地上 島田清次郎

地上「地上」論評若芽島清の詩島清語録・島田清次郎の手紙天才と狂人の間

島田清次郎

雑学の世界・補考   

地上 / 地に潜むもの

第一章
大河平一郎が学校から遅く帰って来ると母のお光は留守でいなかった。二階の上り口の四畳の室の長火鉢の上にはいつも不在の時するように彼宛ての短い置手紙がしてあった。「今日は冬子ねえさんのところへ行きます。夕飯までには帰りますから、ひとりでごはんをたべて留守をしていて下さい。母」平一郎は彼の帰宅を待たないで独り行った母を少し不平に思ったが、何より腹が空(す)いていた。彼は置かれてあるお膳の白い布片を除けて蓮根の煮〆に添えて飯をかきこまずにいられなかった。そうして四、五杯も詰めこんで腹が充ちて来ると、今日の学校の帰りでの出来事が想い起こされて来た。今日は土曜で学校は午前に退(ひ)けるのだった。級長である彼は掃除番の監督を早くすまして、桜の並樹の下路(したみち)を校門の方へ急いで来ると、門際で誰かが言いあっていた。近よってみると、二度も落第した、体の巨大な、柔道初段の長田が(彼は学校を自分一人の学校のように平常(ふだん)からあつかっていた)美少年の深井に、「稚子(ちご)さん」になれ、と脅迫しているところだった。
「いいかい、深井、な」と長田は深井の肘をつかもうとした。
「何する!」深井は頬を美しい血色に染めながら振り払った。
「え、深井、己(おれ)の言うことをきかないと為にならないよ」長田の伸ばす腕力に充ちた腕を深井はしたたかに打った。そうして組み打ちがはじまった。無論深井は長田の敵ではなかった。道傍の芝生に組み敷かれて柔らかくふくらんだ瞳からは涙がにじみ出ているのを見たときには、平一郎は深井の健気な勇気に同情せずにいられなかった。彼は下げていた鞄をそこに投げ出していきなりうしろから長田の頬を擲(なぐ)りつけた。
「誰だ?」
「己(おれ)だ!」振り向いた長田はそれが平一郎であるのに少したじろいだらしかった。腕力の強いものにあり勝ちな、権威の前に臆病な心を長田も持っていたのだ。そして平一郎が少なくとも級(クラス)の統治者であることをも彼は十分知っていたからだ。ひるむところを平一郎はもう一つ耳のあたりに拳固をあてた。「深井をはなしてやれ!」「ううむ」それで長田は手をゆるめて立ち上がった。
「大河だな」
「そうよ」平一郎は長田を見上げて、必死の覚悟で答えた。
「覚えておれ!大河!」
「覚えているとも!生意気だ、深井を稚子さんにしようなんて!」
するうちに組み敷かれていた深井が起きあがって、黒い睫毛の長い眼に涙をにじまして、洋服の泥をはたいていた。長田は平一郎と深井を睨み比べていたが、「大河、お前こそ、おかしいぞ!」と呟いて、そして悠々と立ち去ってしまった。平一郎は自分が自分よりも腕力の強い長田を逃げ出さしたことに多少の快感を感じつつ、平生あまり親しくはしていないが深井を家まで一緒に送って行くことは自分の責任であるように感じた。二人は路々一言も口をきかなかったが、妙に一種の感情が湧いていて、それが一種の気恥かしさを生ぜしめていた。時折信頼するように見上げる深い瞳の表情は、平一郎にある堪らない美と誇らしさをもたらした。平一郎は実際、自分と深井とは少しおかしくなったと思った。寂しい杉垣の青々した昔の屋敷町に深井の家があった。平一郎は、その郊外の野に近い町はその頃自分が度々|彷徨(さまよ)い歩いたことのある街であることを想いながら、深井の後から黙ってついていった。すると深井が黒い門のある家の前で、はじめてにっと微笑みながら、「ここです、僕の家は」と言った。平一郎はぎょっとした。そして思わずこう尋ねた。
「君の家の隣は吉倉さんといやしないかい」
「ええ、吉倉さんですよ」
「ほう――」と平一郎は自分の血の上気するのを覚えながら、「和歌子さんて居やしないかい」
「ああ、おとなりのお和歌さんかい」
「うん」
「いるよ、僕の家と庭つづきだからいつも遊びに来るよ、君、お和歌さんを知っているの?」
「――」
平一郎は息苦しくなったが我慢して平気そうに、「さよなら」を言って自分の家の方へ引き返して来たが、彼は明らかに不安と嫉妬とが胸に充ちたことを否定できなかった。彼は路々考えて来た。自分は今のさき迄は美しい同級の少年のために戦った任侠な強者であったが、今はこの美少年を自分の恋の競争者として迎えねばならなくなったらしいことを。彼は同級の深井の美しさを長田によってはじめて今日知ったわけではなかった。彼は深井の美しさを本当に知っているものは自分一人かも知れない、とさえ思っている。ただ彼が意識的に近づかなかったのは、十五の彼の心にも浸み入っている深井が、「よい家庭」の少年であることであった。彼が平常(ふだん)長田の乱暴と馬鹿とを憎みつつもなお一味の好意を持ち得たのは、長田の家が貧困であること、そうしてその貧困な彼も学校という王国のうちでは、わりにその巨大な肉体の実力によって威張りちらし得ることにあった。その長田が、その深井を脅迫したのを見ては平一郎は黙っている訳にはゆかなかったのである。そうしてその結果が意外な発見をもたらしたのである。
「こうしてはいられない」平一郎は飯をすましたあとの茶碗や皿を小さな古びた棚にのせて、棚の中からもう一房残っているバナナ(彼はバナナが好きだった)をつかんで、奥といっても一室しかない八畳の、窓際に据えてある机に向った。窓からは晴れやかな青い五月の天と、軽げな白い雲の群と、樹々に芽ぐむ春の生気がのぞかれた。平一郎はバナナの柔らかいうちに弾力のある実をむさぼりつつ、どうもじっとしておれないような気がしてならなかった。彼は自分が和歌子とは未だ一度も話したこともないのに、あの深井が、あ、お和歌さんかい、庭つづきで遊びに来る、と言ったことが不安でならなかった。彼は苟(いやし)くも深井と自分とを対等に置いて考えることを恥辱だと考えた。しかもそう考えつつも、晴れやかな光った青空を眺めていると、想いはいつしか深井のことを、執拗に自分と比較しているのであった。自分と深井とを、和歌子はそのいずれを選ぶであろうか。彼は深井の美少年であることを内心恐れずにいられなかった。いつも桜色の生き生きした血色をして、黒い瞳はやさしい感情にうるみ、ほっそりした肉付と清らかな衣服は貴族的な気品を生ぜしめている。その上品な清純な美しさは自分なぞとても比べ物にならないと平一郎は考えた。しかし、と平一郎は考え直さずにはいられなかった。自分は浅黒い引き緊った顔、濃い秀でた眉毛、引き緊まった唇、鋭くて輝いた眼、男らしい鼻――もし和歌子が男らしいということを価値標準に置けば、深井よりも自分の方が上であろう。彼はまた学校における自分の位置と深井とを比較した。深井は決して学問の出来る方でなかった。席順も下の方であった。しかるに、と彼は考えた。自分は勉強の点数では級(クラス)で三番だが、級長をつとめているし、運動もかなりやっている。その点は単に美少年が特徴の深井に負けはしないと。
「和歌子さんは己のものだ!どうしたって己のものだ!自分と和歌子さんとは、そんな今日や昨日のことではないのだ!」
彼はむくむくと湧き立ち燃え上がる烈しい情熱に顫(ふる)えずにいられなかった。しかしその熱情を、その初恋の熱情を、(お前は家もない、父もない、貧乏人の孤児でないか)という意識がじっと抑えるようにおおい被さって来た。ああ、そのためにのみ今まで黙って来た平一郎であった。彼はこの彼の全存在を揺るがす言葉の前に寂しい致命の痛みを感じつつ青い空を仰いだのだ。そうして、そこにはいろいろの忘れがたい記憶が美しく想い起こされて来た。
去年の春のことであった。中等程度の学校へはいっている小学校卒業生の談話会が小学校の唱歌室で開かれたことがある。黄金色の春光の射し入る窓際にポプラの平たい葉が早春の微風に揺らいでいた。五、六十人の少年と少女が夢みるようにお互いの話にききほれていた。どんなつまらない話もつまらないということはなかった。憂鬱な、悲壮な、壮大な、もしくは非常に滑稽な幻想がみんなを酔わしていた。平一郎は何故か難しい議論をする気になれず、アラビヤンナイトの「アリババ」の話をした。
「同時に兄の首は血に染みて土の上に落ちました――」と話して、森(しん)と静まった室内を見わたすと、窓からはそよそよと揺れるポプラの葉が白く光り、得も知らぬ感激が彼のうちに高まって来た。ふと彼が「あやしい」気になって下を見下したとき、彼は威厳のある深い力に充ちた少女の瞳を見出した。先刻(さっき)から彼を視つめていたその瞳は彼の認識を認め感じて暫くたじろいだが、再び燃え立ち彼を襲うのであった。ああ、その瞳はこの時がはじめての瞳ではなかった。それは平一郎がまだ小学校の六年生の時であった。毎朝の朝礼式の行なわれる控室の正面に前年度の卒業生が一丈余りも丈のある大鏡を寄付していったのであるが、級長である平一郎は朝礼の時にはいつも列の一番前に並んでいた。ある朝、ふと眼をあげて大鏡の面を見ると、実にはっきりと、今燃え立ち襲って来ている瞳が写っていたのだ!初めは幻覚かと思ったが、しかし和歌子も六年の女の組の級長なので、一番列の前にいる筈であった。和歌子に相違なかった。彼は威厳を含んだ秀麗な和歌子の鏡面のすがたを視つめていた。自分の立っている所から彼女の姿が見えるように、自分の姿も彼女のところから見えるに相違ない。こう彼は思って鏡面を視つめていた。奇蹟であった。じっと威厳を保っていた和歌子の映像が笑ったのだ!ああ、毎朝の鏡面を仲立ちにしての二人の対面よ!毎朝、鏡面で互いににっこり笑(え)み合うことがいかに幼い頃の悦びであったろうか――その忘れがたい瞳が、今力強く彼を襲って来ているのだった。彼はその瞳が何を語るかを、全身をもって感じていた。
全身が火焔を吹くように感じられた。しかも明らかに、彼女の豊かな黒髪を品のいい束髪(それは何とかいう西洋の結い方かも知れなかった)に結った髪、古英雄のように濃く秀でた眉毛、威厳と情熱に燃える瞳、ふっくらと弾力を湛(たた)えた頬の肉付、唇の高貴さと力強さ――要するに和歌子の美が燃えていたのだ。しかし彼は「男子の気象」を失わないために痩我慢ではあったが、話を最後まで続けたのであった。その話をしている間じゅうの、あの抑えても抑えても脈々と湧き来る光、歓びの波よ、湧き立ち、充ち溢れる深い魂の高揚よ、彼は話を最後までやるぞ、という意識はあったが、話を終えてからいつ壇を下りたか、いつ壇を下りて席についたかは、うっとりとした輝きに充ちた緑金の夢心地であった。しかもその夢心地の彼に「吉倉和歌子さん」と呼ぶ先生の声が銀鈴のように鳴り響いた。何という偶然。彼の次に和歌子が話をする順番であるとは彼も知らなかったことだった。瞳を上げると、正面の教壇の上には荘厳な感じのする彼女が、藤紫の袴の前に右手をそっと当てて立っていた。窓から入る早春の微風は、彼女の髪のほんの二筋三筋のもつれをなぶり、藤紫の袴のひもが軽やかに揺れているのを彼女の指が無意識に抑える。彼女の崇厳な美しい燃える瞳は、彼の上にぴったり据えられ、弾力ある頬は熱情に紅(あか)らんでいる。ああ永遠なるひとときよ!力に豊かな、ややふるえた和歌子の音声が語ったその日の話は、微細な一言一句もはっきりと平一郎は憶えていた。
「わたしの父が七、八年前に朝鮮の公使館におりました頃でございました。ある寒い冬のことで、雪はそんなに降りませんでしたが、厳しい寒さで草木も凍ってしまっていました。ある朝、一人の日本人の卑しからぬ奥さんが、辺鄙(へんぴ)な町端れを何か御用があるとみえまして、急ぎ足で歩いておいでになりました。町の向うのすぐ近くには、赤い禿山が蜿蜒(えんえん)と連らなっているのでございました――」(ございました)と言うときの(ざ)のところで、強く揚がるアクセントは忘られないものだ。「その禿山の奥には、その頃虎が沢山住んでおりまして、時々朝鮮の方が食われたそうでございます。その奥さんが町端れへ出ますと、向うの方から何か黄色いものがのそのそやってまいりました。奥さんは気がおつきになりませんでした。すると黄色いものが恐ろしい声で唸りました。虎なのでございました。何かよい食物がないかと虎はのそのそ町へ出かけて来たところでございました。そこで奥さんの気づかれたときと、虎の飛びかかるときとがいっしょでございました。奥さんはどうすることも出来ませんでした。奥さんはその時、奥さんの一人の子である女の子の新しい着物を持っていらっしゃいました。奥さんは自分は食われても、自分の子供の新しい着物をよごしてはならないとお考えになりまして、その着物の包みをしっかり抱きしめていらっしゃいました。虎は、奥さんの頭から食べかかりました。しかし奥さんは自分を食われている間もじっと地面にふして、まるで御自分の子供を抱くように、その包みを抱きしめていらっしゃいました。そして町の人達が鉄砲を持って集まって来ました頃は、血に染まって死んでいらっしゃいましたが、奥さんの御子さんの新しい着物だけは、奥さんの胸のところで温められて、まるで子供のようにそのままになっておるのでございました――」
「その子供が――」平一郎ははっとして直覚した。そしてその直覚が壇の上の和歌子にも伝わったのである。厳粛で、愛らしいより崇厳な和歌子の顔に、自然な微笑が現われたのである。ああ、そのひととき!
「その奥さんの子供がわたしであったと、いつも父さんが話して下さいます」
その日の夕暮、平一郎は学校の門前で彼を待つようにしている彼女に出遭った。和歌子は微笑した。それは自然に溢れ出る微笑であった。何か言おうとすると、彼女がすたすた歩みはじめた。もうかえろう、つまらない、何んだ女のために、と思って立ち止まると、和歌子が立ち止まってじいっと彼を待つようにした。そうして和歌子が何か言いたげに振り返って立ち止まると、今度は彼が不可抗な逡巡を感じて近づき得なかった。そうしたもどかしさを繰り返しつつ、平一郎は寂しい杉垣を廻らした邸町にまで引きずられて来ていた。そして、その町の彼方に野原の見えるはずれに近い家(そこは実にかの深井の隣家であったとは!)の前で和歌子が立ち止まった。そして振りむいた時の瞳の力強さ!平一郎は恐ろしくて傍へ寄れなかった。が二人とも笑い合ったことは笑い合ったのだが。和歌子が生垣の門内に姿をかくしたらしかったので彼は思い切って家の正面まで行った。すると彼女は門口に身をひそめて彼を待っていた。
「ここですの、わたしの家は」
彼女は真赤になってうなずくように顎を二、三度振って、そして鈴の音のする戸を開けて家の内へはいり、もう一度うなずいて戸を閉めてしまった。ああその後の寂しさともどかしさは嘗て恋した「身に覚えある」人でなくては知るまい。森(しん)とした夕景に物音一つしなかった。彼は家々に灯の点くまで前に佇んでいたが、心待たれる和歌子の声一つしなかった。彼はその夜、郊外の野原をさまよって家に帰ったのであったが、その日から彼には和歌子という少女が、忘れられない意識の中心位を占める人間となってしまったのであった。そうして、忘れられていた小学校の時分の和歌子に関する記憶が堪らない生気をもって甦って来るのだった。熱情を瞳いっぱいに燃えさした瞳、秀でた古英雄のもつような眉、弾力に充ちてふくらんだ頬、しなやかで敏捷で、重々しい肉体のこなし方――それは十分間の休み時間における控室の隅に、または微風に揺らぐ廊下のカーテンの傍に、運動場の青葉をつけた葉桜の木蔭に、ひっそりした放課後の二階の裁縫室の戸口に、またはオルガンの白い象牙の鍵をいじくっている四、五人の少女の群の中に、到るところ、いたる時に和歌子の美しさが彼に甦り圧倒して来た。殊に平一郎が自分と和歌子との恋は実に深いものであらねばならないと考えしめたのは、朝、始業の鐘の鳴らないうちは、小学六年生である彼は同級の少年達と控室で組み打ったり相撲したりして、空しい時の過ぎゆくのを充たしていたが、平一郎はいつも三、四人の少年を相手にしてその相手を捩じ伏せるのだったが、そうした折の朝の光を透して見える和歌子の賞讃と憧憬に充ちた瞳の記憶、また運動場の遊動円木に腰かけて、みんなして朗らかに澄んだ秋の大空に一斉に合唱するとき、平一郎の唱歌に聴きいる少女(和歌子だ)、その少女にあの「いろは」四十八字の歌を唄うとき、いろはにほへと、ちりぬるを、わかよたれそ、つねならむ……その「わかよ」のところを一と際高く唄った心持――平一郎には懐かしく思うのは自分のみではなく、和歌子もまた自分を懐かしく思ってくれているに違いないと考えられたのだ。そうして、学校の往き来に見交わすだけでは寂しさに堪えきれず、それとなく野原をさまよい歩いては、和歌子の家の前を胸を轟かして通って来るのをせめてものことと思うようになってからでさえ、すでに一年を経ているのであった。その大河平一郎にとって、深井が和歌子の隣邸であり、「あ、お和歌さんかい」という親密さであることは大した問題でなければならなかった。
「どうしたものだろうか」平一郎は飯を食い、バナナを食ったせいも加わって、机に頬杖ついたまま考え込むというよりも苛々(いらいら)しい心持で夢みつづけていた。外界はぽかぽかと暖かい五月の陽春であった。庭の棗(なつめ)の白っぽい枝に日は輝き、庭の彼方の土蔵の高い甍に青空が浸みいっている。平一郎はこうした穏やかで恵み深い外界の中で、今、自分が堪らない苛立たしさに苦しまねばならないのが情けない気がした。耳を澄ましていると、裏土蔵の向うの廓の街からであろう、三味の音がぼるんぼるんと響いて来る。その三味の音は平一郎に母のことを連想させた。冬子|姐(ねえ)さんの所へ行ってまだ帰らないのがまた不平で堪らなくなってくる。そうしてその底から和歌子のことがこみ上げてくる。彼は苦しくて堪らなかった。和歌子のことを想うと同時に深井のことが付き纏ってくるのだ。平一郎はまだ見習いの少女の弾くらしい三味のぼるんぼるんを聞きながら、自分の現在は到底母一人子一人の、他人の家の二階借りをしている貧乏人に過ぎないのだと考えた。それは分り過ぎるほど分り過ぎている事実ではある。しかもこの事実は世間的な解釈では一切の美と自由と向上とを奪われていることになるらしかったのだ。現に深井はいい家庭のお坊っちゃんである。そしてそのお邸を持っているという偶然の事実があの一年(いな、それよりももっと長い年月)以来荘厳な近寄り難いものとして来た和歌子と隣り合わせて、「ああ、お和歌さんかい」と言わしめているではないか。そうして更に考えてみれば、和歌子自身も父は今は退(ひ)いてはいるが二流と下らない立派な外交官である。とても自分などと比べものにはならない――この考えは常に平一郎にとって最も手ひどい打撃であるように、今の場合も致命的な打撃であった。自分が貧乏人であるという一事実のために、自分は自分の和歌子をただ黙して、なるがままに放って置かねばならないのだろうか。それは何ともいえない馬鹿らしい、しかも悲痛なことのような気がした。そんな訳がある筈がないという気がして来た。自分は恋しているのだ、和歌子を!この事実の方が貧乏である事実よりも更に有力で権威がなくてはならないはずだ。たとえお邸の坊っちゃんであろうとも、あの単に美少年で感情が優しいだけの深井に自分が和歌子を譲るわけは寸毫もない、と彼は考えて来た。平一郎は自分の心がどういう進み方を、どういう熱し方をして来ているかに気づかなかった。彼は常々「貧乏である」というだけのことで、世間が一切の自然な対等的な要求を踏み躙(にじ)ることを当然にしているような事実に反抗せずにはいられなかった。彼にはそれに反抗する、あの不可抗なる力を恵まれていたのだ。平一郎は長い間ぶるぶる慄えながら考えていたが、もうじっとしている時でないという気がした。彼は手紙に自分の思う通りを書いて和歌子に送ろうと決心した。そうして、もし和歌子が返事をくれないか、冷淡なことをいってよこしたなら、もうあんな女一人位どうだっていい。自分は一生もう女のことは気にかけないで、その代り世界一の大偉人になってやるまでだ、という殺伐な気にさえ、彼は真剣になっていた。彼はペンでノートを切りさいた紙に書きはじめた。「小生は」と学校で習ったとおり書こうとしたが気にいらない、「私は」としても気にいらない、彼は平仮名で「ぼくは」と書きはじめた。

ぼくは大河平一郎です。あなたはきっと知っていらっしゃるでしょう。それでぼくはそれについては何も書きません。ぼくはあなたを知っています。ぼくはいつもあなたのことを思っています。苦しい程思っています。昨日も今日もぼくはあなたの家の近くを廻って歩きました。まる一年近くになります。あなたはあの小学校の談話会のことを憶えていらっしゃるだろうか。ぼくはあなたの話を今でもはじめからしまいまで暗誦することが出来ます。ぼくはあなたともっと仲よくなりたくてなりません。このままではぼくはやりきれません。あなたはどう思いますか、仲よくすることを望みませんか。ぼくは貧乏で母とぼくと二人暮しです。あなたはぼくのようなものと仲よくするのを恥だと思いますか。もしそうならそうだと言って下さい。しかしぼくは貧乏でもただの貧乏人ではないつもりです。ぼくはきっと貧乏でも偉くなります。きっとです。ぼくはあなたと仲よくしたいのです。仲よくしてくれれば、ぼくはもっと勉強します。そうして偉くなってあなたをよろこばします。どうぞ返事を下さい。日曜日の朝ぼくの家の前の電信柱のところに来ていて下さい。
大河平一郎
吉倉和歌子様

彼は書き終って読み返すことを恐れて、そのまま封筒に入れて大きく習字の時のように楷書で「吉倉和歌子様、親展」と書いた。すると重荷を下ろして一休みする時のような澄みわたった気持がした。それは少年ではあるが一歩踏み出したときの自己感の強味であった。同時に未知に踏み出した臆病と不安が湧かないでもなかった。彼はどうしてこの手紙を渡そうかしらと、やがて考えはじめた。明日の朝和歌子に路で会えば渡せないこともなかったが、遇うかどうかは分らなかった。今夜にでも和歌子の家の前へ行くことも会えるかどうか分らなかった。しかし彼はじっとしておれない気がした。彼は今まで脱がずにいた小倉の制服を飛白(かすり)の袷(あわせ)に着替え、袴を穿(は)いて、シャツのポケットの中へ手紙を二つ折りにして入れたまま戸外(そと)へ出た。彼は和歌子の家へゆくつもりであった。戸外はもう夕暮近くで、空には茜(あかね)色の雲が美しくちらばっていた。彼は明らかに興奮していたが、路の途中まで来ると、また深井のことが彼に迫って来た。自分は深井に対してすまないことをしている。それに深井に秘密でこの手紙をやることはいかにも卑怯で面白くないという気がしきりにした。「それに――」と彼はある自分の心の中に発見をして、「自分は深井にある友情を、和歌子とは別な、友情を感じている」と叫ばずにいられなかった。そしてその友情の性質は非常に誇りの高い、盗犬のように、こっそり和歌子に手紙をやることを許さないものであった。「どうしたものか」と彼は十字街に立って考えこまずにいられなかった。十分間も彼は佇んでいた。路の正面は和歌子の家のある邸町へ、右へ下る坂は母がまだいるであろう、冬子のいる春風楼のある廓町へ、左手の坂は大通りへ通じていた。彼は往き来の人を見送り見迎えていた。すると電光のようにある悦ばしい考えが「踴躍」という言葉そっくりの感情と共に現われて来た。それは、深井自身に平一郎が自分の恋を打ち明けて、そうして自分の手紙を深井によって和歌子に渡して貰うことであった。「それがいい、それがいい……」平一郎は自分の家へ引き返しながら、それがいかに男らしい態度であるかに想い及んで嬉しくてならなかった。
「それがいい、それがいい、自分は和歌子を恋している、また自分は深井にも醜くありたくない。そうだ、これがいい、これで和歌子が自分よりも深井を選べば、もしくは選んでいるなら、自分は残念だが――」(思い切る)とまでは自分に明言できなかった。しかし自分が醜いことをしなくてもすむという心安さはあったのだ。
平一郎が家へ帰っても母のお光はまだ帰っていなかった。彼はいつもひとりであるときするようにランプの掃除をして、薄暗い三分芯に灯をともして、そうして明日の代数の予習をはじめた。五月の日はとっぷり暮れてしまった。裏の廓の方からは、さっきとはちがった冴えた三味の調べがりょうりょうとしめやかな哀れ深いうちにもりんとした芸道の強味を響かせて聞えて来た。平一郎は何故か「偉くなる、偉くなる、きっと偉くなる」と呟かずにいられなかった。母を待つときの寂しさがやがて少年の胸に充ちて来た。
夜がかなりに更けても母のお光は帰らなかった。そうして灯の下で夕飯も食べないで母を待っている平一郎には、いつも母の帰りの晩(おそ)いとき感じる、あの忌わしい、実に言葉に発表出来ない、鋭い本能的な疑惑を感じはじめて来た。恥かしいことであると思った。母が帰って来て穏やかな顔を見せてくれれば、すぐに消えてしまう、そしてすまないと考える忌わしい疑念。そうした恐ろしい疑念を現在自分の母に対して起こさなくてすむ人は幸福である。平一郎は刃のように寒く鋭くなる疑念を制し切れないままで、自分の「貧乏」を悲痛な念で反省せずにいられなかった。
貧乏、貧乏!ああ貧乏であることがどれ程まだ十五の少年である彼のすなおに伸びようとする芽を抑制し、蹂み躙り、また鍛錬して来たであろうか。彼が自分の「貧」ということを身に沁みて感じたのは彼が十二の初夏のことであった。その頃までは彼にも自分の家というものがあった。この金沢の市街を貫き流れるS河の川べりに、塀をめぐらした庭園の広い二階建の家が自分の家として存在していた。無論自分の家ではあるが自分達の住む部屋は前二階の二|室(ま)きりで、奥二階にも店の間にも幾多の家族が借りていたのだ。それでも自分の家であることにかわりはなかった。小学校の五年あたりまでは裕福でないまでも、彼はのんびり育って来ていた。川瀬の音がすぐ真下に聞かれる庭園の梅の樹や杏の樹や珊瑚樹の古木を、彼はどんなに愛したか知れない。父のいないということ、父が三つのとき亡くなったということ、その淋しさは無論彼に迫ったが、しかし父の生活していた家がこの家であるという自覚、父はこの辺りでも有力な貿易商であり、また町中での人望家であったということ、などがその淋しさを補わないでもなかった。息(やす)まず限りなく流れるS河の水音がそうした彼の感情に常に和していたことは言うまでもない。しかし、平一郎にも苦しむべき時がやって来ねばならなかったのだ。母のお光が彼の三つの時から十年近い年月を女一人の力で亡き夫の家に居据ったまま暮して来たことは、並大抵の苦労ではなかった。しかし人力もそう続くものではなく、ある限度を越えれば運命に負けねばならない。平一郎が成長するにつれ生活費もかさまり、また彼の前途に控えている「教育費」の心配も予めして置かねばならなかった。お光は十幾年住みなれた亡夫の唯一の遺産である「家」を売ったのである。そして平一郎は「父のない、そうして家のない」少年となったのである。平一郎は悲しい「零落の第一日」をよく憶えていた。梅雨上りの夕景の街は雨にぬれて空気は爽(さわ)やかであった。うるんだ空に五色の虹の光輪がかかっていた。
家財とても荷車に積んでみるとそんなになかった。平一郎は三度目の、そして最後の移転車(ひっこしぐるま)のあとについて歩いた。零落したという感じ、もう家がないのだという心細さ、世間が急に狭く圧迫を強めて来るような淋しい感じ、それがその時の空にかかる虹を見ながら歩いた平一郎の実感だった。移転してしまってからも、長い間、平一郎は新しい家になじめなかった。あまりに前の家との相違がはげしかった。大きなS河のたゆみない流れの音の代りに廓の裏手から三味線の音が響いて来た。広い自分の家の代りに、八畳と四畳の二階借り、しかも階下は芸娼妓の紹介を仕事にしている家族であり、これまで手持ぶさたにしていた裁縫を、母は本気に仕事としてはげまなくてはならなくなっていた。彼は母に自分達はそれ程急に貧乏したのか、と尋ねたことがあった。母は「お前さんはこのさき中学校へはいり、高等学校へはいり、大学へはいって偉い人にならなくてはならないのです。それにはお金がいりますでしょう。だから今のうちになるべく倹約して置かなくてはいけませぬ」と言ってくれた。母は又、こうして廓の傍へ来たのは、する仕事(裁縫)の値がいいからで、お前は廓のそばにいても立派に勉強してくれなくてはいけないとも言ってきかした。平一郎はほんとに自分は偉くならなくてはならないと考えた。この精神が彼を小学校を首席で卒業させ、またこの精神が彼を単なる意気地なしの代名詞である優等生たらしめることなく、またこの精神が今彼をして男らしく和歌子に自分の真情を打ち明けようといたさしめていた。この精神はいずこより来たか。亡き父の意志よりか、母のお光の献身的な愛よりか、あるいは貧しい寂しい境遇の自覚よりか。そのいずれもであるには相違ない。しかしその根源にいたっては誰人(たれ)も知ることは出来ない。それを知るものは平一郎の内なる平一郎を生みたる宇宙の力そのものである。そしてそれは人間の言葉としては表現出来ないものである。
九時近くになってから母のお光は帰って来た。彼女は方々お得意先へお礼旁々廻って、仕事を集めていて遅くなったと言って、路であんまり甘そうなお饅頭があったので買って来たといって、卵形の饅頭を拡げて自分から先に食べるのであった。平一郎はその母の穏やかな様子を見ると、いままで忌わしい疑念を抱いていたことを恥じ恐れずにはいられなかった。彼は嬉しくなって、自分のために夜遅くまで仕事を集めに歩いている母の苦労が思われて、すまない気と、嬉しい気でいっぱいになった。彼は饅頭を食べながらもう少しで和歌子のことを打ち明けてしまうところだった。それ程彼は歓ばされていたのだ。
「ことによるとわたし達は冬子さんのいる春風楼へゆくことになるかも知れませんよ。あすこの離室(はなれ)が空いているから、そこをお前の勉強室なり、寝室なりにしておいてね」
「で、母さんは何をするのです」
「あすこの家のお仕事(裁縫)を一手ですることになるかも知れませんよ」
こう寝しなにお光は平一郎に話した。次いで平和で健康な眠りが来た。

平一郎|母子(おやこ)が借りている家の階下(した)は芸娼妓の紹介を業としている人であった。遊郭の裏街、莨店(たばこみせ)や駄菓子屋や雑貨化粧品店や受酒屋やなどが廃頽したごみ臭い店を並べている間に、古びた紅殻格子の前に「芸娼妓紹介業、中村太兵衛」と看板がぶら下げてあった。主人の太兵衛は生まれつき体格が逞しく力があって、青年時代は草相撲の関取であったというが、そして女と酒と博奕と喧嘩のために少しあった資産もなくしてしまった三十の頃、今の主婦さんに惚れられて世帯をもったのだというが、しかし今はもう五十を越して早衰した老爺にすぎなかった。芸娼妓紹介の仕事も、もと芸妓であった主婦さん一人でやっていた。主婦さんがお光に、もし今の亭主が自分から惚れた男でなかったなら、そして亭主を捨てることが昔羨しがらせた朋輩やお客の手前がなかったなら、そして亭主の巨大であった筋肉を奪い、聴覚を犯し、眼を悪くした悪い病気に対して多少の責任を自分に感じないなら、とうの昔に捨てて新しい生活の道を選んだろうと言ったことがあった。実際お光よりは三つ四つ若い主婦さんにとって、昔強かった時分のつもりで一日中怒鳴りちらして暮らしている亭主は重荷であるらしかった。お光は偶然ではあるが、こうした家へ住居を定めたことを後悔することも度々であったが、またこうした家の二階を借りたことがお光の生活に、また平一郎の生活に、二人にとって実に重大な、運命の力を感じしめることになろうとは後にいたって思いあたることであった。それは「冬子」とお光母子とを結びつけた偶然な事実であった。
お光母子が芸娼妓紹介の家の二階に移り住んではじめての秋十月のことだった。お光は夕飯をすまして、食器を薄暗い台所で洗っていた。階下の茶の間ではその日午過ぎから高声で主婦さんが嗄(か)れた声の男と話している何かの話のつづきをまだ喋っていた。此家(ここ)へ来てからまだ五月とたたないのであったが、誘惑されて来たらしい色の黒い田舎娘を坐らせて置いて、
「九十六カ月の年期で五百円より出せぬ」
「いや、これで玉は上玉だあね、八百円出しても損はしない」
「――冗談でしょう。こんな代物に八百円出せとはそれあ無理でさあね」
「それじゃ七百七十円まで負けましょうや」
「どうして!五百円が精いっぱいでさあね。お前さんだってそう骨折って育てた子供という訳じゃありますまいし、なんだね、思い切りの悪い。さんざ初物の御馳走を吸いつくしたかすをなげ出すからってさ!」
「御冗談でしょう。それじゃまあ六百円――」
「ええ、しかたがありませんや、もう五十両で手を打ちましょうや」
こうして一人の女の五百五十円で売られてゆくような事実を幾度となく見せつけられている彼女は、またそうした話であろうと胸を痛めつつ聞かないようにしていた。何のあてどもなく田舎から出て来て行先に困った若い女、そうした女を再び浮かぶ望みのない深淵へ引きずり下すのみでなく、そうした深淵に生きる女達が、ふとした不注意から、思いがけぬ不意な熱情の迸(ほとばし)りから、また自然の苛酷な皮肉から、主の知れない呪われた子を生み下すとき、その不幸な子供を若干の金で貰い受けて、そしてじりじり餓え死にさせるようなこともするらしかった。大抵の嬰児は結核か梅毒で死んでしまった。死なねば、乳もやらずに放って置けば消えるように萎びて死んでしまった。――お光が聞くまいと努めても話し声は聞えて来た。それは自分の無力を自覚している彼女にとって、どうかしてやりたいという同情がおきるだけ、それだけ辛いことであった。
「それあもう万事わたしの胸の中にありますよ、そういうことにぬかりはありやしません」
「え、そりゃぁ主婦さんのことですから、それでもまあ念には念を入れろっていいますからな。えっ、はっはっはっは」
お光は食器を洗い終えてしまってからも、悲しい忌わしい人達に会うのに気を兼ねて、暫く土間の薄暗がりに立っていたが、話し声はぴったりしなくなった。彼女は思い切って茶の間に出た。すると主婦さんと人相の卑しい四十男とひとりの女とが、赤暗い電燈の光に照らされているのを見た。白味のかったセルの単衣に毛繻子(けじゅす)に藤紫と紅のいりまじった友禅をうちあわせた帯をしめている、ほっそりした身体つきが、お光には卑しい身分でないことを知らしめた。お光が水にぬれた手を前掛で拭いつつ土間の片隅から上りかけると、隅に女のらしい水色の洋傘がよせてあった。傍を通るとき男は「いや、どうもすみません」と少し背を曲げるようにした。そのとき女はそっと顔をもたげて黙礼した。非常に美しいとはいえなかった。少し蒼味の勝った顔全体には、無愛想な精神的な上品さと、初心な純一さと、苦労して来たらしい淋しい神経質な陰鬱さが現われていた。女は何気なく黙礼したらしかったが、そこに予期しないお光を見出してはっと竦(すく)んだらしかった。赤くなるより青く沈む質(たち)であるらしかった。お光は二階へ上って、またひとりの女が深淵へ堕ちてゆくのだと思うといい気がしなかった。そして自分の無力が恨めしかった。平一郎ひとりを立派な人間に育てあげること一つさえ全力をつくして足りない自分がみすみす多くの人の堕落して行くのを見すごしていなければならない自分を悲しく思った。もっと世の金力、智力がこうした人間を助けることに用いられなくてはならない気がした。彼女は平一郎が昼の疲れで早く寝てしまったあとで、仕事する気になれず寝てしまった。疲労は彼女に熟睡を与えるに十分であった。
「恥さらしめが!」
胸苦しい悪夢にうなされているお光の夢を声が醒ました。夢ではないかと首をもたげると硝子戸越しに下弦の月が寒く照っていた。
「年甲斐もない、今のざまになっていながら、よくもまあこんなことが出来るものだね、お前さんは!」たしかに階下の主婦さんの声である。
「うう、汝(われ)の知ったことかい」
「知るも知らんもありゃしない。せっかく納得して自分からゆこうと思い立った大切な女(ひと)に、お前さんが今夜のようなことをしかけちゃ、このさきどんなことがあるかも知れないという気になってしまうじゃないかい。なんぼわたしが毎日毎日欠かさず御飯を食べさしているからって、そうおかしな色気を出してもらっちゃ商売が出来ませんよ。女が欲しかったら下店(したみせ)へ五十銭もって行ってくるといいんだよ――ねえさん、気を悪くしないで下さいよ、ほんとにしょうがないのですから」
「黙っていろ!この己を耄碌(もうろく)扱いする気だな、貴様は」親爺が立ち上ったらしかった。主婦さんの甲高い声が聞えた。「あ、何を――」という慎しみを忘れないうちにも全力的な悲鳴に似た女の声がして、やがて、けたたましく階段をのぼって来た。細帯のままのさっきの女が、はげしい動悸と、恐怖と、怒りを、抑制しつつお光の傍へよって来た。お光は床に起き直った。秋の月の光がかすかに射し入っていた。
「こちらへいらっしゃい」
「は、どうも相すみません」
女はしょんぼりそこに坐って慄えていたが、恐ろしさよりも怒りの方が勝っているらしかった。何もかもがあまりに明らかに判りすぎている事実であった。お光は自分の枕をずらし、座蒲団を円めて枕の形にして、自分の床の傍をあけて、「こちらへはいって、おやすみなさい」と言った。女は「すみません」と小声で言いながら、お光のわきに小さくかがまり横になった。お光も横になった。そして階下の物音に耳を澄ました。しかし階下はひっそりして、主婦さんも親爺も静まりかえってしまった。お光は女のほっそりした肩先の止め得ない戦慄を感じていた。偶然ではあったが、お光はこの時女と自分との心がぴったり融合し合っているのを感じないわけにゆかなかった。ああ、哀れな女よ、やがて戦慄の波が大きく刻みはじめてすすり泣きになった。お光も一緒に泣きそうになってしかたがなかった。お光は肩のあたりをさすってやった。「わたしは、不仕合です、ほんとに、ほんとに……」女は涙をこらえようとしてその度に一言ずつ呟いて、また泣いた。
しかし涙は悲しみを温める力をもっている。泣くだけ泣けばあとには雨上りのような、はれやかさが生まれ出る。お光はそれを自分の体験で知っていた。
「さ、こっちをお向きなさいな、泣くのはよして。どうせ今夜は眠られないのだから、こっちを向いて話でもしましょう」
女はやがて泣き止んでそっと寝返りをうった。お光は涙にぬれた蒼ざめた、品のある、淋しい女の顔と勝気な瞳とを見た。そして、二人は互いに深いところで了解し合っていることも確かめられた。女は二十歳であった。母は七つの時、父は今年の夏死んでしまったと言った。家は能登の輪島の昔からの塗師であるのだが、父の死後一人の兄がなまじっかな才気に累(わずら)わされて、輪島塗を会社組織にしようと思い付いて会社を創立したが、その株金を使いこんで、もしその金が無い時には監獄へ入れられる――つまり、その金をこしらえるために嫁入前の身体を芸妓に売ろうとするのだと女は言った。女は三味線も琴も生花も茶も娘の頃に習い覚えているし、ことに鼓(つづみ)に対しては興味もあり、自信もあり、修行ももっと積みたいと言った。最後に、自分はどうかして真実に芸ばかりで、芸妓としての生活を送りたいと言った。お光には女が本当に処女であるらしいことははじめから会得されていた。態度に一種の落着きのあるのは女の素質と知恵と教養の影響であって、「男を知った」すれっからしの故でないことも知ることが出来た。兄のために金をこしらえたい、という願い、その願いを身を売るということで充たす、そしてその芸妓稼業を芸ばかりで勤め上げたいという意気組、そこにはある厳粛な精神はあったが、同時に世間を知らない生気さがあった。お光は深い溜息をもらさずにいられなかった。女は次いで、自分の名は冬子であり、明日からこの裏手の廓の春風楼へ出ることを打ち明けた。
「冬子さん」とお光は言わずにいられなかった。「わたしは今、あなたをそういう商売をさせたくなさで胸いっぱいですが、しかしそれはどうにも仕方がありません。あなたの芸一つでやって行こうというお志は本当に好いことだと存じます。どうぞその志を捨てないでやって下さい。たとえ芸一つでやってゆけない破目になろうとも、そのお心さえ堅くもっていらっしゃれば――そりゃぁもう死ぬほど辛いことが多い――辛いことばかりでしょうよ。わたしも丁度あなたのお年の時分から苦労をしつづけで来ておりますが、肝心なことはやはりそうした一念を忘れないということが何よりの頼りになることではありますが――」
お光は平一郎のこと、自分のこと、どうにか平一郎の成長を祈っていることを話した。そして、冬子に住居も近いことだから親身の叔母とはゆかなくとも、他人でない小母がいると思って訪ねて来てくれ、出来るだけのことはしましょうと言わずにいられなかったのである。二人は寒い下弦の月の暁近く濃霧にうるむ頃まで語り明かし、次の朝、冬子は春風楼へ「芸妓になる可く」行ってしまった。
その夜から三年の時が過ぎていた。三年の時はあらゆる一切の万象に過ぎていた。平一郎をして中学三年生で恋愛の悩みを知るようにならしめた力は、冬子をして廓でも名妓の一人として立たしめていた。娘の時代に仕込み入れた人間としての教養と、天稟(てんぴん)のしとやかな寂しいうちに包んだ凛然(りんぜん)たる気象は、彼女をただのくだらない肉欲の犠牲者とのみはしておかなかった。芸ばかりで立ってみせる、ひとかどの名妓となってみせる、という意志が彼女を引き緊め、彼女の持つ真価値を十分に生かすことに力があった。彼女は無論「芸ばかり」で勤めることは不可能であった。朝、寝乱れ姿でお光のところへ「小母さん」と駈け込んで、仕立物に精出しているお光の膝に俯伏して初めてなめた地獄の苦痛を訴えたことも遠い時の彼方のこととなってしまった。ただ彼女にとってはそれは官能の満足とならずに精進の鞭撻となった。彼女は唄うことは上手でなかったが、三味線、琴、踊り、ことに鼓は、師匠も名人の素質があると賞め、彼女自身にも自信があった。彼女は辛い勤めのあとの悲しい想いを、凛然たる、は、おえ、よお!の懸声と森厳な鼓の音色とによって解脱することが出来た。そしてお光も針仕事には慣れて、街の人々にもなじみが深くなって来ていた。お光と冬子とのあの夜以来結ばれた交りは肉親の叔母と姪でない代りに、精神上の母子よりも深い仲となって来ていた。二人は互いに互いの苦しみを苦しみ合い、互いの楽しみを楽しみ合うことを悦ばずにいられなかった。平一郎にとってこのすぐれた女二人――母と冬子との愛が彼を培うに役立ったことは言うまでもない。そうして三年前にお光の寝床を唯一の避難所とした冬子は、「名妓」と言われるようになった今、お光のためにはよき生活上の相談相手となり得ていた。

平一郎が和歌子への手紙を深井によって伝えようと決心した日の次の日の午後、彼は一事を敢行したことの英雄的な傲(おご)りを感じながら靴音高くかえって来た。なぜ靴音が高いか。彼は「こと」を敢行したからだ。朝、学校での運動場の芝生で深井に会ったとき深井は優しい感謝の微笑を送ったが、話をする勇気は持たないらしかった。彼自身もポケットの手紙を握りしめながらつい口一つ利(き)けなかった。一時間目の国語の間じゅう彼は自分の卑怯を責めつづけていた。そしてノートに「吉倉和歌子」の名を五十あまりも書いてしまったのに驚いた。機会は四時間目の体操の時についに来た。彼は鐘の音につれて校舎の方へ走り去ろうとする群の中の一人を「深井君」と呼びとめた。
「え?」と深井は頬をほてらした。
「ちょっと君に話したいことがありますから」さすがに彼も胸が鳴り響いた。彼は運動場を横ぎって、寄宿舎の横手の、深い竹藪に接した芝生に来た。そしてそこの木馬に腰かけて思い切って言ったのだ。
「君は――吉倉の和歌子さんを知っていると言ったね」
「ええ――」と深井はいぶかしそうに、また、彼の内なる和歌子を護(まも)るような目付をした。
「これをね」平一郎はポケットから二つに折った手紙を取り出して木馬の背の上に置いた。「和歌子さんに渡してくれないか?」
深井は雨にさらされて白くなった木馬の背の手紙を見つめていたが、暫くして耳の根まで紅くなった。平一郎はそれを認めるともう勝つか負けるかどっちかだというような気になった。
「僕は和歌子さんと仲よくなりたいと以前から思っているのだ。ね、渡してくれないか。僕は君の家が和歌子さんの家と隣り合っていることは知らなかったのだ。お願いだから渡してくれないか?――それとも」彼はさすがに身慄いがした。祈りに似た感情が彼の内部に脈うつのだった。
「君は和歌子さんと仲よくしているのかい」
「いいえ」と深井は目を輝かしてきっぱり言った。
「渡しましょう」
「きっとだね!」
「ええ!」
「ありがとう!」平一郎は深井の手を握って、そして嬉しさは彼に、「僕はね、君ともこれから仲よくしてゆきたいと思っているのだ!」と言わしてしまった。深井の瞳に美しい火が燃えた。それはひとたびゆいてかえらぬ生命の炬火(たいまつ)の美しさだった。ああ、何という悦び!愛するものを獲たのではないか!和歌子と深井を獲たのではないか!彼は靴音高く家へ帰って来たのである。
家にはお光と冬子が待っていた。霽(は)れた晩春の青空から穏やかな陽が二人に射していた。
「やっぱり平一郎さんでしたこと」こう冬子がついていた右手でそっと、さらさらした豊かな鬢の毛をかきあげて、緋縮緬の長襦袢に紫がかった襟をつけようとこつこつ針を運んでいるお光を見上げた。平和な静けさがお光と冬子の微笑によって破られた。
「只今!」と彼はカバンを投げ出し、洋服を着替えて、いつものように大急ぎで膳に向わずにいられなかった。冷めた豆腐汁も彼にはうまかった。彼は、横向きになっているやや浅黒い引き緊った冬子の顔と艶々した島田髷とを見ながら、髪を結いにいった帰りだなと考えながら、襟頸から肩の辺りへの柔軟な線の美しさに引きつけられ、こうした女(ひと)が自分の姉のように親しくしていることを(それはいつも感じることだったが)誇らしく感じた。
「今日は遅かったじゃないかい」とお光は留針をしながら言った。
「今日は博物の寄り合いがあったのです」と彼は嘘を言って、すまない気のしただけ和歌子のことを思った。そして冬子に、「踊りのおさらいはまだなんですか」とたずねた。
「今月の二十八日ですよ。今度はわたしが出ますからいらっしゃいな」
「ええ」と平一郎が飯をかきこむのをお光は、「踊りや歌が好きだからおかしいですね」と冬子に言う。そうして、話はまた、お光と冬子に移ってしまった。
「お酒はやはりなるべくなら飲まない方がいいですわね」
「でも、お座敷に出ている時に、生きていることが少しもいいことでない、生きていることは実にたまらない、害のあることだというような気のする時に、盃洗にいっぱいぐうッと飲むと、そうするとすこし胸がすっきりしますの。それでなけりゃ、縁側へでも出て、鼓をさらえばまあそうですけれど――」
「それはもうそうでしょうともね。わたしもそういう気のするときはもう何度あったかもしれないけれど、しかしわたしにはまあ、平一郎(あれ)がいたものだからどうにかやっては来たものの――」
「それでも小母さんの方がわたしなんかよりか余っ程いいという気がしますわ」
「そうでしょうか」
「でも、小母さんも随分のお骨折だったという気がしますわ。十二年、そうでしょう、小母さん、乳を呑んでいた赤ちゃんが中学校で威張る位になるのですものね。でもこれからよ、小母さんの苦労甲斐が現われて来るのは。本当に羨ましい」
「さあ――」とお光は淋しそうに笑った。「貧乏のせいか何んだか、その平一郎(あれ)の一人前になる日に会われないような気がしきりにしましてね」
「そんなこと、小母さん!」冬子は本気で言った。「わたしだってこのままのわたしを小母さんに見せているだけでは小母さんに対してもすまないのですわ!」
お光はにこやかに微笑みつつ、心からの歓びをかくしきれないように、
「今のままだってわたしは十分結構ですの。ほんとにあれからでさえもう三年|経(た)ちましたっけ。随分あなたも立派な女になったものですよ。冬子さん」
「いけません、小母さん、冷やかしちゃ」冬子は顔を曇らせて苦いものを含んだように、切れ目の長い瞳を青い空に向けた。そして、「青い空ですこと――小母さんはまだお花見にいらっしゃらなかったはずね」
「ええ、仕事に追われてまだですよ」
「わたしも今年は行きたくなくて行きませんでした――ほんとに青い空」そして冬子はふいに言った。
「わたしのようなものでも、もし子供を持ちたいと思えば子供を授かることが出来るものでしょうか」
「――?」お光は冬子を見つめて黙っていた。
「子供を授かることを罪のように警戒しているわたし達にでも、心から子を授かりたいと思えば授かれるのでしょうか。それとも罰で一生子供は生まれないのでしょうか」
「あの方の子供ならと一心に想うような方が出来なすったの、冬子さん」
「いいえ、まだ、この方の子供ならどうしてでもいいから授かりたいと思うような人には一度も会いませんの。会う人も会う人もこうした人の子供を生んだら大変だと思うような人ばかり。でもわたしは一生に一人はこの人の子をどうか授けて下さいと祈るような方にあってみたいと思いますわ。たとえそうしたときがあっても、今迄の罰で、とても子供は授からないのではないでしょうか」
「それはわたし達には分るものじゃないでしょう。しかしわたしは、もしそういう時にあなたが一心にさえなればきっと子供が授かるような気がしましてよ。――わたしのようなものでさえが、どうにか平一郎(あれ)を育ててやって来ていることから考えてみましてもね」
「そうでしょうか」そして二人は淋しそうに沈黙してしまった。平一郎は飯をすまして暫く火鉢のところに坐っていたが、母と冬子の話が途切れたので、立って長四畳の机の方へ行こうとした。すると冬子が同じように立ち上って、「平一郎さん、ちょっとわたしの傍へ立ってごらん」と言った。平一郎は傍に立った。冬子は髪を結っているので高かったが、実際は一寸も違わなかった。「もうじきわたし位に成長(おお)きくなってしまうわね」と冬子は母と顔を見合わした。平一郎は(そうさ)というように壮快に笑って、冬子もすてきに美しいと思いながら机に向った。彼は、和歌子への手紙を深井に託したことの歓喜のあとに、異常な沈着さを感じて、代数の問題を考えていた。すると明日の日曜の朝の待遠しさが悪寒のように起きて来た。そして恥かしいことには、もし返事をくれなかったらという懸念さえが時々起こって仕様がなかった。
夕方、冬子は淋しそうに「さようなら」を言って帰っていった。彼女は母のお光に、彼女のいる春風楼の今いる裁縫師がお盆限り止めるので、その代りにお光が来たらどうかしらという話をしていった。そして母と何かひそひそ話しながら、「そう、それがいいわね」などと言っていたのだ。冬子に対して何故か傲慢じみた態度に出てしまう平一郎は冬子が去ったあとでは、いつもなくてはならぬものを失ったような淋しさを感じるのだった。この日も夕暮のあの悲しい薄闇で、母に子供らしく甘えかかりたい気持になりかけていると、階下で主婦さんが「平一郎さん!」と呼ぶ声がした。階下の主婦さんが呼ぶことは珍しくなかった。平一郎は何か珍しいものでもくれるのか、郵便でも来たのかと考えて階下へ下りた。すると主婦さんは、
「誰だか呼んでいますよ」と言った。平一郎は何の予期もなしに戸をあけて外へ出ると、門口に深井が立っていた。
「深井君じゃないか、はいりたまえな」深井は涙ぐんだような瞳で彼を視つめながら黙って立っていた。そして、戸外の方を示すようにそっと顧みた。それは無言の紹介であらねばならなかった。次の瞬間平一郎は、家の前の電柱の下に少女が背をもたせて立っているのを見出した。和歌子だった。一切が了解された。彼は深井を見た。
「和歌子さんだね」と彼は深井に精いっぱいの声で言った。全身が、歓喜、驚き、恐怖、羞恥に震撼した。彼は電柱の傍まで駆けていったが三尺ばかりのところでぴったり立ち止まってしまった。柱に背をもたせていた和歌子は、身体を真っ直ぐにして、懐からそっと(ああ、その指先の透明で美しかったこと)水色の封筒を取り出して、平一郎に見せて、輝かに笑ったのである。どうしたものだろう。三尺ばかりの間を平一郎はどうしてもそばへ進むことが出来なかった。彼女の輝かな笑いが彼の情熱をせきとめてしまったのだ。熱情は身内に渦巻いて全身が異様に慄えて来た。すると深井が彼の前に来て軽く帽子をとって、「僕、失敬します」と言った。そして和歌子の方へはにかむような顔を見せて小走りに彼は去ってしまった。平一郎は自分の腑甲斐なさに堪えられない気がした。そしていかに自分が和歌子のために自分の全部を占有されているかをつくづく感じた。とにかく彼は自分の力の萎縮を認めた。すると彼は全身の熱情が悦ばしい羞恥となって顔面にのぼってくるのを制止できなかった。
「明日まで待っていられなかったのでしてよ」と和歌子も真赤になって言った。そして二人は同時に笑いあうことが出来た。その笑いが凍ったような「凝結」をゆるめさした。大河平一郎が解放された。彼は「ついでおいで!」と言ってすたすた歩き出した。晩春の夕暮の戸外はまだ明るくて、空には夕映が深い美しさを現わしていた。彼は狭い十字街を右に下りて、野原へ出ようと考えていた。一年もの間、彼女を偲(しの)んでさまよったなじみの深い野に、この最初の日の自分と彼女とを見せてやりたかった。紅殻格子をはめた宏壮な廓の家々を通りすぎると街は川べりに出た。彼は後ろを振り返ってみると、彼女がすぐ後ろに生き生きしてついて来ているのに驚かされ、ある圧迫と動乱とさえを得た。路は静かに流れに沿ってひろびろした耕地の間に展(ひら)けていた。彼は立ち止まった。和歌子の息づかいが聞え感じられるほど彼女は近くよりそって来た。二人はもう一緒に生まれた人間のように親わしさを感じていた。
「吹屋の丘へゆきましょうか」
「ええ!」
ああ、またしても湧きくる、魂をゆるがす微笑よ。水流は無限のうねりをつくりつつ路に沿って流れていた。右手には田植を終えた耕地が、ひろびろしい曠野のはてにまでつらなり、村々の森が、日に蔭って黒ずんで見え、太陽はいつもより大きく、真っ紅に燃えていた。路は緩(ゆる)い傾斜をのぼって草原の丘に伸びてゆく。その丘は何んでも平一郎の父の友人のある商人が、日露戦争後の起業熱のはげしい折に、鋳鉄業を創(はじ)めた失敗のあとであった。生い茂った雑草の間には石ころや柱のくさったのや、錆びた金属の破片などが残っていて、それが平一郎には淋しい空想の種となった。春、夏、秋、冬、平一郎が和歌子を忘られなくなってから、彼は幾度この丘に立って寂しい自分の心をいとおしがったであろう。また幾度、涙にぬれて、「偉くなる!」と叫んだことであろう。河縁には楢(なら)の木が密生して、百舌鳥(もず)が囀(さえず)っていた。平一郎は丘の上にのぼって、さて草原に腰を下した。和歌子も側に坐って、二人は幸福なこの夕暮の野の空気にひたっていた。ゆるやかにも流れひびく永遠の水の音よ、大空にじっと動かない白雲よ、ようやく迫る夕べの気配に、薄暗さを増した曠野の豊かな土の色調よ、ああ、しなやかに二人のためにしとねとなる草原の草よ、楢の木林の蔭を、市街の裏手をよぎる鉄道馬車のラッパの音よ。さては今しも地平の彼方に没落しようとして、たゆとうている爛然たる、真紅の晩春の太陽よ――。和歌子はそっとさっきの水色の封筒を取り出した。
「今日、学校から帰ると深井の坊っちゃまがあなたのお手紙を下さいましてよ」
(深井の坊っちゃま)その坊っちゃまという言葉だけが今のこの世界でいけないと平一郎は思った。そして水色の封筒を受取った。手が慄えた。
「あとで読んで下さいましね」
「ええ」彼は言われるままにふところにしまった。
「お手紙には明日の朝と書いてあったけれど、わたし明日まで待っていられませんでしたの――それで、深井の坊っちゃまにあなたのお家を教えていただいたのよ」
平一郎は不思議な気さえして仕様がなかった。美しく、気高く、荘厳で、しかもいい家の娘で、とても自分などは一生、話さえするおりを持つことは出来そうもないという懸念を持っていた和歌子、実に、その和歌子が自分に話しかけていることを信じていいのか。
「平一郎さん」と彼女は熱情的に昂奮して来たらしかった。「あなた、あの去年の同窓会のあの時のことを覚えていて下さって?わたし、あれからも時々学校へ行って控室にかけてある卒業記念のお写真を拝見していましたのよ」
(和歌子も覚えていたのだ)平一郎は考えると嬉しくて堪らなくなった。彼も熱情をぶちまけるように昂奮して来た。
「それじゃね、それじゃね、小学校にいるときのあの鏡ね、鏡のことを覚えている?」
「覚えていますわ!ほんとに、あの校長さんが永い間話をしていて鏡をふさいでいるときには、腹が立ってしょうがなかったのですわ。そのほか、ほんとに、わたしあなたとのことならどんな小さいことでも一つ一つみんな覚えていましてよ」
「――僕だって」と彼は呟いて熱い涙が眼ににじみ出るのをこらえていた。
「昨日は深井の坊っちゃまを助けておあげなすったのですってね」
「僕う?ええ、深井君が話していましたか」
「ええ――わたしは深井の坊っちゃまからあなたの学校の様子をいろいろ随分前からきいていましたの」
「僕のことも?」
「ええ、あなたのことも。でも、そんな風はしないでですよ。あなたの級長のことも、弁論会で演説をなさったことも、野球の級(クラス)試合に出て負けなすったことも」そして彼女は堪えきれないように情熱的に笑って、ふさふさと頬にふりかかる髪の毛を後ろへのけるように、顔をそむけて、頭を強くゆすぶった。その荘厳で深刻な美しさ。
「僕は深井君も愛します」こう彼は宣言した。
「わたしも、愛しますわ」と彼女が言った。
楢の木林の向うを痩せこけた馬が黄色な馬車をひいて走るのが、ごおっという音で分った。馬車の窓に落日が血のように射していた。二人には小さい馬車の様子が哀れでもあり、おかしくもあった。
「ああ、汝旧時代の遺物たる馬車よ」こう平一郎は突然に演説口調で喋ったのが、彼自身にもおかしくて、二人は涙の出るまで哄笑した。
「あなたは母さんおひとり?」
「僕う?僕は母ひとりきりですよ。家もないしお金だってありませんや」
「でも母さんがあって結構ですわ。わたしには母さんはないのよ」
「ああ、そうでしたね、虎に食われてなくなりなすったそうでしたね!」
太陽が没してしまったとき、二人は丘を下りて野の道を街の方へ帰って来た。路で、平一郎が和歌子の封筒のことを想い出して、懐から出して「ひらいてみようかしら」と言ったとき、「いけません、平一郎さん、いけません」と封筒を開かせまいと努めたときの彼女のひやひやした髪の感触は忘られないものである。
「明日は返事をもって来ますよ」
「ええ、きっとですよ」
二人は坂をのぼりつめた十字街で別れた。平一郎はもっと言わねばならぬ重大なことを一つも言わなかったような気がした。それが何であったかを反省すると、まるで頭脳が空虚だった。それは「混沌たる充実の空虚」であった。
夜、彼は自分の机に書物を展(ひら)いた上に水色の封筒をのせて、惜しい気のするのを思い切って、封を切った。

今日わたしは学校から帰って庭に出てあなたのことを考えていました。今日はどうしてか学校からの帰り道でお会いしなかったのが気が悪くて仕方がございませんでした。すると隣りの深井の坊っちゃんがわたしをよびなさったのです。
わたしは何もかも存じております。ほんとうにわたしはすみません。でもわたしにはどうしてよいか分らなかったのでございますもの。ほんとにわたしはあなたのあれでございます。わたしは今、うれしくてじっとしておれないのです。わたしは仲よくしていただきたいのです。でもわたしはそんなに仲よくしていただけるのかしら。
気がせいて思うことが書けません。母は(わたしのほんとの母ではありませんのよ)じきに何をしているかのぞきに来ますのです。平一郎さま、わたしは今、あなたに会いたくてならなくなりました。今夜はわたし眠られないでしょう、きっと。以前も眠られないときはあなたのことをいつも思っておりましたのよ。あなたは御存じないかも知れませんが、わたしはよく深井の坊っちゃまからあなたのことを承っておりました。わたしは今ほんとにどうしたらよいのでございましょう
吉倉和歌子
なつかしき
大河平一郎様

第二章

春はすでに行き過ぎて、梅雨期の曇った空が北国の街に垂れ下がっていた。十五の大河平一郎は伸びゆく樹木のように健やかに成長して行った。母の献身的な愛のうちに、美しくて立派な冬子の愛のうちに成長して来た彼は、さらに愛する和歌子と深井とを獲た程に成長(おお)きくなったのだった。彼は習字や図画の手先の学科こそ並はずれて下手だったが、他の理論的な、もしくは情意的な学科には大きな能力の芽を現わすことが出来た。奔放な想像は外国地理の時間に、地球全体を自分の意志で調和あらしめ、和歌子が王妃で自分が帝王であったら実にいいと熱した。歴史の時間には時代興亡のあと、勝れた人格の生活のあとを自分の身に比べて、ある戦慄を止めることが出来なかった。あのように常に彼をして味気ない淋しさに堕す「貧乏」「家なし」「親なし」という哀れな境遇が彼には、大自然が自分にある使命を齎(もた)らしたしるしであるとさえ勇気づけられた。「自分は貧乏だ。しかしそのために自分は、自分本来の精神の伸びゆくさきを曲げるわけは毫もない!」彼は巨大な肉体の所有者でなかったので、無論選手級ではなかったが、野球も柔道も剣道もやった。
しかし、お光母子には未だ数しれぬ試練が与えられねばならないのであろう。悲しいことには、お光には彼女一人の手で二人の生活費と平一郎の学費とを与えてゆくことが出来なくなって来ていた。亡き夫の唯一の遺品であった家を売った金も、もう残り少なになってしまっていた。どうにかしなくてはならなかった。先の見えすくのに、その不幸の来るのを待っているほど自棄な気持になるにはお光はあまりに平一郎の未来を信じ、祝福し、重大視していた。彼女は冬子に打ち明けた。冬子は春風楼の裁縫師が止めたから来てはどうかと言った。母子二人が食事して、月五円の手当だと言った。お光はどうしようかと長い間考えずにいられなかった。遊廓の近くに移って来たことさえが平一郎のためによいことでないと思えたのに、そうした廓の娼家に住むことが決してよい感化を与えないことは分りきったことのように考えられた。しかし、現在のままで生活することは残り少ない貯金を更に短い間に消費してしまうことでしかなかった。彼女は仕方がないと思った。また彼女の生きて来た生涯の体験に照してみて、たとえ娼家の一隅に生活しようともそれによって平一郎の人格が動揺するようでは頼母(たのも)しくないとも考えられた。冒険ではあった。しかし彼女はとにかく住みこんでみようと決心した。悪ければ悪いでどうにかしよう、少なくともこのまま滅亡するのを待っているよりはよい、と。そうしてこの生活の闘いと独り子の心配とが彼女の生来の娼婦や淫売に対する本能的な嫌悪と同情とを忘却せしめた。傍見をしているひまのない厳粛な生活だったのだ。相談相手を持たない彼女は平一郎に一応打ち明けた。
「僕はいやだ、僕は行くもんか!」こう平一郎はお光に家をかわることを打ち明けられたとき狂人のようにわめいた。(僕がもしそんな娼家に住居したら、和歌子や深井はどう考えるだろう。彼等は自分をもう相手にしないにきまっている!)そう彼は咄嗟に考えたのだ。お光もはじめは平一郎の反対の猛烈なのがもっともなのに当惑した。しかしもう事はきまってしまっていた。お光は平一郎に数字で示さないまでもいかに自分達母子の境遇がかわって来ているか、逼迫(ひっぱく)しているかを静かに語りきかせた。また、そうした娼家に住むといっても女達と一緒にいるわけでなく、また自分さえ勉強に一心であるなら、どこに住むも同じであるとも言ってきかした。平一郎は母の言葉をききながらも、言葉をとおして迫る「貧」の圧迫と痛さに堪えられなかった。しかし、ああ、彼に恵まれている彼自身の力は「娼家の軒」に日を送ろうと悲しくも決心させた。
(自分は和歌子にも深井にもその通り打ち明けよう。自分が貧乏でしかたなく替ったことを、どんなところに住もうと、この自分の精神は旺盛で健全で、かわらないことを、そして、自分は君達を愛し君達も自分を愛してくれることを!)
「冬子さん、何とした縁でしょう。ほんとに何とした不思議な縁でしょう」とお光は平一郎もどうにか承諾していよいよ相談が双方にまとまったとき、彼女の平常に似ず、涙ぐんだ感激で冬子に言った。
「小母さん、わたしこそですわ。もしも小母さんがいらっしゃらなかったら、わたしはどうなっていたでしょう。きっと今よりもずっとずっと悪いわたしになっていたに相違ありませんわ――今のままだってわたし小母さんにしょっちゅうすまない気がしていますのよ」と冬子は言った。
六月中旬のある日曜日の朝早くから、お光は冬子と雇い男に手伝われながら、荷造りや掃除をどうにかすました。唯一つ残っている黒い漆塗りの箪笥と長持を人夫が車に運ぶのを見ていると何故か涙がにじみ出て来た。苦い流浪の悲苦とでも言おうか。最後の移転車に冬子がつきそっていったあと、道具の取り払われた荒廃した室内を見ることは彼女をしてとうとう泣かしてしまった。言いようのない頼りなさであった。夫の俊太郎の死後、後家としての彼女に深く浸みいる人生の孤独と淋しさとであった。彼女は「ほんとに人生はひとり生まれ、ひとり死ぬものだ」と思うと涙がわいて来た。そうしたところへ薄水色のネルの単衣にたすきがけに手拭を姉さんかぶりにした冬子が、今丁度春風楼の主人が起きているし、店の妓達はまだ眠っていて都合がよいから早く行こうと、急ぐようにはいって来たのが、お光には嬉しかった。二人は淋しいながら新しい昂奮を感じて、十字街を右へ折れて緩い坂を下りた。この市外の廓でも春風楼は第一流の家であった。宏壮の古めかしい家並の中ほどに、杉の森のこんもり茂った八幡宮の境内にとなりあって、三層の古代風の破風造りが聳えていた。その家の紅殻格子の扉の前に立ったときお光はいまさらのように全身がひきしまるのを覚えた。色硝子をはめた中戸の内部には高価な下駄や足駄や雪駄の類が、裏返しになったり、横に転がったり、はねとばされたりしていっぱいに乱れていた。
主人というのは五十あまりの赤く禿げあがった頭顱(とうろ)に上品な白髪をまばらに生やした、油ぎった顔色の男であった。三尺四方の囲炉裡を控えた横座に坐って、熱く燗した卵酒を呷(あお)りながら主人は、細かいことはあとで家内が起きたら訊いてくれろ、心安い気で自分の家のようにして、家内の相談相手にもなってやってほしい、一人の息子さんがおありのようだが、土蔵の裏の離室(はなれ)が空いているから、そこを勉強室にした方がよかろう、と言った。思ったよりも苦労人らしい主人の言葉はお光には嬉しかった。隣の社の境内から朝日が静かに射しているのも嬉しいことの一つだった。
「それじゃ小母さん、離室へいきましょう。荷物はもうすっかり片付いていますから」
広い台所の板敷、中庭の木立を通る長廊下、土蔵の前を折れて横手の薄闇を白壁に沿って薄暗くなる。「小母さん、そこは湯殿よ」紅や紫や橙色の色硝子の横手の細い板敷へ、明るみが微かに射していた。陽光は躑躅(つつじ)や南天の茂みをあしらった庭から射し、庭に面して離室があった。
「ここですのよ、小母さん!」
お光は青壁の十畳敷に不調和に置かれた火鉢や棚や平一郎の机を見廻しつつ、ある淋しさと不安とありがたさをしみじみ感じずにいられなかった。
「これからは小母さんと始終住まえてわたしうれしい」と冬子は言った。「ほんとにはじめて小母さんを知ったとき、こうして一つ家に住もうと思ったでしょうか」
「ほんとに不思議な縁ですのね」とお光は悠久なある力に触れたような気がしきりにした。そして、永遠であり、不可知であり、一切の悦び、一切の悲しみの泉である生命の未来を仰ぎみるのであった。日はうららかに照って来た。
「わたし眠くなって来ました。小母さん、失礼ですがわたし一眠りして来ましてよ」と冬子は笑いながら去った。まだ春風楼にとっては真夜中であるべき午前八時であった。

