そだね〜 オリンピック

ピョンチャン(平昌)・オリンピック
2週間 楽しみました

やるべきことの積重ね
願えば叶う メダルの感動


 

 
 

「限界は人が決めるものではない」
「夢がかない幸せ者」

 
 
「この五輪は僕のモーグル人生の分かれ道になる」

 
 

「ホッとした気持ちと悔しい気持ちが半々」
 
 
「羽生選手と僅差で競える選手になりたい」

 
 

「銀メダルをとれた喜びと安心感が半分」
「目標にしていた金メダルにたどり着けなかった悔しさ」

 
 

「生活をスノボと共有した4年」
「4年後にリベンジできれば」

 
 

「恐怖心あったが、プレッシャーなし」
「スケート人生の誇り」 
 
 
「感謝とうれしい気持ちでいっぱい」
「スケート人生でかけがえのない日になった」

 
 

「成し遂げることができた」
「闘ってきた証しで、支えてもらった証し」
 
 
「首から提げているもの重く感じる」
「5回転は挑戦してみたい 」

 
 
 
 

 



2018/3
 
第23回 ピョンチャン(平昌)・オリンピック

 

   
●金メダル
羽生結弦(フィギュアスケート男子シングル)

 

5回転は挑戦してみたい
平昌五輪フィギュアスケート男子で連覇を達成した羽生結弦選手が27日、日本外国特派員協会で記者会見し、五輪に出場したフィギュアスケートペアの北朝鮮代表について「スケートの仲間であることは絶対に確かなことだと思うので、彼らがオリンピックに出られてよかった」などと話した。会見では、炭酸ジュースやファストフードが好きという意外な素顔を明かしたほか、会見の冒頭では、外国人記者らの前で流暢な英語であいさつするなどして会場を湧かせた。
羽生選手は同日の会見で、出席した外国人記者から、五輪に出場した北朝鮮の選手についての印象などについて聞かれ「(上位選手による)エキシビションの練習中にフィギュアスケートペアの選手と会うことができた」と明かした。印象について「彼らは一生懸命練習していたし、技術力も持っていたなと感じている」と振り返った。
また、「僕は政府の人間じゃないからコメントは難しい」とした上で「一緒にスケートをやっていて、スケートの仲間であることは絶対に確かなことだと思うので、彼ら(北朝鮮の選手)がオリンピックに出られてよかったと思うし、実際に結果も取れてよかったと思う」と話した。
会見では、食事に関する話題もあった。
「(試合前に食べる)“勝負メシ”は何でしょうか?」と司会者に聞かれると「日本人としてはすしとかと言いたいが、競技前に生ものを食べたりは非常に危険なので、僕はいつも絶対にご飯を食べるようにしている」と話した。自身を「食べても太らないタイプ」と打ち明け、「普通のアスリートとは違う生活をしているのかなと思う。マクドナルドも行くし、炭酸ジュースもすごく好き。一緒にポテトチップスを食べることもよくある」などと意外な食生活を明かした。
また、海外の記者から「一般の人に分かりやすいように(ジャンプがどれほど)難しいのか教えてほしい」という質問があった。羽生選手は「初めてこんな質問が来た」としばらく悩んだ末、「目をつぶって回転しながら3重跳びをやっているような感じ」などと独特の表現で説明した。さらに、5回転ジャンプについて「挑戦できるのであれば、挑戦してみたいなという気持ちはする」と話し、会場を湧かした。  
 
「首から提げているもの重く感じる」
平昌冬季五輪のフィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの五輪連覇を成し遂げた羽生結弦(23)が27日、東京・内幸町の日本記者クラブで会見に臨んだ。主なやりとりは次の通り。
――フィギュアスケート男子シングルで66年ぶりの五輪2連覇を果たした
「一言でいうと幸せ。(フィギュアスケートは)今から66年前を振り返ると全く違ったスポーツだったと思う。進化がめまぐるしい。そういう意味ではすごく重いものになったと思う。冬季五輪で2連覇ということも珍しい。自分自身が持っている金メダルへの価値も大きいが、世間の方が持っている価値も大きなものになっているので、首から提げているものを重く感じている」
――もう少しで3月11日。仙台への報告はいつごろになるか
「明確にいつとは言い切れないが、仙台でたくさん応援いただいていることはメッセージとしても届いている。被災地の方も笑顔になるきっかけがあったらいいなと思っていた。今回、注目されながら演技できているので、皆さんにたくさんの思いが届いているのではないかなと思う。その力をもうちょっといただいて、復興の力にもしていただければと思う」
――世界では勝ち負けだけを重視する傾向も強いが、トップアスリートとして、「感謝」や「思いやり」の気持ちを大切にすることは大事なものか
「心の問題、集中力の問題からいえば、僕は性格上、追い込まれると強い。あまり楽しい気持ちとか、ニコニコしながら演技をするのは向いてないんじゃないかなと思っている。『絶対に勝ってやる』と思ったときの方が力が発揮できたりということもある」
「感謝の気持ちを僕自身は大切にしている。競技以外でも競技が終わった後、競技をしていたフィールド、コーチ、家族、観客にも感謝の気持ちを向けなければなと日本人の誇りとして思っている」
――スケート以外で楽しいと思う瞬間は
「ゲームも大好きだし、アニメを見ること、漫画を読むこと、リラックスするタイムは楽しいなと思う。もちろん、自分の趣味として有名なのはイヤホン収集だったり、音楽鑑賞だと思うが、それもまた、たくさんの方々に支えていただいて、細部のところまで出るイヤホンをたくさんたくさんいただいている。こういう楽しい気持ちが競技につながっているのは間違いない。提供してくださる方、ありがとうございます」
――ネーサン・チェン選手がもしSP(ショートプログラム)で失敗しなければ、自身のフリーの構成は違っていたか
「ネーサン・チェン選手がノーミスするとか、しないとかに関係なく、自分ができることをやろうと思っていた。もし、ネーサン選手が僕より上になっていたら、もしかしたら自分のリミットをさらに超えたものをやれたかもしれない。それは分からない」
――これからフィギュア界はどう進んでいくか
「5回転が主流になったりとか、4回転半が主流になることは、(この)50年の間にはないと思う。それが主流になってしまったら、ジャンプ選手権、それこそ、ハーフパイプみたいになってしまう。ただもし、羽生結弦が4回転半、もしくは5回転に挑むとなれば、それは確実に表現の一部にする。芸術は絶対的な技術力に基づいたものだと思っている」
――宇野昌磨選手が羽生選手を追いかけ、フリーのジャンプをチャレンジし、失敗した。こういう後輩がすぐ後ろにいることはどういう意味を持つのか
「まずひとつ言っておきたいのは、僕はあの時点で勝利を確信していた。彼が4回転ループを本当にきれいに成功していたとしても、点差的に負けることはなかったと思う」
「『近づきたい』と思ってくれる存在が、自分の国の代表としているのは心強いこと。まだ引退するとは言わないが『引退します』と簡単に言ってしまえば、彼に任せられるというか、そういう頼もしさは感じてる。ただ、(宇野選手は競技後の会見で眠そうにしており)人前に出るときに寝るとか、そういうことは学ばなければいけないと思う。面倒を見なければいけないかなと思う」
――会場に入る前、中国大使館の方から、羽生選手にかわいいパンダのペア(のぬいぐるみ)をプレゼントしていただいた。「ぜひ、北京でも頑張ってください」というフレンドリーなメッセージもあった。次の五輪についての展望は
「次の五輪に向けては未定。4回転アクセルとか5回転の練習もしたいと思うかもしれない。それはまだ分からない。今やることを一生懸命やって、その延長線上に五輪があり、もし出るのなら絶対に勝ちたい」
――小さい頃からの夢を実現できた原動力とは
「小さい頃、『これ(フィギュアスケート)をやりたい』『これで強くなりたい』と憧れ、『これで一番上になりたい』と信じきっていた自分が(今も)心の中に残っている」
――小さいころはスケートが厳しくて、「野球をやりたい」と言って両親を困らせたというエピソードもあるようだ
「両親は困っていなかった。『覚悟がないならやるな』という感じになった。(ただ)先生たちが力をかけて面倒を見てくれていたので、自分の中でも『やり通さなければならない』という思いがあった。9歳くらいのとき『本当にやめたい』と思ったことがあった。9歳だからスケートを始めて5年経っていないころだが、『じゃあ、やめなさい』となったとき、『こんなことでこれを終わらせてしまっていいのかな』と思った。(そのとき)『僕、スケートに人生かけているな』と思った。『これをやめてしまったら、これまで生きていた意味がなくなってしまうかもしれない』とまで思った。だからそういう覚悟はずっとあったのかな」
――仙台でのパレードは検討しているのか
「ぜひ仙台でお金を落としてください。パレードをするにはたくさんの費用がかかって、特別な支援があってのことということは分かっている。強く分かっているからこそ、ぜひ仙台に通っていただき、来ていただき、杜の都(もりのみやこ)の良さ、そこで何かを見ていただくことにより、仙台、宮城の復興に携われたらいいと思っている」
――メダルをとったとき、「けがをしていなかったらとれなかったのではないか」と言っていた
「66年前に連覇した(米国の)ディック・バトンさんが僕にメッセージを送ってくれていた。そのメッセージが『五輪の経験を楽しめ』ということだった。彼自身、『練習しすぎていい演技ができなかった』と語っている。けがをせず、万全な状態で五輪に向かっていたら、そういうふうになり得たのではないかなと思っている。五輪直前にけがをしてしまったり、調子が悪くなって、最終的にボロボロになっていたかもしれないという気持ちを込めて、『けがをしなければなかったかもしれない』という言葉に乗せた」 
 
夢である4回転半ジャンプを成功させたいです
ピョンチャンオリンピックのフィギュアスケート、男子シングルで金メダルを獲得した羽生結弦選手が日本外国特派員協会で会見し、「夢である4回転半ジャンプを成功させたい」と改めて次の目標を語りました。
羽生選手は、ピョンチャンオリンピックフィギュアスケート男子シングルで66年ぶりとなる2大会連続の金メダルを獲得し、27日午後、東京・千代田区の日本外国特派員協会で会見しました。
この中で羽生選手は「小さい頃から金メダルを取りたいという思いがずっとあったので、その気持ちに押してもらいながらスケートを頑張ってきました。ソチ大会からの4年間は、けがや病気が多く、自分の足の治りが遅くて焦るこもありました。痛みは、ひどいときから20から30パーセントしか減っていませんでしたが、痛み止めとともに金メダルを取れました」とけがからの復活となった金メダルを振り返りました。
そして羽生選手は、挑戦を明言している4回転半ジャンプについて立ち上がってジャンプの入り方や降り方などを実演しながらその難しさを説明し「アクセルジャンプは遠心力をかけづらいジャンプです。練習している選手も少ないと思います。初めの1人になれなくても、夢である4回転半ジャンプを成功させたいです」と改めて次の目標を語りました。
その上で5回転ジャンプへの挑戦について聞かれると「科学的に人間は5回転まで出来ると言われています。挑戦出来るものなら挑戦したい気持ちもあります」と話し、その難しさを例えて欲しいといわれると「目を閉じて縄跳びをし3回転しながら5重跳びをするようものです」と話して、会場の笑いを誘っていました。 
 




