して拉致問題に対する理解と協力を求めてまいりました。かねてより、日本政府、私が主張しておりますように、拉致は拉致、核は核、別問題だという方法は取っておりません。拉致も核も一緒に解決していくべき問題であると。核の問題につきましては、昨年リビアが核放棄を全面的に表明いたしました。国際社会の核の問題に関する査察を、即時、無条件で受け入れました。これは、私は朗報だと受け止めております。やはり国際社会から孤立したら、その国の発展はないんだなということにリビア政府は気づいたんだと思います。このようなリビア政府の決断が、今後も核を持とうとしている国に対して、いい影響を与えるということを期待しております。北朝鮮に対しましても、国際社会から孤立する道を選ぶのではなくて、国際社会の責任ある一員になることが北朝鮮国民にとって、平和と安定、繁栄への道を進むことだということを、今までも申し上げてまいりましたけれども、今年はそういう核放棄、核査察を受け入れ、そして国際社会への責任ある一員になるように日本としても、北朝鮮側に対して粘り強く働きかけていきたい。また、北朝鮮側もそのような働きかけに対して、誠意ある対応を示すことが北朝鮮にとって最も利益になるんだということを伝えていきたいと思います。
● 総理は、元日に靖国神社を訪問しましたが、これに対して、中国、韓国から反発が出ていますが、これをどう受け止めますか。もう一つ、総理は元日の靖国神社参拝につきましても初詣の意味合いを持たせておりましたけれども、当初の公約であります8月15日の靖国神社訪問との意味合いの整合性をどのように考えられているのかと、この2点をお聞かせください。
靖国神社に参拝いたしましたのは、現在の日本の平和と繁栄のありがたさをかみしめると。日本の今日があるのは、現在、生きている方だけの努力によって成り立っているものではないんだと。我々の先輩、そして戦争の時代に生きて、心ならずも戦場に赴かなければならなかった、命を落とさなければならなかった方々の尊い犠牲の上に、今日の日本があるんだということを忘れてはいけないと。そういうことから、過去の戦没者に対する敬意と感謝を捧げると同時に、日本も今後、二度と戦争を起こしてはいけない、平和と繁栄のうちに、これからいろいろな改革を進めることができるようにという思いを込めて参拝いたしました。余り私の靖国神社の参拝を騒ぎ立てるようなことは、私は望みませんでした。静かに参拝できたらいいなと思っておりまして、そういうことから皆さんにも事前にお知らせすることはなかったんですが、お正月ということで参拝するにはいい時期ではないかなと思って元旦に参拝しました。天気も穏やかで、すがすがしい気分になることができ、これから1年、また一生懸命頑張りましょうという気持ちを込めて参拝することができたと思いました。
また、近隣諸国からの批判に対しましては、これはそれぞれの国が、それぞれの歴史や伝統、慣習、文化を持っているわけであります。そういうことに対して日本としては、戦没者に対する考え方、神社にお参りする意義等、それぞれ日本には独自の文化があると、外国にはないかもしれないけれども、こういう点については、これからも率直に理解を求めていく努力が必要だと思っております。これから、日中関係、日韓関係、日本の隣国として大事なパートナーですから、今後も日韓、日中両国との交流進展については、これまでどおりいろんな分野において拡大を進めていきたいと思っております。 
第159回国会における施政方針演説 / 平成16年1月19日
(はじめに)
昨年11月に行われた総選挙において国民の信任を頂き、再び内閣総理大臣の重責を担うことになりました。「構造改革なくして日本の再生と発展はない」というこれまでの方針を堅持し、「天の将(まさ)に大任をこの人に降(くだ)さんとするや、必ずまずその心志(しんし)を苦しめ、その筋骨(きんこつ)を労せしむ」という孟子の言葉を改めてかみしめ、断固たる決意をもって改革を推進してまいります。
私は就任以来、「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」との方針で改革を進めるとともに、国際社会の一員として我が国が建設的な役割を果たすことに全力を傾けてまいりました。
我々が目指す社会は、国民一人ひとりや、地域・企業が主役となり、努力が報われ再挑戦できる社会です。現場の知恵や創意工夫は、日本の潜在力をいかした経済成長につながります。国は、国民の安全と安心を確保しなければなりません。国民、地域、企業の努力を支援するとともに、科学技術を振興し我が国の将来の発展基盤を整備します。国際社会にあっては、世界の平和と繁栄を実現するため積極的に貢献します。
本年は、これまでの改革の成果をいかすとともに、郵政事業や道路公団の民営化、地方分権を進める三位一体の改革、年金改革などこれまで困難とされてきた改革を具体化し、日本再生の歩みを確実にする年であります。
私は、自由民主党及び公明党による連立政権の安定した基盤に立って、改革の芽を大きな木に育て、自信と誇りに満ちた、世界から信頼される国を実現したいと思います。
(イラク復興支援とテロとの闘い)
昨年11月、イラク復興支援に中心的な役割を果たす中で殉職された奥克彦大使、井ノ上正盛一等書記官のお二人に改めて心から哀悼の意を表します。
イラクに安定した民主的政権ができることは、国際社会にとっても中東にエネルギーの多くを依存する我が国にとっても極めて重要です。国際社会がテロとの闘いを続けている中で、テロに屈して、イラクをテロの温床にしてしまえば、イラクのみならず、世界にテロの脅威が広がります。イラク人によるイラク人のための政府を立ち上げて、イラク国民が希望をもって自国の再建に努力することができる環境を整備することが、国際社会の責務です。
現在、37か国がイラク国内で活動し、90を超える国と国際機関が支援に取り組んでいます。国連もすべての加盟国に対し、国家再建に向けたイラク人の努力を支援することを要請しています。
戦後我が国は多くの国から援助を受けて発展し、今や世界の国々を支援する立場になりました。日本の平和と安全は日本一国では確保できません。世界の平和と安定の中に、日本の発展と繁栄があります。イラクの復興に、我が国は積極的に貢献してまいります。
その際、物的な貢献は行うが、人的な貢献は危険を伴う可能性があるから他の国に任せるということでは、国際社会の一員として責任を果たしたとは言えません。資金協力と自衛隊や復興支援職員による人的貢献を、車の両輪として進めてまいります。
資金面では、当面の支援として電力、教育、水・衛生、雇用などの分野を中心に総額15億ドルの無償資金を供与するとともに、中期的な電気通信、運輸等の経済基盤の整備も含め、総額50億ドルまでの支援を実施することとしており、真にイラクの復興にいかされるよう努めてまいります。
人的な面では、イラクが必ずしも安全とは言えない状況にあるため、日ごろから訓練を積み、厳しい環境においても十分に活動し、危険を回避する能力を持っている自衛隊を派遣することとしました。武力行使は致しません。戦闘行為が行われていない地域で活動し、近くで戦闘行為が行われるに至った場合には活動の一時休止や避難等を行い、防衛庁長官の指示を待つこととしています。安全確保のため、万全の配慮をします。
自衛隊は、海外の平和活動で大きな成果を上げており、イランでも大地震による被災者支援のための物資の輸送に当たりました。イラクにおいても、現地社会と良好な関係を築きながら、医療、給水、学校等公共施設の復旧・整備や物資の輸送などイラクの人々から評価される支援ができると考えています。
自衛隊は、既に現地において人道復興支援活動に着手していますが、今後、現地の情勢や治安状況を注視しつつ、本格的な支援活動を行ってまいります。困難な任務に当たる自衛隊員に、敬意を表します。
世界各国が協力してイラク復興を支援するよう、今後とも外交努力を重ねるとともに、中東和平に尽力し、アラブ諸国との対話を深めます。
アフガニスタンにおけるテロとの闘いは依然として続いています。昨年12月にリビアが大量破壊兵器の開発計画の廃棄と即時の査察受入れを決定したことは、大きな意義を有するものです。北朝鮮を含め、他の国にも責任ある対応を強く期待します。テロの防止・根絶及び大量破壊兵器の不拡散に向けた国際的取組に引き続き積極的に参画してまいります。
(進展する改革―「官から民へ」「国から地方へ」の具体化―)
日本経済は、企業収益が改善し、設備投資が増加するなど、着実に回復しています。経済成長はこの1年半連続で実質プラスになり、名目でも過去半年プラスとなりました。雇用情勢は厳しいものの、求人が増加するなど持ち直しの動きがあり、物価にも下げ止まりの兆しがあります。平成15年度の補正予算は、14年ぶりに国債を増発することなく編成しました。国主導の財政出動に頼らなくても、構造改革の成果が現れています。
地域の再生は、元気な日本経済を実現する鍵です。民間の活力と地方のやる気を引き出す金融・税制・規制・歳出の改革を更に加速し、政府は日銀と一体となって、デフレ克服と経済活性化を目指します。
「民間にできることは民間に」との方針の下、最大の課題は郵貯・年金を財源とする財政投融資を通じて特殊法人が事業を行う公的部門の改革であるとの認識で、行財政改革を進めてまいりました。
改革の本丸とも言うべき郵政事業の民営化については、現在、経済財政諮問会議において具体的な検討を進めています。本年秋ごろまでに国民にとってより良いサービスが可能となる民営化案をまとめ、平成17年に改革法案を提出します。