春風楼の茶の間の正面に懸けられてある大時計が、午前十時の音をごおんごおんと響かせた。家のいっぱいに混沌とした濁った眠りが暗鬱にとざされている。さっき中途で眼を醒まして卵酒でいっぱい引っかけていた主人も快い朝の酔いをそのまま、昨夜晩くなって眠りほうけている女将の横にしがみついて寝入ってしまった。電燈は消滅して家中が薄暗く、そして静寂だった。灯の下に動いていた夜の華やかさは、何処に見出されようもなかった。表の細かい格子目の硝子越しに真夏近いじりじりと強烈さの増してくる太陽の光が、電燈の消えた店の部屋に射し入り、照らし出していた。女達はその朝の光に浮かぶように眠れる姿をあらわしていた。部屋いっぱいに並んだ八つの寝床、枕元近い板敷に並んだ鏡台、壁際に総桐の四台の箪笥、その上に二間の吊棚があって、使いこなした、くなくなの平常(ふだん)の帯らしいものが赤い下着と一緒に垂れ下っている。脱ぎすてたままの着物が幾重ねも、赤い裏を裏がえしにし、襟垢や白粉のついた黒い生繻子の襟がべとべとに光ったまま棚に押しこめてある。蔽を被せることを忘れた一台の鏡の面が照り返す白光が、その一枚の上にじっと止まって動かない。静かだった。すうすうと寝息がする。時々ううと唸るものもある。
この朝のように八つも寝床が敷かれてあることは稀であった。いつの夜も三、四人か四、五人しか自分の寝床で泊るものはなかった。いかなるところで、いかなる人間と、いかなる夜を過すであろうかは分りすぎた事実である。午前十時の時計の音に眼を醒された冬子は、光に照らされた珍しくそろった朋輩の眠れる姿を床の中より見廻さずにいられなかった。
壁際に水色の軽やかな夏蒲団を正しく身体半身にまとって、左枕に壁の方を向いて平静に眠っているのは冬子より二つ年下のお幸だった。寝化粧をすることを忘れない彼女の艶々した島田髷に日は照り、小刻みな規則正しい息づかいが髪の根を細かに揺がしている。背はやや低く小造りな身体だが、引き緊った円やかな肉付と、白く透きとおった肌理(きめ)の精密な皮膚とをお幸はもっていた。お幸は東京の生まれであった。彼女の母は東京柳橋でも名妓といわれた女だったが三十を越してから運が悪くなった。唯一の後援者であった政治家が死んだとき、そのまま芸者稼業をしているにはあまりに全盛期の我儘が敵をつくりすぎていた。お幸の母は廃れてゆく容色や、肉身の若さを感じはじめると、名人に今一歩だといわれた自分の芸道(踊り)で生活しようと金沢の街へ来たのだった。その時お幸は十五の娘だったが、母ゆずりの才気と幼時から仕込まれた踊りと、小造りながらぴちぴちした肉体の艶やかさは、彼女をお師匠さんの娘として成長させなかった。お幸の母は廓近くに住むうちに自然、春風楼の主人と知り合いになった。男子に対する眼の肥えているお幸の母には彼のみが多少人間らしい苦労人に見えたのだ。廓の取締である春風楼の主人の後援で、お幸の母は藤間流の踊りの師匠としてこの街でいい地位を固めることが出来たが、そうした因縁からお幸も十七の頃から春風楼の一人として座敷に出るようになったのである。小柄な彼女は盛装して群の中に静かに坐っていても少しも目立たなかったが、一人一人の対坐になる時は、きびきびした溌剌たる挙措(ものごし)の底に、蕩(とろ)かすような強い力を燦(きら)めかして男の魂をとらえるらしかった。「わたしは、はじめにお客の心持と様子と金使いとを見きわめるの。学生や番頭に心をゆるすこっちゃない。立派な三、四十の金のある人に眼をつけることが一等ですわ」といつか冬子に言ったことがある。お幸は男を深く迷わし自分の方へ引きずりこむことに悪魔的な悦びを感じているらしかった。たとえ自分もずるずる引きずられてゆく場合にでも、あるレベルまでゆけば、すばしこい仔猫のように身を翻して残された男を冷やかに見送る妖婦的な残忍な快味をさえ知っていた。
しかし彼女にも、たとえそれは極めてエロチックであるにせよ、熱烈な恋愛はなかったわけでもない。彼女がまだ十八の正月、三郎さんというこの街一の呉服屋の息子で、高等学校の学生が彼女にしきりに打込んで来た。若々しい力に充ちた三郎さんの坊っちゃんじみたところが、無性に彼女には恋しくなった。彼女は三郎さんに会うときだけは一切の手管を脱却して一筋な情熱に奮い立った。恋愛の力が妖艶な彼女をどれほど美しく輝かしたかは三郎さんのみが知ろう。お幸にとって肉欲の錯混が深いだけに一日中三郎さんを離されなくなってしまった。三郎さんは学校を休む、お幸は座敷に出ないで、毎日毎夜二人は熱病人のように一室に籠ったきりだった。しかし三郎さんの家の番頭が三郎さんを連れてゆき、電話で一日中話し合うので電話を一時取りはずしたりしているうちにお幸の情熱も沈潜してしまったのである。「三郎さんのことだけはいつまで経ったって忘れることじゃない!」と彼女は言ったが、それが最初のそして最後の「我を忘れた」恋愛であり快楽であった。いかな激しい快楽と情熱の渦巻きの中にでも聡明な勘定をするだけの恐ろしい修業が今は完成され、理想的な「いい女」として、今静かに小刻みな息づかいで、安らかに眠っているのだった。
お幸の次には二十歳になる時子が、身体全体を反らしてやや高い不調な息を鼻の中で立てている。掛蒲団を足の間に丸め込んで双手を畳の上まで投げ出した寝様は、乱暴とのみ言えないものがあった。細面の、高い鋭い鼻筋、伸ばした喉の喉頭に光は強く射していた。剥げかけた白粉と生地の青みがかった皮膚とが斑になり、頸部から寝巻の襟のはだけた、やせた胸廓が黒く脂じみているのが不健康らしくはあったが、いい縹緻(きりょう)には相違ない。彼女は二十年の生涯を、記憶に残る時代を廓で成長して来た女だった。誰かに険しい山路を負(おぶ)ってもらって来たような憶えがあるきりだと彼女は言った。十三、四迄は使い歩きにこきつかわれた。朝は誰よりも早く起きて三十もある火鉢の灰を掃除をして、すぐ灰吹きを廓から離れた小川まで行って洗って来なければならなかった。どんなに雪の降る冬の朝でも止す訳にゆかなかった。それがすめば掃除の手伝い。ようやく朝飯がすむと師匠のところへ踊りや三味線の稽古に通わねばならない。それは彼女にとって苦痛だった。芸道は彼女に少しも楽しみを感ぜしめなかった。早く大きくなって姐さん達のようにいい着物をきてお酒を飲んだり、御馳走を食べたり、男の人達と一緒に騒ぎたいものだと一心に願った。彼女は早熟で十四の春にはもう事実上少女でなかった。白粉を塗り紅をつけ、縮緬の着物をきた舞妓姿で「旦那、今晩は」と座敷へ出たときには大変な出世をしたような気がした。男から「時ちゃんは俺のいい子だね」とか「可愛いいやつだ」とか言われるのが嬉しくて堪らなかった。彼女は夢中だった。虐げられていた一切の欲念がはじめて解放されたのだった。彼女は食い飲み、騒ぎ、またあの辛いこととせられる一つのことさえを貪るように受用した。賑やかな、気のさくい、そしてすぐある欲求を充たしてくれる若い女として、彼女は学生や青年の性欲に飢えた人間にもてはやされるようになって、しかもそれで満足していた。疲れた肉体と掻き乱された魂と、低級な満足とを抱いて、この朝をいぎたなく眠っている時子の姿は、冬子にとっては浅ましい哀れさとある悲しい反省とを喚び起こした。
昨夜、といっても今朝の午前二時過ぎにある家から帰って来て、冬子に泣くようにして、その夜彼女を呼んだ羽二重商のいどむのを逃れて来たことを訴えていた茂子は、時子の次に冬子の隣に眠っていた。冬子はわりにこの陰鬱な茂子に好意をもつことが出来ていた。どうしても芸妓などにはなりたくないと思って泣きながら母親に頼んでも、彼女がまだ嬰児であったとき、貰い受けたときから決定していた継母の意志をひるがえさせることは不可能だった。「もしわたしがお前を育てなければ、お前はどこかの山か川に白骨になっているはずだったよ」と言った義母(はは)の言葉は忘られない。彼女は仕方なしに芸妓になったのだ。彼女は婬らなことに身を任せたあとには精神が異様にたかぶって一夜中眠られなかった。眠られない夜に限って自分が痩せ衰えてしまったように考えられ、搾木にかけて毎夜心身の精粋を絞りとられる地獄だと考えられ、そうしてそのさきには真黒な死が手を伸ばしてつかみかかっているのだと考えられた。昨夜も彼女は冬子に、「死んだらどうなるのか」とたずねたり、「何だか悪い病気が身体中に循(まわ)っているようだ」と訴えたりして、寂しそうに寝入ったのだった。顔や頬の肉をぴくぴく神経的にひきつらせながら――。店先から射す光には昼近い熱気を帯びて、冬子は苦しくなって来た。彼女は寝返りを打って、彼女の右手に並んでいる同じ女達を見つめた。黄金色の太陽の光は幅広い流れを溢れさしているのも知らずに、皆は夜の疲れで眠っているらしかった。
小さな弁慶縞の掛蒲団の襟のところに二つの桃われ髪が行儀よく並んで、顔は蒲団にかくれて見えないのは、米子と市子の二人の赤襟の少女だった。米子は今年十四ではじめて赤襟になったのだが、「米ちゃんがなるならわたいもなる」と言って一つ違いの市子もとうとう赤襟になってしまった。米子は細身な静かな少女だったが、市子はややお転婆で、活気があって、花のように美しかった。市子は多くの客が可愛がったが、米子は少数ないいお客に愛せられていた。しかし二人自身はそんなことに無頓着であった。下手な踊りを踊って、そして賞められて喜んでいた。二人とも誰を明らかに父と指さしていいか分らないような芸妓の子として出生し、養われて来た女だったのだ。彼女等は人生に就いて廓より外に知らなかった。彼女等は職業、愛、道徳、――に対して一生正当な観念すら得られないのではないだろうか。
この二人の少女に隣合って一つの寝床が空のままであった。汚れた敷布の上に丹塗(にぬり)の枕が二つ並んだままにある。それは仲のよい菊龍と富江の「共同の」床であった。彼女等は大抵一緒になることはなかったので一つの床を二人で使っていた。たまに一緒になったときは一つの床にもぐりこんで、夜がしらじら明けるころまで情人の噂などを話しながら寝入るのを常としていた。昨夜は恐らく何処かで外泊りするか、でなければ二階の一室に――かもしれなかった。
空の床に離れて、襖をはずした敷居越しに、この家(や)の公娼が眠っていた。粗い黄色と黒と小豆色の縦縞の掛蒲団をまるめるようにして、ぶくぶく肥った真っ白い太い双手を投げ出して、まるまる肉のついた横顔を見せて口をあけて本当に深く寝入っているのは鶴子という三十近い女だ。村の機織工場の女工、街の莨専売局の女工、彼女の少女から青春時代はそうして送られた。まるまる肥えたはちきれそうな肉付と滑らかな皮膚は先天的に飽くを知らぬ欲念の蔵だった。彼女は二十三のとき娼婦になった。それは彼女にとってパンを与える職業であり、快楽を与える貴重なる泉であった。彼女は職業のために疲労することがなかった。白い、生き生きした赤い血の色は失せてしまったが、肥えふとった肉体に薄青い静脈がしずかに波うっていた。「ひとり寝の朝はものうくってしょうがない」と彼女は冬子に言ってからから笑ったことがある。
こうした鶴子の大柄な身体の蔭に小さい痩せこけた一人の女が寝ているのを見逃すわけにはゆかない。頬のこけた、肉の落ちて小さく凋(しな)びた顔に、乱れかかった髪の毛の一筋を唇にかみしめながら、息する度にほっそりとした鼻がかすかに動く。日はその虐げられつくした暗鬱な顔を照している。額の深い皺の一筋一筋がはっきり浮き出して、女の苦艱を表現せしめている。小妻は不幸な女だった。自分を不幸と信じている冬子でさえが本当に不幸な、と考えたほど不幸な女だ。小妻は多くの女達のうちで唯一人のこの街の生まれで、ある中流な薬房の娘であった。小学校を終えてからこの市街の中流の娘がするように、毎日裁縫の師匠へ通っていた。彼女は内気な目立たない、人なつこい娘であった。師匠さんの家へは川岸伝いにゆかねばならなかったが、十六の頃いつも川岸で会う若い商人らしい青年があった。優しくて男らしい人のように小妻は思った。ある日の帰りのこと、にわか雨がぼつぼつ降りはじめた。そこへその青年が来合わして傘の中へ入れて家まで送ってくれた。路々恥かしながら話してみると、彼女の家とは裏つづきの紙問屋の息子だったときの悦び。二人は仲よくなり、そして娘は孕んだらしかった。孕んだのではないかしら、とひとり思い煩っているうちに、親達が縁組を結んでしまった。行先は同じ薬屋の問屋であった。(「何故あのときはっきり親達に言わなかったのでしょう。矢張り叱られやしないかしら、というようなことが恐ろしかったのよ、冬子さん、随分可愛いことを思っていたじゃありませんか」と小妻はよく言った。)紙問屋の息子が心変りがしたものと信じて遊蕩をはじめる。そのうちに娘は孕んでいたことが隠しきれなくなって離縁される。内気な小妻は、内気で弱い心の持主であるために、家を逃げ出してひどい目に遇いどおしで、娼婦の群に入ってしまったのである。内気な、弱い、すなおな魂と、神経質な敏感な傷められ易い肉体をもつ彼女に、娼婦の勤めは惨酷な地獄だった。一と夜を明かせば、次の朝には烈しい熱に苦しまねばならなかった。そして熱苦がおさまる頃にはまた夜の恐ろしい忌わしい惨虐がやって来た。機械になり切れない小妻にとってはそれは惜しい惜しい生命の濫費だった。まだ二十五にもならない小妻は、やせこけて暗い凋びた容貌に変じてしまったのも無理でない。小妻は一日中忌わしい行為の追憶や脅迫につきまとわれ、恐ろしい暴力の虐げを呪っていた。「わたしはいつも眠ったまま、眼ざめるときがなければよいと思いましてよ」ああ、ひとり寝る夜の寂しい幸福よ――冬子がじいっと小妻をみつめていると、小妻の窪んだ瞳が、ぽっかり開いた。太陽の光がさっと眼にしみたらしかった。
「あ、お天道様」と彼女は微かに呟いたが、光を浴びた中から冬子を認めて淋しく笑った。「もうお目覚め?」
「ええ、今のさき、時計の音で目が覚めましてよ」
「そう――ああ、わたしいやな夢をみていましたっけ。わたし唸らなかったでしょうか」
「いいえ、よく寝入っていらしってよ――ほんとにいい朝ですのね、小妻さん」
「わたし、冬子さん、笑いなすっちゃいけませんよ。ふっと眼がさめるとお太陽様(てんとうさま)の光がそれは美しく見えて、わたしはことによったら死んで極楽へ来ているんじゃないかと思ってよ。すると、横にこの人(鶴子を指さして)の太い腕が見えましたから、ああ、わたしはやっぱり地獄にいるのだっけと思いました」
冬子はその時ふとお光はどうしているだろうと思った。大概部屋は片付いてはいるが、一人で淋しがっているに違いない。何んだか起きて顔がみたいと思った。冬子は起きて普段着に着かえて、小妻に「わたし、ちょいと用のあるのを忘れていましたの――もっとゆっくりやすんでいらっしゃいな」と言って、店の間を出てしまった。小妻と話すことは冬子にとっては、常に努力をもって征服し統一している自分の性格の弱い一面をまざまざと見せつけられるようで堪えられなかったせいでもある。
冬子の去ったのを寂しく思いながら、小妻はお幸、時子、茂子、米子と市子、鶴子と眺めつつ、富江と菊龍のいないのにある堪らない本能的な悲哀を感じずにいられなかった。二人とも昨夜はある料理屋に呼ばれて行ったのだが、恐らくはどこかで泊ったものだろう。
二人とも丁度今の米子と市子のように幼い頃から春風楼に育てられて昨年ようやく一人前になったばかりのまだ十八の、普通なら生(うぶ)な娘の年頃であった。小妻は自分があの紙問屋の息子に恋したのは、丁度菊龍や富江の年頃だったのを思って深い悲しみを感じずにはいられなかった。自分の行き過ぎていった青春を歎く涙、さらには娘の頃の青春をこうした境界に身を置いて、あの純真な初恋らしい恋一つ知らないで、美しい肉体を毎夜毎夜の勤めに腐らしてゆく若い人達の身。まだしも自分の方が彼等よりも幸福であったかも知れないと思ってみた。がその僅かな小さい追想に伴うほこりに似た感情は、腰から下腹部にあたって引きつるような疼痛を感じたときに根柢から破れてしまった。太陽の光にさらされて脂じみた襦袢と色のさめた赤い下着との間からあらわれた自分の蒼白な胴や胸廓の痩せこけた肉や、萎びて皺のよった皮膚や、一枚一枚暗いひだをつくって見える肋骨の骨ぐみなどを見ていると、自分の多少幸福であった娘の頃はもう遠い別の世界での事実でしかなくなったことが確かめられた。今の自分は――、激烈な疼痛がきりきりと身を引きしめる。彼女は歯を喰いしばってその痛みを忍耐した。痩せ細った青白い萎びた小さな両手にねちねちした汗がにじみ出た。骨髄に沁みこんだらしい悪性な病患がもう汝は永いことはないのだと身体の深みから唸り声を発しているのだ。彼女は汗のにじみ出た全身を拭う気力もなくて、その汗が客をとる時の、あの死ぬ方がよいと思う汗にも似ていることに浅ましさを見出していた。そしてまた、枕に頭をつけて眼をとじて眠ろうと試みてみた。もう時は十一時近くであった。街のあっちこっちに戸を開け、雨戸を開ける音が響いた。あーふっと何処かで大きな欠伸をしているのが聞えた。小妻は気を取り直して、起き上がり、肌着の上から乳の下の辺へ赤い細紐をしめて、そっと茶の間へ出て来た。茶の間の囲炉裡には楼主が朝早くおこしておいたらしい炭火が焔を吹いておこっていた。彼女は莨を不味そうに吹かして、窓から射す光線の暖かみを身に快く感じていた。台所では婆やが今起きたらしく板を踏む音がぎしぎしする。そのぎしぎしに耳を澄ましていると、遠くから別な板を踏む足音が近づいて来た。小妻はぼんやりそれを聞いていた。考える力さえなかった。冬子が現われた。小妻は平常冬子を少し恐ろしく、しかし、自分の理想を実現する強者に対するような崇拝を秘めた愛を感じていたのである。
「小妻さん、お早う」こう冬子は改まってお辞儀をした。
「お早う」
すると冬子の蔭に少し苦労に瘠せているが、鷹揚な品のよい四十あまりの女の人がどう自分の態度をきめてよいか迷ってるように、そして眼光の厳粛さはその迷っている自分の腑甲斐なさを怒っているようにそこに腰をかがめて立っているのを見出した。
「大河の小母さんよ、今度お仕事に来て下さった」
「どうぞまた、よろしく」とお光が言った。
小妻はどこかで見た人のような気がした。鷹揚な温かさが彼女にはなつかしい気がした。こうした家のお仕事にくるような人柄でもないのにと思った。すると飛躍するように自分の今の身がこの人の前に羞かしくなった。彼女はうつむいて、「わたしこそ」と小さく言った。冬子は黙ってしまった。
冬子は少し上気していた。冬子は、お光に会うときはいつも快げに微笑んでいたが、春風楼へ来ると唇をかたく結んで静かにやや陰鬱に顔容(かおかたち)を乱さなかった。口もあまり利かない。こうした営業の女には不似合な無愛想な沈黙と威厳が彼女を妙に寂しい美しさに洗い清めていた。お光は小妻と冬子を見比べながら冬子の本来の美しさを見たような気がして嬉しかった。一緒に話していてはそう秀でた女とも思えないが、緊張した彼女は、廓でも名妓と立てられるだけに気象に凛としたひびくものがあるのだと、まるではじめて冬子を見たもののようなことを考えていた。とにかく、三人は朝の光を浴びて囲炉裡の辺に坐って黙っていた。こうした場合に何か言い得るものは魂なき無生物のみである。
「時ちゃん、お茂ちゃん、起きないの。もう遅いのよ、お茂ちゃん!時ちゃん!」
お幸の円い厚みのある声が店の方で聞えた。
「米子ちゃん、市子ちゃん、こら、お臀をこんなに出して、夜中に誰かが持っていったらどうするの。お起きなさいよ、こら!」ぴたぴた小さい妓等の臀を叩くらしい音と、寝ぼけざましの哄笑が一斉に聞えた。店の女達はみな眼をさました。
「時ちゃん、自分の床だけは上げるといいわ」
「はいはい」
「昨夜はおかしな夢ばかり見ていたっけ」
「鶴子さんの夢なら大抵知れていますわ」
「そうでしょうよ――可愛いい男の夢ですよ」
お幸がふだんの意気な単衣に博多の下帯をしめて、楊枝を使いながら出て来た。怜悧な彼女のよく動く生き生きした眼が、お光の上にじっと暫く止まっていたが、説明を求めるように冬子の方へ向いた。冬子はそのお幸の眼が嫌いでならなかった。怜悧な打算強いその眼、男が一度その眼にうたれてすぐある誘惑を胸に連想するようなその眼、冬子にはその眼が嫌いで堪らなかった。大抵の場合は冬子は沈黙した。お幸は冬子を高慢ちきだと言った。もしお幸が自分の男に対する或る種の自信が弱いか、毎月末における花高が冬子よりも下ででもあったなら、彼女の蛇のような邪智は冬子に対して悪辣さを発揮したか知れなかったが、冬子の客はある少数の範囲に限られていたし、それに彼女は夜泊まりすることが嫌いだったので、そしてその嫌いが大抵の場合押し通せる程に彼女の力量が認められていたので、冬子は花高はお幸に及ばなかった。そしてそれが彼女のためによかった。が、そうした冬子でも今は黙していてはお光が立ちゆかない。
「お幸さん、お早う」
「お早う」
「あのいつもお話しておったでしょう。大河の小母さんよ。お仕事に来て戴くことになりましたのよ。またどうぞよろしくね」
「そうなの。どうぞよろしく」
お幸はお光をちらっと見た。彼女はお光が地味な、少し勝手のちがった、征服しようにも手がかりのないような多少不可解な四十女に見えた。しかし彼女の才気と聡明が、そして廓の女以外に対する無知が彼女の心を安心させていた。お光はそこに小造りなぴちぴちと跳ねあがっている新しい小魚のような美しいお幸を見た。
「ゆっくりしていらっしゃるといいわ、小母さん」
お幸は洗面所のほうへ去った。
「お茂さん、その紙屑を拾ってゆくといいわ」
お茂が肌着を脱いで単衣にきかえて茶の間へ出てこようとするのを、時子が細帯をぐるぐる巻きしめながらお茂を呼びとめた。その呼び止め方の気随(きずい)さがお茂の心に痛みを与えた。
「何を」
「その紙屑ですよ」
時子がお茂の足下を指さした。そこに、丸められた、汚血のにじんだ紙くずが転がっていた。お茂ははっとしたらしかったが、非常な速力で、昨夜、悲しい暗鬱な気持で遅く帰って来てから床にはいったまでの間を反省してみるような目つきで、お茂は言った。
「これはわたしのではなくってよ」
「お茂ちゃんのでなくて誰の」
「誰なのかわたしが知っているものかね」
「ふん――」
時子は、細帯をきゅうっとしめて、ふくらんだ乳房のあたりをぽんと叩いた。叩いた拍子に時子の絹裏(もみうら)の袖からころころと同じような紙屑が畳の上へ転げ落ちた。お茂の眼は輝いた。が、その輝きは輝いたことを羞じらうようにまた持前の暗い容貌に逆戻りした。時子は不意な事実の前に忌々(いまいま)しさをこらえねばならなかった。(昨夜、若い高等学校の学生の一群の席で、眼鏡をかけた元気のいい生き生きした髭などの少し青みがかった男が――それをすっかり忘却してしまっていたのであった!)時子はちっと舌鼓をうって言った。
「お茂ちゃんは品がいいのですからね」
お茂は辛そうに顔をゆがめて黙した。こんなとき冬子でもいてくれればと彼女は思った。お茂には、嫌だ嫌だと思う圧迫のみが強くて、その圧迫につき動かされて反抗し開拓してゆく力がなかった。小妻のようにあきらめ切って傍観する余裕をもつには年が若すぎ、冬子のように重苦しい威厳と沈黙で制えつけるには天稟が恵まれていなかった。お茂は泣きそうなのを堪えて茶の間へ出て来た。時子も出て来た。
「冬子姐さん、お早う」茂子は言った。
「お早う――あ、お茂ちゃん、わたしの小母さんよ。これから仕事に来て下さったのですの」
冬子は、黙って怒ったように楊枝を使っている時子にも声をかけた。
「時ちゃん、あなたもどうぞよろしくね」
「ええ」
時子とお茂は台所へ去った。お茂がお光に腰をかがめてゆくさまはいじらしかった。
「わたしも顔を洗って来ようかしら」
と、小妻は身体の痛みをいたわるようにそおっと起きて、台所の方へ行った。
「おう眠い、眠い、何だってこんなに早く起きたのだね、本当にしょうがないね」
大きな男のような鶴子の声がした。むっちりと肥えふとった上、半身を赤裸々に現わした鶴子は、茶の間に出て正面の時計の十一時近いのに頓狂な声を立てた。そしてだれ下った乳首を可愛そうに自分で吸ってみた。黒ずんだ乳首とだれた豊満な乳房とは、彼女が前生涯に子供を孕んだことを証明していた。
「こう見えても、まだ若いのだから」
そういう鼻も大きく、眼も大きく、口も厚ぼったい、鶴子の上半身に光沢のないのにお光は物足りない悲しさを感じていた。
「早く顔を洗っていらっしゃいな――小母さん、この人が鶴子さんていうんですの」
冬子は今度はお光の方に話しかけた。
「見ただけの女ですわ、小母さん、あははははは」
鶴子が去った。米子と市子の二人の少女は、階段の横の火鉢棚の上から青銅の重い火鉢を下して、吸殻を取りよけたり灰をならしたりしながら、ちょいちょいお光の方を盗み見ていた。米子は瓜実顔の、鼻が少し透り過ぎてさきの方が垂れ下がっているようにさえ見えたが、一重瞼のいい眼をもっていた。市子は肉付の豊かな、眉毛と眼のところに穏やかな優しみのある、顎の丸い唇が少しお喋りらしく開いた、愛らしい少女であった。
「冬子姐さんの母さんなの」
「うそ、冬子姐さんの叔母さんなんよ。――そら、裏の中田の二階にいらしった、あのお仕事の小母さんなのよ」
「あ、あの小母さんなの。――そんならね、そら、平一郎さんて中学校へ出ている方の母さんなのね」
「ま、市子ちゃんは平一郎さんを知っているの」
「知っているわ」
「わたしだって知っているのよ」
米子は少し不興らしげだった。(彼女はいつも用足しに出かけるとき、街路で球投げをしてにこにこ笑っている平一郎をよく憶えていたから、同じ平一郎を市子が知っていることを不快に思ったのだ。泥塗れの中に育っても少女の純真さは、毎夜の、酒を飲んで悪巫山戯(わるふざけ)する多くの男達を記憶に深く留めないで、近所の少年のふとした微笑を憶えしめていたとは!)
「平一郎さんもここへいらっしゃるの、え?冬子姐さん!」こう市子が突然訊ねたが、冬子の答えないうちに、そのとき出て来たお幸に、
「早く庭の掃除をしなさいな。何、ぐずぐずしているの」
と叱られて、二人の少女は土間へ下りて、混乱した下駄を一足一足整えはじめた。店の間や茶の間にもはたきの音が聞えはじめた。掃除は鶴子と茂子と時子がはじめたのであった。(菊龍や富江がおれば彼女等も手伝った。)鶴子は一人で大声をあげて大ざっぱに掻き廻していた。茂子は黙然として掃いていた。時子はぶつぶつ呟いてろくに掃除をしようともしなかった。(菊龍さんや富江さんは今頃はまだ暖かい床に眠っているのだろうに、ほんとにばからしい。今夜は電話をかけて昨夜のあの番頭をよんでやろう)などと考えていたのだ。台所では婆さんが(婆さんといってもまだ四十四、五の、つるつるした、――素質が恵まれていず、その数奇な生涯の一切の苦患から何一つも吸収摂受していないだけに、老いもせずに、丈夫な馬のようによく働いた)、瓦斯(ガス)の火を濫費して、ようやく水のようなおかゆを大きな二升釜に拵(こしら)えたところであった。廓では朝飯を一年中お粥をすする習慣である。
「みなさん、御飯ですよ」
台所の横の中庭の奥座敷の間に、直角の線を形成して、この家の食堂があった。食堂の片隅に三尺四方ばかりの手摺を持って囲ってある穴倉の入り口があった。暗い穴の口から、地の底から昇騰する冷気がひえびえと室内に充ちて来る。婆さんは汗を滴らしながら、薄縁(うすべり)をしいて、中央へ大きなお粥の釜を据えた。そしてもう一度「みなさん御飯ですよ」と叫んだ。こうした世界にも階級があった。冬子とお幸が上席に向き合った。時子と茂子、菊龍と富江、鶴子と小妻、最後に米子と市子は一つのお膳を二人で半分半分に使用した。もう十二時近くであった。麗(うら)らかに霽(は)れた紺藍の輝く空に太陽の黄金光は、梅雨あがりの光を熱烈に慄えさせていた。窓から射し入る緑金の光輝は、外を黒塗りに内を丹塗りにした揃いのお膳の漆の色調に微妙な陰影を与えていた。静かであった。黒く煤けた大釜の蓋の隙間から白い粥の湯気(いきり)がすうっとのぼって、冷やかに地底の冷気に融けて、また、すうっとあがってくる。店で乱れた鬢などなでつけていた女達は、食欲も起こらなかったが「習慣にしたがって」この部屋に集まって来た。冬子はお光を皆に引き合わした一安心で、少し疲れを感じていた。朝早く起きたせいか気分が悪かった。彼女は小さい茶椀にお粥を盛って胡麻塩をかけてすすりはじめた。お幸も時子も茂子も小妻も鶴子も、まずそうに舐(なめ)るようにゆるゆると湯気の白くたつ粥をもてあつかっていた。本当に空腹からうまそうに啜っているのは米子と市子の二人の少女のみであった。自然はこの酷使されている、まだ魂も身体も泥劣なことから護られている二人の少女から健全な食欲を奪いはしなかった。二人は貪るようにずうずう音をさせて啜った。冬子はその様子を悦びをもって眺めていた。卑しそうに時子は眼でお幸に二人を指して笑っていた。そして自分は顔を顰(しか)めて、ようやく一杯の粥を啜るのが大変な仕事なのであった。
「菊龍さんと富江さんは随分遅いじゃないの」
時子は自分の横の空席を流し目に見て言い出した。今朝からこれを言いたくてむずむずしていたのだ。
「そうね」
お幸は言った。
「望月(ぼうけつ)だから、きっと、吉っちゃんと丹羽さんなんでしょう」
「吉っちゃんと丹羽さん――あのねっつりやのことだもの、遅いのは、なる程、そうねえ」
「今頃はまだ金輪際離すものかとしがみついているのさね」鶴子が大きく言って独りであはははと笑った。時子はその鶴子の口出しを軽蔑するように顔を顰めた。その様子を鶴子は見逃さなかった。
「あはははは、三味線を引くと引かないだけの区別じゃないの。まだわたしの方がどんなに正々堂々としていて立派だか分りゃしない、あはははは」
「天下御免の御娼売ですとさ」
お幸は時子に加勢して、彼女の怜悧はこうした小争闘に深入りせずに、そのまま店の方へ去った。時子も侮蔑するように鶴子を流し目に見て後につづいた。
「あはははは、碌な芸もないくせに、わたしよりは一かどえらいつもりでいるから、いじらしいじゃないの。あはははは、御自分の癈(すた)りかけているのも御存じなしにさ」
誰も答えるものはなかった。小妻も茂子も冬子も別々な想いに深い暗鬱に沈潜して笑うことすら出来得なかった。(魂なきものは幸いなるかな。彼女等は絶えず笑い得るから、希(ねが)わくば笑うことを知らざる淋しき人達に恵あれ!)鶴子が茶の間へ帰りかけると、お幸と時子は化粧道具を下げて風呂へ行こうと土間に下りかけていた。
「腐った身体でも洗って来るがいい」
「鶴子さん、何ですって、もう一度言ってごらん」
「玉のみからだを磨いていらっしゃいな」
「余計なお世話じゃないの。どこかの人のような男泣かせの凄い芸当は出来ませんからね」
「それはそれはお気の毒さま。まだこう見えてもなかなか達者なものですからね」
「鶴子ちゃんあんまりよ」
お幸はたしなめるように言葉をかけた。しかし一度行先を乱れた鶴子の感情はそうしたことで拒止され得なかった。ぶくぶく肥えた全身にこじれた憤怒がしみわたっていた。
「あんまりだからどうしたのさ。口があるから喋るじゃないかね。わたしはあなたのように踊りは踊れませんよ。踊りを踊ってから何を踊るの?えらそうな口をお利きじゃないよ」
「何んとでも言うがいいさ。すべたのくせに」
「どうせすべたさね」
「すべたならもっとおとなしくしておいで」
「すべたとはお前さん達のことじゃないかよ。うぬぼれだけは一人前にもっていることね」
お幸も時子も、全身を投げ出してかかった、異様な苦悶を基調に潜ませた鶴子の雄弁には敵わなかった。二人は不快そうに外へ出て行った。鶴子はその後を見送っていたが、そのまま店の間へ帰ってどったり仰向けに寝転がって、狂人のような空虚な哄笑を続けていた。泣こうにも涙が乾きはてて出て来ないような笑いを。小妻と茂子は冬子に何か話しかけようとしたが、冬子が厳かに取り澄ましていたので、黙って店へ帰って来た。小妻は身体中が物倦く節々がやめて起きていられなかった。床をしいて横になり、暗い何かを疑うような絶望的な眼を光らせていた。茂子は鏡台に向って髪をほぐしていたが、やがて風呂へ出かけてしまった。店には鶴子と小妻が残された。
「小妻さん」呼ばれて小妻はほおっと溜息をついて急には返事をしなかった。
「身体の工合はどうですえ?」
「あまりよくなくて弱っています」
「痛いの?」
「どことなく身体中がやめて、下腹が時々引きつけて来ますのよ」
(鶴子にはそうした病状は身に体験して来た。彼女は生来が強かったので、そうした内部に籠る状態が長続かないで一斉に外部へ吹き上るので、根本的に治すことも容易だった。)鶴子は小妻はもう長いことはあるまいと考えた。
「みんな何処へいったかね」
奥座敷で楼主と御飯をすました女将(おかみ)が店へ顔を出した。若い頃はさぞ立派で美しかったのであろう、鉛毒で青みを帯びた、眉を剃った四十六、七の女将は、妓供達でさえの気を外(そ)らすまいとした。
「みんな風呂へいったのでしょう」
「菊龍と富江はまだ帰らないのかえ」
「まだでしょう」
「そう。お前さん達もお湯へつかっておいでな。ゆっくり暖まってさえおけば身体がつづくものだからね――小妻さん、お前身体の工合はどうかね」
「え、ありがとう」
「あんまりよくないようなら飯田さんへかかさず通ってすっきりさせないといけないよ、え」
「え、ありがとう」
冬子がそこへはいって来た。
「お、冬子さん、お前さんまだお湯へ行かないのかね」
「ええ」
「そして、あの何はどうしているの」お光のことを言うらしかった。
「大河の小母さんは離室に休んでいらっしゃいます」
「御飯は」
「朝飯はすましていらしたのでしょう」
「それはそうだろうね、ここの朝は街の午(ひる)だものね、おほほほほ」
女将は茶の間の横座に坐って、昨夜の客の台帳などを一通り調べはじめた。そして思い出したように「米子、市子」と呼んだ。二人の少女は白粉のはげかかった顎をなでながら「何ですか」と出て来た。
「もう踊りのお師匠さんのところへいっておいで」
「はい」
「そして、お師匠さんに夕方お閑になったらお遊びにおいでと言うのですよ、分ったかい」
「はい」二人は小ざっぱりした振袖の単衣に、帯も紅縮緬に黒繻子の打合せの美しいのを締めて、稽古扇で拍子をとりながら、「おっかさん行ってまいります」と出て行った。時計は午後一時を指していた。冬子は風呂へゆく前に女将にお光を引き合わして行こうと思って、長い暗い廊下を土蔵の裏の離室まで行った。青みがかった室の壁と、室の前のささやかな茂みの多い小庭と、古びた板塀が、青空をひろく受けて、そこに静寂な単一な世界を湛(たた)えていた。お光は縫物を拡げてこつこつ針を運ばせていた。
「まあ小母さん、仕事をしていらっしゃるの」
冬子にはなじみの深いお光の穏やかな涙に、豊かな微笑がむくいられた。(ああ、いい小母さん)と彼女は思った。
「小母さん、どう思いなすって」
「何を?」
「わたし達のありさまを」
するとまた、お光はゆるやかに微笑んでみせた。(小母さんはもう、わたし達の生活を根本から視透して、もうゆったりしたいつもの情け深さにかえっているのだ)と冬子は思った。(自分よりは、絶えず周囲の汚れに染むまいと自然に緊張しきっている自分よりは、一層上の境界にいる小母さん)と冬子は思った。冬子の感じていたいろいろの危惧の不安はこのとき一掃されてしまった。小母さんはわたしなぞが気をもまなくとも大事に遭っても平気なしっかりした信念を持っているのだからと考えた。彼女はそう思うと自分の感情がゆるやかに融けて流れるのを見た。
「女将さんが起きなさったから、いま会っておきなすった方がよくはないでしょうか」
「そう、その方がいいでしょうね」
「小母さんよりか二つ三つも年上でしょうか。つきあいのいい、悪い人じゃないのよ」
「これだけの家をたててゆく人だもの、なかなか普通な人間には出来ないことですからね」
お光は仕事を止めて立ち上がった。茶の間にはまだ女将がいた。
「女将さん、この方ですの、わたしが随分お世話になった小母さんは。――またどうぞよろしくお願いいたします」
「誰さん――お光さんでしたね。わたしはとみ。女将さんなんて言うのは止して、これからお富さんお光さんで若い人の向うを張ろうじゃありませんか。おほほほほ。なあにあなた、自分の家のような気でのんびりしていて下さいまし。――土蔵の後ろで少し陰気ですけれど、中学へ出る息子さんがいらっしゃるそうで、勉強の都合もあるだろうと思って、冬子と相談してあすこをお部屋に定(き)めて置きましたが、塩梅(あんばい)はどうでしょうか」
「ええ、結構でございます」
「あすこを息子さんの勉強室にしといて、仕事は前二階でも奥二階でも住みいいところで仕事して下されば――息子さんはおいくつで?」
「今年十五になったばかりで」
「それはまあ。わたしなんぞはこうした稼業の罰で未(いま)だに子無しでございますが。ほう、女の手一つで十五まで育てあげるのはどうしてなかなか並大抵な苦労じゃないのですわね。ほう、そしてお連合いはいつ頃亡くなりなすったので」
「もう十一、二年にもなりますでしょうか」
「えらい!」と女将はお世辞でなく驚嘆して、心からしげしげと自分とはまるで異なった道を生きて来たお光を凝視した。穏やかな淋しげな微笑が唇のあたりに漂っているのを見た女将は、香ばしい薫の高い玉茶を入れてお光にもすすめ自分も喫(の)みもした。
「これからまた、話し相手になっていただけますかしら」
「わたしこそ」
隣りの社の杉林の緑蔭が日に透されてうつらうつら三人の女性の上に揺らいでいた。珍しい静けさ、珍しい美しさであった。暫く静寂な美はつづいていた。個性をもつものの美と森厳を自然はここに現わしていた。暫くして軒先に俥(くるま)の鈴がなった。
「女将さん、只今」
「只今」
菊龍と富江が帰って来たのである。二人とも美しい女でもなく、すぐれた性格の持主でもなかった。ただ二人とも若かった。自然が与えるほんの一瞬の青春の尊さ。それは何時いかなる処においても光り、充ち、美しさに輝く。二人の女に若さは咲き乱れていた。自分がどういう歩みをよろめいているかを無論二人は知るまい。若さは苦しみであるべき行為をもなお快楽として酔わしめるものだ。
「随分遅かったじゃないの」
「そんなに遅いかしら」乱れた島田髷をそっと抑えて、自分の若々しさを誇るように菊龍は、薄桃色の単衣紋付を裾長に引きずりながらそこに立っていた。同じ華やかな草色に装った富江は、小声に口三味線をとなえて、菊龍と内密に笑み交わしていた。
「もう二時近いよ。早く着物を着替えてお湯へでもいっておいで」
二人はそれには返事をしないで、帛紗(ふくさ)に包んだ花札を女将の前にさし出した。
「誰だったい」
「吉っちゃんに丹羽さんでしたの」
「そうかい。あんまりお前達も深入りしたり、させたりしては取り返しがつかないよ」
「大丈夫ですわ、女将さん」
「それならいいけれどね――あ、それからこの方に今度、お仕事に来て頂いたのだから、お前達、暇なときにはお針の持ち方くらいは習うようにしなさいよ、ね」
「はい、はい、小母さん御免なさいよ」
二人は店へ去った。
「若いものは仕方がありません」と女将は言った。冬子はいつか厳粛な犯しがたい凛とした容貌に変じてしまっていた。お光は何故か平一郎のことを考えていた。「今日はゆっくり休んでくれ」という意味の女将の言葉に、お光は土蔵の裏へ去った。冬子は風呂へ出かけた。
女将は奥の室へ去って楼主と二人で花|骨牌(カルタ)をはじめた。
「そうはゆきませんよ、青丹などとはどん欲すぎますよ」
「それもそうですかね、さあ、お正月様はこっちのものですよ」
「お生憎さま、そうそういつ迄もあなたの言うとおりにはなっていませんからね」
「や、それを取られては少し困る」
「少し位困るのじゃまだ駄目ですね、さ、どうですかね、あんまり薄情をするから罰があたるのですよ」
「罰はお前の方ですよ、この好色婆さんが」
「何んだよ、浮気なお爺さんが」
「その、そのお婆さんがお好きだから、それ、好きだからしょうがないんだよ」
「うまく、うまく言っているね、こんな爺さんに若いときはわたしが惚れたのが一生のあやまりだね、全く、あやまりだね」
「あやまりさね」
「あやまりだね」
「ところがだ、そのあやまりが、またいいのだからね」
「あやまりだね、と」
「ところが、そうれそのあやまりが生きてくるから妙だよ」
「その頃はまだ頭も禿げずいい若い衆だったから妙なのさ――おや、わたしを迷わして置いてさ、何だよ、存分に迷わして置いてさ」
こうした言葉が奥座敷から聞えた。楼主も女将も自分が何を言っているのか全然無意識状態にあった。たるんだ静けさが家いっぱいに充ちていた。店の間では鶴子が仰向けになって寝入り、小妻は時々ううむ、ううむと唸った。その上に黄色い日光が漂っていた。一列に店先に並んだ端の方の二台の鏡台に向って鬢のもつれを撫でつけながら、若い菊龍と富江は止度(とめど)なく湧いてくる笑いに全身を波立たせて共通な何かを話しあっていた。
「覚えていらっしゃい、菊ちゃん、あたしが手水(ちょうず)に行って着物を着替えてもまだ次の室で寝ていたくせに、ひとのことを言えるわけじゃないわ」
「あっははははは、うそうそ、あたしと吉っちゃんがそっと襖の間からのぞいて見たら、二人ながら目をあけたまま一緒に寝ていたじゃないの。富ちゃんこそ着物を着替えてからでさえまた寝ているんだもの、あははははは」
「あたしと吉っちゃんですとさ、あははははは、吉っちゃんはいい男ね、菊ちゃんの大切の大切の――」
「富ちゃん、お止しなさいよ。丹羽さんこそ苦(にが)みばしって、会社員で御当世じゃないの。吉っちゃんなんかたかが西洋雑貨店の番頭さんですわ」
「そうでしょうよ、たかが雑貨店の番頭さんが、黄金の指環を買ってくれるのですから、大した番頭さんですよ」
「富ちゃん!そんなら、縮絞(ちぢみしぼり)の単衣を買ってくれたのは誰あれ?」
「あら、まあこの人はそんなことまで知っているの。まあこの人は本当に油断もすきもありゃしないのね」
二人は笑いこけた。七月近かった。熱気が地より湧きたち、人身の底からじくじく汗がにじみ出た。
「菊ちゃん富ちゃん、お楽しみ!よく今日帰って来たのね。あたしもう帰って来ないのかと思っていたわ」
川岸沿いの大きな鉄冷鉱泉にゆっくりと肉体を温めて、襟頸から頬にかけて湯上りの白粉を一刷毛真白く塗って、一日中で一番|生心地(いきここち)のある感じを保ちながら時子とお幸は帰って来た。菊龍と富江を見出して声をかけたのは時子だった。彼女は感じたことをことごとく言い現わしてしまわなければ承知できなかった。お幸もずるそうな微笑を含んで二人を見|戍(まも)っていた。
「随分家の中は暑いのね」
時子はお幸の言葉に返事をしないで濡手拭を鏡台の鏡の上から裏へ拡げて富江に隣りあって坐った。そして石膏のように白い膚を脱いで暫く鏡面にうつる自分の映像に見とれていた。肉付は豊かだし、顔はほんのり血色がよいし、身体全体が石膏のように白く、ただそこに町方の娘に見出されるゆるやかに流れる鮮かな血潮の色あいと皮膚ににじみ出る青春の光沢がなかった。時子はそっと自分の小さい堅いぽっとふくらんだ乳を抑えてみた。乳房の表に繊細な静脈が青く透きとおって見える。指先に感じられる乳の感触は冷たかった。胸廓から腹部にかけての少しばかりの肉の緊張が彼女に若いことを保証していた。
「丹羽さんと吉っちゃんなの?」時子は鏡面から眼眸(まなざし)をはずして彼女には不似合な、そっとした優しみで二人を流し見た。十八の富江と菊龍は乱れた髪やはれぼったい眼縁などでひどく不縹緻(ぶきりょう)に見えたにもかかわらず、その脈うちはちきれるような頬の赤らみと張りかたや、後髪へ伸ばした腕のむっちりした肉付がもつ新鮮な血のめぐり方やを時子は見逃さなかった。彼女は嫉ましく思った。二人が持つ、持ち得る快楽の量を無意識に計量することによって、彼女は嫉妬を憶えたのだ。二人は時子の内面にそれだけの争闘があろうとは知らなかった。顔見合わして内密な微笑をとりかわしたあとで、
「丹羽さんと吉っちゃんでしたわ」と言った。お幸はいつものように単衣を脱ぎすてて、さわやかな軽い緋色の下帯一つになって鏡台にむかっていた。小さなくりくりした肉体、小さいながらに充実したお幸の肉体は、骨格というものがまるで表われていなかった。薄紅い血色が滑らかな豊かな肉付の表面に、美しく漂い現われている。円(まど)らかにふくらみ充ちた肉の上に日が美しく流れた。その肉は若い生命が溢れている美しさではなく、衰亡してゆく最後の肉の美しさでもなかった。お幸の蛇のような聡明が神経の端々にしみわたってしっかり喰いとめているような、一分の隙もないしっかりした弾力性のある、肉の発育した美しさであった。お幸はふっくらと円らかにもれあがった自分の乳房をじっと制えているうちに、自足と自負の感情が滾々(こんこん)と湧いて来た。
「本当にあすこの湯は温まるのね」お幸は時子に言った。
「そうですわね」時子はクリームを伸ばしたあとへ、水白粉を顔へなすりこんでいた手を止めてお幸の方を向いた。
「お幸姐さん」と富江が話しかける。
「何ですの、富ちゃん」
「あのね、丹羽さんと吉っちゃんがよろしくって」
「おのろけもいい加減になさいな――早くお湯へ行って来て、晩までに昼寝でもしておかないとまた居眠りが出ますよ」
「はい、はい」
富江は思いがけないお幸の言葉に急に小さくなってしまった。男の傍にいて甘やかされていた心と肉のほどけたしまりがお幸の一言に常態に復帰したのだ。彼女はそっとお幸を見返した。お幸は小(ち)っちゃいしなやかな掌へ白粉下をぬらしつつ、顔一面にたたきこんでいた。右手の指の指環の宝石が輝く。(姐さん風を吹かして)と想いながらも、お幸の肉体を美しいと思った。ああした小さい肉体でありながら舞台に立って勢獅子(せおいじし)でも踊りぬくときは六尺豊かな男のように見えさせる、お幸の身体に秘めた芸の力をも想ってみた。
「菊ちゃん、お湯へ行かない?」
「ええ、ゆきましょう」
「お湯へいって来ます」
「いっておいで」
二人は出て行った。二人の出て行ったあとへ茂子が暗鬱な顔をして、黙然と這入って来た。彼女は湯の中に温まっていると、凝結して硬ばった全身の神経が異常な溶けるような痛みを覚えつつゆるんでゆくのを知っていた。彼女は他の芸妓達のように化粧したり膚(はだ)を磨いたりする気にはなれなかった。浴槽から上がって、湯気に包まれて心臓の鼓動を休ませている。少し寒気がすると浴槽に這入って眼をつむっている。そうしたことを繰り返しているうちに頭脳も身体も無気力な無為なゆるみに休息してしまう。茂子はぼんやりした様子でいつも家へ帰って来て、鏡に向っても化粧一つしようとしなかった。色黒な眼尻のやや釣上った容貌を自覚している彼女は、白粉を塗るよりもさっぱりした薄化粧の方が本来の性にかなっていると考えていた。茂子の鏡台はお幸と時子の鏡台の間にあった。時子とお幸は茂子を中に坐らせておいたまま勝手に話し合った。茂子は何もせずぼんやり坐ったまま黙っていた。
「米子と市子ちゃんはどうしたのかしら」
「踊りの稽古じゃないの」
「踊りの稽古にしちゃ長すぎますね。ほんとにしょうがない。また道草をくってぐずぐずしているんだよ」
時子がこう呟いて新しいタオルで肌の水気を柔かく吸い取らせている時、店前の街路で市子の厚味のある声が聞えた。
「ここですのよ、平一郎さん」すると米子の金属性な高い調子が顫えた。
「小母さんは朝から冬子姐さんと一緒に来ていらしってよ」
「ありがとう」それは平一郎であった。彼は学校が退けてから、忘却してもとの住居に帰って階下の主婦さんに笑われたのだ。彼は春風楼はよく知っていたが廓の街を一々知らなかった。それに彼はよく通りつけている坂を下りずに、別な入口の青柳の生えている広小路から這入りこんだので、途中で見当がつかなくなった。それ程にどの家も同じように紅殻格子の二階建だった。彼は小倉の白地の夏服にゲートルをつけた制服姿で、街の十字街に、疲れた足を休めていたのだ。すると右手の細い小路から、桃割に、白の奉書の根付をした、見覚えのある少女市子と米子が踊りの扇を持って出て来て、彼を見て微笑んで二人で何か囁いて行き過ぎようとした。彼は思いきって、「春風楼はどちらでしたっけ」と訊ねた。
「春風楼はあたしの家よ」円顔の毛深な眉毛や睫の鮮やかな背の低い方の少女――市子が答えると、細顔の鼻の高い目のちらちらと動く背の高い方の米子がぽっと頬を染めて、
「平一郎さんでしょう」と言ったのだ。平一郎は嬉しかった。地獄で仏だと思った。三人は親しくなってしまった。三人ともそう深くはないものの、純白な心の一隅にお互いの印象を信じていたのだ。それがこうもたやすく偶然と親しくなり得ようとは思っていなかった。あくまで微妙で必然で壮大な運命のめぐりあわせの片鱗である。とにかく三人は非常な歓喜を感じて歓喜のうちで、平一郎はちらちらと和歌子のことを想い起こし、米子と市子はちらちらとお互いにお互いのうちに自分の敵と友とを同時に見出しながらやって来たのだった。
「二人とも何しているの。早く帰らないで今まで何していたの。用があったらどうするつもりなの」時子の声が家の中から戸外に響いた。
「誰だい」平一郎は家の中をにらむようにして言った。
「時子姐さんよ」このささやくような少女の答が示す感情を具象的にはっきり感じられる準備は平一郎になかった。
「あのね、僕のお母さんをここまで呼んで来てくれないか」
「あたし呼んで来るわ」市子は家の中へ駈け入った。米子は平一郎に「おはいり」と言った。平一郎は家の前に立って、さて這入る気がしなかった。平一郎にとって未知の世界であった。恐ろしいような気さえしたが、心の底では無理に平気に構えていた。彼は口笛で野球の応援歌を歌いはじめたが、周囲に不調和なのに気づいてすぐに止めてしまった。彼は格子の前の鉄柵につかまって靴の泥をがじりじり落としはじめた。
「平一郎さんじゃない?」それは湯上りの帰りらしい上気した冬子だった。
「さ、おはいり。今、学校から帰ったの。おはいり」平一郎は冬子から発散するいい香料の匂いを快く味わった。冬子の後について土間へはいってゲートルの釦をはずしているところへ、母のお光が出て来た。
「冬子姐さん、お帰りなさい」市子が元気よく冬子を迎えた。
「小母さん、平一郎さんはここにいらしってよ」お光にさらに市子は言う。
「え、ありがとう。平一郎、お前遅かったじゃないか」
「うむ」
「今、わたしが帰って来ると、家の前につくねんと立っていらしったのですよ」
「そうですの――こっちへおいで」
「うむ」
彼はお光にしたがって長い廊下、土蔵の前、暗いじめじめした土蔵の横を通って、土蔵裏の一室に自分の古机を見出した。彼は寂しい気になった。洋服のまま、室の中央に仰向けになって深い溜息をもらした。彼には人生は堪えられない苦痛なものに思われたのだ。(こんなにまでしなくては、生きていられないのか!)と彼は幼い心に叫んだのだ。その苦しい沈黙と静寂を、室の横手で火の出るような哄笑が破った。声は米子と市子のたまらない、堪えきれなくなって発した笑いらしかった。大方忍び足で平一郎のあとをついて来て身をひそめていたのが、こらえきれなくなった笑いであろう。
「誰だ!」
するとまた、たまらなそうな、熱情的な笑いが破れて、廊下を逃げてゆく乱れた足音が響いて来た。
「くそ、悪戯をしやがる」平一郎は腹立たしい、自分の領分へ侵入されたような不快を感じた。寂しくなって来た。自分のおちぶれたことが瞭(はっき)りして来て、彼は涙を止められなかった。
「えらくなるぞ!えらくなるぞ!」涙のうちから踴躍するは、ただこの言葉のみだった。
彼は和歌子に送った。

ぼくの家は今日から廓の春風楼へ引っ越しました。随分とつぜんで驚かれることと考えます。また何故こんな家へ移ったのかと不思議に思われるでしょう。正直のところぼくの家が貧乏で今までのようにしていてはぼくが学校へ出れないからなのです。春風楼の冬子ねえさんはぼくの母の仲よしで、今度もその人の世話になったのです。いい人です。ぼくはあなたに一度どうかして見せたいと思います。なおぼくはたとえ廓のなかに住居していてもぼくの精神はつねにつねに偉大であり真実でありたいと思っています。あなたもぼくが境遇に余儀なくされて住居をかえた位でぼくを疑ったりなぞはしないでしょう――しかしぼくも今のところ何だかあまり好いてはおりません。
平一郎
和歌子様
 
第三章

お光母子が生活の根を春風楼に下ろしてから一月もたたないうちに春風楼の女達の間に恐ろしい事が起きた。時は七月、廓にとってはありがたい真夏近い、深い青々した夜の出来事である。
その夜、市街を貫流するS河の水源地からはるばる送られる電流は春風楼の茶の間にも強烈な白光を輝かに照していた。悦ばしい夜である。黒々した深い夜の光沢、冷やかで柔らかく吸いつくような初夏の微風の肌ざわりの夜がめぐり来たのである。白日の太陽の下に照されては、瘠せ細った骨格、露わな肋骨、光沢のないもつれ毛、血色の悪い蒼白な肉身も、夜の無限な魅力のうちに、エレキの白光に照らし出されては、一切は豊潤な美とみずみずしさを現わすのである。くろぐろと宝玉のような光輝をもつ黒髪も美しければ、透明で白い肉身の膚に潮のように浮かぶ情熱の血の色も美しい。軽やかな水色、薄桃色、藤紫色の色彩に包まれた肉体の動揺の生み出す明暗の美しさを何にたとえようか――時は午後九時であった。普通の民家では夜も更けかける時分ではあるが、この家、この街では今ようやく「昼が明け」かけた頃である。
春風楼の茶の間の大きな古代青銅の鉄瓶に白い湯気が旺(さか)んに立って、微妙な快い音が鳴っていた。そこに坐っている女将の、夕方洗ったままの束髪に、単衣に黒繻子の帯を軽く巻きつけた清い単純な姿が、青ずんだ眉あとと共に洗煉された美しさを現わしている。楼主は廓の事務所の用事で外へ出ていなかったので、彼女は帳面を調べたり、客帳に夕方浅く酌み交わして直ぐに帰った二人連れの客の名をつけたりした。職業は会社員だと言ったが、様子から会話の模様からが教育のある学校の先生だと彼女はにらんでいた。帰りがけに、「じゃ九月、また会いましょう」と二人が言い合ったことが何よりの証拠だと彼女は思った。
「さっきのお客ね、たしかにあれは高等学校の先生だよ」と彼女は、彼女の前に坐っている女達に話しかけた。電光の光線の一条一条に白熱したぴりぴりする神経を宿しているような電光をあびて、部屋の中央に茂子と時子と菊龍とお幸が十字形に向い合っていた。
冬子は宵からある大川|縁(べり)の大きな料理屋へ招ばれてまだ帰って来なかったし、富江と市子米子の二人の舞妓は賑やかな遊びの好きな、県会議員で、素封家で、羽二重商で知られている男の座敷に招ばれていなかった。鶴子は明朝までの約束で出かけてしまっていた。お幸と時子はさっきの二人づれの客が風采の好いのを見て、そのとき電話で招びかけて来た座敷を断わって出たのだが、お客は静かに酒を酌させるだけで愛想一つ言わずにじきに帰ってしまった。お幸と時子はそれが不快で不平であった。
「ほんとにわたしあんなお座敷へ出るんじゃなかった、つまらない」と時子が答えた。お幸は細口の金の煙管(きせる)にゆっくり煙草を填めて、ゆっくり鼻から、格好のよい円味を帯びたすぐれた鼻から、紫の閃きのある煙をすうっと吐き出した。煙は彼女の活々した顔面を洗うように昇ってゆく。ふっくらと重厚さを見せたいちょうにゆった髪が彼女の容貌を異常に強烈に生気あらしめている。彼女は時折下の眼縁と鼻の根本のところに皺をよせて、擽(くすぐ)ったい顔をした。(彼女は静かに坐っている暇に、数知れぬ男を、浮いた恋で欺した記憶に伴う滑稽な、いかに男が馬鹿であるかをまざまざ表わしたような場面を想い起こしていつもくすぐったい顔をするのだ。)そして時々、金と銀の平打の簪(かんざし)で頭を小刻みに掻いた。時子は時子でこうしているつまらなさを種々な取りとめもない淫奔な妄想にすごしているらしかった。顔を動かす度に、顔が紫色に光り、口紅の濃い色が鬼のように大きく濡れて光る。
「もう何時なの」時子は菊龍に訊いた。菊龍は眠気がさして困っていた。坐っていると結い立ての島田髷が重苦しく、根本から頭の髄が重い鉛玉でも乗せたようにしかまってくる。すると身体全体が溶けるような倦怠と痛みを覚えて、無意識な昏迷に引きずり入れられようとする。白光はうつむきがちな彼女の頸のきめの粗いざらざらした白粉膚に紫光を放って反映した。
「菊ちゃん、居眠りなんかして不景気じゃなくって!」
「はあっ?」菊龍は顔をあげて、
「まだ九時すぎだわ」と言った。
「なんだか今夜は暇じゃないの」
「だって、まだ時間も早いんだわ」
「さっきはほんとに馬鹿馬鹿しかった。ほんとうに」
「だって、時ちゃんはまだいいわ。わたしはまだ何処からも言って来やしないわ」
「菊ちゃんはこの間から嫌という程招ばれたからいいじゃないの」
「ま、またあんな悪いことを言うのよ」
菊龍は眠気で動かない顔面の筋肉を不器用にゆがめて笑った。それを見て情けない、嫌あな顔をするのは茂子だった。彼女はうつむいて、小さな莨盆の小さな赤い火をみつめていた。(こうした夜、こうして閑であることは、ああ何というかけがえのない恵みであろう!)彼女にとっては客席に出て男に接することは苦痛である。その苦痛を堪え忍ばねば生きてゆけない彼女である。彼女には夜は呪わしいものであった。(昼とても彼女には悦びをもたらしはしなかったが。)彼女は輝いた白光の下に厭あな気になって暫くの休息と平和を享受していたのだのに、時子と菊龍の会話が彼女のこの暫くの平和をも擾乱する。茂子は顔をあげて菊龍の円々した顔を流し見た。そのひとときの視線は、彼女が経て来た、通らねばならなかった、蹂み躙られ、虐げられねばならなかった、傷つけられて来た、そしてこれをじっと忍耐して生きて来た、生涯の泣き明かしても足りない怨恨の全力量が恐ろしい淵を開いて睨みつけたものであった。茂子は無意識だったが、無神経な菊龍も吾知らずぞうっとするほど恐ろしかった。
「茂子さん」
「なんですの」
「何んですの、今のあなたの顔は」
「わたしがどうかしましたの」
「どうかしましたもないじゃありませんか、何んですの、その顔は。怖(おっ)かない顔をしてわたしを睨んでさ。わたしはお転婆ですけれど、あなたに恨まれる覚えはありませんよ。それともあったら言ったらいいじゃないの」
「――」
茂子ははっとした。いかにも自分は恐ろしい顔をしていたらしく思われたからだ。彼女は顔を伏せた。(ありますとも、ありますとも、恨むだけの覚えはあなたにありますとも。あなたは知らない許りですとも!)むくむくと憤怒が逆流しかけたが、(菊龍じゃない、あなたはほんのはしくれ、仇敵(かたき)のはしくれ)と何処か底に囁くものが彼女を再び沈鬱な柔順に返らしめた。
「堪忍して下さいな」下手に出られて、なおそれを根にもつほど悪人でもなかった。
「ほんとに気をつけて下さらないと困るわ」
それに加勢するようにお幸は煙管の金色を閃かして莨をはたいた。時子はさも世界にこれほど厭らしい、憎悪に堪えぬ生物はないかのように茂子を五分間許りも睨みつけていた。三人の女の客のない暇な間に湧き生ずる不平な倦怠の感情が、茂子一人に異常な憎悪を集注して消費の路を発見していた。彼女らは明らかに意識して自分達の虐げられている現実を知ってはいない。しかし純な少女の心と肉が今の様な状態に魂も肉体も変えるまでには無意識の裡に数知れない苦痛と悩みを忍耐して来たに相違はない。各人の素質には賢さや愚さの相違はあろう。その相違は男を弄ぶか、男を楽しむか、男に弄ばれるか、男を嫌うかのちがった道をとらせはしても、心の根底には、意識を超絶した奥深いところではくみ尽すことの出来ぬ悲哀と憎悪が凝結しているのだ。その感情は個人が感じる小さな感情ではあるが、同時に全人類が感ずる悲痛である。唸きは思わぬところに吐き口を見出すものである。
「ほんとにじめじめした人間ほど嫌なものはないわね」時子だ。
「あたし大嫌い、どことかの人のように物も碌に言わないでぐずぐずしているのは」
「気どっているのさ」
お幸は菊龍に断定的な答を与えたつもりで煙管をはたいた。故意であり、また故意でなかった。莨の火が弾いて茂子の膝の辺りに飛んだ。白い煙がかすかに一条のぼった。茂子は黙ってその火をはたいた。膝のあたりに小豆粒程の茶色の焦げが出来た。
「あら、すみません、どうかなって――あら、焦げたのね、すみません」
「いいえ」
「茂子ちゃん、着物を着変えてこなくちゃいけないわ」
あまり流行らない茂子が着変えの夏物の座敷着をもっていないことを知っていながら時子は付け加えたのである。茂子の膝の焦げあとへ小さい涙の滴がぽたり落ちた。それを見て二人はすまないような、それでいてどこか満足したような快さを味わった。それはしびれた自分の手足をつねって感じる快さであろうとは彼女達は知るまい。――よいことにはそこへ、「只今」「只今」と富江と米子と市子が帰って来たことだ。
「女将さん只今――外花(そとばな)がついてあたしが十二枚、米子ちゃんと市子ちゃんが二十四枚。三十六枚ありましたのよ」
妓達の争いには最後まで沈黙して、仲へ這入らないで見過す女将はさっきから帳面をいじくって過ごしていたが、富江のさし出す花札を手にとってはじめて顔をあげた。
「わりに早かったじゃないか」
「途中で旦那は電話がかかって帰ったのよ。それでももう十時近いじゃないの」
「もうそんな時間かえ」と彼女は呆(とぼ)けたように言った。
米子と市子は鏡に自分達の艶麗な姿を写しあって、子供らしい、虚栄な悦びを感じあった。無理に飲まされた一杯の酒がまだ身内にこもっていて、熱が全身に脈うってくる。二人は台所へ水を飲みに行った。
「今夜は何故かみんな不景気なのね」
富江が菊龍の横へ坐ったとき十時が鳴った。同時に門口で大勢の男のはいってくる足音がして、「ここだ、ここだ」と言う声が聞えた。皆の神経が緊張した。そこへ、土間へ、一群の洋服を着たのや、浴衣がけのや、二十人近い人間が、十分に酒を飲んでいるらしく、髭を生やしたもの、眼鏡をかけたもの、まだ生(なま)若そうなやつなどが、みな酒に酔っぱらって、顔を赤くしてはいって来た。
「お幸いるか、お幸!」
金縁の眼鏡をかけ、肉の豊かな頬を青く剃り、髭を短く刈った四十前後の、乳色の背広を着た男が怒鳴って這入って来た。
「川村さんじゃないの」
「そうだ、そうだ、その川村だ。今日は己の課の奴を皆連れて来たんだ――さ、皆上りたまえ――おい時子、大広間へみんなを案内しないか――おう、これは、これは、女将さん、相変らず達者で、あはっはっはっはっ」
女将はいそいそと立ち上がった。あまりいい客ともいわれないが、川村が県庁の土木課の課長で、重要な地位にいることを知っている女将は、まるで歓迎しないわけでなかった。時子も菊龍も富江も立ち上がった。茂子も立ち上がらねばならなかった。
「さ、どうぞ此方へ」
四人の芸妓がすらりと褄(つま)をとり、いい立姿を見せて階段をのぼるのに引きずられるように、はじめは入ることを渋っていたもの共も一斉に二階にあがった。二十畳近くしける大広間に十八人の人間がずらりと並んだわけである。眩惑(まぶ)しそうな電光が白光を放ち、春風楼は俄かに生き生きして来た。台所では瓦斯の火で湯がわかされ、酒の燗がはじまった。茶の間では川村が胡坐(あぐら)をかいて、酔いのためにたるんだ舌を動かしてお幸に内密の相談をしはじめた。
「ね、分ったかね、己が課長をしている土木課にだね、二、三の己に反対する奴がいるんだ、ね。其奴(そいつ)を別に恐れるわけではないが、それでは円満に事務がとれないだろうじゃないか。そこで己がつまり今日は課一同の懇親会を開いたのだ。どこでって、料理屋はT――さ。何、何故|招(よ)ばなかったって。それは帰りにここへ来るつもりだったから招ばなかったのさ。ね、小言はようきいてからにするがいい。ところでだ、今夜は一つ君達美人がみんなして、一同を飲みつぶさして、その上で、ね――ちっと耳をおかし」
お幸のふさふさした髪に酒臭い口をよせて、川村は囁いた。
「――ね、つまり一人残らず君達の方でどうにかしてやってくれればいいのだ、ね、分ったかい」
「さ、でも人が足りないかも知れないわ」
「足りなけりゃ招べばいいじゃないか」
「そううまくあいていればいいけれど。一体何人?」
「みんなで――十八人さ」
「それじゃ難しくないかしら」
「だからその辺は君がうまく取り計らってくれなくちゃ困るじゃないか、人が足りなければ足りないように――」
彼はまた何かささやいた。
「ね、酔っていて何を知るもんかね。ね、要するに何んだ。一人一人が今日己と一緒にここで遊んだということを憶えてしまえばいいんだ。ね、御褒美はまた、ゆっくり山中の温泉へでも連れてってやるから、な」
そして彼は階段を上がって行った。二階では彼を迎える一同の、酒に酔いしれた、群集心理に濁っただみ声と拍手が起こった。お幸は暫く一人首をかしげて茶の間に坐っていた。川村が頼みいった事柄がどういうことであるかを彼女は洞察していた。それは彼女の社会では珍しいことではない。つまりは一種の「去勢政策」なのである。しかし彼女はさらに十八人の多人数の人間に一時にある種の満足を与えねばならないことを考えたとき、当惑せずにはいられなかった。大抵多くて四、五人の人が寄ることはさほどに珍しいことでないが、二十人近い人数はちょっと工合が悪かった。芸妓の数が足りなかった。十時から十二時までの廓の最高潮のこの時刻に何処の家でも芸妓があいてるわけがなかった。殊に今のようなある行為を必要とする場合では難しかった。彼女は、時子、茂子、菊龍、富江、小妻、と指を折って数えてみた。五人しかいなかった。自分自身を交えても六人にしかならなかった。彼女は立って電話室にはいって心あたりの家へ電話をかけた。何処にも人が空いていなかった。といってむやみに二流三流の家へ交渉することは家の沽券(こけん)がゆるさなかった。どうにかして、娼妓を三人見出すことが出来た。彼女はすぐに来るように急きたてた。これで九人、どうにか切りぬけられるだろうと彼女は考えた。彼女は茶の間へ来て、自分はどうあっても川村一人に任せなくてはなるまいが、あと八人で十七人の男をどうにかしなくてはならないのだが、二人ずつとしても誰か一人は三人の男を相手にしなくてはならない。三人の男を一夜に相手にすることは公娼にとってはさほど珍しいことでもあるまいが、短時間のうちに、一どきに三人の男を相手にすることの経験は少なくともお幸自身にもない。彼女はどう振り当てたものか分らなかった。そこへ女将が一杯のまされたらしく顔を赤くして下りて来た。
「お幸ちゃん、お前さん上がらないのかえ」
「女将さん、それどころじゃないのですよ」
「何んだえ」
「あの人達はね、みんな川村さんの課の役人なんですって、そしてその中には川村さんに反対する人もいるのですって、ね、それでつまり今夜はあの人達にうんとお酒を飲ましてその上――を取り持ってぐうの音も出ないようにしてしまいたいのだってさ――」
「ふうむ――」
「ところが困ることには、あたしはまあ川村さんのお相手をするとしても、あと十七人の人に菊ちゃんに時ちゃんに富ちゃんに、茂ちゃんにそれから小妻さんにも出てもらうとしても、うちの妓(こ)ばかりで五人しかいないでしょう。わたし今電話をかけてやって――屋の奴さんに××楼の桃太郎さんに○○楼のひよ子さんの三人だけを今すぐ来てもらうことにしたけれど、それでも八人しきゃいないわ」
「いいさね、しかたがないからくじ引きして負けたものが損なのさ。そんなに男嫌いばかりでもなさそうじゃないかね。おほほほほ」
「でもいくら男好きでもこんなのはみな嫌がりますからね、女将さん」
「ね、そうおしよ、わたしが今くじをこしらえるからね」
お幸も仕方がなかった。それに彼女の利己主義は自分だけは川村一人を相手にすればよかった場合だけに、強いて深い思案をする必要もないとした。彼女は鏡で襟を直して、そして二階へ上がっていった。暫くして「今晩は、女将さん」と三人の若い、しかしあまり美しくない妓(こ)が三味線も持たずに上がって来た。
「御苦労さん」女将は三人を手招きしてよびよせた。そして微かな声で五分間もこの夜のわけを話した。三人とも嫌な顔をしたが口では、「ええ、ようござんすわ」と答えた。三人は女将の出した観世縒(かんぜより)を抜きとった。三人共二人の籤にあたった。まだしものそれが悦びでもあるような顔を三人はした。
「それじゃ二階へあがって頂戴」
三人は階段をあがっていった。二階では狂暴な、野獣性の叫びが一斉にあがった。
「さ、のまなくちゃいかん。我輩のさした盃を受け取らんちゅう法があるか!」
酒と女の香が十八人の男の理性、習慣をふみにじり吹き倒してしまった。暴風のような乱調子な三味の音響につれて、男の濁った胸の引きさけるような吠えるような野卑な声音(こわね)が、無茶苦茶な流行唄を怒鳴った。そうした嵐の間を一人一人芸妓がそうっと下りて来た。そして女将の手からこの夜の運命を決定する観世縒を抜きとっていった。時子は二人のをとったとき、さすがに悦しそうに白い歯を出して笑った。菊龍も富江も深い溜息をついて、そして仕方なさそうにのぼって行った。茂子は容易に下りて来なかった。女将は思い出して、店に身体が悪くて寝ている小妻を、「小妻さん、小妻さん」と呼んだ。
「はあい」弱々しい返事だ。
「ちょっとここへ来ておくれ」
「はあい」
小妻はまだ昼からの寝巻姿でひどく蒼ざめて、凹(くぼ)んだ眼縁に暗い蔭を見せながら、腰をかがめるようにして出て来た。
「身体はどうだい」
「――」あまりよくないと言おうとしたが、小妻は女将の眼色から何を言おうとしているかを推察すると、「大分いいようです」と言ってしまった。取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。(実際それは取り返しのつかないことであったことは後に知られる。)女将はささやくように幾度もくりかえした事情を細々と語りきかした。そして観世縒を、もう二本になった、そのどっちかには三人の男を割りあてられる、恐ろしい運命の観世縒を差し出した。小妻はどうしてもぬきとる気になれなかった。彼女はさしうつむいていた。恐ろしい感動の伴った争闘が胸中に戦っていた。ああ弱い心!彼女はとうとう手をさし出してその一本の観世縒を抜きとった。観世縒には不幸な結び目があった。「まあ」と彼女は言って青褪めた顔に、死相を帯びた眼をどんよりすわらせたままがっかりしてしまった。茂子がやって来た。彼女は万事を察してしまった。あまりに悲惨な事実であった。「いいわ」と茂子は言った。彼女は無理に酒を強いられて、今、大きな盃洗に反抗するように満々と注いで一杯飲んで来たところだった。彼女は酔っていた。
「いいわ!わたしが、小妻さんの分も引き受けてあげるから。小妻さん休んでいらっしゃい。いいわ、わたしが引き受けたわ。五人でも十人でも来れたら来てみるがいい。死んでしまうまで、息の止まるまで何十人でも何百人でもわたしのところへ列をつくって、いっときにやってくるがいい!」
「茂子さん、またお酒をあおったの。いいことよ、わたしもうどうなったっていいことよ」
小妻はしなびた顔に涙を光らせた。
「小妻さん、茂子さん――来て頂戴な!」
それは米子と市子であった。階段のところまで誰か追っかけて来たのを振り放って、まだお酌である二人はどうにか下へ逃れて来た。
「今、行きますよ!」
茂子は追いつめられた。猛虎が死物狂いで追いかけて来た敵に跳びかかるように、階段をのぼっていった。哀れな小妻も、歩むことさえ十分でない小妻も、茂子がどれほど止めようとも、止められれば止められるだけ弱い心の持主であるために、「死」を目前にゆらめかしつつ、とぼとぼと二階の暗にのぼってゆかねばならなかったのである。それからどういうことが起きたかはしるすに忍びない。

