音楽・演歌 艶歌


 
Music; Enka 
 

 中山歌子 1893- ? (不詳)
 
 
 
 
 
 
 
 東海林太郎  1898-1972 
 
 
 
 
 
   1900

 

 市丸  1906-1997
 
 
 
 
 
 
 
 
 淡谷のり子  1907-1999
 
 
 
 
 
 
 
 
 ディック・ミネ  1908-1991
 
 
 
 
 
 
   1910

 

 伊藤久男  1910-1983
 
 
 
 
 渡辺はま子  1910-1999
 
 
 
 
 
 灰田勝彦  1911-1982
 
 
 
 
 
 
 藤山一郎  1911-1993 
 
 
 
 
 
 
   1912 大正

 

 霧島昇  1914-1984 
 
 
 
 
 
 
 笠置シヅ子  1914-1985
 
 
 
 
 
   1915

 

 二葉あき子  1915-2011
 
 
 
 
 
 岡晴夫  1916-1970 
 
 
 
 近江俊郎  1918-1992 
 
 
 
 
 高峰三枝子  1918-1990
 
 
 
 
 
 田端義夫 1919-2013 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 平野愛子  1919-1981
 
 
 
 
   1920

 

 李香蘭 (山口淑子)  1920-2014 
 
 
 
 
 
 並木路子  1921-2001 
 
 
 
 
 小畑実  1923-1979
 
 
 
 
 
 
 
 
 三波春夫 1923-2001 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 奈良光枝  1923-1977
 
 
 
 
 
 
 鶴田浩二 1924-1987 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 春日八郎 1924-1991 
 
 
 
 
 
    
 越路吹雪 1924-1980
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   1926 昭和

 

 菅原都々子 1927- 
 
 
   
 村田英雄 1929-2002 
 
 
 
 
   
   1930

 

 三橋美智也 1930-1996 
   
 
 
 
 
 
 
 天知茂 1931-1985
 
 
 
 鈴木三重子 1931-1987 
   
 二葉百合子 1931- 
 
 
 
   
 菅原洋一 1933- 
 
 
 
 
 
   
 ペギー葉山 1933-2017
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 コロムビア・ローズ 1933- 
   
 石原裕次郎 1934-1987
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 デューク・エイセス / 谷道夫 1934-  
 
 
   
   1935

 

 水原弘 1935-1978  
   
 小坂一也 1935-1997 
 
 
 
 
   
 美輪明宏 1935- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 松尾和子 1935-1992 
 
 
 
   
 岸洋子 1935- 
 
 
} 
 
 
 
 
   
 内山田洋とクールファイブ / 内山田 1936-2006  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 竜鉄也 1936-2010 
 
 
 
   
 
   
 北島三郎 1936- 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 平尾昌章 1937-2017
 
 
 
 
   
   1937

 

 三人娘 
 
   
 美空ひばり 1937-1989  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   1937

 

 江利チエミ 1937-1982 
 
 
 
 
 
 
   
 松山恵子 1937-2006 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 雪村いづみ 1937- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 浜村美智子 1937-
 
 
 
 
 
   
 ジャッキー吉川とブルー・コメッツ / 吉川 1938-2020 
 
   
 小林旭 1938-
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 島倉千代子 1938-2013 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 大津美子 1938- 
 
 
 
 
 
 
 
 こまどり姉妹 / 並木栄子(姉) 1938- 葉子(妹) 1938-
 
 
 
 
 
   
 西田佐知子 1939- 
 
 
   
 畠山みどり 1939- 
 
 
 
 
   
 五月みどり 1939- 
 
 
 
   
   1940

 

 森山加代子 1940-
 
 
 
 
   
 坂本九 1941-1985 
 
 
 
   
 青江三奈 1941-2000 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
   
 ザ・ピーナッツ
   伊藤エミ(姉) 1941-2012 / 伊藤ユミ(妹) 1941-2016  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 倍賞千恵子 1941-
 
 
 
 
 
 
  
 ぴんからトリオ / 宮史郎 1943-2012 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 尾崎紀世彦 1943-2012 
 
  
  
  
  
  
   
 橋幸夫 1943-   
 
 
 
 
   
 梓みちよ 1943-2020 
 
 
 
   
 田代美代子 1943- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 美川憲一 1944- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 園まり 1944- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   1945 終戦

 

 金井克子 1945- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 吉永小百合 1945- / 橋幸夫
  
 
   
 水前寺清子 1945- 
 
 
 
 
 
 
   
 三沢あけみ 1945- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 渚ゆう子 1945- 
 
 
 
 
 
 
   
 佐良直美  1945-
 
 
 
 
 
 
 
   
 中条きよし 1946- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 中尾ミエ 1946- 
 
 
 
 
 
  
 大月みやこ 1946- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 青山和子 1946- 
 
 
   