小平奈緒(スピードスケート女子500m)

 

平昌冬季五輪のスピードスケート女子500メートルで優勝した小平奈緒選手(31)=相沢病院=が20日、平昌五輪スタジアム近くの広場で行われた式典で金メダルを授与された。日本選手団主将の小平選手は日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長から金メダルを首にかけられると、柔らかな笑みをたたえた。頂点を争った親友の李相花選手(韓国)は銀メダルを受け取り、改めて健闘をたたえ合った。3度目の五輪出場となった小平は今大会、初の個人種目のメダルとなる1000メートルの銀と合わせ、二つのメダルを獲得した。   
「私は成し遂げることができた」
スピードスケートの女子500メートルが行われ、小平奈緒(相沢病院)が36秒94の五輪新記録で金メダルに輝いた。メダリスト会見の主な一問一答は次の通り
――五輪新記録での金メダルだった
「まだ私が滑り終わった後に2組のレースが残っていたので、まだ喜びを爆発させるべきではないと感じていた。そして、すべてが終わって結果を見たとき、まわりの皆さんがすごく喜んでくれて、私は成し遂げたんだなと思った」
――コーチが銀メダルだった1000メートルが終わってからの3日が勝負だと話していたが
「1000メートルは実力を出し切っての2位だったけど、どこかで私も頂点に立ちたいという思いがあった。そのなかで自分のベストを出すために、自分の滑りだけに集中してレースができた。勝負の3日間の中で、滑りが自分らしくない部分が出たけれど、同じチームメートの山中(大地)選手と滑る中で自分らしい500メートルのタイミングを取り戻すことができたかなと思っている」
――日本の主将として獲得した金メダルには
「結果的に金を取ることができたけど、(日本選手団が出場した)多くの種目を見ていても、メダルに届かなくてもみんなの色で咲き乱れてくれていた。昨日、(フィギュアスケート男子で)羽生(結弦)選手が金メダルの道を突破してくれた。私も勇気をいただいて、きょうの滑りにつなぐことができた」
――この金メダルを誰か捧げたい人はいるか
「両親かなと思います」
――スタートの動きに古武術を取り入れたことは、金メダルにどうつながったか
「すべてではないけど、すごくいい感覚のヒントをいただき、いまの私のスタートにつながっている。いろんな方々のアドバイスから、いまの時点でのベストのスタートが切れたと思う。自分の滑りをするだけという心の持ち方、体の使い方、詳しくは言葉では説明できないけどそのあたりです。
――ライバルで銀メダルになった李相花(韓国)とレース後に声を掛け合っていた。どんな言葉だったのか
「たくさんの重圧の中でよくやったねと伝えた。私はまだリスペクトしていると伝えた」
――李相花(韓国)をどう思っているか
「いつも親切だと思っている。3年前くらいに、私がソウルの大会で初優勝したとき、すぐに(練習拠点だった)オランダに戻らないといけなくて、会場のリンクから空港に行かないといけないとき、タクシーを呼んでお金まで出してくれた。(負けて)悔しいはずなのに、すごくうれしかったのを覚えている。人としてもスケート選手としても尊敬できる友達だ」
――武者修行にいったオランダへの気持ちは
「ソチ五輪後、スケートの文化を学びたいということでオランダに2年間いった。環境を変えることには、すごく勇気がいった。コーチも家族もいなくて、私1人で行ったけど、現地では親身に教えてもらえた。きょうも一緒にレースに出た選手たちにも支えられながら、みんなが家族と思って生活できたことが、私の人生の生き方を変えてくれたと思っている。
実はオランダにいって、すぐに父からメールがきた。『奈緒の人生は神様がくれた時間。悔いのないように思う存分に使いなさい』と。それが私の生き方を支える言葉になった。いまにつながっていると思う」 
 
「闘ってきた証しで、支えてもらった証し」
平昌五輪スピードスケート女子500メートルで金メダルに輝いた小平奈緒(31)(相沢病院)は19日、平昌のジャパンハウスで記者会見し、競技から一夜明けた心境や今後の抱負を語った。
大本命の得意種目で五輪新記録の圧倒的な強さを見せつけたレースを振り返り、「夢に描いていたものを成し遂げることができ、とてもうれしい」と改めて喜びを表現した。「メダルは私が闘ってきた証しでもあり、皆さんに支えてもらった証しでもある」とも語った。
今後の目標を問われると、「500メートルの世界記録を塗り替えたい」ときっぱり。4年後の北京五輪については、「まだ所属先と話をしていないので何とも言えない」と明言を避けつつも、「私としてはもう少しスケートを滑りたい」と意欲を見せた。 
 
金の恩返し
一度も「勝て」と言われたことがない特別な支援者に、恩返しした。平昌冬季五輪は18日、スピードスケート女子500メートルに小平奈緒(31)が出場、金メダルを獲得した。信州大学卒業後、実績の少なさから所属先が決まらず、競技生活の続行も危ぶまれた。その時、手を差し伸べてくれたのが「相沢病院」(長野県松本市)。五輪新記録で頂点に上り詰めた女王は「みんなに『ありがとう』と伝えたい」と目を潤ませた。
2009年の大学卒業間際。小平は苦境に立たされていた。大学での主な実績は、2年時の全日本距離別選手権1000メートル優勝と、4年時の同選手権1500メートル優勝などで、世界に広く知られる存在ではなかった。
小平は競技続行に当たり、同大教授の結城匡啓(まさひろ)コーチ(52)の指導が受けられる環境を希望した。だが、当時はリーマン・ショック真っただ中。「世界一」の肩書もない小平の希望を受け入れてくれる企業はなかった。
そんな中、日本スケート連盟が提携するスポーツドクターで、相沢病院のスポーツ障害予防治療センターに勤務する村上成道医師が、当時院長だった相沢孝夫さん(70)=現最高経営責任者=に引き合わせてくれた。08年に左足を痛めた際、リハビリをした病院でもあった。
面談した相沢さんが抱いた小平の第一印象は「さわやかで、派手なことや華美なことは求めない人」。「広告塔」として期待したわけではなく、「スケートに打ち込みたい」という真っすぐな瞳に心を打たれた。「話しているうちにすーっと僕の中に入って来て支援を決めた」。同センター職員として給料を払い、用具代、遠征費など年間1000万円超をサポートする。
10年のバンクーバー五輪では1000メートルと1500メートルで5位、14年のソチ五輪では500メートルで5位に入ったが、なかなか才能が開花しなかった。小平はソチ五輪後、飛躍を求めてスピードスケート王国・オランダへの留学を希望した。
「いいんじゃないか。本人がやりたいようにやれば」。話を聞いた相沢さんは、14年春からの2年間、長期出張という形で、小平をオランダに送り出した。オランダ仕込みの「強者のメンタリティー」を手にした小平は、帰国後の16年からW杯500メートルで15連勝を続ける。
平昌五輪を10カ月後に控えた昨年4月。小平からもう一つの要望があった。「バンクーバー、ソチ五輪に出場し、同部屋だった同い年の石沢志穂さんをサポート役にしてくれないか」。相沢さんは、この時も二つ返事でOKした。「過剰な要求をしない小平がお願いしに来たということは、石沢さんを本当に必要としているということ。素人では世界で戦うサポートはできない」
石沢さんは遠征に同行し、試合中もそばにいる。「練習もすごく雰囲気がいい」と喜ぶ小平は、昨年11月のカナダ遠征中にもツイッターに「身体再生中。いっしーのお料理で、長い遠征中の身体づくりもバッチリです。カナダにいるのに、日本より日本らしい食事」と投稿した。
「躍動感あふれるレースができた」と振り返った小平。「長野出身で頑張っている小平を応援しているだけ。僕は一度も『勝て』と言ったことはない」と話す相沢さんに、輝くプレゼントを贈った。  
 
李相花との友情物語
平昌(ピョンチャン)冬季五輪のスピードスケート女子500メートルで小平奈緒選手が金メダルを獲得し、一夜明けた19日、開催地・韓国のメディアは、国民的英雄である李相花(イサンファ)選手の「五輪3連覇」が未完に終わったことを惜しみつつも、2人が氷上で抱擁する場面を大きく紹介した。2人の友情に触れつつ、「美しいフィナーレを残した」(聯合ニューステレビ)などと報じた。
「小平“あなたを尊敬します”・・・李相花“あなたも立派です”」
主要紙「東亜日報」は五輪特集面で、2人がレース後に氷上で交わした会話を見出しに取り、日の丸を肩にまとった小平選手が太極旗(韓国国旗)を持った李選手を抱きしめる写真を大きく掲載した。
李選手は韓国では「氷速女帝」と呼ばれる。バンクーバー五輪、ソチ五輪で2連覇し、36秒36の世界記録を持つスーパースターだ。今回の韓国選手団の中でも、特に期待された選手だった。
東亜日報の記事では、李選手は一昨年と昨年、ひざの負傷によるスランプに苦しみ、同時期に小平選手が急浮上したことが「心の重荷になった」と指摘。10代の時に国際大会で小平選手と出会って以来、友情を育んできたが、スランプの時期には小平選手の名前を呼ばず、代わりに「その選手」と呼ぶようになるなど、心が揺れたこともあったとした。
主要紙「ハンギョレ新聞」も、涙を流す李選手を小平選手が抱きしめる大きな写真を掲載。李選手が「(レース後、小平選手と)お互いに誇らしい、学ぶ点が多いという会話を交わした」と紹介。李選手が金メダルを逃したことを惜しみながらも、「李を追い越したのは、それだけ小平が血のにじむような努力をした証拠」とたたえた。
李相花 銀に思い交錯
自国開催の五輪で3連覇を狙った李相花は小平に敗れて涙した。高め合ったライバルに肩を抱かれると「感情的になった」。けがに苦しんだ日々を乗り越えた世界記録保持者。平昌の地で何とか力を示し、安堵(あんど)感もみせた。100メートルはトップタイムの10秒20で通過。スタートダッシュはさすがだったが、最終カーブでバランスを崩し、小平に0秒39及ばなかった。それでも「やっと自分の滑りを取り戻せて2番になれた。いい思い出になる」。リンクでも会見でも、最後まで勝者の小平をたたえた。
李相花 「記録に満足、良い思い出」
「この五輪を目指して私も小平も走ってきた。それがとうとう終わったのだなと思うと涙が出てきた」。韓国の李相花は3連覇を果たせなかったレース後、小平と抱き合った瞬間のことを、こう振り返った。 小平の次の組で登場し、最初の100メートルは10秒20と小平を0秒06上回りスピードに乗ったが、終盤のカーブでバランスを崩した。「最初は世界記録が出た時と同じ感覚で、それで(逆に)最後にミスがでた」という。しかし、膝やふくらはぎの故障を抱え昨年は不調に苦しんだだけに「1年半かけて、この記録が出たことに満足だ。2位となったことも良い思い出になるだろう」と笑顔を見せた。ライバルの小平については「極めて親しい仲。小平とのレースで気分が悪かったことがない」と述べたうえで、小平の徹底した自己管理を称賛した。ソチ五輪の後、互いに「平昌ではあなたが1位、私が2位でいい」と冗談交じりに言い合ったことも明かした。五輪後のことについては迷いも見える。レース後、報道陣に「平昌でなければ、五輪前に引退していた」と断言した一方で、さらにその後の記者会見では「引退とは言えない。競技場でまた会う時があると思う」とも語った。. 
 




