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後深草天皇(1242-1304)  


 
伏見天皇(1265-1317)  
一山一寧(1247-1317)  
宋の人。文永・元弘の役後、元日の通交を説くべく意思に反し日本へ渡らされる。当初修善寺に幽閉されるが後に疑惑が解け、建長寺、円覚寺を兼管するなど多くの帰依を得た。五山文学の交流に大きく寄与した。  
北条高時(1303-1333)  


 
護良親王(1308-1335)  


 
後伏見天皇(1288-1336)  
 
楠正成(-1336)  


 
宗峰妙超(1282〜1337)  
大燈国師
臨済宗の僧、一般に大燈国師の名で知られる。  
新田義貞(1301-1338)    

 
後醍醐天皇(1283-1339)  


 
雪村友梅(1290-1347)  
18歳にして元に渡り、趙子昂に書を学ぶ。  
花園天皇(1297-1350)  


 
吉田兼好(1283-1350)  
「徒然草」の作者。  
高師直(-1351)  


 
夢窓疏石(1275-1351)  
臨済宗の高僧。18歳で仏門に入り、一山一寧等の名僧達の薫陶を受ける。造園技術に優れ、西芳寺、天竜寺、瑞泉寺、恵林寺等の名園を残す。  
足利直義(1306-1352)  


 
北畠親房(1293-1354)  
若年時から剛直と言われ、最後まで南朝の中心人物として後醍醐天皇、後村上天皇に仕える。「神皇正統記」の著者。  
浄弁(-1356)    

 
足利尊氏(1305-1358)  


 
大内義弘(1356-1399)  
 
   



 
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後深草天皇 (1242-1304)
後嵯峨天皇の第二皇子、4歳で即位するが在位中は院政を敷いた後嵯峨上皇が政務を司った。正元元年(1259)瘧病を患い17歳で亀山天皇に譲位。  
伏見天皇 (1265-1317)
後宇多天皇の譲位により即位。以後、大覚寺統と持明院統が交代で天皇を出す時代がしばらく続く。後深草上皇は2年余りで院政を停止した為、以後天皇親政が続くが自分の皇子後伏見天皇を皇太子に据えたことにより大覚寺統との確執が強まる。  
一山一寧 (1247-1317)
宋の人。文永・元弘の役後、元日の通交を説くべく意思に反し日本へ渡らされる。当初修善寺に幽閉されるが後に疑惑が解け、建長寺、円覚寺を兼管するなど多くの帰依を得た。五山文学の交流に大きく寄与した。  
北条高時 (1303-1333)
北条貞時の子、14代執権。後醍醐天皇が最初に挙兵を計った正中の変は未然に防ぐが、再度挙兵すると、足利尊氏がこれに応じ京都の六波羅探題を滅ぼし、上野の新田義貞も挙兵し、高氏の嫡子千寿王(足利義詮)が合流すると、関東の御家人多数が倒幕軍に加わり鎌倉に攻め入る。東勝寺に入った高時以下北条一族800余人が自決し鎌倉幕府は滅亡した。  
護良親王 (1308-1335)
幼く延暦寺大塔に入り、大塔宮と呼ばれる。19歳で落飾し2度にわたり天台座主となる。元弘元年(1331)後醍醐が2度目の鎌倉幕府討幕運動を起こした時に還俗して参戦する。幕府軍との戦いに明け暮れ、ついに六波羅探題を滅ぼすに至る。しかし、尊氏や父後醍醐天皇、その寵姫阿野廉子等と反目して捕らえられ鎌倉へ幽閉される。その翌年、北条時行の中先代の乱の際、護良親王が時行等に奉じられる事を恐れた足利直義に殺害される。  
後伏見天皇 (1288-1336)
伏見天皇の譲位により即位。以後、大覚寺統の後二条天皇、持明院統の花園天皇、大覚寺統後醍醐天皇、と二派が交互に即位した。  
楠正成 (-1336)
元弘の乱時、いち早く後醍醐天皇に応じ、千早城に立て篭もるなど幕府軍を悩まし、これが因となって討幕運動に発展した。倒幕後、建武中興新政権に重用される。後に相反した尊氏の軍に破れ自刃。  
宗峰妙超 (1282〜1337) 大燈国師
臨済宗の僧、一般に大燈国師の名で知られる。  
新田義貞 (1301-1338)  
後醍醐天皇 (1283-1339)
元弘の変で隠岐島に流罪となるが、名和一族の働きで隠岐島から脱出し再び挙兵。足利尊氏が天皇方に味方するなどして北条氏を滅亡させる。建武の新政を開始するが、武家を排除した公家中心の政権運営が各方面、特に武士勢力の不満を呼び離反した足利軍に敗北し吉野にて南朝を開く。  
雪村友梅 (1290-1347)
18歳にして元に渡り、趙子昂に書を学ぶ。  
花園天皇 (1297-1350)
後醍醐天皇の1代前の持明院統の天皇。  
吉田兼好 (1283-1350)
「徒然草」の作者。  
高師直 (-1351)
足利尊氏の執事として権勢を振るう。足利直義と対立し一度は勝ちをおさめ実権を握ったが、二年後、直義軍に破れた。  
夢窓疏石 (1275-1351)
臨済宗の高僧。宇多天皇九代の孫と言う。18歳で仏門に入り、一山一寧等の名僧達の薫陶を受ける。造園技術に優れ、西芳寺、天竜寺、瑞泉寺、恵林寺等の名園を残す。  
足利直義 (1306-1352)
兄の尊氏の忠実な補佐役として、鎌倉幕府倒幕、建武の中興に重要な位置を占めたが、急進派の高師直と対立、後に尊氏と戦い47歳の波乱の生涯を閉じる。
北畠親房 (1293-1354)
若年時から剛直と言われ、最後まで南朝の中心人物として後醍醐天皇、後村上天皇に仕える。「神皇正統記」の著者。  
浄弁 (-1356)  
足利尊氏 (1305-1358)
室町幕府の初代将軍。元弘の乱が起こると、当初は幕府方に組し後醍醐天皇を攻めるが、後に天皇方に内応、六波羅探題を攻略。その功を以って建武の中興第一の功労者に挙げられる。しかし、護良親王、新田義貞等の反尊氏の勢力の前に孤立して行く。貴族中心の建武政権に反感を持つ武士達を結集して、建武政権に反乱しこれを打ち破り、室町幕府を成立させる。  
大内義弘 (1356-1399)
百済王朝の血を引くとされる。南北朝統一などで功績を挙げ、幕府に対抗する勢力となるが、守護大名の弱体化を図る足利義満との戦いに敗れ戦死。義弘の墓所のある瑠璃光寺五重塔は国宝として知られる。