 千昌夫 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 森進一 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 布施明 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 寺尾聰 1947- 
 
 
 
   
 弘田三枝子 1947- 
 
 
 
 
   
 奥村チヨ 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 内田あかり 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 ちあきなおみ 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 梶芽衣子 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 瀬川瑛子 1947- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 沢田研二 1948- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 五木ひろし 1948- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 谷村新司 1948- 
 「アリス」 堀内/谷村/矢沢  
 
 
 
 
 
 
 さくらと一郎
   さくら(河野さくら) 1948- / 一郎(徳川一郎) 1948-

 
 
 
 
 
 
   「昭和枯れすすき」
   貧しさに負けた いえ 世間に負けた
   この街も追われた いっそきれいに死のうか
   力の限り 生きたから 未練などないわ
   花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき
      踏まれても耐えた そう 傷つきながら
      淋しさをかみしめ 夢を持とうと話した
      幸せなんて 望まぬが 人並でいたい ・・・ 流れ星見つめ
   この俺を捨てろ なぜ こんなに好きよ
   死ぬ時は一緒と あの日決めたじゃないのよ
   世間の風の 冷たさに こみ上げる涙 ・・・ 苦しみに耐える
 北原ミレイ 1948- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 黛ジュン 1948- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 都はるみ 1948- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   
 由紀さおり 1948- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 堀内孝雄 1949-
 「アリス」 堀内/谷村/矢沢
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 矢沢透 1949- 
 「アリス」 堀内/谷村/矢沢   
 小川知子 1949- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 欧陽菲菲 1949- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
    
   1950

 

 細川たかし 1950- 
 
 
 
 
 
   
 辺見マリ 1950-
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 内藤やす子 1950- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 八代亜紀 1950- 
  
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 和田アキ子 1950- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 ジュデイ・オング 1950- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 中村雅俊 1951- 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 高山巌 1951- 
  
  
   
 藤圭子 1951-2013 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 五輪真弓 1951- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 天地真理 1951-
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 ピンキーとキラーズ / ピンキー(今陽子) 1951-  
 
 
 
 
 
   
 山本リンダ 1951- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 あべ静江 1951- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
   
 吉幾三 1952- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 渥美二郎 1952- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 ピーター(池畑慎之介) 1952- 
 
 
   
 リリー 1952-2016
 
 
 
 
   
 松坂恵子 1952- 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
   
 小柳ルミ子 1952- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 中島みゆき 1952- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 テレサ・テン 1953-1995 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 小林幸子 1953- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
   
 
 
   
 
 
   
 研ナオコ 1953- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 牧村三枝子 1953- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
   
 南沙織 1954- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 庄野真代 1954- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 松任谷由実 1954- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   1955

 

 アグネス・チャン 1955-
 
    
 麻丘めぐみ 1955- 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
   
 キャンディーズ 
   伊藤蘭(ラン) 1955- / 藤村美樹(ミキ) 1956- / 田中好子(スー) 1956-2011
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 サザンオールスターズ / 桑田佳祐 1956- 
   
 新沼謙治 1956- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 アン・ルイス 1956- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 西川峰子 1958- 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 岩崎宏美 1958- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 石川さゆり 1958- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 ピンク・レディー 
   ミー(根本美鶴代) 1958- / ケイ(増田恵子) 1957-
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 桜田順子 1958- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 山口百恵 1959- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 榊原郁恵 1959- 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   1960

 

 藤あや子 1961- 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 桂銀淑 1961- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 松田聖子 1962- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 松村和子 1962- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
   
 香西かおり 1963- 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 近藤真彦 1964- 
 
 
 
 
 
 
 
   
   1965

 

 中森明菜 1965- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
 プリンセス・プリンセス / 奥居香 1967- 
 
 
 
   
 光GENJI / 内海光司 1968-  
 
   
   1970

 

 Wink 
   鈴木早智子 1969- / 相田翔子 1970-
 
 
 
 
 
 
   
 氷川きよし 1977- 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
   
   1980

 

 小柳ゆき 1982- 
 
 
 
   
 倖田來未 1982- 
 
 
 
 
   
 

 