午前四時の薄明け、春風楼の店の間には、お幸も時子も菊龍も富江も泥のようにむさ苦しい深い眠りに沈み入っていた。冬子も二人の少女も寝入っていた。肉身を虐げつくし、精力を絞りつくした疲労が彼女等を死んだようにさせていた。しかし、まだ疲れはてた末、眠られ得る彼女等は幸福と言わねばならなかった。眠ろうとして眠り得ない者の苦痛、火焔にあぶられるような責苦をどうしよう。茂子は眠られなかった。強健な体質でない彼女は一升近い酒を呷(あお)った上、虐(しいた)げられて、外に溢れ出ようとするアルコールの異変が、狂した神経に収縮して身体じゅう五臓六腑に浸み入り凝結して、たとえようのない苦悩がそこから湧き立ち、のたうち廻っていた。白刃のように鋭い神経、身内に悶えるアルコールの狂い、口惜しい口惜しい、死んでも生きても消滅のしようのない口惜しい屈辱。彼女はその苦痛のうちに、ふと、何処からともなく起こる「ううむ、ううむ」という唸り声を聞いたように思った。しかし耳を澄ますと何も聞えなかった。すると又「ううむ、ううむ」と聞えた。ふと眼を横にやると、小妻のいるはずの床が空になっていた。彼女の全身が震撼した。茂子以上の茂子が全身にしみわたって来た。茂子はすっくと立った。そして巨人のようにのっしりのっしり歩いて、立ち止まって唸り声を聞き澄ましながら、のっしりのっしり、悠々と充実した歩みを続けた。唸りは廊下の方から聞えた。夏であるので、中庭には雨戸がいれてなかった。薄明りを受けた廊下の中央に何かがうずくまって「ううむ、ううむ」とうなっていた。茂子は歩みよった。(小妻か)と彼女は思った。
そして茂子は肩に手をかけて起こしにかかった。ああ、その時、小妻の苦しみ悶えた恐ろしい死相がじろり茂子をみた。「ううむ!」歯が渾身の力でくいしばられている。全身がじわじわ湧く油のような汗でねちねち濡れている。細い青白い腕が最後の力をこめてわなわなと慄える。そして空間ににゅっと片手を白くさしあげてがっくりもとのままに倒れてしまった。茂子は立っていた。すると足の裏がぬるぬると異様な温か味が感じられた。薄明りでよく判らなかった。よく見つめているうちに茂子は「おっ!」と叫んだ。その「おっ!」という茂子の叫びは複雑なたとえようのない叫びであった。絶望、怨恨、恐怖、驚異、呪い、それらを融け焦がしたただ一図な絶叫。温かいものは血であったのだ。小妻が、哀れな小妻がこの苦しかった人生の最後の名残に滴り流して行った恐ろしい悪血であったのだ!ああ、血であることを認識した瞬間、茂子は、薄明りの冷たい大気をとおして、天地の間より殷々(いんいん)として響き来る警鐘の音響が自分の聴覚に無限的な圧迫を与えて来るのを感じた。それは恐ろしく大きい音であった。彼女は両手でしっかり両耳をおさえ、聴くまいとして身を躍らして家のうちをその音から逃げようと駈けはじめた。
「じゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃん………」
茂子は全身の力ですばらしい速力でどなりながら、四辺から圧迫してくる彼女の一人に聞える警鐘の音からのがれたい一念で、超人間的な力をもって戸障子を踏み破り家中を荒れ廻った。大騒乱が家中の者を一人残らず懶(ものう)い疲労した夢から奮い立ててしまった。白熱した昂奮が一しきり人々を内から照らしたのである。
その朝、茂子は内よりの火焔で焼かれた枯木のような肉体を荒縄で縛られて、二十幾年の苦しい生涯を生きた人生から切り離されるために、暗い狭い護送馬車に乗せられて郊外の狂人病院へ送られて行った。同じ朝、悪い病患に癈(すた)り切った全身の汚血を、惨めな三十幾年の生涯の最後の夜に、恐ろしい憎むべき、とても大地の上における事実と信じられないような暴虐を受け、そのためにその呪われた汚血を一斉に流出して、血みどろの中に死んで行った小妻の死骸が、小さい棺に入れられて春風楼の裏口から火葬場へ送られて行った。平一郎もお光もこの暗い未明を、がたがた胴顫(どうぶる)いをしている妓達の中に交って永遠の訣別に涙ぐんだのである。
 
第四章

一夜のうちに起きた茂子の発狂と小妻の死は春風楼にとっては大きな事件であった。地面に深い底知れぬ淵が口をあいた恐ろしさである。しかし「人気」ということの心理を知っている女将は、女達に一切の沈黙を命じた。女達も沈黙を命じられなくとも恐ろしくて言う気になれなかった。そして、どういうものかこのことがあってから、お光が二階の一室で仕事をしていると、時子やお幸や富江や菊龍が不安な、慰めて貰いたいような顔をしてお光の傍へやってくるようになった。お光はいつもの静かな穏やかな涙を湛えての平和な気持で女達に接せずにいられなかった。冬子も忍ぶようにやって来た。仕事部屋の窓からとなりの社の境内の杉の青葉が日に輝いて見えるのを二人は黙って永い間見ていることもあった。本当にこの茂子の発狂と小妻の死に次いでじきに、新聞紙によって重きいたつきを伝えられていた明治天皇の崩御がなかったなら、春風楼の人々は「呪われて」おかしなものになったかも知れない。
西暦一九一一年七月、日本をして世界的に偉大ならしめた時代の代表者が崩御されたのである。小妻の死は春風楼の人以外には知られなかったが、天子の崩御は全国民、並びに日本が生活に深くくいいっている程度で、全世界の人にある感動を与えた。春風楼の女達もこの崩御によって小妻の死と茂子の発狂とからくる妙な恐ろしい感情を紛らすことが出来た。
「ほんとにお前、人間の寿命ほどあやぶいものはないのだね」と女将は言った。
帝王の尊い御位にいます御方といえども自然の運命には打ち克たれないことの現実が人々の胸に明白にしみいったのである。帝王といえども寿命定まれば死ぬより外に道はない。人間は死ぬ生物であることの真理があまりに分りきった真理であるだけに、忘却しつくしていた人々の胸に今はじめて知った新しい真理のように響き渡ったのである。ほんとに死ぬ時が来れば死ぬより外に仕方のない自分達人間だ、と思わずにはいられなかった。しかし、こうした純粋な実感を真に独創的に表現し、実感を基礎に思索を深めてゆく能力を奪われている我が民族であった。しかしそれにしても全国の家々の軒に黒色の喪章を付けた国旗が掲げられ、路ゆく人の胸部や腕部に黒い喪章を見かけるとき、人々はさすがに哀しかった。一国の最高権威として無上の尊貴をおいたその上御一人でさえも死の前には全然無力であったことは悲しい感情をよび起こした。国民的憂鬱、無論その憂鬱の底には、半世紀に足らぬ時間で急激に吸収した西洋文明の消化しきれない臭気が、物質主義的な荒(すさ)みとなって勃発しかけているせいもあったろう。
廓もしばらくの間に寂(さ)びてしまった。広い路に立並ぶ宏壮な屋並には、喪章に掩われた国旗がどんより澱んだまま動かずに垂れていた。三味の音も鳴物の響も聞えなかった。ただ真夏の強烈な日光がじりじりと照りつけて、この人間の弱小を静かに見下ろしているような圧迫を与えた。春風楼もめっきり寂びて来ていた。女将でさえが、夏の身体のどうにも持ちようのない昼など、よくお光のこつこつ仕事をしている六畳の部屋へ何ということなしにねそべりに来た。杉葉の緑蔭を受けてこの家では一番涼しいお光の部屋は昼寝をするによかったせいもあろうが、そればかりとも言えないものがあった。お光は、自分の十数年来の生活のゆえに、崩御のことに対しても、静かな哀しみを感じこそすれ、今更のように驚く必要は少しも感じなかった。それは死に対する用意が無意識のうちに出来あがっているためであろうか。彼女は心底から「おいたわしいことでした」と思った。そしてあきもせずこつこつ縫物の針を真面目に運ばせた。真夏の濃緑と烈日が彼女にある圧迫を与えたが、静かな彼女の心はそっとその圧迫をやりすごしていた。
「ほんとに今年の夏は嫌なことばかりが多い」女将は青い眉あとの目立つ顔に、仰山らしい表情を浮かべてよくお光に言った。お光には何故かどんな人間でも甘えてみたいような気を起こさす穏やかな温かさが漲っていた。
「ほんとうにね、どうなってゆくのでしょうかね」お光は、そう言って、静かに仕上の鏝(こて)をあてた。廓の不景気がもっと四、五日早く来てくれたなら、そうしたら茂子や小妻も助かったかも知れない。茂子や小妻がああした残酷な死にようをしないで生き残っていたら、どれほどこの不景気なこの稼業(しょうばい)の暇を悦んだか知れまい。――悦ぶであろうと思われる二人はすでに死んでしまった。もう晩(おそ)い、おそい、とお光は考えて、涙ぐんだ。
しかし一方、お幸や時子や菊龍や富江や鶴子には、暗い人気の少ない夜、酒に酔いしれない夜、男の膚(はだ)の温か味に眠らない夜を迎えることは一種の苦痛であった。アルコール中毒患者が、アルコールの気の感じないときは半死の状態にあるように、彼女等は一種の苦痛を伴ったぼんやりした倦(だ)るさに苦しめられた。
「随分つまらないじゃないの」
「もう三晩もつづけてぼんやりこうしているのじゃなくって、ほんとうに人を馬鹿にした」
「時ちゃん、××さんに電話をかけてお招(よ)びな」
「あたしも――ちゃんを招ぼうかしら、ね、富ちゃん」
それはよい思案と言わなければなるまい。彼女等は各自に自分達のなじみを招びよせた。招ばれた男達は無銭で遊べることを「光栄」と考えてやって来た。そして、時にはこっそり裏座敷で目立たない遊興をして行った。目立たない、こっそり隠れた遊興の面白さが人々に知られると、暫くの間に、廓の家々では、歌舞音曲の響こそしないが、平常のように客は出入するようになってしまったのである。
「あれえ、およしなさいよ、ほんとうにおよしなさいよ!」
と奥座敷で菊龍のあげる誇張した嬌声を、「菊ちゃん、あんまり声が大きすぎますよ」とお幸が戒(いま)しめる。人々はいつしか、あの一とき感じた死の厳粛さを忘却してしまったのである。形式だけの哀しみの表現がようやく盛んになりかけているときにおいて――このように、天子の崩御は春風楼にとってよい結果をもたらしたわけであるが、またこの一事実が冬子やお光母子の運命に波のうねりのように重大な関係をもたらしたのである。
八月中頃のある夜、いつものように春風楼の茶の間には電燈の輝く下に粧った女達が集まっていた。夏の夜風が明けはなした窓からそよそよと流れ入る。
「じゃ、いってまいります」と先刻から姿見に帯の格好を直していた時子と菊龍と富江が、こう珍しくそこに坐っている冬子とお幸に言って外座敷に出て行ったあと、部屋はひっそりした。お幸は今宵も美しかった。彼女の小さな引き緊まった肉体が生み出す魅力と巧妙な化粧のあでやかさは、薄化粧をした地味好みの、美しいよりは綺麗な品のいい冬子よりは数段秀れて感じられるが、しかし二人が対(むか)い合っているときお幸は圧迫を感じていた。冬子の端然とした、色艶の目立たない寂びた美しさが彼女を圧して来るように感じられる。お幸は冬子と話することを避けた。
「市子ちゃん、米子ちゃん、店にいるの。こっちへ来てお習(さら)いをしないこと?」
「はあい」と燃ゆる緋のだらりの帯に、きらきら光る花簪が自分ながら素晴らしくてならない、米子と市子が出て来た。「わたし?」と市子は眼をいっぱいに輝かして「何?」と首をかしげた。それは可愛らしかった。お幸は有望な「芸妓」の未来を見、冬子は惜しい気のする「物寂しさ」を見出した。
「奴さんにして頂戴な、お幸姐さん」
「奴さん?よくよく奴さんが好きだと見えるのね。さ、いいかい――」
お幸の低い唄につれて市子は、一つ一つの振りにこもる感情の含蓄は理解出来ないまでも、熱心にやりはじめた。すると電話室の方でけたたましく電鈴(ベル)が鳴った。
「米子ちゃん」とお幸が米子に注意すると、奥にいた女将がすでに「あ、どなた」と出たので、踊りはまたはじめられた。電話は随分永く、踊りがすんでもまだ切れなかった。
「え、分りました。わたしの方でも粗相のないように致しましょう。それじゃちょっと待って下さい。今すぐ御返事しますから」女将は髪を掻きながら茶の間へ来て、冬子とお幸を迷うように見比べながら、「古龍亭から、今っから泊まる用意をして来てくれないかっていうんだよ。何んでも東京の大した実業家だそうだから、めったな事があっちゃ金沢の市街の体面にもかかわるっていうんだから」
「女将さん、わたし、ゆきます」
どうしてこの答が出たか。してしまってからも冬子自身にも了解出来なかった。つまり運命だったのだ。平常、お座敷を争ったことのない冬子であるだけにお幸にしても口出しが出来なかった。
「それじゃ冬子さん、行っておくれよね、あとから着物から何から持たしてやりますから。何んでも余程大したお方のようだったからそのつもりでね」
「ええ」
冬子は立ち上がったとき一脈の身顫いを感じた。座の知れぬ深い夜の空に星辰が美しく輝いている下を冬子は俥を走らせたのである。古龍亭へ着くと顔馴染の女中が彼女を一室へと招き入れた。そこには宴会などで同座したことのある、鼻が高く大きく赤いために「天狗」と世間からいわれているこの市街の市長が立っていた。
「いや御苦労、御苦労。早速ですが、ここへ今夜お泊りの方は日本でも一、二と言われる有名な方ですがな、実は世間へも知らさずこうしてお呼びしたのは深い理由のあることで」と「天狗」の市長は次のようなことを語った。商工業の振わない金沢の市街で唯一の大工業である陶器会社に二、三年来種々の問題が起きて、三期も続いて欠損を続けているが、この六月職工の待遇でどうにかやりくりして五分の利益配当をやった。ところが職工がストライキを起こして未だに纏まりがつかない。そこへ明治天皇の御崩御があって、職工達も御遠慮申して仕事してはいるがいつどうなるか分らない。で、今のうちにどうにかしてしまうつもりで、「吾々が」「日本一の実業家の」天野栄介氏を内密でお招きしたのである。
「そういうわけだから、その辺をよく弁(わきま)えていて、長いことではない、三日ばかりの御滞在を退屈のないように身の廻りの御不自由のないようにやって貰いたいと思っているのです。な、分ったろうな」
冬子はただ首肯(うなず)いて見せた。自分を道具に見ている老獪で卑しい市長を悲しく思わぬでもなかった。が、わけを聴いてみれば「自分の今の境遇と今の世間」では、寧(むし)ろ「光栄」であるのかも知れない。無限な人生の流れゆく相の一つ、その一つに冬子は自分の運命、お光母子の運命を負って流れ這入ったとは知らなかった。
「冬子さん、どうぞこちらへ来て頂戴」
女中が先に立った。幾度も通ったことのある畳廊下を冬子は沈着(おちつ)いた心持で歩くことが出来た。重厚なやや古びた造作が親しみ深い。そして川風がせせらぎの音につれて、そよそよと流れ入って来た。大河を後ろに控えたこの家の好い座敷は、河流に近くとられてあった。やがて蒼い夜空、輝く星辰、水晶のような透明な山岳のうねりがくっきりと河流を越えて浮き出て来た。深い崖上に突き出た縁側へ、崖下の暗い森林の静寂から湧くように河瀬のせせらぎが昇ってくる。そして一室から漏れる明るみの流れが森林の上に映っている。(どんな男があの部屋に自分を待っているのか)冬子は暫く立ち止まらずにはいられなかった。(ああ、希(ねが)わくば尊敬するに足る男であってくれ!せめては心からお辞儀の出来る男であってくれ!)幾年の勤めの間に、絶えず裏切られては来たもの、あきらめ切れない「女としての」願いであった。
「あのさっきお話の――」と女中が囁くように言った。部屋では人の動く気配がした。敷居近いところに見覚えのある、この土地の素封家で鉱山主で、実業家の或る男爵と県会議長の某氏が坐っていた。冬子は軽く会釈して、敷居際に膝をつきそっと面を正しく上げて部屋全体を「白刃のような心」で見据えた。電光が輝いていて、薄暗い間を通って来た視覚は容易に部屋の中を明瞭にしなかった。やがてじいっと瞳を据えて見つめている冬子に、しみいるように一人の男のゆるやかな横臥している姿が映った。充実した寛(くつろ)ぎようである。六尺豊かな中肉の体躯を、悠々と部屋の一杯に伸ばしているのが、まるで畳をとおし、階下を通じ、大地の底にしっかり根をおろしたように静かに不壊である。足下に軽く乗せられた羽蒲団の上へ幽かに乗せた右手のふっくらと肥えた品の好い手頸、ゆるやかな肩から頸元への線、そして、左の肘が大きな頭蓋の重量をしっかり支えて、腹、胴、胸、肘が、ゆったりと一分の隙もなく落着いた静けさに動かない。冬子は暫く体躯全体から湧き立つ重みのある厳そかな強い力に打たれていた。二十幾年求めて与えられなかった性格上の饑(うえ)が津々(しんしん)と迫る力に充たされて来る。左の肘でしっかり大地に根をもった確かさで支えられた頭蓋――渦巻いた髪、高くて広い額は広大な智力に光り、濃く秀でた眉毛、暢(のん)びり拡がった命宮のところから、一筋に日本人には珍しく、透き徹った鼻の尊大な気象と意思の力。弾力に豊富な頬の円みは、浅黒く短い髭に掩われて、閉じるともなく閉じた唇は謎のような深みと柔らかさをもっている。そして眼は眠っているのか瞑(つぶ)っているのだ。じいっと見据えていると、偉大な、力に充ちた感じが脈々と冬子に迫ってくる。彼女は無意識に首を垂れて身を引きしめていた。
「御滞在中は、何かと、御不便かと、存じまして、――冬子という、金沢(こちら)では、二人といない、勝れた、女子ですが――」
冬子は唇をかみしめてその男爵の切れ切れの「許しがたい」紹介の言葉を聞いていた。恥の感が彼女の身を引きしめて終(しま)いそうであった。しかし、ゆったりと臥(が)した「男」は答えなかった。
「それじゃ明日また参上しますことにして、今晩はこれで御免蒙ります」
「――じゃあなた、万事よろしく取り計らって」
二人の「地方の代表者」は出て行った。冬子は取り残された自分を持てあつかいながら、ひとり静かに坐っていた。冷え冷えとした川風がせせらぎの音に連れて忍び入る。冬子は寧ろ厳粛な、気は澄みわたり、あの鼓を打つときの入神さを感じていた。男の立派さやにじみ出る人格的の力に対抗するような、平常「虚偽」の底深く遠のいている、犯しがたい「真の自分の力」が自分をすっくと立たせはじめたらしかった。男は重みのある静けさのうちで、半眼を夢のように見開いた。
「もっとこちらへお寄り」
「は」
「冬子といったね」
ああ、ゆるやかにも力ある微笑よ。世界が根柢から揺り動かされる微笑よ。僅かに口辺に漂わす一、二辺の微笑みから覗かれる、底の知れぬ偉大な力の海が冬子に押し迫る。
(ああ、こうした男子もこの世にはいたのだった!)
すると、自分の身分、自分の運命、自分の真価値が、到底、いま目前に悠然と寝そべっているこの男に対してはあまりに見窄(みすぼ)らしい、比べものにならないものだという羞恥がこみあげて来た。血が上気した。 長い間、幾年の間、潜め隠していた冬子の熱情の泉が一斉に全身に溢れ出た。端厳な品位を、一生に一度の熱情の美しさが一斉に内から輝かしたのだ。彼女は俄かに能動的な力を得たように思えた。彼女のこの珍しい美は、厳粛なうちに、充ち溢れる若さに燃えた美しさは、彼女の生涯の奇蹟であった。夢みるような鈍い半眼は開かれ、鋭い眼光がこの女性、冬子の燃ゆる美しさをじっと見逃さずに吸収していた。名刀の冴えた刃が燃えているような美しさ。人間と人間が互いに互いの価値を認識するあの崇厳な一瞬間があった。それは人生の苦患にもまれつつ、なおそれらの苦しみに打ち克って来た人間相互の間に存在する、深くて、質実で、味わいの無限な感情である、と冬子は思った。同性においては知己となり、異性においては恋よりも深い恋となる感情である。
「お初にお目にかかります」冬子は粛やかに礼をした。そして、二人の土地の素封家が残して行った革蒲団や、小さな莨盆や茶椀を片隅へ仕舞いかけているところへ女中がはいって来て、自分の来ようの遅かったのを言い訳して茶道具などを運び去った。冬子は、人間の本質に触れた者の感じる慕わしさといそいそした犠牲を拒まない心持になっていた。彼女は彼に茶をすすめた。彼は彼女の茶をすすめたのを知らないように見えた。真実に知らないのか、知っていて知らない振りをするのか、彼女には分らなかった。あまりに初心な生娘のような気配であることを自覚しながら彼女は「あのお茶を――」と言いかけて自分が今まるで無能力な状態になっていることを反省して自分に恥じた。
「ありがとう」
彼は何事もなかったように茶を飲み干した。そしてまるで久しい馴染のように話しかけた。
「今夜の七時にここへ着いたばかりだよ」
「さようでございますか」
「もう何時かな」部屋の片隅の置時計が十時二十分を指していた。
「十時二十分過ぎでございます」
「暫く世話になるから――冬子と言ったね」
「はい」
この部屋と簀戸(よしど)越しの次の室にこの時|蚊帳(かや)を吊る吊り手の金環の触れ合う音や畳摺れの音が聞えた。簀戸が静かに開けられて、女中が手をついて「お床を敷きましてございます」と言った。草色の衣(きぬ)で蔽われた電燈の光は縫い目のない蚊帳を海底のように染めて、微風に衣が揺らぐ。冬子は敷かれた二つの床を見た。「思想」になりきらない異様な感情が胸のうちに圧迫して来た。
「あの、お風呂をわかしてございますから、一風呂お浴(あ)びになってお寝(よ)りなさってはいかがでございましょうか」
「入るよ」地面に食い入ったようだった彼の体躯が、むっくりと起きかえった。
「お前は――」
「わたし――」
「そうか、わたしひとりで入って来よう」
女中に導かれて、六尺豊かな肉付のしっかりと肥えた体躯の持主が幽(かす)かな足音もさせないで部屋を出て行った。冬子はひとり坐ったまま、ほてった熱情の渦巻を感じていた。吹き入る川風の揺れる蚊帳の中の二つの床が彼女の目前にあった。その床が自分に何を暗示し要求するのか。自分があの男と同じ蚊帳の中で眠る。彼女はある一つのことに神経が触れたとき、全身の血行をじっと動かさずに考え込まねばならなかった。(ああ、あの男に今、旅の芸妓の自分として接することは苦しい!)
「あの、お楼からの荷物は次の月の間(ま)に置いてありますから」
さっきの女中である。冬子は「そう」と言ったきり答えなかった。(はやく次の間で着物を更(か)えて、彼の来ないうちに寝支度をしてくれ)の意味であろう。それは……出来ない。身体の工合が悪いといって無理にかえることも……出来ない。(芸妓として、自分のこの稀に生まれた真情を買われたくなさ)で冬子の胸は一杯になった。
「あの、冬子さん、着物を更えなさらなくては?」と女中がまた言った。
「わたしこのままで居りますわ」
「でも――それじゃ」
「これでいいですの」彼女は強く言い切った。星のきらめく青空が仰がれた。
「鼓はもって来てあるでしょうか」
「ええ、何から何までみな来ていますのよ」
ああ、こうして澄んだ夜、思い切りあの壮快な鼓を、打って打って打ち明かしたいと冬子は思った。何んの宿屋の女中、ああ、たかが「有名な」実業家――身辺の一切を越えてあの天地に響く生物の皮の音色が彼女の身内から奔流のように湧きのぼるのだった。
「いい星空ですのね」冬子は傍の女中をかえりみた。すると天野が静かに縁側に来て立ったまま同じように広大な深い夜の空を仰いでいた。
「お星様が出ていますこと」女中の追従には答えないで、天野は冬子の方をじっと、大きな眼で見た。冬子はゆるやかな感情に身をまかせていた。川瀬の音が永遠の響きを高くする。
「冬子」
「はい」冬子は立って彼の傍に近寄った。
「向うの山脈はあれは何という山だ」
「あの近い方は医王山でございましょう」
霞んだ深い夜気に山岳はくっきりと山肌を露わして、全山濃い紫紺色の綾のように光っている。天野が山を見ているのか、ただ、立っているのか、冬子には分らなかった。分らないところに微妙の力が彼女にしみわたった。
「寝るとしよう」
彼は冬子を忘れたように部屋にはいって、次の寝室に行きかけた。
「あのお寝巻を」
「うん」彼は女中に着替えさせて、蚊帳の中へ這入(はい)った。
「冬子」
「はい」
「眠くなったら、ここの床へはいってねるがいいよ」
「はい、ありがとうございます」
冬子は、自分の生涯に、今のような強くて温かで真情に溢れた言葉を聞いたことがなかったと思った。彼女はお光を想い起こした。お光の傍にいると自分が芸妓であることは自然に忘れてしまう。彼の前では自分は芸妓でありたくないと一心に思う。お光の傍にいては穏やかな平和に解け合う代りに、彼の前では自分などには量り知られぬ偉大な力に圧倒され、しかもその力に引きずられそうになる――(眠くなったらここの床へはいって寝るがいいよ。)蚊帳のうちは全く静寂になってしまった。冬子は蚊帳の中を見守った。呼吸さえ聞えなかった。彼女は妙に自分が不調法で、すまないように思われて来た。客に招ばれた芸妓が客を先に寝かしたまま放って置くということがあり得ようか。しかしそうなってしまった。彼女は立って自分の部屋にあててあるという壁一重隔てた次の間に去った。強烈な光の下に、鏡台やかけがえの着物や三味箱などが取り散らかされてあった。女中が妙な顔をして彼女を見た。彼女は帯を解いて、薄手な藤色の長襦袢に着替えた。博多の細帯できつく腹部をしめて、鏡台に対ってあっさりと薄白粉を施した。
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
冬子は静かに蚊帳の中にはいって一方の床に身を横たえた。
不思議な夜であった。最初彼女は或る屈辱を予期して身を慄わしていた。しかし、部屋は森として人気のないようだった。彼女は眼を開いて隣の天野の様子を見た。彼は覚めているのか眠っているのか分らなかった。ゆるやかに四肢を伸ばし、仰向けに正しく頭を整えて呼吸の音さえさせずに動かない。腰のあたりまで夏蒲団を軽く乗せ、右手を腹の上へそっと乗せて、ただ幽かな胸から下腹への緩かな高低のみが彼の生を表わしているに過ぎない。彼はもう寝いったのか。自分のことを少しも念頭に置かずに眠ってしまったのか。もしそうなら自分は彼のために、「芸妓」「婬売婦」よりももっと何んでもない人間にあたるのかも知れない。それとも彼は黙想に耽っているのか。それにしてもあまりに厳そかで寛ぎすぎた静けさである。冬子は瞳を開いて水中のような冷やかさを感じて眠られなかった。枕の下で川瀬の音が絶えなかった。神経が白熱して来た。幼い時分のこと、少女時代のこと、父の死、兄の失敗、自分がはじめて芸妓に売られた夜のこと、お光のこと、芸道の苦心、汚(けが)れた境界や周囲から自分を救おうための緊張と努力と苦しい涙、仕方のない屈辱、急流のように生涯の総勘定が体験されていった。そして思想の断(き)れ目毎に見える彼はもとのように静かで動かない。彼女はそのうちに異常な侮辱を感じて来た。そして硬張(こわば)った神経の疲労のために泥のように寝入ってしまったのである。
「冬子、冬子」
朝の光が射していた。青い霽(は)れた空がめぐまれていた。隣の床で天野が腹這いになって、冬子の方へ首を向けて呼んでいる。
「はい」彼女は眼を開いて、床の上に起き直った。彼に起こされるまで寝入っていた自分が生涯にない失策だと考えられた。
「もうお目覚めでございますか」
「ううん、そうじゃない。眠かったらもっと寝ておいで――今日はね」
「はい」
「沢山人が訪ねて来るだろうから、お前御苦労でも一々もてなしてやってくれ」
「はい、かしこまりました」
彼は莨盆を自分で持って来たらしく、葉巻をうまそうに喫(ふ)かした。
「お前、眠そうだな」
「いいえ」と言ったが冬子は当惑した。そして起きあがった。昨夜感じた自分の「侮辱」の感に対しあまりに見苦しい自分の失策である。それにしてもこの厭味のない温かさをどう享(う)け入れよう。(ああ、それにしても、一つ蚊帳に寝ながら、ある一事を強いられないうれしさよ。)彼女は恥と悦びとを同時に感じて自分の部屋に去った。彼女が化粧をすまし着物を着替えて、朝の新しい茶をもって座敷に帰って来ると、彼ももう起きて「山岳」のように坐っていた。窓外は一面の乳色の川霧が森林の上層を速やかに流れていた。
朝飯もすまさないうちに訪問の客があった。市長、県会議員、市内の有力な実業家という人達が一日中をこの別荘の広間に過ごした。冬子はそれらの人達をもてなすうちにも彼等に対する彼の態度を注意深く見|戍(まも)っていた。まるで彼は一日中を行ない澄ました修行者のように寝そべっているのだった。訪問が一しきり止む閑には女中に足から腰の辺をもまして、静かに瞑目している。そうして一日が暮れた。その夜、彼は女中にビールを命じて冬子を相手に静かに浅く酌み交わした。そして夜は前夜のように死んだような沈黙と静けさであった。
(ああ、このような男、このような男、このような男がこの世に生きていたとは!)
幾年の間、抑圧して来た情熱が一切の規約を越え破って冬子をわなわな顫えしめた。どうしてもじっとしていられない。手足が火のように燃えて来た。もう自分は芸妓でない。「情を売る」旅の女ではない。一人の勝れた女、一人の潜めた可能力を一斉に噴き出して、はじめて感じる恋の聖(きよ)い熱情に燃えた女だ。
三日目の夜更けのことであった。冬子は生死さえ分らないような彼の動かない身体に力いっぱいしがみついて、全身、脈々と湧く焔の波に顫わせていた。鈍い半眼が、落着いたままに開いてじっと見据えた。「冬子か」
「お許し下さいまし」
「お前には両親がない筈だったね」
「は、い」
ああ、燃ゆる生命よ。沈着な根強い男の認識に根柢より燃え上がる女の生命が移った。静かに眼を閉じた。一身を献ぐる女の真情に偉大な力は根柢から揺り動かされて来た。燃えさかる烈火を蔽い包むように巨人の力が冬子を抱いた。
「わたしを一生、一生お傍に置いて下さいまし」
「置いてやる。己ももうお前がなくては空虚を感じる」
「本当ですか」
「嘘は言わぬ。明日はもうお前は芸妓ではない。己が自由にしてやる。東京へ一緒に来る気があるか」
「――行きます。何処へでも、何処へでも行きます――」
「――」
「しかしあなたには立派な奥様も立派なお坊っちゃまもいらっしゃるではありませんか」
「己には妻子はある。しかしお前も必要なのだ」
「――?」
「妻の代りじゃない。妻とは別なお前だ。お前はお前で己には無くてはならぬ一人になったのだよ」
次の朝、古龍亭の若い主婦(おかみ)さんに冬子の「身受け」が託せられた。春風楼へ楼主にすぐ来るように電話がかけられた。酒で眼を充血さした楼主がやって来た。冬子は主婦さんが楼主と交渉するのを襖を隔てて聴いていた。
「ほかでもありませんの。大変突然ですが、天野の旦那様が――冬子さんのお客様のことですよ――冬子さんの身の立つように世話をしてやろうということになりましたの。それであなたの御都合さえよろしければ明日にでも、早く話を決めてしまいたいと仰っしゃっていらっしゃるのですから。どうでしょうかしら。今日来て戴いたのはそのためですの」
「ほう」と楼主は驚いたようだった。「それはまあ結構なことで」
「それでね、つまりあなたの方の御都合はどんな工合なんですの。冬子さんを一生手離すのには、矢張りあなたの方でもいろいろ何があるでしょうから――」
「ええ、それはもう勿論、今冬子に行かれては実際、わっしの方も困るので――」
「それはもう、冬子さんからも聴いてみますと未だ二年ばかりも勤めなくちゃならないのだそうですから、その辺はお察ししますが、一体いくらで自由になさるおつもり?」
(一体|幾千(いくら)で)ああその言葉に呪いあれ!と冬子は思った。
「それは――主婦さん、二箱より下では離せませんな」
「しかし、それでは冬子さんもあんまり立つ瀬がなくなりはしないでしょうか」
「さあ、安いもんですぜ。あれだけの女に仕上げる苦労を考えてごらんな」
二箱――二千円。凡(あら)ゆる忍耐、凡ゆる屈辱、魂と生命の切り売り、その長い辛労の後ではないか。しかもさらに二千円の償いを取る理由がどこにあろう。二千円という金で価値づけられることも悲しいが、二千円を貪り取ろうとする楼主の心も憎い。
「二箱を欠けちゃ第一天野の旦那様にしてからが、みっともないではないでしょうかな」
冷酷な、利害の要(かなめ)をしっかり把(と)って放さないような声である。
「それじゃ、ようございますわ。そう申し上げますから」
主婦さんは天野の部屋へゆく道で冬子に、春風楼の楼主は「まだ訳の分る方」だといって聞かした。冬子は「身受け」が少しも嬉しくないとさえ思えた。とにかく楼主は冬子を「二千円で自由にして」そして「冬子によろしく」と言って帰って行った。

この夜、二台の俥が春風楼の門口についた。天野と冬子であった。十時近い茶の間には菊龍とお幸と女将がいるだけだった。
「女将さん只今。天野の旦那様も御一緒にいらしって下さいました」
「これはまあお初にお目にかかります。さあ、どうぞこちらへ」
白い浴衣がけの身軽な天野は二階へ上がった。上がりしなに冬子の方を見て、いいかいというようにうなずいて見せた。女将はお幸に莨盆を持たせて後についた。残っている冬子に楼主は、
「今朝はわしが古龍亭に呼ばれてな――まだ店の女共には言わないでいるが、えらい急なことになったじゃないか」そこへ女将が下りて来た。
「冬子さん、お前さん前もって電話でもかけて置いてくれれば妓共も揃えたりなんかして置くのに、ほんとにわたし気が気でありゃしない――とにかく二階へ上がって頂戴な」
「女将さん、ことによるとわたし――」
「まあ話はあとにしてさ」と言われて冬子は二階の奥庭に面した座敷へ来た。
二階ではお幸と菊龍が天野の機嫌を取るのを、天野が静かな微笑であしらっていた。
「どうだった」彼は冬子に声をかけた。冬子はためらった。
「いいよ。言った方がいいよ」
「あの――まだ何も話は致しませんですの」
「――そうか」
彼はむっくりと立った。冬子にその儘でいるように暗示して、階下へ下りて行った。二階ではお幸と菊龍と冬子が残された。お幸はいつものように艶々と美しかった。
「暫くでしたのね、冬子さん」
「ええ」
「何だか一月も会わなかったような気がしますのね」
冬子は微笑した。一月どころでない。一生を新しくする改革の体験を自分はこの三日のうちに得たのである。永い間苦しめた自分の尊敬と愛を捧げるものをもたない寂しさが一人の男によって破られてしまったのだ。曠野に太陽は現われたのである。もはや寂しい孤独ではない、仰ぐべき太陽をもつ自分である。冬子には、それは寂しいことではあるが、その「寂しさ」は前の寂しさと違っている。
「わたし、ことによったらお別れするかも知れないの」
「あなたが?本当?そう――それはおめでとう!」
そこへ天野が戻って来た。女将が天野の後ろから、
「冬子さん、おめでとう!天野の旦那様によくお礼を申し上げなさいよ、本当に」とさすがにこうした折の悦びも悲哀も味わいつくして来たらしい、涙|含(ぐ)んだ陽気さで大きく叫ぶのだった。
「女将、妓達を七、八人招んでくれないか」
「は、今じき来るようにいいつけて置きましたから――お幸ちゃん、冬子さんはもう素人になったのですよ!」
「今晩は」
「今晩は」
六、七人の若い芸妓が陽気な匂いと声音と熱とをともなってはいって来た。そして冬子に「おめでとう」を唱えた。
月の澄んだ深い夏の夜である。この美しい夏の夜の世界に、ひとり冬子の運命が急激に変わったのである。誰も冬子のこの運命を切実に胸に感じるものはなかった。ありきたりの習慣として「おめでとう」をとなえ、普通な心持で冬子の幸運を羨む位に過ぎなかった。
(これが自由というものなのかしら!)冬子は独り呟いた。二千円の金で自分はもうこの瞬間から芸妓という勤めはしなくともよくなったのだ。妙に寂しい気がした。取りかえしのつかないことをしたような気もした。澄みわたった黒藍色の空から月光が白刃のように光っていた。彼女ははしゃぎ廻る同僚の姿を傍観した。心はすでに遠く離れてしまった。
「冬子」
「はい」
「お前は鼓が上手だそうだね」
「はい」
「この月夜だ。聞かしてくれないか」
なじみ深い芸道に対する熱愛が解放された冬子の心身に甦った。ああ、打とう、打とう、この好(よ)き夜を打って打って打ち明かそう!彼女は凛然と言った。
「お幸さん、絃(いと)をお願いします」
「ようござんすわ、冬子さん」
お幸の三味線と冬子の鼓が取り寄せられた。冬子は脈々と湧き立つ芸道の悦びの波を制しつつ、永年愛しているなつかしい大小の鼓をなでまわした。悪びれもせず、朋輩の幸運を祝うこの夜に、真面目に三味の音色を整えはじめたお幸の艶やかな姿には、同じ芸道に対する自信と熱情が漲(みなぎ)っていた。一座は粛然と静まりかえった。
澄みわたった大空に月は明鏡の如く清く照っていた。大空いっぱいが寒い白光に明るめられ、下界は森然と水のように透明であった。静かに澄み切ったこの世界に、三絃の音調が緩やかに低く鳴りはじめた。音色は緩やかな平和な調べをようやくに強め、撥(ばち)の音が水を切るように聞えたとき、極めて柔しい小鼓(こつづみ)の音が、三絃の調べにからみ合った。奔流のように瀬波をつくって高くなり低くなり奔放な情調を伸べようとする三絃の音色の要々を、時には軽く時には重く、鼓の音が厳粛に引きしめ、制(おさ)えつけ、緊め上げつつ、音曲は悲壮に高められて行く。優婉な三味の音が、静かな夜気に顫えて人々を甘美な夢に引き入れようとするのを、蔽われていた鼓の響が力を潜ませつつ中空に高く踴躍する。長い間二つの音色は戦った。戦いつつ、微妙な悲壮さは悠々たる力に充溢する。音楽はやがて急湍(きゅうたん)のように迫り、二つの音調は急流のように争いつつ、いつしか渾一に融合するうちに、いつともしれず大鼓(おおかわ)の海鳴りの音が新しい根拠をもって轟いて来た。三味の音は次第に弱められてしまった。
「は、おえ、よおお!」
ああ、一切を越えて迸る大音声よ、雄大な大音楽よ、もう三味の音は聞えずなった。勝利者の凱歌の大狂熱、雄大な、豊かで、荘厳な音調はひとり勝利の道を進んでゆく。ああ、長い長い苦しみの戦いだった。今、それに勝ち得たのだ。
この燃ゆる鼓の音楽は、土蔵の裏手の座敷で、静かに独り子の寝顔を見|戍(まも)りながら縫物をしていたお光にも響きわたった。お光は三日も冬子に会わなかった。お光は冬子に飢えていた。飢えた霊に熱烈な音楽が響いたのである。お光は縫物を止めて、暗いじめじめした廊下伝いに、土蔵の前の裏梯子の下につくばって一心に聴きとれていた。音楽の一つ一つのリズムがお光の心にしみ入り、何とも知れぬ感激が火花のように身内から湧いてくる。
するとばったり音が止まった。森然とした静けさだ。沈黙の音楽が鳴り響いて、お光はうっとりしていた。すると梯子を下りて来る足音がした。
「ここを下りて、右へ折れなさいますと――」冬子の声だ、とお光は思った。
「いや、いい、一人行くから」
お光は梯子の方を感激の消え去らぬ瞳で仰いだ。のっしのっしときしむ音がした。そして次のひととき、一人の男が土蔵の前に下り立った。お光は何をまごまごしているのだろうと考えて思わず立ち上がったとき、お光は正面に男を見た。お光は(あっ)と全身氷のように冷えわたったような気がした。見覚えのある顔なのだ。
「あなたはあの、もしや天野――?」
「――?」天野はじいっとお光を恐ろしい力で睨まえていたが、「ううむ」と一つ唸った。「北野の……?」と彼は押しつぶされたような声で言いかけたとき、二階から「お分りになりまして?」と冬子が下りて来た。お光ははっと心を引きしめた。「埋(うも)れたる過去」の一切の力がお光を引きしめた。
「いえ、お人違いでございました。どうも相すみません」とお光は表面平静を取り返すことが出来た。
「あら、小母さんじゃないの」と冬子は嬉しそうに、幾分驚いて叫んだ。そして天野に、「わたしの親身の叔母のようにしている方でございますの」と、とりかくまうように言った。天野は沈黙のまま便所へ身を隠してしまった。
「小母さん、わたし、お別れして東京へ行かなくてはならないことになりましたの」
「――?」お光は恐ろしい戦慄に全身を寒くしていた。そして今、冬子の言葉を正当に了解できなかった。
「あの方」と冬子は眼で知らした。
「東京の方ですの。わたしあの方にお世話になることになりましたの。小母さんに御相談する暇がないほどに急でしたの」
「どなた、何という方?」とお光はたずねた。
「天野栄介という方」
「天野――?」お光は呟いた。(彼奴(あいつ)!)とお光の全存在が、四十年の生涯に秘められてある「埋れたる過去」が叫んだ。(十数年のむかし、自分の姉の綾子を、自分の亡夫から奪って行ったあの悪魔、天野め!そして彼奴は今また、冬子を奪って行くのか。)
「失礼します」とお光は冬子に一礼して転ぶように土蔵裏の室へかえって来た。意識の底深くに貯えられていた「埋れたる過去」が熱情を帯びて生きて来た。それは苦しかった。(あの天野が冬子を連れてゆく。何でも聞けば日本有数の大実業家だという。それは事実であろう。十数年前の「青年思想家の天野一郎」が、「日本の大実業家の天野栄介」になっていることは事実であろう。しかしあの姉の「きっと滅ぼしてみせます」と言って天野に連れられて行ったあの宣言は空しくなったのであろうか。現に天野は自分の前に堂々と立ったではないか。そして自分にとってかくことの出来ぬ三年来の深い馴染の冬子を唯の三日で永遠に奪って行くではないか?……それに自分は、あの昔の北野家の富も地位も失った哀れな一裁縫女でしかない――)
次の日の午後、冬子は天野に伴われて東京へ去った。冬子はお光の内生活に起きた深い大きな動乱や、その動乱の原因である天野とお光との過去の運命については少しも知らずに去ったのである。
「冬子も奪って行った、彼奴は!」お光はこう心から言った。こうお光は心から言わずにはいられないお光の生涯の「埋れたる過去」の事実は次の章に示されるであろう。人々はそこに人間の運命の恐ろしい相を見ることであろう。

第五章 埋れたる過去

お光は金沢の市街から五里ばかり隔った平野の果ての、大川村という海近い村に生まれた。村は杉や樅や樫の喬木林によって囲まれ、烈しい冬の風雪や、真夏の灼熱した日光から、それらの樹木は村と村人とを護って来ていた。それはいつの頃から知ったともなしに、お光が十六、七の娘の時分には、この村の久しい昔からの成立や村とお光の生家との関係がはっきり会得されていた。大川村はお光が生まれない昔の頃は同じ加賀平野に存在しながら付近の村々から孤立して生活していた。千年も二千年もの昔、まだ村一帯が雪の深い曠原であった頃、(平家の残党であるともいう)一群の南方より漂泊(さすら)い来た人達が、この辺の曠野の広大さに、放浪の草鞋を脱ぎ捨てたのがこの村の草創(くさわけ)であった。耕すに比類のない豊かな処女地、処女地に潜む新鮮な生産力、――しかし何分にも一群の人数が少なすぎた。人間の数が一群には必要だった。人間に人間を創る方法は一つしか授けられていなかった。交通しあう部落は大川村の近くに見出されない、少数の男と女は新しい同族の出生に、自分達して努力するよりほかに道がなかった。長い放浪の旅は女性の数を少なくしていた。親と子、兄と妹、姉と弟、叔父と姪、叔母と甥、祖父母と孫、友人の妻、友人の夫、主人の妻、臣下の青年――どうにも仕方なかった。男性と女性でありさえすれば、そして二人の交わりが新しい生命を創り出しさえすればそれでよいとせられた。生めよ、殖えよ、大川村の野に充てよ、と一族の者は心から祈った。こうして労力を惜しまず土地を耕す者が殖やされ、血と血が恐ろしい複雑ないりくりを錯乱して、濁って行った。食う欲望、住む欲望、婬乱な野獣のような渇望、子が親を殺したり、妻が夫を殺したり、友が友を殺したり、そうしてその殺し合う仇敵の間の悪血の交流。そのようにして時が過ぎて行った。太陽は日々に東方より平野を照らし、星辰は夜々空に輝き、恐らく同じ地の上には歴史が他の人々によって生活されている間を、大川村の人達は大川村より外の世界を知らずに生活して来ていた。春、夏、秋の期節には恵まれた北国の野には快い労働と快い婬楽が人々の魂を痺(しび)らしたけれど、あの暗鬱な圧し下がる十二月の空から昼夜の別もなく重い氷雪が降りしきり、西比利亜(シベリア)嵐が吹きつける恐ろしい冬は常に人々を脅かした。
人間よ、汝等の地上に栄えることを誰が許したか。滅びよ、滅びよ、滅びつくせよ、と冬は語った。樹木の色の見えない三、四カ月の後、再び春が廻り来る頃、潰れた村の家の中に凍死した村人の骸(なきがら)が毎年五十人を下らなかった。しかし滅ぼす力も自然なら、生み殖える力も自然であった。村の人達はいつとしもなく大川村という一つの社会を組織して、ある統一を成立していた絶妙さ。お光の生家である北野家の先祖が、大川村の中心人物となったのも丁度そうした統一が完成しかけた時であった。それは、その頃の村人達は何も知らなかったが、卑しい身分から身を起こした一平民が地方に分裂していた日本の勢力を統一して、歴史上の戦国時代を最期にせしめた頃であった。血と血が入り乱れた長い年月の間にある性格、ある才能、ある体格の特徴がこの小さい村の住民達の間に繰り返されているうちに、勝れたもろもろの血が、ある一人の子に恵まれたのだ。その一人が恵まれた体力と智力とまた努力によって村人との間にある種の優越を現わしたのだ。そして彼は富を得た。貧乏な意気地なしが彼の前に屈服した。彼は村全体を征服したくなった。そしてそれは彼にとって容易なことであった。――北野家は大川村の宗家(そうけ)である――こう彼が宣言してから、大川村は一切の権威を北野家に与えねばならなくなった。幾代の間北野家は大川村の宗家であることを村人の頭脳に浸み入らせるためにお光の祖先の意思に順(したが)って努力したことだろう。大川村の人達はすべて北野と同一血統で、したがって村の富栄は北野家の富栄であるように北野家の富栄は大川村の富栄である。大川村の住民は当然のこととして北野家の永遠を希い、そのためにはいかな犠牲も拒んではならないという一種の道徳が権威を帯びて村人に浸潤して行った。そうしてその結果は村一切の滋養は北野一家に吸収され、村全体は貧窮に苦しむようになり、しかもそれが感謝すべき自然な状態であるとさえ思い込むようになってしまった。お光がまた幼かった頃、終日を野に出て労働して日が海に没してしまう頃村の入口へ帰って来た百姓達の群が、自分達の泥まみれの仕事着も饑(ひも)じい空腹も忘れ果てたように、白壁の煉塀を廻らした宏壮な北野家の邸を仰いでいるのをよく見た。彼女が城門のような門際に佇んでいるのを、一人一人が心からお愛想を言って行った。村人達にはたとえどれ程彼ら自身の生活が貧弱化されても、北野家の富と栄えとは十分な報償であるらしかった。恐ろしいことにはお光達自身――北野家の子孫がこうした村の状態の源は遠い祖先の政略であったことを忘れて、それが正しいことのように思い込んでしまったことであった。お光でさえが後にひどい生活の苦労に洗われるまでは、それがどれほど悪い気の毒なことであったかに気づかなかった程であった。
しかしお光が北野家の先人達のうちでやや詳しく知っているのはお光にとっては祖父にあたる伝右衛門の晩年以後からであった。伝右衛門が五十を過ぎた頃、その頃は大きな改革の波が日本を洗いかけている時代であった。彼はどんな改革が日本に起ころうとも彼自身の大川村における根底は深く揺るがないものだとの自信を抱いていた。政治上の実権が天子に返上されたとき五十八歳の彼は平気な顔をしていたが、暫くして彼はもう大川村の庄屋ではない。庄屋という役目さえもなくなったと聞いたときには、永久であるかのように信じていた自分の地位を一片の布告によって消滅せしめる新しい政府を不思議な眼で見ない訳に行かなかった。彼自身の立場がわりに浅いように思われて来た。彼は六十であった。人間としての活力は衰えかけていたが、ある種の知恵は老熟していた。彼は夢からさめたように全体を見廻した。どうにかしなくてはならないと彼は思った。彼は大川村の住民達があまりに貧しいのに驚いた。貧しいことはよいが、そのためにやがて他の村々との交通が開けるにつれて北野家への信従を失ってはいけないと彼は考えた。彼は最後の精力を振盪(しんとう)して清酒醸造の事業をはじめた。彼の計画は見事に的中して、新しい生気が村中に溢れて来た。村外れの空地に大きい酒蔵が建てられ、白壁がきらきら日光に輝く下で、若い村の青年が、かん、かん、かんと酒桶に輪を入れる音を響かしていた。多少の金廻りは村人の心を動揺させないために有効であった。「うまくいった。うまくいった、北野家の伝統の岩をゆるがし得るものがこの地上(よ)にあろうはずがない」伝右衛門は悦んだ。そうしてその悦びと共に、明治五年の春、伝右衛門は死んだのであった。
伝右衛門には容太郎という一人の男子があった。彼は二十六の青年で、伝右衛門の先妻の子であった。容太郎の母は同じ村の青木という百姓の娘で、伝右衛門との間に容太郎を生んだきり子がなかった。容太郎が十五、六歳のとき母は子宮癌で苦しみ通して死んでしまった。しっかりした女手がなくなったために、青木の家の末の妹(容太郎の母の妹)が北野家へ来て家事の世話をすることになった。お信(のぶ)は細身ないつもは蒼白い顔で頼りない寂しい風をしていたが、何かの機会には情熱に燃えて美しく頬を染め出す女であった。伝右衛門はそうしたお信を美しいと思わぬでもなかったが、直接どうしようとする意思もなかった。そうした行為が生み出す不幸を知り過ぎている彼の聡明は静かに彼の欲念に打ち克って来ていたが、彼が清酒の醸造をはじめるようになってからは、彼は仕事のためにどうしても身肉を委ねての内助者が必要であった。彼はお信に結婚を強いた。どうしてそれがお信に断り得られよう!五十八の伝右衛門と三十二のお信は結婚した!恐ろしい悲痛はこの結婚によって育まれねばならなかった。誰も知らないうちに六つ年上の叔母のお信に恋する心を止め得なかったのは――伝右衛門の一子、お光の父容太郎であった。薄暗い土蔵の二階の冷たい静けさ。蒼白い肉体を内からの熱情で輝かすお信の美しさ。憂鬱な瞳の奥に閃く燐光のような気配の可愛さ。容太郎にはお信が忘れられなくなってしまった。気象の猛烈な容太郎は秘密な恋愛を嫌って、幾度となく伝右衛門に打ち明けようと焦るのをどうにか宥(なだ)めて来ていた時に、お信は、容太郎の父であり実姉の夫である伝右衛門と結婚しなくてはならなくなったのである。お信が伝右衛門の後添になってから、幾度容太郎は薄暗い湿った土蔵の中で彼女を捻じ伏せ擲りつけたか知れない。お信を殺すほどの痴(おろか)にもなれず、父を殺すだけの狂気も持てず、ずるずるお信の肉体に引きずられ、彼はやはり苦しい土蔵の秘密を秘密とする哀れな破廉恥な自分を見つめて二年の年月を送った。あるときはお信が懐妊して三月足らずで流産したとき、容太郎はその闇から闇へ往く生命が誰の子であるかを考えて狂いそうに悩みつづけた。「あなたの子よ。容太郎さん」お信のささやきを彼はぶちこわすように、「罰だ、罰だ!誰の子だか分るものか」と考えた。そして同じお信の口から父の伝右衛門に、「旦那様、可哀いいことをいたしました」と言っている様子を想像すると堪らなくなった。こうした暗いじめじめした恋であったが、何も知らずに伝右衛門が死んだ後に、容太郎とお信は忌わしい体感とともに残されたのであった。伝右衛門の死は二人に恐ろしい罪を犯していることの恐ろしさを、ひしひしと身にこたえしめた。一人にとっては実の父であり、一人にとっては実の夫であり、またその一人一人が実の叔母と甥である二人がこうまで愛し合わずには生きていられない事実。
伝右衛門の死後何よりも容太郎の結婚問題が北野家に燃え上った。伝右衛門の遺書にはお信の兄であり、容太郎の母の兄である青木の家の二女のお里を貰ってくれとあった。そしてその第一の主張者はお信自身であったとは。
「お里さんを貰った方がようございましょう」
「それは本気だろうか。それで俺とお信さん、あなたとの間はどうするつもり」
「今まで通りでいいでしょう」
「馬鹿な!」
「どうして?」
「お信さんは一生土蔵の薄暗いところで俺と会うつもりかな」
お光は、彼女の父母である容太郎とお信のこうしたシーンの心持を思いやって父母の苦しい心に息づまるような思いがした。
「そうでないとね、いつか二人の間が村の人に知れるか、どんなに用心していてもわたしに子でも出来てごらん、そうすれば二人は死ぬより外に道はなくなるでしょう」
「それじゃどうしろと言うのだ」
「それよりかお里さんを貰って村の衆達を納得させて置いてから、わたしをほんのあなたの召使のようにお傍に置いて下さったらよいでしょう。わたしは一生人に謗(そし)られて日影で暮すことを何とも思やしません。容さんの身分でわたし一人を世話する位は、お里さんを貰ったあとなら誰も見逃してくれることですから」そう言って辛そうに泣いたお信の切なさは一生お光にはわかるような気がした。
お里は肉付のいい快活な田舎娘で、北野家に嫁入りしたことを一生の誉と思って、一日中快く働いた。お信を、「叔母さん、叔母さん」と母に仕えるように大切にした。しかしお信が次の年、どうにも妊娠をかくし切れなくなったとき、お里は初めお信の相手が誰であるか理解できなかったほどに単純な心の主であった。ある夜、恋しい夫である容太郎からお信の相手が実に彼自身であることを打ち明けられて、「仲よくしてくれ、な、お里」と言われたときのお里の世界が火焔を吹いて燃え上ったような感じは、お光が年とってからも涙ぐまずにいられないいじらしさをもって迫って来た。彼女は悲しい涙の味を知ったであろう。そして次の朝から世界は別な深味をまして彼女を迎えたであろう。田舎娘の単純な質朴さはお信に憎しみよりも妬(ねた)みを感ぜしめた。しかし妬んでも仕方がないと知ったとき、彼女は哀れ深い様子をして召使のような従順さでお信に奉仕した。お里のいじらしい心を見て、罪深い二人は深い溜息を漏すより外に道はなかった。しかも容太郎は新鮮な果実のようなお里の心や肉体よりも、廃(すた)りかけた蒼白な馴染深いお信の魂と体を愛さずにいられなかった。
お信が中年の苦しい初産で生み落した嬰児は、頭ばかり青ぶくれな身体の小さい、泣声のひひひという汚ない男の児であったという。それがお光の兄にあたるのであった。お光はお光が生まれない以前のあるひとときを想像することが好きであった。それは丁度秋十月の末頃であらねばならなかった。一年の辛労の報償を暮れ易い秋の日に取り入れなくてはならない百姓達は晩(おそ)くまで野に働いていた。地は一面に誇らしい黄金色の稲穂の波をうねらせている野面が北野家の奥座敷から木の間隠れに見わたされる。
「お信さん、どんな工合ですかね」
「大分いいようですよ」お信は蒼白い痩せた頬にすまないような寂しい微笑を湛(たた)えて、お里が抱いている嬰児を見向きもしない。
「ちっとも自分の子のように可愛いい気のしない子だよ。その子はお前さんの子ですのね」
「そうして戴けたら、わたし嬉しいですけれど――いい子だこと」
お里は青ぶくれのした嬰児の頬に自分の赤らんだぽたぽたした頬をすりあてていた。
「おかしいのよ。ちっとも自分の子が可愛くないのだから――傍へよると何だかむさい匂いがするじゃないの?」
「ひどいお母さんだわね。わたしが可愛がってあげますから。容一郎さんというの、北野家の大切の大切のお世嗣(よつ)ぎですのね」お里は容一郎をあやしているうちに泣きたい気がして来た。お信も涙をにじませていた。庭園の立木を透して降りそそぐ秋の夕日は寂しく二人を照した。
「ほんとにその子をお里さんにあげましょうか」
「ええ、ええ、容一郎さんはわたしの子ですのよ」二人は憎み合えないだけ、それだけ胸の痛手を深く秘めて寂しがっていなくてはならなかった。もう叔母と姪でなく、女と女、一人の恋しい男を守る二人の女であった。
「お里さんにも一人出来てもよさそうなものですのに」
「ええ」お里は恥と口惜しさで俯(うつむ)いて心では祈っていた。しかしお里には子は授からなかった。
次の年お信はまた生んだ。そうしてその出産はお信の生命の奪い手でもあった。しっかりと抱きあった、まるまる肥った健康らしい女の双児は、生まれ出るためにあまりに多くの血を母より奪ったのであった。忌わしい恋のために一生を捧げたお信は「あ」と言って閉じた双の瞳にちらと青白い燐光を燃やして息を引き取ったという。双児の一人は綾子であり、一人はお光なのであった。三十近くなっていた容太郎にとってお信の死は、忌わしい恋愛よりの解放であった。彼はまだ若かった。北野家に遺伝される善い素質が彼を彼の父が残した事業へ向かわしめた。彼はそうして救われるべきであった。彼一人はそうして救われるとしても、彼が犯した罪業の塊、あの年若い甥一人のために一生を捧げてそのためにはいかな罪悪も秘密も忍び終えたお信の血は、容一郎と綾子とお光との三人の生児として北野家に残されてあった。幸いにもお里は子がなかった。子のない女の寂しさは三人の子供を親身の母のように愛育した。お光は後に、お信がお里を北野家へ迎えようと主張したことを思い合わせて、何ともいえない微妙さを味わうことがあった。
しかしお光が物心がつきはじめる頃の父の容太郎の印象はそうした前生涯を通って来た人とは思われないほどに功利的でより実業的(マアチャント)であった。容太郎はお信の死後、再生したといってよかった。長い間の奇怪な幽鬱な肉欲と蒼白な魂の感化から解放された彼に、抑制されていた英雄的な物質主義が生きて来た。憂鬱はお信のもので、彼自身のものでなかった。精悍な体躯と容貌をお光はよく記憶していた。百畳は十分敷ける広大な茶の間(天井のないその部屋の高い屋根裏を橋梁のように太い梁が走り、片隅の一間四方の囲炉裡には純銀の茶釜が黒ずんだ自在にぶら下げてあった)の正面に坐って来客に応対している父のどっしり落着いた態度はお光に忘られなかった。大抵の来客は、ひっそりした広い部屋内の静けさと、容太郎の態度とに脅かされて半分の力も使えないらしかった。「あはっはっはっ……」と何かの拍子に彼に一つ哄笑されるともう大抵の者は逃げ帰ってしまうらしかった。そうした風になりきった容太郎はかつては彼の父の伝右衛門が熱中したように、事業欲に熱したのであった、酒の醸造、大仕掛の漁猟、付近の村や町との取引――という風に、明治も十四、五年になる頃は、彼の威勢は付近の村々にも鳴り響いていた。そうして彼の家庭の内部を一切しめくくったものは哀れな生まず女のお里であった。お光は幼い時分のことを想うごとに柔しいお里の生涯に感謝せずにはいられなかった。
お光が彼女の兄姉やお里に関する最初の記憶は妙に一生忘られない暗示に充ちたものであった。冷たい感触の漂う奥の仏室で、まだ五つになるかならずの彼女は姉の綾子(双児ではあったがお光は妹分にされていた、それは一生そうであった)と二人で紅椿の花で飯事(ままごと)をして遊んでいた。障子に薄日が薄赤く射していた。綾子に対しては何故か受動的であるお光は綾子の言うままに花弁(はなびら)を一枚一枚揃えていたのだ。綾子はお光の揃えた花弁を糸でつなぎあわしていた。すると後ろで不意に綾子を擲りつけるものがあった。それは兄の容一郎が、青ぶくれのした大きい頭を重そうによちよち歩みよって、お光だと思って綾子を擲りつけたのであった。しかし次の瞬間容一郎はそれが綾子であったことを発見して蒼くなって立ち竦(すく)んでしまった。お光に対して生来強者である彼は綾子に対してはまるで弱者であったのだ。彼はお光の穏やかな哀れを乞うような涙の代りに、綾子の恐ろしい侮蔑の眼光を得ねばならなかった。「容一郎の馬鹿!」それはお光が年とってからも忘られなかったほどに恐ろしかった。無論容一郎は力を限りに泣き出したのであった。こうした三人の子供を育てて行かねばならないお里も可哀そうであった。お光はよく奥の薄暗い納戸の蔭でお里がしょんぼり涙ぐんでいるのを見た。お光が年をとってからお里が「お前さんの父はわたしを一度でも本気に愛したことがあるのだろうかしら。一度でもあるならわたしだって一度位は自分の子を生んでもよさそうなものだのに――」と言ったことがあった。「お信さんは生んでくれたのだわね。わたしは育てる方の役目らしいのね。ほんとにお前さん達は母親を二人もった果報者というわけだったのね」と言ったこともあった。そしてそうした事を言う程にお里が三人のうちでお光を誰よりも愛したことも事実であった。お光はまた、父の容太郎が急がしい事業に暇々に虚弱な、我儘で、小心な容一郎が泣いてぐずっているのを「ああ、北野家も己限りかなあ」という風にじっと見守っている寂しそうな姿も覚えていた。生まれた子の劣悪を非難できない父の心中を思いやるとお光は淋しく、そうして自分の肉心にめぐる血に異様な恐ろしさを感じずにいられなかった。父はお光をも愛したが、勝気で男勝りな、強い綾子の、豊麗な少女と成長して行くのにある希望を見出していた。
三人の兄妹が七、八つになった時分、隣村にはじめて小学校のようなものが創立された。誰一人村では通わそうというもののないその学校へ容太郎は召使をつけて毎日三人を学校へ通わした。お光には知らない他所の子供達と一緒に椅子に腰かけて、年老いた先生から難しい漢文や算数を習うことが厭でたまらなかった。どうかして学校へ行きたくないものだと、その頃お光はどんなに思ったろう。それに引きかえ容一郎と綾子は学校へ行くことを喜んだ。容一郎の学問に対する進境の速かなことは学校の先生を驚かした。彼は家へ帰ってからも一人黙って書物をいじくって日を暮らすようになった。豊かな黒い髪、豊麗な肉付、切れ目の長い瞳、透き徹った骨の硬い鼻筋、品のいいふっくらとした鼻付、肥えた下唇、緩やかな顎、血色のうるわしい耳房――人々はお光と綾子を瓜二つのような美しいお嬢さまと言ったが、お光自身は自分が綾子のように美しい少女であるとは信じられなかった。学校でお光は他人と話するのが辛いために部屋の隅に隠れているにもかかわらず、綾子は十日も経たないうちに三十人近い年上の生徒達をいつしか自分の身辺に集めて「綾子さん、綾子さん」と皆に崇拝されていた。お光も内心綾子を崇拝していた。しかしお光には学校は面白くなかった。春になると彼女は学校への道の中途で忘れ物をして来たと嘘をついて、麗(うらら)かな春の日の照っている菜の花畑で、雲雀の声を聞きながら、幸福な春の半日を静かな野に送るのを常としていた。
お信が苦しい恋愛の胎内から生み下した三人の児は、北野家の勢威とお里の愛のうちに長閑(のどか)な平和な日を育って行った。悩みというも、悲しみというも、平和な大海の面に騒ぐ小波にすぎなかった。幸福なうちにお光達の青春がやって来ていた。お光は彼女の青春が来ない少女の時代に対してはそう大した記憶がなかった。
「ほんとにお前さんと綾さんとはよく似ていましたよ。二人が眠っている寝顔を見るとどちらがどちらか分らない位でした。でも、そんなときにはどっちか一人を起こせば分りました。お前さんであれば起こされてはじめはぼんやりしているが、わたしだと分れば穏やかに笑ったけれど、綾子さんだと厳しく怒るように瞳をみはって、それからひきつったように顔を歪めましたっけ」とお里がお光に二人の少女時代の話をした。
少女時代にお光が唯一つ忘られない事実がないでもなかった。それは村の貧しい小作人の一人(背の低い陰鬱な、貧乏のために結婚をせずに一生いた男だという)がある夏の夜、村の娘を無理に関係をつけてしまった。娘は月足らずの男の児を生んだ。その児を仕方なしにその男が育て上げねばならなかった。成長するにつれてその少年はどこか普通の少年と異常で、何よりも労働を嫌がった。野良へ追い出しても草原に寝そべって青い空に吸われるように見入っていて草一つむしろうとしない。彼が十六の年、彼の親の小作人は「乾鰮(ほしか)のように」黒く瘠せ枯れて死んでしまった。親が死んでから彼は小さな家に閉じ籠って仕事をしようとしなかった。村の人達が行っていろいろ意見するが、恐ろしい顔をして「馬鹿!」と怒鳴りつけて寄せつけない。村の人達の話によれば、次のような会話が幾度となく取り交されたというのだ。 「どうしてお前はそんなに怠けているのだ。親爺が死んだらお前が親爺のあとをついで家を立ててゆかなくちゃなるまい、え。お前の親爺はいい働き手やった。その子のお前じゃないか。働いて大きうなって嫁を貰って一家を立てて行かなくちゃならんではないか」
「誰が働くものか!」
「働きとうなくても、吾々のような貧乏人は働かなくては食えないのだ。そこを諦めて働かなくてどうする」
「厭だ!働いて親爺のように黒い乾鰮のように瘠せて死んでしまうのは俺は厭だ」
「働かずにどうして生きておれる」
「嘘を言え!」
「ど、どうして嘘を言うものか」
「そんなら北野様御一家はどうしてあの贅沢をして食っているのだ!」
村の人達はこう言われて恐ろしい禁制を犯したような危険を感じて、この一少年によって表現された言葉の意味を考えようと試みたが分らなかった。そこで彼等は容太郎にこのことを告げて「意見」を頼んだのであった。
「今夜でもいってやろう」と容太郎が言った。お光はそれを傍に居(お)って聞いていた。夕方彼女は父について家を出た。村のはずれの小さい小屋のような家の前で父は「太一いるか」と言った。
「誰だ!」
「わしだ。なぜ灯をとぼさんのだ」
「油がないからだ!」そう言って戸をあけて出て来た、瘠せた、眼はある種の権威に輝いている薄汚い少年を、お光は忘られない人の一人として一生思い出した。
「北野の旦那様ですかい。何の用があって来たのだ。俺は親爺の残して行ったほんの少しの零(こぼ)れ米で食っているのだ。働こうと働くまいとお前さんの知ったことであるまい。帰ってくれ!さっさと帰ってくれ!」
「何を言う?」
「大盗賊(おおどろぼう)!俺の親爺を乾鰮のように干乾しにして殺した大盗人!この俺までを干乾しにしようとするのかい!くそッ、その手にのるもんかい!大盗人」そう言って彼はさも忍耐できないという風に大きくしゃくりあげてすすり泣いた。容太郎は暫くぼんやり立っていたが、おぼろげに彼が何を言おうとしているかが分って来た。もう許して置けなかった。身内に何代もの祖先の血が逆行した。彼は泣いている少年の頬を力まかせに擲りつけた。すると少年は泣くのをぴたりと止めた。
「う、う、やったな。仇討だ!覚悟をしろ!」
「身の程知らずめ!」
「うう」
薄暗い戸口で格闘がはじまった。何といっても容太郎が強かった。彼は少年を捻じ伏せて後ろ手に帯で縛り上げてしまった。そしてお光に村の者を呼んで来いと言った。お光はそう言われてはっとした。彼女はその瞬間、彼女は少年が勝ってくれるようにと無意識に少年に同情していたことを知ったからであった。彼女は父にすまない気がした。しかし少年のために祈ったことも事実であった。彼女は村の人を呼びに行った。村の人が来ると容太郎は「こいつは気が狂(ふ)れたらしい。家の裏手の灰小屋をあけて、あの中へ閉じ込めて下され」月光が白く村一面に降りそそいでいる夜であった。村の人達は少年の灰小屋の一つに押し込めてしまった。
「盗人!村の血を吸いとる大盗人!うう、うう、村の衆の大馬鹿!うう、うう、己を縛りあげるとは、うう、大馬鹿!大盗人!うう、今に見ろ!今に見ろ!」
必死の唸きが春の夜を月に吠える病犬の叫びのようにいつまでも吠えてやまなかった。灰小屋の中で灰に塗(ぬ)れて「焼け焦げの乾鰮」のようになって、この哀れな叛逆者は、三日三晩叫び続けて死んでしまった。 村の人達は相変らず黒く湿った土を耕すために薄暗いうちから野へ出て、堅い土を耕し、田植の賑やかな忙しさを送ればすぐに水廻りや、草むしりや、虫送りを迎え、さて秋の激烈な取り入れという風に、一年を通じて日の出から日の入りまでの労働に骨身を惜まなかった。彼等が死なないのが不思議な位であった。彼等は頑強らしく見えたが、それは太陽の直射と荒い風のためにそう見えるので、その実、瘠せ衰えて病気に罹りやすい抵抗力の弱い身体をもてあまさねばならなかった。苦痛を逃れられないものとする宿命観と暗夜の泥塗れの淫蕩、そうして貧乏。しかしそれは大川村の人達のことであった。北野家には幸福と平和のみがあるべきであった。
お光は二十の夏まで不幸、真に人生の不幸というものを知らずに生きて来ていた。しかし遂に彼女をして涙の味わいを知らしめる時が来た。それは忘れもしないお光が二十の夏、日本の年号でいえば明治二十五年の七月のことであった。
その日は朝からじりじり焼け爛(ただ)れそうな日であった。これほど熱烈に明徹に燃焼した日が地上にあり得ようかと思われた。地上の物象が燃え上らないのがお光には不思議に思われた。この日は、二、三年前から兄の容一郎が英語を勉強するために金沢の市街(まち)へ往復するようになってから親しくなったその市街の大きい商人の一人息子である大河俊太郎が、新造の和船を北海道の方から廻航して来る道すがら、大川村の浜へ寄るはずになっていた。俊太郎は兄の容一郎とは気が合うというものか、彼から泊りがけに来ることもあり、容一郎が俊太郎の家へ泊りがけに行くこともあった。そうして彼と綾子とが恋し合っていることは兄もお光も認識し、また好意をもって許しあっている事実でもあった。そうした俊太郎が二十四の青年でありながら、一隻の船を廻航してわざわざ大川村の浜へ寄ることは容一郎兄妹にとっては嬉しいことであった。容一郎とお光は浜への焼けた村道を歩いて行った。綾子は誘われたが来なかった。そうして彼女の来ないところに彼女と俊太郎との恋があった。容一郎とお光はそうした綾子の心を思いやっていた。
その日、歩いてゆく二人の上に光った空はぴりぴり顫え、一面の青田から陽熱に蒸された若い稲の強烈な匂いがお光達の感覚を圧迫した。曠野の中に細く立った無常堂の錆びた煙突も赤く輝いていた。お光と兄は黙って歩いて行ったが、お光には容一郎がこうした強烈な自然の光景を見まいとするように眼を閉じるのを知っていた。曠野の涯の松林を越えると道は熱砂の砂丘に高まっていた。薄赤い昼顔が砂上に夢のように咲き乱れていた。そうして陽熱と地熱の照り返し合う砂丘へ満々と湛えた碧藍の海から微風がそよそよと吹いて来た。
「ああ、いい気持!」と兄はお光を顧みて叫んだのであった。限りない充実を静かにゆるみなく漲らした偉大な海の前に立って、お光もいつものことながら兄の叫びに同じたのであった。
誰一人いない浜の砂丘に立って、二人は暫く海の深い気配、明暗、拡がり光り燃焼する空の面に見とれていたが、人並はずれて大きい頭からたらたら汗をながして、女のお光よりも少し低い位の身体を苦しそうに喘いでいた兄の容一郎は突然「お光」と呼びかけた。お光はそうしたことはしばしばあったので、それにお光はその頃兄を学者として尊敬していたので、何かしらと耳をかたむけた。
「今地球は廻っているのだよ、お光」そう言った兄の顔は非常に苦しいものであった。
「己は今、いい気持になってうっとりしかけたのだが――己はすんでのことで大変なことをしかけたのだ。自然、この見渡す限りの自然がどうして己にとってうっとりするほどの恩寵に充ちた世界だろうか。コペルニクスという人、西洋の学者は地球は廻っているということを教えてくれたが――それが真理であることを知るまでは誰も知り得ないという人間でしかない……自然は決してうっとりするような恵み深いものでないのだ。己が今うっとりしかけたのは己の心に油断が生じたからなのだ。もし自然が恩寵深いものなら、第一、己のこの肉体の醜悪で、虚弱なのは何と言ってよいのだろうかな。どうしたって己は自然は残酷なものと断定しないわけにはゆかない。そうじゃないか、お光。無論お前は美しいから己に反対するかも知れないが――」
お光は、じりじり焼け爛れた日中に寂しそうに立っている、頭ばかり大きい、胴の短く細い、脚の短い兄の姿を正面から見る気になれなかった。幾度となく聴かされる兄の呪いではあるが、さてどうといって慰めようもないことであった。
「己は何のために生まれて来たものだろうか。この血の気のない萎(しな)びた皮膚、青白い細い手足、肋骨の一本一本見えすく胴、五尺に足らぬ躯幹、それから、あはははは、南瓜のような頭――これほど揃いも揃って醜悪に作らなくてもよさそうなものじゃないかね。どう考えても己は生まれない前から呪われている!太閤が生まれたときには母親は太陽を夢みたというし、西洋の耶蘇(ヤソ)が生まれたときには空の星辰が一時に輝いて祝福したというが、己の生まれたときには恐らく蟇(がま)か蚯蚓(みみず)が唸ったかも知れやしない!」
お光は静かに兄の流れ出す言葉を聴いていた。一生懸命聴くことがせめてもの彼女の出来ることであった。二人は波打際の伝馬船の蔭に腰を下していた。
「己が北野家の嫡子に生まれたことが第一皮肉じゃないかしら。この、重い石塊一つ持てない肉体、うまい魚を少し食いすぎればもう吐き出す胃袋、それが北野家の長男だからおかしいじゃないか。なるほど己は学問が好きだ。天地の道理を知る歓びは己の一つの傲(おご)りである。しかし己が北野家の長男であるが故に、家を出て思う存分勉強出来ないじゃないか。また勉強できたところが、己のこの呪われた身体では知るだけで実行出来ないじゃないか。あはははは。要するに己は呪われているのさ。己は北野家の富と地位を守る番人としても碌な奴でないし、学問しても碌な学者にはなれないし、あははははは。親爺はえらい厄介なものを生んでくれたものだ。生んだものはまだいいが、生まれて来た己は災難じゃないかね」兄は暫く眼を閉じていたが、言い出した平常の苦悶は最後まで言い切らなければ止められなかった。
「親爺の容太郎は己にもの一言いわないようにしている。自分で自分が嫌になる位の己自身の有様だから、親爺の身になってみれば無理もないかもしれないが、あの冷淡な、早く死んでくれというような眼差しはどうだろう。何んでそんなに見づらい己を何故生ましたのだ。己は親爺にいつ生んでくれと頼んだことがあるか。勝手に生んだのではないか。生まれて来た己に何の罪がある。しかも一切の罪業の罰が己に呪いとなって積み重なってくるのだから苦しいじゃないか――え、お光、お前はどう思う。お里は己達にとって生みの母でないことは確かだが、一体己達には何にあたるだろう。親爺にとっても従妹、己にとっても従妹、己の生母は親爺の叔母、己には母でそうして大伯母――どうしたことだ!こりかたまった罪業の罰が己の不幸な生涯に負いかかって来ているのを感じるのが己の誤りだろうか」
お光は兄の蒼ぶくれの顔に辛そうな涙のにじんで来るのを見た。お光は兄を慰めたくてならなかった。しかしどう言って慰めてよいか分らなかった。綾子であるなら「兄さん、お止しなさいな、めそめそ言うことは大嫌い!」という風に兄の心を引き立てもするのだが、お光にはできなかった。お光はただ心で同情しているより仕方がなかった。お光は仕方なしに瞳を海の方へ向けた。ゆったり湛えた海面一杯に日は照り返し、白い波頭が入り乱れていた。そうして今まで見えなかった一隻の和船が純白な帆に風を孕ませて海岸近く走せてくるのが見えた。ああ、それを見たときの嬉しさはお光に一生忘られないものの一つであった。
「兄さん、俊太郎さんの船が見えましてよ」
「おう。そうらしいね」兄もさすがに嬉しそうに立ち上がった。兄の唯一の親友であり、兄との内面的交渉の深い、常に兄を光明的に力づけている俊太郎であることを知っているお光は、そうした場合兄以上に嬉しかった。ああ、漫々たる大海原を白鳥のように乗り切って来る愛すべき奴よ!船首に翻る真赤な旗の間から船頭の逞しい裸体の動作が見え、やがて船首が海岸の方へ真正面に向き変った。お光達には腕を拱(こま)ぬいて立っている大河俊太郎の姿がはっきり見えた。兄はたまらないように「おうい」と叫んだ。
「おうい!」弾力のある俊太郎の声が海の微風に送られて響いて来た。
やがて船の進行が止まって新しい錨がぎらり青い光を閃かして海に投げ入れられた。海は新しい船を軽々と白鳥のように浮べたままゆらりゆらり波をうねらせていた。海上に下された一艘の伝馬が俊太郎を乗せて近づいて来た。
「よう、ありがとう」
「おう」と俊太郎と容一郎の手を握り合った瞬間、容一郎の眼には涙がにじみ出ていた。
「わざわざすまなかった。お光さんも来て下さって!」という簡素な言葉と真から懐かしげにしげしげ見下している清らかな黒目勝ちな眼には、兄妹に対する明るい愛が現われているのをお光は知った。
「いい景気だったよ!とても松前の景気を見て来るとこの辺は死んでいるようなものだあね」睫毛をしばしばさせる俊太郎の細身に見える程に引きしまった筋肉を日はたらたらと照した。容一郎は見上げるようにして、 「いい船だ、思ったよりいい船だね」と言った。
「どうしてしっかりしている。佐渡の近くで不意な暴風にでっくわしてもびくともしなかったっけ――どうも暑い!船へ行こう。船上は帆の影で涼しい」
容一郎は黙っていた。俊太郎はお光に尋ねるように、「またふさぎの虫がついたのじゃないかな。それとも学者らしく納まったのかね、え」そうは言ったが、眼色は心からの心配と友情を表わしていた。お光はそれが嬉しかった。
やがて三人は伝馬に運ばれて新しい船に乗り移った。新しい木の香がすがすがしかった。俊太郎は甲板を踏みならして、「面倒くさいことがあったらここへ来るといいですよ。支那へでも南洋へでも君を乗せて行って、君はここで好きな本を読んでいたらいいじゃないかね。海の上へ出ると気がまたからりと換(かわ)るものだから」そして「おおい!ここへ茣蓙(ござ)を敷いて、栗の罐詰と酒を持って来てくれないか」と彼はどなった。主檣(メインマスト)の周囲の空所に三人は坐りこんだのだ。お光は半ば恐ろしく半ば壮快に見渡す大海原を眺めていた。すると兄が「実はさっきから地球は今廻っているのだと考えていたので」と言って笑った。船頭が酒をもって来た。お光は兄と俊太郎に酌をしつつ、ほがらかな幸福を感じていた。二人ともそんなに飲める方ではなかった。
「くよくよするのは無理もありません。しかしそのくよくよにもくよくよがありますよ。ひょっと考えてみりゃぁ天地は広大ではないだろうか。君の真価値をそんなに誰でもが知ったらそれこそ迷惑さ。君の身体は弱い。君の容貌はなる程醜い。しかし君の内なる魂の偉大はそうしたものを内から輝かしているはずだあね」
(君の身体は弱い、君の容貌は醜い)と兄の前ではっきり言い得るだけの人間は俊太郎一人であった。お光はそうした瞬間には俊太郎に親身の兄のような愛を感じた。そうして事実彼は綾子の夫として将来彼女の兄となるべき筈でもあった。
「それは淋しくて切ないことだ。しかし、それは既にどうにもならない自然の運命。恨むのはいいが、恨むことに囚われて自由な路を見失うのは愚だ――君の親爺はどうして君を愛さないものか。ただ君の内なる親爺自身を見出すのが辛いから、自分を恐れて君につらく無情らしくあたるのに相違ないのさ。それよりか己の親爺と来たら、ほんとに考えても涙がこぼれる。酒は飲む、博奕は打つ、ああ己が七つ八つの時分から朝の暗いうちから起きて飯を焚いて、味噌汁をこしらえて、それから親爺様御飯が出来ましたと言って起こして行くまで床にいて起きなかったのだからね。勿論己の嘗(な)めて来た苦しみと君の嘗めなくてはならぬ苦痛とはまるで本質が違うことはちがう。君のは何と言ったらいいだろう――前世の業だね!」お光はぴりりと神経にこたえたが、兄は存外しずかに、罐詰の栗を、「うまい」と言って食べた。
「うまいだろう。この沖合で君と一杯やろうと思って用意して来たのだから。この沖へ来たときには大きい男の胸がわくわくしたからね!――それはそうとこの頃何を読んでいるのかね。この前会ったときはダアウィンの進化論で己を煙に捲いていたっけが」
「この頃は何も読まない。頭が重いし、暑さが身体にこたえて」
二人は浅い酒の酔いに頬をほてらしていた。お光も小さい盃に一杯注がれて身体中の血を熱くして来た。船頭のうたう出雲節がきれぎれに、