木菜那(女子マススタート)

 

「最後に差せたのはさすが」
世界一をつかんだスピードスケート女子団体追い抜きの4人はリラックスした様子でそれぞれの思いを語った。1大会で金銀銅の3個のメダルを獲得した高木美が「どの種目もそのレースに向き合って挑むことができた」と充実感を漂わすと、前夜にマススタートで優勝し、日本女子では夏冬通じて初となる同一大会金メダル2個の偉業を成し遂げた高木菜は「うれしいけど、まだ金メダルとった実感は少ないかな」と素直な心境を明かした。
高木菜は5000メートル最下位で今大会をスタートしたが、最も力を入れてきた団体追い抜きで、高木美、佐藤、決勝で控えに回った菊池とともに悲願を達成した。
マススタートでは高木菜の“相棒”となる佐藤がアクシデントで決勝に残れなかったが、妹の高木美は「(位置取りが)いいところにいるなと感じていた。最後に内から差すことができたのはさすが」と姉の勝負強さと巧みなカーブ技術を称賛した。
次の目標を問われると、3月に世界選手権(アムステルダム)が控える高木美は「五輪にかける気持ちでずっとやってきて、その大会がやっと終わったところ。すぐに気持ちの切り替えはできていない」。高木菜は「まずは膝を完璧に治したい」とリハビリに専念する考えを明かした。すべてを出し尽くした姉妹は達成感に満ちた表情で大会を終えた。 
 
「違う重みの金メダル」
ピョンチャンオリンピック スピードスケートの新種目、女子マススタートで、金メダルを獲得した高木菜那選手は、スピードスケートの会場で金メダルを授与されたあと記者会見し、レースでの作戦や個人種目でのメダル獲得について語りました。
レースでの作戦について、「最後まで力を残して一気に仕掛けることを考えていたので、オランダの選手の後ろについて楽をして風の抵抗を抑えようと思っていた。団体パシュートでもずっとやってきたことで無意識にできたと思う」と話し、日本のナショナルチームで鍛えてきたことがいかされたことを明らかにしました。
また、個人種目での金メダルについては、「まだ実感がないが、団体パシュートとは違う金メダルの重みかなと思う。パシュートはみんなで力を合わせて取りたくて、取りに行った金メダルだったが、今回は自分で取りたいと思った金メダル。最後にいい形でオリンピックを締めくくれてよかった」と笑顔を見せていました。 
 
金メダル授与 「感謝とうれしい気持ちでいっぱい」
スピードスケート 女子マススタートで金メダルを獲得した高木菜那選手は、表彰式のあと「日本の国旗が真ん中に揚がり、君が代が流れることはほかの大会ではそうそうないことなので、周りへの感謝とうれしい気持ちでいっぱいになった」と話しました。
また女子団体パシュートとあわせ、この大会で2つの金メダルを獲得したことについて、「今まで一緒に練習してきた仲間や応援してくれた人たちの支えがあったので、落ち着いてレースができたのがいちばんだと思う」と振り返りました。
そして最後に「いままでつらいときもあったが、両親や仲間に本当にありがとうと伝えたい」と感謝の言葉を述べました。 
 
「スケート人生でかけがえのない日になった」
平昌冬季五輪のスピードスケート女子マススタートで金メダルを獲得した高木菜那(日本電産サンキョー)は、レースから一夜明けた25日、「自分のスケート人生にとって、かけがえのない日になった」と語った。高木は今大会、団体追い抜きとマススタートで2つの金メダルを獲得した。  
 
「妹のメダルでいい風」
金メダルに輝いたスピードスケート女子団体追い抜きの4人が25日、平昌のメインプレスセンターで記者会見した。
24日のマススタートでも金メダルを獲得し、団体追い抜きと合わせて二つの金メダルを首に下げて会見に臨んだ高木菜那選手(25)。「スケート人生でかけがえのない日になった」と喜びを語った。
妹の美帆選手(23)も個人種目の銀、銅、合わせて3色のメダルを手にした。菜那選手は「妹がメダルを取ってチームジャパンが波にのった。いい風が吹いた」と感謝し、「まだまだ追いかけ、追い越せという気持ち」と話した。
妹の美帆選手は「4年間、スケートに人生をかけるんだという思いで過ごしてきた」と五輪までの日々を振り返り、マススタートで金に輝いた姉を「さすがだなと思った」とたたえた。
追い抜きメンバーの高木姉妹と、菊池彩花選手(30)、佐藤綾乃選手(21)は「ナショナルチーム」として、1年の300日以上を合宿所などで一緒に過ごしてきた。
五輪を終えてやりたいことについては、「温泉でゆっくりしたい」(菊池選手)、「静かな所でのんびりしたい」(美帆選手)、「白いごはんの食べ比べをしたい」(菜那選手)、「おなかいっぱい甘い物を食べたい」(佐藤選手)と答えた。 
 


木美帆、菊池彩花、佐藤綾乃、木菜那(女子チームパシュート)

 

高木美帆「恐怖心あったが、プレッシャーなし」
スピードスケート女子1500メートルで銀、1000メートルで銅、団体追い抜きで金の3個のメダルを獲得した高木美帆(日体大助手)
「8年前、4年前の悔しさをつないで、皆さんの想いをつないで、勇気をつないで、チームとのたくさんの時間をつないで、最終的にこの結果につなげられたことを大変うれしく思います。レースに挑むにあたり恐怖心は確かにありましたが、プレッシャーは全くなく、逆にたくさんの方々と一緒に戦えていると思うことができました。それが恐怖心に立ち向かう私の原動力でした。そんなふうに思えるような温かい応援や支えをいただけて幸せです。本当にありがとうございました」 
 
「スケート人生の誇り」 
平昌冬季五輪のスピードスケート女子団体パシュート(追い抜き)で金メダルを獲得した日本勢4選手が25日、平昌で記者会見した。新種目のマススタート決勝で今大会2つ目の「金」を勝ち取った高木菜那選手(25)は「仲間と結果を出せたのはスケート人生の誇り」と振り返った。
記者会見した妹の美帆選手(23)は前回ソチ大会に落選。「4年間をスケートに人生をかける思いで過ごし、強い気持ちを保つことができた」と胸を張った。今大会で日本勢最多の金、銀、銅の3つのメダルに輝いており、「応援やサポートをしてくれた人らの気持ちに対し、結果を出せてよかった」と笑顔を見せた。
高木姉妹と一緒に決勝で滑った最年少の大学生、佐藤綾乃選手(21)は「私よりはるかに力がある先輩やスタッフ、コーチの支えで金メダルを獲得できた。感謝の気持ちでいっぱい」と話した。
競技と学業の両立について「(五輪に向けて)今年は勉強があまりできなかった。学校の方の勉強もしていきたい」と今後の抱負にあげた。
4人のうち、最年長で準決勝に出場した菊池彩花選手(30)は足の大けがを乗り越えて五輪に臨んだ。「みんなの活躍が刺激になってここに立つことができた」と仲間への思いをかみしめていた。 
 