道路関係四公団については、競争原理を導入し、ファミリー企業を見直すとともに、日本道路公団を地域分割した上で、民営化します。9342キロの整備計画を前提とすることなく、一つひとつの道路を厳格に精査し、自主性を確保された会社が建設する有料道路と、国自らが建設する道路に分けるとともに、「抜本的見直し区間」を設定しました。規格の見直しなどによる建設コストの徹底した縮減により、有料道路の事業費を当初の約20兆円からほぼ半分に減らします。債務は民営化時点から増加させず、45年後にはすべて返済します。また、通行料金を当面平均1割程度引き下げるとともに、多様なサービスを提供してまいります。このような改革は、民営化推進委員会の意見を基本的に尊重したものであります。今国会に関連法案を提出し、平成17年度に民営化を実現します。
財政投融資については、郵貯・年金の預託義務を既に廃止するとともに、規模の圧縮を進め、平成16年度当初計画の規模は、平成8年度の約40兆円から半減し、20兆円になりました。
163の特殊法人のうち既に8割を、廃止、民営化、独立行政法人化することにより、事業を徹底して見直し、透明性を高め、評価を厳正に行うこととしました。特殊法人や独立行政法人の役員退職金は大幅に引き下げ、国家公務員並とします。
国家公務員の定員については、治安や入国管理など真に必要な分野で増員しつつ、全体として削減します。
公務員制度改革については、公務員が国民全体の奉仕者として職務に専念できるよう、具体化を進めます。
「地方にできることは地方に」との原則の下、「三位一体改革」は大きな一歩を踏み出しました。平成16年度に補助金1兆円の廃止・縮減等を行うとともに、地方の歳出の徹底的な抑制を図り、地方交付税を1兆2000億円減額します。また、平成18年度までに所得税から個人住民税への本格的な税源移譲を実施することとし、当面の措置として所得譲与税を創設し、4200億円の税源を移譲します。平成18年度に向け、全体像を示しつつ、地方の自由度や裁量を拡大するための改革を推進します。
現行特例法の期限後も引き続き市町村合併を推進するための措置を講じます。
道州制については、北海道が地方の自立・再生の先行事例となるよう支援してまいります。
(暮らしの改革の実現)
構造改革は国民の暮らしを変えつつあります。
「世界最先端のIT国家」に向け、高速インターネットは世界で最も速く、かつ、安くなり、株式取引に占めるインターネット取引の割合は3年間で6パーセントから19パーセントに急成長しました。本年度末には、国の行政機関への申請や届出のほぼすべてを家庭や企業のパソコンから行えるようになります。技術革新と規制改革の効果があいまって、ICカードを使った定期券が普及し、電子タグを活用して店頭で食品の産地情報を提供する試みが始まっています。家庭のIT基盤整備につながる地上デジタルテレビジョン放送の普及を促進し、暮らしの中でITを実感できる社会を実現いたします。情報通信の安全対策を強化し、信頼性を高めつつ、電子政府を推進します。IT分野におけるアジアとの国際協力を推進します。
廃棄物の発生を減らすため、消費者のみならず生産者が積極的な役割を果たす仕組みを、家電、自動車、パソコンなど製品の特性に応じて整えてまいりました。身近なところでは、既にほぼすべての中央省庁食堂において、生ごみのリサイクルを実施しています。トウモロコシやおがくずで作る食器などのバイオマス製品の試験利用も進められています。
香川県豊島(てしま)では、多くの関係者の努力により、不法投棄により損なわれた美しい島を取り戻すための事業が始まっています。このような環境汚染を二度と起こさないため、できるだけ早期に大規模な不法投棄を無くし、ゴミゼロ社会を目指します。
組織の内部から公益のために違法行為を通報する人を保護する仕組みを整備してまいります。
(安全への備え)
国民の安全への備えは国の基本的な責務です。
空港や港湾など「水際」での取締りや危機管理体制の整備、重要施設の警備など国内テロ対策を強化し、在外公館の警備や海外の日本人の安全確保に努めてまいります。大規模テロや武装不審船など緊急事態に的確に対処できる態勢を整備します。
有事に際して国民の安全を確保するため関係法案の成立を図り、総合的な有事法制を築き上げます。
安全保障をめぐる環境の変化に対応するため、弾道ミサイル防衛システムの整備に着手するとともに、防衛力全般について見直してまいります。
「世界一安全な国、日本」の復活は急務です。政府を挙げ、一刻も早く国民の治安に対する信頼を回復します。
来年度は、地方公務員全体を1万人削減する中で、「空き交番」の解消を目指し、3000人を超える警察官を増員し、退職警察官も活用して交番機能を強化します。安全な街づくりを含め、市民と地域が一体となった犯罪が生じにくい社会環境の整備を進めます。出入国管理を徹底し、暴力団や外国人組織犯罪対策を強化します。
被害に遭われた方々への情報提供や、保護・支援の充実に努めてまいります。
司法を国民に身近なものとするため、刑事裁判に国民が参加する裁判員制度の導入や全国どこでも気軽に法律相談できる司法ネットの整備など司法制度改革を進めます。
昨年の交通事故死者数は46年ぶりに8000人を下回りました。10年間で5000人以下にすることを目指します。
学校・病院など重要な建築物と住宅の耐震化を促進し、消防・防災対策を強力に推進します。住居の確保などの被災者支援をはじめ、災害復旧・復興対策を充実します。
(安心の確保)
若者と高齢者が支え合い国民が安心して暮らすことができる社会保障制度を構築してまいります。
年金については、少なくとも現役世代の平均的収入の50パーセントの給付水準を確保しつつ、負担が過大とならないよう保険料を極力抑制する一方、年金課税の適正化により基礎年金の国庫負担割合の二分の一への引上げに道筋をつける改革案を取りまとめました。今国会に関係法案を提出します。
医療や介護については、将来にわたり良質で効率的なサービスを国民が享受できるよう基盤を整備するとともに、安定的な運営を目指した改革を進めます。
保育所の「待機児童ゼロ作戦」を着実に実施し、来年度も受入児童を5万人増やすとともに、育児休業制度を充実します。児童手当の支給対象年齢を就学前から小学校第3学年修了まで引き上げます。子供を安心して生み、子育ての喜びを実感できる社会を目指し、少子化対策に政府一体で取り組みます。
女性が持てる能力を発揮し、様々な分野で活躍すれば、活力や多様性に満ちた社会になります。これまで女性の進出が少なかった分野も含め、女性のチャレンジする意欲を支援してまいります。
建築物や公共交通機関のみならず制度や意識も含めて社会のバリアフリー化を促進するとともに、人権に関する教育や啓発を進め、誰もが相互に人格と個性を尊重し支え合う社会を構築してまいります。
消費者の視点に立って、BSEへの対応をはじめ食の安全と信頼を確保します。SARSや鳥インフルエンザ対策に万全を期します。
(地域の再生と経済活性化)
歴史と文化をいかし自然との共生を目指す、琵琶湖・淀川流域圏の再生が始まりました。稚内や石垣では、港とまちの連携に加え、海外や周辺観光地との交流を促進し、観光振興と市街地の活性化に向けた施策が動き出しています。松山では、小説「坂の上の雲」をモデルに、歩きやすく住みやすい街づくりが進んでいます。地域の知恵や民間のやる気をいかし、全国で都市再生を進めてまいります。
昨年4月から開始した構造改革特区が動き出しています。群馬県太田市では、小学校から英語で授業を実施する小中高一貫校を開設することとしたところ、定員の2倍の入学希望者がありました。国際物流特区では、夜間の通関取扱件数が大幅に増加し輸出入も増えるなど、目に見える成果が上がっています。幼稚園と保育所の幼児が一緒に活動できる幼保一体化特区、農家が経営する民宿でどぶろくを造って提供できるふるさと再生特区など、各地域が知恵を絞った特区が全国に236件誕生しています。今後も特区の提案を着実に実現していくとともに、その成果を速やかに全国に広げてまいります。
2010年に日本を訪れる外国人旅行者を倍増し、「住んでよし、訪れてよしの国づくり」を実現するため、日本の魅力を海外に発信し、各地域が美しい自然や良好な景観をいかした観光を進めるなど、「観光立国」を積極的に推進します。
対日直接投資は、昨年5月に設置した総合案内窓口を通じて780の投資案件が発掘されるなど、着実に進展しています。5年間での倍増目標に向け、外国企業にとって日本を魅力ある市場にしてまいります。
愛知県高浜市では、株式会社を設立し一括して業務を委託することにより、市職員の人件費を削減するとともに、地域の雇用を創出しています。
地方自治体や企業からの要望を一括して受け止め、行政サービスの民間開放の促進など地域の実情に合わせた制度改革や施策の連携により、経済活性化と雇用創造を通じた地域の再生を全面的に支援してまいります。
米作りを始めとする農業と、流通を含む食品産業の活性化を図ります。やる気と能力のある経営を支援し、農産物の輸出も視野に置いた積極的な農政改革を展開します。美しい農山漁村づくりを目指すとともに、都市との交流を推進してまいります。
「緑の雇用」により森林整備の担い手の育成と地域への定住促進を図り、多様で健全な森林の育成を推進します。
雇用対策に全力を挙げます。求人と求職のミスマッチの解消や早期再就職の支援を推進します。企業実習と一体となった教育訓練の実施、地域が民間を活用して実施する若者向けの職業紹介など「若者自立・挑戦プラン」を実施します。65歳までの雇用機会確保や中高年者の再就職を促進します。
530万人雇用創出プログラムを着実に実施します。
主要銀行の不良債権残高は、この1年半で9兆円以上減少し、不良債権比率も目標に向け順調に低下しています。平成16年度には不良債権問題を終結させます。金融機能の強化のため新たな公的資金制度を整備してまいります。