西が黒けれあ雨とやあら、東が紅(あか)けれあ風とやあら、
千石積んだる船でさえ、風があわねばはせもどうる……

と海の微風と共に送られて来た。
「綾子さんはたっしゃですか」と俊太郎が暫くしてたずねた。
「あいつはいつも元気で、家中自分のものにしていますよ。そうして――」
「そうして?」
「あはははは、君のことを言うときだけはおとなしくなるから妙です」
「そうか」と俊太郎はお光を見て微笑(ほほえ)んだ。嬉しいのだとお光は思っていた。
「お光さんもたっしゃらしくて結構ですな」お光はただ微笑むより返事の仕様がなかった。
「君は実際いい妹さんをもって結構だよ」と彼は言った。
「さあ――しかし妹なんていらないと思うね。ことに綾子の己を馬鹿にしきっていることは!」
「綾子さんか、そんなに邪魔なら僕がもらおうかしら」
三人はいつしかお互いに全心の力で緊張し合わねばならなかった。
「それはもう!綾子も君のこととなると特別なんだから!――君の方から直接僕の親爺の方へ申込んでくれるといいのだが」
「そうかしら」
そして三人ともほっとしたのであった。
――伝馬は暫くたってお光達を陸へ戻してくれた。夕焼の燃えたつ海上を新しい船が帆をあげて出てゆく情景は美しいものだった。お光と兄は静かに寂しい夏の入日を背にして野道をかえったのであった。路々兄は言った。
「お前はどう思う。綾子の夫として恥かしくない男じゃないか」
「ええ、そうですとも!」
「お前は少しあとになっても辛抱してくれろな」
村近くで、虫の鳴く音がしきりにしていた。昼の余炎はまださめ切らなかったが、野面をわたる風は寒かった。お光も容一郎もまた俊太郎も、また実に綾子も、俊太郎の妻となるべきものは綾子であると信じきっていたこの日のことが、わずかの日のうちに、お光が俊太郎に嫁がねばならなくなるような異変が起ころうとは、少しも夢みさえしなかった事実であった。
その頃金沢の市街に「自由社」という学術上の青年の結社があった。最初は当時の中央政界で志を得なかったY氏が故郷に退いて静かに力を蓄えつつ自由民権の思想を青年に浸潤させようために結ばれた政治結社だったが、明治二十三年に憲法が発布され国民議会が召集されY氏がその第一回議員に選ばれると、自由社を見捨ててしまった。Y氏が去ったあとにも自由社は残ったが、純然たる学術上の青年結社となったのであった。そうして毎年夏にはこの社の総会があって、中央の思想界の名士を招待して講演をしてもらう慣例となっていた。北野容一郎も実にその頃の自由社の青年達の間では有力な一人であったのだ。そうしてこの年の講演会には大学教授で有名な法律学者のO博士と、その頃あまり一般的ではなかったが『洪水』という月刊雑誌を出して一部の青年に自由と力と熱とを解放せよと宣伝し在来の権威を破ろうとしている青年思想家の天野一郎とを招待することになっていた。
お光と容一郎が大川村の浜辺で俊太郎に会ってから(俊太郎は山陰の米子港まで行くはずだった)二日経ったある朝のことであった。お光が門際に立って村の入口の森林に射す日の光を浴びていると郵便屋が電報を持って来た。兄あての電報であった。兄の特別あつらえの書斎は土蔵の後ろに建てられた新しい二階建であった。お光は胸に異様な動悸を感じながら、ぎしぎし音のする階段を昇って行くと、窓から射す日光が浅黄の蚊帳の糸に美しくもつれていた。静かであった。彼女は兄が眼をさましていてくれればいいと考えていた。兄は床の中で眼を開いていた。
「綾子かい」
「いいえ、わたし」
「お光かい」
「ええ」
「綾子かと思った。あいつ大河のことを話すと妙に女らしくなるからおかしい」
「電報が来ました」
彼はお光から電報を受取った。そしてむっくりお光が驚いたほど元気よく跳ね起きた。
「今から金沢へ行って来る。自由社の講演会が今日になったのだ!」
すると力の籠った足音がして、黒い艶々した量の豊かな髪を銀杏に結って、服綸更紗(フクリンさらさ)の前掛をしめて淡紅色のたすきを片方だけ外した綾子がはいって来た。すばらしい美しさであった。お光よりか少し背が高くすんなりと伸びて、充溢する光輝が彼女の全身を力強く活気立たせていた。
「はやく御飯をしまわなくちゃ、じゃまでしょうがない」と彼女が言った。
「今から金沢へ行くのですって」お光は兄が黙っているので言った。
「何しに?」
「自由社の講演会に」そう言ってお光は電報を見せた。そうして三人は階段を下りて、長い縁側の廊下を通って茶の間へ行くと、髪の毛の白くなった容太郎がただ一人瞑目して坐っていた。そのときの父と三人の子が坐って向いあったときの森厳な平和はお光に一生忘られなかった。容一郎がじりじりに燃えて来る野の道を金沢の方へ出て行くのを綾子とお光は見送ったのである。

蒸し暑い風の淀んだ次の日の夜であった。地平にひろごる残光は暗い空と黒藍の海に吸われて、闇が平野一面に這い拡がっていた。曇った鈍い空には月光が層雲の間から射すのみで月は見えなかった。血を騒がす異様な蒸し暑さが充ちる夜であった。お光は門口に立って戸外を眺めていた。彼女は綾子が夕頃から見えなくなったのが何故か心配であった。昨日の夕方晩く、兄の容一郎が勝利を得た将軍のように金沢から帰って来た。彼は実にその時の講師の一人である青年思想家天野一郎を同道して来たのであった。お光は少なくとも三十四、五の人物を予期していたのに未だ三十前の青年であった。しかも、その男性的な容貌と態度の立派さ!威圧するような泰然とした静坐の仕様、静かではあるが熱と力に充ちた話し振り、父の容太郎に広い茶の室で容一郎が紹介したときの、あの父さえも一と呑みにしてしまったような自由な悠々たる身のこなしよう、まるでこの北野家というものが何の価値もないようなゆったりした態度、それは兄にとっては崇拝の念を喚び起こし、お光には恐ろしい気持を抱かせ、そうして綾子には「何を!」という反感と敵愾心(てきがいしん)を起こさしめていた。お光は綾子が凄まじい憎悪に緊張しながら彼を睨みつけていた、昨日から今日の様子を思い浮かべつつ、綾子が夕方頃見えなくなると共に、彼、天野一郎も見えなくなったのが心配でならなかった。
「憎ったらしい!」と綾子はその日の午後お光に言った。「人を見下したようなあの態度はどうでしょう。兄や父は何をあんなに珍重(めずらし)がる必要があるんでしょう。追い出してしまえばいいじゃないの?」その言葉からお光は綾子の苛々(いらいら)した、自分を傷つけられたものの悲しみを聞いた。同時に天野の注意が特に綾子に向けられていることも彼女は気づいていた。お光は一時間近くも門際に立って何を待つともなく待っていた。もう日は沈み、真暗であった。そうして真暗な夜に、星が村々の樹木に照り返っていた。ふと気づくと、すらりと背の高い男の姿が大股に緩やかに鎮守の森の方から歩いて来るのが見えた。天野であった。
「お光さんかね」耳の近くで囁くように言って、彼は悠然と門の内へはいっていった。入りしなにじいっと吸い込むように見下した深い眼光には超人間的な恐ろしさがあった。お光はほっとした。すると同じ森の方からとぼとぼと歩んでくる黒い影が見えた。綾子に違いないとお光は思った。綾子であった。
「綾子さん」そう呼びかけたとき見合わした綾子の眼の複雑な恐ろしさ。燃ゆる熱火を厳粛な冷やかさでじっと制している刃のような凄さが身に迫って来た。
「お光さん」
「――?」
「ちょっと来て頂戴」綾子は邸の横手の人の通らない小径に身をひそめた。お光は動悸をおさえて綾子について行った。
「お光さん、これはわたしがあなたへの一生に一度のお願いですよ」と綾子の声はやや顫えていたが、冷たい厳粛さが底にあった。
「わたしは復讐をしなくてはならない身になりました。わたしの二十年の生涯の誇りも美しさも清さも、一切のわたしを蹂み躙った人間に、一生をもって復讐しなくてはならなくなりました――」お光はぎょっとした。綾子はつづけた。
「お光さん、わたしは明日、あの憎い天野一郎とこの家を永久に駈落ちしますよ。みんなはわたしが彼奴(あいつ)に惚れて逃げたと言うでしょう。しかしお光さん、お前さんだけは、わたしが一生涯かかって今日のこの屈辱の復讐をするために仇敵(かたき)を逃がさないように、仇敵と共に逃げたことを知っていて下さい。そして、あの大河さんのところへはあなたがわたしの身代りに行って下さいよ。分って?ええ、お光さん、わたしが一生の願いですよ」綾子は空を見上げるようにして唸った。
「無礼な!兄や父を丸め込んで、それで足りないでこのわたしまでを征服しようとしたって……このわたしの身体を征服したって、この本当のわたしをどうできるものでしょう!本当のわたしはいつまでも俊太郎さんのもの!――憎い奴、憎い奴だ!天野一郎の畜生!この日を覚えているがいい!きっと復讐はする!一生かかって復讐する!――お光さん、わたしは天野と結婚します。そうして十分わたしの美しい肉体で酔わしてやりましょう。しかし十年二十年のうちに、きっと今日のこの復讐をして、あの力に充ちた天野を滅ぼしてみせます!お光さん、お前さんは俊太郎さんへ行って下さいよ。そしてこのことはお前さん一人の一生の秘密ですのよ」
次の日天野が出発した。そしてその夜綾子が家出をしてしまった。汽車の中からとして兄と父あてに「天野と夫婦になるために」逃げたと書いてよこした。皆はそう信じてしまった。父も兄も綾子を浮気ものだと怒った。殊に父はいよいよ自分の罪の報いが来たように眉を顰(しか)めた。どうにでも勝手にしろ!と彼は言った。綾子のそうしたことも知らずに大河俊太郎が結婚を申し込んで来たとき、お光は自分でもよろしければどうぞと頼んだのであった。容易に話は纏らなかったが、お光の本気が皆のいろいろな感情を柔らげるに力があった。お光が大河俊太郎に嫁入ったときの心持はむしろ悲壮であった。

容太郎はお光が嫁入った翌年死んでしまった。そしてその年の秋にはお里も死んでしまった。北野家には容一郎一人が残されたのであったが、その容一郎も、決して幸福に人間の寿命を生きたわけではなかった。北野家の滅亡すべき時が来ていたのであった。しかし滅亡したとて惜しむわけはないのだ。とお光は後に思った。もともと何一つないのがあたりまえの北野家であった。大きな邸宅や財宝のあるのが間違いであった。しかもその滅亡が北野家の総領である容一郎自身の死と意思によって実行されたことは、むしろ北野家のために祝福すべきであるのかも知れない。お光が大河に嫁して三年目の春五月、胃癌で患っていた容一郎は土蔵の(この土蔵は容太郎とお信の恋の廃墟であった)二階で縊死したのだ。しかも、遺書には全財産を大川村全体にお返しすると書いてあった。
全財産を大川村へ返却する!ああ自分の弱いことに悩みつづけていた容一郎の最後の人生への贈物はこの一事であった。人々は狂気したのではないかと言ったが、狂気の証跡はどこにもなかった。北野家は滅びてしまった。しかし容一郎の精神は永遠に生きるであろう。俊太郎はお光に「偉い、偉い!とうとう実行した!お前の兄貴は偉い!」と言ったが、その俊太郎の知己の言であることも、俊太郎の死後、年とってからようやく分ったことであった。
北野家が亡びた翌年、お光は平一郎を生んだのであった。そうして平一郎が三つの春、俊太郎は死んだのであった。俊太郎の死後、お光は平一郎一人のために彼女の後半生を捨てて、生活して来たのであった。ああ、その間の長い苦労よ。
このお光の生涯の一大転機はあの天野が綾子を「奪った」ことに原因しているのである。天野が綾子を辱しめなかったなら、綾子は真の恋人の大河俊太郎に嫁いだであろう。そしてそれは俊太郎にとっても綾子にとっても幸福であったろう。そしてお光もこうした苦艱な運命を受けないですみ、北野家もあるいはあれほど惨めに亡びなくてもよかったであろう。一切の運命の狂いの原因は、むかしの天野一郎、いまの天野栄介一人にある!ああ、しかもその忘れてはならぬ大悪魔の天野は冬子をも奪って行ったのである。
お光は合掌し祈るような敬虔な心で、ひとり子平一郎の成長を見まもらずにいられなかった。(天野に勝ち得る者は平一郎より外にない!)
 
第六章

粛然とした闇の夜である。仲秋近い真夜中の冷気は津々と膚に寒い。暗い地上の物象は暗に吸い込まれて、ただ夜露が湿っぽく下りていた。六百人近い少年が身を潜めて整列していた。そこは広い高台の運動場である。露に湿れた草生(くさふ)が靴の下にあった。水中のように澄みわたった闇である。現世と思われない静けさが、六百の少年の心に浸み入ってくる。時折靴のすれる音、教師達の遠慮深げに歩む音、囁く音より外に断れぎれな蟋蟀(こおろぎ)の鳴く声がするのみである。
引き緊った静寂が、夜空をわたる幅の広い大砲の音で破られた。闇に人の動く気配がして運動場の正面にあたるところに二つの篝火(ががりび)がぱっと焔を揺らめかし燃えはじめた。火花を散らし燃ゆる篝火の焔の間に質素な祭壇が、光と暗の間に見えた。
「気をつけえ!」
少年は森厳な気におされて、心から身を引きしめ不動の姿に唇を閉じた。焔が夜風に煽られてゆらゆらと流れる。黒い影が静かに祭壇に榊をささげる。教師が一人一人捧げる。生徒総代が同じく榊をささげる。その静黙の夜空を遠く大砲の音が、どおん、どおんと響いて来た。
「最敬礼!」闇に六百の少年は長い敬虔な敬礼を行なった。そして頭を挙げたときには、もう篝火の火は消えて、余燼が闇に散らばっているに過ぎなかった。寂しくて厳粛であった。一同は一人一人夜露に湿れた草原を通って裏門から街の方へ去りはじめた。平一郎もその中の一人であった。彼は幾度も空を仰いだが、彼の好きな星は一つも見えなかった。群集におされて街中へ出ると、両側の家々には黒い幔幕が引きまわされ、黒い章のついた提灯が軒並に吊されてあった。この夜の午前零時を合図に行なわれた御大葬の式の御亡骸(おんなきがら)を遥かに見送り奉るため、一般市民は公園の広場に集まるのであった。平一郎は寂しくなっていた。去った冬子のことや、自分の運命の貧しさのことや、また和歌子のことや、遂には死ななくてはならない自分達であることやを考えて、誰一人高声で話すものもなしに街上を一杯に溢れて歩いて行く群衆の中に交って歩いて行った。大砲の音はどおん、どおんと響いた。彼が自分の家に近いS川の大橋近くへ来たとき、彼は橋詰に佇んでいる一人の女学校の生徒を見出した。髪の結い方や、少し腰を折って佇んでいる姿が和歌子に相違なかった。彼は嬉しくてならなかった。本当にこうした、死の厳粛と森厳と恐ろしさに充ちた夜に、愛する和歌子に会うことは何というすばらしい生甲斐、歓喜であろう。
「和歌子さん!」
「あらっ!平一郎さん!わたしね、きっといらっしゃると思って待っていたのよ」
「ありがとう――河べりに沿ってS橋の方から行こう」
「ええ」
二人は橋詰から、枝垂れ柳の生えた川岸を、流れに沿って下りかけた。誰も通るものはなかった。水流が黒藍のうねりを光らせつつ十五の平一郎と十六の和歌子の歩みを流れて行った。平一郎は片方の手をズボンの袋(ポケット)に突込んで、右手で和歌子の手を握っていた。微かな温かみ、その温かみこそ僅かに秋の夜中の寂寥と冷気とから二人を元気づけていた。
「僕達は運動場で篝火の燃えるのを見て最敬礼をして、それだけだったのです」
「わたし達だってそうでしてよ――でも何んだかこう気味が悪くなって来たのよ」
「僕だってそうさ。葬式なんて考えるだけでも厭だ」
「厭でも死ねば仕方がないのじゃなくって」
「それあ仕方ないさ。仕方ないったって、和歌子さんだって死ぬのは厭だろう」
「厭ですわ!死ぬなんて!」
二人は堅く手を握り合って、足下を流れる水流を見つめていた。平一郎は亡き父のことを想い浮かべていた。和歌子は虎に食われて死んだという亡き母のことを考えていた。もくもくと流水は絶えず同じ瀬を作って流れて行った。
「何を考えているのだい」
「わたし?わたし亡くなった母さんのことを考えていましたの」
「僕も亡くなった父さんのこと考えかけたところだ」
二人はまた黙っていた。今度は和歌子が話し出した。
「平一郎さん」
「何?」
「めおとってどんなことか平一郎さん知っていて?」
「知っているさ」
「どんなことなの?」
平一郎は大きく言った。
「僕達はいまにきっとめおとになるんだよ!ね!和歌子さん!」
「――」
「いまに僕は偉くなるんだからね。僕は貧乏さ。それでも僕は勉強していまに第一流の政治家になってこの世の生活をもっといいものにして見せるからね。僕は和歌子さんとめおとになっても恥かしくないようにきっとなるからね――」
「ほんとう?」
「僕がうそを言うものか。いつだって僕は手紙にそう書いているじゃないかね」
和歌子は深い溜息を漏らした。少女の熱情で瞳は輝いて来た。そして、平一郎の右手を両手でおさえて、じっと胸に当てて放さなかった。
「吹屋の丘へ行こうか。和歌子さん」
「ええ。ようござんすわ」
二人は嬉しかった。このまま別れてしまう気がしなかった。昼のうちに寝ているので眠くはなかった。橋を渡って、寂しい暗い街を小走りに、午前二時頃の、黒い幔幕をはった廓の一部を通り抜けて、二人は広漠とした夜の野原に出た。地平の一線をくぎりに野は一面に暗黒色に充たされ、空はやや薄い水色に曇っていた。虫の声が地に湧きたっていた。二人は手を握りあったまま路を歩いた。あまりに広大な夜の自然が恐怖を与えぬでもなかった。吹屋の丘の草原は夜露に湿れて坐りようがなかった。二人は佇んだまま、身に迫る夜気に堪えていた。
「はじめて僕達はここで遇ったのだね。和歌子さん」
「そう――わたしまだ平一郎さんのあの手紙を暗記していましてよ」
「僕だって覚えていらあ」
そう言って彼はそこに坐りこんだ。和歌子はそこにつくばった。寒さに身を顫わせていた。和歌子は自分の家のことを想い出して少し心配になり出した。
「もう何時かしら」
「何時だっていい。僕は夜通しでもここにいたっていい。僕だっていつまでも中学のがらくたじゃないさ」
すると和歌子が堪(たま)らないようにくすくすと笑い出した。ひどく寒かったが平一郎は我慢していた。
「何がおかしい?」
「がらくたっていうのがおかしいじゃないの」
「そうさ、がらくただあね」平一郎も哄笑した。
「東京の有様は随分盛大でしょうね」と和歌子が尋ねるように言った。
「そうだろうさ。何いったって本場だもの……」と言いかけているうちに冬子のことが湧いて来た。「……僕の知っている人がこの間東京へ行ったから、きっと今日は柩も見ているに違いないや」
「知っている人ってどなた?」
「それはね、僕の母さんの友達の冬子という女の人だよ」
「そう」和歌子は黙ってしまった。暫くたって「もう帰りましょうよ」と言い出した。
「どうして?」
「わたし、何んだかつまらなくなったの」そしてつけ加えた。
「家へいけないの、遅くなって」
「じゃ帰ろう」
二人はとぼとぼ暗い野路を街の方へ帰って来た。明るみに出たとき、二人は何もかも忘れて笑い合った。二人が街角へ来たとき、街の方からけたたましい号外の鈴の音が近づいて来た。平一郎は飛びつくようにして一枚を奪った。
「和歌子さん!」
「何んですの」
「乃木将軍が殉死されたのだ!」
「そおお!」二人は号外の活字に鮮明にその事実を読み得た。
「平一郎さん!」接吻を知らない人にはただ溢れる熱情をしっかり双手を握り合うことによってのみ表わし得た。厳粛な死によって神聖にされ、祝福された、二人の恋であった。一つの時代より他の時代へ移りゆく時期に発生しがちな時代の弱点や人心の頽廃を乃木将軍の死は引きしめる力があった。二人の少年と少女にとっては生涯忘られない初恋の背景となった。

冬子が去ったあと、お光と平一郎の生活に外面上、何の変異も起こらなかった。お光は依然として勤勉な春風楼の裁縫師であり、好(よ)き母であり、穏やかな平和さを絶えず身辺に漲らしている小母さんであった。平一郎が冬子の別れに感じた悲哀もまだ直ちに彼の性格の上に表われるには彼の年が若かった。傷は伸び行く力によって何のあとかたもなく消え失せたように見えた。あるいは彼の性格の奥深くに潜んでいて時機を得て現われるのかも知れない。しかし、彼には学校があり、和歌子があり、また深井があった。秋の小学校の懇親会で和歌子が百人近い少女達の中から送る平一郎への微笑を見出したときの誇らしい歓喜。何も知らぬ級友(クラスメート)が和歌子を指さして「美しい(ビュウティフル)!」などと囁いているのを聞くおかしさと歓喜と大得意!そうして、そこには常に深井の優しい睫毛の長い涙に濡れたような瞳がいつも輝いていた。少女を愛する心、少年を愛する心、また愛され信頼されることによって奮い立ち、一切の責任を自負しなければ止まない心――それは彼の傲りであろう。彼はよく和歌子と深井と三人づれで、市街の東端のN山へ出かけた。松林の深い茂りと静寂と透明な冷やかさを呼吸しつつ、三人は小高い丘の草原に腰かけて永遠の無垢な歓喜に浸(ひた)っていた。
「いつまでも僕達は子供ではない、僕達はいまにきっと偉くならないではおかない。僕は貧乏だが真の政治家になって……」(貧乏だが真の政治家になって)とは平一郎の口癖であった。貧乏ということと政治家ということがどういう径路で結合しているかは彼自身にも分るまい。また彼の「政治家」と「現実世俗の政治家」とは意味がまるで違っていることもたしかであろう。彼には「貧乏」に苦しめられることが、現実的に政治家となって多くの人間の「貧」の苦痛と害悪を除かずにはおかないという内面的論理を踏むのであった。常に平一郎の熱した理想や空想の聴衆である和歌子や深井には、平一郎が第一流の政治家になることほど容易で実現され得る事実はないと信じられた。
「政治について僕は少年だから何も知らない。しかしそんなことは大きくなって勉強すれば分ることだ。とにかく僕は貧乏だ。僕が貧乏である以上、僕は政治家になる使命がある!」と叫ぶ平一郎に、一人は可愛さを一人は信頼と崇拝を無性に感じていた。たとえ貧乏であろうとも、献身的な母を家に、また、美しい勝れた少女と少年を自らの愛するものとして生活する少年平一郎は幸福である。幸福のうちに十五をおくり、十六の三月、彼は四年に進級した。彼は首席ではないが、悪い成績ではなかった。
十六の春である。人間に恵まれた力の一斉に成長し奔騰する目覚ましい時期である。平一郎は自分ながら伸びた背丈や、張りきった肉付や、はっと気づくと恐ろしく大きな喨々(りょうりょう)たる声音で話している自分の声や、高潮する熱情に驚いた。最も有望な、最も危険な時期が自分に来ていることは彼にも分った。しかし自分で制する智慮はまだなかった。講演会には必ず平一郎の名が現われ、野球の試合にも必ず彼はユニホームを来た姿を運動場の一隅にあらわした。じっとしておれない気がした。あらゆる危険に飛び込んで抜手をきって切り抜けて見せたい。そして彼のこの成長は深井にはやや怕(こわ)い気がしたが、和歌子には半年前までの無性に可愛いという感情よりも、彼のうちにある圧迫を強いる「男性」を見出さしめるようになった。十七の彼女はその短い袴や、装飾をしない豊かな束髪や、質素な銘仙の袖のない着物の下に、すでに成熟した一人の「処女」を秘めていたからである。(平一郎はこの頃、朝、学校へゆく路で和歌子に会っても瞳を避けて俯向いて行くのを、自分の成長のためだとは知らないで、時々手紙で責めていた。)そしてこの彼の成長は上級生や同級生には「大河は生意気だ」という反感になり、教師の間では「有望な生徒」という観念が、ようやく敵意のある「しょうのない奴だ」という風になって来た。「有望」という事にある限界線を置いている彼等が、時折その線を突破する平一郎を漸々(だんだん)によく思わなくなったのも無理はない。勝れたる者は苦しめられなくてはならない現世である。勝れた天稟(てんぴん)を守るために富貴によって傅(かしず)かれている者はまだ幸福である。優秀な天稟を「貧乏」のうちに露出して生くる者こそこの世の最も不幸なる者というべきであろう。彼は生まれながらにして刃と戦いを知らねばならない。彼の天稟は自然が「戦え!」との使命である。彼は世と戦うために生まれる。苦しくとも仕方がない。彼は勝たねばならない。彼は生涯の不幸を、最後の短い勝利の凱歌によってのみ償(つぐな)うべき運命を持っている。不幸なる者よ。それが少年の間はまだよい。彼は帝王として、少年の国の支配者であり、それを許し得られよう。しかし、彼に青年期が目覚めかける頃から、彼はようやく彼の性格であり運命である苦痛と戦いを知らなくてはならない。不幸な者よ、平一郎も選ばれたるその一人であったのであった。
六月の雨のじとじと降るある日、彼は控室の一隅でいつもの様に深井としめやかに語りあっていた。彼があのように各方面に手を伸ばしていながら、さて、語りあう友人は、深井一人より外になかった。話し込んでいると、反対の一隅にわあっという笑声が起こった。それは一本の傘の展(ひろ)げたのを車のように廻して皆が哄笑(あざわら)ったのだ。「誰のだ、誰のだ」と言うのもあれば、「春風楼、冬子!わはっはっはっ」と怒鳴る奴もいる。平一郎は群に近寄って見た。それは自分が今朝さして来た傘であった。なるほど傘には「春風楼、冬子」と書かれてあった。哄笑している一群に対して憤怒を感じた。
「何が可笑(おか)しいのだ!」と彼は怒鳴った。一同が粛然と静まった。すると誰かが、「芸者の傘をさしている奴は誰だ!」と言った。
「己だ!己がさして来たのだ!文句のある奴はここへ出て、直接(じか)に言え!」
すると背後でわあっと喊声(かんせい)をあげた。平一郎はどこまで卑屈な奴だろうと思った。彼は堪(たま)らなくなって、展げられた傘をすぼめつつ、
「この傘は姉さんの傘だ!己は貧乏で、姉さんのお古を使っているのだ!分ったかい――君達は己を笑うことはよくないことだぞ!」
そして彼はまだ何か言う奴があったら擲りつけてやろうと傘を逆手にもって睨みつけた。彼の恐ろしい有様にもう誰も言わなかったが、体操の教師が「大河、ちょっと来い」と彼を銃器室へ通ずる薄暗い廊下へ連れて行った。彼は窓から見える庭の植物園の白萩の花などを見ながら黙していた。分らないことを言ったら体操教師を擲りつけて、いっそ学校中の奴を死物狂いで擲りつける覚悟をしていた。
「一体どうしたのだ」
「僕の傘に書いてある文字をみんな笑うんです」
背の低い髭を生やした教師は傘を拡げて見て、卑しい笑を浮かべて、すぐに厳粛らしい「教育家面」になった。
「こんなものは以後学校へさしてくることはならん」
「これより外に傘はありませんのです」
「なかったら一本買うがいい」
「都合がわるくて、今暫く買えないのです!」
「馬鹿いえ!」実際教師はそれをただ単なる平一郎の強情と思ったのである。また平一郎が与える旺盛な少年の精気は、傘一本買えない家庭の貧しさを連想させないものがあったことも確かである。
「それに――この傘は僕には大切な品です」
「何だ?」
平一郎は言葉がなかった。言うことはあったが言葉がなかった。(ああ、冬子が残していった傘ではないか!自分を愛してくれた美しい冬子のさした傘ではないか!)
「とにかくこの傘は、先生が預って置く」
教師は傘をとりあげて去った。その傘はそれ限り平一郎の手に返らなかった。教師がその傘をどう処理したかは分らない。得意になってさして歩いたかも知れない。
五年の野球の主将に眼鏡をかけた悪ずれのした原田という男がいた。その男が幾度も深井に手紙を送って「交誼(こうぎ)」を結ぼうと努めた。深井は平一郎にも言わず返事も出さなかった。手紙は露骨に脅迫的になって来た。深井は平一郎に打ち明けた。平一郎は原田に手紙を送った。運動場を過ぎて理科実験室の横手の古い池のある青桐の木の下であった。彼は「君は僕と深井との間柄を知っているか」と言った。原田はこの三つも年下の平一郎を見下すように「知らない」と言った。
「嘘つけ、君の手紙には大河君に言ってくれると承知しないなどと書いてあったじゃないか」
「何の手紙のことか己は知らない」
「嘘つけ!そんな気象で君達、稚児さんを捜したって碌な奴が従うものか」
「大きにお世話だ――一体今、何の用で己を呼んだのだ」
「深井のことについてさ。深井と己は兄弟の約束をしているのだ、よく言って置くからね。だから君がそれを知っている深井にあんな手紙をやるなら己も仕方があるし、知らないでやっているなら止めてくれたまえな」 「――己は知らなかったさ。しかし、よくないぞ」
「何がよくないというのだ。兄弟の契といっても君達のような契とは違うんだ。君達は卑しいことよりほか分るまいが」
「覚えていろ!」
「覚えているとも!」
そして、次の朝、平一郎が運動場のクローバの茂った片隅に深井と話しあっているところへ五年の一群が押しよせて来て擲りかかった。「何を」平一郎は力一杯、手と両足で荒れ廻った。そのうちに三年四年の連中が救援に来たので、五年の群は引き上げて行った。
またそれは二学期の初秋の晴れた日の朝であった。開け放した教室の窓からは澄清な空と桜の実の赤いのや紫がかったのが見えていた。倫理の時間であった。古い帝大出の文学士である校長は倫理の時間を受け持っていた。彼は、自由な自分の思想を生活の方便のためにそっと世俗的な衣で蔽って来たという風のある男である。
「諸子は将来何になろうと思っていますか」
校長はこう問を提出して微笑して四十人許りの生徒を見下していた。温良な自分の持っているものを出すまい出すまいとして暮して来た彼は、この四十人近い頬の紅い芽生えを見渡すことにある限りない哀愁と悦びを感じていた。首席の越村という頭の図抜けて大きい、一年から首席を続けている少年は、早熟(ませ)た口調で極めて明瞭に、自分の志望は未だ確定はしないが、法科へはいって将来国家の経綸を行なうべき政治家になりたいと言った。二番の竹中という眼の片方潰れた、ほんの初々しい少年は、これから実業を盛大にしなくてはならないから実業家になりたいと言った。三番の綿谷という少年も実業家になると言った。四番の津沢という眼の小さい口の大きい貧血性の少年は、自分は電気学を修めたいと思っていると言った。平一郎は五番目の机にいた。
「大河さん(校長はさんをつけて呼んでいた)はどう思います」
平一郎は直立しなければならなかった。彼が努力して発し得た第一の答は、
「僕は貧乏です」という言葉であった。皆がどっと笑った。彼は右手をぐいと一ふり振って無茶苦茶に続けた。
「僕は貧乏ですから政治家になります。第一流の政治家になります。僕は越村君のように国家的経綸ということよりももっと重大なことをやります。それは貧乏です。貧乏を退治ることです。貧乏をこの世より絶滅することです。僕は多くの人間が貧乏なために苦しんでいることを知っています。僕は新聞を見るたびに何故現今の政治家はこのことをどうかしないのかと思います。世界中の人間がみんな一人残らず幸福で生まれたことを喜べばそれで政治はいいのだと思います。日本にも沢山政治家がいますけれど、本当に人間全体の苦しみを知っていて、その苦しみをなくしようとしている人はありそうにも思われません。僕の親友の深井は――」
みんなには「深井は」だけが分ったのでみんなはどっと笑った。もう彼にはみなの哄笑は何でもなかった。
「僕の親友の深井は将来芸術家になると言っています。僕も随分なりたいけれど、僕は文学者や芸術家や思想家になって後代の影響をまつよりも――僕はせっかちですから政治家になって、真理であると信ずることを直接にこの世に実現したいと思います。この頃新聞を見ますと、内閣総理大臣は……」
「大河さん!政治問題にふれてはいけません――もういい、もういい」
平一郎は校長が微笑みつつ制しているのを見た。もっと言いたいことが泉のように込みあげて来たが、彼は椅子に腰を下した。皆が彼を振り返って見た。
「経済学者になったらどうです」校長が穏やかに言った。
「――でも、それじゃ、不安心です」
「――」
校長は黙した。そして、その日の質問はそれで止めて、「第十八章、節倹の必要」という章を展(ひろ)げさせた。校長の微笑はもう見えなかった。それは霽(は)れた青空の一片が曇れる雲の間からちらと覗かれたようなものであった。すぐに年来の生活と習慣の雲が蔽い隠してしまった。彼はもの憂そうに一人の生徒に読まして読本の講義のように字句の講義を続けて行った。「節倹の必要」ということに何の情熱も気力も感じられなかった。彼の真の生活は寧(むし)ろこうした教室における動作を辛抱することによって保証される家庭にあった。彼のそのときの心理を記すなら、彼は講義しながら女学校の二年になる長女と小学校六年の次女のことを考えていた。彼には男の子がなかった。どうかして年を老(と)らないうちに男子を一人儲けねばならないと考えつつ、「人はいかなる時においても質素を旨として、……」と続けるのであった。彼が待ち遠しい時鐘の音に教室のドアを出たとき、あの微笑を洩したとき感じた平一郎に対する静かに有望な未来を仰望しみるような一種の「いい奴」という風な好意は失せて、あとには「危険な奴」という思想が残ったのである。
次の時間の休みのことである。校長は教員室へ出かけて、今年は運動会の代りに極く内輪の生徒の成績品展覧会を催すことの相談をはじめた。秋の太陽が薄白い光を桜の樹蔭から一団の中学教師の古びた洋服の肩先へ流れ入っていた。校長を中心に四人の教師がいた。背の低い、顔の円い、濃い長い髭を両頬へはね出した男(彼は巡査というニックネームをもっていたが)は少しほころびたズボンのポケットに両手を突込み、短い両脚を二等辺三角形に突張って、「体操教師の立場として運動会を催されないのは遺憾だ」と言った。
「しかし何でしょう、運動会は毎年いつでも出来ることではあり、珍しくもないことですから、生徒の成績品を烈べて父兄に観覧させるということはいいことですな」
頸の長い、たるんだ黄色い皮膚を突っぱった、喉骨の一寸もある、眼鏡をかけた、始終白いハンケチをもっていて、何か言うときにはそのハンケチを相手の眼先でふりまわす癖のある英語の教師が、少し禿げかかった体操の教師の頭を顎の下に見下して、右手でハンケチを振り廻わして言った。
「父兄ばかりでなく生徒にとってもいいでしょうな」
「しかし運動会に越したことはありませんです」
「さあ、それは無論運動会に越したことはないのです。しかし今年はいろいろ経費の都合が許されなくなって来ているという校長さんの、あ――」
そして英語の教師はハンケチを振り廻わした。彼は自分がハンケチを振り廻わしていることを知らなかった。家に帰ると彼は細君にいつも新しいハンケチを一日で役立たずにするといって叱られた。彼はどうして一日のうちにハンケチが垢づくのか分らなかった。彼は太息をついて細君に更に新しいハンケチを求めねばならなかった。そのたびに彼は月給が五十三円で、子供が六人の八人暮しは決して容易でないということの苦労をきかされるのを常とした。
「Mさん、貴方の方の級(クラス)で卒業後の志望はどんなものです」
さっきから校長の傍の椅子に腰かけて新刊の雑誌を読んでいた教頭が、あーあと腕を伸ばすと同時に英語の教師に話しかけた。彼のこの問は英語教師の今迄の意見をあと方もなく忘却せしめた。彼の頭脳は一斉に自分の受持である五年の乙組の四十人近い生徒を映像した。
「何です、昨年に比して非常に実業志望と工科志望が増えましたです。そうです、もう商工業方面志望で七割をとっている状態です」
「はあ、そうですかなあ」
教頭は大きな欠伸(あくび)をした。そこへ国語の教師のKがはいって来た。彼は四十を二つ三つ越した年配であった。彼はこの土地の生まれであった。青年時代を彼は京都の同志社ですごした。彼の若い望みは一廉(ひとかど)の小説家になりたかった。しかし、彼は彼の青春が去ろうとするとき自分の才能が自分で認め信じた程に恵まれていないことを発見しなければならなかった。彼はその頃の日本の文学青年の間に渇仰されていたR・Kの創作『五重塔』を読んだときにはどれ程苦しい涙を味わったことだろう。彼のやりどころのない苦悩は彼を遊蕩へ追いやった。遊蕩は彼の資産を奪ってしまった。故郷へ、彼は敗残者の一人として故郷へ帰って来たとき、とにかく卒業しておいた学校の資格が彼をこの中学校で衣食することを許した。それにしても、むかし、自分の競争者であった文学者の文章が古典として教科書に載せられてあるのを生徒に講義するときには、さすがに枯渇した青年時代の熱情が甦ってくるような気がせぬでもなかった。
「R・Kがまだ二十一、二の青年の頃、はじめて名をなした時分に、東京である文学者の会合がありました。その折Mという人が口をきわめて彼のある作品をほめそやして、さて自分の隣にいる薄汚ない単衣を着た若者に君はどう思うと言いました。するとその若者が顔を赤めて(私がKです)と言ったそうです」
こうしたことを何も分らない生徒に話したこともあった。Bという自殺した美貌の文学者に似ているといわれた彼は、中年になっても深い二重瞼の眼や品のいい鼻などにその面影を残していた。――彼は苦々しく唇を曲げて自分の机に向おうとした。校長がその瞬間にっこり微笑んだ。彼は英語の教師の振り廻わすハンケチがおかしくて笑ったのであるが、微笑を紛らすために超意識的に「Kさん」と国語の教師を呼んでしまった。国語の教師は眉を顰めて大きい二重瞼で校長を見上げた。
「あなたの受持でしたな、大河平一郎というのは」
「は、そうですが、――」
彼は平一郎を想い浮かべた。すると、彼は平一郎を愛していることに気づいた。無論外に表わしはしなかったが、「国語の教師」Kの皮膚の下に未だ息づいている「文学失敗者」Kは平一郎のうちに胸を轟かすような芽生えを見つめていた。殊に平一郎があの美しい少年の深井を愛している浄(きよ)い少年らしい情操を発見して、「文学者K」はひそかに微笑せずにはいられなかったのである。彼は校長が特に平一郎を指して言い出したので少し驚いた。しかし校長の淋しい微笑が彼をも微笑ました。
「面白い気象の生徒ですな。貧乏ですから政治家になりますって言い出して、今度のコンミッション事件の攻撃をやりはじめましてな」
「そうですか。平常はおとなしい生徒ですが、ときおりこう燃えたって来るようなところがあります。非常に――」彼は少したじろいだが生まれた言葉は止める訳にはゆかない。「天才的な素質のある生徒です」
「誰です」と体操の教師が口を入れた。
「四年の大河のことです」
「あ、大河ですか。いや面白い生徒です」
そのとき時限を報ずる鐘の音が響きわたった。校長は立ち上がった。校長の偶然な一言は平一郎の「逸話」を全部の教師達に知られてしまった。彼等の平一郎に対する理解は機嫌のいい時は「面白い」という程度の好感に止まっていても、何か平一郎に悪意をもつ場合には全然善良なる中学生としての彼の価値を否定する性質のものであった。十六の平一郎は自分の身辺に及ぼしている自分の力の反響にはまるで無知だった。奔騰する盲目の力は平一郎の内から絶えず表現の道を求めていた。
秋も深くなって来ていた。太陽の照り輝く日中でも音もなく吹く秋風は膚身にこたえて寒かった。夕暮、野に立ってひるごる曠野を望み見るとき、一面に黄色かった野面の稲はあとかたもなく刈り取られて、黒い土肌が陰鬱な日蔭に湿っているのみであった。加賀平野の押し迫った白山山脈の山裾の低いなだらかな山並が紫水晶のように透明な色調を、淡い甘美な夢のような美しい空の色に映していることもあった。あの恐ろしい自然の威力に猛る北国の冬の前の寂しい静かな秋風の吹く秋を人々は頼りない心で迎え送っていた十月、十月の第二土曜日には平一郎の学校の成績展覧会が極めて内輪に催される日であった。こうした催しが実際生徒自身にどれだけの価値を有するかは分らなかったが、こうした催しが沈澱し停滞し萎縮する教師達の間に一脈の生気を通わして、いつとなく一人一人が小さい殻に閉じ籠ろうとする生活の硬化を揺るがし湧立たせるだけでも必要と言わねばならなかった。殊にこの年のように人の気の陰鬱な、寂しいこの秋にはよい企てであった。平一郎にはこの催しは何の交渉もなかった。展覧会といえばいつも図画とか習字とか英習字とか手先の学科に定っている教育制度では平一郎は何の優れた素質もない少年となるのである。彼は手先の学科はすべて普通以下の点数しかとれなかった。彼はつとめて平静であろうとし、そうした学科を軽蔑していたけれど、寂しい気がした。これが何か運動であるか講演会であるかすれば、彼はどんなに喜んだろう。彼はこの催しをお光にまるで重要でないこととして話した。
そうして彼は秋の土曜の一日をつまらなく学校で空費する苦痛に耐えられない気がした。彼は和歌子に会ってやろうと思った。少年の冒険心は和歌子をこの展覧会へ招待して、満足しようとした。彼は和歌子に自分達の成績展覧会がこの土曜日にあるから是非放課後来てくれと書いた。もし教師が咎めたら僕の従姉で、母の代りに来たのだと言いたまえ。但し僕は下手な習字を一枚出したきり何も出さなかったからそのつもりで、と書き送った。きっと行きますわ、と和歌子は答えて来た。愛人を待つものの純潔な昂奮が、面白くない土曜日を生涯の悦ばしい輝ける日とするのである。その日、平一郎は幾度二階の教室の窓から、正門から桜の並木の下を通る控室への小径を見下したことであろう。朝のうちは来ないと知りながら足音がすると彼はのぞかずにいられなかった。昼食をすまして級の者と交替してから彼は教室や校舎の中にいる気がしなかった。彼は深井を誘って校舎の横手の小高い丘の上に登った。丘の上からは校門から小径があきらかに見える。二人は草原にねそべって話しながら未だか未だかと待っていた。深井はこの頃しきりに話す少年らしくもない西洋の作家の話や、今の日本の新進の文学者の話などをしきりに平一郎に話した。平一郎はまだ文学――小説などいうものに根柢的な意志を動かしたことはなかった。もしそれが深井の口から話されなかったなら、「うるさいな、女のくさったような女々しい泣言は僕は大嫌いだ」と言いすてたかもしれない。しかし愛する少年の花弁のように美しい唇からもれる話に彼は耳を傾けた。
「ロシヤのね、マキシム・ゴルキイという人はね、もと貧乏な労働者の息子で、ヴォルガ河を上下する船の水夫なんかしていたのです。それが青年時代になっていろいろな作品を書いて今では世界的な文豪になっているのです――これは少し見当違いのようだけれど、僕は大河君、君がゴルキイに似ているような気がしてならないのですよ」
「――マキシム・ゴルキイというんだね。今でも生きている人かい」
「ええ、生きていますとも。何でもロシヤの社会党の首領ですって」
「ほう――」平一郎はゴルキイがどんな人物であるか、どれ程に偉いかを了解できなかったが、貧乏で、成長して偉くなっているのが彼の気に入った。
「ロシヤにはそんな偉い人が多いのかね」
「それあ多いのです――クロポートキンという人や、トルストイやドストエフスキイや――」
「日本では誰が豪いのかな」平一郎はごろり横になって肘枕をして心の中で「誰がいるものか」と思いながら尋ねた。
「×××××――」平一郎はそんな人の名を聞いたことがなかった。彼は疑い深く深井をみつめた。深井のやや上気した紅顔は真面目で純潔な光に輝いていた。
「君は読んだことがあるのか」
「ええ」
「うう――君は近頃どうしてそんな作品を読み耽るようになったのだ」平一郎はこうたずねた。深井は耳の根元まで真紅に染めて羞恥のためか顔面を俯(ふ)せてしまった。動機に平一郎自身深い因縁と責任のあることは平一郎も思い及ばなかった。彼は追及することを止めて、感触の軽くて快い乾草の上に起き直ってふと校門の方を見た。薄桃色の華やかなパラソルが彼の目に見えた。
「和歌子さんだ!」
平一郎はもしや和歌子が丘上の自分達を気づかないで行きすぎやしまいかが心配だった。彼の後ろで深井が同じ熱心さで瞳を燃やしつつじっと和歌子の姿に見とれていた。和歌子はすぐに丘の上の二人を見つけた。彼女は笑った。薄く化粧してお太鼓に帯を結んだ和歌子は実際平一郎達の姉としか見られなかった。
「下りていらっしゃいな」
「ここへ上っておいでよ」
「いけません。学校じゃないの。下りていらっしゃいな。先生に見つかったらよくないわ」
「ようし」平一郎は駈け下りた。そして飛びつくように和歌子の双手を握って堅く振った。
「あ、痛い――深井の坊っちゃんが笑っていらしってよ」
「――随分待っていた。ね、深井君」深井はただうなずいた。
「そおお――わたし学校の中へはいるのを止しましてよ」
「どうして?無論僕達のものは何も出してないのですから――」
「でも、あんまり厚かましくて大胆すぎやしなくて?それにここじゃ、何だか人に見えてよくないわ」
「見えたっていい!」
平一郎は小倉の薄汚ない、肘のところの破けて白い布のほころびた洋服の腕を二、三度振り廻した。それでも彼は理科実験室の横手の泉水の傍へ行くだけのことはした。秋の陽が緩やかに三人にそそいでいた。植物園の葉鶏頭の燃ゆるような鮮紅色が絶えず三人の目先にちらついていた。
この日の夕方、体操の教師が校舎の外囲を「巡邏(じゅんら)」したとき、彼の靴先に白いものがかかった。彼は何気なく取り上げてみた。「吉倉和歌子様」とその状袋の表紙には書かれてあった。裏を見ると「大河平一郎」
「四年の生徒の筈だが――」と彼は辛辣な感興に駆られて中の手紙を展いてみた。下手な大きな文字で彼にとっては許すべからざる文字が書かれてあった。平一郎は何も知らなかった。恐ろしい底の知れぬ運命の深淵が大きな口をあけて彼の陥るのを待っていた。

日曜日の次の日の朝は学校における唯一の新しい朝である。日曜日に緩やかに寛いだ精神が、一週間の学校生活に蓄積した不快や嫌悪の垢を洗われた、悦ばしい顔色となって、この朝の教員室を生き生きさせる。月曜の朝だけは人々は互いにお互いを懐かしく想うのである。十月中旬のこの月曜日の朝、背の低い髭の長い体操の教師は威勢よく誰よりも先に登校した。火鉢に炭火を分け入れていた小使の爺(おやじ)が驚いたほどに、てかてか靴墨で黒光する長靴を短い脚に穿(は)いて、彼は廊下を足音高く歩いた。そして朝の早い校長の出仕(しゅっし)を待つのであった。校長は、二人の可愛い娘が袴をひきずりながら先に出る彼を玄関口まで送って出て、「行っていらっしゃいまし」と言った言葉の懐かしさを繰返して学校の門をくぐって玄関へ上りかけると、あまり好きでない体操の教師が、「お早うございます」とやって来た。彼は「お早う」と言った。そしてそのまま行き過ぎようとした。
「少し特別の御相談がありますが」
「あ、そうですか。それじゃわたしの部屋へどうぞ」
校長は自分の室へはいって、窓のカーテンを引きしぼった。桜の樹や幹が朝日に美しく輝いている。彼は、椅子に腰かけて毎朝静かに莨(たばこ)をふかして独りを楽しむ時間を、彼の前に立っている男に闖入されたことが不快でならなかった。
「こういう手紙を発見しましたが、どう処置したものでございましょう。実に由々しい問題だと思います」
こう言って教師は手垢で汚れた大きい西洋封筒を校長の卓上に載せた。校長は嫌でしかたなかった。それでも機械的にその封筒を取りあげて見た。「吉倉和歌子様大河平一郎」校長は黙って読み下した。

――僕は運動会のないのが残念です、しかしその代り僕達の成績展覧会が開かれるのです。つまらない手先の器用な奴等が大きな顔をして威張っています。僕は何も出しませんでした。少し淋しい気がします。しかし僕はその日あなたに来て貰おうと思います。ここに僕の家族へあてた招待状があります、これを持って放課後来て下さい。僕は校門から小径の反対の方の丘の上できっと待っています。僕は本当にこの考えを思い付いてから狂いそうに嬉しくてならないのです。昨日の朝はK街の十字街で会いましたね。何故すまして行ったのです。この次はきっと笑って行かないと僕は怒ります――

校長は微笑みかけようとしたが、彼の前に体操の教師が意地悪そうに覗き込んでいるので仕方なしに厳粛な顔付をした。
「怪しからんことです、一昨日、終会後校舎の周囲に異状がないかと思って巡回して見ましたら落ちていたのです。封を切ってあるところを見ると確かにその吉倉という女が落として行ったに相違ないものです」
校長は平一郎の記憶を寄せ集めて考えていた。「僕は貧乏です」といった平一郎がそこにいた。(あの生徒なら、これ位のことをやったかも知れない)と校長は思った。校長は呼鈴をならした。小使に呼ばれて四年の受持の国語の教師はドアを押してはいって来た。
「大河平一郎はあなたの級の生徒ですな」
「ええ、そうです」
「ちょっとこれを見てくれたまえ」
国語の教師はその手紙を読んだ。彼は体操の教師をちらと見て、校長と瞳をかわした。(いやな人間に見つかったものですな)と二人は話し合った。
「どうも驚きましたな」と国語の教師は言ったが、心の中では別にそう驚いてもいなかった。
「こういうことは本人を呼びよせて十分に事実を確かめて、事実であるなら将来を戒めるために厳しく懲戒処分にするがよいと思いますが――」
二人は黙していた。体操の教師は二人の沈黙からある種の反感を獲取して、もう平一郎一人でなく彼等二人に対して不快な反抗で燃えて来た。
「学校内へ自分の情婦を入れるということは許すべからざる行為です。もう、停学処分をして将来を戒めなくてはよくないと思います」
「まあ、本人に事実を聞きたださなくては――果してこの和歌子というのがそういう関係のものかどうかも分らないしするし――」
校長は小使に平一郎を呼ばさした。三人の沈黙へ、靴音高く平一郎がはいって来た。彼は直立不動の姿勢で、駈けて来たらしくぜいぜい胸で息をした。国語の教師はどうかして、ここでこのまま内分に済ましたいと思って、わざと恐ろしい顔をして、
「大河」と言った。
「はい」
「お前、この手紙に覚えがあるか」
「はい――これは僕が和歌子さんにあげた手紙ですが、どうして――」
彼は自分の魂をのぞかれた羞恥で赤くなった。同時に意地の悪い体操の教師が、今、弱者としての自分を虐(しいた)げようと眼を光らしているのを認識した。彼は自分に道徳上恥ずべきことは一つもない、今恥じる位なら初めから彼女に手紙は送らないのだ、と繰り返した。
「和歌子さんというのはお前の親類の人かい」国語の先生が言った。平一郎はそこに設けられた慈愛の遁路(にげみち)を感づいたけれど、超意思的に「いいえ」と答えてしまった。
「それじゃ、どうして知っているのだ」
「――僕の、僕の友人です」彼の声は顫えた。
「友人とは言われまい。え、親類でもないまだ若い娘にこういう手紙を書いて、よくない」
「――」
「吉倉和歌子というのはどういう人だ」
「高等女学校の四年生です」
「何のために手紙をやったのだ」
「会いたかったのです」
「会いたかったとは何だ!」と体操の教師が平一郎の頬を一つ擲りつけた。平一郎は充溢する血を総身に感じて、擲られた頬を抑えた。
「貴様、中学の生徒じゃないか。それに女学校の生徒に艶書を送って、しかも学校内へ呼びよせて、あいびきするとは何ということだ!――会いたかったとはなんだ!」
校長も国語の教師もこうなっては口出しが出来ないことになった。
「貴様、政治家になるとか現代の政治家は堕落しているとか小生意気な口を言いながらこのざまはなんということだ!この次の朝笑わなかったら怒りますとは何んだ!貴様は堕落生だと思わないか!」
「僕は堕落生ではありません!」
「何だ?」
「僕が和歌子さんに手紙をやったのが何故いけないのです。僕達は二人で慰め合い、励ましあって勉強しているのです。どんな悪いことを僕はしたというのです。誰かに僕は罪悪を行なったでしょうか――僕と和歌子さんは小学校の時分から一緒の学校にいたものです――」
「馬鹿!貴様はここを何と心得ている?ううん、さ、ここを何と心得ている」
体操の教師は平一郎を壁際へ押しつけようとした。平一郎の憤怒が一斉に火を噴いた。
「何をなさるのです!どんな悪いことを僕達は犯したでしょう。僕達は手紙をやりとりすることによってどれほど悦ばしい一日一日を送っているでしょう。僕は一生懸命に勉強して偉くなろうと和歌子さん故にこそ思います。お互いに励まし合って勉強するのがどう悪いのです!」
「それが悪いのだ!貴様もう帰れ!教師に返答する奴があるか。帰れ!」
「帰ります!」平一郎は熱い涙を辛抱できなかった。
「こういう奴です。停学の三週間にも処分しなくってはとてもいけません」
溢れ出る涙を腕で抑えている平一郎と、忌々しそうに眺めている体操の教師と、沈黙している校長と国語の教師とに朝の秋光が薄らに射していた。
「お前はもう帰れ」国語の教師が厳しく言った。
「帰って十分静かに考えてみるがいい」と校長が言った。
平一郎は涙を拭って校長室を出た。
校門を出るとき平一郎の背後で始業の鐘の音が冷徹な朝に響きわたって聞えた。灼熱し緊縮した頭脳の惑乱へその鐘の音は、ひとりで考えろ、深く、心の根元がどっしり落着くまで考えろ、といい聞かしてくれた。彼は街をどういう風に歩いたか意識しなかった。秋の朝の空気は冷やかで、彼の頬にひたひた押しよせては流れて行った。十六のこの秋まで根本から自分の生活を反省することのなかった自分である。彼は幼い頃に父を亡い、母のお光一人に育てられ、自分の世界を意識するようになった頃は、彼は「貧しい母子」の自分を認識した。(しかし自分はその貧しいことに弱り果てる弱者でない。)泉のように耐えない母の愛感は彼を「貧」のためにひがます代りに発奮のよい刺戟に変じさせていた。まことに貧しくても幸福だ。伸びゆく生命の過程を全心肉に生活していた彼である。彼はもはや幼年とは言われないであろう。山林の槲(かしわ)の木はたとえその木の年寿が若くともそこらに生い茂る雑草や灌木よりは偉大であるように、十六の平一郎は無意識に内より湧く生命のままに生きて来たが、はやくも若木は社会の制約に障えられねばならない。それが槲の木の運命である。彼は夢からさめたような、未知の原野に立って広大な野面を望んだような雄大な向上感と発見感とを一身に体感していた。
「どう悪いのか。悪いことを自分は犯した覚えはない。己は学校においてそんなによくない生徒であろうか。己はそんなに勉強家と言われないかも知れないが、決して怠け者でない。己は先生方が軽率であったり下劣であったりする時にこそ内心軽蔑はしたものの、衷心自分達の師としての敬礼は失わなかった。己は和歌子を愛した。そうだ愛したのだ――恋したのだといっていい!しかし恋したことがどうして悪いのであろう。恋したことを打ち明ける、それは悪いことであろうか。己のあの手紙を体操の教師は艶書だと言って罵った。己は艶書だという教師の意味でならそうでないと言おう。しかし恋を打ち明ける手紙を指すなら厭な言葉だが己は神聖な艶書だと言おう。己は未だかつて和歌子の美と崇厳を愛し尊敬こそすれ、未だ彼女をけがそうなどと思ったことはない。己は常にあの和歌子の美しさにふさわしいように自分自身を偉大な人間としなくてはならないと励んでいる。己は深井をも愛している。自分は深井を愛さずにはいれないから愛した。この必然がどう悪いのか。深井も己を愛しているではないか。和歌子も己を愛しているではないか。そうして三人がこれまで実に楽しく生き甲斐を感じつつ勉強して来たではないか。何処に悪いことがあるのだ」
市街を離れたS河の上流であった。地が高くなるにつれて狭(せば)まった両岸の平野はそこではもうほとんどなかった。静かな澄んだ藍色の大空の下に、河流は深い淵をつくって緩かに流れていた。水面に絶壁から這いさがる藤蔓が垂れて流水はそこに渦を巻いていた。枯草の生い茂った河原洲、土堤(どて)の彼方に国境の遠山が水晶のように光って見える。平一郎は河原の草の中に寝転がった。
「それがよくないというなら何故己に静かによくない訳を教えないのか。何故直ちに己と彼女との間をおかしな関係に考えてしまうのか。汝が卑劣だからではないか!恥じるがいい!」
このときほど自分がお光一人の手に養われ、貧しい中から中学へ通っていることや、深井のことや和歌子のことがはっきり身に沁(し)みて感じられたことはない。十六年の生涯における「自然の決算」であった。幼年から少年を経て青年へ移り行こうとする成長の一段階であった。
「面白くもない」彼には校長や受持の教師が映像された。彼は二人がひそかにもった好意を直感した。体操の教師の自分への態度も純粋に手紙を悪いと断定したことばかりでなしに、手紙は単に一種の手段に使われていることも分った。学校という一つの古臭いいじけた陰険な小さい争闘や啀(いが)み合いの絶えない木造の大きな箱。その箱の中へ毎日自分達は通わなくてはならないのだ。随分やりきれない。ぐずぐずしてはいられない。箱の主人が校長で、教員がその中でうごめきながら己をだしに争っているのだ――「嫌なことだ!」「しかし――」と彼はあるすばらしい光明が内より射して輝くのに会った。それは「自然の恵める知恵光」であった。
「しかし、これは学校ばかりではない。この人生、この地球がまた大きい一つの古臭いいじけた陰険な、啀み合いの絶えない球塊であるのではないか?自分もまた無数の生まれては死に生まれては死んだ人間のように自分の一生をこうした啀み合いをして終らなくてはならないのだろうか。そうだとは信じられない。どうしたって信じられない。せめては自分一人でもがこの人生を生き生きした美しい悦びに充ちた人生であるようにしようとの意思を抱いてはならないのであろうか?それは出来ないことかも知れない。しかし出来ないことだとは言えまい。出来ることかも知れないではないか?そうです、出来ることです。きっと自分がやってみせます。死んでもやってみせます――ああ」と彼は深碧の大空を仰いで、「やらして下さい」と何かに祈るように跪いた。「使命」の感が彼に燃えたのである。

平一郎は午後四時頃平気な様子で家へ帰った。母へ自分から停学のことを知らす気になれなかった。知れるなら仕方がない、知れなければどうかして知らしたくないと考えた。どうしてよいか分らなかった。しかし、どうにかしなくてはならないものが彼の根元に蠢(うご)めき始めていた。彼はぐっすり夕暮まで寝た。
「平一郎、平一郎、どなたか戸外(そと)で呼びに来ていらっしゃるそうですよ」
彼は起きた。米子が笑いながらお光と彼の顔を見比べていた。
「誰?」
「吉倉という方」米子は知っていますよという風に微笑んだ。
「本当に?」
「ええ。戸外に待っていらしってよ」
「ちょっと行って来ます」平一郎は室を出た。長い土蔵の横の廊下を通るとき米子が「美しいお嬢さまね」と言った。戸外は薄暗くてうそ寒い晩景に軒並の電燈が輝いていた。
「平一郎さん」その声は涙を含んでいた。彼は縋(すが)りつくように近寄って立つ和歌子を黙って見た。長い間、二人は瞳を合わして放さなかった。万感が二人の胸に交流した。もう一切が二人には分った。薄暗い夕闇に白く浮かんだ和歌子の顔が微かに慄えていた。
「わたし、すまないことをしました」
「――」
「今日、わたしも学校で叱られて、そのうえ家(うち)の母さんを呼び出してすっかり話しされてしまいました」
(馬鹿野郎!学校教師の馬鹿野郎!とうとう僕達を堕落生か何んかのように取り扱ってしまったな!馬鹿!恥じるがいい!恥じるがいい!僕達の今を見ろ!このようにお互いに純潔な立派な心で相対しているではないか!)
「母さんにあなたのことを訊かれたとき、わたしどんなに辛かったでしょう」
「僕、あなたのお母さんに会いましょう」
「いけません!今だってわたし逃げるようにしてそっと来たのですから」
「僕は今日、体操の教師に擲られて、その上停学に処分されたっけ」
「――あなたの母さんに御心配かけてすまないわ」
「まだ話してないさ。どうかして話さずにすましたいけれど、きっと明日あたり呼びよせるかも知れないね」
彼は母の心を想像すると暗い鬱屈を感じた。もう街は暗かった。秋の夜が犇々(ひしひし)と二人の身に迫っていた。二人はこの寂しいうちにお互いの触れ合い結び合う生命を感じ合った。ああ、荒れすさぶ嵐よ、吹け!猛り狂う運命の晦冥を自分達の新しい生命は照輝するであろう。
「怕(こわ)がっちゃだめですよ。僕だってじきに大きくなります。僕達は今こそまるで無力でも、いつまでも無力であるものですか。僕はたとえどんなことがあっても、僕はあなたなしに生きておれません。学校の奴等に僕達の心が分るものですか」
「――平一郎さん、何だかわたしがあなたを誘惑しているような、あなたの母さんにすまないような気がしますのよ」
「馬鹿な!誘惑なら僕達二人とも誘惑しあったのだ」
「わたし、平一郎さん――」
ああ、何という奇蹟。昨日まで愛する者の唇を知らなかった二人が、今日、通って来た迫害や苦しみの後に、自然に唇を求めることを知ってしまったとは!恋愛は実に迫害によって深められる。はじめて知る愛人の唇の柔らかな触感、高く鳴る全身の動悸、火のような情熱。全世界の人間が二人の恋を否定しようとも、遂に恋する平一郎と和歌子であった。
「いつまでも!」
「ほんとにいつまでも!」
行末を案じつつ独り子を待つ母のもとへかえる平一郎はまだよかった。和歌子は親しみの少ない継母(はは)と義理の妹達とが、彼女の失敗を牙を磨いて待っている恐ろしい荊棘(いばら)の床に帰らねばならなかった。和歌子は暗い街の十字街に立ち止まって家へ帰りたくなさに襲われていた。死が彼女の前に極めて間近な事実として現われた。「怕がっちゃだめですよ。僕だってじきに大きくなります――」平一郎の声が凛然と響いた。彼女は一切に堪えてゆく力を自分の中に認めたようにとぼとぼと歩みはじめた。父はまさか自分を不始末な女だとも信じはしまい。
「僕だってじきに大きくなります――」
和歌子はその一言に渾身の祈念を捧げて、自らの内に苦しみに打ち克つ信念を堅めようとした。秋十月の夜更けであった。
 