女子団体パシュート
Q 金メダルおめでとうございます! 高木美帆選手、率直な今のお気持ちを聞かせてください。
A この金メダルというものは、チームでしか成し遂げることができないと思っていて、個人種目の悔しさをぶつけるというよりは、このチームで金をとりたいという気持ちが強くあって、最後までその強い気持ちで、みんなで滑りきることができたので、ほんとうによかったなって思います。
Q 高木姉妹に質問です。今大会、お互いはどんな存在でしたか?また、会場に来たご家族に対してどんな気持ちを伝えたいと思っていますか?
A (姉・高木奈那選手)
妹とメダルがとれてうれしいです。でもそれ以上に、このメンバーでできたっていうことが誇りに思いますし、メンバーがいたからこその金メダルだったと思います。両親に対しては、今回のオリンピックは親も楽しんで見れるレースになったのかなと思うので、その中で金メダルをとれたところを見せられたので、今までの恩返しができたかなと思いました。
Q 美帆さんは?
A 私たち姉妹の力だけでは、金メダルをとることはできないので、姉妹で取れたってこと以上に、メンバー、チームで金メダルが取れてよかったなという思いの方が強いです。ただ、両親や家族に対しては、やっといいところを見せることができたのかなって思うので、感謝の気持ちを伝えたいなって思っています。
Q オランダに1秒以上の差をつけての勝利。個人の力を上回る相手にチームの力で勝ったということだと思います。それは、日本のスケート界にどのような意味があると考えますか?
A (菊池彩花選手)
う、難しい…(笑)えっと、オランダに勝っての金というのは、3年前に世界距離別選手権で初めて金メダルをとったときのことを思い出すんですけども、あの時美帆さん、菜那さんと3人で滑って勝てたっていう経験が、自分たちが勝てるという確信にならなかったというところがあって…、あの勝ちをきっかけに、自分たちにもできるんだっていう気持ちが芽生えて…、あとソチの悔しさっていうのもあって、すべてがつながってきての今回の勝利だったと思うので…。あれ、質問なんだっけ?(笑)
(ここで高木美帆選手が助け舟を出す)スケート界にとってどんなっていう…
(菊池選手)
あ、そうだ、すみません(笑)。えっと、ほんとうに今後にもつながるという…いいレースだったと思います(笑)。
Q 美帆さんは?
A 個人種目ではオランダに金メダルを中・長距離で持っていかれて、でもその中で、こうやってパシュートでは勝てるっていうことは、個人種目でも十分に戦えるだけの素質というか能力というのが、自分たちの中に持っているのではないかと思える勝利だったと思っているので、オランダは強いからって思うことなく、この先同じスケート選手として挑んでいけるのではないか、と。そんなメンタルの面では、大きい価値があるのではないかと思っています。
Q 佐藤選手は?
A 私自身もそうなんですけど、日本の選手は<オランダの選手が強い>って思っているところがあると思うのですけれども、私は特に、個人での力ではオランダの選手に及ぶことはできないんですけれども、この日本のチームワークで…何といえばいいんだろう…(笑)(難しいよね)えっと、このチームワークの良さっていうのは、ほかの国よりもまとまっていて、いいものだと思っているので、個々でオランダの選手に勝てないところはあると思うのですけれども、こういうふうに結果を残せて、チームで戦えば、強い選手がたくさんいる国にも勝てるんだぞっていう証明ができたかなって思っています。
Q 菜那さんは?
A パシュートの練習はたくさんやってきた、ほかの国よりもやってきたという自信があったりとか、そういうところが、今回勝てた理由なのかなとも思いますし、でも、個人でもどんどん日本の選手が強くなっているからこそ、このタイムが出たのかなって思うので、まだまだ日本のチームは強くなれるのかなっていうのもありますし、もっと強くなれたらと思うので、ほんとに今日はみんなの力が合わさって、いいレースができたかなって思います。
(最後にみんなでこそこそ)
質問難しいよね。もっと易しくしてほしいよね(笑)
Q もう一つ種目が残っていますよね(二人で滑る女子マススタート・24日)。美帆さん、出る場合はどんなレースをしたいか。出ない場合は、どんなレースにしてほしいですか?
A 作戦は秘密なんですけど、出るにしても出ないにしても、日本のチームワークと勘の良さ、状況判断の良さ、最後の勝負強さというところを最大限に発揮して、みんなでいろんな形で助け合いながらゴールを目指したいなと思っています。(佐藤選手には)最後の勝負強さというか、最後のスプリント勝負になったときの底力は、はかりしれない強い気持ちがあるなって思っているので、最後のスプリントでその強い気持ちが見れることを期待しています。(姉の高木菜那選手には)マススタートの経験が豊富で状況判断が適格だと思うので、チームワークだったりとか、予選もあるのでうまくレースを組み立てていってくれることを期待しています。
Q オランダから学んだこと、オランダのコーチから学んだことは何ですか?
A (高木菜那選手)
練習の効率の良さとか、トレーニング内容だったりとか、今までとガラっと変わったことがたくさんあったので、オランダから学んだことだったり、オランダのコーチから学んだことは、はかりしれないと思いますし、オランダのコーチを迎え入れたことで、個人のレベルだったりとか、チームワークだったりとか、レベルが上がっていったので、オランダのコーチを迎え入れることをしてくれた日本の連盟だったり関係者だったり、オランダのコーチには感謝しています。そして、(その指導が)今の日本のチームに合ったからこそ、チームパシュートのレベルが上がったのかなと思うので、この3年間は学んだこともたくさんありましたし、感謝しきれないこともたくさんありました。
Q パシュートは個人種目とは違うものだと思います。パシュートに取り組んだからこそ得られたものがあれば、教えてください。
A (高木菜那選手)
個人種目が多いスピードスケートの中で唯一のチームワークを出せる種目。自分は個人種目が全然ダメだったんですけれど、その中で、ほかのメンバー、一緒に滑ったメンバーがいたからこそ、金メダルがとれたってところは日本の強みなのかと思うので、チームでやってきたからこそ得られた金メダルだったかな、と思います。
Q 佐藤選手、お願いします。
A チームパシュートをやってきて、私自身このスケートをやってきて、あんまり自分自身に自信を持つことがなかったのですけど、チームパシュートを通じて、私が参加して、レースで結果を残すことができたっていう、今回の結果だけではなく、しっかり私には着実に力がついているんだなって感じさせてくれましたし、私だけの力では勝てない選手、ほかの国の選手にはまだまだ勝てないことが多いんですけれど、みなで力を合わせてパシュートとしてレースをすることで勝つこともできて、オリンピックで金メダルを取ることもできたので、自分を信じることができるんだってことをパシュートを通じて得ることができたと思っています。
Q 美帆さんは?
A チームパシュートで金メダルをとりたいと思ってから、このチームでパシュートの練習をたくさんやってきたのですけど、すごいハイスピードで4周だったり6周をキープする練習がとても多い中で、個人種目のスピートアップにつながったというところは確実にあると思っていますし、個人的に言うと、自分の個人種目でのスタミナにもつながってきてるんではないかなと思っているので、そういう面での他の種目の相乗効果というところも確実にある、と私は思っています。
Q 菊池選手は?
A みんなと同じなんですが。チームでパシュートの練習をすることで個人の種目も少しずつ結果がついてくることができました。昨年のケガも乗り越えて、こうやって五輪の舞台に立つっていう決心をして、そこで金メダルをとるってみんなでがんばってきて、ほんとに苦しい1年間だったんですけど、それだけのことをやっても、まだ自分自身のことを信じることができなくて、個人種目ではベストパフォーマンスは出せなかったなっていう、ちょっと悔しい結果になってしまったんですけど、でも、パシュートに関しては、みんながいてくれるっていう、自分のことは信じきれなかったけど、周りのみんなとかスタッフの人たちとか、その信じる気持ちがみんなの絆となって結果につながったのかなと感じています。 
 
パシュート女子、金メダルの勝因
19日の平昌五輪スピードスケート女子団体追い抜き1回戦後、半周ごとのラップタイムをグラフに落とし込んだ資料を見て、チームは一つの「粗」に気付いた。
折れ線グラフに1カ所だけ谷があった。タイムの落ちは一目瞭然だった。指し示した箇所は「14秒59」の4・5周目。高木菜那(日本電産サンキョー)から高木美帆(日体大助手)に先頭交代する時だった。疲れがピークの最終6周目より、0秒13遅かった。
理由はすぐに分かった。そこが課題だったからだ。高木菜と佐藤綾乃(高崎健康福祉大)はいつも言っていた。「先頭交代でスピードを落とさず、次につなげられるかが大事になる」
日本は隊列をそろえ、空気抵抗を最小限にする技術では他チームをしのぐ。速度の増減が最も足にダメージが残るため、一定のラップを刻むことも心掛けてきた。ただそれもスムーズな先頭交代があってこそだ。
だが、終盤の疲れや自分の責任は果たせたという緩みから、交代時にスピードが落ちることが多かった。実際に昨年11月のワールドカップ第1戦で佐藤は「交代時にスピードが落ちてしまった感覚があった」。佐藤から高木菜、高木菜から高木美に交代する周回で、ラップは落ちていた。
リスクを少なくするため先頭交代を1回減らして3回に。先頭交代前の直線でスピードを上げる意識を共有した。
準決勝のカナダ戦は佐藤に代わり菊池彩花(富士急)が出場したが、3人が絶妙の滑り。先頭交代時もスピードが落ちず、前後にピタリと体を詰めたまま隊列を崩さなかった。
高木美は「かけてきた時間は他のどの国より多いし、質も高いものができている」。個々の力は劣るが組織力で勝つ。最後まで細部にこだわり抜き、頂点に立った。 
 









●銀メダル
高木美帆(スピードスケート1500m)
小平奈緒(スピードスケート女子1000メートル)
小平と高木美、競い合い快挙 スピード女子1000
6日目を迎えた平昌冬季五輪。スピードスケート女子1000メートルで小平奈緒選手(31)と高木美帆選手(23)が2位、3位に入った。金メダルまであと少し。残った種目で雪辱を誓う姿に国内外から熱い声援が送られた。
「もう一段高いところで2人が並べたら最高だった」。日本の女子選手2人が同一種目で表彰台に上がる初の快挙。それでも小平選手は悔しさを隠しきれなかった。
小平選手の後を追い、成長してきた高木選手は1500メートルの銀に続く2つめのメダル。「想定した以上のレースができた。(銀メダルをとった)1500メートル以上に自分を褒めてあげたい」と納得の表情を見せた。
今季ワールドカップ4戦3勝と好調のまま、世界記録を持つ1000メートルに臨んだ小平選手は最後から2番目の15組で登場。号砲とともに低い前傾姿勢のまま大きなストライドでグイグイと加速。最後のカーブを曲がりきっても懸命に氷を蹴り続けた。
ゴール後、わずかにライバルに及ばなかったことを確認した小平選手は一瞬天を仰ぎ、大きく息を吐いた後、手を振って観客席の声援に応えた。
小平選手は3回目の五輪出場で個人として初のメダル獲得。「自分の好きなように氷を味わおうと思って走った。諦めずにゴールラインの先まで実力を出し切れた」と白い歯を見せた。「(18日の500メートルレースでは)しっかり集中していきたい」と気持ちを切り替えていた。
レース後の記者会見で高木選手は「オランダの選手を挟まずに(小平選手の)隣に立てたら良かった」。小平選手は「高木選手と五輪で一緒に競い合うことができてうれしく思う。本当にたくましくなったし、私自身の力になった」と互いに高めあった後輩スケーターの活躍を喜んだ。
高木選手の父、愛徳さん(60)は表彰台に立つ娘に対し、喜びをかみしめるようにゆっくりと拍手を送った。「小平選手と2人でメダルを獲得したのは本当に誇らしい」と笑顔を浮かべ、「勇気を与えてくれる滑りだった」と快挙をたたえた。 
 
平野歩(スケートボードハーフパイプ)

 

「4年後にリベンジできれば」
平昌冬季五輪で2大会連続の銀メダルを獲得したスノーボード男子ハーフパイプ(HP)の平野歩夢(19)=木下グループ=が15日、平昌で記者会見し、追加種目として採用されるスケートボードで2020年東京五輪挑戦を検討すると明らかにした。「ここから目指すのは時間がなく、ハードなトレーニングになる。しっかり整理して考えられたら。可能性があれば、という形で考えている」と述べた。
金メダルのショーン・ホワイト(米国)にも同様の挑戦の可能性が浮上している。
前日の競技では2回目にトップに立ちながら、最終の3回目に逆転を許し、「素直に受け入れられる部分と悔しい部分が残っている。4年後にリベンジできれば」と淡々と語った。 
 
東京五輪参戦「可能性はある」
平昌五輪スノーボード男子ハーフパイプ(HP)で2大会連続銀メダルを獲得した平野歩夢(19)=木下グループ=が一夜明けた15日、平昌で会見した。
平野は会見で2年後の東京五輪にスケートボードで参戦するかについても言及。「時間のない中でハードなトレーニングになると思う。はっきり決めていない部分を、これから整理して考えていければ可能性はある」と“二刀流”の可能性も示唆した。
都内には常設のスケートボード練習場がなかったが、日大が平野の入学に合わせて建設した。スポーツ科学部がある東京・世田谷区の三軒茶屋キャンパスの地下に高さ3メートル80センチ、奥行き7メートル20センチ、横幅18メートル60センチのハーフパイプを切り取ったような形の練習場が昨年4月に完成。朝や授業の合間なども練習に取り組める環境が整った。  
 
