沙羅雙樹

 

   
 
   

2010/7/24

 
沙羅双樹1
(娑羅双樹、さらそうじゅ、しゃらそうじゅ、学名:Shorea robusta) インド原産の常緑高木。ラワンの一種レッドラワン(S. negrosensis)と同属である。菩提樹、無憂樹と並び仏教聖木の一つ。 仏教三大聖樹(仏教三霊樹)。別名、沙羅の木(「サラノキ」「シャラノキ」)。
常緑高木。幹高は30mにも達する。春に白い花を咲かせ、ジャスミンにも似た香りを放つ。耐寒性が弱く、日本で育てるには温室が必要である。日本では温暖な地域の仏教寺院や植物園に植えられている程度である。各地の寺院では本種の代用としてツバキ科のナツツバキが植えられることが多い。そのためナツツバキが「沙羅双樹」と呼ばれることもあるが本種とはまったくの別種である。
インドから東南アジアにかけて広く分布。
沙羅双樹と仏教
釈迦がクシナガラで入滅(死去)したとき、臥床の四辺にあったという、4双8本の沙羅樹。時じくの花を咲かせ、たちまちに枯れ、白色に変じ、さながら鶴の群れのごとくであったという(「鶴林」の出典)。ヒンディー語ではサールと呼ばれる。日本語の「シャラ」または「サラ」の部分はこの読みに由来している。涅槃図にもよく描かれている。
仏教三大聖樹
無憂樹 (マメ科) / 釈迦が生まれた所にあった木
印度菩提樹 (クワ科) / 釈迦が悟りを開いた所にあった木
娑羅双樹 (フタバガキ科) / 釈迦が亡くなった所にあった木  
沙羅双樹2
「仏陀入滅のとき、東西南北に生えていて時ならぬ花を咲かせたと伝えられる木」と言えばフタバガキ科のサラノキ(2本づつ生えていたのでサラソウジュ)ですが、日本では温室がないと育たないため、多くの寺院ではツバキ科の夏椿(別名サラノキ)が「仏陀入滅ゆかりの木」として植えられています。菩提樹も、本来のクワ科のインドボダイジュが日本では育たないため、代わりに、シナノキ科の植物の1つをボダイジュと名付け、「釈迦が悟りをひらいたゆかりの木」としています。沙羅双樹と菩提樹に加え仏教三聖木とされるのが、釈迦生誕の聖木無憂樹(ムユウジュ、アソカ)です。この木だけ日本で読み替えられた樹種がないのは不思議です。その代り日本で釈迦聖誕祭(灌仏会、花祭り)につきものの木がアマチャ(甘茶)、アジサイの仲間でちょうどこの時期に開花します。
沙羅双樹 / 釈迦入滅(亡くなったとき)の聖木
インドでのもともとの木
科/フタバガキ || 学名/Shorea robusta
原産地/インド中部〜ネパール、アッサム(標高1500mくらいまで)
高さ30m以上直径1mになる。雨季と乾季のはっきりした地域に育ち、乾季には落葉する。東インド、ガンガ中流域の仏跡あたりでは3月中旬頃白い花が咲き、香りが満ちるという。半ば下垂する大きな円錐花序に3pほどの花がたくさん咲く。ライラックの花序を思いうかべれば近いだろうか。フタバガキ科特有のドングリにウサギの耳状の羽をつけたような実をつけるが羽は「フタバ」ではなく5枚。ショレアShorea属の樹木は「ラワン材」としてよく知られているが、サラノキの材は堅く耐久性に優れインドでは珍重される。
日本でゆかりとされる木・夏椿(シャラノキ) / インド名シャーラから
科/ツバキ || 学名/Stewartia pseudo-camellia
原産地/本州(福島県以南)、四国、九州、朝鮮半島南部
高さ10mくらいになる落葉高木。6月下旬から7月にツバキに似た白い花を咲かせる。樹皮がまだらに剥げるすべすべした赤褐色の幹が美しいが、庭木には同属でやや小型、枝ぶりが繊細で幹の橙褐色が鮮やかなヒメシャラのほうがよく植えられ、両種をあわせてシャラノキと呼ぶことも多い。サラノキと誤認して名がついたとされるが、花が白という意外に似たところはなく、どのような経緯で混同されたのか不思議である。サラソウジュの異名があるもう一種、エゴノキ科のハクウンボクのほうが花のイメージとしては近いだろう。  
沙羅双樹3 / ナツツバキ
朝咲いて夜には散る、はかない命の一日花。ナツツバキは、哀れでありながら潔さを感じさせる純白の5弁花です。ナツツバキの原産地は、日本から朝鮮半島南部です。日本では、宮城県以西の山地に野生しており、別名シャラノキといわれます。ヒメシャラは、ナツツバキより小さい花をつけるのでヒメ(姫)シャラの名前がついています。
両者とも、地方によっては、サルスベリとよばれます。昔の人々は、木に登る必要が多く、猿の木登り上手がうらやましかったに違いありません。そこで、猿でも滑って登れそうにない、樹肌のすべすべした木をサルスベリ(猿滑り)とよびました。このような樹肌を持つ樹木は、サルスベリ、サルダメシなどと名づけられており、日本で十種以上はあるでしょう。その中でも、代表的なものは、ナツツバキ、ヒメシャラ、リョウブなどです。
現在、標準和名となっている“サルスベリ”は、中国から渡来したミソハギ科のサルスベリ(百日紅)です。サルスベリは、ナツツバキなどより、さらに樹肌がつるつるしています。
ナツツバキの学名は、Stwartia pseudocamelliaです。属名のStwartiaは、英国のJ. Stuart氏から、種小名のpseudocamelliaは、“ツバキに似ているが偽の”という意味です。
ところで、ナツツバキが、シャラノキまたはサラノキ(沙羅樹)とよばれるのは、釈迦(しゃか)が入滅(にゅうめつ)(死去)する時、臥床(がしょう)(寝床)に咲いていたインド原産の常緑高木樹(フタバガキ科)のサラソウジュ(仏教における聖なる樹の一つ)に間違えられたことに由来するといわれています。日本でいうシャラノキ(ナツツバキ)は、ツバキ科の落葉樹で、インドのものとは全く別の種です。本物の沙羅双樹は、日本に野生していません。