第七章

停学の期間が過ぎても平一郎は学校へ行くのは厭だと言い張った。平一郎の停学の理由を半日近くも学校で聞かされて来た母のお光は平一郎に小言一つ言わなかった。彼女はただ深い溜息をついた。
「他所(よそ)のお嬢さまに手紙を差し上げるなんて、お前大それたことですぞえ」
こう言ったきりだったが、平一郎が学校へ行くのは嫌だと言うのを黙していられなかった。これまで仕上げて来た独り子である。彼女はしまいには「頼む」とさえ言った。平一郎もわけなしに湧く嫌悪の情を克服して、仕方なしに毎日学校へ通った。毎朝彼は眼がさめるときまって、「ああ、今日も学校へ行かなくてはならないのかなあ」としみじみ生きていることに苦痛を感じた。十一月の下旬にはもうこの北国の街に水気の多い霰(あられ)が一斉に降っていた。
どうした訳かその頃から平一郎は和歌子の姿を見ることが出来なくなった。学校へ行く朝の路上でのあの幸福な栄光に充ちた遭遇は彼から奪われてしまった。彼は深井に尋ねたが、深井も知らなかった。深井の家を訪ねてもみたが、かつて見出した垣根越しの隣家の庭に和歌子の姿を見ることはなかった。
「隠したのかな?己から奪ってしまう気なのかな?」彼は和歌子の見えなくなった原因を平常の話から和歌子の家庭の主権者である継母の所為(せい)であると独断的に信じてしまった。どうかして和歌子の在処を知りたい。知らずに置くものかと思った。毎夜、霰の降る暗い寒い夜を彼は和歌子の家の周囲を彷徨(さまよ)った。しかし彼は不意に和歌子を発見する悦びのかわりに死んだような沈黙、さも邪魔者がいなくなった和らいだような歓声を家の中から彼は浴びせかけられて、独り憤激した。彼は手紙を敵の只中へ出す気にもなれなかった。深井も心配した。深井は家人にそれとなく聞いて貰っても返答はいつも「少し病気で遠方の親類へ行っております、おほほほ」でぼかされてしまった。平一郎の唯一つの望みは和歌子からの手紙になってしまった。学校から帰ると彼はお光に「手紙は来ていないか」と怒鳴った。手紙は来なかった。彼は焦々(じりじり)した。不安がどす黒い湿った暗い塊になって彼の精神の髄にしみつき堆積して行くのをどうにもしようがなかった。一斉に爆発すればそのあとは夕立のあとのように清々(すがすが)しいが、積み重なって行く鬱屈は永い苦痛のうちに陥れ、人間を腐らしてしまう。平一郎は恋人を奪われた寂寥、奪って行った無法な権力に対する怒り、彼の幸福を蹂み躪り彼の光栄を汚す、今ありありと直観される賎俗な社会の力に対する、潜める全身的な憤怒を感じた。そして、この激烈な感情を燻(くすぶ)らせつつも独立を全うしない未能力者の彼は、苦しい日々の生活を迎えねばならなかった。彼はもう運動もせず、勉強もせず、一切の活力の健全な吐口を閉塞された死人のような人間になりかけて来た。彼は深井をさえ白眼で睨みつける日があった。
「大河君、そう心配しない方がいいですよ、え、大河君」深井はいつもこう言わずにいられなかった。
それは、学校からの帰り路で、第二学期の試験の最終の日の午後、十二月下旬の細い乾いた雪がちらちら靴先に降りかかっていた。平一郎はしおれているように見えた。深井は幾度もためらいながら、平一郎のこの陰鬱と無気力を見捨てて置くわけにも行かないと思った。二年来嘗めつくした片恋の苦痛が、今、平一郎の苦痛を体験させ、そしてその片恋の苦悩を脱却するための文学への転換を彼は同じように「救済」として平一郎に説こうと幾度も思ったことだった。彼はおずおず言い出した。
「大河君。今夜僕の家へ来ませんか。僕の知っている人の家を君に紹介しますから」
「何のために?」
「その人は僕、一年ばかりも前から交わっている人です。僕は君がその人達と仲よくすることが、君のために好(よ)くはないかと思っています――来てくれませんか。僕は悪いことは言わないつもりです」
「文学の仲間かい」
「そうですよ。学校などで想像されもしない程に自由な、いつも胸底深くに涙を湛えたような人達の群があるのです。僕はその人達によってどれ程苦しみを逃れたか知れません。大河君、今夜いらっしゃい。僕は案内します」
「君は僕に隠していたのだね」
「許してくれたまえ。僕にも一つの――一つの秘密はあったのです。しかしそれも今打ち明けてしまったのです。もう君には僕はその一つの秘密――も――もっていないというものです。ほんとに今夜来てくれたまえ」深井は能動的で熱情に恵まれていた。
「行くよ」
平一郎は答えて何故か涙が瞳に滲んで来るのを覚えた。ああ、意気地ない自分。愛する少年に苦しみを見抜かれ、救いを教えられる腑甲斐ない自分、と彼は思って泣いた。
細かい粉雪が絶えず降っていた。濁った灰色の空から無気味な無音の状態で白い粉がちらちら降るのである。湿った地面は絶えず白い雪片を吸収してその存在を消滅させたが、家々の屋根や軒や電信柱はすでに二、三寸の雪を積らせていた。北国のこの市街ではもう四度目の雪で、時折烈風が街中を吹き荒れて行くこともあった。平一郎と深井はマントの頭巾を目深に冠(か)ぶり、一本の傘を二人でさして人通りの絶えた暗い陰鬱な、生存ということが全然無価値なものだと想わすような夕暮の街を急ぎ足で歩いていた。二人は何も言葉を交わさなかった。時々顔を見合わした。深井は寂しい顔をして平一郎の未知の世界を仰望するような情熱を帯びた眼付をちらちらと横目で見た。深井は自分が今平一郎を誘惑する悪魔の役目をしているのではないかしらと疑ってみた。半年あまりの間の秘密を何故自分は打ち明けたのだろうか。しかし平一郎の寂しい一切の喜悦を失われたような顔を見てはそのまま打ち捨てて置くに忍びなかった。平一郎は、時折溜息をつく深井の生き生きした美しい顔色を見て、この愛する者が導いてゆく新しい世界を渇望の眼で仰ぐのであった。母と冬子と和歌子と深井との四人の愛する人達の魂のうちに長い間住んだ平一郎の魂はたまたま学校の教師に傷つけられ、更に和歌子を奪われて、傷つけられた痛手に呻きつつ何かを求めて止まないのである。お光、深井、行方の知れぬ和歌子、遠く東京に去った冬子。
「まだ大分あるのかい」
「いいえ、もう少し」古い士族町の土塀つづきの細い街に二人はしばらく立っていた。雪はしきりもなく降った。いかなる恐ろしい異変を潜めているか分らないような、世界滅却の予感のような、あわただしい静寂が空間に充ちていた。二人はまた歩き出した。士族町の土塀がつきると街は右の小路に折れた。貧しい歪んだようなあたりの人家にはもう赤い灯がついていた。二階建の、店先二間あまりに硝子戸をいれて「マニラ麻つなぎ、男女募集」と書いた紙を硝子に張った家だけはまだ灯がついていなかった。深井はその家の前で立ち止まった。
「ここの二階ですよ、大河君」
平一郎は黙って二階を見上げた。同じように硝子窓をいれた二階の窓は暗くてよくは分らないが、硝子越しに真紅(まっか)の窓掛(カーテン)が見える。
「はいろう」と平一郎は言った。
「尾沢さん!尾沢さん!」深井の声が響いた。すると二階から「だあれ」という男の濁った返事がした。
「僕です、深井です」
「深井君か?はいりたまえ!今、社(新聞社)の方から帰って寝転がったところだ。はいりたまえ!」
ぱっと二階に電燈が点(とも)された。窓硝子に真っ赤なカーテンが燃えるような真紅の色を染め出した。二人は横手の戸を開けて、暗い上り口の板張りから、すぐに二階へあがった。天井の低い薄汚ない二間を障子をはずしてぶっとおしてある。奥の方に机、書棚、火鉢、壁際に小さい西洋風の木の寝台、窓の真紅なカーテンに照りかえす電燈の赤光を浴びて、背の低い、額の広い、眼球が見えないくらい窪んだ眼、やせた頬、――の二十四、五の青年が厚ぼったい筒袖の綿入を着て坐っていた。
「今晩は」深井はその男の間近に坐った。平一郎は立って頭を下げた。
「だあれ?」その男は深井にたずねた。
「僕の親友の大河です。あなたに会ってみたいというので――」
「あ、そうですか。僕は尾沢です。つまらない奴です。どうぞこちらへ」
「ありがとう」平一郎は未だこういう風な青年に遭ったことがないので、暗い引き入れるような特有の感じを持つ青年をどう判断し、どう態度をきめてよいか分らないが、深井がようやく打ち明けてくれた一団の群の中心となる人間である以上、彼はやや遠慮勝ちに、礼儀深くした。恐らく何も知らずにこの尾沢に会ったなら軽蔑し去ったかも知れない程に彼の風采は貧相で、人生の裏通りにのみ特有な臭気と蔭がまつわりついていた。しかしこの場合平一郎にとっては熱望して来た異国の港であり、真紅のカーテンや壁際の木製の西洋風な寝台などが、尾沢の背景をなして悪い気はしなかった。尾沢は鋭い眼光で平一郎をじろじろ見た。正しく坐りこんで膝に手をおいている、そう大きくない、皮膚は黒い方で、唇を固く結んだ清く鋭い、燃えあがる炬火を時折覗かせる眼をもった少年、これが大河かと彼は思った。彼は急に機嫌がよくなった。
「試験はもうすみましたかね」
「今日すんだところです」深井が答えた。
「道理で長い間やって来ないと思っていたっけ――来年の正月号の『底潮』が昨日刷れて来ましたよ」後ろへ反りかえって書棚の下段に積み上げられた薄い雑誌を一つ掴みとって深井と平一郎の前に差し出し、にこにこ無意識的に人の好さそうに笑っていた。その笑いは決して強者のあの深い厚味があって不透明な笑いでなくて、弱者が、恐れていたことを恐れなくともよかったとき感じる安易さが生み出す笑いであった。平一郎は何となくくみし易いというような心安さを感じた。平一郎は雑誌の一枚一枚をめくってみた。深井の名が四号活字で組まれてあった時なぜか胸が躍った。
「よく刷れましたね」
「そんなもんですかな」尾沢は自嘲するように答えた。その答のうちには(どうでもなるようになるがいい!)というような寂しい投げやりな感傷が潜んでいた。
尾沢はやがて新しい雑誌をとりあげて無造作に頁を翻していたが、「今度は己、洗いざらしに自伝を書いたっけ。哀れな老いぼれた青年の手紙っていうのね、それだよ。読もうか?――聞いていたまえ、読むから」尾沢は深井と平一郎を見比べるように、哀願と誇りを混濁させたような表情をして、「己という人間がどんな人間かは大体分るだろうと思う。聞いてくれたまえ、いいかい、読むよ」彼は読みはじめた。

哀れな老いぼれた絶望した青年の手紙
静子、愛する静子、己はお前に自分の唇から今書こうとしていることを告白したかったのだが、己達はあまりに一緒にいると感激の火花を燃やし過ぎるようだ。己はお前と一緒にいるときはとても己自身の生涯の歴史を正直に静かに言えないことを幾度もの試みの後ようやく発見したわけだ。しかし己達の恋愛はもはや普通以上に深くなっていることも確実な事実と認めなくてはなるまい。いつ迄もこうして過ぎられる己達でもあるまいじゃないか。お前はどうかも知れない。己という人間が「思ったよりつまらない平凡な弱虫だったのね」とお前がいつだか言った言葉から推察しても、お前は己に愛想をつかしているかも知れない。愛想をつかされてもそれに不足を言えない己である位は承認しよう。お前はもっと強い悪党を要求していたか知れない。しかし静子、金を自分の懐へ集めることを知らない悪党もいそうもないじゃないか。己が悪党でないことは貧乏なことから考えれば一度で分ることじゃないかしら。金に眼をくれない大悪人――そんなものは随分稀にはいるかもしれないが、金が無さ過ぎるといかな大悪人もすっかりいい加減な馬鹿になるものさね。たとえ地球を爆破して人類を絶滅し、宇宙の運行に狂いを生ぜしめようと意志するほどの超人的大悪人でも金がなくては手も足も出ないで、やがて死んで行くより仕方のないものだ位はお前にも分ろう。大分黄金崇拝者じみたことを書いたね。誤解しないように、するならするでそれもよかろう。静子、己はお前にもう一度ラブレターを書くような心理状態になっているこのままで、少し書こう。己は越中の高岡の生まれだ。己は実の両親を知らない。どうして知らないか。嘘のようだがこうだ。ある豪商の一家を想像するがいい。そこに一人息子がいたのだ。年頃になって嫁を貰ったが子がないので暫くしてその嫁を離別してさらに若い嫁をめとったのだ。その時分はもうその主人の両親は死んでいない。若い嫁に一人の男の子が生まれた。その男の子が二つの春、主人は肺患で死んだのだ。
若い嫁さんは二つの孤児を抱いて孤独の生涯を守るほどに貞節でも高邁の思想の所有者でも児に対する深い洞察を伴った愛をも感じていなかった。彼女は一人の男を婿入させた。先夫との間に出来た男の子が四つのとき、その嫁さんは父の異なった女の子を生んで、やがて翌年、先夫が残して行った肺患で死んだのだ。自分の児である嬰児と先夫と愛妻の子である男の子――己だ、四つの己を残された三十男の町人はどうして独りで生活出来るものかね。彼はさらに新しい嫁を迎えた。そして己は十歳までその他人である両親の手に育てられて来たのです。静子、己はまだ小さくてその時分は何とも思わなかったが、今から回想してみると随分涙を噛みしめるような事が多い。生まれて両親を持たない程の不幸は人生にないと己が思うのは、思うのが無理だろうか。両親の一方を欠くことは既にもうその生まれた子の運命が普通な円満なものでないことの証拠といってもよい、と己は思うのだ。己が十三の時のことだ。己のその第二の父が第二の母の肺患をうけついだものか、また肺で死んでしまったのです。随分堪らないことだ。己はそのときその父が本当の父でないことを知っていた。それでも随分悲しかった。本当の父もあのようにして忽然として死んで行ったのかなと考えたものだ。つまり無意識のうちに死んだ生みの父への追悼を嘘の父によって表示された「死」という実感に交えて悲しんだものとみえる。どういう心的経路をとったかははっきりしないが、己はその時から必然的に生き残っている嘘の母さんに内心独身を要求していた。独身でいないと、そのままにはすまさないぞ、というような恐ろしい力を何故か感じずにはいられなかった。己達は奥の室で母と自分と妹と三つ枕を並べて寝ることにしておったが、ある夜己はふとひそひそした話し声に目を醒まされたものである。あの暗い闇の色、闇に聞ゆる囁き、ああそのとき子供心にも全身にしみて感じた怒りは今でも総身の血が沸(に)えくりかえるようだ。許さないぞ、この婬婦め!こう心で叫びつつ、己は慄える身体をじっと忍んでいたのだ。その次の日から己はまるでどんな些細な事であろうとも母の命ずることは一つとして服従しない少年となったのも無理とはいえまい。
やがて、一人の男がさらに入婿して来たのだ。その時は己ももう十三だ。己の心では姦夫姦婦の恥しらずめ!という想いが絶えずあって、沈鬱な偏屈な子供らしくない子供と他所目(よそめ)には見えたに相違ない。己は十四の春、中学は嫌だ商業学校なら入るといって自分から主張した。己の家の婬(みだ)らな二人は己が裏をかいているとも知らず二言返事で悦んだものだ。己としては中学にはいれば高岡にいなくてはならないが、商業学校ならN港へ行くより外になかったから、一日も早く家を出たい欲求からそう主張した訳だった。己はそう頭脳の悪い人間ではなかったらしく、商業学校の試験にも及第して意気揚々と忌わしい家を出て、はじめて知らない人達の中へ出たのです。静子、己の十四のときだよ。己はそのとき同じ高岡の出身でその町で乾物問屋をしている家に下宿していたが、その家は主人と三十四、五の主婦さんだけで子がないのだ。「尾沢さんが長男でなかったらほんとに家の息子さんに貰うんだに」とよく肥った四十近い主人が言うのをかなり真面目に「なりますとも」と答えていたあの頃の己に残っていた初心さは実に涙が零(こぼ)れる。ところがだ、己が十五の秋、その壮健なとても死にそうでなかった主人が死んだのだ。主婦さんは気丈な性質だから自分で乾物屋をやるといって店を閉じなかった。静子、己は白状するが、その主人が死んだことを学校から帰って来て主婦さんに聞いたその刹那ある忌わしい関係の妄想が己の全身を痺(しび)らしたのだ。ああ、己は十五の熟しきらない童貞をその主婦さんによって破ってしまったのだ。己は一年半あまりの間に申し分のないほど三十五を過ぎた主婦さんにまるで内に沸く若さを消耗しつくした若い老爺のようにされて捨てられたのだ。悪いことか善いことか知らないが、己はその頃日本にようやく伝来しかけていたあの自然主義文学を噛りはじめていたものだ、ゾラやモウパッサンやの名を己は暗誦したものだ。そして獣欲を描いた小説に読み耽ったのだからたまるまい。己の年齢で真にそうしたものに興味を持ち得たということを己はどう考えどう泣いてよいのだろうか。己は今はもう何もそれらの過去のことに関してどうもこうも考えようがない。
何もかも必然だったという想いがする。これより悪くあり得ても善くあり得そうもない己の生の踏み出しだ。とにかく己は二十歳頃迄をその頃の自然主義の文学に読み耽ったことをお前に告白する。もうその頃は学校も中途で止してしまって、田舎の新聞記者の名を知り顔を知ることを何よりの光栄とするようになってしまっていた。二十歳の夏東京へ逃げて出て申し訳のように私立の学校に籍を置いて、くだらない文学者と名のつく奴等を訪ね廻っていたようなわけ。静子、己の疲れた心身はこれだけ書いたことにもう疲労を覚えている。笑え、笑え、こんなへなちょこでも一度は大文豪を夢みたのだから人間はいじらしいのだ。笑え、笑え!――静子、せめて国許の方の嘘の両親達でももう四、五年無事にいてくれれば。彼等は己を餓えさせる程の悪人でもないのだが、今度はまた何ということだろう、女の方が肺患で死んでしまったのだ!ついで男が幾万という財産を相場と遊蕩で蕩尽(とうじん)して朝鮮へ逃げて行ってしまったのだ!己はもっと東京にいたかった。東京にいればやりたいことも多かった。しかし、自活しなくてはならない境遇に投げ出されてみるとそのまま東京にいることの出来ない意気地なしの己だったのさ。己は逃げ帰って、軽蔑している新聞記者となり、それも一年ばかり経つとそう軽蔑もしなくなりずるずるひきずられてこうして二十五年の生をつないでいるのだが――己はこうしてお前に手紙を書きつつ独り自分の部屋に坐っていると、ある悲しい絶対的な厭世に迫られて来る。静子、お前にはこうした瞬間はないか。それは己達は遂に永遠の囚人でしかないということだ。人生という牢獄、世界という牢獄、ああ、たとえ宇宙が無窮無限であり、無数の星辰が無窮の時を無限の空間をめぐっているのだとしても、その無窮なる牢獄。静子、お前にはこの己の気持が分ってくれるか。物質は不滅であるそうだ。それが真理なら己はどうしよう。己のような不幸者はどうしたらよかろう。不滅!永遠!ああこの人生が不滅でこの宇宙が永遠なら、己はどうしよう。己達は不滅に、そして永遠に無限の宇宙に繋がれた囚人でしかないのではないか!たまらないことだ。己の願いは寧ろ希わくば一切は虚無であってくれることだ!己は死んで焼かれてしまえばそれで一切が消滅して無であってくれるように!と願うものだ。
静子、己のこの叫びは無理だろうか。不滅よりも虚無を希う己だ。一切を否定してしまいたいのだ。虚無主義者さえも己にはまだ不安でならないのだ。何かが永遠であったり不滅であったりしては己は自殺することも出来ない。虚無ということもない真っ暗闇の無であってくれ!静子、実際の心を打ち明ければ己は自殺したくてたまらないのだ。しかし己は自殺して死ぬということがもしや己の真の滅亡でなかったとしたら、という疑いが始終付き纏っていてそれが恐ろしくてぐずぐず生きているのだ。死というも生というも己にはそれ程の差異があるものと感じられないのだ。ああ、己はどんなにこの世界もこの己も何もかも一切を無くしてしまいたいことだろう。しかし、もし己が死んだとする、さらに何か新しい世界、新しい己が何か違った状態で己に来はしないだろうか。それが心配でならないのだ。石塊になるのも、草木になるのも、動物になるのも、人間になるのも、神とやらになるのも何もかも己には嫌だ。ほんとに死が何も無くなるものであるということが確かめられているか。いまい。かえってもろもろの宗教や哲学は死が真の滅亡でないと言っている。己にはそれが心配だ。己にはそれが心配で死ぬことも出来ず、毎日牢獄の一つである新聞社に通って、囚人のように働き、囚人のように飯を食い、せめては酒を飲み、くだらない文章をつづり、またお前という女とも恋らしいものをしてみているのだ。厭世的な享楽主義とでもいう奴があれば、言わしておくさ。厭世どころでないのだ。そんな「厭世」という意義からが厭でならないのだ。静子、何んだかもう書くのも厭になって来た。もう止そう。書きはじめるときはもう少し可愛い即興で書きはじめたのだが、とうとうこんなものになってしまった。おいで、せめて酒でも飲んでお前でも抱くのがせめてものことだ。せめてものことに世界中の富が欲しいね。そうして世界中の人類を買収して、地上全体に大爆発を起こして人類といういじいじした生物だけでも絶滅するんだがね――それにしても人類がなくなればまた何か変梃(へんてこ)なものが出て来るかも知れないね。それを想うと胸がむかむかして来るね。静子、待っているよ。お前の乳房の柔らかさを覚えているよ。ああ、絶望。死ぬことすら自由でないこの牢獄。死生の本質を一貫するこの永遠の「生命」という牢獄。さようなら。
老いぼれた青年より

読み終った尾沢の顔は死人のように蒼黒かった。彼はごろりと横になって頭を抱いてしょうことないように身体を揺すった。平一郎には分らないことも多かったが、厳粛な暗い精神の悩みが感じられた。そして、それが彼の今の心に嬉しかった。深井は瞳を動かさず頬を火照らして深い溜息をもらした。その様子が森厳な尾沢の苦しみを了解したもののように平一郎には見えた。戸外では嵐の前の静寂が天地をこめて透徹していた。
「尾沢さん、いないの!尾沢さん!」
「静ちゃんかい。お上り」尾沢は寝転がったままで女の声に答えた。蒸すような青春の臭気と熱気が二階へのぼって来て、無造作に髪を束ねた額のでた豊頬の肥ったあまり美しくない若い女が、部屋へはいって来た。
「お客様?可愛いお客様――」平一郎と深井は正しくお辞儀した。
「深井さんじゃないの。もう一人の方はどなた?」
「僕の親友の大河です」
「そう、大河さん」女はこう言って寝転がっている尾沢を、「あなた、あなた」と起こそうとした。尾沢は突然に「あれを読んだかい」と唸った。
「読みましたの。でもあとの方はわたしよく分らなかったわ。随分大変ね」
「でも、己の書くものは普通の奴には分りゃしないよ。しかし、静(し)いちゃん、あたりまえのことを書いただけなんだよ」
「でも大変ね。――だっていいじゃないの。もうわたしというものがいるんじゃなくって。どうしたって逃れっこのない宇宙なら、こうしている瞬間瞬間を出来るだけ面白く暮した方が好くはなくって?牢屋なら牢屋でもいいじゃないの。牢屋で抱き合っているのも好くはなくって?」
「それあいいだろうよ。忘れられるものならね。己には忘れられないからね。己には静いちゃん、己達の本質、己達の生命が実に永遠であり無限であることが身に沁みて感じられもし、認識も出来るんだ。ところが、己にはその永遠であることが外の奴等のように歓びではないのだ。たとえ己が太陽であったにせよ、もしくはそれ以上の万能なものであり得るにせよ、己は嫌だ。己は何者でもありたくないのだ。己達がいう(何者)でありたくないのだ。己は『生命』でありたくないのだ。己達は死は虚無であると信じているものもあるらしいが、己には死は虚無、一切の終りとは信じられないのだ。何かであるに相違ないのだ。死もまた生であるに相違ないのだ。すでに己が今人間である限り、尾沢重太という人間である限り、この己が死んで焼かれたところが、何かであるには相違あるまいがな。己は噴火口に身を投じたとする、それでも己は必ず何かであるに違いなかろう。たとえ己が地球外の大空へ抛り出されたとしても広大な宇宙のどこかに何かとしてあるに相違はあるまい。己にはそれが苦痛だ。静いちゃん、ほんとに、本当の意味で『無』ということは己達には許されていないのだ。したがって本当に己達には『自由』はないのだ。永劫の囚人だ。静いちゃん、そう思わないかね」
「わたしにはよく分りませんわ。もうそんな話は止して、せめてわたしという女を相手に、少し遊んだ方がいいじゃないの。ね、尾沢さん」
尾沢は黙っていた。そしてむっくり起きあがって、つくづくと女の微笑を見ていたが、泣くように「悲しい遊戯か」と呟いた。
平一郎と深井は二人にまた来ることを約して戸外へ出た。尾沢は門口まで送って出て叫んだ。「失敬した、またやって来たまえ。――大河君、やって来たまえ!」
雪に湿れた路上に寒い月光が白く照っていた。二人は街角の柳の樹の下で寂しく別れを告げた。平一郎にとってはこの夜の会合は珍しい経験であった。尾沢という年上の青年、静子という若い、多分尾沢の愛人である女。全然新しい人間が平一郎の世界に出現したのである。それ等の人は学校の教師達からはまるで異なっている。何の憚るところもなく愛する二人が自由に愛し合っているらしい尾沢と静子とを羨ましくも思ったが、同時に、尾沢の部屋に充ちていたあの絶望じみた暗陰と無性な怠惰な精神を表わしている不潔とを本能的に嫌った。(どんなに貧しくとも、どんなに一切のものが醜悪であろうとも、またどんなにこの生が自分達に苦しかろうとも、なお希望に燃えたい)と平一郎は思った。それはとにかく、平一郎には彼等の自由さが憧憬された。半年ばかりの間に鮮やかに迫害を強めて来た彼の周囲への憎悪と憤怒が強いだけ、尾沢達の方へ彼の心は引きつけられた。殊に彼は深井がまるで彼に知らさずにああした人達と交わっていたことに、ある裏切られたやるせなさを覚えた。もうお互いに純な少年でなくなったらしいのを彼は認めない訳にいかなくなった。平一郎は深い寂寥の真空に取り巻かれた全く孤独な自分をはっきり認識することがあった。外に照り輝き、温(ぬく)もり合うべき力は内に凝結して曙の知恵の力となって、真理を掴もうとしていた。
彼は次の夜が来たとき、一人で尾沢の家を訪れた。窓のカーテンを越して血のような幅広い光は路上に流れ出ていた。彼はかなりの人数が話しているらしい話し声を聴いた。幾度もたゆたうた後、彼は暗い階段を昇った。
「誰?大河さん?おはいりなさい」
静子が目敏(めざと)く見つけて、ためらっている彼の意識から「遠慮」をはぎとってしまった。彼は微笑して尾沢に会釈した。一つの火鉢を中心に、尾沢と静子ともう二人見知らぬ青年が坐っていた。一人は頭髪を黒々と美しく分けた血色のよい、袷に角帯をしめた大きな商店の番頭らしい風采で、もう一人は久留米絣の袷を着た学生らしい背の高い瘠せた男であった。平一郎は彼らにもお辞儀をした。
「大河さんという方。深井さんのお友達ですって。昨夜はじめていらしったの」
静子が彼を紹介してくれた。学生風の男は平一郎がまだ少年らしい中学生であることなどを知らないかのように「僕は宮岡と申します、どうぞ宜しく」と頭を下げた。商人らしい男は喫(の)みさしの紙巻を灰の中に埋めてから、「永井です、宜しく」と言った。平一郎は正坐して、こうして仲間入りをした人達の話に聴きとれようとした。
「――どうしても今のままに過ぎていることは僕としては出来ない事です。愛子にしたところで堪ったことではないだろうと思う。もし一日でも早く別れるなら別れる、一緒になるならなる、どっちかに決めてしまわなくちゃたまったことではありませんからね」
永井の呟きを宮岡があわただしそうに尋ねた。
「それで、愛子さんの両親はそれを知っているのですか」
「それは知っていまいと思います。少なくとも愛子の言葉を絶対的に信じての上ですけれどね、しかし僕としてはたとえ僕と愛子との仲が一生の間先方の男や愛子の両親に秘密とされていても、それがたとえ保証されても、僕の現在はそれに満足できなくなっています。僕は随分我儘かも知れません。こんなことを言える訳でないかも知れません。しかし僕は愛子を独占したくなったのです。この頃殆んど愛子に会わない日はないでしょう。毎日必ず会っていると言った方が正確でしょう。しかし会う度に僕は、この可愛い愛子が自分から離れてあの軽薄な奴に占有されるのかと思うとたまらなくなります。僕は会う度に愛子が彼奴(あいつ)の細君になりすましている時を妄想します。するともうがっかりしてしまいます。僕ははずかしい話だが、この頃会う度に愛子に『結婚はまだかい』と詰問して、愛子のあの瞳が示す答を見ようと焦る位になって来ています。随分と堪らないことです。まるで先方の両親か男が言うべきことを僕が言っているようでもあるけれど、しかし、これは僕の言うべき権利だと思います。向うの男は愛子を一種の奪掠手段で貧しい本当の親元から結婚の許しを得たにせよ、僕の方には真実の愛子を愛する心も愛子を想う心もあるわけです。僕に言わすれば僕こそ彼奴に奪われたものを取りかえそうとするのですからね。無論少しばかりの現金に目がくれて自分の娘をあんな道楽者に約束する両親も両親ですがね」
「それで君はどうしようとするのだ」と尾沢が言った。
「僕は愛子に今のうちに両親と男に己との間を打ち明けろと言ったのです。しかし愛子はもしもこんなことが男に知れればきっとあの人は父や母に金を返せと責めるだろうというのです。それじゃ僕がどこかへ連れて逃げようと言うと、愛子はきっと貴方は牢へ入れられると言います。誘拐罪とかでね」
「牢へはいる覚悟で連れて逃げたらどうです」と宮岡が言う。
「馬鹿な!自分達にとっては罪悪という観念はないのだからね!僕達がかりそめにも恐怖とか暗さを感じることがあるとしても、それは、先方が誤った観念からどういうことをしでかすかも知れないという先方の誤認する思想の程度を洞察してのことに過ぎないのです。僕達の方が正しいのです。先方の男が単に愛子の美貌を見て、悪辣な手段で体(てい)よく奪って行ったのが不当なのです。そして法律と世間はそのやり方が巧かったばかりにその不当をも正当と認めます。そんな法律にしたがって、好んで牢へはいることは運命への侮辱です。罰があたります」
「それじゃどうしようと言うのだ」
「僕達は手も足も出ないのです。しかし、僕達はどうしてこのままにおれましょう。――それに尾沢君、愛子は妊娠しているらしいのです!」
「あはっはっはっ。な、静いちゃん。お前も少し怪しいってんじゃなかったかい」
「そうですの。少し怪しいの。わたしがあなたの子を生むなんて、何だかおかしいじゃないの。あなたが父さんになったり、あたしが母さんになったりしてさ」
「あはっはっはっ、永井君、そう焦らない方がいいね。とにかく現在会えるのなら結構じゃないかと思うよ。知れないで愛子さんとの仲を続けられれば結構じゃないか。僕達は人間ですからね。僕達は地上の生物ですからね。碌なことのあろう筈がないじゃありませんかね。どうせ苦痛より外にない地上じゃないかね。逃げたかったら逃げてみるさね。万が一、北海道か満洲かでうまく君達二人の新しい生活がはじめられればそんないいことはないだろうし、捕えられたら捕えられたで、殺されるなり、牢へ入れられるなり、またはひょっとして天下晴れて一緒になれるなりどうとかなるのさ。――しかしそんな危い仕事よりも、誰も知らない間に出来るだけ上手に立ち廻っているのもいいことはいいと思うよ」
永井は苦笑して尾沢の言葉を聞いていた。
「君のように考えてしまえばそれまでの話だけれど――」
「しかし愛子さんも可哀そうね」と静子が言った。
「そうです、可哀そうです」と永井が言う。
一しきり一座の者は沈黙した。平一郎はわけもなしに、歓喜に襲われていた。ああ、苦しいのは自分ばかりではないのだ、と思うと彼は光が湧き出るような感激を覚えた。(ああ、これでこそ自分の生涯にも生き甲斐がある!)
「ほんとに愛子さんは妊娠しているのか」
「さあそれが、まだはっきり分らないのです」
「ほんとに君にも確信があるのかね」
「――」
永井は答えなかった。彼は答えられなかったのだ。それは愛していればいるだけ、なお一層人間には知ることを許されていない恐ろしい神秘であった。尾沢も少し自分の質問を悔いたらしく沈黙した。
「だって、それは愛子さんには覚えのあることですわ。愛子さんがしっかりした確信さえあれば、永井さんのややさんがやどっているのに違いないわ」
「女にはそれが直覚できるものでしょうか」と永井は眼を輝かして静子を仰いだ。
「――でも、この方なら、この方の子なら孕んでもいい、孕んでくれる方がいいと思う心には、わたし、きっと感応があると思いますわ」
「そうでしょうか」永井は深い渦巻く淵を覗き込むような寂しい表情を現わした。尾沢はこうした厳かな時の流れに耐えられないように、大きく一つ唸った。永井は静子に与えられた仄(ほの)かな光を頼るように、 「あなたは今、孕んでいるかも知れないと仰しゃったんですね」と尋ねた。
「ええ。そんな気がしますの」
「それで、もし孕んでいるとしたら、何日、何夜のあの時だったろうという覚えはあるものですかね」
「それあ、何ともまだ言われませんけれど、無いこともありませんわ」
「はっきり言ってください。ありますか」
「ええ。ありますわ」
「そうですか」永井はまた眼を俯せた。このときさっきから帰ろうとしていた宮岡が、立ち上がろうとした。尾沢は「もう帰るのか」と言った。
「ええ、失敬します」
「試験もすんだんだし、急がなくてもいいだろう――今、これからすぐカッフェへ行くから、もう少し待っていて一緒に来たまえ」
「そうしようか」
「永井君」と尾沢は永井の背をたたいた。「あとにしたまえ。それよりか今夜はカッフェへ行って久しぶりで少し酔おうじゃないか。ね、そうしよう。自分の真情の要求に直進的に殉ずるか、それだけの勇気がなかったら一切の自力を捨ててなるようにまかすか、どっちかだと僕は思う。苦しみをなくしようとしたってそれあ駄目さ。寝るのが一番だね。寝ていたって夢で魘(うな)されることもあらあ」
「そうだ。そうしよう。今夜は飲もう。静子さんもおいでよ、ね。――大河君、大河君、君も来たまえ」
「ええ」と平一郎も立ち上がった。
五人の群は戸外に出た。雪は降っていなかったが、黒藍の寒空に星が二つ三つ光っていた。高等学校の学生である宮岡は長いマントをかぶりながら、静かな夜更けを愛誦の歌を朗吟するのだった。

頬につたふ涙のごはず一握の砂を示しゝ女(ひと)を忘れず

「石川啄木!いいね、啄木は!」
「長らえようか永らえまいか――あはっはっはっ、ハムレットは馬鹿だね、己達がこうして生きているということが、とりもなおさず死の国からの便りじゃないかね。死の国から一人も帰ったものがないどころか、死の国からこうしてこの全世界が帰っているじゃないかね。あはははは、ハムレットはまだおめでたいものさ」
色硝子の紫や紅や青や黄金色の硝子を透して輝く光彩が路上を染めていた。ドアを押して一群は室内に入った。
「いらっしゃいまし」と白いエプロンと後ろの赤い帯との対照の美しい給仕女がこの奇異な一群を迎えた。階下の食堂では、熱帯性植物の青い厚い葉蔭から、若い絵師の一群がマンドリンを掻き鳴らしている姿が覗かれた。
「二階へ行くよ。おい、二階のあの奥の方へ通してくれないか」尾沢は黒いソフトと黒いマントを脱いで階段を昇った。二階は日本風な座敷がこしらえてあった。
「永井!日本酒か。色のある奴か」
「両方もらおう。――ううん、日本酒の熱い奴にしてくれ。おい、日本酒の熱いのに、うまい肉の生焼きをもって来い!」
「はい」と給仕女は下りて行った。掻き鳴らすマンドリンの春の小川の甘い囁きのようなメロデイが階下から響いて来た。それはあまりに五人にとっては別の世界の音楽であった。重苦しい厳粛な沈黙と絶え入るような絶叫の大交響楽が階上の一室に高らかに鳴り響いていた。新鮮な肉と芳醇な酒とが彼等の心肉を温めて来た。尾沢は酒を呷(あお)りつつ雄弁に語りはじめた。
「永井!止せ止せ、くだらない心配は止せ!お前が愛子さんを連れて逃げたりしてどうするつもりだ。もっと善良な悪党になれ!――そうじゃないか、先方の奴が人間としての存在さえなくなればそれでいいのじゃないか。蜜蜂だってうまく自然に他殺することを知っているからね。愛子さんさえそのつもりになれば、だ」
「どんな方法がある?」
「一つある。しかし己には出来ない方法だ。同時に言ってならない方法だ」
「どうして言えない?」と永井は殺気を含んだ充血した目をあげた。
「――女には出来る。男には出来ない」
「じゃ、わたしには出来ることなのね」と静子は酔いのめぐった、生理的な昂奮を抑え切れないで大きな声を出した。
「お前には出来ない。愛子さんなら出来る」こう言って尾沢は盃に溢れる熱い液をすすった。
「その話はもう止してもらおう。――ね、尾沢君、君はドストエフスキイを読みましたか」
「ドストエフスキイの何を?」
「全部を」
「君は己が外国語に自由な人間だと思っているのか」
「でも二、三、翻訳があるでしょう――」
「己は読まない。己はドストエフスキイという作家を知らない。知っていたら教えてくれたまえ」
「いやね、僕の同級(クラス)の奴から『カラマーゾフの兄弟』の英訳をかりてはじめて知って、それから英訳で及ぶ限り読んだのですがね――」
「ふん」
「『罪と罰』という作にス※ドリガイロフという奴がいるんですね、そいつが或る女をピストルで脅しつけまでして自分のものにしようとしたのですが、どうしても出来なくなって、その相手の女の人格的威力と真情に征服されてですよ、一人とぼとぼ練兵場へやって来るのです。そして番兵に遭うのです。(お前はどこへゆくか)と番兵が尋ねる。(アメリカへ)と答えて、その男はピストルをこめかみにあてて、ばねを引いて倒れてしまう。――これはほんのエピソードにすぎないのですがね、僕は僕の読書力の範囲内で彼の作ほどに森厳な偉大な作を知らないのです。殊に彼の『カラマーゾフの兄弟』――」
「僕にも一度その本を見せてくれたまえ。ほんとに一生に一度は身も忘れるような書物にぶつかってみたいものだ。そうしてこの生きていることを忘れてしまいたいものだ。――静子!」
「何んですの」
「こっちへおいで!」
すると永井は立ち上がって「尾沢、みんな呼ぼうじゃないか」と言った。
「みんなを呼んでくれ!少し騒ごう。はじめてきいたドストエフスキイに敬意を表するために、せめて皆して飲もうじゃないか。それ程立派な作品を残した人なら、ね、静(し)いちゃん、随分苦しかったろうね!己達のようなへぼでさえこうじゃないか!」
永井は階下へ降りて行った。電話をかける音がしきりにした。二十分も経ってから永井があがって来た。
「山崎と小西と瀬村とが来るそうだよ!」
宮岡は不快な表情を示した。彼はしめやかな物語を欲したために彼の愛読する作家の話をしはじめたのであった。それを尾沢達が喜ばない。のみならず、あの乱酔をはじめようとしている。たとえ両親を早く失って兄の手に育てられ、遠い北国の市街へ来ている彼にしても、まだ兄の手に養われる学生の身分として、中流以上の家庭の子弟としての宮岡と、尾沢達の間には極めて肝心なある世界が共通でなかった。尾沢にとってはたとえそれがロシヤの大作家であろうとも、今のさき話しつつあった命がけの話の只中にのさばり出ることは、許し難い神厳を犯す行為であらねばならなかった。耳に頭脳に尾沢達の話を聞きいれても魂の開かない宮岡には、永井や尾沢の現実的生活に対してもドストエフスキイの小説を味わうような態度にしか出られなかったのである。
「ドストエフスキイが泣いていらあ!己の胸の中で泣いていらあ!」
ひたすらに沈黙して僅かに生々しい焼肉を食っていた平一郎は尾沢の瞳に真珠のように小粒な涙滴を見ることが出来た。そのうちにあわただしい足音をさせて「おう寒い」と二重マントを片隅に脱ぎ捨てて髭を生やした三十五、六の壮年の知識階級の男がはいって来た。この男は市街で唯一の万年筆の問屋の主人で、無妻であった。このグループの機関雑誌『底潮』の経済的方面はこの男が負担しているだけ、平常は勤勉な商家の主人だが、こうして一群の中にはいると天真の彼は寂しいといって泣くのである。
「小西さん、よくいらっしたのね。熱いのがありましてよ」
「や、結構、結構、今夜は自殺したくて困っていたところでした。有難う。呼んでくれて有難う。おう、結構、結構――」
そこへ山崎と瀬村がやって来た。山崎は熊本の男で二十七の一昨年帝大の理科を出た秀才だったが、嫌な結婚を強いられたために、自分の愛人をつれて、銀行の頭取である父の金をかなり多く携えてこの市街の伯父を訪ねて今年の春来たのであった。彼は新聞社の客員という風な資格で論説などを書いて生活を立てていた。彼の専攻であった星学に対する情熱は衰えはしなかったが、父が彼の意思から生じた結婚を許さないので、彼はその情熱を犠牲にして彼の愛人を護ることに努めていた。その一年ばかりの生活が彼を「大きな坊っちゃん」であることよりももっと深い生活を彼に知らしめていた。瀬村は二十五の工業学校の助教諭であった。彼は自分とはそう年の違わない生徒に粘土をいじくることを教えて、がっかり疲れた心身のやるせなさをこうしたグループに慰めていた。彼は一人の母を養うために自分の天才の成長を犠牲にしなくてはならない貧しい一人の青年であった。
「ロダンやミケルアンジェロやを思えば少しは心も安まろうという人もある。しかしあべこべです。安まるどころか威圧されて悲しくなって物も言う元気もなくなります。その日その日の生活さえ十分に果し得ない僕です――それにしても金が欲しい……」
その瀬村とその山崎がはいって来た。
「御一緒に?」
「いいえ、今、そこのドアのところで会ったのです」
「山崎さん、瀬村さん、今夜は飲み明かしましょう。こんな寒い寂しい夜です。どうしてじっとしておられましょう。哲人とやらは超然とすましておれるそうです。そんな哲人はそれは大方木像でしょう。さ、飲み明かしましょう」
静子が差し出す盃に豊潤な黄金色の液を注いだ。愛らしい桃割に結った少女が二人、一群の中にまじって酌をするのを忘れなかった。山崎が平一郎を見つけた。
「静子さん、この坊っちゃんは誰だあね」
「大河という方ですよ」
「大河?中学へ出ているのじゃないかい。――ううん、それじゃこの間停学になったことがないかい。女学校の人に手紙をあげたというので」
「ええ、僕です、その大河です」彼は真面目に答えた。彼の頬も酔(アルコール)のために紅かった。
「君かね、あはははは、停学はいいね。――」と山崎はふと硝子戸の隙間から戸外に眼を注いだが、「星が流れた」と思わず叫んだ。
一室に展かれたこの青年達のやるせない酒によって僅かに慰められる鬱した精神を夜は深々と抱いていた。黎明を知らない闇であった。この鬱屈した精神は果してこの市街のこの一団に限られたるものであろうか。つらなる大地のあらゆる生霊のうちに潜むやるせなさではなかろうか。それとも日本の有為なる青年にのみ特有な心情の苦悩であろうか。人類の生活上に重い負担の石を負わす資本家的勢力の専横な圧迫の社会的表現であろうか。もしそうなら下積みとなる幾多の苦しめる魂は、いつかは燃えたって全大地の上に憤怒の火は燃ゆるであろう。しかし、それは一つの原因であり得よう。しかしそれは唯一の原因ではあり得まい。何よりの原因は、自分達が自分達であることだ。無論「自分達は自分達であることの苦しみ」と「人為的な生活の圧迫」とは同一視できない。前者は不可抗なるものであり、後者はより善くするの望みはある。またよりよくしなくてはならない。どうにも出来ないのは宇宙苦だ。宇宙苦はありとあらゆる万物に滲み入っている。自分達は僅かにこの地上の人間的苦しみをさえ征服出来ずにいるのである。宇宙苦を知らないで人間を終わるものが大多数であるのだ。――平一郎はこの夜午前一時過ぎに家へ帰った。
彼にとって尾沢のグループはもはや生活するに必要なものとなってしまった。とにかくその中に行けば生きた熱情、真の苦しみ、歓喜に接することが出来た。それは若き平一郎にとっての僅かの慰みであった。平一郎は少年期の傾注的な熱情と信愛をもって『底潮』の一団に交わったのである。お光は平一郎の急に多くなった外出、夜更(よふか)しに心配したけれど、彼女は急には平一郎にそれと注意しないだけの思慮を積んでいた。危険な峠が我が独り子の道にさしかかっているのを彼女は認めた。四十年の苦労が彼女をして急に盲目的に我が子の道に干渉することを控えしめていた。それは善いとも悪いとも言えなかった。生理的に熟しつつある平一郎の男性的目覚めがあの恐るべき放蕩と堕落に彼を導く暇のなかったのは確かに平一郎の幸福と言わねばならなかった。和歌子一人に集注され、和歌子一人に生活の意義をみいだしていた平一郎が、その生活の意義を奪われてしまった時に、彼を放蕩に堕落せしめなかったのは寧ろ奇蹟と言うべきかも知れない。彼の早くより営まれた内的精神生活が急激に伸びて、『底潮』のグループに内より湧く力の消費対象を見出したのは――放蕩に陥るよりはよいに相違はあるまい。その一すじな力の奔流を堰き止めることを控えたお光の心の悩みはまことに尊いものである。
十七の正月が迎えられ、北国の街に厳冬は長く続いていた。平一郎は毎日の学校への出席を苦艱な労働のように耐えつつ、学校から帰ればすぐに尾沢の宅を訪ねるのであった。あのように進歩した女性のように、また時には淫奔な無恥の女のようにも、また時には世間の状態に通じた人間の心理に同情をもっている懐かしい年上の女人のように思われる静子は、東京の基督教の女学校の専修科を出て、この市街の大きな銀行の事務員をしていることが分った。彼は尾沢と静子があるように、未来自分と和歌子がありたいとも欲しなかった。また、彼は幾度となく尾沢のグループに接する毎にそこに本然的にある隔たりの大きくなるのを知った。それは尾沢達が現代の勢力団に対して抱く不満のように、尾沢達に対して抱かれる次の時代の批判、不満であった。平一郎には尾沢達の周囲に漂うあの「絶望」と「暗黒」の臭気に時々堪えられなくなるのであった。それは平一郎がまだあまりに若すぎるためかもしれなかった。平一郎が彼等の年齢に達して彼等のような思想に変わりはてるかも知れなかった。しかし今は、彼は時折、尾沢達と共に同じ狂乱と感激の嵐に捲き込まれて悲しい歌を高唱する刹那においても、彼はいつまでもこうしておられないような、このままこの嵐に捲き込まれて遠い無明に押し流されては堪らないような感じを得ていた。いつまでこうして過ぎるのか、いつまでこうして絶望に沈淪していても仕方がないではないか、と彼の内心に無言の声は響いていた。
しかしこれは瞬間に現われる底潮であった。尾沢や静子や山崎や瀬村や、大きい呉服店の番頭をしている若い純な商業学校出の永井やは彼にとって常に先輩的な感情を起こさせ、それらの人の生活に触れることは何んという慰め、歓びであったろう。山崎が蒼い西洋人のような眼を天空に注いで星学上の話をするときの輝く天体の偉大と不思議と、さらに山崎の浄(きよ)い熱とは人生に珍しい美であった。瀬村が写真帳をもって来てギリシャ・ローマ時代の彫刻やロダンやミケルアンジェロの彫像について語り、また、文芸復興期の偉大な芸術家について語るのを聞くことは彼の生涯にとって四年間の中学の授業よりも深刻な印象を与えたのであった。平一郎には永井の苦しんでいる恋愛の心理ははっきり分らなかった。けれど苦しさの程度は自分の苦しみに反照して推察出来ないでもなかった。純な人ずれのしない青年の永井が世間から見れば破廉恥な罪悪である不良青年のような恋をしていることに、そこに不自然な感じがまるでないことは、彼も分った。むしろ彼とは幼な馴染みであるという愛子が自分の亡き父に多少の金を貸していた人間のものとなることがどれほど不自然な事実と感じられたか知れない。このように恋するのが自然であるべき永井と愛子にしても不正な社会的制約の下においては苦しまねばならない二人であり、どうしてよいか分らないで曠野にとり残されたような悲しみと寂寥を感じる二人であった。
「僕達はこのように多くの人間の間に生息しながら、曠野へ追放された罪人みたいなものです。僕にはこれが正しいこととは思えない」と言って永井が涙ぐむのをグループの人達は黙って見ているより仕方なかった。どうかしてやりたさに人々は胸一杯に想いは充ちても、さてどう出来得るであろうか。二人を全然別離させることも出来ず、愛子を円満に離縁さして永井と結婚させることも出来ず、――出来得ることは少女誘拐で牢獄へはいること位でしかなかった。人々は今更のように、自分達の無力に驚かねばならなかった。
「僕達のようになっちゃだめですよ。え、大河君、僕達は要するに人生の勝利者ではない。僅かに路上で血みどろになって戦っている者です。しかもどうかすると敗亡しそうな弱虫でさあ。ね、僕達を真似ちゃだめですよ。僕達を踏み越えて、僕達がわずかに開拓して敗死したとき屍を乗り越えて真実の勝利の凱歌をあげてくれなくちゃ。え、大河君」と山崎はよく言った。そう言った心持は、尾沢や皆の者に共通な、彼等の次の時代である大河と深井の少年らしい姿をしげしげと見守り祈るような、同時に彼等自身の険しかった半生とさらに暗険であろう未来を想ってみるような広大な寂しい感情であった。一月、二月、平一郎は彼等を訪ねて時は流れて行った。その間、和歌子の行方はまるで知られなかった。
 
第八章

三月が来た。北国の三月はまだ厳しい冬である。雪は深くは降らないが、降れば消えなかった。朝の凍って刃のような大地に冬の冷たい赤光がきらきら光った。それは三月の中頃のある朝、平一郎は丁度学年試験の第二日で、彼の好きな歴史と幾何の日であるので、薄暗くから起きて学校へ行く用意をしていた。春風楼の茶の間には淀んだ赤暗い電燈が灯されていた。彼は寝静まった人達の目を醒さないよう、昨日から雪片がしみついて鉄のようになった靴をはいて戸外へ出ようとした。戸をあけると白い三月の朝の明るみにすかされて、一通の封筒が土間に落ちているのが見えた。第一回の配達が戸のすき間から入れて行ったものらしい。彼は手にとって見た。手紙は見憶えのある手で「大河平一郎様」とあった。和歌子から来た手紙であった。彼は何んだか少しも歓びを感じなかった。(ああ、あまりに待たしすぎた便りではなかったか!)雪は降っていなかったが、凍結した堅い大地の上にくりくりの雪が一、二寸も積っていた。彼は外套の頭巾をぬいで、手紙を読みつつ歩いた。

……おゆるし下さいまし、おゆるし下さいまし、わたしが悪いのです、わたしが弱いのです。「何を怕(こわ)がるのです、今に僕も成長(おお)きくなります)、と仰有(おっしゃ)ったあなたのお言葉はこの手紙を書いている時でさえ弱いわたしの心に鳴り響いています。しかし、わたしは、平一郎さま、おゆるし下さいまし、母の言葉に従って他所へ嫁入るのです。わたしを思う存分に憎しみなすって下さいまし。わたしはあの去年の秋の手紙のこと以来母の強い叱責を受け、東京へ送られてしまったのです。あなたにお手紙を差しあげなかったのは差しあげる気がどうしてもしなかった故です。おゆるし下さいまし。……しかし、平一郎様、わたしは平一郎様をどうして忘れることが出来ましょう。わたしは長生きいたします、きっと。平一郎さま、短気を起こさずにほんとにえらくなって下さいまし。そしてこの哀れな背いた女を見反(みか)えるようになって下さいまし。……わたしの夫になる人はあなたとは十も年上の洋画家です――

誤りではないかと彼は思って幾度となく読み返した。しかし読み返す必要はなかった。一度でもう彼はこの手紙の事実が真実であることを知ってしまったのだ。彼が感じた空虚な感じを失望というのであろうか。彼は学校でも幾何の問題を解いているときも、東洋史のイギリス人の印度征服の答を叙述しているときも、彼は和歌子のことを想っていた。どう想っているのか彼には分らない。ただ想っているのであった。それはたとえようのない空虚感。
印度の征服の問題にそれが歴史の答案であることを忘却して無茶苦茶に英国人の辛辣を攻撃して三枚ものべつに書いて彼は教室を誰よりも先に出て来た。控室から彼は運動場に出た。北国の冬に珍しい澄明な青い空だった。運動場一面に張り凍った氷に冬の陽光は輝いている。彼は和歌子の手紙をポケットからとり出して熟視せずにいられなかった。するとある一つの輝きが彼の頭脳に閃き彼は全身的に叫んだのだ。 「えらくなるぞ!」彼には和歌子を憎む情は微塵も起きなかった。彼は和歌子の(長生きいたします、きっと)を繰り返し読んでいると泉のように懐かしさが湧いて来た。えらくなる、えらくなる、えらくなって愛する和歌子と交わらずに置くものか!彼は運動場を駈け廻りたくなった。氷はつるつる滑るによかった。彼は運動場の光った平面を滑って歩いた。全身が汗ばんで、新しい生気が溢れて来た。
「大河君」深井が近寄って来た。
「深井君。来たまえ!」深井が微笑を浮かべてやって来た。
「これを見たまえ」深井が受け取って読むのを、平一郎も息をはずませて見戍(みまも)っていた。
「和歌子さんは東京へ嫁に行ったのだ」こう言ったとき平一郎はさすがに寂しい取り返しのつかないことになった悲哀を感じた。深井は繰り返し繰り返し読んでいた。やがて頭を上げた彼の顔は蒼白であった。平一郎は深井から手紙を受け取ってもう一度、「えらくなるぞ!」と怒鳴った。
冬の光は二人を照していた。ひろごる輝ける氷の平面の彼方には、E山脈の荘厳な峯が白光を放っていた。
「大河君」
「何だい」
「僕のことは一言も書いてないね!」
「え?」
平一郎は深井の白い顔に溢れ出る涙を見た。深井は洋服の腕を顔にあててたまらないようにせき上げせき上げ泣いた。
「深井君、どうしたのだ」と平一郎は彼の背をさすっているうちに、無意識の世界から(ああ、そうであったのか)と新しい認識が光り出でた。彼は深井の背をさするのを止めて黙然と立った。複雑な悲哀が彼を囚えてはなさなかった。涙が彼の両目にも溢れて来た。(それを知らぬわけではなかった。深井、許してくれ、知らぬわけではなかった。)彼は深井の手を握って許しを乞うように堅くふった。
自然の運行は無窮で始めなく終りはないであろうが、その廻り行く生成の姿は、ただ単調なリズムではない。ある時は全然無活動で平凡で単調であるが、ある時は嵐のように狂暴な力となって一時にあらゆる可能を尽さしめる。人間の運命にも、人が事件の過ぎ去った後で考えてみると、運命は実にそのリズムであることを信ぜずにはいられないことが多い。平一郎は和歌子の上京と結婚を知ってから、想いは未来の夢に燃えながら現実では空虚と暗鬱から到底逃れられなかった。――もし僕が二度この世に生まれて来るものなら、そして和歌子さんが同時に二度この世に生まれて来れるものなら、あるいは僕はこのままで思い切ることが出来るかも知れません。しかし僕には僕の一生は今のこの一つよりしかないものだと信じられます。僕は僕の生涯にどうあっても和歌子さんを求めます。この世の運命を僕は和歌子さんに結びつけずに考えることは出来ませぬ。ああ、僕には僕よりも十歳も年上の男の人妻である和歌子さんを想像することは出来ない。僕には和歌子さんはいつまでも頬を赤くする熱情的な少女です――こう平一郎は感激した文字を深井に送ったこともある。「男子が嘗めねばならない不幸と苦しみ」――独立期が晩成であるために初恋を奪われる苦痛を平一郎は嘗めねばならなかった。堪らないことであった。
「大河君、僕も苦しい」と深井は言った。
苦しい熱病人のように夢中で試験をすましたその夜、平一郎は尾沢の家を訪ねる気になった。彼の精神に消化し切らない食物のように和歌子のこと、深井のこと、自分のことが未解決のままで渦巻いていた。
二階では尾沢と高等学校の学生の宮岡が熱烈に話し込んでいた。
「しかしホイットマンが、我が祭歌を浮かべるは歓喜をもってだ、汝に歓喜をもってだ、死よ、と歌っているように、死はたしかに安らかに永遠の安息だと考えられますよ」
「宮岡君、もう止めてくれたまえ!」尾沢は眼をとじて堪らなさそうに宮岡の熱した言葉を止めさせた。宮岡は情熱をさえぎられて、眼鏡越しに尾沢をじろり睨みつけた。
「どうかしましたか」
「己には性に会わないようだから、止してくれたまえ!ホイットマンはそういう風な死の思想を抱いている人とは思われないが――いや有難う。もう止してくれたまえ――」
「どう君と合わないのです。昨日も友人と彼の『草の葉』を学校で読んで思わない発見に歓び合っていたのです、どう君に合わないのです」
「ホイットマンが詩人であるからだ。死と生とを別物のように考えているからだ。死といい生というのは人間の不完全な認識が勝手につけた名称に過ぎないのだと僕は信じます。こうしていることが生であるなら『死』といわれている現象も生の一部分です。死は休息じゃない。断じてない。死もまた生だ。だから死もまた苦痛だ。死んで己達が無くなると信ずることは人間が真理を認識する恐ろしさに堪えないで自分で自分の眼をかくすめかくしに過ぎないのだ。こうして己達であるこの己達がどこにどうして全然無くなることが出来ると思うのか。全然無くなることの出来るものなら、こうしてここに表われはしない。表われている限り己達は永遠に有ることの証拠だ。この有ることを生命だというなら生命と言ってもよい。クリストという男は永遠の生命に触れれば泉のごとく尽きずと言ったそうだが、なるほど泉のごとく尽きないことは真理だ。しかしその永遠であることが絶大な歓喜であると説くのは少なくとも己にとっては赤の嘘である。己達は永遠にある。どれ程無くなろうと思っても無であることは許されない。死という有に変り得ても全然無くなることは出来ないのだ。己達には全宇宙は知ることが出来ない。しかし全宇宙は遂に全宇宙で己達は知らないでも、それは永久の同じい有であることは確かである。己達はその全宇宙の一部として永遠に有であることも確かである。己達は死ぬ。しかしそれは決して己達が考えるような死ではない。だから死んで苦しみが脱却されるわけではない。宗教家は苦を脱した解脱を説くけれど、その解脱というものは生に対する死、苦痛を脱したと思う苦痛に過ぎないじゃないか。苦痛という苦痛を神もしくは救済という苦痛と置き変えるだけじゃないか。要するにどうにもならないのだ。どうかしたいということとどうかしたという、それはたまたま名称を置き変えたに過ぎないので、本質は同じ変らぬことをやっているのに過ぎないのだ。人類が滅亡すれば己達はまた何か別なものになっていることだろうよ」
「また、いつもの君の哲学が出ますね、君の言うことは真理かも知れません。しかし僕はホイットマンの詩に歓びを感じることも事実です――それに、僕達は僕達以上の存在、神人もしくは人間神を予想し得ないでしょうか。例えば君の永遠の苦痛である生命も苦痛でないような――」
「馬鹿を言いたまうな。神人、人間神の苦痛が己達に分るものか。燃ゆる太陽を見たまえ!あの太陽が崩れる時が来たら、その破片から人間以上の怪物が生まれるかも知れない。神の国は苦痛の太極にあるのだ」
「――」
宮岡は黙した。平一郎も黙していた。沈んだ尾沢の語調がひとり響いた。静寂をはたはたとかすれるような音のするのは雪が降り出したのであろう。火鉢の炭火は燃えさかって、ぱちぱち火花を散らした。静かである。静けさは十分間ばかりも続いた。誰もものを言う気になれなかった。ものを言うことがこの厳かな静けさを汚すようで恐ろしかった。階下で足駄の雪をはらう音がしたのに、三人共助かったという風に顔を見合わした。ついで階段を昇る衣ずれの音が聞えた。それ程に静かな冬の深い夜であった。
「尾沢さん、いらしって?」静子が小さな声で言ってあがって来た。彼女の前髪に白い雪片が消えかかっていた。
「静子か」
「尾沢さん」彼女はぺたり尾沢の正面に坐った。彼女は笑わなかった。
「どうかしたのかい」
「尾沢さん、わたしと結婚して下さらない?」
「突然にどうかしたのかな」
「わたし銀行を出されてしまいましたの。――あなたのせいで。お腹ではもう時々動いていますわ」
「本当かい」尾沢は訊(き)いた。真面目だった。
「本当ですの」
「己は知らないよ」
尾沢は冷やかに裁判官が審判するように言い放った。静子ははじめ真面目に受け取らないらしかったが、尾沢の冷やかな表情はそれを真面目にとらさずにおかなかった。静子の豊かな肉付の顔がはじめて蒼くなった。彼女は容易にものが言えないようであった。すると、超意識的に憑かれた人のような乾いた笑いが彼女の顔を歪めた。
「わたし、ここより行くところは無いのですから。今夜から泊めて頂戴!半年やそこら遊んで生活して行く金は持っていますから」
そう言って静子は羽織を拡げて尾沢に彼女の腹部を見せるようにした。
「もう五月ですわ」
彼女の腹はよく見ると随分大きく膨れていた。尾沢は冷やかに視つめていた。
「己の子だというのかね」
「そうよ、あなたの子ですよ」
「あはははははは。…………子が出来れば男の責任にしてしまうのかい。あははははは、尾沢が子持ちになるのか。あははははは」尾沢は虚しく笑いこけた。
尾沢の家から烈しい吹雪の夜路を平一郎は帰って来ると母のお光が寝ずに待っていた。いつもなら彼女は寂しい顔をして平一郎を吐息と共に見るのであるが、今夜は彼女の顔は柔らいでいた。「平一郎、冬子さんがこの月末に久しぶりで金沢へ帰って来るそうですよ」
それは平一郎にも意外な悦びであった。冬子が去ってから足かけ二年の歳月が経っていた。その間冬子の消息は時折ないではなかったが、東京日本橋の繁華な街の裏通りに、土蔵付きの小さな別宅を貰って、そこに婆やと小娘とに傅(かしず)かれて住んでいること、天野が隔日に泊りに来ること、天野の勢力の偉大なことなどより外に詳しい冬子の生活は知りようがなかった。一年半といえば随分短いようで、しかも平一郎母子には長い、変移の多い時日である。彼は冬子に会うのが恥かしいような切なさを感じた。お光はお光で苦しい独り子のための生活を振り返ってみた。冬子が去ってしまってから日々の生活に追われながら一日も忘れたことのないあの彼女一人の胸に秘めている「埋れた過去」の運命の秘密が、新しい苦痛と恐ろしさを持って甦って来た。(何という不幸な自分達だろう。)それにしても冬子に会えることは母子にとって悦びであった。
「一人で来るのかしら。え、母さん」
「いいえ」お光はためらって、「先方の、天野の旦那様のお供をして来るですってね」
「そうですか。それじゃつまらない」
(和歌子が東京へ嫁入った、そして今、冬子がやってくる。)平一郎は訳もなくそういうことを考えて、自分の行きづまった生気のない幽鬱な現在の生活を二人の前に羞じずにはいられない気がした。ああ、ほんとに、この同じ地上には和歌子もいれば冬子もいるのだ。どうして自分は立派な人間にならないでおこうか。彼には今のままで学校へ行くことが本能的に苦痛になって来ている。彼は自分はどうしたらよいのだろうと考えた。世界が暗くなって感じられた。彼は眠られない深夜、眼を開いたまま涙をこぼした。

三月の三十日、ほんの二、三日のうちに暖かさを増した晩冬の太陽が街上を流れる雪どけの水に映る日であった。お光は寒気がするので離室で寝ていた。午後、赤々と太陽が障子に射しているのを夢心地で眺めていると、障子に人の影が映った。
「どなた」
「小母さん、わたしですの。冬子ですの」
「小母さん暫くでございました」
障子が開けられた。冬子は長い間頭を上げなかった。
「まあ、おはいり。今日は寒気がしたものですから――」そして、お光は冬子と顔をあわした。涙がゆるやかに湧くのを止めるようにお光はにこやかに柔らいで、
「ほんとに、夢でないのかしら。でも、冬子さんは少しも変わらないで」と言った。
「小母さんも――」そして冬子は啜り泣きはじめてしまった。
冬子は今のさき、春風楼の女達に会って心づくしの土産物などを差し出したのだが、皆がまるで異邦人のように隔って碌な挨拶さえしてくれなかった悲しさに胸が一杯になっているところへ、お光の変わらない静かな愛情に泣けたのである。
「ほんとに、ほんとに、いつまでも変わらないのは小母さんだけでございます」
(ああ、お光の胸にこそあの昔の故郷がある。)冬子は昨夜、天野と一緒に古龍亭へ着いたこと、二日ばかりこちらにいる筈のこと、どんなにこちらへ来ることを楽しみにしていたか知れないこと、しかし春風楼へ来ても皆があまりに無愛想で悲しくなったこと、でも「小母さん」に会えて嬉しいこと、東京の生活も決して楽ではなく、始終気苦労が絶えないこと、などをこまごま言葉少なに話していたが、突然にお光の顔を見つめて、 「小母さん」と呼びかけた。
「何んですの」お光は微笑した。
「小母さんは天野の旦那様の奥さまによく似ていらしってよ!」
「どうして?」とお光は穏かに言いかえしたが、眼を伏せた。
「わたしがはじめて今いる日本橋の家へ落着いてから間もなく天子様がおかくれになったでしょう。あの御大葬の儀式をわたし日比谷公園の前――宮城の間近なんですのよ――に旦那様の会社の持地がありますので、そこで会社のお方と御一緒に拝まして頂きましたの。わたし、そのときは随分辛い思いを致しました。まるで旦那様と何の関係もない人間のように取り澄ましていなくてはならないのでしょう。夜も更けて、もう御霊柩が宮城を出なさろうという時分、ふと傍を見ますとフロックコートを着た会社の方の間に小母さんそっくりの女の方の顔が見えましたの。わたしはそのとき自分の眼の迷いではないかしらと思いましてようく見ていますと、その方は小母さんよりか肥っていて、小母さんよりか眼の怕い顔容(かおつき)で、小母さんよりか立派でだんだん小母さんに似ていなくなりましたが、あんまり不思議で傍の人にそっと聞いてみますと、小母さん、それが天野さんの奥様なのでした。――そのとき感じた水を浴びるようなすまないような情けないような妬ましいような心持は、わたし一生忘られません。それに小母さんにそっくりなんですもの、わたし何んと言って好いか分らない位、深い恐ろしさを感じたのでございますの」
冬子はそれから、妾という生活の本当のどん底は頼りない寂しいものであること、今でもいつ捨てられはしまいかという不安の絶えないこと、社会的に常にある迫害と擯斥(ひんせき)が絶えないことを話した。
「何んだか、こう二年もお別れしていたような気がしなくなりましてよ、小母さん、何んと言ったらいいでしょう、ほんとに自分の母親に甘えているような気がしますのよ」
お光は顔を伏せずにいられなかった。お光は自分の心に不可抗な不安と離隔と、一切を知るものの寂しさを感じて来たからだった。(天野の妻が自分に似ているのも無理はない。彼女は自分の同胞であるのだもの!――そしてあの天野は自分の姉の綾子を抱く次の夜はこの冬子を抱いているのか?)
「小母さん、平一郎さんは?」
「何処へ行ったのか今朝から見えませんのです。わたしもあれのこの頃にはどうしてよいか困っております」とお光は日々の苦労を打ち明けずにいられなかった。お光は、平一郎が停学に処分されたことから、学校を厭がっていること、幽鬱で気が荒くなっていることを打ち明けた。
「どうしてよいかわたしにも分りません。ただ、あまり干渉がましいことをするよりか、なるべく自由にしとく方があの子の気象にも好いと思ってはおりますが、それに学資だって冬子さん、中学を卒業するまで続くかどうかさえが危ぶまれる位でしてね」
お光はしみじみ心配そうに話した。こうした苦しみは話するだけで、幾分軽くなるものである。冬子はお光の話を一生懸命に聞いていた。そして話の中途から、熱心さで瞳が輝きはじめた。
「小母さん、平一郎さんを東京へお出しになったらいかがでして?――え、そうなさいましな、ね、小母さん」
「え?」とお光は眼を見はった。本能的な母親としてのみ動いていた意識がぱあっと展(ひら)けて、四十幾年の苦労を静かに堪えて来た全部のお光が冬子の言葉が意味する独り子の未来を洞察した。(決して平一郎を東京へはやれない!)
「そうなすってはいけないでしょうか。天野さんには坊っちゃまがお一人しかありませんですの。それで誰か一人、坊っちゃまのお相手をして、ゆくゆくは杖とも柱ともなってくれるような人がいれば世話をしてみたいと仰(おっ)しゃっていらっしゃいますの。小母さん、平一郎さんならわたしどんなにでもして旦那様に申しあげますわ。わたしのお願いですから平一郎さんのお世話をやらして下さい」
(ああ姉を奪って行った天野、冬子を奪って行った天野、間接には兄を狂わせ夫を殺し、自分達の未来を保証する全資産を尽さしめた天野、その天野は今、また自分の独り子の平一郎をも奪って行こうとするのか。)不可思議な運命のはてしない曠野の道筋において「彼奴(あいつ)天野」が次第にまためぐりあわせ近づいてくる。
「小母さん、そうなすって下さい。いいえ、そうさせて下さいまし。暫くのお寂しいことは我慢なされば、そのうちに平一郎さんも大きくおなりなさるでしょうから。御自分の嫌な学校へ通わして置くのはわたしが考えても悪いことですわ。ね、平一郎さんを東京の中学へ入れなさった方がようござんしょう。――そのうちに半年も一年も経てば小母さんも東京へ出ていらっしゃるようになるとようござんすわ」
明らかに冬子は昂奮した。(まだ娘であった時分に、誰一人頼るものもない自分の面倒をみてくれたお光でないか。)そのお光のために平一郎の一身の立つよう世話をすることは嬉しいことである。お光は冬子の言葉から熱烈な、峻酷な、運命の宣言を聞いた。破壊した平一郎の生活がこのまま過ぎて元通りになりそうに思われない。東京へ出して、大きな邸から東京の自由な学校へ通わしたならあるいは平一郎の心の傷も癒えるかも知れない。しかし、相手は「天野一郎」の「天野栄介」だ。自分達にとっては仇敵の「天野栄介」の世話になる?そういうことが出来ようか。しかも冬子の手から!自分の同胞の夫(ああこの字に呪あれ)の妾から!出来ない、出来ない!)
「小母さん、ほんとにそう決めて下さいまし。わたしに手柄をさせてやって下さいまし。平一郎さんだって可哀そうじゃございませんの。――それに大変失礼ですけれど、中学を出なさったあとまでも、しっかりしたおつもりもないのじゃありませんか。ね、平一郎さんのお世話をわたしにやらして下さいまし、お願いですの、小母さん」
(どうしたってお世話せずにおくものか)という決心が冬子に見えた。お光にはそれが(どうあったって汝の独り子を奪ってみせる!)と天野が宣言しているように見えた。
「平一郎に聞いてみましょう。冬子さん、そうより外にわたしも決心がつきません。もしあれが悦んで行くようでしたら、冬子さん、そうしたら、改めてお願いしますでしょう」とお光は言ってしまった。
(平一郎の運命は平一郎にまかそう)と彼女は思ったのだ。
平一郎への土産を残して、冬子は夕景に春風楼を去った。平一郎が夕飯に帰って来たときお光は平一郎に留守中に冬子が来ていったことを話した。平一郎は寂しい顔をして何も言わなかった。お光は近頃平一郎がひどく痩せたのを今更のように見た。そして遂に上京の話はいわず仕舞にしてしまった。
次の日の午過ぎ、平一郎とお光が食事をしていると、市子が、お光に平一郎さんを連れてすぐ古龍亭に来てくれとの冬子から電話だと知らして来た。お光は恐ろしいものにぶつかったように、慄えながら、重大な運命の岐れ路をはっきり見ながら、祈るように、
「平一郎、お前、もし世話してくれる人があったなら一人で東京へ行って勉強する気がありますかい」とたずねた。
「――?」
「冬子さんがね、お前が東京へ行って勉強する気があるなら天野という方に頼んでみるがどうかと話していたのですよ」
「――?」
「つまり天野さんのお邸に置いていただいて、学校へやっていただくのですからね」
「――僕、とにかく古龍亭へ行ってみましょう!」
「そう」お光はがっかりして喪神したように箪笥から新しい袴、羽織、袷を出して黙って彼の前に置いた。そして自分も着物を着替えてかなり遠い雪路を歩いて古龍亭へ出かけた。
お光は門口まで来て、はいらなかった。女中は平一郎を鄭重に案内した。畳廊下を通って行くと、向うから冬子が微笑みつつ迎え出た。
「大きくなりなすって!もう平一郎さんはすっかり大人になってしまったのね」
彼は笑った。そして(やはり美しい)と思った。
「天野の旦那様にあなたのことをお話ししたら、是非、会ってみたいと言われましたの。ね、よくはきはきとものを言わなくちゃいけませんのよ。――小母さんは?」
「どうしても中へはいるのは厭だといって肯(き)かないんです」
十畳室は金台の屏風と色彩の燃えるような熾烈な段通とで平一郎にはもくもくともれあがるような盛んな印象を与えた。彼はその室の中央に寝そべって、一人の女中に足をもましている天野を見た。彼は手をついてお辞儀をした。
「この人でございますの」と冬子が紹介した。
「お前は何という人かね」と天野は穏かに尋ねた。
「僕は大河平一郎と申します」
「学校は?」
「学校は――さっぱりだめです」と平一郎は言って、「今、中学四年を卒(おわ)ったところです」とつけ加えた。
室内|煖爐(ストーブ)の瓦斯の焔は青く燃え、熱気になれない平一郎は眩暈(めまい)を起こしそうでならなかった。彼はこの豪奢な生活の中に悠々と寝そべって自分に肉迫する巨人をじっと睨みつけていた。彼は生まれてはじめてこういう人間にあったのである。ある根強い圧力が彼を圧しつけようとして止まない。平一郎は自分の内部に超自然的にその圧力に抗してゆく力を感じた。(負けないぞ!)
「そしてお前は何になろうと思っている」
「僕は真の政治家になってこの不幸な世を済(すく)いたいと思います」
「世を済うには金が要るようだね」
「金――は要ります。しかし金は第二です。僕は貧乏でも――」
「貧乏でも済ってみせるか。あはははは、――東京へ来て勉強してみる気はないのかい。大河君」
「母さえ許せば僕は行きたいです」