「生活をスノボと共有した4年」
平昌冬季五輪(ピョンチャン・オリンピック)スノーボード男子ハーフパイプで、14年ソチ五輪に続く2大会連続となる銀メダルを獲得した平野歩夢(19=木下グループ)が、メダル獲得から一夜明けた15日、平昌で会見を開いた。
平野は「これ以上の回転というのが、ハーフパイプの競技は限界に来ているというのも現状」と語る一方で「出来ることの高さだったり完成度だったり…プラスアルファが必要」と、さらなる進化への飽くなき思いも口にした。主な一問一答は、以下の通り。
――夜明けた心境は
平野 昨日は、銀メダルで終わってしまって…。目の前まで金メダルの可能性がある中、結果がリザルトになったので、素直に受け入れる部分と悔しい思いが残っているので、結果を生かして、またリベンジする4年後に出られれば。
――金メダルに足りなかったものをあえて挙げるなら
平野 金メダルに足りなかったものと言えば、細かく言うと、本当に着地の完成度。高さも、もうちょい出せるところだと思うので、そこがもう少し点数を伸ばせたところなのかなと思うところと、あと3本目が、さらにもう1ヒット、プラスアルファで違う技が入れば、点数が変わったところもあると…悔しさがある感じです。
――ショーン・ホワイトの最終滑走を見ていた時の思い
平野 何と言えばいいか…自分よりも、さらにプレッシャーがある中、最終滑走で、あの場で決めてくるメンタルの強さにビックリしたのと、自分もコケて欲しいとか、そういう願いは、特にしていなかったので、彼の滑りに集中し、見守りました。3ヒット目くらいで、あぁ…これを決めてきたら抜かされるかもと…。会場の雰囲気と滑走順も、関係していると思うので。彼のベストだと思う。
――今後、どう進化させていきたい?
平野 これから、自分自身で競技のレベルを、これ以上、上げていくのは相当、難しくなると思うですけど、それは自分でも今、何をしようか組み立てている途中というか。これ以上の回転というのが、ハーフパイプの競技は限界に来ているというのも現状なので、今、出来ることの高さだったり完成度だったり…プラスアルファで「DC14」3つ…さらに今後、勝ち続けるためには必要だと思います。
――高さを追い求めたのはいつから?
平野 高さを僕は自分の1番の武器として…スピンより、自分の滑りというものに魅力というか、1発で、あぁ、あれがアイツだという、1つの自分のスタイルとして追求しているので、そういう意味で小学校3〜4年くらいから1発目のヒットには必ず、誰よりも高く飛べるエアターンを用意してきた。スケートボードでも、幼い頃からやっていて、ハーフパイプと同じような形をした練習場が新潟県内にあるので、スノーボードと共有さえながらやってきて、それが高さとして認められて大分、いい表現が出来ている。これからも変えずにやりたい。
――「DC14」3連続は体力、技術も必要。どう伸ばせば、もっと厳しいところに到達するのか?
平野 フロントサイドとバックサイドという方向で2連続、やっているんですけど、バックサイドで、まだ「DC14」でハーフパイプ(HP)の中でやった人がいないのが現状なので、可能性があるとしたら、バックサイドのダブルを最後のヒットに入れれば、また新しいマニュアルが出来るんだろうなと思います。
――生まれ育った新潟、小学生時代に技を磨いた福島、山形のスキー場がある。応援した方に一言。ソチ五輪の後にはスケートボードをする子どもとも交流があった
平野 新潟で生まれ、ずっと育ってきて…日本で海外と同じ大きさのハーフパイプというのが、なかなか、今もないんですけど…その中でも海外の設計に近づけたものは、自分が練習していた山形のスキー場だったり、福島もそうですし、いろいろな人たちが協力してくれ、五輪前もプライベートでもやってくれ、用意してくれる施設もあった。時間があれば、いつも顔を出させてもらっていますけど、今回もそうだと思うんですけど、五輪をテレビで見ていたと思うので、自分から贈るものとしては、感謝と今回、自分が五輪で見せた滑りが周りの人たちに届いていれば、1番うれしいという思いでいっぱいですね。
――東京五輪への出場の可能性もある。次の世代の子どもたちにどういう存在になりたい?
平野 東京五輪に関しては、すごい…こう、ここから目指すことというのは、すごく時間の中での、すごいハードなトレーニングになると思うので。自分は、まだはっきり決めていない部分もある。その部分を、これから、しっかり整理して考えられたら…当然、可能性があれば、という形で考えてはいます。
――非常に苦しい4年間、自分を駆り立てたものは?
平野 ここまで五輪の4年間は、自分にとっては1日1日が試練のような…小さい、小さい、自分の中での地道なトレーニングだったり。自分のフィールドとか、自分1人の空間をすごく大事にしていて、生活の習慣も、4年間の中でいろいろ変えてきたことだったり、自分のやりたくないことに、どちらかというとチャレンジしてきた4年間だったので。スノーボードにも、やっぱり自分の苦手な弱点の磨きをかけてきた…本当に生活からスノーボードまで共有できた4年間だったと思うので、そういうところに自分は1番、力を入れてこれたことが、これからもさらに高め続けなければ…自分の大事なことですね。
――夜明けて、1番最初に湧いてきた思いは何? 何か、やりたことは?
平野 五輪が終わって…自分は五輪の先のことまで考えて出たつもりだったので、その先に向けて少し体のコンディションが回復すれば、また自分が目指す方向に戻って、次々と目指せればいいなと思いました。これからは、やっぱりスノーボードで頂点を取り続けることは簡単じゃないことを、あらためて今回も実感したので。人一倍、先のことをするなら…人のやっていないことを自分の考えた式と答えの中で、人と違う…先に上のものを目指しながら行ければなと思います。自分のこだわっているものだったり勝ち方にこだわって、また頑張っていきたいと思います。
平野は「本当に生活からスノーボードまで共有できた4年間だったと思うので、そういうところに自分は1番、力を入れてこれた」と、今回の五輪に全てを注いできたと吐露した。 
 




渡部暁斗(ノルディック複合個人ノーマルヒル)

 

「よい子はマネしないように…」
ノルディック複合の渡部暁斗(29=北野建設)が24日、個人ノーマルヒルの銀メダルを手に帰国した。羽田空港で「目標(金メダル獲得)が達成できなかったのは悔しいが、メダルは素直にうれしい」と話した。
会見では団体の競技後に判明した左肋骨(ろっこつ)の骨折に質問が集中。一番気になるのは「けがを押して」が美化され過ぎること。「若い子が無理して試合に出るのが心配」と言い「よい子はマネしないように」と笑顔で語った。

平昌オリンピックで銀メダルを獲得した渡部暁斗選手ら、スキーノルディック複合の日本代表が帰国した。渡部暁斗選手は、15日に行われた複合・個人ノーマルヒルで2大会連続の銀メダルを獲得した。また、22日のノルディック複合・団体では、惜しくも4位となった。渡部暁斗選手は今大会、肋骨(ろっこつ)を折りながらの出場だったことが、競技終了後に明らかとなっている。帰国した渡部暁斗選手は、「こうやってメダルをかけて帰ってきて、みなさんに喜んでいただけて、そこは素直にうれしいです」と話し、「僕の口からは言うつもりはなかった」というケガについても「事実が広まってしまったので」と、判明した経緯や状態を説明した。

平昌オリンピック、大会12日目。スキー・ノルディック複合個人ラージヒルが行われ、渡部暁斗選手らが出場した。個人ノーマルヒルで銀メダルとなった、渡部暁斗選手。前半のジャンプでは134メートルのビッグジャンプで首位に立つ。後半のクロスカントリーでは、「前半ハイペースでいってしまった」という渡部暁斗選手。終盤に突き放され、5位となった。表彰台はドイツ勢が独占した。渡部暁斗選手は競技後、「団体でメダルを取りたい」と語っていた。なお、永井秀昭選手は12位。山元豪選手は16位。渡部善斗選手は20位となった。  
 