流行歌曲について  萩原朔太郎
現代の日本に於ける、唯一の民衆芸術は何かと聞かれたら、僕は即座に町の小唄と答へるだらう。現代の日本は、実に「詩」を失つてゐる時代である。そして此所に詩といふのは、魂の渇きに水をあたへ、生活の枯燥を救つてくれる文学芸術を言ふのである。然るに今の日本には、さうした芸術といふものが全くないのだ。文壇の文学である詩や小説は、民衆の現実生活から遊離して、単なるインテリのデレツタンチズムになつて居るし、政府の官営してゐる学校音楽といふものも、同じやうに民衆の生活感情と縁がないのだ。真に今日、日本の現実する社会相と接触し、民衆のリアルな喜怒哀楽を表現してゐる芸術は、蓄音機のレコード等によつて唄はれてる、町の流行唄以外にないのである。
僕は町を歩く毎に、いつもこの町の音楽の前に聴き惚れて居る。そして酒に酔つた時は、いつも大衆と一所にそれを合唱したくなるのである。音楽といふものは、本来皆その精神に「合唱性」を持つてるものだ。なぜなら音楽は詩と同じく、普遍に通ずるカメラードへの呼びかけであるからである。町の音楽をきいて、僕がそれを大衆と一所に唄ひたくなるといふのは、つまりその音楽の中に、僕等の時代に生きてるところの、社会人一般の情操を代表してゐるものがあるからである。この点から言へば、僕等のインテリ階級者と一般社会大衆人との間に、何の生活的劃線があるわけではない。一般社会人の悲しみは、常にそれ自ら僕等の心に反映してゐる悲しみなのだ。しかも僕等のインテリ文学は、この現実の社会感情から遊離して居り、却つて無智の大衆芸術である町の小唄が、僕等の求めてる真のリリツクを正直によく歌つてくれるのである。僕等の時代の文学者が、文壇の詩に退屈して、町の小唄音楽に却つて心の渇きを充たして居るといふのは、現代日本文化の畸型的な発育を反証するところの、一つのイロニカルな現像にちがひない。
町の流行唄を聞いてゐると、時代の変遷する推移が実によく解るのである。人心が少しでも明るくなり、景気が活気づいて来た時には、音楽の調子がすぐ明朗になつてくるし、その反対の場合には、音楽がまたすぐ憂鬱になつてくる。町の流行歌曲ほど、感度の鋭敏な時代のテレビジヨンはないのである。
そこでこの十年来、僕はこのテレビジヨンの感度機を廻しながら、目に見えない社会人心の変動を触覚して来た。そして一つの結論を得た。それはこの十年以来、日本の社会が日々に益々憂鬱になり、人心が絶望的に呻吟して、文化がその目的性と希望とを失ひ、年々歳々益々低落の度を深めて来て居るといふ事実である。例へば少し昔には、古賀政男の名曲「酒は涙か溜息か」や「幻の影をしたひて」等が流行した。これらの歌曲は、そのもつと前、欧洲大戦前後の好況時代に流行した、外国オペラの明朗な翻訳曲に比すれば、遥かに憂鬱で哀傷的のものであつたが、音楽として尚甚だ上品のものであり、その精神には健全で浪漫的な青春のリリシズムが情操して居た。然るにその後、勝太郎の「ハア小唄」になつてくると、もはや「酒は涙か」のロマネスクや青年性は失はれて、年増女の淫猥な情痴感や感傷性やが、大衆の卑俗趣味に迎合するやうになつて来た。「酒は涙か」から「ハア小唄」への流行的推移は、すくなくとも「恋愛的感傷」から「情痴的感傷」への文化的低落と、その卑俗的散文化を語つて居た。
この勝太郎節と同時に、並行して流行したものは所謂「股旅小唄」であつた。この股旅小唄の主旋律は、概して皆尺八的、浪花節的哀傷を帯びてるもので、日本人の民族的リリシズムとも言ふべき、旅への放浪情操をよく表現して居た。しかしこれもまた前時代の歌曲に比すれば、その品位のないことに於て、野趣的に卑俗化したことに於て、時代の文化的低落を語る一実証と見るべきだつた。
所でまた最近の流行歌曲は、例の「あなたと呼べば」や「忘れちや厭よ」である。この二つの歌曲は、その作曲の新味と歌詞の取り扱ひ方とに於て、日本の流行小唄に一の新しいエポツクを劃したものと言はれて居る。だかこれを聴く毎に、僕は日本文化の悲しい末路といふことを痛感する。此所に歌はれてる歌曲は、卑猥で陰惨なエロチシズム以外に何物もない。勝太郎の「ハア小唄」には、年増女的淫猥の情痴があつたが、しかしそこにはまだ純情のリリシズムと感傷性とが流れて居た。然るに「あなたと呼べば何だいと答へる」や「忘れちや厭よ」の歌謡には、そのメロヂイにもその歌詞にも、全然リリシズムといふものが無いのである。しかもまたそれで居て、ナンセンス音楽に特有するユーモラスの明朗性もない。これは非常に憂鬱で陰惨な、何か梅雨時のやうにジメジメした感じの唄である。大体から言つて、流行歌曲の種属は二つに別れる。即ちセンチメンタルのものと、ナンセンス的のものとである。然るに此等の唄には、ナンセンスとしての明朗性もなく、センチメンタルとしての抒情性もない。そして単に、卑猥な擽り的エロチシズムがあるのみである。