市場における個人の資産運用を拡大し、地域や中小企業に必要な資金を行き渡らせるため、監視機能の強化や株式のペーパーレス化により証券市場への信頼と利便性を高め、銀行と証券の連携を進めます。信託業の担い手や対象を拡大し、土地担保や個人保証に頼らない資金調達を促進します。
昨年発足した産業再生機構は、9件の支援を決定しました。全国に設置した中小企業再生支援協議会は、2600社を超える企業の相談に応え、200件近い再生計画を支援し、着実に成果を上げています。民間の叡智と活力を最大限活用して、産業再生を着実に進めます。
これまで1000万円以上必要だった会社設立の資本金を1円でも可能とする特例を認めた結果、1年間で8000近い企業が誕生しました。ベンチャー企業への個人投資を伸ばす優遇税制を拡充し、起業や新事業への挑戦を支援してまいります。
「総合規制改革会議」の終了後も、民間人を主体とする新たな審議機関を設置するとともに、平成16年度を初年度とする新たな3か年計画を策定し、規制改革を加速します。
21世紀にふさわしい競争政策を確立するため、独禁法の見直しに取り組みます。
平成16年度予算の編成に当たっては、一般歳出を実質的に前年度の水準以下に抑制しました。財政の基礎的収支は改善しています。主要な分野で増額したのは、社会保障のほか、科学技術振興と中小企業予算だけであり、それ以外についてはすべての分野を減額し、各分野においてメリハリの利いた予算配分を行いました。新たな試みとして、成果を厳しく問う一方で複数年度執行を弾力化するとともに、少子化対策など複数省庁にまたがる政策の予算を制度改革と組み合わせて効率化するなど、歳出の質の改善に努めます。
2010年代初頭には基礎的財政収支を黒字化することを目指します。
多年度で税収を考え、多岐にわたる包括的かつ抜本的な改革を行った平成15年度税制改革は着実に効果を現しつつあり、来年度も1兆5000億円の先行減税が継続します。平成16年度においては、住宅ローン減税の期限を延長するとともに、土地や株式投資信託の譲渡益課税を軽減し、個人資産の活用と土地・住宅市場の活性化を図ります。
公正で活力ある経済社会を実現するため、先般の与党税制改正大綱を踏まえ、社会保障制度の見直しや三位一体の改革と併せ、中長期的視点に立って、税制の抜本的改革に取り組んでまいります。
(将来の発展への基盤作り)
地球環境の保全は小泉内閣の重要な課題であり、科学技術を活用して環境保護と経済発展の両立を図ってまいります。
京都議定書の早期発効に引き続き努力し、さらに、すべての国が参加する共通ルールの構築を目指します。
平成16年度中にすべての公用車を低公害車に切り替える目標を掲げたことにより、企業は技術開発を加速しました。新規登録車に占める低公害車の割合は6割を超えています。ディーゼル車について世界最高水準の排出ガス規制を実施し、世界に先駆けた環境対策を進めてまいります。太陽光による発電は世界一です。中長期的な環境・エネルギー政策の下、原子力発電の安全確保に全力を挙げるとともに、燃料電池や太陽光・風力発電などクリーン・エネルギーの普及を促進します。地球温暖化対策推進大綱の評価・見直しを行い、「脱温暖化」に向けた努力が経済の活力となる社会を構築してまいります。
「科学技術創造立国」の実現に向け、ヒトゲノム解読の成果をいかした革新的ながん治療など、国民の暮らしを良くし、経済活性化につながる研究開発として「みらい創造プロジェクト」を戦略的に推進します。産学官の連携を推進し、地域や民間の活力を引き出しながら、科学技術を振興してまいります。
「知的財産立国」を目指し、「順番待ち期間ゼロ」の特許審査を実現し、模倣品・海賊版対策を強化します。画期的な裁判所改革として、知的財産高等裁判所を創設します。
能楽、人形浄瑠璃文楽が人類の優れた無形遺産としてユネスコに認定されるなど、我が国には世界に誇るべき伝統文化があります。世界で高く評価されている映画、アニメ、ゲームソフトなどの著作物を活用したビジネスを振興し、文化・芸術をいかした豊かな国づくりを進めてまいります。
新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい人材を育成し、人間力向上のための教育改革に全力を尽くします。
初等中等教育の充実による確かな学力の育成を図ります。心身の健康に重要な食生活の大切さを教える「食育」を推進し、子供の体力向上に努めます。地域住民による学校を活用した小中学生の体験活動を支援するとともに、学校の安全確保のための対策を講じ、社会全体で子供を育む環境を整備します。
本年4月には、国立大学が法人化されます。活力に富み個性豊かな大学づくりを目指します。意欲と能力のある若者が教育を受けられるよう、奨学金事業を更に拡充してまいります。
教育基本法の改正については、国民的な議論を踏まえ、精力的に取り組んでまいります。
非行問題等困難を抱える青少年を支援するとともに、青少年の社会的自立を促す対策を推進します。
政府の活動の記録や歴史の事実を後世に伝えるため、公文書館における適切な保存や利用のための体制整備を図ります。
海底の天然資源開発に我が国の権利が及ぶ大陸棚を画定するため、大陸棚調査を進めます。
土地の境界や権利関係を示す地籍の調査を集中的に推進します。
(外交)
北朝鮮については、日朝平壌宣言を基本に、拉致問題と、核・ミサイルなど安全保障上の問題の包括的な解決を目指します。関係国と連携しつつ、六者会合等における対話を通じ、北朝鮮に対し、核開発の廃棄を強く求めてまいります。拉致被害者並びに御家族の意向も踏まえ、拉致問題の一刻も早い全面解決に向け引き続き全力を尽くします。北朝鮮には、誠意ある行動をとるよう粘り強く働きかけてまいります。
日米関係は日本外交の要であり、国際社会の諸課題に日米両国が協力してリーダーシップを発揮していくことは我が国にとって極めて重要であります。多岐にわたる分野において緊密な連携や対話を続け、日米安保体制の信頼性の向上に努め、強固な日米関係を構築してまいります。
沖縄に関する特別行動委員会最終報告の実施に取り組み、普天間飛行場の移設・返還を含め、県民負担の軽減に努めるとともに、地域特性をいかした経済的自立を支援します。沖縄県恩納村(おんなそん)に、世界に開かれた最高水準の教育研究を行う科学技術大学院大学を設立する構想を推進します。
昨年11月から金浦(きんぽ)空港と羽田間の航空便運航が開始され、本年から韓国で日本語の歌の販売が解禁されるなど、日韓両国民の相互理解・交流はかつてないほど深まっています。日韓友好親善の機運をいかしながら、両国関係を一層高いレベルへと発展させていく考えです。
中国との関係は最も重要な二国間関係の一つであり、昨年発足した新指導部との間で、未来志向の日中関係を発展させてまいります。日中経済関係は貿易や投資の拡大により緊密化しており、これを相互に利益となる形で進展させるとともに、日中両国はアジア地域、世界全体の課題の解決に向け協力します。
昨年1月に私とプーチン大統領との間で採択した「日露行動計画」は、幅広い分野で着実に実現されつつあります。経済分野を始めとする大きな潜在力をいかしながら日露関係を発展させ、我が国固有の領土である北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結することを目指します。
本年5月にEUの拡大を控えてダイナミックに発展する欧州は、国際社会において価値と課題を共有する大切なパートナーであり、幅広い分野において関係の強化・拡大に努めてまいります。
昨年12月に、日本ASEAN特別首脳会議を開催いたしました。採択された東京宣言に基づき、新しい時代の「共に歩み共に進む」パートナーとしてASEAN諸国との関係を強化します。
国際社会の平和と安全に対する脅威への対応が問われている中、国連の改革に努めてまいります。
国際社会の責任ある一員として、アフガニスタン、スリランカ、東ティモールなどで「平和の定着と国造り」を支援してまいりました。我が国がより積極的に国際平和協力を推進するための体制作りに努めます。
人間一人ひとりを重視する「人間の安全保障」の視点も踏まえ、途上国の貧困克服や持続的な成長、地球規模問題の解決に向け、ODAを戦略的に活用してまいります。
多角的貿易体制を維持強化するため、WTO新ラウンド交渉の進展に努力します。戦略的課題として重要性が高まりつつあるメキシコ、東アジア諸国との経済連携協定の交渉については、将来にわたる日本経済の在り方を考え、積極的に取り組んでまいります。
(むすび)
国民との対話、タウンミーティングは通算100回を数えました。今後も様々な形で開催します。
先の総選挙に関し、公職選挙法違反容疑で衆議院議員が逮捕されたことは、誠に遺憾であります。「信なくば立たず。」国民の信頼を得ることができるよう、政治家一人ひとりが襟を正さなければなりません。更に政治改革を進め、信頼の政治の確立を目指します。
我が国は、日本国憲法前文において、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」との決意を世界に向かって明らかにしています。
青年海外協力隊の諸君は、今も世界各地で活躍しています。南太平洋のサモアで感染症対策に従事する人や、アフリカのセネガルで農業指導を行う人など、3000人を超える日本人が、厳しい環境にもめげず、自ら進んで地域の人々のために活動しており、我が国の国際社会における信頼を高めています。
ゴラン高原や東ティモールにおける国連平和維持活動やインド洋におけるテロ対策の支援など、日本が国際社会の一員として行うべき任務を、多くの自衛官が国民を代表して遂行しています。
平和は唱えるだけでは実現できません。国際社会が力を合わせて築き上げるものであります。世界の平和と安定の中に我が国の安全と繁栄があることを考えるならば、日本も行動によって国際社会の一員としての責任を果たさなければなりません。