ナツツバキは、釈迦と縁のある沙羅双樹と取り違えられたことから、寺院などによく植栽されています。また、花が美しいため、茶室の庭(ヒメシャラの場合が多い)などの庭木として植栽されます。
釈迦は、インドの霊鷲山(ビハール州)から生まれ故郷に向かう途中に、クシナガラで涅槃(ねはん)に入りました。これが釈迦の入滅(死去)です。この時、釈迦の臥床の四辺に2本ずつあった沙羅樹が合体して1本の樹となり、たちまちのうちに枯れ、樹色が白変したといわれています。そのようすは、さながら鶴の群れのごとくであったとされ、釈迦の入滅を“鶴林(かくりん)”ともいいます。釈迦の入滅の前後を歴史的に描いた原始仏典の一つに、大般涅槃経(だいはつねはんきょう)があり、この経典では、法身の常住と一切衆生の成仏を説いています。
なお、涅槃(サンスクリット語で、ニルブァーナ)とは、煩悩(ぼんのう)を解脱(げだつ)して悟りの境地に入り、一切の苦しみから解放された状態をいい、大乗仏教では、常楽我浄(じょうらくがじょう)の四徳を具えた理想の境地とされています。
平家物語の冒頭は
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声 諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色 盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)をあらはす
奢(おご)れる人も久しからず 唯(ただ)春の夜の夢のごとし
で始まります。
この文中にある沙羅双樹は、ナツツバキのことで、この花が“一日花”で、白い花をつけることを意識しているものと思われます。
祇園精舎は、釈迦に帰依(きえ)した須達(しゅだつ)長者が、釈迦とその弟子に寄進した寺で、中インドの舎衛(しゃえ)城の南に旧跡が残されています。諸行無常とは、仏教の基本教義の三法印の一つで、“この世のものは常に変化・生滅してとどまることはない”の意、言いかえれば、“この世ははかないものである”という意味です。この冒頭の文は、平家一門の栄枯盛衰を見事に表しています。
万葉集の巻五の巻末には、山上憶良の“沈痾自哀文(ぢんあじあいぶん)”という長文の漢文があり、その中に“双樹”が登場しています。
ナツツバキの材は、紅褐色で堅いため、床柱、器具、彫刻などに用いられます。また、茶花には欠かせないものとなっています。
花言葉は、“愛らしい人”です。
ものさびし青葉の宿の五月雨に 室にかなへる沙羅双樹の花 伊藤左千夫
朝(あした)咲きゆふ散る花を沙羅の木と 植ゑしは日本のいつの古へか 土屋文明
沙羅咲いて往路ばかりの月日かな 脇本星浪
沙羅の花夕べほろびの色こぼし 冨塚静  
「諸行無常」
諸行無常は、逞しく生きていきなさい、という事なのです。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす…」
「平家物語」の冒頭に出てくる一節です。これは物悲しいでしょう。実は、日本で言われる諸行無常の概念と、仏教が説く真の意味の諸行無常は、全く意味が違うのです。
皆さんは、どうしても「平家物語」の諸行無常が正しい意味だと勘違いしています。しかし、「無常」を物悲しいという意味に捉えてはいけません。仏教の説く「諸行無常」というのは、それとは全く違っていて、実にクールで逞しいのです。力強いのです。この点を皆さんは勘違いしてはいけません。
諸行とは、万物を含めた、あらゆる事象のことです。無常とは、それら(宇宙)が止まることなく移り変わる(縁起する)ことです。即ちあらゆる現象の変化して止むことがないということ、この理法を説いたものが、諸行無常なのです。
これは仏教の根本教理の三つの特徴を表した「三法印」即ち、諸法無我(いかなる存在も普遍の本質を持たない)、涅槃寂静(迷いを去った悟りの境地は次元を超えた安らぎである)、諸行無常(あらゆる事象は変化し止まることがない)の一つです。
無常であるが故に、全ての物は変転していくが故に、何一つ定まる物はない。それ故に何一つ心が囚われる必要が無い、と説くのです。だからこそ仏教真理に目覚めると、逞しく生きていけるのです。要するに、我々が思い込んでいる真実など全て錯覚だと説いているのです。
何かに心が囚われるから、「大切なもの」を失うのではないか、不幸になるのではないか、という気持ちが起こる、不安が生じます。人生とは、常にこの意識(不安)との戦いです。それは、理に通じていないという事でもあるのです。
しかし乍ら、常に全ての事物は変転していく物であって定まるところは無いと知れば、自分の心がそこに囚われる必要がありませんから、常に柳に風で飄々としていられるわけです。実に逞しく生きていけるのです。
ですから、諸行無常とは逞しく生きていきなさい、という事なのです。何事にも囚われてはいけませんよという事です。決して寒々とした感性ではありません。それどころか信じられないくらいの力強さがそこには存在するのです。  
平家物語 / 「沙羅双樹の花の色」は何故「盛者必衰の理」なのか
祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
( 祇園精舎の鐘の音には 永遠に続くものは何もないと言っているような響きがある 釈迦が亡くなった時に咲いたと言われる沙羅双樹の花の色は 栄えたものは必ず滅びるという法則を表している )

