●花ある風景/並木徹 ・・・毎日新聞の名物記者・佐藤健が今年「演歌艶歌援歌わたしの生き方星野哲郎」を出版した、本のなかに星野の本質を表現する言葉が紹介されている。歌人であり、劇作家であり、演出家でもあった寺山修司(故人)の指摘である。 「星野哲郎を戦後詩人のベストセブンに加えるとなると異論を唱える人も少なくないだろう。(中略)だが、私にはやっぱり星野哲郎がいいような気がする。もちろん、星野哲郎には深い燃焼と言ったものはない。文字に印刷してみたところで、おそらく新しい感動など惹き起こさせたりはしないであろう。しかし、私は〈詩の底辺〉ということばを使うなら星野哲郎こそ最も重要な戦後詩人のひとりだと考えるのである。しかも、彼は活字を捨てて他人の肉体をメデアに選んだのだ」(紀伊国屋新書「戦後詩」より) 。 「他人の肉体をメデアに選んだ」とはうまい。さすが寺山修司である。詩は肉体によって新たな生命が加えられる。いい詩であるほど輝きを増す。 星野の作詩は4000曲をこえる。自ら選んだベストテンは函館の女(北島三郎)みだれ髪(美空ひばり)兄弟船(鳥羽一郎)アンコ椿は恋の花(都はるみ)三百六十五歩のマーチ(水前寺清子)黄色いさくらんぼ(スリーキャッツ)思い出さん今日は(島倉千代子)柔道一代(村田英雄)昔の名前で出ています(小林旭)女の港(大月みや子)雪椿(小林幸子)。番外は「男はつらいよ」(渥美清)である。 大月みや子の例をあげる。代表作「女の港」(作曲/船村徹)に出会ったのは下積生活19年目であった。「有線放送から口コミで広がっていく、そういう歌だよ、これは・・・」音楽プロデューサーの小西良太郎は、はやる大月の手綱を絞ったと当時の秘話を語る。 星野は毎日朝午前4時に起き、散歩しながら、道端に捨てられた空き缶を拾って集めるのを日課にしている。しかも毎日ひとつの詩を作ることをも己に義務づけている。 座右の銘は「今日の山を全力でのぼる。先のことは考えない」である。 |