古代中国の思想家である墨子は、「義を為すは、毀(そしり)を避け誉(ほまれ)に就くに非(あら)ず。」と述べています。すなわち、我々が世のためになることを行うのは、悪口を恐れたり、人から誉められるためではなく、人間として当然のことをなすという意味であります。
世界の平和のため、苦しんでいる人々や国々のため、困難を乗り越えて行動するのは国家として当然のことであり、そうした姿勢こそが、憲法前文にある「国際社会において名誉ある地位」を実現することにつながるのではないでしょうか。
国民並びに議員各位の御理解と御協力を心からお願い申し上げます。 
第二次小泉内閣改造内閣の発足・基本方針 / 平成16年9月27日
「改革なくして成長なし」、「民間にできることは民間に」、「地方にできることは地方に」との方針のもと、引き続き、以下に掲げる改革を力強く進める。
1.「官から民へ」「国から地方へ」の徹底
・郵政民営化について、「郵政民営化の基本方針」(平成16年9月10日閣議決定)に基づき、与党等とも緊密に調整を行いつつ、更に詳細な制度設計に取組み、平成19年4月から郵政公社を民営化する法案を次期通常国会に提出する。
・三位一体の改革については、地方団体がまとめた補助金改革案を真摯に受け止め、今年度の1兆円に加え、来年度からの2年間に行う3兆円程度の補助金改革、国から地方への税源移譲、地方交付税改革の全体像を年内に明らかにする。
・市場化テスト導入に向けた作業を進めるとともに、混合診療の解禁など規制改革を推進する。
2.経済の活性化
・民間の活力と地方のやる気を引き出す金融・税制・規制・歳出の改革を推進し、デフレ克服、経済活性化を実現する。
・不良債権処理を平成16年度末までに終結させ、ペイオフを平成17年度より解禁する。
・「2010年代初頭にプライマリー・バランスの黒字化」を目指し、財政改革を進める。
・フリーター・無業者を重点に若年者の雇用・就業対策を強力に推進する。
・構造改革特区制度の活用、観光立国や都市再生の推進、また補助金制度改革などにより、地域や街の潜在力を引き出し、地域再生、地域経済の活性化を図る。
・新産業の創造や産業の再生を進め、やる気のある中小企業を応援する。
・食の安全と信頼を確保し、やる気と能力のある農業経営を後押しするなど、農業の構造改革を進める。
・低公害車やクリーンエネルギーの導入、ゴミゼロ作戦など、科学技術を振興し、環境保護と経済成長を両立させる。
・アジア各国との経済連携協定の締結に積極的に取り組む。
3.暮らしの安心と安全の確保
・年金、医療、介護を柱とする社会保障を将来にわたり持続可能なものとしていくため、社会保障制度の一体的見直しを進める。社会保険庁の改革を行う。引き続き「待機児童ゼロ」作戦など少子化対策を進める。
・犯罪対策を強化して、「世界一安全な国−日本」を復活させる。
・体験学習や習熟度別指導の促進、高等教育の活性化など「人間力向上」のための教育改革を引き続き進める。
・「知的財産立国」を進め、文化・芸術を生かした豊かな国づくりを行う。
4.外交・安全保障・危機管理
・日米同盟と国際協調を重視し、北朝鮮問題、イラク復興支援や日露平和条約交渉に取り組み、国益と国民の安全を守る主体的な外交・安全保障政策を進める。
・弾道ミサイルなど新たな脅威に対応する防衛態勢を構築するとともに、国際テロの未然防止に向けた態勢の整備に努める。
5.政治改革
政治改革を推進し、国民に信頼される政治を実現する。 
記者会見(第2次小泉内閣改造後) / 平成16年9月27日
私は、今回、内閣改造をいたしましたが、就任以来3年数か月経過いたしました。この間、外交にあっては日米関係の重要性、そして世界各国と協調していく、いわゆる日米同盟と国際協調、これを両立させていくのが日本外交の基本であると。いまや、世界の平和と安定の中に日本の発展と繁栄があるんだということから、実際に日米関係を重視し、そして国際協調体制を図っていくということを実践してきたつもりでございます。この方針に、今後も変わりはございません。
内政にあっては、経済を活性化していく。金融改革、規制改革、税制改革、歳出改革、現状維持では新しい時代の変化に対応できないと。「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」、この基本方針にのっとって政治を運営してきたつもりでございます。
その間、私の改革路線に対して、経済が低迷していると、不況であると、デフレであると、こういう時期に諸改革を進めていく、構造改革を進めていくと、ますます経済はだめになる、失業は増えていく、企業の倒産件数は増えていく、小泉内閣の進めている改革は間違っていると。今は、改革なくして成長なしではない、まず成長ありき。成長なくして改革なしなんだという、改革なくして成長なしか、成長なくして改革なしか、この論戦が私の就任直後から1、2年続きました。
ようやく、やはり改革なくして成長なしだなという路線の正しさが国民にも理解できたことだと思います。現実に改革を進めることによって、不良債権処理も進み、金融機関もより健全性に向かって努力をし、経済も上向いてまいりました。
いわば、そういう改革をこれからも断行していかなければならない。わけても小泉内閣の「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」、この方針のとおり、これからも進めていかなければならない。その改革の本丸というべき郵政三事業の民営化、いよいよ基本方針が閣議決定され、来年には郵政民営化の法案が提出される運びになりました。
今まで、「地方にできることは地方に」、これは総論賛成であります。そのために、国が地方に与えてきた補助金、もっと地方が自由に、裁量権を与えて使いやすくしようじゃないか。税財源も地方に移していこうではないか。交付税、ほとんどの地方自治体が国から足りない分は交付税交付金をもらって、地方のいろんな事業を賄う。こういうものを改革していこうじゃないかと。補助金一つ取っても、国がどの補助金を廃止して地方に任せるのか、どのような税を地方に与えるのか。交付税交付金、これはなくなると困る、ほとんどもらいたい、現状維持がいい、1つ変えるとほかも変えなければならない、難しい、それなら一緒に全部3つを変えようと。補助金、税源、地方交付税、全部難しくてできなかったものを、それでは一緒に変えようということで三位一体の改革、約4兆円の補助金を削減しようと。今年は1兆円を削減し、あと3兆円。あと2年かけてこの3兆円の補助金改革をしようと。それに合わせて税源と交付税も改革していこうと。この三位一体の改革を実施に移していかなければならない。これは年末にかけて大きな課題であります。
更に、今まで民間にできることは民間にということで、総論は賛成。ところが現実に民間にできるものでも民間にさせないというのが、この郵政三事業の問題でありました。郵便局なくせなんて私は一言も言っておりません。郵便局の運営は、役人、国家公務員でなくてもできると、民間に任せた方がはるかにサービスは多様化するのではないか、無駄な税金も使わなくて済むのではないかということから、果たして今の郵便局の運営は、40万人にも及ぶ国家公務員じゃなければできないのか、民間人にもできるのではないかという、いよいよ「民間にできることは民間に」の本丸に入ってきます。
いずれにしても、郵政事業に関わる約40万人の根強い現状を維持したいという要望に各政党がすくんじゃっている、動きがとれなかったこの問題にようやく本格的にメスが入れられようとする段階に入ってまいりました。
いわば、今まで進めてきた改革を更に進める、そのための今回の内閣改造と役員の改選であります。これからも基本方針にのっとって、更に改革を推進していきたいと思いますので、国民各位の特段の御支援、御協力をいただければありがたいと思います。
【質疑応答】
● 総理ご苦労様です。まず、党の方の人事の方からお尋ねいたします。武部さんを幹事長に据えられて、また安倍さんを幹事長代理にされたと、こうしたややサプライズ人事とも言える人事のねらいと、この人事によって挙党体制が確立されたとお考えかどうか、まずお聞かせください。
まず、今回の三役人事におきましては、党内の体制を整備していこうと。今まで役員改選時には党の人事を一新しようということが慣例でありました。それに合わせて内閣改造もしてきたわけでございますが、今回もある程度人心も一新した方がいいのではないか、挙党体制を取った方がいいのではないか、また、参議院選挙を闘って新しい気分でもって改革を進めていった方がいいのではないかということから、武部幹事長、久間総務会長、与謝野政調会長という布陣にしたわけでございますが、安倍幹事長も参議院選の結果を受けまして、51議席の目標を1議席下回ったということから、参議院選挙直後辞意を表明され、その意向が強かったわけであります。しかし、安倍幹事長も党改革等、自分のやるべきことはまだ残っているということから、あの参議院選挙の結果、やはり目標の51議席を獲得できなくて、1議席下回ったけれども、51議席を上回ることを目標としてきたから、自分としてはやはり幹事長は辞すべきではないかという強い意向でありました。そういう意向を尊重して、今回、それでは幹事長を替わるけれども、やるべき党改革、更に今後自分としても執行部に残って、また汗をかこうと、今まで幹事長として多くの方々に支えられてきたけれども、今度は幹事長を始め、いろんな方々の意見を反映すべく汗をかいて、みんなを支える立場に立とうという気持ちになっていただいて、武部幹事長を始め、執行部の一員として残るのは、自分の残したやるべき改革を実現していく道であろうという判断をされたんだろうと思います。私は、それをよしと思っております。また、武部幹事長は、今まで農水大臣あるいは議運委員長等、いろいろ実績を積んでまいりました。各党におきましても信頼があり、国会対策等においても苦労されております。これから国会運営におきましても、また改革におきましても、先の選挙におきましても、党の公約をまとめ上げるために、非常に努力をしてきた方でありまして、小泉内閣の進める郵政民営化は勿論、改革路線、これを後戻りさせてはいけないという強い使命感を持っている方であります。そういうことから、武部さんに幹事長をお願いしたわけであります。私は、今回いい体制ができたなと思っております。