桜の蕾のあからむ四月のはじめ、平一郎は母に別れてひとり上京することになった。上野駅へは冬子が出迎える筈だった。(さようなら、母さん、御機嫌よう、僕は母さんの独り子であることを忘れますまい!ああ、ほんとに御機嫌よう!たとえどのようなことがあろうとも、僕は僕の志をきっとやりきってお目にかけます!ああ、ほんとに御機嫌よう)――平一郎は東京へ去ったのである。
「とうとう本当に自分一人になってしまった!」お光は囁いた。(姉を奪われ、兄を奪われ、夫を奪われ、冬子を奪われ、そして今また、平一郎をさえ奪われてしまった。)憎しみもなく悲しみもなかった。寂しさが静かに湧くのみである。そして、何んとも知らず、
「天野に勝つものは平一郎だ」と呟いた。

第九章

早春の夜更けである。雪も降らず風も烈しくなかった。碧深の夜空は穏かに澄んでいた。その空の下に、東京。華やかな灯と暗との交錯を走る電車の中で、平一郎は今より彼に開かれる新しい生活と新しい人間に祈りを籠めた。量り知られぬ人間力の大潮、大いなる都会は未来を蔵してどうどうと永遠の騒音を響かしている。車窓からは高層な建築、広い道路の石畳、街路樹の濃い常磐葉、電燈と瓦斯の赤光白光の入りまじり、行き交う市民の群、自動車の攻撃的で威嚇するような探光と轟音。何んというすばらしい豪壮さだ!こう彼は思って傍に坐っている冬子の横顔を見ずにいられなかった。この大都会の只中に自分の知っているのはこの冬子一人であるのだと考えながら、多くの昇降する婦人達の中で冬子の端厳な美しさが少しも落ちて感じられないのを誇らしく思った。(東京へ来たって冬子はやはり美しく――自分だって、たかが…東…京――)市街の中央地らしい、両側の建築が宏壮で威厳と重厚を現わしている、その屋並の深い水色に荘重な五層の石造建築を冬子はそっと指さして、「旦那様の会社よ」と言ってくれた。やがて車掌が「M街三丁目」と呼ぶ声がした。平一郎と冬子はそこで下りた。平坦な大路に早春の微風が暖かく吹いていた。平一郎は黙って冬子の後について歩いた。卵黄色の陶煉瓦の四層の貴金属商の建物が赤い煉瓦の貿易商会と対(むか)い合っている横路、その横路には格子戸をいれたしもたやや土蔵造りの問屋が並んでいた。横路にまた細い横丁があった。その小路の一筋へ、溝板(どぶいた)を踏んで冬子は入った。右手は高い黒板塀で、左手に、路の中ほどに新しい精巧な格子戸を入れた家の軒に電燈が灯いていた。冬子は「ここですのよ、わたしの家は」と言った。
「玉や、いるの、お留守番御苦労様」
「はい」と上り口の磨硝子のはいった障子を十七、八の女中が開けた。
「お帰りあそばせ。随分待ち遠しうございました。御新造様」
「そう、御苦労だったわね」冬子について平一郎もあがった。上り口が三畳でそこは押入らしく襖になっている。次の室が八畳でやはり押入らしく襖がとってある。平一郎は黙って三畳に佇んでいた。
「玉や、すぐに鴨南蛮を四つ言って来ておくれ」
「はい」
「それから、旦那様はまだいらっしゃらないかい」
「はい。今日は少し遅くなるかも知れないってさっきお電話でございました」
「そう」
玉は外へ出て行った。平一郎は八畳の明るい部屋に出て、一体「電話」が何処にあるのかしらと部屋中を見廻した。電話らしいものは見えなかった。ただ、部屋中があまりに磨かれ、調度が精巧すぎ繊細すぎて、大らかな感じが少しもしないのを認識した。彼は小さい光った長火鉢の前に冬子と正面に向い合って、さてどうしたものか(気の毒さ)を感じたのである。彼が感じたはじめての感銘が(気の毒さ)であったとは。
「ここは貴方のお住居ですか」と平一郎は思わずたずねた。
「ここ?そうですの。どうして?」
「随分狭いですね」
「そう、随分狭いわね」冬子は微笑して、「まだこの後ろにね、大きな家があるんですのよ。ここはほんのわたしの寝所ですの、ね」
冬子は囁くように話したが、あたりがあまりに静寂で、高く響いた。今のさき過ぎて来た都会の騒音はなかったことのようにここへは響かなかった。都会の中央の激しい渦巻きの中にこのような静かな空間と時が潜んでいることを知る人は知るであろう。冬子は茶を入れたり菓子を出したりした。平一郎は空腹を感じていたのでその菓子を残らず食った。
「腹が空いてしまった」平一郎が言ったので冬子もこれには吹き出してしまった。そしてこの偶然な笑いが、平一郎が上京しない前からどうしても平一郎にゆっくり了解させて置かねばならないと思案していたことを自然に言い出す機会となった。
「お腹が空いて?今すぐ玉がお蕎麦を持って来ますからね。それよりか平一郎さん、わたし少し平一郎さんに承知して戴いて置きたいことがありますのよ――」と冬子ははじめた。彼女は伏目になって、言葉の切れ目切れ目に平一郎を真率(しんそつ)に見上げた。
「こんなことを言わなくても平一郎さんは何もかも承知していらっしゃるでしょうけれど――わたしという人間はつまりこの世に生きていないものと常々思っていなくてはいけませんのですよ。わたしは天野の旦那様のかくし女(め)――ね、分ったでしょう。そのわたしが平一郎さんをお世話するということは、出来ないことでしょう。生きていない『幽霊』が人のお世話をすることは出来ないはずですわね。それで今度も表向きは平一郎さんをお世話したのは、同じ国から出なさった奥山さんのお世話という風になっているのですからね。その辺の弁(わきま)えをよくして戴かないとわたしも平一郎さんも旦那様も奥山さんも皆が途方にくれるようなことが起きるのですから。――分ったでしょう。冬子という人間は居ないものと思っていて下さればよいのです」平一郎は冬子の言葉に悲しい感情を得た。「天野様のお邸には若様と奥様と女中さんが五人ばかりと爺やさんがいるのですから、下々の人達に憎まれないように、奥様や若様にも一生面倒を見て頂く気でなじんでゆくようにしてね、――そうでしょう、若様はたしか慶応の理財科へ行っていらっしゃるのですから、仲良く勉強なすって、ね、――いまに旦那様の片腕になるようにならなくちゃ、平一郎さん、いけませんのよ。ほんとに旦那様のお骨折といったら大したものなんですから、ね」
自分は、頼りとする冬子の生存を常に否定していなくてはならない。そしてその冬子は、天野の愛する女であり、自分はその冬子の世話で天野の邸にはいって天野の世話で学問するのである。そして邸の天野の夫人や息子には冬子の生存をまるで知らないものとして虚偽を犯し、同時に彼等と一生を共にする覚悟で親しみ合わなくてはならない。――そうした複雑な虚偽と真実をよりまぜた芝居じみたことが自分に出来るであろうかという疑迷が黒雲のように平一郎の心に湧いて来た。彼は当惑したように冬子を見上げた。冬子の瞳はうるんで涙を湛(たた)えていた。彼は首を垂れて沈黙した。冬子も黙ってしまった。静けさが二人には恐ろしく感じられて来た。ほんとに自分達は危い険しい路に深入りして来たのでないかと思われた。しかし後戻り出来る運命でない。善いにしろ悪いにしろ進むより外に道のない自分達である。彼はこのとき、金沢を去るときの母の「秘密の戒め」を想い起こした。
母は言った。「お前の先祖は金沢の街を離れた大川村の北野家という豪農であったのだ。それがわたしの兄の時代に滅びてしまったのである。またお前の父もお前の幼い時になくなってしまったが、父は常に多くの人間のために働きたいと考えていた人であるが、中途で死んでしまったのである。お前は自分一人の手で育てられて来たので、世間でいう(女親育ち)であり、(貧乏人の子)である。お前は世間の人に、滅びた北野家、亡くなった父、またお前のために一生を捧げているこのお光の意思と力が、たとえ貧乏人の子でもその貧乏や悪い境遇に克ち得ることを示す責任がある。――それからもう一つは、常に右のことを精神の根本に沈めていると同時に、お前は天野の家へ行っても決して母の生地が大川村の北野家であることを明かしてはならない。母は金沢の生まれであると信じさせなくてはいけない。また父は山国の人間であると言わねばならない。この二つのことを心の根に据えて一生懸命勉強して、お前が常々言ってるように『真の政治家』になることを母は(生命にかけて)祈っていよう――」
こうした「母の戒め」に今また「冬子の戒め」が重なるのである。幾重もの秘密、幾重もの「見えざる運命」の重荷を負わねば生きてゆかれぬ自分。平一郎は暗い気にならずにいられなかった。まっくらな闇に迷いこむような佗(わび)しい気が平一郎に起きた。無論、そうした「迷い」のもう一つ底には充実した輝かな力が根を張ってはいたけれど。
「旦那様の力をいれていらっしゃることはそれはもう大したものなんですから。もう御自分で学校まで探して下さっているんですから、平一郎さんも少し苦労なことがあってもそこは忍耐して下さるでしょう、ね。わたし達のように十分な家庭に生まれなかった者はどうしたって一度は辛い涙を噛みしめてじいっと忍従していなくちゃならないのです。それは辛いことが多いのですよ。死ぬよりも辛いことがあるのですよ。それをじいっと忍んでいるうちに、平一郎さん、人間の骨が鍛えられるのじゃなくって?ね、わたしだってはじめて悲しいということを知ってからもう十年近い年月が経っていても、未だに毎日泣かない夜はないのですものね。本当に平一郎さんは羨ましくてなりませんのよ。男に生まれて来たことは何よりの光栄じゃなくって?暫くの間の辛い忍耐を土籠りをしていれば、時が来れば世界中を相手に晴々しく暮らせるのじゃないの。ね、ほんとに平一郎さんはいまにえらい政治家になってわたし達のように貧乏なため辛い苦労をして一生を終らねばならないようなもののないように救って頂戴」
冬子の瞳は涙ぐんでいた。低声に語る言葉の一つ一つには彼女の生涯の悲しみが浸みついていた。平一郎は崇厳な美しさを冬子に感じた。冬子がこの美しさを見せることは珍しい。それは人間の最高の美である。平一郎は冬子に潜む熱情を全身で受け容れた。暗い「迷い」が払いのけられて、青年の浄い情熱が内から白光を放って充溢しはじめて来た。(ああ、何を恐れよう。恐ろしいものがこの世に在り得ようか。自分は母と父の秘密を守る。自分は冬子を自分の魂の奥深くに湛えている。自分は天野氏に対して尊敬と親愛の情を深くしよう。自分は天野氏の妻子に対して純情をもって接しよう。そうして自分は一生懸命勉強するのだ。恐ろしいのは勉強しても実のある勉強を忘れることだ。恐ろしいのは成長の後に真に人間を救う大政治家になる志を失うことだ。ならずにはいられない。ああ、自分はどうあってもこの地上から不幸な人達を根絶して、自分のために力を尽してくれる人、自分を愛してくれる人、母や、冬子や、また、和歌子や深井の喜ぶ顔が見たいのだ。さらには自分自身が自分に向って、よく生れ甲斐があったと言いたいのだ。ここまで出て来た自分である。自分はあくまで清純で正直で全力的であろう)平一郎は想いつつ黙した。
「もうこうした話は止しましょうね。何もかも承知していらっしゃるでしょうから。今夜は疲れていらしっても少し我慢して下さいね。旦那様に会って少しお話ししてた方がいいでしょうから。そして二、三日ここで方々見物してから、奥山さんに連れ立って高輪のお邸へいらっしゃった方がいいでしょう。――お玉はどうしたのかしら。随分遅いこと」
静けさが黙せる二人に迫った。平一郎は冬子にこのように沁々(しみじみ)と物語られるのははじめてであった。彼は冬子と彼との間にあった「大人と子供」の隔てが全くとれてしまったのを感じた。母に対する心持でもなく和歌子に対する心持でもない、和歌子と母とを一緒にした心持である。その時、上り口の三畳の押入のあたりでことこと戸をたたく音がして「御新造さま、すみませんがちょっとあけて戴けませんでしょうかしら。御新造様」とお玉の呼ぶ声がした。冬子は立ち上がって、「表から来たのかえ」と言いつつ三畳の片隅の押入のようになっている三尺戸を引くと、お玉が「どうも相すみません」と出て来た。
「隠れ道なんですのよ、平一郎さん――そこからは旦那様の別邸なんですの」と冬子は笑ってみせた。色の白い、頬の林檎のように張ったお玉は、重そうに大きな鴨南蛮の丼をそこへ下ろした。冬子はお玉にも一つをすすめ、平一郎にもすすめた。平一郎は二杯目の蕎麦を食い終わったとき、冬子の隠家と天野の別邸との「秘密の道」から、一人の五十を越した品のいい女の人が現われた。彼女は襷(たすき)をはずしてきちんと手をついて坐った。
「御新造様、お帰りなさいまし。――平一郎さんはこの方でございますの。よくいらっしゃいました」
「田舎をはじめて出て来たんですから、小母さん、また面倒を見てやって下さい」
眼の細い人のいいらしい正真の江戸っ子であるお芳は、会社の小使をしていた太助と一緒にこの別邸に住っているのであった。女中のお玉はお芳と太助との間に出来た一人娘である。――これは後に平一郎が知ったことである。
「旦那様はまだお帰りじゃなかったかえ」
「はい。さっき電話をおかけなさって今夜は少し遅くなるかも知れないから、風呂を沸かして置いてくれろって仰しゃいましたので、さっきから太助が湯加減をしてお待ちしておりますが、まだお見えになりませんようでございます。何んなら御新造さん、一風呂お先きに使いなすったらいかがでございます」
「わたしはいいけれど――」と冬子は平一郎を見た。彼女は平一郎に使わしたいと思った。が言い出さなかった。平一郎にそれが分った。四人は平一郎を中心に他愛もない世間話に時を過し始めた。平一郎をお芳小母さんによく思わせようとする冬子の密かな努力、純粋な江戸生まれで気立の美しい小母さんのおいおいに傾く好意、若い有望な異性として平一郎を認めるお玉の微笑や可愛いその場かぎりの色眼、それは或いは平一郎に浅ましい気を感じさせ、或いは悦ばしめ、或いはくすぐったくもあらせた。そして、底には遠い旅に出ていることの寂しさが絶えず流れた。
十時を過ぎ十一時になっても天野は帰らなかった。そのことで、冬子があるたとえようのない不安に苦しめられはじめたのを平一郎は知った。冬子のこの不安を感じることは浅ましくてそして「気の毒」なことだった。そしてお芳やお玉が冬子に対して示す一種の同情と慰めは、平一郎には敵意より苦痛で屈辱だと感じられもした。
「どこかへお寄りになっていらっしゃるのじゃないでしょうか」
「そうね」と冬子は静かに答えた。そしてお芳に、「夜具は一揃い出ているはずだね」と言った。
「はい、出ております」
「今夜はなんですから平一郎さんを先きに休ませようかと思いますの。――お玉、お前さん二階へ床を敷いて下さらない?」
「その方がようございますわね」とお玉は答えて、茶の間の押入のようになっている襖をあけた。そこには二階への階段がついていた。平一郎は冬子の家の造作が何処までも秘密じみているのに「気の毒さ」をまた感じた。
(こうまでしなくては生きられないのか?)
「床をしきましてございます」
「そう、じゃ平一郎さん、今夜はゆっくり寝(やすみ)なさったらいいでしょう。明日の朝旦那様にお目にかかることにしてね」
「ええ、じゃおやすみなさい」
「おやすみなさい」
平一郎はお玉に導かれて狭い階段をのぼると、そこには新しい、床と戸袋のついた赤壁の十畳の一室が開かれていた。床の置物や部屋の造作や重厚な趣味からが黄金を惜しまないで建てた部屋であることは推察された。お玉は「お休みなさい」と言った。
「ここは平常使わないのですか」と平一郎は思い切って尋ねた。
「ここはね、旦那様と御新造様が日曜の昼などお話しなさる部屋ですの」
「冬子ねえさん――」と言いかけた平一郎はあわてて、「御新造さんはいつもここで寝(やすみ)なさるんですか」と訊いた。お玉はにこやかに笑って、
「旦那様のおいでにならない日はここでおよんなさるの。旦那様のいらっしゃる夜は、さっきわたしが出て来たでしょう、あのお邸の二階でおよんなさるの。ね、分ったでしょう」
お玉はさらに「お休みなさい」と言って階下へ下りて行った。平一郎はシャツ一枚になって絹物の蒲団の中へ潜りこんだ。芳しい甘美な香料の匂いが、蒲団の中から匂ってくる。彼は電燈を消した。遠くの方で電車の響きらしいものが聞えた。彼は母のことを想い起こした。別れて来るとき、あの汽車が動き出したときの悲しい涙が彼に再びめぐまれた。涙を流し、ほんの僅かの間であるが、冬子の「妾としての生活」が苦しいものであるように思われてならなかった。(一体天野は本当に冬子を愛しているのだろうか。冬子は本当に幸福なのであろうか?……幸福だとは思われない!)
早春の朝、平一郎は目覚めた。彼は母を求めて、そこにむずかる独り子の自分を揺すって起こす慈母の愛を求めて無意識に手を伸ばしたが、手答がなかった。窓の硝子越しに射す早春の覚束ない光が薄らに彼を照した。平一郎の魂が空虚に驚いて目を開いたのだ。(ああ自分はもう母を離れて遠い旅に来ているのだった。)彼は全身一種の緊張と霊感と寂しさに奮いたった。
「平一郎さん、もうお目が覚めなすって?」と玉が来た。
「お早う」
「お早うございます」平一郎が着物を着替えているうちに玉は床をあげてしまった。階下には冬子は見えなかった。玉は飯台をだして平一郎に朝食をすすめた。小さい台所の瓦斯鍋に味噌汁がたぎっている。彼は大嫌いな濃いどろどろの味噌汁をすすった。彼が朝飯をおえたところへ玉が呼びに来た。三畳の部屋の「秘密の道」から別邸の庭園わきの廻廊に出て彼は座敷に導かれた。一もと深く庭園の地に根を下した松の樹は、太陽の光熱を慕うように屋根の上に伸びあがっていた。部屋は八畳だった。次の六畳も(そこは前蔵になっていた)明け放されて、かなり広い贅沢な段通や屏風や柔らかい蒲団類の豊饒の中に、かの天野栄介は伸びやかに身を横たえていた。かつて金沢の古龍亭で受けた豪勢な威圧的な力は感じられなかったが、ゆたかな頬、高い額、額と頬を統帥するように高くのびのびと拡がった鼻、――口と瞳はこの朝は柔しく、はるばる故郷を出てきた少年を見戍(みまも)りいたわっているようだった。お辞儀して、自分の面倒を見てくれようとする、この巨人(頭髪や頬にはまばらに白毛が交っている)から「温かさ」を感じたく思った。冬子は部屋には見えなかった。
「もっとこっちへおはいり」
「はい」平一郎は敷居を越えて彼に近寄った。玉は平一郎に座蒲団をすすめた。平一郎は敷かなかった。天野は軽く「おしき」と言った。それが決してわざとらしいのでなく、真実平一郎を天野と同等に待遇する意志から生じているらしかったので彼はしいた。ついで玉が茶と菓子をもって来て、去ってしまった。五十近い天野と十七の平一郎とは暫く黙して対(むか)い合っていた。
「よく来たね」
「思い切って来ました」
「お前の母さんは泣きはしなかったかい」
「いいえ、母は早く行くがいいと申しました」
「そうか、あはははは。お前は大きくなって政治家になるのだったね」
「そうです」
「お前はそうして世を済おうと思っているのだったね」
「そうです」
「わたしもお前の年頃の時分には一流の大政治家になるつもりだった。ただわたしは世を支配したかった。違うのはそこだな。あははははは」
「――」
平一郎は何故か天野を崇拝し親愛の情に充たされたい欲望と神秘な深い敵意とを同時に感じて来た。
「わたしはお前が志をとげるよう出来るだけの力を尽しましょう。わたしはお前を自分の真実の子のようにも思いましょう。しかし、お前も苦しかろうが、お前はわたしの邸の書生という形式でT街の邸で学生時代を暮して貰わなくてはならない。わたしには綾子という妻と、乙彦というお前より一つ年上の息子がいる。お前はわたしを信愛してくれるならこの二人に対しても相当の奉仕を心がけて貰いたい。――しかしこれはわたしが強いるのではない。すべてお前の自由な意思に任しては置くのだ。え、平一郎」
「はい」
「それから学校のことだが、わたしが青年時代のある時期――馬鹿な夢のような時代を過したM学院、あすこは自由でお前の性格にもふさわしく、邸からも近くてよいと思うが、それともお前に望みの学校があるかね」
「ありませんです」
「とにかくお前はお前が今燃ゆるように感じている志をのべるように全力を尽してくれればわたしはそれでよい。ただお前が多少心得て置いて欲しいことは、天野の家にはわたしの外に妻と子がいるということだけだ」
「分りました」
平一郎は全身に異様な震撼を覚えた。光と暗の強猛な交錯だった。はじめ彼はこの一人の巨人に、「お前が志を遂げるよう出来るだけの力を尽しましょう」と言われ、「世を済おうと思っているのだったね」と言われ、そこに光と悦びに輝く親愛を覚えたのだ。しかし彼の内深のところでは、「わたしは世を支配したかった!」「わたしを信愛するなら相当の奉仕を心がけてもらいたい――」という同じ天野の言葉を見逃すわけにはならなかった。「世話はしよう。その代りに汝は奴隷であれ!」こう言っているのではあるまいか。
「この自分をそうさせようとしたってそれはだめだ!」平一郎は内心叫んだ。(救って頂戴、平一郎さん)と冬子の言葉が響く。――平一郎は天野をみつめた。
「玉」と天野は呼んだ。玉は両手をついてあらわれた。
「太助と芳を呼んでくれないか。そして冬子は土蔵でまだ何をしているのかね」
「御新造様は旦那様のお召物を捜していらっしゃいます」
やがて太助とお芳が縁側へ現われた。太助は頭の禿げた頑丈な、それでいて垢ぬけのした五十男で、細っそりしたお芳とはいい夫婦であった。二人は平一郎に頭を下げた。平一郎も「どうぞよろしく」と言った。 「平一郎も遠いところから来たのだから、またお前達の方でお世話になることだから」
「いや、もう旦那様が仰しゃるまでもござんせん」と太助は禿げた頭をなでたが、顔は柔順と真情を表現していた。平一郎は、絶対的にお芳夫婦も玉も冬子も信順してしまっている天野のこの王国のうちへ今、自分自身が身を入れたのだと思った。この王国ではすべての人が「天野のために」生活しているのである。蔵前のがらがら戸をあけて冬子が衣類を手に捧げて出て来た。彼女は寂しげに微笑んだ。
「平一郎さんもうお目覚め?昨夜、旦那様がお帰りになってから二階へ行ってみると蒲団をかぶって寝ていなすったのね」皆がしめやかに笑った。
「二、三日、見物がてら疲れ安めにここにいらっしゃるといいでしょ」
半分平一郎に半分栄介に冬子は言った。栄介はうなずいた。冬子が平一郎を見た。その視線が彼にもうここを去るべき時であることを知らした。彼はみんなに会釈して廊下伝いに冬子の「隠れ家」に帰った。彼は二階の座敷一杯に仰向けに寝転がって遠雷のような電車の轟音と薄らな早春の日射しとの交錯を感じていた。そうしているうちに淡い夢の追憶のように天野に対する敵意が彼の意識に現われて来るのは不思議だ。彼は彼の一生に力を尽そうとする天野の恩義を思って自分の心を疑い、根拠のない妄想を消そうとしてみたが駄目であった。訳の分らない、はてしのない、口惜しい淋しさが滲み出て来る。それは堪えられない淋しさだった。人類生誕の劫初より縹渺(ひょうびょう)と湧いて来るような淋しさだった。平一郎はその淋しさを噛みしめながら、天野の「妾宅」であり、冬子の「家」であるところで三日間を過ごしたのである。
その三日間は平一郎に冬子の生活が決して「思っていたように」幸福でもなく自由でもないことを知らしてくれた。彼女は実に「妾」であったのだ。天野は自分の経営する会社と高輪にある本邸とが離れているという理由のために、会社に近いこの町に別邸を設け、そこに隔晩毎に泊るのだった。別邸はつまり妾宅である。そして太助夫婦は十数年来の天野の腹心の家来で(太助はもと会社の小使、お芳はもと高輪の方の邸の女中であった)外部へは協力して冬子をかばっていたが、同じ協力の力は、「御新造様、御新造様」と礼儀と親愛をもって傅く裏に、絶えず「天野の代り」となって厳しい監視と干渉を固持するのである。恐らく冬子が天野を愛しているように天野は冬子を愛するのであろう。ただ天野の愛は同時に絶対的な支配を要求することである。冬子は捕えられて飼われる小鳥のように、生活には困らないが、しかし不自由で、真に孤独で、「道具扱い」をされていた。平一郎は、天野の来ない夜、はじめて見た東京の市街の話や、故郷の話、お光のことを語りながら、懐かしさに夜の更けるのを知らなかった。平一郎は冬子がやはり昔のように美しくて、気稟(きひん)があって、荘厳で、淋しそうであるのにどんなに悦んだかしれない。そして、平一郎は(冬子も)、もっと寛やかに、意識を渾一にして話したくてならなかったが、しかし何故かそれをさせない、冬子との話にある隔たりを強いる「無言の意志」が家一杯に充満しているように考えられてならなかった。「汝等は自分の奴隷である。汝等は自分の言葉の喇叺(ラッパ)であれ、汝等は汝等自身の天性を滅却して跪け」と大音声で叫んでいる精神が感じられた。お芳やお玉が用もないのに絶えず出入するのだ。そして監視の眼を光らすのだ。その光らせる源には「天野」がいる!
ああ、何んという孤独!また淋しさ!あのように立派で美しくて名妓とまで言われた冬子、その冬子が今はとうとう天野に支配されて、「別邸」に幽閉される囚人であろうとは!
「救って頂戴、平一郎さん」冬子の嘆きと念願が平一郎に聞える。平一郎はこれから天野の邸へ行こうとする自分もまた「囚人」になるのではあるまいかと考えてみた。
「この自分を虜(とりこ)にできるならしてみるがいい!己だけはならないぞ!」
四日目の午過ぎに奥山という四十二、三の背の高い男が来た。彼は平一郎と同じ金沢の生まれであった。冬子は彼に「どうぞよろしく」と会釈した。奥山は莨(たばこ)を吹かしてお世辞を言った。平一郎はこの厭な見知らぬ男の「身内」となって天野の邸へ行くのを厭なことだと思った。しかし彼はまた思い返した。「何も修行である」と。

お光が金沢にひとり四十年の「埋れたる過去」を潜ませて淋しく居残っているその「過去の運命」を誰も知らなかった。天野も知らなかった。冬子も知らなかった。また天野の妻であるお光の姉の綾子も知らず、平一郎自身も知らなかった。彼等は遂に人間であるが故に、人間は遂に自分の真の運命には無知であるが故に。天野は冬子のため、また自分の息子が不良少年で後継者とするに足らないと考えて、冬子はお光への「恩返し」として、また一生自分には子が恵まれないことを知った頼りなさも加わって、天野の妻の綾子はどう考えたかは分らないまでも現在自分の甥であり、その昔、処女の一心に恋い慕っていた恋人大河俊太郎の忘れ遺子(がたみ)であろうとは知らなかったであろう。そして平一郎もまたこれらの事実には無知であった。彼にはただ神聖で荘厳で、熱烈な燃ゆる意思があるのみである。その意思こそは万人の心に響き万人を救おうとする意思である。万人のために僕(しもべ)とならん意思である。
 
第十章

ほかほかと暖かさの感じられる四月初旬の午後は暖かだった。(一度でもこうした人間に頭を下げなくてはならないとは辛いことだ。)涙のにじむ瞳に、品川の海が黒藍色に輝いて映る。そこは東京もかなり中心を遠ざかった端っぱであった。欲求が広大な私有地と宏壮な邸宅を必要とする「富」の占有者達は止み難い欲求を高台の新しい土地に充たしていた。霽(は)れた穏かな青空には浮雲一つなく、平坦な大道が緩い傾斜をなして新開の空地と高い煉瓦塀との間にひらかれている。空地には地均(ぢなら)し工事の最中らしい切り倒された樹木の幹や泥のこびりついた生々しい木の根が春の日に晒(さら)され、深い杉林の陰影が半分あまりを暗くしている。奥山はステッキをふりながら、その杉林の中が明治維新の時分に徳川幕府を倒すに勢力のあったM公の邸であると知らしてくれた。緩い傾斜を中程登りつめると、黒板塀に西洋式の庭園の樹木の茂りの蔭に赤い壮麗な煉瓦の宮殿が聳えて見える。尖塔の窓の橙色の綸子(りんず)の窓掛に日の映るのさえが明らかに見える。Kという皇族の御殿であると奥山は知らしてくれた。青い空が永遠であるかのように美しくその上に輝いている。平一郎は哀愁を感じて来た。何故の哀愁であるかは分らないが、M公の邸を囲むセメントの塀を越えて深い森林の樹葉が路上に掩い被さっている街角から左に折れる暗い狭いやや急な坂路が続いている。奥山は「ここを折れるのです」と言い、M公の邸の対(むか)い合う竹藪をO子爵の邸だと教えた。春の日も杉林と竹藪に囲まれたその路上には射さず、寒い程に寂しかった。坂を登るにつれて陰鬱な樹林の間に薄赤い咲き乱れた桜の雲が美しく見えたとき平一郎は「ここだな」と直覚した。路上には、板塀の外へ枝を伸ばした桜の花弁が白く散り敷いていた。坂を登りつめて右手の街路には高雅な板塀が続いていて、大きな鋼鉄の門に「天野栄介」と門標が打ってある。傍の通用口を入ると花崗岩(みかげいし)を敷きつめた路が両側の桜の樹の下を通じている。玄関の横の格子戸を開けて奥山は案内を乞うた。女中が出て来て、「あ、奥山さん」と言った。
「奥さんはおられますか」
「はい、御在宅でございます」
「そう」と彼は靴を脱いで平一郎を忘れたように置き放しで奥へ入ってしまった。平一郎は拭き磨かれた上り口に腰かけて航海者が空模様を案じるような不安を感じていた。格子越しに見える桜樹の下の犬小屋を瞶(みつ)めながら自分の上京が取り返しのつかない失敗のようにも考えられたのだ。「大河さん、奥さんがお呼びでございます」顔の平たい細い瞳の奥に善良さが微笑んでいる女中が呼びに来たので彼はついて行った。十畳の茶の間には奥山が洋服のままで正坐して何かを喋っていた。「何分まだ中学を卒業しない少年でございまして――」
「ほんとに何故もっと早く連れて来ておくれでなかったい」と言う声は、重みがあり、ほがらかで、偉大な響きをもっていた。平一郎はその声を聞いたひととき自分の素質に微妙な索引力を感じて思わず座敷へ進み出た。
「はじめてお目にかかります」と頭を下げ、火鉢を前にして坐っている夫人を正視したとき、彼は驚きのために、そうしてその驚きがあまりに急激で深く、凝結して、身動きがならなく感じた。彼は夫人に「母のお光」に生き写しの女を見たのだ!が、それは一瞬間のことで、平一郎が全力で綜合的に受容れた深い印象であった。人の生涯にあるかなしの本質と本質との照合だったのだ。彼は自分を疑うようにもう一度彼女を見直した。そして最早「母のお光」でなかった。お光とはまるで違った立派な女――背丈ののんびりした豊かな黒髪、やや脂肪のかったつやつやした皮膚と肉付のしっかりした男のような身体、切れ目の白刃のように凄艶な瞳、透き徹った鼻筋、品の好いふくらんだ鼻付、肥えた下唇、緩やかに垂れた顎と頬、血液の美しく透る耳朶――立派な女だ。偉大な天野夫人として恥かしくない充実した威厳と偉大性に輝いている。冬子のもつ美しさにはどこか陰性な淋しさがつき纏っているが、これは何という盛大な相であろう。平一郎は自分の母のお光の瘠せた有様を回想して、かりにも「母だ」と思えた自分の幻像を不快にさえ思った。しかし、驚いたのは平一郎のみではなかったのだ。ああ、同じく黙りこんで目をみはった綾子の深い魂の動乱を誰が知り得よう。生涯のいかなる時も忘れたことのない愛した男の「生き写し」を思いがけない平一郎に見出そうとは!中庭の泉水に緋鯉の跳ねる音がぴっしゃり聞えた。「お前さんですかえ、平一郎さんは」
「はい、大河平一郎と申します。はじめて、お目にかかります」平一郎は答えながら何故か虚偽を自分は言っているのではないかという障礙(しょうがい)を内部に感じた。(何度もお会いしたような気がします)ああ、久し振りだったと、生を超ゆる幽かな遠い心内から言うものがあった。
「大河……」と綾子は小さく呟いて、平一郎を抱きすくめるように凝視した。白刃のような切れ目の長い瞳が円く大きく輝いて平一郎に迫って来る。複雑な思想が瞳の奥で奔湍(ほんたん)のように煌(きら)めき、やがて一束の冷徹な流れとなって平一郎を瞶(みつ)めるのである。
「母御お一人だというんでしたね」彼女は奥山に口先だけでたずねて平一郎を見つめていた。
「そうです、母一人子一人でこれまで生活して来ていたのですが、どうにも十分な教育が出来かねるというので、わたしが知り合いなものですから、こちらの御主人にお願いしたようなわけですので――」
(嘘を言っているな)と平一郎は浅ましい気がしてうつむいた。
綾子はよくも聞かないで今度は平一郎に尋ねた。
「母さんはどんな方?なんという方?」
「母は光と申します――」と彼が言ったときの綾子の異常な感動は平一郎に生涯忘れることは出来まい。外部へ発すべき驚きが内部へ侵入して、複雑な彼女の内面生活へ脈々と波動して行く有様だ。夫人は灼きつくような瞳に非凡な彼女の全力を集中して平一郎を身動きもさせなかった。そして無言は彼に次を語ることを促した。彼は「母は今年四十で――」と言いかけたとき電光のように母の訓戒が閃いた。一大事であった。「母は金沢の生まれでございます。父は小さい時に死に別れたので何一つ記憶していませんがKという港の生まれだそうで、何んでも母の養子であったそうでございます」彼も一生懸命だった。宣言するように彼は強く述べずにいられなかった。彼自身自分の言うことが実在性をもつ真実のように考えられる程一心だった。綾子は疑うように瞳を動かしたが、崖の上から深淵を覗きこむ人のように瞳を落として「そう」と言った。そして、彼女は再び平一郎を見ることを恐れるように、「粂や」と女中を呼んだ。十六、七の円顔で人形のように色白で愛らしい粂は白いエプロンで手をもみながら廊下に跪いた。
「この間言って置いた玄関のわきの四畳半はよくなっているかえ」
「はい、すっかりもう出来ております」
「じゃ、大河を案内しておくれ」と綾子は辛そうに言った。
玄関の傍の畳の新しい四畳半には、窓先には机が具えられ、壁際には書棚、欄間の端には帽子掛までが用意され、部屋の片隅には、彼が停車場から直送した柳行李が縄も解かずに置かれてあった。窓先の空地に植えられた山茶花と南天の樹が日に透されて揺らいでいた。粂は自身机の前に坐ってみせて、「大河さん、もうあなたさえいらっしゃればいいようにして待っていたのですよ」と言って微笑した。粂は右手の障子を開けた。縁側を越えて、奥庭の広い芝生にあたる日光の流れや、常盤樹(ときわぎ)の茂みに薄赤く咲き乱れる桜や、小鳥の囀りが聞える。何というおだやかな静かさであろう。彼は机の前に坐って、充ちわたる静寂にひたった。外界の静寂に似ず彼は自分の内面に不思議にひろがる「あやしげな」感じを抱きしめていた。
「随分いい部屋ですわ。ほんとに大河さんは幸福ですのよ。こちらのようなお邸から学校へ通わして戴けるなんて。それに本当にこちらのお邸のようにいいお邸はないことよ。奥様は立派な思いやりの深い方ですし、旦那様だってそれはいい方ですのよ。ただ若様は少しお身体が弱くって学校なんかも怠けていらっしゃるけれど、…………」粂は快活に下松町のお玉がそうであったように時々大げさな色眼を使って話したてた。平一郎はその色眼を快く思わぬでもなかったが、何故か頼りない寂しさが全身を揺り動かして来るのをどうにも出来なかった。(母を去って来たからだ。明日食う米がなくても母の傍にさえいれば感じなくともすむ淋しさだ。)それに何とも知れぬ天野夫人への執着が湧いて来た。彼はそうした複雑な感情で窓先の山茶花の葉を眺めていた。粂は彼の耳許で、彼は毎朝起きてから自分の部屋と廊下と前庭の掃除をすること、ときどき風呂の焚きつけをしなくてはならないこと、学校から帰ったあとはもう来訪者があればその取次をしなくてはいけないと話した。やがて邸中の女中が七人、一人ずつ初対面の挨拶をして行った。奥山が一々まことらしく、「よろしくたのむ」を繰り返したのである。
「何という己は意気地なしの馬鹿だろう!いけない!」彼は一人になったとき襲ってくる悪霊を払いのけるように手を振り廻して、柳行李の紐を解いて硯やペンを取り出した。そして、母と深井と尾沢へ東京へ来てはじめての簡単な通信を書きはじめた。(ああ和歌子へ知らしたい。彼女はとにかくこの東京にいるのだろうに!)
八時過ぎに天野は自動車で帰って来た。平一郎は女中達と一緒に彼を出迎えたが、彼は見向きもせずに奥へ入ってしまった。彼はその「冷淡さ」の裏に下松町があり、「妾の冬子」があることを考えて暗鬱な気がした。(いけない。どうもいけない。どうもこう虚偽が堅められていてはいけない!)と彼はとっさに思った。三十分経ってから女中が平一郎を「旦那様がお呼び」だと言った。天野はこの邸でも、かつて金沢の古龍亭であったように下松町の別邸においてあったように、茶の間の中央に毛布をかけてゆったり寝そべっていた。綾子は火鉢にもたれて黙していた。
「お前、話をしたのかい」
「ええ、ひる頃奥山が見えて紹介して行きました」
「学校のことは?」
「それはまだ」
「ふうむ」天野が平一郎を見て「学校は何年だったっけな」と聞いた。
「四年を終了して居ります」
「それじゃM学院がここから近くていいから、明日でもお前行ってくるがいい」そして彼は「田中に手紙を書こう」と言った。足をもんでいた粂は奥座敷から硯箱と巻紙を持って来た。天野は筆をなすりつけるようにして書き終えて封書を平一郎の前に置いた。
「明日これをもってお前自身M学院へ行ってくるといい。田中というのはわたしが以前から知っている人だから」
「はい」と平一郎は瞳を上げると、自分を火のように熱心に見つめている綾子の瞳を感じてはっとした。すると天野がじろり恐ろしいほどに睨みつけていた。「偉大な男と女」そう言ってよい天野と綾子が自分を力一杯に見つめていることは恐ろしかった。しかし、明日から新しい自由な学校へ行って勉強できることを思えば「少年の平一郎」は生き生きした歓喜と希望が湧いて来た。その浄い生き生きした感情は彼の奥深くに鬱屈しそうになる「わけの分らぬ暗鬱と恐ろしさ」に克つ力があった。彼は悦びに溢れて元気になった。
「ほんとに大河さんは羨ましいこと、わたしも男だったらお願いして学校へ上げて戴くんですけれど、ねえ、奥さま」粂は言って、「さっきもわたし大河さんは幸福(しあわせ)だわって言っていたのですのよ」
「お前だって女学校へ行ったらどうだい。靴を穿(は)いてさ」
「まあ、奥さま、わたし男だったら学校へ行きたいのですわ。女学生なんかもう死んでも大嫌い!」粂のいかにも嫌いらしい口ぶりにみんなは笑った。平一郎も笑った。そして笑いながら、綾子の電光のように強い速やかな視線を平一郎に投げるのは感じられた。天野のゆったりと充実した力を湛えた静かさは笑いながらも放れなかった。彼は女中達を軽いユーモアで笑わした。綾子も同じであった。粂が「本当にこんないいお邸はどこへいってもない」と言ったように、家庭の二人は女中達には寛厚で、しかも未発の偉大な力を源泉に蓄えている立派な「主人」であるらしかった。しかし、平一郎は、同時に彼等は女中達に絶対的な服従を要求しささげさしていることも認識せずにはいられなかった。その認識は平一郎には未明の反感を生ぜしめた。そればかりでなく、平一郎の純な認識に、天野と綾子が女中達へユーモアをもたらす余裕のあるだけ、二人の人格が渾然と一つにならずに、睨みあい対立しあっていることも明かに感じられた。――そして、彼自身の内には天野へのある意地が早くも伸びかけて来ているし、綾子の熱心な視線をも全身に感じられる。彼は二人の前にいることが苦痛になった。彼は「それじゃ明日は僕一人で行ってまいります」と言って天野の親書を懐にして自分の部屋へ去ろうとした。そのとき、障子をあけて覗きこんだ者があった。新しい大島絣(おおしまがすり)の袷をきた背の高い、そう瘠せてはいないが全体が凋(しな)びたように黒ずんで、落着かない眼付をした人相の悪い青年が懐手をして覗きこんでいる。
「あら、若様、お帰りあそばせ」と粂は言った。
「只今」と彼はうるさそうに言って火鉢の傍に坐りながら平一郎を見下ろした。
「誰だえ」天野も綾子も彼等にとっては一人子であるはずのこの青年乙彦には見むきもせず、冷淡に無関心に相手にしなかった。「今度来るはずになっていた書生なのかい」と乙彦は粂に言った。「はい、大河でございます」と粂は答えた。
「君かえ、大河は?」彼の声はしゃがれたように荒(すさ)んでいた。
「僕は大河です」
「僕は乙彦だよ」彼はうっそり笑った。平一郎はこの青年が天野と綾子との子であるのかと見上げた。広い額、のびのびと隆(たか)まり拡がった鼻、濃くて逞しい眉毛、――雄偉な天野の一つ一つの相を乙彦も具えていた。ただその一つ一つが小さく、内から湧く豊かな力がなく、全体が凋びているのである。疲労したような古びた皮膚の汚ならしさと老人のような色艶を見て平一郎は、(天野の子は早老している)と想わずにいられなかった。
「もう寝るのかい」と彼は平一郎に好奇心半分らしくたずねた。
「いいえ、まだ――」
「そう――父さん、蓄音機でもやりましょうか」と乙彦は嗄れた声で言ったが、天野は微かに両眼を開いたきり答えなかった。乙彦は大きな声で、「お雪、お雪、蓄音機を持っておいで!」と次の室の女中を呼んだ。その顔は両親の冷淡と無関心に傷つけられて、ゆがんでいた。お雪という顔中吹出ものの出た女中が蓄音機を持って来た。乙彦は針をつけながら「みんなこっちへ来て聴かないか」と言った。そのうちに蓄音機は滑稽な卑俗な、噴き出さずにいられないような「裏の畑に――」の唄を春の夜の一室で歌い出した。堪らないような肉的な哄笑が隣りの女中達からはじまった。綾子は仕方なしのように、「みんなこっちへおいで」と言った。さっきから来たくてむずむずしていた女達は笑うことが茶の間へ来る資格かのようにげらげら笑いながら入って来た。そうして乙彦の存在が五人の女中と蓄音機の声音とによってぼかされると、天野も綾子も時折り軽いユーモアでみんなを興がらした。
「乙彦、今度は壷坂をやるがいい」と天野も、「群衆の一人としての」乙彦に話しかけるのである。綾子はしかし終(つい)に乙彦を顧みさえしなかった。
平一郎は中途で自分の部屋へ帰った。母が彼の上京のために洗濯してくれた新しい蒲団を敷いてもぐりこんだ。茶の間からは女達の感嘆や哄笑が響いて来たり、蓄音機の高い肉声が響いて来たりする。彼は眠られなかった。祈ることも出来なかった。寝入り際に、楽しそうな女達の笑い声が聞えたが、彼にはそれを単純に楽しそうだと聞いている訳に行かなかった。笑い声は大海の面にわく小波であろう。その小波の底深くには、無限な深い海原が潜んでいるのであろう。平一郎にはその海の神秘と深さと恐ろしさが迫って感じられた。冴えた神経に涙がにじんで来た。母、冬子、和歌子、深井、天野、綾子、乙彦――ああ、自分は淋しいと彼は思った。
次の朝平一郎はM学院へ行った。監獄のように廻らした木柵の代りに荊棘(いばら)が自然に垣根をなしていた。門の扉ははずれたままで、門側には伸び放題に伸びたポプラが微風にそよいでいた。右手の新しい赤煉瓦の会堂の、青空に聳える渋紅い尖塔、大理石の石柱の重厚さと雄渾さ、窓の色硝子に映る日光のゆらぎの美しさ。緩やかな坂路が門から伸びているその左手は、大地は円やかに膨れて高台となり青々した芝生に包まれてテニスコートがある。花色の服を着た金髪の一少女が学生らしい青年とラケットをもって競っている。
"Never!OnlyoneError!"平一郎は西洋の少女の上気した肉声を聞いた。芝生の向うには荊棘や常盤樹やポプラの垣根を廻らして邸宅風の洋館が三棟並んでいる。坂を登り切ると右手に薄水色の高い三層の建物に「高等学部」と書かれてある。建物の後ろは深いどんぐり林で、建物の前方に拡がる芝生には桜の花が咲き乱れ、二階建の新しい褪赭色の建物が芝生を越えて見られた。
一人の黒いガウンを纏った髭を生やした温厚らしい人が運動場を横ぎって平一郎の方へ歩んで来た。平一郎はお辞儀して「あの、普通部はどちらでしょうか」と訊いた。
「どういう御用?」
「少し田中さんという方に――」
「あ、田中はわたしです」と彼はにこやかに笑った。
「天野さんに聞いて来ましたが」と平一郎は手紙を差し出した。田中は分厚な洋書らしい書物を持ちかえて手紙を読んでいたが、大きく「そう」と言った。
「四年をしまっていらしったのですね」
「はい」
「それじゃわたしの方からあなたのもとの学校へ証明書を送るよう申してやります。授業は今月の十日から始めますから、いらっしゃい」彼は気軽にしかし親切に言った。
「それじゃこれでよろしいでしょうか」
「ええ、いいですとも。十日までに教科書を揃えて置かないと後で困りますよ。――それじゃ天野さんによろしく。ほう、天野さんのお世話で、大河君というのですね」
田中は一礼して高等学部の建物の中へはいって行った。平一郎はしばらく朝の光のうららかさに浸ってひらかれた新しい世界の風光に見とれて、自分がこの世界で生活することが出来るのだという喜悦に充たされた。

若き生命(いのち)の朝ぼらけ……

テニスコートの方で西洋の少女と学生の合唱が聞えて来た。彼はかくて四月十日に基督教主義のM学院普通部五年生として登校することになった。
平一郎を囲繞(いにょう)する不可解な根深い煩いに圧倒されるには余りに彼の生命の力は若く強い。彼の生命が地上へ出現しない以前から待ち設けられていた運命の重負と不可思議が彼を陰鬱に引き入れようとしても、彼にはそれと戦う力がある。彼は煩わしい自分の根深い環境の圧迫に打ち克ち、理由なしに湧く暗い不安と混迷とを征服しようとした。彼の前にあたらしい学校生活が待っていた。ともすれば内と外から圧倒する滅却の力と戦い、自分の使命を成長させるにそれは有効だった。学校がなかったら滅びたかも知れない。
彼が金沢の中学でどうしても行く気になれなかったのは、自身に湧いて来る自然な天性を「教育」と「教育者」は制抑し枯死させようとすることが見えすいたからである。彼は無論そのとき意識はしない。しかし彼の意識よりも深いところで自分の生来の素質を殺す教育ならむしろ「無教育」を望むものがあったのだ。彼が求めたのは真に愛する少女を愛すると言い得る「真正の自由」である。(ああ「真正の自由!」恵まれた力の可能を地に現わさしめ、つくさしめる真正の自由!一切の人類の偉大の源である真正の自由!それを自分は欲したのだ。)これは他の者であるなら、屡々間違いであり、あるいは他の卑しい不道徳的な欲望の仮面となり得たかもしれない。しかし平一郎においてはそれは大地に潜む芽生えが水分を欲するように、若葉が太陽の光熱を欲するようにそれは真実であり、無条件的な要求であり、「自然の命令」であった。(ああ、自分は真の自由という太陽を渇望する!)もしこの地上の文化がもっと進歩し人類の思想がもっと向上していたなら、おこさなくともよい平一郎の破壊である。あるいはそうした人類の生活を求めての平一郎の戦いかも知れない。
朝六時頃に彼は目覚める。もし彼が自分で目覚めず朝寝している時には粂がそっと起こしてくれた。彼は床をあげてすぐに長い縁側の雨戸を全部繰り開ける。一枚開ける度にさあっと流れ入る太陽の光を浴びる壮快さ。階下の雨戸を開け終ると彼は二階の雨戸も開けるのである。二階からは邸のうしろにある西洋館へ通じる廊下がある。彼は西洋館の窓も開ける。西洋館の窓を開けて、窓から眺める外の朝景色は何とも言えない。
邸内の桜の花雲を超えて朝靄に包まれた高輪の一台が見渡され、人家の彼方に浅黄色の品川の海が湛えられている。そして黄金色の春の光が靄を破って輝いて出る荘厳さ!夜寝るのが遅くなって眠くてたまらない朝は彼は客室の長椅子(ソファー)の柔らかいクッションの弾力を楽しみつつ二十分ほどもいねむることもあった。それから彼は自分の部屋を掃除し、廊下に乾雑巾をあてねばならない。彼にはこの仕事が何より厭だった。自然彼は粗末にして、お年という髪の毛の薄いそっぱのひどく縹緻(きりょう)の悪い三十過ぎた女中頭に小言を言われた。しかし、前庭の花崗岩を敷きつめた門内を掃くことは彼には一つの楽しみだった。薄い桜の花片が湿った土の上や花崗岩の上に散り布いているのを掃き清めて水をうったあとのすがすがしさ。彼がはじめての朝、竹箒を杖のようにして道側の桜樹を見上げていると彼の足に温かいなつかしい異様な感触がした。それはこの家の飼犬のポチが新米の彼の足に接吻したのである。栗毛の、白い斑点のある肥えた、ふさふさした豊かな耳と、人間の眼のように表情深い眼をもったポチは、彼の足をなめてはふさふさした頭を彼の踝(くるぶし)におしつけた。彼は思いがけぬ可愛い動物の好意をうけいれて、彼の頭をなでてやった。彼の朝の最後の用事はこのポチに昨日のあまりの飯と牛肉の煮出しとを混ぜてやることである。ポチと彼とは仲よくなってしまった。よくいけば女中達と一緒にすますこともあったが、大抵は台所の横の、O伯爵家の暗い竹藪に接した長四畳の片隅で、急ぐときはポチに食わした残りの冷飯に生煮えの熱い味噌汁を添えて食うのであった。彼は女中の腹を立てたような顔が嫌だったが、まずい食物を不平に思ったことはなかった。学校は八時に始まった。慶応義塾へ出ている乙彦は彼が飯を食っている時分にもう出て行く。平一郎は乙彦のお古にM学院のボタンをつけ直した紺ヘルの洋服に新しく買った靴を穿いて大急ぎで出かける。出しなには粂がいっていらっしゃいと言った。
門を出て左手の坂を下りればM公爵の家の横道だが、彼は右に折れて同じ邸街をO伯爵の深い林を廻って二本榎のK宮殿下の宮殿の通りに出る。広大な邸ばかりの街を通りながら感じることは(これでいいのか?)という想いである。彼は自分の母や春風楼や『底潮』の人々のことを考えたからである。彼はまた若い少女の群に出あう度にもしや和歌子が居やしまいかしらと振り返ってみた。あまりによく似ているようで、「あなたは和歌子さんではないですか」と言おうとして、嫁にいった和歌子が女学生であるわけがないと思い返して寂しくなったりした。学校へみちびく坂を下りると、新しくはいった平一郎をまるで知らない筈の人達がみな「お早う」と悦ばしげに礼をして行く。平一郎には嬉しいことだった。(まだ誰一人なじみのない彼は、毎朝校舎の横手の青々した芝生に坐ってみたり、高等学部の前の記念樹の間をぶらついて、運動場でキャッチボールをしている人達を見やって親愛と征服の想いに瞳を輝かせたりして響きの懐かしい鐘の音を待った。(本当の精神的な力はどうか知らない。温かい若々しさに恵まれていることはたしかだ。)ああ、そう考え批判しているとき、澄んだ朝の空気を顫わせる始業の鐘の音は忘られないものだ。それは急きたてる鐘の音でない。懐かしい暖かい聴く者の心に悦びを呼び起こす。そうして集まらずにいられないような鐘の音であった。鐘の音につれて人達は一人一人自分の教室へはいる。平一郎の教室は階下の東端で、窓から広い運動場を越えて神学部の渋赤いギリシャ風の建物が見え、そして明快な心持の部屋だった。平一郎にはあまりに軽快すぎるような気もしたが悪い気はしなかった。彼が教授を受けながら感じた歓喜は、この学校に溢れる「若さ」であった。教師の多くは大学を卒業したばかりの、東京に踏み止まってもっと勉強しようとしている青年が多かった。数学の教師のO氏は、現に数学の哲学的根拠の意義について日本未曾有の論文を創作中であり、また彼は音楽の能才で教会堂のピアノは大抵彼が演ずるのである。西洋史の教師のM氏は、まだ本当の文学士ではなく七月にならなければ大学を出られないのだが、坊っちゃんじみた腕白気のある彼はよく平一郎の横の机の上に腰かけて、
「つまらない奴の事蹟を覚える必要はない。しかしアレキサンダー大王の真の理想を知らないようではだめだ!」と一時間をアレキサンダーの話でうずめること位は平気だった。E氏という二十二、三にしか見えない教師は英文法の講義しながら、
「僕の言っていることにどれだけ信用がおけるかは疑問である。この秋には僕もアメリカへ行きますから、帰ったら少しは本当のことを言えるかも知れません」と言った。京都の同志社を出たばかりの青年だったのだ。みな教師と言う気はしないらしかった。学校を出たのが昨日のような気のする連中だった。平一郎にはそれが嬉しかった。中年以上の人では学校の幹事の田中氏が聖書を、漢文をもと熊本の士族で同じく幹事であるK氏、自分一人で基督教主義の小学校を経営している柔和な老人の習字の教師、フランスへ青年時代に洋行して来たという古びた天鵞絨(ビロウド)の服を着て来る古い洋画家のF氏――そうした人達が平一郎に教えた。彼らは快活で楽天家だった。
それよりも平一郎に深い印象を与えたのは、「礼拝」と「聖書の講義」である。高等学部裏のどんぐり林を横ぎって、新しい会堂の地下室の薄暗を通って階段を上ると、高い丘陵と橙色、紫、青、深紅の色硝子の窓の照り返しと、雄渾な大理石の円柱とによって森厳化された会堂の内部に出る。祭壇と壇下のピアノと壇上の大きなバイブルが、ひきしめている。学生は静かに椅子を占有する。黒いガウンを着た教師達が集まってくる。西洋人の教師も六、七人集まるのである。一しきりしいんと静まりかえるころきまって地下室から、花色の軽装をした金色の髪の毛の縮れた美しい西洋の女があがって来てピアノに坐るのだった。白皙(はくせき)な額と澄み切った眼とが深い学者的な感銘を与えずにおかないO氏が、白色の指揮棒を取って「讃美歌――番」と囁く。そしてピアノの伴奏と白い指揮棒の波動に導かれて教師も学生も各々がつくる大交響楽に聞きとれ、唱って止まなかった。これが宗教的熱誠だとは平一郎に思われなかった。しかし芸術的な陶酔には似通っている。彼は会堂に溢れる甘美な愉悦を見つめながら、彼自身それに酔う気はしなかった。 (女性的で、楽天的で、悦びが自分には浅すぎ、軽すぎる!)そう考える平一郎の精神を、ときわもかきわも、御栄えあれ!御栄えあれ!と合唱は廻るのだった。(とに角いいことには違いない。教師も学生も異邦人も男女も一緒に悦び和らぎつつ唱うことは!ただそのいっしょさが浅すぎる……)
学校を終えて天野の邸へ帰ればもう日暮れである日が多い。平一郎はほとんど天野や綾子に会うことが稀だった。朝から午後一杯は学校で、夜は自分の部屋に籠って勉強をする。用事があれば粂が取次いでくれた。二人に会えない、それは平一郎にはよかったのだ。天野に会って、天野の力を身に感じ容れることは、平一郎に冬子を思い出させ、お光を思い出させ、底恐ろしい憎しみを恩人であるはずの天野に感ぜしめて仕方がなかったし、綾子に会うときは何故か引きずり込まれるような恐ろしさを感じてならなかった。お光と冬子と和歌子とから受ける感情を一緒にしたような感情――恩人の夫人という気持は微塵もしないことが平一郎に苦しかった。しかしこの二人に会わないで一人いるときは、平一郎は使命に燃える一青年ではあったのだ。平凡で何事も起こさず、彼ははやくも七月を迎えたのである。
七月初旬のある日、学校では高等学部全部と普通部五年生に、世界の基督教界の第一人者であるアメリカ人のA氏の講演が、高等学部の階上の学生集会所で催された。その日、第五時間目は体操の時間であった。東京の七月の暑い真紅な太陽と燃える大空と万物が生気に喘ぐ異常な天地とが、運動のために汗ばんだ肉身には脈打つように感じられた。第六時間には集会所でA氏の話があるので、彼は仕方なしに級の者と一緒に三階の大広間へ入って、窓に近い椅子に腰を下した。そこからは運動場や校舎や青い空が見渡され、夏の微風が熱い頬を吹いたのである。はじめ彼は全身の血が烈しく廻っているので、自分の周囲も燃えて、音響だって聞えたが、血が静まるにつれて四辺がひっそりしているのに気づいた。彼は自分の周囲を見廻した。高等学部の学生と五年生とが二百人ばかり実際静粛にしている。やがてドアがあけられて黒いガウンを着た、背の低い、瘠せた、髪の毛をのばした、眼の小さく窪んだ教会の長老で英語科の主任のK氏がはいって来た。そのK氏の後ろからでっぷり肥えた、背の高い、偉大なアメリカ人が大股に無遠慮に歩んで来た。二人は演壇に登った。二人は立ったまま久しい間沈黙していた。アメリカ人のA氏はハンカチで赤いてらてら健康そうな血の漲った大きい造作の顔の汗を拭きながら、鼻眼鏡をかけ直したりしていたが、K氏が窪んだ瞳をしばしばさせているのに辛抱しきれなくなったように突然、
"My dear young gentle-men! I am very glad to have an opportunity to speak my thought of our Christ……"とはじめた。
恐ろしい声だった。精力に充溢した声だった。室中の硝子がびりびり慄える程大きい声であった。その大きい声の言葉をK氏の貧弱な乾からびたような声が日本語に通弁した。
「エス・クリストは学者ではなかった。エス・クリストは国家要路の大臣、軍人ではなかった。無論、彼は貴族でもなく金持でもなかった。彼は貧しい、地位もなく財宝もなく真に地上の、物質的富においては何一つ誇るべきものを持たない一青年に過ぎなかったのであります。ユダヤの一大工の子。そうです、真に一大工の子でした。彼が長い放浪と苦悶の旅の後にようやく彼自身のうちに神の子の自覚と確信が充実し、新しい人類への救済、神の国の信仰が完成して、もういても立ってもおれず、大地より湧出する火焔のような精神に充されて『神の国は近づけり』と言わずにいられなかったのがようやく三十歳の時でありました。その時のエス・クリストの内的高揚と充実とを吾々の(OurAmerican)体験をもってしましても全身火焔を噴き出し全世界は白光白熱に遍照するようであります。しかし、こうした荘厳なエス・クリストの内生活とその力も当時の多くの人達には感じられなかった。多くの人達には、貧しい大工の子で青年時代を定まった職業もなく過ごした一個の落ちぶれ者か不良青年にしか見えなかった。彼らははじめ彼を狂人だと罵りました。しかし、神、絶対者に選ばれたる神の子、真理そのものの体現者であると信じた彼の霊妙な性格にひきつけられ、彼の宜(の)べ伝える心理に随順する、新鮮な精神、若い精神、世俗の灰汁に染まない精神、もしくは洗い磨かれ、悲しみの涙に潤うた心――青年や、貧しい境遇に泣く人や、病に苦しんだ人達やの何かを求めてやまない心に、彼の涙にみちて、しかも勇猛な教えはどれほど微妙な力を与えたことでしょう。まことに足なえは立ちて歩み、癩病人は健やかになり、盲目者は目が開いたのであります。
それは奇蹟ではなかった。当りまえ過ぎる程に当然のことでした。わたくしは盲目者が目を開いた喜びよりも、若くして生死を超えたる真理の実現者、エス・クリストの喜びを想うとき涙ぐまずにいられません。しかし、その当時、ユダヤの国の政治家や学者達にはこのクリストの生活は不可解でありました。たかが大工の子ではないか。食うや食わずの放浪的な不良青年ではないか。其奴(そいつ)が気違いじみたことを言って多くの青年や婦人や、時には堂々たる一かどの人物をも帰依せしめ、性格を一変せしめる不思議な力をもっている。はじめ彼等は放任して置きました。しかし放任して置けないほどに、クリストの力は人々の間に根を張って来ました。殊にユダヤの古い予言者の予言が彼を救世主と信ぜしめるに力がありました。ソロモンの栄華も一本の百合の花に如かない。彼等はその言葉の深い美と真を味わう前に危険だと考えました。クリストにはその時分十二人の弟子達が常に身辺におりました。みな有為な浄い青年達でした。その十二人の勝れた弟子達の一人がクリストを官府に売り渡そうとは誰人(たれ)も思わなかったでしょう。自分の愛する弟子に売られるところにエスの偉大があるとわたくしは思いますが――とにかくエスはユダに少しの銀で売られました。その前にエスは弟子達と悲しい最後の晩餐であろう集合の席で、君達のうちに自分を売る人があると言われ、また或る一人に君は鶏が鳴かない前に自分を知らないと三度言うであろうと予言されました。
エスは自分の死をすでに知っていたのです。エスがその国の役人共に引張られて行き、その国の群衆がその後から押しかけ、さて、裁判官がエスをどうしようかと申したときに群集は『十字架にせよ』と叫んでやまなかった。悲しい無知であります。二千年前の人間の無知の悲劇は今にいたるまで絶えませぬ。エスは愛する人々、それ等の人々のためにつかわされたと信ずるその人々から死刑を求められました。その死刑を求めた人々のために、その死刑を求める人類の罪悪のために、やがて近づきせまっている真理を示そうと、――いえ、もうそうした深い人間全体の罪を自分の一身をもってあがないたい一念に燃え立って来ました。森厳な死でした。しかも、彼は一人の死刑囚でした。貧しい人心を惑わす不良青年でした。彼を死刑にする多く群集、多くの学者、多くの政治家は、この厄介な死刑囚の死をどれほど喜んだことでしょう。まずこれで己達も枕が高いと考えたことでしょう。しかし、生涯寂しい孤独に住まわれた神の使命の体現者クリストのその信仰は、万人の胸に生き来る真理でありました。ユダヤの国は亡びました。その頃クリストを死刑にした政治家や学者や群集は今日全く亡びてしまいました。しかし彼が十字架につけられ、肉身より血を滴しつつ、ああ神よ、あなたはこの自分を捨て給うか、と叫んだその切ない叫びは未だに人間という人間をさえ涙ぐませる力を持って生きております。十字架に登って行くエスの心持、人類永遠の未来を信ずる一念と悲しい別離の涙。わたくしどもは厳粛なクリストの寂しい生涯を想うとき、感ずるものは寂しさ、腑甲斐なさ、情けなさ、やるせなさ、そうして最後には火の信仰であります。神の国の実現を地上に望み得る、現に実現しつつあるという信仰であります。そうして、その信仰の国はアメリカのみであります」
巨大な体躯から、巨大な肺臓、巨大な気管、巨大な舌――から吐き出される偉大な雄弁をK氏も熱して通弁した。荘厳であった。平一郎は二千年の昔ユダヤの野に生きた一人の青年の生命をしみじみ身に感じていた。彼は止め度もなく流れる涙を我慢できなかった。すると、「その信仰の国はアメリカのみであります!」と繰り返す言葉が雷のように響いた。
「何故アメリカのみであるか?そうだ、何故アメリカであるのか?」こう奔流のように批判が働きはじめると、平一郎には、汗を拭きながら巨大な肉身をもてあつかっている、毎食牛肉の血の垂れるようなのをむしゃぶりつくような彼Aが「貧しい大工のクリスト」を説いていることが実に不調和で滑稽に見えて来た。金縁の鼻眼鏡、さっき出して見た金時計、太い指にはめている金指輪!(ああ汝、偽善者よ!)二千年の昔クリストを揺り動かした精神が平一郎をすっくと立たした。
「K先生!」
「何です」とK氏はじろり平一郎を見た。この不意の平一郎の起立に一同はひっそりとして瞳を彼に集めた。
「質問があります」
「あとになさい」
「いえ、これ以上A氏に言わすことはクリストに対する冒涜です!」
「――」
「何故、クリストの精神、人類の真の文化、神の国の実現を信ずるものはアメリカばかりなのです。僕にはそれが理解できませぬ。すでにここに一日本人である自分、大河平一郎はクリストの生活の真実さに涙を流し、クリストが信ずる神の国の地上に実現されることを信ぜずにはいられませぬ。そして自分は日本人です。自分は日本が神の国を実現することを信じたい。アメリカのみであるとの宣言は、アメリカがクリストの精神を生かしていないことの証拠であります。黄金づくめの装飾を身につけながら、クリストの生涯を説くことは僭越すぎることであります。説くよりも汝のその金の指輪を貧しき人に心より贈れよと自分は叫びたいのであります!」
平一郎は身を慄わして、壇上のA氏の碧眼を睨みつけていた。全精神が宇宙とともに燃えあがる。彼はこのとき恐ろしいもののない「権威」を全身に感じていた。はじめ人々は突然のことに静まり返っていたが、やがて一斉に騒ぎはじめた。彼等は若いが故に平一郎の悲壮な英雄的態度にすっかりまいったのである。
夕ぐれ、平一郎は寂しいさびしい心を抱いて天野の邸へ帰って来た。彼は雷にうたれた人のように打ち沈んでいた。彼は世界的の基督教者を「やりこめた」勝利者だったが、彼は学校からの帰り路で自分が今どこへ帰ろうとしているのかと自分に尋ねたとき、彼は苦しくなった。天野へ!ああ、A氏の金の指輪を偽善者!と叫ぶことの出来たこの自分は、更に浅ましい偽善者ではないか。「天野の世話」になることがすでに何となく心|咎(とが)めのすることであるのに、「冬子」の存在!母の戒め!平一郎は淋しい、「神」に見放された「自信」のない心を抱いて、夕飯も食わずに自分の部屋に閉じ籠ってしまった。苦しい戦いが彼のうちで渦巻いた。
(汝は天野の世話になってはならない!汝は天野夫妻に一切の事実、冬子のこともお光のことも正直に打ち明けなくてはならない!まず汝自身を清くせよ!汝自身を清くしたるのちにはじめて汝の使命を全うするがいい!)
「それは、それは出来ない――」(そうすることは冬子、母、天野、自分の破壊になってしまいはしまいか?)
平一郎は机に頭をかかえて悶えていた。
「大河、いるかえ」としゃがれた声がして乙彦がはいって来た。平一郎は返事する気もせず振り向いただけだった。本能的な嫌悪が押し寄せてくる。
「お前、どうして飯を食わないのだい」
「少し気分が悪いですから」答える平一郎の顔をじろじろ見ていたが乙彦は突然、意地の悪い表情で「お前は実に僕の母さんに似ているね」と言った。
「そうですか」と平一郎は答えた。それどころでなかったのだ。
「顔色が悪いよ。西洋館の屋上広場へ行って涼んで来よう。おいで、大河!」
乙彦は引きずるように平一郎を西洋館へ連れて行った。真暗な狭い螺旋形の階子を登って二人は屋上へ出た。深い蒼い夏の夜空がそこにあった。星が輝いて見えた。夜風が冷やかだった。東京の市街が一切の人間の悲しみと苦しみと歓びとを深い夜に包んだまま夜霧を通して下に見え、灯があかあかと人間の思慕のように空を染めていた。
「むこうのあの黒藍色が太平洋だよ」と乙彦が言った。「己は早く親爺が死ねばいいと思っているのさ。そうすればこの邸もこの家も金も皆己の心のままだからね!」
あかあかと空に燃える都会の灯を眺めていると淋しい涙が平一郎に湧いて来た。
「そうしたらね、己だってすきな女を囲ってさ。――大河、お前が父さんの妾の世話で来たこと位は己はすっかり知っているんだからね!」
「失敬します!僕はここにいる閑がありません!」平一郎は狂ったように屋上を駈け下り、廊下を小走りに自分の部屋へはいって襖をぴっしゃり閉めきった。
「ああ、自分はどうしよう」(獣には穴あり空とぶ鳥は巣あり、されど人の子は枕するに所なし)――熱い涙が制し切れなかった。「ああ、この感情、この真理、これは自分一人ではあるまい。自分のこの涙は万人の涙であろう。自分は自分一人の寂しさに泣いていてはならない。ああ、自分はどうなっても構わない。願わくば、今ひしひしと身に迫り感じる万人の涙のために戦おう!ああ、自分には万人の悲しい涙にぬれた顔を新しい歓喜をもって輝かすことは出来ないのだろうか。自分の生はそれのみのための生涯であり、自分の使命はそれよりほかにはない!ああ、この大いなる願いが、自分の一命を必要とするならば、自分は死ぬべき時に死にもしよう!」
「地に潜むもの」完
 