渡部「チーム一丸となって戦えた」 / 平野「ベストは尽くした」、
平昌オリンピックのスキー・スノーボード男子ハーフパイプで銀メダルを獲得した平野歩夢選手と、スキー・ノルディック複合ノーマルヒル個人で銀メダルを獲得した渡部暁斗選手が15日、平昌JOCジャパンハウスで記者会見を行い、メダル獲得から一夜明けた心境を語りました。
―一夜明けての感想をお願いします。
渡部選手 銀メダルをとれて、チーム一丸となって戦えて、銀メダルをとれた喜びと安心感が半分と、自分が目標にしていた金メダルにたどり着けなかった悔しさがあります。試合後、部屋に帰って考える時間があって、あの時こうしていたら違う結果になったかなとか考えることがあって、いろいろな思いがふつふつと浮かんできているところです。
平野選手 きのうは銀メダルということで、本当に目の前まで金メダルの可能性があるなかでの結果だったので、素直に受け入れている部分も、悔しい部分も残っています。この結果を生かして、またリベンジとして、4年後に出られればと思います。
――渡部選手に伺います。今回の結果を踏まえて、次のラージヒルへの気持ちをお願いします。またここから、具体的にどのような点を修正していこうと考えていますか?
渡部選手 ラージヒルでは昨日のノーマルヒルで獲得できなかった金メダルへの再挑戦をしたいと思っていますし、そこに向けてベストを尽くしていくつもりです。修正点というか、もちろんもっと良いジャンプができると思いますし、走りももっと良い走りができると思っています。あと5日しかないのでそんなに大きな修正はできないと思いますが、少しでも金メダルに近づくように準備をしていきたいと思います。
――平野選手に伺います。昨日の2本目は、平野選手の最高のルーティーンを見事に決めたと思いますし、金メダルを確信した人も多かったと思います。金メダルに足りなかったものは、あえて挙げるとしたらどこでしょうか?
平野選手 細かく言うとキャッチの完成度、あとは高さ。本当だったらもっと自分だったら出せるところなので、そこはもう少し点数を伸ばせたかなと思います。あとは決勝3本目でさらにもう1ヒット、技を入れられたら、点数も変わっていたかなと。そういうところで悔しさがあります。
――優勝したショーン・ホワイト選手(アメリカ)の最終滑走を見ている時、胸をよぎったのはどんな感情でしたか?
平野選手 何と言えばいいか……自分よりもさらにプレッシャーのある中で、最終滑走で、これまで決めたことのないトリックをあの場で決めてくるというメンタルの強さにびっくりしました。(ホワイト選手に)転んでほしいとか、そういう願いはしていませんでした。3ヒット目くらいには、「これを決められたら抜かされるだろうな」と(思いました)。会場の雰囲気と、滑走順も関係していると思います。でも、ベストは尽くしました。
――この先、ハーフパイプをどのように進化させていきたいですか?
平野選手 競技のレベルをこれ以上に上げることは相当難しいことになると思います。自分でも今、これから何をしようかと作戦を組み立てている途中というか。これ以上の回転というのが、ハーフパイプでは限界まで来ているというのも現状です。今できることの高さや完成度、プラスアルファで「ダブルコーク1440(DC14)」を3つが、自分がさらに勝ち続けるなら必要だと思います。
――渡部選手は、まだ出場種目が残っています。試合が残っている選手が一夜明け会見にいらっしゃるのは珍しいことですが、出ていらしたのはどういうところにつなげていきたいのでしょうか?
渡部選手 僕の場合は次への競技までにスケジュール的に少し空いていて、出るのは難しくなかったのでここに来ました。もちろんいろいろな思いはありますけれど、今、特別に伝えることはないというか、常に言いたいことは公言してきているつもりです。今日もここで特別なことを言うつもりはなく、常々伝えていることが僕の考えですし、十分に僕が何をやりたいのかは伝わっていると思うので、それを見届けてもらえればと思います。
――平野選手は、ずっと高さを見せていきたいとおっしゃっていました。何歳くらいからそういう思いを抱きはじめたのでしょうか? そこへの美意識をお聞かせいただけますか?
平野選手 高さを自分の一番の武器にしていて、スピンより自分の滑りいうものに魅力というか、1発で「あれがアイツ」というような、自分のひとつのスタイルとして高さを追求しています。そういう意味で小学校3、4年生くらいから、1発目のヒットには必ず誰よりも高く飛べるエアターンを用意してきました。スケートボードでもハーフパイプと同じような形をした練習場が新潟県内にあるので、そこでずっとスノーボードと共有させながら練習しました。今はそれが高さとして認められて、だいぶ良い表現ができていると思います。これからもそれは変えずにやりたいと思っています。
――平野選手に伺います。先ほど、これからは「DC14」の3連続が必要になってくるのではとおっしゃっていました。今の現状からどういうところを伸ばせば、3連続に到達するのか。具体的に考えているところがあれば教えてください。
平野選手 フロントサイドとバックサイドという方法で「DC14」を2連続でやっています。ハーフパイプの中では、バックサイドでの「DC14」をまだやった人がいないのが現状なので、可能性があるとしたら、バックサイドでの「DC14」を最後のヒットに入れられれば、また新しいマニュアルができるなと思います。
――平野選手に伺います。先ほど「会場の雰囲気」という言葉がありました。ショーン・ホワイト選手は、フィニッシュ後のパフォーマンスでも会場を引きつける力というのはあると思います。平野選手がこれからコンテストライダーとして戦っていく上で、観客を引きつける点はどう考えていらっしゃしますか?
平野選手 自分は本当に滑りで周りを黙らせることだけにこだわっているので、観客を引きよせることというのが自分は苦手なのか、(ホワイト選手と)同じようにフィニッシュ後の表現はできないので。滑り込んで、1つのランでみんなを認めさせることだけをこれからも変わらず、そこだけを見せていきたいです。
――渡部選手に質問です。「ふつふつと感情が湧き上がってきた」とおっしゃっていましたが具体的には? もう1つは、昨日のレースを踏まえて、ラージヒルでの金メダルへの自信は揺るぎないものになったのでしょうか?
渡部選手 (ふつふつと湧いたのは)感情的なものというよりも、展開的な部分です。1番の大きなポイントは、昨日の最後の(クロスカントリーでの)“上り”で勝負したのですが、そこを(優勝したドイツのエリック・)フレンツェルよりも前に入っていたいなと思ったところから始まり、あの時こうしていたら、その前はこうしていれば……とレース展開を思い出すと、いろいろ(な展開が)思い描けるというか……。それを(最後まで)振り返るとジャンプをもっとこう飛んでいればよかった、と。金メダルへの自信は揺るぎないというか、昨日はたまたま(勝ったのが)フレンツェルだったというだけで、フェアな条件でジャンプが飛べれば、ノルウェーの選手も調子が良いから怖いですし、フレンツェルだけではないと思っているので。簡単に勝てるところではないですが、でもそれはワールドカップでも一緒ですし、自分のやることは変わらないので、自分のパフォーマンス次第で、自信を持っていければと思います。
――平野選手に伺います。生まれの新潟や、小学生時代に技を磨いた山形、福島のスキー場からたくさんの方が応援していたと思います。その方々に一言をいただけますか? ソチオリンピックの後にはスケートをする子どもたちとの交流もありました。東京オリンピックへ向けてはスケートボードでの出場もあるかと思います。次の子どもたちへ向けてどういう存在になっていきたいですか?
平野選手 新潟で生まれて新潟で育ってきて、日本で海外と同じ大きさのハーフパイプはなかなか今でもありません。僕はその中でも、山形や福島にある海外の設計に近づけたもの(=ハーフパイプ)で、いろいろな人達が協力してくれて、このオリンピック前にもプライベートで使えるように用意してくれていたので、時間があれば顔を出させてもらいました。(協力してくれたみなさんが)たぶんオリンピックをテレビで見てくれていたと思います。感謝とオリンピックで見せた滑りが、周りの人たちに届いていればうれしいです。東京オリンピック(でのスケートボード挑戦)に関しては、ここから目指すことはすごく時間のない中でのハードなトレーニングをすることになると思います。(挑戦は)まだはっきり決めていない部分もあります。その部分をこれからしっかりと整理して考えられたら、「可能性があれば」という形で考えてはいます。
――これから「DC14」の3連続など新たな技にチャレンジすると思います。一方でこれまでの4年間は非常に苦しかったと伺いました。自らを駆り立てたものとは何ですか?
平野選手 このオリンピックまでの4年間は1日1日が試練のような、自分の中で何か目的を設定してから、地道なトレーニングを(やってきました)。自分のフィールドというか、自分ひとりの空間をすごく大事にしています。生活習慣なども4年間の中でいろいろ変えてきたり、そういった自分のやりたくないことをどちらかといえばチャレンジしてきた4年間で、スノーボードも弱点に磨きをかけてきました。生活をスノーボードと共有してきた4年間だったと思うので、そういうところが自分が一番力をいれてきたところです。これからもさらに高め続けないといけないというのが今、自分が大事にしていることです。
――渡部選手に伺います。まずはラージヒルがありますが、昨日の日本チームの戦いを踏まえて団体戦の展望などを伺えますか?
渡部選手 昨日は山元(豪)があまり良い風にあたらなかった以外は、みんな良いジャンプをしました。あれがラージヒルでもできれば、良い位置でスタートできるかなと思います。走りの方もみんなそれなりに良い走りをしていたので、今シーズンの団体戦をやってきた中では、チーム全体として状態は上がってきていると思います。僕のスプリントも含めて、良い流れと準備ができれば、メダルにも近づいているなという実感があるので、みんなで気持ちを高め合って、メダル獲得に向けて全力を出したいと思います。
――お二人に伺います。一夜明けて一番最初に湧いてきた思いは? これから一番やりたいことはなんですか?
渡部選手 ラージヒルに向けて引き締まった気持ちです。また気を引き締めて、もっと良いパフォーマンスをしようという気持ちが今一番大きいです。何がしたいかは、おいしい食事をとって、しっかりと回復に努めて、また良いレースができるように準備をしたいです。
平野選手 一夜明けて、オリンピックがやっと終わって……。でも自分はオリンピックの先のことも考えて出たつもりだったので、体のコンディションが回復すれば、また自分の目指す方向に戻って、次々と(その先の目標を)目指せればいいなと思いました。スノーボードで頂点をとり続けることは簡単ではないことをあらためて、今回実感しました。本当に人一倍、(一歩)先のことをするんだったら、自分が考えた式と答えのなかで、人と違う滑りで上のものを目指しながら、結果を取り続けられたらなと思っています。自分のこだわっているものや勝ち方にこだわりながら、またがんばっていきたいなと思います。 
 





宇野昌磨(男子フィギュアスケートシングル)

 

「羽生選手と僅差で競える選手になりたい」
平昌冬季五輪フィギュアスケート男子シングルで銀メダルを獲得した宇野昌磨が18日、平昌のジャパンハウス内で記者会見し、現在の心境を語った。主な一問一答は次の通り。(平昌 原川真太郎)
――一夜明けて、メダルの実感は
「メダルをとってからしばらく時間がたっているが、変わらずオリンピックでの2位という結果に実感がないが、変わらずうれしい」
――将来に向けてこれからどういう目標を持っているか。しばらく休むか、トレーニングに取り組むか
「まだ今シーズン終わっていないので。世界選手権もあるので、今日帰って、明日から練習したい。羽生選手、(銅メダルを獲得した)ハビエル(フェルナンデス)選手を見ていてて、ジャンプの完成度の高さなどはまだ自分に足りないことのなので、練習したい」
――(外国人記者)日本にはたくさん世界的に人気あるものがある。リオデジャネイロ五輪のスーパーマリオとか。今、一番人気のあるのは羽生結弦さんでしょうか?
「その通りだと思います。誰でも知っている人なんじゃないかと思います」
――今回の五輪で、何に勝って何に負けたと思うか。特別な大会ではないと言っていたが、残った宿題は
「五輪に残したものは何もないと感じていて。五輪としての課題でなくて、一つの試合としての課題であって、やり残したことは何もないと感じています」
――周りの方の反応は。弟さんや、周りのコーチなどが泣いたりとかは
「弟とは全く連絡取ってなくて、何も(連絡は)来ていない。会っても何も言われないと思います(会場から笑いが起こる)。家族のみんなは、メダルを取ったことより、やってきた課題ができたことに喜んでいると思います」
「(自分は)連絡を返さないので、連絡がないんだと思います。友達からは『おめでとう』とたくさん来ました。なるべく手短に返させていただきました(再び会場から笑いが起こる)」
――眠そうですが、日本に帰ったら羽生選手ほどではないにせよ、声を色々かけられたり、メダリストとみられると思うが
「でも、メダリストになったからといってそんなに何も変わらないと思います。日常生活といっても、リンクと家を移動するだけなので」
――ご自分の演技の前にほかの選手の演技を見ていたと言っていたが、五輪を通じて一番印象に残った演技、印象に残ったことは
「これは、見ていなかったので結果を聞いてうれしかったというか。ネイサン(チェン)選手が、ショートプログラムで思うような演技できなかったのに、フリーであれだけすばらしい演技をしたと聞いたときに感動した」
――ネイサン選手のフリーの演技で刺激を受けたりとかは
「単純にうれしくて、感動したというのはありましたが、刺激を受けたというのはないですね。本来のネイサン選手の実力はああいうものだと思っているので。ショートが上手くいかなかったなかで、フリーですばらしい演技をしたという」
――今まで「羽生選手に勝つことが唯一の目標」と言っていたが、銀メダルは悔しいのか、ワクワク感があるのか。今後、勝てそうな手応えは
「今回の結果については、あんまり悔しいと思っていなくて。実力の差が出たと思っている。早く僅差で競い合える選手になりたい。まだまだ僕の実力が劣っていると感じました」
――昨日、『羽生選手がいることで今後も少し楽をさせてください』と言っていたが、2連覇した羽生選手は今後、どういう存在になっていくと思うか
「これまでと変わらない。これまでもトップを走っていて、それを証明する試合だったと思う。僕はそれを追いかけ続けるというのは変わらない」
――今、首からかけている銀メダルは、日本に帰ったらどなたにかけてあげたいか。どのように保管したいか
「かけたい人がいれば、かければいいかなと思います(会場から笑い)。触りたい人は触ればいいし、大事に扱おうとは思っていないので。保管方法も、家族に渡してお任せします」  
 