仏滅の際、沙羅双樹がどうなったかは、複数の異なった様子が伝わっていて、一定しないようです。
釈尊が沙羅林に横たわった際、季節外れに花が咲き、散って釈尊の身を供養した。釈尊が横たわったところの東西南北に各一対の沙羅の木があり、入滅と同時に東西の二双と南北の二双が合わさって、それぞれ一樹となり、釈尊を覆った。このとき、木の幹が白変し、白鶴のような姿になった(「鶴林」「鶴樹」という言葉の由来)。
この計8本の沙羅の木のうち、四方の双樹のそれぞれ一本は枯れて一本は繁茂した。(四方で一本ずつ残った)これを「四枯四栄」という・・・
四枯四栄は、誤った8種のモノの見方、(凡夫が俗世間を誤った見方で見ることが「四栄」、大乗仏教以前の仏教徒が涅槃を誤った見方で見ることが「四枯」)正しい8種のモノの見方(大乗以前の仏教徒が俗世間を正しい見方で見ることが「四枯」、大乗菩薩が涅槃を正しく見ることが「四栄」)という二重の喩えになっている、そして、一方が枯れ、一方が繁茂した中で涅槃されたということは、枯れ(衰)も栄え(盛)もしない涅槃そのものを表しているとされています。
沙羅双樹の花の色が盛者必衰というのは、双樹の片方が枯れ、片方が栄えたことか。

「沙羅双樹の花の色」の「色」は、colorではなくて仏教用語の「色 [ しきruupa (sanskrit) ]」なのではないでしょうか(色即是空とかに出てくる色です)。色というのは、「認識の対象となる物質的現象の総称」だそうなので、沙羅双樹の花の色=沙羅双樹の花の姿と取ると、咲いて散っていく花の姿を、平家一門の栄枯盛衰に見立てたと取れるのではないでしょうか。