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  破山寺後禪院 / 常建

  清晨入古寺 初日照高林
  曲徑通幽處 禪房花木深
  山光悦鳥性 潭影空人心
  萬籟此倶寂 惟聞鐘磬音

  破山はざん寺じの後うしろの禅院ぜんいん
  清晨せいしん 古寺こじに入いれば
  初日しょじつ 高林こうりんを照てらす
  曲径きょくけい 幽処ゆうしょに通つうじ
  禅房ぜんぼう 花木かぼく深ふかし
  山光さんこう 鳥性ちょうせいを悦よろこばしめ
  潭影たんえい 人心じんしんを空むなしうす
  万籟ばんらい 此ここに倶ともに寂じゃくたり
  惟ただ鐘磬しょうけいの音おとを聞きくのみ

 

 

 
 
   
   

2012/3/6-11

 
常健
中国・唐の詩人。長安の人と伝えられるが、詳細不明。開元15年(727年)の進士で、盱眙(くい、安徽省)の尉となったが、昇進が遅いのに不満を持ち、隠者の生活に憧れて、名山を歩き回った。あるとき山中で仙人のような女に会い、術を授かったと言われ、晩年は鄂渚(がくしょ、湖北省武漢市の西)に隠棲し、王昌齢らを招いて、自由な生活を送った。 
破山寺後禅院
爽やかな朝まだ早き頃古刹に入れば昇ったばかりの朝日が高い林の梢を照らしている。曲がりくねった小道は奥深い静かな所に通じ、そこには禅房があり、深く生い茂った花木に囲まれている。朝日に輝く山の光は小鳥たちを喜ばせ、清く澄んだ淵の色は人の心から俗念を洗い流してくれる。すべての物音がここでは静まり、その静寂の中、寺でつく鐘(かね)と磐(けい)の音だけが聞こえてくる。
破山寺は今の江蘇省常熱の破山に在った興福寺のことで、作者がその破山寺の裏に在る僧房を尋ねて、その佇まいに意を得て作ったもの。全体的に仏教の悟りに近い自然に同体化した境地が詠われています。曲径の先の幽処には作者の到達した無心の境地があり、頸聯では悟りの境地を詩的に詠い、本懐を述べ、尾聯では僧房の静かな佇まいを述べることにより自らの心の静寂なことを暗示しています。

常建は王昌齢の友人である。くわしい伝記はわからず、詩もわずかしか残っていないが、その詩はみな、この世における最も清らかなものを、表現しようとしているように思われる。題の破山寺とは、おそらく寺の名であろう。その後の禅院といえば、その最もおくまったところにある僧房である。夜はやっとあけはなたれたばかり、寺の入口の林のこずえが、初日(あさひ)の色にそまっている。竹やぶの中の小みち、それは最も幽邃(ゆうすい)な場所への入口であるらしい。はたしてその奥には、花の木にかこまれた僧房がある。色彩を去った坊さんたちの生活する部屋と、その周囲に色彩をほこって咲く花の木とが、朝日のなかに、清潔な調和を作る。
「山光は鳥性を悦ばしめ 潭影は人心を空しくす」
鳥性とは面白い言葉である。天地の中の一物として生活する万物が、天地からそれぞれに賦与された生命の原理、それが性であり、人間の性といえば、良心である。鳥にも性はあるにはちがいない。さればこそ、つやつやしい山の空気の中に、嬉嬉として遊んでいる。人間も、この空気の中にあっては、すべての妄念を去る。潭の影(ひかり)の清らかさにいざなわれて、人の心も清らかに空しい。世の中の最も清浄なものを吸収しつくしたのが、この小さな空間であるようであり、雑音は、何ひとつきこえない。「万籟は此に都べて寂(せき)」である。ただその静寂を一そう深めるものとして、聞こえるのは、きよらかな鐘の音、磬の音。磬とは石をみがいて作った打楽器であり、高くすんだ音を発する。  
送宇文六
花映垂楊漢水清 花は垂楊(すいよう)に映じて漢水清く
微風林裏一枝軽 微風 林裏(りんり) 一枝(いっし)軽し
即今江北還如此 即今(そくこん) 江北(こうほく) 還(ま)た此(かく)の如からん
愁殺江南離別情 愁殺(しゅうさつ)す 江南(こうなん) 離別の情

紅の花は、芽を吹いたばかりのしだれ柳の新緑に映え、漢水は清らかに流れている。林の中ではそよ風が吹き、木々の枝が軽やかに揺れる。今、江北にも同じようなのどかな春景色が訪れていよう。だけど、江南では私が、離別の情に堪えかねて哀しみにうち沈んでいる。
友人である宇文六(宇文は姓、六は排行、排行に付いては「秋夜寄丘二十二員外」を見てください)が江北に向かって旅立つときの送別の詩。起句、承句では明るい江南地方の早春の風景を描いています。そして、貴方の行く江北にも又このような春の風景が広がっているでしょう。畳みかけるように、一面春の景色に覆われている事を示し・・・ しかし、最ものどかに春めいているこの江南で私は貴方との別れの情に沈んでいる。と、別れの情をことさら強調します。別れには柳の枝を折って渡す風習があり、起句の楊柳は別れを暗示し、友人との別れの情を春の情景の中で少しセンチメンタルに詠っています。 
塞下曲二首 其一
玉帛朝囘望帝郷 玉帛ぎょくはく 朝ちょうより回かえって帝郷ていきょうを望のぞむ
烏孫歸去不稱王 烏孫うそん 帰かえり去さって王おうと称しょうせず
天涯靜處無征戰 天涯てんがい 静しずかなる処ところ 征戦せいせんなし
兵氣消爲日月光 兵気へいきは消きえて日月じつげつの光ひかりとなる  
塞下曲二首 其二
北海陰風動地來 北海ほくかいの陰風いんぷう 地ちを動うごかして来きたり
明君祠上望龍堆 明君めいくんの祠上しじょう 竜堆りゅうたいを望のぞむ
髑髏盡是長城卒 髑髏どくろことごとくこれ長城ちょうじょうの卒そつ
日暮沙場飛作灰 日暮にちぼ 沙場さじょう 飛とんで灰はいと作なる

北海から北風が地をとどろかせて吹いて来る。王昭君のほこらのあたりから白龍堆の方を望むと、そこかしこにころがっている髑髏は万里の長城を築き、異民族との戦いで死んでいった兵士たちだ。暮れゆく砂漠の上を、骨は灰となって舞い飛んでいる。 
三日尋李九荘
雨歇楊林東渡頭 雨あめは歇やむ 楊林ようりん 東渡とうとの頭ほとり
永和三日盪輕舟 永和三日えいわさんじつ 軽舟けいしゅうを盪うごかす
故人家在桃花岸 故人こじん 家いえは桃花とうかの岸きしにあり
直到門前溪水流 直ただちに到いたる 門前もんぜん 渓水けいすいの流ながれ