●銅メダル
高梨沙羅(ジャンプ女子)

 

「北京五輪で今度こそ金メダルを」
ピョンチャン五輪ジャンプ女子ノーマルヒルで、日本人初の銅メダルを獲得した高梨沙羅(21=クラレ)が、メダル獲得から一夜明けた13日、平昌で会見を開いた。
高梨は「目標としている金メダルは届かなかったですけど、ホッとした気持ちと悔しい気持ちがある。ソチ五輪からの4年、悔しい思いがしてきて2本、納得いくジャンプが出来た。楽しく飛べたことが収穫」と笑みを浮かべた。
一方で今後について聞かれると「銅メダルという結果に終わってしまって、目標は金メダルを取ること。自分はまだ金メダルを取る器ではないんだなということを痛感させられた。これで終わるわけではないので、また次の北京五輪に向けて今度こそ金メダルを取りたい。そこを目指してやっていきたい」と、22年北京冬季五輪でのリベンジを誓った。
高梨は12日1回目で103・5メートルを飛び120・3点をマーク。全体3位で臨んだ2回目のジャンプは103・5メートルを飛び、合計243・8点をマークした。 
 
「ホッとした気持ちと悔しい気持ちが半々」
ノルディックスキー・ジャンプ女子で銅メダルを獲得した高梨沙羅(21)=クラレ=が13日、一夜明けてメダリスト会見に出席した。
――一夜明けて、心境はどうか
「目標としていた金メダルには届かなかったけど、ホッとした気持ちと悔しい気持ちが半々。この4年間は悔しい気持ちをバネに練習に励んできた。2本とも納得がいくジャンプができた。自分を信じて飛べたことが収穫。楽しめました。自分の中では、すがすがしい気持ちでいっぱい」
――金メダル(マーレン・ルンビ)、銀メダル(カタリナ・アルトハウス)との差はどこか
「W杯でも君臨していた。マーレンさんが調子が上向きで、それが落ちなかった。お二方ともジャンプのタイプは違うけど、調子の波がなかったマーレンさんに軍配が上がったのかなと思う」
――メダルを獲得した後はどのように過ごしたか
「(選手村に)帰ってきたのは(午前)3時ごろ。そのまま寝ずにここ(記者会見場など)を回っています」
――今後の抱負
「まだ金メダルを取る器ではないと痛感させられた。これで終わりじゃないので(2022年)北京五輪では今度こそ金メダル取って結果で感謝の気持ちを伝えられるようにやっていきたい」
男子モーグルで銅メダルを獲得した原大智(20)=日大=も出席し、「実感がなくて本当に自分が銅メダルをとったのかなと思っている。今までない以上にSNSで、お祝いメッセージをもらっている。ゆっくり返していこう、と思う」と笑顔で話した>今後に向けては「昔からの夢である金メダルは絶対に取りたい。この先の目標は金メダル」と話した。 
 
「すがすがしい」
平昌冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ女子で初のメダルとなる銅メダルを獲得した高梨沙羅(21)=クラレ、上川管内上川町出身=と、フリースタイルスキーの男子モーグル3位で今大会の日本勢メダル第1号となった原大智(20)=日大=が一夜明けた13日、平昌のジャパンハウスで会見に臨んだ。高梨は「これで終わったわけじゃない。(4年後の)北京冬季五輪で今度こそ金メダルを取りたい」と宣言した。
4位に終わった前回ソチ五輪後は「ずっと悔しい気持ちをバネに練習してきた」と振り返り、「ホッとした気持ちと、悔しさが半々です」と胸の内を語った。
試合後から祝福メールが殺到し、その数は「記録を更新しています」と笑顔。故郷の上川町などファンの応援に感謝し「早くメダルを見せてあげたい」とはにかんだ。  
 
ジャンプ女子
伊藤選手「チーム一丸となって臨めた試合」
――どんなオリンピックになったか?
伊藤有希:私はたくさんの方々からの支えを感じた4年間だったので、その方々の喜ぶ顔が見たい一心で飛びましたが、2本目が終わった時にそれができなくて、気持ちの整理がついていない中ではありましたが、その時に沙羅ちゃんが飛んで銅メダルを決めた顔を見た瞬間に、自分のジャンプに対する気持ちの整理はついていなかったんですが、4年間平昌オリンピックを一緒に目指してきた一人として本当にうれしくて、自分のことよりも先にうれし涙が出たので、チーム一丸となって臨めた試合だった。
高梨沙羅:目標としていた金メダルには届かなかったんですが、日本チームのみなさんにもたくさん助けていただいた。日本チームのみなさんに助けてもらって取れたメダルなので、今まででたくさんの方々に支えていただいて取れた銅メダル。昨日、銅メダルを首からかけて、このメダル以上にそういう人たちの気持ちの重みがあるのかなと感じました。
岩渕香里:私にとって初めてのオリンピックでソチに行けなかった悔しさもあり、平昌に行きましたが、結果はあまり納得できるものではなかった。でも、オリンピックを通してこんなにたくさんの方が、私のことを応援してくれていると改めて感じることがあり、私の中でのスキーの価値、あり方、スキーに対する気持ちを変えさせてもらったオリンピック。
勢藤優花:4年前は競技をやめてしまおうかと思うくらいスキージャンプが好きではなかったが、諦めないで頑張ってトレーニングしてオリンピックに出ることができました。結果はあまり良くなく、課題の残る試合になった。オリンピックに出ないとわからない経験もして、幼馴染の高梨選手もメダルを取って、4年後に私がメダルを取れるように明日から頑張ろうと思える試合でした。
高梨選手「温かい布団で寝たい」
――今、一番何がしたいですか?
伊藤:温泉に入りたいです。どこがいいとかないですが、選手村のバスタブが温まれるほどの温度まで上がる水が出なかったので、まずは温泉に入りたい。
高梨:温かい布団で寝たい。試合の日からここまでなかなか寝れずにきているので、今日こそは布団でゆっくり眠りたい。
岩渕:現地にも応援に来てくれていましたが、家族に会いたいです。(Qなんと伝えたいですか?)来てくれてありがとうと伝えたいです。
勢藤:美味しいものをたくさん食べたいです。なんだろう…豆腐(笑)。
高梨選手「ほっとしてうれしくて涙が出た」
――高梨選手へ。改めて仲間への思いは?
高梨:ソチオリンピックが終わってから初めてその場に立ち、自分のベストも尽くせず、やるべきこともできず、悔しい試合に終わった後に有希さんに「ここに戻ってこようね」と声を掛けてもらい、その悔しさをバネに平昌オリンピックにつなげてきました。試合で2本、自分の納得のいくジャンプが飛べましたし、ほっとしてブレーキングトラックで自分の結果を待っている時にチームのみんながぎゅっと抱きしめてくれてほっとした。日本チームとしてこの場に立たってよかった、幸せだなとほっとしてうれしくて涙が出ました。
――真っ先に伊藤選手が来ていました。伊藤選手、どんな思いが?
伊藤:メダルが決まるジャンプでしたし、いてもたってもいられなくなりました。バーチャルラインも越えていて、これは決まるなと思い、思わず駆け寄りました。4年前も一緒に出て悔しい思いもして、4年間目指してきた一人として自分もですが、沙羅ちゃんも悔しい思いをしてきたと思うので、その思いが報われた沙羅ちゃんの顔を見た時に、自分も本当によかったという思いになりました。
――その言葉を聞いてどうですか?
高梨:自分もジャンプをやってきて悔しいこともありましたし、それがチームのみなさんのおかげでここまで頑張ってこれたので、取らせていただいたメダル。自分だけのメダルじゃなくてチームのメダルだと思っています。
――風が強くて各国のコーチは旗を使っていたが、(コーチの)鷲澤さんがバインダーを使っていた。それは選手の気持ちが不安にならないようにと鷲澤さんの思いやりを感じた。選手としてどう思いますか?
伊藤:いま、そういう意味があると初めて聞きました。普段から選手一人一人の要望を聞いて、個人の選手はどうしたいか、みんなが上手くいく方法を考えてくれて、4年間も万全の状態でオリンピックに望めるかと考えてくれたので、私は今回のオリンピック、鷲澤さんのおかげで最高の状態で臨めたと思っています。
高梨:普段からチームのことを考えていろいろしてくださっているので、気持ちよく試合に臨めて、こうしてメダルが取れたのも鷲澤さんが助けていただいた力のおかげ。
岩渕:鷲澤コーチは長野県出身で、ジャンプを始めた時からずっと見てくれているコーチで、そういうコーチが手を振る中で飛べたのもすごく幸せだったし、飛んだ後にスローモーションで自分のジャンプを見ている時にワーッと喜んでくれて、ものすごくうれしくて。喜んでほしいなと思って今回も頑張れた。徹さんのおかげで4人こうやって万全の状態でこれたのは選手のことを考えてくれてたから。お礼ができたらと思っています。
勢藤:平昌入ってからもあまりいいジャンプができなくて、悩んでいる時にコーチがずっと指導してくれて支えてくれたので、これからの試合も鷲沢さん位頼ってまたサポートしてくれたらうれしいです。
どんな選手になりたい?
――今後、どのような選手になりたい?
伊藤:私は下川町出身で、今回テストジャンパーとして下川町の子供たちが特に多くて、ずっと一緒に飛んできた後輩たちがいてくれて心強かったし、そういった子たちの目標になれるような選手になりたい。
高梨:また、オリンピックに戻ってきたいと思えた試合でしたし、北京オリンピックに向けて今度こそ金メダルを取れるようにここからまた新しいスタートを切っていけたら。どんな状況にも対応できる選手になりたい。
岩渕:今回のオリンピックではこんな結果でしたが、「感動したよ。勇気をもらったよ」と声を掛けてくださる方がたくさんいて、そう言ってくださる方がたくさんいてうれしかった。ですが、どうしても必要なのは結果で、結果あって恩返しや勇気を与えられるというか、元気を与えられるような選手になると思う。まずは今回の悔しさをバネにメダルを目指して頑張りたい。
勢藤:今回はあまりいい成績では終われなかったのですが、もっともっといい成績を出して、スキージャンプをやりたいと思える子供たちが出てきたらうれしいなと思います。  
 