「あなたと呼べば」の歌詞は、現代サラリイマンの無気力、無希望な人生願望を表象してゐる。彼等の人生に於ける唯一の理想は、重役の娘と結婚して、郊外の文化住宅に住み、何も他に為すことがなく、新婚の妻と朝から晩までイチヤついて居たいのである。若い妻の機嫌を取り、女房の尻に敷かれ、猥褻な性的遊戯をして日を暮す以外に、人生に向つて意欲する何の理想もなく野心もなく、無為劣等な動物的人生をすごすことが、現代大衆やサラリイマンの理想とすれば、これほど陰鬱な梅雨時の社会はない。そしてこの現実の社会的陰鬱性を、此等の流行唄がよく反映してゐるのである。特にまた「忘れちやいやよ」に至つては、最近それが発売禁止になつたほど、一層もつと極端に、この時代的陰鬱の梅毒的エロチシズムを表現して居る。
かうした最近の流行唄について、特に著るしい特色として感ずることは、歌詞の取扱ひ方に対する、作曲の方法が著るしい変つて来てゐることである。昔の流行歌曲は、歌詞を軽んじて音楽を重視して居た。中には旋律ばかりが耳に入つて、歌詞は何を歌つてゐるのか、まるで意味の解らないやうな者さへあつた。然るに最近の「忘れちや厭よ」や「あなたと呼べば」等は歌詞に強いアクセントをつけ、その言葉の方の面白味で、専ら聴者を興がらす様に工夫されてる。例へば「あなた」「何だい」という問答の対話。「忘れちやイヤーヨ」といふ、イヤーに於ける強いアクセント等、皆歌詞を主眼にして、音楽の旋律をこれに附加して居るのである。
かうした作曲は、流行小唄としてたしかに新しい創造であり、エポツクメーキングのものかも知れないのである。しかし僕の考へでは、逆にこれが音楽精神の衰退を示してゐると思ふ。なぜなら音楽が歌詞を本位とすればするほど、音楽としての散文化(リリシズムの喪失)を意味するからである。つまり言へば聴者は、それを旋律の美しさに於て聴かないで、歌詞の面白さに於て聴き、真の音楽的陶酔とはちがふところの、別の散文化の興味で聴くからである。現に「あなたと呼べば」の如き唄が流行するのは、大衆が既にその心のリリシズムを喪失して、音楽でさへも、散文的な興味で聴かうとするところの、現代社会の時代的傾向を実証してゐる。そして流行歌曲の作家が、機敏にこの大衆の向ふ所を捉へたのである。それは流行唄としての新しいエポツクメーキングであるか知れない。しかし本質的に観察して、音楽精神の時代的没落を語るものであり、併せて現代日本文化の、救ひがたき卑俗的低落化を実証するものである。かうした歌詞本位的流行歌曲の進む所は、結局遂に「アメリカ式掛合万才」の全盛時代になるであらう。即ちジヤツク・ウオーキイ等によつて映画で紹介されてゐるやうな、歌詞を本位として簡単な音楽を伴奏的につけ、専ら歌詞の滑稽味やエロチシズムやで、大衆を興がらすやうに出来てる「音楽入西洋万才」が、近い未来に於て日本に現れることを予感させる。「あなたと呼べば」を悦ぶ大衆は、音楽よりも歌詞を悦ぶ大衆であり、それの徹底する所は、アメリカ式万才音楽を要求するにちがひないのだ。そして流行歌曲も、此所に至れば音楽としての自滅である。
町の音楽を聴きながら、僕は絶えず自分自身に怒つて居る。なぜなら僕自身が、さうした音楽に魅力を感じ、大衆と共にそれを唄ふことによつて、日々に低落する現実社会の堕落の中へ、自ら環境的に引き込まれて行くことを感ずるからだ。僕は耳をふさいで町を通り、一切の流行唄を聴くまいとする。しかも僕の渇いた心は、渇者が水を求めるやうに、自然にそれの方へ引きつけられる。なぜならそれらの音楽以外に、僕等の現実の社会的生活感情を表現し、魂の渇きを充たしてくれる芸術がないからだ。僕は珈琲店の椅子で酒を飲み、大衆と共に「あなたと呼べば」を唄つた後で、自ら自分の髪の毛をむしりながら、自分に向つて「この大馬鹿野郎奴」と叫ぶのである。僕等は時代のトリコである。何物からも脱れられない。一切は絶望的に決定されてる。今日の社会に於ては、私が「私自身」を拒絶する外、詩人としての生きる道が無いのである。  
「あなたと呼べば」・・・流行歌「二人は若い」の歌詞
「二人は若い」は昭和10年(1935年)、映画「のぞかれた花嫁」の主題歌として発表され、大ヒットした。作詩・サトーハチロー、作曲・古賀政男。
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あなたと呼べば あなたと答える 
山のこだまの 嬉しさよ
あなた なんだい
空は青空 二人は若い