● 総理が、今、お話になられたように、人事を前にいたしまして、郵政民営化に協力する勢力を今回結集するとおっしゃっておられましたが、今回の人事で郵政民営化を推進する観点から、思いどおりに協力勢力を全体的に結集することができたと判断されていますでしょうか。そして、もう一つ質問ですが、去年の内閣改造の際、総理はこの内閣を改革推進内閣とネーミングされていましたが、今回はどう名付けられますでしょうか。
私は、郵政民営化が改革の本丸だと位置づけているのは、総論ではみんな「民間にできることは民間に」ということは賛成なんです。そうしたら、今の郵貯にしても、簡保にしても、郵便事業にしても、実際民間人がやっているんです。なぜ役人じゃなきゃできないのか、公務員じゃなきゃできないのかということから、それでは民間に任せようじゃないかと言うと、労働組合、あるいは特定郵便局、それぞれ各政党の大事な支持基盤ですから、支持勢力、選挙でお世話になっていると。このような人たちは現状維持がいいんだから、変える必要ないんじゃないかということで、ほとんど全政党がこういう支持基盤を大事にするためには既得権を維持し、現状維持がいいということだったんですが、やはりむしろ官業は民業の補完だと。それより一歩進んで、民間人でも公的な事業ができるんだということを考えれば、民間人でも公共的な仕事に携わってもらった方がいいということから、この郵政民営化をかねてからとらえてきたわけであります。そういうことにようやく理解を示してくれておりますし、閣議決定もできたわけですから、これからこの閣議決定に沿って法案化作業を進めてまいります。
ようやく、昨年の総裁選挙でも私は主張の大きな課題に郵政民営化を掲げました。勿論、反対論者おりましたけれども、結果的に私を自民党員、国会議員は自民党総裁に選んだんです。選出してくれたんです。11月の総選挙でも同じようなことを訴えて、自由民主党が過半数を得て、公明党との連立を維持して政権を運営してきました。参議院選挙においても、自民党、公明党、併せて安定多数を参議院でも、いわば、衆参ともに安定多数を得た。そういう状況で、私が主張してきたこの大きな課題、これを実現していくのが当然だと思っております。そういう理解者、協力者を今回結集しましたし、それにのっとって挙党体制ができたと思います。
自由民主党は、結論が出るまでは、賛成、反対、いろんな議論が出ます。しかし、最終的には反対していた議論も、時代の方向、日本の行く末を見極めて、一定の結論に協力してくれると思っております。いわば、今は反対していても、結論を出す段階においては、私に賛成、協力してくれるものと思っております。
いわば、今まで3年間、いろいろ賛否両論の問題も結果を見れば、反対していた方も、道路公団民営化にも賛成してくれました。郵便事業の民間参入、これも反対していた方々も最終的には賛成してくれました。今回も、現在では郵政民営化に反対の方々も、結論を出すべき段階には、賛成、協力してくれると確信しております。でありますから、ようやくこの方針が閣議決定された。この閣議決定に沿って、今これから法案作成が始まる。いわば、今回、内閣の役割として、今までの推し進めてきた改革路線をいよいよ実現する段階に入ったなということから言えば、いわば「郵政民営化実現内閣」、「改革実現内閣」と名付けてもいいのではないかと思っております。
● 総理は今回の改革で、外務大臣と防衛庁長官を交替させました。この外交、安全保障に対する体制を刷新なさった理由をお聞かせください。同時に、かねてこの分野に詳しい山崎拓さんを補佐官に指名した理由も、外交・安保の強化、そんなところにあると理解してよろしいのか、御説明をお願いします。
今までも、川口外務大臣、石破防衛庁長官、よく外交、防衛、努力して、日本の外交、防衛、過ちなきを期していただいたと思います。今回、川口外務大臣は、総理大臣の補佐官として今後も小泉内閣に協力して、いわゆる国会議員、忙しいですから、国会議員を離れた立場で世界の外交問題、外務大臣経験者としていろいろ支えてくれると思っております。そして、町村外務大臣、外務政務次官も経験しておりますし、過去、文部大臣、あるいは党の総務局長をして、経験も豊富であります。今後、日本の外交の重要性をよく認識している方であります。また、石破長官もかねてから防衛政策、安全保障政策の理論家、論客として、この難しい防衛論議にも巧みな答弁、そして、防衛政策の重要性を訴えて、よく努力してくれたと思います。今回、大野防衛庁長官に替わりましたけれども、大野防衛庁長官も、これまた自由民主党の国防部会長も経験して、防衛政策には極めて詳しい方でございます。そういう方々に今回、新しい気持ちで、お互い協力しながら、安全保障と外交というのは一体で進めていかなければならない。そして、山崎拓さんには、新たに総理大臣の補佐官として政治全般の相談相手になってもらう。特に、安全保障の分野においてはこれまた非常に見識を持っている方でありますので、党内のいろいろな難しい情勢も私に対しては力になってくれるのではないかと期待しておりますから、非常に心強いと思っております。いずれも、町村外務大臣にしても、大野防衛庁長官にしても、外交、防衛問題には今までも勉強してきた方であり、詳しい方であるので、川口外務大臣、石破防衛庁長官に劣らない活躍をしていただけると期待しております。
● 今回の内閣では、これまでとは違いまして、民間人の入閣はなく、また、女性閣僚も2人と非常に少なくなりました。こういった点につきまして、小泉政権が今までと少し性格が変わるものなのかどうか、総理の御見解を伺いたいと思います。
女性議員をできるだけ起用したいという気持ちは、今でもあるんです。しかし、全体的に見回してみて国会議員全体、自民党全体から見ると女性議員は少ないです。そういう中から、女性だからいいという気持ちはありません。女性でも、それにふさわしい方、適材を起用しなければならないと。経験を積んだ方、そういうことも必要であろうということから、今回、3人から2人になりましたけれども、これからも女性で適材はできるだけ起用していきたいと思っております。更に、民間人が減ったということでありますが、竹中さんは民間人から参議院議員に当選されました。川口さんも、外務大臣を退任されましたけれども、引き続き総理大臣の補佐官として活躍してくれる。民間人をあえて起用しようということではなくて、民間人でも適材ならば活用したいという気持ちに変わりありません。しかし、民間人からすれば、大臣になるといかに制約が強いか、これにやはり打診しても躊躇する人が多いですね。まず、資産を公開しなければならない、家族が嫌がる、国会答弁、これを見ているだけでとてもあれにはたまらんと、そういう方もかなり多いわけであります。そういうことから、なかなか民間人が政界に入ってきて、この批判に耐えてやっていくというのは大変難しい面があると思いますので、能力のある方も政界に入って、あえて自らの力を発揮してやろうというのは、なかなか少なくなってきたというのも事実でございます。幸いにして、今回国会議員の方でも見識を持った適材をそろえることができたと思っておりますし、民間人が減ったといっても、小泉内閣の性質、方針が変わったわけではありません。
これから私の就任以来の初心をいかに実現していくか、そういう体制が今回の改造内閣であると。この3年間、多くの方々の協力を得てきた、自民党議員の皆さんも、公明党議員の皆さんも、よくこの構造改革の重要性を理解して、途中の経過では反対論、慎重論、抵抗論あったにしても、最終的にはよく協力していただいて、ここまでやってきたわけであります。あと、私の任期が許す限り、何とか「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」という基本路線を少しでも実現させていく、その大きな課題が今回の郵政の民営化でありますから、この問題について自民党も公明党もよく協力してくれると思っておりますし、その方向で実現を目指して、後戻りできない改革路線を軌道に乗せていきたいと思っております。
● 総理、あと2年間のうちに衆院を解散、あるいは内閣を改造するといったこともあり得るんですか。
今の時点では、いかに進めてきた改革を推進していくかでありますので、衆議院議員が解散される状況は、今の時点で想像しておりません。というのは、まだ1年経っておりませんし、去年11月が衆議院選挙、そして今年の7月が参議院選挙、今の時点ですぐ解散するという状況にはないと思います。私は、これから先ほど申し上げましたような改革を実現するために、精一杯頑張ろうと、そういう状況だと思いますので、今の時点で解散は考えておりません。 
2005

 

年頭所感 / 平成17年1月1日
新年あけましておめでとうございます。
小泉内閣が誕生して以来、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」という基本方針のもと、構造改革に全力を挙げてまいりました。「民間にできることは民間に」、「地方にできることは地方に」との改革を進めてきた今、その芽が育ち始めました。「改革の芽」が「大きな木」に成長するか否かは、これからが正念場です。国民の皆さんとともに、断固たる決意で改革を進めてまいります。