   



 
原大智(フリースタイルスキーモーグル)

 

「この五輪は僕のモーグル人生の分かれ道になる」
日本男子モーグル界に初の五輪メダルとなる銅メダルをもたらしたのは、五輪3週間前にあった代表決定会見で、背筋を伸ばしてそう言った20歳の青年だった。
長野五輪のフリースタイルスキー女子モーグルで北海道東海大3年(当時)の里谷多英が金メダルを獲得し、日本中に「モーグル」を知らしめた1998年2月11日から丸20年がたった2018年2月12日。
幼少時からスキーにいそしんでいた原大智(日大1年)が、歴史に新たな1ページを記した。
「実感がない。本当に自分が銅メダル取ったのかなと、すごく今、そう思っています」
快挙から一夜明けた13日朝、メダリストは静かな口調でそう言った。
それでも周囲の反応のすさまじさには驚いたようで、「普段しゃべったことのないような人からもSNSでお祝いメッセージをもらった。ゆっくり、ゆっくり返していこうと思います」
モーグル人生の分岐点を超えたばかりの若者は、笑顔を浮かべていた。
五輪に向けて用意していたオリジナル技
「僕のオリジナルである『コークセブンのグラブ』を平昌五輪で見せつけたい」
原は、昨年12月のW杯中国大会で初めて使った技を五輪の武器として挙げていた。
W杯で一度も表彰台に上がったことのなかった彼にとって、第1エアで使うこの技が、銅メダル獲得のカギとなった。
「使い始めたときはランディング(着地)が甘かったが、そこを意識し始めたら点が上がった。安定させたらもっと点が出ると思っていた」
「グラブつきコーク720」を成功させた!
2月12日、キリッと冷え込んだ夜のフェニックスパークスキー場。
決勝3回目で最終滑走となる6番目に登場した原は、第1エアでオリジナル技の「グラブつきコーク720」を成功させると、多くの選手が悩まされた硬いコブをハイスピードのまま果敢に攻め、第2エアでは「バックフリップ」を成功。82.19点をたたき出した。
先に滑っていたミカエル・キングズベリー(カナダ)の86.63点、マット・グレアム(オーストラリア)の82.57点には及ばなかったが、モーグル史上日本人男子初となる銅メダルを獲得した。
1番スタートの緊張で「吐きそうな思い」
大会中にはメンタル面の成長も見せていた。9日の予選は1番スタート。
「(予選の前日に)スタートリストで1番と聞いたときから『まじか〜!』と、緊張で吐きそうな思いでした。
10時半にベッドに入ったのですが、その後しばらくモゾモゾして……。でも、モーグルの全男子選手の中で先陣を切っていけると開き直ったら、これは凄いことだと、うれしい気持ちになりました」
予選を全体の6位で通過すると、12日は決勝の2回目をトップで通過し、3回目は6人中、最後の滑走となった。
結果はほぼノーミス。
身長172cm、体重75kgというガッチリとした身体で板にしっかり乗り、硬いコブを攻略した。
なぜ「モーグル」の知名度は上がったか?
五輪という競技大会の意義を正面から見つめてきた。
「オリンピックは4年に1度で、モーグルを知らない人も知る機会になる舞台。僕は特別な大会だと思っています」
原が言うように、日本におけるモーグルの知名度は、'92年アルベールビル大会で五輪正式種目になってから6年後の'98年長野五輪で里谷が金メダルを獲得したことで、飛躍的に上がった。
さらに、多くの人に注目される競技となった理由としては、里谷とともに出場した長野五輪で7位入賞を果たした当時18歳の上村愛子の存在も大きかった。
堀島行真の存在が、原を成長させた
長野五輪でのブレーク後、里谷は'02年ソルトレークシティー五輪で銅メダルを獲得し、'06年トリノ五輪、'10年バンクーバー五輪にも出場。
上村はソルトレークシティー五輪6位、トリノ五輪5位、バンクーバー五輪4位、ソチ五輪4位とつねにメダルに挑み続け、出場した全五輪で入賞した。
上村の全盛時に出てきた伊藤みきも、世界選手権でメダルを獲り、日本女子モーグルの歴史をつないだ。
長らく女子に水をあけられていた男子がのろしを上げたのは、原の1学年下である堀島行真(中京大2年)がきっかけだ。
昨年の世界選手権で2冠を達成した期待の星は、平昌五輪に向かう男子モーグル界を活性化させ、原も刺激を受けた。
「堀島行真のことは、僕が公式戦デビューしたときから知っていた。向こうはすごくうまくて、僕は予選を通過すらできていなかった。負けたくないなという思いが強かった」
堀島の存在が原の急速な成長にもつながったのだ。
「この先の目標も金メダルと思っている」
日本の女子モーグル界は、里谷と上村の二枚看板が競技の存在感を高めた。そして今度は、男子モーグル界に五輪メダリストの原と、世界選手権2冠の堀島がそろうことになった。
“人生の分岐点”で銅メダルを獲得した原も、今回は敗れることになった堀島も、まだ20歳。
メダル獲得から一夜明けての会見では、原の言葉が徐々に力強いものになっていった。
「今回は準決勝(決勝2回目)で1位通過をしてしまって、そこから3位に落ちてしまったので、金メダルを取れたのに……という気持ちがすごくあった。
昔からの夢である金メダルは絶対に取りたい。この先の目標も金メダルだと思っています」
もう、会見の冒頭でメダリストの実感が湧かないと言っていた原の顔ではなくなっていた。
平昌の地で新たに刻まれた歴史は、今後の男子モーグル界の隆盛を確信させるものだった。 
 







高木美帆(スピードスケート1000m)
吉田夕梨花、鈴木夕湖、吉田知那美、藤澤五月、本橋麻里(カーリング女子) 

 

「限界は人が決めるものではない」
メダリストによる報告はカーリング女子で銅メダルに輝いたLS北見に移った。競技中の「もぐもぐタイム」とは異なる凛とした言葉で、時々ユーモアも交えながらメダル獲得までの思いなどを語った。
吉田夕梨花「カーリング界初めてのメダル獲得はチームだけでなく、スタッフ、所属先、スポンサー、勝つことを信じ続けてくれたファンの皆様がいたからこそ。まだまだマイナーな4年に1度のスポーツといわれているが、常に注目してもらえるようにしたい。私たちのような体の小さい子供にも始めてほしい」
鈴木夕湖「このメダルはチームで支え合いながら取った銅メダルで誇りに思う。個人として納得のいくパフォーマンスではなかったが、まだまだ強くなれると感じた。本当に長い間…短い間? 1カ月くらい?(笑)ありがとうございました」
吉田知那美「長野五輪で公式種目として採用され、20年かかったが、ようやくメダルを手にすることができた。私たちだけで取ったのでなく、五輪で戦い続けてくれた先輩がつないでくれたメダル。五輪も大切だが、ここは通過点。納得できるパフォーマンスを続けていけるよう努力しないとと痛感した五輪でもあった。私たち1人1人が口にも出せず秘めていたメダリストという夢は5人集まると目標になり、全員で努力し、1つの現実になった。限界は人が決めるものではなく、自分自身でしっかり乗り越えていくものと思えた。そう思わせてくれたのは、人間の限界を超え続ける葛西選手あってのこと(笑)」
藤沢五月「私、若干声が枯れているんですけど、何を言っているかお分かりでしょうか。初めてカーリングでメダルを獲得できたが、今まで4年ごとにつないでくれた先輩が力強く氷の上で戦ってくれ、その先輩を超えるために努力して目指してきたメダル。正直、試合に臨むまでは勝ち負けより楽しむことを目標にしていた。ただ自分たちのことを信じてやっていけば、メダル獲得も夢ではないと思いながら最後まで戦い続けた結果、銅メダルを持って帰ってくることができた。うれしい気持ちの反面、表彰式前に女子決勝を観戦したが、スウェーデンと韓国の戦いを見て、悔しい思いもこみあげてきた。たくさんのサポートの中で獲得したメダルを、たくさんの人に見ていただきたい。改めてカーリングに注目してほしい」
本橋麻里「素晴らしいコメントの最後で恐縮だが、(自身が初出場した)トリノ五輪から12年が経ち、この舞台にメダリストとしていられること、12年続けさせていただいたことに感謝している。スポンサー、家族、何よりチームスポーツなので選手4人に感謝している。この銅メダルの意味として、歴史的快挙もあるが、頑張ったね、まだまだ頑張れるよという色なのかなと思う。何よりうれしかったのは、過去2大会は女子だけだったが、今回は男子(SC軽井沢ク)とアベックで立てたことがうれしく、開会式で胸が熱くなったことは今でも忘れない。準決勝の韓国の最後のドローショットにやられたときは感動すら覚えた。あの1投は私の中にも刻まれるショット。これから先、あのような素晴らしいショットができるチームになっていかないと」  
 
「夢がかない幸せ者」
平昌冬季五輪のカーリング女子で銅メダルに輝いた日本代表「LS北見」のメンバーが27日、地元・北海道の女満別空港に到着し、故郷に凱旋した。メダルを首から下げた選手5人が到着口から姿を現すと、ロビーを埋め尽くした市民ら数百人が「おかえり」「感動をありがとう」と声を掛け、メダル獲得の快挙をたたえた。
主将の本橋麻里選手(31)は市民らを前に「メダル取ったど」と大きな声で報告。「今日までは『おめでとう』、明日からは『また頑張ってね』と言葉を掛けてもらえれば本望です」と語った。
藤沢五月選手(26)は「絶対に日本のカーリング界で初めてのメダリストになってやると思い続けてきた。夢がかない、皆さんに喜んでもらえて幸せ者です」と涙ぐんだ。
選手らはその後、練習拠点とする北見市のカーリング場に移動。市民ら約200人の出迎えを受け、子供らにメダルを触らせるなどして喜びを分かち合った。