「地上」論評

無名作家の処女作小説『地上』を読む / 堺枯川(利彦)
私は著者から特に此書の寄贈を受けたが未だ著者に会つた事はない。此書は著者の自伝的小説で、著者はまだ二十一歳の青年だといふ。二十一歳の無名の青年が突如として数百頁の著書を出版し得た事を珍らしく思つて、私は兎にかく最初の一章を読んだ。すると忽ち引きつけられる様な気持がして、二章三章と読みつづけ、とう/\忙しい日を一日丸潰しにして、仕舞まで読んで了つた。
私が此書に感心したのは、文章の新しい大胆な技巧と、鋭いそして行届いた心理描写、若しくは心理解剖とではない。其二点に於ても此作は確かに優れてゐるとは思ふ。それだけでも人を引きつける力がある。然しそれだけならば此頃の若い文士達の中に随分よく出来る人が外にも少くないだらう。それだけならば、只一通り有望の文士、有望の小説作者として認めるに過ぎないが、私は特に著者が社会学的の観察と批判とに於いて頗る徹底してゐる点に深く感心したのである。
著者の中学校生活、破れた初恋、母と共に娼家の裏座敷に住んだ経験、或る大実業家に助けられて東京に遊学した次第、其の実業家の妾との深い交はりなど、悉く著者の「貧乏」といふ立場から書かれた、反抗と感激と発憤との記録である。殊に或る特殊な村の庄屋であつた其の祖先の事、其村の歴史、村民と庄屋との関係などを批評的に叙述した所は、其の社会組織の理解と洞察とに於いて最も深く私を感心させた。
然し私は必ずしもそういふ社会批評の叙述を小説に望むのではない。理屈めいた字句がなくても、其の理屈が感受されさへすれば満足する事は無論である。只底に理屈のない(即ち社会組織に対する理解も洞察もない)小説は、一向つまらない気持がする。眼科の医者でも一般医学の知識は持つてゐる。小説作者でも一般社会の組織構造に対する相当の知識を持つてゐて貰はなくては困る。此頃の多くの小説を読むと、(いや、余り多くは読まないのだから、私の読んだ中の多くに依つて見ると、とでもしなくてはなるまいが)、何となく一般医学の知識のない眼科医に眼の療治をして貰ふかの様な気がして、甚だ不安心でもあり不愉快でもある。然るに此作を読むと、前に云つた部分ばかりではなく、全体に亘つて善く眼が開けてゐるといふ感じがする。
作中の主人公が上京する前に、或る地方の文学的小倶楽部に出入した時の一節も非常に面白い。其の仲間の絶望的な、厭世的な、廃頽的な、虚無的な、高踏的な、逃避的な諸種の感情、理智が入り乱れて、自然に一団の空気を醸成してゐる有様が、非常に面白く書かれてゐる。然し此類の作は之までにも幾つか見た様に思ふが、只此の作者のは其の仲間の人々に比べて、更に別種な、一層透徹した思想(若しくは其の萌芽)を主人公に持たせてゐるので、(実は即ち作者がそれを持つてゐるので)他の類作に比して一段の高さと深みとを覚えしめるのである。
謂ゆる社会的文芸の代表作家がもうどうしても現はれねばならぬ時だと私は思つてゐるが、此書の著者嶋田清次郎(・・・・・)氏は即ち実に其人ではないだらうか。然し前途は永い。好青年幸ひに自重せよ。  
「地上」に就いて / 生田長江
島田清次郎君の「地上」には、はじめ私が序文を添へて出版させる筈だつた。けれども、私の無精からでなく、それを止めることに考へ直した。
第一には、そんな事をするにも及ぶまい。これだけの作品が、結局世間の視聴を聳道しないですむ筈はないと思つたからである。
第二には、序文といふものの十中八九までが茶らつぽこの、御座なり文句であると思はれて居り、また実際それに近い物である。今日に於て、なまなかな推奨的序文を書くなぞは、却つて不利益を招致することになるかも知れないと思つたからである。
しかしながら私は今、あの作品を世間へ紹介する為めにでなくとも、あれが書物になつて出たことの悦びと、その悦びを与へてくれた出版社佐藤義亮氏に対する感謝とを表白する為めばかりにでも、何かしら書かずにはゐられないやうな気持がする。
「地上」の作者は、友人伊藤證信君の紹介状と五百何十枚の長篇原稿とを携へて、一日飄然私の内の玄関さきへ立ち現はれて以来「どうか読んでくれ」と言ひ、「まだ読んでくれぬか」と言ひ、「読んでくれなれければ焼き棄ててしまふ」とまで言つて、無慮二十回近くも私のところへやつて来た。
私が好意からといふよりも、寧ろ根負けして遂に読まされたのであることは、わざわざ断るまでもなからう。
けれども、「地上」の読者諸君が殆んど例外なく経験するであらう如く、私もあれを読みはじめると中途で休むことが出来なかつた。其日十時間近くのプログラムを滅茶苦茶にして、文字通り一気によんでしまつた。
そして読むまでは、あんな長い原稿を無理矢理読まされるのを、明白なる被害であると感じてゐた私も、読み了つた後では、これを何等かの方法によつて世間へ紹介するのが、私の義務である、愉快なる義務であるとまで思つた。
恐らくは、私より以上に横着な人でも、島田君の熱心には根負けせずにゐなかつたであらう。根負けしてでも読んだならば、私より以上に鑑賞眼のない人でも、あの作品の異常なる魅力を、承認せずにはゐなかつたであらう。またそれを承認したならば、私より以上に不親切な人でも、いづれかの方面へ一応の紹介をして見る位の、労を惜しみはしなかつたであらう。
加之(のみならず)、無名作家のしかも長篇小説なぞが、容易に刊行されるものでないことを、知り過ぎるほど知つてゐる私は、新潮社の御主人に対しても「兎に角御一読を」乞ふて見たに過ぎない。
佐藤氏を動かして、遂に「地上」刊行の引受けを決心さしたものは私の推奨よりも懇願よりも、氏自らの鑑賞批判であつた。これまでにも折々証拠立てられた如く、眼前の小営利を度外に置くことの出来る、氏の酔興であり、出版業者としての氏の良心であつた。
私は特に此一事を大書して、佐藤氏に発見された島田君の幸運なる門出を賀すると共に、這(こ)の有望な一鉱脈を掘りあてた、佐藤氏の慧眼と、勇気と、そして文壇への貢献とを、洽(あまね)く、長く伝へて置きたいものだと思ふ。
作品其物の価値に関する手短かな紹介及び批評としては、近頃稀に見る、正直とまじめとを極めたあの(、、)広告文の大体に裏書きして、この重要な両三ヶ所を、ここへ引用し反復するより以上に、気の利いた方法もなささうである。
広告に曰く、「今にして思へば、十数年来のさまざまな名に呼ばれた流派や、主義や、傾向なぞの、総ての一生懸命な奮闘努力が、殆ど、この清冽なる噴泉の為めの開鑿であり、此力強き芽生えの為めの播種であつたかの観がある」と。
げに「地上」に見えたる萌芽より云へば、そこにはバルザック、フロオベエルの描写が、生活否定があり、ドストイエフスキイ、トルストイの主張が、生活肯定があり、ブルゼエの心理学があり、ゾラの社会学があり、そのほかのなに(、、)がありかに(、、)があり、殆んどないものがないのである。
再び広告に曰く、「殊に驚異すべきは、生れて僅に二十歳の年少作家の、この遺憾なくロマンティックであると共に、より遺憾なくリアリスティックであるところの製作に於て、神聖なるその「若々しさ」と殆んど不可思議なるこの「老成」とが、互に何等の相妨ぐるところなく、自然に幸福に手をつなぎあつて来てゐることである」と。
げに、本当のロマンティシジムと本当のリアリズムとが、決して別々な物でないと、また最初からの老成と最終までの若々しさとが聊かも相斥ける物でないことは、此作者島田清次郎君の場合に於て最も痛快に、最もめざましく証拠立てられてゐるのである。  
「北安田たより」より / 暁烏敏
島田清次郎君。大作『地上』は第一篇新潮社から出版せられました。きび/\したよい筆で私共と通うた考を表現した長篇の小説であります。同君はまだ二十一歳の青年です。先日講習会に来て話しました。その折彼は、「今夜誰の話をきかなくても私の話さへきいたらよいのです」と言ひ、「私は話せと言はれてもめつたに話したことはありませんが、今夜は話したくなつて話します。諸君は今夜私の話を聞くのは幸福です」とやりましたので、皆があまりのその自信のある言葉にドツト笑ひましたが、私はその痛ましい真実の叫びに同感をしました。『地上』もこの調子で書かれてあるのです。代価は一円二十銭。東京の新潮社の出版です。  
英雄型の作家(島田清次郎氏に対する公開状) / 橋場忠三郎
島田清次郎君。
君は、少年時代から友達同士で遣り取りする手紙でゝも、兄か様でなければ承知せず、偶々君で呼びかけたりすると大変機嫌が悪かつたものだ。尤も君の方でも、実は他人から然う呼んで貰ひたなさからだらうが、滅多に君と呼びかけて来なかつたけども。――
勿論、誰れにだつて其様な傾向はある。けれども君のは殊に其れが甚だしく且つ露骨だつた。鳥渡(ちょっと)したことだが、これは如何にも君らしくて大変面白いと思ふ、ところが一層面白いと思ふことは、その後何年かを経過し少年から青年となつた君の上に猶、否、より甚だしき程度に進んだ其の傾向が看取し得られることだ。病的で何となく不自然のやうにすら感じられる。と言ふと嘸(さぞ)かし君は、真つ赤になつて怒るに違ひなからうが、君のその余りにも大なる、最初はあり余る稚気から生まれ途中反抗的に増大した君のその自信と傲慢とは、心ある者をして反感や不快よりも寧ろ同情と愛とを抱かしむるが如き性質のものである。それと同時に、言ふまでもなく其の点が、君の痼疾的な些つと位の手術では到底快癒しさうにもない病所ではある。而して、これは序に一寸苦言を呈するのだが、最近の君の上に僕は、此の際速かに手術せざるに於いては病愈々(いよいよ)膏肓に入るの危険を感ずる者だ。僕は衷心より其れを怖れる。君の特異なる豊富なる天分の、或はその病所につけ入るかの如き浮薄な批評家の煽動や文壇の厭ふべきかのヂヤアナリズムの為め、譬へ幾分なりとも害はれはすまいかと。
さて、人としての君は、その少年時代から上に挙げた様な顕著な特徴、と言はんよりも若しかすると其れが君の全部ではあるかも知れぬ、そんな傾向を有つてゐることは君自身否定し得ぬ事実だと僕は確信する。
今一度繰り直して言はう。君のその、最初は有り剰る稚気から生まれ途中にして反抗的に増大した自信と傲慢とを。
君の稚気、それは君の最も愛すべき一面であるが、これが君の芸術の唯一の詩的要素である。何時までも失せまいと思はれる稚気(、、)、その稚気(、、)の内容の成長の如何が君の未来の芸術の価値を決すると思ふ。些か突飛に奇抜に過ぎる僕の断定だと、君を初め人は嗤ふかも知れぬ。が僕は、君の少年時代の作品、「復讐(、、)」「反抗(、、)」「廃人(、、)」等から最近の労作に係る「地上」に至るまでの最も忠実なる読者たるの自信に於いて斯く断定を下して憚らぬのである。
君の十七八歳に書いた物で実に驚嘆すべき作品が以上三篇のほか、未だに僕の記憶を去らぬ物がある。その題名を忘れたのが遺憾である。忌憚なく言へば、君の少年時代の勝れた作品の中には、読者の受ける感銘だけから言つて、現在の作にも敗(ひ)を取らぬ、否、若しかすると君のその稚気が何の蔽ふところもなく露き出しに出てゐたゞけ其れだけ、現在の動もすれば嫌味をさえ伴ふやうになつた一種の型に嵌まつたゼスチユアで以て語り出される其れに比較し、もつとずつと純粋な魅力に富んでゐたやうに思ふ。
が、それは兎も角、君の作品を読む毎に僕如き君を古くから知つてゐる者をして、私かに微笑するを禁じ得ざらしめ、其処に何とも言へぬ親愛な感じを味はしめるものこそ、それこそ僕の力説する君のその稚気である。
試に、君の「地上」第一部を見よ、其処には主人公大河平一郎をして心憎くきまでの自由さと大胆さとを以つて、君の感じで言ふなら必らずや「心ゆくばかり」に振る舞はしめ、而して君はその稚気を満足させてゐるではないか?誰れか其れに当てられざる者があらうか?
君は、その満足を味はんが為に創作するに違ひない。どんなに/\深い、それは歓喜であつたことか!あれを書いた君の心情を想ふ時、僕はぞツとしたやうな胴震ひを覚へた。
が、大河平一郎(、、、、、)をして余りにも君の傀儡にしすぎた所にあの作の大きい欠点、人としての君の上に大きい欠陥があることを深く記憶せねばならぬ。君は虫がよすぎた。大河平一郎(、、、、、)を余りにも英雄にしすぎた。君は君の歓びに溺れた結果、自然の運命を(、、、、、、)無視した。そして平気だったのである。
武者小路(・・・・)氏は「如実には書けぬが真実は書けると思ふ」と言ふことをよく口にせられたも例に依つて頗る平凡で単純だが、氏でなければ容易に口にできぬ言葉だ。君、この貴重な言葉を味つて見給へ。僕は決して自然主義風な単なる描写や、文壇のある一隅で根気よく唱へられてゐるへん(、、)な形ばかりのリアレストたれと、すゝめる者ではない。今更ら其麼(そんな)小つぽげな窮屈な形に拘束せられるにしては、君の詩は余りに大きいのだから。
君こそは日本の生んだ最もスケヱルの大きい作家だ。あの文壇稀有の長篇「地上」の如きを書き、あれほどまでに緊張した感じと、獅子の吼ゆるにも似た雄々しく力強いリズムとを鳴り響かしめつゝ終始し得る作家、それは君の他に幾人を求め得よう。先づ、嘗つて日本のヘツベルを以つて擬せられた長与善郎(・・・・)氏位のものでなからうか?
畢意、君は一個の暴君である。ある人が言つた様に芸術家の中に聖者型と英雄型とがあるとすれば、君は正しく後者に属すべき作家でなければならぬ。即ち、己が生命を其処に生かさうが為め自然を都合よく勝手に切盛しすぎる点に於いて、その思想の著しく反抗的で且つ物質的で今の儘では稍浅薄との譏(そしり)を免れ得ぬ点に於いて、風格の上に必らずしも悪い意味はなく何処ぞに俗気のある点に於いて、非常の野心家であり些か山師らしい臭いのある点に於いて。
最後に、僕は君の表現の上に一言云はふと思ふ。けれど正直に言ふと君は、その表現から見て到底玄人(、、)たり得ぬ作家であるらしい。君の文章は、広津(・・)氏に悪口言はれた通り、時々へんに浮づいて両足が大地にちやんと附いてゐないやうな、表面の調子だけが妙に甲高いことがよくある。君は一字々々を、君のその内心の素晴らしい音楽を奏で出づる鍵としての使命を与へる意気込で書いて欲しい。
それから、面倒だから一々数へ立てぬけれど、而して、恁んなことは至極の些末事ではあるけれど、君の作中には往々にして譬へば日本の気候では春と定まつた草花が秋咲いたり、女などが冬着る物を夏着てゐたりするやうな、それに類した錯誤がよくある。それからもつとへん(、、)なのは、これは実例を示さうが「地上」第一部で主人公大河平一郎の恋人たる一少女に「古英雄のやうな眉」を有つた容貌であらしめたりする。誠にグロテスクだ……勿論これは末の末だ。けれども古来より偉大なる作家を以つて目された人の作には恁麼(こんな)風な間違ひすら余り見出せないやうに思ふが、どんなものか。  
生田長江 / 不屈の評論家
生田長江は大正時代に活躍した評論家であり、女性による文芸誌『青鞜』の企画者である。翻訳家としても有名で、彼の訳したニーチェ全集が日本の思想界に及ぼした影響は計り知れない。ダヌンツィオの『死の勝利』を訳し、若者たちを熱狂させたのも長江である。ダンテの『神曲』、ツルゲーネフの『猟人日記』、フローベール『サラムボオ』なども訳している。ほとんどは英語からの重訳で、誤訳もあるが、当時の文学少年、文学少女の多くは長江訳でこれらの傑作に接していたのである。
私がこの人の名前を知ったのは高校1年の時。国語の教師が授業中に軽く言及した島田清次郎の人生に興味を持ち、まず杉森久英による伝記『天才と狂人の間』を読み、生田長江を知った。無名で貧しかった島田は『地上』を読んでもらうために何度も長江詣でをしていたらしい。若き島田を新潮社に紹介したのも長江、読売新聞に「『地上』に就いて」(1919年7月13日)という力強い推薦文を寄せて『地上』を大ベストセラーへと導いたのも長江である。大正時代の文学少年たちがそうであったように、私は「『地上』に就いて」から読んでみることにした。原稿用紙5枚程度の紹介文である。その中で長江はこんなことを書いていた。
そして読むまでは、あんな長い原稿を無理矢理読まされるのを、明白なる被害であると感じてゐた私も、読み了った後では、これを何等かの方法によって世間へ紹介するのが、私の義務である、愉快なる義務であるとまで思った。(生田長江「『地上』に就いて」)
この一文を読んで私もまた当時の文学少年のように心を動かされ、『地上』を古本屋で購入した。長江の性格については「お金に汚い」という噂もあったようだが、新人の紹介には熱心だった。彼が出世への足がかりを作った文人は島田清次郎だけではない。平塚らいてう、三木露風、佐藤春夫、生田春月、高群逸枝なども長江が世に送り出した人たちだ。『浪花節だよ人生は』で知られる作詞家の藤田まさとも長江の弟子である。 る。
1906年、長江は帝大時代に書いた「小栗風葉論」で注目された。これは作家論の草分け的作品として知られている。その後、夏目漱石、森鴎外たちを取り上げた作家論『最近の小説家』を発表、その審美眼と明快にして含蓄に富んだ文章が読者の心をとらえた。堺利彦、大杉栄とも親交があり、社会問題にも目を向けていた(ただし、彼らとは思想的に一定の距離を置いていた)。『青鞜』を企画し、平塚らいてうを後押ししたのも、そういう問題意識の現れである。ちなみに、「bluestocking」を「青鞜」と訳したのは長江である。
亡くなったのは1936年1月11日。晩年は病に苦しみながら『釈尊』を執筆し、1934年に失明してからは口述筆記で上巻を完成させた。思想上の制約が厳しい時代にあってもポリシーを貫き、難病を患いながら、自らを日陰者とせずに生き抜いた53年の人生。すでに忘れられた思想界、評論界の異才だが、その強い個性が息づく作品群は文学史の死角で輝いている。 今、もし生田長江の名前を知っている人がいるとすれば、それは1916年の「自然主義前派の跳梁」の書き手としてだろう。それくらいこの過激な白樺派批判はセンセーションを巻き起こし、長江の名を文学史に刻んだのである。
所謂白樺派のもってゐる悪いところとは何であるか。精一杯手短かな言葉に代表さして云へば、「お目出度き人」と云ふ小説か脚本かを書いた武者小路氏のごとく、皮肉でも反語でもなく、勿論何等の漫罵でもなく、思切って「オメデタイ」ことである。再びことわって置く。私は右の「お目出度き人」と云ふ小説だか脚本だかをまだ読んでゐない。そしてまだ読んでゐないのをちっとも悪い事だと思ってゐない。加之、あの小説だか脚本だかを読んでゐないでも、武者小路氏及び氏によって代表されてゐる所謂白樺派の文芸及び思潮が、本当にオメデタイものであることを言明し得られると思ってゐる。(生田長江「自然主義前派の跳梁」)
引用したのは前半の一部である。本当に「お目出度き人」を読んでいなかったのか。むろん、読んではいたのだろう。ただ、読んでいない前提で罵倒しているのだからほとんど暴論である。言いがかりのようにしか見えない。事勿れ主義の今のメディアならまずこんな原稿は載せないだろう。クレームが殺到する。 る。 しかし、この批評の心臓部は前半にあるわけではない。後半に書かれていることこそ長江が掲げたい論点だったのだ。
所謂白樺派の人生の肯定は、何の造作もなく、ただナイイヴに、ただオメデタク人生を肯定してゐるのである。彼等の肯定に意義がないのは、彼等がその前に必要な手続きとして一旦人生を否定して来てゐないからである。(生田長江「自然主義前派の跳梁」)
谷崎潤一郎は「文壇昔ばなし」でこの白樺派批判にふれ、「つまり相手に腹を立てさせるのを目的にして漫罵を連ねているのである」と書いている。
「あんなスキマだらけの乱暴な書き方をしないでも、もう少し書きようがあったではありませんか」と、或る時私が長江にいうと、「いや、議論を吹ッかける場合には、わざとスキマを拵えて置く方がいいんです、そうしないと敵が乗って来ないんです」といっていたが、なるほど評論家にはそういう心得が必要なのかなと、感心したことがあった。(谷崎潤一郎「文壇昔ばなし」)
さらに谷崎は、あくまでも憶測と断った上で、「ハンセン氏病を病んでいた彼(長江)は、こんな病気に負けてなるものか、敢然として世に闘いを挑んでくれよう、という料簡から、恰好な挑戦の相手として白樺派に白羽の矢を立てたのではあるまいか」と推察し、さらに長江の歪んだ性格を批判している。 る。
私には、白樺派を一蹴したこの批評家の「料簡」が、谷崎の語るようなものだったとは思えない。否定のプロセスを経ていない人生肯定から文学的重みや深みが生まれ得ないのは事実である。推察するに、文壇の寵児のようになっていく恵まれた坊ちゃん作家に対し、長江の嗅覚が鋭く働き、拒絶反応を示したのだろう(ただし、長江は同じ白樺派でも志賀直哉と里見クのことは評価していた)。それを手っ取り早く世に問う手段として、煽動的で「スキマだらけ」の形を選んだのだ。病気に負けてなるものか、という気持ちが長江の中にあったとしても、それはまた別問題として考えるべきである。この「スキマ」はあくまでも技法である。例えて言うなら、取材時にテンションの低い相手からコメントを引き出すために、インタビュアーがあえて意見の食い違うようなことを言うやり方と似ている。
結果的に、思惑通り武者小路がこの挑発に応じたことで注目を集めたものの、白樺派の勢いを止めることは出来なかった。長江の書き方は、話題に上る即効性はあっても、真面目な問題提起にまでは至らない。下手をすれば相手を優位に立たせるだけだ。この批評の肝となるのは後半以降なのに、前半の煽動的な部分に注意が向いてしまう。だから、ここばかり引用される。また、「読んでゐない」と書いている以上、感情論としては面白くても、批評としては説得力を持ち得ない。ことほどさように「スキマ」の作り方とは難しいものなのである。  
 
若芽

(一)
ぬつくりとした空気の中に、白い布を被せた寝棺が人々の眼に痛ましく写つた。紫檀の机の上に置かれた青銅の線香立には白い灰が堆高く積つて、夢の様に白い煙が立ち上つて抹香くさい香が庭前の青葉の間に流れ流れした。
「雨戸を繰りませうか。」
今迄だまつて柱に依りかゝつて居た男が一座を見渡してかう言つた。其して一尺許りすいて居た一枚の雨戸を静かに開けた。電燈の光が広々とさあつと外にあふれて出て、露にうるんだ山茶花の葉の上を照した。心地よい冷つこい夜の気が一座の人の頬にはひやりと快かつた。
「未だ若いのに、世の中の楽しみと言ふ楽しみもしないで亡くなるなんて、ほんとに可哀想でたまりませんよ。」
棺の主の病の為にわざわざ看護に来て居る年の割に老けた女が沁々こういつた。大粒の涙がほろほろと膝にふり落ちて居る。
「真実(ほんと)にね、清さんがこんなに成らうとは思はなかつたんですよ。」
傍に眠さうに座つて居た病人の従姉妹達もくづれかかつた丸髪を気にし乍ら、心からと言つた風に相槌を打つた。
二三年の内に見違へる様に美しくなつた之等(これら)の女連を見比べて居た此女の主人は
「が、死ぬ迄筆を離さなかつた。俺もつくづく可哀想に成つたて」
と、じいつと棺にかぶさつた白い布を見詰めつつ、遠い遠い昔の事の様に亡き人の追想に耽つた。
一座の人々は一様に頭の髪のいつか白くなつた主人の顔を見守つててんでに亡き若人の達者であつた日の事を描いて見た。
亡き若人は早稲田の学舎に学んだ身であつた。彼れの処女作が或る文学雑誌にかかげられた時、彼の恩師は偉大なる文学者の卵であると推賞した。而(そ)してきびきびした筆致と幼き日を慕ふ情緒とを持つた大文学者の卵は夏になると、定(き)まつて東京から日本海の荒波の音の絶えぬ故郷へ皈(かえ)って来るのであつた。
杉垣の或古びた家。家の隣は西洋草花などを作つてある花畑であつた。涼風のそよぐ夏の夕方なぞ白絣縮緬(しろがすりちりめん)の兵子(へこ)帯をしめた若い文士の姿がいつも杉垣の中に、大勢の従姉妹達に包まれて見えた。
色の白いほつそりとした若い文士の其の頃の面差しは、従姉妹達の胸にくつきりと刻み込まれてあつた。
「あの時分は私等も若かつたわねエ!」
三人の内の一番若い従妹がこう叫んで一座の人々を見渡した。
「あの時分のことを思ふと丸で夢の様ですわ。」
と三人の子持に成つた一番上の従姉が心細そゝうに言つた。
線香の白い灰がほろりほろりとくづれて、やつれた主人の顔にくづれる度に淡い陰をつくつてゐた。
主人は――行くりなくも気が狂つて死んだ亡き妻の青白い顔を思ひ浮かべて、白い布の寝棺の上に目を落じて、一人残つて行く自分の身を思つて見た。
(二)
其処には長いながい年月があつた。昔の家、昔の庭、昔の木、それらが皆昔と云ふ字を持つ様に成つた。
其一人息子の生れた頃には、新築の家は木の香が甘く漂ひ、庭には青苔も生えず南天の実が赤く実つて居た。杉の苗木がばらばらに門際に植えてあつたりした。主人は三拾幾つの壮年時代で、芸者上りの若い最愛の妻は二十三四の年頃であつた。秋の冷つこい気持のいゝ朝など、赤い手柄の細君の丸髪姿が滴る様な杉の木の間にちらついて居た。隣の遠い此の家のこととて、晴れやいだ嫁の笑ひ声が広い四辺(あたり)の自然の天地に展がつてゐた。
気が狂つて死んだ妻の顔
其の頃一人の息子はもう中学へ入つて居た。
而して十年の年月が経つた。主人の頭には白毛が見え出した。息子が早稲田に在学の時分、主人は風邪の気分で臥(ふせ)つてゐた。其の時分未だ嫁に行かない末の従妹………が泊り合はせて看護してゐた。ぽつかりとした春の日の午後で裏の畑に茶の花が奇麗に咲いてゐるのが、硝子越で見えてゐた。
「伯父さん郵便。清さんからの。」
と持つて来た郵便小包を受取つた主人は直様、紐を解き初めた。
「なんだらう」
「さあ、何んですかね。」
中からは表装の奇麗な白いクロースの本が出て来た。
「や、清が著作したんぢや。」
主人は赤い顔をにこつかせ乍ら、紅文字の「赤倉清」を指さした。表紙の上には同じ紅い文字で「若き日の影」としてあつた。
主人は枯れた木の根から新しい若芽が萌え出たのだといつて喜んだ。若い文士の従妹も若芽の成長せんことを心から願つた。主人は其夜、風邪の直らぬのも気にしないで床上げをして
「若芽が出たのぢや。若芽が出たのぢや。」
と言つて隣近所へ赤飯をくばつた。ささやかな神棚には、仄暗い御燈明がともされて、主人は其の前に座つたまゝ、神前にそなへた白い表紙の其本をじいつと、いつ迄もいつまでも見詰めて居た――。
若い文士は何より読書が好きであつた。或夏、新しいハンモツクを買つて来て庭の森の木の間に結はえて置いた。夏の日の午後など緑陰の下にうつとりとハンモツクの上に眠つて居る若い人の白い顔が、本を持つた手と共に目に残つてゐた。
何うかすると、若い者同士の従姉妹等を呼び寄せて、一緒にわあわあ騒ぐこともあつた。
時折、西洋の赤い表紙の詩集なんかを読んで居ると、主人がひよつこり現はれて来て
「どんな意味かね。」などと
問ひかけることもあつた。すると若い文士はハンモツクから寝てゐる身体を起しにかゝると
「いゝよ。」
といつて笑つて行き過ぎるのを常として居た。
そうした内に清は卒業する様になつた。清が卒業証書を握つて郷里に皈つた時、トランクの中には自分の名を記してある色んな形の本が三四冊もあつた。秋の夕日に清の乗つた俥(くるま)の輪がきらきらと輝いて、希望に充ちた清の眼には確かに美(うる)はしいものゝ一つであつた。
其れは寝棺の置かれてある其の室であつた。主人と、叔母と、而(そ)うして三人の従姉妹等が寄つて居た。清は自分の身の一歩一歩若く盛んに成り行くに引きかへ、従姉妹等の二人迄が、子持に成つて居るのを不思議さうに眺めた。黒の紋付羽織、仙台平(せんだいひら)の袴、真つ白の胸紐と奇麗に分けた頭の髪とがかすかに打ちふるつて居る仏壇の御燈明に、一きは目立つて鮮やかであつた。卒業証書と四冊許りの書物とは亡き母の位牌にさゝげられてあつたのだ
文壇の流行児、主人は若い時分の記憶を辿り乍らも紅葉露伴の名を思ひ浮べて居た。
(三)
卒業後若い文士は東京に住居(すまひ)した。今日も明日も雨許りの六月頃主人は土産片手に息子の宿を訪ねた。長い間息子の便りが絶えて居たのである。
丁度若い文士は不在であつた。出来合の障子は破れ目がたくさんあり、畳の縁は白くすれ切れて居り、むさくるしい六畳の部屋には所々はげかけた金文字の書いてある書物のぎつしりつめてある本箱とが見える丈だつた。
主人は火の気の無い部屋につく然(ねん)と座つて居た。遠くの方からは電車の異様の響と人々のざはめきが込み合つて聞えて来て、雨の午後の日は陰気に暮れて入つた。手持無沙汰に本箱をいぢり廻してふと○の写真と○の手紙を見出した時、主人は「これだなあ。」と呟いた。彼は之でもう郷里への無沙汰も近頃の不規律もすつかり呑み込めたと言ふ様な気に成つた、が、独り長いながい時間を待つて居る内には自分の若い頃の濃厚な恋を思ひ起したりして、息子を悪いとはどうしても思へなかつた。
九時頃、息子はたうとう帰つて来た!
「父さん済まなかつたね。」
これが若い文士が父を見ての最初の言葉であつた。
「お前大分やつれたぢやないか。医者に見てもらはなくちや不可(いかん)。」
主人は蒼ざめた息子の顔を心配さうに眺めてかう言つた。
「女に血をすはれちやいかんぜ。」
これが主人の其の日の最後の言葉であつた、
清は遂に吐血した
古株に萌え出た若芽は又枯れかゝつた。
主人は息子の病の為には全財産を投げ出してもと思つた。今息子に死なれては財産なんぞあつてもなくても同じことだと思つた。
逗子の浜、大磯の海岸――朝となく夜となく、ぶらぶら逍遥ひ歩く若い文士の姿は、通り行く人々に悲しい事を思はせた。
夫に別れた叔母は直ぐ看護の為に来た。そして病人の言ふに任せ、北国の郷里に帰ることにした。
青白い夜のステーションの電燈の下に、たたずんで、人知れず見送つた。
若い文士は電燈の下の○のうるんだ目と白い頸とを何時迄もいつまでも忘れまいと思つた。
(四)
土蔵の長持からは絹の蒲団が出されて、庭に面した八畳の部屋に敷かれた。白いシーツに白い枕、其の中に病人は仰向けに成つて寝て居た。黄色い水薬の半分許り入つて居る薬瓶や、白い模様のあるコツプが午後の日影の中に鮮やかに浮いて見えた。書きさしの原稿用紙と、黒塗の硯箱とがいつも枕元にきちんと並べてあつた。――
おいおいに人の妻となり、母となつた従姉妹達は大きな丸髪に結つて、子供を連れて見舞なぞにやつて来た。
「清さん、此頃何もお書きぢやありませんか、」
近く此間結婚して二月しか立たない末の従妹がこんなことを言つたりした。病人は只大きく女らしく成つて行く女達を不思議さうに眺めて居るより外に仕方がなかつた。
新聞と創作と薬とで生きて居る病人にも移り行く時勢はまざまざと分つた。同窓で卒業した青年文士の二人迄が中央の文壇に頭角を現した事なども、朽ちて行く若い文士には悲しかつた。
こうした悲しい時に限つて、彼は枕元の原稿を手に取つて、
「もう三百枚だ。」
心から嬉しさうにかう叫ぶのであつた。自分の死と原稿の完成と、どつちが先だらうなどと考へ込むこともあつた。
「清さん、いつか見舞に来たKさんが落陽と言ふ長篇を出して、それあ大した評判ですよ。」
と従姉妹の一人がわざわざ新刊を持つて来たりした。
「お前そんなに無理して書かなくつたつていゝぢやないか。」
若い文士の性急な努力を知つて居る主人は静かにかう言つた。
軍人に成つて居る義従兄が見舞に来た時「清さんしつかりやりなされ、近頃赤倉清復活の声がすばらしいですよ。」
などと、細つそりした若い文士の顔を気の毒さうに見守つた。
かうして病床の三年は経つたのだつた。
三年!長いながい三年であつた。若い文士は大なる一生の努力を以て、到頭一篇の創作を全うし得た。
「父さん、これを東京へ持つて行つて出版して下さい。」
打ちふるふ手には五百枚許りの原稿があつた。主人も息子も原稿を真ん中において手を取り合つて泣き伏した。やつれ果てた顔、手、はてはくぼんだ眼、突き出た頬骨、主人は三年の苦しい息子の努力を思ひやつた。真つ白になつた頭の毛、しよぼしよぼになつた其の姿、息子の眼には老ひ行く父が痛ましかつた。
「もう大丈夫だ。」
若い文士は原稿を見詰めて、涙を拭つた。
看病の叔母は耳が遠くなつて仕舞つて、従姉妹はたまに見舞に来ても、もう小説の話などをしなくなつた。
「ほんとにうちの良人の意気地なしにはあきれますよ」
赤児に乳をのまし乍らこんな風なことを口ぎたなく話しあつたりした。
三年と云ふ年月が、あらゆる周囲の人々に一つひとつ其の影をきざんで行くのであつた。
(五)
低いさびた読経の声が、電燈が消されてから又朝迄続いた。一人二人目をさまして、ひそひそと話し合ふ時分には遠くの方で井戸水を汲む音が聞えて来た。明方の寒さが戸の外から犇々(ひしひし)と迫つて来た。
「お天気はどうかしら」
と、一人が白んで行く空を見上げた。
すつきりと晴れ渡つた空の下には、朝露を含んだ新緑が流れる様に美しかつた。
白い布に包まれた寝棺!
朝飯を終えた従姉妹達は又思ひ出した様に棺の前に集まり座つた。
「もう釘を打ちつけますよ。」
奥の八畳から呼ぶ声がした。人々は泣き度い様な顔をして其の方へ走つた。和尚の長い読経の透ほる声と、折々鳴らす鉦(かね)の音とが女達のすゝり泣きの間を縫ふて悲しく打ち震ふて聞えた。
やがて焼香も終つた頃、奥は部屋一杯に人立がして、夫々(それぞれ)黙つて棺側を取り捲いて、中へいろんなものを入れたり出したりしてゐた。新しい木の匂と線香の匂とが人々の鼻につきまとつてゐた。
主人は落付かぬ目色をして、もう一遍棺の中を覗き込んだ。
カーン、カーン、釘は一本打ちつかれた。
主人は傍に居る、自分の妹と、娚(めおと)達を省みて最後の名残を惜しまうとした。
「兄さん、清さんにお別れを。」
棺の蓋を持ち上げた妹は半ば泣声にこううながした。主人は白い布を取つてじいつと死人の顔を覗いた。
「清、さいならだ。」
はらはら、はらはら、涙は止度もなく流れ出る。
白い顔、高い鼻、ほつそりした眉毛!あゝ若い文士は永久に眠つてゐる!
女達は二度、泣き出した。
静かなざはめきの中に長い棺は表へ出された。
生花、造花、花車、従姉の長男の九つに成る児が位牌を持ち七つに成る男の児が香入れを持つた。
古い門、古い杉、そうしてなつかしい古い我家よ、若い文士の遺骸は棺にのせられて一歩一歩長い旅路に上つて行くではないか!
暗い木立や、垣根の多い町を幾つも幾つも越してやがて行列は華やかな店の多い広路に出て居た。棺の後に従ふ主人と妹。十幾台の車がつづいて、其の内には白いハンケチを顔に当てて居る従姉妹等が居た。暑い午後の日差がきらきらときらめいて、道行く女のパラソルの水色が燃える様に美しかつた。白いペンキの大橋があつて橋の下には黒ずんだ水が流れて居た。
行列は白い埃に包まれていろんな町をすぎて行つた。やがて広いひろい野原の見える町はずれに来て行列は其処で一寸立止つた。
主人は遠い野原を隔てた火葬場の煙突から白いしろい煙がゆるやかに立のぼつて居るのを見た時、何とも知れぬ恐ろしさを感じて、不図横手の町家を眺めた。 (をはり)  
 
島清の詩

父が死亡し金沢西の廓で芸者屋を開業した母方の祖父に引きとられる。石川県立二中に進むも中退し、東京の知人宅に身を寄せ明治学院に通うが間もなく帰郷。叔父の世話で金沢商業に籍を置くが校長弾劾演説を行い停学処分を受け退学。暁烏敏の推薦で京都の「中外日報」に入るが傲慢な態度が嫌われ退社。それまで書き溜めていた『地上』第一部が生田長江の推薦で1919年新潮社から刊行されベストセラーとなり、一躍文壇の寵児となる。しかし続編の内容の粗さや天才気取りの人間性に加えて舟木芳江事件で完全に失脚する。1924年精神病と診断され巣鴨保養院に入れられ1930年肺結核のため死亡。時代とマスコミの典型的な犠牲者となった。近年、病院で書かれた原稿や徳富蘇峰宛書簡が見つかり、その狂気性について改めて見直しがなされている。入院してからダダイズム系の雑誌に六篇の詩を発表しているが、そのシニカルな認識と詠いぶりはなかなかのもので昇天する赤い風船に彼の短かった生涯が見事にシンボライズされている。 
我らは戦ふ
 我れらは生れたとき
 富も位もなかつた
 貧しき奴と虐められた
 けれど我らは終にのびた
 我らの父は太陽
 我らの母は大地
 日はさんらんと照輝し
 地は無辺に平らかだ。
 あゝ鳴る、鳴る、この生命、
 我らの黎明に我らは立つた!
 我らの父は太陽、
 我らの母は大地、
 涙をぬぐひ一心に
 我らはあく迄も戦ふ!
或る日
 雪の交つた雨が朝から暗く地をうつ、
 私の寝てる間に
 母は昨夜彼女の一枚の着物(それには彼女の去つた青春の
 ゆめが匂つてゐた)を典物した金で
 米を一斗買つて来た
 飯がふきあがると
 母は私を目覚ました、
 一杯の味噌汁にそへて飯をくふ――
 母はじつと見てゐる、どれ程見ても飽きないと云ふやうに!
 私は長い長い創作にかゝつてゐる
 ふと筆を止めると――もう点一つも書けなくなつた
 雪がしきりに降る
 私の頭に迷ひが群がる
 暗く息づまる過去、
 血塗れの現在、
 まつくらな未来!
 米一粒ない未来!
 (ほおつ)と溜息が一つ私の迷ひの群にふりかゝる
 母が泣いてゐる、
 あゝ地獄だ!
 夜が絶望といつしよにやつて来た
 母は風呂へ逃げた、
 私は妄想を追つぱらひ
 悪鬼と組打ちし、
 けれども失望した私の霊は
 たうとう負けてしまつたのか?!
 恐ろしくも霊のうめきの上へ
 手淫の白い粘液をぬりたくつた!
 (汝の創作は?)
 (汝の信念は?)
 (汝の光は?)
 消滅してない!
 みな亡びた、みな燃えてしまつた、
 地獄の底に私はもだえる、
 ランプの灯は赤暗い
 私は地獄の底にどつかと尻をすゑた
 (汝、速かに創作にかゝれ!)
 幾枚かの原稿紙が惨めにもさかれる
 母がかへつてきた、
 R-R-R-R-R……………
 私は母をどなる
 母はをぢをぢと床に入つたが
 やがてうとうとと寝入つて行く
 痩せこけた骨にひつついた薄い皮膚には
 私の罪業の刻印が
 悪魔の浮ぼりのやうだ!
 (母よ、私の母よ!)
 私の心は動揺(ゆら)ぎ
 私は苦しみ
 私は悲鳴をあげ
 あゝ天地の間に迷ひ彷徨ふ!
その人
 私はよくその人を記憶えて居る
 ふと白い街角を曲るとき
 ふと芝居の中休みに廊下(ヴェランダ)を歩むとき
 ふと演壇から聴衆を見廻すとき
 ふと窓から戸外を眺めるとき
 私はよくその人に遇ふ!
 けれど私はその人の名を知らない
 どうしてか誰であるかを知りたいけれど、私は知らない。
 ――風呂の浴槽であーあと欠伸をしたときふと
 その人の顔が見えて、私は(貴方は?)と
 口迄でかゝつたこともあつたけれど。
野の出来事
 日は照り
 土はしめる、
 百姓は土をたがやし
 草の葉は青く光つてゐる
 私はあぜ道をゆく――
 路は小川に出た
 水門の傍に二人の少年が網をうつてゐる
 「何かとれるかい」
 「ううん、今来たばかりやもん」
 「みとるまつし、大(で)かいがをとつて見せるさかい」
 「そらやれ!」
 網は青空の下に輪をゑがいてぽつちやりと水に入る
 「引けや!」
 しづかに網はひきあげられる
 小さい一尾の鮒が白く光つた
 「やあこんな小さいやつが一匹!」
 「なあ、こんな小さいやつあ生かしてやるまいかいや!」
 二人の少年の手が鮒を小川へ投げつけそして
 私をふり返つてにつこり笑つた。
 私は何かなく恥かしくなつて路をひきかへした。
 二人の少年よ、幸福であれ!
三年振りであつた少女へ
 今日は突然出遇つて僕は全くうれしかつた
 僕は君に別れてからきつと再び遇へさうな確信の
 大きくなるのを感じてゐた
 僕は余計うれしかつた
 僕は今、母と二人で貧しくくらしてゐる
 朝は英語の勉強にゆく
 夜は創作にせいを出す
 君と自由に遊べる時間は昼だ!
 あそびに来てくれたまへ
 僕の家は君に出あつた街角から左側のあの化粧品店の奥二階だ
 茶の室も寝室も勉強室もみな一つしよだ
 母は君を待つてゐる
 僕は会ひたくてならない
 でも君は実に立派な女になつたね
 M子よ、あそびに来てくれ
 そして僕をはぢしめないでくれ!
 今夜、僕はきつと君の夢を見るに相違ない。
海近い砂丘を
 私は歩んでいつた――
 鉛色の陰鬱の大空
 空の下にうねつた砂丘
 太陽は見えない
 光は灰色だ
 たゞじりじりと迫る炎熱
 ――砂丘、
 みえるはたゞ砂丘のうねり
 私は恐はくなつて後をふり返つた
 あゝ、通つて来た許りの水溜も松林ももう見えない
 私は歩みはじめた
 海へ!
 歩んでも歩んでも
 波の音さへひゞかない
 四辺はたゞ灰色から灰色にうつる
 巨大な砂丘のうねり
 (この道に間違ひはないはずだ)
 歩むたびにたつ白い砂塵は
 炎熱に融けて空にのぼる
 私はたえられなくなつて
 砂の上にねころがつた
 (あゝこんなに遠いものを)
 が私の後からさくさくと砂にきしむ足音がした
 ふり向くと一人の男が
 死んだやうな沈黙を道伴れに私の横を過り
 彼方の丘へ見えなくなつた
 (かうしてはゐられない!)
 私はむつくと立つて又歩んだ――
 (おゝ海がみえる!)
 深い深い神秘な碧ききらめき
 ま白い波の狂乱、
 偉大な海はまんまんと力にみなぎる
 あゝ海がみえる!
 けれども砂丘はずゐ分長い
故郷の若者達に
 雪と嵐の北国に生れた若者達よ、
 僕は君達の末広がりゆく未来を祝福する。
 僕のあらゆる冒険、苦闘、事功は、要するに僕以後に来る
 いと若き者達への道開きにある。
 モーゼの如く、僕は全民衆の先頭に立つて、
 命のある限り、
 根のきく限り、足のきく限り、
 いな、足がきかなくなれば胴で歩いてでも、
 僕は君達を新しい世界へと案内してゆく、
 それが僕の役目だから!
 今度の講演会に就ての、君達の誠意と労力をうれしく思ふ、
 たとへ、それは、全社会から見て、わづかに小さなものであらうとも、
 君達の真情は、僕の胸をうつ。
 あゝ、いと若き至純なるものの真情にうるほされて、
 僕は今、世界一の幸福者だ。
 嵐と雪の北国に生れた若者達よ、
 達者でくらせよ。
 また、勉強を怠るな。
 僕が世界認識の旅から帰る日迄に、
 少しはしつかりしてゐてくれ。
 ぢや、さよなら。
私に就いて
 私は何処に行くか
 瓦斯が不足です
 風船の尾に私の名を書いた短冊をむすび
 私を昇天さしていたゞきませう
 私の生活は空の中に
 私の栄誉は炸裂すること
 私は私の名と共に
 この世に何も残したくはない。
まちあぐみては
 陽がおちる
 今日も亦誰れも来ない
 希みを失つた夕靄が
 重い足取りでしのびより
 私の上におほひかぶさる
 長い夜が復讐と脱走の計画に胸をおどらせ
 夢が追はれるみじめな自分をおびやかす
 はかない想ひで明日を待ち
 待ちあぐみては僅かに眠る私である。
無題
 どこかで、
 覗いてゐる
 聴いてゐる
 泣いてゐる
 哄つてゐる
 ひそひそと、
 話してゐる
 動いてゐる
 歩いてゐる
 壁に指紋が
 窓に吐息が
 鉄柵に青い手が
 ブルブルと、
 ふるえてゐる。
私は置き忘れて来た
 銀座の裏に赤い花を置き忘れて来た
 緑のトランクはわたしの歓びを入れたまゝ
 ステヱシヨンに置いてある。
 誰れにも告げないで夜空に放つた赤い風船は
 今何処に流れてゐるだろうか
 (あれが一番私を知つてゐたのに)
 精神病院の鉄格子の窓から
 私は片方の黒い靴下を棄てた
 乳を出した狂女が向ひの窓でそれを見ていたが、
 乳をもいでわたしに投げつけた。
 どこかに置き忘れてゐた哄ひがくツくツと
 この時、舞ひ上つた鳩を追ひかけて行つた。

 (1)
 朝は水のない一輪挿
 挿されたヨカナアンの首の蒼白さ
 飛行機の飛べる風景と
 脂の匂ひのする音波――
 おおーイ
 隣室の患者が救ひを求めてゐる。
 (2)
 自分は新聞を読んでゐる。
 自分は世界を見てゐる。
 自分は活字を睨んでゐる。
 自分は茫漠とした灰色をみつめてゐる。
明るいペシミストの唄
 わたしには信仰がない。
 わたしは昨日昇天した風船である。
 誰れがわたしの行方を知つてゐよう
 私は故郷を持たないのだ
 私は太陽に接近する。
 失はれた人生への熱意――
 失はれた生への標的――
 でも太陽に接近する私の赤い風船は
 なんと明るいペシミストではないか。
無題
 おれは泡を喰つて
 停車場へ忘れて来た
 大きなカバンに
 古新聞が一パイ
 人が見たら笑ふだらう
 警察へ届け出よ
 大事のものだ!
 大事のものとは人も知るまい
 泣いても泣いても
 大事のものだ
たばこ
 機関車――そんなにも私は煙草を吸ふのだ。
 部屋が煙でむせび、
 投げ出した足が私には見えない。
 (お前、おまへ、おまへ)!
 私はむせび泣いて、愛人に、煙に、呼びかける。
 だが、密閉された部屋からでも、
 やがてお前は易々としのび出て行くのだ。
 私は激しい嫉妬から、
 もはや煙草は吸ふまいと思つた。 
 
島清語録

「お前は何だ。文学者か、芸術家か、予言者か、革命家か、政治家か、哲学者か、いつたい何者だ」
「――」
「答へろ!」
「俺は、俺は、――俺は島田清次郎だ!」

馬鹿なのである。自分がこの馬鹿であることを知つたとき、馬鹿をしつつあることを発見したとき、馬鹿から自らを救ふ道は一直線に馬鹿を押しとほすより外にないやうに思ふ。
「馬鹿」を利用する賢き人々にとつては「馬鹿」に対するある都合のよい分量を予想してゐる。「馬鹿」を押しとほすことによつてその予想してゐる分量を越え、「馬鹿」力であやつつてゐる賢い奴をも「馬鹿」の中に捲き込むより外に仕方がない。

自刃か、然らずんば涙を湛えて微笑せよ。

ほんとうの勝利者は常に涙をたゝへてゐるものだよ。

僕は永久の強者で僕は永久の勝利者なんだから、僕の仲間入りするところは常に月桂冠が輝やくのだ。

僕は君達より生じて、君達を超越したもの、君達は憎むのが役目で、憎まなくてはならない。しかし、僕は憎まなくともよいのですよ。僕にはそんな必要がないのだからね。

(米国の老詩人マークハムに「あなたが島田さんですか、たいそうお若い」と言われて)
肉体は若いが、精神は宇宙創生以来の伝統を持つてゐる……。

今地と人類の求めるものはあらゆる苦しい認識のうちにも、尚人間の未来を祝福するもの、尚人間の未来を信ずるもの、そのためにそれのみに生存の使命を感ずるもの、この自分より外にはあるまい。

諸君は眼を双手で蔽うて、「太陽が出なくてはならぬ」と言ふけれど、太陽は出てゐるのだ。「己れ」と云ふ若き太陽が出てゐるのだ。眼をひらいてよつくみるがよい。

日本全体が己れに反対しても世界全部は己れの味方だ。世界全部が反対しても全宇宙は己れの味方だ。宇宙は人間ではない、だから反対することはない。だから、己れは常に勝利者だ。

己れは、見くびつて失敗したことがなく、常に見くびらなくて失敗してゐる。このことは、正しき認識を怠ることに基因する。換言すれば、私に見くびられないものはこの世には存在しない筈なのである。

諸君は未だ、世の中と戦つたことのないもの、未だ自分の足で立つたことのないもの、私は一度も二度も世と戦ひ、幾度負けては起きあがり、勝ち、征服し、自分の足で立つてゐる人間。先づこのことからのみこんでかゝられよ。

島田の命のある限り、私の胸の火は消ゆることはない。胸の火の消えない限り、望みをつないでゐてくれ、たのむ。全国民とそして全世界よ。

人類十七億、ことごとく死物で、私一人が生きてゐて、怪物の名をほしいまゝにするのは、ちと、身に過ぎた贅沢のやうな気もする。ハハ。

私の今日の地位は、単なる一個の文学者としてのみならず、実に現代の新しき一勢力の具現として、社会的な重要な意義を有つ。このことは分る人には分る。

誇大妄想とは、事実大ならざるものを大と妄想することであるが、大なるものを、大とすることは決して誇大ではない。それは認識力の正確である。私は少くとも誇大者ではない。私は唯大を大とする丈けのこと、その大を見る力なき人が、例へば、筑波山丈けを知つてゐて、富士山を知らぬ人に、山は大きいといつても、いや、山はそんなに大きくはない、それは誇大で、汝は誇大妄想狂だとかう云ふ。しかし、それはさう言ふ人の認識の狭小を意味するのであつて、決して大を大とするものの妄想を意味しないのである。

やはり、常に恋をしてゐなくてはならぬのだ。 
 
島田清次郎の手紙

島田清次郎が死んでから、もう一年半ばかりになる。彼は作家としても、人間としても、可成特殊な存在であつた。殊にその前半生の華やかさに比して、後半生は余りに悲惨であつた。地上第一巻を著はして一躍人気者となつたのが廿歳頃、そして多くの脱線行為に依つて世間に興味あるニユースを与へ乍ら、遂に精神病院入をしたのが廿六歳、死んだのが三十二歳である。即ち前六年間は流行作家として、後六年間は狂人としての生活であつた。彼の如き若さで一躍文壇の王者的寵児となつたのも珍らしければ、彼の如く末路の悲惨な作家も珍らしい。とも角、彼が大正文壇に於ける一彗星であつたことは事実であらう。天才と狂人、こんな言葉が昔からよく云はれてゐるが、彼などは此の問題に対して一つの興味ある存在である。
自分は今、彼の在院時代残して置いた手紙に就いて書く。これは彼の狂人としての後半生の手記の一つであり、彼の未だ知られざる後半生の秘密である。彼の手紙は当時の顕官名士宛のものが多い。これは多く自己の不法監禁を訴へて、退院援助を要求してゐるものである。
一、当時の首相田中男爵宛
表面
東京市麹町区霞ヶ関外務省情報部経由にて内閣総理大臣男爵田中義一閣下
警視庁医務課精神課狂病院保養院不法監禁解除退院許可の件につきて御願
昭和二年四月廿四日――六月三日――六月十五日、西巣鴨庚申塚保養院六号小石川二八六島田清次郎
文面内容
拝啓去る大正十三年七月下旬池袋を俥上三冊の自著原稿包みを携へ通行中の余を巣鴨署の巡査が暴力をふるつて拘引し留置場に不法監禁し(此の巡査は奇怪にも大正十四年九月頃この狂病院にいたるやうなり)警視庁より来れると詐称する狂病院の医員の診察を強制し余が立去らんとするや狂病院は数名掛りで不法監禁(、、、、)し今日迄満二ヶ年数ヶ日の間暴力催眠力、強制的薬品によつて殺人状態(、、、、)を継続してゐます、而して僅少の食料代等を警視庁経由公費支弁であるといふので右費用を返済して退院すべく昨年十二月従来関係のある出版会社○○○○氏が社員を派遣しても催眠暴力をもつて用務をつくさしめず母親が引取りに来ても診察をなさずに退院を許可せず、何とか退院後訴訟を起す考へ(、、、、、、、)で自重してゐる次第ですが余は狂人に非ず此のまゝ幽閉されてゐることは身命に危険です去る五月六日の交渉では警視庁医務課の許可あれば幽閉を解くと云ふのみ何とか直ちに退院許可幽閉解除願ひ上げます、院長は○○○○と称し○○警視庁技師、医員数名、及二三十名の鬼畜(、、)の如き看護人と称するもの、一日も早く退院して慈悲で身心の衰弱を恢復療養しなくては危険です危急の場合御願ひいたします、手続を当局者が執る様御願いします。
同じく田中男爵宛
謹んで新年を賀し奉る、昭和四年一月元旦昭和三年十二月十九日
昨年中は種々と有りがたく存じ上げます。大正十三年七月以降の幽閉にてほとほと困却いたしをります。何とぞ一日も早く退院許可のやうお取計ひ願い上げます。(昭和四年一月廿日)敬具
因にかくいつ迄も公費といふ常識はづれた状態であるのは幽閉過程に不承服の点もあつたのですが牛込区矢来町三○○○○(出版業)が余の印税を横領して支払はないのと度々出版会社又わ新聞社がその手続きに社員を派遣しても看護と称する穢多が原稿を強奪するなど妨害して用件を達せしめないのに基因してゐます。
此の二つの手紙で気のつくことは(手紙中の傍点は原文のまゝ)被害妄想の著明なことで、彼の周囲のものが皆彼に害意を持つて色々のことをする様に思つてゐたのである。その為か当時の彼は、常に蒲団を頭からかぶつて、部屋の隅にうづくまつてゐた。又催眠術をかけられて困ると憤慨してゐた。又入院当時のことに就いては――当時彼は巣鴨の通りを泥と血にまみれて、人力車に乗つて通行中を警官に怪しまれたのであるが、後日院長の問に対し『入院時の血痕は帝国ホテルに夕食に行つた時、ボーイを殴りつけたが五六人追かけて来て、日比谷公園の所で私を殴つた。其時私を殴つたは国粋会の○○○と云ひました。其の時鼻血が出たのです。』何故ボーイを殴つたかと問はれて、「島田だと云つても待遇しなかつたからです」尚「金は持つていましたか」「二円持つてゐました、」と答へてゐる。又、当時母親がわざわざ郷里から上京して来たのに拒絶して面会しなかつたやうである。
尚此の手紙と全く同趣意の手紙が当時の文相、中橋徳五郎氏、小山検事総長、高橋是清氏、尾崎行雄氏、床次竹次郎氏、精神科三宅教授、花井卓蔵氏、後藤新平氏等宛に一通内至数通書かれてゐる。
二、珍田千束氏宛
つゝしんで故珍田捨己伯爵閣下の霊前に哀悼の意を表します。
去る大正十三年七月池袋俥上通行中を突然幽閉されて今日に及んでゐますが故伯爵御存生中しば/\伯爵閣下にまで幽閉解除取計ひ方を御願ひしようかと考へましたが余りの境遇を反省して思ひ止つてゐるうちにこの悲しみを知りました。取り敢へず哀悼の意を表します、田中男中橋氏等に去る昭和二年春頃よりたのみをります御大切に遊度候
三、本山彦一氏宛
謹啓愈々御清遊にて慶賀に存じ上げます、去る大正十三年七月下旬以降狂病院に幽閉されて今日迄満三ヶ年五ヶ月以上の歳月を経てゐます、貴社発行昭和三年一月廿一日附東京日日新聞学芸欄記事中現代長編小説全集といふものが新潮社から出版されて余輩の著書の一冊が刊行されるごとく誤聞されたさうで御座いますが右は全く事実相違にて昨年十二月末同店員に余は明白に拒絶したるもの(、、、、、、、)にしてその際然らばその理由が承りたいとの事であつたが理由は余の旧著「地上」はすでに普及してゐるので、これ以上読者を拡める必要が全然無い事、余は好まないことに存するのであるから拒絶は絶対的なることをここに再び声明して一般の誤解を防ぎ助力希いをきます、去る大正十三年七月下旬幽閉の当初貴紙には余が半夜に郊外を彷徨してゐた如く伝えられてゐたさうですが事実は白昼俥上論究一冊、小説一冊の風呂敷包みを携えて池袋通りの一知人を往訪中余を栃木県生○○○○等の交番巡査が暴力を揮いたるものにて、ことに巣鴨署まで単独不法拘引監禁したるものです、警視庁衛生部医務精神課に退院又は他の善良なる病院え移転方を速かに許可されんことを希望いたしをきます、以上簡単乍ら訂正希います特に退院出来る様に御援助願います敬具
同様の趣意の葉書が日日新聞社編集局編集長及学芸部係宛に出されてゐる。
四、警視庁医務課精神科宛
一、退院の許可を願います
一、左の事由により他の善良なる病院に移転方希望します
一、容体宜しからざるわ診療に間違いあるにあらずや
一、前年引取りにある会社員が来たりたる時これを碍害したるものが未だ処分されてゐないのでそれ以上退院手続をたのみ得ないによる、ことに△△印及他一名わ言語を交えざるも穢多なりと考へられ屡々危害を及ぼして危険ある事適当の処置願います
五、知人宛のもの
去る大正十三年七月下旬余幽閉以来今日まで実に不断にお見まい下され実に有りがたく深く感謝に堪へません、どうぞ本年も宜しく切に願います、貴君の健康を祈り又一同にもよろしく申上げて下さい、又これは余が申上げるまでもないがどうか商用で旅に出られても女と酒を厳重につゝしまれるやう(・・・・・)今からでも忠告してをきます、昨年十二月一度たづねられたが御目にかゝれなかつたがその前にわ御菓子と雑誌をありがとう今度この葉書がつきましたらついでがあつたら一度寄つて下さい、その時昨年夏から去年のくれにかけて郷里の母から着物と一緒に送つて来たお菓子折りを五六度にわたつて看護に悪い奴がいて余の手にわたつていないので腹の虫がおさまらないので困つてをりますから次の物品を買つてもつて来て余に会つて余に渡して下さい、代金わあとで返済します、
一、キャンデイ一箱二、餅菓子一箱三、葡萄酒一瓶
右願いますよ、又公費と云ふ目下の待遇は危険ですから故郷の母へ早く警視庁へいつて手つゞきして退院引取り方を忠告して下さいたのみます。
六、知人宛のもの
此の手紙就き次第直ちに院長に直接お目にかゝり「余一身を責任をもつて引受ける」ことをあく迄主張して余を引取られ度し、尚一切の支払は必ず全部支払ふべきこと、然らざれば余の生涯は警視庁あたりの間諜と云ふやうなものと同一視される結果になります、(註、公費患者であると云ふことのためであらう)退院に際して何か手続が必要ならば(余は一切の支払ひをする丈けで充分と心得るが)余は健康を取りかへしてゐますから貴下と一緒に退院後によくその旨を院長に話して下さい、尚院長から余を院長診察室にまで呼出しててもらつて願つて下さる様願ひます、ぐずぐずしてゐると何時までのばされるか分りませぬ、此の上特に願ひます 。
尚御承知か知らぬが保養院のものは皆催眠術を使ふから(・・・・・)最初の意志をごまかされぬ様何より肝心です。何より余自身を保養院の外へ引きとることが肝心です。  
以上の如きが彼の手紙の大体である。彼の手紙で変つてゐるのは、宛名を書いてある表面に色々用件の大意のやうなことが書いてあることや、違つた日附が二つも三つも書いてあること、又文面が消した所だらけでまるで模様か何かの様になつてゐる事等である。
彼の症状は前にも云つた通り被害妄想があり、その為医員等には殆ど打あけた話をしなかつた、平素は終日部屋の隅に蒲団を頭からかぶつて坐つていて、殆んど他患者と口をきかなかつたが、時々亢奮して怒鳴つたり、着物を引裂いたり、窓から小便したり、唾を部屋中に吐き散らかしたり等した。又絶えず梅毒だから血液検査をしてくれと云ひ、検査の結果陰性と判明した後も、会ふ度に血液検査と六〇六号の注射を請求してゐた。又時には幻想があるらしく、独語を云つてゐた様である。昭和四年には割合元気になつて毎日原稿を書いてゐた。一度どんなことを書いてゐるかと思つて一寸見たが、余りの大長編なので読まずにしまつた。昭和四年一月中頃より肺結核となりて発熱し、病院としても名高い患者だから、色々手当をして見たが、4月廿九日に死んだ。
彼の家系には彼の母方の祖父及び母の弟に精神病の人がある。彼の病名は早発性痴呆症の内の破瓜病と云ふ病気であつて遺伝関係は右の如く可成り著明である。彼の父は早く死んで、彼は伯父に育てられた。自分は彼の伯父に会つたが、伯父の話では彼は小学、中学時代から全く始末に終へない乱暴者で、癇癪が強く、少し気に入らぬと何でも投げ飛ばすので全く弱つたそうである。彼が作家として著明であつた時代も彼の性質は少しもよくはならず、むしろ我儘がつのつた位だそうである。洋行から帰つて来た時も全く突然二百円持つて神戸へ迎へに来いと云つて来たので、金沢から遥々金を都合して出かけ、久し振に一緒に上京しようと思つてゐると、金を受取るとそのまゝ待合室から行方不明になつてしまつたと云ふ話である。
古来著名の文芸家や、音楽家にして狂死した人は多い。又世にときめきし人の精神異常を来すことは往々見る所である。島田清次郎もその一人であらう。彼が果して天才であつたか狂人であつたかの問題に関して自分の此の記述も何等かの参考になりうるものと思ふ。
 