昨年、地震や台風、豪雨による災害の被害に遭われた方々に対して、心からお見舞い申し上げます。被災地の早期復旧・復興を図るとともに、防災対策の改善を図り、災害に強い国づくりを進めてまいります。
経済をめぐる情勢は地域によって厳しいものがあり、景気は一部に弱い動きがありますが、民間主導で回復が続いています。引き続き、金融、税制、規制、歳出の改革を加速し、不良債権問題の正常化、デフレの克服に努め、経済の活性化を実現します。
17年度予算では、聖域なき歳出改革を進めるとともに、「地方にできることは地方に」という方針に立って、国の補助金の削減、国から地方への税源移譲、そして地方交付税改革を同時に見直す三位一体の改革をさらに推し進めます。郵政事業の民営化については、今年の通常国会に法案を提出し、平成19年4月から郵政公社を民営化します。
昨年末、イラクにおける自衛隊による人道復興支援活動を1年間延長することを決定しました。日本の安全と繁栄は、国際社会の平和と安定の中でこそ可能です。国際社会と協力して、イラクの復興と安定のための努力を続けます。北朝鮮との関係については、拉致の問題、核の問題、ミサイルの問題を包括的に解決するために、国際社会と協調し、「対話と圧力」の方針で粘り強く交渉にあたります。「日米同盟」と「国際協調」を基本に、今年も国益を踏まえた主体的な外交を展開いたします。
日本が発展していくために最も大切なものは、自らを助ける精神と自らを律する精神です。国民一人ひとりが自らの知恵とやる気を十分に発揮することができるような社会を作るため、本年も構造改革を推進してまいります。
国民の皆様の一層のご理解とご支援をお願い申し上げるとともに、本年が皆様一人ひとりにとって実り多い素晴らしい一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。 
総理大臣コメント / 平成17年1月1日
1.私は、アジア各国を襲った今回の未曾有の災害に際し、同じアジアの一員である我が国として、その責任に見合った最大限の支援を差し延べる決意と連帯、そして具体的措置を表明するため、6日にインドネシアで開催されるASEAN主催緊急首脳会議に出席することとした。
2.日本としては、資金・知見・人的貢献の3点で最大限の支援をしたい。
(1)今回の被害に対する緊急支援措置として、我が国は、当面5億ドルを限度とする協力を、関係国及び国際機関等に対して無償で供与する。
(2)我が国は、インド洋地域における津波早期警戒メカニズムを速やかに構築するため、その知見・科学技術を活用し、関係国・機関との協力を推進する。18日から22日に神戸で開催される国連防災世界会議において、本件のための「特別セッション」を設けることを提案する。
(3)人的貢献の面においても、既に各地に国際緊急援助隊を派遣しているが、今後、消防のヘリ・人員等を活用した更なる貢献を行う。また、自衛隊の航空機・艦船・人員を活用した追加的貢献の実施を早急に検討する。
3.また、今回の事態によって被災国の社会基盤等が深刻な打撃を受けたことに留意し、各国における事情・状況を踏まえて、関係国・機関との協調の下に、復旧復興面においても最大限の支援を行うこととする。 
記者会見 / 平成17年1月4日
新年、おめでとうございます。昨年は、日本におきましても、台風、地震、集中豪雨等、大きな被害を受け、皆様方も大変御苦労の多い年だったと思います。被災者の皆さん方も、今、復旧・復興活動に勤しんでおられると思いますが、是非ともこの困難から立ち上がって、新たな新年を迎えまして、希望を持って地域の振興に取り組んでいただきたいと思います。政府といたしましても、全力を挙げて皆様方の復旧支援活動、支援をしていきたいと思っております。
また、年末にインドネシア沖で発生しました地震による津波は、未曾有の多くの国々に対して被害を与えております。我が国における地震、台風等における被害に対しましても、日本は多くの国から支援、援助を受けております。この際、インドネシア、スリランカ、タイ、インド等、関係諸国の被害に対しまして、日本政府として、アジアの一員として、できるだけ最大限の復興支援活動、支援をしていきたいと思っております。改めて、日本人を含めて、多くの国民が犠牲になりましたけれども、お見舞い申し上げるとともに、被災者の救援、復興活動に日本としても国際社会の一員としての責任を果たしていきたいと思っております。
年頭に当たりまして、今年1年も大変厳しい年だと認識しております。我々としましては、ようやく景気も回復基調に乗ってまいりましたけれども、まだまだ厳しい状況は続くと思います。この景気回復の軌道を本格的なものにするためにも、今年1年精一杯改革に邁進したいと思います。
特に1月下旬から再開されるであろう通常国会におきましては、まず昨年の地震、台風等の被害に遭われました、いわゆる災害対策、復旧活動、この補正予算を年末編成いたしましたので、冒頭に災害復旧のための補正予算をできるだけ早期に成立させまして、この復興事業が順調に、円滑に行われるよう政府としても全力を挙げてまいりたいと思います。
続いて本予算、これも今、大事な経済の局面に来ております。年度内成立を期すために、是非とも各党会派の御協力をお願いして、本予算も年度内成立を図り、経済の順調な民間主導の持続的な成長が可能となるような体制をつくっていきたいと思っております。
今年は、3月から愛知県で万博が開催されます。テーマは、自然の叡智であります、自然との共生、環境保護と経済発展をいかに両立させるか、このような万博が愛知県で開催されます。多くの日本人のみならず、外国人も日本を訪問されると思います。日本としては、年間500万人ぐらいしか外国人がまだ訪れておりませんが、これを2010年には倍増しようという、1,000万人ぐらいの外国人が日本を訪れて、魅力ある日本を紹介していかなければならないと。それがまた地域の発展につながっていくのではないかという観点から、観光振興も大事な年になると思います。
日本国民が外国人に友好的に接していただきまして、各地域における日本の魅力を存分に外国人にも理解してもらうような取り組みが必要だと思っております。
また、内政におきまして今年の最大の課題は、今まで全政党が反対していた、郵政三事業の民営化であります、「民間にできることは民間に」、「行財政改革を断行せよ」、「公務員を減らせ」ということについては、ほとんどすべての党が賛成しております。しかしながら、この郵政三事業だけは、国家公務員でなければできないのかと。そうではないと私は思っております。既に郵便にしても、あるいは小包みにしても、貯金にしても、保険にしても、民間でやっている事業であります。民間人で十分できる事業であります。そういう観点から、私は行財政改革を断行しなさいと、公務員を減らしなさいと、民間にできることは民間にと言うんだったらば、この郵政民営化は不可欠だと思っております。これに政府を挙げて取り組んでいきたいと思っております。
外交も難問が山積しております。イラクの復興、また北朝鮮との交渉、この問題につきましても、日米同盟と国際協調の重要性をよく認識して、もろもろの外交問題に取り組んでまいりたいと思います。
今年1年、大変難しい、厳しい1年であるということをよく肝に銘じて、私も与えられた任務を遂行できるように全力を尽くして改革に邁進したいと思いますので、国民の皆様方の御理解、御協力を心からお願い申し上げます。
【質疑応答】
● まず、郵政民営化に関してですが、総理もおっしゃいましたとおり、今月から自民党が法案策定に向けた調整が始まります。その中で、政府は昨年9月に基本方針をまとめられたりしておりますが、交渉の中で、自民党側との調整の際に譲歩する余地を残していらっしゃるのか、その基本方針についてお伺いしたいと思います。
基本方針は、郵政事業といいますか、この事業を4社に分割すると。そして各事業民営化するんですから、民間と同じような自由度を発揮するように、そしてサービス展開ができるような事業として発展させていこうと。国民の皆さんの利便というものを考えると、現在の公社の形態よりも民間人に経営を任せた方が、より国民のサービス向上につながるのではないかと。また、今まで郵便貯金等の資金が、いわゆる官業的な事業に回っていたのを、民間の成長分野の事業に回していけるような構造にしていくことも必要であると。同時に、行政改革、いわゆる官の分野の改革、こういう点につきましても私はできるだけ「民間にできることは民間に」任せていくということを考えますと、去年の9月10日に政府決定いたしました基本方針、この基本方針どおりと言いますか、基本方針に沿って民営化の法案を作成していく、この方針を今後とも与党にも御理解をいただきまして、法案の提案に向けて、これから努力していきたいと。提案されましたならば、与党との協力も得て、今年の通常国会の期間内に成立させるよう全力を挙げていきたいと思っております。
● 北朝鮮問題についてお聞きします。安否不明者の調査問題をめぐって、北朝鮮側は日朝実務者協議の打ち切りの可能性について言及していますが、どう対処するのか。経済制裁発動のタイミングも含めて、日本政府の対処方針についてお願いします。それと、任期中に掲げられた日朝国交正常化実現の方針について、現時点での見解についてもお願いします。
北朝鮮との交渉に際しましては、今までも申し上げましたとおり、対話と圧力、そして日朝平壌宣言にのっとって、お互いが誠意ある対応をしていこうと。この日朝平壌宣言を誠実に履行した段階において国交正常化を図っていこうということでありますから、この方針に全く変化はございません。安否不明者の調査の問題につきましても、今までの調査においては日本としては納得できないと。今後、北朝鮮側が日本側の疑問点、再調査の報告等、疑問点を提示しておりますので、これに対して誠意ある対応をしてくるよう、今、求めております。その対応を見極めていきたいと思っております。また、北朝鮮側は、表面的には打ち切り等いろいろなことを言っておりますが、私どもといたしましては、表面的な発言ぶりと、実際の真意というものがどういうものかよく見極める必要があると思います。今までの過去の発言、それから実際の行動、そういう事情もよく承知しておりますので、表面的な発言ぶりと本音はどこにあるか。いずれにいたしましても、対話と圧力の両面から交渉をしていかなければならない問題だと思っております。
また同時に、北朝鮮との交渉は拉致の問題のみならず、核の問題、ミサイルの問題、これを総合的、包括的に解決をしていかなければならない問題でもあります。国交正常化の問題につきまして、これは別に期限が区切っているわけではございませんが、北朝鮮がその気ならば、日朝平壌宣言を誠実に履行した暁には、国交正常化が望めることになりますから、期限を区切るわけではありません。私は、今の北朝鮮と日本との敵対関係を友好関係にすることが、日本と北朝鮮のみならず、朝鮮半島、世界の平和のために必要だと思っている観点から、できれば北朝鮮と日本との今の不正常な関係を正常化していきたいと、いつでも思っております。別に期限を区切っているわけではございません。
● 総理、今年は自民党が憲法改正草案をまとめるなど、憲法改正に向けた動きが活発化する年だとも言えると思うんですが、総理は民主党との協議も含めて憲法改正問題、自分の任期中にどこまで進めたいとお考えになっていますか。
この憲法改正の問題というのは、もう長年の懸案でございますが、これは国会議員の3分の2の発議で、国民の過半数の支持なくしては改正はできません。そういうことを考えますと、十分国民的な議論を喚起して、各政党の協力を得ないとこの問題はなかなか成就しないと思っておりますので、まず、結党50周年という自由民主党にとっては大きな節目を迎えます今年秋ごろまでに、この憲法改正についての草案と言いますか、具体案を示していくよう、これから精力的に準備作業を進めていきたいと思っております。
同時に、衆議院、参議院、両院に設けられました憲法調査会において、今年4月か5月には今まで議論した結果の論点整理がなされると思っております。そういう点も参考にしながら、自民党としては秋に向けて草案を示していかなければならないと思っておりますし、これは自由民主党一党だけでできるものではありません。与党であります公明党との協力も得る必要がありますし、同時に、与党だけでも、自民党、公明党だけでも、この改正がなされるものとは思えません。野党第一党である民主党との協力も得なければならないと思っております。民主党も、今年か来年には憲法改正案を提示するよう準備を進めていると聞いております。
こういうことを考えますと、この憲法改正というのは、今年、来年中にできるとは、今、考えておりません。十分時間を取って、まず、自民党、与党との考え方の調整、そして、野党第一党の民主党との協力も得るような形を考えますと、今年、来年は十分、お互いの改正案に対する考え方と協議、調整が今年と来年は必要ではないか。その状況を見て、国会にどのように上程するかという問題が浮かび上がってくると思います。そのような期間を置いて、私は進めていきたいと思っております。
● 総理、今年は戦後60年に当たるわけですけれども、いろんな意味で将来の問題、過去の問題が問われる1年になると思いますが、その中で中国や韓国を始めとして、近隣諸国との外交をどのように展開されるおつもりか。その関連で、総理の靖国参拝の問題というのは避けて通れないと思うんですけれども、総理は今後、適切に対処するというふうにおっしゃっていますが、これは参拝するしない、あるいはその意義、形式、そういうすべてを含めて適切に対処するという解釈でよろしいのか。その2点をお聞きします。
日本としては、隣国であります韓国、中国との関係は、大変重要な隣国でありますので、日韓友好、日中友好の方針には変わりありません。そういう中で、日本が現在直面しております北朝鮮との問題におきましても、韓国や中国との協力を得ながら進めていく必要がありますし、北朝鮮との六者協議におきましても、韓国、中国のみならず、アメリカ、ロシア等も含むわけであります。この枠組みということを考えますと、近隣諸国であります韓国、中国、そして、同盟国であるアメリカ、更に、六者協議のメンバーでありますロシア、国際社会との協調というのは大変重要なものであると思います。私は、中国との関係におきましても、これは就任早々、中国の目覚ましい経済発展というのは日本にとって脅威と受け止めるべきではないと。これは、日本にとっても好機である、チャンスであると。お互い、中国の輸入を阻止するということばかり考えないで、むしろ、日本も中国に輸出できるんだという前向きのとらえ方が必要だと。中国脅威論は取らない。むしろ、中国の発展は日本にとってチャンスと受け止めるべきだという演説を各国でしてまいりました。現在、そのとおりになっております。日本と中国との関係、輸入も輸出も飛躍的に伸びております。お互いの経済にとって相互依存関係、相互互恵の関係を、私は経済界も国民も十分理解しているのではないかと思っております。そういう観点から、過去の一時期の不幸な関係ばかりではありません。友好関係の歴史の方が長いわけであります。そういうことも十分考えながら、歴史を参考にしながら、将来の発展にお互いに何ができるか。将来の友好関係を維持、発展させていくためには、どのような考慮が必要かということを、あらゆる分野において考えていかなければならないと思っております。
私は、靖国参拝だけが日中間の大きな問題とは思っておりません。そういう観点から、こういう問題については粘り強く、中国側の理解を得られるように努力していきたいし、私の靖国参拝につきましては適切に私自身が判断していきたいと思っております。今年もよろしくお願い申し上げます。 
記者会見[平成17年度予算成立を受けて] / 平成17年3月23日
お陰様で平成17年度予算は、本日成立いたしました。この間、年度内成立のために、自由民主党、公明党一致結束して協力していただきました。心から厚く御礼を申し上げます。
今まで、この4年間の予算審議を振り返りますと、当初、「構造改革なくして成長なし」か、あるいは「成長なくして改革なし」か、この議論が盛んに国会で行われました。
その中でもとりわけ印象的なのは、私の就任前には、今の日本の経済を活性化するためには、主要金融機関の不良債権を早く処理しないとだめだという議論が経済の専門家、評論家、与野党共通した認識だったと思います。
しかし、いざ私が総理大臣に就任して、当時主要金融機関の不良債権比率は8%台でした。これを4年間で半減しようと、4%台にしていこうという目標を立てました。結果的には、その目標どおり進んできたわけでありますが、その過程で不良債権処理の仕方に反対論者からも賛成論者からも私は厳しく批判を受けました。
賛成論者から見れば、不良債権の処理の仕方が遅過ぎるという批判でした。小泉は、痛みに耐えて改革するといったじゃないかと、なぜ痛みを恐れているのかと、改革の速度が遅いという批判です。
もう一方は、この小泉内閣の不良債権処理を、このデフレの状況、景気の悪い状況で進めていくならば、企業の倒産はますます増える、失業率はますます高くなると、デフレはますます加速すると、そういう賛成論、反対論の両者から厳しい批判を受けましたが、結果的には目標どおり、8%台から4%台に実現の見通しが立ってまいりました。
それでは、批判した方々の企業倒産は増えているか。逆です。30か月連続して前年同月に比べて企業倒産件数は減少しております。失業率は増えているか、当初5.5%、6.0%でありましたけれども、今年は4.5%に減ってまいりました。企業の業績も回復してまいりました。予算の面を見ましても、来年度予算におきましては、国債の発行も抑制することができましたし、毎年毎年景気が悪い状況ですと出ていた景気対策のための補正予算を組めという声が一言も聞かれないようになりました。
そして、景気対策のためには、公共事業を増やしなさい、そのための国債増発はやむを得ないという論も盛んに行われましたけれども、昨年も今年も補正予算なしで、景気対策予算なしで、むしろ景気の上向きが見られます。
現に来年度予算におきましては、公共事業は4年連続マイナスです。防衛費も3年連続マイナスです。増やしたのは、社会保障関係予算と科学技術振興分野だけです。そして全体的に一般歳出を減らしていく、将来の税負担をできるだけ少なくするという配慮もしていながら、最近景気にもようやく、全体ではありませんが、明るい兆しも見えてまいりました。
先ほど言った雇用情勢についてもそうでありますが、最近の企業の努力によって、賃金もボーナスも出す企業も増えてまいりました。会社も新規採用を増やしております。こういうことから見ますと、やはりだめだ、だめだという悲観論よりも、この改革を痛みに耐えて進めていこうという「改革なくして成長なし」という路線は、私は正しかったんではないかと思っております。まだまだ気を緩める段階に至っておりません。この上向いた情勢を今後とも全国的に浸透させていかなければならないのが、これからの小泉内閣の課題でございます。主に、大企業を中心として、業績は向上しておりますが、これを中小企業、更には地域に浸透させていくのが、これからの大事な課題だと思っております。課題は内外山積しております。これから年金、医療、介護を含めた社会保障全体を見通した改革につきましても、与野党の立場を超えて率直に協議を進めていきたいと思っております。