「天才と狂人の間」 杉森久英

1
あたりまえのことだが明治に生れれば、否応なく大正、昭和の時代をくぐりぬけるめぐり合わせとなる。この明治、大正、昭和(戦前の)時代というのは、日本が貪欲に西洋の文化と技術を摂取しながら世界の一等国入りを目指した時期で、歴史的には近代と位置づけられている。したがってその文学は近代文学と呼称され、戦後以降の現代文学と区別される。ということであれば、これもあたりまえのことになるが、近代文学とは明治人の文学といっても間違いはなさそうだ(大正はたった15年しかないのだから)。明治よりすこし前に生れた逍遥、鴎外、四迷、漱石、露伴、子規らを含めて、ではあるが。
純粋明治生れの(主だった)文学者をたぐれば、紅葉、花袋、独歩、秋声、藤村、一葉、鏡花、晶子、武郎、荷風、白鳥、茂吉、直哉、光太郎、実篤、白秋、弥生子、啄木、潤一郎、朔太郎、(菊池)寛、(里見)ク、かの子、(久保田)万太郎、犀星、久米正雄、広津和郎、宇野浩二、吉川英治、春夫など。そうそうたる名前が並ぶ(生年順)。だが、ここまでは明治25年までの名簿でしかない。明治は45年までつづくのだから、まだぞくぞくいる。(西脇)順三郎、乱歩、光晴、賢治、(大佛)次郎、宇野千代、(横光)利一、鱒二、百合子、康成、(三好)達治、基次郎、重治、(小林)秀雄、周五郎、多喜二、芙美子、稲子、(堀)辰雄、幸田文、丹羽文雄、舟橋聖一、伊藤整、永井龍男、石川達三、平林たい子、円地文子・・・・安吾,中也、靖、太宰、清張・・・・明治45年の檀一雄、武田泰淳まで。もっともこの中には清張のように戦後デヴューした作家もいるのであるが。
これらの作家のうちのだれが狂気を秘めていないか、だれが天才ではないのかということになれば、その選別にはいささか戸惑う(であろう)。逆に「天才と狂人」を組み合わせるならば、そのイメージに最も近いある作家が一人浮かんでくる(のではなかろうか)。一覧に名前を抜かしておいた芥川龍之介である。芥川龍之介の生年は佐藤春夫とおなじ明治25年なのだが、第一、その出生からしてそもそも尋常ではない。出生の明治25年3月1日が辰年辰月辰日あったうえに辰刻の誕生ということで、龍之介と命名されたというのだから。しかも両親ともども厄年(43歳と33歳。芥川は長男ではあったが、姉が二人いた)の年に生れ、俗習にしたがって形式的に捨子にされた。生誕半年後には生母が精神障害を病み、母の実家である芥川家に引き取られている。発狂した母は芥川10歳のとき没した。芥川は晩年の作「点鬼簿」に「僕の母は狂人だった。僕は一度も僕の母に母らしい親しみを感じたことはない」と書くしかなかった。
頭脳明晰、学業優秀の芥川は当時の秀才が集う一高へ無試験で進学。卒業時の成績は二番だった(このときの同級に菊池寛、久米正雄がいた)。そのまま東京帝国大学英文科にすすむ(大学の卒業成績も二番だった)。菊池、久米たちと同人雑誌「新思潮」に小説を発表。漱石に「鼻」を激賞されたのが大正5年、芥川24歳のときである。以後、理知的な作風の短篇秀作をつぎつぎに発表。大正期を代表する作家となった。しかし大正が終りかける頃には健康を害し、神経衰弱や分裂症状におそわれる。昭和2年、義兄のトラブルの後始末などに追われているうち、7月23日自ら命を絶つ。三人の男児が残された。享年35歳。自殺の理由は「僕の将来に対する唯ぼんやりした不安」とされた。それは死の直前の谷崎潤一郎との〈小説の筋〉をめぐる論争、友人であった宇野浩二の発狂、なによりも狂人であった母の血を引いているという遺伝への怯えが、芥川の神経を痛めつけた。狂気への恐怖が芥川を死に追いやったといっても過言ではないだろう。
杉森久英「天才と狂人の間」の主人公はしかし芥川龍之介ではない。芥川の文壇デヴュー三年後、大ベストセラー小説「地上」をひっさげ、文壇を超えて一躍時代の寵児(ちょうじ)となった島田清次郎が主人公である。「地上」第一部は大正8年6月に新潮社から発売された。島田清次郎二十歳の年である(したがって「地上」は十代で書き上げられた作品である)。年齢的には芥川を上まわる天才であった。島田清次郎は明治32年(1899)2月26日生れなので、芥川よりちょうど七歳下、川端康成と同年である。芥川の自殺の三年後、島田清次郎も31歳の若さで世を去った。いまでも命脈を保ちつづける芥川龍之介の作品に比して、島田清次郎はその名前も作品も「地上」から消えてしまった。いや、島田清次郎の文学はすでに生存中から本人同様、世間から見放されていたというほうがより正確であろうか。
島田清次郎も学業は優秀であったが、典型的エリートコースをたどった芥川とはちがって彼は挫折した、せざるを得なかったというべきか。杉森久英の実名小説「天才と狂人の間」はこのように書き出される。「島田清次郎が自分自身を天才だと信ずるようになったのは、彼があまりにも貧しくて、父親もなく、家もない身の上だったからにちがいない。彼は金沢の町はずれの小家の二階に間借りして、仕立て物の賃仕事をする母親と二人きりで暮らしているうちに、どうしても自分は世間に名を挙げねばならぬと決心した。彼がもし、生まれながらの貧者だったならば、そのような考えを起こさなかったかもしれない」昔も今も貧困はあらゆる権利を奪い去る。しかしそれでも島田清次郎は、上級学校に一応は進学している。
島田清次郎が生れたのは金沢南方の美川町(現白山市)である。清次郎の誕生翌年に回漕業を営んでいた父が海難事故で死んだのが、貧苦のはじまりであった。母子は実家にころがりこむ。ところが庄屋であった祖父は家土地を処分し、金沢に出て芸者屋稼業に転ずる。この遊廓で育ったことが清次郎に多大な影響を及ぼしたのか。順調であった廓業が米相場に手を染めたことにより、一挙にかたむく。そこへ東京の実業家があらわれ、母子は実業家の屋敷に迎えられる(註1)。中学生になっていた清次郎は金沢二中から明治学院(註2)に転校した(母は女中頭になる)。清次郎13歳の年である。(註1・母と親しかった芸妓の世話によるもので、芸妓の身請け先だったようだ。註2・島崎藤村が卒業した日本最初のキリスト教学校。)
ここまでがほぼ島田清次郎の「地上」第一部〈地に潜むもの〉(註1)のあらすじとかさなる。遊廓に住み込みながら針仕事で生計を立てている母と息子。息子の名前は大河平一郎、中学生である。この少年が主人公で、これはそっくりそのまま島田清次郎にほかならない。級友との友情、初恋の女性和歌子(註2)、芸妓の冬子、冬子を身請けする実業家天野などが物語を成す。和歌子との相思相愛は破れ和歌子は人妻となり、冬子の世話によって東京へ転校した平一郎は、天野の屋敷で母親とうり二つの天野夫人を見て驚く。母親と夫人は双子の姉妹であったのだ。母親たちの過去の秘密に深く関わっている天野。清次郎はこの逆境から抜け出すことを自らに誓うところで小説は終る。いま読めば、しいたげられた境遇から必死に立身を誓う大河平一郎の大仰な言動が鼻につかないでもない。テレビの昼ドラみたいな筋立てのこの大河小説は、しかし当時の青年層に熱烈な歓迎を受けたのである。(註1・「地上」は第四部まである。註2・実際の初恋の相手の名前は赤倉和嘉代。「地上」第二部の主人公の名前は赤倉清造となっている。)
清次郎の略歴に戻ると、十三歳で東京に出た母子は、女中頭として役に立たなかった母親を勝手に再婚させたことで、実業家と衝突した清次郎は単身で金沢に帰省。伯父の世話になりながら金沢二中に一旦は復学するものの、翌年には卒業すればすぐに金が稼げるという理由で金沢商業に移らされる(註)。不本意な実業科目になじめず、勉学を放棄して学友たちと文学に熱中、あげく落第となる。と、伯父からも見放される。東京に引き返し、母の再婚先に居候しながら仕事を転々とする。その間小説を書きつづけ新聞社に持ち込むが採用してくれるところはなく、絶望し自殺を図ったことによって母親までもが離縁されてしまう。大正5年春、母子(清次郎17歳)は元の木阿弥となって金沢へ帰郷した。(註・金沢商業には首席で入学している。ちなみに明治学院の学年成績は二番だった。)
帰郷したものの、うらぶれた母子に住む家とてなく、養鶏場の納屋を改造したところにひとまず落着いた。母は裁縫でわずかな収入を得、息子はひたすら創作に打ち込んだ。偉くならなければならない。世に出るためには文学が一番だ。島田清次郎は元々演説(註1)も得意で政治家を目指していたのだが、金沢商業時代にドストエフスキーを知り文学に目覚め、すでに同人雑誌に処女作を発表していた(註2)。金沢近在に住む宗教家暁烏敏(あけがらすはや)の知遇を受け、京都の宗教新聞「中外日報」を紹介され、それに小説「死を超ゆる」を連載して好評を博していた。このころに「地上」第一部の構想、執筆にとりかかったようだ。(註1・清次郎の演説はどの学校でも有名だった。「地上」にも主人公の演説場面が描きこまれている。註2・「若芽」という短篇。とても15歳の作品とは思えない出来栄え。この主人公も赤倉清となっていて初恋の女性の苗字と自分の名前をくっつけている。)
「地上」を新潮社へ取り持ってくれたのは当時を代表する評論家の生田長江であった。無名の新人の小説出版は危惧され反対意見もあったが、社長の一存で決定された「地上」は爆発的売れ行きを示した(註)。生田長江の推輓はもとより堺利彦、徳富蘇峰、長谷川如是閑らがこぞって激賞したところに、この小説の特色があった。「ふつうの文壇小説の場合とちがって、社会主義者、社会評論家、政論家、思想家の範囲まで(支持が)拡がっていたことは、この作の人気を文壇の垣の中のみならず、ひろく一般社会人の間まで浸透させることになった。事実この作品の愛読者は、ふだん文学などにあまり興味を持たない人の間にも、多く見られたのである」 「わずか二十歳の青年の手になったとは思えぬほど、老熟した社会的な観察と批判の目が光っていて、従来の文学に見られぬ新鮮さがあった」 杉森久英の「天才と狂人の間」における「地上」評である。(註・「地上」第一部は印税なしの条件であったという。新潮社は丸儲けをした。)
「ちょうど時代の風潮も大きく変化しつつあった。大逆事件で・・・・、物陰に身を潜めていた日本の社会主義者たちは、ロシヤ革命の成功と、欧州大戦の終了によって、もう一度自分たちの時代が訪れたことを知った。・・・・各地に労働争議が頻発し、米騒動が起こり、デモクラシーという言葉は流行語となった。堺利彦、荒畑寒村、山川均、大杉栄の社会主義者は、今では時代の先頭に立つ指導者になっていた」大正十五年間のど真ん中、大正デモクラシーの渦中に搭乗した「地上」は、〈ロマンティック〉であり〈リアリスティック〉、〈若々しさ〉と〈老成〉が混交した〈稀有の長篇〉(註1)は空前のベストセラーとなった。時代も追い風となったが、英雄的な言動を示す主人公の姿は、弱冠二十歳の作者と二重写しとなって読者を魅了したのである。いったいどれだけ売れたのか、その数字は(註2)はっきりしない。三万部売れただけで六千円の大金が清次郎のふところにころがりこんだ(註3)。(註1・いずれも新潮社の「地上」宣伝文句。註2・新潮選書「カネと文学」の著者山本芳明は百万部と推定している。大正11年に刊行された志賀直哉「暗夜行路」前篇でさえ一万部がやっとだったという。註3・この印税だけで東京府知事の年棒に匹敵した。)
その「地上」の年となった大正8年、やはり生田長江に師事していた佐藤春夫(註1)は、「田園の憂鬱」を刊行し新進作家としての地歩を築き、芥川龍之介は海軍機関学校の教官(英語を担当、月俸60円)を退職して、大阪毎日新聞社員となった。出勤はなしで年何回かの小説の寄稿、原稿料はなし、他の新聞には執筆しないという条件で月俸130円だった。すでに三冊の短篇集を出していたが前年に結婚しており、より安定した収入を求めたのであろうか。もう一人、室生犀星。ある日清次郎が新潮社へ印税の一部を受け取りにいくと、犀星と鉢合わせた。犀星の小説処女作「幼年時代」が「地上」のひと月後に出版されていた。この日清次郎が受け取った金額は500円だったのに、犀星はその十分の一にすぎなかった。かつて無名時代に、どうしても清次郎の小説を読んでくれなかった(という)郷土の先輩作家(註2)を完全に凌駕したことを、このときまざまざと実感して清次郎はひそかに快感を覚えた。(註1・佐藤春夫は生田長江家で島田清次郎とは顔見知りであった。後年、佐藤は「厚生記」という小説に狂人となった清次郎を描いた。なお、芥川は清次郎とは接点はなかったようだ。註2・二人は金沢の同じ小学校の卒業生である。)
世間はもはや「地上」の作者を捨ててはおかなかった。「地上」出版の翌年、かつて在学した明治学院、さらには天下の秀才を選りすぐった一高からも講演を依頼された。講師島田清次郎は彼らと年端も変わらぬ21歳の青年である。得意はさぞかし満面に浮んでいたであろう。この年7月に「地上」第二部刊行、翌10年1月「地上」第三部、11年1月には第四部を刊行した。「いまや、金はいくらでも輪転機から湧いて出た。明日何を食うべきかを心配する必要もなく、誰に負い目を感ずることもなく、心ゆくまで遊ぶことができた」 「少年時代を金沢の花街で過した島田清次郎は、女性を見る目が一般の青年とはすこし変わっていた。女というものは彼にとって、まず金で売り買いできる商品であった」 女遊びは同郷の先輩作家加能作次郎と待合に行ったことが病みつきになり、「地上」続編の執筆の合間に東京、金沢を往復しては、各地の温泉場でやみくもに女に浪費した。その一方、享楽から醒める都度、精進しなければならぬとしきりに、自分を戒めるのではあったが。
その内省の声はやがて洋行となって具体化される。洋行はかねてよりの念願ではあったが、その直接の動機となったのは、皇太子裕仁親王の渡欧であった。「どうしたって自分は天才だと思はずにゐられない時がある。さうしたときの自分の心は誇らしいといふ気は少しもない。恐ろしい崖の上から底の知れぬ深淵をのぞくやうな、何とも云へぬ恐ろしさを感じる。自然の深さ、偉大さが迫ってくる。自分ごときものにさへ、これだけの深さをめぐんでくれる自然であると思へば・・・・」 「人が何と言はうとも、自分は天才にちがひない。このことは、誰よりも自分が一番よく知ってゐる・・・・」 少年時代から自分を天才だと意識していた清次郎にとって、「地上」がもたらした成功はそれを再認識するものであった。「今や彼にとって、欧米諸国を巡歴することは、日本の精神界の指導者、代表的作家たる者の神聖な義務としか考えられなくなった」 「〈我が親愛なるプリンスよ。われわれの国には島田清次郎がゐて、『地上』という創作を出してゐる。そして、かれは追つて、われわれ一行の後より、卿等の国を訪れるであろう〉と答へることを忘れたまふな」と皇太子に呼びかけ(なんという尊大さか)、大正11年4月に米・英・独・仏・伊へと旅立った島田清次郎は、アメリカ大統領と面会したり日本人初の国際ペンクラブ会員に推されたりして、12月に意気揚々と凱旋帰国した。
いつのときでも子をよく知り、案じるのは母親である。清次郎の母みつはひたすら息子の成長を生き甲斐にして苦労に堪えてきた明治の女である。島田清次郎の〈その後〉を知っている作者杉森久英は、天才(と自称する男)を育てた母親の心情を忖度(そんたく)して、その著「天才と狂人の間」に書きつけた。「彼女はただ、むやみと息子の将来を心配していた。これでいいのだろうか。こんなことが、いつまでも続くのだろうか。息子はいよいよ自分の時代が来たのだ、自分は全日本を征服したのだと言って、気負っているけれど、それは信じていいことなのだろうか?どこかが狂っているのではないだろうか?いまに突然、なにもかもが元通りになって、今までのは全部夢だった、などということになりはしないだろうか?・・・・考えれば考えるほど、彼女の不安は尽きなかった」 息子の突如の成功によって、仕立て物の仕事から解放されたみつは、毎日手持ちぶさたのあまり、自分の体と気持ちをどのようにとり扱っていいのかもわからなくなって心配ばかりが募っていたのである。 
2
「もしかしたら、清次郎の中には狂人の血が流れているのではないかと思うことがある。・・・・清次郎の、あの極端に物を思いつめる性質と、自分を並はずれて偉いものと思う癖と、どこへ行っても人と協調しようとせず、自己を主張して譲らない癖とは、常識では理解し難い。天才は常識を超えたものというけれど、やはり天才なのだろうか?それともただの狂人にすぎないのだろうか?あのじっと人を見るときの威圧するような、食い入るような眼の光りは、あれは普通の精神状態と考えていいのだろうか?」 いまや島田清次郎は一介の貧乏青年ではなかった。「地上」一作を以って世に現われた成功者であった。なのに、清次郎の母みつの不安は尽きない。
誰でも知る俗諺(ぞくげん)に〈実るほど頭を垂れる稲穂かな〉がある。人生経験を積み齢(よわい)をかさねるにつれて、人は内面的成熟を加えおのずと人格が形成される、というのが本来の意味であるのか。それともこれは、まったくの箴言(しんげん)と理解すべきであろうか。世間的成功をおさめれば、人というものは知らず知らず驕り高ぶり尊大になりがちなので、常に謙虚な姿勢を忘れる(と世間からつまはじきにされる)な、と諭しているのか。〈実る〉と〈垂れる〉の解釈と重点はどちらだろう?
島田清次郎にとっては、どうやらこのことわざほど無縁なものはなかったようだ。なぜなら彼は天才であったからだ。自らを天才と信じこんでいる人間にとって、成功は成るべくして成っただけのことでしかない。当然の帰結であるにすぎないからである。傲岸不遜という言葉は島田清次郎の代名詞になった。このことは島田清次郎の著作の題名にもあらわれている。出世作「地上」四部作のサブタイトルは、〈地に潜むもの〉〈地に叛くもの〉〈静かなる暴風〉〈燃ゆる大地〉である。少々おおげさなようではあるけど、まだかわいい。「地上」と併行して刊行されたのが「早春」「大望」「帝王者」の三冊、「地上」四部作完成後となると大正11年の「勝利を前にして」「革命前後」、さらに洋行後の大正12年3月に刊行された帰朝第一作は「我れ世に勝てり」というのだから、(そのエスカレートぶりは)なんともすごい(としかいいようがない)。
ときの皇太子裕仁親王(昭和天皇)のあとを追うようにして、文学界の帝王を自認する島田清次郎が渡欧したのは大正11年4月下旬であった。外遊は太平洋航路でまずアメリカに渡ったのであったが、その船中で同郷の外交官夫人に言い寄り、キスを迫って手厳しくはねつけられたというゴシップ報道がもたらされた。これが転落の序曲であった。この洋行前に清次郎はひそかに結婚を済ませていた。妻となった人は、山形の鶴岡高女を出た素封家の娘小林豊子(本名は豊)。「地上」に感動した豊子が送ったファンレターの美しい文字が清次郎の目に留まったのが、豊子にとっては運の尽きとなった。いくどか文通を交わしているうちに、封入されていた豊子の写真を見た清次郎は、即座に結婚を決意したのである。
大正11年正月2日、豊子に求婚するため清次郎は単身、鶴岡に乗り込んだ。清次郎は洋行前に式だけでも挙げておきたかったのである。清次郎の一方的な都合である。清次郎と文通していることさえ家人に打ち明けていなかった豊子は、切羽詰まって姉に相談するしかなかった。まだ18歳の乙女は、ただ非現実的に結婚を夢見るような文言を書きつけていたにすぎない。とはいえいま人気絶頂の文士をむげにはできない。慌てた小林家では当主になっていた長兄と姉が急遽、近場の温泉宿に非常識な来客を迎えることにした。苦虫を噛み潰したような長兄の顔がゆるんだのは、清次郎が暁烏敏(あけがらすはや)の愛弟子であるばかりか、その推輓(すいばん)によって世に出たことを知った時からであった。熱心な仏教徒の長兄は暁烏敏を崇敬していた。
ところが、杉森久英「天才と狂人の間」のこの後の描写は、外交官夫人事件(これは現実に大きく新聞報道されたのだから間違いのない事実であったろう)がさもありなんという連想を誘うものである。豊子の兄と姉が風呂に入っている隙に、清次郎はやにわに豊子に襲いかかって、はっきりと自分のものにしたと書かれる(これらの場面は創作ではなく、事実なのか)。というのは作者はこの小説を書くために、それぞれ該当者たちに会って取材をしている節がみえるからである(当然豊子にも)。
金沢のこじんまりした借家での母みつを加えた三人の生活が始まった。しかし「地上」の作者の実態はあまりに想像とはかけ離れていた。清次郎の自分勝手な強引さはいたるところに暴力的にあらわれ、愛情さえ感じられず、姑との生活習慣もちがい、失望と苦痛だけの結婚生活だった。清次郎の洋行のみを心待ちに暮らすありさまだった豊子にとって、外交官夫人事件はとどめとなった。もはやこれまでと、豊子は実家に舞い戻る。だがそのとき豊子は身籠っていた(註)。(註・生まれたのは男児でのち早稲田大学在学中二十歳で事故により死亡した。未入籍だった清次郎は認知しなかったという。)
豊子の前に清次郎が熱を上げていたのは、堺利彦の令嬢真柄(まがら)17歳であった。「地上」をいち早く激賞してくれた堺利彦の家に出入りしては、真柄に指輪を贈ったり、艶書を送ったりして縁談を迫ったのであったが、老獪な堺はうやむやにしつづけるばかりか、最後には無頼漢を差し向けてきたことでさすがの清次郎もあきらめるしかなかった(堺から拒否されているということにうぬぼれの強い清次郎はまったく気づいていなかった)。「島田清次郎にとっては、理想の女とはいつも、身分の高い、豊かな、そして華やかな女であった。そういう女を手に入れるためにも、彼はどうしても偉い人になる必要があったが、逆に言えば、そういう女を手に入れること自体が、彼にとって偉くなる一つの道であった」 「島田清次郎はあらゆる点において早熟だったが、特に女性に関しては子供のときから特別の才能の持ち主だった」 小学、中学のころからひっきりなしに女生徒に目をつけていたと作者は書いているが、名前が出てくるのは初恋の女性和歌子と真柄、豊子であり、あとは芸妓たちである。
大正12年は関東大震災の年として記憶される。この年4月13日の夕刊は一斉に砂木海軍少将令嬢良枝(19歳。本名は舟木芳江)誘拐、凌辱、監禁の記事を載せた。検挙されたのは文士島田清次郎(24歳)。その日は、皇太子裕仁親王が葉山御用邸へ行啓される予定であったために、葉山署が厳重な警備体制をしていた(これが不運であった)。その逗子駅で清次郎と良枝は不審訊問を受け、例の島田清次郎を知らぬかといった高飛車な態度が警察官を刺激したうえに、二人が泊まった旅館の宿帳にも清次郎は知人の弁護士の名前を書き入れていたことが判明、氏名詐称で拘引されたのである。医師の診断によると良枝の体のあちこちに傷が見られ、当の良枝自身も不法監禁、強姦、窃盗(註)の陳述をした。やがて砂木家は島田清次郎を告訴する。(註・良枝の財布の金15円を逃がさないようにするために抜き取ったと供述した。)
良枝と親しくなったのも、「地上」を読んだ文学少女良枝が清次郎に何度か手紙を出したことによってであったが、急接近する条件がそろっていた。良枝の兄二人はともに小説家であり、砂木家は金沢出身で、良枝の父親はその成功者であった。告訴となれば、清次郎にとっては大ピンチである。そこで清次郎は文壇の長老徳田秋声に事態収拾を依頼する。秋声は金沢の出身であるうえ、砂木兄弟も顔見知りであった。秋声にとって驚きかつ不思議だったのは、このとき清次郎があくまでも良枝と結婚が出来るように取り計らってくれ、と懇願したことだった(このような事態に立ち至って正気の沙汰とも思えない)。秋声の仲裁に一応、「考えておく」とは答えたものの、砂木家の腹は決まっていた。世間から寄せられた投書はいずれも、「島田の前身や、平素の品行や、誇大な言辞を列挙し、この際法律に訴えて、この背徳漢に社会的制裁を加えよと激励していた」からであり、「新聞もまた競って彼の旧悪をあばき立てようとし、堺真柄への失恋や、小林豊子との破婚や、渡米船中における林田総領事夫人との醜聞まで今さらのように持ち出して、彼を非難し」ていたからでもある。
秋声のせっかくの交渉は無駄骨となったが、逆に、腹をくくった秋声は腕利きの弁護士を紹介する。この窮地を救ったのは清次郎が大事に持っていた良枝からの幾通かの手紙であった。良枝の手紙にはすでに二人の間に男女の関係があり、逗子行きも合意の上であったことが示唆されていたからであった。国民新聞社社長徳富蘇峰の証言も有力に働いた(蘇峰も「地上」を最大限の評価を与えてくれた言論人である)。蘇峰はそのころ逗子の別荘から東京に通っていた。逗子の旅館で清次郎たちに結婚の媒酌を頼まれていたというのだ。清次郎が良枝からの手紙を土壇場まで公表せず、秋声に結婚依頼を嘆願した事情もこれで了解がついた。(しかしこの「天才と狂人の間」には国民新聞の事件記事が引例されている。社長の蘇峰は自社の誤報をそれまで静観していたのだろうか?)
形勢はこれで一気に逆転する。純情な被害者とみられていた良枝は不良娘に転落した。砂木家の告訴は取り下げられ、清次郎が謝罪を表明することで示談が交わされた。杉森久英「天才と狂人の間」には、和解に導くためにある巧妙なトリックを清次郎側がほどこしたのではなかったか、と推理している(興味のある方は本文を読まれたし)。「最初島田に結婚の意志があったことは明らかである。彼は最初の妻小村豊子の場合と同様、相手の肉体に刻印を打つことによって、所有権を明らかにしようと考えたものであろう」とも作者は推量するが、最初どころかあくまでも清次郎の目的は良枝との結婚にあったのである。純情、清次郎の一面。恋は道づれともいう。転落したのは良枝だけではない。島田清次郎その人も、この事件がターニング・ポイントとなって社会的に抹殺されていくのである。これも自称天才の当然の帰結ということであったのか。
ここで一冊の古い小説本を持ち込んでみたい。橋爪健(註)「多喜二虐殺」(昭和37年新潮社発行)。これの〈狂い咲き島清〉という文章は島田清次郎が主人公なのである。副題に実録短篇集とあるとおりに、小林多喜二、林芙美子、宇野浩二、太宰や安吾など、著者がその人物と実際じかに接して書きとめたものなので(又聞きの部分も混じってはいるが)、同時代人としての証言は迫真性がある。以下は〈狂い咲き島清〉からの拾い書き。(註・詩人・作家。一高、東大卒。明治33年生れ。島田清次郎の1歳下。)
そのころ在学中だった橋爪は友人に連れられて、生田長江家へ案内された。生田長江はまだ40歳ほどであったが、ニイチェの超人からとった〈超人社〉という看板をかかげ、文学・哲学青年たちの崇敬を一身に集めていた(註)。そこへ〈生田君、生田君〉と呼びながら入ってきたのが、島田清次郎だった。長江は清次郎を初対面の橋爪に紹介した。橋爪は椅子から立ち上がり頭を下げたのに、清次郎は部屋へ入って来るなりいきなり空いていた椅子にドッカと腰をおろしたままで、〈やあ・・・・〉と低い声で目礼だけを返した。目上の長江を君付けで呼び捨てたり、清次郎の態度は「眼中人なしという構えである」と橋爪は書く。(註・生田長江はハンセン病を患っていた。ニイチェの〈超人思想〉は清次郎も影響を受けた。)
このとき清次郎は新著「我れ世に勝てり」を長江に持参したのであった。〈ずいぶん早く出来たね〉とペラペラめくっただけで、長江は友人に手渡した。かねてより清次郎に反感を抱いていた長江門下の友人は扉をみただけで、物もいわず橋爪にまわした。表紙をめくると、気どったなぐり書きで、〈生田長江君 恵存 世界視察を終えて 島田清次郎〉とあった。長江も友人も一目それを見ただけで不快をおさえられなかったのだろう。清次郎も三人の態度が不満であったのか、〈じやあ、俥(くるま)が待たせてあるから、これで失敬するいずれ近日中に、徳富蘇峰君や吉野作造君(註)などが発起人で出版記念会をやってくれるはずだから、そのときはよろしく・・・・〉と長江に言い置いて、二人には目もくれず部屋を出た。(註・大正期の著名な政治学者、思想家。)
橋爪と友人は見送りたくもなかったが、長江が目くばせをしたのでしぶしぶ後を追った。〈いやに威ばってやがるなあ〉、〈前からあんなふうなんだよ。少々これじゃないかな〉と友人は頭の横に二重丸をかいてみせた。〈島田君もひどく変ったね。はじめて来たときは茶ガスリの着物をきて、腰に手拭なんかぶらさげてね、とてもオドオドした礼儀正しい少年だったが・・・・〉 べつに怒ったふうもなく、平然として生田長江は言った。
このエピソード(実録)を読んで、どういうわけか石原裕次郎のことを思い出していた。渡哲也が日活ニューフェイスとして、当時すでにスターの座にいた裕次郎にあいさつに伺うと、裕次郎は椅子から立ち上がってきちんと自分を名乗り、渡を激励した。奢らない裕次郎に感激した渡はそれ以後裕次郎を慕って、あの鉄則の石原軍団が生れたというまことしやかな話(たぶんホントのことだろうけど)を。たぶん、このことが〈実るほどに頭を・・・・〉のことわざにつながっていったのだろう。
それはともかく橋爪の目をひんむかせる例の事件、令嬢誘拐、監禁の新聞記事がでたのは、それから一か月後のことであったという。これからあとの〈狂い咲き島清〉の記述は、現代の英雄、偶像(いずれも橋爪のことば)清次郎の凋落、敗残の姿が描かれるのだが、そのひとつ、生活に困った清次郎が室生犀星の家を訪ねると、犀星は不在で思いがけず菊池寛がいたので、自分の創作を「中央公論」か「改造」に紹介してくれと頼みこんだ(いくらなんでも「文藝春秋」の社主に)。菊池が唖然とし困惑していると、こんどは金の無心をする。菊池は断わる(註)。菊池君、室井君と年上だろうが構わずに君付けで呼びながらも物乞いをする清次郎。あげくには、清次郎が一度きりしか面識のないはずの橋爪を電話で呼び出し、愛蔵の万年筆を売りつけられた話まで(これもホントのことだろうけど)。(註・苦労人の菊池寛は若い人に対して惜しみなく金を与えていたという。清次郎の非常識がよほど気にさわったのであろう、それでも菊池は可哀そうに思ったのか、気を取り直して随筆であれば「文藝春秋」で預ろうと答えた、と橋爪は書いている。)
橋爪健は清次郎の僧上慢ぶりを嘲笑しながらも、その作品「地上」については「ストーリィの面白さと、今までの小説にない社会性や若々しい筆力などに、私は共感とライバル意識を同時にかきたてられた」と、若き日を回想して率直な評価を下す。島田清次郎を英雄、偶像にまつり上げ、ついには抹殺してしまったのは大衆のモッブ性だという断定には、そのとおりだったろうと同感する。いつの時代においてもマス・メディアに煽られた民衆は無責任なものである。もしこれにつけくわえるとすれば、このあと島田清次郎の身にふりかかる非運に官憲の影はちらついてはいなかったのであろうか、ということである。・・・・それとも島田清次郎の発狂は自業自得であったにすぎないのか。 
3
月刊雑誌「文藝春秋」が創刊されたのは、大正11年の暮れである。その名のとおり最初は文芸誌として創刊された(定価は10銭であった)。創刊号の執筆陣は菊池寛を筆頭に芥川龍之介、直木三十五、小島政二郎、今東光、横光利一等であった。この雑誌ではいろいろな人物を槍玉に挙げるゴシップ欄を設けていた。その恰好の標的の一人が島田清次郎であったようだ。「文藝春秋」の創刊は、偶然にも清次郎の洋行帰国と時を一にしているのである。(付け足しておくと、菊池寛も「地上」第一部だけは認めていた。)
〈兎角(とかく)、新聞が下らぬことまでごたいさうに紹介するのは、にがにがしきことといふべし。新帰朝者島田清次郎クンのミス・マーガレット嬢に対する一方的艶話を写真入で吹聴するなどは、如何にひまな世の中だとて、あきれたことどもなり。聞説(きくならく)、島清君は誇大妄想狂兼◯◯狂的色彩の多分を有すと。・・・・・〉 ミス・マーガレット嬢とは英国劇団の名花で、洋行中の清次郎に熱烈な愛を捧げたという報道が写真付で流されたことを指す(これは清次郎自身が故意に流した見せかけの演出に違いないと作者杉森久英は推察している)。また、この◯◯内に入る文字は明らかに色情であろう。この「文藝春秋」創刊号には〈文壇七不思議〉という記事もあり、〈菊池寛に蔵の立たない事〉と並べられ〈島田清次郎帰朝して尚本心に帰らざる事〉と、その傲慢な性格が野次られている。
〈帝王か馬鹿か低脳かこれやこの知るも知らぬも逢坂の関〉。これは二月号の〈文壇百人一首〉と題されたもので、ののしられているのはもちろん島清君こと島田清次郎である。四月号に載った次の戯文は傑作である。〈世汝(なんじ)に果てよ。一人若き天才あり。地上の余沢(よたく)を以(もっ)て海上に出で、太平洋上波に浮かれて某夫人に火の接吻を強要す。鳩豆を食らふと雖(いえど)も酒々落々(しゃあしゃあらくらく)、妄想は妄想を生みて世界征服となり、恋の優者は更に雄図を西欧の空に望みて遂に我れ世に勝てりとなす。一切の煩悩は是れ大いなる怨なり。活動女優に惚れられたのもこれなん南柯(なんか)の一夢か。時代病はそれ現代日本の流行病。島田清次郎よ、本を書くより金のなくならぬうちに、早く松沢村に行きて静養せよ。葦原将軍は説かん、妄想の識の滅するを名づけて涅槃(ねはん)と為すと。〉(傍線部分原文のまま) 松沢村は精神病院、葦原将軍はそこの名物患者で、こののち清次郎は狂人とみなされ葦原将軍の付き人となるのだから、この時点で戯文の筆者は正確に清次郎の将来を見抜いていたことになる。
話を令嬢監禁事件の騒動に戻すと、告訴取り下げ、示談により法的には一応の決着はついたものの、新聞の論説、論壇、寸評、投書欄や「婦人公論」はじめ女性雑誌などでは婦人の自覚、性教育、風俗と婦徳等のさまざまな意見を載せた特集号が出され、事件の余波はつづいた。島田清次郎の著作を禁書にしてしまう女学校まで出た。「文藝春秋」のゴシップ蘭でも清次郎は餌食にされっぱなしだった。〈島田清次郎 つける薬のない病〉(文壇三病)、〈求処女 マゾヒズムに耐ふる処女、当方天才、月収二万八千円、外印税年二百万円、欧米文芸家全部友人、島田清次郎〉(文藝春秋よろず案内欄)こうなると、中傷も悪意丸出しである。
ところが、事件から三ヶ月も経たぬ7月7日、軽井沢の山荘で有島武郎と波多野秋子の情死体が発見されると、ジャーナリズムの関心はいっきに有島武郎事件へと移っていった。二つの事件を文藝春秋は次のように皮肉った。〈文壇で一番信用のあつた有島武郎氏と、一番不信用であつた島田清次郎君とが、共に恋愛で浮名を流す。これでは文壇人の対女性的信用は一時中絶といふべし〉。それでも、島田清次郎の無実は証明され名誉は回復されたはずであったが、なぜか原稿の依頼はぴたりと途絶えた。気にかからないでもなかったが、ふたたび東京金沢を行き来しては温泉にこもったりしながら、「我れ世に勝てり」の続編を書き溜めていった。持ち金のほとんどを洋行と弁護費用で使い果たしていたこのとき、収入は印税だけになっていた。新著を出せばまた売れるだろう。清次郎はしかしまだ楽観視していた。やがて思いのほか自著の売れ行きが鈍り、印税の残りも少なくなっているのに気づいた清次郎はあわてて、「生活をもっと引き締める必要がある」のを悟った。
その矢先、大正12年9月1日正午に関東大震災が発生した。東京は火の海となる。震災は清次郎に決定的な打撃を与えた。清次郎は15日まで惨状を見てまわり東京にいたが、いったん金沢へ引き揚げ(この途中で大杉栄惨殺事件を知った)、長編を10月に完成させる。それに「大動乱」という題をつけた(註)。清次郎は原稿をさっそく新潮社に送った。新潮社の前年新築したばかりの社屋はひび割れ一つ入らず、完全に機能していた。が、思いもかけないことに原稿は返送されてきた。「大動乱」は、内容上は「地上」の続編となる第六巻に当たる作品である。「地上」を一貫して出版したのは新潮社なのである。しかも新潮社の新社屋は「地上」の売上げによる莫大な利益で建てたと噂されたくらいであったにもかかわらず。「しかし新潮社は実は、島田清次郎にとっくに見切をつけていた」のである。(註・「新しき太陽よ」としている書もある。)
「この作を返されたことは、島田清次郎にとって二重の打撃だった。第一に経済的打撃である。新聞、雑誌の短編や雑文の収入を失った彼にとって、長編の単行本の印税は唯一の収入の道である。これを閉ざされたことは、実生活上の死を意味する。第二に精神的打撃である。〈改元〉(註)は〈地上〉の続編であり、彼の作家活動の根幹を為す労作である。それを拒否された事は、文学者として死を宣告されたに等しい」 と作者は書く。以下杉森久英の文章を拾い上げていく。(註・「改元」は「我れ世に勝てり」その続編、のちに改題される「大動乱」に付けられた総題名。)
清次郎は血相を変えて手紙(新潮社返送文)を破り捨てると、何か意味のわからない事を叫びながら、部屋の物を手当たり次第に投げ散らし、戸障子を蹴破り、ガラスを叩き割った。母みつが顔色を失って逃げ出す。近所の人が駆けつけ取り押さえる。そのあとに恐ろしい沈衰が来た。幾日も口を利かず、じっと机に向かったまま、何事か考え込んでいるきりである。顔も洗わず、髯も剃らず、風呂にも入らないので髪は乱れ、悪臭を発した。が、読書の習慣だけは変らなかった。
大正13年になった。どこからも原稿の注文はなく、一文の収入もなく、一人の訪問者もなかった。印税はすべて貰いきっていた。前借り、借金の申し込みに応えてくれる出版社はどこにもなかった。もはや愚図愚図してはいられない。金策に上京する。新聞社、雑誌社、出版社を訪ねても、冷たく慇懃(いんぎん)に追い返されるのみである。宿賃は払えなくなり、電車賃にも事欠いてくる。徳田秋声、加能作次郎、中村武羅夫(新潮社編集長)、吉野作造、菊池寛などの家々を訪ねまわり金や宿泊の無心を繰り返したが、すぐにていよく追い出された。ときには野宿せねばならなかった。
血と泥にまみれた姿(註1)で、挙動不審者として逮捕されたのは、7月30日未明であった。ただちに精神鑑定され、早発性痴呆症(精神分裂病)と診断され、翌日保養院に収容された。島田清次郎25歳の夏である。大正14年1月警視庁衛生部は、清次郎の母みつに宛てて入院費用の請求を通知したが、みつにその支払能力がないのがわかると、国庫負担の公費患者に切り換えた。そのころ精神病院の清次郎は首相田中儀一や文部大臣、検事総長、あるいは高橋是清、尾崎行雄、徳富蘇峰などに自分が不法監禁されている旨の釈放嘆願書を送っていた。その文部大臣への文書が「天才と狂人の間」に引用されているが、これをみると確かに狂人が書いたものだと思わざるをえない。完全な被害妄想症状である。しかしながら、島田清次郎は〈佯狂(ようきょう)〉(註2)だったのではないか?との説をとなえる人もいる。(註1・帝国ホテルへ食事に入りトラブルとなってボーイに叩き出された。註2・狂っているふりをすること。)
昭和5年になると、病状はだんだん快方に向かった。言語動作は正常人とかわりなくなっていたが、肺結核が重くなっており、働くことはむりであろうとの判断にて退院は見合された。「ときどき新聞や雑誌、自著『我れ世に敗れたり』(註)のページを繰ったりして、思いに沈んでいたが、そこには往年の傲岸不遜の影は微塵もなく、ただ打ち挫(ひし)がれた者の淋しい姿があるばかりだった。彼は医員に対しても、同僚の患者に対しても、ただただ謙遜で、丁重で、お辞儀ばかりしていた」 「昭和5年4月29日午前5時、彼は病状が悪化して死んだ。精神界の帝王を以て自ら任じた彼の亡くなったのが、現実の地上の帝王の誕生日(昭和天皇のこと)と同じだったのは、皮肉なことだった・・・・もうすぐ満州事変がはじまろうとしていた」 と「天才と狂人の間」を杉森久英は結んだ。(註・「大動乱」が改題され、大正13年暮に新潮社とは別の出版社から刊行されていた。)
「石川近代文学全集」(第四巻)にある島田清次郎の年譜には、「我れ世に敗れたり」は「新しき太陽よ」の題で刊行される予定であったとあり、死亡時間は午前9時となっている。さらにこの年譜で重要なのは、入院後の清次郎が大正14年以降に書かれたと推定される多くの原稿を残していた、とあることだ。うち六篇の詩は偽装入院したダダイストの詩人が清次郎と接触をはかり、原稿を入手して雑誌に公表したものだという(すごいことをするものだ)。ねんぷには「清次郎は健在ではないかとの話題を読んだ」と書かれている。この六篇の詩以外にも原稿はあったのである。
その最後のものと思われる原稿には「母と子」という題がつけられ、昭和5年2月11日の日付が付され、病気のため(結核のことか?)一時擱筆(かくひつ)するとの後書きがあった。「母と子」の末尾の文章は、「さて、寂しい下宿の一室に清楚な幾月かを過ごすうちに、七月、彼の処女新書『土地』第一巻が出版された。彼は今は、一人の新進作家であった。著名な批評界の権威は彼の新しい作品を、ジャンクリストフに比べ彼をロマン・ロランの器だと評した」と、つづられていたことが紹介されている。
どういう想いで、島田清次郎はこの文章「母と子」を書いたのだろうか。あきらかにこれは「地上」が世に出たときを回想したものである。狂ってもなお、天才気分は抜け切れていなかったのか?またふたたび世に出ていく野心が残っていたのか?それとも「地上」が出版されたころを、そして多くの評論家から賞賛を浴びたころを単純になつかしんでいただけなのか?根っからの作家であることを自己に確認をしていたのか?「母と子」のはかない人生を追体験しようとしていたのか?それとも・・・・。「天才と狂人」の心中ははかりがたい。ほんとうに島田清次郎は気が狂っていたのか?との疑念にあらためてとらわれるのである。
清次郎の母みつは、清次郎の死の二年後の昭和7年1月、55歳で世を去った。「天才と狂人の間」は島田清次郎の実名評伝ではあるが、ノンフィクションではなくあくまでも小説である。息子が狂人となってしまったあとの母の心情は次のように書かれる。「代書人をやっている弟(清次郎を金沢商業に入れた兄のこと)家に身を寄せ、仕立物の賃仕事をして生計を立てた。彼女にとって流行作家の母親としての四年間は夢で、覚めてみれば、今の貧しく淋しい生活が常態であった。彼女は毎週一回、懇意な人からもらう割引券で、近くの映画館で西洋映画を見て、石黒ファーマシーという近代風のしゃれた喫茶店で、新しく発売された清涼飲料カルピスを飲むのが、唯一のたのしみだった。しかし考えてみると、清次郎の全盛時代にも、彼女はそれほど栄耀栄華の生活をしたわけではなかった。息子は母を物見遊山につれて行くわけでなく、温泉へ行くのも、うまい物を食べにゆくのも、ひとりであった。彼は母親の田舎臭い姿を恥じて、来客には手伝いの婆さんのように取り繕うこともあった」 「彼女の息子はもうはっきりした病人で、再起の見込みがないかわりに、これまでのようにはらはらさせられたり、水火の責苦を味わされたりすることもないと思うと、かえってほっとするのだった」
昭和2年に自殺した芥川龍之介は、一高以来の友人であった菊池寛によって昭和10年、芥川龍之介文学賞を創設された。いまや文学には縁のない人でも芥川賞を知らない人はない。かたや、島田清次郎にもその名を冠した文学賞がある。芥川賞の華やかさとは比較にならないけれども、清次郎の故郷美川町(現白山市)が没後半世紀以上も過ぎた平成6年’1994)に制定した島清(しませ)恋愛文学賞である。これは恋愛文学だけを対象としたユニークな賞である。すでに今日、第20回を数えているのであるが、受賞者の名前をみると圧倒的に女性が多い。恋愛小説の名手である高樹のぶ子、小池真理子、江國香織など・・・・。
島田清次郎と恋愛文学・・・・彼の生涯を見わたしてみれば、その女性スキャンダルなどからしてまるで似つかわしくないような、彼の代表作「地上」を蒸留、純化したならば破れた初恋だけが切なく残る・・・・そう考えれば、とても似つかわしいような。複雑なものがある。この文学賞に、市内に居住、もしくは通学する小、中、高生の作品が対象になるという島清ジュニア文学賞が併設されていることはこれもユニークでほほえましい。この賞をつうじて郷土が生んだ文学者の事績を学ぶ(知る)ことは、少年少女にとって意味あることのように思えるからだ。島田清次郎はいうならば社会的破綻者、敗残者である。市井(しせい)にあふれる功成り名を遂げた偉人の伝記よりも、敗残者の方がはるかに人生の真実足り得ることもあるのではないか。
芥川賞、谷崎賞、川端賞、大佛賞、三島賞、大江賞、いずれも大文豪の名前に権威づけられた文学賞ぞろいのなかで、島清文学賞のみはうずもれた文学者の名前を語って、やはりユニーク極まる。そういえば、金沢には泉鏡花文学賞というのもあった。これも、ロマンの香気漂う作品を対象にしたユニークな賞である。加賀百万石の文化はこの分野でも独特の光沢を放っているようだ。 
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石川出身の文学者といえば徳田秋声、泉鏡花、室生犀星がたちどころに思い浮かぶであろう。ビッグスリーである。ほかに加能作次郎、藤沢清造、深田久弥あたりが多少は知られているのだろうか。(現代作家では唯川恵と本谷有希子が生粋の金沢人である。二人は島田清次郎が通った旧制金沢二中、今の金沢錦丘高校出身だから清次郎の遠い後輩にもなる。桐野夏生も金沢生れのようだ。) 島田清次郎と関わりがあったのは、秋声(明治4年生れ)、作次郎(18年生れ)、それと犀星(22年生れ)である。島田清次郎の伝記にはなぜか鏡花(6年生れ)は出てこない。藤沢清造(22年生れ)とは接点がなかったようだし、後年の山岳作家深田久弥は(36年生れ)清次郎より4歳年下であった。
再度、杉森久英「天才と狂人の間」の冒頭を引用すると、「島田清次郎が自分自身を天才だと信ずるようになったのは、彼があまりにも貧しくて、父親もなく、家もない身の上だったからにちがいない。・・・・彼がもし、生まれながらの貧者だったならば、そのような考えを起こさなかったかもしれない」というものであった。卓抜な書き出しである。母子家庭に育った清次郎はたしかに貧乏ではあった。とはいえ、祖父の羽振りが良かったころは廓という劣悪な環境ながらも、けっこういい暮らしをしていたようだ。だから中学にも進学できた。
清次郎より数倍も悲惨な境遇だったのは室生犀星である。自伝や年譜によれば、犀星は63歳の父親が妻の死後、女中に手をつけた子となっているが、研究者によっては異説もあるようだ。生れるやいなや、犀川ほとりの寺の住職(室井姓)と内縁関係にあったハツという女に預けられた。ここで照道と名付けられた。ハツは養育費めあてに貰い子を育てる大酒のみのバクレン女(あばずれですれっからしのこと)だった。新参の犀星を入れて、血のつながらない兄弟姉妹は四人いた。
小学校入学の前後から掃除、洗濯、炊事、使い走りの毎日がつづく。ハツの命令に背くと、容赦のない折檻が待ち受ける。利かん気だった犀星は、反抗心から勉強嫌いで強情っぱりの暴れん坊として、ハツだけでなく小学校の教師からも憎まれ虐待された。わずかな慰めは住職の養父と、のちに娼婦に売られていった義姉のやさしい心づかいであった。9歳のとき実父が死亡するや、実母は姿を消したことを聞かされたが、その後も会いまみえることはなかった。
それでも高等小学校には進学しているが、最劣等の成績となり落第、怒ったハツは退学届を出す。後年の文豪は小学校さえ満足に出ていないのである。犀星は裁判所に給仕として勤めさせられる。2円50銭の給金はハツの飲み代に消えた。犀星はまだ12歳に過ぎなかった。ところが、この裁判所で上司から俳句の手ほどきを受けたのが、文学開眼につながっていったのだから、人生万事塞翁が馬である。
教師になぐられ、ハツに叩かれ、〈大きくなったら・・・・〉、〈もっと大きくなったら・・・・〉と犀星が心の底深く思い定めるところなどは(「少年時代」)、〈偉くならなければ・・・・〉と「地上」の主人公(すなわち清次郎)が己に誓う痛切な願望と相通じるこの世に対する憤怒、少年の日のやるかたない憤(いきどお)りであったろう。犀星の育った寺と清次郎の廓はわずか50メートルほどの距離にあり、犀星の顔は清次郎も子供のころからよく知っていた(年齢は10歳ちがう)。したがって二人は小学校もおなじである(清次郎は首席で卒業した)。
その犀星がいまや新進詩人として中央文壇に認められ、金沢と東京を往復していたのである。そのころ文学に目覚めていた清次郎は、自作が載った同人雑誌を足しげく犀星の家に持参しては、ときに紅茶を馳走になりながら文学談に耳を傾けていた。大正3、4、年、清次郎15、6歳の頃である。しかし作品を読んでくれていたのかどうか、はかばかしい反応をまったく見せない犀星(の態度)に清次郎は落胆した。時は過ぎて、「地上」が爆発的に売れ、受け取った印税の額が十倍の差がついたことにより、そのときの小さな復讐を果たし溜飲を下げたことはすでにふれたとおりである。
驕る清次郎は久しからず、急失墜し文学史からも葬り去られ、なりふり構わず闘争心むき出しで精進した犀星(註)は、誰もが知る文豪となったというめぐり合わせも絶妙なものがある。禍福はあざなえる縄のごとしともいうが、これは(「天才と狂人の間」の)さきに引用した冒頭部分に照らし合わせると、犀星が生まれながらにしての貧者であったから、清次郎とは決定的に異なる結果となったということであろうか。(註・犀星が特にライバル視したのが同じ詩人から出発、小説家となった佐藤春夫であった。終生のライバル春夫は、しかし、犀星の葬儀で弔辞を読んだ。)
結末の悲惨さということになると、島田清次郎は藤沢清造と似ている。藤沢清造といっても長い間文学史に埋もれていたのを、芥川賞作家の西村賢太が(よほど気に入ったのだろう)日の当たる場所にひっぱり出して来て、必ず藤沢清造全集を刊行すると意気込んでいる昭和初期の貧乏作家である(西村が持ち上げたことで、藤沢清造の小説が二冊も新潮文庫に復刊されたというのは、清次郎も羨ましい限りであろう)。藤沢清造(犀星と同年生まれ)が東京芝公園にて凍死体で発見されたのは、昭和7年2月のことであった。42歳。日本文学史上、唯一の行路病死者である。清次郎も藤沢清造のような末路を迎える可能性は多分にあったのである。(註・窮死というよりも、酒に酔っての事故死だったという説もあるようだ。)
島田清次郎の女版は清次郎の四年後に生れた林芙美子であろうか。芙美子も6歳にして実父に捨てられ、母親と行商をしながら貧しい少女期を過す。それでも尾道で女学校にすすみ、初恋の男性と婚約までするが、男性の両親に受け入れられず関東大震災に遭遇。数人の男性と同棲をくりかえしつつ、発表したのが大ベストセラー「放浪記」である。その印税で中国大陸や欧州大陸をめぐり、邸宅を建て、戦前戦後にわたって流行作家としてはなばなしく活躍中、無理がたたって昭和26年に急逝した。47歳。
「放浪記」以後の芙美子は、自分に利がある者には媚態をみせ、そうでない者には目もくれない、有望新人が出てくると露骨に邪魔をしたり、とかく傲慢な態度が目立ったことが証言されている。しかし、小さな体に漲る持ち前のバイタリティでジャーナリズムの荒波を乗り切りつづけた。もし清次郎が失脚しなかったらさもありなんといったところであろうか。「天才と狂人」という意味では、芙美子より岡本かの子(犀星と同年生まれ)のほうがより近いのかも。この遅咲きの大輪は晩年(やはり過労により49歳にて急死)のわずかな期間に、矢継ぎ早の傑作を量産したのであるが、その生涯は狂気を含んだもののように思われる。
ついでに現代の作家に、島田清次郎タイプを(強いて)求めるとすれば石原慎太郎はどうであろうか。「地上」と「太陽の季節」とでは、まったく正反対の小説であるには違いないけど、若者に衝撃を与え流行となって支持された点においては似通っているのでは。それに慎太郎も文学だけではあきたらずに政治の世界に進出した。清次郎も挫折なくばやがては政治家になっていたのではないだろうか。文壇へのあざやかな登場は、「日蝕」の平野啓一郎ということに。自作を直接出版社(どちらもたまたま新潮社だった)に売り込み、その異才が注目され、たちまち芥川賞に。母子家庭というのもおなじだ。
いやいや、清次郎は武者小路実篤のビンボー版かもしれないとか、妄想はとめどなくひろがり・・・・話はとんでもない方向にそれていきそうなのでもう止めよう。実をいうと「天才と狂人の間」は河出文庫で読んだ。が、念のためにと思って図書館で単行本を借り出してみると、思いがけないことに、それには作者杉森久英の〈島田清次郎と私〉という〈あとがき〉が付いていた。こういうあとがきは作品の評価とは何の関係もないものであろうが、素人の読者にとってはありがたいものである。
「島田清次郎のような狂気の人ー文豪でもなければ大家でもなく、いわば出来損ないのような人物の調査に熱中する気持ちがわからない」といういろいろな人からの疑問(を受けたようだ)に、作者は〈あとがき〉に答える。ひとつは杉森久英自身が石川能登の出身であるうえに、清次郎とおなじく没落した家に生れたからである、と。さらには、杉森の祖父には三人の妾がいたけど、みな花柳界の出の人であった。杉森が直接知っているのは、三人目の妾でこの人は士族の娘であったのに零落して花柳界にいたところを、その母親ともども杉森家に入ってきた。杉森の実祖母は杉森が生れた頃に亡くなっていた。しかし終生、籍には入れてもらえなかったという。杉森はこの人を〈ちんこおばば〉、この人の母親を〈でかおばば〉と呼びながら大きくなったとあるが、何だか笑いがこぼれる。
杉森の母は、明治の新しい教育を受けた職業婦人(教員)であったので、この人親子とそりが合わずことごとくにぶつかった。そのはざまで杉森は10歳のころまで、「昼は花街出の人を祖母と呼び、夜は固くるしい女教員の母に抱かれて育った。私は暖流と寒流の間に住む魚のように、知らず知らず両方に馴らされて成長したような気がする」と、これも絶妙の表現で回想する。ともかく、この人親子たちの(花柳界特有の)脂粉の匂いを嗅いで育ったことによって、金沢の廓で少年時代を過ごした清次郎への親近感を持つことになったというのだ。
さらに不思議なまわり合わせなのは、「大正7年夏、金沢で窮迫のどん底に落ちた」清次郎が、郡役所の雇員となって七尾へ来たとき、小学一年生だった杉森はその郡役所の前庭が毎日の遊び場になっていた。清次郎は「玄関わきの窓口に座って、来訪者の応対や郵便物の受付の仕事をさせられていたというから、私は日に何回も、彼の視野を横切って走り廻ったはずである。もちろん私は、そこにいる傲岸な青年が、翌年にはすでに『地上』によって天下に名を成すことに予定されている人とは夢にも知らなかったし、彼はまた、そこにあばれ廻っている悪童どもの一人が、後年、物好きにも彼の生涯の記録を綴ることになろうとは思わなかったろう」
因縁はまだあった。大正12年春、10歳になっていた杉森少年はようやく字を覚え、父の読みのこした新聞を読むのが楽しみになっていた。そこに載っていたのが清次郎の惹き起こした令嬢誘拐事件である。令嬢の〈砂木〉(実際は舟木)姓が、二人の〈おばば〉の会話によく出てくる苗字だったので覚えがあった。〈おばば〉たちはそのころには、杉森の母親と決定的な衝突を起こして一緒に住んではいなかったので、〈砂木〉のことを聞き質すこともなくそのうちに忘れ去っていた。
そして「天才と狂人の間」を書くため島田清次郎のことを調べているうちに、少年の日のことをふと思い出し〈おばば〉たちの話が気になった。父親に確かめると、〈砂木〉は〈でかおばば〉の生家の苗字だとわかり古文書に当たって調べるに、〈砂木〉姓は金沢に一つしかないこともわかった。「私がなぜ島田清次郎に執着するかの一つの理由も、相手の人の苗字が、子供のとき余りにもたびたび聞き馴れた砂木姓だったからではないかと思いついた」 と、島田清次郎に関心を持った理由が簡潔に述べられる。ここまではいい。
さて、その杉森があらためて当時の新聞を読み返した感想。「郷里の成功者としての砂木少将(令嬢の父)の社会的地位に敬意を払い、島田を成り上がり者として不当に貶(おとし)めようという底意が働いているように、私には感じられた。どの記事も、軍人は国家の干城で、文士は放蕩無頼の徒という大まかな常識の上に立って書かれているように見えた」 あの少年の日から三十年が経過して、杉森は文士になっていた。
河出文庫の「天才と狂人の間」を再読しながら、ずっと気にかかっていたことが次に書かれていた。「もしかしたら、島田は狂人ではなかったのかもしれない。狂人だ、狂人だという声に押し流されて、抗弁の機会も与えられず、生きながら葬られてしまったのかもしれない・・・・そんな考えさえ浮かんだ」 その見識で以って、「小説 島田清次郎」を〈中央公論〉に発表した。時期をおなじくして、「地上」が吉村公三郎監督によって映画化され、(そのおかげで自分の)小説は小さな反響を呼んだとあるので、杉森が清次郎が狂人ではないと考えていたのは昭和32年前後のことであろう。
当初、杉森久英も本当は清次郎がはめられたと考えていたのだ。なのに「小説 島田清次郎」の三年後に発表した「天才と狂人の間」の清次郎は明白に狂人と設定されている。このズレは?「天才と狂人の間」は史実そのままではない、小説なのだから、小説にふさわしいようにフィクションを加え、清次郎を狂人として描いた(のだろう)。〈あとがき〉のこの部分を読みながら、とっさにそう了解していた。
問題はこのあとである。杉森はすぐに前言を翻(ひるがえ)す。「しかし私はまもなく島田は狂人でなかったばかりか、まぎれもない狂人で、砂木家こそ気の毒な被害者だったと知り、冷汗の出る思いをした。私はそのまま島田清次郎を調べるのをやめようかと思ったが、もうすこし突っ込んでいろんな事実を明らかにしてみたいという気もした」 「生前の彼を知っているという人があれば、努めて会って話を聞き、住居の跡を訪ね、日記や資料を探して歩いた。本文に登場するいろんな人のうち、現存する人の相当部分は、私が直接会って話を聞いた人である。ただごく少数の人については、私はその人たちの心を傷つけることをおそれて、わざと訪ねなかった。たった一人の婦人だけは、私は渋りがちな自分自身を引き立てるようにして訪ねた」
どうにもわかりにくい文章である。なにゆえ、前文を翻したかの理由が明言されていないからである。なぜ、冷汗となったのか、が。たった一人の婦人とは被害者(?)の砂木嬢であるだろう。この人の証言が杉森の予想をくつがえさせたというのだろうか。つまり令嬢の清次郎に寄せた手紙が公開されて、事件は両者合意の上であったということで決着がついたが、それは清次郎側の巧妙な手口によってであった。事件から30年以上ものちに訪ねた杉森は、この婦人の証言を聞くうちに、砂木嬢こそがこの事件の被害者であったと確信した(小説もそう書かれている)。だから、清次郎は狂人だったという結論になったのか?
別の資料に当たってみると、石川近代文学館発行所収(第6巻)の「天才と狂人の間」の作品解説には、〈島田清次郎が精神異常ではなく、革命思想を抱いていたので政府が警戒して入院させたという噂を昭和30年頃井伏鱒二より聞き興味を持ち、調査を始める〉とあるのが目を引く(昭和30年は杉森43歳)。年表の昭和32年の欄にも一行、〈1月10日頃、北国新聞社の書庫で島田清次郎の記事を写す〉、この年、「小説 島田清次郎」を発表。昭和35年、「天才と狂人の間ー島田清次郎の生涯」を雑誌「自由」に連載。翌年、単行本にするため、長野白馬村の民宿に四十日間籠もり最終手入れをしたと記載されているだけである。いったいどういう理由で、杉森久英が島田清次郎に狂人の診断を下したのか、やはり不明である。
島田清次郎は本当に狂人だったのか?そうでないと言い切れる証拠はなにもない。清次郎が「地上」で世に出た大正8年から精神病院に隔離されたまま死亡した昭和5年という時代は、自由に目覚めた人心(労働者階級)と治安維持法を背景とした国家弾圧とのせめぎ合いの時代であったといっても過言ではないだろう。そのような世相のなかで、島田清次郎がその小説その言動などから危険人物とみなされていたとしても、清次郎の昂る自尊心を利用して狂人に仕立て上げ隔離する絶好の機会を当局がねらっていたとしても、何ら不可思議なことではあるまい。
なお、「天才と狂人の間」は昭和37年の直木賞受賞作(第47回)である。杉森久英は明治の最終年45年生れ(1912)。父親は地方役人であった。金沢四高、東大国文科卒。教員、出版社(中央公論、河出書房)などを経て、41歳で文筆業に。芥川賞、直木賞に一度ずつ候補に。受賞は50歳。生涯に多くの伝記文学を残した。平成9年没。84歳。「天才と狂人の間」が河出文庫に入るとき、〈あとがき〉を削除したのは杉森の意志であったのだろうか。そうだったら仕方ないが、こういうものは文庫になっても残して欲しいものだ。
それにしても伝記小説での直木賞はめずらしい。銓衡会では伝記か小説か、伝記が受賞対象になるかどうかが問題にされたようだ。伝記小説の受賞では、のちに古川薫「漂泊者のアリア」がある。この方の主人公は国際的オペラ歌手藤原義江なのだが、藤原は明治学院で清次郎の一年上に当たり、清次郎が渡欧したときロンドンに在住していたまだ無名時代の藤原義江と意気投合、連夜遊び歩いたエピソードが「天才と狂人の間」に挿入されている。奇しくも、直木賞受賞二作の伝記小説は明治学院つながりだった。因縁というものは意外と、どこにでも転がっているようである。 
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島田清次郎の自作自演ともいうべき(?)劇的な生涯はいくつかの小説の題材にされた。既述の佐藤春夫「更生記」や橋爪健「狂い咲き島清」、徳田秋声「解嘲」、正宗白鳥「来訪者」。漫画にもなっている。森田信吾「栄光なき天才たち」という実録シリーズ物の一冊、〈我れ世に勝てり/日本近代文学史から抹殺された男・島田清次郎〉。
まだほかにもあるようだが、このたび目をとおしたのはこれだけである。いずれの小説(橋爪を除いて)も令嬢監禁事件のその後が描かれている。秋声も白鳥も自然主義私小説作家なのでその描写はリアルであるし、特に秋声は直接事件の収拾に骨を折っただけに「解嘲」は興味深い内容となっている。春夫の「更生記」は事件に巻き込まれた令嬢を中心に据えて、作家の想像力とはこのように働くものかということを見せつける構成はさすがに巧みである。
春夫、秋声、白鳥の小説は、日本文学の大家なのでそれぞれの全集本にて読むことができたが、肝心の島田清次郎の著作となると、わずかに石川近代文学館発行の郷土作家集第四巻(この巻には四人の作家が収録されている)で、「地上」第一部と処女作だといわれる短篇「若芽」を読めただけである。図書館にもないベストセラー作家というところであるが、その作品は大正時代のものなのでやむを得ないのかも(こうしてみると、西村賢太が藤沢清造全集刊行に執念を燃やしているのが神々しく思えるほどだ)。
そもそも島田清次郎という作家の名前を知ったのは、河出文庫の「天才と狂人の間」を読んだのがその最初であった。どういう動機で買い求めたのかも昔のことで忘れ去っているが、たぶんタイトルに惹かれてのことだったろう。杉森久英の「苦悩の旗手 太宰治」というのを読んだ記憶があるので、著者名と題名をくっつけて手にしたのかも。手元の文庫本が1994年の初版となっているので時期はそのころであったのか。いずれにしても「天才と狂人」は、凡人にとって興味深々だったろう。さらに「間」とあるのは、いわゆる〈紙一重〉のことを書いているのにちがいない、そう思ったのであろう。
インスピレーションという英語は芥川龍之介つながりで(芥川本人が自著にその英語を用いていていたのか、芥川を評する文章にだれかがそう書いていたのか、やはり思い出せないけど)、覚えた。普通、霊感、閃きなどと訳されるインスピレーションとは、天才のみの領域に属する特別な知覚なのだと思い込んでいた。この言葉にからめられてそれからずっと、その出生、その頭脳、その作品、その風貌といい、またその生涯も相俟(あいま)って、天才といえば芥川龍之介だとの固定観念が生じていた。母親が狂人であったのもいっそう拍車をかけていたのだろう。子供のころ、だれに言われたともなく覚え込んでいたことば、〈天才と狂人は紙一重〉。それだから、芥川龍之介は自殺した、と。
島田清次郎は文学界に出現した二人目の天才であった。当時、「天才と狂人の間」を読んでどんな感想を持ったのだろう。この成功と破滅の物語に強烈な印象を受けたのはまちがいない。すぐさま「地上」を読んでみたいと思ったのではなかったか。が、清次郎の著作は、書店には文庫本でさえもない。図書館ででもと思いながら、そのうちに忘れるともなく忘れていったのであろう。遠い記憶はなにせはっきりしない。本稿(自由人の系譜)をつづりながら、つぎはだれに?と考えあぐんでいるやさき、ふと島田清次郎の名前が浮かんできたのだから記憶の奥底に残っていたというのか。思いつくや、河出文庫をひっぱり出し、二十年(そういう計算になる)ぶりに「天才と狂人の間」を読みかえした。そしてついに「地上」第一部、「若芽」と読み得て、島田清次郎の早熟な才能に感心しながらも、頑(かたく)ななまでの自己暗示と顕示に囚われた青年だったことを知ったのである。
その「地上」ラスト前にはこのような一節があった。「彼が金沢の中学で、どうしても行き気になれなかつたのは、自身に湧いて来る自然な天性を〈教育〉と〈教育者〉は制御し枯死させようとすることが見えすいたからである。彼は無論そのとき意識はしない。しかし彼の意識よりも深いところで自分の将来の素質を殺す教育ならむしろ〈無教育〉を望むものがあったのだ。彼が求めたのは真に愛する少女を愛すると言ひ得る〈真性の自由!〉である。(あゝ〈真性の自由!〉恵まれた力の可能を地に現はさしめ、つくさしめる真性の自由!一切人間人類の偉大の源である真性の自由!それを自分は欲したのだ。)」
これは「地上」の主人公大河平一郎が破れた初恋への憤りを表白した部分である。和歌子に宛てた手紙が教師に見つかり、学校側は平一郎を停学処分とし、交際が発覚したことで和歌子と引き離されてしまう(このあと和歌子が結婚させられることを知る)。こうなったのは愛する人を愛するということさえの自由、〈真性の自由〉が無いからだ。教育とは人間性を束縛するものではなく、人の天性を伸ばすためにある。〈真性の自由〉を与えるのが教育の根本ではないか、というのである。これは現代にもつながる筋のとおった論理であり、平一郎の懊悩と主張に充分同感できる(のではなかろうか)。
この文章が次のようにつづいていくのはどうであろう。「これは他の者であるなら屢々(しばしば)間違であり、或は他の卑しい不道徳的な欲望の仮面となり得たかもしれない。しかし平一郎に於てはそれは大地に潜む芽生が水分を欲するやうに、若葉が太陽の光熱を欲するやうにそれはしんじつであり、無条件的な要求であり、〈自然の命令〉であった。(あゝ、自分は真の自由と云ふ太陽を渇望する!)もしこの地上の文化がもっと進歩し人類の思想がもっと向上してゐたなら、おこさなくともよい平一郎の破壊である。或はさうした人類の生活を求めての平一郎の戦ひかも知れない」
このあと「地上」は激越な言葉でしめくくられる。「あゝ、この感情、この真理、これは自分一人ではあるまい。自分のこの涙は万人の涙であらう。自分は自分一人の寂しさに泣いてゐてはならない。あゝ、自分はどうなっても構わない。願はくば、今、ひしひしと身に迫り感じる万人の涙の為めに戦はう!あゝ、自分には万人の悲しい涙にぬれた顔を新しい歓喜をもって輝かすことは出来ないのだろうか。自分の生はそれのみの為の生涯であり、自分の使命はそれよりほかにはない。あゝ、この大いなる願が、自分の一命を必要とするならば、自分は死ぬべき時に死にもしよう!」
〈あゝ、あゝ〉と繰り返されるヒロイズムの自己陶酔。これならば、山形鶴岡の豊子や砂木少将の令嬢良枝ならずとも、ファンレターの一つなり出してみたくなるのでは。「いわゆる社会的文芸の代表作家が、もうどうしても現われねばならぬ時だと私は思っているが、この書の著者島田清次郎氏はすなわち実にその人ではないだろうか」 文学少女ばかりでなく、酸いも甘いも噛み分けた社会思想家の雄、堺利彦でさえ、このように太鼓判を押したのだから(その令嬢真柄が清次郎になびかなかったのは、父親の意向だけだったのか、それとも間近に接して、清次郎の胡散臭さを女の感で見抜いていたのか)。
「地上」にはエピグラムとして、聖書の〈虐げられるゝ者の涙流る 之を慰むる者あらざるなり〉が掲げられている。島田清次郎は自分を虐げられた者の一人として、ときに悔し涙、血の涙を流したことであろう(しかし〈慰むる者〉はいなかったのであろうか。母みつは?)。太宰治の「晩年」に添えられたエピグラム〈撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり〉を拝借すると、先に引いた「地上」の文章からは、虐げられた者の悲痛な絶唱の透き間から撰ばれてある者の不安はなく恍惚ばかりが見え隠れする。天才のみが持つ矜持なのであろうが、この恍惚感だけが拡大されていくと・・・・〈紙一重〉の世界?
思いもかけないということは起こり得るものだ。去る10月の終りころ(というより27日という記憶ははっきりしているのであるが)、図書館へ島田清次郎関連本の借り出しに出向いた。その日は日曜日であった。日曜日の新聞はどこも読書蘭のページを設けている。その一つ朝日新聞に目をとおしたとき、それこそ我が目を疑った。書評欄に「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」とあったからである。島田清次郎の二篇の小説を探し出すのがやっとだったのに、清次郎に関する新刊本が出ているとは!まさか。が、まちがいなく、没後八十年の歳月を経て島田清次郎が突如蘇ってきたのである。
うれしい偶然に、すぐに図書係の人に照会すると、未入本なので希望なら図書館で購入手続き(のサービス?)を採れますと答えてくれる。本が届いたとの連絡を受けたのは11月の半ばを過ぎていた。新刊「島田清次郎」の著者は風野春樹。略歴を見る。精神科医、書評家、SF愛好家。1969年生れ。東大医学部卒。現役の医師で、精神病理学、病跡学の専門とある。「天才と狂人の間」にある〈紙一重〉を解析するにうってつけの著者に思える。久しぶりにわくわくしながらページを繰った。
「島田清次郎を語るときには、いつも〈天才〉という言葉がつきまとう。本人自身が自分は天才だと豪語していたし、マスコミもまた、若くして鮮烈なデビューを飾った彼を天才ともてはやした。・・・・しかし清次郎を〈天才〉と呼ぶとき、その〈天才〉はどこか揶揄の混じった言い方になりがちで、それは彼の生前から変わっていない。早熟で並外れた才能を発揮するが、奇矯な振る舞いも多く、最後には発狂して悲劇的な末路を遂げる。島田清次郎は確かに世間の期待する〈天才〉の要素を兼ね備えている」 「島田清次郎は、本当に天才だったのだろうか。そして本当に狂人だったのだろうか。その答え知るためには、清次郎の生涯をたどりなおしてみる必要がある。そろそろ〈天才と狂人〉という言葉の呪縛から、清次郎を開放してあげていいのではないだろうか」
東大医学部卒の優秀な先生らしく、のっけから解答が用意されているような書き出しっぷりは、さすが精神科医だけあってやさしいのであるがそれだけではなかった。著者の驚くべき綿密な資料探索に基づく清次郎の生涯の叙述には、説得力があり、新しい発見が数々とあった。以下はこの新刊から得た新知識をアト・ランダムにならべて、これまでつづってきた文章に補足(もしくは訂正と確認)を加えたい(補いたい新事実はありすぎるほどなので、そのごく一部にとどめる)。
○父親の海難事故後、清次郎母子が祖父を頼って行ったとき、すでに祖父は遊廓経営に乗り出していた。
○「地上」のヒロイン和歌子のモデルになった初恋の女性(赤倉和嘉代)は、清次郎(金沢二中時代)の廓近所に住む2歳上の高等女学校の女生徒だった。清次郎は何度も恋文を送ったが、女性の方に反応はなくむしろ清次郎を警戒するほどだったと(そして小、中学校のころより盛んに女生徒を追い掛け回していたとも)書かれる。
○最初の長編小説「死を超ゆる」(「地上」第二部に転用される作品)の主人公は清次郎を思わせる赤倉清造という青年なのだが、これがなんと母殺しの小説で、しかも母親は実名で登場し、主人公は死刑になるという筋立てだという(これに限らず清次郎は、さいさいその小説で気に食わない連中には文学的制裁を加えている)。
○「地上」の原稿を抱えて上京した清次郎(19歳)は、室生犀星(当時30歳)、徳田秋声(47歳)、可能作次郎(34歳)を訪ねたが誰も出版社を紹介してくれず、生田長江(36歳)が新潮社に取り持ってくれた。
○芥川龍之介は「嶋田清次郎氏の長編『地上』は、所謂通俗小説に近い観があるが、僅かに行年二十歳の青年の作たる事をおもへば、少なくともその筆力の雄健な一点では、殆ど未来の大成を想見せしめるものがある」と評していた。
○清次郎が洋行したのは23歳であるが、その前年にヨーロッパに巡行した皇太子(昭和天皇)とは2歳違いである。
○外遊中、アメリカ大統領クーリッジに面会したという「天才と狂人の間」の記述はあやまり。クーリッジが大統領になったのは、清次郎が帰国してからのこと。また清次郎が精神病患者となって入院後、葦原将軍の侍従をしていたように描いているのもあり得ない。二人は別々の病院に収容されていた。
○「我れ世に勝てり」の題名は、聖書の一節にある十字架にかけられる前のイエスの言葉、〈汝ら雄々しかれ、我すでに世に勝てり〉から採られ、「我れ世に敗れたり」も清次郎が付けた題名だという。
○令嬢監禁事件以後、原稿の依頼がなくなったのは、右翼の抗議があったことも原因にあったのでは。などなど(註)。
(註・「天才と狂人の間」には清次郎の日記(体文章)がひんぱんに出てくるのだが、風野春樹は清次郎の日記の所在は不明としている。日記は実在していたのだろうか?これも杉森久秀の創作なのでは?)
著者は令嬢監禁事件についても詳細に調べ上げ、この事件の鍵を握る人物、清次郎の母親みつのその日の不可解な行動(註)から、みつは事実を知っていたと推理する。だから事件とかかわり合いになるのを避けた。みつの行動をみれば、令嬢側の主張が正しかったことの傍証になるのではないか。清次郎には典型的なDV加害者の症状がみられる(母親みつ、内縁の妻豊子、砂木令嬢への対し方に)。その観点から事件をひもとけば、どちらが被害者であったのかは一目瞭然だ。そのように精神科医である著者は断定しながら、事件後の令嬢の足どりまで追跡している(女優の人生を歩み結婚して、昭和43年64歳で亡くなったという)。(註・清次郎が逗子へ令嬢を連れ去る直前、清次郎の自宅で二人の間に異変が起きていた。みつはこの後ただちに身をくらます目的で金沢に帰省した、と著者はいう。)
「汚れた浴衣に生々しい血痕をつけた」清次郎が未明の路上で不審尋問を受けたのは、大正13年7月30日だった。この日、警察は青山墓地で起きた爆弾事件の非常警戒をしていた(令嬢監禁事件の時もそうだったが、清次郎はよくよく運が悪い)。警視庁の精神科医の鑑定を仰ぐと早発性痴呆(現在の統合失調症)と診断され、これまでにも文壇やマスコミからしきりに狂人扱いされてきた清次郎は、とうとう真性の精神病患者となって保養院に送られた。当初警察はこの容疑者が島田清次郎本人と判明した時点で、徳田秋声に引き取りを依頼した。ところが、これまでさんざん迷惑をこうむっていた秋声は拒否したという。秋声が拒めば、もう誰も清次郎を引き取る者はいない。
この入院措置は「純粋に医学的な必要性よりも、むしろ治安維持という観点」にて、決定されたであろうと想像する著者の筆は、ここから一気に〈島田清次郎は本当に狂人だったのか〉という核心へと入っていく。だが、これからあとの展開について言及するのは(出版されたばかりの本でもあるので)控えたい。精神分析学専門の著者がどういう結論に至ったか、興味ある方は「島田清次郎 誰にも愛されなかった男」(本の雑誌社刊)を読んでもらうことにしよう。
菊池寛は「島田清次郎を憫む」という随筆を、大正13年9月号の「文藝春秋」に載せた。〈島田清次郎が到頭精神病院に送られた。彼としては行くべき所へ行つたのかも知れない。また社会としては、彼を送るべき所へ送ったのかも知れない。だが、気違ひ病院へ送ってしまつて見ると、何だか可哀相である。〉 〈盛名の下に身を誤らないものは少ない。況んや、島田君の如き少年で、あの大名を成したのであるから、頭の確かなものでさへ気が変になる。況んや、島田君の如き、病的で素質のあるものに於いてをや。それに、一番いけなかったのは親身の友人知己の一人もなかったことである。それも、彼が思ひ上がつてしまつて、へり下つて友人知己を得ることさへ忘れた故もある〉 〈島田君が、もつと小悧巧で、謙虚に身を持し、努力創作に従つたら、彼の生命はもつと永かつたに違ない。いや、彼がもつと、ズルくて、猫を被ぶつてゐたならば、彼の声明はもつと続いたに違ない〉
この文章に呼応するかのように、著者風野春樹も記す。「確かに、清次郎はとても友達になりたいような人間ではないし、女性への暴力など許しがたい面もある。それでも清次郎という人間には、本人の意図しない愛嬌があって、私はそこを大いに愛おしく感じるのである」 「清次郎に近く接した人々は、その横柄さの裏側に隠れた無邪気さにも気づいていた。少なくとも、清次郎は損得を計算したり悪知恵を巡らしたりするような人間ではなかった。いつでも清次郎は真剣で、自分が正しいと思ったとおりに行動した。それがいかに周囲から見れば滑稽だったとしても」
副題の〈誰にも愛されなかった男〉は、〈要するに彼は、誰にも愛されない男だった。そして常にその愛に飢えてゐた〉という加能作次郎の追悼文から採られている(加能作次郎は清次郎が路上で検問される前日、最後に頼って訪ねた相手であった)。たしかに「清次郎は誰よりも愛を求めていながら、生涯誰も愛することができず、誰にも愛されない男だった。ただ、加能が間違っていることがひとつだけある。たったひとりではあるが、清次郎を愛し続けた者がいた。それは母親のみつだ」 清次郎が息を引き取ったのは、昭和5年4月29日午前9時。その夜、みつによって通夜が営まれた。みつは数年前から、金沢を離れ東京に住居を変えていたのである。清次郎のために!「生活費をどう工面していたのかなど詳しいことはわからない。しかし、慣れない東京で、手に職のないみつが苦しい生活をしていたことは想像に難くない」 このように、風野春樹の「島田清次郎」は結ばれる。
こうしてみると、「天才と狂人の間」に描かれたみつの縫い物での生活の方便(たつき)、もしくは母親の清次郎にたいする所懐のくさぐさは杉森久英の小説的創作であったのか?〈真性の自由〉を求めて「地上」を傲岸不遜に闊歩(かっぽ)しながら、母親をも犠牲にして、島田清次郎は31年という短い生を閉じた。その生涯は、しかし天才を豪語しての誰はばかることのない、思う存分の生き方であったのかもしれない。それに比して、(母を知らずに)自死という形で35歳の生を終えた芥川龍之介の遺書は、あまりにわびしく、哀れをさそう。「僕は養家に人となり、我儘らしい我儘を言ったことはなかった。・・・・今僕が自殺するのは一生に一度の我儘かも知れない」 芥川龍之介と島田清次郎、二人の「天才と天才の間」、「天才と狂人の間」にある「間」は、果てしなく遠いようにも想えるし、一足飛びに越えられそうな至近にも感じられないでもない。どうやら、〈紙一重〉とはいっても思いの外、そうした距離なのではあるまいか。 
 

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