更に、地震、防災対策、昨年は台風や集中豪雨、地震等災害に見舞われましたけれども、今年も福岡で比較的地震が少ないだろうといわれた地域において、つい先日地震が発生しました。多くの方々が、今、苦しんでおられますが、こういう防災対策もこれからしっかり手を打っていきたい。治安対策、食の安全対策、そして外交の問題、北朝鮮との問題、イラクの問題、こういう問題が、まだまだ課題が山積しておりますし、常に気を緩めずにこれからの内外の国政の難問に誤りなきよう対処していきたいと思います。今後とも、国民の皆様方の格段の御指導、御協力を心からお願い申し上げます。
そして、明後日からはいよいよ「愛・地球博」が開催されます。明日は開会式が行われますので、私も出席する予定でおります。
この「愛・地球博」は、自然と人間との共生、環境保護と経済発展を両立させる、このかぎを握るのは科学技術であると。このかけがえのない地球を世界の国民の方々と、各国の政府、機関とともに協力して、地球温暖化対策を始め、環境保護と経済発展を両立させる対策を日本といたしましても先頭に立って進めていきたいと思います。
同時に、この「愛・地球博」には、120か国以上の政府、機関が参加していただきます。日本国民の方々は勿論、世界各国の方々が日本にお越しになります。「愛・地球博」だけ見るのではなくて、日本全国各地、観光振興の面においても各地域が頑張って、日本全体が、ああ日本という国はいい国だなと、また外国の方々も、もう一度日本に訪れてみたいなと、そういう魅力ある国にしていきたいと思います。
皆さん、どうかよろしく御協力をお願いしたいと思います。ありがとうございました。
【質疑応答】
● 総理が、構造改革の本丸と位置づける郵政民営化が今後最大の課題になってくると思われますが、この郵政民営化関連法案をいつ国会に提出するのか、また提出しても廃案となった場合、国民に信を問う考えをお持ちかどうか、総理の率直な見解をお聞かせください。
現在、政府、自由民主党並びに公明党と精力的にこの法案の内容を詰める作業が行われております。できるだけ早く国会に法案を提出したいと思いますが、でき得れば4月中には提出したいと思っております。ということになりますと、来週というのはかなり大事な週になるのではないか。まだ詰め切っていない問題もあります。そして、与党との合意を得るように政府も努力しておりますので、その詰めが、予算が成立しましたので、今週後半から来週には大きな山場を迎えると思いますが、できるだけ与党の合意が得られる形で国会に提案をしたいと思っております。そして、今、廃案になった場合という質問でありますが、私は現時点で廃案になることを想定しておりません。必ず成立に向けて与党からも御協力をいただけると思っております。そのためにも、協議を精力的に進めて、4月中には提案したいと思っております。
● 今国会の会期延長についてお伺いいたします。与党との調整が続いている郵政民営化関連法案の成立に向けて、審議時間を確保するために今国会の会期延長が必要だという声が与党内にありますけれども、総理は会期延長についてどのようにお考えかお聞かせください。
150日間の会期内で、まだ後半になってないんですね。4、5、6の3か月あります。まだ2か月ちょっと過ぎただけでありますから、今の時点で会期延長ということを考えるのは時期尚早ではないでしょうか。会期内に法案を成立させる、これに全力を尽くすのが私どもの責任だと思っております。また、国会対策関係、執行部もまだ十分会期が残っておりますので、その会期内に全法案を成立するよう全力投球しておりますから、私は今の時点で会期延長は考えておりません。会期内に成立させることに全力投球したいと思います。
● 続けてお伺いします。現在の第2次小泉改造内閣は、昨年9月に郵政民営化実現内閣として発足しました。郵政民営化法案が今国会で成立した場合に、9月の自民党役員改選に合わせて内閣改造を断行される考えはお持ちでしょうか。お聞かせください。
これも随分気の早い話で、まだ問題山積ですよ。一息つくどころじゃないでしょう。最重要である予算が成立しただけで、これからまだまだ郵政民営化法案始め大事な法案はたくさんあるわけです。その成立のために、今、全力投球している最中に、終わった後のことを考える、そんなことはしません。もう毎日毎日全力投球。終わった後というのは、まだ先の話ですから、郵政民営化法案が成立してもまだ課題はたくさんあります。まずは、会期内に成立させる、これに全精力を集中して、後のことは後のことであります。今、考える必要はないと思います。
● 北朝鮮問題について2問伺います。よろしくお願いいたします。まず、北朝鮮の核開発、拉致問題が目途が立たない状態となっていますけれども、事態の打開に向けて、協議の場として国連の安全保障理事会などへの付託を選択肢としてお考えでしょうか。
これは、選択肢として考えるかどうかと言われれば、考えないわけではありませんけれども、それを今の時点で考えていいかどうかという問題とは別問題だと思います。可能性としては、どうしても六者協議に北朝鮮が応じて来ないということであれば、そういう選択肢も視野に入れていかなければなりませんけれども、今はそういう状況ではないと。私は、北朝鮮は六者協議に乗ってくると思っています。それは、北朝鮮にとって六者協議で今の核の問題等を協議するのが、一番利益になると思っております。アメリカも入っていますし、中国も韓国もロシアも日本も入っているわけですから、この場を利用しないでどういうプラスがあるのかということを冷静に考えれば、北朝鮮はこの六者協議を無視するようなことはないと思っています。ただ、時間がかかっています。これは、それぞれ外交にはかけ引きがあります。公式的な発言ぶりと真意というのをよく見極めていかなければならない。六者協議の場というのは、北朝鮮の将来の安全を保障する場においても、国際社会の責任ある一員になるためにも、今の状況で北朝鮮にとっては最も自分たちの利益になる協議の場ではないかと思っておりますので、これに応じて来ない、国連の安保理に持ち込むということを、今、考える必要はないのではないかと。できるだけ早くこの六者協議の場に北朝鮮が応じてくるような働きかけが必要だと思っております。
● 関連して、経済制裁に関してなんですが、総理は制裁発動にはずっと慎重な姿勢を続けておられますけれども、膠着状態がこのように長引く中、現状における制裁発動に対する、今の状況に対する総理のお考えを改めてお聞かせください。
私は、対話と圧力を通じて、この北朝鮮の問題、でき得れば平和的に解決して国交正常化を期したいという方針に変わりありません。そして、何がそのために有効な手段か。多くの皆さんは制裁すべしと言う声が強いのも承知しておりますが、私はアメリカのブッシュ大統領との間においても、この北朝鮮の問題は平和的、外交的解決を追求していくということで一致しておりますし、それは韓国も中国もロシアも同様であります。こういう中にあって、この正常化に進む、あるいは核廃棄に結び付く、更に拉致問題の解決に結び付けていくためには、対話と圧力でどういう方法が一番有効かということを考えますと、今の時点でまず経済制裁ありきという考えは取っておりません。対話と圧力、これに沿って粘り強く働きかけていかなければならないと。できるだけ早く懸案を解決しなければならないですが、私は別に焦ってもおりませんし、この外交にはある程度時間がかかることも承知しております。焦らず、諦めず、粘り強く、この困難な問題を平和的に、外交的に解決していきたいと思っております。
● 外交問題についてお聞きします。ロシアとの間にはプーチン大統領の来日の目途が立っていないと。また、韓国では竹島問題を巡って日韓関係が悪化しつつあると。更に、中国とは首脳同士の相互訪問が途絶えていると。外交政策に非常に八方ふさがりの観が否めないと思うんですけれども、総理はこの事態をどのように認識されて、また事態打開のために何か方策は考えられていますか。
私は、八方ふさがりとは全然思っていません。日韓関係においても、日中関係においても、日ロ関係においても前進しております。交流はあらゆる分野において進んでおります。ですから、別に行き詰まっているとかいう感じは持っておりません。それぞれの国とは友好関係を増進していこうということで一致しておりますし、時に意見の相違があっても、対立の問題が生じても、それを乗り越えていく今までの実績と知恵が日本国国民、また今までの実績を考えて相手国はよく承知しているはずであります。一時的な対立とか、意見の相違に目をとらわれて、行き詰まっている感じなんか全く持っておりません。未来志向で友好協力関係を発展させていこうということには、お互い全く揺ぎはないと確信しております。
● 気の早い話を再度恐縮ですけれども、総理の自民党総裁としての任期が来年9月ですけれども、それをにらんで党役員人事改造は、小泉内閣を総仕上げする意味で必要ととらえるかどうか。更に、ポスト小泉総理を考える観点から、この人事は必要か。特に今日、連立のパートナーである神崎代表が郵政法案処理後に総理は改造人事を考えられるだろうという見通しを示されているんですけれども、その発言も踏まえてもう一度お願いいたします。
総仕上げというのは気が早いね。郵政民営化法案がまだ成立してないのに、成立しても私の任期は来年9月でしょう。私は任期ある限り、総理大臣の職責を投げ出すことなく、全力で尽くすと。これに尽きていますから、改造とか、ポスト小泉とか、いろいろ話題になっていることは承知しておりますが、それはそれとして、私の総理大臣としての職責を、任期ある限り一日一日全力投球で果たしていくこと、これに尽きます。 
談話 / 平成17年8月15日
私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。
我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直